神を喰らいし者と影 (無為の極)
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第 壱 部
第1話 邂逅


初投稿になります。
若干、色んな部分がご都合主義的になるかもしれませんが、お付き合いください。


《緊急警報発令。ここから5キロ先の地点で第2部隊が交戦中。第一部隊及び出動準備中、並びに待機中の部隊は直ちに出撃してください》

 

 

 

 緊急アナウンスが警報と共にアナグラ中に広がっていた。

 

 今まで平穏とも取れるほどにゆったりと流れていた空気が一瞬にして緊張感が張りつめた様な空気へと変わり、待機中のゴッドイーター達が続々と出撃して行く光景へと変わり出していた。

 

 

 

 

 

 

「このままだとマズイな。現地の状況はどうなっている?」

 

「現在は大型種2体、中型種5体、小型種20体と現在交戦中ですが、一部人員に負傷者があり救援信号が出ています。現在は何とか現場で対応していますが、数の差で押しきられる可能性があります」

 

「こっちは現地まで後10分はかかる。出来る限り急ぐからナビゲート頼む」

 

「了解しました」

 

 

 緊急アナウンスがアナグラて鳴り響く一方で、肝心の戦闘区域では死闘とも取れる戦いが繰り広げられ、今後の展開一つでこの戦場の流れがどちらか一方に天秤が傾くかの様な空気が漂っていたのか、既に戦術すら何もなく、その場で出来る限りの戦いだけが今出来る唯一の方法とばかりに、ただ目の前のアラガミと対峙していた。

 

 

「畜生。どうしてこんなに集まってくるんだ!偵察班は何やってんだよ!」

 

「しゃべる暇があるなら目の前のアラガミに集中しろ!」

 

 当初の任務予定はコンゴウ1体、オウガテイル2体が支部の付近まで接近している為に襲撃される前に討伐すると言った内容の任務予定のはずが、戦闘音に誘われたのか今では複数のアラガミに囲まれている。

 決して油断した訳では無いが、このままでは最悪の未来が戦闘中にも関わらずそれぞれの頭の片隅をよぎり出していた。

 待っているのは最悪の展開でもある『全滅』の二文字だった。

 

 既に囲まれている状況からすれば、今は一体一体を選んで戦う余裕は無く、目の前にいるアラガミを片っ端から斬りつける事しか出来ない。徐々に戦線は崩壊し始めているのか、部隊の人間の悲鳴が少しづつ多くなり始め、焦りだけが先行しはじめていた。

 

「このままじゃヤバいぞ」

 

「しゃべる暇があるならサッサと動け!」

 

 このまま多勢に無勢なのは理解しているも、部隊の人命を救う為には確実に目の前のアラガミを葬る以外に手は無く、助けたい気持ちはあっても目の前にいる負傷した隊員まではまるで無限とも言える様な距離を感じていた。

 

 焦る気持ちが生んだ結果なのか、このままでは見殺しになる可能性が高いとばかりに負傷している隊員に目を向けると、弱った獲物を襲おうとしているシユウの滑空に半ば諦観が混じりだす。距離にすれば僅かにも係わらず精神的な距離が遠いまま、これ以上はもうダメだと目を逸らした瞬間だった。

 

 襲いかかったはずのシユウの活動がその場で停止したかと思いきや、今度は断末魔とも言える叫びが響くと同時に漆黒の刃が背中から胸へと突き刺さり、その場でシユウは絶命していた。

 

 

 

「ここは相変わらず何も変わらないな。何とか間に合ったようだが、このままだと数で押し切られるぞ。一旦落ち着いて陣形を立て直せ」

 

「あ、ああ。分かった。全員!焦らずに落ち着いて立て直すんだ!」

 

 

 負傷した隊員を救い、そこに立っていたのは今までに一度も見た事もないゴッドイーターだった。まるで当たり前の様に血塗られた神機を振って血を落とす手には、先ほど一撃で突き刺し絶命させた漆黒の神機とカバンを手に持っている。

 

 

「少しこちらで請け負う。背中は任せろ」

 

「え?」

 

 そう言ったかと思った瞬間に、近づいてくるオウガテイル3体の首はいとも簡単にはね飛ぶ事で絶命している。

 

 鮮やかに飛ばされた首から吹き出す血は、周囲一面があっと言う間にアラガミの血の花を咲かせていた。斬り落とされたオウガテイルの中には斬られた事すら分からないのか、首から下だけがジタバタともがき蠢く個体すらあり、その場に居たゴッドイーターはあまりの光景に絶句していた。

 

 オウガテイルの陰からコンゴウが襲い掛かってくるも、すれ違いざまに幾重にも腕に沿う様に斬撃が重ねられ事で、丸太の様な腕が細切れとなり、オウガテイルの首の様に瞬時に胴体から離れたのか、瞬く間に斬り刻まれている。

 鮮やかに斬られたコンゴウを見た他のアラガミが、仇を討つとばかりに一斉に襲い掛かるも、一陣の疾風の様に漆黒の刃が振られた後にはアラガミの死体の山だけが築かれていた。

 

 あまりの戦闘力の高さに、この時点でこの戦場に居た交戦中のゴッドイーターは驚きを隠せなかった。いくら刃とは言え、神機の大きさからすれば、僅かながらでも鮮やかな切り口になる事は無く、若干ながらも切り口は潰れたような切り口となる。

 しかし、正体不明のゴッドイーターはそれが当たり前かの如き鮮やかな切り口だった。気が付けば残りのアラガミはあと僅か。もはや死地での戦線維持ではなく、殲滅戦の様相となりつつあった。

 

 

「すまん遅くなった。被害状況と戦局はどうだ?」

 

 リンドウ率いる第1部隊が到着する頃には既にアラガミは殲滅され、その場には生存している個体は最早何も残っていなかったのか、コアを抜き取られ霧散していく場面しか残されていなかった。

 

 現地で確認をすれば、そこには防衛班の面々と先ほどの所属不明と思われるゴッドイーターが話をしていた。

 

 

 

「リンドウか。こちらは方が付いたから、もうお前の出番は無いぞ。」

 

 所属不明のゴッドイーターに助けられたとは言え、この時点で今回の指揮官だったタツミはまだ警戒を解くことが出来なかった。援護に入ってくれたゴッドイーターには感謝こそしているものの、明らかにここの支部の人間ではない。

 

 見た目は確かにゴッドイーターではあるが、その存在感はある意味異質の塊とも言える物でもあり、ゴッドイーターの身分証明とも言える腕輪『P53アームドインプラント』が通常と異なっている。色こそ赤だが大きさは従来の物よりも二回り程小さく、神機に関しても近接型ではあるが、その形状は異質とも言うべき物であり、本来ならば盾が装備されているはずの部分には、それすらも見ることが出来なかった。

 

 当初は所属不明の為に警戒しながらタツミは話してはいたが、援軍として来ていたリンドウとは旧知の間がらなのか随分と気さくに話をしていた。

 

 

「久しぶりだな無明(むみょう)。いつ、こっちに帰ってきたんだ。来たなら連絡の一つ位入れろよ」

 

「すまんなリンドウ。近くに来た時に緊急警報が発令されていたから、現場に急行しただけだ。今日は榊博士に用があるからこのまま行くぞ」

 

「あいかわらずだな。こっちもやる事は無いから、このまま一緒に行くか?」

 

 

 

 警報が漸く解かれたアナグラでは、先ほどの作業と事後処理の為にざわついている影響もあり、誰かが来た位では気が付く事は無かった。周囲の事など一切気にせず、無明はリンドウとタツミの3人で榊博士の所に出向いた。

 

 

「榊博士、依頼があった件ですが、ここに来て漸く軌道に乗せる事が出来そうです。量産化にはもう少し時間がかかるかと思いますが、想定よりは早くなる予定です」

 

「ありがとう無明(むみょう)君。これで懸念していた事が多少でも解消できそうだよ」

 

「あの~榊博士。話の腰を折る様で申し訳ありませんが、この方はどなたですか?」

 

「あれ、まだ紹介してなかったかな。彼は無明君と言って今は第6部隊長をしているんだ。普段は中々会う事は無いから知らないのも無理ないかな」

 

 

 

 ここアナグラでは討伐班である第1部隊、防衛班である、第2、第3部隊、遊撃班でもある第4部隊、偵察班の第5部隊から編制されている。部隊長でもあるタツミも、その中身は立場上知ってはいるが、第6部隊がある事は何も知らされていなかった。

 

 

「第6部隊は簡単に言えば、色んな部隊を兼任しているけど、基本は技術に関する事がメインの何でも部隊だよ。ただし、この事は極一部の人間しか知らないから他言無用だよ」

 

 

 いつもの食えない雰囲気ではなく、事の真理とも言える様な言い方で榊博士にそこまで言われるとタツミはそれ以上の追及は何もできず、仮に知ったところで何も出来ないのもある意味事実だった。

 

 実際に今回の襲撃事件の戦闘を同じ立ち位置で見ていると、その実力は第1部隊にも劣らない程に吐出した戦闘能力と判断力。にも関わらず、何でも部隊と称される内容とは思えなかった。

 

 この時点で分かったのは名前以外には何も無い。

 今のタツミには疑問しか出てこないが、悩んだ所で答えが出る訳ではない。

 そんな事を考えながらもタツミは榊たちとの会話に参加していた。

 

 

「無明、今回の用事ってなんだったんだ?ここまで来るのは珍しいけど、今は何してんだ?」

 

 

 

「一度にいくつも聞くな。今回の用件は今の食糧事情の解消だ。お前も知ってのとおりだが、現在は基本的にはフェンリルからの配給と地下の工場で何とか賄っているが、それも限界だからと榊博士に依頼されていたんだ。ここに来て漸く目処が立ったから報告がてらだ」

 

 

 この時代、アラガミが発生してからの地球の環境は一変していた。

 生物の環境は大きく激変し、アラガミの捕喰によって自然環境までもが大きく変わっていた。その為に、今では配給に頼って生活してるのが現状となっている。

 一時期に比べれば多少はマシにはなっている物の、それでも満足の行くものではなく、ここ極東支部以外の一部の地域では頻繁に待遇改善デモが起きていた。

 

 

「って事はあのジャイアントトウモロコシみたいな食い物や、レーション以外にも何か増えるのか?」

 

 

 食糧事情はお世辞にも良いとは言いがたく、実際に支給されるものと言えば、元々何から合成されたのか分からないような肉類や野菜類。ジャイアントトウモロコシの様な遺伝子制御された味よりも、量を優先とした食糧が並ぶのが昨今の食糧事情でもあった。そうなると天然物の食糧を見る事が一般人には無く、それを見る事が出来るのは一部の高官のみだった。

 

 

「今回は試作だが、旧態依然の野菜や果物を幾つか持ってきたからそのチェックだ。流通に乗せるにはまだ少し時間がかかるだろう」

 

 

 手持ちのカバンから出されたのは、旧態依然なら簡単に手に入っていた果物や野菜。それでも今のご時世ではかなりの値打ちがあった。それを見て、リンドウだけではなくタツミも関心が大きくあった。体が資本でもあるゴッドイーターならば、関心の大きさは一般人のそれ以上だった。

 

 

「今回はこれの成分チェックが完了したら、もう少し持ってきてやる。その時は試食だな。楽しみにしておけ」

 

 

 全てのデータを提出しながら一つ一つを確認している。確認が終わった食材の入ったカバンを下して何事も無かったかの様に去って行った。

 

 

 

 

 



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第2話 吟味

 原因不明の襲撃から1週間が経過し、ここに来て漸くアナグラも落ち着いた雰囲気に戻りつつある頃に外部からの正体不明の荷物が届いていた。

 アナグラに届く荷物は、テロ防止の為に幾つかのチェックをクリアしない事には届く事は無い。見た目は資材と偽装されていた関係上、一瞬警戒が強くなったものの差出人を確認し中身を確認すべく開封すると、その中身は先日のチェックが完了した野菜や果物類は瑞々しい匂いを纏い、通常の荷物同様に梱包されている。

 

 発送元は外部居住区の為にここに運び込まれる事はあまり無かったが、事前に連絡が来ていた為に研究室へと運ばれていた。

 

 

《第1部隊、雨宮リンドウ及び第2部隊、大森タツミ両名は至急、研究室まで来てください》

 

 

 ロビー全体にアナウンスが流れ、2人が研究室へと出向くと、そこには以前助太刀として戦った無明と雨宮ツバキの姿があった。

 

 

「あれ?姉上、なんでここに?」

 

「職場では姉上と呼ぶなと言ってるだろう。何度言えば分かるんだ。今回の事は無明から事前に聞いていたからここに来ただけだ」

 

「お二人さん来たな。これがこの前チェックした物を改めて使った物だ」

 

 

 そこには先日の野菜や果物類がこれでもかとテーブルの上に置いてあり、果物からは甘い匂いが充満し、野菜は収穫したばかりなのか、見たことも無いほどみずみずしい艶が出ていた。一般人よりも優遇されているとは言え、ここまでの代物はそう簡単に目にする機会は無く、まだ食べてはいないが、素人が見ても一目で良いものだと判断出来るレベルだった。

 

 

「試作品だが味は保証する。現地でも他にいくつか作って食べているから問題ないはずだ」

 

「で、これはどうするんだ?」

 

「前回の慰労の代わりに持って行くと良いだろう。その代りと言ってはなんだが、味や食感のレポート提出が義務付けられている。これはあくまでも試作品だから、提出されるレポートの内容で今後の生産量や優先順位等が変わって来る。その内容から今後の流通が決定される事になるから適当に書くんじゃ無いぞ。それを忘れるな」

 

「また随分と自信ありげだな。って事は期待しても良いって事か?」

 

「とりあえずは厨房借りて作るから、それまでは待っていてくれ。あと、場所の使用許可も頼むぞ」

 

 

 そう言いながら送られて来た食材を厨房へ運び込む。ほどなくすると食欲をそそる様な匂いが少しづつ辺り一面に充満していく。まだかと思う頃には匂いに誘われたのか、気がつけばそれなりの人間が集まりだし、そこはちょっとした人だかりが出来ていた。

 

 1時間も経過する頃には、この場所にかなりの料理が次々と出来始め、運び出した料理はそのままロビーに出された事により、そこはちょっとした宴会会場となっていた。

 

 

 素材の良さも去ることながら、調理の腕も一流とも言える料理の旨さに気を取られ、気が付けば時間はかなり経過していた。あれ程いた人間も時間と共に各々の予定があるとばかりに、気が付けば残りは僅かとなっていた。

 途中で誰かがどこからか持ち込んだアルコールに、酔いつぶれた隊員が泥酔したこの様に床で寝転がっている。

 目が覚める頃にはどうなっているかはともかく、幸せそうな寝顔だった。

 

 

「榊博士、今回の物資はとりあえず実験農場で生産してますが、流通に乗せる為にはあと少しだけ時間がかかります。そうなるとこちらに出向くことが困難になりますので、ご了承ください」

 

「まあ本来ならば、かなりの戦力になるから支部としては君にはここに常駐してほしいが、事情を考えれば仕方ないね。で、訓練はどうするつもりなんだい?」

 

「こちらに来てもらうのが本来ならば一番なんですが。場所に関しては今の所は公表出来ないので、用件がある場合は呼んでください。そう言えばツバキさんも、もう食べました?」

 

「ああ、しっかりと頂いたよ。これに慣れると今後は支給品が食べれなくなりそうだな」

 

「それは良かった。これが上手く量産化出来ればこれが普通になります。期待していてください」

 

 

 出来上がりに満足したのか、そう言いながら食器の後片づけをし始める。手つきを見れば随分と手馴れているのか、当然の様にも見て取れていた。片づけていた動きがそこで何かを思い出したのか、ふと動きが止まった。

 

 

「支部長にはまだ言ってありませんが、今回の事とは別でお願いがあります。お二人とも後で時間を下さい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 先ほどの騒ぎから一転し、研究室では今後の事もふまえながら、色んな事が話し合われていた。タツミには何でも部隊とは言って説明しているが、本来の任務は隠密機動。 外部居住区の事から他の支部の動向に至るまで各種情報を集めるのが主な任務と言える。

 

 その中でも、取り分け他の支部や本部の動向は中々無視出来ない物が多く、情報管理はこの時代においても重要である事に変わりがなかった。

 

 

「そう言えば、他の支部でも新型神機の適合者が出始めていますが、ここでもそろそろ適合者が出ていませんか?」

 

 

 

 新型神機。従来の神機の様な刀剣型か銃型の様に完全に分離した物ではなく、両方が一つの神機として運用出来る様に開発されていた。神機の開発は進んでいても、肝心の適合者がいないのであれば無用の長物でしかなく、目下ではこの新型神機の適合者の発掘の急務が現状でもあった。

 

 ここ数年のアラガミの早い進化に対抗する為に人類が造り出した兵器でもあったが、従来型とは違い、新型神機の運用方法が大きく異なる為に使い手は限定されている。

 

 今はまだ対応出来ているが、近い将来には対応仕切れなくなる可能性から、少しでも早く対応出来る人間を捜すのが現在の急務でもあり、一刻も早い対応を迫られていた。

 それ故に世界有数の激戦区でもある極東支部でも他の支部同様、新型適合者の発掘に全力を注いでいた。

 

 

「屋敷の人間で何人か志願しているのがいます。近日中にデータを持って来ますのでよろしくお願いします」

 

「そうかい。この時点でまだ極東支部には新型適合者がいない。こちらとしても新型の適合者が出るならば助かるよ」

 

 

 

 

 

 それから数日後、無明が連れてきた人間が極東支部初の新型適合者として登録される事となった。

 

 

 

 

 

 



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第3話 新型

 この極東支部にも待望の新型適合者が発見されてから、はや2週間。支部としても期待以上の実力を新兵ながらに発揮し、戦果も当初よりも想定した以上に出始める事で安堵の色を見せていた。

 

 いくら新型とは言え、上層部の想定以上の結果に元々の出自を確かめると、榊博士と教官のツバキは出身を確認したところで納得し、この戦果もある意味納得ができる程の能力を持っていた。

 

 

「戦果は上々だよ。けど間に合って良かったよ~。流石にあれにはビビった」

 

 

 極東支部の新型ゴッドイーターとなったのが如月エイジ。元々の素質だけではなく、今までの環境で蓄えられた戦闘能力とも言える技量から、新兵ながらに早くも頭角を現し現在ではいくつかの制限付きではあるものの、ソロミッションまで受注出来るレベル成果を出す事によって、ある程度であれば自由も利く事が出来る様にまでなっていた。

 

 

「いや~今回のミッションは助かったよ。まさかあんな所でシユウと遭遇なんてシャレにもならないよ。コンゴウと挟まれた時はシャレにならないと思ったね」

 

「もう少し早く討伐出来れば良かったよ。あそこでコンゴウに逃げられたのはミスだったよ。かえって悪いね」

 

 

 

 同期で入隊した藤木コウタ。現在では新型のエイジとコンビで動く事が多く、新型特有のリンクバーストを上手く活用する戦術によって、遊撃と同時に相性の良さからくるのか、それともコウタ自身が持つ潜在能力の高さによる物なのか、ミッション完了後のスコアが着目され、同期としてだけではなく、その潜在能力の高さを買われてのツーマンセルでの出撃が比例するかの様に多かった。

 

 帰還後は部隊長やベテランの様な予定が無ければロビーで他愛もない話をする事が多く、今回も反省会?と言う名のミーティングの様な物をしていた。

 

 

「なぁエイジ。いっつも思うんだけど、あの攻撃方法は何だか他の人達と違う気がするんだけど、どこかで何かやってたの?」

 

 

 各自のプロフィールに関しては、ノルンにも記載されているものの、常時細かい部分まで載っている訳ではなく、せいぜいが名前や出身地が関の山。それ以外のケースであれば、当人が何か大がかりな事に加わっていない限り、記載される事はない。

 にもかかわらず、如月エイジのプロフィールに関してだけは、他の人間に比べれば気持ち悪い位に白紙の部分が多く、また記載された情報量が他のゴッドイーターに比べると、圧倒的に少ないと感じられていた。

 

 

 

「特別何かしていたなんて事は無いけど。敢えて言うなら、たまに兄様が稽古してくれた影響が強いんじゃないかな」

 

「エイジは兄弟がいるの?いや~俺も妹がいてさ。ノゾミって言うんだけど、これがまた可愛らしくてね。そうだ、写真見てみる?」

 

 

 お互いに話す事はそれぞれあるものの、ミッションの内容以外に関しては、話がし易いのかエイジはコウタの聞き役になる事が多く、意図しない部分で自身の出自の話は中々する機会に恵まれなかった。

 

 

 

「いや、兄弟と言うよりも兄貴分で、実は本当の兄弟じゃないんだけど、実の兄弟の様に接してくれてるんだよ」

 

 

 

 このご時世、親兄弟との生き別れは日常茶飯事とも取れた直接の原因でもあるアラガミが発生して以来、人間は食物連鎖の頂点からは転落し、その変わりをアラガミが取って現れていた。今の会話で空気を読んだのか、コウタも僅かな一瞬だが表情がこわばっている。

 失言だとばかりに本人に悪いと思いつつエイジの顔を見れば気にする風でもなく、実にあっけらかんとしている。そう考えると少しだけ気が楽になっていた。

 

 

 

「コウタはそこまで気を遣う必要ないよ。正直な所、自分でも親の顔は覚えていないし、今まで住んでいた所は周りは何も無いけど、皆いい人達ばかりで嫌だと思った事は何もないから」

 

「それなら良いけど。最初はさ、バガラリーすら見た事も無いって言ってたから、どんな生活してたのかも疑問だったんだけどさ」

 

 

 

 後ろから影が伸びる事で気がつき、二人が振り向くとそこには別任務から帰投したリンドウがいた。

 

 

「お前さん達、楽しい会話の所邪魔して悪いな。この後のミッションの件で確認したい事がある。エイジはすまないが、後で俺の部屋に来てくれないか?」

 

「あとコウタ。こいつの生家はとんでもないぞ。機会があれば行ってみると良いぞ」

 

 

 

 分かった様な分からない様な一言をそう言い残し、リンドウは何事も無かった様に去って行った。今までの会話の中でコウタはエイジが恐らく特殊な環境だとは何となく感づいていたが、リンドウまで知っているならば、きっと何かあるに違いない。そう考えていたが、気が付けば時間がかなり経過していたのか、腹が鳴っている事に意識し、結果的には空腹には打ち勝てず、すぐに頭の中は夕飯の事で一杯になっていた。

 

 

 

「リンドウさん。如月エイジです。入ります」

 

「おう、呼び出して悪いな。その辺に座っててくれ」

 

 

 普段のミッションの内容からすれば、リンドウに呼ばれる様な内容に心当たりは無い。突如として来てほしい。そう言いながら呼び出したリンドウもソファーに座ると、ポケットから1枚のデイスクを片手に話出した。今までの戦績から鑑みても小言を言われる様な事は何もなく、エイジも呼ばれた真意が分からないままだった。

 

 

「その~なんだ。無明は今何してるか知らないか?実は折り入って相談したい事があるんだが連絡が付かないんだ。もし話す機会があれば、そう伝えてほしいんだ」

 

 

 

 エイジはリンドウと無明のが元々戦友である事を事前に聞いていた事もあり、良く知っていた。エイジ自身が無明のいる屋敷から来ている関係上、エイジの事もリンドウは無明から聞いているのか、よく知っていた。

 

 

「兄様は恐らく研究棟に籠っていれば連絡は難しいかもしれません。僕は明日から休暇で一旦屋敷に戻りますので、一度連絡を取ってみます。でも、相談したい事があるならリンドウさんが直接屋敷に行く方が確実の様な気がしますけど?」

 

「そう言いたい所だが、残念ながら最近はデートの誘いが多くてな。でも、近いうちに行ける様に、今有るものをこなす事にしないとな」

 

「ところで、聞きたい事があったんだがソーマとのミッションはどうだった?昨日のミッションには同行してただろう。まぁ、エリックの件は残念だったが、こんな職業じゃそれも隣り合わせだからな」

 

 

 

 

 先日のミッション『鉄の雨』で、エイジはソーマと同行者のエリックと3人でのミッションがアサインされていたが、完了後に油断したエリックが、本来であればいるはずの無かったオウガテイルに頭上から襲われ、助ける間も無く捕喰された事でKIAとなっていた。

 

 戦場での油断する事は死にも等しい行為。エイジも気が付くと同時に助けようと動いたものの、エリックとの距離があった事も影響したのか結果的には間に合わず、助ける事は残念ながら叶わずじまいとなっていた。

 

 

「ソーマも難しい所があるが、根は良いやつなんだ。ただ元々の環境のせいもあってか中々理解されない所があるから、少しそっちの面倒を頼む。コウタも良いやつなんだが、ちょっと任せるには真っ直ぐすぎてな」

 

「それと、向うに付いたらあいつにこれ渡してくれ。あいつなら見れば分かるはずだ」

 

 

 

 いつものおどけた表情とは違い、真剣な表情で渡されたディスク。本来でればリンドウが直接渡すべき物が託されるとは思ってもいない。自分が中身を見れるなんて事は思わずに、障らぬ神に祟り無しと言わんばかりに渡されたディスクを上着のポケットにしまい、そのまま渡す事だけを考えた。

 

 

「分かりました。これについては責任を持って渡す様にします」

 

「そう言ってくれると助かる。すまないが頼んだぞ」

 

 

 ある意味安請け合いする物では無いが、家に戻るついでであればと、それ以上の事を考えるのを止め、そのままリンドウの部屋を出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第4話 驚きの事実

 久しぶりに帰ってきた屋敷は出て行って行った時と何も変わらないままだった。

 内容に関しては分からないまでも、どう考えても厄介事以外の何物でもない原因であろうディスクを一番最初に渡すべく無明を探そうと歩いていると、子供の頃からアナグラへと行くまで一緒になって訓練していた友人の顔を見つけていた。

 

 

 

「兄様は今どこに?」

 

「兄貴なら昨日までは研究棟だったけど、今朝からは材料の件で不在にしてるよ。恐らくは、早ければ明日だけど遅いともう少しかかるかもね」

 

「そんなにかかるのか」

 

「内容が内容なだけにな。で、何か用事でもあったのか?」

 

 

 普段であれば何事も無かったかの様に話すが、今回の要件は流石に内容と目的が分からず、渡された時のリンドウの表情から察すると、今回の事は流石に友人でも気軽には話す事が出来ない事だけは理解していた。

 

 普段から飄々としてるリンドウが、あそこまで真剣になるのであれば、恐らくは渡されたディスクの中身は何らかの厄介事か自分では何も手だしが出来ない内容である事だけは予想出来ていた。

 

 

「ちょっとアナグラからの頼まれごとでね。渡す物があっただけだよ」

 

「そうか。兄貴が今は居ない以上何も出来ないね。それよりもアナグラの生活はどうなんだ?噂じゃ結構活躍してるらしいけど?」

 

「活躍だなんてしてないよ。まだ他の人に比べれば足元にも及ばないよ。とにかく極東は世界の中でも最前線である以上は、討伐云々よりも生き残る事に必死だよ」

 

 その言葉には僅かな驕りも見る事が無く、純粋な感情から出た事を窺う事が出来ていた。第三者からの目で見れば、それなりの水準ではあるが、自分の中で自覚していない以上、それがかえってゴッドイーターとしての事実である事を物語っていた。

 

 

「へ~。お前ほどのレベルでもそうなのか。やっぱりゴッドイーターってすげえな。いつかはそっち側に行ってみたいものだよ」

 

「適合試験にパスしないと話にならないけどね」

 

「それを言い出したらキリがないさ」

 

 多少の謙遜は入っているものの、この僅かな間でエイジ自身は気が付いていないが、アナグラ内でのスコアランキングは新人にしては驚異的な数字でもあり、常時上位に入っている。

 

 討伐内容にもよるが、一部を除いて中型種位の単体討伐までなら苦戦する事は意外と少なかった。

 人間慣れとは恐ろしい物で、客観的に考えれば、僅かな期間でのソロは本来であれば認められる事は無く、新兵レベルを遥かに凌駕してるものの、比べる相手が部隊長格、もしくはここのマスターでもある無明が基準となる為に、現実を直視する事は無い。

 

 それ故に、自分の今の実力は劣っている物だと認識している事で、今以上の精進が必要と感じている一因でもあり、そこに驕る様な感情は一切持ちは合わせていなかった。

 

 

「そうだ。どうせ暇だろ?久しぶりに一手やらないか。あれからアナグラでどこまで腕を上げたか一度見せてくれよ」

 

「…そうだな。じゃあ、この後で道場な」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これから対人模擬戦を始める。二人とも準備は良いか!」

 

 

 二人でけでは流石に困るので客観的に判断すべく、これまた暇をしていた友人に声をかける事にした。

 

 この屋敷では、余程の事が無ければ住んでいる住人は何らかのスキルを持ち、自己の鍛錬を欠かさずやっている事もあってか、皆がそれなりに武術の心得がある。 

 だからと言う訳ではないが、男子陣からはゴッドイーターの職業は憧れる部分が多分にあった。

 

 エイジの実力は屋敷の人間の殆どが知る所でもあり、ここでの模擬戦を見れば世間のゴッドイーターのレベルが垣間見えてくる。軽い気持ちで声をかけ、最初は二人だけのはずが気が付けば暇人?の集まりが集団で見物する事になっていた。

 

 

 

 

 緊張感が徐々に高まると同時に、始めの合図と共に激しい剣戟が道場内に響き渡る。

 本来であれば、対人戦はゴッドイーターの業務の中では中々機会がないのと、どうしても相手はアラガミになる関係でシミュレーターでの模擬戦闘がメインとなる。

 

 片方が素人であれば決着はあっという間に付くが、こちらではゴッドイーターとは真逆にメインは対人戦。いくら小型種と言われるアラガミであったとしても人間以上の大きさがあり、それに対しての対人戦はアラガミに比べれば遥に小さい。

 お互いに意識はしていないが、対人戦におけるアドバンテージはどうしても経験がある程度のモノを言う戦いになってくる。

 

 

 

 お互いケガが無いように神機ではなく木刀での戦いだが、万が一打ち所が悪ければ大怪我につながる為に油断は出来ない。

 始めの合図と共に、まるで打ち合わせたかの様にエイジは持前の素早い動きと同時に、相手の隙を狙うが如く、常に死角からの攻撃がメインとなる為に予測される動きは一切取らないとばかりに、常に攪乱した状態が続く。

 

 一方の友人でもあるナオヤはエイジとは正反対の行動に移る。あらゆる方向から繰り出される攻撃を、まるで一つ一つ迎撃するのかの様に相手の攻撃を撃ち落とす攻撃スタイルの為に、こちらからの攻撃を一切行わず、お互いの一挙手一投足の隙を常に窺う。

 

 渾身の一撃とも取れるエイジの死角からの突きをナオヤは避ける事はなく、刀でいなして軌道をそらせ、時には強引とも取れる動きで一瞬の隙を作りだし、そこを起点に反撃に転じる。

 

 どんな攻撃でもカウンターで迎撃し隙が出来るのを予想し誘導しつつ、そこに斬撃を合わせる様に持って行く。激しい動きだけでは無く、そこには高度とも言える心理戦までもが同時に繰り広げられていた。

 

 本来エイジのスタイルは(きょ)をつく動きなだけに、スピードを重視する事に対して、一方のナオヤは(じつ)の動き。無駄な動きそのものを排除し、いかなるフェイントですら隙が見当たらない程に全く無い。

 

 だからと言って、カウンターを得意とするも決して守り一辺倒に付くだけではなく、動きをある程度予測した上ので攻撃を最短距離で仕掛けるてくる。

 スピードを重視すれば手数は増えるが、その分斬撃の威力は小さくなる為に、このままでは決定打に欠けるのは誰であろう攻撃をしているエイジ自身が一番理解していた。

 

 一方のナオヤも、カウンター気味に待つことはあるが、今までの動きと見えない角度から来るであろう気配と予測されるであろう行動を読み、ギリギリと言えるレベルで攻撃を回避している為に、決定打となる攻撃は一切受け付けない。

 

 お互いの力量が分かっている分だけ互角の戦いが延々と続く。外から見ればまるで決められた剣舞の様な動きを見せつけ、そこに集まった見物人は緊迫感から息をする事すら忘れ見守っている。

 

 永遠とも言える程の戦いはいつまでも続かない。いくら互角の戦いだからと言って、このままで終わる事も無く、片方はゴッドイーターでもう片方は一般人。

 保有している身体能力の差は余りにも大きかった。

 

 

 

 

 

 

 模擬戦が開始されてから、そうこうしてるうちに時間だけが刻一刻と過ぎてく。

見物に来ていた周囲の人間もいつの間にか騒ぐ事無く緊迫した空気に徐々に呑まれ、まるで魅入られたかの様に身動きする事すら出来ない雰囲気がこの場を支配していく。

 このまま永劫ともつかないままかと思われたその瞬間、あっけなく決着が付いたのは緊迫した戦いの最中のほんの些細な動きが原因だった。

 

 

「はぁ~。汗で滑らなければ俺の勝ちだったのにな」

 

「ナオヤも今までよりも読みが数段鋭かったから、一瞬焦ったよ」

 

「なんだ。たったの一瞬かよ」

 

 力強く振りかぶる際に、足元の汗で体制が崩れその隙を見逃さず攻撃を当てての決着だった。二人の戦いも終わってみれば、かなりの見物人で道場はあふれかえっていた。

 

 

「まっ、勝敗は今更だから拘らないけどね」

 

「それ以上は言うな。どうせ負け越してるのは分かりきってるよ」

 

 この二人は小さい頃から何かと競い、当初は互角だったがここ数年で今の年齢に近くなるにつれて徐々に差が付き始めた。

 

 

「やっぱお前には勝てないよ。最近は兄貴から武器の製作関係を教えて貰っているから、実はそちらにシフトしようかと思ってる」

 

 

 この時代、アラガミにはオラクル細胞由来の武器=神機でないとアラガミを倒す事は出来ない。これが現代の常識でもあり、またそれ以外の解答は存在していなかった。

 なぜそんな話になったのだろうか?そう考えていると、ナオヤから驚きの回答が斜め上からやってきた。

 

 

「お前には内緒だったけど、実はアナグラから神機の開発の事でいくつか依頼が来てるんだけど、その開発の補佐で俺が手伝ってるんだよ」

 

「えっ、そうなの?」

 

「ま、実際には俺じゃなくて兄貴が開発してるけどね。あくまでも補佐だよ。今日居ないのは、その部材となる材料採取だよ」

 

 食糧に関しては、ここ最近になり農業プラントが順調に回り始めた事により、アナグラだけではなく外部居住区でも生鮮食料品を見る様になってきた。

 当初から、ここの実験農場で色々と生産と開発をやっていた事をエイジも知っていたが、まさか神機開発までされているとは思ってもいなかった。

 

 知れば知るほど新しい謎が生まれてくる。しかし、ここで悩んだ所で何かが変わる事は何もない事を悟り、エイジは他の事に思考を切り替えた。

 

 

「このままだと風邪ひくから、風呂に入ってから飯にしないか?」

 

 この時代には珍しく、敷地内の一部に温泉が湧きでた関係で屋敷の人間に関わらず近隣の住人もやってくる。

 アナグラとは違い、元々はフェンリルから溢れた人達で生活していたが、屋敷の先代当主がまとめる事で、この地に小さな外部居住区が形成されていた。

 

 アラガミ防壁に関しては、最近になって設置されている事もあり、表向きは独立したコミュニティをとっている。

 

 

 

「いつ来てもここの温泉は良いな。アナグラだとこうは行かないよ」

 

「なんだ。アナグラは風呂無しなのか?案外とショボイんだな」

 

「う~ん。そうじゃないんだけど、最低限のシャワー位はあるけど、各自独立した部屋だからな。アナグラは区画によって色々と違いがあるみたいだから、よくは分からないけど、今の状態だと大がかりな改装が難しいのと、後はコストの問題じゃないかな。ま、詳しい事は知らないよ」

 

「そっか。とりあえず休みはいつまでだ?」

 

「明日までだから、夕方には戻るよ。それまでに兄様は戻るかな?」

 

「どうだろう?今回の材料はちょっと調達が厳しいから何とも言えないかもな。一応、連絡は入れておくけど、待ってダメなら諦めるのが一番だな」

 

 何だかんだと言いながらも、エイジにとっては一番の見知った友人。僅かな言葉の中でありがたい事に色んな部分を察してくれる。

 やるべき事が今の段階で無い以上、あとは無明が帰ってくるのを待つばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 



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第5話 試運転

 屋敷にエイジが帰ってきている頃、一人無明は新型の神機製造用の材料調達に来ていた。

 アナグラではゴッドイーター達が討伐した後のコアや素材で神機の強化や制作、アラガミ防壁の更新を行うが、屋敷ではそんな人員が居ない為に無明が一人で補っている。

 

 

 今回の内容は、アナグラからの非公式の依頼も兼ねている事もあり、討伐対象は第1種接触禁忌種のスサノオ。現状ではアナグラでも討伐できる人間は極めて限られた存在となっており、事実として公的な討伐記録はそう多くない。

 非公式の依頼はともかく、今回は新型神機制作がメインとなる関係もあり、今以上に強力なアラガミのコアが必要となっている為の任務とも言えた。

 

 

 これは本人の材料だけではなく、特務としても受けている関係上、討伐数は全部で計3体。事前の情報では各々が散開した状態で確認されている事もあり、上手く捌けば特に懸念される様な内容ではなく、単独でも完遂可能な任務だった。

 

 不意打ちの討伐とは違い、今回は事前情報で既にキャッチしている為に装備も準備も万全の体制が出来ている。

 余程の不覚さえ取らなければ問題になる様な事は何も無かった。

 

 

 周囲の気配を探りながら無明は索敵を開始する。討伐対象のアラガミしか居ない事は事前の段階で確認している為に、ここから聞こえる音の可能性は一つだけだった。

 大型種特有の捕喰音が聞こえると同時に、その先へ向かうと、最初の1体を発見。捕喰していた事で未だに気がつかないのか、様子を見る事無くすぐさま戦端が開かれた。

 

 無明の神機は近接型神機。所謂第1世代の影響もあり、見た目は年季が入った様にも見える。元来のままであれば、ここから戦力の嵩上げが難しく、任務はほぼ単独となる為に独自の進化をする事で本来ではありえない様なカスタマイズが施されていた。

 

 刀身はロングだが、刃の厚みはそれほどでもなく、どちらかと言えば旧時代にあった日本刀に近い。刃も元々その存在が目だたない様にする事で、元来無かったのか闇を象徴するかの様な漆黒の刃。

 

 今でこそ第2世代の新型神機が少しづつではあるが現場に出始めている事もあり、何も知らない人間からすれば戦力としては格下とも考える者が居ても不思議では無かった。

 実際にはその考えには当てはまる事は無いが、油断する訳でもない。その対策とばかりにカスタマイズする事により独自の進化を遂げていた。

 

 

 気配も音も感じさせないまま近寄り、そのまま一気に捕喰を開始する。大きな咢がスサノオの尾の部分に牙を突き立て大きく喰らいつく。

 バーストモードになった瞬間、無明の体からドス黒いオーラが全身から荒れ狂うかの様に吹き出し、今まで以上に全身に力がみなぎっていた。

 捕喰に夢中だったのか、尾を捕喰された事で初めて気配を察知し、自分とは異なる捕喰者に攻撃された事を感づいたスサノオが振り返った瞬間、無明はその場には既に居なかった。

 

 すさまじい速度で相手の視界から消え去ると同時に一気に死角へと飛び込む。気が付けばスサノオの前足は鋭利な刃で既に切断されていた。

 

 いくらオラクル細胞の塊でもあるアラガミと言えど、基本動作における稼働方法は普通の生物と変わりは無く、足の節にある甲殻に覆われていない部分に刃が通り、そのまま綺麗とも言える切断面を作りながら、そこから先が何も残されていない程に前足の二足が切断されていた。

 

 

 前足の2本を呆気なく失う事で、自身の重量を支える事は出来ず、その場でのた打ち回る以外の手立ては無くなっていた。

 

 2本の足だけで巨体を支えながら移動する事が出来ず、動けないのをそのままに、他の足や腕の先端でもある神機の部分を圧倒的な速度で、まるで何かを解体するかの様に捌いていく。

 

 気が付けば身動きが出来ないスサノオを瞬く間に捌く事で1体目の討伐が終わり、そのままコアを抜き取ると倒されたスサノオは霧散していた。返す刀で2体目を討伐した頃には最後の1体が現れるが、目の前に対峙したスサノオは他の個体とは明らかにその存在感と動きが大きく違う。

 今まで数々のアラガミを捕喰した結果として新化するのはゴッドイーターだけではなく、アラガミも例外ではない。それ故にスサノオ自身も進化していたのだ。

 

 

 前の2体とは大きく異なり、明らかに移動速度が他の個体よりも素早く動きが洗練されている。

 腕に供えられた神機の攻撃を躱したかと思った瞬間に、予め決めてあったかの様に尾の部分でもある剣による連続攻撃をしかける事で反撃を許す事は無かった。

 

 

 今まで相手にしてきたスサノオからすれば、速度、力のレベルが別次元とも言える存在。攻撃の跡を見れば、膨大な力をひけらかすかの様に地面が大きく地形が変わるほどにえぐれていた。

 

 いきなり他のアラガミと同じ様な攻撃をせず、確認とばかりに無明は繰り出される攻撃を避けながら様子を見る。

 今までのアラガミとは明らかに一線引いた強固な個体。かと言ってこのまま放置すれば将来アナグラに対しての災いとなる可能性を秘めている。

 材料の採取以外に、アナグラへの禍根となる前に決着をつけ、後顧の憂いを断つ為の一番の先決事項とばかりに討伐する事を決意したかの様に神機の柄を握り直した。

 

 

 通常のゴッドイーターであれば既に2体を討伐している時点で体力と精神的な状況は良いとは言い難いものの、無明にはまだ余裕があった。

 ただ気になるのが、この個体はやたらと他とはケタが違う事だけ。ここまで違うのは中々お目にかかる事が出来ない。ある意味レアな存在か独特の進化を遂げた特異種とも言える。これであれば期待できるコアが取り出せるかもしれない。

 戦いの最中にそんな思惑がそこにあった。

 

 力が強ければ、当然その装甲も固い事は間違いない。戦闘中にも関わらず対峙したスサノオを見ながら試案し効率を考え出す。

 間合いを測りながら様子を見ているとスサノオの動きが徐々に変化し始めていた。

 

 

 スサノオは両方の神機を突き出しながら捕喰せんとばかりに一気に襲い掛かる。

 無明はこれまでの動きから行動を予測するも、攻撃範囲は思った以上に大きく、このまま避ける事も考えるが、決定打が無いままの戦闘が続く様であれば、これ以上は埒が明かないと考え、今度は攻防一体で神機の攻撃と衝撃を受け流しながら、カウンター気味に刃を流れに逆らうことなく突き立てた。

 

 盾で防ぐよりは刃で受け流し、その隙を攻撃する方が行動におけるロスは少なく、また相手に与えるダメージは大きい。

 

 しかしながら、この攻撃には多大なるリスクも存在する。通常種のアラガミならともかく、接触禁忌種のスサノオの攻撃を紙一重とも言える回避行動中でのカウンターで突き立てた刃はそのまま口元へと深々と突き刺さり、その手ごたえと同時に血を吹き出しながらのけ反るスサノオに更に追撃とばかりに追撃の手をを休める事無くを加えていた。

 

 ある程度の手ごたえから判断し、このまま押し切れるかと思った瞬間だった。無明は嫌な予感と共に素早く下がると、どこからか狙い澄ましたかの様な灼熱玉がスサノオに直撃し、スサノオはそのまま止めをさされたのか、断末魔と共にその場で絶命していた。

 

 本来であれば、スサノオ以外の討伐対象はなかったはず。

 改めて任務の概要を確認しながらも、その攻撃の元となる箇所の確認の為に振り向くとそこには第2接触禁忌種のヘラが猛スピードで滑空しながら無明に襲い掛かかった。

 

 

 間合いを見極めギリギリの所を体を捻りかわしつつ、戦闘状況を把握する。

 他にはこの個体以外のは気配は無い。そう判断すると同時に、無明はついでとばかりに新型装備の試し斬りを決めた。

 

 本来第1世代の神機使いは第2世代のリンクバーストが無い限り、バーストレベルを上げる事は出来ない。しかしながら、レベル上昇時の攻撃力の高さをむざむざ無視する事は出来ない事は誰もが知る所となっていた。

 このジレンマを解決し、更なる高みを目指す為にも立ち止まる事は許されない。

 新型神機使いが居ない今、単独でもレベル3にまで引き上げる事が出来る様、独自に神機のカスタマイズが施されていた。

 

 

 

 

 ただし、大きな力の取得には大きな代償を支払う事になる。

 

 

 

 通常、神機に取り付けられたコアをアーティフィシャルCNSで制御するが、この部分のリミッターを解除し疑似的に複数のコアを取り付ける事で暴走しない様に制御する。

 神機にはコアが一つではなく、疑似的コアを2つ追加で取付けた結果、強制解放剤を注入する事で合計3つのコアが平行励起し、神機が強制発動されていた。

解放剤が流れ込んだその瞬間に体内から何かが神機に流れ込む様な感覚がし、単独でバースト状態がレベル3まで一気に跳ね上がる事となった。

 

 

 通常のドス黒いオーラがさらに禍々しく、何か揺らめく様な動きからその存在すら捉える事が困難となっている。

 

 この状態になると本能が察知したのか怯む様なそぶりと同時に、ヘラと言えども動きを捉える事が出来ず、本能の赴くままに灼熱の玉をそこに居るはずの無明に向けて出した瞬間、その姿は幻となって消え去り、それと同時に両翼手が鮮やかに切断されていた。

 

 

 切断された両翼手が斬られた勢いそのままに、ヘラのそばでゴロリと転がり落ちる。攻撃の手段を失ったヘラは抵抗する間もなく、そのまま漆黒の刃で瞬時に首をはねられると、血が噴水の様に吹き出しその中心部の中で倒れこみやがて絶命した。

 

 

 バーストが解除された途端に急激な脱力感と汗が滝の様に流れ、襲ってくる疲労感から思わず片膝をついた。

 試作段階とは言え、万が一他の個体がいれば致命的な隙が産まれる。

 

 結局の所は討伐したのはスサノオ3体とヘラが1体。素材調達と新型装備の試運転の観点からは戦果は上々とも言える出来だった。

 

 

 

 時間の経過と共に身体の状態が落ち着きを見せる。大きく深呼吸すると同時に息を整え無明はコアを抜き取り帰路についた。

 

 

 

 



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第6話 アナグラ

想定外のアラガミの出現はあったものの、コアの取得と試運転を兼ねた事の成果を携えて討伐完了し、屋敷に戻ると珍しくエイジが待っていた。

 普段であれば待つような事は一切ない。装備を外しながら話をしていると今日まで休暇らしく、渡したい物があると告げられていた。

 

 

「兄様、リンドウさんがこれを渡してくれと」

 

 

 エイジの手には外部記憶用のディスク。普段であれば通信かメールで済むはずが、今回は珍しくディスクの手渡し。この時点で何らかの秘匿な内容である事は容易に想像できるが、それをエイジ経由で渡す事に違和感があった。

 肝心の内容についてもエイジはリンドウからは何も知聞かされておらず、そのまま受け取るも恐らくは重要なデータか何かとアタリを付けたのか無明は一旦受け取った。

 

 

「そうか。後で確認しておこう。それよりも休暇は今日までか?」

 

 

 

「はい。今日の夕方にはアナグラに戻る予定です。それと、リンドウさんが連絡してほしいと言ってました」

 

 

 いつもとは明らかに違う雰囲気に手渡されるディスク。どう考えても普通ではなく、ここまで手間をかけるのであればどうひいき目に見た所で碌な事にならない事が確実に予想されていた。

 だからと言って、今の時点では何も出来ない以上、このまま確認してから考えるのが一番手間がかからないと無明は判断していた。

 

 

 

「明日、別件でアナグラに行くからとリンドウにはそう伝えておいてくれ」

 

「分かりました。では明日と言う事も伝えておきます」

 

 

 

 

 まずは確認が先決とし、詳細な内容に関しては後日リンドウに確認すれば良いだけの話。そう考え無明は取得した神機のデータの更新と特務で疲弊していた身体を休ませる事を優先した。

 

 

 

 

 

 翌日には普段であれば中々目にする機会がない人間、無明がアナグラのロビーに居た。知らない人間からすれば一体誰なんだと訝しく見るものも居たが、その視線を何事も無かったかの様に無視し、思い立ったかの様にカウンターに居たヒバリに話しかけた。

 

 

「ヒバリさん、リンドウは今どうしている?」

 

「リンドウさん達第1部隊は現在ミッション中ですが、現状は帰投準備中なので、あと1時間もすれば戻る予定です」

 

「そうか。なら通信で良いから、確認したい事があると伝えておいてくれ。あと支部長は部屋に在室か?」

 

「支部長は在室中ですので、このまま行かれるなら連絡しておきます」

 

 

 その言葉を聞いた無明はリンドウが不在の今その用件を後回しにし、おもむろに支部長室へと出向いた。

 

 

「よく来たね無明君。コアの確認は終わったから、暫くは特務の依頼は無いと思ってくれたまえ。毎回の事とは言え、今回の結果には満足だ」

 

「支部長、今日来たのはコアの件だけではなく、現在の進捗状況の確認も兼ねていますので、この後時間を少し頂けますか?」

 

 

 そう言いながらも、無明は現在の状況の説明をし始めた。

 今のアナグラは最近になってようやく流通出来始めた食糧品の流通状況や今後の予定、食料品以外にも神機における進捗状況の説明を的確にする。

 

 アナグラは完全なアーコロジーとなっている関係で、本部や他の支部からの影響は限定的にな物となっており、その結果として他の支部には無い一定以上の技術水準と住環境が整えられている。

 

 極東支部が他の支部とは決定的に違うのは支部長の政治力も然ることながら、ここ最近になって安定し始めた食糧事情が一番の大きなウエイトを占めていた。

 

 この時代、たかが食糧などと言う人間は何処にもおらず、一支部だけで事実上の完全なる自給自足の体制を作り上げていた。それでは無く、この貴重な食料は場合によっては戦略物資となりうる可能性が非常に高い。

 

 そんな事も影響してか、世界の中でも一番の激戦区でもあると同時に、実力を備えた神機使いの数、外部居住区の生活環境が他と比べても雲泥の差となっているのか、他の支部からは羨望の目で見られる事も多かった。

 

 

「あと、余談ですが先日の件ですが、外部への進捗状況はどうでしょうか?」

 

「他の支部でも概ね好評と言っても良い位だろう。今後も研鑽を積んでくれたまえ。君には期待しているよ」

 

 フェンリルが管轄しているこの世界、一企業が統制した社会主義的な環境でありながらも実際には資本主義の世界となっていた。

 外部居住区だけではなく支部そのものが一つの国家の体をなしている以上、人口の増加やそれに伴う資本の注入など、やるべき事はアラガミの討伐だけではなく、本部が全ての支部を統轄するのは事実上不可能との判断から、各支部にはそれなりの裁量権が与えられていた。

 

 情報がある程度あれば、人間誰もが今以上の環境を求め、各支部に動く事もありうる。そうなると人的な物や資材関係など、ありとあらゆる物が不足し、その結果として外部居住区にすら入る事が出来ない人間があふれ出すと言った事が認識されている為に、それを解消すべく目下その対処に追われている現状がそこにはあった。

 

 無明も対外的な所属は極東支部なので、建前上はアナグラ内に部屋がある事になっているが、現実は外部居住区の外に屋敷を構えそこが居城となっている。

 ゴッドイーターであれば定期的な偏食因子の投与は必要不可欠だが、実際には独自に開発した技術で賄っている現状がある為に、アナグラに顔を出す事は極めて稀だった。

 

 全部を秘匿する事は不可能である以上、ある程度の内容までは支部長にも報告しており公的には極東支部所属でありながら、実際には非公式ながらに独立した立場を取っている。

 本来であればこの様な事実が認められる事は一切ありあえないが、ここまでの大きな技術提供や資材提供をし、これとは別に契約した代償とも言えるが、この件に関しては一部の人間しか知りえない事実だった。

 その為溢れかえった人達の一部が敷地内で生活してる関係上、その呼称が分かりやすく屋敷と称する所以でもあった。

 

 進捗状況の確認の為の支部長との会談を終え、ロビーに戻ると目的の時間にはまだ遠いのか、第1部隊は未だ帰還していない。ロビーを見渡せば他の部隊の人間や職員が各々のすべき事に専念しているた。

 

 無明自身、暇と言う物を嫌い常に何かをしてる事好むも、何か研究出来る物は何もなく、アナグラ内でやれる事は殆どない。この僅かな時間の隙間を埋めるべく、少し思案した結果、妙案を思いついた。

 

 

「ヒバリさん、この後何か予定はあるか?」

 

 何かを思い付きカウンターにいた業務中だったヒバリに声をかける。

 

 

「いえ、第1部隊の帰投が済めば今日はフリーです。どうかされましたか?」

 

 

「そうか。終わったならこの後…」

 

 

「ちょっと待った!」

 

 ヒバリと話をしていた無明の会話に割り込む形で、後ろから全力で走りながら叫び声が聞こえてくる。

 

 

「ヒバリちゃんとは俺がこの後デートの…」

 

「そんな約束はしていません!」

 

 叫んだ相手は第2部隊隊長の大森タツミその人。ミッションが終わり意気揚々とロビーにやってきた際に楽しげに話しかけられたヒバリを見て突進してくる。

 他の神機使いや職員達には毎度の光景だが、話しかけている人物に面識が無く、これからどんな修羅場かとある意味期待した目で当事者には気付かれない様に注目していた。

 

 

「おまえなぁ?っと無明なのか?どうしたんだ今日は?」

 

 慌てて来たかと思えば、以前に挨拶された人物である無明。リンドウからは第6部隊隊長だと告げられてはいたものの、公的には榊が言う様にそんな部隊は存在しておらず、アナグラで見かける事すら殆ど無い。

 本当にそうなのか確認すら出来なかった人物が目の前に居る。

 本当に実在しているのか、アナグラ七不思議的な感覚にさえなりつつあるも、目の前に居れば疑問しか湧かなかった。

 

 

「タツミか。ヒバリさんにデートの誘いなんかじゃないから安心しろ。ちょっとお願いしたい事があったから話してただけだ」

 

 いくら素性が良いとは言え、食材は作るだけではなく食べる事で本当の評価が第一と考える無明。時間つぶしに新作のレシピを作る事を考えたが、試食する人間が身近にいないので単純に目の前に居たヒバリに頼む事にしただけだった。

 

「無明さん。お願いってなんでしょうか?」

 

「ヒバリさんは甘い物は好きか?手持ちのストックで思いついた物があったから、ちょと作ろうかと思ってな」

 

「甘い物は好きですが、一体何を?」

 

「それは出来てからのお楽しみだから、これから時間無いか?」

 

「いえ、そんな事でしたら是非ともお願いします」

 

 

 笑顔で応えるヒバリを尻目にタツミが撃沈された瞬間でもあった。事実まだ帰還に時間がかかるのであれば労いついでに作るのも悪くは無い。そう判断した結果でもあった。

 

 新作と言う名の食べ物を別室で作っていると、辺り一面に甘い匂いが漂い始めていた。匂いに引き寄せられた者は一体何が作られているのだろうか?そんな疑問を解消すべく、その場に居た人間の興味はそこに集中してた。

 

普段であればそこに有るはずの無い匂い。その原因ともなるも物を持ってきたのは今では意外と貴重な生クリームと、試作品として栽培されている果物をふんだんに使ったケーキに、既に流通が決定している新鮮な果物を乗せたタルトを幾つか持って出て来た。

 

 

「折角だ。みんなも遠慮なく食べてくれ」

 

 そのやり取りを遠くから見守っていたのか、そう言った瞬間にどこからともなく女性の神機使いや職員達がやってきた。

 普段では配給品でお菓子を作るにしても材料やコストの兼ね合いで中々作れず、またスポンジやタルト台は作るとなると中々手間がかかる。

 

 物珍しさだけではなく、素材を十分に生かされたデザートはこのご時世では中々お目にかかる機会は例え神機使いと言えど少なかった。

 

 気が付けばいくつかあったはずのデザート類はあっと言う間に無くなっている。

 結果については聞く必要は無いとばかりに、各々の皿には分けられたデザートが載っていた。

 当初は時間つぶしの為に作られた物だったが、まさか帰投後にこんな物が用意されているとは思ってもおらず、こんなシチュエーションが就業終わりの女性陣にはちょっとした憩いの時間となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第7話 相談

「悪いな無明。で、どうだった?」

 

 

 帰投したリンドウは片手に先ほどロビーで配った物とは違う物が握られていた。

 話の内容は先日の休暇の際にエイジに持たせたディスク。解析した結果の一部が分かった関係で簡単にメールでは無く、敢えて直接話す事にした。

 

 

「その前にリンドウ。あの中身の件だが他に誰が知っていて、どこまで把握している?場合によってはお前の命を危険に晒す事になるかもしれんぞ」

 

「流石にお前でも情報の出どころは言えない。迷惑がかかる可能性が高いのと、今後の動きにも影響が出るからな。で、結論はどうなんだ?」

 

 やんわりとした警告に怯む気配は微塵も無い。これ以上の事は聞いた所で大人しくリンドウが話すとは思えなかった。

 機密情報の取扱いがどれほどまでに危険なのかは、リンドウ以上に無明が一番良く知っている。だからそ、危機感が薄く感じるリンドウの心配をしていた。

 

 

「残念ながらお前が想像している通りの結果だ。かなり危険な内容だから取扱いには用心した方が良いかもな」

 

「やっぱりか。その件は何とかするさ。で、話は変わるけど、これどうした?俺としては折角何か食べるんだったら、酒の肴の方が良かったけど」

 

 リンドウが手に持っているのはクレープ。ただし、中身はクリームではなくリンドウの物は生ハムやチーズ、野菜をが包んであるガレット。ケーキやタルトは第1部隊が帰ってくる頃には跡形もなく、急遽別で用意した物だった。

 

 

「サクヤは作り方と材料がどうだとか言ってたから、後で頼むわ。ソーマも何だかんだと食べてたけど後は知らね」

 

「そうか。レシピは後日伝えておこう」

 

「それと、エイジとコウタは喜んでたな。って言うか普段からお前はあんなもの作ってるのか?」

 

 無明が来てから、リンドウが出撃前の状況から考えると今の状況が、ありえない事になっているのか、帰ってくれば予想外の出来事になっているのが不思議で仕方ないと言いたい状態でもあった。

 リンドウ自身、表舞台から消えた無明に関しては知らない事も多く、以前に一度本人に聞いては見たものの、結果的にはぐらかされて終わっていた。

 

 

「これも踏まえて今後の極東支部全体としての打合せを支部長としてたんだ。勿論ディスクの事は伏せてだがな」

 

 無明はロシアでの掃討戦以降、表舞台から幻だったかのの様に遠ざかっていた。

 当時の部隊長でもあったツバキにはしつこい位に理由を聞いたが、答は何も返って来ない。

 

 仮定にしか過ぎないが、あの一級品とも言える戦闘能力だけではなく、その分析や行動力。いかなる状況であってもそこから状況を立て直す事が出来る能力は、間違いなく将来のアナグラを背負う事が出来るはずだった。

 だからこそ、その能力を表に出そうとしない無明には、ある意味憤りを感じる事もあった。今でこそリンドウがは第一部隊長を勤めているが、本来ならば無明こそが隊長に相応しいと考えていた。

 

 そんなリンドウの思いを他所に、たまに来る連絡と言えば食材や神機制作などおおよそ戦場からはかなり遠い存在となっていた事に対し、リンドウは無明の能力の高さを誰よりも知っているからこそ歯がゆい思いで聞く事しか出来なかった。

 

 

「心配しなくても戦場には材料収集で出てる。先日も新型の装備の試作と試運転を兼ねて特務でスサノオを3体討伐したばかりだ」

 

「お前、スサノオ3体って本当に特務なのか?少なくとも俺には無理だ」

 

 今いるメンバーで無明の戦い方を知っている人間は意外と少なく、他からすれば退役した神機使いか、せいぜいが技術班程度にしか思われていない。

 仮に現役として戦線に出たところでその動きを認識し、理解する事が出来る者はごく僅かとも言えた。

 

 今の世代はリンドウ達がまだルーキーだった頃の人間は既にツバキ以外誰もおらず、更にはアナグラに殆ど居ない事も手伝ってか人によっては腕輪があるから何となくと言った程度の想像をする事でしかない。

 

 

「俺がそれ以上言っても無意味だな。ま、互いに死なない程度にやろうぜ」

 

「わざわざお前に言われるまでもない。ところでツバキさん見かけなかったが、どうしている?」

 

 

「あー、姉上ならちょっとした事で今は出張中だ。予定だと明日には戻るはずだ。何か用事でもあるのか?」

 

「ちょっと相談したい事があってな。居ないなら仕方ない」

 

「随分とご執心だな。何か怪しくないか?」

 

 無明としてはこれ以上の話題について説明するのも面倒だと感じ、強引に話を別方向へと転換する事にした。

 

 

「折角良い物持ってきたが、これはお前には勿体ないから他に持っていくぞ」

 

 そうやって出されたのは、実験農場でつくられた日本酒。今では貴重な米を極限にまで磨く事によって余分な雑味を抑え、その精米をふんだんに使用する事で飲みやすさを追及している。

 本来であれば現場に勤めるゴッドイーターが受け取るのは不可能とも言われるほど貴重かつ上等な一品。

 

 ゴッドイーターも嗜好品の配給チケットを使用する事で様々な物と交換できるが、今回持ってきた物は上級官職以上で無いと交換出来るはずの無い士官配給チケット交換品。

 幾らリンドウの立場と言えども交換は難しいとされる代物でもあった。今回の支部長との会談の一つが、これら上級嗜好品の製品化と量産化の話だった。

 

 

「ゲンさんなら喜ぶだろうから持っていくぞ」

 

「分かった。これ以上は何も言わないからそれは置いてってくれ。とりあえず呑んで良いよな?」

 

 早速、日本酒の蓋を開け軽く飲んでみると、純米酒でもあるはず日本酒でも中々味わう事が無いほどフルーティーな香りとキレのある味。

 今までの人生の中で一番とも言えるレベルなのは最初の一口で分かる。これを飲んだ後では配給ビールは水かジュースだと言われても納得できる程の味わいだった。

 

 口に合ったのか、気が付けば一口どころか既に一升瓶の半分位は消え去っている。どれほどのレベルなのかは考える必要性が無い程に呑んでいた。

 

 

「そう言えば、例の絡みか分からんがロシアから新型適合者がここに来るらしいぞ。支部長の話だと今後は新型の発掘に力を入れるらしいな」

 

「新型ねぇ。旧型は益々追いやられる事になるのか知らんが、戦力が増強されるなら少しは楽出来そうだな」

 

 リンドウは既に半分以上出来上がり、顔も若干赤く意識も怪しい。無明に対してだけなのか、酔っているからなのか普段以上に饒舌になっているも、一升瓶だけは手放すつもりは全く無いのかしっかりと握られていた。

 

 

「暫くはここに出入りするから何かあったら声をかけてくれ」

 

 恐らく今日はこのままになる事に間違いないのは見ただけで分かる。

 酔っ払いの介抱をするほどお人よしではない。いざとなればサクヤに丸投げすれば良いだろう。そう思いつつ無明はリンドウの部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、無明君。今日はどうしたんだい?」

 

「実は先日試運転で試した神機の制御の件ですが、もう少し改良が必要になりそうなので、時間がかかります」

 

「データはこちらでも確認したけど、中々ユニークな試みだね。並行励起させる事で解放レベルを引き上げるのは良いが、扱うには代償が大きすぎるんじゃかな」

 

「暫定仕様なので、今後は改良する事にしますが、現状だと実戦に対して厳しい部分が多すぎます。あとは元々の使用するコアレベルにもよるのかもしれませんが」

 

「こちらでも開発はしているけど、実際には君の開発の方が一段上に行っているから、こちらとしてはそのデータを元に検証するのが手っ取り早いかもしれないね」

 

 新型神機使いの発掘と開発が優先とは言え、現実的な部分では極東支部は依然として旧型神機使いの数が圧倒的に多い。今の所は本部でさえも新型の開発が一番となり、旧型の開発が遅れている事実があった。

 

 しかしながら、神機の開発に関しては全部が本部で開発している訳ではなく、各支部ごとにその導入や運用は異なっている。実際には神機の内容も各支部ごとに開発度合いが大きく異なる為に、最前線でもある極東支部に比べれば他の支部の神機のレベルが極東に比べれば劣っているのは紛れも無い事実となっていた。

 

 

「この調子だと、そのうち本部から招聘なんて事もあるかもしれないね。その時君はどうするのかな?」

 

「今の現状で手一杯なので無理でしょうね。屋敷の事もありますから」

 

 神機の開発はそのまま戦力に反映される。その関係もあってか、新規開発が進んでいくと、開発者は争う様に本部へと招聘されていた。

 この事は榊も知っていたが、今の状況をそのまま見捨てて本部へ行くなどとは思っても居ない無明に改めて問いかけていた。

 

 

「そう言えば、いつまであそこは秘匿状態にするつもりだい?」

 

「もうしばらくはこのままで行こうかと。時期を見て公表します」

 

「そうかい。楽しみにしているよ。そう言えば君の屋敷から来たエイジ君。戦績が随分と伸びているらしいね」

 

 現在第1部隊に所属している如月エイジは、元々無明の屋敷に居た。

 エイジに限った話ではないが、アラガミに両親が殺されたりした子供を引き取り、場合によっては手に職をつける様な事もして各自の能力を高めていた。

 事実、屋敷の人間は一定以上の訓練が常時されている事もあり、一般人の中ではあらゆる面で高水準の能力を有している事が多かった。

 

「あれは、自分の動きを真似ながら、色々と改良して現在のスタイルになっています。出来る事なら、こちらのシガラミは受け継いでほしくは無いんですが」

 

 無明の言葉には色々な意味での実感がこもっていた。第6部隊は公には存在していない事になっている。

事実他の隊員は誰も所属せず、実際には無明が一人で所属しているワンマンアーミー。

 

 下手に公にした場合、フェンリル上層部の人間の何人かのクビが飛び、場合によっては一つの支部が壊滅する可能性を秘めた様な機密を扱う事が多い為に、万が一情報漏えいが発覚するとなれば、色々と混乱が生じる関係上アナグラではごく一部の人間のみが知る事となっていた。

 それ故に一部隊長の権限ではその存在そのものを確認する事は不可能だった。

 

 

「あと近々、技術開発班にも一人回します。腕は確かなので、その時はお願いします」

 

「人手は多いに越した事はないからね。我々としては人員の補充は助かるね」

 

 

 神機の開発状況の報告と新たな人員の報告に関してそう伝え、無明は榊が居る研究室を後にした。

 

 

 

 

 



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第8話 配属

 コウタとの任務遂行にも慣れ、それなりに結果が出始めた頃、第1部隊に新しく新人が入るとの連絡がリンドウから聞かされていた。

 

 

「もう新しく配属されるんだね」

 

「だったら女の子が良いよな~」

 

「コウタはそればっかりだね」

 

 第一部隊はロビーに集合する様にとツバキからの指示で第1部隊の面々は集合する頃、ヒールの音がツカツカと聞こえ、全員がその音の元へと視線を集めていた。

 

 ツバキと共に歩いてきたのは2人。

 一人はまだ少女とも言える銀髪の女性。もう一人も同じ様な年齢の黒髪の男性が歩いてきた。

 

 

「本日一二○○付で極東支部に配属となったアリサ・イリーニチナ・アミエーラです」

 

 そう言いながらに軍人らしい敬礼をしたのはロシア支部から異動して来た少女。

 言葉の口調からか、その表情からなのか凛としながらもどことなく張りつめた雰囲気を醸し出している。その少女よりも驚かされたのは隣に立っていた黒髪の青年、エイジが衝撃を受けたのはその今日配属されたのはもう一人だった。

 

 

「同じく本日付で配属となった(まゆずみ)ナオヤです。よろしくお願いします」

 

 彼はエイジの友人でもあり、良きライバルでもあったその人だった。

 エイジは今日付けでまさか配属されるなんて事は聞かされてなかった事もあり、他のメンバーよりも驚きは一段と大きく、思わず驚きの声が漏れる。

 声が発せられた事で注目は浴びたが、そんな事よりも今の現状を誰よりも確認したい気持ちで溢れていた。

 

 本来ならば真っ先に問い詰めたい所ではあったが、流石にツバキの目の前でそんな暴挙に出るほど大胆な神経はエイジは生憎と持ち合わせていなかった。

 

 

「アリサは実戦での実績は殆ど無いが、訓練ではかなりのスコアを常時出している。」

 

 新人の教導には厳しいとされるツバキがここまで言及する事は稀なのか、リンドウとサクヤの表情に驚きと共に、若干の変化が見られていた。

 

 

「アリサは第1部隊、ナオヤは整備班に編入される。それとリンドウ。お前がアリサの面倒を見ろ。あとはエイジ、お前も若干ではあるが先に配属している関係上、その分面倒を見てやってくれ。新型同士何か共通する物もあるだろう」

 

 ツバキからも言われはしたが、自分の実績を考えれば指導する様な事は無い。

 せいぜい共通する何かがあればと考えながらも、自己紹介がてら話をすれば良いだろう。この時点ではエイジにそんな気持ちしか無かった。

 

 

「用件は以上だ。ナオヤは技術班に移動しろ」

 

 

 自己紹介が終わった事を確認したのか、そう言い放つと同時にツバキはロビーから立ち去って行った。

 

 

「女の子なら大歓迎だよ」

 

 予想外の美少女に喜びを隠しきれなかったのか、コウタは歓迎するかの様な口調で話かけた。

 

 

「よく、そんな浮ついた考えでこれまでやってこれましたね」

 

 何気ないコウタの発言に、まるで汚物でも見るかの様な冷たい視線。流石のコウタもこの物言いにはかなりへこんでいた。

 新人にありがちな緊張を和らげる手段だったのか、それとも本心だったのかは本人にしか分からない。恐らくコウタは場の空気を和ませようと軽い気持ちで言ったはず。

 そんな背景があったからこそ、流石のエイジもこれには内心驚きを見せた。

 

 見た目が綺麗なだけに、容赦のない言葉の一つ一つに鋭い棘がある。

 どんな人間であっても、初めて来た場所に対して中々こんな態度で臨む事は出来ない。

 もし出来るならば、余程の大馬鹿か大物のどちらかなのは間違いない。

 

 しかしながら言葉尻は確かに尊大とも取れるが、雰囲気だけ見れば、どこか張りつめた糸が切れる寸前の様にも見えている。

 目の前の少女は気負いすぎなのか単純にそんな性格なのかは今の段階で判断する事は何も出来なかった。

 

 これから同じ部隊となると苦労しそうだなどど、そんな事を考えつつもエイジは心の中ではコウタにドンマイと言うのが精一杯だった。

 辛辣な言葉をかけられた影響なのか、今だ立ち直る気配が無いコウタはそのまま放置し、エイジはサクヤやソーマの自己紹介しているのをどこか他人事の様な感覚で何気に見ていた。

 

 

「あなたが先に配属された新型適合者ですか?」

 

 他の事を考えていると、目の前に来ていた事に気が付かず、不意に話しかけられた。

 

「ああ、この支部初の新型適合者の如月エイジだ。新型同士よろしく」

 

 先ほどのコウタへの対応から気が強いと判断したエイジは失礼の無い様に笑顔で手を差し出す。

 

「あなたは先ほどの方よりはマジメそうですね。せいぜい足を引っ張らない様にお願いします」

 

 握手するつもりで差し出した手には関心すら持たず、何事もなかったかの様にスルーだったのはのはともかく、ちょっと挨拶しただけでのこの物言い。感覚的に恐らくは前途多難になる未来が容易に想像できた。

 エイジとしてはなるべく穏便に過ごしたい事もあってか、出来る事なら任務以外ではお近づきにはなりたくない。それがアリサに対する第一印象だった。

 

 未だに動く気配が無いコウタの事は見なかった事にして、リンドウも流石にこの空気のままでは今後の事も考えると拙いと判断したのか、この空気を払拭するかの様に早速エイジとアリサを引き連れてのミッション受注の為にカウンターへと足を運ぶんでいた。

 

 気が付けばソーマは既にどこかへ避難をしに行ったのか姿は見えず、サクヤはリンドウと共にそそくさとカウンターへと足を運んで行った。

 

 未だへこんだ状況から立ち直れないコウタを尻目に、確実に面倒な事になりそうだと思いながらも表情に出す事はなく、その様子を遠くから見ていたヒバリでさえも流石に苦笑しながらリンドウに発注していた。

 

「では1時間後に宜しくお願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミッション開始の5分前になり漸くリンドウが姿を現した。遅れて来た事は意にも介さず何時もの如く飄々とした雰囲気のままだった。

 

 時間が押し迫っている事もあってか、既に2人はスタンバイ状態となっている。

 

「相変わらずの重役出勤ですね」

 

「そう言うなよ。こっちも色々とやる事だけは多くてな。準備が出来てるなら早速だがミッションを始めるぞ。今日は新型2人とか。まぁ、足を引っ張らないように頑張らせてもらうわ」

 

 どんな人間でも初戦は緊張感から動きが硬くなり、その結果まともに動くことすら困難な事もある。

 それは今まで訓練してきたシミュレーションではなく、命がかかった戦場ではある意味当然とも言えた。

 

 ただでさえ貴重なゴッドイーターの中でも新型神機使いとなれば、希少性はがぜん高くなってくる。そんな状態では出陣した後で直ぐにKIAで強制帰還となりかねない。

 緊張しているのであれば少しでも緊張をほぐし、元に戻したい、そんな心情を察したリンドウなりの配慮がそこにはあった。

 

 

「旧型は旧型なりの仕事をしてもらえればいいです」

 

 軍隊ほどの厳しい戒律がある訳ではないが、立場としては明らかに上官でもあるリンドウにありえない位の暴言。本来ならば即刻懲罰になってもおかしくない発言にその場に居たエイジも驚きを隠せず顔が引き攣っている。

 

 

「まあ、肩ひじ張らずに気楽にやろうや」

 

 そう言いながらアリサに対してリンドウは何気に肩に手を置く。

 その瞬間、何か起きたのかほんの一瞬顔を歪ませアリサが飛び退く事で流石のリンドウも唖然としつつも彷徨う手をそのままに平静を取り戻していた。

 

「おー随分と嫌われたな。アリサ、何があったかは知らんが焦っても仕方ない。とりあえず空を見て動物に似た雲を探せ。見つかってからこっちに来るんだ。それまでは絶対に来るんじゃない」

 

 先ほどの反応にアリサ自身も訳も分からないまま驚いていた。アリサとしても謝ろうにもなぜそうなったのか自分でも原因も分からず、リンドウに上官命令としてそう言われれば何も反論は出来ない。

 

 

「そんな事は不要です」

 

「ダメだ。これは命令だ」

 

 今までに無い真剣な表情で命令だと断定されれば、それ以上は何も出来ない。

 不満気な顔を隠すつもりもなく、アリサは1人空を見上げていた。

 予想外の素直な一面を覗かせたアリサを尻目に一先ずはエイジと共に安全地帯から戦場に駆け降りた。

 

 

「さっきの件だが、どうやらアリサはメンタルケアのプログラムがスケジュールに組み込まれている。詳しい事は知らんが、恐らくは何かあったんだろうな。エイジには悪いが、しばらくの間はミッションに関して付き合ってやってくれ」

 

 リンドウからそう言われれば、エイジも拒否する理由が無い以上、反論は出来なかった。メンタルケアが組み込まれているのであれば何らかの心理的な要因が影響しているのかもしれない。

 仮に何かあっても今のレベルでは出来る事はたかが知れている事も理解している。

 エイジも性格のキツイ人間の対応は今までに何度もした事があるので、今はそのまま頷く事にした。

 

 

 索敵をし始めた頃、ようやくアリサが現地に合流し始めた。

 物陰から見るとシユウが一体捕喰しているのが見て取れる。

 

 

「エイジは背後から攻撃、アリサは支援だ。良いな分かっ…」

 

「そんな作戦は不要です」

 

 リンドウが作戦の説明をし終わる前にアリサが独断先行とばかりにアサルトで発砲しだす。

 続け様に放った3発の内の最初の一発が頭部に着弾し、残りが背中に直撃する。

 背後からの攻撃にシユウがこちらに気づくと同時に、こちらに向かって走り出し一気に距離を詰めだしていた。

 

 

「チッ!仕方ないこのまま応戦だ」

 

 作戦なんて物ではなく、最初から乱戦覚悟の突撃をしたが、そもそも一体しかいないのであれば一人でも討伐出来る。

 本来の予定とは違い、力押しでも簡単に倒せる事は分かっている。

 しかしながら、初めてのチームであれば連携も確認しなければ今後のミッションにもそんな影響が出るかが判断できず、その為に敢えてこのミッションでは連携を確認する予定だった。

 そんなリンドウの意図も残念ながら今のアリサに伝わる事は無かった。

 

 

「なぜ、命令を無視した」

 

「私の仕事はアラガミを倒すことで、仲良しになりたい訳ではありません」

 

「今回はシユウ一体だったから問題なかったが、ここはロシアじゃない極東だ。突然の乱戦に巻き込まれる可能性も十分にある。今回はたまたま大事にならなかったから良いが、万が一の際にはお互いのフォローは必要不可欠だ。

 良いか。本来の俺達ゴッドイーターの仕事はアラガミを倒すのが仕事ではなく、人類をアラガミから守るのが仕事だ。討伐はそのついでだ。決して勘違いするんじゃない」

 

「でも」

 

「言いたくはないが、これは上官としての命令だ。死にたくなければ大人しく従え」

 

 普段は飄々としているリンドウがここまで真剣な表情で激しく言うのは珍しい光景だった。今では、そこそこ付き合いのあるエイジでさえも驚きを隠す事が出来なかった。

 

 

「すみませんでした」

 

 まさか素直に謝られるとはリンドウも思わなかった様だが、自分に非があれば謝罪する事が出来る事に驚くも、それを顔に出さずに内心感心していた。

 

 

「すまん。こっちも言い過ぎた。今後は気を付ける様に。あとエイジ、お前とアリサは暫くの間はミッションは必ず二人以上で受注する事。これは命令だ良いな」

 

 

 リンドウからの命令に一先ず了承するも、このままで大丈夫なんだろうかとエイジの胸中に不安がよぎる。

 それだけではなくリンドウから聞かされたメンタルケアのプログラム。これが一体どう影響するのか。現状を嘆いても何も変わる事はない。

 

 

 悲観した所で事態が変化するでもなく、一先ずはアナグラに帰投してからこれから先を考える事に決めていた。

 

 

 

 

 

 



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第9話 歩み寄り

「いや~第1部隊のメンバーが一人でもいるとやっぱり違うな。次もまた頼むな」

 

 

エイジは常に第1部隊での任務だけではなく、他の部隊のメンバーとミッションに出る事もあり、今回はタツミ達と合流したミッションに出動していた。

 ここ最近の戦績の影響もあってか、これまでのアナグラの昇進の中では群を抜く速度で上等兵へと昇進していた。

 エイジ自身もまだ新兵から上等兵になった状態である以上、ミッションの難易度は少しづつ高くなる。

 難易度が高くなればそれだけ報酬は増えるが、それ以上にアラガミも強固となる為に、今以上に更なる経験と神機の強化が必須条件となっていた。

 そんな事情も手伝ってか、第1部隊の討伐ミッションが無い日にはエイジは積極的に参加する事にしていた。

 

 

 1週間ほどアリサと合同でミッションに行っていたエイジだが、そろそろ他のメンバーとの連携も考えて第2、第3部隊のメンバーともミッションに行き始めていた。

 エイジが最初に気がついたのは、今まで他の部隊とミッションに行く事が無かった事だけではなく、討伐が最優先の第1部隊とではミッションの進め方が違う事だった。

 

 単に戦いに明け暮れるのではなく、自身の戦闘技術の向上と今後の事も踏まえ、戦術もそろそろ考慮しながら戦う術を覚える事により、更なるレベルアップのを目指す段階の途中だった。

 

 

 いくらゴッドイーターと言えど、連戦が続けば精神的にも肉体的にも消耗の度合いは大きい。

 ここ極東が世界最大級の激戦区と呼ばれる由縁は常時決められたミッションだけではなく、突発的なミッションが頻繁に存在する事だった。

 

 連戦が続けば加速度的に疲労は蓄積する。疲れた身体でこなす事になれば、疲労が原因での集中力の低下から来る判断ミスを招く恐れがある。そうなれば常時戦場に居る人間の未来は一つしか無かった。

 万が一があった時点では既に手遅れとなる。その防止策の為にまずは一息入れようと、エイジは休憩がてらロビーに来ると何だか騒がしい一団が見えていた。

 

 

「討伐と防衛では戦術が違うのは当たり前だ。あそこは一般人優先で行動するのが基本だ」

 

「一般人が優先だと、こちらまでアラガミに襲われるのでは本末転倒です。人的な事を考えれば、討伐してから保護の方が効率が良いはずです」

 

「比べる前提が間違っている。討伐と防衛の違い位ならゴッドイーターなら誰でも理解できるはずだ。まさかロシア支部ではそんな基本的な事すら教わらなかったのか?」

 

 

 遠巻きに話を聞いてると、どうやら先ほどのミッションでの行動に問題があったのか、珍しくブレンダンとアリサが口論となっていた。原因は分からないが話を聞いている分には、現場での行動理念の祖語が発生した様だった。

 

 同じ任務に着いたはずのカレルやシュンは巻き添えを食らわない様に遠目で見ているだけで、間に入る気は全く無い。いつまでくだらない事をしているのか?そんな空気が漂っていた。

 

 

「そんな甘い考えだから、スコアも他の部隊に…」

 

 

 

 それ以上は流石に暴言と思われても文句は言えなくなる。これ以上言い出すと今度はどんな発言が飛び出すのか分かったものではない。

 アリサが着任して以来、こんな些細な事での言い争いをアナグラでは割と見かける事が多くなっていた。

 

 どちらの言い分が正しいかの是非では無く、今後の事も考えれば周囲の協力は不可欠になってくる。今の状況が続く様であればアナグラの雰囲気も悪くなるのは明白となるだけでなく、最悪は戦場での信頼関係が構築出来なく可能性もあった。

 このままでは最悪の可能性しか有り得ない。これ以上アリサが何も言わない様に慌ててエイジはアリサの口を抑えた。

 

 

「どうしたんだブレンダン。らしくないぞ」

 

 アリサの言葉はそのまま止められたところで、チャンスとばかりにタツミが仲裁に入る。

 

「なあ、アリサ。気持ちは分かるが第1部隊と第2部隊では役割が違うんだ。第2部隊の連中がアラガミを討伐したくないと思う人間は誰一人いない。戦場は生き物と変わらない以上、自分の考えが全て正しいと考えるのは間違いだ」

 

 普段は大そよ真面目とは言い難いタツミが真剣な表情で言えば、今回の話は真剣に考えるのは当然だと誰もが認識出来た。

 確かに仕事だと割り切れても、自分の命を戦場に持ち込む時点で軽々しく扱って良い話ではない。自分の判断ミスが他人の命を脅かすなんて事は、ここでは日常茶飯事と言える程に過酷な環境となっている。

 些細とも言える会話の中にタツミの思いが滲んでいた。

 

「こんな事で口論するなら、もっと自身のレベルアップに励む方がよっぽど効率が良いし、お互いの為になるはずだろ?」

 

 アリサも何か言いたげだが、エイジに口を抑えられ止めれている以上反論は出来ない。仮に言えたとしても、タツミの言葉は正論であればそれ以上の事はアリサ自身が何も言えない。ここでは生き残った人間がそのまま実力と反映している。

 

 いくら新型と言えどその人のキャリアまでは否定する事は出来ない。それ程までにタツミの言葉には今まで培ってきた経験と重みが含まれていた。

 これ以上はこの場に居てもいたたまれなくなる。

 そんな雰囲気になりそうな所で遠巻きに見ていたカレルからの辛辣な一言があった。

 

 

「お前が何を考えているか分からないが、今のお前はこちらの足手まといだ。騒ぐ前に少しは自分の行動に責任を持て。おかげで余分な仕事が増えて報酬と見合わない任務に成り下がるのは御免だ」

 

 ぶれる事が全くない報酬第一のカレルからの一言。

 辛辣と言われればそれまでだが、一方的に言われたままでは流石のアリサも何か言いたげになっている。

 

 

「エイジ、とりあえずこの場は、俺に免じて後は頼む。新型同士何か思う所は共通するだろ?」

 

 タツミから手を合わせ、頭を下げられての無茶振りだが、この場はこのままには出来ない。気が付けばこのやり取りは、他の神機使い達も視線こそ合わないがどんな結果になるのか注目されていたのか視線を感じる。

 タツミの事もあったが、エイジ自身も疲れた体にこれ以上疲労を溜めこみたくないので、アリサを連れてその場を離れた。

 

 

 

 

 

 

 

「何で私があんな事言われなくちゃならないんですか?ここの人達は自分勝手すぎです!」

 

 あの場で何も反論でき無かった反動が、人気の無いこの場でエイジに炸裂した。

 言われっぱなしがお気に召さないのは目で見て簡単に分かる。色々と先ほど言われた事に腹がたったのか目の前のエイジに当り散らす。

 やれやれと思いながらも表情に出す事は無く、アリサの一方的な話を聞きながらも、ブレンダンや他のメンバーの言ってる事も一理あるのは間違いなかった。

 

 本音を言えばこの問題は間違いなく正解が無い。仮にあるとすれば互いが共に認識を摺り寄せる事が正解でしかない。

 立場が変われば考えが変わる事は本来のアリサであれば気がつくはずが、先ほどの口論でヒートアップしてる以上、納まるのは時間がかかるだろうと予測していた。よほど溜め込んで居たのか、アリサの言葉か゜止まる気配は微塵も無いのを察知したのか、エイジは嵐が過ぎるのを待つ様にひたすら聞き流す事に専念していた。

 言いたいことを一通り言った事でスッキリしたのか、アリサも漸く落ち着いてきた。

 

 

「アリサの言い分は分かる。でもリンドウさんが前に討伐が仕事ではなく守る事が任務だと言ってたの忘れたの?」

 

「それは分かってますけど…でも、ここの人達は適当過ぎます。ここは人類最後の砦なんですよ。私達がこんなだと守られる人も安心できないはずです」

 

 

 何だかんだとリンドウから言われた事はしっかりと頭の中に入って居た事に感心しつつも、このままでは雰囲気が悪くなり、最悪の場合はアリサがアナグラ内部で孤立してしまう。

 本人は気がついて無いかもしれないが、既にアリサだけの問題では無く、その結果的として同じ部隊の自分自身にも影響が出始める内容となっていた。

 しかしながら、この状況だけは何とかしない事には後々影響が出ないとも限らない。そう考えたエイジは一つの賭けに出る事にした。

 

 

「ねえアリサは趣味とか、気になる事はないの?」

 

「突然なんですか?今その話と関係無いですよね?」

 

「いや、何もないなら寂しい人生だけど、息抜きや気持ちも切り替える事でギスギスした気持ちが癒される事があるんじゃないかと思ってね」

 

「そりゃ…趣味位はありますし、やってみたい事だってありますよ」

 

何気ない一言だったが、この瞬間エイジは賭けに勝ったと核心していた。

 

 

「僕らゴッドイーターだって所詮は人間だ。戦闘マシーンじゃない。嬉しい時もあれば悲しい時もある。気持ちを引きずったまま戦場に出ればそのまま戦死なんて事になり兼ねないんだ」

 

 半ば強引な話題転換が功を奏したのか、アリサからの反論は無く話だけは聞いてくれる体制が整っていた。

 

 

「それに、ここ極東支部は世界中で有数の激戦区だ。皆こんな環境の中で生き抜いている以上はキャリアなんて僕ら以上だ。アリサの目からすれば皆が適当に見えるかもしれない。でもそれは戦場では常に最高のコンディションで戦おうとする気持ちの表れなんじゃないかな?」

 

 エイジの言葉は詭弁にしか過ぎない。しかし、この場では確認する術はどこにも無い。断定的に言われるとアリサは何も言えなくなっていた。

 常に高圧的な態度ではなく時折見せる素直な面も備えている。残念ながらその本質を知っている人はまだ誰も居ない。

 エイジ自身が1週間ほど一緒にミッションに行って初めて分かった事でもあった。

 

 

「沈黙は肯定と同じだよ。折角綺麗な顔しているのに、そんな顔ばかりだと眉間にしわがつくよ」

 

 まるで子供を諭す様に言われ、さりげなく褒められた事に気が付く。

 そう言われハッとアリサは眉間を触ると同時に子供扱いされた事に若干怒りが混みあがったが、何故か悪くないと思っている自分がいる事に気が付いた。

 

 

「屋敷の子供より聞き分けが良くて結構だよ」

 

 少しは見直そうかと思った矢先にこのセリフ。

 全く持って残念な位に人の気持ちには鈍いエイジ。アリサがどう考えるかなんて気にもした様子は一切ない。せいぜいが子供の喧嘩の仲裁程度にしか考えていなかった。

 そんな事に気がついたアリサは何と無くだが、面白く無かった。

 

 

「子供扱いしないでください。ちょっとばかり先に配属されたからって、私とはそれ程変わらないはずです」

 

「ごめんごめん。そんなつもりじゃなかったんだけどね」

 

 

 ようやく落ち着いたと思ったところでエイジの腹が鳴った。

 よくよく考えればミッションから帰って晩御飯と思った所に今回の騒動に巻き込まれた形となった為にまだ何も準備すら出来ていない。謝りながらも今晩はどうしようかと思案している最中だった。

 

 

「エイジか。時間あるなら食事でもどうだ?それとも、もう食べたのか?」

 

 後ろから声をかけたのは暫くの間アナグラに滞在する事になった無明。

 気がつけば時間的にはもうそんな頃合いでもあった。

 

 

「いえ。兄様、まだこれからです。ひょっとして何か食べられるんですか?」

 

「実験農場で好評だった食材がようやく流通に乗ったからその品質チェックがてらの試食会だ」

 

 

 アリサが居る事などすっかりと忘れていたエイジだったが、その存在に無明が気づく。

 

「エイジ、彼女は誰だ?」

 

 そう聞かれて存在を忘れていた事にようやく気が付いたのか。慌てて紹介する事になった。

 

 

「アリサ・イリーニチナ・アミエーラです。現在は第1部隊所属です」

 

「リンドウの部下か。あいつは適当な所があるから大変だろうが、よろしく頼むよ」

 

 腕輪とエイジの会話からベテランなのはすぐに気が付いたが、何より体から出るオーラが他の人間とは違う。圧倒的な存在感があると同時に、話かけられるまではその存在に気が付く事も無い程の異質な何かがそこにはあった。

 

 

「デートだったか。邪魔して悪かったな」

 

 そう言いつつ無明は去ろうとしていたが、エイジとしてはここで引き止めないと食事にありつけなくなるのは非常に困る。自分で作っても良いが、無明が作る食事は自分が作る以上の出来栄えなのは確認するまでもなかった。

 

「いいえ、ちょっとした話があっただけで問題ありません」

 

「そうか、他のメンバーもいるが、良かったらそこの彼女も一緒に来るか?」

 

「アリサもまだだよね。兄様のメ食事は旨いから一緒に行こう」

 

「えっ?ちょ、ちょっと待って下さい…」

 

 アリサの返事も録に聞かずにそのまま強引に手を引かれる。突如の展開にアリサの意識は追いつく事はなく、そのまま一緒に行く事になった。

 

 

 

 

 

 



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第10話 修復

 手を引かれたままやってきたのはラボラトリがある階層の一室だった。

 そこには既無明に話を聞いて来たのか、第1部隊の面々とリッカとナオヤ、カノンが既に居た。

 先ほどの件も影響しているのかアリサの心情としては入りづらい気持ちがあったが、エイジの全く空気を読まないスキルを発動させ、半ば強引とも取れる様にそのまま部屋へと入っていた。

 

 

「お待たせしま…」

 

 入ったまでは良かったが、ミッション終了後の夕食の時間と相まった事もあり、、既にそれなりに食事は進んでいた。

 テーブルの上には以前に並んだ物だけではなく、今回初めて作った新作料理も色々と並び、二人が入ってきた事にも気が付かないほどに、食事に意識が向いていた。

 

「あら、手をつないで随分と仲良くなったのね」

 

 話し掛けられた声の方向に振り向くとそこには皿を持ったサクヤとグラスを持ったリンドウが居た。

 リンドウは既にアルコールに手を出しているせいか、なんとなく顔は赤く、機嫌だけは良さそうに見えていた。

 

「おっ、しっかりと実践してるな。いつまでも手を繋いでいるのは結構な事だが、見てないで食べたらどうだ?この調子だとすぐに無くなるぞ。こいつらは遠慮なんてしないからな」

 

 その言葉に気が付き慌てて二人は手を離し、エイジは照れくさいのを誤魔化すかの勢いで食事を始める。アリサ自身は気まずさも手伝ってか動きは鈍いが、せっかくだからと食事を始る事にした。

 

「美味しい」

 

 この時代では食事と言えば味よりも腹持ちを優先する傾向が強く、旧事時代の様に味を優先するのは精々がフェンリルの上層部か、貴族の人間位しかいなかった。

 ゴッドイーターも任務の関係上、配給に恵まれる事はあっても、肝心の調理が出来なければそのまま食べるしかない。

 アリサが居たロシア支部でもその傾向は強かったが、まさか極東でこれ程の食事が口に入るとは思ってもなかった。

 

 既に食べている人間の事をよそに、予想外の料理の美味しさにアリサは驚きを隠す事は出来なかった。

 

 空腹も手伝ってか、食事がある程度進んで行くと徐々に終わりを見せ初め、ある程度食べたから落ち着いて来たのか、回りを見渡すとそこにはリッカと話しているナオヤの姿があった。

 

 

「技術班はどう?もう慣れたんじゃない?」

 

 背後からかけられた声に気がついたのか、ナオヤが振り返ると話し掛けた声の主はエイジだった。

 

 

「おう、久しぶりだな。あれからはそれなりに活躍してるみたいだな。神機見てれば何となく分かるぞ」

 

「いつのまにそこまでスキル上げたんだ?来たのは最近だろ?」

 

「ああ、俺じゃないよ。リッカがそう言ってたんだよ」

 

 二人の会話の中に自分の名前が出たのか、リッカも気が付き会話に入ってきた。

 

 私を呼んだと言わんばかりに食事を中断してやって来たが、せっかくの食事を終わらせるつもりは無く、手にはしっかりと飲み物が握られていた。

 

「キミの神機は他の人とは違って、ある意味特徴的な傷が多いから分かりやすいんだよ。特に刀の部分の傷は多いけど、盾に関しては不思議な付き方してるから、簡単だよ」

 

 気が付いている人間がどの位なのかは分からないが、他の神機使いとは違いエイジは盾は使ってはいるが扱い方が全く違う。

 

 本来の盾の役割は攻撃を防ぎ、動きをせき止めるような使い方に対して、エイジは攻撃をいなし、盾も攻撃を流す為にだけ使っている様な使い方をしている。

 本来であればこんな運用をする人間はアナグラにはおらず、仮にそんな使い方をしようものなら、本来であれば多大なストレスが加わる。

 

 その結果として、他のゴッドイーターよりも盾の受けるストレスはかなり小さかった。

 攻撃を受け流されると、いくらアラガミとは言え体勢を崩され、致命的なスキが出るのを見計らった隙を突く攻撃は多大なダメージを与える事になる。

 

 結果としてカウンター気味に攻撃が当たるので、本来の武器の威力に相乗効果が追加される攻撃方法を信条としていた。

 

 

「戦い方に文句は言わないけど、傷が無さすぎるのも不思議なんだよ。なんか変わった事でもしてる?」

 

「特にしていないけど、自分である程度のメンテナンスが出来るからその影響じゃないかな?」

 

 事実、ナオヤはともかくエイジは使う側なので、自分でメンテナンスするなんて発想が他の神機使いには無い。せいぜい、汚れを落とす程度なので、自分で簡易とは言えメンテナンスしているなんて話は聞いたことが無かった。

 

 

「リッカ、こいつ意外と手先が器用だから、簡単なメンテナンスなら自分でやるよ」

 

「そうなんだ。でもどこでそんな技術を手に入れたの?」

 

 ここから先はまさか屋敷でなんて言える事もなく、返事に困り、内心では嫌な汗が出ているのが分かる。

 エイジに対して言った言葉はナオヤ自身にも言われているのと同義なので、ナオヤは助け船を出した。

 

「こっちに来てから色々とね。元々は同じ出身だから話すついでにだよ」

 

 心の中で手を合わせつつ、エイジはナオヤを見た。屋敷では神機の試作品の研究開発している関係で知っているとは言えず、その場を去ろうと思ったときだった。

 

「エイジ、時間あるなら少し手伝え。思ったより、みんな食べるのが早いから無くなりそうだ。途中で無くなるのは気の毒だろ」

 

「はい。分かりました」

 

 そう言われる事で助かったとばかりにエイジは無明の後に付いて行き、この場からの脱出に成功する事となった。

 

「ねえナオヤ、君も配属されて時間が短い割に神機の事はよく知っていたみたいだけど、前は何してたの?」

 

 今度はナオヤが困る番となった。ナオヤも同じくエイジと神機の開発の手伝いをしていたが、細かい部分は任されている事もありエイジ以上にメンテナンスは出来る。

 事実、整備の手際も配属された期間を考えれば、新人では無くむしろ中堅に近い程の腕前があった。どこでそんな技術を知ったのか、。リッカはそんな些細な疑問をナオヤへと向けていた。

 

「身内に整備関係の人がいてね。その関係で見て覚えたんだよ。実際には刀身の部分も開発も手伝ってたから、それなりには分かるつもりだよ。

 

 嘘を言った訳ではなく、一部の事実を省いた事で言葉の内容をはぐらかす。

 配属前の情報でナオヤは神機の整備や開発をしている人間の元に居たとはリッカ自身も聞いていた。

 

 しかしながら、同じ様な整備でもリッカは全般的に整備できるが、ナオヤは銃型は苦手としている。

 単純に触ったことが無いのが原因だが、逆に刀身に関しては他の誰よりもセンスが抜きんでていた。

 面と向かってそう言われるとリッカもそれ以上の詮索は出来ない。聞いた所で全部答える事が出来る訳でもなかった。

 

 それなら、このまま互いにしっかりとやっていく方が合理的とも判断し、それ以上追求するする事はしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 エイジが無明に付いて行った先には大きな箱が置いてあった。

箱から漏れる様な匂いから、先ほどの食事の中身だと推測できる。

 

 

「エイジ、すまないがこの料理とメニューを支部長の部屋に持って行ってくれ。既に連絡はしてあるから、そのまま行っても問題無い。今はこっちが手一杯だ。頼むぞ」

 

 そう言われてエイジは先ほど作られた物を持って行く事にした。

 失礼しますとの挨拶と共に支部長室に入ると、そこには支部長と見たことも無い人が何かを話ていた。

 

 

「如月君か。彼は配属されたアリサ君の主治医だ。彼女のメンタルケアを担当している」

 

「オオグルマ・ダイゴだ。アリサのメンタルケアの為にロシア支部から同じく配属された。よろしく頼むよ」

 

「同じ第1部隊に所属してる如月エイジです」

 

 簡単な自己紹介の後で、主治医と紹介されたその男は医者と言うには何となく雰囲気が違う。

 敢えて言うならば、何かを研究している様な雰囲気と、体から医師とは言い難いタバコの匂いがする事から紹介された職業とは大きくかけ離れて居る様に思えた。

 

「彼女は思い込みが強い部分があるせいか、時にはキツク当たる事もあるが根は良い子なんだ。良かったら同じ部隊のよしみで仲良くしてやってくれないか?」

 

 

 そう言われて今までの経緯を思い出しつつも、まさかトラブルが多発しているとは言い難く、ここは素直に返事をするしか出来ない。

 

「兄さ、無明さんからこれを持って行く様にと言われましたので、持ってきました」

 

 

 

 渡された箱の中身をを見て支部長は納得すると同時に、横に居たオオグルマもなるほどと頷く。

 

「最近の極東支部は随分と環境が良いのか、他よりも支部全体が何となく安定してますな。他だと何となく危うい部分が見えますが、やはり人間の本能が満たされるのは大きいのかもしれませんな」

 

 

 

 エイジは知らないが、どうやら他の支部と比べると住環境は他の支部よりもかなり良いらしい。

 

 一番の問題点でもある食糧事情が他の支部とは違い、圧倒的に違う。

 人間、腹が満たされていればある程度の不満は収まる。最近になってアナグラ内部でもレーションや遺伝子組み換えの不思議な食糧よりも、外部居住区でも販売されているような生鮮食料品の方が徐々に増えていた。

 もちろん、圧倒的な数は足りない物の味はレーションや配給品とは雲泥の差。これで不満が出る事はまだ少ないのだろう。

 

「最低限、このレベルは維持出来る様に伝えておいてくれ」

 

 

 

 一言そう言われ、これ以上ここにいても無意味だと判断し、最低限の礼だけを尽くしてエイジは戻る事にした。

 

 

 ラボラトリに戻ると食事会は終わったのか、後片付けに入っていった。

 既に、ソーマ、コウタの二人は帰ったのか部屋には居ないが、ナオヤは相変わらずリッカと話をしていたようだった。

 

「ちょっと良いですか?」

 

 もうやる事も無いかと思った矢先に、後ろから声をかけれられ振り向くと、そこにはアリサが立っていた。

 

「先ほどは色々と気にしていただきありがとうございました。今後はもう少し周りを見ながらやって行きたいと思います」

 

 食事をする事で落ち着いたのか、まさかそんな殊勝な事を言われるなんて想像すらしてなかったのか、悟られる事無くそんな会話をしていると、不意に近くのリンドウから声がかかった。

 

「エイジ、近々大型アラガミのヴァジュラ討伐任務が入るからそのつもりでいてくれ」

 

 今まで大型の討伐任務にコウタやエイジが呼ばれる事は時期がまだ早いからと今まで声がかからなかった。

 しかし、最近の活躍ぶりと実績に漸く認められたのか、大型種のミッションが受注出来る様になり、今までのゆったりした気持ちが一気に引きしまる。

 

 エイジ自身は最初頃のミッションでヴァジュラを見たが、実際には討伐することなくそのまま撤退している。そのリベンジとばかりに気合が入った。

 

「いいか、近々だから今から気合入れすぎると疲れるぞ。食事会も終わりだから各自休んで体調を整えろ。」

 

 

 

 エイジにそう言い去りると、リンドウは無明と何かを相談するかの様に話をしていた。

 

 

 

 



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第11話 襲撃

 リンドウからの討伐宣告されてから3日後、第1部隊にヴァジュラ討伐のミッションが発注された。

 

 

「今回のミッションはヴァジュラ討伐だが、俺は他の任務が入ってるから今回はサクヤが指揮を執ってくれ。メンバーはソーマ、エイジ、コウタで頼む」

 

 前回の時点で、今回の討伐ミッションは事前に分かっていた。にも関わらず今回のメンバーに何故かリンドウは入っていない。

 エイジは何となく違和感を感じるも、このメンバーならば特に気にすることは無いと判断し、そのまま流した。

 

 

「今回はリンドウさんは入らないんですか?」

 

「こっちはアリサと別任務だ。まあ、サクヤとソーマが居るから大丈夫だろ」

 

 リンドウからアッサリとそう言われ、この会話だけ聞いていると問題なんて何も存在しない様な言い方と、相変わらずの飄々とした雰囲気。今回は大型種1体のみのオーダーなので、このメンバーでも大丈夫と判断したのだろう。

 仮に違ったとしても、このメンバーならば特段何の問題も無いはずだった。

 

 

「あれか……デカイよな」

 

 現地に付くと事前情報と変わらず、遠くにバジュラが1体見える。他にはオウガテイルが2体程いるようだが、これは数の内には入れていない。

 大型種の討伐が初めてとは言え、今回のミッションにはベテランのサクヤ、ソーマもいる。そう考えると、油断はしないものの落ち着く事ができた。

 隣にいたコウタも最初こそは緊張気味だったが、ここにいるメンバーと自身の経験からか、今ではかなり落ち着きを取り戻している。

 

「さ、これから始めるわよ。リンドウじゃないけど、死なない様にがんばりましょ」

 

「好きにするさ。お前らも精々死なない様にやれよ」

 

 二人からもこれは特別な任務ではなく、ごく当たり前の内容。いつもの様にそう言われ、気合は十分。まずは邪魔なオウガテイルから討伐する事になった。

 

 オウガテイルそのものは問題にはならないが、ヴァジュラと戦っている間に来られると、何かと厄介な存在になりかねない。

 そうならない様に、事前に討伐しておけば不意な対応にもゆとりが出来る。出来る事から済ますのが一番手っ取り早い。

 そう考えるとエイジとコウタ、サクヤとソーマの二手に分かれ索敵を始めた。

 

「エイジ、お前今回のヴァジュラ討伐は怖くないのか?」

 

 索敵を開始して、暫くしてから思いついた様にコウタが話しかけていた。

 

 

「怖くないと言えばそれまでだけど、ここで怖気づいても何も始まらないし、みんなを守りたいと思う気持ちの方が強いんじゃないかな。そんなコウタはどうなの?」

 

「俺さ、元々家族を守りたくてゴッドイーターになったんだけど、今までの事を考えると流石に大型種は怖いよ。もちろん小型は問題ないわけじゃないけど。でもさ、家族を守るためになんて最初は考えてたけど、気が付けば家族を守るのと他の人も守るのは同じような気がしてさ。当たり前だけど、他の人たちだってそれぞれ生活があって、その中で生きている事を考えたら他の人たちも自分の家族も同じだと思ったんだよ」

 

 二人はそう言い合いながらも目は周囲を索敵をし、オウガテイルを発見する。まだこちらには気が付いていない。となれば、やる事は一つ、先手必勝あるのみ。

 

 単純ではあるが、一番合理的だとそう考え、エイジは背後から忍び寄ると同時に、そのまま捕喰に成功した。後ろ脚の一部が捕喰された事に気が付いたオウガテイルは振り返った瞬間にコウタの援護射撃によりそのまま絶命した。

 

 

 その戦闘音が元になったのか、遠くでヴァジュラの咆哮が聞こえる。

 再度二人は声を潜め周りを索敵すると、遠くで何かを捕喰しているヴァジュラを発見していた。

 今の2人では討伐は出来ない。やるべき事はここで信号弾を上げ、まずは二人の合流を待ってから討伐を開始した。

 

 

 ネコ科の動物を連想させるが如き素早さで素早く動き始める。

 ヴァジュラはまるで威嚇するかの様に全身に雷を身に纏い素早い動きと共に襲い掛かる。

 エイジとコウタの二人であれば確実に苦戦したであろうこの種も、サクヤの絶妙な狙撃とソーマの苛烈とも言える攻撃で、当初はその行動範囲と雷を纏った攻撃に翻弄されていたが、ソーマとサクヤの攻撃により動きは徐々に鈍くなる。

 

 コウタもアサルトの特性を生かした射撃で反撃の隙を与える事無く援護する。

 そんな中でエイジは戦いの最中に不思議な感覚が襲っていた。

 

 動きそのものに変化が無いが、何となくヴァジュラの次の行動予測が見えるのと同時に、いくつかの光の筋が見える。その光の筋に合わせて攻撃すると、面白い様に攻撃が当たり、ヴァジュラに想像以上のダメージを与えていた。

 同じ近接型のソーマの攻撃とは違い、明らかに精密な攻撃が常時弱点を突いた。

 

 一体何が起きているのかエイジ自身が驚きながら攻撃をしていると、気が付けばヴァジュラはそのまま倒れ、コアを抜かれた体はやがて霧散し、その場から消えていた。

 

 

「ふっ。予想以上に上出来だな」

 

 一線級の戦闘力を持つソーマから褒められた様に言われ、エイジは悪い気はしない。何となく認められた気分になり、いつも以上に嬉しさがこみ上げる。

 

 

「喜ぶのはまだよ。周りもしっかりと確認してちょうだい」

 

 サクヤからの指示で浮かれる事も無く気を引き締め直し、改めて周囲の索敵を開始する。当初に聞いていたアラガミ以外の存在を何となく感じているも、それが何なのかは今の所は分からない。

 

 新手の可能性も考慮し警戒レベルを引き上げるも、そこでエイジが見たものは何故か他の任務に出ていたはずのリンドウとアリサだった。

 

 本来であれば、混乱を避ける為に同じ区域に二つのチームが混在する事はありえない。ましてや、ここにいるのが防衛を主とする第2部隊では無く、討伐任務を主とする第1部隊のメンバーが全員揃っている。

 普段は冷静なはずのサクヤでさえも有り得ない事実を前に驚きを隠す事は出来なかった。

 

 

「リンドウなんでこんな所に?」

 

「それはこっちの台詞だ。俺たちはこの区域の偵察任務で出て来たんだが」

 

 こんなイレギュラーな事は未だかつてない。二人の会話から明らかに動揺しているのがよく分かる。

 

 

「このまま固まっていても仕方ないしな。とりあえずは索敵を優先だ」

 

 このまま同じところに留まっていても仕方ないと判断し、リンドウからの提案で二手に分かれ改めて索敵する事になった。

 

 

「なあエイジ、こんな事は珍しいのかな?」

 

「詳しくは分からないけど、あの話からするとかなりイレギュラーみたいだけど、詳しい事は分からないかな。戻ったら確認するのが一番だろうね」

 

「こっちは討伐対象がもう居ないから、大丈夫だと思……何だ今の音?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何事も無かった様にコウタが言い終わる頃、背後で何かが崩れた様な大きな音と同時に、複数のアラガミの咆哮が聞こえている。今までのミッションでさえ、ここまでの音を聞く事は一度も無かった。

 

 この時点で何となく嫌な予感が止まらない。二人は異常を察知し現場に駆け付けた。

 二人が付く頃にはサクヤとソーマも先ほどの音を聞きつけて戻ってきたらしく、そこに何かアクシデントがあったのか、半狂乱と化したアリサがうずくまっていた。

 

 

「何があったんだよこれ!」

 

 この時点で何かのアクシデントかと思いその先を見ると、入口であったはずの場所が大きな瓦礫で塞がっていた。

 数分前までは何も無かった場所は一転していた事もあり、突然の出来事に理解が追いつかなかった。

 

 悪い事は重なるのか、想定外の出来事が連続して続く。入口に気を取られていたのは僅か時間のはずだったが、気が付けば辺り一面には今までに見た事も無いアラガミが周囲を囲み、退却する経路は既に塞がれていた。

 

 気が付けばアラガミ達の視線はエイジたちを捉えており、少しでも気を抜けば、まさに一気に襲い掛かる寸前でもあったのか、緊迫した空気がその場を支配していた。

 

 

「まずい。完全に囲まれてる」

 

「退却ルートは無いぞ。どうするエイジ?」

 

 エイジとコウタは驚きを隠せない。完全に事前情報と違いすぎる今の状況を解決出来る程の実力は今の2人には無い。ソーマを見れば、こちらも完全に不意をつかれたのか、アラガミを睨みつける事しか出来なかった。

 

 胴体はヴァジュラ種と変わらないが、顔は女性をかたどる様な彫刻然とした顔。

 それと同時に体には雷では無く、冷気を全身に纏っているのか、足元から冷気が漂い周囲の小さな草花が凍結する程の低温が発生している。

 このままでは間違いなく全滅のイメージが浮かぶも、肝心のリンドウは瓦礫の向こう側。

 明らかにそこは死地の真っ只中だった。瓦礫の向こうでは既に退路を断たれながらも激しい戦闘音が途絶える事無く聞こえてくる。分断された状況下で出来る事は何も無かった。

 

 

「お前ら、アリサを連れてアナグラに戻れ!」

 

 戦闘音の合間にリンドウの張り上げる声が聞こえてくる。姿は見えないが、声だけ聞けば、そこは既に最悪の状態が続いている様にも思えた。

 

 

「嫌よ。私もここで戦うわ」

 

「ダメだ!このままだと全滅する!」

 

「それでも!」

 

「サクヤ!全員を統率しろ!ソーマは退路を開け。これは命令だ!」

 

 

 戦闘音の隙間からも次々とリンドウの指示が飛ぶ。本来であればそんな暇は無いはずだった。

 僅かな可能性に賭け、サクヤはリンドウを救出すべく瓦礫に向かってバレットを撃ち込むも、銃弾は無常にも弾かれ瓦礫はびくともしない。

 

 

「サクヤさん、このままだと全滅する。早く離脱しないと!」

 

 エイジの叫びにもサクヤは何かを諦めたかの様にその場を動こうとはしない。

 今はソーマが牽制しながら何とか時間を稼ぐも多勢に無勢。このままでは早々に押し切られて全滅する未来しか見えなかった。

 

 

「お前ら早く離脱しろ!死にたいのか!」

 

 瓦礫の向こうからのリンドウの声。戦闘音は止む事無く、何も変わらず鳴り響く。

 声の間隔は徐々に長くなり、恐らくはリンドウも既に余裕は全く無い。長く聞こえる戦闘音だけがかろうじてリンドウが生存している事を示している。

 今の状況がまだ最悪ではなく、その後の状況がそこから更に悪くなる可能性が徐々に色濃くなりはじめていた。

 

 

「サクヤさんごめん」

 

 その一言と共にサクヤを気絶させ、エイジはサクヤを背負う。それと同時にコウタはアリサを背負いソーマに合図する。2人からの合図により、タイミングを見図った瞬間スタングレネードが炸裂し、辺り一面に白い闇が広がる事でアラガミの視界を完全に奪う事に成功していた。

 光を直撃したアラガミはその場で動きを止め、回復するまでは行動する事が出来ない事を確認し、その隙にこの死地から離脱を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 一方、極東支部には衝撃とも言える一報が走る

 

 

 

 

 

 

 

「現在交戦中の第1部隊ですが、想定外のアラガミの襲撃により現在救助信号が出ています。アラガミの種別は不明」

 

 ヒバリの第一声にアナグラ内部には動揺が走る。

 第1部隊はアナグラ内きっての精鋭とも言えるリンドウ率いる討伐部隊。その第1部隊に救助信号が出るのは極めて異常な状況でもあり、襲撃中のアラガミが不明である事が拍車をかける。

 その結果、アナグラには異様な緊張感が高まっていた。

 

 

「救助に行ける部隊は現在…」

 

 ヒバリが言うよりも早く一人の人間が動いていた。その動きは誰も気が付かない。既にその存在すらそこには無かった。

 

 

 

 

 

 

 



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第12話 撤退戦

 ヒバリの叫びとも取れる様な声が遠くで聞こえる。

 振り向かなくてもどんな状況に陥っているかは容易に想像が出来た。こうなった原因の一端は、恐らく以前に見たリンドウのディスク。

 現在は中身の裏と取る為に色々と検証している途中だった。

 

 内容からすれば、近日中に何らかの動きがあると睨みつつも、こちらが想定していた以上の手筈で相手の行動の方がこちらよりも早かった事が悔やまれる。

 そんな事を考えつつも、その場に居た所で何の解決も出来ない。今は一刻の時間も惜しいとばかりに動くしかない。

 迷う事無く判断した時の無明の動きは、迅速以外の何物でもなかった。

 

 

「ナオヤか、今そっちに向かっている。例の物を用意しておいてくれ。緊急事態だ。出し惜しみは無しだ」

 

 無明が向かった先はナオヤの居る技術班。事前に連絡する事により、僅かな時間のロスも許す事無く出動時間の短縮を図る。間に合うのが先か、全滅が先かなのかここから先は時間との戦いだった。

 

 

「ツバキさんか。細かい事は後にして、これから出る。ヘリの準備をしておいてくれ。2分後にはそっちに行く」

 

 今は1分1秒が惜しい。もう少し早ければと後悔しても事態が好転する事は無い。だからこそ、やるべき事はただ一つとばかりに今は急ぎ出動する事だけを考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄貴か!例の物は用意してある。でも試作だから動作確認の保証は出来ない。大丈夫だとは思うが慎重に使ってくれ」

 

 連絡を受け、ナオヤは以前から近接型用の武器を試作していた。

 理論上は可能だが、実戦では一度も試していない。まさか試作の初稼働がこんな状態ではどんな効果が発揮されるかも未知数の状態はある意味賭けの様にも思える。

 作成したナオヤでさえ、理論上は問題無いと判断するが、実際にはその挙動を予測する事は出来ず、焦りの表情が浮かび上がる。

 

 

「ナオヤ。例の物って何?」

 

 リッカが疑問に思うのも無理はなかった。

 神機の整備をしながら強化する仕事とは並行しての新型兵器の開発は中々簡単に出来る事ではない。

 今回の試みも、そもそも理論上は可能でも現実問題としてはそうなるかの検証途中でしかない。

 本来ならば慎重に慎重を期してやるのがスジだが、残念ながら緊急事態では詭弁にしかすぎず、そうも言ってられなかった。

 

 

「実は近接型用の射出武器なんだよ。本来は遠距離型のメンバーが一緒なら必要ないけど、ソロで出るときや緊急時で揃わないだろ?それを補う為の物だよ」

 

「そんな物作ってたなんて知らなかった」

 

「今初めて言ったからな」

 

 ナオヤが言う様に、事実として近接型の神機使いは遠距離攻撃が出来ない。

 それを補う為に遠距離型と組むが、今回の様なケースの事も考えて更なる次の一手を打つ。

 射出と言っても、バレットを打つ事は出来ないが、それに近い事は理論上は可能である。

 

 しかしながら、オラクル細胞との親和性や持続性、効果などが現在検証中の為に確認が出来ないが、今回の様な実戦で使用すれば確実にデータが取れる事は間違いない。

 もちろん、その前提には仮に動かなかったとしても無明の実力ならば問題ないと判断できるからとの考えが有るが故に踏み切ったのが今回の要因だった。

 

 

「俺らは無事を祈る事しかできない。だったら、その可能性が1%でも引き上げる事が出来るなら、技術班の名折れにはならないだろうってね」

 

 

 そうだろう兄貴。ナオヤは誰にも聞かれる事も無くそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 襲撃の現場からは辛くも脱出に成功する事で距離を離し、身を隠す事でようやく落ち着きを取り戻す事が出来た。しかしながら状況が好転したかと言われれば答は否と言わざるを得ない。

 事実、サクヤは憔悴しアリサは今だ混乱から立ち直れずにいる。ソーマも血路を開くためにかなりの無茶をしたのか、体中から血が滲み服の所々が血で染まっている。既にこの時点で見える未来は限定的だった。

 

 

「コウタ、スタングレネードは残りいくつ?」

 

 ここまで撤退する為にアラガミとの距離が近くなるにつれ、次々と使用した事が影響したのか、手持ちの物はかなり消費している。

 最悪の事態を考えるのであれば、こんな時に手持ちのチェックをしないと、いざとなった際に無いのであれば色々と拙い事になりかねない。

 ここでの確認の結果如何では非情な決断に迫られる可能性しかないのと同時に、今後の予定がこの瞬間決定する事となる。

 

 

「あと1個だ。エイジは?」

 

「こっちは残り2個。次使ったら後は厳しいかも」

 

 撤退とは言っても、人を担いだ状態での移動は困難を極めた。アラガミが追い付き始めるとソーマ牽制し、その都度スタングレネードを使用しての退却を繰り返していた。

 単純な撤退でさえも困難を要するが既にサクヤとアリサを抱えたままの撤退がどんな結果をもたらすのかは口に出さないだけで、誰もがその考えに支配されつつあった。

 このままだとジリ貧なのは確認するまでもないが、残念な事にこの場を打開する案が全く浮かび上がる事はなかった。

 

 

「ソーマはどう?」

 

「あったら使っている」

 

 肩で息をし、スタミナも限界に近い。リンドウの事は心配だがそれ以上に、こっちも拙い事に変わりない。

 救援信号は既に出ている為に、現在はこちらに向かっているとは思うが、今の状況を覆す為の時間は圧倒的に足りなさ過ぎていた。

 

 

「回収場所までもう少しだから、このままなら何とか…」

 

 エイジがそう言いかけた時に声を潜め物陰から覗くと、1体のアラガミが地響きと共に近寄ってくる。既に退路は限定的なだけでなく、このまま見つかれば、捕喰されて終わるだけ。

 どう考えても誰かがこの場に残って時間を稼ぐ選択肢しかありえない。選択の時間だけは確実に削られていた。

 

 

「お前らはこのまま行け。あとは俺が引き受ける」

 

 命の取捨選択。リンドウが身体を張りながら放った言葉をこのまま履行するには余りにも状況が悪すぎていた。アラガミの足音がゆっくりと近付きつつあった。

 意を決したのか、それともここが正念場と睨んだのか、ソーマが重い決断を下すその時だった。

 

 

「ダメだ。ソーマ、自分では気が付いているか知らないけど、血を流しすぎてる。足元がふらついてるんだ。これ以上は無理だ」

 

「そんな事お前に言われなくても分かってる。誰かがここに残るのが最善の選択肢だ。このメンツなら俺が残るのが確実だ。それとも他の手段があるのか?」

 

 単純な攻撃ではなく、撤退しながらの攻撃は普段の疲労度とは比べ物にならないレベルで消耗する。ソーマだからこそ現状を保っているが、本来であれば既に立つことすら出来ない。

 ましてや、こちらは5人いるも、二人は自分自身の力で逃げる事すら困難な状態であれば、誰も反論する事は出来なかった。

 

 サクヤも漸く落ち着きはしたが、このまま戦場に出る事は無理と判断し、エイジはさらに考えを張り巡らせる。

 コウタは遠距離型だから万が一の時には防御出来ない。このままソーマが殿を出るにしても想像以上にダメージは大きい。エイジが取れる行動は一つだった。

 

 

「ソーマは後を頼む。残り1体なら多分何とか出来るはずだから」

 

「お前、死ぬ気か?新型だからと驕るのはのよせ」

 

「そんなつもりはない。今の現状を見れば簡単に理解できる内容だからだ。それに生き延びる勝算もある。回収地点までの話だから大丈夫」

 

 これ以上言い争ってもエイジは考えを翻すつもりはなく、このままでは何も生まない処か時間が長引けばアラガミに発見される恐れが出てくる。緊急事態での逡巡は命取りとなるのは誰の目にも明らかだった。

 

 理論上は確かに合理的に考えればエイジの言葉が最善なのはソーマも分かっているのと同時に対案が出てこない。尤もだとそう考えるも、心情的にソーマ自身が納得できない。短いながらに沈黙は続く。その沈黙を破ったのはコウタだった。

 

 

「じゃあ、エイジ後は頼んだ。ソーマ、これ以上何言っても多分エイジは譲らない。これ以上の説得は時間の無駄だ」

 

 何かを言おうとした瞬間、コウタが横やりを入れていた。これ以上の論議は時間の無駄てしかない。ならば直ぐに行動に移した方が生存の確率は僅かでも上がる。

 恐らくは何らかの手があるかもしれないが、今はそれを確認する時間すら惜しいとばかりに、エイジに後の事を託す事にした。

 

 

「エイジ。後は頼んだ」

 

「無事アナグラに付いたら何か驕るよ」

 

 そう言い残しエイジは神機に握り直し陽動の為に一気に飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 かなりの数のアラガミから逃れた物の、残り1体だけがいつまでも着いて来る。

 これだけは討伐するか、最悪は完全に引きはがす以外の手段しかない。かと言って下手に戦闘すれば今度は他のアラガミが寄ってくる。

 そうならない為にはある程度の策が必要だった。

 

 ここから先は些細なミスすら許されない。針の穴に糸を通すかの様な慎重かつ大胆な行動が要求される。

 コウタにはああ言ったものの、既にエイジの頭の中にはアナグラに帰還するつもりは一切無かった。

 

 氷の化身の様なアラガミはエイジを見た瞬間に一気に間合いを詰め、その勢いのまま足で攻撃を仕掛ける。討伐であればそのままカウンターで攻撃を仕掛けるが、ここまで逃げる際に気が付いた事が一つあった。

 

 アラガミと現在の神機のレベルが差が確実に開いていると言う事実。

 

 今の装備ではダメージは与えてはいるものの、それが致命傷になる様な手ごたえが一切感じられない。いくら攻撃を仕掛けても、そのスキに攻撃を受ければ致命傷になりかねない。ここでの最大の結果はエイジ以外の全員の戦場からの脱出。ここで簡単に死ぬ訳にはいかなかった。

 

 そう考える事で今は攻撃を捨て回避する事に専念しつつ、皆が安全圏に到着するのを待っていた。

 

 戦力差に大きなアドバンテージがあれば問題ないが、こちらの方が圧倒的に不利に状態での隙は致命的となった。時間にしてもほんの一瞬とも言える時間だが、対峙している場合にはその限りではない。

 僅かな隙を狙い、すましたかの様な前足による強烈な一撃。

 エイジは反射的にバックラーを展開していた。

 半ば無意識の内に展開した瞬間、バックラーから嫌な音と同時に衝撃が走る。直撃を回避した代償は決して小さくはなかった。少しひしゃげると同時に亀裂が入った状態となり、そのまま弾かれた様に近くの壁に激突した。

 

 いくら強靭な肉体となったゴッドイーターと言えど、精神的なものまで強くなる事は無い。

 壁に叩きつけられ肺の中の酸素が一気に押し出される。呼吸困難に陥る事で意識を刈り取られ、なすがままの状態。このままでは喰われて終いと思える瞬間だった。

 

 

 

 エイジを喰らおうとするアラガミの首筋に光の様な速さで漆黒の刃が貫く。

 これから喰らおうとしたアラガミはダメージと共に警戒の為か、エイジから大きく飛び退き周囲の様子を確認している。

 先程のアラガミが怯む程の攻撃は、ヘリからダイレクトに下りた無明からだった。

 

 アラガミは先ほどの攻撃を受け、首筋から赤い血を流している。

 新手の出現により、警戒しているのを見透かされたかの様に、今度は顔面に何かが着弾した様な衝撃を受ける。

 怯んだ状態から回復し、攻撃に転じようとした際に、目の前に白い閃光が走り、それが収まる頃には先ほどのゴッドイーターは目の前から姿を消していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 救援信号が届くと同時に、ソーマ達はヘリに乗り込む。

 いくら新型と言えど、所詮は新兵を少し抜け出た程度の状態であれば、乗り込んだ側も心配するしかない。

 そんな表情を読みとったかの様に、ヘリのパイロットから話かけられた。

 

 

「今は無明さんが如月さんを救出に向かっています。戻り次第出発しますので、準備して下さい」

 

 

 

 そのアナウンスで第1部隊の面々は漸く落ち着きを取り戻した。

 その2分後、エイジを抱えて無明がそのまま乗り込み、窮地を脱出した事に長い様で短かった時間が終えようとしていた。

 

 

 

 

 



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第13話 動揺

 窮地から辛くも脱出し、ようやくアナグラに戻ると現場の状況が既に伝わっていたのと同時に、リンドウがそこに居ない事が大きな波紋を呼んでいた。

 

 ただでさえ、精鋭とも言われる第1部隊。普段は飄々としているが戦闘時には頼りになり、部隊長でもあるリンドウが帰還していない事にアナグラ中に衝撃が走っていた。

 

「リンドウさんが戻ってないらしいぜ」

 

「マジかよ。でも何でだ?」

 

リンドウの影響は余りにも大きすぎたのか、アナグラに走った動揺は何時までも消える事は無い。このままでは全体にも何らかの形で影響が出始めるのは時間の問題だった。

 

 

「お前たち、いつまでそこにいるんだ。自分達の今やるべき事をしろ!」

 

 ツバキの一喝で少しずつ落ち着きは取り戻したが、精神的支柱でもあるリンドウの不在の影響は予想以上に大きかった。

 原因はともかく、現在の状況を鑑みるとサクヤは憔悴しアリサは混乱したまま。

 陽動に出たエイジも大怪我ではないものの、1.2日は入院となっている為に戦力としては計上するには時間が必要だった。

 

 現況を見れば、出動可能なのはソーマとコウタだけしかいない。当然だがこのままの運営は不可能と考えながらも、ツバキ自身は表情にこそ出さないが、唯一の身内でもあるリンドウのMIAによる動揺はやはり計り知れなかった。

 

 現実問題としてこのままでは埒が明かないのと同時に、リンドウの捜索をしなければならない。既に捜索部隊を派遣したは良いが、本来であれば神機の探索がメインの部隊では過度な期待を抱く事は出来ない事はツバキ自身が一番良く知っている。

 既にそれが何を物語るのかは誰もが知っているからなのか口を開く事は無かった。

 

 肝心の腕輪のビーコンは破損したのか死亡によるロストなのか現状確認が出来ない以上、判断は不明となっている。

 仮に生存しているならば放置すればどんな未来が待っているのは説明する必要が無かった。

 

 ゴッドイーターの末路は如何なる理由があろうと、決定した未来しか無かった。

 万が一アラガミ化しようものなら介錯が必要となる。今のアナグラで冷静にそんな事が出来る人間は一人だけいるが、それもまた他の人間に与える影響が大きすぎる。だからこそ直ちに救助する必要がそこにはあった。

 

 無明は一人今回のミッションについて大きな疑念を抱いていた。

 根拠はリンドウから依頼されたディスクの解析時に確認した内容とその裏付け。

 

 帰投後に今回の確認の為ミッションの履歴を見たが、そこに本来有るはずのミッションが最初から存在していなかったのか、それとも消されたのか、そこには何も書かれていない。まるで初めから何かを処分するかの如く。

 

 意図的に消されたと結論づけるも、今の時点で確信めいた事は何もない。

 このままではアナグラの士気そのものまでもが低下する。

 士気が下がれば自ずと戦力は低下し、やがてアナグラにも多大な影響を及ぼす事になる。そうなる前に手を打つ必要があった。

 そう考えると同時に無明はラボへと足を運んだ。

 

 

「榊博士。今回の件ですが捜索はいつもの部隊に任せると同時に、自分でもある程度動きます」

 

「そうかい。君が動いてくれるなら助かるよ。彼はここでの精神的支柱である事に変わりないからね」

 

「一つ確認したいんですが、支部長はいつまで出張で本部に出ていますか?」

 

 

 

 今回のミッションの発注があると同時に支部長は出張で欧州に向かっていた。

 今の時点でどの程度、何がどう関与しているかは不明だが、今までの裏付の中である程度支部長が関与しなければあり得ない可能性が浮上した事から、関与しているのは明白だった。

 仮にも支部長を糾弾するとなれば、それなりの代償を払う事になる。だからと言って、この時点で公表しても闇に葬られる可能性が極めて高い状態になるのは容易に想像が出来ていた。

 その為には出張で不在の今が絶好のチャンスとなった。

 

「明確には聞いてないけど、恐らく2週間程現地滞在の予定だよ」

 

「分かりました。それまでにある程度の事は掴んでおきます」

 

「リンドウ君が今どんな状態なのかは推測できるが、ビーコン情報が確認出来ない以上、腕輪に何らかのトラブルが発生しているとも考えられるのであれば、最悪の状態もある程度視野に入れておく必要がありそうだね」

 

「そうならない様に、こちらも迅速に動きます。申し訳ありませんが、暫くはこちらに専念します」

 

「リンドウ君はこの支部の要だ。一刻も早い結果を期待するよ。本来なら君が動く必要は無いんだが、済まない。今の極東には信頼出来るのは君だけだ」

 

 榊の苦汁の決断とも言える言葉は正しく今の極東支部の現状を現していた。

 支部長のヨハネスが何を計画しているのかは大よそながらに把握しているが、今の状態では榊の言葉はヨハネスに届く事は無い程に妄執に取り付かれる様な、ましてや目の前に居る無明は間違いなく何らかのデータを握っているのは間違いなかった。

 そう博士に告げ、そのまま人知れず任務遂行となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リンドウさん捜索のお手伝いがしたいんです」

 

「今のままだと拙いのは分かります。捜索に行かせてください」

 

 ロビーではリンドウの捜索についてツバキにタツミとカノンが詰め寄っていた。

 

「お前たちの気持ちは分かるが、その結果として抜けた穴は誰が埋める?」

 

 ツバキの問い掛けに二人は答える事が出来ず、その答は言わなくても既に分かっているので反論すら出来ない。

 

「ここで話している間はアラガミがやって来ない訳ではない。自分達の持ち場につけ」

 

 ツバキから正論として言われると、二人もそれ以上は何も言う事は出来なかった。

 自分達だけではない。他の部隊のメンバーでさえも思うことは皆同じ。

 それ以上、何も言う事は出来ないままツバキが去るのを歯がゆい思いで見ている事しかできなかった。

 

 

「お前ら、ツバキは今まで目の前で何人の人間が死んでいったのを見たのか知っているか?」

 

 後ろからゲンさんこと、百田ゲンが集まっている皆に話し出した。

 

 

「ツバキは紛れもなく身内だ。お前たちよりも遥かに心配している。それ位は察しろ」

 

 普段は年齢と過去の経験から色々と口煩く言うが、こんな時にはしっかりとした考えと皆を黙らせる迫力があった。ツバキだけではない。古参と呼ばれる人間であればこその言葉の重みがそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 激しい悲しみとも怒りともつかないままエレベーターに乗り、他人の目の届かない事でツバキは激情に身を任せる様に壁を叩く。冷静にならなければとの思いと、ここで悲しむ暇があるならば、今出来る事をすべきと気を持ち直した直後、エレベーターに見慣れた一人の男が乗った。

 

「ツバキさん。ちょっと良いか?」

 

「どうした?」

 

「この後、リンドウの捜索で専門チーム以外に俺も出る。詳しい事が分かり次第に連絡する」

 

 乗り込んできたのはこれから技術班に行く為に向かっていた無明だった。

 公的ではないしろ、第6部隊として見えない部分をフォローしている事はツバキも知っているが、今回の件で思う事があったのか、珍しく表舞台に出て来た。

 

 

「今回の任務にはいくつかの不可解な点がいくつかある。しかし、その前にリンドウを捜す事を優先とする」

 

「すまない」

 

 何時も以上の重苦しいものを抱きながらも毅然と言い残し、そのまま技術班の階層に着くとエレベーターから降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄貴、リンドウさんが大変みたいだけど大丈夫なのか?」

 

 技術班でもリンドウの件は話題になっていた。

 あれほどのキャリアを持った人間でさえ、呆気なくアラガミにやられてしまう。そんな絶望とも言える衝撃が技術班にも走っていた。

 もちろん、リンドウ以外の他の神機使いの整備もするので、全員がそうだとは思っていなくても事実上のトップのロストに動揺は隠しきれない。

 

「俺も捜索に出る。暫くは出る事が多いから、今進めている事はそのまま任せる」

 

「それは構わないけど、最終的な判断は?」

 

「結果が出た時点で知らせてくれ。その時に判断する」

 

 

 そう言いながら自分の神機を取り出し、いくつかの装備を整えて出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よう、エイジ。具合はどうだ?」

 

「問題ないよ。と言うよりもここに居るのは大げさすぎるよ」

 

 

 エイジが医務室に運ばれてから約1時間。気を失っていたが特段大きな怪我をしていた訳でもなく、目を覚ませば特にやるべきことは何もないが勝手に抜け出すわけにも行かず、エイジはベットの上にいた。

 

 

「ケガが無いのは良い事だけど、今頃ロビーは大変な事になってるよ」

 

「だろうね。リンドウさんがあんな事になるなんて誰も想像してないだろうから、衝撃が大きいのかもね」

 

 現在の所、第1部隊はリンドウ、エイジ、アリサの3人が離脱、サクヤは何とかもち直しているが、ミッションにはまだ難しいと判断され実質凍結状態となっている。

 帰投してからまだ落ち着ける程の時間は経っていない。

 恐らく今日はこのままの状態が予測できるために暫定的な措置となっていた。

 

 

「サクヤさんの様子はどう?」

 

「部屋に閉じこもったままだから何とも言えないよ。目の前でのあれは流石に堪えるだろうね」

 

「そうか…ところでアリサは?」

 

 

 

 

 

 

 何気にそう言った途端、コウタの顔が曇りだした。

 

 

「アリサは今もあの時から変わっていないよ。鎮静剤で何とか落ち着いた感じらしいけど、今は面会謝絶の状態で詳しい事は分からない」

 

 その瞬間を見ていないとは言え、いくら何でもあの言動は異常とも言えた。

 仮に何かに怯えていたとしても、あの姿は尋常ではない。リンドウからもメンタルケアのプログラムが組まれている事を聞く事で知っていたエイジの中に、何となくだが疑念が生まれていた。

 

 専門の医師では無い為に、その疑念が何かは今のエイジには分からない。今は無理でも医務室を出たら一度会いに行こうとエイジは心に決めていた。

 

 

 

 

 



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第14話 疑問

 元々は身体に怪我があった訳ではないので、翌日になりエイジはようやく自分の部屋に戻れる様になった。

 

 医務室に居る時から、今回のミッションに関しておかしな所が無かったのかを振り返っていた。今回の件については結果はともかく、些か不明瞭な点が余りにも多すぎた。

 しかしながら一兵卒がそんな事に首を突っ込むのは果たしてどうなんだろうか?

 自分の関与できる範囲であればまだしも、それ以上の何かが影響するとなれば今の段階であれこれ考えるには判断すべき材料が無さ過ぎる。

 そう自問自答しながらも、答えの見つからない先を見ていた。

 

 長考しながら歩いた結果なのか、気が付けば目の前には扉があった。ここに来るまでに色々と考えすぎたのか、ここまでの記憶が無い。

 アリサはまだ医務室の中だと思いだし、せっかくなら見舞いにでもと足を向けた際に背後から年配の男性から声をかけられた。

 

 

「アリサならまだ面会謝絶だよ」

 

 声の主は以前、支部長室で見たオオグルマ・ダイゴ。

 相変わらず医者とは思えない風体で、どこか信用に置けない怪しげな雰囲気を纏っていた。

 

 

「今はまだ鎮静剤で眠っている。治療を施す所は今の段階でも見られたくないだろうから、改めてくれ」

 

 医者としての立場から言われれば、それ以上の反論や手だしは何も出来ない。

 通常の負傷ではなく、あくまでもメンタルの部分であれば、あとは回復した時に行くしか出来ない。

 今は他に手が無いと判断し、その場から離れれるも、このまま何もしないのも時間が勿体ないと思い、今度は久しぶりに技術班の友人の所へ行く事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リンドウの失踪から翌日、憔悴したままではと思える位には回復していたのか、サクヤは重い体を無理やり起こし、冷蔵庫から飲み物を取り出そうとすると、そこには何故かディスクが置いてあることに気が付いた。

 自身で置いた記憶が無ければこんな事をするのは一人しかいない。

 何かのメッセージが残されているのかとそう考え、サクヤはターミナルから中身を確認する事にした。

 

 中身を確認した事でサクヤは軽く混乱していた。

 幾つかのフォルダを見てみるも、どれもこれも当たりさわりの無いメッセージしか見当たらない。

 こんな内容がなぜこんな所にと思いながら、他のファイルを開こうとすると肝心の部分で腕輪認証プロテクトに阻まれる。たかがメッセージであれば、ここまで厳重にする必要は本来であればありえない。

 これ以上は危険だと頭の片隅で思いつつも今の状態を忘れ、サクヤは中身を確認する事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジか。珍しいな、どうしたんだこんな所に?」

 

 技術班についたエイジを友人でもあるナオヤは出迎えた。

 ゴッドイーターになってから、神機の受け取りで訪れる事はあっても、整備中の現場まで訪れる事はまずない。

 エイジ自身が来た事によって、何かが変わる様な事は無い。見た限りだと何をやっているのかも理解できず、下手をすれば迷惑になる事が多いのが原因となる。

 

 

「先日の撤退戦の際に破損したバックラーの調子はどう?」

 

 先日の襲撃した彫刻の様な顔を持つアラガミの名はプリティヴィ・マータ。本来は極東ではなくロシアなどユーラシア大陸の北部に生息している。

 今までアナグラでも交戦履歴は殆ど無く、今回の件で多数の種が極東付近にも生息が確認される様になっていた事から、討伐の件数が格段に増えていた。

 

 

「ああ、あれは見た目は問題なかったけど、根本のジョイントに大きなクラックが入っていたからそのまま廃棄だな。今以上に強化する素材だな」

 

 戦いの最中に気が付いた事だが、今回のアラガミと神機のレベリングは今までに無いほどアンバランスな状態だった。

 本来であれば上等兵レベルの神機であれば、プリティヴィ・マータは討伐の対象から自動的に外れる。

 

 いくら自分が使う物だとしても、性能に振り回された結果扱う事が出来ないのであれば無意味となり、その結果として戦場では致命的な隙を生む事になる。

 今回対峙したアラガミは恐らくは曹長以上の階級の神機レベルでようやく戦えるはずだが、今回はイレギュラーな部分が圧倒的に多く、その結果としては不釣り合いなマッチングとなった。

 

 

「守りもだけど、今後はもう少し刀身の事も考えろよ。身体能力に頼りすぎた戦い方だけだと無理があるぞ。このままだと任務遂行は厳しくなる。銃身はリッカ……任せた」

 

 ナオヤは銃身には関心が全くないと言わんばかりにリッカに丸投げする。

 リッカを見ればやれやれと言った表情。恐らくは短い期間ではあるものの、ナオヤの特性が身に染みているかのように感じられていた。

 

 

「あのさ。ナオヤも少しは銃身について学んだらどう?これからは新型が増えるだろうから両方の整備は必須だよ」

 

「一時期は確かに考えもしたが、結局の所は出来る人間に任せた方が効率的と判断したんだよ」

 

「技術班に配属された以上、私は先輩だよ。少しは人の言葉をもう少し聞いたら」

 

 リッカの正論に、このままでは段々と旗色が悪くなる。ナオヤ自身は学ぶ事はそんなに楽しい物ではないとの考えも持っているせいか、返す言葉の歯切れが悪い。

 だからと言って、立場で物事を言われれば、ここは素直に『はい』と言うしかなく、銃身に関しては今後の課題と言った所だろう。

 

 

「とりあえず、もう昼だからメシにしないか?エイジもまだだろう?」

 

 強引に話を切り替え、これ異常の追及をかわすしか手がなくなったのか、エイジに丸投げするしかないナオヤ。

 とりあえず感情の矛先を変えるのが成功したのかリッカも何とか思いとどまった………なんて事は無かった。

 

 

「ご飯食べたら、この続きだよ」

 

 そう言われ軽くへこんだナオヤだった。エイジはご愁傷様と心の中で手を合わせる。

 極東支部ではゴッドイーターとは違い、技術班の人たちは一般の社員と変わらない。

 配給はあるが基本は各自で持参する事になり、昼休憩で他のスタッフも続々とやってきた。

 

 

「エイジだったか。お前も一緒に食うか?」

 

 整備班の班長から声をかけられるも、このまま食事になるとは思わず手持ちは何もない。確かに取りに戻れば事足りるが、戻るのも面倒だと考えていた。そんな時に意外な人物から、ありがたいお言葉が出た。

 

 

「俺の少しやるよ。ちょっと今日は多く作りすぎたからな」

 

 声をかけたのはナオヤだった。彼は自炊する事が多く、昼は自分で作った物を持ってきていた。

 

 

「何だか悪いな」

 

「後でくれれば良いさ」

 

 エイジに手渡されたのは塩結びと梅干入りのおにぎり。

 流通がよくなったとは言え、未だ米は貴重品で一般に出回るも高額な物が多く、所謂、高級食材の部類に入っていた。

 

 何気に渡したのを見たからなのか、それを見て驚くのはリッカと班長。

 外部居住区に住んでいれば価格も価値もおおよそでも知っている。

 そんな貴重品にも関わらず簡単に渡すのはある意味驚きだった。

 

 

「なんでナオヤそんな簡単に渡せるの?」

 

「家帰ったらしっかりと食べる位は常備してあるけど?」

 

「ナオヤ、お前良いもん食ってるな。少し分けてくれよ」

 

「これ以上分けたら自分の分が無くなるからダメです」

 

 エイジの手にあるのは割と大きめのおにぎり。

 食べる分には何ら問題も無い。他のスタッフ連中を見てもレーションやパンが多く、中々ここまでしっかりとした昼食は持ってきていない。

 ついでに言えば、それとは別に漬物や、ちょっとしたおかずまでも持参していた。

 

「ナオヤ、少しは料理の腕上げたのか?」

 

「お前ほどじゃないけど、なんだかんだと毎日やってりゃ慣れてくるから腕も上がるよ」

 

 そう言いながらに、エイジがおにぎりを食べているのを見たリッカは他のゴッドイーター達も知っている関係上、ここまで料理のスキルがある人はサクヤとカノン以外に誰も知らない。

 

 リッカ自身も自炊はするがそこまで凝った料理を作る事はあまりない。

 出来る事なら作ってくれる人が居た方がありがたい。そう思いつつ、前に試食で食べたケーキの事を思い出し、先ほどの会話の事で疑問があった事を思いだした。

 

 

「ねえ、エイジもひょっとして料理とか作れるわけ?」

 

「兄様程じゃないけどそれなりに作れるよ。こんな仕事だからしょっちゅうって訳には行かないけど」

 

「お前のレベルでそれなりなら、俺なんて話にもならないぞ」

 

「そんなに凄いの?」

 

「俺の知る限りだと、下手なレストランなら裸足で逃げるかもな」

 

 確かこの二人は同じ所からアナグラに来ている。ナオヤからたまに出てくる単語の屋敷では一体何を教えているのだろうか?リッカは少しだけ興味を持った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりこれ以上は腕輪認証が必要だわ。リンドウは一体何を調べてたのかしら?」

 

 リンドウのディスクを発見してからのサクヤは、先ほどまで憔悴していたのは打って変わり、今回のミッションの考察と共に、この中身を見れば何かが分かるかと判断し解析を続けていた。

 

 幾つかの簡単なファイルは閲覧できても、肝心の重要な部分になるほどアクセスできない。

 肝心の部分が確認出来ないままでは何も解決しない現状にサクヤは苛立ちを感じ始めていた。

 

『やっぱりリンドウが見つからないとダメなのかな』そう呟いた言葉は誰の耳にも届く事無く空に消えた。

 

 

 

 



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第15話 真相と真実

 リンドウの捜索を開始してから既に3日が過ぎた。

 当初は現場を見て色々な可能性と行動予測範囲を検証しつつ、想定出来る所はしらみ潰しに捜索するも一向に見つかる気配が感じられない。

 

 現場検証で分かった事実は一つだけ。現場で確認出来たおびただしい血痕と破片の様な物が飛散していたら事から、リンドウのP53アームドインプラントは破壊か、若しくは捕喰されており、現在は生存確認のビーコン情報が読み取れなくなっていた。

 

 最悪、このままではどうなるのはゴッドイーターであれば誰もが知っている予測通りの結果となるが、以前手がかりは見つかりにくいままが続く。

 幸いにしてまだ死体らしき物とは遭遇していない事だけが唯一の救いだった。

 

 エイジが原隊復帰する事で第1部隊は凍結が解除され、ようやく日常を取り戻しつつあった。

 

 

「アリサの面会が可能になったみたいだよ。ミッションの後に行ってみないか?」

 

 受注したミッションは思いの他簡単に終わり、時間にもゆとりが出来た関係でコウタと二人医務室に向かおうとした時に、後ろから厳しくも聞きなれた声で呼び止められた。

 

 

「コウタ。お前の出した報告書だが、あれでは話にならん。もう少しまともに書け。あれでは上には出せないぞ」

 

 ツバキからの厳しく、あまりありがたくないお言葉。

 思い当たる節が有ったのか、コウタを見ると残念な位に落ち込んだ表情をしている。このままでは医務室どころか確実に深夜までかかる事だけは確実だった。

 しかしながら、この状況を打破できる根拠も気概もない。エイジも自分の分は直ぐに提出するが、他の人間の報告書まで手伝うつもりは無い。

 

 

「エイジ。悪いけど一人で行ってきてくれるか?多分、今日はもう無理だ」

 

 エイジにそう言い残し、コウタはまるで刑罰が決まった被告人の様に重い足取りで自室に向かっていた。あの調子だと深夜所か明日までかかる可能性も否定出来ない。

 気の毒とは思いつつも、今まであの報告書でよく何も言われなかったのかが不思議でもあったが、おそらくはツバキがフォローしていたが、改善の兆候が無かったのか、流石に堪忍袋の緒が切れたのだと本能的に判断した。

 

 ゴッドイーターの業務は単にアラガミを討伐するだけではなく、今後の情報収集も兼ねて、出現した内容や討伐の内容など、色々と細かく記載す必要がある。

 普段のデータの蓄積が最終的にノルンに記載され、今後の為に役立つ事になる。

 そう考えると適当な内容では今後に大きな影響を残す可能性がある。

 どうひいき目に見ても、今のコウタには残念ながら同情の余地は無かった。

 

 そんな事を考えつつ歩いていると、いつの間にか医務室の近くまできた。丁度部屋から主治医のオオグルマが出て来た直後だった。

 

 

「見舞いかい?さっき届いた鎮静剤が効いているから、まだ眠ったままだ」

 

 そう言われてなのか、開いたドアから覗けば確かに眠った状態となっている。しかしながら、このまま帰るのも何だと思いせっかくだからと医務室の中に入る事にした。

 

 医務室は誰も居ないのか、それとも見舞にも来ていないのか殺風景な雰囲気だけを残し、ベッドの上でアリサはただ眠っている。

 元々錯乱してただけなので、特に目立った外傷もなく、傍から見れば本当に問題があるのかと錯覚すら覚える様な寝顔だった。

                                                                 

                                             

 

 不意にアリサの手がベッドから零れ落ちるかの様に出たので、エイジは戻そうと手を触った。その瞬間に何かが強引に脳内に映像を送り付けた様な錯覚が走った。

 

 

「もういいかい?」

 

「まあだだよ」

 

 小さい子が何かの中に隠れてかくれんぼをしている風景。

 明らかに自分ではなく、だれかの視点から見ている様な。それでいてまるで映画か何かを見ている様な第三者的な感覚が頭の中に広がり視覚情報として広がる。

 そこにはただ仲の良い親子が遊んでいる様にも見えた。微笑ましく思った矢先に空気が変わり、状況が大きく一転する。

 

 

「アラガミが来たぞ早く逃げろ!」

 

 

 

 誰ともなく叫ぶ声。慌てて逃げている人々の中に、その子の親とも言えるべき人が目の前でアラガミに頭から食われ絶命したのだと唐突に理解していた。

 

 アラガミが食べているのは間違いなく先ほどまで人間であった物。

 まるでそれが当たり前だと言わんばかりの行為と共に、口から血がヨダレの様に溢れてるいるのか滴り落ちている。

 それと同時に声にならない悲鳴が頭の中に鳴り響く。

 

 これは一体何だと考えている間に、いつの間にか場面が転換していた。

 先程とは打って変わって、何かの施設内で映像を見ながら何かをぼんやりと聞いている様子。

 その声は最近どこかで聞いた記憶のある声。まるで脳の内側を舐めるかの様に一言一言がこびりつき、その声に逆らう事が出来ない。

 

 

「これが憎いアラガミ達だよ」

 

「これがアラガミ?」

 

「そうだ。君の両親を殺した憎いアラガミだよ」

 

 目の前に見せられたのは何かを映した画像。そこには先ほどの両親を食べたアラガミではなく、何故かリンドウの写真が出ていた。

 

 

「アラガミを倒す時にはこう唱えるんだ。アジン」

 

「один」

 

「ドゥバ」

 

「два」

 

「トゥリー」

 

「три」

 

 

 

 その言葉を口にしつつ、一つ一つ脳裏にゆっくりと時間をかけて記憶させる様に脳に刻み込んでいく。そんな場面を見ていると、視界はやがて白く染まった。

 

 

 

 気が付けば長い時間が経過していたかと思われたが、時間にして約数秒だと気が付いた。触っていたはずの手に動きが出たのか、本人を見ると眠っていたはずのアリサの瞼がゆっくりと開き、目覚めていた。

 

 

「貴方は確か…」

 

 その瞬間、背後で人の気配が大きく動く。振り返るとそこにはオオグルマが驚愕の表情と共に慌てて医務室から飛び出した。

 慌てて出たのか、それとも動揺していたのか周りには一切気を使う事も忘れていたのか、微かに声が聞こえる。

 

 

「まさか目が覚めるとは。感応現象の影響……このまま隔離した……分かりました」

 

 

 言葉の端々は聞こえないものの、どこかに電話してたのが徐々に聞こえなくなって行った。その単語の中には隔離と言った不穏な言葉が随所に聞こえる。

 その瞬間に先ほど見えた映像、そしてその会話、あの視線の謎が一気に理解できた。

 

 

 あれは医者なんかじゃない。まるで実験用モルモットを見るかの如き研究者の視線。

 治療とは名ばかりの行為で実際には患者ではなく、実験の被験者にしか過ぎない。エイジの思考が怒りで真っ赤に染まりそうになっていた。

 

 

 おそらくアリサは高度な洗脳技術を施されている。そう考えるとあのミッションは全てが疑惑となる。

 しかしながら、今のエイジの立場ではどうしようも出来ない。垣間見た記憶だけでは証拠にはならず、相手が誰なのかすら分からない以上、誰にも相談出来なかった。

 仮にこの場に無明が居れば相談出来るが、普段はアナグラに顔を出す事は稀である以上、頼る事も出来ない。

 この件を目覚めたばかりのアリサに伝えるのは色々と拙いとしか今は判断できない。仮に知った場合にどんな行動を起こすのかすら想像出来ない。

 今後の事でエイジは思考の海に潜っていた。

 

 

「……あの、手を」

 

 誰かの呼ぶ声と共に思考の海から引き上げられ、気が付けばアリサは真っ赤な顔でエイジに何かを言いたげだった。

 

 

「ご、ごめん。いつまでも握ってたみたいだ。嫌だったよね」

 

 慌てて手を放すが、この後に言われる言葉は辛辣な物に違いないとエイジは心の中で身構えていた。

 

 

「い、嫌じゃありませんが、恥ずかしいと言うか何と言うか」

 

 

 

 二人を今見た人がいるならば、言葉こそ無いがこれから愛の告白をするかの様な真剣な雰囲気。視線に意識は向いていないが、今のエイジはアリサの顔を凝視している様にも見えた。

 見知った人であれば、驚きに満ちた現場となっていた。

 

 この状態に漸く気がつき、二人とも顔を赤くしたまま沈黙が長く続いたかと思われた。

 

 

「き、今日は何も持ってきてないから明日、見舞いの何かを持ってくるよ」

 

 

 

 動揺を隠しきれず、慌てふためいた状態で自己弁護するかの勢いで話す。

 普段の人となりを知っていれば、おそらく今までに見たことも無い様に顔を赤くし、動揺を隠しきれていない事がハッキリと見て取れた。

 

 

「とりあえず、みんなには目が覚めた事を伝えておくよ」

 

「は、はい」

 

 言い逃げるかの如き勢いでエイジは医務室を出た。しかしながらオオグルマのあの言葉と今までに聞いたことの無い感応現象と言う名。

 そしてその垣間見たアリサの記憶。色々な事が一度に起き過ぎた為に思考がまとまらない。

 まともな考えならば、この時点で首を突っ込まず静観した方が良いはずだが、先ほどの映像が脳裏から離れない。

 

 それを解決する方法は一つ。知っていると思われし人間に聞くのが手っ取り早い。そう考えエイジはラボに足を運んだ。

 

 

「榊博士、今少しだけ時間をよろしいですか?」

 

「エイジ君か。一体どうしたんだい?」

 

「参考にお聞きしたいんですが、感応現象って何ですか?」

 

 その言葉を発した瞬間、榊の顔色が少し変わるのを見逃さなかった。

 ここから想定できる事は碌な事ではない。そう思いつつ、少しだけ相談したことを悔やんだ。

 

 

「一体誰から聞いたのかな?それはまだ研究途中の話で一部の人間しか知らない話なんだが?」

 

 ここまで言われて初めてエイジは自分の短絡的思考を悔やんだ。

 今の状態であればアリサの事を話す事になるが、万が一榊博士が今回の事件の黒幕と仮定すれば、もはや犯人に対して直接確認するのと同義になる。

 だからと言ってその事を隠して説明する事も出来ず、このまま撤退する事も不可能だった。

 

 

「実は、先ほどアリサの見舞いで……」

 

 流石に見た記憶は話す事が出来なかったが、最低限の事を伝えると榊は何かを考える素振りと共に話出した。

 

「実は感応現象に関しては、現在研究中でね。新型神機使いでしか確認されていないんだけど、この件に関しては本部でも実験したんだが、肝心の現象が起きていないから検証のしようが無くてね。出来る事ならもう一度やってもらえないだろうか?」

 

 想定していた答えではなく、榊博士自身さえも確認できない現象。肩を落とし若干落ち込み気味のエイジに、榊はお願いするかの様に肩に手を置いた。

 

 

「悪いけど、もう一度やってもらえないかな?」

 

「え?」

 

 先ほどのオオグルマの目とは違う、まるで新種の実験動物でも見つけたかの様な眼差し。今度は違う意味で拙いと判断し、何とかその場を誤魔化し逃げる事にした。

 

 

 

 

 

 



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第16話 追跡

 リンドウの失踪から1週間が過ぎようとしていた。

 捜索チームも色々と探すものの神機がメインの為なのか、それとも真剣に捜してこの結果なのかは無明には分からない。

 このままでは最悪は死亡、良くてアラガミ化の最悪の二択になる。このままでは時間的にも厳しくなる事が確実に見え始めてきた。

 

 あの現場を見た限りでは、腕輪も神機も何も出てこない。あったのは何の血なのかすら判らない程のおびただしい血痕のみ。

 乾き具合を見ればそれなりに時間が経っているのが簡単に理解できた。

 

 過去の事例から考えると、このままアラガミ化に一直線となる可能性が高く、そうなると誰かが始末するしかなくなる。

 実際にアラガミ化した神機使いの末路は一つだけしかない。かつて仲間と呼んでいた者達から攻撃されそのまま絶命するしかなかった。

 

 見たことも無いアラガミならともかく、かつての戦友を自身の手で始末する事は中々出来る事ではない。

 他の支部では今迄に何度か報告されていたが、与える影響が大きすぎるのか、手を下したゴッドイーターはその後変調を来す事が多く、その結果として望まない退役となる可能性が高いのはデータで証明されている。

 ここ極東支部では幸か不幸かそのままアラガミに食われて終わる事が圧倒的に多く、そんな機会に遭遇する事がほぼ皆無だった。

 

 仮に見つけたとしても、今回の対象者はアナグラの精神的支柱でもある雨宮リンドウ。

 誰かが手を下すにしても、恐らくおいそれと実行できる人間はアナグラには居ない。一刻も早くリンドウを見つけないと、命の砂時計はもう僅かしか残っていない事が容易に想像できた。

 

 

 

『まだ、お前を始末したいとは思わない。生きていてくれリンドウ』

 

 

 

 手掛かりすら見当たらないこの状況に、無明は誰もいない空間で一人つぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄貴が戻らないのは今に始まった事じゃないけど、何か聞いているか?」

 

 技術班でナオヤはエイジと話をしていた。リンドウの捜索に時間がかかっている事だけではなく、今の現状を考えれば大幅な戦力ダウンは極東支部としても良い物ではない。

 心配はするが手を止めても仕方ない。非情な考えではあるが、リンドウの不在を嘆いた所で解決出来る内容で無い以上、どこかで線引きする必要が出てくる。

 そう考え、エイジ自身も撤退戦以降は自身が扱う神機を集中的に強化する事を前提にミッションに専念する事にしていた。

 

 

「いや、何も聞いていないかな。何かあれば教えてくれるとは思うけど、今の所はサクヤさんの事もあって口に出すことも少ないね」

 

 最近のミッションでは固定メンバーで出撃する事が多く、その中でもサクヤの状態が芳しくない事もあり、現在は軽々しく口にはおいそれと出せない雰囲気があった。

 

 

「だったら仕方ないな。エイジ、お前強化は切断に力を入れる方向で良いのか?」

 

「ああ、それで良いよ。最近になってボチボチ慣れてきたけど、まだ足りない気がするからね」

 

「そうか。じゃ、もう少しそっちに振る形で強化だな」

 

「そうしてくれるならありがたいけど、素材はそれで足りる?」

 

「今の所は大丈夫だ」

 

 

 そんな事を話していると、エイジの通信機が鳴り響いた。

 

 

「悪いけど、後は頼むよ」

 

 

 そう言い残し、通信機を確認後ロビーへと向かった。

 

 

「今日から原隊復帰しますのでよろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 アリサがようやく落ち着いた事で認められたのか、以前とは違い高圧的な雰囲気は消え去り、まるで憑き物が落ちたかの様な雰囲気となっていた。

 アリサの身に何かがあったからなのか、傍から見ても随分と落ち着いた様に思えていた。

 

 

「新型の片割れ、今日からだってな」

 

「リンドウさん見殺しにしたやつだろ?結局の所は口だけじゃねえか」

 

「あそこには死神もいるからな。まるで死の部隊だ」

 

 どこからか嘲笑とも揶揄ともとれる発言が聞こえた。今回の件はいきさつはともかく、結果は他の部隊のメンバーやスタッフにまで広まっていた。

 

 今回の事件の核心部分を知っている人間は、感応現象で知る事が出来たエイジしかいない。これまでのアリサの言動からすればある意味仕方ないと思える部分はあるが、それはあくまでも何も知らない場合の話。

 

 何も知らない人間が無責任な発言をする事をエイジはこれまでの経験から快く思っていない。

 それは当事者でもあるアリサでさえ何も分かっていない事実がそこにはあった。

 当然事情を知らない人間は理解する事も無いまま、心無い言葉がそのまま口から出ていた。

 病み上がりにこんな声はとてもじゃないが聴けた物ではない。アリサは今までの言動を悔いるかの様に、手を握りひたすら耐えた。

 

 

「他人を貶めるのはそんなに楽しいか?」

 

 恐ろしい位に低くロビー全体に聞こえる様な声が、今まで嘲笑してた神機使いの動きを止めた。

 止まったのは神機使い達だけではない。その場に居たスタッフでさえも、その状況を確認するかの如く動きを止める。

 その声を発したのは今までに見たことも無いような顔をしたエイジだった。

 

「他人を貶めるほどの価値があるならお前たちはさぞ立派なんだろうな?まさかとは思うが自分達が出来もしない事を人に押し付けて、自分たちは大丈夫なんて人間のクズがやる事だ。お前たちにその資格はあるか?」

 

「元々はそいつが原因なんだろうが!新型同士馴れ合ってるのか?」

 

「質問の答になってないぞ。もう一度聞くが、お前たちにそれを言う資格があるのか?大好きな実力で言うなら、お前たちはアリサの足元にも及ばないだろ。新型だから数字が良いと考えるなら、近い将来足元を掬われるぞ」

 

「お前には関係無いだろうが」

 

「言いたい事はそれだけか?」

 

 エイジと言う人間を理解していたはずのコウタが驚いた表情で見ている。

 遠巻きに見ていた他のスタッフ達も何事かと思い様子を見ていたが、今までの言動を知っている人からすればこの変貌は驚愕以外に当てはまらない。

 

 

「何も知らない人間が、人の尊厳を落とし侮辱するならお前たちの明日は無くなるぞ」

 

 普段からは考えられない程に冷たく響く声に、嘲笑していたゴッドイーターがそれ以上口を開く事が出来ない。鋭い真剣を首に突きつけられた様な雰囲気に、周囲は何もする事が出来なかった。

 

 

「エイジ。それ以上はやめろ。お前がそこまで堕ちて行く必要はない。そんな奴らはほっといても勝手にくたばるのがオチだ」

 

 それ以上は拙いと判断し、その場を収めたのが以外な人物ソーマ。

 普段から死神と揶揄されても、自身はその場で暴れるだけで済むが、他の人間が絡むとなれば話は別問題となる。

 今まで極力人と関わらない様にしていた人物からの一言は重みがあった。

 

 これ以上この場に居る事がいたたまれなくなったのか、一番最初に言った人間はおろか、他のスタッフ達も持ち場に戻った。

 

 今の言葉は守ってくれたんだと気がつき、アリサは暖かい気持ちが胸に広がっていた。だからと言って、このままではダメだと心がざわめく。

 そうならない為にも今は言わなければならない事があった。

 

 

「今までごめんなさい。これからは心機一転でやりなおします」

 

 他の誰でもない、アリサの真摯な気持ちだった。この事でひょっとしたら何か言われるかもしれないと、アリサは心の中で内心怖くなったが、発した言葉は戻らない。

 次に何を言われるのか内心ビクビクしていた。

 

 

「アリサは気にしなくても第1部隊にはそんな嫌な事考えてるのはいないよ」

 

 他の誰でもない発言をしたのはコウタだった。

 色んな所で適当な所もあるが、人の心情をしっかり汲み取りそれを元に考える。

 そんな人を思いやる考え方を持っていた。

 

「誰だって言いたくない事や、やりたくない事は沢山ある。自分の気持ちなんて案外気が付かないんだ。もし気が付くならさっきの連中だって言う事なんて出来ないよ。それにしても、さっきのエイジは怖かったよ。一瞬誰かと思ったよ」

 

 温厚な人間が怒る事は殆ど無いのだろう。しかもエイジに対して妬みはあっても人間的には嫌な感情を持つ方が圧倒的に少ない。にも関わらず、先ほどの物言いは明らかに別人の様だった。

 

 

「流石にあそこまで言われて気持ちの良い物でも無いよ。アリサが態とやったなら話は別だけど、あれは事故みたいな物だし、他に誰かがいてもあの状況をひっくり返す事は出来ないからね。むしろソーマの方が意外だったよ」

 

 まるで人を殺す事すら厭わない程の冷徹な表情が一転し、何時ものエイジに戻っていた。

 今まで静観を決め込んでいたソーマも自分の事に触れられるのは本意ではないのか、ギョッとした顔は一瞬したものの、すぐさま元に戻り今は平然としている。

 そんなやり取りをしていると、今まで黙っていたアリサが意を決したかの様に口を開いた。

 

 

「もう一度戦い方を教えてほしいんです」

 

「アリサもう強いじゃん。何を教わるの?」

 

 コウタの意見はもっともな事だった。演習や模擬戦で成果が出てる以上、そのレベルから何かを学ぶ事は少ない。仮に出来たとしても今の自分ではなく、更に上のレベルの人間に師事するのが一番手っ取り早かった。

 しかし、真剣なアリサの目を見て断ると言った考えが今のエイジには出てこなかった。そんな考えを察したのか、退路を断ったのかアリサは続いて言葉を発した。

 

 

「誰かを守って支える事が出来る力が欲しいんです」

 

「僕でよければ」

 

 アリサのその一言がエイジの決断を後押しした瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第17話 救出

 無明はリンドウの捜索から10日程が経過し、色んな意味でのリミットが近づいている事を感覚的に知っていた。

 

 

ゴッドイーターの超人的な力はアラガミの偏食因子を取り込むことで常人以上の力を発揮する。

しかしながら誰でも簡単に出来る訳ではなく、常時アポドーシスとしての偏食因子の摂取が必要とされ、それがバランスを取る事で保たれているのはゴッドイーターの常識だった。

 

本来人間はアラガミの偏食因子を持たない為に、適合試験の際に摂取したオラクル細胞はここで初めて活動を開始する。

 オラクル細胞を投与された事により、偏食因子は新たな宿主として一個の生命体の本能で判断する事により、自己の生存競争に勝ち残り少しでも生き延びる為に元来より持つ器としての肉体の最適化をし、宿主でもあるそこの肉体を生かそうとする働きを促す。

 則ち器としての肉体と宿主としての主導権争いにより、どちらが主導権を握るかの生存競争が始まる事になる。

 

 

 アポドーシスとしての対抗する偏食因子が無ければバランスは時間と共に一方的に傾き始め、やがて完全に肉体を蝕めば最早人間としての自我を保つ事が出来ず、その結果として人間の肉体を完全に捨て去り、進化させるべくアラガミ化し始める。

 それが人としての終わりでもあり、アラガミとしての始まりでもある。そう考えると、日数的にはかなり危険な状態に突入していた。

 

 当初は見つける事が大前提ではあったが、ここまで来るとむしろ、見つかった状態がどうなっているのかによっては残酷な決断に迫られる可能性があった。

 

 シミュレーションする事によってあらゆる可能性を考えつつ索敵していると、不意に何かが視界の中に飛び込む。それが一体何なのか確認すると、そこには今までに見た事も無い漆黒の羽がいくつか落ちていた。

 

 無明はこれまでに色んなアラガミと対峙してきたが、この漆黒の羽を見たことは未だかつて一度も無かった。

 この非常事態に新種のアラガミの出現は芳しい物では無い。普段であれば研究の対象となる可能性はあったが、今の時点ではすべてに於いてマイナスの要因しかなった。

捜索と研究。現状での優先順位は比べる必要性が最初から無い以上、今はリンドウを捜索するのが最優先である以上、この羽は黙殺する必必要があった。

 

 羽が落ちていた周辺を見渡せば、まだ霧散していないアラガミがいくつか横たわっていた。

 切り口を見ればまるで神機で斬られた様にも見えるが、現時点で探索中の区域に神機使いによる任務がアサインされていない以上、ここには誰も居ないはずだった。

 一体誰がと考える間も無く、そこで何かがあると言わんばかりに少し先で、聞こえるはずの無い戦闘音が辺り一面に鳴り響いていた。

 

 

「あれは……」

 

 戦闘音の元はクアドリガ堕天とプリティヴィ・マータと戦っていたリンドウだった。戦闘音から判断出来なかったがリンドウの様子が何かおかしい。

 原因は不明だが、明らかに違和感しか感じる事が出来ないが原因が不明のままに現場に踏み込む訳にも行かず、今は静観する事以外には何も出来ない。

 

 戦いを見ているとリンドウの手には従来装備していたブラッドサージではなく、バスターらしい神機を振り回している。違和感の正体は本来の装備ではなく明らかに違和感しか湧かない神機を使っていた事だった。

 

 本来であれば、事前にしっかりとした準備をしない限り、この2体を相手に1人で戦う事はリンドウと言えど、困難を極める。

 しかしながら、目の前でリンドウの戦っているところを見れば優勢にこそなるが、劣勢には程遠く、動きもいつも以上に動いていた。

 

 いつもの様な動きは見る影もなく、また本来のゴッドイーターとしての動きではなく、むしろ本能で戦っている様にも見えた。本来であれば加勢するのが一番だが、今の現状を確認しつつ今後の対応を考える必要がある以上、この戦闘場面は色んな意味での情報収集の場と化していた。

 

 ゴッドイーターとしてリンドウと組んだ月日はそれ程長くは無いが、それでも戦い方は知っているつもりだった。しかし、今目の前で戦っているリンドウの動きは明らかに従来の動きとは掛け離れ、一匹の獣が目の前にいるアラガミを餌として見ている。

 

 改めて見るリンドウは正に異形とも言えた。禍々しい神機らしき物を振るっている右腕は既にアラガミ化の兆候が出ているのか、人間の腕では無い。恐らく先ほどの黒い羽根は右腕から生えていたのだろう。振り下ろす度に羽根が舞い散るかの様に抜け落ちる。

 

 アラガミ化の代償なのか、従来よりも攻撃の火力が大きくなった様にも思えたていた。

 僅かな時間に2体のアラガミの結合崩壊が一気に起こる。仮に、このミッションを通常の部隊が受注したとしても、ここまでの早さで結合崩壊を起こす事は有り得ない。

 本能の赴くままの攻撃はある意味今後の事を一切考える事が無く、それでいて儚いとも思える様にも見えていた。

 

 時間にしてどれ程経過していたのだろうか。ほどなくして、2体のアラガミが倒され、霧散し始めた時にリンドウの様子が一転した。

 

 戦闘場面では本来以上の力を発揮するも、決して体までが異常なレベルで頑強になる訳ではない。先ほどの戦いは明らかに身体能力を逸脱した動きを見せている。

 本来であれば身体を保護する為にリミッターが働くはずだが、まるで自身がどうなろうと無視するかの様に動いていれば、今後の動きが予測される。

 

 過剰な動きは体を蝕み、やがて動くことすら困難となる。

 いくら偏食因子で体が強くなっても、その限界を超える事は必ずしもイコールではなく過剰な力は諸刃の剣となって、やがて自分に返って来たが故の結果なのは明白だった。

 

 様子を確認すべく近寄ると、戦いの際に見えた力強い生命力は消え去り、明らかに虚ろな表情をしている。目の焦点は既に若干揺れている影響もあるのか、目の前に居る無明の姿を視認する事が出来ていない。恐らくは意識が混濁しているのだろうそれは、放っておけばどうなるのかが分からない様な状態だった。

 このままでは拙いと無明は判断し、リンドウを抑える。

 

 

「リンドウ。意識はしっかりと取れるか?」

 

 無明の問いかけに、何となくぼんやりとした状態から、何とか聞こえる程度の返事が返ってきた。

 

 

「時々・・・分からな・・・くなる。無明・・・はなぜこ・・・こに?」

 

 やや混濁気味ではあるが、何とか意識はある事に無明は内心安心するも、今のままではやがてアラガミ化するのは時間の問題だった。

 既に右腕は人間のそれではなく、完全にアラガミの腕へと変貌している。

 そうなれば確実に始末する事になるが、今ならまだ間に合う。そう考え一つの決断を促すべく、リンドウに問いかけを続けた。

 

 

「今から薬剤を投与する。このままではどうなるか分かるな?死ぬ気なら介錯はするぞ」

 

「馬鹿・・・言う・・・な。まだ・・・何も達・・・成して・・・いな・・・い。このま・・・までは・・・心残り・・・以外に・・・何もな・・・い。お前を信・・・じるから・・・後は・・・頼ん・・・だ」

 

 その一言で無明は持ち歩いていた薬剤をそのままリンドウの首筋から注射器の様な物で投与した。透明な液体がリンドウの体内に注入され、その効果が急激に発揮される。

 

 今までリンドウが持っていたはずの神機らしきものはいつの間にか消え去り、体のあちこちにあったアラガミ化した物質も時間と共に剥がれ落ち、体表に出ていた兆候はいつの間にか消え去っていた。投薬の効果は問題なく発揮された影響なのかリンドウは意識をその場で手放してした。

 

 

 本来であれば、ゴッドイーターの腕輪には当初摂取した偏食因子を制御するべく、随時偏食因子を抑える働きがある物質が所有者に投与される。

 今回の襲撃で腕輪そのものが破壊されたのか、リンドウの右腕に本来あるべきものは存在していない。その変わりなのか手の甲に青く光る物質が鈍い光を出す事で存在感を示している。

 この場でそれが何なのかは分からない。恐らくリンドウに聞いた所で本人も理解は出来ないのだろう。

 

 このまま考えた所で何かが分かる訳では無い。その為にはしっかりとした研究資材がある場所で検査する必要がある。そう考え、無明は一刻も早く屋敷に帰還する事にした。

 

 

 

 

 



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第18話 就任祝い

 アリサとのミッションから数日が過ぎる頃、アリサ自身が勘が戻ってきたのか、漸く以前の頃へと戻りつつあった。

 当初はリンドウが不在のままの運用に、心配される場面はあったが、結果的には杞憂に終わると同時に、第1部隊として通常業務に戻りようやく落ち着きを見せ始める様になっていた。

 特段トラブルも無く、安定した運用をし始めた頃に珍しくツバキからの招集がかかった。

 

 

「ツバキ教官が招集かけるなんて珍しいな。何かあったのかな」

 

「う~ん。あんまり良い予感が感じないけど、アリサは何か知っている?」

 

「何も知らないです。と言うか、知っていてもコウタには教えません」

 

 一時期の態度よりも軟化したとは言え、相変わらずコウタに対してのアリサの態度は辛辣な物だった。

 

 2人のその後ろでやり取りを見ていたサクヤは苦笑しながらも、今までにそんな招集が殆ど無かった事に対してに疑問を持ち、情報の確認の為に何気にソーマを見るも、自分には関係ないと言わんばかりの態度をとっていた。

 

 

「全員集まったな。今回の招集だが、この後のミッション完了後に如月エイジ、貴官を第1部隊の隊長に任命する」

 

 今回の招集で何かがあるとは思っていたが、ここでまさかの人事異動。

 この昇格人事に関してエイジ自身は何故?と思うも、他のメンバーは今回の任命に対しては、ある意味当然と思っていた。

 

 エイジは気がついてないが、ここ最近のミッションでは建前としてはサクヤか副隊長である以上、現場での指揮統制をする事になっているが、アリサとのミッションが多かった事から自然とコウタも含めて細かい指示を出す事が多かった。

 他の人間であれば階級や何かと言う事があるかもしれないがこの第1部隊は実力が全て。部隊運営に関しての報告はサクヤから逐一ツバキの耳にも届いていた。

 

 

「凄いじゃん。大出世じゃん。これって確か下剋上だっけ?」

 

「それ裏切りですよ。コウタはもう少し勉強したらどうですか?まあ、それ以上馬鹿にはならないと思いますが。今回の任命は当然だと思いますよ。ねっサクヤさん」

 

 さりげなくコウタに毒を吐きながらも、この人事に関しては反対するつもりはアリサには無い。ただでさえ自分の我儘に付き合ってもらってる以上、この話は喜び以外の何物でもなかった。

 アリサから話を振られるも、考え事をしていたサクヤは慌てて肯定する。

 

 

「俺には関係ない話だ。これ以上何もないなら帰るぞ」

 

 ソーマは相変わらずの平常運転。自分には全く関係無い上に、今回の人事に関してはまるで他人事だと言わんばかりに部屋に戻ろうとしている。

 

 

「良いかお前たち、あくまでもこのミッションの後だと言うのを忘れるな。話は以上だ」

 

「何にせよ、この後のミッションが終わればならサッサと終わらせようぜ」

 

 まるで自分の事の様に喜んでくれるコウタをほほえましくも思いながらも、ミッションを受注する事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リンドウの件ですが、現状は屋敷に置いてあります。発見当時の状況を考えると、最悪の状態は回避できていると判断できますが、現状はオラクル細胞の暴走がまだ収まっていない影響からなのか、意識そのものが回復する気配は無い様なので、とりあえず寝かせたままにしてあります」

 

 

 無明は極秘裏に屋敷にリンドウを連れてきたが、投薬して以来目を覚ます事は無かった。

 本来であれば真っ先にアナグラに報告して公表すべきかと思われたが、昏睡状態から覚まさない以上、このまま報告しても万が一の際には多大なる影響を鑑みると公表する事は避けられた。

 しかしながら、このままも秘匿し続けるのも問題があると判断し、無明は榊とツバキにのみ現状を報告していた。

 

 

「君の見立てだと、どの位で目を覚ましそうだい?」

 

「本来であればそろそろだと考えられますが。問題なのはリンドウの手についている青い物体とオラクル細胞との親和性が原因かと思われます。だからと言ってこのままである可能性も否定は出来ませんが、恐らく可能性は低いでしょう」

 

 普段であればここまで言い切る事は少ないが、珍しく言い切った事に榊は興味を覚えていた。

 

 

「ほう。それは興味深いは話だね。で、その根拠は?」

 

「この青い物質が本来ゴッドイーターの制御でもあるアーティフィシャルCNSの代わりをしている影響でアラガミ化は緩やかに進んだかと判断できますが、今までに見たことも無い物質なのでそれ次第です。データは後日秘匿回線で博士の端末に送ります」

 

「分かったよ。それを見て経過を判断するしかないようだね。それと、ツバキ君はどうするかい?」

 

 

 ツバキが現在唯一の肉親である事に変わらない。今までの事を考えれば喜ばしい事に間違いはない。

 しかしながら、これを公表すべきかと考えれば答えはNOと言わざるを得なかった。

 今はエイジが隊長に任命されている以上、下手な希望と万が一の事を考慮すれば動揺を起こすのは得策ではない。となれば自ずと答えは出てきていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回のミッションは割と楽だったね。俺もそろそろ出世を狙えるかな?」

 

「その前に試験の結果はどうだったの?」

 

「それは聞いてくれるな。やっぱり勉強しないとダメかな?」

 

「あれをどうやって勉強するかなんて意味ないと思うけど、習うより慣れろの気持ちで良いんじゃない?自分も隊長なんて言われても自信無いから」

 

 今回のミッションはエイジ、コウタ、ソーマの3人でのミッションだった。

入隊直後の事を考えれば、今回のミッションは簡単に終わるレベル。なんだかんだと簡単に討伐が完了し、討伐の時間は当初想定していた時間を大幅に短縮していた。

 既に物資の探索も終え、現在は帰投準備中での待機だった。

 

 

「そう言えば、一時期に比べるとマシとは言え、最近は配給品の方が市場よりも品質が悪くなってない?」

 

 

 極東支部は世界でも有数の激戦区でもあると同時に、ゴッドイーターの実力も他の支部に比べると圧倒的に戦力の差が大きくなっていた。

 実力のある者は腕試しと称して極東支部への配置転換を希望しているが、各支部の思惑もあってか、現実問題として希望する配置につける事は極めて難しい状況となっている。

 

 完全実力主義のゴッドイーター全員が希望している訳ではない。

 もちろんその背景にはここ最近のゴッドイーターに支給される配給品の中身やその待遇、あらゆる物が以前に比べて劣っていた。

 

 極東支部は物資の受給よりも支給する側な事も影響してなのか、本部からの物資の支給比率は少なく、自給出来る事から品質は居住区と言えども充実していた。

 他の支部の居住区の住人は極東支部の事は分からなくても、前線にいるゴッドイーター達はその待遇の差を実感していた。

 

 

「みたいだね。自分では配給品を受け取る事は殆ど無いから気にしたことはないけど、今はどの位のレベルなの?」

 

「最近だとレーション関係は特にひどいよ。あのプリン味のレーションなんてただ甘いだけで、気持ち悪いレベルだから食べれたものじゃないよ」

 

 

 いくら物資が豊富でも、食材をそのまま食べる事はあまりない。そうなると必然的にレーションなんかの調理済み食品を食べる事になるが、極東でも自炊する人間は以外と少なく、自分で作るなら簡単に食べた方が効率が良いと判断するのは、ある意味明瞭な回答だった。

 

 

「コウタは自分で作らないの?」

 

「いや~正直作ったことないんだよね。家だと母さんが作ってくれたから、今更作るとか考えるのは無いから」

 

「最初は誰だって初心者だよ。失敗しながら慣れて上手く作れるようになるよ」

 

「そうだ、今度時間あるときにエイジの就任祝いでパーティーやらないか?」

 

「それって、さっきのレーション持ち込みで?」

 

「いや、それは勘弁してほしい。エイジ作れるなら頼んだ」

 

 

 

 手を合わせて頭を下げ、懇願するコウタを見て少し冷静になれたのかもしれない。この流れでなぜか自分の就任パーティー料理を自分で作ると言う発想に、どうやったらたどり着くのかエイジには理解できなかった。 

 それならばと他に作れそうな人間に頼んだ方が良い様にも思えた。

 

 

「ちなみに他に作れそうな人に頼んだ?」

 

「サクヤさんは何だか忙しそうだし、アリサに聞いたら無言で挙動不審だった」

 

 

 どうやらこれは詰んだ状態なのは確実だった。サクヤはともかく、アリサは以前にミッションの最中にそんな話が出てはいたが、そこから話が全く進んでいない。

 コウタの回答が現在に至る事で容易に分かった。

 

 コウタも恐らくは、先ほどの配給品から今のパーティーまでが一連の流れで、偶にはうまい物が食いたいと思っただけなんだろう。

 

 

「分かった。今ある材料で何か作るよ。好き嫌いは一切聞かないからね」

 

「好き嫌いなんてないよ。あとはいつにするかだな。そうだソーマもどう?一緒に食べないか?」

 

「断る。馴れ合いは好きじゃない」

 

 

 そう言いつつ、その場を去ろうとした所で引き止めるかの様にエイジはソーマの肩を抑えた。

 

 

「就任じゃなくても、たまには皆で親睦を兼ねて食事も悪くないと思うけど?」

 

 

 エイジは笑顔で話してはいるが、肩に置かれた手に込められた力と、そこには有無をも言わさない迫力があり、さすがのソーマも若干たじろいだ。これ以上は何を言っても無駄と若干諦める事で仕方なく参加する事を決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第19話 作成秘話

 コウタからの提案があった就任祝と言う名のパーティーを開催するにあたって、どうしても困るのが作る為の人手。どれだけ食べるか、実際には何人が参加するのかを想像する事が出来ない為に、せめてもう一人位は人材の確保が必要となる。

 そうなると今の現状から考えればエイジの中では一人だけ心当たりがあった。

 

 

「ナオヤ、今度の週末は暇だよな?」

 

「急にどうしたんだ?しかも暇だって決めつけるな。俺にも予定の一つ位はあるぞ」

 

「そう言う事にしておくよ」

 

 心当たりはエイジの中ではナオヤしかいなかった。時間をかければ該当する人物が出る可能性ほあるかもしれないが、基本的には気心知れた人間が集まるのであれば、自ずと人選は限られていた。

 

 何の前触れもなく突然そんな事を言われれば、まずは内容とその根拠を確認したくなるのが心情。余裕が無いのか慌てているのか、このままでは会話がままならない。そう判断してまずは落ち着かせる事にした。

 

 

「コウタの発案でそうなった。だからと言って一人で作るには時間的には厳しいから手伝ってほしい」

 

「だったらそう言えよ。それなら構わないけど、それだと普通は皆んなで持ち込んでやるんじゃないのか?」

 

 

 ナオヤの言い分は至極当然の事ながらも、なぜそうなったのか理由を話すとナオヤは半分呆れながらも納得してくれたようだった。

 

 

「まあ、よくある話だけど、少しお人好しすぎるんじゃないのか?せめて教えるとか、手段は他にもあるだろうに」

 

「最初はそう思ったけど、時間が無いのと食材は有限だから合理的に考えた結果だよ」

 

「料理の方向性が違うけど良いのか?」

 

「とにかく食べれれば大丈夫だよ。それ位は承知してるよ」

 

 

 男二人が話しているには若干引き気味にもなりうるが、こればかりはどうしようもない。いくら雁首揃えた所で出来ない人間が何人いても足手まといにしかならないのもまた事実だった。

 このご時世で、女子は家事が出来るなんて妄想は恐らくは旧時代の遺物でしかないのだろう。おおよそ答えらしい答えが無い物に時間を割く訳にはいかない程にゆとりは無かった。

 

 

「二人で何をコソコソ話しているのかな?」

 

 二人が話している後ろから聞こえたのは、確認するまでもなくリッカだった。休憩時間とは言え、話が聞こえてくる以上はとりあえず首を突っ込んでみる事が何かと多い。

 特にこの二人であれば、他の人間とは違い、割とまともな話をしている事が多いと過去の経験から学んでいた。

 

 

「なぁ、リッカって料理とか作れる人?」

 

「ナオヤ、君は誰にそんな事を言っているのかな?」

 

「気分を悪くしたなら謝るけど、実際の所はどう?」

 

 これまた旧時代では聞かれる事があった女子力と言う物が試されているのだろうか?それとも今の会話の中で何か必要な事があるだろうか?リッカとしては答えに詰まる。

 

 リッカ自身は全く作れない訳では無い。単純に普段の食生活を見ているとナオヤの方が残念な位に上のレベルの食事を作れる事をリッカは知っていた。

 しかも、この問題は確実に何かを求められている。そうなると摩訶不思議な回答でお茶を濁すのが得策だと判断した。

 

 

「そうだね。物によるかな」

 

「だとさ。やっぱり期待する方が無理じゃないか?」

 

「仕方ない。後は有り合わせで何とかするしかないよ」

 

 この答えだと、どうとでも答える事ができ、しかも具体的な内容は一切提示していない。そう思いながら二人の顔を見るとそこには……残念そうな表情の二人がいた。

 そんな二人の表情を見て、さすがにリッカも面白くは無い。まずは一体何が目的なのか?それを確認するのが先決だった。

 

 

「で、何のために聞いてきたのかな?」

 

 

 今のリッカの表情には間違いなく般若のごとき鬼の気配が見える。顔は笑顔だが目は決して笑っていない。

 今何を考えているのかは分からなくても二人の危機管理能力は発揮された。

 

 

「今度、就任パーティーするから材料と作るのを手伝ってほしいと思ってナオヤに聞いたついでだけど?」

 

 

 ここは下手に言い訳をすると大変な目に合うと察知し、簡潔に内容を伝える。功を奏したのかリッカもようやく理解したのか元の表情に戻ったのが確認できた。

 

 

「就任パーティー?一体誰の?」

 

「多分、自分かな?」

 

 疑問に対して疑問で返す事しかできない以上、理解されるのはおそらく難しいのだろう。しかしながら就任パーティーはあくまでも建前で、本当は単に騒ぎたいと思うコウタの思惑にしかすぎない。

 そんなやり取りを踏まえた上で先ほどの質問に戻る。簡単に言えば料理が出来るならば作ってほしい。

 そう遠まわしに言われた事に気が付いた。

 

 

「ダメじゃないけど、凝った料理は作れないし、多分ナオヤよりは出来は悪いよ。流石に二人の邪魔は出来ないから遠慮するよ」

 

 

 ここは多少の女子のプライドと引き換えでも、下手なものを作って恥をかくよりは撤退した方が今後の為には間違いない。リッカはそう判断する事に決めた。

 しかしながら、二人の作る食事にも関心が無いと言えば間違いなく嘘になる。エイジの腕前は知らないが、時折ナオヤからの話を聞いていると確実に腕は良いとだけは判断できた。

 

 

「だったら、飲み物を当日用意するから参加しても良いかな?」

 

「じゃあ、頼むよ」

 

 物資の支給で参加する事が決定した瞬間でもあった。

あとは当日までに下ごしらえをしながら任務に励む事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これちょっとやばいよ。本当に同じ食材使ったのか?」

 

「同じ物だよ。同じ物が支給されてるのコウタも知ってるだろ?」

 

「それでも、俺が作ったら多分こうは出来ないよ。一体何がどうなっているやら。とにかく今は食べる事に専念するよ」

 

 

 乾杯の音頭が始まったかと思った瞬間に、色んな料理をとにかく食べ始める。まるで今までまともな食事すら食べた事が無い欠食児童の様な勢いのまま終始していた。

 

 結果的にメンバーは第1部隊のメンバーだけではなく、割と暇な人間も集まった結果、ささやかとは言い難い人数と規模になっていた。

 

 

「私も普通にここに居ますけど、参加してて良いんですか?」

 

 

 カノンの発した言葉は第1部隊以外の参加者全員の代弁でもあった。当初とは大幅に違い、そこにはなぜかカノン、タツミの他の部隊だけではなく、リッカやヒバリまでもが居た。

 

 

「私は飲み物を持参しているし、一応誘われてはいたからね。後はノリ?じゃないかな。多分、誰も気にしてないと思うよ」

 

「リッカさんがそう言うなら…」

 

 何だか親睦会の様にも見えるが、念のため全員が今は待機か非番の人間ばかりだった。

 しかも、料理の用意は第1部隊と言う訳の分からない状態でもあった。本来ならばその時点で多少なりとも遠慮するが、ここは世界の最前線てもある極東支部。喰える時に喰うと言う鉄則である以上、そこに遠慮の二文字は存在していなかった。

 

 リッカに言わせると、単に騒ぎたいだけと聞かされたカノンも何となくその言葉を信じ、今に至る。

 

 

「この料理って誰が作ったんでしょうか?以前は無明さんでしたけど、最近はアナグラには居ない様ですし」

 

「エイジとナオヤが作ったみたいだよ。この前そんな話していたからね」

 

「この量を二人でですか?何だか負けた気がします」

 

「確かにそれは否定出来ないけど、あの2人だったら仕方ないかもね」

 

 少し前にこのやりとりを聞いてなかったら、確実に誰が作ったのか全く不明。しかしながらその場にいたリッカは女子力への挑戦とも言えるような話し合いの中にいたが、結局の所は事実上の断念。

 

 しかも、今回の物は今支給されている物資のみで作られていたので、追加で何かを用意した訳でもない。

 作る事に関しては何の問題もない。むしろ問題なのがその内容だった。メニューに関しては2人がそれぞれ作っているので出てくるまでは何も知らされていなかった。

 

 参加した時からは多少減ってはいたが、見ればパスタやピザなど生地や麺から作るとなると中々面倒な物から、簡単なのかクラブハウスサンドなんかもある。他にも見れば、なぜか餃子や肉団子など料理に統一感がまるで感じられない。

 単にお互い作れる物を作っただけにも見えた。

 

 

「わたしもクッキーとか作りますけど、ここまでの物はちょっとないですね」

 

 

 カノンが見ていたのはシフォンケーキ。誂えたかの様にトッピングには生クリームが添えられている。

 クッキーとは違い、若干ながらも手間がかかるのと材料の事を考えると結構面倒だったりもする。

 

 女子の立場からすれば料理が出来る男はどうなんだろうか?そんな事を話していると後ろから声が聞こえた。

 

 

「コウタ、この前言ってたプリンだけど、これ作ってみたから食べてみてくれ」

 

「マジで!じゃあ早速……」

 

 

 どうやら声の主は製作者でもあるエイジだった。話は少し聞こえたが、レーションのプリン味についての話から作る事になったらしい。料理だけではなく、デザートまで作るとなると、女としての何かが試されている様にも感じた。

 

 

「エイジ、このプリンって君が作ったの?」

 

「そうだよ?どうかした?」

 

「君はなんでも作れるんだね。驚いたよ」

 

「いや、これは意外と簡単だよ。材料を一定量混ぜて蒸すだけだから、想像してるより簡単にできるよ。よかったらレシピを教えるけど。ちなみにデザート類は似たような材料で全部できるから、手間は大してかかっていないんだけどね」

 

 

 一体どこでそんな事を学んだのだろう?リッカだけではなく、隣にいたカノンとヒバリもただ疑問しか湧かなかった。

 今食べている物はどれもお金を取る事が出来る様なレベル。

 

そして、出来るならば教えてほしい。そう感じる程の味だった。

 

 

 

 

 

 

 



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第20話 義務と権利

 就任パーティーと名ばかりの宴会から数日後、エイジは今までにない緊張感に包まれていた。

 目の前には神機適合試験以来1度だけ目にした男、ヨハネス・フォン・シックザール極東支部支部長だった。

 

 最後に会ったのは適合試験以来に1度だけと会う事すら全く無いと言って良いほどかなり前だった。しかも当時は無明の用事で食材を届けに行っただけだったが、今回は自身の呼び出し。

 エイジ自身は問題を起こした訳ではなく、また悪い事は何もしていないが、支部長の前では雰囲気がそう思わせるのか、何となく落ち着く事が出来ないでいた。

 

 

「今回の呼び出した件だが、まずは第1部隊隊長の就任おめでとう。まずは今回の件に関しての説明をさせてもらおう。君には第1部隊の隊長の就任に伴い、今まで以上の権限が与えられる事になる。まずは、現在君が住んでいる所からベテランが住んでいる区域への移動と共に、ノルンで見る事が出来る権限の拡大となる。これはフェンリルから君への信頼の証だと思ってくれて構わない。その代わりにその義務とも言える事を果たしてもうらう事になるが、これについては改めて伝えよう」

 

 

 どうやら隊長に昇格した際に必要となる事の説明と今後の任務の事だと判断し、心の中でホッとする。しかしながらこの支部長は他の人たちとは違い、どことなく信頼しにくい部分がエイジの中にあった。

 

 隊長についての権限や責任などの説明を受けはするが、そんな中で一つだけ気になる点があった。現在捜索中のリンドウの事だった。支部長ならば今回の時案がどれ程アナグラ内部に影響を及ぼすかは理解しているはず。

 にも関わらずその事については一切言及せず、まるで事件そのものが無かったかの様な振る舞いと、その後の事に関しても何となくだが違和感を感じる事が多かった。

 

 

「あとは、これは個人の見解としてだが、ソーマとはしっかり付き合えそうだろうか?私もソーマの親である以上は若干でも心配でね。この前の宴会も誘ってくれた様だが感謝している」

 

 

 何気に話の途中で違う事を考え始めていたが、支部長から斜め上の話され意識を元に戻した。今さっきまでは警戒すべき存在とまで思ったていたが、まさかソーマの事を気にしていたなんて事は夢にも思っていなかった。

 いくら支部長と言えど我が子の事は気にしている。失礼だとは思いながらも、その事実が驚くべき物だった。

 

 

「いえ、同じ部隊所属する以上はしっかりとした連携は必要不可欠です。以前のミッションでソーマの事を皆は誤解しているとも感じました。僕自身もソーマとはしっかりとやっていきたいと思っています」

 

「そうか。それではよろしく頼むよ。それと今後の事についてだが権限の拡大には義務が付いてくる。今まではリンドウ君がやっていた特務を今後は君が引き継いでやってもらう事になる。ミッションは偽装しているので特務の際には君一人でやってもらう事になるが、それに伴う権利も発生する。本来であれば通常のミッションでは得られない様な報酬を約束しよう」

 

「特務とはどう言った内容でしょうか?」

 

今回の件で初めて聞く内容は正に衝撃的だった。これまでリンドウがデートと称していたのは今回の特務の事だとエイジは理解した。

 

「その代りと言っては何だが、任務中に得た物に関しては全て差し出して貰う事になる。なお、この件についてはソーマ以外に他の人間には極秘扱いとする。あと既に特務は発注してあるのでヒバリ君に確認すると良い。改めて宜しく頼むよ。」

 

 

 支部長の話でようやく今までのリンドウの言動に関して理解する事が出来た。リンドウの性格から考えてデートと称したミッションをこなしていいたのだろう。

 内容についてはともかくサクヤも薄々は気が付いていた事を考えると、やはりリンドウの襲撃による失踪の謎はますます混迷し始める。

 

 今は支部長の前なのでポーカーフェイスで躱す事しかできず、全部の話を聞いて支部長室から退出した。

 

 

「あいつの言う事には気をつけろ」

 

 支部長室から出て、最初に声をかけたのは先ほどの話にも出たソーマだった。

 リンドウの後を引き継いだ以上、その内容に関してはともかく恐らくは心配してくれたであろう態度が何となくエイジには嬉しかった。

 

 

「気色悪い顔をするな。リンドウがあんな事になった以上、お前にもそれなりに話が出てくる。あいつが何を考えているかは分からないが油断だけはするな」

 

「って事はソーマも特務を?」

 

「そこまで話が進んでたのか。確かにあいつの命令で特務と称したミッションに出る事はある。俺には関係ないが、通常以上の破格の報酬に目がくらむと痛い目にあうぞ」

 

「分かった。今後は気を付けるよ。でもなんで態々ここまで?」

 

 何気に聞いたはずの質問だったが、ソーマ自身なぜこんな事の為に来たのか単純に知りたいだけのはずだったが、肝心のソーマは言い淀んでいた。

 

 

「よく分からないけど心配してくれてありがとう。今後特務に関しては分からない事があれば聞くよ」

 

「フッ。勝手にしろ」

 

 

 そう告げてソーマは去っていた。エイジも隊長になったからには特務だけではなく、部隊全員の命を預かる事になる。

 いくら戦闘が上手くても部隊の指揮が同等とは限らない。そう考えると権利よりも義務の方が圧倒的に重い。そう考えるには十分すぎた内容だった。

 とにかく今は発注されたであろうミッションの確認が先決とばかりに先を急いだ。

 

 

「ヒバリさん。ミッションの件だけど、僕に来てる物ってある?」

 

「エイジさんへのミッションですか。あっ!これですね。秘匿ファイルになっていますので取扱いには十分注意してください」

 

 

 今までのミッション受注とは違い、他の物よりも厳重になっていた。

 現在のアナグラでは一般向けのミッションや緊急向けは何度か見たことがあるが、ここまで厳重な物を見る機会は今までなかった。

 

 秘匿になっている関係でロビーでおいそれと見る事は出来ない。まずは自室で確認する事を決め自室に戻ろうとした時だった。

 

 

「エイジ、ちょっと聞きたい事があるんですが」

 

 そう言われて振り向いた先にはアリサが居た。これから何かするでもないのか雰囲気は穏やかになっている。

 

 

「この前のパーティーの時に色んなデザート作ってましたが、あれって誰かから教えて貰ったんですか?」

 

「あ~あれね。厳密には教えて貰ったんじゃなくてレシピを貰ったんだよ。あとは自分でアレンジしただけだよ」

 

「えっ、それって誰ですか?」

 

「兄様だけど、どうかした?」

 

「いや、なんでもないんですが、あそこまでしっかりした物を食べた事が無かったのでどうしたのかと思いまして」

 

「まぁ、半分趣味みたいな物だからね。そう言えばリッカも似た様な事言ってたかな」

 

「リッカさんもですか?」

 

 

 

 

 どうやら一連の会話の流れが掴めていないのか、それとも何を言いたいのか理解できないのか、今のエイジには判断が出来なかった。

 確かに料理を作るのは趣味みたいなものだが、手本となるべき無明はエイジ以上に料理が出来る。

 

 他の人は知らないが、現在のアナグラで料理をまともに作る事ができる人はかなりの少数派。お菓子であればカノンがクッキーをよく作る程度には知っていたが、他にはあまり聞くことも無かった。

 そんな事もふまえつつアリサを見ていると、何となく様子がおかしい。まるで何か言いたいが言えない様にも見えるが、まさかとの思いから一つの結論に達した。

 

 

「アリサさえ良かったら、今度時間が空いた時に一緒に作らない?」

 

 

 その一言でアリサは満面の笑みで返事をした事により、自身の考えが正しかった事を悟った。しかしながら、今自分の手には特務用ファイルがある。

 まずはこれをこなす事を先決する事にした。

 

 

「でも、これからミッションだから、この後なら大丈夫だよ」

 

「でしたら私も一緒に行きます」

 

「ごめん、これはもう決まった内容だから今からの変更が出来ないんだよ。終わったら声かけるから」

 

「分かりました。じゃあ、連絡お待ちしていますね」

 

 

 

 にこやかに去って行くアリサを見送り、まずは特務に内容を確認し、あとは対策を立てるだけ。自室に戻ったエイジが最初に見たものは、まさかの内容だった。

 

 

 

 なんでいきなりウロヴォロスなんだ。これが特務なのか。これ大丈夫なのか?

 

 

 

 想定外の討伐対象に驚くエイジのその問いかけには誰も答えるものは居なかった。

 

 

 

 

 

 

 



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第21話 特務

 嘆きの平原で一人エイジは佇んでいた。

 ここから本来であれば現場に到着しても、こちらから探さない限りアラガミが見える事は少ない。

 しかし、ウロヴォロスに関してはこんなセオリーは一切通用しなかった。事前にノルンで確認はしたものの、想像と現地での確認は天と地ほどの差があった。

 通常あれば他のメンバーと打ち合わせる事もできるが、特務である以上相談する事すらできない。このまま見ていても何も始まらない。

 まずは気づかれない程度の地点から確認し、戦略を立てる事を優先した。

 

 

「やっぱりデカイよな」

 

 データ上、かなりの巨体である事が記載されているが、現地で見れば確実に見上げるレベルでの高さを有し、弱点であろうはずの複眼に至っては今の高さでは攻撃方法は銃撃しかない。

 

 このまま見ていた所で何も始まらず、まず最初にやるべき事はおのずと決まってくる。まずは巨体を支える足を狙い崩す事から始めた。

 

 遠めで見ても大きい物は近くでも大きい。しかしながらこのアラガミは他とは違い、他のアラガミを寄せ付けない事が唯一の救いだった。

 

 大きな音も立てず、気配を殺しながらの移動にウロヴォロスは気がつく事は無い。バーストモードの為に一気に足へと食らいつく。大きな顎が足の一部を喰らいつくと、足の繊維がブチブチと切れる感触が手応えとして伝わってくると同時に全身に力がみなぎり、青白いオーラが身体が発せられた。

 突如として不意を突かれた攻撃をされたと分かった後のウロヴォロスの動きは怒り狂ったかの様な動きを見せていた。

 

 巨体=動きが鈍いなんて事は一般的なイメージだが、ことアラガミにこのイメージは当てはまる事は無い。纏わり付かれるのを嫌うかの様に素早く触手を動かし、エイジに襲い掛かる。

 このまま黙ってみていればたちまち餌食になる事を懸念し、すでにその区域からは離脱していた。

 本来であればアサルトで弱点を狙うが、最初に喰らいついたおかげで、今のアサルトにはアラガミバレットがセットされている。

 

 まずは小手調べと言わんばかりにアラガミバレットを撃ち付ける。

 他のアラガミと違い、ウロヴォロスのアラガミバレットそのものもかなりの威力を示すが、まだ戦いは始まったばかり。万が一が無い様にする為に、ここでの油断は死につながる。

 

 山の様に大きな巨体は身体から生えている触手を器用に動かす事により、足の変わりとなって動き出す。巨体とも言えるほどの大きな身体が素早く動く事で、回避の為のスペースは一気に消失する。

 ここまでの大きさになるとアラガミそのものが大きな力を有する為に、些細な攻撃も命取りと為りかねない以上、様子を見ながら動く事は必須条件となり、行動範囲の確認や攻撃方法を回避しながらも常時確認する。

 

 ノルンのデータバンクには最低限の事は記載されているも、戦場での細かな動きまでは記載されていない。

 行動範囲や方法に関しては自身が手探りでやる以外に無く、その為には最低限、攻撃を受ける事無く回避しながら弱点とも言える場所の確認。そして、その攻撃範囲の見極めはある意味必須とも言えた。

 

 通常任務であれば、回復や最悪の場合のリンクエンドで回避する事は可能だが、今は単独任務の為にそれらの手段を行使する事は出来ない。

 万が一意識を失う事態になれば待っているのは捕喰される未来以外の選択肢は無い。

 最悪の未来を回避する為にはどうしても行動の一つ一つが慎重にならざるを得なかった。

 

 常に離脱を考え攻撃を仕掛けようとした瞬間に辺り一面に閃光が走る。目くらましかと思った瞬間にそれはエイジの予想を超えて、足元から一気に襲い掛かった。

 

 地面からは複数の槍状の物が襲い掛かる。とっさに回避はしたものの、うかつにもいくつかが足を掠めていた。

 致命傷には程遠いが、想定以上のダメージは残るだけではなく、機動力は格段に低下する。時間にして僅かではあったが、この攻撃で一撃を入れて離脱を繰り返すのは恐らくは困難であると悟った。

 

 巨体故に攻撃範囲が想定以上に広い。その上威力も申し分ないとなれば直撃だけは最低限避ける必要が出てくる。しかしながら機動力が低下している以上、撤退はあり得ないのと同時に一つの覚悟をする事を決めた。

 

 エイジの装備はそもそもがその場で火力を活かすのではなく、むしろ手数で押し切る方が良いと判断している関係もあってかダメージの一つ一つは大きくなく、あまりに近寄れば潰される可能性もあった。

 

 戦いの前にシミュレーションした事も影響しているのか、初撃で手に入れたアラガミバレットを上手く活用する事で、少ない火力を補う方法を選んだ。

 本来の戦闘方法とは違い、今は足にダメージが残る以上、従来の様な攻撃方法もできず、かと言って慣れない方法では死ぬ確率は段違いに上昇する。

 

 どんな任務でもまずは生き延びる。それが入隊してから毎回リンドウから言われ続けた言葉だった。

 

 どんなに力があるゴッドイーターと言えど、巨体を活かした単純な物理攻撃とも言える物を受ければ、簡単にその命は簡単にけし飛ぶ。ましてやこのアラガミには、単純だがある意味真理とも言える攻撃が普通に行える以上、通常のミッション以上に身体だけではなく頭脳もフル回転する事で今の戦場が支えられていた。

 思考が止まれば攻撃は単調になり、結果的には致命的なミスを起こす可能性もある以上、何一つ止まる事が許されない。

 

 慎重にやってきた事も影響し、約1時間近くが経過した頃だった。地道に続けた攻撃が身を結び、漸くウロヴォロスは地面に伏した。

 何とかコアを摘出する事が出来たが、払った代償はあまりにも大きかった。

 今回の戦闘で服はボロボロ、刀身の部分も若干の刃こぼれを起こしている。アサルトに関しても銃口は変形し、このまま撃ち込むのは不可能とも言えた。

 

 

「まだまだ先は遠いな」

 

 体に至っても足のケガだけではなく、所々が血で服が染まりシミが出来ていた。

 今回のミッションにあたり隊長権限で過去の履歴を調べた際に、同じ特務でリンドウが討伐していた事が分かった。

 エイジとは違い近接攻撃のみのリンドウが、このウロヴォロスを倒す事は現実的にはありえないとも思えた。このままではまだリンドウの足元にも及ばないと思い、遥か彼方の高みを考えながら、ゆっくりと帰投準備に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだリンドウの意識は回復はしませんが、オラクル細胞はすでに安定に入っているので、峠は完全に超えたと判断しても良いかと思います」

 

 

 人知れず無明は榊とツバキの元にリンドウの現状を報告すると同時に今後の事についての対策を取るべくしてアナグラに訪れていた。

報告を聞いたツバキは安堵の表情を浮かべ、それと同様に榊もまずは一安心と言った所だった。

 

 今回のミッションから捜索までの間と、既に消されたであろうミッション履歴を勘案すれば、誰が何の為にリンドウの始末をしようかと画策したかは直ぐに知れた。

 無明は今まで調べてきた事をそのまま伝える事を良しとせず、最低限の報告でとどめる事を判断しながらも、今回の事が露呈すればアナグラ全体の士気にも関わる。

 そう考えると言葉では言い表せないのと同時に、今回の件での裏を取る事を考えた。

 

 

「ツバキさん。悪いが暫くちょっとした用事で本部に行く事になった。一人では何かと都合が悪いので一緒に来てくれないか?」

 

「なぜ私なんだ?お前の行く用事と、どう関係があるんだ?」

 

 ツバキの疑問は尤もだった。突如として本部へ行くと言われて、簡単に了承出来る程にツバキは暇ではない。だからこそ、その真意を確認する事にした。

 

 

「表向きは技術交換だが、少し今回の事で非公式に確認したい事がある。悪いがその為にはある程度の地位の高い人間が必要になる」

 

「私は飾りじゃないぞ」

 

「ツバキさんにはしっかりと活躍出来る事があるから問題はない。そんな事で榊博士、しばらくリンドウの事は頼みます。バイタル等はモニターとリンク出来る手はずは整っていますので後はお願いします」

 

「君の本領発揮と言った所みたいだね。リンドウ君に関しては任されたよ」

 

「おい待て、誰も行くとは一言も言っていないが?」

 

「悪いが今回の件は既に先方にも伝えてあるから、今更行かない選択肢は無いんた。寧ろ来てもらわないと、此方の都合が悪い」

 

 

 この時点で既に根回しは完了し、全部の準備が終わっていた事をツバキは悟った。

 

 フェンリルは元々一製薬会社だったが、オラクル細胞の誕生とアラガミの出現に伴い、神機開発の傍らゴッドーイーターを排出してきた。

 人類に取って唯一の希望とも言える者を排出した事により、これまでの企業のパワーバランスは大きく変貌する。

 人類救済の看板は伊達ではなく、結果的には各企業はフェンリルの傘下へと入る。その結果として今では巨大なコングロマリッドを形成していた。

 そんな企業だからこそ商売敵も多く、内部も一枚岩ではない。

 

 極東支部は確かに力関係ではそれなりの影響力はあるが、一企業の一支店にしか過ぎず、またその力を我が物にしようと画策する者は後を絶たない。

 となればどこまで何が関与しているのか確認の為には本部へ行くのが一番早い。

 そこで確かめたものと、今後の判断の材料の為には調べる必要があった。

 

 

 こうして一路、無明とツバキはフェンリル本部へと旅立つ事となった。

 

 

 

 

 

 



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第22話 晩餐会

「ちょっと待て無明、お前の話とこれは違うんじゃないのか?」

 

 

 本部に入り、表向きの要件でもある技術交流は何事もなく無事に終わった。

 シンポジウムでの説明は既存のゴッドイーターに関する内容と共に、今までは事実上手遅れになった者を切り捨てる事なく生存率を高めると言った、今までにない内容だった。

 

 屈強なゴッドイーターと言えどP53アームドインプラントを破壊もしくは破損した場合、体内にある偏食因子が暴走し、宿主をアラガミ化させる事になる。

 今回の内容はその一部で、仮に暴走した状態でも生存率を高める可能性がある薬剤の発表だった。

 制約はあるが万が一の生存の可能性が高くなるのであれば現場への投入にはかなり期待される代物だった。

 

 

「いや、間違ってない。この後は晩餐会があるから、今回はそこに出席してもらう」

 

「ふざけるな。そんな話なら来るつもりはなかった」

 

「話してないのだから当然だろう。今回は調べたい事がある関係で一人での参加が極めて厳しいのと、パートナーとしての出席が基本だから該当する人間が他に居なかった」

 

「なら、確認したい。本当にそれだけか?」

 

「……今の所はそう捉えてくれた方がありがたい」

 

 

 ツバキが怒るのも無理はなかった。当初は何かの任務がらみとは想像していたが、現場に入ると特に何もすることも無く、今回の晩餐会がメインとここで初めて語られた。

 

 極東支部に限った話ではないが、ここまで豪華な物は実際に本部以外で行われる事は無い。

 しかも集まるのは各支部の要人ばかりでもあり、ここには恐らくは一般人と言える様な人種はいない。

 普段から常時現場での任務をしているツバキからすれば、目の前で行われているこれは明らかに過剰な物であり、未だに外部居住区にすら入る事が出来ない人間が後を絶たない光景を知っていれば、とてもじゃないが容認出来る様な物ではなかった。

 恐らくは理解している人間もこの場には居るかもしれないが、この場でそれを言った所でどうしようもないと思える雰囲気だけがあった。

事実、特権階級をひけらかすかの様に、警備にしても各支部直属のエース級と思われる神機使いが警備にあたっていた。

 

 いくら招待されている立場だとしても、この会場に来るまでにボディチェックが何度も行われていた。これほど警戒する必要があるのだろうか?この時点でツバキは既にウンザリとしていた。

 

 

「あと、他の支部からも極東に転属したいと話がいくつか来てるから、そのチェックをしておいてくれないか?それなら今回の任務だと思えるだろう?」

 

 

 取って付けた様な話ではあったが、事実として極東支部での教官である以上今以上の戦力の強化は極東に限った話ではなく、どこの支部でも必須だった。

 だからこそ、今回の内容に関しては他の支部でも生存率の向上の名目もあり、戦場に於ける技術には定評がある極東支部の内容が支持されていた。

 

 本来であれば一番最初の話が来た時点でそこで気が付けなかったツバキ自身にも落ち度はあるが、この晩餐会で多少でも話を聞きながら値踏みするのは悪くないとも考えないでもなかった。

 

 

「それならこんな恰好になる必要は無いのでは?と言うよりも何故、私のサイズを知ってるんだ?」

 

 

 ここまで来ている以上、最早諦めるしかないと腹をくくってはいたが、どうやら今の恰好が気に入らないのが本音らしい。

 無明はタキシードを着こなし、普段は戦場にいるとは到底思えない程となっている。

 事実、会場でも他の参加者からの注目度は高く、一挙手一投足を見られているかの様に、視線は常に感じていた。

 

 注目に値した要因は無明だけではなく、肝心のツバキに関しても、グラマラスな身体に備わった魅力を最大限に引きだすかの様な真紅のマーメイドラインのドレス。

 普段であれば薄化粧しかしないが、この場に於いてはあえて注目を集めるかの様に若干濃いめではあるが、それでも唇に塗られ妖艶さを醸し出すた為の真っ赤なルージュはツバキ自身を目立つ様に施されていた。

 

 ツバキ自身が何も知らずに来ている為に、会場に来て初めて渡されていた。当たり前だが今までサイズを測られた覚えは全く無い。

 にも拘わらず、用意されたドレスは最初からオーダーメードされた様にしっくりとしている様に無駄な隙間が無かった。

 

 

「少しは何か言ったらどうなんだ?」

 

 いくら聞こうが、最初から答える気がなかったのか、ツバキの問いかけに対して答える事は一切ない。これ以上は何を言っても無駄だとばかりにツバキは聞く事を止めた。

 一言で言い表せばツバキが着用すれば、ゴージャスとしか形容出来ない程のドレス。背中がざっくりと空いたデザインのドレス姿は、晩餐会でも恐らくはトップクラスに目立つのは他からの視線で嫌でも意識させられる。

 

 本来であれば軍人にはおおよそ不釣り合いな場である事に変わりないが、その戦場で身に着けた凛とした存在感は他の参加者とは別物でもあった。

 晩餐会は財界の言わば戦場でもあるが、その参加者の中でもツバキの存在感は別格だった。

 

 ゴッドイーターである以上、腕輪の存在は隠す事は出来ないが、それについても抜かりはなく、腕輪には何かを象徴するかの様な紋章が記された布が巻かれていた。

 

 

「あと悪いが、ここでは無明の名は出さないでくれ。何かと困る事が多くなるのと、くだらないトラブルは避けたいんでね」

 

「ならば、なんと呼べば良いんだ?」

 

「ここでの名前は紫藤(しどう)(あきら)としてくれ。今回のシンポジウムもそれで発表している」

 

「なら、それで通そう。参考に聞くが、今日はいつまでこの恰好でいなければならない?」

 

「恐らくは3時間程度じゃないか?いつもその位が目安になっている。何か問題でもあるのか?」

 

 ツバキとしては一刻も早くこの場から退場したい気持ちしかなかったが、来て早々に退場となれば、何かと今後のトラブルの元になる事だけは理解しているのか、始まったばかりにも関わらず退出が可能な時刻が知りたかった。

 

 

「ただ落ち着かないだけでそれ以上でもそれ以下でもない。気にするな」

 

「あと、この腕輪の紋章だが、ここの主催者のゲスト扱いになるからくれぐれも外さないでくれ。ツバキさん意外と目立つから何かと面倒になる」

 

 

 そう言いながら二人は腕を組み、会場へと足を運んだ。

 会場は晩餐会と言うよりも立食形式のパーティーに近いが、あちらこちらで軍服に沢山の勲章を付けた軍人らしき人間や、タキシードに同じく勲章を付けた人間で溢れかえっていた。

 

 慣れた人間であれば臆することも無くそのまま足を運ぶが、経験が無い人間は中々足を踏み入れにくく、よそ者は排除するかの様な空気がそこにはあった。

 しかしながら、無明とツバキが入ると周りの空気は一変し、とある人間は無明に、とある人間はツバキに関心を寄せる。

 この様な財界での集まりにはおおよそ不釣り合いなペアに不躾な視線が幾度となく突き刺ささっていた。

 

 他の参加者と決定的な違いは腕輪にあった。

 本来であればアームドインプラントの赤い色が不釣り合いにも見えるが、問題は腕輪に巻かれていた紋章だった。

 この主催者は本部でも幹部クラス。フェンリルでも相当な位に付いている為にゲスト扱いとは言え、他の軍人では足元にも及ばない地位にいる事がその紋章で全てを物語っていた。

 単なる貴族ではなく、歴戦の猛者の証でもある佐官級となれば、現場での力関係までもが決まり、ここが戦場であれば司令官クラスとも言えた。

 

 しかしながら、二人の雰囲気には軍人特有の殺伐とした雰囲気は一切感じられず、ツバキのドレス姿に魅了されたものは多数いた。

 本来諜報任務は目立つ事を良しとせず、秘密裏に動く事が望ましい。

 その為には片割れはどうしても存在感がある人間でないと務まらない。ツバキには言わなかったが、無明の狙いは正にそこにあった。

 

 参加者の目を逸らすのにツバキはまさにうってつけの存在だった。

 本来であれば二人で行動すれば目立つ事も去ることながら、本来は女性を一人にすることはマナーとしては殆ど無い。

 しかしながら任務遂行の為には一緒にいる訳にも行かず、無明が離れた途端にツバキの周りには人が集まりだしたのを横目に、会場の空気と化しそのまま姿を消し去った。

 

 慣れない場面での晩餐会も漸く終わりが見え始め、今までとは違う雰囲気にツバキ自身が精神的に疲れていた。

 それもそのはず、本来の任務や指導教官としての疲れではなく、慣れない雰囲気での行為が原因となる、明らかに精神的な疲労を伴った。

 

 極東支部では意外と知られてはいなかったが、無明は紫藤の名で本部の研究者には名前が広く知れ渡ると同時に、今までにこんなケースでパートナーを連れてくる事など一度もない。

 

 今までに一度も連れてきたことが無い人間が突然連れて来れば、この様な場所では興味本位の対象でしかなく、いくら任務の為とは言っても本部はその特性上、魑魅魍魎の集まりとは言え迂闊な事も言えず、精神のみがジワジワと疲弊していく。

 

 これも一つの戦場と考えるのであれば仕方ない事なのかもしれないが、ツバキにとっては、ここにいるよりは戦場の方が幾分かはマシとも考えられた。

 

 

「紫藤君が貴女の様な人を連れてくるとは予想外だったよ」

 

「失礼ですがどちら様でしょう?」

 

「これは失礼、私はジェフサ・クラウディウスと申します」

 

「雨宮ツバキと申します。紫藤が何か?」

 

「彼は研究者でもありながら、戦場にも出るとも聞いているので以前から興味があったのと、今までにこんな会場に誰も連れて来た事が一度も無いので、周りでは有名だったからね」

 

 

 無明の知人らしいこの紳士も身なりを見ればそれなりの地位にいる事はすぐにでも理解できた。

 しかしながらツバキにはそんな背景やいきさつは分からないが、変に探りを入れられる訳にも行かず、会話だけは合わせる様に心がけた。

 

 

「紫藤は職場の同僚ではありますが、ここでの振る舞いに関しては私は関知しておりません。実を言えば、今回は何も聞かされないまま連れて来られましたので」

 

 知人と思われし男性に対して、ここでこんな事をさせられるとは考えてもいなかった事に対する腹いせじみた言葉ではあったが、嘘では無い為に本当の事を話す。

 恐らくは普段からこんな場所では人を寄せ付ける事が無かったのか、ジェフサも少しだけ驚いてみせた。

 

「そうでしたか。失礼ですが腕に巻かれている物を拝見しましたが、貴女も神機使いで?]

 

「今は現場を退き教導担当としての任についていますので」

 

「そういえば極東にはフォーゲルヴァイデ家のご子息が居たとか?」

 

「彼は任務中に残念な結果となり、当方としても誠に悔やまれます」

 

 

 貴族には貴族のネットワークがあるのか、以前のミッション内容までは把握していないが何処に誰が居るかは把握できている様だった。

 これ以上の会話は厳しいと思われている頃、突如として助け舟が出た。

 声の主は無明。どうやらやるべき事を全部やり遂げたのか、漸く姿を会場に見せた。

 

 

「これはクラウディウス卿、本日はお招き頂きありがとうございます」

 

「いや、中々有意義なシンポジウムだったよ。あれは今後の課題はあるものの、この先の明るい未来への内容にも通じるものだからね」

 

「今後はこれだけではなく、他の分野でもと検討しておりますので」

 

「近々本部でも研究ではなく神機使いとしての招聘も検討しておくよ」

 

「その際にはご一報くだされば。そろそろ時間ですのでこれで退出させて頂きます」

 

 

 これ以上この場に居ても収穫は何も無いとばかりにツバキと共に会場を後にした。後ろではまだ懇談中の雰囲気が漂うものの、本来はこんな内容の為に来た訳では無い。

 

イレギュラーなミッションではあったが、その分の見返りとして大きな収穫もあった。

 どうやら支部長はかなり内部にまで食らいこんでいるらしく、周到とも取れる先手とその政治力には流石の無明も脱帽していた。

 

 

「もう、こんな席はごめんだ。気ばかり遣って碌な事がない」

 

「おかげで助かった。部屋に戻ってから飲み直すか?」

 

「当たり前だ。これでは酔う事も出来ん。今日は覚悟しろ」

 

 

 

 全ての情報の収集は完了し、翌日には極東支部へと戻る事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第23話 トラウマ

 特務を無事とも言えないままミッションが完了し、アナグラに戻ったエイジを待ち構えていたのはアリサとコウタだった。

 いくら隊長とは言え単独任務は危険そのものに変わり無く、現在に至っても単独での任務を受注できる人間はごくわずかだった。

 

 しかしながら、特務である以上これ以上追及されてもエイジとしては何も答える事もできず、仮に言った所で今度は機密違反となり違う意味での処分が下される。

 二人の顔を見る限りよほどの理由が無ければ追及をかわす事は出来そうにもない。

 この状況からいかにして脱出するかを考える他無かった。

 

 

「なんで一言声をかけてくれなかたんだよ。みずくさいぞ」

 

「そうですよ。帰ってきた瞬間に茫然としました。私にも言えない事なんですか?」

 

 

 二人の追及を受けながらこの場から脱出する為の助け舟を探そうとするも、周りは見て見ぬふりを決め込んだのか、遠目でヒソヒソ言われるだけで助けを出す気配すら感じられない。

 このままでは時間だけがいたずらに経過する。どうしたものかと考えた時に意外な人物から声がかかるった。

 

 

「それ以上は何を言っても無駄だ。どんな任務であろうと自己責任である以上、怪我をしようが死のうがお前たちには関係ない」

 

「ちょっとソーマ!いくら何でも言い過ぎです!」

 

「そうだぞ。俺達同じ部隊の仲間だろ!」

 

 ソーマの辛辣な意見は鎮火するどころか逆に炎上してしまった。

 しかしながらその矛先がソーマに向かったのもまた事実。今がチャンスとばかりに心の中で感謝しつつも、エイジはこの場をそっと離れた。

 

 特務以外のミッションは公言できるが、問題なのは何故ここまで機密扱いとなっているのか?支部長からも説明があったせいか、今回の報酬は確かに他に比べて内容は良い物だが、それだけでは腑に落ちない部分も沢山出ていた。

 

 何時ならば冷静に考える事も出来るが、慣れない特務は色んな部分の消耗が激しかった影響もあり、自室に戻ったエイジには、それ以上頭が回転する事なく今はベッドの感触を確かめる。

 それと同時に横たわった途端、眠りへと落ちていた。

 

 

 

 数日後、ツバキの招集で第1部隊が全員招集された。今までにミッションの前に招集される事は数えるほどしかない。

 どんな内容になるのかまだ知らされていないが、ツバキの表情からは何時も以上にプレッシャーが感じる。

 この場に居る全員の表情は気がつけば厳しいものになっていた。

 

 

「先日、発見したアラガミからリンドウの腕輪反応が見つかった。恐らくはあの時に居たと思われる同種のアラガミだろう。私情を挟むなとは言わないが、全員必ず生きて帰れ。それとサクヤ、お前は少し休め。今の状態では任務に支障が出る」

 

「しかし!」

 

「いいから休め。これは命令だ」

 

 

 ツバキには知られない様にサクヤは人知れずリンドウが残したディスクを調べていた。

 

 リンドウの失踪直後から今に至るまでに、思いつく限りの色々なルートからリンドウの残した情報の解析をしているが、最終的には本人の腕輪認証のロックに阻まれ、それ以上知る事が出来なかった。

 

 これ以上の調査は不可能と頭の片隅で思い描いた所で今回のミッションのアサイン。いくら体調が悪くてもゴッドイーターである以上、アラガミが現れれば殲滅するのが第1部隊としての任務である。

 これが本来の業務となる為にいかなる理由があろうと一番手に考えるが、ツバキから体調云々と言われればそれ以上の抗弁は出来ない。

 サクヤは大人しく従う事に他なかった。

 

 

「今回のアラガミってひょっとしてあのキモイ顔のアラガミの事?」

 

「そうみたいだね。でも基本はヴァジュラ種だし、攻撃方法も分かっているから前みたいな結果にはならないはずだよ。それよりもアリサこそ大丈夫なの?」

 

「わ、私は平気です。あれから特訓もしましたから」

 

「いざって時はフォローするから心配はいらないよ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 

 トラウマの元でもあるプリティヴィ・マータ、以前討伐したヴァジュラとは比べ物にならない位の高位アラガミ。

 以前とは神機だけではなく、精神的にも技術的にも当時とは大きく成長し、あの時とは格段に違う。

 事前にしっかりとした装備さえ揃えれば以前の様な事はないはず。そう考え4人のメンバーと共に現地へ向かった。

 

 

「プリティ・マターは見つかった?」

 

「プリティヴィ・マータです。せめて名前位は覚えた方がいいんじゃないですか?」

 

 

 コウタの間違いに呆れ顔のアリサだが、心情を考えれば決して先の見通しが明るい訳でも無く、こびりついた様に残っているトラウマを克服するのは中々難しい。

 いくら洗脳されていたとしても、自身がやった事まで記憶が無くなる訳では無く、時間が経つにつれて、あの時の感触が蘇らない訳でもない。

 

 何とか声には出さない物の、拭いきれない恐怖は心の奥底にこびりついて未だに落とす事は出来ないでいる。そう考えた時に不意にアリサの手に暖かい物が下りた。

 ぬくもりの正体はエイジの手。そのまま顔を見れば大丈夫だから落ち着こうと言われた様な目と表情と共に落ち着きを取り戻し始めた。

 

 

「居たぞ。作戦はどうする?」

 

 

 ソーマの一言で緊張感が一気に高まる。何かを捕食しているのか、今は隙だらけでもある為にイレギュラーで気が付かなければ大半の行動は可能だった。

 前回の教訓から、怒りの衝動が起きると同時に体が一気に硬化する為に攻撃が入りにくくなり、その予防策の為に早めの部位破壊が要求される事になる。

 

 

「攻撃は気配を消して近づいた瞬間、一気に仕掛ける。まずは胴体の部位破壊を最優先。その後は周囲の配置に気を付けながら攻撃する。コウタは念のために攻撃のあと他のアラガミが居ないか周囲を見てほしい。周囲の反応がなければ援護して」

 

「分かった。小型がいたらそのまま殲滅で良いか?」

 

「そうだね。下手にこっちに来られても困るからそのまま殲滅。中型以上なら信号弾で知らせて。場合によってはツーマンセルで対応する」

 

「リンドウさんの腕輪出てくると良いな」

 

「ふん。ただ、ぶった切るだけだ。腕輪の事は知らん」

 

 

 気配を消しつつ戦闘が静かに開始した。当初の予定通りに背後から捕喰に成功し、一気にバーストモードへと突入する。

 以前の様な奇襲された訳では無く、こちらからの攻撃となると動きが格段に変わるのと同時にバースト時特有の全身に力がみなぎり始める。

 

 背後から捕喰された事に気が付いたプリティヴィ・マータは素早く反転し、エイジに攻撃をしかけるべく爪で襲い掛かった。

 奇襲されたのとは違い、最初の時点で立ち位置の優位を利用し、攻撃を受け流した後でカウンター気味に入った攻撃は通常以上の破壊力をもたらす。

 攻撃が綺麗に決まると同時に胴体部分があっさりと破壊された。

 

 破壊された部分は最早弱点でしかない。そこを目掛けて、ソーマとアリサの斬撃が続く様に胴体へと到達する。

 この時点では当初の予定通り何事も無く戦闘が続いていた。予定通りの展開に、ここまで上手く行くとはエイジ自身も想像していない。

 

 当初のブリーフィング時に思い起こされていたのが、撤退戦での戦闘。

 当時は神機としてのレベルとアラガミとの差が大きく、攻撃が当たっても同じように部位破壊する事は無かった。

 

 当時の懸念はエイジだけではない、数の違いはあれどソーマやアリサ、コウタにも思う所は各自にあった。しかしながら、それをいつまでも引きずる訳にも行かないと、神機レベルの底上げを果たし今に至る。

 プリティヴィ・マータはヴァジュラ高位種だけではなく、見た目にも変わらない氷の特性を活かした激しい攻撃を次々と仕掛けてくる。

 当時に比べれば格段に攻撃の火力は底上げされ、このまま一気に押し切れるかと思われていた。

 

 しかしながら、油断はどんな状態であっても命取りとなる。

 いくらアラガミが相手とはいえ、何も対策を立てずに攻撃する事はありえない。

 一瞬で活性化しかと思った瞬間にプリティヴィ・マータはその場から大きく跳躍し、その結果、飛び降りた瞬間に3人の体に異変が起きた。

 

 活性化する事でヴァジュラ種の特徴でもある今までの攻撃にスタンの属性が付与され、不意をつかれた様にそのまま3人はその場で立ちすくむ。接近した状態で動きを止めるのは命取りとなり、その後に待っているのは死しかない。

 このまま万事休すかと思われた瞬間に、背後からバレット弾による攻撃でプリティヴィ・マータ意識がそがれた。周囲の確認が終わったコウタの機転で時間を稼ぎ、スタンから立ち直った瞬間に反撃を開始する。

 

 

「コウタ、精密じゃなくて良いから顔面を狙ってくれ」

 

「了解」

 

 

 コウタの釣瓶撃ちでプリティヴィ・マータは動きを止め、その瞬間に3人で一気に仕留める作戦に出た。いくらアラガミと言えど視力を奪われれば動く事も散漫になる。

 

 時間にしてわずか数秒だが、3人にとってそれだけの時間があれば十分過ぎた。

 ソーマの渾身のチャージクラッシュを先頭にエイジとアリサの斬撃が結合崩壊した胴体部分へと集中的に襲い掛かる。

 いくら活性化しようが、結合崩壊した部分は弱点以外の何物でもなく、集中的にそこを狙う。コウタの銃撃が止めば今度はエイジが顔面に向かって攻撃し、ここで再び結合崩壊を起こした。

 

 鮮やかな手並みも影響し、気が付けばプリティヴィ・マータはその場に大きな音と共に倒れこみ、やがて絶命した。

 

 

「助かったよコウタ」

 

「いや、別に良いよ。でも攻撃をそのまま受けるなんてらしくないけど?」

 

「うん。気にしてなかったつもりだけど、あの時の戦いがちょっと尾を引いてたかも」

 

 

 アリサの事も気になったのか、それ以上の事は何も言わなかった。

 リンドウの抜けた穴は依然大きい。いくらエイジが部隊長に任命されても、その存在感だけはどうしようもなかった。

 既にここには居ない人間の事を考えても仕方ないと考え、まずは腕輪が無いかを確認した。

 

 

「腕輪はありませんね。何だか最近の調査隊はいい加減すぎやしませんか?」

 

「腕輪を持った固体が移動した可能性もあるから一概には言えないよ」

 

「でも、調査は打ち切られるスピードも早かったのもおかしいです」

 

 

 アリサが言うのも無理は無かった。一般の神機使いでは無く、部隊長が行方不明となっているにも関わらず、それに関しては未だに真相は知れされていない。

 疑問はこれだけに留まらず、今までの異常な事に加えエイジの早すぎる隊長の昇格。一体何がと思った先にソーマの不可解な行動が見て取れた。

 

 

「どうしたの?」

 

「いやなんでもない。ちょっと気になっただけだ。お前も何か感じなかったか?」

 

「いや。特に感じた事はないけど」

 

「そうか。ならいい」

 

「二人でなにやってんだ?このままさっさと帰ろうぜ」

 

「ここに長くいたら風邪ひきますよ。さあ帰りましょう」

 

 

 腕輪は見つからなかったものの、上々の戦果に一路アナグラへと帰投した。

 今まで監視していたのだろうか。帰投する4人を遠くから眺めていた気配だけがそこに残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第24話 思惑

 待望の腕輪があると思われたミッションだったが結果的には空振りに終わり、依然としてリンドウの行方はおろか肝心の手がかりすら未だ出てこない。

 当初は見つかれば何か進展があるかと思ったサクヤも、流石に刻一刻と時間が経過する事で焦りから絶望へと変わるのは時間の問題ではないかと思いながらも、僅かな手がかりを求めて自室で当時の状況を検証していた。

 

 

「サクヤさん…居ますか?」

 

 

 真剣な眼差しで端末を見ていたが、急に呼ばれた事で慌てて画面を消すと、サクヤを呼んだ声の主はアリサだった。

 ここ数日ツバキからの命令でミッションには不参加となっていた事も多かったが、塞ぎ込んで寝ているだけでは事態が好転する訳では無い。

 そう考え、気持ちを落ち着かせるべく飲み物を取ろうとした際に出てきた1枚のディスクが、その後のサクヤの行動を一転させていた。

 

 調べ出してからどれ程の時間が経過していたのだろうか。

 今となっては心情的な部分から休暇を言い渡された事がむしろ好機だとばかりに、あらゆる角度からの検証を続けていた。

 アリサだけではなく、他のメンバーとも顔を合わせるのは久しぶりの事でもあった。

 

 

「どうしたのアリサ?いらっしゃい」

 

「あの…実はサクヤさんに一言謝りたいと思いまして」

 

 

 当時の状況に関しては、いくら当時の精神状態がおかしいと仮定したとしても、自身がしでかした事が無くなる訳では無く、アリサ自身も悩みながらに自分と向き合った結果としてこれから前に進む為にも一度サクヤと会う必要があると判断する事を決めていた。

 

 きっかけは先日のプリティヴィ・マータとのミッション。途中苦戦する事もあったが、討伐が完了した事で、多少なりとも過去を乗り切れたと判断し、当時の状況と共に今の自分の事をサクヤにも伝えたいと思う部分があった。

 

 

「謝るって一体何を?」

 

「リンドウさんとのミッションの件です」

 

 

 サクヤとしても、アリサがここに来た時点で恐らくはとの推測を立ててはいたが、面と向かって言われると何か不思議な感情が沸き起こった。

 サクヤ自身が未だにリンドウの事で何かやっている事を何となくだがアリサは知っている。

 

 もちろん最初から今の様な精神状態ではなく、当初は絶望の中で悲しみに伏せていたが、ふとした事で見つかったディスクの事で気を取られる形となり、今となっては当時の状況を振り返ると懐かしくも感じていた。

 しかし、時間の経過と共に記憶が薄れる事は無い。そんな事も短い時間の中で考えながらアリサから発せられる言葉を待った。

 

 

「あの時、リンドウさんに向けて撃とうとした事は事実です。当時の状況を考えると私自身が不自然と感じる事が確かにいくつかありました。もちろんそれを言い訳にするつもりはありません。私のしでかした事はサクヤさんだけじゃなく、アナグラ全体にも大きな影響を与えてしまいました。今の状態が長く続くのは良くない事くらい私にも分かります。できればそのお手伝いがしたいんです」

 

 恐らくは厳しく非難されるのではないのだろうか?リンドウの事を想っているのは身内でもあるツバキ以外にはサクヤしか居ないのだろう。そんな思いが有る事は否定出来ない。

 しかし、この状況を良しせず、また今後の事も考えれば無視する事も出来ない以上、何らかの謝罪は必要だとは感じていた。

 だからこそアリサは勇気を振り絞ってサクヤの元へと出向いていた。

 

 

「ねぇアリサ。私は怒ってなんかいないし、あの件に関しては今それなりに調べているから分かった事なんだけど、アリサが悪い訳では無ない位は判断できるわ。今も調べているのは当時の状況じゃなくて、リンドウが残した物を検証していただけだからアリサが気に病む事は無いわ」

 

「でも、それじゃ」

 

「ううん。アリサの気持ちはよく分かる。私が同じ立場ならそう考えたかもしれない。でも嘆いてばかりで何もしないままで事態が好転する事は無いと信じてやっているの。もし大変だと思えばその時には遠慮なく頼らせてもらうわ」

 

 

 拒絶された訳では無い。いまだにリンドウが発見されたと言う報告はアナグラには伝わっていない。今のままでは過去の帰還率を考えればかなり低い事に変わりはない。

 振り返る事が出来ないの以上、諦める事無く前を向いていくしか無かった。今のサクヤは残されたディスクの解析こそが何かの希望に変わるものだと信じ、解析を続ける事で自身を奮い立たせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本部までの出張ご苦労様だったね」

 

「おかげでこちらの想像していた事の裏付けが全部取れました。しかし、想定以上の内容には若干驚きましたが」

 

 この一言で恐らくはこちらが想定していた見通しが甘く、また今後の事を鑑みれば何かしらの対応が必要不可欠である事が予想されていた。

 

 

「リンドウ君の容体は依然変わらないままだけど、脳波に若干の変化が出始めているみたいだね」

 

「見た限りはもういつでも大丈夫な気がしますが」

 

「あとはキッカケなのかもしれないね」

 

 

 

 本部からの帰りに無明は榊から秘匿通信による暗号で連絡を貰っていた。リンドウの容体に若干ながらの変化が生じていた事だった。

 バイタルは完全に安定しているが、脳波を見た限りではまだ良くなる気配を感じる事は出来るとは思えなかった。

 意識が取り戻されていれば活発に動くはずの脳波にはまだ改善の兆しが見えていないのであれば手出しは出来ない。

 

 ただし、今までと決定的に違う点は一つ。

 見た限りでは夢を見ているような、レム睡眠とノンレム睡眠を繰り返している様な反応。あとは目を覚ます為のキッカケだが、恐らくキーポイントは戦いの最中に無くなったと思われる神機をさしていた。

 

 

「良くも悪くも神機は大事なパートナーですから。とにかく腕輪と神機が見つかれば何とかなるかもしれませんね」

 

「僕もそう考えている。ここはやはりその探索が一番なのかもしれないね」

 

「現場に無かった以上、本人が持っていたかアラガミが持っているかのどちらかになるでしょう。今は発見される事を祈るだけです」

 

 神機使いとして生死を共に分かち合う存在ともなる神機。リンドウほどの戦歴ともなれば恐らくは何らかのキッカケにはなるだろうと当たりをつけるが、現在の所はまだ捜索段階。

 

 一時期の事を考えると生命の心配は無くなった事は僥倖だが、今度は意識の回復が困難となっている。

 完全にアラガミ化していない事は吉報であっても、肝心の意識が戻らない以上は今の二人には見守る以外に何の手立ても無く、その場には無力感だけが広がっていた。

 

 

「ところで話は変わるが無明君、君は特異点は知っているかな?」

 

「特異点ですか。確か例のアーク計画のキーとなるアラガミの事でしたよね?」

 

「やっぱり君は知ってたか。だとすれば話は早い。実はその特異点がこの極東地域に度々出没してるみたいでね、その為にある程度おびき出す必要があるんだよ」

 

 

『アーク計画』

 

 現在の所、対外的にはこの計画に関しては一切公表されていない。現在の所はエイジス計画と言う名で現在では開発及び建設が着々と進んでいる。

 しかしこのエイジス計画に関しては様々な憶測と共に、各方面でも色々と注目されていた。

 

アーク計画の内容は全ての人類を救済するような画期的な物では無く、特定の人類の救済と共に、地球そのものを終末捕喰にて再起動させる事でもあり、そのキーとなるのが従来のアラガミではなく、高度な知能を要する、すなわち特異点を用いて人為的にに発動させる事でもあった。

 

 しかしながら、この計画には大きな問題が一つだけあった。すなわちエイジス計画の様な大規模型の計画ではなく、一定の人数のみが救済される事が前提となっている歪な計画。

 もちろんこれが外部に対して暴露される様な事があれば、流石に極東支部だけに留まらず、フェンリルそのものの存在意義とも言える物が根底から覆される可能性が出てくる危険性があった。

 だからこそ、この情報は対外的には知らされないように、情報の取り扱いに関しては極秘裏に進められていた。それほどまでに厳重な状況の中から今回の一連の中で知りえたのが僥倖だった。

 

 

「博士、あの計画はとても容認できる物ではないと考えますが、何か他の案でも?」

 

「アーク計画は趣旨は分かるが、僕にとってはとてもじゃないが容認出来ないんだよ。もしそんなアラガミが居るのであれば、科学者としては失格かもしれないが人類とアラガミが共存できるなんて夢物語的な選択肢もあるかと思ったんだけどね」

 

 

 本来であれば大を殺して小を活かすなどもっての外と切り捨てられるははずの内容。

 それが実行できたとして、仮に生き残った人類が今後出来る事は今現在の時点ではどんな状況に陥るかは神のみぞ知る。

 

 ギリギリのラインを綱渡りで回避してくる事は出来たが、万が一の事を考えれば、足を踏み外した瞬間に人類の歴史が終わる可能性がある。

 最早その前に手を打たなければならない状況が背後まで来ていた。

 でなければ無慈悲なカウントダウンがいつ始まるのかすら予測する事が困難だった。

 

 

 

 

 



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第25話 アラガミの少女

《第1部隊隊長は速やかにラボラトリまで来るように》

 

「今度は一体何だろう?」

 

 ため息混じりにポケットから取り出したエイジの小型端末に送られてきたメールには簡潔にそれだけが記されていた。

 異例の早さで隊長に就任してからは今までの生活とは大きく一転し、何事にも様々な手続きと手間が必要となっていた。

 

 以前に支部長から聞かされていた権利と義務。今のエイジには目の前にある物をこなす事が精一杯な事もあり、残念ながら権利の行使の前に義務に押し潰されそうになっていた。

 

 

「如月エイジ出頭しました」

 

「よく来てくれたね。予想よりも300秒程早いが早速話を進めさせてもらうよ」

 

 

 今回は支部長からの呼び出しではなく、榊からの依頼だった。内容に関して特務と同様の討伐任務かと思われていたが、話を聞く分にはそこまでの激しい内容ではなく、恐らくは通常の討伐任務に近い物だと判断できた。

 

 今回の任務は少しは楽できるだろう。当初はそう当たりを付けていたが、内容を確認すると流石のエイジも絶句する事になった。

 

 

「榊博士。質問は良いでしょうか?」

 

「どうしたんだい?何か問題でもあったかな?」

 

 

 エイジが絶句するのは無理は無かった。榊からの依頼は特務ほどの内容ではないにせよ、過去の事例から判断しても今回の内容はかなり厳しい物になっていた。

 仮に何かの研究素材が必要だと仮定して考えたとしても、今回の対象となるアラガミの数は尋常では無いほどに常軌を逸している。

 

 しかしながら、幸運にもこのミッション全部を一人でやれと言った内容ではない。まだそこに若干の救いがあったようにも思えた。

 

 

「すまないんだけど、こちらの都合であまり時間をかける事が出来ないんだ。本来であれば支部全体としてやってもらいたいと思うが、流石にそれは無理があるから今回は君たちの部隊にお願いしたくてね」

 

「参考にお聞きしたいのですが、これの期限はいつ迄ですか?」

 

「それについては出来れば1週間以内でお願い出来るかい?」

 

 あっけらかんと言われた期限ではあったが、この数を1週間となれば、かなり厳しい日程になる事が予想出来た。

 ゴッドイーターはアラガミの討伐だけすれば良い訳ではなく、その後のレポートの提出に加え、隊長ともなれば稟議書の申請などの雑務がそこに加わる。そう考えると楽出来そうな要素が見当たらなかった。

 

 一体ごとのレベルはそこまで高い物ではないが、厄介な事に数だけはやたらと多い。何かの間違いであってほしいと、念の為に確認した所で何かが変わる事は一切無かった。

 

 

「よし、全員そろったな。それではこれからブリーフィングを始める。今回の討伐内容だが、詳細は渡した資料の通り。時間的には厳しい部分もあるかもしれないが、お前たちにはそれを達成できるだけの技量はあるはずだ。心してかかれ」

 

 

 ツバキの叱咤激励と共に榊からの緊急ミッションが第1部隊にアサインされた。

 エイジは事前に他のメンバーに話はしてあったものの、資料を見る限りではおそらく厳しい任務になるであろうことだけは容易に想像が出来た。

 討伐部隊でもある以上、それ以上の説明は今更必要とはしない。あとは少しでも早く実行するだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 緊急の討伐ミッションが開始してから5日、当初の予定よりも幾分早く、今までやってきた内容の最後のミッションとなった。

 詳しい事は分からないが、今回の討伐対象を持って一連のミッションの終わりが見えていた。

 

 

「これで終了か。何だかんだと大変だったね」

 

「本当だよ。榊博士から聞いた時にはどうなるかと思ってたけど無事に終われてなによりだよ」

 

 

 そう言いながらも、倒れたシユウのコアを抜き取ろうとした時に背後からストップの声がかかった。

 

 

「それ、ちょっと待ってくれないかい?」

 

 

 声の主は依頼人でもあった榊博士その人。ゴッドイーターとしての任務を考えるならば、このままコアを抜き取って終了となるのが通常のはず。声のした方へ振り向くとそこには榊博士と護衛として来た無明の姿があった。

 

 

「君たち、悪いけどそこの物陰に隠れてくれないかな?」

 

 

 突然の指示に他のメンバーにも疑問が生じる。いくらアラガミの研究とは言え、わざわざ現場まで出てくる必要がそもそもあり得ない。しかも今回は護衛までつけての登場となれば、恐らくこの後に何かが起こる事だけは予測できた。

 

 

「兄様、これから一体何が?」

 

「見ればわかる。そろそろのはずだが」

 

 

 物陰から倒されたシユウを観察していると、どこからともなく白い物がシユウにたどり着いた。

 恐らくは今回の目的でもあったはず。そう考えると同時に警戒しながら近づけば、それはアラガミではなく一人の少女の様にも見えた。

 

 

「よし!今だ!」

 

 全員で一斉に白い少女を取り囲むも何かが違う。見た目だけで判断するなら間違いなく人間と恐らくは判断できるのだろう。

 ボロ切れを身にまとっている姿から判断すれば、それは確実に人間と判断出来てしまう。周りを囲ったのは良いが、この状況は犯罪者を取り押さえる様にも思える程に全員が困惑するしかなかった。

 

 

「いやーご苦労様。やっと姿を現してくれたね。無明君護衛ありがとう。おかげでやっとここに居合わす事ができたよ」

 

「あの榊博士、これは一体?」

 

「彼女が中々姿を見せてくれないから、この一帯の餌を根絶やしにしたんだよ。どんな偏食家だとしても、流石に空腹には耐えられないだろ?詳しい話はラボで話すよ」

 

 

 榊の言っている事は何となく分からないでもない。しかしながら、アラガミを餌と言い、偏食家と言うのであれば恐らくは……まさかととは思いつつもエイジは無明を見るがそこからは何も分からない事だけが分かった。

 

 

「ずっとお預けにしてすまなかったね。君も一緒に来てくれるかな?」

 

「イタダキマス………イタダキマシタ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええ~っ」

 

「何度でも言おう、これはアラガミだよ」

 

 

 榊の発言に一同は激しく驚くと同時に恐れもした。

 アラガミは人類の天敵であり捕喰者でもある。これはゴッドイーターとして任務に就く際に一番最初に説明を受けている常識と言える内容。それだけではなく、一般人でさえもアラガミの存在は知っているのと同時にその恐ろしさも理解している。

 しかしながら、榊が発言した目の前に居る存在は、見た目は紛れもなく人間の様にしか見えない存在。そんな見た目とは正反対の存在でもあるとおもむろに言われれば、知らずに連れて来たとは言え、全員の動揺は隠せなかった。

 ゴッドイーターと言えど丸腰であれば一般人と何も変わらない。

 

 目の前に絶対的な捕喰者が居る以上、普段通りにと言われても中々落ち着けるものではなかった。

 

 

「お前たち少し落ち着け。これは人間を捕喰する事は無い。事前の調査で判明している」

 

「兄様それは?」

 

 恐らく榊と無明はこの存在と同時に既に調べはついているのだろう。幾ら頭では分かっていても、直ぐに理解しろと言うにはインパクトが大きすぎた。

 

「知っての通りだが、アラガミは独自の捕喰傾向があり、それ以外については見向きもしない。このアラガミの偏喰は自身よりも高次元のアラガミに向いている。簡単に言えば人類は捕喰の対象外となる」

 

「つまりこの子は?」

 

「見解としては進化の袋小路に迷い込んだもの、即ち人間に極めて近いアラガミと言った方が分かりやすいのだろう」

 

「人間と同じだと?」

 

 驚きながらも現状確認をしていく。ゴッドイーターは討伐に関しての知識はあっても、アラガミそのものを完全し知っている訳ではない。

 今後の事も踏まえて一つ一つを確認していく。

 

「無明君の言う通り、先ほど調べた結果だけど頭部神経節に相当する部分が人間の脳と同じ働きをしているみたいでね、学習能力もすこぶる高いようだね。実に興味深い」

 

「はい先生!質問です」

 

「なんだいコウタ君?」

 

「よく分かったと言うか分からないと言うか、こいつのゴハンーとか、イタダキマスって何なんですかね?こいつが言うとシャレにならないんですけど」

 

「先ほどの話に戻るけど、アラガミの傾向としては同種の似た様な形質の物は食べないんだよ。ただ、そうは言っても、先ほどみたいに飢えた状態なら構わずにガブリといく事もあるだろうね」

 

 

 その一言で、ようやく落ち着きだした雰囲気が再度緊張感で満たされる。

 しかしながら、先ほどからの動きと見た目から想像すると、それも一概に信じて良い物なのだろうか?疑う訳では無いものの、そんな空気が流れていた。

 

 

「とにかく、どんな過程でこの様な形になったのかは興味深いね。それとこれは重要な事だが、この子の存在はここにいるメンバー全員の秘密にしておいてほしい…いいね?」

 

「ですが、この事を支部長と教官には報告しないと」

 

「サクヤ君、まさか天下に名だたるゴッドイーターが秘密裏に最前線でもあるこのアナグラにアラガミを連れ込んだと、そう報告するつもりかい?」

 

「しかし、一体何の為に?」

 

「これは学術的にも貴重なサンプルなんだ。むしろ個人的には有用な研究対象だよ。この部屋はアナグラの中でもセキュリティは独立してるから、誰かが言わない限り情報が外に漏れる事は一切ないよ」

 

「しかし」

 

「君も今やっている事に余計な突っ込みは入れられたくないだろう?」

 

 

 誰にも聞こえない様に囁かれ、まさか今やっている事が知られているとは思ってもいなかった。榊からの一言で、サクヤはそれ以上何も言う事は出来なかった。

 他のメンバーは何を言われたのかは分からないが、これ以上反論する労力も気力も無かった。

 

 今回の状況を踏まえて一旦は解散となり、各自部屋を出ようとしていた。

 そんな中でソーマだけが一人厳しい顔をしたまま出て行くのをエイジは見逃さなかった。

 

 

 

 

 

 



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第26話 葛藤

 ラボから一人出たソーマは他のメンバーとは違った思いがあった。

 なぜそんな考えに至ったのか、それは禁忌の人体実験とも言われたマーナガルム計画か事の発端だった。

 まだこの世にゴッドイーターが誕生する前、人類の希望として一組の科学者夫婦の子供を使った人体実験があった。

 

 現在は極東支部だけではなく、フェンリルとしてもこの実験そのものを忌避し外部に漏れる事が無い様に情報統制をかけている。

 まだ胎児の段階でP73偏食因子を投与し、そのまま経過観察が続けられていた。胎児からの成長の段階では一見、何の問題もなく順調に母胎の中で成長を見せていた。

 

 このまま上手く行けば、人類はアラガミにも対抗出来うる能力を持った人間が誕生する。計画に参加した科学者達は何の疑問も持つ事すら無かった。

 しかしながら、ここで全くの想定外の出来事がその後を一転させていた。胎児の時点では何の問題もなく、寧ろ順調過ぎる程のまま大きくなっていた。

 そんな中で出産の際に突如として想定外の出来事が起こる。

 原因不明のオラクル細胞の暴走と共に、母親を食い殺すかの様に出産されてきた事が総ての始まりだった。

 

 当時は藁をもすがる気持ちでの実験ではあったが、子供が産まれてから成長するに至って、他の子供とは明らかな違いが幾つか生じていた。

 一点目は異常なまでの治癒再生能力を備え、これは少しの傷であれば僅かな時間で完全に回復するほどのスピード。

 二点目は同年代の子供と比べても異常なまでの発達のスピードがあった。

 これを最初に見つけた科学者達は狂喜乱舞するかの如くソーマの人権を蔑ろにし、データを取ろうとあらゆる限りの手段で人体実験を繰り返した。

 

 禁忌の人体実験は常軌を逸した結果なのか、その過程で『P53偏食因子』すなわちゴッドイーターの基礎とも言える物質が発見された。

 これにより人類はただ減少する事を見ているのではなく、ここから初めて反撃に入る。このデータを元に対アラガミ用の生体兵器『神機』が作成され、今のゴッドイーターの先端に位置する事になっていた。

 

 内容だけで判断すれば人類を照らす大いなる光ではあるが、その反対に闇も存在する。

 非道ともいえる人体実験は対外的には伏せられ、実験成功した唯一の個体でもあるソーマは幼少の頃からは子供ではなく実験体のサンプルの様な扱いを受けた。

 今の年齢に入ってからは一定の実験は完了していた事もあり、今では一人のゴッドイーターとして最前線に立ち続けていた。

 

 本来ゴッドイーターは定期的な偏食因子の摂取が義務付けられているが、ソーマ自身は摂取は経口での食事からでも代用できる様になっていた。

 

 皮肉にも若干12歳と言う年齢で最前線に出てから、今までに一度も窮地に陥ることも無く、また当時の中でも過酷と言われたロシア殲滅戦の最前線に出陣する事になってもそれは何も変わらなかった。

 

 まだ子供の段階で実験動物と同列に扱われ、親のぬくもりも知らないまま大きくなると精神的な部分でも若干偏りと綻びが見え、更には任務に関しても望んだ身体ではないが他の神機使い以上の身体能力を持ってしまった関係上、生存能力は他よりも群を抜いて高かった。

 他の任務についてもほぼ全滅の危機に陥っても、ソーマだけが生き残る事も多く、他の神機使い達からは『死神』の異名を唱えられた。

 

 今更くだらないと、自嘲と共にこの環境に慣れた所での少女を模したアラガミはソーマ自身の心に何かしら響く物があった。

 榊の発言した進化の袋小路に迷い込んだ存在。それをどう捉えるのかはソーマ自身にも分からなかった。

 自分とこれとは何が違うのだろうか?今日一日で色んな事が一気に起きすぎていた。

 思いにふけるあまり、背後からの気配を察知するのが珍しく若干遅れていた。

 

 

「ソーマどうかした?」

 

「お前には関係ない。これで終わりならさっさと帰れ」

 

 

 声の主はエイジだった。あまりに自問自答しすぎたのかエイジの気配が全く読めなかった。

 何故か苛々だけが募る。これがどんな感情と呼んでいいのかソーマ自身何も分からなかった。

 

 

「さっきから明らかに変だけど、あのアラガミの少女に何かあった?」

 

「何もない。バケモノを匿うなんてどうかしてると思っただけだ」

 

「バケモノ……ね。らしいと言えばらしいけど、前にもそんな事言ってなかった?」

 

「そんな記憶はない。お前も知っての通り、周りから俺はバケモノ扱いされて今じゃ死神なんて言われてる。俺に構う暇があるなら他の事でもしたらどうだ?」

 

 

 過去の事を考えると、ソーマ自身同じ年代の人間と話す機会はあまりなかった。

 最近ではリンドウやサクヤが遠まわしにでも気を使ってくれていたのが分かったが、前のミッションでリンドウが行方不明になって以来、直接は無いが遠くで死神やバケモノなんて声は聞きたくなくても聞こえていた。

 

 

「気に障るなら謝るけど、前にも言われてたけどなんで死神なの?」

 

「お前は何も知らないのか?部隊長権限で過去の任務履歴を見れば分かるだろ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

「履歴は隊長になってから見たけど、あんなくだらない事で死神ってないだろ?」

 

 

 エイジの何気ないこの一言でソーマの何かが切れた様にも感じた。

 

 

「貴様に何が分かる!今までいろんな人間と任務に行って、今まで散々目の前で人が死んだ。お前と初めて組んだ任務でも死人が出た。俺がそれを見て何も思わないとでも思ったのか!」

 

 普段からは考える事が出来ない程に激情に駆られ、恐らくは自分で今何を言っているのかすら判断出来ないのかもしれない。しかし、ソーマの心の底は澱の様に淀んだ考えがエイジの一言で流れ出ようとしていた。

 

 

「じゃあ一つ聞くけど、ソーマは誰かを殺したのか?違うだろ。それは単純に実力が無いだけでソーマとは関係ない。

 人の死に目なんてこんな仕事に付けば日常茶飯事だ。そんな事は誰だって認識の一つや二つはしている。そんな体験が自分だけだなんて思い上がりも良い所だ」

 

「うるさい黙れ!」

 

 

 怒声と共にエイジに向かって殴りかかる。いつもならば躱す事が出来ないほど鋭い動きをしているが、怒りと共に動けば行動が単調になり、この先の動きも読める。

 エイジとてむざむざと殴られる程のお人良しではない。結果としてエイジは難なく避け、逆にソーマの腕を取り押さえた。

 

 

「勘違いしないでほしい。この世界に住んでいる人間の命なんて、ハッキリ言って紙よりも薄くて軽い。ここはアラガミ防壁のおかげで平和に過ごせるけど、それ以外の人間は毎日アラガミの脅威に怯えながら生活している。

 ハッキリ言えば人の死に目なんて外部居住区以外の人間は日常の範囲で見ている。まだ抵抗する手段があるだけゴッドイーターの方がマシだよ。まさかと思うけど、ここ以外で人間が住める所が無いなんて思っていないよね?」

 

 

 エイジの声は今までの穏やかなものとは違い、体の中に何か危険な物でも飼っているかの如き声だった。

 ソーマは確かに実験動物の様な扱いをされて今まで生きてきた。しかしながらそれ以外の情報は遮断され今日に至る。

 いくら任務で外部に出ても、まさかそんな状態のまま居住している人間が目の前にいるなんて思う事は無かった。

 

 

「僕自身が今までそうやって過ごしてきた。両親は早くに亡くなったから今まで生き延びるのに必死だったよ。人間の命なんてアラガミからすれば餌以外の何物でもない。朝起きて夜眠る事に安心して生活した事は一日たりとも無かった。

 たまたま兄様に拾われてから、まっとうな人間らしい生活を送れた。単純に運が良かったと思うだけでそれ以外には何もない。アラガミの餌として生きて死ぬなんてまっぴらごめんだ」

 

 

 今までエイジの出自なんて確認する術が無かったソーマからすれば意外な告白だった。

 自らも実験動物として生きていたが、目の前にいる人間もそれに近いかそれ以下とも考えられた。

 この時代にまっとうに生きる事が難しいのは言うまでもなく誰もが知っている。

 だからこそ生にすがりそれを守りたいと思うのだろう。それ程迄にエイジの独白はソーマにとって衝撃的だった。

 

 

「ソーマが何を思って苛立っているのか分からない。正直知った所で何も出来ない。そもそも僕がソーマになる事は出来ないんだからね。

 人は原体験を元に考えるから自分が自分を見つめ直して考えない限りおそらく変わる事は無いんだ。今更仲間だなんておためごかしをした所で何も変わらない。だからと言って何もしなくても良いとも思わない。

 メンバーが嫌なら隊長権限で物事に強制参加さけるけど、それじゃつまらないだけで面白くないし、自分の人生は自分が楽しむものであって他人のものでは無いよ。ソーマの人生はソーマが決める事だ」

 

 

 先程とは違い、エイジの顔は穏やかにも見えた。

 リンドウやサクヤも色々と気にしてくれはしたが、ここまで突っ込んだ事を話す事も無かった。

 そう思えばエイジのやっている事は一見まともに見えるが、自分の言いたい事だけ言って後は知らんと言い放つ。

 

 しかしながら、差し出した手はいつまでも引っ込めようとは思わないほどお人よしにも見えた。

 心の奥底に溜まった澱は直ぐに流れる事は無いが、エイジの言葉からそう考えると少しだけ自分の態度が何となく軟化した様にも見えた。

 

 

「ここまで言い合ったから腹が減ったよ。ソーマはこの後の予定は?」

 

「何もない。帰って寝るだけだ」

 

「だったらご飯を一緒食べない?どうせみんなも食事を取るんだろうし、お互いが何も知らないのは今後の影響もあるだろうからね?」

 

 

 エイジが後ろを振り向くと、壁の向こうからコウタとアリサが顔を出した。よく考えればここはラボの階層なので人は居ないが、廊下である事に変わりない。

 となればおそらくはサクヤも向こうにいるのだろう。あまりにも激しい言い合いは廊下にまで響いていた。

 

 そこまで気配を察知する事が出来なかったソーマはどことなく気恥ずかしい気持ちで溢れていたが、このお人好し達は余程の事が無い限り、差し出した手を引っ込める事は無いのだろう。

 

 こんな時代だからこそ、少し位の希望を持つのは悪く無いのと同時に少しだけエイジの言葉に耳を傾けても良いのかもしれない。改めてそう考える事にした。

 

 

 

 

 

 

 



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第27話 突然

「ありあわせだけど良いよね?」

 

 

 ソーマだけではなく、結果的にはそこに居た全員と食事をする事になった。

 エイジ自身が誘った手前、それなりには手を加えるが、先日のパーティーの事もあり今回は割と簡単な物で済ます事にした。

 

 

「いつ食べてもエイジの飯はうまいよな」

 

「だからたまには自分で作れよ」

 

「あれから考えたんだけど、やっぱり面倒だしそれなら作ってもらった方が早いのと確実だって事に気が付いたんだよ」

 

 

 コウタは出たものは割となんでも食べるので、作る方としては気にする事は殆ど無かった。今回も料理はいたって簡単な作り置きのパスタを解凍した物と付け合わせで簡単なサラダにパンとスープと言った所だった。

 

 本来であればソーマと食べるつもりだったが、さすがにあの状況で他の人間を無視する事はエイジとしても気持ちの良い物ではなく、先ほどの話では無いがソーマに対してのわだかまりを無くし、かつ親睦を深める事も兼ねてた方が効率が良いとばかりに誘う事になった。

 

 

「サクヤさん、味はどうですか?」

 

「そうね。前も思ったけどエイジは料理人の方が良いんじゃないかって思う事はあるわ」

 

「口にあってなによりです」

 

 料理を食べてもらうと言うのは、逆の考え方からすれば無意識にでも自分と比較する事がある。

 プロの料理人ではないのと、現状では手に入るものは限られてくる以上、そこは工夫するしか方法は無かった。

 コウタとサクヤは普通に食べているが、アリサだけは何故かへこんでいる様にも見えるのかフォークを持った手が止まっていた。

 ひょっとしたら口に合わなかったのだろうか?エイジはそんな事を考えながらアリサを何気に見ていた。

 

 

「口に合わなかった?」

 

「いえ、正直かなり美味しいです。ただ……」

 

「だた?」

 

「いえ、なんでもありません」

 

 そのやり取りを見たサクヤだけがアリサの気持ちの変化に気が付いていた。

 以前に話した際にはアリサの過去に関する事も含まれており、洗脳の前は両親がまだ健在だったのと、年齢的にはまだそこまで至らなかった。

 しかし、それ以降は洗脳されながらの日々の生活は戦闘訓練に明け暮れていた為に、女の子らしい事や家事など同年代の子供がする様な事は一切やってこなかった。

 

 むしろ戦闘にのみ特化し、そんな二次的な事は無意味とばかりに一切教えられていなかった。

 しかし、先ほどのエイジとソーマの会話のやり取りを聞き、自身がどんな環境に身を置いていたのか、なぜそんな考えに至らなかったのかを考えてしまっていた。

 

 家族が当たり前の様に居る事の方が珍しい。本来であれば母親から家庭の味付けとなる料理や掃除など、家庭的な事は何も知らなさすぎた自分に自己嫌悪しそうになっていた。

 

 特に厄介なのが自分たちの部隊長でもあるエイジは小さいころから生きる術を自分で磨き、またそれを恥じる事も喧伝する事もなく、ただ普通だと考えやってきていた。

 パーティーの時にもリッカから多少なりとも聞いていたが、色んな事を教えて貰いながら自分でも研鑚を積んでいる。

 その結果が目の前にある。リッカからそう聞いていた。

 

 

「そう言えば、前に食べたプリンって結構手間がかかってるの?」

 

「ああ、あれね。手間は人によるかも。かかると言えばかかるけど、材料だけ見たら大したものは使っていないんだよ」

 

「前にお土産で家に持って帰ったらノゾミが想像以上に喜んじゃったから、作るとなると面倒なのかと思ってさ」

 

 

 

 その会話を聞いた瞬間にアリサはこれが天啓だとばかりに閃いた。言うなら今しかないと。

 

 

「そ、そのプリンわたしにも作れますか?」

 

「簡単だから多分子供でも作れるはずだよ。何なら今から作ってみる?」

 

 

 食事会の後は急遽お菓子教室が開催される事になった。

 何だかんだと今まで連続したミッションをこなした影響なのか、幸いにもアナグラ周辺にアラガミの脅威は見れらない。となれば気分転換位は出来るのだろう。

 エイジはそう思い改めて確認する事にした。

 

 

「作るなら、簡単なのと手間は少しかかるけど味はいいのがあるけど、ちなみに経験はある?」

 

 

 サクヤは料理が出来るので恐らくは参加する事は無いのかもしれない。

 しかし、残りの3人に関しては全くの未知数。コウタは言わなくても分かるが、ソーマとアリサはそこまで聞いた事が今まで一度も無かった。

 

 

「俺は参加しない」

 

「何言ってるんですか!今更そんな話が出たからと言って逃げるんですか?」

 

 

 

 ソーマとて何も考えていない訳では無かった。

 先ほどの話の流れで食事をし、ここで解散とばかりに考えていたが、参加するなどと発言した覚えは全くない。何処にそんな要素があったかは知らないが、何故か参加する事が強制となっている。

 今まで食事なんて腹が満たされればそれで良いとさえ思った人間が、何の酔狂なのか料理を作るなんて選択肢は最初から無かった。

 それを予測し離脱しようかと思った矢先のアリサの発言。ソーマはそこまで言われて面白くないと判断したのか急遽参加する事を決めた。

 

 

「良いだろう。やってやろうじゃないか。もちろん2人も当然作るんだろうな?」

 

「と、当然です。コウタも当然参加しますよね?ノゾミちゃんに教える事が出来ますよ」

 

「簡単ならやってみようかな。何だか面白そうだし」

 

「じゃあ私は3人の監督をするわね」

 

 

 

 ここで開催が決定した。第1回お菓子教室の幕が切って落とされた。

 

 

「とりあえず簡単に作れる物でやるよ。材料はこれだよ」

 

 取り出されたのは牛乳に卵と砂糖の3種類。それ以外はどこにも何も置いていない。

 

 

「なあエイジ、まさかと思うけどこれだけで出来るの?」

 

「これだけだよ。簡単に作るならこれだけで十分だけどね」

 

「ここはもっといろんな味や、口当たりなんかもアレンジしたらどうですか?」

 

「基本が出来ない人間がどうアレンジするんだよ。最後は口に入るものだぞ。限られた資源は大切に使わないと勿体ないって。ここに変なこだわりは要らないから」

 

 エイジは口には出さない物の、コウタの言い分はもっともだった。

 料理はお菓子と違いかなりアバウトに作っても最終的な味付けである程度決まるが、お菓子作りは決まった分量を正しいやり方で確実にしないと出来ない。

 食べると言う最終目標は同じだが、過程は全く違う。

 

 そんな説明にサクヤも驚いていた。自身で作れば確実に分かるが、お菓子はしっかりと分量と手順を守らないと最終的には全く予想も出来ない結果になる事がある。

 そうならない様にレシピはしかっりと守る必要があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「簡単だったろ?」

 

「いや、ここまで簡単だとは思わなかった」

 

「自分で作るのも悪くはないな」

 

「……何だかみんなとは違う気がします」

 

 

 コウタとソーマが作ったのは所謂教科書通りの出来栄えだった。

 自分で作るので甘さや容量は自分の好みに合わせる事が出来るのが手作りの最大の点。これには問題が特に無かった。

 問題なのがアリサのプリン。2人とは違って何故か色が違うだけでなく、質感が明らかに異なる。

 

 材料に関しては皆同じである以上、一人だけ異なる可能性は低い。そうエイジも考えた末の判断だった。

 

 神機を扱う様子を見れば不器用ではないはず。そう安易に考えたのがそもそも間違いの元だった。

 本体の部分は単純にかき混ぜるだけだったので3人とも問題無かった。

 しかし、決定的に違ったのがカラメルの部分。砂糖を水で少しづつのばしながら味と色を決めていくが、アリサだけは何故か豪快な火力と共に黒焦げの状態となっているので、漂う臭いから味は食べるまでも無い事だけは容易に理解出来た。

 

 

「カラメルはともかく、本体は大丈夫だからちゃんと食べられるよ」

 

「でも他の2人よりも出来栄えが悪いです」

 

「最初から上手く出来る人は少ないよ。要は数をこなして慣れるのが一番だから」

 

 

 

 いくらフォローしても、まさか他の2人に負けるとは思っていなかったのか、残念な出来栄えに見事にへこんでいる。

 あまりの落ち込み様に何と言っていいのか、かける言葉が見当たらない。サクヤに助けを求めるべく、目で合図をするが、残念ながらこの状況を覆す手段が無いのか、悪いと思いながらもサクヤは気が付かないフリをしていた。

 この時点で回避は不可能だと悟ったエイジも困り果てた。

 

 流石にエイジに押し付けるのは悪いと思ったのか、暫く考えたのか、改めてサクヤがフォローに入った。

 

 

「アリサ、エイジが言ったように数をこなせば上手くなるから気にしないで」

 

「一人ではさすがに出来る自身がありません」

 

「誰も一人でなんて言ってないでしょ。目の前に先生がいるんだからしっかりと教わりなさい」

 

 何気に聞いていたエイジもサクヤの発言には驚いてしまった。

 今までにも屋敷で小さい子供に何度か教えた経験はあったが、あくまでもおままごとの延長の様なもの。

 今回は子供ではなくアリサ。先ほどの手順と手つきを見れば前途多難なのは容易に想像できた。

 

 

「あの、お願いしても良いですか?」

 

 上目遣いにお願いされて嫌とは言えず、今のままではあまりにも気の毒なのも分からないでもない。

 しかしながら二人で教えるのは若干緊張する。アリサの事は嫌いではないが、エイジとてそれなりの年齢に達した男性である以上、わずかでも意識せざるを得ない。

 ここは多少でも道連れを考えようとした途端に何かを察知したのか、コウタとソーマは帰り支度を始めていた。

 

 

「ちょっと用事があるから部屋に戻るよ」

 

「用事を思い出した。悪いがあとは頼んだ」

 

「ちょっと……」

 

 

 

 道連れにと思った連中は薄情にも敵前逃亡を図っていた。

 

 

 

 

 

 

 



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第28話 命名

《第1部隊隊員は全員ラボラトリに来るように》

 

 最早お馴染みとなりつつある携帯端末のメッセージは簡潔に記されていた。

 アラガミの少女の確保から数日が過ぎ普段と変わらない日々を送りだしていた。

 今までにも何度かこんな呼び出しはあったが、ここ数日はアラガミの少女の件での呼び出し回数が群を抜いて多くなっていた。

 

 

「失礼します」

 

「エイジ君よく来たね。君が最後だ。早速だが今回の要件を伝えるよ。今回呼んだのはこの子の名前を決めて貰いたいと思ってね。いつまでも便宜上この子では面倒だし名前があった方が良さそうだからね」

 

「名前ですか?」

 

「名前があった方が親近感も沸くだろうし、それに呼びやすくなるから一石二鳥かと思ってね。君たちには期待しているよ」

 

 確かにいつまでも名無しでは便宜上呼び辛い事に変わりない。

 事実、このメンバー以外に存在は知らされてはいないが、見た目はまだ10代前半の様な容姿から、いつまでも名無しでは可哀相にも思えてくる。

 事実ここ数日の中で、このアラガミの少女は驚くべき早さで言葉を覚えていた。

 

 確保当時に比べれば、今の方が確実に人間らしい言葉を発し、何も言わなければ正体がアラガミだと判断するのは難しいとさえ思われていた。

 誰もが予期していなかった榊からの話。突然言われた中で、誰も反応が出来なかったその中でコウタがいち早く口火を開いた。

 

 

「ふっ。俺、ネーミングセンスには自身あるんだよね~」

 

 

 自身有りげな表情と共に、その一言に今回集まった人間はコウタが何を考えているのか、何となく想像できるのと同時にある種の不安を抱いてた。

 

 

「そうだな~。ノラミなんてどう?」

 

 嫌な予感が当たったのか、誰一人その名前に関して言葉を発する事ができなかった。

 ソーマとサクヤは顔を引きつらせ、エイジに関してはやっぱりかと言った顔をし、アリサに至っては冷たい目を向け、たった一言でコウタを斬った。

 

 

「ドン引きです」

 

 おそらくその台詞は全員の気持ちを代弁し、言葉を一つに集約したようにも思われていた。もちろん、言われたコウタも負けじと反論する。

 

 

「じゃあ、なんかいい名前あるのかよ?」

 

「なんで私が」

 

「だって、そこまで言うんだろ!ネーミングセンスに自身ないのかよ!」

 

 まさかの反論にアリサは狼狽え、一体どうしたものかと考えていた矢先に、普段あまり聞く事のない声が聞こえた。

 

「シオ」

 

「シオ?それが君の名前かい?」

 

「そうだよ」

 

「どうやら既に誰かさんが名前を決めたみたいだね」

 

「でも一体誰が?」

 

「そーま」

 

 まさかの発言に全員の視線がソーマに集まる。まさかこんな所で暴露されるとは思わなかったのか、照れ隠しとも言える行動でフードを更に深く被り直し、ソーマはその場を去った。

 

 

「俺は用事がある。後はお前達で勝手にやってろ」

 

 ひと騒動あったとは言え、結果的には本人の希望で名前はシオと無事に決定する事となった。

 そんなやりとりの中で、一人榊の表情が穏やかに見えた事が気のせいには見えなかった。

 唐突に決まった名前と、その発案者の影響もようやく落ち着き、エイジは帰り際に榊に呼び止められていた。

 

 

「最近、ソーマが少しづつだが、心を開いている様にも見えたんだけど、ひょっとしてこの前の件がキッカケかい?」

 

 

 先日のラボの外での言い合いの事を指しているのは、エイジにも容易に想像が出来た。確かにあの一件から以前の様な刺々しい部分が若干隠れてきたのか、雰囲気が何処となく緩む事で、以前よりは穏やかに見えていた。

 しかしながら、それはあくまでも第1部隊の中での話であり、他の部隊からではおそらく変化の機微については気が付かない程わずかな変化。

 しかしながら、幼少の頃からソーマを知っている榊に言わせれば、間違いなく大きな変化とも言えた。

 

 子供ながらにして今思えば人類の為と、まるで免罪符代わりに発する言葉で誤魔化しながら、実験を繰り返した結果が今の状況を招いている事を誰よりも理解している。

 いくら研究者と言えど、人間の心が全く無い訳では無い。

 そんな部分も踏まえて、一個人として素直にエイジに聞きたいと思っていた。

 

 

「そうだと自分では思いたいです。ソーマからしっかりと聞いた訳ではありませんが、過去に一体何があったんですか?」

 

 エイジの疑問は尤もだった。ああまで自分の事を蔑むのであれば何らかの理由が必要となる。

 事実は分からなくても、周りから死神だと忌避される程の何かがあるのであれば、榊への質問はある意味当然だった。

 

 

「それは僕の口から言える立場じゃない。詳しい事は本人に聞くのが一番だと思うよ。

 でも確かに何らかのキッカケがあって変わったと僕は思っているよ。人間なんて生き物は、原体験があってその環境から初めて性格が形成される。もちろんそこには本人をとりまく環境も影響している事は間違いない。

 だからと言って性格と本質は必ずしも一致する訳では無いんだ。評論家じゃないからそれ以上の事は何も言えないけどね。もちろんそれは誰にでも言える事で、君らの部隊で言えば元々アリサ君もそうじゃなかったかな?君には目に見えない不思議な何かがあるのかもしれないね。

 実に興味深いよ。一度君を隅から隅まで調べたいんだがどうだい?」

 

 

 何となく良い言葉で締めくくられたはずだったが、ニヤリと笑った榊はヤッパリいつもの榊だった。榊の要望をやんわりとかわしつつ、エイジは自室に逃げ込む事にした。

 

 コウタの発言を発端に色々とあったが、一息ついたキッカケにターミナルでメールチェックをしていると、不思議な動画ファイルが届いていた。

 差出人は先ほどの榊。本文は何も書いていないが添付の中身を見ようと何気なくファイルを開いた。

 

 

「これが本当ならソーマは……」

 

 中身を見たエイジは激しく後悔した。おそらくこの中身はかなり重要な機密だったのだろう。

 ファイルの中に記されたマーナガルム計画と呼ばれた非人道的な計画の発案とその結果、どうやってゴッドイーターが生まれたのか、なぜソーマが自虐的になる位に自らをバケモノと呼んだのかが全て分かってしまった。

 最後にはご丁寧に榊博士からの伝言と、まるで謀ったかの様な一文。おそらくは自分が確実に見るであろう事まで予測した結果だった。

 

 見た後は確かに後悔したものの、冷静に考えれば事実を知ったから何かが変わる訳では無い。仮に一人の被験者として接すれば特別何かが変わる訳では無い。

 当然の事だが、任務にすら何か影響が出る訳でもない。

 ならば、そのまま自分の中で消化すれば済む話だと自分に言い聞かせる事にした。

 

 当たり前の事が当たり前では無いこの世界に、神は何を求めているのだろうか?

 見つからない答えを探すほどエイジはセンタメンタルでは無い。

 しかし、この部隊ならば何とかやっていけると言った考えも、そこには存在していた。

 

 

 

 



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第29話 捜索

「なあ、最近第1部隊の連中はロビーに居ない事が多いけど、何かあったのか?」

 

 

 シオの事でほぼ毎日に近い位のレベルでラボに足を運んでいる事が影響したのか、エイジは背後から不意に声をかけられていた。

 

 

「シュンさんどうしたんですか急に?」

 

「お前らを最近見る事が少ないから、何か依頼でもあったのかと思ってさ。ひょっとしたら新型レーションの開発とかか?よかったら俺にも横流ししてくれよ。あれさ、結構良い金になるんだよ」

 

 

 何気ないシュンの一言ではあったが、エイジの背中に冷たい汗が流れる。

 一瞬シオの事がばれたかと心配したが、どうやらそうでは無いらしい。

 

 ここ数日はシオの事で行動する機会が多かったが、冷静に考えれば普段であれば毎日ロビーに居るはずの人間がゴッソリと居なければ疑問の一つも出るのはある意味当然の事だった。

 

 秘匿するのであれば、本来ならば通常と変わらない行動をするのが当然だったが、シオの存在はそんな単純な事すら認識出来なくなる程のインパクトがあった。

 

 アラガミの少女シオ。彼女は今までに発見されたことが無い、人間の形を模したアラガミ。当然アナグラ内部に公表する訳にはいかず、現在の所はごく一部の人間のみが知らされる事となっていた。

 特にコウタやアリサに関しては、ほぼ入り浸っていると言っても過言ではなく、その姿はミッションの出撃以外にロビーで見かける事が極端に少なくなっていた。

 

 

「レーションではないですが、榊博士の依頼でいくつかやる事があるので」

 

「あ~、榊博士ね。ま、良い話あったら教えろよな」

 

 

 アナグラ内部での榊の評判は正直な所、余り良い物ではない。フェンリル全支部でもトップクラスの頭脳の持ち主でもあり、いち早くアラガミ防護壁を開発した人物。

 彼が居なければ早晩にでも人類は滅亡していたのではないかとまで言わしめられた人物でもある。

 

 しかし、天才と何かは紙一重。

 天才の名を欲しいままにすると同時に、単語の頭にマッドが付く程の変人では?とまで揶揄される程の極端な人物でもあった。

 そんな榊博士の用事であれば恐らくは碌な話ではない。決して貶めるつもりは毛頭無いが、今までの事を考えると一概に否定する事は出来ない。

 面倒事に自ら首を突っ込みたいと思わなかったそシュンはそう判断したのか、まるで何事も無かったかの様にその場を去った。

 

 しかし、何気に放たれたシュンの一言でエイジは改めて気がついた。本人たちは気が付いていないつもりだが、他人から見ればこの異常とも言える状態は案外と気が付く人間も確実にいる可能性が高い事に変わりない。

 今後はもう少し周囲に合わせよう。そう考えて行動する事をエイジは心に誓った。

 

 

「今度は何でしょうか?」

 

「毎回悪いね。今度は彼女の服を着させてほしくてね。いつまでもあの恰好では気の毒だからね」

 

 シオは保護された当時からフェンリルのボロボロの旗を身体に巻付けたまま現在に至る。既に見慣れていた事もあってか榊に言われるまで何も思わなかったが、改めて言われた事で再度シオを見る。

 シオはまるで気にした様子は無いが、冷静になればなるほど榊の言いたい事は痛いほどに良く分かっていた。

 

 

「博士、それって俺らに関係ないですよね?丁度今バガラリー良い所だったんで帰ります」

 

「だったら俺に用はないから帰るぞ」

 

 いくらアラガミとは言え、誰がどう見ても10代前半の少女にしか見えない。

 そんな状態で着替えなんて話であれば、世間的には変質者扱いされても何らおかしくない。

 誰しもが好き好んで変質者の烙印を押されたいと思う事は無いとそう考えたのか、コウタとソーマはラボから去って行く。

 

 

「まあ、男連中に期待はしてないから良いけどね。エイジはそこで見学するの?」

 

「エイジはシオちゃんの着替え見たいんですか?」

 

 

 呆気にとられていたが、これから着替えるとなればここに居る必要性は無い。特に何も考えて居なかったが、変質者の烙印を押される訳にはいかない。そう考えてエイジも慌てて外にでた。

 

 

「さあ、シオちゃん今から楽しい事しますよ」

 

「たのしいことってなんだ?それ、おいしいのか?たのしみだな」

 

 

 今の恰好から考えれば、服を着替えてかわいい恰好をするのは悪い事ではない。

 むしろ良い事だとシオを説得し、ラボの別室へと連れて行ったかと思った途端、大きな声と共に衝撃が走った。

 

 

「どうした!」

 

 大きな音と衝撃が内部から聞こえるのはただ事ではない。

 緊急性が高い何かが起きたのだろうか?と考えラボに向かうと、そこには大きな穴とサクヤとアリサが咳き込んでいた。

 

「シオちゃんが嫌がって逃げちゃいました」

 

「まさかこうなるとは……実に興味深い」

 

 まさかの逃亡に一同唖然とするも、このまま放置はできない。これからの予定を考えていた所に携帯端末からの通信が入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先ほどリンドウの腕輪反応がまたあった。個体に関しては現在調査中だ。全員出撃準備をし、30分後には集合しろ」

 

 

 突如としてツバキからの緊急任務が入った。現在秘密になっているとは言え、逃亡したシオの捜索も早急に必要となっている。

 通常の任務ならともかく、リンドウの腕輪反応が出ているのと同時に両者の任務が緊急時案となる以上、選択の余地は全く無い。

 現地での判断にゆだねられる事になった。

 

 

「前回同様リンドウの腕輪反応をキャッチした。なお、前回と同種の個体だけではなく、他ににもいくつかの反応が見られる。恐らくは場所から判断して堕天種と判断される。全員気を引き締めてかかれ」

 

「了解」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鎮魂の廃寺へ急行すると当初の予想通り、そこにはプリティヴィ・マータとコンゴウ堕天種が2体いた。

 このまま乱戦となれば確実に苦戦するのと同時に戦術にミスがあれば命まで落としかねない。特にプリティヴィ・マータは活性化すれば厄介極まりない個体は苦戦を強いられる可能性があった。

 ただでさえリンドウの腕輪反応だけでなくシオの捜索迄が今回の任務に含まれる以上、こんな所で余計な時間を費やす訳には行かなかった。エイジは今回のそれを踏まえて慎重に作戦を立案する事にした。

 

 

「まずはコンゴウ堕天種を2体殲滅。それを倒した後でプリティヴィ・マータの討伐とする。二手に分けるけどαがソーマとコウタとサクヤさん、βはアリサと自分がやる。プリティヴィ・マータに戦闘音を察知されると厄介だからなるべく離してからの討伐後に合流。その際には信号弾で合図。 これで行くけど、何か質問は?」

 

「問題ない」

 

「じゃあ、全員散開!」

 

 

 

 いくらシオの捜索も兼ねているとは言え、リンドウの腕輪反応も気がかりとなる。

 しかし、どちらを優先させるか今更言わなくても全員が理解していた。

 鎮魂の廃寺は全部で3層に分かれている為、分断そのものは一度おびき出せば容易に出来る。戦闘音さえ注意すれば問題なくこなせる内容だった。

 

 エイジとアリサのコンビはコンゴウ堕天種を最下層へとおびき出す。

 コンゴウ種の一番厄介なのが異常とも言える聴覚の鋭さ。いくら遠くても簡単に察知されると面倒以外の何物でもなかった。

 

 

「アリサは顔面を重点的に頼む。その隙に回り込んで背後から攻撃を仕掛ける。こちらに意識が向いたら挟撃で一気に決める」

 

「了解」

 

 

 コンゴウ堕天種はそもそも従来種から一定以上の進化した存在。通常種に比べ格段に体力、力が増大している為にまともに戦おうと考えれば時間がかかる。

 当然戦闘音が出れば他にも気が付かれる為に、出来るだけ迅速に討伐する必要があった。

 

 今回は二手に分ける事で、戦力の低下が起きると同時に短時間での討伐が要求される。その為には奇襲とも言える戦法で一気に殲滅する手段を選んだ。

 

 コンゴウの攻撃方法は極めて単純だが油断は禁物だった。

 注意点としては背中からのパイプ攻撃と丸太の様な太い腕から繰り出されるパンチ、そして大きな身体を利用したパンチがメインとなる。

 奇襲攻撃の最大の特徴は此方からの攻撃が一番最初に当たる点でもある。

 

 この状況を上手く利用し、一気に背中のパイプの結合崩壊を狙う。

 気配を殺し、背後からの凄まじい斬撃を当てる事でコンゴウ堕天種のパイプが大きな音と共に砕け散った。

 パイプが結合崩壊した事で背後からの攻撃に気が付いた瞬間、アリサの凄まじい射撃で顔面を狙うとコンゴウの視界は一気にふさがれた。

 

 視界を奪われれば、行動範囲が一気に狭まるその瞬間、エイジはコンゴウの背面に気が付かれる事無く素早く移動する。

 振り向いたコンゴウの先にはエイジの姿は既に無く、改めて背後から自慢の腕を肩口から一気に斬り落とした。

 悲鳴とも咆哮とも着かないまま暴れ回るが狙いを定めない攻撃は最早攻撃では無く、ただ暴れ回るだけの存在でしかない。

 

 片腕ではバランスが取り辛いのか、パンチを繰り出すも全て躱され、コンゴウは為す術もないまま斬り刻まれ、程無くして地面へと沈んだ。

 

 

 

「αチームは大丈夫かな?」

 

「ソーマとサクヤさんがいるから多分大丈夫ですよ。コウタはちょっとあれですけど」

 

「様子見て、戦闘中なら加勢するよ」

 

「了解です」

 

 

 

 コアを抜き取り、そうこう言いながら移動すると既に終わっていたのか全員が合流する事になった。残すはプリティヴィ・マータ1体。全員の緊張感は否応なしに高まっていく。

 

 物陰から様子を確認し、このまま一気に突撃しようかと確認すると、そこにいるはずのプリティヴィ・マータは全く動く気配が無い。動かないと言うよりも、むしろ生命活動そのものが停止している様にも見えた。

 この地域には事前調査で他のアラガミはが居ない事が確認されているが油断は出来ない。

 

 

「なあエイジ。あのプリティヴィ・マータ何か変じゃないか?」

 

「言われて見れば確かに……」

 

 コウタが言う様に、プリティヴィ・マータはいつまでたっても動く気配もなく、気が付けば時間が経過したからなのか、そのまま霧散していた。

 攻撃を受けた形跡すらないにも関わらず消え去ったそれは通常ではありえない現象。

 またもや襲撃かと思われた瞬間にその上から今まで見たことが無い様なアラガミが不気味な存在感と共にこちらを見ていた。

 

 

「まさか、あれがやったのか?」

 

 

 今までに見たことも無いが、狂暴である事だけは直観的に理解出来た。その風貌は他のアラガミと比べても明らかに異質とも言えた。

 襲いかかる様な雰囲気は無く、暫くはその場に佇んでいたが、やがてそのアラガミは一瞥したと同時にその場から立ち去って行った。

 

 

「あのアラガミは……」

 

呆気に取られた中で一人だけ違う反応を示していた。余りにも小さく呟いたその声は誰の耳にも届かないまま消え去っていた。

 

 

 

 

 

 

 



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第30話 憶測

「同種を捕喰したアラガミだって?実に珍しいサンプルかもしれないね」

 

「直接見た訳ではありませんが他には居ない様な感じでしたので、恐らくはそうかと」

 

 リンドウの腕輪情報から始まったミッションだったが、いざ現場で戦闘が始まると、それは想定外の結果となった。

 

 当初予定していたアラガミのうち2体は討伐したものの、恐らくはそれが今回の目的と思われた個体が何者かに捕喰されていた。

 今回の戦闘区域近辺での出動要請は第1部隊以外には出ておらず、逃げ出したシオも結局は別の場所で発見された為に、可能性から除外された。

 

 現場に残った細胞から、ヴァジュラ種の中でも更に高位のアラガミである事が発覚し、このデータを元に急遽対策が取られる事となった。

 

 

「あんな個体は今まで極東に居たんですか?」

 

「いや、今までは居たのかもしれないが、まともに発見されたのは今回が初めてだろうね。ヴァジュラ種の中でも接触禁忌種、名称はディアウス・ピターの様だね」

 

 

 名前と共に映像が画面に出される。今までのヴァジュラ種とは違い、それは邪悪な人間の顔を持つアラガミ。この醜悪な顔を見ながらそう考えると、今まで討伐したヴァジュラやプリティヴィ・マータが可愛らしく見えた。

 

 接触禁忌種とまで言われる程のパワーとスピードを保持している以上、その凶悪さを改めて知る事となった。

 このアラガミに対する対抗策を考えているそんな中で、アリサの様子が少しおかしい事にエイジは気がついた。

 顔色は若干悪く、よく見ればスカートの裾をしっかりと握るその手は僅かに震えている。あの事件から既に立ち直っているはずのアリサが心持ち怯えている様にも見えた。

 まるで目に見えない何かに脅えているかの様に。

 

 

「ミーティングはここまでだ。ここまで接近しているなら近日中にまた現れるだろう。それまで警戒を怠るな。恐らくはあの個体がリンドウの腕輪を持っているはずだ」

 

 

 ようやくラボでのミーティングが終わり散開となった。今までの中で間違いなく一番の激戦になる事だけはその場に居た全員が予測できた。

 

 

「アリサ。さっきから様子がおかしいけど、どうかした?」

 

「いえ、大した事では……」

 

「らしくないよ。まさかとは思うけど……」

 

 

 以前に感応現象で見えた光景。それはアリサの両親がアラガミに喰い殺された光景だった。

 当時は突然の状況で何も分からなかったが、そのアラガミが今だからこそ理解出来た。両親を喰い殺したあのディアウス・ピターである事。

 当時の事からは判断出来ないが、同種である事に変わりない。

 となればアリサのトラウマの元凶とも言える存在。そんな心理状態でまともに戦える事は事実上不可能とも思えた。

 それは単純な戦力としての心配なのか、それとも個人的な部分での心配なのか。

 今のエイジにとって、隊長になってからの初めての接触禁忌種の討伐任務。自身も初めて対峙するだけでなく、今度は部隊全員の命を預かる立場は就任して初めて分かる事実。いつもであれば気がつくも、今はアリサの変調すら気がつく事が出来ない程に配慮出来る心のゆとりは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今までの検証から勘案すると、恐らくはエイジ君達が見た個体はかなり特殊なのかもしれないね。過去の実例から考えても特異すぎる点が多い事から、今回の件はあくまでも推定にしか過ぎないレベルだけどね。君の見解を教えてもらえないかな?」

 

 

 今回のミッションは今までに前例がない位の苛烈な戦いが予想されていた。

 一番の問題点が、今までの仮定を根底からひっくり返すかの様な存在のアラガミ。このまま放置する事は容認出来ないレベルの存在でもある。

 仮に目を背けたとしても、これもまたそのまま放置すれば近い将来、必ず3禍根を残す可能性が極めて高い事が予測された。

 

 

「直接見た訳ではないですが、今までの仮定から推測すれば恐らくはリンドウの神機が関連している可能性が極めて高いでしょう。その影響で異常な位に知能が発達した可能性は否めません」

 

「やっぱり君と同意見か。恐らくは過去の例に見ない厳しい戦いになるのかもしれないね」

 

 

 今回発見されたアラガミは、今までの例から考えれば明らかに異端とも思える存在でもあった。従来のアラガミは捕喰の欲求に極めて従順な為、ある意味では獣と変わらないはずだった。

 

 しかしながら今回発見されたディアウス・ピターには今まで討伐してきたアラガミ知性が感じられる。恐らくは捕喰の果てに進化し、学習能力を身に付けたといっても過言ではない。

 現在の状況から考えると決して楽観視できない。そう考えるのは至極当然とも言えた。

 

 

「そう言えば話は変わるが、シオの服についてだけど、君の所で何とか出来ないかい?」

 

「そうしたいのは山々ですが、暫くは開発の兼合いで時間が取れないのが現状です。確かアラガミ由来の服の事でしたよね?」

 

「困った事に服の特性上、重要機密案件になるから該当者が限られるのがネックでね。どうしたものか」

 

「なら、技術班のナオヤに任せては?あいつなら口も堅いですし、製造に関しては屋敷であれば機密は守れます」

 

「君がそこまで言うならそうする事にしよう。早速彼を呼ぶことにしよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「黛ナオヤ出頭しました。榊博士、何の用でしょうか?」

 

「忙しい所済まないね。実は来てもらったのは他でもない重要な任務でね。君は機密事項に関して確実に守る事はできるかい?」

 

 

 作業中に突然呼ばれ、いざ出頭すればそこには榊博士と無明が珍しく居た。

 普段であればそこまで気にしないが、開口一番機密事項に関する事で念を押される時点で碌な事ではない。

 恐らくは自分の中で何かとてつもない事が起きるのでは?との疑問を持ち続けた。

 

 

「物にもよりますが、最低限の事は守ります。ちなみにどんな内容でしょうか?」

 

 

 ナオヤ意見は至極真っ当なものだった。突然呼ばれて機密事項だから守れ。しかも聞く前に確認までされれば尋常な内容ではない事位は容易に想像できた。

 この時点で確認する事は不可能。しかも内容が単に洋服となれば本来の業務とは無縁の世界。

 ナオヤが警戒するのはある意味、当然の事でもあった。

 

 

「そこまで警戒しなくても大丈夫だよ。今回の事に関しては機密の内容は今の時点では公表できないが、無明君や第1部隊までが内容に関知してるから問題ないよ」

 

 

 無明の名前まで出されると、ナオヤも流石に冷静になる事が出来た。

 ナオヤも屋敷に住んでいる関係上、無明の名前は絶対だった。その一言で全幅の信頼を寄せる事ができ、かつ信用するにはおつりがくるレベルだった。

 

 

「解りました。聞いてはいませんが機密事項は順守します」

 

「いや~そう言ってくれると助かるよ。今回以来したいのは特殊な服を作ってもらいたくてね。材質の関係上、機密事項に触れるのと外部に漏れるのは絶対に阻止したいんだ」

 

「服は構いませんが、一体誰の服なんですか?」

 

「それはまた後日になるよ。今回のメインは材質でね。材質はアラガミ由来の服を作ってもらう事になるから機密事項に抵触する事になる。秘密は守れるね?」

 

 

 

 榊に言われたものの、そこまで念を押されると一体誰に何を作るのか疑問しか出てこない。機密を守るのは問題ないが、ここにきて大きな問題が発生していた。

 

 

「服は構いませんが、サイズとデザインは本人を見ないと何とも出来ませんのでサイズを教えてほしいのですが?」

 

 

 

 この一言に普段であれば何を考えているのか皆目見当もつかない榊が固まった。

 服を作ると簡単に言うが、実際には動きやすさや用途によって色々と変わってくる。しかもサイズとなれば現状では誰も測っていないので、サイズに関しても未知数。

 榊も服を作る事を優先しすぎた結果、珍しい失態を犯した。

 

 

「数値については後日知らせるよ」

 

「それなら一向に構いません。しかし、デザインに関しては門外漢なので協力者を立てても構わないでしょうか?」

 

「協力者ね。誰が候補かな?」

 

「女性の方がデザインやトータルで考えると良いかと判断しました。それを踏まえれば楠リッカを推薦したいと思います」

 

「ああ、それなら構わないよ。彼女にも依頼したいと考えていたから大丈夫だよ」

 

 

 

 この時点で本人の預かり知らない所で商談が成立していた。

 後の事は榊が考えるだろう事を予測し、ナオヤはラボを出た。

 しかしながら今回の依頼は冷静に考えると内容そのものがおかしい。そもそもアラガミの素材は神機には使用するが服そのものに利用する事はあり得ないと考えるのが普通だった。にも拘わらずアラガミ由来の材質を使った服。しかも一部を利用ではなく材質と榊博士は発言した。

 

 まさかとは思いつつも可能性は否定できない。無明の名前と第1部隊の名前が出たのでそれ以上の事は考えなかったが、どう考えても何かある。あとは確認した時にでも考えれば良いと判断し、その思考を遮った。

 

 

「ナオヤ、榊博士から聞いた?」

 

「聞いたって何を?」

 

「例の服の事だよ」

 

「ああ、それなら聞いたよ。細かい部分は聞いていないけど機密事項だから他言無用って事で何も言えない事になっているけど」

 

 

 

 整備班に戻るや否や、既に聞いていたのかリッカが回りを気にしながら話しかけてきた。

 機密事項をわざわざ大きい声で話す必要はないのと、いくら身内みたいな感じの整備班でもケジメを付ける必要はあった。

 

 

「アラガミ由来なんて普通は考えられないけどね。可能性は限りなく高いけど、見た訳でもないし詳細も聞いた訳じゃないからコメントし辛いかな」

 

「だろうね。わたしも詳しくは聞いていないけど、第1部隊と君の名前が出たから特に気にする事はなかったけど、よくよく考えると不思議な部分もあったからさ」

 

「また連絡が来ればすべてが分かるのかも。ってあれ、もう連絡が来たよ」

 

 

 

 先ほどの会話から時間がかかるとは思ったが、端末に送られたメッセージを見ると意外にも時間がかかる事が書かれていた。

 そもそも詳細を聞いていない以上、これ以上の追及も出来ない。あとは改めて連絡が来るのを待つだけとなった。

 

 

 

 

 

 

 



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第31話 決戦

「リンドウの腕輪反応からようやく場所の特定が出来た。今の所はターゲットとなるアラガミに移動する兆候は見られない。事前情報でも伝えたが恐らくは通常の個体よりも強力になっている。油断する事は無いと思うが心してかかれ。いいか、全員必ず生きて帰ってこい」

 

「了解」

 

 

 腕輪の反応から居場所の特定がされ、あとは討伐するだけとなった。

 榊からの発言と今までの行動パターンから、知能が極めて高く個体そのものも力強い事が想定されていた。

 ここで時間をかける事で他の場所へ移動されることを嫌い、素早くヘリに乗り込み現地へと向かった。

 

 

「いよいよね」

 

「そうだな」

 

 

 サクヤだけではなく、ソーマまでもがいつも以上に気合が入り、これからの戦いが激戦となる事が予想されていた。

 リンドウの腕輪反応も然る事ながら、接触禁忌種は伊達に指定されていない。

 

 今まで以上に苦戦する事までも織り込む可能性が高い以上、気合を入れないと逆にこちらが全滅する可能性が出てくる。

 そう考えると、他のメンバーまでもが誰かに言われるまでもなく、いつも以上に真剣な表情を作っていた。

 

 そんな中で、一人アリサだけが少し浮かない顔をしていた。前回の際にも今回のアラガミの名前と姿が公表され、その様子をエイジは見ていた。

 

 過去の事も考えれば、それはある意味仕方ないのかもしれない。だからと言って、浮かない顔のアリサをそのままにしておくほど薄情でもなかった。

 

 

「やっぱり、緊張してる?」

 

「してないと言えば嘘になるかもしれません。もちろん、あの個体が両親を補喰したとは思ってもいませんが記憶には残っていますので、ひょっとしたら他の皆に迷惑をかけるかと思うと……」

 

「迷惑だなんて誰も思わないよ。毎回討伐していればそのうち感覚が麻痺するかもしれないけど、戦うのは機械じゃなくて人間なんだ。調子の良い時もあれば悪い時もある。自分一人で何とか出来るなんて思ってないから。

 サクヤさんにしても、リンドウさんの事があるからあそこまで真剣になれるのかもしれない。それを踏まえて今ここに居るんだ。頼りないかもしれないけど隊長の自分を頼ってくれれば良いよ。

 いざとなったらアリサを守るから心配しなくても大丈夫だよ」

 

 

 戦場に迷いを持ち込めば些細な懸念すら生死に影響する。初任務から今に至るまでの経験がそれを物語っていた。

 一般隊員であればそこまで気にする事も無いのかもしれないが、今はエイジが第1部隊の隊長として任務に就いている。

 

アラガミを討伐するのは当然の事だが、それ以上に隊員の命を預かるのは隊長としての最低限の責務でもあった。

 

 

「わかりました。いざって時には遠慮なく頼ります。覚悟しておいて下さいね」

 

「了解。そうならないように最善は尽くすよ」

 

 

 今の些細な一言で、アリサの気持ちにも若干ながらにゆとりが出始めた。後はこの状態をいかに維持して戦場に乗り込むのかだけを優先する為に、エイジは考える事を優先した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ツバキ教官、緊急事態です。不特定多数のアラガミがアナグラに向かって移動しています。このままではあと30分程でここまで到達します」

 

 

 第1部隊が出発してから15分後、一番最初に気が付いたのはオペレーターの竹田ヒバリだった。

 アラガミは性質上、他の個体と行動にする事は殆ど無く今回の様な団体行動をとる事はまずあり得ないとまで思われていた。

 にも関わらず今回の様なケースは極めて稀なケースでもあり、その対策に遅れが生じた。

 

 しかも、個別ではなく不特定多数と言えば完全に想定外のレベル。先ほど出た第一部隊を再度召集するには時間が経ち過ぎていた。

 このままでは既存の部隊だけで防衛する事になり、当然外部居住区の住民の避難や他の部隊の出撃も手配しなければ、被害は甚大とも言える状態だった。

 

 

「待ってください。軌道が少しづつズレて行きます。しかしこれは……」

 

 

 何時もであれば冷静にオペレートするはずのヒバリも突然の出来事に戸惑いを隠せず黙ってしまった。

 今しがたアナグラに来襲するはずのアラガミの大群が少しづつ方向転換し始めた。しかし、その沈黙を傍で見ていたツバキは違和感しかない。

 今の状況を確認しているのがヒバリだけである以上、その後の報告を待つより無かった。

 

 

「ヒバリ、黙っていては分からん。一体どうなっている!」

 

「す、すみません。恐らくはこの方向から予測されるのは、先ほど出撃した第1部隊の戦場に一致します。詳細な時間は今の所不明ですが、恐らくは1時間程度かと思われます」

 

 

 アナグラに直接の被害は無くても、今度は第1部隊が出撃した戦場となれば現地の対応如何で最悪の事態を迎える可能性も出てくる。

 本来であれば、1ミッションで4人が本来の状態だが、今回はリンドウの腕輪と今までに無いアラガミの出撃で特例として5人が出ている。

かと言って今更引き返すことも出来ず、このまま見ているだけでは命運が風前の灯である事に変わりなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第1部隊を乗せたヘリが現地に到着すると同時に天候が一気に荒れだした。それは偶然なのかアラガミの力なのかは分からないものの、決して良いと判断出来る物では無かった。

 

 

「事前の情報では、プリティヴィ・マータ1体とディアウス・ピター1体だけど、ここから見ている分には間違いないけど、異常な個体だから注意は必要だろうね。

 同時に対応すれば色々と不具合も出て来る可能性があるから、毎度のごとく各個撃破で行くよ。戦闘音にはそこまで敏感じゃないはずだから一気にプリティヴィ・マータから、次はディアウス・ピターの順番で行くよ。ってアナグラからの通信だ」

 

 

 これから討伐を開始するにあたってのブリーフィング中に通信機から驚愕の一言が来た。どうやらこの現場に不特定多数のアラガミが向い、およそ1時間程で到着するとの連絡だった。

 

 ただでさえ異常種と言う名のイレギュラーに追加で不特定多数のアラガミとなれば、余程スピーディーに殲滅しないと命の危険にさらされる。

 その前に一気に殲滅する事に重点が置かれた。

 

 

「一気に行くよ!」

 

「了解」

 

 

 

 時間との戦いである以上、目の前のプリティヴィ・マータに時間をかける訳には行かなかった。

 前回同様に時間をかけずに討伐するには大火力で一気に殲滅するのが有効である以上、部位破壊もしつつ一気に襲い掛かる戦法を取った。

 

 本来であれば時間をかけて確実に攻めるが、生憎と事前情報で時間に制限がある以上、ゆとりを持った討伐は出来ない。

 であれば、一気呵成とばかりに手段を問わずに襲い掛かった。

 

 プリティヴィ・マータは目標を補足すると同時に大きな体で台地を揺るがすかの如く突進するも、一斉射撃で動きを封じ、怯んだ隙にソーマのチャージクラッシュが叩きつける様に炸裂した。

 

 ただでさえ視界を奪われ身動きが出来ない所での強烈な一撃は、たった一発の攻撃で胴体の一部が結合崩壊を起こす。

 一度崩壊した部分は簡単には治る事は無く、大きな弱点を作ると同時に今度はエイジが顔面に向かって強烈な一撃を叩きこむ。

 流石に一度の攻撃で部位破壊はされないものの、多量の銃撃を浴び刀身からの攻撃が当たるとプリティヴィ・マータは一気に怯んだ。

 

 

「このまま一気にいくぞ」

 

 

 

 エイジの声に呼応するかの様な動きと弱点を集中的に狙った結果、プリティヴィ・マータは通常の7割ほどの時間で霧散していた。

 

 

「ここからが本番だ。どこにいるかはまだハッキリと分からないから警戒を怠らない様に」

 

 

 今更言う必要は無かったが、今回のディアウス・ピターは明らかに異常進化した個体である以上、警戒を怠る事は無い。しかしながら、警戒をする意味合いでエイジが改めて声に出した。

 

 周りを警戒しながら歩くと、どこからともなく地響きを起こすかの様な獣の咆哮が聞こえる。

 声の主は言わずもがなディアウス・ピター。

 今、改めて決戦の火蓋が切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どんな動物であったとしても、顔は間違いなく生物にとっての弱点である以上、アラガミだとしても例外にはならない。

 4人が一斉射撃をし、その隙にソーマの攻撃を喰らわせるのが一番の高効率な戦い方だった。

 

 本来であれば、常にワンパターンな攻撃はどこかでひっくり返されると被害も甚大になりやすく、命の危険性までもが高まってくる。それを回避する為には動きを止めた所での攻撃が結果的には保険代わりとなった。

 今回も例に漏れず物陰から奇襲をかけて一気に突入するはずだった。

 

 一斉射撃をした瞬間に辺りは砂埃が舞い、一時的に視界の確保が困難となる。その隙に生じてソーマの攻撃が当たるはずだった。

 

 強烈な一撃を見舞ったはずのソーマが砂埃から吹き飛ばされ、エイジ達の元に飛ばされる。

 今までにこんなケースは一度もなかった。しかし、ここで呆然と立ち尽くせば格好の的になる。

 その為に思考は止めず、原因でもある方向を向いた。砂埃が消え去る前に飛び出したのはニヤリと笑う凶悪な顔。

 まるで先ほどの一斉射撃のダメージが無いかの様な振る舞いでそれは現れた。

 

 同種を捕喰したそのアラガミは本来の姿こそそのままだったが、よく見れば体は一回り大きく、先ほどのソーマを吹き飛ばした事から推測されるように力も恐らくは強くなっている。

 まるで地響きを起こすかの様な咆哮で威嚇してきた。

 

「ソーマ、大丈夫か?」

 

「ああ、ダメージ思った程ではないが力は強烈だ。油断するとやられるぞ」

 

「固まると的になるから、全方位から攻撃できる様に散開だ」

 

 

 吹き飛ばされてきたソーマは攻撃が当たる瞬間に何とかダメージを軽減するかの様な動きで被害を最少限度に留める事に成功した。

 しかし過去の例から見てソーマを吹き飛ばす事が出来るのは大型種の極一部。

 そこから判断できる事は、大型種以上の力を持ち、従来の個体並の俊敏さを持ったアラガミだった。

 

 エイジの指示で全員が固まらず、各方位から一気に責め立てる。ディアウス・ピターは当初こそ反応出来なかったが、想定された知能の高さから、今までの行動を学び作戦通りに遂行すのは困難になっていた。

 

 本来であれば遠距離型は接近戦には向かない。

 近接型の様な盾は備わっておらず、防御と言う概念は無い。

 その結果として対峙している距離が近すぎると回避が間に合わず、結果的には被害は大きくなる。そんな事も見越したのか、ディアウス・ピターはコウタに向かって5発の雷球を連続して放った。

 

 従来であれば回避できる程だが、放たれたそれはまたしても想定を上回る速度と威力でコウタを吹き飛ばし、追撃をかけるかの様に大きな体で空中に向かって跳躍した。

 このままでは次に来る攻撃は電撃を放つ強烈な一撃。先ほどの攻撃はコウタの行動に制限をかける事に成功したのか、まるで図ったかの様に淀みなく一連の流れを示していた。

 

 

「コウタ!」

 

 このままではコウタの命も危うくなる。そんな事を考えると同時にエイジもディアウス・ピターに向かって最短で跳躍を開始した。飛び出した直後ではなく、落下に関しては翼が無い以上、重力に引かれた状態で落下する事しか出来ない。

 その瞬間はいかな生物とて無防備になる瞬間を狙い済まして足先を斬り付けた。

 

 今までそんな攻撃も防いできたディアウス・ピターはバランスを崩し目標から大きくそれて着地する。

 エイジの間一髪の動きを見せる事でコウタの危機は回避された。

 

「すまないエイジ」

 

「コウタ、大丈夫なら援護してくれ。先ほどの攻撃で前足に今までの中で唯一まともに攻撃が入った。恐らくはそこが弱いのこもしれない。サクヤさんも前足を狙撃してください」

 

 

 アサルトで攻撃すれば威力はあるが精密な射撃は難しい。しかし、ライフルであれば一撃の威力は高くなくても精密な射撃は出来る。そう考えると同時に他の2人にも指示を飛ばす。

 

「アリサとソーマは隙を見てバーストモードに!その間はこちらが攻撃を引き付ける!」

 

 

 従来の攻撃を繰り返すより、バーストモードになった状態での攻撃は今まで以上の力を秘めている。どんな戦闘でも隙があれば捕喰し、高い攻撃力を使っていた。

 

 

「エイジ!これを使ってください!」

 

 

 アリサからのリンクバーストでエイジの攻撃力が一段と大きくなった。

 動きも然ることながら攻撃の強化の恩恵はこの戦いに於いては大きなアドバンテージとなる。

 3人が集中力を切らす事無く高い攻撃を繰り返す事でディアウス・ピターは徐々に弱りだした。

 

 

「これでどうだ!」

 

 

 裂帛の気合と共に、ディアウス・ピターの前足が切り落とされ、今回初めて大きく怯んだ様に見えた。

 その隙に3人は一気に捕喰の為に襲い掛かる。このまま一気に仕留める。そう考え近づいた矢先だった。

 ディアウス・ピターの咆哮と共に周りにバチバチと音をたてながら大きな雷が見える。それは天鎚の前触れだった。

 気が付いた時には既に3人は神機の大きな顎を開き捕喰寸前だった。この状態で気が付くときには既に遅く、ここからの回避は不可能だった。

 

 本来であれば気が付けたであろう攻撃だが、今回は時間の制限と言う目に見えない心理的制限が課せられる事で、いつもの様な冷静な判断が若干でもされていなかった。

 事前情報を聞かなければこの攻撃を受ける事は無かった。

 

 今回の戦闘において誰もが気が付いていない焦りに囚われ、可能性を甘く見積もった結果だった。

 一番大きな隙が出来た所での一撃により3人はその場を動く事が出来ず、ディアウス・ピターの強烈な一撃を喰らう。

 その際にアリサとソーマは壁に激突し、エイジは空中へと放り出される。先ほどの攻撃を今度はエイジが受ける番となった。

 

 今まで以上に高い知能を持ったアラガミはある意味で、かなり厄介な部類に入る。

 獣の本能と知能でより確実に獲物をしとめようと狡猾な攻撃で追い詰める。

 しかしながら、こちらもただじっと見ている訳ではなく、サクヤといコウタの援護射撃でエイジに対する注意を逸らす事に成功した。

 時間にして恐らくは1.2秒の時間だが、この時間でエイジは反撃に出る。

 まだ体が痺れれている為に、精密射撃までは無理でも、弾幕を張る事は出来る。

 空中で器用に反転すると同時に、マントに向かって一気に撃ち付けた。恐らくは体の中で一番位固いであろうマントはまだびくともしない。

 このまま落下すれば不利になる事が容易に想像できる以上、ここである程度の形を作りたかった。

 

 起死回生の一撃として渡されたアラガミバレットをマントに向かって撃ち付け、そのまま重力に任せて落下した。

 従来の神機の銃撃よりも威力が強いアラガミバレットの効果で、マントまでもが結合崩壊を起こし、この戦いにようやく終わりが見え始めた。

 

 壁に激突した2人が戦線復帰し、ここで終わらせる事を心に決め、一気にケリをつけようとした際に、見たくない物が視界の端に映った。

 

 

 ディアウス・ピターの討伐に時間がかかり過ぎた。この一言が今後のすべてを物語っていた。

 

 

 

 

 

 

 



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第32話 結末

 当初から想定されていた不特定多数と思われたアラガミの大群が遠くで見える。

 もう残りの時間は僅かだった。このまま取り逃がせば恐らくは今後討伐する事は一層困難になる事は間違いなかった。

 

 取り逃がす=それはリンドウの腕輪が回収不能になるのと同義だった。

 時間の猶予は推定5分程度。残る選択肢は限られていた。

 このまま撤退かギリギリまで討伐するか。エイジに究極の選択が迫られる。

 

「サクヤさん、回収用のヘリはどうなってます?」

 

「もう、そこまで来てるわ」

 

「エイジ、このままだとヤバい。どうする?」

 

 

 コウタの発言に対して、エイジの心の中は既に決まっていた。ここで取り逃がせばどうなるのか、恐らくは今後の事まで視野に入れれば撤退の二文字は存在しない。

 しかしながらこのままでは時間が圧倒的に足りないのは言われるまでもない。逡巡す事無くエイジは最後の手段を取った。

 

 

「サクヤさんは撤退の準備、コウタとアリサは援護、ソーマは手伝ってくれる?」

 

「お前何考えてる?前みたいな無茶はよせ」

 

「そんな事はしない。これで一気に決着をつけるからみんなフォローしてくれ」

 

 

 

 そう言いながらエイジはポーチから一つのアンプルを取り出し一気に飲み干す。その瞬間、エイジの体から蒼白いオーラが放出された。

 

 

「これで一気に決める」

 

 

 そう言った瞬間、いつもの倍以上の速度で一気にディアウス・ピターに突進する。

 その場に居た他の人間は今まで見たことも無いような早さで突進するエイジにあっけに取られた。

 

 恐らくは何らかのアンプルだが、見た目は通常のオラクル解放剤にしか見えなかった。

 効果に関しては何かが圧倒的に違うのと同時に、その力が何か儚い様な物にも見える。

 エイジは恐らくこのアンプルの効果を理解していたからこそ、出る間際にフォローをと言ったのだろう。

 

 その一方で、アンプルを飲み込んだエイジ自身も驚きを隠せなかった。

 事前に無明から渡されたのがこの1本だけ試作で作られたオラクル解放剤。

 当初に聞いた際には使いどころを間違えれば命の危険にされされる可能性がある事を注意されていた。

 

 従来品よりも強い攻撃力が発揮されると同時に、すべての行動に対しても3倍近い速度で動くことが可能となる。

 しかしながら代償は大きく、いくら強靭な体を持ってしても体の強度が変わる訳ではない。体の本能に基づくリミッターを解除し、一時的に強靭な行動が可能となる為に効果が切れると反動が一気に襲い掛かる代物でもあった。

 一つづつ説明する時間はもうない。仮に説明した所で反対されるのが関の山である事は容易に想像出来る。

 それならばフォローを任せて一気に仕留める事が効率的だとに決めていた。

 

 体のリミッターが解除されたからと言って、行動における反射的な物が上がるだけであって思考までが付いて来る訳ではない。そこが実際に利用する際には最大の難点とも思われた。

 

 この薬剤を実際に無明が試した際に、懸念すべき材料だとは厳しく言われていた。

 自分の限界値を意図も簡単に超えるそれを制御するには並み大抵の努力では克服できない。

 人類として超える事が出来ない壁を突破し、制御する為にはどうすれば良いのだろうか?見えない壁を手探りで探すのと同じ行為であると、そう考えていた矢先だった。

 

 手に余るこの効果をいかに生かすか、シンプルにそう考え目の前のディアウス・ピターと対峙した瞬間に、以前にも感じた感覚が蘇ってくる。

 

 以前に行った撤退戦の際にも感じたあの感覚が見事に蘇る。

 あの時に感じた感覚は白い線の様な物がいくつかアラガミ向かい、結果的にその線に沿って神機をふるった際に、通常以上のダメージを与える事が出来た。

 正にその当時の感覚が今ここで蘇ってきた。

 

 ディアウス・ピターは切り落とされた腕でエイジを振り払う様な攻撃するも、まるでそこに攻撃が来るのが事前に分かっていたかの様な動きで攻撃をいなし、そこを狙えと言わんばかりに白い線が集中している目に神機を突き刺した。

 

 銃撃ではなく直接の攻撃により今までの蓄積されたダメージが噴出したかの如く、その場に大きな音をたて倒れた。

 フォローで走ってきたソーマもここが最大のチャンスとばかりにチャージクラッシュの体制を作り、コウタとアリサはオラクルが枯渇しても構わないとばかりに全弾を撃ち尽くす。

 弾切れを起こす頃に漸くディアウス・ピターの断末魔と共に巨体が倒れる音が戦場に響いた。

 

 

「エイジ大丈夫か?」

 

「まあ、なんとか。時間が無いから早くコアの回収と調査をよろしく」

 

「コウタ、そのままエイジを頼む。アリサ、早く調べるぞ」

 

「分かりました」

 

「もうヘリは来てるわよ」

 

 

 現場にはすでに回収用のヘリがその場で留まり、4人が乗り込むのを待機していた。先ほどの影響なのか指示を出した瞬間にエイジは気絶したままの為に、コウタに背負われヘリに乗り込む。

 

 一方でソーマはコアの回収、アリサは腕輪の調査を始めた。焦る気持ちを落ち着かせながら冷静に探り出す。

 ソーマがほどなくしてコアの回収が完了した際に、アリサも腕輪と神機を発見し回収していた。ギリギリの所で全員を回収したヘリは一気に上昇し、辛くも難を逃れる事に成功していた。

 

 アラガミの大群は先ほど討伐したディアウス・ピターを喰らい尽くし、まるで跡形も残すつもりが無い様な勢いで襲いかかっているのが眼下に見えている。

 

 帰りのヘリの中は討伐が完了した事による喜びよりも、まるでお通夜の様な雰囲気が漂っていた。

 結果だけ見れば勝利したものの、先ほどの戦いでソーマ・アリサ・コウタの3人が負傷、エイジに至ってはそれに追加で体の一部が筋断裂を起こし動く事すらままならなくなっている。

 

 時間制限があった戦いは薄氷を踏む様な行動で何とか勝利をもぎ取った形となった。

 しかしながら、今回の戦いで大きな戦果もあった。一つは今回の異常とも思えるアラガミのコア回収、もう一つはリンドウの腕輪及び神機が回収出来た事だった。

 

 この時点ではリンドウの生存はほぼ絶望とも言えた。

 以前のサクヤであれば恐らく悲しみの淵から這い上がる事は難しいとも思えたが、色々と検証作業をしていると同時に心の整理が出来ていた。

 あとは解析に回される前に何とかこの腕輪だけでもとの思いがそこに存在していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前たち良くやった。全員の様子を見れば想像できるが、現状は全員が絶対安静にしろ。サクヤも目立った外傷は無いが同じ扱いだ。全員に1週間の休暇を与える」

 

 

 帰投後の報告はサクヤが代わりにしたが、あの状況の事はアナグラでは既に知らされていた為に、帰ってからは異様な雰囲気に包まれていた。

 予想はされていたが、第1部隊の全員が負傷しての帰投。この事実に対してアナグラには重苦しい空気だけが漂っていた。

 そんな中でのツバキの判断にありがたみを感じ、全員が一旦医務室へ直行となった。

 

 

「エイジはまだ寝てるの?」

 

「全身があの状態ですから、今は仕方ないのかもしれません」

 

「あいつはこんな時ほど無茶するから、誰か目が覚めたらバカだと言っておけ」

 

「ソーマ、そんなに熱くならない。心配する前に少しは自分の事も考えてちょうだい」

 

 

 ものの見事に全員が運ばれた後は絶対安静となった。その中でもソーマは治癒能力が高い為か、今では8割方元の状態に戻りつつあった。

 実際には体そのものは直ぐに治るが肝心の神機は簡単には直らなかった。

 

 今回の中で一番被害が大きかったのがソーマの神機。刀身は若干の刃こぼれを起こし、盾に至っては所々に亀裂が入っている。

 コウタの神機は銃砲が歪み、あの状態で最後に派手な連射をした事で大掛かりな調整が必要となっていた。

 

 アリサの神機もまた銃砲の一部が歪み、盾に亀裂が入ってる為に、修繕ではなく新規で作成した方が早いと判断されていた。

 その中でエイジの神機に関しては見るも無残な状態となっており、恐らくは神機のコア以外一旦廃棄して新規で作った方が早いとまで判断されていた。

 

 余談ではあるが、この現状を見たリッカは人知れず叫びたい気持ちがあったものの、神機を見ればどれ程厳しい戦いだったのか誰よりも一番理解していた。

 

 当然そうなると体云々よりも肝心の神機の修復に時間がかかり、結果的には出撃そのものが出来ず開店休業状態だった。

 こんな現状を把握しつつも、サクヤはリンドウの腕輪を提出前に端末からアクセスしてロックを外した所で提出していた。あとは再度確認する為である。

 

 

「一体、リンドウは何を調べてたのかしら?でもその前に私もこの体を治す事が先決ね」

 

 

 疲労感を含んだまま誰にも聞こえない声でサクヤは一人呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コアを調べた結果、やはりあのアラガミは神機の影響を受けていた様ですね」

 

「やはりそうだったか。同種を喰い荒らした時点でそうじゃないかと仮説は立てたのが、当たったようだね。で、君はこの後どうするつもりだい?」

 

「簡単に神機を調べて、問題なければリンドウの所へ持って行きます」

 

「また分かったら連絡くれるかい?」

 

「逐一報告します」

 

「よろしく頼むよ」

 

 

 無明は回収された神機を調べ、特に問題が無いと判断し、屋敷へと持ち帰った。その際に腕輪に何かされた形跡はあったものの、事情を踏まえ見逃す事にした。

 

 

「しかし、このコアは実に興味深い。あのアラガミの大群にも何らかの影響を及ぼした可能性まであるとは。これから早速調べる事にしよう」

 

 

 

 榊の異常とも言える飽くなき探求心。これが一体どんな影響を及ぼすのか、今の所は誰にも想像が出来なかった。

 

 

 

 

 

 



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第33話 自己との対峙

「ここはどこだ?何だか見たことがある様な光景だが」

 

 

 リンドウはあたりを見回すと、どこかで見た事のある様な光景に既視感を感じていた。

 

 

「確か、アリサとのミッションで、アラガミと戦った所までは覚えているが、ここはどこだ?」

 

「リンドウ!何をぼんやりしている。これから任務を遂行するが居眠りでもしていたか?」

 

 

 ここにはありえないはずのツバキの声が背後から聞こえて来た。ツバキの声に改めて思い出したかの様に周囲を見ると、ここはロシア領。あの大掛かりな戦いとなったロシア殲滅戦の作戦地だった。

 なぜ自分がここに居るのか理解できない。あれはとうの前に終わったはずの戦いでもあり、人生の中で一番の大戦でもあったはず。なぜ此処に今更戻っているのか理解できないようだった。

 

 

「おい、リンドウこれから任務が始まるが、気は確かなのか?」

 

「無明、なんでお前がここに?」

 

「頭でも打ったのか?寝ぼけてるなら早く目を覚まさないと、ツバキさんにまた怒られるぞ」

 

 

 なぜかそこには無明が居た。しかし、よく見ると今の方が若干若く感じる。ツバキに関しても教官ではなくまだ隊長をしていた頃の姿だった。

 自身の経験した事に変わり無いが、それはあくまでも過酷の話。これが本当に現実なのかと思いたくないのか、一体何がどうなっているのか思案している所で聞きなれない声がまた聞こえた。

 

 

「きっと、ヘリに酔ったんじゃないですか?だったらしばらくすれば良くなりますよ」

 

「あ~すまん。君は誰だ?」

 

「ええっ。覚えてないんですか?先日から配属されたレンですけど?」

 

「わりぃ。ちょっと勘違いしてた。まだ寝ぼけてんのかね」

 

 

 レンと言う名は今までに聞いた事は一度もなかった。

 リンドウはこれが恐らくは過去の記憶だと唐突に理解していた。なぜこんな事が起きているのか?それを教えてくれる人間はここには居ない。

 あれこれ考えるよりも今は目の前の事をこなす事に集中する事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どこの軍も現状を理解してない輩が多すぎて、毎回対応に苦慮するのはいい加減にしてほしいものだ」

 

「戦力を過信するなとは言わなくても、現状把握が出来ないからこんな結果になったとは誰もが思いたく無いのだろう」

 

「もうこれで終わりなのか?」

 

 

 記憶にあったロシア殲滅戦は予想通りの結果で終わった。

 未だにリンドウはなぜこんな状態なのか思考の海に沈んだままだった。明らかに過去の事である事は理解できたものの、一番分からないのが今までに見た事が無い人間レンの存在だった。

 

 あの時は4人で任務に当たった記憶しかない。しかし、ここには5人の部隊としてフェンリルから派遣されている。

 過去の記憶に間違い無いが、自身の記憶とのズレに一体何がどうなっているのか理解出来ないまま、突如として時間が過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次に気が付いた時には場面が変わり、今度はエイジと初任務に就いた時だった。

 この時点でリンドウはある事ではないのかと仮説を立てた。

 出来る事ならば、その予測が当たってほしくないと感じながら、またもや記憶の断片を再度経験しているような感覚を味わった。

 そして、今までの時点での最後の記憶、アリサが錯乱し閉じ込められた場面にへと差し掛かった。あの囲まれた時点で、何体かのプリティヴィ・マータを倒した際に、その奥から這い出てきたのがディアウス・ピターだった。

 

 この時点で既に満身創痍の中、ギリギリの戦いを繰り広げていたが、些細なミスから腕輪を破損した所で一旦世界の動きが止まった。この瞬間にどこからともなく現れたのが、ロシア殲滅戦の際に居たと思われし人間だった。

 

 

「どうだいリンドウ。ここまでは思い出した?」

 

「レンとか言ったな。ここは一体どこなんだ?」

 

「ここはリンドウの記憶の断片を再生した所だよ。そこまでは記憶がある?」

 

「何となくな。で、お前さんは俺に一体何をしたいが為にこんな事をしてる?」

 

「ここまではリンドウの記憶のダイジェストだよ。しかし、今リンドウの身体は当時の戦いの後に意識が混濁したままの状態が続いている。このままでいるか、それとも元の世界に戻りたいと考えているか確かめたくてね」

 

「今更何を言ってるんだ?戻る以外の選択肢があるなら教えてほしいもんだ。どうすれば戻れるんだ?」

 

「自分自身の存在意義を示す事が出来れば元に戻れる可能性はあると思うよ。ただし、確実とは言い難いけどね」

 

 

 

 自分自身の存在意義と言われた所で、今の状態で何を示せば良いのかは見当すら付かなかった。

 しかし、このまま居ればやがて死に至る。仮に示せた所で戻れない可能性も否定する事が出来ないとなれば、本来であれば葛藤する可能性もあった。

 事実、レンはその事についても深く言及するつもりは毛頭無かった。仮に根拠を示した所で最終的にはリンドウ本人が決める事になるのは間違いない。

 ならば僅かな可能性にかける方が良い結果を生むのではないかと判断していた。

 

 

「どう言う意味だ?」

 

「今はオラクル細胞と自分の細胞が戦っている。自分の細胞が勝てば元に戻れるかもしれないけど、負ければそのままアラガミとなるだけだよ。あとは僕が決める話じゃない」

 

「愚問だな。今更答えを変える気は無い」

 

「だったら僕が力を貸すよ。あとは自身の問題だから」

 

 

 

 

 そう答えた瞬間に、レンの体は宙に浮いたかと思いきや、一振りの神機となった。それは今までリンドウが愛用し、数多の戦場をかけたかけがえのない相棒だった。

 

 

「お前、まさか神機だったのか」

 

 

 

 そんなリンドウのつぶやきと同時に背後から尋常ではない気配を感じた。

 振り向いたリンドウはそこで初めて驚愕の表情を浮かべる。なぜならばそれば半分アラガミ化した自分自身だった。

 

 

「まさかとは思うがこれと戦えって事なのか?」

 

「正解だよ。あれはアラガミ変化したリンドウさ。あれに負ければそのままオラクル細胞が全てを飲み込んでアラカミになる。この結果次第って事だね」

 

 これから戦うにあたり、動揺は死を招く。まずは気を取り直し、改めてその様相を確認していた。

 本来であれば神機を持っているはずの右手には禍々しい神機の形を模した物を持ち、反対の手には人間ではなく何らかのアラガミの様な腕と化していた。

 腕だけではない、体の一部もアラガミ化の影響なのか大きな鱗と羽がいくつも生えている。自分と同じ部分はせいぜい顔位だった。

 

 今までに色んなアラガミと対峙したが、流石に自分と対峙する事は無い。しかも獣ではなく人型。

 これで示すと言われれば互いの存亡をかけた戦いとなるのは考える必要は無く、また明白だった。

 

 リンドウの記憶の中でもここまで人型に寄ったアラガミと対峙する事は今までの記憶の中には無かった。

 あった所でせいぜいがシユウまで。それ以上となれば、今までの経験の殆どが役には立たない事を自身で理解していた。

 

 今はお互いの状態を共に探っている。次の一手にどう入るか思案した瞬間に動きがあった。リンドウは近接型の神機使いの為に、遠距離からの攻撃方法が一切無い。

 本来であれば相手も同じ条件だったはずが、今手にしている神機らしいものはこちらに銃口が向いている。となれば次の攻撃は間違いなく銃撃だった。

 

 

「ちょっと待て、俺が使えないのにお前が使えるってどんな了見だ」

 

 

 リンドウは此処からの回避は不可能と判断し、素早く盾を展開する。想像通りの展開で盾には強烈な衝撃が数回加えられ、リンドウは徐々に後退し始めた。

 このままでは何もしないままで終わる。そう考える頃に銃撃が止んだ。相手の扱う神機もどきは明らかに新型の神機と何ら遜色が無い。となれば、今までエイジやアリサと任務に行った際に見た行動を記憶の片隅から取り出した。

 

 基本的な行動は刀身による攻撃、銃撃による攻撃、盾による防御の3点で構成されている。当然の事ながら銃撃は遠距離で牽制に使う事が多く、止めや近接であれば刀身で攻撃となる。

 

 

「ったく冗談じゃねぇぞ」

 

 一見、遠近共に使い勝手は良く、その性能から想像される様に死角は全く無いと思われていた。

 しかしながら、ここには無い致命的な欠点が一つ。使い慣れていない場合に変形にもたつく可能性があり、その際には攻撃も防御も出来ない点だった。

 ましてや相手は仮に自分の意識体としての存在だとしても、宿主の能力を大幅に超える事は出来ない。となれば今まで一度も銃撃を使ったことが無い人間が器用に使えるとは思えなかった。

 攻撃の可能性はそこにある。リンドウは盾の後ろに隠れながら隙を伺っていた。

 

リンドウの予想は的中した。戦闘能力はおそらくは互角か相手の方が若干上の可能性があるものの、今まで一度も使ったことの無い物を自在に操るにはどうしても時間がかかる。恐らくはこの戦闘中にも慣れてくる可能性は高くなる。そうなると流石に手が付けられなく前に決着をつける他以外ありえない事になる。そこまで予測して相手の様子を見ていた。

 

 

「今がチャンスだ一気に決める!」

 

 

 

 銃撃と防御の関係で開いた距離を普段以上に力を込めて一気に距離を詰める。

 予想通り変形にもたつくも時間にして僅か0.5秒ほど。本来の時間からすれば僅かな物だが、戦闘中の時間軸からすれば絶好のチャンスとも取る事が出来た。

 刀身を突きつけ一気に突進する。刀身の先が目の前まで来た際にアラガミの動きがリンドウの予想外の動きを見せた。

 

 攻撃方法が神機以外に何も無いと判断したのは紛れもなくリンドウ。

 しかし、相手は自分に似た形はしているが紛れもなくアラガミ。わざわざ神機を使う必要がそもそも無かった。

 変形にもたつくと思われた瞬間にアラガミは神機を放り投げ、自身の腕でそのまま突進したリンドウにカウンターの様な攻撃で殴りかかる。

 人型で神機を持っているが故に先読みと自分の判断で予想した行動だった。

 勢いよく攻撃の為に突っ込んだリンドウは回避する間も無く、アラガミの攻撃をそのまま腹に受ける。

 

 

「俺のくせに中々やるな」

 

 直撃した攻撃で一瞬呼吸が止まるかの様な状態になったものの、その場で止まることなく刃をアラガミに向かって振り下ろした。

 いくらアラガミとは言え、渾身の力で振り下ろされた神機をそのまま止める事は出来ない。

 とっさに防ぐつもりで差し出した左腕は見事に切り飛ばされた。

 片腕となったアラガミはその場を離れ、放り投げた神機を再び手に取る。小型な物ならば片腕でも振り回す事ができるが、大型である以上、片腕での制御には困難を極めた。

 

 本来であればここで斬りかかるが、先ほどの一撃がまだリンドウの動きを制限し、追い打ちをかける事が出来ない。

 ここで従来の動きを見せればこのまま終了だったが、目の前にいるアラガミにはそんな気配さえもが気取られるかの様な動きを見せた。

 

 斬られた腕を再度接合し、まるで何も無かったかの様な振る舞いを取る。これにはリンドウも驚きを隠せず動揺していた。

 今までに何度かアラガミを斬りおとした事はあったが、再接合するなんて事は一度もなかった。

 

 アラガミはその瞬間を見越したのか、今度は銃撃ではなく刀身を持ってリンドウに斬りかかる。今まで有効とも思われた攻撃が全く意味をなさないとなれば、攻撃でけなく防御にまで影響が出始める。

 事実リンドウは動揺しながらの防戦一方となった。

 

 

「リンドウ、こいつは胸にあるコアを破壊しない限り、何度でも蘇る。やるなら一撃で決めるんだ」

 

 

 

 どこからともなく声が聞こえる。声は先ほどまで聞いたはずのレンの声だった。

 自身の神機と共に戦場を駆け抜けた記憶と、共に戦った相棒を今は信じる事でアラガミと決着をつける事を決心した。

 

 気持ちと力が一体となり、アラガミの斬撃を弾く事に成功した。振り上げた神機はその場で止まる事はなく、上段の位置にまで達した事で、その勢いを殺す事無くリンドウは再びアラガミの肩口から袈裟懸けに刀身を振り下ろした。

 

 

 

 



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第34話 再開

 渾身の刃がアラガミの体を引き裂くかの如く襲い掛かる。このまま一気に決着が付くかと思われた瞬間に体を捻る事で軌道が逸れた。

 しかしながら振り下ろされた刃は思いのほか鋭く、結果的にはコアを掠めたのか動きが急激に悪くなってきた。

 ここが勝負の分かれ目とばかりに改めて襲い掛かるも、今度は銃撃により間合いが大きく離れる。この距離では刀身は届かない。

 

 

「くそっ!距離が足りねぇか」

 

 今度はリンドウが銃撃の対処を余儀なくされた。最初に撃たれた際には初見な事も相まって、防御に徹する形を取るも、改めて攻撃されるのであれば対処はしやすくなる。

 銃撃に関しては狙いを付けてから発射される僅かな隙を突き、リンドウは一気に距離を詰めるべく全力で走り出す。接近戦に対して神機の大きな銃撃は最早攻撃できるほど簡単に狙う事は出来ない。そんな僅かな隙を突き、リンドウは再度斬りかかる。

 

 先ほどは威力を重視した為に躱されると大きな隙ができるが、今回の攻撃は一撃で決めるのではなくあえて複数回斬りかかる前提での攻撃に努めた。

 銃口が向いていない神機は最早盾にもならず、一撃目で弾き飛ばし、残りの斬撃でコアごと斬りつけた。

 斬り付けた手応えから完全に破壊した事が確認されると同時にリンドウは大きく息を吐いた。

 

 

「ったく、。いくらアラガミでも自分の体を模したのは、正直気持ち悪いぜ。元に戻ったらメシ食って配給ビールを一杯のみてえな」

 

 

 ようやく終わったかと思われたアラガミが、その場から体が風化したかの様に一気に塵となり霧散した。その瞬間、今まで手に握らられた神機が鈍い光と共に消滅し始めた。

 

 

「おい、どうなってるんだ!レン説明しろ!」

 

「もう僕の体は限界だ。今まで長時間アラガミの体内に居た事で、全部が崩壊し始めている。今までありがとう。最後の最後にリンドウと戦えて嬉しかった。あとは見守っているよ。

 僕の体はこのまま消滅するけど、リンドウの右手に力は宿っている。これからはそれがリンドウの相棒だ」

 

 

 今生の別れと共にリンドウの右手に神機から光が移り、そのまま神機は消滅した。

 本来であれば神機を失った神機使いはそのまま引退に追い込まれる。しかしレンがくれた力はリンドウの右手を媒介とし、改めて神機と同じ様な物を作り出した。

 

 

「ありがとなレン。これからはこれがお前の変わりだ」

 

「その力、しっかりと使いこなして……」

 

 

 その言葉と共に世界は白い光に覆われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「榊博士、リンドウの意識が覚醒しました。至急屋敷までツバキさんと来てもらえますか?」

 

「そうかい、ついに覚醒したか。分かったツバキ君と直ぐに行くよ。1時間もあればそちらには行けるだろう。時に無明君、今回の件だがデータはあるかい?」

 

「すべて記録してあります。あと、サクヤに伝えるかどうかはツバキさんに任せます」

 

「分かった。1時間後に行くよ」

 

 

 無明は覚醒したリンドウを見て、まずは安心した自分がそこに居た事に安堵した。

 回収された神機を接続し、その後の経過の中で何度かアラガミ化が急激に進んだかと思えば、今度は元に戻るを繰り返していた。

 今まで榊博士とツバキにだけ伝えた事はある意味保険代わりだったが、こうして覚醒すれば元に戻れるのは時間の問題でもあった。

 

 

「随分と長い間寝てた気分はどうだ?」

 

「寝すぎたとは言わないが、随分と寝た感覚はある。しかし、ここはどこだ?」

 

「屋敷だ。おまえは今の所アナグラでは行方不明扱いとなっている。あと1週間遅ければ2階級特進だった」

 

「そうか。迷惑かけたな。ところで起きてそうそうで悪いが、何か食うもん無いか?腹へって仕方ないんだが」

 

「だったら食事は運ばせる。食ったら風呂にでも入ったらどうだ。運んでからそのままだったから汚いままだ」

 

「悪いな。メシ食ったら風呂行くよ。で、風呂はどっちなら良いんだ?」

 

「ここからなら外が近い。他の人間の事も考えればそれがベストだ」

 

 

 覚醒した瞬間の事はリンドウの中では単純に目覚めた感覚と、今までの事は夢でも見ていたかの様な感覚だったが、自分の右手の違和感が全て事実だと物語っていた。

 腕輪が破壊された事でアラガミ化した事は記憶の片隅にある。しかしながらこの右腕は確かにさっきまでレンと戦った跡があった。当時何者かが右腕に施した物は鈍い光を放っていたが、今は完全に光は消え、まるで以前からそこにあったかの様に自然についていた。

 レンが話したその言葉が額面通りならば、この力は今後の自身の力になってくれるだろう事を想像し、今は運ばれた食事を取る事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてツバキ君、リンドウ君は覚醒したがこの事実をどうするかね?」

 

「覚醒前の時点では公表するつもりはありませんでしたが、今となっては話は別です。まずはサクヤにも知らせて、その後に部隊に公表するのが一番かと」

 

「なるほどね。で、アナグラには?」

 

「それについては無明と相談したいと。リンドウがなぜこんな事態に巻き込まれたのか、それとも自ら進んでそう望んだのかハッキリ確認してからとします」

 

「そうか。そのあたりは君に任せるよ。僕はまだやるべきことがあるからね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サクヤは重い足取りでラボに向かいながら、今後の事について思案していた。

 リンドウの腕輪が発見された事により、リンドウが今まで何をしていたのかを全て理解した。予想以上に重い事実がサクヤの両肩にのしかかる。

 これから行動を起こそうとした途端の呼出し。これでは今から何か重大な事が起きるのではと予想する意外に選択肢が無い様にも思えた。

 

 

「橘サクヤ出頭しました」

 

「よく来たなサクヤ。態々来てもらったのには訳があってな。時間は少し大丈夫か?」

 

「は、はい大丈夫ですが一体何か?」

 

「そう警戒するな。今から話す事は現在の時点での最高機密だ。口外すれば過分な処分をせねばならない。それでも良いか?」

 

 

 

 出頭直後にツバキからの存外な言い方に流石のサクヤも若干ながらも警戒心を出しつつ今後の事について思案した。 

 機密扱いとなれば現時点での可能性はリンドウの残したデータ以外に考える事が出来ない。

 しかし、ツバキの言い方から察すれば、それとはまた違う話なのかもしれない。そう捉える事もできる。今の時点で最も正しいと判断できる材料は何一つ無かった。

 

 

「……分かりました。問題ありません」

 

「なら、単刀直入に聞こう。今のお前のリンドウに対する気持ちだ」

 

 

 

 流石にこの質問は全く想定していなかったのか、ツバキの言葉に答えが詰まる。

 リンドウに対する気持ちと言われ、その回答が何に対してなのか見当すらつかない。しかし、聞かれた質問には答えないと先には進まないと判断し、ここは直ぐに答える事にした。

 

 

「正直、まだ行方不明だとは言っていますが、その状態から帰還したゴッドイーターは1割もいません。ここまで捜索して先だってようやく手がかりを見つけたとは言え、これからどうして良いのか私にも分かりません。今はまだ絶望と希望が混じり合って自分に向き合うのが怖いと感じています」

 

「そうか……ならばついてこい。その気持ちの答えを出してやろう。30分後に改めてここに来るんだ。良いな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ツバキ教官。あの、ここは一体?」

 

「ここは無明の屋敷だ。そう言えば一度も来たことは無かったな。それとサクヤ、今から言う言葉は教官としてではなく、一人の人間として発言する。お前のリンドウに対する気持ちは良く分かっている。何を考えるか、どう判断するかは自分の心に向き合って良く考えるんだ」

 

 

 少なくとも、他の人間に伝えてはダメだと念を押され、来た所は自分の全く知らない場所だった。

 当初は外部居住区に出るのでは?とも予想しながら移動すると、明らかに外部居住区から出て、現在に至る。

 

 初めて入ったここは外部居住区の様な雑多感じではなく、どことなく旧時代にあった田舎の様な雰囲気を醸し出していた。そんなのどかと思われる先には、今ではありえない様な日本家屋の屋敷が見える。

 先ほどツバキの口から屋敷と言う単語が出たのはここを指すのだろうと理解していた。

 

 

「ツバキさんいらっしゃい。後ろの方が橘さんですか?」

 

 おそらくはここの住人なんだろう。年齢はまだ10代後半にも見える女性だった。話し方からすればツバキとは顔見知りで既に旧知の仲の様にも見えた。

 

 

「お連れ様の件ですよね?奥に居ますからどうぞ」

 

「ツバキ教官、一体ここに何があるんですか?」

 

 

 そんなサクヤの問にもツバキは答える事は無く、ただ真っ直ぐと歩いていた。一つの部屋に着き、ツバキは扉を開けた瞬間に何を見たのかまた別の所へ向かいだした。

 一方のサクヤはまだ内容が理解し辛いのか、ツバキの後を歩くもアナグラとはまた違った感覚の屋敷をあちこち見ながらついて歩く事しか出来なかった。

 

 

「またここか!お前に客だ」

 

「あれ、姉上なんでここに?俺に客?こんな所に?」

 

 忘れるはずもない声。そして今まで見つけた手がかりから蜘蛛の糸をたどるかの様に必死に探したはずの人がそこにいた。

 改めて扉を開けたツバキの後ろから見えたのは一人の男性。雨宮リンドウその人だった。

 

 何も聞かされずに、そのままついて行った先に、今まで色んな手段で捜していたはずの人物を見てサクヤは一瞬、理解の範疇を超え固まった。しかし、ツバキとの会話をしている姿を見てようやく理解していたかと思うよりも早く体が動いていた。

 

 既にサクヤの中で僅かながらでも絶望の淵に手をかけていたはずが一転、目の前に何事も無かったかの様に存在している。その事実だけで今のサクヤには十分過ぎる結果だった。

 

 

「おい、サクヤどうしてここに?ってか、ここは服のままは拙い」

 

 

 静養と言う名目で風呂でゆっくりしていたリンドウにとって、それは青天の霹靂だった。リンドウ自身が目覚めたのも先日の話であり、まさかここにサクヤが来るとは思いもしていなかった。

 

 勢い余ったものの、しっかりとサクヤを抱きしめ、今は落ち着くのをリンドウは待つしかなかった。

 

 

 

 

 

 



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第35話 今後の行方

「サクヤ、落ち着いたか?」

 

 

 リンドウの胸に顔をうずめたままサクヤは声には出さず、顔を左右に振ることしか出来なかった。おそらくは感情と理性がまだ安定しないのだろう。

 しかしながら、風呂の中で抱き合う二人をそのまま放置する訳にも行かず、思案していた所で背後から声が聞こえた。

 

 

「あの~橘さん?服のままでは困るんですが」

 

 声の主は先ほど応対してくれた女性だった。事のいきさつを知らないだけに、今の現状を見た上で声をかけたにすぎない。

 見知らぬ女性からの呼びかけでようやく落ち着いたサクヤは慌てて湯船にの中に今居る事を理解し、慌てて出る事になった。

 

 

「ご、ごめんなさい。直ぐに出ますから」

 

「服はこちらで洗濯しますから、こちらに着替えて部屋まで来てくださいね」

 

「ありがとうございます」

 

「リンドウさんは何時まで裸でいるつもりですか?さっさと着替えて部屋に行ってください。当主がお待ちかねです」

 

 

 サクヤは服を着たまま、リンドウは裸のまま抱き合うシュールな状態からようやく脱出し、案内された部屋へ行くことになった。

 

 

「リンドウ、また露天風呂か、ここは温泉宿じゃないんだから少しは自重しろ」

 

「固い事言うなよ無明。それよりもお前当主ってここでは呼ばれてるのか?」

 

「そうだ。ここは俺の屋敷だからな。それは良いが、もうすぐ榊博士も来るから、今後の事について少し真面目な話をする」

 

 

 いつもの日常の様なやりとりをしているうちに、先ほど着替えを用意されたサクヤが部屋に入ってきた。服は既に洗濯されており、今は浴衣を着た状態でリンドウの横に座った。

 

 

「やあ、遅くなって済まないね。おっ。サクヤ君、浴衣が中々似合ってる様だね」

 

 アナグラから榊がようやく来ることで、今後の話し合いの場が作られた。

 

 今回の話の内容は今後のリンドウに対する処遇と現時点でのアナグラの内部情報だった。リンドウに関しては現在の所、神機そのものは消滅し、今は中心に添えられたコアしかない。

 ここから新型の神機を作るには時間が圧倒的に足りない事が懸念材料ではあったが、既にリンドウには自身のオラクル細胞から神機らしき物が精製出来る観点からも、敢えて作り直す必要性が無い事から、結果的にはそのまま使用する事になり事無き事を得た。

 

 それよりも問題なのは現状のアナグラの情報だった。既にリンドウと無明は今の極東支部内で起きている事、つまりはエイジス計画そのものが対外的な目くらましとなり、裏ではアーク計画が水面下で進行している事を公表した。

 

 このメンバーの中ではある程度の認識はあった物の、改めてエイジス計画が虚構だった事にツバキだけではなく、サクヤも驚きを隠せなかった。

 

 

「我々がやってきた事が全て無駄だったと言うのか?」

 

「有り体に言えばそうなる。恐らく今回の件に関しては相当根深い所まで進んでいるのは確かだ。本当の事を言えばここ迄話が進んでいる物をひっくり返すには相当な時間と労力が必要だろう」

 

「しかしそれでは……」

 

 突然伝えられた情報を安易に信じろと言われた所で、素直にそう考えるには抵抗があった。本来であれば内部から調べる事は不可能だったが、無明の諜報活動により本部経由の情報である事からも、裏付けを取るまでもなく信憑性は十分すぎた。

 既にこのアーク計画を止める術は事実上存在する事は無いに等しい。故に高度な判断が必要になっていた。

 

 

「これからどうするんですか博士?」

 

「今はヨハンの行動を見る限り、キーとなる物が見つかっていない状況だから、ここから行動を起こす事は無いだろうね。ただし、それが見つかれば一気に動く事になるだろうね」

 

「博士、キーとはなんです?」

 

「キーは特異点と言う名のアラガミだよ」

 

 

 

 この榊の一言でサクヤは動揺していた。特異点と言う名のアラガミ。それはすなわちシオの事を指している。

 この時点でシオの存在はツバキとリンドウは何も知らされていない。

 

 もし分かった時点でどうなるのかサクヤには想像する事すら憚られていた。

 今の所はシオの存在は完全に隠蔽されている為に、第1部隊以外では知りえる人間は極めて少数なく、また、ここで公表する事で一体どうなるのかを考えるには些か材料が不足していた。

 

 

「博士、それでアラガミの目処はついているんですか?」

 

「それについてなんだけが、ツバキ君にもこの際だからハッキリと言っておいた方が良いだろうね。実は目処ではなく、保護しているんだよ」

 

 

 榊の保護の一言で何を言わんとしているのかが簡単に理解できた。

 保護と名が付く以上、榊の目の届く所に匿っている事になる。しかも榊が保護するとなれば、はどう考えてもアナグラ内部に居る事に他ならなかった。

 

 榊の暴露により隠蔽していたはずの情報が簡単に公表されていた。何も無い所での公表は色々と問題が発生するが、全てを発表した上での追加の公表となれば、話の内容は同じだとしても、感情のレベルは違いすぎる。

 

 ましてやエイジス計画が虚構であり、しかもその背後のアーク計画には本部の上層部の人間までもが関与していた。

 この時点でのフェンリル上層部は完全にシックザール支部長の支配下にあり、そして計画の要でもあるアラガミは榊の手元にある。

 

 これでは完全に計画通りに履行するには、大きな障害が発生しているのと同義だった。

 この時点でツバキも話の大きさとその進捗状況を鑑みればアラガミの隠匿など大した抵抗にすらならなず、また、人類の残された時間が事実上のカウントダウンに入っている事を肌で感じ、しばし声を発する事が出来なかった。

 

 

「もちろん、ヨハンには見つからない様に偽装しているから簡単には見つからないのと、ラボはセキュリティそのものが独立しているから心配は少ないよ。とりあえずの所は気にする必要は無いはずだよ。あと、リンドウ君には暫くの間今の状況に対しての検査をしたいから、しばらくはここに居てもらう事になるが良いね?」

 

 

 

 この榊の発言に対して流石にリンドウも嫌とは言えず、現状に関しては右腕がアラガミ化の影響により、異形の物へとなったままだった。

 過去の事例から判断しても一旦アラガミ化した人間がそのまま元に戻った症例は一つもなく、仮に復帰するにしても今のままでは難しいと判断された。

 

 

「あとは神機が無くなった以上、お前の戦闘力の判断をする必要が出てくる。暫くの間は諦めろ」

 

「うへぇ。俺は実験モルモットじゃねえぞ」

 

「お前の右腕を見て何も有りませんでは説得力は皆無だ。となればデータ的に確立する事が出来れば信憑性が格段に増す事になる。それとも本部で本格的な検査をされたいのか?」

 

「よせやい。これ以上は勘弁してほしいだけだ」

 

「心配しなくても、殆どの検査は終わっている。後は経過による確認事項だけだ」

 

「なるほどな。で、いつまでここに居れば良いんだ?」

 

「少なくとも1週間程度は必要だろう。それまではここを好きに使え」

 

 

 無明の言葉をそのまま鵜呑みにすれば、寝ている間に粗方検査されている事だけは理解できた。リンドウとしてもこのまま何もしないよりはマシとは言え、これ以上の検査は精神的にも肉体的にも苦痛以外の何物でも無かった。

 

 

「ツバキ教官、お願いがあります」

 

「どうしたサクヤ?用件はなんだ?」

 

「わたしも暫くはここに居ても良いでしょうか?」

 

「それはダメだ。戦闘員は緊急時には動ける状態でいる事が最優先される。ましてや、先ほどの話からすれば近いうちに局地的な戦闘が起こる可能性も否定できない。

 リンドウを慕う気持ちは姉としても嬉しいが、上司としての立場からは容認出来ない」

 

 

 

 ハッキリ理路整然と言われると、それ以上の反論をする事は出来なかった。

 先ほどの話からすればリンドウも検査があるのは勿論なのと、今のアナグラに置かれている状況を鑑みれば、容易に許可出来る物では無かった。

 

 しかしながら先だってのディアウス・ピター戦での休暇そのものはまだ残っている。ツバキ個人としはこのまま容認したかったが、立場としては反対せざるを得なかった所に助け船が出た。

 

 

「まだ、休暇は継続中だからこのままでも良いんじゃないかな。神機の整備もまだ完了していないならば出動も出来ない。何より事実上第1部隊は完全休養中なんだからね」

 

「しかし博士、それでは他に示しがつかないかと思われますが?」

 

「サクヤ君、君の休暇の残りがあと少しあるようなら、その期間中ならどうだい?それ以上となると少しばかり困る事になるんだが?」

 

 

 完全に一緒に居る事は出来ないが、時間の許す限りが前提での許可。生きて会えた事が最善だったのであれば、これ以上の事を望む事が出来ないのはサクヤも分かっていた。

 となれば、言われなくても自ずと答えは出ていた。

 

 

「休暇期間中だけでもお願いします」

 

「……仕方ない。それではあと3日だけ許可しよう。ところで無明、勝手に決めたが良いか?」

 

「今更何言っても仕方ないだろう。日程的には困らないから問題ない」

 

「ありがとうございます」

 

 

 リンドウが行方不明になってから、サクヤの顔にようやく笑顔が戻ってくる。

 残すは第1部隊への報告だけ。無明達3人は改めてアナグラへと戻る事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第36話 合流

《第1部隊は至急ラボまで来る様に》

 

 アナグラに戻ってからの行動は思いの外素早かった。既にサクヤは屋敷に居る物の、現在の所ではシオの服の製作と今後のについての方針を伝える必要があった。

 特にシオの存在が支部長に知れるとその時点で、計画が発動し兼ねない。時間は思っている以上に少なく、また少しのミスもゆるされない綱渡りの様でもあった。

 

 

「よし全員揃ったな。まだ休暇中ではあるが、今後の事についての方針をお前たちに伝える事になった」

 

 

 シオの事かと思い全員が部屋に入ると、そこにはツバキ、無明、榊博士の3人がそろっていた。2人はともかく無明がいる事が珍しく、全員の顔には疑問だけが残っていた。

 

 

「あの、サクヤさんはまだ来ていませんが?」

 

「サクヤには既に伝えてあるのでここには来ない。今回伝えるのはこの情報は機密扱いとし、他言無用となるので口外しないように」

 

 

 ツバキからの話に3人の顔が引き締まった。サクヤはここにはいないが何か知っている様子なのはツバキの言葉で理解していた。しかもシオの事はツバキには知られていない以上、今は詮索する事すら出来なかった。

 

 

「単刀直入に言おう。リンドウは生きている。現在の所は無明の屋敷にいるが、しばらくの間は現場復帰はしない。部隊は今のまま存続とし、今後も如月エイジを隊長とする。お前たちに言うべき事は以上だ。質問があればこの場でのみ受け付ける」

 

 

 全く想定していなかったリンドウの生存。今まで一切の手がかりもなく行方不明となっていたはずのリンドウが無明の所に居る事が判明したものの、事の大きなに3人は反応する事は一切出来なかった。

 しかし、時間と共に言葉の意味を思い出したのかやがて大きな声が自然と出る。

 

 

「え、え、ええっ~」

 

「リ、リンドウさんが生きてるってどう言う事ですか?しかも兄様の所で?」

 

 

 この動揺した空間の中でエイジが一番先に理性を取り戻したのか真っ先に質問する。今までゴッドイーターになってからの一番の衝撃である事に間違いは無かった。

 

 

「落ち着け。簡潔に言えば捜索して早々には発見出来ていたが、今まで生死をさまよっていた関係上、公表しなかっただけだ」

 

「それでも、少し位は教えてくれても」

 

「生きているが意識は無いと公表し、結果死亡では動揺は隠す事は出来ないと判断した結果だ。今の時点で動揺しているのが更に酷くなれば今後の士気にも影響が出る。それ以外に他意は無い。今まで昏睡状態だった関係と、目覚めたのは昨日だからな。それで漸く公表する事にした」

 

「あ、あのサクヤさんには?」

 

「既に通達済みで今は屋敷に居る。お前たちもこれから行くなら、エイジが案内しろ。こちらは今後の事で榊博士と相談する事がある」

 

 

 そこまで言われ、これ以上の話を聞く必要が無くなったのか、全員が一様に黙った。リンドウ生存のインパクトが大きすぎたからなのか、3人は当初予感していた重大な秘匿事項を失念していた。

 このまま何も発言も無く沈黙が続くかと思った矢先にツバキからの唐突な発言があった。

 

 

「それはそうと。お前たちに聞くが、私に何か大きな隠し事をしていないか?」

 

 

 この一言は第1部隊全員の心を一瞬にして冷やした。ツバキに隠し事をする事と言えばたった一つ。シオの存在の事だった。

 

 

「如月エイジ。何か言いたい事があるのではないのか?」

 

 

 ツバキの鋭い眼光に今までどうした物かと悩んではいたが、このまま隠す事は出来ないと悟り漸く口を開こうとした時だった。

 

 

「つばき~いつまでここにいればいい?」

 

 

 この緊迫した雰囲気を壊したのは、ここにいる誰でもないシオだった。一番隠さなければならないはずの存在にも関わらず、何時もと変わらない声と口調で今呼んだ名前は紛れもなくツバキだった。

 流石のエイジもこれには今まで沈黙し、どうした物かと考慮していた空気をぶち壊す言葉だった。

 

 

「き、教官はいつ知ったんですか?」

 

「今日だ。もっと細かく言えば1時間前にだ」

 

「これには……」

 

 

 

 流石のエイジもこれ以上の言葉を出す事が出来ず黙る事しか出来なかった。

 助けを求めるべく他のメンバーをチラリと見ればアリサとコウタも同じような表情をし、ソーマに至っては別の方向に顔を背け、まるで関係無いと言わんばかりの態勢だった。

 

 

「ツバキさん。それ位で十分だろう。彼らも守秘義務あっての話だ」

 

「無明もああ言ってる事だ。これ以上は何も言わん。がしかし、今後の事もあるが故に他言無用である事に変わりない。これ以上の漏洩は無い様に。良いな」

 

 

 無明からの助け舟?が出た物の、そもそもこの事実を暴露したのは榊である以上、第1部隊の人間の事を責めるのは酷である事は容易に想像がついた。

 暴露の張本人でもある肝心の榊は一体何を考えているのか、誰もその考えの先は見えなかった。

 ここで漸く重苦しい空気が壊れそうな瞬間に、突如ラボのドアが開く。

 

 

「榊博士、用件って例の件ですか?」

 

「やあ、忙しいのにすまないね。彼女の服を事で呼んだんだよ」

 

 

 たった今漏洩の無き事と言い渡されたはずが、いきなり漏洩かと思った矢先に入って来たのは技術班のナオヤとリッカだった。

 機密であるならばこれ以上は拙い。そう考え何か言おうとする前に、今までの空気を察知したのか、エイジに話しかける。

 

 

「依頼された件ですが、材料は用意してありますので、サイズだけお願いします。彼女ですよね?」

 

「おまえだれだ~。はじめてみるな~」

 

「黛ナオヤだ。君の名前は?」

 

「しおだよ~」

 

「そっか。よろしくな。あと、後ろに居るのは」

 

「私は楠リッカ。リッカって呼んでねシオちゃん」

 

「そっか、りっかか~よろしくな」

 

 

 このやり取りでエイジ達も何となく状況を読む事ができた。しかしながら技術班のこの二人を呼ぶ意味が今の状況では判断できなかった。

 漏洩とは程遠いこの状況の中で落ち着き始めたのか、ここで榊に質問する事ができた。

 

 

「博士、何でまた俺たちなんですか?」

 

「良い質問だねナオヤ君。実はシオの服を作ってもらおうと思ってね。どうやら人間の利用している繊維は肌に合わない様だから、アラガミ由来の素材で作ってほしいんだよ」

 

「やっぱりそうですか。素材と服でもしやとは思いましたけど。まさか本当に実在するとは思いませんでした」

 

「君たちには緊急の用事って事で技術班には連絡してあるから、屋敷で服の製作を頼むよ。因みに期間は2日だからね。それまでは戻らなくて良いから。それと、とりあえず君たちは早急に動いてくれたまえ。こんな大人数でここに居るとなにかと不都合があるからね」

 

 

 

 榊からの発言で全員がその場から離れ、一路屋敷へ向かう事にした。この場に残されたのは3人だけ。まずは第1段階はクリアとなった。

 

 

「アーク計画のの事は何も言及してませんでしたが、このままで大丈夫ですか?」

 

「彼らに真実を伝えるのは些か早計だと思ってね。まだ油断は出来ないのであれば言わないのも一つの手だよ。しかし、シオの力と言うべきなのか、リンドウ君があそこまで元に戻るとはね。まだまだ、調べるには時間は必要なんだろうね」

 

「無明、博士。身内の事とは言えありがとうございました」

 

「ツバキさん。そんなに頭を下げる必要はないよ。実際には偶然が重なったとは言え、戻る事が出来たのはリンドウ自身の力で、自分達はそのサポートをしただけだ」

 

「それでも、礼の一つも言わないのは私の気持ちが治まらない」

 

「それなら、体で返してくれれば良い」

 

「なっ……」

 

 何気に放った一言がツバキを動揺に誘った。普段からそんな話をする事は一切無い人間から言われれば慌てる事も出てくる。

 無明は何も考えていない訳ではなく、普段からあまり表情が表に出てくる事がない為に、何を考えているのか理解しにくい部分が多い。その為にツバキも突然言われた言葉に動揺を隠しきれなかった。

 

 

「その時にはしっかりと連絡する」

 

 一言そうツバキに伝え、無明はラボを出た。しかしながらこの部屋にはまだ榊が居る以上、醜態をさらすわけには行かず、ツバキも何事も無かったかの様に無明に続いてラボを出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここがエイジの家なのか。想像以上にすげえ所に住んでるんだな」

 

「ここは兄様の屋敷で自分達は皆で済んでるだけだよ」

 

「みんなって事は他に誰が住んでるんですか?」

 

 第1部隊の面々はリンドウに会いに、技術班の2人はシオの服の製作の為に屋敷へと足を運んだ。エイジとナオヤは自宅である為に見慣れた光景だったが、他の人間が来る事は無いために物珍しさから辺りをキョロキョロと見渡していた。

 

 

「ここは、外部居住区には住めなかった人達が兄様の呼びかけで一緒に住んでいるんだよ。だから色んな人が住んでるし、ここはゴッドイーターに対しての偏見を持った人間もいないから心配しなくても大丈夫だよ」

 

 エイジの案内によって屋敷に到着すると、一人の女性がエイジ達を出迎えた。

 

 

「久しぶりに帰って来たのね。……また随分と団体ね。君たちの待ち人は奥の部屋だから先に行ってて頂戴」

 

 事前に連絡を受けていたのか、開口一番に行先を言われ、まずは言われた奥の部屋へと足を運んだ。

 既に話を聞いているとは言え、そこにリンドウが居る。それを十分すぎる程意識させられ襖を開けると、そこには浴衣姿のリンドウとサクヤが座っていた。

 

 

「おう、お前ら久しぶりだな。突っ立ってないで、そこに座れよ」

 

 

 あっけらかんとしたリンドウの言葉がその場に何事も無かったかの様に響く。

 今アナグラがどんな状態になっているのかすら考えても居ない様な振る舞いに、この場に通された全員が声を発する事が出来なかった。

 行方不明になってからの心配を余所にリンドウは呑気にお茶を飲んでいる。

 

 時間があまりにも経った邂逅にしばしこの部屋の時間は止まったままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第37話 休息

 部屋に通され、開口一番のリンドウの声に、ようやく本人だと確認するのに一瞬だけ時間を要した。特に技術班の2人はリンドウの事は何も聞かされていない為に、呆然とした表情のまま驚きを隠す事は出来なかった。

 

 一度はアラガミに襲われ行方不明となり、回収された神機を見れば、どう考えてもアラガミ化からは免れない。これが今のゴッドイーター達の常識でもあり、紛れも無い事実だった。

 しかし、目の前にいるリンドウはアラガミ化はしておらず、以前に比べれば不自然な一部を除いて何も変わらないままだった。

 

 

「話は姉上とサクヤから聞いた。エイジ、今まで済まないな。これからも部隊の面倒を頼んだぞ」

 

「僕はリンドウさんの代理だから、この後は交代します」

 

 当初、部隊長としての指名があった際にエイジは今回の措置はあくまでもリンドウの代理であって、自分はそれまでだと考えていた。

 今回も行方不明だったリンドウが生存している以上、エイジとしては隊長職を続けるつもりがどこにも無い。漸く肩の荷が下りたと考えていた矢先だった。

 

 

「いや、それは出来ない。まだ非公式ではあるが、俺は今の時点でアナグラに戻る事は出来ない。一番の理由はこれだ」

 

 しかし、リンドウの口から出た言葉は肯定では無く、否定だった。

 そう言いながら、リンドウは自分の右腕を見せる。腕には異様な雰囲気を纏いながら包帯がしっかりと巻かれている。一瞬だけためらいはしたが、それを丁寧に外しながら皆に見せた。

 

 

「リンドウさん。それって!」

 

 異様なリンドウの右腕はアラガミ化したままだった。真っ黒な腕には人間とは思えない様な突起物が生え、また手も人間ではなく鋭い爪を持ったアラガミの様にも見える。そんな異形な腕を見たコウタはただ驚く事しか出来なかった。

 

 

「まあ、落ち着けコウタ。これは今回のアラガミ化を阻止した代償だ。今の所はデータを取ってはいるが、今後はどうなるのか経過観察中だ。暫くは此処に居る事になるから、それまではまだアナグラでは口外は厳禁だ。姉上はそう言ってなかったか?」

 

 リンドウの言った事はツバキだけではく、榊や無明からも厳しく言われていた。もちろん、今更そんな事は言われなくても全員が理解している。

 それを踏まえてリンドウは再び確認する様に言った。

 

 包帯を外したリンドウの右腕は禍々しい空気を纏い、まるでいつでもアラガミ化するかの様な異様な雰囲気があった。

 これでは確かにアナグラに伝えた所で色々と懸念される事が多くなる。そうなれば今以上に信頼性を損なう危険性があった。

 

 

「これが安全だと分かればアナグラに戻るさ。まあ、アナグラよりもここの方が環境は良いから、戻りたくない気持ちも無い事は無いがな」

 

 そんなリンドウの何気ないその一言にコウタが反応した。

 

 

「以前にリンドウさんが言ってた事ってここの事だったんですね。エイジ、なんでもっと早く言ってくれなかったんだよ?」

 

「いや。特に聞かれてないし、ここの所在は極東支部にも公開してないから、おいそれと言う訳にはいかなかったんだよ」

 

「いや、でもここはすげーよ。ソーマもそう思うだろう?」

 

「一々こっちに振るな。確かに驚きはしたが、秘匿なのはそれなりに理由があるんだろう」

 

「詳しい事は分からないが、無明がそうしてるのは意味があるんだろうな?所でお前たちの後ろであの2人は何してるんだ?」

 

 リンドウとの再会でナオヤとリッカの存在を失念していた。慌てて振り返ると、2人で何かを話している様にも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へ~ここがナオヤの家なの?」

 

「そんな所だ。いつもここから通っているけど」

 

「なんか凄いね君は。色々と分からない事が多かったけど、ようやく納得できたよ」

 

「そうか?気が付いたらここに居た様な感じだから、特に何も思わないけどな 」

 

「いやいや、かなり贅沢だよ。さっきから色んな所見ているけど、中々こんな家はないよ」

 

「とりあえず今日から2日で服を作るから、詳しい事はまた後で説明するから」

 

 

 第1部隊の面々とは違い、2人はシオの服を製作する事を命じられている。

 期限が切られている以上、後は時間との戦い。ゆっくりと休む暇もなく作業に取り掛かる事にした。

 

 久しぶりの対面もあってか、全員で話をする機会が今まで一度も無かった影響なのか、気が付けば時間は既に昼を少し過ぎた頃、扉が開くと共に、先ほど案内した女性が再び声をかけた。

 

 

「みなさん、昼食の用意がしてありますので広間に来てくださいね」

 

「もうメシの時間か。なあエイジ、昼食って何か食えるの?」

 

「そこまでは行ってみないと分からないよ。そうだ、アリサは箸って使えた?」

 

「完璧ではありませんが、何とか使えますので大丈夫だと思います」

 

 一行は何が出るのか分からないまま指定された場所に行くと、そこには既に人数分の食事が用意されていた。

 アナグラでは簡単に栄養が取れる様なメニューしかないが、ここでは明らかに栄養以外の見栄えがしっかりとあり、普段では見る事も殆ど無いような見事な和食の御膳が食事として出されていた。

 

 

「なんだこれ。初めて見たぞ。エイジお前普段からこんな良い物食べてるのか?」

 

「普段はここまで豪華な物は出ないよ。精々簡単に食べられる物だけで、基本は自分達で作る事が殆どだよ」

 

「ねえリンドウ、あなたも目覚めてから常にこんな食事なの?」

 

「いや、ここまでの物は見てない。ところでお姉さん、これは一体?」

 

 

 元々ここに住んでいたエイジや、最近になってここに居るリンドウでさえもここまでの料理を見たことは一度も無かった。

 厳密に言えば、客人が来た場合にのみ出されるので、住んでいる者は実際に目にする事は殆ど無かった。

 

 

「当主からの伝言です。お会いになられたのですから、これ位のもてなしはするとの事です」

 

 今回の事に当たっての無明からのちょっとしたサプライズとなった。普段は見る事が殆ど無い位の料理に皆はそれぞれの席に座るが、何故かアリサだけが浮かない顔をしている。

 

 

「どうしたの?体調でも悪くした?」

 

「いえ、先ほどの箸の件ですが、少し使いこなす自信が無いので、どうしたものかと」

 

「そんなに難しい食材は……ああ、きっとこれか」

 

 エイジが見たのは緑の色をした豆腐だった。アリサがロシアから来て一番苦労したのがアラガミの討伐任務では無く、日々の食事。

 

 ロシアとは違い、極東ではナイフやフォークではなく箸を使っての食事の為に、最初のうちはかなり練習しながら食べていたが、ここ最近になってからは漸くちょっとした物を掴める様になっていた。

 しかし、箸をつけた豆腐は持ち上げた瞬間から崩れ落ちる。豆腐は意外と高度だと判断したのか少し戸惑いの表情を見せていた。

 

 

「スプーンを使えばいいよ。そこに茶碗蒸しが置いてあるから、それを使って食べると良いよ」

 

「茶碗蒸しってなんですか?」

 

「簡単に言えば出汁を使った甘くないプリンの事だよ」

 

「そんな不思議な食べ物が極東にはあるんですね。初めて見ました」

 

「とにかく食べよう。それからだよ」

 

 そんな会話をしていると、服の製作に取り掛かっていた2人もやってきた。2人も同じような反応をしていたのを察してか、エイジが説明をし始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんなに旨い食事なんて初めて食べたよ。今まで生きて来た甲斐があったよ」

 

「コウタは大げさなんだよ。ソーマはどうだった?」

 

「俺もあんな食事を食べた事は今までにない。初めて食べたが良い物だな」

 

「あれが極東のおもてなしって事なんですか?ロシアではあんな食事を食べる事は無かったので感動しました」

 

 もてなされた食事を堪能し、ようやく落ち着き始めた頃に何気に話した事がこれからの事態を大きくする。

 

 

「エイジ、この後どうするんだ?」

 

「この後はとりあえずアナグラに帰る予定だよ。外泊申請は出してないからね。ナオヤはどうするんだ?」

 

「服の事があるから、今日は泊まり込んだ方が早いからそのままの予定だな」

 

「で、リッカはどうするつもりだ?」

 

 

 全員で食べたので、そこにはナオヤとリッカも一緒に居た。

 今日はリンドウの件があった為に、今後の予定は何も考えておらず、申請を出していないのでこのままアナグラに戻る予定だった。

 しかし、先ほどの会話の中でナオヤはリッカと服の製作でここに居る。ナオヤにとっては自宅だが、リッカにとっては外泊となる。

 

 

「あ、あたし?あたしはどうしよう?」

 

「ゲスト用の部屋があるからそれ使ったらどうだ?後で用意しておくから」

 

「……へっ?って良いの?そんな簡単に決めちゃって?」

 

「そんな事よくあることだし、気にする必要ないさ」

 

「い、いや。でも、その……」

 

 突然の事にリッカの思考はフリーズし、状況の把握が出来ないままだった。何も考えていない上に、いきなりここで泊まる事は全くの想定外。

 これ以上の判断な何も出来ないままとなった。

 

 

「ナオヤ、いきなりそんな事言ったら混乱するよ。とりあえず落ち着いて考えたらどう?こっちも聞きたい事がいくつかあったから一旦時間を開けたら?」

 

 

 何気に放った一言だが、ナオヤは自分の発言に最初は気が付かなかったが、徐々に今の発言に対して理解すると、とんでもない事を口走った事を自覚し、そのまま固まっていた。

 

 

「おまえら何してんだ?エイジ、暇なら温泉にでも入るか?お前まだ体痛むんだろ?」

 

 お互いの固まった空気を壊すかの様にリンドウが間に入って来た事で、漸く止まった時間が動き出した。

 今の状態であれば最前の手だったが、内容に関しては些か強引とも取れた。

 

 

「今の時間も使えるらしいからな。コウタ、ソーマ、お前たちも行くぞ」

 

「リンドウさん。ここって温泉があるんですか?」

 

「おう、あるぞ。中々気持ち良い湯だったぞ」

 

 そこに食いついたのは意外にもリッカだった。

 アナグラ内部には人数の関係上、大量の水を利用する事は極めて困難な関係でシャワー設備しかない。

 外部居住区であれば各家庭には小さいながらも湯船はあるが、温泉となれば話は大きく変わる。

 今の状況になってからは旅に出る事も出来ず、新たに旅行に行く事も無くなった関係上、極めて珍しい物となっていた。

 

 最初からアナグラに居たソーマやロシアから来たアリサにとっては未知の物でもあると同時に、外部居住区に居るコウタやリッカにとっても今までに入る事は殆ど無い代物だった。

 

 

「こんな時位は裸の付き合いも良いだろ」

 

「アリサ、私達も行かない?中々こんな機会は無いわよ」

 

「私も良いんですか?でも、何も用意してませんよ」

 

「それなら大丈夫よ。そんな事まで気にする必要は要らないわよ」

 

そう言いながらリンドウは自分の家の様に先に歩き、サクヤもそれについて行くかの様に温泉へと足を運び出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「あの、サクヤさん。何かで隠した方が良いんじゃないですか?」

「そう?アリサは一緒に誰かとお風呂とか入った事は無かったの?」

 脱衣所で服を脱いだまでは良かったが、問題なのはその後だった。アリサもこれまでお風呂に入った事は何度かあったが、それはあくまでも水着が着用するのが前提での話。
 既にサクヤは浴衣を脱いで何も身に纏う事無くそのまま湯船へと向かっているが、アリサの心情としては何も着ないままでの入浴にはかなりの抵抗があった。


「今までそんな経験が無かったので……」

「別に女同士なんだし、気にする必要は無いんじゃない?それとも初めてはエイジと一緒の方が良かったかしら?」

「べ、別にそんなんじゃないですから。それよりどうしてここでエイジの名前が出るんですか」

そう言いながらもアリサの顔には少しだけ赤みが差していた。特に意識している訳ではないが、なんだかんだと一緒に行動する事も多く、当時の状況下でのエイジの言動はアリサにとってはかけがえの無い物でもある。
 まさかサクヤがそんな事を言うとは思ってなかったのか、アリサは珍しく動揺していた。


「何となくよ。さあ、入りましょ。そうそう、先に身体を洗ってからよ。それと湯船にタオルを入れるのも禁止だからね」

「何だか難しいですね」

「そんなに気にしなくても良いわよ」

サクヤに言われた通りにアリサは行動に移す。綺麗になった所でゆっくりと浸かるお湯が今まで疲弊した様な感覚を癒す様にも思えていた。


「サクヤさん。リンドウさんが見つかって良かったです。私……私…どうすれば良いのかって……そればかり考えて…いました」

お湯に浸かった事でリラックスしたからなのか、それともこんな雰囲気がそうさせたのか、アリサはサクヤにこれまでの心情を吐露していた。

 リンドウの原因を作ったのは間違い無くアリサ自身。これまでも捜索任務の為に部隊が派兵されてはその結果に常に落胆していた。
 しかし、ここに来た瞬間そのすべてが一気に解決された事と、リンドウが何時もと変わらない状況だった事がアリサの感情を揺さぶっていた。


「良いのよ。確かにリンドウの右腕はああなっていたけど、元気に生きてるんならそれでも良いと思ってるのよ。実際には私だって散々心配している時に本人がこんな所でのんびりしてるんだから」

 アリサの言葉にサクヤもまた自分の気持ちをアリサに伝えていた。
 失踪してから時間が経過すれば生存率は格段に下がるのは神機使いの常識でしかない。にも関わらず何時もの飄々とした雰囲気で出迎えられた瞬間、サクヤの中ではそれだけで十分だと言う気持ちしか無かった。


「でも、でも……私はリンドウさんにも…謝りたいんです」

「あの人の事なら大丈夫よ。アリサ達がここに来る前にもそんな事言ってたから。生きていればそれだけで勲章物だってね」

湯船の中にポタポタと落ちる涙がアリサの現状でもあった。見た目には分からなくてもその心情は本人にしか分からない。今はただサクヤの言葉だけが浴室に響いていた。









「ここって凄い作りしてますね。一体どうなってるんです?」

「ここは未公認の施設だ。事実この場所を知っているのは俺以外では榊博士と姉上、支部長位だな。詳しい事は分からないが、ここの事は基本的には秘匿されている。お前達もアナグラでは口にするなよ」

コウタは初めて見る施設ばかりだからか、今は周囲を見渡していた。ここはコウタが知っている極東支部の施設のどれにも当てはまらない。ある意味ではここは別世界なのかと思う程だった。


「コウタ。そんな事一々気にする必要は無いだろ。それよりもリンドウ、お前はなんで生きのびる事が出来たんだ?」

「正直、俺にも分からん。実際には意識も朦朧としていたのは事実だ。で、何となく覚えているのは無明にここに連れて来られた位だな」

ソーマはリンドウが長期にわたって自我を保ったまま生存していた事に衝撃を覚えていた。ソーマの体内にあるP73偏食因子とは違いP53偏食因子は常時特定のオラクル細胞の摂取が必要となる。本来であればアラガミ化するのが当然ではあるが、目の前にいるリンドウが平然としている事に違和感があった。


「詳しい事は覚えてないが、確か何かの薬剤を撃ち込まれた記憶があったな。何でもそれは全員が必ず効く事は無いらしい。変化が無ければ俺はそれで終わりだったよ」

リンドウの言葉に誰もが口を開く事は出来なかった。




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第38話 予定

「博士にお聞きしたい事があります」

 

「なんだいツバキ君?」

 

「少し前に聞いたアーク計画の件ですが、あれは支部長が大きく関与し、本部でも上層部が関与している事は聞きましたが、前提条件は終末捕喰が起きる事ですが、そこまでの準備が出来ていると認識すべき事ですか?」

 

「それに関してだが、これから話す事は僕の推測しうる事だと思ってくれるとありがたいね。ヨハンが何を考えているかは分からないが、終末捕喰を起こす予定となっているアラガミを人工的に製造していると判断している。

 しかしながらポイントになるのが特異点と言う名のアラガミのコアが今回の必要とされる物なんだよ。すなわち今の状態では終末捕喰を行うアラガミを起動する事が出来ず、今はただの入れ物にしか過ぎない。

 勿論、こちらとしてもただ手をこまねいてる訳ではないが、今のままではヨハンの方が先に完成するだろうね。だからこそ、こちらは隠匿して時間を稼ぐしか手段が無い。破壊するにも既に周辺の装甲壁は完成し、現在は厳重なシステムで守られているからね」

 

「ですが、このままではいずれとなる以上、早めに上層部に掛け合う訳には行かないんですか?」

 

 ツバキが危惧するのは無理も無かった。余りにも強大すぎる計画が実行された瞬間に人類の歴史は事実上途絶えるに等しい計画は悪魔の所行とも考える事が出来る。

 まともな組織であれば狂気とも言えるそれを阻止しようと考えるのは必然だった。

 

 

「ツバキさん、上層部の8割はこの計画に賛同している。こちらで調査したが上への話は持って行っても握りつぶされるだけだ」

 

「しかし」

 

「ツバキ君の気持ちは分かるが今現在ではての打ちようが無いのが本当の所だね。となれば今やっている研究を早めるしか手立てが無いんだよ」

 

 

 全員が退出してラボには重苦しい空気が漂っていた。当初は上層部の一部と結託し暴走しているだけと読んでいたが、無明の報告でその目論見は簡単に瓦解した。

 8割の上層部ともなれば事実上の全員と変わらない。現場で出来る事は榊の研究を早める他無かった。

 

 

「博士、その研究と言うのは現在はどこまで進んでますか?」

 

「今の所は7割程度だね。技術的な物ならば時間はそこまでかからないが、今回の物はおいそれと進める訳には行かない。仮に出来たとしてもある程度の検証する時間が必要なんだよ」

 

 

 フェンリル。いや、人類史最高の科学者と言われる榊でさえも、思うような検証をするのは極めて困難な状況とも言えた。

 アラガミの研究には対象となるアラガミのコアを解析すれば、時間はそこまで必要とはしない。しかしながら、今回用意されたコアは過去の例を見ても、入手するのは事実上、不可能ともいえる代物。

 しかも、一度でも失敗すればその後に別の物を回収するのはと言った代替え案が全く無い事が時間をかける事に拍車をかけていた。

 

 

「科学者の立場から考えると、目に見えない事象に対する検証は難しいとも言える。しかも、ヨハンが欲しているのは特異点と言う名のコアでもあり、それ以外のコアに関しては不要とも言える。そうなると万全を期するのであれば、ある程度仕方ない事だよ」

 

「今の状態はまるで、旧約聖書の内容と変わり映えしていない点ですね」

 

「見方によってはそうとも言えるね。さしずめ脱出用の船はノアの箱舟なんだろうね。問題があるとすれば終末捕喰を起こすアラガミの制御方法だね。今のままではその辺に居るアラガミと大差ないから、ある程度知性は必要だろうね。ところでツバキ君、人間の心は一体どこにあると思う?」

 

 この唐突な質問に対し、ツバキは返答をする事は出来なかった。諸説あるものの単純な考えであれば脳と考えるが、心となると答えは一気に難しくなる。これに対しては事実上答えは現在の所無いに等しい。

 

 

「質問がちょっと難しすぎたね。じゃあ、アラガミならどうだろう?」

 

「今の所はコアと言うのが正解でしょう」

 

「その通りだね。アラガミのコアが現在の所は全てを司どっていると判断するのが正解だろうね。となれば、知性を持つ様にするには知性を有したコアを使うのが一番手っ取り早いんだよ。仮にクローン技術が発達しても、今の人間には生物を一から作る技術は持ち合わせていない。それこそ神の領域になるけど人間が手にするには、まだ未熟な生き物とも言えるからね」

 

「だからこそ、支部長は特異点のコアを欲していると考えて良い訳ですか」

 

「こればかりは本人に聞く訳には行かないからね。これこそ神のみぞ知るだよ」

 

「博士、それ以上は」

 

 榊の話はまだ続きそうな雰囲気はあったが、外に人が居る気配を感じ、無明が制した。ラボに一瞬緊張感が走るも、杞憂に終わった。

 

 

「ツバキ教官、確認してほしい事がありますがお時間宜しいでしょうか?」

 

 声の主はヒバリだった。防音はされているが、万が一の事もあり常時気配だけは察知出来る様に気を配っていた。

 何気に話しているが、この内容は機密以外の何物でも無く、だからと言って、一般的に公表して良い物でも無い。ヒバリが来た事で、この話は即座に終了となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや~良い湯だった。風呂上がりのコーヒー牛乳は最高だよ」

 

「久しぶりに入ると気分転換にもなって良いね」

 

「リンドウ、お前は何を飲んでるんだ」

 

「風呂上りに、冷酒の一つ位良いだろう。かてえ事言うなよソーマ」

 

 

 温泉から出ると、少しくつろぐ様な素振りで落ち着き始めた。いくら休暇中とは言え、ここまでゆっくり出来る事は任務に着いてから一度も無いと言った方が正解だった。

 

 

「ところで、アリサとサクヤさんはどうしたの?」

 

「二人は室内の風呂じゃないかな?流石に混浴って訳には行かないだろうし」

 

「そのうち来るだろ。そんなに気にする必要は無いだろ」

 

 そんな事を言っていると、遠くから2人の声が聞こえて来た。どうやら予想通り室内の風呂に行っていたのだろう。

 気が付けば、ここに来た時と姿が違っていた。最初は誰が来たのかと思ったが、サクヤの横には浴衣を着たアリサが一緒に歩いていた。

 いつもの服装からはほど遠い姿にエイジやコウタも直ぐには声に出す事が出来なかった。

 

 

「あ、あのどうですか?」

 

 もじもじしているからなのか、アリサの弱々しい声にようやく意識を取り戻したかのような状態となり、ようやく落ち着いてアリサを見る事が出来た。

 アリサが浴衣を持っているとは思えなかったが、柄を見れば元々屋敷に置いてあった物。まさに着る人間が変わればここまで違うのだと理解できる様な見本だった。

 

 

「よく似合ってる。すごく綺麗だ」

 

 エイジのどこから声が出ているのか分からない様な感想にアリサは頬を若干赤く染めながらも、まんざらでもない様な顔をエイジに向けた。

 今まで部隊の人間として接してきたエイジもこの姿を見てようやくアリサが一人の女性である事を認識していた。

 二人の空気が少しづつ変わり始めた頃にコウタの一言がその空気を見事にを壊した。

 

 

「ア、アリサがアリサじゃなくなっている。まるで別人だなんて浴衣恐るべし」

 

 今までエイジに言われて気分が良くなった矢先のコウタの一言はアリサの気分を急転直下に陥れた。

 

 

「ドン引きです。普通、そんな事は口に出して言う物では無いと思いますけど?」

 

「い、いやそんなつもりじゃ……」

 

 コウタ自身も先ほど発した言葉は明らかに失言だと理解するも、既に目の前のアリサは怒り心頭。まるで汚物でも見るかの様な目つきをしている。

 この状況を打破するにはひたすら謝るしかないとコウタも必死に謝る。

 

 

「いつも以上に別人みたいで驚いたんだって。極東でも中々浴衣なんて最近は目にしないから物珍しさだよ。他意は無いよなエイジ?」

 

「なんでこっちに振るんだよ。でもコウタもアリサがいつもより綺麗な事は認めるんだよね?」

 

「も、もちろんだよ。いや~アリサは何着ても絵になるな~」

 

「何となく褒められた感じはしないんですけど。コウタですし、まあいいです」

 

「ちょっと酷くないかそれ!折角褒めたはずなのに」

 

「3人共もうそれ位にしたらどうなの。アリサも少しは落ち着きなさい」

 

 

 サクヤの仲介でようやく周りは落ち着きを取り戻した。

 ソーマはやれやれと言った表情で、リンドウは面白い物を見るかの様に相変わらず冷酒を飲んでいた。

 

 

「リンドウさん、今後の件ですが検査が終わった後はどうするつもりなんですか?」

 

「それについては無明と打合せだな。現状分かっているのは神機は既に使い物にはならない。となると新しい戦力を試す事になるから、暫くは戦闘訓練だろうな」

 

「神機はどうしたんですか?」

 

「詳しい事は分からんが、今まで使っていた神機は役目が終わったんだと。とりあえずはそう聞いている。お前らだって今は神機の整備中なんだろ?」

 

 リンドウに言われ、そこでようやくそれぞれが今の現状を思い出した。

 ディアウス・ピターとの戦いがギリギリだった為に、第1部隊の神機は完全整備中。これでは丸々非戦闘員の状態の為に何も出来ない事が事実としてあった。

 しかし、ここで疑問が一つ。整備担当の2人がここに居るにも関わらず、神機の整備は今どうなっているのだろうか?そんな事も踏まえエイジ達は確認の為にナオヤ達の所に向かった。

 

 

「ナオヤ、ちょっと今良いか?」

 

「何だ?どうした?」

 

「神機の整備の事で聞きたい事があったんだけど。今、神機の状況はどうなっているの?」

 

「お前の神機以外は整備済みだ。って言うか、どんな使い方したらああなるんだよ。あれは実質全損だから、時間がかかるけど」

 

「エイジの神機なら、あとはパーツの取り付けだけだよ」

 

 2人の会話に割り込んだのはリッカだった。今はまだデザインを起こして、各種材料を縫い合わせる為に素材をなめしている最中だった。

 

 

「そうなんだ。でも早くない?」

 

「それはね……」

 

「それは私が以前ロシアで使っていたパーツを提供したんです。以前修理には出してたんですけど、今使っているパーツをそのまま固定してたのでエイジの神機にってリッカさんに頼んだんです。ひょっとして迷惑でした?」

 

 今度は背後からアリサの声が聞こえて来た。どうやら神機のパーツの件だと察したのか、それとも全部取り付けてから言おうかと思った所で聞こえて来た内容についての説明をしようかと言った所でのタイミングでもあった。

 

 

「あれ~アリサ綺麗な浴衣着てるね。スッゴイ似合ってるよ」

 

「ありがとうございます」

 

「ところでエイジから感想は聞けた?」

 

 真面目な話だったはずが、気が付けば浴衣姿の話に変わり、これからどうアリサを弄ろうかとニヤニヤしたリッカがそこには居た。

 

 

「ちゃんと褒めてもらいました。ねっエイジ?」

 

「あ、ああ。綺麗だって言ったよ」

 

「ふ~ん。でもなんで浴衣なの?」

 

「さっき温泉に入ったからそのまま着替えとして出てたので着ましたけど」

 

「アリサって着た事無いよね?どうやって?」

 

「サクヤさんにお願いしましたので」

 

「へ~なるほどね。皆私たちが作業してる時に随分とくつろいでたんだね」

 

 これ以上話すと方向性が変わりそうと感じ、ナオヤから助け舟が横から出て来た。

 

 

「作業が終わったらリッカも入ったら?着替えはまだあるから問題ないぞ」

 

「あ、そ、そうなの?分かった。じゃあ楽しみにしておくよ」

 

「盛り上がってる所悪いけど、結局神機はどうなってるの?」

 

 そこで漸く脱線した話が元に戻り、今後の状況について確認が出来た。

 現状では壊れたパーツは廃棄処分としアリサの以前利用していたパーツを改めて取り付ける事になった。

 しかし肝心の刀身に関しては何も聞いていない。銃撃は良くても肝心の刀身が無ければ戦力としては半減する。そんな疑問に関しては想定外の回答が来た。

 

 

「兄貴が作成した試作品を取り付ける事になってるから気にするな。でも、ここだけの話、試作と言っても事実上の正規品だぞ」

 

「どう言う意味?」

 

「オフレコだけど、ある程度の数字が出れば、これはそのまま本部での正式採用の予定らしい」

 

「なるほどね。正規配備前のテストって事か」

 

 どうやら、エイジの神機は戦力兼テスターとしての位置づけが確定となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第39話 今後

 慌ただしく時間が過ぎ、ようやくシオの服が完成となった。

 既にサクヤとアリサの手によってシオの着替えが完了し、ようやくお披露目となった。

 色は白を基調とし上半身はノースリーブのドレス姿。胸の中央には綺麗なコサージュが取り付けられ、下半身は活動的に動けるようにホットパンツの様な物を穿いていた。

 以前のフェンリルの旗を巻き付けていた頃と比べれば雲泥の差でもあった。

 

 

「いや~今回は流石に苦労したよ。これも中々良い経験だったかな」

 

「素材があそこまで変わるとはね。何度も素材をなめした甲斐があったよ」

 

 

 作成した2人は満足げな表情でシオをしっかりと見ていた。それ以外にも着替えをさせた女性陣だけではなく、あまりの変わり具合に第1部隊の面々も驚きを隠せなかった。

 一方のシオも用意された洋服に満足そうな表情を見せ、皆に改めて見てもらう様にクルクルと回りだした。そんな様子を見ていた際に、一つの歌がシオの口から聞こえて来た。

 まさか歌を歌いだすとは誰も思わず、その声に全員が聞き入っていた。

 

 

「シオちゃん、その歌どうしたんですか?」

 

「うん?これか、これな、そーまといっしょにきいたよ」

 

 

 その一言で全員がそこに居たソーマの顔に注目する。全員から一斉に向けられた視線に耐えきれず、明後日の方向を見出す。

 本来であればそのまま放置となるが、残念ながらそんな曖昧な状態を許したい者はこの部屋には誰一人居なかった。

 

 

「あら~あらあら?ソーマも隅には置けないわね」

 

「まさか二人っきりで聴いてたんですか?しかもよりによってソーマが?」

 

「ソーマ、おまえってやつは……ブファ」

 

「お前ら大人しく聞いてりゃ適当な事言いやがって。全員そこに立て。一人づつぶん殴る」

 

「落ち着けソーマ。みんなそんな弄りたいなんて事考えてないよ。みんな感心してるんだよ」

 

 

 このままでは拙いと判断したエイジが慌てて止めに入る。残念ながらコウタだけは間に合わず、アリサはエイジの後ろに隠れていた。

 

 

「今まで人間味すら無かったのに、急にそんな事をシオが言い出すなんて誰も思っていなかっただけだよ」

 

「ててて……そんないきなり殴るなよ。別に深い意味ないけど、前はツンツンして話がたいのが今では普通に会話の中に入っているから、つい気楽に話しただけだよ」

 

 コウタが腹をさすりながら、どことなく言い訳じみた感じで話をする。いつもならばここまで突っ込んだ話をする機会は殆ど無く、またシオが見つかってからなのかソーマの刺々しい感情は以前に比べれば、なりを潜めていた。

 

 

「まあ、それ位にしてほしいね。いくらここが防音だからと言って騒ぐのは感心しないよ。ところで折角皆が集まっているからお願いしたい事があるんだが良いかい?」

 

 

 短い期間ではあるものの榊からのお願いは基本的にまともな話は殆ど無く、これから改めて聞かれる以上、碌な内容では無い事位は誰もが学習していた。

 そんな面々の表情を読み切った榊は内心がっかりしつつも、改めて以来をする事にした。

 

 

「実はラボにあるアラガミのコアが底をついてね。このままではシオの食事が満足に出来そうにないんだ。君たちには悪いがシオと一緒にデートに行ってほしいんだ」

 

「はかせ~。でーとってなんだ?それおいしいのか?」

 

「そうだね。多分シオにとっては楽しくて美味しい事かもしれないね」

 

「そっか、おいしいのか。しお、でーとにいくぞ~」

 

 美味しいの言葉に反応したのか、今すぐにでも動きたいのかシオは突如としてそのまま準備も程々に動き出そうとしている。この場から直ぐに出て行かれる訳にもいかず、シオを取り押さえるのに一苦労する事になった。

 

 

「じゃあ、悪いけどよろしく頼むよ。特にソーマ、しっかりとエスコートしてくれたまえ」

 

「まだ何も行くとは言ってねえぞ」

 

「ソーマ。隊長権限でたった今決定したからこれは命令だよ」

 

「エイジ。てめえまでそう言うのか」

 

「まあ、そう言わずに。気楽に行こうよ」

 

 

 その場でシオのデート(食事)ミッションが決行される事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで暫くは大丈夫じゃないかな?」

 

「ああ、そうだな。おいシオ、もう十分すぎる程食べたなら、そろそろ帰るぞ。これ以上の長居は色々と拙い」

 

「おお、じゃあごちそうさまだな~」

 

 

 デートと言う名の食事も終わり、ようやく撤収の準備に入った瞬間だった。

 シオが先ほどとは打って変わって呻くような声を発すると共に、身体中が突然紋章の様な字が浮き出始めてきた。シオの突然の変化にソーマとエイジは周りを警戒し始めた。

 敵の存在が無い事を確認すると同時にシオがどこか遠くへ移動し始めるのを慌てて制止するも、今まで感じた事も無いような力で動こうとしている。

 全力で阻止した事が功を奏したのか、程なくして電池が切れたかの様にシオは突然倒れた。

 

 

「おい、シオ!どうしたんだ?しっかりしろ」

 

「ソーマ、まずは博士の所に連れて行こう。ここだと何の対策も打てない。このままだと危険だ」

 

「そーま。だれかがしおをよんでる。そこにいかないとだめ」

 

 

 うわ言の様にそう言い残し、シオは意識が途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「博士、シオの容体はどうなんですか?」

 

「少し拙い事になってるね。一通り調べてみたが、その影響が出てるのか、随分と人間らしさが抜けて特異点としての力が大きくなってるね。因みにどこまで行ってたんだい?」

 

「愚者の空母ですが」

 

「……そうか。暫くは様子を見る以外に手立てが無いからね。シオ、ここの部屋で休んでなさい」

 

「う~ん。わかった」

 

 

 つい先ほどまで元気だったはずのシオが不可解な紋章が体に出たかと思いきや、昏睡するかの如く意識を失い今もなおその影響を引きずっていた。

 榊自身は大よその検討はついてたが、本当の原因をこのまま話すには今の状況では拙いと判断し、これ以上の言及を避けた。

 

 シオがここまで影響を受ける原因。そしてその場所から判断出来る事は、支部長が計画している事の全てが終わり、あとはシオのコア、特異点を探すだけとなっている事の状況が整っていると示唆してるにしか過ぎない。

 榊も恐らくはこちらの方が時間の猶予が無い事は悟っていたが、まさかここまでの速度で事態が進んでいたとは想像する事が出来なかった。

 重苦しい空気が漂いだした所で、一人の通信端末の音が鳴り響いた。

 

 

「はい、如月エイジです。……分かりました。それではこれからお伺いさせていただきます」

 

「誰からだエイジ?」

 

 

 ソーマはエイジの話の相手を予測していたかの様に、小声で話し出した。

 

 

「支部長からだったよ。どうやら特務の話らしい」

 

「そうか。前にも言ったが、あいつには気を許すな。もし特務絡みならこっちにも連絡が来るはずだ」

 

「とりあえずは行ってみるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「如月エイジ出頭しました」

 

「忙しい所すまないね。君の活躍は色んな所でも聞く事が多く、支部長としての立場でも嬉しく思うよ。早速で悪いが特務の件で話がある。つい先ほどエイジス島付近で特異点と思われし特殊なアラガミの反応をキャッチしてね。その件で君にはソーマと一緒にそのアラガミを捜してほしいんだよ」

 

「質問よろしいでしょうか?」

 

「答えられる範囲であれば教えよう」

 

「先ほどおっしゃった特異点ですが、どんな形状のアラガミでしょうか?自分としても形状が分からないとなると捜すにも目処が立たなくなる可能性があります」

 

「なるほど。だが今の所特異点の形状は不明となっている。我々も色々と探したが手がかりは無くてね。これはあくまでも推測になるが、特異点は高度な知能を有する可能性が高く、君たちも知ってのとおり、今推し進めているエイジス計画の重要な役割を担う可能性が高い。その為に見つけ次第討伐し、コアは必ず持ち帰る様に」

 

「分かりました。ではこれから捜索に向かいます」

 

「あと、この件についてはソーマにも伝える事になっている。他の人間には悟られない様に2人で行ってくれたまえ」

 

「了解しました。では失礼しました」

 

 

 支部長の話は予想通り、特務に関する事だった。しかし、特殊なアラガミと称するだけではなく態々特異点と言われた時点で、話しているエイジの背中には嫌な汗が伝った。

 まるでお前たちの行動は熟知していると言わんばかりの言動。これ以上支部長に隠し事をするのは困難だと思い始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ソーマ、支部長の言ってた特異点ってどう考えてもシオの事だよな?」

 

「だろうな。ただ、形状は不明と言ってた以上、恐らくはアラガミの発する偏食場から想定したんだろうな」

 

 

 今2人は発見されたと思われし愚者の空母で佇んでいた。支部長が言った特異点はすなわちシオの事であり、そのシオは現在榊の元で保護されている。

 

 この時点でまだ第1部隊にも本来の計画でもあるアーク計画の全貌は一切明かされず、何か秘密裏に事を運んでいた事だけは何となく理解していた。

 この時点では今計画がどうなっているのか、今の自分達の立ち位置はどこにあるのか、それを知る術が無い以上誰にも知る由も無かった。

 

 

 

 

 



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第40話 捜索と選択

「なあ、何時まで俺は戦闘訓練と言う名の任務をこなさないとダメなんだ?いい加減教えてほしいんだが」

 

 

 エイジ達がアナグラでのミッションをこなしていると同時に、無明もリンドウと共に任務をこなしていた。

 本来であれば無明一人で行う事も出来るが、恐らくは今後ありうる可能性の高い戦闘に備えての役割と戦力としての判断を下す為に、2人で隠密行動をしていた。

 

 

「暫くは遊んでたんだから、その対価分位は文句を言う前に働け。これから少しきわどい調査をする事になる。ここからは音をなるべく出すな」

 

 

 いつも以上に真剣な様子に流石にリンドウも黙る他無かった。なぜならここは任務で派兵される場所ではなく、厳重な警備がされているエイジス島だった。

 

 榊とツバキとの会談の後、状況の確認をする為に、事前に調べてあった情報通りの配置が何故か変更されていた。

 本来であれば外部からの侵入者に対するはずの警備配置が、ことごとく変更され、まるで侵入者を排除するかの様な配置へと変更されていた。

 本部で調査した結果が外部に漏れたのか、それとも今後の状況を鑑みて万が一の備えなのかは誰にも分からない。となれば潜入して確認し確実な物証をとらえる為に、誰にも気づかれる事無く忍び込んだ。

 

 

「事前の計画とは違うって、何がどうなってるんだ?」

 

「建前はアラガミから守る為のシェルターの名目で外部に対しての防衛施設が配備されていたが、防護壁が完成してからの行動が一切見えない。そうなれば内部で何かが起きているのは容易に推測できる。しかし、外部からでは何も確認出来ない以上、現地へ赴くしか他無いだろう」

 

「だからと言っていきなりは無いだろう」

 

 小声で話していると、作業員と思われし人間と化学者然とした人間がこちらに向かって歩いて来るのが分かった。正規の手続きを取って入っていない以上ここで見つかる訳には行かず、まずは姿を隠してやり過ごす事を優先した。

 

 

「あとは特異点が見つかれば計画は発動できるはずだが、施設はどうなんだ?」

 

「全部完成してる。後は計画の実行を待つだけだ」

 

「そうか。で、現場で作業してた物はどうした?」

 

「知らない人間はそのまま返したが、一部知り過ぎた人間は始末した」

 

「今は情報漏洩が一番のリスク。やむ得ないか」

 

「後はどうなっているんだ?」

 

「連絡があり次第緊急招集をかけてそのまま実行だ。まだ見つからない以上、気を緩めない事だな」

 

「違いねえな」

 

 誰も居ないと判断したのか、やたらと口が軽いまま2人はそのまま去って行った。

 施設が完成した折に何人かが事故で亡くなったとは聞いてたが、知り過ぎた為に処分されていたとは思わなかった。

 

 作業員が言う様に情報漏洩を避けるのであれば、それが一番簡単なやり方でもある。無明にとってはごく当たり前の判断だと思うも、残念ながら隣に居たリンドウにはそう考える事は出来なかった。

 

 

「あいつら人の命を何だと思ってるんだ。これがあいつのやりたい事なのか!」

 

「静かにしろ。そもそも怒る論点が間違ってる。良いか、この計画は特定の人間だけを残し、後は終末捕喰で人類の全てを抹消するつもりだ。今更末端の人間の一人や二人が居なくなった所で何も変わらない。こんな時ほど冷静な判断が必要だ」

 

「しかし」

 

「お前の言いたい事は分かる。ゴッドイーターとして人類の守護者としてやってきたなら、お前の感情は間違っていない。だが、今俺達がやっている事はそんな崇高な事ではない。今は事実関係の確認と今後の対策を決める為の情報収集にしか過ぎない。仮に分かった所でお前はその人間を殺す事が出来るのか?お前の感情一つですべての事が瓦解する。その時にどうするつもりだ?」

 

 ここまでハッキリと言われれば、リンドウも反論するのは多大な労力が必要となった。

 ゴッドイーターの職務と今の職務は性質が違う。情報を持ち帰るのは今後の為に、ひいては未来の為に行動しているのであって、けっして目先の事に囚われる訳には行かなかった。

 

 

「分かった。まずは最低限必要な物を確認して撤収。これで良いんだろ?」

 

「そうだ。おそらくこの近くに当時と変わらないなら一つの部屋がある。そこで書類を確認して戻るのご今回の任務だ」

 

「確認ってみるだけなのか?」

 

「写真に撮ってデータを抜き取るだけだ。相手は何も気が付かないままの方が何かと都合が良いのと、下手に動いて警戒されると帰るのも大変だからな」

 

「おまえいつもこんな事してるのか?」

 

「そこまで頻繁にはしない。今はもっと簡単に何とでも出来る事の方が多いからな。今回は色んな意味で警戒しながらやらないと、かなりシビアな状態になりかねん」

 

 そんな事を言いながらも、気配を完全に消したまま目的地にたどりついた。幸いにも周辺には誰も居ない。後はデータを抜き取ってそのまま撤収となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえリンドウ、あなた最近屋敷には居ない事が多いみたいだけど、私に何か隠してない?」

 

 屋敷に戻るとサクヤからの通信が入った。今の所リンドウの存在は一部の人間以外には秘匿されている為に、おいそれと通信すら出来ない状態でもあった。

 

 

「悪いな。今は無明と戦闘訓練に励んでるから居ない事の方が多い。気持ちは分かるが通信でさえ盗聴されている可能性が高いからこれ以上の長話は出来ないぞ」

 

「分かったわ。でも危ない事はやってないわよね?」

 

「心配するな。今はそんな事が出来る状態じゃねえから。それとサクヤ、お前が調べていたデータの件だが、あれは処分しといてくれ。持っているとお前に被害が及ぶ可能性が高い。俺としてはそれだけは避けてほしいんだ」

 

「あら、心配してくれてるのね。例のデータなら処分しておくわ。じゃまた後でね」

 

 そう言いながら通信は切れた。しかし調べて行くうちに今回の計画の残酷性とその可能性は否定できないレベルに達していた。

 知り過ぎれば抹消はやり過ぎている。恐らく情報を知りすぎたのがゴッドイーターだとしても結果が変わる事は無いだろう事を考えつつ、今後の動きを協議する必要があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「毎回すまないね。悪いけどまたシオを外に連れて行ってほしいんだ」

 

「今度はどうしたんですか?」

 

「相変わらず事態は好転しない事に変わりないんだが、せめて気分転換にでもなればと思ってね。最近はヨハンの件もあるから、これを持って出てくれれば大丈夫だから」

 

 

 そう言われ、手の中にあるのは一つのネックレスだった。エイジ達もシオの元気の無さには何とかしたいと言う気持ちはあっても、現在支部長からの特務の関係でおいそれと外に出す事もはばかられる状況である事は理解していた。

 そんな時の榊からの提案は正に渡りに船だった。

 

 

「これは何なんですか?アクセサリーにしてはやや大きい様にも思えるんですが?」

 

「アリサ君、これは偏食因子を制御し、偏食場そのものの反応を隠す事ができる装置なんだよ。本来であればもう少し小さく出来るんだが、生憎と時間が無くてね。動作は保証できるから頼めるかい?」

 

「シオちゃんの為ですから、頑張りますよ。早速行きましょう」

 

 予想通り、シオの様子はある程度は以前よりも良くなって居る様に思えた。

 しかしながら、榊の発した以前よりも特異点の力が強くなりつつあるこの状態は決して楽観視出来る物では無かった。

 

 未だに現状が分からないままでは今後の活動にも影響が出始める事になる。一度帰投してから再度榊に確認するのが手っ取り早いと考え、シオの様子を窺っていた。

 食事も終わり、帰投準備に取り掛かろうとした矢先だった。前回同様にシオの身体から全身を覆うような紋章が現れ、再びシオの様相が一変した。

 前回と決定的に異なるのは、今回は偏食因子の制御装置をつけているにも関わらず、何の効果も見えない点と今度は今までの口調とは大きく違い、目に見えない何かに引きずられる様に動きだした。

 

 

「モットタベタイ。ヨンデル。イカナキャ」

 

「どうしたのシオちゃん!それ以上は!」

 

 

 アリサの呼びかけに反応する事も無く、ソーマとエイジも取り押さえようとするが、ゴッドイーターである彼らの制止を振り切り海の中へと飛び込んだシオをその場で呆然と見る事しか出来なかった。

 

 表向きは3人でのミッションの為に、何か特別大きな変化は無い様にも思えた。

 しかしながら、今までの何か踏みとどまる様な事はまるでなく、ただ本能のままに動くアラガミの様にも見えた。このままでは拙いと判断するも、今の状況では手の施しようが無い。

 後は対策を考えるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「博士、シオちゃんが海に飛び込んで行方不明になりました」

 

「例の現象が起きたのかい?」

 

「そうなんですが、前回の状況とは大きく違っている様にも見えました。まるで何かに引きずられるかの様に」

 

 この一言で、榊が今まで第1部隊に隠していた事を公表する決心が付いた。このまま隠匿した状態では後手後手に回る事は間違いない。しかも、現状では特務と称して捜索されている事も拍車をかけた。

 これ以上の隠匿は命取りにつながる以上、一刻も早い対応が要求されていた。

 

 

「アリサ君すまないが、第1部隊のメンバー全員を呼んでくれないか?重要な話があるから至急で頼むよ」

 

 その後、全員が揃ってから、榊は改めて今回のあらましとその可能性、そして本来の計画について話す事となった。

 当時ツバキに説明した際にも大きな衝撃があったものの、当時はまだ一人に対しての説明だったが、今回は今の現状を踏まえた上での説明となった為に全員が激しく動揺する事になった。

 そんな中でもコウタの動揺が最も大きく、普段は明るくムードメーカーとしてのコウタしか知らないアリサやソーマは声をかける事すら出来なかった。

 

 

「エイジ、ごめん。ちょっと一人にしてくれないか」

 

「わかった。話が大きすぎて混乱するだろうから、落ち着いたら連絡して」

 

 そう言いながらも、激しく落胆している事に変わりない。家族の為に危険な職務をこなし、家族の為を思っての行動をしていたはずが、実の所はそれら全てが虚構だと判明した事で理解と思考のバランスを大きく崩していた。

 恐らくは暫くの間はミッションにも影響が出るだろうと判断する事を決めた。

 

 

「俺はどうすればいいんだよ」

 

 コウタはふらふらしながらも気が付けば自室のベッドの上に座っていた。

 入隊当初からエイジス計画に多大な希望を持ち、そしてその力に微力ながらにもと思い任務に励んできた。

 しかしながら、シオの様子と現状、今後の推測される事から、エイジス計画は当初から実行するつもりは一切無く、本来のアーク計画こそが本命だと言う事に落胆していた。

 全員が助かる前提のエイジス計画とは違い、特定の決められた人間だけが助かるアーク計画には本来であれば簡単に賛同できる道理は無かった。

 今までやってきた事が全て水泡に帰す。そんな思いに囚われていた時に、自身の通信端末が部屋の中で鳴り響いた。

 それがコウタに究極の選択を迫られる合図でもあった。

 

 

 

 

 

 

 



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第41話 葛藤と真相

 榊の衝撃の発言を前にコウタは激しく動揺し自室に戻ったが、エイジ自身も目に見えるレベルではないにしろ今までの計画が全て虚構であった事に驚きを隠す事は出来なかった。

 

 ただでさえ支部長からの特務案件でシオの捜索を命じられ、そのシオもエイジ達の目の前で何かに引きずられたかの様な逃走。

 最後には今まで人類の希望とも言えるはずだったエイジス計画がただの張りぼてであり、本当の計画は決められた人間だけが助かるアーク計画。

 そしてそのキーとなるのが特異点と呼ばれしアラガミの少女シオのコア。

 

 短時間で今までの価値観の全てを覆すかの様に、この場に居た全員の価値観が一気に変貌していた。

 いくら第1部隊の隊長とは言え、一人の人間に対してあまりにも大きすぎる衝撃を受け止める事は困難だった。榊の話では現在の所行方不明となっているシオを早く捜索しなければアーク計画は一気に進み、人類滅亡に等しい行為のカウントダウンが始まる事になる。

 いくらどれ程悩んだとしてもこの事実に何の変更も無かった。

 

 今後の事も考えればやるべき事は限られてくる。そう決意し、行動に移そうかと考えた矢先に、エイジの通信端末が鳴り響いた。

 

 

「如月エイジ出頭しました。ご用件は何でしょうか?」

 

「来て早々だが、先日の特務の追加で再度エイジス近海で特異点の反応が見られた。前回同様ソーマと協力し、可及的速やかに回収してくれたまえ」

 

 呼ばれた時点である程度の予想はしていたが、やはりかと思った感情が表に出たのか、話は聞いたものの何の返答もないエイジに対しヨハネス支部長は続けざまに言葉を放った。

 

 

「何か言いたそうな顔をしてるが、発言があるならば許可しよう。それとも計画の真の姿をペイラーから聞いて憤りを感じているのかね?」

 

 この言葉にエイジは驚きを隠す事は出来なかった。エイジ自身が話を聞いたのは今から30分前。

 しかしながらヨハネス支部長の言い方では、今回の計画については今に始まった話でなく以前から知っていたかの様な口ぶりだった。

 

 今このまま感情的に発言すれば動揺しているのが容易に察知される。せめてそれだけは避けようと、あえて発言をする事は無かった。

 

 

「どうして知っていると言った顔しているね。この件に関しての君たちの行動は常時監視下に置いてあったから、内部に関しての事情はある程度知っているもりだ。まあ、君たちが聞いたのは恐らくはペイラーからだろう。それとも君の兄さんかな。極東の影が居る事を失念していたよ」

 

 この支部長は一体どこまでの情報を有しているのか見た目では分からないが、支部長と対峙したているエイジの背中に冷たい汗が流れていた。

 

 

「正直、君には今までの事も含めてだが、今後も大いなる期待はしているんだよ。だからこそ、君には次代を担う役割を果たしてほしい。その為に君にも今回の件に関しては搭乗チケットを渡したいと思うがどうだね?」

 

 ここに来る前に榊から話を聞いていなければ、間違いなく動揺している事が表情に出ていた事は間違いなかった。

 初めて聞いた時点で今までやって来た事の全てが全否定された気分だったが、今の話はここに来るまでにある程度の仮説を立てた上での判断の為に、エイジは動揺する事無く支部長との対峙が出来た。

 今の時点でこの計画に乗るつもりは一切無いと判断していた所に追い打ちをかけるかの如く支部長からの言葉が続いた。

 

 

「そう言えば、君の親友でもあるコウタ君はチケットを受け取ってもらえたよ。今すぐの返事は特に待っていないんだが、悠長に待つ程の時間もないのでね。なるべくなら早めの返事を期待してるよ」

 

 

 この一言で、先ほどのラボでのコウタの表情と態度が理解できた。初めて会った時から今に至るまでに、コウタがいかに家族を大事にし、その生活を支えているのかをエイジは理解していた。

 エイジス計画に多大な期待を寄せていたが、現実は単なる虚構にしかすぎず、また全員が助かる様な内容でも無かった。

 

 今まで命の限りやってきた事への冒涜とも取れる内容。そしてその落胆する様相はつい先ほどの出来事とは言え、あまりにも無常すぎた。

 そこに加えて今回の内容。おそらくは自分自身が同じ立場であれば間違いなく同じ返事をしたであろう事は容易に想像できた。

 そんな感情を無視するかの様にヨハネス支部長が淡々と話しているのをただ聞いている事だけしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこへ襲い掛かってくる訳よ。それをヒラリとかわしてズドンだ」

 

「お兄ちゃん、まるでバガラリーのイサムみたいで、すごいよ」

 

「だろう。兄ちゃんは強いから心配するな」

 

「なに言ってるの。心配するに決まってるでしょ」

 

「大丈夫だよ。そんな心配しなくても」

 

「まあ、ここに居る間は心配する必要はないんだろうけど。しばらくは休めるんでしょ?」

 

「あ、ああ。そうだよ」

 

「お兄ちゃん、それりもお土産は?」

 

「そうだ、今回はすっげえビッグニュースがあるんだ」

 

「なに、なに?」

 

「まだ内緒だけど、みんなで一緒に暮らせるすっげえチケットがあるんだ」

 

「それ本当なの?皆で暮らせるの?お兄ちゃんもお母さんも?」

 

「ああ、そうだ」

 

「じゃあ、ユキちゃんも?ナオちゃんも?ヒロちゃんも?」

 

 この瞬間、コウタはこの話に対して簡単に説明し過ぎたと後悔していた。このチケットの対象となるのはかなり親しい人間か、または2親等以内までと説明を受けていたる。

 もちろん、親兄弟は問題ないが、縁戚にあたる人間は対象外となっている事をコウタは知っていた。

 しかし、目の前にいるノゾミに対して、そこまで簡単に言えるはずもなく、純粋過ぎる言葉にコウタはそれ以上の事は言い辛くなっていた。

 

 時間は既に夜になり、部屋でコウタは自問自答を繰り返していた。

 支部長からの話聞いた後で、エイジには一言だけは話そうと思い、皆の所へ足を運んでいた。

 アリサは糾弾してきたが、エイジやソーマ、サクヤに関しては当時の状況を知っているだけに笑顔で送り出してくれた。

 

 家に帰ってからは心の奥底にあった葛藤はなりを潜めていたが、こうやって一人になると黒い靄の様な物が心の奥底から滲み出しているのを理解していた。

 優先順位はどこで何を捨て、何を拾うのか。あの時点では自分自身の心を納得させていた。ならば何故こんなにも心の中で引っかかっているのか。

 

 コウタ自身の答えは既に出ていたが、口に出す事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シオの行方不明から迅速に動いた事と元々取り付けらていた発信機から、シオの確保にはさほど時間がかからなかった。

 

 

「今の君はシオかい?それとも星を喰らい尽くそうとする神かい?」

 

「う~ん。このほしはおいしいのかな?」

 

「さあな。こんな腐りきった星なんざ食うやつの気がしれん。精々腹を壊して終わりだ」

 

「そっか。でも、たまにこのほしをたべたいって」

 

「ああ、ご飯ならそこにあるからたくさん食べるんだ」

 

「お~はかせ、いいやつだな~」

 

 シオの様子は行方不明になってから明らかに回復する気配は見えない。このままどうなるのだろうか?今はシオの様子が回復する事を祈る以外に何も出来なかった。

 

 

「おい、どうなってんだこいつは?」

 

「恐らくはこの前の状況がより一層進んだ状態なんだろうね。今はギリギリの所でせめぎ合っているのかもしれないね」

 

「おい博士、俺はこちら側についたつもりは毛頭ない。だたシオをおもちゃにする事でだけは許せねえ」

 

「ソーマ、そこまで怒る必要はないよ。少なくとも僕自身はシオに対して何かするつもりは無いんだよ。ただ。今以上に人間に近づいてくれればそれだけで……」

 

 

 その瞬間、どこか遠くで大きくはないが爆発音と振動が響き、辺りは一面が真っ暗になった。

 

「おい博士、ここは大丈夫なのか?」

 

「ここについては心配はいらない。直ぐに中央の予備電源が……しまった!」

 

 博士の焦りと共に室内に向けたスピーカーから榊に向かって支部長の声が鳴り響く。

 

 

「ペイラーまさか君がそんな所に特異点を匿っているとはな。灯台下暗しとはこの事だよ」

 

 その声が響き終わると同時に、急に小さな空気が抜ける様な音と共にラボの扉が開く。真っ暗な中で数人の闖入者がシオだけを狙いそのまま拉致し去って行った。

 エイジ達も慌てて追いかけるが突然の暗闇の為に視力が追い付かず、そのまま追跡する事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ここで臨時ニュースをお送りします。今日14時頃、極東支部で小規模の爆発があり極東支部がアラガミの襲撃を受けました。現在の所被害状況等についての当局からの発表は無く、現時点の被害については不明となっております。なお、この原因不明のアラガミの強襲により、外出には十分気を付けてください》

 

 家族団欒ですごしていたコウタ達の前に、臨時ニュースが流れた。いつもであれば神機を持って出動だが、今のコウタは休暇中の為に丸腰の状態となっている。

 このままでは埒が明かないと感じ取ってのか、すぐさま榊に連絡を取った。

 

 

「博士、アナグラが襲撃されたって」

 

「コ…ウ……タ君かい。残念ながらここが急襲……てシオが…らわれた。我々は無事だ……まさかここまで強硬に来るとは想定外だっ……」

 

 

 いくらコウタが呼びかけても、これ以上はノイズが激しく、このまま会話をする事は困難となった。

 シオがさらわれている以上、この後に何が続くのかをコウタは知っていた。しかし、親友を裏切ってまでここにいる自分に今何が出来るのか。

 それを誰も答える事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 



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第42話 焦燥

 襲撃された後、シオを攫った人間を追う様にロビー付近まで来ると、まるでここが廃墟にでもなったかの様な錯覚を覚えた。

 ついさっきまでは騒がしく感じていたはずの場所に人の気配が全く感じられず、2人はここが何処なのかと一瞬だけ考えた。

 

 理由に関しては今までの事を考えればごく単純な話。

 今回の件は第1部隊だけではなくアナグラにいる全隊員にもヨハネス支部長は話をしていたのだった。

 これでは、討伐する所ではなくアラガミが襲撃に来れば防衛する事すら困難とも言える程の状態でもあった。最悪は今後の部隊運営以前に内部での状況確認すら出来ない恐れがある。

 しかしながら、幸か不幸か受付にはヒバリが佇んでいた。

 

 

「ヒバリさんこれは一体?」

 

「みなさん、支部長の提案に賛同し、箱舟へと移動したみたいなんです」

 

「じゃあ、今ここに居るのは全部で何人位なの?」

 

「それに関してですが……」

 

 既に状況を知っているのが、ヒバリの口は重く、浮かばない表情が何となくでも現状を表している。

 

 

「ここには、恐らくだけど10人も居ないだろうな」

 

 ヒバリと話をしていると、背後からタツミの声が聞こえて来た。その顔には苦渋とも言える表情と、まるで何かを諦めたかの様な感情のこもった声だった。

 

 

「タツミさんは、ここに残るんですか?」

 

「ああ、支部長から話は聞いたが、どうも自分の性に合わない様な気がしてな。まっ、ヒバリちゃんがいるからってのもあるんだろうけどな」

 

 先ほどよりも幾分かは砕けた雰囲気があったものの、それでも大幅な人員の削減、そして部隊長としての責務と今後の事を想像すれば最悪の未来しか見る事が出来ない。

 だからと言ってこのまま悲観していてもアラガミが容赦する事は無い。そう考えると今のタツミが空元気である事に変わりなかった。

 

 

「ところで、おまえらはどうしたんだ?」

 

「いえ、ちょっと今は急いでるんで」

 

「そうか。まあ、どうするかは俺に決める権利は無いが、残るならこのまま頼むぜ」

 

「また詳しい事は後ほど」

 

 タツミ達と別れ、捜そうとした際に、博士がシオに渡したネックレスの事を思い出した。あれは偏食場を隠すのと同時に、あとで聞かされた発信機としての役割。

それさえあれば居場所の特定は簡単だと判断すると同時に行動をラボへと向ける事にした。

 

「ソーマ、あのネックレスだ。博士の所に行けば何か分かるかもしれない」

 

「そうだな。まずは一旦ラボに戻るぞ」

 

 今来た所を慌てて引き返すと、そこにはアリサとサクヤが居ただけだった。

 

 

「アリサ、博士は?」

 

「今ここに来たんですが、ここには居ない様です。先ほど小さな爆発音があったみたいですがどうしたんですか?」

 

「そうか。実はシオが支部長に見つかってそのまま拉致された。今は後を追っていたがネックレスの発信機の事を思い出して戻って来たんだ」

 

「そうですか。って誰が拉致なんて!」

 

「まずは落ち着いて。暗闇の中で攫われたから正体は不明だけど、間違いなく支部長の差し金だろうね。ところでロビーには行ってみた?」

 

「まだですけど、どうかしたんですか?」

 

「どうやらここに居る殆どの神機使いはアーク計画に賛同してるみたいで、今はほとんどもぬけの殻だ。さっきタツミさんに聞いたら、今は10人も居ないらしい」

 

「じゃあ、今度はどうやって?」

 

「それは今の時点では分からない。だた、シオが攫われている以上、あとは計画が速やかに進行するはずだから、それを何とかするしかないよ」

 

 一縷の望みとばかりに部屋へと飛び込めば、肝心の榊はラボには居なかった。既にシオの拉致から時間はそれなりに経過している。

 

 一番想像したくない事実が現実となり、今後の事も考えればのこされた時間はあと僅かだった。

 1分、1秒が長く感じるも、ここに留まった所で事態が好転する事は無い。そう考え二手に分かれて捜す事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すまない無明君、君が居ない所でまさかヨハンにやられると想定外だったよ」

 

「そうなると時間はあと僅かですね。これが現在の所、研究所から取ったデータになります。恐らくはこれが終末捕喰を起こすノヴァの設計図です。ただ、支部長はこれ以外にももう一体製造している様です。しかし、これに関しては確実な物では無いので記憶にとどめる程度の方が良いかもしれません」

 

「2人で何を話してるんだ?悪いけど俺にも分かる様に説明してくれ」

 

「時間が無いから手短に言うが、終末捕喰を発動する為のキーとなる特異点が拉致された。おそらくはこのコアを取り出し、ノヴァを起動させるつもりだ。

 もう時間が無い。リンドウは他の皆と合流してくれ。今は一刻も早く止める事が最優先だ。こっちはやる事がまだあるから、合流には時間がかかる」

 

「分かった。で、今はその特異点はどこに?」

 

「エイジス島だ。おそらくはそこに支部長もいる。潜入方法は前回のルートを使え」

 

 シオの拉致と共に、最終計画が発動し、あとは時間との戦いとなった。今は開発している物を完成させ、それを何とか間に合わせる他何も出来ない。

 取り出してから作動させるには、一刻の猶予も無い。無明はそう考え、まずは戦力としての確保でリンドウを向かわせた。

 

 

「榊博士。すみませんが、まだやる事がいくつかありますので、このまま失礼します。用件が終わり次第に直ぐに戻りますので」

 

「君に心配は無用だとは思うが気を付けてくれたまえ」

 

 無明は榊の元を離れ、目的の場所へと急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アナグラから通信が途絶えたコウタは今まさに悩み続けていた。

 あのままであればここまで悩む事は無かったが、アナグラの急襲ともなれば状況は一転する。このままここに居れば他の人間を見殺しにするのと同じ。

 このままではと思った矢先だった。

 

 

「コウタ、アナグラの事が心配なんでしょ。ここにいる位なら行ってらっしゃい」

 

「母さん。でも、俺は……」

 

「コウタの言ってくれた事は親として嬉しかった。でも、こっちにもチケットは届いてたんだよ」

 

 そう言いながら、届いたチケットを見せた。手にあるのはコウタ自身が受け取った物と同じ乗船用チケット。

 これが一体何を指し示すのか今のコウタには判断が出来なかった。

 

 

「母さん、ごめん。俺、嘘ついてた。実際に助かるのは俺たちだけなんだ。周りの人たちは見殺しになる事を知っていた。でも、母さんとノゾミの前では何も言えなかった」

 

「いいのよ。あなたが何の為に戦場に出て戦っているのか位は分かっていたわ。これでもあなたの母親ですからね。だから、私たちの事だけじゃなくて、今自分がやらないといけない事、後悔しない事をしなさい。わたしたちはコウタを信じてるからね」

 

 母親からは責められるかと思ったが、現実にはその逆だった。今まで知らないふりをしていても、実際にはしっかりと理解してくれた事にコウタは嬉しさが心の中に広がった。

 ならば、今の自分がすべき事は何なのか答えを出すまでもなくコウタは全速力でアナグラに向かって走り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジ、今何をしている?」

 

 シオが攫われ、心当たりを全員でしらみつぶしに捜していた際に、通信機が不意に鳴った。

 

 

「兄様、シオが攫われました。今は全員で捜索しています」

 

「なら丁度いい。シオは現在の所エイジス島に向かって運ばれている。このままだとコアを抜き取られてノヴァの起動キーとなるのは時間の問題だ」

 

「シオはまだ大丈夫なんですか?」

 

「それは分からん。ただ、反応を見る限りはまだ大丈夫とだけは言えるが、悠長にしているだけの時間は無い。全員でエイジス島に行くんだ。だた、あそこにはノヴァだけではなく、恐らくだがガーディアンの役割を果たす何かかあるはずだ。装備を整え次第向かえ。整備班にはナオヤに言ってある」

 

「兄様は一体どこへ?」

 

「俺はまだやる事がある。今回の件に関しては大人の世界にもある程度の根回しが必要になる。お前たちは気にせず全力でやれ」

 

「了解しました」

 

 無明からの通信が切れ、今度は第1部隊全員に対しての連絡を取る。探索に向かっていた面々もエイジが到着する頃には整備班に到着していた。

 

 エイジ達を出迎えたのは事前に聞いていたナオヤとリッカだった。2人とも支部長からの話は聞いた物の、自分達の考えと合わないと考え辞退したと聞いていた。

 

 

「皆の神機は整備済みだよ。あとは全力で助けないとダメだからね」

 

「エイジ、兄貴からこれを持って行く様にって渡された。中身は前回のディアウスピターでも使った物だが、あの後で改良してある。ただし、ダウングレード版なだけで重ね掛けは絶対にするなと言われている。お前はいつも考えなしに動くから心配だけど、必ず生きて帰ってこい」

 

「ああ。分かってる」

 

 2人からも言われ、改めて神機を見れば今まで同様にしっかりと整備されている事が容易に理解できた。

 

 これから行くのは死地に近い。そう考え、より一層の気持ちを引き締め向かう事になったが、ここでも問題が一つだけあった。

 エイジス島に行くにはどう考えても海上からの移動しかなく、今現在の所海上からのルートによる侵入は困難を極めていた。

 元々外周には対アラガミ用にレーダーが設置され、いくら目に見えなくてもレーダーには確実に反応する。このままでは何も出来ないと判断した時だった。

 

 

「エイジス島なら地下からの工事用連絡路があるはずだよ」

 

 

 

 振り向かなくてもその声の持ち主が誰なのかはエイジ達には直ぐに理解できた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第43話 決別

「どうしてここに?チケットを受け取ったはずじゃあ?」

 

「一度は受け取ったんだけど、やっぱり今の状況だけを単純に受け取るのは止めたんだ。多分、誰かを犠牲に成り立つ幸せなんて多分幸せだと感じる事が出来ないだろうってね」

 

「そうか。これから一緒にシオを取り戻しに行ってくれるか?」

 

「その為にここに来たんだよ。俺にも手伝わせてくれ」

 

 まさかコウタが戻ってくるとは誰も思って無かったのだろう。最初に声を聴いた瞬間は驚いたが、コウタの言っている事にもっともだと感じたのか安堵の表情が見えた。

 これで第1部隊は全員が揃った。あとは目指す目的地へと向かう為に通路から進むだけとなった。しかし、ここで想定外の事実が発覚していた。

 エイジスへ向かう事が出来る唯一の扉は侵入者を拒むかの様にピクリとも動く気配がない。時間の制約があるからなのか、コウタの額には嫌な汗が滲んでいた。

 

 

「ここからエレベーターで地下に下りるんだけど、扉が空かないからどうしようもないよ」

 

「だったら、この扉を壊すまでだ。お前ら少し下がれ」

 

「ソーマ、そこまでだ」

 

 鍵が掛かった扉に業を煮やしたソーマが破壊し、強行突入しようとした時だった。背後から聞こえたのは他の誰でもなくツバキ自身の声。その声に全員が一斉に振り向いた。

 

 

「ソーマ、短絡的に物を考えるな。少しは考えて行動しろ。コウタ、よくここがエイジス島への入り口だと分かったな?」

 

「以前にエイジス計画の話を聞いた時に、現状はどうなってるのか確認したくて色々探していたらここの場所が分かったんです」

 

「そうか。お前たちに告ぐ、現時点で本部から通達があった。今現在より、今回の一連の流れは元極東支部支部長ヨハネス・フォン・シックザールの主導によるテロと認定した。これより本部からの通達により、可及的速やかに排除しろ。良いな!これは命令だ。特にソーマ、お前の父親に対して今回の件は色々と思う事はあるかもしれない。しかしながら今回の件に関して何かしらの迷いがあるようなら、今回の任から外れてもらうが、どうする?」

 

 世界の破滅へのカウントダウンは既に始まっている。いくら憎しみが有っても、身内を手にかけるとなれば、アラガミの討伐とは次元が違う。万が一がある訳には行かないからこそ、ソーマに対してここで最終確認をする必要があった。

 

 

「愚問だな。俺がやるべき事はたった一つ。シオの救出だけだ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

「分かった。全員が方舟に搭乗せずここに居る事を嬉しく思う。良いか、全員生きて帰れ。これは命令だ!」

 

 ツバキの叱咤激励に全員の気合が改めて入りなおす。あとは一気に進むだけ。時間と共に気合が入り始めた。

 ほどなくしてツバキが特定の解除キー操作をすると命がふきこまれたかの様に大きな動作音が鳴り響く。全員がエレベーターに乗り込む扉が閉まる前に改めてツバキが言い直した。

 

 

「人類の未来を頼んだぞお前たち!」

 

 これから向かう戦場は時間が許される程は残されていない。これが全員の共通した認識だった。今まさに人類にとっての最大の激闘が繰り広げられようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全員がエイジス島に到着すると、そこには何も無いただ広いだけの敷地が広がっていた。その先には今回の首謀者でもあるヨハネス・フォン・シックザールの姿もあった。

 

 

「やあ、よく来たね。ここに来たのはチケットを受け取る訳ではなさそうだな」

 

 ヨハネスは悪びれた様子もなく、ただ何事も無かったかの様に話しかける。

 来た当初、最初に目に入ったのは誰もが想定していない程の巨大な女性を模したアラガミが吊るされていた。しかも、そこには拉致されたシオが額の中央部分に埋め込まれている。

 当初はただの戯言ではと思われていたが、この状況で全員が改めて覚悟を決める事になった。

 

 

「ソーマ、どうやらこのアラガミとは随分と仲が良かったみたいだが?親としては討伐対象の物と仲良くするのは感心しないぞ」

 

「黙れ。お前に何が分かる。気が付いた時には人を兵器扱いし、気に食わないならバケモノ扱いだ。そんなお前を親としては一度も認めた事はない。ただシオを取り戻しに来ただけだ」

 

「随分と勝手な言いぐさだな。このアラガミがそんなに気に入ったなら返してやろう。特異点が手に入った以上、この器はもう用済みだ」

 

 

 その一言で、吊るされていたアラガミからまるでゴミでも捨てるかの如くシオの身体が放り出された。

 

 

「シオ!」

 

 ソーマが全力で受け止めに行くも間に合わず、無情にも目の前で床に叩きつけられる。

 コアを抜き取られていたシオの身体は平時よりも更に冷たく、このまま放置すればいずれ霧散してしまうのではと危惧する程に軽くなっていた。

 

 

「貴様!」

 

 本来アラガミはコアを抜き取られれば一定の時間はその形状を維持するが、個体差によっては長時間その場にとどまる事もある。コアを抜き取られた以上、霧散するのは如何なるアラガミと言えど避ける事は出来ない。

 ソーマとてそんな事は分かりきっているが、今までのやり取りからそのまま放置する事が出来ず、抱き寄せた身体をその場にそっと置きなおした。

 

 慈しむ様なその姿を見た第1部隊の面々でさえも目の前の事に対して誰も口を開く事は無い。ただ純粋に生きていただけのシオを愛おしいと思う気持ちだけがそこにあった。

 

 

「アラガミ如きにそこまで肩入れするとはな。人類最後の守護者らしからぬ態度には失望したよ。まあ良い。君たちとの戯言もここまでだ。後は当初の予定通り終末捕喰を完成させるだけだ」

 

 

 そう言い放つと同時に地面から大きな卵の様な物が出現し、そこには一対のアラガミが鎮座している。まるで侵入者を排除するかの様なガーディアン。これが今回の隠し玉といも言える存在だった。

 

 本来であればあれば、そのまま起動するはずが、何を思ったのかヨハネスはそのアラガミへと身体を放り投げ、その身は何事も無かったの様に吸収されると同時に沈黙していたアラガミの目に生命の光が宿っている。

 

 

『ここが正念場だ』

 

 誰かが言った訳ではなく全員がその瞬間に認識した。

 

 今までに幾度となく色んなアラガミを討伐してきたが、このアラガミに関しては今までの規則性は全く当てはまらず、女性を模した形状と男性を模した形状で一対となる様な姿をしていた。

 そしてヨハネスを吸収する事で、今までのアラガミには感じる事が無かった知性を宿している事が存在感を強める結果となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全員散開!気負わず一気に行くぞ!」

 

 

 エイジの掛け声と共に全員が己の意思と今までの戦闘から導き出す最適解ともいえる攻撃を繰り出す。今までに幾度となく戦闘にあたった為か態々指示を出すまでも無かった。

 自分達の出来る事を全力でやるだけ。そう考え戦闘が始まった。

 

 

「先ずは貴様からだ」

 

 散開していた影響なのか、アラガミはエイジ一人をターゲットに絞り突進してくる。 通常であれば一人に攻撃をしかけるのは多大なる隙を発生させる。

 ここまで数々のアラガミと対峙してきた者としてこの隙を見逃すはずもなく、罠にかけたかの様に銃撃で一斉掃射を仕掛ける。通常であればどんなアラガミであったとしても多少なりとも怯むが、このアラガミに関しては対処の方法が大きく違っていた。

 

 通常アラガミの捕喰本能であれば同時に攻撃しても、どちらか一方が攻撃から防ぐ事は無い。しかしながら、このアラガミに関して他と大きく違う点があった。

 

 女性を模したアラガミに攻撃をしかけると、その一方で男性を模した方が銃撃から護るかの様にかばう。本来であればいくら庇った所である程度のダメージを与える事が出来るが、このアラガミは異常な程に防御力が高いからなのか、まるで何も無かったかの様な動きを見せた。

 

 

「なんであれでダメージが無いんだよ」

 

「コウタ!攻撃の手を緩めるな!」

 

 コウタが驚くのは無理も無かった。今回の任務に関して、事前に神機の調整がされていたが、その際にリッカからは従来の威力を底上げしている事を聞いていた。

 前回の討伐したディアウス・ピターも当初は大きく怯む事は無かったが、それでも多少の手ごたえがあった。

 その当時の火力以上に今回は高火力に出力を上げたにも関わらず、平然としているその存在感に戦慄を覚えた。

 コウタだけではなく、それは同時に撃ったアリサやサクヤも同じだった。明らかに軽い手ごたえに相手の防御能力の高さは異常とも言える。本当に攻撃が届いて居居るのかすら怪しいと思える程でもあった。

 

 

「おそらくは銃撃の耐性があるのかもしれない。コウタとサクヤさんは援護に回って。ソーマ、アリサ、3人で剣戟で攻撃するぞ」

 

 本来であれば初見のアラガミに対しては時間をかけて弱点や行動パターンを確認するのが一番のやり方でもあり、それがセオリーでおあった。

 しかし、今回のケースではこの考えには当てはまらない事が多く、しかも時間をかければ待っているのは終末捕喰の起動とシオの消滅を意味する。

 

 これについても全員が理解している為に悠長な事を考えている暇は一切無かった。

 下手に動きを止めれば自分の命が簡単に消し飛ぶ。この事実だけはどうしようも無かった。

 本来、どんなアラガミであっても必ず存在するのはその攻撃範囲。一体のアラガミであれば警戒するレベルはある程度予測できる。仮にこれが複数体のアラガミであったとしても対処方法はそう変わらず、またどこまで行っても個体が違えば考えも違うのは今までの経験で理解していた。

 

 本来ならばこのメンバーで有れば苦戦するはずが無いとまで思えるはずだった。しかし、このアラガミの他とは違う最大の点が常にどちらかに寄り添いながら戦う為に互いの欠点をフォローしあいながら戦闘が続く点だった。

 特に男性型は異常とも言える堅さを誇り、遠距離から銃撃を物ともせずに受け止める。現状では牽制しかできず、決定打とはなり得なかった。

 

 

「銃撃が届いてる気がしない」

 

 銃撃での攻撃を諦め、剣戟での攻撃を仕掛けようとした途端、女型のアラガミが四肢を地面に付き、移動し始める。

 このまま上手く回避しようとした瞬間、予想していない所から光弾が連続して飛んできた。

 光弾を射出したのは男型。女型に集中していた所に不意打ちの如く意識の範囲外から飛んだ為に回避が間に合わず、アリサが被弾した。

 

 

「キャアアア!」

 

「アリサ!大丈夫か!」

 

 想定外の攻撃に驚くも、この場で立つ尽くせば今度はこちらが一方的に攻撃を受ける事になる。このままではアリサの命が危ない。そう考える前にエイジの身体は動いていた。

 直撃の影響なのかアリサの動きが少し鈍い事を確認し、次の指示を飛ばす。

 

 

「コウタとサクヤさんは女型を、ソーマは男型を攻撃してくれ」

 

 アリサの無事を確認し、再び戦闘に戻る。今度は二手に分かれ同時に攻撃する事で行動パターンを確認するのと同時に攻撃の糸口を見つける事を優先した。

 攻防一体型のアラガミは色んな意味で厄介とも言える存在でもある。片方だけを攻撃しようものならすかさずフォローに入られる。

 かと言って分断できる程の場所もなく、このままではいずれ押し切られるのは明白だった。

 

 コウタとサクヤの牽制とも言える攻撃に、再び反撃しようと男型が攻撃を転じようとした時だった。

 先ほどまでは近距離に居た為に確認出来なかったが、今は距離があるおかげで俯瞰的に見る事が出来る。攻撃の際に僅かながら背後のジェネレーターが光を帯びそのまま光弾を放つ。

 遠距離からの攻撃が幸いし、十分な回避行動に移る事が確認出来た。

 

 

「すまないコウタ、もう一度頼む」

 

「何か分かったのか?」

 

「恐らくはだけど。試す価値はあるからもう一度頼む」

 

「了解だ!」

 

 

 再び攻撃を開始し、男型が反撃に移ろうとした瞬間だった。気配を完全に殺し、背後から男型のアラガミに向かって渾身の一撃を浴びせる。如何に堅牢であったとしても攻撃の瞬間は防御が落ちるその瞬間をエイジは狙っていた。

 時間にして僅かコンマ数秒とも言える攻防だが、ここに一縷の望みが出来た。

 攻撃の瞬間は防御にまで意識が回らないのか、男型はそのまま攻撃を喰らい、この戦いの中で初めて怯みを見せた。

 

 

「攻撃した瞬間を狙うんだ。他の攻撃には注意しろ!」

 

 怒号とも言える声で他のメンバーにも伝達する。攻撃の手段を見つけ、一瞬の隙を逃す程第1部隊は甘くは無い。そこに待っていたのは怒涛とも言える数々の攻撃だった。

 

 

 

 

 

 

 



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第44話 結末

 一度はあまりの堅さに攻めあぐねるも、一旦攻撃の方法が分かれば後は今まで通りの展開となっていく。いくら強烈な攻撃であったとしても、全員に対して一度に攻撃する手段は無いと判断し、一気に距離を詰め再度攻撃を仕掛けようとした瞬間だった。

 

 

「愚か者めが、圧倒的な力を喰らえ」

 

 誰も聞いた事が無い声が響き渡った瞬間だった。辺り一面に目が眩む様な光が発生し、全員の視力が奪われた瞬間に今までに受けた事も無いような痛みが襲い掛かる。

 アリサとサクヤの悲鳴が聞こえるも、視力が戻らない状態では確認のしようが無かった。

 

 僅かながらに見えた光景には、一対のアラガミがまるで自身を守るかの様に光の柱の中で立っている姿だった。

 

 全員の視力が戻り始めた矢先に、今度は男型の2本の太い腕が襲い掛かる。大振り故の攻撃を何とか躱した物の、その腕が地面に当たると同時に今度はそこを中心に衝撃波が広がり、コウタとエイジが吹き飛ばされる。

 蜘蛛の糸を辿る様にようやく見つけた攻撃方法だが、僅か一撃の攻撃によって今までの戦線が意図も簡単にひっくり返される。

 厄介な攻撃方法を持つと同時に単純に攻め込む事すら許されない雰囲気が戦場に広がる。僅かに焦りが出始めたその瞬間だった。

 

 

「これでも喰らえ」

 

 追加の攻撃を何とか回避し、その返す刀でソーマのチャージクラッシュが男型の腕を斬りつけた。本来であればその刃は確実に届かなかったが、偶然にも攻撃の終わった瞬間だった。

 男型の腕を斬りおとす事は出来ないまでも、確実に右腕の機能は失われ今後の戦いに関しても有利に働く事に変わりなかった。この時初めて一対のアラガミは今までとは違った動きを見せ始めた。

 

 

「ここが勝負だ!」

 

 これが勝機とばかりに反撃を試みる。今まで男型の防御力に手をこまねいていた攻撃が先ほどのソーマの一撃により機能性が失われ、今までよりも攻撃が届く。

 ここが勝負所だとばかりにソーマはイーブルワンを肩に担ぎ、渾身の力で振り下ろそうとした時だった。攻撃に意識が向きすぎた事により視野狭窄に陥ったのか、再び予測していない側面からの衝撃をソーマはまともに喰らい、5メートル近く吹き飛ばされた。

 

 

「ソーマ!」

 

 

 予測してなかった女型の攻撃にソーマは吹き飛ばされたと思った瞬間、コウタも同じく横方向に飛ばされる。追い打ちをかけるかの様にアラガミがソーマに向かった瞬間だった。

 地面から大きな閃光が辺り一面に広がり、アラガミの視界を奪う。

 ダメージから回復したサクヤのスタングレネードがその動きを止める事に成功していた。

 

 

「今よ!」

 

 サクヤの叫び声と共にエイジはソーマを担ぎ、アリサはコウタを担ぎ出して、一旦距離を置くことに成功した。

 

 

「ソーマ、大丈夫か?」

 

「ああ、問題ない」

 

「しかし、あの攻撃は厄介ね。銃撃も効いて無い様に見えるし、剣戟も今一つみたいよね?」

 

「コウタはどう?」

 

「今の所は何とかって所かな」

 

「エイジどうします?」

 

 距離を取る事で何とか一息つくも、今度はこちらに向かって地面を滑る様に距離を詰めてくるのを横目に回避に専念する。先ほどの一撃が影響してのか最初に比べれば動きは格段に鈍く、攻撃そのものもキレが無くなっている様にも見えた。

 

 

「スタングレネードが多分有効だから、その隙をつくのが一番かもね。ただし、近寄り過ぎれば今度は攻撃の餌食になりやすいから一撃離脱を念頭に行こう」

 

 時間が無い状態であれば、詳細を伝える事は困難と判断し、簡潔に戦略をまとめるだけに終わった。

 アラガミのキレは無くなっても攻撃力が低下している訳ではなく、単純な動きが先ほどよりも若干遅くなった程度にしか過ぎなかった。

 しかしながらスタングレネードの威力は馬鹿には出来ず、現状はそれを利用した戦術で挑む以外に手が無かった。

 

 

「みんな!」

 

 再びサクヤの手からスタングレネードが放たれ、辺り一面は再度閃光に染まる。

 今度は大きく出来た隙を利用し、エイジ達が距離を詰める様に走り出す。

 攻撃の威力を知っている以上、流石に同じ攻撃を食らう様な事はなく、男型ではなく女型を狙いを定める。

 視界の外からくる攻撃を予測し、そのままアリサの攻撃が背後の天輪を掠めた時だった。今までのスタングレネード以外の攻撃で初めて大きくよろめいたのをエイジは見逃さなかった。

 

 

「コウタ、サクヤさん、あの輪を狙うんだ。男型はこちらで引き付ける」

 

「了解」

 

 コウタ、サクヤの銃撃が天輪に向かって一気に襲い掛かる。今までは男型が攻撃を防いでいたが、3人の剣戟で行動が遅れ、半分以上が着弾した時だった。

 今まで機敏に動いてたはずの女型がよろめき、ここで初めてダウンする。女型に同調していたのか、男型も同時にダウンしていた。

 

 

「ここで男型にケリをつける。一気に決めるぞ!」

 

 エイジの叫び声と同時に3人の神機の顎が大きく開く。補喰した事でバーストモードに初めて入った。エイジとアリサは新型らしく、コウタとサクヤにアラガミバレットを受け渡す。

 

 

「これで終わりだ!」

 

 コウタの声と共にアラガミバレットが発動。コウタの目の前に大きな光球が発生し、今までに見た事も無いようなレーザーが男型を貫く。ダウンで動けなくなった男型は成す術もなく、そのまま被弾した。

 轟音と共に消し去った様にも見えたが、まだ辛うじて体が動いていた所をサクヤがとどめとばかりにアラガミバレットで貫き、ようやく行動が停止した。

 

 

「おのれ貴様ら!」

 

 男型が倒された事に怒り狂った様にも聞こえた声はすぐさま反撃に転じた。

 一対のアラガミがここで漸く一体となり、戦闘の先が見え始め様とした所だった。

 今までの様な光弾で攻撃が来ると予測した物の、行動が明らかに先ほどとは違う。背後にあった天輪が空中へと浮き始めた瞬間だった。

 先ほど放ったアラガミバレットなど比べ物にもならない程の極太のレーザーが辺り一面を攻撃し始める。

 シールドで防ごうものならば、バックラー程度であれば無いに等しい程の威力、当初は防ごうとしたエイジもこの攻撃を防ぎきれないと判断し、瞬時に回避行動に移った。

 放たれたレーザーは堅牢なはずのエイジス島の防護壁が大きく歪み、本来ならば余程の事が無ければ壊れないはずの床までもが大きく抉れていた。

 これにはエイジだけではなく、ほかの4人も驚く以外他無かった。

 まともに当たれば一瞬にして命が消し飛ぶ様な攻撃。ここまで高火力な一撃は否応でも意識させられた。

 

 一度はこちらに勢いが傾きそうにも思えたが、今の攻撃で勢いが完全に削がれ、現状は再び元の状態に戻ったかに思われた。しかし、男型アラガミは既に討伐している以上、今までの様に攻撃が届かないなんて事は無い。

 そう思い各自が自身を奮い立たせた。

 

 そこからは乱戦とも言える戦いが続いた。男型を失ったアラガミは近接攻撃こそ少なくなったものの、遠距離からの光弾を放ち、距離を置けば滑る様に地面を移動し、ここぞとばかりに斬撃を飛ばす。

 近寄る事すら許されない状況の中で、エイジ達は徐々に消耗が激しくなってきた。近接攻撃が出来ない為に、バレットによる銃撃で攻めるも散発の銃撃では怯ませる事すら困難となっている。

 

 消耗戦になればこちらの分が悪い事は全員が熟知していた。しかしながら攻めあぐねているのも事実である以上、決定打となる攻撃が何一つ出来ない。このままではいずれ回復も困難となるのは時間の問題となりつつあった。

 時間の経過が焦りを呼ぶのはそれだけではない。時間がかかればかかるほどシオのコアは終末捕喰の為のアラガミ、ノヴァに同化し最悪の事態にもなりかねない。

 このままでは埒があかない。最後の手段でもあるオラクル解放剤を使う事を決心した瞬間だった。

 

 時間にして約1秒弱だが意識がアラガミから外れた。その瞬間をまるで見越したかの様にエイジを攻撃するが、ギリギリの所で回避に成功する。しかし、ここで大きな代償を払わされた事に気が付いた。

 肝心のオラクル解放剤はポーチごと砕け、そこからは薬品が零れ落ちている。最後手段とばかりに用意したはずの材料が一撃で砕け、その価値を発揮するまでもなく消滅した事が、エイジ自身の動揺を誘った。

 このままでは決定打を作る事が出来ない。そう思っていた矢先だった。

 

 

「やああああ!」

 

 裂帛の気合と共にアリサの渾身の一撃が女型の脚部装甲の結合破壊を成功させる。破壊させた部分からは生体の部分の奥までもが破壊された事を示していた。

 このまま弱点と化した所へ一気に攻撃を浴びせようと全員が一斉に攻撃に移ろうとした瞬間、女型の身体の周囲から光の柱が浮かび上がり身体が浮かび上がる。

 その瞬間、地面が大きく揺れその場で凌ぐ事で精一杯となった。

 

 本来であれば次の攻撃に移るはずが地面が大きく揺らいでいる為に身動きができず、その場で立ちすくむ事しか出来ない所へ連続した光弾をサクヤに向かって放つ。

 

 

「サクヤさん、直ぐに回避だ!」

 

 エイジが懸命に支指示するも、今の状態では満足に動く事は出来ない。このまま直撃すれば命までもが失いかねないと誰もが思った瞬間だった。

 激しく着弾した影響と轟音が辺り一面に鳴り響き、サクヤの命が危ぶまれるかと全員がサクヤを見た。

 

 

「サクヤさん!」

 

 最悪の事態を想定していたが、そこにサクヤの身体は見当たらない。そこにあったのは今まで一度も見たことが無いシールドを展開していたリンドウだった。

 

 

「遅くなって悪いな。時間がかかりすぎた」

 

 危機を救ったのは他の誰でもないリンドウだった。当初はリンドウも戦力と考えていたが、諸事情により戦線に加わる事は不可能と判断し戦端が開かれた。

 当初にツバキからそう聞いていた影響もあり、今回の戦いでは考慮すらしていなかった。そんな中での援軍は何よりも心強い物だった。

 

 

「貴様一人増えて何が出来る」

 

 再び光弾がリンドウを襲うも全て防ぎきり、一旦距離を置くことに成功した。

 

「サクヤ大丈夫か?」

 

「どうしてここに?」

 

「こっちにも色々とやる事があってな。無明に全部押し付けてこっちに来たんだ」

 

「ありがとう。でもこのままだと……」

 

「細かい事はともかく、今はあのアラガミに全力を尽くすだけだ」

 

 リンドウが加勢し、再び戦列に戻る。既に脚部装甲は結合崩壊し、男型は居ない。後は一気に押し切るだけとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第45話 終焉

「来る前に無明から聞いたが、あれは何だ?」

 

「今戦っているのが支部長です」

 

「は?何だそれ?あれはアラガミだろ?」

 

 リンドウが驚いたのは、ここへ向かう直前に無明から大よその事は聞いていたが、内容に関しては時間の都合で現地で確認する羽目となった。

 今のリンドウの目に映っているのは女型のアラガミ、そしてその背後に逆さになった女性の様な顔の巨大なアラガミが鎮座している姿だった。

 

 

「あれが出て来た直前に支部長が吸収された形なの。だから攻撃方法も従来のアラガミとは違うわ」

 

「じゃあ、あの巨大なアラガミは」

 

「おいリンドウ、詳しい事は後だ。今はあのアラガミを討伐しないと終末捕喰が始まる。時間がもう無いからさっさと動け」

 

「少しはオッサン労われよ。っと何だあの攻撃は?」

 

 距離を置くことで最低限の情報交換は出来るものの、本来の場所とは違いエイジス島は隠れる様な場所があるほど大きくない。

 攻撃が来れば躱すか防ぐ以外の手段は存在しない事もあってか、これ以上の話はソーマの話し方で時間が無い事だけは容易に理解が出来た。その間にもリンドウに向かって光弾が立て続けに放たれる。

 

 

「ったく少し位は手加減しろよ」

 

「エイジ、攻撃はこちらで凌ぐから、あの輪っかを破壊出来るか?」

 

「了解です」

 

 戦場においては先輩も後輩も無い。生き残る事と相手に勝利する事の前では些細な事でもあった。今まで苦戦を強いられてきた戦線にリンドウが加入する事で今までよりも攻撃のバリエーションが広がる。

 

 

「コウタ、アリサ、あの天輪に向かって一斉射撃で破壊するぞ」

 

「了解」

 

 囮となったリンドウに攻撃が集中している隙を狙い、3人の銃撃が天輪に向かって一斉に放たれる。攻撃の途中ではいかなる防御も間に合わず、そのままバキッと音がしたと同時に破壊された。

 

 

「ダウンだ!ここが勝負だ!」

 

 

 エイジの叫びに再び攻撃を仕掛ける。捕喰と同時にリンクバーストを展開する事で全員がバーストモードへと突入していた。一斉攻撃により女型の髪と脚が次々と結合崩壊を起こし、左右の腕が切り落とされ攻撃の手段を失っていた。

 目の前のアラガミは既に死に体、これ以上の行動は不可能とも判断出来た。

 

 

「これで終わりだ」

 

 ソーマの無慈悲な一言と共に神機がドス黒いオーラに包まれ、チャージクラッシュの体制に入る。この時点で何も防ぐ手段が無いアラガミは肩口から袈裟懸けに斬られ右半身と左半身が真っ二つとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで終わったのか?」

 

 

 コウタの確認とも感想ともとれる言葉だけが静まり返った一面に響いた。今まで苦しめられたアラガミは動く気配は無い。このまま終わりを迎えたと思われた時だった。

 

 

「まさかお前たちに敗れるとは」

 

 

 誰もがこの声を聞き戦慄が走った。たった今討伐したはずのアラガミから声が聞こえている。ここから復活ともなれば恐らくは確実に全滅するのはこちら側だと判断出来るのは間違いなかった。再び緊張感が全員に襲い掛かる。

 

 

「残念だが私はここまでだ。しかし遅かった様だな」

 

 声の主はヨハネス支部長。しかし、今の言葉は明らかに何を示しているのか理解しようとした時だった。今まで静まりかえっていた筈の空間が大きく歪み、やがて地震が起きたかの様な大きな揺れと地響きが始まった。

 

 

「計画は既に完成した。後は終末捕喰が…始まるのを…待つ……だけだ」

 

 そう言い残し、最後の言葉が途切れた。討伐はしたが時間が想定以上にかかり過ぎた。それはシオの消滅と終末捕喰の始まりと共に世界の終焉の合図とも取れた。

 

 

「エイジ!どうにかならないのか?」

 

「今言われても、手の施し様が無い」

 

「間に合わなかったんですか?」

 

 

 一番恐れていた結末。すなわちシオのコアが完全に吸収されると同時に終末捕喰の始まり。それはそのまま人類の終了を意味す事でもあった。

 そのまま見ているだけでは何の解決も出来ない。そう考えてノヴァに向かって銃撃を浴びせるも、バレットは弾かれ、まるで何も無かったかの様な反応だけが残る。

 

 

「無駄だ。覚醒したノヴァは…止まらない」

 

 

 死刑宣告にも似た無慈悲な言葉にこれ以上何も出来ない絶望感だけが広がった。

 

 

「止められねえなんて認めねえぞ!」

 

「でもどうやって?」

 

 

 イラつくソーマの言葉がそこにいる全員の声の代弁でもあった。これ以上の事は何も出来ない。そう考えていた時だった。突如シオの身体から触手が噴出し、地面へと突き刺さった瞬間に今まで覚醒していたはずのノヴァの動きが停止した。

 

 

「ありがとね」

 

 今まで聞いて来た声。その声の持ち主を全員が理解していた。

 

 

「シオなのか?」

 

「みんなありがとね」

 

 

 その声が響くと同時にノヴァが再び動き出し、やがてゆっくりと上昇し始めていた。

 

 

「シオ!お前まさか!」

 

 

 ソーマの叫びがそのまま伝わったのか、改めてシオの声が鳴り響く。

 

 

「あの、おおそらのむこう。まんまるいのあっちのほうがおいしそうだから、たべにいくね」

 

「シオ!」

 

「いまならわかるきがするよ。なんであんなにたのしかったのか。なんであんなにむねがあたたかくなったのか。きっとこれがそのきもちなんだ。きっとこれがほんとうのにんげんのかたちなんだ」

 

 

 今生の別れの様に話すシオの言葉に誰もが何も言えず、ただ黙って聞いているしかなかった。

 まるで今までの思い出を確かめるかの様な穏やかな声。おそらくはシオとしての意識があるであろう最後の言葉。

 コウタとアリサは涙が流れているのを止める事すら出来ず、エイジとリンドウは今出来る可能性を考え、サクヤは俯いたまま何の言葉も発する事は出来ない。今この場でソーマだけが現状に抗おうとしていた。

 

 

「にんげんのほんとうのかたちをみたいから……だからシオもずっとみたいから、きょうはさよならするね。えらいかな?」

 

「えらくなんて……ない」

 

「えへへ、そっかごめんな」

 

 既にノヴァは最終局面にまで達し、このまま放置すれば空の彼方へと運ばれるかの様な状況にまで進行している。残された時間はあと僅かだった。

 

「このままだと、おわかれしたがらないかたちがあるからたべて」

 

「そんな事出来る訳無いよ」

 

「そーま、おいしくなかったらごめんな」

 

 

 この一言が全てを物語っていた。地上に残された身体が空へ運ぼうとしてる身体を引き留めている。このままでは終末捕喰は始まり、シオの気持ちを無駄にすると誰もが思っていた。

 シオの最後とも言えるその言葉でソーマが動き出し始めた時に声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シオ、本当にそれで良いのか?それが本当の気持ちなのか?」

 

 低いながらにも良く通る声が辺りを響くかの如く一帯に聞こえてくる。声の出どころを確認しようと全員が振り向く。そこには榊博士と無明が飛び込んできた。

 

 

「ほんとうの……ほんとうの……き…………」

 

「本当にそうなのか?」

 

 無明の声が辺り一面に響く。その声に怒りは無く、まるで何かをなだめるかの様にも聞こえた。

 

 

「ほんとうはまだずっといっしょにいたい。みんなでごはんたべたい。たくさんおはなししたい。でも……」

 

「シオだけじゃない。お前たちはどうなんだ?」

 

 

 無明の言わんとする事の意味はその場にいる全員が理解する事は出来なかった。

 なぜ今頃になってそんなことを言うのか、その場で無明が考えている事は誰も理解する事は出来ない。

 

 

「ソーマ、お前はどうなんだ?それで良いのか?」

 

「良い訳ないだろ!なんでここに来たのか!なんでこんな事になってるのか!お前に何が分かる!」

 

「お前の気持ちは分かった。だがな、これはお前たちだけの問題じゃない。ここに居る人間だけの問題じゃない。良いか!自分達の人生は自分で決めるしかない。少なくとも俺はこの物語をここで終わらせようなどとは一切思わん。あとは自分達が決めろ。10秒だけ時間をやる!」

 

 この言葉に一番最初に反応したのはリンドウだった。途中からこの戦闘に参加していたとは言え、今まで無明と榊博士が何をやっていたのか詳しくは知らないが、それでも何かをやろうとしていた事だけは理解している。

 そしてこの発言で、全体像がおぼろげながらに見えていた。

 

 

「おい無明!完成したのか?」

 

「時間が無かった。今回はセカンドベストだ」

 

「なら、俺はお前を信じる。後は頼んだ」

 

 会話の意図は分からなくてもこの話の流れで何かが出来る事だけは全員が理解していた。そうなればやるべき事は一つだけ。あとはそれを実行するだけだった。

 

 

「お前たちはどうする?」

 

 これ以上の回答は全員の顔を見れば聞くまでも無かった。可能性があるのであればその可能性にかける。それ以上の事は何も望まないと覚悟を決めた顔だった。

 

 

「博士、例の物をお願いします」

 

「良いかい、今の状況はかなり拙い事になっている。はっきり言えばポイント・オブ・ノーリターンを超える事になる。それでも良いかい?」

 

「もう迷いません。榊博士と兄様を信じます」

 

「じゃあ、今から作戦を開始するよ。エイジ君とコウタ君にはこのバレットを撃ってもらう。しかし、順番を間違えたり外すとその場で終わりだよ。あとはソーマ、君はノヴァにあるシオのコアを摘出するんだ」

 

「あれは攻撃が通用しなかったぞ?」

 

 これから何をすべきなのか、全員が榊の意図を組もうと考えるも、時間は既に無いに等しい。

 これ以上の説明をすれば時間がかかり結果的には何もしていなかった事にもなり合えない。そう考え、これ以上の会話を斬る様な言い方で、結論だけを述べた。

 

 

「これ以上は時間が無い。質問は受け付けない。コウタは最初に額に向かって撃て、そのあとでソーマが取り出し、再びエイジが撃て良いな?アリサはソーマにリンクバーストするんだ」

 

「了解しました」

 

 

 人類の存亡を賭けた最後の作戦がここに開始される。時間はもう僅かだった。

 無明の指示の通りにコウタがノヴァの額に向かってバレットを放つ。その瞬間着弾した部分が黒く変色をし始めていた。

 

 

「今だ、アリサはリンクバーストをレベル2まで撃て!」

 

 

 アリサが今あるすべてのアラガミバレットをソーマに渡し、一気にレベルが2まで行くと同時に無明はソーマにオラクル解放剤を注入した。その瞬間、ソーマの身体が蒼白く光り、今までとは違った状態でバーストしていた。

 

 

「あそこまで行けるから全力で取り出せ。その瞬間にエイジが改めてコアのあった場所で撃て!」

 

 その一言で一気に事が動きだした。限界値まで上昇したソーマの身体は通常以上の脚力を使い、本来であれば届くはずのない所まで一気に到達した。

 バーストモードの影響なのか、それともコウタが放ったバレットのせいなのか、今までどんな攻撃を加えてもびくともしなかったノヴァの身体がまるでバターを切るかの様に簡単に切り裂き、そのままコアの摘出を図った。

 

 

「エイジ!直ぐに撃て!リンドウはその後触手を斬りおとせ!」

 

 無明の指示通りの行動でノヴァからシオのコアが摘出され、そこに蓋をする様にバレットが着弾した。

 

 

「これで終わりだ」

 

 リンドウが触手を斬った途端にシオの周りに出ていた触手が一斉に引いていく。まだこれがどんな現象を起こすのかは誰にも理解は出来ていない。

 しかしながら、榊と無明の表情には安堵が浮かんでいる。これから一体どうなるのだろうかと誰かが口を開こうとした瞬間だった。

 

 再び、ノヴァの額が光を帯び、白い触手が大地を覆う。この時代に外から地球を見る事は出来ないが、もし見る事が出来たのであれば地球全体を大きな植物の根が蔓延り、大輪の花が観測されたはずだった。

 しかし、今はそれを確認する術は今は何もない。

 

 再度起きた大きな地震はそこにいる全ての人間の目を集めた。

 5つの花弁が開いた花がまるで何かに吸い寄せられる様に宙に浮かび、そのまま空へと飛び去って行く。その光景はエイジス島だけではなく、一部の地域を除く全地域で観測された。

 

 一般人には何が起こったのか理解できる人間は誰も居なかった。

 この現象を見て理解できた人間は恐らく今回の関係者しかいない。それほどまでに幻想的でもあり、世界の終わりを感じずにはいられない程の恐怖に涙する者、一体これが何に怯えているのかすら分からない程の光景でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第46話 終章

「これで本当に終わったのか」

 

「みたいだね」

 

 

 コウタの呟きとも感想とも取れない一言にエイジが何とか返事をしたものの、一体これが何だったのかは理解出来なかった。

 時間の無さから何も聞かず、言われるがままの結果だった。

 

 誰もが唐突に始まり、唐突に終わった事で放心状態となり、これ以上の事は思考回路が追い付かない状況となっている。そんな中での無明の一言で、全員の意識が元に戻る。

 

 

「お前達、何を勝手に終わった事にしてるんだ。まだやる事があるから直ぐに戻るぞ」

 

 

 その一言で、これから何をするのか全員が理解し、急いでアナグラに戻った。第1部隊が帰投した時にはまだロビーに人は殆どいない。出入口で待っていたのはツバキだけで、あとは現状の少ない人数でのアラガミ討伐に出向いていた筈だった。

 まずは報告とばかりに無明達とそこで別れ、榊達は急ぎラボへと走る。

 

 

「みなさん、お帰りなさい」

 

 ヒバリの明るい表情と声で、第1部隊が何をしてきたのかがその場に居る全員が理解しているのが直ぐに分かった。

 選択に迫られ苦悩の表情を浮かべ、時には後悔に苛まれていたはずの空気が一転して日常に戻ったかの様な錯覚さえ覚える。そんな空気がエイジ達を包んでいた。

 

 

「お疲れさん。どうやら上手く行ったみたいだな」

 

そこには悲壮感が漂った当時のタツミの顔は無く、大一番の仕事に対してのねぎらいが込められた笑顔があった。そんな明るい声に、それぞれが返事をしていた。

 

 

「おう、タツミもご苦労さん」

 

 何も考えず、リンドウが気安く返事をした時だった。今までの歓迎ムードが一転して怪しい空気へと変わる。

 最初に気が付いたのはヒバリだった。あまりにも気軽に声をかけた事で反応が追い付かず、一瞬間が空いてから改めて驚きの声を上げた。

 

 

「えっ?……リンドウさん!何でそこに居るんですか!」

 

 ヒバリが驚くのも無理は無かった。あのミッションでリンドウはMIAからKIAに移行されると言われていたが、今回のゴタゴタでいつの間にかそんな話もなく、気が付けばどこかへ散歩して帰って来たかの様にも思えた程に気軽過ぎた。

 

 

「あれ?俺ってひょっとして死んでた事になってるのか?」

 

 

 リンドウの生還に関しては既に第1部隊と一部の人間が知っていた為に、これが当たり前過ぎて、誰も疑問すら湧かなかった。

 確かにあの後は色々と目まぐるしく動きがあり過ぎた為に全員が失念していた。

 本来であればツバキか榊が公表すべき事だったが、余りにも大きすぎた緊急事態が影響したのか、今回の件で公表する事を忘れていた事が全ての原因だった。

 

 驚いたのはヒバリだけではない。そこにいたタツミやカノンでさえも声を出す事を忘れ、普段は冷静なはずのジーナでさえもが驚愕の表情だった。

 

 

「言っておくが、足はちゃんとついてるから安心しろ」

 

 

 その一言でロビーには違った空気が流れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで元に戻るはずだけど、恐らくは身体に馴染むのに時間がかかるだろうね」

 

「今回はかなり危険な賭けではありましたが、結果的には元通りになると良いですが」

 

 エイジ達と出入口で別れ、シオの身体に再びコアを埋め込む事に榊と無明は成功した。

 本来であれば一度コアを抜かれたアラガミはそのまま形を維持できず霧散するが、元々特異点でもあったシオの身体は霧散する事は無く、再びコアを元に戻す事に成功していた。

 

 

「これからが大変だな。まずはどこから手を付ければ良いのか考えたくもない」

 

 溜息交じりにツバキが発した言葉はこの後に予想されるであろう事後処理の事で一杯だった。

 ただでさえ真黒な上層部が一転してテロ認定をした事で、今後の処理に関しての新たな支部長の選出、そして今後は極東支部への風当たりを考慮するれば、懸念材料はあっても明るい材料は何一つ無かった。

 しかし、今は終末捕喰を防ぐ事が出来た事だけで良しとし、今後の対応については考えない事に一人決めていた。

 

 終末捕喰は最終的には不発に終わった。今回の経緯についてはフェンリルからの公式発表が待たれたが、実際にはフェンリル上層部の混乱と共に様々な憶測が流れ、世間に対しては沈黙を貫く意外に他無かった。

 

 一時期はマスコミの報道がされた物の、報道規制により噂は次第に沈静化され、気が付けばこれ以上知る術は何も無かった。

 それと同時に極東支部の沿岸に建設中だったエイジス島の崩落事故のみが小さく報道され、そこには元支部長のヨハネス・フォン・シックザールの死亡のみがひっそりと載せられていた。

 

 チケットを所持し、飛び立ったはずのメンバーもアナグラへと戻り出した頃、各自に微妙な空気が流れていたが、それ以上に事実上KIA認定されていたリンドウが何故か普通に居た事に驚きを隠す事ができず、確執はうやむやの内に消えて行った。

 

 ようやく日常が戻りだし、ゴッドイーター達も通常活動に励みだした。今回の件では極東支部全体に緘口令が敷かれ、それ以上の事を話す人間も居なくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リンドウさんの復帰と、任務の成功を祝してかんぱーい」

 

 

 コウタの声と共に大きな任務の達成と全員が落ち着いた事もあり、ささやかながらに打ち上げパーティーが行われていた。

 終末捕喰が行われてからの1週間はツバキが予想した通り慌ただしい物となった。情報操作と隠蔽、挙句の果てには緘口令を発動し事態の鎮静化が図られた。

 しかしながら現場の空気だけではなく、何となくでも何か大事になっているのでは?との疑念から極東支部に度々連絡が入る物の、全てを封鎖できたのは奇跡にも等しかった。

 ツバキだけではなく、榊や無明までもが対応し現場が一時期回らなかった事は記憶に新しい。

 唯一助かったのはこの1週間の間、世界中からアラガミの反応が察知されなかった事だけだった。

 

 本来ならば、この後は警戒するのが通常だが、ここまで事務方が麻痺している事に漸く目処がたった事から、ささやかながらも打ち上げを開催する事となった。

 一度は袂を分けたと言っても本来は各々が何の為に戦っているのか、その価値観だけが違っただけと判断し、内部でも最早何も起こる事は無かった。

 大きな計画は頓挫したものの、アラガミの脅威は何も変わらない。

 少しだけ先の未来に希望を残し、今は騒ぐ事に専念するのが先決とばかりに騒いだ。

 

 打ち上げの為に用意された料理はあっと言う間に食い尽くされ、追加で作るも追い付かない程の勢いで食べ、どこからか用意された酒もとにかく飲んでいる。

 未成年組は大人しくジュースだが、大人組は酔いつぶれた人間も出始めていた。

 そんな光景を無明は離れた所から見、自分のやって来た事、これからやるべき事は何なのか、そんな事を考えながら一人静かに酒を飲んでいた。

 

 

「無明、なぜここに?あの輪の中に入らないのか?」

 

「ツバキさんか。俺は今回の事で色々と考えさせられるばかりで、あそこまで騒ぐ気持ちはあまり無いのかもしれない」

 

 一人、気配も虚ろに遠くから見ていた事に気が付いたのか、グラスを持ったツバキが歩いて来た。遠くではまだバカ騒ぎが続いているのがよく見える。

 ツバキもあの喧噪から少し離れたいと思っての行動でもあった。

 

 

「あとから聞いたが、薄氷を踏む程の状態だったらしいな」

 

「リンドウから聞いたか。あれはセカンド・ベストとは言ったが実際にはかなり成功率の低い賭けだった。きっかけは例のディアウス・ピターのコアとリンドウの神機のコアだ。

 あいつらには説明はしなかったが、今回の撃ち込んだコアは疑似的な特異点としての機能のみ有する物だ。幾ら化学が進化した所で人間が人工的に人間をつくる事は理論上は可能でも、その思考までを作る事は出来ない。今回やったのは、単に誘導出来るレベルの物を使っただけだ」

 

「そうか……」

 

「まあ、今となってはツバキさんが気に病む事は何もない。何かが起こるとは予想していたが、あそこまでとは思わなかった」

 

「今更だが、お前にはお礼を言いたいんだ。リンドウが行方不明になってから発見まで正直助からないとまで思っていた。でも、お前が見つけてくれてあの最終決戦でも色々とやってくれた事に関して私はお前にどうすれば良いのか正直分からない」

 

「あれに関しては、見つけたのは偶然だ。意識を回復したのもリンドウ自身の力であって俺は何もしていない」

 

「だが……」

 

「それ以上は良いさ。またこうやって任務に就くことも出来る。この極東支部も現状はまだまだ混沌としてるし、本部はともかく他の支部からは色々な非公式ルートで問い合わせは未だに来ている。これ以上は言う必要はない」

 

「それでは私の気持ちが」

 

「だから言っただろ?身体で返してもらうって。それ以上は何もない」

 

「そうだったな」

 

 今まで思いつめた様な表情だったツバキも漸く落ち着きを取り戻したのか徐々に冷静になってきた。あの輪の中にいるのはこれから何かを託す事ができるのだろうか?それとも何も変わらないのだろうか?現時点での未来は誰にも分からない。

 これ以上野暮な事は何も言わず、静かに2人で飲んでいた。

 

 

「そう言えば、シオはあの後どうしたんだ?あれから何の音沙汰も聞かないが?」

 

「シオはあの後暫くしてから元に戻ったよ。ただ、特異点としての機能は既に失われていた。これからの事は細かく経過観察する必要があるから屋敷に住まわせるつもりだ」

 

「他の人間には言ってあるのか?」

 

「まだ何も言ってない。実はあの後、細かく解析したが特異点の消失と共にオラクル細胞が退化した様に活動を休止している。見た目は以前のままだが、中身はアラガミと人間の中間レベルになっている。その影響もあるのか以前とは反応が大幅に違っているのが確認されている」

 

「どう言う事だ?」

 

「まだ仮説だが、一旦ノヴァに吸収された時に特異点としてのアラガミの部分はそのままノヴァに残し、人格を形成できる部分だけが取り出しに成功したって所だ。あとは経過観察しだいだが、おそらくはソーマに近い状態で落ち着く可能性が高い。今は食事に関してもアラガミを食べる事は全く無い。人間と同じ食事で偏食因子を取り込める。使い古された言葉だが、簡単に言えば奇跡だ」

 

「そうか。シオの事を聞いた時には驚いたが、まさかこんな結末とはな。で今はどうしてるんだ?」

 

「ああ、それなら」

 

「とうしゅ~。もう行って良いのか?」

 

 ツバキとの会話を遮る様にシオが現れた。コアが取られる前とは見た目は何も変わっていないが、何となく雰囲気が変わっていた。ツバキは第1部隊のメンバー程一緒に見ていた時間は少ないが、それでも事前に聞いてたせいか、目の前のシオから出る雰囲気は確かにあの時とは違っていた事だけは分かった。

 

 

「ああ、良いぞ。ただし、ソーマ達には何も言ってないから驚かすならチャンスは今だけだ」

 

「りょうか~い。じゃあ行ってくるね」

 

 

 シオが走って行ったのを見届けていたのは今後の未来に何か希望を感じずにはいられなかったのだろう。あの後シオの回復の間に榊が無明に発言した言葉。『アラガミとの共存』の架け橋になる様な存在であってほしい。

 無明はそう願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これで第壱部は完了となります。
次回より外伝を開始しますので、これからも宜しくお願いします。



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外伝
外伝1話 (第47話)招集


「私が本部に行くんですか?」

 

 

 唐突に呼ばれ、たった今ツバキから告げられた話にヒバリは困惑していた。

 あの終末捕喰の騒ぎから時間が経過し、漸く落ち着きを取り戻しだした頃だった。今では既に日常に戻り、何事も無く平穏に過ぎて行くはずと思われた矢先の事だった。

 

 

「突然で済まないが、今回の件は以前から打診されていたんだが、偶々別件の用があって本部に行く事になった関係上、一度に済ます方が良いだろうと榊博士と相談した結果だ。日程は後日知らせるが、そのつもりでいてくれ」

 

 

 現在の所は後任の支部長に関して未だ決まっておらず、現状は榊博士が支部長代理としての業務が行われていた。

 通常であれば、支部長が出張で本部や他の支部に行くことはあっても、現場の人間が容易く行く事は無い。もちろん、オペレーターでもあるヒバリもその件に関しては十分すぎる位に熟知している為に、今回の出張には驚きを隠す事は出来なかった。

 

 

「…あの、行くのは私だけでしょうか?」

 

「今回の同行者か?それなら決まっているから安心しろ」

 

「そうですか。分かりました。では準備だけはしておきます」

 

「面倒かもしれないが頼んだぞ」

 

 

 それ以上の事は何も聞くことも出来ず、たった今聞かされた事の情報整理をするだけでヒバリは混乱しながらも、ロビーに向かって足を運んでいた。

 

 

「あれ?ヒバリどこに行ってたの?」

 

「ちょっと榊博士に呼ばれて」

 

「今度はどんな無茶振りされたの?」

 

 

 他人の不幸?を喜んで居る様にも見えるが、リッカの性格を考えると意地悪ではなく、今度は一体何を聞いてきたのだろうか?単に暇つぶしにも聞こえるレベルなのは今更だった。

 

「無茶振りはないけど、本部に行ってくれって」

 

「……本部?なんでまた?」

 

「詳しい事は分からないけど、近日中だって事位で」

 

「なんだろうね?榊博士なら分からないでもないけど、なんでヒバリなんだろ?」

 

「さぁ?私にもさっぱり」

 

 

 二人でそんな些細な話をしていたが、ここはロビー。色んな職員やゴッドイーター達が自然と集まる所で話をしているので、聞く気は無くても内容は断片的に聞こえてくる。

 ただでさえ雑多な状態で人の出入りが激しいとは言え、そこにヒバリとリッカが話している雰囲気は悪い物では無く、他からも何気に視線だけは感じる事が出来る。

 話の内容も秘匿が条件ではないので、2人もあえて気にせずに話していた。

 

 

「ヒバリちゃん。任務終わったよ」

 

 緊急で出動していたタツミが任務を終えてロビーへ帰ると偶然にも2人が話してる所に出くわしていた。

 

 

「あっ。タツミさんおかえりなさい。任務ご苦労様でした」

 

 まるで何事も無かったの様に、元の業務に戻り帰投後の手続きに入った。手元の操作に意識を奪われ、タツミの表情が若干険しい事にヒバリは気が付かなかった。

 

 

「タツミさん。手続きがかん……」

 

「ヒバリちゃん。さっきそこで聞いたんだけど、本部に行くって本当なの?」

 

 

 何時にもなく真剣な表情でタツミはヒバリを問い詰めるも、先ほどのリッカとのやり取りの事だと判断した事で気軽に答えたが、何故かタツミの表情は冴えないままだった。

 

 

「日程は決まってないみたいですけど、ある程度は」

 

「それって誰から聞いたの?」

 

「ツバキ教官ですよ」

 

 

 ヒバリからそう言われ、タツミは押し黙ったかと思いきや、突然エレベーターへと走りだしどこかへ行ってしまった。

 先ほどの会話の中で変な所は一切何もなく、言われたことをあるがまま話したかと思った矢先の行動。それが何なのかヒバリには何を考えていたのか理解できないと思った所へリッカからの一言があった。

 

 

「ひょっとして、タツミさん何か勘違いしてるんじゃない?」

 

「何をです?」

 

 横で聞いてたリッカは客観的にヒバリに話す。先ほどの会話から察するに帰投中に誰かから本部に行く事を耳にし、恐らくはその確認をしにツバキ教官の所へ走ったのでは?と推測できた。

 

 

「ツバキ教官!大森タツミ入ります」

 

「何だ騒々しい。どうしたタツミ?」

 

「いえ、ツバキ教官にお尋ねしたい事があります」

 

「なんだ?」

 

「先程、ロビーにて竹田ヒバリ嬢から本部へ行くとの話がありましたが、その話は本当でありますか?」

 

 

 軍隊さながらに畏まった言い方のタツミを見て内心面白いと思いつつも、今言われた事に対して何が聞きたいのかツバキには理解できた。

 おそらくは先ほどの本部の件だろう事位は直ぐに理解できるも、少しの出張に対して、どうしてそうまで慌てる意味があるのか理解する事が出来なかった。

 

 

「無理に畏まるな。で、何が言いたいんだ?」

 

 ツバキとしても内心は面白いと思いながらも真剣な表情のタツミが何をどうしたいのか、やんわりと問いただす。

 

 

「あのヒバリちゃんは本部に行くって事は異動なんですか?」

 

「誰がそんな事を言ってた?」

 

「誰って、周りから聞いたので詳しくは分からないんですが」

 

 

 タツミはがヒバリに対してご執心なのはこのアナグラに居る人間であれば誰もが知っていた。知っていたからこそ面白おかしく話たのか、それとも単に噂の域を超えてはいなくても取敢えずタツミにはと、配慮されたのかは誰にも分からなかった。

 

 ツバキもそんなタツミの心情は分かっている物の、そこまで慌てて動くほどでも無いと判断しながらも、まずは目の前のある物の事態の修復が先決とばかりにヒバリに伝えた事をタツミに伝えた。

 

 

「…早とちりだったんですね。大変失礼しました」

 

「お前の事だからそうだとは思ったが、部隊長ならもう少し情報整理してから判断しろ。戦場なら死んでるぞ」

 

 

 何気に酷い言われ方をしたが、今は詳細を確認し安心しきっているので多少の小言は耳には入るが、脳には入らない。一先ずは安心とばかりに胸をなでおろす事となった。

 しかし、安心したと同時に疑問も出てくる。今までにこんなケースは殆ど無く、何故今頃なのかタツミは不思議に感じていた。

 

 

「一つだけ質問なんですが、何で今更そんな事が?」

 

「これ以上は機密になるから詳しくは言えんが、お前も知っての通り今回の事件は上層部にも大きな反動が出ている。公式に認めてはいないが、上層部の人事の刷新と当時に非公式に事態の収束と結束を固める意図が強い。それが今回の趣旨だ」

 

「タツミ君、今回の出張に関してだけど、メンバーはほぼ決まっているんだが、あと1席だけどうしようかと考えていてね。この件については本部行きに関しては問題ないが、内容の公表は控えてもらう事になるよ」

 

 

 榊から改めて念を押されるも、基本的にはヒバリが異動しないのであれば、タツミにとってはそれ以上の関心は無かった。

 しかし日程から考えれば移動を考え約2週間程の長期になる。その期間は顔が見れない事が残念にしか思えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でもさ、ここに来て落ち着いて来たから少しは羽を伸ばしたいよな」

 

「そんな事言っても、どこもアラガミがいるから無駄にも思えますけど」

 

「そんな事は分かってるけど、山とか海とか行きたいじゃん」

 

「コウタはそればっかりですね。少しはエイジを見習って任務に励んだらどうですか?」

 

 何気にコウタの放った一言から、よもやアリサから反撃される要素はどこにも無かったはずの些細な一言に旗色は徐々に悪くなりだしていた。

 

 

「でも、ここ最近は激務だったからね。まさかアラガミが居ないと思ったら急にレベルが上がってたから、少しは考えたいかもね」

 

「やっぱりエイジもそう思いますか?やっぱり心のゆとりは必要ですよね」

 

「ちょっとアリサ、何その手のひら返し」

 

 

 タツミが改めてロビーに戻ると、第1部隊のメンバーが休みについて話していた。

 確かにあの後現れたアラガミは通常種よりも変異種が多く、防衛としてもかなり厳しい戦線だった事が思い出されていた。

 いくら任務とは言え、毎回これではやがて疲労も蓄積するのは目に見えている。タツミ自身もそこは休息が必要だとは思っていた。

 

 そんな中での今回の長期出張は自分には関係ないとは言え、仮に行けるのであれば気分転換位にはなるのかと思案しつつも会話の中に混じる事にした。

 

 

「第1部隊は良いな。休みの相談か?」

 

「そんなつもりじゃないんですけどね。最近激務が急に続いて少し疲れが出てると言った方が正解ですかね」

 

「わりいわりい。そんなつもりじゃなかったんだけどな。確かに最近は厳しい任務が続いたから仕方ないか。どこに行くにも神機は必須だからな。そんなんじゃ休んだ気にはならないんだろうな」

 

 

《第1部隊長、第2部隊長は支部長室まで来てください》

 

 館内放送がロビーに鳴り響く。普段ならば支部長室に呼ばれる事は殆どない。仮に呼ばれても精々がラボ止まりだった。

 にも関わらず今回は珍しく支部長室へ呼ばれる事になった。

 

 

「やあ、急にすまないね。今回呼出したのは長期出張の件なんだ。タツミ君には少し話したんだが、今回極東支部から数人が本部へ行く事になってね。その都合で君達を呼んだんだよ」

 

「出張ですか?どうしてまた急に?」

 

「今回の件についてだが、実は本部の方で色々と問題があってね。例の終末捕喰の関係で色々と不具合が生じた事もあったんで、その対策も兼ねて極東支部や他の有力な支部との打ち合わせが入ってるんだよ。勿論、それ以外にも今後の事で色々とやる事が多くてね。その為に何人かのチームで派遣する事になったんだよ」

 

「博士、それと僕達との関係は何ですか?」

 

「今回呼んだのは、その件なんだ。実は今回のメンバーと言っても、行くのは全員で3人+1人の計4人なんだが、1人は護衛になるんだ。そこで君たちのどちらかお願いしたいんだ」

 

「はぁ。護衛ですか…」

 

 タツミは先ほどの話の内容を聞いていたので理解が早かったが、エイジは今一つ理解していない。しかも長期ともなればその間のアナグラの戦力の低下は免れない。その部分を勘案した妥協点がそこにあった。

 

 

 

 

 



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外伝2話 (第48話)思惑

 呼び出しから戻ると、そこには既に部屋に戻ったのか、それとも新たな任務に出かけたのか、ロビーは先ほど迄の喧噪から少しだけひっそりとしていた。

 本来であればエイジもタツミも隊長だけあって、やる事に困る様な事は何一つ無い。しかし突如として聞かされた話の内容はお互いに関係するだけでなく、どちらにしても部隊の運営にまで影響が出る可能性がある。

 当然ながら先送りした所で解決する事は無く、決定事項を覆すだけの緊急事案が発生している訳でも無い。

 そこで先ほどの話の事で少しだけタツミと相談する事になり、今後どうするのかを決める事にした。

 

 先ほどの話の中で行くメンバーを聞けば、そには無明とツバキ、そしてヒバリの3人の名前が出て来た。

 今回のメンバーだけ見れば、態々護衛を付ける必要は全く無いが、他の支部とのバランスを考えて体裁を繕う事が優先とも聞いていた。しかしながら、現地でアラガミが出れば討伐任務の可能性も高く、単純な出張とは誰も考えていなかった。

 

 

「実際の所、どうしますタツミさん?」

 

「どうするも何も、どっちかが行くんだろ?それにあのメンバーで護衛の必要ってあるのか?」

 

 タツミの言葉では無いが、今回のメンバーに無明が居る時点で護衛は不要なのは共に知っている。だからこそ無意味とも取れる任務に気乗り出来ない部分が存在していた。

 

「そこは建前って榊博士が言ってた以上、仕方ないですよ」

 

「だよな。おっ、そろそろこっちは定期巡回だからこの話はまたな」

 

「分かりました。日程的に時間が無いですから今晩にでも」

 

 

 内容はともかく、一番手っ取り早いのは当事者でもある無明に確認する事。そう考えエイジはラボに足を向けていた。ラボの扉を開けると、そこには定期検査の都合で第1部隊のメンバーとシオが来ていた。

 

 あの後、聞かされたのはシオについては屋敷で住まわせるのと同時に、人間社会に溶け込める様な教育が必要である事、そして不安定な状態の身体の定期検診の途中でもあった。

 

 今は完全にアラガミとしての能力が沈黙しているとは言え、万が一の事を考えれば、その措置はある意味必然とも取れていた。

 

 

「あれ?シオ来てたの?」

 

「エイジか~久しぶりだな」

 

「今日はシオちゃんの定期検診だったんで、ここに来てるんです。そう言えば、さっきの要件は何だったんですか?」

 

「実は長期出張の打診があってね。内容は不明なんだけど護衛でタツミさんとどちらかが行く事になったんだよ。兄様、一体本部で何があったんですか?」

 

「今回の内容は上層部の混乱回避の会合がメインだな。こっちは現地で別行動だが、例の試作神機の性能検査と新種のコアに関するフォーラムも併せて開催だから大事になったんろう。護衛は必要ないが、おそらくは各支部の戦力の誇示も含まれているから、その顔見せだろう」

 

「そうだったんですか。でも話だけ聞くと面倒ですね」

 

「極東支部以外は事実としてフェンリルからの支援が無いとやっていけない所が多いからな。こちらとしては無意味でも本部の顔つなぎと、あんな状態だから互いに派閥関係をつくりたいんだろう」

 

 

 この時点で、エイジの中では面倒な話にしか思えなかった。

 事実、他の支部よりも極東の支部の方が戦力としてだけではなく、人的消耗が激しい為に人手不足が慢性化している。

 エイジは態々そんなくだらない事に付き合いたいとは全く考えていなかった。そんな考えを無明に見抜かれていた為に、無明もわざとそう考える様な言い方をしていた。

 

 

「で、誰がそんな中行くんだ?」

 

「兄様とツバキ教官にヒバリさんだよ」

 

「珍しい組み合わせですね?なんでヒバリさんなんでしょう?」

 

「兄様、決めたのは誰ですか?」

 

「決めたのは榊博士とツバキさんだ。確か、現地でもオペレーターとしての何かがあるらしいが、別行動の予定だから詳しくは聞くのが一番だが、話には出てなかったのか?」

 

「いえ、特に聞いて無いです」

 

 

 詳しい事は結局聞いていないが、行くメンバーだけは聞いていたのでそれ以上の詮索が出来なかった。

 内容はともかく、長期ともなれば色々と面倒な事位しか考える事もできず、結果的にはタツミが戻ってから改めて話し合う事にするしかないと考えていた。

 

 

「本部ってとおいのか?」

 

 

 検査が終わったのか、シオは動けるのが嬉しくなったのか、先ほどの会話の事を聞いて来た。ラボには他に誰も居ないのと、シオの事は基本的には秘匿状態の為に話を聞かれて困る様な事は何も無かった。

 

 

「遠いのは遠いね。移動だけでほぼ一日かかるし、こことは全然違うよ」

 

「そっか~とおいのか?何だかすごいな」

 

「そこまで行けば旧時代の旅行と同じだからね。今回は仕事だけど中々海外に行くなんて事はないかな」

 

「そ~だ!それだよそれそれ!」

 

「コウタ、どうしたんですか急に?」

 

「だからさ、長期で海外だろ?行くメンバー考えたらさタツミさんの方が良くない?」

 

「コウタの言ってる意味が分からないんですけど」

 

 当初は何が言いたいのか誰にも分からなかった。しかし、先ほどのシオとの会話の中で出て来た海外旅行との言葉にコウタは何かを閃いた事だけは確かだった。

一体何をと思った途端、どうやらアリサもコウタの狙いが分かったのか、珍しく同調していた。

 

 

「コウタにしては良いアイディアですね。たまには役に立つんですね」

 

「なあ、アリサ。何でそこまで俺の評価が低い訳?もういい加減凹むぞ」

 

「その為には、少し確認する必要があるので、一度リッカさんにも聞いてみますね」

 

 

 コウタとアリサのやり取りに、エイジとソーマは蚊帳の外だった。2人の表情を見る分には何の問題も無いとは思うも、一体何を考えているのか想像出来なかった。

 

 本部に関しては直接のやり取りをしたことが無いエイジにとって、今回の出張そのものも何の意味があるのかその必然性を見出す事は出来なかった。

 単純に外に出るから何か良い事が起こるのではと思案する事も無い。しかし、無明の話からすれば自分にとって然程意味の無い事にしか思えなかった。

 

 

「エイジにお願いがあるんですが?」

 

「何か出来る事あるの?」

 

「実は、このまま話しても問題ないんですが、単純に話すのあれなんで何か手土産になる物がほしいんですけど」

 

「手土産って誰に?」

 

「ちょっとリッカさんと話すのにこのままでも良いんですが、少しだけ考えがありまして」

 

「出来る事なら協力するけど、手土産って何が必要?」

 

「お菓子があると有りがたいんですけど」

 

 ここで漸くアリサが言わんとしている事が理解できた。

 恐らくは今回の件でリッカに何か話をするが、ヒバリまで居ると何かと面倒なんだろうと推測できた。しかし、これからとなると何も用意出来ないと言った方が正解だが、エイジには一つだけ思い当たる事があった。

 

 

「今新作作ってるから、感想を教えてほしいって事でどうだろう?」

 

「!ありがとうございます」

 

「じゃあ、持ってくるよ」

 

 

 少しの時間が経過した所でエイジは白い箱を持ってきた。中身は新作のデザート。

 このアナグラでも甘い物は食べる中での大きな娯楽とも言えていた。いくら作る材料が大量にあろうとも、肝心の作る技術が無ければ何の意味も成さない。

 特にエイジや無明がたまに作る試作と称したお菓子類は色んな意味でアナグラの中でも評判が高かった。これならば何の問題も無いと思いつつ、箱ごとアリサに渡すと早速ラボから出ていく事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リッカさん、少しお茶しませんか?」

 

 

 休憩中のリッカの所に来たのは普段は中々来ることが無いコウタとアリサだった。神機の整備は重要だが、神機使いの中で整備やメンテナンスまでやる人間は少なく、その為に神機使いが整備班に来る事は極めて稀でもあった。

 

 

「良いけど、どうしたの急に?」

 

「実は、例の出張の事で相談があったので」

 

「これから休憩だから構わないけど」

 

 

 エイジが用意したデザートは絶大なまでに効果を発揮した。

 普段も口にする事があるが新作となれば話は変わってくる。最初はそんな話をしつつも時間は限られている以上、思いっきりよく話の確信を突くことにした。

 

 

「リッカさん、ヒバリさんの件は知ってますよね?」

 

「うん。聞いているけど、それがどうしたの?」

 

「実は行くメンバーは決まっているんですが、護衛でエイジかタツミさんが行くらしいんです。でも、今までの事を考えるとエイジよりもタツミさんの方が色々と良いんじゃないかと思うんですけど、リッカさんはどう思います?」

 

「どうって言われてもね……でも、少なくともヒバリは口で言うほどタツミさんの事は悪い印象は無いと思うよ。普段の会話でもたまに出てくるからね。あえて言うならタツミさんがやりすぎてちょっと引いてるって感じじゃないかな」

 

 

 リッカのタツミに対する印象は実際にはアナグラの全員が知っているのではないのかと思う程の状況だった。

 何事もやりすぎるのは逆に悪いイメージしか沸かないが、恐らく本人はそんな考えは微塵も無いのだろう。ヒバリに対する対応はこれまで同様に一向に変わる気配は無かった。

 

「実は、今回の出張が2週間程なんですけど、内容が内容なので、出来れば旅行の様な感じで行って貰えればと思ったんですけど。もちろん任務だってのは分かった上でですが」

 

 そこまで言われてリッカもアリサが何を考えているのか理解する事ができた。確かに、終末捕喰事件以降はかなり慌ただしい日々が続いているのと同時に、あの時のタツミの負担も今考えると想像以上の負担がかかっていた。

 

 実際にに整備していたリッカでさえも、あまりの神機の摩耗ぶりに冷や汗を何度か経験している。

 もちろんそれは決して良いとは言えないが、あの当時の状況下では仕方ないと判断せざるを得ないのもまた事実だった。

 

 そんな事もあってか、最近のヒバリのタツミに対する態度は以前に比べてかなり軟化しているのは直ぐに理解できた。

 そんな中での今回の話は色んな意味での僥倖とも捉える事が出来る。余計なお世話と言われればそれまでだが、何となくでもこの内容をリッカ自身、応援したいと思う部分も少なくなかった。となれば、やるべき事は一つだけ。

 今回のアリサが持ってきた話に乗っかった所で誰も困る様な話でも無かった。

 そうと決まればあとは実行に移すだけとなった。

 

 

 

 

 

 



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外伝3話 (第49話)現実問題

 当初の予定の通りなのか、色々と計画が実行された結果なのか、本部へはタツミが行くことで決定した。

 今回のポイントは当初から確認されていた通り、各支部との連携がメインとなったものの、今後予想されるであろう戦力の確認についての会合となった。当初は色々と渋っていたタツミも結果的にはヒバリも同行する事で、有耶無耶のうちに決定していた。

 

 今回の任務は護衛にはなっていた物の、実際には極東支部と各支部の戦力差の確認、それと一部の人間にしか知られていないが、万が一極東支部がフェンリルに対しての反旗を翻した際にはどこまで問題視する事が出来るのかの確認でもあった。

 本来であればいくら極東支部と言えどここまで危険視される事は無いが、終末捕喰を引き起こし、経済的にも戦力的にもフェンリルの保護を受ける必要が無いのであれば、今後の可能性を危険視する勢力も少なくないとの見方もあった。

 

 

「漸く着いたか。もういい加減疲れてきたよ」

 

「何を馬鹿な事言ってるんだタツミ。これからが本番なんだ。こんな位で疲れてると何かと大変だぞ」

 

 

 極東支部から本部への移動は優に15時間を要した。いくら鍛えられているゴッドイーターと言えど、長時間同じ場所に居るのは身体的には辛い物がある。長時間の狭い場所での拘束は膨大なストレスを発生させると同時に、今後乗り物は出来る事なら乗りたくないとタツミは考えていた。

 そんな事を思いながら降り立った場所は極東とは景観が大きく異なっていた。それはタツミだけではなく、ヒバリも同じような事を考えていたのか、2人は顔を見合わせ苦笑まじりに周囲を見回した。

 

 

「これから本部へ向かうが、その後は各自の行動になる。俺とツバキさんは一緒に動くが、お前たちの事は他の人間がアテンドするはずだ。取敢えずはその後合流となる。ここからは護衛任務だ。しっかりと護れよ」

 

「了解しました」

 

 今後の予定に関しては事前に確認していたが、今回の本当の部分は2人には伏せられていた。

 まずは現地での確認が先決とばかりにタツミとヒバリは本部へと足を運ぶ事にした。移動中に聞かされていた通り、現地には各支部から選出された隊員達が既に一団となってロビーに集まっている。

 手荷物のチェックが完了し、ここで漸く本題に差し掛かろうとしていた時だった。

 

 

「あれ?タツミか?久しぶりじゃないか」

 

「ああ、ハルオミか。そう言えば久しぶりだな。今はどこの支部に居るんだ?」

 

 

 手持ち無沙汰な所でかけられた声は旧友とも言える真壁ハルオミだった。元々は極東支部の所属だったが、各所を異動していた為に久しぶりの邂逅となった。

 

 

「今はグラスゴーだ。お前は相変わらずの極東支部なんだな」

 

「おまえとは違うからな。なあ、今回の招集って各支部から来てるみたいだけど、気のせいか色々と見られている様に感じるんだけど?」

 

「それは、お前が極東支部の所属だからだろ?他の支部から極東支部はアラガミの動物園って言われてる位だからな。そこの部隊長なら百戦錬磨の猛者って思われてるんだろ」

 

 

 最初から極東でしか活動していないタツミからすれば、他の支部からはそう思われている事に驚きを隠せなかった。他の支部の話は噂程度でしか聞くことは無い物の、実際にその場面に遭遇する事は無く、結果的には何となく程度にしか思えなかった。

 

 

「タツミさん。こちらの方は?」

 

「こいつ?こいつの名前は……」

 

「これは美しいお嬢さん。俺の名前は真壁ハルオミと申します。元々は極東支部の所属でしたが、現在はグラスゴー支部の所属です。短い期間ではありますが宜しくお願いします」

 

 

 ヒバリの声に反応し紹介しようとした矢先に、ハルオミがタツミを制して自己紹介を始めた。他の支部に行ってもハルオミの性格は変わらず、当時のままだとタツミは心の中で苦笑していた。

 ただでさえ注目されている中でこれ以上の大事にする訳にも行かず、この場を収める事しか今は出来そうにも無かった。

 

 

「これ以上近づくな。ヒバリちゃん、こいつは査問委員会の常連だから気をつけてな」

 

「そんな事こんな所で言うなよ。少しは空気読めよタツミ」

 

「真壁ハルオミさんですね。私は極東支部所属の竹田ヒバリです。今回はオペレーターとしての招集で来ました。こちらこそ宜しくお願いします」

 

 

 爽やかな表情とは裏腹に、今何を思っているのかタツミには何となくヒバリの心情を理解できた。

 いつもなら軽くあしらうものの、ここは本部である以上これ以上の悪目立ちは避けたいと考えた上での挨拶でもあった。そんな会話を続けていると、やがて全員に対しての呼集が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「予想はしてたが、ここまでとはな」

 

 ため息交じりに呟いた一言が今回の全てを物語っていた。

 ツバキは今回、支部長代理として本部への出席をしていた。

 

 現在の所、極東支部は正式な支部長は選定中の為に代理と称して出席していた。

 出発時にも無明から今回の件で想定されるであろう事は事前に聞いていた為に、会議では混乱する事は少なかったものの当初の予想通り各支部から色んな事が噴出していた。

 

 そもそも今回のメインでもあった終末捕喰事件は対外的には極東支部の関与は一切認めていない。仮にこれが表舞台にさらされる事になるとなればフェンリルそのものの存在が問題視される事から深く追求はされないものの、それでも真相は確信したいとの思惑が容易に理解できた。

 本来ならば追及される事が確実視されていたが、現在のツバキの身分は支部長代理である以上、これ以上の権限は無いと突っぱね各支部の追及は見事に避けていた。

 

 

「こればかりは仕方あるまい。今の時点で語れる事は多くないのと、これ以上は本部預かりだからこちらが騒がない限り本部は静観するしかないから、これでこの話は終わりだろう」

 

「そうあってほしいが、これ以上の事は私に聞かれても説明は出来ないから悩ましい所だな」

 

「それだけじゃないだろうな。後は極東支部の立ち位置の確認がしたかったのだろう。フェンリルも一枚岩じゃない。各々の利益だけ考えている輩も多いからな」

 

 これが会議の前であればそんな風に考える事は無かったが、いざ出席すればそんな考えしかその場にはなく、事実自分たちに害が無ければ問題にすらしていない支部も多数存在していた。

 

 

「そう言えば気になる事があったが、あの当時お前は確かに8割の上層部が賛成していると言ったが、最終決戦の時には簡単に認定していたが、一体どうやったんだ?」

 

「あれか。種明かしすれば簡単な話だが、全員をひっくり返した訳ではない。単純に数の論理で過半数超えが分かった時点で頑なに反抗している人間には退場してもらっただけだ」

 

 

 あまりの簡単な物言いに流石のツバキも言葉を発するには時間がかかった。

 幾ら連合企業体とは言え、実質フェンリルの経営陣の退場は簡単には出来ない。それを容易く話す無明に対してツバキは驚きを隠せなかった。

 

 一枚岩ではないの無明の一言が全てを物語っていた。

 コングロマリッドであるが故に他よりも僅かでも優位に立ちたいとばかり考え、それ以外の事に関しては呆れるほど無関心であれば、これ以上の存続は無駄と考えるのはある程度仕方がないとも言えた。

 

 それほどまでに意思の疎通が出来ないのであれば退場させるしかないと考え、これを機に風通しを良くしたいと同時に考えていた。しかしながら、腐敗は腐敗を呼ぶ。

 一つの物を排除すれば今度は新たな腐敗を招く。各々が自分たちの権力闘争をしていても、一般人の事まで考える事は皆無に等しく、これが今のフェンリルと言う名の企業の実態でもあった。

 その為に今回の様な子供だましの画策を図り、全支部の中でも一番とも言える極東支部を我先に囲みたいとの思惑が透けて見えた。

 

 

「釘は刺してあるから、おかしな事にはならないはずだ。上は確かに腐っているが、中には良識を持った人もいる。基本は独立独歩でも十分だろう」

 

「こちらとしても、アラガミとの戦いだけならまだしも上の権力闘争に巻き込まれたくはないからな。この先の事を考えると気が重い」

 

 

 今後の課題である事に変わりは無いものの、今の状況をこまねいて見ているつもりは毛頭なかった。当人達は知る由もないが、今回の目玉でもある戦力の確認は今後の極東支部の未来を占う試金石でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オペレーターが集められた趣旨は、神機使いの生存率の向上と新システムの運用に関する内容だった。今までは突発的なアラガミに対しては何も出来なかったが、新システムの運用で理論上の生存率は格段に高くなっていたが、ここで想定外の状況が発生した。

 

 新システムの運用には各オペレーターの力量が如実に現れ、その結果として場合によっては旧システムの運用の方が生存率が高くなる逆転現象が起きていた。

 期待されたはずの新システムの導入に関しては協議した結果、全部の支部に導入ではなく一部の支部に試験導入される手筈となった。

 

 

「そう言えば、あのシステムって凄いな。あれなら突発的な乱入でも安心して討伐出来るから助かるよ」

 

「あれは多分、人をかなり選ぶんじゃないか?極東ならともかく、少なくともグラスゴーでは無理だな」

 

 運用の為の現場として、タツミはハルオミと同じチームとして動いていた。

 今回の研修の際には他の支部でも少しづつ増えて来た新型神機使いが送り込まれていたが、極東支部からは旧型のタツミが来た事で現場の空気が若干悪くなっていた。

 現状ではまだ新型神機使いの数は圧倒的に少ないものの、新型特有の根拠の無い優越感に浸り、タツミを非難するかの様な目で見ていたが、実際に戦場に出るとその評価はあっさりと一転した。

 

 そもそも極東と他の支部では判断基準が大きく違っていた。極東支部ではヴァジュラ程度のアラガミはソロで討伐出来て初めて一人前と称されるが、他の支部では少ない所で1チーム、多い所では3チームが派遣され、それでもギリギリの戦いが要求されていた。

 いくら新型神機使いと言えど、戦場では同じ立場での戦いとなる為に、同じチームとなった者は皆がタツミの技術に息をのんだ。

 防衛班では当たり前の負ける戦いは一切せず、あるがままの状態を受け入れそのまま何事も無かったかの様に討伐を続けていた。

 

 本来であれば、同じ神機使いである以上、大きな差が無いはずだとタカを括っていた人間は知らない間になりを潜め沈黙する他無かった。その結果、本人の意図しない所で極東支部所属の神機使いは別次元の生き物だと徐々に認識されていた。

 

 

 

 

 

 



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外伝3話 (第50話)休息

「なあハルオミ、お前ここに来てからどこか行ったか?」

 

「馬鹿言うな。どこにそんな時間あったと思ってるんだ」

 

「だよな」

 

「私たちのせいですよね。すみません」

 

「まだ慣れてなくて。申し訳ありません」

 

 長期に渡る出張任務にも漸く終わりが見え始めて来た。ここに来てから既に10日程が経過していたが、護衛任務とは名ばかりで事実上の通常任務と何も変化は変わらなかった。

 極東支部での任務であれば本来は此処までタツミ達が疲弊する事は何も無かった。しかし、ここ本部での任務は必ずしもベテランが配属されている訳ではなく、新型神機使いの研修までもが任務として重なっていた。

 

 

「お前達はまだ新人なんだから気にする必要は無いって」

 

「でも……」

 

 想定外の極度の疲弊の理由はそこにあった。元々新型神機使いの教導は同じ新型神機使いが任務に就くはずだったが、この研修期間中のアラガミの出現率が異様な程に高く、結果的には新型じゃなくても問題無いと判断され、現在に至った。

 新システムの導入と同時に教導までやれば、どんな人間であっても精神的にも肉体的にも疲弊するのはある意味当然とも思われていた。

 そんな状態の中で、任務から帰投し漸く一息付く事が出来た。

 

 

「タツミさんご苦労様でした。そう言えば明日は一日リフレッシュ休暇みたいですよ」

 

 

 疲れた身体を引きずりながら帰投すると、ちょうどヒバリが聞いたばかりの話をタツミに伝えてくる。これ以上は厳しいとも思える状況の中での休暇宣言は正に有りがたいの一言だった。

 

 

「このままならどうなるかと思ったよ。明日はゆっくりと過ごすよ」

 

「あの……お疲れの所すみませんが実は明日なんですが、ちょっと用事があったので、出来れば一緒に来てもらえると助かるんですが」

 

 

 何の予定も無かったので、一日寝て過ごそうかと思ったはずのタツミの脳内にヒバリからの全く予想すらしてない話が飛び込んで来た。

 何時もならばこちらから誘っても色よい返事が一切無かったにも関わらず、こんな状況の中でまさかヒバリから声をかけられるとは思っていなかったタツミは暫くの間、声をかけられた話の内容が理解できずに佇んでいた。

 

 

「やっぱり迷惑ですよね。他の人に…」

 

「いやいやいや。明日は特に何も予定も無かったし、送り出してくれたあいつらにも土産の一つでもと考えてた所だから、丁度良かったよ」

 

 

 当初はここまで厳しい内容になるとは誰も予想はしていなかった。極東支部から送り出される時には軽い気持ちでお土産なんて話も出ていたが、実際には想定外のアラガミの出現で、任務が極東並に次々と舞い込んで来る。

 個体そのものは極東よりも下のレベルであっても数に押されると、新型と言えど新兵に任せる訳にも行かず、上層部はベテランを中心にした部隊編成をすると同時に率先して任務に就けていた。

 その結果、自由となる時間は否応なしに削られていた。

 

 一つのピークが過ぎたのか、漸く落ち着きを見せた所でこれ以上はオーバーワークとばかりに神機使いとオペレーターに休暇が出されていた。

 極東支部であれば休暇の際には好きな所へ出かけて食事やショッピングを楽しむ事ができるが、ここは本部。土地勘も無ければ事実上、外部居住区の治安も何も分からない以上、一人で出歩くのはかなり厳しい物でもあった。

 

 ヒバリは気が付いていないが、そもそもお土産を残されたメンバーが期待しているのではなく、単純に外国で一人の行動は恐らく無いだろうとの考えと、少しはタツミとも一緒に居てほしいと本人達は気がついていないが、アリサ達の画策がそこには隠されていた。

 

 

「じゃあ、明日はここで待ち合わせって事で良いですか?」

 

「良いよ。じゃあ10時にここで」

 

 

 今までの疲労はまるで何も無かったかの様にタツミの心は明日へと向かっていた。いつもであれば周囲に気を配るタツミもヒバリからの誘いの衝撃が強すぎたのか、横に居たはずのハルオミの存在はまるで一切無かった事になるほどだった。

 

 

「タツミ、明日はデートか。極東でも付き合ってたのか?」

 

「違う。色々とアプローチしてたけど、時間が中々合わなくてな。お前こそ明日はどうするんだ?」

 

「俺か?俺は色々とやる事があるんだよ。ま、楽しんできな。建前は護衛だから変にハメはずすと後々面倒な事になるぞ」

 

「経験者は語るか。ま、こっちも買い物とかやる事あるから時間なんてあっと言う間だよ」

 

 

 ハルオミはそう言うも、既に気持ちは明日へと向かっているタツミを見ればいかに楽しみなのかが容易を想像出来ていた。特に今回の編成はタツミの負担が大きすぎるのは現場の人間ならば周知の事実。

 牽制しながらも使える者は使おうとする上層部の考えはが透けて見えるのは今更だった。

 

「言葉と表情があってないぞ。束の間の休息だ。楽しむ時は楽しんだ方がいいだろう」

 

 明日へと期待を寄せて、その日は珍しく最低限度の事だけを終わらせ早めに休息を取る事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで全部?皆結構色んな物頼んでたんだな」

 

「中々極東から出る事が無いですからね。私も十分過ぎる位に楽しんでますよ」

 

 

 色々と頼まれていた買い物にも漸く目処が立ち、時間の関係もあって食事をする事になった。極東支部の頃には何度か誘う事はあったが、結果的にはその希望が叶った事は無かった。

 今回の様に護衛に近い状態とは言え、まさか一緒に食事まで出来るとはタツミも全く考えていなかったのか、表情は何時もの様にしているも内心は動揺していた。

 

 事実、当初ヒバリから誘われた際に伝えたはずの土産は結果的には何も買わず、ヒバリとのショッピングを楽しんでいる様にも見えた。

 海外に出た故の解放感からなのか、単純に荷物持ちとして誘われているのかタツミに推し量る事は出来なかったが、目の前にいるヒバリの顔を見ていると、それ以上考えるのは無駄とばかりに今いる状態を楽しむことに決めた。

 

 

「そう言えば、かなりの連戦でしたが、極東とはやっぱり違うんですか?」

 

「う~ん。本来なら比べるのはどうかと思うんだけど、アラガミの単純な強さなら極東が一番かもね。ほら、一緒に任務に出てた真壁ハルオミっているだろ?あいつは元々極東の所属だったんだけど、各地に異動してるから他の状況を良く知っててさ、この地域のアラガミと他の地域を比べてたんだけど、結局の所は極東が一番って事になってね。今まで比べる対象が無かったから気にもしてなかったんだけど、改めて見ているとなるほどって思えてたかな」

 

「私も来た当初は色々と見られている感じでしたけど、最近は馴染んで来たのか他の支部の方とも話はしますよ」

 

「良いよな~。こっちは新人やベテラン関係なく組まされてるから、馴染む頃には違うメンバーとの入れ替えも多くてね。でもここに来るとやっぱり極東からって事で最初は結構見られる事が多かったかな」

 

「それは私たちの所でも話が出てましたよ。最初は『旧型なのに』なんて話でしたけど、最近では違う目で見られている事が多いですよ」

 

「違う目?それってどう言う事?」

 

 

 この時初めてヒバリはタツミに対して口に出すのが憚られる思いを感じた。確かに来た当初の会話は旧型のくせになんて意味合いの会話も直接ではないが聞き及んでいた。しかし、想定外のアラガミが出始める頃から評価は徐々に変わっていた。

 

 元々強固な個体と戦っていたタツミにとって、本部周辺のアラガミは総じて強さをあまり感じず、むしろ新兵が初めて実戦で戦うレベルなのではと思う部分が多々あった。

 本部周辺では連戦とは言っても精々が中型種のコンゴウ程度で、今までの中で大型種の遭遇は全く無かった。

 むしろ戦闘よりも新人と組まされた際の精神的な疲労の色が濃かった。

 

 

「ヒバリちゃん、どうしたの?」

 

「いえ、何でもありませんよ」

 

「なら良いけど。で、違う目って何?ちょっと気になるんだけど?」

 

「タツミさんは知らなくても良い事です」

 

 タツミへの評判が大きく変わった一因はひとえにその戦闘力の高さに起因していた。オペレーターの場合、新システムに移行して一番の変更点は各自のパラメーターが目視出来る点だった。

 

 今までは状況に対しては大よその事しか戦闘中は分からなかったが、今回からは現在の状況や各自の現状までもが数値化されている。その結果、タツミのパラメーターは他の支部の人間と比べた場合に圧倒的に分かりやすかった。

 単純に言えば何の変化も起こらない。それはほぼ無傷で戦闘をこなしている事の証左でもあった。

 

 この時代は旧時代と決定的に異なる点が一つだけある。それは生存能力の高さと、その戦闘力が命に直結する以上、歴戦の猛者には他には無い魅力があった。本来であれば神機使いが退役するには大きく分けて三つしかない。

 

 一つは任期を全うし退役するか、何らかの要因で戦う事が出来ずに退役するか、戦闘中の死亡により退役のどれかだった。当然オペレーターはそのデータも加味した上で戦場でのサポートをする事になる為に、今までのコンバットログを見ればどんな人間なのか簡単に把握出来ていた。

 本来ならば神機使いもその事は知っているはずだが、現実にはそこまで他人のデータに関心を寄せる物は少なく、見た所でどうしようも無いのが本当の所でもあった。

 

 簡単に分かると言う事は、違う言い方をすれば相手の事が良く分かった状態で判断できる為に、こちらが一々悩む必要性が全くない。ましてや今回の様な各支部から派遣されている状態であれば、突出した戦力でもあるタツミは色んな所で自然と比べられ、好意の目を向ける人間も少なくなかった。

 

 元々が極東のヒバリにとっては今回の戦績は今更な感じもあったが、ちょっとした休憩時間のオペレーターの会話の中にタツミの話が徐々に出始めている事は本来であれば良い事のはずが、ヒバリにとっては無意識の内でも面白くは無かった。

 そんな所で今回の休暇は渡りに船とも言える状態でもあり、この気持ちが一体何なのか確認するべくタツミを誘う事にした。

 もちろん、ヒバリがそんな事を考えているとはタツミ本人が知る由もなかった。

 

 

「漸く来たよ。ここのパスタは旨いね。この味を極東でも味わえると良いな」

 

「エイジさんに一度頼んでみたらどうですか?案外と簡単に作りそうですけど」

 

「言ってみる価値はありそうだ」

 

 

 

 2人の和やかな時間はそう長くは続かない。タツミの携帯端末が何かの警報の様に突如としてけたたましく鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 



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外伝4話 (第51話)緊急呼集

「タツミか?お前今どこに居るんだ?」

 

「ハルオミか?どうした緊急事態か?」

 

「大型種のアラガミがこっちに向かっているって情報が入った。今から30分以内にこっちに来れるか?」

 

 

携帯端末の相手はハルオミだった。声の様子から今までに無い程の緊張感が漂っている。話をしながらヒバリを見ているとヒバリも同じように端末で話をしていた。詳細については現地での確認となるものの、普段はおどけながらもハッキリと物事を伝えるハルオミの言葉に焦りがにじみ出ていた。

 

多くは語らなくてもその様子だけは想像できる。恐らくは今までに無いレベルでの警戒が必要な状況に陥っているとタツミは推測していた。

 

 

「ヒバリちゃん。これから本部に行かないと」

 

「私の所にも同じ様に要請が来ました。荷物は運んでもらう様に手配済みです。タツミさん急ぎましょう」

 

 

2人が到着する頃には本部のロビーは今までに無いレベルでの緊張感に包まれていた。まずは現状確認が必要とばかりにハルオミを捜そうとした背後でツバキの声が聞こえて来た。

 

 

「タツミか。丁度いい所に来た。これからお前には出動要請が出るはずだから、整備中の神機を用意しろ。詳細は追って伝える。ところでヒバリは一緒じゃなかったのか?」

 

「ツバキ教官。一体何が起きたんですか?」

 

「ヒバリも一緒だったか。現状に関して後で説明がある。今はオペレーター室に急げ。緊急事態だ」

 

 

ヒバリがオペレター室に入る頃には緊急呼集で数人が集まっていた。この短期間ではあるが、ヒバリの知る中での成績が上位の人間ばかりが呼ばれている。詳しい事は何も聞かされてはいないが、中央にあるディスプレイを見れば、説明を聞く前にある程度の状況が把握できた。

他の支部では分からないがヒバリはこの光景を極東支部でも確実に見ていた。極東では割とよく見かける、複数規模のアラガミの襲撃だった。

本部の現状や過去の事に関しては分からないものの、ヒバリがオペレーターになってから、この程度の襲撃は今までに何度かあった。

 

本来の神機使いの能力ならば、ヒバリは恐らく慌てる事も危機感を募る事も一切ない。恐らくツバキも同じ感覚である事に間違いなかった。しかし、ここは極東ではなく本部。口には出さない物の、極東に比べると2ランクは神機使いのレベルは低い事を今までの研修の中でヒバリは理解していた。

その状態を踏まえてこれに対処するとなれば、針に糸を通す程の緻密な計画と運用が必要となってくる。ここに来ての大規模襲撃は色んな意味での集大成でもあり、最大の山場となりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで全員だな。よく聞け。現在この本部に複数体のアラガミの集団が向かっている。現状ではここまで到着するのにおよそ2時間弱。それまでに全てのアラガミを殲滅するのが今回の任務だ。なお、チーム編成に関してはこちらで指示を出す。質問があるなら今のうちだ」

 

 

タツミが整備室に到着する頃にはある程度の人数が揃っていた。周りを見渡すと端の方でハルオミが他の誰かと話をしている。

 

状況確認はツバキから口頭で伝えられ、辺りは緊張感に包まれていた。時間の経過と共に詳細がツバキより口頭で説明をし始める。アラガミの襲撃に関してはタツミ自身も何度か遭遇している関係で慌てる事は少ないものの、問題点がいくつかあった。

 

極東支部であれば小事であっても本部では大事である事に変わりない。しかも、本来であればタツミは防衛が主となる第2部隊の為に、アラガミへの剣となる第1部隊は此処にはない。他の支部から派遣されている人間はそれぞれが第1部隊長レベルだとは聞いているが、それでも心配の種は尽きなかった。

 

懸念材料についてはもう一つ大きな物が、チームとして組むメンバーの編成にも影響が出てくる。どの部隊でも緊迫した中での戦闘となると、自分達の身を守る事で精一杯となる為に、新人をその中に居れるのは自殺行為に等しいとばかりに、手練れのメンバー編制となり得る事を予想していた。いくらツバキが強権を発動しても、自分達の事でギリギリの人間が他人の事まで心配出来るとは思っていない事も想像していた。

そんな中での大規模討伐任務となる以上、タツミは今まで以上の厳しい任務になる事を考えていた。

 

 

「タツミか。済まないが今回はお前のチームに新人を2人つける。あとは真壁と打合せをしておくんだ。それと、今回の件で気が付いているとは思うが、ここは本部であって極東ではない。

お前なら大丈夫だとは思うが、万が一の事も考えて、最悪の事態には撤退も視野に入れるんだ。今回は大型種も何体か混じっているが、全部が神機との相性が良い訳ではない。あとは必ず生きて帰ってこい」

 

「了解しました。自分の中で出来るだけの事はやるつもりです」

 

「そうか。では後のメンバーとも打合せをしておいてくれ。それと、無明からの伝言だ。神機の性能とバランスを若干変更しているがお前ならば使いこなす事ができるはずだが、念のために手軽なアラガミで試運転で特性をつかんでおいてくれとの事だ。あいつも神機使いだから変な作動やアンバランスな調整はしない。あとは自分の出来る範囲の事をやってくれ」

 

ツバキからの伝言を聞きながらも自分の相棒とも言える神機を確認する。見た目は何も変化は無い様にも見えるが、持ってみるとその変化は劇的とも言える内容でもあった。

 

本来、神機は自分との接続が出来れば重さを感じる事は殆ど無く、事実上自分の腕の延長の如く重さを感じる事は無い。しかしこの神機に関してはそんな事すら忘れてしまうかの様な内容だった。

 

軽くなるのは長時間の疲弊を防止するのと同時に動きも早くなる。しかし、その分攻撃の威力は落ちやすく結果的にはマイナスの要因しかなかった。にも関わらず、今手にしている神機は軽さも然ることながら、刀身は今まで以上に凄みを感じるかの如く切れ味と攻撃力が上昇している様にも思えた。

緊急の討伐任務の前に心強い味方に遭遇したタツミには口元に笑みを覚えた。

 

 

「準備は良いみたいだな。って後の2人は誰だ?」

 

「俺は何も聞いてないけど、誰なんだ?」

 

タツミもハルオミも緊急呼集の為に詳細については殆ど聞かされていなかった。事実、先ほどのツバキからも新人とだけ言われたが、誰なのかまでは聞かされていない。一体誰だと話している内に漸く残りの2人が合流となった。

 

 

「遅くなって申し訳ありません。イタリア支部所属のフェデリコ・カルーゾです」

 

「遅くなりました。ドイツ支部所属のアネット・ケーニッヒです。よろしくお願いします」

 

 

到着した2人はツバキからの話通り新人の2名だった。2人とも今回の参加に伴い新型神機使いであるのは見れば簡単に理解できた。しかし、緊急事態の影響なのか顔は共に強張っている。

このままでは緊張に押しつぶされ、早い時間に退場となりかねい。そんな事も危惧しながらも顔には出さない様にタツミは務める事にした。

 

 

「そんなに緊張しなくても良いよ。俺は極東支部所属の大森タツミだ。で、こいつはグラスゴー支部所属の真壁ハルオミだ。今回の任務に関しては知っているとは思うが緊急討伐任務の性質上、敵のアラガミに関しての情報はかなり少ない。大丈夫だとは思うが、一応こちらで指揮を執るから、少しは落ち着いてくれ」

 

 

「なぁタツミ」

 

「なんだ?」

 

「あのさ、何で俺の紹介はそんなに雑なんだ?少しは何か言わせろよ」

 

「お前に話をさせると直ぐにナンパに走るだろ?緊急なんだから少しは自重させようかと思ってな」

 

2人の会話を聞いているだけで、緊急任務の緊張感は徐々に薄れつつあった。ただ緊張をほぐすだけではない。そこには最初から死ぬ事など全く考えてすらいない。その事実だけを感じ取った2人は徐々に落ち着きを取り戻して行った。

 

 

「今回皆さんのサポートをさせて頂く事になりました極東支部の竹田ヒバリです。よろしくお願いします」

 

 

オペレーターからの音声通信が耳元で鳴り、ここからが本番とばかりに戦闘体制に気持ちが切り替わる。今までにこやかな会話をしていたタツミ達も一転して気を引き締めた。

 

 

「今回の作戦の概要ですが、現在出撃可能なゴッドイーターを全部で6つの部隊に編成し作戦の実行に移ります。今回のタツミさん達はFチームとして運用しますが、実際の所は現地での合理的な判断に伴い再編の可能性があります。今回の任務では本来であれば1チーム4人ですが、実力差を均等にするためにA~Dまでを6人、E,Fを4人の編成としています。現在の所、確認できているのは大型種が4体、中型種6体、小型種10体です。ある程度の範囲で戦って貰いますが、状況に応じて変更して頂く可能性があります。その際には私がサポートしますので、その都度連絡をさせていただきます」

 

 

ヒバリからの現状報告と他の状況を確認する中で、今回の襲撃に対する反応は驚く程早かった。本部にしては珍しく迅速な対応だと思っていたが、ツバキがそこに居た事を考えれば、その可能性は低いと判断した。

何時もの聞きなれた会話にタツミは何も思わないが、予想通り新人の2人は顔色が若干悪い様にしか見えなかった。どんなベテランでも初めての任務の時は同じような思いが少なからずある。タツミは緊迫した中にも少しだけ感慨深さを感じていた。

 

 

「さっきも言ったけど、これが俺たちの仕事だから緊張するなとは言わないが、今は落ち着く事。戦場は冷静さを無くした奴から脱落するんだ。今までやって来た事を思い出しながら行動するんだ。いざとなったら俺もハルオミも居るんだから遠慮なんてする必要はないから。自分達で出来る事だけ考えるんだ」

 

「分かりました。遠慮なく頼らせていただきます」

 

「じゃあヒバリちゃん。ちょっと行ってくるわ」

 

「ご武運を」

 

これから戦場に出向く割にはあまりにも気軽すぎる程の内容。そんなやりとりを新人の2人はどう感じたのか。決戦の火蓋が切って落とされようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 



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外伝5話 (第52話)奇襲

「ここは粗方片付いたか?」

 

「そうだな。ヒバリちゃん近隣の様子はどう?」

 

「Fチーム周辺のアラガミの確認は出来ません。恐らくは周辺一帯には居ないと思われますが、近隣となればCチームでの戦闘がかなり手こずっているようなので、現在の所はそこでの戦闘が苦戦しています。余裕があれば応援をお願いします」

 

 

 

 集団での襲撃と言えども、ここは極東ではなく本部である事を否応なしに理解させられた。

 数こそそれなりだったが、個体の強度は明らかに格下の為にタツミ達のFチームは危なげなく戦闘は終了していた。これに関してはある程度の予測が出来た為にタツミもハルオミもそこまで気にしている雰囲気は皆無であり、結果的には2人の教導で終わったとも言える戦いだった。

 しかしながら、それはあくまでもタツミ達のレベルだからこそ成り立つ話であって、ほかの隊員からすれば有り得ない結果でもあった。

 

 

「了解。今からCチームに向かうからナビゲートよろしく」

 

「了解しました。移動をお願いします」

 

 タツミの一言で他のチームへの援護へ回る事を決意した後の行動は迅速以外の何物でも無かった。

 チーム戦で戦う以上、自分達だけが討伐出来た所で他のチームが全滅すればそこを起点にアラガミは押し寄せる。結果としてそれは居住区への侵入を意味し被害が拡大する事になる。

 他のチームは元々が第1部隊を中心とした討伐の為にその意識は希薄し、自分達の任務が終わればそれで完了だと判断している可能性もあった。

 

 タツミの立場は元々が防衛班である以上、甚大な被害は容認できない。ここでは自分の意識で任務をこなす事が出来ても、極東支部では自分達の力だけではどうしようも無い事の方が圧倒的に多かった。

 そんな気持ちを持つ以上、薄情にも静観する気持ちは微塵も無かった。

 

 

「って事でこれからCチームへ合流するけど、人数が増えるだけだからさっきと同じ様に戦えば問題無いから」

 

 今回のタツミが取った戦術は極めて単純な物だった。タツミとハルオミが前衛として戦い、アラガミの注意をひきつけている間にアネットとフェデリコが渾身の一撃で強烈なダメージを与える事になっていた。

 やり方としては極単純な物ではあったが、新人の様子を見ながらバックアップは厳しいと判断し、それならば完全に攻撃に専念させる事で大ダメージを与える方が合理的だと判断した結果でもあった。

 事実このやり方が上手くはまり、想定以上の早さで討伐出来た要因でもあった。

 

 

「何かおかしくないか?」

 

 Cチームが居るはずの現場に到着すると、戦闘中のはずの部隊が何処にも見当たらない。到着直前の情報では現在戦闘中のはずが、現場は何もなかったかの様に静まりかえっていた。

 本来であれば何かしらの音が聞こえるはずが、それすらも感じる事が出来ない。ここには何かがある。今まで培ってきた勘がタツミの警戒心を解くことを許さなかった。

 

 

「確かにな。いくら何でも静か過ぎる」

 

 改めて確認しようとすると、何かに妨害されているのか端末機からはノイズしか聞こえない。この時点で通信が届く事は何も無かった。

 

 

「ジャミングされている可能性が高いな。恐らくは近くにコクーンメイデンが居るはずだから、ハルオミとフェデリコは索敵してくれ」

 

 警戒を解く為には現状確認は必須だが、今の段階では情報が足りな過ぎて正確な判断が出来ないと考え、2人を索敵に回す。その間にも生存者が居ないかを確認する為にタツミ達も周囲の索敵を始めた。

 

 

「どうなってるんだ?今さっきまでは確認出来たはずなんだが」

 

「この近辺には居ない様にも思えます」

 

 アネットが索敵をしている途中で、うめき声が風に乗って聞こえて来た。声の方向へ急ぐと、そこにはCチームのメンバー3人が負傷の為に身体を休めていた。

 

 

「Fチームの大森タツミだ。確か6人編成だったはずだけど、残りはどうしたんだ?」

 

「3人はアラガミにやられた。今はアラガミから逃走して何とかやり過ごしたんだが、物資は全部使い切ってるから移動も厳しい状況だ」

 

「3人って、アラガミは居ないけど、どうしたんだ?」

 

 タツミにはこの原因を作ったアラガミがここに居ない事が重要だと判断し、現状の確認を迫った。しかしながら、ギリギリの戦いの影響なのか助かった事への安堵からか、詳細が今一つハッキリとしない。

 今までの経験からすれば、この現状を作り出したアラガミはどこかに潜んでいることだけが辛うじて判断できた。

 

 

「姿はハッキリと見ていない。いや、見ていないのではなく見えなかったと言った方が正解なのかもしれない。気が付いたら3人がやられていた」

 

「見えなかった……ねぇ」

 

 視認できない以上、どんなアラガミなのか判断できないのは痛恨とも言えた。肝心の種別や状態が分からなければ討伐の任務は対策を立てる事が出来ず、過酷にしかならない。

 負傷した人間に対してこれ以上の確認は不可能と判断し、まずは現場確認だとばかりに、周囲を索敵し始めた。索敵が終わる頃、別れた2人と合流し、情報を共有するがやはり結果的には成果は何も無かった。

 

 

「Cチームの話だと、姿形は分からないそうだ」

 

「なんだそれ?姿が分からないっておかしくないか?」

 

「ハルオミの言いたい事は分かるが、可能性としては地面の中を移動しているんじゃないか?そう言えばジャミングはどうだった?」

 

「予想通りコクーンメイデンと言いたい所だが現地にそんな物は居なかった」

 

 ハルオミのその言葉にタツミは軽く戦慄を覚える。何も分からないまま戦闘ともなれば、いかなタツミとて新人をカバーしながらの戦闘だけは避けたかった。

 そんな話し合いをしていた所を狙われたかの様に突如として轟音と衝撃が鳴り響く。周辺にアラガミの姿は無い。改めて索敵を開始しようとした矢先だった。

 

 

「ここは狙われている。一旦、この場所から散開する。各自周辺を探るんだ」

 

 タツミの一声でその場から一気に散開し、確認しようと周辺を見るとかなりの遠距離にも関わらず、大きな物が動いている様にも見えた。轟音の発生原因でもあったのはテスカトリポカの超遠距離攻撃だった。

 

 

「地面じゃなくて超遠距離攻撃かよ。あれはテスカトリポカだよな。どうするタツミ?」

 

「ここからあそこまではかなりの距離があるから、ここから撤退は厳しいかもな。恐らくCチームに痛手を負わせたのはあれだから、このままやるしかないぞ」

 

「だよな。少しは楽したいんだがな」

 

 本来であればテスカトリポカの攻撃はここまで届く事は無かったはずだが、紛れもなく攻撃している事に間違いはない。この攻撃範囲は明らかにこの地域のアラガミの中では群を抜く能力でもあった。

 現状を本部に伝えるにも未だジャミングの影響で連絡が取れない以上、このまま討伐する他無いと判断していた。

 負傷者と新人と言ったこのメンバーを率いると同時に、限られた中での生存本能を活かした戦いをせざるを得ない状況に追い込まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「FチームがCチームに合流した所で反応が途絶えています。このままだと現地の確認は出来ません」

 

 現場での判断と同時にオペレーターにも衝撃が走った。Cチームの反応が急に消滅したかと思いきや、今度はFチームの反応までもが途絶えた。

 到着した瞬間に途絶えるのであれば全滅の可能性は低く、恐らくはジャミングによる影響だと判断づけられた。この時点でオペレーターが出来る事は帰投の際の手配しか出来ない。状況が把握出来ない現場の判断に委ねる以外には、ここからは何も出来ない。

 この状況を打破しようと色んな手立てを図るが、それでも根本的な解決が出来ず、いたずらに時間だけが流れた。

 

 このままでは現状の把握が出来ないと判断する事で他のチームを改めて送る事も検討されたが、現状は未だ混乱したままの為に改めて送り込む事は困難とされ、今はタツミ達の無事を祈る事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「接触禁忌種は伊達じゃねえって事か。このままだと新人の2人にも被害が出るぞ」

 

「だからと言って俺のショートブレードだと刃が入りにくいから、ハルオミとアネットの攻撃を中心に考えるしかない。アネット、このまま行けるか?」

 

「今の所は何とか。やれるだけの事はやります」

 

「いいか、あいつは破砕系統の攻撃は受け付けやすいから、なるべく前面装甲を狙うんだ。俺は攻撃の手数を増やして意識をこちらに引き付ける。その隙をうまく利用するんだ。ただしジャンプした時は直ぐに逃げるんだ、潰されれば一貫の終わりだからな。あとはフェデリコは刀身よりもインパルスエッジで同じく全面装甲を攻撃するんだ。下手に小細工すればこちらが終わる。ダウンした際には一気に攻め込むんだ」

 

「分かりました」

 

「気を付けます」

 

「よし!全員、攻撃だ」

 

 タツミの号令と共に全員が一斉に攻撃を開始し始めた。テスカトリポカは本来こんな所に出没する様なアラガミではなく、恐らく本部付のゴッドイーターはデータとしては理解していたはずだが、肝心の攻撃の威力に関しては未知数とも言えた為に、引き際が何も分からなかった。

 

 タツミも強気の指示を出しはしたものの、極東でも今までに交戦した記録は僅かに2例。その中で1度だけタツミも防衛班として対峙した経験があっただけだった。

 接触禁忌種と名が付く様に、その攻撃力は今までのアラガミの中では群を抜いている。タツミはアラガミの気を引きながらも動き回り、攻撃を絞らす事無く囮となる動きを見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで漸く終わりか」

 

「今日はもう勘弁してほしいぜ」

 

「まさか、ここまで厳しい戦いになるとは」

 

「でも接触禁忌種なんて初めてです」

 

 

 思い思いの感想と共に、漸く討伐が終わっていた。そもそも接触禁忌種と指定が付くアラガミは伊達ではない。本来であれば極東支部でも討伐は第1部隊がメインでする事が殆どで、名の通り接触は禁じられている存在でもあった。

 

 今回運よく討伐できたのはここが極東ではなく本部付近であるが故に能力は他のアラガミ同様に2割程下回っていたの勝因だった。

 今回の任務に関してはタツミの動きとハルオミの動きは正に別格とも言える働きを見せ、懸念されていたアネットとフェデリコへの攻撃は殆ど無かった。

 

 しかし、その代償としてタツミ自身は無傷とは行かず、結果的には幾つかの火傷と打撲とは言い難いレベルの負傷を負っていた。戦闘中は気が付かなかったが、気が付けば通信が復活し、ここで漸くオペレーターと回線が繋がっていた。

 

 

「タツミさん大丈夫ですか?」

 

「ヒバリちゃん?こっちは終わったよ。どうやら原因はテスカトリポカの攻撃だったよ。ジャミングは分からないけど」

 

「今こちらも確認出来ました。お疲れ様でした。気を付けてお帰りください。お待ちしています」

 

 通信がつながり、いつものヒバリの声が聞こえる。気丈にふるまってはいるものの、声の反応はいつもとは少し違っていたのがタツミには分かった。

 今回の件に関しては緊急性が高いが故の任務でもあり、原因不明のジャミングが影響していた為に起こったとも言える内容だった。気が付けば既に戦場の空気は穏やか物に変わり、戦闘は全て完了した事を理解した。

 

                                                                             



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外伝6話 (第53話)自覚

「これで終了か。やれやれだ」

 

「いや~暫くはこんな任務は御免こうむりたいよ」

 

 激戦区となった戦場に落ち着きが戻り始めた頃、漸く終わったことに安堵したのか気持ちが徐々に切れて来たのか疲労が一気にタツミ達を襲ってきた。

 本部での最終任務が緊急であった事を考えればこの結果に着いては関係者は安堵の表情と同時に新システムの今後の展開に大きな希望で満ち溢れていた。

 

 本来であれば第1部隊が対抗するはずのアラガミであったが、結果的には4人のチームでの討伐と、改めてタツミの戦闘力の高さを見せつける結果も合せて知る事となった。本来であれば今日は休暇のはずだったが、緊急ミッションの関係でこのまま終了となった。

 

 

「そろそろ帰投準備だ。2人も大丈夫か?」

 

「はい。大丈夫です」

 

「私も大丈夫です」

 

 何とか返事はしたものの、緊張が切れたのか想像以上の戦闘に力尽きたのか2人は座り込んで動こうとはしなかった。本来であればいくら緊急事態とは言え、新人が大した研修もせずに接触禁忌種と対峙する事は暴挙以外の何物でも無かった。

 しかしながら偶然チームとなったタツミ達の力で討伐が完了し、その事実も本部では驚きと賞賛の対象ともなった。今までの事を思い出す頃には帰投のヘリが到着し、無事に帰投する事となった。

 

 

「タツミさんお帰りなさい」

 

 笑顔で出迎えてくれたヒバリにタツミは嬉しさを隠しきれなかったが、本部に到着した際に出撃時とは違った雰囲気を感じ取っていた。決して悪意を感じる事は無く、むしろその逆の賞賛を称えるかの様な雰囲気に4人は周囲を見回した。

 

 

「あの~ヒバリちゃん。何だか雰囲気が出る時とは違う様にも感じるんだけど」

 

「皆驚いてるんですよ。あの戦闘はモニターされてましたし、ログも確認出来ましたから、今回の件は恐らくここに居る全員が知ってるからだと思いますよ」

 

「何で驚くの?」

 

「ここだと接触禁忌種とのミッションは殆ど無いですから、今回の状況は実はかなり厳しい戦いになるんじゃないのかってここでは話されてたんですけど、結果的に新人含めて4人って所で驚かれてるんだと思います」

 

「なるほどね。でも今日で研修も終了だから、もうどこにも行く時間は無いね」

 

「こればかりは仕方ないですよ」

 

 既に夕闇が迫ろうとしている。これから何をするにも時間は足りず、これで一日が終わろうとした時だった。

 

 

「ご苦労だったなタツミ。今日はこれで任務完了だ。予定通り本日付で研修を修了とする。この後は懇親会の名目で食事会が開催されるから、早めに準備はしておけ良いな」

 

 ツバキからの連絡で今日の予定はこれで決定となった。時間も既に遅くなっているので今から何をどうする事も出来ず、言われた通りに準備する以外にやるべきことは何も無かった。

 ヒバリとの僅かな時間とは言え、一緒に動く事が出来た事を良しとしこの後の為に自室へと戻る事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タツミの支度が終わり、言われていた場所に行くと今回の緊急ミッションの打ち上げとばかりに今回のスタッフが全員参加していた。本来であればドレスコードもあるが、あくまでも慰労を兼ねた食事会なので、そこまでこだわる事も無く、殆どが制服での参加となった。

 タツミが到着する頃には既に始まっていたのか会場の雰囲気は柔らかい様な空気が流れていた。

 

 

「今来たのか?随分遅かったみたいだけど」

 

 会場を見渡していたタツミに声をかけたのは、今まで一緒に戦ってきたハルオミだった。一緒に別れたはずが、何をどうしたのか先に会場入りしていた事に疑問はあったが、それ以上の追及はある意味無駄だとばかりに近くにあった飲み物を手にした。

 

 

「ちょっと手間取っただけだよ。しかし、この規模は流石に凄いな。極東でも偶にするけどここまでの規模は無いぞ」

 

「まあ、色んな支部から来てるのもあるだろうし、名目上は技術交流だから元々これも予定に組み込まれてたんじゃないか?でないと、ここまでの規模の内容は簡単に用意は出来ないと思うが」

 

 共にここまで大事になっているとは予想もしていないものの、テーブルの上に出ている料理を食べるとハルオミの言ってた事に信憑性がある様な気がしていた。

 

 今回の内容は本来であれば想定外の出来事とも言えるが、結果だけ見れば成功だったのだろう。しかしながら今回の戦いで犠牲者が全く出ていない訳ではない。

 公表されていないものの、今回の戦闘で殉職者も出ているし、タツミ自身もそれなりに負傷している。

 細かい部分まで見ればネガティブな事も少なくないが、恐らく今回の内容に関してはある程度の加工をされた情報が各地に発表される事になる事も今までの本部のやり取りの中で想像は出来た。

 しかしながら、そんなことまで一ゴッドイーターが気にしても仕方ない。そう気持ちを切り替えタツミはしばらくの間、この環境に馴染ませる様に静かに食事をしていた。

 

 

「タツミさん。今日はありがとうございました。今回の戦いを今後に役立てたいと思います」

 

「アネットか。あれは結果が良かったからであって、俺の本来の仕事じゃないよ。それに俺は極東では第2部隊、防衛がメインであって討伐部隊は別にいるからな」

 

「でも、今回の内容はこのチームの中での一番の戦力だと判断しました。本当の事を言えば今回の配属はかなり嬉しかったんです。私は新兵とは言え新型だからって目で見られていたので、今回の戦闘は今後の参考にしたいと思います。旧型とか新型とか私は気にしてません」

 

「極東は殆どが旧型だからそこまで気にはならないよ。確かに第1部隊には2人の新型神機使いがいるけど、皆そんな気持ちで戦っていない。こんな職業だから今日、明日を生き抜くことが最優先で、その結果としてアラガミを討伐しているからスコアが高いんだよ。それにアネットが思うほど俺は強くないよ。誰もが護りたい物があるからこそ頑張れる。それだけだよ」

 

 アネットに対する内容は間違いなくタツミの本音でもあった。タツミ自身が神機との適合が当初から高い水準ではなく、努力の結果として今の地位にある。

 本当の事を言えば極東全体を守りたいと考える程の実力は備わっていないと自分では判断している。戦場ではいかなる希望があったとしても、そこへたどりつくまでの様々な状況を把握し、判断しての結果とも言えた。

 

 

「何だか、自分語りみたいでごめん。とにかく、生きて帰れば何かしら良い事があるはずだよ。今日でお別れだけど、自分達のやるべき事はどこの支部でも変わらないから。戦場で培う技術はそんな積み重ねだよ」

 

 決して自慢するつもりもなく、今そこにある事象をそのまま受け入れる事は言うのは簡単だが、感情が入ればそれは途端に難しくなる。自戒の意味を含みアネットと話を続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会場入りしてからは各支部関係なく色々と話をする機会が多くなった事に、ヒバリも今回の出張に関しては若干ながらも楽しさと、新システムへの期待も胸に抱いた。根底にあるのは、オペレーターの技術で帰還率が高くなるのであれば、今以上何かが出来るかもしれないとの考えに至った。

 今回の出来に関してはまだまだの部分は仕方ないとは思いつつも、極東に帰った時のリッカへの土産話になるだろうと思いながら、各々と楽しんでいた。

 

 そんな中で不意に考える事が一つだけあった。今回の戦いの中でいかに極東支部の戦力が他の支部に比べて高いのかをハッキリと自覚したのと同時に、その評価の元となったタツミへの関心が異常な位に高い事もヒバリの中では考えさせられる物だった。

 事実、今日で最後となるからなのか、それとも今後の事も踏まえてなのか。遠目で見ているとタツミは静かにしたいと思っているにも関わらず、色んな所から話かけれられていた。

 アネットに関しては同じチームだった事もあり、それなりに分からないでもないが、何故か他の支部のオペレーターや女性の神機使いまでもがタツミと話ている事に、ヒバリは戸惑いと自分では無い様な嫌な気持ちが黒い靄となって出ている事を自覚していた。

 きっかけはここに来てからのタツミの評価だった。

 極東では当たり前すぎたのか何も感じる事もなく、ただそれが普通だと感じ、任務の終わりには毎回の如く食事に誘われてるが、ここに来てからはそんな事は一切なく、任務の終わりには戦闘時のシステムの調整等で中々話す機会も急激に少なくなっていた。

 

 本来であれば今日の休暇でも何時もの様に楽しく過ごせるはずだったが、緊急呼集で呼び出され戦場に向かうタツミの姿を見て、ほんの少しだけ不満な部分もあった。今となってはその感情が何なのか、恐らくヒバリ自身気が付いている。

 この場にリッカが居れば間違いなくツッコミが入る事も間違いなく想像できた。

 だからこそ自覚出来ていた。

 

 

「そっか。私、タツミさんにもう囚われていたんだ」

 

 その場に誰も居なかったせいか、ヒバリの呟きを聞く者は居なかった。

 そのまま時間だけが経過し、ここで漸く長きに渡った長期出張とも言える研修が終了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあなハルオミ。また何処かで会えると良いな」

 

「タツミこそ簡単にくたばるなよ」

 

 本部に来てからは何かとハルオミと共に行動する機会が多く、色んな部分での旧交を温める事になった。

 研修が終わり各々が所属の支部へと帰る頃だった。タツミは不意にハルオミから話しかけられた。

 

 

「なあ、一緒に来たヒバリちゃんだけど大切にしなよ。お前を見ている目が何となく最初よりも違った気がしたから」

 

「何でお前がヒバリちゃんって呼んでるんだよ。大切なんて今更だぞ」

 

「まあ、俺からの忠告だと思ってよく見なよ。じゃあ、またいずれ何処かで」

 

「そうだな」

 

 そんな話と共に2人は別れ、タツミ達も極東支部へと帰路を急いだ。

 本部での研修は終わっても全てが終わった訳ではない。元の環境に戻り更なる活躍と、帰り際のハルオミの一言を思い出しながらタツミは極東支部へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これで長期出張編は完結です。
次回からは違うエピソードとなりますので、よろしくお願いします。


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外伝7話 (第54話)取材

「じゃ、悪いけどこれから宜しく頼むよ。始まるのは来週から約1か月程の予定だからね」

 

 

 タツミ達が本部へ長期出張に出かけた頃、極東支部では榊支部長代理より、今まで想定した居なかった依頼が舞い込んで来た。

 アナグラの内部では、またかの気持ちはあったが、残念ながらその声を発する者は誰も居ない。恐らく止める事が出来たであろう人間は残念な事に現在本部へ出張中でもあった。

 

 

「博士、突然そんなことを言われても一体何をすれば良いんですか?」

 

「今回は密着取材だから飾らない素の状態を知ってもらった方が手っ取り早いと思うんだ。だから無理に意識する必要は全く無いよ」

 

「博士、これって一体何が目的なんですか?」

 

「良い質問だねアリサ君。今回の目的は終末捕喰で混乱した世界に対してフェンリルではこんな活動しているってイメージ戦略なんだよ。そこは分かってくれるね?」

 

「あの~博士、イメージ戦略は分かったんですけど、何で極東なんですか?」

 

 コウタが疑問に思うのは尤もだった。榊の言葉をそのまま受け止めるのであれば、この内容は既に決まった事でもあると同時に、拒否権は無いに等しかった。

 

 

「実は他の支部でも打診はしてたんだけど、どこの支部でも二の足を踏んでいてね。で、仕方なく今回の件は極東支部として仕事を受ける事にしたんだよ」

 

「そんなどうでもいい事に付き合わされる身にもなれ。これは誰が得する話なんだ?」

 

「本当の所は、問題を起こした極東支部が全部の責任を取れって話が上から出てるんだが、流石に君の父親がとは言わないものの、それを盾にされるとこちらも断りにくいんだよ。そんな事で参加してくれるね?」

 

「チッ!勝手にしろ。俺は知らん」

 

 今回の発端となった終末捕喰事件は一旦は沈黙化したものの、その影響は目に見えない部分にも大きく波及していた。

 一番問題は全世界に対して一瞬とは言え、終末捕喰が実行されそれを間近で見た結果、人々の心の中に大きな傷を作ってしまった事。あと世間では大きく認知されていないがそれを逆手に取った新興宗教が世界を蝕むかの様にゆっくりと浸透している事が発端だった。

 

 第1部隊にはそれをメインに説明した物の、本当は今回の件でゴッドイーターのイメージアップと、それに伴う人材募集も兼ねていた。

 ゴッドイーターになるには、神機との相性が絶対条件となる。外部にはパッチテスト程度とのアナウンスが成されているが、実際には失敗すればそのまま死に繋がる以上本当の事も言えず、全体を見て絶対数を増やす事が今のアナグラでの最優先事項となっていた。

 

 ゴッドイーターにとっては神機を扱うのは最低限の事でもあるが、神機が使える=戦場で必ず戦える訳ではない。

 人間が神機を選ぶならまだしも、現状は神機が人間を選んでいる関係上、希望者はいても合致しなければ何も出来ない。人的資源が枯渇する様な事態となれば暗い未来しか見えない。

 そうならない様に、事前にイメージアップを図ろうと上層部は画策していた。

 

 

「これってさ、よく考えると全世界に発信されるって事なのか?」

 

「どうだろう?さっきの榊博士の言い方だと極東支部に依頼したって事だから多分そうなるんじゃないかな」

 

「だとすれば、あまり変な所を見せない方が良いのかもしれませんね。ただでさえコウタみたいなのがゴッドイーターって分かるとイメージが悪くなる可能性もありますからね」

 

「それどんな意味だよ。アリサこそ変な所見せて悪くなるんじゃないのか」

 

「私はそんなことしません」

 

「お前ら少し黙れ。そしていい加減にしろ」

 

「ソーマもそこまで怒らなくても」

 

 今回の件で一番拒絶反応を示していたのは他の誰でもなくソーマだった。

 ゴッドイーターの基礎とも言える存在であるのと同時に、その経緯まで知られるのは決して気持ちの良い物では無い。

 ましてや、今回はそんな経緯は一切関係なくの密着取材となれば、色々と警戒するのはある意味当然とも言えた。しかしながら、今回の話は第1部隊だけではない。極東支部にと榊は言っていた。

 必ずしも第1部隊だけが目的では無いなどと言った考えは誰にも無かった。

 

 1週間後とは言われた物の、現状では何をどうすれば良いのか全くと言っていいほど分からない状況の中で時間だけが悪戯に過ぎ去って行った。毎日が何らかの討伐やそれ以外の用件で忙殺され、記憶の奥底へと追いやられようかと思った頃、嵐は唐突にやってきた。

 

 

「今日から密着取材を1ヶ月間させて頂く事になりましたので宜しくお願いします」

 

 この瞬間、誰もが記憶の奥底から取材がある事を思い出した。

 今から何かをするには時間は既に無い。面の前に居るので今更誤魔化す事も出来ず、まずは今後の予定を確認する事となっていた。

 

 いくら広報が本部の案件であったとしても、おいそれと全部を公表する事は出来ない。本来であれば本部からのと言えば大よそはクリア出来る内容だったとしても、各支部にも機密がある以上、見られては困る事はここ極東支部には掃いて捨てる程あった。

 ましてや今回の内容は一般の目から極限状態の現状を緩和する事が目的となっている以上、面倒な事にも巻き込まれたく無いとの考えが大半を占めていた。

 

 

「取材ですが、どの支部でも機密やテロの可能性を考慮して、個別の内容には踏み込みませんが、日常に関しては色々と取材させていただく事になります。何か質問等があればお答えしますので宜しくお願いします」

 

 ここまで言われると、それ以上の質問が出る事は殆ど無かった。本来であればあ一番の懸念事項でもあった、秘匿すべき事は取材しないの文言が全部を物語った。

 

 

「これって、最終的にはどんな媒体に流れるんですか?参考までに聞きたいんですが?」

 

「え~っと。君は?」

 

「失礼しました。第1部隊所属の如月エイジです。現状は部隊長を務めていますので、今後の事も踏まえた上で確認したいと思います」

 

「今回の内容ですが、紙媒体及び、ノルンであれば動画としての配信を予定していますが、場合によっては変更される可能性もありますのでご了承ください。なお、1か月間の取材後に編集し、配信されるのは約1ヶ月後を予定していますのでよろしくお願いします」

 

 この時点で、配信は他の支部及び一般に向けての配信である事が確定した。極東支部の内部だけならば笑い話で終わっても他の支部や一般に対してとなれば話は大きく変わる。

 機密事項が多すぎるここでは、気苦労は何かと多くなるのが予想された。だからと言って、特別何かをしようとも考えていないのもまた事実だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒバリお帰り。本部はどうだった?」

 

「意外と楽しかったですよ。でも休みが全然無かったから、どこかへ行く事も出来なかったけど、お土産だけは買ってきましたよ」

 

 

 長期の出張が終わり久しぶりにロビーへと戻ると、そこはいつものアナグラの光景が戻っていた。2週間の空白が意外と長い事を実感し、これからはここがヒバリの主戦場である事を改めて認識させられる事となった。

 今までこの光景をずっと見ていたヒバリには何となくだが、空気感がいつもと違う事を肌で実感していた。

 

 

「行く前と空気が何となく違う様にも思えるんですけど、何かありました?」

 

「今日から1ヶ月の密着取材だって。本部の広報がここに来ているから多分、いつもとは感覚が違うのかも」

 

「随分と長期ですかね……」

 

 長期取材はここに来て初めて知った事でもあったが、持ち前の冷静さで何とか顔に出さずに抑える事に成功したものの、詳細については何も聞かされていないのが実情でもあった。

 リッカからの話では、日常をメインとした普段を広く知ってもらう事が目的らしく、あえて何時もを演じる事が無い様に釘を刺されていた。

 本来であればここで気が付くはずなのが、ヒバリは何も言わず、日常を撮る事で初めて色んな可能性を持っている事を思い出す。

 いつもであれば日常的なのが、任務終了後のタツミとのやり取り。ここアナグラではあまりにも当たり前過ぎて気にもしていないが、現在は絶賛撮影中の為にいつものやり取りはマズイと判断し、その対策を取る事にした。

 

 

「ねえヒバリ、タツミさんのあれは流石に拙くないかな?」

 

「あれの事ですか?あれなら大丈夫ですよ」

 

「それってどう言う意味?」

 

「それは秘密です」

 

 その一言で本部の出張できっと何かがあった事はリッカには予想できた。

 本来であればアリサ達と画策した結果ではあったが、ヒバリの表情を見ていると決して悪い意味での出来事は無かったと判断できた。しかし、今はそのタイミングがかなり悪く、毎回の様にあのやりとりを取材させるのは決して絵面の良い物では無かった。

 

 

「本部で何があったのかそのうち教えてよ」

 

 恐らくどんなに話をしていても、ヒバリは本部でのやり取りをリッカに言うつもりは恐らくは無いと判断し、それ以上この話題を持ち出す事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はありがとうございました。明日からもよろしくお願いします」

 

 こうして初日は大きな出来事も無く一日が終了する事となった。

 

 

 

 



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外伝8話 (第55話)密談

 当初は何か拙い事が起きるとなどと予想していたものの、2週間を過ぎる頃にはこの生活にも慣れ始め、今では平時と何ら変わりなく過ごす事が出来ていた。

 取材陣としては日常を撮るとは言った物の、討伐そのものはどこにでもある様な小型種が殆どで、その映像は撮れた物の、それ以外の内容が極めてどこにでもある平凡な内容でしかなかった。

 元々何か特別な事を期待しながら撮影や取材をしている訳ではないので、これはある意味当然とは言えるが、やはり広報としてはこれほど面白くない取材とも言えた。

 しかしながらここは極東支部。必ず何かが起こるのも最早定番と化していた。

 

 

「おおっ。見た事ない人がいるぞ。だれだ?」

 

 何気に事件は起きないかと物騒な事を思いながら取材をしていたスタッフに今まで見た事も無い人が声をかけていた。見た目は12~15歳位の少女だが、全身が真っ白とも言える存在。

 見た目は完全に美少女とも言えるが、何故か口調はその見た目にはそぐわず、かなりフレンドリーとも言えた。

 

 

「本部から来た広報部の者です。あなたは?」

 

「シオだよ。今日は博士に用事があって来たぞ。どうかしたのか?」

 

 

 アナグラのロビーは一般人も割と気軽に入る事が出来る事もあり、常時人が途切れる事は殆どない。しかしながら、このシオがまさかこのタイミングで来るのはあまりにも想定外すぎた。

 現在は極東支部の中でも最大の秘匿事項でもあるのがシオの存在。偶にアナグラには来るが、それはあくまでも定期検診の為であってそれ以外の要件でアナグラに来る事は殆ど無い。

 

 本来であれば、元アラガミ、特異点とも言える存在ではあったが、救出の際に特異点としての能力はすべて奪われ、現在は人間と何ら変わらない生活を送る事が出来ていた。

 もちろん、極東支部の全員が知っている訳ではなく、ごく一部の人間のみがこの事実を知っているに過ぎなかった。

 

「ソーマさん。すみませんがシオちゃんに取材の方が何か話しかけています。至急ロビー迄お願いします」

 

《分かった。直ぐにそっちに向かう》

 

 シオにすれば見知らぬ人間が居るので何気に話しかけているが、その状況を見て一番焦ったのはヒバリだった。当初シオの事は遠まわしに紹介されたが、常時ロビーに居る関係上、内容を把握しないで内部を案内するのは問題が発生するとの見解から事実を伝えられていた。

 

 

「シオちゃんね。今はここの人達の取材をしてるんだ」

 

「取材って美味しいものなのか?何だか凄いな」

 

「取材は美味しくはないけど、ここの人達の事を世界に教える為に来てるんだ」

 

「そっか。じゃあ、シオもなに………」

 

 これ以上何かを口走らせると何が飛び出るか考えたくもない状況を考えヒバリは現在アナグラに居るはずのソーマに慌てて連絡を取った。何かしている様でもあったが、シオの一言で通信は直ぐに切れ、慌てて走ってくるソーマがそのままシオを抱えてエレベータへと消え去った。

 突如として現れ、シオをそのまま攫って行くソーマをアナグラでは暖かい目で見守り、まるで何も無かったかの様な空気に包まれていた。

 

 

「……あの先ほどの方は?」

 

「彼女の大事な方です」

 

「そうですか……」

 

 何気に話していたシオに対して、取材陣は呆気には取られていた物の、気を取り直して今の少女は何ものなのか誰に確認すれば良いのかを思案しだした。広報の仕事はあくまでも親近感を持ってもらう為に取材をいているが、それとは別で新人募集の案件も同時に受けていた。

 

 当初は何か適当にポスターでも作る事を考えていた物の、シオを見たスタッフが何かを思いついたかの様な表情で今後の事も踏まえて交渉する事になった。

 あくまでも今回の事案は人材募集の為にちょっとしたCM撮りを要望するも、本来であれば極東支部の極秘中の極秘とまで言わしめる存在でもあるシオを、何も考えずに世間に公表する事は色んな意味で危険な事に変わりない。気軽に話したはずの担当者が想定外とも言える様な表情で苦悶する榊博士とツバキの表情を見ていた。

 

「あの、何か問題でも?」

 

 恐らくはこのアナグラの中でもこんな表情の2人を見る機会は恐らく今後有り得ないとも言える程でもあった。

 

 

「僕の一存では決めかねる案件だね。少し相談したい事があるから、返事は明日で構わないかい?」

 

「こちらとしては時間の制約がありますが、早い返事であれば異存はありません」

 

「なら、明日にでも改めて返事をしよう。何だかすまないね」

 

「いえ、こちらも無理を承知で言ってますので、その件につきましては理解しています」

 

 何気ないやり取りではあったが、ひょっとしたら今回の気軽な提案は何か途轍もない提案だったのだろうかとまで思わせる程に支部長室の空気は重かった。

 当然そこには色んな思惑が隠されているだろう事は予想出来るも、外部の人間である以上ここから先に詮索は出来ない。とにかく今は時間が解決するであろう事を考え、このまま取材は終了する事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ま、そんな経緯で今に至るんだが実際にはどうなんだい?」

 

「厳密に言えば、シオの本来の姿を知っているのは我々だけで、他の人間は何も知らない筈です。以前に確認した際には本部の人間にすらその存在は伝えていなかった事は確認できていますので最悪の事態は避ける事は可能でしょう。あとは本人の口から何も言わなければが大前提ですが」

 

「ちょっと待て、何でそこまで知ってるんだ?」

 

「諜報活動の一環だ。ツバキさんが気にする必要は無い」

 

 当時のやりとりに関しては恐らくは亡くなったヨハネス前支部長が極秘でやり取りをしているはずの情報を何故か無明が知っていた事に驚きを隠せなかった。

 本来の任務と言われればそれ以上の事は何も言えず、今は今後どうするかの対応策を考える事しか出来なかった。

 今の情報を前提に考えれば、このままシオを公表してもその正体まで色々と探る事は事実上不可能とも思われている。

 

 そもそも極東支部外秘が簡単に漏れる事は有り得ない。そう考え今後の事を検討する事に決めていた。

 

 

「とりあえずは首に鈴をつける訳ではないが、誰かお目付け役は必要だろう。それが無いのであれば今回の話は受ける事は出来ないのは確かだ」

 

「となると、メンバーは決まってくるね」

 

「仕方ない。あいつらを全員呼ぶしかなさそうだな」

 

 これ以上の対策を考えるのは机上の空論とばかりに、今後の可能性とその対応を考えれば人選はほぼ決まっていた。しかしながら、他の事をしていたとしても襲ってくるアラガミには何の関係も無く、今後はその任務に応じた対策を取るしかない。

 まずは誰にするのかを考えつつも呼ばれた人間が来るのを待つより他無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄様、用件はなんですか?」

 

「実は今回の取材と同時進行で人材募集のCM撮りが今回の中に組み込まれている。色んな方向から検討していた際に、先方からシオの打診があった。

 しかしながらシオの存在はおいそれと公表する訳には行かないが、他に情報が漏れる可能性は無いと判断した為に出演してもらう事にした」

 

「それって、いくらなんでも難しくないですか?」

 

「アリサ君、良い質問だね。本題はそこなんだよ。シオの存在を公表するのは構わないが、本来の姿を披露する訳には行かないんだよ。だから今回はお目付け役として君たちの誰かにシオのマネージャーとして同行してほしいんだ」

 

 そこまで言われて全員が理解した。

 シオの性格から考えると本人に悪気は無くても、うっかりと何か問題発言があった場合にフォローを入れる必要があった。

 極東支部内ならまだしも、相手は本部の広報部である以上、何かが起きれば即情報が上に行く。かと言って、頑なに拒否をしようものならそれ相応の突っ込んだ生臭い話になり兼ねない。

 火のない所に煙は立たぬ様にするには今回の件を了承し、何事も大事にならない様にやる以外の何物でも無かった。

 

 今回の人選に関しては当時からの状況をよく知っていて、かついざとなった場合にはフォローが出来る事が前提となっている。

 本来であればここにリッカとナオヤもいるはずだが、今はそれ所ではなく結果的に第1部隊の面々に委ねる事となった。

 

 

「マネージャーなら、もう決まりでいいんじゃない?」

 

「ですね。態々今から考えるなんて不必要でしょうし」

 

「適正はともかく、これは仕方ないかな。まあ、頑張ってソーマ」

 

「お前ら、何で俺になるんだ。フォローなんて俺には出来ん。サクヤかアリサなら同性だからやれるだろうが?」

 

「今更何を言ってるんですか。私たちの中で一番良く知っているのはソーマですよ。同性だからって私やサクヤさんでは務まりませんよ」

 

 呆れたような声でアリサから言われ、、簡単に頷ける道理は何処にも無かった。

 言われなくてもシオに一番近いのは自分だと言う事はソーマ自身が誰よりも分かっている。今回の密着取材も本来であれば断りたかった本当の部分は、万が一自分の過去の事が表に出て来た時に何が起こるのか自分でも理解の範疇を超えている事でもあった。

 以前の自分であれば中傷されても自分が何も言わなければそれで済んだが、今の状況では確実に極東支部や同じメンバーにまで被害が及ぶ事に恐怖感を持っている事も自覚しているが故の答えでもあった。

 

 それはソーマがシオとの今までのやり取りの中で少しづつ生まれた感情でもあった。そんなささやかながらでも悪くない雰囲気を壊したいとは微塵にも思っていない。

 そんな葛藤が自身の中にあった。

 

 

「ソーマ、お前の考えている事は理解できるが今回のそれは杞憂にしか過ぎない。あくまでもシオがメインとなるが、万が一の事だけ考えての人選だ。それ以上気にする必要性はないぞ。お前との付き合いはまだ小さかった頃からだ。そんな事は今更だ」

 

 考えている事が読まれたのかとツバキを見るが、その眼は優しさに溢れそれ以上の事は気にする必要は無いとまで言われている様でもあった。

 そこまで言われれば、それ以上の事は何も言えず、先が思いやられるのは間違い無い事だけが予想されていた。

 

 

「まあ、難しい事考えた所で仕方ないから出来る限りやればそれで済む話だろ。なんだ怖気づいたのか?」

 

「馬鹿か。そんな事なんて考えてない。皆がそう言うから引き受けるだけだ」

 

 リンドウからのフォローとも言えない様な発言はあった物の、その言葉にはツバキ同様優しさが含まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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外伝9話 (第56話)反響

「今日はありがとうございました。お蔭で納得の出来る物が出来上がりましたので。公表の際にはご連絡させていただきますので」

 

 

 色んな事を想定しながらも、広報部の満足の行く結果が得られ、懸念した事は何も起る事は無かった。

 万が一の事も考えていた物の想定していたトラブルは無く、また大掛かりな出動要請が無かった為に、結果的には第1部隊だけではなく、リッカやナオヤも撮影現場の見学をする事となった。

 シオの動きは広報部の人間の目に狂いが無い事を証明し、見る物には感動を与える事は無かったが、ほのぼのとした雰囲気と見る物の雰囲気を良くする様な未来に期待が持てる様な出来となった。

 本来であればシオだけで終わるはずだったが、元々想定していなかった他のメンバーまでもが参加する事となり、極東支部だけではなくフェンリルのイメージアップに大きく貢献する事となった。

 

 

「まさか、あそこでソーマまで使われるとは思わなかったけどな」

 

「中々似合ってましたよソーマ」

 

「いちいち、そんな事言うんじゃねえ。誰が好き好んでやってるとでも言うんだ」

 

「傍から見てもお似合いだと思ったけどね」

 

 そもそもシオを利用してイメージアップを図る所までは良かったが、この状態では若干寂しいと感じると、そこに居たソーマに依頼がかかった。

 普段はフードをかぶっている為にその表情は表れにくいが、フードを外せば誰もが一度は見る程の好青年にしか映らない。その2人を使う事で和やかな雰囲気を作り出した広報部の手腕も大したものだった。

 

 

「いえ、こちらが想定した以上の作品が出来上がりましたので、こちらとしても反響が今から楽しみです。所で今回の件なんですが、氏名や支部は公表しても構わないでしょうか?」

 

 ここで誰もが予想していなかった発言が飛び出した。事前の予想ではシオが何かを口走る恐れはあったのかもしれないが、まさか広報の人間がそんな事を言うとは思っておらず、この質問事項に答えるには時間を要する事になった。

 

 

「ソーマは構いませんが、シオは申し訳ありませんが公表は差し控えさせて頂きます」

 

 返答に困った所で同行していた無明から救いの手が出て来た。

 シオはまさに懸念される極東支部外秘である以上、ここまでの露出でさえも本来は認める事は出来ない。しかしながら、本来の内容を公表する事無く姿だけの条件での撮影だった為にそれ以上の事は何も出来なかった。

 

 

「これは紫藤博士。この子に何か問題でも?」

 

「実は、この子は外部居住区出身ではなく、その対象からも漏れている所を保護したので、万が一この事実が外部に出ると流石にイメージアップどころかダウン以外の何物でも無くなります。

 仮に強硬したとしても、今度は都合のいい時だけ利用するのではとの誤解を招く以上、あまり素性に関しては公表出来る物では無いのではと。あとはアルビノなので悪目立ちするのも本人の事を考えれば決して良いとは思えないですよ」

 

 全てが嘘で塗り固められると、色んな所で綻びが生じるが、外部居住区以外での保護とアルビノは事実である以上、正確な情報の裏を取る事は出来ず、またフェンリル上層部にも名前が知れ渡っている人間の言質を疑う事も出来ないと判断されたのか、それ以上の追及をする事は憚られた。

 

 本音を言えばこれを機に一般人に広く認知してもらう事だけではなく懐の広い部分を見せたいとの思惑があった為に、下手に事を大きくすれば今まで撮って来た物が全てお蔵入りする事だけは避けるしかなかった。

 

 

「今後の事もありますので、その都度その件については互いの状況を摺り寄せる形と言うのはどうでしょうか?」

 

 この一言がこれ以上の追及をするなと言わんばかりの回答でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 予期せぬ出来事ではあった物の、実際に放送されるや否や、広報部の想像通りの状況となった。

 シオのインパクトは予想以上に大きく、本来であらば秘匿のはずがどこから嗅ぎ付けたのか極東支部に問い合わせが殺到していた。しかし全ての情報が非公開であるのと同時に紫藤の名前の影響もあり、ほどなく沈静化する事となった。

 

 外部に関しては確かにそれで終了だったが、肝心の極東支部内では公然の秘密とばかりに誰もが知っている物の、詳細については何も知らない状況が続いていた。

 唯一知っているのはソーマが関与している事だったが、元々のソーマに対するイメージのせいか、古参の人間は直接話をする者は少なかった。

 しかしながら、新しく入隊した人間は過去の事について知っている訳ではなく、単純にソーマを見て憧れと同時に入隊希望者が増えた事だけは榊とツバキにとっては嬉しい誤算でもあったのと同時に、ソーマ自身の過去についてまで色々と聞き出す訳ではなかったので、今後の事を考えれば悪くない結果だっと喜びを隠せなかった。

 

 

「ひどい目にあったぞ。もう二度とこんな事は御免だ」

 

「何言ってんだよ。あのCMで新人が増えたって博士から聞いたぞ。モテモテなんて羨ましいじゃん」

 

「だったらお前が出れば良かったじゃねえか」

 

「いや、俺も少しは出たよ。ノゾミにもお兄ちゃんが出てるって言われたんだぞ。だけど、この差は一体何なんだよ。何がどう違うんだよ」

 

「そんな事俺が知る訳ねえだろ。見えない何かが出てたんじゃねえのか」

 

「くそ!これだから無駄にイケメンなやつは嫌なんだ。爆発しちまえ」

 

「コウタもそんな事言わないの。でも良かったじゃない。皆とは言わないけどソーマに悪いイメージ持つ人が少なくなってきたんだから」

 

「そりゃそうだけど」

 

 コウタが愚痴ともつかない事を言うのには訳があった。広報部の密着取材が完了し、半分忘れた頃に放送と同時に各媒体にも色々と流れたが、やはり一番の注目はシオと一緒に映っていたソーマだった。

 

 放送ではアラガミの討伐の際には荒々しくも力強い戦いを見せるのと同時に、普段は寡黙にトレーニングをしたり書類の整理をしているのと同時に、募集ポスターのディレクターズカットと称してシオとのやり取りまでもが合わせて放映されていた。

 戦いと普段のギャップが激しく、アラガミには鬼神の如き戦いを、普段は癒しを求める様に穏やかな生活を送っている。そんな二面性が良い意味での効果を生んでいた。

 ソーマ達だけではなく、第1部隊としても対アラガミの剣となるような戦いをしている様に上手くアングルやカットで調整される事で、小型種とは言え、迫力のある映像となっていた。

 その影響がシオ同様に凄まじく、支部と氏名は公表されていた関係で、色んな所からソーマへのファンレターが大量に届いていた。

 

 そんなコウタをサクヤがなだめていたが、元々個性派揃いの第1部隊は各自にも自覚していない部類での影響も少なくなかった。

 

 

「コウタにも色々ファンレターとか来てたんじゃないの?」

 

「全く無い訳ではないけどさ。やっぱりソーマと比べたら数が違いすぎるんだよ。それに何気にエイジだって結構来てたんだろ?」

 

「中身は全部見たけど、全部がそんな内容じゃないよ。中にはあのレシピは何ですか?とか、何時頃、市販化されるんですか?みたいな内容も多かったよ」

 

「ソーマとエイジは女子からが圧倒的に多かったけど、こっちはお子様だぞ。この違いって何なんだよ」

 

「ほら、コウタはお兄ちゃん属性が高いから」

 

「そんな属性はいらないから、もっと女子から来てほしかった」

 

 コウタの発言を聞いて、アリサは改めてエイジを見た。確かに自分にもサクヤにも色々と来てたのは知っていたが、まさか全部に目を通していたとは思っても無かった。

 

 当初は見ていたが、中にはストーカーめいたものもあり、全部の処理はしきれないとばかりに一度中身についての検閲をしてから本人の手に渡った為に、アリサの手元に届く物は少なかった。

 事実、放映の中には普段の一面でエイジがアナグラの取材の際に食事風景を撮られた事もあり、そのついでに食べた者もあった。本人曰く適当に作ったらしいが、見た目は家庭料理の枠を超えていたのと、素で食べた人間が絶賛していた事を思い出していた。

 そんな背景がレシピと言う名のファンレターとなって届いていた。

 

 今までゴッドイーターの第1部隊隊長と言えば、全員が戦闘力が高く良く言えばワイルド、悪く言えば荒々しい人間が就いていたが、エイジは見た目にも内容にもそんな気配は微塵も感じさせず、むしろ女子力の高さのイメージがあった。

 上層部から見れば今回の放送に関しては誰も異議を唱える事も無く、結果的にイメージアップに大きく貢献した結果に満足していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさに結果オーライだね。第1部隊には申し訳ないが、シオの事も思ったよりは注目されなかったのが良かったんじゃないかい?」

 

「あまり注目されるのも、本来は困るんだが今回は仕方ないだろう」

 

「人材も使えるかどうかは今後の訓練次第だが、多いに越したことはない。暫くはこれが続くだろうが、徐々に沈静化するだろう」

 

「とにかく、責任は果たした以上本部には今後何か言わせるつもりは無いが、あとは現場次第だろう。これ以上の秘匿事項は増えない方が良いのかもしれんな」

 

「しかし、無明は良かったのか?紫藤の名前である程度抑えたが」

 

「本部としてこれ以上刺激する可能性は皆無だ。向うも藪を無理やり突いて蛇以上の物が出ると困ると判断するだろう」

 

 これ以上の事を突っ込めば、本部としても修復不可能とも言える様な何か掴んでいた無明をツバキは恐ろしくも、違う意味で頼もしいと感じていた。

 本部での研修の裏で行われていた会議は正に魑魅魍魎の集まりとも言え、現場側とツバキとしては厳しい意見が向けられていた事を思い出した。しかしながら無明が全てをはねのけ、突っぱねる材料を上手く活かし他の支部の意見を全部封殺していたのは全て諜報の末に手に入れた情報だった。

 これ以上の支部長代理は厳しいと感じながらも、今後の対応に終わる事だけは予測できていた。

 

 

 

 

 波瀾万丈な結末を迎えた極東支部はここに漸く密着取材の終焉を迎える事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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外伝10話 (第57話)女子会

「あ、あの、え、エイジさん。良かったら私の初めての……貰ってください」

 

 

 日常を過ごしていた筈の第1部隊のメンバーに衝撃が走った。コウタは飲んでいたジュースを吹き出し、ソーマは読んでいた書類が手から零れ落ち、アリサは一体何の事なのかエイジに鋭い視線を投げつけていた。

 

 

「あ、あの~カノンさん。初めての……何でしょう?」

 

 戦略級の爆弾が落ちたかの様に、カノンの発言にロビー一帯は静まりかえっていた。

 言われたエイジに対して第1部隊の人間だけではなく、その場に居た全ての人間の視線が容赦なくエイジを視線で刺し殺すかの様に突き刺さる。

 もちろん、エイジには一体何の事なのかも理解出来ず、カノンから言われた瞬間は呆然としていたが、そこは歴戦の猛者とも言える反応でいち早く立ち直る事に成功した。

 

 

「おいエイジ。何時の間にカノンに手を出したんだ」

 

「あらあら~。いつの間に?随分と積極的ね」

 

「誤解ですよリンドウさん。サクヤさんもですが、僕も一体何を指してるのか分からないんで、コメントのしようも無いんですが」

 

 そんな事を言いながらも、問題の発言をしたカノンを見ると、そこには布が被されたバスケットがあった。カノンの発言によって辺り一面にブリザードが吹き荒れた様な空気が漂っていたが、カノンの手に持っている物を見て、漸く事態が沈静化される事になった。

 そもそもの発端は密着取材があった頃のちょっとした一幕だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジ~腹減ったけど何か食べる物ない?」

 

「あのさ、僕はコウタの母親じゃないんだから、オヤツをねだらないでほしいんだけど」

 

「そんなつもりは無いんだけどさ、最近は試作とか作ってないの?」

 

「最近はちょっと時間が無かったから、手持ちは何も無いよ。そうだ、カノンさんは何か持ってないの?」

 

「わ、私ですか?今は何も無いです。と言うか、材料が無いので作れないですね」

 

 食材が他の支部と比べて格段に手に入りやすいものの、そう頻繁に手に入る訳ではなかった。外部居住区の様に、買い物に行く余裕が無かった関係でエイジ自身も手持ちがなく、せいぜいが普段の食事用のストックしか無かった。

 無理にでも作れば無い事も無かったが、これを作れば今度は普段の食事にまで影響が出る為に事実上は何もないと言った方が正解だった。

 だからこそ、その場に居合わしたカノンに確認してみる事になっていた。

 

 

「自分で作ったらどう?」

 

「そんな事出来たら言わない。こっちも手持ちがレーション位なんだけど、それじゃあ味気ないから頼んだんだよ」

 

「だったらそれで作れば?」

 

「う~ん。残念ながらそんな便利なスキルは持ち合わせてないんだよ」

 

「じゃあ、諦めるんだな」

 

「え~マジで!」

 

 何時もならばここで他のメンバーからツッコミが入るはずだが、生憎とソーマは非番の為に不在、アリサはリンドウとサクヤと3人でミッションに出ていた。このツッコミ不在の中で偶々そこに出くわしたカノンの話を振られたのが発端だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひょっとしたら、あの時の話の事?」

 

「そうなんです。コウタさんの為では無いんですけど、自分のレパートリーを増やしたいのでアレンジを前提にレーション使ってみたんです」

 

そう言いながらカノンがバスケットから取り出したのはクリームタルト。本来であればそこにフルーツの一つや二つ使えばよかったが、果物は外部居住区に買いに行かない事にはアナグラで手に入れる事は困難な代物でもあった。そこまでしなくても簡単に出来る事から、チョコレートをふんだんに使ったタルトを見せた。カノンの発言はともかく、それを見た一部の人間は残念そうに、それ以外の人間はつまらない物を見たとばかりに周囲の空気は一気に日常へと変化して行った。

 

 

「この生地に流用したんだよね?」

 

「そうです。これに使ってみたんですが、どうでしょうか?」

 

「この生地なら問題ないんじゃないかな?でもこれならキッシュも大丈夫な気がするけどね」

 

 一口食べながらそんな感想を言っていると、何故か他の目がこちらに向いている事に気が付いた。リンドウとソーマは既にその事に興味を失い、コウタはタルトにしっかりと視線が定まっている。明らかに聞かなくても考えている事はよく分かった。

 

 

「ねえ、カノン。これってこの前エイジが作ってた物と同じようにも思えるんだけど?」

 

「実は、この前の味が良かったのでレシピを聞いて作ってみたんですけど、どうでした?」

 

「十分な位に美味しいわよ。ただ、これを考えたのがエイジって所が微妙なのよね」

 

 このアナグラでのエイジのイメージはゴッドイーターのであるのは勿論だが、それ以上にシェフかパティシエと言ったイメージを持つものが多く、事実第1部隊以外の人間も何度か食べているので、その腕前は良く知られていた。

 広報によってそんな風景までもが放送された関係で、一部のメディアからはレシピ本の要請まで来ていた。

 

 

「サクヤさん。それ酷くないですか?」

 

「ごめんなさいねエイジ。そんなつもりじゃないんだけど、何というか……ここには他にも何人もの女性が居るんだけど、何となく女子力と言うか、女としての矜持がね」

 

 そんな事を言いながらサクヤは該当すると思われる方向に目をやるも、肝心の当人達は視線を合わせる事も無く明後日の方向を向いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんでエイジはあんなに女子力が高いんですかね?」

 

「前に聞いた時には、今まで全部の事を自分達でやっていたからだって聞いたけどね?」

 

「でも、それを言うならナオヤさんもですよね?」

 

「でもナオヤはあんまりああ言った物は得意じゃないみたいだよ」

 

「へ~、リッカさんって随分と詳しいんですね。普段は何を話しているんですか?」

 

「い、いや、私の事はどうだって良いの。でも前にも2人で作って何時もとは違った物を食べた事あったけど、すごく美味しかった記憶があったから、この前の話の種に聞いただけで」

 

 カノンの試作事件?から数日後、時間にゆとりがあったアリサとリッカ、休憩がてらやってきたヒバリが珍しく3人でプチ女子会を開催していた。

 本来であればもう少し落ち着いた場所でするが、今回は何となく時間が合った関係上、ロビーで開催する事となった。

 普段はアラガミと戦う事が専門とは言え、お年頃の女子が話す事は恋バナが定番とばかりに用意してあった苺のムースをふんだんに使ったケーキを前に休憩時間をしっかりと堪能していた。

 

 

「でも2人で作ったって意味深じゃないです?」

 

 先ほどの発言をいつもならば軽く聞き流してはいたが、今は軽々しく聞き流す様な事も無く何故かアリサが珍しく食らいついた。

 

 

「2人って言っても、完全に2人きりでもないし、作ったのってナオヤの家だから、他にも人が居たし……」

 

 この時点で随分と誤爆しているが、話しているリッカ本人は何も気が付いていないのか、それともアリサは事情を知っているからと安心しているからなのか、本来のリッカならば気が付くはずの事がいくつか通り過ぎて行った。

 

 

「リッカさ~ん。先ほどかなり気になる発言があったんですけど、それってナオヤさんの家に行ったって事ですよね?」

 

「へっ?い、いや、だって、ナオヤの家って………」

 

「ヒバリさん、ナオヤの家はエイジの家でもあるんです」

 

「それって?」

 

「元々、2人は同じ家なんですけど、外部居住区以外にも安全な場所があって、元々はそこに住んでたんですよ」

 

 この時点でアリサは気が付いていないが、本来であれば屋敷の存在は機密事項に抵触し誰もが知っている訳ではなかった。リンドウの生存が確認されてからも何度かシオの関係で屋敷に行く事があり、それがあまりにも当たり前すぎた結果、本来の秘匿事項である事をすっかりと忘れていた。

 

 

「ねえ、アリサ。屋敷の存在って秘匿事項じゃなかったの?今サラッと暴露していたけど?」

 

「え?」

 

 この時、初めてアリサは見えない部分で嫌な汗をかいていた。

 確かに当時から現在に至るまで秘匿事項で誰にでも気軽に話す事は一度も無かった。秘匿事項の漏洩はどんな結果になるのかを考えれば、どう贔屓目に見ても楽観的な未来をもたらす事は無い。

 もちろんアリサ自身は口が軽い事はないが、リッカが居た事と、シオの存在を遠まわしにでも知っていたヒバリがそこに居た事で、重要なはずの部分がすっかり抜け落ちていた。

 肝心のヒバリを見れば、一体何の話なのか疑問しかない。

 このままでは何かあると拙い事が起きるのではと、有り得ない考えが脳内をグルグルと回っていたが、このままでは何の解決も出来ないとばかりに意を決しようとした時だった。

 

 

「あっ、アリサ。そのケーキの味はどうだった?」

 

 ミッションから帰って来たのか、そこには任務に出ていた筈のエイジとコウタがそこに居た。

 先ほどの話は聞かれていない物の、最終的にヒバリが聞けばその時点で誰かが暴露した事が発覚してしまう。そんな考えに囚われていた影響もあり、エイジの存在に気が付く事に遅れていた。

 

 

「………すごく美味しかったです」

 

 たった今、意を決して何かを伝えようかと思った矢先の出来事にアリサは内心これから一体何をどうすれば良いのかを必死に模索したが、肝心の内容が既に暴露されている以上誤魔化す事は無理と判断し、ここは素直になるしかないと腹を括る事を決めた。

 屋敷がこの極東支部の中に於いてどれ程機密事項の塊であるかは初めて訪れた際に嫌になるほど聞かされている。既にアリサの脳内では今回の結果に対する懲罰が何なのかを予想する事しか出来なかった。

 

 

「次の休暇にちょっと来てほしいんだけど、ヒバリさんも良かったら屋敷に来ない?」

 

「は、はい」

 

 アリサの決心はこの瞬間に崩れ去り、それを見ていたリッカはどうすれば良いのか悩む事となった。ヒバリに関してはアリサの葛藤など知る由もなく、素直にうなずく他無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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外伝11話 (第58話)驚愕

「なあ、こんなに手続きがここまで面倒なのはどうしてなんだ?」

 

「本来のゴッドイーターならば、恐らくここまで細かい制約が付く事はまずないだろうが、お前の場合はある程度仕方ないと思うしかないだろう」

 

「まあ、まあ、そんなに気にしなくても大丈夫だよ。今まで定期的に見て来た結果、他のゴッドイーター達と何ら変わりない事は証明されたんだから安心したんだろう?」

 

 気が付けば、アーク計画の壊滅から半年が過ぎようとしていた。

 体面的にはエイジス計画の失敗だが、本来の目的でもあったアーク計画は第1部隊の活躍により、秘密裏のうちに破綻した。

 今でこそアナグラの内部は穏やか空気が流れているが、そんな中で一番の驚きがリンドウの生存と右腕のアラガミ化でもあった。

その後の経過観察を榊博士と無明がする事となり、ここに来て漸く何も問題ないとのお墨付きが出る事となった。

 

 本来であれば万が一の事も考慮し、リンドウは経過観察と言う名の監禁状態になるはずだったが、ここ極東支部では余剰戦力と言う名の穀潰しをそのままにしておく事は何もなく、事実上の一人部隊として従来の任務に就いていた。

 当初は新人の同行も予定していたが、リンドウの右腕を見て少なからずショックを受ける物もいるだろうと精神的な考慮もされた上での対処となり、現在の所は追加される事もなく現在に至っていた。

 

 

「とにかく、これからは今まで以上に働いてもらう事になる。これ以上お前の後輩達におんぶに抱っこでは示しもつかないだろう。だからこそ今まで以上に働いてもらうぞ。

 あと、今後の事もあるから先に行っておくが、今後は第1部隊に戻るのではなく支部長直轄の部隊としての運用を予定している。その中には表に出しにくい内容も含まれるが、任務事に秘匿レベルの確認がされる事になるから、取扱いについては注意するんだ」

 

「うへぇ。今以上ってどこまでハードになるんだ?しかし姉上、今後の事を考えると未だ支部長が決まらないにも関わらず、部隊だけが先に出来上がるのはどう言う事なんですかね?」

 

「これについては現在調整中だ。誰もが好き好んで極東の支部長になりたいと思う人間が少ないって事だろう。誰もが命は惜しいからな。なお、今回の措置に対して現在の階級に変更がある。まだ正式には伝えていないが、お前とエイジは中尉に、ソーマを少尉に、アリサとコウタは准尉とする。ちなみにサクヤはそのまま少尉だ」

 

 このツバキが話したこの裁定にはリンドウも驚きを隠せなかった。

 本来であればここまで大幅な人事の昇格は無く、平時であればKIAでの2階級特進位しかない。そう考えれば今回の様な大盤振る舞いとも取れる昇格は正にフェンリルから極東支部への口止めとも言える行為でもあった。

 昇格すれば今以上の権利を有する事にはなるものの、その分の義務を果たさなければならず、今から悩む必要がないが近い未来には激務の2文字しか見えなかった。

 

 

「姉上、確かフェンリルには今まで准尉なんて階級は無かったかと記憶してますが。今回は一体どんな措置があったんです?」

 

「それに関してはアリサはまだキャリア的には若干不安があるのと同時に、コウタに関しては既にエイジとのミッションも長く、今後の期待値を踏まえた上の判断だろう。コウタに関しては学術面がネックだろう。准尉とは言うが事実上の少尉相当官になる。とは言っても、現場レベルだとそんな物は何の意味も成さないがな」

 

 現場での指揮官は部隊の生存に直結する以上、尉官級が居ない事には話にならない事が多々あった。とは言っても、それはあくまでも他の支部の話であって極東支部においてはそんな物は無意味とばかりに形骸化していた。事実、下手な尉官よりも対アラガミの経験値の高い人間の方が遥かに戦場では生き残る率が高く、最近では余程の内容でない限り第1部隊だけのミッションは殆ど無かった。

 

 

「リンドウ、来週からイタリアとドイツから研修で2人がここに来る。お前は知らないだろうが、タツミは現地で同じチームを組んでいた関係上知っているから、詳しい事はあいつから聞いておくんだ。今回の件に関しては結果はアナグラ内部にも公表される事になるから、今までと同じ感覚でやれるとは思うな」

 

「了解しました。それと姉上、これとは別に相談があるんですが」

 

「何だ珍しいな。言ってみろ」

 

「ここでは少々言いにくい」

 

「リンドウ。お前の事だ。どうせサクヤとの事だろう?」

 

 2人の会話に割り込む様に無明からリンドウが想定しているであろう事をハッキリと指摘されていた。

 リンドウ自身は気が付いていないが、帰還後ツバキはサクヤから相談されていたのが今後の事に関してだった。

 短い期間とは言え屋敷で過ごした際にリンドウの口からプロポーズの言葉が出たものの、今の状態では今後の事も含めて何も担保に出来る物も無く、安心できる材料として今回の最終チェックの結果を待っていた。

 

 

「何で知ってるんだ?」

 

「ツバキさんから相談があってな。お前の事はともかく、未来についての可能性の事だろう?」

 

「ああ、それが一番心配でもあるんだ。俺について来たばかりに今後の事を考えるとそれで良いのかと心配する事が増えて、そこから先へ進もうとするのが怖くなってな」

 

「リンドウ君、その件に関してだが今回の検査の結果から想定される事だが、君の身体は見た目はそうだが、細胞レベルで言えば他のゴッドイーター達と殆ど変らない事が判明している。

 確かにオラクル細胞の浸食は仕方ないのと見た目がそれだから心配になるのは分かるが、これは紛れも無い事実である以上、君の心配については責任を取ろう」

 

 榊の一言でリンドウの心配は完全に払拭しきれない部分はあるもの、今の時点で榊博士以上の科学者がフェンリルにいるかと言えば、答えは否と言う他無い。そんな人物からの返事に戸惑いはあるものの、リンドウの懸念すべき部分の殆どは拭い去られていた。

 

 

「完全に解析出来た訳でもないし、今後有り得るだろうからと考えられる点は産まれてくる子供の偏食因子との関連性が高くなる事は間違いないだろうね。

 ただ、これに関しては生き残るゴッドイーターが少ない影響もあって有用的なデータは未だに確立かされていなんだ。君のDNAの塩基配列を確認したが、オラクル細胞の浸食は進んでいないのと、今後同じような事があれば可能性は高くなるが、受精された生命には既に関係のない話だからこれ以上の事は問題ないと言えるだろうね」

 

 ここで何げない博士の一言でリンドウは一気に青ざめる事となった。博士は今、受精された生命と口に出した。

 それは妊娠を意味する事でもあり、リンドウが心配した部分の最重要点でもあった。しかし、サクヤからはそんな話は何も聞いていないし、本人の様子を見ても恐らくは気が付いていない可能性が高いとも考えられた。

 

 

「博士、どこからその話が?」

 

「リンドウ、お前に限った話ではなく、全ての神機使いは定期的にオラクル細胞の浸食等の確認で検査しているだろうが、今回の検査の中で気になる部分があったからだ。その時にサクヤのデータに変化があったから細かく調べただけだ。

 恐らくはサクヤもまだ気が付いていないだろう。今回の件があったからここで話してるんだ」

 

「なあリンドウ。俺も知ってたが、お前が今心配してる事は全部過去の話になっているんだ。ただ、ソーマみたいなケースとは違う。ゴッドイーターはアポドーシスとして定期的に偏食因子を取り込んでいる関係上、一方的に浸食する事が受け継がれる訳ではない。浸食と同時に対抗も受け継いでいるからこそ今後の研究の対象にもなるんだ。今は素直に喜べ」

 

 心配していた部分を吐露したかと思った瞬間に、全く想定していない内容が飛び込む形となりその後の話に内容は記憶に残っているかすら怪しくなる程のインパクトにリンドウは何も考える事が出来ないでいた。

 なんとか最低限必要な部分だけは記憶に残し、残りに関しては後日2人で確認すべき事と決定し、この場は終了となっていた。

 

 

「しかし、リンドウが父親とはな。同期としては感慨深い物があるな」

 

「お前も漸く一人の親となるのか。で、サクヤにはどう説明するつもりなんだ?」

 

「これからでも話をしようかと思う。さしあたっては今後の件をどうするかだな」

 

「それなら心配に及ばないよ。さあ、サクヤ君入ってくれたまえ」

 

 リンドウが想定していない榊の発言に驚きを隠す事は出来なかった。その一言で、ラボの別室のドアが開き、そこにはサクヤが今までの事を聞いていたのか泣きはらした赤い目をして佇んでいた。

 

 

「さ、サクヤどうしたんだ?」

 

「リンドウが来る前に榊博士から今回の事を聞いたの。まさかそんなに悩んでるなんて思って無くて。私、自分の事ばかり考えていたのが恥ずかしい」

 

「そ、それは俺自身の気持ちであって、どうなろうとサクヤはサクヤだ。知っての通り事実は今知ったから何とも言えないが、こんな俺だけどこれからも頼む」

 

 当初サクヤは何も聞かされないままツバキに呼ばれると、そこには榊博士と無明と3人が居た。

 この面子で話される内容は基本的には上層部絡みの内容か、何か大きな窮地に陥っている事が多く、そこに呼ばれたサクヤにとって、これから話される事に一体どんな事があるのか想像すら出来なかった。

 そんな事を考えると、呼ばれた当初はこれからどんな話があるのか想像すら出来なかった。そんな事を疑問に思う頃、榊博士の提案によって以前シオを匿っていた部屋へ通され、その際には部屋の内部の会話が聞こえる様な手筈までもされていた。

 ほどなくしてリンドウの検査が終わると同時に、自身の色んなデータを見せられたが、最終的には妊娠の可能性が極めて高く、現在の所は自覚症状も無いような状態の為に胎児の確認すら出来ないとの事だった。

 リンドウが帰還して、今までの間ずっと清い関係でも無かった為に全く何も無いなどと言う事もない。何となくだが可能性としてあるのだろうと認識していた程度だった。

 

 サクヤにとっては、本来であれば喜ばしい所ではあったが、一度プロポーズをリンドウからされた後、サクヤの居ない様な所で不意に何かに対して悩んでいる様子を偶然見る事があった。

 悩みと言うよりもむしろ何かに怯えている様にも見えたが、サクヤの前では何事も無い様な何時もの言動である以上、何に対して悩んでいるのか知る由も無かった。

 しかし、リンドウの定期検査がある事を知らせてもらい、何を考えているのか確認したいとの思いからツバキに頼み隣の部屋で待機させてもらう事となっていた。

 

 

「だったら、この後やる事は一つだな」

 

「準備はこっちでやるから気にしなくても良いぞ。個人的に用意する物があれば早めにしておけよ。こちらも目処が立てば連絡するが、時間にゆとりがあるとは思うなよ。まあ、あいつらの事だから何かしら考えなくても直ぐに動くだろう」

 

「だからと言って、任務の事は忘れるな。何もしなくても良い訳ではないんだ」

 

 

 

 

 サクヤがそこに居た事、リンドウが今まで苦悩していた事が全て解消されたのを確認したと同時に次の工程へと進む事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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外伝12話 (第59話)準備

 秘匿事項を簡単に暴露したかと思い悩んでいた所で、アリサの悩みをいとも簡単に吹き飛ばす様な発言がエイジから成された。

 当人がヒバリに対して言う以上、秘匿事項の懸念は拭い去られたものの、この短い時間にどれほど精神的に追い詰められたのかをエイジに小一時間ほど問い詰めたい心境だった。

 現在の所、屋敷の存在を知っているのはアナグラでは第1部隊のメンバーと、リッカ、あとは上層部いる2人だが、今回ヒバリに対して何かを話す事になるのでは?との疑念が湧いていた。

 しかしながら、エイジの顔色を窺うと秘匿事項の開示に対する悲壮感は微塵もなく何時もの日常と何ら変わりない表情でもあった。

 

 

「アリサ、どうかした?」

 

「いえ、何でヒバリさんなのかと」

 

「ちょっと、ここでは言いにくい事なんだけどラボは使えないし、まさかヒバリさんと二人きりだと誰かさんが激しく誤解する可能性も高いからね」

 

 誤解に関しては恐らくはタツミの事を指してるのは容易に想像が出来ていた。しかし、この場で言いにくい事とは一体何なのか。この場に居たアリサだけではなく、リッカの顔にも疑問しか湧かない様な表情を見せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前たち来たのか」

 

 エイジから誘われ、改めて時間を作る事にした面々が屋敷に着いた際には驚きを隠す事が出来なかった。

 本来であればここに居るはずの無いツバキがまるで女主人の様な振る舞いで玄関に出迎えていた。まさかこんなところで遭遇するとは思っていなかったのか、エイジとナオヤも驚きを隠す事が出来ず、これからどうした物なのかと考える頃には部屋へと案内される事となった。

 

 

「わざわざ時間を作ってすまない。今日、無明を通じて呼び出したのは私だが、内容が内容なだけに無明に頼んでここにしてもらった」

 

 ツバキが今回の招集元である事に疑問が生じる事は無かったが、問題なのがなぜ屋敷になるのかが誰にも理解する事が出来なかった。エイジとナオヤに関してはここが自宅なので気にも留めないが、アリサ、リッカ、ヒバリの3人は疑問しか出てこなかった。

 

 

「今回お前たちに来てもらったのはリンドウの事だ。特にエイジとアリサには色々と問題が生じる可能性を考慮した上での話になるが、近々サクヤは第1部隊を離脱する事になる。それに伴って、部隊の再編が上がっているが、事実上は今のままになる。この件についてはヒバリにも改めて連絡が行くはずだからそれを考慮しておいてくれ」

 

「ツバキ教官。サクヤさんが離脱って何かあったからですよね?何か身体的な問題でも生じたんですか?」

 

「厳密に言えば身体的な問題はそこまで大事ではないから安心しろ。今回の理由はサクヤの結婚と妊娠における一時離脱となる。エイジ、部隊離脱の条件については知っているな?」

 

 ツバキの口から、誰もが全く想定していない事実が伝えられた。身体的な問題ではあるものの、妊娠は病気ではない以上、今回の内容はいかに衝撃的だったのかはリッカとヒバリの表情からも容易に見て取れた。

 

 

「はい。だた、今回のサクヤさんのケースには当てはまらない様にも思えますが」

 

「これは榊博士とも相談した結果だが、現在のリンドウの状態は見た目はアレだが中身はお前たちと何ら変わらない。あえて言うならばオラクル細胞の浸食率が他よりも若干高い事が原因とも言える。

 偶然とはいえ、今回妊娠が発覚したのと同時に今後有り得るだろう可能性としてのサンプルとなる。もちろんこの件については両者にも話しているし、、サンプルと言っても実際には成長に伴うオラクル細胞の変化の確認と、今後の可能性を確認する為でもある。

 本来であればこのような事態の場合には本部の承認も必要となってくるが、大義名分がある故に本部としても特例での認可が出ている」

 

 ここで漸くここに呼ばれた意味が分かった。本来であればラボでその話をしてもかまわないが、アナグラ内部でこの面子を呼べば色んな憶測が飛ぶ可能性が高く、第1部隊だけの話にはならない。

 ヒバリに関してはオペレーターである以上、問い合わせがあった場合にしっかりとした理由を説明する必要性があった為にここに呼ばれていた。リッカに関しては神機のメンテナンスと常時維持するためには平時と戦闘中との区分けが必要となる為でもあった。

 そもそもリンドウとサクヤの関係はアナグラの中では今更なので誰も気にも留めていないが、結婚と妊娠に関しては後日、本人たちから何らかのアナウンスがあると予測していた。

 秘匿しようにも身体的にも特徴が出ればいずれどこかで発覚する恐れも出てくるのであれば、前もって発表した方が混乱は少ないだろうとの予測を立てた上での判断となった。

 

 

「ツバキ教官、結婚って事は式とかどうするんですか?」

 

「もちろんそれに関しても現在は調整中だが、無明が取り仕切るから恐らくは近日中だろうな。まあ、場所はともかく色々とやる事があるからとは聞いているが、細かい事は何も聞いていない」

 

 ツバキとエイジのやりとりの中で、呼ばれた3人も結婚式に色々と思いを馳せているのか会話の中身までは聞いていない様にも見えた。

 式を挙げるのであればウエディングドレスを着るのは、いつか来るであろう未来の憧れの象徴でもあった。

 

 

「だとしたら、急がないといけませんね」

 

「急にどうしたのアリサ?」

 

「リッカさん。やはり結婚式ですから私たちもドレスアップする必要があるので、これから服を考えないと時間が無い様にも思えるので」

 

「そうですね。結婚式に普段着は無いと思いますし、こんな時が無いと中々ドレスアップなんて出来ませんね」

 

 結婚式に出る以上、ある程度しっかりした服装になるのは当たり前の話だが、ヒバリの言う様にこんな殺伐とした職場でドレスアップする事は万が一にもありえない。

 ヒバリに関しては本部への出張の際にはそんな可能性のある場面にも出くわしたが、あの時は全員が制服だった為に、機会としては皆無だった。そんな事もあってか、今回の様な厳かな式をするのであれば、本来ならば気兼ねなく考えていた思い思いの服装になれる事を心の中で待ち望んでいた。

 

 

「あと、式に関しては何の問題もないが、妊娠に関してはデリケートな問題の為に当人達からアナウンスが無い限り、公表は絶対にするな」

 

 ツバキから釘を刺されるも、既に意識は式に向けてのイメージしか湧いて無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄様、今回のリンドウさん達の件ですが、ツバキ教官から話は聞きましたが、実際の所はどうなんですか?」

 

 ツバキの説明に一旦は納得したものの、エイジの中では本部への認可の一言が気になっていた。

 部隊を預かる身としての発言ではなく、むしろ個人的な見解によるものでもあった。あの説明では、成長の記録とオブラートに包んではいるが、実際には細かい部分での人体実験が含まれているのではとの疑念からの発言でもあった。

 

 

「その件なら、ツバキさんの言葉をそのまま受け取ってくれて間違いない。お前は恐らくソーマの事を気にしてるんじゃないのか?」

 

「本音はそうです。アーク計画を破綻させた当事者として考えれば本部の考えている事に理解は出来ないです。今回の件にしても2人には正直な所、幸せになってほしいと考えています。

 僕が言うのは本来おこがましいのかもしれませんが、これが第1部隊としてではなく、一人の極東支部に所属するゴッドイーターとしての意見なんです」

 

「お前が言うだろうとは思ったが……リンドウもこんな慕われる後輩を持って幸せな奴だな。今回の件に関しては上層部マターになっているが、こちらが一方的に出した条件だ。交渉である以上、こちらの意見だけではいずれ本部の内部で暴走する可能性が出てくる。こちらからの譲歩が出れば向うの面子も保たれるからな」

 

 エイジ自身の出自がそうさせるのか、それとも性格なのかは分からない。しかし、今回のエイジの意見はアナグラでも恐らくは出てくるであろう話でもあった。

 エイジには言っていないが、万が一本部が暴走する様な事があれば無明としては反旗を翻す事もやむを得ないと考えている部分もあった。しかし、今回のケースは実際に今後起こり得る話でもある。そう考えると安心している部分があるのもまた事実だった。

 

 

「あとは結婚式に関してだが、今回の件で屋敷の一部を開放する事にした。ただし、今後の事も含めて屋敷そのものは解放するが、今回限りの事とする。人員についてもこちら側の人間を配置に付けるから、お前たちが気にする必要は無いからな」

 

「わかりました。ナオヤにも伝えておきます。参考に聞きたい事がありますが、宜しいでしょうか?」

 

「なんだ?」

 

「ツバキ教官はいつからここに?」

 

「ここ最近からだ。まだ発表していないが、アナグラも急激な人員の増加で一定の人間の配置が少し変更される。近いうちに発表されるが、それに伴い居住スペースにも変更点がいくつか出てくる事になる」

 

「そうでしたか。てっきり兄様がツバキ教官と結婚でもするのかと思いお聞きしました」

 

「それは俺が決める事ではないからな。何かあれば公表しよう」

 

 荒唐無稽とも思われたが、一番最初にツバキを見た際に、ここにあまりにもしっくりし過ぎる程のイメージをエイジは持っていた。

 屋敷の当主ではあるが、無明の置かれている立場を考えれば相手としては悪くないと考えていた。事実、年齢を考えてもそろそろ次代の話がでるはずにも関わらず、当人からは何の話も聞こえてこない。アナグラにいる間はゴッドイーターではあるが、ここに返ってくれば一族とも言える団結がここにはあった。

 これ以上の事は考えても仕方がないとばかりに、今できる事を対処するしかない。

 今回の件をコウタ達に伝える事に決め改めて皆に伝えるべく、エイジはアナグラへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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外伝13話 (第60話)幸福

「そうなんだ。で、何時頃なのかはまだなんだよな?」

 

「兄様からは近日中とだけ聞いてるけど、日程はまだ不明だね」

 

「何にせよ、良い事に変わらないしな。ソーマもそう思うだろ?」

 

「そんな事俺に一々聞くな。まだ戦闘中なんだ。これ以上の話は全部討伐してからにしろ」

 

 今回は珍しく3人のミッションとなった。最近のミッションではこのメンバーでの出動は珍しく、出発前に話されたリンドウの事が話題のメインとなった。

 本来であればいかなるアラガミの討伐であっても、ここまで話をする事は無いが、ここ最近の中では内容な明るいニュースに若干浮足立っていた。事実、表だっての動きは殆ど見られないものの、アナグラの女性陣はサクヤが着るであろうウエディングドレスの事や自身の服の話題で話がまとまり、男性陣はさほど関心が薄いのか、それとも何も考えてもいないのかそれ程でも無かった。

 

 

「やっぱりこれなんか良いと思いませんか?」

 

「でもサクヤさんならこっちの方が良いと思いますよ」

 

 ミッションから帰ると何時もであれば割と静かなはずのロビーに違った形の喧騒にあふれていた。アリサとカノンはサクヤのドレス選びに余念が無いのか、さっきからずっと写真を見ている。既にどれ程の時間が経過したのか、2人の周りにはウエディング以外にカクテルドレスの写真まで散乱していた。

 

 

「あのさ、なんでアリサがサクヤさんのドレス選んでるんだ?」

 

「コウタには関係ありません。女の子の憧れなんですからこんな時位は色々と見たいんです!」

 

 アリサに何気に聞いた言葉に対し、コウタへの言葉は辛辣な物だった。男からすればそれほど大事だとは思っていないのか、事実リンドウもそれに関してはどちらかと言えば消極的だった。

 

 

「コウタ。こう言うのは花嫁が主役だからそれ以上の事は何も言わない方が良いよ」

 

 冷たい言葉を浴びせられたコウタにフォローとばかりにエイジが話す。既にコウタの事は眼中にないのか、先ほど同様に写真を見たまま話しが止まる事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後、2人の結婚式はおごそかにも盛大に取り行われていた。

 当初こそ2人とも遠慮している部分があった物の、アナグラの全職員の総意とばかりに説得する事となりあっと言う間に色んな物が用意される事となった。

 本来であれば任務放棄はあってはならない事でもあったが、現在の所はトップが不在の為に誰も止める事が出来ず、元々無明が用意していた事もあって色んな物が一気に進んで行った。

 女性陣の強い要望もあって、ウエディングドレスも短期間のうちに誰もが納得出来る様なデザインの物が仕上がると同時に、それに対する様にリンドウが着るであろうタキシードまでもが同じように作られていた。

 ここまでであればよくある内容だったが、これ以外に大きなサプライズがあった。本来であればこの時代に大量の生花を用意する事は困難にも近く、また市場に出回っている物があったとしても、それはかなり高価な代物だった。それ故にお祝い事等があれば生花ではなく造花が一般的だったが、これもまた大量に用意されていた。

 

 会場に関しても、当初はアナグラ内部での話もあったが、せっかくの晴れの舞台にそれは有り得ないと、女性陣から猛反発が起こった。その結果、式は外部居住区の内部で執り行う事となった。

 当初は万が一の可能性も憂慮していたが、結果的には憂慮は杞憂に終わり式は滞りなく終了する事となった。

 

 

「これで一段落だな」

 

「よくも、ここまで短時間であそこまで用意出来たものだな」

 

「あれは、元々あった物だったからな。単に手配先を変更しただけで特別何かを用意した訳ではない。あえて言うなら2人の服装位だな」

 

「だが、普通は短時間で用意出来る物でもあるまい」

 

「だから、ちょっとだけお願いしたんだよ。あいつらには言ってないが、実は今回の件は広報部も一枚噛んでるからな。だからこそこんな短時間での製作が可能だったんだよ」

 

 いくら何でも今回の準備期間は常識的に考えれば有り得ない程の早さで実現してた。 ドレスはともかく、一からデザインを起こして1週間もかかっていないのはある意味脅威とも思われていたが、今回の舞台裏を聞いて納得できる部分もあった。

 しかもここで広報部が一枚噛んでる事は誰にも知らされていない事もあり、会場は色々と盛り上がって居る様にも見えた。

 この後は聞かなくても撮影会が始まる事位はツバキも容易に想像出来ていたが、めでたい席の関係上これ以上の事は口に出す事を避けた。

 

 

「当主、うたはどうだった?よかったか?」

 

「シオもご苦労さん。中々良かったぞ。練習したかいがあったな」

 

「そうか。何だかむねがあたたかくなった気がするぞ。なんだかいいな」

 

「それが喜びの感情なんだ。これからもそんな気持ちで一杯になると良いな」

 

 シオの頭を撫でながら話す今の無明はまるで、わが子を褒めるのと同時に教育を施している様にも見えた。

 屋敷にいる住人は本来、外部居住区から漏れた人間を保護し、ある程度の状態になれば独立してく事が圧倒的に多かった。その中にはエイジやナオヤも含まれている。今回も式の途中でシオの讃美歌が響き、より一層雰囲気が作られていた。

 一部の人間は知っているとは言え、アナグラ内部の人間が全員知っている訳ではない。ただ、無明との会話の場面を見る事で誰も疑問に思う者はいなかった。例外としては人気が出ていたシオの歌声を録音出来た広報部の人間が喜んでいた事は誰も知らない。

 

 

「しかしながら、神を喰らう者が神に捧げるのは、ある意味シュールな場面とも言えるな」

 

「この辺りは旧時代からの名残だから雰囲気は必要だろう。それに、これが最後だとは考えたくも無いのが本当の所だからこそ、今回はあえて広報部に連絡を入れたのが本音だな。

 ゴッドイーターと言えど一人の人間だ。今回の様に悩む事も喜ぶ事も一般人と何も変わらない。だからこそもっと理解してほしい物でもあるがな」

 

 そんなやり取りをしているうちに、リンドウ達はブーケトスの準備に取り掛かっていた。受け取った者は次の花嫁になれる。そんなジンクスは今現在も生きていた。

 遠目で見れば既に何人もの女性陣が今か今かと待ち構えているのが見えていた。願わくば今回だけの話ではなく、ここから先に続く者があればと願いながら2人で眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リンドウさん、サクヤさん。結婚おめでとうございま~す」

 

 ここは自分がとばかりにコウタが乾杯の音頭を取り、披露宴は終始穏やかな時間を過ごしていた。式の段階で広報部の人間が来ている事は、前回密着取材を受けた人間は皆知っていた。

 しかしながら、今回は気取る事もなく、単純にお祝いの兼ね合いも広報の一部として画像媒体のみ使用する為に、参加者はいつも通りに過ごしていた。

 

 何時もであればそれなりにしっかりとした食事をしているアナグラのスタッフも、今回用意された料理にはある意味驚きを覚える物が多々あった。食糧事情は他とは比べ物にならない位に良いとは言っても、そこは最終的な料理を作る力量にかかってくる為に、素材は良くても味まではと言った物が多かった。

 しかし今回に関してはそんな事は全くなく、この場にいる一部の人間以外はこのレベルの料理がどれだけの物なのか知る事は無かった。

 普段から支給されている物と同じ食材を利用した物とは思えず、そこに居た全員がしっかりと味わっていた。

 

 

「この料理って誰が作ったんですかね?」

 

 小皿に取ったオードブルを口に運ぶと同時にアリサは驚いていた。ここ最近になってエイジの料理を口にする機会が多々あったが、それよりも深い味わいはただ驚く事しか出来なかった。

 

 

「これは多分、兄様が監修して屋敷の人が作っているんだと思うよ。こんな料理は流石に作れないよ」

 

「エイジでも難しいんですか?」

 

「頑張って時間をかければ出来るとは思うけど、素材と調理のレベルは僕には無理かもね」

 

「じゃあ、いつか同じじゃなくても良いので作ってくれますか?」

 

「良いよ。時間がある時にチャレンジしてみるよ」

 

「2人で随分仲良く何話しているの?」

 

 アリサと話している背後からリッカの弾んだ声が聞こえてきた。どうやら先ほどのブーケトスからテンションが上がりっぱなしなのが容易に分かった。このブーケトスはアリサも参加していたが、肝心のブーケを結果的に受け取ったのは参加していないソーマとなり、周りからひんしゅくを大いに買っていた。

 ソーマ自身苦々しく思っていても既に受け取った物を放棄する事も出来す、結果的にはシオに渡す事で、またもや周囲から生暖かい目で見られていた。

 

 

「この料理の話だよ。流石にこのレベルは無理かもね」

 

「エイジでも無理な物があるんだね」

 

「料理人じゃないからね。精々が趣味の料理に毛が生えた程度のレベルだから、ここからこのレベルを目指すのは無理があるよ」

 

「それは私に対する宣戦布告って事で良いかな?」

 

 この時点で、いくつかの地雷を踏みぬいた事を確認したエイジは助けを求める様にアリサを見たが、残念ながらアリサも該当したらしく味方ではなく敵に回っていた。

 いくらエイジでもここまで背後に般若の顔が浮かんでいる様な二人を相手にする事は無理とばかりに早々に白旗を上げる事を決め、機嫌を直してもらう方向に切り替えていた。

 

 

「今度、何か埋め合わせするから、ここは一つ」

 

 手を合わせ謝罪の意を込めると、漸く機嫌が直ったのかそれともこんな所でと思い直したのか二人は元に戻ったが、残念ながら表情だけ見れば残念ながら目は笑っていない。それを見たエイジは背中に嫌な汗をかいていた。

 機嫌を窺いながらそっと2人を見ると、何だか悪巧みしている様にも見える。いつものエイジであればそんな事に敏感に察知するが、現状ではその様子を窺う事は困難とも思えた。

 

 

「ここは一つ、食事でも驕ってもらおうかな。もちろんフルコース料理で」

 

 リッカの悪い笑みがエイジを見るも、そんな程度であればと思った矢先にアリサからの要望がエイジの顔を引きつらせる事になった。

 

 

「悪いと思うならエイジから、何か私に合うプレゼントを一つください」

 

「……了解しました」

 

 

 

 この答えは誰も教えてはくれない。何気ない一言だったが、この時点ではこの先の未来を見通せる者は誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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外伝14話 (第61話)現状認識

「ドイツ支部から来ましたアネット・ケーニッヒです」

 

「イタリア支部から来ましたフェデリコ・カルーゾ です」

 

 

 以前に予定されていた2人の神機使いが極東支部に配属されていた。本来であれば新型の新人2人が一つの支部に集中して配属される事は少なく、今回も短期でも集中研修の名目で派遣される形となっていた。

 合同の研修から各支部の交流が必要とばかりに入れ替わりで複数のゴッドイーターが派遣される事が決定されていた。

 その結果、極東支部はアラガミ討伐以外にも研修と言う名での人員を受け入れる事となり、極東支部の技術を学ぶことを前提として細かい動きを各支部から封じられる形となっていた。

 元々から、本部に対して反抗的な事が無い物の、やはり突出した戦力の偏りを良しとしない勢力からの圧力に、無理矢理波風をたてる事もなく、粛々と受け入れていた。

 

 

「2人は1ヶ月ほどの研修となるが、特に変わった事をする必要は一切ない。一兵士として扱う様に。なお、新型の関係上、当初は第1部隊とし、一定の期間ごとに部署の異動を行う。私からは以上だ。何か質問はあるか?」

 

 

 2人の紹介と共に簡単な挨拶が終わると、早速ブリーフィングに入り、このままミッションに突入する事になる。全く分からない状態であれば何もかも手さぐりとなるものの、事前にタツミから内容を確認していた関係上、引き継ぎはスムーズに執り行われていた。

 

 

「第1部隊長の如月エイジです。今回の件では新型特有の運用についてと聞いてますが、その辺りは口では説明しにくいので、見て覚える様にお願いします」

 

 握手と同時に他のメンバーの紹介も終わり、このままミッションになだれ込む予定ではあったものの、お互い何も分からない状態では危険とばかりに改めて確認する事となった。

 本部であれば無理を通す事は出来ても、ここは極東である以上些細な油断が命取りとなるのでは緊張するなと言われても新人には無理があるのが表情から読み取れた。

 そんな空気を感じたのか今まで緊張していた表情が更にこわばり、これ以上緊張すれば気絶するのではと、思わず心配になりそうな一面があった。

 

 

「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。エイジだけじゃなくて私達もいるから安心してください」

 

 緊張の極地にいた2人にアリサは柔らかい笑みと共に落ち着かせる事を優先していた。

 緊張感はどんな場面でも必要なのは分かるが、過度な緊張は邪魔以外の何物でもない。平常心が無い人間が真っ先にここから退場する事になる。元来2人共ある程度の実戦は経験しているので、完全に初めてではない。

 しかしながら対アラガミの激戦区でもある極東と言う名の場所にいる以上、落ち着けと言われても無理があった。

 

 

「最初からいきなりハードなミッションは受けていないし、今までいた支部と同じようにやれば大丈夫だから落ち込む必要は無いよ」

 

 苦笑交じりにフォローとも言えない様な内容に2人は軽く落ち込んでいた。

 ミッションの内容は今まで討伐していた物と遜色はなく、本来の実力を出せば苦戦する必要性は皆無だった。しかし蓋をあければ緊張が解ける事はなく、結果的にはエイジとアリサの2人が討伐した結果となった。

 

 

「そうは言いますが、あんなに素早く動いて攪乱するなんて私には出来ません」

 

「僕もアリサさんみたいに素早く変形させての攻撃が出来ないんですが、何かコツみたいなものはあるんでしょうか?」

 

「こればかりは熟練度と言うか、慣れの問題もあるんだけど普段からどんな訓練をしているかなのかもね。因みに今までどんな訓練してきたの?」

 

 緊張だけが原因で無い事はミッションの最中でも容易に理解出来きていた。

 一般人からゴッドイーターになる際には偏食因子を埋め込まれ、現状から底上げされる様に身体の力は大きく上昇する。しかしながらそれだけでは戦う事が出来ても上のレベルに当たれば確実に待っているのは殉職のみ。

 力は上がっても身体の運用方法までが上がる訳ではない。極東では常識な事が必ずしも他の支部でも常識である事にはならなかった。

 

 

「普段はダミーアラガミとのシミュレーションがメインです。あとはそれに伴うアラガミの習性なんかを学んだりしてますが」

 

「それだけだと、新種が出ると対応しきれない可能性が高いかもね。本来であれば対人戦や射撃の環境を変えて動きの練習をした方が恐らくは良いと思うよ」

 

 今回のミッションに関して、脅威となるアラガミは何も無い。あえて言うなら緊張の結果、悪い部分だけが抽出されて様な内容でもあった。

 事前に2人の欠点は聞いていたが、まさかここまでとは思わず、これから先の事を考えると僅かに頭を痛める結果になる事が予測出来ていた。

 

 

「あの~エイジさんは、そんなに対人戦ってやってるんですか?」

 

「最近は少ないけど、たまにソーマやナオヤとやってるよ。それと、可能だったら対人戦は組手も推奨するよ。体捌きが上達すれば戦闘中の動きも格段に良くなるから機動力は格段に上がるよ。

 因みに射撃に関しては、逆さ吊りの状態からの精密射撃や動きながらの射撃がメインで平衡感覚も養えるから、単純に突っ立た状態での練習はしないかな。それだけだと意味が無いからね」

 

「そんな事してるのはエイジ位ですよ。私だってそこまでハードな事はしませんから」

 

「そうなの?」

 

「そうですよ」

 

 予想外の練習方法に2人の顔は引き攣っていた。このままでは引かれる事も覚悟してた所でアリサからの助け船が出て、漸くエイジのやり方がまともじゃない事が理解できていた。

 ゴッドイーターは軍隊ではないが、中身はそう変わらない。にも関わらずエイジの練習は一般兵ではなく、むしろ特殊部隊さながらの練習方法にその場にいた他の人間でさえも顔を青くしながらも、スコアを考えればある意味当然とも思われていた。

 

 

「エイジもそれ以上の事を求めるとドン引きされますから、この位にしませんか?」

 

「これが極東の訓練か…流石激戦区だ」

 

 アリサのフォローは時すでに遅く、2人の顔には有り得ないと言わんばかりの表情が見て取れていた。これが当たり前の訓練となればどう考えても厳しい未来しか見えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうですか。こちらとしても至急対策を取る様に取り計らう事にします」

 

 

 手荒い歓迎と、大いに賑わったリンドウ達の結婚式から数日後、アナグラの内部も一時期の浮かれた雰囲気が消え去り、他の支部からの人員を受け入れる事で、ここに来て漸く通常になろうとしていた。

 通信を切ったツバキはこの数分で、精神的に随分と疲労を溜め込む様な思いから、大きくため息をつくことになった。

 通信の相手は本部からの指令。本来であれば本部からの通達は大事になる可能性が低く、極東に限った話ではないが、どこの支部でも自分達に問題が無ければ、なあなあで済ます事が多かった。

 本来であればツバキもまたかと思いながらも話聞くも、今回の話はどの支部でも大きく問題になる可能性が高く、また通常の討伐ミッションとは違った意味を内包していた。

 

 

 終末捕喰以降、各地に突如湧き出した新興宗教教団

 

 

 事実、研修の裏で色んな駆け引きがありながらも、特に問題視されていたのがこの集団の問題。今の所は情報操作に基づき一般向けには何も無い事になっているが、実際には口伝えとも言えるレベルで静かに外部居住区にも浸透していた。

 当初、本部としてはこの事実に対しては静観するつもりだったが、情報部からの報告により各支部でも極秘裏に対応する様に通達が出ていた。

 世界的に見ても他の地域とは違い、極東の宗教観は他の地域に比べれば大きく異なる。旧時代の頃は各地でも大きな宗教が布教されていたが、近年突如現れたアラガミの発見と共に、既存の宗教観は大きく舵を切る事になり、一部の宗教は完全に廃れてしまっていた。

 そんな中で極東は元々から他宗教に対する認識が他よりも低く、誰がどんな宗教に入信しようが気に留める事が殆どなかった。

 ツバキ自身もそんな極東の事情は知っているので、それそのものに対しての大きな危機感は一切抱いていない。それよりも厄介な物がここ極東にも徐々に浸透している事が問題だった。

 旧時代に中には自然に対する信仰があり、その為に時として人柱と称した人間を神様の供物として捧げる行為。即ち生贄の存在が今回の現況でもあった。

 

 

「例の教団の件、やっぱりか?」

 

「可能性に関しては予想していたが、まさかここまで規模が大きくなるとは本部も思っていなかったらしい」

 

 先ほどの通信を切ったツバキは疲労の顔を隠そうともせず、無明から渡されたコーヒーを口に漸く一息入れる事が出来ていた。今だ支部長が決まらない極東支部でも最低限連絡が取れ、かつ、各所に指示出す事が出来る人物を決めている関係上ツバキがその任を担っている。

 本来であれば榊博士が一番適任ではあるが、現状では自身の研究の兼ね合いで時間が取れず、このままズルズルと先送りされていた。

 

 

「こんな事は不謹慎なんだが、一般人の失踪は今までにもあったが、今回の件については異例とも言える。ここでは無いが他の支部では度々神機使いが失踪しているらしい」

 

「それに関してはこちらも別ルートで確認しているが、神機使いの失踪は何かと問題が発生する恐れがあるとの観点から、極力単独行動を控える様にとの通達を出す予定だとな」

 

 本来であれば人の命は地球よりも重いと言ったスローガンが旧時代にはよく聞かれていたが、アラガミが跋扈する頃からは人間の命は紙よりも薄くそして軽いとの認識が一般的となっていた。

 事実、この極東支部でも外部居住区の防護壁が破られ、市民が犠牲になっている。守られたここでさえこの状況であれば、盾となるべき物が無い地域では成す術も無いのが現状だった。

 そんな中で対アラガミ兵器とも言える神機が製造され、ここで漸く人類の減少に歯止めがかかりこれからは反転するかと思われていた。

 その対アラガミ兵器は旧時代の兵器とは完全に異なる点が一つ。生体兵器でもある神機は人を選ぶ。その為に適合者がいなければその神機は単なるオブジェとなり、何の効果も発揮する事は出来ない。

 それ故に神機使いの減少は避けたいとの思いから、フェンリルはもちろん無明も生存率の向上の為に新商品の開発に携わっていた。

 

 

「簡単に関連付けるのは早急だとは思うが、関連性は無いとも言い難いのもまた事実だからな。暫くは調査する事になるだろうから、ツバキさんは他の連中にもしっかりと伝えておいて

くれ」

 

「そうだな。憂い事は早急な対応が必要だろうな」

 

 そう言った物の、これ以上の対策のしようがなく、完全に後手後手の対応になる事は明確に予想されていたが、こればかりは仕方ないと諦め、常時警戒を怠らない事を念頭に出撃する全ての人間に対して通達する事を決めていた。

 

 

 

 



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外伝15話 (第62話)忍び寄る脅威

 2人の研修が少しづつこなれて行くと同時に、極東支部では未だ気が付いた者がいないのか、ここ数日の間にミッションの件数が急激に伸びていた。

 当初は研修がしやすいとばかりに討伐をこなしていたが、最近ではその数が異常とも思えるレベルにまで膨れ上がり、新人を中心に疲労だけが徐々に蓄積され始めていた。どんな訓練された人間であっても、休息も無しにこのままの状態が続くようであれば、近いうちに大規模ミッションが発注された場合に被害そのものが甚大になる可能性が予測され、その解消とばかりにローテーションで休息を入れる様に指示が出されていた。

 

 

「ちょっと最近の出撃数はおかしくないか?」

 

「以前にもこんな事があったけど、今回は当時よりも輪をかけて酷いかもね。今はまだ何とか凌げているけど、ここで厳しい物が発注されれば被害がそろそろ出てくる可能性が高いだろうね」

 

「だよな。今は他のチームのメンバーと出てるけど、動きに精彩が無くなりつつあるのが分かるから、この辺りで手を打つ必要があるかもね」

 

 エイジとコウタが漸く一息入れる事が出来たのは、時間が既に夕方近くに差し掛かり周りも漸く落ち着きを見せ始める頃だった。今回はあえてそんな話をしているが、確かにここ数日のミッションには今までにない様な行動パターンのアラガミが増え始め、体力だけではなく精神的にも徐々に疲弊しているのが実感出来ていた。

 だからと言って何もしない訳にも行かず、結果的には複数のミッションをこなしてるのは第1部隊のメンバーが中心だった。

 

 

「任務お疲れ様でしたエイジさん。すみませんが榊博士が呼んでいますのでラボまでお願いします」

 

 疲れた体に鞭を打って、漸くラボに着くと、そこにはツバキと無明、タツミまでもが部屋の中に居た。表情は総じて暗く、この時点で良くない話になる事だけはエイジにも理解できていた。

 

 

「疲れている所すまないね。今回君たちに来てもらったのは、ここ数日に間に起きたミッション件数とその内容なんだ。当初は気が付くのが遅れたので気にもしていなかったが、統計を取ると意外と面白い事が分かってね。それで君たちに来てもらったって訳だよ」

 

 榊の言う通り当初は気にも留めていなかったが、ここ数日の間に決定的に何かが起きている事が判明していた。一番の理由がアラガミの動きが鮮やか過ぎているのか、攻撃方法と撤退の速度が今ままでには無い動きのパターンだった事が判明していた。

 以前、リンドウの神機を体内に入れたままのディアウス・ピターを想像していたが、その当時でさえもここまでの動きを見せる事は無く、今回はそれ以上に洗練されていた。

 そんなパターンを色んな角度から見た結果として榊は一つの仮説を立て、またそれを立証すると同時にある程度の確信と思われる物に突き当たっていた。

 

 

「今回の行動パターンに関しては、ある仮説を立てていてね。その結果なんだが、正直な所僕としては当初有り得ないと判断したんだ。しかし、仮説を立て検証すると一つの可能性が極めて高く、また今回の件については今後考えられる可能性も示しているんだ」

 

 普段であれば、ここまで改まった言い方をする事は無い。そんな事を知っているからこそ発言の方法に全員の心は最悪の事態を想定しながらも凍り付く寸前だった。

 

 

「今回の連続した襲撃なんだけど、おそらくは作為的な物だと仮定すると全部の可能性が一気にクリアになるんだよ。ただ、今の所アラガミをどうやって操作しているのかは判断できないけど、今ままでの行動パターンはまるで一つの軍隊の様にも見えない事は無いね。旧時代にも動物を使って一つの部隊を考えた事があるらしいけど実用的とは言えず、結局は日の目を浴びる事は無かったみたいだね。こんな時に言うのも何だけど実に興味深いよ」

 

 

 誰もがまさかと思う反面、可能性を捨てきる事が出来なかった事実でもあった。

 仮にある程度アラガミの行動をコントロールできるとなれば、戦局は一気に悪化し最終的には全滅の可能性も含まれていた。

 仮説の段階である以上、それが事実かどうかの検証は不可能であるものの、これ以上長引く様であれば他の支部からの増援を依頼した所で結果は何も変わらない事になる。

 ましてやアラガミはコアの剥離が終わればやがて霧散し、その場所には何も残らない。ある意味検証は不可能とも思われていた。

 

 

「榊博士の可能性については否定できない。しかし、今の時点で最悪の事を考えていても何も始まらん以上は最悪の事態の回避、そして可能性を潰す事を先決とする他ない。

 ただ、現状は小型種と中型種に限定されている様にも見えるのが唯一の救いだろう。その小型種を狙って大型種の個体が来る可能性は否定できない。各自それを頭に入れておいてくれ」

 

 これ以上の事は士気にも関わる事となるのであれば、これ以上の追及は必要ない。あとはいかに鼓舞させる事で普段のパフォーマンスを発揮させる事に重点を置く以外に手は無かった。しかし、この状態を良しとはせず、独自に調査する必要性も出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アネットさん、今日は久しぶりに休みが取れたので外部居住区へショッピングに出かけませんか?」

 

 連続した襲撃も一段落を迎え、ここで一旦休憩を入れて気力と体力の充実を図るとばかりに、ローテーションで各自が休みを取る事になった。普段であれば一人でショッピングに行く事もあるが、ここ数日の連戦の影響からか、ほかのメンバーとのタイミングも合わなかった事から、アネットはアリサからショッピングへの誘いを受けていた。

 

 

「そうですね。特にやるべき事もありませんから、一緒に行きます」

 

 同年代のメンバーであればヒバリやリッカが真っ先に上がるが、今回は期間限定での研修で来ていたアネットと出る事で今までの雰囲気を変えるのと同時にアリサなりに、ここまで激戦になるとは想定していなかったアネットのフォローとばかりに色んな所を出歩いていた。

 普段はアナグラに籠る事が多く、余程の時間にゆとりが無い限りアナグラから離れる事は無かったが、今回厳重な警戒中にも関わらず、今後の事を踏まえての休息なので、緊急出動の可能性は皆無でもあった。

 久しぶりの休暇は想像以上に心を解放する事に大きく貢献し、当初は他のメンバーには申し訳ない気持ちで一杯だったはずが、気が付けば完全にその気持ちが消え去り、結果としてはリフレッシュに大きな成果を果たす事となった。

 

 人間万事塞翁が馬。ここ極東には古くから言われていた故事成語が未だに多数存在している。

 

 戦いに慣れているベテランとは言え、常時神経を張りつめている事は無く、どこかで必ず安定を求める為に時として周囲への警戒が無い事が起きる。戦時中ならばともかく、外部居住区の中ではその傾向がより一層顕著になっていた。

 色んな場所でのショッピングを楽しみ、休憩とばかりに近くにあったカフェに入った時だった。ここぞとばかりに色んな物を買い込んだ2人は出されたコーヒーを口に、買い物した内容やアナグラでは中々言いにくい事をここぞとばかりに話そうとした時だった。

 

 

「あの、アリサさん。さっき何か声が聞こえませんでしたか?」

 

「声ですか?いえ、特には聞こえな……」

 

 アネットからの申し出に改めて周囲の状況を探るかの様に見回していた。当初は気のせいだろうと思っては見た物の、アネットの表情からあまりにも真剣な事が読み取れ、改めて周囲状況を窺った先で僅かに聞こえたのは女性の悲鳴。ゴッドイーター故に気がついたが、恐らくは誰も気が付かないのかもしれない程の声。

 声の主は分からないが、どう聞いても女性の叫び声の様な物が微かに聞こえていた。

 

 

「アネットさん。僅かですけど女性の叫び声らしい物が消えたので、少し様子を見て来ます。すみませんが荷物を見て貰っていても良いですか?」

 

「えっ?アリサさんどこへ行くんですか?」

 

 アネットにそう言い残し、声の元へとアリサは急いで走り出した。

 ここ数日の連戦のブリーフィングの中で、些細ともとも取れる様な話が少しだけ出ていた事を思い出していた。

 ここ数日の間に起こった外部居住区での住人の失踪。今なお原因は不明で一人も戻っていない状況から、アナグラでも対応に追われていた。

 失踪の原因と状況が不明であるのは少なからずとも警戒をする要因でもあった。

 そもそもフェンリルがゴッドイーターに求める物は対アラガミの剣としての機能であって、決して外部居住区の治安維持を目的とはしていない。そんな前提の中で居住区に関する事案は内部での自警団に一任する形を取っていた。

 旧時代であれば犯罪を取り締まる組織があったが、アラガミ出現以降は犯罪を犯す前に自身が食われる可能性が高く、また犯罪が完全に無い訳ではないが数字だけ見ればゼロに近いレベルでもあった。

 統計上の関係もあり、他の支部でも自警団を組織する事によって内部の治安維持に貢献していた。

 

 

「まさかとは思うんですが、念の為に確認しないと」

 

 そう呟きながら現場と思われし場所に着いた途端、背後から何者かによってアリサの意識は奪われていた。この時点で確認する術は何処にも無い。人知れずアリサはこのば場から連れ去られていた。

 

 

 

 

 



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外伝16話 (第63話)緊急

 アリサが走り去ってから20分が経過し、いくら何でも遅すぎるのではと思ったアネットはアリサの端末に連絡を入れ、状況を確認する事にした。

 暫くの間コールするものの、一向に出る気配は無い。まさかとは思いながらも荷物は運送業者に託し、アリサの向かった方向へと走り出した。

 時間から考えればいくらゴッドイーターと言えど街中を早く走る事は不可能に近く、またこの人ごみでは捜索するのは困難とも思えていた矢先だった。

 

 

「アリサさん!何処ですか!返事して下さい!」

 

 周囲を見回した先で、いつも見慣れているアリサの帽子がそこに落ちていた。路地を曲がった所の為に人影は無く、そこには人間の気配を感じる事が出来なかった。

 

 

「ヒバリさん。緊急でお願いしたいんですが、アリサさんの現在位置情報を確認してもらえませんか?」

 

「アネットさん。アリサさんが、どうかしたんですか?」

 

「先ほど女性の叫び声の様な物が聞こえたので、アリサさんが現場と思われる場所に向かったんですが……ここには帽子が落ちていたのと、携帯端末を呼び出しても連絡が付かないんです」

 

「分かりました。直ぐに捜します」

 

 連絡先の向こうでヒバリが息をのんだ様子が端末越しても直ぐに分かった。連絡が取れず現在地は不明であれば考えられる事は限られてくる。恐らくは何らかのトラブルに巻き込まれた事だけが容易に理解出来ていた。

 焦るアネットの声を尻目に、ヒバリは可能性があると思われる事を信じ、ひたすらアリサの居場所の特定を急ぐ。このままではと最悪の事態も予想しながら解析を続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒバリちゃんどうかしたの?」

 

 ミッションの合間に休憩がてらタツミはロビーまで来ていた。ここ最近の組織だった襲撃の為に第2、第3部隊は常時緊張を強いられ結果としてギリギリの状態を維持させられる形となっていた。

 何時もであれば大型種がやってくる事が多かったが、ここ数日は大型の討伐任務が無い代わりに小型種を主導とした頻繁な出動要請に少なからずとも疲労感を覚えていた。

 このままだと近い将来ミッションそのものが困難になるのではとのそんな考えから癒しを求め、タツミはヒバリの顔を見にロビーへと足を運んでいた。

 

 

「タツミさん実は……」

 

「ヒバリちゃん直ぐにツバキ教官に連絡だ!」

 

「ツバキ教官!緊急事態です!」

 

 当初は何時もの通りの様子だったはずのタツミの表情がヒバリからの報告でみるみる内に変わると同時に自分の通信端末から緊急事態発生とばかりにツバキへと報告を急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで全員が集まったな。ではこれから緊急ブリーフィングを執り行う。既に知っての通りだが、本日休暇中にアリサが行方不明となった。現場には帽子以外の物は何もなく、恐らくは何者かに攫われた可能性がある。

 なお、今より緊急特化条項を発動する。今回の件に関しては守秘義務が各々発生するので情報の取り扱いには十分に気を付ける様に」

 

 タツミからの通信は瞬く間に榊博士と無明にも伝わると同時に、部隊長でもあるエイジにも伝えられた。

 緊迫した空気の中ツバキの厳しい声が支部長室の中に響き、呼ばれた人間は嫌が応にも緊張感が高まっていく。既にアリサの失踪から既に3時間が過ぎ去ろうとしていた。

 

 

「今回の事案に関してだが、現在地の特定は出来なかったが、途中までは確認している。ここからは推定なので明確な事は言えないが、今回の拉致の背後にはおそらく何らかの組織的な集団がいる可能性が高く、今後の状況と現在の状況を照らし合わせ捜索、及び奪還に関しては少数で執り行う。

 なお人選についてはこちらで選定する為に、呼ばれた人間は30分後に再度ここに来る様に以上!各自持ち場に戻れ」

 

 ツバキの厳しい声と共に今後予想される事はある程度想像できるが、相手は不明の状態での戦闘はいくら歴戦のゴッドイーターと言えど容易ではない。時間の経過と共に最悪の事態だけが呼ばれた全員の脳裏を横切る。それほどまでに事態は切迫していた。

 全員が一旦持ち場へと戻るが、その場には戻る事も無くエイジだけが残っていた。

 

 

「兄様、今回のアリサの件ですが、志願させてください」

 

「気持ちは分かるが、今回の事案は恐らく今までの中でも厳しい物になる。これはまだ推測の域を出ていないが、ここ最近各支部でも色々と拉致被害が頻繁に出ている。フェンリルとしてはこの事実を認めるつもりは無いが、既に何人かの神機使いまでもがその被害に合っている。今回の件についても恐らくはそれが原因の一端を担っている可能性が高い。それでも行くのか?」

 

「いかなる事実があろうとも、気持ちは変わりません。これは部隊長としてではなく、一人の神機使いとしての判断です」

 

「覚悟はあるんだな。今回の任務は恐らくフェンリルが隠蔽している以上、何らかの暗部に足を突っ込む事になるのと同時に、敵はアラガミだけではない可能性が高い。その手を血で染める覚悟が出来ているんだな?」

 

 この時点で、相手が一体何なのかは榊もツバキも予想していた。しかし、その前提が有り得ないとの考えに囚われ、その事実から目をそらしている事に変わりない。

 ただでさえ、原因不明のアラガミの襲撃をも凌ぐ必要性がある以上、余剰戦力は既に存在していない。そこには厳しい現実だけが待ち受けている可能性が極めて高かった。

 

 

「おい、無明。いくら何でもエイジを連れて行くのは」

 

「ツバキさん。ここは本人の意見を尊重したいと考えている。恐らくは教団が何らかの形で関与している可能性が否定できない以上、アリサの安否は保証できない」

 

「ツバキ君、君の言いたい事は理解できるが、アリサ君はまだ数少ない新型神機使いである以上、早急な対処を必要としているのは間違いない。ここは無明君の言う事を一番と考えようじゃないか」

 

「ですが博士。いくら何でも2人だけでは」

 

「それなら姉上。俺も行くから心配するな」

 

 この緊迫した中で姉上と呼ぶ人間はアナグラには一人しかいない。ツバキが振り返ると、そこには去ったはずのリンドウの姿があった。

 

 

「リンドウ、おまえはこれから産まれてくる子供を抱き上げるのに、その手が血で染められた状態で後悔は無いのか?」

 

「あのな、俺は今ここにいる事そのものが奇跡だと思っている。あの時お前に助けられてなかったら俺はこの場に居ない。だからこそ、お前に恩義も感じているし何かあった時には力になりたいとも思っている。それだけじゃ不満か?」

 

「あの事は恩義に感じる必要性は何も無いと言ったはずだ。今回の事案は間違いなくアラガミだけではない。恐らくは人間も対象になる。万が一の事があった場合、お前に人を斬る事が出来るのか?

 間違いなく殺意を向けられた時に動けないのであれば足手まといになるだけじゃない。ここに居るメンバーの影響も考えろ」

 

 この時点でリンドウを説得する事は恐らく不可能だと思いながらも、なお思い直す様に説得を続ける。ゴッドイーターはアラガミに対峙しても人間の悪意に対する存在ではない。そんな事はリンドウも理解している事は誰にでも分かっていた。

 にも関わらず、この場で食い下がる以上、無明には打つ手が無かった。

 

 

「これ以上の説得は無理のようだな。ここから先は死地に向かうのと同じだ。怯んだ瞬間にその命は簡単に無くなる可能性がある。ゴッドイーターだから大丈夫なんて理論は通用しないぞ」

 

「そんな事は分かっているさ。足は引っ張らないから安心しろ」

 

「これから一旦装備を整えて出発する。ツバキさんには現地のナビゲートを頼む」

 

「場所は分かっているのか?」

 

「直前まで反応があった場所から推測すると、おそらく本拠地はエイジス島だ。ただ、あそこは地下施設で居住できる様な配置になっているはずだから、恐らくはその中のどこかにあるのだろう。後は現地で確認しながら対応する事になる」

 

「だからナビゲートか。分かった、こちらも図面の手配と準備にとりかかる」

 

 ここでのやり取りが全て終わり、これから潜入任務が開始される事になった。

 本来であればアナグラからの直通の通路があったが、崩落と同時にその通路は完全に塞がれ現状はヘリかボートでしか行く事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここから先は俺が前線で索敵しながら進攻する。規模はまだ不明だが、教団であろうがテロ集団であろうがアラガミよりも人間の方が攻撃してくる可能性は高い。それだけは頭に入れておいてくれ」

 

「了解」

 

「ツバキさん。聞こえるか?今から任務を開始する。ナビゲートを頼む」

 

「分かった。何が出てくるか分からない以上無理はするなよ」

 

 岸壁から這い登り、通気口とも言える場所から問題なく潜入に成功した。通常の討伐であればアラガミとの遭遇の可能性もあるが、通気口はアラガミが侵入するには狭く、人間がやっとは入れいる程のスペースしか無かった。

 気配を殺しながら少しづつ歩いていた先には、当然とも言える様に、銃器を携えた兵士と思われる一団がそこに存在していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは一体どこ?確かさっきまでカフェの所に居たはずじゃあ」

 

 攫われてから漸く目を覚ましたアリサは一面を見渡すと、見た事も無い景色がそこには広がっていた。

 直前までアネットとカフェで話をしていたが、叫び声と共に向かった先から記憶の糸がプッツリと切れていた。

 時間と共に徐々に記憶は蘇るが、肝心の部分から先が何も分からない以上、今の状況を確認する事を先決とばかりに気配を探っていた。本来であれば直ぐにでも脱出を考えるが、あいにくと手足には太いワイヤーで拘束されているので身動きを取る事が出来ない。

 この時点での逃亡は不可能だと半ば諦めが入ったかのように舌打ちをした。

 

 

「やあ、アリサ。暫く見ない間に随分と綺麗になった様だね。嬉しいよ」

 

 この声を聞いてアリサは苦々しい気分と共に表情が強張っていた。声の主は確認しなくても直ぐに分かる。夢ならば直ぐに覚めてほしいと願わずにはいられなかった。

 

 

 

 



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外伝17話 (第64話)決意

 無明の予想は嫌な方向に当たっていた。可能性としてはかなり高いとは思ったものの、まさかここまでとは思わず、今後の可能性を考えると難易度は格段高くなった事だけを理解した。

 今回の任務に関しては、本来であれば単独でこなすつもりだった。リンドウに向けた言葉の通りではあるが、ゴッドイーターは対アラガミの剣である以上、一般人に刃を向ける事は無い。

 万が一向けた場合には存在そのものが問題視され、恐らくその人間は今後白い目で見られる事となり、結果的にはゴッドイーター全体を敵視する可能性が予見出来ていた。そんな事も勘案した結果ではあったが、まさかリンドウが付いて来る事は想定外でもあった。

 

 エイジに関してはリンドウ程の危惧は意外な事に抱いていない。エイジだけではなく、屋敷に居るすべての住人が理解している事は一つだけだった。

 自分が生きているのは何らかの意味がある以上、その義務を果たさなければならない。元々無い物と考えていた命を少なからず無明が生きながらえさせる事により、自分の使命は何なのかを皆が理解していた。

 その前提があるからこそ、普段は生活の為に作業をすると同時に、己を鍛え上げる事も日常として考える。その結果が表に出る事でゴッドイーターの任についたり、または他の部分での貢献を本人の意図しない所で貢献している。

 外部からすればありえないと思えるかもしれないが、無かった物があることの有り難さ。それをどうやって活かすのか。そんな背景が屋敷にはあった。

 

 

「これって本当に教団なのか?」

 

「これで教団は無理だろうな。事実関係が分からないのと、首謀者が不明な今は何とも判断する事は出来ない。まだ斥候だろうから、ここで騒ぐと一気に押し寄せる事になる。まずは様子を見ながらだな」

 

 気配を殺し、息を潜める事で存在感を消し去るも、このままでは進む事は不可能となる以上、何らかの手段を取る事になる。無明としては2人を出来るだけ表に出さずに対処したいと考え、行動に移す事にした。

 諜報活動で重要なのは存在感を完全に消し去り情報を持ち出す。これが重要な任務となる以上察知させないままの行動は必須とも言えた。

 

 気配を完全に消し去った無明は空気と何も変わらない。リンドウ達は目視しているので理解しているが、斥候がこちらに気が付く事は無い。

 僅かに息が漏れるそんな瞬間だった。気配を完全に殺し、背後から刀を水平に構えたと同時に心臓に向かってただの一突きでその斥候は血を吹き出しながら崩れ落ちると同時に、その命は消え去った。

 

 今回の潜入の際に、神機以外に無明は用意したのは四振りの刀だった。神機でも攻撃出来ない事は無いが、大きさからすると狭い場所では思う様に振るう事も出来ず、最悪の場合には自身の命が危うくなる。その可能性も考慮した結果でもあった。

 本来であれば簡単に用意する事は出来ない。がしかし、万が一の事も考え刀の鍛冶、メンテナンスはナオヤに託していた。

 連絡を貰った当初はナオヤも驚きこそしたものの、それが当たり前であるかの様に準備していた。もちろん、今回の件ではそれだけではなく、ほかにもいくつかの武器を持ち込んでいるが、無暗に使う事を良しとせず、状況に応じた対応で先を進んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大車!あなた生きてたんですか」

 

「嫌だなアリサ、あの頃は大車先生とちゃんと呼んでくれたのに。残念だよ」

 

「あの時と今は違います。何で私をこんな所に!」

 

「そんなに叫ばなくても聞こえているよ。なに、簡単な事だよ。僕と君は新世界の神になるんだ」

 

「何を馬鹿な事を。そんな事出来る訳ない」

 

 アリサの手足ににはワイヤーで締め付けられているせいか身動き一つ出来ない。

 ゴッドイーターの力であれば簡単に引きちぎる事が可能だと考えているも、肝心のワイヤーは何も変化する事は無かった。大車の話はともかく、今の状況が如何に拙い状況と作り出しているのか理解できるだけに、一刻も早くこの場から逃げ去りたい気持ちしか無かった。

 

 

「あれから僕は色々と学んだんだよ。ここにいるのもその研究の集大成だ。間もなく新世界の神の尖兵を作り出す。後の事はそれから考えれば良いんだよ。その為には君が必要なんだ。分かってくれるね」

 

 アリサを舐め回すかの様な視線に抵抗を試みる物の、拘束された状況では何もする事は出来ない。このままでは何をされるのか考える事すら拒否したいと願うも、目の前に居る大車はそんな事すら意に介さないと言わんばかりに視線だけではなく、太腿を撫でまわしていた。

 まるで蟲が這いつくばる様な感触にアリサは耐える以外何も出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気づかれる事も無く侵入に成功した無明達は、暗殺とも言える手段で何事も無く進んでいた。しかしながら構造を思い出すとこれ以上の隠形のままの進攻は無理と判断し、ここから先は時間との戦いになる。

 今までに手をかけて来た人間は全員が完全武装状態で巡回している状況を勘案すると、ここから先は覚悟が必要になる事だけを判断していた。

 

 

「リンドウ、エイジ、もう一度確認する。ここから先は一気に殲滅しないと自身の命が危うくなる。いくらゴッドイーターと言えど銃弾を浴び続ければ待つのは死だ。それでも行くのか?」

 

「ここまで来て、引き下がるなんてねえよ。前にも言ったが、お前に助けられて生きながらえてるならば、お前の為に使うのも当然だろ」

 

「兄様、今はゴッドイーターではなく屋敷の人間として発言します。今回の任務は自身の今までの成果がいかなる結果になるかの確認のつもりです。これがクリア出来ないのであれば、自身の存在意義が見いだせなくなります。ここから先は一人の者として動きますので気に掛ける必要はありません」

 

「そうか。お前たちの気持ちは分かった。ならば此処で言っておく、神機を使うならば銃形態は使うな。あれば対アラガミには有効だが人体への影響は少ない。力を温存するのであれば余程の事が無い限り使うな。それと使うならこれを使え」

 

 無明は潜入してから、今の一度も神機を使う事無く進んで来た。

 獲物が大きいと使い勝手が悪いだけではなく、神機はあくまでもアラガミを殲滅するものであって、人体に対して使う物では無いと判断していた。その為にケースを持ちながらの移動をしていたが、ここからは抜き身の状態を維持しつつ進攻する事に決めていた。

 そんな中で、改めて手持ちの中から刀を二人に渡す。これが何を意味するのか、改めて説明を聞く必要性は無かった。

 

 

「今までの連中の武器は明らかに最近どこかで製造された物なのは間違いない。アラガミには効かなくても人体には大きく影響を及ぼす。また、どんな弾丸が使われているのか分からない以上無暗な行動はするな。極力回避するんだ。でないと、ここでの行動制限は死につながる。良いな?」

 

「了解しました。ここから開始ですね」

 

「一気に殲滅する。出来ない場合は最悪でも無力化するんだ」

 

 その声を皮切りに、若干広くなった場所へと一気に躍り込む。突如現れた侵入者に各自は驚きはするが、直ぐに気を取り戻し、全員の銃口が無明たちを襲った。

 常人であれば躍り出た瞬間に向けられた銃口から出る弾丸で蜂の巣になっているも、ゴッドイーターの様に明らかな違いがあれば、狙いをつける頃にはその場には既に居ない。パニックを起こして銃の乱射があれば同士討ちになる可能性がある為に、そこに居た兵士は銃を持ち替え、コンバットナイフを手に取っていた。

 

 一般人とゴッドイーターに大きな違いはオラクル細胞による身体の活性化とそのレベルの差でもあった。

 一般常識では考えられる事の出来ないアラガミと対峙している人間からすれば、幾ら鍛えあげられていた兵士と言えども赤子の如き扱いで制圧する事ができる。事実、攻撃対象を見つける頃には背後から一撃で刺され、場合によっては腕や足が千切れ飛ぶ程の斬撃で斬りつけられていた。

 戦力差は一般人とは比べ物にならない程大きな差が付いていた事だけが一つの事実として残っていた。

 広場の床が血で染まり、斬られた兵士の腕や足が散乱しているその先の所に、人間ではない気配が大きく感じる。の気配は今だ開かれていない大きな扉の向こう側から発せされていた。

 

 

「恐らくはここには人間以外にもアラガミが居る様だな。これで恐らく今回の極東支部の襲撃の原因が掴めた様な気がする。各自気を抜くな」

 

 人を斬ろうがアラガミを斬ろうが、同じような感覚で物事を捉えている無明は、一人落ち着いた感じでこの先にある物を感じ取ってい居た。

 扉の大きさと気配から想定出来るのは一つ。アラガミは確実に中型種以上の物である事を確信していた。

 

 

「無明、アラガミがこんな居住スペースにいるのか?」

 

「本来であれば居ないと言いたいが、恐らく扉の向こう側に何体かいるはずだ。ただ、何か様子がおかしい。

 気配はあるが、攻撃本能とも言える様な雰囲気は何も感じない。万が一の事も想定するが、ここは扉を開けない事には何も進まないだろう」

 

 目の前には異質とも取れる程の大きな扉が以前閉じられたままだった。通常であればこの程度の扉はアラガミの力では簡単に開くはずが、開く気配が何もない。警戒しつつ、扉を開くとそこには驚愕とも取れる光景がそこにはあった。

 

 

 

 



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外伝18話 (第65話)可能性

「まさかとは思うが、これはアラガミなのか?」

 

「見た目はともかく、これはそうだろうな。ただし、これを生きていると表現するには問題があるのは間違いない。可能性としては人造アラガミの過程と考えるのが正解かもしれないな」

 

「でも、そんな事誰が一体?」

 

「今回の事案の首謀者か、もしくはその側近レベルの科学者がいるのかもしれない。人造アラガミは既に実戦に投与されているからな」

 

 無明の指す人造アラガミ。特異点をガードする存在として作られた アルダノーヴァは今は亡き前支部長でもあったヨハネス・フォン・シックザールが製造していたものだった。

 現在の所そのアラガミは極東支部の中でも極秘扱いとなっており、これが表に出ればあらゆる面で大きな混乱を招く事になる。その為にこの情報は極秘として情報統制されており、今もなお一部の人間以外は何も知らないままだった。

 

 

「可能性としては当時のデータをどこからか入手したのか、それとも当時その研究をしていた人間が今もなお続けているかのどちらかだろう。これに関しては今回の事案が解決次第、闇に葬り去るのが懸命だろうな」

 

「確かにこんな物が出たんなら世間に対するインパクトは大きすぎるだろうな。にしても誰かは知らないが厄介な物を作ってくれたもんだぜ」

 

「兄様、これはどうしますか?」

 

「このままには出来ない以上、この場で廃棄だ。今回の任務に追加としてこのデータの全抹消も追加だ」

 

 世の中に絶対と言う言葉が無いのは誰でも理解しているが、今回の内容に関しては明らかに処分しなければ、今後このサンプルとデータがあれば同じようなケースに出くわす可能性は極めて高かった。

 また、何らかの過程の中で表に公表するにはセンセーショナル過ぎた。人類を守護すべき者が敵対する物を製造している事実はあまりに大きすぎる。これまでに信頼されていた物が一気にひっくり返されるとなれば、いかに無明と言えど、対処は不可能だった。

 一番はアリサの救出だが、二番手としてこのデータを廃棄する事を改めて確認し、次へと急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの場所から囚われてからどれ位の時間が経過したのだろうか?拘束されたアリサは既に時間の概念を失いつつあった。

 外部の情報や外の景色が見えればまだ体内時計が狂っていても修正はできるが、現状は何も確認する事も出来ず、薄暗い部屋に入れられた状態がアリサを精神的にも追い詰める。

 偏食因子の投与もギリギリまで投与されず、食事に至っては粗末な物が時間を空けて僅かに出された程度だった。

 本来であれば特定の意識が向けられているはずのアリサに、ここまで杜撰な対応をする事は有り得ない。大車の心情と思考が自分に向けられている事をアリサは知る由も無かった。このままでは拙いとは考えるも、この場からの脱出が出来ない以上、もはやその心境は諦めにも近い物が漂いはじめていた。

 

 大車はアリサの動向をモニターで常時確認していた。目の前に行けば意識がそこに向いてしまう以上、こちらが思うような結果を得るには難しいと判断し、その為に次なる一手に出ていた。

 本来であれば難しいのだが、アリサ自身気が付いていない部分。深層心理でのトラウマは完全に克服されておらず、またそれが決定的な隙として付け込む事ができる大きな欠陥となっていた。

 恐らくアリサ自身がまだ許していない事。そしてそれが引き金となったあの襲撃が全てを物語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 両親の襲撃から時間が空いた頃に、突如現れそのまま新型神機使いとして所属していた頃に出会った一人の少女オレーシャ・ユーリエヴナ・バザロヴァの存在だった。

 両親がアラガミの目の前で食べられてから以降、精神的な疾患の治療と称し、今後は障害になるであろう人間の処分をさせる為に、洗脳じみたマインドコントロールがひっそりと施されていた。

 当初は大車の治療方針に異を唱える者もいたが、マインドコントロール下における、新たな記憶の上書きにより傍から見れば症状は時間と共に改善されいて居る様にも思われた結果、誰も口を出す事も出来ない事を逆手に取る。

 外部からは確認しようにもその手段が無い為に、当時、大車の主張はそのまま認められた事もあり、アリサの記憶の中に時限爆弾とも思われる様に記憶をコントロールしていた。

 本来であればこのまま神機使いとして使命を全うし、来るべき時に秘められた任務をこなす事が出来るマリオネットの様に扱う事が決まっていた。そんな状況下においてオレーシャはアリサを親しい友人として同じ任務に励み、時として姉とも家族同然の付き合いをして過ごす様になっていた。

 

 一定の環境下にあれば本来マインドコントロールが解ける事は無い。にも関わらず、オレーシャはアリサ自身が気が付かない心の壁をいとも簡単に乗り越え、幼いころからの親しい友人とも取れる様な付き合いをしていた。

 本来であれば、この時点で大車はマインドコントロールが解ける事を懸念し、引き剥がす事を優先するはずだった。しかしながら、大車はそれをする事が出来なかった。

 まだ少女でもあるアリサに目を奪われアリサ自身が持っている本来の美貌を垣間見た時だった。本来であれば駒としか思えないはずのアリサに劣情を催し、手に入れたい気持ちが元で変質的な衝動に襲われる事になった。

 

 それから幾日かが過ぎ、このままでは今まで自身が施してきた物が全て水泡に帰すのでは思われていた時だった。本来であれば任務対象外のアラガミと遭遇した場合、速やかに撤退するか迎撃するが、その時は不運が重なり、アリサとオレーシャしかその場には居なかった。

 このままでは全滅する可能性が高く、応援を待つ余裕も無かった事もあり、オレーシャは自ら囮となってアリサを逃がす事に成功した。

 その後は捜索オレーシャの捜索にあたるも、結果的には捕喰されたと結論付けされ、そのまま捜索は打ち切られていた。

 その事実を知ったアリサは自分自身を責め、以前の状況に戻ろうとした際にオレーシャの姉でもあるリディアにアリサの為だと説得し、オレーシャの記憶を消す事にした。この時点で表向きにはアリサには何の非も無く、またこの事実を知る当事者にも緘口令が敷かれる事となり事態は収束していた。

 

 本来であればこの時点でアリサの記憶には何も無いはずだった。しかしながら、今までの人生経験の中で感じていた幸福感やその感情までもが消失した訳ではなく、単に記憶の深層に封じ込んでいるにしか過ぎなかった。

 アリサ自身が思い出すのではなく、時として夢に出たりと完全に忘れ去っている訳ではなかった。

 端的な記憶の中で全部を知る事は不可能でもあり、また第三者がそんな事実を確認する事は出来ない。そんな得体の知れない感情の中で、アリサは心因的にリディアを次第に避ける様になり、結果として大車と共に極東支部へと異動する事になっていた。

 

 

「アリサ、君の記憶の底にある物を引きずり出させてもらうよ。その時の君の顔が今から楽しみだよ」

 

 大車はアリサ自身を手に入れる為に当時のマインドコントロールの状況を再び利用し、そして自分の物にしようと企んでいた。

 その為には今の状況を良しとはせず、まずは精神の衰弱をさせ、その後に封印していた記憶を蘇らせる。

 自身の欲望の為に再びアリサをコントロールしようと企んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無明達が潜入し、どれ位の時間が経過したのか、それを確認する術は何も無い。本来であれば、潜入の際には単独での行動が望ましいが、先ほどの培養液が入って居ると予想されたケースの中にはアラガミとも人間とも思えない様な物がサンプルか、標本の如き状態で保存されていた。

 アラガミはオラクル細胞から発生し、捕喰を繰り返す事で進化を遂げる事はゴッドイーターであれば誰もが知っていた。しかし、この中にあったものはその常識を覆し本来のアラガミとは違った異形の物とも思える物だった。

 

 

「まさかとは思ったが……これを考えた人間は恐らく、アラガミと人間を融合させようとしてるのだろう。これはその結果と判断した方が間違いないな」

 

「なあ無明、そんな事出来るのか?」

 

「理論上は可能だ。オラクル細胞が持つ本能とも言うべき部分を制御する事が出来ればが前提だ。我々ゴッドイーターも理論上は同じでしかない。ただ、対抗する細胞を常時摂取するからこそ今が保たれているに過ぎない。ただ、この研究に関してはそれよりももっと根本的な所が違うのかもしれん。

 従来のアラガミならばコア剥離と同時に霧散するが、強固な個体であれば暫くは形が残る。その際に細胞を摂取して培養したんだろう」

 

「そんな事は可能なんですか?」

 

「エイジ、今俺たちが潜入している所はどこだ?」

 

 極東支部の交戦地域に中でもここエイジス島は一般的な場所と比べると、明らかに個体の強さが際立ったアラガミの出現率は極めて高かった。本来であれば人工建造物に寄ってくる可能性は低いが、ここには本来であれば長期間に耐える事が出来る為のオラクルリソースが保存され、そして激闘とも言えたアルダーノヴァとの戦いの後に飛び去ったノヴァの残滓がここにはまだ残されている。

 その結果、餌に群がる動物の様に色んなアラガミがここに来る。弱肉強食と言える生存競争の中で、ここに来るアラガミは自然と高位の存在となる事が多かった。

 

 

「まさか、ここでの討伐後の細胞を使ったって事ですか?」

 

「そう考えるのが無難だな。そうなると間接的に協力していると言われれば、そうとしか答えようが無い。だが、これはまだ推測の域を出ていない以上、ハッキリとした証拠が無ければ真実は見えてこないだろう」

 

「ま、何にせよ早いとこアリサを救出して、その後でここのデータは廃棄で良いんじゃねえのか?」

 

「それが一番だな。まずは今後の事も踏まえて再度確認する必要がある。ツバキさん、さっきの話は聞いていたか?」

 

《ああ、聞いていたさ。しかし、この事実に関しては私が言う事ではないが、確実に処分しないと、後々の禍根になりかねん。ましてやアラガミの残滓で作りましたでは、対応する事すら出来ないだろう。この件については博士にも連絡しておくが、処分の方法は無明に一任する》

 

 ゴッドイーターと言えど、清廉潔白だけでやって来た訳ではない。ましてや今回のメンバーに関しては特務と言う名での任務をこなしている以上、否定も肯定もする事は無かった。

 

 ただあるのは目の前にある事だけが真実。そう考える事で、この先へと急ぐ事を決めていた。

 

 

 

 



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外伝19話 (第66話)推測

「ここは、確かロシアの……」

 

 記憶も虚ろな状況が長く続き、アリサの意識と現状認識が徐々に崩れ出していた。

 囚われてからの時間の経過は最早認識する事も出来ず、最悪とも言える環境の中であれば、その状態に陥るのは時間の問題だと思われていた。洗脳にしろ、マインドコントロールにしろ本人の意識が混濁し始めれば容易に結果を出す事が可能となる。大車はあえてその方法を選択し、それを実行していた。

 余程戦場の中に長期間身を置いた人間と言えど、時間の経過と共に認識の壁は崩れ、やがて精神はゆっくりと崩壊する。

 そのままでは何の意味も成さない為に、その直前になってから、アリサは本来の予定していた行動を無意識にとり始めていた。

 

 

「アリサ、このままじゃダメ。ここから逃げて!」

 

「オレーシャを置いて逃げるなんて出来ない!」

 

「このまま時間を稼ぐから、アリサは応援を呼んで。それまでは何とか持ちこたえるから!」

 

 これは一体現実なのか夢なのか。本来のアリサであれば間違える事無く答えを出す事は出来ていた。しかしながら、意識と行動の自由を奪われ徐々に思考が崩壊し始めているアリサにはその区別を着ける事は出来なかった。

 

 

「オレーシャはアリサを庇って捕喰されたらしいよ」

 

「らしいな。見つかった時には上半身は無かったらしいぜ」

 

「あいつって、アラガミをみた瞬間に体が竦んで動かなかったってさ」

 

 囮となってアリサを庇ったあと、増援を呼んで現地に戻ったアリサが見た物はオレーシャだった下半身と神機が血だまりの中で残されていた後だった。

 ゴッドイーターである以上、アラガミによる捕喰で殉職する事は日常の中では当たり前の話でもあり、その事実はゴッドイーターならば誰でも知っていた。

 アリサにとっても全く知らない話ではない。事実、所属していた部隊の人間が同じような目に合った事も聞いていた。

 しかし、自分とは何の関係も無い人物だからこその判断でもあった。今までの中で殉職した人間にも友人や知人はいた筈だが、アリサはどこか他人事の様にも思え、それは結果的には実力が足りないからだと勝手に判断していた。

 そんな中での今回のオレーシャの殉職はあまりにも身近すぎた結果、精神的な負荷が襲い掛かり精神に異常をもたらし、そこに追い打ちをかけるかの様な誹謗中傷の声がアリサの精神を崩壊させる事に拍車をかけていた。

 

 

「アリサ……なんでもっと早く来てくれなかったの?」

 

「私の事を見殺しにして自分だけ助かるなんて……酷いよ」

 

「アリサ……アリサ……アリ……サ…ここは…寒いよ……早く…ここに来て」

 

「違う!私は…私は…違うの!オレーシャ!」

 

 外部から今のアリサの心情を確認する術は何も無い。しかし、この時点でアリサの精神の改ざんを確信していた。そこには卑しい笑みを浮かべたまま画面を見つめていた大車が居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一旦方針を決めてからの行動は神速とも言える程の勢いで、内部を一気に進んでいく。ここまでの戦闘の中でアラガミの姿は何もなく、当初に見たサンプル以外にアラガミの気配は微塵も無かった。

 しかしながら、ここまでの道程で多数の兵士との戦闘を繰り返し3人は既に返り血を浴びはするものの、気力が衰える事は何も無かった。

 

 

「あの後はアラガミの気配は何も無いけど、このまま行けるか?」

 

「可能性はゼロだな。あそこにあれがある以上、アラガミはどこかで必ず出てくるだろう。関連付けるのは難しいかのしれないが、アナグラの襲撃はここからだと考える以上、いずれ出くわすと考えるのが自然だ」

 

《無明。この先にまた大きな広場の様な物がある。だが、それに付随して小さな部屋が幾つか点在してる。ここからでは用途については不明だが、待ち伏せがあるかもしれん。気を抜くな》

 

 ツバキのナビゲートにより、今後の状況を予測する。この時点で既に半分近くは進んでいる以上、そろそろ敵の動向も厳しくなると予想し改めて索敵し始める。

 今までの戦闘において、丸腰で向かってきた者は一人もおらず、全員が何らかの銃火器を所持している事から、動きは格段に変わりつつあった。

 

 

「これで教団の線は無くなったな。まさか全員が武装していたのは想定外だが」

 

 無明の発する言葉には重みがあった。ただでさえアリサの奪還が最優先だが、ここに来て先ほどのサンプルはあまりにも衝撃すぎた。あの場面を見たのであれば、可能性はほぼ一つに限られている。

 

 

「正直、その線だけは考えたくは無かったんだがな。でも、あれ見たら仕方ないな」

 

「でも、一体誰が開発を?」

 

「今の段階では何も分からん。まずは先を急ぐが、その前にこれを着けるんだ」

 

「兄様、これは何の為に?」

 

「簡単に言えば顔を隠す為だ。用途はそれ以外にもあるが、いくら何でも顔を出したままは何かあった際に困る可能性が高い。その防止の為だ」

 

「仮装パーティーじゃねえんだから、別に要らないだろ?」

 

「無理にとは言わないが、ここから先は確実に相手も分かっているはずだ。それと、ここからは旧居住区ではなくなるから、カメラも設置してある可能性が高い。下手に素顔を晒して困るのはお前だが、どうする?」

 

「……分かった」

 

 そこまでハッキリ言われると流石にリンドウも素直に仮面を着ける事に応じるしか無かった。本来であればこの任務は極秘事項でもあり、いくら腕輪でゴッドイーターだと判明しても顔が分からなければ大事にはならない。

 念には念を入れる。そんな思惑があった上での判断だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大車博士、どうやらここにネズミが紛れてるみたいだ。我々としてはそれを駆除する事になる。済まないが例の装置を貸してくれないか?」

 

 巡回していた配下の人間と連絡を取る事が出来ず、調査した結果エイジス島に侵入者が居る事に気づかれていた。この時点で、その現場には人の気配は無く、ただそこには交戦した形跡だけがあった。

 本来、大車はここの武装集団の事は信用していない。お互いの利害関係が一致した結果、元々噂レベルだった教団を上手く利用し、その結果として狂気とも思える実験を繰り返していた。

 

 狂気の科学者と、武装集団では本来接点とも言える部分は何も存在していない。

 偶然エイジス島に武装集団が侵入し、互いの利害関係で結ばれていただけだった。

 武装集団はそもそもテロ組織とも言える物で、反フェンリルの反旗の元に集まっていたに過ぎない。しかしながら、そのトップのカリスマ性から現在に至り、その状況を判断した結果として単なる烏合の衆を自分の手足の如く運用出来るならばと組んでいた。

 

 

「これはまだ、検証の途中で渡す事は出来ない。仮に利用した結果が希望に共わない可能性もあるが、どうする?」

 

「……ならば仕方ない。それは諦めるとしよう。だたし、こちらからの要望に関しては確実に実行してくれたまえ」

 

「それは当初からの契約だ。確実に履行しよう」

 

 そう言いながら、武装集団は部屋から去って行った。装置とはアラガミをコントロールするものだが、実際には既に完成していた。しかしながら一時的な共闘に全幅の信頼を寄せる事は無く、結果的には互いが牽制しあう一面もあった。

 アラガミのコントロールは現在の所では中型種以上はまだ完全ではない。その部分を強調する事で自分に価値を持たせるだけでなく、身の安全の為に大車は要求を拒んでいた。

 

 

「ネズミの事はあいつらに任せよう。そろそろアリサも受け入れやすくなっているはずだ。直に確認しに行くか」

 

 誰もいないその場所で、一人呟くと同時にアリサのもとへと向かう事を決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、あの扉ってどう考えても何か出ますって雰囲気しかないんだけど、やっぱり突っ込むしかないのか?」

 

「本来ならそんな事はしたくないが、残念ながら遮蔽物が無い以上、ある意味仕方無いだろう。時間から考えればそろそろ向うも気が付くはずだ。いい加減ここで腹を括れ」

 

「そんな事はとうの前に終わってる。出来る事なら穏便に行きたいだけだ」

 

「リンドウ、この際ハッキリ言っておくが、こちらがその意識があると言う事は相手からも同じ意識を向けられる事になる。今回の任務は本来ならば俺一人が請け負うものだ。それをやる以上、余計な同情はこちらの死を招く事になる。

 それと、これは推測だが今回の一連の流れはアナグラの襲撃で終わる様な話にはならないはずだ。ここでの失敗はアナグラにも大ダメージを負う事になる。その事は常に頭の中に入れておくんだ」

 

 戦いの前に改め士気の低下を防ぐのと同時に少しでも有利な展開に持ち込む為に索敵を開始した。幾つかの扉がある中で、一つだけ完全に閉まりきっていない扉から一人の話声が漏れている。この襲撃による警戒かと当初は思われていたが、僅かに聞こえる声から、話ている内容が漏れる。

 

 

「こんな事に使うなんて聞いていない。お前は一体何を考えているんだ!俺はもうここで降りる。後は勝手にしろ!」

 

 誰かと口論になっているが、相手は誰なのか分からない。このまま遭遇すれば何かと具合が悪い事を察知し、少し時間を開けた後に話かけた。

 

 

「お前はここで何を研究していたんだ。命はだけは助ける。何を研究していたんだ?」

 

 怒りに任せて歩いていた研究員は背後からの声に緊張感を高め警戒していたが、声をかけられた時点で既に何かを突きつけられていた事だけは察知できていた。

 本来であれば荒事には一切無縁の存在だったはずが、一転して戦場と化す。

 その時点で研究員は言われた事をただ話す事しか自分の命を守る手立ては無かった。

 

 

「ここでアラガミの制御を研究していたんだ。最初は人類の為にと思ってたのが、あいつらが突如裏切ったんだ。俺はそれ以上は何も知らない。頼むから助けてくれ」

 

 これ以上の事は何も聞き出す事は出来ない。そう判断した時だった。

 研究員の背中からナイフとも思われる物が突き出ている。周りには何も見えないが気配だけは確実に感じる。そう判断した後の動きは素早かった。

 

 

「光学迷彩だ。気を付けろ!」

 

 

 無明が叫んだ瞬間、周囲にいくつかの気配が感じられていた。見えない気配は無数に存在している。ここに来て一つの山場を迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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外伝20話 (第67話)対峙

 光の補正により見え難くする事で、戦闘を優位にする為に用いた手段。まともに戦えば苦戦は免れる事は無く、最悪の場合にはこちらが死の淵に立つことになる。

 今までの装備からここまで高度な物を使うとは想定していなかった無明たちは当初は苦戦をしいられていた。目に頼りすぎれば視界不良の際には一方的な攻撃を受ける事になる。当初は苦戦したものの、時間と共に3人は冷静になりつつあった。

 その為に、最悪な事態でもある程度の気配を呼んで戦う事を常としていた為に、対処する事が出来ていた。

 元来保有していた身体能力と戦闘能力が圧倒的に違うだけでなく、無明とエイジに関しては従来のゴッドイーターとはまた違っていた。対アラガミが目的ではなく、常時対人訓練を課してきた2人にとって、銃器を持ったテロリストは相手にはなり得なかった。

 あらゆる可能性と、確実に相手を葬り去る技術は屋敷の人間にとっては当然の行為。慣れ親しんだ行動に迷いは無かった。

 徐々に戦闘状況が変化し、やがて何ごとも無かったかの様に戦闘は終了していた。

 

 

「まさかここまでとは。相手も少しばかり本腰を入れて来たのかもな」

 

「油断するな。この中はまだ戦場なんだ」

 

 現在の時点でアラガミの襲撃はまだ無い。敵地の中で味方まで巻き込んでの戦闘になる可能性は低いと予想したままの展開にいる物の、未だアラガミへの警戒だけは解いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大車、そろそろこちらとしても戦力の限界だ、改めて言う。その装置を渡せ。でなければお前はもう用済みだ」

 

 侵入者への攻撃に対し、未だその正体は分からずじまいだった。本来であれば何らかの手段で連絡し、敵の所在や存在について報告があるはずだが、向かった兵士はことごとく斬り捨てられ、映像も残って居いない。

 余りにも素早い行動はその証拠すら残らない。その為に、本当の正体についてテロリスト側は知る事はかった。

 

 

「そうか……もう潮時か。仕方ないが、この装置を渡そう。取扱いには注意するんだ」

 

 銃を突き付けられ、恐怖を引き出しながらの命令であれば、本来であれば余程の事が無い限り殆どの人間はここで言う事を聞く。当初はそう感じていたが、大車の様子は何かが違っていた。

 

 本来であれば、テロ集団とは言え、一つの集団のトップであれば気が付いたはずの危険信号を察知する事も無く、手渡された装置に意識が向く事で肝心の大車の事は思考から消え去っていた。

 恐らく、その場に他の人間がいれば、明らかにその表情には何か大きな物が隠されている事を理解できていたはずだったが、投入した部下を失った状態では理解する事すらままならなかった。

 渡された装置を尻目に大車はアリサに向けた物とは違った笑みを気付れる事無く向けていた。

 

 

「丁度良かった。貴様がこの実験の最後の餌となるんだ」

 

 

 呟きは誰にも聞かれる事無く、ただ響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか貴様たちにここまで邪魔されるとはな」

 

 警戒していた無明たちに開いた扉から大きな声が響く、そこには今までのテロ組織の上の人間と思われていた人物がそこにいた。

 今までの人海戦術とも取れる攻撃はこの人間が率いていた事が理解出来ていた。

 しかし、全員が仮面をつけている為にそこからの表情を読み取る事は出来ない。今までの戦闘からおおよその力量だけはハッキリと理解していた。

 事実、反フェンリルをこれまで掲げた事はあったが、まさか逆に攻撃されるとは思ってもいなかった。余りにも鮮やかな手際と淀みの無い攻撃にはテロリストも旋律を覚えていた。

 

 ここまでの戦いでハッキリとわかっている事が一つ。それはゴッドイーターと一般人との戦闘能力の差とも言える部分でもあった。いかなる戦いであっても、本来の戦力差は簡単に埋まる事はない。

 だからこそ、戦術や戦略を使う事で差があった戦力差をイーブンにするのが本来のやり方だった。外部居住区の人間を拉致した時点ではここまでの状況に陥る事は無かったが、問題なのは、偶然そこに居たゴッドイーターでもあるアリサまで拉致した事が発端だった。

 いくらテロ組織としても、圧倒的な戦力を保持するフェンリルを相手にする為には事前にしっかりとした確認と、それを実行する為に色んな策を要する必要がある。にも関わらず、ここまで対処が早い事は想定していなかった。

 まだ準備段階ですら無い所での戦闘の結果は火を見るよりも明らかだった。もちろん、その可能性についても考慮していない訳ではない。その為にエイジス島に隠れていた大車を利用し、アラガミの制御方法に今後の希望を膨らませる為に、表面上は大人しく従っていただけだった。

 

 この方法が確立されればかなり近い将来、フェンリルに対しての宣戦布告と共に、その力を手中に収めるつもりでもあった。

 ここまでは想定内だったからなのか、それともここから一気に推し進める計画があったのか慢心から油断を誘っていた。本来であればゴッドイーターが一般人に対して戦争をしかける事は無いのと同時に、人を殺すと言った概念は無いだろうとの甘い判断がそこにはあった。

 

 

「邪魔も何も、お前たちのやってる事は既に犯罪だぞ。人聞きの悪い事言うなよ」

 

 仮面をつけた状態での会話は表情を読み取る事が出来ない者からすれば不気味としか言いようが無かった。

 幾らかでも表情に表れれば考えや思考を読み取る事は出来る。ここまで想定していない程の戦力であれば大軍を率いていたのかとも予測できたが、見ただけでそこには3人しかいない。

 たったこれだけの戦力を持って壊滅に近いほどの打撃を受け、尚且つここに対峙しているのは悪夢とも取れた。しかも言うに事欠いて軽いノリで話されてはいるものの、そこには猛獣の如き存在感と圧力がその場を支配していた。

 

 

「馬鹿が。貴様たちはここで終いだ」

 

 何かのスイッチを入れたかと思われた途端、目の前にあった大きな扉はゆっくりと開かれ、そこには二つの鋭い眼光が見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿がネズミを始末してくれるなら、これほど楽な事は無いが、あれはどう動くかまだ予想が出来ない。良い実験データが取れそうだ」

 

 モニターで確認した大車は人知れず渡した装置の効果を確認するべく、もう一つのアリサが映っているモニターと同時に眺めていた。戦闘に関しては何の関心も持たない大車にとって、この戦闘は単なる装置の検証にしかすぎず、これからアリサをどうしようかと愉悦を浮かべている。

 モニター越しとは言えそろそろアリサの限界が近い事を悟り、これからの事を考えながらゆっくりとアリサの居る部屋へと歩み始めた。

 

 悪夢とも言える状況が長く続き、アリサの精神は砂山が風に吹かれて徐々に無くなるかの様に、ゆっくりと崩壊し始めていた。

 当初はアナグラ内部での楽しい一時も思うが、人間の精神は正よりも負へ向かいやすい。その結果が今の状態とも言えた。ここまで来ると、最早意識が混濁しているのか認識する能力が欠如しているのか判断する事も出来ない。

 今の状態であれば間違いなくどんな言葉も受け入れる事が出来る。アリサには抵抗する意思は殆ど無かった。

 

 

「やあ、アリサ。調子はどうだい?そろそろ僕を受け入れてくれる準備は出来たかな?」

 

「あ……い、い……や」

 

 卑しい笑みを浮かべながら話かけるも、肝心のアリサは憔悴しきっているのか、返事をする事は無かった。これに関しては既にモニターで確認していた為に完全に受け入れる事が出来るか確認しただけだった。

 

 

「精神的には大丈夫みたいだね。ならば身体の方はどうかな?」

 

 まだアリサの意識が合った頃と同じように粘り付く様な視線と共に、大車の手はアリサに手を伸ばす。

 太腿を撫で回す様に触り、手は徐々に上へと上がる。アリサの柔らかな双丘に達し、感触を確かめるかの様に揉みしだく。大車の欲望は留まる事が無いのか、アリサの双丘は大車の欲望を受け止める事しか出来ない。

 今だかつてない程の卑しい笑みが零れる。アリサは触れている事は理解しているのか、時折反射とも言える様な動きは見せるが反応する事は無かった。

 ただその眼からは生理現象からくるのか、それとも精神的な物からくるのか一筋の涙がこぼれていた。

 

 

「もう大丈夫みたいだね。さあ、これから始めようか。意識を取り戻す時が楽しみだよ」

 

 この時点で既にアラガミの装置の事は一旦忘れ、ここから精神の上書きと共に従順になる様に新たな記憶を植え付ける準備に入った。

 既に始まったであろう戦闘に最早関心は何も無い。これからの事を考え、大車は一人愉悦に浸っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかとは思ったが、アラガミがあそこまでコントロールされているとはな」

 

「以前、リンドウさんの神機を吸収していた個体ほどではないですが、意外と厄介です」

 

 扉から出て来たアラガミはディアウス・ピターだった。外を徘徊している個体であれば苦戦する事は無いが、この個体はある程度操作する事が出来るのか、他の個体以上に動きが俊敏とも思える動きを見せていた。

 本来ならば既に討伐出来ているが、この個体は操る部分を差し引いても通常種よりも動きも早く、また攻撃方法が単純ではな事で時間だけが無駄に経過していた。

 他の部隊であれば通常種が出ても全滅の可能性が高く、その為に接触禁忌種に指定されているが、今のメンバーであれば苦戦する程の敵ではなかった。

 しかし、ここまで時間がかかったのはひとえに人間に近い思考能力を持ち、なおかつその攻撃力が大きかった事が問題だった。

 

 単純な討伐任務は後の事を考える必要性は少なく、結果として全力に近いパフォーマンスを常時出す頃が出来た。

 しかしながら、今回の任務は明らかに今後も戦闘が続くと判断し、その中には今回の様なアラガミが混じる事もあった。こうなると今後の事も踏まえ、体力を温存しながらの戦いとなる。

 枷が付いた戦いは動きにもキレを無くし、その為に時間だけが経過する事となっていた。

 

 

「あのアラガミの操作を何とかすれば良いんじゃねえのか?要ははコントロールする手段を無くせば何とかなるんだろ?」

 

「恐らくは制御が効かなくなれば隙が出来るはずだ。その瞬間を狙う。あの手に持っている物が制御装置なら、その破壊、もしくは使用不可能とする事が先決だ。アラガミの動きを見ながら隙を狙って破壊する」

 

 優先順を素早く決定し、行動に移す。戦場での逡巡は命取りである以上、一旦決めた方針は実行するのが最前の策とばかりに各自が動き出した。

 今まで固まっていたはずが一気に散開した途端に攻撃先を決める事に隙が生まれる。いくらアラガミを制御した所で、当人の意思決定から実際にアラガミが動くまでには僅かながらにタイムラグが生じる。その隙をここにいる人間は見逃ふ事は無かった。

 全員が手練れとも言うべき人間である事は制御している人間が知る由も無い。テロ組織と言えど、ゴッドイーターと一般人では身体能力が大きく違う事は誰でも知っている。だからこそアラガミを制御する事で多少の力押しでも勝てると判断していたのだろう。そこには大きな判断ミスとも言える驕りがあった。

 

 

 



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外伝21話 (第68話)戦局と決意

 ディアウス・ピターと言えど、4本足の生物を模している以上、急な方向転換や攻撃対象が散った際には確認の為に動きが止まる。3人はその瞬間を狙ったかの様に各々が一気に捕喰しバーストモードへ移行していた。

 反射的に前足で無明を攻撃しようとモーションを起こした瞬間、前足の可動域では不可能とも思える場所へと一気に潜り込み、死角から前足を一瞬にして斬り落とした。

 足が一本無くなった事で大きくバランスを崩し、ファンブル状態になると、リンドウとエイジがマントに向かっての一斉射撃を始める。本来であれば耐久力が高いはずのマントだが、銃撃との相性なのか、それとも何らかの力が働いたのか、対象はすぐさま結合崩壊を起こしていた。

 

 

「なあ、バーストモードに入ってから急に威力が上がった様に思えるけど、何かしたのか?」

 

「それは仮面の副次的な能力だ。神機に付ける制御装置に似た物が組み込まれている。その影響で威力と瞬発力が上がっているから気を付けないとスタミナが一気に無くなるぞ」

 

「なるほどね。まぁ、気にしながら戦う事にするぜ」

 

 

 この時点で制御する事で優勢を保っていたはずが、一転して劣勢に変わる。こんなはずではと思う気持ちと同時に、あいつ等は誰なんだとの考えが同時に働いていた。明らかに攻撃能力の高さはこれまでの人生の中でも記憶が無く、仮にゴッドイーターだと仮定しても、こうまで対人戦に慣れている可能性は無いとも考えていた。それ程迄にアラガミと人間には大きな隔たりがそこには存在していた。

 しかし、いくら考えた所でその答を知る物はおらず、このままでは放ったはずのアラガミでさえも無くなるのではとの思いから、すぐさま脱出を図ろうと行動に移す。テロ組織とは言え、一つの集団の長ならではの危機管理能力が発揮されていた。

 

 

「貴様には聞きたい事がある。この場から動くな!」

 

 無明の叫びと同時に鋭利な物が足を貫き、すかさず行動制限をかける。テロ組織の人間とは言え、ある程度の痛みだけならばこらえながら移動する事は出来るが、それは想定外とも言えるレベルの痛みが走り、目をやれば生憎と刺さったのは一つではない。

 両足を見れば、そこには二本の大きな針の様な物が刺さり、太腿を貫いたままだった。

 

 本来バーストモードは生きたアラガミの力を神機へと流し込んで新たな力として流し込む。本来であればこの工程はどんな神機使いであったとしても皆同じ条件となっている。しかし、今回のバーストモードはそれ以上とも思える効果を発揮していた。

 無明の説明では仮面の影響とは言うが、実際には若干内容が異なっていた。どんな物でも外部から何かを摂取してエネルギーに変換する場合、必ずと言って良いほどエネルギー変換に対するロスが発生する。

 その影響は大局的な見方からすれば僅かとも取れるが、ギリギリの戦いや戦闘時に起因する制御装置が取り付けられていた場合、使用者には大きな差となって反映される事になる。にも関わらず、今回はそのロスが全くと言って良い程起こらず、結果としては高効率のエネルギーをそのまま摂取していた。

 その結果として多大なる恩恵があるが、それと同時にその際における消耗も早くなる。

 本来であれば時間をかけてその欠点とも言える部分も克服するが、緊急出動の為に今のままでの使用となった。その為に大きな弊害とも言える部分が生じていた。

 しかしながら今はデメリットよりもメリット方が大きく、任務の内容から時間に制限があると感じている為に些細な部分には目を瞑っての行動だった。

 

 あらゆる部分が結合崩壊を起こすと同時に、今まで活発に動いていたディアウス・ピターは一気に瀕死にまで追い込まれ、そこからの絶命はあっと言う間の出来事だった。

 現状ではディアウス・ピターを超える様なアラガミは殆ど存在しないと思われている事もあり、事実上はほんの一時とも言える様な時間での討伐が完了していた。

 いかなる状態であろうともコアの回収はゴッドイーターとしての責務である以上、エイジはコアの回収に向かうと同時に、無明は動けなくなった組織の人間に詰め寄った。

 

 

「あの装置を作ったのは誰だ?」

 

「貴様に言う必要性はあるまい」

 

 テロ組織のトップだけあってか、詰問程度では意にも解さない様な話ぶりを続け、肝心情報に関しては何も話すつもりは無かった。本来であれば即斬り捨てるが、今回のアラガミの制御に関しての情報は必要だと判断した結果、生かす事になっていた。

 

 

「まさかとは思うが、その話をしなければ殺されないとでも思ったのか?」

 

 無明の慈悲も感じる事がない言い方に、普段から接しているリンドウですら戦慄を覚えていた。

 本来であればこの任務はゴッドイーターが受けるべき任務ではない。となれば、こんな場面に遭遇する事は当然無い。それほどまでに今の無明と普段の無明はどちらが本当なのかを判断し兼ねていた。そんな思考は男の悲鳴と同時に現状の戻される事になる。

 思考の海にもぐりつつあったリンドウはそこにいた男の腕が見当違いの所に落ちていた事に気が付いた。本来であれば、制御装置が手元にあるのであれば、わざわざ確認する必要は無い。

 その中身のデータを解析すればこの一連の状況をある程度把握できる。にも関わらず無明は態々生かし確認する事で時間の短縮を図っていた。そんな考えは相手に伝わる事もなく、ただ命が惜しいのか意地で答えないのかその考えは本人以外には分からない。

 

 

「時間が無い。何も言わないのであればこれで終わりだ」

 

「待ってくれ。これは大車から受け取ったものだ。やつの研究については何も知らない。本当にこれ以上の事は知らない……だから……」

 

「そうか」

 

 そこから先の言葉を聞く事は出来なかった。当初の予定通り、情報を全部吸い上げれば用が無いとばかりに無慈悲に斬り捨てた。肩口から袈裟懸けに鋭く振り下ろした斬撃が身体を一瞬にして分断している。

 そこには握られていたはずの制御装置だけが転がっていた。

 

 

「無明、そこまでしなくても」

 

「どのみち生かすつもりは無かった。仮に生きながらえさせても、後々刃を向ける可能性は高い。こんな状況で改心するなら最初からこんな事にはならない」

 

「でもよ……」

 

「リンドウ、気持ちは分かるが、最初に言った様に今回の任務は最初から血塗られる事が前提だ。ここで手心を加えても良い事は何も無い。ならば最初から斬り捨てた方が後々の為だ。だからこそ忠告したはずだ」

 

 そこまで言われて今のリンドウに反論するだけの材料は何も無かった。

 確かに最初に忠告はあった。その結果がこれである以上は自分でも覚悟をしていたつもりだった。しかし、この現場を見て思ったのは、覚悟のつもりであって、覚悟した訳ではない事を改めて理解していた。

 そして以前の戦いのさなかにヨハネス支部長が出たした言葉を口に出していた。

 

 

「だから極東の影か……」

 

「そうだ。だから俺は表舞台から退いたんだ。これはあくまでも汚れ仕事だ。これについては俺だけではない。屋敷に居る者すべてに当てはまる事だが、自分の命は自分の物であると同時に誰かの役に立たせる事も前提として過ごしている。

 この辺りはゴッドイーターと変わらないかもしれないが、アラガミと人間は同列には出来ない。だからこそ自分だけで出来る事をこなす。ただそれだけだ。現実は残酷で儚いものだ。理想は大事だが、俺にとってはそこまで大事だとは思わない。目先の事が出来ずに未来を見る事は出来ないのは道理だからこそやるんだ」

 

 甘い考えと言われればそうなのかもしれない。この時代は無常とも言える程に残酷な物。

 そんな事を一番理解しているのは極東支部の中ではリンドウ位なのだろう。長く任務に付くのは、それと同時に数多い犠牲も見ている。無明の言葉はある意味真理である事は理解しているが、今の段階では何も言う事は出来なかった。

 

 

「むやみやたらにこんな事をしている訳ではない。今は時間が惜しい。この先を急ぐのが先決だ」

 

《無明、目の前にある扉の隣が地下へとつながっているはずだから、恐らくはそこが最終地点のはずだ。リンドウの馬鹿には私からも言っておく。先ほどの話の内容はこちらでも調べておく。あとは頼んだ》

 

「大車がからんでいるならアリサが危ない。兄様、早くしないとアリサの身の安全が」

 

「リンドウ、その話は帰ってからだ。とにかく急ぐぞ」

 

 状況がおぼろげにも見え始めるも、リンドウ自身が知らない事実を聞かされ、僅かながらに動揺が走る。本来ゴッドイーターも人類の守護者と言われ、アラガミ討伐をこなしてきた。しかしその根底にあるのは一般人をアラガミから護る為になったもの。

 ただ、相手がアラガミではない事を無条件で許している自分がそこに居た事も改めて理解していた。考えは無明もリンドウも同じだが、方向性が違うだけ。そう気持ちを切り替え、改めて先を進むことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大車博士!放たれたアラガミが逆に討たれました。侵入者はこちらに向かっています」

 

 ディアウス・ピターを放ち、 勝利を確信していた筈の人間は驚きを隠す事無く、次に向かうであろうと考える先で先手を打つことに決めていた。

 

 

「所詮はこいつらもここまでか」

 

「博士?今何か?」

 

「いや、目的の前にネズミの駆除が先だ」

 

 訝しく大車を見るが、それ以上の言葉を発する事がない以上、確認する事は何も無かった。周りは想定外の動きの影響なのか時間の経過と共に大車の事は意識から徐々に無くなり始める。

 これ以上の事は此処では何もえる物が無いと判断した大車は誰にも公表していない次の事へと予定を早めていた。

 

 

 

 

 

 



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外伝22話 (第69話)難敵

 ツバキのナビゲートに従い、階段を一気に下りて行く。徐々に喧騒とも取れる様な音と得体の知れない様な気配がまとわりつく様に濃くなり始めていた。

 ここが事実上の最終地点でもあり、アリサが囚われている場所である事に間違いは無かった。先ほどの戦いでディアウス・ピターを討伐したものの、最初の頃に見たケースの中身が何故か嫌な感じと共に最悪の予感までもが予想出来ていた。

 あの形態は『人型の物』である以上、あれで終わりだと思う事は出来なかった。今の時点ではどこまで行ってもそれは仮定でしか過ぎない。

 まずは確認とばかりに目の前にある扉から先に感じる気配を探るべく、3人は様子を見る事にした。

 

 

「何だか慌ただしいな。俺たちがここまで来るのは想定外だってのか?」

 

「まあ、それが一番だろうが、テロ組織のトップらしい人間が居ない以上、指揮系統が乱れているんだろう。これなら警戒する必要性は無いが、さっきから何か嫌な予感がしてならない。大丈夫だとは思うが油断はするな」

 

 右往左往している人間の対処については何も考える必要性は無かったが、ここへ来る途中に感じたまとわりつく様な気配だけが気になっていた。

 あれは最初にも感じたアラガミの物である事に間違いはない。となれば、少なくても先ほど討伐したディアウス・ピター以上のアラガミがここに存在する事になる。

 油断が無くてもこちらが想定していないアラガミであれば苦戦は免れない。それだけを念頭に今後の作戦行動が先決となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さすがは極東の連中か。元々話にならないとは思ったが、まさかここまで使えないとはな。丁度出来上がったばかりだが、実戦のデータ採取には丁度良いだろう」

 

 別室で侵入者の確認をしつつ、今まで共闘していた者ですら歯牙にもかけずひたすら元のデータを参考に人知れず作り上げた物がそこにはあった。目の前には大車の研究成果とも言える人造アラガミの姿がそこに鎮座している。そもそも大車はこれを作る為にここに隠れる様に居た訳では無かった。偶然エイジスの地下施設に研究出来る様な環境が整い、またそれを可能にするだけの資材がそこにはあった。

 驚くべき事に、そこには人造アラガミの源流とも言えるデータと共にその過程が記されていた資料が置かれていた事を見つけていた。アラガミはオラクル細胞が進化する事によって現在の姿になったと言われているが、それを確かめる術はなく、あくまでも推測に基づく結論さとされていた。

 発見したその資料にもその件には記されていたが、その中で一つだけ気になる内容が記されていた。

 

 人とアラガミの融合とも言える行為。その資料を見た大車は誰も見ていない場所で狂喜乱舞していた。もしこれが事実であれば、今まで研究されていた技術と内容が一気に過去の物へと変わるだけでなく、新たな新技術を発見した自分が第一人者に躍り出る事が可能だとも判断していた。

 

 

「まさに君はある種の天才だったんだろう。ヨハネス・フォン・シックザール。君の実験データは私の野望の為にしっかりと利用させてもらうよ」

 

 その後は人知れず研究にいそしみ、結果として人間を調達し始めてからの研究の成果は著しいほどの成果を上げていた。本来であれば人体実験は非人道的だと糾弾されるが、ここにはそんな人間は一人もおらず、ただ己の自尊心に基づき突き進んでいた。自身の妄執がそれを後押しし続ける。その結果として、新たな人造アラガミの製造に人知れず成功していた。

 

 

「さあ、検証するとしよう」

 

 呟きながら端末を操作し、今いる場所へと投入し始めた。まだモニターの前には混乱した状況の人間が慌ただしく動いている。その数秒後にどんな結果をもたらすのかは大車だけが知っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 様子を窺っていた無明たちは不意に開いた扉に視線が動く。本来であればこの状態での可能性は無いと思われていた最悪の事態。まだ仲間と思われた人間がその場に居るにも関わらず、大きな塊とも思える様な青い身体のアラガミがそこに姿を現していた。

 そのアラガミの出現は無明の予想していた最悪の事態とも言えた。

 声にならない様な叫び声が鳴り響き、そこにいた人間を次々と捕喰し始める。辺り一面はあっという間に血の海となり、そこは正に阿鼻叫喚の地獄の様な状況に陥っていた。

 

 

「無明、何だあれ?アラガミだとは思うが……まさかアルダノーヴァか?」

 

「あれはセットになっていたが、これは明らかに違う。ベースはそうだが明らかに別種だ」

 

「兄様、このままだと全て捕喰されます。このままだと拙い事に」

 

「見殺しにするつもりは無い。このまま突入するぞ」

 

 3人が扉を開け一気に躍り出る。突如現れたアラガミの影響で、混乱しているのか侵入者に対しての警戒をする事すら無かった。

 

 

「ようこそ極東の者ども。これは開発してきたアラガミでもあるツクヨミだ。来てもらって早々だが、このままこのアラガミの餌となってもらおう」

 

 部屋全体に鳴り響くかの様な音量で、この状況が理解出来ていた。この声は紛れも無く大車の声。となれば、目の前に居るのは侵入した当初に見たアラガミと人間のなれの果ての完成形である事が理解出来ていた。

 そこにはこれまでやって来たと思われる残虐非道な実験の結晶とも言えるアラガミが無明たちに襲い掛かる。これが最終決戦だとばかりに戦闘態勢に3人は入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこかで大きな音が聞こえる。アリサの意識は最早ほとんどなく、先ほど大車に触られていた際にもどこか遠い場所での出来事の様にも思えていた。既に時間の経過は感知する事は出来ない。

 ただ、大きな音共に微かに聞こえるその他の何かが来た事だけは辛うじて判断する事が出来た。誰かが来たのか、それとも新たな大車の仲間なのかは今のアリサには判断する材料も気力も何も無く、ただそこに居る事だけしか出来なかった。

 この音が希望をもたらすのか、それとも更なる不幸がやってくるのかをかを今のアリサには確認する事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人造アラガミと言われていたツクヨミは他のアラガミとは一線を引くほどの動きと、想像以上の攻撃力を秘めていた。通常の攻撃だけであれば恐らくこのメンバーで苦戦を強いられる可能性は皆無とも思われていた。しかしながらここまで苦戦していたのには大きな理由がそこにはあった。

 

 一つは異常とも言える程の攻撃の早さ。攻撃を完全に躱すのであれば射程外まで外れる必要が出てくる。しかし、射程外に出ると言う事はすなわちこちらの攻撃も当たる可能性は低いと言う事実。エイジとリンドウが射撃の体制に入る頃にはそこにはツクヨミの姿は無く、狙いをつける事が出来なかった。

 もう一つは状態異常攻撃の多さ。攻撃の一つ一つにスタンの効果が付き、また広範囲に渡っての攻撃にはデッドリーヴェノムが付いて来る。

 この効果の為に安全策を重視すれば攻撃の機会は自ずと少なくなり、その結果時間だけが悪戯に経過していた。

 

 

「無明、何か良い方法無いのか?このままだととジリ貧だぞ」

 

「今は一つに固まらずに散らしながら攻撃する以外に方法が無い。何か弱点があればそこに集中攻撃するのが最善だ」

 

 リンドウがぼやくのも無理は無かった。ただでさえ素早い移動と圧倒的な攻撃力。恐らくは終末捕喰の際に戦ったアルダノーヴァに匹敵するか、それ以上ともとれる能力を持っていた。

 このままではジリ貧どころか、気を抜けば一気に押し切られるのではと思わざるを得ない状況が長く続いていく。同じ攻撃を繰り返せば慣れから反撃のチャンスも出来るが、同じ攻撃はそう簡単には続かない。

 移動攻撃によって回避する場所を潰しながらツクヨミはリンドウに向かい、細長い腕を振り回すかの様に攻撃をしかける。当初は完全に躱す事が出来たが、学習能力の高さから次第に回避する事が困難となり、現状は盾で防ぐ事で精一杯とも言える状態が続いていた。

 

 

「俺が凌いでいる間に攻撃しろ」

 

 攻撃の激しさからくるのか、焦りが滲んでいるのか今のリンドウは声を出すにも端的な会話しか出来ない。一人に攻撃の芽が向いている隙を狙っての攻撃に切り替えようとエイジが近づいた瞬間だった。

 

 

「圧倒的な力」

 

 

 合成音とも取れる声が響き、ツクヨミを中心に光の柱が周囲を覆う。攻撃の隙を狙ったエイジはその衝撃で吹き飛ばされ毒を喰らったのか真っ青な顔色に陥っていた。

 

 

「直ぐに解毒するんだ。そのままだと死ぬぞ」

 

 無明の声で指示された行動に移りながらツクヨミを見るが、隙の無さと攻撃の威力の高さからやれる事は既にやりつくしたとも思われる中で、一瞬でも大きなダメージを与える事に考えをすべて集中させる。

 今までに何度毒を喰らったのか、既に手持ちのデトックス錠の残りはわずかに一つだけだった。

 

 

「このまま消えろ」

 

 光の柱が消えたと同時に、高速エネルギー弾がエイジを襲う。回復直後の隙を突かれた5発の光が一気に襲い掛かかるも、回避を選択せずに全てを盾で防ぎきっていた。最早ここまで来ると反撃の隙すら見当たらない。このままでは拙い事は理解出来ていたが、反撃の糸口を探す事で精一杯だった。

 完全にエイジに狙いをつけたのか執拗とも取れる攻撃を繰り返す。その瞬間に大きな隙が生まれ攻撃の糸口が見えた瞬間だった。

 

 

「これでも喰らえ」

 

 月輪に向けての3発の銃弾が全弾命中。エイジへの攻撃の隙を狙ったリンドウの銃弾は弱点とも言える箇所に着弾し、攻撃の手を止める事に成功していた。

 

 

「ぐあぁぁぁぁぁぁぁ」

 

 悲鳴とも取れる様な声が響き、ここで漸く攻撃の流れが徐々に変わり始めていた。防戦から一転し、今までの鬱憤を晴らすかの様な怒涛の攻撃を開始していた。

 これまでに無い攻撃は月輪の結合崩壊を起こす。致命傷を与えられたと同時に反撃とばかりに細長い腕が乱舞し始める。その攻撃は無明に向かった繰り出されるも盾の変わりに刃で攻撃を捌き、受け流す事に成功した。

 今まで圧倒的な攻撃を繰り広げていたツクヨミもここに来て動きが漸く鈍くなり、3人の攻撃が徐々に体力を削り始めていた。

 今まで異常とも言える程の運動能力を誇ったツクヨミも動きが鈍くなると、攻撃方法も徐々に単発攻撃が多くなり、今までの様な勢いは既に見る事は出来なくなっている。動きが鈍くなるにつれ、攻撃が繋がらなくなり一つ一つの動きの隙が徐々に見え始めていた。

 

 

「うおぉりゃぁぁぁぁ」

 

 リンドウの声と共にこの戦いで一番とも言える斬撃がツクヨミの腕部を直撃。今までの戦いで酷使されていた左腕が千切れ飛ぶ事で攻撃の方法が一気に狭まられていた。

 何時もの戦いであればここから一気に畳みかける様な攻撃を仕掛けるも、今までの状況から様子を見つつ、進攻とも取れる攻撃方法を取っていた。この予想は見事的中したのか、ツクヨミは起死回生を狙って突進し、その後には光球が残されていた。

 この光球は予想以上にダメージが大きく、今までの戦いで身をもって知っていた為に手を出す事も無く、消滅を待っていた。

 ここが勝機とばかりにツクヨミは崩壊した月輪を前に出し、レーザーで辺り一面を薙ぎ払おうとした時だった。

 

 

「これで終わりだ」

 

 一言だけ告げた無明の刃がツクヨミの胸を貫く。誰も気が付かない僅かな隙をついてバーストモードに突入し一気に懐に忍び込んでいた。ドス黒いオーラを纏いながら死神の一撃とも言える一刺しが身体のコアを貫いた事と、突いた感触で絶命した手ごたえを感じ取っていた。

 ツクヨミの目の輝きが失せ、ここで漸く動きが停止し絶命をした事を伝えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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外伝23話 (第70話)始末

「馬鹿な!ツクヨミが倒されただと。あの最高傑作が……」

 

 モニターごしでの戦いを見ていた大車は当初はこのままならばと笑みを浮かべていたが、最終局面に入ってからは徐々に笑みが消え去っていた。

 モニター越しに見る戦局が劣勢になりつつあったのは薄々気が付いていたが、まさかの結果にそれ以上の言葉を発する事を忘れていた。

 自分の渾身とも言える研究の成果でもあるツクヨミの能力は、大車が知っているアラガミの中でも群を抜くほどの能力を有している。誰がここまで来ているのかは分からないが、まさかここまで戦闘能力が高いとは判断できずその油断が結果的には敗北を招いていた。

 自身の研究だけでなく、アリサの事も考えると、最早この場所に留まるのは危険だと判断したのか、すぐさま移動する事を決めアリサの元へと向かい出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《無明、そこからの入り口を真っ直ぐ向かうんだ。恐らくアリサは突き当りの部屋にいるはずだ》

 

「ツバキさん。今回の一連の黒幕は大車だ。アリサの保護と同時にやつも葬り去る。今の戦いを見れば恐らくは逃げるはずだ。ここからの逃走が想定されるルートを教えてくれ」

 

 ここまで侵入した時点で、既に大車の戦力となっていたテロ組織は壊滅している。

 腐ってもフェンリルの研究者として籍があったのであれば、一般人とゴッドイーターの戦力差がどれほどの物なのかはよく理解している。だからこそこの後の行動がどうなるのかは容易に予測出来ていた。

 

 

《そこから真っ直ぐ30メートル程進んだ先に右手に分かりにくいが小さなドアがある。恐らくはそこから外部への脱出ルートが作られているから、可能性があるならそこだろう。始末するなら急ぐんだ。一旦外に出ると捜索は不可能になる》

 

 打てば響くかの様なツバキのナビゲートにリンドウは表情には出さないが驚いていた。リンドウ自身がここに来る際に初めて知った内容ではあったが、姉のツバキは以前からこんな事に何度も遭遇していたのだろうと思わせる程に、その判断に淀みが一切無かった。

 古参として極東支部を支えていたが、その暗部にまで足を運んでいない事を知ったリンドウは僅かに悔やんだ。ヨハネス支部長の終末捕喰の際にその暗部を知ったつもりではあったが、現在進行形となっているこの状況は当時の事がまだ温いとまで思えてしまう。なぜ無明が極東の表舞台から去ったのかがおぼろげながらに見えた様な気がしていた。言いたいことは山の様にあるものの、今はそんな事に時間を費やすつもりは無いとばかりに目的地まで走り出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あいつらは一体誰なんだ!俺の計画が台無しだ!必ず始末する!」

 

 激しい憤りを持ちながらも、大車は今後の事を素早く考え行動に移していた。今までの計画に何の不備もなく完遂できていた筈が一転し、今はこれからの事を考えつつひたすら目的地へと走っていた。

 アリサがいる部屋まではあと僅か。ここから一旦離れ、巻き返しを図るつもりだったが、その希望は脆くも崩れていた。先ほどのツクヨミの戦いからここまで一気に移動出来るとは想定していなかった大車の表情は驚愕とも焦燥とも取れる様な状態にも関わらず、無意識の内に思考とは違う行動を取っていた。

 

 

「大車!そこまでだ。これ以上の行動を起こすならここで終わらせるぞ」

 

 背後から無明の無慈悲とも言える言葉に思考の部分は怯んでいたが、体は無意識の内に全身に力が入るかのような、何か内なる物を体外に出すかの様な動きを見せていた。まるでこれが最終決戦だと言わんばかりの行動の様に思える。

 

 

「まさか貴様たちがこんなに早く動くとは計算外だった。だが、ここで終わりだ。私はこれから新世界の神として君臨する。貴様らゴッドイーターには退場願おう」

 

 愉悦に浸るその表情と共に、その一言がキッカケとなったのか大車の身体の動きが不意に止まり、やがて大きく変貌し始めていた。メキメキと音をたてながら皮膚が硬質化していくと同時に全身を覆うかの様な装甲じみた体表。その背中からはシユウを連想させるかの様な翼手とも取れる大きな腕が鋭い爪と共に生えていた。

 

 

「もう人間を超えた存在となった。これから貴様たちを葬り去りこの実力を世界に示す」

 

 そう言い放つと同時に翼手から大きな光弾が何発も放たれる。放たれた光弾はアラガミが放つそれと大差無かったのか、無明たちは躱しながら距離を置き臨戦態勢に入っていた。先ほどのツクヨミの戦いからの連戦となり、見た目以上に消耗は激しい。だかと言って、このまま見逃すつもりは3人には毛頭無かった。

 

 

「大車!アリサはどこへやった!」

 

 臨戦態勢の中で叫び声と同時にエイジが斬りかかる。裂帛の気合と共に白刃が大車に向かう。何もしなければ一刀両断の内に斬り捨てる程の斬撃だった。

 胸中の思いを出しながらもエイジは冷静に長引かせるつもりも無く一刀両断で斬り捨てるはずだったが、大車の翼手がその斬撃を阻む。防がれた一瞬こそは驚くも、今までの戦いから相手を格下として見下ろす様な事は一度もしていない。

 慢心は自身を窮地へと追いやる事は自身の身体に嫌と言うほど刻まれている。その結果こちらの想定外の結果が出はしたが、エイジは動揺する事は何も無かった。

 

 

「おいおいマジかよ。あの斬撃を防ぐなんておかしくねえか?」

 

「おそらく、大車はアラガミとの融合を成功させたのかもしれない。だたし、完全に制御下に置く事ができているかは疑問だが」

 

「どう言う意味だ?」

 

「言葉の通りだ」

 

 エイジが斬りかかっている間はリンドウと無明は何も手出しをしていなかった。場所からすれば通路の途中である事と、無明の中で一つの仮定を出し、その回答を見るかの様にどこか達観した様な目でエイジ達の戦いを見ていた。

 本来であれば元人間とは言えアラガミ相手であれば全員で戦う方が効率と安全面からすれば一番とも取れる。そんな事はこの場所にいる無明やリンドウが一番良く分かっていた。

 慢心は死を招く。極東では当たり前の話にも関わらず、今のこの場にはエイジだけが大車と対峙していた。

 

「貴様ら馬鹿にするのもいい加減にしろ。こいつを殺した後は貴様らも同じように殺す」

 

「貴様如きにできるとは思わん」

 

 それが当然だと言う無明の言葉に焦りは感じなかった。3人ではなく、エイジ一人の戦いである事に大車は憤りを隠す事は出来ない。本来であればリンドウも真っ先に加勢するつもりだったが、何故か無明に止められていた。

 

 

「エイジ一人で大丈夫なのか?」

 

「今のあいつなら大丈夫だろう。こちらとしても本当の事を言えば今回の任務は何かと好都合だったからな。細かい事は終わってから説明する。今はこの戦いを見ていれば良い。いざとなれば加勢する」

 

 無明は何か考えがあるようだが、今のリンドウには一体何を考えているのか見当もつかない。リンドウもエイジが負けるとは微塵も思っていないが最悪は介入する事だけを確認し今の戦いを静観する事を決めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先ほどの広場に比べればやや大きめの通路での戦いは何かと制限が発生する。一番の問題は大きな回避行動が取れず、仮に出来たとしても紙一重で避ける事が不可避とも取れる戦いを余儀なくされている点だった。

 一見するとエイジには不利な局面とも取れるが現実はそうでは無かった。狭い場所においては大柄な体は動きが制限される。

 その結果、それに見合った攻撃しか繰り出せず今回はエイジではなくむしろ大車の方が制限されていた。仮に戦い慣れていればこんな局面であっても打破できるが、大車は身体能力こそ大きいが戦闘面においてはかなり劣っている。

 大車に限った話ではないが、ゴッドイーターでさえも特に新人から中堅になる一歩手前の人間が必ずと言って良い程に陥るのと奇しくも同じ理由がそこにはあった。

 

 

『戦術と戦略』

 

 

 言葉としては然したる程の差は何も無い。しかしながら、今の現状は完全に戦略ミスと言われても否定する事が出来ない部分があった。この場においての戦術は不必要だが、戦略は必須事項。

 大きな力の行使はそれに相応しい場面でしか行使できず、無理に行使しようとすれば今度は周囲がそれを拒んでしまう。その結果として今は自身の能力を完全に使いこなす事は出来ない。単純でがあるがそこに気が付かない時点で決着は事実上ついている。

 戦略を考えれば至極当然の結果がそこには存在していた。

 

 

「なあ、エイジの動きだけど、何となくお前の動きに似ている気がするんだが、あれは教えたのか?」

 

「一々そんな指導はしない。恐らく今回の任務で培った動きがそれを体現しているだけだ」

 

 リンドウが驚くのは無理も無かった。狭い場所での戦闘は敵味方関係なく同じ条件下の元での戦闘となる。この場所になったのは全くの偶然だが、結果的には大車の動きは封じられていた。

 いくら翼手があろうが壁を壊しながらでは破壊力もスピードも通常よりも大幅に低下する。その結果、攻撃の方法や軌道がハッキリと確認でき回避にせよ防ぐにせよそれなりの戦闘経験者であれば容易にこなす事が出来ていた。

 互いの行動を見れば一目瞭然と言える程に対比している。その結果がまさに今の戦闘状況に表れていた。

 

 

「貴様ごときが蠅の様にウロチョロするな」

 

 攻撃の殆どが回避され、偶に当たる際には盾で確実防がれる。狭い中での戦いを経験した事が無い人間からすれば近距離ににも関わらず攻撃が一度も当たらないのはストレス以外の何物でも無く、それは大車にとっても例外では無かった。

 

 

「戯言はそれだけか?」

 

 エイジの視線は既にゴッドイーターとは一線を超えていた。本来であればここまで怒りを表に出す事は任務中では有り得ない。怒りに我を忘れれば待っているのは死のみ。そんな戦いの鉄則を破ってまでも目の前に居る大車に殺意だけを向けていた。

 

 

「貴様!」

 

 一瞬とも取れる僅かな隙。翼手の爪を槍の様にエイジに向かって突きつける。完全に伸びきったそれは目の前に大きな隙となって存在していた。

 攻撃の瞬間を狙いエイジは一気に懐に潜り込む事に成功し、その勢いで背中から生えた翼手の一つをいとも簡単に斬り落とす。

 斬られた瞬間は一体何が起きたのか大車が理解するには少しだけ時間を要していた。

大車の目の前には今さっきまで背中に合ったはずの翼手がゴロリと横たわっている。

 自身の目で確認し、ようやく理解が追い付き始めていた。

 

 

「所詮はハリボテの力をかざして神気取りなんてつまらない話だ」

 

 今まで任務でいたはずのエイジの口調が明らかに変化している。今まで何度も任務に出ていたリンドウは驚きを隠す事無くこの戦いを見ていた。

 今まで見ていたのはエイジの一部にしか過ぎない。目の前で戦っているのは一人のゴッドイーターではなく、ただ一人の人間だった。

 しかしその戦いはまるで大人と子供以上に違っていた。ほぼ全ての攻撃を往なすと同時に、往なせないと判断した攻撃は完全に回避する。時折見せるその表情と共に出される一撃はこれまでの物とは一線を引いていた。

 今は一体誰と何のために戦っているかすら危うい部分。それほどまでに今のエイジは殺伐とした雰囲気と同時にドス黒い殺意を身に纏っていた。

 

 

「そろそろ終わりだ」

 

 短い一言と同時に目の前にいたはずのエイジの姿が忽然と消えたと同時に再び大車に白刃が襲い掛かる。

 同じ攻撃であればいくら素人とは言え回避や防御に回ることが出来る。事実、最初の一撃を防いでいた大車はその事を忘れてはいなかった。右下からの切り上げを察知し、硬質化した腕で防ぐべく右腕を出したはずだった。大車の予想は大きく外れ、自身の身体に大きな斬撃と共に血飛沫が舞う。

 防いだはずの腕は斬られていない。斬撃の速度が反射速度を上回り、結果的には斬りつける事に成功していた。斬りあがった刃はそのままの勢いで再び斬り降ろされる。

 最早斬撃の速度に大車はついていく事が出来ず、エイジは先ほどの切り上げから更に一歩踏み込んでいた為に深手を負わす事に成功していた。

 

 

「新世界の神に対して……」

 

 大車はそれ以上の言葉を発する事が出来なかった。斬り捨てた後に首に一筋の刃が走る。神速の一撃は本人が気が付く前に首と胴体を分離していた。この時点で大車は絶命し、ここで漸く戦いの幕が降ろされた。

 

 



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外伝24話 (第71話)心情

 ツクヨミには苦戦を強いられたが、姿形を変貌させていた大車はまるで何の障害も無かったかの様にあっさりと斬捨てる事で戦闘が終了していた。リンドウはその結果に対して驚きを隠せず、無明は今までの成果が出たのだと仮面越しでもエイジの成長を理解していた。

 これで今回の一連の作戦全てが終わる。残すはアリサを救出するだけとなっていた。

 

 

「その先にアリサがいるはずだ。後は回収のヘリを30分後に回す。それまでに撤退の準備をしておくんだ」

 

「了解した」

 

 ツバキも漸く終わったと感じる程に安堵の声が通信機越しに聞こえていた。しかし、今の時点でアリサの容体は不明のまま。拉致からそれなりに時間が経過している事実が無くなる事はない。その為にも無明たちはアリサの囚われている部屋へと急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 遠くで何かが聞こえてる。時折聞こえる大きなこの音が発する物が一体何なのか?大車はどうなったのか?虚ろな状況ながらにアリサは思考を止める事は出来ないでいた。一度思考を止めれば次に自我を持つ事が出来る保証はどこにも無い。そんな最悪の未来だけは迎えたくない一心での意思表示だった。

 遠くで何かが聞こえている。今のアリサにはそれを感じるのが精一杯だった。

 

 

「くそっ!」

 

 エイジは今までの戦いが嘘だったかのようにアリサの部屋へと急いでいた。拉致から潜入の実行までに時間が経過しているのと同時に、ここへ来るまでに多数の戦いを繰り広げた関係で既に時間の概念は何も無かった。

 無明やリンドウは知らないが、大車のアリサへの執着が強い事はこのメンバーの中でエイジが一番良く理解している。これまでの時間の経過と共に大車が何もしていないはずがない。エイジは走りながらも確固たる自信があった。

 その背景がある為に今は一刻も早くアリサの元へと走り続けた。

 

 

「アリサ!大丈夫か!」

 

 開く時間すら惜しいとばかりにスライドするドアを蹴り飛ばし強引に扉を開ける。エイジの目に飛び込んで来たのは手足を拘束され、何か処置を施されていたのか衰弱しきったアリサの姿がそこにあった。

 

 

「落ち着けエイジ。まずこの拘束具を外してからだ。リンドウ、周囲に何か無いか探してくれ。薬物の可能性もある」

 

「ああ」

 

 少し遅れて無明たちが部屋に届くと同時に現状の確認を優先させていた。この時点で脅威となる物は何一つ無いが、万が一の事も考え周囲の状況を確認する。この場には既に敵対する気配は何も感じられなかった。

 

 

「大車がどんな処置をしたかはここでは分からんが、衰弱している以上、直ぐに処置する必要がある。帰投の連絡はしてある。エイジ、アリサを抱えて脱出するんだ」

 

「分かりました兄様」

 

 持っていた刀で手足のワイヤーを素早く切り裂き、アリサを横抱きにして抱えた瞬間だった。エイジの中で突如、何かの映像が見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえアリサ、これからは同じ部隊なんだから仲良くしましょ」

 

「仲良くも何もあなたが勝手に付き纏ってるんじゃないですか」

 

「嫌だなアリサは。そんな風に私の事を見てたの?何だかショック」

 

 この風景をエイジは見た事が無かった。横抱きにした瞬間、感応現象が発生する事でアリサの記憶の断片が出て来た事を唐突に理解していた。

 以前の様な両親が目の前で捕喰されたシーンではなく、この時点ではロシア時代の事だとだけ理解出来た。アリサと話しているのは同じ年齢の女性なのか、右腕にはゴッドイーターの証でもある赤い腕輪が装着されている。この時のアリサの表情は当時の事に比べれば明るくなっているのが直ぐに理解できた。

 口では嫌がって居る様にも見えたが、表情はおだやかな笑顔がのぞいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「このままじゃ二人ともやられる。私はここで時間を稼ぐから、アリサは応援を呼んで来て!」

 

「それじゃオレーシャが!」

 

「今は無線も通じないから支部には連絡出来ない。ましてや私がこの状態じゃアリサに迷惑がかかるから」

 

「でも…」

 

「でもじゃない。応援が来るまでの時間位は何とか稼げるから、今はとにかく急いで。早く!」

 

 オレーシャと名乗る女性とアリサは一体のアラガミと対峙していた。急遽乱入してきたのは大型種のヴァジュラ。オレーシャと名乗った女性はどうやら足を負傷しているのか右足を庇っている様にも見えていた。

 確かに言葉通りであれば2人が逃げるよりも、この場に誰かが残った方が生存率が高いのは間違い無かった。先ほどの映像から時間はかなり経過しているようなのか、少しだけあどけなさは消えている。恐らくはそうだろうと推測が出来ていた。

 

 極東でもよくあるケースなのは想定外のアラガミが戦場に出没した場合だった。乱入された場合、真っ先にやるべき事は冷静になる事。そうすれば自ずと次の行動は何が求められるのかが判断出来る。混乱をきたしたままでは仮に部隊が残っていたとしても、それは単なる烏合の衆でしかない事実があった。

 新人から中堅レベルだと最悪の事態を招く可能性がある事はエイジも知っていた。事実、オープンチャンネルによる応援要請で何度も出動していた身としてはこの場面の結果は見るまでも無く理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんでオレーシャが」

 

「アリサ。気持ちは分かるがあの状態では誰が言っても間に合わない。これは仕方ない事なんだ」

 

「オレーシャはそれを知った上で私に言ったとでも言うんですか?」

 

「残酷かもしれないが、そう考えるのが自然だろう。足を負傷した状態での撤退戦は余程の力量が必要なんだ。客観的事実として言えば、今のアリサでは力不足と言わざるを得ない」

 

「なんで私が……」

 

「アリサ、それがオレーシャの願いであれば、その願いを全うするのが約束じゃないのか?それじゃオレーシャが何の為にアリサに指示を出したのか分からなくなる」

 

「私はオレーシャを見殺しに……」

 

 この光景が何を示すのか今の時点では判断する事が出来なかった。しかし、これがあの惨劇の後のトラウマとなっている事だけは何となく理解出来た。そう考えていた途端に現実へと意識が急速に戻されていた。

 

 

「どうした?何かあったのか?」

 

「いえ、何も無いんですが今アリサの過去が急に頭の中に」

 

「感応現象が発生したんだな。その件は戻ってからだ。今はアリサの事だけ考えておけ」

 

「なんだ。アリサを抱いた感触に浸ってたんじゃないのか。その辺りは帰ってからお兄さん詳細を聞きたいな」

 

「茶化すなリンドウ。そろそろ到着するぞ」

 

「へいへい」

 

「ツバキさん。これで作戦は完了した。アリサは衰弱しているが、命に別状は無いだろう。本来ならばアナグラにと言いたい所だが、他の影響を考えれば屋敷で保護の方が無難だろう」

 

「そうだな…緊急特化条項はまだ解除していないのであれば仕方ない。榊博士にはその旨伝えておこう。このまま下手に騒がれる位ならマシだろうな」

 

 ツバキの手配したヘリに乗り込み、ここで本当の意味での奪還作戦が幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサ君の容体はどうなんだい?」

 

「到着時に衰弱はしてましたが、それ以外の部分で薬物等の成分は発見されていません。今は点滴を打ちながら安静にしてますが、今後の影響を考えると数日は様子見と言ったところでしょう」

 

「そうかい。君が言うならそうしてくれるとありがたいね」

 

 奪還の結果は瞬時に関係者に伝えられ、全員が安堵する事になった。帰投直後にいくつかの検査はしたものの、脱水症状に近い以外は薬物チェックでも問題は無く目覚めるのは時間の問題とも言える状況だった。

 既に帰投直後の喧騒から外れると同時に緊急特化条項は解除されている。アリサは屋敷の内部で療養している事だけが一部の関係者にだけ告げられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこかで歌が聞こえる。この声は一体どこからなんだろう。私は確か大車に……

 

 

 意識が徐々に浮かび上がるかの様な感覚と共にどこからか綺麗な歌声が聞こえてくる。記憶の混乱とは一切関係ないとばかりに染みる様に聞こえる歌に、アリサは漸く目を覚ました。

 

 

「ここは?一体どこ?」

 

「ここは屋敷の離れだよ。おはようアリサ。目覚めはどう?」

 

 誰も居ないと思い呟いた一言から返事が返ってくるとは思わず、声の方向へ顔を向けるとそこにはエイジの姿があった。

 

 

「…えっと……」

 

 この時点でアリサは軽く混乱していた。意識が途切れ途切れになっている事は自覚しているのでその記憶を少しづつ繋いでいく。全てが繋がる事で漸く事態の結果を理解する事が出来た。

 

 

「あの…エイジが助けてくれたんですか?」

 

「正確には兄様とリンドウさんと3人だよ」

 

「そうですか。あの…ありがとうございます」

 

 記憶もおぼろげながらも助かった安堵感と記憶が定かでは無かった部分からくる不安でアリサの心情は混乱の極みとなっていた。一旦は落ち着こうと顔を下に向けた瞬間、両目から不意に涙がこぼれていた。

 

 

「あの、私…私……」

 

「ひょっとしてオレーシャの事?」

 

 エイジの何気に一言にアリサの身体は僅かにビクついた。エイジには一度も話した事がないロシア支部での事実。しかもトラウマとなる様な内容だった事を思い出すよりも唐突にエイジの口から言われた事に驚きを隠せず、涙がその影響で突然止まっていた。

 一体どこからその情報を入手したのだろうか?アリサは色んな可能性を考えるも、心当たりが無い。それ以上考えた所で無意味だと思い始めた際に、改めてエイジから語られた。

 

 

「実はアリサを運ぶ際に感応現象が発生してね。その時に見えたんだ」

 

「……そうでしたか」

 

「ねえアリサ。本当に自分が悪いと思っていたの?」

 

「いえ、そんな事は思っていません。ただ…ただ…あの時何でなのって思ったんです」

 

 エイジは色々と一気に聞きたい事もあったが、病み上がりのアリサには酷だとばかりに、ゆっくりと会話を進めその先を促す。自身の中に燻ってる思いを軽くするならばいっそのこと吐き出した方が結果的には良い方向へと向かう事をエイジは知っていた。

 アリサもそんな雰囲気を読み取ったのか、ロシア時代を思い出すようにゆっくりと話始めた。

 

 

「エイジは見て気が付いたかもしれませんが、実はロシア時代の事なんです……」

 

 過去に何があったのかをゆっくりと時間をかけながら話出していた。当時何があったのか、そしてその結果としてトラウマになった出来事。そしてそれを大車につけこまれた事。

 今のアリサに取って苦しくも思い出したくない部分までもが話の内容として出ていた。苦しみに歪む表情を見たエイジは一旦は止めるも、アリサはそれを拒否しそのまま思いの丈をただひたすらに話していた。

 

 

「そっか……辛かったね」

 

 何も口を挟む事無く、時間をかけて話を聞いてくれたエイジからはただ一言だけ言われ、不意に頭を撫でられた矢先だった。

 

 

「エイジ!……おー!アリサ目覚めたんだな!そっか、よかったな。じゃあ、とうしゅの所へ言いに行ってくるぞ」

 

 突如部屋にやって来たかと思いきや、スパーンと勢いよく襖を開き第一声をあげたのはシオだった。ずっとアリサの元にいたエイジを呼びに来たが、目覚めていたアリサを見たからなのか、その報告とばかりに走り去っていた。

 突然の出来事に二人は固まっていたが、今の状況を実感した途端、アリサの頭の上にあった手を慌ててひっこめ顔を赤くしながらも一言だけアリサに告げ、その場を離れていた。

 

 

「ありがとうエイジ」

 

 そのアリサの表情を見た者はそこには誰も居なかった。

 

 



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外伝25話 (第72話)暴露

 部屋での事を目撃され走り去ったシオを追いかけるべくエイジは無明の部屋へと急いだ。先ほどの状況を見たシオが一体何を報告するのか。そう考えるだけでも身震いしそうな気持を抑え、今はただ無明の居る部屋へと急いだ。

 

 

「兄様、入っても宜しいでしょうか?」

 

「良いぞ」

 

 一言そう伝え、返事と共に入った部屋には今回の任務に携わった人間が一同に勢揃いしていた。その表情は明るく穏やかながらに何か言いたげな表情から、きっと何か言われるだろう事を考え様子を伺いながら部屋へと入った。

 

 

「アリサが目覚めたんだってな。検査の結果も何も影響が無かったらしいから、まずは一安心ってとこだな」

 

「アナグラも一時は騒然としてましたが、今は平常ですよ。アネットさんには私から伝えておきましたのでご安心ください」

 

 シオから言われた事かと構えていたが、純粋に心配された事でタツミとヒバリには心の中で詫びながらも話をしていた。今回は緊急特化条項は発令されていた関係上、全員がこの事実を知る事は無い物の、その場に居た当事者たちは任務に励みながらも心配はしていた。

 アナグラの中でも攻撃特化型の2人が不在であれば、何かが起きたのではと一時は混乱寸前の所まで行ったものの、結果的にはヒバリのフォローで事無き事をえていた。

 

 

「アリサ君に関してだが、暫くは衰弱していた事もあるから療養してもらう事にするよ。ここなら人の手があるし困る事も無いだろうから、少しは落ち着くだろう」

 

「エイジ、お前もご苦労だったな。今回の任務に関しては極秘事項がいくつか含まれている。知っての通り、部隊長ならばその意味が分かると思うが他言無用だ。ついでに暫くの間出撃が続いていたから、お前も明後日までは休暇とする」

 

「姉上の言う通りだ。お前は少し無茶をしすぎだ。これを機に少しは身体を休ませろ」

 

「しかし、アラガミの襲撃は?」

 

「あれは大車との繋がりが確認された。今は以前よりも出撃の頻度は少なくなっている。既に第2.第3部隊だけで討伐は可能だ。心配する必要はないぞ」

 

 無明からそう言われ、それ以上の事はエイジには何も言えなかった。今回の任務においては今までの任務とは全く性質が異なり、エイジの人生の中でも対アラガミ以外の戦闘はほぼ初めてとも言える内容でもあった。

 幾ら来るべきに時に備えて鍛錬しているとしても、今回のミッションでエイジは生まれて初めて人を斬っている。アリサの救出が目的とは言え、罪悪感は消える事は無い。

 それは見えないまでも過大なストレスとなり、結果的には目に見ないレベルでの疲労感がエイジを蝕んでいた。

 

 

「ま、大好きなアリサもここにいるから良いじゃねえか」

 

 しんみりとし始めた頃、まさかの爆弾がリンドウから落とされていた。今までの話からすっかり警戒心は解けていたが他のメンバーの顔を見ても何となく見守られている様な空気がそこには存在していた。

 

 

「え、な、何の事でしょうか?」

 

「今更何言ってんだ。あんなにアリサって叫びながら攻撃しておいて、その後も俺たちの事なんて眼中にすらないまま走って行ったのはお前だろ?あんなに大事抱きかかえてて見てるこっちが恥ずかしかったぞ」

 

「シオもさっきアリサとエイジがくっついてたの見たぞ」

 

「避妊はちゃんとしておけよ。あと、病み上がりなんだから無理はさせるなよ」

 

「は?え?え?」

 

 エイジの気力が回復する間もなく、今度はシオの口から第二弾が飛び出した。これ以上言われると自分がどうすれば良いのか分からなくなる。そんな状況がそこにはあった。

 改めて他のメンバーの顔を見ても、タツミは隣にいたヒバリに先ほどの発言に対しての注意から頭をはたかれたのか頭を抑えながらヒバリとニヤニヤし、リンドウも何か言いたげなのが分かる。シオは恐らく見たままの事をそのままダイレクトに言った事だけが理解できていた。そんな雰囲気が皮肉にもアナグラに帰って来た事を実感させられていた。

 それ以上は勘弁してほしい。今のエイジにはそれ以外考える事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ無明、任務中に言ってた事だが、あの説明をしてもらおうじゃないか?」

 

 散々エイジをからかいながも用意された食事を楽しんだ後、ここに残る人間以外はアナグラへと戻った。この場にはリンドウ以外にツバキとエイジしかいない。今回の任務は特例中の特例とも言える内容である為に、あの場にいた人間にすら知らされていなかった。

 食後とは言え、まだ明るいにも関わらず若干酒が入っていたが、リンドウの目は真剣そのものである以上、これ以上の秘匿は無理と判断し改めて関係者に説明する事となった。

 

 

「どこから話したものかだな」

 

「今までの事全部だ」

 

「…仕方ないか。なあリンドウ、お前はこの極東支部の中では恐らく現役の最古参だよな?」

 

「ああ。それがどうかしたのか?」

 

「今までの任務のミッションの中で他の支部と比べて異様な程に殉職が多いのは理解しているよな?」

 

「アラガミが他よりも強いからだろ?」

 

「まあ、それも原因の一部なんだが…」

 

 この時点でも本当の部分を話しても良いのだろうか?僅かな時間とは言え、無明は本当の事を話すのにためらいが生じていた。話した所で現状では裏を取る事は最早出来なくなっている。仮に出来た所でそれを弾劾する事は最早不可能とも言えた。

 しかしながら、今回の騒動の一因に今は居ない当事者が関与されているのであれば、これ以上隠した所で問題は無い。そう判断して改めて話す事を決めた。

 

 

「今回の任務の元凶とも言える一端を作ったのは前支部長のヨハネス・フォン・シックザールの政策が要因なんだ」

 

 突如として出た名前にリンドウだけでなく、エイジも思わず息を飲んでいた。今回の内容とヨハネスの名前に関連性が見いだせない。やはりと言った思いでその表情を確認した事で、無明はそのまま言葉を告げていた。

 

 

「いくらフェンリルとて、この地域の全人口をこの外部居住区に住まわすのは不可能と判断し、一部の住民を切捨てた。当時の事を考えれば仕方ない部分もあったのは否めないが、それでも当時の事を今でも不満に思う人間は少なくないのもまた事実だ。

 アラガミ防護壁が無い状態での生活は無理もあるし、毎日が怯える結果となる事を分かった前提でだ。もちろん、単に放り出した訳では無く一応はゴッドイーターの派遣も踏まえた上での話だった」

 

 この時点での話にはリンドウも良く知っている話だけあったのか、理解の度合いは早く大よその見当もついていた事が無明にも理解出来ていた。また、それが全ての理由にもならない事も同じく理解していた。

 

 

「そこまでは良かった。大義名分もあったからか、本部からも特に何も言われなく過ぎたんだが、ある日を境に何か引き返す事が出来ない事があったんだろう。突如全ての事を放棄し、守護するゴッドイーターを引き上げる事になったんだ」

 

「幾らなんでも唐突過ぎるだろ」

 

「まあ、話は最後まで聞け。当時は十分な説明も無く突然の事で問題が生じ、その結果、守護していたゴッドイーターは住民によって殺されたんだ。

 なあリンドウ。ゴッドイーターはアラガミに頭と腕輪以外の部分を捕喰されても大丈夫なのは知っているだろ?」

 

「まあ、それ位は…」

 

「住民もそんな事は知っていたから、意識を失わせた所で頭を潰したんだ」

 

「おいおい…そりゃ幾ら何でも…」

 

 初めて知る事実に、リンドウは驚きを隠す事は出来なかった。護っていた筈の住民からまさか背後から刺されるような真似をされるとは思っていなかったのだろう。話はこれだけでは無かった。

 

 

「当たり前の事だが、そうなった事で激怒した前支部長が今後の防止策と称したゴッドイーターの改造計画を打ち出し、実行する間際まで来た際にこの事実を俺は知ったんだ。

 結果的には知っての通りだがアーク計画の破綻によって一部の人間の脱出計画と当時に改造計画も無かった事にされたんだ。もちろん、住民は自分のIDは削除されてるから配給も受ける事は出来ない。後はどうなるか考えれば分かる話だ」

 

「そこまでは分かったけど、お前とは関係ないだろう?」

 

「関係あったんだ。その中に俺の身内も入っていたのと、やり方があまりにも姑息すぎたのも原因だ。表に出すと何かと面倒だから、表面上は従ったフリはしたが、向うは何事も無かったかの様に気にもしていない。そんな事が続いたときだ。半死半生の神機使いの討伐任務が入ったんだよ」

 

 

 この時点で、今まで気にした事が無かったはずの事実が突如思い出されていた。

 隊長には部隊員が万が一アラガミ化した際には介錯とその情報を隠蔽する義務が生じている。これは隊長になった際の責務の一つではあったが、リンドウが部隊長になってからは一度もそんな場面に遭遇する事は無かった。

 

 

「そのゴッドイーターは外部居住区から放り出された人間がなっていたのと同時に、その住民たちも守っていたんだ。俺は交換条件として介錯し続ける事を前提に、その後を引き継いだんだよ。だからこの極東では同族殺しとも言える行為が一切無いんだ」

 

「ちょっと待て。IDがなきゃ適合確認出来ないだろ?」

 

「住民としてのIDは抹消したが、適合に関しては残したんだろう」

 

「マジかよ…」

 

 話を聞いた所で、リンドウは後悔していた。本来であれば、部隊長がやらなければならないはずの責務を一人に押し付けていた時点で問題があったが、まさかそこまでだとは想像もしていなかった。

 この内容から判断すれば糾弾されるのは間違いなくフェンリル側になる。しかもその矢面に立つのは亡くなった前支部長ではなく、間違いなく現場に出る事が多い部隊長なのは考えるまでも無かった。

 

 

「まあ、そんな暗部が今も続いている事は一部の人間以外は誰も知らない。今の時点では榊博士とツバキさん位だ」

 

「だからか……姉上、何で俺に話してくれなかったんだ?」

 

「お前に話した所でどうにも出来ないだろう。一個人の見解とは言え、相手が大きすぎるならば、その部分は知った人間だけで処理すれば良いと判断したんだ。お前が気に病む必要はない」

 

「じゃあ、行方不明になったゴッドイーターが多いのは……」

 

「お前が想像している通りだ。改造計画に巻き込まれているんだろうな」

 

 人類の守護者であるはずが、暗部では一部とは言え家畜同様の扱いをされているとは全く想像出来なかった。今あるのは自分達の努力の結果だと信じていたが、その実は誰かの犠牲の上で成り立っていた事にリンドウだけなくエイジも憤りを感じていた。

 しかも実行した当事者は既に他界しているのであれば、怒りの矛先をどこに向ければ良いのかすら考える事が出来なかった。

 

 

「もちろん、こちらにもメリットがあったから引き受けたんだがな」

 

「それが屋敷の事か」

 

「そうだ。そんな背景があったからこそ自分が手の届く範囲の人間位はと思ってやっているんだ」

 

 想像以上に厳しい内容ではあったが、今いるこの屋敷の中に住んでいる人間はある意味外部居住区の人間よりも生き生きしている事は初めて来たときから分かっていた。聞かされた理由を聞いて漸く納得できる部分があった。

 

 

「だから、ここは事実上の治外法権なんだ。全員は無理だが出来る限りの支援はしている。これは極東だけではなくフェンリルも知らない事だ」

 

 衝撃の事実に理解が追い付かないのか落ち着かせる為なのか、リンドウはタバコは反対に咥え火をつけようとしていた。

 

 

「リンドウ、タバコが反対だ。で、ここは禁煙だ」

 

「そうだったな。すまん」

 

「湿っぽい話はここまでだ。俺自身は何も後悔はしていない。理解者もいるからそれで十分だ」

 

「兄様、それってツバキ教官の事ですか?」

 

「そうだな。エイジ、お前はそろそろアリサの所へ様子を見に行ってくれ。衰弱していたとは言え、ゴッドイーターの身体能力ならばそろそろ大丈夫だろう。これでこの話は終わりだ今後は話すつもりは何も無い。お前も胸の内にだけしまっておいてくれ」

 

 

ここで漸く極東支部にとっての重苦しい時間が終わろうとしていた。

 

 



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外伝26話 (第73話)共通の思い

「アリサ、起きてる?」

 

 アリサの腕から点滴が外れ、ゴッドイーターの身体能力が発揮されたかの様な勢いでアリサの体調は急激に良くなっていた。本来であれば回復には時間がかかるかと思われていたが、点滴に何か投与されていたのだろうか、その結果アリサは劇的な回復を見せていた。

 エイジの声に一度は着ている浴衣の襟をチェックし、改めて返事をする。そこには穏やかな表情をしたエイジが入って来ていた。

 

 

「もうすっかり良くなったみたいです。皆は帰ったんですか?」

 

「今はリンドウさんとツバキ教官位かな。まだ兄様と話しているよ」

 

 

 辺りは日も落ち、夜の帳がハッキリと分かる程に薄暗くなった部屋の照明の為にエイジはアリサの部屋を訪れていた。本来であればアリサ自身が出来る事だが、部屋にはそれらしいスイッチが無い事を思い出したのか、エイジは照明の確認がてらの様子見でもあった。

 

 

「もう点滴はいらなそうだね。明日からは軽めの食事を出すから、しっかり食べると良いよ。何か必要物があれば持ってくるけど、大丈夫?」

 

「私は大丈夫です。ただ……少し身体の事もあるので、シャワーを浴びたいです」

 

「だったら、確認しておくよ。温泉もあるから短時間なら大丈夫だと思うよ。お湯につかれば少しは違うだろうから」

 

 オラクル細胞の影響なのか、完全では無いにしろアリサ自身は既に大丈夫だと思ってはいたが、あまりにもエイジが心配するので敢えて大丈夫だと言う事は無かった。

 今までの経験の中でここまで心配された事は自身が招いた結果とは言え、極東に来て以来殆ど無かった。そんな事もあってか今は少しだけエイジの優しさに甘える事にした。

 

 

「あの……」

 

 先ほどはシオの乱入により、結果的にはそのまま終わったがアリサの中で少しだけ不可解な事があった。感応現象は誰かの意識が一方的に来る訳ではない。むしろ状況によってはお互いの内容が瞬時に交換されるので、アリサ自身の事だけではなく、同じ様にエイジの記憶もアリサに流れ込んでいた。

 

 

「どうしたの?」

 

「感応現象の事なんですが、一瞬だけエイジの記憶も私に流れて来たんです。ほんの一瞬ですけど…」

 

「何が見えたの?」

 

「少しだけでしたが、子供の頃のエイジが見えました」

 

「じゃあ、アリサには分かったんだね」

 

「…はい」

 

 エイジに限った話では無い物の、この時代の中でお互いに触れられてほしくない記憶の一つや二つは誰にでもあった。それに関してはエイジであっても例外ではない。

 本来であれば外部居住区とは言え、フェンリルの保護下に置かれているのが当然と思われていたが、アリサが見た記憶にはそんな場面は一度も無かった。恐らくはこの時代にはまさかと思う可能性が一番低い、もしくは考えたくない行為がそこにはあった。

 

 

「毎回アリサの記憶を見るのは不公平だからね。良いよ。多分見たのは子供の頃に両親が殺された事でしょ?」

 

「ええ。そうです」

 

 アリサが見た場面はまさにエイジが指摘した通りの場面だった。この時代ではアラガミに食われた結果、両親が共にいなくなる事は割とよくある話だった。しかしながら、エイジが体験したのはアラガミでは無く同じ人間に殺されていた場面だった。

 

 アラガミ防壁が無い場所では常に死と隣り合わせの中で何とか生きて行くのが精一杯の状況の中で、配給も無く僅かな食糧を手に生き延びる事が当たり前の世界だった。そんな中でその僅かな食糧の為に一部の人間に殺害され、その集団から放り出された所をエイジは無明に保護されていた。その後は厳しい鍛錬を続けた結果が現在に至っていた。

 エイジ自身も記憶はしているが、この事実を口にしたいと思った事は一度もなく、アリサ自身は知らなかったが、エイジがこの話をするのはアリサが初めての相手だった。

 

 

「なんで、エイジがそんなに強いのか何となく分かりました」

 

「別に強いなんて思ったことは一度も無いよ。ただ、後悔しながらの人生なんて御免だからと、今日しかないと覚悟して努力した結果だよ」

 

「私が思った以上の内容だったので驚きました」

 

「この話は誰も知らないから、内緒だよ」

 

「そうだったんですか!でも良かったんですか私に話して?」

 

「アリサだったから話しても良いのかと思ってね。アリサの過去ばかり知るのもあれだし」

 

 自分で話した言葉に何故か顔を若干赤らめながら自分の感情を持て余し、明かりを付けに来た事を思い出したのか、薄暗くて助かったとばかりに腰を上げようとした時だった。

 

 

「私もエイジの事が知れて嬉しかったです。だって……」

 

 アリサはこの後何を言おうとしていたのか一瞬だけ戸惑った。こんな所でまさかそんな話が出来るなんて思っても居なかった。

 今は薄暗い部屋の中には二人だけしかいない。しかも立ち上がって照明をつければ、エイジはこのまま去って行くだろう事は容易に想像できていた。その為にエイジはここに来ていたのだから。

 果たしてこんな時に話をしても良いのか、先ほどの感応現象の光景でエイジには敢えて言わなかったが、子供の頃以外の事も実は見えていた。原因は分からないが、心臓の鼓動がやけに大きく感じる。言葉の端を飲み込み少しばかりの沈黙が場を支配していた。

 

 そんなアリサの葛藤を察知したのか、エイジも何か言いたげだったのかは分からないが、浮いた腰を落としたのか改めて立ち去る事は無い事だけは理解できていた。

 ここからどうしようと悩んだ所で改めてエイジの手がアリサの頭を撫でていた。撫でられた頭から感じる物は単に同情なんかでは無い事が感じる。アリサにはそうとしか思えなかったし、それ以外に思いたくなかった。

 今のエイジはどんな表情をしているのだろうか?そんな疑問と共に、この自分の中に湧き上がる感情がエイジもそうなのか希望も込めて確かめたいと改めてエイジの顔を見た。

 

 

「アリサ」

 

 たった一言だけだったが、その言葉に同情ではなく、愛情がこもっている事だけは理解したと同時にエイジに優しく抱きしめられた。この時点でエイジが何をどう考えての行動なのかアリサには知る由も無かった。

 しかし、抱きしめられる事で自分自身が嫌だと覆う気持ちは微塵も無く、大車に囚われてからのトラウマに対する感情が少しづつ和らいでいる気がしていた。

 暖かい気持ちで溢れている事だけは理解する事が出来る。抱きしめられている為にエイジの顔がかなり近い。お互いの目が合った瞬間アリサは目を瞑っていた。

 その瞬間、唇には柔らかな感触と共にじんわりとした暖かさが伝わる。時間にすれば僅かな時間なのかもしれないが今のアリサのは十分だった。

 

 

「アリサ、好きだ。ずっとそばに居てほしい」

 

「順番が逆ですよ。エイジ、私もです」

 

 薄暗い中でのキスはお互いの顔の表情を少しばかり隠す効果があった。お互い照れる事も少しはあったのかもしれないが、アリサはまだ療養中。それ以上の事は何も出来ないし、するつもりも無かった。

 これ以上はここに居るのは何かと拙い気がしながらもその場に留まっていた。幸福は与えられるだけでは無く与える事でお互いが感じられる事が出来る。今の二人にはそう感じ取られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ戻るよ」

 

 此処に居たい気持ちはあるものの、これ以上ここに居れば間違いなくリンドウから何か言われる事を推測し、名残惜しい気持ちを後にエイジは立ち去って行った。

 残されたアリサも時間の経過と共に徐々に先ほどの行為に対して意識しだしたのか、ぬくもりを感じた唇を触り一人布団の上で枕に抱き付き足をバタつかせながら顔を赤くし、嬉しさ半分、恥ずかしさ半分のまま気持ちを落ち着かせようとしていた。

 ここにヒバリやリッカが居なくて良かった。二人には申し訳ないが、今のアリサにはそんな気持ちで一杯だった。

 

 

 

 一方、アリサの知らない所でエイジも同じく動揺を隠しきれずにいた。最初に頭を撫でた時にはそこまで考えた上での行動では無かった。ただ、あの時に感じたのはこのままだとアリサが居なくなるのではとの思いと同時に、潤んだ目を見てから自然と出た行動だった。

 入隊当初から今に至るまでに完全に過去との決別が出来た訳ではない。当事者はエイジ自身が手をかけた以上、悪化する可能性は無いが、それでも簡単にトラウマが克服出来るなんて楽観はしていない。そんな思いが不意に溢れた結果でもあった。

 今のエイジには後悔の気持ちは何も無い。このまま徐々にでもトラウマが消え去って欲しいと考えながらも、到着までに気を引き締め直そうと人知れず歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサの具合はどうだった?」

 

「いえ、特に問題は無いですが、シャワーを浴びたいとの事でしたので、お風呂についてだけは教えておきました」

 

「そうか。まあ、短時間なら大丈夫だろう。手配だけはしておく。それと食事だが、暫くはお前も休暇ならアリサへの準備だけはしておいてくれ。屋敷の人間に負担をかける訳には行かないからな」

 

「分かりました」

 

 アリサの状況報告をしている所で、リンドウが何か言いたげな事があったのかエイジの顔を見ていた。当初はまた何か言われるかと心の中で身構えたが、その表情は真面目そのものである以上、何か確認事項があるのかと思い、素直に確認する事にした。

 

 

「リンドウさん。どうかしたんですか?」

 

「いやな、さっき無明と話をした際にお前の話が出たんだが、あの大車と戦った時に何か見えなかったか?」

 

「見えなかったですか……そう言えば兄様に聞きたい事があります。バーストモードに入った時や集中力が高まった際に白い線の様な物が見えるんですが、あれは一体何なんですか?」

 

「それか……便宜上は心眼と呼んでいるが、あれは極端な話をすればあの線の通りに刃を立てればその通りに致命傷を与える事を意味する。線の入り方は急所を捉えている事が多いから、恐らくはそうなんだろう」

 

 今までの経験からある程度予測はしていたが、改めて無明の口からその話を聞き確信した所で、不意にリンドウが思った事を口に出していた。

 

 

「なあ無明、さっきの話を聞いて思ったんだが、それって凄い話じゃねえのか?」

 

「リンドウ、あれは誰にでも見える訳ではないんだ。ある程度の修練と知識が無意識の内に発動するものだから、寝て起きたら使えるなんて代物じゃない」

 

「やっぱりか~。使えるなら便利だと思ったんだがな」

 

 どうやらエイジがアリサの所へ言っていた際に戦闘時の動きが変わった事を感じ、まずはエイジに確認すべく戻って来た所で聞くつもりだったのだろう。確かにあれが常時利用出来るのであれば、今以上にアラガミの討伐が楽に出来ると考える事も出来る。そんな希望を持って無明に確認した結果、まさかの利用不可の返事だった。

 話だけ聞けば恐らくは一朝一夕で習得出来る様な技術ではなく、日々の積み重ねの結果が現れた物だと判断できた。

 

 

「何だリンドウ。そんなにその技術が必要なのか?」

 

「そんな事は無いが、あれば便利だろ?」

 

「ならば簡単だ。リンドウ、お前も今日からその習得の為に訓練するしかないな」

 

 リンドウはこの場にツバキがこの場に居た事を忘れていた。

 あまつさえ無い物ねだりの技術の話が出た結果、今以上の努力が必要となり、それの積み重ねと言われればツバキとしても密かに極東支部でのカリキュラムに導入するのは悪くないと感じていた。今以上の技術があれば、今後の殉職者の数は少なくなると考えたのか、ツバキは真剣に検討し始めていた。

 

 

「あの~姉上。まさかとは思うんですが……」

 

「なんだリンドウ、よく分かったな。言い出したお前も取得したいのだろう?」

 

「いや、そんなつもりでは……」

 

 戦場では頼もしいリンドウもこの場においては既に敵地の真っただ中とも言える状況である事を理解していた。仮に訓練のプログラムが導入され、その理由が自分だと発覚すれば、早晩誰かに恨まれる。その為に全力で話題の修正によって、この場からの逃亡を図る事に決めた。

 

 

「ちょっと用事を思い出したから。俺はそろそろお暇するよ」

 

「そうだな。明日は早朝から哨戒任務だ。ソーマとコウタには伝えてあるから心してかかれ」

 

「……了解しました。姉上」

 

 リンドウは心休まる時間はもう残されていないと判断したのか、この場から撤収する事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、大車のデータベースなんだが改めて調べたが、肝心の部分のデータが抜き取られていたが、何か心当たりはないか?」

 

「あの研究は狂気とも言えるが、人体実験の結果に関しては非人道的と言われても内容に関してはまっとうな物だから、研究者からすれば恐らくは喉から手が出るほどの内容だ。

 詳しくは分からないが、今までの事から考えれば一人で出来る内容ではない。いくらテロ組織が関与していたとしても、あの手の実験内容を理解できるとは思えん。となれば……多分、本部絡みだろうな」

 

「幾らなんでも話が飛躍しすぎだろう。まさかそんな……」

 

 無明の飛躍した発言に、ツバキは思わず絶句しそうになっていた。既にヨハネスの事件で一度は関係者を排除したにも関わらず、まだあれから時間はそう経っていない。そんな事実にツバキは思わずこめかみを押さえていた。

 

 

「ツバキさんも知っての通りだが、本部とは言え一枚岩ではない。いくら排除した所で徐々に権力に取り付けれる事はある意味自然なのかもしれない。今はここに火の粉が飛んでこないが、いつどこから飛んでくるのかは予測できない以上、警戒するに越したことはない」

 

 本来であれば考えすぎだと思うが、事実上層部の状況を一番知っている人間が身近に要れば信憑性は段違いとなるのはある意味当然の事だった。今後の事も踏まえればやるべき事はまだ山積されている。

 そう考えると今の体制か早急に変える事が先決となるのは決定事項でもあった。前途はまだ多難である事は二人とも口には出さなかった。

 

 

 



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外伝27話 (第74話)異文化体験

「おーいアリサ。もうだいじょうぶか?起きてるか?」

 

 

 エイジとの気持ちが通じ合った最初の朝を迎えた相手はエイジではなくシオだった。

 相変わらず勢いよく襖を開き、元気一杯の笑顔で起こしに来ていた。時間は分からないが外はかなり明るく、恐らくはそれなりの時間が経過している事だけが理解出来ていた。

 

 

「シオちゃんおはようございます」

 

「おはよーアリサ。もう朝食が出来るから来てくれってエイジが言ってたぞ」

 

「着替えたら直ぐに行きますと伝えておいて下さい」

 

「りょーかーい。みんな待ってるから早く来てな」

 

 トタトタと足音を立てながらシオは機嫌よくエイジ達がいる部屋へと歩く音を尻目に、アリサは今まで来ていた寝間着から、部屋着とも言える浴衣に着替え直していた。

 以前にも来た際に思った事だが、この屋敷では意外と洋服を着ている人が少なく、恐らくはアナグラから来た人位しか見た事が無かった。現にシオもここでは浴衣を着ている。前回初めて来た際にも着替えは浴衣が用意されている事から、ここではこれが平時の服だとは感じていた。

 ここに運ばれた際には今まで来ていた服はボロボロだったので着替えさせられていた事は間違いないが、その後来ていた服に関してはどうしたのだろうか?そんな事を考えながら浴衣の帯を締めなおし、寝間着から浴衣へと着替えていた。しかし、ここでよく考えれば重大な事をアリサは見落としていた。

 

 

『運ばれた際に、一体誰が私を着替えさせたのだろうか?』

 

 

 目を覚ましてからは色んな事が一度に置き過ぎた結果、盲点とも言える部分を見落としていた。しかしながら、今更そんな事を考えた所で時間は戻らない。ならば行ったついでに確認すれば良いだけとばかりに、アリサはうろ覚えながらに着替えて皆の所へと急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございます」

 

 挨拶と共に襖を開ければ、そこには何故かリンドウとソーマ、コウタがエイジ達と一緒に座っていた。昨日の時点ではリンドウは居たが、ソーマとコウタは居なかった。

 後で聞いた話だが、今回の事件に関しては緊急特化条項によって同じ部隊の人間でさえも詳細については知らされていない。にも関わらず、何故ここに2人が居るのか今のアリサには疑問しか出てこなかった。

 

 

「アリサ、元気そうだね」

 

「元気そうでなによりだ」

 

 何も知れされていないのか、それとも知らされた結果なのかは分からないが、二人の表情を見る限りではある程度の事は知っていると判断する事が出来た。表面上の言葉ではなく安心した様子がうかがえる程には言葉の端から感じる事が出来ていた。

 このメンバーはアリサが最初から一緒に戦ってきたメンバーである以上、ある程度の気心は知る事が出来る。そう考えアリサは空いている席へと座った。

 

 

「皆さんのおかげです。もう身体の状態は良くなってきているので、あと数日はここで過ごして原隊復帰出来そうです」

 

「ここに居るとアナグラには戻れなくなりそうだろう?」

 

 経験者は語るのか、それとも当時の事を思い出しているのか、リンドウも一時保護された際にはここで数日間過ごしていた。あの時点では既にサクヤが居たものの、やはりその時の様子はここで顔合わせした際の頃を思い出させていた。

 

 

「リンドウさんほどじゃありませんから大丈夫です」

 

「手厳しいなアリサは。ま、無理はするな精神的な疲労は簡単には癒される事はないからな。休むのもある意味仕事のうちだ」

 

「わかりました。ところで何しにここに来たんですか?」

 

 先ほどのシオの台詞からも自分達以外にだれかが居る事は理解していたが、まさかこのメンバーがここに居るとは想定していなかった。特に変な事を言われた訳ではないが、何となくだが皆の表情を見る限り、アリサには嫌な予感だけがしていた。

 

 

「哨戒任務が終わったついでに、アリサの様子見がてらメシ食いに来たんだよ」

 

 リンドウからの何の配慮も遠慮も無い言葉にアリサはやっぱりかと、らしいとの気持ちが存在していた。しかし、このメンバーでの食事なんて今までに殆ど無かった事を思い出したのか、折角だからとの気持ちを持って食事をする事にした。

 

 

「おまたせ。シオ、手伝ってくれる?」

 

 朝食の準備はエイジがしたらしく、お盆の上には色々と食事の準備がされたであろう物が乗っている。シオもお盆から茶碗を各々の前に置きながら全員の前に準備し、一緒に食べる事にした。

 用意された中で、アリサの物だけが他とは違い、なぜか茶碗ではなく土鍋になっている。アリサ以外のメンバーは中身を予想しているので突っ込む事も無く改めて目の前の食事に手を出していた。

 

 

「やっぱりエイジのメシは旨いな」

 

「コウタもたまにはまともな物食べたら?」

 

「まあ、そうなんだけど人に作ってもらった方が旨く感じるじゃん」

 

 和気あいあいとした空気の中で食べる食事は一人で食べるよりも美味しく感じられていた。事実、無言で食べているはずのソーマの横でシオがソーマの玉子焼きを横取りし、それを頬張りながら話をしている。

 リンドウも会話の前に、まずは腹ごしらえとばかりに食べる中で味噌汁をすすりながら焼き魚をつつき、ご飯を食べている。そんな当たり前だと思える中でアリサが一人疑問を持ちながら土鍋の中身を見ていた。

 

 

「とりあえず消化の良い物と思ってお粥作ったけど、口に合わなかった?」

 

「お粥は美味しいんですが、一つ気になる物が入ってるんですが、この赤い物は何のジャムですか?」

 

 アリサの一言で、皆がお粥の入った土鍋を見ていた。ここ極東では古くから伝わる保存食だが、アリサは今まで見た事が無く赤い色から推測するに、ジャムか何かだと思いながらも箸はつけていない。

 この場で知らないのはアリサだけで、皆はそれが何であるのかは知っていた。

 

 

「アリサ、女は度胸だ。取敢えず食べれば分かる」

 

「リンドウさんはこれが何なのかは知ってるんですよね?」

 

 何となくだが、面白い物が見れるかの様な爽やかな中に胡散臭さが同居した表情をしているリンドウに警戒しながらも、エイジの作る物に間違いは無いとばかりに一気にそれを口の中に入れた。

そしてその後直ぐに激しく後悔する事になり、それが皆の爆笑を誘う事になる。

 

 

「……アリサ、大丈夫?」

 

 エイジの心配気な声は果たして届いているのだろうか?この場で用意された物は極東に伝わる梅干。しかも、蜂蜜を使って付け込んだ物では無く、古くから伝わる手法で作られた物である為に、そこに甘さは全くない。

 純粋に梅酢と塩、赤紫蘇で作られた一品だった。人間誰しも想定した味と違った場合、間違いなくその味わいは大きく異なる。アリサは当初何かのジャムだと判断していた。

 どんなジャムであっても基本は砂糖を使う以上、どんな味でも甘いと思っていたが、梅干はその対極とも言える塩と酢が原材料として使用されている。その結果アリサの口の中は想定外の味わいに混乱していた。

 本来であれば口から直ぐに出すが、こんな状況下で出す事は出来ない。何よりも同じような物をシオが満足そうに食べている事からこのまま吐き出す事は無理だと瞬時に判断したのか、涙目にも構わずそのまま無理矢理飲み込む事にした。

 

 

「リンドウさん。知っててこれ勧めたんですよね?」

 

 酸っぱさから逃れる様にお茶を飲んだアリサの顔を見て、皆が状況を察したのか笑顔は直ぐに消え去っていた。しかし、勧めた張本人でもあるリンドウはアリサに対して意にも介さずそのまま話を続けた。

 

 

「いやな。この屋敷は極東地域の前身でもある、まだ日本と呼ばれた頃の伝統文化を割と継承している所があるから、折角ここに療養してるならその文化に触れるのも悪くはないだろう?少なくとも俺の知ってる限りじゃ、こんな事が体験できるのは極東ではここだけだ。食事だけじゃなく、今来ている浴衣もその流れなんだよ」

 

 初めてここに来た際に、温泉に初めて入りその後浴衣を着た事を思い出していた。その当時でさえ異文化に触れた事を嬉しく思い、今となっては良い思い出になりつつある。

 確かに横に座っているエイジもここでは洋服ではなく着流しとも言えるスタイルが多く、またそれが十分すぎる程に似合っていた。

 

 

「それは…そうですけど。それならそうと、これはこんな味だと言ってくれても良かったじゃないですか!エイジも知ってて言わないのはどうかと思います!」

 

 当初はエイジも梅干の事は言うつもりだった。この極東でも苦手としている人は少なくないので、知らないのであればなおさら説明する必要があると考えていた。しかし、アリサの様子とリンドウの表情からこのままの方が良いのではと、結果は何となく分かっていたがアリサがどんな反応をするのかを楽しんでいる事もあり、敢えて何も言わなかった。

 

 

「でもさ、シオだって梅干食べてるから大丈夫だろ?」

 

「ちょっとコウタ、あなたはどうなんですか。これ食べる事出来るんですよね!」

 

 助け舟を出したはずが、その船はどうやら泥舟だったのか、コウタの表情が一気に変わる。このメンバーに中でアリサは知らなかったが、コウタは梅干を苦手としていた。

 

 

「コウタはうめぼしキライなんだよな。食べてること見たことないぞ」

 

 ここに来てシオの追い打ちがコウタの首を絞める。アリサの手には土鍋に入った物では無く、他の容器に入って居る丸々とした大粒の梅干があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嫌がるコウタの口に入るだけ梅干を突っ込み、漸くアリサも溜飲が下りたのか、再びお粥を口にしている。席の向こうではコウタが必至でご飯とお茶を口にしながら酸っぱさと戦っていたが、それを指摘し笑う物はこの場には誰も居なかった。

 

 

「まあ、アリサもその位にしたら?一応クエン酸を含んだアルカリ食品だから疲労回復の効果も期待できるし、これは保存食としても優秀なんだよ。何だかんだと長期保存が利くから便利なんだよ」

 

「でもそれ位の説明はあっても……」

 

「そうだ。梅干があれなら、もう一つ面白い物があるよ。最近になって漸く作る事に成功したんだ」

 

 頬をふくらますアリサをなだめ、エイジは思い出したかの様に厨房へ足を運んでいた。今回の件から再び他のメンバーを見るが、何も知らされていないのか全員がキョトンとした表情をしている。

 唯一、コウタだけが先ほどの影響からまだダメージが抜けないのか疲れた表情をしていた。今度は何が出てくるのかと、そんな事を考えていると今度は小鉢に入った何かが人数分お盆に乗せてある。この時点で知っているのは恐らくエイジだけだろう。何かを察知したのか、ソーマも何となく嫌な顔をしている。

 

 

「これ、苦労したんだよね。これもある意味極東ならではの食べ物だよ」

 

 この時代では見る可能性は皆無とも言える食べ物。見れば何かの豆が糸を引き、何となくだが独特な臭いがしている。知らない人間が見れば、それは確実に腐っているのではと勘違いする事間違い無しの代物だった。

 

 

「なあエイジ、この豆は腐ってるのか?」

 

「なに言ってるんですかリンドウさん。これは腐ってるんじゃなくて発酵してるんですよ。だってこれ納豆ですよ?」

 

「めちゃめちゃ糸引いてるけど、それ大丈夫なんだよな?」

 

 若干引き攣った様な表情を見せながら、まさかこれを食べるなんて言わないよなとコウタが目で訴えるも、エイジはそれを見事にスルーし何事も無かったかの様に話を続けていた。

 

 

「ああ、これに薬味としてネギと醤油で混ぜて食べると美味しいよ。本当は生卵も良いけど生食はダメって人もいるだろうからね」

 

 あまりにもあっけらかんと言われると、それ以上の反論をする事は誰にも出来ない。一通りの説明が終わったからなのか、エイジは薬味を混ぜて何も考えずにそのまま食べていた。糸を引いているそれは、明らかに見た目からして美味しそうには見えなかった。

 それに続くかの様に興味津々だったシオが口にし、その後無理矢理勧められたソーマが口にしていた。

 

 

「すまん。俺は無理そうだ」

 

「好き嫌いなんてリンドウさんらしくないですよ。これは古くから伝わる製法で作ったんで大丈夫ですよ」

 

 これにはリンドウも顔を顰めながら食べる事を拒否していた。無理やり食べさせられていたソーマは気のせいか顔が青ざめている。恐らくそんな表情を見たのは初恋ジュースを飲んで以来だろう。

 それを見たアリサは意趣返しとばかりに笑顔でリンドウに詰め寄った。

 

 

「リンドウさん。異文化体験って大事ですよ」

 

 そこには悪い笑顔をしたアリサが背後に阿修羅を背負っていた。そんな風景を見ていたエイジは平和で何よりだが、これを理解されるのは難しいのだろうかと一人今後の改良に向けて食べていた。

 

 

「いや。俺はもう腹が一杯だから……」

 

「まぁ、そう言わずに。遠慮なんてらしくないですよ」

 

 結果的には無理矢理食べたものの、匂いが気になるのか糸を引く食感が嫌なのか、リンドウは何も言わなかった。意外な事に梅干がダメだったコウタは恐る恐る食べていたが、結局は平気で食べ、残す所はアリサのみとなった。

 

 

 

 

 

 

 

「………これは食べ物ではありません。きっとアラガミが進化した物です」

 

 

 これを機に第1部隊では納豆の話題はタブーとなっていた。そしてこの気持ちをアナグラにいる連中にも味わせてやりたい。そんな気持ちがここに居た人間全てに何となく芽生えていた。

 

 

 



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外伝28話 (第75話)女子会・再

 朝食騒ぎが治まり、漸くアリサの様子見をダシに来たリンドウ達はアナグラへと戻って行った。

 当初はこんなに寄り道しても大丈夫なのかと確認したものの、どうやら帰投の際に立ち寄る申請が出ていた様だった。納豆に関しては何か思う所があったのか、幾つかの試食として梅干とセットでリンドウが持ち帰っていたが、その後の事を知る術は今のエイジには無かった。

 恐らくは休暇明けに何らかの反応を見る事が出来るのだろう事を想像し、そこに笑みが生まれていた。

 

 

「エイジ、どうかしたんですか?」

 

「さっきの納豆と梅干なんだけど、リンドウさんに幾つか渡したから、きっとアナグラでも何か反応があるかと思うとね」

 

「……まあ、そうでしょうね。でも私はもう要りませんから」

 

 何かを思い出したのか、アリサの表情は何処か冴えない。確かに癖はあるが、ある程度の臭いがクリア出来ればもう少し普及するのでほとエイジは考えていた。

 

「もう出すつもり無いから大丈夫だよ。個人的には改良したいから食べるけどね」

 

「でも臭いが気になるのでやめてほしいです。じゃないと……スした…に気に……」

 

 語尾が徐々にゴニョゴニョと小さくなり、自分で何を言ったのかが分かったアリサはそれ以上何も言えなかった。しかし、真っ赤になった顔を見れば何が言いたかったのか理解したエイジはそれ以上の事を話すのは止めようと、何も言う事は無かった。

 

 

「とりあえず休暇中だけど、ここでやる事もあるから少し席を外すけど、アリサはもう寝てなくても大丈夫?」

 

「一晩寝たらある程度は回復したんだと思います。もし良ければエイジを一緒に行動しても良いですか?もし機密とかあるなら遠慮しますが」

 

 気持ちが通じ合ってまだ一日も経っていない。このまま寝ているだけは勿体ない事だけは昨晩から考えていた。恐らくアナグラの日常から考えると、ここでのゆっくりとした時間を二人で味わう事は、可能性を考えればこの先そう簡単にあるとは思えなかった。

 勿論それだけではない。事実、この屋敷の事はこの離れの部屋と、精々が大広間と温泉位しか知らない。

 始めて来た際には色んな建物があるのは知っていたが、ウロウロする事は良くないだろうと判断した為に、これを機に色んな所を見て回りたいとの欲求が優っていた。

 

 

「アリサさえ良ければ大丈夫だけど」

 

「ぜひお願いします」

 

 特に断る理由も無ければ、エイジ自身も何となくアリサと一緒に行動したいと考えていた矢先の提案だった為にそのまま同行する事になった。

 アリサは知らなかったが、ここでのエイジに人気は恐らくアナグラなんて目じゃないのだろう事を理解していた。この屋敷にはそれなりの年齢の人間は居るが、どう見ても30代以上の人影が見えない。

 事前に聞いてはいたが、ある程度自立が出来れば自分達の中でも各個とした何かがあるのか、ここに居る事は少ないと聞いていた。その結果、ここに居るのはまだ10歳にも満たない少年、少女が圧倒的だった。

 そんな中で現役ゴッドイーターで部隊長まで勤めているのであれば、憧れの眼差しはある意味当然とも思えた。

 

 

「エイジはここでは大人気でしたね」

 

「休みだから、ここまで出来たけど普段は無理だよ。あとはナオヤもいるから、あいつの方がもっと大人気だよ」

 

 行く先々で、剣術や体術の稽古に指導、更には料理に舞踊とあらゆる事で捕まり、気が付けば時間は既に夕方近くになりつつあった。途中で軽食はつまんだものの、まともな食事とは言い難くこれから晩御飯の支度があるとばかりに疲れた表情を一切見せずに厨房へと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあリッカ。今晩って何か予定入ってる?」

 

「う~ん。特に予定は無いかな。どうかしたの?」

 

「リッカが良ければ今晩、家でご飯でもどうかと思ってね?」

 

「家って誰の?」

 

「屋敷だけど」

 

 終業間近の時間帯に差し掛かり、今日は突発的な任務が無かった為に技術班も定時には終われる。そんな雰囲気が周囲に漂い始めていた。

 ここアナグラでは緊急ミッションは日常茶飯事の為に突発的な任務が多く、またその結果として任務終了後の技術班は戦場の如き忙しさに襲われる。しかしながら、ここ数日は例の事件からの反動なのか、恐ろしい位に平和とも感じられる時間が日常となりつつあった。

 その結果として終業後の時間に大幅なゆとりが出る事になっていた。

 

 

「ふ~ん、分かった。でもこの格好でも良い?」

 

「どこかに遊びに行くならだけど、来るだけなら別に構わないし。明日までは凄腕のシェフが常駐してるから、今がチャンスなんだよ」

 

 屋敷とシェフの単語から一体誰の事を指すのか、リッカは瞬時に理解していた。先日解決した非公式の緊急ミッションに加え、当事者が休暇中であれば推理するまでも無い。そんな事も思いながら、よく考えれば明日は非番だった事も思い出されていた。

 ここ数日の激務から漸く解放され、技術班も同様に休暇がローテーションで組まれていた。

 

 

「だったら、もう一人追加で良いかな?」

 

「連絡すれば大丈夫だから、問題ないよ」

 

「じゃあ、現地集合って事でヨロシク」

 

 あれは何か企んでるなと思いながらも、下手にツッコミを入れれば自分にも何かしらの被害が出ると判断したのか、そこには一切触れずに素早くナオヤは端末に向かって連絡を入れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりエイジがいる間はメシの事を考える必要が無いから気楽だよ」

 

「コウタみたいな事言わずに自分でやれよ」

 

 来客があるからと連絡を受けたエイジは、せっかくだからと割と手間のかかる料理を選んでいた。自分が食べるだけなら事前に調理した物で済ますが、今は休暇中の為に時間だけはある。

 ならばと、これを気に色んな物を試しながらも持て成す準備だけはしっかりと行っていた。当初、誰が来るのか分からずじまいに加えて、自分も今はここの一員だからと浴衣姿のアリサが出迎えた先には、帰って来たナオヤだけではなく、そこにはリッカとヒバリも一緒に居た。

 

 

「エイジ、これってこの前の埋め合わせのつもりなの?」

 

「そのつもりだけど」

 

 何とも言い難い様な表情を見せたリッカがあの時エイジに言ったのはフルコースの料理だったはず。しかし、目の前に出された物を見れば明らかに会席料理とも言える品々だった。

 

 アナグラとは違い、屋敷の厨房には食材の利用に関しての制限はあまりない。任務達成と同時に久しぶりに作るからと気合を入れ過ぎた結果がこうだった。

 

「埋め合わせって?」

 

「ちょっとだけエイジに借りがあっただけだよ」

 

 リッカはヒバリにそう言いながらも、改めて出された料理を見ていた。

 確かに東西のカテゴリーを条件を付けなかった以上、会席料理も間違いではない。少し損した様な気分になったが、その味は恐らく外部居住区の高級店で食べるよりも間違いなく上等な物に違いなかった。

 

 

「でも私まで良かったんですか?」

 

「ああ、今更一人増えた所で大した手間はかからないからヒバリさんも気にしなくて良いよ」

 

 彩も豊かな八寸を横に置き、その隣には野菜の蒸し物や魚のあえ物、その脇には魚のつみれを使った椀物、メインには天麩羅が置かれ、ここはどこの旅館だと言わんばかりに机の上一杯に置かれている。横に座っていたアリサは朝のメニューを思い出し、こうまで違う物が作れるのかと驚きを隠せなかった。

 食事をしながらアナグラの状況や他にも色んな事に会話が弾み、食事の後はリッカ達女性陣はこれから女子の時間とばかりに3人で行動する事になった。

 

 

「あのさ、今晩ここに泊まっても良いよね?」

 

 今思い出したかの様に、リッカは振り向きざまにナオヤに話かける。同じ年代の女子が泊まって良いなんて聞かれれば本来ならば動揺するが、生憎ここは屋敷であると同時に来客用の部屋も離れもある以上、驚く様なイベントは一切起こる事はない。言い出したリッカもそれは百も承知だった。

 

 

「来客の予定は無いから大丈夫だよ」

 

「は~。そこは、挙動不審になりながら返事をする所じゃないの?」

 

 企みが不発に終わったのか、それとも単にからかいたかったのかは分からないが、リッカの発言はさも当然とばかりに簡単にスルーされていた。あまりにあっけらかんとしたナオヤの言葉は、まるで何が言いたいんだとばかりに言っている様にも聞こえる。それが何んだと返事をされた事があまり面白くなかった。

 

 

「俺の部屋に来るなら違ったかもな」

 

 ニヤリと笑い、そのままそっくり返されれば、言葉に詰まり顔を真っ赤にしたリッカは何もそれ以上何も言えなかった。赤面した顔が雄弁に語る。

 反撃は成功したとばかりにナオヤは自室へと戻った。

 

 

「じゃあ、浴衣用意しておくよ。2人共同じ物で良いよね?」

 

 まるで従業員かの様な段取りにリッカとヒバリは驚くが、そもそも予定らしい予定は組んでいないので、このままここに泊まっても何も困る事は無かった。普段から来る機会が無いからだけで無く、アナグラでは中々話しにくい事が幾つもある。

 であれば他には聞こえない様にアリサの部屋が良いとばかりに今晩の宿泊先が決定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえアリサ、ひょっとしてエイジと何かあった?」

 

 お湯につかり、一息入れた途端に何も考えていなかったアリサは、にやけた表情をしたリッカの質問の意図が分からず、返事に困っていた。誤魔化す事も考えたが生憎とリッカはその考えを読んだのか、アリサから聞き出すまでは離すつもりはないらしく、浴槽の中での距離を徐々に詰め寄ってくる。

 

 

「ど、どうしたんですか急に?」

 

「何となくなんだけど、いつもと2人の空気が違う様な気がしてたんだけど、何かあったのかなぁなんてね」

 

「リッカさんもやっぱりそう思いました?」

 

 そんなやり取りをしていると、ヒバリまでもがお湯につかりながら会話に参入してきた。その眼はまるで、いじりがいのある何か面白い物を見つけた様にも思え、無意識のうちにアリサは心の中で身構えていた。

 

 

「最初はあれっ?て思ったけど、何となく距離感が近いと言うか親密な感じと言うか、何となくそんな空気がある様に見えたけど」

 

 ここでの会話は戦場で培った経験や勘が働く事は残念ながら何も無かった。アリサは気にしていなかったが、他から見れば簡単に分かるらしい。

 改めて勘の鋭いリッカからどうやって回避するのかを考えながらの会話を心掛けていた。まさかこんな所であの時の出来事を話す訳にも行かず、思い出を大事にしたいと考え、この局面を打破すべく話題をそらす選択をした。

 

 

「シオちゃんだってエイジとは距離感が近いみたいですよ」

 

「シオちゃんはどちらかと言えばソーマじゃないの?あの懐き方は尋常じゃない位だからエイジとは違うよ」

 

 選択肢は残念ながら間違っていたようだった。そんなアリサの思いを無視したのか、なおも追撃とばかりに他の方位からアリサへの攻撃が続く。

 

 

「この素晴らしい兵器でエイジにせまっちゃった?」

 

 リッカの手がアリサの豊な双丘に伸びるが、これは素早く腕でガードする事で回避に成功していた。

 

 

「あの任務の前と比べたら、確実に何かが変わってました。やっぱり同じ一つ屋根の下に居たので何かあったと考えるのが妥当かと」

 

「まさかとは思うけど…ひょっとして、やっちゃった?」

 

「まだやってません!」

 

「ヒバリさん。聞きました?まだですって」

 

「きっとアリサさんの中では予定があるんですよ」

 

 これ以上の会話は危険以外の何物でもなかった。既に何かを話しているのか、意識はアリサから離れている。このチャンスを活かすべく、アリサは行動を開始していた。

 

 

「これ以上はのぼせると拙いので、私はこれで出ますから」

 

 リッカの攻撃を凌いだ結果、ヒバリの攻撃が直撃していた。あまりのピンポイントな攻撃と真剣そのものとも言えるヒバリの表情に、これ以上は危険と判断し戦略的撤退とばかりに温泉から出る事で難を逃れる事に成功していた。

 

 しかし、アリサはこの時リッカ達の表情を見逃していた。逃げた先は檻の中である事に気が付くのはここから少しだけ先の話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 逃げたはずの先には、まさかここに泊まって行くとは想定していなかったのか、冷静に考えれば、脱衣所に浴衣が置いてあった事に気が付かなかったアリサは、うかつにも肝心な部分を見落としていた。既に3組の布団が敷かれている。一つはアリサのだが、残りの二つは紛れも無くリッカとヒバリの物だった。

 

 これを見たアリサは既に逃げ場は無いと悟り、結局の所はエイジとのキスした話を言わざるを得ない状況に追い込まれながらも、反撃とばかりにヒバリにはタツミとの、リッカにはナオヤとの話をする事で寝る時間すら忘れての恋バナによって夜は更けて行った。

 

 アリサだけではなく、リッカやヒバリもこんな事をするなんて事は想像していなかったのか、楽しい時間はあっと言う間に過ぎ去って行った。

 

 

「いや~昨日は楽しかった」

 

「また、機会があればやりたいですね」

 

「何だか私だけ辱められた気がします」

 

 朝の様相は三者三様ではあったものの、これもまた違う意味での気持ちの切り替えになるのではと朝食を取った所で二人は帰路に着く事になった。

 

 

 



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外伝29話 (第76話)蜜月

 嵐の様な夜が過ぎ、ここに来て漸く静寂が訪れていた。屋敷の中には人が常時いるので遠くで何かをしている様な音や声が聞こえるも、距離があるのか余程集中しないと聞き取る事は出来なかった。

 色んな事が合った物の、ここに来て漸くリッカ達が来たのは心配した結果の様子見だったのだろうか?そんな考えをする様になっていた。

 当初、極東に配属した頃の自分が今目の前にいたら、間違いなくもっと素直になれと説教したくなる様な気持ちさえあった。

 落ち着いた中で漸く少しだけあった疑問を解消すべく、アリサは思い切ってエイジに確認する事にした。

 

 

「一つ確認したい事があるんですが」

 

「確認って、何を?」

 

 口に出したまでは良いが、意識を失った状態で誰が着替えさえたのかを果たして確認して良い物なんだろうか?そんな考えがアリサの頭をよぎる。仮にエイジがしたとすれば、あまりにも恥ずかしすぎた。

 起きた当初、確かに浴衣は着ていたがいつもの服から着替えるのであれば、当たり前だが一旦脱がない事には着替えられない。一体誰がそんな事をと悩んでいたが、その答えは想定外の所からやって来た。

 

 

「アミエーラさん。来ていた服ですが、ここに置いておきますね」

 

 部屋は開けっ放しの為に、人の気配がしたと振り向けば、そこには最初に来た際に出迎えて貰った女性が居た。

 

 

「浴衣姿も随分馴染んでいる様で良かったです。お召しになられてた服は洗濯して少し仕立て直してありますのでご安心下さい。それと運ばれた際に私が着替えさせましたが、何か気になる事があったら教えて下さいね」

 

「態々ありがとうございます」

 

 この時点で、今まで疑問でもあった問題がクリアされた事に僅かに安心していた。聞かなくても良かったとばかりに安堵するも、問いかけたのはアリサである以上、エイジへの質問の回答とは別問題でもあった。

 

 

「アリサ、どうかしたの?」

 

「いえ、ちょっとした事だったんですが、解決しましたので大丈夫です」

 

「なら良いけど。とりあえず休暇は今日までだから、明日以降の準備もしないとね」

 

 エイジと同じ場所に居た事があまりにも自然過ぎたのか、この状態が今日で終わるのかと思うと急に寂しさがアリサを襲う。そんな感情の変化を察したのか、アリサの手にエイジの手のぬくもりが伝わってきていた。

 そんな中で、どこからか澄んだ歌声が聞こえてくる。この歌はアリサ自身が意識を取り戻す際に聞こえたもの。一体誰がこれを歌っているのかエイジと手をつないだまま声の主の元へと歩き出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お~アリサげんきになったな。もう良いのか?」

 

 澄んだ歌声の主はシオだった。アナグラに居た頃にもソーマと一緒に聞いた歌を歌っていた事があったが、今回聞こえた歌もやはりシオの歌だった。しかし疑問がここで生じる。先ほどまで聞こえた歌は、恐らくソーマの趣味とは程遠い物。確かリンドウとサクヤの結婚式の際にも讃美歌を歌っていた記憶があったが、この音源はどこから入手したのだろうか?そんな些細な疑問が脳裏をよぎった。

 

 

「シオちゃん。その歌は誰かに教えて貰ったんですか?」

 

「これ、教えてもらったんだ。中々いいだろ~。シオこの歌すきだぞ」

 

 何となく的外れな回答ではあったが、誰から教えて貰ったのかは残念ながら分からなかった。エイジに確認するも、この曲を知っている人間はこの屋敷にはおらず、恐らくはどこかで聞いたんだろうと予想していた。そんな中でふとした事がアリサの頭の中をよぎった。アナグラとは違い、屋敷に居る間アリサは違和感が少しだけあった。ここでの時間はあまりにも目新しい物が多く、結果的には時間の経過があまりにも早かった。

 エイジと一緒に居た事も理由の一つではあったが、自分の知らない物がここまで興味深く引かれるのも、隣にいるエイジのおかげなんだろうとは思っていた。

 ここに来てから目に付く物全てが初めて見る事が多い。拉致の直前まで居たはずの外部居住区からすれば、屋敷の内部は明らかに別世界の様に思えていた。

 

 

「なんだか、ここは贅沢ですよね。昨晩もリッカさんとヒバリさんがそう言ってました」

 

「そうかな?」

 

「エイジはここに居たからそう感じるのかもしれません。昨晩も部屋には冷えた炭酸水がありましたし、お土産で椿油まで貰いましたから」

 

 アリサがどうしてそんな事を言い出したのか、エイジには何となく理解出来ていた。自分自身も屋敷を出てアナグラに所属して初めて外部居住区に出向いた時に感じた事をアリサも今感じ取っていたのだった。

 

 

「確かに、外部居住区と比べればそうだろうね。でも、アリサも知っての通りここはそもそもフェンリルの支援は全く受けていない」

 

 エイジのその一言でアリサはこの違和感の正体を察知していた。フェンリルの支援が無いのは、裏を返せば独立したコミュニティであるのと同時に自己責任の下で運営されている事になる。

 外部居住区はその性質上、フェンリルの保護下に収まっている関係で、どうしても様々な制約を受ける事になる代償として、安定した生活を送る事が約束されている。ここにはほんの些細な差かもしれないが、冷静に考えれば、この隔たりはあまりにも大きすぎた。ここでは無明が当主となり、フェンリルの保護下から外れた人間で構成されている。現にエイジやナオヤでさえもその限りでは無い。

 偶々当主やここに居る人間がゴッドイーターだったり、極東支部に勤務している関係上ここの住民とは上手くやっているだけにしか過ぎなかった。

 外の世界にはまだ困っている人間は大勢居る。ここで安定した生活が送れるのは本当に運が良かっただけ。ただそれだけの事でしかなかった。

 そんな当たり前な事に気が付く事にアリサは時間がかかったのは、偏に充実した生活を短いながらに送っていた事が要因だった。

 

 

「ごめんなさい。エイジにとっては当然の事でしたよね?」

 

「うん。でも、アリサがそう思えるって事はここの運営は上手く出来てる証拠だから、気にしなくてもいいよ」

 

「私、無神経すぎたんです。少し考えれば分かる話だったのに……」

 

 垣間見た現実を直視し、アリサの顔が悲しみにゆがむ。エイジとしてはあまりにも当たり前すぎた事だったが、外部の人間からすればそうは思わなかったらしい。

 折角来ているならば、楽しい時間を過ごしてほしい。そんな願いがそこにはあった。

 

 

「だったら、アリサもこの景色をこれからの人生、一緒に見れば良いんじゃないかな?」

 

 あまりにも自然な言葉で言われ、ハッとエイジの顔を見たが、そこには照れた様な雰囲気は何もなく、優しい眼差しでこの風景を見ていた。この横に一緒に居る事を許された発言なんだろうか?そんな気持ちがアリサの心を揺らしていた。

 少し時間が経つと何かに気が付いたのか、今自分が発した言葉があまりにも意味深すぎたのか、先ほどとは打って変わって少し赤くなりながらアリサの顔を見たエイジがそこに居た。

 

 

「私で良いんですか?」

 

「アリサじゃなきゃ駄目だ」

 

 それ以上の言葉は敢えて何も言わない。今のアリサにはそれが何を指していたのか、本当であれば聞きたい気持ちはあった。しかし、エイジの態度と表情を見ればそれが答えだとばかりにこれ以上の追及はしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナオヤ、昨日エイジからこれ貰ったんだけど、どうやって使うの?」

 

 休憩中のナオヤがロビーに来ると、今日は非番のはずだったリッカがそこに居た。リッカの手にはアリサ襲撃の際にお土産として貰った透明な液体が入った小さな小瓶。それが何を意味するのかナオヤは直ぐに理解していた。

 

 

 リッカは椿油とだけ聞いたが、それが何なのかは今ひとつ理解していなかった。

 エイジから貰ったのは良いが、この使い方が分からない以上何も出来ない。それならば確実に知っているであろうナオヤに聞く事にしていた。

 本来であれば渡したエイジに直接聞けば良かったが、昨晩の女子会と言う名のアリサの尋問大会の後の関係も知っているので、これ以上行くのは流石のリッカと言えども躊躇していた。

 

 

「それ貰ったのか?」

 

「うん。で、これどうやって使うの?」

 

「色々とあるけど、この量なら多分美容関連だろうな。多分純正油だから色々と使えるはずだけど」

 

「本当に?」

 

 美容関連と聞いてリッカの目に何か光が宿っていた。いくら整備で油塗れになろうと、お年頃の女子としては美容関連は重要な部分を占めている。折角顔に塗るなら機械油よりもこの椿油の方が確実にマシな事は分かりきった話。

 化粧品も流通しているが、仕事柄汗まみれになる事も多く、今はまだ若さでカバーとばかりに、そこまでしなくてもとの考えもあった。細かい話をすれば経済的な理由もそこには存在しているが、それは割愛する。

 あの時確かにヒバリも不思議そうに見ていたが、結果的には使用方法が分からず、かと言ってそのまま放置するのは申し訳ないとばかりに確認する事にしていた。

 

 

「これ、髪に使えばトリートメントの変わりにできるし、顔や手につければ保湿の効果があるよ。ってか、よくエイジがこれ渡したな。確か、かなり貴重な物だって言ってた記憶があるけど」

 

 何気に渡された物が実は貴重品である事にリッカは驚いていた。何気に貰った事で、ここでは普通にある物だとばかり思っていたものが、実は全くの正反対の品。ひょっとしたら昨晩の口止めなんだろうか?そんな邪推とも取れる様な反応をそのままに、リッカはロビーに居る事を忘れ、しばし考えていた。

 

 

「ちょっとヒバリ!少し良い?」

 

「どうしたんですか?」

 

「実はこれって……で、こんな効果があって………きっと………」

 

 どうやらヒバリと何か小声で話をしている様だったが、ここから何を話しているのかを聞き取る事は出来ない。何を話しているかは分からないが、休憩は終わりだとばかりに自分の持ち場へとナオヤは戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これはどうやって使うんですか?」

 

 奇しくもアナグラでリッカとヒバリが同じような話をしていた頃、屋敷でも同じ話題が出ていた。お風呂上りもあってか、普段よりも浴衣の襟が抜けて艶めかしく感じるもこれを自制し、使い方をアリサに教える事にした。

 いくら良い物だったとしても、肝心の使い方が分からなければ無意味となる。今後の使う事が出来る様に丁寧に教える事になった。

 

 

「まだ水分が残っていると時に薄く延ばして髪に付けると艶が出るし、肌に付ければ保湿効果があるから使い勝手は良いはずだよ。匂いが気になるなら他の物と混ぜればある程度は調整が利くはずだから、そこはお好みだね。試しに少しつけるから後ろ向いてくれる?」

 

 習うより慣れろの精神で、アリサの背後に立ち、僅かな椿油を手になじませる事により、今度は髪全体になじませていく。真剣にやっているエイジには申し訳ないが、今のアリサはとてもじゃないが、他に見せる事すら出来ないほど耳まで赤く染まり、時に若干の抵抗を感じるも髪の手入れをされている事の気持ちの良さに意識が飛びそうになっていた。

 流石に顔や腕に塗る事だけは自分でしたものの、まさか髪の手入れまでとはアリサは考えていなかった。そんな幸福な時間と共に、またもや些細な疑問が生じる。

 髪をいじられる事は気持ち良いが、あまりにも手馴れ過ぎていた。エイジに限ってなんて考えもあったが、今のアリサには冷静になれる材料はあまり無い。いくら気持ちが通じ合ったとは言え、こんな事で嫉妬するのは如何な物だろうか?聞きたいけれど、その答えを知る勇気は今のアリサには無かった。

 

「はい。これで終了だよ。アリサの髪は触ってても気持ち良いね」

 

「そうですか?自分では感じた事は無かったので」

 

「他の子は堅かったり、ごわついてたりしてるからね」

 

 この一言は今のアリサにとって天啓とも言える台詞だった。この流れならば自然に聞く事が出来る。感情的にならない様に落ち着いて聞くのがベストだとばかりに口を開いた

 

 

「へ~。エイジって意外と手が早いんですね。私以外にも誰の手入れをしてたんですか?」

 

「えっ?」

 

 この瞬間、アリサは脳内で激しく後悔していた。冷静に聞くはずが、何故か嫉妬心むき出しでいかにも怒っていますと言わんばかりに聞いてしまった。今は後ろのエイジがどんな表情をしているのか怖くて確認が出来ない。

 湯上りだった体に嫌な汗が流れているのでは?と思わんばかりに焦りが生じていた。

 

 

「ここの子供達だよ」

 

 エイジの一言にモヤモヤした感情は晴れたが、残念ながらたった今、口から出た言葉は戻ってこない。

 

 

「子供達以外で、こんな事するのはアリサだけだよ」

 

 後ろから抱きしめられ、耳元でそう囁かれるとそれ以上の抵抗は何も出来ず、不意に項に感じたのは柔らかい感触。キスされたのが分かった。赤い顔が更に赤くなり、このままでは意識が無くなるのではと思う程、今のアリサには精神的なゆとりは無かった。

 自分の嫉妬心は確実に伝わったにも関わらず、そんな事を言われてしまえばそれ以上の事は何も出来なかった。

 

 

「ちなみに、これは他の2人とは中身が少し違うんだよ。今は研究中だから同じ様な物が中々出来ないんだよ」

 

「な、中身って何が違うんですか?」

 

 嫉妬した事に動揺を隠す事は出来ないが、エイジも気を使ったのか、極普通に話かけていた。

 

 

「簡単に言えば匂いかな。アリサのは柑橘系の物を使っているから割と簡単に匂いが出せるけど、それ以外の物は中々上手くいかないんだよ。本当ならもっと時間をかければマシな物が出来るんだけど、今は時間が無いからね。独自だと兄様の様には行かないよ」

 

 エイジの言うとおり、確かに僅かながらに柑橘系の爽やかな匂いが広がっている。

 データベースでその存在は知っていたが、この時代にまさか香水の様な物がある事に驚いているが、今はそれ以上の出来事に遭遇した為に、理性が追い付いていない。気が付けばエイジの位置が変わり、今度は項ではなく唇に優しくキスしたかと思うと、そこに別の椿油を小指で優しく塗っていた。

 

 

「これは匂いが無いタイプだからこうやって使うと良いよ。蜂蜜が配合してあるからこれ専用に使うと良いよ。明日もあるからそろそろ寝るよ。おやすみアリサ」

 

 

 呆けた様な表情のまま、手元にはさらに小さい小瓶が置かれた事に気が付く事もなく、アリサの意識が回復したのはしばらくしてからだった。

 

 

 

 



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外伝30話 (第77話)極秘会談

 幸せを感じている時間はアリサが思って以上に早く過ぎ去り、気が付けば任務の為に既にエイジは屋敷には居なかった。昨晩の事は今でも恥ずかしい気持ちで一杯だが、これ以上引きずると自分にも良くないのは間違いないとばかりに気を引き締め直す。

 ここに来た当初の事を思えば、過ごした期間は短いが、中身は随分と濃く感じていた。気が付けば大車が植え付けたはずのトラウマはかなり薄くなっていた。人間の心理は複雑な様で単純な部分が多分にある。短いながらに過ごした屋敷での生活はアリサのこれまでの価値観を一気に塗り替える結果が要因の一つとなっていた。

 今後の懸念材料にならない為にもアリサは一つの決断をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだかいつもと違うような……」

 

 それなりの長さがあった休暇からアナグラに戻ると、何だかいつも以上に懐かしさを感じていた。前回の任務の内容があまりにも重すぎた事も原因の一つなのは間違いない。しかし、このロビーの光景はそんな事だけでは言い表せない様な有様となっていた。

 誰がとかではないが、一部の新兵がミッションに出ていないにも関わらず、見た目の消耗の度合いが著しく大きかった。本来であればこんな事は中々起こらない。その疑問を解消すべくエイジはヒバリの元へ向かった。

 

 

「ヒバリさん。暫く見ない間に何だかロビーの雰囲気がかなり違うんだけど?」

 

「実は……」

 

 何気ない質問ではあるが、この答えを知っているヒバリは苦笑しながらもエイジの疑問を解消すべく、この数日の事を簡単に話した。どうやらツバキ教官はあの時の事を実行したらしく、対象は新兵は勿論の事、上は一部の曹長クラスが対象となって新カリキュラムが導入されていた事が原因だった。

 

 

「そんなに厳しい内容なの?」

 

「詳しくは分かりませんが、話だけ聞くとかなり厳しいみたいで。今までの訓練が簡単すぎたと思えるレベルらしいですよ」

 

 カウンターから見れば、まさに死屍累々とも思えるような新人がおぼつかない足取りで歩く姿が次々と見えていた。恐らくは現場に出るまでツバキは完全に鍛えるつもりなんだろう。ではないと、このまま出れば確実に待っているのはアラガミに捕喰される未来しか残されていなかった。

 

 

「そう言えばエイジさん。あれ、有難うございました」

 

「使い心地はどう?」

 

「ナオヤさんから聞いたんですが、中々良いですよ。あれなら……」

 

「ヒバリちゃん!今晩なんだけど、予定はどう?」

 

 エイジとヒバリの会話に割り込んで来たのはこれから哨戒任務出る予定のタツミだった。何気に食い込み気味なタツミの相変わらずな反応にエイジも対応に困った。

 

 

「ヒバリちゃんは俺のなの。お前はアリサがいるから良いだろう?」

 

 タツミの何気ない一言に周りに居た他の神機使いや職員の動きが止まった。今タツミが言った言葉は何なのか?その事実を確認すべく、全ての視線がエイジを突き刺す。

 その視線を受け、今度はエイジがヒバリを凝視した。

 

 

「私は何も言ってませんよ。ただ、こうなんだろうなって事だけは言いましたが」

 

 今後の事も考え、エイジからの非難を避ける為にヒバリはあえて事務的に話をする。その背後では何となくざわついた空気が流れているが、一々気にする事もなく客観的な事実として流す。この反応そのものが、先ほどのタツミの発言の裏付けとも取れていた。

 

 

「ヒバリさん。それは誰かの情報なんですかね?」

 

「ああ、それでしたら…」

 

 事実、そうであったとしても態々公表するつもりは全くないにも関わらず、何故かタツミが知っていると言う事実。一体誰が言ったのだろうか?心当たりが多すぎた為に容疑者を絞り切れない所で新たな女性の声が聞こえて来た。

 

 

「久しぶりね。もう休暇は良かったの?」

 

 声の主は妊娠で一時脱退していたサクヤだった。妊娠からかなりの時間が経過したのか、腹部に膨らみが見え始めていた。どうやら検診の為にアナグラに来ていたようで、久しぶりに見たエイジのせいなのか、いつも以上の満面の笑みがそこにはあった。

 

 

「そう言えばリンドウから聞いたわよ。アリサと一緒で良かったわね」

 

「え、あ、そうですね」

 

 どうやらこの事実をタツミに伝えたのはリンドウだったらしい。納豆の恨みなのか、単に悪ふざけの一環なのか、今のエイジに判断する事は出来ないが、今度見かけたら納豆をまた食べさせようと心に誓っていた。しかし、目の前のサクヤはリンドウから聞いただけなので対処に困った。なぜなら先ほどの会話がこの場に居た人間全員が聞く事によって、その場の時間が停止したかの様な空気が漂っていた。

 本人が認めた以上、噂は事実へと昇格している。しかも、以前にリンドウが話していた事が記憶に蘇る。

 

 

『サクヤがさあ、妊娠する事で嬉しさはあるけど、刺激が足りないって言ってたな』

 

 

 この事実と、今のサクヤの表情から察すればエイジをいじる事で刺激への不満解消を目論んでいるようだった。データのアーカイブ以外に娯楽が少ないこの時代では、特定の色恋沙汰は日常のスパイスとなっている。

 いくら忙しくて、疲労困憊であっても他人の事になれば興味以外の何物でもない。まさにその事実を自分自身で体感する事になるとは予想できなかった。その為に、この状況を引き起こした原因を探るべく、敢えて質問と違う答えを返してみた。

 

 

「アリサならまだ療養中ですよ」

 

「あら、そうなの?朝食時には元気な姿が見れたって聞いているわよ。私もたまには呼ばれたいんだけど」

 

 どうやらこれはリンドウから色々と聞いたからこその問いかけでは無く、単に自分だけ仲間外れにされた事で拗ねているのではと改めて予測できた。あの件に関してはこちらから呼んだ訳では無く、あちらから一方的にやって来た話なので、エイジに言わせれば事実無根と言っても差支えが無かった。

 確かにあの時の食事は楽しかった。今までの中で部隊の人間同士での食事をする機会は少なく、あんな事が今後も続ける事が出来れば嬉しいと思っていた。

 

 

「皆の時間が合えば、僕としては問題ないですよ」

 

「そう。じゃあ、その際にはヨロシクね」

 

「ところでサクヤさんはあれ食べたんですか?」

 

 エイジの指すアレが一体何なのか、この場にいる人間は一部を除いて理解する事が出来ない。今いる中で知っているのは恐らくヒバリとタツミなんだろう。その単語が出る事で顔の表情が何となく変わっていた事を見逃さなかった。

 

 

「美味しかったわよ。リンドウにも食べさせたけど、嫌いみたいだけどね。梅干もありがとうね」

 

 その言葉から察すると、どうやらサクヤのお眼鏡には叶ったらしい。まずはこの危機を脱出できたと胸の内で安堵感を確かめていた。

 

 

「すみません。エイジさん、榊博士がラボに来てほしいとの事です」

 

 ヒバリからの案内で漸く、今まで時間が停止していた空間が動き出し、元に戻る事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、休暇明けにすまないね。ちょっと今回お願いしたい任務があるんだ。今回の対象なんだが、どうやら新種みたいでね。その調査と同時に発見したら討伐してほしいんだ。その際には必ずコアの取出しも必須なんだ」

 

 榊の新種の言葉に今まで喧騒の中にいた雰囲気は消え去り、一気に任務に赴く顔に変貌した。新種であれば状態や攻撃方法、弱点など情報と呼べる物が何一つ無い。本来であれば調査した後で対策を立案するが、今回の対象は通常とは一味も二味も違うと存外に聞こえていた。

 

 

「コアに関しては当然の事だとは思うんですが、今回の新種に関して何かあったんですか?」

 

「今回の件に関しては今後の事もあるから、間違っても討伐時にコアの破損だけは避けてほしいんだよ」

 

 榊の迫力ある表情に一瞬たじろぐも、新種ならば解析の為にコアの摘出はある意味当然とも思われていたので、榊の発言に関しては些か不明瞭な部分があった。

 

 

「あー、その件だが、実は俺が目撃してるんだよ」

 

 エイジの表情から判断したのか、口を開いたのはリンドウだった。ロビーでの事をここで持ち出す事は無く、真剣な表情を崩す事は無い。しかも、今回の新種に関してはリンドウが目撃しているとは言うが、交戦履歴は無いはず。新種であれば第一発見時に名称が確定するのがフェンリルとしての見解だった。

 

 

「それっていつの話なんですか?」

 

「正直、口に出したくはないんだが、腕輪が破損した後に遭遇してるんだよ」

 

 この一言に、リンドウだけではなくエイジでさえも顔を顰める事になった。発端はアリサの洗脳によるリンドウ襲撃事件。通称『蒼穹の月』の任務後の話だった。

 当時の話は無明からは何となく聞いていたが、詳細については何も知らされず、リンドウの生還が一番だった為に当時の記録はリンドウの記憶以外に何も残っていない。

 まさかそんな頃に遭遇しているにも関わらず、今までに一度も遭遇していなかった事に驚きを隠せなかった。

 

 

「リンドウ君の話だと、そのアラガミは今までと決定的に違う特徴があるんだよ。正確に確認した訳じゃないが、どうやらコアを抜き取った後も霧散せずに動くらしくてね」

 

「コアを抜いてもまだ動くんですか?」

 

「詳しい原理が解明できない以上、現状としてはそのコアの解析が最優先となるね。討伐後の帰投準備中に背後からガブリでは寝覚めも悪いだろ?」

 

 ミッションで一番気が抜けている時間帯。それは任務完了後だった。

 任務前や任務中に集中が途切れる事はないが、完了後であれば話は別問題となる。事実、任務中に他のアラガミが乱入されても、割と問題なく討伐出来るが、完了後の乱入に関しては驚くほど負傷者が出ているのは紛れもない事実でしかなかった。

 

 アラガミによっては命を落とす事もあり、事実として研修の中にも完全に帰投するまでは気を緩ませてはならないとまで言われている。そんな中で背後から討伐したはずのアラガミが復活となれば、目覚めが悪いだけでは済まない事になり兼ねなかった。

 ゴッドイーターも人間である以上、誰もが自分の経験則と言う物を重視する傾向が強く、その経験は任務をこなす事でしか積み重ねる事が出来ない。そんな経験則を無視する存在を放置すれば犠牲者は更に増える事になる。そうならない為にも新種のコアの剥離は必須条件だった。

 

 

「この件に関しては俺が必ず入る。今回ノメンバーはお前以外にはソーマとコウタとで出る予定だ」

 

 本来、討伐部隊でもある第1部隊が調査する事は少ないが、内容が内容なだけに最新の注意を払っての任務となる。従来のやり方とは大きく異なるも、今後の事を考えればある程度は止む無しと考えるのも仕方なかった。

 

 

「いつになるかは分からないが、場合によってはスクランブルがかかるから、それを頭に入れておいてくれ」

 

「了解しました」

 

 衝撃的な事実にいつも以上の緊張感が走る。これが本当ならば事実上の不死のアラガミと言える存在。そう考える事で更に気を引き締める事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「話は変わるが、エイジ君。君はそうやら面白い物を作ったらしいね」

 

 今までの話が嘘だったかの様な軽い気持ちで榊が話しかけていた。面白い物に関しては心当たりは無く、一体何の事なんだろうと改めて話を聞いた。

 

 

「面白い物ですか?」

 

「そう、例の納豆だよ。作り方は理論上は分かっていたんだが、作り方はかなりシンプルなんだね。近い将来されは極東の名産になるかもしれないね」

 

 納豆の話を聞いた途端、リンドウの顔が変化していた。先ほどサクヤのお眼鏡に叶ったと言う事は、恐らくは自室で食べたのだろう。ロビーでの件はこの事で相殺されたのか、エイジは少しだけ溜飲が下がった。臭いはともかく、栄養価を考えれば非常に優れた食品である事に変わりない。偶々米を収穫したあとの藁の有効活用の為にアーカイブから情報を拾って実際に作ってみたのがそもそもの始まりだった。

 

 

「榊博士としてはやはり、有効な手段だと思いますか?」

 

「栄養価も製造コストも基本は安価で出来るからね。ある意味コストパフォーマンスはかなりの物だろうね」

 

「榊博士。あれは臭いがちょっと……」

 

「それは発酵食品の宿命みたいな物だから、仕方のない事だよ。僕としては初恋ジュース・プロジェクトの第2弾として考えているんだ」

 

 アナグラを恐怖のどん底に陥れた、ある意味伝説の飲み物。ファンシーとも言えるピンク色の見た目に騙されて飲むと、強烈な味わいから倒れる物が続出し、最後には発売禁止にまでなった代物。

 まさかあのプロジェクトが新たに進むとなれば、おそらくアナグラ内のゴッドイーターはおろか、全職員までが猛反発する事は考えるまでもなかった。誰もがアナグラ中の職員から恨まれたくはない。その為にはこの時点で計画を潰す必要があった。

 

 

「あれはまだ未完成なので、これから改良する必要がありますから、もう少し時間を頂けると助かります」

 

「そうなのかね。実に残念だ」

 

 エイジの一言に、榊は残念な表情を見せながらも、今後に期待とばかりに、一時的に計画を取り下げる事に成功していた。誰も知らない所で殺人級の計画が進んでいるとは誰も予測する事は出来ない。回避に成功した事で、間接的にアナグラ全職員の命を人知れず救っていた。

 

 

「今回の事は仕方ないとしても、極東支部としては常に新商品を作って行く必要があるからね。無明君ばかりでは申し訳ないから君にも期待してるよ」

 

「わかりました。今に始まった事ではありませんが、新商品に関しては色々と試作段階の物も含めて早く商品化出来るようにしたいと思います」

 

 極東支部としても技術の独占をするつもりは無いが、ある程度物流が良くなれば、他の支部でも現地生産が可能となる。味わいは地下工場と露地物が同レベルになる事は無いが、そうなれば資本獲得の優位性が崩れる。そうならない為にも常に新商品を発表し続ける事になってくるのだろう。そんな事を考えながらも話は続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「簡単だが、ブリーフィングをする。今回のアラガミだが……」

 

 今回の新種の調査はリンドウは主となって動くが決定しているが、それ以外は未定のままだった。何せ交戦経験が無いだけではなく、コア剥離後も動く事が可能との観点から、このブリーフィングは極秘とも言える様に進んでいた。

 本来であればロビーでも事足りる内容だが、その特性上、他の神機使いにまで動揺させる必要が無い為に、態々人気のない場所を選んでいた。

 

 

「以上がそのアラガミの特徴だ。質問はあるか?」

 

 リンドウの問いかけにも、見た事も無いアラガミを予想しながら戦う事は少なくないが不死となれば別問題となる。今までにない緊張感が部屋中を漂っていた。  

 

 

                    



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外伝31話 (第78話)嵐の前のにぎやかし

「ヒバリさん。今日から原隊復帰しますので、また宜しくお願いしますね」

 

 リンドウのブリーフィングから数日が過ぎ、漸くアリサが復帰していた。念の為に挨拶はしたものの、何故か皆の目が生暖かい。休暇の間に一体何があったんだろうか?そんな疑問だけがアリサの中に残っていた。

 事実を確認しようにも、第1部隊は現在ミッション中の為に、ここには居ない。ロビーに常駐しているヒバリなら何か知っているはずとばかりに、アリサは挨拶がてら確認する事にした。

 

 

「アリサさん、今日からなんですね。皆さんは現在ミッションで出払っていますので、暫くは不在ですから待機となります」

 

「分かりました。あと、何だか私を見る目が何となく生暖かく感じるんですが、何かあったんですか?」

 

「大した事じゃ無いので大丈夫ですよ」

 

 仕事中なので、若干事務的なのは仕方ないが、以前の様な敵視した雰囲気は最早感じる事はない。にも関わらず、何となくだがアリサへ向ける視線が今までとは違っていた事だけが違和感の原因となっていた。

 何か知っているはずのヒバリを見ても、完璧なポーカーフェイスと言わんばかりに表情から考えを読み取る事が出来ない。このままここに居ても仕方ないとばかりに、一旦自室に戻る事にした。

 

 

「あっアリサさん。もう体は大丈夫なんですか?」

 

「ご迷惑おかけしましたが、もう大丈夫です。それよりもアネットさん。今日は出撃しないんですか?」

 

 まだ研修中のアネットがアリサを見つけ駆け寄ってくる。当時、一番最後に一緒に居たのがアネットなので、随分と心配をかけた事を思い出していた。せっかくだからと自室には戻らず、そのままアネットと話をする事にした。

 

 

「はい。今は新しい訓練方法が導入されているので、新兵から一部の曹長までが隔日で訓練してるんですけど、内容があまりにもハードなので、正直参ってるんです」

 

「新しい訓練ですか?」

 

「今までの戦力の底上げを重視したカリキュラムが組まれているので、体力面もですけど、アラガミの行動原理も同時にやってる為に、頭脳までが同時に訓練対象なので、そこが一番苦労してるんだと思います。極東支部ではこれがスタンダードなんでしょうか?」

 

「内容は分かりませんが、私の記憶ではそこまでハードだとは思いませんでしたけど……」

 

 極東支部に限らず、ゴッドイーターが訓練するのは最初の頃にシミュレーターで神機を使って対アラガミの動きを覚える物が通常だった。事実、アリサも訓練と言ってもそれ以上の事は実戦となる関係上、思い当たる事が何も無い。ここでの訓練はツバキが一元管理しているので、今の状況を読むことが出来なかった。

 

 

「ツバキ教官の話ですと、アリサさんの彼氏の如月隊長が元々やっていたカリキュラムの様でして、それを元にしているって……」

 

「アネットさん!今なんて言いました?」

 

「だから、元々如月隊長が…」

 

「その前の台詞です!」

 

「アリサさんの彼氏のですか?」

 

 何気ないアネットの一言で、ここで漸く生暖かい目で見られていた正体が判明した。

 この僅かな時間でアネットまで知っているのであれば、恐らくアナグラ中が知っている事に間違い無い。この事実を考えるとヒバリの態度が何となく違った事にも説明が付く。エイジの性格から考えて公表する可能性は無いだろうから、誰が広めた犯人なのか確認する必要があった。

 復帰早々にやるべき事が決定された瞬間だった。帰投した際にエイジに聞くのが一番早いとばかりにアリサは改めてロビーへと急いだ。

 

 

「その件は私ではどうしようもないので。すみませんが、急にやる事が出来ましたので急ぎます。アネットさんは身体の疲労を早く回復させた方が良いですよ」

 

「あ、はい。ありがとうございます」

 

 取って付けたかの様な台詞だけを一言アネットに告げ、走る様な勢いでアリサはロビーへと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回は居なかった様だな」

 

「いつも出る訳でもないだろう。これまでも見つかって無いんだ。今更そんな簡単に分かったんだったら苦労はしないさ」

 

「なあエイジ、メシだけどさ、あれが食べたいから部屋に行っていいか?」

 

 どうやら帰投してきたらしく、確認の為にうってつけとばかりに4人がカウンターで手続きをしていた。勢いで口走ると何を言うのか分からなくなる可能性が高いとばかりに、アリサは一度深呼吸し落ち着いた所で改めて話かけた。

 

 

「お帰りなさいエイジ」

 

「ただいま。って、今日からなの?」

 

 エイジの顔を見ていると先ほどのまでの感情がどこかへ消え去ろうとしている。我ながら現金だと思いながらも、ここで流される事無く確認が必要だとばかりに話を進めた。

 

 

「今日から原隊復帰です。またお願いしますね。で、少し相談があるんですが、ちょっと良いですか?」

 

「昼過ぎまでなら大丈夫だよ」

 

「じゃあ、部屋に行きますね」

 

「なあアリサ、俺もちょっとエイジに用事があるんだけど」

 

「コウタの用事は別に緊急じゃないですよね?」

 

 迫力のある言葉にコウタはたじろぐ。エイジも帰投したばかりなので一体何の事なのか理解は出来ないが、特にやましい事も無いので断る理由は何も無い。コウタには申し訳ないが後日となるのは間違いない事だけは理解していた。

 

 

「あ、ああ……」

 

 コウタを黙らせる事に成功し、アリサはエイジの部屋へと足を運んでいた。

 

 

「先ほど、アネットさんから聞いたんですけど、私達の事がアナグラ中に噂されてるみたいなんですが、心当たりってありませんか?」

 

 帰投直後にどんな話なのかと思えば、エイジ自身が少し前に体験していた事だった。あの時も、結果的にはリンドウの仕業と思われていたので確認したが、結果的には口を完全に割る事が出来ず、推測の元での判断となった。

 この質問から判断すると、恐らくはアリサもアネット経由なので、結果的に深層にはたどり付かなかった事になる。本当の事を言えば、エイジ自身も当初は照れくさい様にも思っていたが、冷静に考えれば遅かれ早かれどこかでそんな話があるのであれば、このまま否定しなければ事実と判断されるだろうと目論んでいた。

 

 アリサは気が付いていないが、実際にはアナグラだけではなく外部居住区でも人気はかなり高い。キッカケはあの広報だが、以前の様な厳しい態度は完全に息を潜め、今ではその美貌とあの服装から本人の非公式ファンクラブが発足していた。

 当時であれば然程気にしていなかったが、今はお互いに気持ちも通じ合っている関係上、その状況を好ましくは思わないが態々それを妨害しようとまでは思っていない。アナグラ内部であれば粛清するのは簡単だが、外部居住区の場合は明らかに一般人となるなので、ゴッドイーターがそれをすればどんな事になるのか考えるまでも無かった。

 これはエイジがアリサに対してではなく、その環境に対する嫉妬なので、あからさまに言う訳にもいかず、結果的にはこのまま放置しておいた方が結果的には都合が良かっただけの話でもあった。

 

 

「アリサは僕の事を言われるのは嫌?」

 

「そんなつもりは無いんですが、何となく居心地が悪いと言うか、照れくさいと言うか……やっぱり恥ずかしいです」

 

「それは否定出来ないけど、考え方によっては後々何か言われる位なら、このままにしておいた方が何かと都合が良い様に思うんだけどね」

 

「そうなんですか?」

 

「ここで否定しても、後でやっぱりって言われるなら、肯定した方が今後は何かと気にする必要はないんじゃないかな?アリサが嫌なら取敢えず否定はするけど」

 

「……それは嫌ですけど」

 

「だったら決まりだよ」

 

 何となく説得させられた気分になりながらも、この前までの生活がアリサの中でも良すぎた事を考えると、いくら誤魔化す為は言え否定する気にはなれなかった。エイジには言ってないが、あの日の時点でリッカとヒバリには既にばれている以上、否定するのは面白くなかった。

 

 

「もうお昼だからご飯にしよう。アリサはどうするの?」

 

「特に決めてなかったので、これから考えます」

 

「だったら、皆で食べない?その方が食事は美味しいよ」

 

 アリサにとってもエイジと食べる事に否定するつもりは無く、この前の朝食の事ではないが、皆で食べる食事はいつも以上に美味しく感じていた。それならばとエイジはコウタに連絡を入れ、気が付けば全員がエイジの部屋に集合する事になった。

 

 

「いや~助かったよ。今日は何も考えて無かったからね」

 

「俺まで悪いな。用意大変じゃなかったのか?」

 

 コウタはやはり先ほどエイジに話しかけた用件は昼食の事だった。ソーマは最初こそは遠慮した物の、最終的にはエイジに押し切られた結果、来る事になった。

 

 

「おう、すまんな遅くなった。アリサもいるからついでと言っちゃなんだが、このままランチミーティングにさせて貰うぞ」

 

 

 榊博士からの依頼はそもそも第1部隊への討伐と調査依頼。ここにアリサがいる事で時間の節約とばかりに午前中の任務の打合せと今後の事も踏まえれば、いたずらにミーティングするならば、こんな時の方が効率が良いとばかりにリンドウが食事がてら始める事になった。

 

 

「アリサは今日からだから、詳細については聞いていないだろうから、もう一度おさらいだ」

 

 アリサが原隊復帰した時点で既にミッションに出ていた関係上、内容については何も聞いていない。改めてその内容を聞けば、やはり異常とも言える内容だった。

 そんな中で特筆するのは、コアを摘出しても再び動き出す点だった。討伐後は速やかに撤収しないと最悪の場合は全滅の可能性が含まれている点だった。

 

 

「話だけ聞けば信じられませんが、これが事実だとすれば今後の対処が重要になりますね」

 

「この辺りは榊博士の話だとコアを調べない事には何とも言えないらしい。俺たちとしては早急なコアの回収が第一となる。その関係で従来の様なローテーションを組むのではなく、場合によっては随時出撃する事になる。各自休める時にしっかりと休めよ」

 

 

 ランチミーティングと言うには些か重い内容ではあるが、やはり不死とも言える存在を楽観視する事は出来ない。今後の事も考えればこの措置はある程度仕方ないと言える内容だった。

 食事が終われば、あとは休憩とばかりに各々が自分達の行動の為に部屋を出るが、今はエイジの部屋に食後の休憩とばかりに全員が居る状況だった。

 

 

「実はこの話を聞いたのは今朝なんだよ。最初は何も分からなかったんだけど、リンドウさんが放浪している際に見つけて討伐したらくてね。そう考えると厄介なアラガミだよ」

 

「確かに厄介ですね。私も気を付けてミッションを遂行します」

 

「万が一遭遇した場合は、僕らが出動する事になってるからね」

 

 会話の最後には先ほどまでの殺伐とした空気が一転し、何だか甘い空気が漂っていた。全員が既に食事が終わっているので、これ以上は何もいらないとなるものの、この前の件から学習したのか、コウタやソーマもあえて何も言う事は無かった。

 

 

「君たち、今はミーティング中だから、それは終わってからにしてくれないか?」

 

 この空気を破ったのはリンドウだった。気が付けばコウタとソーマは目線すら合わせていない。そんな中で、アリサは思い出したかの様に、リンドウに確認する。

 

 

「リンドウさん、アネットさんから聞いたんですが、今アナグラにはとある噂が流れているみたいですね?」

 

「噂?どんなだ?」

 

 真面目に聞いていたはずだが、リンドウの表情は何も知らない風を装っているのは明白だった。リンドウの目は面白い事を見つけた様な目をしている。

 当初は気が付かなかったアリサだが、その眼を見た瞬間に出そうとした言葉が詰まった。

 

 

「…いえ、その、あの……」

 

「大丈夫だよアリサ。さっき言った通りだから気にしても仕方ないよ」

 

「エイジ、さっきって俺が来る前に何か言ったのか?」

 

「大した事ではないので、大丈夫です」

 

 ここで話は終了とばかりに言われる事で、これ以上の追及は何も出来ず何となく残念そうなリンドウの表情を尻目にこれから準備があるのでとミーテイングを打ち切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、アリサじゃない。もう体調は良いの?」

 

 ミーテイングが終了し、これからミッションがあるので部屋から移動し、今まで緊急では無かった書類の作成とばかりにアリサはロビーに来ていた。既にいくつかのミッションが受注されているのか、神機使いや職員の数は既にまばらになっている。復帰初日だからと体を慣らさんばかりに動いた所で呼び止められていた。

 

 

「ジーナさん。今日の任務はもう終わったんですか?」

 

「終わったと言えばそうなんだけれども、途中でキャンセルになったみたいなのよね。だから今は暇なの」

 

「珍しい事もあるんですね。私はもうすっかり元に戻りましたから大丈夫です。色々とご心配をおかけしたみたいで、すみません」

 

「詳しい事は分からないけど、大変だったみたいね。あの当時は部隊長レベルは皆深刻な表情をしてたから」

 

 緊急特化条項の影響で、事の深層を知る者は僅かではあったが、当時の事は誰もが知っていた。明らかに異常とも言える雰囲気と、本来であればこの極東支部内の事であれば大よその事を知っているはずのヒバリでさえ口をつぐんでいた。

 当時のアナグラの状況を知らないアリサにとっては申し訳ない気持ちしかなかった。

 

 

「ごめんなさいね。そんなつもりで言った訳ではないの。ただ、今のアリサを見てたら確実に良い状況になってる事だけは分かったから。やっぱり恋人が出来ると違うみたいね」

 

 何となく落ち込んだ空気はジーナの一言で霧散していた。

 

 

 



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外伝32話 (第79話)確認

「あの~ジーナさん。どうしてそれを?」

 

「それならアナグラ中、皆知ってるわよ。良かったわねアリサ」

 

 まさかジーナにそんな事を言われるとは思っていなかったアリサは既に隠すのは不可能である事を悟っていた。恐らくエイジはこの事実を知ったからこそ、あんな言葉が出たんだろう事を理解した。

 いくら本人たちが否定しても、この事実を覆すのは恐らくは無理なのは間違い無い。仮にそれを態度に出そうとすれば確実にエイジのそばには居られなくなる。今のアリサにそんな選択肢は無かった。

 

 

「でも、これからが大変ですよ」

 

 2人のやり取りに入って来たのは休憩に来たヒバリだった。あの晩の事が思い出されるが、ここは屋敷では無くアナグラのロビー。流石に爆弾発言をする事は無いだろうと安心しながらアリサは会話に参加していた。

 

 

「どういう事ですか?」

 

「エイジさん。ああ見えて、ここの女性陣にはかなり評判が高いですからね。隙を見せたら取られるレベルかもしれませんね」

 

「それって一体?」

 

「簡単な話よ。ここの女性陣だけじゃ無いわ。ここに来ている外部居住区の人たちにもエイジの事を想っている人が多いから」

 

 ジーナの一言にアリサの顔が引き攣る。確かにエイジはフェミニストな部分が他の神機使い達よりも多い事を知っている。それは屋敷でも見ているので予想は簡単に出来ていたが、まさかここまでとは想像していなかった。

 

 

「それはジーナさんもですか?」

 

「私、そうねぇ。そうかもしれないわ」

 

「え……?」

 

 大人の女性の雰囲気と色気を出されれば流石にエイジもなびくのでは?そんなエイジを全く信用する事すら出来ない様な考えが脳内を駆け巡る。そんなアリサの表情に気が付いたのか、改めてジーナはアリサに話しかけた。

 

 

「あなたが思っている様な事は無いから安心しなさい。さっきの話はここの女性陣はエイジに胃袋をつかまれているのよ」

 

 この一言でアリサは納得する事ができた。確かにエイジは何だかんだと新作と称して色々と差し入れをする事が多く、ここアナグラではカノンと並ぶほどの数を提供している。事実、アリサの手元には出がけにマフィンとスコーンが渡されていた。それはアリサだけではなく、他の人達にもとカウンターに置かれていた。

 

 

「エイジさんの作るスイーツはある意味中毒性が高いですよ。女性陣は置いてあれば直ぐに持って行きますし、外部居住区の方には別口で用意してありますからね。意外と期待して来る人も多いですよ」

 

 普段からカウンターで仕事をしているヒバリはここの全体の事を把握している。そんなヒバリだからこそ言葉の信憑性は高かった。以前にもエイジには聞いた事があった。『なぜそんなに色々と作って提供するのか?疲れているなら休むのが正しいのでは?』そんな事を聞いた事があった。

 

 

「ああ、これは作ってる間は何も考える必要が無いし、頭の中が一旦クリアになるから、ある意味気分転換なんだよ。ただ自己満足の為に提供される方には申し訳ないけどね」

 

 そんな記憶が甦る。まさかそんな事がこんな事態にまで発展するとは当人も想像していないのだろう。だからこそ、未だにこれが続いているのだった。だから言って断るつもりは無く、その事には誰も触れずにいた。

 

 

「そんな事だから、彼の倍率はかなり高いわよ。だからこそある意味、この噂が出て良かったんじゃないかしら?」

 

 ジーナから言われ、ここでエイジを取り巻く状況を考えれば、それも一つの考え方だとの思いに至る事が出来た。本人が認識していない以上、この情報はアリサにとって有りがたかった。

 

 

「話は変わりますけど、アリサさん、何かいい匂いがしますけど、どうしたんですか?」

 

「これ、エイジから貰った椿油の匂いじゃないですかね?匂いは調整出来るらしくて何か柑橘系の物が配合されてるらしいです」

 

「そうなんですか?私のはそこまで匂いがしないので、今一つ分かりにくいんですよ」

 

 エイジから貰った椿油を毎日常用していたのでアリサ自身は気が付かなかったが、ヒバリは直ぐに気が付いた様だった。確かにエイジは試作なので均一に匂いを出すのは難しい様な話をしていたが、まさかここまで差が付いているとは思ってもいなかった。

 

 

「そう言われればそうね。アリサ、あなた愛されているのね」

 

 からかわれた訳では無く、単に感想として言われると流石にアリサも照れてしまう。ごちそうさまと言わんばかりにジーナとヒバリはアリサの元を離れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは一体?」

 

「恐らくは例のアラガミに襲われたんだろうな。ここに神機使いが居なければ、この切り口は間違いない。霧散していない以上、この近くにいる可能性は高いな。各自警戒レベルは落とすな」

 

 当初予定されたミッションは簡単に完了したが、帰投準備の際に榊博士から例のアラガミの恐れがあるとの一報により、その現場へと急襲していた。リンドウ達が到着すると、そこには既に絶命しているコンゴウとクアドリガがまだ霧散せずに残っている。

 鋭利な切り口の周りには微かに焼け焦げた形跡が残されていた。

 

 

「そう言えば、リンドウさん、そのアラガミってどんな姿をしてるんですか?それも分からないとなると、今後の作戦の立て様が無い様にも思えますけど?」

 

「そうだな一言で言えば…」

 

「エイジ後ろだ!直ぐに防御しろ!」

 

 リンドウと話している最中にソーマの叫び声がエイジの耳へと届く。ソーマのアドバイス通りに素早く盾を展開すると、予想以上の威力に衝撃と共に後ろへと押されていた。

 

 

「エイジ!あれが例のアラガミだ。全員気を付けろ。動きが早いから注意するんだ!」

 

 巨大な火球をギリギリのタイミングで受け止め、撃ち込まれた先には今までに見た事も無いアラガミが立っていた。限りなく人型に近い様にも見えるが、その姿はまるで小説や映画に出てくるドラゴンを彷彿とさせていた。

 

 

「あれが新種のアラガミ。あれって…」

 

「コウタ、その場から直ぐに退避だ。やつは動きが早い!気を付けるんだ!」

 

 リンドウの叫びと共に我に返った途端、その場から一気に離脱する。その直後、まるで図ったかの様に、先ほどエイジに向かって放たれたのと同じ火球がその場を焼き尽くしていた。

 

 

「リンドウさん、一旦退避した方が!」

 

 何時でも戦闘に突入出来るように周囲を警戒していたが、明らかに今までのアラガミと動きが違っていた。

 従来のアラガミは何らかの動物がベースとなり、それに近い形で体現しているが、このアラガミに関してはそれまでの常識は一切通じず、4本脚ではなく、2本脚での行動が多かった。

 様子を見ながら戦線を維持するのが隊長としての最低限の仕事とばかりに、新種のアラガミの観察をする。このアラガミはどの動物とも系統が異なり、人間の様な動きを見せていた。

 事実、口から巨大な火球を放つだけではなく、時として両手に剣をかたどった炎を振り回すかの様な動きで周囲を動き回る。防御を主体とし、ここまで来て少しだけ違和感があった。全体的な物では無く、ある特定の部分を見た事で、エイジの中で何かが引っかかっていた。

 

 

「全員、一旦退避だ!コウタ、スタングレネード!」

 

 リンドウの声と同時にスタングレネードの閃光が辺り一面に広がりを見せる。時間にして僅かな時間だが、その数秒で一定の距離を稼ぐ事に成功していた。

 本来であればこのまま退却しても咎められる事は一切ない。しかし、このまま退却となれば今度は何時出没するか分からない以上、この場で最低限コアの剥離まではやり遂げたい心境だった。

 

 

「リンドウさん。あのアラガミが例の?」

 

「ああそうだ。さっきは突然だったから細かい部分の説明は出来なかったが、見た通りあの動きは尋常じゃない。あれ意外にも攻撃方法は恐らくあるだろうから各自気を抜くな」

 

 物陰から見れば、既に対象物を失ったのか、近くの何かを捕喰している。この短い時間に内容を確認する事で、現状を打破すべく小声で打合せを開始していた。

 

 

「あの火球は厄介だが、攻撃方法からすれば氷系統の攻撃が有効なはずだ。コウタとエイジはバレットをそれに合わせるんだ。戦闘中に変えると致命的な隙を作る事になる。予想以上に動きは早い。油断はするな。

 取敢えず今後の予定だが、コアだけではなくある程度データも採取しないと、常時この部隊が戦う訳には行かない。まずは情報収集をしながらの攻撃だ」

 

 依然として様子を窺いながらロストしないように手早く今後の展開を決定する。今回のミッションは交戦履歴があるリンドウを中心と考えた方が効率が良いとの判断から陣頭指揮を取っていた。

 

 

「リンドウさん。僕が陽動に出ます。その間に攻撃と部位破壊をチェックしてください」

 

「本当の事を言えば、それはお前の役目じゃないんだがな……背に腹は代えられないなら仕方ない。エイジ、やつの攻撃は動きも早いが威力も今までのアラガミと同じように考えると、手痛いシッペ返しを喰らう。お前に限ってそんな事はないとは思うが、回避を優先とするんだ。その間にこっちが最大火力で一気に決める。その後はコア剥離と脱出だ。

 分かっているとは思うが油断は絶対にするな。命を最優先させるんだ」

 

「了解しました」

 

 方針が決まると同時に一気に行動に移す。アラガミはまだ捕喰中なのか、こちらの動きには気が付いていない。挨拶代わりに捕喰する事で一気に方を付けたい。そう考え全員が行動に出ていた。

 アラガミの死角とも言える背後から近づき、全員が機動力封鎖の為に左右の足に食らいつく。捕喰された事で気が付き、第2ラウンドが開始された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全員が一か所に固まる事無く、分散した状態で攻撃を続ける。エイジは陽動の役目を果たすべく、接近戦に持ち込む為にアラガミの懐へと一気に入り込んだ。

 本来のアラガミであれば4本脚なので、弱点とも言える腹部を晒す事は無いが、このアラガミは2本脚で立っている以上、そこはある意味弱点とも言える部位でもあった。

 討伐と同時進行で弱点を調べる場合、全力での攻撃は判断が難しいのと同時に大きな隙が生まれやすく、その代償として反撃を食らう可能性があった。その為に、敢えて七割程度の力で攻撃をする事で、返ってくる反応を優先していた。

 

 

「ダメだ。ここは違う。コウタ!そっちはどうだ!」

 

「こっちもダメだ。いや、背中の反応が他とは違う。恐らくはそこが弱点なのかもしれない」

 

 前面のエイジに意識を持って行かれ背後からの銃撃には意にも介さないとばかりに、アラガミは攻撃を続けるが、回避を全面に出すエイジには攻撃は当たらない。徐々に意識がそがれ始める頃、唐突にアラガミの行動が変化した。アサルトは本来攻撃の火力は若干劣るも、その類まれなる連射能力がそのハンデを補っている。コウタは遠距離型だが、その火力は近接型にも劣らない。

 それは精密性が高く、結果として特定の部分に連続して着弾する事で火力を補っているのが要因だが、今はその精密射撃の能力が頼もしく感じられていた。

 

 

「結合破壊だ。やつは背中が弱点だ」

 

 

 コウタの射撃性能はアラガミの背中の一部を破壊する事に成功していた。本来であれば、ここから一気に形勢逆転とばかりに攻撃の手を緩める事は無かったが、そのアラガミは想定していた反応の真逆の行動を起こしていた。

 

 

「何かが来る!コウタはソーマの影に隠れてくれ!ソーマ、コウタを頼む!」

 

 部位破壊が起きた途端、動きが止まると同時に体中から炎が吹き荒れる。まるでそのアラガミを包むかの様な激しい炎。それはこれから何かが起こるであろう事を用意に予測出来ていた。

 まるで古い何か脱ぎ捨て、新たな何かを得たかの様に、アラガミはゆっくりと宙に浮かぶ。破壊された背中からは翼が生えたかの様に大きく広がり、それはやがて空中で停止した。

 激しい咆哮と共に、炎が火災旋風の様に辺り一面に撒き散らされる。エイジの指示でソーマの背後に隠れたコウタはその隙間からその姿を垣間見ていた。

 荒れ狂う炎が意思を持ったかの様にソーマやリンドウに襲い掛かる。いち早く反応していたエイジでさえも、通常の戦いの様に回避行動に入る事無く、盾を展開する事で何とか凌いでいた。

 

 

「コウタ、お前確かに部位破壊したんだよな?」

 

「ソーマも見ただろ。確かに破壊しているのは間違いないって」

 

「あれだと、破壊された事で怒り狂ってる様にも見える。あそこは破壊は出来るが悪手だな」

 

 盾を展開しながらも、その視線は外れる事は無い。今の時点で分かったのはあそこを攻撃しても破壊してはいけない事だけが理解出来ていた。

 

 

「リンドウさん、何か手は無いですか?」

 

「記憶が曖昧だったからな。生き物なら頭部が弱点なのは鉄板だろ。銃撃で攻めてみるのが一番だ」

 

 リンドウの手元にあった神機らしき物が銃形態に切り替わる。精密射撃にはほど遠いが、それでも数発が着弾し、ここで初めてアラガミが怯み始めていた。様子を見るから討伐はしない訳ではない。

 出来るチャンスがあれば一気に仕留めんとばかりに改めてエイジが突っ込む。

 

 

「まだ早い!焦るなエイジ!」

 

 ソーマの叫びを聞くも、既に攻撃の大勢に入ってる以上、ここから避ける事は不可避でしかない。ならばと気を引き締め、精神を断ち切られる事だけは避けるべく、ある程度は仕方ないと気持ちを瞬時に切り替える。

 意識の切り替えは結果的に功を奏していた。アラガミの攻撃を出来るだけ受け流せるように態勢だけは捻る事で攻撃のベクトルを変える事が出来た。しかし、完全に避ける事は出来ず、アラガミの鋭い爪がエイジの背中を切り裂く。エイジはその場で踏ん張る事無く、わざと衝撃を流す為に大きく吹っ飛ばされた。

 

 

「大丈夫か!」

 

「大丈夫と言いたい所だけど、思ったよりは深手かも。これより早い動きは無理だ。それよりもコウタは頭部を狙ってくれ。まさかこれ以上凶悪に変化はしないだろうから」

 

 背中には大きな三本の鋭い傷が付いているも、その傷口から血が流れる事はあまり無かった。発見したアラガミ同様、切り口が若干焼け焦げたのか肉の焼ける臭いが微かにしている。

 今はまだ均衡を保つ事ができるが、このままでは劣勢になる事だけは予測出来る。その為には一度、攻撃の流れを断ち切り一気に攻める手段しか残されていなかった。

 

 

「これ以上の時間はかけられない。このまま押し切る」

 

 エイジの合図と共に、コウタはスタングレネードを再度炸裂させる。閃光が走る寸前に位置を確認する事で白い闇の中でも迷う事無く斬撃を繰り出す。

 コウタの射撃の影響もあり、頭部が破壊されたと同時に、防御の要となっていた左腕の籠手までもが今までの蓄積されたダメージから破壊されていた。時間にしてわずか数秒だが、この時間がある意味決着をつける決めてとなっていた。

 

 エイジが素早く動く事で、部位破壊した背中の部分に再度神機の刃を突き立てる。単純にダメージを与える攻撃ではなく、留めを指すかの様に深々と刺し神機を抉る様に動かす。断末魔が聞こえるかの様にビクンと動くも、やがて絶命したのか、動く事は無かった。

 

 

「エイジ!しっかりしろ。ソーマは直ぐにコアを剥離するんだ。コウタは索敵だ」

 

 リンドウの素早い指示と共に力尽きたのか、エイジは膝から崩れ落ちる。エイジと神機を回収したと同時に、距離を離す事で再度アラガミの様子を見守っていた。

 本来であれば通常のアラガミはここで霧散し、オラクル細胞が崩壊するが、当初の予想通りその身体が霧散する事は無かった。暫くしたのち、まるで逆回転するかの様にアラガミがゆっくりと立ち上がる。周囲を索敵して獲物は居なくなったと判断したのか、やがてどこかへと去って行った。

 

 

「ありゃあ、苦労するな」

 

 一先ず回収したコアの解析を最優先させるべく、リンドウ達は一路アナグラへと戻った。

 

 

 

 



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外伝33話 (第80話)次への段階

 エイジ達の死闘とも言える新種アラガミの討伐の情報はアナグラ内部に激震が走っていた。詳細については不明な点が多く、結果的に第1部隊長でもある如月エイジが負傷し、ソーマやリンドウと近接系の神機使いの様子を見れば、それぞれもダメージを負っているのかコウタが何とか運んでいる有様だった。

 現状ではコアの解析を待つ以外に手立てはなく、また何らかのアナウンスがあるかと思われるも現状では、暫くは運営するのが厳しいとまで判断されていた。

 

 

「ヒバリさん!エイジの容体はどうなんですか?」

 

「エイジさんは現在治療中です。今は怪我の状況によりま……アリサさん?」

 

 ヒバリの話を全部聞くまでも無く、アリサは医務室へと走り出した。このアナグラの中でもトップを走る人間の負傷は、何も知らない人間からすれば異常とも思われていた。特にここ数日のミッションで手厳しい攻撃を受ける事無く討伐してきている関係上、その衝撃は計り知れない物でもあった。

 死と隣り合わせの職業なのは今に始まった事では無い。勿論アリサも理解しているが感情が付いてこない。最悪の事態を予想しながら医務室へと向かっていた。

 

 

「エイジ!大丈夫なんですか!」

 

 ガラッと勢いよく扉を開けると、身体中に包帯を巻かれていたエイジがベッドに居た。背中には深いのか、鋭利に裂かれた様な傷から血が若干滲んでいる。よく見れば幾つかの火傷と思われる箇所もあった。周りの事には目もくれずアリサはベッドへと駆け寄った。

 

 

「大丈夫だよ。傷が大きいから大げさに見えるだけだから、心配しなくても良いよ」

 

「エイジは直ぐに無茶するから心配なんです。負傷したって聞いたら怖くなったんです」

 

 アリサの心配そうな顔を見れば、目には涙が溜まり今にも零れ落ちそうな状態だった。エイジも口ではああ言っているが、声はいつもより弱々しい。背中の傷が想像以上に深手のようだった。

 

 

「アリサ、落ち着け。傷は確かに深いが、命に別状はない。おそらく直撃ではなく回避した結果の傷だ。ゴッドイーターの治癒能力なら時間はかからない」

 

「でも」

 

「アリサ、ツバキ教官の言う通りだよ。実際には神経にまで達してないから治れば元通りだから」

 

 エイジに諭されここで漸く落ち着きを取り戻していたと同時に、周りの反応が何となく伝わる。ここにはエイジだけが居た訳ではない。

 勢いで話したツバキは若干呆れた様になっているが、リンドウとコウタは何か言いたげな表情、ソーマに至っては我関せずを決め込んだのか、明後日の方向を向いていた。

 

 

「アリサ、心配なのはわかるが、ここでイチャつくのは感心しないなぁ。そんな事は部屋に帰ってからやってくれないか?」

 

「ほーんとだよ。今まで俺たちもここに居た事すら記憶に無いんだろうね」

 

 リンドウとコウタに言われる事で、更に状況が悪くなってきたのか、アリサの顔が徐々に赤くなる。決して照れているのではなく、怒りによってその色はもたらされていた物だった。

 

 

「コウタ、そんなに気になるならあなたもエイジの隣のベッドに寝かせますけど」

 

 こめかみに青筋がクッキリと浮かぶかの様に、たった今までの表情が一転する。気が付けば臨界点を超えていたのだろうアリサの手には、しっかりとした意思で握り拳が少し震えながら出来ている。

 ここは医務室である以上、治療をするに適した場所ではあるが、決して傷を作る場所ではない。これ以上は危険だと思われた頃に制止の声が入った。

 

 

「アリサ!ここは医務室だ。エイジの心配は分かるが、お前も自分の仕事があったはずだ。今日は一日ここだ。来るなら用件を全部こなしてからにしろ!」

 

 ツバキの叱咤と共に、漸く落ち着いた空気が流れだしていた。流石にツバキに言われる事で冷静さをとり戻したのか、ここで改めてこれまでのミッションの内容を確認する事になった。

 

 

「ツバキ教官、例のアラガミの件ですが、コアの解析はこれからですよね?」

 

「今、榊博士がやっているが暫くは時間がかかるだろう。しかし、お前がそこまでの傷を負うとはな」

 

 ツバキのボヤキとも感想とも取れる言葉が全てを言い表していた。事実、今のアナグラの戦力を考えればエイジ以上の人間は恐らく殆ど居ない。そんな実力でさえもここまでの深手を負わされるとなれば、今後の事も踏まえると公表して良い物なのか判断に迷った。

 事実、エイジの負傷は既にアナグラ内部に知れされている以上、隠すつもりはない。今のままでは絶望感しか広がらない事を考えれば、現在解析中のコアの結果を待ってからの方が得策だと考えていた。

 今に始まった事ではないが、極東の第1部隊の存在は支部内だけの話ではない。既に他の支部でも色々な噂が流れている。それも勘案すれば何とも頭の痛い展開だと今は思うしかなかった。

 

 

「エイジ、まずは身体を治す事を専念するんだ。それと技術班から連絡だ。今の神機の完全メンテナンスをこれを機に施すから、仮に治っても出撃は出来ない。それだけは頭に入れて置く様に」

 

「了解しました」

 

 これ以上伝える事は無いが、今はコアの解析を待ってからでないと、今後の行動が制限される。今の状況では最悪出くわせば捕喰されるか、完全に逃げ切れるかの二択しか出来ない。最悪の事態を避けるべく、今はその結果待ちとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは今までに無い反応だね。コアそのものの分子結合が今までのアラガミとは桁違いだ。しかも自己増殖まで出来るとなると、これは厄介だね」

 

「これが実用レベルでの運用が出来れば良いんですが、まずは確実に任務完了が出来る様に、せめてこの自己増殖の動きだけでも制御する方法が必要でしょう」

 

 第1部隊が剥離したコアは直ぐにラボへと回されていた。現在はコアの解析を優先させる為に榊だけでなく無明も参加していた。

 今までにない反応を見せるコアの動きに榊は興味を引かれているようだが、現場にも出る事がある無明にとっては厄介な代物以外の感想は無かった。事実、討伐直後の記録を確認したが、コア剥離から再生して再び動きだすまでの時間が5分弱。これでは他のアラガミと同時に出現した場合、苦労して討伐したはずが気が付けば復活しているのであれば最悪の未来しかありえなかった。

 今回の件で結合崩壊する部位は発覚できたが、背中の破壊に関しては躊躇される事になった。

 

 

「しかし、見た目が古来の物語に出てくるドラゴンに似たもので、動きは人間と遜色無いとなればディアウス・ピター異常に厄介になりそうだね」

 

「そうですね。背中に関しては逆鱗と言った方が、かえってしっくり来るでしょう」

 

 解析をしながらも、並行して思考は討伐の事を考えていた。事実、話はしていたものの榊の手と目は動く事を止めない。無明は今回の解析には直接の手を入れていないものの、思考はやはり討伐に向けての方針を考えているようだった。

 

 

「榊博士。解析はどこまで進んでいますか?」

 

「まだ4割弱って所だね。単純な解析ならば問題ないが、特にこの自己増殖の部分が厄介だね。これが解析出来ると討伐はもう少し簡単に出来るはずだよ」

 

「ツバキさん。エイジの様子はどうでしたか?」

 

「あいつなら、身体はボロボロだが悲壮感は無かったぞ。あれなら数日療養すれば大丈夫だろう。神機のメンテナンスもあるから暫くは待機だな」

 

 医務室から来たツバキも今回のアラガミに関しては気になる部分があったのか、現状確認とばかりにラボラトリまで足を運んでいた。詳細についての報告はこれからだが、概要だけは確認した関係上、後は書類で確認すれば問題無いと判断しての行動だった。

 

「ツバキさん。伝言を頼む様で済まないが、今晩屋敷で渡したい物があるからエイジに来る様に伝えてくれないか?こちらも準備したい事があるんだ」

 

「それは構わないが、一体何をするつもりだ?」

 

「今回の戦闘に関してはこちらも気になる事があってな。あいつの神機は特に刀身部分は本部で採用されている物を試験運用していたが、今回の件でもう一段上を目指す必要がある。今後の事を考えれば現状では神機の方が負けてしまう。その為の手段を講じる予定だ」

 

 何か思う事があるのだろうが、ツバキはこの時点では何をどうするつもりなのか確認出来ず、結果的には夜まで待つ以外に手段は無かった。

 

 

「それと、第1部隊もあの様子だと今日は無理だろうから明日までは休暇だろ?」

 

「そうなるな。あのアラガミは全てが桁違いだ。今日の運用は無理だろうから、その予定だ」

 

「ならば技術班の楠リッカも招集しておいてくれ。その時に話す」

 

 この時点でこれからの予定は夜まで待つ事が決定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあエイジ、もう動いても大丈夫なのか?」

 

「骨と神経に問題ないから、動くのは大丈夫だよ。ただ戦闘となると2.3日はかかるかもね」

 

「無理はダメですよ」

 

「これ以上の無理は出来ないよ」

 

「それでもです。何かにつけて直ぐに無茶するんですから、こちらの身にも少しはなってください」

 

 アリサとコウタから心配されながらも、無明に呼ばれているとの事から一同は屋敷に出向いていた。しかも今回は技術班からリッカまで指名されている。この時点で呼ばれた真意を理解する者は誰も居なかった。

 

 

「全員集まったな。無明からの前に私からの報告だ。あの交戦したアラガミの名称は『ハンニバル』と名付けられた。以降、この討伐任務がある場合のアラガミの呼称だが、これに関しては既に全支部へと本部から通達が来ている。今のところは極東でしか交戦履歴と発見履歴が無いが、データだけは共通化される事になった。現状は解析中だが、近日中には何らかの対抗手段が公表されるから、万が一発見した場合はスタングレネードを使用し、速やかに退却が今の方針だ」

 

 玄関で全員を出迎えたのはツバキだった。今回の任務は秘匿では無い物の、ここに来るならばと併せて公表する事になった。今の時点ではハンニバルと言う名称以外に何もデータは無い。この事が改めて脅威の存在である事が印象付けられた。

 対処のしようが無いと言うのは、ゴッドイーターの立場からすれば存在意義が根底から崩れる事になる。そうならない為には今後の対処も含めた事を話し合う必要がそこにはあった。

 

 

「エイジ、お前の神機だが、あの刀身の役目はもう果たした。これ以上の強化は今後の方針次第で決定するが、今は役目を終えている。ナオヤ、明日技術班に刀身を送るからそれを取り付けておいてくれ。それと取扱いが他の神機とは若干だが異なる可能性があるから、それを書面でまとめた物も併せて確認しておいてくれ。

 リッカ、新しい刀身が来た場合に運用までの日数はどの位かかる?」

 

 話の内容は新しい神機のパーツだった。この場にいるメンバーで神機の状態を一番知っている人間が呼ばれたのはこの為なんだと言う事を理解した。ナオヤも整備はしているが、現状はエイジ達第1部隊のメンテナンスはリッカが主となり、ナオヤはサブとして入っていた。

 当初は在庫から引っ張り出して一から強化する予定だったが、新しい刀身が来るのであれば時間は然程かからない。その為の確認とばかりに呼ばれていた。

 

 

「現物が届いてから二日あれば大丈夫かな。あとは各パーツのすり合わせに一日あれば」

 

 予想以上の早さに驚くエイジを尻目にリッカはなおも確認とばかりに無明に詳細を尋ねる。

 

 

「書面で確認って事は、何か付加価値が付くと判断すれば良いって事ですか?」

 

「そう考えて貰って構わない。その為のマニュアルだと理解してくれ」

 

「であれば明日にでも確認します」

 

 当初こそはややため口とも取れたが、無明からの申し出によって新たな刀身が入手できる事と、その存在に圧倒されてのかリッカは徐々に畏まり出していた。

 リッカの記憶の中で、刀身パーツに対する注意点はあってもマニュアルはこれまで存在していない事が思い出される。そんな空気を察したのか、現状を打破したのか分からないが横やりが入る事によって、その空気は壊れていた。

 

 

「無明さん。食事の準備が出来たそうです」

 

「さ、サクヤ。なんでここに?」

 

 呼出しに来たのはサクヤだった。どうやら今回ここに全員を呼ぶからどうだと無明からの招待を受けていた。サクヤ自身断る必要性も無かったのと、先だっての朝食の事もあり快諾していた。

 

 

「サクヤさんありがとう。皆には、こちらまで態々来てもらったんだ。その位の事はさせて貰うよ」

 

 深刻な空気は消え去り、少しだけ日常が戻りつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんな食事をしてたなんて。リンドウ、一言も言わないのよね」

 

「そうなんですか?でもサクヤさんも以前ここに少し滞在してたんじゃありませんでした?」

 

 用意された食事を楽しみながらも、サクヤはリンドウにちょっとした意趣返しのつもりでおどける様にエイジと話していた。隣にいるリンドウもバツが悪いのか、それとも様子を伺っているのか、食事に集中する事で敢えて何も話していない。

 

 

「あの時とはまた状況が違うから仕方ないわよ。ここでの食事が慣れるなら私にとってはプレッシャーだわ」

 

「リンドウさんなら何食べても美味しいしか言わないから大丈夫ですよサクヤさん」

 

「アリサ、お前結構言葉が辛辣だぞ。もう少しオブラートに包んでもいいんじゃないか?」

 

「私は客観的事実を言っただけですが?」

 

 今までのお返しとばかりにサクヤの前で辛辣な言葉を並べられると、流石にリンドウも分が悪いと感じ始めていた。そんなリンドウを見たからなのか、アリサの中で多少なりとも気分が晴れた様な感じがしていた。

 

 

「アリサもその位にしないとリンドウさんも困ってるよ」

 

「いえ、これを機に一人の女性としてしっかりと言うべきです。折角作ってくれたならもう少しまともな感想を言うべきだと。エイジだってそう思いますよね?」

 

「まぁ、確かに言ってくれた方が張り合いはあるね」

 

「アリサ、それはエイジに対しての自分の見解?って言うか、自分で作った事あるの?」

 

「今は私の事は良いんです。コウタは黙っていてください」

 

 和やかな中に、こんな一面があるからこそ今の第1部隊が成果を上げる事が出来るのだろう。自分が部隊を率いていた頃はどうだっただろうか?そんな事を考えながらツバキも食事をしていた。

 今後の事も考えると締め上げるだけでは成果は上がらないと考え、今後の訓練について改めて考えていた。

 

 

 



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外伝34話 (第81話)リスク

 先日の状況から一転し、朝一番で運ばれた物は話に出ていた神機の刀身パーツだった。届いた直後、仰々しい程の箱が届けられると同時に蓋を開けた瞬間、ナオヤは珍しく絶句していた。

 普段であれば余程の事が無い限り驚きで動きが止まる事は無い。しかし、箱の中身を見た瞬間に驚くとは一体何が入って居るのかと、硬直したままのナオヤを横にどかしリッカは中身を確認していた。

 

 

「ナオヤ、この刀身パーツって何?今まで見た事も無いんだけど」

 

「兄貴はどうやら本気で後の事を考えているのかもな。これは屋敷で開発してたパーツだけど、運用方法が通常とは違って少々特殊なんだよ」

 

「特殊って?」

 

 刀身そのものは今まで使っていた物とは色味に変わりが無く、以前と同じ様な漆黒の刀身だが、神機には本来ないはずの刃文と鎬があり、本来であれば白いはずの刃文は血塗られたかの様な赤が走っていた。

 リッカ達だけではなく、異様とも言える代物に、何事かと見物に来た他の整備士でさえも声を発する事は出来ないほどの迫力がそこには存在していた。

 

 

「これ、屋敷で開発してたんだけど、確か銘は『黒揚羽』、リッカも知ってのとおりだけど、本来は神機には専用の強化パーツを付ける事で能力を付随させるよな?」

 

「そんなのアナグラに居る人間なら常識じゃん。それがどうかしたの?」

 

「今までにも幾つか神機その物に特性が付いた者はあったと思うけど、これは特殊効果が付加されてるんだ。一言で言えば命を吸収する」

 

「強化パーツのゴッドイーターの事?でもそれなら強化パーツでも対処できるはずだよ。今更じゃないの?」

 

「バースト状態ならが前提だけど、これは単独で可能なんだ。ただし、厄介なのが対象はアラガミだけじゃない。持ち主にも影響するんだ。

 似たような装備で呪刀があるけど、あれとは違うんだ。自分で命の量を調節して、それを力に変えるんだ。それがアラガミでも同じ。命をそのまま攻撃に特化させる事で尋常じゃない程の力を発揮する」

 

「それってアラガミを斬りつければ斬りつける程に攻撃力が上がるって事なの?」

 

「簡単に言えばそうなんだけど、実際にはちょっと違う。さっきも言ったけど、アラガミだけじゃなくて自分の命も吸収する事になるから基本は一撃必殺のつもりでやる必要があるんだ。そうなると、従来の様な使い方が出来なくなる可能性は高い代わりに討伐時間は一気に早くなるだろうね」

 

 今までに無い発想で作られた神機である事に変わりは無かったが、ここまで極端な性能を持っているとは流石にリッカも思っても居なかった。アラガミだけではなく自身にまで跳ね返るとなれば、使いどころを間違えれば自分の命が危うくなる。

 常軌を逸したそれは神機としては異質な物でしか無かった。果たしてそんな物を取り付けても良いのだろうか?リッカ自身も判断するには本人の了承だけではなく、それ以外にも許可が必要になるのではと考えていた。これまでの整備士としてのキャリアの中でこんな決断を迫られた事は一度も無い。あまりにも重い選択肢が投げ込まれた事を理解していた。

 能力だけ見ればある意味破格の性能を誇るが、穿った見方をすれば全ての命を刈り取る死神の鎌の様にも思われた。

 

 

「リッカ、一旦兄貴に確認するから取り付けは少し待ってくれ」

 

「そ、そうだね……じゃあ、分かったら取り付けるから準備だけしておく」

 

 この真意を確かめるべくナオヤは一度確認する事で判断する事に決めていた。神機はゴッドイーターの命とも言える存在ではあるが、自身の命まで吸い上げるとなれば話は大きく変わる。

 事実、技術班でもこの存在を許容できる人間は恐らくはいないだろう。そう考えながらに無明の元へと急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナオヤか。どうしたんだ急に?」

 

「兄貴に確認したいんだが、あの黒揚羽は開発した当時の特徴をそのまま引き継いでるよな?」

 

「そうだ。お前の言う通りだ。心配はその特性の事か?」

 

「あれは下手すれば戦場で自殺するのと変わらない能力だったはず。あれを投入するなんて無謀すぎる」

 

「心配するな、あれは調整してあるから大丈夫だ。当時は際限なくだが、今のはしっかりと調整してあるからそこまでギリギリにはならない。あとは本人との話し合いだ。だが、それはお前の仕事だ。整備士だろうが神機使いだろうが命を懸ける事に変わりない。そんなに心配ならば、自分でも調整してみると良いだろう。

 先日の書類に調整方法が書かれている。それと今回の導入に関しては、お前は少しだけ勘違いしている。なぜそうなのかを少しは考えるんだ。ここから先は自分が整備士だけではなく、開発者としても考える部分でもある。これ以上は考える事だ」

 

 整備士は戦場には出ないが、ゴッドイーターに命とも言うべき神機の整備を全身全霊で整備する。命を預ける事が出来ない神機で戦場に出れば、たちまち捕喰され絶命する事になる。

 その為には結果も然る事ながら信頼も必要となる。ましてや今のエイジは極東でも要とも言える存在である以上、おいそれと危険な直面に差し出す訳には行かなかった。

 ナオヤにどこまで許容できるのかを判断させる必要がそこにはあった。神機使いだけが戦っている訳ではない。整備をする側までもが試される様な代物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうだった?」

 

「ある意味、こっちも試される事になってる。吸収する事はこっちでも制御できるらしいけど、そのバランスが微妙だな。自殺させる為に戦場に送り込む訳には行かない以上、簡単に出して終わりには出来ない。でも、調整が上手くいけば今まで以上の力をこれは発揮できるはずなんだ」

 

「バランスねぇ。だったら当事者にも聞いた方が良いんじゃない?」

 

「まだこの存在は知らないはずだから、一度あいつと話あう必要があるな。リッカ、この後って時間あるか?」

 

 当事者を抜きに決める訳にも行かず、今はどう考えているのか確認の為に、2人はエイジの所へと向かって行く事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジ、ちょっと良いか?」

 

 渡された刀身は使う人間との話合いが必要だとばかりに、エイジの部屋を訪ねていた。経過は良好だが、確か今日一日は最低でも安静にしていなければならないはず。確かにそう救護班からは聞いていた。しかし、扉を開けたナオヤの目の前に居るのは安静にしていなければならないはずの人物がそこには居なかった。

 

 

「アリサ、なんでここにいるの?」

 

「エイジに用事があったので来たんですが、居ないんです。どこに行ったか知りませんか?」

 

「いや、俺もここだと思ったから来たんだけど……あいつは確か今日一日は絶対安静だった気がするんだけど」

 

 詳細までは知らされていなかったのか、アリサの顔色が徐々に変わり出していた。昨日の今日でこの有様では本当に治す気があるのか問い詰めたい気分ではあったが、居ない人間に言った所で仕方ない。

 ナオヤは思い当たる所へと再び足を運ぶ事になった。

 

 

「ここに居ないなら、多分あそこだな」

 

「何か心辺りがあるんですか?」

 

「確証は無いけど、多分訓練場だ」

 

 当たり前だが、アリサよりも目の前にいるナオヤの方がエイジと過ごした時間は長い。そもそも二人とも屋敷でも良き友人である事は知っていたので、アリサもそこまで気にする必要は無い物の、少し前のジーナの発言の影響もあり、何となく面白くない顔をしていた。ナオヤもそれには気が付いていたが、ここで話しても仕方ないと敢えてスルーを決め込んでいた。

 ゆっくりと訓練場へ向かうも共通の話題はあまりないのか沈黙が続く。このままでも良かったが、ナオヤも何となく居心地が悪いと感じたのか、思わず口を開いた。

 

 

「なぁ、アリサ。エイジと付き合ってんだろ?」

 

「ナオヤまでそんな事言うんですか?」

 

 沈黙を破った話の内容は、ここ数日アリサやエイジが一番体験している内容。この話題の時点で何となくだがアリサの表情に陰りが見えた。

 

 

「すまん。そんなつもりじゃないんだ。今回、新しい刀身が兄貴から届いたんだけど、内容がちょっと特殊なんだ。リッカとも話したんだが、あいつの性格からすれば、間違いなく取り付けに反対はしない。いや、むしろ率先する可能性が高い。今回その件で相談したい事があったんだ。少しだけ真面目な話をして良いか?」

 

 

 ナオヤから出た台詞は、アリサが想像していたからかいの成分たっぷりの話ではなく、かなりヘビーな内容になる事だけは直ぐに理解できた。物が神機だけに、その重要性はアリサも知っている。

 その神機に何らかの問題が発生したのかもしれないと考えていた。

 

 

「ひょっとして重い話ですか?」

 

「そんなつもりでは無いんだけど、ちょっとな…」

 

 この時点で軽い話では無い事だけは確かだった。その空気を察したのかこの場で話しても良い物なのか、話し出したナオヤでさえも逡巡する。しかし、同じ部隊でもあり、恋人同士なら自分が話すよりも多少は違った角度から見る事が出来るのだろうとの考えから改めて話す事を決めていた。

 

 

「実は今回用意された刀身パーツなんだが、兄貴と開発してたんだけど、あまりにも性能がピーキーすぎて使用者にも大きな問題が発生する可能性があるんだ。詳しい事は後で言うが、ロングの刀身パーツに呪刀ってあるだろ?あれの別バージョンなんだ」

 

「…ああ、あのパーツですか。それが何か問題でも?」

 

「マイナスのステータスが付与される代わりに膨大な攻撃力を有するから、メリットとデメリットを天秤にかける事が出来るが、今回のパーツはデメリットの方が大きい。

 本当の事を言えば開発兼整備士としての立場であれば、運用に関しては期待したいものがある。しかし、友人として考えればお奨めしたいとは思えないんだ」

 

 悩む事もなく簡単に言いきったのは、恐らくはナオヤの中では既に決まっているのだろう。神機に関しては当事者と整備士との話による摺り寄せが第一なので、この場合であればアリサは部外者となる。もちろん、詳細についてはまだ知らされていない以上、何か言う事は的外れの様な気がしたのか、これ以上の事を言う事は無かった。

 

 

「まぁ、本人達としっかり話し合った事で決めるしか無いだろな。おっ、やっぱりここだ」

 

 訓練場に着くと微かだが、エイジの声が聞こえる。心当たりは此処だと言うのがアリサにも理解できたのか、今はまだ絶対安静にも関わらずここにいるのはある意味病気だとも思えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうこれ以上は無理です」

 

「まだ大丈夫だ。限界は僕も知っている。ここからが良くなるんだ。腰が大事だから一緒にいこう」

 

「でも」

 

「でもじゃないんだ。これは大事な事なんだ」

 

 扉の向こう側から男女の声が微かに聞こえる。気のせいなのか何となく息も切れ切れにかすれている様にも思える。そんな時、ヒバリの話していた言葉がアリサの頭の中を駆け巡る。

 一体扉の向こうでは何をやっているんだと思い、何気に隣を見ればアリサの表情に怒りがこみあげている様にも思えていた。

 

 

「エイジは何やってるんですか?」

 

 扉が勢いよく開いたと同時にアリサは状況を確認もせずにそこに居たエイジに一気に向かい出す。エイジの向こうには着衣が乱れ、顔がやや上気したアネットがそこに居た。

 

 

「アリサどうしたの?」

 

「エイジの浮気者!」

 

 訓練場に頬を叩かれ、乾いた音だけが鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にごめんなさい。勘違いでした」

 

「ほんとアリサはエイジの事になると視界が狭くなるよな。それ任務中だと命取りになるぞ」

 

 誤解だと判断した所で、いつになく小さく縮こまったアリサが申し訳なさそうに謝っていた。訓練場ではカリキュラムの分からない所を実技指導する為に教官代理としていたのだが、内容が内容なだけに、視界に入った光景だけ見れば誤解してもある意味仕方なかった。

 医務室にはアネットとアリサ、一緒に来たナオヤと遅れてリッカがそこに居た。

 

 

「誤解なのは分かってますから、それ以上は言わないでください」

 

 シュンとした光景はまるで苛めて居る様にも見えるが、確実に誤解したのと同時に大きなモミジまでエイジの顔に作った事でアリサもやるせない気持ちで一杯だった。

 ナオヤが呆れているのはある意味仕方ない。そう捉えられていても不思議では無かった。

 

 

「俺に言っても仕方ないけどな。エイジ、お前こそ大丈夫なのか?まだ療養中だろうが。悪化しても知らないぞ」

 

「訓練と言っても、こっちは指導だけで実際には何もしていないから問題ないよ」

 

 これ以上は気の毒だとばかりに一旦ここで話の流れを打ち切り、改めて本題に入る事にした。元々ナオヤだけが話すつもりだったが、最終的な確認も兼ねてリッカまでもが来ることになっていた。

 

 

「例の刀身パーツだけど、あれは黒揚羽だが、どうする?」

 

 この銘を聞いた瞬間、エイジの表情がいつもと違った表情を見せていた。この場で何も知らないアネットには訳が分からず、どうすれば良いのか反応に困っていた。

 

 

「あれ、出来たんだ。って事は今回の刀身パーツって…」

 

「そうだ。念のために兄貴にも確認したが、最終的には自分達で決めろって話になってな。それでここに来たんだ」

 

 エイジの表情が変わるほどの一品。実際に刀身パーツを見たリッカも普段から見慣れていた筈の神機には無い何かがある事だけは理解していた。

 本来ならば業物と言われるレベル。まるで魅入られるかの様にその刀身から目をそむく事は出来ないほどの存在感があった。しかし、性能はそんな思いとは関係なく、誰にでも向ける死神の鎌と何ら変わらない。

 まだ未使用なはずの刀身が、それは既にどれほどのアラガミの生き血を啜っているのかと思うほどの存在感があった。

 

 

「だったら答えは一つだ。直ぐに取り付けてくれ」

 

「…やっぱりか。予想通りでな何よりだ」

 

「エイジは内容を知っていて言うんですよね?」

 

「屋敷にいる人間なら殆どの人間が知ってるよ。あれはある意味、妖刀とも言えるだろうね」

 

 この時点で、何も聞いていないはずのアリサにも、その刀身パーツが破格の性能はあるが、どこか否定したい部分があるのではと薄々は感づいていた。この場にエイジしか居なければ直ぐにでも問い詰めたい程の気持ちになりながらも、遮る事無く話を聞いていた。

 

 

「本音を言えば、友人としては止めたい。でも技術者としてはどこまで高見に行けるのか知りたい気持ちもある。お前の気持ちは聞いたが、アリサの事はどうするつもりなんだ?」

 

 部外者なのでは思った矢先に自分の名前が出た事で驚きを隠す事は出来なかった。新ためてエイジを見るが、最早心に何かを決めたのか迷っている素振りは微塵も無かった。

 

 

「神機と心中するつもりは無いよ。神機は命の次に大事な物なのかもしれないが、あくまでも道具だ。特性についても理解している。お前が気にする必要はないし、あれは調整が可能なはずだって事は以前に兄様からも聞いている。アリサには…これから言うよ」

 

「なんだ知ってたのか。ならもうこの話は終わりだ、俺からは何も言う必要は無いな」

 

「私の名前が出たのはどうしてなんですか?何か意味があるから出たんですよね?」

 

「……あれは一言で言えば諸刃の剣なんだ。アラガミに対しては絶大な効果を発揮すると同時に自分の命も燃やしながら使う事になる。もちろん何でも簡単にではないし、しっかりと制御も出来るから、ある程度の調整はするつもりだ。最悪の事態を考えれば誰でも躊躇するがな」

 

 あっけらかんと言われ、アリサとそこに居たアネットでさえも絶句するしかなかった。本来神機はアラガミを討伐する道具ではあるが、結果的にはゴッドイーター達も神機で自分の身を守る事になるにも関わらず、その神機は自分に平然と牙を剥けるとなれば話は大きく変わってくる。

 今まで当たり前だと思っていた事が実は当たり前では無い様な代物を取り付けようとしていた事に驚きを隠す事が出来なかった。

 

 

「なあアリサ、万が一だがエイジに何かあった場合、見捨てる事になるのか?俺はそれが知りたいんだ。こいつは何でも簡単に決めて簡単に実行する。判断が良いと言えばそうだが、悪い言い方をすればそこにあるはずのリスクすら考えていない。今回の刀身パーツはその可能性を孕んでいる以上、恋人として、同じ部隊に居る人間として聞きたいんだ。それで最終判断をしたいと思っている」

 

 ここで初めて通路での会話がそうだった事を理解した。あの時の表情は明らかに悩んだ部分はあったが、最終的には本人の判断に任せると決断した表情だったと思い出される。

 これから出す回答はその為のリスクを享受するのかの最終局面にいるのだと理解していた。想定外とも言える話にアリサも軽々しく答える事は出来なかった。

 

 

 

 




今回初めてオリジナルの神機を登場させました。
今回の物語のキーになるのかは、多分……なるはずです


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外伝35話 (第82話)成果

 改めて話し合ってから答えを聞かせてくれと言われる事で、医務室を出て今はエイジの部屋にアリサと2人でベッドのに腰かけていた。先ほどのナオヤの説明が重くのしかかる。エイジ自身が既に決めている以上、アリサにはそれを止めさせる術は何も無かった。

 

 

「あの話は使いすぎると命を落とす可能性があるって事ですよね?」

 

「…使いようによってはだけど。でも、調整出来るから最悪の事態は無いよ」

 

「エイジは自分の命を軽く考えすぎです。残された人の事を考えていません。だからあんなに簡単に無茶な行動が出来るんです」

 

 アリサの顔は見ていないが、声は震えていた。恐らくは最悪の事態を考えた上での台詞なんだとは考えるまでもなかった。

 ゴッドイーターはある意味常に死と隣合わせである以上、生きて帰る約束は出来たとしても、実行するのは容易ではない。幾らエイジがこの極東に於いても上位の実力があったとしても、それは絶対では無い。

 恐らく今のアリサは過去の事を思い出している事だけはエイジにも分かった。僅かに震えるアリサの肩が全てを物語っている。もうアリサに2度と同じ目を合わせるつもりはどこにも無かった。

 

 

「ごめん。そんなつもりは無かったんだ。今はアリサの事は大事だから、簡単にそんな気持ちになる事は無いよ。屋敷でも言った様に、アリサとずっと同じ景色を見ていたんだ。その言葉は今も変わらないし、これからも変わらないんだ」

 

「だって……」

 

 その一言がアリサの感情を決壊させた。顔は見えないが縋る様にエイジに抱きついている。声にこそ出ていないが、泣いているのは間違いなかった。何時もと同じ様に考えた事によって、辛い気持ちを思い出させてしまった事だけが悔やまれていた。

 

 

「アリサ。大丈夫だから」

 

 あやすように頭を撫でる事で少しづつ気持ちが落ち着いて来たのか、泣き止む事に成功したのかを今のエイジには確認する事は出来なかった。ただ時間だけが過ぎ去って行く。最初こそはどうしたものかと思いながらもエイジ自身が徐々に冷静になり、そして少しばかり焦りが出始めて来た。

 アリサに抱き付かれるのは良いが、ここはベッドの上。今の行動を始めたまでは良かったが、今度はどこで止めればいいのかが分からない。しかも、今はその行動にツッコミを入れて止めようとする者は誰も居なかった。

 

 エイジは療養中だが、アリサは一体どうだったのか?そんな事を思いながらも既に止めるタイミングを失っているのか、撫でる事は止めてはいない。そんなエイジの葛藤に気が付いたのか、それとも冷静になったのか、アリサの動きが緩慢になったかと思うと不意に顔を見上げた。

 少しだけ泣きはらした目をしているが、その中に暗い影は見当たらない。その目を見て漸くいつものアリサに戻ったと少しばかり安堵していた。

 

 

「ねぇアリサ」

 

「今はまだ何も言わないで。もう少しこのままで……」

 

 屋敷での一コマがエイジの頭の中をよぎる。ここが自室であるので部外者が来る事は無いが、それでもアナグラの中だからと訳の分からない自制心が心に歯止めをかける。自身もまだ療養中である以上、これ以上の事となると、何かと問題が生じるのではと、徐々に思い始めてきた時だった。

 

 

「……!」

 

 抱き付かれた際に背中の傷に触ったのか、身体は反射とも取れる様にビクッと動き、ここでアリサの手が傷に触れた事を理解した。いくらゴッドイーターとは言え、深手の傷は簡単には治らない以上、無理は出来ない。先ほどの身体の反射を確認したからなのか、まだ療養中だった事を改めてアリサは思い出してた。

 これ以上の無理は身体に差し支える。そう考えてアリサは名残惜しそうにエイジから離れた。

 

 

「痛みました?」

 

「少しね。でも気にしなくても大丈夫だよ」

 

「そう言えば一つ聞きたい事があるんですが?」

 

 先ほどの雰囲気は既になく、少しだけ確認したい事があった。何となくだが、アリサの中で決意した様な物があったのか目に力が宿っている様にも見える。口にこそ出さないがその目には確固たる意志が見えていた。

 

 

「どうしたの?」

 

「さっきの話ですが、私もエイジと共に歩んでいきたいんです。アネットさん達同様、私も更に力を付けたいんで、一緒に見て貰えませんか?」

 

「それは構わないけど、何かあったの?」

 

 新カリキュラムに代表される様に、今の訓練は今までの事を考えると真逆とも言える内容である事は容易に判断出来ていた。アリサの階級であれば訓練の参加義務は生じないものの、原隊復帰してからの他の神機使いの皆を見ていると、何となく訓練に関心があった。

 ただでさえアラガミの個体が強固な極東のゴッドイーターが疲弊する程の内容が、簡単でない事だけは間違い無い。しかし、理由はそれだけではなかった。ここでのエイジが人気がある事は知っているが、アネットと誤解とも取れる内容を聞かされる事で少しばかりだが周りの牽制の意味も踏まえた上での考えだった。

 共に歩むには生き残るのが一番である事は誰もが同じではあるが、見えない所で何かあっても手出しできないのは、アリサとしては面白くない。

 ならば、見える範囲で行動する方が一石二鳥だと考えた上での提案だった。

 

 

「いえ、何もないですよ」

 

 エイジに悟られる事もなく、アリサの中での今後の予定が決まったとばかりに訓練に参加する事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサさんも参加するんですか?」

 

「ええ、訓練方法に少し関心があったので、一緒にどうかと思いまして」

 

 建前としては更なる技術の向上だが、実際には牽制だとは口が裂けても言えず、結果的にはアネットだけではなく他の神機使い達もそこには居た。心なしか男女の比率が若干違う様な気がするが、そこは見ない振りで過ごす事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「頭を使うって意味が…漸く分かりました。これは…私でも…厳しいです」

 

「アリサさんがそうなら…私は…更に…厳しい…です」

 

 訓練の内容も然る事ながら、頭を同時に使うとなると疲労感は通常の倍以上が襲い掛かって来た。本来であれば神機を使っての攻撃は良く言えば大胆に、悪く言えば適当に振り回しても、アラガミのどこかに当たれば良いと考える事が多かった。しかし、エイジが今までやって来た訓練はその真逆とも言える内容でもあった。

 

 数字上では討伐数の影響は少ないのだが、ミッションにおける時間が大幅に異なっていた。常に弱点と部位破壊を意識し、攻撃の範囲やその可動領域を常に把握する。それが確認出来たのであれば、その箇所をピンポイントで攻撃を続ける事が最大の内容だった。

 弱点を突くとなれば必然的にアラガミの取るべき行動は自然と決まってくる。如何にアラガミと言えど、自らの弱点を晒したままで戦闘を行う事は事実上無かった。

 攻撃の手段が限定される結果は、自身のやるべき行動までもが予測される。それは必然的に自身の帰還率までも大幅に底上げする結果となっていた。

 

 ショートタイプやロングタイプであれば可能な部分はあるが、バスターとなればその攻撃方法はある意味やりにくい部分もあった。しかも、動きの範囲は対アラガミだけではない。

 自分の身体の運用方法も無駄を極限にまで排除し、身体の筋肉の動かし方を理解する事で最短で攻撃する方法を掴む事でロスを無くす事になる。求められるのはその行動を予測しながら自分の行動をそこに重ねる為の鍛錬。頭を使いながら行動を起こすのは、これまで幾多の戦場に出たアリサと言えど厳しい内容となっていた。

 単独討伐ではなく、むしろ複数討伐にはかなりの数字が予想される方法でもあった。

 

 

「でも、アリサさんは如月隊長の攻撃方法を間近で見てるんですよね?」

 

「エイジはもっと鋭い動きかな。前に聞いた時は、ほんの少し先の未来予測をして行動してるって言ってた様な気がするんですけどね…」

 

「少し先の未来ですか……」

 

「実際には無理ですけど、行動範囲と各関節の可動領域から判断すれば隙間が見つかるって。そこに対してある程度の動きを予測して1秒を何分割かに分けるつもりで行動するって言ってましたね」

 

「え?そうなんですか……」

 

 この話を聞いていた他の訓練参加者はアリサとアネットの会話を聞いて、これは無理だと判断していた。

 1秒は1秒であってそこから分割するなんて考えは今までにした事が無い。ましてや対人戦闘ではなく、アラガミである以上そこまでこだわる必要性は無いとまで思う人間も出始めていた。しかし、この訓練の完成系が今のエイジであればと、中には更に奮起する人間も少なからずここには居た。

 

 

「お疲れ様。疲れただろうから差し入れだよ。休憩もいれないと無理がたたると後が怖いよ」

 

「ありがとうございます。これ、スムージーじゃないですか……まさか、今までもここに出してたんですか?」

 

「タイミングが合えばだけどね。疲れた身体には糖分は有効だよ」

 

 何気に出された物はいくつかの果物を凍結して粉砕した物だった。言われる様に一口飲めば冷たさと同時に甘さまでもが口に広がり、疲れた体に染みわたる様な気がする。ここまで厳しい訓練になぜついてこれるのか?何となくだが、今のアリサには理解出来ていた。

 

「サービスし過ぎです。訓練なので厳しくても良いんじゃないですか?」

 

「少しは緩める事も必要だよ。厳しいばかりだとそのうち無理がたたって身体が壊れるよ。このメニューは確かにハードだけど、これに肉体訓練が無いからまだマシだと思うよ。でもストレッチだけは必須だよ」

 

 これが限界だと思われていた訓練は実は限界ではく、その上が更に存在していた。一般人とは違い、神機使いはオラクル細胞の効果で肉体の強さは一般人とは雲泥の差だが、それでも負担は図り知れなかった。何気なく言われた言葉に全員の表情が僅かに曇る。本当にこれで大丈夫なんだろうか。全員の考えが人知れず一致していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「神機の整備が終わったぞ。取敢えずは慣らす必要があるから、違和感があったら教えてくれ」

 

 当初の予定通り、整備は3日で完了していた。今持っている神機は希望通りの漆黒の刀身が装備されている。まずはシェイクダウンとばかりに、自身の身体も慣らすつもりで新人との任務がアサインされていた。

 

 

「今日は新人研修も兼ねてるから、こちらとしては緊急の状況にならない限り手は出さないつもりだから、安心してくれればいいよ」

 

「え、はあ……」

 

 眼下に闊歩するアラガミを尻目に、これからミッションが開始されようとしていた。念の為にとアリサが付いている以外には新人の2人がアサインされている。第1部隊のメンバーがいるだけで心強いが、基本は自分達でと言われる事で、ぬるい考えはあっと言う間に無くなっていた。

 緊張感が伝播するかの様に新人の表情が強張る。まずはこれをほぐす事から始まった。

 

 

「緊張するなとは言わないけど、少し落ち着かないと動けないよ。今回の任務が終わったら皆で食事でも行こうか」

 

 現金とも取れるが、そんなエイジの一言で緊張感が緩んだ様にも思えていた。リンドウの様な事も出来ない事はないが、少しは自分も交流の一環として考えていた以上、悪くない選択肢であると判断していた。

 眼下にはまだ気が付いていないオウガテイルが3体、何かを捕喰しているのかこちらには気が付いていない。この程度ならばと一気にケリを付けるべく戦闘が開始されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だか今までよりも体が動いていた様な気がします」

 

「私もそう思いました」

 

 新人2人が加入している割には予想以上の戦果が確認出来ていた。訓練からすれば小型種のオウガテイルは物の数にも入らないとばかりに一気に殲滅され、今は帰投準備中だった。

 この時間が緊張感が緩み、命の危険が高い時間帯。その時間帯をまるで図ったかの様に咆哮と共に目の前にコウンゴウ堕天種が1体現れていた。想定外の乱入に緊張感が一気に高まる。既に新人は動揺しているのか、ぎこちない動きを見せていた。

 

 

「油断するな。それと視線は絶対に外すな!隙を見て回避だ!」

 

 この時間帯に気を緩めるなとツバキからは口が酸っぱくなるほど言われていたが、やはり目の前の戦果が良すぎた結果、周囲の索敵と注意を怠っていた。

 アリサの立ち位置からでは間に合わず、新人には荷が重すぎると思われていたと同時に想定外の乱入に動く事が出来ない。そんな瞬間だった。

 

 

「回避して!」

 

 アリサの叫びも空しく、丸太の様な白くて太い腕が注意を怠っていた新人に向けて既に動いていた。アリサもただ見ているだけではなく、銃撃での牽制とばかりに素早く神機を変形させ、注意を引き付けるべく顔面に集中砲火する。

 いつもであればここで動きが止まるはずだったが、個体差の影響なのか動きが止まる事は無かった。

 

 

「まかせろ!」

 

 たった一言だが、その言葉に対する行動は絶大な物となった。新人に大して振るわれていた腕は肘関節より先が喪失し、攻撃が当たるどころかその衝撃で大きく大勢を崩していた。

 あまりの鋭さにクッキリと腕の断面が露出し、たった今思い出したかの様に腕から血が噴き出ていた。通常種に比べ堕天種は攻撃力だけではなく防御面も比べ物にならないほどの強固な物を誇っている。それはゴッドイーターであれば当然の知識だった。

 しかし、その攻撃の瞬間をとらえた物は誰もおらず、結果として切断された事実だけがそこに残っていた。アリサを始め、新人の2人は鮮やか過ぎる手並みに目を奪われていたが、実際に攻撃したエイジは違う意味で驚愕していた。

 

 

「まさかここまでとは……」

 

 今までの事を考えればここまで鮮やかに切断する事は過去には無かった。せいぜいが斬撃の衝撃で引きちぎれる様に飛ぶ事はあっても、今の様に剃刀で斬った様な感覚は今まで一度も無かった。これが新しい神機の威力なのかとある意味で驚きを隠す事は出来ない。

 その結果として乱入したはずのコンゴウ堕天はあっと言う間に切り刻まれる結果だけが残り、結果的には帰投時間に何の変化も発生する事は無かった。

 

 

「じ、次元が違いすぎる」

 

「今の攻撃が見えませんでした」

 

 今だ新人には何が起こったのかすら理解出来ず、目の前に切り刻まれコアを抜き去られたコンゴウ堕天が横たわっているだけの結果だけが残されていた。

                                                                    

 

「全員、問題ないね。とりあえず帰投してからブリーフィングをするよ」

 

「エイジ、今のはひょっとして……」

 

「能力は使ってないから大丈夫だよ。ただ、ここまで凄いとは思わなかったよ。まだシェイクダウンの途中なんだけどね」 

 

 此処までの切れ味に大して更に命を削り取る威力が出た場合、一体どこまで攻撃力が上がるのだろうか?忌避されるべき能力が使われていない事に安堵を覚えるも、万が一その能力を使うとなれば最悪の状況に追い込まれている事になる。

 そんな未来は想像したくない。アリサはそんな考えを持ちながら一路アナグラへと戻る事になった。

 

 

                                                                          



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外伝36話 (第83話)それぞれの考え

 帰投間際に乱入された事も踏まえ、改めてブリーフィングが開始されていた。常在戦場は当然ながらどんな状況下にも当てはまる。新人が実際に体験した事で今後の反省点が幾つか見られていた。

 今まで教導に参加していたものの、一向に完成形が見えず何となく訓練していた者にまで話が伝わっていたのか、結果的には今まで以上に訓練に熱が入る事になった。

 

 実際の状況を確認していたツバキの目からすれば、色んな意味で今回の出来事は今後の指導に対する良いケースとなっていた。このままでは教導の効率が悪いのではと思い、訓練の内容をいつ頃どのタイミングで変更すべき事なのかを検討していた矢先の出来事。

 戦闘時における実体験は何度も言葉にするよりも確実に意味が伝わる。自分の命と直結する事実に、これまで真剣さが足りないと思われた一部の人間は真剣に取り組む様に変化していた。嫌が応にも自分がやっている事が理解出来れば、それ以上の説明は不要となる。今後はそれも活用しようと考え、訓練のメニューはそのまま据え置く事にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり刀身の威力は違うよ。剃刀で斬った様に断面が綺麗だった」

 

「あれは、ここで調整したんだ。本来の性能をなるべく使わない様にするなら、本体の能力を底上げする方向でやるしかないからな」

 

 これまでと一線を引く力に、何かしらのチューニングが施されているだろうとは思うも、エイジとて神機について完全に理解している訳では無い。だとすれば当事者から聞くのが一番だと判断したのか、今はナオヤに疑問をぶつけるしかなかった。

 

 

「何か特別な事でもしたの?」

 

「簡単に言えば単分子構造レベルまで切っ先から調整してあるから、切れ味はある意味今までとは比べ物にならないはずなんだ。ただし、長時間使用すれば切れ味は確実に鈍るから、そこからは従来の刀身の性能が発揮される事になる。

 あとは、兄貴からも言われたんだが、この神機の本来の使い方は特殊なんだと思う。開発段階でも兄貴は実装して戦闘しているからその危険性は理解しているんだ。ただ、俺たちが考えていた方法とはアプローチが違う。多分そう言う事なんだろう」

 

「で、そのプローチってどんなだ?」

 

「恐らくだが、兄貴の戦闘スタイルとお前の戦闘スタイルは似ているから、弱点に対する一撃必殺がメインなのかもしれない。懐に潜り込めれば、目の前に弱点があればそこに突き出すだけだから、ある意味人を選ぶんだろうな」

 

 確認した際に気になる一言を言われ、今までの状況や戦闘スタイルを考慮した結果でもあった。神機はそれぞの戦い方も参考にしながら性能を決めていく。幾ら見た目が同じだったとしても使い手の特徴を活かす事が出来なければ、ただの鈍刀でしかない。その結果、本人以外には使いにくい状況が生み出される為に、ベテランクラスの神機は皆がオンリーワンとも言える状態でもあった。

 

 

「あとは色んなタイプの神機使いと任務に出ると分かりやすいかもな。今はハンニバル以外での討伐任務は第1部隊のメンバーは固定されていないんだよな?だったら丁度良いかもな」

 

「そうなんだ……違うタイプねぇ……、手さぐりでやっていくしか無さそうだね」

 

 今以上に違うタイプのメンバーとミッションを重ねる事で、今まで以上の攻撃のバリエーションを増やす。新たな力の探求とばかりにエイジは今以上にミッションに励む事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カノンさん、今日の予定ってどうなっていますか?」

 

「今日ですか?今日は定期巡回がメインで、幾つか細かいミッションだった覚えがありますけど」

 

「良かったら、僕も一緒に参加しても大丈夫ですか?」

 

 穏やかな時間が流れている頃、カノンがこれから定期巡回があるからとロビーでタツミと話をしていた。防衛任務は襲撃された際に緊急出動するのは当たり前だが、それ以外にも事前に被害が出ない様にアナグラ周辺の定期巡回が基本の任務として出されている。

 討伐が第一ではない事もあってか、割と緊急性は低く通常であればツーマンセルでの行動が義務付けられていた。

 

 

「私は良いんですが、タツミさんは……」

 

「俺はどっちでも良いよ。エイジがやるなら戦力は高いだろうけど……でも、第1部隊は大丈夫なのか?」

 

 タツミの言葉はある意味では当然だった。現在の所、対ハンニバルの戦闘方法が完全に確立されていない事もあり、第1部隊のメンバーは常にスクランブル出来る体制となっている。

 がしかし、その間は何もしなくても良い訳では無く、結果的には他のミッションもこなしている現状がそこにはあった。

 

 

「こっちは大丈夫です。それより、参加は良いんですか?」

 

「いや、第1部隊の運用に問題ないならこっちは大丈夫だけど」

 

「カノンさん、良いですか?」

 

 これから行く任務についてタツミが許可を出した以上、カノンとしても断る理由は何も無かった。タツミには申し訳ないが、戦闘力の差は大きく、万が一大型種を発見しても、援軍を呼ぶ前に殲滅できる可能性があるのであれば心強い以外の何物でも無かった。

 

 

「はい。ぜひお願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何とか目処が立ちそうだね。これなら増殖を抑える事が出来るから、ある意味安心して任務をこなせるんじゃないかな」

 

「確かにそうかもしれません。ただ、強度が変わる訳では無く、通常と同じになったと考えた方が良いのかもしれませんが」

 

「相変わらず、君は戦闘に関しては現実的だね。今までのままだと接触禁忌種の扱いだったのが、少しは緩和出来る可能性が高いんだけどね」

 

 ハンニバルのコア解析が完了し、漸く一定水準での討伐が可能な所まで来ることが榊と無明の研究の結果で可能となっていた。苦労して討伐したはずのアラガミが、何事も無かったかの様に討伐後に復活するとなれば話は大きく変わる。ましてや、初見での討伐の際に第1部隊長が負傷した事実はアナグラでは周知の事実となっている以上、早急な手段の実用化のメドはアナグラにとっても明るい兆しとなっていた。

 

 

「無明、とりあえずは討伐後は心配する必要が無くなっただけでも大きな進歩だと思うが、それだけじゃ不服なのか?」

 

「そんな事は心配していない。ただ、新種が出れば今後は堕天種、もしくはその亜種が出る可能性が高い以上、最低限の準備だけでは心もとないと言った方が正解なのかもしれない」

 

 アナグラでは発注される事は少ないが、事実、非公式に接触禁忌種の討伐を幾つもこなしている人間の発言には重みがあった。

 アナグラが公式に確認する前に討伐がなされている関係上、本来の内容を知る術は無いが、事実として極東支部のコアの保管所には幾つもの接触禁忌種のコアやデータが存在している。それは今に始まった話では無い為に誰も気が付く事は無いが、誰かが討伐任務を引き受ない事にはそのデータの存在はあり得ない。

 前支部長の時代から特務としての内容にも踏み込んだ話になる以上、詳細については榊だけではなくツバキも知り得ない事だった。

 

 

「お前がそこまで警戒しているなら、今後も慢心する事は無いだろう。そう言えばエイジの神機の件だが、予想以上の成果らしいな」

 

「あれは2人で試行錯誤しながらやっている事が漸く目に見える形になりつつあるんだろう。そろそろ整備だけじゃなく、開発の事も自分でやれる様にならないと、今後は厳しいからな」

 

「そうだな……」

 

 屋敷の当主としての見解ではなく、そこには家族を見守る親の様な雰囲気があった。最近はツバキも屋敷に滞在する事が多くなったせいか、何となくだがその状況を思い浮かべる事が出来ていた。

 

 

「あと、一つ気になったのがコアの解析の際に見慣れた物があったんだけど、果たしてそれが正解なのか間違いなのかを確認する為には改めてコアの確保が必要になるね」

 

「博士、それは一体?」

 

「人間のDNA塩基配列だよ。正確には神機使いのが前に付くけどね。多分、僕よりも無明君の方がよく知っているだろうね」

 

 何気に重大発言が出た事でツバキも驚きを隠しきれなかったが、神機使いのDNAの配列と酷似しているのであれば、その正体は簡単に想像が出来る。榊としては一研究者としての考えに基づく考察だが、現場管理のツバキにとっては決して気持ちの良い物では無かった。そして、その答えは目の前の男が一番良く知っていた。

 

 

「榊博士の言う通り、あれはゴッドイーターがアラガミ化しきったなれの果てだろう。何よりもリンドウの右腕と今回のコアのDNAが酷似している以上、可能性を否定する事は出来ない。実際には見れば分かるはずだ。だが、そこまで行けば最早介錯のレベルはとうの前に超えている以上、討伐任務であっても単なるアラガミにしかすぎない」

 

 ラボには無明の無慈悲とも言える言葉だけがそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒバリさん、エイジを見かけませんでしたか?」

 

「エイジさんは現在、定期巡回の任務についていますので、もう暫くすれば戻るはずですよ」

 

「そうだったんですか。ありがとうございます」

 

「そう言えば、最近はアリサさん、エイジさんと一緒じゃないケースが多いですね。何かあったんですか?」

 

 何気に言ったはずの一言ではあったが、どこかアリサが沈んでいる様にも見えた。アリサとエイジの仲はヒバリが一番良く知っている。だからこそ表情に表れている感情がヒバリには理解できなかった。

 

 

「ヒバリさん、タツミさんとは最近はどうなんですか?」

 

 話をしながらも手を休める事無く動かしていたはずが、突如その動きが止まる。今は業務中なので、こんな話をする事は殆どない。そんな事はアリサも分かっているはずだったが、そんな事に今は囚われている暇は無かった。

 

 

「わ、私の事ですか?今は業務中なのでそんな話は終業後にしてほしいんですが」

 

 一瞬だけ動揺したものの、持前のポーカーフェイスで何事も無かったかの様にアリサに告げる。今は業務中なので関係ない事は話さないと意思表示をする事で、アリサも漸く何を口走ったんだと言う事に気が付いた。

 

 

「すみません。業務終了後に改めて話をしたいんですが、都合は良いですか?」

 

「私で良ければ大丈夫ですよ。終わりましたら声をかけますね」

 

 

 

 

 

 

 

 ヒバリの業務時間が終わる頃、まるで待ち構えていたかの様にアリサが待っていた。男女であればこれからデートではとの推測も出来るが、女同士ではデートでは無い事だけは間違いでは無い。業務の交代に関する時間帯。ロビーでの引継ぎもあってか、他人に構う暇は無いとばかりに雑多な状況が続いていた。

 

 

「アリサさん、お待たせしました」

 

 待ち合わせとばかりにアリサの元に駆け寄ろうとすると、何かの情報を受けたのか、交代したはずのオペレーターが突如として慌ただしく端末を叩き出す。ヒバリは交代したばかりにも関わらず呼び止められていた。

 

 

「ヒバリさん。緊急の用件ですが、内容が内容なので業務外で申し訳ありませんが変わっていただけますか?」

 

 交代したばかりで既に事務的な手続きは完了している。にも関わらず、ヒバリが指名される事で、何らかの緊急任務が入った事だけは予想されていた。ヒバリが変わったと同時にアリサの端末にも連絡が入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジさんとの任務だと誤射が全く無いので、自分の腕が上がった様に思えるんです」

 

 定期巡回を二人でしていた物の、今の所アラガミの気配は無くこのまま何も問題が起こる様な事は無かった。いくら極東とは言え、頻繁にアラガミと遭遇する訳ではない。仮に居ても小型種が割と多く、その結果として簡単な内容と推測できればそのまま討伐となる事が多かった。

 今後の事も考え、今は固定されていないメンバーとの任務に入る事でエイジは更なる技術の向上とばかりに、今まで以上に多くの任務についていた。

 

 

「それはカノンさんの動きが良かったんですよ」

 

「そうなんですかね。私自慢じゃありませんが、誤射が一度も無かったミッションは無いんです。今日は一度も無かったので嬉しいんです」

 

 極東の誤射姫と面白くも有りがたくも無い二つ名を頂戴しているが、事実として誤射率に関しては極東で一番を誇る。そのせいなのか、ブラストによる火力には大きな魅力があるものの、率先して同じチームでの任務に入りたいと思う人間はあまり居なかった。

 今回エイジに簡単に譲ったタツミでさえもそんな状況が前提での話だったが、態々向うからその話が出たのであればそれこそ断る理由は何も無かった。

 

 

「多分、位置取りの問題じゃないかな。挟撃を意識すれば誤射は確実に減るだろうし、アラガミからの攻撃も少なくなるから一度は考えるべき戦術なんだけどね」

 

「そうなんですか。私はまだそこまで意識した事がなかったので、これからはそれも意識しながらやってみますね」

 

 本来であれば射線上に仲間が居た場合、何もせずに場所取りを変えるのがある意味セオリーだった。しかし、混戦となればそこまで意識が行かなくなるのと同時に、カノンも一刻も早く討伐したい気持ちから、通常よりも引き金を引く速度が速く、結果的には回避する前に着弾する結果が割と多かった。

 これに関しては恐らくタツミも理解はしているが、混戦の最中で意識する事は難しく、その結果として被弾する事が多かった。

 

 そんな状況を踏まえてエイジがとったのが、ある程度攻撃の範囲を変える事でアラガミを意図的に誘導し、その結果カノンと挟撃する形となる事で誤射が減っていた。その結果として討伐時間の短縮と味方の損害状況が小さくなっている。

 万が一射線に入っても直ぐに離脱するので、可能性は更に難くなっていた。まだこの事実を当事者でもあるカノンには知らせておらず、その結果として小さな誤解を生むことになっていた。

 

 

「カノンさん。あれって……」

 

「何か捕喰された後ですよね?一体何なんでしょう?」

 

 遠目で見れば、既にこと切れているのか、横たわったアラガミが動く気配も無いままに放置されていた。誰かが任務として来ているのであればどちらかが知ってるはずだが、生憎と今回の事に関しては何も聞いてい居なかった。

 

 

「これは……カノンさん。直ぐにアナグラへ連絡をお願いします。恐らくはハンニバルです」

 

「わ、わかりました。直ぐに連絡をいれます」

 

 エイジからの一言でカノンは思わず硬直していた。ハンニバルの脅威についてはアナグラ内部では既によく知られているせいか、その後の対処は素早かった。

 直ぐに連絡がつながり、あと少しすれば恐らくは第1部隊のメンバーが来るはずだった。

 

 

「大丈夫だとは思いますが、万が一ハンニバルだった場合、カノンさんは速やかに退却してく下さい」

 

 今の所目視では発見出来ないが、万が一の事も考え二人は臨戦体制に入っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「緊急任務だ。現在、定期巡回中のカノンから連絡が入った。まだ確認された訳ではないが、ハンニバルと思われる攻撃の形跡が発見されている。現在状況はエイジが哨戒に当たっているが、念の為に第1部隊を招集している。ただ、リンドウは現在帰投中、ソーマとコウタは神機のメンテナンスの為に直ぐに出動する事は出来ない。現時点で動けるのはアリサだけだ。準備は良いか?」

 

「問題ありません」

 

 ツバキからの指示により、ハンニバルとの再戦とも言える緊急ミッションが舞い込んで来た。先ほどの定期巡回にどうやらカノンと共に動いていたのか、その途中で焼け焦げた傷を持ったアラガミが発見されていた。

 目下最大の懸念事項でもあるハンニバルとの再戦の幕が切って落とされようとしていた。

 

 

 



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外伝37話 (第84話)再戦

「アリサ、ハンニバルの攻撃方法は頭の中には入っているな?」

 

「はい!大丈夫です。何時でも行けます」

 

 緊急任務が急遽入った事により、アリサ自身も今まで懸念していた事を一旦棚上げする事にしていた。現時点で優先するのは自身の事ではなく、これから現れるであろうハンニバルの対策だった。

 これから始まるであろう戦いは今後の極東支部の行動をも脅かす可能性が高いのはアリサとて理解している。しかし、現状ではソーマとコウタが動けないだけでなく、リンドウも帰投中の為に今はアリサ一人しかいない。

 ハンニバルの不死の特性を考えると、このまま任せるには流石のツバキでさえも躊躇していた。

 

 

「ツバキさん。俺も行こう。コアの解析は終わっているから、何とかなるだろう」

 

 時間との戦いだと思われていた時に、不意に無明から声がかかった。整備中の二人の神機を緊急で動かす事を考えれば、無明の参戦は現時点で考えられる最適解。

 無明の実力はツバキが一番知っている為に反対する道理はどこにもなかった。現時点で戦力としての憂慮は無くなっている。そう判断する事でアリサと二人現場へ派遣する事を決定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、無明さん。少し聞きたい事があるんですが」

 

「何だ?」

 

「今回のハンニバルの件なんですが、当初の話だと討伐後に復活するって事は聞いていたんですが、目処が立ったって判断して良いんですか?」

 

「その件なら問題ない。先ほど対抗手段を発見したのと同時に、今回はその確認も踏まえている。前回の様な事にはならんはずだ」

 

 対ハンニバル戦での最大の山場は討伐後の処遇だった。討伐から僅か5分弱で何事も無かったかの様に復活するとなれば、今後の対応は限定的となる。しかしながら、今回発見された対抗手段が上手くいけば、今後は通常のアラガミ同様の討伐が可能となる為に、検証実験とは言ったものの事実上の対抗手段にアリサは安堵していた。

 それと同時にもう一つの懸念が沸き起こる。それは最初にハンニバルと対峙し、大怪我を負ったエイジの事だった。

 

 

「エイジ一人で大丈夫でしょうか?」

 

「あいつはクレバーな所があるから、勝算がなければ無理な戦いは挑まない。その位の判断は出来る。アリサが心配する程では無いだろう」

 

「だと良いんですが……最近は何だか任務に明け暮れている様で心配なんです。何だか考え事も多いみたいで」

 

 移動中のヘリの中で考えていた事は、エイジが何も考えずにハンニバルと戦っているのではないのだろうかとの懸念だった。事実、ここ数日はエイジとまともに会話した記憶は少なく、新しい刀身に変えてからは今まで以上に任務に入る事が多くなっていた。

 ミッションに入る事自体は問題無いが、その結果としてエイジの任務前に挨拶するのが精一杯だった。もちろん、エイジの事は信用しているが、まるで率先して任務に励む姿はある意味自殺志願者の様にも思えていた。そんな心配と構ってもらえない感情が入り混じる事で、偶然一緒になった無明に何気なく話していた。

 

 アリサも屋敷に居た事があるが、実際には身の回りの世話は屋敷の人にやってもらっていたので、無明と実際に話す事や行動を伴う事は無かった。恐らくは会話する機会も殆ど無かった事もあり、アリサにとっての無明の存在は同じゴッドイーターよりも、エイジの身内の様な感覚となっている。

 イレギュラーとは言え、まさか同じヘリに乗るとは思ってもなかった事から、アリサはある意味では変な緊張感があった。

 

 

「アリサの気持ちは分からないでもない。そんなに心配なら一度しっかりと話をしたらどうだ?お前たちの事は聞いているが、俺としては反対するつもりも無い。こちらの事は気にする必要はないんだが」

 

「え……あ、はい……」

 

 まさかこんな所でそんな話を行く事になると想像していなかったのか、アリサの顔が赤くなり恐縮した気持ちで一杯になっていた。無明としてもそこまで気にする必要性が無いと思った事に対しての反応に、それ以上の事は何も言わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ現場に到着します。準備は宜しいでしょうか?」

 

 操縦士からの呼びかけに、今まで沈黙していた時間が動き出す。いよいよハンニバルとの戦いが始まるからと改めて気持ちを入れ替え、これから起こるであろう戦いに意識を集中させていた。

 

 

「ここから一気に降下する。帰りは頼んだ」

 

 無明は一言添えると同時に2人は一気にヘリから降下し、現場へと降りたつ。まだハンニバルの姿は見えないものの、その圧倒的な存在感と周囲に漂う空気が既に変化している事に気が付いた。

 

 

「アリサ、来てくれたんだ……兄様もですか?」

 

「今しがた対抗手段が発見できたんだ。今回はその検証実験も兼ねている。今回もコアの取得はもちろんだが、各種細胞の採取、結合崩壊におけるポイントの確認までが今回のミッションだ」

 

 ハンニバル戦に関しては第1部隊が対応する事になっていたが、今回は検証も兼ねて対抗手段の実戦投入が追加で入っていた。今回は前回とは違い、おおよそながらに部位破壊の場所も戦闘手段も判別している以上、苦戦する事は無いとも考えられていた。

 アリサはこの時点ではまだ知らないが、無明の戦闘能力は極東支部での事実上の最高戦力とされている。今回ツバキが決断したのも、その別次元とも思われる戦闘能力の高さ故の判断だった。

 

 

「カノンさん、ハンニバルが見つかった時点で退却か、最悪は隠れていてくれますか?多分、盾が無いと回避は厳しいかもしれません」

 

「いえ、私もゴッドイーターです。一人退却なんて出来ません。私も戦いますから」

 

「エイジ、今は火力は少しでも欲しい。本人がやる気がある以上、その気持ちは組んでやれ」

 

「……分かりました。カノンさん。無理だと思ったらすぐに退避してください」

 

「はい!任せてください」

 

 エイジが心配していたのは、カノン自身の事もさる事ながら、極限の戦いの最中に起こる誤射を一番警戒していた。本人には申し訳ないが、背後からの攻撃を回避する為にはそちらにも意識を向ける必要があった。

 事実としてカノンの射線上に立たない様に誘導する事は容易ではなく、今回の様なギリギリの戦いが想定される中ではどうしても躊躇いが生じていた。

 

 

「カノン、俺が指示するからその通りに動いてくれ。ある意味その火力は大きな力になる。良いな?」

 

「分かりました。指示に従います」

 

「エイジ、お前はアリサと動くんだ。俺はカノンと動く。基本行動に問題は無いが、例の逆鱗だけは無暗に攻撃をするな。破壊の際には指示する」

 

「了解しました」

 

 無明とてカノンの癖を知らない訳ではない。しかし、その高い攻撃力はある意味短期決戦では大きな魅力となるのは間違い無かった。本来、遠距離攻撃はある程度予測した上で攻撃するが、ブラストは遠距離ではなく、そのバレットの特性上、射程距離はかなり短い。その結果、事実上の近接型に近い動きが要求される事になる。

 

 元々ブラストを使う人間が少ない事も要因の一つかもしれないが、それでも今までその特性を勘案しての戦術を誰も取って居なかった事が不思議でならなかった。

 気配を断ち、音を立てる事無く静かに移動する。そこには、たった今倒したばかりと思われているシユウを補喰しているハンニバルがそこに居た。

 

 

「ハンニバルは動きが早い。アリサとカノンはくれぐれも動きを見失うな。こちらでもフォローは入れるが、間に合わない可能性もある。あと、一つの場所に留まると一気に蹴散らかされる可能性がある以上、各自散開して攻撃するんだ。

 カノンは攻撃のタイミングはこちらで知らせるが、回復のタイミングは任せる。それで良いな?」

 

 無明の的確な方針が決まり、一気に戦闘態勢に突入する。3人はまだ気が付いていないハンニバルに近づき、大きな咢を展開する。未だ気が付かない背後から一気に捕喰を開始することで戦端が開かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「懐には俺が入る。後はハンニバルの動きをよく見るんだ」

 

 各自がバーストモードに突入し、攻撃の威力が一気に跳ね上がった。前回はエイジが陽動として懐に飛び込んでいたが、今回はその役目を無明が請け負った。

 

 

「す、凄い……あれがゴッドイーターの動きだなんて」

 

 エイジは何度か戦い方を見ているので驚く事は無かったが、アリサは初めて見たその動きに思わず呟いていた。

 圧巻とも言える動きを見てアリサとカノンは驚き隠せなかったが、直ぐに自分に課せられた内容を思い出していた。アラガミの生体エネルギーをそのまま自分に転換するバーストモードの恩恵は、思いの他無明自身の行動も大きく底上げしていた。

 前回であれば攻撃の手数で押し切る事が多かったが、今回の戦い方は正に異質とも思われていた。

 

 懐に飛び込む様に入ると同時に、腕の死角から狙いすましたかの様に刃が突き立てられ、ハンニバルの胴体が次々と血で染まる。本来であれば攻撃の直後は大きな隙が発生する可能性が高く、常にアラガミの行動を予測しながら攻撃をするのはある意味セオリーだった。しかし、無明はそのセオリーすら凌駕するほどの動きを展開する。このまま続ければ討伐出来るのではと思えるほどの一方的な攻撃だった。

 

 エイジの動きは元々無明の模倣から始まり、自身の鍛錬の結果として今の戦闘スタイルを確立している。

 その戦い方はベテランであれば少なくとも何度か見た事があり、それだけでもある意味感嘆を持てる内容だった。しかし、今の無明の動きはそれを明らかに超えていた。

 大きく鋭い爪が何度も引き裂かんと襲いかかるが、全てが空を切るかの様に躱される。

 一方で、エイジもその動きに負けじとばかりに、ハンニバルの意識が一瞬削がれている部分に図ったかの様に攻撃を加えるが、意識を一方に向ける様な事はしなかった。

 示し合わせたかの様に2人の動きはまるで演武を行っているかの様な攻撃を繰り広げる。お互いが動きを見せる事で徐々にハンニバルの意識は2人にだけ向けられ始めていた。

 

 

「カノン、籠手を狙え!」

 

 カノンとアリサも呆ける事無く動きながら様子を見るが、あまりに早さに動きが付いて行かない。本来であればアリサ達も動き続けていなければ、ハンニバルに襲われる危険性が多分にあった。しかし、意識が完全にこちらに向いていない事もあってか、カノンは名前を呼ばれた瞬間、無意識の内に引金を引いていた。

 本来であれば何も考えずに撃てば、殆どが味方に当たる。しかし、名前を呼ばれた瞬間に撃ったその先には、まるで図ったかの様にハンニバルの左腕が誂えられた様に差し出されていた。

 破壊系統のバレットは籠手に直撃した事で、大きく怯み始める。体制を大きく崩されれば、いかにハンニバルと言えどもただ攻撃を受ける以外に無かった。

 

 

「アリサ、顔面を狙うんだ!」

 

 エイジの叫びと共に顔面に向けての精密射撃で意識を一つに絞らせる様な事をさせず、常に多方面へと意識を向けさせる。一方的な攻撃に嫌気を刺したのか、それともこの場の体制を戻したいと判断したのか、ハンニバルは尻尾を振り回す事で一旦間合いを取り直していた。

 既にハンニバルは活性化したのか目の輝きが変わると同時に、口の中で僅かに炎が宿り胸が膨らみ始める。

 前回との違いは攻撃パターンの有無だが、ここで大きな火球を繰り出すかと思われた瞬間だった。一気に懐に入った無明は口元めがけて渾身の一撃を見舞う。

 ハンニバルの口の中で燻っていた炎が一旦消え去っていた。

 

 本来であれば、このまま突撃とばかりに攻撃を仕掛けるが、前回の教訓がここで生きていた。

 消え去ったと思われていた筈の炎が再び口腔内に充満する。触れた物を蒸発させる高温を辺り一面に撒き散らす。口から出された炎の影響なのか、周りにあった岩石の表面が徐々に溶け始め、やがて砕け散っていた。

 

 

「あの攻撃は絶対に避けろ。直撃すれば簡単に丸焦げだ」

 

 岩のの融解温度は摂氏1000度以上を誇る。いかにオラクル細胞が強靭であっても、直撃すればあっと言う間に身体は蒸発し、姿形も残らない。何故ハンニバルが接触禁忌種なのかが改めて思い知らされる形となった。

 この攻撃を確認し、カノンは今戦っているのは普段の任務ではありえない接触禁忌種である事を強制的に理解させられた様な気分になっていた。改めて最初に言われていた様に、その場で留まらず動き回る事で直撃を避けている。

 未だどの部位も結合崩壊していない。怯む事はあってもまだ動きは依然活発な状態が続き、時間がかかりそうな雰囲気だけが漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハンニバルはどうなんだ?」

 

「現在は交戦中ですが、今の所特に目立った問題点はないかと思われます。今は通信が切れているので、こちらからの確認は出来ません」

 

 リンドウは帰投直後にヒバリに確認したが、通信が切れているのかアナグラから確認する術は何も無かった。当初連絡があった際にはこのまま直接向かう事も考えたものの、装備も何も無い状態で挑むのは自殺行為でしかない。苦渋の決断はリンドウに焦りを呼んでいた。

 

 本来であれば緊迫感が漂うはずのロビーだが、リンドウが目にした光景は緊迫感はおろか、まるでそんなミッションは存在しないかの様な空気が漂っていた。前回の内容から考えればこの空気感はありあえない。一体何が起きているのかを確認する事が先決だった。

 

 

「あの~姉上、ハンニバルが出ていた筈じゃあ」

 

「ここでは、そう呼ぶなと言ってるだろう。何度言えば分かるんだ。今はまだ交戦中だ」

 

 ツバキに確認するも、そのツバキでさえ半ば呆れた様子が見えていたのか、事実だけ述べて終わるもリンドウの中では理解が追い付かない。理解しにくい部分を補完したのがその場にいたソーマだった。

 

 

「今はまだ交戦中だが、既に対抗手段が見つかっている。無明も出ている以上、俺たちの出番は何も無い」

 

「あ~なるほど。だからそんな空気なのか」

 

 以前から無明を知っている人間からすれば、誰が出動しているか分かった瞬間に不安すべき部分は何も無かった。極東の最高戦力の出動。その事実がもたらす結果は考えるまでもない。

 事実、何も知らない新人からすればベテラン勢が日常と変わらないのあれば、自分達が心配した所で無意味だとばかりに平常に戻っていた。

 

 

「で、今は他に誰が交戦してるんだ?」

 

「現在は無明さん以外ではエイジさんとアリサさん、カノンさんが現場で交戦中です」

 

「は?」

 

 説明するかの様なヒバリの声に今度は違う意味で驚きがあった。カノンの誤射に関しては、アナグラで知らない人間は皆無とばかりに周知の事実となっている。現場の状況が分からない物の、無明とてカノンの事は良く知っている。それを分かった上で交戦しているのであれば、これ以上の心配は無駄とばかりに、リンドウは帰投後の作業に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アナグラでそんな事を言われているとは思いもしないほど、今回のカノンの働きは目覚ましい物があった。

 指示通りにやっているとは言え、エイジ以上に緻密な動きと何気に放ったバレットでさえも無明に直撃するのではと思われていた所を、まるですり抜けるかの様にそのままハンニバルへと直撃する。僅かな時間とは言え、戦闘中にアラガミの特性を見抜き行動を予測する事が困難な事に変わりない。

 鮮やかな手腕はまるで今まで何体も討伐してたのではと錯覚する程だった。

 既に籠手は結合崩壊を起こし、胴体部分だけではなく崩壊した籠手の部分や右腕の爪までもが粉砕され既にハンニバルは死に体とも言える状態だった。

 

 このまま一気に押し切ろうと、アリサが一気に勝負をかける。その攻撃を見越したのか、ハンニバルはアリサに対し左腕の爪で容赦なく襲いかかった。

 カウンター気味だった事が災いを招いた。アリサが視認したのは絶望の未来。しかし、その攻撃はアリサに届く事は無かった。

 

 到達する直前にエイジに手首を切断され攻撃方法を失っていた。

 この時点でアリサの攻撃を拒む物は何も無い。渾身の一撃が頭部を破壊すると同時に、大きな身体は地面へと沈んだ。

 

 

「やはり逆鱗は攻撃しないのが一番だな。攻撃の手段もそうだが、威力が大きく変わる。今後はこの事を重要視した方が良いだろう。対抗手段があるとは言え、一旦はハンニバルからは距離を置くんだ」

 

「私、ここまでの戦いは初めてです。ありがとうございました」

 

 前回の事を考えれば、結果は出来過ぎた様にも思えた。しかし、今回の要因は一重にその動きを完全に読み切っていた点だった。いくら高い攻撃力を持っていても当たらなければ意味が無い。

 今回の戦いは完全に無力化できた事が一番の要因とも取れるのと同時に、今以上の精進が必要な事だけはここに居るメンバーの中でエイジだけが理解していた。気が付けばアリサが隣で心配げに見ていた。

 

 

「アリサも大丈夫だった?」

 

「私は大丈夫です。でもちょっと疲れました」

 

「私、私やりましたよ!接触禁忌種を初めて討伐しました!」

 

 カノンは今までに感じた事のない程の戦果で興奮気味なのか、疲れを感じさせない物の接触禁忌種の指定は伊達ではない。恐らくは興奮が戻れば疲労感は一気に襲うだろうが、今はそのままの方が良いだろうと判断していた。

 今回の戦いに置いては無明も対抗手段の有用性が確認されたと同時に、このまま簡単に事が運ぶとは一切思っていない。そんな考えを持ちながら改めて帰投準備に入る事にした。

 

 

 



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外伝38話 (第85話)戦いの事後

 ハンニバル討伐の一報は瞬く間にアナグラに報告されていた。当初は心配する部分があったものの、いざ蓋を開ければ事実上の無傷での討伐と同時に、対抗手段の有効性が確立された事は今後の見通しが明るくなった事実となっていた。

 未知の脅威が無くなれば、既に通常のアラガミと大差ない事実は極東支部の上級職の全員が安堵する事となった。

 

 

「まぁ、あいつがいて負傷者は無いだろうとは思ってたけど、まさかあのメンバーでなぁ」

 

「個人の戦闘能力だけではない事が、今回の件で証明された様なものだな。リンドウ、これからはもう少し戦術と指揮も考えた方が良いだろう。今後はそれも視野に入れるのも悪くは無いな」

 

 ツバキの一言に、その場に居た上級職は戦慄を覚えていた。ただでさえ曹長以下の新人に対して過酷とも言えるような訓練が課せられていたが、今度は全体の指揮となれば対象者は果てしなく広がってくる。

 ただでさえ忙しくしている所に新たに戦術までも学ぶ事になれば、今後はどうなるのか想像する事すら躊躇われていた。出来る事ならその案が実行されない事を祈るばかりだが、今までの事を考えれば有り合えない未来ではない。

 今回の件での有用性が示されたことを考えると、逃れる事は不可能である事だけはその場に居た上級職は悟っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰投中のヘリの中ではこの戦闘で精神的にもギリギリの戦いだったのか、先ほどのテンションから一転し、カノンは既に夢の世界へと旅立っていた。今回の戦闘で、ある意味理想とも言える戦いがそこにあった。

 全員の動きと能力を勘案し、その対処と同時に能力を最大限に発揮させる戦いは、個人だけで戦うよりも確実にリスクが低く、また投入した以上の戦果をもたらす事が出来る。厳しい訓練をしている人間でさえ、未だ殉職する者が出てくる以上、今以上の精進が必要になる事だけは理解出来ていた。

 

 

「今日はご苦労だったな。これで今後の対策が立て易くなるだろう。リスクは常に最小限に留める必要があったが、これで何とか他の部隊でも対応できるだろう」

 

「いえ、僕も参考になりました。まだあそこまでの指揮を執る事は出来ませんから、今後も精進したいと思います」

 

「そうか。だが、隣のアリサはそうは思っていないみたいだぞ」

 

 無明に言われて横を振り向くと、戦いの後とは思えない様な複雑な表情でアリサはエイジを見ていた。ここ数日間、自分の技術向上の事で頭が一杯になり不本意ながらにアリサの事は忘れていた事を思い出していた。

 恐らく原因はそれだけではない。あの神機の事が気がかりなのかもしれない。そんな事が表情に出ていたのだろうと言う事位はエイジにも理解出来ていた。

 

 

「アリサ、何か気になる事があった?」

 

 試しに聞いては見るものの、アリサからは何の返事も返ってこない。本格的に怒らせたのだろうか?自分が招いた原因に心当たりがありすぎるだけに絞りきる事が出来ない。一体何でそんな表情をしているのかが、今のエイジには分からなかった。

 

 

「エイジは……もう私には飽きたんですか?」

 

「何で?」

 

 アリサからの唐突とも言える想定していない斜め上の質問に、エイジは戸惑う以外に何も出来なかった。確かに、ここ数日はミッションの連続で碌に話す事も無く過ごしていた関係で、今日は久しぶりにアリサの顔をまともに見た様な記憶があった。しかし、その内容と先ほどのアリサの飽きた発言が脳内で一致しない。一体何があったのかを早急に確認する必要があった。

 

 

「飽きてないよ。急にどうしたの?」

 

「最近は、毎日毎日任務に明け暮れて、自分の命をまだ軽く考えているんじゃないんですか?もう、私との約束なんてどうでも良いと思ってるんじゃないんですか?」

 

「そんな事は思っていないし、事実として実力的にはまだまだだから、今以上の結果を出す為の努力はしているよ」

 

 なだめようにも、アリサの目には涙が溜まり始めていたのか、声も徐々に弱々しくなり始めていた。

 

 

「最近は一緒にミッションも行ってくれないし、碌に会話もしてません。今回だって私も居たのに……カノンさんと任務についているって聞いて……」

 

 この時点でエイジはアリサが何を考えていたのかを理解していた。確かに、第1部隊のメンバーとのミッションよりも、ここ最近は新人や他の部隊との任務を優先する事が多く、結果的にはアリサと話す時間も殆ど無くなっていた。

 よく言えば一点集中だが、悪く言えば融通が利かない。我ながら自分の考え方が極端なのが原因であることを今更ながらに悔やんでいた。

 自らが招いたこの事態に誰も助け船を出す事は出来ない。カノンは未だ夢の国から戻る気配はなく、目の前に座っている無明も、そんな事には関知するつもりは一切ないとばかりに腕を組み、目を瞑っている。今のエイジに援軍は無かった。

 

 

「本当の事を言えばアリサとは一緒に行きたいんだけど、汎用性を高める為には色んなタイプの人達と組んだ方が戦術が拡がると思ってやってるから、アリサの事が嫌いになった訳でも飽きた訳でもないから、心配しないで」

 

「それなら一言くらい言ってくれても……」

 

 先ほどの涙から、今度は頬を膨らます様に変化している。どうやら怒っているのではなく、最近ゆっくりと話す機会が少なかったせいか、拗ねている事が理解できた。

 ここまで放置すると後々の事を考えるともう少し時間を取る事も必要なんだろうと思う頃、ようやくアナグラが見え始めてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご苦労だったな。その様子だと問題無さそうだな」

 

「パターンが分かれば対応は可能だろう。ただ、攻撃によっては気を付ける必要があるな。攻撃の内容によっては命の心配も必要だろう」

 

 無傷の帰還ではあったが、やはり接触禁忌種は伊達ではない。現状では一般の神機使いが遭遇した場合は撤退が余儀なくされる事に変わりなかった。

 いかなるアラガミであろうとも油断すれば簡単に命が消し飛ぶ以上、僅かでも生存率を上げる事は教導の立場からすれば至上命題とも思われた。ただでさえ、今回の結果から更なる訓練を課せられるのではと思われていたが、この会話で確実視される事が決定したも同じだった。

 

 

「ツバキさん。この後時間あるか?少し榊博士と話したい事がある」

 

「分かった。では1時間後にラボだな」

 

 出動前に懸念していた事実と、今回の討伐の際に採取した細胞から今後の対応を迫られる。真実を公表すべき事なのか、今後の事も踏まえて対応に迫られる事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の採取された細胞とコアを解析したけど、やはりハンニバルは他のアラガミと出発点が違っていたようだね。前回の解析でも分かっていたけど、今回の件でハッキリしたと考えても構わないだろうね」

 

 今回持ち込まれたコアと細胞の解析の結果は、やはり元神機使いがアラガミ化したものが判明されていた。現在の所、この事実はこの場に居る3人しか知り得ない。今後の事も考えれば隊長格であれば介錯の延長だが、一般の神機使いからすれば、決して気持ちの良い物では無い。

 いくらアラガミと言えど、元々は同僚である事を完全に分けての討伐は無理だろうと判断する事から、この事実はある意味では隊長以上にのみ閲覧可能とすべき判断と共に早速本部へと送られていた。あと数時間もすればこの事実は各支部でも閲覧が可能となる。ただでさえ強固な個体であると同時に、対抗手段が無ければ不死性を持っている。そこに止めとばかりに元神機使いでは目も当てられない。

 今はまだ極東管内での出没ではあるが、神機使いのなれの果てであればハンニバルの各支部での出現は時間の問題でしかない。今後の対応は各支部で任されるが、結果はどこも同じであろう事は予想されていた。

 

 

「ハンニバルもそうだが、最近はエイジも本部から何度か招聘の依頼が来ているが、どうするつもりなんだ?」

 

 これ以上の事は悩んでも無意味とばかりにツバキは話題を切り替えた。今回の件とは別件だが、実はここ最近のエイジのスコアが他のゴッドイーターや支部全体を見回しても群を抜いたスコアが叩き出されていた事が原因だった。

 スコアに関しては純粋に討伐内容が反映されるだけに数字の誤魔化しは出来ない。急激な成長に本部は目をつけ、その技術の確認と場合によっては懐に入れて置きたいとの思惑から、何度か招聘の通達が来ていた。

 

 

「どうもこうも、あいつの人生はあいつが決めるべきだ。ただ、本人にはそんな関心が無いのかもしれないがな」

 

「だろうな。今あいつが抜けると今度はここの存亡の問題が出てくる以上、むざむざと本部にくれてやるつもりは微塵も無いが……何せ本部だからな」

 

 ツバキが言うまでもなく、本部のやり方は実に狡猾な部分が多々あった。極東では殆ど無いが、他の支部では事実上の昇格に伴う配置転換をチラつかせ、目当てのゴッドイーターを懐に入れるケースが多々あった。支部のトップクラスが抜ければその支部の戦力は格段に低下する。そんな杞憂がそこに存在していた。

 

 

「いや、さっきの帰投の際には中々面白い物が見れたからな。あの調子ならば大丈夫だろう」

 

「何を見たんだ?」

 

「まぁ、それ以上は本人の名誉にも影響するから、これ以上の事は本人の口から聞くと良いだろう」

 

 珍しく、含んだ様な笑いにツバキも関心を寄せるが、肝心の無明が何も言わない以上、詮索しても回答が無い事は長い付き合いの中で理解していた。未だ完全に解決した物は何一つ無い。

 がしかし、今なら何かが起きても何とか出来るであろう状況がいつまでも続いてほしい。そんな雰囲気がラボには広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「タツミさん。私もついにやりました。今後は誤射が無くなるはずです」

 

「おお、そうか。だったら今後は期待出来そうだな」

 

「はい!任せてください!」

 

 ハンニバル戦である程度の目途がついた事と同時に、今まで研修の名目で来ていたアネットとフェデリコの研修期間が無事に終了した事による送別会兼、慰労会が同時に開催されていた。

 本来であればアナグラの内部で開催される予定だったが、せっかく極東に来たからとの配慮から、屋敷の離れで急遽宴会が開催される事となった。本来であれば研修に来たはずのアネットとフェデリコが主役になるはずだったが、今回ハンニバルの討伐にカノンが参加していた事から、会の話題をカノンがさらっていた。

 

 極東の誤射姫と言われる本人が聞けば悶絶しそうな二つ名は、ここ極東以外にも他の支部にも名前だけは広がっていた。実際の所、驚異の誤射率は他の神機使い達の脅威となっていたが、今回のハンニバル討伐から、その評価は一変していた。

 事実として、同じ部隊に所属していたタツミやブレンダンに関しては、今回のミッションでの誤射率が0の事実に驚き、討伐の主戦力とまで言われれば、その内容に疑いを持つことはある意味当然とも思われていた。

 虚偽の報告が無い以上、ミッションの内容を見る限り誤射した事実は何一つ無い。その戦術に関しての間合いの取り方や運用方法に関してはタツミよりも、むしろブレンダンの方が関心を寄せていた。

 

 

「なぁエイジ、その……無明さんの間合いの取り方ってどんなだった?」

 

「アラガミの動きを予測しながらカノンさんの目の前に誘導したって言った方がある意味正解かもしれません」

 

「ログだけ見ると、確実に当たる場面があった様にも見えるけど?」

 

「それは気配を感じて回避したらしいです。僕も流石に常時そんなに気を配るのは無理ですよ」

 

 この一言で完全にタツミは戦闘内容を把握出来た。簡単に言えば意識の問題。当たる前提なのか、回避する前提なのかで戦闘中の立ち位置が大きく変わってくる。

 回避するのはどうにも出来ないと判断した結果でしかなく、決してカノンの射撃の技術が向上している訳ではなかった。

 

 

「……本人には知らせない方が良いかもしれないな」

 

「その件に関してはコメントのしようがないです。あとはタツミさんの気持ち一つかと思いますが……」

 

 大よそ答えにはなっていないが、エイジにもこの件に関しては返答に困っているのは間違いなかった。ここでは敢えて口には出さなかったが、回避の為にアラガミと背後からの気配を同時に探る事が出来れば、今後アラガミの攻撃を避ける事は容易になるとは言えず、タツミを目の前にある意味ご愁傷様としか言えない気持ちだった。

 

 

「話は変わるが、今回ここを利用させてもらったけど、本当に良かったのか?」

 

「それなら、兄様に許可もらってますから大丈夫です。別に決まった人間だけが利用している訳では無いですから」

 

 周りを見れば既に盛り上がっているのか、第1部隊の人間以外に、今回は研修に来ていた2人とタツミにカノン、あとはヒバリにリッカといつものメンバーだった。一部アルコールが入っているからなのか、どこか騒がしい雰囲気がそこにあった。

 

 

「いや~本音を言えばヒバリちゃんの浴衣姿はそそるね~。目の保養になるよ」

 

「この前もここに来てましたよ」

 

「そうだ!何であの時一言声をかけてくれなかったんだ!」

 

「だってタツミさん巡回で出てましたよね?」

 

 以前にアリサの見舞いと称した女子会の話をタツミはヒバリから聞いていた。リンドウの結婚式以来ここの施設は一部が解放されていたが、敷居が高いと感じているのか第1部隊以外での使用実績はほとんど無かった。

 

 

「流石に任務放棄なんて立場的には出来ないからな。これからは暇を見つけて考える事にするけど、お前はここが自宅なんだよな?」

 

「そうですけど…それがどうかしたんですか?」

 

 今さっきまでおどけていたはずのタツミの表情が突如変わる。これは部隊長としてだけではなく、一人の男としての顔だった。

 

 

「大した事じゃないんだが、部隊長なんてやっていると、割と他の隊員の事も客観的に見える事があるんだけど、中々腹を割って話す機会が少なくてな。今日みたいな感じでゆったりと話す事が出来る場所があるのは悪くないと思えて仕方ないんだ」

 

「そうでしたか。第1部隊はある意味うまく動いているので考えた事も無かったですけど」

 

「それはお前が気がついていないうちに、みんなを引っ張っているからだろ。うちの部隊は皆一癖も二癖もある連中ばっかりだからな」

 

 他の部隊の内容までは解らないが、確かにメンバーを見ればタツミの考えている事は理解できる。ある意味では同じ立場にいる人間の思考そのものでもあった。

 部隊を率いる者はそのメンバーの命までも守る事が必須となる。先が見える様で未だ見えないこの状況を考えるには、もう少しだけ時間が必要でもあった。

 

 

 

 



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外伝39話 (第86話)宴会

 タツミとエイジが部隊長としての考えや方針に関して何かと話し合っていた頃、アリサ達はアネットを引き連れて、色々と話をしていた。アリサやリッカは既にここが自分達のテリトリーとばかりに、自室に居るようにくつろいでいるが、アネットやヒバリはまだ遠慮しているような部分があった。

 

 

「そう言えば、アリサさん。私に相談したい事があったかと思うんですが、どんな内容なんですか?」

 

「その件なんですが、少し解消できたので今は大丈夫です。ご心配おかけしました」

 

 ハンニバル戦の前とは打って変わり何か吹っ切れたのか、それとも本当に解決したのか、あの時の表情をしたアリサは既に居なかった。あの時は一体何だったんだろうか?そんな疑問は頭によぎるも、本人はもう良いと判断したのであれば、ヒバリもそれ以上の詮索をする事を止めていた。

 万が一の場合に対処できない問題が発覚すれば、当事者で無い以上どうしようもできない。ただ、タツミとの仲を聞く以上、エイジとの事なんだろうと想像し、今は目の前の事を楽しむ事にしていた。

 

 

「あの、ヒバリさん。ここでは皆お風呂に入る時はあんなに大胆なんですか?」

 

 何気に楽しんでいた所でアネットから些細な質問があった。極東に限った話ではないが、通常支部内ではシャワーが一般的なので、今回の様な温泉につかる事は人生の中で初体験とも言える事だった。

 シャワーを浴びるにしても他の誰かと一緒に入る事はなく、当然ながら裸の付き合いなんて言葉すら存在していない。当初、脱衣所に居た際には水着でも用意すれば良かったとアネットが思った際に、アリサがやってきた。

 元々アリサはロシア支部の所属だった事もあってか、恐らくは抵抗があるのではと考えていた所で、何事も無かったかのように普通に脱いで入っていた。

 茫然とする間もなく、その後にカノンやヒバリ、リッカまでもが来た為にアネットもそのままなし崩し的に入る事になっていた。

 

 

「大胆ですか?あれが普通だと思いますけど?」

 

「そうなんですか。ドイツ支部ではシャワー位しかなかったのでちょっと驚きました」

 

「ああ、それであんなに挙動不審だったんですね。アネットさんも御存知だとは思いますけど、極東も他の支部と変わりませんよ」

 

「でも、ここは違いますよね?」

 

 文化の違いと言えばそれまでだが、アナグラの内部には確かに湯船は無い。これは水資源の問題もあるが、一番の問題点はそこまでアナグラにそれだけのスペースが無い事が一番の要因でもあった。

 しかし、ここはアナグラではない。当初ここに連れてこられてきた際には一体どこ?なんて疑問があったものの、ここがエイジの生家と分かり少しは落ち着く事が出来ていた。ここに来た当初はアリサも同じ様な反応を示していたが、ここに滞在し何度も来ていれば家中の人間とも顔見知りもなってくる。

 既に慣れているアリサは何の疑問も湧かなかった。ヒバリやリッカに関しても元々外部居住区にはその施設があったので、特に気にする事も無く、そのまま過ごしていた。

 

 

「確かに温泉は珍しいかもしれませんね。今回は送別会も兼ねているので、ここになったらしいですよ」

 

「技術向上で来ているのに、こんなにしてもらうなんて何だか申し訳ない気持ちで一杯です」

 

「ここではそんなに気にしなくても誰も気にしていないですから大丈夫ですよ。皆もこんな空気は嫌いではありませんから」

 

 まさか極東の伝統衣装でもある浴衣が着れるとは思ってもおらず、最後に良い思い出が出来た様な気分になっていたが、ここで不意にアネットの中で気になる事があった。 誰もが同じ様に着ているはずなのに、アリサに関してはかなり着なれている様に見えていた。一体何が違うのかと聞かれても答える事は出来ないが、何となく様になっている。そんな雰囲気がそこにはあった。

 

 

「アリサさん。何だか着慣れているみたいですね」

 

「アリサさん、一時期ここに滞在してましたからね。多分その影響じゃないですか?」

 

「ここって如月隊長の生家なんですよね?……まさか……」

 

 知った人間からすれば、ごく当たり前の話ではあるものの、何も知らないアネットの中では疑問しか湧かなかった。もう既に家族は皆知っているのだろうか?それとも既になどと色んな可能性が頭の中を駆け巡る。そんな思考の海に沈みかけた時に、エイジも挨拶とばかりにアネットの所にやって来た。

 

 

「アネットさん。今日で終わりだけど、ここはどうだった?」

 

「はい。今までの中で貴重な体験でした。訓練でここまでハードな事は今まで無かったのと、ここで習得した技術はドイツ支部でも役立てたいです」

 

「そっか。また機会があればここに来ると良いよ。極東は大歓迎だからね」

 

 先ほどまでの疑問もすっかりと消え去り、エイジが言う様に今回の極東での研修は大いに参考になった。事実それだけではない。ここに来てからの内容があまりにも濃密過ぎた事も大きな一因でもあった。

 新種の討伐や内部の問題など、本来であれば一介のゴッドイーターが体験出来ない様な事までが一気に襲い掛かり、言葉には言い表せない程でもあった。

 

 

「その時はまたお願いします」

 

 名残惜しいとも取れる様な雰囲気が仄かに出始めていた時に嵐は唐突にやって来た。

 

 

 

 

 

「エイジ~今晩、ここに泊っても良いですよね?」

 

「どうしたの急に?って、アリサひょっとしてお酒飲んだ?」

 

 振り向けば、アリサの顔は既に赤く、その原因を探るとなぜかカノンまでもが顔が赤くなっていた。その手に持っているジュースからはアルコール臭がしている。恐らくカクテルだろう事が判明していた。

 ジュースとカクテルは明らかに匂いも見た目も大きく違う。にもかかわらず明らかに誤飲した理由が簡単に分かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサどうしたの?」

 

「コウタですか。いえ、何でもありませんよ」

 

「でも顔が何だか寂しいって言ってる様に見えるけど……なるほど。カノンさんに取られてるのが原因か」

 

 ここ数日の間、ほぼ連続とも言えるミッションの兼ね合いでエイジと顔は合わせても、ゆくっりと会話する事すら無かった。隊長である以上やるべき事は沢山あるが、自信の技術向上の為にはどうしてもミッションに出るだけの時間の確保が必要となる。そうなれば必然的に最低限度の時間をかける事で捻出していた。

 当初はエイジの手伝いをしたいとアリサは考えていたが、肝心のエイジが捕まらない以上、その先の話が全く出来なかった。

 

 しかし、ここで事態は一転していた。今回の時間の無さの元凶でもあったハンニバルの討伐が漸く完了し、今回の送別会が久しぶりにゆっくりと話せるはずの時間となっていた。

 帰投の際にも会話は出来たが、あれを会話にカウントする訳にもいかず、ここに来てまともな時間が取れると考えていた結果だった。事実上の本日の主役でもあるエイジやカノン、アリサに関しても何かと今回のミッションに関して聞かれる事が多かった事もその要因の一つとなっていた。

 ここで今回の任務に関する話でカノンやタツミと話す事により、アリサは中々会話に入る事が出来ないでいた。

 

 

「そんなんじゃありませんから」

 

 心配した結果なのか、それともアリサの気持ちを悟られたのか、コウタに言われた事が図星とばかりに近くにあったオレンジジュースに手を伸ばす。オレンジジュースだと思ったそれをそのまま一気に流し込む様に飲んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、コウタ。ここにあったカクテル知らないか?あれ今回試飲して、味が良ければ市場に流れるからって用意されたんだが」

 

「カクテルって、どんな物なんですか?」

 

「見た目はオレンジジュースなんだけど、中身はアルコール度数が高いウォッカを使ってるから酔いやすいんだがな」

 

 リンドウの言葉が事実なら、先ほどアリサが一気に飲んだのは確かオレンジジュースだったはず。まさかとは思うも確信が持てず、とりあえずグラスだけは確認とばかりにリンドウに渡す事にした。

 

 

「あちゃ~誰か飲んだのか。コウタ、誰が飲んだのか知らないか?」

 

「それならアリサがさっき一気飲みしてましたけど」

 

「……あれを一気に飲んだのか?」

 

 リンドウの表情が一瞬だが強張っていた。オレンジジュースに良く似たカクテルの正体はスクリュードライバー。しかも、製品版の前の試飲の為に通常の倍以上のアルコール度数となっていた。本来であれば一気飲みする飲み物ではない。にも関わらずアリサは流し込む様に飲んでいたのだった。

 

 

「一気でしたね」

 

 冷静になっていれば少し飲んだ時点で味が違うのですぐに理解出来たはずだったが、この時点でコウタに言われた事もあり冷静さが失われていた。しかも一気に飲んだ為に味も分からないままとなっている。

 これは拙いとばかりにアリサを見れば既に顔は赤く綺麗に染まっていた。

 

 

「……コウタ」

 

「……リンドウさん。俺、何も見てませんから」

 

「奇遇だな。俺も今そう思っていた所だ」

 

 故意に飲ませた訳ではなく、事故の様な物なのでこれ以上の事は君子危うきに近寄らずとばかりに、気配を殺しながらその場からフェードアウトを決行していた。年齢に問わず酔っ払いの後始末程、面倒な物は無い。後の事はきっとエイジがやってくれるだろう事を願い、2人はその場から離れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「偶には良いですよね!私、今日は帰りたくないんです」

 

 素面で言われれば照れも入るが、明らかに酒が入っているからなのか、顔は綺麗に薔薇色に染まり、若干身体が揺れている様にも見える。まさかアリサ以外にもと思い、周りを見ればカノンまでもが同じ様な状態になっていた。

 この時点で周りを見れば何人かが誤って飲んだのか、既に会場はカオスと化している。このままでは何が起こるか分からないとばかりに、エイジは早めにアリサを連れて行く事に決めていた。

 

 

「アリサ、大丈夫?水飲んだ方が良いよ」

 

「じゃあ飲ませてください」

 

 目を閉じ、まるでキスを待つかのように待っているアリサのこの一言に、流石のエイジも時間が止まった様に思えた。ここはまだ宴会場の真っただ中。ここで一体どうしろと言っているのか理解はしたが、行動に移す事は困難とも思えていた。

 背中に嫌な汗がにじむも、この2人のやりとりを見ていた周りはこれから何か面白い物が見れるのかと考えているのか、視線がエイジに突き刺さっていた。

 

 

「まだですか!だったら私が飲ませてあげますよ」

 

 エイジが固まったままにしびれを切らしたのか、アリサは強硬手段に出た。手にはどこから用意したのか、透明な液体が入ったグラス。この時点で誰も水は用意していない。可能性があるとすればグラスの中身は酒以外の何物でもなかった。

 中身については今更気にするつもりが無いのか、アリサは透明な液体を口に含んだと同時にエイジに口移しで飲ませる。ここは個室ではなく皆がまだ居る部屋。

 コウタとリンドウは唖然とし、アネットは何故か手で顔を隠しながらもその隙間からはそのやりとりを見ていたからなのか、顔が赤くなっている。

 口移しで飲ませた液体は全部飲みきれないのかエイジの口元から一筋こぼれる様に流れていた。

 

 

「エイジだ~い好き」

 

 何か大きな目標を達成したかの様に満面の笑みのまま酔いつぶれたのか、アリサはその場で眠りについた。時間が止まったままの会場が動きだすにはまだ時間が少しだけ必要だった。その場には酔ったカノンの声だけが響いている。

 その空気を察したのか、エイジはアリサを抱え自室へと急いだ。部屋の外では堰を切ったかの様に大きな声が聞こえるが、内容を聞くまでも無くそのまま放置しておこうと、心に近いその場を離れる事に成功していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここは一体どこなんだろう?目覚めた場所はアリサの見知らぬ部屋の天井の様に思えた。まだ時間が早いのか、部屋の中はまだ薄暗く、何となくひんやりとした空気がまだ早朝である事を伝えていた。

 昨日の事は途中まで記憶があったが、コウタと話した辺りから記憶がプッツリと途切れている。

 ここが屋敷の中だと言う事だけは理解していたが、ここは何処なのか?まずは確認とばかりに周りを見回す為に手を横に置いた。

 本来であれば布団のはずが、アリサの右手は布団に手をついている感覚は一切ない。何故か暖かい感触と共に慣れ親しんだ匂いがしていた。

 

 何でここにエイジが?昨日って確か私どうしたんだろう?そんな感情が最初に出ているが、だからと言ってエイジを起こす訳にもいかない。思い出したかの様に慌てて浴衣を見ると、胸元が大きく肌蹴ている。

 昨晩はひょっとしたらと一人顔を赤くしながらも慌てて直したが、隣に寝ているエイジは未だ起きる気配は無い為に確認する術は無かった。このまま起きても良かったが、こんなチャンスは恐らくないとばかりに、改めて布団に潜り込みエイジに抱き着きながら再び夢の国へと旅立った。

 

 

「アリサ、おはよう。よく眠れた?」

 

 二度寝とも言える中で、改めて起こされた場所はやはりエイジの部屋だった。一度起きた際には寝ぼけていたのかとも思ったが、あれば現実で今起こされているのも紛れもなく現実である事を漸く理解した。

 

 

「おはようございます。あの……昨晩はどうしてここに?」

 

「ひょっとして記憶が飛んでる?」

 

「……すみません。コウタと昨晩話してジュースを飲んだ辺りまでは記憶があるんですけど……私何かしました?」

 

 この質問に、エイジはどう答えた物か少しだけ躊躇した。事実は酔った勢いでの御乱行とも言えるが、あれはあくまでも酔った勢いと言うしかない。あの事実を話して良い物なのかと考えていた事が伝わったのか、アリサが何となく様子がおかしい。

 

 

「エイジ。驚きませんから本当の事を教えて貰えませんか?」

 

「う~ん。本当の事って言ってもね……」

 

 そんな空気を壊すかの様にシオの声が襖の向こうから聞こえる。以前にもこんな事があったかと思った途端に相変わらず勢いよくスパーンと襖を開けて挨拶をしていた。

 

 

「おはよ~エイジ!ご飯だって。アリサもおきたのか~。みんなもくるからはやくな~」

 

 皆が来る以上、いつまでもここにいる訳には行かない。改めて着替えなおし皆が来るであろう広間へと足を運んだ。

 

 

 

 




未成年の飲酒は法律で禁止されています。
カクテルや酎ハイによってはジュースの様な物も多々あります。
今回はそんな部分をイメージしました。
そのせいかフェデリコさんは完全に空気ですが。





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外伝40話 (第87話)後日談

 シオに起こされ、アリサと2人広間へと足を運ぶと、そこには昨日のメンバーがボチボチと集まり出していた。何時の間に来ていたのか、リンドウの隣にはサクヤも座っていたが、まだカノンやヒバリ達が来ていない。取敢えず空いている所へと座ろうとした時だった。

 

 

「おはようエイジ。昨日はお疲れだったのか?」

 

 コウタがニヤニヤとしながらエイジとアリサを見ている。心なしか、既に来ているメンバーもこちらを生温かい目で見ている事だけは直ぐに理解出来ていたが、今朝エイジに聞く前にシオが来た為に、昨晩の事は何も聞き出す事も出来ないままだった。あの後話すタイミングがつかめないまま、ここに来ていた為にコウタの言わんとしている事が分からなかった。

 

 

「おはようコウタ。疲れたも何も、あのまま直ぐに寝たから何もないよ」

 

「アリサと2人で寝て何も無いって、枯れてるのか?」

 

「あのな、昨日はそんなんじゃないって」

 

 コウタとエイジの会話で、漸く生温かい目の意味がアリサには理解出来ていた。どうやら昨日、エイジの部屋で寝ている事はここに居る殆どの人間が知り得ている事実。そして、その後に何が起きたのかはエイジ以外に誰も分からない事だった。

 

 

「コウタ、少し聞きたい事があります。昨晩、私に何をしたんですか?」

 

「俺は何もしていないよ。あれはアリサが自爆しただけだから」

 

 普段はそうでなくても、エイジとの事になればアリサの沸点は驚く程に低くなる。その為に今回の様な話をするにはまずは自分の無実を証明する事で、危険回避に専念していた。

 

 

「自爆ってなんですか?」

 

「昨日、何飲んだのか覚えている?」

 

「昨日って飲んだのは確かオレンジジュースでしたよ」

 

「それだよ。あれはカクテルだったんだけど、かなりアルコール度数が高いらしくて、あの後は大変だったんだよ」

 

 ここで何となくだが昨晩何かが起こった。いや、起きたのかが薄々理解出来ていた。アルコールの影響で記憶が飛んでいるが、一体その後に何があったのだろうか?このままモヤモヤとしたままでは面白くないとアリサは考えていた。肝心のエイジはどことなく話したくないのか、口が重い様にも思えていた。

 

 

「エイジ、本当に昨日は何があったんですか?正直聞くのが怖い気もするんですが…」

 

 小声で話す事で、何とか情報を得ようと改めて聞こうとすると、ここで漸くヒバリとリッカがやってきた。

 

 

「おっはよ~アリサ。昨日は大胆だったね。見ていたこっちまで恥ずかしかったよ」

 

「おはようございます。リッカさん、あれは酔った勢いですからこれ以上の事は話さない方が…」

 

 どうやら昨晩は何かをやらかした事だけは理解できていたが、リッカの言葉が僅かに気になる。見ていたとなれば、それはすなわち衆人環視の下で何かをやった事になる。爽やか朝にも関わらず、アリサの胸中はどんよりとしている。大胆な事とは一体何だろうか?ここで漸くエイジが口を開いた。

 

 

「昨日は間違えてアルコールを飲んで少し甘えただけだよ」

 

「甘えたって、私がエイジにですか?」

 

「そうだよ。流石にあれは驚いたけどね」

 

 小声で言ってはいるが、隣のリンドウには聞こえたのか、あっさりと真相がアリサに告げられる事になった。

 

 

「昨晩はアリサがエイジに口移しで酒飲ませたんだよ。ほんとお熱い事で、こっちまで恥ずかしくなりそうだったぞ」

 

 リンドウの言葉に誰もが何も言葉を発する事が出来なかった。リンドウの言葉に慌てて周りを見れば、どことなく何かを見守る様な目で見ている。今朝感じた視線はこの事だったんだと、ここでアリサは理解した。

 まさか自分がそんな事をしているとは思いもよらず、今朝起きてみれば隣にエイジが寝ていた。

 確かにあのシチュエーションは嬉しかったが、流石に昨晩酔った挙句の結果であれば、百年の恋も冷めるのではないのだろうか?かなりはしたない部分を見られたのでは?もちろん、この答えを教えてくれる人間は隣に居るエイジ以外に誰も居ない。アリサとて聞きたい気持ちはあるが、乙女心がそれを許さなかった。

 

 誰かが陥れたのであれば話は別だが、内容は明らかに自分の失点に基づく内容である為に文句の言うことすら出来ない。

 今出来るのは一刻も早く朝食を終わらせて確認する事が先決なのでは?そんな意識に囚われ、何を食べたかまで理解する事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今までありがとうございました。ドイツ支部に戻っても極東での内容をそのまま継承しながら精進したいと思います」

 

「極東でのご指導ありがとうございました。イタリア支部に戻っても、続けて訓練を継続したいと思います」

 

 色んな事があり過ぎた物の、振り返れば濃密な訓練と実戦に他の支部での数年分とも取れる研修がここで完了した。アネットの手には先日来た浴衣がお土産とばかりに手に握られている。

 これが極東支部だと言う事を嫌と言うほど身に着けさせられた様にも思える。この内容を忘れる事は恐らく無いだろうとばかりに2人は元居た支部へと戻る事となった。

 短い期間ではあったが、他のメンバーも思いの他良好な関係を築けたのか、思い思いの表情をしている。飛んで行ったヘリが見えなくなるまでそんな空気が続いていた。

 

 

「エイジ。すみませんが少しだけ時間をもらえませんか?」

 

 完全に見送りが終わり、各々が自分達のすべきことがあるとばかりにこの場を去っていた。昨晩の内容も気になる事だが、これから話す事はアリサにとっても重要な話。

 エイジにとってはあまり関係ない様にも思えるが、今回の一連の状況から今に至るまでに、色々とアリサの中で考えていた事があった。自分の人生の一部でもあったロシア支部での出来事。

 そしてこれから先を行くにあたっての最低限やらなければならない部分。この事を解決しない事には前には進むことが出来ない。そんな感情がその一言に集約されていた。

 

 

「良いよ。じゃあ、アリサの部屋に行こうか?」

 

「私の部屋はちょっと……エイジに部屋でも良いですか?」

 

 エイジも知っているが、アリサの部屋には色んな物が散乱しているので人を呼ぶには一旦片づけをする必要があった。勿論、アリサも何もしなかった訳ではないが自分ではしっかりと整理整頓しているつもりだが、残念ながら本人の努力は中々良い方向に結びつく事は無く、何となく汚い部分を残していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私、色々と考えたんですが、一旦今回の件の気持ちの整理をしようかと思ってロシア支部に行こうかと思ってるんです」

 

 唐突とも言えたが、今回の内容については前々から考えていた事でもあった。大車に捉えられ、トラウマとも言える部分が露出したが、エイジのおかげもあり徐々に嫌悪感が薄れたと同時に、今回の件で改めてリディアに話そうと考えていた。

 事実、最近はメールでのやりとりも少しづつだが増え、今では当時の後ろめたさは既に後退していた。場所が場所なだけに簡単に行く事は困難だが、ここ数日の件で漸く極東支部も落ち着きを見せていた所で、今回一時的に渡航する事が許可されていた。

 

 

「そっか。もう大丈夫なんだね」

 

「私だけならきっとリディア姉さんに話す事すら出来なかったんだと思うんです。でも、それを変えてくれたのは間違いなくエイジなんです。過去に起きた事を今から修正する事は出来ませんが、今からでも少しづつ前を向いて行きたいんです。

 その為にはここで一旦きちんとした方が良いかと思ってツバキ教官にも申請を出してたんですが、研修も終わったので少しだけロシアへの渡航許可が出たんです。本当の事を言えばエイジも一緒に行ってほしかったんですが、流石に許可が出なかったので一人で行ってきます」

 

 アリサの目にはしっかりとした意思が宿り、今以上に前を向いて行きたいとの思いからの行動に大して、エイジ自身も止めるつもりは無かった。そもそもエイジにはそこま親身になってくれる人間は屋敷以外では誰も居ない。

 ある意味羨ましいとも思いながらも、これから先の一つのケジメとして考えているならば、これ以上の事を言うつもりは何も無かった。

 

 

「それでですね…エイジにはお願いが一つありまして…」

 

「お願い?」

 

 アリサの何とも歯切れの悪い言葉だけに、一体何を求めているのか想像もつかない。まずは確認してみないと分からないとばかりに次の言葉を待っていた。

 

 

「ロシアに行ってもエイジの事を想っていたいので、何か一つ分かりやすい物が欲しいんですけど」

 

「分かりやすい物って?」

 

「……出来れば、アクセサリーなんかが目につきやすいのでお願いしても良いですか?」

 

「それは構わないけど、ロシアにはいつ行くの?」

 

「早ければ来週の中頃から予定しています」

 

 エイジ自身アクセサリーを購入した事が無いので、一体何を望んでいるのかは分からないが、アリサが喜ぶならばと何を用意したものかと色々と考える事にした。これまでの人生の中で購入した事が無い品物。下手な物を贈るのは面白くないとばかりに色々と相談する事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒバリさん。女性が貰って嬉しい物って何でしょうか?」

 

 ヒバリは業務の終わった直後に珍しくエイジから相談を受けていた。通常はアリサと話す事が多かったが、今回は珍しくエイジからの相談に見当がつかない。特に問題は無かったはず。一体何が起きたんだろうかと、興味本位とばかりにその真意を確かめようとしていた。

 

 

「エイジさんが私に相談なんて珍しいですね。一体どうしたんですか?」

 

「多分ヒバリさんは知ってると思うんですが、アリサが近々ロシアに一旦戻るらしくて、その件でちょっと相談したい事があったんですけど…タツミさんとデートの約束でもあるなら後日でも構わないんですが」

 

「タツミさんは今日は遅い時間の定期巡回ですから気にしなくても大丈夫ですよ。でも何で私なんですか?」

 

 ここ最近の相談はアリサと言い、エイジと言い、なぜかヒバリに常時相談される機会が多くなっていた。何故そうなのかと思う事もあったが、自分が頼られているからと割り切る事でその考えは遠くに捨て去り、まずは確認とばかりに話を聞く事にした。

 

 

「実はアリサから色々と言われる事があったのと、僕自身がちょっと申し訳ない気持ちになっているので、色んな意味合いも踏まえた上でと考えてたんですけど」

 

「それでアクセサリーですか。貰って記憶に残る物ですよね?ちなみにどうやって用意するつもりでですか?」

 

「ちょっと伝手があるから、そのつながりで考えているんだけど、時間があまり無いので。決めるなら早々にしないと拙いかと」

 

 ここでヒバリは漸く相談された真意が分かった。恐らくエイジが相談できる人間はかなり限られている。しかもアリサに対してとなれば、とてもじゃないが第1部隊の人間に相談する可能性はありえないと簡単に推測できた。

 

 仮にリッカに聞いた所でどことなく情報が漏れる可能性を考慮すれば、基本的に守秘義務が生じる自分に確認するのが一番マシなんだと判断していた。

 実際の所、この話を聞いてヒバリもほんの少しだが羨ましいと思う所があった。タツミとはそれなりにデートも繰り返ししている物の、あまりにストレートな物言いだけで、それ以上の事は無かった。エイジの話を聞けば聞くほど、何となくだがここ最近は若干ながらに扱いが雑な感じがする部分もあった。

 

 ヒバリとて実際に付き合いはあるものの、タツミも隊長なので実際に時間を取る事は中々難しい。エイジでさえ同じ部隊に居るにも関わらずゆっくりとする時間が中々取れない事は任務の発注をしているから理解している。雑なのは仕方ないとしても、ヒバリとしてもトキメキの一つもあっても良いのでは?そんな考えが頭の片隅にあった。

 

 

「だったら簡単ですよ。記憶に残って、しかも確実に目に見える物ですよね?」

 

 その時のヒバリの表情はある意味何かを企んでいる様にも思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサ。この前の話だけど、この後少し良い?」

 

 任務帰りに唐突に言われ、他のメンバーは一体何の事なんだろう?と言った表情をしていたが、アリサだけはその言葉の意味を理解していた。既に報告書は提出しているので、今からは何か特別な業務は何も無い。今からでも直ぐにとばかりに二つ返事で了承していた。

 

 

「私はいつでも大丈夫ですよ」

 

「そんなに急がなくても良いから。そうだ、食事も一緒にしたいから部屋まで来てくれる?」

 

「でしたら直ぐに行きます!」

 

 満面の笑みで言われれば、それ以上事は何も言えないとばかりにエイジも夕食の準備とばかりに自室へと急いだ。アリサが来る頃には既にほとんどの準備が完了し、久しぶりにゆっくりとした食事と時間が2人で取れていた。

 最初は軽い気持ちで部屋に行ったが、夕食の内容はアリサの予想に反して、普段は和食が中心だが、今日は珍しく洋食が中心となった料理だった。

 

 

「久しぶりに凝った物作ったけど、どうだった?」

 

「今日の料理も美味しかったです。でも…いつもエイジに作ってもらってばかりで何だか申し訳ないです」

 

「気にしなくても良いよ。好きで作っているからね。レパートリーが増えるからこちらとしてもありがたいよ」

 

 いつもと同じ会話のはずが、なぜか緊張感がそこには漂っていた。いつもとは違う雰囲気と料理。そして先だってのアリサの発言に対する答えは、嫌が応にも緊張感が高まる。

 エイジに緊張感が伝わったのか、アリサの表情も徐々に真剣な物へと変化し始めていた。

 

 

「ごめん。そんなに緊張しなくても大丈夫だから」

 

「そうなんですか。でも、この前の話の件なんですよね?」

 

 アリサが要求した物である事には間違いない。しかし、今までの事を考えれば期待以上の事をしてくれた事を思い出せば、嫌が応にも期待だけは高くなっていた。

 

 

「じゃあ、目を瞑ってくれる?」

 

「……?分かりました」

 

 目を瞑ってから暫くするとアリサの手に軽く重みが伝わる。手の感触からはそう大きな物では無い。一体これは何なんだろうかと思った矢先にエイジから声がかかる。

 

 

「もう目を開けていいよ」

 

 そんな一言で目を開ければ、手のひらには小さな箱があった。この時点で中身な何なのかは大よそながらも検討は付いていた。アリサの中では一抹の不安はあった物の、この時点での中身に見当はついていたが、それが正解なのかは分からない。

 期待と共に箱を開ければ、そこには一つのリングが台座の上に鎮座している。アリサは感激したのか涙が零れ落ちていた。

 

 

「本当に良いんですか?」

 

「ああ、良いよ。でもサイズが分からなかったから、合う指にはめてくれれば良いから。これなら目に付くよね?」

 

「はい!これから毎日付けます!」

 

 この指輪がアリサのお気に入りになったのか、気が付けば右手の薬指にはまっているのが直ぐに分かった。隠すつもりは無かったが、目ざとく見つけたヒバリはここぞとばかりにタツミにも強請っていたのか、後日アクセサリーを身に着けていた。

 本人の意図しない所で、これを気にアリサとエイジの仲は既に行く所まで行ったのだろうかと新たな噂が流れたが、これを確認したいと思う猛者は誰も居なかった。

 エイジは気が付かなかったが、これを送る事である意味強烈な虫除けになるとは想像もしていなかった。

 

 

 



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番外編 新年の宴

あけましておめでとうございます。
何かと拙い内容ですが、本年もよろしくお願いします。




 波乱の一年とも言える時間が気が付けばあっとういう間に過ぎ去り、気が付けば新たな一年が始まろうとしていた。

 

 

「新年あけましておめでとうございます」

 

 旧時代にあった祈るべき神は既に居ないが、新年はまた別物でもある。

 屋敷では新年の挨拶と共に、新年に似合う様な着物を各々が着て、当主でもある無明に新年の挨拶していた。

 本来であれば、年末だろうが新年だろうがアラガミには何も関係無い。

 しかしながら、ここ屋敷では旧時代の日本でもあった正月を重視する事で、極東支部以上に新年を迎える準備が年末からされていた。エイジの挨拶と共に、屋敷に住んでいる人間も今日は特別とばかりに、いつもとは違うしっかりとした着物を着て挨拶をしている。極東では廃れた伝統がここには存在していた。

 

 

「とうしゅ~あめましておめでとうだな~。何か良い事あるといいな~」

 

 どんな時でもマイペースのシオの存在は屋敷では既に当たり前の光景となっていた。当初は何かと目立つ部分もあったが、それは最初だけの話。ここでは身寄りのない子供が多い事からすぐに受け入れられていた。

 新年と言う事もあり、シオも用意された振袖を着ている。元々は特異点だった事は屋敷の内部であっても秘匿事項なので、誰もが元アラガミだとは思ってもいない。他の人間もシオの事はある意味色眼鏡無しで見ている事と、愛らしい見た目とその性格から割と人気は高かった。

 しかしながら、それ以上の事になるとたまに来る極東支部の某神機使いが色々と牽制してくる関係上、家族的な意味合いが多く、それ以上の感情を持つ者は此処には居なかった。

 

 

「おう、無明。あけましておめでとう。今年も宜しく頼むぞ」

 

「あけましておめでとうございます。無明さん、新年早々リンドウと共にご招待頂きありがとうございます」

 

 ここ最近の激務から、偶には家族サービスもしろとばかりにツバキからも強制的に休暇を取らされたは良いが、特にやるべき事は何もないからとばかりに、どさくさ紛れに屋敷で年末年始を過ごすべく、屋敷での滞在を早々にリンドウは決め込んでいた。

 

 以前にもリンドウが言った様に、ここ屋敷では旧時代の日本の文化を継承している。その為クリスマスよりも新年に対しての思い入れが強く、毎年恒例とも言える年越しで蕎麦を振る舞い、餅をつくのもある意味恒例の行事となっていた。

 

 

「やっぱりここで新年を迎えるのは、極東支部で良かったと実感出来るな~」

 

「お前は昼間から酒が飲めるなら何でもいいんじゃないのか?」

 

「固い事言うなよ。折角の新年なんだから少しはゆっくりさせろよ」

 

 ソーマがやんわりと注意するも、正月と言う名の免罪符がある以上、これ以上何を言っても無駄とばかりに流石のサクヤも何も言う事は無かった。もう安定期に入っているのか下腹部は既に大きく膨らみを見せている。

 当初はリンドウの提案に難色を示したが、せっかく休暇なんだから伝統行事ばりの屋敷の方が何かと良いだろうとばかりにサクヤを説得し、短い休暇を楽しんでいた。

 

 

「リンドウ、いくら正月でも飲み過ぎるな。万が一の場合には出動する事になるんだ」

 

「姉上、確か俺は完全にオフだったはずでは?」

 

「アラガミには年末年始なんて概念は存在しない。一々そんな事聞かなくても問題無かろう?」

 

 此処にはリンドウ達だけではない。今はツバキや榊博士と言ったアナグラのメンバーもここにいた。ここでは普段から着物や浴衣で過ごす事が多く、アナグラから見ればある意味変わっていると判断出来るが、ここに居る際にはかえって洋服の方が違和感があるとばかりに、ほかのメンバーも着物で過ごす事が多かった。

 浴衣と違い着物は着付けがある意味特殊とも言える関係上、しっかりとした着付けが出来る人間が何人か居るが、全員の手が回る事は無かった。その結果、エイジやナオヤまでもが駆り出されていた。

 

 本来であれば、当主でもある無明に挨拶すれば後は問題ないはずだったが、その横にはツバキも当然の様に着物を着ている。ここに来てまでと思う部分はあったが、実際にはツバキもここに滞在する機会は多く、事実屋敷の人間は当主の奥方と同様の扱いをしていた。

 

 

「いや、折角の新年ですから、ここでは無礼講でも…」

 

「お前の酒を飲む口実の為に、ここに居る訳では無いんだ。まぁ、しっかりとサクヤが手綱を握れば問題あるまい」

 

 新年から酒を浴びる程に呑む計画は簡単に頓挫したものの、本来の目的は家族サービスとばかりに落ち着いた時間を過ごす事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「新年早々ですが、ミッションをお願いします」

 

 新年だからと、屋敷で着付けを終わらせたヒバリが着物姿でカウンターで業務を行っていた。ここ極東でも新年を大事にするが、アラガミに新年は全く関係ない。こちらの事などお構いない無しとばかりに任務が発注されているが、着物姿のヒバリを見て、任務前に改めて今日が新年だとばかりに任務に励む神機使いが数多くいた。

 

 

「ヒバリちゃん。それはいくらなんでもサービスし過ぎじゃないの?」

 

「これは折角新年だからとツバキ教官にも言われましたから、折角なので着てみたんですが……似合いませんか?」

 

 いつもの制服ではなく振袖姿に、タツミは何も言う事が出来なかった。今日の着物はヒバリを意識して作られている事は事前に聞いていたが、普段とは違う着物姿と髪型に見慣れているはずのタツミでさえも、胸の内を隠す事が困難だった。

 事実、他の神機使いに関しても、着物姿が珍しいのか任務を受注してもカウンターから中々離れる事は無く、任務の開始時間が遅れる事が多々あった。

 

 

「いや。十分過ぎる程に似合ってるよ。でも……いや何でもない」

 

「そう言えば、屋敷から今回任務に出ている人達にと、お雑煮とおせちが差し入れられているらしいですよ」

 

 今回はローテーションに関係で、第1部隊は珍しく非番となっていたが、他の部隊には関係ないとばかりに、通常の任務が入っていた。自分達が休んでいる間も仕事では申し訳ないとばかりに差し入れの体で、新年の料理が持ち込まれていた。

 ここアナグラでも食材は充実していても、肝心の調理の腕がなければ無意味とばかりの食事が多かったが、今回の差し入れは、これから任務に赴く人間には大きな希望となっていた。

 ノルンのアーカイブでは旧時代の正月の事は記載されていても、実際に体験する事は殆ど無かった関係上、今回の差し入れはある意味天啓とも言えていた。

 食べ物につられると言えば聞こえは悪いが、事実として第1部隊のメンバーは気が付いていないが、ここ極東でのエイジの存在は違う意味でも大きな影響をもたらしている。

 お菓子だけでは無く、ちょっとした差し入れに大きな期待を寄せている人間は意外と多かった。そんな中でのおせちと雑煮の差し入れは思いの他期待が大きかったのか、任務から帰投までの時間が過去最速とも言える時間での完了が多く続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えばツバキ教官は振袖じゃなくて、留袖なんですね」

 

 通常、未婚の女性は振袖を着るのが殆どで、既婚者でなければ留袖を着るケースは少なかった。本来であればツバキも振袖だが、今来ているのは留袖だった。他のメンバーは気が付かなかったが、エイジだけは直ぐに気がついていた。

 

 

「やっぱり姉上の年齢で振袖は無理があるんじゃ……」

 

 何気にリンドウが発した言葉はそれ以上聞く事が出来なかった。リンドウの腹部にはある意味アラガミよりも強烈とも言えるツバキの拳による一撃が腹部を直撃する事で、それ以上の言葉を発する事が事実上、不可能な状態に陥った。

 

 

「お前が言う必要は無い」

 

 冷徹に言われる事でそれ以上何も言う事が出来なかったが、今は新年だけあってリンドウの事は一瞬にして消え去っていた。

 

 

「コウタは家には帰らなかったの?」

 

「本当は帰りたかったんだけど、ローテーションの都合でね。母さんよりもノゾミがガッカリしてたよ」

 

「でも明日からは休暇だよね?」

 

「それもあって今年は帰れなかったんだけどね」

 

 外部居住区でも餅つきはしていたが、接待的な数の関係上、1軒に付き数が制限されていた事もあって、思った以上の配給は無かった。今までの事を考えれば格段に良くはなっていたが、全員に渡す為にはある程度仕方ない部分も多く、また本来であれば家族思いのコウタであれば一も二も無く真っ先に帰っていたが、今年に関しては本当にローテーションの関係上止む無くと言った形となっていた。

 

 

「だったら、お節と餅を持って帰ったらどう?数は気にする事は無いだろうから、持って帰れば喜ぶんじゃないか?」

 

「でも良いのか?これも結構貴重なんだろ?」

 

「でも、アナグラにも相当数が運ばれているから気にしなくても多分大丈夫だよ。新年早々に家族の顔を見れないなら、手土産の一つも無いと格好が付かないよ」

 

 3段のお重の中には旧時代のノルンの情報そのままとも言える内容も物がしっかりと詰められていた。周りも各々が何か思う事があるのか色々と手を付けている。

 これをこのまま持って帰れば確実に喜ばれる事と同時にエイジに気を使わせるのが申し訳ないと考えたが、エイジの性格からはそこまで考える必要は無いだろうと、コウタにも直ぐに理解出来ていた。

 

 

「エイジがそこまで言うなら…サンキューな。母さんもノゾミも喜ぶと思うよ」

 

 家族を大切にするコウタを羨ましいと思いながらも、今自分が居る環境も傍から見れば家族なんだろうと考える事は出来ていた。それぞれが楽しめる事が出来るのが一番とばかりに楽しい一時を過ごしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒバリちゃん。今日は仕事が終わった後は屋敷に行くの?」

 

「その予定です。何か色々とやっているみたいなんで、リッカさんと一緒に行くつもりです」

 

 定期任務を終えたタツミも今日はこの後の予定は特に何も入っておらず、折角着物を着ているならばこのままデートへと行きたい気持ちを抑える事もなく、これからの予定を確認していた。

 元々からヒバリだけではなくタツミも招待されていた関係上、敢えて聞かなくても予定は決まっていたが、確認とばかりに改めて話をしていた。

 

 

「あら、タツミ。あなたも招待されてたのね。どうやら今日は他にも何人かが呼ばれてるみたいだけど?」

 

 2人が話してる背後から、任務帰りのジーナが確認とばかりに聞いて来る。先ほどのあなたもの言葉に2人だけでは無い事が分かっていたが、これ以上は仕方が無い。若干残念に思いながらもここまで色んな人間が呼ばれるのは、一体何があるのだろうか?そんな疑問しか無かった。

 

 

「なあ、他には誰が行くんだ?」

 

「私が聞いている限りだとカノンとカレルもみたいね。シュンは断ったらしいけど、ブレンダンは分からないわ」

 

 普段はあまり参加する事がないジーナやかカレルまでもが参加するのはある意味珍しいとも思われていた。本来であれば新年なので、ヒバリの様な着物でもとの考えもあったが、ジーナやカノンは持っておらず、そのまま行く予定だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私、着物は初めて着ました。どうですか?似合ってますか?」

 

「安心しなさいカノン。十分すぎる程に似合ってるわよ」

 

 初めて着た着物にカノンはいつも以上にテンションが高かった。送別会の際には浴衣を着たが、着物となると初めての体験となった。事実、カノンだけではなくジーナも着付けが完了し、既に身の回りの物までもが和装で固められていた。

 

 

「なぁ、カレル。まさかお前が来るとは思ってなかったが、どういう風の吹き回しなんだ?」

 

「何だ?俺が来ると拙い事でもあるのか?」

 

「そんなつもじゃないが、珍しいと思ってな」

 

 ジーナ達同様、タツミとカレルも着物姿で屋敷に中で休憩していた。タツミが言う様にカレルがこんなイベントに来るのは珍しく、今回は強制では無い為にシュンはこの場に居ない。

 

 

「話に聞くと、ここはアナグラよりも良い物が食えるって聞いてたから、今後の為に一度は口にした方が良いかと思ってな。ボチボチとブレンダンも来るはずだが」

 

 今回呼ばれたのは主要なメンバーだが、強制していないのと同時に、榊博士やツバキまで居る事もあってか不参加の人間もちらほら見受けられていた。そうこうしている内に時間とばかりに他の部屋へと促され、そこには依然に見た様な座敷形式ではなく、立食形式とも言える食事会が開催されていた。

 

 今回の招待についてドレスコードは存在していないが、ここに居る全ての女性陣は皆色とりどりの振袖の着物を着用している。男性陣も袴着用の和装だが、着なれている訳では無くどこか窮屈そうな雰囲気を見せていた。

 

 

「新年あけましておめどう。これからも一層の精進と共に頑張ってほしい」

 

 今だ支部長が決まっていない関係上、榊が乾杯の音頭を挙げそれぞれが懇談の場となり思い思いの料理に手を付けていた。当初は未だ任務に就いている他のメンバーに申し訳無い様な気持ちもあったが、ほとんどが任務明けの状況な事もあり、いつの間にか優雅な時間が流れていた。

 アナグラにも差し入れは入ってたが、あくまでもこれから任務に入るメンバーのものなので、ここに来る人間は口にしていない。そんな前提もあったのか、珍しいお節に雑煮と普段口にする事が少ない物がテーブルの上に多く並んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサ、今日は酒を飲むなよ」

 

「コウタに言われなくても飲みませんから」

 

 前回の送別会の際に、公衆の面前でエイジに絡み口移しで酒を飲ませるまでしでかした事がアナグラ中に広まった関係もあり、しばらくの間はコウタやリッカからもかなり弄られていた。いくら付き合っているとは言え、さすがにあれは無いと自己嫌悪したのは記憶に新しい。あの失態は二度としないとばかりに飲み物に対して暫くは警戒していた。

 

 

「コウタもそれ以上は止めなよ。アリサが困ってるから」

 

「でも、エイジは被害者だろ?恥ずかしかったって言ってたじゃん」

 

「それはそうだけど、別に嫌じゃなかったから、もう良いんだよ」

 

「くそっ。リア充爆発しろ」

 

 助け舟に入ったエイジにも同調してもらうつもりが、逆に惚気の様にも聞こえれば流石にコウタもそれ以上の事は言えなかった。これ以上ここに居るのは面白くないとばかりに、一言だけ言った後に、他の料理を味わうべく、この場を去って行った。

 

 

「アリサ。よく似合ってるよ」

 

「これエイジが選んでくれたんですよね?簪もありがとうございます」

 

 ここにいる際には殆ど浴衣で過ごすアリサも、今回用意された着物を初めて見た際には思わず息を飲んだ。着物の善し悪しは分からないが、今来ている着物は確実に良い物だと言う事は理解できる。しかもエイジがアリサの為を思って選んだと言われれば、その感動は通常以上とも思えた。

 

 

「普段はここだと浴衣だからね。こんな日には着物が一番だよ。それに、手入れさえしっかりすれば一生モノだし、フォーマルな場でも問題ないからね」

 

「洋服とは違って長く使えるんですね」

 

「しっかりと手入れが必要だけどね。あと、ここだけの話、他の支部にも売り込む為に今回の企画が用意されたらしいよ」

 

 エイジの一言で、漸く今回呼ばれた事が理解出来ていた。事実、ここに居る全員が着物だけあって、ここが極東支部にメンバーである事は腕輪が無ければ判断しにくく、袖から見え隠れしているので、それすらも分かりにくかった。

 売り込みである以上、映像なり画像が必要なはずだが、それも見渡せばカメラを持った人間が色々と撮影をしている光景までもが見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は流石にお酒は飲んでないんだね」

 

「リッカまで同じ事言うんですね。さっきもコウタに言われました」

 

 エイジと話してた際に、今日はどんな面白い物が見れるのかと期待した目でアリサの傍まで近づいてきた。手には勿論お酒ではなくジュースの入ったグラスが握られている。

 

 

「いや~あれはもうアナグラの伝説と言ってもいいんじゃないかと思う位に語り継がれてるから、ある意味仕方ないよ」

 

 その場に居たのはリッカだけでは無くヒバリも居たが、誰が話したのか翌日にはアナグラ中に話は広まっていた。暫くは針の筵にでもいる様な居心地の悪さだったが、エイジとの中が公認されたんだからと説得される事で、徐々に何事も無かったかの様に他の話題にすり替わっていた。

 

 

「アリサは写真撮られた?」

 

 先ほどの話がここで甦る。今回は他の支部への売り込みが目的である以上、恐らくは事実上世界中にこの光景が流れる事になる。アリサは先ほどエイジから聞かされた事で事実を知ってたが、恐らくリッカは何も知らないのかもしれない。今までの意趣返しとばかりに事実だけをサラッと伝えていた。

 

 

「なんでも着物の売り込みも一つの要因らしいですから、恐らくは世界中の支部にこの画像が流れるらしいですよ?」

 

「……冗談でしょ?」

 

「本当ですよ。今、私もエイジから聞きましたから。撮られる際にはしっかりとしないと拙いですね」

 

 その一言にリッカの表情が変わる。先ほどはスナップだと言って撮られたが、あれが世界中にとなると、一体どんな状態で撮られたのだろうか?そんな気持ちがあふれ出している。出来る事ならやり直しを要求したい。そんな気持ちがあふれ出す頃に、改めて声をかけられていた。

 

 

「すみません。お二人の写真を撮っても……ああ、エイジさんでしたか」

 

 どうやら、写真を撮りに来ていたのは既に顔なじみとも思われたフェンリルの広報部の人間だった。他のメンバーは知らなかったが、ここ屋敷には何度かその後もシオの絡みで足を運ぶ事が多く、リンドウの結婚式の際にも来ていたのが記憶に新しかった。

 

 

「新年からご苦労様です。僕は構いませんがアリサはどう?」

 

「私も構いませんよ」

 

 被写体ともなる人物から、許可をもらえば後はひたすら撮るだけの状況となる。そんな状況に気が付いたのか、リッカは確認する為に広報部の人間に改めて話をしていた。

 

 

「参考に聞きたいんですが、この写真は?」

 

「これは着物を他の支部の富裕層向けに出す宣材として使いますよ。もちろん、先ほどの写真も利用させて頂きます」

 

「そう……ですか…因みに撮り直しとかって…」

 

「できれば日常風景の様にしたいので、改めてと言うのはやらないですね」

 

 知りたくない事実を知ってしまったリッカの顔が何処となく引き攣っている。撮り直しを要求するならば、この2人に混ざって撮ってもらおうとばかりにそのまま撮影の臨んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして時間が過ぎ去り、暫くした後にこの写真が着物と同時に世界中の支部へと公開される事となっていた。当初の予想通り、着物姿の神機使いの艶姿はゴッドイーターのイメージアップに大きく貢献する事になった。

 その中でもエイジとアリサの写真は無明も予想していたのか、この写真が一つの転機となる事で、着物の注文が殺到し極東支部に大きな収益をもたらす事となる。

 

 

 




初の番外編です。

本編をそのまま掲載も考えたんですが、今の進行が丁度外伝の終わり間際なので、本編とは別枠で掲載しました。

時間軸は今までの内容を継続してますが、若干ずれています。
本編はまた改めて掲載したいと思いますのでよろしくお願いします。





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番外編2 シオの願い

番外編第2弾です。
時間軸は第弐部の開始前になります。


「ソーマはあれが何かしってるか?」

 

 いつもの榊による定期検診が終わり、ラボからシオが出てくると、そこに居るのが当たり前の様に外部居住区の子供達がロビーで遊んでいた。他の支部では分からないが、ここ極東支部は割とこの辺りが緩やかなのか、毎日誰かかしらがロビーに居る事が多い。

 勿論、世間的にはシオもその中の一人ではあるものの、実際にはアナグラと屋敷の敷地内だけを移動する事が多く、偶に不在になる際には外部居住区域ではなく、どこか他の所へ出向く事が多かった。

 

 あれからそれなりに時間げ経過した事もあってか、既にシオ自身もそう考えているのか、アラガミ特有の感覚は完全に消え去っていた。こうして定期的に検診を受けているのは細胞の変化の確認でもあり、また万が一の際にも早急な対処を可能とする為の措置でもあった。

 しかし、特異点の因子が封印されたのか、それとも抹消されたのかシオの体内からはあの事件以降、僅かな異変すら関知する事は無かった。しかし、以前の記憶まで無くなった訳では無く、経過観察である以上未だに狭い範囲の中でしか過ごす事は無かった。

 

 

「どうしたんだ?」

 

「あのこが何か白いものをたべてるけど、あれ、おいしいのかな~」

 

 シオの見ていた先を見ると、確かに子供が何かを食べている。しかし、ソーマも外部居住区の事を知っている訳では無く、シオに聞かれた質問に答える様な知識は持ち合わせていない。恐らくシオはあの白い物の正体を知りたい事だけは直ぐに理解出来ていた。

 

 

「ああ、あれか。一体何だろうな」

 

「あれ、綿あめだよ」

 

 ソーマの質問に答えたのは任務から帰って来たエイジだった。今回の任務は大事になるような事は何も無かったのか、汚れた形跡も見当たらない。その様子を一目見てソーマは今回の任務は大した事は無かった事と同時に、何でそんなものがここにあるのか?そんな疑問だけが残っていた。

 

 

「実は、あれ近々予定しているイベントの為に榊博士が旧時代の催し物を調べていてね。で、あれはその試作で作った物なんだ」

 

「また榊のオッサンは変な物作ったのか?」

 

「図面は引いたけど、作ったのは技術班だよ。さっきナオヤから聞いたんだ」

 

 旧時代の縁日や屋台には必ずと言って良い程にあった物をどうやって探し当てたのか、子供の様に目を輝かせて図面を引いていた事は容易に想像できた。イベントと言う位である以上何らかの目的があるのは理解できるが、その真意が分からない。今のソーマには何でこんな物を?そんな事を考えながら子供達を眺めている事しか出来なかった。

 

 

「ソーマ、シオもあれたべたい。どうすればたべられるの?」

 

「機械はまだその辺りに置いてあるはずだけど、材料が必要だね」

 

「機械なら、そこに置いてありますよ」

 

 助け舟を出したのは事務手続きが一息ついたヒバリだった。ここにずっと居たのであれば、あの子供達が作ってもらっていた場面も見ていたはず。先ほどの材料と共に作っていた人間が誰なのかが分かれば何とかなるだろうと、まずは材料の確保を優先する事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナオヤ、ザラメってまだある?」

 

「ザラメ?ああ、綿あめ作るのか。で、誰が欲しがってる?」

 

「シオが食べてみたいって。で、ソーマが作るらしいよ」

 

 普段であれば、間違いなくこんな事に首を突っ込む事はしないはずのソーマが作るのはある意味珍しい出来事でもあった。ちょっとしたお菓子や料理に関しては、ほとんどエイジが作ってあとは食べる人間が他にいるだけのケースばかりなので、ナオヤも驚きを隠す事は出来なかった。

 

 

「でも欲しいのはシオ一人だけなのか?試作はその場に子供が居たから作っただけで、後の人間には何も渡してないぞ」

 

 ナオヤは試作を渡した当時の事を思い浮かべていた。あの時は子供が4.5人居たのと、偶々話していた事を聞きつけていた人間が居ただけだった。しかし、これからミッションだからと見はしたが、結果的には参加する事無くそのまま出て行った事が思い出される。

 機械そのものはまだ何もしまっていないので、知らない人が見れば興味を持つのは間違いない。ましてやこれから作るとなれば、何人かが集まる事は間違い無かった。

 

 

「だとすれば、時間を考えると多少大目に有った方が良いかもしれないね。材料ってまだあるんだよね?」

 

「そうだな。ザラメもまだ試作段階だから、次までには数を用意したい所なんだけど、今はそんなに無いな。売切れ終了で良ければ、ここにあるだけだ」

 

「それだけあれば十分だよ。あとは念の為に榊博士に使用許可貰った方が良いかもね」

 

 未だ支部長が決まらない現状であれば、誰かに話を通した方が万が一の可能性を考えると間違い無い。そう考えると榊博士が一番適任だった。実際に図面を引いているのであれば問題があった場合も対処できるだろう可能性も踏まえた上での判断だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「博士、ロビーの綿あめの機械ですけど、あれは利用しても大丈夫なんですか?」

 

「そうだね。さっきも念の為に使っては見たんだけどトラブルも無いようだし、数をこなす事で何か新たな挙動が分かるかもしれないからね。材料があるのであれば問題無いよ」

 

 材料は既に用意してあるので、後は使用許可を取ればと思いロビーに下りると、予想通りそこには人だかりが出来ていた。内容を知っているヒバリに聞いたのか、それともどこからか聞きつけて来たのか、本来であればそこに居ないはずの人間までもがそこに居た。

 

 

「ソーマ、使用許可貰ったから、早速作ってみるか?」

 

「俺が作るのか?」

 

「だって、シオが望んでるなら仕方ないんじゃないの?」

 

 既にシオはこれから何が出来るのか希望に満ちた表情でその機械をジッと見ているが、片手はソーマの服の裾をまるで逃がさないとばかりにしっかり握っている。ソーマとて、ここから逃げるつもりは元々無かったが、エイジとは違いソーマ自身このかた料理なんて物はエイジの部屋で作ったプリン以外には、作った事が無かった。

 

 

「簡単だよ。ここにザラメを入れて、あとは出て来た物を巻き付けるだけだから」

 

 何気に説明しながらも、エイジの手は止まる事無くザラメを機械へと投入した。機械がうなりをあげながら加熱された砂糖が糸を吐き出す。風に吹かれた様にゆるりと舞う糸を器用に巻き付けると、そこには雲の様にふんわりとした白い綿あめが出来ていた。

 ちょうどここに来ていた子供に渡すと喜んで食べている。羨ましそうな目で見ていたシオに目をやると、突如としてソーマを見やり、無言で服の袖を引っ張りながら強請っていた。

 

 

「エイジ、それは簡単に出来るんだよな?」

 

「さっき見た通りだよ。出て来た物を巻き付けるだけだから難しくは無いはずだよ」

 

 いとも簡単に出来るとばかりに材料を入れると、直ぐに白い糸が沸き起こる。エイジは確かに簡単そうにやっていたが、実際にやってみると確かに巻き付ける事は出来るが、エイジほどふんわりとした物では無かった。

 

 

「ほら。エイジ程じゃないが、これで良いか?」

 

「ありがとう。ソーマ」

 

 何となく不恰好な事は分かってはいたが、一旦シオに渡すと喜んで食べている。見た目はふんわりしているが、口に入れると瞬時に無くなるその食感が普段食べた事がないのかシオの表情が全てを物語っている。

 

 

「ソーマ。これ、くちのなかに入れるとすぐに溶けたぞ」

 

 アーカイブには確かにあったが、見ると体験するでは大きな違いがあった。

 小さな砂糖の塊が糸の様に出てくる光景は不思議な様にも思えたが、いかにもと言った雰囲気がそこにはあった。ソーマが作っていた事に驚きはあったものの、シオが食べている姿はどこか安心出来るのと同時に、この日常を守っていきたいとさえ思わせる様子でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやしかし、変われば変わる物だな。まさかソーマがあそこまでとは」

 

「そうねえ。まさかあんなに尖っていたソーマがあそこまで変わるなんて、当時の事を考えると有り得ない光景なのかもしれないわね」

 

 定期検診に来ていたのはシオだけでは無く、そこには大きなお腹のサクヤも一緒に来ていた。時期的にはそろそろ臨月間近の為に中々顔を出す機会は減っていた事もあり、久しぶりにとアナグラに顔を出していた。

 今までもロビーで何か作ったり食べたりしている光景は既に見慣れたものではあるが、それはあくまでもエイジが中心となる事はあってもソーマが中心になる事は無かった。

 

 シオがもたらした物は言葉では表わす事は出来ない。そこには確かな明るい未来が見える様な気がしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや~君達のおかげで十分なデータが取れたから、今度のイベントに胸を張って出す事が出来そうだよ」

 

 結果的には任務帰りの人間が予想通り集まったのか、ソーマとエイジがひたすら作り続けていたのと同時に、今回は珍しくまともな物を作ったと改めて榊博士を評価していた。

 しかし、ここで疑問が一つだけあった。先ほどの榊が発言したイベントの単語に嫌な予感しか感じ得ない。これから一体何を企画するつもりなのかは、まだ榊の胸の内にしまわれている。

 またかとの考えと同時にまさかの考えが広がるも、取敢えず当初のシオの要望だけは果たす事が出来た事を良しと考え、それ以外の事に関しては命までは取られる事はないだろう事だけを考えるにとどめていた。恐らくは碌な事はしないだろうと予想は出来るが、そこから先の思考を止める事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でもさ、榊博士が言ってたイベントってなんなんだろうね?」

 

「なんでしょうね?…何となく不安な事だけは間違いない様に思えるんですけど…」

 

「綿あめだから、普通なら縁日が定番なんだけど、多分それだけ使うなんて事はないだろうからね。ソーマはどう思う?」

 

「あのオッサンが考えている事なんて知るか。俺はもう御免だからな」

 

「そう?まんざらでも無い様に見えたのは気のせい?」

 

 これからアラガミ討伐を始めるとは思えない程にゆったりとした空気が流れ込んでいる。本来であれば、今回のミッションは高難度の為に緊張感はあるものの、今の第1部隊に気負いは一切ない。

 昨日の事に付いてこれからお茶でも飲んで話し込むのかと思われる様にも思えていた。

 

 

「でもさ、何で声かけてくれなかったんだよ。話聞いた時にはもう終わってたなんて最悪じゃん」

 

「ごめん。材料が元々無かったんだから仕方なかったんだよ。次回のイベントの時に作れば良いよ」

 

「コウタも変な所で意地汚いんですから。次があるならそれでいいじゃないですか」

 

「そう言うアリサだって、少し残念そうだったじゃん」

 

「わ、私の事は良いんです」

 

 昨日の綿あめの頃を聞きつけた頃には材料は既に無くなり、完売となった頃にコウタが任務帰りで戻っていた。

 元々材料が無かった事も一因だが、そもそもシオが言い出した事が全てのキッカケとなり、その場に居なかったアリサも改めてサクヤからその話を聞いていた。

 実際にコウタは綿あめの存在は知っていたが、実際に見た事は無く、最後の一口を食べている所だけを少し見る事しか出来なかった。

 

 

「そろそろ現地に到着しますので、準備をお願いします」

 

 ヘリの操縦士の一言で、今までのゆったりとした雰囲気が一転し、厳しい物に一瞬にして変わる。今やれる事を理解し、全力を尽くす事でこの先の未来を紡ぐ事が出来るとばかりに、下に見えるアラガミ達を討伐すべく降下を開始した。

 

 

 



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番外編3 隊長としての職務

「今日のミッションはどうでしたか?」

 

 カノンの何か力が抜けたような、それでいて何か確認するかの様な声が帰投準備中のタツミの耳に届いていた。事の始まりは少し前に討伐したハンニバル戦にまで遡っていた。

 

 緊急事態とは言え、エイジ、アリサ、無明の3人と巻き込まれ気味に参加する事になった対ハンニバル戦は、帰投してからのカノンの評価を一転させていた。『極東の誤射姫』などと、本人のあずかり知らない所での不名誉とも取れる二つ名はアナグラだけではなく、一部の支部にまで名声は轟いていた。

 

 入隊直後の今までにない程の神機との適合率は実戦投入前からも注目の的となり、早い時期からの多大なる成果が予想されていた。

 しかし、その期待は瞬く間に失望へと変化していた。一番の問題点はある意味脅威とも取れる誤射率。本人の言葉を借りれば、狙っている間にアラガミが移動しいているとの談だが、実際の所は誰にも事実は分からない。だからこそ、本人の教育を兼ねてタツミが通常の出動の中で一番同行回数が多かった。

 

 

「…ま~。そうだな…いつもよりは良かったと思う」

 

「そうですか。この前のハンニバル戦の教訓が生きてるんでしょうか?」

 

 どうやらこの前のハンニバル戦で、カノンの中で何かがブレイクスルーしたのだろう。

 人間誰しもが困難な状況を問題なくクリアすれば、それが強烈な体験となり、今までに培ってきた物が一気に開花するケースがある。もちろん、それは神機使いにも当てはまる事でもあった。

 だからこそ、カノンはあれから今日に至るまでに何の疑問も持つ事もなくミッションへと参加していた。

 

 

「だとすれば、あの当時の状況を常時出す事が出来れば、もっと数字は良くなるはずだ。だからこそ、もっと精進しないとダメだぞ」

 

「はい!私にもまだまだ伸びしろがある事が証明されましたから!」

 

 タツミはどこか力が抜け落ちたかの様な声で返すも、肝心のカノンはそれに気が付いていなかった。厳密に言えば、今回の内容も誤射が無かったかと言えば、答えはNOだった。

 

 

「射線上に立つなって私言わなかった?」

 

「お前が勝手に立ってるんだろうが!そして直ぐに引鉄を引くな!」

 

 実際にはこんなやり取りを何度かしていた。数回は射撃の気配を感じ取った事で回避に成功していたが、戦闘中に事実上の挟み撃ちで回避不可能なポイントが幾つか存在していた。その結果2回程背後から直撃したが、いつもに比べれば格段に少なく結果的には討伐時間の大幅に短縮されていた。

 

 

「なぁカノン、そんなにハンニバル戦の時はすごかったのか?」

 

「いや、あれは凄いなんて言葉で片付ける事は出来ませんよ。引金を引けばすべてが着弾して、結合破壊が起きましたから」

 

「いや、そうじゃなくて、無明さんの動きとかはどうだった?」

 

「動きですか……すみません。記憶にはあまりありませんでした」

 

「そうか……そうだろうとは思ったんだがな……」

 

 ある意味予想通りとも言える回答ではあったが、タツミとて隊長と言う職務に付いている以上、部下の指導はある意味必須条件となっている。当時の事だけでは無く、現在も何度か自分以外の人間とミッションに行った際のログまで確認している。

 だからこそ、一つの事実が浮かび上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジ、少し時間良いか?」

 

「大丈夫ですけど、どうしたんですか?」

 

 帰投してからエイジの元へと移動した先で、エイジは白い塊と格闘している最中だった。話はしているが、先ほどからは何かをこねている様にも見える。当初は子供の頃に遊んだ粘土かと思ったが、こんな所でやる事はないだろうと、改めて視線をエイジへと戻していた。

 

 

「ちょっと相談があったんだけど……なあ、その白い塊は何だ?」

 

「これですか?これは生地を作ってるんです。作り置きがあると時間が無い時に便利なので今の内にと思って」

 

 恐らく何かの食べ物を作っているのだろう事は分かったが、一体何を作っているのかタツミは当初ここに来た用件を半分忘れたかの様にエイジの手元を見ていた。ある程度こねられた生地をボウルに入れた所で、漸く時間の余裕が出来たのか、改めてタツミの話を聞く事にした。

 

 

「相談って何です?」

 

「…ああ、すまない。実はカノンの事なんだけど、ハンニバルと戦の時の無明さんの動きが知りたいんだ。ログだけだと判断出来ない部分が多数あったから、目の前で戦っていたお前ならひょっとしたら何か分かるかと思ったんだけど」

 

「この前話した通りで、これと言って特別な動きはありませんでしたよ」

 

「確かにそうなんだけど、さっき行ってきた任務でも結局被弾したから、何かヒントになる物があればと思ったんだが」

 

 極東支部での部隊長職は名誉職ではない。部下の命を預かり、指揮する事でその生存率を高め、その結果として討伐任務も完遂するのが責務とも言える。当然の事ながら特定の人間だけを排除して任務に就く事は言語道断とも言えると同時に、本人の自信をつける事も業務の一つとも取れた。どんなベテランでも僅かに気を抜けばたちまちアラガミに捕喰される。そんな苛烈な地域で戦力のアンバランスは自身の命にも直結するが故の事実だった。

 

 

「タツミさんは仕事熱心なんですね」

 

「あのなぁ、ヒバリちゃんの事だけじゃないぞ。これは当然の事だからな。お前さんだって苦労したろ?」

 

 言葉には出さないが、恐らくソーマの事を指しているのは容易に理解できた。今でこそ丸くなったが、就任当時は何かと大変な部分は確かにあった。特に今のアナグラのメンバーの中で言えばリンドウやサクヤについで付き合いが長いのがタツミでもあり、またあの当時は行く先に関して何かと心配した時期もあった。

 

 

「そんなに苦労とは思いませんでしたよ」

 

「器が大きいやつは、言う事も違うな。……話は逸れたが、カノンとのミッションは割と多いと思うけど、何か注意している事って無いか?」

 

「注意と言うよりも、どうすれば効果的なのかを考えて行動しているので、あまり考えた事は無かったですかね。敢えて言うならばカノンさんのやりたいようにやらせてそれをフォローしていると言った方が正解かもしれませんね」

 

「やりたい様に……ねぇ」

 

 何気に言った一言ではあったが、現場の状況を思い出せば、確かにカノンはあまり考えずに撃っている様にも思える。適合率が高い=攻撃力も高いと考えるならば腹にストンと落ちる考えでもあった。

 

 通常、遠距離型は名の通り遠距離から牽制するかの様な動きでアラガミと対峙する事が殆どの為に通常は後ろに配置する事が当然だった。事実、カレルやジーナに関しても、アラガミとの間合いは中距離から遠距離で行動する事が圧倒的に多い。

 近距離型と違い、接近戦になると回避行動だけしか出来ず、その結果自分の命が危険にさらされやすくなる事実があった。しかし、その常識を破るのがブラスト型の存在でもあった。バレットも放射型が多く、モルター系統も射程距離は長くない。その結果、ブラスト型は遠距離型と言いながら、実際の間合いは近距離型のそれと変わらなかった。

 もちろんバレットを選べば多少は異なるが、生憎と今のカノンが好んで使うのはどれも射程距離が短い物ばかりだった。現在の所ブラスト型の遠距離はカノンしかいない。

 

 あまりにも当たり前すぎたエイジの意見はタツミの目から鱗が落ちた様でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話始めてからど位時間が経過したのだろうか?エイジは再び生地をこねだし、タツミは先ほどの考えをまとめている様にも見えた。

 

 

「多分ですけど、兄様はその特性を勘案した結果かもしれませんね。実はあの時、僕もカノンさんには退避する様に言ったんですけど、兄様が火力を重視した結果で決めたんです」

 

「えっ、そうなのか?」

 

「そうなんです。その結果なので本当の事を言えば、僕もカノンさんの事を言う資格は無いのかもしれませんね」

 

「そうか……」

 

 ある意味反省とも取れる内容に少なからずともタツミは驚きを隠す事は出来なかった。第1部隊で華々しい戦績を残し、現時点でも極東で一番とも取れる様な戦績を誇る人間がまさかそんな事を考えていたとは思ってもいなかった。誰とでも組めるのが新型特有ではあるが、近接だけや遠距離だけとは違い、その遊撃性の高さが一番のウリではある。しかし、その自由度は時として問題にもなり易かった。攻撃レンジが把握できないままに戦えば周囲との連携が上手く行かなくなる可能性を孕んでいた。それも一歩間違えればどっちつかずになりやすい。事実同じ新型でもエイジとアリサでは攻撃のレンジが違っていた。

 

 

「だからこそ、今はどうやれば出来るのかを考えながら試行錯誤してますよ」

 

「そうか。苦労してるな」

 

 改めて部隊長としての職務を考えといる内に、今度はリズミカルは包丁の音が聞こえ始める。どうやら先ほどの生地を伸ばして切っているようだった。

 

 

「ひょっとしたら、うどん作ってるのか?」

 

「よく分かりましたね。手持ちが小麦粉だけだったんで、水と塩を使って作ったんです。あとは冷凍しておけば即席麺の変わりになりますから」

 

「しかしマメだな。いつも第1部隊の連中はこんな物食べてるのか?ある意味うらやましいな」

 

「食べさせてるつもりはないんですけど、コウタがいつも何かくれって言うんで…もう癖みたいな物ですけどね」

 

 先ほどまでの隊長とはと言った話が徐々に逸れだし、今は切っているうどんを見ていた。しっかりと発酵され、ゴッドイーターの力でこねられればさぞ強いコシのあるうどんが出来るのだろう。

 まだ食事前のタツミにとっても、それはかなり魅力のある物に思えた。

 

 

「そう言えば、タツミさんはもう食事って終わりました?よかったら少し食べませんか?」

 

「良いのか?それは保存用だろ?」

 

「生地はまだあるので大丈夫ですよ。これはこれから食べる為の物ですから」

 

「だったら御馳走になるよ。最近は味気ない物ばっかりだったからな」

 

「ヒバリさんと食事には行かないんですか?」

 

「行くけど、毎回時間が合う訳じゃないからな。お前だってアリサとしょっちゅう食べてる事はないだろ?」

 

 まさかここでヒバリとの話がでるとは思わなかったタツミはお返しとばかりにアリサとの事を話す。よく考えればいつもエイジが作ってアリサが食べる光景は見たが、その逆はあったのだろうか?何気に確認してみる事にした。

 

 

「アリサは作らないのか?」

 

「……今はまだ人に出せるレベルの物は無いですね」

 

 どうやら地雷を踏んだのか、エイジの目から光が消え去り、顔に曇りが生じていた。アナグラの中でも他の部隊の事まで知っている事はあまりなく、実際に帰ってからつまむ程度の物がカウンターに置いてあれば食べた事は何度かあった。

 しかし、作っているのはエイジだけ。実際にゴッドイーターの中でも人に出すレベルの物を作るのは他にはカノンしかいない。そう考えれば随分と短期間でここの食に関する環境が大きく変わったのだと、タツミは改めて理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジ、何か食うもんないか~腹減ったんだよね」

 

「だから母親じゃないから。たまには自分で作ったら?」

 

「いや、俺のレベルだと無理だから。アリサだって作れないだろ?」

 

「私は今は習っている最中ですからコウタとは違います」

 

「えっ。習ってるの?って言いうか食べる事出来るの?」

 

「それどう言う意味ですか。一度しっかりとお話した方が良さそうですね」

 

 毎回の様に見る光景。既に何度このやり取りが行われているのか数えきれない程だった。日常とも取れる事の光景に既に慣れたのか、ヒバリも突っ込む様な事は何も言わず自分の作業をしていた。

 

 

「おうお前ら、ご苦労さん。今日は珍しく食べる物があるぞ」

 

「タツミさん。何食わしてくれるんですか?」

 

 コウタの期待の目と同時にエイジの顔をちらりと見やる。何か反応が見たいのかもしれない。

 

 

「今日はうどんだ。ちなみに俺も手伝った」

 

「タツミさん料理出来るんですか!?」

 

 この言葉に一番驚いたのはヒバリだった。このアナグラの中で料理を作って振る舞う人間は殆ど居ない。だからこそタツミの発言にヒバリは驚きを隠せなかった。

 

 

「ヒバリちゃん。それ酷くない?」

 

「だって、今まで作ってくれた事なんてなかったですから」

 

「タツミさん、少しはヒバリさんにふるまったらどうですか?」

 

 自分の事ではないので、アリサの顔が生き生きとしている。一体何の事なのかと先ほどの声にリッカまでロビーにやって来た。

 

 

「まぁ、手伝ったとと言っても、大した事はしてないけど」

 

 予想以上の反響に驚きを隠せなかったが、手伝った事に変わりは無い。確かに鰹節を入れてネギを刻んだのはタツミなのだから。

 

 

「大した数はないけど、人数分位はあるはずだから、みんなで食べない?」

 

「それ私の分もある?丁度お腹減ってたんだよね」

 

「…多分大丈夫なはず」

 

 穏やかな空気が流れる日常がここにある。激戦区だからこそのゆとりが今の極東支部を支えているのかもしれない。

 

 

 




本編の気分転換と何気に手打ちうどんの記事を見たので書きました。
後悔はしてません。




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第 弐 部
第88話 就任


「エイジ、私が居ない間に浮気しないでくださいね。只でさえ皆が狙ってるんですから」

 

「誰もそんな事してこないし、しないから。大丈夫だから安心しなよ」

 

「でも……やっぱり一緒に行きませんか?」

 

 アリサのロシアへの一時渡航の日があっと言う間に来ていた。色々とやるべき事はあったものの、実際には何のトラブルもなく無事に出発の予定日を迎えていた。

 

 

「あのなぁ。いつまでもこんな所でイチャイチャするなよ。エイジだって、一時的にはここを離れるんだから、アリサが心配する様な事は起こらないって。ほら、早く行かないとまたツバキ教官にどやされるぞ」

 

「分かってますよ。コウタも少し位は空気読んでください」

 

 まるで今生の別れの様な場面だが、実際には渡航出来る日程は2週間程なので、アリサが心配する様な事は何も起こる気配はなかった。事実、今まで随分と棚上げされてきた新しい支部長の護衛の関係で本部からエイジが指名され、その為にアリサが出発する数日後には同様に本部へと行く事が決まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「如月エイジ入ります」

 

「ご苦労。今回の用件だが、新しくここに来る支部長が決定した。その護衛としてだが、先方から第1部隊長をと指名されている。本当の事を言えば、知っての通りアリサも一時的にロシアに行く事が決定している関係上、行ってほしくは無いんだが、今後の事も踏まえて行って貰う事にした。実際には移動込で1週間程の日程だ」

 

「了解しました」

 

 今まで本部から何度も招聘されている事はエイジの耳にも入っていた。しかし、極東支部も幾ら精鋭が居るからと言って態々第1部隊を務める隊長を手放すと言う選択肢は全く無い。内部でも協議した結果、現地の滞在時間は移動込で1週間の日程だった。

 

 

「エイジ、神機に関しては既にマニュアルは手配してあるから、現地でも困る様な事にはならないはずだが、くれぐれも神機の能力は本部では使うな」

 

「分かりました兄様」

 

「君なら大丈夫だとは思うが、今回の任務はちょっと特別でね。事前に言っておくけど、今回着任予定の人物なんだが、後任としてガーランド・シックザールとなっているんだよ」

 

「ガーランド・シックザール…ですか」

 

「名前の通り、前支部長の弟に当たる人物だがこちらとしては態々断る内容でも無いし、彼の発表した論文は世間でも随分と評価されていてね。こちらとしても立派な人物像を持った人間を断る理由が無いんだ」

 

 名前を聞いた瞬間、まさかと思った事が伝わったのか、榊から改めて人物像に関しても予備知識が教えられていた。あのアーク計画の発案者でもあったヨハネス・フォン・シックザールの弟であるならば、何らかの対処が必要なのでは?との考えが頭の中にあった。

 

 いくら榊が大丈夫だと言った所で、今まで培ってきた感覚が気を許すなと言っている様にも思える。本来であれば初対面どころか未だに会った事も無い人間に抱く感情で無い事は間違い無かった。エイジはそれ以上の事は何も言わず、今は情報を頭に入れる事で対処する事にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君が極東支部の第1部隊長の如月エイジ君だね。私の名はガーランド・シックザール。君たちが良く知っているヨハネス・フォン・シックザールの弟だ。これから君たちの上司になるが、極東支部には榊博士や紫藤博士も居るから、私としても安心して業務に励む事ができる」

 

 エイジが本部に到着し、ロビーでほどなく次期支部長のガーランドと挨拶をしていた。言葉そのものは丁寧に聞こえるが、片方に付けられた眼帯の影響なのか、どこか心無い様な雰囲気がそこには存在している。少なくとも見た目だけの印象ではあるが、一筋縄ではいかない人物像を醸し出していた。

 

 

「実は君には多大な関心があってね。本部でもスコアの上昇値が劇的に伸びているのと、接触禁忌種をいとも容易く討伐している事で有名なんだ。実は今までに何度か招聘していたんだが、君の所からは断られていてね。済まないが時間がまだあるから、1.2日程ここでミッションをこなしてもらえないだろうか?」

 

 いきなりミッションになるとは思っていなかったが、ゴッドイーターはいかなる状況であってもアラガミが出れば討伐するのが任務となる関係上、特に困る事は何にも無かった。

 そもそも護衛任務で終わるなんて甘い考えは無かったのと、今までずっと狭い場所で拘束されながらの移動はエイジにも少なからずストレスが溜まっていた。

 

 

「了解しました。これより明日まで討伐任務に入らせてもらいます」

 

 極東支部の第1部隊長であれば、その腕を信用しない者は居ない。事実見た目はまだ20歳ににも満たない人物がと思う人間も少しは居たが、本人に合った事で実力がハッキリと理解できていた。

 以前に合同任務で来ていたタツミはその腕前で判断されたが、エイジはそこまでしなくてもその圧倒的とも言える存在感と、これまで死地とも言える局面を何度も潜り抜けた雰囲気に誰もが異論を唱える事はない。周りにそれを思わせる必要すらないとばかりにその存在感を示していた。

 

 

「今日一日ですが、よろしくお願います」

 

「こ、こちらこそ足を引っ張らない様に宜しくお願いします」

 

 今回の一日限定の任務は暫定的に討伐部隊での編制となっていた。極東と言えば、アラガミの動物園と揶揄できると同時に、その強さは世界の中でも一、二を争う地域。そこの部隊長であれば緊張するのは間違いでは無かった。

 実際に任務に就くと、以前タツミから聞いていた通り、極東に比べればここのアラガミは極東ならば曹長レベルでも十分すぎる程の程度の為に、いざ戦闘に入ると、他のメンバーが戦闘に入る前に単独で終了していた。

 事実、討伐時間に関しては過去の事例から比べても最短記録を常時樹立し、今後この記録が破られる事はないだろうと思われる程の時間で討伐が終了していた。

 実際にはアラガミのレベルが低いだけでは無く、実際に換装されている神機のレベルとその技術力、判断の早さとどれを取ってもこれが最前線の部隊長なのだと言う事を嫌と言うほど認識させていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「如月君。ご苦労だったね。少しは本部の連中も極東の事を考え直してくれたと思う」

 

 ガーランドが労いの言葉をかけると同時に、既に極東支部長としての考えを示す事で一定の信頼を得た様にも思えた。現場レベルでも新人は尊敬の眼差しで見ていたが、古参の連中に関しては、今までの自分達がやって来た事がまるで児戯に等しいと思われているのは面白くないのか、距離を取った様な目で見ていた。

 こんな所に来たからと言って態々余所行きの仕事をする必要は何処にも無い。ましてやエイジ自身はそんな気持ちも考えも最初から持ち合わせていなかった。いつもと変わらない任務とばかりにやってたに過ぎなかった。

 

 

「どうでしょうか?かえって違う目で見ているかもしれませんね。以前、合同任務で着ていた大森隊長からも話は聞きましたが、ここは他と違って随分と自信をお持ちの方が多い様にも思えます」

 

 無明からも出発前に本部の考え方や現実を聞いていたので、ある程度の耐性は持っていたつもりだったが、任務に出るとその違いに愕然としていた。明らかに散漫な動きと警戒心の無さ、そして今までそうだったのか、数に頼る事で個々の戦力は想像よりも低い。にも関わらず現状に満足しているのを見て、表情にこそ出さないが呆れかえっていた。

 本来であれば嫌味や毒を吐く様な事を一切しない人間がこんな台詞が出てくるのはかなり珍しい事でもあった。

 

 

「ここは極東支部とは違う。君のレベルからすれば新兵と変わらないのかもしれないが、ここではそれが普通なんだ。榊博士や紫藤博士がここに来させるのを嫌がる理由が良く分かったよ」

 

「申し訳ありません。そんなつもりで言った訳では無かったんですが、最近まで来ていた他の支部の新人の方がかなりマシだと感じてしまいました」

 

 元々本部の上層部に居た人間に関しては随分と現場よりの指揮官だとは思ったが、ここまでハッキリ物を言うとは思ってもなかった。来る前には警戒していたが、これなら信頼に値するのでは?との考えと同時に、今までの考えを一変していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれが神々を退けて築き上げた虚構のアジールか。何だか感慨深い物があるな」

 

 短いながらに出された日程をこなし、引き継ぎも終え漸く極東支部へと戻る事になった。既に手続きは本部で完了しているので、あとは現地での手続きで全て完了となる。ヘリからも肉眼で極東支部が見え始めて来た時に、操縦士からの緊急とも言える連絡が入った。

 

 

「申し訳ありません。この先の上空に未確認のアラガミが居ます。このままではこちらが撃墜される恐れがあります」

 

 操縦士が言った先には大きなムカデの様なアラガミが上空を滑空し、まるでエサでも見つけたかの様な勢いでヘリに迫る。このままでは確かにアラガミのエサとなって終わる未来しか残されていない。もちろん、このままむざむざとやられるつもりは無かった。

 

 

「このまま、討伐に出ます。後の事はよろしくお願いします」

 

 ケースから神機を取り出し、このまま討伐の体制に入る。地上ではなく、空中での戦いの為に足場の確保が出来なければそのまま地上へとダイブする事になるのは間違い無かった。足場と支えの無い空中戦。どうすれば無事に討伐できるだろうか?短時間での戦略を考え、一気に行動に出ていた。

 

 

「身体がなまらない様に動くか」

 

 一言だけ誰にも聞こえない様に呟くと同時に神機からアラガミとも思われる大きな咢が現れ、今か今かと待ち構える様に捕喰の体制に入る。『捕喰形態』と同時に滑空しているアラガミに大きく喰らいつく。

 頭から突っ込んでくるように飛来したアラガミは大きな咢に喰らいつかれる事で頭から先が既に無かった。頭が無くても僅かに生命としての本能なのか、未だ蠢いている。

 捕喰した事でバーストモードに突入し、一気にケリをつけるべく胴体を縦に大きく切り裂く。事実上の一撃必殺を持って、そのアラガミの生涯を終わらせた。

 

 未だ空中での戦いである事に変わりない。当初足場を気にしていたが、実際にどんな動きをするのか読めない以上、まずは討伐を第一と考え戦いながら高度を徐々に下げる事に専念していた。

 結果的にはその戦術が功を奏し、致命傷を負うほどの高度ではないものの、着地さえ間違えなければ何も問題なく終わるはずだった。

 

 

「しまった!」

 

 オラクル細胞の塊でもあるアラガミは、頭から胴体まで無くなっても完全に動かなくなるまでに時間がかかる。事実、蠢いた身体の一部がエイジに襲い掛かった。地上であれば回避できる事も空中では回避する事は出来ない。盾を展開するにも不意打ちとも取れる攻撃がエイジの胴体を横なぎにし、威力を殺す事も出来ないまま地上に向かって叩きつけられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちらに向かっているヘリの1台が撃墜されました。現在はエイジさんが交戦中ですがこのままでは2台とも撃墜される恐れがあります。手の空いている方は至急現地まで急行して下さい」

 

 当初の予定通りに本機と護衛機の2台体制でこちらに来ていたが、突如正体不明のアラガミの襲撃を受け、極東支部に緊張が走る。今までに空中に浮かんだアラガミはいたが、いずれも大型種ではなかった。ただでさえ新種の討伐には入念な準備が必要となるが、今回のアラガミは空中を飛ぶ大型種。

 地上からの攻撃は何の意味も無いとばかりに状況を見守る事しか出来なかった。

 

 

「待ってください。今討伐が完了しました。……しかし、ソーマさん、コウタさん、至急ヘリの墜落現場へと急行してください。そこにエイジさんの認識信号が出ていますが、状況についての確認が取れません。お願いします」

 

 

《こちらコウタ。了解した。直ぐに現地に向かう!》

 

 ヒバリの声に2人も驚きを隠す事は出来ない。今までにもこんなケースはあったが、新種討伐とヘリの墜落と言う単語が嫌な未来を想像させる。万が一の事が無い事を祈り、至急現場へと向かっていた。

 

 

「ソーマ、エイジは大丈夫だよな?」

 

「今言われても知らん。しかし、事態は一刻を争うはずだ。空中戦なんて俺も今までやった事は無い。どこまでの高度で戦ったのかはしらんが、とにかく急ぐしかない。コウタ、もっとアクセルを踏め!」

 

「これ以上は無理だ。あ!あれじゃないか煙が出てる」

 

 これ以上は出ないと思われる程の速度で急ぐも未だ状況が交錯している。この目で確認しない事にはどんな状況かも分からず、不安だけが胸をよぎっていた。

 

 

「エイジ大丈夫か!しっかりしろ!」

 

 現場に到着したソーマの目の前には血だらけで横たわる男性が一人。誰なのかを確認するまでもなく、第1部隊長の如月エイジその人だった。

 

 

「救護班!如月エイジ1名が重傷だ。至急現場まで来てくれ!現状は意識不明の重体だ」

 

《直ちに向かいますので、現地での待機をお願いします》

 

 無線での短いやり取りで、全ての状況が把握される。おそらくアナグラでは大混乱となっているのだろう。そんな事を尻目に今できる事はアラガミが来ない様にする以外に何も出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リディア姉さん。今までありがとうございました。また連絡します」

 

「そんなに気を遣わなくても良いのよ。来れるときに来てくれればそれで良いから。今度はアリサの大事な人も一緒にね」

 

「はい!今度は一緒に来ますから」

 

 ロシアの滞在は当初の予定通り大きなトラブルも無く、無事に帰還する日となっていた。ロシアへの渡航の本来の目的は、過去と向き合う事で自分の中を一旦整理する事で、精神の安定を図る事を目的の第一としていた。

 当初はオレーシャの事もあったが、話をしていくうちに色々と考え思う事があったのか、当日の夕方の時点ではかなり打ち解けあっていた。

 

 

「まさかアリサに恋人が出来るなんてね……オレーシャにも報告したの?」

 

「一番に報告しました。姉さんも知っての通りですが、あの大車から救ってくれたから今があるんです。ある意味では命の恩人ですが、今はそれ以上に支えて行きたいんです」

 

 オレーシャには墓前で一番に報告したと同時に、リディアにも近況報告をしていた。ある程度の事はメールでのやりとりでも出来たが、詳細についてはやはり自分の口から話した方が良いとの判断から、今回改めての報告となった。

 当時の状況は今でも思い出されるが、当時はアリサの為だからと言われ、そのまま内容に関して異を唱える事は無かったが、実際に何が起こっていたのかを聞けば背筋が凍る思いだった。

 

 極東での奪還作戦が功を奏し、結果的には今の状態になったのはリディアとしても嬉しく思うと同時に若干寂しい気持ちもあった。当時の事を考えればリディアの目から見れば、オレーシャと同じ妹同然とばかりの付き合いでもあったアリサも、今は一人の女としての幸せも享受し、直接会った事は無かったが意外にもフェンリルの広報で見た顔だと言う事で、エイジの預かり知らない所で認識されていた。

 自分の手から離れた気持ちと同時に親代わりの部分もある。そんな複雑な気持ちがリディアにはあった。

 

 

「でも、話を聞いているとエイジさんは競争率が高そうね」

 

「そうなんです。エイジは自分の事は全く分かっていないんです。事実、アナグラでも他の女性神機使い達からは色々と注目されているのに何も気が付いてないんです」

 

「あらそうなの?私は広報の資料でしか見てないから何とも言えないけど、確かにあれだけの神機使いとしての実力とそれ以外での能力を考えれば分からないでもないかな。でも、その右手の薬指にはまってるリングを見れば、杞憂だと思うわ」

 

 何気に言われた指輪の事は今まで気が付いていたが敢えて話さなかった事でアリサも驚いていた。本当の事を言えば、サイズが分からないからと言われたリングだが、実際には確かめるまでもなく、右手の薬指以外にキッチリと合う指は無かった。

 恐らくはああ言ったものの、照れ隠しだったのだろうか?今思えばそれ以外の選択肢が何も無かった。

 

 

「私と居るよりも早く会いたいんじゃないの?」」

 

「そんな事ありません。と言いたいですが、姉さんの言う通り、そうなのかもしれません」

 

「その彼を大事にするのよ」

 

「はい!」

 

 満面の笑みで答え、一路エイジが待っている極東支部へと急ぐ事となった。

 

 

 



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第89話 記憶

「まだ意識は戻らないんですか?」

 

「あのね、3時間前にも同じ事聞いてたけど、まだ何も変わってないの。気持ちは分かるけど、今は待つ事しか出来ないのよ」 

 

 飛行する新種の討伐から数日が経ち、今まで見舞いに来ていた人間も未だ意識が回復する気配が無い事に苛立ちを感じていた。新型の2人が居ない事で現在の第1部隊は3人体制となっているが、幸か不幸か大型種の討伐や緊急で入るミッションが無い事だけが気休め程度ではあったが、安心させる内容でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは?」

 

「漸く意識が回復したみたいね。ここはアナグラの医務室よ。意識不明から2日経ってるけど、大丈夫?」

 

「……アナグラ?ですか?」

 

 意識が回復した事で一定の安堵感が広がったが、どうも会話の様子がおかしい。会話そのものは成立しているが、どこか噛みあわない内容に違和感がった。ここは一体どこなんだろうか?まるで何も知らない所に迷い込んだ様なエイジの発言から、流石に何かが違う事だけが容易に判断できた。

 

 

「そう。ここはアナグラ。フェンリル極東支部の医務室なんだけど、君の名前と所属は分かる?」

 

「名前……エイジですが、所属は……僕は一体何に所属してるって事なんですか?」

 

 落下の影響なのか、記憶の一部が明らかに欠落している。名前は辛うじて憶えているが、所属が分からない時点で記憶障害が出ている事だけが今は理解出来ていた。ただでさえ激戦区と呼ばれているこの極東支部の中でも精鋭部隊の隊長が記憶障害では、今後の影響は計り知れない。

 今はまだ現状がハッキリとしない以上、まずは治療を最優先とすると同時に、この状況を公表すべきでは無い。

 本人には伝える事はないにせよ、これ以上の事は今の医療では何の手立ても無かった。

 

 

「私の名前はルミコ。ここの医師だよ。で、君の名前は如月エイジ。ここの第1部隊の隊長をしているんだけど、思い出せそう?」

 

「……すみません。ちょっと分からないです」

 

「そう。意識は回復したけどこれではちょっと困った事になるわね。今日は1日ここで養生して、明日からは自室で療養待機する事。良いわね?」

 

「わかりました。そうさせて頂きます」

 

 目覚めたまでは良かったが、ここが見知らぬ場所であると同時に名前だけは何となく記憶があるフェンリル極東支部。詳しい事は分からないものの、何となくここに居た事だけは体が覚えている様な感触だけがあった。

 自身の右腕にはゴッドイーターの存在意義でもある赤い仰々しい腕輪が装着され、意識するつもりは無くても、何か行動を起こす度にその存在が大きく認識させる。

 どうやら大きな怪我をしていたのだろうか、体中と頭に包帯が巻かれていた。

 

 先ほどの医師の話からも自分の記憶の一部が欠損している事だけは何となく理解している。身体の感覚と自分の記憶が常にミスマッチな状態になり、どことなくアンバランスな様にも思えるが、今は何もする事が出来なかった。今の自分に出来る事はそのまま言われた通りに養生するしかない。エイジは改めてベッドで眠りについていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジ!もう大丈夫なのか!心配したぞ」

 

「コウタ。お前は一々大げさなんだ。こいつが無茶するのは今更だろうが」

 

「なんだよ。ソーマも心配だったくせに何言ってんだよ!」

 

 自室に移ってから、突然2人の男性が部屋に入って来た。名前は覚えていないが、会話からこの2人はコウタとソーマと言う名だと、そして自分に対して心配していた事だけは何とか理解できた。

 恐らくは自分にとって敵では無い事だけは目の前の2人からは感じられる。しかし、今のエイジにはどうやって接すればいいのだろうか、これまでの自分との関連性が見いだせなかった。部下なのか友人なのかすら判断出来ない今は、その距離感が全くつかめなかった。

 

 

「そう言えば、新しい支部長の就任の挨拶がこれからあるらしいから、アナグラに待機中の人間は一旦ロビーに集合だって。それとさっきアリサが帰って来たらしいから一緒に行こうぜ」

 

「え……ああ、分かった」

 

 何をどう言おうかと悩んいた所で、意図しない所からの助け舟が出ていた。どうやらこの後、全員が参加の挨拶があるからと、着替えもそこそこにロビーへと急いだ。会話の中で出て来たアリサと言う人間も恐らくは自分と同じ部隊の人間である事は間違い無いが、どうやって対応した方が良いのだろう?そんな気持ちと共に記憶はどうやれば戻るのだろうか?今のエイジにはそんな気持ちしか無かった。

 

 ロビーには新しく来る新支部長の挨拶の為に、現在待機中のゴッドイーターがあちこちで待っている。コウタに連れられて行った先には先ほど話に出ていたアリサが待っていた。笑顔で出迎えて貰えた事は素直に嬉しいが、自分との関係性が何も分からない。

 今のエイジにはアリサの笑顔に対して何の感慨も無い。何となくここに居る様な、どこか他人事の様な感覚でしかなかった。

 

 

「あっ!エイジ帰ってきました」

 

 満面の笑みで迎えているアリサがこちらに走ってくるが、今のエイジには人間関係が全く分からず、本当の事を言えば戸惑い以外の何物でも無かった。しかし、同じ部隊のメンバーである以上は無視する訳にも行かず、この場をやり過ごす事が精一杯だった。

 

 

「や、やあ。お帰り…アリサ」

 

「エイジ、その包帯はどうしたんですか?ちょっとコウタ、エイジをどうしたんですか!」

 

「俺に言われても……ソーマ、後は頼んだ」

 

 満面の笑みでエイジを迎えたはずだが、頭に包帯が巻かれた現状を見れば、何らかの負傷を負った事は直ぐに理解出来た。自分も同じミッションに同行していればまだしも、ロシアに一時的に渡航していた現状ではアリサは何もする事は出来ない。帰国後の挨拶もそぞろにコウタに詰め寄っていた。

 

 

「コウタのやつめ……エイジはミッションの際に負傷しただけだ。命に別状はない。アリサが心配する様な事は無いはずだから安心しろ」

 

「2人が居て何やってたんですか!」

 

「だったら、ロシアまで連れて行けば良かっただろ」

 

「ツバキ教官に断られたんです。許可が出ればその予定だったんです」

 

 隠すつもりも無く当時の事を思い出す。確かに出発の際にも似たような事は言っていた記憶があったが、まさかツバキに本当に言っていたとは思っても居なかった。それはソーマだけではなく、その場に居た他の神機使いも同じような事を考えていた。

 

 

「心配なら様子を見れば良いだろうが。俺には関係ない」

 

 これ以上のとばっちりは御免だとばかりに、ここで話を一旦区切る。そうこうしている内に、新しく赴任する事になったガーランド新支部長に注目が集まった。

 挨拶そのものは何ら変わった事も無く、つつがなく終了したものの、やはり気になるのは新支部長のファミリーネームでもあるシックザール。ここで誰も発言する事は無かったが、ほとんどの人間はソーマとの関係性を考えた。しかし、今の段階では他人のそら似の可能性もある以上、これ以上の詮索をされる事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジ、今日はこの後の予定はどうなってますか?」

 

「ごめん。今日はちょっと都合が悪いんだ。またにしてくれる?」

 

「まだ、身体が痛むんですか?」

 

「それもあるけど、ちょっと今は都合が悪いんだ」

 

「そう…ですか……」

 

 やんわりと断られ残念に思うと同時に、何となくエイジの様子がおかしい事にアリサは疑念を抱いていた。行く前の様に話す際には目を合わせる事も無く、まるで何かを避けるかの様な雰囲気と共に、自分を明らかに遠ざけようとしている。

 ロシアに行っている間に何があったのだろうか?僅かながらにアリサの胸中に一抹の不安がよぎった。しかしながら、今の時点でエイジの都合が悪いと言われた以上、これ以上の詮索は出来ない。

 まさかと思いながらも去って行くエイジの背中を見ている事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コウタ、少し話があります」

 

「お、おう。どうしたんだ急に?」

 

 エイジの様子が明らかにおかしいのであれば、間違いなくロシアに行っている間に何かが起こったに違いない事だけは明白だった。となればやるべき事はただ一つ。事の深層を確認しない事には自分の気が治まらない。

 まずは原因を究明すべく、手っ取り早い方法としてアリサはコウタに事情聴取する事にした。

 

 

「私が居ない間にエイジに何かあったんですか?」

 

「何って、アリサも知っての通り、エイジも本部にあの後行ったから、ここでは先のアラガミ討伐の際に負傷した事位しかないよ」

 

「今なら、本当の事を言えば怒りませんから、素直に言いなさい」

 

「んな事言われてもさ……」

 

 まだアラガミと対峙した方がマシだと言わんばかりにアリサはコウタに冷酷な目を向けながら詰め寄る。半ば殺気を含んだ様な視線に冷や汗をかきながらも、実際に何も知らないコウタからすれば、これ上の事は何も言うべき話では無い。

 気が付けばお互いの顔は至近距離まで接近している。誰か助けてくれと思った矢先に天からの采配とばかりにエイジの声が聞こえていた。

 

 

「コウタちょっといいかな……ごめん。取り込み中だったみたいだね。急ぎじゃ無いからまた後にするよ」

 

 いつもであれば気にする事は何も無いはずの状況でしかなかった。しかし、今のエイジの表情にはどこか申し訳ない様な表情を浮かべていた様にもコウタは感じ取っていた。

 一体何を勘違いしたのか、今の2人を見て何か重要な話をしているのだと判断し、エイジはその場を逃げる様に立ち去った。

 残された2人は一体何が起きているのか理解するのに少しばかり時間を要していた。

 

 

「アリサ、詳しくは分からないけど多分エイジは誤解している。細かい事は良いから追いかけるんだ」

 

 一瞬何が起きたのだろうか。最初に意識を取り戻したのはコウタだった。何をどう見たら誤解する場面だったのかはエイジにしか分からない。だからと言って、これ以上自分にとばっちりが来る事だけは避けたい気持ちから、直ぐにアリサに追いかける様に促す。

 

 

「は?何で今ので何を誤解する必要があるんです?」

 

「いいからエイジの元に急げ!」

 

「分かりました。後でしっかりと聞きますから」

 

 コウタに嫌な一言だけを残し、アリサはエイジの後を追いかけるが、既に時間が経過しているのかエイジの姿は何処にも無かった。一体どこへ行ったのだろうか?そんな時に以前に捜索したナオヤの言葉が脳裏に浮かぶ。エイジの事だから恐らくはあそこに居るのではと予測しながらアリサは足を運んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりここだったんですね」

 

 訓練室で一人訓練をしていたはずが、突如背後からの声で鍛錬していた動きが止まる。

 声の主は振り向かなくてもアリサである事は理解していた。実際に記憶が無いからと言っても、今さっきまで話ていた人間の声を忘れる事は無い。記憶に関しても、ここ数年の事が欠損しているだけなので、完全に記憶喪失となった訳では無い。

 だからこそ、会話を成立させる事が可能となっていた。

 

 

「どうしたの急に?」

 

「何だかエイジがいつもと違います。一体何があったんですか?」

 

「いや、いつも通りで特に何も無いよ。そう言えばさっきはごめん。彼氏と会ってた所を邪魔したみたいで」

 

「……誰が彼氏なんですか?」

 

 アリサの表情が大きく曇る。今のエイジには記憶が無いだけでは無く、ここでの人間関係が全く分からないままだった。しかも恋人でもあるはずのエイジから、何をどう考えたらそうなるのかコウタが彼氏だと言われ、アリサの理解が追い付かない。ロシアに行っている間に何が起きたのか分からないが、いつものエイジでは無い事だけはアリサにも理解出来ていた。

 

 

「いや、アリサの指に指輪がしてあるから、多分そうだと思ったんだけど……」

 

 指輪はロシアに行く前にエイジに強請って貰えた物。にも関わらず、自分が一切何も関知していない発言に、アリサの胸中は徐々に疑惑へと向き始めていた。

 

 

「これはコウタからでは無いんです」

 

「そうなんだ。アリサは可愛いからね。彼氏が羨ましいよ」

 

 本来であれば嬉しいはずの台詞だが、今のエイジにはどこか他人事の様な表情をしている。一体何が起きているのか深層を確認しない事にはアリサ自身が納得出来ない。一度確認すべきと考えたまでは良かったが、改めてどう言えば良いのか言葉を選んでした。

 しかし、最愛の人間からのどこか他人事の様な言葉は思いの外アリサの心に深く突き刺さる。心の中ではダメだと思っても肝心の身体が言う事を聞かない。エイジを見ていたアリサの目から、不意に涙が零れ落ち止まる気配は無かった。

 

 

「アリサ、大丈夫なの?僕に出来る事があれば教えてくれないかな?」

 

「ごめんなさい。大丈夫ですから。ちょっと目にゴミが入ったみたいで……」

 

 気まずい空気が訓練室に流れ込む。どれ程の時間が経過したのだろうか、沈黙を破るかの様に不意にエイジに端末が鳴り響く。まるで逃げるかの様にこの場を離れる事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「忙しい所すまない。今回君たちを招集したのは、新開発したバレットの検証をしてほしいんだ。今回のバレットは新支部長の肝いりでね。撃ち込んだアラガミに対して強制進化させる事が可能となっているはずなんだ」

 

「強制進化?例の進化論の実戦版か?」

 

「察しが良いね。ソーマの言う通り、これはアラガミを強制進化させる事が出来るバレットだ。たとえば、動きが早いアアガミに対して動きが遅いアラガミのバレットを撃ち込む事によって動きを通常以下にする事で討伐が容易に出来る代物なんだ。

 ただし、これはまだ仮説段階での作成だから即効性や効果についてはまだ不透明な部分が多くてね。その為に、簡単な任務で一旦君達で試して欲しいんだ」

 

 これが日常だと言わんばかりの榊のあっけらかんとした物言い方に、既に第1部隊のメンバーは慣れていた。今回の内容もあくまでも学術的検証の意味合いが強く、本来であれば簡単な任務に第1部隊は出動する事は無かった。

 しかしながら、今回は新技術の確認と言う大義名分がある為に、これ以上拒否する材料は何も無かった。

 

 

「まあ、良いだろう。とりあえず確認はするからその結果はまた知らせれば良いんだな?」

 

「そうだね。今回の任務で改良すべき事が見つかれば即時改良するつもりだから、君達の任務の内容は重要になるだろうね」

 

「確認するだけなら特に問題ないだろう。エイジ、勝手に決めたが特に問題無いな?」

 

 一体何の話をしているのだろうか?エイジの記憶はゴッドイーターになってからの記憶が全く無い。神機でも通常の刀身での攻撃であれば記憶の中と体に染みついた感覚で運用する事が可能だが、肝心のバレットに関しては一体何の話をしているのか全く理解できなかった。

 今はソーマが勝手に決めているが、自分で理解出来ない部分を決めて貰った以上、断る理由は特に無く、ただ頷く事しか出来なかった。

 

 

「いや、問題ないよ」

 

「じゃあ、すまないが宜しく頼むよ」

 

 こうして新型のバレットの検証実験が開始された。表面上は何の問題も無いはずだが、エイジの記憶が無い事に誰も気が付いていない。

 今の時点ではアリサが何となく気が付いているものの、これも確証がある訳では無い。まずはこのミッションが完了してから改めて確認する以外に方法が無かった。

 

 

 



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第90話 威力

 今回のミッションは基本性能の確認だからと、普段であれば新兵が受けるようなミッションがメインとなっていた。建前としては新型バレットの検証だが、裏には今回のミッションで負傷したエイジの動向確認も盛り込まれていた。

 先ほどの話も本来であればエイジが率先して確認するのが通常だが、今回はソーマが全て取り仕切る事で何の発言も無かった。

 通常であれば、今回の様な新型兵器の試験導入の際には必ずと言って良い程に無明の存在があったが、今は別の案件で本部へと出張の為に、異常をきたしている事に誰も気が付かないでいた。

 

 

「これが新型バレットか。で、どうするエイジ?」

 

「……あ、ああ。やってみないと何とも言えないからコウタに任せるよ」

 

「…分かった。じゃあ、こっちでやってみるから前衛ヨロシク」

 

 短い会話の中にも、ほんの些細な違和感。何がと言う訳では無いが、どこか小骨が喉にひっかかる様な感覚が広がっていた。本来であれば真っ先に確認すべき事実ではあるが、今は既に戦場にいる以上そちらに集中する事を優先となる。コウタはそんな違和感を捨て去りながら任務を開始した。

 目の前にはオウガテイルが数体、少し先で何かを捕喰している。今はまだ気が付いていないのか、こちらからの一方的な銃撃で戦端は開かれた。

 

 

「これすっげぇな。本当にオウガテイルの下半身がグボロ・グボロみたいになったぞ」

 

「ふん。どうやら理論は正しかった様だったな」

 

 コウタの銃撃が正確に着弾した同時に、オウガテイルのオラクル細胞が変化し、太い二本足が徐々に胸ビレと尾ビレを形成する事で動きが制限されていた。予想ではもっとゆっくりと変化するのではとの話ではあったが、短期間での大きな変化は紛れもない事実。ここまで劇的に変化するのであれば、ガーランドの理論が間違っていない事が改めて確立されていた。

 

 

「実験は成功みたいですね。取敢えずあれのコアを確認しないといけませんから、さっさと終わらせましょう」

 

 アリサが動くと同時に、誰もが気が付かない程の速度で異形のオウガテイルに突っ込んでいた。今居るメンバーでこんな事が出来る人物は一人だけ。気が付けばエイジが何の躊躇も無く一刀両断の元にオウガテイルの首を胴体から切り離していた。

 

 

「チッ。あいつは何やってるんだ」

 

「あの、エイジ。そこまでしなくても…」

 

 ソーマとアリサが困惑するのはある意味正解だった。本来であればコアを摘出するのであれば、ある程度捕喰出来る部分から取り出す事になるが、今のエイジにはそんな余裕は微塵も感じられない。何時もの様な鮮やかな斬撃が鳴りを潜め、その代わりにどこか荒々しい様な剣筋がオウガテイルを襲っている。

 まるで敵討ちの様な雰囲気と鬼の様な形相が他のメンバーを唖然とさせている。気が付いた時には既にコアを取り出すどころか、微塵切りとも言える様な状況だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれがアラガミ。今の僕らの元凶なのか」

 

 誰にも聞こえる事のないまま、一人呟くと同時に、異形へと変形したオウガテイルへ一気に詰め寄る。この時点ではゴッドイーターとしての記憶は無いが、体にはこれまで染みついた戦闘能力の影響もあり、何も考えていなくても呼吸するかの様に身体が動く。

 事前にアリサが言っていた言葉は既に聞こえていない。今目の前にいるアラガミを全力で屠る事だけにエイジは囚われていた。

 

 通常であれば、小型種の討伐の際には近くに中型、もしくは大型種が潜んでいる可能性が高い。仮に討伐に意識は向いていても常に周囲の状況を察知するかの様な動きを見せながらの討伐が半ば当たり前となっていた。

 しかし、それは今までの記憶があった頃の話であって、今の状況では悪手でしかない。一体に集中し過ぎた為に、頭上から襲い掛かるオウガテイルに意識は向いて居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジ!上だ!」

 

 ソーマの叫びと共にここで漸く、エイジの意識が頭上へと向いていた。迫り来るオウガテイルは既に捕喰しようと大きな口を開けながら落下してくる。何とか回避するも、やはり周囲の索敵をしていないのか、それとも現状を把握していないのか、エイジに動きには何時もの様なキレは一切無かった。

 

 

「くそったれが!」

 

 気が付けばいつの間にか囲まれれている。何時もであれば物の数にも及ばないが、今のエイジは本能だけで戦っているのか、一体に対して過剰とも取れる攻撃を繰り返す。その影響もあってか、アリサやソーマがフォローする事で精一杯だった。

 

 

「おいアリサ。あいつはどうなってるんだ?」

 

「私に聞かれても分かりません。でも、何時もとは何か違う様に思えます」

 

 今の状況が分からないのであれば対処は出来ない。まだ逃げ回っているよりはマシだが、一体にそこまで時間をかければ致命的なスキが大きく出来る。オウガテイルと言えども判断に迷えば間違いなく襲いかかってくる。一旦、ここで展開を変える為にはある程度の数を減らす事が先決だった。

 

 

「エイジ、そこのバレット取ってくれ」

 

 コウタから言われ、そこで漸くバレットの存在を確認していた。しかし、ここで大きな問題が発生していた。バレットが何なのかは分かるが、その種類が何なのかまでは判断する事が一切出来なかった。見た目は同じで色分けしてあるものの、それの名称が分からない。

 ゴッドイーターであれば色分けで全て理解出来るが、この時点で記憶が無い以上、目の前にある物を渡す事しか出来なかった。

 

 

「コウタ!これ!」

 

「サンキュー」

 

 確認もせずに受け取ったバレットを直ぐに込めて発射する。コウタの正確な射撃が再びオウガテイルに着弾すると、今度はグボロ・グボロではなくシユウの翼手が背中に大きく広がる。

 突如、行動の制限が外れたオウガテイルは本能の赴くままに空へと飛び立ち、やがて獲物をみつけたかの様にコウタに襲い掛かる。アサルトの射程距離は中距離の為に、空から襲い掛かるオウガテイルは思った以上に脅威となると同時に、先ほどまで距離があったはずのコウタへと距離を一気に詰めていた。

 

 

「エイジ!今のはシユウのバレットだろ!何間違えてるんだ」

 

 ソーマが怒声と共に、目の前に迫るオウガテイルを駆逐すべくコウタへと走り寄る。間一髪とも言えるタイミングでコウタは難を逃れる事が出来たものの、その代償としてソーマが身代わりの如くオウガテルの攻撃を受け止める。

 ギリギリのタイミングで盾を展開したものの、滑空した勢いは殺す事が出来ず、背後に有った鉄柱に飛ばされ下敷きとなっていた。

 

 

「ソーマ、大丈夫か!」

 

「…俺の事より先に…あのオウガテイルを討伐する…んだ」

 

 ソーマが展開した盾の衝撃はそのままオウガテイルに伝わっているのか、動いては居ない。その隙にとばかりにアリサが止めをさしていた。これで一安心と漸く緊張が切れかかった際に想定外の出来事が発生していた。

 

 

「エイジ後ろだ!」

 

 コウタの声の先で振り向けば、目の前にグボロ・グボロが既に狙いをつけて連続した水球を放っていた。本来の状態であれば回避か盾での防御がギリギリ間に合うはずだが、ここでも先ほどと同様に動きが鈍く、運悪く全弾をそのまま防ぐ事も無く被弾していた。

 一般の部隊であれば動揺し、最悪は戦線が崩壊する可能性があったが、今の第1部隊にはそんな考えを持つ者はいない。

 エイジの状況を敢えて無視し、迫るグボロ・グボロに銃撃を2人で浴びせる。個体そのものも強固な物では無いために、危なげない内容のままグボロ・グボロはコアを抜かれ、後に霧散していた。

 

 

「エイジ大丈夫ですか?」

 

「ああ、大丈夫。それよりもソーマは?」

 

 起こす為に手を差し伸べ、そのまま引き上げようとした瞬間だった。アリサが意図しない状況で周囲の景色が突如、古ぼけた映写機のフィルムの様な光景が脳裏に広がった。

 

 時間にして僅か1秒にも満たない時間のはずが、まるで時間が濃縮されたかの様に突如として写真の様な光景が脳内で広がる。瞬時にこれは感応現象である事は理解できたが、問題なのはその内容だった。

 以前に屋敷でも見えたその光景と内容はほぼ同じだと思われた瞬間、突如として場面が切り替わり、最後に鉄柱に下敷きになったソーマの姿が見えた後、現実とも言える世界が目の前に広がっていた。

 

 

「エイジ?今のは一…体…?大丈夫ですか!しっかりして下さい!コウタ、すぐに救護班の手配を!」

 

 手を差し伸べ、引き上げようとした際に、突如として糸が切れた人形のの様に動かなくなり、そのまま意識が途切れたエイジが目の前にいた。突如意識が途切れた事で驚くも、まだここは戦闘区域。これ以上アラガミが出れば如何な物でも最悪の未来が予測される。その為にはこの状況からの離脱を第一と考え、直ぐにアナグラへと状況が報告されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、君たちはそのまま退却した訳かね?いくら新型バレットの検証が優先だとしても、第1部隊がこの結果ではフェンリルとしては看過できかねない。ましてや、最後は間違いによる想定外の攻撃でソーマは負傷、如月隊長は意識不明とはね」

 

 半ば呆れかえったかの様な物言いではあるが、客観的に見れば間違いでは無い。確かにバレットの受渡しのミスはあったが、それもまた事前に確認すれば回避できたはずのヒューマンエラーでしかなかった。

 事実、支部長室にはコウタとアリサの2人しかいない。ガーランドの言葉が事実を言い表している事が全ての結果だった。

 

 

「これ以上何か言いたい事はあるかね?」

 

「いえ、これ以上言う事はありません」

 

 まるで物でも見るかの様な目線に、コウタは憤りを隠しきれていない。これ以上の事は何をどう言っても、この支部長は恐らくは話を聞くつもりもないのだろう事だけは理解できていた。僅かな時間ではあるが、その目が確実にそう言っている。これ以上の事は無駄だと察したのか、アリサはコウタを制し、そのまま会話を打ち切っていた。

 

 

「君達の処分については、これから決定するつもりだ。それまでは待機する様に」

 

 これ以上は時間の無駄だとばかりに会話は打ち切られ、既に支部長のガーランドは他の事に着手していた。一方のアリサ達はそのまま支部長室を後に一旦ソーマ達の見舞いをすべく、医務室へと足を運んでた。

 

 

「よう。お前ら随分と絞られたみたいだな」

 

「リンドウさん。なんで知ってるんですか?」

 

「それ位の事は想像出来るさ。しかし、今回の支部長はまた厳しい人物だな。その辺りはどうなんだソーマ?」

 

 なぜ知っていたのかはさておき、ファミリーネームがシックザールである以上その可能性は考えていたが、リンドウの話から、当初の推測が確定へと変化していた。

 

 

「俺に聞かれても、詳しい事は知らん。精々一、二度会った程度の人間の事まで一々覚えていない。そんな事よりもエイジの様子はどうなんだ?明らかにおかしい事が多すぎる」

 

「それなんですけど……」

 

 アリサが口を開こうとした時に、医務室のドアが不意に開く。今ここにいるメンバーの事を考えれば、ここには医師位しか来るはずが無かったが、ドアの向こうに居たのは榊と医師でもあるルミコだった。

 

 

「やっぱり気が付いたみたいですね。アリサさん、あなたの推測は正しいわ。彼は記憶の一部が欠損した状態になってるの」

 

「やっぱりそうだったんですか……」

 

「何だよアリサ。知ってたなら早く言ってくれよ。やっぱり愛の力は偉大だね」

 

「茶化さないでください。変だとは思ってたんですけど、エイジの手を取った瞬間に記憶が流れ込んできたから確信したんです」

 

 目の前でただ眠っている様にも見えるが、実際にはどんな状態なのかは誰にも分からなかった。未だに目が覚める気配は無い。だからと言って何か特別な治療を要する事が出来ない以上、今ここにるメンバーはただ見ている事しか出来なかった。

 

 

「このままずっとって事は無いと思うけど、万が一の事も考えると現状確認は必要だから、脳波測定だけはしておくよ。それと支部長とも話したが、今後の運営を考えると彼が意識不明な事は出来るだけ公言しない事。

 万が一の事もあるけど、何だかんだと影響が大きいからね。ここは関係者以外立ち入り禁止にしておくから、部外者は見舞いも出来なくしておくよ」

 

 榊からの提案は存外に手立ては無い事を宣言されたも同然だった。今はただ回復を待つ以外にやるべきことは何も無かった。ただでさえ、今回のミッションで今は今後の行動に関する裁定待ちである以上、今のアリサ達に特別やるべき事は何も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君達の処遇の件だが、榊博士とも協議したが今回の件に関しては処分に関しては一旦保留とする。ただし、完全に処分が無い訳では無いから今は執行猶予期間だと認識してくれたまえ」

 

 ある程度重い処分が言い渡されるのではと思われていたが、今回の検証に付いての一定の評価を得る事が出来たからとの考えにより、一旦は処分が保留されていた。しかしながら、ガーランドの言う通り実際には処分が先送りされただけで状況は何か大きく改善された訳では無かった。

 未だ意識が回復しないエイジの事も考えれば、この裁定に不満を抱く者は居なかった。

 

 

「結局の所はまだ信用されてないって事に変わりないんですね」

 

「あの結果だと仕方ないと判断したんだろう」

 

「でもさ、ちょっと厳しすぎない?あの時点で一々確認なんてしてたら命がいくつあっても足りないよ。実際に実験は成功してはいたけど、あれが失敗だったらどうなんだって話だぜ?」

 

 一切の申し立てが出来ない状況であれば、その瞬間にどんな状況だったのか位は想像できるはずだった。本来支部長は現場の状況を確実に把握できない事には就任しても、部下から信頼される事は一切ない。それどころか現場を知らない人間が何を言っているんだと蔑まれる可能性もあった。

 ましてやここは最前線でもある極東である以上、部隊長には現場での一定の権限が与えられている。もちろん、これは就任する際には確実レクチャーされているので、知らないはずが無かった。

 にも関わらず、現場の意見は一切聞かずに自分の判断だけで断罪しているのであれば、何らかの行動が隠されているとも考える事が出来る。

 

 何時もの状況であれば、そんな裏の事まで考える余裕があったが、今は未だ意識が回復せず、仮に目覚めても記憶障害の可能性が高いエイジの状況に全員の意識が向いてしまっている。この場には誰一人冷静な判断が出来る物は居なかった。

 

 

 



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第91話 呪縛

「まさか失われたデータがここに来ていたとはな。嫌な予想ばかり的中するもんだ」

 

 極東でのやり取りはそのままに、無明はここ本部でも会合の最中に、いくつかの確認作業を並行してこないしていた。新技術に関しては発表されたデータを見れば大よその事は判断出来るので、新技術の為だけに本部まで来る事は無かった。

 今回の最大の目的は以前の任務の中であった大車の失われたデータの確認及び、その回収と万が一の際の破棄。幾ら貴重なデータだとしても、非人道的な結果を元に作られた内容は決して良い物ではなかった。

 

 どこまで行っても所詮は数字でしかない。本来の科学者であればそんな言葉を吐くかもしれないが、そこに至るまでの過程にデータとしての価値があると考えている無明からすれば、出来る限り忌避すべき事実でしか無かった。となればやるべき事はただ一つ。誰も居ない本部のデータ保管庫で確認作業を行っていた。

 

 本部のデータ保管庫は本来であれば誰でも簡単に入る事は出来ない。いくつかのセーフティーを解除する事で、閲覧する事が可能となっていた。今に始まった事ではないが、本部は各地の支部から技術の保管と統合の名目でいくつかの重要とも思われる内容を一元管理している。

 自分達の中で有益だと判断出来る物に関してはそのまま運用するが、これがフェンリルの影響に大きく介入される内容に関しては秘匿条件とし、本部の中でも特定の人物のみが閲覧可能な状況とされていた。その結果、事実上の秘匿すべき内容を完全に把握している人物は限られていた。

 

 基本的に本部のデータは外部に流出する事が出来ない様に、イントラネットを構築する事で外部からの影響を全て排除している。その結果ハッキングは不可能な為にこれ以上の事は恐らく問題にはならないとの判断から、一定以上のセキュリティ設定はしていない。 しかし、ここに侵入したとなれば話は別問題だった。事実、無明は幾つかのセキュリティを破りこの保管庫にいる。

 外部からの侵入が出来ないと言う事は、逆の言い方をすればセンサーにかからなければ、内部の状況を確認する術は何も無い。だからこそ、ここに居るはずのない無明が情報を確認しているのは誰も知り得ない事でもあった。

 

 

「新設部隊における現段階での問題点までここに書かれてるのであれば……これが例の実験体と人体実験の結果なのか。これが流出すれば屋台骨が揺らぐな」

 

 無明の予想は全て的中していた。大車の膨大かつ細やかな内容は人体実験する事で、今後のゴッドイーターを更に進化させた存在を作り出す事が可能であると記されていた。今はまだ実験段階である以上、データサンプルが乏しいものの、これが完全に完成するならばゴッドイーターはただの人間の形をした生体兵器に成り下がる。そしてそれをコントロールするのは、特性や現場を何も知らない人間が運用する事になる事も予測出来きていた。

 人的資源が未だ重要である以上、これ以上の内容は進めようとすれば恐らくは何らかの妨害が予測される。であれば、このデータを改ざんするか、抹消する他手立てが無い。

 まずは最低限必要なデータだけを抜き取り、この処分はその後で考える事にし、次の内容を確認する事にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「雨宮さん。ここはどうですかな?極東とはまた違って生活の環境もかなり良いかと思いますが、今後はここでの教導と言うのはいかがですかな?」

 

「いえ、私ごときがここでの教導となれば、色々と反発も出るでしょう。今はまだ極東での教導の成果が中々出ていない以上、それを放棄してまでとなれば、私自身のアイデンティティが失われてしまいますので」

 

「…そうですか、それは残念ですな。今回はフラれましたが、次回にはより良い返事を期待していますよ」

 

「やぁ、ツバキさん。今回は着物ですか。前回とはまた違った趣旨の様ですな。これが今度、極東から発表される物ですか?」

 

「その辺りは申し訳ありませんが今の所、外部に出す訳には行きませんので」

 

 これが一体何度目のやり取りなんだろうか。既にツバキの顔には疲労感が少しづつ滲み始めていた。

 無明は人知れず保管庫に侵入出来たのは、今回の任務に当たって、例の如くツバキを目くらましの為に呼んでいた事が一番のポイントでもあった。以前にも本部に来た際に、ツバキ目当てに各方面から秋波が送られて居る事を逆手に取る事で、完全に意識をそらす事に成功していた。

 今回の任務にあたっても、当初からツバキは乗り気では無かった。来ればどうなるのかはあの時の事を思い出せば、今回の内容も容易に理解が出来る。にも関わらず、今回も完全に外堀を埋められた状態で無明から依頼されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やぁツバキ君。今回は君に特務があるんだが、行ってくれるかい?」

 

「私に特務ですか……まさかとは思いますが、また行けと?」

 

 榊が第1部隊にミッションを軽く発注する様に、ツバキにも同じような感覚で依頼をしていた。特務とは言ったものの、榊の背後に無明が居る以上、これから話される内容が既に予測出来たのか、ツバキは顔を無意識の内に顰めていた。

 

 

「察しが良くて助かるよ。実は今回、極東の新支部長が決まってね。それがヨハンの弟なんだ。勿論、ヨハンと彼が違う事は理解しているが、彼の身分を考えるとここに来るのは本来であれば有り得ない事なんだ。

 こちらとしても優秀な人間が赴任するのは有りがたいんだが、どうもキナ臭い部分があってね。就任は決定なんだが、以前の様な万が一があると…困るからね」

 

 榊の言う万が一。それは極東支部だけではなく、本部の上層部にまで問題が広がったアーク計画の事だった。未だ極東支部でも部外秘である以上、言葉に出す事は憚られる。

 敢えて口には出さないが、ここまで言われれば、後の事はツバキにも理解出来た。

 有体に言えば、信用出来ないのであれば、こちらから内容を把握して確認するのが一番である。存外にそんな考えが浮かぶと同時に、またあの時の様な状況があるのかと思うと流石のツバキも素直に依頼を受けるのは躊躇っていた。

 

 

「今回もすまないが頼む」

 

「嫌だと言ったらどうなるんだ?」

 

「どうもこうも無い。ただ、今回発表する予定の着物の仕入れに関する費用とその広告費、あとは極東の財政と危機管理の状況が今より更に悪くなるだけだ」

 

 教導の立場とは言え、事実上ここの幹部として考えれば拒否権は既に無かった。外部には意外と知られていないが、極東発の商品には一定数の上客がいるのと同時に、多方面にも顔が利く人間が多数いるからこそ、今の環境を維持している。

 世間には知られて居ないが、極東は事実上のフェンリルからの支援は一部の技術提供と資材以外には一切無い。

 敢えて言うならば看板だけが今の極東とフェンリルを繋いでいるだけで、この生命線が切れるのは死活問題にしかならなかった。

 ツバキとてそんな状況を知った上で発言してる以上、相当嫌なのは理解できる。しかし、これを他の人間で穴埋めできる程、極東には人材が豊富では無かった。

 

 

「毎回思うんだが、何故私なんだ?他にも色々と居るだろう?」

 

「簡単な話だ。ツバキさん程の人間がここには居ない。それだけだ」

 

「敢えて聞くが、それは何を対象とした話になるんだ?」

 

「誤解が無い様に言っておくが、他の人間も検討したが、総合的な判断だ。まさか、現職のゴッドイーターを連れて行くわけにも行かないのと同時に、今の状況からすれば、彼女達では力不足だ。あの中で互角に渡り合うのは不可能だろう」

 

「だったら屋敷の人間を使えば良いだろう?」

 

「屋敷の人間は最低限の人間で管理している関係上、今の状況で長期に空ける事が出来ない。それはツバキさんも知ってるはずだが?」

 

 これ以上の理由を見つける事は今の状況では不可能とも言えた。屋敷の内部の事はツバキも知っているが、一人心当たりがある彼女を外に出すと何かと問題が生じる事は理解している。これ以上言っても、恐らくは自分の予定を捻じ曲げるつもりは無いのだろう。

 今のツバキには白旗を上げる以外の手立ては無かった。

 

 

「毎回言うが、これならば現場で指揮をしていた方がマシなんだがな」

 

 3人だからこそ出る本音だが、生憎とこのメンバーで支部長が居ない状況を維持し理解している以上、自分の意見は押し殺す以外に選択肢は無い。ツバキとしても代替え案が無いからこその、お願いと言う名の命令である事を理解している。結果的に今回の特務を受ける事にした。

 

「毎回すまないとは思ってるんだが、今回はちょっと危ない橋を渡る事になるからね。無明君がミスをするとは思わないけど、万が一の為の保険をかけたいんだよ」

 

「そうですか……」

 

「本当の事を言えば、あの1回で既にツバキさんも社交界の仲間入りをしている。これから先はこれも一つのミッションとなる」

 

「ちょと待て!そんな話は聞いてないぞ!」

 

「言ってないからな。あの後もいくつかの誘いは来てたんだが、中身が無意味だったから断っていたんだ。ツバキさんが思う以上に周りは理解している。だから今言っただろう」

 

「お前は人を何だと思ってるんだ!」

 

 ツバキはこの時点で完全に外堀を埋められている事を自覚した。根回しが完全に終わっている今、最早ツバキには反論するだけの気力は残されて居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは御大。そろそろ時間ですので、今日はここまでといきませんか?」

 

「もうそんな時間か。やはり、お美しい方と話すと時間が経つのは早いものだ。ツバキさん。今度来た際には良い返事を期待してますよ」

 

「ええ。機会があれば…ですが」

 

 あまりの勧誘のしつこさに辟易していた頃、漸く待ち人の声が聞こえて来た。この時点で何も問題が無いのであればミッションは完遂出来たと同意となる。シャンパングラスを片手に振り向けばタキシードを身に纏った紫藤がそこに居た。

 

 

「助かった。一息入れたいんだが、このまま去っても大丈夫なのか?」

 

「時間的にはさっき言った通り、もう終わりの時刻に近いから今日はこれで終了だろう。挨拶もしておいたからこのまま出ても文句は出ない」

 

「そうか。やはりここは違う意味での戦場だな。少なくとも私の性には合わん」

 

 そう言われ会場を見渡せば、確かに人の数は先ほどよりも少なくなっている。まだ人目はあるものの、小声で話す事を聞いている様な人間はここには居ない。後は情報を整理し、極東へと戻るだけとなった。

 

 

「ツバキさん。今回の着物は良く似合ってる」

 

「やめろ。そんな見え透いたお世辞はよせ」

 

「態々そんなお世辞は言わない。取敢えず一旦ここから退出する事にしよう」

 

 恐らく今回ここに来て散々言われた言葉ではあったが、身内から言われれば嫌な気持ちにはなりにくい。言葉ではああ言ったものの、ツバキは僅かな笑みを口許に残し、ここで漸く特務が終了した事を告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、内容はどうだったんだ?」

 

 部屋に戻り着物を脱ぎ終えると、既に襦袢だけになった頃に今回の内容の確認とばかりにツバキが開口一番で確認した。今回の特務の一番の内容でもあり、この内容次第で今後のアナグラの行方が決定する可能性がある以上、真っ先に確認したい事項でもあった。

 

 

「今回の件だが、ガーランドが派遣された背後には、今までとは違った趣旨の思想の人間が背後に居るだろう事は掴んだが、証拠となるデータが見当たらない。ただ、ここから先は推測の域だが、一つの考えが透けて見える」

 

「そう言うのであれば、碌な話では無さそうだな」

 

 ここに盗聴する者が無い事を確認しているが、万が一の事を考え小声で話す。流石に内容が内容なだけに公言するには憚られ、漏洩防止も兼ねている。外にも気を配る程の状況が、今回の内容の信憑性を裏付けていた。

 

 

「一言で言えば、よくある覇権争いみたいな物だが、今回の内容は各支部が保有する権利を全て本部が抱え込んで、全部を掌握したいのだろう。その為には各支部を黙らせるだけの力が必要となる為に、力を誇示したいがために以前に造られた人造アラガミを一つの軸と考え、実力行使したいと考えている様だ」

 

「だとすれば、例の大車のデータが抜き取られたのは……」

 

「そうだ。ここだった。元々アーク計画の件と例の事件は関連性は無いが、どこからか内偵していたのか、事件のどさくさ紛れにデータを手に入れた事で、今回の計画が立案されたんだろう。

 ましてや極東には世界最大級のコアの保管庫がある。材料には事欠かないからな」

 

 またもや本部絡みとなれば、流石にフェンリルの屋台骨を揺るがす一大スキャンダルにもなり兼ねない。逆の言い方をすれば、それほどまでに掌握したい物が世界にあるのだろうか?今はゴッドイーターが命を削って成り立った仮初の平和でしかない。当時も懸念していたが、やはり、腐った水の中に清流を注いでも綺麗にはならない事は今更とも言える内容でもあった。

 

 

「ここにはマシな人間はいないのか」

 

 呟きとも取れるツバキの一言が本音を言い表わしていた。今回の内容に関しても、会場にはまるで自分達がこの環境に居るのは当たり前だと考え、それ以外の事に関しては一切関知するつもりすらない。

 いくら資本主義とは言え、肝心の前提が理解されていないのであれば、恐らく当事者が現場に赴かないと、この考えは未来永劫変わらないのだろう。予測していた事実はとは言え、今後の未来は決して明るいと判断出来る材料はどこにも見当たらなかった。

 

 

「ツバキさんの言いたい事は分かるが、一旦極東へ戻ってから対策を考えるしかない。ここで出来るのは今の様に状況を確認する事位だからな」

 

「そうだな。これ以上の事は榊博士とも相談した方が良いのかもしれない」

 

 考えられる最悪の可能性を捨てる事が出来ないまま夜は更けて行った。

 

 

 



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第92話 疑念

 このままここに居ても状況が改善される訳では無いとばかりに、時間が経つにつれコウタやソーマは自室へと戻っていた。今医務室にはアリサしかいない。目の前には未だ意識が覚醒する事が無いままのエイジが、脳波測定の為に装置をつけたまま横たわっているにしか過ぎなかった。

 以前に自分が経験した様に、アリサは改めて感応現象が起こる事を期待しエイジの手を握っていた。未だ感応現象そのものが完全に解明された訳ではない。そう簡単に現象が起こる訳でもなく、ただ時間だけが経過していた。

 

 僅かとは言え、感応現象が起きた以上何かが起きる可能性は否定する事は出来ないが、それに多大な期待を寄せる事は考えにくく、今の第1部隊が置かれている現状を考えればやるべき事は山積していた。

 今は事実上の謹慎中とは言え、このまま部屋に戻る気力も無く、ただひたすらにエイジ手を握り顔を眺める事しか出来なかった。

 時間がどれだけ経過したのか、アリサの端末に次のミッションのアサインが入る。まずは現状を打破すべく医務室を出て、ロビーへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回のミッションって小型種と中型種の討伐任務なんですか?」

 

「これって、俺達が今まで受ける事は無かったレベルだよな?」

 

 アリサとコウタが半ば呆れた様な口調になるのは、ある意味仕方の無い事でもあった。今回の任務に就く前までは高難度のミッションしかアサインされる事が無く、今現場に立っている内容はどう考えても、本来であれば第1部隊が受ける様な内容では無かった。

 

 

「ここまで来て何訳の分からん事言ってるんだ。あの支部長は恐らく俺たちを今は値踏みしている最中なんだろ。だったら実績を出して見返せば良いだろうが」

 

 ソーマの一言にアリサとコウタは無言のままソーマの顔を見ていた。本来であればこんな事を言う事はこれまでに全く無く、今までに一度も聞いたことが無いソーマの台詞に驚きを隠す様な真似は何もしなかった。

 

 

「なんだ?俺の言った事に文句でもあるのか?」

 

「…いえ、ソーマが随分と珍しい発言をしたので驚いただけです」

 

「なあソーマ。何か悪い物でも食べたのか?」

 

 ソーマ自身も柄でも無い事を言ったと自分でも理解していたが、まさか仲間からそんな事を言われるとは思ってもおらず、今言った言葉を少し後悔していた。

 

 

「とにかく、さっさと終わらせるぞ。あと、今回のミッションは何かおかしい。お前たち、ここに来てから違和感は無かったか?」

 

「特には無いですよ。コウタはどうです?」

 

「何にも感じないけどな。風邪でも引いたんじゃないのか?」

 

「……感じないならそれで良い。とにかく始めるぞ」

 

 今回のミッションに関して、若干不自然な所がいくつか存在していた。本来であれば、よほど大きなトラブルか緊急事態にならない限り、その部隊やメンバーの状況に合わせたミッションがアサインされる。それは極東支部に限った話ではなく、どこの支部でも当然の措置だった。

 格下のアラガミであれば問題は大きくならないが、その逆の場合、待っているのは全滅の未来だけ。仮に格下のミッションをアサインすれば、今度はそれ以上のアラガミが出没した場合、手の施しようがない事実があった。

 しかし、今回は不自然な程の部隊とミッション内容のギャップが大きすぎた。念の為に確認したまでは良かったが、不審な点はどこにも無い。2人は気が付かなかったのか、問題点は特に感じる事が出来ない以上は杞憂とばかりに、その不安感を頭から消し去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回のミッションはおかしいです。ソーマじゃありませんが、何かいつもとは違う気がします」

 

 今回のミッションの違和感に、ここに来てアリサも気が付き始めていた。本来、小型種は中型種や大型種にくっついて動くか、独自の考えを持って動くものの、いずれも本能の赴くままと言った方が正解の様な行動を示す。

 しかし、今目の前に討伐しているアラガミ達は明らかに何らかの手段で統制された軍隊の様な動きと考えもある様な動きを見せていた。小型種でもあるサイゴードが斥候の様に動き、アリサ達を見つけたと同時にオウガテイルを呼んでいた。

 当然、そこまで来れば今回のメインでもあった中型種のグボロ・グボロとコンゴウが戦闘音を察知し寄ってくる事で、現場はあっと言う間に混戦状態に陥いるのは当然の事だった。

 適正レベルのミッションであれば混乱から苦戦は当然の流れではあるが、元々このミッションそのものが適正ではない。本来であれば受ける事は一切無いレベルのはずの内容である以上、いくら混戦状態だったとしても何ら問題がなく討伐が完了し、今は帰投準備中となっていた。

 

 

「そうだ…な…」

 

「おい、ソーマ大丈夫なのか?しっかりしろよ」

 

「お前たちは平…気…なの…か」

 

 何か高周波の様な耳では聞こえにくい音がソーマの脳内に響き、苛立ちを感じたかと思った矢先に突如激しい頭痛がソーマを襲う。2人がソーマに気を取られた所で、突如ソーマ達の頭上から雷球が降り注いできた。

 

 

「ソーマしっかり!」

 

 いち早く反応する事が出来たアリサが盾を展開し、飛んできた雷球を防ぐ。突如来襲したのはシユウ堕天種。攻撃を受ければ即スタン状態になる為にある意味厄介とも思われるアラガミだった。

 何時もであれば1体だけなら何の問題も無く討伐出来るが、今は原因不明のソーマの不調と奇襲とも取れる攻撃の為に、しっかりとした陣形を取る事が出来ない。原因不明のままソーマを放置する事も出来ず、その場から動く事は困難となっていた。

 一度崩れたリズムを取り戻すのはベテランであっても厳しい物がある。突然の対応に遅れが出始めていた。

 

 

「俺の事は…良いから、お前たちが直ぐに…態勢を立て直す為…に退却…するんだ」

 

「今のソーマでは無理です。このまま迎撃します」

 

 盾で防いだはずの神機は既に銃形態へと変形が完了し、既に狙いはシユウの頭に向いている。このまま一気に殲滅すべく、引金を引こうした時だった。

 

 

「お困りの様ですね。これは我々に任せて下さい。総員、目標はシユウ堕天だ」

 

 無機質とも取れる口調と共に、今まで見た事もない部隊がシユウの翼手と頭を目がけて一斉射撃を開始した。その場に居た全員の銃口はシユウ堕天へと向けられている。精密射撃さながらの銃撃に迷いは無かった。

 神機を見れば新型ではあるが、新しく配属されたなんて話は何も聞いていない。

 今はツバキが不在の為に、本来であれば支部長からアナウンスがあるはずだったが、配属はおろか一部隊が来る事すら聞かされていなかった。弱点に対しての一斉射撃が終わると同時に、リーダーらしき人間が一気に飛び出す。

 攻撃を受けたシユウは怯みこそすれ、討伐された訳では無い為に渾身とも取れるカウンター攻撃を繰り出す。先ほどの銃撃の影響なのか、これまでの様な動きは見る影も無かった。シユウの攻撃はまるで何事も無かったかの様に回避され、一刀の元に斬り捨てられていた。

 

 

「協力ありがとうございます。あの、あなた達は一体?」

 

「それはまた後ほど。私たちはこれで失礼します」

 

 最初に声をかけられたのは恐らくはこのリーダーらしき人物ではあったが、どこか気が置ける様な雰囲気は一切無かった。それどころか、自分達の事など意にも介していないかの様に無機質な声と抑揚のない口調。助けて貰った事は有りがたいが、何となく気に入らない感情があった。

 

 

「何だよあいつら」

 

 この場に居た3人にはそんな気持ちが漂いながらもアナグラへと帰投した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リッカさん。ここに新しく配属される神機使いの事知りませんか?」

 

「配属?私は何も聞いてないかな?何かあったの?」

 

 助けて貰った謎の部隊の事を帰投直後にヒバリに確認してはみたが、情報を得る事が出来なかった。本来受付を通してアサインされるはずにも関わらず、受付がその事実を関知していない。話かけた際に感じた印象が徐々に疑念へと変わりだしていた。それならばと神機の整備で入るはずだとあたりをつけて、アリサはリッカの元へと足を運んでいた。

 どんな神機使いであっても、神機の整備を避ける事は不可能でもあり、しっかりとした整備がないままの出撃が命取りになる事は、初めてゴッドイーターになった人間には嫌と言うほど一番最初に聞かされていた内容でもあった。

 アリサとて、そんな初歩的な事は分かっている事もあり、ヒバリが知らないのであればとリッカの元へと急いだものの、肝心の答えはまさかのNOだった。

 

 

「実はさっきの任務で見た事も無い新型神機使いの部隊が応援に来てくれたんですけど、何も知らされてなかったので、ひょっとしたらと思ったんですけど」

 

「だったら、一番最初にここに話が来るはずだけど、今の所そんな話は来てないからちょっと分からないかな」

 

「そうでしたか。忙しい所ごめんなさい」

 

「それは良いんだけど、最近エイジが出撃してないみたいだけど、何かあったの?」

 

 整備士であれば、出撃の状況は誰よりも良く知っている。もちろん、出撃していない事位はリッカも知っているが、何故出撃しないのかまでの理由は知らせれていない。

 何も知らないリッカの質問に本当の事を言う訳にも行かず、今は申し訳ない気持ちを持ちながらもアリサは当たり障りのない話で切り抜けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジ、もう目を覚ましてくれませんか。早くエイジの声が聞きたいです」

 

 アリサの呟きの返事は返ってくる事がなかった。詮索出来ないのと同時に、今回のミッションに対して助けに入って来た部隊の事は、結果的には何も知らされる事がないままだった。

 僅かな戦いで見た技量はこの極東支部に於いても上位に入るのは間違いなかった。しかし、誰もその部隊に関しての面識が無い為にそれ以上の事は分からないまま。本当に存在していたのかすら怪しいと思われる程に、報告の俎上にすら出なかった。

 既に最初の段階で厳しい事を言われている以上、下手に何かをいう必要性も無く、今のアリサはそれが終わればエイジの見舞いと医務室へと足を運んでいるのが日課の様になっていた。

 

 

「アリサ、今はまだ何も変化は出てないから、そんなに根を詰めなくても大丈夫だから」

 

「先生、エイジの容体に変化は無いんですか?」

 

「今の所はね。脳波は変に安定してるんだけど、何か変化があれば脳波にも影響が出るから直ぐに分かるんだけど……」

 

 昏睡状態が未だ続いているも、目を覚ます肝心の手立てが無い以上、あとは見守る事しか出来ない。早く目が覚めて欲しいとは思いながらも、万が一記憶が欠損した状態であればと考えると素直に願いにくい。どうすれば良いのだろうか?そんな葛藤がアリサの中に渦巻いていた。

 

 

「あんまりこんな事言うのは好きじゃないんだけど、本来ならもう目が覚めても良いはずなのよ。脳波が安定しているのであれば、精神に異常を来しているとは判断出来ないのも事実なのよね。考えられるとすれば、本人の意思で目覚めたくないと思っているかもしれない」

 

「本人の意思で、ですか……」

 

 ルミコの発言に驚きを隠す事が出来なかった。確かに、エイジと恋人になってから色々と話をしたが、アリサの中ではあの時の屋敷での言葉は一生の宝物様な気持ちで胸の中にに残っている。

 確かに、細かい事部分での苦労はあったとしても、未来につながる言葉を言いながら、胸中では否定する様な事があったとは思えなかった。

 

 

「あくまでも私の個人的な所見だから、気にしなくても良いわよ。彼の事はたまに見るけど、見た感じではそうは見受けられなかったから。後は恋人同士なんだから、目覚めたらもう少し色んな話をするのも悪くはないわよ」

 

 アリサの心配を払拭する様に笑顔で話されると、それ以上の事は何も言う事が出来なかった。実際にはエイジの事だけでは無い。新しく来た支部長と、今の第1部隊が置かれた現状を考えれば決して何かを楽観視したくなる様な状況では無い。

 目の前のエイジが目が覚めた時にはそんな心配が無いような状況だけは作っておきたい。そんな考えがそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええ。そうです。今回の実験の検証は成功でした。今後の事もありますので、まずはご報告をと思い連絡しました。……そうです。次回に付いては……そうですね。やはりここは新設の部隊に入れ替えた方が何かと……分かりました。ではその様にさせて頂きます」

 

 誰も居ない支部長室にはガーランドが誰かと話している声だけが響いていた。今回の就任に関しては、極東支部だけでは無く、本部の中にも様々な憶測を呼んでいた。当時独断で進められたアーク計画に関しては本部内でも緘口令が引かれているものの、フェンリルの一部の幹部は当時のいきさつを未だ引きずっている。

 それは偏にこの世界の中でも一番の厄介事でもある、極東支部の取り扱いでもあった。

 

 ガーランドが就任する前には大よその事しか分からなかったが、実際に就任してから真っ先に確認したのがここの現状確認でもあった。建前上は自治権を認める事で国としての役割を担わせていたが、とある時期から極東の状況が大きく変貌していた。

 データ上では何ら問題ないが、内部を改めて詮索すると、支部長の権限でも分からない事実がいくつも発覚している。

 

 本来であれば全権限を持っている人間が知らない事実があるのは極めて命取りとも言える事でもあった。

 事実、ここでは部隊長であれば確認出来る情報は他の支部に比べても秘匿の重要性が格段に高い物が多く、また他の支部への異動の際にはこの内容についての公言は許されていない。

 情報一つで状況は大きく変わる事はこの時代でも変わらない。

 にも関わらず、支部長の権限で、見る事が出来ないデータがあるのは不信感以外の何物でもなかった。だからこそ、本部からの尖兵とも言える人物、ガーランド・シックザールが就任された理由がそこにはあった。

 

 ただでさえフェンリルの庇護下にあるとは言い難い極東支部が反旗を翻せば他の支部も同調する可能性は捨てきれない。本来であれば信用されていない事の裏返しでもあるが、その事実を認める事が出来る人材は今の本部には誰も居なかった。

 下手に手を出せば、今度は自分の身分が脅かされる。アーク計画に加担した上層部の末路は誰もがおいそれと口に出せない公然の秘密でもあった。

 

 

「君達には次のフェイズで退場してもらう事にしようか」

 

 ガーランドの机の上には第1部隊のメンバーに関する調書が置かれていた。現時点でガーランドの真意に気が付く人間は未だ誰もいない。激戦区だけあってか、ここの平均年齢は他の支部と比べてもダントツで低い。ならば、理屈さえ通れば後は赤子の手をひねるよりも容易いだろうと考え、ガーランドは次のフェイズへと移行する事だけを考えていた。

 

 

 



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第93話 それぞれの思惑

 正体不明の部隊について、結局の所は一体何だったのかを突き止める事は出来なかった。整備もしていなければミッションの出撃履歴も無い。挙句の果てには他からの異動情報も無いのであれば、ある意味当然の結果とも取れた。

 

 あれから唯一変わったのは、第1部隊の出動件数が圧倒的に多くなり、逆に防衛任務の第2、第3部隊の出動数が少なくなった事だった。当初は疑問にも思わなかったが、ここまで大きく変われば異常だとも取れる様になり、流石のヒバリでさえも心配になり始めていた。

 

 

「アリサさん。最近ちゃんと休んでますか?顔色が少し悪いですよ」

 

「そうですか?自分では気が付きませんでした」

 

 色白のアリサの顔が更に蒼白くなりだしてていたかと思えば、後から来ていたコウタやソーマ達もどことなく様子がおかしくなっていた。普段であれば賑やかなはずが、エイジを見なくなってからは沈んだ雰囲気が多くなり、普段であれば表情には中々出す事が無いソーマでさえも、疲労感がありありと見える程に分かりやすい表情を作っていた。

 

 

「ミッションが多いからですかね?でも他の部隊も頑張っているのに、私達だけ休む訳には行きませんから」

 

「でも……」

 

「お気遣いありがとうございます。でも、これもミッションですから」

 

 ここ数日だけに関しては、第1部隊だけでは無く他の部隊も出動数が多く、また任務の完了時間が大幅に遅れだしていた。帰投後に皆が言う事が『アラガミに知性がついたかと思うような場面が増えた』だった。

 本来、自然の摂理から考えると今はアラガミが絶対的捕喰者となっている。そもそも知性があるのかすら怪しいはずのアラガミが高度な行動をとる様になれば、今後のミッションはかなり厳しい物へと変化する。劇的に変化するそれに対し、今出来る事は限られていた。

 

 これまで人類が対抗出来たのは考える力によって組織的に動き、知恵を持って討伐していたからこその結果でもあった。アラガミは捕喰欲求によって行動する為に、ある程度パターン化される。だからこそ、その事実を踏まえ更に上を目指す事で今の状況が維持されていた。

 単純な力関係だけで言えば、人間の力はアラガミに比べれば非力以外の何物でも無い。そんな力関係が存在していた。

 

 しかし、ここに来て知性を持ったとなれば状況は一転する。今まで均衡を保てたはずが、一転して蹂躙される可能性が出てくるのであれば、その対策は可及的速やかに実行する必要があった。

 本来であれば精鋭揃いでもある極東ならば対策は直ぐに出来たが、今は指揮官とも言えるツバキが本部へ行っている関係上、指示系統に乱れが出ていた。

 

 

「私から皆さんに良く言う言葉ですが、必ず生きて帰ってきてくださいね」

 

「当然です。まだやりたい事が沢山ありますから」

 

 満面とは言えないものの何とか笑顔だけを残し、アリサ達は新たなミッションの為に任務地へと出向いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあアリサ。結局の所、あの部隊の連中の事は分からなかったんだよな?」

 

「ヒバリさんもリッカさんも知らない以上、私に確認出来る手段は有りませんからね」

 

「でもさ、榊博士なら何か知ってるんじゃないの?」

 

「この前までならそうでしたけど、今は新しい支部長が来てますから情報の確認は越権行為になるので、情報の確認はやりにくいらしいです」

 

 コウタが運転しながら今までの内容に関しての疑問をアリサに聞いていた。今は各部隊が頻繁に移動する関係上ヘリの整備が追い付かず、やむを得ずの移動でもあった。いくら任務が激務だったとしても移動中は誰からの制限を受ける事は無く、また他に聞いている人間も居ない。ここ最近の激務もあってか、珍しく気を緩めながらの移動でもあった。

 

 

「コウタ!ブレーキだ!」

 

 何かを察知したのか、ソーマの叫び声にあわててブレーキを踏む。何時もであれば間に合うそれも気の弛みが影響したのか、ブレーキングに遅れが生じていた。勢いのついたジープが急速に減速する。だが結局間に合う事は無く、そのまま車体事突如出現した大穴へと転落していた。

 

 

「お前たち大丈夫なのか?」

 

「イテテ、こんな穴さっきまで無かったぞ。一体どう……ぐわっ…」

 

 様子を見るべく、周囲の確認をと思った矢先だった。突如コウタの身体が何か大きな物で殴られた様に飛ばされていた。

 

 

「何かいます。気をつけて」

 

 アリサの声と共に周囲を見れば物陰からヴァジュラとプリティヴィ・マータ2体の姿がそこにはあった。応戦したいが落下の影響から神機はヴァジュラの足元に転がっている。取りに行くにはあまりにもリスキーだった。

 

 いかにゴッドイーターと言えど、神機が無ければアラガミと対峙してもそれを覆す手段は何もない。風前の灯かと思われた頃、突如としてプリティヴィ・マータが1体とヴァジュラが活動を停止していた。

 改めて確認すると、残りの1体も既に討伐間近かと思った頃には絶命したのか、討伐が完了していた。

 

 

「助けてくれてありがとうございます」

 

「いえ、我々はただ任務をこなしたに過ぎません。あなた達がここの第1部隊ですか?」

 

「ええ、そうですけど」

 

 助けられた事実に対してアリサが対応するが、前回同様にどこか空々しく、こちらに向ける態度がどことなく嘲笑している様にも見えた。この部隊は全員が新型神機を携えている。先ほどの戦闘状況からすれば、からりのレベルである事は理解出来た。

 しかし、どこかが普通とは違う。そんな空気がそこにはあった。

 

 

「一先ず礼を言う。貴君達の名は?」

 

「我々はアーサソール。この度ここに赴任される事が決まった新型のチームだ。これから極東支部へと向かうが、君達はどうする?」

 

「このままだと任務にも支障が出る可能性があるので、一旦帰投します」

 

「そうですか。ではまた後ほど」

 

 人でありながらどこか人形の様な佇まいと、感情が抑制された様な話方に違和感はあったものの、既にコウタが負傷しているのであれば、これ以上ミッションの遂行は不可能。今出来る事は一旦帰投し、体制を整える事だけ。やれることは事実上何も無かった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、ごくろうだったね。本部はどうだった?」

 

「やはり予想通りの状況でした。ただ、気になる事がいくつか発見されたんですが……今回調べていた際に変わった情報を見つけました」

 

「情報って事は、何かの論文かデータって事かい?」

 

 本部から戻り、当初の懸念材料の吟味とばかりに無明はツバキと榊の3人で改めて会談の場を設けていた。本来であればラボで話すのが一番簡単ではあるものの、支部長の思惑が分からない以上、迂闊な事は出来ない。ましてや今回の内容が内容なだけに珍しく屋敷での会談となった。

 

 

「ガーランドが発表したアラガミ進化論と、その検証についてはご存知ですね?」

 

「ああ。あれは僕も見たけどかなり画期的だろうね。事実、新型バレットでも検証出来ているのは何よりの証拠だろうね」

 

「あの論文にはいくつか記述に関する事で気になる内容が抜け落ちていた事があったのと、今回確認した内容から推測できる事実が一つあります」

 

 帰りの移動の際にも情報漏えいを避ける為に、無明はツバキにも話していない事実をいくつかの証拠とも言える内容と照らし合わせる事で、一つづつ裏付けをしていた。本来であれば各支部にも公表されるはずの内容でもある一部の事実と、その可能性。

 そしてそこから推測できる結論は仮定と言う名で話し合われていた。

 

 

「無明君。これはかなり拙い事になりそうだね」

 

「無明、こんな事が可能なのか?」

 

「遺伝子情報が解析されているのと、その理論と検証に不備が無い以上、可能だと言わざるを得ない。後はこれを誰が先頭に立って実行しているかだろう。このままだと早晩先手を打たれる事になるかもしれない」

 

「本来ならば検証と言いたい所だけど、これは極秘情報だから内容に関しての検証は不要だね。秘匿にしている事が全てを物語っている以上、後はどう対処するかになるだろうね」

 

 本部での内容から判断した結果は、限りなく実現性が高い可能性を秘めていた。この情報が一体何を示しているのかは大よその検討はついていたものの、それを口に出すには色々な覚悟が要求される可能性が高い。

 3人はそれ以上の言葉を発するまでもなく、近い将来に訪れるであろう可能性だけを胸中に秘めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁああああ!どう言う事なんだよ。なんで俺たちが後方支援になるんだよ!」

 

「そんな事私に言われても知りませんよ。さっき、内々でその可能性があるって話が出たって聞いただけですから」

 

「でもさ、俺たちが後方支援だったらどの部隊の支援なんだよ。今ここにはそんな部隊は無いはずだろ?」

 

「コウタ少し落ち着け。それ以上の事は話があってから聞けば良いだろう。今はまだ確定した訳じゃねぇんだ。話はそれからだろうが」

 

 帰投した際に、それとなく話が聞こえて来た情報はコウタでなくとも驚く程の内容だった。現状の組織を一旦白紙にし、再編成をする噂が色々と飛び交っている。噂の出どころは分からないものの、その中に第1部隊の話までもが付随し、その噂をアリサが聞いたのが事の発端だった。

 

 

「ソーマの言う通りです。噂が本当なのかは支部長から話があるはずですから、それまではどうこう出来る話じゃないです」

 

「そんな事分かってるけどさ……」

 

 噂が本当なのか嘘なのかは今の状況だけで判断する事は事実不可能でもあった。内容が内容なだけに第1部隊だけの話ではなく、アナグラ全体に及ぶ可能性が高い。その結果として、誰一人として検証しようと思う者は居なかった。

 

 

「……分かった。……ああ、今は全員居る。………これから行くとだけ伝えてくれ」

 

「ソーマ、今のは?」

 

「支部長からの呼び出しだ。どうやら第1部隊は全員集合だと」

 

 支部長からの呼び出しと聞いた瞬間、コウタの表情が強張った。ただでさえ、ここ数日の異常とも言えるミッションに加えて、先ほど助けられた正体不明の部隊。そして今回の呼び出し。

 

 余りにも不可解な事が多すぎる現状に、明るくなれる材料は何一つ無い。これから一体どうなるのだろうか?そんな不安だけがよぎった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君たち第1部隊は今後、新しく再編された部隊の後方支援を担当してもらう事にする。これに関しては本日の一五〇〇付を持って開始とする。何か質問はあるかね?」

 

 ガーランドはまるでそれが当初からの既定路線だとばかりに何かしら思う事すらなく、ただ事実として発令していた。先ほどの噂の時点でも可能性は捨てきれなかったが、改めて支部長から辞令と言う名で発動されれば、それ以上の事は何も言う事は出来なかった。

 実際に現場の観点からすれば後方支援なんて業務は殆ど無く、整備班が神機の点検と整備をする位で、それ以外の業務は何も無い。

 そんな事は現場に出ている人間であれば百も承知している事実であり、ある意味今回の内容に関しては驚き以外の何物でも無かった。

 

 

「一ついいか?」

 

「何かね?」

 

「今回の件で俺たちを排除する理由はなんだ?」

 

「理由?それならば簡単だ。知っての通り、現在フェンリルは新型神機使いの発掘に力を注いでいる以上、旧型の君達が第1部隊では他の支部への格好がつかないんだよ。事実、君達は未だ執行猶予とも言える状況にあった事を忘れたのかね?」

 

 経過観察ではなく、執行猶予と言った時点で何を考えていたのかをソーマは全て理解していた。旧型と言った時点で対象はソーマだけではなく、コウタも同列に扱う事になる。事前に噂とは言え、今回の話を聞いていたからこそ事実を受け止める事が出来ていた。

 

 

「……馬鹿馬鹿しくも実にくだらない話だ。話はそれで終わりか?なら俺達は帰るぞ」

 

「慇懃な所は相変わらずだね。だからこそ今回の件ではそうなったんだろう事に気が付かないのかね?私からはそれ以上話す事は何も無い。ああ、そうだ。君達が支援する部隊の紹介をするのを忘れていたよ。入りたまえ」

 

 ガーランドの声と同時に、4人の神機使いが隣の部屋から入って来た。全員がサングラスにヘッドセットを付けた様な物を頭部に設置している関係上、その表情を読み取る事は出来ない。ここで癇癪を起した所で何も変わらない以上、ここは大人しく対応する他無かった。

 

 

「あなた達はさっきの…」

 

「あなたがこの部隊の新型神機使いですか。我々はアーサソール。宜しければ私達の部隊に入りませんか?新型の方であれば大歓迎ですが」

 

 そう言われ、アリサに対してだけ握手を求められた。握手したから何かが起きる訳では無いとばかりにアリサが握手すると、僅かに感応現象が広がった。この極東ではエイジとアリサ以外に新型神機使いは所属していない。

 だからこそ何も意識していなかったが、まさかここで現象が起きるとは思わなかったアリサは少しだけ驚きを隠す事が出来なかった。

 

 

「では我々はこれで」

 

 握手が終わると同時に何事もなかったかの様に立ち去り、あとは指示された状況を待つだけとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「畜生!」

 

「コウタ。少しは落ち着け。ここで叫んでも事態は好転しない」

 

「だって、あいつらは旧型は価値が無いと言ったも同然だぜ!ソーマは悔しくないのかよ!」

 

「何をどう言っても今更だろうが」

 

「アリサは良いよな。新型だから異動出来る可能性があるんだからさ。俺なんて家族も居るんだぜ。これからどうなるんだよ」

 

 コウタだけは無い。表情にこそ出さないが、ソーマも憤りを隠しきれない部分があったのか、手に握られた飲み物の缶がベコリと凹んでいる。いくら何を言っても今の時点で出来る事はタカが知れている。支部長に対抗できる実績も立案も無い以上、後はその日が来る事を待つ以外に何も無かった。

 

 

「アリサ、どうしたんだ?」

 

 アリサの表情に大きな影が見える。先ほどの支部長の話の内容ではなく、何か別の要因があったかの様に、アリサはコウタの問いかけに答える事は無かった。先ほど起こった現象がなぜああなのかと考えていた。

 

 

「いえ、先ほど少しだけ感応現象が起きので、相手の考えが見えたんですけど……真っ暗な闇しか見えなかったんです。何も考えていない。ただ、そこにその存在だけがあるだけでした」

 

「……闇?どう言う事だ?」

 

「エイジの時は過去の事や色んな考えなんかが流れ込んできたんですが、あの人からは何も見えていない。まるで虚無の様な感覚しかなかったんです。詳しくは分かりませんが、何を考えているのか怖くて分かりませんでした」

 

 アリサとて頻繁に感応現象が起きている訳では無い。しかし、今まで経験した内容からすれば全く有り得ないと考える事も出来る様な内容でもあった。アリサの一言はソーマ達を十分に警戒させるに値する材料でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ガーランド支部長。なぜ彼らを第一線から外したんだい?」

 

 恐らくは聞かれるであろう事は既に予測していたのか、榊からの質問に対して、ガーランドはあまりにもあっけらかんと、当然とも言える様な雰囲気と共に口を開いた。

 

 

「榊博士もご存じかと思いますが、今フェンリルは新型神機使いの発掘と教育を最優先としている。彼らの功績を無にした訳ではないが、ここ最近のミスが目立つ事と、ここに来て新型神機使いだけの部隊設置に目処が立った。ただそれだけの話ですよ。

 いくら旧型とは言え、人的資源は限られている。ならばもっと有効活用すべきかと思いますが」

 

「君には釈迦に説法かもしれないが、いくら旧型と言えど彼らには今まで培ってきた経験がある。今の段階ではその経験の方が上じゃないのかな?」

 

「榊博士の言いたい事は分かりますが、これが本部の見解である以上、私が判断した結果はフェンリル上層部の総意であると理解していただきたい。貴方も仮とは言え、ここの支部長としての職務を負った事があるのであれば、それ以上の発言は蛇足とも取れる」

 

 ガーランドの発言は、まさに屋敷での話し合いの中で懸念した事の一部でもあった。

 明らかに特定の方向にバイアスをかける事で議論を誘導し、その結果が誰に対して一番得であるのかは口に出すまでも無かった。

 未だ目覚めないエイジの事や、現場の権限が次々と変更され、今は榊の立場と言えど、内容に属する発言をする事も難しくなっていた。

 

 

 既に支部長職にある以上、これ以上の意見は越権行為とみなされる可能性が極めて高い。まずは今の現状を把握しない事には反論の余地も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冷酷な通告とも取れる内容に、コウタは憤慨し、ソーマは呆れた様な表情のまま一旦散開する事になった。新型重視とも言える内容であれば、アリサは該当するが2人はそうではない。

 アリサ自身が感じていたが、ここ極東に新型神機使いはアリサとエイジの2人しかいない。だからこそ自身の置かれている環境に満足する事無く、自身が修練し研鑚する事で今の状況がある事を理解していた。

 今となっては当時のリンドウに対する発言が黒歴史である事は認識している。だからこそ支部長の物言いに不快感と疑念があった。

 

 

「エイジ、今の第1部隊はエイジが知ってる部隊じゃなくなるかもしれません。私どうすれば……」

 

 未だ目覚める事が無いエイジを手を握り、目の前にアリサは今の心情を吐露していた。幾ら言葉にしようとも事態は好転する事はない。今はまだここで挫ける訳には行かなかった。

 

 

「愚痴ばっかりでごめんなさい。次に来るときには笑顔で来ますから、今だけは……」

 

 医務室にはアリサ以外に人は誰も居ない。だからこそアリサは今の心情を口に出す事で自分の気持ちを一旦リセットし、改めて自分を鼓舞するかの様に立ち上がっていた。

 

 アリサは気が付かなかったが、ほんの僅かだがエイジの手が動く。

 ほどなくして、第1部隊に新たな討伐の指令が下された。

 

 

 



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第94話 目覚め

 部隊に招集がかかると同時に、本部から帰って来たツバキが今回の任務を伝えるべく3人を待っていた。今の状況について、帰って来た時点で今回の状況については聞かされていた物の、ツバキとしても内心は面白くは無かった。

 

 過去に自分も隊長として努め、身内でもあるリンドウの下に鍛えられた部下が蔑ろにされて面白い訳が無い。しかし、仮にも支部長が判断した事に対して今さら抗議した所で何かが変わる訳では無かった。

 榊の言葉にすら耳を貸す事もせず、自分の子飼いの部隊だけを優遇するやり方は、確実に支部内にしこりを残す。本来であれば、現場と上層部に亀裂が確実に入る事は間違いない。ましてや支部長であればそれが何を意味するのかは理解しているはず。にも関わらず、自分のやりたい事だけをやるガーランドに対し、ツバキは静観する事を決めていた。すなわち、幾ら憤りこそあっても今の状況を覆す事は不可能である事を悟っていたに過ぎなかった。

 

 

「お前たちにはすまないと思うが、今回の任務は今回新しく導入される部隊の為に一定数のアラガミの討伐が任務となる。詳細については、ハッキリ分かる物だけでも小型種と中型種がかなりの数になる。今回は導入に伴う運用の確認だ」

 

「ふん。要は露払いしろって事だろ」

 

「有体に言えばそうだ」

 

 本来であればこんな任務は到底受理出来る内容では無かった。今でこそ控えに甘んじているが、元々精鋭が揃った第1部隊は決して使い捨てて良い物ではない。にも関わらず、ソーマが敢えて露払いと言った事に対してツバキは随分と冷静な事だけ理解し、それ以上の言及は避けていた。

 既に他の2人も腹の中は決まっているのか、反論は一切無かった。

 

 

「お前たちの気持ちは分かるが、ここから先は冷静に対処するんだ。今回のミッションはアラガミの数が多い。自分達の状況を見極めて行動するんだ。いいな」

 

 本来であれば多少なりとでも感情的な部分が見えるかと思われていたが、3人の予想以上に冷静な表情を見たツバキは頼もしく感じられた。今のツバキに出来る事は限られている。まずはこのミッションが無事に終わる事を念頭に、敢えていつもと変わらない対応で送り出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にこれ全部やるのか?」

 

「なんだ?ここにきて怖気づいたのか?」

 

「そんな訳ないけど。ただ思ったより多いと思ってさ」

 

「旧型は旧型なりにやれば良いんだよ」

 

「ちょっと!ソーマなんでその話……」

 

 いつかどこかで話した会話。まさかそれをソーマが知っているとはアリサは思ってもいなかった。慌てて事実を確認しようかと思った矢先にソーマは時間が惜しいとばかりに一気に飛び降りる。それに倣うかの様にコウタが飛び降り、そのままアリサもつられて飛び降りた。

 

 今回のミッションはアラガミそのものの強さは何ら問題が無かった。がしかし、決定的に違ったのはあの時のミッションと同じようにアラガミの統率が怖い位に取れていた事実だった。

 

 本能のおもむくままではなく、まるでシミュレーションゲームの様に、陣形の隙をつつく様な攻撃を仕掛けてくる。当初は着地した勢いのまま一瞬にして小型種を何体も討伐していたが、陣形の乱れをついて来るやり方は、どんな部隊でも苦戦を強いられていた。

 これが他の部隊であれば確実に破滅への足音が聞こえるが、百戦錬磨とも言える第1部隊は辛くもその状況に陥る事は無いまま戦線を保っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 医務室で未だ眼覚める気配が無かったエイジの脳波が徐々に反応を示しだしていた。アリサの献身とも取れる看病の影響なのか、それとも手を握った際に何らかの反応があったのかは分からない。

 しかし、今ここに誰も居ない以上この変化に気が付く人間は居なかった。

 

 

「ここは確か……」

 

 無意識なのか夢を見ているのか理解する事は出来ないが、この景色にエイジは見覚えがあった。これはまだ無明に保護される前の景色。外部居住区ではなく、外に放り出され命がある事に感謝しながら生きる日々が続いた頃の情景だった。

 

 

「父さん……母さん……」

 

 厳しい生活ではあったが、両親の愛情を受けギリギリの生活をしていた頃の景色が一枚の写真の様に切り取られ、コマ送りの様に当時の状況が徐々に変化する。この当時の記憶が決して色褪せる事は無い。だが、この時間が幸せであればあるほど、この後に予想される出来事がよりショッキングになる事だけは理解出来ていた。

 

 

「どうして僕達だけが………一体何をしたって言うんだよ!」

 

 慟哭とも取れる声と、凄惨ともとれる状況。僅かな食糧を巡り、口論となった結果、両親が殺害されたその場に佇む自分がそこに居た。ここから先は今の自分のルーツと言える内容。しかし、コマ送りで行くはずの映像がまるで故障したかの様に制止し、風景がやがて真っ暗に変化する。

 

 

「エイジ、お前はそれで満足なのか?もうこれが限界なのか?」

 

 屋敷での訓練と共に毎回の様に言われ続けた無明の言葉。まるで走馬灯の様に過去の内容が一気に流れ出す。これは今の自分が思っている事なのか、それとも過去を強制的に見せられているのか今の状況では理解が追い付かない。

 だからこそ抵抗するつもりもなく、流れて行く景色の様に過去の記憶が自分の中を通り抜けていた。次々と通過する記憶に、何かが上書きされる様な感覚がそこにあった。

 

 

「エイジ……私はここにいる。あなたの背中を守らせてほしいんです」

 

「アリサ!」

 

 最愛とも取れるアリサの姿と共に、エイジの中に隠されていた物までもが一度に記憶から浮き出したのか、突如として理解したと同時に一気に目が覚めていた。ここはアナグラの医務室。今の自分が何者であるかなど、態々確認するまでもなくエイジはベッドから飛び起き、神機保管庫へと急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり…今回のミッションも……変だ。やけに…統制された動きを…している。まる…で何かに…操られている様だ」

 

 今回のミッションでも、現地に着いた当初は何の問題も無かった。しかし、時間が経過すると同時にソーマの頭が割れる様に痛み、何か目に見えない物が鳴り響く。それと同調したかの様に突如として統率がとれたアラガミの動きがソーマ達を苦戦させる事になった。

 

 

「ソーマ。大丈夫か?」

 

「アーサソールが来るはずだった時間は既に過ぎています。このままだと、こちらも拙い事になります」

 

 今回のミッションであれば4人で行くのが正解だが、今回は3人と少人数に加え、現在はソーマが謎の体調不良により実質2人での討伐となっている。幾ら個体が弱くても多勢に無勢であれば遠くない未来が見え始めていた。

 

 

「まさかとは思うが、あいつらは俺たちを見捨てるつもりなのか?」

 

 コウタの一言が今の状況を物語っていた。数の力は想像以上に大きな物があり、今は一時的に休息を取るべく廃墟の物陰から様子を見ていた。今回も以前と同様にサイゴードが斥候役とばかりに周囲を索敵している。

 このままでは見つかるのは時間の問題でもあった。今の状況を冷静に分析するも、ソーマは謎の不調に苛まれ、コウタも大きくな傷は無いが、身体中に細かく無数の傷が付けられている。このままでは全滅は時間の問題。この地から脱出するには誰かが殿を務めて一時退却を余儀なくされる事しかなかった。

 

 

「ソーマ、コウタ。私がこの場を引き受けますから、2人は一時退却してください」

 

「何馬鹿な事言ってんだよ。アリサ一人じゃ無理だ」

 

「このまま全滅を待つよりはマシです。今は私を信じてください」

 

 アリサの気迫と今の状況から判断すれば、アリサの言っている事は一見マトモにも思えた。しかし、ここまで苦戦している中での殿は自殺と何ら変わらない。既に携行品も底をついている今、ここから挽回するだけの手立てはどこにも無かった。

 

 

「…分かった。でも無理はするなよ」

 

 コウタの一言が今後の方針を決定づけた。今出来る事をやりきる事で生きる事から逃げる事はしない。そんな考えと共に、ここから先の事は一旦考えるのを止め、アリサは目の前の事に集中したと思った瞬間、一気に飛び出した。

 

 アリサは飛び出したと同時に、エイジから戦闘方法における身体の運用方法を思い出していた。嫉妬からくる新人研修の際に、エイジが数回見せてくれた神機の運用と身体の使い方。当時の記憶を紐解きながら、一つ一つを体に覚えさせる様な動きを見せる。 あの時はなぜか理解出来なかったが、今ならその考えが理解出来ていた。

 

 

「…すげぇ。アリサってあんなに凄かったんだ」

 

 コウタが驚くのは無理も無かった。本来、神機使いだからと言って、身体の運用方法は習う事はない。目の前のアラガミを討伐するのであれば、いかに安全に素早く討伐出来るかは経験がある程度物を言う。

 その結果として割と動きが直線的なケースが多く、またそれが一番効率が良いと思われていた。しかし、今目の前で討伐しているアリサの動きはその対極とも取れた。

 神機を自分の身体の延長にある事を意識し、その一挙手一投足にまで神経が通っているかの様な運用と、舞を踊っている様な優雅な動きの中に鋭い斬撃が込められている。

 

 一見、神機を無造作に振り回している様に見えるが、あくまでの神機は腕の延長である事を意識する事で、斬撃が当たった後も動きを止める事は無い。むしろその勢いを活かす事で更なる速度と威力を次のターゲットへと向ける。神機と身体が一体化した様な動きを見れば、知らない人間はそこで舞を舞っている錯覚を覚える様な動きだった。

 

 死を司るかの様な舞が通り過ぎた後には、斬り刻まれたオウガテイルとサイゴードが無機物の様に転がっている。このままならばある程度の勝機が見えると希望を持ち始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『今漸くエイジの言ってた意味が分かりました。これが(きょ)の動きなんですね』

 

新人に教える様な動きでは無く、それなりに基本が出来た人間だから動ける訳では無い。事実、一定の水準までは誰でも真似出来る事でも、詳細まで突き詰めれば最終的には自身の鍛錬が物を言う。

 

 虚の動きは(じつ)の動きとは違い、虚像を見せると同時に、その背後に鋭い一撃が秘められている事を隠し、死角の部分から止めを刺す。あの時には理解出来なかった動きが、突如思い出したかの様な動きとなり、アリサが無意識の内に動く場面もあった。

 討伐にかかる時間の概念は既に無く、今はエイジと一緒に戦っている様な錯覚すら覚える程の動きがアリサの心を満たしていく。今のアリサは自然と笑みが浮かんでいた。

 

 しかしながら、これはあくまでも模倣にしか過ぎず、完成形にはほど遠い。アリサの死角から突如として飛来したシユウの翼手がアリサを襲いかかろうとした時だった。

 

 

「アリサ!そこから下がれ!」

 

 本来であれば聞こえるはずの無い声が頭上から聞こえる。この声が誰なのかアリサは確認するつもりはなく、ただバックステップで一気にその場から離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナオヤ、直ぐに出るから神機とヘリだ。帰投中ならその場で待機させてくれ」

 

《了解。こっちに来るまでには何とかしておく》

 

 医務室を飛び出たエイジは通信端末で現状を理解すると同時に、ナオヤに出撃の準備をさせていた。本来であれば細かい状況を確認した上で判断するが、エイジの声には僅かに怒りと焦りが滲んでいる。

 これ以上は時間の無駄とばかりに指示通りに準備が終わる頃、エイジが現れた。

 

 

「準備は出来てる。ヘリは既に待機中だ」

 

「サンキュー」

 

 この短いやり取りが全てを物語る。近くにいたリッカは一体何があったのか察する事は出来なかったが、ナオヤの顔を見れば、少しだけ納得する事が出来た。

 

 帰投直後のヘリに乗り込んだと同時に、今の状況をヒバリに確認しながら準備を進め現地へと一気に飛び出す。エイジは状況を把握すると同時に300メートル先から一気に降下を始めていた。

 地上へと加速するに連れ、状況が徐々に鮮明になる。エイジの目の先にはアリサが孤軍奮闘している姿だけが見えていた。

 

 

「アリサ!そこから下がれ」

 

 叫ぶと同時にオラクル解放剤を摂取し、一気に勝負を決めに行く。この時点でエイジは気が付いていないが、バーストモードに入った瞬間、身体からは闇を纏う様なオーラが一瞬だけ湧き起こっていた。

 アリサを襲おうとしたシユウにターゲットを決め、まるでギロチンの刃が無慈悲に落とされたかの様に肩口から真っ二つに切り裂く。鮮やかな切り口は時間差で断面から血が噴き出し、左右に真っ二つのまま倒れていた。

 

 降下しながらの攻撃は落下による加速と重力の恩恵を受け、斬撃の威力は一気に膨れ上がる。その勢いそのままにシユウを斬り捨てた瞬間、エイジはその場には既に居なかった。

 

 突如現れたゴッドイーターは誰なのか確認しなくてもアリサだけではなく、コウタやソーマも理解していた。今までミッションの度に聞いてきた声。そしてその動きを見ればそれが誰なのかは改めて確認する必要が無かった。

 

 最初の一撃のあと、今度は運動エネルギーを生かし、周囲のアラガミを一気に殲滅し始める。小型種は一合で斬り捨て、中型種も多くて三合、少なければ一合で斬り捨てられていた。エイジのあまりの早さにアリサ達は目がついていかない。

 斬り捨てたかと思った途端にそこに身体は既に無く、気が付けば他のアラガミの元へと移動している。

 味方からすれば神風の如く、アラガミからすれば触れれば死を撒き散らす竜巻の様な動きで、その場にいたアラガミは一気に殲滅されていた。

 

 時間にして僅かに2・3分程の時間が経過したのだろう。気が付けば死地だと思われた戦場は既に終結を迎え、アラガミの血糊を神機を振って棄てていた。

 

 

「ただいま」

 

 僅かな時間で殲滅したかとは思えない笑顔でそこに居た3人に今帰って来た事を告げ、ここに漸く平穏が訪れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一瞬とも取れる討伐が終わったかと思った途端に、エイジの正面からアリサが飛びつき、そのままエイジと唇を重ねていた。突然の事態で理解が追い付かないが、アリサからのキスで漸く状況を理解していた。

 このまま続けても良かったが、ここは戦場でもあり、2人以外にはコウタとソーマも居る。そんな状況を理解したと同時に、他の目があるからと一旦は離れはしたが、まるで関係無いとばかりにアリサはそのまま続けていた。

 

 

「なぁソーマ。なんかこんな場面って、旧時代の映画のエンディングなんかでよく見た覚えがあるんだけど……」

 

「……俺たちはせめて周囲の索敵でもして少しここから離れれば良いだろう」

 

「だな。これ以上はアリサに何言われるか分からないからな」

 

 そんなコウタとソーマのやりとりをよそに、今まで心配していた事が馬鹿馬鹿しいと思える程の様子をずっと見るような趣味は無い。だからこそ2人は気を利かす事で少しばかりこの場を離れる事にした。

 そろそろ帰投のヘリが到着するはず。そう考え一度2人の元へと戻り、ヘリに乗り込んだ。

 

 

「なぁアリサ。いくら俺たちが居るって言っても少しは自重しない?」

 

 帰投のヘリの中は出撃前の状況とは大きく違っていた。謎の不調も治まった事で、今はコウタとソーマが横に座り、向かい側にはエイジとアリサが並んで座っていた。先ほどの余韻に浸っているのか、アリサはエイジから離れようとはしない。『それが一体何か問題でも?』と言わんばかりの空気がそこにはあった。

 

「別に誰にも迷惑かけてませんから問題ありません」

 

「あのさ、一応俺たちも目もあるしさ……」

 

「だったら、違う所を向くか、目を閉じれば良いじゃないですか」

 

「それはそうだけど……」

 

「コウタ。それ以上はアリサに何を言っても無駄だ。到着まで少しの辛抱で済むならそうしてろ」

 

 アリサの様子を見れば今まで心配してきた反動が大きかった影響なのか、タガが外れた状態が続いている。一時期に比べればある程度見慣れた光景とは言え、流石に目の前でされるとコウタも意識せざるを得なかった。

 

 既にソーマは諦めの境地に居るのか、目を閉じ、今回のミッションの事を考えていた。エイジが現場復帰したから環境が変わる訳ではない事は理解しているも、やはり精神的な部分が大幅に違う。いくらあの支部長と言えど、エイジが復帰すれば横槍を入れる可能性は低いだろう。

 そんな楽観論を考え出した自分もかなり毒されているとソーマは考えながらアナグラへと帰投していた。

 

 

 



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第95話 要望

 第1部隊の任務完了の報は直ぐにガーランドの元へと伝わっていた。ミッションの詳細についてはツバキですらハッキリと伝えられていないが、ナオヤからエイジが出撃した事実を告げられている為に、それ以上の確認をしようとは思わなかった。

 事実上の最高戦力が現場に出ている以上、万が一の可能性はあり得ない。そんな絶大な信頼があった為に、ツバキは態々確認をするつもりは無かった。

 あの状況を知っていたのは発注内容を偽装したガーランドと、その配下でもあったアーサソールだけ。まさかの結果にアーサソールはエイジに対し、警戒感を持っていた。

 

 

「ほう。第1部隊が任務を完遂したとはね」

 

「どうやら如月エイジが途中で参加した事で、戦局が一気にひっくり返った様です。このままでも大丈夫でしょうか?」

 

「君が心配する必要は無い。むしろ、彼はこれからの計画には必要不可欠である以上、今は静観しておくんだ」

 

「了解しました」

 

 想定外の結果に内心では驚きを隠しきれなかったが、これで漸くここから計画の先を進める事が出来ると意識を切り替えていた。幾ら歴戦の猛者とは言え、一ゴッドイーターが政治に首を突っ込む様な事は無い。

 一先ず今後の計画の軌道修正を図り、次の一手へと進める事をガーランドは考え出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に今まで記憶が無かったのかよ?」

 

「どうやらそうらしいね」

 

「お気楽な隊長が戻ったんだ。少しは状況も改善されるだろう」

 

 内容はともかく、今は記憶が戻った事と今まで苦労したから少しは慰労する事も兼ねていたのか、コウタだけでなくソーマもエイジの部屋で食事をしていた。ここ数日の内容は傍から見ても異常とも思える内容ではあったが、エイジが戻る事で戦力が元に戻り今後の展開はマシになるだろうとの予測は容易だった。

 ガーランド自身が自分の言葉を否定しないのであれば、エイジは新型神機使いでもあり、部隊長でもある。自分の言葉に責任を持つつもりであれば、自己矛盾する事は支部内での信頼を大きく損ねる事になる。そんなロジックが働いたからなのか、今後の嫌がらせの様なミッションは無いだろうと思えていた。

 今出来る事は目の前の食事をただ喰らう事だけ。身体の疲労を少しでも早く回復するかの如く在庫の食糧をひたすら食べていた。

 

 

「そんなに慌てなくても、まだあるから大丈夫だよ」

 

「久しぶりにまともな物食べた気がするのと、今のうちに食べつくさないと後悔しそうだから、もっと持ってきてよ」

 

 既にどの位の物を食べたのだろうか?皿は瞬く間に空になり、料理は出した端から無くなっている。既にアリサとソーマはこれ以上は要らないとばかりに食後のコーヒーを飲みながら欠食児童ばりに食べているコウタを見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや~食べたよ。暫くはいらないな」

 

「コウタは食べ過ぎです。いくらエイジの好意でも少しは遠慮したらどうなんですか?」

 

「いや、心配したんだから、これ位はしてもバチは当たらないって」

 

 コウタが言うのも無理は無かった。確かにエイジが目が覚めるまでに色々な事がありすぎた。帰投の際にもアリサから話は聞いていたが、エイジがここに来る際にはそんな雰囲気は微塵も感じなかった事から、一体どっちが本当なのかその真意を測りかねていた。

 

 確かに今回の件だけではなく、突如出て来た新設部隊でもあるアーサソール。アリサが少し感応現象で見えたのは虚無とも言える闇だけ。この状態での憶測は本来であれば勇み足とも取れるが、今はまだ手持ちの情報が少なすぎた。

 ならば詳細について知っている人間に聞くのが一番手っ取り早いと、今後の予定を色々と立てていた。

 

 

「そう言えば少し確認したいんだけど、アーサソールってガーランド支部長の直轄の部隊って事なの?」

 

「その件は俺たちには何も聞かされていない。榊のオッサンにも確認したが、越権行為に当たる為に情報の開示請求が出来ないらしい」

 

「アリサの話だと新型神機使いだって事は分かったけど、話だけ聞いていると少し気になるんだよね」

 

「気になるってなんです?」

 

 これまでの話を聞いたエイジは疑問を思わず口にしていた。通常であれば何も分からないままに部隊運営をするのは、以前にあった様な同一地域に複数の部隊を送り込む可能性が極めて高かった。

 ただでさえ、新型だけで形成した部隊であれば、どんな戦場に送り込んだ方が効率的なのかは容易に想像出来る。ましてやプリティヴィ・マータまでも討伐出来る程の力量であれば、猶更でもあった。

 

「何のアナウンスも無いし、整備はしていない。挙句の果てにはヒバリさんも確認出来ないって、明らかに怪しいですと公言している様な物だと思うんだけど?」

 

「私たちも呼ばれて結論だけ聞いたにしか過ぎませんから、これ以上の事は本人に聞く以外に何も出来ないんです」

 

 これ以上は手詰まりだと先に進める事は出来ない。肝心の榊にしても越権行為と言われれば立場上、無理に確認する事は出来ないままだった。

 ここから先はどうしたものなんだろうか?そんな考えが湧きだした頃、通信機が存在を示す様に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうやら記憶の欠損は無さそうだね。一先ずは安心したよ」

 

「ご心配おかけしました」

 

「どうやって記憶が戻ったのかは聞かないが、これからも宜しく頼むよ」

 

 榊に呼ばれた意図は分からないが、どうやら心配されている事だけは理解できた。先ほどのソーマの話ではないが、榊ですら確認出来ない事がここにはあるのであれば、今後の事も考えれば僅かな憂慮も排除する必要が出てくる。

 態々呼び出した以上、挨拶だけでは無いだろうと思っていた矢先に会話が突如として方向転換していた。

 

 

「君には少し現状の確認をしてほしい事があるんだ。今日は恐らく時間的にはミッションの依頼は無いだろうから、すまないが業務時間終了後に屋敷に来てくれるかい?」

 

「分かりました。では業務終了後に一旦屋敷に行きます」

 

 屋敷をと言った言葉の裏には、恐らくここで聞かれると色々と具合が悪い事があるのだろう事が理解出来た。時計を見れば榊の言う通り、業務終了まであと1時間程しかない。 余程の緊急事案が無ければ非番になるのは間違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すみません。少し遅れました」

 

 屋敷の襖を開ければ、そこには無明と榊、そしてツバキが既に座っていた。とてもこれから何か楽しい事が起こる様な事では無い事だけが伝わる。エイジは改めて気を引き締め直す事で、これから始まるであろう話を聞く事にした。

 

 

「いや、我々も今来た所だ。気にする必要は無い」

 

「そうでしたか。それと確認すべき内容とは一体どう言った事なんでしょうか?」

 

「今回の件なんだが、結論から言えば今フェンリルの内部で一部内紛と思われる事が起きている。その結果として、ここ極東支部が狙われている可能性が高い」

 

「……そうでしたか」

 

 無明の一言は簡潔ながらも、事の重要性を理解するに足りる内容でもあった。内紛に関してはともかく、極東支部が狙われている事実は到底容認する事は出来ない。このまま勢いに任せて聞いた所で何かが改善される事は無い。まずは一通り話の内容を確認する事が先決とばかりに、敢えて口を挟む事はしなかった。

 

 

「おや、随分冷静だね。何か知ってたのかい?」

 

「いえ、そうでは無いんですが、先ほどまで皆と食事をしながら色々と聞いていたので。まさかとは思っていたんですが、予想通りで何も言う事は無いと言った方が正解かもしれません」

 

「やはりあいつらも何となく気が付いていたのか。なら話は早い。今回のガーランドが支部長で就任した件なんだが、どうもキナ臭い。何か背後にある様な気がする以上、お前たちも十分に気をつけておくんだ」

 

 ツバキも本部から戻ってから支部内に何か異変がある事は気が付いていた。極東を離れる前と戻ってからでは明らかに漂う空気が違っていた。立場上、何か探る訳にも行かず、まずは確認する事が先決だと様子を窺っていたようだった。

 

 

「その件に関しては今後の動向次第だが、今回来てもらったのは君がここの第1部隊長でもあると同時に、筆頭守護者だからこそ知ってもらいたい事があってね。本来であればラボでも良かったんだが、あそこは気になってたから今回はここに来てもらったんだよ」

 

 アーク計画の際に、独立していたはずのラボも場合によっては秘匿する事が出来ないのはシオの件で理解していた。もちろん、あの後でラボのセキュリティは一旦見直しはしたものの、絶対はあり得ない。かと言って、今いるメンバーが集合すれば何かあると感づくのは容易いとの判断から、ごく一部の人間だけで情報を共有化すべく本部で知り得た秘匿事項に関しての説明がなされていた。

 

 極東支部と言うフェンリルの組織に属しているのであれば、その方針を疑う様な事は本来であれば有っては為らない。しかし、世間的には秘匿されたアーク計画を知っていれば、疑念は疑問に変わり、やがて疑惑へと変貌する。

 だからこそ、今回の支部長が本部の肝いりとばかりに配属されたのはある意味不自然とも取れていた。

 

 

「そうでしたか。わかりました。以後その件に関しては気に留めておきます」

 

 細かい内容までは聞かなかったものの、やはり今の状況は異常だと裏付けが取れていた。しかし、それと同時に今の状態で支部長を糾弾するだけの材料は何も無い。となれば今は相手からの出方を窺う事しか出来ないのであれば、用心以外に何もする事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事実上、話とは言っても中身はかなり濃い物になっていたのか、気が付けばかなりの時間が経過していた。しかし、この時点でもまだ解析途中のデータがある以上、ここから先は推論である前提での話しか出来ない。やはり気を許す事は出来ないとの結論で話は一旦終了していた。気が付けば時間は既にかなり遅くなっている。今日は帰るのは面倒だからと、このままここで寝ようとエイジは久しぶりに自室へと足を運んでいた。

 

 

「お帰りなさい。話はどうだったんですか?」

 

「え?……なんで?……どうしてここに?」

 

 何気に部屋の扉を開けると、そこには浴衣姿のアリサが座っていた。確か来るときにはアリサに話はしていなかったはず。しかし、今目の前の座布団に座っているのは誰が見ても浴衣姿のアリサ。

 一体何が起こったのか分からないと口をパクパクさせていた所で、漸く事の深層がアリサの口から語られていた。

 

 

「実は、無明さんと榊博士から呼ばれたんです。重要な話をしているって聞いて。だったらここに来たらどうだって……迷惑でしたか?」

 

 上目遣いと潤んだ目で言われ、これ以上何かを言うのは無理だとばかりに何も言えなかった。これがコウタであればとにかく帰れと言えたが、今までの事を考えるとアリサに対してそんな事を言う選択肢は無く、どうすれば良いのか判断に迷っていた。

 

 

「いや。大丈夫だけど、アリサは今晩はどうするの?」

 

「今日は好意に甘えようかと思って、実はもう着替えも持ってきてるんです」

 

「そうなんだ……」

 

 何気に爆弾発言された事でエイジの理解が追い付かない。榊博士はともかく、無明が何を考えて判断したのか分からないが、この場に突っ立っていても仕方ないとばかりに周りを確認しつつ部屋へと入った。

 

 

「で、どうしたの?」

 

「……あの……笑わないって。呆れないって、約束できますか?」

 

 何も用事が無ければ、恐らくはここに来る事はないはずだった。事実、少し前に皆で食事をしていた時には今の様な表情はしていない。何か思う事があったのか、それとも何か告げたいのだろうか?今のエイジには目の前で顔を赤くしながら、何か言いたげなアリサを見ている以外に手段は何も無かった。

 

 

「何か笑ったり、呆れる様な可能性があるって事なの?」

 

「そんな事は……無いと思いますが……」

 

 どうにも歯切れが悪い事だけは分かるも、やはり何を言いたげなのかまでは分からない。お互いが無言のまま少しの時間が流れていた。

 時間がどれくらい経過したのかは分からないが、このまま無言なのも心臓に良くない。このままでは埒が明かないとばかりに、一旦時間を空けた方が良いだろうとエイジは判断した。

 

 

「何だったら、少しお風呂に行くから、その後にでもどう?」

 

「……いえ。そうじゃないんです。ただ……」

 

「ただ?」

 

 どうやらこのまま時間が解決する選択肢は無かったのか、このままの勢いで言うべき事なのか、そのままアリサは話を続けた。

 

 

「エイジは記憶が無かった間の記憶はありますか?」

 

「記憶が無かった間の記憶?」

 

「はい。私がロシアから帰ってきてから、エイジが倒れる間までの記憶です」

 

 ここで漸く、アリサの言葉の意味が理解出来た。記憶が欠損した状態に恐らくは何かを言った事だけは予想が付いたが、正直な所その当時の記憶はかなり曖昧な状態でもあった。記憶があったと言えば確かにあったが、詳細まで覚えているかと言われれば自信が無い。曖昧な記憶の頃の質問に対し、エイジは答える事が困難だった。

 

 

「ごめん。何となく程度だったら覚えているけど、細かい部分までとなると自信が無い」

 

 何気に放った一言で、何かのキッカケになったのか、アリサの目から涙が零れ落ちる。

 

 

「どうしたのアリサ?」

 

「いえ、ちょっと思い出したら悲しくなったので……今は大丈夫ですから」

 

 涙を拭きながらも話す事である以上、アリサに対して何らかの話をしたのだろう事は間違い無かった。だが、自分が一体何を話したのかまでの記憶が曖昧である以上、何を言ったのかの確認はしたい。万が一の事も考えゆっくりと話をしやすい状況へと誘導していた。

 

 

「……帰ってきたばかりの時に、ものすごく距離を感じたんです……今となっては記憶が無かったからで全部納得できるんですが……でもコウタに対して彼氏なんて話が出たときに、私って一体って。少し思っちゃったんです」

 

 話を要約すると、どうやらコウタとアリサが話していた際に、何をどう勘違いしたのか恋人同士と誤認した事に大きくショックを受けていた事だった。記憶が無い事は横にしたとしても、目の前でそんな事を最愛の人から言われればショックは隠しきれない。

 この事実を聞いた途端、エイジの心の中は申し訳ない気持ちで一杯だった。

 

 

「…ごめん。アリサはショックを受けたよね」

 

「すっごくショックでした」

 

「怒ってるよね?」

 

「怒っていないと言えば嘘になります」

 

 申し訳ない気持ちが影響し、顔は徐々に下を向きだした関係上、今のアリサ表情を見る事は出来ない。記憶が無いは最早言い訳でしかなく、この件に関してどうすれば良いのだろうか?そんな気持ちがエイジの中を徐々に支配していた。

 

 

「どうすれば良い?」

 

「そうですね……」

 

 この時点でアリサの顔を見れば泣いていたはずの顔には既に涙はなく、これからどうしようかと思案している表情でもあった。しかし、何故か顔は赤い。今のエイジには気が付くほどの余裕はどこにも無かった。

 

 

「今回の事で私も考えたんです。また何かあったら困るので私のIDでもエイジの部屋に入れる様にしてくれませんか?」

 

「…えっ?」

 

 今、アリサは何を言ったのだろうか?アリサのIDでも入れる様にと言った様にも聞こえたが、なぜその話が出たのか全く分からない。改めて見れば、アリサは顔だけではなく、耳までもが赤く染まっていた。

 

 

「…ダメですか?」

 

「ダメじゃないけど、どうして?」

 

「前々から考えていたんです。折角恋人同士なのに時間も中々取れませんし、ロシアからの帰りにはもう考えていたんですけど、帰国早々あんな事になったので…」

 

 どうやらかなり前から考えていた事の様だった。恐らくこの言葉を発するのに、かなりの勇気が必要だったのだろう。話す言葉の語尾が徐々に小さくなっている。

 アリサの提案に関しては、エイジも思う所はあった。しかし、幾ら恋人だからと言って、お互いのプライベートもあった方がひょっとしたら良いのでは?との考えもあった。実の所、エイジも中々アリサに言う事が出来ないでいた。

 

 

「アリサが良いなら構わないよ。別に困る様な物は何も無いからね」

 

 肯定された事でアリサの顔が一気にほころぶ。そんなアリサを見て可愛いと思うエイジも大概大甘だが、今ここでツッコミを入れる者は誰も居なかった。

 

 

「じゃあ、さっそく明日ヒバリさんに手続きしてもらいますから」

 

「えっ?ヒバリさんがそんな事までやるの?」

 

「そうですよ。知らなかったんですか?」

 

「それは……知らない」

 

「もう既に概要だけは伝えてありますから」

 

 この時点で、既にIDの追加に関しては本人の許可待ちだった事が理解できた。アリサとの仲は今更隠す事は無いが、何となく周囲に知れるのは気恥ずかしい気持ちの方が大きかった。

 アリサを見れば、既に何かしら計画しているのか、色々と思案している。気が付けば時間もかなり遅い。後の事はまた考える事を決め、まずは風呂へと足を運ぶ事にした。

 

 戻った頃にはまたエイジの理性を試される場面はあったが、内容に関しては誰も知る由も無かった。

 

 

 



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第96話 いつもの日常

 エイジが復帰してからの第1部隊の戦績は、今までは一体何だったのだろうかと思う程に目覚ましい数字を叩き出していた。ガーランド支部長からは後方支援を言い渡されていたが、今の状況を鑑みればこのまま後方支援に回す事を公表するのはアナグラ全体に不信感を呼ぶことになり兼ねない。

 建前として新型優遇の言葉を出せば、未だに旧型が主流となっているこの極東での信頼は簡単に吹き飛んでしまう。

 今の時点での思惑を他所にガーランドは暫くの間、沈黙を保っていた。

 

 

「やっぱり、エイジが居ないとつまらないよ」

 

「今のコウタに説得力は無いですよ」

 

 アリサが見ているのはコウタの手元。任務終了後に軽食とばかりに手には先ほどエイジから貰ったマフィンが握られている。現金すぎる程のコウタの態度に今までは空腹だったから力が出なかったのかと言いたくなるほどだった。

 

 

「アリサだって、人の事言えないじゃん。俺よりも良い物じゃん。なぁエイジ、俺にもくれよ」

 

「もう食べ過ぎだよ。満腹過ぎると動きが鈍るから程々だよ」

 

 まるで喫茶店で話をしているのかと思うような空気がロビー全体に広がっていた。一人が元に戻っただけでこうまで違うのだろうか。ロビーにずっと居るヒバリでさえも、当時の状況は見るに堪えない状況を覚えている。そんな空気をあっさりと変える程にエイジの存在感は大きくなっていた。

 以前であればリンドウがその役目を果たしていたが、今のアナグラはエイジが精神的支柱である事に間違いはない。その場にいた誰もがそう理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ガーランド支部長。第1部隊の連中はどうするおつもりですか?」

 

「今は如月エイジが復帰した以上、ここから先の無理強いは恐らく無意味だろう。まずはこちらの準備を全て終えた所で次のフェイズへと移行する。それよりも今の進捗状況はどうなっているんだ?」

 

 大きな研究施設とも取れる場所で秘密裏に研究が進められていた。元々発表されているアラガミ進化論は『ある目的の為』の手段でしかなく、それを公にする事で一種の目くらましとなっていた。大義名分があれば、誰もがそちらに意識が向いていく。本来の目的から逸らす為に発表されていた。

 

 一つの大掛かりな実験と研究の為にはそれなりの試料が必要とされる。本部であれば何をするにも目的に関する許可が必要となるが、既にガーランドはここの最高責任者でもある支部長である事と、ここ極東には世界最大級のアラガミのコア保管庫がある。

 実験一つするにしても許可も要らなければ試料にも困らない。そんな思惑がここへ赴任する為の目的の一つでもあった。

 未だこの施設に関しての有効活用の方法に気が付いてる人間は誰も居ない。今は第1部隊の事は一先ず先送りし、自身の研究を優先としていた。

 

 

「今の所は70%程です。完成までにはあと数日は必要かと思われます」

 

「そうか。ならば完成を最優先とし、その後の行動に関しては改めてとしよう」

 

 この研究開発を今の時点で知られるには何かと都合が悪い。その為には、一旦今までの事は何も無かったかの様に振る舞う事で水面下で動く事が一番効率が良いと判断した結果でもあった。

 既に第1部隊は何の問題も無く運用されている。となれば態々火種を作る必要性はどこにも無く、第1部隊とアーサソールの関係を気取られる事無く任務を発注した方が良いだろうとガーランドは判断を下していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 穏やかな時間が流れるのと同時に、先だっての多数討伐ミッションからアラガミの数は一時期よりも減少が見られていた。デスマーチとも取れる過酷な日程とは打って変わった事と、いつもの第1部隊が戻って来た事により、今までの殺伐とした空気が穏やかな物へと変化していた。

 

 

「アリサさん。例の件ですが、手続きは完了してますので後は腕輪認証だけはしておいて下さいね」

 

「ありがとうございます」

 

 誰も居ない事を見計らい、ヒバリは小声でアリサに告げていた。

 ヒバリの言葉が何を意味しているのかはアリサだけが知っている。喜びが隠せないのか満面の笑顔が言うまでもなく心情を伝えていた。以前屋敷で話をした事が漸く可能となる事で今のアリサはある意味危険な状態とも言えた。

 これからは自由に出入りが出来る上に、問題となった記憶喪失事件が仮に再びあったとしても、何か分かる物があればとの考えから二人のおそろいの物があっても良いだろうと判断したのか、アリサは早速エイジの元へと走り去って行った。

 

 

「随分とアリサがご機嫌だったけど、何かあったの?」

 

「まぁ色々とあったんですが、どうやら解消されたらしいですよ」

 

 走り去るアリサを見ながらも、休憩がてらにおやつでもとリッカがロビーに来ていた。本来であれば事実を伝えてもリッカであれば問題ないが、今回の内容に関しては公言する訳には行かなかった。幾ら任務とは関係が無いとは言え、内容が限りなくプライバシーに関するだけでなく、ヒバリの職種から考えても公言することは守秘義務に反する。ヒバリもリッカが聞きたい意図は読めているが、そこは守秘義務があるからともっともらしい事だけ告げ、それ以外に語る事は無かった。

 

 

「そう。なら良いんだけど。ここ数日は異常とも言える出動だったから、ある意味気分転換が出来てるなら良いんだけどね」

 

「あの頃の事を考えると、確かに今は平和と言っても差支えないでしょうね。でも技術班もその分大変じゃなかったんですか?」

 

 ヒバリが心配しているのは討伐における出動だけではない。任務が完了し、帰投すれば今度はそのメンテナンスとコアや破壊した部位の回収と、それこそ全員がスクランブル状態でフル稼働する事だった。精鋭なのはゴッドイーターだけではない。この極東支部に所属している人間全員が自分たちの仕事に誇りをもって取り組んでいるからこそ、今の水準が保たれていた。

 事実、ここ数日の激務の影響でリッカの体重は2キロ落ちると同時に、常に疲労感が顔に滲んでいた事が思い出されていた。

 

 

「いや~これで徹夜からも解放されたし、落ち着いた直後に帰ったらまる一日は寝てたよ。さすがに24時間近く経っていた時は思わず笑っちゃったよ」

 

 笑顔で話はしているが、事実家に帰ったのはある意味久しぶりな状況と共に乱雑な部屋の中は出て行った時と何も変わっていなかった。唯一変わっていたのは冷蔵庫の中身。ほぼすべての食材の賞味期限が切れていた事で、改めて買い直しや作り直しで時間が経過していた。

 その影響もあって、ロビーに置かれたお菓子を食べるリッカの手が止まっていない。あまり食べると今度は違う意味で苦労するのではと心配する程だった。

 

 

「リッカさん。それ位にしておかないと、他の人の分が無くなりますよ」

 

「…それもそうだね。でもさ、久しぶりに食べると何だか次の仕事に向かって頑張ろうって気力が出てきそうだけどね」

 

「それは否定出来ませんね。エイジさんが出撃してなかった時は業務以外ではタツミさん以外、誰も近寄らなかったですからね」

 

 常に常備されている訳では無いが、エイジが復帰後にはカウンターにお菓子が少しづつは出ていた。実際には一日置き位のペースで出ている事もあってか、ロビーには用も無いのに人だけはやたらと多くなっていた。

 

 

「ある意味、これが日常なんだろうね」

 

「そうですね」

 

「でもさ、ここまで余裕が出ると何だか気持ち悪いって言うか、何だか嵐の前の静けさって感じだけどね」

 

 リッカの何気ない一言は今までの極東支部の取り巻く環境を考えればある意味当然とも取れる発言でもあった。穏やかに流れる時間の背後には何かしらの蠢いた物があるのは間違いないが、今の時点でそれを確認する術はどこにも無かった。極東支部に所属して平凡なまま終わる様な事実はありえない。そんな事に動揺する事すら起きないのは、この状況に慣れた結果なのだろうか?

 杞憂で終われば問題ないが、それ以上となると今度は何が起きるのだろうか。そんな事が有ってほしく無い気持ちを持ちながらも、2人は再び仕事へと戻る事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようエイジ。もう調子は良いのか?」

 

「もう大丈夫ですよ。今の所、何か不都合が生じる様な場面には遭遇してませんから」

 

 廊下を歩けばそこにはリンドウが煙草を片手に休憩していた。リンドウも形式上は第1部隊に所属はしているが、実際にはツバキの管理下で新人の教育関係や遊撃としての任務をこなしている。

 その為に時間が他とは違う状態になっていた。事実、リンドウがエイジと会話したのもかなり久しぶりではあったが、そこに何の感慨も無く純粋に情報交換だけしていただけにすぎなかった。 

 

 

「そう言えば例の話だが、無明からは聞いているか?」

 

「概要だけは聞いています。しかし、今の所は何か変化があったとも思えませんし、今の状況がこのまま続くとも思ってもいませんが」

 

 誰が聞いているか分からない以上、情報の核心の部分を敢えて外す事でそのまま会話を続けていた。エイジが目覚めていない時には本来であればリンドウが第1部隊に復帰するのが一番だと思われていたが、肝心のガーランドはそんな事は意にも介さずそのままの部隊運用をしていた。

 詳細については分からないが、無明とツバキが本部へ行くのは何かがあるからだとあたりをつけ、リンドウは口を挟む様な事は何もせずに見守っていた。

 

 

「所で話は変わるが、アリサとは上手くやっているのか?」

 

「どうしたんですか急に?特に問題は無いですけど?」

 

「実はな、お前がまだ目覚めていない時に、どうやらうちの嫁さんに相談していたらしくてな」

 

 リンドウの話はアリサからは何も語られていない。もちろんこれが初耳でもあった。目が覚めるまでの事は分からないが、何となく暖かい物が流れ込んでいる様にも思えていた事を思い出す。

 あの後少しだけアリサにも聞いてみたが、結果的には話をはぐらかされた事でそれ以上の追及も出来ず、エイジとしてもそれ以上の事は何もしていなかった。

 

 

「ま、今のアリサを見ていれば言うまでも無いが、皆に心配かけるんじゃないぞ」

 

「リンドウさんよりも無茶をした記憶はありませんが」

 

「そいつは手厳しいな。って言うか、無茶の理由は全部俺のせいじゃないぞ」

 

 何を相談していたのかはさて置き、エイジは自分が想像以上にアナグラに大きな影響を与えている事を理解していた。誰も当時の事を語る事は無かったが、まるでお通夜の様な空気は、流石にリンドウにも感じていた。

 このままでは何かが起きても対処する事は難しいのではと考えていた所で復帰したのであれば、これ以上の事は言うまでもない。考えを切り替える事で何事も無かったかの様に話す以外に無かった。

 

 

「お前は気が付いていないかもしれないが、今のここはお前が精神的支柱になっている。無明も居るから大丈夫だとは思うが、何かあれば遠慮なく相談してくれ」

 

「わかりました。その時は宜しくお願いします」

 

「ああ。それとさっきの話だが、俺が喋った事はアリサには内緒にしておいてくれ。後で文句を言われるのはたまらんからな」

 

「詳しい事は分かりませんが、気を付けておきます」

 

 何か今の話で拙い事があったのだろうか?リンドウの考えは分からないが、特に言うべき事は何もないのであれば、これ以上気にする必要性は無い。一先ず了承した事を伝えると、リンドウはこれからまた仕事があるからとエイジの元を離れて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジここだったんですか。さっきヒバリさんが教えてくれたんですが、後は腕輪認証すれば問題ないそうです。あの……エイジがよければこれからどうかと思うんですが、都合は良いですか?」

 

 満面の笑顔でやってきたかと思えば、今度は少し頬を赤くしながら例の腕輪認証の話が出て来た。手続きはともかく、業務外の事なので時間がかかるのではと思っていたが、どうやらヒバリの仕事が早かったのか、後は認証待ちとなっていた。

 

 

「特に用事は無いから大丈夫だよ」

 

「じゃあ早速行きましょう」

 

 もう既に何度も来ている部屋ではあるが、今のアリサには別の意味で緊張していた。いつもはエイジが居ないと入れなかったが、この認証が完了すればアリサの権限でも入室する事が出来る。

 傍から見れば今更の様にも思えるが、やはり自分以外の部屋に自分の意志で入る事が出来るのは、ある意味緊張する部分がそこにはあった。腕輪をかざし登録が完了すると同時に、エイジではなくアリサのIDで扉が開く。いつもと何も変わらない部屋ではあったが、今のアリサには別空間の様にも思えていた。

 

 

「どうしたの?」

 

「…いえ、ちょっと感動しちゃいました。私のIDで開くと何だか気恥ずかしい様な気がして…」

 

 扉が開き、そのまま入りはしたが、入り口から先に進む気配が無い。エイジは隊長権限で緊急時には部隊のロックを解除する事が出来るが、逆のパターンはシステム上ない。アリサは気が付いていなかったが、唯一の例外は当事者同士の婚姻による物だけ。

 今回ヒバリがやったのはそのシステムの一部を流用した結果だった。だからこそ感動する部分がそこには存在していた。

 

 

「そんなもんなの?」

 

「そうなんです。エイジはちょっとその辺の認識が薄いんです」

 

 外部居住区や元々アナグラで暮らしているのであれば、プライバシーや万が一の事も考えて扉がロックされるのはある意味当然とも思われていた。しかし、屋敷の場合は扉ではなく襖の為に、そこにプライバシーとしての鍵の存在は無かった。

 事実、屋敷では何度もシオの襲撃にあっている。そんな事もあってなのか、エイジはアリサ程感動する様な事は無かった。

 

 

「ほら、屋敷だとロックしてないから考えた事も無かったんだよ」

 

 言い訳にも聞こえない事は無かったが、事実当時の記憶を呼び起こせば屋敷の部屋に鍵は確かに無かった。エイジが言う様に、シオの襲撃の事はアリサも覚えている。

 環境の違いと言われればそれまでだが、やはりこの感動は分かち合ってほしい乙女心がそこにあった。

 

 

「…確かにそうなんですけど。これからはもっと一緒に居る事が出来ますから、少しは気にしてください」

 

 アリサの言葉ではないが、万が一一緒に居る時に誰かが来るような事態があれば恥ずかしさが先に立つ。恋人同士とは言え、分別は必要だった。そんな事も踏まえ、改めてエイジに告げると何となく状況を想像したのか理解する事が出来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、エイジに少し聞きたい事が有ったんですが、あのガーランド支部長の直属部隊でもあるアーサソールの事なんですが、何か気が付いた事ってありませんでしたか?」

 

「気が付いた事は無いと言いたい所なんだけど……」

 

 2人で食事をしながらこれからの事を色々と話している中で、不意にアーサソールの1人と感応現象が起きた事が話題に出ていた。現在の所、ここ極東支部でアーサソール以外に新型はエイジとアリサ以外にはいない。

 当時の事を話せばストレスが溜まりそうだが、こんな時でないと話す事は出来ないからと当時の状況を思い出しながら改めてエイジに確認してみる事にした。

 

 

「些細な事だったんですが、何気に握手した際に感応現象が起きたんですが、相手が全く見えなかったんです。まるで意思が無いのかと思う位に真っ暗闇な感覚しかなかったので、ひょっとしたらエイジの方で何か聞いてないかと思ったんですが……」

 

「実際にガーランド支部長と話したのは、ここに来る前位でその後はアリサも知っての通りの状況だったんだけどね。未だに細かい話の場が設けられた事も無いし、ここ数日は全く見ていないからね。

 実際にアーサソールに関しても直接話した訳ではないから、気が付く以前に名前と顔すら一致しないよ」

 

 エイジが記憶を取り戻してからは事実上、余程の事が無い限りアリサと一緒に居る事が殆どだった為に、その一言で全てが終わってしまった。

 初体面の時と支部長からの紹介の都合2回しか見ていないのであれば、それ以上は何も判断する材料が無かった。エイジの復帰以降からは今までよりも更に顔を合わせる機会が薄れているのはある意味仕方がない部分ではあった。

 

 本来であれば屋敷での話をするのが一番手っ取り早いのだが、その情報を何気に話せば今度はこちらの立場が色々と拙い事になり兼ねない。自分だけならどうとでも出来るが、今のままではアリサにまで被害が及ぶ可能性があった。

 

 大車の事件以降、本音を言えば面倒事に顔を突っ込んでほしいとは思っておらず、仮にここで話せばどうなるのかも容易に想像が出来ていた。

 だからこそ、何も知らないと答える事で、今後起こるであろう可能性を少しでも低くしたいとエイジは考えていた。

 

 

 

 



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第97話 緊迫した事態

 本部から取得したデータの解析は思った以上に難航していた。一番厄介な部分は特定のファイルを開こうとすると、必ずと言って良い程に認証が必要となる点だった。通常であれば所有者が許可を出した物であれば気にする物では無いが、そもそも無許可での持ち出しと同時に最悪の場合は、どこの端末から開示したのかが発信される可能性だった。

 下手に手を出せば、自分だけの問題だけでは終わらない。実際にその解除に手間取る事となり、気が付けばそれなりの時間が経過していた。

 

 

「これは……なるほど…しかし…」

 

 どれほどの時間が経過したのだろうか。手間取りはしたが解析は無事に終わり、改めてスクリーニングした後にファイルを開くとそこには予想通りの機密事項が記されていた。内容に関しては本部の研究者が秘匿状態にしたくなるのが分からないでもない。しかし、考え方によってはこの内容は本部で独占すべき内容では無い事は誰の目にも明らかだった。

 まずはこの情報に関して該当者に伝える必要がある。だからこそ榊は連絡を取るべく、相手先を呼び出そうとしていた時だった。

 

 突然の轟音と震動により、アナグラ内部の緊急警報がけたたましく鳴り響く。一体何事かと思った榊に、この騒音と振動の原因理由が知らされていた。

 

 恐れていた事実。まさかの推測がそのまま実行された事だけを理解し、榊は直ぐに無明に連絡を取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《緊急事態が発生しました。待機中のゴッドイーターは至急集合して下さい。繰り返します待機中の………》

 

 アナグラ内部の警報により、今まで穏やかとも言えた空気が一転して緊迫に包まれていた。現在の所は状況把握が最優先と同時に、それに合わせる様にゴッドイーターに対し出撃命令が繰り出される。慌ただしく走る音が現状を表していた。

 

 

「ヒバリちゃん。一体どうなってるんだ!」

 

「現在アラガミの襲撃によって外部の防壁が破られています。このままでは大惨事となる可能性がありますので、第2、第3部隊は直ちに急行してください!」

 

 タツミの声に応える程の余裕が既に無いのか、ヒバリは各所から上がってくる情報を判断し、的確に指示を出している。そんなヒバリを見てタツミはそれ以上の言葉をかける事は避けていた。会話をする時間があるならば一刻も早く指示を出す事で被害は最小限に留められる。一刻の猶予もないまま各部隊はそれぞれの持ち場へと繰り出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一体何があったんですか?」

 

「俺たちも分からないんだ。ヒバリちゃんの所に確認に言った方が早いからアリサはエイジに知らせてくれ」

 

「分かりました。直ぐに行きますので確認しておいてください」

 

 警報が鳴り響くと同時にそれぞれが部屋から飛び出す。緊急時の出撃はこれまで何度もあったが、今回の警報は明らかに今までと質が違っていた。アナグラに漂う緊迫感が否応にでも事態の悪化を物語っている。

 まずは状況確認を最優先とする事で、各自がそれぞれの判断で行動していた。

 

 

「エイジ!どうしたんですか!入りますよ」

 

 何度か呼んだが、部屋の中からは一向に返事は返ってこない。これ以上待つ事すら惜しいとばかりに扉を開ける。本来であればこの時点で第1部隊に出撃命令は出ていない。にも関わらず、そこにはいるはずの人間が居なかった。

 

 

「エイジ?」

 

 どこかへ出ているのではとも思ったものの、エイジの気配は一切感じられない。一体何が起きたのだろうか?これ以上ここに居ても何も変わらないとばかりにアリサは一旦ロビーへと走り出した。

 

 

「外部居住区の避難は後どれ位ですか?こちらの収容施設施設はあと10%です。近くの避難経路を確認しますので少しだけ時間を下さい」

 

 ロビーは既に戦闘指揮所の様な状況に陥っていた。既にいくつかの部隊は現場へと急行し、外部居住区の人間の避難誘導を始めている。本来であれば第1部隊はその先陣を切るはずだが、未だに出撃命令が出されていない。

 かと言って、このまま指をくわえて見ている訳にはいかなかった。

 

 

「第1部隊に要請が来ていないが一体どうなってる?」

 

「現在第1部隊は出撃不可能。凍結状態となっています。私の権限では分かりませんので上に確認してください」

 

 各方面への指示に意識を奪われている為に、回答はしたものの一体誰へといった事まで考える余裕が今は無かった。凍結による出撃不可の命令は誰が下したのだろうか?可能性を考えれば支部長の可能性は高いが、確証がある訳では無かった。そんな事を考え出した頃、血の気が引いた様な表情でアリサが駆け寄って来ていた。

 

 

「ヒバリさん、エイジがいません。どこに居るか分かりませんか?」

 

 まさかの発言に今まで慌ただしく動いていたヒバリの手が一瞬止まった。エイジの行方不明はある意味緊急事態に間違い無い。しかし、今の状況から外れれば確実に現場は混乱の極みに陥る事だけはなく、最悪の事態に陥る可能性が高い。今の状況が既に処理速度ギリギリのラインである事は誰の目にも明らかだった。

 

 

「腕輪のビーコン反応を確認したよ。どうやら彼はここに居ない様だね」

 

「じゃあ、一体どこに?」

 

 逡巡したヒバリの代わりに発言した榊に改めて視線が集まる。出撃していないのに不在となるのはあまりにも不自然とも言えた。しかし、腕輪に内蔵された反応を見れば確かにここには居ない。

 突如として起こったアラガミの襲撃と、エイジの失踪で情報が錯綜しかけたものの、生存の確認された事で何とか混乱を防ぐ事が出来た。情報を確認する事で今後の方針を決定づける必要があるとばかりに、榊の発言に対してすぐさま確認が入った。

 

 

「どうやら彼はエイジス島の様だね。ビーコンがそこで点滅している以上、間違い無いよ」

 

 エイジの所在を現したビーコン反応が画面に記されている。このままでは何かがあった際には大幅な戦力ダウンを避ける事が出来なくなる。何故エイジスに居るのかは分からないが、今はそれ以外の情報が何も無い。直ぐにでも出動を心掛けるべく、アリサ達は神機保管庫へと急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは一体?」

 

「どうやらお目覚めの様だね」

 

 呟きとも取れる程の声に、どこかで聞いた事が有る様な声が返事を返していた。声の主はガーランド支部長だが、何故なのかまで理解が追い付かない。

 周りを見れば何かの研究をしている様にも見えたが、以前どこかで見覚えがある様な光景が目の前に広がっていた。

 

 

「支部長。どう言う事ですか!これって……まさかとは思うんですが、何を研究してるんですか!」

 

「これは、これから行われる壮大な計画の一部だよ」

 

 エイジの叫びなど意にも解さないとばかりにガーランドは淡々と現状の事だけを話す。改めて周囲を見渡せば幾つかの水槽の中に何かが浮いている様にも見える。どこかで見た光景はアリサ奪還の際に見た実験施設と酷似していた。

 

 

「まさかとは思うが、人造アラガミの研究なのか?」

 

「……これを見て判断出来るとはね。察しが良すぎるのも困りものだね。これは今後の人類の反映を維持させる為の道具だ。まぁ君達にはお馴染みかもしれないがね」

 

 水槽の中には何かが沈んでいるが、確認することは出来ない。以前に聞いていた最悪の状況が今エイジの目の前に存在している。ここから考えられる事はあの時に聞いていた推論そのものだった。

 

 

「あのまま眠ってくれてた方が何かと都合が良かったのかもしれないが、もう研究は完成している。あとは実行シークエンスを起動させるだけなんだよ」

 

 ここまで順調に来た事もあるのかガーランドは愉悦の表情を浮かべ、これから行おうとする事を嬉々として説明し始めていた。今回の計画に関しては既に予想していたが、やはりフェンリルの上層部とも結託していたのは最早明白だった。

 

 

「あとは今回のキーとなるのが君の能力なんだよ。どうやら君の感応現象が現在所属されている神機使いの中でも一番だったからね」

 

「そんな能力なんて知らない。いい加減に考えを改めたらどうなんだ!」

 

「これは昨日今日始めた物ではないんだよ。今更考えを変えようなんて気は無い。私は兄とは違って、そこまで悲観論者ではない。だからこそこれを使った統治が一番の最善策だ。対案が無ければこれが正しいと後世において歴史がそれを証明する事になるだろう」

 

 改めて話を聞けば随分と傲慢に、まるで自身が神にでもなったのだと錯覚している様にも思えた。悲観論者ではないが独裁者。まさにそう考えるのがうってつけとも言える発言だった。

 

 もし、この場が一つの議論をぶつける場であれば、この考えはあまりにも荒唐無稽すぎた。本能のまま動くアラガミの制御は自然界に住む動物を意のままに操るのと同義になる。その為にはしっかりとした操縦方法を確立する必要があり、今回エイジが選ばれたのは、既存のゴッドイーターの中で一番感応現象が出やすい事が理由として上げられていた。

 一見まともな話の様にも聞こえるが、その理論は最初から破綻していた。感応現象そのものが完全に解析された訳でもなければ、それがどの程度操縦するに当たって必要なのかすら完全に解析された訳では無い。いくらエイジの能力が高いとは言え、明確な結論が無いままの研究はあまりにも稚拙過ぎていた。

 

 

「あとはこのコアを注入すれば、これで完了する。これからは統治国家としての体を成す」

 

 このままコアを注入されれば、状況が一気に悪化する。この時点でまだアナグラが強襲されている事をエイジは知らされていない。仮にアラガミが今の極東支部を襲撃すれば瞬く間に蹂躙され、壊滅の未来しか無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで第1部隊が凍結になってるんだ!俺たちはこの為に居るはずだろ?」

 

「そう言われても、支部長に連絡がつかないのであればどうしようも出来ません!」

 

 コウタがヒバリに詰め寄るが、肝心の指示を出したガーランドに連絡が付かない。このまま見ている事がもどかしいと思った矢先だった。ロビーにある大型ディスプレイの画像が突如として切り替わっていた。

 

 

「フェンリルの各支部長に告ぐ。君達の役目はもう終わった。これからは本部が全ての任務に対して指示し、現存するアラガミを殲滅する事を約束しよう。これを持って私がフェンリル本部を代表し、新世界統一計画を発動させる」

 

 突飛とも取れる発言をしたのは、極東支部長でもあったガーランド・シックザールだった。この放送は全支部にジャックされているのか確認する事は出来ないが、第一声で各支部と言い渡した以上、とりあえずはそうだと結論付けてそのまま画面へと視線を移していた。

 当初はざわめきたっていたロビーが僅かに沈静化する。この話が仮に本当だとしても本部が世界全土に対して指令を出す事は不可能とも考えられていた。

 

 

「何が新世界統一計画だ。荒唐無稽にも程があるだろうが」

 

 吐き捨てるかの様に言った先には過去に置いて極東支部を巻き込んだアーク計画と被る物があった。あの時はヨハネス支部長の暴走とも取れる内容ではあったが、今回の内容は当時とは違い、フェンリルの全支部。即ち全世界が相手となる。

 仮にアラガミを討伐する手段があったとしても、その方法が分からないのであれば、従おうと考える支部はどこにも無い。そんな事位は理解できるはずだった。

 

 

「今回我々が極東支部で検証した実験の結果、新型神機使いの感応現象による共振でアラガミを管理する事に成功した。これは人類の手で制御が可能となる以上、これからアラガミの存在は脅威とはなり得ない。そうなれば君達が頭を悩ませる問題は全て解消される事になるだろう。

 各支部は直ちに自治権を本部へと返納すべし。今すぐでは無理でも君達には検討するだけの猶予を与えよう。

 仮に出来ないと判断した場合、我々を守護すべき存在が鉄槌を下す事になるだろう」

 

 全てを言い終わった瞬間にジャックしていたと思われていた画面は元に戻る。本来ならばこれで終わりだが、未だアラガミに襲撃されている事は何も解決していない。そんなほんの僅かな間隙が致命的となった。

 

 大きな衝撃が直ぐ近くで聞こえたかと思ったと同時に2体のオウガテイルがロビーへとなだれ込む。ここへ来るまでに幾つかの防壁があったはずだが、まるで機能が働いていないのか、その背後にも何体かが付いてきている。ヒバリも慌てて確認したが、システムは正常になっている。この場で確認する術はどこにもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アラガミが侵入してきたのはロビーだけでは無かった。技術班も防壁が突破されたのか、それとも作動していないのか判断はつかないが、肝心の神機が破壊される様な事があれば今後の運営にも支障が出る。

 その為には現在休眠中の神機を全て格納すべく、全ての手続きを終えていた。

 

 

「これで、何とかなるかな。後は第1部隊の神機だけど…」

 

 このまま出動命令が出ていない第1部隊の神機をどうするのか、リッカの権限では判断する事は出来ない。通信も現在は外部へ全てのチャンネルを使っているので連絡する事は出来ない。このままどうするのかを悩んでいた時だった。

 

 

「えっ!まさかここにも!」

 

 隔壁が大きく振動と共に歪んだかと思った途端にオウガテイルの顔が破壊された隔壁から覗きこんでいた。大きな口からは涎を出しながらエサを見つけたかの様にリッカへと襲い掛かる。神機の保管庫はアナグラ内部でも出撃の関係上、割と外部よりに位置している為に侵入を許していた。

 ロビーの状況が分からないリッカにとってまさに万事休すとも取れる状況となった。

 

 

「リッカしゃがめ!」

 

 背後から聞こえる声で、リッカは躊躇する事なくしゃがみこむ。口を開いたオウガテイルの口腔内が衝撃と共に大きく弾けた。改めて後ろを見れば、そこには見慣れない物を持ったナオヤが立っていた。

 攻撃され怯んだ隙に新人らしき人間がオウガテイルの討伐を開始していた。

 

 

「リッカ立てるか?」

 

「あ、ありがと。助かったよ……ごめん。少し腰が抜けたかも」

 

 突然の襲撃によって命の危険に晒されたかと思ったはずが、気が付けば助かった状況に理解が追い付かない。緊張していた関係で今まで何とか動けたのが、ここに来て漸く助かった事を理解した事で腰が抜けたのか、その場から立ち上がる事が出来なかった。

 

 

「もうすぐコウタ達がここに来るから、神機の準備をしておくよ。リッカ悪いけど少し待っててくれないか?」

 

 緊迫した状況が徐々に沈静化し始めるも、未だナオヤの表情は厳しい。ここにコウタ達が来るのであればそんな表情はしないはず。だからこそ何か緊急事態が起こった事だけが何とか理解できていた。

 

 

「どうやらエイジがエイジス島にいるらしいんだ。さっきの放送で支部長が何か言ってたけど、そうやら尋常じゃない内容らしい。これから緊急出動がかかるからその準備だ」

 

「今度は何が起きてるの?」

 

「詳しい事は分からない。けど、良い事では無い事だけは確かだ」

 

 会話をしながらもこれから来るであろうコウタ達の為に神機の最終確認と同時にナオヤは装備品を整える。エイジの神機をケースに入れる頃、コウタ達が到着した。

 

 

「ナオヤすまない。後の事はこっちに任せてくれ」

 

「準備は出来てる。ここは新人が何とかやってくれるだろうから、後の事は任せたぞ」

 

「ナオヤさん、リッカさん行ってきます」

 

「アリサも頑張ってね」

 

「ここは問題無さそうだな。身内の事は身内でケリをつける。後は頼んだ」

 

「帰ったらみんなで盛大に打ち上げだな」

 

 緊迫した中でもニヤリと笑って送り出すナオヤを頼もしいと思いながら、今何が起こっているのかを確認する必要があった。リッカも動こうとするが、未だ身体は言う事を利く様子は無い。それを見たナオヤも何をしようとしているのか理解し、リッカを抱き起した。

 

 

「ちょっとナオヤどこ触ってるの!」

 

「今は緊急事態だ。尻の一つや二つ一々気にするな。このままロビーに行くぞ」

 

「私のお尻は一つだけよ!」

 

 このまま横抱きで行けばまだしも、こんな最中で相手の事を考える余裕はない。まるで荷物でも運ぶかの様にリッカはナオヤの肩にそのまま載せられロビーへと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロビーでは既にオウガテイルは討伐が完了し、霧散している最中だった。神機保管庫と状況は何も変わらず、ここでも戦いの後が残されている。既に第1部隊はエイジス島へと向かうと同時に、混乱していた各所も落ち着きを見せ始めていた。

 

 

「ヒバリ、今どうなってるの?」

 

「実は先ほどガーランド支部長の話があったと同時に外壁からアラガミが侵入してきたんですけど、ツバキ教官の機転で何とか現状維持出来てると言った所です」

 

「そうなんだ。実はこっちも危なかったんだけどナオヤのおかげで助かったんだよ」

 

「だから、抱えられてきたんですか?あれはちょっとどうかと思ったんですけど」

 

「ひょっとして見てた?」

 

「ええ、バッチリと」

 

 見られて困る場面をよりにもよってヒバリに見られた事がリッカにとって一生の不覚ともとれる状況だった。アリサやヒバリを弄るのは構わないが、これが自分の事になると何かと都合が悪くなる。

 これ以上この話を続けるには、今のリッカにとって何かを犠牲にしなければならない。その前にこの状況を改めて確認すべく、話の舵を一気に切った。

 

 

「…で、他はどうなってるの?」

 

「もう収容は既に完了しているので、あとは外部居住区の内部の確認と掃討戦が終われば終了と言った所ですね」

 

「となると、あとはエイジスか……」

 

 戦闘指揮所となっているロビーでは画面上にいくつかの状況が次々と浮かんでくる。今はその処理を優先とばかりにヒバリも作業へと戻る。

 後の事は待つことしか出来ない。そんな気持ちと共に今は画面を見つめていた。

 

 

 



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第98話 生体兵器

 突如として極東支部が襲われはしたものの、個人の能力の高さ故に外部居住区の一部で負傷者は出たが、人的な被害としては僅かな物に留まっていた。ガーランドの宣言は恐らく全ての支部の回線にジャックした事で、各支部でも既に検討と言う名の責任の擦り付けが始まっている事は容易に想像が出来ていた。

 仮にあの発言が本当に本部の意思の下での発言であれば、今後の状況が良くなる可能性は無いに等しい。

 

 ただでさえ上層部の人間を入れ替えた所で権力と言う名の麻薬に勝てる人間は早々居ない。そこに来て、人類最大の敵でもあるアラガミの制御が可能とされば、権力が更に集中する事になり、その結果、完全なる支配をする事になる。

 自治権の返納に関しては、そもそも本部が全てを管理する事が不可能だからこそ、各支部への裁量権と言う名で与えていた物でもあった。

 

 

「無明君、彼の言っている事は恐らく本当の事なんだろう。機密情報にも新型神機使いの感応現象における考察と検証についての論文が見受けられた。これでは早晩何かが起こると考えた方が良いだろうね」

 

「過去に起こった二つの事件が今回の一つの判断材料となるのは間違いないでしょう。しかし、あの理論にはまだ矛盾している事があります。本部では論文の内容に関しての検証はしたのかもしれませんが、実地に関してまでも検証している訳では無いですから、恐らくその矛盾点には気が付かないのでしょう」

 

 先ほどの宣言を確認すると同時に、今ここで起こっている内容を完全に解決しなければ、まともな議論をする事は出来なかった。ヒバリからの情報を確認すると戦況が徐々に上がり、ここで一つの山場を越えた事が理解できた。だからこそ、これ以上は無いとの判断から次の一手に移る事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はいアリサです。今エイジスに向けて移動中ですが、何か分かったんですか?」

 

「こちらはほぼ終結したと言っても良いだろう。後はガーランドの件だが、また君達に頼る事になるのは申し訳ない」

 

 一刻の猶予も無いとばかりに、コウタの運転でひたすらエイジス島へと急ぐ。ここにはアラガミの気配はまるでなく、アクセルを床が抜ける程の勢いで踏みつけていた。

 

 

 

「実は今回本部の情報を精査した際に分かった事なんだが、今回の検証の中で一つ本部が各支部に対して秘匿していた情報があったんだ。

 これは新型神機使いに関する事なんだが、元来の神機使いは自分の体内に偏食因子を取り込む事で神機とリンクさせる事で運用するんだが、新型に関しては少し内容が違っていてね。偏食因子は体内だけに留まらず、一部が脳にも影響を与える事が分かったんだ。

 その結果、新型神機使いはアラガミと同じような偏食因子を保有する事で磁場の様に偏食場パルスを発してるんだ」

 

 榊の話があまりにも難しのか、運転しているコウタは一体何語を話しているのかと言った表情のまま運転を続けている。聞きはしたが、やはりこの場で話す様な内容ではなく、しっかりと落ち着いた場所で聞く様な内容だった。

 

 

「それは分かったが、今の状況とそれがどう関係があるんだ?」

 

「簡単に言えば、新型神機使いの感応現象はアラガミが発生している偏食場パルスと同様の効果を発揮する事で、お互いの脳波がつながるんだ。恐らくはその現象を利用した実験をここでやっていたんだろうね。だからこそ今回の結果とも考えられる」

 

 未だ頭の上にクエスチョンマークが出ているコウタは既に理解する事を放棄したのか、既に口を挟む事は無い。横で聞いていたアリサが、この時今の状況と照らし合わせた事が口から出ていた。

 

 

「って事はエイジの感応現象は他の神機使いよりも強いから、今回の件に巻き込まれたって事ですか?」

 

「データ上では現在、極東に限らず他の支部も含めてエイジ君がダントツで一番だね。それはこちらが確認した資料にもそう書かれていたよ」

 

「……だから半分アラガミみたいな俺があそこまで影響を受けた訳か」

 

 任務の最中に何度か原因不明の頭痛に悩まされ、挙句の果てには聞こえてくるはずの無い声までが聞こえてくる感覚がソーマだけに限定された事がここで理解出来た。あのままの状態が続く様であれば、今のソーマはここには居ない。

 下手をすればアーサソール達と同じ運命になる所だった。

 

 

「でも干渉されるなら、あいつらだって同じじゃないの?」

 

「恐らくはあのヘッドセットで操るのと同時に他の信号を遮断しているのかもしれないね」

 

「だったらそれを壊せば良いんじゃないの?」

 

「コウタ君の言う通りなんだが、無理に外せばどんな影響が出るのか分からない以上、それは得策とは言えないね」

 

 この時点での答えを持つ者が居ないのは榊だけではなく、エイジス島に向かっているアリサ達も同じだった。これから向かう先でどんな状況が待っているかは分からないが、少なくともエイジの能力が狙われている事実は間違いない。

 今は一刻も早くエイジの元へと行く事を最優先と考え、それ以上の事を考える事を止めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 既にガーランドが全支部に向けた発信を終え、後は最後に培養された中身を起動させる事で全ての計画が完了する事が優先とばかりに準備を始めていた。両腕を拘束されたエイジもこのまま黙って言われる通りに従うつもりは微塵も無い。だからこそ、最後に邪魔をするべく周囲の様子を窺っていた。

 

 ガーランドの計画を阻止する為には、注入するコアを廃棄させるのが一番簡単な手段となっているが、肝心のガーランドは生憎とエイジから距離が離れている。このまま行動に移した所で何も出来ないまま終わる事だけは理解できていた。

 恐らくは自分の居場所を探知して誰かがこちらに向かっている可能性も捨てきれない。それならば僅かな時間でも引き延ばすべく、改めてガーランドと対峙する事を決めていた。

 

 

「今回の計画に関して一つ確認したい事がある。各支部の自治権を統一した所で本部は一体何をどうするつもりなんだ?」

 

「なぜ、そんな事を気にする必要がある?今回のケースは突然決まった訳では無い。本部が決断した事に我々が疑問を持つ必要はない」

 

「だったら教えて貰えないか?自分が今回の計画にいての重要なポジションなら聞く権利はあるはずだ」

 

「それを君に答える義務はない」

 

 あまりにもストレートすぎた内容はガーランドの気分を損ねる事となっていた。この時点で詳細を確認する事は無いが、恐らくは本部の一部の人間が暴走した結果なのだろう。

 事前に無明が予想していた事はどうやら事実の様でもあった。時間をどこまで稼ぐ事が出来るか分からないまでも、このまま話を続ける事にしていた。

 

 

「今のままだと、フェンリルの保護下に置いていない人間の事はどうするつもりだ?まさか見殺しにでもするのか?」

 

「彼らは好き好んで我々の保護下を離れたに過ぎない。そんな人間の事まで関知するつもりは毛頭ない」

 

「……それは本気で言ってるのか?」

 

「なんだと?」

 

 今までの理知的な話から突如エイジの声に怒りがにじみ出る。ガーランドは知らなかったが、エイジはフェンリルから放り出された人間である。だからこそ、フェンリルの支配下に入らない人間は知らないと言い切ったガーランドに怒りを覚えていた。

 

 

「くだらない。そんな子供の様な意見で決めるなんて馬鹿げている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()も大勢いるんだ。貴様如きに何が分かる」

 

 両腕を拘束はしていたが、足は自由になっていた事が災いとなった。両腕を拘束されていても動く事が出来るのであれば、これ以上無駄な事をする必要は一切ない。一気に動き出したエイジの動きは、拘束の為に付いていた人間を足払いで倒し、そのまま操作しているコンソールへと走り出した。

 

 

「さっさと止めるんだ!」

 

 ガーランドの声に反応したアーサソールの一人が止めようとエイジとの距離を一気に詰める。両腕が拘束されいてるのであれば鎮圧は容易いと考え、無造作に近寄った時だった。

 

「げほっ」

 

 近寄ってくるアーサソールの死角から鋭い膝蹴りが鳩尾を貫く。強固となった神機使いと言えど、人体の急所までは鍛える事は出来ない。息を吐いた音と共に鎮圧に来たアーサソールの一人が膝から崩れ落ちていた。

 

 

「両腕だけ拘束したのは間違いだったな」

 

 一言ガーランドに向けた言葉と同時にコンソールへ向かって改めて走り出す。このままでは計画が完遂出来ないと悟った研究員はすぐさま起動すべく、水槽を叩き割りコアを注入した。

 

 

「どうやら間に合わなかった様だな」

 

 ガーランドの歪んだ顔と同時に、計画は発動した事が決定づけられた。周りの水槽が一気にひび割れ、水圧と共に水が噴き出す。まるで新たな生命体の誕生とばかりにその場で大きな個体水槽からこぼれ出してきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嫌な予感がする。コウタまだか!」

 

「もう着くはずだ……入口が見えたぞ」

 

「行きましょう」

 

 3人が到着したと同時に水槽が割れ、中から4本足の動物を模したアラガミが周囲を見るべくゆっくりと立ち上がっていた。そこにはビーコン反応があったエイジもいる。 

 それを確認すると同時に神機のケースを持ちながら一気に近づいた。

 

 

「エイジ大丈夫ですか!」

 

 両腕を拘束され、取り抑えられたエイジを発見したと同時にアリサは現状を一気に理解した。エイジの背後には未だ動きはしないものの、巨体とも言える身体が横たわった物がいた。

 

 

「好き勝手させるか!」

 

 アリサがエイジを呼ぶと同時にソーマは拘束してる人間に斬撃を加えるべく襲いかかる。このまま直撃かと思われた所へアーサソールの一人は素早く神機を忍び込ませる事で渾身の斬撃を防ぎ切った。

 

 

「…畜…生……これ…でアラ…ガミを…操ってた…のか」

 

 神機で防がれれば、本来であれば次の攻撃へと移行するはずのソーマが突如として呻き声をあげていた。目には見えない感応波が改めてソーマを襲う。

 既に意識が混濁し始めた頃に改めてエイジは隙をつく様に回し蹴りを繰り出し、操っているであろう人間を吹っ飛ばした。

 

 

「ソーマ大丈夫か?」

 

「お前ほどじゃねぇ。直ぐに拘束は解く」

 

 素早く拘束具を破壊すると同時に、渡されたケースから神機を取り出し接続する。吹っ飛ばされたアーサソールも既に戦闘態勢に入っているのか、改めて神機を構え襲い掛かろうとした時だった。

 

 突如として耳には聞こえないほどの超音波とも取れる咆哮があたり一面に響き渡ると同時に、横たわっていた巨体をゆっくりと立ち上げ、覚醒したかの様にあたり一面を見渡していた。

 

 

「これが我々の検証の成果と言える生体兵器フェンリルだ。あとはお前たちを処分するだけだ」

 

 実験の検証が予定通り完了する事で、自身の論文と検証結果が正しかった事が証明されたのか、ガーランドの声が響き渡る。それと同時に、フェンリルを守護するかの様に、操られた複数の小型アラガミまでもが一気に集合した。

 当初の予定ではエイジの感応現象によって操る予定だったが、肝心のエイジが自由になった事により、数人のアーサソールが操ろうと試みようと一瞬だけ意識が途切れた。

 感応現象を起こすには一定の距離と対象に意識を向けない事には特定の思考を植え付ける事は難しく、戦いの最中に意識を他に向けるのは死にも等しい行為だった。

 

 

「なぜだ。理論上は間違いないはずだ!」

 

 小型アラガミの制御を外し、フェンリルに改めて意識を向けようとした途端、小型アラガミが一気に暴れだし、周りにいたアーサソールを捕喰し始める。

 感応現象で操る事が出来ても、完全に支配下に置いた訳で無ければリンクが切れた瞬間の本能の赴くままに目の前の物を捕喰するのは自明の理でもあった。

 

 ガーランドの感応現象におけるアラガミの制御に不備は無い。だが、この戦場に置いて管理出来ない物を使用すべく、片方の制御が外れればどうなるかは戦場に身を置いている人間であれば容易に想像出来た事だった。

 本来であれば研究者が戦場での理論など知る由も無い。ある意味この結果は当然ともとれたが、ガーランドはそんな可能性すら考えていなかった。

 

 

「貴方の理論は間違っていない。ただ、戦場がどんな物なのか知らなかっただけだ」

 

 幾ら今まで拘束していた相手とは言え、目の前で捕喰されているアーサソールを見殺しにするつもりは元々なかったが、至近距離での捕喰の為に助ける事は不可能だった。

 

 優位に立っていた筈が一転して窮地へと追いやられる。未だこの結果を受け入れる事が出来ないガーランドを尻目にソーマ達もまずは小型アラガミを殲滅すべく一気に攻撃を仕掛けようとした時だった。

 先ほどのフェンリルがまるで餌を与えられたかの様に、小型アラガミを次々と捕喰し始める。

 

 相当数のアラガミは一気に捕喰される事で、数はいなくなったと同時に、本能が察知したのか捕喰されていないアラガミは一気に逃走していた。

 

 あまりの出来事に何が起きているのか理解が追い付かない。餌とも言えるアラガミを捕喰したフェンリルは一気に暴れだし、新たな餌を見つけたとばかりにエイジ達へと襲い掛かって来た。

 

 4本足のアラガミである以上、ヴァジュラ種同様の素早い動きを見せ予想以上の早さでこちらへと跳躍しながら襲い掛かる。この場にいれば間違いなく押しつぶされる事を予測し、すぐさま退避行動に移ると、元々いた場所が大きく凹み、着地点を中心に大きく蜘蛛の巣の様なひび割れが起きていた。

 

 

「なぁエイジ、あれ操れないのか?」

 

「流石に無理だって。あれだけの巨体を操るって言ってもやり方は分からないし、今の状況だとこのまま野に放たれるのは悪手だ。ここは一気に討伐しないと拙い事になる」

 

「何か手は無いんですか?」

 

 着地点の衝撃は想像以上の物だった。本来頑丈なはずのエイジスであれば、凹む様な事は無かったはずだった。しかし、フェンリルは意にも介さない様な動きを見せると、再び襲い掛かる。

 先ほどの攻撃とは打って変わって跳躍はせずに、今度は鋭い爪でアリサに狙いをつけていた。

 

 

「きゃぁあああああ!」

 

 盾をギリギリのタイミングで展開するも、巨体から繰り出される重い一撃は簡単にアリサを吹き飛ばしていた。軽々と飛ばされたアリサはそのまま近くの壁に激突し、激しく体が打ちつけらる。勢いよくぶつけた事により、アリサの肺の中にあった空気が一気に外へと押し出される。衝撃の強さを身を以て体感していた。

 

 

「アリサ大丈夫か!」

 

「だ、大丈夫です。私の事よりもあのフェンリルを何とかしないと……」

 

「新型のアラガミのデータなんて無いぞ。どうする?」

 

 アリサが軽々と飛ばされる事で、いかに強力な一撃だったのかが直ぐに理解できていた。アリサの盾には3本の深い傷が刻み込まれ、次の攻撃を受ければ盾は大破するのは確実とも思われていた。

 盾があってこれではコウタは直撃すれば命の保証はどこにもない。冷たい汗がコウタの背中を伝っていく。これまでに無い危機感は知らず知らずのうちにその場の空気を支配し始めていた。

 

 

「このままだとジリ貧なのは間違いない。かと言って、このまま撤退する訳には行かない。ソーマ、持ってきた装備品って何がある?」

 

「用意された物はそこにあるだけだ…まて、おいコウタ。そこに別で入ってる物は何だ?」

 

 神機ケースの中にいくつかのバレットが同梱されていた。これを用意したのはナオヤだったが、中身に関しては何も確認していない。中身を確認する為には少し時間を稼がない事には、何も出来ない状況が続いていた。

 

 

「確認するにも、このままだと直撃を食らう。エイジ、10秒で良いから時間を稼げないか?」

 

「それ位なら何とか出来る。頼んだぞ」

 

 エイジが動くと同時にフェンリルは新たな狙いをつけ、先ほど同様に鋭い爪で襲い掛かる。先ほどのアリサへの攻撃で軌道を見極めた事により、カウンター気味に鋭い一撃を顔に向かってしかけた。

 本来であれば、鋭い一撃が顔面を攻撃することで、大きく怯ませる事が出来るが、フェンリルの反応はエイジの予測を大きく上回っていた。鼻面への一撃を鋭い牙で防ぎそのまま勢いを相殺する。

 鋭い斬撃と強固な牙がぶつかり合う事で、甲高い音が周囲一面に響き渡った。

 

 弾かれた衝撃をそのままに、フェンリルは改めて爪でエイジの胴体を薙ぐ様に振り回した。まさか受け止められるとは想定していなかった事に加え、予想外の衝撃にエイジの一歩が遅れる。

 本来であれば回避できるはずだが、衝撃で鈍くなった身体は思う様に動く事を許す事無く、ほぼ直撃とも取れる攻撃を受け止める形となった。

 

 

「エイジ!」

 

 目の前で直撃を喰らった事に驚きはしたものの、このまま激情に駆られて攻撃すれば、エイジの二の舞になり兼ねない。その為にはギリギリの部分を見極め、クレバーに攻撃する事が一番の防御とばかりに、渾身の力でソーマは自身の神機を振りかざした。

 

 

「…何だと」

 

 完全に攻撃の隙をついた一撃はフェンリルの身体に直撃するはずだったが、危機回避能力の高さなのか、反応速度の高さなのかソーマのイーブルワンは空を切った。致命的とも言える大きな隙を逃す事無くフェンリルが太い前足を振り回す。まるでゴミでも払うかの様にソーマは吹き飛ばされていた。

 

 

「これは、前に使ったバレットだ。これなら何とかなるかもしれない」

 

「コウタ急いでそれを撃ってください」

 

「いや、このままだと無理だ。バレットの数は全部で3発しかない。外せば終わりだ」

 

 コウタが見たのは終末捕喰が始まる戦いの際に使ったバレットだった。あの時は無我夢中で撃ち込んだが、元々動く事が殆ど無かったから出来た事だった。しかし、目の前にいるフェンリルは移動速度が早く、このまま撃っても当たる可能性は低い。

 となれば、ここで致命的な一撃を当てる事で怯ます事が出来なければ無意味に終わる可能性が含まれていた。

 

 

「だったら、動きを止めるしか無いんだけど……誰かスタングレネード持ってない?」

 

 先ほどの攻撃はエイジに予想以上のダメージを与えていた。ギリギリの所で爪の回避には成功していたが、太い前足からの攻撃をそのまま受けた事で肋骨が骨折したのか動きが鈍く、息が荒い。口元に流れる一筋の赤が状況の悪さを物語っていた。

 この状況が続く様であれば、動きが止まった瞬間に命が散る可能性が高くなる。だからこその選択でもあった。

 

 

「スタングレネードなら私がやります。コウタはその隙に撃ってください」

 

「無理は禁物だから、使ったらすぐに離脱。コウタが撃った所へソーマと2人で攻撃しよう」

 

「お前こそ無理するな」

 

「ここまで来たらそんな事言ってる暇は無い。コウタ準備は出来た?」

 

「俺はいつでも大丈夫だ」

 

「フェンリルが来ます!」

 

 アリサの叫びと共に、フェンリルは異常とも言える速度で突進し、戦場にいる全ての物を押し潰すかの如く跳躍した。この瞬間に狙いを定め、余計な行動をしない様にエイジが銃撃を浴びせる事でフェンリルの意識を固定させる。着地と同時にアリサのスタングレネードがフェンリルの目の前で炸裂し、辺り一面を白い闇が閉ざした。

 

 

 



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第99話 暴走

 スタングレネードの威力は予想以上の物だった。事前に目を瞑っていたので4人は何も問題ないが、至近距離で使われたフェンリルは視覚を潰された事で、突如苦しみながら動きを止めていた。

 明らかにここ以外での場面は有り得ない。あの攻撃をかいくぐっての銃撃は事実上不可能と判断し、コウタは用意されたバレットをすぐさまモウスィブロウに装填し、間髪入れずにフェンリルの眉間に向けて放った。

 

 

「なぜだ。理論は完璧なはずだ。何故ここで崩壊する!」

 

 ガーランドの叫びはある意味予想通りとも取れた。先ほどまで猛威をふるっていたフェンリルは先ほど着弾した場所を中心に、徐々に細胞が崩壊したかの様な様相を見せ始めていた。

 

 時間と共に緩やかに身体の細胞が分裂を始めたのか、フェンリルの強靭な身体が腐り落ちる様に徐々に溶け始める。突如として起こった現象に理解が追い付かないガーランドの思考はそのまま止まっていた。

 

 

「コウタ、残りも一気に撃つんだ」

 

「おうよ!」

 

 残ったバレットまでも、止めとばかりに角度を変えて撃つ事で、肩口と後ろ脚の部分にそれぞれ着弾する。今までゆっくりと溶けた居た物が徐々に速度を上げてその場に溶けた物が溜まるのではないのかと思う程に溶け始めていた。

 このまま時間と共に放置すればやがて自己崩壊を起こし、そのまま消滅を待つだけと思われていた所で想定外の攻撃が行われた。

 

 

「おい、エイジ。あれはなんだ?」

 

「…いや、分からない。でも嫌な予感がする。全員なるべく距離を離すんだ」

 

 エイジの指揮で今までの場所を離れ、溶け始めたフェンリルの身体をジッと見ている。既にガーランドは自分の想定外の事に呆然と立っている以外に出来る事は無い。

 一体何が起こるのか、全員がその場から視線を外す事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間と共に溶け始めたと思われたフェンリルの身体の一部を内部から突如、大きな触手の様な物が食い破る。頭蓋はすでに溶け終えたのかむき出しの状態を保っているが、肩口の部分からは今までに見た事も無いような触手が体内を食い破り、そのまま外部へと伸び出している。

 突き出た触手は1本だけではなく肩口から2本、尻尾の部分からも2本が突き出し、そのまま自分の身体をむさぼる様に捕喰し始めていた。

 

 

「貴様、あれはどうなってるんだ」

 

「……体内の細胞が暴走してるのだろう。お前たちが撃ったバレットが異常な状態を作り出した結果だ」

 

 ガーランドの自暴自棄とも取れる言葉に聞いたはずのソーマは舌打ちをし、改めてフェンリルを見る。自身の体内から突き出た触手が勢いよく捕喰をする事で、その全貌が徐々に出始めていた。

 

 

「あれの弱点は何だ!」

 

「……………」

 

 ガーランドの胸ぐらをつかみ厳しく確認するも、既にガーランドの目には失望の色意外に何も映し出していない。完璧だと思われた研究が、最悪の結論を題した事で自分自身を全否定されたのか、口を開く事は無かった。

 理論だけでここまで来た人間の憐れとも言える末路に、ソーマもこれ以上は時間の無駄だとばかりに改めてエイジの元へと駆け寄っていた。

 

 

「エイジ、あれをどうするつもりだ?」

 

「さっきのバレットは全部使ったから、ここからはやるしかないよ」

 

 少し離れた所から、フェンリルだった物を見ている。自己捕喰を繰り返し、既に喰らう物は無くなったのかエサを求めて触手が周囲を動き回る。身体のあちこちが捕喰され所々が骨と思われる部分をむき出しにゆっくりと動く。

 先ほどまでの様な俊敏な動きをする事は不可能ではあるが故に、先ほどまでの脅威は少ないと考えていた所だった。

 

 

「おい!あいつエイジスの壁を捕喰しているぞ!」

 

「そんな。エイジスの壁は全部アラガミ防壁のはず!」

 

 コウタとアリサは驚きを隠す事は出来なかった。本来であれば様々な偏食因子を取り込んでいるはずのアラガミ防壁の中でも、エイジスの物は他の物と明らかにレベルが違っていた。

 アラガミ防壁はある意味、対アラガミの最終防衛ラインのはず。にも関わらずフェンリルだったそれは、他の物と区別する事無く捕喰を繰り返していた。

 

 

「あれを捕喰するとなると、恐らく攻撃は最悪だろうね。下手に盾で防げば逆にこちらが拙い事になる」

 

「このまま見てる訳もいかないなら、何か手段を考える必要が出てくるだろうが」

 

 今はまだ捕喰欲求がこちらに向いていない為に少しばかりの余裕があるが、先ほどの戦いの状況を考えれば、3人は既にボロボロとも言える状態だった。

 アリサやソーマは身体のあちこちに切り傷や擦り傷が幾つも付き、所々に血が滲みだしている。コウタに関してもボロボロではないが、既にアンプルを切らし、このままだと残りの戦いには途中までしか参加する事が出来ない。残された時間は思った以上に少ない物だった。

 

 

「でも、あの体でどうやって生体を維持してるんでしょうか?」

 

 アリサの疑問は最もだった。頭蓋や前足、後ろ足の一部は肉が削げ落ち、骨がむき出しの状態となっている。先ほどまでの動きは出来なくても、今度はあの触手が難解とも取れる以上、今の状況を考えれば撤退の二文字は頭から既に無かった。仮にここで撤退した所で解決する事が出来ない以上、同じ未来しかありえない。今求められているのは、これからいかに討伐するのかを考える事だった。

 

 

「ガーランドはいくつものアラガミのコアを強制進化させてあれを作ったと言っていた。恐らくだけど、そこかのそれを制御する為のコアとなるべき部分が存在するはず。だとすれば、それを叩き壊せばそのまま崩壊が進むと思うけど?」

 

「理論上はそうだけど、問題はそれがどこにあってどうやって処理するかだろ?探るにしても、あれを相手にとなると厳しいんじゃないか?少なくとも触手に捉えられたら終わりだぞ」

 

「あれをどうやるかだな」

 

 コウタの一言がそこから先の展開が困難である事を浮き彫りにしていた。最悪の状況は神機を振りかざした際に逆に神機が捕喰される可能性が高い事だった。神機が無ければ討伐出来ないのと同時に、今後の事を考えれば決して臨むべき手段ではない。

 だからこそ必要以上に慎重にならざるを得なかった。このままの状況がいつまで維持出来るか分からない以上、悩んだところで解決方法は出てこない。だからこそエイジが自身の中で結論を出した。

 

 

「コウタ、ここに自分の予備のアンプルがあるから、これを使ってくれ。それと援護を頼む。アリサもコウタと同じ様に援護してほしい」

 

「エイジ、お前何考えてるんだ?」

 

「まさかとは思いますが、特攻なんてしませんよね?」

 

 アリサは最悪の事態を考えたのか、顔色が徐々に悪くなる。こんな状況になった時のエイジは無理な物は無理と判断するが、無茶をしない訳では無い。その結果が傍から見て無理とも見える事が今までに何度もあった。

 だからと言って止める言葉が誰の口にも出てこない。明らかにこの状況が危機的な物なのかが肌で感じているからでもあった。

 

 

「特攻なんてしない。ただ、あの触手は前に2本と後ろに2本だから今のままだと全方位の攻撃を補足出来る。見た感じだと攻撃が届きそうだから様子を見るだけだよ。なんで皆そんな顔してるの?」

 

 やっぱりかとの思いが伝わったのか、3人が半分以上疑った目で見ている。この表情をしたエイジは間違いなく碌な事はしないのは既に経験で理解していた。しかし、これを覆すだけの対案が無いのもまた事実。今出来る事は様子を見ると言うエイジの言葉を信用するしかない。

 

 

「お前だけだと信用出来ない。俺もお前と一緒に行動する」

 

「私も援護じゃなくて、同行します」

 

「……ソーマは良いけど、アリサはダメだ。何度も言うけど様子を見ない事にはここから先の展開を広げる事が出来ない。だからこその提案なんだ」

 

「ソーマは良くて、私がダメな理由を教えてください」

 

 緊迫した中でのエイジの意外とも取れる台詞。まさかソーマの同行を認めるとは思わなかったのか、驚きはするがアリサはダメだとなればその理由が必要だった。

 

 

「アリサの言いたい事は分かるけど、援護をコウタ一人にするとオラクルが直ぐに枯渇する。そうなればコウタが餌食になる可能性が高い。仮に移動速度は無くても万が一の事を考えればそれは得策ではない。

 2人で攪乱させるのと、交互に撃つ事でオラクルの減少を最小限に食い留めるんだ。僕はこの戦いで誰も死なせるつもりはない」

 

 敢えて感情を表に出さず、戦術としての意味合いを強調されれば、アリサと言えども反論する事は出来なかった。新型であれば自身が攻撃する事で多少なりともオラクルを吸収できるが、コウタはそれが出来ない。

 自身の中で多少は回復出来ても、新型並の回復を期待する事は出来なかった。既にアンプルの数も確認すれば、これ以上の無駄弾を撃つ訳にも行かず、全員が生きて帰る為にはこの場での打開策が必要であり、その結果がこれからの行動理由となっていた。

 

 

「まだ、こちらに意識が向ていないのであれば、これから一気に行動を開始する。後は状況を各自で判断してくれれば良いから」

 

「分かりました。エイジも気をつけてください」

 

「まだ死ぬ訳にはいかないからね」

 

 このまま一気に散開し、作戦が開始された。一番最初のに戦端を開くべく、イーブルワンに闇の様なオーラを纏わせながらソーマは勢いをつけるべく神機を肩へ乗せる。狙いはただ一つだった。

 未だ気がつかないのか、まだ捕喰をしていたアラガミが気が付いたのはソーマのチャージクラッシュが直撃した瞬間だった。大きな刃が肩口の肉を一気に引き裂く事で、触手がソーマに狙いを定める。攻撃後に直ぐその場から離れる準備をしてた為に、ソーマの居た場所に触手が突き刺さる頃には離脱していた。

 

 

「ここだ!」

 

 地面に刺さった触手はまるでロープを地面に刺したかの様にピンと張られ、その状態を生かすべく触手を斬り裂いた。テンションが切れたかの様に黄緑色の液体を撒き散らしながら、斬られた触手の根元が暴れるかの様に動きまわる。

 触手そのものは強度が無く、恐らく何の問題も無く斬る事が出来る。しかし、問題なのはその巻き散らした液体だった。

 周囲に飛び散ったかと思いきや、その場にあった物が異臭を放ち腐食し始める。この一回の攻撃が今後の戦局を占うかの様に全てを物語っていた。

 

 

「あの液体は厄介ですね」

 

「グボロ・グボロのよりも厄介だろうな」

 

「でも、あれを何とかしないとそのまま捕喰は止まらないぞ」

 

 この事実を前に今後の方針が決めあぐねていた。厄介なのはそれだけではない。今は奇襲とも取れる攻撃の為に上手く行ったが、斬った瞬間の手ごたえは異様な感触があった。柔らかく弾力がありながらも、どこか芯がある様な感触。

 恐らくは地面に突き刺さった事で、触手の有利な部分が一旦無くなった事による結果だった。今後はこの攻撃を仕掛ける事は不可能でもあった。

 既にアラガミは完全にこちらに意識が向いている事で、ここから逃れる事は出来ない。次の一手があまりにも遠すぎるが故に、今できる選択肢は驚く程に少なかった。

 

 

「このまま固まるのは拙い。一旦散開して隙を見つけるんだ」

 

 エイジの号令と共に各自が散開する。固まっていた目標が突如として散らばった事で狙いが分散し、攻撃の手は緩むかと思われていた。

 

 

「全員退避だ。何かするぞ」

 

 ソーマの言葉で意識を向ける。本来であれば捕喰するはずの口から銃撃の様に液体が飛び出す。ゴッドイーター達が放つバレットの様に、黄緑色の液体が周囲に対して撒き散らすかの様に全方向に向けて放つ。異臭と共に先ほど斬ったはずの触手が再び長さを取り戻すかの様に再生されていた。

 斬り落としたはずの触手が再び動き出すと共に、一から始める事を余儀なくされていた。

 

 このままではこちらの体力が尽きる可能性が高く、このままズルズルと行くのは分が悪い。だとすれば他の攻撃方法か弱点を捜す事になる意外に手段は無くなる。だからこその次の一手を考えるしか今は手が無かった。

 

 

「末端を斬る程度だと、あれは無意味だろうな。やはり制御している部分を破壊するしか無さそうだ」

 

「でも、どこに?」

 

 アリサの疑問は尤もだった。未だ身体が崩れ落ちると同時に、触手が捕喰欲求を高めたのか、更に動きがが活発になる。それに合わせるかの様に周囲に腐敗した臭いが漂い、ガス状になったのか周囲を浸食するかの様に漂い始めていた。

 

 

「……あのガスは危険だ。このままだと充満するまで時間がかからない。一気に勝負をつける」

 

 残された時間に猶予は既に無かった。強烈な酸の様な液体が気化する事でガスが充満し始めていている。成分は不明だが、溶解するのであれば気化したガスは有毒以外の何物でも無い。

 このまま時間をかける事すら出来ない以上、ここから先は時間との戦いでもあった。

 

 

「ちょっと待て。エイジ、あのアラガミの胸の辺りが何か光った様にも見えるが、お前は見えるか?」

 

 時間が無い事はここにる全員が理解しているが、打開策が未だ出てこない。確認一つするにも状況判断を間違えば破滅へと走る事になり兼ねない。だからこそソーマの何気ない一言が、あせる思考を中断する結果となった。

 

 

「…言われてみれば何か見えない事もないかな。肉が削げ落ちてるから徐々に見え始めているのかもね」

 

「恐らくだが、このアラガミは複数のアラガミを進化させた物であるなら、同数のコアを所有している可能性がある。光っているあれはそのうちの一つなのかもしれない」

 

「それは確かな話じゃないですよね?」

 

「いや、今は時間も残されていない以上、じっくりと検証している時間は無い。そこを攻撃すれば何かが分かるんじゃないかな?」

 

 僅かな可能性にかけるのは戦いの中では決して良い判断ではない。アリサが危惧するのは至極当然とも言えた。しかし、時間が無い以上はある程度の予測を立てながらも決断する以外に方法は無かった。だからこその覚悟をここで決める事になる。

 

 

「コウタ、あの胸の光ってる部分に援護射撃してくれ。ここからは打って出る」

 

「エイジ、まさかとは思うけど、特攻はしないよな?」

 

「さっきも言ったけど、死ぬつもりはないから安心しなよ」

 

 今までに散々無茶な事をしている事をここにいるメンバーは知っている。確かに特攻は最悪とも取れるが、場合によってはそんな状況にもなり兼ねない。だからこそコウタが心配したのも無理は無かった。

 

 

「エイジ、絶対に帰ってきてください。約束です」

 

「分かった。とりあえずコウタは援護、アリサは状況に応じて頼む。ソーマはここに攻撃が来るならコウタを頼んだ」

 

 簡潔に方針を伝え、一気にケリをつけるべくアラガミへと走り出す。このまま何も起こる事無く終わるなんて楽観視はしていない以上、今できる範囲の事を全力でこなす事に専念した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エイジにはああ言ったものの、アリサは完全に信用していなかった。普段の約束であれば問題ないが、ここは死地の中に突入する前提の作戦であある事は理解している。だからこそ、何も表情を変えず淡々と話す事で勝算がある様な言い方をした事に違和感があった。

 対案が無い事は誰もが理解している。考えれば考える程に最悪の方向へと思考が止まらなくなる。だからこそ、一旦気持ちをリセットするかの様に頭を振り、目の前の事に対処する事にしていた。

 

 アラガミの元へと一直線に走り出す。途中に酸が撒かれた場所があったが、それも無視して一気に距離を詰めた。足元に飛沫が飛び散る度に、浸食されるのか痛みがじわじわと広がる。もちろん勝算はあるが、それは大よそ勝算とは言わない様な確率であるのはエイジ自身が理解していた。だからこそ、ここで黒揚羽の封印を解くつもりだった。

 

 オラクル解放剤を口に含み、バースト化すると同時に、改めて神機との接続をする。本来であれば一度接続すれば切断するまで再接続する必要は無い。しかし、封印を解くのであれば、この瞬間に自身と直接繋ぐ事で本来の性能を解放する必要があった。

 

 走りながらに短く決心し、再接続をする。この距離であればアリサ達からは何をしているのか判断する事は出来ない。この方針を決めてからエイジは逡巡する事も無く、ただ自分の身体が神機と一体化したかの様な感覚と共に再接続された事が理解できた。その瞬間、言いようの無い感覚が身体中を走る。

 体力的な問題ではなく、身体の根源とも言える魂が削られる感覚と共に今まで一度も感じた事が無い様な力が全身にみなぎっていた。

 

 バースト化した際にオーラが噴出するが、それは通常の光ではなくドス黒く、闇を全身に纏った様にも見えていた。

 

 

「なぁ、アリサ、バーストモードの時ってあんな色してた?」

 

「…いえ、通常だと白っぽいです」

 

「でも、エイジは真黒だよな」

 

「……まさか!」

 

 まさかとは思いながらも、心のどこかではやっぱりと言う気持ちがそこにあった。以前に聞いた黒揚羽の性能の話が脳裏を横切る。時間が無いのであればある意味仕方ないと考えたいが、それはまだ他人であるならばの前提がある。

 今のアリサにそんな気持ちを持つことは出来ない。だからこそ、エイジの覚悟を受け止める事しか出来ない自分に嫌気がさしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒揚羽の本来の性能を発揮したエイジは集中線が幾つも見えると同時に、何かが反射して響く感覚があった。理由は分からないが、近くに見える光る部分とは少し離れた所に何かがある事が理解出来た。ゆっくりと考える暇は既に無く、目の前の事だけを優先し動きを止める事は無かった。

 反応速度は最早常人のそれを凌駕し、アラガミの動きがスロー再生している様にコマ送りで動く。ゆっくりとくる様に見える攻撃は大きく回避する事無く、ギリギリの部分を見切ったかの様な回避行動。遠目から見れば攻撃が全てすり抜ける様な動きと共に黒い塊がアラガミに向かって突進している様にも見えるほど全身を覆っている。

 最早目で追いかける事は難しく、ただ何かが走り去ったかの様にも見えた。

 

 触手の攻撃を全て躱し、それとは別で襲い掛かる鋭い爪や牙は無意味とも取れる程に鋭い動きを見せる。瞬きする程の刹那に一体幾つの斬撃が繰り出されたのかアラガミの攻撃は全て空を切ったかのように見えたと思った場所から黄緑色の体液を撒き散らし、光っている部分が破壊されていた。

 

 本来であれば、ここで終わるはずの動きは未だに終わらない。胸の部分が破壊された事と同時に、覆う物が無くなった頭蓋までもが粉砕され、そこには何も残されていない。それと同時に腹部からも黄緑色の液体が何か破裂したかの様に噴出していた。

 それが確認できる頃にはアラガミの生命活動は停止し、その近くにはエイジが全身から血が噴出したかの様に血だるまで倒れこんでいた。

 

 

「エイジ!」

 

「おいアリサ!勝手に動くな!コウタ、俺たちも行くぞ」

 

「分かった」

 

 アラガミの生命活動が停止している確認をする事も無く、僅かな時間も惜しいとばかりに一目散にエイジの元へと走る。途中の酸でブーツやスカートの一部が腐食しているが、構う事無く走り出していた。

 遠目から見れば命の危機が迫って居る様にも見える。今は自分の事に気が付く余裕すらないまま急いだ。

 

 

「エイジ!エイジ!大丈夫ですか!しっかりしてください」

 

 全身が血だるまになってる様子だけ見れば、既に命の炎は消え去ろうとしている様にも見える。このままでは戦いが終わっても何一つ解決していない。応急処置とばかりにアリサは回復錠を自分の口に含み、そのままエイジの口へと流し込む。意識があったのか、無意識の内に喉が動いた事で漸く落ち着き出し始めた。

 

 

「取敢えず、この場に留まるのは拙い。エイジは俺が運ぶ。お前たちは警戒しながらも、あそこに居るガーランドを頼む」

 

 ここで漸く戦いが終わった事は理解できたが、この場にいればあと数十分もしないうちにガスが充満し、最悪の事態ななりかねない。本来であればガーランドは放置したい気持ちはあったが、今後の事を踏まえれば。連れ帰るのが得策だと、放心していたガーランドと共に離脱していた。

 

 

 



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第100話 後始末

 アナグラへと何とか帰還すれば、そこは戦場の跡地の様に荒れていた。既に空気は平時に戻りつつあったが、エイジとソーマが血まみれの状態で帰還し、アリサやコウタも状況はお世辞にも良い物だとは言い難い雰囲気を見せた瞬間、空気が変わっていた。

 これまでの中でもこうまでボロボロな状態で帰投した事は殆ど無い。平和なアナグラの空気が一転していた。

 

 回復錠で応急処置はされているが、重症である事に変わりは無い。直ぐにエイジは緊急治療室へと運び込まれ、直ぐに治療中となっていた。他の3人も見た目が既にボロボロな事もあり、治療をすべく同じ様に医務室へと運ばれる事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁエイジ。お前封印を解いただろ?」

 

「ああ、あの時はそれしか無かったからな」

 

 数日後に漸く目覚めた事で、一番最初にナオヤが見舞いと称してやって来ていた。神機を見ればどんな状態なのかは整備士である以上、直ぐに理解出来た。刀身パーツの摩耗が著しく、大小様々な傷が全てを物語っている。封印を解いた事が直ぐに理解出来ていた。

 

 本来であれば刀身パーツと言う器を超えた力は刀身そのものを崩壊させる危険性が高く、使用する事は無かった。基本的に神機の設計の思想に所有者にも何かしらのペナルティを与える様な物は殆どない。精々がマイナスのステータス程度で終了する為に、黒揚羽の様な性能は異質だった。しかし、黒揚羽はその力を受け止めるべく製造されている事もあり、見た目は何の変化も無かった。

 

 

「よく生きてたな。ギリギリのレベルに抑えたのか?」

 

「レベルに関しては正直な所、意識してなかった。最初は何かが削られる感覚があったけど。…最後は神機が助けてくれた気がする」

 

「…ったく、お前は簡単に物事を考えすぎるんだ。もっと自分を大事にしろよ」

 

「すまん」

 

 これ以上、何を言っても無駄な事は今に始まった事では無い事位はナオヤが一番理解していた。だからこそ本来であれば怒るのがスジではあるが、今までの付き合いの中で心底反省した記憶が一度も無い。相手の事を優先する為に、どうしても自分の事がおざなりになるのは、最早性格だけとは言い難かった。これ以上の事は言うだけ無駄だと理解している。

 だからこそ、ナオヤはそれ以上言うつもりもなかったのと同時に、代わりに厳しく怒る人間が今は居るからこそ、ここで話を止めていた。

 

 

「これ以上の事は俺に言っても仕方ないからな。後の事は頼んだぞ」

 

「まさかとは思うけど……」

 

 最後にナオヤが振り返った先には既に怒りに満ちたアリサが立っていた。ここから先はアリサが怒る方がエイジには効くだろうとの判断で、最初にナオヤが医務室へ入り、その後で気配を消した状態でアリサがそこに立っていた。

 ここから先のトバッチリは御免だとばかりにナオヤは素早く退散する。出る間際に見たエイジの表情は今後の事を予感したのか、部屋に入った時よりも顔色が明らかに悪くなっていた。

 今回の事に関して、技術者的には生還した以上、満点の出来ではあるが、恋人の観点からすれば恐らく0点なんだろう。

 部屋を出る頃にはフロア一面に響く様な大音量のアリサの怒声が響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の件なんだけど、どうやら本部はガーランド支部長の単独テロだと認定して各支部に通達したようだね」

 

「前回の事もありましたから、ここは既定路線でしょう」

 

「しかし、対外的にはどうやって説明したんだ?」

 

「あの放送は支部に向けてのジャックだった事から、一般向けには支部長は最初から居なかった事にしたらしい。ただ、極東に関しては今回の件に関して公言しない事を条件につけてきたがな」

 

「無明、今度は何をしたんだ?」

 

 ここで無明の言い方に何か含みが感じられた。前回のヨハネスの際には上層部の一部を退陣させて人員を入れ替えたが、今回の件でそんな話は何も聞いていなかった。混乱は収まりつつあるが、それでも外部居住区やアナグラの内部には多大なダメージが今でも残っている。

 ここから復興となればそれなりに膨大な予算と人員が必要となる為に、その調整役としてツバキが各方面への指示を出していた。

 

 

「今回の件ではこちらからも条件を出した。今後、今回の件について公言しない条件と引き換えに復興の予算とそれに伴う人員の配置、後は問題となった技術の公開だ。ここでは技術の公開内容は既に知った物ばかりだが、他の支部では大事になるだろうな」

 

「無明君。もうそこまで聞けばネゴシエーターと変わらないと思うんだけど、その力量を見込んで支部長やってくれないかい?」

 

「博士、それは丁重にお断りしたはずです。ここで表に出過ぎるのは何かと拙い事が多いので」

 

「そうか……実に残念だ。で、本部からは彼の身柄を引き渡す様に要請が来てるけど、どうするつもりだい?」

 

 榊が懸念していたのはガーランドの処遇だった。元々ガーランドは学校の教員だったが、生徒がアラガミに捕喰されて以来、突如としてアラガミの生体研究に没頭し始めていた。

 生来から頭脳が明晰だったことも影響し、その執念とも取れる結果としてアラガミ進化論の論文を発表していた。しかし、実際にはそれは今回の事件を引き起こす為の手段でしかなく、純粋な研究結果を一部の本部の人間のエゴとも言えるクーデターの為に利用されていた。

 

 

「このまま引き渡せば、早晩にでも存在そのものが無かった事にされて終わりでしょう。それならばこちらの交渉の材料に利用するだけです。ヨハネスの時とは明らかに状況も異なる以上は最後までこちらの交渉の切り札として活躍してもらうだけです」

 

「頼むから無理はしないでくれ。やりすぎると何かと面倒事しか起こらないからな」

 

「そこの匙加減はしっかりとするさ。ツバキさんには悪いが、これからは少し慌ただしくなるだろう。人員の要求は今後の事も見据えた先の判断だからな」

 

 既に大きな危機から抜け出しているのと同時に、今回の内容は一般には広く知れ渡っていない事が功を奏していた。フェンリル内部での話ならば、外部に漏らさなければ広まる可能性は無い。そこだけが前回と唯一違っていた事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エイジも治療に時間はかかったが、身体的には後遺症などの問題が無いと判断された事により、漸く元の生活に戻る事が出来た。アナグラの中は未だ工事個所が多く、その結果任務へ行く際にも手間がかかる日々が続いている。そんな中で、今回の慰労を兼ねた宴会が企画されていた。

 

 

「え~今回はみなさんお疲れ様でした。これからも頑張って行きましょう!」

 

 毎度の如くコウタが音頭を取り、ここで慰労会を兼ねたささやかな宴会が開催されていた。今回の事に関しては上層部は何かと極東支部を問題視する部分もあったが、無明の辣腕によって全ての決着が付いていた。

 復興に関しては既に予算と人員がある以上、完全に任せる事で何時もと何ら変わらない日常を送る事が出来ていた。

 

 

「今回は流石にヤバイと思ったけど、結果的オーライって所じゃないかな?」

 

「エイジ、お前アリサの前で同じ台詞言えるか?」

 

「……無理。暫くは怒らせない様に大人しくするよ」

 

「だろうな。あの声はフロア一帯に聞こえてたからな。知らない人が聞いてたら卒倒しかねない勢いだったぞ」

 

 いつもの屋敷では無く、今回は珍しくアナグラの外で開催されていた。当初は屋敷でとの案もあったが、肝心の屋敷は今回招聘した技術者の臨時宿泊施設となっている関係上、利用する事が出来ず、それならばと屋外での打ち上げとなった。

 既に酒が入っているのかリンドウを中心にタツミやブレンダン、ジーナが珍しく盛り上がっているのが見て取れる。今回の状況は前回に比べれば人員と言う部分では問題は無かったが、まさかアナグラまで侵入された事と、外部居住区での被害が甚大な物となっていた。

 しかし、詳細を調べると人的な被害は予想以上に少なく、結果としては壊れた物を補修すれば元に戻る物に関しては、今回獲得した予算で賄われる事から、結果的には被害は最少限度に留まっていた。

 

 

「何の話をしてるんですか?」

 

「ああ、アリサの怒声が響いてた話だ」

 

 エイジの代わりにナオヤが話す事で、あの当時の事を客観的に伝えたつもりだった。しかし、アリサはそんな風に受け取らず何処かからかわれた様にも聞こえていた。

 

 

「あ、あれはエイジが直ぐに無茶ばっかりしてるから怒ったんです」

 

「顔を赤くして言われても説得力ないから。まぁ、結果論だが生還した事はかなり大きいんだ。アリサには心配の元だったが、実戦でのデータは計り知れないんだ。

 今回の戦いで下手なシミュレーションよりも100倍のデータが取れた。安全マージンは取ったんだが、それを簡単に飛び越えると何かと拙いからな。何にせよ生きているのが一番だ」

 

「それって今後も使うって事ですよね?」

 

「それはエイジ次第だけど、恐らくは使うだろうな。だろ?」

 

「それは……」

 

 エイジはどこか他人事の様な感覚で見ていたが、突如として自分に振られた事で心の準備は出来ていないのか、何をどう言えば良いのか言葉が出てこない。

 アリサに心配をかけるつもりはないが、やはり目の前で血だるまになって倒れれば血の気も失せるだろう。仮にこれが逆の立場であれば、真っ先に反対するのは確実だった。だからこそ、何をど言えば良いのか判断に迷っていた。

 

 

「……今回の件はともかく、今後はもう少し調整して出力を抑える方向で考えるよ。でも、あの時は自分の神機がむしろ力を貸してくれた様な気がしてね。ほら、以前にリンドウさんの使ってた神機の件があったけど、多分あんな事なんだと思う」

 

「でも…何かあったら私は心配しか出来ないのはもう嫌なんです」

 

「これからはちゃんと言うから…」

 

「お前らは……」

 

 何この空気の様な雰囲気が広がりだした事で、この場に居たくない気持ちが優ったのか、ナオヤは既に撤退とばかりにその場を離れた。色々あったが心配しているのであれば、生きる理由になるだろうとの判断をし、今後は今以上に神機の強化の必要性を見出す事が先決だと胸に誓っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナオヤ、ちょっと良いかな?」

 

 その場を離脱したと思えば今度はリッカが絡んで来た。まさかとは思うが、何となく顔は赤く、恐らくは少しアルコールが入っているのかもしれない。そんな事を考えながらにリッカの話を聞いていた。

 

 

「君さ、女の子運ぶならもう少しマシな運び方しようよ。おかげで恥ずかしい思いしたんだから」

 

「あれが一番早かっただろ?」

 

「そうじゃなくて…もうデリカシーが無いんだから。でも、あの時はありがとうね」

 

「お、おう。無事でなによりだな。まさかあそこであれが上手く機能するとは思ってなかったから」

 

 素直に感謝を伝えれれるのは些か照れくさい部分があったが、今は少しだけ酔った勢いも借りたのだろう。言葉はともかくどことなく大胆になっている様にも思えていた。

 あの状況は今になって考えればゴッドイーターであれば、極当たり前とも取れる状況ではあるが、技術班はフェンリルに所属しているとは言え実際には一般人と変わらない。

 

 アラガミの存在は見ていても、至近距離で見る機会は全く無かった。エイジの言った結果オーライは今回の事にも当てはまる。恐らく恐怖心は簡単に払しょく出来る物では無いからこそ、リッカは吹っ切れる為に飲んだのかもしれない。ナオヤはそう考えていた。

 

 

「でもさ、あれって結局なんだったの?」

 

「あれ?あれはバレットだ。ただし、ゴッドイーターが使う物とは違って、弾丸はオラクル細胞が不活性化してるから威力に関しては神機よりも落ちるけどな」

 

「どうやって撃ったの?」

 

「火薬って訳には行かないから、磁力を使った簡易レールガンみたいな構造だな。ただし、1発のみで連射は出来ない代物だ」

 

 何気に放った一言はリッカの想像の斜め上を行っていた。結果的にはゴッドイーターが討伐した関係で詳しい検証は出来ていないが、一般人が今の所出来る事は精々スタングレネードを破裂させて逃げる以外の手段しかない。

 しかし、あの時は確かにオウガテイルに着弾しダメージを与えた様にも思えた。冷静に考えれば凄い事だが、元々遊びで作った物だからか、ナオヤの評価は高い物では無かった。

 

 

「いや、それって凄い事なんだよ。君は深く考えなさすぎだよ。早速榊博士にも相談しないと」

 

「まぁ、リッカが言うなら別に構わんけど」

 

 まさか適当に作った物がそこまで評価されるとは思ってもいなかったが、よくよく考えれば万が一の対抗手段になる可能性が秘めているのかもしれない。どこか他人事の様な感覚はあるが、それでも評価される事は嫌では無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、ロビー一帯が少し配置の変更をしている様にも思えるんだけど、何か考えているのかい?」

 

「気が付きましたか。実は今回の予算は、出し渋るかと思ってふっかけたんですが、思いの外簡単に出されたので、空きスペースを使って休憩できるスペースをと思ってます。

 屋敷でも構わないんですが、今後はもう少し人員が増えると、こちらが今度は回らない可能性が高くなるのでその対策ですよ」

 

 未だバカ騒ぎとも言える喧騒から少し離れた所で、今回の顛末をまとめるべく提出された書類を色々と確認していた際に、榊が図面の配置図に違和感を感じていた。これまで無かった場所に何か計画している物があるが、その報告は聞いていない。改めて確認した所だった。

 

 極東支部だけではなく他の支部でも言える事だが、支部そのものは少しづつ拡大させている関係上、居住に割り振る事が多く娯楽施設まで手が回らないのが現状だった。

 ここ極東でもツバキの訓練により、殉職率が大幅に下がっている事から、新たに入ってくる人員は変わらない関係上、徐々に人数が増えて行く。福利厚生とまでは行かなくても、どこかリラックス出来る場所があればと考え、今回の予算獲得と共に計画していたものだった。

 

 

「なぁ、その空きスペースって何を作るんだ?」

 

「バーラウンジの様な物を考えている。設計は出来ているから後は着工待ちだな。工期を考えれば支部内の補修が終わる頃からだろう」

 

「そうか。楽しみだな。これで安心して飲める」

 

 どこからか聞きつけたのか、既に酔った状態のリンドウが何気に聞いて来た。屋敷そのものを閉鎖する訳ではないが、人数が増えると何かと厄介な事が起こる可能性を考慮した結果だった。

 実際には誰かがそこで料理する必要があるが、今はまだ計画中の段階の為に人選は先送りの状態となっていた。

 

 

「そろそろサクヤは臨月だろう。お前こそ、こんな所で飲んでいて大丈夫なのか?」

 

「今日はサクヤに許可貰ってるから大丈夫だ。って態々人の家庭内の事はどうでもいいだろうが」

 

「許可が出てるなら構わんが、飲み過ぎるなよ。水の様に飲んでるみたいだが、あれはあれで希少なんだ」

 

「やっぱりか。いつもの酒よりも飲みやすかったぞ」

 

 今回の宴会は全部が無明の持ち出しだった。事実、料理や酒を用意する以前に内部が破壊されており、そんな環境の中での調理は不可能との判断から用意されていた。

 気が付けば、かなりの数のお重の中身はほぼ空となっているが、今回の事件に関しては各自の負担があまりにも大きかった事から、それを忘れるかの様に騒いでいる。

 

 咎める者が居ない事もあってか、良く働きよく遊ぶがモットーだとばかりに今回のばか騒ぎは夜更けまで続いていた。

 

 

 



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第101話 目論見

「やぁ、毎回すまないとは思うんだが、宜しく頼むよ」

 

「はぁ、できる限りの事はやりますけど、これって僕だけの話じゃないですよね?」

 

 当初の混乱は既に落ち着きを見せ、アナグラ内部の大規模改修工事もそろそろ終わりが見え始めてきた頃、唐突に榊から呼ばれ内容が聞かされていた。そもそも第1部隊はアラガミの討伐を主たる任務としているが、それ以外の業務となると色々と調整すべき事が多くなる。だからこそ榊の真意が見えなかった。

 

 あれから本部からの介入を一切受け付けない様にする為に、結局の所は榊が兼任で支部長を務める事を決定する事で一定の平安が保たれる事となった。平安と言ってもやるべき事はこれからも色々と出てくる事は間違いなく、そんな厄介事とも取れる内容が榊から聞かされていた。

 

 

「もうこれは決定事項なんだよ。君達以外にも他の人間にもある程度話はしてあるんだが、これは此処だけの話では無く極東支部全体の問題でもあるんでね。前回の様なトラブルは今後は無いと言いきりたい所なんだが、それでも人の心は難しいのは君も知っているだろ?」

 

「榊博士、いえ、支部長がそう言われるのであれば協力は惜しみません。自分にできる範囲の事をさせて頂きます」

 

「そうかい。じゃあ頼んだよ」

 

 支部長室から出る頃には何かが吸い取られた様な感覚にエイジは陥っていた。これならまだアラガミと戦っていた方が何倍もマシだとばかりに足取りが重い。一先ずは内容の整理の為に自室へと戻る事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな事で、これは極東支部全体としての業務だから拒否権は無いらしい」

 

「え?なんでそんな話になったんですか?」

 

「へ~。面白そうだとは思うけどね」

 

「で、俺たちに何をどうしろって話なんだ?」

 

 エイジの自室に全員が集合し、先ほど榊から言われた内容をそのまま発表すれば、エイジの予想通り三者三様の発言が起こっていた。

 

 

「簡単に言えば、何かイベントの目玉的な物をしてほしいんだって」

 

「それは分かりますけど…一体何をするんですか?」

 

「それを皆で考える為に呼んだんだよ。因みに、今回の件は極東支部が主催だから全員が強制参加らしいよ」

 

「あのオッサンの考えそうな事だ。俺は見世物になるつもりは無いぞ」

 

 ソーマの言わんとする事は誰もが理解していた。今回榊から言われた内容は前回の外部居住区にまでアラガミが侵入した事での被害者の慰問と同時に、新しくなったアナグラのお披露目を兼ねるイベントが決定される事となっていた。

 この話は一番最初に聞かされたエイジもまだ何も考えてはいない。肯定する事は無かったが、大義名分があると同時に、既に各方面への根回しが既に完了していたのか、榊だけではなく無明からも言い渡されていた。

 

 

「僕も賛成したつもりはなかったんだけどね。そうそう、シオも参加するらしいよ」

 

「シオちゃんもですか?」

 

「そう聞いてるけど、まだ確認してない。ソーマ聞いておいてくれない?」

 

「何で俺なんだ」

 

「一番懐いているから適任じゃん。今更何訳の分からない事言ってんだよ」

 

 コウタの発言は正確に的を射抜いていた。確かに屋敷に顔を出せば皆と一緒になる事は多いが、結果的にはソーマのそばに居る事が多く、本人は否定するが恐らくは一番心を開いているのは間違いなかった。

 

 

「貴様に言われる筋合いは無い。……まぁ、時間が有れば聞いておく」

 

 以前のソーマであればここで鉄拳の一つの飛んできたのだろうが、性格に落ち着きが出始めてきたのか、以前ほどでは無くなっていた。もちろんコウタもそれを知った上での発言ではあったが、結局の所シオに甘い事はここに居る全員が知っている事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シオは、みんなの前でうたをうたうんだ。いまから楽しみだな~」

 

 何気に確認出来たのは時間が有ればではなく、ほぼ即日の状況だった。毎度の定期検診でアナグラに来ていた所をコウタが確保する事でそのまま確認する流れとなっていた。既に外堀は自分の手で埋めている以上、ソーマに拒否する事は出来なかった。

 

 

「シオちゃんは何を歌うつもりなんですか?」

 

「えへへ。ないしょだよ~」

 

 隠し事ではないが、何かを考えている様子だけは直ぐに理解出来た。本当に隠しているつもりは無いのか、何か楽しそうな雰囲気がそこにはあった。

 

 

「そう言えば、皆さんは何をするつもりなんですか?」

 

 ロビーでの話であった為に、ヒバリの素朴な疑問に全員が振り向く。まさか話を聞かれていたとは思いもしなかったのか、ソーマが一番動揺していた。

 

 

「まだ決めてないんです。因みにヒバリさんは何を?」

 

「私は当日のアテンダントの役割なので特に何かをする事は有りませんが、皆さんがやる事は楽しみにしてますよ。それと榊支部長からの伝言です。『第1部隊に限らず、他の職員も全員が何かしらやってもらうんだけど、それ以外にもやってもらう事が有るので宜しく』だそうです」

 

 笑顔で厳しい話を持ってくるあたりが食えない部分ではある物の、今回の事に関しては悩むべき物が幾つも存在していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コウタ、お前が今回の全部の要になるんだから、もう少ししっかりやれ」

 

「ソーマも意外とノリ気だったんですね」

 

「まさかここまで熱くなるとは想定外だけどね」

 

 ほどなくしてやるべき事は結局の所、ソーマが主体となってのバンド演奏となった。この時代に音楽だけで生計を立てる事は難しいが、実際には娯楽らしいものは殆どなく、それならば普段から音楽を聴いているソーマが適任だからと一任した事が全ての始まりだった。

 

 

「お前らも少しは真剣に練習しろ。特にアリサ、お前はボーカルもするからなおさらだぞ」

 

「分かってますよ。エイジ少し音を合わせてくれますか?」

 

「分かった。じゃあ、早速やろうか…」

 

 内容が決定してからの行動は誰もが驚く程に早かった。当初は準備に時間がかかると思われていたが、どこから調達したのか楽器一式が用意され、あれよあれよと言う間に段取りが進んでいた。

 

 当初は楽曲に関しては何かしら参考にする予定だったが、ソーマが譜面を用意する事で、既に曲目もピックアップされている。後は習うより慣れろの感覚で通常の任務をこなしながら練習は連日連夜と続ていた。

 

 

「よお、お前ら随分と練習熱心だな」

 

「リンドウさんは何をする予定なんですか?」

 

「俺は特に何もする予定は無いぞ」

 

「……ええっ?全員が何かしらやるって聞いてますけど?」

 

「そうなのか。俺は…何も聞いてないが」

 

 何気ないリンドウの発言に一同は驚くが、残す時間は殆どない。ここまで来て今更やめますと言う訳にも行かず、連日の練習は本番当日までずっと続く事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「予想以上に人が多かったから緊張したよ」

 

「私もドキドキしました」

 

「でも、上手くいって良かったけど、ソーマがあそこまで大活躍だとは思わなかったよ」

 

 本番当日、第1部隊の演奏はどこから情報が漏れたのか、当初の予想を超える勢いで人が集まっていた。事前にシオの綺麗な歌声が響き、3曲ほど歌った後での登場は戦場へ出る以上の緊張感をもたらしていた。

 当初は緊張のあまりグダグダになるかと思われていたが、ソーマの演奏とハスキーな歌声がアリサの歌声と併せリードした事で大盛況の内に演奏は終了していた。

 

 

「お前たちご苦労さん。評判は随分と良かったらしいぞ」

 

「リンドウさん見てただけですよね?」

 

「アリサ、それは禁句だ」

 

 演奏終了後に労いの言葉と共にリンドウが周りの感想を伝えるべく、楽屋へと来ていた。評判が良かった事は表情と反応で直ぐに分かる。これで大役は果たしたと思われたその時だった。

 

 

「リンドウ、こんな所で油売ってる暇は無いわよ。あなたの仕事はこれからなんだから」

 

「…いや、俺は何も聞いていないけど?」

 

「今朝、検診のついでに聞いたんだけど、もう準備は出来てるらしいって榊博士が言ってたわよ」

 

「はぁ?」

 

 同じ様に労いの言葉をかけに来たサクヤはリンドウを見つけたと同時に、これから行われるミッションを極当たり前の様に伝えていた。もちろん聞いていないリンドウは疑問しか湧かず、今回の伝達の中で、リンドウに何をさせるのかを聞いているサクヤは笑みが零れる。

 一体何をさせるのかこのままでは何も解決しなからと、まずは指定された場所へと移動する事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁサクヤ、これは何だ?」

 

「見ての通りよ」

 

 連れてこられた場所にあったのは、どこからか用意された厚みのある鉄板が置いてある。他にもいくつか置いてあるが、今回のミッションはここらしい。他にも困惑気味に来ていた人間が他にもいた。

 

 

「なぁタツミ。何か聞いてるか?」

 

「実はさっきヒバリちゃんに言われてここに来たんで、何も聞いてないんですが」

 

 他にもブレンダンやカノンも呼ばれたのか、ぞろぞろと集まってはいるが、やはり内容は聞かされていないのか困惑気味な表情を浮かべている。これから何をするのか判断する材料が欲しいと思われた頃に、ツバキが数枚の紙を持って歩いて来た。

 

 

「全員揃ったな。ではこれからの任務を発表する。各自に書類を配布するからその様にやる様に。念の為にアシスタントは付けるが、基本は自分達でやる様に。

 これは命令だと思え。確認した者から順次開始するんだ。時間はそう残されていないからな」

 

 ツバキがいつもの任務を発注するかの様に各自に紙を配布する。何の任務が始まるのかと各自が内容を書かれた紙を見た瞬間、誰もが目を見開きその場に居た者は一言も発する事なく硬直していた。

 

 

「姉上、質問があります」

 

「何だ?発言を許可しよう」

 

「はっ!これを見ると焼きそばの作り方と書かれている様にも見えますが、何かの間違いではないでしょうか?」

 

 リンドウの質問はここ来た全員の言葉を代弁している様にも聞こえていた。それぞれが渡された内容は簡単に作れる屋台レシピなる物と営業時間が記され、既に誰が何を作るのかが記されていた。

 単なるメモ用紙であれば冗談で済んだはずだが、その紙はフェンリルがゴッドイーターに配布する命令書でもあり、極東支部長でもある榊の印鑑とサインがされていた。

 

 

「見ての通りだ。現在の時刻からすれば一二○○より開始となっている。これは神機使いを身近に感じてもらう為に支部長が考案した任務である。なお、報酬に関してはそれぞれの売り上げから捻出するので、売上如何によっては報酬は無くなると思え」

 

 この発言に対して誰も意見を言う者は居なかった。それぞれ書かれた物は確かに誰でも問題無く作れる物ではあるが、実際に自炊している人間はそう多くない。だからこそ戸惑いを隠す事が出来ない。

 しかし、これは発布された命令である以上、従うしかない。だからこそ、その場にいた全員が一人の人間の顔を思い浮かべた。

 

 

「それと、言い忘れたが、第1部隊の人間は別の所でやっているから、お前たちは自分達の手で完遂する様に」

 

 ツバキの一言で全てが阻止される事となった以上、今は出来る範囲の事をやるべく準備にとりかかる以外に何も出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ソーマ、よく似合ってますよ。シオちゃんもそう思いますよね?」

 

「おお~ソーマよくにあってるぞ。シオのはどうだ?」

 

 演奏が終わる頃にやって来た内容は第1部隊にも伝えられていた。内容に関してはこの場に居ない他の人間にも伝えられているが、この時点では何も聞かされていない。しかし、同じ様に命令書が来る事で拒否権はなく、ここまで来ればと半ば自棄気味にやる事となった。

 ソーマに関しては以前にロビーで作っていた綿あめを作る事が決定していたのか、既に準備は終えていた。

 

 

「……悪くない」

 

「もう少し褒め方があるんじゃないんですか?」

 

「黙れアリサ。お前こそ毒物配布は流石に拙いだろうが!」

 

「毒物なんて失礼な。私は今回アシスタントですから、メインはエイジなんです」

 

 まるであつらえたかと思うほどの服にシオはご機嫌だった。シオに用意されたのは旧時代にあったと思われるエプロンドレス。それに対して、ソーマには真っ白のコックコートが用意されていた。

 

 服だけではなく、一番の懸念はアリサにあった。口には出さなかったが、アリサが単独で何かを作った場合、どんな事が起こるのか誰も予想する事は不可能とも取れた。以前に試作と称して食べた物は思い出す事すら拒否したくなる様なレベルの物だった。

 胸を張って言う事ではないが、エイジのアシスタントであれば、恐らく何も触らせるつもりは無いのだろう。アリサとシオ以外の人間は密に安堵する事となっていた。

 

 

「エイジは何をするんだ?」

 

「紙には何も書かれてないよ」

 

「は?なんだそれ。俺なんてたこ焼きって書いてあったぞ。生まれてこのかた作った事ないし、たこ焼きってなんだよ!」

 

 紙を見たコウタはこのメンバーの中で一人固まっていた。たこ焼きなんてアーカイブで見た事はあっても作った事は無い。レシピと作り方はあったが、実際にはやってみない事には分からいシロモノだった。

 

 

「じゃあ、試しに作ろうか?」

 

 エイジの何気ない声に4人は改めて手元を見ながら確認する事となった。手際良く鉄板のくぼみに入れた液体と同時に一口大のタコのぶつ切りを入れる。液体が焼けるにつれ、ピックでひっくり返すと徐々に丸く形が出来上がる。ほどなくして見た目も美味しそうなたこ焼きが次々と出来上がっていた。

 

 

「すげぇ。これがたこ焼きか……じゃあ早速」

 

「コウタ直ぐに食べるのはき…」

 

「は、はふい…は、はふい…」

 

 一言忠告をしようと思う前に、ソースの匂いに誘われたのかコウタが出来立てのたこ焼きを口の中に入れた瞬間、動きがそこで止まった。十分すぎる程の熱を持ったたこ焼きは口の中が火傷する勢いだった。

 コウタの顔色が次々と変化している。熱いそれを口の中から出す訳にも行かず、無理矢理食べた途端に水を口の中に流し込む。見ている方は面白いが、本人は必死だった。

 

「く、口の中が火傷した」

 

「だから言おうとしたのに。作り方はさっきの通りだし、材料は混ぜるだけだから後は頑張れ。これ、かなり良い材料使ってるから味は焦がさなければ保証出来るよ。多分、ノゾミちゃんも来るだろうからね」

 

 笑いをこらえながらも、人の話を聞かない方が悪いとばかりに作り方を伝える。ソーマの綿あめは以前に作っていた事もあったので、特に説明する事も無く、試作品はシオが喜んで食べていた。

 当初から何となく嫌な予感はしていたが、まさかこんな事になるとは誰も想像する者はおらず、開始の時刻だけが迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁサクヤ。これ何時になったら終わるんだ?」

 

「そんな事言わないの。ほらお客さん来てるからもう少し愛想よくしないと」

 

 榊の目論見は物の見事に成功し、大盛況となっていた。極東の外部居住区は他に比べれば幾分かはマシな環境とは言えるが、決して裕福ではない。前回の襲撃の件もあり、住民の不安を取り除くべく企画したが、当初のキャパを軽く超える程の人出に一人満足気な笑みを浮かべていた。

 屋台に関しては、何らかの形での住民への還付とばかりに企画したが、用意された物は普段口にする機会が少なかったのか、それとも神機使いが珍しかったのか、人の流れが途切れる事は無かった。

 

 

「り、リンドウさん。良く似合ってますよ」

 

 笑いをこらえる様な表情で市場視察の様にコウタが様子見で来ていた。今は休憩中なのか、コックコートは着たままだが、手にはいくつかの食べ物が入った袋をぶら下げている。これから休憩だからと購入したのか、それとも家族と食べるつもりなのか、袋の中身はそれなりに入っていた。

 

 

「なんだコウタか。暇なら少し手伝え」

 

「こっちは休憩です。家族も来てるんで一緒に食べようかと思って」

 

「そうか。で、お前たちは何してるんだ?この場所には見かけてないが?」

 

「俺たちは反対側のブロックでやってます。この時間だとエイジの所は大盛況です」

 

 この状況が始まる前には確かにツバキからの命令とも言える指示書を渡され、そのまま否応なしに作っていたが、第1部隊の面々に関しては何を作ってるのか聞かされていない。リンドウも関心はあったが、この状況下でこの場を離れる事は難しく確認する事は出来なかった。

 

 

「エイジは…まぁ、行けば分かるんですけど、人出は多いですね。サクヤさんよかったら、賄いの用意が出来るみたいな事言ってたんで、時間が有る様なら行ってみてください」

 

「あらそう?じゃあ、少し顔を出そうかしら。リンドウは一人でも大丈夫よね?」

 

「マジか…身重なんだから無理するなよ」

 

「気をつけて行ってくるわよ」

 

 妊婦が歩く事ができるのかと思う部分はあったものの、何だかんだと人通りを避ければ移動には困らない。サクヤの事は心配ではあるものの、目の前のお客さんをないがしろにする事は出来ない。まずはこの状況を打破すべく慣れつつある手際で素早く焼きそばを作り出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここがエイジのやってる所……本当にここなの?」

 

 サクヤが裏道を使いエイジが居る場所へと来ると、そこには簡易店舗ではなく、むしろ通常の店舗の様な場所が用意され、かなりの行列が出来ていた。一体ここは何を作っているのだろうか?そんな疑問と共に周囲を見渡せば、そこには案内と給仕をメインにアリサが動き回っていた。

 

 

「サクヤさん。リンドウさんの所は良かったんですか?」

 

「さっき、コウタが来て賄いがどうとかって言ってたから、ついでに見に来たのよ」

 

「そうですか。こっちは…まぁ、見ての通りなんですが、結構ギリギリだったんで無明さんにも来てもらってるんです」

 

 当初は他のメンバーと同じ様な環境下での販売を予想していたが、指定された場所はオープンカフェの様な場所と共に、外から見える位置でのキッチンが併設されていた。どうやら白紙の真意はここにあったのか、確認すれば調理器具はかなりの物が揃えられている。キッチンの中ではエイジと無明がフライパンを振っている姿が確認できていた。

 

 当初は疑問に思っていたが、どうやらラウンジ用の器具のチェックを兼ねた仕様となっていた。こんな状況であれば多少手の込んだ物でも大丈夫かと思っていたが、どうやら世間の反応と本人の認識が大きく違った事が要因となっていた。アリサは調理のアシスタントの前に給仕で手一杯となっていた。

 

 

「で、何を作ってるの?」

 

「今はオムレツですね。ふわふわで軽い食感が人気らしく、一番人気ですね。そう言えば、これ賄いなのでリンドウさんと一緒に食べてください。ここは店舗外の人も賄いで来るので、これは問題ないですから」

 

「あら、ありがとう」

 

 既にに持ち帰り用の容器には出来立ての暖かいオムレツにホワイトソースがかかっているのか、まだ湯気が立ち上っている。これなら人気が出るのは仕方ないと考えながらも、サクヤはリンドウの為に受け取ると、もう一つの疑問が湧いていた。

 

 

「そう言えば、ソーマはどうしたの?」

 

「ソーマならあそこですよ」

 

 アリサが指差した先にはシオと一緒に綿あめを作っている。時間的には食事の時間帯な事もあって人は若干少な目だが、それはあくまでもここと比べての話であった。行列が途切れるような事が無いのか、全体的には人はやはり多かった。

 

 

「ソーマが作ってシオちゃんが渡してるので、上手くいってるみたいですよ。本人は不満げですが」

 

「まぁ良いじゃない。これ以上はお邪魔ね。まだ時間はあるから、良かったらいらっしゃい。と言いたい所だけど、これは無理そうね」

 

「何とか時間を作って行きますから」

 

 サクヤが遠目から見ても人の流れが切れる事は無い事は直ぐに予想できた。元々人気がある所に料理の腕もあれば人が来るのはある意味当然なのかもしれない。とりあえずは苦労しているであろうリンドウの元へと戻る事にした。

 

 

 



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第102話 それぞれの腕前

 榊が企画したイベントは大盛況のまま終了となり、ここにきて漸く落ち着いた時間を過ごす事となった。慣れない仕事に疲れ果てたのか、通常のミッション以上の疲労感と共に、これで解放された事による安堵感が広がっていた。

 

 

「アリサ、お疲れ様」

 

「あんなに人が来るとは思ってもいませんでした」

 

「俺も、暫くたこ焼きは見たくない」

 

 既に疲れ果てたのか、返事もそぞろにこのまま終了となる事が予測された頃、緩みがちな空気を裂く様に突如として緊張感が走った。

 

 

「リンドウ、……破水したかも」

 

「おい!サクヤ大丈夫なのか?」

 

「リンドウさん、ルミコ先生呼ばないと」

 

 疲れ切った身体をどう休めるかと考えていた頃、突如としてサクヤの弱々しい声と共に周囲に緊張感がはしる。ここにいるメンバーは歴戦の猛者かもしれないが、こと出産に関してはド素人の集団でもある。

 だからこそ、まずは医者を呼ばない事には何もする事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如として起こった出来事に、動く事が出来ないメンバーを尻目に呼ばれたルミコが次々と指示を出す。この場で出産する訳では無いが、事前の準備だけは必要となる為に、少人数での行動となっていた。

 

 

「ルミコ先生、サクヤは大丈夫なのか?」

 

「父親になるなら少しはどっしりと構えなさい。このままここに居ても邪魔だから」

 

 これから出産となる事で急遽医務室での診察が始まると、リンドウはどうする事も出来ず医務室の外を冬眠前の熊の様にウロウロする以外に何も出来ない。待ち時間がいつも以上に長く感じる。自分が産む訳ではないが、既に緊張はピークに達していた。

 

 

「リンドウさん、少しは落ち着いてください」

 

「分かってはいるんだが……やっぱり心配なんだよ」

 

「何も出来ないならここで待つしか無い以上、少しは落ち着け。いくらお前が心配しようが、後の事はサクヤが頑張るだけだろうが」

 

 ひたすらウロウロしているリンドウを落ち着かせるべく、エイジとソーマが声をかけるも見えない事が起因しているのか、時折聞こえる声に心配げな表情が一向に直る事は無い。いつまでこの状況が続くのかと思われた頃だった。

 

 突如として子供の火が付いた様な鳴き声が扉の向こうから鳴り響く。声から元気に産まれた事が理解出来たと同時に、リンドウが慌てて扉を開こうとした時だった。

 

 

「リンドウ、お前も一人の親となるのなら少しは落ち着いて行動しろ。不衛生なままで入れる訳がないだろう」

 

 サクヤの状況を聞きつけたツバキがリンドウを制するべく声をかけると、扉の向こうが開き、ルミコが出て来た。

 

 

「処置は終わったので、身綺麗にして入室してください。でも、サクヤさんも疲れ切ってるのでリンドウさんだけです。後は後日にしてください」

 

 医師でもあるルミコの指示に、一同はその場から解散となり、リンドウだけが医務室へと入る。突如として起こった出来事ではあるが、無事に産まれた事に安堵しつつ報告とばかりにロビーへと戻る事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サクヤさんの子供が産まれたんですか?」

 

「無事に産まれたみたいです。今はリンドウさんが一緒なので、私たちは後日に見に行こうかと思います」

 

「これで漸く一件落着だね。しかし、突然の事だったから驚いたよ。私、関係無いのに焦っちゃったから」

 

「こんな時は男性陣は役に立たないですからね。リッカさんにもご迷惑おかけしました」

 

 慌てて連れらて行ったまでは良かったが、現状は何も分からないままだった。どれほどの時間が経過したのか、アリサの表情が穏やかな事から無事に産まれた事は分かったが、あまりにも突然過ぎた事でロビーも少し雑然としていた。

 新しい生命の誕生に、女性陣はどこか憧れる様な空気が漂っている。この空気は決して悪い物ではない。そう考えるには十分すぎていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?アリサが買い物なんて珍しいね」

 

 久しぶりにショッピングでもとリッカとヒバリが外部居住区を歩いていると、店先には珍しくアリサが一人で買い物していた。いつもであればエイジも一緒にいるのが、今は生憎と一人だけ。ある意味珍しさが先に出ていたからなのか、リッカはおもむろに声をかけていた。

 

 

「リッカさんですか。実はこの前産まれたサクヤさんのお子さんの件で、皆で簡単なお祝いをしようって話になったんです。で、その関係で持ち寄りで何かを作ろうって話が出たので、買い出しに来てるんです」

 

「そうなんだ。でも、買い出しって何を買うの?ここは食料品しか売ってないよ」

 

「持ち寄りは各自が何かを作るんですけど、いつもエイジばかりでは申し訳ないと思って……」

 

 今回の発案者は誰なのかは分からないが、随分とギャンブルに出た物だとリッカとヒバリは驚いていた。第1部隊であればエイジが取敢えず全部作れば問題無いはずだが、発案者はどうやらその辺りを考慮していないらしい。お祝いと言う名のカオスな現状を予測しながらも、その事については何も触れないままとなった。

 

 買い物カゴの中身をそっと見れば、極当たり前に使う物ばかりが入っている。これならば大丈夫だろうと考えたが、リッカとしてもアリサの料理の腕前は良く知っているので、それ以上の事は何も言うつもりは無かった。万が一があってもエイジがきっと何とかするはず。そんなとりとめの無い事を考えながらも改めて何をどうするのか、興味だけが前面に出ていた。

 

 

「でもさ、エイジは何も言ってなかったの?」

 

「実はエイジには内緒で作ろうかと思ったんです。でも、私の腕前だと簡単な物位しか作れないかと思ってるので、お菓子でも作ろうかと」

 

「……まさかとは思うんですが、一人で作るつもりですか?」

 

「そのつもりですが」

 

「サクヤさんのお祝いなんだよね」

 

「そうですよ」

 

 この時点でかなり危険な事に首を突っ込んでいる事を自覚していたが、恐らく撤退する事は不可能に近い。アリサは口には出さない物の、リッカとヒバリには手伝ってほしいと目で訴えている様にも思えていた。

 

 

「……何か手伝おうか?」

 

「良いんですか!」

 

 満面の笑みで言われた事で、ここからは一蓮托生となった。しかし、アリサの腕前で何を作るのかによっては多大なる犠牲が発生する可能性が高い。だからこそ自分以外の人間も巻き添え…ではなく、協力を仰ぐ事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺は構わないけど、何作るつもりなんだ?」

 

「個人的にはケーキなんかが良いかと思うんですが、どうですか?」

 

 リッカから連絡を受け状況を説明されると、ナオヤは直ぐに来ていた。リッカとヒバリだけでは万が一の可能性を考慮したのか、それとも何か別の思惑があったのかは分からない。

 しかし、共通する思いはお祝いの席で犠牲者を出したくない。仮に出るならば彼氏一人が犠牲になれば良いだろうとの判断がそこにあった。

 

 

「ケーキか。スポンジから作るんだよな?」

 

「そのつもりですけど…」

 

 何気に話したアリサの言葉にナオヤが一人、難しい顔をしている。ナオヤも料理は作るが、エイジの様にお菓子を作る様な事は殆どない。しかし、どれ位の難易度なのかは理解していた。

 

 

「ねぇナオヤ、何でそんなに難しい顔するの?」

 

「スポンジは配合が間違ってなくても、空気と熱の入れ加減で結構苦労するんだよ。オーブンごとに癖もあるから、見た目以上に厄介なんだ」

 

「案外と難しいんですね。もっと簡単だと思ってました」

 

 恐らく普段からエイジが簡単に作っている様に見えたからの判断なのか、ナオヤの意外な一言に3人は驚きを隠す事が出来なかった。ナオヤもケーキそのものは作った事は無いが、以前にエイジから上手く焼けないと言われた話を記憶していた事を話すと、アリサは何か納得したのかケーキは諦め他の物へとシフトする事にした。

 

 

「でしたら…そうですね…」

 

「なぁ、アリサ。最近作った物ってなんだ?」

 

「少し前にボルシチを作ったんです。そうだ、聞いてください。コウタったら、口に入れた瞬間に顔色が悪くなったかと思ったらすぐにどこかへ行ったんです。ソーマも何だが不思議な顔をしてたんですけど、失礼だと思いませんか?」

 

 アリサの熱弁を他所に、その時の状況は後日談としてコウタから聞いていた事を思い出していた。少し時間があるからとロシアの郷土料理とも言えるボルシチを振る舞われたが、口に入れた瞬間に意識が飛びそうになったと聞いた記憶があった。

 

 確かにあの時の表情は若干虚ろな感じに見えなくもなかったが、まさかそれが原因だとは予想もしていなかった。

 

 

「あ、あのさ。エイジはどうしたの?」

 

 まさかとは思ったが、エイジが食べない選択肢は無いはずとばかりに確認してみたが、そこには驚愕の回答が返ってきていた。

 

 

「一口食べて、これでも良いんだけど、ちょっと好みの味に仕上げたいからって調味料を幾つか入れて食べてましたよ」

 

「…因みにそれってアリサも食べた?」

 

「勿論です。普通に美味しかったですけど。だから失礼しちゃうと思いませんか?」

 

「あ、ああ。確かにそうだな………」

 

 今の一言が全てを物語っていた。見た目はどうしようも無いが、調味料で味を調えれば食べる事は出来る。恐らくはアリサに直接言うのは申し訳ないと考え自分で整えたのだろう。

 この時点で恐るべき技術ではあったが、最悪は何とかしてくれるだろうとの考えから、少しでも簡単に出来そうな物を考える事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サクヤさん。おめでとうございます」

 

「あら、ありがとうアリサ。皆も悪いわね私の為に」

 

 結局の所は第1部隊の内輪でのお祝いの為に、出来たばかりのラウンジで開催されていた。本来であれば利用はもう少し先の予定だったが、今回の内容を榊に伝えた所、快諾された事もあり、一足早く利用する運びとなっていた。

 当初の予定通り、料理の大半はエイジが用意し、そこにコウタとソーマも珍しくちょっとしたお菓子を作ってきていた。

 

 

「2人も作ったんですか?」

 

「流石にエイジ一人にって訳には行かないからさ。作り方はエイジに聞いたけど、自分達で作ったぜ」

 

「俺も少しは確認したが、何とか出来たぞ」

 

 今回の件でコウタとソーマは何も作らないだろうと予測し、自分の作った物を見せて驚かすつもりだったのかアリサの表情は冴えない。しかし、このまま隠すのも癪になるので、まずはお披露目とばかりに作った物を出す事にした。

 

 

「私は今回クッキーを作ってきたんです」

 

「えっ?アリサにしちゃ随分とまともな物だね」

 

「一言多いんですよ。で、そこまで言うならコウタは何作ったんですか?」

 

 アリサの一言に待ってましたとばかりに胸を張り、コウタは白いプリンの様な物を出す。

 

 

「パンナコッタを作ったんだよ。案外と簡単だったよ」

 

「コウタの癖にやりますね」

 

「アリサこそ一言多いんだよ」

 

 コウタが胸を張るのも無理は無かった。味はともかく見た目は既製品と何ら変わらない出来栄えにアリサは驚きを隠せない。それならばと、ソーマは何を作ったのかと改めて見ていた。

 

 

「あの…ソーマ。これは一体?」

 

「見ての通りだが?」

 

「見ても分からないので聞いてるんですけど?」

 

 アリサが疑問に思うのは無理も無かった。見た目は茶色く丸い物が置かれているが、これは一体何なのか理解出来ない。パンケーキの様にも見えるが、飾り気も無ければ、ただ焼いてあるだけの代物に、確証が持てなかった。だからこそ確認の為に聞いたがアリサには理解出来なかった。

 そんなアリサの疑問に答えたのはエイジだった。

 

 

「それパンケーキだよ。チョコレートソースと生クリームは用意してあるから、これをかけてね」

 

 そう言いながら、柔らかくなったチョコレートと小さな入れ物に入った生クリームが横に置かれていた。これをかければ立派な物になるのは間違いない。だが、ソーマが作ったのは土台の部分だけに、コウタから抗議が入った。

 

 

「ソーマそれはずるいんだよ。そんなん作ったら簡単だろ!」

 

「何を訳の分からない事言ってるんだ。これは余興みたいな物なのと、エイジが作る物を余分に分けて貰っただけだ」

 

 正論の様に聞こえる事でこれ以上何も言う事は出来ない。折角のお祝いだからこれ以上揉めるのは良くないとばかりに落ち着かせる事となった。

 

 

「まぁまぁ、私の為ならその気持ちだけでも嬉しいから。リンドウなんて何にもなのよね」

 

「そこでこっちに来るのか。まぁ、この前の焼きそばで暫くは良いだろう」

 

 これ以上は勘弁してほしいとばかりに白旗を上げる頃、全部の料理が出来上がりそのまま食事会が開催されていた。以前にアリサの件で屋敷で食べた朝食とはまた違った空気がそこに漂う。いつもの光景がそこに存在していた。

 

 一人で食べる食事よりも大勢で食べる食事の方がより美味しく感じる事を考えると同時に、このまま楽しい時間が過ぎる事を全員が願っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれっ?ラウンジの利用ってもう良いんですか?」

 

「今日は特別に許可をもらったからね。ヒバリさんは食事は終わった?まだなら一緒にどう?」

 

「皆さんが良いと言われるのであれば、遠慮なく頂きます」

 

 閉じられているはずのラウンジの扉がが開いていたいた事で、何か追加工事でもあったのかと確認に来たのか、入ればそこで食事会を開催していた。カウンターにはいくつもの料理が並べられ、少しづつ味わう事が出来るようになっていた。

 

 

「ヒバリ…ここに居たんだ。あれ、良い物食べてるね。ねぇ、私も食べて良い?」

 

「まだあるから大丈夫だよ」

 

 ヒバリと一緒に食事でもと考えていたのか、リッカも誘われる様にラウンジへと足を運んでいた。食べているヒバリを見て理解したのか、リッカもまたエイジに確認していた。

 

 

「これってこの前、好評だったオムレツですよね?」

 

「そうだよ。今回は少し落ち着いて作ったから、中身は少し変えてあるけどね」

 

「結局私は食べれなかったので残念に思ってたんですけど、皆が絶賛するのが分かりました」

 

 綺麗に整えられた形のオムレツはナイフで切ると中が半熟だったのか、具材と一緒にドロリと出てくる。それを周りにかけてあったホワイトソースと絡めると、絶品とも取れる味だった。

 オムレツ以外にもパスタやピザなどが用意され、2人も納得できる味に舌つづみをうち、これで食事会は終わるかと思われていた頃だった。

 

 

「よし、皆持ってきたお菓子を食べてみるか?」

 

 リンドウの何気ない発言で、あの当時のやり取りをしていたリッカが漸く理解していた。どうやらギャンブル的な要素を作っていたのはリンドウである事がここで発覚した。

 

 アリサのクッキーは見た目は確かに平凡だが、それでも作る事は困難を極めていた。あの当時の事は思い出すと涙が出そうになる。今のリッカにはそんな思い出しかなかった。

 

 

「ひょっとして、今回の発案者はリンドウさんだったんですか?」

 

「まぁな。折角だからと思って持ち寄った方が気兼ねがないだろ?」

 

 悪びれる事も無く、さも当たり前の様に言われると、それ以上追及する事は出来ない。だからこそ、何となく癪に障るのだが、今ここで何か出来る手段は何も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果的にギャンブル的な要素はアリサのものだけだったが、それもリッカとナオヤの監修によって、しっかりと食べる事が可能な物へと変貌している。お祝いだからある意味仕方ないのだが、このまま終わるのは面白くない。だったらこの状況を楽しむ事に専念していた。

 

 

「そう言えば、エイジは何も作ってないの?」

 

「流石に作ってる暇は無いんじゃない?」

 

「ちゃんとあるよ」

 

 何気に聞いた質問だったが、まさか用意していたとは思ってもおらず、その事にコウタも驚きを隠せない。時間にもよるが一体何を作ったのだろうか?これまでの事を考えると、嫌が応にも期待が高まっていた。

 

 

「エイジ、これは何ですか?」

 

「これ?これはこうするんだよ」

 

 アリサの質問に行動で示すべく、出された皿の上に乗った白い小山の様な物に火をつける。蒼白い炎が一気に広がったと同時に火を消すと、そこには焦げ目が付いたデザートが置かれていた。

 

 

「これ…すごく美味しいです」

 

「これは美味しいわね。中身はアイスクリームなの?」

 

 初めて食べる食感にアリサは驚き、サクヤも物珍しげに食べる。表面は香ばしく温かいが、中身は冷たい。今までに無い感想にそれを見たリッカとヒバリも驚きを隠せなかった。

 

 

「中身はそうですね。周りをメレンゲで固めた後で、ブランデーの香りづけとアルコールを飛ばすのに火をつけたんですよ。偶々アーカイブ見たら面白そうだと思ったんで作りました」

 

「何だかゴッドイーターとしてやるよりはこっちの方が良さそうね」

 

 サクヤが何気に呟いた一言はある意味正鵠を射ぬいていた。このまま何も起こる事がなければもう一つの可能性とも思われる内容ではあるが、アラガミが絶滅する事は今の所は有り得ない。

 

 ささやかな一時は、未来に向けた何かになれば良いと、そんな空気が流れていた。

 

 

 

 



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第103話 遠征

 喧騒が漂うアナグラのロビーに一人機嫌良く歩く銀髪の少女。何時もの様な厳しい表情はそこにはなく、まるでこれから起こる事を楽しみにしている様にも見えていた。以前からその姿を知っている人間は理由は察しているが、何も知らない新人からすれば理由が見当たらないと言った表情がそこにあった。

 

 

「アリサさん、今日は随分とご機嫌ですね」

 

「実は昨晩連絡があって、早ければ今晩か遅くても明日の早朝には帰ってくるらしいんです」

 

 この一言でアリサがなぜ機嫌が良いのかヒバリには直ぐに理解出来た。端末で確認すれば、極東に向かって一機の着陸予定のヘリの情報が入っている。その情報が全てを物語っていた。

 

 

「だから、明日は珍しく休暇の申請を出してたんですね。もう、そんなになるんですね。時間が経つのは早いです」

 

「でも、前みたいな事にならないかと思うと少し心配なんです」

 

 アリサにとって、ヘリでの帰還は半年ほど前に起きた事件の事が未だに心配の種として残っていた。帰還途中のアラガミとの遭遇から、記憶喪失にアナグラの襲撃事件。

 事件と言うには余りにも濃すぎる程の内容が未だに思い出されていた。

 

 

「それは……まぁ心配ですけど、毎回それは無いですよ。事実、最近は飛行型のアラガミの発見報告は有りませんし、今も近隣での反応はありませんから」

 

「それは分かってるんですが……やっぱり顔を見ないと安心出来ないのかもしれません」

 

 時間にもゆとりがあるからなのか、忙しいと思われる業務はお互いに何も無く、2人の空間に入り込む様な人間は誰も居なかった。確かにあの時はアナグラ中が大混乱となり、その後の対応については、ヒバリも良く知っているが故に心配し過ぎではとの言葉を発する事が出来なかった。

 

 

「あれ、2人で何してるの?」

 

「実は、早ければ今晩か遅くても明日の早朝には帰還予定らしいって話をしてたんです」

 

「そうなんだ。そうか、もうそんなになるんだね。だったら暫くはここの食事は充実しそうだね」

 

「リッカさん。エイジはシェフじゃありませんから」

 

「何?かまってもらえなくなるとか思ってるの?」

 

「そんなんじゃありませんから!」

 

 リッカが加わった事で、カウンターは姦しい空気が流れだす。何気に放ったリッカの一言でその場に居た古参の人間はそんなになるのかと思いを馳せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「博士、今回は何の用件でしょうか?」

 

「毎回すまないね。今回君に来てもらったのは、少し出張してほしい事が出来たんで、その確認の為に呼んだんだよ」

 

「出張ですか?」

 

 支部長になっても呼び方が博士のままなのは、榊本人がそんな事に無頓着なのか、それとも諦めているのか分からないが、ガーランドの後任として支部長職についてからも変化は無かった。

 

 本来であれば規律に従い呼称の変更は当然の事だった。しかし、ここ極東では階級に意味を見出す者は殆どおらず、その結果として先輩が変わらない以上、新人達も博士の呼称をそのまま利用していた。

 

 

「実は、例の事件以降何かとここを不安視する考えが大きくなってきたのか、些細な事も含めて何かと横やりが入りやすくなってきてね。今の所目立った事は何も起きていないんけど、今後の本部への牽制を兼ねて、ここの最高戦力を一旦外部へと派兵する事で様子を見たいんだよ。

 もちろん、この件に関しては命令ではなく、希望的な意見として今の所聞いて欲しいんだけどね」

 

 いつもの砕けた話ではなく、今回の呼ばれた内容は色んな意味で重い話となっていた。前回の事件とは間違いなくガーランドの起こしたクーデター事件の事を指している。

 事の顛末に関しては概要だけは無明から聞かされていたが、詳細については何も聞かされておらず、今回の榊の話によって内容を確認する形となっていた。

 

 

「極東最高戦力と言いましたが、僕自身はそんな事は考えた事も無いんですが?」

 

「君は一度も考えた事が無いかもしれないが、他の支部からすればそうは思わないんだよ。現に君のスコアは極東だけではなく、全支部の中でも群を抜いている。それと、広報でも散々君の姿は知られている関係上、誤魔化しは出来ないんだ」

 

「そうですか。話の趣旨は理解しましたが、今の話だと僕だけですよね?」

 

「今回の件に関してはそうなるね。ただ、君の神機の特性を考えれば長期間は無理だろうから、その辺りは調整出来るよ」

 

 エイジの使用している神機は他の者とは違い、ある意味特殊とも取れる内容の為か、整備一つするにも色々と細かい制約が付いていた。慣れ親しんだ極東の技術班でもメンテンスには通常の倍以上の時間がかかるのと同時に、内容に関してはある意味秘匿事項の塊の様な物でもあった。

 その結果、整備に関しても特定の人物以外は敬遠したくなる代物だった。

 当初はお願いのはずが、気が付けば前提が既に違っていた。話の途中で気が付いてはいたが、内容を確認しない事には反論も要望も出す事が出来ず、エイジとしてもまずは全容の確認が先決となっていた。

 

 

「仮に行くとしても、神機のメンテナンスはどうするんですか?」

 

「それに関しては最低限の事は他の人間でも触れる様にすると聞いているよ」

 

「であれば、問題ないんですが…」

 

 エイジが言葉を濁すのには理由があった。一つは赴任先の問題、もう一つはアリサの事だった。

 

 

「何か懸念事項があるようだが、ひょっとしてアリサ君の事かい?何だったら伝えておくけど?」

 

「…まぁ、それもなんですが。いえ、それよりも派兵先で何をすれば良いんでしょうか?」

 

 まさか榊に言われるとは想像してなかったのか、不意に出た言葉を翻すかの様に、敢えて派兵先での任務内容を確認する。エイジとアリサの関係はここアナグラに居る人間であれば誰もが知っている。改めて榊が口に出した事は問題では無かった。

 

 

「派兵先は欧州全土と言っても、有力な支部を回る事になるだろうね。ここから先の事は無明君に聞くと良いだろう」

 

「分かりました。一度兄様に確認します。それと、今回の件ですが、僕の口から言うのでアリサに伝えるのは待ってもらえますか?」

 

「君がそう言うならそうしよう。それから後ほど正式に辞令として発表するから」

 

 突如として聞かされている内容に理解は示すが、だからと言って冷静に判断できる程大人では無い。だからこそ榊の内容を確認すべく、一旦屋敷へと足を運ぶ事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄様、今日榊博士から話があったんですが」

 

「欧州派兵の件か。お前には負担をかける様ですまないが、大丈夫なのか?」

 

 屋敷で詳細を確認すべく、今回の内容についての確認をしようと部屋に入った矢先だった。内容に関しては既に概要は榊から聞かされていたが、詳細については何も知らない。だからこそ開口一番の言葉は大よそ予想がついていた。

 

 

「僕は問題有りませんが、どうしてまたこんな時期なんですか?」

 

「前回の事件の事は覚えていると思うが、今回の話はそれが発端となっている。お前も知っての通りだが、本部は実際には魑魅魍魎の塊みたいな部分が多分にあり、その中でも急進派と主流派で派閥が出来上がっている。

 本部の派閥争いに関しては、ここは関係無いんだが、事件が既に立て続けに起きている事から一部の主流派から、極東支部に対して懸念すべき動きがあると難癖をつけられている。

 こちらとしては無意味な嫌疑ではあるが、火の粉は払わない事には大火事になり兼ねない。今回はそんな対外的な内容を踏まえているので、あちらもある程度譲歩する形でお前に白羽の矢がたったんだ」

 

 恐らく話だけ聞けば実にくだらない派閥争いの為に巻き込まれた事だけは理解出来た。しかし、今回の事件だけならば問題無いが、その前にもあったアーク計画は本部の上層部を巻き込んだケースであったのと同時に、今回も結果的には一部の人間のクーデターとも言える内容で事件が収束している以上、完全に否定する事は難しかった。

 これが他の支部であれば対岸の火事で済まされるが、両方が極東発であれば、このままの状態を維持しようとする主流派からすれば、極東支部は目障りに見える事は間違いなかった。

 

 実際に、今回の件にしても無明の辣腕で強引に沈静化できたからまだしも、最悪は全権限を本部が掌握する可能性も予見されていた。だからこそ、ある意味苦渋の決断とも取れる結果がエイジの肩にのしかかってきていた。

 

 

「対外的には以前にもあった技術交流の名目だが、実際には誰を差し出すかで極東支部を値踏みしていると考えた方が正解だろう。本来であれば誰でも良いのだが、スコアのトップが派兵されれば、頭の固い連中は黙るしかないからな。仮にそれ以上の要求が来たとしても、それ以上飲む必要は無い」

 

「期間としてはどの程度の予定なんでしょうか?」

 

「今回は半年を予定している。がしかし、極東も人的余裕は無い以上、早めの帰還命令が出る可能性もある」

 

 半年の期間を長いと思うか、短いと思うかはそれぞれの立場で見解は異なっていた。事実、話を聞いたエイジは長いと感じている。アリサの事は勿論だが、極東は世界の中でも有数の激戦区となっていると同時に、新種のアラガミも他に比べれば出現の確立は異常な程に高い。

 屋敷の事は無明が居る以上問題ないが、万が一ハンニバルの様なアラガミが出た場合の対処を考えると悩みは尽きなかった。今でも接触禁忌種の討伐に関してはほぼ第1部隊だけで回している事もあり、猶更その考えに拍車がかかっていた。

 

 しかし、目下の悩みはアナグラではなくアリサへの連絡だろう事は容易に理解出来る。榊からも言われた様に、アナグラ内でもアリサとの仲を隠すつもりは無いので、関係性は今更だったが、やはり半年の期間は長い事に変わりなかった。

 途中で一時帰還が出来るなら問題無い可能性はあるが、今回の内容を勘案すれば一時帰還は認められない公算が高い。

 だからこそどう伝えれば良いのか、言葉を捜す事に気を取られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサ、今日ってどんな予定が入ってる?」

 

「今日ですか?今の所は大きな予定は無いですよ。緊急ミッションがあれば即出動ですが。どうかしたんですか?」

 

「ちょっと話たい事があるんだけど……」

 

 何時もの様な会話ではあるものの、何となくエイジの表情は曇りがちとなっている。普段の彼を知っているアリサからすれば随分と珍しい光景だとは分かっているが、その理由までは分からない。

 今の時間であれば、今後の予定は大よそながら判断出来る為に、業務終了後に確認する以外に方法は無かった。

 

 

「あの、話ってなんですか?」

 

「…実は、欧州派兵の話が僕に来てるんだよ」

 

「えっ?なんでエイジなんですか?」

 

 唐突に告げられたのはエイジの欧州派兵の話だった。アリサが驚くのは無理もない。ただでさえ激戦区でもある極東からトップの人間を派兵させるのは事実上の戦力を削ぐ行為にしかならない。

 確かにここ最近の殉職率は大幅に減少しているので、対外的に見れば大きな差は無いと思われるのは無理も無かった。本来であれば無明から聞かされた本部の思惑を話しても問題無いのだが、フェンリルからすれば一神機使いの事情などを一々考慮する必要は無いとも取れる。

 当事者からすればたまった物では無いが、いくら極東の最高戦力と言われようとも所詮は一兵士であればそこに選択の余地は最初から無かった。

 

 

「詳細はともかく、僕も聞いたのは昨日なんだ。で、詳しい事を兄様に確認したんだけど、簡単に言えばここでの事件が本部からすれば看過できないと言う名目らしいね」

 

「そんな……そんな馬鹿げた話…前回の事件は本部の勝手な暴走なのに…」

 

 ガーランドが起こした事件のあらましは、当事者でもあった第1部隊のメンバーに知らされていた事もあり、アリサの言葉は事実でもある。だからこそ極東支部には言いがかりとも取れる話を無理やりこじつける事で、対外的に何らかの責任を取らせようと考えたのではとの思惑が透けて見えていた。

 

 

「誰かが行く事に変わりないんだ。ただ、それが僕だって話なんだ」

 

「ある意味エイジは被害者みたな物じゃないですか。なのにどうして…」

 

「今生の別れって訳じゃないから、そこまで大げさな事にはならないはずだよ」

 

「…期間はいつまで何ですか?」

 

「長くて半年だって」

 

 アリサの目には涙が浮かび始めている。半年と言う期間は人によっては長いとも短いとも取れる期間。ここに来て漸く新体制になって落ち着き始めた所での異動であれば、心中穏やかになる事は出来ない。

 しかしながら、既に決定とも言える辞令を覆す事は出来ない事も理解出来る以上、今のアリサには何か出来る手立ては無かった。

 

 

「いつからですか?」

 

「正式に辞令が出てないから分からないけど、そんなに時間はかからないはずだけどね。一度榊博士に確認してみるよ」

 

 現状ではアリサに説明できる事はこれ以上は何も無い。だからこそ確認する事で今後の状況を判断すべきだとこれ以上の話を続ける事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「榊博士!エイジの欧州派兵の件ですが、日程等はどうなるんですか!」

 

「あ、アリサ君。まずは少し落ち着こうじゃないか」

 

 翌日の朝一番、支部長室にアリサの声が響く。昨日のアリサへの説明が完了した時点で榊には連絡した事もあり、アリサの態度がどうなるのかだけは予想できたのか、既に支部長室には榊だけではなく、ツバキと無明も居た。

 今回の内容に関してはアリサだけではなく、ここにいる全員が納得した訳では無い。しかし、恋人から唐突に話を聞かされ欧州へと出向くのであれば、今の様な状況になるのは容易に想像が出来ていた。だからこそ、榊としてもその対策とばかりに2人を招聘していた。

 

 

「昨日エイジから聞きましたけど、何でエイジなんですか!本部の横暴じゃないですか!」

 

「アリサ、少し落ち着け。完全な異動ではないんだ。一時的に派兵する事で、本部への義理を果たすだけにしか過ぎないんだ。それ位の事は理解できるだろう」

 

「それは聞きましたけど……」

 

「お前の言いたい事は分かるが、それとこれを一緒にする訳には行かない以上、今出来る最善策として、こちらも苦渋の決断をしたんだ。我々も最高戦力を放出したいなどと今でも考えてはいない」

 

 ツバキから言われる事で、言い過ぎた様な気持ちは確かにあったが、確認すべき事は確認しないと、今後の影響にも関わってくる。火の粉を払う為とは言え、ツバキ達も納得した訳では無い事を理解させない事には、ここから先の議論は出来ない事だけは理解していた。だからこそ、この場でハッキリとアリサに言う以外の選択肢が無かった。

 

 何時もならばこのままエイジに丸投げしてなし崩し的になあなあで済ますが、今回の件に関してはエイジが対象となるだけにそんな手段を使う事は出来ない。だからこそ、この場にエイジを呼ぶ事はしなかった。

 

 

「でも……」

 

「アリサ。エイジを慕う気持ちが本物だとは俺も分かっている。事実、屋敷の人間もアリサの事は認めているんだ。期間は最大で半年ではあるが、辺ぴな場所ではない。

 今の所予定に上がっているのは本部、イタリア、ドイツ、フランスの支部を予定している。こちらとしても最大戦力を一時的とは言え放出するリスクを孕む以上、先方にも妥協させてあるんだ。連絡も取れるだろうから、それで納得してくれ」

 

 無明にまで言われると、流石にアリサも旗色は悪くなる。事実、アリサも屋敷にはかなりの頻度で出入りしているので、屋敷の人間もエイジとの事に関しては何も言わない。個人的な話とは言え、エイジの身内とも取れる人間からの言葉はある意味絶大とも取れていた。

 

 

「デートだって碌にしてませんし、最近は細かい任務が続いているので楽しい事もこれからだって思ったのに、こんなんじゃ…」

 

「アリサ」

 

「何でしょうか?」

 

「それはエイジに言うべき事であって、ここで言う事では無い。しかし、ここ数日は落ち着いているとは言え、まともな休みが無かったのも事実だ。妥協案ではないが、出発の日程が確認された後であれば2人を休みにする。それで良いな」

 

「……了解しました」

 

 ツバキの提案に拒否する考えは最初から無かった。そもそも、何を言った所で既に決定している事実を覆す事は不可能でもあり、それならば確認すべき事を優先させる事で納得する以外に何も無かった。

 

 だからこそ、何かを納得したのか満面の笑みでアリサが支部長室を出る頃には榊もツバキも朝にも関わらず、一日の仕事が終わったかの様に疲れ切った表情を浮かべていた。

 

 

 



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第104話 想いの果てに

 アリサの説得が無事に終わると同時に、辞令は程なくして発表されていた。経緯に関してはともかく、アナグラの内部でも今回の派兵に関しては様々な憶測を呼んでいた。

 今はまだ落ち着いているが、万が一接触禁忌種が出れば誰が出動するのか、大丈夫なのかとも考える者も出ていた。第1部隊の人間に対して失礼な考え方ではあるが、これもまたエイジに対する信頼の裏返しとも取れる状況だった。

 

 

「こんなに良いのか?」

 

「良いも何も、このまま放置すれば使えなくなる物も多いし、それなら整理代わりに放出した方が良いかと思ってね」

 

 日程が決まり出発まで残す所1週間を切り出した頃、一旦荷物を整理するからとエイジは部屋の掃除をしていた。普段からマメに掃除しているので、室内の汚れは殆ど無い物の、問題なのは食材だった。

 自前で作るものが多く、荷物の整理よりは食材の整理と言った方が正解だった。計画的に使っていたが、遠征に関しては完全に想定外。このまま腐らせるよりは、放出した方がマシだとばかりにラウンジで在庫整理という名の調理を開始していた。

 

 

「もう1週間無いんだよな」

 

「派兵っていっても半年だよ。今生の別れじゃあるまいし」

 

「でもさ、やっぱり寂しいじゃん」

 

 任務明け早々から食材の整理の為に全てのストックを使い切る。食事の時間も重なった影響もあり、匂いに誘われた人間が次々にラウンジへと足を運んでいた。匂いにつられた人間が更に人を呼ぶ。気が付けば結構な人数が勝手に集まっていた。

 コウタも口では心配の言葉をしながらも、何だかんだと言いながら任務明けもあってか、口に運ぶ箸が止まる気配は全く無かった。

 

 

「コウタ、私だって未だに納得してないんです。でも決定だから…仕方ないんです」

 

「それはそうだけどさ……でも、連絡は出来るんだよな?」

 

「時差はあるけど、基本は大丈夫らしいよ。建前としては情報の共有化は必要だって事でね。ただ、行った最初の方は大変かもしれない」

 

「そうなのか?」

 

 エイジも一時的な出張はあっても長期に渡る出張の経験は無く、概要は聞かされたが、結局の所は現地に行かない事には始まらないとの考えに至っていた。どんな地であってもゴッドイーターがやるべき事はただ一つ。これから先の事を考えない様にしていた。だからこそ、ある程度達観した部分がそこにあった。

 

 

「エイジさんなら、どこでも大丈夫ですよ」

 

「そうそう。取敢えず実力見せたらあとは勝手に相手が何かするだろうからさ」

 

「いやいや。それは無いよ。少しだけ本部に行った時に感じたけど、案外と縄張り意識は強いかもね」

 

「それはありますね。以前、私もタツミさんと本部の研修に行った時にそれは感じました。でも最終的には変わってましたけどね」

 

 丁度勤務明けだったからなのか、リッカやヒバリも当たり前の様にラウンジで食事をしていた。本来であれば、このまま自宅に戻って食事をするのが通常ではあったが、他の人間同様にこの場での食事となっていた。

 一時期、研修で本部に出向いたヒバリの発言は案外と正鵠を射ぬいていた。まだ見ぬ内容よりも体験している人間の方が言葉に重みはある。だからこそ、改めて考える部分があった。

 

 

「でもさ、本部はともかく他の支部を転々とするんだよね?タツミさんの時も確かそれなりに人気があったんじゃなかったっけ?」

 

 リッカの何気に無い一言でヒバリも食事の手が止まる。あの時の内容はヒバリ自身未だに覚えているが、最終日近くになってくるにつれてタツミの人気は徐々に高くなっていた。

 現場の事は分からないが、少なくともヒバリの知る中ではオペレーター達からは必ず名前が挙がっていた事が思い出される。当時の状況を思い出せば、苦笑いしかなかった記憶があった。

 

 

「……それは否定できませんね。ましてやエイジさんは広報にも出てましたし、ここの第1部隊長なので注目度合は完全にタツミさんとは違うでしょうね」

 

 ここにタツミがいないからなのか、それともこの空気がそうさせるのか分からないが、何となくタツミさんドンマイと言った気持ちが男性陣に漂っていた。

 

 

「そうなるとアリサとしては心配じゃないの?」

 

「それは……エイジの事は信じてますから」

 

 何気に話を振られた事で意図せず発言したが、事実その可能性は否定できなかった。ただでさえここでも人気があるのに、広報で顔まで知られていれば誤魔化す事は不可能とも取れた。

 本来であればここでゆっくりと食事会をしている場合ではないのだが、幸か不幸かエイジは今日から、アリサは明日から休暇が貰えたと同時に、現状はアリサも任務帰り。

 明日からの事は楽しみだが、その後の事を考えると切ない気持ちが優ってくる。

 だからこそどうすれば良いのだろうかと思案していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はお疲れ様でしたね。準備はまだなんですよね?」

 

 在庫整理の名の元の食事会は、気が付けばそれなりの人数にまで膨れ上がっていた。ラウンジそのものは既に完成し利用は可能だったが、肝心の料理をする人選が難航していた。結果的には、赴任は翌週になるからと実質は開店休業の状態となっていた。

 しかし、エイジが調理場に立つのが分かれば、誰もがここにやってくる。本来であれば盛大に送別会を開催するが、肝心の作る側の人間の送別会は誰が何を用意する事になるのかを考えると、誰もが二の足を踏んでいた。

 

 

「準備そのものは持って行く物は少ないから、もう荷造りは終わってるよ。まぁ、最後までここらしいと言えばらしいけど、明日からは屋敷に戻る事になるから」

 

「私も明日から、と言いっても実際にはもうなんですが休暇をもらえたので、一緒に居たいんですが」

 

「アリサが良ければそうしてくれると嬉しいかな」

 

 何だかんだと最後はアリサと一緒に居たい気持ちもあったので、アリサからの問いかけには嬉しさが優っていた。確かにこれから半年は会えないとなれば、かなり気になる事も出てくる可能性は否定出来ないが、それでもその後はまた会えるからとエイジは一人気持ちの整理をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楽しくも儚い時間はあっと言う間に過ぎ去ろうとしている。いよいよ出発の日がせまる頃、アリサは一つの決断をしていた。これを口に出してドン引きされないだろうか?それとも、はしたないと思われるのだろうか?エイジの性格からすればそんな可能性は無い事位は理解しているが、やはり口に出せば恥ずかし事に変わりは無い。

 だからこそ、そのタイミングを計る事に集中していた。

 

 

「…リサ、アリサ、聞いている?」

 

「は、はい。何でしょうか?」

 

「これから温泉に行くけど、アリサも行って来たら?」

 

 一つの思考にとらわれ過ぎたのか、呼ばれた事に気が付くのが遅れていた。そろそろ時間も遅くなるのであれば、サッパリして寝るのが一番だとばかりに腰を上げた所だった。

 

「じゃあ、私も行ってきます」

 

 一言そう言い残し、各々がそれぞれの場所に向かう。残す日程は僅かになればなるほど終わりが近づいてくる。だからこそ、その考えに至っていた。お湯に入ってからどの位の時間が経過したかは分からない。がしかし、このままここに居る訳にも行かず、いつもの様に出て部屋に戻ると、既にエイジも部屋に戻っていた。

 

 

「ひょっとしてのぼせたの?」

 

 エイジが言うのはある意味当然とも取れる程となっていた。いくら湯上りとは言え、今のアリサは全身が赤くなっているのではないだろうかと思える程になっている。これが何も無い所であれば恐らくそんな考えを持つことは無かったが、湯上りであればその可能性は否定できない。普段は真っ白な肌が綺麗に赤く染まっている様だった。

 

 

「そんな事は…無いんですが…実はこの前のヒバリさんの話を聞いて少し思う所があったんですけど…」

 

「思う所って?」

 

 アリサの言葉の意味がエイジには今一つ分からないままだった。何となく言い淀んでいる様にも思えるが、何を考えているのかまでは分からない。このまま話を聞いても良かったが、既に布団を敷き始めた事もあり、作業をしながら話を聞いていた。

 

 

「エイジは自分の事を知らなさすぎなんです。このアナグラでも色んな女性陣からの視線を感じているのは気が付いてますよね?」

 

 いきなりどんな話なのかと思って聞いては見たが、その話がなぜ自分にあてはまるのか、エイジには理解出来なかった。向けられている視線はあくまでも自分が部隊長だからと考えている節もあり、とてもじゃないが恋慕の目で見るのはアリサしかいないとさえ思っている。だからこそ、アリサの発する言葉の真意が見えなかった。

 

 

「それはスコアや任務の事があるからじゃないの?」

 

「違うんです。皆エイジに事は恋慕の目で見てますから」

 

「そうなんだ…」

 

 2人の間に沈黙がよぎる。それを理解したからと言って、この場で何をどうすれば良いのか分からないが、言いたい事は何となく理解出来た。その為にはアリサが何を考えているのか、エイジは真意が知りたいと考えていた。

 

 

「エイジは人気があるんです。…だから…他の支部に行ったら私の事なんて忘れるんじゃないかと思って……」

 

「そんな事は無いよ」

 

「でも、私は……私が安心出来るように……してもらえませんか?エイジに私の存在を…いつまでも覚えていてほしいんです」

 

 そう告げるとエイジの返事を聞く事もなくアリサは唇を重ねていた。キスそのものは割と頻繁にしていたが、今日のアリサはいつもとは違っていた。まるで何かに縋る様にも思える程に濃密に激しかった。

 

 

「アリサ、これ以上は僕も理性が無くなるんだけど…」

 

「エイジがしたい様にしてください」

 

 たった一言だが、その意味合いは何時もとは大きく異なっていた。重ねるだけのキスが徐々にお互いの唇を食む様に深くなる。それと同時に柔らかく温かい舌が唇の隙間から入り込んだ。エイジからのキスはいつも以上に情熱的でもあり、それに応える様にアリサも舌を絡ませる。

 お互いが何を思っているのか言葉に出すまでもなかった。脳が痺れる様な感覚と共にお互いの唇が離れれば、エイジの目には目を潤ませたアリサだけが映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれ程の時間が経過したのか、月明かりが部屋の中に差し込んでいた。部屋の中は薄明るく、ぼんやりとしている。隣を見ればアリサは産まれたままの状態でシーツに包まれていた。時間の感覚は無く、何となく気怠い感覚が身体を支配している。

 少しばかり眠ったのか、目覚めた隣にいるアリサの寝顔を見てエイジは冷静に今日の事を思い出していた。

 

 恐らく湯上りの赤さは、のぼせたのではく羞恥の結果にしか過ぎず、恐らくは何かがキッカケとなった結果だろう事だけは理解していた。アリサにはああ言ったが、厳密に言えば視線は感じる部分がある事はエイジも理解していた。好意そのものは有り難いが、エイジはアリサしか見ておらず、それ以外の視線に関しては無意識の内に遮断していた。

 本来であれば自分から誘うべき事なのに、アリサにさせた事は少しだけ後悔していた。気が付けば月は既に高い位置にある。今はまだこの感覚を残しエイジは改めてアリサに抱き着きながら眠りについた。

 

 

 

 

 

 翌朝目覚めれば、昨晩の事を思い出したのかシーツに顔を半分隠したアリサがモソモソと近くの浴衣を布団にもぐりこませ、苦労しながらも着替えようと奮闘している。エイジは先に起きていた事もあり、アリサの事は見ていたが、あまり見ているのも何だと、敢えて気が付かない振りをし、朝食の準備の為に部屋を出ていた。

 

 

「おはようございます」

 

「おはようアリサ。ってどうしたの?ひょっとして嫌だった?」

 

「そんなんじゃないです。ちょっと恥ずかしいと言うか…」

 

 お互いに昨晩の事を今言うのは気まずく思ったのか、まずは食事とばかりに箸を手に取り食事を始めたものの、やはり恥ずかしさが最初に来るのか少しばかり沈黙が流れていた。

 気まずさが消える頃、エイジの派兵の日となり、本来であれば大勢の人間が見送りに来るはずだったが、今回は一時的な物だからとエイジはそれを断り、今はアリサだけがそこに居た。

 

 

「浮気なんてしないで下さいね。毎日連絡しますから」

 

「アリサしかいないから大丈夫だよ。連絡は出来るだけするから」

 

 そう言い残し、別れを惜しむかのようにお互いが抱き合い、軽くキスする事で漸く出発の段取りとなった。半年は短いのか長いのか分からない。がしかし、無事でいてほしい気持ちと共に飛び立つヘリを一人見送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジさん、お帰りなさい。欧州派兵はどうでした?」

 

「中々大変だったよ。まぁ、色んな事が有り過ぎたと言った方が正解だったかも」

 

 半年ぶりに帰って来たアナグラは出発前と大差は無かった。だた違うのは人員が増えた事もあり、見慣れない人が割と多い。そんな印象があった。

 

 

「おっ!お帰り。欧州はどうだったんだ?」

 

「色々と大変だったかな。ここに来るとやっぱり帰って来たって思うけど、なんだか雰囲気が出発当時よりも違う様な気がしてるんだけど?」

 

「ここも人員が随分と増えたからな。報告はまだだろ?色々と話したい事もあるからラウンジで待ってるから」

 

 コウタは何も変わらず普段のままだった。アリサとも結果的にはほぼ毎日連絡は取っていたが、やはり通信越しと面と向かってでは大きく違う。まずは報告とばかりに支部長室へと急ぐ事にした。

 

 

「漸く帰って来たね。欧州派兵ご苦労様。当面は本部に関しても牽制の意味合いは果たせたはずだから、干渉してくる事はないだろうね」

 

 労いと共に半年の派兵の内容に関しては常時レポートとして提出していた事もあり、内容は榊の知る所となっていた。今回の派兵に関しては当初の目論見がはまったのか、一線級の人間が送られてきた事で、本部の方が動揺を隠しきれなかった。

 その後に関しても随時各支部を周り、その都度ミッションをこなしながらも精力的に勤めを果たす事となっていた。

 

 

「そうですか。どこの支部でも最初はともかく、最後は快く送り出してもらえましたので、結果的には良かったかと思います」

 

「それに関しても他の支部長からも色々と聞いてたからね。各支部でも戦力の増強が成されたとは聞いてたけど、一体何をしたんだい?」

 

 普段であれば知的探求に関する事は強い興味を示すが、こんな実戦的な内容に興味を示すのはある意味珍しい。聞かれた所で特別な何かをした訳では無いので、エイジも返答には困っていた。

 

 

「特に何かした記憶はありません。ただ、少しばかり組手と言うか、模擬戦じみた事をした位ですかね」

 

 簡単に組手や模擬戦と言うが、実際にその眼で見ていた者からすれば一方的な虐殺じみた内容でもあった。ここ極東でもカリキュラムに入っているが、あくまでも教導用としての内容であって、他の支部でやったのは実戦形式。

 如何に百戦錬磨のゴッドイーターと言えど圧倒的な実力差の前には手も足も出ていなかった。指揮官としてはたまった物では無いが、現場からすれば圧倒的な実力差はそれだけで信頼を勝ち取る事が出来る。

 少しでも追い付くためには努力以外に近道はなく、その結果として支部全体の戦力の底上げが自然と成されていた。

 

 

「とりあえず明後日までは休みとするから、神機のアップデートを同時にしておいた方が良いね。場合によっては出動もあるから。そう言えば、ラウンジにはもう行ったかい?」

 

「いえ、まだですが、何かあったんですか?」

 

「それは僕の口からは言えないが、行けば分かるよ」

 

 不可解な笑顔と共に榊の言葉に疑問はあるものの、元々コウタからも誘われていた関係で行くつもりではあったが、こんな時になぜそんな話が出るのか疑問しか湧かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの~コウタはどこ……あれ?なんでここにいるんですか?」

 

 コウタが待っていると思い、ラウンジに行くと、人はまばらにいるだけだった。榊も行けば分かるとは言っていたが、ラウンジに何があるのかまでは知らされていない。まずは確認とばかりにカウンターの中で準備している人に聞こうと呼ぼうとした際に、エイジの動きが止まっていた。

 

 

「エイジ久しぶりね。大きくなったじゃない。欧州からの出張は大変だったでしょ?少しここで休憩して行きなさい」

 

 エイジは硬直したのは無理も無かった。本来であればここにいるはずの無い人物がそこに立っている。これは一体何事かと思った頃、コウタもラウンジに来ていた。

 

 

「紹介しようと思ったんだけど…もう会ったみたいだね」

 

「それはそうなんだけど…なんでここに弥生さんがいるんですか?」

 

 エイジの驚きはそこにあった。本来ならばここにいるはずの無い人間。屋敷の中でも女中頭とも言える人物の妹『柊 弥生』がそこにいた。確か記憶では本部かどこかの秘書をしていたはず。にも関わらず、なぜここにるのか疑問しか無かった。

 

 

「今回、ここに異動する事になったのよ。本当ならフェンリルを辞めて屋敷の業務をと思ったんだけど、ここの榊支部長にスカウトされてね。今はここで支部長の秘書をしてるのよ」

 

 何気に言われたが、まさかここで身内同然の人間が勤務しているとは思ってもなかった。しかし、秘書がなぜラウンジにいるのだろうか?そんな疑問が出てくる。

 

 

「実はさ、エイジが行った後で、ラウンジの選任が難航しちゃったんだよ。で、実際に実力を試してもらったんだけど、皆が納得しなくて、結局弥生さんが業務の合間にここに入る事になったんだ。みんなエイジの料理に慣れてたから大変だったよ」

 

 意図も簡単に言っていたが、まさか自分がそこまで影響しているとは思いもしなかったが、話を聞けば何となく納得できる部分はあった。しかしながら、ここに居るのは紛いなりにも小さい頃から見知った人間。何となく照れくさい様な気持ちがそこにはあった。

 

 

「そう言えば、アリサちゃんとお付き合いしてるんですってね。何にも報告がなかったからお姉さんとしては悲しかったな」

 

「そ、そこまで報告する必要は無いかと思ったので」

 

「でも、アリサちゃんの料理の腕前はしっかりとしないと、結婚すると大変よ」

 

「一つ、確認してもいいですか?」

 

「何かしら?」

 

 アリサとの仲は恐らくコウタやナオヤ辺りから聞いていたのだろうが、結婚云々に関しては何も言ってないし、アリサにすら言っていない。にも関わらず、なぜこの人はそんな事を口走ったのかが謎だった。

 アリサはこの話を知っているのだろうか?だからこそ真実を確かめたいと思っていた。

 

 

「その話はどこからの情報なんでしょうか?」

 

「だって右手の薬指にリングしてたから、そうかと思っただけど…違ったの?」

 

 この時点で下手な回答をすれば誤解を招く可能性があった。アリサがどんな気持ちなのか分からないが、こんな所で話して良い話題ではない。これ以上この話題を続けるのは危険だと判断した時に、アリサが入って来た。

 

 

「エイジ、榊博士との話は終わったんですか?」

 

「レポートは常時提出してたから、簡単な帰国の挨拶程度だよ」

 

「そうだったんですか。そう言えば…弥生さんの事は?」

 

「今話してた。まさかここに来るとは思ってもなかったから驚いたよ。多分、榊博士はこの事を言いたかったんだろうね」

 

 いくら気心が知れた人間であっても、態々自分のプライベートな内容を暴露してほしいと思う人間はいない。だからこそ、弥生の存在は違う意味でエイジには脅威に映っていた。

 

 

「アリサちゃん。この前の件はエイジが帰って来たんだから、直接聞くと良いわよ」

 

「わ、分かりました。そうします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、ラウンジの件ってなんだったの?」

 

「そ、それはですね…今はもう少し落ち着いてからにしたいので、少し時間を下さい。必ず私の口から言いますから」

 

 移動で疲弊した身体を休めるべく、一旦は屋敷に戻って、翌日からアナグラへと予定していた事もあり、アリサもそのまま屋敷に来ていた。弥生の話は一体何を意味しているのかは分からない。

 何気に聞いた話のはずが顔を赤くしながら言い淀んだ事もあり、それ以上の話はしなかった。

 

 ほぼ毎日、通信やメールでのやり取りをしていたが、やはり画面越しよりも面と向かう方が話は弾んでいた。今までの時間を取り戻すかの様に時間は経過し、楽しくも長い夜が過ぎ去って行った。

 

 

 



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番外編4 バレンタインデー

「コウタ、気のせいかアナグラの中の雰囲気が何となく落ち着かないんだけど、何かあった?」

 

「いや、特に何もなか…無くはないな」

 

 ミッションから帰投し、いつもであれば報告後には直ぐに自室かラウンジに行く事が多かったので気が付く事はあまり無かったが、ここ数日アナグラの雰囲気が何となくソワソワしている様にも感じる。

 理由は分からないが何かを期待しているのだろうか、普段よりも落ち着きが無かった。

 

 

「ほら、もうすぐバレンタインデーじゃん。みんなチョコも貰いたいんじゃないの?」

 

「チョコレートね。だったら、これから何か作ろうか?」

 

 バレンタインデーの存在はともかく、チョコレートが欲しいのであれば、溶かして何か作るだけなので、労力はそんなにかからない。あとは在庫があれば数はいくらでも作れる。そんな事を考えていると、コウタの表情は先ほどとはどこか違っていた。

 

 

「料理の話じゃなくて、その日にチョコレートを貰えるかどうかの話だよ。旧時代にはこんな風習はあったんだけど、カノンさんが最近そのイベントを復活させたから、皆その日に貰える様に努力してるんだよ」

 

「確か、チョコレートと愛の告白だったっけ?何かで見た記憶があるよ」

 

「まぁ、間違ってないけど。ただ、最近は感謝の意味合いと人気のバロメーターを兼ねてるから、多く貰えると嬉しいだろ?それを皆狙ってるんだよ」

 

「なるほどね」

 

 コウタの言葉にエイジはなんとなく返事をしただけに留まっていた。以前、何か新作のヒントになればとアーカイブで色んな情報を見ていた際に、不意に目に留まった記憶はあったが、それ以上の事は自分には関係ないとばかりに記憶の彼方へと押しやっていた。

 確かにそんな日に好きな人から貰えれば嬉しいのは間違いないだろう。だが、ここの所属している人数を比率で割れば男女差は大きく異なる。となれば、貰える人間は限られてくるのでは無いのだろうかと身も蓋も無い考えを思いながらも、コウタの話を聞いてた。

 

 

「いつもならエイジのお菓子は好評だけど、流石にそんな日に野郎から貰うには抵抗があるから、エイジはその日はなるべく作らない様にした方がいいぞ。って言うか、お前は貰う側じゃないのか?」

 

「くれる人なんていないよ」

 

 エイジは気が付いていないかもしれないが、世間のエイジに対する評価は高い。当然、こんなイベントになれば誰もがそう考えるのは当然なのかもしれない。しかし、普段から色々なお菓子や食事類を提供している事もあり、またその味がどれ程のレベルなのかを理解しているのは女性陣の方だった。女子力の塊の様な料理を常時提供しているとなれば、必然的に自分の作ったものと比べる事になる。

 となれば、自分で作って持って行くのは違った意味で抵抗を感じる事が多く、決して言われる事は無いだろうが、万が一冷静に感想なんか言われた日にはどんなコメントが待っているのか。考えただけでも恐ろしいとまで思った結果がそこにはあった。

 

「そうかな?」

 

「そうだよ。とりあえず、覚えておくよ」

 

 そんな些細な話が既に過去の話となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、アリサ。アリサもやっぱりチョコレート作るの?」

 

「えっ?今それを言うんですか?」

 

 任務が終わると何時もの様に2人で食事をしながら、帰投直後のコウタの話が思い出されていた。アリサとしても本来はコッソリと作ってエイジを驚かせたい気持ちはあったが、まさかこんな所で言われるとは思ってもなかったからなのか、口に運んでいた箸が停止している。唐突に言われた事実によりサプライズで驚かす事は不可能となっていた。

 

 

「コウタが、そんな事言ってたから、当日はその系統のお菓子は止めた方が良いって言ってたからね」

 

「細かい事は分かりませんが、コウタが言うならそうなんでしょうね。でも、それをエイジの口からは聞きたくありませんでした」

 

「ひょっとして作ってくれるの?」

 

「ひょっとしなくても作りますよ」

 

 心外だとも取れるが、実の所アリサも完全に作る自信は無かった。そもそも、自分の腕前とエイジの腕前を最初から比較しようなんて考えはない。物が物なだけに本人に直接教えて貰う訳にも行かない。

 だからこそ、休日にはカノンを先生に皆で作るつもりだったので密かに準備をしていた。まさかここで言われるとは思ってもなかった為に、エイジの言葉に驚いていた。

 

 

「そっか。ありがとう嬉しいよ」

 

「まだあげてないんですから、その言葉は当日までしまっておいてください」

 

「じゃあ、楽しみにしてるよ。そうだ、お返しに僕も何か作るよ」

 

 エイジの腕前からすれば、いとも簡単に凝った物が作られるのであろう事は容易に想像が出来る。この時点で対抗するつもりは無いが、エイジの恋人が料理が出来ないでは何となく申し訳が立たない様な、そんな居た堪れない気持ちになりだす。

 これ以上考えるのは止め、あとは当日何とかしようかとそのまま準備を進めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサさん。大丈夫ですか?」

 

「これをこのまま湯せんすれば良いんですよね?」

 

「あんまり温度が高いと分離するので、気をつけて下さいね」

 

「ここはこれを入れた方が…」

 

「そんなに入れる必要無いです。って言うよりも、それ以上入れると固まらないですから!」

 

 13日はなぜかラウンジは貸し切り状態となり、僅かにカノンの声が聞こえてくる。今回の参加者はアリサだけではなく、ヒバリとリッカもいた。外から聞く分には何やら大事になっている様な気がするが、それもすべては明日の準備だろうと男性陣は誰一人文句を言う者はいなかった。

 

 

「そう言えばアリサってさ、あれから腕前は上がったの?」

 

 外から聞こえる声の大半はアリサに対する物が多く、果たして本当に出来るのだろうか?などと心配になり始めていた。新人はともかく、アリサに近い人間はアリサの腕前は良く知っている。普段の食事はエイジが作っているので果たしてまともな物が作られるのだろうか?ある意味羨ましいを通り越して、心配になる様な空気が漂っていた。

 

 

「当初に比べれば…だよ。今回の食材はカノンさんには言ってあるんだけど、なるべく簡単に作れる製菓用を用意してるから、余程の事が無い限り大丈夫なはずだけどね」

 

「そうか…エイジ、胃薬要るか?」

 

「そこまではいらないよ」

 

 明らかに羨望ではなく同情の空気が漂っているが、それは流石に失礼だからと断りはしたが、自分の目の届かない範囲での料理はやはり心配な事に変わりなかった。火傷をせず無事に作れればそれで十分とばかりに既に心配の目的が変わっている。そんな空気をコウタは感じ取っていたが、それ以上の事は何も言わないままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジ。これどうぞ」

 

「ありがとう。早速開けても良い?」

 

「どうぞ。今回のはカノンさんにも手伝ってもらったので、味には自信がありますから」

 

 バレンタイン当日はアナグラの甘い雰囲気はピークに達していた。既にヒバリからチョコレートを貰ったのか、タツミはご機嫌なまま任務へと挑み、他の人間も義理とばかりに受け取っていた。

 

 アリサが自信があると箱を開ければ、形こそは不恰好だが、何となく丸くなったチョコレートの塊が4個入っていた。あの後の奮闘ぶりはヒバリから聞いていたが、まさかここまでまともな物が出来ているとは想像していなかった。

 

 当初は予想外の出来に驚きこそしたが、よく見ると何か不思議な雰囲気がある。見た目は確かにチョコレートなのかもしれないが、よく見ると何かが違う。だからこそ確かめてみたいと言う好奇心が警戒を上回っていた。

 

 

「今、食べても大丈夫?」

 

「勿論です。どうぞ食べてください」

 

 口ではそう言うものの、やはりエイジの表情が気になるのか、咀嚼している最中もずっとアリサの視線が外れる事はない。本来であればそこまで真剣は表情で見る必要性は無いが、やはりどんな感想が出てくるのか、不安を隠す事は出来なかった。

 

 

「あの…どうでしょうか?」

 

「…普通に美味しいよ」

 

「あの…他には何もありませんか?」

 

 この一言に表情には出さないものの、エイジも焦りが出ていた。製菓用とは言え、恐らく作ったのはトリュフと思われる代物ではあるが、問題なのはその食感だった。通常であれば、湯せんした物にミルクなり生クリームを配合した物をそのまま冷やして固めるだけなので、失敗の要素は低い代物。

 

 口の中に入れた当初は確かにチョコレートの味はしたが、徐々に不思議な食感と味が既に別物である様にも感じていた。恐らくは完全に分離したのか、口に入れた食感は粘土の様な歯ごたえと同時に、口の中にまとわりつく。

 一体何をどうやったらこうなるのかは甚だ疑問ではあったが、それ以外の関しては及第点とも取れていた。

 

 

「ちゃんと、チョコレートだったよ。参考に聞くけど、ブランデーか何かを混ぜたの?」

 

 恐らくそれが知りたかったのだろうか?心配気な顔から徐々に笑顔へと変貌していく。その表情を見て、この問いかけが正解だと理解出来た。

 

 

「ちょっと食感が足りないと思って、ブランデーとゼラチンを入れたんですけど、どうでした?」

 

 恐らくはチョコボンボンを意識したのだろうか?何か閃いた結果がそうだったのかもしれない。不思議な食感と味がそこで漸く理解できていた。この時点でカノンの奮闘ぶりは見ていないが、恐らく現場は大混乱だったの事だけは創造出来ていた。心の中で合掌しつつも、今はこのチョコレートを食べる事にに全力を注いでいた。

 

 

「そう言えば、他の人には配らないの?」

 

「それなんですけど…たくさん作ったはずだったんですが、思ったよりも数が出来なかったのと、成功したのがこれだったのでそこまで出来なかったんです」

 

 しゅんとしたアリサの表情からは、恐らくロビーの様子からヒバリやリッカも他の人に作る為に数は作っていたはず。カノンにしても沢山作っているから、アリサがそこまでする必要が無いとでも言われたのかもしれない。

 

 腕前はともかく、他の人からアリサの事を悪く言われる様な事はしたなくないとの考えから、エイジは冷蔵庫から素早く材料を取り出し一気に作り出した。

 

 

 

 

 

「アリサはそのチョコレートソースをスプーンですくってかけて」

 

「こう…ですか?」

 

「そうそう。その調子だよ。こっちももうすぐ終わるから、後で手伝うよ」

 

 一気に作ったのはチョコブラウニー。簡単に出来るのと同時に、本来であれば一つ一つを切り分ければいいのだが、いかんせん時間が無い。であれば、当事者が自分達で切り分ければ良いとばかりに土台を作り、ワインで伸ばしたチョコクリームをかける事で、仕上げる事にした。

 

 本来であればアリサが作るのが一番だが、そんな時間と材料は生憎と無いために、仕上げはアリサがやって、それを作った事にすれば問題無いと判断していた。

 

「後はこれで軽く模様を作れば完成だよ」

 

 短時間で出来たとは思えないほどに、見た目は既製品の様な具合で作られたのはザッハトルテだった。表面はアリサが仕上げたが、模様だけはホワイトチョコでエイジが仕上げ、それをそのまま箱に入れてラウンジへと運び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それ、アリサが作ったのか?」

 

「エイジには手伝ってもらいましたが、そうですよ」

 

 ラウンジにはヒバリから貰った物だと思われるチョコレートをそれぞれが食べていた。そんな中でアリサが持ってきた大きな白い箱は十分すぎる程に目に入る。アリサの腕前を良く知っている人間は顔をひきつらせ、知らない人間は興味が強いのか、視線を外そうとはしない。万が一の被害状況を抑えんとばかりにコウタが確認していた。

 

 

「あのさ、疑う訳じゃないけど本当にアリサが作ったのか?」

 

「ちょっと失礼じゃないですか。そんなに言うなら一度見てみなさいよ」

 

 コウタの発言にムッとするも、今さっきまで作っていた物は確かに仕上がりは良かった。だからこそ、アリサにしても自信があるとの発言がそこにあった。

 

 カウンターに置かれた箱を開けると、今さっき出来たばかりなのか、カカオの匂いと共に見た目は上品なチョコレートケーキが鎮座している。茶色いチョコレートソースをベースに、その上にはホワイトチョコレートで花が描かれ、明らかに既製品レベルか、ひょっとしたら高級店で買ってきたのではないのかとの憶測すら出始めていた。

 

 

「参考までに聞くが、アリサは何をどうしたんだ?」

 

 誰にも聞こえない様にソーマがアリサに確認をしていた。他の人間は未だにチョコレートケーキに目を奪われるが、一番最初に手を出したいとは思ってもいない。恐らくは人身御供が無ければおいそれと手出しは出来ない事は、この場にいた全員の意思だった。

 

 

「私は表面のチョコレートを仕上げたんです」

 

「って事は、中身の大半はエイジが作ったのか?」

 

「土台とチョコレートソースはエイジですよ」

 

 その一言がソーマの行動を決めていた。アリサの話が正しければ、間違いなく中身は100%エイジが作ったとも判断出来る。そうなれば、態々警戒をする必要は無い。そう考え、自分でナイフを入れて一切れを皿にのせて口に運んでいた。

 

 

「なぁソーマ。大丈夫なのか?」

 

「見ての通りだ。中々の具合は流石だな」

 

 想定外のソーマの言葉にコウタも何かを悟ったのか、恐る恐る一切れを更に乗せそのままフォークを口に運んでいた。ほろ苦さと甘さのバランスが絶妙な一品は明らかにエイジの作りである事が確認されると、残りを一気に口へと運んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コウタの動きが呼び水となったのか、次から次へと人が来出す。大きかったはずのケーキはあっと言う間に無くなっていた。まさかここまで一気に無くなるとは思っても無かったが、感想は全員に聞くまでもなく、その表情は全てを物語っていた。

 

 

「わっ!どうしたのこれ?」

 

「アリサのケーキが大好評だったから皆で食べたんだよ」

 

「本当にアリサが作ったの?」

 

 何気にリッカが放った言葉はアリサの口から出るであろう言葉を遮っていた。

 

 

「…まぁ、そんな所です」

 

「ふ~ん。ま、良いけどね。そう言えば、エイジも何か簡単な物作ったからって聞いたから、ここに来たんだけど、アリサは聞いてない?」

 

 追い打ちとばかりに放たれた言葉は今のアリサには十分なダメージを与えていた。確かに、これを作ったのは実質はエイジだが、それ以外の事は何も知らない。だからこそ、これがそうだったのだろうか?そんな考えが脳内に湧き出始めていた。

 

 

「遅くなった。リッカ来てたんだね。言ってたのはこれだよ。技術班で食べてもらって」

 

 アリサを助けるかの様に、エイジが持ってきたのはオレンジピールを使ったお菓子だった。オレンジの鮮やかな色合いにチョコレートがかかっているそれは、ある意味どこで購入した物だろうか?そんな様にも捉える事が出来る代物だった。

 

 

「これ、オランジェなんだけど、みんなで食べてくれればいいよ。普段の慰労も兼ねてだけど」

 

「これ、作ったんだよね?」

 

「そんなに手間はかからないから気にしなくても大丈夫だよ。あと、アリサの分もあるから」

 

 自分にまで気にかけてくれるのは有りがたいが、短時間で作ったブラウニーだけではなく、オレンジピールまで作っていたとは想像もしていなかった。周りを見ても、誰も言葉を発せようとはしていない。

 

 

「こんなのまで作られると、女子としての立場が無いんだけど…まぁ、美味しいから有りがたく受け取るよ。じゃあね」

 

 一言そう言われ整備室へと戻って行った。

最後の最後を持って行った感はあるものの、穏やかなバレンタインの一日が過ぎて行った。

 

 

 

 



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第105話 新たな一歩

「そう言えば、いつから弥生さんはここにいるんですか?」

 

 エイジが予想していた以上に半年の時間は大きかったのか、帰国後の状況はかなり変化していた。帰国当時にはあまり意識は向いてなかったが、一晩が過ぎてからはどことなく身に覚えのある視線がいくつか突き刺さっている。しかし、ここは元々所属していた極東支部だけに、他よりも視線は幾分かは和らいでいた。

 

 

「あなたが派兵に行ってから割とすぐよ。まさか当主から直々に連絡が来るとは思ってなかったから驚いちゃったけど、ここは本部と違って良い所よね」

 

 秘書の仕事はそんにも暇なのか、それとも仕事が既に終わっているのか、弥生はラウンジに居る事が多く、今も会話をしながらも手は何かと作業を続けている。カウンター越しに弥生と話しをしながらも、エイジは食事をとりながら不在だったこれまでの事を確認しようと考えていた。

 

 

「屋敷から近いんですから、そんなに知らない訳ではないでしょう」

 

「でもね、ここよりも本部の方が長かったから、やっぱり懐かしい気持ちの方が強いのよ。あんなに小さかったエイジとナオヤがここまで活躍するなんてね」

 

「それはいつの頃の話ですか?個人的にはあんまり他の皆には言ってほしく無いんですけど」

 

 幾ら身内でも、流石に子供の頃の話を色々とされるのは気恥ずかしさが先に出てくる。事実、弥生が配属された直後の話はナオヤからも聞かされたが、どうやら精神的にも頭が上がらないのか、何となく苦手な空気がそこにはあった。

 

 

「よう!欧州派兵お疲れさん。本部とかはやっぱり言ったとおりだっただろ?」

 

 このままでは弥生の話のペースに持って行かれそうになると考えた頃、任務帰りのタツミがラウンジへと入って来た。帰国直後は何かと慌ただしかった事もあり、ゆっくりと話をする事が出来ず、結果的には翌日になって漸くまともに話が出来る状態となっていた。

 

 

「タツミさんの話の通りでした。でも、最後はそうでもなかったんですけどね」

 

「らしいな。榊博士から聞いたぞ。かなりやらかしたらしいな」

 

 既に派兵先の事を聞いていたのか、ニヤリと笑うタツミの表情はどこか同類相憐れむ様な表情にも見える。口には出さないが、その表情が雄弁に語っていた。

 

「人を暴れん坊みたいに言うのは止めてください。ここと同じ様にやってただけですから」

 

 食事を兼ねての話にゆっくりとした時間が流れる。ラウンジは既に極東支部に馴染んでいるのか、周りを見ればリラックスできる空間となっていた。ここでは先ほどのロビーの様な視線が突き刺さる事は無く、静かな時間が流れていた。

 

 

「まぁ、これからはここが主戦場だからな。今まで以上に頼むぞ」

 

「分かってます。伊達に半年間派兵で色んな所に行ってた訳じゃないですから」

 

 些細な事ではあったが、こんな空気が極東に帰って来たことを意識させる。これからどうしたものかと予定を考えようとした際に、改めて弥生の口から爆弾が投下されていた。

 

 

「そう言えば、貴方が居ない間にアリサちゃんから相談を受けたんだけど、ちゃんと聞いた?」

 

「そう言えば…まだ聞いてないですね。どんな話ですか?」

 

 何気ない話のはずが、急に周りを確認した事思うと突如として小声で話始めていた。隣に居たはずのタツミは空気を読んだのか、既にその場から離れていた。

 

 

「ほら、あなた達このままずっと居たいなら何かしらの行動しないとダメでしょ?いつまでも今の様にするのはね。アリサちゃんだってお年頃だから言いにくい事もあるでしょうから、あなたからハッキリ言わないとダメよ。自分のしたい事だけじゃなくて、話もしないと。夜だってしっかりと寝かせてあげなさい」

 

「え?なんでそれを…」

 

 何故そんな事まで知っているのだろうか?真意はともかく、まさかそんな事を言われると思わなかったのか、珍しく羞恥で顔が赤くなる。ここにはまだそんなに人が居ない事もあってか、この現場は見られていなかった。

 

 

「まぁ、それはどうでも良いんだけど。知らないかもしれないけど、アリサちゃんは最近やたらとモテるみたいだから気をつけなさいね」

 

「はぁ。肝に銘じておきます」

 

 こちらが事情を聞くつもりが、なぜか尋問気味にプライベートの事まで言われた事で判断できなかったのか、動きが緩慢になる。ここが戦場であれば確実に命を落としているのではと思える程に今のエイジに精彩は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、何か言いたい事って何だったの?」

 

「それですか……もう少し時間が欲しいんですが」

 

 弥生から聞かされた事で、何かが影響したからなのか、何となく不安な気持ちが優っていた。派兵に出ていた時には意識しなかったが、不意に言われた言葉にどこか落ち着かない。そんな考えが勝ったからなのか、エイジはアリサに不意に確認したくなった。まさか突然そんな事を聞かれるとは思わなかったのか、何となくアリサがうろたえて居る様にも見える。

 事情が分からない以上、確認しない事にはエイジの心が晴れなかった。

 

 

「実は、弥生さんからアリサが最近モテるって聞いたから、何かあったのかなって思ったんだけど…」

 

「へ?なんでそんな話が?私は知りませんよ」

 

 一体何の話なのか今のアリサには皆目見当もつかない。しかし、弥生がエイジに言った事は間違いでは無かった。ただし、アリサを見ていれば、休憩中のラウンジで右手のリングを無意識に触っているシーンを見る事が多く、また普段からヒバリやリッカとも話をしている事を聞けば、想いを言った所で確実に玉砕するのは誰の目にも分かっていた。

 それは第三者として見れば直ぐに分かるが、当事者からすれば見当が付かないのは、単に何も知らないからでもあった。

 

 

「いや、なら良いんだけど。随分と弥生さんと話をしてるんだと思ったからね」

 

「それは…エイジのお姉さんみたいな人ですし、やっぱり仲良くしたいと思うのは当然じゃないですか」

 

「…あの人は昔からあんな調子だからね。嫌いじゃないんだけど、結構苦手なんだよ。今回だって……」

 

 ここで漸く弥生がどうしてそんな話をしたのか唐突に理解していた。自分でも認めたくないが、ほんの僅かだがエイジの中に嫉妬する部分と同時に、誰にも渡したく無い独占欲があった。

 ほぼ毎日通信やメールで連絡しても、画面越しからは細やかな感情は感知しにくい。だからこそ、気が付かない中でアリサを渇望している自分がそこに居た事を理解していた。

 

 

「エイジ、今回だって…どうしたんですか?」

 

「……何でも。いや、多分長期間会えなかったから自分の感情に少し向き合ったのかもしれない」

 

「そうなんですか」

 

 自分の気持ちがどれほどアリサに向いているのかを理解すれば、後は細かい事を考える必要は無かった。だからこそ、この状況で思い切って言うのもアリだろうと判断し、エイジは改めてアリサと向き合った。

 

 

「アリサ、お願いがあるんだけど?」

 

「何でしょう?」

 

 果たしてここから先の事を告げるのはどうなんだろうか?いつもならばそんな考えが頭をよぎるが、今のエイジの中にそんな考えは微塵も無かった。勢いで言うのはどうかと思うが、今のチャンスを逃せば、またこんな感情が沸き起こるのは早々ない。今のエイジはまるで戦場に赴く様な決意で言葉を告げた。

 

 

「これから先の事も踏まえて、一緒に暮らさない?」

 

 何気に放った一言ではあったが、冷静に考えればとんでもない事を口走った様にも思えた。事実、突然の事で感情が追い付いていないのか、言われたアリサは未だ固まったまま動く気配は無い。

 少し早すぎたのかと後悔の波が襲い掛かろうとした頃、まるで再起動でもしたかの様にアリサに変化が起こっていた。

 

 

「あの、もう一回言ってくれませんか?」

 

「一緒に暮らしたいんだけど」

 

「私、炊事も掃除も苦手なんですよ?」

 

「知ってるよ」

 

「整理整頓も思う様に出来ませんよ?」

 

「それも知ってる」

 

「それに…」

 

 感情があるのか無いのか、アリサは自覚している事を次から次へと言い出すが、それとは逆にエイジは一つ一つを肯定していく。療養中の屋敷での一コマが突如として思い出され、気持ちがあふれて来たのかアリサの涙が止まる事を知らない様にポロポロと零れ落ちていた。

 

 

「ひょっとして嫌だった?」

 

「そんな事ありません。嬉しいんです。だって…私が…言おう…としてた事を…言って…くれましたから」

 

 今度は違う意味での感情が追い付かない。欧州派兵の際に、エイジは気が付いていなかったが、エイジ自身も色々な支部からその能力を買われ、秋波が送られていた。

 元々知られていた所に、頭を一つどころか遥かに突き抜けた実力を持ち、普段の生活でも何をさせても率なくこなす姿は誰が見ても魅力のある有力物件。戦場での実力だけでなく、部下の指導をすれば結果が如実に表れる。そんな人間を放置するほど世間は甘くないとアリサは考えていた。

 

 もちろん、ヒバリやリッカに相談しても一笑に付す事で終わるだろうと予測して、何も聞かなかった。しかし、弥生が来た事で事態は大きく変わる。同じ身内でもナオヤには流石に聞けず、やはり同性の方が相談しやすいと何気に話た事がキッカケとなっていた。

 

 

「じゃあ、改めて宜しくね」

 

「私こそお願いします」

 

 アリサの目にはまだ涙は残るも表情は明るい。これから先の未来を共に歩む事を認められた様な気がしたのは一体どっちだったのだろうか?そんな事を思った途端に大きなため息の様にゆっくりと息をエイジは吐いていた。

 

 

「どうしたんですか?」

 

「アリサにOKを貰えた事が今になって実感したみたいだよ。何だか少し手が震えているみたいだ」

 

「エイジは大げさなんですから。断る要素はありませんし、私だって嬉しい事に変わりありませんから」

 

 時間が経過した事で向き合う事が出来たのか、それとも少しの間でも離れた結果なのか、お互いの想いと共にこれからも共に歩む形が出来た以上、後ろを振り向く可能性は無いに等しい。二人だからこそ困難が起きても乗り越える事が出来るだろう事を考え、新たな生活が始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このまま、何も無く平和な時間が過ぎる事をこの時代の神は許す事は無かった。

 

 

 現在では未確認ながら、幾つかの集落がひっそりと消え去っている。本来であればアラガミの襲撃は極東支部の観測レーダーに感知される事もあり、場所によっては討伐する事で人的被害が防がれていたが、今の時点でそんな可能性は判断する事は出来なかった。

 原因不明のままで一つの集落がひっそりと無くなる事は無く、その調査として、現地に向けての調査班が極秘裏に立ち上げられていた。

 

 

「兄様、ここが集落の場所ですが、とてもじゃありませんが何かに襲撃されたとは考えにくいです」

 

「ここまで綺麗ならその可能性は無いだろうな。考えられるのは感染が強い病気か何かだろう。念の為に手袋をつけて保護してから周囲の捜索が一番だろう。アラガミの可能性もあるが、今の所気配は感じられない様だな」

 

 時間がどれほど経過したのだろうか?一時期から、突如として小さな集落と連絡が付かなくなり始めた頃、一つの情報が無明の元に流れてきた。何時もであれば気になる様な内容ではないが、一点だけ違ったのがアラガミの襲撃は無いにも関わらず、人の気配が無かったとの内容だった。

 あらゆる地域での事象であれば感染の強い病気を疑うが、実際にはポツンとある様な集落である以上、それはその地域の風土病である事が懸念されていた。

 

 

「廃れた様子からは時間がかなり経過したのも影響してるのだろう。仮に病気だった場合は何かと厄介だな」

 

「何かヒントになる様な物があれば良いんですが…」

 

 人の気配が無くなった住居は一気に朽ちるスピードが早くなる。既に亡くなったのか、それともこの住居を捨て去ったのかは分からない。この場で分かるのは既に生活の跡が何も無い事だけだった。

 

 

「兄様、これは?」

 

 エイジが見つけたのは一つの薬とカルテらしき物だった。小さな集落では病院の様な施設は無いが、どうやら医療に明るい人間が住んでいたのだろう。そこにはカルテと呼ぶにはみすぼらしい程の経過観察が書かれたメモ紙とも言える代物が残されていた。

 

 

「薬は抗生剤だな。しかし、このメモの内容を見ると、中々厄介な代物に感染したのかもしれない。原因は分からないが、他のメモと併せると、どうやらここ一帯で赤い血の様な雨が降ったらしい。恐らくはそれが感染原だろうな」

 

「赤い雨ですか?」

 

 この時点ではこの残されたメモ用紙以外に何も無く、決定打には欠けるものの、それでも重要な手がかりとなっている。この地域にだけ降るのは自然現象としては考えにくく、仮に人為的な物なのか、それとも本当に自然現象なのか断定する事は出来ない。

 しかし、ここが直接の原因であればこの地に長時間の滞在はある意味危険とも考えられた。

 

 

「この目で見た訳では無いが、用心に越した事は無い。いきなり降る事はないだろうが、それでも空の様子は要注意だ」

 

 今後の方針を考えるべく、一旦極東支部へと帰還しようと準備をしていた頃だった。今まで晴れていたそれが突如として夕焼けの雲の様に赤い色をし、徐々に拡がりを見せる。

 このままでは、何かがあると拙い事になり兼ねないと、一旦建物の中へと非難した頃だった。

 

 

「本当に赤い雨ですね。これが今回の原因だとすれば、今後の対策は必須かもしれませんね」

 

「時間にして約10分程だが、この雨は脅威となる可能性は高いだろう。恐らくゴッドイーターとて例外ではないはずだ。本来ならばこれが原因だと完全に理解できる様な検体があれば間違いなく断定できるんだが」

 

 原因の特定は完全では無いが、この雨が原因なのは間違いないと断定し、一旦非難すべく近く建物の中に入る。そんな時、異臭とも言える物が鼻についていた。

 

 

「この先に何かありそうです。この雨の状況を見てこの先へと行ってみた方が良い様にも思えますが?」

 

 ゴッドイーターの仕事は必ずしも人が生きている場面だけに遭遇する事はない。実際にはアラガミが捕喰する事もあり、現場には何も残らない事が多いが、明らかにこの異臭は何かが腐っている様な匂いしかない。だからこそ、可能性を考えて想定される原因となるべき部屋を探索していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 未だ形として残っていたのか、そこには大きな蜘蛛の様な黒い痣が浮かんだ死体があった。恐らくはもう助からないだろうと見捨てたのか、それとも事切れたから打ち捨てたのかは分からない。

 しかし、これがあった事で漸く原因を突き止める可能性が高いと感じ、細胞片の一部をサンプルとして屋敷へと持ち帰る事にした。

 

 

 

 

 

「で、どうだったんだい?」

 

「解析の結果から見れば、恐らくは何らかの強い感染力を持った病原体と考えて間違いないでしょう。それと現地でも見た赤い雨が直接の原因の可能性は高いですね。念の為にメモを見ましたが、当時の状況が記されいてる以上、これで断定しても問題ないかと」

 

「謎の赤い雨と、死に至らしめる病気とはね。いやはや謎が多すぎるね」

 

「少なくとも感染した場合は隔離する必要があります。空気感染や飛沫感染は無い様ですので、最悪は手袋越しでの治療が必要でしょう。接触感染となれば万が一の可能性もありますから」

 

 触れる事で感染となれば、ある意味厄介とも取れる内容なだけに、無明と榊の表情は暗いままだった。今の段階では原因が分からない以上、接触は最低限にした上での経過観察しか出来ない。

 アラガミではなく、見えない病気ではさすがのゴッドイーターも手の出しようが無かった。

 

 

「やっているとは思うが、エイジ君にも秘匿させる様に伝えておいてくれないかな?今の段階で発表すると混乱が生じる可能性が極めて高いからね」

 

「既に情報に規制をかけてあります」

 

「流石に仕事が早いね。極東支部としても、注意の喚起の必要がありそうだね」

 

 大きな被害がまだ出ていない以上、現状は注意喚起しか出来ない。もし治療方法が確立されていれば、仮に混乱が生じた所で対処出来るが、今はまだ感染の可能性を発見したにしか過ぎない。

 

 あまりにもショッキングな内容をそのまま公表する事は躊躇われていた。しかし、パンデミックの様になれば混乱の度合いが大きくなる可能性も秘めている。

 

 このジレンマを解消する手立てが未だ確立されていないまま時間だけが過ぎ去って行った。

 

 

 



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第106話 新たな出発

 誰も居ないシャワールームで一人の少女の鼻歌交じりの音が聞こえている。今日から新しく新調された制服に身を包むべく、また先ほどまでのミッションの終わりも兼ねて汗を流していた。

 

 全身に纏う様に包まれた泡を流し、タオルで身体を拭きながら、小さな小瓶の液体を髪の中ほどから毛先にかけて丹念に刷り込んでいく。石鹸の匂いと共に柔らかな柑橘系の匂いが拡がり出す頃、外からせかす様な声が聞こえて来た。

 

 

「お~い。まだか~?」

 

「もう出ますから…って言うよりも女子は準備に時間がかかるんです。その位はいい加減学習してください」

 

「へいへい」

 

 軽いノリの声にせかされた様に感じたのか、手早く制服を手に取り身に纏った際に、少女はふと手が止まった。

 

 

「あれ?でもサイズは間違って無いはず…」

 

 どれだけファスナーを動かそうとしても、一定の場所までは容易に動くが、そこから先に動く気配は微塵も無かった。誰も居ないシャワールームに答える声はない。先程の声から判断すれば、既に痺れを切らしている可能性も否定出来ない。待っているだろうからと出来る範囲の中で急いで着替え、タオルはそのままランドリーへと突っ込んだ。

 

 

 

 

 

「まさか、ソーマの制服がそれとはね。白なんて今まで着た事無かったんじゃない?まぁ、俺ほどじゃないけど似合ってるぜ」

 

「ぬかせ。支給された以上、俺の口からは何も言う事は無い」

 

 シャワールームの外で待機していたのは、今日から新しく新調された制服に身を包む青年が2人、外で待っていた。こちらは特に準備すべき事は何もなかったのか、帰投後にさっさ着替え、今はあと一人が出てくるのを待っているにすぎなかった。

 

 

「お、お待たせしました」

 

 一人恥ずかしそうに出て来たのは、先ほどまで上着のファスナーと格闘していたアリサだった。事前に確認していた制服のサイズが合わなかったのか、上から三分の一の辺りでファスナーが止まり、そこから下へと降りる事は無かったのか、表情を見れば既に半分諦めている様にも思えていた。

 

 

「じゃあ、早速行こうか」

 

 特にいつもと変わらない光景だったのか、羞恥に染まるアリサを他所に、二人は何も無かったかの様に歩き出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 極東発の事件から大よそ3年が経過し、気が付けば第1部隊のメンバーの事はアナグラだけではなく、極東支部全域にまで認知度が高くなっていた。あの事件の後も、度々広報の一環と言う名で極東支部の事が紹介され、その放送を見た影響なのかフェンリル全体でゴッドイーターの志願者も多くなっていた。その結果、第1部隊のメンバー全員の顔が広く知れ渡る事となっていた。

 

 

「あ、あのアリサ先輩が着替えるって聞いたんで心配してたんですが…」

 

「いつもと変わらずありがとうございます」

 

 新人なのか、それとも中堅なのか面識が無いゴッドイーターからそう言われ、一体何の事なのかアリサにとって不可解な事でしかなかった。がしかし、お礼を言われた事で、それ以上の追及はせず、ただ笑顔で頷くだけだった。

 

 

「ソーマ先輩、新しい制服がすごく似合ってる。ねぇ、声かけに行かない?」

 

「でも、これから行く所があるみたいだから、次の機会にしたら?」

 

「似合いすぎてるから、倍率が高くなりそう」

 

 女性陣から、不意にソーマの名前が出た所で、何故かコウタが不機嫌な顔を作っていた。黄色い声の意味は改めて考えるまでも無く、ソーマに対する何かしらの感情。アリサとソーマにだけあって、自分に一切そんな声がかからないコウタからすれば面白くは無かった。自分も同じ様に着替えているはず。にも関わらず視界にすら入っていない様な雰囲気に、コウタは不貞腐れた態度で歩き始めていた。

 

 

「なんでソーマばっかりなんだよ。シオからかっこいいって言われてればそれで十分だろうが。俺なんて声すらかからないのに…」

 

「シオは関係ないだろ」

 

「知らないとでも思ってるのか?着替えた時に珍しく笑顔で話してたじゃねぇか」

 

「コウタはそんなんだからモテないんですよ。もう少し落ち着けば変わると思うんですけどね。この前の放送でまたファンレター来てたんですよね?」

 

「だ・か・ら、来たのはお子様だったんだよ。何回同じ事を言わせるんだよ。もうその話は良いだろう?あの編集には一言ハッキリ言いたいんだよ」

 

 ニンマリと話すアリサを他所に、新しく用意された制服は他のゴッドイーターとは一線を引いた様な色合いとデザインだった。着ている面々が第1部隊の人間であれば自然と目に留まる。

 視線を集めるのは今に始まった事ではない。最早今更とも取れるのか、それとも慣れたのか、3人は意にも介する事無くカウンターのヒバリの下へと足を運んでいた。

 

 

 

 

 

 

「皆さん、着替えられたんですね。そうだ、昇進おめでとうございます。榊博士が支部長室でお待ちかねですよ」

 

 ヒバリの何時もと変わらない笑顔で出迎えられ、今後の予定を確認していると、肝心のもう一人の姿が見えない。どこで何をしているか、あっちこっちを振り向くもアリサの探し人の姿は見えなかった。

 

 

「アリサさん。エイジさんなら、あの後、緊急のミッションが入ったとかで出動してます。今は帰投準備中なので、まだ時間はかかりますよ」

 

 誰を捜しているのか敢えて名前は言わないまでも、ヒバリにあっさりと言い当てられたのが恥ずかしいのか、それ以上の事は何も言わなかった。時間がかかろうが、戻ってくるならば後は時間の問題だとばかりに、改めて支部長室へと足を進めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「博士、ただいま出頭しま…し…た」

 

 コウタが扉を開け、支部長室へ入ると同時にコウタの動きが停止する。そこには肩を揉まれリラックスした榊が机の上に置かれた緑茶を啜っていた。

 

 

「みんなご苦労様。あっ弥生君ありがとう。いつもすまないね」

 

「いえいえ。支部長になれば大変でしょうし、私は微力ながらお手伝いしたに過ぎませんから。それと、もう暫くすると今回の内容をまとめたレポートが仕上がりますので、サインをお願いしますね」

 

「君が来てくれて、本当に助かったよ。これならばもっと早くにスカウトすべきだったね」

 

「あら、褒めて頂いても何も出ませんよ」

 

 コロコロと笑う弥生の声に、コウタが声にならなかったのは無理も無かった。確か、朝一番の用件を言われた際には机の上には書類が山積みとなり、今にも崩れ落ちそうな状況だったはずが、ほんの数時間で書類は机の上から既に消し去られている。

 朝と変わらないイメージがあったからなのか、目の前に広がる光景は全ての業務が終わったとばかりに書類の代わりにお茶菓子が置かれていた。今の様な状況になっていれば、そこはある意味シュールな光景が広がっていた。

 

 

「おいオッサン。俺たちに何の用なんだ?一人茶を飲むのが寂しいから呼んだ訳でもないだろう?」

 

 ソーマが苛立つのは無理も無かった。艶やかな声と、この光景を見れば、何となく愛人とのやり取りの様にも思えるが、実際に秘書として赴任した弥生の能力はすさまじい物があった。

 

 山の様に積まれた書類のチェックをしたかと思えば、今度は分類分けする事で、事務処理の一番の天敵とも取れる無駄な時間が省かれ、その結果として従来の作業効率が大幅に上がっていた。その影響は事務方にまで広がっていた。

 企画した事や報告が上がっても数時間後には承認の返事が来るほどの早さだった。時間がかかるだろうと思っていた部下からすれば、意思決定の早さはある意味異常だとも捉えられていたからのか、終始その処理に追われる事実がそこにあった。

 

 

「今回呼んだのには、その制服の事もあっての事なんだが、実は今の極東支部は全支部の中でも断トツの人口密度になりつつあるんだ。その影響もあって、物資が一時期より過不足無く支給する事が困難になり始めているんだ。

 もちろん、備蓄はあるから今すぐにって事では無いんだけど、このままでは最悪の事態も考えられるから、その前に手を打とうかと思って、君達を招集したんだよ」

 

 榊が説明するまでもなく、ここ極東の人口密度は他の支部に比べても群を抜いているのは、これまで何度か来ていた広報の人間からも聞いていた。

 フェンリルは否定しているが、建前としては本部以外の他の支部の待遇はどこも同じとなっている。しかし、これまで何度も放送された極東支部の情報は既に本部の言葉を完全に無視していた。

 居住に関する事だけでなく、経済力や生活水準は他の支部に比べても完全に頭一つ抜けている事が知られている為に、最早手の施しようが無かった。その結果、一部の富裕層から一般の市民レベルまで、異動の話は日常茶飯事となりつつあった。

 

 

「博士、俺たちはアラガミを討伐する事しか出来ませんよ」

 

「コウタ君の言いたい事は分かる。だからこそ、君達を呼んだんだが、君達はアラガミの事はどの位理解しているかな?」

 

 まるで、教師が得意げに生徒に話すかの様な表情と共に、改めて初めてゴッドイーターになった頃の様な説明をし始めた。内容に関しては一番最初に聞かされた内容ではあったが、その後に続く言葉は今までに一度も聞いた事が無い事実だった。

 

 

 

 

 

「まさか、アラガミにもそんな習性があったなんて知りませんでした」

 

「この件に関しては、最近の研究で分かったものなんだが、それを実践している所があるのは君達が良く知っている場所だよ」

 

「おい、オッサン。まさかとは思うが」

 

「そう。そのまさかなんだよ。無明君は経験則で知っていたからこそ、そこに建設したんだろうけど、理論だった内容に関しては今回の件が初めてなんだよ。そろそろその論文の発表は正式になるから、これがこれからの常識となるだろうね」

 

 あまりにも身近過ぎた者は、実は次代の可能性を担う事になると想像もしていなかったのだろう。アリサだけはエイジから聞かされていたが故に驚く事は無かったが、コウタとソーマは驚きを隠す事は無かった。

 

 

「どうやらアリサ君は知ってたらしいね。今回君達を呼んだのは、新たな外部居住区の建設の可能性を秘めた場所を探してほしいんだ。このままだといずれここも他の支部と同様にデモが頻繁に起きるだろう事も懸念されるからね。ただし、任務に関しては長期の恐れがある以上、君達にもある程度の覚悟をしてもらう事になるよ」

 

「榊博士。それならエイジの方が適任じゃないんですか?」

 

 コウタの言い分は予想されていた。勿論、榊としても一番最初にその案は考えていたが、実際にはそれ以外の事が発生した事もあり、敢えてその選択を外していた。これから発言する事は以前の様な可能性が榊の脳裏に浮かぶが、あれから時間はかなり経過し、またその状況に慣れつつある。

 だからこそ、一瞬だけアリサを見やり自分の考えを口にしていた。

 

 

「エイジ君には他の任務がアサインされているから、今回の件に関しては君達でやってもらう事になるよ」

 

 何かを覚悟したかの様に、言い淀む事無く一気に事実だけを話す。予想していたのかアリサの表情が徐々に変化し始めたかと思うと同時に、榊も精神的にアリサからの発言に身構えていた。

 

 

「榊博士。どうしたらそんな結果になったのか知りませんが、毎回エイジなのはどう言う事なんでしょうか?」

 

 静かに怒りが満ちているのか、表情に大きな変化は無いが目が笑っていない。これ以上は危険だと判断した後の措置は今までの事で学んだ成果なのか、随分と早かった。

 

 

「遠征と言っても半月から1ヶ月周期でここに戻るよ。彼だけじゃなく、リンドウ君とツバキ君も一緒だから、心配になる様な事はないよ。多分」

 

「そんな事は当たり前です。って言うか、事前に聞いてましたからこれ以上の事は何も言いません」

 

 エイジのフォローに感謝しながらも、榊は尊重に言葉を選んでいた。今直面している事実は今後も続く可能性が高く、幾ら精鋭が揃う極東支部としてもアラガミの脅威が完全に無い訳では無い。世界有数の実力者が揃うと言う事はそれだけの環境に身を置いている事に違い無かった。

 勿論、それ以外の任務も本来はあるが、秘匿事項が故に恋人であったとしても内容については話されていない。それを発注したのは榊だからこそ、これ以上の被害を拡大する訳には行かないとばかりに、それ以上の事は何も言わなかった。

 

 

「アリサ君にそう言ってもらえたから安心したよ。どのみち今回の任務に関して何だけど、君達に求めたいのは新たな屋敷の様な建造物の建設可能な地域を捜してほしいんだ。

 勿論、今回の任務に関してだけではなく、現状新たなプロジェクトとしての計画を立ち上げるからと言って、ここの守りを疎かにするつもりは無いから、期間を開ける事になる為に、部隊の再編制を考えている。君達の行動に関しても、新規の地域開拓になる以上、一定の権限が与えられる事になる」

 

 この時点で榊の言いたい事は誰もが理解していた。確かにここ最近の人口の増加は明らかに外部からの流入がなければ有り得ないほどの増加率を見せていた。ただでさえ、人口の増加に歯止めが利きにくくなっているにも関わらず、今でも希望者の数は一向に減る事は無い。

 今ならば大きな問題は無いが、これが続けば確実にその可能性が高くなる。このままでは当初から住んでいる住人と、新たに来た住人との間にしこりが生まれる可能性が極めて高く、その影響もあってか、少しばかり事情が変わり始めていた。

 

 

「要は、権利を渡す代わりに義務を果たせって事だろ?一々回りくどい言い方をするな」

 

「でも、この内容だと明らかに長期の任務になりませんか?そんな簡単に新しい所なんて見つかるとは思えませんが?」

 

 アリサの至極当然な意見に反応したのか、いつも分かりにくい表情をした榊の目が一段を怪しさを増していた。

 

 

「良い質問だね。先ほども言ったが、出没しやすいアラガミの統計分類に関しては既に完了しているんだ。で、君達にはその為の現地調査を依頼したいんだよ。本来であれば第4部隊辺りに任せたい所なんだが、未開の地と言うのは何が起こるか予想できないからね。その為に君達に白羽の矢が立ったんだよ」

 

 理路整然と言われた言葉は実戦経験がある人間であれば容易に理解出来る内容でもあった。事実、戦闘中であっても、想定外のアラガミの乱入は今までに何度も経験してきた。

 手練れ揃いの第1部隊ならば何の問題も無いが、他の部隊ではそうは行かない。今までに緊急スクランブルでの出動は既に数えきれないほどだった。

 

 

「はぁ~長期か。ノゾミにも土産を用意しないと拙いだろうな」

 

「コウタ君には、別の任務があるから君は遠征のメンバーには入ってないよ」

 

「コウタに出来る任務なんてあるんですか?」

 

「なぁ、アリサ。そろそろ俺の事馬鹿か何かだと思ってない?」

 

「あれ?違ったんですか?」

 

 明らかに悪ノリとも思える様な会話ではあるが、何だかんだとお互いに信頼はしている。そんなやり取りの中で榊の手元に1枚の書類が届いた。

 

 

「コウタ君には後方支援としての任務と同時に、育成に力を入れてほしいんだ。いつまでもエイジ君に任せる訳にも行かないし、今後の事を考えれば今回の人選は適任かもしれないね?」

 

「それって、どう言う意味です?」

 

「君には彼らの育成を担当したいんだ。入ってきてくれるかな?」

 

 榊の発言が終わると同時に、二人の新人が部屋へと入る。一人は金髪の青年。もう一人は小柄な、まだ少女とも取れる様な年齢だった。

 

 

「僕の名前はエミール。エミール・フォン・シュトラスブルクだ。栄えある極東支部のゴッドイーターとしてこの度着任した。以後宜しくお願いしたい」

 

「私はエリナ・デア=フォーゲルヴァイデです。宜しくお願いします」

 

 2人の自己紹介と共に、今後の育成担当でもあるコウタが改めて挨拶をしようと、口を開いた時だった。

 

「貴殿は藤木コウタ准尉。今後は貴殿の指揮下にての任務となる事は事前に聞いている。若輩者ではあるが、宜しくお願いしたい」

 

 先制パンチを喰らったかの様な言葉の嵐に流石のコウタもたじろぐ。今後はこんなに濃い人間との任務かと思うと、これなら遠征メンバーで参加した方がマシなのではと思いつつも、握手を交わした。

 

 

「藤木コウタ少尉です。官位は今日付けで少尉となったんで、訂正宜しくな」

 

 今日から官位が変更されたのはともかく、何処となく上からの物言いと、シュトラスブルグの名前に聞き覚えがあった。記憶の中に彷徨ったデータでは、ここ最近になって極東支部へと流入した貴族だった記憶が思い出される。

 

 ここは貴族や平民などで区分けされる世界ではない。単純な自然の摂理でもある弱肉強食の世界。果たしてこんなんで大丈夫なのか?見た目には分からないが、コウタをよく知った人間であれば、恐らく顔が引き攣っている事が容易に理解できたであろう事だけは理解出来ていた。

 

 

「え~っと、君は…」

 

「私は…」

 

「彼女は依然ここに居たエリック・デア=フォゲルヴァイデの妹のエリナだ。彼と僕は親友だった。今は亡き彼の妹であれば、このエミールの妹でもある。その事を…」

 

「ちょっと人が話している時に割り込まないでよ」

 

 突然のエミールの言葉で遮られたエリナが途端に不機嫌になったかと思いきや、今度は場所も忘れて口喧嘩をし始める。こんな様子を遠い目で見ながらも、改めて3人に話を戻すべく、改めて話の舵を切った。

 

 

「まぁ、そんな事だからコウタ君には期待してるよ」

 

「……はぁ、分かりました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                                    

 

                                                                                                                                                              

「まぁ、コウタが適任だから榊博士も指名したんじゃないの?」

 

「いやいや。あれは絶対に厄介払いだって。本来なら初々しく話すもんじゃないのか?」

 

「そう?でもコウタも最初はあんな感じじゃなかった?あの時はガムくれるって言って、結局もらえなかったし」

 

「あれは…偶々忘れてたんだよ。もう良いだろう。何年前の話してんだよ」

 

 任務から帰還したエイジに報告とばかりにラウンジで食事をしている。時間的には既に遅い時間になりつつあるのか、ラウンジはバータイムになっている事もあり、若干照明が落ち、手元以外は暗くなっていた。

 

 

「コウタはそんな頃からエイジに迷惑かけてたんですね。ドン引きです」

 

「だからさ~。もう勘弁してくれよ。何とか言ってくれよソーマ」

 

「……ああ、すまない。聞いてなかった」

 

 本来であれば4人で食事をしているはずだが、突然都合が悪くなったと弥生が来れない事からエイジがキッチンの中に立ち、それぞれのオーダーの品を作る。事情を知らない新人は隊長が作るなんてと驚いているが、古参の人間はこれが当たり前だと、何事もなかったかの様に次々とオーダーを入れていた。

 

 

「ソーマ、どうかしたの?」

 

 偶然とはいえ、顔合わせの時のソーマは何かを見て内心驚きを隠す事が出来なかった。あの時見たエリナはエイジが初めてソーマと組んだ際に同行したゴッドイーターの妹である事に直ぐ気が付いていた。

 当時は死んだ事が信じられず、探しているのかロビーでも何度か姿を見かけていたが、その後はプッツリと見なくなっていた。暫くの間は気にしていたが、やはり今回の面通しに驚きを隠す事は出来なかった。

 

 

「エイジ、俺との最初のミッションの事、覚えてるか?あの時にKIAとなったゴッドイーターの妹がエリナなんだ。まさかとはおもったが、オッサンに聞いたらそうだって言ってた」

 

「あの時の…ソーマは気に病んでるの?」

 

「…上手くは言えないが、気に病んででは無いのかもしれない。だが、あいつだけが当時の俺と一番話をしてたのは事実だ。その事が何か気になっているのかもな」

 

 一人思い出にふけったのが不味かったのか、気が付けば、アリサとコウタも食事の手を止め、ソーマを見ている。一人語りに気が付いたのか、それ以上の事をソーマは何も言わなかった。

 

 

「コウタ、ソーマの大事な人らしいから、頼むよ」

 

「おいエイジ、その言い方は問題あるぞ。訂正しろ」

 

「でも、そうは言ってる様にも聞こえたけど?」

 

「そうですよ。早速シオちゃんにも言っておかないと」

 

「アリサ、くだらない事をシオにあれこれ言うな。後々大変なんだぞ」

 

「ソーマの大事な人なんだろう。ちゃんと指導す…ぶふぇ」

 

 コウタが話す前に軽く放ったはずのパンチが綺麗にコウタの腹にあたり、食べた物がこみ上げそうになってくる。このまま出す訳にはいかず、我慢しながらもよく見ればニヤニヤした表情を隠そうともしていない。茶化した空気がソーマの心配を消し去っていた。

 

 

 



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第107話 案内

「アリサ、気をつけてね」

 

「大丈夫です。候補地を見つけたらすぐに戻りますから。…エイジこそ無茶しないで下さいね」

 

「こっちはリンドウさんとツバキ教官もいるから大丈夫だよ。それに、今回は短期だから直ぐに帰ってこれるから」

 

 候補地の選定計画がいよいよスタートし、出発の日となっていた。既にヘリは発進の準備と共に物資や荷物を運んでいる。残す時間はあと僅かだった。

 

 

「お前ら。いつまでくっついてるんだ。そろそろ行くぞ」

 

「ソーマも少しは空気を読んでくださいよ。そんなんじゃシオちゃんに飽きられますよ」

 

「シオは関係ないだろうが」

 

 何時もと変わらない様子にエイジとコウタは見送ることしか出来ず、また、そのエイジもこの数時間後には旅立つ予定となっている。一人残されるコウタはセンチメンタルな気持ちになりたい所だが、生憎と新人の2人は犬猿の仲なのか、事あるごとに衝突を繰り返す。今後の事を考えれば気が重くなりそうだが、今だけは少し現実逃避したい気持ちがあった。

 

 

「何だか慌ただしい出発だったな」

 

「でも、今後の事を考えれば、これは正しい選択だよ。事実、人口の流入に加えて元々澄んでる人たちも増加傾向にあれば、どこかで対策を立てる必要があるからね。屋敷に関しては相変わらずだけど、あそこは研究施設も兼ねてるから簡単に増やせないし、何かと困る事も多いとなれば、一刻も早い行動が必要だよ。

 それに、外部居住区の生活水準はここ数年で跳ね上がったのは、コウタが一番知ってるだろ?」

 

 エイジが指摘するまでもなく、コウタは外部居住区に実家がある為に、アナグラ以上に状況は実感していた。以前であれば簡単に手に入らない様な物資が露店や店頭に当たり前の様に並ばれ、人々で賑わっている。恐らくは旧時代の水準近くまで戻っているのではないのだろうかとも考えていた。

 一度上がった生活水準は簡単に下げる事が難しいのは、ある意味人間の性質が影響するのかもしれない。

 だからこそ、何か起きてからでは遅すぎるとの判断によって、今回の計画が実行される事となっていた。

 

 

「そりゃ…分かるけどさ、今回の内容はあまりにも規模が大きすぎるから、果たして上手く出来るのかが心配なんだよ。俺だって、今回の育成についても不安はあるからさ」

 

「せっかく今回から少尉になったんだよね?尉官は現場責任者だから、それはある意味当然の責務だよ。誰だって最初から上手くは出来ないものだよ」

 

 今回の計画に関しては、恐らく実情を知らない人間から聞けば荒唐無稽とも取れる内容なのかもしれない。今では当たり前となった生活拠点の為に作る施設がどんな影響を及ぼすのかは誰にも創造が出来ない。しかしながら、今の極東支部はその計画を実行できるだけの要素とも言える、資金力や戦闘能力、それと立案から実行までできる頭脳が揃っている。

 だからこそ、この状況を千載一遇のチャンスと榊は捉えていたのかもしれなかった。

 

 

「エイジが言うならそうかもな…何だかそんな気になって来たよ。ってそろそろ出発だろ?お前こそ気をつけろよ」

 

「前回の様な単独じゃないから大丈夫だよ。何かあれば連絡するから」

 

 騒がしくも賑やかな日常が一旦ここで途切れ、各自が新しく更新された任務へと励む事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、こんな事になるとはな。ここから戻るにしてもアナグラまではかなり距離もあるだろうから、どこかで一度連絡を取る必要があるな」

 

「ソーマ、通信機はダメです。これじゃ連絡は取れないですね」

 

 出発してから約1時間程経過した頃、突如として飛行型のアラガミの襲撃を受けていた。本来であれば最新であったはずの対アラガミ装甲は何の効果も発揮する事無くアラガミの攻撃を受け、そのまま撃墜されていた。当初は反撃を試みたものの、アラガミの移動速度が思いの外早く、ヘリが回避の為に旋回した所を狙われていた。

 鍛えられたゴッドイーターだからこそ助かったのだが、生憎と操縦士は命を落とす結果となっていた。

 

 

「このままここに居ても埒が明かない以上、どこかへ移動する必要があるな」

 

「それしかありませんね。どこへ行った物かと…どうしたんですか?」

 

 会話を突然打ち切ったかと思った途端、ソーマは持前の聴力で何かが聞こえたのか、何も見えない方向へと視線が固定されている。アリサもソーマの視線に倣って見てみるも、そこには何も見えなかった。

 

 

「アラガミの音と銃声だ。何かを襲っているのかもしれん。アリサ、急ぐぞ」

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいソーマ」

 

 何かを察知したのか、迷う事無く目的の場所へと一気に走り出す。目的地は分からなくても進む先からは徐々に小さいながらに何かの音が聞こえ始める。ソーマ達の視界に飛び込んで来たのは複数のオウガテイルに襲われている1台の貨物自動車だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あの大丈夫ですか?」

 

「…ありがとうございます。助けていただきすみませんでしたね」

 

 今の実力からすれば、オウガテイルは物の数には入らない。まるで何ごとも無かったかの様に討伐し、コアを抜き取った頃、ドライバーと思われる女性が下りてきていた。

 年齢は恐らく二十台半ばとも取れるその女性の乗っていた車には、何故かフェンリルのマークが上から潰されたのか、目立たない様に消されていた。

 

 

「いえ、これもゴッドイーターとしての責務ですから」

 

「…責務ねぇ。助けて頂いた事は感謝しますが、そのゴッドイーター様がなんでこんな何も無い様な所を歩いているんです?」

 

「実は…」

 

「まさかとは思うんですが、迷子にでもなったんですか?天下のゴッドイーター様ともあろうお方が。いやいや、それは無いですよね?」

 

 分かりやすい程の敵意と同時に、嫌味とも取れる言動は今までゴッドイーターになってから聞く事が無かった。侮蔑ともとれる言葉が2人に浴びせられる。助けてもらって辛辣な言葉を投げかける事は珍しかったのか、アリサは驚きを隠さず、ソーマは無表情のままだった。

 このまま放置して別れても問題はなかったが、今のアリサとソーマには通信手段が無いだけでなく、現在地の詳細を確認する術が無い。恐らく目の前に止まっているその車に通信手段の機材が積まれている可能性が高く、一旦は自分の感情を心の奥底にしまいこみ、改めてアリサは話をする事にした。

 

 

「極東支部所属のアリサ・イリーニチナ・アミエーラです。先ほど正体不明のアラガミから攻撃を受け、現在は通信する事が困難な為、貴女が持っている通信機をお借りしたいと思います。失礼ですが貴女のお名前は?」

 

「ああ、自己紹介がまだでしたね。私は高峰サツキ。フリーのジャーナリストをしています。で、お宅は?」

 

「ソーマ・シックザールだ」

 

「ちょっと、ソーマ。せめてもう少しまともな自己紹介位できないんですか!」

 

 今は以前に比べれば丸くなったとは言え、初対面での挨拶には適さない様な言い方は流石に威圧感があった。アリサは慌てて諌めるも、サツキはまるで知っていたかの様な顔でそれ以上の事は何も言わなかった。

 

 

「ああ、貴方方は以前広報誌で見かけた顔ですね。こちらも大よそは知っていますから、構いませんよ。通信機でしたら確かに機材は積んでますので、先ほどの事もありますし、貴方方とは違って、私は寛大ですから、少し位はお貸ししますよ。

 それと、取引と言う程ではありませんが、ここから少し先に私の目的地がありますので、そこまでの護衛をしてもらえませんかね?」

 

 一言話す度にどこか棘がある言い方に、流石のアリサも我慢の限界を迎えようとしていた。しかし、この状況で下手に刺激する事でアナグラへの通信手段と移動手段を失う訳にも行かず、今は耐える事で最低限の事だけをする様に心掛けていた。

 

 

 

 

 

 道なき道をどれほど走ったのだろうか?舗装されていない道路の走行に車内にも振動が拡がってくる。そろそろ着く頃なのだろうかと思った矢先に今までに無い程の衝撃が車内を襲ったかと思うと、後ろでくぐもった声が聞こえていた。

 

 

「ソーマ。大丈夫ですか?」

 

「……問題無い」

 

 声だけ聴けば言葉の通りだが、その姿を見れば頭に機材が直撃したのか頭を押さえたままうずくまっている姿が見える。何時もとは違う様子にアリサもほんの少しだけ笑みが零れていた。

 

 

「随分と仲が良さそうですね?ひょっとして恋人同士なんですか?」

 

 バックミラーごしに見たソーマとアリサのやり取りから、サツキが何気に放ったその言葉はある意味衝撃とも取れる様な内容。流石にアリサとしてもその言葉を軽く流す事は出来なかった。

 

 

「何馬鹿な事言ってるんですか!ソーマはただの同僚で、私にはちゃんと恋人がいますから。少なくともソーマよりも10倍いや、100倍マシです」

 

 何かの修羅が降臨したのか、それとも何かのスイッチが入ったのか、今までとは違うあまりの変貌に、今まで散々毒を吐く様な言葉を投げかけていたサツキでさえも言葉を失っていた。どうやらこれ以上この話をするのは禁句なのかもしれない。

 これ以上の事は何も言わない方が身の為だと判断したのか、それ以上の事は何も話さずサツキは運転に集中する事にしていた。

 

 

「サツキさん。この車は一体どこへ向かってるんですか?」

 

 先ほどの緊迫した空気が漂う車内の空気を壊したのは原因を作ったはずのアリサだった。このまま黙って乗っていても良かったが、これ以上の沈黙に耐えきれなかったのか、それとも単なる興味本位なのかは分からなかった。

 本来であればサツキも答える義理は無いが、今まさに向かっている場所でもあるので隠す必要は無いとばかりに、概要のみを伝える事にした。

 

 

「この先に居住区があるんで、そこに向かってますよ。さしずめミニエイジスと言った所ですかね」

 

「そうなんですか……こんな所にもあるんですね」

 

 本来であれば、極東支部以外に人が住める様な場所は無いと考えている事が殆どの為に驚きを隠す事は無い。もちろん、サツキも今までに説明は数回した事があったが、実際には驚愕の表情と、否定の言葉しか出てこない記憶しかなかった。

 しかし、今の反応はまるでそれが当たり前かの様な反応にも思える。決してそれが驚きを隠す為の演技でも無ければ、虚勢でも無い。

 まるで当たり前の事を言っているから頷いた。そんな風にも見えていた。

 

 

「意外ですね。普通は驚く人が殆どですが。…まさかとは思うんですが、貴方方はこの先にあるその存在を知っているんですか?」

 

 突如としてブレーキを踏み、急停止したかと思うとサツキの顔には警戒心が浮かんでいた。これから向かう先はフェンリルであっても知らないと思われる場所。仮に知っているのであれば危険分子を自ら招く事になり兼ねない。態々トラブルの種を運ぶつもりはどこにも無い。

 そんな警戒心むき出しの表情と共にサツキはアリサの様子を窺っていた。

 

 

「この先に何があるのかは我々は知りません。でも、その先にある物が何なのかはミニエイジスの単語で想像はつきますし、似たような様な物を我々は偶々知ってただけです。何を想像したかは知りませんが、そこまで警戒する必要がありませんので」

 

 それがあるのは当然だとも取れるアリサの発言。似たような物の単語に引っかかる物はあったが、今のアリサの表情に敵意は感じられない。仮にこれが完璧なポーカーフェイスだとしても、今のサツキにはそれを見破る術は無かった。

 これ以上何の確証も無く、ここに留まった所で時間の無駄でしかない。一旦は現地まで運んで、それ以上の事は任せた方が無難だと考え、改めて車を走らせていた。

 

 

「そう言うのであれば、とりあえずは信用する事にしましょう。そろそろ赤乱雲が出そうです。急ぐ事にしましょう」

 

 サツキが目で示すように、空には赤黒い雲が少しづつ見え始めている。まるでこれから血の雨でも降るのかと思うほどに赤く染まった雲は、ただ不気味な存在だった。

 

 

「あれが赤乱雲ですか。初めてみました」

 

「ひょっとして何も知らないんですか?」

 

 何も知らないくせに他人事の様に何を言いだすのか。そんな気持ちがサツキの心の中を支配する。ゴッドイーターはあくまでもフェンリルの保護下における人類の守護者であって、決して人類そのものの守護者では無い。

 以前に勤務していた場所での結論がサツキをフリーのジャーナリストへと転身させるキッカケとなっていた。だからこそ、まるで何も知らない様な雰囲気のアリサに苛立ち始めていた。

 

 

「赤乱雲そのものは初めて見ただけだ。ただ、その影響で何が起こるのか、それが何なのか位は知っている」

 

「へ~。あなたは知ってたんですか?」

 

「これ以上の事は部外秘に抵触する以上、俺の口からは何も答える事は出来ない。だが、これだけはハッキリ言わせてもらうが、ジャーナリストだけが全ての事実を知っているなんて驕りは捨てておけ。闇をのぞき込む者は、逆にその闇から覗きこまれている。元々何をしていたかは知らないが、大怪我をする前に知った様な口は開くな」

 

 取り付く島もない様な言い方にまたもやアリサの表情がドンドン悪くなり始める。先ほどの二の舞は御免こうむりたいとばかりにサツキはその話題から離れ、漸く目的地が見え始めてきた事を伝えていた。

 

 

「ご忠告は有りがたく頂戴しますが、私が案内出来るのはここまでなので。入口で手続きをする間に約束通り、通信機は使用して頂いて結構ですから」

 

 ソーマに言われた事が気に障ったのか、それ以上サツキは何も言う事は無かった。当初の約束通りに護衛は果たした以上、約束は守る。今は最低限出来る範囲での事をすべく、アナグラへの通信回線を開いていた。

 

 

 

 



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第108話 批判の目

「あれって確か最新の対アラガミ装甲にアップデートしたばかりだろ?」

 

 アナグラに残っていたコウタにアリサから通信が入っていた事実は驚愕の一言だった。詳細については不明な為にそれ以上の説明は出来ない。今は起こった事実だけを簡潔に伝える事で終始していた。

 

 

「了解。それはもう少し確認が取れてからだね。で、今の場所はどこなの?ロストした所まではこっちでもフォローしてるけど、そこから先が分からないんだ」

 

 撃墜された当初、アナグラでも一部混乱が生じていた。しかし、腕輪のビーコン反応の中でも位置情報はデータに無い場所を指していたが、生体反応は問題無い事から事態が大事に発展する事は無かった。

 

 

「コウタ、アリサなら少し変わってくれ」

 

 その場で話を聞いていたのか、無明がコウタと変わり、改めてアリサと話し始めていた。

 

 

「その地域の事は知っている。場所に付いては気にするな。後でそちらにヘリを出す際に同乗するから、そちらはそちらで上手くやってくれ」

 

 無明は一体何を知っているのか、今のコウタには確信する術は無かった。しかし、無明が知っているのであれば大丈夫だろうとの判断により、それ以上の事は何も言う事はなくなっていた。今はただ、こちらで出来る範囲の事をやれば良いだろうとの判断から、自分に課せられた仕事をこなすべく、その場から去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、何だって?」

 

「無明さんが、ここの場所は知っている様だったので、状況が確認でき次第ヘリを飛ばしてくれる事になったんです。それよりも私達も挨拶に言った方が良いんじゃないですか?」

 

 通信が終わる頃、居住区の門番の様な人間と話しているサツキを目で捉え、自分達も改めて挨拶に行かねばと門番の所へと向かった。

 

 

「我々は極東支部の者をここに入れる訳には行かない。申し訳ないがお引き取り願おう」

 

「なぜです。せめて明確な理由が無ければ納得できません」

 

「貴殿たちはここに入る資格が無いと言っているんだ。如何なる理由があろうと、ここでは認める訳には行かない。どうしてもと言うのであれば、事前に議会で許可を貰ってくれ」

 

 当初は柔らかい人当りを見せていたものの、極東支部の名前を出した瞬間、門番の態度が強硬な物へと変貌していた。事前に許可と言われても、緊急時の為に許可を取る事も、どこへ届け出るかも分からないのあれば、これ以上の事は何も出来ない。

 ここまで連れて来たサツキを見ても、それ以上の事は何も出来ないと判断したのか、口を出す事すらしていなかった。

 

 

「何をこんな所で騒いでるんだ?」

 

「八雲さん!ただいま」

 

「サツキか。ここまで大丈夫だったか…どうやらそこの神機使いに助けられたようだな。これは俺の客だ。細かい事はともかく、何か言われるなら那智にそう伝えておけ。ようこそネモス・ディアナへ」

 

 助け舟を出された初老の男の後を追いかける様に付いて行く。歩きながらに周囲を見渡せば、完全に舗装された訳では無いものの周囲には緑が溢れ、豊かな自然に目を奪われる。屋敷も色々な緑はあったが、ここはそれ以上の規模となっていた。

 

 

「あれって、神機使いじゃないの?」

 

「なんでこんな所にいるんだ?」

 

 大声ではないが、ゴッドイーターの批判とも取れる言葉がどこからともなくアリサ達の耳に届く。門番のやりとりだけではなく、ここはどこかゴッドイーターに対して批判的な雰囲気がある事に違和感があった。批判的な言葉に内心驚きを隠す事は出来なかったが、この批判の中で一つの矛盾とも言える物が湧き出ていた。

 

 

「じーさん。一つ聞きたいんだが、ここは神機使いに対して批判的な考えが多いが、そもそもアラガミ防壁はコアのアップデートが常時必要なはずだ。にも関わらず、ここの住人は神機使いに対して批判的すぎる。まさかとは思うが、そんな基本的な事すら知らないのは矛盾していると思うが?」

 

 ソーマの言い分は尤もだった。アラガミ防壁の元となるべきオラクルリソースはアラガミのコアを抽出した物で精製されている。どこの支部であっても、この事は半ば常識の範疇となる為に、否定的な人間は居たとしても、こうまで敵視される事は無い。

 こんな事は子供でも分かる事実。そんな単純なロジックすら理解出来ないのは疑問以外の何物でも無かった。

 

 

「あ~。それはな……」

 

 疑問に答えるべく八雲が口を開こうとした矢先に1台のジープがソーマ達の目の前で停止し、大柄な男2人が近寄って来ていた。表情こそは穏やかだが、どこか剣呑とした雰囲気はこれから何かをしますと公言しているようにも見えていた。

 

「フェンリル極東支部の方々ですね。恐れ入りますがご同行願えますか?」

 

「おい、これは俺の客だ。態々出張る事はないだろうが」

 

「すみません八雲さん。総統の命ですので、いくら八雲さんの客だとしても、こちらとしては来て頂く必要があります」

 

 笑顔で話すも、こちらの言う事は一切聞く気が無い様な態度。ただでさえ否定的なこの地でのトラブルは火に油を注ぐ様な行為でしかなく、これ以上は何を言っても無駄だとばかりに、ソーマ達はジープに乗り込み、目的地へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、こんな事になるなんて…ドン引きです」

 

 アリサからこぼれた言葉にソーマは敢えて何も言う事は無かった。同行と言葉は柔らかい物があったが、実際には連行同然に連れて行かれ、行きついた先は議会場だった。 当初は疑問しか湧かなかったが、ここで真実を聞かされる事で、漸く批判的な視線の理由が判別されていた。

 

 

「エイジから聞いてましたが、ここの人達は同じなんでしょうね」

 

「フェンリルとて無限に提供出来る訳では無いからな。外部居住区が一杯だからこそ、俺達が今の任務に就いているんだろうが」

 

 議会の場は話し合いではなく、一方的な感情による糾弾の場と化していた。総裁は元々はフェンリルの技術者ではあったが、あのエイジス計画の事実を聞かされた後に、絶望に打ちひしがれていた。一部の特権階級の人間だけを生かし、それ以外を切り捨てる。そんな非道とも言える計画に嫌気を指したか結果、ここを極秘裏に建設する事に至っていた。その結果として、当時フェンリルから放り出された人間が密かに作ったコミュニティだった。

 屋敷と決定的に違うのは、その考え方や思想の違い。言葉にすれば一言だが、そこには越えられない大きな壁の様な物が存在していた。

 

 

「それはそうなんですけど……でも、エイジも当時はこんな気持ちだったんでしょうか?」

 

「さあな。あいつの事はあいつにしか分からん。それはアリサだったとしても言わないのかもしれんな」

 

「そんな事ありません。私は色んな事を聞いてます。ただ、今のエイジではなく、放り出された当時はどんな気持ちだったのかと思うと…」

 

 屋敷での感応現象で当時の事は何となくだがアリサも理解していた。しかし、感応現象と言えど万能ではない。過去の記憶を垣間見る事は出来ても、その詳細な感情までは把握できない。

 ここに来て当時と同じような環境の人間を目の当たりにした事により、アリサの中にも戸惑いが生じていた。

 

 

「今悩んでも答えが出る訳でもない。人間の気持ち何てものはその都度、その瞬間に変わるだけだ。ただ、その事はここの住人も知っているが、やり場の無い気持ちを何かにぶつける以外にどうしようも無いんだろう」

 

「それは…そうなんですが、やっぱり屋敷を見てると、恨みだけなんて変です。あそこの人達は、少なくてもここの人達の様な感情はありませんでした。どんな違いがそこにあるかは分かりませんが、それでも同じような境遇であれば、少しでも前向きな考えを持つんだと思います」

 

 ソーマよりもアリサの方が屋敷にいる時間が長く、また住人との交流があった事で、猶更こんなに忌避する様な考えを持つのか理解する事が出来なかった。確かに各個人の気質にもよるのかもしれないが、実際にはその生活環境が人格形成に大きく左右される。

 

 恨みだけでも生きる事は出来るが、そこから先に何も見出す事は出来ない。刹那的な時間しかここには居ないが、牢屋に入った事で改めて考える時間が出来たからからこその考えだった。

 

「さっきも言ったが、人の考えなんてものはその環境に応じて徐々に変化する。あそこは住人以前に環境を整えた天辺が否定的な考えが無いのと同時に、それぞれが得意と出来る自信を持っている事が一番なんだろう。エイジだけじゃない。ナオヤもそうだし、この前来た弥生だって、一芸に秀でた何かを持っているから、真っ直ぐな考えを持てるんだろうが」

 

「それは…そう…ですけど」

 

「何だ?まだ分からないのか?お前が初めて極東に来た時と、今のお前でどれ位変わったのか自覚位あるだろう?」

 

 何気ないソーマの一言ではあったが、アリサにとっては完全に忘れてほしい黒歴史以外の何物でも無い過去の言動。流石に年数が経過した事で当時の事を知る人間の数は少なくなったが、当初から第1部隊に所属していた人間にとっては、完全に忘れ去る事が出来ない思い出となっていた。

 

 

「ソーマ、その件については忘れて頂きたいんですが。って言うか、ソーマだってシオちゃんと会うまではそんな感じでしたから、自分こそ過去を振り返ったらどうですか?」

 

 思いがけない反撃に、ソーマも改めて自分の事を振り返る。アリサとは違い、ソーマの場合は今でも当時の自分と今の自分のギャップは無いと思っている節があるのか、アリサの様に精神的なダメージを受ける事はなかった。

 

 

「俺はお前とは違う。一緒にするな」

 

「そうですか。だったら帰ったらシオちゃんにしっかりと聞きますから」

 

「チッ。アリサこそ、戻ったら覚えていろよ………何か聞こえないか?」

 

 

「……どうしたんですかソーマ?……これは歌ですか?綺麗な声が聞こえます。でも…どこかで聞いた事が有る様な…」

 

 此処に入ってからは特にする事も無く、ただ座っている事しか出来ない為に、何気に向き合って話をしていると不意に綺麗な歌声が聞こえる。音量は僅かなレベルではあったが、聞こえてくる曲の内容はどこかで聞いた事が有る様な歌だった。

 アリサの記憶の中で探しては見るが、生憎と今の状況では思い出す事は出来なかった。

 

 歌声に気を捉えられていると、突如としてソーマの視線が反対側の牢屋へと向いている。その視線の先には何があるのだろうか?改めてアリサも視線を向けると、そこにはこんもりとしたシーツの山の中から一人の少女が歌声に誘われたのか、顔を出していた。

 今までの話を聞いていたのか、それとも今起きたのか、見える表情からは予想が出来ない。ここに居るからには何らかの罰則があるが故にと判断しようと改めて見れば、右腕には慣れ親しんだ赤い腕輪が装着されていた。

 

 

「おい、お前。お前は一体……」

 

 改めて確認すべく、ソーマが話かけようとした時、館内放送がけたたましく鳴り響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたも早く」

 

 サツキの仕業とも取れる館内の緊急放送が鳴り響くなか、どこかに保管された神機を取り戻すべく、研究施設がある部屋へと急ぐ。そんなアリサ達の目の前には先ほど牢屋にいたはずの一人の少女が手錠で拘束されたままその場に突っ立っていた。

 詳細は分からないが、恐らくはここで強制されてアラガミを討伐していたのだろうか?それならば自分達と同様にここから脱出するべきだと、拘束されている元でもある手錠へと手を伸ばしていた。

 

 

「触るな。私に近寄るな!」

 

 力強い拒絶と共に、アリサはその場で立ち止まりそれ以上は何も出来なかった。同じ様に捉えられていたはずの少女がなぜ拒むのかは分からない。どうすれば良いのか、判断に迷っていた所に、その思考を中断するソーマの声が響いた。

 

 

「おいアリサ。神機は見つかった。これ以上ここに居る必要性はない。さっさと出るぞ」

 

「ちょっと待ってください。さっきの女の子が…」

 

「これ以上ここに居るのは危険なんで。とりあえず鍵は置いて行くので、勝手にしてください」

 

 サツキもここでの時間が惜しいとばかりに拝借した鍵束を投げ捨て、出口へと急ぐ。これ以上、ここに留まる事は危険な事を理解し、一先ずは脱出する事を優先していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く、何をボンヤリしてるんです。こんなくだらない事でまた捕まったら、私が来た意味がないじゃないですか?」

 

「すみません。先ほどの女の子の事が気になったので」

 

 嫌味を言ったつもりが素直に謝罪されると、流石にそれ以上の事が何も言えなかったのか、無言の時間が車内に続いていた。今までのサツキの態度から、態々自分達を助ける為だけにリスクを犯すとは思えない。それならば誰に頼まれたのかを確認すべく、口を開こうとした時だった。

 

 

「とりあえず、依頼人の元へと運びますので、詳しい事は直接聞いてくださいな」

 

 そんなサツキが口を開く頃。目的地に到着したのか、目の前には八雲が出迎えていた。

 

 

 

 

 

 

 

「え、これゲンさんなんですか?」

 

「あいつは元々は俺と同じ部隊だったが、神機の適合が出来たからとさっさと抜けたんだよ。あとの事はお前さん達の方が良く知ってるだろう」

 

「って事は八雲さんは同期なんですか?」

 

「そうなるな。あいつとは抜けた当初は偶に連絡を取ってたが、任務の方が忙しくなってきたとかで、徐々に疎遠になってな。今でも元気にしてるのか?」

 

「今は相談役としてアナグラで新人の研修の補佐をしてもらってます。人によっては嫌がる事もあるみたいですけど、やはり最初の神機使いの意見も重要だからと話はされてますよ」

 

 サツキに連れられた当初は何を企んでしるのか皆目見当が付かない事もあり、若干警戒する部分はあったが、ここに来てからのイメージは大きく変わっていた。目の前の八雲は敵対する様な雰囲気は微塵もなく、好々爺のイメージしかない。気が付けば写真を見ながらの当時の話に花が咲いていた。

 

 

「おい、じーさん。何を企んでるかは知らないが、態々俺たちに何の用だ?これ以上の茶番劇に付き合うつもりはない」

 

 ソーマの一言で、軽くため息をつくと同時に写真をしまい込む。それと同時に改めてソーマ達と向かい合った。

 

 

「馬鹿な息子がしでかした事に謝罪して頭を下げるのは親としては当然だな。那智の態度には済まなかったな。あいつは頭の出来は良かったんだが、誰に似たのか頑固な部分があってな」

 

 何気に言われた事で、当時の議会場の事を思い出す。確かに総統と呼ばれた40代の男性がいたが、まさか目の前に居る八雲の息子だとは予想していなかった。衝撃の事実に驚きこそするが、それでも、ああまで強固な態度を取るのは何らかの理由があったに違い無い。今はそう考える事で八雲の話を聞く事にしていた。

 

 

「あいつは3年前までエイジス計画の主任技師をしていたんだが、何かの拍子で突如として戻って来たかと思ったら、あっと言う間にここのアラガミ防壁を作り始めたんだ。そう言えば、お前さんは聞いたよな?アップデートはどうしてるって」

 

「ああ」

 

 あの時疑問にしか過ぎなかった内容について改めて話を聞く事になった。あの時は邪魔が入った事で確認する事は出来なかったが、いくらここでもアラガミリソース無しの更新は未だフェンリルでも有り得ない事でもあり、その事実如何では今とは異なる対応に迫られる可能性があった。

 

 

「少し前まではエイジスの保管庫からくすねてたんだが、警備が厳しくなった頃からそれもままならない状況になってな。頭を悩ませていたそんな時に一人の神機使いがここに来たんだ」

 

「それが、あの少女なんですか」

 

「なんだ。会った事があるのか?」

 

「いえ、牢屋に入った際に隣に居たんです。でも、それならあんな待遇なんて事が有り得るのはおかしいと思うんですが?」

 

 目に見えない部分で一番重要な責務を与えられているにしては、住環境は最低の物だった。極東に限らず、どこの支部でも命を懸けるからこそ、それに見合った待遇が与えれるが、その少女にはそんなレベルの物が与えられず、むしろ犯罪者と大差が内容な環境に居る様にも見えていた。

 

 

「いくら綺麗事を言おうが、結果的にはフェンリルの庇護下に無い事には生活そのものが成り立たない事に違いないんだが、当時の事を考えると容認できる程の状況が無いのは仕方ないと考えた結果だろう。お前さん方にも迷惑をかけたな。で、これからどうするんだ?好き好んであそこに居たい訳でも無かろう。詳しくは聞かないが、牢屋よりはここの方が寝心地は良いと思うが?」

 

 脱出したは良いが、未だ帰投する為のヘリの手配は出来ず、かと言って神機使いの象徴でもある腕輪をつけたままでは何もする事は出来ない。途方に暮れる様な状況の中での八雲提案は魅力的な物に映っていた。

 

 

 



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第109話 正体不明

 泊めてくれたお礼とばかりに買い出しへと出かけると、一つの事実が浮かんでいた。恐らくは地域の顔役なのか、皆が気軽に八雲へと声をかける。当初は何故と言った疑問しか湧かなかったが、八雲とのふれあいを見ていると、全員が忌避的な考えじゃないならば、今後の対応次第ではお互いが認め合う事が出来る様な関係になるのではないだろうか?そんな考えが出始めていた。

 

 

「八雲さんはここでは大人気なんですね」

 

「俺は何もしていない。ただ、ここの皆と楽しく過ごしたいだけだ。何時までも嫌な気持ちを引きずった所で何の意味も無いんだ。だったらギスギスするよりは楽しい方がマシだろ?」

 

 アリサの考えが変わるのは当然だった。市場を歩けば誰もが八雲に笑顔で話しかけ、その都度買い物の足が止まる。時には一緒に歩いているアリサにも目を向ける事はあったが、それも僅かな事でもあり、大半の人間は八雲を慕っている様に思えていた。

 

 

「お前さん珍しい物もってるけど、これからデートか?」

 

 八雲が話しかけたのは仲が良さそうな兄弟だった。確かにこの時代には珍しい生花を手に二人が並んで歩いている。これからどこかへ向かう際に八雲に出くわした様だった。

 

 

「実は、先日オヤジが流行り病で亡くなったんで、今日はそのお供えで…」

 

「そうか…随分と苦しんでたからな。これで漸く解放されたのか」

 

「そう考えると、少しは気持ちも楽になれます。今のままだと、どうなるのか分からない状況が続けば周りにも影響が出ますから」

 

 残念そうな表情はあったが、いつまでも苦しみから逃れられないのであれば、いっその事死ぬことで楽になれる。そんな考えがここには蔓延していた。

 流行り病が何を意味しているのかは分からないが、通常の病気で無い事だけは理解出来る。この原因は何なのかは事前にアリサ達も聞いていたが、やはり会話の中でそんなことが平然と出れば何とか出来ないのだろうかとの考えがそこにはあった。

 

 

「でもさ、那智さんは何でフェンリルの神機使いをここに残したんだろう?あいつらが流行り病の病原菌を持ってきてるかもしれないのに」

 

「憶測でそんな事言うな。原因はまだ完全に解明された訳じゃないんだ。今はそれ以上の事を言っても那智さんの考えが分かる訳では無いんだ。そろそろ行かないと、皆が待ってる。じゃあ八雲さん。また今度」

 

 弟が何気なく話した会話にアリサは驚いていた。記憶違いでなければ、この病気に関しては極東支部から因果関係については発表されているはず。にも関わらず、今の兄弟はそんな事実は何も知らない様に思えていた。

 アナグラの内部だけで情報を共有する様な考えは今の極東の上層部には無い。事前にエイジや榊から聞いていた事実と違う事に驚きを隠せなかった。

 

 

「あの、八雲さん。先ほどの話なんですが、原因については極東支部から公表されているはずでは?」

 

「例の赤い雨と病気の因果関係については、確かに通知は受けている。だが、ここはあくまでも独立した居住区だから、フェンリルからの施しは乗っ取りの為の準備の為の準備でしかないと考えている連中が多いんだ。当然の事だがそんな考えが蔓延している以上、事実は公表されていない。

 そんな物は不要だから要らないとばかりに、議会で情報は止まっている。ただ、赤い雨には気をつけろとの通達だけが出ているがな」

 

「そんなの馬鹿げています。いくらなんでもそれは話を曲解しすぎです。我々はそんなつもりは毛頭ありません」

 

 何気に放った一言がアリサの中での矛盾点を作り上げた。当初、ここに来た際にサツキは警戒していた。議会でも独立したコミュニティだから誰からの施しも受けない。とまで言われたにも関わらず、研究施設にはフェンリルでなければ有るはずの無い神機の整備が出来る装置があり、今回の赤い雨との関連性についても議会は知っていた。となれば、誰かがここと連絡を取らない限り、知る術は何も無いはずだった。

 こんな考えを八雲に聞いた所で恐らくは話してはくれないだろう。今ここで聞いた所で何かが改善される訳では無い以上、アリサが口を挟む事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサ達、あれから連絡無いけど大丈夫なんですかね?」

 

「声を聞いている限りは大丈夫だったんなら、気にしても仕方ないだろうね。今は連絡を待つ以外に、こちらからはどうする事も出来ないからね」

 

 ヘリが撃墜されてから、たった一度だけ生存確認とばかりに連絡があったが、それ以降は音沙汰が何も無かった。

 ソーマにしてもアリサにしても、簡単にやられる様なレベルでは無い事は、ここにる人間ならば誰もが知っている。トップの榊がそれ以上の事は心配無用だと言えば、コウタにはそれ以上の事は何も出来なかった。

 

 

「そう言えば博士、新しい部隊名なんですけど、何時決まるんですか?」

 

「…それについては現在思案中でね。いくつか候補はあるんだが、対外的な事も考えると慎重にならざるをえないんだよ。その件については決まったら改めて連絡するよ」

 

 榊の相変わらず食えない様な表情からは、現状がどんな状態なのか予測する事は出来なかった。しかし、今までの付き合い事を考えると完全に忘れていたか、それとも本当に思案中なのか判断する事は出来ない。

 万が一忘れていたとしても、今は秘書である弥生が居る以上、それは有り得ないだろうと考え発表を待つ事にしていた。

 

 

「決まったらすぐに教えてくださいね」

 

「ああ、決まったらすぐに伝えよう」

 

 コウタが支部長室を出ようとしていた時に、ヒバリからの通信が入る。事態はまたしても大きく動こうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジ、この辺り一帯には多分出ないと思うぞ」

 

「やっぱり、リンドウさんもそう思いますか?」

 

 アリサ達が苦戦しながらも奮闘している頃、エイジとリンドウ、ツバキは本部付近一帯の巡回をしていた。本来であればここに来る必要性は全くない。しかし、話の内容を考えれば、ここは本部に恩を売った方が今後の事で何かと横槍を入れられる事は無いだろうとの榊の判断によって短期で派兵されていた。

 

 

「そう言えば、前回の派兵の時もここに来てたんだよな?」

 

「そうですね。何人か顔見知りも居ましたから、特に気になる様な事は無かったんですけどね」

 

 幹部同士の話は極秘裏に進められ、エイジ達が本部に来る直前に配下に対してのアナウンスが出されていた。極東では何の問題も無いような事であっても、本部からすれば大事件となる。本来であれば所属の神機使いをそのまま運用すれば事は足りたはずだったが、今回出没したのは明らかに接触禁忌種レベルの痕跡が残されている。結果的には指定を受けたアラガミだった為に、急きょ派兵される形となっていた。

 

 

「しっかしよ、たかだかディアウス・ピター位で俺たちを呼ぶってどんな了見なんだ?この程度だったらここの連中に任せた方が良いんじゃねぇのか?」

 

 リンドウの言いたい事はエイジにも理解出来た。以前に派兵された時も感じたが、ここは極東ほどアラガミのレベルが高い訳ではなく、本来であればそれなりに現場を経験した曹長クラスで事が足りる内容だった。

 

 普段からそんな状況の中でデータベースにも出ている接触禁忌種の出没となれば、当然の事ながら対策を立てるのは当然のロジックでしかない。しかし、出動以前に対策を取れる指揮官がそこには居なかった。

 

「リンドウさんの言いたい事は分かりますけど、ここは極東じゃないですからね。ヴァジュラで一個小隊が出るレベルなので、仕方ないですよ」

 

「それがおかしいんだよ。ここの少尉だったら、極東だと恐らくは入隊して半年位の連中と何も変わらないんだぞ。見栄えだけ整えて、中身はカラッポじゃぁな。こんな詰まらない任務はサッサと終わらせて帰るのが一番だ」

 

 未だ文句とも愚痴とも取れる会話をしながらも、周囲への警戒を怠る事は無い。ここに来た当初はエイジの顔を見て当時の記憶が蘇ってくる者もいれば、値踏みする様な視線を投げつける者も居た。

 態度だけは一流だが、スコアを見れば新人に毛が生えた程度の内容にリンドウはガッカリしていた。

 

 

「でも、帰ったら帰ったで、今度は新人の教導がありますからね。今回はリンドウさんにも期待してますから」

 

「ちょっと待て。そんな話は聞いてないぞ。俺は確かお目付け役で来たはずだが?」

 

 今後の予定も考えればコウタでは無いが、頭が痛くなる思いをするのは当然だった。教導は言うほど楽な業務ではなく、今までここでの教導に慣れた者からすれば、極東仕込みの教導が拷問か何かの様にも思えていた。

 これは教える側だけではなく、教わる側も同じ考えがあった。以前の内容を知っている人間はあの地獄が再び始まるかと今からげんなりしているが、何も知らない新人であれば、これから何を学ぶ事が出来るのかと期待をしている。しかし、その1時間後には他のメンバーと同じような表情をしている者が殆どだった。

 

 

「リンドウさんだって、僕が入った頃は指導してくれた訳ですから、ある意味僕よりも手馴れてるはずです」

 

「もうオッサンなんだから、少しは労わってくれよ……どうやらあれが今回のターゲットみたいだな。姉上、これから任務を開始する」

 

 通信機の向こうでは既に補足していたのか、リンドウからの報告を受けたと同時にそのままミッションが開始されていた。今回の任務はエイジとリンドウの2人のみ。本来であれば四人でのチーム編成だったが、下手に素人レベルが来られると、今度はこちらがハンデを背負う事になる。

 申し出はありがたかったが現場では足手まといなだけに、今回は参加せず望遠での現場確認に留まっていた。

 

 

「姉上と呼ぶな。お前たち、アナグラと同じ様に考える必要はない。それ以上くだらない事を話す暇があるなら、サッサと討伐するんだ」

 

「イエス、マム」

 

 どこまでが真剣でどこからが適当なのか判断しにくい返事と共にミッションが開始された。ツバキの指示通り、今回のディアウス・ピターは極東のそれよりも程度が低く、瞬く間に討伐が完了する事となっていた。

 

 

「やっぱりここは極東とは違うな」

 

「こればっかりは今に始まった事じゃないですから」

 

 当初の予定よりも大幅に早い討伐時間に本部のゴッドイーターは呆然と見ている事しか出来なかった。接触禁忌種はその名の通り、命の危険を孕んだ任務となるのが通例だった。しかし、エイジとリンドウの任務内容を確認すれば、これまでの常識は既に過去の物となっている。行動を完全に読み切る事で被害を最小限度に留めると同時に、僅かでも隙があれば即反撃を開始する。反撃を許す事無く討伐するその結果はまさに異次元の物だった。

 帰還すればこのレベルで訓練が開始されるかと思う人間は既に心の中で十字を切り、やった事の無い人間は期待に胸を膨らませる結果となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、じーさん。あの生意気な女を呼んでくれ」

 

 牢屋から脱出した二人はサツキの手引きよって、八雲の家に滞在する事になっていた。当初は一宿一飯の恩義に報いるべく、家の掃除や料理を買って出る事になり、今では何かと奮闘する事が続いていた。

 

 

「サツキの事か?」

 

「他に誰がいるんだ?改めて連絡しない事には状況が確認出来ない。いくらこの場所を知っていたとしても、肝心の詳細が分からないなら、何も出来んのが道理だろうが」

 

 これが日常であればソーマと言えど、ここまで機嫌が悪くなる事は無かった。その原因とも言える物を作ったアリサは何も言う事が出来ないままだった。

 

 

「ちょっとした手違いじゃないですか。現に、このだし巻玉子と味噌汁はちゃんと出来てます」

 

「これだけで何を食えって言うんだ?エイジから何も教わってないのか?」

 

 目の前の食卓にはご飯と味噌汁、黒焦げになった野菜炒めらしき物と綺麗に出来ただし巻玉子が出ていた。今までのソーマならここまで気にする事は無かったが、ここでもエイジの料理を食べ続けた弊害が今の惨状を拡大させていた。以前のソーマであれば食は栄養を補給するだけの行為でしかなく、味については二の次だった。しかし、今のソーマにそれは許されない。だからこそ、アリサの料理に物申す姿があるのは、ある意味仕方のない事でもあった。

 

 

「ちゃんと教わってます。ちょっとここのグリルに慣れてないだけです。文句を言うなら自分で作れば良いじゃないですか!」

 

「お前さん方、こんな事で痴話喧嘩しても仕方ないだろ。少し位焦げていても食べる事位は…」

 

「大丈夫です痴話喧嘩ではありません。そんな事言うなら私が全部…」

 

 一人で食べていた食卓に2人が加わる事で賑やかさが八雲の心に染みわたる。いつから息子はああなってしまったのだろうか?そんな愚にも付かない様な事を考えていると、来客があったのか、玄関の呼び出し音が鳴り響いていた。食事時に来るなんて事は普段は中々有り得ない。そんな事を考えながら八雲は玄関へと足を運んでいた。

 

 

「ソーマ。何かあったんでしょうか?」

 

 思った以上に時間がかかっている事から、様子を確認すべくアリサ達が玄関先に足を運んでいた。来客に違いないが、明らかに通常ではない。そこには総統と部下がその場で待機していたのか、八雲の顔を見るなり今後の事で一旦塔まで来る様に話が進められていた時だった。突如としてソーマの体内に慣れしたんだ感覚が今の状況を理解させていた。

 

 

「アリサ!神機を用意しろ!アラガミが来るぞ。お前らもこんな所で油を売る暇があるなら直ぐに現場に行け!」

 

 ソーマの怒声とも取れる声と同時に、素早くケースから神機を取り出し現場へと走り出す。この僅かな時間に何が起こったのか、理解するまえに、部下の通信機から今の現状が報告されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは一体どう言う事だ!」

 

「分かりません。今は一刻も早く討伐しないと被害が拡大します」

 

 ソーマとアリサが現場に駆け付けると、どこから侵入したのか、ヴァジュラやサイゴード、オウガテイルが周囲を蹂躙するかの様に暴れまわっていた。既に被害は拡大しつつある。ここの警備と思われる人間が反撃とばかりに攻撃をしているが、アラガミには通用していないのか、焼石に水の様な状況だった。

 ゴッドイーターであればこんな惨状は今に始まった事では無いが、ここの住人達は脅威以外の何物でもない。数はそう多く無いにしても、目の前で餌の様に捕喰される光景は地獄絵図その物だった。

 

 

「ソーマはヴァジュラを!私は小型種を一掃します!」

 

 気遅れする事無く、片っ端から浮遊しているサイゴードを撃ち落し、地上を徘徊するオウガテイルを次々と仕留めて行く。このまま行けば、あと数分で鎮圧出来る様な状況が見え始めていた。

 

 

「勝手な事はするな。ここは私がやる」

 

「あなた一人では無理です。既にここは戦場なんです。一人で全部やろうなんて無理です」

 

 アリサの行動を遮る様に牢屋にいた少女が神機を持って飛び出してきていた。この時点で小型種は壊滅し、残すはソーマが交戦中のヴァジュラだけとなっていた頃だった。 遠くの高い場所から高見の見物とばかりに一体のシユウがこちらを見ている。今回の襲撃の原因は分からないが、恐らくはあれが今回の一連の襲撃に何らかの影響を及ぼしていると判断し、その場所を確認していた。

 

 

「寝言は寝てから言え。こっちもこれが仕事だ。ここはアリサに任せる。俺はあのシユウを仕留めに行ってくる」

 

 ヴァジュラの視線を外すべく、強烈な一撃を顔面へ打ち込む。直撃をくらったヴァジュラが大きくのけぞった事を確認した途端に、ソーマが補足していたのか一体のシユウの元へと走り出していた。

 高い場所から見落ろす様にのぞき込んでいたかと思われる地点まで一気に走りきり、そのフロアまで躍り出ていた。

 

 

「待て!そのアラガミは普通のシユウとは違う!」

 

 激情に駆られた行動にソーマは佇んでいたシユウへと一直線に駆け寄ったかと同時にその勢いを利用し、神機を叩きつける様に斬りかかった。すんでの所で回避はされたが、それでも完全に回避に成功した訳では無く、攻撃を食らったシユウはその場で崩れ落ちていた。

 

 

「このまま一気に仕留める」

 

 ソーマのイーブルワンに闇の様なオーラが纏わり、チャージクラッシュを叩きつけるべく構えを取った瞬間だった。突如としてシユウの声なき咆哮が辺り一面に響いた瞬間、3人の神機に異変が起きた。チャージクラッシュを叩きつける為に構えていたイーブルワンは突如としてオーラが消え、その瞬間にまるで何か別の物にでもなったかの様に今まで感じた事が無いような重量感が肩にのしかかる。

 異変が起きたのはそれだけでは無く、今までアサルトで対応していたアリサの神機は弾丸を発射する事も出来ず、また銃形態から変形する事すら出来ない。途中で乱入した少女はこの事実を知っていたのか、その場から撤退の準備を始めていた。

 

 

「くそっ!どうなってるんだ!」

 

「こっちも動きません」

 

 突如として動かくなった神機は最早アラガミへの攻撃手段ではなく、単なるバラストにしか過ぎない。残りはヴァジュラと、交戦中のシユウだけではあったが、今の状況下では如何にゴッドイーターと言えど、丸腰ではどうしようもなかった。

 

 

「退け!このままだと神機は動かない。直ぐに距離を取れ!」

 

 恐らくは今までに何度か対峙した事があったのか、少女の反応は手馴れた物だった。

 既に距離を離す事で、余程の攻撃が来ない限り、十分に回避可能な距離まで離れている。アリサも距離は離れているが、少女程に距離は取れていない。現状ではほぼ目の前のソーマだけが一番死地に近かった。

 攻撃が無いと分かった途端に、ヴァジュラはアリサに襲い掛かる。このままでは回避行動そのものが困難になると思われた頃だった。

 

 

「何勝手に動かなくなってるんだ!」

 

 反応が怪しい事を無視し、ソーマは神機を無理やり動かすと同時に、シユウの肩口から一気に振り下ろす。肩口から袈裟懸けに斬られはしたが完全に斬撃が入った訳では無く、深手は負ったと同時に、そのまま衝撃で落下していた。

 シユウの意識が途切れたからなのか、原因は不明だが今まで沈黙していた神機が再び稼働しだす。襲い掛かったヴァジュラに対し、アリサは素早く剣形態へと変更し、飛びかかって来たヴァジュラの腹部を縦に一気に斬り裂いていた。

 

 

「アリサそこからどけ!」

 

 頭上から響く叫びと同時に退避した瞬間、重い一撃がヴァジュラに止めを刺し、その勢いのまま倒れこんだシユウをも斬り裂いた。

 

 

「ひとまずコアの回収と、その解析をしないとこのままだと拙いですね」

 

 本来であれば、完全に息絶えるまでは確認していたが、今回の様な有り得ないアクシデントに意識を奪われ、ほんの僅かな瞬間に、シユウへの意識が切れた瞬間だった。

 

 

「まだ完全に死んでない。後ろだ!」

 

 アリサが振り返ると、今さっ斬り裂いたはずのシユウが再び立ち上がる。アリサに襲いかかろうとした瞬間、大型のバレットが襲い掛かろうとしたシユウを直撃していた。

 

 

 



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第110話 神機兵

 アリサを救ったバレットを発射したのは、今までに見た事も無いような大柄なロボットの様な物だった。見た目は機械ではなく、むしろ人間が着こむようなアーマードスーツに、その手にはゴッドイーターでは扱う事が困難であろう巨大な神機らしき物を携えていた。

 

 先程放たれたバレットは恐らくはこのロボットの持っている神機から放たれた物である事は明白ではあったが、これが本当に味方かと言われれば判断に困っていた。これまでの人生の中で一度も見た事が無いそれは、どこか異質な物にしか目に映らなかった。

 未だ正体不明のこのロボットは突如として瀕死のシユウへと襲い掛かる。

 ゴッドイーターでは恐らくは出す事が出来ない威力を持った神機はシユウの翼手をいとも簡単に斬り裂き、まるで何の抵抗も無く当たり前の様に次々と攻撃を繰り出す。

今までの攻撃は一体何だったのだろうか?そんな事を思うほどに威力の大きい攻撃は頭部や脚部を次々と結合崩壊させ、瞬く間に追い込んでいた。

 突如として起こったこの光景はロボットがシユウを討伐するまで続くと同時に、程なくしてシユウは息絶える事となった。

 

 

「ソーマ、あれは一体何ですか?背中にはフェンリルのマークがありますけど」

 

「俺に聞かれても知るか。どこの所属は知らんが、普通の神機使いとは比べ物にならないほどの火力を持っているのは間違いない様だ」

 

 戦いが終了し、ここで一息つこうかと状況を確認すべく周囲を見渡すと、先程まで撤退していたはずの少女が突如として所属不明のロボットへと駆け寄り出した。

 

 

「ギース!私!マルグリット。ねぇ!私の事忘れたの?」

 

 少女が発する名前は恐らくはあのロボットを操縦している人間の名前なのかもしれない。戦闘時の厳しい表情は既に無く、今はただ一人の少女として追い縋る様にも見えていた。

 

 

「お前!そこから離れろ!」

 

 ソーマの叫びと同時にロボットが先ほどシユウを攻撃した神機を振りかぶり、今正に攻撃すべく神機を振り下ろす。何を考えての行動なのかは分からないが、このままでは直撃どころか神機使いの殺傷事件に発展する。そんな最悪な事態を避けるべく、ソーマが素早くシジェクターを展開する。腕にかかる衝撃を殺しながら、少女への凶刃を防ぐ事に成功していた。

 

 

「そのままだと危険です。直ぐに離れてください!」

 

 アリサもまた行動すべく、神機を銃形態へと変更し既に銃口は所属不明のロボットへと向いている。このままだと負傷者が出るのは時間の問題。であれば、いかにフェンリルのどの部隊の所属かは知らないが、今の状況下な中で出来る事の最善策を取るべく引金を引こうとした時だった。緊張感が伴わない事務的な声が周囲一帯に響いていた。

 

 

「零号機、そのままそこで停止するんだ。それ以上の行動は許可出来ない」

 

 突如として現れたのはロボットを制御する為なのか、それともモニターする為なのか、1台の貨物型自動車が止まっていた。停止命令を受け入れたのか、先ほどまでの殺気立った様な雰囲気は既に無く、今はただ動作確認の為に佇んでいる様にも見えていた。

 止まっていた貨物型自動車からは、そのスタッフと思われる人間が次々と降りると同時に点検をすべく色々とモニターを見ながら話をしている。あまりの急展開にソーマとアリサは呆然とし、状況確認をする事が出来なかった。

 

 

「これが件の神機兵ですか。実に素晴らしい」

 

 運び込まれる人間に用があったのか、マルグリットと名乗った少女はコンテナに運ばれるロボットの元へと急いでいる。未だ状況が把握しきれない所で、総統と呼ばれていた人物がゆっくりと歩いて来た。

 その目にはどこか何かを期待している様にも見える。総統は先程までの行動など何も無かったかの様な振る舞いと同時にロボットの下へと歩んで行く。つい先程まで自身の命を削るかの様に戦っていた少女の事に一切触れる事は無かった。

 もしそのまま停止しなれば大参事になりかねない。それが何を意味するのかを考えれば答えは直ぐに出るにも関わらず、最初から何も無かったかの様に歩むその姿にアリサ達は嫌悪感を覚えていた。

 

「今回の戦闘データは取れましたので、これからまた先へと開発が進むかと思います」

 

「では実戦配備はそろそろと考えても?」

 

「残念ですが、もう少し時間がかかると判断しています。がしかし、そう遠くない将来には一番に実戦配備出来るはずですので、引き続き搭乗者の募集はお願いします」

 

「これが配備されれば神機使いはもう必要無くなるのかもしれんませんな」

 

「我々はその為に開発していますので」

 

 今後は神機使いは過去の遺物と成り下がると言わんばかりの対応に憤りを覚えたが、一方でこれ以上の犠牲者が出ない事を考えている自分もそこには居た。

 突如として起こった謎のロボットと、神機を使用不能の追い込んだ謎のアラガミ。これから先に何が待っているのかを今のアリサ達は想像する事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「神機が使えなくなった!?…で……なるほど……だとすれば、完全にそのアラガミが居ない事が確認出来ない事にはこちらからはヘリを出す事は出来ないね。実は先日も君達を迎えに出したヘリが正体不明のアラガミに撃墜されてね。今はまだ整備中のヘリもあるんだが、最新の対アラガミ装甲が役に立たないのであれば、簡単に出す訳には行かないんだよ。

 せめてコアのデータがあれば対策を立てる事も可能なんだが…こちらも少し時間がかかるが準備ができ次第向かわせる事にするから、出来る限りデータの採取だけはしておいてくれないかな」

 

 連絡を受けた榊は驚きを隠すことが出来なかった。当初も最新の対アラガミ装甲を配備したはずのヘリが撃墜され、今回も第二陣が出発したが、やはり同様に撃墜されていた。

 このままヘリだけが失われる事になれば今後の活動だけでなく、ミッションにおける運搬にも影響が出始める。そうなれば近くに居ながら指をくわえてみている事だけしか出来ないなどと、最悪の事態だけは避けたい。

 だからこそ、新しく整備中のヘリを上手く活かさない事にはどうしようも出来なかった。

 

 

「まさか、配備早々にこれを使う事になるとはね…一体何の因果なんだろうね」

 

「支部長。今は何を心配しても解決の方法がある訳じゃありませんし、今後の対応に関してはこちらでも逐一確認した方が良いかもしれませんね」

 

「弥生君もそう思うかね?」

 

「聞いた限りでは本部でも極秘裏に神機使いの代わりとなる物を開発している情報は耳にした事はあります。今は離れた身ですので詳細については分かりませんが、ソーマさんが見たロボットにエンブレムがあったのであれば、恐らくはそうなのかもしれませんわ」

 

 報告を受け、今後の対応を考える頃にタイミング良く湯呑が出された先には弥生がお盆を持っていた。その話が本当であれば、またもや本部が何かをやっている事は間違いない。

 既に本部からの横槍が何度も入っている以上、ここから先の対応に関してはまたもや面倒事にならなければ良いのだがと言った考えしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれから私達の事に干渉する事が無くなったんですけど、一体どうしたんでしょうか?」

 

 アリサのつぶやきは尤もだった。今まではコアの回収をマルグリットだけに一任させ、住民には伏せたままにしていたが、今回の事件で状況が一転していた。

 正体不明のロボットの名称は『神機兵』所属は不明瞭だが、制御している人間は明らかに支部の人間ではなく、むしろ本部の人間の様にも思えていた。確かにあの話が本当だとすれば、神機使いは無用の長物と成り下がる事だけは予見出来ていた。

 

 正体不明のアラガミを物ともせずに討伐し、原因不明の神機の制御不能になる事態も恐らくはクリア出来るのかもしれない。神機使いだけが戦場に立つ時代は終わったと言っていたが、あの制御を見る限りでは、まだ先の話なのかもしれなかった。

 

 

「あのおもちゃが来たから、俺たちは不要だと判断したんだろう。今回の状況については不明だが、オッサンの話だと俺の偏食因子はお前たちのとは違うからギリギリ可動制御出来たが、仮説が正しければ、ほぼ全部のゴッドイーターの神機が制御出来ない可能性はあるだろうな」

 

「もし、それが本当だったら…私たちは何も出来ないって事ですか?」

 

「まだ仮説だ。実証するにはデータが必要だが、先の戦いを見る限りでは間違いないだろうな。ひょっとしたら、ヘリを撃墜させたのがあれなら、まだ他に数が居るはずだ」

 

 移動中に襲われた際に、飛来したアラガミは全部で3体だった。全部を確認した訳では無いが、あの変異種の飛来を見れば単独で動く様な事は無い可能性が高く、今回は1体が討伐出来ただけに過ぎなかった。それが撃墜時のアラガミと仮定すれば、まだ2体が残っている事になる。今の状況では確認する術は無い。だからこそ、慎重にならざるを得ない状況があった。

 

 

「ただ、攻撃が当たった際に稼働したなら、意識を飛ばすのが一番かもしれん。次回の襲撃があった場合はスタングレネードは必須だろうな」

 

 八雲の家を見る限り、一般家庭に配備されている可能性は少なく、スタングレネードはゴッドイーターからすれば戦闘時の流れを変える物ではあるが、一般人からすれば逃走時の手段と考える事になる。

 

 サツキの様に外部に出る事が無ければ、スタングレネードは恐らくは無いのかもしれない。アイディア的には良いが、肝心の物が無ければ机上の空論にしか過ぎなかった。

 

 

「無い物ねだりは仕方ありませんね。他の手段を考えるしかないです。しかし、さっきから広場で何をしてるんでしょうね?先ほどから結構な人数が集まってる様ですけど?」

 

 アリサが疑問に思うのは無理も無かった。本部の人間が去った後で、急きょここの住人に対する説明と称した集会が行われていた。内容に関してはともかく、先ほどの事態に付いては何らかのアナウンスが必要だと判断した結果なのか、広場には殆どの住人が集まっていた。

 

 

「恐らくはさっきの神機兵の話だろう。連中の考える事なんざ、どんな所でも同じだ。ましてやここは神機使いに対しての忌避が他よりも高すぎる。

 いくら追いやられたと言っても、今の状況が変われば本来ならば、その感情は揺らぐはずだ。恐らくは口当たりの良い話をする為に集合させてるのかもな」

 

 この時点でソーマの仮説は正しい物だったが、現場に居ないアリサ達にはその回答を確かめる事は出来ない。ここには偶然連れてこられたが、今後の計画の事を考えれば、ここは一つのモデルケースと為りうる可能性を秘めている。

 

 今後の対応については居住区だけではなく、原因不明のアラガミの対処もしない事にはいくら戦場に立っても神機が動かなければ一般人と何ら大差が無い事は実証されている。

 今やるべき事は山積しているが、これを解決できる手段は今の所、何も無かった。

 

 

「ソーマ、広場の様子が変です!きっと何かあったのかもしれません」

 

 悲鳴とも怒声とも取れる何かが広場から聞こえてくる。何が起きているのか確認する事は出来ないが、今までとは明らかに違う。そんな雰囲気がアリサを刺激するが、今はノコノコと出る訳には行かず、この場で待機する以外に何も出来なかった。

 

「だからと言って、俺たちがここから離れれば何かと問題が起きる。今はここで大人しくするしかないぞ」

 

「それは…分かってますけど…」

 

 2人が八雲の自宅に待機していると、誰かが来たのだろうか?玄関から何か音が聞こえていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫ですか?」

 

「私に触るな!」

 

 高熱を発していたのか、額を触ろうとアリサが手を伸ばし確認しようした瞬間だった。触れる事すら許さないと言わんばかりの感情をむき出しにし、アリサを睨み付けていた。

 

 

「手袋してますから大丈夫ですよ」

 

「それでもダメだ」

 

 事前に聞いていた話では、この原因不明の病気は接触感染である事が判明していた。もちろん、その話に関してはアリサもソーマも知っていたが、ここでは何も知らない以上、当事者でもあるマルグリットが制止するのは当然だった。

 このまま実際にはこうだと諭しても良かったが、相手は病人である以上このままストレスを与えるのもなんだと、アリサは手をひっこめていた。

 

 

「マルグリットさん。一つ確認したい事があります。貴女、確か以前に極東支部に来てましたよね?」

 

 先程までの何かを警戒していたかの様な雰囲気から、突如として方向性の違う話を言われ、何の目的があるのかすら今のマルグリットには判断する事は出来なかった。突如として言われた内容に今度はアリサの顔を訝しげに見る事で、その真意を探ろうとしていた。

 

 

「警戒させる様でごめんなさい。私の記憶だと、あなたは以前に整備士として来てたと記憶してるんです。でも、今のあなたは神機使いになっている。適合する神機があればなるのは理解できますけど、先ほどの神機兵との関連性を教えて貰う訳にはいきませんか?場合によっては力になれるかもしれませんから」

 

「なぜ、そんな事をあなたに言う必要があるんだ?」

 

 マルグリットの言葉は当然だった。先ほどの神機兵に本当にギースが搭乗しているのかすら確認する事は出来ない。仮に違っていたとしても、実際の部分は余程の事がなければ確認する術は何も無い。

 だからこそ、そのアリサの言葉の意味が理解出来なかった。

 

 

「余計なおせっかいかもしれませんけど、あのアラガミはゴッドイーターにとってはある意味天敵とも言える存在になる可能性があります。先程もコアは本部の人間が持って行ったので、こちらでは解析も出来ません。

 本当の事を言えば、極東支部は本部に対して良い感情を持っていないんです。今までにも何度か本部から介入がありましたが、その結果は末端を切り捨てる事で後は知らんぷり。だからこそ、さっきの神機兵の事を教えてほしいんです」

 

 半ば極東の機密を漏らそうかと思われる事で、流石にソーマも一瞬焦ったが、アリサとて機密の意味を知らない訳では無い。本音を言えば、正体不明のアラガミのコアはこちらが死守すべき物ではあったが、本部の人間が先に回収した事で横槍を現場レベルで入れる訳にも行かなかった。

 あのロボットの管轄部署も分からないままに無理を通せば、今度は極東支部に矛先が向きかねない。自分達のやっている事が正しい事だから現場は勝手に対処しろと言った様な考えにはヘドが出そうだった。

 

 幾ら自分の身内が問題を起こしたとしても、それが本部の意向で動いていたのであれば、本来ならば然るべき人間が責任を取るのが本来の考え方。大半の人間がそう考えるのはある意味自然な事かもしれなかった。

 

 

「嫌ならこれ以上は聞こうとは思いません。ただ、あのアラガミの事と神機兵の事は全部が同じだとは考えていません。せめて経緯が分かれば今後の対処が出来ると思ったから聞いたんです。少なくとも極東支部で見かけた時の貴女はそんな表情はしていなかった。ギースって人が大事なんですよね?」

 

 手元に鏡があれば恐らくは驚く様な表情と荒みきった様相を確認したのかもしれない。マルグリットとて、好き好んでこんな場所で待ち続けるつもりはなく、ただギースと一緒に居たい。その為にはこの地に留まる必要性があるから、仕方なく従っているだけだった。

 まるで何かに見透かされたのか、今のアリサの表情を少し見れば悲痛な面持ちである事は理解出来ていた。

 

 

「…すまないが、あの神機兵に関しては何も知らない。私は確かに元々は神機の整備士だった。ギースは神機使いで私達は一緒に動いていたんだ…」

 

 重い口は開くと同時に一番最初に出て来たのは謝罪だった。アリサが何のためにマルグリットの過去を聞こうとしていたのかは大よそながらに想像出来ていた。

 しかし、神機兵の事に関しては本当に何も知らされておらず、二人で彷徨っていた際にフェンリルの移動要塞に拾われ、偏食因子の受け入れの条件として開発中の神機兵のテストパイロットに志願する形となっていた。

 

 当初は自分も偶然適合する神機があった事から何も考えずゴッドイーターになったが、日にちが経つにつれ、徐々に話の内容に齟齬が出始めていた。当初は一定時間の運用試験のはずが、何時しかテストパイロットになり、知らない間にテストパイロットの座を解任され、ここから立ち去ったとまで言われていた。

 

 今までの経緯を考えればギースが勝手に立ち去る選択肢はありえず、その結果としてマルグリットは放逐されていた。一般人とは違い、ゴッドイーターは一定時間ごとに偏食因子の投与を必要とし、それが無ければアラガミへと変貌する。その結果ここにたどり付いていた。

 

 

「マルグリットさんは、ギーズさんの事が好きなんですね」

 

「…出来る事なら将来も一緒に同じ道を歩きたかったんっだ。でも、それすらフェンリルは許してくれない。私が知っているのは、あれは本部の中でも特殊な部門が全て関与している事だけ。あの移動要塞が私達の目の前に来なければこんな事にならなかったんだ」

 

 想いの丈を話した事で気が緩んだのか突如として咳き込み、それ以上の会話を続ける事は困難となっていた。

 

 

 



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第111話 新たなる邂逅

 マルグリットの話からは残念ながら神機兵の事に関しては何も聞く事が出来なかった。元々あのアラガミと対峙した際にマルグリットが持っていた神機にはフェンリルのエンブレムが削り取れていた。それを削る事は拒絶の意思表示をしていたのかもしれなかった。

 確かにあの神機兵の動きはまだぎこちない部分はあったが、それでもお釣りが来るほどの高火力は誰が見ても魅力的だった。

 

 未だ解決のめどが立たない正体不明のアラガミの能力は、ソーマでさえ干渉を受ける事で神機の挙動の制御が困難となり、アリサに至っては完全に稼働する事すら不可能とも取れていた。このままでは自分達が何の為にアラガミと戦っているのか、その存在意義すら疑問に思いそうになるほどショッキングな出来事でもあった。

 

 

「貴女達からそれを取ったら、今度は何が残るんですかね。私も広報で働いてましたから、その手の話はしょっちゅうですよ。住人には安心を提供する事を第1と考え、その反対の手では護るなどとは真逆の行為を平気でやって、都合が悪くなればそれでサヨナラ。世間ではあなた達の様な神機使いを何といってるか知ってますか?フェンリルの狗ですよ。単に兵器を使う事しか出来ないなら、それらしい働きをしたらどうですか?」

 

「あなた…自分で今何を言っているのか分かって言ってるんですか?」

 

 サツキの辛辣な言葉はマルグリットを冒涜するでだけではなく、全てのゴッドイーターに対する皮肉とも取れていた。広報部に居たのであれば、確かにその手の話が頻繁にあったのだろう。

 しかし、極東支部にも広報部の人間が来ている関係上、全員がそんな考えを持っているとは思えなかった。

 

 

「あらら?本当の事を言っただけですよ。何か気に障ったんですか」

 

 本音なのか挑発なのか、これ以上の会話を続けていれば何かが切れる様な気がしてくる。今のアリサを見ればまさにそれを体現する様な表情を見せている。このまま続くのかと思われた頃、見かねた八雲が制止した。

 

 

「サツキ、それ以上の事は外でやれ。ここには病人もいるんだ」

 

 怒鳴る事も皮肉めいた事もなく、ただやんわりと言われた事で言いすぎた事を理解したのか、それ以上口を開く事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサ、どうしたんだ?」

 

「ソーマには関係ありません。これは私自身の問題なんです」

 

「フェンリルが一枚岩じゃない事位今更だろうが。何をそんなに考える必要がある?」

 

「それはそうですけど。でも、極東支部だって、今までの事を考えれば全部が無関係だとは言えない事はあるのかもしれません。今までの事を考えたら何が正しくて何が間違っているのか分からないんです。すみませんが、少し頭を冷やしてきます」

 

 先程のサツキとのやり取りに何か思う所があったのか、ソーマにそう告げる事で人気の無いところで一人佇んでいた。

 

 見た事も無いシユウの能力により、一時的とは言え神機の使用不能と同時に、本来であれば護るべき人間からの迫害とも取れる言動はアリサの考えを崩壊させるには十分すぎる内容だった。

 原因は分からないまでも、せめて何らかの対処が出来るならまだしも、現状では対処はおろか、今後の行く末までもが心配になってくる。かろうじてソーマの神機は稼働したが、やはり今後の事を考えれば、今の状況は絶望とも取れる程だった。

 

 

「ソーマと違って神機も動きませんし、これじゃ私は何のために居るのかも分かりません。こんなんじゃ私…」

 

 誰かに聞かせる様な言葉ではなく、一人呟いた言葉の返事は返ってこない。もし、ここにエイジが居たなら何て言ってたんだろうか?答えの無い考えが頭の中をめまぐるしく周り始めた頃だった。

 

 

「あの、貴女は?」

 

 どこかで聞いた事のある様な歌が聞こえると同時に、その元へと歩いた先には一人の少女が歌っていた。悲しげな旋律の中に慈悲深い様な、何とも言い難い調べがアリサの耳に届いた事で思わず声をかけていた。

 

 

「わ、私は葦原ユノと言います。あの、今日はありがとうございました。あなた方が居なければ、ここの人達はみんなアラガミに食べられてました」

 

「いえ、私達はこれが仕事ですから……」

 

 こんな所で感謝されると思ってなかったのか、突然の言葉に戸惑いを隠せない。ゴッドイーターがどんな仕事をし、どんな役割を持っているのかなんて事はこの世界の住人は誰もが知っている。

 しかし、ここではそんな考えは微塵も無く、まるで忌避される存在が来た程度にしか考えていない人間が殆どだった。だからこそユノの謝辞にアリサは戸惑っていた。

 

 

「みんなも…本当は感謝してるんです。でも……父がご迷惑をおかけしましたので、私としてはせめてこれ位の事はしたいと」

 

「えっ?父って…」

 

 突然のユノの言葉に、一体誰の事を指しているのか理解が追い付かない。先ほどの自己紹介の際に言われた名前を改めて思い出していた。

 

 

「確か、葦原って…ひょっとして父と言うのは…」

 

「葦原那智は私の父です。色々とご迷惑をおかけしまして申し訳ありませんでした」

 

「え、えええええ!」

 

 親子とは言え、似ている部分を探さなければ一目で理解出来る人間はいないだろう。だからこそ、その発言に驚きを隠しきれなかった。思わず出た言葉にユノも苦笑していた。

 衝撃の事実に先ほどまでふさぎ込んでいた気持ちが少しだけ収まりだす。そんなアリサの心情を見たのか、改めてユノは歌を歌い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?リンドウじゃないか。どうしてこんな所に?まさかお前も異動なのか?」

 

 ディアウス・ピターの討伐も終わり、一旦は本部へと帰投すると、そこには以前に極東にいたゴッドイーターの真壁ハルオミがエントランスで書類のチェックをしていた。

ここが極東ならいざ知らず、まさか本部で見る事は無い事もあってか、思わず声をかけていた。

 

 

「おお、ハルオミか。お前こそ何でこんな所に?」

 

「俺は先月ここに異動してきたんだ。いや~、こんな所でお前に合えるなんて思ってもなかったからな。で、そちらは?」

 

「僕は如月エイジです。今回はリンドウさんと短期でここに派兵で来てるんです」

 

 旧友との親交を温めるべくリンドウを見れば、そこには一人のゴッドイーターがいた。先ほどの自己紹介から、この人物が噂の極東の隊長である事を理解し、改めて自己紹介をする事にした。

 

 

「俺の名前は真壁ハルオミだ。先月ここに異動で来たんだ。君が噂の極東の鬼なんだってな」

 

「鬼って…そんなひどい事した記憶は無いんですけどね」

 

「いやいや。訓練の過酷さは群を抜いてるって評判だぞ。お蔭で元極東だって言ったら、皆が変な顔してたぞ」

 

 配属当時の事を思い出していたのか、ハルオミの表情が当時の状況を聞かなくても理解出来る程に顰めていた。エイジが最初にした事は自分がやっている訓練をそのままアレンジする事無く、配下についた人間にやった事が原因だった。

 エイジは知らなかったが苛烈な教導の内容により、一部のゴッドイーターからは鬼と恐れられていた。

 

 

「でも、技術が向上したんだったら疎まれる必要は無いと思いますけどね」

 

「まぁ、こんな所じゃ生きてなんぼの世界だからな。で、短期っていつまでここに?」

 

「詳しい事は姉上が知ってるんだがな。見てないのか?」

 

「ツバキさんはまだ見てないな。そうか…ツバキさんも来てるのか」

 

 当時何があったかは分からないが、今のハルオミを見れば、恐らくは会いたくない人物リストに上がっているのかもしれない。何となく雰囲気が良くない事だけは事情が分からないエイジにも理解出来ていた。

 

 

「お前たち、終わったなら早くレポートを上げろ。それと明日以降に討伐予定となっているアラガミのブリーフィングをその後行う」

 

 極東ではおなじみのツバキの発言はここでもある意味脅威となっているのか、その声を聞いて身が竦む者が何人かいた。既に撤退とばかりにそそくさとこの場を立ち去っている。

 

 

「お前は…ハルオミか。なんだ、ここに飛ばされたのか?それとも査問委員会に出頭なのか?」

 

「いやですよツバキさん。査問委員会じゃなくて、ここには異動で来たんです」

 

 何かトラウマレベルであったのだろうか、ツバキが来てからのハルオミは挙動不審の塊の様な対応をしている。エイジとリンドウにとっては何も感じないが、今のハルオミを見れば一体何をしたのかすら考えてしまうほどのレベルだった。

 

 

「つもる話はまた今度だ。お前たち、明後日からはカリギュラの討伐ミッションが入る予定だ。それぞれ物資の申請書と稟議書は明朝の一〇〇〇までに提出しろ。ブリーフィングに関してはこれからは1時間後だ。各自遅れるな」

 

 今回の派兵目的の一つは接触禁忌種の討伐の為ではあったが、今回の内容に関しては未だ極東でも交戦履歴が殆ど無い。また、世界中を見渡しても討伐の数があまりに少なすぎた事も影響し、この2人が呼ばれていた。

 

 今回の討伐ターゲットは2人でやる訳ではないが、あと何人かはアサインする必要があり、その選定の為に丸一日が空いていた。

 

 

「今からレポートだと時間があまりないな。ハルオミ、良かったら今晩飲まないか?その時でも話そうや」

 

「…おお、分かった。じゃあ、終わったら連絡くれ。俺はこの後の予定は特に入ってないからな」

 

 次の予定時間が決定している以上、ここでの話は今後の時間を削る事になる。この後に行われるブリーフィングの事を考え、一旦ここで別れる事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、リンドウ。確か今度の討伐対象はカリギュラって言ってたよな?もう人選は終わったのか?」

 

 ブリーフィングは予想以上の時間がかかる事で、既に時間はそれなりになっていた。エントランスに人影は無く、このままどこかへ出る時間帯にしては遅すぎた事もあり、改めてリンドウの部屋で飲む事となっていた。

 飲み始めた当初は懐かしさが前面に出た事もあり、今の極東の事情やリンドウの個人的な事情などと話題は尽きる事が無かった。食事に関しては既に済ませた事もあり、今はゆっくりと飲んでいると言った状況だった。

 

 

「人選ねぇ。正直な所難航しているな。ディアウスピターの時もそうだったが、ここの連中だと正直頼りないんだよな。姉上も何度か上にかけあってるんだが、尉官クラスは現場に出たがらないから、今回のミッションはちょっと厳しいかもな」

 

 飲んではいても完全に酔う事もなく、今後の事を考えれば頭をかかえるのは間違いなくツバキだった。

 リンドウが言う様に、今回の内容に関しては本部での交戦経験は無く、また自分の命が惜しいのか依頼をする前に、どうにでも出来る様なミッションを自発的に受けている事から、現状では人数が揃わないのが悩みの種でもあった。

 

 

「それなんだが、俺も一緒に行く事は出来ないか?」

 

「珍しいな。何かあったのか?」

 

 リンドウの飲んでいたグラスの手が止まり、驚くのは無理も無かった。先のディアウス・ピター戦を思い出せば、その時は他のミッションに出ていた関係でハルオミがアサインする事は無かった。

 

 内容が内容だった為に、特に何も考える事は無かったが、今回のカリギュラに関しては元々の特性を考えると、どうしても一定以上の技術を持ったゴッドイーターでなければ討伐は不可能とも取れた。

 リンドウとてハルオミの実力は知っているので、無碍に断る理由はどこにも無い。しかし、その言葉を出した瞬間のハルオミの表情が今のリンドウには気になっていた。

 

 

 

「理由は…まぁ良いだろう。最近は手ごわいアラガミと戦う機会が少ないから、ここらで気合入れて勘を養おうかと思ってな。リンドウの立場だったら知らないド素人よりはマシだろ?」

 

「そりゃそうだな。明日にでも姉上には言っておくよ」

 

「リンドウさん。ツバキ教官の所に食事持って行きましたよ」

 

「丁度良い所に来たな。今回のカリギュラの討伐だが、ハルオミもやる事になったぞ」

 

 時間帯が遅かった事で、ツバキの所に差し入れとばかりに持って行った所で突如として今回の任務の目玉とも言えるカリギュラの内容に関してリンドウから説明されていた。人選に難航しているのはエイジも知っていたので、今回の件に関してはエイジも断る理由は無かった。

 

 

「そうですか。真壁さん。宜しくお願いします」

 

「そう堅苦しく言わないでくれ。俺の事はハルオミで良いぞ」

 

「分かりました。今後はその様に呼ばせてもらいます」

 

 元々の気質なのか、それともそう呼ばれる事が良かったのか、堅苦しい呼ばれ方は好きでは無いと、改めてエイジと話す事で今後の事も踏まえての打合せを翌日する事になった。

 

 

「エイジ。悪いけど、何かツマミ作ってくれや」

 

「リンドウさん。あんまり飲み過ぎるのは、帰ってからサクヤさんに色々と言われるんですけど」

 

「そこはサクヤには内緒…ってそんな事まで言われてたのか?」

 

「今回の派兵が決定した際に連絡貰いましたから」

 

「おいおい。リンドウ。お前尻に敷かれてるのかよ?」

 

 第1部隊の中では既にこのやり取りはおなじみの物となっていたので気にする事は無かったが、何も知らなかったハルオミには新鮮に映ったのか、改めてリンドウとの話が弾んでいた。実際には接触禁忌種のミッション前に深酒する事が無い事は知っていたが、せめてもとばかりにエイジは簡単なツマミを作り、自室へと戻った。

 

 

「あれで中々の実力があるんだよな?」

 

「エイジの事か?あいつの実力なら…多分俺のレベルなんぞとうの前に超えてるよ。今はあいつが極東で一番だろうな」

 

 リンドウと話してはいたが、エイジと話す機会があまり無かったのか、先ほどのやり取りの中で一目見たハルオミはエイジの実力を図っていた。物腰は柔らかいが、その存在感にはある種の凄みが感じられる。

 本人は何も思っていないが、戦場での能力はリンドウが言う様に圧倒的な力を持っているのかもしれないと無意識のうちに判断していた。

 

 

「そうか、お互い歳は取りたくないな……リンドウ。何だこのツマミ?どこで買って来たんだ?」

 

「買い物なんて行く暇無いだろう。これはアイツが作ったんだよ。料理の腕前も極東イチかもな」

 

 何気に一口食べた事で、驚くと同時にリンドウに確認する。極東にいる者ならば腕前は知っているが、ここではそんな技量を知っている人は少ない。偶に演習先で簡易レーションを組み合わせて作る食事を食べた事がある人間だけが、その腕前を知っていた。

 

 

「って事はツバキさんの食事を持って行ったのは…」

 

「時間が時間だったから、あいつが作って持って行ったんだろ?大体はこのパターンが多いけどな」

 

「そうか。だったら、今回のミッションが完了したら俺もご相伴にあずかる事にするか」

 

 そんなやり取りをしながらも、ハルオミの意識が既にまだ見ぬカリギュラへと向いていた。現状では予想したアラガミかどうかの確認が出来ない以上、あとは戦場で確かめる以外に手段は無かった。

 

 

 



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第112話 吐露

 

「こんなもん持ち出して何するつもりだ?」

 

 歌声が聞こえたと同時に、何を考えていたのか突如サツキが機材を積んだ車へと走り出していた。何かを探している事に気を取られたのか、当然背後から声をかけられた事で、驚きを隠せなかった。

 

 

「ちょっと、何勝手に人の尻を追っかけてるんですか。それ以上見るならセクハラで訴えますよ」

 

「そんな物見るつもりは無い。アリサを捜しに来たらお前がここで何か探してたんだろうが」

 

 既にサツキの言葉に耐性が付いたのか、まるでこれが当然とも取れる様にソーマは会話を続けていた。先程の内容に関して何かしらショックを受けている事は理解していたが、それ以上の事は本人以外は分からない。

 エイジからも様子を見る様に頼まれてはいたが、何かあってからでは遅すぎるからと様子見の為にここに来ていた結果だった。

 

 

「そう言えば、あなた私に闇を覗く者は闇から覗かれてるって言ってましたよね?」

 

「それがどうした?」

 

「本部の広報に努めてると、一部の利己的な考えで決まっていた物が簡単にひっくり返ったり、ガス抜きの為の情報を捏造するなんて事は日常茶飯事だったんですよ。私はそんなつまらない事をする為にフェンリルの広報に入ったんじゃないんです。

 ただ、事実を伝えたかった。それすら出来ないなら何の為の広報なのか判断出来なくなったんですよ。だからあそこを辞めたんです。貴方の言ってる言葉の意味位は私なりに理解してるつもりですけど、私は態々やられるのを待っているなんて性に合わない性質なんでね」

 

 ソーマと話ながらもサツキは何かを探しているのか、手は止まらない。漸くお目当ての物を探し当てたかと思った途端、突如として現地へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サツキさん。何してるんですか?」

 

 ユノの歌声を届かせる為に、本人には内緒でその歌声を集音用マイクで拾う。ユノは何も知らなかったが、この歌声は海賊放送として無理矢理周波数に割り込む事で世界中に流れていた。

 ユノの歌声に聞きほれる事でアリサの気持ちも徐々に収まり出した頃、サツキの存在に気が付いていた。

 

 

「これでユノの歌声を世界中に知らしめようと思いましてね。でも、これじゃダメね。やっぱり音源を安定させるか、もっとクリアにしないと……あとは出力をもう少し上げるか…」

 

 何かを考えているのか、時折ブツブツと聞こえる呟きの内容は理解する事が出来ない。ただ、これから何かをしようかと思おう考えだけは理解する事が出来ていた。

 

 

「ユノ、あの車の機材でもう一度歌ってくれる?」

 

「でも、私の歌なんか流しても…」

 

「あのね、貴女の歌は少なくともここの人達の癒しにはなってるのよ。貴女がどう考えようと、私は貴女の歌を世界に知らしめたいの。分かった?」

 

「う、うん……」

 

 ユノの否定的な言葉を無視したかの様にサツキは真剣な表情で迫っていた。今のユノはサツキの迫力に押されているからなのか、何かに怯えた様な空気を醸し出しながらも頷く以外には何も出来ない。今はサツキの言葉をそのまま信じてユノは改めて歌い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これ極東からの海賊放送なのか?」

 

「電波の状況からすればそうかもしれませんね」

 

 ユノの歌声はまさに世界中を駆け巡る様に聞こえていた。現地の状況は理解出来なくても、今まで聞いてきた住人の顔を見ればどんな状況なのかは確認するまでもない。何一つ検証した訳ではないが、この歌を流したサツキにはその手ごたえが確かに感じていた。

 

 

「そう言えば、アリサとは連絡してるのか?」

 

「アリサとはしてませんね。一度報告の関係で極東には連絡しましたが、特に問題無いからって言ってましたけど。どのみち外部に出てれば無線チャンネルが開く事は少ないでしょうから」

 

「ここでの任務も終わりだろうから、一度連絡したらどうだ?」

 

 まるで何か言いたげな表情でリンドウはエイジに話しかけるも、ハルオミは一体何の事なのか見当もつかない。確認しようとリンドウを見れば、穏やかな表情を見せていた。そんなリンドウの表情を見たからなのか、ハルオミはそれ以上の事は何も言わず、ただエイジの事を見ていた。

 

 

 

 

 

「アリサ、ちょっとこっち来い」

 

「何ですか?態々そっちに行く用事は無いですけど?」

 

「俺は用事が無いが、これがお前に用事だ」

 

 アナグラにでも繋がっているのか、ソーマは無線機を掲げていた。突然言われた事実に何の意味があるのかは分からないが、今は出された無線機を手にする事を優先していた。まさかこんな所で聞こえるはずの無い声。その先からは一番聞きたい声が聞こえていた。

 何故こんな所に連絡が来ているか理解出来ない。この無線チャンネルを知っているはずも無いのであれば、性質の悪い冗談か何かだと思いながらもアリサは無意識の内に分捕るかの様に無線機を取っていた。

 

 

「アリサ。元気にしてる?アナグラに確認したら問題ないって聞いてたんだけど?」

 

 アナグラを出発してからどれ位の日数が経過していたのだろうか?以前に長期派兵した際にには毎日の様に連絡が取れていたが、ここに来てからは色々な事が起こり過ぎて連絡する手段すらなかった。

 久しぶりのエイジの声に、知らない間に緊張感が続いていたアリサの心に何かがゆっくりと染みわたる。凍てついた大地が解けるかの様な感覚が拡がっていた。

 

 

「私の方は毎日問題ありません。ソーマが口煩いですけど」

 

「そっか。こっちも何だかんだとやってるけど、それでも大変な部分も多いから。そうそう、ソーマにはアリサの事を頼んだから、きっと口煩いんだよ」

 

「私、そんなに面倒な事はしませんよ。ソーマじゃないですから」

 

 他愛無い会話がこんなに嬉しいと感じた事は、恐らくは無いのかもしれない。エイジが欧州派兵に行ってどんな状況なのかは分からないが、それでも極東支部の皆の為だと高い志を持って行った事はアリサが一番よく知っている。

 だからこそ、こんな所で弱音を出す訳には行かないと強く感じていたが、エイジの一つ一つの声が優しくアリサの心を解していく。

 気が付けば、何かが決壊したかの様に涙が止まらなくなっていた。

 

 

「…何かあった?」

 

「…いえ、何も…ないです。ちょっと疲れたんですけど、エイジの声を聞いて安心したので」

 

 強がる様な言葉とは裏腹に涙は止まる事を許さない。ここに来て初めて自分自身の限界を見たからなのか、それとも現実に打ちひしがれたからなのかは分からない。止まる事を知らない涙は頬を伝いそのまま流れ続けていた。

 

 

「泣かなくても良いから」

 

「…エイジには隠せない…ですね。実は…正体不明のアラガミが現れて…神機が使えなくなって……街の皆が次々と…でも、私は何も出来なかった…」

 

 無線越しとは言え、何となくアリサの心情を理解したのか、エイジはアリサの言葉を優しく受け止める様にゆっくりと話していた。もう気づかれているなら隠すつもりもなく、アリサの言葉が徐々に涙で歪んでいく。

 幾らゴッドイーターと言えど、一人の人間に変わりない。些細な会話が僅かな癒しになればと、エイジもせかす事無く話を聞いていた。

 

 

「僕らが出来る事なんてたかが知れてるよ。こっちだって、僕とリンドウさんが居ても、目の前で何人もの人が捕喰されたし、仲間のゴッドイーターだって捕喰されたよ。ゴッドイーターは万能じゃないんだ。

 僕らもただの只の人間なんだから、自分の両手に中に入る物だけを護る事で精一杯なんだ。今はどんな状況かは知らないけど、アリサが前に言ってた言葉を教訓にやってるから大丈夫なんだよ」

 

「私の…言葉…ですか?」

 

「そう。ほら以前に言っていた、旧型は旧型……」

 

「それ以上はダメです!エイジはそれを言わないで下さい!」

 

 まさかエイジにまで言われるとは思って無かったのか、懐かしい黒歴史を代表する言葉の序盤が語られた瞬間、それを阻止する様に会話を一旦区切らせる。

 それ以上の事は何も言わなかったが、この場でその発言を容認できる程、今のアリサは寛容な気持ちにはなれなかった。先程までの涙ぐんだ会話から突如として大声が出た事でアリサの涙は引っ込み、サツキやユノが何事かとこちらを見ていた。

 

 

「とにかく、自分達が出来る事を最大限にやれたら、あとの事はおまけ位で丁度良いんだよ。アリサのそんな真面目な所は好きだけど、少し位は息を抜く位の自然体の方が上手くいくから」

 

「こんな風に考える様になったのはエイジと一緒に居たからです。きっとそうですから」

 

 何気に好きと言われた事で、少し頬に赤みがさすが、流石にこんな所で言われても、目の前に居ない以上アリサには何も出来ない。既に涙は止まったのか、痕だけが残っていた。

 

 事務的な連絡だったはずが桃色空間になり始めようとした頃、この場に居ないはずの人物が突如としてユノの腕を取っていた。

 

 

「君達はこんな所で何をしてる?ユノ、ここにこれ以上いれば感染する可能性がある。直ぐに塔へと戻るんだ」

 

「おじさん。ちょうど良かった。実は折り入って相談があったんですけど」

 

 突如として現れたのはここの総統でもある葦原那智だった。今回の事務手続きが終わると当時に捜しにきたのか、それとも当てがあったから来たのかは分からない。しかしながら、その元凶とも取れる状況を作り出したサツキを不躾な視線で射抜いていた。

 

 

「君に相談される様な事はない。勝手に機材を持ち出して何をしているかは知らないが、これ以上勝手な真似をするようならば、ユノとの付き合いも考えてもらう事になる」

 

「まぁまぁ、そうおっしゃらずに。ユノに勝手に歌わせた事は謝りますが、私のジャーナリストとしての勘が働いたんです。ユノの歌はきっと世界に何か影響を与えるんじゃないかって。相談はその件だったんですよ」

 

 どことなく言い訳がましい所はあるも、この声を世界にとの考えは嘘では無かった。

 しかしながら、そんな考えなどお構いなしだと言わんばかりの那智の態度に、流石のサツキも取り付く島は無かった。

 

 

「そう言えば、君達は一体いつまでここに居るつもりなんだ?用意させた部屋が不満なら、他の部屋に変更するが?」

 

「そんな事言ってられるのか?」

 

「何だと?」

 

 サツキとの会話が終わったかと思うと、今度はこの場にいたソーマ達にまで飛び火していた。八雲の家でひと悶着あったが、その後はアラガミの襲撃の事もあり有耶無耶になっていた。

 既にアラガミは討伐され、神機兵は撤収している。今のここには余剰戦力となる物は何一つ無かった。

 

 

「恐らくは俺たちを襲ったアラガミはあれに間違いない。ただ、あの個体と同じ者は全部で3体いた。今回の事で1体は討伐したが、まだ残りはいる以上、ここを襲う可能性は高いぞ」

 

「だからどうだと?先の戦いで貴君らは苦戦続きだったではないか。何の対策も立てる事が出来ない以上、同じ事になるだけだ。先ほどの神機兵を見ただろう?万が一ここが襲撃された場合には、ここに配備される事になっている。ここは君達の様なゴッドイーターは不要なんだ。ここに滞在出来るだけでも有りがたいと思ってほしいものなんだがね」

 

 ゴッドイーターが不要な事は議会場でも言っていた。しかし、表にこそ出ていないが、ここの防衛を人知れず担っていたのは間違いなく、今は病気に罹患しているマルグリットの孤軍奮闘の結果でしかない。そんな単純なロジックすら理解していない目の前の男に対し、ソーマは舌打ちしたい気持ちで一杯だった。

 

 ただギースを待ちたいと願う一人の少女の願いを利用し、今に至っている事を知っているアリサも勝手にここに居ると言わんばかりの言い方には憤慨していた。いくら神機兵の効果が良いとしても、その後に何が起きるのかをまるで理解していない様にしか見えない。

 そもそもフェンリルと言う組織はそんな生易しい物で無い事をアリサ達はこれまで何度も体感している。

 那智の不要だと取れる発言はあまりにも暴言が過ぎるだろうと感じていた。

 

 

「じゃあ、マルグリットは今後どうなるんですか?」

 

「流行り病の罹患者はここの住人に心配の種をまき散らす事しか出来ない。本当ならば君達の様に放り出すのが一番なんだが、私の温情で置いているに過ぎない。それが気に入らないならば出て行ってもらって結構だ」

 

「何だと!」

 

「父さん、それは言い過ぎです」

 

 これ以上続くならば、この後に何が飛び出すか分からない。これ以上の事は危険だと判断したユノは間に入る事でその場をとりなしていた。

 

 

 

 

 

「そっちは修羅場みたいだな。良くは分からんが問題は起こすなよ。特にソーマは直ぐに手が出るからな」

 

「ガキじゃねぇんだ。それ位の分別は付く。お前らこそ本部で問題を起こすなよ。極東の恥だからな」

 

 チャンネルが繋がったままだったのか、事態が終焉を迎えた頃にリンドウから改めて話があった。僅かな会話だったが、それだけも今の状況が分かる様なやり取りにリンドウも思わず場を和ます為か、軽口を出す事に決めていた様だった。

 

 

「まさかお前に心配される日が来るとはな。子供の頃のお前に教えてやりたいよ」

 

 この場には全員が居なくても第1部隊としての纏まりは他のどこの支部にも負けない物があると自負できる。今は互いに遠い異国の地ではあるが、全員が揃えば出来ない事は何も無い様な空気がそこには存在していた。

 

「うるせぇ。大きなお世話だ。お前こそいい加減帰らないと、そのうちレンから知らないオジサン扱いされるぞ」

 

 ここに来てソーマにも漸く心のゆとりが出来たのか、リンドウに皮肉を言いながらも少しばかりの笑みが零れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一時はどうなる事かと思ったが、やれやれだな」

 

「そうですね。まさか神機が稼働しなくなるなんて、戦場では致命的ですからね」

 

 無線が切れる頃、リンドウとエイジはハルオミとツバキの4人での設営をしていた。目標のカリギュラの討伐は完了したが、今回はそれだけではなく、一部の人間が本部の部隊から派遣されていた。

 

 当初は断っていたが、戦闘時にには役に立つ連中だと押し付けられ、いざカリギュラと対峙した途端に何人かのゴッドイーターは恐怖心にかられて退却し始めていた。戦場での退却は、そのまま戦闘に突入するよりも遥かに困難を極め、その結果として逃げ遅れた数人が殺される結果となっていた。

 自称歴戦だったとしても、やはり強敵なアラガミとの戦闘時に逃げ遅れた者を庇いながらでは、本来の能力を発揮する事は難しく、その結果としてエイジは負傷するハメになっていた。

 

 

「何か流石極東って会話だったな。そんなアラガミがうじゃうじゃ出るなら、それこそ俺たちの出る幕は無くなるんじゃないか?」

 

「こればっかりは何とも言えないな。コアの解析が出来ればまだしも、今のままでは手掛かりになる様な物は皆無だからな。流石に無い物を解析するのは不可能だろ?」

 

 ハルオミの言い分は尤もだった。神機は使ってこそ意味があるが、稼働しないのであれば無意味な存在となる。恐らくは本部には完全に情報は上がっていないのかもしれないが、何かあってからでは後手後手になりかねない。一刻も早い解析は新種が出た際の急務ではあるが、未だそんな話が本部の遡上に乗った事は一度も無かった。

 

 

「話は変わるが、エイジが話してたアリサちゃん?だっけか。彼女とはどんな関係なんだ?」

 

「アリサか?アリサはエイジの恋人だ。本当の事を言えば今回のエイジの派兵に関しての最大の山場だったんだがな。何とか丸め込んだらしいぞ」

 

 緊迫したはずの空気が一転し、今度は先程のアリサの話に変わっていた。歴戦の猛者と言えど、気分転換は必要となる。今は食事の準備中なのか、ここには居ないが何か面白い物を見つけた様な目をハルオミはしていた。

 

 

「いじるのは良いけど、あいつが怒ると真剣に怖いぞ。模擬戦と言う名の地獄絵図をお前では見たくないからな。因みに切れられても助けんからな」

 

「そこは手助けしろよ。俺とお前の仲だろ?」

 

 何を言われているのか気にする必要は無いが、エイジとて久しぶりに聞いたアリサの声には人が居る事から喜びを隠していた。しかし、気になるのが神機が稼働しないアラガミの出現。

 本部ではなく、極東に現れたのであれば今後の脅威になる事だけは間違いない。こんなつまらない行為で負傷するのは自身の技術がまだまだだと言っている証拠だった。

 更なる高見となる頂にはまだ遠いと考え、戻った後には更なる精進が必要だと、一人胸の内にしまい込んでいた。

 

 

「お前たち、いつまでくだらない話をしてるんだ。報告書は済んだのか?今回は負傷者も出てる以上、元気なお前達がその分を背負う事になってるはずだが?」

 

「ある程度は終わってますので」

 

「そうか…だったら、直ぐに提出しろ。本部でも今回の件で懸念材料が一旦は無くなった事からと早急な報告が求められている。リンドウ、お前もくだらない事で時間を使う前にさっさと終わらせろ。真壁では無いが、お前が時間をかける程極東に戻る期間が延びるぞ。これ以上時間をかけてサクヤとレンから見限られない様にするんだな」

 

「了解であります」

 

 既に本部への報告が完了したのか、ツバキが2人の所へとやってくる。今回の負傷者は面識が無い者ばかりではあるが、それでも建前上は同じ部隊の部下となる為に、KIAの申請や負傷者の報告など、アラガミに関する事ばかりでは無かった。

 アラガミの討伐は終わっても、やるべき事が未だ山積している事に変わりなかった。

 

 

 



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第113話 交渉と現実

「どうした?随分とめかしこんでる様だが?」

 

「これからちょっと塔へ行こうかと」

 

 新しくなった制服を着こみ身だしなみを整える頃、何かの準備が終わったのを確認したのか、八雲から話かけられていた。現在療養中のマルグリットは未だに回復の兆しが無く、このままここに居ても状況が変わらないと判断した事で、医者の下へ運ぶべく準備をしていた。

 

 

「そうか…何か考えでもあるのか?」

 

「考えではなく、一つの提案がありますので」

 

「お前さんたちには迷惑をかけっぱなしだな。今回の件もここのエゴに付き合わせた様な感じだったし、態々お前さんたちが骨を折る必要は無いんだがな」

 

 八雲が言う様に、アリサ達への対応に関しては、ここに来てからは決して良いとは思える様な物は無かった。辛辣な言葉や不躾な視線にさらされる必要は本来であればありえない。にも関わらず、何か揉める様な事も無く今日まで来ていた。

 今のアリサを見れば何か考えている様にも思えたが、その目的が何なのかは分からない。それ以上の事は何も詮索する事もせずに、そのまま任せる事にしようと八雲はそれ以上の事は言わなかった。

 

 

「いえ。八雲さんのお心遣いだけでも嬉しかったですから」

 

「そうか。詳しい事は分からんが、頑張ってくれ」

 

「はい」

 

 八雲の言葉には申し訳ない様な気持ちが混ざっている事は直ぐに理解した。本来であれば八雲が謝罪する道理はどこにも無い。そんな気持ちを汲んだからこそ、今はこれからやるべき事を確実にやりきる為に塔へと乗り込む。

 気負う事も無く、アリサとソーマは改めて一番最初に連行された議会場へと足を運んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「総統、例の神機兵はいつ実戦配備されるんですか?これ以上長引けば、我々議会が住民から非難を浴びせられる事になります」

 

「神機兵よりも、今は外部のアラガミ防壁の方が優先だろう。先にそっちを何とかしないと、またアラガミが来る。我々の装備ではアラガミを撃退するのは困難だ。これ以上の犠牲者を出す訳には行かないだろうが」

 

「一体、どうやって直すつもりだ?ただでさえ例の少女は流行り病で使い物にならない。まさか極東の連中に頼るのか?」

 

 正体不明のアラガミの襲撃と同時に、今まで日陰の身でありながらもアラガミを討伐し、コアとリソースの供給をしていたマルグリットの退場した影響は大きかった。既に万策尽きた現状に対し、有効な打開策は何処にも存在しない事で、議会は予想通り紛糾していた。

 元々、議会の人間は当時のいきさつをよく知っている人間で構成されていた為に、ここの住民達以上にフェンリルには良い感情を持ち合わせていなかった。

 しかしながら、そんな感情もアラガミの前では塵に等しく、今正に目の前に迫っている状況の応対で精一杯だった。

 

 自分達のキャパシティを超える事が有った場合、この後に待っているのは崩壊しかない。今まで色々な思惑がありはしたが、一つの大きな目標でもあるフェンリル憎しで一致団結していたが、ここにきて想定外の出来事が一度に起きた事も紛糾の要因となっていた。

 

 

「会議中なんだが、何の用だね?」

 

 混乱し始めた空気を壊すかの様に、突如として閉まられていた議場の扉が大きく開く。本来であれば開くはずの無い扉に視線を移せば、そこには2人の男女が白い制服を着て立っていた。

 

 

「会議中の所、申し訳ありません。ですが、交渉するにはこの場が一番かと思いここに来ました」

 

「交渉だと?」

 

 議場に居た全ての視線がアリサへと向く。一人一人の顔を改めて見れば、各自がそれぞれの思惑があるのか、困惑した表情を掲げていた。

 

 

「我々フェンリル極東支部所属独立支援部隊クレイドルが、現在ここネモス・ディアナにおける懸念事項が解決するまでの間、アラガミに対する安全と資源の提供を約束します」

 

 アリサの言葉に議場の中はザワつき始めている。今まで簡単に切り捨てて来たフェンリルが一体何の用件があってそんな事をするのか、各々が理解に苦しんだ。当時の支部長と今の支部長がいくら違うと言った所で、今まで受けた仕打ちが簡単に解消するとは思えない。それぞれが身に覚えがあるが故にアリサの言葉を鵜呑みにする事は出来なかった。

 

 

「ほう……我々にとっては魅力的な提案かもしれないが、それを裏付ける根拠はどこにある?」

 

「今は根拠を示す事は出来ません」

 

「ならば、フェンリルお得意の仮初の慈善事業って事かね?」

 

「いえ。我々は先ほど交渉と言いました。こちらが要望するのはただ一つだけです。現在療養中のマルグリットの安全を保全して頂きます。彼女はここで誰からも知られる事無くひたすらに自分が出来る事だけをしてきました。

 その結果として罹患しましたが、彼女の願いはここで待ちたいだけなんです。彼女の代わりは我々がしますので、最低限人としての尊厳が守られる様な環境に置いて頂きたいだけです。今の部屋は論外ですので」

 

「たったそれだけの事の為にここに来たと?」

 

 那智がそう言うのもある意味当然だった。今の話をそのまま理解すれば、今までマルグリットがやって来た事を2人でそのまま継続して続ける事になる。仮にその話が本当だとすれば、今の議会には何らデメリットが発生する事は無い。

 これがただの一住民であれば問題無かったが、今の那智はここの総統である以上、慎重にならざるを得なかった。

 

 

「そんな世迷言の様な綺麗事で我々が納得するとでも?」

 

「我々は…いや、私はただ単純に私が出来る事をやるだけです。それが今はここの街を護りたいだけなので」

 

「…それでは話にもならない。戦力の提供に関しては確かに魅力的でもあり、現状と何ら変わらないのは我々も検討に値するかもしれない。だが、貴君が提案しているのはあくまでも代理になると言う提案であって、交渉では無い。

 お互いのメリットがあってこその交渉ではないのかね?今の貴君の提案ではフェンリルには何のメリットも感じられないが?」

 

 アリサの真摯な気持ちが完全に伝わるとは最初から思ってはいない。仮に今回の交渉がダメだとしても、最後は相手が納得できるまで続けるつもりでアリサは来ていた。強烈な体験をそのまま植え付け、癒される事無く今まで来ている考えはそう簡単には解す事は出来ない。

 最初からダメだと判断するのではなく、自分が納得できるまでやりきった結果がそうであれば、それで良いとさえ考えていた。

 

 当初に来た頃と、今の状況が変わる事は無いのは誰でも理解できる。だからこそ、相手に知ってもらう為にも正式な場での意思表明が必要だとアリサは感じていた。

 これ以上の話をするには更に信用と言う名の裏付けが必要になる。まずは自分達の行動を見てほしいと考えた頃、突如として議場に警報が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「榊博士。広域レーダーで未確認のアラガミ反応が特定の場所に向かっています。ここには恐らく来る可能性は有りませんが、現在アリサさん達が居ると思われる場所に向かっています」

 

 ヒバリからの連絡で、榊は改めて状況を確認すべくレーダー画面を見ていた。正体不明のアラガミが2体。小型種がそれに引き寄せられる様に同じ方向に向けて移動していた。

 

 アリサ達からの報告が正しければ、この数が一気に攻め込むならば神機が稼働しない可能性がある以上、おいそれと部隊を動かす事が出来なかった。既に、正体不明のアラガミによってヘリが2機撃墜されている。貴重な移動手段を安易に動かす事で、これ以上の数を減らすのは愚策でしかない為に、慎重にならざるを得なかった。

 

 

「榊博士。今回の件ですが、あそこの場所は知ってますのでこれから向かいます」

 

「君が行ってくれるのは有りがたいが、今のままだとまた撃墜される可能性がある。それをどうするかなんだが……あれを使うしか手が無いようだね」

 

「では直ぐに準備してください。5分後に向かいますので」

 

 すぐさま旅立つべく榊は整備班へと連絡していた。既に連絡があったのか、5分後に無明はヘリポートへと来ていた。報告は入ったが、万が一の事を考えれば2人では荷が重い。

 データ取得と援軍の為に一人無明はヘリに乗り込んでいた。

 

 

「恐らくは今まで撃墜いたアラガミは襲ってこないはずだが、万が一の事も考えてここで降りる。このヘリならば仮に追われても速度で振り切れるはずだ。万が一の際には武器を使用してくれ。これで討伐は無理だろうが、相手が怯んだ隙に一気に逃げ切れる性能がこれにはある」

 

 新型のヘリは今までの物とは違い、配備された物よりも出力が強化され、無駄な物を排除し軽量化した結果、従来の物よりも速度が20%程早くなっていた。

 それだけではない。万が一の際にはアラガミを怯ますことの出来る空中爆発が可能となったスタングレネードがヘリには似つかわしくない様な小型の翼が取り付けられ、配備されていた。

 まだ実戦投入すらされていないヘリに乗りむと同時に一気に現地へと向かう。目視出来る頃にはアラガミの影がレーダーに映り始めていた。

 

 

「ここで大丈夫だ。あとは地上の移動も知れている。榊博士にはそう伝えておいてくれ」

 

「了解しました。ではご武運を」

 

ヘリから一気に降下すべく森の中へとダイブすると、ヘリはそのまま極東へと戻る。ここから先は時間との戦いでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アラガミだ!こっちに来るぞ!」

 

 何かを見つけたかの様に、2体のシユウを先頭に議場のある塔へとアラガミは襲い掛かる。ここでのアラガミ防壁は大きな穴が開いたままもあってか、まるでそこが入口だと言わんばかりに多数のサイゴードが入り込んでいた。

 

 

「アリサ、そろそろ来るぞ」

 

「分かってます。皆さん、落ち着いてここを離れてください。我々がここで時間を稼ぎます」

 

 対アラガミの戦端はシユウの声なき咆哮と同時に開かれていた。まるでこれが当たり前だと言わんばかりの行動にソーマとアリサの神機の動きが止まり出す。初見であれば確実に混乱したが、既に一度はその攻撃を見ている為に、ソーマが初戦と同様に無理矢理神機を動かし、迎撃を開始した。

 

 アラガミの急襲は警報と共に避難勧告を住民へと出す。未だ修理される事が無い以上、アラガミが来れば間違いなくそこから入り込むのは容易に理解できた。非難すると同時にアラガミの動向を見れば住民の方へ来る事はなく、全てが塔へと向かっている。 突如として塔の一部が爆発音と共に破壊されていた。

 

 

「ここで俺が交戦する間にアリサは連中を避難させろ。それ位の時間をかせぐ事位は出来る」

 

「分かりました。無理はしないでください」

 

 外壁を破壊したと同時にシユウはソーマと対峙する。サイゴードは既にその場に居た人間を補足したのか、一気に襲い掛かっていた。

 

 

「いつまでも前と同じだと思わないで下さい」

 

 神機が動かない事が織り込み済みであれば、対処する事は決められてくる。確実にそうなる事が分かっているのであれば、精神的なアドバンテージは大きく違ってくる。

 既に盾を展開しがら襲い掛かってくるサイゴードから護る様な動きを見せる事でその場を凌いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ネモスディアナの葦原だ。現在アラガミの強襲を受けている。神機兵の派遣を至急頼む」

 

《すみませんが、神機兵へは現在これまでのデータ処理の為に一旦は格納されています。》

 

 一方でF戦端が開かれる直前、那智は神機兵の手配の為にフェンリルの駐屯地へと連絡を入れる。事前の契約であれば、ここが危機に陥った場合に手配される契約の代償として、ここから搭乗者を募る事になっていた。

 こちらがその義務を果たす以上、権利を行使するのは当然だった。

 

 

「馬鹿な!それでは話が違う!貴様では話にならない。上の者を直ぐに出せ!」

 

 議場が襲われている間、一刻も早く連絡を取るべく総統室で那智は連絡を取っていた。当初の契約を行使するだけにも関わらず、フェンリルの対応は鈍い。対応したオペレーターからはただひたすらこちらでの対処は出来ないとだけ告げられていた。

 既に塔にもかなりの数が入り込んでいるのか、先ほどから地響きが止まらない。この部屋にアラガミが来るのは時間の問題だった。

 

 

「そんな話は聞いていない!一体何の権限があって引き上げたんだ!我々は何のために今までやってきたと思っている。それでは契約の意味が無いではないか!」

 

《その件に関しては私の権限で対応するKとは出来ません。詳細については正規のルートでお願いします》

 

 緊急時のフェンリルの対応が杜撰の一言だった。前回のデータが採取できてからは一旦整備と言う名で神機兵を引き上げると同時に、そこにあったはずの駐屯地も既に撤退していた。

 那智はこの状況の中で気が付いていなかったが、既に回線は転送されており、そこあるはずの前線基地は跡形も無くなっていた。

 

 

「畜生!フェンリルめ!」

 

 通信機を叩きつける様に切ると、地響きが徐々に大きくなってくる。今は交戦できるゴッドイーターはソーマとアリサ以外には居ない。これ以上ここに留まるのは危険だと感じ始めていた。

 このままでは拙いと判断した瞬間だった。大きな破壊音と共に現れたのはサイゴート。まるで新たな餌を見つけたかの様に1体のサイゴードが窓を突き破り、那智を補足していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「数が思った以上に多い。あいつらも無事だと良いが」

 

 無明がネモス・ディアナに到着する頃には、地域は避難しながら時間を稼いでいるのか衛兵と思われし人間が銃で交戦していた。元々オラクル細胞を由来とした武器で無い限り通常の武器では足止めは出来ても、それ以上の効果を発揮する事は出来ない。

 そんな事は誰もが知っている。しかし、背に腹は代えられない。その武器も無いよりはマシだと言わんばかりに何とかその場をしのいでいた。

 

 

「誰か子供を助けて!」

 

 一人の子供の安否を確かめるべく、女性が叫びながら救援を求めている。既に衛兵は他のアラガミに手一杯なのか、その願いを聞き入れる事は出来ない。100メートル程先にはその女性の子供らしい人間がアラガミに襲われる寸前だった。

 突如として襲いかかったサイゴードが目の前で真っ二つになり、崩れ落ちる。襲われる寸前に助かったのか、子供が状況が分からないまま母親の元へと走りだしていた。

 既にここは死地の真っただ中であるが、今は確実に目の前にいるアラガミを屠るべく漆黒の刃を振るっていた。

 

 

「ありがとうございます」

 

「ここは危険だ。直ぐに避難するんだ。それと、アラガミがここに来てどれ位経っている?」

 

「多分1時間位だと」

 

「そうか。この一帯は既にアラガミは討伐したが、また来るかもしれん。直ぐに避難してくれ」

 

 女性に確認したと同時にこの元凶となるアラガミを討伐しない事には恐らくはこの状況が好転する事は無い。時間がそこまで経過しているにも関わらず、未だこの惨状が続くのはまだ交戦しているからに違いない。

 周囲を確認すれば、ここの塔で交戦しているのか一番振動が大きく響いている。最短を走り去り、一気に現地へと急いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「相変わらず忌々しい攻撃だな」

 

 シユウと交戦中にソーマはイラついていた。事前に分かっていた事とは言え、やはり神機が完全に稼働しないままでの攻撃はいつもの様な動きを見せる事は出来なかった。 既に交戦してからどの位の時間が経過したのかは分からない。

 この辺りを飛んでいたサイゴードをあらかた倒しはしたものの、未だシユウは大きなダメージを受けていなかった。アリサの方はどうなっているのか分からないが、時折聞こえる交戦音で無事が確認出来ていた。

 

 神機の不調は神機そのものの威力にまで影響が及んでいるのか、攻撃と防御の変形でさえも時間がかかる以上、安易に攻撃を繰り出す事は躊躇われていた。まだ第1部隊のメンバーが居ればこの状況を打破する可能性はあるが、今はアリサしかいない。

 しかも、そのアリサはソーマ以上に攻撃をする事が困難となっており、その結果が討伐に時間がかかる要因となっていた。

 

 

「くそったれが!」

 

 力任せに振り回したイーブルワンがシユウの翼手の根元から生える触手の様な物を偶然切り裂く。今まで様子を窺いながら攻撃していたシユウが今までの中で一番大きくよろめいていた。恐らくは神機が不調をきたす為の力はそこから発揮されていたのか、周辺からは制限がかかっていた様な雰囲気が消え去ると同時に神機の調子が戻り出した。

 

 今まで制限されていたはずの力が突如として戻る。それを肌で感じたのか、ソーマはこの瞬間を逃す事無く一気に勝負に出ていた。闇色のオーラが神機に纏わりつくと同時に、その力をシユウに向けて振り下ろす。

 渾身のチャージクラッシュがシユウの頭部から真っ二つとなり、シユウが立ったまま左右の身体は離れた。結果は確認する必要も無く、ソーマは次の戦場へと走り出していた。

 

 

 

 



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第114話 ギリギリの戦い

「やっぱり防戦一方は厳しいかな」

 

 アリサは攻撃の手段を無くしたまま、ギリギリの部分でアラガミの攻撃を防いでいた。視線の端には非難する住民の姿がまだ見える。避難の為の囮としてアラガミの攻撃から只管耐えていた。アラガミからは目を離す事無く周囲の状況を察知すれば、残す人員はあと僅かとなっていた。

 このままならば何とかしのぎ切れる。戦いの最中にあった油断と言うにはあまりにも短すぎた時間だった。轟音と共に突如として天井が破壊され、そこから再びサイゴードが群れを成して襲いかかる。これまでの奮闘をあざ笑うかの様な数は絶望を思わせるには十分過ぎていた。

 

 

「そんな!」

 

 襲撃に来たサイゴードはアリサへ向かう事無く他の場所へと移動し始める。向かった先は議場から入る事が出来る部屋の様だが、そこに誰かが居るのかは今のアリサには知る由もない。

 しかし、誰かが居た場合は確実に捕喰されるのであれば、この場から一旦動き、その場所へとフォローする必要がある。目の前に居るサイゴードの攻撃を躱しながらアリサはその部屋へと急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「現状はどうなってるんだ!衛兵は何をしている!」

 

 那智は未だ総統室で現状確認の為に各地に連絡を続けていた。想定外のアラガミの襲撃に加え、予定していたはずの神機兵は既に駐屯地からの撤退より派兵は不可能。今は2人のゴッドイーターによってギリギリのラインで戦線が維持されているが、神機が使えるかどうかすら危ういのであれば、それを戦力としてカウントするのは躊躇していた。

 

 フェンリルから裏切られた事で、新たなこの地での再起をかけた施設は既にアラガミの蹂躙に合い、このままでは壊滅状態に追い込まれるのは時間の問題でもあった。那智とてエイジス計画が理論通りに出来上がっていれば、恐らくはこんな所で生活をするなどとは想像もしていなかった。

 

 エイジス計画の裏にあったアーク計画の概要を知らなければ、今この場に居たのだろうか?アラガミの襲撃を受けながらも、現状を確認し相手の状況確認しながら何が一体こうなったのだろうかと未だ答えを探している。

 偶然この地に来た2人のゴッドイーターによって被害がもたらされたのだろうか?議会場では辛辣な言葉をかけると同時に今後のあらゆる可能性をあの時点で模索していた。

 アラガミ由来のオラクルリソースがなければアラガミ防壁の更新が出来ない事位は元々技術者でもあった那智が一番理解していた。この地に居る住人は皆がフェンリルから見捨てられた事により、集団で生活をしながら日々アラガミの襲撃から怯える生活を送っていた。

 キッカケはともかく、今の状況を見て一番心痛な思いがあるのは議員ではなく、那智だった。あまりにも無慈悲な神は一体何を考えて我々を苦しめるのだろうか?答え無き答えを模索しながらも自分の事だけを顧みず、現状を把握していた。

 

 

 これ以上この場に留まるのは危険だと思われる頃、想定出来る中での最悪の事態が訪れていた。電話の背後からガラスが割れる音と同時に、何か大きな物が部屋に侵入してくる。

 手元には小型拳銃が一丁のみ。この口径ではとてもじゃないが牽制にすら使えず、むしろ護身用とも取れる様な物しかなかった。

 おもむろにアラガミに向けて数発発砲する。戦闘訓練をしていない人間が拳銃を構えた所で狙いが直ぐに定まる物では無い。しかも、これでは自分の身を護る事は不可能だと瞬時に悟っていた。

 

 

「大……丈…夫か?早く…逃げ……ろ」

 

 声と共に今にも捕喰しようと襲いかかって来たサイゴードは轟音と共に大きな風穴があく。倒れたサイゴードの背後には息も絶え絶えになったマルグリットが無理矢理神機を稼働させる事で撃ち落とす事に成功していた。

 

 

「なぜ、お前が?」

 

「今…はそんな事を…言って…いる暇は…ない。早くここから…」

 

 恐らくは先ほどの一撃がギリギリだったのか、マルグリットは力が尽きたかの様にその場から動こうとはしなかった。しかし、ここに侵入したサイゴードは一体だけでは無い。他にも数体のアラガミが侵入していた。難を逃れたはずが、再び最悪の状況が襲い掛かかった。

 

 

「これ以上は…ダメ」

 

 これ以上の攻撃が出来ないからなのか、それとも諦めたのか、神機を捨て去りマルグリットは那智の盾になるべく目の前に立ち、防ごうとする。幾らゴッドイーターと言えど、丸腰のままでは一般人と大差はない。これ以上は何も出来ないと判断した瞬間だった。

 

 

「お前たち目を瞑れ!」

 

 誰かの叫び声が聞こえると同時に、襲い掛かるサイゴードの手前で視界を妨げる様に白い閃光が辺り一面を覆っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「スタングレネード。一体誰が?」

 

 アリサは襲撃されている部屋へと急ぐべく走り続けていた。突如として光がどこからか漏れたのか、壁の隙間から白い閃光が光の筋を作り出す。恐らくは神機に干渉するアラガミが近くに居たらなのか、突如としてアリサの神機の制御が戻り出していた。

 

 

「ここがチャンス!」

 

 神機を銃形態へと直ぐに変形させたと同時に、視認できるアラガミに向けて一気に銃弾を撒き散らす。今までの鬱憤が溜まっていたのを晴らすかの様に、オラクルが尽きる寸前まで一気に撃ち放っていた。浮遊するサイゴートはアリサが放った銃弾で次々と落下し命を散らす。気が付けば周囲のサイゴートは全てこの場に沈んでいた。

 

 小型種が粗方討伐出来た頃、まるでこのタイミングを図ったかの様に触手が生えたシユウとシユウ堕天がアリサの前に立ちふさがる。扉の向こう側の事は気になるが、今は目の前のアラガミを討伐しないかぎり、再度神機が使えない状況に追い込まれる可能性があった。只でさえ厳しい状況下での神機に使用制限は自分の命が危うくなる。その為には一気に仕留める必要があった。

 

 未だ神機が使えない状況に陥る事は無いが、それでもいつどんなタイミングで行動するのかは未だ解明されていない。通常のアラガミの様に、一定以上の攻撃を受けた事で発動するのか、それとも自身の意思で発動するのかすら検討が付いていなかった。

 戦場での逡巡は命取りではあるが、特殊な攻撃をする事が事前に理解できれば、猶更慎重な行動を取らざるを得なかった。

 

 

「このままだと押し切られる」

 

 動向を窺いながらの攻撃はどこか力が入り切らないのか、アリサの剣戟が何時もよりも鈍い。本来であればここまで苦戦するはずのない戦いは目に見えない部分での戦いでもあった。

 

 徐々に行動不能になるのであれば、攻撃そのものを察知しながら慎重に出来るが、たった一度の見えない攻撃による神機の使用不可は一層神経を消耗させる。理想的な戦術は1体づつに分断して個別に討伐する事だが、この狭い部屋の中ではそれすらもかなわない。

 今は何とか凌げているが、このまま追加でアラガミが来るような事が有れば、窮地に追い込まれるのは自明の理だった。

 

 

「え、何で?」

 

 アリサがほんの一瞬視線を外した瞬間だった。突如としてシユウ堕天の翼手から轟音と共に巨大なエネルギー弾がアリサを襲う。いつもなら回避出来るが、至近距離ではそれすらもままならなかった。

 

 

「きゃあああああ」

 

 アリサの悲鳴と共に、まるで共闘しているのか恐れていた事態がついに発生する。声なき咆哮と共に神機が突如として稼働停止し、今のままでは防ぐ事が困難となっていた。

 先程の攻撃を受けたままの状態で、今は盾を展開する事すら出来ない。絶望とも言える状況がアリサの目の前に広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シユウを倒したまでは良かったが、未だアラガミに侵入が止まらないのか、1体を攻撃している間に次々とサイゴードがソーマへと襲い掛かる。既に神機が使用不可能になる可能性は低いと判断したのか、ソーマは何も警戒する事もなくイーブルワンを振り回し、確実にアラガミを屠り去っていた。

 既に霧散した物も含めれば討伐数はかなりの数に上っていた。正体不明のアラガミの能力を考えればソーマ自身もアリサの元へは向いたいが、未だ一向に減る気配の無いアラガミを討伐する事で足止めをくらっていた。

 

 

「次から次へとキリがねぇ」

 

 気が付いていないと判断したからなのか、背後からサイゴートはソーマに襲いかかろうとした。捕喰までの距離はごく僅か。ソーマの肩口に食らいつくはずだったそれは視界が左右に離れていく。自分が斬られた事すら意識しない程の斬撃は一瞬にして身体を左右に離していた。断末魔を聞いたソーマが振り向いた先には無明が立っていた。

 

 

「ソーマか。アリサは今どうしてる?」

 

「アリサならあの塔の一番上だ。あのアラガミの事は知ってるのか?」

 

「アラガミの事は知らんが、神機の件は知っている。今は一刻を争う。ここはお前に任せる」

 

「了解した。それと、例のアラガミだが、翼手の根元から触手の様な物が生えている。恐らくはそれが神機を行動不能に追い込む器官の可能性があるが、そこは同時に弱点の可能性もある。さっきの戦いで明らかに直撃した後の行動が異常だった」

 

 先程の戦いでの情報を短時間で共有する。ソーマは無明が戦っている姿そのものを直接見た事は片手で数える程しかない。普段の佇まいと今の斬撃で途轍もない能力を持っている事は直ぐに理解出来た。恐らくは自分が向かうよりも無明の方が状況判断に優れるだろうと考えたからなのか、この場に自分が留まりアリサの事を任せる事にした。

 

 

「そうか。すまないがここは頼んだ」

 

 一言発すると同時に近くのアラガミを捕喰し、そのままバーストモードへと突入する。その瞬間、どこかで見た事がある様な光景だとソーマは思う頃、既に無明はその場から立ち去っていた。

 ここを任された以上、後は自分がここでの砦となる。今出来る事だけをやりきらんとばかりに神機を握り直していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんでこんな時に」

 

 アリサは思わず舌打ちしそうになりながらも、2体のシユウの攻撃をギリギリの所で躱し続けていた。先程の直撃した攻撃が尾を引いているのか、動きは鈍く身体中のあちこちに傷が出来ていた。

 

 神機が不能になれば、今度はその神機が重荷となる。しかし、これを手放せば今度は反撃の手段を完全に失う以上、今はギリギリの所で踏みとどまっていた。

 如何に歴戦の猛者だとしても一方的なハンデを背負わされたままでは、集中力が切れれば自分の命が簡単に消し飛ぶ。今ここで倒れる訳には行かないと、ギリギリのラインで踏みとどまれているのは使命感から来る物。戦闘時における神経の消耗は思いの外早く、時間の経過と共に集中力が切れ始めていた。

 

 

「エイジ、ごめんなさい」

 

 今正に力尽きようとした時だった。突如として今までアリサを苦しめたはずのシユウ堕天が悲鳴と共に絶命する。目の前で一体何が起こったのかアリサの理解が追い付かない。しかし、シユウの命を奪う原因となった背中から胸にかけて貫かれた刃には見覚えがあった。

 

 

「アリサ無事か!」

 

「無明さん。何とか無事です。それよりも…」

 

 漆黒の刃はエイジの愛用している神機と瓜二つの物。今までにも何度も見ていた神機に誰がここに来たのかを直ぐに理解した。しかし、今は目の前のシユウをどうにかしないと無明でさえも神機を使う事が出来なくなる。その事実がある以上、アリサは素直に喜ぶ事が出来なかった。

 

 

「ソーマから聞いた。その触手の様な物が例の器官だ。最低でもあれさえ何とか出来れば問題無い」

 

 既に用意していたのか、そう言いながらも素早くスタングレネードを使うと同時にシユウの意識を完全に断ち切る。事前に位置を確認していたからなのか、閃光が走った瞬間シユウからは悲鳴が聞こえていた。

 

 

「アリサ、今だ!」

 

 無明が叫ぶと同時に、アリサの神機が再び稼働する。閃光が治まる頃には既にアリサのアヴェンジャーはシユウの翼手を切裂き、無明の神機は肩口から袈裟懸けに斬り裂いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何でアンタがここに居るんだ」

 

「馬鹿野郎が。こんな戦場でお前のやって居る事は自殺と何ら変わらないんだぞ。お前の行動がその子を殺す所だったんだ。何で技術屋のお前がスタングレネードの一つも持ってないんだ」

 

 立ちふさがるマルグリットの目の前に使われたスタングレネードは八雲が放った物だった。白い閃光が結果的にはサイゴードを撤退させる事になり、その結果として風前の灯とも思われた命が助かっていた。

 

 

「何を今更。私に構わなくて結構だ」

 

 強がりとも取れる言葉なのか、強気の言葉とは裏腹に那智は腰が抜けたのか立つことすらままならない。この状況の中でどうやってここにこたのかは分からないが、それが元で助かったのは紛れも無い事実だった。

 しかし、スタングレネードの効果は永続的には続かない。先ほど撤退したサイゴードが反撃とばかりに今度はサリエルを連れてきていた。ここには既に武器らしいものは何一つない。

 このまま捕喰されるのは時間の問題だった。

 

 

「腰抜かした奴が何いってるんだ。親が子を助けるのは当たり前だろうが」

 

「何をそんなくだらない事言ってるんだ。今度はフェンリルを手なずけて何をするつもりなんだ?」

 

 プライドが許さないのか、それともこの場においてもイニシアティブを取りたいのか、那智は強硬な姿勢を崩すことは無かった。このままだとサリエルが来れば、ここは再び死地へと逆戻りする。

 言い争う前に、ここから一刻も早い撤退が一番だった。

 

 

「那智、お前もいい大人なんだ。いつまでガキみたいな理屈を並べれば気が済むんだ?いい加減、現実をもっとよく見ろ」

 

 諭す様な言葉は既に那智の心には届いてなかった。妄執とも取れる一念でここを作り上げ、僅かとは言えここの住民をアラガミから守って来た自負があったのか、八雲の言葉が棘を持ったかの様に那智の心に突き刺ささっていた。

 

 

「何を今さら親らしい事を言ってる。アンタは昔からそうだった。母親が殺された時も、何も知らない神機使いが来て俺たちが追い出されても何一つ反論すらしない。全部を諦めたあんだが、今更親の面で何言ってるんだ!」

 

 恐らくはこの局面に来て初めて親子喧嘩になったのだろう。既に那智と八雲の言い争いは立場を捨て去り、一個の家族の会話へとなっていた。もっと早くにこんな会話ができれば、違う未来があったのかもしれない。

 今更後悔した所で過ぎ去った時間が戻る事は無い事位は誰でも知っている。那智は気が付いていないが、既に八雲の命の炎は消え去る寸前だった。アラガミの攻撃とスタングレーネドの光が収まると同時に視界が広がってくる。そこには驚愕の事実があった。

 

 

「今更俺は親だとは言わないが、お前にはここを作る事が出来た頭がある。そして、ここに集まった人間は全員がお前を頼ってきたんだ。折角素晴らしい頭脳を持ってるなら、それを精一杯行かせ。それがお前の責……務…」

 

 言葉の途中で力尽きたのか、八雲の口からは喀血し、半身は既に無くなっていた。恐らくは今際の言葉だったのだろうか。それ以上の言葉を発する事は無かった。

 

 

 

 

 

「八雲さん!」

 

 アリサが突入した際に見えた光景は凄惨の一言だった。既に力尽きたのか、八雲は動く事はおろか生気すら感じない。その瞬間、八雲はこの世を去った事実だけを残していた。

 

 この惨状にアリサの目に怒りの炎が宿る。目の前のサリエルに向かって大きく跳躍する。高低差を活かした事により、レイジングロアからの一斉射撃はサリエルの頭蓋を破壊戦せんと全弾を撃ちおろす。銃弾に叩き付けられたのか、サリエルは勢いを無くし地面へと落下していた。既にダウンしたのか動く気配は感じられない。八雲の敵と言わんばかりに力任せに神機を振り下ろした。

 サリエルは力なくその場に倒れ、絶命していた。

 

 

「アリサ、終わったのか……そうか。八雲さんが」

 

 アリサの後で区画一帯を掃討した後に無明が部屋に入ると、そこには力が抜けたかのように佇んだ那智がへたり込んでいた。既に制圧は完了したが、今度は建物の倒壊の恐れが出てくる。完全には見ていないが、その場に漂う血の匂いが全てを語っている様だった。ここで感傷に浸る暇はどこにも無い。一旦、安全確認する為に全員は塔から脱出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご苦労だったな」

 

「終わったのか」

 

「ああ、取敢えずは例のアラガミを討伐したから暫くは大丈夫だろう。あとはここの復旧次第だな」

 

 塔から脱出した事で、漸く居住区の状況が見え始めていた。建物は大半が半壊、もしくは全壊している。恐らくは復旧に関しては相当の時間が必要になるのだろう。しかし、その前に一番重要なのがアラガミ防壁の補修だった。

 大きな穴は一番最初に侵入されたままではあったが、今回の襲撃で新たに更新する必要が出ていた。まずはそれが出来ない事には復旧ノメドが立つ事も無く、一刻も早い判断が求められていた。

 

 

「那智さん。今回の件だが、我々から資材提供と復興に関する費用を受けもとう」

 

「無明さん。貴方からの申し出は有りがたいが、この場での応諾は致しかねる。少し時間を貰えないだろうか」

 

「那智さんの立場は理解しているが、今はそんな事で時間を無駄にする訳には行かないだろう。どのみち議会と言っても、この状況だと開催は不可能だ。この場は俺に任せて貰えないか?ここを悪い様にはしない」

 

 現地の確認とばかりにアリサとソーマは今後の事も踏まえて2人のやり取りを見ていた。しかし、会話が何かおかしい。どう見てもお互いが初対面の様には見えず、そこには一定以上の信頼関係がそこにはあった。

 自分達とのこれまでの対応との違いに理解が追い付かない。このまま口を挟む事も出来ず、今はそのやり取りを見る事しか出来なかった。

 

 

「……分かった。ネモス・ディアナとして屋敷の正式な援助を受けよう。議会には緊急時における対応だと伝えておこう」

 

「直ぐに手配をしよう。ただ、屋敷は知っての通りここに回す人員は不足している故、極東支部の人間を使う。管理は俺が受けもとう」

 

「仕方あるまい」

 

 今までの苦労は何だったのか。あまりに呆気なく決まったのは良い事なのかもしれないが、アリサ達と無明との対応が違い過ぎた。一体今までの苦労は何だったのだろうか?本来ならば声を大にして聞きたい衝動に駆られていたが、今の状況下では聞く事すら憚られた。

 

 

「おい、無明。一つ聞きたい」

 

 聞きたいのはアリサだけでは無かった。アリサの場合はエイジとの事が有るので安易に聞く事が出来ないのかもしれない。しかし、ソーマにはそこまでのシガラミはシオ以外には無く、その結果としてアリサが聞きたい事を代弁した様にも思えていた。

 

「何だ?」

 

「お前はここの場所の事は知ってたのか?」

 

「当たり前だ。通信で言っただろう」

 

「だったら、俺たちにも一言位言ってくれても良いだろうが」

 

 苛立つソーマの言いたい事は尤もだった。事前に知っていれば、ここまで苦労する事は無かったはずだった。短い期間ではあったものの、ここでの内容はあまりにも濃すぎた。

 内容が良ければまだしも、完全に敵視された中でのこの状況は面白くないのは当然だった。

 

 

「確証はあったが、お前たちの今後の事も考えた上での結果だ。話の齟齬が無い様に言えば、これは屋敷と、こことの取り決めであって、間にフェンリルは介在していない。ここまで言えばお前も理解出来るだろう」

 

 極東支部では無く、屋敷と言われた事でアリサは理解していた。元々何の援助も受けていないのであれば、今回の件はあくまでもお互いが独立したコミュニティ同士のやり取りでしかない。偶々今回の支援に当たって極東支部を下請けとして使うだけの問題だけだった。短い期間とは言え、ここに滞在したからこそ分かる理由。

 だからこそ、それ以上の事は何も言えずソーマは黙る事しか出来なかった。

 

 

 

 



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第115話 事後処理

 無明と那智のやりとりが終わると同時に、今後の復興計画が一気に行使されていた。組織として動けばそこには何かと手続きが必要となる為に時間だけが浪費される。アラガミが再び襲ってこない保証はどこにも無い。だからこその独断とも取れる決定事項となっていた。

 支援物資の支給にアラガミ防壁を構築する為のオラクルリソースなど、これまで懸念されるであろう事項が次々と解決されていく。当初の予定よりも2週間近く早い期間で復興の手筈が整っていた。

 議会に関しては那智の予定通り、緊急時におけるアラガミ襲撃による災害対応と銘打った事もあり、反論の余地は無かった。今回の件に関しては極東支部はあくまでも下請けとしての復興に当たる事が正式な文章として議会経由で承認されていた。

 

 未だ戦火の爪痕は生々しく残っているも、それでも生きようとする人々の心が圧倒的に伝わってきていた。

 

 

「ごくろうさん。今回の件なんだけど、榊博士からの伝言があるよ」

 

 復興に関しては暫くの間はソーマとアリサが常駐していた事もあってか、それとも気分転換で来たのか、ヘリからコウタが下りてくる。外部居住区とは違った光景に物珍しさもあったのか、色んな所を見ながらも、当初の予定を伝えるべくアリサ達を捜していた。

 

 

「博士からの伝言ですか?」

 

「どうやら今回の件に関してなんだけど、屋敷が仲介に立つ事でネモス・ディアナと極東とで調印する事になったらしいよ。詳しい事は分からないけど、弥生さんが何か書類を作成してたのと、近々極東に代表団を迎え入れるって」

 

 今回の件に関しては、完全に復興するまでの支援で決定したが、今後の事に関しては何も決まっていない。本来であれば神機兵の配備が決定していれば、ここまでの話にはならなかった。

 しかし、土壇場でフェンリルはネモス・ディアナを切った事から、住民や議会の内部でも不信感と不安が浸透していた。このままでは更なる混乱を招きかねない。

 その結果として極東支部からのゴッドイーターの派遣を渋々ながらも認める事になっていた。

 

 

「へ~。よく議会が承認しましたね。そう言えば、あの時来ていた神機使いの人は一体誰なんですか?」

 

 サツキの疑問は尤もだった。那智と無明の間には何らかの信頼関係が存在していた事は何となくでも理解できるが、サツキはその存在を知らない。何気にアリサに聞いたのも、そんなささやかな疑問から出た言葉だった。

 一方のアリサはサツキの言う神機使いが誰なのかは直ぐに分かったが、簡単に言っても大丈夫なんだろうか?そんな疑問があった為に言葉に詰まっていた。

 

 

「それは……」

 

「貴女は高峰さんだったか?」

 

 言っても良いのか悩んでいた所で、その人そのものがサツキに声をかける。あの時とは違った服装にサツキとしても何となくそうだとは理解したが、決してそれを軽々しく口に出す事が出来る様な雰囲気では無い事は直ぐに分かっていた。

 

 

「そうですが……あなたは……ひょっとして紫藤博士ですか?」

 

「ああ。今回はアリサ達が世話になったようだな。これからは何かと大変かとは思うが、後の事は頼んだぞ」

 

「そんな事を私に言われても…それは議会が決める事ですから」

 

「那智さんには先ほど挨拶しておいたから問題ない。君には何かと世話になったと聞いているから来ただけだ」

 

 威圧的では無いが、どこか気が置けない様な雰囲気にサツキは無意識の内に、身構える様な雰囲気を出していた。この人物が紫藤博士である事は広報時代からの内容で理解していたが、まさかこんな所で会うとは思ってもいなかった。

 映像しか見た事がなかったが、目の前の本人はとても研究職の人間が放つ雰囲気ではない。サツキの視界に映る人物像は畏怖とも思えていた。

 

 

「そう言えば、八雲さんの事なんだが、どうやら流行り病に少し前から罹患していたようだな」

 

「そうだったんですか……」

 

 何気に発した無明の言葉にアリサが驚いていた。短い期間ではあったが八雲の言動からはそんなそぶりは全く見えず、アリサ達だけではなく、マルグリットも匿う事をしていた。今考えれば、その行動に納得できる部分も多々あった。

 アリサ達が家に居た際にはマルグリットの看病や、運搬に関しては全部八雲がやっていた。この原因不明の病気は接触感染で罹患する。そう考えれば納得の出来る物があった。

 

 

「あのさ、話してる所悪いんだけど、この人達って誰?」

 

 空気を読んだのか、それとも敢えて読まなかったのか、話に付いていけないコウタが横から口を挟む。会話の内容が分からない為に今まで介入する事が出来なかったのか、今一度確認とばかりに聞く事にしていた。

 

 

「コウタは少しは空気を読んでください。この人は高峰サツキさん。で、この人が…」

 

「誰、この綺麗な娘。俺は藤木コウタって言います。よろし……」

 

「ちょっとあなた、何考えてるんですか。ユノが怯えるじゃないですか」

 

 サツキの影であまり意識してなかったからなのか、ユノを見つけたコウタが素早く挨拶をする。全てを事も無視した事と、取敢えずユノが目当てだと分かったのか近寄るコウタの背中に蹴りを入れた事でコウタはよろめいていた。

 

 

「なんだこの態度の悪いおばさ……」

 

「どうやらもう少し教育が必要みたいですね」

 

「…いえ、すみませんでした」

 

 コウタが会話に入ってきた事で、今までのシリアスな空気が一気に変わり、そこは日常の様な空気となっていた。

 

 

「コウタ。後の件だが、俺は榊博士と話の内容を詰めておく。それと今回のアラガミに対する今後の対応を考える必要があるからこれからアナグラへと戻る。それと、さっきからシオがあっちこっち歩いてるんだが、どうやって連れて来たんだ?」

 

「えっ?シオなんて連れてきてないですよ」

 

 無明から言われた言葉に理解が付いて行かないのか、コウタは無明の視線の先を振り返る。コウタだけではなく、アリサとソーマもその視線の先を見て驚きを隠せなかった。

 

 

「あっ!ソーマ。今回はたいへんだったな~。ここは良いところだな」

 

「おい、コウタ。お前何考えてるんだ?」

 

 確認とばかりにソーマが詰め寄るが、コウタも何故こんな所にシオが居るのか分からなかった。知らない以上、答える事が出来ないが、このままソーマの視線を受け止める事が出来ないのもまた事実だった。

 

 

「い、いや。俺は知らない。さっきまで居なかったはずだぞ?」

 

「じゃあ、なんでここに居るんだ?」

 

 このままいつまでこんな事が続くのだろうか?分からない答えに対して、これ以上はどうする事も出来ない。どう答えればいいのだろうか?残念ながら今のコウタに答えてくれる人間はどこにもいなかった。

 

 

「コウタ、あのヘリのにもつ入れにはいってたけど、中々よかったぞ。こんど入ってみるか?」

 

「へっ?荷物入れ?あの中に入ってたのか?」

 

「ぐうぜん隠れてたら、ヘリがとんでここにいたぞ」

 

 あまりの想定外の内容に誰もが言葉を発する事が暫く出来なかった。どれほどの時間が経ったのか、シオの言動からは悪い事をしたとは思ってもいない。いち早く動く事ができたのはソーマだった。

 

 

「シオ、どうやってヘリに乗ったのかは知らないが、万が一の事があったらどうするつもりだったんだ?」

 

「どうって…これはえらくない事だったのか?」

 

 天真爛漫を絵にかいた様なシオがうなだれると、何となくこちらが悪い様な気持ちになってくる。もちろん、ソーマとしても怒る気持ちもだが、その前に確認したい方が先に出ていた。

 

 

「シオちゃん。ソーマは怒ってるんじゃなくて、知りたいだけなんです。だから本当の事を言ってくれますか?」

 

 既にサツキやユノは蚊帳の外となっていた。あんなに真っ白な娘がネモス・ディアナに居たのかと、どうでも良い様な考えと共に、ここにこれ以上居た所で仕方ないと考えていた。サツキは改めてアリサ達に挨拶をし、別れる事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、ネモス・ディアナの葦原那智君だったっけか?彼の理論は素晴らしい物があるようだね。これは我々にとっては大きな内容だよ。なぜ彼はこれを発表しなかったんだろうね?」

 

 榊が疑問に思うのは無理も無かった。今回の支援の際に、一方的な施しは受けないとばかりに、ネモス・ディアナのアラガミ防壁の技術を公表していた。

 神機の事やアラガミの事であれば、誰もが驚く内容ではあるが、アラガミ防壁に関しては関心が薄いのか、それとも理解されにくい内容だったのか一部の技術者は内容に関して驚いていたが、それ以外に関しての関心は低かった。

 

 極東支部は常時ゴッドイーターが討伐の際にコアを取得してくる関係上、オラクルリソースが枯渇する様な事は一切ない。しかし、何の手立ても持たない居住区であれば、そのリソースそのものが無い事もあり、今回の内容は今後の展望を考えると望ましい結果がもたらされていた。

 

 

「ヨハネス前支部長の事も恐らくは要因としているのかもしれませんね。彼はそこまで大事になるとも考えていなかったのかもしれませんが」

 

「しかし、今計画している内容からすれば、ゴッドイーターの負担は間違いなく軽くなるのは確かだね。まさかここまでのコストで従来並みの結果を出そうとすれば、膨大な時間が必要になる。本来だったらかなりの労力が必要だよ」

 

「これに関してはここだけではなく、今後は場所が厳しい支部でも採用される可能性があるのであれば、一度本人の了承を得て発表するのが一番かもしれませんね」

 

 今回の内容にこの世界での第一人者を自負していた榊は純粋に驚きを隠さなかった。全ての技術が自分だけのアイディアで完結しているとは思っても無かったが、まさかこんな身近な所から純粋な技術提供がもたらされるなどとは想定していなかった。

 だからこそ、現在推し進めている計画の上積みが更に可能だと考えていた。

 

 

「彼がどう言うかは君に一任した方が良さそうだね」

 

「この件に関しては、こちらで対応します。そう言えば、本部へ派兵していたリンドウ達がそろそろ帰ってくる様ですね」

 

「向うの思惑もあるんだろうけど、今回の新種のアラガミに関しては一旦こちらでも対策を取る必要があるからね。データそのものは本部にも送ってあるけど、未だ発表しない事を考えると、手をこまねいている可能性もあるね。まぁ、あそこの事は君が一番良く知ってるだろうからね」

 

 アラガミ防壁も然る事ながら、一番の懸念は神機を制御不能にするアラガミの対策だった。現状ではコアの解析中ではあるものの、未だ対策を立てる事が出来ず、今の所は交戦したソーマ達から確認しない事にはどこから手を付ければ良いのか、皆目見当もつかない状況だった。

 榊の脳裏に、人類史上初めてアラガミが誕生した頃を思い出させる。今はまだ完全に対策を立てる事が出来ない以上、対処療法だけでも早急に確立する必要があった。

 

 

「まずは情報の確認と現場への周知徹底でしょうね。幸いにも本部から帰ってくるのならば、一旦、全員を招集した方が手っ取り早いでしょうから。この件に関しては内容がまとまり次第アナグラ内部に公表する様に手配しましょう。弥生、聞いていたとおりだ」

 

「御当主。承知しました。で、開催の日時はどうされますか?」

 

 無明の一言で、先ほどまで他の事務処理をしていたはずの弥生が背後に来ていた。いつもの様な奔放かつ妖艶な雰囲気はそこには無く、ただ一人の部下としての命を受けている様な空気だけが漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや~久しぶりに帰って来たらレンのやつ思った以上に大きくなって驚いたぞ」

 

「知らないオジサン扱いはされなかったのか?」

 

「あのなぁ、うちのレンはお前と違って素直なんだよ。ったくお前の幼少時代のデータがあったらレンに見せて、こうなるなよって言ってやりたいぜ」

 

 ソーマ達のチームは今回の件で一旦は帰還命令が出た事で、同じく帰国したばかりのリンドウ達のチームと屋敷で合流する事になった。内容に関しては目下一番の対策事項でもある特殊な能力を有したアラガミの対策だった。

 屋敷に着いた早々は簡単な話の為なのか内輪での話に終始していたが、無明と榊が来ると状況は一転した。実際に戦った経験を元にした説明は知らないリンドウ達でも容易に理解出来る内容でもあった。

 

 神機が動かない可能性を秘めたままでの戦場は一方的な状況へと陥りやすくなる。

 いくら実戦経験が豊富な人間と言えど、稼働しない神機ではアラガミの討伐は事実不可能となるのは当然の事だった。だからこそ、その対策とばかりに交戦経験があるソーマとアリサも呼ばれていた。

 

 

「なぁ無明。真面目な話、今回の件はソーマの持つ偏食因子が俺達と違っていたから動いたんだよな?」

 

「今の所、こちらはそう結論付けている。だが、これは俺の推測なんだが、元々P53はアラガミのメインとも取れる偏食因子だからこそ、影響を受けた可能性がある。ソーマの偏食因子は他とはとは違う事から勘案すれば、リンドウもソーマと同じ様に動く可能性が高い」

 

「俺もかよ?でも俺のはただ暴走してだけだろ?そんな簡単に偏食因子なんて変わるのか?」

 

 リンドウの疑問は無理も無かった。元々ゴッドイーターの適合試験はP53を摂取する事で従来の神機を操る事が可能となっている。これはゴッドイーターであれば誰もが知っている内容だった。しかし、無明からの発言はそんな常識を覆す可能性を示し、その結果どうなるのかが待たれていた。

 

 

「厳密に言えば、お前の偏食因子はP53のままだ。ただし、一旦暴走した際に、外部から別の細胞を取り入れている以上、亜種と言った形で変異していると考えている。これは以前にお前がここに居た際に確認した事なんだ。現に、お前に投与している偏食因子は他のゴッドイーター達とは少し内容が違ってる」

 

 今頃何を言ってるんだとばかりに言われた言葉はリンドウも気が付かなかったのか、理解が追い付かないのか言葉を発する事が出来なかった。見た目は他のゴッドイーターと同じ物を投与されていると考えていたからなのか、想定外の話にどう対処して良いのかすら分からなかった。

 

 

「リンドウさんの偏食因子の事は横に置いて、今後の対処はどうすれば?」

 

 固まったリンドウをそのままにしても話は一向に進まない。今はそんな事よりも重要な事があるからと、まずは確認が先決とばかりにアリサが口を開いた。

 

 

「その件に関してだが、神機が不能になる条件はアラガミが発する感応現象だと考えた方が一番分かりやすいだろう。それはアリサが一番理解しているはずだが?」

 

「兄様、感応現象はお互いが接触した状態でなければ発動しないはずでは?」

 

「エイジの言い分は尤もだが、これは仮説の段階にすぎないが、感応現象は本来は空気中でも伝播する物なのかもしれない。音を伝える際に大気の振動を利用するのと同じ現象だと考えるのが自然だろう。

 その際に、我々人間であれば、記憶の共有や感情の理解など、多岐にわたるだろうが、アラガミの場合には単純に本能として自分以外の者を従わせる事で対処してるのだろう」

 

 このメンバーであればアリサとエイジが一番感応現象についての理解があった。お互いの感情が入り混じる事で今の関係がある以上、それ以上の説明は不要だった。

 

 

「神機も元はアラガミだからね。恐らくは支配下に置かれた事で制御が働かなくなったと考える事で間違ってないだろうね」

 

「博士の言う様に支配下に置く件に関しては、持続性は無いと考えても差支え無いでしょう。現にソーマが攻撃した際には元に戻ったのであれば、それが答えの様な物だと。あとはスタングレネードで意識を刈り取るのが有効と考えるのが妥当な判断でしょう」

 

 屋敷での会話は絶望からの悲観ではなく、今後前に進む為の準備となっていた。対策さえ立てば、後の事は各自の判断に任せる事で、今後の行方を決めていた。

 

 

 

 

 

「御当主、食事の準備が出来ました。皆さんもこちらに来てください」

 

 話もある程度終わりが見えた頃合いを図ったかの様に女性が襖を開けていた。既に準備が終わったていたのか、案内された場所へ移動すると、そこにはレンを伴ってサクヤとシオが待っていた。

 

 

「リンドウ、話は終わったの?」

 

「ああ、何とかな。色んな事が有り過ぎていまだ頭が混乱してるが」

 

「あなたの混乱は今に始まった事じゃ無いでしょ。ほら、レン。あなたのお父さんが帰ってきたのよ」

 

 何時もは通信でしか見ていないレンも既に立ったまま歩く事が出来るようになってきたのか、未だおぼつかない様子ではあるが、ゆっくりとバランスを取る様にリンドウの元へと歩いて行く。このメンバーの中で唯一、小さな子供がいる事もあってか、一つ一つの挙動に注目を浴びていた。

 

 

「リンドウ。知らないオジサン扱いされなくて良かったな」

 

「何言ってんだ。しかし、レンも大きくなったな。サクヤ、いつも不在ですまないな」

 

「ううん。それは仕事だから構わないわよ。最近はレンもここに来る事が割と多いから。それに、ここには慣れてるしね」

 

 レンは両親がゴッドイーターであるのと同時に、リンドウの特異性もあってか、毎回検診の結果が必要となる為に、他の子供よりも頻繁に検診に来る事が多かった。

 当初は榊のラボでとの話もあったが、最近のゴッドイーターの増加に伴い、検査は屋敷でする事が多くなっていた。

 

 

「そうか…ここならアナグラと変わらないだろうから安心だな」

 

「それに、ここは割と小さい子供もいるからレンの遊び相手になってもらってるのよ」

 

 通信では話すがやはり実際に自分の目で見ると、サクヤが言う様にこの場所に慣れてる様にも思えていた。事実外部居住区とは違い、アナグラでは小さな子供が動ける様な場所は少なく、動きたがりのレンからすればここは十分すぎる程に遊ぶ事が出来ていた。

 

 

「リンドウ。今回の派兵で一旦は終了だが、今後も場合によっては突発的な出動がかかる可能性がある。今の内にしっかりとレンと遊んでくんだな」

 

「姉上、それは一体?」

 

「今回の実績で、本部から新種における調査や討伐が今後正式にクレイドルに依頼される事になった。今後の件は私が窓口になるから、決定次第に行動に移る事になる」

 

 遅れてツバキが来た頃に、今回の実績と今後の事も踏まえての要請が本部から下される事になった。ネモス・ディアナでアリサが議会に対して言った様に、クレイドルは独立支援部隊となる。

 幾ら資金が潤沢にあっても、一支部の予算だけでは今後の運営が伴わない可能性が高く、その結果としてフェンリル本部からクレイドルに対して依頼する体を取る結果となる事で、今後の資金獲得の一因なっていた。

 

 

 

 今回の件によって完全にクレイドルは独立支援部隊としての認可が本部からおろされる事となった。

 

 

 



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第116話 新型兵装

「エイジ、本部はどうだったんですか?」

 

 情報交換が終わると同時に食事会が開催され、久しぶりの逢瀬にアリサはそのまま屋敷に滞在する事なった。自分自身も大変な環境に居たにも関わらず、こちらの心配が最初に来るあたりがアリサらしいが、それはエイジも同じ感覚だった。

 ネモス・ディアナでの顛末は聞いていたが、実際に細かい話を聞くと想像以上に大変な事態となっており、その結果がアリサとの通信に表れていた事が理解できた。

 

 

「こっちは何も変わらないよ。討伐対象が接触禁忌種なだけで、基本はここと同じだから。それよりもアリサの方が大変だったろ?」

 

「私の所は……色々有り過ぎたので、何から言えば良いのかすら分かりません。でも、以前にエイジが言った様に、私も出来る事をやろうかと考える事にしました」

 

 あの後は何となく那智とも話し合いが済んだ事もあってか、以前の様な敵視する視線は少なくなってはきたが、それでも完全にそれが無くなった訳では無かった。大いなる計画の最初の一歩と同時に、ネモス・ディアナを今後の参考にしながら新たなサテライト拠点を探す事になる。その道のりはまだまだ遠いが、最初に第一歩だけは始まっていた。

 

 

「そう言えば、アリサの新しい制服すごく似合ってたよ。まぁ、あの開き具合はどうかとは思ったけど」

 

「そうですか?最初はちょっと驚きましたけど、ソーマやコウタが何も言わなかったので、私も気にしない様にしてるんですけど」

 

 アリサの制服姿を見て褒めはしたものの、エイジが心配するのはある意味当然だった。初めて袖を通した際にも少しは見たが、出発直前の影響もあって慌ただしく過ごしていた。当時、どうして気が付かなかったのか僅かに悔やむ。

 ソーマやコウタからすれば今までの服と大差が無い程度にしか考えて無かったが、恋人のエイジからすればあの制服姿はある意味煽情的にも見えていた。

 

 一方のアリサも最初に着替えた際に、何人かのゴッドイーターから言われていたが、その意味をアリサが理解していないのと同時に、その場にエイジが居なかった事もあってか周りの影響を知る事は出来ない。

 本来ならばもっと違うデザインでお願いしたい所だったが、アリサ自身が何も疑問に思わないのであれば、それ以上突っ込む事は出来なかった。

 

 

「どうしたんですか急に?」

 

「……ちょっとね。せめてもう少し下までファスナーが下りなかったのかなって」

 

 何気なく言葉にしたエイジの台詞にアリサの頬に朱が走っていた。

 

 

「それに関しては…エイジのせいです。だって採寸の時よりも……その……」

 

「その?何かやったっけ?」

 

 アリサからすれば誰のせいでもないのだが、目の前のエイジが原因だとは完全には言いにくい部分もあった。それでも大半の責任はエイジにあると言いたい気持ちがあったのか、それとも自分も自覚しているからなのか、どこか言い淀んでいた。

 まさかこんな事になっているとは本人ですら予想しておらず、事実上のとばっちりはエイジへと向かっていた。

 

「…それが…」

 

「それが?」

 

 あまりにも反応が鈍いのか、本当に気が付かないのか、これ以上はエイジに中では理解出来ないのだろうと、アリサは思い切ってハッキリと言う事にした。

 

「もう。…少しは察してください。採寸の時よりも胸が大きくなってたんです。今までこんなに短期間で大きくなった事は無かったのと、エイジと付き合う様になってから急に変わり出したんです」

 

「へ?…そ、そうなんだ。なんか…ごめんね。でも、恋人としては見せてほしくないと言うか…何となく見えそうな様にも…」

 

 何処となく怒った様な口調ではあったが、顔が赤い状態では説得力に欠けている。胸が大きくなったのかどうかはエイジも確認した訳では無いので確かめようも無いが、本人がそう言うのであれが間違いないのだろう。何となく意識し始めたのか、お互いの顔が少し赤くなっていた。

 

 

「どの位なのか、自分で確かめてください。でも優しくしてくださいね」

 

「…頑張ります」

 

 久しぶりの逢瀬に火が付いたのか、いつも以上にキスから始めるアリサの甘い嬌声は宵闇の中へと消え去って行く。情熱的な夜は瞬く間に過ぎ去り、翌朝には艶やかな2人が朝食を取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナオヤ、ちょっと確認した事があるんだけど」

 

「エイジか。何だ、不具合でも起きたのか?」

 

 ツバキからの話では暫くの間は派兵に出る事が無い為に、クレイドルとしての業務の傍ら、通常の討伐任務がいくつか入っていた。ここに帰ってくると日常が戻った感覚がするのか、今のエイジには精神的にも落ち着いていた。

 

 

「不具合じゃないんだけど、本部で新しい神機が開発されてたのを見たんだけど、ここには配備されたの?」

 

「例のチャージスピアとブーストハンマーの事か?それならここにも配備はされる予定だけど、まだ整備のマニュアルとマニピュレーターがまだだから、それ次第だな。今はリッカと博士が奮闘中って所だ」

 

 本部での討伐任務の傍らで整備班に行くと、何機かの新型兵装が見えていた。実際に使った訳ではないが、遠目から見ても今までの刀身系統ではなく、むしろ異質な物の様にも見えている。

 今までに見た事が無い兵装に、エイジも何となく関心はあったが、未だ自分の神機との折り合いすら付いていない状態であれば、それ以上の事は何も出来ず、また本部でも実戦投入には時間がかかっていた事が思い出されるが、ここでは未だ配備すらされていなかった。

 

 

「遠目で見たんだけど、何となく面白そうな装備ではあったけど、恐らく運用には時間がかかりそうだね」

 

「話だと、他の支部では徐々に変更されてるらしいから、ここに来る頃にはある程度のノウハウは出来るだろうな」

 

「でも、実機は無くても訓練用はあるんだよね?」

 

「サンプルでは来ているな。…確かエリナが使ってるはずだぞ」

 

 新型の兵装は各支部でも期待値が高かったのか、予定よりも早い実戦投入されていた。既に他の支部では運用実績がそれなりに上がってはいたが、それと同じ位に事故も多かった。

 他の支部は分からないが、極東では神機の故障や動作不良は即、死に繋がる。何も決まらないまま実戦配備では死傷率が増加する事は間違い無い。だからこそ、リッカも安易に導入するつもりはなく、その結果として運用には慎重な対応をせざるを得なかった。

 

 

「エリナって例の?」

 

「そう、あのエリナだ。……ってほらあそこ歩いてるだろ?」

 

 目線を追えば、何か疲れ切った様な表情とトボトボと歩く様子が見て取れる。思った以上に上手く行っていないのか、足取りが異様に重く、どことなく生気が無い様な雰囲気が滲み出ていた。

 

 

「エリナ。ちょっと良いか?」

 

「ナオヤさん。私に何か?」

 

 ナオヤに呼ばれた事でこっちに来たのは良いが、どことなく疲れが抜けきらないのか、表情が冴える事無く雰囲気も決して良い物だとは思えなかった。ナオヤはリッカと共に、チャージスピアの実戦運用の為にチューニングをしてるが、エイジは碌に話した記憶も無かった事もあり、とりあえずは様子を見る事にしていた。

 

 

「お前、また無理な訓練してんじゃないよな?無理にやっても良い結果が出ないと前に言ったはずだが?」

 

「…そんな事はしてません。ちょっと人よりも詳しく知りたいと思ってるだけですから」

 

「馬鹿だな。整備班に神機の件で隠し事なんて出来る訳無いだろうが。今日の訓練は終了だ。これ以上やろうとするならこちらにも考えがある」

 

 普段から厳しい事は言われても、それは自分の為を思っての発言である事はエリナにも分かっていた。ナオヤに言われるまでも無く、オーバーワークなのも理解している。今はそれよりも一刻も早く戦場に出る事が優先だと考えての行動だった。

 

 

「分かりました。今日はこれで終わります」

 

 厳しい一言を受けてなのか、疲れ切った様子を隠す事もなくエリナは自室へと戻る。恐らくは帰ればすぐに寝てしまうのではないだろうかと思う程の疲労感を漂わせていた。

 

 

「ナオヤ、エリナって新兵の訓練カリキュラムは受けたんだよな?」

 

「エリナの場合は中級までだ。上級は受けていない」

 

「何であそこまで拘るんだ?ここは上級の認可が出ないと次の実戦カリキュラムには行けないはずだぞ?」

 

 極東支部は以前に実戦カリキュラムを変更した際に一定以上のレベルに到達しない限り、次のステップへと移行する事が出来ない様に変更されていた。勿論、教導担当者が認可すれば時間に関係なく次へと進むことが出来るが、エリナに関してだけは次のステップには中々進む事が出来なかった。

 

 

「今の内容だと新型兵装には対応しきれないんだよ。今の所は作成中なんだが、これが中々上手く行かなくてな。他の教導の連中も今後の事があるから、簡単に出来ないんだろうな」

 

 ナオヤの言い分はエイジには直ぐに理解出来ていた。新型兵装に限った話ではないが、今まで使っていた神機を新たに違う系統に変更すると、どうしても間合いの取り方や戦術が変わってくる。

 今までは刀身型だった事と、今までの利用実績から新たな教導が可能ではあったが、チャージスピアとブーストハンマーはここだけではなく、世界中の支部でも未だに思考錯誤を繰り返しながら開発をしていた。

 手さぐりであれば、当然一つ一つの動作の検証が必要となり、未だ実戦配備出来ないのは神機だけではなく、整備班も同じ事だった。

 ゴッドイーターでさえも実践を繰り返しながら経験を積むしかない。運用に関しては手さぐりの状態が続いていた。

 

 

「なぁ、少し時間あるならチャージスピアじゃなくて、槍術としての動きの検証をしたいんだが相手出来るか?」

 

「ナオヤが良ければ問題ないよ。今日は予定がこの後ないから大丈夫だけど」

 

「すまないが、30分後に第1訓練室に来てくれ」

 

「了解」

 

 このままでは何も進まないと業を煮やしているのはエリナだけではない。ナオヤも動きの検証をしているが、今はそれと当時にリッカもチャージスピアの実機テストを繰り返している。

 何も無いよりは少しでも情報があった方が、今後の事もやり易くなる。だからこそ、お互いがライバルとも言える者同士が検証する事にしていた。

 

 

 

 

 

「準備は良いよ。何時始めても大丈夫だから」

 

 モニターを見ながらリッカがガラスの向こうで様子を見ている。今回の件をリッカ経由で聞いたのか、そこにはエリナとアリサ、コウタとエミールがそこに居た。

 

 

「槍術は久しぶりだな」

 

「そうか。俺は最近はこればっかりだぞ。これならお前にも勝てるかもな」

 

 お互いが笑みをこぼして話してはいるが、その眼には溢れんばかりの闘争心が高まっている。ここには何も見えないが、お互いの目の先には火花が散っている様にも見えていた。

 久しぶりだからなのか、間合いの確認とばかりに軽く振り回し感触をゆっくりと身体に馴染ませていく。合図と共にお互いが自身の間合いを測るべく、距離を置いていた。

 剣術であれば様子もここで見るが、槍術の場合には一定の間隔で離れた距離が得物の最適な距離感となる。静まりかえった空気がまるで周囲を飲み込まんと重苦しい物へと変わり出していた。

 

 

 

 

 

「お前本当に久しぶりなのかよ!」

 

「手加減なんて出来るか!」

 

 お互いが口を出すまでにどれほどの時間が経過したのだろうか?お互いの動きは最低最小限の動きに留まっていた。槍術の基本でもある突き、払い、受けの三動作しかやっていない。基本の動作が定まらないのであれば応用は以ての外。お互いが何を考えているのかを熟知しているからこそギリギリの戦いが繰り広げられていた。紙一重の攻防にどれ程の駆け引きが存在しているのかは当人同士しか分からない。訓練室の空気はいつもの教導ではなく、武術の鎬を削る場と化していた。

 

 2人の動きそのものは何も知らない物からすれば、今がどんな状況になっているのかすら理解出来なかった。既にエミールは息をするのも忘れたかの様に魅入り、エリナは2人の動きに対してまるで見取り稽古をしている様に少しの時間も惜しいとばかりに見ていた。

 

 エイジの繰り出す鋭い突きは、遠目からみれば単なる突きでも、現地で見れば穂先の一つ一つの動きが獣の様に曲線を描きながら素早く襲いかかってくる。フェイントを織り交ぜながら時折渾身の力で突く三段突きの槍の穂先を回転させる事で、ガードさせるつもりは毛頭無い。螺旋を描く攻撃は破壊力を大幅に増加させていた。

 ナオヤが受ける際にも放たれた直線が歪む事無く弾丸の如く目的地まで一気に突き進んでいた。

 ナオヤも同じく突き返すが、今度はエイジの回転を加えた様な速度の突きではなく、伸びきった所で一気に払う事でなぎ倒すかの様な動きを持ってエイジを追い込む。

 

 槍は突いた後に引き戻さない限り、次の攻撃をする事が出来ない。

 だからこそ、その弱点とも言える隙を無くす為に、突いた後の動きは払う事で相手の攻撃を許さず、また払わないにしても突く以上とも思われる速度で槍を戻していた。

 

 そこには細かいやり取りはなく、純粋な技術とも追われる応酬のせいか、大気を斬り裂き息が漏れる音だけが僅かに聞こえてくる。時折聞こえる攻防の音だけが無機質な訓練室に響いていた。

 

「ナオヤさんって、理論だけじゃないんだ」

 

「ああ見えて、ナオヤは結構腕がたつよ」

 

 エリナの呟く事を無意識に拾ったのか、リッカがそれに答えていた。今の動きはモニターされているが、目の前で実際に動いている場面と比べれば、空気感は伝わらないのかもしれない。事実、この部屋にいる人間の殆どが2人の攻防から目を離す事が出来ない。僅かな隙から一気に攻め込まれる。

 そこにはお互いの存在を示す様な殺気にも似た圧倒的な空気が存在していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり槍は久しぶりだからダメだね。たまには鍛えた方が良いかも」

 

「馬鹿か。お前が努力したら俺の優位が無くなるだろうが」

 

 時間にして恐らくは15分も戦っていない。にも関わらず、お互いはかなりの疲労度からなのか、滝の様に汗が流れていた。これ以上は集中力を確実に欠いていく。無理だとばかりにお互いが戦いを終了していた。

 

 

「お疲れ様。中々良いデータが取れそうだよ。これなら、今後の教導プログラムに加えるのも問題ないね」

 

 撮られていることを忘れていたのか、リッカの言葉で2人は現実に戻っていた。恐らくは先ほどの戦いの様子再び見ているのか、エリナはモニターから目を離す事は無かった。

 

 

「エイジは何でも出来るんですね」

 

「いやいや。これ以外はさっぱりだから。しかも握ったのも久しぶりだからね」

 

 タオルと共にエイジの元へと歩み寄るアリサも先ほどの戦いには目が付いて行かない部分が多分にあった。動きだけならば大よそは理解できるが、細かい動きや駆け引きは全く分からない。

 対アラガミではなく、対人戦ならではの動きがそこにはあった。

 

 

「これはあくまでも槍術での戦いだからチャージスピアとはまた違うよ。流石に銃身と盾が付いてるからバランスが難しいだろうけどね」

 

「エイジ、今なんて言った?」

 

「銃身と盾が付いてるからバランスが…」

 

「それだよ。それ!リッカ。この後時間良いか?あの機構を……だったらどうだ?」

 

「う~ん。でもされだと……がこうなるから……じゃないかな?」

 

 エイジの何気ない一言が何かを閃くキッカケになったのか、突如としてリッカとナオヤが話し出す。一体何をどう相談しているのかしらないが、今の台詞で何かヒントがあったのかもしれない。

 

 神機を扱うのは問題ないが、開発に関してはエイジよりもナオヤの方が遥か上を行く以上、今はジッと見る以外に何も出来なかった。

 

 

 

 

 

「如月隊長。僕は今、猛烈に感動しています!先ほどの動きはよく理解出来ませんでしたが、どれほどの戦いだったのかは理解しています!僕はブーストハンマーなので参考にはあまりなりませんでしたが、今の動きには感動しました!我々には騎士道がありますが、あれが極東に代々伝わる武士道と言う物ですね!」

 

 何を考えていたのか、エイジとアリサの傍に駆け寄ると、エミールは何かに感動したのか凄い勢いで話かけてくる。以前にコウタからも聞いていたが、まさかここまで濃い性格をしているとは思ってもいなかったのか、2人とも呆然としていた。

 

 

「騎士道は分からないけど、武士道はちょっと違うんじゃないかな」

 

 最早エイジの言葉すら聞いていないのか、エミールは一人自分の世界へと旅立っている。何度か見直した事で漸く自分が納得できたのか、エリナもエミール程ではないが、どことなく尊敬の眼差しでエイジを見ていた。

 

 

「如月隊長はチャージスピアは本部で試したんですか?」

 

「いや、使ってないよ。流石に本部でそんな事は出来ないよ」

 

「先程の動きを見ました。私はまだまだなのは理解してます。なので、私にも教えてくれませんか?」

 

 エリナの相談には流石にエイジも困っていた。今はここに居るので教える事は出来るのかもしれないが、今後の事は未だ未定となっている。そうなれば中途半端に教えるのは良い物では無い事はよく理解していた。

 エリナの向上心は買うが、継続性を考えれると、どうしても二の足を踏んでしまう。今のエイジにとっては申し訳ない気持ちの方が勝っているが、現実を知ってもらう必要があった。

 

 

「多分、槍術に関してはナオヤの方が上だよ。ゴッドイーター同士じゃないんだよ。それでこんな結果ならあいつの方が多分良いと思うんだけど?」

 

「いえ、そこはエイジさんの方が…」

 

 エリナとエイジのやり取りを見ていると、何処となく疎外感を感じていたアリサは、面白くは無かった。今のやり取りで何か思う所があったのを感じるのはある意味では当然かもしれないが、それとこれは別問題。ほんの少し拗ねた様な表情が表に出てくる。

 これ以上ここで話していては、何となく拙いと判断したのか、ここで一旦流れを切る事を優先していた。

 

 

「エリナ。エイジも汗を流したいでしょうから、この件はまたにしませんか?」

 

「…でも、如月隊長は普段から居ないですから、このチャンスを活かしたいんです」

 

 何となく不穏な空気が湧き出してくる。これ以上の滞在は危険だと察知したのか、エイジは一旦流れを切るべく提案する事にしていた。

 

 

「もう時間だから、ここは終いにして明日にでも話そう。エリナだって、今日は疲れてるだろうから」

 

「…わかりました。でも明日必ず教えて下さいね」

 

「ああ」

 

 何かの嵐が過ぎ去ったかの様な終わり方にエイジは呆気に取られていた。ナオヤとの対戦に汗をかいていたはずが、気が付けば違う意味の汗をかいている。既に対戦した熱は完全に失っていた。

 

 

「アリサ、とりあえず僕らも食事にしようか」

 

「…そうですね。でも、今日はいつものとは違う物が食べたいです」

 

「…了解」

 

 恐らくは先程のやり取りで拗ねる様な場面があったのだろうか?何だかんだとエイジはアリサには甘い。何時もとは違うと言った時点で少しは機嫌を直してもらうべく、今晩のメニューを考えながら自室へと戻っていた。

 

 

 

 



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番外編5 ホワイトデー

「そう言えばコウタ。明日は確かホワイトデーだったよね?お返しってもう考えた?」

 

 朝一番のミッションから帰投中の現在は特にやる事も無く、ただヘリが到着するのを待っていた際に何気にエイジから言われていた。極東支部のバレンタインは旧時代の情報を元にカノンが復活させた事が一番の要因だが、そのお返しとなるホワイトデーに関しては、特別何も言わなかったのか、今のコウタにはどこか空虚な言葉の様に思えていた。

 

 

「お返しって言われても、俺は誰からも貰って無いぞ」

 

 先月のバレンタインデーではコウタは本命とも取れる様なチョコを受け取る事は無く、その結果として義理ではあるがヒバリとカノンから受け取っていただけだった。厳密に言えば濃厚なチョコレートソースをかけたザッハトルテもカウントすべきだが、あれはどう考えてもアリサではなく、目の前に居るエイジが作った物であるのはコウタも分かっていた。

 推測とは言え、恐らくは事実であるこの事を口に出せばアリサから何をされるか分からない以上、カウントする必要は無いと考えていた。

 

 

「でも、ヒバリちゃんとカノンさんは?」

 

「そうだった。でもホワイトデーって言われても何を返すのが一番なんだろう?ヒバリちゃんならタツミさんと被る訳にも行かないだろうし。って言うか、タツミさんは知ってるのかな?」

 

 コウタが言うのは当然だった。目の前に居るエイジとアリサが恋人同士なのは既にアナグラでは周知の事実だが、タツミとヒバリに関しては意外と話題には上りにくい。

 アプローチしていた頃は頻繁にその光景を見る機会が多かったが、今ではそんな雰囲気は微塵も感じる事は無かった。

 何故なのかはともかく、こんな分かりやすいイベントをタツミが見逃す事は無く、その結果としてタツミの動向を確認してから考える事にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「タツミさん。ヒバリちゃんへのお返しって何か決めてるんですか?」

 

「お返し?って何の?」

 

 コウタの言ってる事が理解出来ないのか、それともタツミの脳内には存在しないボキャブラリーなのか、今一つ理解していないようだった。

 

 

「タツミさん。バレンタインデーのお返しの事なんですけど?」

 

「ああ、それね。もう選んであるからバッチリだ。コウタは何でそんな事を聞いてくるんだ?まさか、俺のヒバリちゃんを狙ってるのか?」

 

 単純にお返しについて聞いたはずが、何故か話の方向がおかしい。これ以上は泥沼にはまる訳にも行かず、まずは状況をしっかりと伝える必要があった。

 

 

「実は、エイジからお返しをした方が良いって言われたんですけど、タツミさんと被る訳にも行かないんで、確認しようかと思ったんですけど」

 

「なるほど。で、コウタは何を返すつもりなんだ?」

 

「それが分からないんでタツミさんに確認しようかと」

 

 コウタの中ではお返しと言う考えが思い浮かばなかったのか、どうすれば良いのかを確認する為に聞いている事だけはタツミにも理解できた。しかし、自分が用意したものを態々コウタに言う訳にもいかなかった。

 情報が漏洩するとは思わなないが、自分が選んだ物を最初にコウタに伝える義理は無い。だからと言って適当な事を言う訳にもいかず、その結果に対して頭を抱えていた。

 

 

「だったらエイジに聞いたらどうだ?あいつならアリサへのお返しは何か考えてるだろうから、似たような物で良いんじゃないのか?」

 

 物の見事に話はここで振りだしに戻る事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジ、お前のお返しって……何してるの?」

 

 宛てもなく彷徨うと、ラウンジからはやたらと甘い匂いが漏れてきている。この時間は食事の準備をするにはまだ早い為に、施設を使う人間は限られてくる。匂いと時期を考えれば、誰がそこに居るかは確かめる必要は無かった。

 そこに居るのが当然だとコウタが扉を開ければ予想通り、そこにはエイジが何かをひたすら捏ねていた。

 

 

「コウタか。見ての通りだけど、今は生地を捏ねてるんだけど?」

 

「食事の仕込みなのか?」

 

 コウタが疑問に思うのは無理も無かった。生地と言われて思い浮かぶものは限られてくる。食事の仕込みにしては甘い匂いはどことなく場違いにも思える。だからこそ、何かのヒントになればと確認する事にしていた。

 

「違うよ。これはパイ生地だよ。今は発酵した物を改めて捏ねてるんだ。作り置きが利くから今の内に在庫を作ろうかと思ってね」

 

「ほんとお前はマメだな。何か出来たら俺にもくれよ」

 

「まぁ、構わないけど。でも、少しは自分で作ったら?多少は作れるならお返しの一つも良いんじゃない?」

 

 エイジの影響を受ける事で、コウタも簡単な物なら作れる様になっていた。以前に家に帰って作った際には信じられないと、随分と家族から驚かれた記憶があった事が思い出される。

 特に妹のノゾミに関しては目を輝かせる様にコウタを尊敬の目で見ていた事は記憶に新しい。エイジが居るなら、ここで簡単な物を教えて貰うのも悪くは無いと考えていた。

 

 

「なぁ、俺にも作れる簡単な物って無いか?」

 

「…だったら、良い物があるよ。ただ少しだけ手間がかかると言うか、面倒と言うか…」

 

「面倒って何が?」

 

 エイジの顔を見れば妙案があるが、実際には面倒が故に作らない物がある様だった。しかし、お返しを作ると決めた以上、撤退の二文字はありえない。と言うよりも既に時間が無い事もあり今はそれに縋る以外に手立ては何も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、これいつまでこうしてれば良いんだ?」

 

「かき混ぜた感触が固くなれば良いよ」

 

「これ本当に固くなるのか?」

 

「なるよ。でも、もう少し気合入れてやらないと固まらないかもね」

 

 コウタはひたすら白い液体が混ざったボウルをかき回していた。時折やたらと甘い匂いがする物を入れていたが、それが何を意味するのかは分からない。かき回す度に甘い匂いが広がって行た。

 どれほどかき回していたのだろうか、ボウルの中身は何処となく固形状になりつつある。横で見ていたエイジは一旦自分の動きを止めて、コウタに次の指示を出した。

 

 

「あとはこれに入れて冷やせば大丈夫だよ。固まれば完成だね。個数はとりあえず2個なんだよね?」

 

「それで大丈夫。いや、自分の分も入れたら3個だな。何だか任務よりも疲れたよ。いつもこんな物作ってると思うと大変だな」

 

 普段から何気に頼んではいるものの、実際につくるなれば労力はかなりものになる。幾らゴッドイーターと言えど、疲れる事に関しては全て等しかった。

 

 

「これは普段は作らないよ。だから面倒だって言ったろ?」

 

「知ってて作らせたのかよ。だったら事前に一言位言えよ」

 

「いつも出る物をだしたら新鮮味が無いだろ?たまには苦労するのも悪くないよ。後の管理はこっちでするから、コウタは気にしなくてもいいよ」

 

 半ば騙された様にも思えたが、実の所今回の出来上がりが少しだけ楽しみに思えていた。最初は何を作っていたのかすら見当もつかなかったが、時間が経つにつれ内容が判明しだす。

 後は明日、確認をして完成する。ここで漸く一息つく事が出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒバリちゃん。これバレンタインのお返しなんだけど。良かったら食べて。でも時間を開けるなら冷やしておいた方が良いよ」

 

「私にですか?態々ありがとうございます。でも、これは一体?」

 

 ヒバリの手元にはささやかと言える様な物ではあったが、何かカップに入った白い物体だった。食べ物に違いないのは分かるが、これが一体何かはまだ分からない。確認の為にとりあえず開けてみる事にした。

 

 

「コウタさん。これってアイスクリームですか?」

 

「そう。昨日エイジに聞いて作ったんだ。でも、あんなに大変だとは思わなかった」

 

 舞台裏を明かさなければ、恐らくはコウタの株が少しは上がったのかもしれない。しかし、そんな事は何も考えず単純な感想を言われれば、ヒバリとしても苦笑を隠せなかった。

 確かに見た目はあれだが、監修が付いているのであれば味は保証されている。バレンタインで渡したまでは良かったが、まさかお返しが来ると思わなかったヒバリは純粋に喜んでいた。

 

 

「そう言えばエイジさんからも貰いました。普段から色々と頂いているので、何だか申し訳ないんですけど」

 

 ヒバリの一言で、エイジも何かを作っていた記憶はあったが、それが何なのかは記憶に残っていない。やたらと甘い匂いがした記憶しか無いコウタはそれ以上の事は実際に確かめるしか無かった。

 

 

「そう言えば、エイジからは何を貰ったの?」

 

「エイジさんからはエクレアですね。何だか食べるのももったいない様な気もしますけど」

 

「…あいつは何考えてんだ?」

 

 少し見せて貰ったエクレアは店売りとしても十分に通用する様なデコレーションが成されていた。既に周りを見れば他の女性陣も似たようなものを持っている。

 コウタが苦戦している間に何を何個作ってたのかは分からないが、手際だけは良かった事が思い出されると同時に、自分もドサクサ紛れに頂こうとラウンジへと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは一体?」

 

 アリサが疑問に思うのは無理も無かった。目の前には女性陣が持っている様なエクレアだけではなく、色合いも鮮やかなカクテルジュースと一緒に四角い物体がいくつも置かれている。見た目は柔らかく、恐らくはフォークで刺せば弾力があるのは想像できるが、これが一体何なのかまでは理解出来なかった。

 

 

「食べれば分かるよ」

 

 確認の為にエイジに聞きはしたが、食べれば分かるからの一点張りでどうやら教えてくれそうにない。エイジが作る以上、変な物では無い事は理解出来る。これ以上見た所で何かが変わる訳では無く、思い切って口にする事にした。

 

 

「じゃあ、いただきます」

 

 フォークで刺した物体は、予想通り弾力がありながらも簡単に刺さった。味は分からないが、見た目がカラフルである以上は変な物では無い。これがエイジでは無い誰かが作った物であれば警戒の一つもするが、当人が作る以上、疑う余地は何処にも無かった。

 迷う事無くアリサは口の中に入れると、ふわっと溶けた食感と同時に果物の爽やかな風味が広がってくる。

 今までに一度も食べた事がない食感にアリサは驚きを隠さなかった。

 

 

「エイジ、これは一体?」

 

「これはギモーヴだよ。マシュマロみたいな物だね。作り方は割と簡単なんだ」

 

 エイジの言う様にマシュマロと言われれば確かにそうだが、味わいと食感はアリサの知っている物とは違っていた。柔らかな触感と共に口の中で溶ける感覚は今までに食べた事は無いとまで思えていた。そんな味にアリサの顔は自然と綻んでいた。

 アリサは気が付かなかったが、その様子を見ていた他の女性陣は何処となく羨望の眼差しで見ている。

 

 

「あれ?アリサ、それは何?」

 

 美味しく頂くその背後から、何か良い物を見つけたかの様にやってきたのはリッカだった。既にエクレアは手にしていたのか、小さな皿に置かれている。そう言えば今日はホワイトデーなんだと思い出し、休憩がてらラウンジへと足を運んでいた。

 

 

「これギモーヴって言うんです。中々美味しいですよ」

 

「へ~いいな~。ねぇ、私の分は無いの?」

 

「これはそんなに数が作れなかったんだよ。試作で味が安定しなかったからね。それなりで良ければ、ここにあるけど?」

 

 今回珍しく上手く出来なかった事にアリサもリッカも驚きを隠さなかった。いつもであればソツなく作るはずが、今回は珍しく安定していない。試作も恐らくは相当数を作ってた事だけが想像出来ていた。

 

 

「アリサには完成品で、私には試作なんだ。やっぱり愛の差ってやつ?」

 

 試作と言っても不味い物では無い以上悪くは無いが、単純に差が付くのは面白く無い。ここは一つからかいがあっても良いだろうと判断し、何気に茶化そうとエイジへと言葉を向ける。

 

 

「それは当然だよ。皆と一緒には出来ないからね」

 

 あまりにストレートな返事にアリサが顔を赤らめ、気恥ずかしながらも少しづつ食べている。リッカもまさかこんな所で惚気られるとは思っても居なかったのか、少し気まずさはあったものの、折角だからと試作を食べていた。

 事前に試作と言われなければこれが完成品でも問題ないレベル。これがダメならアリサが食べている物はどれほどのレベルなんだろうか?いつもなら一口欲しいと強請る事も出来るが、流石にこれは無理だと判断しリッカは目の前の物を食べる事にした。

 

 

「これって、試作なんだよね?もう無いの?」

 

「試作はまだあるよ。色々な味で試してるから、全部が同じ味ではないけどね」

 

 爽やかな味わいの中にも溶ける口どけは、アリサだけではなくリッカも虜にする内容だった。気が付けば試作は予想通り相当数だったのか、結果的にはすべてがラウンジに出され、あっと言う間に売切れる勢いで終了した。

 ラウンジには甘い匂いが充満するのと同じ位に笑顔が広がっている。

 

 

 ささやかなお返しでは無く、大それた結果にはなった物の、これが新たな市販品となるには然程時間がかからなかった。

 

 

 



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第117話 試練

 ナオヤとの槍術での一戦が何か大きなヒントを与えたのか、その後の運用面に関しては大きく進歩していた。リッカが撮っていた映像を元に訓練カリキュラムが更新され、ここで漸くエリナも前に進みだした。

 それと同時に極東支部にも正式な実戦投入が決定される事で、始めてエリナは訓練用ではなく、実戦用のチャージスピアへと換装される事となっていた。

 

 

 

 

 

「そう言えば、エリナはそろそろ実戦配備されるんだよね?」

 

「ああ。その件は悪かったな。本当なら俺がやらないとダメんなんだけど、アサルトだけだと近接の間合いが分からないんで、困ってたんだよ」

 

「それは仕方ないよ」

 

 コウタは珍しく感謝の言葉をエイジにかけていた。事実、今回の件でエリナの教導はこれまで停滞していたのが嘘の様に一気に進行していた。実戦用に換装された当初に何かと苦労する部分があったのは、ナオヤとリッカを見ていれば容易に想像が出来ている。

 

 当初は確実に苦労する事は間違い無いと誰もがそう考えていた。しかし、あの時の動きをアレンジしたのか、元々一定レベルでは運用出来ていた事も影響しているのか、エリナが慣れるまでにはさほど時間がかかっていなかった。

 これに関してはリッカやナオヤだけではなく他の教導担当も驚いていたが、一旦身体が覚えれば後は無意識でも身体が勝手に反応する。

 訓練シミュレーションでは納得の出来る数字が出ていた。

 

 

「そうですよ。神機が違えば仕方ないです。私だって同じ事やれと言われれば多分無理です。エイジに下地があったから、あのレベルだったんじゃないですか?」

 

「いやいや。俺もあの映像見たけど、あれは無理だって。何であんな動きが出来るのか理解出来ないんだぞ。エイジとタメ張れるナオヤの方が凄いんだって」

 

「個人的にはあまり見てほしくないんだけど」

 

「そうか?あれだと教導プログラムの題材になると思うんだけどな。エイジ、ご飯おかわり」

 

 未だ料理人が決まらないラウンジでは、アリサとコウタが食事をしながらも何かと訓練の話をしている。既にこのメンツがここで話をしながら食事をしている光景は当たり前となっており、最近配属された新人はエイジを退役したゴッドイーターだと思う人間もいるのではないかと思われる程に居た。

 

 

「コウタ。食べ過ぎじゃないのか?そろそろいい加減止めなよ」

 

「エイジのごはんのせいだな。箸が止まらないのも、きっとそうだよ」

 

「コウタも少しは自重したらどうですか?これで何杯目だと思ってるんですか?」

 

「そう言うなって。でも、これだけ食べてるのに体重が中々増えないのはある意味凄いよな」

 

 既に数えるのも飽きたと言わんばかりに何かと食べている。昼はミッションの関係上取って無かったからなのか、いつも以上に箸が進む。既にアリサは食事を終えたのか、手元にはお茶が置かれ、エイジは皿を洗っていた。

 

 

「体調管理は当然だよ?基本は野菜を中心に脂質と糖質はやや少なめにしてあるから、太りにくいんだよ。丸々したいならそれ仕様に変えるけど?」

 

「それは遠慮するよ。ごちそうさん。今日はこの後書類作成があるから面倒なんだよな。特にここ最近は何かと緊急出動が多いから、事務仕事が滞りやすいんだよ」

 

 赤い雨が降り始めてから、ここ極東でのアラガミの種類が徐々に変化し始めていた。原因はそれが影響しているからなのか、ここ数日は新種のアラガミの出現率が高くなっていた。幾ら教導をクリアしていたとしても新人に毛が生えた程度では命に危険が生じやすい。

 その結果としてベテラン勢やクレイドルのメンバーがアサインされる事が多くなっていた。

 

 そんな中でも一番の問題が感応種と呼ばれる接触禁忌種。ネモス・ディアナでの一件から時折出現する事があり、現状は対応できる人間が何とかやっているレベルだった。無明の指摘した通り、今はソーマとリンドウが中心となって討伐任務に当たっている事が多く、今はまだ出動中の為にこの場には居なかった。

 

 

「コウタがさぼった結果じゃないんですか?エイジなんて終了後直ぐに提出してますよ」

 

「それはそうだけどさ…ってなんでアリサがそんなに詳しいんだよ?」

 

 何気に放ったコウタの一言にアリサは言葉に詰まっていた。今のアリサ達の生活環境を知っている人間は意外に少なく、またお互いのIDで入退出が出来る事を知っているのはヒバリしかいない。

 しかも一緒に住んでる事は誰にも言ってなかった事もあってか、アリサとしても言葉を濁す事しか出来なかった。

 

 

「コウタ、それが当たり前。帰投の移動中にまとめておけば後は簡単じゃないの?」

 

「そうですよ。コウタは帰投中に何してるか知りませんけど、少しはそうした方が後々役立つんじゃないですか」

 

 自然と助け舟が出た事と、会話の中で疑問に思う事が無いも無かった事が影響したのか、コウタがその後アリサに突っ込む事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コウタ先輩。今日は宜しくお願いします」

 

「今日から実戦なんだ。って事は後の人間は誰なんだ?」

 

 訓練から漸く実戦での許可が出た事もあり、エリナは緊張しながらもコウタを見つけた事で落ち着きを見せていた。既にミッションの内容は把握していたが、他には誰がアサインされているのか分からず、その為に全員が一旦揃ってから出動する事になっていた。

 

 

「今日は僕も同行する事になった。新参者故に足手まといにならないように努力するつもりだ」

 

「今日は、宜しくお願いしますね」

 

 確認するまでもなく、この声と口調はエミールだった。当初の訓練時にはコウタも確認する事はあったが、最近では訓練でもそれなりに数字が出た事もあり、その結果として今回のミッションでの初陣を飾る事になっていた。

 

 

「って事は今日はカノンさんと俺が後衛で、エリナとエミールが前衛だな。援護は任せておいてくれ。でも、背後には気をつけろよ」

 

 コウタの言葉に何か引っかかりは感じるが、今は初陣だけあってエリナは緊張感で押しつぶされそうな感覚になってくる。戦場での停滞は死に直結する可能性が高く、またその結果として初陣で命を散らす者はいくら訓練をしてもゼロでは無かった。

 

 

「今回はオウガテイルの討伐だから、そんなに緊張しなくても大丈夫。万が一の際には、こっちでフォローするから、まずは好きな様に動いてくれ」

 

 今回のミッションリーダーでもあるコウタが全体の指揮を取り、討伐内容に応じた結果が今後の配属の要因となっている。新人の二人には知らされていないが、これは榊から直接聞いていた事もあり、今は二人の行動を確認すべく、ミッションが開始されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の討伐対象はオウガテイル3体。見た感じだとそれぞれ散ってるみたいだけど、こちらのフォローの関係上、各個討伐は無し。まずは2人でやってみて」

 

 現場を高台から確認すれば、都合よくオウガテイルが固まる事無く散っていた。戦闘が長引けば音に引き寄せられる可能性はあるが、対象が対象なだけにそこまで緊張する必要は無いとコウタは判断していた。

 

 

「では…行きます!」

 

 気合と共にエリナが捕喰中のオウガテイルの背後へと駆け寄る。プレデターフォームから繰り出される大きな咢がオウガテイルの尻尾へと喰らいついていた。捕喰口から感じる手ごたえが神機を介してエリナへと伝わって行く。その瞬間、エリナの全身にはこれまでに感じた事がない反応を示していた。

 全ての行動に力が漲っていく。当初の予定通りバーストモードになってからの戦端はこちらが優位のまま開かれた。

 

 動きが単純ながらも、気を抜けばオウガテイルはこちらへと襲い掛かる。忍び寄っている時点でも緊張感は高まっていたが、やはり直接対峙すればアナグラでのシミュレーションとは比べ物にならない程の濃密な空気がそこにはあった。

 噛み砕くかの様な攻撃をバックステップで躱しながら、チャージスピアの間合いを最大限に活かした突きは一方的にダメージだけを与え続ける。

 時折尻尾から針が飛ばされるも、それも上手く回避する事でダメージを受ける様なミスは無く堅調な滑り出しだった。

 

 

「ここです!」

 

 渾身の突きがオウガテイルの口へと吸い込まれる。螺旋を描く突きは教導の証。このまま直撃すればオウガテイルは絶命すると思われた瞬間だった。

 突如としてエリナの背後から想定外の衝撃が襲いかかると同時に、その場から吹き飛ばされていた。

 

 

「射線上に入るなって私言わなかったっけ?」

 

「あ、あのカノンさん。今回はエリナ達の実戦なんですが…」

 

「このまま肉片にしてあげるよ」

 

 突如として吹き飛ばされたエリナは何が起こったのかすら判断出来なかった。周囲にアラガミは小型種しか居ない。エリナを吹き飛ばす程の攻撃を仕掛けたアラガミとなれば、それは確実に脅威でしかなかった。慌てて背後を見れば、そこにはカノンの銃口がこちらを向いていた。

 

 

「ダメだ…エリナ!背後からの射撃を躱しながら攻撃するんだ!」

 

「そんな事、突然言われても!」

 

 ほんの少し前までは予想以上の動きをみせて攻撃していたはずが、突如として背後からの攻撃を避けながらの討伐へと難易度が一気に跳ね上がる。これが既に何度か合同で行っている人間ならば問題ないが、新兵にそれを求めるのは些か無理があった。

 既にカノンは戦闘態勢に入り込んだのか、コウタの制止は聞こえていない。これがコウタが言っていた背後に気をつけろの意味である事が漸く理解出来た。

 

 

 

 

 

「本当にすみません。どうも私、戦闘態勢に入ると記憶が定かじゃなくなるみたいで…」

 

 最初の1体の討伐が何とか終了すると同時にコアを引き抜いたからなのか、横たわるアラガミは霧散していく。ここで漸くカノンが意識を取り戻したのか、先程の事でひたすら頭を下げていた。

 コウタからも事前に話は聞いてはいたが、まさかここまでとは想像もしていなかった。それと同時に、自分に比べれば遥か上の先輩からこうまで謝られるとエリナとしても心中複雑なものがあった。

 

 

「エリナよ。カノン先輩がここまで頭を下げている以上、もう良いのではないか?」

 

「私は別に謝られても…」

 

「カノン先輩。ならば僕がエリナの代わりに赦そうじゃないか!親しき中にも礼儀ありとここ極東でも言う様に、今回の件はこれで終了としようじゃないか!」

 

「ちょっと、なんでエミールが勝手に判断してるのよ。私は別に謝罪してほしいなんて思ってもないんだから、勝手な事は言わないで!」

 

「また…始まった。あの、カノンさん。エリナもああ言ってるんで、もう大丈夫だと思いますよ」

 

「でも、新人さんですし、ここはやはりご迷惑をおかけした以上…」

 

 今が本当にミッション中なのかと、知らない人間が見れば頭を抱えたくなる様な空気がそこにはあった。未だオウガテイルはまだ2体居る。ここでこんな空気だとすれば、今後はどうすれば良いのだろうか?コウタは心の中で頭を抱えて悩みたい衝動に駆られていた。

 

 

 

 

 

「コウタさん。今はどんな状況ですか?そちらに向かって想定外の大型種が迫ってます!到着まで想定10分です」

 

 突如としてコウタの無線にヒバリからの緊急連絡が入る。今の話が聞こえていたのか、既にエリナは状況を確認せんとコウタを見ている。カノンとエミールも既に警戒態勢に入っているのか、周囲を見渡すかの如く警戒していた。

 

 

「了解。大型種は何が来てるの?」

 

「こちらで確認出来るのはヴァジュラと……感応種です。緊急時なので、ソーマさんを今すぐ……分かりました」

 

「あの、コウタ先輩。どうしたんですか?」

 

 ヒバリからの通信を聞いた瞬間にコウタの表情が青ざめる。ヴァジュラならばまだしも、この戦場で感応種となれば内容は最悪に近い。これがまだベテランであれば問題無かったが、ここに居るのは近接攻撃出来るのはエリナとエミールしかいない。

 このメンバーでは即時撤退は確実だった。

 

 

「ヒバリちゃん。ソーマが来るのか?」

 

「いえ、ソーマさんは他のミッションに手間取っている関係で、そちらへの移動は不可能です。今はエイジさんがそちらに向かっているとの事です」

 

 エリナの質問に答える暇もなく、コウタはアナグラからの通信を逐一確認する。今の所、こちらにはまだ来ていない事がせめてもの救いではあるが、現場に乱入されるのは時間の問題だった。

 

 

「感応種がこっちに来てるらしい。今の所は問題無いんだけど……それと同時にヴァジュラも来てる以上、ここからは即時撤退だ。エイジがこっちに向かってるけど、それも何とも時間が読めない」

 

「え…感応種ですか?でも、ここから撤退と言っても…」

 

 エリナが驚くのは無理も無かった。ここから回収ポイントまでは距離があるだけでではなく、討伐対象のオウガテイルはまだ周囲を闊歩している。時間の経過と共にリスクだけが増大する。今は一刻の猶予もないままの厳しい撤退戦が要求される事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すみません。思った以上に進度が早いです。現地に合流するまであと1分です!」

 

 周囲を索敵しながらの撤退は予想以上に時間がかかる。大きな音を出せば寄ってくる為に、移動は慎重にならざるを得なかった。そんな時に限って運命は悪い方へと転がり出す。ヒバリからの通信はまさにそうだと言われている様だった。

 

 

「もう時間が無い。全員、一気に突っ切るぞ!」

 

 コウタの声と共に全員が索敵しながらの行動を止め、一気に動き出していた。本人が幾ら音を立てない様に移動しても、時折聞こえる神機の音は思ったよりも大きかった。

 その音を察知したかの様にオウガテイルが2体こちらに向かっていた。得物を見つけたオウガテイルは涎を垂らしながらエリナに向かって襲い掛かる。突然の襲撃に反応が遅れたからなのか、反応する頃にには既に最接近を許していた。

 

 

「エリナ!」

 

 襲いかかろうとしてくるオウガテイルにカノンがいち早く気が付くも、自身の神機では射程外の為に攻撃が届かず、コウタからでは運悪く死角の位置の為に攻撃が出来ない。今のコウタ達に出来る事はエリナが回避できる事を祈るだけだった。

 

 

「騎士道ぉおおおおっ!」

 

 エリナを捕喰する寸前、突如としてオウガテイルが重力に反するかの如く横へと大きく飛ばされる。ブーストハンマーのヘッドがオウガテイルを完全に捉えていたからなのか、何かが粉砕される様な音と同時に視界から一気に消え去っていた。

 エリナの危機を救ったのは、エミールだった。渾身の一撃はオウガテイルを吹っ飛ばしただけではなく、無防備だった頭蓋を直撃したことから、オウガテイルは絶命していた。

 

 

「エリナよ。油断は大敵だ!偶然僕が気が付いたから良い物を、戦場では命取りになるぞ」

 

「あ、ありがと」

 

 いつもは何かにつけて言い争う二人ではあったが、今回の件はエミールに救われた事もあってか、エリナも素直に礼を言う。しかし、この場で留まる事はチームとしての危機を晒す事に変わりは無かった。

 既にここからも大型種特有の音が聞こえる。ヴァジュラだけならまだしも感応種が現れれば、このメンバーではどうしようも無かった。改めて撤退の準備を開始する。

 しかし、荒ぶる神々はここで残酷な選択肢を与える結果となった。

 

 

「コウタさん。感応種です」

 

 シユウ感応種がコウタ達の目の前にゆっくりと降り立っていた。アラガミに表情があるとは思えないが、どこかニヤリと笑みを浮かべている様にも見える。

 既に補足されている以上、このまま撤退したとしても引き連れる事になる。これ以上の逡巡は最早、無意味だった。

 

 

「エリナとエミールはこのまま退避。ここは俺が食い止める。カノンちゃんはこの二人を頼む」

 

「でも、コウタさんだけだと」

 

 カノンが心配するのは無理も無かった。感応種の危険度は他の接触禁忌種をも遥かに凌駕する。いかにコウタと言えどもこの場で残るのはある意味自殺行為と何も変わらなかった。しかし、この場で誰かが残らない限りこのままでは全員が戦死するのも明白だった。

 

 

「エイジがこっちに向かっているから。その間は何とか凌ぐさ。これ以上は時間が勿体ない。早くここから撤退するんだ」

 

 牽制とも言える攻撃が何かを発動させるキッカケとなったのか、シユウ感応種は声なき咆哮と共に周囲に影響を及ぼす。初めて経験した神機が動かない現状に、この場に居た全員が動揺していた。

 

 

「うそ!神機が動かない!」

 

「ぬぉぉぉ~!神機が動かないなどと!」

 

「どうしましょうコウタさん」

 

 突如として稼働しなくなった神機の重量感が全員に襲い掛かる。事前に経験していれば動揺する事無く対処できるが、新兵である2人と、知識としては知っていたが、実際に経験した事が無い2人では機敏な対処が出来なかった。状況を理解したのかシユウ感応種はゆっくりとこちらに向かって歩を進めてくる。このままでは全滅は必至の状況だと思われていた。

 

 

「全員目を瞑れ!」

 

 突如として空から声が振ってくる。声の主が誰なのかは確認しなくても全員が既に理解していた。上空から放たれたスタングレネードは周囲を巻き込むかの様に閃光を広げていく。視界が失われた為に何が起きているのか理解は難しいが、激しい斬撃の音が何度も響いている。

 閃光が止む頃には両方の翼手とその器官が無くなったシユウがその場に立っていた。

 

 

「コウタ、カノンさん!止めを!」

 

 エイジの声にいち早く立ち直ったコウタとカノンが機能が回復した神機の引金を引き、一斉射撃で弾丸を浴びせる。轟音と共にシユウの胸と頭部への一斉射撃は対象アラガミの命を散らすには十分過ぎていた。

 僅かな時間ではあったが、驚愕の体験はあまりにも大きすぎたのか、エリナとエミールは暫く呆然としていた。2人の一斉射撃は反撃の隙すら与える事はなく全弾が命中し、シユウ感応種はそのまま絶命していた。

 

 

「間に合ってよかった。あとはヴァジュラだよね?」

 

「相変わらず美味しい所でやってくるんだな。あとはヴァジュラだけど、このメンバーで行くのか?」

 

 エイジが来た事で、過剰とも取れる戦力に安堵感が広がる。既に感応種の脅威が無くなれば、この後の討伐に関しては何ら問題無いと思われていた。がしかし、エイジから驚愕の発言が飛び出していた。

 

 

「ここの指揮権はコウタだから。任務完了までコウタが判断するんだ」

 

「え?エイジがやるんじゃないのか?」

 

「何言ってるの?今はコウタがミッションリーダーなんだから、それに従うよ。でも、ヴァジュラなら何とか出来るでしょ?」

 

 コウタには知らされて無かったが、今回のミッションに当たって、コウタ自身の今後の事を踏まえたテストが並行していた。指揮権はコウタにある以上、ここからの判断はコウタがする事になる。既にエイジは言葉の通り神機を構えはするも自ら行動を起こす事は無かった。

 

 まさかこんな事態になるとは想定していなかったコウタの背中には冷や汗が滲んでいた。

 

 

「因みに、撤退しても問題ないし、このまま討伐しても何も困らないよ。それをどう判断するのかはコウタが決めると良いよ」

 

 コウタの背に突如として責任と言う名の見えない鎖が身体を雁字搦めにする。当初は簡単な任務だからと引き受けたが、こうまで想定外の内容になるとは想像もしていなかった。

 

 コウタの判断がここに下される事となる。

 

 

 



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第118話 新たな道

 突如として乱入したヴァジュラは結果的には討伐が完了した。しかし、それは新兵が受ける事が出来る様な内容ではなく、結果的にはエイジがエリナとエミールをフォローしながらの討伐となっていた。

 元から余剰戦力だった事もあり、死傷者はゼロではあったが、帰投中のヘリの中はまるでお通夜の様な空気が漂っていた。

 

 

「まぁ、エリナとエミールは仕方ないよ。ここだと新兵が受けるミッションじゃないし、ヴァジュラの単独討伐はもう少し先の話だからさ。一々気を落とすなよ」

 

 うなだれていたのは新兵だったエリナとエミール。ここに効果音が入るのであれば『チーン』と言う鐘の音が聞こえるのかもしれない。それほどまでに2人は見事に落ち込んでいた。

 

 

 

 

 

 当初は様子を見ながら攻撃をする予定だったが、思った以上に奮闘した事もあり、このままなら何となくでもイケると思ったのが運の尽きだった。

 エリナのチャージグライドがジェット機の様に一気に加速を開始する。元々警戒をしてはいたが、距離は大きく離れていなかった事が幸いしていた。事実上の至近距離からの一撃はヴァジュラの顔面に直撃する。大きな隙が出来たまでは良かったが、それと同時に想定外の事が起きていた。

 ヴァジュラは直撃した事から突如として怒りを露わに活性化し始める。周囲にばら撒くかの様に発生した雷撃がそれを表していた。

 

 しっかりと見ればそれが何を意味するのか判断出来たが、今の2人にそんな余裕は何処にも無かった。エリナの渾身の一撃を見たエミールは追撃とばかりにブーストドライブで突撃する。何も無ければ致命傷を与えるはずの一撃。エミールは自身の行動に絶対的な自信を持っていた。

 

 

「エミール!むやみに突っ込むな!」

 

 コウタの叫びは既に届いていなかった。炎を纏ったタプファーカイトが勢いをつけるかの如く加速していく。このまま一気に決めると判断した瞬間だった。活性化していたヴジュラが再び周囲に電撃をまき散らす。カウンターで喰らった瞬間から劣勢に追い込まれていた。

 

 電撃で痺れた事を確認したのか、ヴァジュラはバチバチと弾ける音を立てて雷球を作り出している。先程とは交代したかの様にヴァジュラの反撃が始まっていた、今だ痺れたままのエミールは盾を展開する事すら出来ない。このままでは直撃を免れる事は不可能だと思い出していた。

 轟音と共にエミールに向けて雷が放たれる。今のエミールにとっては致命的な一撃になり得る威力に思わず目を瞑る事しか出来なかった。時間にして数秒が経過するが、痛みは襲ってこない。恐る恐る目を開けると、そこには盾を展開したエイジが立っていた。

 

 

「ここから反撃だ!」

 

 まともに戦えば、確実に負傷者1名となるが、エイジがタイミング良くガードした事も影響し、結果的には通常の討伐同様でミッションが完了していた。

 

 

 

 

 

「今の内からこんな事で落ち込んでたらキリが無いよ。僕らだってエリナと同じ様な頃には同じように苦戦したんだから」

 

「フォローして頂かなくても大丈夫です。そこまで気にしてませんから。まだ先が長いと思っただけです」

 

 エイジの言葉を聞いた事で事実を飲み込んだ様にも思えたが、やはりショックを隠し切れない事は誰の目にも明らかだった。今後は更なる精進は必要だが、今は休息を入れる事が最優先となっていた。

 

 

「僕の騎士道が通じなかった事は遺憾だが、今後は共に精進しようではないか!」

 

 エミールはいつもの調子で話はしているも、反撃とばかりに突進したまでは良かったが、ヴァジュラは一筋縄ではいかなかった。エミールに向かって突進し口を大きく開いた先には鋭い牙が襲い掛かる。ギリギリで回避は出来たが、やはりその威力は尋常では無かった。

 ヴァジュラに目の前まで最接近された事は決して大丈夫だとは思えなかった。肉体的な損傷よりも、精神的な負担の方が大きければ、それだけで状況は一転する。だからこそ、今は一定以上のレベルに早急になることが急務とされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「博士。用件って何ですか?」

 

「今回の件はご苦労さんだったね。今回来てもらった件なんだが、実は今後の展望を踏まえて部隊再編をしようかと思ってるんだ。で、その際に君の事を第1部隊隊長へと推薦があってね。今回はその検証の為に行って貰ったんだよ」

 

 何の宣告もなく、突如として出て来た隊長就任の話。既にここ第1部隊は如月エイジを中心とした精鋭部隊となっているのは周知の事実。もちろん、それがあるから実力が勝手に上がるなんて事は無く、あのメンバーに付いて行く事で自身も知らず知らずの内にレベルアップを果たしていた。

 

 

「でも、エイジが部隊長じゃなくなるんですか?」

 

 コウタの疑問は尤もだった。現在の所は遠征に出る事もほとんどなく、その結果として部隊再編の話が出れば疑問しか出てこなかった。

 

 

「今後は君達はクレイドルとして活動する事になるんだが、アリサ君とソーマは既に別の道を模索している。リンドウ君とエイジ君は遠征が入れば一番最初にアサインされる事になるだろうから、このまま継続するのは士気に関わるからと辞退する事になったんだ」

 

「え?じゃあ、俺はどうなるんですか?」

 

「だからエイジ君とツバキ君とも話し合った結果として君が隊長になるんだ。既に他のメンバーは決まってる。後は君達がどう考えるかになってくるんだよ」

 

 何時もとは違う雰囲気にコウタはこの場を圧倒されていた。過去の事を考えてみても、他のメンバーを率いていたのは一線級の人間ばかりだった。だからこそ、第1部隊長の肩書は伊達では出来ない事をコウタが誰よりも一番よく知っていた。                         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、俺が第1部隊の隊長やっても良いのかな?」

 

 榊からの発言はコウタの頭を悩ませるには十分すぎる程の威力があった。コウタが知る限りでも、第1部隊はどの支部でも花形と言えるのと同時に、その支部の顔とも言える存在でもある。

 これがまだ数年前なら、コウタも快諾したのかもしれないが、今では第1世代の神機をメインで使っている人間は少なく、また、神機のコンバートが技術的に可能になった事から第1世代のゴッドイーターは我先にと変更している事も知っていた。

 

 コウタもそれを考えた事はあったが、適合する神機が無い以上コンバートは不可能な為に今に至っている。

 そんな中での榊の発言は、やはり今後の事を嫌でも考えさせられる物へと変わっていた。

 

 

「コウタの事を推薦したのは僕だからハッキリ言うけど、『隊長=一番最初に突撃する』は間違いだと思うよ。自分がそうじゃないから説得力は無いかもしれないけど、隊長は部下の、チーム全員の命を預かる立場なんだから、常に生きて帰る事が大前提だと思うんだ」

 

 エイジの一言は当時のリンドウの言葉を思い出させていた。

 

 ──死ぬな

 ──死にそうになったら逃げろ

 ──そんで隠れろ

 ──運が良ければ不意をついてぶっ殺せ

 

 当時リンドウが部隊長だった頃、一番最初に組んだ際には必ず言われていた言葉だった。エイジだけではなくコウタもこの台詞は聞いている。だからこそ、エイジの言わんとする事が何となく理解出来ていた。

 

 

「感応種が出た時に、一番最初に撤退の判断をしたのは正解だよ。仮にオウガテイルを討伐してからなんて考えていたら、確実にあの二人は死んでただろうし、コウタだけじゃなくてカノンさんも負傷したかもしれない。

 絶対に正解なんて答えは無いのかもしれないけど、死ねばそれで終わりなんだから、生きて帰ってからリベンジを考えれば良いだけだよ」

 

「そりゃそうだけどさ……」

 

「さっきも言ったけど、まずは生きて帰らないと次は無いんだ。だったらその判断は隊長としては当たり前だよ。何も考えずに突撃なんて馬鹿でも出来る。そこで一時的にでも引く事によって次への行動に移す事が出来るかだよ」

 

 今までコウタ達を引っ張って来たのは目の前に居るエイジ。同期であると同時に親友でもある一言はコウタの気持ちを更に揺さぶっていた。

 本当にこの話を受けて良いのだろうか?何時もの様な適当な考えはそこには無く、一人の青年の人生の岐路に立ちあっている様にも思えていた。

 

 

「本当の事を言えば、榊博士は期待してるんじゃないかな?そうじゃなきゃ新人2人の面倒を見ろなんて普通は言わないだろうし、今後の再編は恐らくだけど従来の様な部隊運用は考えていないと思うよ。

 独立支援部隊を発足させた時点で、ここだけではなく、純粋に今後の事を見据えてるだと思う。人員も大幅に増えてるから部隊そのものを廃止したいと考えてる可能性だってあるんだ。事実、訓練カリキュラムは新兵から上等兵に格上げした状況で実戦配備に付く以上、気にしない方が良いかもね」

 

「エイジがそう言うならそうかもな。俺さ、子供の頃からオヤジの背中を見て育ってきた事もあって、前を進む人間が率先して何かをしないとダメだって思ってたんだよ。

 で、今回の部隊長の話が出れば、当然そんな話も出てくる。多分、それがひっかかってたのかもしれない。だから悩んでたのかもしれないな」

 

 コウタの子供の頃の話から、恐らくは父親の背中を見て育ってきたんだと直ぐに理解出来た。エイジにはそんな存在となる人間は居なかった分だけ羨ましい気持ちもあったが、今更過去に戻る事は出来ない。

 だからこそ今後の事も考える事でコウタ自身が今度は父親の代わりの様な存在になれば良いのではないのだろうか?そんな考えがエイジにはあった。

 

 

「結果的には立場が人を成長させる事だってあるだろうし、僕だって最初から隊長が出来たわけじゃないからね。コウタが作る第1部隊が今後の極東のスタンダードになるんだから、今から気にしたって仕方ないよ」

 

「そんなものかな?」

 

「そんな物だよ。誰もコウタがなったからって否定的な事は言わないだろうし、事実階級だって尉官クラスで文句を言う人間は誰も居ないよ」

 

 今のコウタには自信が必要なのかもしれない。自分の事は自分が一番知っていないとダメだが、案外と自分自身のことは過小評価しやすい部分もある。

 今は数をこなす事で慣れてもらうしかないだろう。そんな空気が漂っていた。

 

 

 

 

 

「ただいま帰りました」

 

「おかえり。今日はどうだった?」

 

「特に問題ありませんでしたよ」

 

 ミッションが終わり手続きが完了したのか、アリサは当たり前の様に部屋へと入ってきた。今までのしんみりした雰囲気は既に無く、あまりにも自然すぎたのかコウタも普通に受け入れていたが、ここで何かがおかしい事に気が付く。

 

 

「あれ?ここってエイジの部屋だよな?」

 

「何を今さら?どうかした?」

 

「いや…アリサが普通に入ってきたんだけど…」

 

 余りにも当たり前すぎたのか、エイジでさえも最初は疑問が湧かなかったが、徐々に考えるとかなり拙い状況である事に気が付いた。

 

 

「そう?ロックしなかったからじゃないの?」

 

「…本当にか?」

 

 何となく怪しんでいるのは間違いない。既に矛先はアリサに向いているのか、コウタの疑惑の目が未だに続いている。下手にアリサに話をされると何かと拙いと判断したのか、一部は本当の事を、一部は嘘を混ぜる事にした。

 

 

「いつもミッション終わったら一緒にご飯食べてるからだよ。コウタも一緒に食べる?」

 

 一緒にご飯を食べるのは嘘ではないが、ロックは嘘だった。まさかIDで入室出来るなんて事が発覚すれば、今度は何を言われるのか分からない。今はこの場を回避するのが最優先だった。

 

 

「…そりゃ食べるけど……畜生!爆発しろ!!」

 

 何となくバレた気はするが、これ以上突っ込んだ所で自分に跳ね返ってくるのを学んだ成果なのか、コウタからそれ以上のツッコミは無かった。誤魔化した結果、アリサも一緒に食事をする事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっきの話だけど、やっぱりコウタはこの話を受けるべきだよ」

 

「コウタ、まさか辞退するつもりなんですか?」

 

 自室では食材のストックが少ない事から、何時ものようにラウンジでの食事となった。キッチン内部にはエイジが、カウンターにはアリサとコウタが居るこの光景は、毎度の風景になりつつあったからなのか、誰も何も言う事は無かった。

 

 これから準備だと用意する頃、他のミッションからの帰りなのか、リンドウとソーマまでもが誘われる様に入ってくる。何時もの光景がそこにはあった。

 

 

「それは無いよ。その件でさっきまでエイジに相談に乗ってもらったんだからな」

 

「何だ、まだ悩んでるのか?もう、お前しか居ないんだから仕方ないだろ」

 

「リンドウさん。いくらなんでもコウタですよ。悩む訳はないですよ」

 

 コウタの悩みはあまりにも簡単にアリサに一蹴されていた。恐らくは二人で食事をするつもりだったのが邪魔された事にご立腹なんだろう。以前の様などこか辛辣な言葉が突き刺さる。

 しかし、状況を考えればリンドウの言う事は尤もな部分もあった。きっとアリサなりのエールだと今は前向きに考える様にしていた。

 

 

「あのなぁ…でも、榊博士からのご指名だからな。自分のやれる範囲でやるだけだよ。旧型は旧型なりに……ぐへっ」

 

「コウタはそれ以上何も言わなくても良いんです。うゎ~ん。コウタが虐めるんです。エイジ慰めてください」

 

 態とらしい態度ではあったが、コウタの失言まで許すつもりはなかったのか、アリサの素晴らしい一撃がコウタを襲う。個人的にやっていた教導の効果だったのか、コウタは言葉を発する事すら出来ずに蹲っていた。

 これ以上この言葉は今後は禁句だとこの場に居た全員が改めて心に誓っていた。

 

 

「じゃあ、後でね。はいおまたせ」

 

 今さら照れる様な初々しい関係ではない。そう軽く言いながらも作る手は止まる事はなく、コウタの目の前に置かれたのはカツ丼と味噌汁。出来立てならではの出汁の匂いが周囲に広がる。先程までにダメージが嘘だったのかと思う程にコウタの回復は早かった。

 コウタの分が終わると同時にリンドウ達の分も次々と準備にかかっていた。

 もう待ちきれなかったのかコウタは既に食べ始めていた。

 

「今日のカツ丼いつもより旨くないか?」

 

「良い肉が入ったからね。肉厚気味に切ったから味もしっかりとついてるでしょ?」

 

 既に先程の懸念はどこかへ消え去ったのだろうか?今は目の前の食事が一番だとばかりにコウタは集中している。

 先程までは一体何を悩んでしたのかすら覚えていない様にも思えていた頃、リンドウとソーマの前にも次々と置かれていた。そんな中でアリサのメニューだけは違うのか、今までと手つきが若干違っている様だった。

 

「アリサのだけは特別か?」

 

「いえ、何時もと同じですよ」

 

 そう言いながらアリサの前に出されたのは丼物ではなく、御前の様に幾つかの小皿や小鉢に乗せられた料理があった。バランスを考えたのか、焼き魚を中心に豆腐料理が並んでいる。普段はお目にかからないような料理がそこに出されていた。

 

 

「最近は大豆料理を研究してるんで、こんなケースが多いですね。多分リンドウさん達には物足らないかもしれませんね。良ければ冷奴位は出しますよ」

 

「催促したみたいで悪いな」

 

「豆腐はまだまだ沢山ありますから。ソーマも食べなよ」

 

「ああ。すまんな」

 

 一言だけ発すると、ソーマは無言で食べている。言葉は無くてもそのペースを見れば、感想は聞くまでもなかった。既に他の人間も匂いにつられたのか、ボチボチとやってきていた。

 

「何だか、遠征に出てた時を思い出すな」

 

「そうだ。リンドウさんばっかりズルいですよ。食事の準備はエイジでしょ?」

 

「それは当然だろうが。遠征なんて食べる以外に楽しみが無いんだから仕方ないだろ」

 

 食事をしながら思い出したのか、しみじみと語るその口調は何時もと何も変わらない。

 これから新たな再編があろうともこのメンバーの絆が途切れることはないだろうと、エイジは一人確信していた。

 

 

 




ここで一旦極東編は終了し、次回からの舞台はフライアへと変わります。
番外編ではボチボチと極東編を更新するつもりですので、今後も宜しくお願いします。





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第 参 部
第119話 新たな物語


「まさか、あんなだとは思いもしなかった」

 

 右腕をさすりながら、人知れずエントランスを歩く少年。ここフェンリルの中でも本部直属とも言えるここは、他の支部とは一線を引いた特殊な支部とも言えた。

 

『極致化技術開発局』通称フライアは移動型要塞の様な大がかりととも言える中の一所属部隊として運用されていた。本部直轄でありながらも、常駐することなく移動するその様は、ある意味本当に存在するのかすら危ぶまれる程だった。

 

 

 2050年以降、オラクル細胞の発見から謎の生物アラガミが発生するまでに時間は然程かからなかった。

 既存の兵器を受け付ける事なく独自の進化を遂げたアラガミはその勢いのまま、地球上に居た生命でもある人間を捕喰する事でその数を大幅に減らしていた。

 これまで地球の生命体の頂点とも言える人類の天敵となっていた。このままでは滅亡までに時間はかからないと、絶望へのカウントダウンが始まろうとしていた。

 そんな中で一つの機関がオラクル細胞に関する画期的な発見をした事で、これまで悲観論しかなかった人類に一筋の光明を見出していた。

 その対処は歴史上ありえない程の速度で進められていた。人類の希望としての対アラガミの組織を構築し、今正に人類の生存をかけた戦いが繰り広げられていた。

 

 その急先鋒でもあったのが、元々は一製薬会社でもあったフェンリル。ここがいち早くその対策と取ると同時に、人類の希望を与える組織となっていた。

 

 

 

 

 

「適合試験お疲れ様でした。現在は適合後の確認の為に訓練等の任務は遂行出来ません。時間が来れば連絡させて頂きますので、このまま自由に過ごして頂ければと思います。

 申し遅れましたが、フラン=フランソワ=フランチェスカ・ド・ブルゴーニュと申します。今後は私が何かとご連絡させて頂く事になるかと思いますので宜しくお願いします」

 

「ああ、宜しくお願いします。ええっと…」

 

「フランと呼んで頂いて結構です」

 

 余りにも長い名前は、恐らく今まで生きてきた中でも無かったのだろう。一度に覚える事が出来なかった事と、本人も既にこんなやり取りを何度もしているのか、殆ど事務的とも言えるように、言いやすく出来るように伝えていた。

 

 

「すみません。僕は饗庭(あいば)北斗です。苗字はあれなんで北斗で構いません。この後はどんな予定なんですか?」

 

「今後は教導に入りますが、今はまだオラクル細胞が完全に定着してませんので、時間にして3時間程度の猶予があるかと思います。ここは分かりにくい所も多いので、良ければ施設内の確認でもされてはどうでしょうか?」

 

 北斗がここに来てから、施設内の見学なんて概念は無かった。突然、召集がかかったかと思いきや、連れてこられたのは真新しさが残る訓練室と思われる場所。周囲が分厚い壁に囲まれた部屋へと通され、その後ですぐに適合試験が開始されていた。

 時間にしてほんの少し前の事ではあったが、思い出しただけでも痛さが蘇る。生憎と痛みを受けて喜びを感じる様な趣味は無いので、出来る事ならその記憶は封印したい気持ちで一杯だった。

 

 

「そうですね。因みに、ここにはどんな施設があるんですか?」

 

「ここは今後任務を受ける際の総合受付となります。ここで任務の受注や報酬の支払い等を行いますので、基本はここへ来るのが一番多いかと思われます。後はそこにターミナルがありますので今後の事も踏まえて確認してください。それ以外であれば庭園があります」

 

 案内をしてくれるのは有難いが、どことなく冷たい様な感じを受ける。

 見知らぬ人間であればこうなるのは当然なのかもしれないが、今後は彼女が窓口となるのであれば、もう少し親密になった方が何かと都合が良いのではないのだろうか?

 仕事上の人間関係はともかく、やはり今後の事も考えれば多少砕けた方がマシなのかもしれない。事務的では無い感情を見てみたい気持ちに北斗はどことなく支配されていた。

 

 

「フランさん。おススメは?」

 

「…そうですね。一番皆さんが関心されるのは庭園かもしれませんね。緑が多い場所はこの地球上では限られた場所しか無いかと思いますので」

 

「そうじゃなくて、フランさんのおススメなんだけど?」

 

 何故自分のおススメなのかフランは理解出来なかった。フランがここに配属されたのは、フェンリルでも事前の研修で成績が上位に来ていた事から配属されたのであって、決してここでの勤務は長くない。事実、ここは居住スペース以外の場所は立ち入り禁止となっている事が多く、庭園以外に何かあるかと言われれば回答に困る事しかなかった。

 

 北斗は気が付いていないが、実際にはここフライアではゴッドイーターの数は殆どいない。

 仮にフライアの進行上に居たとしても、話に聞く極東程のレベルでは無い事もあって、今待機中のゴッドイーターだけで事足りていた。

 そうなれば所属しているゴッドイーターとも接点はあまりなく、その結果として個人的に聞かれたなどと言った経験がフランには無かった。

 

 

「…やはり庭園でしょうか。私も正直ここの位置は分かりますが、どこで何をどうしているのか詳細までは知りませんので」

 

 北斗は敢えて個人の見解を聞いたものの、やはりその牙城が崩れることは無かった。このまま庭園に行っても良かったが、このまま行くのは面白くない。だからこそ他の場所を探検に行くのも悪くはないと考えた。

 何故なら自分も今日からここの一員なんだからと、誰に説明しているのか分からない様な事を考えエントランスから離れる事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりここは大きさの割に居住スペースが小さい。外から見れば大きいって事は、大半が機関部なのか?」

 

 結果的には庭園に行くことなく周りを探検しながら歩くが、どこか違和感があった。全体図から見ればこの施設の大きさが歪にも思える。

 他の部分は何があるのだろうか?そんな独り言とも取れる事を言いながら歩いていると、いつの間にか背後に一人の女性から話かけられた。

 

 

「察しの通りですよ。ここの大半は稼働させる為の機関部。ここが壊れればここは立ち行かなくなりますよ」

 

 まさか独り言に返事が来ると思ってもなかったのか、それとも気配を察知する事が出来なかったのか、好奇心は猫も殺すとばかりに北斗の背筋に旋律が走る。恐る恐る振り返ると、そこには車椅子に座った一人の少女とも女性ともつかない人物が佇んでいた。

 

 

「ひょっとしたら、ここは立ち入り禁止区画なんですか?」

 

 万が一そうだとすれば、配属早々にやらかした事になる。まさかここでクビなんて事は無いかもしれないが、これが上層部の人間であれば何かしらのペナルティが発生する可能性がある。だからこそ、北斗には慎重な対応が求められていた。

 

 

「いえ。特に定めた訳ではありませんから、貴方が心配するような事態にはなりませんよ」

 

 穏やかな口調の中に、どことなく迫力があるような言葉に北斗は違和感があったが、この人物が誰なのか分からない以上何も言うことは出来ない。出来る事ならこの場から一刻も早い撤退が脳内で要求を出している。

 これ以上の対応は難しいと思われた頃、支給された携帯端末からの呼び出しがかかった。

 

 

「すみませんが、どうやら呼び出しみたいなので。では失礼します」

 

「気にしなくても構いませんよ。では後ほど…」

 

 言葉の最後に含みはあったが、それでもあの空間を打ち破る為の連絡はありがたかった。ここでは関係ないが、とりあえずは心の中でフランに感謝しながら、一路エントランスへと急ぐことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当初の予定通りに訓練してへ足を運ぶと、そこにな適合検査の際に握っていた神機が置かれていた。これから教導に入るのかもしれない。まずはどんな感じなのかお手並み拝見とばかりに比べて見ることにしていた。 

 

 

「よく来たな。これから所属するブラッドの隊長を務めるジュリウス・ヴィスコンティだ。これから簡単な神機の動かし方と教導を始める。既に適合検査の際に握られていた物が、今後君が使う神機だ。これに関してはどの様に運用するのかは自分で決める事になる。まずは使い方から説明しよう」

 

「宜しくお願いします」

 

 説明と運用以外にもデモ機を使った対アラガミの教導が同時に開始されていた。当初は簡単な説明だけと言われていたが、教導の途中からはある程度の訓練を課せられる事となり、結果的には大幅に時間が押していた。

 当初の予定よりも早く進んだこともあったのか、ここで一旦教導が終了する事となっていた。

 

 

「いきなりとは…流石は本部直轄の部隊だ。いきなりこれは少し苦労しそうだ」

 

 またもや独り言をつぶやくも、先ほどのケースを懸念してか、周囲を確認する。どうやら先程の事は偶然なんだと思いながら歩くと休憩スペースに一人の少女が座っていた。

 

 

「君も訓練だったの?私、最近ここに来た香月ナナ。君の名前は?」

 

「俺の名前は饗庭(あいば)北斗。面倒だから北斗で良い」

 

「そっか~。私もナナで良いよ」

 

 やたらと露出度が高そうな服装に、北斗もどこに視線を合わせて良いのか少し困っていた。ジャケットらしき物は羽織っているが、インナーは丈の短いチューブトップに下はホットパンツ。

 明らかに防御能力が低いそれはナナには似合っているのかもしれないが、北斗の知る中でここまで露出が高い人は周りには居なかった。先程の話から、ここに来たのは恐らくは北斗とそう変わらないはず。

 恐らくは同期である可能性も考えると、今後の任務は一緒になる可能性は高い。この娘の服装は目の毒の様にも思えていた。

 

 

「ねぇねぇ。訓練ってもう終わった?」

 

「訓練?ああ、あれがそうならもう終わった。まさかいきなり神機を振り回す事になるとは思ってなかった」

 

 その一言がどう伝わったのか、目の前のナナは驚いた様に北斗をジッと見る。比較対象が無いのであれば、これが普通だと思っていた北斗にナナの考えている事は理解出来なかった。

 

 

「なになに?期待の新人って感じ?私の時はそんなんじゃなかったよ。ちなみに私はこれからなんだ。そうだ!お近づきのしるしにはい!これ」

 

 どこから取り出したのか、ナナの手にはコッペパンに見間違いでなければ極東にあったメニューのおでんが挟まっている。大よそ食べ物のジャンルではあるが、これが一体どんな味なのか皆目見当もつかない。しかし、女の子から差し出された物を無碍に扱う訳にもいかず、ひとまずは受け取ってから考える事にした。

 

 

「ナナ特性のおでんパンだよ。食べたら感想聞かせてね。それと、残したら後で怒るからね」

 

 そう言い残し、ナナは訓練室へと走り去る。どうやら退路は断たれたのか、目の前には少し暖かいおでんパンがあった。感想を聞くとなれば食べない訳にはいかない。恐る恐る最初の一口を齧る事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君たちが噂の新人さん?俺の名前はロミオって言うんだ」

 

 ナナと北斗が何気に話していると、今まで見たこともない様な人間が話しかけてきた。腕を見る限り、自分たちと同じ様な黒い腕輪がはまっている。恐らくはここに所属しているゴッドイーターに違い無かった。

 

 

「は~い。そうです。私はナナ。でこっちが…」

 

「俺は饗庭(あいば)北斗です」

 

「お、おう。俺はここに来てから1年位だから、分からない事があったら何でも聞いてくれよ」

 

 どうやら新人が配属された事で、一度顔を見るべくここに来たのか、目の前のロミオはここでは珍しい位に人懐っこい感じの人物に見えていた。元来の性格なのか、それとも新人を緊張させない為の手段なのかは分からない。ロミオと名乗った少年の言葉に、ナナも北斗も少し安堵の表情を浮かべていた。

 

 以前に紹介されたジュリウスは見た目が華やかすぎたのか、どこか別次元の生き物に違いないと勝手に判断していた。一方でエントランスにいるフランは暇さえあれば話かけるも、どこか事務的な感じが消えないのか、少し残念に思っていた。

 隣のナナに関しては人当たりは悪くないが、おでんパンの感想を未だに聞いてくる事が多く、また高露出な服装も相まって、少しだけ苦手意識が存在していた。

 

 

「ロミオ先輩、ここってゴッドイーターはどれ位配備されてるんですか?」

 

「ここか?ここは俺とジュリウスしかいないよ。何でも極致化計画に基づく実験施設を兼ねてるからな。俺達は他のゴッドイーターとは違って血の力が秘められてるんだ」

 

 極致化計画の名前は初めて耳にするからなのか、何の事を示しているのか理解できない。しかし、その次に出てきた血の力にはナナが反応を示していた。

 

 

「ねぇ先輩。血の力ってなんですか?」

 

「血の力ってのは、アラガミを倒す時に必殺技が使える様になるんだ。隊長のジュリウスなんて凄いんだぜ。赤い光が神機から出て、ズバーン・トバーンとやっつけるんだ」

 

 ロミオの擬音による説明に意味は分からないがニュアンスだけは理解できた。まさか自分にもそんな力があるとは思ってもいないし、今まで平均的な生活しか送ってなかった事もあってか、ロミオの説明はどこか絵空事の様にも思える。

 ここに来て僅かではあるが、出会った人間全員が一癖も二癖もある。こんな状態で果たして大丈夫なんだろうか?北斗の胸中には疑問しか無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロミオ、ここに居たのか。ラケル博士がブラッド候補生の召集をしていた様だったから、研究室へと行ってくれ」

 

 会話が弾んだ頃、ロミオの口から出てきたジュリウスが連絡事項だとばかりに全員に伝える。今さっきまで話に出ていた事は感知していないのか、3人の挙動は若干怪しい物があった。

 

 

「あれ?あなたは先程の?」

 

 ジュリウスからの召集により、行った先には背後から声をかけられていた女性がそこに居た。先程のジュリウスの話からすれば、この人がここの責任者なのだろうか?あの場では逃げる様に立ち去ったが、ここではそんな行動をする訳にも行かない。呼び出したのが当人である以上、今後の行方がどうなるのかも考えればここはジッとする以外に何も出来なかった。

 

 

「フライアへようこそ。あなた方はブラッドの候補生としてここに来ています。各地で戦っているゴッドイーター達を導く立場として今後は務めて下さい」

 

「あれ、ロミオ先輩も候補生なの?」

 

「ナナうるさいよ」

 

 どうやら先ほどの候補生の言葉がひっかかったのか、ロミオにツッコミを入れるも、ここは研究室である以上下手に騒ぐ訳にもいかなかった。2人のやり取りに内心ハラハラしながらも敢えて何も言うことなく、この場の空気の様にひっそりと北斗は過ごしていた。

 

 2人の漫才の様なやり取りはともかく、幾つか気になる部分はあった。しかし、自分自身がここに来て日が浅い。今はまだ何も分からないのであれば、これ以上の事は何も言うことも出来なかった。

 結果としてはこの部隊は特殊である事、そして各々が血の力と呼ばれる異能がある事だけは理解出来たが、これについてはそれ以上何も語られる事が無かった。考え出せばキリが無い。

 過度な期待をせずに過ごせれば、それで良いとばかりにこの場をやり過ごす事にしていた。

 

 

「ナナ、さっきのラケル博士の言葉なんだけど、血の力ってなんだろう?」

 

「う~ん。ロミオ先輩の話だと必殺技らしいけど、詳しくは私には分からなかったよ。それよりも、これからまだ訓練があるのかな?」

 

 ナナの言葉は今後の事も考えればある意味当然とも取れていた。ここ来てからは訓練はあるが、未だに実戦配備される気配はない。またこのフライアにおいては信じられない事にジュリウスとロミオの2人で今まで運用してきた事を考えると、このままチマチマ訓練をしていても果たして良いのだろうか?そんな考えがよぎっていた。

 

 

「まさかいつまでも訓練なんて事はないさ。でも、本当にどうなんだろうね?」

 

 研究室から出てからの予定は何も聞かされていない。だからこそ、今後はどんな予定になるのだろうか?先が見えない事に少しだけ疑問が湧くも、こればかりはどうしようもなく今はその指示を待つ以外に何も出来なかった。

 

 

 



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番外編6 一時の憩い

極東編となります。
フライア編は全員が揃いはじめてから考えたいです(つまりはノープランとも言う)


「は~漸く終わった」

 

「なんだリッカ?もう歳か?」

 

 新型兵装の実戦配備は完了し、漸く軌道に乗る事が技術班でも確立されていた。今回の新型兵装に関してはリッカとナオヤが主体となって進めてきたが、エリナとエミールの実戦結果から有効なデータを抽出し、後は他の機体にもコンバートするだけとなっていた事で漸くゴールが見え始めていた。

 

 

「あのねぇ。私はまだ若いから。ちょっと一息ついただけだよ」

 

「冗談だ。俺もやってるから知ってるけど、これで一応のメドが立ったから、後は何とかなるだろ」

 

 ここ数日に関しては、早朝から深夜までひたすら端末とマニピュレーターとの睨めっこの日々が続き、流石にリッカとしてもナオヤしか居ないここでは遠慮する事はしなかった。もちろん、メインはリッカだが、サブのナオヤもやるべき事が多く、当初は時間がかなりかかると予想されていた。しかし、とあるミッションに出た際に抽出出来たデータはこれまでの停滞気味だったチューニングに対し、大幅な成果を示す事が出来ていた。その結果として当初の予定よりも大幅に前倒しする事が可能となっていた。

 

 

「そうだね…あとは一旦帰ってゆっくりと寝たいな。でも、ご飯の事があるから…」

 

 何かブツブツと呟いているが、敢えて聞かないフリをしてナオヤは自分のやるべきことをサッサと済ます。今回の内容は明らかにストレスをため込む原因となっているのは誰の目にも明らかだった。これ以上ここにいたら、今度は何を言われるのか分からない。今は一刻も早い退散をするのが得策だった。

 

 

「はい。ああ…今日は帰るけど…ええっ?でも、俺が決める訳には行かないんだけど……了解」

 

 まるで図ったかの様なタイミングでナオヤの端末に連絡が入る。何かを話しているが、その終わり方に違和感があった。

 リッカは今の状況で他人の事に構う余力はなかったが、目の前のナオヤの様子がどうもおかしい。事実通信を切ったあとのナオヤの表情は微妙だった。

 

 

「何かあったの?」

 

「…実は弥生さんが、リッカを連れてきて欲しいって言ってるんだけど、今日はもう疲れてるから無理だって言ったんだけどな。悪いんだけど、屋敷に来れないか?」

 

「別に構わないけどさ、何か用事があるんだよね?」

 

「だろうな」

 

 以前の様に屋敷には偶に行く事はあるが、最近は仕事が多忙となる事も多く、足を運ぶ事が少なくなっていた。そんな中での今回の呼び出しに関しては、言われたナオヤも意味が分からないと言った表情を隠す事もなく、そのままリッカへと伝えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃい。急に呼び出してごめんなさいね」

 

 食事が出て温泉に入れるならば、リッカとしても断る理由はどこにも無い。そのまま屋敷へと足を運べばそこにはアリサとヒバリにカノンとエリナが居た。確かここに来る際にヒバリはロビーに居たような気がするが、その際には何も言われる事がなく、何も気にしないまま来ただけだった。

 

 

「今日は一体何の用事なんです?」

 

「実は、今日来てもらったのは、ここでちょっとした来客の予定があるんだけど、その際に幾つかお願いしたい事があったのよ」

 

 ここ来ている時点で、特に断るつもりは何も無いのと同時に、普段から弥生には何かと公私に渡ってお世話になっている関係上、拒否する事は無かった。

 

 

「あの、弥生さん。来客ってここにですか?」

 

 アリサの質問はここに居た全員の代弁だった。突然ここに来てほしいと言われ、その結果として来客があるだけでは中身が分からない。かと言って、ここでの食事や温泉に関してはここに居るメンバーの中でエリナ以外は全員知っているのと、今回に至たっては珍しく正規の食事まで用意されているからと言われていた。

 

 

「そうよ。来客と言っても来るのはユノさんとサツキさんなんだけど、今後の事で打ち合わせがあるのと、折角だから皆の慰労も兼ねたらどうかと思ってね」

 

 秘書でもある弥生はヒバリ以上に業務の内容を把握している。ミッションに関してはヒバリの職域だが、支部全体となれば弥生が知っていてもおかしくはない。当初は誰もがそう考えていた。しかし、余りにも話の内容が良すぎた。

 

 

「あ、あの。私も来て良かったんでしょうか?」

 

「カノンちゃん。遠慮はいらないんだから、気にしないで。そう言えばエリナちゃんはここは初めてなのよね?」

 

 話には聞いていたが、エリナに関しては実際にここへ足を運んだ事は一度もなかった。偶にミッションの帰還の際にコウタから話を聞くことはあっても、どんな場所なのか想像することも出来ず、また新兵でもある自分が呼ばれる可能性が無いからと、当時は聞き流していた。しかし、既にここ来ている以上、何も出来ない。突然呼ばれた経緯と、意味が理解出来なかったと同時に、物珍しさからキョロキョロとしていた。

 

 

「え、あ、はい。ここは初めて来ました」

 

「要件はさっき言った通りなんけど、少しだけ協力してほしいの。時間はかからないから大丈夫よ」

 

 未だ語られる事がないまま話だけは進んでいく。本来ならば確認したい所だが、弥生は確認する事なく話だけを進めていた。今までにもこんなやり取りは何度かあったが、反論した所で尤もな事を言われてそのまま進む事が多かったのか、今では誰も反論する事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、これって?」

 

 エリナが一番最初に疑問に思ったのは無理もなかった。一度身体を清めた際に、用意されたのはここでは当たり前の浴衣ではなく着物だった。既に周りを見れば皆が着付けをしているが、エリナは着物を着た事が一度もなく、どうすれば良いのかただ見ている事しか出来なかった。

 

 

「エリナは初めてですよね。私が手伝いますから」

 

 アリサが手伝う事で次々と着物を着せられていく。アリサの手慣れた手つきに関心しながらも、未だに目的が見えない。これから一体何が起こるのかエリナの理解の範疇を超えていた。

 

 

「着付けは終わったかしら?うん。エリナちゃんも良く似合ってるわ」

 

 着付けが終わる頃に弥生も同じく着物姿でやってきた。着物を着た時点で何となく予想はついていたが、行った先の部屋ではやはりと言うか、同じく着物を着たユノが座っていた。

 

 

「皆さん、私の為にすみません。今回は広報の一環でここに来させていただいたんです」

 

 ユノから語られた言葉に一同はやっぱりかと言った表情をしているが、エリナだけは未だ理解が出来ないのか反応していない。これからここで何が起きるのだろうか?3時間位前までは確か戦場に居たはずが、今はここで着物を着て佇んでいする。展開の早さに思考が追い付いていなかった。

 

 

「アリサさん、今回はすみませんね。今回は極東の広報なんですけど、フェンリル向けの広報なので、ここにさせてもらう事になったんですよ」

 

 サツキの取って付けた様な説明で漸く今回の趣旨が理解出来ていた。ネモス・ディアナの1件以降、ユノの認知度は徐々に高くなり今回はクレイドルが推進しているサテライト計画への出資も込みでの撮影が成される事になっていた。

 アリサは今回の件に関しては自分が主体となっている計画が目的の一つである以上、その言葉を出されると何も言えない。

 

 クレイドルとサテライトの話を出された事で拒否権は既に無く、その結果としてヒバリが巻き添えになり、折角だからの名目とばかりにカノンとリッカとエリナまでもが加えられていた。

 

 

「時間も惜しいので、さっさと撮影に入りますから。さぁ、準備の程宜しくお願いしますね」

 

 サツキの合図と共に突如として撮影が始まりを見せる事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、こんな所でも一仕事するとは思わなかったよ」

 

「私、大丈夫でしたでしょうか?」

 

 撮影は思いの外順調に進んだ事もあり、約1時間程で終了していた。今回は極東の()()()を演出する事が最優先となり、その結果として着物姿での幾つかのシーンが撮影されていた。

 当初は普段の一面をと思っていたが、せっかくだからとあらゆるシチュエーションでそれなりに撮影がされ、ここで漸く終了となっていた。この時点でこれがどうなるのかは誰も予想していないが、サツキだけは完成形が既に見えたのか人知れず黒い笑みを浮かべていた。

 

 

「お疲れ様でした。この後は食事を用意してますから、先に温泉に入られたらどうですか?」

 

 弥生によく似た女性が次の段取りを進めるべく全員に次の行動へと促す。一旦着付けされた着物は既に片づけられ、今度は用意された浴衣を着る事となっていた。

 

 

「う~ん。生き返るよ」

 

「リッカさん少しババ臭いですよ」

 

「それは言わないで。ここ数日はいろいろと忙しかったんだから」

 

 リッカの伸びにヒバリが突っ込むが、ここ数日の事を考えれば無理も無かった。整備不良による動作不能はあってはならない以上、細心の注意が必要となっていた。

 そこに新たな兵装が加わればその労力は単純に倍ににはならない。いくら一定以上の水準がクリアされたからと言ってそのレベルで満足する訳には行かなかった。僅かな可能性があればそれに合わせて調整を続ける。それが戦場へ出向くゴッドイーターの生存率を高める要因となれば、それは当然の結果。だからこそ整備士は自分の責任と使命感を持って整備に臨んでいた。

 

 食事の準備の間にやる事が無いからなのか、全員が一旦温泉へと足を運ぶ。既に手慣れた手つきでどこに何があるのか知っている事もあり、まるでちょっとした女子会気分になりつつあった。

 

 

「でも、ここに来たのは久しぶりですね。最後に来たのはいつでした?」

 

「どうだったかな?カノンちゃん覚えている?」

 

「確か最後に来たのは半年前位じゃなかったですかね」

 

 緊張感が緩んできたのは温泉の効果なのか、それともこの空気なのか。割とここに来る事が多いアリサでも、ここの露天風呂にはあまり来ない。仮に来ても内風呂が多く、ここはゲスト用になる事が多かった。

 

 

「でも、アリサさんは普段はここに来てるんですよね?」

 

「ここは…あまり来ないですよ。ここは基本ゲスト用って聞いてますから」

 

 ヒバリからの質問に何も考える事無くアリサも答える。普通に聞けばその言葉通りだが、先ほどの撮影でテンションが高くなったのか、リッカの言葉がアリサを襲った。

 

 

「って事は、ここではアリサはゲスト扱いじゃないんだ?」

 

「それってどう言う事なんですか?ぜひ詳しく聞きたいですね」

 

 リッカの言葉にヒバリが悪乗りする。ここではアリサに分が悪いのか、この手の話には常に弄られる事が多く、助けを求める為にカノンを見るも、やはりカノンも詳しく聞きたかったのか興味の目を向けていた。

 

 

「いや、あのですね…」

 

「あの、アリサ先輩は既にここの人なんですか?」

 

 エリナの何気ないツッコミがアリサの退路を塞ぐ。どう考えてもこの場にアリサが来ているのを全員が知っている以上、回避は不可能だった。

 

 

「エイジさんが居ない時の休暇にはアナグラに居ない事も多いですから、ここに来てると考えるのは当然だと思いますよ」

 

「ええっ!じゃあ、アリサさんはここで何してるんですか?」

 

「カノンさんまでそんな事言わなくても…」

 

 どうやらこの会話から回避するのは不可能なのかもしれない。細かい事はさて置き、共通のIDで開錠できる事を知っているヒバリからすれば、核心はつかなくても事情は知られている。

 

 他のメンバーにここでの事を色々と聞かれると困るのはアリサである事は間違いない。この先につながる道が蜘蛛の糸の様な細い道程。ここから足を踏み外せばどうなるのかは想像もしたくなかった。

 

 

「最近のアリサは前よりもスタイルが良くなったみたいだし、やっぱり何かしてるんじゃないの?恋人に毎日胸でも揉まれてるとか?」

 

「毎日そんな事はしてませんから」

 

「毎日は無くてもそんな状況にはなってるんだよね?」

 

「いや…それは…」

 

 

 話の展開が徐々におかしくなっている。既に会話に参加しきれていないのか、それとも何かを想像しているのかエリナは顔が赤くなって無反応となっている。先程の会話から何故こんな展開になっているのだろうか。これが温泉効果なのか。

 ここで話の軌道を変えない事には何か取り返しのつかない事になる可能性が高くなる。アリサはこのまま指をくわえている訳にはいかなかった。

 

 

「最近はエイジも欧州に派兵してますから。今はそんな事はありません」

 

「アリサさん。それはいくらなんでも…」

 

 カノンの言葉に気が付くのが遅れたのか、自爆とも取れる発言をした内容は泥船へと一直線だった。

 

 

「ちょっと聞きましたヒバリさん?」

 

「ええ。どうやらアリサさん達はラブラブらしいですね。ここはひとつ詳細を聞いて裏付けを取らないと…」

 

「ここにはエリナもいますから、これ以上の事は流石にちょっと…」

 

 アリサの一言で思い出されたかの様にエリナを見れば、のぼせたのか羞恥なのか、全身が真っ赤に染めあがっている。エリナには刺激が強すぎたのか、それ以上の事は止めて一旦出る事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユノさんは、今日はここなんですか?」

 

 どれほど入っていたのか食事の準備は完了し、既にユノとサツキも浴衣へと着替えていた。食事は来賓用だった事もあり、いつも以上に豪勢な食事が出されている。

 いつもならばエイジが作るが、今は居ないのと同時に、今回の報酬の代わりとここの専属の料理人が用意していた。

 

 

「時間も遅いですから、今日はここで泊まらせて頂こうかと思います。皆さんもですか?」

 

 この後にどんな予定があるのかはそれぞれが把握しているが、細かい部分まではお互いに知っている訳ではない。改めてユノから言われた様に、どうしようかと思った時に弥生から今後の予定が告げられていた。

 

 

「ここの皆さんは今晩はここですよ。全員がローテーションを組んでますから」

 

 全員の予定が空いたのではなく、開けた結果が今日だったのだろう。ヒバリでさえも細かな予定に関しては何も知らされていない。そこに秘書でもある弥生から言われた言葉で、今回の件も任務の一つでは無いのだろうかと思われていた。

 

 

「それと、皆さんには一つお願いがあります。温泉出た後に小瓶を渡したと思うんですが、これの使用感を教えて下さいね。アリサさんには引き続きお願いします」

 

 弥生からの話はついでの様にも聞こえていたが、どうやら新商品の開発モニターも兼ねていたようだった。以前にエイジから椿油が提供されて以来、何だかんだと利用していたが、ここにきて更に追加で加えられていた。

 アリサは既に使っているのか、確かに湯上りに身体につけていた事が思い出されていた。

 

 

 

 

 

「ねぇアリサ、今度のこれは何?」

 

「これはローズウォーターだって聞いてます。最近になって生花も安定して生産が可能になったらしく、これは何でも美肌と女性ホルモンに作用するとか言ってましたよ」

 

 食事が進むと同時に、先ほどの小瓶の話が出てきていた。弥生からは用途はアリサに聞いてと言った後、何か用事があったのかこの場にはおらず、今は女性陣だけが食事を楽しんでいた。

 

 

「へ~。やっぱり、アリサのスタイルはそうなんだ。まさかここで育まれていたとは思って無かったよ」

 

「育むって……ここでは特別な事はしてませんから」

 

 このまま話が進めば、また温泉での一コマが再現される可能性が俄然高くなる。このままでは何が飛び出すか分からないとばかりに、ここで一旦流れを切るべく、アリサは方向転換を図る事にした。

 

 

「そう言えば、ユノさんはここは初めてなんですか?」

 

「いえ。以前にも一度来た事はあったんですが、今回の様なケースは初めてなんです。まさか、こんな施設がここにあったなんてサツキったら何も教えてくれなかったんです」

 

「その件なら、一度ここに来た際に色々と説明を受けてましてね。まさかここが何の支援もないまま運営されてるなんて思ってもいませんでしたよ」

 

 サツキの言葉にユノは初めて聞いたのかビックリした感情がそのまま顔に出ていた。今までユノと直接接した事があったのはアリサ位だったが、それでもこんな表情は見た事がなく、アリサだけではなく他のメンバーもその表情に親近感を持っていた。

 

 

「サツキ、その話は本当なの?」

 

「あれ、知らなかった?そっか。調印は母屋ではしたけど、ここの施設に関しては何も言わなかったんだっけ」

 

 屋敷に足を運んだ事に間違い無いが、詳細についてはユノは何も居知らされていない。歌についての説明はあったが、それ以外は事実上の部外者だった。調印の話は父親の那智を通じて知っていたが、まさか完全に独立していたとは思ってもいなかった。

 冷静に考えれば、ここにフェンリルのマークが付いた物は何一つ見た記憶が無い。あまりの衝撃に箸が止まっているが、その様子はユノだけではなくエリナも同じだった。

 

 

「あ、あのアリサさん。ここってフェンリルの管轄じゃないんですか?」

 

「ここは無明さんが独自にやってる施設だから、フェンリルは関係ないんです。私も初めて聞いた時は驚きましたけど」

 

 一番最初に聞いた際にはアリサも驚いていた。今では当たり前だが、リッカやヒバリ、カノンもそれぞれ当時の話を思い出していた。だからこそ、独自で運営していたネモス・ディアナの事は何も知らない他のメンバーよりも割と冷静に聞くことが出来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食事の時間は楽しく過ごすと同時に、場所が特殊だったからなのか、ユノとも他のメンバーは早くに打ち解ける事が出来ていた。

 食事が終わった後も、飲み物を用意された事もあってか、既にそれぞれが思い思いに話に花が咲いている様に見える。

 最初は驚いたが、今では楽しい女友達に遠目で見ていたサツキは少しばかり安心したと同時に、これは使えると何かを用意している。これが何を意味しているのかは今のところサツキだけだった。

 

 これを機にユノのステージを今よりも更に一段上へと押し上げる事が出来れば、今後の活動は何かとやりやすくなるだろう。明日以降は編集作業が大変だと一人黒い笑みを浮かべると同時に、今回の件は事後報告で構わないだろうと、一人胸の中に押しとどめていた。

 

 

 




アリサは何故か実に弄りやすいです。
次は他の人で考えたいものです。




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第120話 初陣

 ジュリウスからの話で漸く訓練がある程度のメドを迎える頃、突如とした今までに無かった訓練が入っていた。場所はいつもの訓練室ではなく、集合場所は外部。今までに無かった訓練に北斗もナナも興味をひかれていた。

 

 

《ジュリウス隊長、今回の任務に新人2人が同行するとは聞いていませんが》

 

「すまない。あの2人なら実戦に出ても問題ないだろうと判断した結果だ。フランが心配する様な結果にはならないだろう」

 

 2人が到着前の現場ではジュリウスが事前確認とばかりに現地の下調べをしていた。まだ概要しか伝えてはいなかったが、今回の内容は実戦に対する試金石となるべき内容。今回の結果いかんで、今後の内容が大きく変更される予定だった。

 フランには何も言っていないが、外部への出撃となれば知らない訳はない。だからこそ確認とばかりに、突然の通信がジュリウスに届いたのは想定内の事だった。

 

 

《……そうまで言われるのであればこれ以上の事は何も言いませんが、今後はせめて私にも一言声をかけて下さい。でないと、オペレーターとしてのフォローが出来ない可能性があります》

 

「そうだな。でもフランならば何の問題にもならないだろう?」

 

《……大丈夫だとは思いますが、ご武運を》

 

 ジュリウスからの返事はフランにとっても想定外の出来事だったのか、それ以上フランの口からは何も発する事は無かった。時間もそろそろ近くなっている。恐らく新人2人は驚くに違いない。

 そんな事を考えながらジュリウスは集合地点へと急いでいた。

 

 

「フェンリル極致化技術開発局、ブラッド所属第二期候補生二名ただいま到着しました」

 

 言いにくい台詞をよくも噛まずに言えると北斗は内心関心しながらも、この場所における任務にどこか違和感があった。確かに訓練は今までしてきたが、段階を何段かすっ飛ばした内容に違和感以外に何も感じない。

 ここから先は確認とばかりにジュリウスの言葉を待つことにした。

 

 

「隊長のジュリウス・ヴィスコンティだ。時間が勿体ないので手短に言うが、これから実地訓練を始める」

 

 ジュリウスの言葉に北斗はやはりと言った表情を浮かべたが、隣にいるナナは聞いてないとばかりに驚きを隠せない。どこかで必ず戦場に出るのであれば、それが単に早いか遅いかの違いでしかないが、突然の実戦はやはり緊張感が漂う。

 まるでこれが当然だとばかりにジュリウスは言ってるが、事前に何も聞かされていなかったからなのか、想定外の内容にナナはジュリウスの言葉が耳に入らない。

 いくら人数が居ても戦場での油断は命取りだった。

 

 ジュリウスの話がまだ続く頃、突如としてオウガテイルが頭上から待ち構えたかの様に襲い掛かった。今まではシミュレーションだった事もあり、どこか他人事の様にも思えていたが、これはシミュレーションではなく実戦。何かしらかの対処をしなければ、この世界から永久に退場する事になる。だからこそ、この瞬間の対処が最優先だった。

 

 

「ナナ危ない!」

 

 隣のナナを突き飛ばすと同時に、北斗は無意識と取れる行動で素早く神機の刃をオウガテイルへと振るう。

 頭上から落下するかの様に襲い掛かるオウガテイルに対し、北斗は下から上へと掬い上げるかの様に振り上げていた。

 オウガテイルの牙と神機の刃が激しく交差する。オウガテイルはまるで何の抵抗も無かったかの様に頭蓋から胴体に向けて一直線に分断されていた。斬撃が鋭かったのか、左右に分かれたオウガテイルの身体は一気に離れ、周囲に血を撒き散らす。左右が時間差で地面へと落ちる頃、突然の事態はまるで何も無かったかの様に終了していた。

 

 

《ジュリウス隊長!先ほどのアラガミはどうなりましたか!》

 

 恐らくはモニターしていたのであろうフランが、驚いたかの様にジュリウスへと通信をつなげる。襲い掛かってきた事は理解したが、あまりにも鮮やかな手並みにその場に居た2人は内心驚きを隠す事は出来なかった。

 

 

「い、いや大丈夫だ。北斗が対象となったオウガテイルを討伐しただけだ。これから少しだけ時間を空けた後に改めて任務を開始する」

 

《…そうですか。取り乱し、申し訳ありません。ではお願いします》

 

 突発的な任務は波乱のうちに開始され、当初の予定通りに任務は遂行されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっきは突き飛ばしてごめん」

 

「私が気が付かなかったのが一番悪いんだし、北斗のやったことは当然だよ。私は頑丈だからだ大丈夫。気にしなくてもいいよ」

 

 任務が終わり帰投準備に入る頃、先程の事を思い出したのか、突如として北斗がナナに謝罪していた。いくら緊急時とは言え、女性を突き飛ばす様な真似は決して良いものではない。

 今後の事も考えれば、ここでしこりを残すのであれば、サッサと謝罪したほうが今後の為だと判断した結果だった。

 

 

「突き飛ばした事は緊急時だから仕方あるまい。しかし、咄嗟の判断力は見事だった。訓練の際にも思ったんだが、どこかで何かを習っていたのか?」

 

 新兵と言うならば本来はあまり実戦経験が無いはずだが、あの行動は咄嗟とは言え冷静に判断した様に見えていた。オウガテイルとは言え一刀の下に斬り捨てるにはかなりの速度と正確さが要求される。瞬時に起こした行動は当然だと言わんばかりの様にも見えていた。

 ここに来る前までの情報はある程度把握しているとは言え、詳細までは知らされていない。今後の事もあるからと、最低限の出自位は確認した方が良いだろうとジュリウスは判断していた。

 

 

「特に何かを習ったわけでは無いです。少しだけかじった事がある位ですよ」

 

「でもあの動きには驚いたよ。アラガミってあんなに簡単に切れる物なんだね。私もやってみようかな?」

 

「いや、ナナの神機はハンマーだから無理だ。精々叩き潰すのがオチだよ」

 

「…それもそうだね。やっぱりハンマーで斬るのは無理か~いや、…でも…」

 

 先程の状況に怯んだ雰囲気を感じる事は無かったからなのか、ジュリウスは内心安堵していた。ブラッドは他のゴッドイーター達とは決定的に違う物を持った人間のみが配属されている。

 通常のゴッドイーター以上に希少性が高く、また、実戦投入の際のトラウマになってしまえば、今後は使い物にならないだけではない可能性があった。

 アラガミに襲撃された事よりも瞬時に討伐した方に意識が向いていた事はジュリウスにとっては僥倖とも言えた。

 

 

「先ほどのイレギュラーはともかく、戦場での油断は死に繋がる。意識を断ち切る様な事はしない事だな」

 

「そうですね。……ジュリウス隊長、何かこの辺りに来てませんか?」

 

 突如として北斗が何かを察知したのか周囲を警戒しだす。それと同時とも言えるタイミングでフランからも通信が入っていた。

 

 

《ジュリウス隊長、小型種3体がそちらへ向かっています。ご注意ください》

 

「ジュリウス隊長、何かあったんですか?」

 

 ナナの質問にジュリウスは答えるまでもなかった。近くの高台からオウガテイルが再び顔を出している。先程の様な油断した雰囲気は既になく、ジュリウスに質問したナナもその雰囲気を察知したのか、見えるオウガテイル以外にも何か居ないか周囲を警戒しだしていた。

 

 

「先程は北斗に良い場面をとられたが、折角だ。お前たちに血の力の片鱗を見せよう」

 

 現れたオウガテイルを見て丁度タイミングが良いと判断したのか、突如としてジュリウスが一つの型を見せる。何時もと違う独特の型がこれまでの雰囲気とは異なっていた。

 北斗とナナはこれからジュリウスが何かを見せる事だけは理解したものの、それが何なのかが分からない。既にジュリウスは集中しているのか、周囲の状況を気にするそぶりすら見せない。徐々に高まる緊張感と共に、その集中が北斗とナナにも伝わっていく。言葉一つかける事無く今はただジッと見る事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

「ロミオ先輩が言ってた通りだったね」

 

「あれが血の力とはね。ただ驚いた」

 

 北斗だけでなく、ナナも驚いたのは無理も無かった。ゼロスタンスと呼ばれた構えと同時にヴォリーショナルの刃が赤黒い光を帯びていく。こちらを補足したのか、オウガテイルはこちらへと向かうも、動く気配は無かった。

 ジュリスが行動に移ったのは手前5メートルまで近づいた頃だった。刹那とも思える瞬間、ジュリウスは一気にオウガテイルに向かって突進を開始していた。鋭い斬撃は大気をも斬り裂くかと思わせる一撃。その一撃だけでも刮目すべき内容だが、問題なのはその後だった。

 その場に残るかの様に幾重にも連なる斬撃がその場で滞留している。それに触れたオウガテイルは無残に斬り刻まれていた。

 ジュリウスから発せられた見えない何かに影響を受けたのか、血の力の片鱗を見せられると同時に、瞬殺とも言える速さでの討伐は異様とも言えた。

 

 

「ロミオ先輩の言った通りだったよ」

 

「ああ」

 

 先程の光景に二人は興奮を隠す事が出来なかった。あれが血の力だとすれば、自分たちも本当に目覚める事があるのだろうか?そんな事を考えながら帰投のヘリへと搭乗する。それ程までに先ほどの光景は二人には衝撃的すぎていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロミオ先輩の言った通りでした!始めて見たんですけど、あれは凄かったです」

 

 その後はこれまでの訓練と実戦経験をした際の成績から正式にミッションが受注できる様になった。事実上の実戦訓練に合格した結果だったからなのか、今まで以上にエントランスには大きな声が聞こえて来るようになっていた。

 

 

「だろ!あれがジュリウスの血の力なんだよ!」

 

「ねぇ、ロミオ先輩の血の力って何なんですか?」

 

「それは……」

 

 ナナの何気ない一言はロミオの何かを刺激したのか、先程までとは雰囲気が突如として変化している。以前にも似たような質問をした際にはぐらかされた記憶があった。

 ナナは気が付いていないのかもしれないが、ロミオの性格を考えれば、自分も会得していれば確実に説明をするはず。だからこそ答えが無い事がその答えである事に気が付いていない。

 本来であれば何となく空気を察知して質問を変えるが、今のナナではそんな言い回しは考える事は無いのかもしれない。それ以上の事はロミオが気の毒だと思い、改めて話題転換をする事にした。

 

 

「ナナ、人それぞれだからそれ以上はダメだ。可能性を考えるなら俺達だって同じ事が言える。完全に理解された力でも無さそうだから」

 

「そっか。そうだよね」

 

 北斗の何気ない一言を偶々近くにいたジュリウスが聞いた途端、背筋に寒い物を覚えた。この血の力は未だ完全に解明された物ではなく、またこれが発見出来たのはラケルではあるが、各自がどの様な結果をもたらすのかは分かっていない。あくまでも可能性が高いだけであって、完全に習得出来るのかすら分かっていない代物だった。

 ラケルの事は信用しているが、果たして可能なのかと言われれは素直に肯定出来ない部分もあった。

 最近来たばかりの人間だからなのか、あまりにも核心を突いた一言の意味合いを幸いにも理解した者は傍には居なかったのか、それ以上の話に発展する事は無かった。

 

 

「そうだな。北斗の言う通りだ。今は血の力も大事だが、その前に自分達がいかに生き残る事が出来るのかを考えるのが優先だ。いくら可能性が高くても死んでしまえばそれまでだからな」

 

 何も知らない様に見せかけて案外と細かな部分までもよく見ている。3人の所へと来たのは今後の予定に関しての確認の為だったのか、ジュリウスは簡単に言いながらも確認すべき事を早急にする様に要件だけを伝えた後、エントランスから立ち去っていた。

 

 

「なるほど~。やっぱり日々の精進が結構ポイントなのかな。そう言えばさっきのミッションなんですけど、ロミオ先輩ってひょっとしたら少しビビッてたりしませんでした?」

 

 ジュリウスの一言で血の力に対しての内容は回避されたが、それでもミッションの内容に関しては回避できなかったのか、ナナはロミオとの距離を突如として詰め寄りながら質問している。

 

 恐らくナナは何も考えていないのか、それともパーソナルスペースが狭いのかもしれない。ナナの格好で近寄られると、男としては中々厳しいものがあった。露出度が高い服装に留まらず、スタイルが良い事までもが強調されたその格好で近寄られると、目のやり場に困る。事実、北斗はそれがあるからなのかナナを苦手としていた。

 

 恐らくはロミオもそうなのか目があからさまに泳ぎ、顔が若干赤くなりながら詰め寄られた行動は無意識のうちに後ずさりしている。その結果、他の事を考えていた北斗にぶつかる事となっていた。

 

 

「キャッ」

 

 短い悲鳴は明らかに女性の声だった。この場に居るのはナナしかいないはずだが、ナナが悲鳴を上げる必要性はなく、北斗がぶつかった際に後ろを見ればよろけていたのはここでは見た事も無い女性だった。

 

 

「すみません。大丈夫でしたか?」

 

「い、いえ。私は大丈夫ですから、気にしないでください」

 

 栗色の長い髪に合せた様な白を基調としたドレスの様な服装は、色んな意味でここには似つかわしくない。しかし、この人は一体誰なんだろうか?手を差し伸べながらにそんな事を考えていると、その背後からこの場面には似つかわしくない様な野太い声が聞こえていた。

 

 

「すみませんねユノさん。こいつらはアラガミを倒す事しか考えていない様な連中でしてね。お体の方は大丈夫でしたか?……お前らはアラガミの討伐しか能が無いなら、せめて周り位は確認しておけ」

 

 野太い声とはまるで別物の様な話し方に、どことなく嫌悪感が身体を駆け巡る。男性の服にはいくつもの勲章らしいものがこれみよがしに着いている事から、恐らくはここの幹部の可能性が高く、話から察すれば下出に出る事で何かをお願いしている様にも思えていた。

 

 

「そうね。あなた方も、もう少し周囲を見て行動した方が良いわ」

 

 男性の背後にもう一人居たのか、今度は白衣をアレンジした様な服装の妖艶な女性が立っていた。この時点では先程の男性同様、何かしらの幹部なのではとも考えていたが、生憎とここに来てからは特定の人物としか会っておらず、それはナナも同様だったのか、若干目が点になっている様にも見えていた。

 

 

「申し訳ありませんでした。以後気を付けますので」

 

 これ以上、ここでトラブルが発生する様な事があれば、今後の事も考えると得策ではない。だからこそここは一旦謝罪をする事でこの場を収める事を北斗は優先した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あのロミオ先輩?そろそろ離してくれませんか?」

 

 北斗が困惑するのも無理は無かった。ユノ達がエレベーターに入り、この場から居なくなると、突如としてロミオは北斗の手を握っていた。突然の出来事に一体何が起きたのか北斗だけではなく、ナナも困惑していた。

 

 

「ああ、ごめん。さっきまでこの手がユノに触れてたかと思ったら興奮したみたいでさ」

 

「あの、ユノって誰なんです?」

 

 この一言がロミオの何かに火が付いたのか、突如としてテンションが高いままの状態で説明しだしていた。

 

 

「馬っ鹿!ユノを知らないのか?葦原ユノ!ユノアシハラだよ。最近は公営放送にも出てるし、歌が上手くてチョー有名人なんだよ。最近はビジュアル面でも一押しで、写真集まで出してるんだぜ。限定品だから手に入れるのにどれ程苦労した事か…俺も思わず買っちゃったよ。…ったく価値も分からない人間が触れる事が出来るなんてうらやましすぎする!」

 

 勢いよく言った言葉は一体何語を話しているのかすら理解しにくい内容だった。細かい部分はともかく、今分かった事は先ほどの女性は歌が上手い有名人であり、目の前に居るロミオ先輩は熱烈なファンなんだろう。

 あまりにも興奮しすぎた人間を見ているからなのか、ナナはどことなく引き気味に距離を離れているが、北斗は先ほどの件もあってか撤退する事が出来ないでいた。

 

 

「そうだ!今なら行けば会えるかもしれない。さっき乗ったエレベーターは高層階で止まったから、多分グレム局長の所だよ」

 

「グレム局長?って誰ですか?」

 

 ここに来た際に、幹部の名前等を教わった記憶が少しだけあるが、基本的には自分にあまり関係無い事は覚えるつもりがないのか、記憶の片隅にすら残っていない。その事実に驚いていたのか、ナナは残念な子を見る様な目で北斗を見ていた。

 

 

「普通、それ位の事は覚えると思うんだけど…」

 

「面目ない…」

 

「それはともかく、これから行けば間に合うだろうから、すぐに行こうぜ。これは連携を高める為の重要なミッションなんだ!」

 

「私は行かないよ。二人でいってらっしゃ~い」

 

 暴走気味のロミオを止める手段は見つからず、ナナはこの場から離脱する。これ以上はなす術もない事から、仕方なく北斗はついて行く事となった。

 

 

 

 

 

 結果的には会う事は出来ず、針の筵の様な場面は北斗が機転を利かす事で逃れる事が出来た。隣を歩くロミオは残念そうな表情を隠す事無く歩いていたが、北斗自身はそこまで関心がある訳では無い。あの場で漸く幹部の顔と名前が一致していた。

 

 

「やっぱり会えなかったんじゃないの?」

 

 予想通りだと言わんばかりの表情をしたナナが北斗達を出迎えていた。生理的に嫌なのかナナもあまり話す事は無く、精々が面識がある程度でしかない。もちろん様々な理由があるからこそ、態々会いたいなどと思う気持ちはサラサラ無かった。

 

 

「まぁね。ナナの予想通りだったよ。ロミオ先輩は気落ちしてたけど、取りあえず幹部の顔と名前は覚えたから大丈夫だ」

 

「北斗らしいと言えばそうなんだけど、せめて顔と名前位は覚えようよ」

 

 ナナに言い分は尤もだった。今回は偶々顔合わせが出来たから何とかなったが、今後のこの調子だと万が一の事が考えられる。当人では無いので問題ないと言えばそれまでだが、それでも知らないよりは知っていた方がマシとも言えた。

 

 

「覚える気が無いんだろうな。仮に幹部の顔を知ってたからって良い事なんて無いぞ」

 

「それはそうだけどさ…でも、他の人たちの事はすぐに覚えたんだよね?」

 

「ミッションに関係ある事なら覚えるよ。でもフランさんの名前は無理っぽい」

 

「あ~分かる気がする」

 

 一番最初に略した名前で教えてもらえなければ、恐らくはオペレーターの人程度にしか覚えるつもりはなかったのだろう。そんな空気が伝わったのか、ナナは笑顔がこぼれていた。

 

 

「お前らそこで空気を作らない。サッサとミッションに行くぞ!」

 

 先程のダメージをまだ引きずっているのか、ロミオが呼んでいる。

 今後の事も考えれば、出来るだけミッションの数はこなした方が今後の為にも良いだろうと、人知れず北斗は考えながらエントランスからカウンターへと移動していた。

 

 

 



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第121話 加入

 実戦に正式配備されたと言っても、ここでは毎日ミッションがある訳では無かった。他の支部とは違い、移動を繰り返す為にアラガミが進行方向に居なければ発注される事は無かった。その結果として空き時間には積極的に訓練室を利用する事が今の北斗の日課になりつつあった。

 

 突如として招聘されてからは怒涛の様な展開だった。気が付けば本部直轄の部隊に編入され、その結果今に至る。以前に一度だけ見せてもらったジュリウスの血の力とそのブラッドアーツには驚かされたが、自分にもその可能性があるからと言われても、それがいつになるのかすら分からない。このまま何もしないよりはマシだとばかりに一人訓練に明け暮れていた。

 

 

「いたいた。今日もここなんだね」

 

「どうしたナナ?暇なのか?」

 

 訓練が開始されてからかなりの時間が経過していたのか、北斗の身体からは汗が滴り落ちると同時に蒸発しているのか湯気が出ている様にも見える。ナナも何もしない訳では無いが、自分から積極的に訓練すると言った考えはあまり無いのか、今回も特にやるべき事が無かったからここに来たと言った雰囲気だった。

 

 

「別に…暇って訳じゃないんだけど、何となくここに来たんだよ」

 

「そうか」

 

 恐らくは言葉通りの事なんだろう。特に何もする事が無いからなのか、部屋の隅で膝を抱えて座りながらこちらを見ている。北斗としても見られていても困る事も無ければ、特に隠す事も無い為に、ナナの存在を気にする事無く訓練を続けていた。

 

 

「ねぇ北斗。なんでそんなに身体が傷だらけなの?ゴッドイーターは偏食因子の影響で傷もすぐに治るんじゃなかった?」

 

「子供の頃からついてるから、多分これが治る事は無いんじゃないか?別に傷があっても困る事なんて何も無いからな」

 

 訓練の最中に何かに気が付いたのか、北斗は何気に話す。自己紹介はしたものの、お互いの事なんて特に聞いた事もないので何も分かっていないままだった。

 

 何時もの様な穏やかな口調は既に無く、訓練に集中しているからなのか語気は鋭い。恐らくはこれが素の状態なんだと何気なくナナは感じていた。

 

 

「で、やっぱり暇だったのか?」

 

 一通りの訓練が終わったのか、北斗は用意したタオルで身体を拭きながらも、なぜナナがここに居るのか理解できなかった。ここでは自分で訓練をするような雰囲気が無いからなのか、常時北斗が使用する際には無人のままだった。人の訓練を見ているならば自分もやった方が効率は良いはずだと考えてる北斗からすればナナの行動には疑問しか湧かなかった。

 

 

「暇じゃありませ~ん。ちょっと気になる事があったから来ただけです~」

 

「気になる事って?」

 

「大した事じゃないんだけど、ジュリウスが見せてくれたあの力って本当に私にもあるのかな~なんて考えてたんだよ。私もここには突然来させられた時には理解してなかったんだけど、目の前であれを見たらちょっと自信が無くてさ、それで北斗はどう考えてるのか~なんてね」

 

「ナナもそう考えてたのか」

 

 ナナがそう言うのも無理は無かった。初陣とも言えるあのミッションで初めて見せてもらってからは、いつ自分達も発動するのか見当もつかなかった。案外と楽天家に見えるが、実は繊細な心の持ち主なのかもしれない。そう考えると北斗は少しだけナナの事を見直していた。

 

 

「北斗ってさ、なんか私の事馬鹿にしてる気がする」

 

「そんな事無いって。ちょっと見直しただけだ」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

 前にもあった様なシチュエーションは相変わらずだった。この紙防御とも言える格好で寄ってこられると、どことなく気恥ずかしさが出てくる。今の北斗は自主訓練が終わったばかりなので、これ以上近寄られると困った事になりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 研究室には二人の女性が画面を見ながら何かを話していた。ここの幹部でもあるクラウディウス姉妹が、このフライアでの技術開発の面を担っている。ここでは他の支部とは大きく違う側面が一つだけあり、神機使いの運用はメインと考えず他の運用の為に作られたといっても過言ではない施設でもあった。

 そんな中で一人の車椅子に座った女性が先ほどから次々と情報確認を行っていた。

 

 

「ねぇラケル。またブラッドの人員を補充するつもりなの?神機兵の開発は問題無いのだから、そちらを優先すべきじゃないかしら?」

 

「いいえ。まだブラッドの人員は足りませんわ。あと少しだけ増やしたいと思いますの」

 

 

 そう言いながらラケルは配属の手配と同時に幾つかのプロフィールを画面上に映し出す。一人の長い黒髪の青年はどこか憂いを残した様な表情の写真と同時にいくつかのデータが次々と出てきていた。

 

 

「あれ?ギルバート・マクレイン?どこかで聞いた事がある様な…」

 

「きっと本部の査問委員会の議事録ですわ。彼はグラスゴー支部からの転属ですから」

 

 ラケルの言葉に以前どこかで見た記憶がレアの脳裏をよぎる。本部直轄の部隊であれば、他の支部とは違い何かと情報にアクセスしやすい部分がいくつか存在している。特に査問委員会の内容ともなれば、何かの拍子で転属が確定した際にいち早く確認する事が出来る為に、詳細等には支部長クラスであればアクセスの制限はかかっていなかった。

 以前に書類整理の傍らで見た記憶がレアの脳内に蘇っていた。

 

 

「思い出したわ。フラッキング・ギル。上官殺しの異名を持つ彼ね」

 

 詳細についてまでの記憶は無かったが、確か結果的には問題無いと判断された結果だけは記憶にはあったが、やはり上官殺しの異名だけはずっと付いて回る。ここに招聘する以上、何らかの潜在的な力がある事だけは予測できるが、態々トラブルを背負う必要は無いはず。そんな考えが表情に出たのか、ラケルは改めて姉のレアに事情を説明した。

 

 

「血の力は研ぎ澄まされた意志の力の具現化だと思うの。この力が呼び水となって新たな力が具現化する。姉さんが危惧する気持ちは理解出来ても、今は部隊編成も神機兵と並行して進めて行きたいの。お姉さま、これからも二人で全てを乗り越えて行きましょう」

 

「ええ。分かったわラケル」

 

 世間的には姉のレアがある程度取り仕切っている様にも見えるが、実際には妹のラケルが実際の運用に対しての権限を有していた。ここでの内容に関しては機密事項に触れる物が多く、殆ど移動したままが続く為に、この事実は内部の職員以外には案外と知られていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「痛ってぇな!いきなり何すんだよ!」

 

 エントランスに突如として大きな音が鳴り響く。それと同時にロミオの怒声が続いていた。自主訓練が終わり何もする事が無いならとフラフラで歩いていた北斗の目の前には一人の青年が握り拳と共に倒れたロミオを睨んでいる様にも見えていた。

 

 

「一体何があったんだ?事情を説明してほしいんだが」

 

 突然の出来事にカウンターで作業をしていたジュリウスがエントランスへと降りてくる。この場に居たナナもその瞬間を見ていた訳ではなかったのか、今一つ状況が呑み込めずにいた。

 

 

「俺だってよく分からないよ!前はどこの支部に居たのかとか聞いただけだぞ。何処に殴る要素があるんだよ!」

 

 ロミオの言い分だけ聞けば確かにここに殴られる要素は存在しない。それだけの事でこんな事態になるのであれば、今後の部隊運営においても大きな影響が出るのは間違い無かった。

 この場を仲裁するのであれば、ロミオの言い分だけを一方的に聞く訳にも行かない。かと言ってもう一人は話すつもりすら無い様にも見える。これ以上の事態にならない為には一刻も早い事態の回復が要求されていた。

 

 

「あんたがここの隊長か?俺の名はギルバート・マクレイン。ギルで良い。こいつがムカついたから殴っただけだ。それ以上の事を話すつもりはない。気に入らないなら懲罰房でも除隊でも好きにしてくれ。じゃあな」

 

 突如といて起こった出来事に対して、何の弁明もする事なくこの場を去っていく。嵐の様な雰囲気は既に無く、今までの短いやり取りの中で何が起こったのか理解する事だけで精一杯だった。

 

 

「たぶん、ロミオ先輩の言い方も少ししつこかったんじゃないかな?」

 

「んな事無いって。ここに来たんなら自己紹介位は誰だってするのが普通だろ?そりゃ…何も言わなかったから多少はそうだったかもしれないけど、これから一緒に動くんだったら最低限の事位は知らないとダメだろ?まさか適当な名前を言う訳には行かないだろ」

 

 詳しい事は当事者にしか分からないのかもしれないが、この時点ではロミオの言葉は正論でもあった。名前も何も知らない人間とミッションに出るのはある意味死に近づく様な物でもある。

 ましてや、ここはある意味特殊部隊とも言えるのであれば、それは尚更だった。

 

 

「ふむ。ロミオの言う事も一理ある。今回の件は不問に付す。…がしかし、今後の部隊運用の事を考えれば早急に関係の修復を促すのが最優先だ。戦場でのしこりは良い結果は生まない。下手にしこりを残す事が無い様にしておいてくれ」

 

「え~絶対無理だって。また殴られるかもしれないし、俺嫌だぜ。って言うか、ジュリウスが隊長なんだから頼むよ」

 

「いや、これは俺が行けば命令になってしまう。これでは関係修復を望む事は難しい。そうだな…」

 

 何かを閃いたのか、視線が既にロミオから離れている。ここに居るメンバー考えれば消去法で行けば、北斗かナナしか該当者は居ない。既に考えを察知したのかナナは視線を合わせようともせず、何気に北斗の陰になるように少しづつ移動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ」

 

「なんだ、お前か。で、俺の処分は決まったのか?」

 

 着任早々に問題を起こしたことを自覚していたのか、ギルは結果だけを先に求めていた。エントランスでの協議の結果は北斗が行く事になったが、何を言えば良いのかすら考えが浮かばない。

 しかし、他の2人は既に任せたと言ってこの場に居ない以上、今回のやり取りに関しては北斗に一任する事となっていた。

 

 

「処分なんだけど、ここの施設全部のトイレ掃除だ」

 

「は?」

 

 想定外の回答に流石にギルもどう反応して良いのか判断に困っていた。まさかいい年した大人が子供の様なペナルティーを食らうとは想定していなかったのだろう。明らかに驚いた表情を見せた事に思わず笑みがこぼれそうになっていた。

 

 

「すまん、冗談だ。あんたもそんな顔が出来るんだな」

 

「なるほど冗談ね。本当ならどうしたものかと思ったがな。改めて自己紹介だ。俺の名はギルバート・マクレイン。グラスゴー支部からの転属だ。ギルと呼んでくれ。ここは見た感じあの隊長以外は新兵の集まりって感じだな。ブラッドとしては最近だが、ゴッドイーターになって5年になる。槍をそれなりに使う」

 

 そう言われると同時に握手すると、5年の歳月は冗談ではないらしい手の感触と力強さがあった。

 

 

「俺は饗庭北斗。面倒だから北斗で良い。因みにさっき殴ったのはロミオ、ここには割と早くから来ているらしい。で、女性はナナだ。隊長は知ってるよな?」

 

「ジュリウス・ヴィスコンティ大尉だったな。あの歳で大尉なんて役職に就くのは余り無いだろうに。ところで北斗、話は変わるがお前は何か今までやってたのか?」

 

 先ほどの握手で北斗が何となくギルの力量を図ったのと同じ様に、ギルも北斗の力量が判断出来たのだろう。幾ら隠すつもりは無いとは言っても、全部をさらけ出したいとは思っていないのか、詳細に関しての言及だけは避けていた。

 

 

「ちょっと色々かじった程度さ」

 

「そうか。かじった程度ね……少しは楽しめそうだと良いがな」

 

「ギル程じゃないさ」

 

「さっきのロミオだったか?詰まらない物を見せてすまなかったな。あいつにも早々に詫びておくさ」

 

 お互いに思う部分があったのか、思った以上に短時間で打ち解けあう事が出来ていた。未だ詳細について語られる事は無いが、それでもベテランが一人いるだけで、部隊も安定する場合がある。

 

 未だ大した戦場を経験する事は無いが、それでも新しく入ってきた人物は話せば分かる人物である事だけは理解する事が出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇねぇ北斗。さっきの人大丈夫だった?」

 

 恐らく先ほどの件が心配になったのか、北斗の顔を見るなりナナが確認とばかりに話しかけてきた。ナナの向こうには気にしてない風を装いながらも、やはり当事者として気になっていたのか、ロミオの意識はこっちに向いていた。

 

 

「大丈夫。問題は無かった。ロミオ先輩にも後で詫びを入れるってさ」

 

「そっか~だったら大丈夫そうだね。良かったねロミオ先輩!」

 

「だ、誰も気にしてねぇから…そっか、分かった。サンキューな」

 

 ここで漸く空気が何時もに戻りだす。最初の様な険悪な雰囲気は既になく、何事も無かったかの様な時間が過ぎ去ろうとしていた。

 

 

《ブラッドに緊急入電。フライアの進行上に多数のアラガミ反応。このままではフライアにも大きなダメージが起こる可能性があります。総員直ちに出動して下さい》

 

「珍しいな。今までこんな事は一度も無かったのに」

 

「ロミオ先輩。そんな事言ってないで早く行かなきゃ。ほら、北斗も急いで」

 

「了解。多分ギルもくるだろうからお手並み拝見かな。どうやらベテランみたいだから」

 

「…マジか。じゃあブラッドの先輩として負ける訳には行かないな」

 

 突如として起こった警報に、既にミッションが開始された様な表情で神機格納庫へと急ぐ。ここから緊急ミッションが発令される事となった。

 

 

 

 

 

「全員揃ったな。ではこれからミッションを開始する。対象アラガミは全部で5体。小型種ばかりだが、気を引き締めてかかってくれ」

 

 ジュリウスの言葉を皮切りにミッションが開始される事になった。ギルはベテランらしく、確実な攻撃をすべく槍の攻撃範囲を保ちながら常に優位な状況を作り出す。ナナは新兵らしからぬ大胆な動きと共にオウガテイルの頭蓋を砕くかの様に全力で振るっていた。

 

 

「どうやら、問題無さそうだな」

 

「最初からそんな事はありませんでしたよ」

 

 北斗はジュリウスと共に行動し、一気にコクーンメイデンを屠ろうと神機の大きな咢を開きそのまま捕喰していた。突如として見えない大きな力が北斗の全身を駆け巡る。見えない力が全身にみなぎると、突如として行動が怪しくなりはじめ出した。

 

 

「クッこれは…」

 

 北斗の意識が薄くなりだしたのか、突如として行動が今までと打って変わり大胆になりだす。北斗は現在の所ロングブレードを好んで使うが、バーストモードに入ってからは突如として破天荒な行動をしている様にも見えた。これまでは剣筋に乱れるような場面は一度も無かったが、今はまるで他人だと思える程に荒々しい。結果的には勢いで押しているが、このままでは何かがあってからでは遅い。誰の目から見ても危うい物だった。

 このままでは拙いとジュリウスが判断しようと北斗を見れば、そこに居たはずの北斗は既になく、遠くに離れていたオウガテイルを一刀の元に斬り伏せていた。

 

 

「これは一体…」

 

 想定外のミッションは時間がかかるかと思われていたが、予想外の北斗の行動にまるで何事も最初から無かったかの様なレベルで終了していた。全力を出し切ったのか、北斗は肩で息をしている。

 呆気にとられた中でのミッションは突如として幕を下ろした。

 

 

 



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第122話 来訪者

 任務にも慣れ、徐々に戦闘能力が発揮させそうな事を実感しながらフライアへと戻ると、そこには今まで見たことも無いような人物が佇んでいた。

 服装からすればどこぞの貴族の様にも思えたが、当人の右腕には無骨な腕輪がしっかりと填められている。見た目はあれだが、この人物がゴッドイーターである事だけが理解出来ていた。

 

 

「ブラッドと言うのは君たちか?」

 

「はあ。そうですが」

 

「緊張するのも無理はない。栄えある極東支部『第一部隊』所属のゴッドイーター!僕の名はエミール。エミール・フォン=シュトラスブルグだ!」

 

 自己紹介の為に名乗られるのは問題ないが、なぜこんなにも自己紹介一つするのに暑苦しいのだろうか?一体なんでこんな所に極東支部の人間がいるのだろうか?突如として起きた出来事に理解が追い付かない。かと言ってこの暑苦しいテンションの中に入るにも骨が折れる。取りあえず話終わるのを見守る事しか出来ず、北斗達は暫くの間様子を見ていた。

 

 

「このフライアは実に趣味が良いね。恐らく設計に携わった人間はかなりの美意識の持ち主だろう。しかし、この優雅なフライアの前に立ちはだかる様に悪鬼羅刹の如きアラガミが跋扈しているかと思うと、僕は居ても立っても居られなくなってね…」

 

 この時点で一体何が言いたいのか誰も理解する事が出来なかった。北斗はしばし呆然とし、ナナはキョトンとした表情をしている。一方でロミオは不審者を見る様な表情をしていたが、ギルだけは他と違っていた。

 恐らく人生経験がそうさせているのか、それとも性格がそうさせているのか分からないが、ベテランらしく状況を見守っている様にも見えていた。

 

 

「安心するが良い!僕が来たからには大船に乗ったつもりでいてくれたまえ!」

 

 言いたい事を言い終えたからなのか、目の前のエミールは清々しい表情をしているが、突然言われた側はどう反応すれば良いのかリアクションに困る。

 既にナナは正気に戻ったからなのか、北斗の背中に隠れ完全に不審者扱いしたままエミールと名乗った青年を見ていた。

 

 

「共に戦おうではないか!輝かしい未来の為に!我々の勝利は約束されているんだ!」

 

 全てを言い切ったエミールはそのままエントランスの階段へと歩き出す。今まで一体何が起こったのだろうか?ミッションから帰ってきたばかりにも関わらず、この状況から回復するのに暫し時間を要する事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっきのエミールさんだっけ?何だか凄く濃い人だよね。極東支部って言ってたけど、極東の人が皆ああだと思われるとちょっと困るよね」

 

「あれ?ナナは極東の出身なのか?」

 

 一旦、気を落ち着かせる為に自動販売機でジュースを購入し、ベンチで話す。やはり先程の印象が強すぎたのか、他のメンバーも未だにあのインパクトが強すぎたのか、それぞれが飲み物を飲みながら気を落ち着かせる様に休憩していた。

 

 

「そうだよ。って言っても施設の外には出た事があまりなかったから、一概にそうだとも言いにくいんだけどね。でも、名前からすれば北斗もそうなんだよね?」

 

「え?ああ。一応は極東出身だけど、あれと同じカテゴリーなのは正直勘弁してほしい。ロミオ先輩も勘違いしないでください。あれは極端な例だと信じたいですから」

 

「いやいや。流石ににあれが極東の人間とは考えにくいよ。多分、どこかの支部からの転属だろ?」

 

 先ほどの転属の言葉に少し反応したのか、ギルを見たが特に何の反応も見せる事はなく、ロミオは内心安心していた。転属の単語が出るたびにビクビクするつもりは無いが、それでも最初のイメージが未だに残っているのか、少しだけ伺うような素振りが見えていた。

 

 

「お前たち、次の任務なんだが、先ほどの極東支部の人間との連携訓練を兼ねたミッションが入る。各自準備をしておいてくれ」

 

 連絡事項とばかりにジュリウスが話すも、あのテンションのままミッションに入るのは違う意味で苦戦するのは目に見えていた。

 個人的には同行は御免こうむりたいが、正規のミッションであれは拒否することも出来ず、今はジュリウスの言葉に従う以外に選択肢は無かった。

 

 

「ジュリス隊長。少し良いですか?」

 

「何だ北斗?」

 

 本来であれば、やりたくない気持ちが一番に来るが、先程のジュリウスの言葉が気にかかっていた。まずはその疑問を最優先すべく、今後の予定を確認する事にした。

 

 

「外部との連携訓練を兼ねるとの話ですが、今後もその可能性が高いと判断して良いでしょうか?」

 

「その件であれば、答えはYESだ。今はここだけでの運用をしているが、このフライアの特性上各地を回る可能性が高く、その際には他の支部との連携が常に求められる事になる。今回の件に関しては、先ほどラケル博士から聞いたばかりだが、今後の運用面を考えればこれは今後の試金石の一つになる可能性が高いと思う。色々と思う所はあるかもしれないが、それに関しては各自で消化してくれ」

 

 先程の自己紹介の件はジュリウスもどこかで聞いていたのか、それとも聞こえていたのかもしれないと一先ずそう判断する事にした。消化と言う以上ジュリウスにも何かしら思う部分があったのかもしれない。

 今はただ目の前のアラガミを葬り去る事だけを考え、各自が準備を始める事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《皆さん準備はよろしいでしょうか?》

 

「は~い。大丈夫で~す」

 

 フランからの通信に元気よくナナが答える。今回は初めて外部の人間とのミッションが開始されるとあって、何時もとは違った空気が流れていた。

 

 

「やるべき事はアラガミを倒す事だけだ。シンプルに行くぞ」

 

《では皆さんご武運を》

 

 通信が切れると同時に対象のアラガミへと一直線に走り出す。目の前には大きなワニを模したウコンバサラがまだ気が付いていないのか、何かを捕喰していた。

 

 それぞれが配置に付くと同時に各自の一斉攻撃が始まり、戦端がここに開かれた。大きく跳躍したギルがウコンバサラのタービンへと空中から攻撃すると同時にナナが大きな口を閉じさせるかの如く跳躍しながら地面に縫い付ける様に叩き潰す。

 相手の無警戒から始まった戦闘はこちら側が一方的に有利に働く事となった。

 

 今回の討伐対象はウコンバサラと他数体の小型種。それぞれが一番最初に高火力で出せる一撃を加える事で最初から有利な展開で戦闘が開始されていた。

 ナナとは既に何度かミッションに行っている事もあり、何時もと変わらない戦い方だが、ギルはベテランらしく、大きな一撃を常時狙う様な事は無く、常に攻撃しながら隙を狙う戦い方を続けていた。

 一方的に始まったとはとは言え、攻撃を受けっぱなしになる事は無く、ウコンバサラも反撃し出す。周囲を囲み始めた先に、背中のタービンが唸る様に突如として回り始めていた。

 

 

「ナナ!一旦下がれ!大きいのが来るぞ!」

 

「了解!」

 

 北斗の指示でその場から大きく離れると、予想通りウコンバサラの周囲には何かが弾けた様な雷が発生していた。直接誰かが食らった訳では無いが、音から判断すると恐らくこれを直撃すれば大ダメージを受けるのは間違い無いと思われていた。事前に察知した事で何事もなく回避するその姿にギルはある種の関心を持っていた。

 

 

「中々良い読みしてるな!」

 

「見れば何となくだけどな」

 

 ギルは当初、この部隊は編制を見る限り新兵の集まりだと考えていた。配属当初にロミオが1年先輩だと北斗から聞いていた事もあり、隊長のジュリウス以外は烏合の衆ではないのだろうかと人知れず危惧を抱いていた。

 しかし、この討伐任務を見る限り、北斗は何らかの形でアラガミと戦い慣れているのかもしれない。そう考え始めていた。事実、ナナの動きは新兵そのものだが、そのナナの動きを指揮している所だけ見ればそれなりに経験を積んだ指揮官の様にも見える。

 まだ会ってから時間は経っていないが、今後は良いパートナーとなれるのだろうかと考え始めていたからなのか、ギルの口元は僅かに綻んでいた。

 

 

「あっ!逃げたよ!」

 

 怒涛の攻撃にウコンバサラは一時退却とばかりに水辺に入り、一気に距離を取り出した。本来であれば追撃するのがセオリーだが、ここは一度判断を委ねても良いだろうと、ギルは何も口出しする事無く、北斗の様子を伺っていた。

 

 

「深追いはダメだ。今はこの近隣の小型種の掃討を優先しよう」

 

「でも、あのまま攻撃してたら討伐出来るかもよ」

 

「いや、あのまま深追いすると今度は小型種がこっちに来る可能性がある。今は掃討しながら様子を見た方が良いはずだよ」

 

 ここでそれなりに経験を積んだ上等兵辺りならばこの指示に対して何らかの反論が予想されたが、ここに居るのは新兵のナナと様子を見たいギルしかいない。エミールに関しては既に他の地点で討伐しているのか、何となく音が聞こえる程度だった。

 

 

「なるほど…北斗って意外と頭良いんだね」

 

「意外とは余計だ。要は可能性と効率の問題だ。小型種が戦闘音を察知して乱入する可能性は低いだろうから、一旦戦場をクリアにした方がウコンバサラに集中できるだろ?」

 

「人の名前は憶えないくせに」

 

「その件はミッションが終わってからだ」

 

 戦場には似つかわしくない会話ではあるが、それでも目は周囲の索敵をや止める事は無かった。程なく見つけたドレッドパイクは発見後にすぐに叩き潰され、斬捨てられている。路傍の石の様に打ち捨てただけでなく、既に意識は他へと向けられている。常在戦場。以前に居た支部で聞いた言葉がギルの脳裏を過っていた。

 

 この部隊は将来が楽しみなんだろうか?今のギルは戦いよりもそんな事を考えていた。仮にも自分が所属する部隊のメンバーがボンクラ揃いの場合、自分の命までもが脅かされる可能性が出てくる。幾ら特殊部隊だとしても、その前に一個の人間でもある。突如として出てきた異動命令をそのまま受け入れる事が出来るほどギルは大人では無かった。

 だからこそ、今回の戦闘は今後の行方を考える可能性があると判断していた。

 

 小型種が完全に討伐した頃、少しづつ音がこちらへと近づいてくる。恐らくは先ほど逃げたウコンバサラである事は間違いなかったが、問題なのはそれ以外の音だった。

 

 

「闇の眷属ども、ここは僕の騎士道精神のかけてお前を土に還してやる!」

 

 アラガミに対して叫びながらエミールがウコンバサラと対峙していた。既に今までの攻撃に追加で加えたダメージの影響なのか、所々が結合崩壊を起こしている。しかし、未だウコンバサラの動きは鈍る事無くエミールに容赦無い攻撃を加えていた。

 

 

「おいおい、大丈夫かよ?あのままだとヤバいぞ」

 

「ねぇ北斗、援軍に行った方が良いんじゃない?」

 

 ギルとナナが心配するのは無理も無かった。勇ましい言葉とは裏腹にエミールは攻撃のタイミングが悪いのか、その都度反撃を食らいながら戦っている。

 このままでは目の前で捕喰される可能性が高く、それは心情的にも良いとは言い難い物だった。

 

 

「中々やるな!必殺!エミール・ウルト……グハッ!おのれ!闇の眷属め!」

 

「チッ!これ以上は見てらんねぇ。このまま攻撃に加わるぞ」

 

「こいつは僕に任せてくれ。僕の騎士道を君達に示す!」

 

 ギルの行動を遮るかの様にエミールは言葉で制すも、ここから好転する様な雰囲気は無かった。討伐の時間そのものはまだ余裕があるものの、それでも時間をかければ良いものではない。

 これ以上目の前でこんな戦いをしている事に痺れが切れそうになっていた。

 

 

「ギル、もう少しだけ様子を見よう。時間だけじゃ無い事位は分かってる。このままが続くようなら加勢して一気に終わらせれば問題ない」

 

 痺れを切らすギルを制したのは北斗だった。その言葉に納得はしていないが、極東のレベルがどんな物なのかをこの目で見たい気持ちが勝ったのか、エミールの戦いを見る事にした。

 

 

「ゴッドイーターの戦いはただの戦いではない!この絶望の世に於いて、神機使いは人々の希望の依代となる!だからこそ正義が勝つから民は明日を信じ、正義が負けぬから皆が前を向いて行ける!故に騎士は!僕は!負ける訳には行かないんだ!!」

 

 襲い掛かるウコンバサラの突撃を大きな跳躍で躱すと同時に、空中でハンマーの軌道が口の部分を既に捉えている。突進したウコンバサラは目標物が無くなった事に気が付いたのか、その場で停止した途端、上空からの強固な一撃がウコンバサラに襲い掛かった。

 無意識とも取れるその一撃は地面に縫いつける程の威力が功を奏したのか、地面にまで亀裂が走る。断末魔の様なうめき声を上げながらそのまま力尽きていた。

 

 

「漸く土に還ったようだな!これ位の事で我が騎士道が潰える事はないのだ!」

 

 ウコンバサラとの戦いはエミールの会心とも言える一撃で生命活動が停止していた。既にコアを抜き取った以上、後は言葉通りに霧散するだけだった。既に資源は回収が終わり、後は帰投するだけとなっていた。

 

 

「あの…エミールさん?騎士道って一体?」

 

 先程からの騎士道とは一体どんな意味があるのだろうか?恐らくナナは単に会話のキッカケとして話したつもりだったが、どうやらこれがエミールの琴線に触れたのか、突如として熱く語りだした。

 

 

「僕は元々極東支部の所属ではなかったのだが、家の都合で異動する事になってね。その際に貴族としての誇りを失う事が無いように、自身に対して訓戒とも言える様に騎士道を貫く気持ちがどうやら言葉となって発言しているようなんだ」

 

「そ、そうですか……」

 

 どうやらあの騎士道の言葉は半ば無意識の内に発せられていた様だった。エミールとの戦いはこれが初めてだが、戦いの最中に常時この言葉を発しているのは、よく言えば自身を律する事が出来るのかもしれないが、悪く言えば、言い続けないとそれが持続出来ないのかもしれないと考えていた。

 

 一番最初に聞いたナナは未だ何かを聞かされているのか、会話と言うよりも一方的な発言が止まる気配はなく、ナナもこれがいつまで続くのだろうかと、笑顔ではあるが口の端は引き攣り出していた。

 

 

「ナナ。少し良いか?」

 

 これ以上は気の毒だと判断したのか北斗は助け舟を出す様にナナを呼んでいた。一方的な会話に疲れ果てたのかナナはミッション以上に疲労感が滲み出ていた。

 

 

「どうしたの?」

 

「いや、用事は無いんだけど何だか大変そうだと思ってね」

 

「助け舟を出してくれたんだ。ありがとね。まさかあそこまで濃い人だとは思わなかったよ」

 

 遠目でエミールを見れば、先ほどナナに言いたい事を話し切ったからなのか、どことなくスッキリした表情を見せていた。

 

 まるで図ったかの様に帰投のヘリが現場へと降り立ち、そのままヘリに乗り込んで全員がフライアへと帰投する事となった。

 

 

 



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第123話 覚醒

「極東支部の人間との連携は思ったよりも良かった様だな。フランの話だと指揮を北斗が執っていたと聞いているが、全体的な戦局が見えているようだな」

 

 帰投した際に、労いの言葉と同時に戦闘のログを確認していたのか、戦闘時の内容にまで突っ込んだ話がジュリウスの口から出ていた。本来であれば新兵の場合、ベテランでもあるギルが現場を統率するのがセオリーだが、今回は北斗が状況を判断した事に感心していた。

 

 

「偶々です。アラガミの雰囲気が何となく変わった様な感じだったので、ナナに指示しただけですから」

 

「…そうか。なら、そう言う事にしておこう。ナナとは良いコンビの様だな。今後も上手く連携出来る様にしておいてくれ」

 

「努力します」

 

 そう言いながらもジュリウスは意外と高い評価をしていた。ここは実験的な意味合いが強い部隊であると同時に、他の支部とは違い教導に対する概念が余り無い。

 人員が少なすぎるのも理由の一つだが、その根底には常時移動し続ける以上、その場に長期に留まっている事が難しく、また支部だけではなく、個人の考え方が変われば教導の内容も大幅に変わる可能性が高い事が理由としてあった。

 

 隊長だからと言ってジュリウスも何もしていない訳ではない。事実として北斗はミッションが入っていない日には自主的に訓練している事も知っているし、またその内容がどんな物なのかも大よそながらに見当がついていた。

 

 北斗の訓練内容は殆どの場合で実戦を想定しているが、それはアラガミだけではなく対人に関してもだった為に、詳細までは見なくても概要がそうだと告げている様な物の様に思えていた。

 以前の任務が終わってから改めて北斗の経歴を見たが、支部内部や外部居住区に住んでいた事は無く、人里離れた様な所で少人数で住んでいる所をデータベースから引っ張り上げられていた事になっていた。

 それ故に詳細については完全に理解できる事は無かったが、今回の任務のログから判断すれば何らかの形で軍事訓練を受けていた様にジュリウスは考えていた。

 

 

「今回の候補生は中々ユニークな人間が入ってきたのかもな」

 

「これはジュリウス大尉。お時間が宜しいならば一時の憩いで紅茶などは如何かな?」

 

 ジュリウスの思考を中断したのはエミールだった。どうやら先程のミッションに思う所があったのか、仲間内に紅茶を振舞っていた。見れば既にナナだけではなくロミオやギルまでもが飲んでいる。

 差し出された紅茶を疑う事もなくジュリウスは口に運んでいた。

 

 

「これは…良い茶葉を使ってますね」

 

「おおっ!どうやらジュリウス大尉は紅茶と言う物を良く分かっている様だ!これは当家が栽培している専用の茶畑から取り寄せた物なので、市販品に比べれば味わいは大きく違う事を分かって頂けるとは!」

 

 その後は紅茶に対しての熱い思いがあふれ出しているのか、何かと熱く語り出す。ロミオから何となく聞いていたが、こうまで熱く語られるのは想定外の出来事だった。未だに手つかずの書類が幾つも残っている。ジュリウスから言い出した事もあってか、今はそれ以上の言葉を告げる訳には行かなかったからなのか、紅茶談義は暫くの間続けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?ロミオ先輩、こんな所でエロ本でも見てるんですか?少し自重してくれませんか?ここにはナナやフランさんも居ますし」

 

 自主訓練が終わり、やる事が無い北斗は何だかんだとエントランスに来る事が多かった。

 毎日何かしら身体を動かさないと気持ち悪いと考えているのか、それともこれが日課なのか戦闘時以外では制服を着る事もなく、Tシャツにジーンズと何時も同じような格好で居る事が多かった。

 何気に来ればロミオが何となくにやけた表情で本を見ている様にも感じた事から、改めて声をかけていた。

 

 

「ばっ……何でこんな所でそんなもん見ないとダメなんだよ。普通は自室だろ!って言うか、これは違う!」

 

 何か思う所があったのか、ここにはロミオと北斗しかおらず、態々大きな声を出す必要は無かった。しかし、突然声をかけられた事と事実無根の言葉を直ぐに訂正する必要があったからだったのか、ロミオは必要以上に大きな声が周囲に響いていた。

 

 

「これはフェンリル内部向けの広報誌だよ。ユノさんが出てるから見てたんだ」

 

「ユノ?…ああ、あの時の人ですか。で、何が書かれてるんです?」

 

 当時の事を思い出すも、やはり自分の関心が薄いからなのか、何となく顔がおぼろげになっている。表情からすれば恐らくは記憶に残っていない事が理解出来たのか、ロミオはすかさず広報誌を北斗へと向けていた。

 

 

「へー。インタビュー記事なんですね。この場所ってどこで撮ったんですかね?」

 

「このグラビアの事か?これ極東支部の施設らしいけど、詳細は…書かれていないな。一体どこなんだろう?」

 

 ロミオが疑問に思うのは無理も無かった。グラビアはユノの艶やかな着物姿が数点載っており、場面によっては他の極東支部の面々までもが紙面に出ていた。

 

 広報誌は事実上、内部に向けての物と外部に向けての物とで区分けされており、内部の物と外部の物を比較する事が出来ない為に、詳細については案外と知らない人間が多かった。本来であれば内部向けの広報誌にグラビアが乗る事は今まで一度も無い。

 しかし、ユノのファンでもあるロミオはこの情報をどこからか仕入れたのか、フライアには来るはずの無い広報誌を入手していた。

 

 

「こんなの見た事無いので分かりませんが、広報誌なのにグラビアが載るなんてフェンリルは凄いですね」

 

「いや。今までこんな事は無かったんだ。ただ、記事を見ているとサテライトに関する事が幾つか書いてあったから、多分それの絡みかも」

 

 北斗は気が付かなかったが、今回の広報誌はいつも発行されている物よりも数段厚みがあり、恐らくはグラビアやインタビューに大きく紙面を割いた結果でもあった。

 実際にロミオを見ればグラビアとインタビューの部分は見るも、それ以外の部分には一切関心が無いのか見ている様には思えなかった。

 

 

「サテライトって、例の極東支部が主導してやってる外部居住区の中に入りきらなかった人用の施設ですよね?」

 

「おお、よく知っているな。記事を見ればそれに関する事が殆どで、今はそこを中心に慰問する事が多いらしいよ。ここにはあんまり関係無いと言えば、それまでなんだけどさ…」

 

 話の内容が徐々にグラビアから今の世界情勢へと移り出す頃、暇を持て余したナナが二人を見つけたのか、気配を消しながらコッソリと近寄ってきた。

 

 

「ロミオ先輩。いかがわしい本なんかこんな所で見ない方が良いと思うな」

 

「うわぁ!…ってナナまで北斗と同じ事言うなよ。これはフェンリルの広報誌だ」

 

 今さっきまで北斗と同じやり取りをしていたが、やはりナナも同じような事を考えていたのか、このやり取りの内容は北斗と同じだった。ナナとロミオのやりとりから、誰だって同じ事を考えるのは、あの表情を見れば当然だと北斗は一人心の中で呟いていた。

 

 

「ユノさんが載ってるんだ…でも、この前ここで見た人がこうやって載ってるなんて不思議な感じだよね~」

 

「だろ!なのに北斗の奴は……羨ましいんだよ畜生!」

 

「あれは不可抗力であって、自分から進んで触れた訳じゃないんですけど」

 

 当時の事を思い出したのか、ロミオの矛先が北斗へと移り出す。これ以上は藪蛇になるならと、この場を逃れる準備をし出していた所に、頭上からジュリウスの声が聞こえてきた。

 

 

「お前たちは相変わらずだな。これから一つ中型種の討伐任務が入る。今回も前回同様に連携を考えたミッションとなる。30分後には改めて集合してくれ」

 

 ミッションの言葉から先程までの何とも言い難い雰囲気が消え去り、改めて任務に入る為の準備とばかりに各自が真剣表情へと切り替わる。

 以前であればこんな顔になる事は無かったが、やはり戦闘を繰り返せば自然とこんな表情になるもんだとジュリウスは人知れず納得していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《今回の討伐対象はコンゴウです。各自気を付けて任務に入ってください》

 

 フランの声が通信機越しに響く。眼下にはコンゴウとオウガテイルがセットの様に動いていた。この場から下れば恐らくは音で察知されることは間違いない。この状況下での奇襲は不可能な状況だった。

 

 

「対象はコンゴウだが、オウガテイルも居る以上こちらも合わせて討伐する。各自問題無いとは思うが気を引き締めてやってくれ」

 

「ジュリウス大尉!我が騎士道にかけてその誓いを守ろうではないか!」

 

 返事をする間もなくエミールが返答をする。短い期間ではあるが、どうやらこのエミールの特性を各自が気が付いたのか既に言葉の半分以上は流している。

 この場に留まった所で何かが変わる訳でもなく、そのままミッションに突入する事となった。

 

 

 

 

 

「どっか~ん」

 

 ナナの渾身の一撃がコンゴウの顔面の結合破壊を促していた。ブーストが利いたハンマーは見た目の質量をそのままに、勢いよくコンゴウを直撃していた。リーチが短いと言った欠点はあるが、その分取り回しが利くのと同時に破壊する事にかけては右に出る物は無い。その特性を上手く活かした攻撃は見る者を圧倒していた。

 

 

「みんな!今だよ!」

 

 顔面が結合崩壊すると同時に、コンゴウは尻餅をつく。分かり易い隙を逃がす必要性はどこにも無かった。ロミオのヴェリアミーチはチャージクラッシュの態勢に入るべく闇色のオーラを刃に纏う。渾身の一撃が背中のパイプを破壊し、ギルも胴体を狙ったチャージグライドで突進していた。

 北斗も他のメンバーと遜色なく腕を斬り刻む。ここまでは思った以上のチームプレイで戦闘は終始していた。しかし、コンゴウもこのままむざむざと一方的にやられるつもりは無いと、ナナに向かって全身で転がりながらこの場を脱出していた。

 

 

「ひゃぁああああああ~」

 

「ナナ!気を抜くな!」

 

 転がってきたがギリギリで躱したと思われた瞬間だった。間合いが僅かに足りなかったのか、回避しきれずにナナが弾き飛ばされ宙に舞う。中型種とは言え、当たればかなりのダメージを受けると同時に、地面に叩きつけられれば多大な隙を生む事に間違いなかった。最悪の事態は回避する。そんな事を考えながら北斗はナナのフォローへと回っていた。

 

 

「お前ら大丈夫か!」

 

 ギルは援護すべくリボルスターから火炎属性のバレットを乱射する。弱点属性がそのままダメージにつながったのか、コンゴウは着弾するバレットによって動きが制限されていた。その隙を活かしてナナは態勢を整える事に成功していた。

 

 

「うん大丈夫!」

 

「油断するな!一気に決めるぞ!」

 

 ジュリウスの言葉を皮切りに各自が一番の攻撃方法でコンゴウへ多大なるダメージを与えていた。既に顔面だけではなく背中のパイプも結合崩壊を起こし、このまま討伐が完了するまでには然程時間がかかる事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいナナ、もう少し回避には距離を取れ。でないとさっきみたいに巻き込まれるぞ」

 

「いや~完全に躱したと思ったんだけどね。そういえば北斗もフォローありがとね」

 

 ベテランらしいギルのアドバイスと同時に、素早くフォローした北斗にも気が付いていたのか、ナナはギルと北斗に礼を伝えていた。このまま帰投に入る予定だが、先程からエミールの姿が何故かこの場に見る事が出来なかった。

 あの性格から逃げるなんて選択肢は無いだろうが、この場に居ない事だけが不思議だった。

 

 

「ぬおおおお~またもやピンチだ!まさか神機が!…こんな所で出くわすとは!!」

 

 狭い通路からエミールの声が響き渡る。この場には乱入されるようなアラガミの指示は何も来ていない。ならばエミールの叫び声の現況は一体何なんだろうか?そんな疑問が出ると同時に、フランから緊急入電が現在の状況を表していた。

 

 

《想定外のアラガミです。生体反応から登録不明の為データは有りません。各自気を引き締めて下さい》

 

 通信機からの入電内容は正体不明のアラガミとの内容だった。この場での新種討伐となれば、このメンバーでは些か不安要素が大きすぎる。このまま撤退も視野に入れるが、恐らくはそれも不可能だろう事を悟っていた。

 

 

 狭い通路から出てきたのは大きな叫び声の持ち主でもあったエミールだった。逃げる様に出てきた背後には今までに見たことも無い白い大型種がエミールを捕喰せんと力強く走り寄る。走るついでとばかりに振り払った前足は動かす勢いのままエミールを遠くへと弾き飛ばしていた。

 

 

「あれは何だ?今までに見た事が無いぞ」

 

 北斗の呟きは誰の耳にも届かないほどに、緊迫した空気が漂っていた。突如として表れたアラガミは先ほどの通信にもあったように、データベースには登録されていない。可能性とすれば新種である以上、今の北斗達には荷があまりにも重すぎた。

 

 様子を見んとするその大型種は似たような系統としては狼に似たガルムの様だが、色が全く違う。それと先ほどのエミールの行動からすればこの種が感応種である事が推測されていた。

 

 

「まさか、感応種なのか?おい北斗!お前は捕捉されてる!常に警戒しろ!」

 

 ギルの声は届くが、耳には入ってこない。感覚的に、この白いアラガミが危険な事だけは自分の頭の中で警報が鳴り響いている事からも理解している。この状態で少しでも気を逸らす事があれば一足飛びに襲い掛かられる距離まで一瞬にして詰め寄られていた。

 

 お互いが警戒しあっているのか、視線が逸れる事はなく今は僅かな隙すらも油断に繋がり兼ねないとばかりに睨み合っている。このままの状態が続けば、体力的な事を考えてもアラガミに分があるのは間違いなかった。このまま永劫にこの状況が続くのかと思われた瞬間、アラガミの後ろ足の部分に衝撃が加わっていた。

 

 

「北斗!これを使って!」

 

 アラガミの後ろ足を捕喰したのはナナだった。お互いがギリギリの部分まで警戒していた事が影響したのか、それとも知っていて無視したのかは分からない。しかし、ナナはその影響もあってなのか、背後に回り込む事に成功していた。

 

 捕喰と同時にギリギリまで高めあった緊張感が突如として崩れる。ナナはここが勝負だと判断したのか捕喰によるアラガミバレット全てを北斗へと託した。

 

 ナナからのリンクバーストによって一気に身体に力が漲り出す。まるでそれが何かの合図になったのか、先程まで拮抗していたはずの空気は突如として崩れ去っていた。

 

「うぉおおおお!」

 

 雄叫びと共に荒々しい動きで北斗はアラガミへと突進する。バースト状態が一気に来た際に、あの当時のミッションの事がジュリウスの脳裏に思い出されていた。今までの様な精密な動きが鳴りを潜めると同時に、荒々しい動きが今まで以上に行動予測を不可能へと塗り替える。

 一撃に込める力の度合いが違うのか、剣戟は洗練された物ではなく、荒々しい事によって乱れた刃筋は幻惑した動きの様にも見えていた。歪に見える剣閃は既に剣閃と呼べるレベルでは無くなっている。

 ここまで来ると最早剣戟と言うよりも鈍器で殴りつける様な勢いさながらに、かえってアラガミの反撃を許す事が無かった。

 

 

「ねぇジュリウス。北斗は一体どうしちゃったの?」

 

 あまりの変貌に驚いているのはナナだけではなかった。ロミオもギルも驚きを隠す事は出来ていない程に今の北斗の変貌が大きすぎた。ロミオにしてもそう多いとは言えない程度にしかミッションをこなしていないが、今までの記憶の中ではこんな北斗を見たのは初めてだった。

 

 

「いや、俺にも分からん。ただ、むやみやたらに神機を振るっている様には見えない」

 

 ジュリウスの指摘は正鵠を射ていた。当初は乱れた刃筋でむやみやたらに襲い掛かっている様にも見えたが、全体を通して見れば本能的にアラガミの行動範囲を狭め、追い立てている様にも見える。

 

 もちろん、攻撃している以上に反撃も受けるが、今の所はギリギリのラインで直撃だけは避けていた。白いアラガミは前足に付いた防具の様な部分が僅かに浮き上がると同時に、その奥にはマグマの様な色合いの何かが見える。

 今までのアラガミの行動範囲から考えれば、北斗だけではなく他のメンバーも攻撃を受ける可能性が極めて高かった。

 

 

「全員盾を展開しろ!、恐らく何かが飛んでくるぞ!」

 

 ジュリウスの指示が早かったのか、予想通り白いアラガミは腕の隙間の部分からマグマの様な物を噴出させたと同時に、それを3方向へと放つ。巨大な炎の飛礫は事前に盾を展開した事もあり、直撃こそは免れたが、それでもノックバックを起こす強烈な一撃はその力を示すには十分だった。

 

 

「ふははははは!」

 

 笑い声と同時に先ほどの飛礫を悠々と回避し、その隙を狙うかの様に顔面へと斬り裂こうと一気に距離を縮めて行く。原因は不明だが、自身の中で何かが膨れ上がった様に北斗は感じていた。これは一体何なのかは自身でも理解する事は出来ない。

 それと同時に周囲の空気が徐々に濃密な物へと変化し始めていた。

 

 

「これは…ジュリウスの血の力と同じ様な感覚」

 

 このメンバーの中で一番ジュリウスと共に戦い、血の力のその近くで感じていたロミオは直ぐにこれが何なのか理解していた。それと同時にジュリウスもそれが何なのか自然と理解している。何かが生まれるのを待っているかの様だった。

 

 

「ついに目覚めるのか」

 

 ジュリウスの言葉そのままに北斗の刀身に赤黒く光る何かが纏い出す。この時点でそれがブラッドアーツである事を理解したのはジュリウスとロミオだけだった。

 赤黒い光を纏った刀身が白いアラガミの顔面へと襲い掛かる。ギリギリの部分で避けたはずの剣戟は躱しはしたが、その衝撃までは躱す事が出来ず、一旦距離を置くようにアラガミは高台へと上り詰めた。

 この時点ではスナイパーでも届くかどうかの距離。気が付けば大型種は目の部分に大きな裂傷を作っていた。

 

 

「何だあれは?」

 

「あれがブラッドアーツだ」

 

 ギルの呟きにジュリウスが簡潔に答える。今までのゴッドイーターの経験では考えられない事実にギルの思考は少しだけ麻痺したかの様な感覚があった。それ程までに今の攻撃方法は常識が外れていた。

 

 これ以上の戦いは無理だと悟ったのか、白いアラガミは大きく遠吠えを残したままこの地から過ぎ去った。

 

 

 

 

 

「そう、ついに目覚めたのね」

 

戦場から遠く離れたフライアの一室で、一人の女性がモニター越しに確認していた。先程の戦いから何らかの影響を受けたからなのか、誰も居ない研究室で笑みを浮かべている。

 この場に誰かが居たのであれば、恐らくはその笑みに戦慄を覚えたのかもしれない程に、冷たい微笑だった。

 

 

 



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第124話 新たな動き

「あれ?ここは?」

 

 白いアラガミとの戦闘の後の記憶が北斗には無かった。気が付けば白い天井と共にどこか薬品の匂いがしている。ここが医務室である事を理解するには然程時間は必要としなかった。

 

 恐らくは倒れたのだろう事は想像できるが、その後の記憶は当然ながらプッツリと切れたのか、今の現状を理解する事は出来ない。だからと言って、このままここからどこかへ出歩く事も出来ず、北斗はベッドの上で横になる以外に何も出来なかった。

 

 

「気が付いた?」

 

 医務室のドアが開いた先にはナナとロミオが様子を見に来ていた。戦闘後の記憶が何もないが、恐らくは誰かが運んでくれたのだろう。目覚めた北斗は身体的には何もトラブルを抱えていない為に、今はただ安静にしている事が優先されていただけだった。

 

 

「何でここに?」

 

「お前があの感応種と戦った後に突然気絶したんだよ。で、俺たちがここに運んできたって訳だ」

 

「そうでしたか……」

 

 ロミオの説明で漸く記憶が無い後の全体像が見え始めてきた。恐らくは何らかの負荷がかかり過ぎた結果、気絶した事で遮断された可能性が高った。事実、北斗の身体には怪我らしいものは何一つついてなかった。

 

 

「どうやら気が付いたようだな。身体に問題が無ければ、1時間後にラケル先生の所に来てくれ。何か話がある様だからな」

 

「了解しました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

 

「そう気に病む事はない。恐らくは血の力に目覚めた際のサーキットブレイカーとして気絶したんだろう」

 

 血に力に目覚めたからなのかジュリウスは心配はしていたものの、どこか表情は明るい物が微かにあった。自分では何がどうなっているのか分からないが、それでもブラッドに所属して血の力に目覚めたのであれば結果オーライと今は前向きに考えるしか無かった。意識が戻った以上、取敢えずはラケルの待つ研究室へと足を運ぶ事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遂に血の力に目覚めた様ですね。ジュリウスに続いて二人目です……おめでとう」

 

 ラケルの研究室へ行くと、そこには血の力に目覚めた事による祝福とばかりにラケルから、この力の内容に関して色々と説明を受ける事になった。入隊当初は何も聞かされないままにミッションをこなしていたが、ここに来て漸く本来の内容について語られる事になった。

 恐らくは目覚めなければこの話は無意味な物になりかねない。だからこそ、北斗が目覚めた事によって本来の内容に関する情報が開示されていた。

 

 

「それと、貴方はバースト状態になった際の記憶がありますか?」

 

「…いえ、正直かなり曖昧な部分があります」

 

「…そう。恐らくは血の力の発露が原因だと考えられます。今後は血の力が安定する様ならば恐らくはその症状は改善されると思います。今回の件に関してはジュリウスにも伝えてありますので心配する必要はありませんよ」

 

「分かりました」

 

 血の力の発露と聞いた事で一先ずは安心する事にした。常時バーストモードで記憶が曖昧であれば戦闘中は無理だと判断する事になりかねなかった。バースト状態の恩恵がどれ程の物なのかはゴッドイーターであれば誰もが知っている事実。

 それでは戦力的に今後は困る部分が出てくる可能性が危惧されたが、それもラケルからの説明で安心する材料となっていた。

 

 

「ねぇ北斗、やっぱりあれって血の力に目覚めたんだよね?」

 

「う~ん。ラケル博士の話だとそうみたいだ」

 

「血の力ってどんな感じなの?」

 

 ナナの何気ない発言に北斗は少し困っていた。記憶が曖昧な状況の中で使用していた為に、一体何がどうなっているのかすら記憶に無い。そんな中でどんな気持ちと聞かれても答える術は何も無かった。

 

 

「ごめん。記憶が定かじゃなくて。悪いんだけど、当時の状況をナナが見た主観で良いから教えて欲しいんだ」

 

「え~。私の主観なんだよね……実は私も今一つ分からない事が多いんだよね。でも、北斗がいつもと違って少し怖かったかな」

 

「怖いって?」

 

「上手くは言えないんだけど、何だか同一人物って感じじゃなくて、誰か別の人って感じかな」

 

 ナナの主観と言った以上、それがナナの本心なのか間違い無かった。記憶が曖昧とは言え、何となくだが状況は把握している。確かにあの瞬間に人格が交代したような感じはしたが、ナナの話からすれば別人とも取れる様だとすれば、心理的な何かがあるのだろうか。何にせよ、現時点では確証らしき物すら無い以上、何もする事は出来ない。今はそう考える以外に出来なかった。

 

 

「ラケル博士の話だと、血の力の発露が原因らしい。今後は収まる方向みたいだ」

 

「そっか~。ちょっと安心したよ。北斗があのままだとどうしようかと思ったからね」

 

 どうやらあまりの変貌ぶりに心配させていた様だった。今後は大丈夫だと言われているのであれば、これ以上の事は何も出来ない。今後は様子を見ながら行動する事を心に誓っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おめでとう。血の力に目覚めた様だな。俺としても嬉しい限りだ。今後もこのまま精進し続けてくれ」

 

「ありがとうございます」

 

 恐らくはラケルに一番最初に聞いていたのだろうか、先ほど医務室でも似たような事を言われた事を思い出していた。いくら候補生と言えど、肝心の血の力に目覚めなければ通常の部隊と何も変わらない。今までは自分だけだったのが北斗も目覚めた事にジュリウスも喜びを感じている様だった。

 

 

「そうだ。ついでと言っては何だが、今回の件が影響した訳ではないがこの部隊に新たに一人が近日中に加わる事になる。これから大所帯になるかもしれないが、今後も頑張ってくれ」

 

 一言添えた後、自分の業務があるのかジュリウスは自室へと戻っていた。

 

 

「北斗、遂に血の力に目覚めたんだってな。やったな!次は俺の番かな」

 

「ロミオ先輩。そんな事言ってるようだと、まだまだだと私は思うな」

 

「ナナは一言多いんだよ。可能性は誰にだってあるんだから、そう考えても問題ないだろ。でもあの感応種だっけか?かなり大きかったけど、よくもまぁ退治出来たよな?」

 

「そうそう。それは私も思った。だってあれってエミールさんの神機を停止させてたからね。あれが感応種の力なんだよね?」

 

 感応種との対峙は何かしら思う所があったのか、それぞれが思い出すかの様に当時の状況を思い浮かべていた。ラケルからの話が本当ならば、今後はこのブラッドが感応種の討伐が出来る唯一の部隊となってくる。

 この種がどれほど危険な存在なのかは既にアーカイブで確認はしていたが、やはりあの時のプレッシャーは対峙した者でなければ説明する事は出来ない。ましてや種の固有の能力でもある神機の停止は事実上の無力化と殆ど変わらない。あれが基本だとすれば今後の任務はより苛烈な物へと変貌するのはある意味当然の事だと考えていた。

 

 

「本当に厄介な存在だよな。でもその為に俺たちブラッドが居るんだろ?だったら後はその力を発揮するだけだよな」

 

「ロミオ先輩。そういえばエミールさんはどうしたんですか?」

 

 この場において当時の状況を考えれば一番最初に存在感を発揮するはずのエミールがこの場に居なかった。ロミオとナナの表情からは如何にも微妙だと言わんばかりである事が読み取れていた。

 

 

「エミールさんなら、あの後北斗が目覚める前に極東支部に戻ったらしいよ。居た時にはあれだったけど、居ないなら居ないで静かなんだよね」

 

 短期間の滞在ではあったが、あの濃いキャラクターがここに何かの爪痕を残したのか、それぞれの記憶に強烈に刻まれている。恐らくは極東支部に行かない限り会う事は無いだろう。そんな事を考えていると、先ほどのジュリウスの言葉が思い出されていた。

 

 

「そう言えば、近々ここに新たな人が加入するらしいですよ」

 

「そうなんだ。だったら女の子が良いな~ここには私しか居ないし」

 

「ジュリウスがそう言ってたのか?いつ頃なんだろう?もう少し先輩を敬ってくれる人だと良いな」

 

「え~私も敬ってますよ」

 

「ナナはちょっと酷い所あるから…」

 

 未だ分からない新加入の人物像をそれぞれが思い浮かべている。今後の加入者の事はともかく、今は自身の力の制御に重点を置きながらミッションに入る事を考え、一人訓練のメニューの変更を北斗は検討していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「久しぶりだな。…ラケル先生の付き添いじゃなさそうだな」

 

 ジュリウスの前には一人の銀髪の少女がまるで指示を待つかの様に直立不動で立っていた。背筋がその性格を表しているのか、視線には力が込められているものの、どこか冷淡な印象を受ける。当時とは何も変わらないのかとジュリウスは内心思っていたものの、まずはここ来た内容の確認が優先だとばかりにその少女の言葉を待っていた。

 

 

「はい、任務は更新されています。本日付でブラッド隊に招聘されました。貴方もお元気そうでなによりです」

 

「そうか。お前が新たなメンバーだったのか」

 

「ラケル先生からはその様に聞いています。詳細についてはジュリウスから確認する様にとも指示を受けています」

 

 今回のメンバーに対してはジュリウスも詳細を教えられて無かった事が影響したのか、久しぶりに見る知人は何も変化していないのだと感じていた。

 

 ジュリウスは気が付いていないが、北斗とナナが配属された辺りからこのフライアの空気は少しづつ変化していた。以前の様などこか冷たい様な雰囲気はそこにはなく、またロミオとのやりとりが日常過ぎた事も影響してなのか、この部隊に対する親近感がどこか違っていた。

 一軍人としては正解なのかもしれなが、ここは軍隊ではない。自分には出来なかった事だが、ここに加入する事で今後の人間としての選択肢が増えてくれればと考えていた。

 

 

 

 

 

「本日付で極致化技術開発局の所属となりましたシエル・アランソンと申します。ジュリウス隊長と同じく児童養護施設『マグノリア=コンパス』に於いてラケル先生の薫陶を賜りました。

 基本、戦闘術に特化した教育を受けてまいりましたので、今後は戦術、戦略の研究に勤しみたいと思います」

 

 模範的な敬礼をしながらの自己紹介に集められたメンバーはどこか不思議な空気を漂わせていた。今まで入ってきた人間は誰もここまで畏まった自己紹介をした覚えは一切なく、この場面での自己紹介はある意味新鮮な物に映った。

 こうまで固い挨拶をされると、今度はどうすれば良いのだろうか?違った意味でお互いがどう反応すれば良いのか判断に困っていた。

 

 

「…あの…私からは以上です」

 

 視線が集中したことに気恥ずかしさを覚えたのか、先ほどとは打って変わり年相応の反応を見せていた。ここで漸く我を取り戻したのか、硬直した空気が徐々に解け出す。ここで漸く初めての顔合わせが終了していた。

 

 

「シエル。そんなに固くならなくても良いのよ。これから皆は同じ部隊であると同時に血の力で結ばれた家族と同様なんですから。ようこそブラッドへ」

 

 助け舟が出てきたのか、ラケルが落ち着かせようとシエルに近寄っていた。恐らくは顔見知りなんだろうか、ラケルの顔を見たシエルの表情が少しだけ和らいでいる様にも見えていた。

 

 

「これでブラッドの候補生が皆揃いましたね。血の力を用いて遍く神機使いを、ひいては救いを待つ人々を導いてあげて下さいね。では…ジュリウス」

 

 先ほどの自己紹介と変わり、今度はジュリウスからの通達が発表される事になった。自己紹介の事だけだと思った事もあり、今度は何が発表されるのだろうか?ジュリウスの口が開かれる事が待たれていた。

 

 

「今後の件に関してだが、今回のシエルの着任を機に今後は部隊運営における戦術の拡充を行う。その為には今後の事も踏まえ命令系統を一本化するに当たって、北斗。お前にその任について貰う事になる」

 

 

 突然のジュリウスの発言は部隊運営に対する人事の発表だった。戦術面を考えれば、仮に部隊を分けた際には誰かが指揮を執る必要が出てくる。これはある意味当然の措置でもあり、今回の判断については至極当然とも考えられていた。

 

 

「ジュリウス隊長、なぜ自分がその任を担う事になるのでしょうか?自分はまだ熟練と言う程に任務をこなした訳ではありません。経験から判断されるのであればギルかロミオ先輩が妥当かと考えられますが?」

 

 北斗の言い分は尤もだった。単純に指揮を執ると言っても容易く出来る様な事は無く、ジュリウスの言葉から考えれば今後は戦術面でも一定以上の権限が与えられる事になる。

ましてやここにはゴッドイーターとして5年の経験があるギルと、ブラッドとして考えた際にはロミオの方が経験はある。だからこそその考えが分からないからと確認していた。

 

 

「先ほども言った様に、北斗がやる事は既に決定事項だ。拒否権は存在しない」

 

「それだけでは納得できません」

 

「…敢えて言うならば、今回の血の力に目覚めた事と、前回の討伐任務の際に簡易ながらに指揮を執っていた事が今回の一番の結果だと判断した。これについてはこちらでもしっかりと確認している。

 経験が確かに物を言うのは間違いないが、戦場に対しての視野の広さが無ければ指揮は出来ない。総合的に考えた結果が今回の判断となった」

 

 恐らくはウコンバサラの件の事だと北斗はすぐに理解していた。確かにあれが指揮だと言えばそうなのかもしれないが、当時と今回では状況が違う。

 本音を言えば面倒な事はしたくないと言いたい所だが、流石にここでそんな事を言える程に北斗は大胆な精神を持ち合わせては居なかった。

 

 

「北斗が副隊長か~これからも宜しくね」

 

「ま、妥当な判断だな。あれが今回の一員ならば俺も納得できる。…ナナはあれだし、ロミオも…な」

 

「おおきなお世話だ!お前だってあり得ないよ!」

 

 既に外堀は完全に埋められていた。この状況では納得出来なくても、無理やり納得せざるをえない空気が漂っている。今の北斗に拒否の二文字を発言する事は出来なかった。

 隣では先ほどのギルの発言に何か思うところがあったのか、既に副隊長に関する考えは無く、お互いが何か言い争っている様にも見えていた。

 

 

「分かりました。謹んでお受けします」

 

「チームに連携の不安が残るかもしれないが、お前ならしっかりとやれるだろう。期待してるぞ。それとシエル。今後の事もあるから副隊長とコンセンサスを重ねる様に。あれで案外と良い戦術眼をもっているかもしれないぞ」

 

 何気に爆弾発言を残し、ジュリウスは研究室から退出していた。自分に戦術眼があるなんて今までに一度も考えた事は無い。そうまで持ち上げる必要は無いだろうと考え、何気にシエルを見ると、どこか尊敬した様な目で見られていた。

 

 

「では副隊長。早速ですが今後の件も踏まえてお時間よろしいでしょうか?」

 

「良いも何も、これからそれが目的なんだし、別に構わないよ」

 

 これ以上この場に居ても話が前に進まないだろうと判断し、北斗はシエルと共に庭園へと場所を移し替えた。

 

 

 

 

 

 

「では早速ですが、私がここに来るまでにブラッドの内容を把握したんですが、一度副隊長から見てもらえないでしょうか?問題無いようならば今後はこの様にと考えています」

 

 庭園ではのんびりする事もなく、ただ事務的にシエルから渡されたタブレットを北斗は見ていた。事前にしっかりとした情報収集をした結果なのか、各自の戦闘能力に関する細かい部分までもが網羅されている。今まで訓練と言えば自分一人でやってきた北斗からすれば、この内容に疑問を感じずにはいられなかった。

 

 

「え~アランソンさん」

 

「部下ですのでシエルで結構です」

 

 一部の隙も無い様な受け答えを北斗はあまり好ましく思っていなかった。今では少しづつ改善されてきたが、この事務的なやり取りはどこかフランを思い出させる部分があった。

 

 他の支部であればこうまで気にする必要は無いのかもしれないが、ここの様な小さな箱庭とも取れる様な環境に於いて、人間関係は極めて重要だと北斗は常々考えている。

 よく言えば真面目だが、悪く言えば堅苦しいその雰囲気は恐らくこのブラッドには合わない可能性があった。

 

 

「じゃあ遠慮無く。シエル、この訓練のメニューだけど却下だ。データだけで見れば最適なのは理解できるが、効率を考えればこれは落第点だ。ここに各自の人物像を加えないと、恐らくは推定の結果を得る事は出来ない。それと、一つ確認したいことがあるんだけど、この内容はシエルが一人で考えたのか?」

 

 まさか却下されると思って無かったのか、それに追加で落第点と言われシエルは内心落ち込んでいた。確かにデータ上ではこのやり方が最適な結果をもたらすシミュレーションの結果ではあったが、ここに人物像を重ねるとなれば、それは一つの軍事教導ではなくカウンセリングも含めた物を考慮する必要がある。

 それだけではなく、今回の訓練メニューを見た北斗の反応は、今までデータを見ていた時とは違い、何かを疑う様な視線がそこには含まれていた。

 

 

「仰る意味が理解出来ません。それはどう言う意味でしょうか?」

 

 シエルが不思議がるのはある意味当然だった。今回のメニューを組んだ際に、自分自身が今までやってきた事も踏まえながら考えた内容がダメ出しされたと同時に、この内容について一部疑う様な言い方をされたのであれば、その根拠となる内容を確認したいと考えるのは当然だった。

 この内容に一体どんな意味があるのか。今のシエルに理解する事は出来なかった。

 

 

「言葉を変えよう。この訓練内容はとある内容にかなり酷似しているんだ。ただ、それは今の時点では話す事は出来ない。その考えに至った出所が知りたいと思っただけなんだけど」

 

「その件でしたら、以前に私を教導した教官から伝えられた物としか分かりません。ただ、副隊長がダメだと仰るのであれば再度考慮します」

 

「それと考慮するのであれば、この時間での内容は多分もって数日だろう。厳しい言い方をするようだけど、自分を基準に考えるのは止めた方が良い。人間には個性があるのと同時に各自に個体差が必ずある。

 例えば、俺とシエルだと体力差もあるし思考能力も違う。機械じゃないんだから画一化する必要は無いんだ」

 

「確かにそうですね。その事を考慮する事を失念していました。今後はあらゆる可能性を考慮した後に改めて検討したいと思います」

 

 我ながら初対面で厳しい事を言った事に北斗は少し後悔したが、流石にあのトレーニングメニューの中に、自分が普段からやっている内容の大半が含まれていたのは驚いた。

 

 見た目は平凡な内容に見えるが、実際にあれを完全にこなすことは事実上不可能とも取れる。慣れた人間でさえも困難な内容を何も知らない人間がやって無事に出来るとは思ってもいなかった。

 

 シエルが去った後、まるで何か大変な作業が終わったかの様な疲労感が全身を襲う。今からこれだと今後はどうなるのだろうか?この先の事を考えると気が重くなってゆくのが想像できていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば、今後は北斗さんの事は副隊長とお呼びしないと拙いですよね」

 

 シエルが合流してから何度かミッションに行った頃だった。まるで今思い出したかの様なフランの言葉に北斗は今さら何を言うのだろうかと言った表情をしていた。

 

 

「今までと変わらずで良いんだけど」

 

「やはり、今後の事を考えれば役職名で呼んだ方が、対外的にも良いかと思ったんですが?」

 

 加入当初、あまりにも事務的な物言いが多かったのが、ここに来て漸く普通になってきたはずだった。しかし、今回のシエルの合流の際に副隊長に任命された事で、何かとフランと顔を合わす事が多くなっていた。

 何も考えていない所で言われたのがショックだったのか、それとも何も考えてなかったのか、北斗の表情は何とも言えない様だった。

 

 

「フランが酷い…折角仲良くなったと思ったのに…」

 

 少し残念な表情をしながらも少し様子を伺うが、フランの表情が変わる事は無かった。また、北斗の物言いがあからさまだった事も影響したのか、普段と何も変わらない様にも見えていた。

 

 

「北斗さん。せめて猿芝居だけは止めて頂きたいですね。見てるこっちが恥ずかしいので」

 

「だったら今まで通りで構わない。何だか遠くなった気がするのは面白くないので」

 

 あまりにもくだらないと言いたくなる様な内容にそれ以上何も言う事は出来なかったが、本人からの意向を無視する程フランも冷淡な人間では無かった。今後の事も考えて呼び方に関しては一定の考慮をする事にしようとフランは一人考えながらも、北斗を呼んだ事の目的を図るべく、改めて場を仕切りなおした。

 

 

「そう言えば、最近のブラッドとしての部隊運営が以前よりも悪化している様に見えますが、何かトラブルでもあったのですか?」

 

「トラブルはないんだが……因みににジュリウス隊長はこの件については?」

 

「ジュリウス隊長からは、こんな時もあるだろうとは言われましたが、やはり最近のミッションに関しては各自の動きもぎこちない様にも思われます。今の所は大事になる事は無いとは思いますが、今後の事を考えると早急な対処が必要となる可能性がありますね」

 

 見ていない様で、部隊の事をしっかりと見てるんだと関心しながらも、ここ数日の北斗の悩みはまさにそれだった。原因は言うまでも無かったが、恐らくは今まで適当だった部分までもが厳格化された事による、機能不全が原因だった。

 

 どんな動きにも必ず遊びの部分が存在する。一見無駄の様にも見えるが、この遊びの部分が無ければ、少なくとも早晩何かが瓦解する可能性が高いと考えていた。言いはしないが、ジュリウスも何らかの手を打てと言っているのかもしれない。だからこそ、シエルとは改めて話をする必要がありそうだと考え出していた。

 

 

 



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第125話 境遇

「なぁ、ジュリウス。やっぱり俺が副隊長は荷が重い様な気がするんだけど、今からでも交代できないか?」

 

 北斗が副隊長に指名されたから数日が経過していた。これまでは単なる一兵卒として現場で戦っていたが、役職が付けば今度は次の事が待っている。ブラッドの部隊運営について頭を抱えていたが、やはり自分には頭脳労働は向いていないと判断したのか、ダメ元でジュリウスに掛け合ってみようかと、改めて北斗はジュリウスの元を訪れていた。

 

 

「何だ?まさかとは思うが、慣れない事はしたくないとでも言いたいのか?」

 

「そんな事は無いんだが、ここ最近の部隊運営がね…フランまで気が付くって事は相当な状況だろ?やっぱり俺の力不足じゃないのかと思ってるんだけど」

 

「それは無い。言っておくが単純に雰囲気だけで決めた訳じゃないんだ。お前は気が付いてないかもしれないが、ここに来てからフランだけじゃなく、他の職員も空気が穏やかになっている。如何なる場合でも平時と同じ感覚でいられると言うのは中々簡単な事では無い。これが今回の決定的な部分だ。戦闘能力だけとか、周囲への配慮だけで決めた訳では無い事は理解してくれ」

 

 自分が副隊長に任命された意味がここで初めて公開されていた。しかし、自分では空気が緩くなる様な事をしたつもりもなく、また何がどう変わったのかも今一つピンと来てなかった。

 ジュリウスの顔を見れば、どことなく親の立場の様な目で北斗を見ている。これでは、これ以上何を言っても無駄なのではと少しづつ考え出していた。

 

 

「そう言えば、シエルとは同じ施設に居たんだよな?当時のシエルはどんなだった?」

 

「マグノリア=コンパス時代の事か?あれはかなり大きな施設だったからな。事実シエルとは確かに面識があったのは認めるが、当時はあくまでも俺の護衛と言う事で来ただけだ。結果的にはまともに話す事は無かったと記憶している」

 

 小さい頃の事から何らかのヒントが得られる事が出来ればと考えていたが、どうやら幼馴染と言った様な甘酸っぱい関係ではなく、ただの護衛対象程度の認識しか当時は持ち合わせて無かった事しか分からなかった。この状態が続く様ならば、多少の荒療治は必要なんだろうか。今のシエルは余りにも部隊に馴染んでいない事は間違い無い。何か打開策を立てない事には空中分解もあり得る。そんな事を徐々に考えだしていた。

 

 

《オープンチャンネルより緊急入電です。直ちに繋ぎます》

 

 突如として館内に緊急入電の警報が鳴り響く。一旦はこの話を棚上げして今は内容を走りながら確認すべくエントランスへと急ぐ事にした。

 

 

「緊急入電って大丈夫なのか!」

 

「まずは内容を確認しない事には詳細は分からない。少し静かにした方が良いな」

 

《こちらサテライト拠点002建設予定地!感応種と思われるアラガミの反応を観測地より北北東30kmにて確認。行動予測からこちらへと向かう可能性が高く、なお感応種を中心に複数のアラガミ反応も確認されいてる模様。至急応援を求めます!》

 

 緊急入電は感応種を中心としたサテライト拠点への襲撃だった。突如として入った入電に、この地点へと急ぐには周囲にはフライアしかなった。しかも感応種となれば、仮に他のゴッドイーターが向かった所で返り討ちにあう可能性が極めて高いと考えられていた。

 

 

「感応種って、俺たちブラッド以外は手も足も出ないんだろ?今すぐに行かないと…」

 

「ロミオ先輩の言う通りだよ。すぐに行かなきゃダメだよ」

 

 緊迫した空気が周囲を漂い出す。この時点でオープンチャンネルに要請を出しているのは感応種の影響に違いない。このまま見ている選択肢はここには無かった。

 

 

「副隊長。先ほどの話はお前に任せる。今は一刻も早い討伐任務をこなす事が最優先だ。フラン!ブラッド隊が緊急出動する。オープンチャンネルの返事と、直ちに準備にかかってくれ」

 

「了解しました」

 

 ジュリウスが言う前に準備していたのか、既に各方面へと通達が出ていた。事態は一刻を争う中で、遂に感応種の討伐をすべくブラッドとして本格始動する事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれが感応種みたいだな。総員準備は良いか?」

 

 現地には緊急入電によって既に現場からは退避したのか、そこには人影が殆ど無かった。これならば周囲を気にする必要が無い。素早く考えをまとめ、ここから部隊の再編を行う。

 アラガミは感応種だけではなく、通常種までも居る。その為には一亥の猶予も無かった。

 

 

「この場は北斗が取り仕切れ。チームを二手に分けての討伐が一番効率が良いはずだ」

 

「だったら…シエルとロミオ先輩。ここで感応種と交戦しますので、お願いします」

 

 チームを決めてからは一気に戦闘が開始された。今回のアラガミはシユウ感応種が進化したと思われる個体。シユウの様な男性的な雰囲気ではなく、そこにはどこか女性の様な雰囲気を持ったアラガミ『イェン・ツィー』だった。

 既に周囲に降り立ったのか、それともジュリウスのチームが通常種を引き寄せたのか、ここにはそれ一体だけが確認されていた。

 

 

「一旦陣形を考えてはどうでしょうか?」

 

「いや、ここは感応種相手だと陣形は無意味になる可能性が高い。ましてやシユウ神族種だ。各自最低限の攻撃範囲に注意して交戦。ロミオ先輩頼みますよ」

 

「なに言ってんだよ。今さら固い事は言いっこ無しだろ。いつも通りにやるだけだ」

 

 気負う事無く討伐任務が開始される事になった。シユウ神族種の一番の特徴は高い地点からの攻撃が多発する点だった。特に高高度からの攻撃となれば着地点を素早く判断しない事には直撃を受け易く、それは感応種に限った話ではなく、通常種と言えど大ダメージを受けやすい。その為には飛び立たせる事を阻止するか、空中で止まった瞬間を狙う以外に方法が無かった。

 

 

「シエル!万が一高高度に移動した際には撃ち落としてくれ」

 

「了解しました」

 

 北斗の指示により一斉に攻撃が開始された。全員が一斉に飛びかかる様な攻撃をする事はなく、銃形態へと変形させる。一斉射撃によってイェン・ツィーの頭部に集中砲火を浴びせだした。

 

 単発で響く音の後に残されたのはイェン・ツィーの悲鳴の様な物だった。一点突破するかの様な精密な射撃は短時間でイェン・ツィーの頭部を結合崩壊させる。

 その中でもシエルのスナイプは正に正確無比とも言える程の集中を見せ、遠目からは判断しにくいが、頭部の中心から直径5cmの中に全て着弾していた。

 

 

「なんだあの正確さ?俺、初めて見たよ」

 

 ロミオが驚愕とも取れる呟きが聞こえたのか、ほんの少しだけシエルの表情が和らいだ様に見えた。幾ら厳しい訓練をしていても、本音で褒められれば嬉しくない訳は無い。無自覚の表情に北斗もこれならばと少しだけ今後の事を考える様にしていた。

 

 

「ここからが勝負だ」

 

 突如として北斗が銃撃から剣形態へと変化させ一気に距離を詰める。結合崩壊を起こしたとは言え、まだ戦いは始まったばかり。周囲にアラガミが居ない以上、ここは追加でダメージを与えんと行動していた。

 

 更に加速するかの様な勢いと共に、北斗は刀身をそのまま振り払う様に大きな弧を描く。斬撃の速さが功を奏したのか、イェン・ツィーは回避が遅れ、腹部に大きな斬撃を受けながらも大きくジャンプする様な行動で上空へと羽ばたきだそうとしていた。

 両腕の羽の部分が大きく動き出し、飛び立つ瞬間だった。まるで罠でも仕掛けたかの様に、鋭いと言いたくなる様な銃撃がその行動を阻む。振り返らなくてもその向こうにはシエルが構えているのが分かっていた。

 

 

「うりゃあああああ!」

 

 動きを制限された瞬間、羽の部分に大きな刃が横薙ぎに直撃する。隙を見てロミオが放った一撃は想像以上のダメージを与えたのか、その場で大きくよろめいている。今がチャンスだと改めて接近した際に、人知れず周囲の空気が変化していた。

 

 

《偏食場パルスが大きく変化しています。北斗さん注意して下さい》

 

 接近していた北斗の周囲に偏食場パルスがまとわりつく様に変化していた。ここから何が起こるのか、様子を見る間もなくそれは唐突に起こった。

 

 

「北斗気を付けろ!」

 

 ロミオは叫んだ瞬間に、突如として地面から3体の小型種アラガミが湧き出ていた。原因は不明だが、恐らくはこのイェン・ツィーが呼んだのだろう、そのそれが突如として集中するかの様に北斗に襲い掛かる。

 

 

「副隊長!今すぐその場から脱出を!」

 

 シエルからでは援護射撃するほどの余裕は無かった。小型種が細々と動けば流石にシエルとて狙いはつけにくい。仮に撃っても誤射(フレンドリーファイア)する可能性が高く、今は銃撃での攻撃は得策では無かった。

 

 

「大丈夫だ、こいつらは何とかする。それよりもロミオ先輩と本体を叩いてくれ!」

 

 既に北斗は小型種の掃討をすべく、神機を振るい続けていた。呼ばれた小型種は元からそうなのか、それとも偶然なのか、攻撃が一定以上当たると直ぐに霧散していく。この調子であれば問題ないと判断したのか、ロミオとシエルは本体に攻撃を仕掛けていた。

 

 連続した攻撃はイェン・ツィーの反撃を与える隙は無かったのか、頭部に続いて両腕羽までもが結合崩壊を起こす。感覚的にはそろそろ限界が近いかと思われていた。

 

 

「このまま死ね」

 

 小型種の掃討が完了した所に間髪入れずに次の行動へと移行していた。北斗は大きく跳躍したと同時にイェン・ツィーの結合崩壊を起こした頭部に狙いを付ける。落下エネルギーを活かしながらの攻撃は普段以上の攻撃力を持っている。完全に重力を味方に付けた攻撃はイェン・ツィーの虚を付くだけでなくその命を確実に奪い去る勢いだった。

 その斬撃が致命傷となったのか、程なくして力尽きたのか、イェン・ツィーは動く事無く生命活動を停止させていた。

 

 

「あれ?こっちはもう終わったの?」

 

「こっちは楽勝だったよ」

 

「え?ロミオ先輩活躍したの?」

 

「ナナ、ちょっと扱い酷くないか?」

 

 向こう側でも討伐が完了したのか、急いでこちらへと走ってくるジュリウスの姿が確認出来ていている。いち早く着いたナナは、その早さに驚きながらもロミオと話をしている。そんな中でシエルは一人考え込んでいた。

 

 

「シエル、どうかした?」

 

「いえ、何でもありません。ただ、今回の戦いでこのブラッドと言うチームの考え方が何となくですが分かった様な気がしました。今なら副隊長の言ってた意味が分かった様な気がします」

 

「?そ、そう。良くは分からないけど、楽しみにしてるよ」

 

「お前たち、まだここは戦場だ。周囲の警戒を怠るな」

 

 ジュリウスからの指示で緩み始めた空気が改めて引き締る。周囲の警戒をしていた際に、一人のゴッドイーターが物陰から出てきていた。

 

 

「あの……私はフェンリル極東支部所属のアリサ・イリーニチナ・アミエーラと申します。応援要請感謝します」

 

「我々はフェンリル極致化技術開発局所属ブラッド隊隊長のジュリウス・ヴィスコンティと申します。オープンチャンネルでの救援要請でこちらに参りました」

 

 物陰から出てきたのは銀髪の女性だった。未だ極東支部では感応種に対抗出来る人材が限られている事から、対処すべくオープンチャンネルでの救援要請を同に出していた。

 幾ら歴戦の猛者と言えど、神機が動かなければゴッドイーターと言えど一般人と変わりない。そんな事も考えた結果だった。

 

 

 

 

 

「私の部下が何か?」

 

 何かの視線を感じたのか、ジュリウスがアリサと名のった女性に問いかける。視線の先には北斗が居るはず。知り合いではなさそうだが、何かあってからでは遅いとばかりに確認する事にしていた。

 

 

「いえ、知り合いにちょっと似てた様でしたので」

 

「そうでしたか。恐らくこの区域に感応種はしばらくは出没しないと思われますので、我々はこれで失礼させて頂きます」

 

「救援ありがとうございました」

 

 アリサをこの場に残したまま、全員がフライアへと帰投する事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フライアに帰投すると感応種の討伐完了の一報が既に入っていたのか、いつもの帰投とは違った雰囲気はそこにはあった。元々、この極致化技術開発局は次代のゴッドイーターを導く為につくられた組織でもあり、またブラッドに関してはその最たる任務、すなわち感応種の討伐に対して期待されていた。

 だからこそ、その存在意義が改めて確認された事に、職員一同は喜びを隠すことは無かった。

 

 

「皆、感応種討伐ご苦労だった。今後はこの様な判断が多くなると考えられる。今後の事もあるが、一先ず休息してくれ。改めて任務があれば集合をかける。それと北斗、今回の件でシエルが話したい事があるらしい。疲れてる所すまないが、庭園に行ってくれ」

 

 完勝気分をそのままに、この任務に出る前にあった事が改めて北斗にのしかかっていた。元来北斗は人当たりは悪くないが、意外と人の好き嫌いが多い部分があった。

 パーソナルスペースが狭く、また半裸に近い格好のナナは違った意味で困る事があっても、今のシエルにどう対処して良い物なのか自身でも判断する事が出来なかった。

 

 何も無ければこのまま知らないフリで無視もできるが、呼ばれているのと同時に今は副隊長である上、そんな事が出来るはずもない。今だ対処の方法が見えないシエルに対し、そう答えれば良いのだろうか。見つからない答えを探しながら、北斗は足どりも重いまま庭園と足を運んでいた。

 

 

「副隊長、お呼びして申し訳ありません。実は折り入って相談があるのですが」

 

 突然の相談の言葉に、北斗は一体何の事なのか理解に苦しんだ。相談と言うからには何らかの考えがあっての事だろうが、さっきの今で何を思うところがあったのはシエル本人以外には分からない。だったら一通り話を聞いてからの方が良いだろうと判断していた。

 

 

「実は、先ほどの戦闘の件なんですが、私が予想したように一般的な規律に基づく様な連携は一切見られませんでした。…しかし、結果だけ見れば部隊としては能動的な動きを見せながら淀みなく運用されている様にも見えました。

 これではあくまでの個人力量によっての結果であって、集団での結果としてはそれが正しいとは考えにくいです。このままではこの部隊は近い将来に瓦解する可能性があります……ただ、これはあくまでの一般論にしかすぎません。今回の戦いで何か分かった様な気がします。もう少し、今後の事について考える時間をいただきたいのです」

 

 先の感応種との戦いで何か感じる事があったのかもしれない。確かに部隊運用と言った概念で考えれば及第点とは言い難い部分が多いのは北斗にも理解している。しかし、それは寄せ集められた烏合の衆であればの話であって、これが一個の確立した物であれば、その考えには当てはまらない事を知っていた。

 もちろん、それを口で伝え説き伏せるのは命令すれば簡単だが、それでは永遠に理解する事は出来ないのも事実だった。何よりも今後の事を考えれば、命令して抑えつければ即解決する。しかし、それではその先の未来が何も見えない事は容易に想像出来ていた。

 幾ら何でもこんな難しい事を新米の副隊長がしなくても良いだろうと考える部分もあったが、今はただ、自分が出来る範囲の事を優先する以外に何も出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら?こんにちは副隊長さん」

 

 考えながら歩いていたからなのか、エントランスではなく高層階に間違えて降り立っていた。気が付けば目の前には妖艶な女性が向こうから声をかけてきている。

 北斗の記憶の中で必死に誰だったかを探した結果、それがラケル博士の姉のレア博士である事が思い出されていた。

 

 

「感応種の討伐が完了したらしいのね。お疲れ様。……そういえば貴方、シエルと一緒に任務に出てたのよね?シエルの様子はどう?あの子ブラッドに溶け込んでいるのかしら?」

 

 何気に聞かれた質問ではあったが、今の北斗には難しい選択肢が迫られていた。下手なことを言えば心象が悪くなり、本当の事を言えば、とてもじゃないが何かあってもフォローを入れる事すら出来ない。どんな答えが正解なのか、あまりにも単純な問題の割には高度な回答が求められている様にも思えていた。

 

 

「そんなに考える必要はないのよ。ただあの子はちょっと複雑なの。元々は裕福な軍閥の出身だったんだけど、両親が亡くなったのを機にラケルに引き取られたの」

 

 この言葉で漸くシエルが何故ああなのかを唐突に理解した。しかし、それだけでああまで人間変わるのだろうか。普通ならばそうまで変わる事は無い。その中で一つの可能性が浮かび上がっていた。

 

 

「詳しくは分からないんだけど、マグノリア=コンパスで高度な軍事訓練を受けていたのか、大人でも音を上げる様な訓練が毎日されていたの。それこそ少しのミスで懲罰房に入れられたり、極限状態にまで追い込んだストレステストなんてしょっちゅうだったの。

 しばらくして彼女を見た時にはまるで忠実な猟犬かロボットみたいだったわ。それはあまりにも不憫だからとジュリウスの護衛にも着けてみたんだけど、任務に忠実すぎて友達なんて関係には程遠かったの」

 

「シエルの事はよくご存じなんですね」

 

「フフ…あの子とは私が一番話してからでしょうね。これからもシエルの事見てあげてね」

 

 レアはそう言い残すと自分の研究室へと戻ったのか、この場にはシエルの事情を唐突に聞かされ、どうすれば良いのかと悩む北斗だけが取り残されていた。

 

 

 



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番外編7 桜舞う頃に

 ネモス・ディアナの1件から交わされた調印により、極東支部以外にもここネモス・ディアナにゴッドイーターの姿を見かける機会が多くなりつつあった。

 

 調印の内容は直ぐさま実行された事もあったのか、それとも神機兵への拒絶がそうさせたのか、派遣されたゴッドイーター達はアリサ達が初めて来た頃よりも意外と反応は穏やかな物だった。

 

 

「お前ら、そんなに大荷物でどこ行くんだ?」

 

「タツミさんこそ、こんな所でサボリっスか?ちゃんと仕事して下さいよ」

 

 輪番で極東から派遣されていたのは第2部隊長の大森タツミだった。ここに来た当初は、どこか余所余所しい感じではあったが、従来の話しやすい人柄からなのか、短時間の内にここの住人と打ち解けていた。

 

 

「あのなぁ。ここは巡回区域だから居るのは当然だ。で、それよりもこんな大人数で宴会でもするのか?」

 

 タツミが疑問に思うのは無理も無かった。見れば大よそ20人前後の住人がそれぞれに何か大きな荷物を持っており、その中の一人は酒瓶を持っていた。

 

 

「この先に、桜が植えてあるんですよ。ちょうどここ数日の気候で咲いたみたいなんで、折角だから花見に行こうって話だったんですけど」

 

「ここに桜が植えてあるのか?へ~アナグラでは見た事無かったんだけどな」

 

 この時代に桜が植樹されているのは極めて珍しいと考えられていた。オラクル細胞の捕喰は何も人類だけが対象ではなく、生きとし生ける物全てが対象だとばかりに考えられていた。

 

 そんな中でも生活に直結する物は真っ先に保護の対象となっていたが、花を代表する様に、嗜好品や食料以外の保護は常に後手後手になっていた。当然タツミも存在は知っていたが、それはあくまでの過去の記憶。即ちノルンの内部にあるアーカイブで確認していただけだった。

 

 

「この先にここが出来た当初に植樹されたみたいで、ここ数年はパッとしなかったんだけど、今年に入ってから漸く満開の近い状態で咲くようになったんっスよ」

 

「マジか。一度は見てみたいんだけどな……ああ。でも、これからまだ行く所があるからな」

 

「じゃあ、巡回終わってからならどうです?」

 

「そうしたいんだけど、今日はこの後アナグラに戻らなきゃダメなんだよ。これでも部隊長だからな」

 

「へ~タツミさんも大変っすね。そんなんじゃ彼女も居ないんじゃないんです?」

 

 何気に言われたが、こんな話は中々住民とする機会が無かったのか、それともこれから宴会に向かうからなのか、どこか何時もとは違った空気が流れている。何気に言われたその一言がタツミの何かに火をつけていた。

 

 

「俺だってちゃんといるぞ!ヒバリちゃんって言ってアナグラの中では俺の女神なんだからな」

 

「えっ?その人って、ちゃんと3次元の人なんですか?まさか俺の嫁って2次元の人じゃないですよね?」

 

「あのなぁ……」

 

「冗談ですよ。確か同じ名前で竹田ヒバリさんって人が居るのは広報誌で何度か見た事ありましたから……まさか、その人なんですか?」

 

 これまでに何度か広報誌にアリサやリッカ達と同様に載っている事はタツミも知っていた。人知れず手に入れたヒバリが出ている広報誌はタツミの持ち物の中でも上位に入る物でもあり、時折こっそりと見ている事は秘密だったりもする。

 

 

「他に誰が居るんだ?」

 

「…マジっすか?今度ここに連れてきてくださいよ。後生ですから」

 

「お前らに見せたらヒバリちゃんが穢れるだろうが」

 

「タツミさん。それ酷くないですか」

 

 言葉だけ聞けば住民との会話は酷い物だが、笑顔で言われれば単なる世間話にしか過ぎない。このまま話していても良いのだが、お互いに今後の予定もある事からこの場を離れ、通常の業務へと戻っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「タツミさん。今回の巡回のレポートなんですが、今週中にお願いしますね」

 

 アナグラへと帰ると、そこはいつもの日常が存在していた。ネモス・ディアナは女神の森の名に相応しく、その特性上として農業や食料に関するプラントがいくつか存在していた。また、その恩恵がある事からも道端には生花が、街路樹にも果実が成る様な物が幾つも植えられている。そんな所から来ると、どうしてもアナグラはどこか味気ない様な雰囲気があった。

 

 

「そういえば、ネモス・ディアナには桜が植えてあるんだってね。今日そんな話を聞いたんだけど」

 

「そうらしいですね。私も直接見た訳ではありませんが、アリサさんの話だとかなり前から植えられているとか言ってました」

 

 話としては聞いてはいたが、直接見た事はヒバリも無かった。確かにネモス・ディアナまで行けば、見れない事は無いのかもしれないが、このご時世に個人の要件でおいそれとヘリを使う事は出来ず、精々が画像として残す程度しか出来なかった。

 

 

「俺も巡回じゃなきゃ見れたんだけどな。向こうは花見をするって言ってたかな」

 

「お花見って確か桜を見ながら宴会をするんですよね?」

 

「らしいね。宴会はともかく、一度は見てみたいのは間違いないかな」

 

 そんなとりとめのない話で盛り上がる頃、休憩とばかりにリッカとナオヤがラウンジへと足を運んでいた。恐らく休憩がてらなのか、新型兵装の初期整備が完了すれば今度はその習熟度を高める作業へと移る。未だゆっくりと出来ない日々が続いていたからなのか、その顔には疲労感が滲んでいる。以前にリッカから聞かされていた事を思い出していた。

 

 

「何だか楽しそうな話をしてたみたいだけど、何の話?」

 

「実はネモス・ディアナで桜が咲いてるみたいで、一度は見たいなんて話をしてたんですよ」

 

 楽しく話をしているのを見たリッカがどんな内容なのかと首を突っ込む。話の内容は桜の話だと分かり、リッカもヒバリと同じ様な反応を示していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「桜ね。私も見た事は無かったな。外部居住区にも確か無かったよね?」

 

「そうですね。今の所そんな話は聞いた事が無かったですね」

 

 綺麗な花を咲かせるのは知っていたが、やはり直接見た事はなく、どんな物なのか期待だけは高くなっていた。

 

 

「花見か。一度はやってみたいなぁ」

 

「おや、リッカ君。今花見って言葉が聞こえたんだけど、何か関心でもあるのかい?」

 

 リッカの言葉にいつの間にか榊が話に加わっていた。やはり業務にひと段落が付いたからなのか、気分転換の為か珍しくロビーに姿を表していた。

 

 

「ネモス・ディアナで桜が満開って話だったんですけど。そう言えば、アナグラにはそんな話は無いんですか?」

 

「…実はその計画が出ては居るんだが、今の所は何かと問題も多くてね。目下検討中と言った所なんだよ」

 

「そっか……残念だな」

 

 榊の言葉に僅かな希望はあったものの、出来る事ならば今見たい気持ちがあった。仮に今植樹しても見れるのはこれからまだ数年先の話。そんな先の見通しでは今のこの欲求を満たす事は不可能だった。

 

 

「あら、リッカちゃんは桜が見たいの?」

 

「弥生さん。リッカちゃん呼びは出来れば止めてほしいんですが…」

 

「桜なら屋敷にも咲いてるわよ。多分、今日か明日辺りが見ごろじゃなかったかしら?」

 

「屋敷には植えてあるんですか?」

 

「元々当主が山に生えていた原生林の中から保護してたから、それを接ぎ木して本数を増やしたのよ」

 

 榊以上に当たり前の様に弥生が会話に入り込む。まさかとは思うが、どこかやっぱりと言った感覚がそれぞれにあった。ネモス・ディアナにしかなかった桜は案外と身近な所に存在していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これ全部桜なんですか…想像以上に綺麗ですね」

 

「ああ。俺も初めて見たけど、これは想像以上だ」

 

 ヒバリとタツミが感嘆の声を上げたのは無理も無かった。当初は数本程度しか無いと思われていた桜だったが、予想を超える本数が植えられており、花霞と呼べるほどの様子にそれ以上の言葉は出なかった。弥生が見ごろだと言う様に、ほぼ満開とも取れる桜が咲き誇る光景はある意味幻想的とも取れていた。

 

 これはタツミ達だけではなく、ここに来たゴッドイーター全員がそうだと思える程に圧巻だった。その桜の木の下には既に連絡が入っていたのか、屋敷の人間が何かと動きながらに準備をしている。どうやら食事の用意がされている様だった。

 

 

 

 

 

「やっぱりこうなったか」

 

 ロビーでの話は瞬く間に広がりを見せていた。巡回でネモス・ディアナに赴任した人間だけではなく、花見の話を聞きつけてきたからなのか気が付けばそれなりの人数が集まっていた。日々の激務からすれば、こんな出来事は一服の清涼剤となると考えていたのだろうか。それこそ気が付けばかなりの人数に膨れ上がっていた。

 

 

「やっぱり皆さんも見たいんですよ」

 

「俺はヒバリちゃんと2人で静かに見たかったんだけどな」

 

「今回は仕方ないですよ。次の機会にまた見たいですね」

 

 花見の話が出てからと言うのも、その後の計画の立案は素早かった。どこからか聞きつけたのか、コウタが音頭を取り、すぐに参加人数の調整がされていた。

 

 場所が場所なだけに行ける人数は限られてくる。人数の調整には思いの外難航していた。

 しかし、今回は少人数である事が前提だった為に、次回に期待をしつつそれなりの人数が参加する事となっていた。人数が決まれば今度は食事の準備とばかりに屋敷でも人数分の花見用に作られた弁当類が所狭しと並べられていた。

 

 

「これが極東における侘び寂びの精神なのか!僕は今猛烈に感動しているぞ!」

 

「ちょっとエミール。こんな所で騒がないでよ。…でも、こんなに綺麗な物だなんて知らなかった」

 

 青空と桜のコンストラストが見る物全ての目を奪うべく咲き誇っている。この景色はアナグラの人間だけではなく、ここにいる全員が初めてと言っても過言ではなかった。

 

 

「ソーマ。どうだすごいだろ~」

 

「ああ、ここまでとは思って無かったからな。シオも綺麗だと感じるのか?」

 

「きれいだぞ~」

 

 ソーマ達を出迎えたのは新調した浴衣を着たシオだった。この時期に合うような白地に桜の柄を意識したデザインはソーマだけではなく、アリサやコウタまでもが驚く程によく似合っていた。

 

 

「シオちゃん。その浴衣は新しくしてもらったんですか?」

 

「アリサ。にあうか?」

 

「もちろんですよ」

 

 新調した浴衣が似合うのを褒められた事が嬉しかったのか、シオはずっと機嫌が良いままソーマの隣に座っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここまで増やす事が可能だとはね……この品種は案外と大変なんだよ」

 

 今回の花見は珍しく榊までもが参加していた。桜の木が珍しいのだろうか、そんな榊の発言はある意味感嘆とも取れていた。

 

 

「この桜は山間の深い部分に偶然原木が残っていたのを上手く活かしたんですが、まさかここまで短期間で綺麗に咲くとは思ってませんでした」

 

「接ぎ木で増やすと言っても大変じゃなかったのかい?」

 

「これに関しては、うちにも偶然専門の人間がいましたから予想以上の結果ではないかと。まぁ、ここに居る連中はそんな事は関係無いのかもしれませんが」

 

 桜の起源はともかくとして、恐らくここに居る連中はそんな高尚な考えは微塵も無い可能性が高い。無明の言葉をそのままに、桜の周囲には桜を見るよりも、何となく騒いでいる比率の方が格段に多かった。

 

 ここ最近は中々ゆっくりとした時間を取る事がかなり難しく、また時折現れる感応種に極東支部としても手を拱いている状況があった。そんな事も勘案した結果が今回の花見となっていた。

 

 

「そう言えば、リンドウ君達もそろそろ一旦戻ってくるらしいね」

 

「そうですね。エイジも神機の整備の問題もあるのでしょうが、今回の遠征は当初の予定よりも幾分か日程がオーバーしてましたから、ここで戻るのも得策でしょう」

 

「まだ黒蛛病の対策は進んでいないんだが、これもどうしたものか…」

 

「確か、ネモス・ディアナで療養していたマルグリットはまだ存命でしたよね」

 

「彼女の事か…恐らくはゴッドイーター故に身体能力が高いからなのか、一般人に比べれば何とか小康状態を保ってはいるんだけどね。未だ打つ手が無いままと言うのも困ったものだよ」

 

 現場では感応種の対策に追われていると同時に、榊は黒蛛病の対策に追われていた。確かに関連性に対しての発表はしているが、赤い雨とアラガミの襲撃のタイミングによって罹患する患者の後が絶たないのは頭の痛い事実でもあった。

 

 発症してから死亡までの時間も変わらず、致死率は100%のままだった。未だ解決が見えない対策に、流石の榊も疲労感を隠す事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサ~どうしたんだ?げんきないぞ」

 

「そんな事ありませんよ。私は元気ですから」

 

「シオ、アリサはエイジが居ないから残念に思ってるだけだから、気にしない方が良いぞ」

 

「そっか~アリサはエイジがいないとダメなんだな」

 

「ちょっとコウタ。何をシオちゃんに吹き込んでるんですか。そろそろ怒りますよ」

 

 皆がはしゃぐ中で、シオの言葉がそのままアリサに直撃していた。確かにこの景色を一緒に見たいとは思っていても、肝心のエイジは未だ本部にいる。時期的にはそろそろ帰ってくる頃ではあるが、それでもこの場に居ないのは残念に思っていた。

 

 

「でもさ、皆で集まるのは久しぶりじゃん。ここ最近は結構な出撃率だし、ソーマだって出ずっぱりだろ?気分転換には丁度良いんじゃないの?」

 

「そうだな。ここまでリラックス出来たのは久しぶりかもな。そう言えば、あいつらはそろそろ戻ってくるらしいぞ。さっきオッサンがそんな事言ってたがな」

 

「ソーマ。それ本当ですか?嘘じゃないですよね?」

 

「あ、ああ。それは間違いないみたいだ」

 

 突如として聞かされた情報に思わずアリサがソーマに詰め寄る。やはり口では強い事を言っても、元第1部隊の人間にはバレバレなのは今更だった。既にアリサは何か考えているのか、いつもの様な勢いは感じる事が出来なかった。

 

 

「そうだ。今回のキッカケとなったタツミさんはどこに居るんだ?」

 

 遠目で見れば、タツミとヒバリが並んで桜に見惚れているのか、お互いが寄り添い、何か楽しげな雰囲気がここからでもすぐに分かった。隙間無く寄り添うその姿はどこか様になっている様だった。

 

「コウタ、タツミさん達の邪魔しちゃダメですよ。あっちも久しぶりに会ってる様ですから」

 

「何だよ、本当はアリサも羨ましいだけじゃないのか?」

 

「コウタは一度馬に蹴られた方が良いかもしれませんね」

 

「なんだよそれ!そうだ!エイジにも写真でこの景色を送ろうぜ」

 

 それぞれが色々な思惑を持ちながらにも、満開に咲いた桜を楽しんでいる。まるで何かを演出するかの様に桜の花びらが時折舞い散っている。今、この一時がいつまでも永く続く事を願いながら、時間だけがただ過ぎ去っていた。

 

 

 




タツミとヒバリの物語を作ったはずが何故かこんな展開になりました。
時期的にはそろそろフライア組も極東へと合流するはず。

今後ともよろしくお願いします。




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第126話 シエルの考え

 感応種の討伐任務から数日が過ぎていた。

 あの戦いがキッカケとなったからなのか、以降、大きなミッションが入る事もなく、何時もの様に日課とばかりに北斗は一人訓練に励んでいた。通常であれば個人的な動きをメインとする事が多かったが、今後の立場を考えれば、あらゆる面での判断を瞬時に下す必要性が出てくる。まだ隊長にジュリウスが居る為に直接的な指揮を執る場面に出くわす事は無いが、それでも指揮を執るとなれば部隊の命を預かる事になる。本来であれば指揮系統や戦術論を学ぶの筋ではあるが、元来より部隊の指揮をするよりは、現場で神機を振るった方が早いからと、今回は珍しくシミュレーターを使用した訓練に励んでいた。

 

 

「フランさん。今度は3体同時でお願いします」

 

「これ以上はオーバーワークになります。一旦休憩してからではどうですか?」

 

「身体が一番厳しい時にどこまで動く事が可能なのか検証したいんだ。ここで休憩したら無意味になる。すぐに頼む」

 

「……分かりました。ただし、このシミュレーターでの訓練はこれが最後とさせて頂きます。途中で疲労感から動きが鈍くなっても同様とさせて頂きますので」

 

 いつもならば強く言えば、北斗は折れる事も多かったが、今回の限界値による機動の検証には頑として譲る気配が無かった。恐らくは3体同時にするのは今後乱戦になった際にどこまで動く事が可能なのかが知りたいと言った欲求から来ている事はフランにも理解出来ていた。

 しかし、ここまでに至るまでの内容が余りにも酷過ぎた。幾らシミュレーターだと言っても、疲労が溜まれば満足に動く事は困難となり、その結果として普段の動きにまで大きく影響が出る可能性が高い。そうなれば、今後の運営にも大きな影響が出るのであれば、立場を考えれば今すぐにでも止めさせたい衝動がフランを何度も襲っていた。

 

 

「フランさん。副隊長はどこに……ここでしたか。今は一体何を?」

 

 捜していたのかオペレータールームにシエルが入ると、目の前にはひたすら訓練に励む北斗の姿が確認されていた。既に予想通り疲労感が確実に出ているのか、動きは最初に比べればかなり鈍い。

 何も知らない人間だったとしても、ここまでやる必要性は無いだろうと思える程の内容に、シエルはただ見ている事しか出来なかった。

 

 

「シエルさん。どうかされましたか?」

 

「いえ、少し副隊長に用事があったのですが……随分と動きが悪い様ですが、何かトラブルですか?」

 

 シエルの言葉が詰まるのは無理も無かった。普段のミッションからは考える事が出来ない程に動くが鈍く、また疲労感から来る集中力の低下がさらに拍車をかけるのか、普段からは考えられない程にパフォーマンスが低下している。

 

 今のシエルの目には何故?と言った疑問しか出ないのだろう。事実、何のトラブルも無いのであれば原因は最早分からない。だとすれば、最初から一緒に居たであろうフランに確認するのが手っ取り早いと考え、確認することにしていた。

 

 

「随分とパフォーマンスの低下が見える様ですが、一体どの様な訓練を?」

 

「宜しければシエルさんからも言って下さい。訓練開始から今までに一度も休息を取らずにひたすら対アラガミのシミュレーションを繰り返してます。因みにこれが今回のログです」

 

「これは……」

 

 フランから提示されたデータを見て、普段は表情が硬い事が多いシエルでさえも驚きを隠せなかった。

 既に討伐数は30を超え、今尚繰り返し訓練を続けている。このままでは戦う前に倒れてしまうのではとも思える程の内容でもあった。討伐内容も小型種は比較的少なく、対象となっているのは中型種がメインとなっている。その結果からすれば、この状況は無理も無かった。

 

 

「お疲れ様でした。今日は予定通りこれで終了とします」

 

「付き合ってもらって悪かったね。今度何か奢るよ」

 

「いえ。これもオペレーターとしての業務ですから」

 

 フランとの軽口を言いながらに北斗は隣にシエルが居たのを確認していた。確か今日は緊急時以外のミッションは無かったはず。だから今回の様な訓練をしていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「時間をいただいてすみません。実は私なりに思う所があったのですが、その前に確認したい事があります。あの訓練は私が提案していた内容を遥かに超えた内容だと判断しました。先日言ってた事と何か関連性があるのでしょうか?」

 

 庭園の中にある四阿(まずまや)で休憩とばかりに腰を下ろすと、何か考えていたのかシエルが色々と確認したい様な顔で話してきた。あの訓練方法を見れば誰もが理解に苦しむのは間違いない。事実、一番最初にフランに言った際にも理解される気配は無かったのを無理矢理強行していたからだった。

 

 

「前にも聞いたけど、あの訓練メニューは誰かから聞かない限り、普通は考えないやり方なんだ。多分シエルが言ってた戦闘術の教官は自分の経験で判断したんだと思う。しかも特殊な形でね」

 

 北斗が言いたい事がシエルには理解出来ない。しかし、ここで区切ればこれ以上話す事は無いだろうと判断したからなのか、口を挟む事なく全部を確認してからの方が良いだろうと判断していた。

 自分自身は疑問にも思っていなかった内容でも、他人からすればそうでは無いのかもしれない。何を基準に判断したのかは分からないが、今は北斗の言葉をただ聞く事にしていた。

 

 

「人間ってのは不思議なもので、自分で限界値を決めるとそれ以上はどうあがいても超える事は出来ない。だとすれば、今後その人間の成長は見込めなくなる。そうなればプラスに働く事は何一つ無いから、あの訓練を課す事で、限界値を取っ払って上を目指せるんだ。シエルの目にはブラッドの運用は何かが足りないと感じたからあの内容を考えたんじゃないの?」

 

 北斗の言葉にシエルは改めてこうなった経緯を考えていた。確かに北斗が言う様に、今のブラッドは何かが足りないと思えたのは事実だった。何故と言われれば言葉に詰まるが今のシエルにそれを言語化する事は出来ない。何かしらの理由が無ければ人間は動かないのもまた事実。目の前の気になる部分に集中しすぎたからなのか、北斗の質問に能動的に頷いていた。

 

 

「そうですね。今思えばそうかもしれません」

 

「これは自分の推測なんだけど、恐らくは血の力が覚醒する前提で作られた部隊ならば、それに順応する事が一番なのかもしれない。だとすれば規格通りの訓練は間違いって事になる」

 

「しかし、現に副隊長は今それをやっていたのでは?」

 

「これは日課だから関係ない。でもやった事が無い人間なら確実に壊れるだろうね」

 

 今の北斗の目には反論すら許されない程に力強い視線が存在していた。可能性を考えれば今よりも上の高見を目指すのはある意味当然だが、それを完全に否定している。今のシエルは当時北斗から言われた事を思い出していた。

 

 

「そうですか……本当の事を言えば、私はここに来てから今まで培ってきた事が全く役に立っていないと考えていました。事実、この部隊は規律を重んじる事無く各自が考え、かつ有用的な行動をしています。アラガミは人間からずれば尊大な生物だと考えた時に、非力な力でも集団となって立ち向かうと考えてきました。しかし、今の考えだと集団は必ずしも有用的なのかすら判断し兼ねています」

 

「シエル、強い集団ってなんだろう?」

 

 相談したい事があったはすが、気が付けば自分の疑問点を北斗に話している。本来ならばこんな事を話すつもりは無かったが、気が付けば自分の疑問をただ正直にぶつけている様にも思えていたからこそ、北斗の質問の意図が分からなかった。

 

 

「集団ですか?……難しい定義ですね」

 

「難しく考える必要は無いんだ。ただ…」

 

「あっ!北斗!ここに居たんだ。約束してた新しいおでんパンを開発したんだけど、一緒に食べない?」

 

 シエルとの会話を破ったのはナナだった。どうやら新作のおでんパンが出来たのか、試作を食べるべく捜していたようだった。

 

 

「ごめん。この話はまた今度!」

 

 手を合わせ、すまないといったポーズを取りながら北斗はナナの元へと走り去っていたいた。先ほどの北斗の質問に対して、果たして自分は確固たる答えを出すことができたのだろうか?未だ迷いの森を彷徨う様な感覚がシエルの思考を支配していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり慣れない事はするもんじゃないよ」

 

「誰もが最初から経験がある訳じゃないんだ。これからはもう少し戦略面を考えると良いだろう」

 

 最近になってからジュリウスと北斗は何かと話し合いをする場面が多くなっていた。部隊を預かるにしても北斗は元から戦術を学んでいる訳では無い。アラガミち対峙しながらその行動を読み解くかの様に指示を出す事が殆どだった。臨機応変に戦う事は決して悪いとは言わないが、かだらと言って良いとも言えない。今のままでは想定外の事変が起こればアラガミの餌食になる可能性がたかい。だからこそジュリウスもその事について北斗を促していた。

 

 

 

 

 

 その後も何度かミッションが入った事で、先日の話の続きをする事が中々出来なかったが、これまでのブラッドの運用をシエルはまた違った一面から再び考えていた。確かに動きそのものは未だぎこちないが、一点集中の際には誰からも言われる事無くスムーズなチームワークを見せ、また各個撃破も各々が自分の裁量で取り仕切っていた。

 今まで考えていた戦術には全く当て嵌まらない事が更にシエルを悩ませる。これ以上考えても無意味だと判断したシエルは思い切って北斗に再び話す事にしていた。

 

 

「何だか久しぶりの様な気がするね」

 

「そうですね。暫くは慌ただしい内容が続きましたので……」

 

 呼び出された北斗は今度はどんな要件なのか一切思いつかない。どことなくシエルの様子が変だとは思うもそれを口に出す事無く、次の言葉を待っていたが一向に話す気配が感じられない。

 沈黙の時間が長く続いた様にも思えていた。

 

 

「あの……ここ数日のミッションの内容を私なりに検証しました。その結果なんですが…どうやら副隊長が中心となって皆さんが動いている様にも見えました。これは私の推測なんですが、副隊長を中心に皆さんが繋がっているのではと」

 

「それはシエルの思い違いだって。多分、新米の副隊長だから皆が気を使ってくれるからそう思うだけであって、そんなに買い被る必要は無いと思う。実際にはジュリウスが現場を仕切っているから自分も好き勝手に動けるだけだ」

 

「あの時の質問の答えを教えてくれませんか?それで何かがハッキリと分かる気がするんです」

 

 シエルの言う質問はあの時の話だと北斗は直ぐに理解した。何をどう考えているのか分からないがそれを答えればシエルなりの判断が出来るのかもしれない。そう考えて改めて口を開いた。

 

 

「考えは色々とあるかもしれないが、自分の中での強い集団は強くなろうとする個人の集まりだと思う。誤解の無い様に言えば、各自がしっかりとした判断を下せるならば、それは一つの生き物と同じ様に行動できる。その結果が集団となると考えているんだ。だからこのブラッドには規律を求める必要は無いんだと考えてる」

 

 北斗の考えている事がここで漸くシエルにも理解出来た。今までの行動パターンから、恐らくはそうだろうと考えていたが、やはり根底にある考えが理解出来なければその回答にたどり着く事は難しい。

 仮定の答えが自分と同じ考えだった事にシエルは喜びを感じていたのか、無意識のうちに笑顔が浮かんでいた。

 

 

「どうかした?」

 

「いえ。副隊長の考えが今、理解できた気がします。それでではないんですが…」

 

 少しの笑顔がこぼれたかと思えば突如として真剣な表情へと変わる。これから一体何が起こるのだろうか。真剣な表情で言われれば、こちらも警戒感が出てしまう。今のシエルには何かを決意したかの様な表情に見えた。

 

 

「あの………私と友達になってくれませんか?」

 

「え?」

 

「ご迷惑でしたか?」

 

 北斗が考えていた物とは違い、斜め上の言葉に思わず呆気に取られたのか間抜けな声が出ていた。

 真剣な表情で友達だなんて事を今までの人生の中で言われた事は一度もない。あまりに真剣な表情から出た言葉はあまりにも唐突過ぎた。

 

 

「ごめん。そんなつもりじゃなくて、もっと何か特別な話かと思ったから驚いただけだから」

 

「私の中ではかなり特別な内容だと思っていたんですが…実は、私は今まで友達と言う関係についてよく分かって無かったんです」

 

「はあ……」

 

 以前にレア博士から聞いていた話が蘇る。シエルは元来からこんな気質ではなく、幼少時からの訓練の結果今に至っていた。その途中ではジュリウスの警護も任務として受けてはいたが、やはり立場を考えれば友達と言うには厳しい物が存在していた。

 

 

「今回の件で私も友達が出来れば他に考えている人の気持ちが分かるのではないかと考えています。あの……できれば……これからは名前で呼んでも良いですか?」

 

「名前って…皆も名前呼びだから、それこそ今さらだ。…じゃあ、これからも宜しくシエル」

 

「はい!宜しくお願いします副隊……いえ。北斗さん」

 

 今回の件が何かのキッカケになったのか、それ以降シエルの雰囲気が柔らかくなっていた。未だ刺々しい部分はあるが、それでもここにきら当初に比べれば格段の変化ともとる事が出来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だか最近、北斗とシエルちゃんがいつも一緒に居る様に見えるんだけど」

 

 唐突の始まったナナの言葉にその場にいたロミオが一体何の話なんだとナナへと視線を向けていた。

 

 

「何を突然言い出すんだ?」

 

「ねぇロミオ先輩。最近、北斗とシエルちゃんがよく2人で動いている様に見えるんだけど、何か知ってる?」

 

 何を考えた結果でそう思ったのか、今のロミオに言わせれば、突然振られた話に理解が追い付かない。確かに一時期シエルが他のメンバーに比べて浮いてる様に見えたのは、まだ記憶に新しいが、とあるミッション以降2人が急に一緒に行動する機会が多くなったのを思い出していた。

 

 

「そりゃあ副隊長なんだからやる事が沢山あるだろうし、実際に何かしらの指示が出てるなら仕方ないんじゃないのか?ジュリウスからもコンセンサスを重ねる様にって言われてるんだし」

 

「それは…そうなんだけど。今までは色々と一緒にやってきたのに、ここ最近はあんまり話す機会も無かったからちょっとね」

 

「だったら、これから北斗の所に行けば良いんじゃないのか?」

 

「でも…用事も無いから……」

 

 突然言われた事はどうやらここ数日の間、ナナが単独で居る事が多くなったからの考えである事は何となくロミオにも想像が出来ていた。確かに副隊長になってからの北斗は多忙を極めているのか、ここ数日はエントランスに顔を出す機会が減っていた。

 普段何気なく話していた人間がここに居なければ確かにナナが言う通り、少し変だと考える位は仕方ないのかもしれなかった。

 

 

「だったら、俺も一緒に行くよ。何やってるのか興味あるからな」

 

 ロミオの言葉がキッカケとなり、2人は改めて北斗が居るであろう場所へと移動する事にした。

 

 

「お~い。北斗、何してんだ?」

 

 当初は訓練室かと思われていたが、ここには既に居ないのか他の場所を彷徨っていた。フライアは見た目にそぐわない程の設備が色々と揃っている関係上、可能性を考え、一つずつ部屋を捜索していく。

 時間がそれなりに経過ぎた頃、ヨロヨロとした北斗が向こうから歩いてきていた。

 

 

「あれ?2人ともどうしたんです?」

 

「それはこっちの台詞だ。今までどこに居たんだ?」

 

「ちょっと資料室で、これまでの事を確認するのに本を読み漁ってたんですよ。取りあえず今日はこれで終わりますけど」

 

 この言葉でどうやら戦術に関する何かを勉強していたのか、慣れない頭脳労働に北斗もげんなりとしていた。北斗も基本的には本を読む事は嫌いではないが、短時間で沢山の情報量を一気に詰め込むのはかなり厳しかったのか、普段の訓練よりも疲労感が色濃く出ていた。

 

 

「ひょっとして、今までずっと勉強してたの?」

 

「まあ、勉強って程じゃないんだけどね。ただ、これまでの大がかりな作戦が色んな支部で展開されてきたから、その内容と結果からどうするのが最適解なのかシミュレーションしたりしてたんだよ。でも、結果的には内容が特異過ぎて使えないなんてケースが大半だけどね」

 

「副隊長になると大変そうだね~。ロミオ先輩はならなくて良かったんじゃないんです?」

 

「あのなぁ、俺だって戦術関連の本はこれまでにいくつか読んだ事位あるぞ。暇だからって遊んでる訳じゃないんだからな」

 

 何か思うところがあったのか、内容を聞いて少しだけうんざりとした部分があったのを考えながらも、よくもここまでやってるもんだと呆れ半分で話を聞いていた。そんな中で背後から北斗を呼ぶシエルの声が聞こえていた。

 

 

「北斗。取りあえず、今後はこの内容を活かす方向で考えてがどうでしょうか?」

 

「そうだね。でもある程度の部分までは分かるけど、相手はアラガミだから臨機応変に考える柔軟性は必要だろうな」

 

「しかし、それでは万が一の際の統制が取れなくなる可能性があります」

 

「それこそ、本末転倒になる元だよ。人間の思考とアラガミの思考は違う。本能で動くのであればそれを逆手に取る方が効率は良いはずだ」

 

 どうやら今までシエルとこんな戦術論議をしてたのだろう。命令を一本系統にするとなれば、現場での判断は事前の打ち合わせと変わった場合の戦術を改めて構築する必要性があった。

 

 お互いの言いたい事は理解できるが、それぞれの考えが違う以上、こうなった場合の衝突は避けられない。恐らくはこんなやり取りが今まで行われて来た事だけは2人も理解出来ていた。

 

 

「…分かりました。今後はそれを考えて作戦を考えたいと思います」

 

 口では何かと対立している様にも見えるが、それでもお互いに一定以上の信頼があるのか、険悪な雰囲気はそこには存在していない。確かに自己紹介の際には戦術面での話が出ていたが、ここまでハードになるとは誰も考えていなかったのか口に出すことは無かった。

 

 

 



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第127話 試験運用

「今回、何でここに呼ばれたんだ?」

 

「さあ?北斗が知らないのに私が知ってる訳無いじゃない」

 

 ラケルからの呼び出しで、ブラッド全員が高官用の部屋へと通されはしたが、ここには他にクラウディウス姉妹しかいない。ナナに確認とばかりに聞いたものの、正論を言われた事で今は現状を見守る事しか出来なかった。

 今まで呼び出される様な失態は無かったはず。これまでの行動を思い出しながらもこの部屋の主であろう人間を待つ以外には何も出来なかった。

 

 

「まだそんな事を言ってるのか!一括受注するからこそ高い利益率が出る位、子供でも分かる理論だろうが!ライバル企業?そんなものは妨害してでもこちらに誘導させろ!こんなくだらない話をする前にライバル企業の情報を収集しろ!無駄飯食う暇があるならさっさと動け!」

 

 何となく聞いた記憶があった様な野太い声が鳴り響く。話をしながら部屋へと来たのはここの総責任者でもあったグレム局長だった。

 

 

「まだ一括受注に拘っているのですか?」

 

「当然だ。巨大な資本を投下している以上、それを回収せねば意味が無いだろう。無能な部下を持つと苦労する」

 

 話の意図は見えないが、何らかの事業としての話をしていた事だけは理解出来ていたものの、それと今回の呼ばれた内容が一致しない。それよりも北斗としては早く本題に入ってほしい位にしか考えていなかった。

 

 

「ラケル君。どうしてこのフライアを極東支部へと向かわせているのか、その理由を教えてくれ」

 

「グレム局長。このままですと神機兵の運用データが足りないのと同時に、本部からも難癖をつけられる可能性があります。これ以上の数字となれば極東支部周辺でのアラガミのデータを蓄積する事に最適です。一定以上の成果が出せるならば、本部も無碍にはしないのでは?」

 

 神機兵とは一体何の事なのか?北斗の記憶の中では神機兵の言葉に対する答えが見つかる事は無かった。話を聞くにつれ、おぼろげながらに事の流れが何となく理解出来ていた。

 

 

「先程のお言葉ではありませんが、多額の資本注入をした物が無になるのであれば、事前に有用なデータを取りそろえた方が上層部に対しても得策だと考えています。有用なデータは神機兵の消耗率の減少にも役立つでしょうし、結果的にはコスト面でも何かと良いのではないかと」

 

「しかしだな…」

 

「極東支部には葦原ユノ様がいます。彼女の発言力は本部でもかなり有効な物ではありませんか?今後の事を考えれば、何かしらの助力があれば幾ら本部と言えど無視は出来ないはずです」

 

 

 ラケルのコスト面と、レアのユノの発言に反応したのか、突如としてグレムは何か手を動かしながらに考え出していた。恐らくは収益面での算段をしているのか、既にこの場に居るブラッドの存在を無視したかの様に考え出していた。

 

 

「ラケル博士。話の途中で申し訳ありませんが、我々に召集がかかった経緯を教えて頂きたいのですが?」

 

 呼ばれた事を忘れていたかの様な振る舞いを面白いと考える様なメンバーはこの場には誰一人居なかった。こんなくだらない内部の話はアラガミの討伐と何ら関係が無い。ジュリウスが何も言わなければ、北斗が何か途轍もない事を言い出すのは時間の問題でもあった。

 

 

「ごめんさないねジュリウス。話は今聞いた通りです。フライアはこれから極東方面へと進路を変更します。その際に、現在私達が勧めている神機兵についての性能実施プログラムの更新と新たな構築をします。その為に貴方方に来てもらったんですよ」

 

 静かに決定事項を話すラケルはどこか他人事の様にも見えていた。自分達が進めている計画の内容が本来であれば全てだと考える事が出来るが、今の話の口調ではどこか他人事の様にも見える。何はともあれ、これから極東に行くことだけは間違い無かったんだと感じていた。

 

 

「ラケル君。本当に実効データは取れるんだろうな?」

 

「ええ。勿論ですわ。今ならば神機兵だけではなくブラッドも実力が出てきていますから、お互いに損になる様な可能性は極めて低いでしょうから」

 

「そうか……分かった。ラケル君、今日中に申請の稟議書を回してくれ。それと、こいつらにも神機兵に関する知識を改めて入れておいてくれ。何も知らないままで壊れたでは困るからな。細かい部分に関してだが…九条君はいるか?」

 

 呼ばれた事で、新たにほっそりとした白衣を着た男性が部屋へと入ってくる。この場にいる両博士を差し置いて言う位であれば、恐らくは神機兵を開発しているのだろう。どことなく覇気の無い顔が妙に印象に残っていた。

 

 

「どんな要件でしようか?」

 

「こいつらに、ここで開発している神機兵についてレクチャーしておいてくれ。何かがあってからでは遅いからな」

 

 九条と呼ばれた男性が改めてこちらを見ながら挨拶をしてくる。詳しくは分からないが一先ず話を全部聞いてからだと北斗達は考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レア博士、貴女はなぜ無人運用にそうまで反対するのですか?」

 

「反対ではなく、時期尚早だと申し上げてるんです。グレム局長もなぜ許可を出されたのですか!」

 

 改めて呼ばれた矢先にレア博士と九条博士の対立が目に飛び込んでくる。任務帰りも相まって、こんな所で話を聞くつもりは毛頭ないが、それでも立場上は逃げる訳にも行かない。内心面倒臭いと考えながらに足を運んでいた。

 

 美人が厳しい表情をするとキツそうだなどと北斗は半ば現実逃避した気持ちをそのままに、こんなやり取りは来る前に終わらせてほしいとどこか遠い目で眺めている事しか出来なかった。

 

 

「有人型の件なんだが、本部が非人道的だと難癖をつけ始めていてな。今はまだ懐疑的な部分があるのもそうだが、退役した神機使いからの批判も多い。このまま強行すれば神機兵の計画は水の泡となるのであれば、今回の件は仕方ないだろう。レア博士には申し訳無いが、ここは私の顔に免じて……な」

 

「……分かりました」

 

 納得いかない表情を隠す事も無く、レアはこの場を去って行った。茶番劇とも取れる話を最初から聞くつもりは無い。これで漸く話の本題に入れるだろうと、ジュリウスが要件の確認とばかりに口を開いていた。

 話の内容は今後の方針とも取れる神機兵の性能評価による実験の検証だった。先程の言い合いは恐らくはお互いの主義主張が真っ向からぶつかったからなのか、それとも理不尽な決定に不服をたてていたからの発言だと、ここで漸く先ほどのレアの発言を理解することになった。

 

 

 

 

 

「シエルちゃん。神機兵ってどんななの?」

 

 今回の作戦に関しては内容が内容なだけに直ぐさま全員に話が伝わっていた。ロミオはここに長い期間居るので知っていたが、それ以外では北斗やナナ、ギルは何も知らされてなかったのか一様に疑問を呈した表情を浮かべていた。

 

 

「そうですね。神機兵は我々ゴッドイーターと同じような働きを期待されたロボットだと考えると分かりやすいですね。今はまだ実用性には乏しい部分もあるかとは思いますが、今後はこの計画を推進する方向だと考えています」

 

「神機兵か。あんなブリキのおもちゃみたいな物で本当にアラガミが倒せるなら苦労はしないがな。で、俺たちの任務は今後そのおもちゃの護衛って所か?」

 

「ギル。言いたい事は分かるが、ここは元々対アラガミの計画を実行する為の施設だ。気持ちは分かるが、ここでは自重してくれ。ここには神機兵の開発に関するスタッフは多い以上、無駄な摩擦は好まない」

 

 ジュリウスの窘める言い方に気が付いたのか、帽子を目深にかぶり直しギルはそれ上は何も言わなかった。既にミッションが発行されている以上、これを投げ出す事も出来ず、またこの部隊に居る以上、文句を言う事も憚られていた。

 

 

「お前たちにはすまないが、今回のミッションに関しては神機兵とアラガミが一対一で戦える環境を作り出す事が目的だ。特に北斗。アラガミの殲滅は考えるなよ」

 

「ジュリウスの中で自分はそんなイメージなんですか?流石にそれはちょっとショックなんですが」

 

 血の力に覚醒してからの北斗はまるで戦場を好むかの様に頻繁にミッションに出ていた。当初はコッソリと単独で出ていく事が多かったが、些細なキッカケからギルに見つかり、それ以降は何かと一緒に動く事が多く、その結果を思い出していたのかギルも苦笑いだった。

 

 

「イメージではなく事実だろう。俺が何も知らないとでも思っているのか?」

 

「そんなつもりでは無いんですけどね。とにかく今回の内容に関しては肝に銘じておきますから」

 

「そうあってもらいたいんだがな」

 

 このやり取りで何となく察した空気が流れたのか、北斗は一人気まずそうに頭を掻いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれがこれからの主流になるとはな」

 

「まぁ、楽出来ると思えば良いんじゃないか?」

 

「お前の口からそんな言葉が出るとはな…少しは落ち着いたのか?」

 

「ほら、そこはもう終わった話だから…」

 

 ジュリウスの予想がそのまま的中したかの様に、北斗は止めをさすギリギリの所で止められていた。何とか持ちこたえた事も去る事ながら、今はただ神機兵がアラガミと戦っている所を遠目で見ている以外に何も出来なかった。

 

 

「あっ!倒しちゃったよ」

 

「でもあれじゃ近いうちに返り討ちに合いそうな動きみたいだけど、本当に大丈夫なのか?」

 

 ロミオの疑問は尤もだった。当初はどんな動きをみせるのか疑問に思いながらに戦い方を遠目で色々と観察する様に眺めていた。見た目は完全な人型だが、動きそのものはまるで別物の様にも思える位にぎこちないものだった。

 もし、これが完成形に限りなく近いとなれば、このままでは高位のアラガミが来れば簡単に叩き壊される未来しか見えない。下手に捕喰でもされようものならば、かえって面倒事にしかならないとこの場に居た全員が考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「神機兵のミッションはどうなってる?」

 

「現在は神機兵βが現在交戦中です。αは既に回収の準備中ですが、恐らくは同時に収容の予定となっています」

 

 何かを見たのか珍しくジュリウスは慌てながらにカウンターへと走り寄る。何か想定外のトラブルが発生したのだろうか?フランはこの様子を見ながらも同時進行で現在の様子を確認していた。

 

 

「そうか。先ほど帰投中に赤い雲も見た。恐らくは赤乱雲だ。今すぐに連絡を取ってくれ」

 

「………了解しました。直ぐに連絡します」

 

 ジュリウスの言葉はこのミッションに関して言えば全くの想定外。どれ程までに危険な物なのかはフェンリルに所属していれば容易に理解が出来る。だからこそフランは急遽通信回線を開いた。

 

 

「こちらギル。ここでも赤い雲を確認している」

 

 視線の先には時間的に夕方とは言い難いにも関わらず、絵の具で着色された様な赤い雲が少しづつこちらへと向かっていた。これが夕方であればどこか透けるような色合いだが、今見える雲にはそんな感慨深さはどこにもなく、それこそ絞れば血の様な赤い水が今にも出そうな、そんな雰囲気がそこにあった。

 

 

「あれが赤い雲か…俺、初めて見たんだけど何だか嫌な感じだな」

 

 ロミオのつぶやきは今正にその言葉の通りの雰囲気を持ちながらに少しづつ何かを蝕むかの様にゆっくと動いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シエル。現在の状況を教えてくれ」

 

 赤い雲を見ながらに今後の予定を確認していた現場とは打って変わり、フライアでは緊迫した時間が続いていた。当初予定されていた神機兵αは問題なく討伐が完了したが、もう一方のシエルが率いる神機兵βは原因不明の故障により、その場に留まらざるを得なかった。

 悪い時に悪い物が重なるのか、既に戦闘区域では赤い雨が降り出し、このままでは退却そのものが厳しい状況へと追いやられていた。

 

 

「既に赤い雨が降り出しました。この場からの撤退は不可能です」

 

 シエルの言葉にジュリウスは内心舌打ちしたい衝動に襲われていた。

 今回のミッションはあくまでも神機兵の性能評価がメインの為に、それ以外の対策が一切なされていない。神機兵の事だけに意識が奪われたが故の致命的とも言える判断ミスに悔やんでも悔やみ切れない感情だけが残っていた。

 

 

「赤い雨の対策は出来る事が限られる。ギル、そちらには輸送隊が向かっているので、到着後ただちに防護服を着用し、シエルの救出に向かってくれ。なお、防護服そのものは耐久性が低い。その為に極力戦闘は避けてくれ」

 

 これ以上の混乱を避け、最悪の事態を可能な限りに排除する事が今のジュリウスには求められていた。ただでさえ神機兵に力を入れている関係上、少ない人数での部隊の維持は至上命題となる。

 今は常に最悪の状況を予測しつつ、最善策を取る事が優先されるはずだった。

 

 

「誰が勝手に撤退しろと言った?今回の任務は神機兵の保護のはずだ。勝手な命令をするな!」

 

 今のやり取りが聞こえたのか、普段はここに居るはずの無いグレム局長が姿を現していた。ここで一番の権力を持つグレムの命令はある意味絶対だとも考えられている。この非常時にどれほど非常識な事を言ってるのか理解していないのは本人だけの様にも見えた。

 

 

「しかし、今は」

 

「何度も同じ事を言わせるな。今回の任務は神機兵の保護だ。おい、神機兵には傷一つ付けるな」

 

 流石のフランもこの言葉に内心憤りを感じていた。赤い雨を浴びた後の末路は今では子供でも知っている。

 事実上、その場に留まり死ねと言ってる様な命令をこのままシエル伝えていいのだろうか?フランの中に僅かながらに葛藤があった。

 

 

「馬鹿な!赤い雨がどんな結果をもたらすのかは貴方もご存じのはずだ!これはいくらなんでも非人道的すぎる命令だ!」

 

「ジュリウス大尉。いつから貴様は俺に意見出来る身分になったんだ。俺はここの最高責任者だ!四の五の言わずに神機兵だけを護れ!これは命令だ!」

 

 突如として降り注ぐ赤い雨の影響はフライアだけではなく、北斗達の居る現場にも緊張感が伝わっていた。無線の内容は誰の耳にも届いている。これが一組織のトップなのか。とてもじゃないが、こんな人間に下に居る事すらあり得ないと思う空気だけが蔓延していく。

 物事の真贋を判断する事すら出来ない人間の下に居続けるのかと思うと反吐が出そうな空気が北斗達を襲っていた。

 

 

「ちょっと何それ!それじゃシエルちゃんを見殺しにしろって事なの?幾ら何でもそれは無いよ!」

 

「ナナ、今は落ち着け。今はジュリウスの判断を待つしかないだろ」

 

「でもさ、なんでそんな理不尽な命令を聞く必要があるの!早くしないとシエルちゃんが危ないんだよ」

 

 ナナの憤りはここに居る全員が感じるだけではなかった。無線を通じて今はその会話が全ての職員が聞いている。この話の行方はジュリウスの判断に任せる以外に何も出来なかった。

 このままではシエルが黒蛛病に罹患する。このまま大人しく待つ以外に無いのだろうか?そんな時に無慈悲とも思える通信が飛び込んできた。

 

 

「今は隊長の命には従えません。このままでは救助活動に来ても二次被害が拡大する恐れがあります。よって任務を更新し、この場に留まる事を優先します」

 

 シエルの言葉に満足げな気分になったのか、グレムは今までの言い争いは無かったかの様に、上機嫌でこの場を離れようとしている。一方のジュリウスは万策尽きたのか苦々しい表情が消える事は無かった。

 ここに両者の明暗がクッキリと別れていた。そんなやり取りは現場に届いていたのか、無情な判断に誰も今の状況を把握出来た者は居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ北斗、何とかならない…の?あれ?北斗が居ないよ」

 

 止まった時間が再び動き出したのはナナの一言だった。このまま何も出来ないで終わる訳には行かず、何とか起死回生の提案が無いかと振り向いた先には居るはずの無い人間が居なかった。

 その言葉にキョロキョロと周囲を見渡せば北斗が神機兵の背後で何かをしている。まさかと思った瞬間、それは唐突に動き出した。

 

 

「おい北斗!それは幾らなんでも無茶だろ!」

 

 ロミオの言葉は既に届かないのか、今まで停止していた神機兵に突如生命が宿る様な光が目の奥に感じる。無人運用とは言え、全部が自動操縦出来る物ではなく、今の神機兵はどちらでも運用が可能なタイプだったのか、それは突如として走りだしていた。

 

 

「いってらっしゃ~い」

 

 何かを期待したのか、ナナが態と明るく手を振りながらエールを送る。この場で何が起こっているのかを全員が理解するのに時間は然程かからなかった。

 

 

 



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第128話 新たなる顕現

 暴挙とも取れる北斗の行動はグレムの怒りを買っていた。

 結果的にシエルは無事に帰還したまでは良かったが、待っていたのは懲罰だった。ここの最高権力者の命令に歯向かった代償と言えばそれまでだが、今の北斗に後悔も無ければ悲壮感も全く無かった。

 仮にここをクビになった所で、どこかの支部に亡命する様に行けばそれで問題無いだろうと、周りの心配を他所に一人呑気に考えていた。

 

 懲罰房はまだ利用者がいないのか、実際にここに入ったからと言って今の北斗は何も困る事も無かった。元々やるつもりだった事をするに当たって、自室なのか、懲罰房なのかの違いでしかない。今はただ座禅を組んで自分の心に向き合うと同時に、落ち着かせる事だけに集中していた。

 

 

「北斗。どうしてあんな無茶をしたんだ?」

 

「部隊として生きて帰るのが当然なだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。それよりもジュリウスこそ良かったのか?あんなでも一応はここの最高権力者だろ?睨まれると都合が悪いんじゃないのか?」

 

 静まり返った空気を壊したのはジュリウスだった。事の顛末については遠回しに北斗も聞いてはいたが、それよりも今は何でこんな所に来ていたのかが不思議だった。

 

 

「俺もブラッドの隊長である以上、部下を護るのは当然の事だ。丁度お前が実践したのと同じ様にな。それよりもシエルがお前に言いたい事があるそうだ。この後ですぐに連れてこよう」

 

「ここにか?流石に面会は拙いんじゃないのか?」

 

「今回の件は他の職員も何か思うところがあったようだ。とは言っても、既にここにはグレム局長はいない。本部に行っている関係上、問題無いがな」

 

 ジュリウスの呆気らかんとした言葉に北斗もそれ以上の言葉は出なかった。幾ら組織の長だとしても、人的資源でもあるゴッドイーターの扱いは慎重になるのは当然の事。元々、今回の件は同じ仲間でもあるシエルの救出の結果だった事もあってか、命令違反は確かに褒められた物ではないが、対象となるものが人命である以上、本来であれば称賛してもおかしくは無かった。

 ましてや金と命を天秤にかける様な人間では、やはり目が届かなくなればこうなるのは当然の結末だった。懲罰房には穏やかな空気が流れだしていたが、この後シエルが来るのを失念していたのか、今度は冷たい声が響いていた。

 

 

「北斗。何であんな事をしたんですか?神機兵の搭乗の際には入念なチェックが必要だんです。それをすっ飛ばしていきなり乗るなんて何かあったらどうするつもりだったんですか?」

 

 入れ替わる様に今度はシエルが窓から顔を出している。呼びに行くと言っていたはずだったが、既にここに来ている以上何も言う事は出来ない。気が付けば既にジュリウスはこの場から撤退したのか、その姿は見えなかった。孤立無援となったこの状況下では反論する事は叶わない。何を言われるのか、今の北斗には想像が出来なかった。

 

 

「さっきもジュリウスには言ったが、任務は帰ってきて初めて達成だ。今回はこうなったけど、また同じ様な状況になれば同じ事をするだけだ」

 

 シエルの言葉に悪びれる様子は一切感じなかった。短い間ではあったが、ここまで心を開いてくれた人間をシエルは知らない。マグノリア=コンパスでもレアとは何度も話したが、ここまでの話を今までに一度もした事が無かった。

 ここで幾ら何を言おうが、今の北斗はその考えを曲げるつもりすら無い事は間違いなかった。そう自覚したのか、シエルの胸の中に何か暖かい物が広がる様な感覚があった。

 

 

「君は本当に馬鹿です。私なんかの為に命を粗末にするなんて……副隊長なんですよ。それじゃあ他に示しがつきませんから、今後は自重して下さい」

 

「シエル。何でそう考えてるのかはわからないけど、自分をそこまで卑下する必要は無いんだ。シエルは大事な人(仲間)なんだから、今度はそんな状況にならないようにしてくれ。俺が思うのはそれだけだ」

 

 鉄格子越しとは言え、真剣な表情で言われた言葉はシエルの心の中へと染み込んでいく。命令よりも大事な物が何であるのか、何をすれば良いのか。友達になってくれた当時よりも更に暖かい大事な何かがシエルの冷えきった心をゆっくりと溶かしていく様だった。

 

 

「命令よりも…大事な物ですか…何だか暖かいですね」

 

 少しだけ触れた北斗の手は今までシエルが感じた事の無い暖かさがじんわりと伝わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「漸く帰ってきたのか。お勤めご苦労さん!」

 

「ロミオ先輩。そんな事言わなくても」

 

 当初の予定よりも数日早い日程で北斗は懲罰房から出されていた。詳細に関してはジュリウスからも聞いていたが、どうやら神機兵の有人に関するデータがどさくさ紛れに取れた事もあり、その結果から両クラウディウス博士からの嘆願により早められていた。

 

 

「あっ!お帰り~。懲罰房はどうだった?やっぱり退屈だった?一度は経験で入ってみても良いかな?」

 

「多分ナナなら半日でお手上げかもね。おでんパンも好きに食べられないから」

 

「それは困る。やっぱりちゃんとしてるのが一番だよね~」

 

 懲罰房から出て最初に暖かい声をかけられたのはやはり嬉しかった。懲罰房に入ってるからと言っても何もしていない訳ではなく、この時間を無駄にする事無く自己鍛錬をしながらも今後の事について考えていた。上司は尊敬する価値は無いが、仲間は大事である。フライアに所属はしているが、それでも自身の力はブラッドの為だけに使おう。北斗は改めてそう考えていた。

 懲罰房から結果的には早く出たものの、やるべき事は何も変わらない。これを機に降格したかと思われていた立場は副隊長のままだった。

 

 

「ご苦労だったな。そう言えばラケル先生が呼んでいたぞ。時間があるならこのまま研究室に行ってくれ」

 

「ラケル博士がですか?分かりました。これから向かいます」

 

 こんな日に一体何があるのか分からないが、今後の考えれば少なくとも良い話で無い事位は理解出来た。

 いくら有用なデータが取れたとは言え、独断での無断運用となれば今後の計画に何らかの障害を残す可能性がある。そうなれば自分だけではなく、全体的に迷惑がかかる事位は理解できていた。とりあえずは一度怒られる前提で行くしかないと、北斗は行動しながらに考えていた。

 

 

「饗庭北斗入ります」

 

 空気が抜けた様な音と共に扉を開けたその向こうには、なぜかラケルとシエルが一緒に居た。これから怒られるのに、何故シエルが居るのか理解が追い付かない。そんなどうでも良い様な事を考えながらラケルの元へと歩み寄っていた。

 

 

「ご苦労様。中々大変でしたね。あなたのお蔭でシエルの命は助かり、神機兵の有人による有用なデータも取得できました」

 

 怒られるつもりが、その逆にお礼を言われた事で呆気に取られている。何を考えてそんな言葉が出たのかは分からないが、今回の期間の短縮にはラケル博士の尽力もあったのは既に聞いている。だからこそ、ラケルのその言葉に疑問が出ていた。

 

 

「そう構えなくても大丈夫ですよ。今回の件はグレム局長も内部の事で処理すると言ってましたから、査問委員会に取り上げられる事はありませんので安心しなさい。それよりも、あなたの血の力の正体が漸く判明しました」

 

 どうやら、これが今回の呼ばれた内容の趣旨だった。実際に北斗も血の力に目覚めてからはブラッドアーツは確かに出現しているが、ジュリウスの統制の様に周囲に対しての反応は何も起こっていない。ブラッドアーツが使える事から、何らかの力は出ているも、その内容までは判明していなかった。

 そんな折でのラケルの言葉は北斗としても渡りに船でしかない。何かしらの根拠を確認したい所でもあった。

 

 

「今回の件で判明した事が一つあります。まず最初にあなたの血の力は、芽吹く大地に命の水を与えるかの様に、心を通わせた人間の潜在能力を発揮させる様にその力を開花させる能力だと考えています。

 今回の件ではシエルがそれに該当してる以上間違いありません。あなたの血の力は『喚起』と名付けましょう。これからは遍く神機使い達を導いて下さいね」

 

 ラケルの発言に驚くも、直ぐにシエルの顔を見ればどこか照れたような表情を浮かべている事からも、それが間違い無い事が理解出来た。結果はともあれ、自分が何らかの形で影響しているのであれば、今後はその能力を更に開化させる事が出来れば、ブラッドの全員が目覚める日はそう遠くない。そう考えれば今の北斗にも何となく今回のシエルの事も良かったと素直に喜ぶ事が出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。少しだけ良いか?」

 

 ラケルの研究室から戻ると、ギルが真剣な面持ちで話しかけてきた。何の事かは分からないが、ギルのこんな表情は中々見る事は無い。そんな雰囲気を北斗も感じ取ったのか、今はギルの言わんとする言葉を待つしかなかった。

 

 

「どうしてあんな無茶をしたんだ。シエルからも聞いたが、有人型の神機兵は場合によっては命を落とす危険性を含んでいる。もし万が一、お前が死ぬような場面があれば、残された人間はその気持ちを持ったまま生き続ける事になるんだ。お前の前向きな所と生きて帰ると言った考えは嫌いじゃないが、ただその可能性も少しは考慮してくれ。説教じみてすまないが、それが俺の考えなんだ」

 

「なぁギル……」

 

「なんだ?」

 

「……いや、何でもない。ギルの言葉はちゃんと受け止めておくよ」

 

 恐らく今何か口を開けば決して良い結果にならない事は直ぐに理解していた。ギルの過去に何かしらあったからこそ、そんな発言が出ているのかもしれないが、それは各自の中で消化すべき事であって、決して他人が口を挟んで良い事ではない。そんな事を考えながらエレベーターへと向かうギルの背中を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へ~。『喚起』の能力か。って事は今後は北斗と一緒にミッションに出れば目覚める可能性が高いって事なのか?」

 

「詳しくはわかりませんが、ラケル博士の話ではそうなりますね。ただ、顕現の方法は未だに不明なんですが、恐らくは何らかの昂ぶりがもたらすのではないのかって話です」

 

 呼ばれた内容をロミオに話すと、どうやら呼ばれた意味が理解できたのか、北斗の能力について色々と話し合っていた。『喚起』の能力は何となく顕現するのではなく、何らかの精神的な昂ぶりが条件の一つになっている様だった。

 今後は血の力の発露が優先と考えたのか、それとも単純にそうだと判断したのか、自分の事でありながらに良く理解していない北斗には難しい話だった。

 

 

「でも、シエルちゃんも精神が昂ぶる時があったんだね。ねぇ、どんな事がキッカケだったの?」

 

「キッカケですか?……それは……」

 

 ナナの一言にシエルは少しだけ頭を抱えていた。何がキッカケとなったのかは言わなくても本人が一番自覚している。あの懲罰房での出来事が何らかの形となった結果であるのは間違いないが、それを口に出せば当時の気持ちが一気に色褪せる様な感覚があった。

 ナナには申し訳ないが、今はその気持ちを大事にしたいと考えていた。

 

 

「ナナさん。すみません。私にもよく分からないんです。気が付いたら神機に赤黒い光を帯びていたのでそうだと判断したんですが」

 

「そっか~。でも北斗と一緒なら目覚めるんだとすれば、これからはずっと一緒の方が良いのかな?」

 

 突然の発言に北斗だけではなく、その場に居たロミオとシエルも驚いていた。ずっと一緒なんて言われれば、それこそ四六時中くっついている様なイメージしか湧かない。事実、それを真っ先に考えたのかロミオの顔が少しだけ赤くなっていた。

 

 

「流石にそれは無いんじゃない?」

 

「なになに~?北斗は私と一緒に居るのが嫌なの?」

 

「そうじゃないけど、ちょっと恥ずかしいと言うか、その……ナナの場合はちょっと…」

 

 何が言いたいのか北斗は珍しく言い淀んでいた。まさか本当の事を言う訳にも行かず、万が一それを言えばどうなるのかがあまりにも分かりやすい。このままでは時間の問題だと考えていた所に神の救いの手が舞い降りていた。

 

 

《ブラッド隊副隊長、直ちにカウンターまでお越し下さい》

 

 館内放送が鳴り響く。今がチャンズだとばかりに、北斗はその場からの離脱に成功していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カウンターに行くと、そこには銀髪の女性が佇んでいた。北斗の記憶には無かったが、着ている服装と右腕の存在感を示す物からはゴッドイーターである事だけは直ぐに理解していた。

 

「先だっては救援要請ありがとうございました。改めて私は極東支部所属独立支援部隊クレイドル所属のアリサ・イリーニチナ・アミエーラと申します」

 

「ああ、あの時の方ですか。極致化技術開発局ブラッド隊所属の饗庭北斗です。今回のご用件はなんでしょうか?」

 

 感応種討伐の元となったオープンチャンネルの相手だとは記憶していたが、直接会った訳ではないので、北斗は顔も殆ど覚えていない。お互いがそれを理解しらからなのか、どこか余所余所しい部分があった。

 

 

「実は先だっての救援要請の件でのお礼と、改めて感応種討伐の件でお願いしたいと考えてここに来ました。事前に隊長のジュリウス・ヴィスコンティ大尉には話をしましたが、時間が少し会わないとの事で、副隊長さんにとお聞きしています」

 

「え?ああ、そうでしたか…」

 

 目の前に居るアリサと名乗る女性の話に関しては、未だジュリウスからは何も聞いていなかった。念の為にフランに確認するが、生憎と何も聞いていないからなのか、ジュリウスとの通信を繋いでいた。

 

 

《そうか、今日だったか。すまないが伝えるのを失念していた。俺も今そっちに向かっているが、まだ少し時間がかかる。内容に関しては例のミッションと同じ感応種の討伐になるとは聞いている。すまないが俺が戻るまで少し、相手をしてくれないか?》

 

「了解した。後はこっちで何とかするから、早く戻ってきてくれ。自分の能力では多分話が持つ自信が無い」

 

《本来ならばそれ位の事は何とかしてほしいんだが…まぁ、お前の性格を考えれば仕方ないのかもな。急ぐ様にはするが、出来るだけの事はやっておいてくれ》

 

 どうやら話の行き違いがあったのか、帰投中のジュリウスが戻るまでの時間を稼ぐ事が必要となっていた。

 助け舟を出してもらうつもりだったが、通信が切れた後に確認すれば、最低でもフライアへの到着には1時間以上かかる。人の名前をあまり覚えないのは難点だが、先程の自己紹介をしてもらった以上、後は何とか会話をつなげる事だけを優先していた。

 あとはロミオ先輩のコミュニケーション能力にかけるしかないなどと、どこか他人事の様な考えが頭の中を支配していた。

 

 アリサは何となく居心地が悪いのか、それとも物珍しいのからなのか少しソワソワしている様にも見える。まずは内容を確認すべく、ちょうどエントランスに全員が居る事から、そのまま一緒に行くように提案する事にした。

 

 

 

 



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第129話 戦術論

「アリサさん。極東支部って、どんな所なんですか?」

 

「そうですね。一言で言えば良い所だと思いますよ。アラガミは確かにあれですけど、外部居住区も支部内も住環境は良いと思いますよ」

 

「そう言えば、以前に極東支部にフォーカスを充てた広報誌が出てましたね」

 

「ひょっとして、あれを見たんですか?あれはちょっと恥ずかしいんですが…」

 

 北斗の目論見は想像を超えて上手く行っていた。当初はロミオにと考えていたが、元々極東支部に何かしらの感心があったからなのかナナが中心となって話をしている。同性なのが功を奏したのか、どことなく談義に花が咲いている様にも見えていた。

 

 

「ロミオ先輩。珍しく話をしないんてどうしたんですか?」

 

 一番最初に切り込むであろうと思われていたロミオは意外にも沈黙していた。気が付けば顔が心もち赤くなっている様にも見える。一体何がどうなっているのか、北斗には疑問にしか思わなかった。

 

 

「広報誌でも見たけど、やっぱり本物は違いすぎる。あんなに綺麗な人の傍には行きにくいんだよ。それにアリサさん、なんだか良い匂いがするんだ」

 

「ロミオ先輩。それはちょっと…」

 

 まるで変質者の様にも思える発言に北斗は若干引き気味に話していた。ロミオが言う様に確かにアリサは美人なのは認めるが、それとこれは関係が無いのではないだろうか。ただ会話をするだけのはずが目的が違っている様にも思える。そんな身も蓋も無い様な考えがあった。

 

 

「アリサさんってなんだか良い匂いがするんですけど、何か使ってるんですか?」

 

「髪には椿油をつけてるんで、多分その匂いじゃないですかね」

 

「椿油?ねぇシエルちゃん。何か知ってる?」

 

「椿油はここ最近になって極東から販売されてる物だと記憶してます。確か、値段の割に効果が絶大なのと美容に関しての凡庸性が高い事から、販売当初からかなりの売れ行きだとか」

 

 どうやら話は任務の事から大幅に逸れているのは間違いなかったが、当面はジュリウスが戻るまでの時間稼ぎを続ける事を考えれば、今の状況は好ましいと言える。このままナナに任せていれば大丈夫だと考えていた頃、アリサはまるで思い出したかの様に北斗へと話を振っていた。

 

 

「そう言えば、一つ聞きたい事があったんですが、饗庭さんは極東のどこかの出身なんですか?」

 

「そうですよ。旧の時代で言う所の近江の出身です」

 

 話が振られたと同時にアリサは北斗の顔をジッと見ている様にも見える。その視線は、何かと比べれているのだろうか。どことなく何かを探っている様な雰囲気が少しだけあった。

 

 

「アリサさん。北斗に関心があるんですか?」

 

「いえ、そうじゃなくて。ちょっと知り合いに戦い方が似ていると言うか、雰囲気が近いと言うか…」

 

「でも、そんな感じには見てなかった様にも感じましたが?」

 

 何となくだが、ナナとシエルの雰囲気が少し変わった様にもアリサは感じ出していた。アリサからすれば、以前に見た北斗の戦い方がどことなくエイジに似ている様にも見えたが、恐らくはこの2人にはそう感じなかったのだろう。

 このまま空気が悪くなるのであれば、今後の作戦にも影響が出る可能性が高くなる。今は自分の潔白を証明する方が先決だとアリサは考えていた。

 

 

「誤解させる言い方でご免なさい。正直に言えば、私の恋人と戦い方がよく似てたので、ひょっとしたら同じ人から学んだのかと思ったので」

 

「え!アリサさん恋人がいるんですか!」

 

 この言葉に真っ先に反応したのはこの場に居なかったロミオだった。あまりの大きな声にアリサだけではなく、ナナとシエルもロミオを凝視していた。

 衝撃の発言だったのか、愕然とした表情のままロミオはうなだれている。アリサの様な美人であれば、恋人が居てもおかしくは無い。そんな当たり前の可能性が浮かばないあたりがロミオの残念な所だった。

 

 

「ロミオ先輩。いくらなんでもガッカリしすぎでしょ」

 

「少しくらい夢を見ても良いじゃん。北斗は何だかんだ言ってモテモテだろうが」

 

「それは誰の情報なんです?」

 

 ロミオの言っている言葉の意味は分からないが、ジュリウスならともかく少なくとも自分がそんな類の人間ではない事は自分が一番理解している。一体誰にからモテているのか問い詰めたい気分だった。

 そんなロミオの事など知らないと、目の前にいるナナとシエルは先程とは打って変わって目が輝いている様にも見えていた。先程のアリサの恋人発言に何か考える物があったのか、それともアリサの右手の指輪に気が付いたからなのか、突如として先ほどよりも幾分距離を縮めてアリサへと近寄っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅くなってすまない。…どうしたんだこの惨状は?北斗、説明を求める」

 

 ジュリウスが帰還して一番最初に目に飛び込んできたのは、うなだれたままのロミオとアリサと何か楽しく話しているのかナナとシエルが談笑していた。

 ギルは何か用事があったのかこの場には居ない。この状況を理解すべく、北斗に確認していた。

 

 

「ちょっとロミオ先輩の夢と希望が壊れた程度です。後は特に問題ありません」

 

「…そうか、何となく分かった。アミエーラ少尉。遅くなって申し訳ありません。隊長のジュリウス・ヴィスコンティです。私の部下が失礼しました」

 

「いえ。楽しくお話しが出来ましたので、気にしないでください。それでは先だってお話させて頂いた件なんですが、改めてクレイドルを代表して002建設予定地の感応種討伐を依頼したいと思います」

 

 アリサの感応種の一言で、今までの空気が一変していた。感応種の討伐任務は現時点ではブラッド以外では厳しいと考えられている。事実、以前に討伐した際にはアリサは手も足も出なかった。例外の可能性は否定できないが、それが何かしらの理由でそうなっている事を確認する事は出来ない。だからこそ、感応種に関してはブラッドが対応していた。先程までの緩んだ空気は既に無くなっている。全員の目の色が自然と変わっていた。

 

 話をしながらもアリサは少しだけ感心していた。通常であれば、ここまで緩んだ空気が一気に引き締まる事は殆どない。極東であればこんな事は日常茶飯事なので感じる事は少なかったが、少なくともここは特殊部隊であるブラッドが居る組織。これ位の事は当たり前なんだと一人感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の感応種もイェン・ツィーなんだよね?」

 

「アリサさんの話だとそうなりますね」

 

 どこかで意気投合したのか、既に3人は今すぐにでも行こうとしている気持ちを落ち着かせながらに現状を確認していた。今回のメンバーは感応種以外にも他のアラガミ討伐の関係もあり、全員がそのまま出動する事になっていた。

 

 

「北斗、どうやらお前の能力は血の力が無い人間にも多大なる影響をもたらす事が出来るらしい。すまないが、アミエーラ少尉と一緒に出てくれ」

 

 事前にラケルから確認したのか、どうやら喚起の能力は他の人間にも多大なる影響を与えるとの事前報告があった事も影響し、今回は一緒に動く事が決定していた。アリサは階級から考えればこのメンバーの中ではジュリウスに次ぐ地位になるが、やはり連携に関しては今までやってきたメンバーの方が安定感がある。幾ら実力が単独であっても、連携を考えればどちらが有利な展開になるのかは考えるまでも無い。そんな事実からナナとギルがそのまま加入する事が決定していた。

 

 

「了解しました。すみませんがアミエーラさん。一緒にお願いします」

 

「私の事はアリサで結構ですよ」

 

「では、アリサさんと呼ばせて頂きます」

 

 今回の合同ミッションがつつがなく開始された。当初は連携の事もあったが、流石にエミールの様な雰囲気は全く無く、今まで一緒に戦ってきたかの様な錯覚さえも覚える程にアリサはブラッドに馴染んでいた。

 

 改めて周囲の索敵を開始する。事前の情報が正しかったのか、そこには感応種以外にも何体かの中型種が闊歩している。今回は分断を前提とした作戦が開始される事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「極東支部の人って皆エミールさんみたいな戦い方をするんだと思ってたんだけど、どうやら違うみたいだね」

 

「いくら極東でも全員があんなんで激戦区を生き残れるとは思えん。あれは特殊な例だと思った方が良いぞ」

 

 ナナが驚くのは無理も無かった。実際にアリサが戦っている所を直接見た事が無いのと同時に、当時感応種の討伐の際には岩陰に隠れていた記憶しかなかったのが原因だった。

 

 フェンリルにおける階級は事実上、その人間の今まで戦ってきた戦績がある程度反映されている部分が多く、事実アリサは少尉である事からもかなりの水準である事は何となく予想されていた。

 しかし、実際に戦っている姿を見れば、とてもじゃないが少尉ではなく、もっと上の階級であっても遜色が無いような戦いぶりだった。

 

 

「そこの2人、話してないでフォロー!」

 

「ごめんごめん。そんなんじゃなかったんだけどね」

 

 イェン・ツィーと対峙していたのは北斗ではなくアリサだった。事前にジュリウスから聞いていた情報がそのままの結果につながっていたのか、アリサの神機は沈黙する事なく、通常通りに稼働している。

 神機が動くのであればその後の行動はどんなアラガミでも何も変わらない。今まで感応種だからと苦しめられた鬱憤をこの場で晴らすかの様な軽快な動きを見せていた。

 

 

「ここで決める!」

 

 何かを決意したかの様に、今まで軽快に攻撃していた行動パターンは突如として変更されていた。イェン・ツイーに限った話ではないが、シユウ種の討伐方法は殆ど大差ない。通常であれば、遠距離となれば翼手から繰り出されるエネルギー弾に加え、距離を縮められると刃の様に翼手を繰り出す。ブラッドから見てもアリサの間合いの取り方は完璧に近い物だった。

 絶対的な距離感を保ちながら、こちらの攻撃だけを的確に当てる事によって、確実にダメージを蓄積させていく。強固な下半身も既にインパルスエッジによって破壊されたからなのか、行動範囲も大幅に狭まれていた。無駄の無い攻撃は下手な行動を起こすよりも効果的ななのか、その姿は舞を舞っている様だった。このままでも絶命するのは当然の様にも見える。しかし、ここからアリサの行動は一気に変わっていた。これまでの様に確実性を取った戦いから一転し、止めをささんと一気に距離を詰める。今のアリサは先程の様な優雅な姿ではなく、一個の獲物を狙う獣の様に荒々しい動きへと変化していた。

 走りながらもレイジングロアはイェン・ツイーの頭部から狙いが逸れる事は無かった。精密射撃により既に頭部は瞬時に結合崩壊を起こし、脳髄らしき物が見えている。見た目だけで言えばもはや虫の息とも取れていた。

 このまま一方的にやれるつもりは毛頭なかったのか、イェン・ツイーはここで再び3体の小型アラガミ『チョウワン』を召喚する。既に戦闘態勢に入ってるからなのか、間髪入れずにアリサへと襲いかかっていた。

 

 

「アリサさん。こっちは任せて!」

 

 このままイェン・ツィーはアリサに任せても問題と判断したのか、ナナとギルが召喚されたチョウワンを次々と次々と土に還すかの如く討伐を続ける。北斗は既に他のアラガミが近づいて来ているのを察知したのか、状況を確認しながらアリサの動向を見守っていた。

 

 

「これで終わり!」

 

 アリサの声と共に、袈裟懸けにアヴェンジャーの刃がイェン・ツイーに襲いかかっていた。鋭い斬撃はまるで一撃で分離させる程の勢いを保ちつつ、二つに分かれていく。完全に斬りおとす事は出来なかったが、それでも命の灯が消えていた。

 イェン・ツィーはコアを抜かれ、そのまま何も残らない様に霧散していた。

 

 

「あれ?北斗はどこに行ってたの?」

 

「ちょっとそこまで…コンゴウが1体居たからそれを討伐しただけだから」

 

「え~またやったの?」

 

 ナナの質問にコアを見せながら北斗が合流する。恐らくは先程の戦いの最中に何かしらの反応を嗅ぎ取ったからなのか、その場から離れていた。コアを持っている以上、結論は出ている。この時点で周囲を索敵するもアラガミの気配はどこにも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お蔭で助かりました。これで暫くは感応種に悩まなくても良さそうです」

 

 フライアに帰還すると、まるで当たり前の様に暖かく出迎えられていた。アリサが言う様に感応種は通常種や堕天種よりも頻繁に出現する可能性は低く、今回の件で暫くは大丈夫だろうと考えられていた。

 

 

「それは良かった。我々も今後の予定に関しては現在極東支部へと進路を向けています。また再開できるかと思いますので、またその際にでもと考えています」

 

 ジュリウスの応対でアリサも改めて礼を言う形となった。目下、感応種に関しては極東支部でもある意味最大と言って良い程の障害となっている。そんな所にブラッドが来るのであれば実に心強いとアリサは考えていた。これまでの様に撤退では無く討伐が出来るのであれば、その脅威は以前よりも小さくなる。些細な言葉ではあったが、そこから導き出される結果は考えるまでも無かった。

 

 

「そうですね。極東支部に来た際には多少なりとも、おもてなしもできるかと思いますので、その際には改めて宜しくお願いします」

 

「アリサさん。おもてなしって、何か美味しい物とか食べられるんですか?」

 

「そうですね。極東支部は食事に関しては他よりも充実してると思いますよ。皆さん来られた際には期待して下さい」

 

 アリサの言葉にナナが笑顔を隠す事は無かった。既にある程度の情報に関しては広報誌を見れば分かるが、それでもそこに所属している人間から直接聞くのとでは大きな違いがあった。

 今は極東支部へと向かっている以上、そんな期待は否応なしに高まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。そう言えばアリサさんの戦い方は何か参考になりましたか?」

 

 アリサが今の業務へと戻り、フライアの中に再び静寂が戻りつつあった。今回の感応種討伐のミッションの際に北斗はナナとギルを指名してアリサと共に戦っていた。討伐そのものは問題なかったが故に、今のシエルの質問に対してどう答えれば良いのかが分からない。どう返せば良いのか、返事に困っていた。

 

 

「参考?」

 

「はい。実は極東支部へと向かう関係上、事前に情報の収集をした方が良いと考え、アクセスしていたんです。その際にアリサさんの事がノルンに記載されていたので、その確認をと思ったんですが」

 

 どうやらノルンの個人データの中で気になる物が出てきたのだろうか。今のシエルは何かしら確認したいと考えている様だが、肝心の北斗は途中までは見ていたが、討伐の最後の方はコンゴウ討伐に単身向かった事もあり、詳細は未知ない。その結果、詳細までは記憶していなかった。

 

 

「シエルちゃん。北斗は最後の方は居なかったから、話すだけ無駄だよ」

 

「何でナナはそこでそう言うかな。そこは黙っておくのが情けってもんじゃないのか?」

 

「知~り~ま~せ~ん」

 

 ナナの一言にやはりかと言った感情が湧き出ていた。この人は任務そのものは問題無いが、自分に問題が無い場合、どこか知らないフリをしている様にも思えていた。確かに単身での討伐任務に関しては北斗だけでも認められているが、感応種となれば話しは大きく変わる。

 

 立場を考えれば一番物事に対して遵守しなければならないにも関わらず、真っ先に乱すのは如何な物なんだろうか。これは一度友達としてハッキリと物申した方が良いのかもしれない。そんな考えがシエルの脳内をよぎっていた。

 

 

「一応言っておくけど、最後のとどめの部分で居なかっただけで、内容の殆どはちゃんと見てたから」

 

 シエルの考えを読んだのか、北斗は悪びれる事もなく、これが日常だと言わんばかりの言い方をしている。そろそろこれに慣れる方が先かもしれないとシエルは考えだしていた。

 

 

「…では実際に途中まで見た感じはどうだったんでしょうか?」

 

「主観で話すなら、恐ろしい程に洗練されていたの一言だ。ノルンにも手本となる様な記載があったのが頷ける」

 

「あの、それだけですか?」

 

「ああ。それだけだ」

 

 シエルは一体何が聞きたいのだろうか?主観で話す以上、これ以外に何かを言い表す事が出来ない。多分シエルが聞きたかったのはそんな内容では無い事位は察するものの、やはりそれ以上の言葉で言い表すのは困難だった。

 これ以上どう表現すれば良いのか、言葉を選ぶのに時間を要していた。

 

 

「北斗の主観とは違うが、俺が見た感じだと洗練されていると言うよりは無駄が少ない動きと言った方が良いだろう。事実、一度見ていただけであそこまで完璧な対応が出来るのは、今までにかなりの任務をこなしてきた経験からの行動論理だな。神機使いとしての年数から考えれば、あの階級は伊達じゃない」

 

 

 北斗の言葉を補完したのはギルだった。確かにあの動きは圧巻とも取れる。確かにこのブラッドもここ最近になって数字が伸びてきているが、あれを見た後では恐らくは今の戦績が陳腐とも取れる内容でもあった。

 詳細については何も分からないが、激戦区ならではの何かがあるのかもしれない。ギルの発言にシエルの教導メニュー考案の火が再び着きそうになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《当フライアは現在極東支部に向けて運行中です。現在赤い雨の範囲に入っていますので如何なる理由があろうとも施設内からは絶対に出ないでください》

 

 

 訓練室にフランのアナウンスが響き渡る。現在は極東支部に向けて運行中ではあるが、赤い雨の影響下の為に外出は固く禁じられていた。暫くはこんな状況が続くと判断した北斗は再び訓練室へと足を運びながら、今までの戦いの事を思い出していた。

 

 シエルには言わなかったが、アリサの戦い方には見覚えが少しだけあった。洗練された動きの中には凝視すればいくつか分かる事があった。特に感じたのが、一つの行動をする際に、必ずと言って良い程に複数のフェイントが混ぜられていた部分。

 

 本能の赴くままに動くアラガミと言えど、一定レベルでの知能があれば単純な動きだとしてもある程度フェイントにひっかかる可能性があった。

 キッカケは血の力に目覚めた際に対峙した白い大型のアラガミ。視線を外せば瞬時に襲われる様な錯覚が常にあり、一瞬でも外れれば最悪の展開に傾く可能性もあった。

 

 歴戦の猛者であれば、そんな事はデータで一々調べなくても本能で理解する。現在のブラッドではその判断が出来るのはジュリウスしかいない可能性が高く、またそうでなければ接触禁忌種レベルの対応が出来ない事も理解していた。

 

 

「やっぱりここだったんだ。本当に訓練が好きなんだね」

 

 長い時間思考の海に囚われていたからなのか、声をかけられるまでナナがここに居る事に気が付かなかった。ナナの顔は笑顔だが、目は真剣な物となっている。一体何を考えているのだろうか。今の北斗には皆目見当もつかなかった。

 

 

「好きじゃなくて日課だよ。どのみち赤い雨が出てる以上、ミッションも無いし、ここ最近は戦術理論が多かったから、偶には目一杯動かした方が気がまぎれるかと思ってね。で、何か用?」

 

 口調こそは穏やかだが、何となく雰囲気がいつもとは違う。本当の事を言えば先程のシエルの件で一度本当の事を確認したいと思って訓練室に来たが、予想外の対応に少しだけ戸惑っていた。

 この状況下で聞いても大丈夫なのだろうか?そんな考えがナナの気持ちを不安定にさせていた。

 

 

「さっきのシエルちゃんの質問なんだけど、本当の事言って無いんじゃないかな~って」

 

「どうしてそう思う?」

 

「だって北斗のあの時の目が何時もとは違っていたから」

 

 まさかそんな些細な事で感づかれると考えてもいなかったのか、北斗は純粋に驚いていた。天真爛漫で何も考えていないのではないのだろうかと、本人が聞けば間違いなく怒るであろう評価を今は少しだけ良い方へと更新していた。

 

 

「よく分かったな」

 

「で、本当の所はどうなの?」

 

おどけても無駄だと悟ったのか、北斗は改めて本当の考えを言う事に決めていた。

 

 

「ちょっとアリサさんの動きを知っていただけだ。それ以上の事は特に無いよ」

 

「そうなんだ。戦っている最中にジッと見てたから、何かあったのかと思ったんだけど、それだけなの?」

 

「……?それだけだ」

 

「そっか、なら良いよ。そう言えばもうすぐ極東支部に到着だから全員制服着用だって……北斗はいつも制服だったね」

 

 ナナは何を聞きたかったのだろうか。詳しい事は分からないが、何となく先程までの空気とは少し違った事だけが理解できていた。ナナの話だともうすぐ到着するらしい。

今の段階で訓練を中止し、今後の対応の為に今はナナと戻る事にした。

 

 

 

 



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第130話 いざ極東支部へ

「極致化技術開発局ブラッド隊の方々ですね。お待ちしておりました。支部長の榊が挨拶をしたいとの事ですので、こちらへどうぞ」

 

 フライアが着いた事が事前に連絡されていたのか、入り口では秘書の女性が凛とした佇まいで出迎えをしていた。笑顔こそ穏やかだが、常に戦いの場に居る様な雰囲気が目の前の秘書からも感じさせられる。この世界の中でも一二を争うほどの激戦区でもある極東支部に到着した事を否が応でも意識させられていた。

 

 ブラッド隊の名前はここ極東でも感応種討伐の専門部隊として認知されているのか、支部内を移動する際には色々な所から視線が突き刺さる様にも感じる。物珍しいからなのか、それとも値踏みしているからなのか、その正体はまだ分からない。こんな視線に慣れていないのか、ロミオとナナはどこか居心地が悪そうな感覚があった。

 

 

「ロミオ先輩、なんだか視線が刺さるみたいなんだけど、大丈夫かな?」

 

「別に怖がる必要性はないだろ。もっと堂々としてれば大丈夫だろ」

 

 秘書の女性を先頭にジュリウスと北斗が歩き、その後ろをシエルとギルが歩く。最後尾の二人の会話が聞こえたのか、突如として秘書の女性が振り向いていた。

 

 

「多分珍しいんでしょうね。ここは人の出入りも多いので、直に慣れますから」

 

 笑顔で言われればそれ以上の事は何も言えず、そのやり取りを聞いていたのかギルは少しだけ呆れていた。

 

 

「あのなぁ、どこの支部でも同じ様な反応をされるのは当然だろ。別に取って食われる訳じゃねぇんだから、少しは北斗を見習って落ち着けよ」

 

「は~い。了解しました」

 

 そんな他愛無い事を言いながら支部長室の前へと到着する。扉を開ければ支部長と思われる人物が書類を片手に椅子に座っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「極致化技術開発局所属ブラッド隊ジュリウス・ヴィスコンティ以下隊員各位到着しました」

 

 淀みない挨拶そのままに毎回の事ながらよくも噛まずに言えるなどと、またもやどこか他人事の様に考えながらも、ここの支部長がどんな人物像なのか何気に北斗は眺めていた。

 

 

「ようこそ極東支部へ!私がここの支部長のペイラー榊だ。エミールとアリサが世話になったそうだね。できれば直接会いたいと思っていたんだ」

 

 支部長にありがちな重厚感がある様な雰囲気が微塵も無く、見た限り支部長と言うよりもどこか学者の様な雰囲気を漂わせながらの挨拶に、ジュリウスとシエル以外は親近感を覚えていた。

 フライアの局長がグレムである事を考えれば、恐らくはどんな支部長もまともに見えるのかもしれない。ギルは表情にこそ出さないが、ナナとロミオは若干の安堵の表情を浮かべていた。

 

 

「あれでしょ!マルドゥーク!撃退したのこいつですよ」

 

 あの白い大型の感応種は正式にフェンリル内でマルドゥークの名称で統一されていた。今はまだ極東支部の周辺でしか観測されていないが、ここで観測されたものは即時全支部へと通達される。万が一の事を考えればその措置は当然の事だった。

 ここ極東に来るまでに名称が決定していた。そんな事を知らなかったのか、北斗はポカンとしながらもロミオの話す内容で初めてあのアラガミの名前を確認していた。

 

 

「そうか。あれは君がやってくれたのか。改めて礼を言うよ。さて。君達にはここの取り巻く状況を説明した方が良いだろうね。本来ならばすぐにでも任務の入ってほしい所なんだが、何も知らないままではちょっと厳しいだろうからね」

 

 まさか着任早々に任務に駆り出されるなんて事は微塵にも考えてなかったのか、ロミオは少し驚いていたが、そもそもここは激戦区でもある以上、遊ばせる様な余剰戦力はどこにもない。本来ならば早々に予測できる事ではあるが、他の支部へと異動した事が無い人間には理解する事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と言う訳だ。暫くはここに常駐する事は既に聞いているから、その間はここが君達の家だと思って寛いでくれれば幸いだ。あと君達の当面の居住スペースに関しては、そこに居る弥生君から聞いてくれると助かるよ」

 

 榊の紹介で先ほど案内してくれた人物が紹介され、これで一旦は落ち着こうかと思われた時だった。突如として若い男性が部屋の中へと入ってきた。

 

 

「榊博士。歓迎会の件ですが準備とスケジュールの確認を聞いてきまし……あれ?ひょっとしてブラッドの人達ですか?」

 

「コウタ君。来客中はノックしないとダメでしょ?もうそろそろ理解しないとダメじゃないかしら?」

 

 突如として入ってきた男性が笑顔で秘書から窘められている。腕輪を見れば神機使いである事は理解出来ていたが、まさか来客中に言われるなんて思ってもなかったのか、突如として焦り出していた。

 

 

「…弥生さんすみません。以後気を付けます」

 

「分かればいいのよコウタ君」

 

 見た目そのままに妖艶な雰囲気が出ているが、窘める姿はどこか肉親の様な雰囲気が漂う。挨拶も程々に本当の兄弟にしては似ていないなどと、今はどうでも良い様な雰囲気が先ほどまでのシリアスな空気をものの見事にぶち壊していた。

 

 

「それと…俺。いや、自分が極東支部第1部隊所属の藤木コウタです。これからヨロシクね!」

 

「ブラッド隊隊長のジュリウス・ヴィスコンティです。こちらこそ宜しくお願いします」

 

 自己紹介の際に、まさかこんな若さで第1部隊長だと思わなかったのか、ギルが少しだけ驚きを見せていた。他の人間とは違い、唯一第2世代からのコンバートでブラッドに入隊していた事から、他の支部の事情に関してはある程度知っているつもりだった。

 

 第1部隊はどの支部でも精鋭とも言える部隊。そんな中でも世界有数の激戦区でもある極東であれば、そのイメージはさらに顕著だった。本来ならばもう少し規律に厳しい様なイメージがあったが、この自己紹介からもそんなイメージを抱く事が難しいとまで思っていた。

 

 

「ごめんなさいね。この後案内しますので、少しお時間頂けますか」

 

「お気遣い感謝します。では榊支部長、また後ほど」

 

 ここで漸く挨拶が終わろうとしたときだった。先ほどの歓迎会の言葉に反応したナナがコウタへと確認する。

 

 

「ねぇねぇコウタさん、歓迎会って私達のですか?どんなごちそうが出るんですか?」

 

 以前にも聞いたアリサの言葉が思い出されたのか、ナナの目が輝いている様にも見える。このメンバーの中で恐らくは食に一番関心があるのはナナで間違いない。しかし、この反応がブラッドの全てだと思われる訳にも行かず、取敢えずと言った具合でロミオがフォローを入れていた。

 

 

「ナナ、いきなりそれはちょっと図々しくないか?」

 

「え~。ロミオ先輩は気にならないんですか?アリサさんだって言ってたじゃないですか」

 

「まぁ、そりゃぁ関心はあるけど、こんな所で言わなくてもさ…」

 

 そんな会話の流れなのか、コウタが以前にアリサからブラッドの話を聞いた事を思い出したのか、改めて口を開いた。

 

 

「アリサから聞いた通りだよ。ここのメシは旨いから期待してても大丈夫だぞ」

 

「やった~」

 

「騒がしい部下で申し訳ありません」

 

「気になさらなくて結構ですよ。ここは割と若い人材が多いですし、早く馴染んでももらうにはそれが一番ですから」

 

 ジュリウスが謝ろうとするも弥生がそれを制す。こんな事はここ極東では日常茶飯事。そんな事よりも早々に馴染んでくれた方が良いだろうと、榊は会話を聞きながら終始笑顔のままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君は北斗じゃないか!久方ぶりだな?どうだいここは?フライアと違って優雅さは無いが趣はあるだろう!ここは土と油の匂いはするが、それは決して不快ではない、むしろ人々の生きようとする生命力までもが感じられるだろう!」

 

 一旦は自室の確認を終え、まずはロビーへと出向くと、そこには依然フライアに来ていたエミールと、その隣には一人の少女が佇んでいた。

 北斗はあまり接点が無い様な記憶しかないが、これもまた交流だとばかりに、会話へと参加する。相変わらず暑苦しい話し方に変わりないが、それでも数少ない顔見知りである以上、このまま無碍に立ち去る選択肢は無かった。

 

 

「久しぶりですね……シュトラスブルグさん。え~っと、何日…ぶり…でした?」

 

 濃いキャラクターだと言う認識が強すぎるのか、北斗の脳内で当時のエピソードと名前を一致させようとする。まさか忘れたとまでは行かないが、どこか記憶が一致しないままに会話は進んでいた。

 

 

「ちょっとエミール。少しは黙りなさいよ。私も自己紹介位させなさいよ。」

 

 このままでは終わる可能性は無いと判断したのか、未だ話の途中でもあるエミールの会話を切ったのは隣にいた少女だった。見た目の年齢からすればゴッドイーターになるには早すぎるのでは無いのだろうか。そんなイメージがある程の幼さが残っていた。

 

 

「わたしの名は…」

 

「そう!彼女の名はエリナ!我が盟友エリック・デア=フォーゲルヴァイデの妹、即ちこのエミールフォンシュトラスブルグの妹だと思ってくれてくれれば良い!」

 

 エリナと名乗る少女の自己紹介の部分に突如として言葉を被せられた事に腹を立てたのか、突如としてエミールとエリナの言い争いがロビーに響く。既にこのやり取りは極東支部では定番である事から、他の人間もまるで何も無かったかの様に振舞っていた。

 

 

「あの、ブラッドは本部でもエリートの部隊なんですよね?私負けませんから!」

 

 見覚えが無い人間から宣戦布告の様な発言が出た所で、何かをどう勝ち負けを競えばいいのだろうか。返事をする前にエリナと名乗った少女は既に居なくなっている。

 言われたまま去られると、今度はどう対処すれば良いのだろうか?そんな考えが北斗の胸中を横切っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ある程度の状況が掴め、ここは一旦落ち着く為に自室へ戻ろうとしたときだった。どこかで見た記憶があった様な一人の女性とその横にメガネをかけた女性がその場で立ち話をしていた。確か、自分の部屋の隣だとは思っていたが、そのまま無視する訳にも行かず、簡単な挨拶だけして自室に入ろうとした時だった。

 

 

「あなたは…確かフライアに居た人ですよね?」

 

「フライアからは来ましたけど、どちら様でした?」

 

 北斗の記憶を探るも、相手の様子からは顔見知りである事に違いないが、記憶が定かではないのか顔と名前が一致しない。このまま知らないなりに会話を合わせる位は出来るが、万が一何らかの出来事があってから知らないと発覚するよりも今の内に確認した方が遥かにマシだと、改めて確認する事にしていた。

 

 

「は?あなた知らないの?」

 

 本人に聞いたはずが、なぜか隣に居た女性が驚きの声を挙げている。知らない事の一体何が問題なんだろうか?それほどまでに驚く様な事なんだろうか?自分には全く無関係な話なのに何故こうまで驚くのだろうか、今の北斗には疑問しか湧かなかった。

 

 

「ええ、まぁそうですね。以前フライアでお会いしました?」

 

「ちょっとあなた、本当に知らないんですか?」

 

 あまりにもくどい物言いに内心苛立ちはあるものの、記憶に無いのであれば知らないのと同義になる以上、ここは少しだけ大人の対応をしてやり過ごすのが一番だと北斗は判断していた。

 

 

「以前お会いしていると言うのであれば、申し訳ありませんが自分の記憶には残っておりませんので、恐れ入りますが改めて教えて頂けますか?」

 

 馬鹿正直すぎたかと思っていたが、どうやら本当に知らないと判断したのか、メガネをかけた女性は大きくため息を吐き、隣の女性は笑顔で立っていた。

 

 

「では改めて私の名前は……」

 

「あ~ユノさんだ!!」

 

 自己紹介をする寸前に暇を持て余したのか、ナナとロミオがエレベーターから降りた瞬間の出来事だった。第一声はやはりロミオだった。突如として聞こえた声に反応したのか、ユノと呼ばれた女性は声の主へと視線が動く。

 どこかでこんなやり取りが有った様な気がするなどと場違いな考えをしながらも、北斗はこの場に居る事しか出来なかった。

 

 

「まさかこんな所でユノさんに会えるなんて。そうか!確か極東支部を拠点にしてたんでしたよね。俺の名前はロミオって言います。ずっとファンだったんです!」

 

「ええ……はい。ありがとうございます」

 

 勢いよくこちらに来たかと思えば突如としてその女性の手を握り、どこか憧れの眼差しで見ている様にも思えていた。

 ロミオはユノに会えた事で有頂天になっているのか、周りの状況が判断出来ていない。このままどうなるのだろうかと他人事の様に見ていた時だった。

 

 

「はいはい。握手会に関してはマネージャーの私を通してくださいね。で、ロミオさんでしたっけ?あなた方はここでは見かけませんが、どちらの方なんですか?」

 

 若干厳しい口調ではあるが、こんな状況をそのまま放置する訳には行かなかった。ファンの言葉は横に置いても、今のロミオの状況は決して良い物ではない。まずはロミオを引き剥がす所からスタートしていた。

 この時点で未だ誰だったのか記憶には一切無いと同時に、先ほど自己紹介をされる直前だった事もあってか、いまだにこの人が誰なのか北斗は理解してなかった。

 

 

「申し訳ありません。我々はフェンリル極致化技術開発局ブラッド隊所属の者です。部下が失礼しました」

 

 ロミオの流れをぶった切るかの様に、どこか他人の様で有無をも言わない様な挨拶を北斗は選択していた。万が一上層部の人間であれば失点は個人では無く部隊そのもの、ひいてはフライア全体にまで被害が拡大する恐れがあるからと判断した結果だった。

 突然の物言いに後ろに居るナナが何故か笑いを噛み殺しているのか両肩がかなり揺れていた。

 

 

「プッ。あっははははは~おなか痛い。北斗の話し方が変すぎるよ~」

 

「ナナ、それはこの場では流石にどうかと思うんだけど?」

 

「だって、一度抱き起してるのに名前覚えてないし、変に畏まってるしどこから突っ込んで良いのか分からないんだよ~」

 

 このナナの一言が今までの考えを一瞬にして台無しにしていた。ナナを見ながらも横目で見れば、ユノと呼ばれた女性は苦笑いをし、その隣にいたメガネの女性はどこか苛立ちを隠しきれていないのか口の端が引き攣っている。

 

 

「あ~すみません。記憶に無いのは間違い無いので、改めて自己紹介と行きたい所なんですが、自分の名前は饗庭北斗。で、この笑ってるのが…」

 

「…香月ナナです。ヨロシク…ふふっ。だめ、お腹痛い。助けて北斗」

 

「俺、いや、僕はロミオ・レオーニです。今日から暫くはここに駐留する事になりましたので。こいつには俺からしっかりと説明しておきますので」

 

 先程の様なうやうやしい雰囲気は既に無く、同じ様な年齢の友人の様にも感じていた。このままここで話していてもキリがないからと、今後の予定でもある歓迎会で改めて話す事でこの場は終了する事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわ~やっぱり極東支部は凄いな」

 

 歓迎会には帰投直後のゴッドイーターや待機中のゴッドイーターも相まって、それなりの人数が参加する事になっていた。当初感じた視線は既に感じる事は無く、今は一時の団欒の様な雰囲気でさえもがラウンジの内部に漂っていた。

 

 

「ナナは料理に関心があるの?」

 

「そりゃそうだよ。だってアリサさんだけじゃなくて、コウタさんもそんな事言ってたし、置いてある料理はどれも一級品だよ!」

 

 目の前の料理に興奮したのか、北斗に力説をする。北斗自身はナナほど食に対しての関心が薄いからなのか、どこか他人事の様な雰囲気で周囲を見ていた。

 コウタからの音頭と共に、ジュリウスの挨拶が続き、最後にはユノがピアノの弾き語りで歌を披露すると言う豪華な流れから歓迎会が始まっていた。

 

 

「北斗。どうかしたんですか?」

 

 何となく輪の中に入り辛い空気を察知したのか、シエルが話かけてくる。この雰囲気にどこか気まずさがあったのか、グラスを片手に少しだけ離れた所へと移動していた。

 

 

「いや。特に何もないんだけど、何となく入りにくいと言うか居心地が悪いと言うか…」

 

「それは考えすぎですよ。みなさんの顔を見てれば楽しそうですし、事実ここの食事だってひょっとしたらフライアよりも上かもしれませんね」

 

 シエルの言葉に先ほど食べた食事の内容が思い出されていた。簡単なオードブルとメインとなりそうな物を幾つか口にしたが、シエルの言う様に確かにフライアよりもレベルが上だとは直ぐに分かった。

 これは食材のレベルだけではなく、恐らくは調理した人間の腕前も大きく違うのだろう。そんな事を考えながら皿に乗ったカナッペを口に運んでいた。

 

 

「そう言えば、先ほどの顛末をナナさんから聞きましたが、せめてもう少し覚える位の努力をしてはいかがです?部隊の人間の名前や作戦の内容はすぐに覚えるんですから、それ位の事は可能だと思いますが?」

 

「ひょっとして聞いたの?」

 

「聞いたのではなく、聞かされたと言った方が正解ですね」

 

 半分呆れた様なシエルの一言で全てを北斗は理解していた。北斗自身、決して記憶能力が悪い訳では無い。ただ自分には無関係な物に関して覚える気が無いだけだった。

 確かに今となってはフライアに居た事だけは理解したが、一瞬の出来事に対してまで記憶する必要性を感じなかったのが一番の原因でもあった。

 

 

「北斗も副隊長である以上、今後は色々な人達との関係性が増えると思います。今からそれだと今後は同じ様なケースがあった際にはブラッドに対する評価が地に落ちる可能性がありますので、今後はしっかりと覚えておいて下さい」

 

「そうだな。今後は努力するさ」

 

 その一言に満足したのか、シエルは笑みを浮かべそのまま北斗の隣で談笑しながらこの一時を過ごしていた。

 

 

 



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第131話 新たな出会い

「北斗、少し時間がありますか?」

 

 ブラッドの歓迎会はトラブルも無く無事に終了していた。良く働き、良く遊ぶと考えているのか、とにかく極東支部の皆はこんな馬鹿騒ぎが好きなんだと改めて考えていた。しかし、それとは裏腹に苛烈なミッションは毎日続いて行く。既に何度かミッションにも出ていた頃、シエルからの相談があった。

 

 

「時間は大丈夫なんだけど、何かあった?」

 

「ええ。実は以前から兆候はあったんですが、ここ最近、銃形態での運用が以前よりもスムーズに行っていないと言うか、何か挙動が変だと言うか、とにかく少しおかしいんです。最初は故障かとも思ったんですが、ここの技術班の方の腕前からすればそれはあり得ない事なんです。すみませんが一度挙動確認の為に一緒に出てくれませんか?」

 

「構わないよ。だが、挙動がおかしいとなれば今後のミッションにも影響が出そうだな」

 

「万が一もありますので。お手数ですがお願いします」

 

 銃形態に関しては北斗もどちらかと言えば門外漢に近い物があった。ここ最近になって漸く簡単なバレットエディットのレシピを教えて貰って何とか利用しているレベルでしかない。にも関わらず、実際には専門だと言っても差し支えないシエルの相談は割と深刻な様にも思えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、どうだった?」

 

 銃形態での動作確認の為なのか、ミッションそのものは簡単に終了していた。今の北斗達のレベルであればサイゴードとドレッドパイクのミッションは本来であれば受ける内容では無い。

 だからこそ動作確認にはもってこいのミッションだった。

 

 

「どうやら神機の整備不良ではありません。しかし、バレットの挙動が安定はしてませんが、良い方向に働いている様な気がします」

 

「一度リッカさん?に相談したらどうかな。多分何かしら分かるだろうから」

 

 言葉そのものを言っただけではあったが、どこかシエルの表情が何時もとは違う様にも見える。何かおかしな事を口走った覚えは無いが何故なんだろうか。そんな疑問が少しだけ過っていた。

 

 

「まさかとは思いますが、リッカさんの顔と名前は一致してますか?」

 

 どこか疑う様な目で見られていたからなのか、北斗は内心かなり焦りがあった。技術班には一度顔を出した際には紹介されたものの、流石に完全に覚えた訳では無かった。

 どうやらそんな部分を見透かしたからなのか、ここに来て漸くシエルの表情の理由が理解出来ていた。

 

 

「も、勿論だって。ちゃんと覚えてるから。そうだ、ここはリッカさんに一度相談するのはどうだろうか?その方が確実性が増すと思うけど」

 

「やっぱりそうですよね。では、改めて覚える為に一緒に来てくださいね」

 

「……はい」

 

 これ以上の事は無駄だと悟ったのか、北斗はただ頷く事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う~ん。神機そのものは問題無いと思うんだけどね。やっぱり一度完全整備した方が良いかな。シエルさんは今日の予定はどうなってる?」

 

 リッカに確認したが、原因の究明にはやはり時間がかかる様だった。事実この極東支部は激戦区の名の通り、神機の整備も順番にやっているが、それでも数が多い事から時間が足りず、実際にはオーバーホールとなれば時間がかかるのは誰の目にも明らかだった。

 

 

「私は構いませんが、リッカさんの方は大丈夫なんですか?」

 

「私?私なら大丈夫だよ。もう一人整備する人間が帰ってくるから、時間に関しては問題無いよ」

 

 そんな話をしていた頃だった。背後から存在感が示すかの様に一人の男性がやってきた。

 

 

「あれ?お客さんか?見ない顔だけど」

 

「あっ!お帰りナオヤ。この人達はブラッド隊の人だよ」

 

 ナオヤと呼ばれた男性はどこか北斗と似たような雰囲気が漂っていた。技術班にしては他の人達よりも鍛えているのか、動きが明らかに違う。存在感は気が付けばあるが、普段は気配が無いかと思われる程に足音すら聞こえる事は無かった。

 

 

「初めまして。リッカのサブをやってる技術班の黛ナオヤです。出張してたんで、詳しい事は少しだけ聞いてます。何でも感応種討伐のエキスパートだとか」

 

「初めまして饗庭北斗です。自分たちは偏食因子が異なるので影響を受けにくいだけで、エキスパートと呼ばれる程ではありません」

 

 2人はそう言いながらも握手している。その握手で何かを悟ったのか、改めて北斗が口を開いていた。

 

 

「あの、黛さんは何かやってるんですか?そんな気がしましたが?」

 

「俺?俺はただの整備士だけど」

 

「あのさ、謙遜しても無駄だよ。北斗君。ナオヤはね、ここの中級カリキュラムの教導教官も兼ねてるから、たぶん腕前は新兵なんか比べ物にならないよ」

 

 リッカが苦笑を漏らしながらに話す。それを聞いたのかナオヤはバツが悪そうだったが、目の前の北斗とシエルは逆に目を輝かせている様にも見えていた。

 

 

「あなたが教導担当の方だったんですか。私はシエル・アランソンと申します。実はここの教導カリキュラムには関心があったんです。短期間での教導の割には効率的に実力が身に付いている様にも思えました。まさか神機使いじゃない人がやってるとは思ってませんでした」

 

 極東に来た際にどこかで教導カリキュラムの話を聞いていたのか、普段のシエルから考えれば興味深いからなのか、ただ感心していた。

 

 

「そうだ。シエルさん。後で良かったら教導カリキュラムの元になった映像があるけど、見てみる?結構凄い事になってるから」

 

「まさかとは思うけど、アレの事か?それはちょっと止めてほしいんだけど」

 

「結果的には皆見てるんだし、折角なんだからナオヤの実力を見せた方が今後の役に立つんじゃないの?」

 

 ナオヤの静止は一切聞かず、リッカとシエルの間に話が次々と進んでいく。今さっき帰ってきたばかりなのに、こんな事になるとは思ってもいなかったのか、ナオヤがどこか居心地が悪そうにしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは凄いですね。一般の人で、この動きは中々出来ないんじゃないですか?北斗はどう思いました?」

 

 見せられた映像は正に圧巻と呼べる物だった。ここのカリキュラムを終了した者は一度は見ている映像。一番最初にここでエイジとナオヤが激突した戦いでもあった。

 チャージスピアでは無いものの、お互いが槍術とあってか動きはかなり早く、まるで演武かと錯覚する程に洗練された動きだった。

 3種類の基本動作しか無いにも関わらずにこの動きとなれば、それはある意味では脅威とも取れた。既にお互いの槍が何度も交差しているにも関わらず、直撃した様子は一切無い。それがどれ程の技術なのかは考えるまでも無かった。

 

 

「いや、想像以上だった。ゴッドイーターの方は誰か分からないけど、こっちは少し苦手なんだろう。動きがナオヤさんよりもぎこちない様に感じた」

 

「しかし、槍術であれならゴッドイーターになればかなりの腕前じゃないのか?少なくとも曹長クラスは簡単に行けるだろうな」

 

 映像を見ようとすると、何故かそこにはギルまでもが同じ槍だからと一緒になって見ていた。映像の時間は僅かだが、見る者が見ればどれ程の攻防なのかがよく分かる。教導教官の名に相応しい動きにこれが極東なのかと3人は改めて感心していた。

 

 

「あれ?みなさんこんな所で何を見てるんですか……ああ、これですか」

 

 背後から聞こえた声は任務に一旦ケリがついたのか、ここに戻っていたアリサだった。当時の状況は映像を見なくても思い出す程の戦い。モニターを見ながらもそんな過去の記憶が蘇ってきていた。

 

 

「アリサさんもご存じなんですか?」

 

「知ってると言うよりも、これを撮影した時にはこの場に居ましたので。でも、これは確か教導カリキュラムで見てたはずだと記憶してますが?」

 

「これはリッカさんの所に行った際に見せてくれた物だったんです。詳しい事は聞いてなかったので、一度見た方が良いかと思いましたので」

 

 シエルの言葉に漸く理由が分かったのかアリサは一人納得していた。しかし、なぜこれがこんな所で見る事になったのだろうか?まずは確認するのが一番だと、改めてアリサはシエルに確認する事にした。

 

 

「シエルさん。どうしてこれがこんな所で?」

 

「実は先ほどリッカさんに相談があって技術班に行ったんですが、その際に黛さんと言われる方が戻られたので、その話の流れでお借りしたんですが」

 

「え?ナオヤが居たんですか?」

 

「そうですが、それが何か?」

 

「そうだ!私、用事を思い出しましたので、これで失礼しますね」

 

 何かを思いついたのか、アリサは突如としてエレベーターへと走り出していた。一体何があったのかその理由は誰にも分からなかったが、アリサは今までに見た事も無いような笑顔だった事だけが3人には理解出来ていた。

 

 

「あれ、こんな所で何してんだ?」

 

 アリサと入れ違いで今度はコウタがロビー来ていた。どうやらミッションから帰投したのか、後ろにいるエリナとエミールがどこか疲弊した表情のまま歩いている。任務お疲れ様ですと思いながらに、アリサ同様に理由を話していた。

 

 

「なるほどね。そりゃアリサがご機嫌になる訳だ」

 

「あの、ナオヤさんが帰ってきた事に何か意味があるんです?」

 

「ああ、ナオヤは偶にクレイドルのサポートで移動する事があるんだ。で、あいつが帰ってきたって事は、もれなく他のメンバーも帰ってきているって事なんだよ。よぉうし!今晩のメシは期待できるぞ!そうだ、皆も機会があるならラウンジに行くと良いよ。良い事あるぞ」

 

 やはりコウタも同じように機嫌を良くしたままエレベーターへと足を運んでいた。ラウンジで何かイベント事でのあるのだろうか?コウタとアリサの表情からは何も判断が出来ないものの、まずはラウンジへと行った方が良さそうだと、この後で改めて足を運ぶ事にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ北斗。ラウンジで何かあるの?」

 

「さぁ?良くは分からないけどコウタさんがラウンジに行くと良いって言ってたから、行くだけなんだけど」

 

 取りあえずは全員でラウンジまで足を運ぶ事にした。扉を開ければかなりの人数が居たのか、それぞれが思い思いに過ごしてた。

 

 

「一体何なんだろうね」

 

「でも何時もとは雰囲気が違う様ですが?」

 

 ナナとシエルが疑問に思うのは無理も無かった。時間は食事の時間からを少し遅くなっている。本来であればこの時間帯に人は少ないはずだったが、なぜか何時もと変わらない人数がそこに集まっていた。

 

 

「あれ?カウンターの所にアリサさんとムツミちゃんが居るよ。でも、なんでムツミちゃんがカウンターの中じゃなくて外なんだろう?」

 

「ナナ、どうやらカウンターの中に人がいるみたいだ」

 

 北斗の指摘通り、カウンターの中には男性が色々と何かを作っている様にも見えていた。ラウンジは若干ではあるが女性陣の方が多い様な気がする。ロミオも一体何が起こっているのかと周りをキョロキョロとするだけだった。

 

 

「あれ?皆さんも来てたんですか?」

 

「あの~アリサさん。これは一体?」

 

 既にアリサの目の前には見た事も無い様なケーキと飲み物が置かれている。隣のムツミの前にもアリサとは違う物が置かれていたのをナナは見逃さなかった。しかし、ここに来てからケーキの様な類の物は口にした記憶が無い。

 これは一体なんだろうと周りを見れば皆が思い思いに食べているようだった。

 

 

「アリサさん、これはどうしたんですか?」

 

「君達がブラッド隊の人なの?」

 

 ナナの疑問に突如として呼ばれたのか、北斗がいち早く反応していた。

 

 

「そうですが、ええっと…」

 

「僕の名前は如月エイジ。アリサたちと同じクレイドルの所属だよ。アリサがお世話になったみたいだね。これからも宜しくね」

 

 そう言いながらも手が止まる事は一切無かった。カウンターの向こう側からは次々と色んなケーキ類が出てくる。それが次々と運び出され、落ち着いた頃に漸く全員が改めて自己紹介する事になった。

 

 

「おお。流石は極東支部。ムツミちゃんの料理も美味しいけど、このケーキはまた格別な味が……」

 

「ナナ、食べるか話すかどっちかにしないと行儀悪いぞ」

 

 頬張るまでは行かないが、一口食べればどれ程のレベルなのかは素人でも分かり易い程に違っていた。気が付けば女性陣が何故多いのかが容易に想像できる。北斗も一口食べはしたが、ここまでの物を口にした記憶は今までに一度も無かった。

 

 

「饗庭さんでしたっけ。気にしなくても良いよ。こうやって喜んで食べてくれた方が嬉しいからね」

 

「あの、如月さん。どうして俺の名を?」

 

 北斗は一度も自己紹介をしていない。にも拘わらずエイジは自分の名前を知っていた事が疑問だった。どうやって知ったのかは知らないが、同じ支部内である以上、誰かから聞いたんだろう位にしか考えていなかったが、それでも気になるのは間違いなかった。

 

 

「ああ、アリサから聞いたんだよ。002号建設予定地の感応種討伐の事も聞いてたからね。でもこれで全員じゃないよね?」

 

「そうですね。ケーキを食べてるのがナナで、こっちがロミオ先輩。で、こっちがシエルです」

 

 北斗がそれぞれを紹介し、お互いが自己紹介をする。北斗の見立てからすれば、先程のナオヤの方が存在感が大きく、恐らくは何も隠すつもりは無い様にも見えたが、目の前のエイジに関してはどこか異質な様にも感じていた。

 こうやって対峙していればハッキリと存在感が分かるが、恐らくは暗闇などの視界不良な中では視認する事は不可能な程に気配を感じる事は無かった。

 

 恐らくは常用的に気配を殺しているか、それとも何らかの形で必要になっていると考える事が出来た。

 

 

「そう言えば、先程までギルも居たはずですが、一体どこへ?」

 

「ギルバートさんなら、多分あそこだよ」

 

 シエルの疑問に答える形でエイジがラウンジの端の方を見やると、そこにはギルと同じ極東の誰かが隣同士で飲んでいる様にも見えた。

 

 

「あれは、どなたなんでしょうか?ここに居る方の様に見えますけど?」

 

「…ああ、あれはハルオミさんだね。確か、ギルバートさんが以前に居た支部の上司だったと聞いた記憶があるけど、多分そうじゃないかな」

 

「そっか。ギルにもそんな時があったんだ」

 

「ロミオ先輩。いくらギルでも新人の頃はあるんじゃないんですか?」

 

「えーそうか?最初のイメージが強いからそんな感覚は無かったんだけどな」

 

 ロミオが言う様に、ブラッドにおけるギルの立ち位置はベテラン的な事もあってか、どこか他のメンバーとは違うような雰囲気を纏っていた。口には出さないがそれは誰もが思っている事でもあり、ここに来る事が決定してからは時折何か考え込んでいる様にも見えていた。

 

 

「多分、久しぶりだから積る話もあるんじゃないかな。そう言えばアリサ、明日の午後までちょっと時間空いてない?」

 

「明日ですか?明日は一日申請関係で書類作業ですけど、どうかしたんですか?」

 

 突然話が来た事でアリサも明日のスケジュールを色々と思い出す。確か明日は建設予定地における各施設の概要と予算の事で何かとやる事が多かった記憶があった。

 エイジからのお誘いは有難いのだが、この書類も何とか時間を捻出した結果、時間ギリギリとなっていた事が同時に思い出されていた。

 

 

「ちょっとした事なんだけど、ここでは言いにくいんだ。それと、書類の事なら心配しなくても後はサインするだけになってるから、時間はかからないはずだよ」

 

 エイジが何を考えているのか分からないが、明日やるべき事のほとんどが終了しているとは思ってもいなかった。昨日の時点では今日帰ってくるなんて話は出ていなかった。アリサが知ったのは偶然にしか過ぎない。

 にも拘わらずやるべきことが片付いていると言う意味が理解出来なかった。

 

 

「ちょっと待ってください。今確認します」

 

 アリサは慌てて端末からデータを確認する。建設予定地での資材調達やコスト計算、それ以外にも人口の収容における申請など殆どの内容が完了していた。未記入なのはアリサの署名する部分だけ。まさかとは思うも恐らくは何も答えてくれる事は無いのだろう。

 あまりにも当たり前の様にここに居るのに、大半の事までもが完了しているなんて事は想定外だった。

 

 

「……ありがとうございます。助かりました」

 

「リンドウさん程じゃないから気にしないで良いよ」

 

 このやり取りが一体何を指しているのか当事者の2人にしか分からない。詳しい関係性は分からないが、何か特別な絆がある事だけはカウンターに居た誰の目にも明らかに理解していた。

 

 以前に話しいたアリサの恋人が恐らくは目の前にいる当事者なんだろうと北斗は一人考えていた。

 

 

 



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第132話 想定外の驚き

「う…ん。っん……んん」

 

 時計の針が少しだけ深夜へと傾く頃、エイジの部屋からは艶やかな女性の声が漏れだしている。居住スペースは防音されているので外部に漏れる事は一切無いが、それでもその声を聴く者が居れば何かしらの反応をせずにはいられない様な声が部屋に響いていた。

 

 

「アリサ、最近休んで無いよね?身体が悲鳴をあげそうだよ。幾らゴッドイーターでも休息は必要だから」

 

「ちゃんと休んでますよ。でもエイジだって同じじゃないですか」

 

「そんな事ないよ。でもアリサ、身体は正直だよ。首から背中にかけてまだ筋肉が緊張した状態を維持してるのが直ぐに分かるから」

 

 ラウンジでの一時から、今はエイジの自室へと移動していた。2人きりになるのは何時以来だろうか。そう考える程の時間が二人の間には流れていた。何かが気になったのか、部屋に入った途端にエイジはアリサをじっくりと見ていた。

 

 いきなり事に及ぶ……のではなく、疲弊した身体を労わるかの様に、アリサはオイルマッサージを受けていた。暖められたオイルの影響なのか、アリサに塗られたそれは少しだけ何かの花の様な香りを辺り一面にふりまいていく。何時もの匂いとは違うそれがアリサの心をゆっくりと解していく様だった。

 

 

「エイジには…隠せない…ですね。少しだけ…忙しかっただけ…ですから。それより、明日は何があるんですか?」

 

 うつ伏せに横たわった身体は見ただけでも分かっていたが、やはり触れば疲労が抜けていないのが直ぐに理解出来きた。女性らしいボディラインに変化はないが、筋肉の繊維が抵抗するかの様に強張っている。緊張しているであれば仕方ないが、明らかにリラックスしているにも拘わらずこの調子であれば、ある意味では溜息の一つも吐きたくなる様だった。

 力を入れず、丁寧にリンパ節や筋肉の筋を撫でていく。体中の筋肉が強張っているのを解放するかの様にエイジはアリサの身体に集中してた。

 柔らかなタッチと共に癒される様な感覚がアリサの全身を覆っていた。

 

 

「ちょっと屋敷でやる事があってね。実は昼過ぎにはここだったから、一度兄様の所に顔を出してたんだけどね。…その際にちょっと驚いた事があってね」

 

 そう言いながらも、マッサージの手は止まる事は無く、アリサも少しづつリラックスしているのか目が少しづつ虚ろになりだしていた。今までにこんなことをされた記憶は殆ど無いが、あまりにも手慣れた手つきが何となくアリサの心に引っかかる。

 ただでさえ、当初は約2カ月程の遠征だったはずが気が付けば半年程の長期遠征となった事から、アリサも自身では気が付かない程に寂しい気持ちが存在していた。

 

 エイジが離れてから暫くの間は激務だった事からあまり考える事は無かったものの、今の工程にメドが着いた辺りから何となく心の中に澱が溜まる様な感覚があった。

 連絡はしても決してアリサの手に触れる事も無ければ触れられる事も無い。冷たい画面越しの逢瀬も限界に達しようとした矢先の邂逅は、これまでのアリサの心情を覆す結果となっている。その結果としてのオイルマッサージではあったが、ここで一つの疑問が発生していた。

 解消する為には一度手が止まる事になるが、それを聞かない事には恐らくは落ち着く事は無いのだろうと考えていた。

 まさかとは思うも、どこか信じたい気持ちと猜疑心が少しづつ今のアリサの中に湧き出てきていた。このままには出来ない。そんな考えが過ったのか、アリサは意を決して口を開いていた。

 

 

「…その前に聞きたい事があるんですが、何だかエイジの手つきが手慣れてませんか?ひょっとしたら向こうで他の女性になんて……まさか浮気なんて…」

 

「なんでそんな話になるの?」

 

 突如としてアリサの口から出た言葉にエイジは疑問はあるが、浮気なんて単語が出るような色っぽい話は今までに一度も無い。にも拘わらず、なんでそんな話がこんな所で出るのだろうか?一先ず確認が先決とばかりに、アリサの考えを聞くことにしていた。

 

 

「何だか女性の身体を良く知っている様な手つきがちょっと……」

 

「気持ち悪かった?」

 

「気持ちが良すぎるんです。でも私は今までこんな事されてなかったので他の誰かで……ああっ……んん…」

 

 これ以上の言葉は自分で言うのは厳しいと無意識に考えたのか、アリサの言葉尻が徐々に弱くなる。久しぶりに見た顔に嬉しさはあったが、何だか嫉妬してる様な気分と同時に不安感が押し出されてくる。

 

 何時もならば仕事が激務だった事からこんな考えを持つ事はなかったが、ここにきて精神的にもゆとりが出たからが故の考えだった。

 

 

「これ?これは向こうで散々やってきたからね。だから手慣れてるんだよ」

 

 まさかの言葉にアリサの気持ちが少しづつ乱れ出す。この時点で何を確認したいのかエイジには想像できたが、敢えて特定の単語を除外したからこそ、こうなる事は予測出来ていた。

 

 

「やっぱり…エイジは…」

 

「毎日ツバキさんにやると気が張るからね。本部での応対って結構大変だよね」

 

「うわ……今、何て言いました?」

 

 この時点でエイジの目論見は成功していた。多分こうなるだろうと考えたそのままの結果だったのか、ポカンとした表情が可愛いなんて考えながらに改めてアリサに説明をしていた。

 

 

「ツバキさんにマッサージしてたよ。もちろんこんなシチュエーションでは無いけどね。……アリサ、どうかした?」

 

 エイジの一言で先程までの考えが恥ずかしすぎたのか、アリサは顔を赤くしながらそのままシーツに顔を埋めていた。

 恐らくエイジは知っていてやったんだと理解したものの、何となく憤りを感じたのか、それとも疑った自分を恥じたのかは分からない。しかし、そんなやり取りを他所にエイジの手がそのまま止まる事は無かった。

 

 

「だったら最初に言ってくれたって……ちょっと疑った私が馬鹿みたいじゃないですか……」

 

 やり過ぎたかと思う反面、本当の事を言えばエイジも面白くない部分が何度かあった。

 半年ぶりに会ったからなのか、本来ならばこんな場面でアリサを揶揄う必要性は無かった。

 クレイドルとしての仕事をする際に感応種討伐を助けてもらったブラッドの事や、外部居住区で色々とやってもらった出来事を楽しく言ってる姿はエイジに取っても悪い話では無い。しかし、本来ならばアリサが喜んでいる事は嬉しく思う反面、どこか自分の知らない一面を遠回しに教えて貰っている様でエイジとしては面白くない部分があった。

 

 嫉妬からくる独占欲とも取れるそんな意趣返しとも言えない様な事を口に出すつもりは無いはずだったが、どうやら少しだけ感応現象が起きたのか、今のアリサには全て伝わっている様だった。

 

 

「私はエイジの元から去る事は絶対ありませんから…でも、出来るだけ言葉で言って欲しいです」

 

 確実にこの感情が伝わったのか、うつ伏せになっているアリサの顔は未だシーツに埋まったままだが、それでも少し見える表情だけではなく耳まで赤いままだった。以前に言われた感応現象が起きるケースが高く、その能力が高いと当時ガーランドに言われた言葉が思い出される。

 感応現象による隠す事が出来ない本音がアリサに伝わった以上、エイジに反論は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、エイジはいつもならツバキ教官と言ってたはずなのに、どうしてさん付けだったんですか?」

 

 マッサージが終わり、身体が軽くなったと思う位に全身がリラックスしている中で先程の会話で少し気になる点があった。エイジは普段からそんなに口調や話し方が変わる事は無いが、公私共に呼び方が違うのは精々が身内の呼び名位のはず。些細な違いとは言え、アリサは少しだけ気になっていた。

 

 

「明日の要件はそれなんだ……アリサ、驚かないで聞いてほしいんだけど……ツバキ教官がツバキさんになった」

 

「…?すみません。言葉の意味が分からないんですけど」

 

「実は今日屋敷に行った際に聞いたんだ」

 

 突如として意味不明な言葉はアリサを混乱させていた。その意味が一体何を指すのかは、エイジの話を聞く以外に判断する材料が何も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄様ただいま戻りました」

 

「本部は相変わらずか?」

 

 今回の遠征は当初は2ヶ月を予定していたが、接触禁忌種が何故か多発した事に加え、それと同時に正体不明のアラガミが何度か確認されていた。本来であれば任期切れの為に、内容を一旦クリアにしてから改めて再訪の予定だったが、何せ相手は正体不明の接触禁忌種である以上、このまま帰らすと万が一の事があってからでは遅いとばかりに引き止められていた。

 

 ただでさえ、エイジの神機は特殊なチューニングの為に一旦戻らない事には何も出来なくなるからと話をしたものの、結果的には技術交流の名目で無明とナオヤが極東からこっちに来る事を利用する結果となっていた。

 無明はフォーラムが終わってそのまま帰国したが、ナオヤの技術はそのまま本部でも通用する事から、暫くの間は滞在する結果として結果的には半年程の長期滞在となっていた。

 

 

「そうですね。ただ、原因不明のアラガミが極東方面へ移動したと言う目撃情報はいくつか察知してますので、暫くの間は警戒が必要になる可能性が高いです」

 

「確か、赤色のカリギュラ種だったな。確かに何度か目撃例があるが、今の所はこの近隣での目撃は無い様だが、ひとまず警戒が必要だろう」

 

「核心した訳ではありませんが、そのうちここに来るような気がしますので、発見できれば速やかに討伐します」

 

 エイジが本部に行く様になってからは無明が本部へ行く機会は格段に少なくなっていた。

 現状、極東から派兵されている中で極東支部に対して何かしら口出し出来る事が無いのと同時に、この状況下で何かすれば即時撤退される可能性が極めて高かった。突出した戦力は本来であれば疎まれる。しかし、本人の人柄やその間の指導を考えれば本部としては態々火種を作る様な行為は望ましく無い。そんな予測が立っていた。だからこそ、暫くは安泰だろうと言った考えがそこにはあった。

 

 万が一何か交渉事があれば、今はツバキが対応できる。そんな事まで考えた結果ではあったが、やはり何かあってからでは遅いとの判断により、分かる範囲の中でエイジから現状を確認していた。

 アナグラとは違い、屋敷での盗聴の恐れは無い。そんな事も手伝ってか、話の内容は随分と濃い物となっていた。

 

 

「ご当主、奥方様がお見えになりました」

 

「そうか。こっちに来るように言っておいてくれ」

 

「かしこまりました」

 

 何気ない会話だったが、エイジの中に疑問があった。記憶をいくら遡っても無明が結婚したなんて記憶はどこにもない。以前に聞いた際にもそんな話は一度も無かった。にも拘わらず、今の言葉は明らかにしていないと口には出来ない。まさかとは思いながらに聞いて確認する以外に何も考えられなかった。

 

 

「兄様。ご成婚おめでとうございます。どなたかは存じませんが僕は嬉しく思います」

 

 座礼のままにエイジは頭を下げ、純粋に言葉通りの意味として発言していた。

 

 

「そうか。言ってなかったか」

 

 失念していたのか、エイジの言葉に無明も珍しい失態だと考えていた。知らないのであれば当然だが、相手は誰なのか見れば驚くだろうと、今は待ち人が来るのを待っていた。

 

 

「なんだエイジ。まだ話の途中だったか」

 

 女性が来たのか、足音が近づいてくる。この声にまさかとは思うが、聞き間違いの可能性もある。しかしこの声は今まで散々聞いてる以上間違えようにもなかった。エイジの背中にジットリと汗が滲む。エイジの中で様々な思惑が渦巻いていた。

 

「まさかとは思うんですが、ツバキ教官ですか?」

 

「…なんの話だ?」

 

 エイジの言葉の意味が分からないからとツバキはエイジを見るも、何か遠慮しているのか中々切り出す気配は無かった。少しだけ時間が経過したのち、決心したのか漸くその重い口をエイジは開く事にした。

 

「先ほど奥方様と聞いたので、確認したいと思いました」

 

 この時点でエイジはツバキと無明の顔を見る事が出来なかった。ツバキに対して何かしらの感情はないが、過去にそうではないのだろうかと考えた事もあった為に、おいそれと口にしにくい部分も存在していた。

 

 

「なんだ無明。まだ言ってなかったのか?」

 

「すまない。失念していたようだった。そんな事だ。エイジも忙しいとは思うが、明日は内々で少し祝い事をやるから出席する様にしてくれ。それとアリサも連れてきてくれ」

 

「アリサですか?身内だけの集まりなんじゃ?」

 

 この時点で何かある様にも思えたが、ツバキの事で一体どうなっているのかと混乱している中でのいきなりの結果に理解が追い付かない。ましてや、この場面でアリサの名前が出る事すら理解が出来ない。そんな考えを見透かしたのか追い打ちをかける言葉が続いていた。

 

 

「お前もそれなりの立場にあるのと同時に、他の支部でも水面下で色々な話が出ている。身を固める事を考えているならば連れてこい。俺の口からはそれ以上の事は何も言わん」

 

 この言葉をどう捉えていいのだろうか、そんな考えがエイジの心を惑わせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って事があったんだけど。どうしたの?」

 

 これまた予想通り、アリサは驚きを隠すつもりもなく呆気に取られていた。何から考えれば良いのだろうか?何時もの様な優先順位をつける事が何も出来ないままフリーズしたままだった。

 

 

「確認なんですが、嘘じゃないんですよね?」

 

「ツバキさんの事?」

 

「それもなんですが……いえ、そうじゃなくてその後の話の事です…」

 

 アリサが指す言葉が何なのか漸くエイジも理解していた。出来事をそのまま口に出したからなのか、今頃になって発言の意味を理解していた。一番最初に明日の予定を聞いた時点で既に結論は出ているが、本当にそれでも良いのかアリサは改めて確認したいとエイジに聞いていた。

 

 

「ああ、本心だよ。嫌ならいいけど」

 

「行きます!行かせて下さい!時間は何とか作りますから」

 

 今さらな考えではあったが、アリサとて何も考えた事が無い訳では無い。ただ、今の状態があまりにも先が見えない事が多すぎた為に無意識の内に除外していたのだった。

 帰国早々の出来事にアリサも精神的な疲労がどこかへ行ったのか、既に意識は明日に向いている。そう考えて今日は早めに休むのが一番なんだろうと考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝の食事も程々にエイジ達は屋敷へと来ていた。恐らく話を聞いたのだろうか、リンドウとサクヤもレンを連れてそこに居た。既に着替えていたのかレンは子供用の着物を着、サクヤは留袖を着ている。リンドウは着るつもりが無かったのか、それとも嫌がったのか着物では無く、珍しくしっかりと上まで止まったクレイドルの制服を着ていた。

 

 

「なぁエイジ、昨日姉上から聞かされたんだが、お前さんはどの時点で知ってたんだ?」

 

「僕も昨日聞きました。正直かなり驚いてますけど、ちょっとだけ安心してます」

 

「ほう。そうか…何となくしっくりくるのかもな。まぁ、俺としてはこのままだったらどうしようかと心配したがな」

 

 どことなく感慨深い物があったのか、それとも突然の話に驚いたからなのか、顔を見た瞬間リンドウはエイジの下でそんな話をしていた。何時もであれば静かな屋敷の中が喧噪に包まれていた。

 本来ならばこの場に居るはずの無い榊と、休暇を取ったのか弥生までもが来ている。確か身内だけだったと聞いていたが、やはり支部長だからなんだろうかとエイジはボンヤリと考えていた。

 

 

「今日は本当に身内だけなんですね」

 

 リンドウ達の会話もそれなりに、振り向けば振袖姿のアリサとシオがゆっくりと歩いてきている。既に何度か来た事があるせいか、アリサの着付けは何も問題無い様にも見えていた。

 

 

「アリサ、その着物は新調したの?」

 

「この着物は以前に写真を撮った際に新調した物なんです。エイジ、どうですか?」

 

 以前に内部向けに広報誌で載っていた柄だと気が付いていた。あの当時の事が嫌でも思い出される。そんな気苦労を味わうのはもう結構だと考えていた所でまた違う声が聞こえてきていた。

 

 

「やっぱりアリサちゃんはその柄は良く似合うわね。サクヤさんもそう思いませんか?」

 

 エイジが発する前に声をかけたのは、同じく着物姿の弥生だった。準備は刻々と進む中でこれから他の事での準備があるからと交代で着替えている。エイジも既に着替えていた事からも開始の時刻はもう僅かだった。

 

 

「そうね。いつもとはイメージが違うから、これはこれで良いかもね。でも、なんでアリサがここに?私とリンドウは分かるけど…」

 

 サクヤの何気ない言葉に、エイジはどう言えば良いのか少し迷っていた。今さらだからとお茶を濁すのは簡単だが、ここにはサクヤとリンドウしか居ない。それならば事実を言った所で問題無いと考えていた時だった。

 

 

「今回は身内なんだけど、当主からは違う意味で言われたのよね」

 

 弥生の放った爆弾は物の見事に炸裂したのかアリサの顔が赤く染まる。何も口には出さないが、その表情が全てを物語っていた。

 

 

「あら?そう言う事なのね。そっか、もうそんな予定があるんだ」

 

「サクヤさん。今直ぐにって訳じゃないんですけど……」

 

「でも、エイジの中では予定があるのは間違い無いのよね?」

 

「……その時には報告しますから」

 

「良かったわねアリサ」

 

 普段であればここまで言い淀む事が少ないエイジを見る機会は無い。近い将来とだけ言われたが、それが何時になるのかは今の時点では誰も判断する事が出来なかった。秘密と言う程の内容では無かったが、2人以外の誰かに言う事によっての結果は、今のアリサには十分すぎた言葉だった。

 

 

「エイジ。そろそろなんだけど……取り込み中だったか?もう時間だから早く来てくれって」

 

 何とも言えない空気を破ったのは呼びに来たナオヤだった。アリサの話は既に聞いていたので今さら何も言う必要は無いと考えていたが、やはり女性陣には楽しい事なんだと、それ上のツッコミを入れる事は無かった。

 

 

 

 

 

 リンドウとサクヤが式を挙げたのとはまた違った趣があった。ドレスではないが白無垢の着物をまとったツバキは何時もとは違うイメージを持っている。

 本来であれば多少なりとも公表しても問題無いが、今のツバキの立場を考えれば、今回の件については表立っての公表は控えられていた。

 今の極東支部でツバキの事を知らない人間も多くなった事に加え、ゴッドイーターではなく、クレイドルの窓口兼、教官の立場が起因していた事からひっそりと執り行われていた。

 旧時代であれば神前の様な雰囲気と同時に、どこか厳かなプレッシャーを感じる様な空気があったものの、参加している者からすれば、これもまた一つの様式美の様にも感じられていたからなのか、会場の空気は凛とした佇まいを呼んでいた。

 

 

 

 

 

「そう言えば、エイジ。お前はこれからは何と呼ぶつもりなんだ?無明が兄様なら姉上は義姉様なのか?」

 

 式が終わった後は各自の食事が振舞われているからなのか、それとも明るい時間から既に酒が入っているからなのか、何となくリンドウの表情がおかしな事になっている。確かに無明の事は兄様と呼んでいるが、実際には血縁関係は無い。

 敬称の意味合いで使っている事が多い為に、そこまで深く考えた事は無かった。

 

 

「その理論から言えば、リンドウさんの事は義兄になります。ただ公表しないのであればアナグラでは今まで通りですね」

 

「何だよつまらねぇな。ま、呼び方が変わるから関係が変わるなんて事も無いからな。その辺りはお前さんの好きに呼べば良いさ」

 

 そんな些細な話もこんな席だからこそ許される様な雰囲気があった。既にある程度予定の有る者はこの場にはおらず、今は久しぶりに落ち着いた雰囲気がそこにはあった。

 

 

「エイジ。そう言えばアリサはどうしたの?さっきまではそこに居たんじゃなかった?」

 

「アリサならあそこですよ」

 

 エイジが言うその先には、何やら職人らしい人と話をしているようだった。当初は知らなかったが、どうやらここの初期の状況を作り上げた人物らしく、今後の建設予定地について何かしらの話をしている様に見えていた。

 

 

「こんな所でもああなのね。仕事熱心なのは良い事なんだけど、少しは休みも取らないとそのうち倒れないとも限らないわよ。暫くはここにいるなら支えてあげなさいね」

 

 サクヤもアナグラにはあまり顔を出す事は無いが、それでも今アリサが抱えている内容がかなりハードな事は伝え聞いていた。事実、今回の参加に関してもエイジが殆どの内容を手伝ったからこそ時間の融通がついたにしか過ぎない。

 クレイドルが掲げた壮大な計画は未だ先が見えない。道程は今もなお遠い物だった。

 

 

「これからはそっち方面もやりますから大丈夫ですよ。でも、リンドウさんもやらないといけない事がまだ大量にあるので、明日からは同じですよ」

 

「マジか。そんなんだったらアラガミ討伐してた方がマシだぞ」

 

「リンドウは隊長の頃からそんなだったからね。どれだけ私がフォローしたと思ってるのかしら」

 

「サクヤ。そこはせめて立ててくれないと俺の立場が無いんだが…」

 

 当時の状況がサクヤの言葉で容易に想像できる。リンドウが事務仕事なんて考えた事も無かったが、今のクレイドルではそんな事を言ってる暇はどこにも無い。そんな背景があるからこそ、今の第1部隊長をコウタに任せた背景がそこにはあった。

 穏やかな一時が明日への力となる事を考え、今はお祝いの余韻に浸っていた。

 

 

 



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第133話 新たな発見

132話と時系列は同じ頃になります


「昨日もすごかったけど、まさか朝食までこんなだとは……やっぱり極東支部は人類の楽園なのでは」

 

 昨日のケーキの余韻もそのままに、朝食を食べようとナナ達は少し遅い時間にラウンジに来ると、何時もとは違う様なメニューが並んでいた。

 本来ならばムツミがラウンジに来る時間帯での朝食は割と簡単な物が多かったはず。少なくともブラッドがここに来てから見た朝食は、メニューそのものは色々とあったが、朝だからなのか、どこが簡素化されていた様にも思えていた。しかし、今日に限ってはその限りではない。

 先日のケーキのついでとばかりに仕込んであったフレンチトーストが提供された事もあったのか、何時もとは少し違ったメニューに気が付けば、ラウンジはそれなりの人数にまで膨れ上がっていた。そんな状況にナナも当初は疑問に思っていたが、周囲のフレンチトーストを見たからなのか、疑問を遠くに放り投げると同時に頼むつもりでいた。

 

 

「ナナ、そんなに慌てて食べなくても逃げて行かないぞ」

 

「いや、これはすぐに食べないと多分逃げていく気がする。ロミオ先輩が要らないなら私が貰っちゃうよ」

 

「何言ってんだよ。これは俺のだから取るなよ」

 

 ナナの言う言葉はある意味真実だった。ナナのフォークがロミオのフレンチトーストに狙いをつけながらも、自分の分はしっかりと口の中へと入って行く。そんな2人のやり取りにムツミも少し複雑な心境になっていた。ムツミとしても色々とやりたい気持ちはあるものの、今回のこれはエイジが完全に好き好んで作っていた事実があった。

 もちろんムツミも隣で一緒に作業していたが、仕事と言うよりも、どこか趣味の延長の様にも見えていた。

 エイジがカウンターの中に居るならば追加も可能だが、生憎とこのフレンチトーストは仕込みが少し面倒なので数量は限定となっていた。

 

 

「ナナさん。エイジさんからレシピは聞きましたので、これからは同じ様な物が作れますよ」

 

「おお!それは良い話を聞いた。う~ん。これからが楽しみだな」

 

 ムツミの言葉に納得したのか、ナナは先程とは違ってゆっくりと味わって食べている。狙われる心配が無くなったのか、ロミオも大人しく食べている。そんな風景を見ながら北斗とシエルもカウンターの席へと腰を下ろした。

 

 

「やっぱりシエルもあんなフレンチトーストみたいな物が好きなの?」

 

「北斗。やっぱりとはどんな意味を持つのでしょうか?場合によっては訂正を求めますが?」

 

「そんなつもりじゃなかったんだけど、やっぱり女性はああいった物が好きなのかと思ってね」

 

 心外だと言わんばかりの視線にバツが悪そうに感じたのか、頬を掻きながらに話題を逸らす。一度口から出た言葉が戻る事はなく、このままでは味がしなくなる朝食を食べるハメになりそうだと感じ出していた。

 

 

「お前ら朝から騒々しいな。朝食位、静かに食べられないのか?」

 

「おはようギル。そう言えば、昨日は誰かと話してた様に見えたけど、知り合いだったのか?」

 

「まぁ、そんな所だ。グラスゴーに居た時の先輩だ。まさかここに来てたなんて思ってなかったからな。少し話しただけだ」

 

 皆と同じく朝食の為に来たのか、遅めの時間にギルもラウンジへと入ってくる。何気ない北斗の発言にギルは少しだけ考える部分はあったが、特に何かあった訳では無いからと簡単に話すだけにとどまっていた。

 

 

「おっ!いたいた。北斗、食事が終わったら少し話があるんだけど良いか?」

 

「俺は大丈夫ですが、何かあったんですか?」

 

 騒がしい食事が終わる頃、珍しくコウタが話しかけてきた。一番最初に会ってから何度かミッションに同行した事はあったが、実際には北斗の元来の性格が災いしたのか、実際にはゆっくりと話をした記憶があまり無かった。

 しかしながらお互いに隊長と副隊長と言った役職があった事から、何となく話位はする様な間柄だった。そんな関係にも拘わらず、コウタはまるで友人の様に話しかける。そんなコウタが少しだけ羨ましいと北斗は感じていた。

 

 

「実はさ、今日のミッションなんだけど、エリナとエミールに同行してくれないか?実は今日は珍しくアリサもエイジも居なくってさ、ちょっと手が回らないんだ」

 

 コウタの言葉に漸く状況が見えてきた。先日の時点では確か、アリサもエイジも今日は大きな予定が無かった事を記憶している。それならば同じ部隊内で融通するはずだが、なぜか今日は朝から2人の顔を見た記憶は無かった。

 コウタはコウタでどうやらやる事があるらしいが、手が回らないからと言った意味合いで北斗に話が回ってきていた。

 

 

「俺は構いませんが、ブラッドはブラッドで確かミッションがあったと記憶していますが?」

 

「ああ。その件ならもうジュリウスから許可を貰ってるから大丈夫だよ。今日一日の話だからこの通り!」

 

 すまなさそうに手を合わせられるとそれ以上の事は何も言えなかった。ジュリウスの名前が出ている時点で恐らくは根回しは完了している。となれば、北斗も断る理由が無い為に快諾する事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は何だか何時もより疲れた気がする……」

 

 コウタが言う様にジュリウスに確認した所、やはり事前に根回しが完了していたからなのか改めてジュリウスからも同じ様な内容の事を通告されていた。当初は1回キリかと思ったミッションだったはずが、気が付けば連戦に次ぐ連戦からなのか、部隊のメンバーを少しづつ変えながらミッションに励んでいた。

 

 単純な討伐任務だけならばこうまで疲弊する事は無いが、問題なのはその内容だった。

 以前にエミールとは一緒に戦った事があった為に何となく耐性は付いていたつもりだったが、エリナと一緒になると所構わず言い争う場面が何度かあった。

 

 北斗も当初は驚きを見せていたが、恐らくはこんなやり取りをしながらもお互いに意見を擦り寄せているんだと思う事にして、そのまま何も言う事は無かった。しかし、そんな場面だけでは無かった。

 やはりここが激戦区とも言われる所以が垣間見えるかの様に、エリナの動きは自分が知っている様な新兵の動きはしていなかった。常に自分の間合いを崩す事無く、半ば一方的に攻撃だけを繰り返す。アラガミの動きを完全に理解しているからなのか、アラガミが反撃を見せる頃には完全にその場から離脱か、盾で防御していた。

 元々からスピアをメインで運用している事もあったのか、淀みらしい物を感じる事が少ない。そんなエリナの動きに北斗だけではなく、同行したシエルも驚きを見せていた。

 

 あの教導用の映像から判断しただけではなく、極東のカリキュラムを確認した所、大よその人間は一旦中級カリキュラムまで進まない事には実戦に駆り出される事は殆ど無かった。

 それだけではない。教導教官でもあったナオヤの許可が無ければ次のステップに進む事すら出来なかった。戦場では常に死とは隣り合わせ。何らかの要因で天秤が一方的に傾けば待ち構えているのは死だけ。

 それでも尚、未だ殉職者が出るのであれば、アラガミそのものが他の地域とは大きく違う事以外に考えられない。これが最前線と呼ばれる所以だと今さらながらに考えさせられていた。

 

 

「そうですね。フライアに居た頃とは大きく違っている様です。個体に付いても強固な物も多かったですし、今後はここで運用するのであれば私達も安穏としている訳には行かないでしょう」

 

「でもそれだけでは無い様な気もするんだけど……そう言えば、あっちはどうなってる?」

 

「多分、ギルも居ますから何とかなるんじゃないですか?」

 

「そうあって欲しいんだけど……でも、ここに来てからギルの様子が少しおかしいんだが、シエルは気が付いてたか?」

 

「…すみません。そう言った類の事は私はちょっと苦手なので…」

 

 何気に地雷を踏んだのか、少しだけシエルが凹んだ様にも見えた。恐らくは何らかの思い出したく無い何かに触れたのかもしれない。そんな居たたまれない気持ちが北斗にはあった。

 

 

「ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど、何となくギルの様子が何時もとは違う様な……やっぱり昨日の夜に話してた人と何かあったのかもしれない」

 

「それはギルのプライベートな部分ですから副隊長がそうまで気にする必要は無いかと思うんですが」

 

 そんな些細な話をしていると、既に回収も終わったのか、今回の同行者でもあったエリナが何かもの言いたげな表情のまま北斗達を見ていた。

 

 

「そう言えば、貴方たちってエリートなんでしょ?」

 

「エリートな訳ないさ。誰がそんな事を?」

 

 唐突に聞かれた言葉の意味が理解出来ない。そもそもブラッドの存在は世間にはあまり広く知られていないが、感応種討伐のエキスパートとして他の支部でも存在だけは伝えられていた。

 表面的には特殊部隊としてカテゴライズされている事も相まった結果、エリートなんて言葉だけが一人歩きしているのが現状だった。

 

 

「皆がそう言ってるから、そうだと思っただけ。でも、今日のミッション見てたら何となく分かった気がする」

 

「何か特別な事した覚えはないんだけど」

 

「私が勝手にそう判断したの!」

 

 何か変な言葉を言ったつもりは無いが、それでも何か考える様な事があったのかエリナは一人納得居ている様な雰囲気があった。

 

 

「一体何だったんだろう?……シエル何かあった?」

 

 そんな疑問を他所に改めてシエルを見ると先程の会話以降、神機が気になるのか何か考えている様にも見えている。こっちはこっちで今度は何だろうか?今の北斗を助けてくれる人間はこの場には誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。すみませんが少し時間を頂けますか?」

 

「それは大丈夫なんだけど、今度はどうしたの?」

 

 疲れた身体もそのままに、全てのミッションが終わると何か思う部分があったのか何時もよりもややテンションが高いシエルが改めて聞いてくる。一体何があったのかは分からないが、こうまでテンションが高いシエルは今までに見た事が無い。

 今の時点では何かしらの用事も無いので今はシエルの話を聞く事にしていた。

 

 

「私が以前に話した銃形態の挙動の件なんですが、実は帰投直後にリッカさんとも話をした結果なんですが、どうやら今までに見た事も無いバレットが出来上がっていたようなんです」

 

「バレット……ねぇ」

 

 恐らくは帰投直後の様子がおかしかったのはこの事なんだと北斗は理解していた。基本的に何をするにも若干表情が硬い様にも見えるが、実はバレットについては並々ならない程に熱く語る部分があった。

 以前にもバレットエディットの話でかなり盛り上がった記憶があったが、どうやら今回もそんな内容に匹敵する様な事が発覚した様だった。

 

 

「どうやらこのバレットは過去に例を見ない様な性能を誇っているらしく、ここでもこんなバレットは今まで見た事が無いって話だったんだです」

 

「性能が違うってどう言う事?」

 

「実は今回発見されたバレットなんですが、本来であればあり得ない挙動を示すらしいんです。例えば私が使っているレーザーを例に出すと、本来であれば対象アラガミに衝突すればそのまま消滅していたんですが、今回発見されたバレットはそのまま貫通する性質を持っているそうなんです。

 そうなれば乱戦時には一発の銃撃で何体かのアラガミにダメージを与えたり、また場合によってはそのまま討伐の可能性もあるそうなんです」

 

 詳しい事は分からないがシエルの言いたい事は直ぐに理解できていた。ここ極東では1体だけで終わる様なミッションは殆どなく、また時間差で討伐対象外のアラガミが乱入する事が多々あった。

 これに関しては事前に聞いていても、何かしら察知して来るのか気が付けばそれなりの数を討伐する事が多々あった。そんな事もあってか、結果的には任務の大半が混戦となるケースが多かった。

 

 

「って事はそれがエディット出来れば今以上に戦いの幅が出来るって事なんじゃない?」

 

「そう…なんですけど…」

 

 北斗の何気ないエディットの単語がでた途端、今までテンションが嘘の様に一気に落ち込んでいく。どうやらまたもや地雷を踏んだのか、誰が見ても分かり易い程の勢いだった。

 

 

「えっと……何かあったの?」

 

「実は…このバレットは既存の物とは違い、強固すぎる為にバレットの接合出来る端子が無いんです。その結果としてエディットが出来ないんです。これはこれで性能的には問題は無いんですが、やはり追加で何かしらの効果があれば今後の戦術にも大きな幅が出来ると思うんです。……ただ、今はこれをどう活用するのかは時間がかかるって話だったんです」

 

 この時点で技術班が分からない事が北斗に分かるはずもなく、大きな発見はしたものの、ここから先に進む為にはそれなりの技術が必要だと考えていた。しかし、ブラッドのメンバーの中でもシエルが一番バレットについて詳しい以上、北斗に分かる物は何も無い。このまま見ているだけは忍びないとは思うも力になれる様な事は何一つ無かった。

 

 

「でも貫通出来るって事は、それなりに威力があるんだよな?」

 

「そうですね。少なくともそのアラガミのオラクル細胞を破壊するだけの強固な性能が有りますから」

 

「強固な性能………」

 

 そんな話をしていると、不意に北斗の中で同じ様な話を過去に聞いた記憶があった。それはまだブラッドに入隊する以前。つまり、まだ外の世界で生活していた頃の話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「父さん。これどうやって切れるの?」

 

「これか?これは先端にダイヤモンドが付いてるんだ。ダイヤモンドは固い物質だからこの強度でガラスが切れるんだよ」

 

「へーダイヤモンドって固いんだね。でもこのダイヤモンドって最初からこんな形してるの?」

 

「これはダイヤモンドを砕いた物で同じダイヤを加工するんだ。ダイヤは固いけど脆い物質だからね。それを活かして加工してるんだ」

 

 そう言いながら北斗の父親が窓ガラスにはめ込む為に切っている。直線の筋が入ったかと思った途端、少しだけ衝撃を当てると、いとも簡単にガラスが綺麗に切れていた。

 

 

「固い物同士で加工するなんて父さんは凄いね」

 

「これは昔からあった物だから父さんは何もしてないよ」

 

「でも父さん凄いよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。一体どうしたんですか?」

 

 心配されたのか、シエルに表情が少しだけ曇っている様にも見えていた。恐らくはそれなりに思考の海に潜っていたのだろう。気が付けばそれなりに時間が経過していた。

 

 

「そうだ!シエル。ガラス切りなんだよ。理屈はそれで大丈夫なはずだ」

 

「えっ?一体何がどうしたんですか?ガラス切りって何ですか?」

 

 意識が戻ったかと思った途端、北斗はシエルの手を握り何かが閃いた様に見えた。しかし、シエルの中でガラス切りが一体何なのか理解が出来ず、手を握られたまま硬直する以外に何も出来なかった。

 

 

「時間あるよな?これからリッカさんの所に行こう!」

 

「は、はい!」

 

 そのまま手を繋いだまま技術班へと急ぐ。これから一体何が起こるのだろうか?未だ北斗の考えている事が理解出来ないままシエルも技術班へと急ぐ事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リッカさん。少しだけ時間良いです?」

 

「どうしたの北斗?何かトラブルでもあった?」

 

「実はシエルから相談されたバレットの件なんですが……でこうなるはずなので、………理論上は可能だと思うんですが……どうでしょうか?」

 

「……それならこう……すれば良いんじゃないかな?」

 

 突如として連れられたシエルは、北斗がリッカと話をしている内容が今一つ理解出来なかった。しかし、話の内容が直ぐに理解できたのかリッカは直ぐに準備を始めると、あっという間に検証する手筈が整えられていた。

 何も分からないままバレットをお互いぶつけるかのように発射する。その結果、幾分か破損はしたものの、モジュール結合が出来る端子を取り出す事に成功していた。

 

 

「まさかこんな単純な事で出来るなんて」

 

「こうまで上手くいくとは思わなかったんだけど結果オーライだな」

 

 恐らくは今まで見た中で一番感情が表れているのかと思うほどのシエルの笑顔がそこにはあった。北斗自身が何かを成し遂げた様な話ではないが、それでも今のシエルを見ればどれ程喜んでいるのかは直ぐに理解出来た。

 これがあれば今後の運用にも大きく活用が出来る。そんな少し先の未来が見えたような気がしていた。

 

 

「北斗のおかげです!」

 

 感極まったのかシエルが北斗に抱き付いていた。突然の出来事に一体何がどうなったのか冷静な判断を下す事が出来ない。突然の出来事に北斗はシエルが倒れない様に支える事しか出来なかった。

 

 

「あのさ…ここはそう言う事には割と寛大な支部だけど、そう言う事は出来れば帰ってからやってくれないかな?私も馬には蹴られたくないんだけど」

 

 どれ程抱き合っていたのか分からないが、この沈黙を破ったのは今回の件で一緒に検証していたリッカだった。その声に意識が戻ったのかお互いが気まずそうに離れている。

 ここが整備室だから大事にはならなかったが、これがラウンジ辺りであれば確実に今回の様なケースは容易に拡散されている。何だかんだで他人の色恋沙汰は最大の娯楽である以上、ここでは誰も否定的な考えを持つ者は居なかった。

 

 

「す、すみません。ついあまりの嬉しさに我を忘れたようですから。北斗もすみません」

 

「いや。シエルに抱き付かれたのは役得だと思ってるからあやまる必必要は無い」

 

 照れながらもお互いが何故か言い合いをしている。そんな光景を無理やり見せられたのかリッカは何となく面白い物が見れたと一人考えていた。

 次の機会で弄る事があればこれは中々面白いネタになる。

 となれば、ヒバリとも話して機会を作ろうか、それとも弥生に話した方が手っ取り早いのだろうか。そんな事を考えながらに2人のやり取りを眺めていた。

 

 

 



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第134話 ギルの憂慮

「あれ?リンドウさん。いつこっちに来てたんです?」

 

 ラウンジでは先日ギルと話をしていた人物がリンドウと話をしていた。昨日の時点では然程気にしていなかったが、話をしている所を見れば旧知の間柄の様にも見えている。ここアナグラでは平均的な年齢が低い事もあってか、その2人の空間だけは随分とアダルティーな物になっていた。

 

 

「一昨日だ。昨日はちょっと身内の事でここには居なかったんだ。まぁ、今日は現場の確認と今後の予定の打ち合わせだったから、明日からは現場だな」

 

「リンドウさんが現場に出るなら俺も少しは楽出来るかもしれませんかね」

 

 酒を酌み交わしながらに募る話があったのか、色々と話をしている。リンドウも実際にはアナグラに居る事は少なく、エイジと共に接触禁忌種の討伐専門で出張する事が多かった。

 

 

「それは無いな。今回俺達がここに来たのは、極東に向けて未確認の接触禁忌種の目撃情報があったからだ。恐らくはそれが討伐出来れば、また暫くは出る事になるだろうな」

 

「未確認のアラガミなんて、ここいらじゃしょっちゅうじゃないです?」

 

 リンドウの相手をしていたのは以前に本部にいた真壁ハルオミだった。以前本部で話したやり取りが思い出されるが、まさかそんな内容でリンドウがここに来ているとは想定外だった。

 

 

「まぁそうなんだが、今回のアラガミは今まで目撃はされてたんだが……取りあえず極東での目撃情報が多かったから俺達も討伐専門班として動いたって訳だ。そう言えば、お前も前にそんな話をしてよな?」

 

「あれ?覚えてたんですか。俺も元々はその為に色んな支部を転々としてたんで、今回ここに来たのもそれが目的なんですけどね。因みにどんなアラガミなんですか?」

 

 ハルオミも以前に話をした際には具体的な話は避けていた。しかし、ここに来て久しぶりにギルの姿を見てリンドウと話をしている事もあってか、何時もとは雰囲気が違っていた。そんな偶然が重なった結果なのか、リンドウも特に何も考える事もなく普通に話をしていた。

 

 

「確か、赤いカリギュラだったな。他の支部でも甚大な被害が出てるみたいでな。今回の件については俺達の本来の目的では無かったんだが、本部から泣きつかれてな。それで俺達も改めて拠点を移動する事にしたんだ」

 

「そう……でしたか…」

 

 リンドウの何気ない話にハルオミの表情が僅かに曇る。リンドウは気が付かなかったが、被害が出た支部はグラスゴー。そしてそれがハルオミが世界中を渡り歩いてでも探し出したかったアラガミでもあった。

 このまま話を続ければ間違いなくリンドウも言葉の意味を察知する。悟られる事が無い様にハルオミはスコッチを一気に飲み干していた。

 

 

「ハルオミさん。そのスコッチはそんな風に飲むものじゃありませんよ」

 

「ごめんごめん。ちょっと考える事があったんだ。こんな良い酒を味わわずに飲むなんて勿体無いからね。ましてや目の前にこんな綺麗な女性がいるなら尚更かな」

 

 今日はバータイムに弥生が居た事から既にラウンジの証明も少し落ち、何時ものラウンジの印象とは違っていた。そんな事もあってか、周りには人が少なかった。

 偶然リンドウと会ったからなのか、それともこの雰囲気がそうさせたのかは分からないが、今日のやり取りはハルオミにとっては有難い話であったと同時に困った展開にもなりつつあった。

 実際に少しばかりリンドウとエイジと合同でミッションに行った記憶が思い出される。

 

 幾ら極東ではないと言っても、接触禁忌種は伊達では無い。かなり慎重な行動をしなければ簡単に命が消し飛ぶ程の凶悪な種のはずだったが、この2人が同時に入ったミッションでは接触禁忌種ではなく、本当は通常種かと思う程に討伐の時間が早かった。

 当初は虚偽の申告だと疑われる場面もあったが、何度が本部の調査員が随行した際には、通常よりも早く完了した事から誰も疑う事は無かった。

 確固たる実績が物を言う世界。既に本部ではクレイドルの討伐専門部隊の認知は完全に成されていた。

 

 

「リンドウさんも、そろそろこれ位にしたら?サクヤさんもそろそろ怒りますよ」

 

「もう少しだけ良いだろ?折角めでたい事もあったんだし、あと一杯だけ飲んだら戻るから」

 

 やれやれと言った表情を崩す事無く、弥生は最後だとグラスを差し出す。琥珀色をした液体からは芳醇な香りが漂っていた。氷が少しだけ融けたのか、カランと音が鳴るそんなグラスをリンドウは眺めていた。

 

 

「めでたい事ってなんです?そう言えば昨日はエイジも見なかったんですけど」

 

 その一言にリンドウも失言だったと少しだけ悔やんでいた。無明とツバキが結婚した事は特に秘密では無いが、態々知らせる程の内容でも無い。事実、サクヤはレンと一緒に自宅ではなく、屋敷に逗留している事から、特に気にしていない可能性が割と高いからこそハルオミと飲んでいた。

 恐らく屋敷では何かしらやっているのだろうが、ここに弥生が居る以上、気が付かれる事無く確認する為にリンドウは視線を弥生へと向けていた。

 

 

「あ~その件なんだが、ここだけの話にしてくれないか?下手に騒がれるとちょっと困る可能性があるんだが…」

 

「機密か何かですか?」

 

 改めて弥生を見るが特に反応する事も無かった。文字通り機密ではない。ただここでは案外知らない人間も多いから敢えて言う必要性が無かっただけだった。しかし、ハルオミもツバキの事を知ってる以上、おいそれと口外する可能性は低いだろうと、誰にも聞こえない様な声で話した。

 

 

「実は先日姉上が結婚してな。その関係でちょっと不在にしてたんだ」

 

「………え?ツバキさんが…ですか?」

 

 リンドウのまさかの発言にハルオミも反応する事が遅れたのか、言葉が直ぐには出てこなかった。

 

 

「ああ。まぁ、本当の事を言えばいつまで独り身なんだろうかと心配はしたんだが、これで落ち着いたかと思うと感慨深くてな…」

 

「そうか。私はお前にも心配をかけていたとはな。ならばこれからは安心するが良い」

 

 この場には絶対に居ないと思われていた声が2人の背後から聞こえる。何時の間に来たのか、不覚にも気が付いた者は居なかった。

 

 弥生が教えてくれれば良かったが、恐らくは姿が見えた事が確認できたからなのか、それとも敢えて何も言わなかったのかは分からないがこの場では沈黙していた。この声はどう考えても間違い無いとは思うも、恐ろしくて振り返る事が出来ない。

 2人はその声からまるで戦闘中の様に緊張感が一気に高まる。

 チラリと弥生を見れば、何か面白い物が見れたと感じたのか、少しだけ笑みがこぼれていた。

 

 

「あの、姉上。今日は何故こんな所に?」

 

「サクヤが伝言があるからとお前に連絡してもつながらないから、私がここに来るついでに来たんだ。お前はいつまで飲んでるつもりなんだ?そろそろ禁酒した方が良さそうだな。その方が緊急出動の数を増やせるだろう」

 

「いや、それはちょっと……」

 

ツ バキの一言で酔いが一気に醒めたのか、リンドウの慌てる姿がハッキリと見える。気が付けば隣に居たハルオミの表情も優れてはいなかった。

 

 

「真壁。貴様も私が暫くはここで指揮を執るから今までの様な振る舞いは許さんぞ」

 

「り、了解しました」

 

 まさかの出現にリンドウとハルオミはまるで別人の様になっていた。明日からの事を考えれば恐らくは厳しい日常が待っているに違いない。今はそんなどうでも良い様な考えが2人の中で共通していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お願いだからギル。私がアラガミになる前に」

 

「ケイトさん。新たに配備された新薬を使えば」

 

 一人の女性の腕輪から黒煙が生き物の様に揺らめいている。恐らくは体内のオラクル細胞が暴走しているのがそのまま漏れ出ている様にも見えた。

 

 

「ううん。もうここからだと間に合わない。それにあの新薬はこの現場には持ってきていないから、もう間に合わないの」

 

「それでも今から動けば……」

 

「お願いだからハルが来る前に……辛いのは分かってるけどギルにしか頼めないの」

 

 以前に発表された新薬はゴッドイーターの生還率を高め、万が一の際にはオラクル細胞の暴走によるアラガミ化を食い止める新薬として各支部へと配布されていた。しかし、この支部では普段から出現するアラガミの内容を考慮した結果として配備は遅く、また個数に関しても僅かな物となっていた。

 本来であればミッションの際には隊長クラスは常備してるが、個数の少なさと今回の内容から判断した結果、期待されていた新薬は所持していなかった。

 

 

「……分かりました。ケイトさんすみません…」

 

「最後にこんな事になってゴメンって伝えておいてくれないかな……」

 

 その一言がギルを決心させる。このままではどうなるのかはゴッドイーターであれば誰もが知ってる結果しかこの先の未来には無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ケイトさん!!」

 

 突如として叫んだと思った瞬間、ギルはベッドから飛び起きた。もう既にこの夢の見るのは何度目なのだろうか。フライアに配属される前のやり取りがまるで昨日の様に思えると同時に、頬に一筋の何かが流れているのが理解出来た。

 フライアに配属された当初は見る事が無かった夢ではあったが、ここ極東に来てからはほぼ毎日と言っても良い程頻繁に見る様になっていた。キッカケは極東に来た際に見た懐かしい顔。

 当時グラスゴー支部に配属された際にいた先輩神機使いでもあった真壁ハルオミだった。

 

 ラウンジで酒を酌み交わしながらその後の話を幾つかしていたが、やはり心理的には自分は許される存在なのだろうかと自問自答する日々が続いていた。そんな中での夢見は確実にギルの精神を蝕んでいく。このトラウマとも取れる内容は一体いつになれば晴れるのだろうか。毎朝起きると同時に自戒の念に駆られていた。

 

 

「俺が出来る事なんて……」

 

 このまま起きても良かったが、時計を見ればまだ深夜とも早朝とも取れる時間帯。このまま何もする事も無く眠ろうと思ったものの、知らない間に喉が渇いて居た事もあってか、ラウンジへと足を運ぶ事にしていた。

 

 

「ギル。こんな時間にどうしたんだ?」

 

 ラウンジの扉を開ければ誰も居ないと思っていたからなのか、北斗がぼんやりとしながらカウンターの椅子に座っていた。まさかこんな時間まで何かをしていたのだろうかと考えるが、見えれば着ている物が何時もと違っていたのか、普段以上にラフな服装だった。

 

 

「ちょっと夢見が悪くてな。で、飲み物でも飲もうかと思って来たんだが、北斗はどうしたんだ?」

 

「ギルと同じと言いたい所だけど、今日は早朝の巡回だからこれ位の時間には起きてるぞ」

 

 その一言でギルは理解していた。極東に限らずどこの支部でもアラガミは昼夜を問わずに出没する為に、交代制で巡回をしている。獣と変わらないからなのかアラガミも行動原理からすれば夜間は頻繁では無い物の、それでも討伐しなければ最悪の展開になり兼ねない。それ故に交代して巡回していたのだった。

 

 

「そうだったか。なぁ北斗、俺も一緒に出ても良いか?」

 

「人数は少ないよりは多い方が良いけど、寝てなくて平気なのか?体調管理も仕事の内だけど」

 

 北斗が心配するのも無理は無かった。ここでは緊急出動や想定外のアラガミの乱入は日常茶飯事の為に、都合が悪ければ丸一日行動し続けるケースも出てくる。ブラッドが来てからはまだそんなケースに当たった事は無いが、それでも万が一の可能性を考慮すれば、寝るのもある意味仕事の内を考える事が出来ていた。僅かな油断が死を招く。だからこそ極東支部が世界の最善である事を改めて理解していた。

 

 

「いや、今日はこの後は多分眠る事は出来ないだろう。少しだけ身体を動かしたいと思っていた所だ。北斗が気にする必要は無い」

 

「そうか。これから準備だから30分後に格納庫に集合だな」

 

「ああ。分かった」

 

 そう言いながら北斗は準備とばかりに軽く腹に入れるべくレーションを齧りながら自室へと戻っていた。シンと静まる空気からなのか耳鳴りの様に先ほどの夢に出てきた言葉が脳内でリフレインしている。

 北斗にはああ言ったが、恐らくもう一度眠ろうとすれば確実にそれが思い出される可能性が高いのは間違い無い。気を紛らわす為とは言え、神機を持って出ればそんな感覚が消え去るだろうと考えた結果だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あはよう北斗。あれ?今朝は早いね」

 

「おはようナナ。今朝は早朝の巡回だったんだ」

 

 巡回はしたものの、結果的にはアラガミが現れる事は無く、何も無いままアナグラへと帰投する事になった。既に日が昇り始めれば朝食を食べにボチボチと人が出てくる。これから一日がまた始まるんだと感じられるこの瞬間を北斗はたまらなく好んでいた。

 

 

「そうなんだ。お勤めご苦労様でした。この後はどうするの?」

 

「この後はギルと朝食を食べる約束してたからラウンジだけど」

 

「一緒に行っても良い?」

 

 あまり深く考える事もなくナナは思った事をそのまま口に出していた。ギルとは朝食を食べる約束はしたが2人でとは言っていない。ナナが来た所で何か困る事は無いからと、北斗は気軽に応諾していた。

 

 

「良いけど、ナナ。寝癖ついてるから、それを何とかするのが先決だと思うよ」

 

「え?うそ!やだ。北斗もっと早く言ってよ。直ぐに直して行くから待っててね」

 

 いつもの髪型ではなく、下ろしたままだったから故に寝癖に気が付かなかったのか、慌てて自室へとナナは走り去っていた。思い起こせば今朝のギルは様子が少しおかしかった。今朝に限った話ではなかったが、極東に来てからの様子が明らかに変わっている。

 何がそうさせているのか分からないが確実に何かが原因である事は間違い無い。そんな事もあって食事がてら何かのヒントになれば良いとだけ考えていた。

 

 

「あれ?エイジさんだ。ムツミちゃんはどうしたんですか?病気でもしたんですか?」

 

 ラウンジに来ると何時もならムツミが色々と準備しているが、今朝は珍しくエイジがキッチンの中に居た。カウンターにはアリサも座って朝食を食べている。また珍しい事もあるとは思いながらも、まだ小さい子供ながらにここの切り盛りは大変だからとエイジが居る間は割と交代でやっている事が多いと聞かされていた。

 

 

「いや、元気だよ。暫くは忙しくしてたから交代したんだ。今日はお昼前には来るから、それまでは僕がここに居るから大丈夫だよ。で、何食べる?」

 

 ムツミがいればいつもので話が通るが、エイジにそれを言っても恐らくは伝わらない。

 何があるのかと辺りを見た際に、アリサの目の前に置いてある物が目に付いていた。

 

 

「あの、アリサさんと同じ物でも良いですか?」

 

「それは大丈夫……まだ問題ないよ。そう言えば饗庭さんとギルバートさんはどうします?」

 

 ナナに話していたが、自分達も朝食を食べに来た以上、何も頼まない訳には行かなかった。周りは遠慮している雰囲気はなく、既にそれなりに食事が進んでいた者も居たからなのか、特に考える様な事は何も無かった。

 

 

「じゃあ、自分も同じ物を頂けますか?」

 

「良いよ。で、ギルバートさんはどうします?」

 

「俺は何でも良いです」

 

 北斗とナナが同じ物と言ったのはアリサを見てからだった。アリサの目の前には極東ならではとも言える様な内容の物がいくつか置かれている。どうした物かと考えていた矢先にエイジから声をかけられていた。

 

 

「ギルバートさん。すみませんが、もう在庫が無くなったんで、こっちで選んで作っても大丈夫ですか?」

 

「いえ、自分は何でも構わないので…」

 

 隣を見ればナナと北斗の目の前には朝から割と豪勢な様にも見える朝食が並んでいた。

 炊きたての艶やかなご飯にナナは喜びを隠すつもりはないのか、焼き魚と卵焼きを食べながら箸が進んでいる。

 北斗もナナ程ではないが、やはり目の前の朝食に感動したのか、今は食べる事を優先しているようだった。

 

 

「おはようさん。おっ!今日もナナちゃんは可愛いね~」

 

「おはようございます…あれ?ハルオミさん。何だか何時もと違う様な気がするんですけど…」

 

「そうか?いや~そんなつもりは無かったんだが…ははははは」

 

 ナナの言う様に、昨日までのハルオミと今朝では何となく様子が違っていた。何時もの様な適当さが抜けて、若干真面目な雰囲気に見える事が何時もとは違うんだと言っている様にも思えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうですか。その場合はやはり僕とリンドウさんの2人ですか?」

 

「そう言いたい所だが、いつ出没するかまではまだ分からない以上、このまま待つ訳には行かない。あとは臨機応変に対応できるタレントがここに揃っているなら、この際誰でも問題ないだろう。そう言えばいまここに逗留している本部のブラッド隊の戦力はどれ程になる?」

 

 朝食の時間が終わると、今度は支部長室での打ち合わせとなっていた。本部から帰投した以上、ここからは通常の討伐任務がいくつも入ってくる。派兵組でもあるエイジとリンドウも例外ではなく、いくつもの任務がアサインされていた。

 

 

「まだ一緒に行った事が無いので何とも言えませんが、本部がそれほどまでに自信を持って送り出すのであれば、腕は確かなんだと思います。後は何回か同行すれば力量はすぐに判断出来ます」

 

「そうか。そう言えばあのブラッドの副隊長の件だが、フライアのラケル博士から話は聞いているが、万が一感応種と遭遇しても問題なく神機が稼働するとの事だ。万が一が早々起こるとは思えんが用心に越した事は無い。それと、暫くの間は黒揚羽の封印は解けない様にしてあるからそのつもりでいるんだ」

 

「兄様、それはどう言った意味でしょうか?」

 

 エイジが驚くのは無理も無かった。そもそも封印を解くのはある意味自殺行為に近い物があるが故に普段の戦いであっても解く様な考えは微塵も無かった。そんな事は無明も知っていた事だが、まさか改めて言われるとは思ってなかったからこそ、驚きを見せていた。

 

 

「色々と調べた結果だが、封印を解いてから少しづつ神機としての性質が違っている様にも見える。万が一の事を考えれば容易に解く事が出来ない処置をするのが一番だと判断した結果だ」

 

「そうでしたか。では頭の片隅にその情報を入れておきます」

 

 突然の出来事に呼ばれたリンドウやツバキも驚いたが、そもそもがそんな状況になる前提が余り無いからと、それ以上口を挟む者は誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハルさん。今回のミッションのレポートの提出なんですが、いつ出来ますか?」

 

「それならもう出来ているから、持って行くよ」

 

「ええっ?もう出来てるんですか?」

 

 この一言は何気なく確認したカノンにとって、ある意味衝撃的だった。何時もであれば〆切が決まっている時間のギリギリになって提出されるのが殆どだったが、何故か帰投後すぐに取り掛かったからなのか、既に書類の作成は完了していた。

 もちろん早く出来上がる事に何の問題も無いのだが、それでも想定外の早さはカノンの驚きを呼び起こしていた。

 

 

「カノン。俺だって早くやる事はあるんだぜ。それはちょっと無いんじゃないかな?」

 

「でも、ハルさんは何時もギリギリなんで、今回もそうだと思ってたんですが」

 

「これからは真っ当にやる事に決めたんだ。いつまでの昔のままじゃダメだって気が付いたんだよ…」

 

 そう言いながらもどこか遠い目をしたままハルオミは何かを考えていた。アナグラにエイジ達が帰っていると言うのであれば、もれなく全員となる。となれば、当然ながら緩んだ空気は一気に引き締まる様な要素があった。

 

 

「なるほど。そうですよね。何時までも昔のままなんて成長しませんものね」

 

 カノンは少しだけ空気を読む事が出来なかったのか、ハルオミの言葉をそのまま鵜呑みにしている様だった。

 

 

「カノンさん。今はクレイドルの遠征が終わってるんで、ツバキ教官も戻ってるんですよ」

 

「ええっ!って事はこれからはハルさんも少しは良くなるんですかね?その前に私も何とかしない事にはこのままだと、何を言われるのか心配です……」

 

 突然だった出来事はヒバリの言葉でカノンも理解していた。カノンは既に古参とも取れる立場である以上、ツバキから何か言われる様な事をしたつもりは無かったが、それでも過去の事を思い出せば、良い思い出は何一つ無かった。

 

 今は新人の教導の為に不在にしているが、それでもここの居るのはある意味見えないプレッシャーとの戦いの様にも思えていた。

 それからのハルオミは今までとは一線を引いたかの様に何事も出来る限り最大限の早さで雑務をこなしていた。当初は何か悪い物でも食べたのかと思われた部分もあったが、毎回同じような早さでこなした事から、少しづつハルオミの評価が変わり始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「真壁。お前の希望通りにしたやりたい所だが、ここは本部では無い以上同じような感覚で戦う事は許されないのは分かっているな?」

 

「それは勿論です。しかし、本当に良いんですか?」

 

「それはお前のこれからの任務の結果次第だ。お前の私怨ではなく、これはクレイドルとして請け負う任務になる。万が一の事があった場合はお前のクビが飛ぶだけは済まないと思うんだな」

 

 暫くしてからハルオミはツバキとの約束とも取れる任務を受注する事になった。あの晩にリンドウが話した事は簡単にツバキの耳に入っていた。本来であればクレイドルの接触禁忌種の討伐専門班として受注した物でもある任務に、幾ら同じ支部だからと横槍を入れる事は困難だった。

 ましてやツバキからとなればそれなりの実績を示さない事には受注する権利すらもらえない。そんな約束じみた内容が密かに交わされていた。

 

 

「それは重々承知しています」

 

「では、今回のミッションの件なんだが、今ここに来ているブラッドのメンバーとの合同になる。今回の場所はエイジス内部の掃討戦だ。既にコウタ経由でブラッドにも依頼をかけてある。その結果如何で今後の判断を下す事になる。心してかかれ」

 

 ツバキの言いたい事はハルオミにも理解していた。事実、極東支部でクレイドルの内容を知らない人間はおらず、現場から内部の人間まで全員が理解している。

 ただでさえ少数精鋭で運用している中で、支部の人間が出しゃばって失敗したとなれば、一個人が全責任を取るだけでは済まない可能性があった。

 

 本部でリンドウとエイジが一緒にいたからと判断されれば自身の望むべき内容を達成する事は出来ない。これはある意味最終的な試験だとハルオミは判断していた。

 

 

 



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第135話 それぞれの思惑

 ツバキとハルオミが話をしている同時刻。コウタも同じ様に行動を開始していた。ツバキからの話に関しては、そもそも第1部隊としてはデメリットとなるべき部分が何も見当たらず、今回のエイジス掃討戦に関しては流石にエリナとエミールを連れていくのは難しいとも考えられていた。

 そんな中でのツバキからの依頼に対し、流石にエリナとエミールも口を挟む事すらしなかった。

 

 

「いたいた。北斗。悪いんだけど、これから行くミッションなんだけど手伝って欲しいんだ」

 

「自分たちで出来る内容であれば喜んでさせていただきますけど、一体どんな内容なんですか?」

 

「実はこれから行く所はエイジス島なんだけど、あそこはアラガミが集まりやすい場所だから定期的に掃討戦をするんだ。本当ならエイジ達にお願いしたい所なんだけど、結構忙しいみたいでさ。誰かもう一人ブラッドから選出してくれないかな?」

 

 内容はともかく、エイジス島の名前は北斗の記憶には無かった。

 一時期はエイジス計画の名の元に大掛かりに発表された物だったが、結果的には個人の思惑が元となっただけでなく、フェンリルの上層部までもを巻き込んだ一大スキャンダルとも取れる内容の為に、事実上極東での部外秘となっていた。そんな内容なだけに北斗だけでなく、ブラッドとしても名称は分かっても、その謂れまでは知る由も無かった。

 

 

「その辺は大丈夫だと思いますよ。集合は30分後で構いませんか?」

 

「助かるよ。今回の内容はちょっとだけハードになりそうだって聞いてるから、期待してるよ」

 

 そう言いながらにコウタも自分の準備に取り掛かる。これからどんな内容が待っているかは分からないが、少なくとも今までフライアで討伐したアラガミよりも数段手ごわい事は今まで戦った結果からすぐに理解していた。

 コウタは第1部隊長である事から今までに数多くのアラガミを討伐している。そんなコウタの口から出た言葉はある意味、何を予見しているのか理解する事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回のミッションなんだけど、中々厳しい物があったけど、ギルはどうだった?」

 

 今回のミッションに北斗が連れてきたのはギルだった。他のメンバーはフライアにいたジュリウスが戻ってきた為に、そちらはそちらで指揮が執られていた。

 事前にジュリウスにも確認した所、今回の内容を踏まえた上で北斗とギルが参戦する運びとなっていた。

 

「いや。まさかああまで厳しい内容の任務は初めてだった。流石は極東と言った所だったな」

 

 コウタが言った様に、エイジスでの戦いは乱戦に次ぐ乱戦のオンパレードだった。討伐したかと思えば次から次へとアラガミは際限なく湧き出てくるかの様に続いていた。

 当初は余裕を持った北斗達ではあったが、討伐から次のアラガミが出るまでの間隔が徐々に短くなり、まるで討伐したアラガミが他のアラガミを呼ぶ為の餌となっているのではないのだろうかと思える程に個体が徐々に強力になっていた。フライアでは味わう事が無い終わりなき連続ミッション。

 その結果として最終的には総力戦とも取れる内容でもあった。改めてここが激戦区である事を理解させられる。改めて極東がどんな場所なのかを感じさせられていた。

 

 

「しかし、ギルも当時に比べれば腕は上がったな」

 

「ハルさん。俺だっていつまでも昔のままじゃないんですよ」

 

「そうか。俺も歳を取る訳だ」

 

「そう言えば、2人は元々同じ支部だったんですよね?」

 

 今回のミッションリーダーを務めたコウタが不意にギルとハルオミのやり取りを見て思い出していた。当初ハルオミが着任した際にはそんな話は出なかったが、コウタ達第1部隊のメンバーとミッションに行く際に色々と話をする機会があったからなのか、今ではコウタもハルオミの事はそれなりに理解していた。

 

 

「ああ、こいつがまだルーキーだった頃は何かと手が付けられなくてな。随分と苦労したもんだ」

 

「それを言うならハルさんも似た様な物だったじゃないですか」

 

 2人のやり取りを見てたのはコウタだけでは無かった。北斗もギルがブラッドに来た際の情報は多少なりとも知っていたが、それでも詳細については特記事項の為に北斗の権限では確認が出来ないままだった。結果はどうあれギルはギル。その結果として特に何も聞かないまま今日まで来ていた。

 以前の早朝の巡回の際には何か考え込んでいる様にも思えたが、それは各自が何かしら思う事があるだろうと判断した結果だった為に、今の段階では何も聞かないまま終わっていた。

 

 

「そう言えば、北斗のブラッドアーツ?だっけ。あれって凄いよな。流石、特殊部隊を名乗るだけの事はあるよ」

 

「自分では意識してやった訳じゃないんですけどね。でも、あれが全てでは無いとは思ってますけど」

 

 コウタはコウタで改めて北斗と話をしていた。今までに何度か共闘する事はあったが実際に直接見た訳では無く、今回はエイジスの狭い中での戦いだったからこそ、初めて目の前でブラッドアーツを見る事になった。

 激戦区とも取れるここでの戦いに、新たな力が存在すれば今後の戦いが容易になる。

 そんな戦い方の中で、コウタは少しだけ北斗の戦い方を見て既視感があった。極東と本部ではどう考えても接点が見当たらない。そんな事も考えて何気なく北斗に確認する事にした。

 

 

「でもさ、北斗の戦い方ってエイジとよく似てるんだよな」

 

「そう言えば、アリサさんも同じ様な事言ってましたね」

 

「なぁ、北斗って無明さんの所で何かしてたなんて事は無いよな?」

 

「…いえ。一緒に何かをした事は無いですね」

 

 コウタの口からまさか無明の名が出るとは北斗は思っても居なかった。この名前で漸く当時のアリサの言葉と今のコウタの言葉の意味が理解出来ていた。極東の訓練カリキュラムの内容や槍術の映像。

 今まで何も考えていなかった訳では無いが、ここで漸く線と線が繋がった様な気がしていた。恐らくはここに居るのかもしれない。

 コウタの言葉に北斗は今回の中で一番の結果だと考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「饗庭さんが?別に隠す様な事は無いとは思うんだけど……でも気になるなら聞いてみるけど。コウタはこれで良かったよね?」

 

 エイジスの任務は当初のハードな内容だと言うにふさわしい任務だった事もあってか、朝一番に出たはずだったが、帰投する頃には日が沈みそうな時間帯だった。こんな所で何をしていたんだと言いたくもなるが、討伐したアラガミは霧散する関係上、帰る頃には来た時と何ら変わらない様な雰囲気だけが残っていた。

 エイジスの掃討戦は常時連戦になる事は極東の人間であれば誰もが知っている。だからこそ誰もやりたがらないのと同時に、それなりの技量が要求されるミッションとなっていた。

 そんな疲れた体を癒すべくラウンジへと足を運ぶと、コウタの予想通りエイジとムツミがカウンターの中で作業をしてるのが目に留まっていた。

 

 

「おうサンキュー。今日改めて戦い方を見てたんだけど、少し前のエイジに動き方がそっくりだったんだ。無明さんって普段はここに来ないだろ?急ぐ話では無いんだけど、何となく気になってさ」

 

 そう言いながら、夕食だと出されたスペアリブをコウタはそのまま手づかみで食べていた。かなりハードなミッションだったからなのか、それとも食事をする暇すら無かったのか、コウタの手が止まる事は無かった。

 そんなコウタを見ながらも先程の会話をエイジは思い出していた。自分の戦闘スタイルと酷似しているのであれば、当然同じ人間か、若しくはそれに近い人間に師事しているとしか思えない。エイジもアリサから聞いて知っていたが、ここまでだとは思ってなかった。

 今のコウタを見ていると、当時の自分もこうだったのだろうかと少しだけ考える部分があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジさん。これ本当に何もしてないんですよね?」

 

「これは完全に塩麹だけだよ。後はその成分が肉の旨味を引き出してるんだと思うけどね。漬け込んだのをオーブンで焼くだけだから簡単でしょ?」

 

「そうですね。これなら手軽に出来るかも…後は仕込みの数がどれ程になるのかですかね」

 

 

 カウンターでは先程コウタに出したのと同じスペアリブを少しだけ食べたムツミが色々とエイジに話をしていた。今はエイジが居る事から何かと2人で新作を作っているのを何度も見かけている。

 本来であれば料理人が2人いれば必ず方向性が違うので問題となる事が多かったが、エイジはアナグラに居る時だけの限定である事と、何かと新作のレシピを考える機会があまり無い事から案外と意気投合する部分があった。

 

 

「あ~コウタさん。何か良い物食べてる。ムツミちゃん俺にも同じ物一つ!」

 

 どうやらジュリウス達も帰投したからなのか、いち早くロミオがラウンジへと入って来ていた。時間的にはこれからなので問題無いが、それでも他の人に話すのもなんだと判断したのか、コウタもそれ以上の話をする事はしなかった。

 

 

「とりあえず、さっきの件は近日中に聞いておくよ」

 

「何だか気を使わせたみたいだな。ロミオ!これ新作だって」

 

「え~マジですか?うわっ。これ何だかヤバいですよ」

 

 コウタに誘われたのかロミオもスペアリブをかぶりついている。感想は既にロミオの言葉が全てを物語っているのか、それ以上の事はエイジもムツミも聞かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか。名前は何と言ってた?」

 

「饗庭北斗ですが」

 

 その晩、エイジは無明の元へと足を運び、コウタから聞いた話をそのまま伝えていた。以前にもアリサが同じような事を言っていた事も勘案すれば、恐らくは何らかの接点があったのかもしれないとエイジは考えていた。

 

 

「……恐らくは……いや。明日はアナグラに行く予定があるから、一度確認しよう。それとブラッドはどうだったんだ?」

 

「特に問題無いと思います。よほど何かあるならコウタも気が付くと思いますので、その辺りは大丈夫かと」

 

 エイジの話は何か思うところがあったのか、無明は暫くの間天を仰ぐように眺めていた。エイジには話していないが、苗字に覚えがあるのは間違いなかったが、あの当時からは既にそれなりの時間が経過している。そう考えると一度は確認した方が良いだろうと人知れず考えていた。

 

 

「無明。そろそろ寝たらどうだ?」

 

「ツバキさんか。いや、ちょっと思うところがあってな。そう言えばブラッド隊は中々鍛えられているらしいが、戦力的にはどうなんだ?」」

 

「特に問題となる部分は無いだろうと聞いている。ただでさえ本部は苦々しく思っているだろうが、ここではそんなくだらない事に腐心する程余裕も無いならば、戦力の増大はこちらの望む所だ」

 

 まだ見ぬ未来と、これからのクレイドルとしての行動が今後どうなっていくのかは誰にも分からない。だからこそ今出来る中でやるだけだと、改めて考える事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、ここでも活躍しているらしいな。シエルからそう聞いているぞ」

 

 久しぶりにジュリウスと会った様な気がする程に、ここでの日常はある意味刺激的だった。ギリギリの中での戦いが徐々に多くなると同時に、新たな出来事が次々に降りかかる。それ程までにここでの生活は今までの中で一番だとも考えられていた。

 

 

「それってブラッドバレットの事?」

 

「ああ。あれほどまでに喜んだシエルは初めて見た。そうそう、シエルがこれは2人の想いの結晶ですとか言ってたな」

 

 恐らくは先日のミッションの際に何か話した中での事だと北斗は考えていた。あの後も検証を続けた結果、今までに無い新たな発見だからとリッカだけではなく、支部長の榊も喜んでいた事が思い出される。しかし、シエルがそんな風に言っていたとは思ってもなかったのか、少しだけ北斗は焦っていた。

 

 

「別にいかがわしい事をした訳じゃ無いから。でもあのバレットは今後の何かには役立つとは思う。これもやっぱり俺の血の力の影響なんだろうか?」

 

「可能性はそうだろうな。念の為にラケル先生にも確認したが、その可能性は高いだろうって言ってたぞ」

 

 まさかゴッドイーターだけにとどまらず、神機にまで影響をもたらしているとは考えてなかったのか、北斗は暫くの間硬直したままだった。

 

 

「あれ?ジュリウスと北斗が一緒なんて珍しいな。何かあったのか?」

 

「偶然そこで一緒になったから話してただけですよ。そう言えばロミオ先輩はどうしたんです?」

 

 任務に出た記憶は無かったが、どこか疲れた様な表情を見せてラウンジへと足を運んでいた様にも見えたが、一体どこで何をしていたんだろうか?そんな疑問が北斗の口からこぼれていた。

 

 

「ちょっとここの教導カリキュラム?だっけか。興味があったから少し体験したんだけど、あれはちょっと異次元の内容だった…」

 

「そんなに厳しいとは思わなかったんですけど?」

 

 北斗の疑問は尤もだった。一度体験した方が良いだろうと考えた事もあってか、北斗は真っ先にカリキュラムの訓練施設に首を突っ込んでいた。当時の内容を考えれば幾らロミオと言えど、そう簡単に疲労する内容だとは思えなかった。

 

 

「今はクレイドルの人達が来てるから、その人達が教導してるんだよ。今は多分ギルがやってるはずだぞ。あれ?そう言えば、ジュリウスは今来ている人達って見てないよな?」

 

「そうだな。ここに来て暫くはフライアだったから、来ているのは知ってたが、直接会ってないな。まだ訓練施設にいるなら、こちらから出向いた方が早いだろう」

 

「そっか。俺はこれで終了だからな。今なら大丈夫だろ」

 

 ややグロッキー気味なロミオはそのままにジュリウスと北斗は訓練施設へと足を運ぶ事になった。場所は北斗が知っていた事から迷う事は無かったが、訓練施設が近づくに連れ、何か大きな音が聞こえて来る。

 恐らくはこの扉の向こうで何かしらやっているのかと考え、扉をゆっくりと開いた。

 

 

 



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第136話 判断材料

「ギル!もう終わりか?こんなんじゃ話にならないぞ!」

 

「まだまだ!」

 

 扉を開けた向こう側ではガラス越しにエイジがギルと模擬戦をやっていた。ここに来るまでにどれ程時間が経過しているのか分からないが、パッと見た感じではギルは既に息は荒く、疲労感が滲み出ているからなのか、どこかボロボロの様にも見えていた。

 

 

「どうやら苦戦している様だな」

 

「ジュリウスですか。そうですね。ここまでで有効打は一つも入ってませんから」

 

「一つもか?」

 

「ええ」

 

 ガラス越しに見ていたシエルが振り返るとそこには声をかけたジュリウスと北斗がガラスの向こう側を見ていた。これまでの状況確認の為にログを見れば、確かに有効打は何一つ入っていない。それどころか、ギルが一方的に攻撃を受けている様にも見えていた。傍から見れば確実に入るであろうギルの一撃は、エイジが往なすかの様に攻撃の軌道が変えられている。渾身の力を放ったそれは既に死に体となったのか、致命的な隙を付かれ一撃の下に叩き伏せられていた。気が付けば既に他のメンバーも終わったのか、どこかぐったりとしていた。

 

 

 

 

 

「ぐわぁあああ!」

 

 ギルの声と共に吹き飛ばされる姿が見える。既にベテランの領域まで来ているにも関わらず、その差は大人と子供以上に隔絶した差が存在していた。ジュリウスだけでなく北斗もギルの力量は理解している。にも拘わらず目の前のエイジにはかすり傷一つ負わす事も出来ず攻めあぐねていた。

 

 

「如月中尉はずっとやってるのか?」

 

「そうですね。ここに居る間はずっと入りっぱなしです。しかし、極東最高と呼ばれる意味が何となく分かった気がします。ギルは攻撃しているんですが、まるで事前に攻撃する場所が分かっているのかと錯覚を感じる程に完全に受け流しています。あれでは恐らくギルが潰れるのは時間の問題かと思われますね」

 

「だろうな。あれだけ高度な技術を持つのであれば厳しいだろう」

 

 どれ程やっているのかは分からないが、確かに見ればエイジの息が上がっている要素はどこにもなかった。ジュリウスの中で以前に少しだけ本部の話を聞いた際に聞いた言葉が思い出されていた。

 当時はまだフライアは極東に向ける前の話ではあったが、本部で教導しているのは確か極東から来た人間だった記憶が少しだけあった。それがまさか目の前に居る人物だとは思ってもなかったのか、暫くの間は何も言葉を発する事が出来なかった。

 

 そうこうしている内にシエルの予想通りギルの方が先にスタミナが切れたのか、ここで教導は終了だと案内が告げられここで漸くジュリウスが挨拶する事になった。

 

 

「部隊の者が迷惑をかけた様で。自分がブラッド隊隊長のジュリウス・ヴィスコンティです」

 

「いや迷惑だなんて。僕も普段は教導してるから気になさらなくても大丈夫ですよ。そう言えば初めましてですね。僕はクレイドル所属の如月エイジです。僕の方こそアリサがお世話になったみたいで恐縮です」

 

 先程までの鬼気迫る迫力を全く感じる事無くジュリウスとエイジは握手を交わしていた。教導と今ではまるで別人だと思えるほどに人物なのかと、一度は疑いたく成る程に違い過ぎている。今まで見ていた教導に思い出したのか、ジュリウスが改めて口を開いた。

 

 

「いえ。こちらこそ、本部では『極東の鬼』と呼ばれる教導教官がやってくれたのであれば、我々の戦力の増強に役立つと思っています」

 

「ひょっとしてフライアの人達も知ってるんですか?」

 

「それは無いかと……ただ、我々も本部の所属なので噂程度ですが、そんな話は耳にしていますので」

 

 そんなやり取りに今まで大の字になっていたギルが漸く起き上ったかと思うと、改めてエイジに挨拶をしていた。

 

 

「そう言えば、如月さんはクレイドルでも接触禁忌種の討伐専門班なんですよね?」

 

「そうですけど、それがどうかしましたか?」

 

 この時点でギルは極東に来てからの考えの集大成があるのではないのだろうかと考え始めていた。毎晩のように夢に苛まれ、その都度自分には倒すだけの力量が無いと言われ続けている様な気分にさせられている。その為にはどうすれば良いのだろうかと一人考えていた。

 もちろん、その根底にあるのは以前に在籍していた支部での出来事。その為には今は少しでも強くなれる可能性があるならばと考えていた。

 

 

「実は…俺を…」

 

「あっ!ここでしたか。榊博士が呼んでましたよ」

 

 ギルの話を止めたのはエイジを捜していたアリサだった。いつもならば携帯端末に連絡を入れるが、アナグラに居る際には持ち歩かない事が多く、その結果として館内放送か誰かが呼びに行く事になっていた。

 

 

「もうそんな時間?じゃあすみませんが、これからちょっと行かないといけないので。よければこの後はラウンジに居ると思うんで来てください」

 

 急かされたのか、アリサと共にエイジも早足でこの場から去っていた。先ほどのギルの呟きの様な言葉は誰にも聞かれていない。それならば改めて話をすれば良いだろうと全員がラウンジへと向かう事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「如月エイジ入ります」

 

「遅かったな。なんだ、教導だったのか?」

 

 

 声を出して支部長室に入ると、そこには無明とツバキ、リンドウまでもが待っていた。一番最後になった事もあってか何となく気遅れする場面はあったが、ここで全員が揃うのであれば、恐らくは何か重要な任務が入る可能性が高い。既にエイジの中では遅れた事実よりも、これから伝えられる内容の方が重要だと判断していた。

 

 

「そうです。先ほどまではブラッド隊の人達とやってました」

 

 そんなエイジの言葉にツバキとリンドウが反応を示していた。僅かに変化するその表情が示す物は一体何なのか理解出来ない。ならば話を聞けば何かしら分かるだろうと、今は話を聞く事を優先していた。

 

 

「実は以前に本部から泣きつかれた赤いカリギュラの件なんだが、いくつかの目撃情報と行動パターンを推測すると、ここ2.3日の間にアナグラ付近まで接近する可能性が極めて高い。その結果を勘案し、ここ数日間は出来るだけ討伐の際の遠方への任務は一時凍結とする事になった」

 

 リンドウの一言で、漸く今回エイジが呼び出された内容が把握出来た。接触禁忌種の討伐専門となれば、ある意味クレイドルとしての意義までもが確認される事になる。

 本来ならばこれで終了だが、先程のリンドウの発言にはどこか含みがあったようにも思えていた。

 

 

「ひょっとして例の赤いカリギュラの件で何かあったんですか?」

 

「ああ。ただ、その件で少し問題ってほどじゃないんだが、色々とあってな…」

 

 何か言いにくい事実があるのかリンドウの言葉の歯切れは悪く、どことなく言い淀む気配すら感じられていた。いつもの様に討伐するだけにも関わらず、言い淀むのであれば余程何かしらの問題を含んでいる可能性があるのでないのだろうか?そんな考えが広がり出していた。

 

 

「今回の討伐に関してだが、実は真壁から打診があった。今回の任務に関しては我々の内部での話になるのだが、クレイドルとして受けはするがその討伐任務に参加したいとの事だ。お前が先ほどブラッド隊の人間も教導していた事も偶然とは言え無関係では無い。今回の件はその最終確認だ」

 

 言い淀むリンドウに痺れを切らしたのか、ツバキが代わりに説明をする。今回の内容だけではなく、現在の遠征の際にはツバキが全権を持っている為に、エイジとリンドウはその判断をそのまま受け入れる事にした。

 

 

「僕としては異論はありませんが、万が一の事を考えると僕かリンドウさんのどちらかが入っていた方が良いかと思うんですが?」

 

「その件は姉上にも言ったんだが、俺が入る事にした。現場での判断はともかく、このまま任務失敗だけは最悪でも避ける必要があるからな」

 

「リンドウさんがそこまで言うなら、特に異論はありません」

 

 この時点でハルオミの討伐許可は出たものの、それはあくまでもハルオミの戦力を今まで見てきたからであって、それ以外の人間が参加する場合であれば話は別問題となる。この極東に居る間は最低限の犠牲者で乗り切りたいと考えている以上、何かしらの確認は必要不可欠だった。

 

 

「その件だが、エイジ。すまないが暫くブラッド隊の連中と一緒に任務に出てくれないか?戦力を確かめない事にはこちらとしても安易な判断は出来ない。手間がかかるのは承知の上だが、暫くの間はそうしてくれ」

 

「了解しました」

 

 無明の言葉をそのまま受け入れる事で、暫くの間はエイジもミッションに同行する事が決定していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「分かりました。こちらとしても提案を断る必要性はありませんので、暫くの間は恐れ入りますが宜しくお願いします」

 

 支部長室で決定した事項は程なくしてラウンジに居たジュリウスの元にも伝えられていた。

 元々フライアの目的は神機兵の教導と同時に、様々なアラガミに対応できる様に、ここ極東でのデータ収集が一番の目的となっている。だからと言って今の部隊の実力の底上げもまた重要な内容に変わりなかった。

 幾ら神器兵が強くなったとしても、全てがそれで完結する訳ではない。となれば当然の様に部隊の強化もまた必須条件だった。

 ジュリウスからすればエイジがミッションに同行するのは部隊の能力の底上げになるからとの思惑があった事もあり、そのまま快諾されていた。

 

 

「あの~エイジさん。そうなると私達はクレイドルの指揮下に入るって事なんですか?」

 

「指揮下って言われればそうなんだけど、基本的には皆の力量を見たいから、細かい指示は出さないよ」

 

「しかし、それでは統制が取れなくなるのでは無いのでしょうか?」

 

 ナナが戸惑うと同時にシエルの言葉が一番の懸念材料でもあった。

 現場に指揮の統制が無い場合、各自の判断で行動する事になってくる。各自がそれぞれ独立した力量があれば問題ないが、いくらブラッドとは言え、万が一の想定をしない訳にも行かない。だからこそ、その真意を知る必要があった。

 

 

「じゃあ、一つ聞くけど、こちらが出した内容を完全に実施出来ないケースに出くわした場合、君達は何も出来ないなんて事は無いと考えているからこその話だよ。出さないのはあくまでも細かい指示であって大まかな行動方針はちゃんと出すから大丈夫だよ」

 

「如月さんもそう言ってるんだから、いつもの俺たちで良いんじゃないのか?」

 

「北斗がそう言うなら私も問題無いよ」

 

 このブラッドは恐らくは隊長と副隊長を中心に結束されているのか、随分と信頼されているんだとエイジは内心考えていた。

 今回の内容はあくまでもブラッドがここ極東に於いて戦力足りえる存在なのか否なのかの試金石と考えているのであって、決して下に見ている訳でも値踏みしている訳でもなかった。仮にそれなりの実力しかないのであれば、それなりの運用をするだけの話。厳しい言い方ではあるが、ここ極東での考えに甘い部分があれば部隊の全滅しかない。

 そんな考えをおくびにも出さずに今は他のメンバーのやり取りを聞いているにとどまっていた。

 

 

「そう言えば、饗庭さん。コウタから聞いたんですが、兄様に用事があったんですか?」

 

「如月さん、俺の事は北斗で結構ですよ。あの、無明さんの弟なんですか?」

 

 突如として振られた話は北斗の核心をついたのか、少しだけ反応が鈍かったものの、それでもしっかりと判断したのか逆に質問されていた。

 コウタからも少し聞いた事を無明に話たが、結果的には何も聞かされておらず、その結果に答える事が出来なかった。

 しかし、関係性に関しては極東では大よそ知らない人間の方が少なく、その程度の事した答えられなかった。

 

 

「厳密には肉親では無いですね。ここだと僕とナオヤは同じ所で育ってきたのでそう呼んでいるだけですから」

 

「そうだったんですか。実は少しだけ確認したい事があったのと、コウタさんからそんな話を聞いたので…」

 

 エイジと北斗の話にナナやシエルだけではなくジュリウスも話について行く事は出来なかった。公開されたプロフィールに関しては隊長権限だけでは確認できない事も多く、その結果ジュリウスも北斗の詳細を知っている訳では無かった。

 

 

「エイジすまんが、もう一度支部長室まで来てくれないか?」

 

 ラウンジに来るのが珍しいのか、無明がカウンターへと近づいてくる。極東の人間は気にしていないが、ブラッドのメンバーは初顔合わせなのか、来た人物が誰なのか理解出来ない。そんな中で北斗だけが一人驚きを隠していなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだったのか。でお父君は息災なのか?」

 

「父上は昨年の流行病で亡くなりました。今は里の皆で何とか切り盛りしている所です」

 

 ラウンジの中でもボックス席で無明と北斗は何か話し込んでいる様にも見えていた。

 突如現れた事で、一体どんな関係なのか理解できないまでも、まずは様子を見ようと全員がラウンジから離れる事無く固唾を飲んで見守っていた。

 

 

「あの~エイジさん。北斗と無明さん?ってどんな関係なんですか?」

 

「いや、僕も知らないんだ。念の為にナオヤにも聞いたんだけど知らないって言ってたんだけどね。後は弥生さん位かな」

 

「でも無明さんか?あの人は本当にゴッドイーターなのか?気配はまるで感じないし、普段からここで見た事無い気がしてるんだが」

 

 何か込み入った話の様でもあったが、一体何を話いているのか聞き取る事は出来ない。今は若干静かな状況にも関わらず、会話が聞こえる気配は一向になかった。

 

 

「ギルさん。僕はここでは極東最高なんて言われてるみたいだけど、本当の事を言えば兄様の足元にも及ばないんだよ。以前に何度も稽古をつけて貰っていたけど、まともに攻撃が当たった事なんて一度も無いから」

 

 エイジの何気ない一言にギルだけではなくジュリウスとシエルも驚きを隠せなかった。

 模擬選ではギルの攻撃が掠る事すらなく、また教導の際にも一撃を当てる事すら出来なかったのはログの見て判断している。

 そんな人物でさえも当たらないのであればどれ程の力量なのか、ナナとロミオ以外は誰も想像すらできなかった。

 

 

「因みにキルレートで換算するなら多分5対1位でやっと均衡かもね」

 

「あの、なんでそんな戦力を持った方がこうまで名前が知られていないんでしょうか?本来ならば誰もが知っているはずなんだと思うんですが」

 

「シエルさんの言いたい事は分かるんだけどね。まぁ、その辺りは身内は誰も聞くつもりは無いから気にしなくても良いと思うよ」

 

「エイジさんがそう言うのであれば。私達もそれ以上の追及もしませんが……でも興味はありますね」

 

 シエルの言葉を聞きながらも、ジュリウスは今までに本当に一度も見た事が無かったのか、過去の記憶を呼び起こすかの様に考えていた。そんな中で該当する人物が一人だけいた。今の見た目ではないが、やはり元神機使いと言う異色の経歴を持ってるからと只管思い出そうとした時だった。

 以前にどこかで会った記憶がある事を思い出していた。

 

 

「エイジさん。ひょっとして無明さんは紫藤博士と近い人でしょうか?」

 

「近いんじゃなくて本人だよ」

 

「やはり……小さい頃ですが何となく見た記憶が有った様な気がしたので」

 

 今度はジュリウスの言葉に他のメンバーが驚いていた。ジュリウスが小さい頃であれば、それはマグノリア=コンパス時代の事を指している。しかし、ロミオやシエルにナナもそんな記憶は微塵も無い。だからこそその発言は驚愕とも取れていた。

 そんな話は未だ止まる事も無くまだ話は続いているの様にも見えていたかと思われた際に、突如として北斗が立ち上がってこちらへと戻ってきた。

 一体何を話していたのかは分かんないものの、その顔は少しだけ晴れ晴れとした様にも見えていた。

 

 

 



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第137話 切迫した事態

「よお副隊長さん。一人だなんて珍しいな」

 

 懸念される様な事は何一つ無く、何時もの日常が過ぎようとしていた。

 無明との邂逅以来、何となくではあったが、北斗の中でここの教導カリキュラムやエイジとの関連性を知る事が出来ていていた。シエルは物珍しい様な感じでやっていたが、北斗はどこか懐かしさが前に出ていた意味がここで理解出来ていた。

 通り一辺倒の内容ではなく、常に実戦の中でも最前線で生き残れる事を重視した教導に誰もが疲弊しながらも続けている。純粋に殉職者の数だけ見れば、極東支部の数は断トツで高い。

 しかし、ここに出没するアラガミのレベルを考えれば、寧ろ少ないとさえ感じ取れていた。戦場の空気を肌で感じているからこそ分かる事実だった。

 

 そんな事実を感じたからなのか、特に何か大きな変化は感じられない様にも思えたが、一つだけ違った事があった。

 支部長でもある榊からの指示で今はブラッドのメンバーが出る際にはエイジかリンドウが随行する事が多くなっていた。当初は困惑したものの、随行する意味は直ぐに理解していた。速さだけでなく、そこにあるのはアラガミの行動原理から来る効率の良い討伐方法。

 それぞれの目の前で戦い方を見た事もあってか、ブラッドの戦力そのものが増強されつつあった。

 そうなると、必然的に誰かが弾かれる事が出てくる。北斗は偶々メンバーの出動の関係で一人となっていた。

 

 

「最近はエイジさんや、リンドウさんが他のメンバーに随行する事が多くなったので、俺も少し時間にゆとりが出来たんですよ」

 

「そっか。リンドウさんとエイジの戦い方が参考になれば良いんだが……あれは多分真似出来ないだろうな。少なくとも俺には無理だ」

 

 ハルオミが苦笑しながらに話すのは仕方なかった。

 当初は参考になればと考えて遂行していたが、極東のアラガミでさえも他の地域と何ら変わる事無く、ほぼ一撃と言える程の手数で討伐が進められていた。

 

 一撃必殺となると、事実上アラガミのコアを直接破壊する事が多く、討伐だけを考えれば影響はあまりない。しかし、コアを破壊するとなれば、最低限必要性が高いコアの収集には多大な影響を及ぼしていた。

 最低限、確保が出来る物は無ければ今度は資材回収のミッションの際には何かと困る事も出てくる。

 そんな事も勘案した結果、今では攻撃するのは余程の事が無ければ手出しはせずに教導の一環と言った様になっていた。

 

 

「俺も初めて見た時は驚きました。特にエイジさんはまるでどこに急所があるのか知ってる様な勢いで討伐してましたから」

 

「でも、副隊長さんも無明さんの所と同じなんだろ?」

 

「それは違うんです。厳密に言えば俺の父親と顔見知りであって、実際には直接のコンタクトは殆ど無かったですね」

 

 当時の話はどうやらギルからも聞いていたのか、ハルオミも概要は知っていた。だからこそ、その戦い方が酷似しているのだろうと考えていたが、ここでは個人の戦い方よりも結果が重視される以上、事が大きくなる様な事態にはならなかった。

 そんな中でここ最近気になっていた事をふと思い出したのか、こんな機会は早々無いだろうと、北斗は思い切って元の上司でもあったハルオミに聞く事にしていた。

 

 

「そう言えば、ギルとは同じ支部だったんですよね?ここに来てからのギルは何となくですが様子がおかしいんで、ひょっとしたら過去に何かあったんじゃないかと思うんです。ハルオミさん。心当たりはありませんか?」

 

「ギルの様子がか?だとすれば俺がその原因の一つかもしれないな。そうだ、今から話す事はギルや他のメンバーには黙っておいてくれないか?」

 

 何時ものハルオミとは違う表情がすの全てを物語っているのか、様子がおかしいギルが気になるからなのか、ハルオミの話を今は聞く事にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな事があったんですか……」

 

 北斗の一言がハルオミの話の悲惨さを物語っていた。

 当初フライアに来た際にも、ギルはロミオから元の支部の話を聞かれた瞬間に激昂していた。当時は意味が分からなかったが、今回の話を聞けば確実にトラウマとも取れる内容であると同時に、それは一人の問題ではなく、ケイトと言う女性の殉職は目の前にいるハルオミの問題でもあった。

 仮に自分がギルと同じ立場になった際に、そこまで出来るのだろうか。恐らく当時の行為に対し、ギルの葛藤はまだ続いているのかもしれないと考えていた。

 

 

「実を言うと俺が各地を転々としているのは、その赤いカリギュラが目的だったんだ。ケイトの仇討ちだと考えていたんだが……ちょっと状況が変わり出してきたんだ。最近になってリンドウさんやエイジがここに来ただろ?あれは俺が探しているアラガミの討伐の為だったんだ」

 

「でも、それだとハルオミさんの立場が……」

 

「ああ。だからツバキさんに頼み込んだんだ。万が一発見した際には俺も同行するって事でな」

 

「ですが……」

 

「ああ。副隊長さんの言いたい事は分かってる」

 

 個人の見解を自分の主観で言って良い物なのか、北斗は言い淀んだ。この時代では誰しもが何らかの確立でアラガミに食われている事を考えれば仇討ちをと考えるのはある意味無駄な事だと考える事も出来る。

 しかし、それが目的の大半を占めるとなれば、当然その目的が達成出来た後の事をどう考えるのかが焦点となってくる。今のギルは恐らくはケイトと言う女性を手にかけた事を未だに悔やんでいる可能性が高い。

 

 復讐心なのか、自尊心なのか、それとも自身の存在意義なのかは本人以外には判断できないが、それでもその考えが必ずしも良い物だとは思えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コウタさん。大丈夫ですか?」

 

「ああ、ただ、正体不明のアラガミは恐らくこの近隣にいるはずなんだと思う。ヒバリちゃん、エイジに連絡取れないか?」

 

 ロビーでは予定よりも早かったのか、コウタが任務の途中で急遽帰投していた。今までの中でこんなケースは殆どなく、何が起こったのか原因が不明のままざわついているのが印象的だった。

 

 

「エイジさん。先程コウタ隊長から情報がありました。赤いカリギュラ種が出没した様です。……はい。リンドウさんも……はい、了解しました。では準備をしておきますので、お願いします」

 

 エイジとのやり取りを聞いて真っ先に反応したのは任務から帰投したばかりのギルだった。ハルオミ達はラウンジに居た為に気が付かなかったが、ギルは丁度ロビーに居た事から通信の全容を知っていた。

 

 

「ギルバートさん!どこへ行くんですか?」

 

「俺がそのカリギュラを討伐に行く。すまないがエイジさん達にそう伝えておいてくれ」

 

「それはダメです。今準備中なのでこのまま出動の許可を下ろす訳には行きません!」

 

 ヒバリの静止をまるで聞く気が無いのか、ギルはそのまま神機を取りに行こうとした時だった。エレベーターの扉が開いた瞬間、目の前の人物の鉄拳がギルの顔面へと飛ぶ。

 熱を持った頬がその勢いを現したからなのか、ギルはそのままその場に倒れこんでいた。

 

 

「一体何しやがる!」

 

「貴様は何様のつもりだ!私怨如きで勝手な真似は許さん!」

 

「私怨如き…だと」

 

 倒された先にはツバキが怒りを隠す事無くギルを見下ろしていた。突然の出来事にロビーが静まり返る。どれ程の時間が経過したのだろうかと思える程にその場の空気は緊張していた。

 

 

「貴様は何を考えているんだ!このまま行けばどうなるのか想像すら出来ないのか!」

 

 目の前の女性が誰なのかギルには理解できなかった。

 ここに居る人間であればツバキの事を知らない人間は誰一人居ない。しかし、ブラッドが来てからは会った事が無かったからなのか、ギルだけではなく北斗でさえも疑問しか湧かなかった。

 

 

「ツバキさん、すまない。俺からもこいつには言い聞かせるのでここは穏便にして…」

 

「真壁。一度しか言わんぞ。お前がそうまで考えたからこそ今回の件は承認したが、本来であれば、幾ら本部の特殊部隊が関与したとしても責任が追及された際にはお前一人がクビになった所で済む訳では無い事位は理解していると思ったんだが?」

 

 ツバキの言葉は当時ハルオミが今回の討伐に加わる際に厳重に言われていた事でもあった。

 一つの意志決定された物を覆す際にはそれ以上の多大な犠牲が発生する。もちろんそんな事はハルオミも承知の上でツバキに頼んでいた。それが今回の件でギルが暴走するとなれば査問委員会どころの話ではなくなり、結果的には極致化技術開発局全体までもが犠牲になる可能性が極めて高かった。

 もちろんギルはそんな事情は何も知らない。だからこそ私怨に駆られた行動をとっていた。

 

 

「それは理解しています…ただこいつは何も知らなかっただけで」

 

「知らなかったでは済まない事実もある」

 

「まぁまぁ姉上。それ位でもういいじゃないですか」

 

 このまま一触即発の状況が続くかと思われた際に、ヒバリからの連絡を受けたリンドウがいち早く駆けつけていた。

 

 

「リンドウ。お前もかばうのか?」

 

「いえ。そんなつもりは無いんですが……今回の件ですが、俺に預けてもらえませんか?」

 

 普段であればツバキもここまで激昂する事は無い。しかし、これはあくまでもフェンリルからクレイドルに発注された任務であると同時に、万が一の際に外部の人間が混じって失敗となった場合は確実にそのゴッドイーターは処分される事は間違いなかった。

 

 幾ら超人的な力を発揮しようとも、ゴッドイーターはフェンリルと言う名の組織に管理されいているにしか過ぎない。

 どれだけ慢性的な人手不足であろうとも、肝心の命令を聞く事が出来ないのであれば、それ以上管理できる道理はどこにも無い。命令を聞けない者を管理する程フェンリルと言う組織は甘くは無かった。

 無理をした結果、未達で終わるとなれば他の神機使いにまで余計な重荷を背負わす事になる。その結果、それはやむを得ないと言う名での処分が待っているだけだった。

 

 余程の状況をひっくり返す材料が無いかぎり、強権を発動させる事態だけは避ける必要があった。もちろんツバキとて態々そんな状況になってほしいなどとは考えていない。決して自己保身の為でなく、支部全体の事を考えればここは強硬姿勢を取ってでも止める必要があった。

 

 

「ツバキさん。ここはリンドウの意見を尊重すれば良いだろう」

 

「無明、お前もそう言うのか?」

 

「ツバキさんの言いたい事は俺が一番良く知っている。それとリンドウ。今回の件だが、万が一の事があれば幾らお前と言えど処分する必要が出てくる。それと、マクレイン。貴様にその責任の重大性を背負うほどの力量がお前にあるのか?ここは本部の様に甘くはないぞ」

 

 当初は何がどうなっているのか理解出来なかったが、ハルオミとリンドウのやり取りからギルも冷静になりつつあった。

 

 最初に聞いた際には我を忘れる部分もあったが、無明の言葉には目に見えない様な重苦しい迫力が存在していた。この場に居た全員が感じたのは殺気とも取れる程の圧力。何人かの人間は身体が芯から冷たく成る様な感覚に襲われていた。

 この場での対応を一つでも間違えれば自分の命など簡単に消し飛ぶと思える程の圧力。無明の言葉に改めて冷静になれたからなのか、今のギルは完全に落ち着いていた。

 この状況下で自分が勝手に行動すればどうなるのか、自分の我儘を押し通せばどんな結末が起きるのか、この時点で漸く冷静に考える事が出来ていた。

 

 

「申し訳ありませんでした。しかし、今回の件ですが、我々としてはマクレイン隊員の同行を認めて頂きたいと考えています」

 

「ジュリウス!なんでこんな所に!?」

 

 突如として出てきた発言はこの場に居ないはずのジュリウスからもたらされていた。今回のやりとりをどこかで確認したからなのか、ギルを手で制しながらも今の状況を確認しつつ事の顛末をツバキに説明していた。

 

 

「では、今回の件に関しては極致化技術開発局として責任を取る用意があると言う事で良いんだな?」

 

「既に局長以下、幹部の署名を頂いていますので」

 

 そもそもツバキとしてはクレイドルの成績と言った陳腐な考えは持ち合わせていなかった。万が一の際にはどうとでも出来る程の人脈も本部にはある。だからこそ冷静になる必要がそこにはあると考えていた。

 事を大きくすれば一人が暴走した結果、最悪の事態だけは避ける必要がある。そう考えた末の発言でもあった。

 

 

「マクレイン。お前は良い上司に恵まれたようだな。もう一度確認するが、本当に覚悟はあるんだろうな?」

 

「もちろんあります。だからこそぜひお願いします」

 

 ツバキの前でギルはおもむろに頭を下げる。今のギルからツバキの様子を知る事はできないが、それでもなお今の気持ちを押し殺す事無く真摯になっていた。

 

 

「そうか、ならば真壁。貴様がこのマクレインを管理するんだ。それとブラッドからは隊長格の人物を一人出せ。でないと報告の際に困る可能性が出てくるからな」

 

 ツバキの一言で漸く許可が下りていた。既に出発の手配は完了している。後はこのまま出動するだけとなった。

 

 

「リンドウ。貴様は帰ってからの懲罰を楽しみにしておけ」

 

「これから行くのに、士気が下がる様な発言は勘弁してほしいんですが……」

 

「今回の件はお前の横槍が原因なんだ。それ位の事は覚悟しろ」

 

「了解しました。で、ブラッドからは誰が出るんだ?」

 

 厳しい発言ではあるが、ツバキもリンドウもこれが本気では無い事位はお互いに理解している。笑みを浮かべながらも今後の段取りはスムーズに進んでいた。

 

 

「今回の件は北斗、お前が出てくれ。すまないが俺はこっちでやる事がある。お前の実力ならば大丈夫だろう。すまないがギルの事は頼んだぞ」

 

「ギル。詳しい事は分からないがとにかく今は目の前の事をやるだけだ」

 

「迷惑かけてすまない。ハルさん。すみませんでした」

 

「そんな事はどうでも良いから。まずはそのアラガミを退治する事からだろ」

 

 そう言いながらも4人は現場へと急行していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりあれがそうだ。ギル、あのアラガミの背中の部分に何か見えないか?」

 

 現地に急行すると、そこには赤いカリギュラが何かを捕喰している様にも見えていた。ここからはまだ距離が離れている。ここからは慎重に行動する必要性があった。

 

 

「何か刺さっている様にも見えます…やはりあれがケイトさんの」

 

「だろうな。なぁリンドウ。頼みがある」

 

 何かを確認したからなのか、ハルオミがリンドウに頼み事をする。こんな状況での頼み事が何なのかはリンドウも想像していたからなのか、それ以上の言葉を聞く事もなくただ一言だけをハルオミに言うにとどまっていた。

 

 

「俺は今回はお目付け役だ。万が一には加勢するが、あれはお前の獲物なんだろ?」

 

「すまないな」

 

「まぁ良いって事よ。姉上には上手くいっておくから。俺もまだ命は惜しいからな」

 

 その一言が覚悟を決めたのかハルオミの表情が徐々に険しい物へと変貌する。

 その顔を見たギルも改めて赤いカリギュラを見据えていた。

 今ここで元グラスゴーとしての因縁を振り払う戦いが始まろうとしていた。

 

 

 



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第138話 過去との決別

「さてと。ここからが本番なんだが、出る前にも言った通り、リンドウさんは今回の件に関しては参加はしない。それと、副隊長さん。今回の件に関して巻き込んですまなかったな。本当の事を言えば事を大げさにしたくはなかったんだが、そうも言えない事態になってな。あの場では特に何も言わなかったんだが、やっぱりツバキさんが言う様に私怨が一番なんだ。我儘を聞いてもらってすまなかったな」

 

「ハルオミさん。私怨だろうが任務だろうが気にするのは万が一が起きてからであって、討伐が完了すれば問題無いはずです。事実ツバキさんも無明さんもそう言ってた訳ですから、気にする必要は無いですよ」

 

 本来ならば交戦前にこんな事を言うのはお門違いであるのは誰よりもハルオミが一番良く知っている。ハルオミの話を聞こうが聞くまいが、やるべき事はシンプルである事に変わりない。

 事実として、こんな時代である以上、アラガミに対し大なり小なり何かしらの感情はあって当然だと北斗は考えている。負傷者が出なければ咎められる筋合いはどこにも無い。

 今は目の前のアラガミに集中するのが一番であればこれ以上の事は必要なかった。

 

 

「北斗。いや、副隊長。巻き込んですまなかった。俺もハルさんと同じ考えに憑りつかれていたのかもしれない。だが、今はただの一神機使いとして戦うだけだ。その為に力を貸してくれ」

 

「何を今さら。そんな事気する必要はどこにも無いさ。ジュリウスだって今回の件で骨を折っている以上、そっちの方が大変だろ?あの局長にうんと言わせるなんてジュリウスにしか出来ないんだからな。俺だったら絶対に無理」

 

 北斗の言葉は当時の神機兵の無断操縦の事を暗に示していた。

 当時の考え方は反吐が出る様な思いだったが、あれと折衝する位ならまだ目の前のアラガミと戦っていた方が何倍もマシだとも思えていた。

 そんな事を思い出したのか、ギルの顔から緊張感が適度に抜けた様な表情が見て取れていた。

 

 

「フッ違いねぇな」

 

「お前さんたち。くどい様だが今回の件は特例なんだ。少なくとも今回の件に関しては確実に俺だけには懲罰がかかるのは間違いないんだからしっかりやれよ。でないと俺が全部かっさらう事になるからな」

 

 緊張感の中に敢えてユーモアを入れる事で少しでもリラックス出来るようにリンドウは取り計らっていた。私怨と我執に囚われればどんな結果になるのかは考える必要も無い程に分かり易い。

 そんな配慮を感じたのか、ギルとハルオミも何時もの雰囲気へと戻りつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いくぜギル!」

 

「はい!」

 

 赤いカリギュラへと近づく為に一気に距離を詰めるべく全員が全速力で走り出した。

 周りには遮蔽物が何も無い以上、気配を殺した所で直に気取られるのは間違いない。ならば見つかる前提で全員が一気に動いていた。

 

 カリギュラとの距離が徐々に近くなる。それと同時に遠目で見ていた物がハッキリと確認出来ていた。

 背中に突き刺さっているのは当時ケイトが渾身の力で突き刺した神機。

 それが何かの目印でもあるかの様な存在感を放っていると同時に、恐らくは刺さった神機が影響したのか、それとも単純に回復していないからなのか右腕も結合崩壊を起こした当時のままだった。

 

 

「どりゃああああ」

 

 手前5メートルの地点で想像通り赤いカリギュラはハルオミ達の存在に気が付くと同時にこちらへと視線を向ける。元から奇襲出来るとは思っていなかったからなのか、赤いカリギュラの視線がこっちに向こうが、誰一人として怯む事は無かった。迫りくる3人をまるで迎撃するかの様に左腕からは大きなブレード状の物が飛び出ていた。

 

 走る勢いをそのままに、ハルオミは渾身の力でバスターでもあるワックマックを横薙ぎに振りぬく。加速からの一撃は普段以上の速度を持ったからなのか、バスター型とは思えない斬撃は大気を斬り裂き、唸りを挙げていた。それに対し、カリギュラは警戒したからなのか、刃を受ける事無く身を大きく翻しながらに反撃へと移っていた。

 渾身の力で振りぬいた影響で、盾を展開する事が出来ない。このまま直撃を受けるかと思われた瞬間、北斗が素早く盾を展開する事でハルオミへの攻撃を上手く防ぐ事に成功していた。

 手負いとは言え、実質的な接触禁忌種は伊達ではない。北斗は盾越しとは言え、その威力に思わず関心していた。

 

 

「すまねぇ!」

 

「これからだ。ギル援護してくれ!」

 

「おう!」

 

 北斗の指示通りにギルのリボルスターはマズルフラッシュと共にがカリギュラの頭部めがけて3発を連続して発砲する。過去の事から考えれば県政代わりの発砲に結果を求める事は無い。こちらの態勢を整える為であり、決してダメージを与える事が目的ではないからだった。

 

 3点バーストの様に放たれた弾丸は全てが着弾する。通常であればこの程度では接触禁忌種が怯む事はあり得ない。しかし、今までのダメージが蓄積された影響なのか、それとも刺さった神機が影響したからなのか、赤いカリギュラはたたらを踏みながらに後退していた。

 

 

「ハルオミさん。結合崩壊の部位を狙うのが一番早い!」

 

 北斗の叫びをそのままに、改めてハルオミのフルスイングが今度は結合崩壊した部分へと直撃する。先程のよろめきと同時にこのままの勢いで一気に押し切れるかと近づいた瞬間だった。

 よろめいていたはずのカリギュラは突如としてその場から若干浮いた様な様子で静止し始めていた。

 

 

「ギル!副隊長!一旦距離を取れ!広範囲の攻撃が来るぞ!」

 

 本部に居た際に同系統を何度も討伐した結果からなのか、ハルオミは見てから判断するよりも、その雰囲気を察知したかの様に2人に指示を飛ばす。この中で一番討伐しているのはリンドウを除けばハルオミが一番経験しているからこその判断だった。

 

 ハルオミの指摘通り、赤いカリギュラの周囲に冷気が宿る。放出された冷気の影響なのか、地面の一部が凍結してる様にも見えていた。凍てつく大地がどれ程の低温を出しているのかを肌で感じる。

 このまま近接攻撃を続けるのは厳しいと判断していた。

 冷気を放出しているのは僅か数秒ではあったが、それだけの時間がれば次の行動を起こすには十分すぎる程の時間が出来る。

 既にそれが一連の攻撃であるかの様に、カリギュラの背中にあるブースターがゆっくりと広がりを見せると同時に、その巨体を空へと押し上げていた。

 

 

「空中から来るぞ!全員回避だ!」

 

 ハルオミの指示が次々と戦場に飛ぶ。いくら強固な神機を装備した所で百戦錬磨とも取れる経験の前には無力な状態と何ら変わらなかった。伊達に本部で戦ってきた訳では無い。その経験が次の行動を予測する事が出来ていた。

 

 

「視線を切るな。奴は速いぞ!」

 

 ハルオミの予測通り、大きなブレードを鳥の翼の様に大きく広げると、北斗に向けて一気に襲い掛かる。空中からの一撃がそのまま直撃するかと思われた瞬間だった。

 

 

「北斗!」

 

 ギルの叫びも空しく、空襲とも取れる攻撃は回避できたが、問題はそこからだった。

 着地した瞬間になぎ倒すかの様に動いたブレードが北斗へと襲い掛かる。空襲だけの攻撃ではなく、そのまま地上に対しての2段攻撃は今までのカリギュラには無い攻撃方法だった。

 迫りくるブレードと自身の身体の隙間に何とか神機を挟みこむ事で直撃は避けられたが、それでも巨体を生かした攻撃による質量までもは消し去る事は出来ない。自身の神機の強度と整備してくれた極東の技師を信じ、直撃の回避だけは最低限成功していた。

 

 

「大丈夫だギル。少し衝撃が残っただけだ」

 

 北斗はそう言った物の、やはり直撃とも言える攻撃の圧力は想像以上だった。

 戦闘中の為に確認する事は出来ないが、実際には刀身と装甲を繋ぐジョイントが気持ち緩んでいる様にも感じる。この状況の中で集中と視線を切ればどうなるのかは誰にも容易に想像が出来る程だった。

 

 

「ったく手強いね。よくもまぁケイトはこいつと渡り合ったもんだ」

 

 先程の北斗への攻撃を見たハルオミは誰にも聞かれる事なく一人呟いていた。

 赤いカリギュラは背中に神機を刺したままであの強さならば、最初に遭遇した際にはどれ程の圧力だったのだろうか。

 そんな考えがふと脳裏をよぎる。今は出来る限りの事とやるだけだと改めて考え直し、この戦いに再び集中し始めていた。

 

 

「ハルオミさん!援護してくれ」

 

 ハルオミに声をかけると同時に北斗が赤いカリギュラへと攻撃を仕掛けるべく、銃形態へと変形させながら疾駆していた。

 牽制とも取れる射撃をしながら距離を詰めるつもりで行動を起こす。走りながらの銃撃が完全に当たるとは思ってもおらず、あくまでも牽制程度にだけ考え、そこから一気に剣形態でダメージを与えるつもりだった。

 自分の行動を援護するかの様にハルオミもまたスイートシャフトで援護に入る。

 バレットが全部着弾したのか、少しだけ隙が生まれていた。

 千載一遇の好機。北斗はこのまま疾走する勢いを利用して剣形態で攻撃する為に改めて銃形態から変形させようとした時だった。

 

 

「畜生!こんな所で」

 

 北斗が吐き捨てる様に呟いた一言は、今の状況を言い表している様にも思えていた。

 本来であれば変形には時間がかかるとは思えない程の短時間で機構が変化を遂げる事で次の行動へと移行する事が第二、第三世代の神機の大きな特徴でもあった。

 しかし、複雑になればなるほど神機の耐久力は目に見えないレベルで下がっていく。

 幾ら強化した所で表面的なパーツだけが強化され、肝心のジョイントの部分までは対策品が無い為に、そう大幅に変化する事は無い。

 

 先程の攻撃の際に感じた違和感が、肝心の場面でその弱点を露呈させていた。

 変形にもたつく間にカリギュラは迎撃を開始する。北斗の攻撃を嘲笑うかの様に再び大きく跳躍し、今度はお返しとばかりに、口から冷気を吐き出す事で周囲を再び凍結させていく。

 ハンニバルの様な灼熱とは正反対の極寒とも取れる冷気は万物の全てを凍結し粉砕する様な威力を示していた。

 

 

 

 

 

「しかし、あれが赤いカリギュラの力とはね。あの神機が刺さってままであれだと、今度同じ様な個体が出れば大変そうだな」

 

 3人の戦いを少しだけ距離を開けた所からリンドウは見ていた。

 今回のミッションに関しては、ツバキの要請からも念の為に参加しているに過ぎない。

 今回の件が偶然であったとは言え、態々1体のアラガミを討伐する為だけに異動を繰り返したハルオミに敬意を払った結果でもあった。

 もちろん出動前の言葉に偽りは無い。幾ら遠目とは言え、臨戦態勢を崩す事無くリンドウはその戦いぶりを見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見た目を大幅に裏切る程に赤いカリギュラは圧倒的な力で3人を退けていた。

 当初は右腕の結合崩壊の部分を集注的に狙う事が出来れば討伐は容易だとも思われていた。しかし、その目測を大幅に超えて今の赤いカリギュラは何も変化が無いと思える程の動きを見せていた。

 そんな中でも一番に目を引いたのは巨体に似合わない程の軽快な動き。通常のアラガミであれば攻撃は回避よりも防ぐ事が多く、実際に結合崩壊を起こすのはアラガミの耐久値を大幅に超えた結果でもあった。

 本当に大型種なのかと疑いたくなる程に軽やかとも取れるその身軽さで回避する。

 ここから先の結合崩壊を望むのは厳しいと誰もが予測していた。

 

 

「いつまでも軽やかに逃げれると思うなよ」

 

 一旦攻撃のリズムを変更しようと、ギルはトラップの設置を慣行していた。既に進路を予測していたのか、北斗の3メートル手前の地点に設置する。後はここに捕まえた所で一気に仕留めるつもりだった。

 

 まるで図ったかの様に北斗めがけてブレードで攻撃を薙ぐ様に赤いカリギュラは一気に距離を詰める。この進路上には既にトラップが設置されている以上、その場に止まるはずだった。

 

 

「北斗!」

 

 3人の予想を大きく裏切り赤いカリギュラはトラップなど最初から無かったかの様にそのまま攻撃を仕掛けた。まさか止まらないとは思ってもなかった事もあってか、ほんの少しだけ北斗も油断をしていた。

 ギリギリの距離を見切って北斗がブレードを避ける。辛うじて避けたまでは良かったが、その衝撃波は勢いそのままに襲い掛かっていた。

 態勢が崩れた所にその衝撃波が北斗を弾き飛ばしていた。

 

 

「大丈夫だ!俺の事は気にするな!」

 

 空中で受け身を取るべく身体を捻りながらに着地はしたものの、神機は大きく弾き飛ばされ丸腰のまま対峙する形となっていた。幾らゴッドイーターと言えど丸腰では何も出来ない。

 このまま万事休すかと思う程に赤いカリギュラはしつこく北斗めがけて攻撃を続けようとしていた。

 

 背中のブースターがこれから繰り出す攻撃を示すかの様に大きく広がると同時に、その熱量を吐き出し始める。ブースターを活かした攻撃は今までと比べれば格段に襲い掛かる速度が段違いだった。

 恐らくは瞬きをした程度であっても赤いカリギュラは北斗へと到達し、待っているのは横に真っ二つにされる未来しかない。その姿を見た2人は最悪の展開を予測する程の桁違いの攻撃だった。

 

 

「ギル!絶望するにはまだ早い。北斗への攻撃を少しでも緩めろ!」

 

 ハルオミの叫びに我を取り戻したのか、ギルとハルオミは一斉に赤いカリギュラへと掃射し始めていた。既にブースターで加速している以上、余程の事が無ければ攻撃は直撃する。

 このまま任務失敗で終わらすだけではなく、最悪は私怨に巻き込んでの北斗の戦死だけは避けたいとの思いがあった。

 一斉掃射が功を奏したのか、僅かながらに赤いカリギュラは攻撃の速度が鈍る。

 当初の速度では回避は不可能とも取れたが、ここにきての失速により、ほんの僅かながらに勝機が生まれていた。

 

 

「ギル!あとは頼んだ!」

 

 北斗は繰り出されるブレードをギリギリの速度で回避すると同時に大きく跳躍した。 先程よりも速度が遅いからなのか、衝撃波は発生していない。狙う先は背中の神機。

 そこを狙いすましかたかの様にさらに追い打ちをかける蹴り入れる事でダメージを与えていた。

 忌々しく刺さっていた神機が再びカリギュラの動きを止める。この千載一遇のチャンスを活かす事が出来なければ、この戦いが終わる可能性は無いと思われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これ以上好きにさせるか!今ここで終わらせる!」

 

 ギルは走りながらにチャージグライドを放つべく神機を制御する。このミッションが始まった当初の復讐心に囚われた気持ちは既に存在していなかった。

 今はただ目の前にいる北斗を助ける事だけが今のギルの中を占めていた。

 

 ケイトの二の舞だけは絶対にさせない。その気持ちに答えたのか、神機は機構部分を大きく変化すると同時に解放した部分からオラクルが過剰な程に入り込んでいるのか、周囲に余剰分となったそれをまき散らす。

 自分の気持ちに神機が答えてくれるかの様な錯覚と共にカリギュラへと距離を詰めるべく一気に走り出した。

 

 

「このままくたばれぇええええええ!」

 

 一匹の獣の様な咆哮と共にチャージグライドの体制に入る。先程の怯んだ時間は本当に僅かな物だったが、今のギルには十分すぎた。

 

 身体を起こし態勢を整えようとした赤いカリギュラは今なら完全に反応するこ事は出来ない。ここが最後の勝負だと言わんばかりにヘリテージスがオラクルを纏いながらカリギュラへと襲い掛かった。

 ヘリテージスのオラクルが赤黒く染まると同時に何かが弾けた様にも見える。

 既に突撃の体制に入っている以上、ここからの変更は出来ない。後は己と神機を信じて身を任せる事意外に何も出来なかった。

 

 

「やったか?」

 

 ギルの突進は一筋の光の様に赤いカリギュラを貫く。この一撃が全てを物がっていたのか、起き上る様な気配を感じる事は出来ない。

 慎重に様子を伺うと、そこには最終確認とばかりに今まで見守っていたリンドウがそのカリギュラの確認をしていた。

 

 

「お疲れさん。これで今回の討伐は完了だ」

 

 リンドウの一言で緊張感が途切れたのか、ギルは足元から崩れる様に倒れこみ、北斗もその場でへたる様に座り込んでいた。

 そんな2人を見ながらにリンドウはハルオミの傍へと足を進める。

 今まで心の中に何か大きなわだかまりがあったのが解消されたのか、今のハルオミだけではなく、ギルの表情も晴れやかだった。

 既に呼んであったのか、帰投用のヘリの音が少しづつ近づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ~よくもまぁこんな神機で戦ってたね。あと少し攻撃を受けてたら全損だよ」

 

「そうだな。これで自分がやってないって言うなら鉄拳制裁は必須だな」

 

 帰投直後のリッカは北斗の神機を見てため息を吐いていた。それはリッカだけではなくナオヤも同意見だった。

 神機の見た目にはそう大きな障害は無い様に見えるが、肝心の機構の部分に関しては実際にオーバーホールすると大破寸前とも言える状態だった。

 ジョイントのフレームは激しく歪み金属疲労が凄まじく、このまま続けていれば金属断裂すら起こりうる様な状態だった。

 

 更には無理やり動かした影響なのか、恐らくはここから銃形態への変更は不可能にも見えた。幾ら部位を強化してもジョイントから破損すれば、それはもはや使い物にならない。

 整備士の誰もがこの神機を見れば確実にため息を吐きたくなる様な状況な事だけは北斗にも理解していた。

 

 

「それでなんですが、直るのにはどれほどかかりますか?」

 

「ここまでだと1週間と言いたい所だけど……まぁ2日だね。それで大丈夫だよ」

 

 あまりの破損から相当な時間がかかるかと思われていたが、まさか2日で直るとは思ってもいなかった。

 北斗は知らなかったが、過去にはエイジも神機を大破させている。あの時と状況は違うが、それでも当時よりはまだマシだと思える程の状況だった事がせめてもの救いだった。

 

 

「そんな短期間で大丈夫なんです?」

 

「私の言葉が信用できない?」

 

「そんな事は無いです…」

 

 大破させた事が負い目となっているのか、今は出来る事ならこの場から逃げ出したい気持ちで一杯だった。肝心の神機が無ければゴッドイーターは単なる穀潰しでしかない。

 だからこそ、ここでの批判は甘んじて受ける事しか出来なかった。

 

 

「北斗。今回の件は貸しだからね。今度、この貸しは返してもらうから」

 

「わかりました。いずれ返させて頂きます」

 

 そう言われると同時に北斗は一路ラウンジへと向かっていた。

 

 

 

 



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第139話 改めて知る事実

 北斗がラウンジに付く頃には既にその結果がもたらされていたのか、ロミオとシエルが待っていた。どこまでの話が2人に聞かされていたのかは分からない。元々今回のミッションは様々なイレギュラーが重なった結果でしかなかった。

 今のブラッドのレベルでの接触禁忌種は到底許される内容では無いからなのか、心配気な表情が北斗を見た途端に和らいでいた。

 

 

「お帰りなさい。話はギルから聞きました。かなり大変だったようですね」

 

「まぁ、大変なんてもんじゃなかったかな。出来る事なら暫くはあんな強力な個体との戦いはお腹一杯って所だ」

 

 シエルの言葉に先程までの戦いの内容は既に知らされている事は明白だった。

 ミッションの内容はともかく、ギルの個人的な話は聞かされていなかったからのか、シエルはあくまでもアラガミに関する事を口にしている。だからなのか、北斗もその件に関しては言及を避けていた。

 

 

「しっかし、カリギュラなんて接触禁忌種なんだろ?よく無事で帰ってこれたよな」

 

「無事は無事でしたが、神機はダメになってますから、そう考えると無事とは言い難いですね。恐らく神機の強化が後少しでも足りなければ俺が真っ二つでしたよ」

 

 何気ない北斗の一言にロミオとシエルの顔色が一気に悪くなる様にも思えていた。

 神機の強化は強いアラガミが出れば、それに伴って強化しなければ、やがては自身の命を預ける事が出来ない。事実、ここに来てからの神機の強化とアップデートが一番最初に行われていたのはブラッドのメンバー全員の記憶に残っている様だった。そんな中での北斗の言葉。それが何を意味するのかは言うまでも無かった。

 

 

「でも、神機は大破じゃなくてジョイントの部分だったんだろ?だったら問題無いんじゃないのか?」

 

 ロミオの疑問は尤もだった。盾や刀身が割れたり折れたりすれば、改めて更新するにも膨大な時間とコストがかかる。そう考えれば今回の破損した部分がジョイントであるならば、見た目は問題無い様にも見える為に、どうしても大事の様には思えなかった。

 

 

「ロミオ。神機のジョイントはある意味生命線です。稼動変形が出来るのは当然とは言えますが、今回は偶然最後まで稼働しただけの話であって、万が一途中で止まる様な事があれば、最悪はコアの部分が大破して永久に使用する事が出来なくなります。そうなればもはや適合する神機が無い以上、最悪はそのまま引退となる恐れもあるんですよ」

 

 シエルの言葉に今回の内容がどれほど重篤な状況だったのかが改めて思いやられていた。

 神機が適合するのはコンピューターのマッチングの結果とは言え、そう個人にあった神機が頻繁に出来る訳では無い。

 だからこそ、神機は自分自身の相棒でもあり、また命を預ける事が出来る存在でもあった。

 

 

「そうなんだ……って事は修理までかなり時間がかかるんだよな?それまでの間のミッションはどうするんだ?」

 

「ロミオ先輩。それならリッカさんから聞いたんですが2日位で完全に修出来るらしいですよ」

 

「マジか……流石は極東。俺の想像を遥かに越えてるよ」

 

 そんな状況の神機が僅か2日で修理できるとは考えていなかったのか、ロミオだけではなくシエルも聞かされた当初は驚いていた。激戦区故のノウハウがあるのか、それとも整備士としての腕前の良さから来るものなのか、2人はただ驚きを隠す事は無かった。

 

 

「でも、貸しだって言われたから、ひょっとしたら今後は何か無理難題がくるかもね」

 

「それなら私に声をかけてくれれば一緒に動く事は出来ますから、多少のお手伝い位は出来るかと思います」

 

「そう?だったら真っ先に声を掛けさせてもらうよ」

 

「はい」

 

 この2人に何かあったのだろうか?ここに来てからのシエルは少しづつ心を開いている様にも見える。ただし北斗限定ではあるが。

 任務に関する話をしているにも関わらず、どこか桃色な空気が漂っている。そんなやりとりを目の前にロミオも面白く感じる事は無い。

 そんな2人を何となく見ながらも取敢えずは勝手に打ち上げとばかりにカウンターへと向かう。何か飲み物でも頼もうかとロミオは目の前のムツミに声をかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なになに?みんなで楽しそうだね」

 

「取り合えずは例のアラガミを倒したから、ここで休憩だ」

 

 北斗は炭酸が効いた辛口のジンジャーエールを飲みながら、出てきたマフィンを口にした時だった。何か用事を済ませたのかジュリウスとナナがこちらに来ていた。

 そう言えば出動前の話では今回の任務にあたって局長以下、幹部の署名を貰っていると言っていた事を思い出していた。あの利己的なグレムがおいそれと署名をするとは思えない。一体どんな方法でさせたのか、北斗は少しだけ気になっていた。

 だからなのか、北斗は恐る恐るジュリウスに確認する事にしていた。

 

 

「なぁジュリウス。例の署名の件なんだけど、一体どうやって貰ったんだ?」

 

「署名?一体何の事だ?」

 

「ほら、ギルの任務の前の話だけど」

 

 この時点で漸く何の話をしているのかジュリウスも理解していた。確かにあの時のジュリウスはツバキに対し、署名を貰っていると発言したからこそツバキが容認したと考えていた。

 

 既にグレムのイメージは神機兵の事件から誰も信用している様には思えず、また部下の命よりも己の収益方が大事だと公言する様な人物であるのは明白。特に今回の件はマイナスにこそなってもプラスに働く事は何も無いとさえ考えていた。

 

 

「ああ、あの件か。それならブラフだ。お前が気にする必要は無い」

 

「は?」

 

 ジュリウスの言葉に北斗の動きが止まる。まさか何もしていないにも関わらず、あの緊迫した空気の中でそんな事が出来るとは北斗も考えていなかった。

 

 

「ブラフって……万が一の事があったらどうするつもりだったんだ?」

 

「愚問だな。俺はお前とギルの能力を信じたからからこそ、問題無く討伐が出来る方にBETしたんだ。負けたら負けた時に考えるさ」

 

「……そうか」

 

 あまりにもあっけらかんとした物言いに流石の北斗も何も言う言葉が見当たらなかった。

 確かに結果オーライではあったが、万が一の際にはフライアだけではなくクレイドルまでも巻き込んだ大問題に発展する可能性すらあった。

 もちろん北斗としてもこんな所で負けるつもりは毛頭無い。しかし戦いに絶対は存在しない。にもかからず言い放つとなれば責任の所在は間違い無くジュリウスに降りかかる。

 それを知ってもなお、あの迫力を真っ向から受け止めたジュリウスの胆力にただ驚いていた。

 

 

「北斗、どうかしたのか?」

 

「ちょっと理解が追い付かなくなっただけです。ジュリウスは凄いと思っただけなので」

 

「お前たちの尻拭いをするのも隊長としての役割だ。そんな事を気にする必要は要らないだろう」

 

 隊長としての責務だと言われればそれ以上の事は何も言えない。隊長の責務がこれならば万が一これが自分だったらそんな事が平然と出来たのだろうか。

 今はただジュリウスの隊長としての器の大きさに驚いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よぉ。今日はお疲れさん」

 

「すみませんリンドウさん。俺達の私怨の結果で懲罰くらうなんて…」

 

 食事が終わる頃リンドウはハルオミとギルを誘って3人で飲んでいた。今回の任務は元々クレイドルが請け負っていた任務。それに横槍を入れた形で受注する代わりに、騒動の原因を作った罪でリンドウが結果的に懲罰を受ける結果となっていた。

 

 

「よせやい。そんな事気にするなよ。大体懲罰って言ってもクレイドルはただでさえ人員が足りないから独房に入るなんて事は無い。だからハルオミが気にする要素はどこには無いんだ」

 

「リンドウさん。ハルさん。ありがとうございました。俺も何か吹っ切れた様な気がします」

 

 その場に居た事を考えればギルの言葉はいささか不釣合いにも聞こえていた。

 私怨を晴らすと言う名目であればハルオミだけではなくギルも同じ。本来であれば同様に懲罰動議の対象だと考える事も出来ていた。

 しかし結果は帰投した直後に出迎えたツバキが発したのは、リンドウに対してだけの懲罰。2人に関してはまさかのお咎め無しの結果だった。

 

 

「お前さん。俺にそれを言うのはお門違いだ。それならブラッドの副隊長さんに言うんだな。ここでは仲間が殉職なんて日常茶飯事だ。全員が出動すれば誰かが毎回殉職してくる。確かにここ数年で技術は一気に上がったからそこまでにはならないにしても、それでも最低でも1週間で一人位は出るんだ。ここではそんな考えがある意味珍しいと姉上も感じたんじゃないか?」

 

「それでもリンドウさんが懲罰だと俺もハルさんも気が知れないんで」

 

「だから懲罰って言っても、そんな独房入りなんて事は無いさ。俺の今回の懲罰に関してもあの場で状況を引き締める為の物だから、見せしめの意味合いの方が大きいだけだ」

 

 確かにツバキの口から懲罰の話は出たが、肝心の内容に関してはリンドウ以外には誰も知らない。だからこそハルオミもギルも気になっていた。

 

 

「で、実際には何をさせられるんです?」

 

「俺の場合はな……3ヶ月間の嗜好品チケットの発券禁止とそれの行使権の停止だ」

 

「……え?それだけ…ですか?」

 

 斜め上の発言にハルオミもギルもそれが一体何を意味するのか理解出来なかった。

 リンドウはどこか遠い目をしたまま何となく虚ろな表情をしている。恐らくは肉体的な劫罰ではなく、精神的な懲罰の意味合いが多いのだろう。

 誰が言った訳では無いが何となくそんな風に感じていた。

 

 

「ああ、リンドウさん。ここだったんですか。先程ツバキ教官から聞きましたよ。上級嗜好品の発券禁止が懲罰らしいですね」

 

 リンドウの遠い目をしている理由を知っているであろう人物がラウンジへと入ってきた。一人では無く隣にはアリサが居る以上、誰なのかは直ぐに理解していた。

 

 

「エイジさん。それはどう言う意味なんです?」

 

 ギルもその答えが知りたかったのか、そのままカウンターの中へと入るエイジに確認する。アリサは当たり前の様にその前に座っていた。

 

 

「言葉の通りですよ。それと兄様から伝言があります。この期間中は来ても酒類の提供は一切しないとの事です」

 

「……無明が本当にそれを言ったのか?」

 

「エイジがリンドウさんに嘘を吐くメリットがどこにも無いですよ。因みに今回の件は既にサクヤさんも知ってますよ。サクヤさんは喜んでましたけどね」

 

「マジか……」

 

 追い打ちをかける様にアリサからも事実を告げられた事で漸くハルオミとギルも意味が理解出来た。上級嗜好品のチケットは中々手に入る事がなく、本来であれば佐官級でなければ支給されない。

 偶々クレイドルは本部に認められている事から特例として支給されていた物だった。

 

 

「そうだったんです?だったら俺がリンドウさんに奢りますよ」

 

「持つべきものはハルオミだね。そうだエイジ。折角だならなんか摘み作ってくれ。少し小腹が減ったからさ」

 

 そう言うとカウンターの下からはブルスケッタが出てきていた。恐らくは何かしら作るつもりだったのか、言うと同時に提供されたあたりがリンドウとエイジの付き合いの長さを証明している様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。昨日はすまなかった。お蔭で助かった」

 

 翌朝、北斗が朝食を食べに来ると、既にギルが居た為にそのまま話ながらに食事をする事になっていた。神機が大破している以上、今の北斗には精々訓練をする以外に何も出来ず、また昨日の激戦の疲労を癒す名目でそのまま休暇を取っていた。

 

 

「何時もの任務だから気にする必要は無い。大体の事はハルオミさんから聞いてたから知ってるつもりだが、ギルはもう良かったのか?」

 

 敢えて何に対してと言われなかったが、北斗の言葉は暗にグラスゴーでの事を指していた。

 当初ハルオミから聞いた話はある意味神機使いとしては至極当然の処置でもあった。

 事実、本部の査問委員会でも問題無しと言われたのが何よりの証拠でもあった。しかし、世間はそんな風に考える事はない。

 一部のマスコミからは心無い報道をされ、情報は正しい物が捏造に次ぐ捏造から事実は徐々に塗り替えられていた。

 このままでは社会問題になるかと思われた際のフライアへの異動は正に渡りに船とも言える状況でもあった。

 

 

「ああ、今回の件はあのアラガミを討伐した事で俺の復讐心も消えたのかもしれない。……いや、正確にはただの自己満足なだけだ。倒した所でケイトさんが生き返る訳でもない。多分、今迄の俺は復讐心に憑りつかれていた事で回りが何も見えてなかったんだろうな」

 

「その一言が今のギルの全てと取れていた。以前、ここで早朝に会った様な表情は既に無く、どこか晴れ晴れとした様な雰囲気が漂っている。

 まるで憑き物が落ちたかの様な表情から、今後は前を向いて歩く事が出来る事だけはすぐに想像が出来ていた。

 

 

「あれ?こんな時間にギルが居るなんて珍しいね。今日はどうしたの?」

 

 シリアスな空気を壊すかの様に朝から元気いっぱいでナナが入ってきた。これが何時もの日常なんだと嫌でも認識させられる。これからまた1日が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これがサテライトか~ニュースで見てたから知ってたつもりだったけど、実際はこんなだったんだ」

 

 今日は特に大きなミッションが発注される事も無かったのと同時に、ユノが慰問の為にサテライトに行くついでとばかりにブラッドも同行していた。

 本部の直属の部隊であれば、極東で何をしているのかを知っていても損にはならない。今の極東を知ってもらう為にと案内しているサツキと共に002建設予定地へと来ていた。

 名目上は予定地だが、実際には家屋などの建物も大よそ出来上がっている。これならば、既に完成している様にも思えていた。

 

 

「そうだな。まさかここまでとは思ってもなかったな」

 

「そうですね。建物はまだ未完成な物も多いですが、これだと予定地ではなく既に建設完了と言った所ではないでしょうか?」

 

 各自が感心しながら、あちこちを見て回っている。事実、建設が完了した建物も幾つかあった為に、ある程度の骨子は出来ているが、それでも外部居住区に比べればまだまだと言える内容だった。

 初めて来たのであればある程度は仕方ない様にも思える。がしかし、それでもどこか他人事の様な感想にサツキは少しだけイラついていた。

 

 

「これを見て完成だなんて話になりませんよ。これはあくまでも赤い雨の対策で暫定的に建設しているだけで、実際には住環境が良いとはお世辞にも言えないんです」

 

「しかし、ここまでの内容であれば及第点と言っても良いのでは?」

 

 どこか苛ついた気分を持ちながら案内していたサツキだが、余程癇に障ったからなのか、ジュリウスの言葉につい自身の思いを口にしていた。

 

「貴方、ブラッドの隊長さんでしたよね?貴方方が乗っているあの玩具(フライア)。あれ一台にかかるコストで、どれだけのサテライト拠点が満足に作れるか知ってますか?」

 

 ため息と共にサツキの言葉には確実に棘が含まれていた。

 ここには慰問で何度も来ているから知っているが、内情は今までの住環境からすればアラガミ防壁がただあるだけで、それ以上の事は各自でやらなければ何も進まない状況でもあった。

 

 確かに見た目には既に完成していると思えるのはある意味仕方ないのかもしれないが、これはあくまでも入れ物の話であって、ここにこれから入植するとなれば、確実に大小様々な要望が出てくるのは001号に時点で予見出来ていた。

 今回の002号は今後の建設予定地を一気に拡大する為の拠点として計画されている。その為には単純に住めるから大丈夫だとは現場に携わる人間は誰一人考えていなかった。

 

 

「私が知る限り、あの移動型の玩具でサテライトの拠点が少なく見積もっても10は作れます。たかが自己満足の為に多大な犠牲を強いるのはどうかとは思いますけどね」

 

 サツキの言葉は半ばここに居る者達の代弁の様にも聞こえていた。このブラッドの中で他の支部からの移籍だったギルバートも最初にフライアに来た際には驚きの方が多く、こんな事に使う位なら他にやるべき事があったはずだとまで考えていた。

 だからこそサツキの言葉に共感はするが、ブラッドには本部に他する発言権はグレム以外には持ち合わせていない。今はそのブラッドのメンバーである以上、簡単に容認する事は出来なかった。

 

 

「そう思われているのは承知しています。事実、今回極東支部に来た際にもそれは十分すぎる程に感じられました。確かに今はフェンリルの保護下でなければまともな生活を営む事が困難な事は我々も存じています。今後はこの様な情報を常時上にあげる事で内部の改善が図れるように上申させて頂きますので」

 

 ジュリウスから丁寧に言われた事もあってか、サツキも僅かに苛立ちは引っ込んでいた。それ以上の事は言いすぎたと思ったのか、それ以外の事は何も言わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、なんか良い匂いしてこない?」

 

 この沈黙を破ったのはナナだった。この空気感を破る為なのか、本心からなのかは誰にも分からない。それでもこの一言で先程までの重苦しい空気は少しだけ薄まっていた。

 

 

「…本当だな。でもナナは良くこんな匂いに気が付いたな?」

 

「ロミオ先輩。私の嗅覚は鋭いんだから!」

 

「食事限定だろ?」

 

「ロミオ先輩。ちょっとデリカシーって言葉勉強しようか」

 

 その言葉に気が付いたのか全員がその匂いに意識が少し取られていた。時間からすればそろそろ昼時な事は理解できる。その考えで一同はその匂いの元へと歩いていた。

 

 

 



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第140話 認識と確保

 ナナを先頭に歩けば、そこにはアリサが炊き出しの為に大鍋の中身をかき混ぜていた。

 既に時間だからなのか、職人などが食事を始めている。察知した匂いの原因はこれだった。

 

 

「ああ~アリサさんだ。こんちわーっす」

 

「あれ?ブラッドの皆さんとサツキさんですか。今日はここに視察なんですか?」

 

 鍋をかき混ぜ、来る人達に汁物をお椀によそいながらも真面目に挨拶をしている。この光景に何かを見出したのか、ナナとロミオの視線はアリサへと向いていた。

 

 

「暫くは極東に厄介になる以上、今の状況を知っておいた方が今後の為にも良いだろうと判断しましたので、高峰さんとこちらへお邪魔させて頂いてます」

 

 実際にはサツキに強引に連れて来られたが、事実を言う必要はどこにも無い。

 ジュリウスの言葉をそのまま額面通りに受け取ったのか、アリサは明るい笑顔で対応していた。

 

 

「そうでしたか。ここは見た目は殆ど完成と言った様にも見えるんですが、これからはここがサテライトの製造拠点とするので完成からはまだまだって所ですね」

 

 先程のサツキからも聞いていたが、ここはクレイドルが一元管理しながら進めている為にアリサの言葉の方が重く聞こえていた。しかし、言葉とは裏腹にどこかここの職人達は笑顔で仕事をしている様にも思える。そんな姿を見たからなのか、こちらが一方的に悪い気持ちになる必要はどこにも無かった。

 

 

「何だサツキさんか。で。そこの兄ちゃん達は誰なんだ?」

 

 食事をしながらも一人の男性が声を掛ける。視察の名目でこれまで色んな人間が来ているのもあるが、やはり作業中であれば邪魔になるので殆どの人間は気にはするも話かける人は居なかった。

 偶々今回は見知った人間が人を連れてきた事と、休憩中な事もあって珍しく話かけていた。

 

 

「この人達は本部直轄の部隊の人達ですよ。今回はここの視察で来ましたんで」

 

「本部ねぇ。って事は皆はエリートってやつか?ここいらに居る連中は皆学が無くてな。まぁ、特筆する部分は何も無いがゆっくりしてってくれ」

 

 ここの代表的な人間なのか、特に本部から来たと言っても誰も気にする者は居なかった。

 ここに居るのは元々屋敷にいた人間を集めて組織した職人達。誰もが一線級の技術も持っていた。

 言葉尻には自身の表れがあるからなのか、それとも自分体達の仕事に誇りを持っているからなのか、卑屈な雰囲気は微塵も無かった。自分に自信があるからこそ他人に対しても穏やかに接している。ただ己の出来る事だけを真剣にやっていた。

 

 

「そういや姉ちゃん。旦那はどこ行ったんだ?さっきから見てねぇが?」

 

「もう。まだ旦那じゃありませんから」

 

「でもよ。当主だって結婚したんだから姉ちゃん達もそろそろじゃないのか?」

 

 この場にエイジが居ない事に疑問を持ったからなのか、職人達はアリサをからかう様に話かけている。エイジがここに居る間は割と2人で来ている事が多く、先ほどまではこの炊き出しを作っていたはずだったが、気が付けば姿をくらましていた。

 

 

「……そのうちですから」

 

 そう言いながらアリサは顔を赤くしている。この反応が恐らくは職人達が面白いと感じているのだとも思えていた。

 

 

「お待たせ!良い物が獲れたんだ……あれ?ブラッドの人がなんでこんな所に?」

 

 そう言いながらにやってきたのはエイジだった。大きな何かと一匹の何かを入れた袋の様な物を持っている。それが何なのか疑問に思ったのか、その場に居た全員の視線がエイジへと向っていた。

 

 

「今回はサツキさんにつれられてこちらに来ました」

 

「そうなんだ…そう言えば、良い物捕ってきたからこれから食べようか?」

 

 そう言うと同時に何か大きな塊を袋から取り出していた。当初はこれが一体何なのかは誰にも理解できなかったが、職人が真っ先に気が付いたのかどこか喜んでいる様にも見えた。その中身が何なのかを理解している様だった。

 

 

「エイジ。これって猪か?にしては随分と大物を獲ってきた来たもんだな」

 

「偶然見たんで、折角だからと思って仕留めてきましたよ。アラガミとは違うんで苦労はしませんでしたけど。そうだ。結構な量があるんで皆さんもどうです?アリサ、悪いけど皆の分も準備してくれる?」

 

「はい。直ぐに準備しますね」

 

「動かす様で悪いけど、そこで火の準備良いかな?」

 

 そう言いながら塊を解体するとエイジは北斗に火を起こす準備を依頼していた。取り出したナイフがいとも簡単に塊となった肉を切り分けていく。それと同時に、その場で簡易バーベキューの様に網の上へと置いて行く。

 野生の獲ったばかりの肉と脂の焼ける匂いが一面に充満していく。既にアリサもブラッドとサツキの分も用意したのか、その場で全員が舌鼓を打っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか獲ってくるなんて思ってませんでしたよ」

 

「丁度見かけて追いかけたら結構な数が居たからね。乱獲する訳じゃないから大丈夫じゃないかな?」

 

 アリサとエイジは隣に座って食べている。職人達も臨時のメニューに笑顔で話に花が咲いているようだった。

 

 

「まさか、こんな所でこんな物が食べる事が出来るとは思ってませんでした」

 

「極東の食事もだけど、ここでも結構良い物が食べられるんだね」

 

 シエルが感心すれば、ナナも頬張る様に食べていた。獲れたてだからなのか、肉の鮮度と同時にそれなりについた脂肪が肉の柔らかさを作っている。アナグラの食事も良いが、これもまた美味なのか、焼けた肉は一気に消費されていく。

 ロミオとギルは無言で食べているからなのか、何も言葉にはしていなかった。

 

 

「エイジさん。ここでは毎回この様な食事をされてるんですか?」

 

「いや。今回は偶々だから。工事の途中で見かけたからそのまま獲りに行っただけだよ」

 

 ジュリウスもこんな食事が珍しかったからなのか率直にエイジに確認していた。何時もの状況を知っている人間からすれば今回の様な件は偶にあるのか、敢えて何も言う事は無く食べている。久しぶりに食べた猪肉が良かったからなのか、職人の1人が珍しく口を開いていた。

 

 

「この兄ちゃんが来ればこんな事は多いぞ。普段はこうまで良いもんは食えないからな。とにかくここでは遠慮すればあっと言う間に無くなるからな。お前さん達も遠慮なんてするなよ」

 

 その一言にエイジを見たが、特に気にしていなかったからなのか、それ以上は何も言う事も無くアリサと話をしながら食べている。

 見れば持ってきた塊の半分以上は既に無くなっている。後は各々が勝手に自分で焼きながら食べていた。

 

 

「でも猪なんて簡単に獲れる物なんでしょうか?」

 

「動きさえ見極めれば問題ないけど、やっぱり動きを読めないと最悪は大けがするよ。見た目に反して案外と俊敏だからね」

 

 北斗も経験があるのか、シエルの言葉にそのまま返事をしていた。元々は山中での生活をしていた事もあって、野生の動物を狩る経験はこれまでに何度もあった。

 しかし、それは殆どが罠にかけた状態で仕留めたからだが、今のここではそんな物を作る時間は存在していない。まさかとは思いながらに北斗はエイジに確認してみたいと考えていた。

 

 

「あのエイジさん。猪ってどうやって仕留めたんですか?」

 

「苦無を投げて、後はこの短刀だよ。こう見えて切れ味は一級品だからね」

 

 そう言いながらに腰の部分にぶら下げていた苦無と短刀を北斗に見せていた。

 黒光りする刃は若干厚めだが、それでもその切れ味は業物である事を主張するかの様に鋭い物である事は容易に想像出来ていた。

 

 

「普通は罠で獲るかと思うんですが?」

 

「アラガミ程じゃないから問題ないよ。それにこれ位の事なら日常茶飯事だから、それこそ気にする事は何も無いんだけどね」

 

「エイジさんって見た目にそぐわずワイルドなんだね」

 

「ナナさん。エイジさんはアリサさんとお付き合いされてるんですから、それ上の事は野暮と言うものですよ」

 

 ナナが会話を聞いていたのか改めてエイジを見ている。その視線に何か感じたのかシエルが当たり前だと言わんばかりに説明をした事で改めてロミオはショックを受けていた。

 

 

「あの、シエルさん。その情報一体どこから?」

 

「それはリッカさんから聞きましたのでご安心下さい」

 

 シエルにそう言われても、一体どこに安心する要素があるのかアリサには分からなかった。

 アリサは気が付いていないが、アナグラの内部でもエイジが居る時と居ない時では表情も態度も大きく違う事は新人でさえも知っていた。

 

 もちろんある種の羨望の眼差しで見られる事はあっても、そこから先に踏み込む事は一切ない。仮にそれがバレれば教導の名の元に半殺しにされる覚悟の上でなければ今のアリサを口説くのは不可能だった。その為、アリサに不埒な事を考える人間は誰もおらず、唯一ハルオミだけが勇者の如く行った結果がそれであった事が拍車をかけていた。

 

 

「あの、あまり公言されると恥ずかしいので…」

 

 普段のアリサでは絶対に見る事が出来ない様な少し赤くなったその表情に北斗とギルは意外性を感じ、ジュリウスに関しては我関せずを貫いていた。ロミオは先程からのショックに未だ立ち直る事が出来ないでいた。

 

 

「あの、エイジさん。先程からその小さい袋が何か動いている様にも見えるんですが、それは一体?」

 

 このままアリサを弄るほどブラッドには勇気が無かった。

 ギルに関してはハルオミからも聞いていたからなのか何となく理解しながらも、今はこの話題が逸れる事を待っていた。

 そんな中で先ほどから何か小さく音が聞こえる先には肉の塊とは違った小さ目の袋が何かガサガサと動いている。今度は一体何を獲ってきたのかが気になっていた。

 

 ジュリウスが言う様に確かにガサガサ音を立てているのは不気味にも見えたが、肝心の中身は未だエイジ以外には誰も知らない。そんな事もあってか、全員の視線が袋へと集まっていた。

 

 

「そう言えば、こんな所では見た事も無い動物を取ってきたんだ」

 

 何か思い出したかの様に袋から取り出すと、それは茶色の小さな動物だった。当初は肉を食べるのかと思っていたが、今の時点で食べるのは無理があると思われる程の大きささった。

 

 

「こんな小さな動物をどうするつもりなんですか?」

 

 何気に聞いたアリサの言葉でだれもが意識を取り戻していた。当初見た際にはあまりにも小さく、弱々しく感じた事もあってかそれが一体何であるのかの理解が追い付かない。

 今は捕まえたエイジの言葉を待つ以外には何も無かった。

 

 

「流石に食用って訳には行かないだろうね。これだと食べる所は少ないだろうし…」

 

 まさかの食用のつもりだったのか、女性陣は可哀想だと考えながらにその動物を見ている。つぶらな瞳がまるで助けを呼んでいる様にも見えていた。

 

 

「エイジ。まさかとは思うんですが、それは食べないですよね?」

 

「食べたいなら解体するけど……無理そうだよね?」

 

 アリサの言葉だけではなく、シエルとナナも可哀想だと考えていたのか、それ以上の言葉は発しないまでも目がそうでは無いと物語っている様にも見えた。

 もちろんエイジもこのまま解体して食べるつもりはなかったが、念の為に全員に確認する為に敢えてその話をしていた。

 

 

「でもこのまま飼うとなれば誰かが責任を持つ必要もあるだろうし、ましてや屋敷は無理だからアナグラで飼う事になるよ。で、誰がツバキさんを説得するの?」

 

 エイジの一言で、今度は男性陣が固まっていた。

 ギルの暴走とも言える際の鉄拳制裁の件はその場に居なかったロミオも話には聞いていた。ギルも当初はツバキをいぶかしげな目で見たものの、クレイドルの総指揮をしていると同時に、極東での教官である事をハルオミから聞かされていた。

 

 アリサも榊博士ならば問題ないだろと考えるも、相手がツバキとなれば旗色は悪い。この場に明確な回答を出せる人間は誰一人居なかった。

 

 

「それは……」

 

「あの、アリサさん。出来れば私に任せて貰えないでしょうか?」

 

 言い淀むアリサの言葉を遮る様に話したのはシエルだった。先程見た小動物をかなり気に入ったのか、ずっと目で追いかけている。

 仮に何かあってもまさか本部付の部隊の事までは口には出さないだろうと考えたからなのか、エイジもアリサもそれ以上の事は何も言わなかった。

 

 

「シエルさんがそう言うなら私は何も言いませんが……でもこのまま放置するのも忍びないので一旦はアナグラへと連れて行くしかなさそうですね」

 

 アリサの言葉通りに今は視察が終わってから改めてこの小動物を連れて行く事が決定していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この小動物はここで飼う訳には行かないでしょうか?」

 

 戻ってからのシエルは行動が早かった。事前に連絡した事もあってか、支部長室には榊とツバキが打ち合わせをしていた。

 当初は大人数で行こうと言った案もあったが、それは返って逆効果の可能性があるからと今はシエルと北斗の2人だけで訪れていた。

 

 

「ここはアラガミを討伐する為の最前線である事は理解していると思っていたが、その認識は間違いか?シエル・アランソン」

 

 アリサとエイジが言う様にツバキの反応は厳しい物があった。

 事前に聞いていたからこそツバキの迫力に負ける事無く話しているが、何も聞いてなければ恐らくはそのまま撤退となっていたはずだった。

 

 ツバキが言う様に、ここはアラガミ討伐の最前線である以上、そんな動物を飼うだけの余力は存在しない。ただでさえ食料事情が若干乏しくなっている所で餌はどうするのかと言った懸念がそこにはあった。

 

 

「いえ。その件に関しての認識はしています。今回の件につきましては我々が責任を持って預かりたいと考えていますので」

 

「だが、今後の世話だけではなく、今はフライアがここに一時的に逗留しているだけにしか過ぎない。万が一貴君たちがこの場を離れる事が決定した場合、その後の事はどうするつもりだ?」

 

「その際には我々が責任を持って引き取りたいと思います」

 

 ツバキの懸念は事前にシエルが予想していた展開の通りに運んでいた。

 動物を飼う行為自体には何の問題も無いが、あくまでもフライアの目的は神機兵に対する有用なデータ取得の為の逗留であって、今後極東支部に所属する物では無い。

 

 当然最終的には移動すれば責任が誰にあるのかが不明瞭になるのを考えていた結果でもあった。しかし、シエルがハッキリと言った以上、そこから先は極東支部の話ではなくなる。

 それならばこのまま反対する必要性はどこにも無かった。

 

 

「そうか…榊博士。どうされますか?」

 

「僕としては特に問題無いと考えているよ。ブラッドでしっかりと世話をしてくれるのであれば、それ以上とやかく言う必要性は無いだろうからね」

 

 榊の言葉で漸く承認された事が理解できた。支部長が容認している以上それを覆す必要はどこにも無く、その結果としてラウンジで飼われる事が決定していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「可愛いですね。これどこから連れてきたんですか?」

 

 当初ラウンジに設置された檻の様な物は一体何をどうする物なんだと憶測を呼んでいた。

 作ってほしいと言われたリッカも何をどうするとは聞いてなかったが、とりあえずは要望の品を作り、後の事に付いては関知してなかった。

 そんな事を考えていた際に連れてきたのが茶色い小動物だった。見た目は弱々しくも見えるが、まだ子供だからと言う事もあってか、支部内の女性陣には概ね好評だった。

 

 

「エイジさんが山中で確保したんですが、当初はこれが一体何の動物だったのか分からなかったらしいんです」

 

「え?エイジ先輩がですか?」

 

 まさかエイジが捕ってきたきたとは思ってもなかったのか、発言したエリナも少し動揺していた。この動物はカピバラなので本来であればこんな極東にいるはずの無い動物。

 恐らくは何らかの形で逃げ出したのがそのまま野生化したか、もしくはその子供だろうとあたりを付けていた。

 

 

「その件なんですが、どうやらサテライトの建設予定地の近くで狩をした際に確保したらしいです」

 

 まさかその回答がシエルから出るとは思っても無かったが、今はその驚きよりも目の前のカピバラの方に意識が向いていた。

 ラウンジに暫定的に置いておくと言うよりも、場所の事を考えればそこにした置く事が出来なかった事もあってか、小さなカピバラはここに来た人間の目を向けていた。

 しかし、ここで大きな疑問がエリナの中にあった。ここに置いておくと言う事はすなわち許可が出ている事になる。

 現状ではツバキがその件に関してやっていた事だけが記憶の中にあった。

 

 

「あの、ツバキ教官の許可が出たんですよね?」

 

「ええ。何とか許可して頂きました」

 

 シエルの一言は意外だと思われていたのか、他の人間にまで影響を及ぼしていた。

 基本的には教官の立場もある為に、許可を取る際には確実に意見を求められる。その結果として論理的に説得出来ないのであれば容認される事は今までの中では一度も無かった。

 極東に居ればそんな事は誰でも知っているが、ブラッドはここに来てまだ日が浅い以上、そんな内情まではしる由も無かった。

 

 

「そうだったんですか。それで、この子の名前は決まっているんですか?」

 

「はい。カルビと名付けました。私としては中々良い名前だと思っています」

 

 笑顔で話すシエルに、まさかの名前を告げられると一瞬何がどうなったんだとその場に居た誰もが思っていた。これがクレイドルの人間であれば間違いなくコウタが出しゃばり、その結果として全員から非難されるのは間違い無かったが、相手はブラッド。

 

 それなりに任務には同行する事はあっても全員と完全に打ち解けられたかと言われれば、多少の疑問が生じる程の仲もあってか、それ以上の言葉を出す剛の者は誰も居なかった。

 

 

 



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番外編8 開発は程々に

 フライアが極東に来てからどれ程の期間が過ぎたのだろうか。当初は困惑しながらも持ち前の人当たりの良さが功を奏したからなのか、ブラッドの中でも比較的ロミオとナナがこの環境に慣れ始めていた。一度突破口が出来れば、後はそのまま流れるかの様に周囲に馴染む。

 徐々にこの環境に馴染んできたのか、最近ではブラッド全体も元々からここに居たかの様に周りも慣れ始め出していた。

 

 

「ねぇロミオ先輩。ここの居住区にある自動販売機なんだけど、1個だけ常に売り切れになってる飲み物があるんだけど、あれって何か知ってる?」

 

「ああ、あれだよな?実は俺も気になったからコウタさんに聞いたんだけど、何だか嫌そうな顔して何も教えてくれなかったんだよな」

 

「そうなんだ。でもあの初恋ジュースってどんな味なんだろうね。何だか気になるんだよね」

 

 アナグラには基本的にラウンジもあるが、このスペースでここの全員の食事を賄うのは事実上不可能だった。あくまでも憩いの場であって、決して生活の場では無い。

 だからこそ非日常を求める事で何かと活用される事が多かった。そんな中、居住スペースに必ず設置されているのが自動販売機。少し喉が渇いた際にはすぐに解消出来る様にと設置されていた。

 

 

「おや。君達は初恋ジュースに感心があるのかい?」

 

 そんな話の中、まさかこんな所で会う可能性が全くないはずの榊が2人の背後から声をかけていた。

 

 

「榊博士は初恋ジュースの事を知ってるんですか?」

 

「良い質問だねロミオ君。実は初恋ジュースは僕が開発した物なんだが、諸般の事情で発売が終了してね。今は完全に販売停止となってるんだよ」

 

「そうだったんですか」

 

 この2人は何も知らなかったが、かつてこのアナグラを阿鼻叫喚の地獄に叩き落とした禁断の飲み物。

 古参の人間なら、誰もが未だにトラウマレベルとも言われるあまりの味わいに一時は大事になる可能性もあった。当時の説得によって現在はまるでそんな物など何も知らないとまで思われる程の代物。

 勿論、新人はそんな物があった事すら知らない以上、ブラッドもまた同様だった。

 

 

「実は、この初恋ジュースの続編とも言える内容の物を開発しようと考えているんだが、実の所難航していてね。で、今回はそんな事情も踏まえて各方面でデータの採取をしている所なんだよ」

 

 この情熱は一体どこから来るのだろうか。ここで当時の状況を知っている人間が居れば間違いなくその情熱をもっと業務の方に傾けてほしいと考えるが、この場にはそのツッコミを止める者は居ない。

 何も知らないとは言え、ここまで並々ならない情熱を語られた事で感化されたのか、ナナの何かが目覚めようとしていた。

 

 

「榊博士。やっぱりここは周りの話を聞く事で今後の方針を決めるのが一番だと考えます」

 

「そうか。ナナ君はやる気になってくれたかい。これは心強いね。では済まないが世間が何を求めているのかリサーチしてくれるかい?」

 

「了解しました!」

 

 こうして第二の初恋ジュースの開発プロジェクトは密かにスタートする事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり聞くならラウンジが一番だよね」

 

 ナナが言う様に何だかんだとラウンジが一番人が来ると同時に、色々な人の嗜好が一番良く分かる。折角の施設を利用しない手はない。

 そう考えながらにロミオと一緒にまずは色々と眺める事に決めていた。

 

 

「エリナ。紅茶の道は一朝一夕で極める事など到底不可能とも言えるんだ!それ故に確実な知識と紅茶に対する愛情が更なる味わいを生み出すのは至極当然の話であろう!」

 

「なんで一々そんな事を言う訳?さっさと入れれば良いでしょう!」

 

 そこには予想通りとも言える様なやり取りが行われていた。

 このアナグラの中でエミールの存在は色々な意味で異質だった。貴族特有の紅茶の薀蓄から始まり、それを実践するかの様に淹れた物は通常以上の味わいがある。紅茶特有の香りと味わいはエミールが一番だった。それが理解出来るからなのか、エリナも黙って飲む事しか出来なかった。

 

 

「エリナさん。エミールさんの紅茶って美味しいんですか?」

 

「あ、ナナさんですか。エミールは紅茶を淹れる事に関しては悔しいんですけど私よりも数段も上なんです」

 

「なるほど……紅茶味もアリと」

 

 普段は余り紅茶を飲まないナナもエミールが淹れた紅茶に関しては確かに他の人よりも味わい深い事には同意できた。同じブラッドの中で言えば、恐らくはギルが一番理解しているのかもしれない。残念ながらナナはそこまで紅茶に対しての思い入れは無かった。しかし、データとしては必要だと心のメモに留めていた。

 

 基本的にナナは紅茶を飲む事が少ない為に理解はしにくいものの、他の人の話から総合的に判断すれば、やはり紅茶に関しては上位に入る事だけは理解出来ていた。

 

 

「アリサさん。アリサさんが普段飲んでいる飲み物ってなんですか?」

 

 この場ではロミオが聞くのだが、アリサに関してはエイジとの話を聞いてからどこか一線を引いている様にも見える。それともこの場はナナに任せた方が何かと都合が良いのか、ロミオは沈黙を保ったままだった。

 

 

「そうですね……色々と飲んでるとは思いますけど、私の場合は場所に応じてって考えるのが一番かもしれませんね」

 

「そうなんですか?」

 

 アリサは基本的には何が好きとは考えていなかった。アナグラに居る際には色々な飲み物を飲んでいる。

 統計を取った訳では無いが、恐らくはエイジと居れば緑茶か抹茶が一番頻度が高くなっていた。

 

 屋敷ではコーヒーや紅茶ではなく緑茶や抹茶が出る事が多く、アリサも事実として好んで飲んでいる事が多かった。それ故に何が一番と聞かれれば回答にはかなり困る。

 改めてそう考えると、明確な答えが思い浮かばなかった。

 

 

「でも、単純に飲み物だけとは考えにくい様な気はしますよ。でも、どうしたんですか急に?」

 

「実は榊博士から初恋ジュースの話を聞いたんですけど、それの続編を考えているらしく、今はその為のリサーチです」

 

「初恋ジュース………まさか、あの恐怖の再来が……至急対策を」

 

 会話の最後にアリサが何かを呟いていたが、その言葉は誰の耳にも届いていなかった。何気に言われた事でナナはここで考えを一旦自身に置き換えて考えていた。

 

 確かに喉が渇けば単体で飲むのが一番だが、リラックスしたい時は必ず何かがそこには存在いていた。

 事実として合う合わないは横に置いても、ソウルフードでもあるおでんパンがそこにある以上、単純に何かだけを特定するのは難しいと考えていた。

 

 

「ロミオ先輩。私重大な何かを見逃していた気がする」

 

「何だよ突然。で、何を見逃してたんだ?」

 

 当然のナナの発言に一体何が起こったのか、ロミオは理解する事は出来なかった。

 

 

「ほら、料理なんかだとよく飲み物と食事のバランス?だったかな。ほら食べ合わせって言葉が極東にはあるんだから、やっぱりここは食べ物と合わせるのが一番と思うんだ」

 

「ええ~そうか?それってナナが何か食べたいだけじゃないのか?」

 

「ロミオ先輩。そこは黙って女の子の言う事を聞くのが男前なんだよ。そうじゃないとモテないんだから」

 

「いや。それは無いって」

 

 まさかそんなツッコミが入ると思ってなかったのか、ロミオの口からはそれ以上の言葉は出てこなかった。しかし、先ほどまでの飲み物のリサーチだったはずが、気が付けば食べ物の話になっている事には気が付いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いたいた。ロミオ、アリサから聞いたんだけど榊博士がまた何かを作る計画をしてるんだって?」

 

 その後の調査は難航し始めていた。原因を作ったのは誰でも無かったが、既に考えが飲み物ではなくその食べ合わせとなっている事に気が付かないまま現状に至っていた。

 そもそも食べ物と合わせる時点で榊の目的から大きく逸脱している。ロミオは少しだけ気が付いていたが、それ以上は藪蛇とばかりに口を開く事は無かった。

 そんな2人を捜していたのか、コウタが何か言いたげな表情のままやってきた。

 

 

「そうなんですけど…コウタさん。それがどうかしたんですか?」

 

「あのさ、初恋ジュースを飲んだ事は無かったんだよな?」

 

「ひょっとしてあるんですか?」

 

 恐らくは何も知らないからからこそ初恋ジュースの続編に疑問が出ていなかった可能性が極めて高いとコウタは判断していた。

 先程何か慌てた様子のアリサを見た際には珍しいとも考えていたが、アリサが慌てるのであれば余程の大事であるだろうと、落ち着かせた所で漸く話の本筋が語られていた。

 

 アリサからの聞き取りでまさかそんな事態になっていると考えていなかったからなのか、この時点で在庫が無い初恋ジュースの再現をコウタはエイジに頼んでいた。

 成分は分からないが、あの味を思い出すと気分も悪くなる。その可能性を避けるべく事前に手を打つ事を考えていた。

 

 

「いや。もう再販はしないから、改めて作ったんだよ。何をしようとしていたのかは……まぁ、言うよりも経験した方が早いだろうから、まずは飲んでくれ」

 

 コウタが差し出した物は綺麗なピンク色の飲み物だった。

 何となくコウタの言い方に感づいたのか、ナナは口にしようとはしない。これのどこに問題点があるのだろうか?そんな疑問がロミオにはあった。

 

 

「あれ?ナナが飲まないのか?」

 

「ちょっと食べ合わせの事を考えてるから、良かったらロミオ先輩からどうぞ」

 

「そうか?じゃあ、遠慮なく」

 

 笑顔の中にどこか伺っている様にも思える程の言動にロミオも一瞬首を傾げそうにななっていた。いつもであれば、この状況下でナナが遠慮する必要はどこにも無い。にも拘わらずこの態度は何かある事だけは間違いなかった。

 態々コウタが用意した物をそのまま放置する訳にもいかない。少しばかり匂いを嗅いでロミオはそのまま一口飲んでみた。

 口の中に拡がるのは言葉には言い表せない程に色んな味が時間差で襲い掛かる。何かおぞましい物でも口に入れたかの様にロミオの反応が怪しくなりだしていた。

 

「……こ、コウタさん。これ…って……」

 

「これが初恋ジュースの味だよ。これでもまだマイルドになってるんだ。本家はもっと味わいが尖った感じで口に入れた途端吐き出したくなる味だよ」

 

 以前販売された際に、コウタは色んな人のそれぞれ振舞っていた。

 当時はまだどんな物なのか分からなかった事もあり、誰も疑う事も無く口に含んでいたが、その後手痛いしっぺ返しを食らい、一人で何本か飲む羽目になっていた。

 ロミオに言いながらも当時の状況を思い出したのか、コウタはどこか遠い目をしていた。

 

 

「ナナもどう?飲んでみる?」

 

 飲みかけではあるが、ロミオの状況を見れば、それを自らが進んで飲みたいと思う道理はどこにもなかった。

 見た目はファンシーだが、味わいが破綻している。だから先程のアリサの様子がおかしかったのと、今のコウタの様子がおかしかった事に合点していた。

 

 

「わ、私は遠慮しておきます」

 

 この時代に食べ物は貴重だと誰もが理解している。しかし、そんな概念を目の前にある見た目だけは良さげなジュースはその期待を違う意味で裏切る様な代物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、あの2人は結局何がしたかったの?」

 

 ミッションから帰投し、今は休憩だからとエイジはムツミとお茶菓子となる物を作っていた。

 先程コウタから依頼された物を作った際には以前の様な悪戯なのかとも考えていたが、それなら態々少量だけ作るとは考えにくく、また当時の状況を知っている者からすれば、恐らくそんな事はしないだろうとも思っていた。

 だからこそ、初恋ジュースの類似品の作成を依頼された際にはコウタに疑惑の目を向けていた。

 

 

「なんでも榊博士から初恋ジュースの続編となる物を作成する際に、世間へのリサーチを依頼されたらしいんだよな」

 

「まだ諦めてなかったんだ……」

 

 以前に納豆を作った際にも同じ様な事を言われた記憶が確かにあった。

 あの時は今後も改良するからと一旦は棚上げになっていた記憶があったが、どうやらその考えは未だに残っていたのか、まさかこんな場面で再燃するとは思っても無かった。

 このままだと当時の二の舞とあんる可能性が極めて高い。そんな気持ちを察したのかコウタも苦笑いしたままだった。

 

 

「でも、そんな事を考える位の余裕が出来たって前向きに解釈すれば良いんじゃないかな?」

 

「でもさ、いくらなんでもあれは無いって。あの時のアナグラは思い出したくないぞ」

 

「それはコウタが面白半分でやらかしたんだろ?」

 

「そりゃそうだけどさ…でもあの時のソーマの顔は面白かったな。そう言えばソーマってそろそろこっちに戻るんだっけ?」

 

「確かそうだった記憶があるかな」

 

 初恋ジュース紛いの物が物の見事に効果があったのか、2人はそれ以上の事は何もする事は無かった。

 そんなやりとりにムツミはキョトンとしながらもエイジを一緒にお菓子作りに精を出す。そんな日常の空気が拡がっていた。

 

 今はクレイドルとしてソーマは遠征をしているが、エイジもリンドウとそろそろ次の任務が入る可能性が高い。そんな事が理解できるからこそエイジはムツミと試作を作りながらに、レシピを教えていた。

 

 エイジが帰ってきてからは以前同様にオヤツが何か出ているからなのか、以前よりもラウンジへと足を運ぶ人数が多くなっていた。

 もちろん人員に余裕があるからこそ出来る話だが、これがムツミ一人では厳しい状況に陥るのは間違いない。となれば簡単に出来る様な物があれば困る事は無いだろうと、なにかにつけて任務が終われば2人で居る事が多くなっていた。

 

 

「エイジさん。お願いがあるんですが…」

 

 そんなやりとりを他所にナナが珍しくエイジに依頼をしてくる。一体何なのかは分からないが、取敢えずは聞くだけ聞いてみる事にしていた。

 

 

「お願いって何?」

 

「実は、過去のアーカイブで見たんですが、おでんって色んな味があるみたいなんで、それを教えて欲しいな~と思ったんですが」

 

 どうやら初恋ジュースの事は諦めた様だが、今度は違う何かを発見していたのか、いつもよりも真剣な表情をしている。

 教えるのは構わないが、下手に色々とやると、今度はアリサが臍を曲げる可能性があった。周囲は知らないが、最近になってアリサも料理に目覚めたのか色々とエイジに聞いて来る事が多くなっていた。そこには様々な思惑が絡んでいるが、料理に関してはエイジも真剣に教えている。だからこそナナの言葉を聞いた際には少しだけ考える部分があった。

 出来ることなら穏やかに過ごしたい気持ちもあったのか、今回の件とは別件で榊博士から依頼されていた物があった事を思い出していた。

 

 

「確かに色々とあるけど…そうだ。おでんなんだけど、これ榊博士から依頼された新しいレーションの代用品なんだよ。これの試食なんてどう?」

 

 そう言いながら無地の缶を取り出していた。先ほどのおでんとどう関係があるのか、ナナだけではなく、コウタも疑問しか出てこなかった。

 レーションの代わりとなるならば、今後は市販化される可能性が高い。中身は見えなくても開発した人間が目の前に居るのであれば味は保障されているとすれば、断る要因はどこにも無かった。

 

 

「へ~珍しいな。今までこんな物無かったよな?」

 

「これはサテライトに配布予定のレーションなんだよ。中にはおでんが入ってるんだ。これはいくつかの種類があるから、これを比べるのはどうかな?」

 

 そう言いながらエイジがパカッと蓋を開けると中にはおでんの具が出汁の中に沈んでいる。出汁は灰汁が浮く事なく澄み切っている為に中身は直ぐに確認出来ていた。

 よく見れば出汁の色が微妙に違う。用意された物は魚介をベースにした物と獣脂をベースにした物の2種類があった。

 

 

「あの…これ良いんですか?」

 

「試作だからね。あとは数種類のバリエーションがあればそのまま流通する事になるよ」

 

 そう言うと同時にコウタとナナは少しづつ食べ始めていた。中の具材も違えば味わいも違う。これならば一石二鳥だと考え様子を見ていた。

 

 

「コウタさん。これは大発明だよ。いますぐ製品化しないと世間に申し訳ないと思うんだ!」

 

「う~ん。確かにそれは言えるな。エイジ、この後これどうなるんだ?」

 

「承認されればあとは一気に流れるから多分承認が出次第って所だね」

 

 そう言いながらに今後の予定を確認していた。

 食品に関しては試作を何度か重ねた結果、製品化する運びとなっているが、このおでん缶をよほど気に行ったのか、以前と同様の光景が思い出されていた。

 

 

「これ、ヤバいな。レーションの域を超えてるぞ」

 

「コウタさん。これ早く製品化してほしいです」

 

「榊博士にはジュースじゃなくてこっちを優先してもらうのが一番だな」

 

 恐らくはこうなると早くなる事を考えながら、今は2人の様子を伺っていた。

 

 エイジの予想が的中したのかその2週間後には新たなレーションと同時に手ごろな大きさから、自動販売機にも売られる様になり、それと同時に初恋ジュースの気配が消え去っていた。

 

 

 



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第141話 予兆

「そう言えば、あの時以来2人で任務になるのは久しぶりだな」

 

 サテライト拠点の視察から数日が過ぎる頃、北斗の神機が修理から戻っていた。修理後、リッカの話によれば、純粋に補修をしただけと聞いていた。

 しかし、以前とは何も変わっていないはずにも関わらず、変形に関しては以前よりもスムーズで時間も短縮されている。

 話を聞いた当時はほぼ流す様に聞いたものの、実際には大幅なアップデートを施したのでは無いのかと思える程の出来栄えに北斗は驚きを隠せなかった。

 当初は誰かと組んでミッションに出ようと考えていたが、生憎と捕まった人間は誰もおらず、結果としてギルと改めて出動する事になっていた。

 

 

「神機が修理だったから仕方ないって。でも、返ってきてからの神機が以前のよりも稼動にストレスが無いみたいだ」

 

「ここは激戦区だからな。多分細かい部分のパーツに対策品が使われているんだろう」

 

 何気ない会話だったはずが、何となく今までとは違う様な感じがしていた。以前であればここまで細かい話をした記憶が無い。しかし、最近ではあのミッション以来ギルとの間には随分と砕けた様な雰囲気が漂っていた。

 

 

「ギル、ひょっとして神機に詳しいのか?」

 

「いや、実はお前の神機の修理の際に偶々見学してたんだ。で、その際にリッカとナオヤから色々と話を聞いてたんでな。

 しかし、ここは凄いな。神機一つとっても今の現状に甘んじる事無く、常に改良と開発が繰り返されている。適合者が出ているなら分かるが、まだ誰も使う事も無いものまでもが開発の対象になっているとは思ってなかった」

 

 北斗は神機が使えないのであれば訓練だと常時訓練室にこもる事が多かった事もあってか、その後のやり取りに関しては何も知らない事が多かった。

 事実、訓練から戻ってラウンジに行けば、当時エイジが捕獲した小動物がシエルに飼育されていると聞かされた時には随分と驚いた事が思い出されていた。

 

 

「なるほどね。やっぱり何かしら自分が出来る事があるのは何となく心強いかもな」

 

「その辺りは人それぞれだろ?実際にロミオやナナに関しては何かしている様にも思えないが、見えない所で何かをしてる可能性もあるだろう。北斗の事はブラッドの人間は全員が認めているんだから、それ以上何かをする必要は無いだろ」

 

「そうか?自分としてはそんな事すら考えた事は無かったんだけどな」

 

「自分で自覚するのは難しいかもな」

 

 極東に来てからは、ちゃんとした部隊が存在している為に、今までフライアに居た時の様なミッションになる事は少なくなっていた。

 事実、ここでのブラッドの位置付けは遊撃。ブラッド隊として正式に出動するのは感応種が出た時位だった。

 

 

「まぁ、ここは各自の技術も他の支部よりも数段上だからな。少なくとも以前いたグラスゴーとは比べものにならない」

 

 まさかギルの口から以前いたグラスゴーの言葉が出るとは思ってもいなかった。配属当初は忌避とも取れる反応だったが、やはりカリギュラを討伐した事でギルの中で何かが変わっていたのだろう。

 当時あったであろう悲壮感は微塵も感じなかった。

 

 

「ギル…もう大丈夫なのか?」

 

「…?ああ、ハルさんから聞いてたんだったな。完全では無いにしろ、当時の俺は多分自分の不甲斐なさに行き場の無い怒りがあったのかもしれない。

 ケイトさんの事は完全に忘れる事は不可能だし、グラスゴーの記憶が無くなる訳でもない。今回の件で自分と向き合った事で前に進む事が出来た。少なくとも今はそう考えている。

 それよりも俺も血の力に目覚めるとは思ってもなかったがな」

 

 今回の一番収穫はギルが完全に過去と向き合う事が出来た事だった。

 勿論それだけではなく、今回の結果ギルも血の力に目覚めた事により、今後のブラッドとしての立ち位置も完全に固まったと考えても過言では無かった。

 

 余談ではあるが今回のギルの件で榊博士は興味を隠す事無くギルの事をくまなく検査していた。理論上は従来の偏食因子でもあるP53ではなく、ブラッドの中に眠るP66偏食因子がどんなプロセスで発動するのか純粋な知的好奇心の対象となっていた。

 ラケルが発表したP66偏食因子は未だブラックボックスの中。今後の事も考えれば一刻も早い解明は必須だった。

 

 

「これからは頼りにしてる」

 

「ああ、任せておけ」

 

 既に帰投の時間が近づいたのか、ヘリの近づく音が2人の耳にも届き始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハルさん。そんな所で何やってるんですか?」

 

「なんだギルか。ツバキさんかと思ったじゃないか。驚かすなよ」

 

 帰投後にラウンジへ行くと、そこにはハルオミとカノンが何やら話をしているのか、お互いが何かに向かって構えをしていた。

 ここは便宜上部隊としての活動はするが、実際には完全な部隊運営をする事は少なく、事実ハルオミも一番最初に紹介された際には第4部隊の隊長だと聞かされていた。

 

 

「別にそんなつもりは無いんですが……。確か、台場さんでしたよね?」

 

 何となく紹介された事はあったが、あの時は僅かな時間だった事と、お互いが話した訳では無かった事もあってか、話かけたギルも何とか覚えている程度にしか過ぎなかった。

 北斗に関しては完全に分かろうとしていないのか、既に視線は違う所へと向いていた。

 

 

「はい。第4部隊所属の台場カノンと申します。あなた方はブラッド隊の方々ですよね?」

 

「俺の名はギルバート・マクレイン。ギルと呼んでくれ」

 

「饗庭北斗です」

 

 取って付けた様に自己紹介をすると、ここで何かを思いついたのか突如としてハルオミがカノンの耳打ちをする。何を言っているかは分からないが、カノンの視線はこちらに向くと同時に何かを考えている様にも見えた。

 

 

「あの、これからは宜しくお願いします。教官先生!」

 

 何を耳打ちされたのか分からないが、突如として教官と言われ、北斗とギルはお互いの顔を見ていた。誰に対して話をしたのかは分からないが、確実に視線が向いている事だけは確かだった。

 

 

「えっと。これは一体どんな意味を持ってるんですか?」

 

「はい。先ほどハルオミ隊長から饗庭さんがこれからは指導教官になったと先程聞きました」

 

 何が起こったのか、気が付けばハルオミはその場から離脱していた。この短い時間に何が起こったのかと考えて隣を向けば、そこには先ほどまで居たはずのギルの姿も無かった。

 この場に居るのは自分と台場カノンの2人だけ。この時点での戦略的撤退は不可能だった。

 

 

「でも、台場さんは第4部隊の所属では?」

 

「そうなんですが、今回に関しては本部の特殊部隊としての戦術を学ぶのが趣旨だと言われましたので、不束者ではありますが宜しくお願いします。後は私の事はカノンと呼び捨てにして頂いて構いませんから」

 

 そう言われた事で先ほどの内容の全容が理解出来た。良く言えば指導教官だが、悪く言えば体よく押し付けられたとも解釈出来ていた。時すでに遅し。北斗の中で退避の二文字は完全に失われていた。

 

 

「それで、一体俺は何をすれば良いんですか?ここだと確かエイジさんが教導してたはずですが?」

 

 北斗が疑問に思うのは無理も無かった。元々北斗は教えるなんて事は一度も考えた事がなく、ましてや今はエイジが居るのであれば教導は自分の仕事では無い。これは一体どんな事なのか理解が追い付いていなかった。

 

 

「エイジさんは実戦が多いんです。実は私、旧型のブラストなので、エイジさんと方向性が若干違うと言いますか……でも、今までにハンニバルも討伐した事もありますし、一部の接触禁忌種だったら経験はあるんです。

 ただ、エイジさんはクレイドルなので常時ここに居る訳では無いので…」

 

 何気に接触禁忌種やハンニバルの名前が出た際には流石に北斗も驚いていた。接触禁忌種に関しては極東以外の地域では事実上、支部の全勢力を傾けなければ最悪は全滅の恐れすらあった。

 しかし、目の前に居るカノンのは旧型。しかも討伐に関しては個人の討伐記録を見ればすぐに分かる為に嘘を吐いても無意味でもあった。ここが激戦区である事が改めて理解出来ていた。

 

 

「それで俺なんですか……ですが、俺も正直銃は若干苦手なんですよね」

 

「それでしたか。では2人で一緒に頑張りましょう!」

 

 教官として紹介されたはずが、気が付けば同僚と変わらない対応に気が付くには時間がかかり過ぎていた。しかし、このままにしておく訳にも行かず、これからどうしたものかと改めて悩む事になった。

 

 それと同時に、北斗はこの後で激しく後悔する事になる。目の前にいるのが、かの有名な極東の誤射姫の二つ名を持っているとはこの時点では気が付いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で容体はどうなんだ?」

 

 カノンとの訓練をしながらに自身も訓練を続けていた際に、突如として北斗に報告が上がっていた。

 当初は一体何があったのか理解出来なかったが、内容を聞けば、どうやらナナがミッションの帰投の際に倒れたとの内容だった。

 ミッションそのものは完了した後だった事もあり、現状は大きな問題にはならなかったものの、やはり今後の事もあれば何か大きな疾病に罹患している可能性が捨てきれなかった。

 北斗が来る頃にはブラッド全員が医務室に集合していた。

 

 

「北斗。そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。検査の結果、何かの病気では無いそうですので安心して下さい」

 

 慌てる北斗をなだめるかの様にシエルが今までの状況を報告する。何かに罹患していない事に安心はしたものの、今後の事を考えれば決して楽観視するのは危険だとも判断できた。

 

 

「北斗。今はナナの安静が一番だ。俺は一旦フライアに行ってナナのメディカルデータを確認してくる。ここはフライアでは無いから、無理なミッションは少ないとは思うが、暫くの間はこの部隊の指揮を頼む」

 

「ああ。何か分かったら教えてほしい」

 

「出来る限り、すぐに戻る」

 

 原因は不明だが、まずは病気で無いのであれば今はただ見守る事しか出来なかった。原因が何も分からない以上、治療の手だては何処にも無い。今後の事に関してはジュリウスからの連絡を待つ以外に何も出来なかった。

 

 

「最近ナナと一緒にミッションに行ってなかったから気が付かなかったんだけど、最近はずっと調子が悪かったのか?」

 

「そうですね。最近は北斗も一緒にミッションに行く機会が少なかった様ですから気が付かないのも無理はありませんね」

 

 シエルの言葉の内容だけを聞けば普通だが、どこかその言葉には心なしか棘がある様にも聞こえていた。

 ここ最近は確かにギルかカノンに同行する機会が多く、決して蔑ろにしたつもりは無かったが、ナナだけではなくシエルとも行っていない事が思い出されていた。

 

 

「あの。シエルさん。ひょっとして怒ってらっしゃるのでしょうか?」

 

「いえ。北斗はひたすら任務に励んだけですから、私が怒る要素は何処にもありませんが?」

 

 いくら感情の起伏が少ない様な雰囲気があるシエルだが、その口調は決して平常だとは物語っていなかった。

 こんな状況になるまで気が付かない様であれば、副隊長として、管理者としても失格の烙印を追われても致し方ないとまで思えていた。

 

 

「これからは少し考えますので…」

 

「分かれば結構です」

 

 どちらが上司でどちらが部下なのか分からない様なパワーバランスがここに決定する事になった。今後はもう少し部隊そのものも見ない事には最悪の場合は空中分解する可能性が高い。

 ただでさえこんな激戦区で連携が取れない様な状況になればどんな結果が起こるのかは容易だった。

 

 

「あれ?ここは?」

 

 それまでのシエルとのやりとりはナナの目が覚めた事で終了していた。第一声から考えればやはり倒れた事の記憶が無かったのか、どこかぼんやりとしながらも周囲を見ている。

 このまま起き上ろうとした所をシエルが制した事でナナは再び横になっていた。

 

 

「ナナさん。ミッションの終了後に倒れた記憶はありますか?」

 

「ミッションの後?……ゴメンちょっと記憶が怪しい」

 

「検査の結果、特に問題はありませんでしたが、ミッションの直後にそのまま倒れたそうです。

 今は原因が不明の為にジュリウスがフライアでナナさんのメディカルデータを確認しに行っています。詳細についてはその結果待ちと言った所でしょうか」

 

 状況の詳細がシエルの口から全ての報告が成されていた。

 事前に確認していた北斗も改めてシエルの報告を聞いていく。確かのこの状況下で倒れるのは考えにくいとも思えていた。

 

 

「そっか~。実はここ最近頭が痛くなる事が多かったんだ。多分今回はその影響なのかもしれない」

 

 そう言いながらにナナはここ数日の自分の状況を話だしてた。ナナの明るい言い方に当初は些細な事だと考えていたが、話の後半になるにつれ、自身の生い立ちの話へと変化していた。

 以前に聞いた記憶では確かナナもジュリウス達と同じマグノリア=コンパスの出身だったはず。しかし、ナナの口から出たのはそれよりももっと以前の出来事だった。

 

 

「ごめん。ちょっと話すぎたから疲れちゃった。今日はこのまま休むね」

 

 そう一言言ったと同時にナナは再び眠りにつく事になった。このままここに居ても何もする事は出来ない。お互いがそう考えたからなのか、北斗はシエルと医務室を離れる事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジュリウス、ナナの事で何か分かったのか?」

 

 ラウンジではフライアから戻ったジュリウスの報告をブラッド全員が共有する事になった。

 原因が分からないのであれば、今後のミッションにも大きく障害が発生する。そうならない為の措置でもあった。

 

 

「ラケル先生の話だと、恐らくは血の力の影響が関連しているらしい。これまでのシエルとギルの事から考えると、恐らくはナナが倒れた原因はそこにあるだろうと推測している」

 

「って事は命に何か別状があるんじゃないんだよな?」

 

「暫くの間は経過観察になるだろう。このままの状態が続く様ならば改めて何らかの処置を施す必要があるだろうな。暫くの間ナナは安静にさせるつもりだ。心配だろうが、これは暫くの間の措置だから安心してくれ」

 

 ロミオの心配をよそに、フライアで確認した結果がジュリウスの口から発せられた。一先ずは絶対安静ではあるが、命に別状は無い。まずは一安心と言った所だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、北斗。良い所で会いましたね。これから少し時間を頂きますが良いですね?」

 

 全員がそれぞれ散会すると、久しぶりに聞いた声が北斗を呼び止める。振り向くまでもなく、声の主はラケルだった。

 

 

「ご無沙汰してますラケル博士。一体どんな要件でしょうか?」

 

 おそらくはジュリウスから話があったからなのか、それとも特別な要件があったからなのか、今の北斗には何も判断する材料が無いと同時に少しだけ戸惑いを見せていた。フライアに所属はしているが、実際に北斗とラケルはそれ歩ぢ親しい間柄では無い。精々が一部下と上司程度だった。そんなラケルからの話。北斗は無意識のうちに警戒を高めていた。

 

 

「そんなに構える必要はありませんよ。今回の件で榊支部長にも用事がありましたので、そこで説明をさせて頂きますから」

 

「そうでしたか」

 

 ラケルは言葉通りにそのまま支部長室へと足を運ぶ事になった。既に連絡を受けていたのか、そこには榊も待っていたようだった。

 

 

「やぁ。忙しい所すまないね。今回来て貰った件なんだが、実は黒蛛病の治療施設をフライアで作る話があってね。その為に着て貰ったんだよ」

 

 ナナの事だとばかり思って話を聞けば、黒蛛病患者の治療の件だった。では、なぜ自分がここに連れてこられたのか目的を真意が分からない。しかし、この場から退出する事も出来ず、今はただ話を聞く以外に何も出来なかった。

 

 

「そうそう。それと君に伝えたい事があってね。実は今フェンリルが少しだけ頭を悩ませている問題が今後の大きな課題となる可能性があったんだ。北斗君、君はゴッドイーターチルドレンって聞いた事がないかな?」

 

 今までの退屈な話から一転し、今度は自分に対しての質問だった。しかし、榊のゴッドイーターチルドレンと言う言葉は今までに聞いた事が一度も無い。それ故に答える事は何も出来なかった。

 

 

「すみません。聞いた事はありません」

 

「そうかい。実はここ数年で少しづつ問題化し始めてきた事なんだが、君達神機使いは適合試験の際に微量な偏食因子を体内に投与しているのは知ってるね?」

 

「それ位なら」

 

「今までは神機使いは10年以内の生存率は5%程しかなかったんだ。ただ、近年になってからは技術的な要因が大きく飛躍したことから生存率が高くなったんだよ。そこで初めて大きな問題に直面したって事なんだ。

 これは今となって考えれば我々も予想出来た事だったんだが、神機使い同士、もしくは片方がそうであった場合、産まれてくる子供には親の偏食因子をそのまま受け継いでる事が発覚したんだよ。ここでも今その経過観察が成されている所なんだが、如何せん有効データが少ないと言った所なんだよ」

 

 一つづつ確認するかの様に榊は説明をし始めていた。

 フライアでは聞いた事がなかったせいか、ここに来て初めて今回の内容を聞く事によって今後起こる可能性が高い事を次々と説明されていた。

 

 当初、ここに呼ばれた真意は未だ分からない。この場にジュリウスではなく、何故自分が呼ばれたのかが未だ理解する事が出来なかった。それと同時に今回の件で一つだけ思う事があった。態々榊が口にする程の内容。誰がどう聞いてもナナの件であることは間違い無かった。

 

 

「って事はナナもゴッドイーターチルドレンって事なんですよね?」

 

「そうよ。それが今回貴方を呼んだ要因の一つなのよ。貴方の血の力は喚起の能力を備えているの。これは神機使いの秘められた能力を引き出す、言わば種が芽を出す為に必要な水と肥料の様な役割をあなたが持っているからなのよ。

 これはジュリウスでも出来ない事。既にあなた自身も思う所は幾つかかあるでしょ?」

 

 このラケルの一言で漸く呼ばれた理由が理解できた。ここまでにシエルとギルの血の力の発露は自分がもたらした物であり、以前にラケルからも聞かされていた言葉でもあった。しかし、それと今回の事についての因果関係が全く見えない。戦闘では卓越した勘を見せるが、こんな場面ではそんな勘が働く事は無かった。

 

 

「しかし、それが今回の件とどう関連性があるんですか?」

 

「ナナは生来より他とは違って大きな偏食因子を持ったまま産まれてきたの。

 私が保護した時は既にその片鱗は見えていたのだけれど、ブラッドに入る前に漸く制御する事が出来たから推薦したんだけれど、貴方の血の力に今は影響を受けた事で不安定になり始めているわ。

 恐らく今回の倒れた原因はその可能性が高いの。これからはナナの事をお願いしたいと考えているわ」

 

「それは構いませんが、具体的にはどうすれば?」

 

 話の内容が二転三転した事から北斗も理解が追い付かなくなっていた。

 黒蛛病の話がゴッドイーターチルドレンへと移り、最後になってナナの血の力の発露にまで発展している。この状況で求められる事が一体何なのかが理解出来なかった。

 

 

「ナナがこれからどんな選択をするかはあの子次第。あなたにはその為の道しるべとなってくれればそれで良いのよ」

 

 最後にナナの人生の選択肢までもが北斗の双肩に乗せられた様な感覚があった。

 自分はただ任務に行く事しか出来ない。そんな人間が果たして人生を選ばせる事が出来る程の事が出来るのだろうか。

 重苦しい言葉を背に北斗は支部長室から出る事になった。

 

 

 



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第142話 暴走する力

 まさかの話に北斗は悩んでいた。一番最初はただの新人だったはずが、ブラッドに人員が加わると同時に、自分の周囲の環境と状況も変化し始めていた。

 一番の要因はやはり自身の血の力に目覚めた事が一番の要因。『喚起』の力で覚醒した事によって自分の立ち位置が大きく変わりだしている事は自覚しているつもりだった。しかし、現実はそんな自身の考えから大きく逸脱し始めている。

 まさかここで一人の人間の人生までもを背負う事になるのではないのだろうかと思い始めていた。

 

 

「……斗、北斗。聞いてますか?」

 

「すまん。何の話だった?」

 

 何をどうやって来たのか記憶には無かったが、気が付けばラウンジのカウンターの隣でシエルが話かけていた様だった。

 決して何かを蔑ろにするつもりは無かったが、ラケルからの発言が北斗にとって予想外に重く感じ取っていた。

 血の力が芽吹く事が出来るのは自分の力が無ければ話にならない。しかし、それによっておこる副作用はシエルやギルには無かったから深く考える事は無い。北斗は半ば無意識のうちに安易に考えていた事を自覚していた。

 そんな中、まさか隣にいたはずのシエルの事に一切気が付いていないとなれば、更にその状況は良い物では無かった。

 

 

「大した話ではありません。ただ、支部長室から帰ってからの様子が変だったので確認したいと思ってただけですから。ラケル先生が来てた様ですが、何かあったんですか?」

 

 どうやら自分の事を気にかけてくれた結果だったのか、特に怒っている様な雰囲気は感じられなかったのが、今の北斗にはせめてもの救いでもあった。それと同時に一つだけ確認したい事があった。

 実際に北斗はゴッドイーターになるまではどちらかと言えば世間から離れた場所で暮らしていた。最低限の常識はあるが、かと言ってフライアに行くまではゴッドイーターそのものに関心すらない。

 何を聞くにも初めての事が多すぎた為に、これを機に少しだけシエルに確認したいと考えていた。

 

 

「実はナナの事を聞いてたんだよ。なぁシエル。ゴッドイーターチルドレンって知ってる?」

 

「産まれながらに偏食因子を持っている子供の事ですよね。以前何かの書類で見た記憶があります。それが今回の件と関連性があったんですか?」

 

 突如として出た話ではあったが、シエルは内容まで把握していたのか、これなら話が早いと支部長室での話をそのままする事にしていた。この事態を自分だけで判断するのは明らかに大きすぎる問題であれば、誰かの知恵があれば選択肢も増える事になる。

 北斗はそう考える事でシエルと情報を共有する事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ではナナさんの事は北斗が見ると言う事が本当なんでしょうか?」

 

 疑問とも取れる言い方に、北斗も同じ様に考えたくなる内容だったのかと改めて今回の内容を振り返っていた。

 確かにラケルからはナナの道標になってくれとは言われたが、決して全部の世話をしろと言っている訳では無い。

 話題が二転三転した結果にそう言われたから気が動転していたのかもしれない。シエルに話した事で漸く北斗の中でも情報を整理する事が出来ていた。

 

 

「今考えれば、そうは言われなかった。ただ、道標となるのならそう考えるんじゃないか?」

 

「北斗の言いたい事は理解出来ますが、道標はあくまで道先案内までの話であって、本当にその通りに進むかどうかは当人が判断する事です。私も血の力に目覚めた事で推測したんですが、あの時は感情の爆発と言った体で考えていましたが、それは各自の思いの強さが影響するのではないでしょうか?

 でなければブラッド内部で力の発露に違いが出るなんて事が本来であれば無いはずです」

 

「だが………」

 

 シエルの言葉には力が籠っていた。確かに全員が発露しないのは各自の考えがあったからで、全部を北斗がやった訳では無い。そう考えればシエルの言葉は北斗の内部にしっくりと来たような感じがあった。

 

 

「私はそんな北斗が好きですよ」

 

「え?」

 

「…そうじゃなくて……いえ。何事にも前向きで取り組もうとする…そんな考えがです」

 

 突然言われた言葉が、何か違う様にも思えたからなのか、シエルも改めて言いなおしていた。

 お互い何故か照れる様な雰囲気はそこにはあったが、現時点でそこから発展する事は無い。下手に色々と言われるのは不本意だと考えたからなのか、北斗は周囲を見渡す。

 今この場にいるのは目の前のムツミだけでもあり、今は何かの下ごしらえをしていたからなのか、恐る恐る見るとこちらには気が付いていない様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に大丈夫なのか?」

 

「うん。もう平気だよ」

 

「ナナさん。万が一の事があるといけないので、拙いと思ったら早めに教えて下さい」

 

「そうだよ。もっと俺たちを頼れよな。俺たちは家族なんだからさ」

 

「みんな心配性なんだから。私はもう大丈夫だから」

 

 皆の心配を他所に、自分は大丈夫だからとナナは元気一杯である事をアピールする。

 もちろん嘘ではないが事実でも無い。

 このミッションの直前にラケルからの診察とも言える話を聞いた事で、今のナナは自分がどうありたいのかを考える事になった。

 既に覚醒したシエル達は勿論の事だが、未だ覚醒していないロミオの事を考えると、本当にこのままで良いのかと自問自答する事もあった。

 

 今回の倒れた要因はあくまでも血の力の発露の為の準備段階でもあり、これが結果的には自身の記憶を呼び起こす要因となる。

 このまま何も変わらないまま過ごせば良いのかと考えれば、答えは否と言う他にない。

 それならばこれが一つのキッカケとなってやれば良いだけだと判断する方が前向きだと結論付けていた。

 

 

「今回はそんなに厳しい内容じゃないけど、相手が相手だからな。ロミオ先輩頼りにしてますよ」

 

「おう!任せろ!」

 

 高台から見下ろせば、そこにはボルグ・カムランが何かを捕喰している。

 今回の内容はこのアラガミ一体の討伐任務だった。極東に来るまではこれ程のアラガミと対峙する事は一度も無かった。しかし、極東に来てからその状況は大きく一変している。既に何体もの大型種も討伐しているからなのか、このメンバーなら何の問題も無いと考え、一気に殲滅する為に全員が一気に襲いかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロミオ先輩。盾をお願いします!」

 

「よっしゃ行くぜ!」

 

 北斗がボルグ・カムランの正面に立つと同時に、意識を自分へとし向ける。通常であれば強固な盾に阻まれる為に殆どの攻撃は背後からか、盾の結合崩壊を狙ってからの討伐が一番容易に対処できるやり方だった。

 しかし、その為にはある程度の攻撃を当てる必要性が出てくる為に、北斗は分かり易い程に正面に立つ事で大きく隙を作り出していた。

 荒れ狂う様に鋭い尻尾の攻撃を北斗はステップを踏みながら次々と躱す。尻尾を使う攻撃は強力ではあるが、致命的な隙が存在していた。巨大な針が地面に突き刺さる。

 力が強すぎた事によってボルグ・カムランは僅かに硬直していた。

 時間にして数秒。平時であれば問題にはならないが、戦闘時では致命的だった。

 その隙を逃すほどお人好しではない。既に闇色のオーラを刀身に纏ったロミオのチャージクラッシュがボルグ・カムランの盾を結合崩壊させていた。

 それと同時とも言える瞬間にナナのコラップサーがブーストの為の炎で背後の空気が若干揺らいでいる。既に準備は完了していた。

 

 

「ナナ!」

 

「任せて!」

 

 その一言でボルグ・カムランの死角から激しい炎と同時に異様な速度でハンマーの質量体が結合崩壊を起こした盾の部分に直撃する。

 既に盾の役割はそこには無く、ただ大きな弱点となった部分からその場所からは一気にボルグカ・ムランをダウンさせる程のダメージを与えていた。

 

 

「ロミオ先輩とナナは盾の部分を、俺とシエルは尻尾の部分だ!」

 

 それぞれが弱点だと思われる部分を重点的に狙い続ける。

 既に結合崩壊を起こした盾はその原型を留めていなかった。それと同時に尾の根本も結合崩壊を起こしたからからなのか、ダウンから立ち直る頃には既に千切れそうな尻尾がお情け程度のくっついていた。

 この時点で盾は存在せず、また尻尾もこのまま振り回せば自重で飛んでいくような状況となっていた為に振り回す事は不可能だった。既に誰の目にも死に体である事は明白だった。

 

 

「北斗!その場から離れて下さい!」

 

 シエルの言葉通りにその場から大きく離脱する。

 その瞬間死に体だったボルグ・カムランは一発の銃弾が尻尾から口の部分へと貫通した瞬間に数発の爆発が起こる。それが最後の止めとなったのか、その場で大きく倒れると動かなくなっていた。

 

 

「ひゃあ~シエルちゃんのバレットって凄いね。それが例のバレットなの?」

 

「ええ、北斗と私の想いの結晶結果ですから」

 

 想定したダメージを与えた事で満足したからなのか、シエルは笑顔だった。

 この結果にナナだけではなく、ロミオも驚いていた。

 以前に北斗とシエルが任務に行った際に確認されたとは聞いていたが、まさかここまでの威力だとは聞かされていなかった。

 

 

「そうなんだ。じゃあ私も北斗と何かしら作った方が良さそうな…」

 

《北斗さん。帰投準備中だとは思いますが、緊急事態です!戦域周辺のアラガミがそちらに向かって集結し始めています。こちらで観測出来るだけでも……大型種3体、中型種が6体、小型種は10体以上です。ただ、今確認出来る範囲なので、恐らくは更に寄せられる可能性が高いです》

 

 ナナの会話は突如として飛び込んだ通信によって終了していた。その瞬間、和やかな空気が一転し、緊迫な物へと変化している。

 ヒバリからの連絡は遅い訳では無く、ただアラガミの移動の方が極めて速かったのか、既に退路は塞がれ様としていた。

 ここは極東である以上、ある程度の警戒はしていたが、ここまでの大規模な物は想定外だったのか、通信ごしのヒバリの声には緊張感が漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それって拙くない?俺たちも直ぐに緊急出動する。エイジ達はどうしてる?」

 

 アナグラでは突如として現れたアラガミの大群がブラッドの元へと移動している事にヒバリがいち早く気が付いていた。

 現状は近隣に出ているチームは無く、ここから現地へと向かう以外に何も出来なかった。

 

 本来であれば第1部隊がそのまま応援に行くのが一番ではあるが、このミッションでは討伐よりも撤退が一番重要視される。

 背中を向ける以上はアラガミからの攻撃に対し、なす術も無い。致命的な隙を曝しながらの撤退は命がけだった。実際にそれを体験している人間は意外と多くない。

 それがどれほど厳しい戦いになるのか、この中ではコウタが一番理解していた。

 

 

「エイジさん達は現在帰投中でしたが、そのまま現地向かっています。しかし、場所が場所なだけに時間がかかります」

 

「こんな時に限ってアリサもソーマの居ないか……」

 

 コウタは状況を確認しながらも出動の準備を続けている。エイジ達の場所からでは恐らくはギリギリ間に合わない可能性が高く、またタツミ達を呼び出す時間すら厳しかった。

 

 一旦現地によってからでは恐らくは事が終わった後でしか間に合わないと考えられていた。この時点で既に打つ手は殆どない。最悪は一人でも行くしかないと考え、そのままヘリポートへと急いでいた。

 

 

《コウタ、無明も一緒に出る。とりあえずはそれで何とか持つだろう》

 

「え……無明さんもですか?」

 

《緊急事態だ。使える戦力が無いなら仕方あるまい》

 

 ツバキから連絡にコウタは移動しながらも驚きを隠せなかった。無明の戦闘力の高さがどれ程なのかはコウタも大よそながらに理解している。事実、このアナグラの中でも上位に入るエイジが未だに手も足も出ない事は以前にエイジから聞いている。その無明が出ざるを得ない状況。詳細を知らないコウタも、現状がどれ程危険なのかを本能的に理解していた。それと同時に全力でヘリを走り出す。

 既にスタンバイしたままだった為にコウタが乗り込んだ瞬間、ヘリのロター音が唸りを上げて激しく回転すると同時に一気に急上昇を始めていた。今は一亥の猶予も無いまま急ぐ他なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗さん。今アナグラからそちらに向かってコウタさんと無明さんが向かっています。それと同時にリンドウさん達も向かっていますので少しだけ耐えて下さい」

 

 ヒバリからの内容は応援の対処だった。時間と場所から判断すれば、恐らく間に合うのはコウタ達だけ。それでもここまでには最低でも10分の時間を要する事になった。

 

 

「皆!後10分だけ乗り切るんだ!そうすれば応援が来る」

 

「10分ですね、了解しました」

 

「分かった、任せろ。でもナナは大丈夫なのか?せめて逃げる状況を作るか、どこかに隠れた方が……」

 

 ロミオの言葉にナナの記憶の一部が突如として蘇る。

 まだ子供の頃に母親から言われた約束。扉を決して開けてはいけないと言われた事を忘れ、扉を開けた瞬間に血塗れとなった母親がその場に倒れていた場面がフラッシュバックとなって襲い掛かかっていた。

 またあの時と同じ状況。またあの時と同じ事を今度は目の前にいる3人が血塗れで倒れている可能性がある。そんな考えがナナの心の中を占めていた。

 

 

「いやぁあああああああ!」

 

 ナナの叫びが全員の動きを止めていた。突如として起こったそれが何を示すのかはこの場に居る人間は誰にも理解する事は出来なかった。

 本来であればナナの様子を伺いたいが、誰もが目の前のアラガミと対峙している為に近寄る事が出来ず、一亥も早く討伐する事を優先せざるを得ない状況になっていた。

 

 

「これってナナからなのか?」

 

 北斗は戦いながらも背中から感じる感覚が事実だと物語っていた。

 全員がお互いの背を向けている為に確認する事が出来ない。

 それでも戦いの最中に少しだけナナを見れば周囲に赤く渦巻く何かが見えた様な

気がしていた。

 

 

「ブラッドの皆さん。ナナさんから強い偏食場パルスが出ています。恐らくはその影響だと思いますが、更にアラガミを呼びこんでいます」

 

「まさかナナさんの血の力が暴走しているのでは」

 

 シエルの言葉にロミオもナナを見るが、やはり何か赤く渦巻く何かが見える以外には判断出来なかった。

 偏食場パルスは本来であれば目視する事は出来ない。にも関わらず目で確認出来る程の具現化された何かがそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「無明さん。一体ブラッドには何が起きてるんですか?」

 

「完全に確認した訳では無いが、先だってラケル博士からは血の力に関する内容を聞いたが、恐らくは何らかの状況下に陥った可能性が高いだろう。今回の状況は何らかの要因で発生した力が制御できず、それが暴走した結果のだと考えるのが無難だろうな」

 

「それって……」

 

「実際にはこの目で見ない事には何も分からん。一刻を争うことになる」

 

 ヘリの中では刻一刻と変わる戦場の様子が知らされていた。

 既に小型種だけではなく、向かっているアラガミの中には大型種の影も見えていた。

 現地を見ていないが無明の言葉にコウタは息を飲んでいた。

 このままでは退路を確保する前に全滅の恐れも出てくる。その為には一刻も早い退路と殿を引き受ける必要があった。

 

 

「コウタ、そろそろ現場だ。俺が殿(しんがり)で抑える間に退路を切り開け。落ち合うポイントは既に通達してあるが万が一の可能性もある。恐らく数が確実に増えるのは間違いない以上、無理な戦闘は避けるんだ」

 

「分かりました」

 

 コウタが答えると同時にヘリは現場上空に近づいていた。

 恐らく小型種はブラッドも対応するのは問題ないが、今先頭を走っているヴァジュラが到着すれば戦況は一気に最悪へと傾き始める。

 

 その前にある程度の数を減らす必要が存在していた。

 

 

 



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第143話 撤退戦

「みんな!あと少しだけ頑張ってくれ」

 

 ヴェリアミーチは迫りくるオウガテイルの頭蓋を一撃で粉砕していた。

 本来であればプレデターフォームで何かしら取り出すが、今に限ってはそんな暇すら与えられない。一体だけではない。倒したその後ろから、次の個体が大きな口を開け突進していた。先が見えない戦いは精神を消耗させる。肉体と精神は徐々に疲労を蓄積していた。

 

 

「くそっ!次から次へとキリがないぞ!」

 

 ロミオが吐き捨てる様に言いたくなるのは無理も無かった。当初は小型のオウガテイルが殆どだったが、それが餌の様に誘導されてきたのか徐々に中型種が群れの中に混ざり出していた。

 

 既にどれ程の数を討伐したのかすら数えたくなくなる程にアラガミの死体は重なっていた。既に霧散した物を入れればかなりの数を討伐している。しかし、そんな事などお構いなしに、この数が減る気配は無かった。

 北斗の元には救出の為にヘリがここに向かっている事は伝えられているが、それでも現場到着までにはまだ時間がかかる。既にここは死地のど真ん中である事は北斗だけではなく、ここで戦っている全員の共通した認識でもあった。

 

 

「北斗!このままだとヴァジュラを先頭に大型種までもがここに来ます。このままだと我々も全滅する恐れがあります。今すぐにでもこの場からの離脱を考えないと危険です」

 

 血の力に目覚めたシエルの『直覚』の能力がこの先に何が起こっているのかを察知していた。これ以上この場に留まるのは危険以外の何物でもなく、また、この場に居る誰もがシエルの能力を疑う事はなかった。

 

 

「でもここから移動ったって、何処に行くつもりだ?」

 

 この場所からとなれば移動できそうな場所は限られていた。

 この地には幾つかの移動できそうなルートは確かに存在している。がしかし、既に数多のアラガミが急襲している事から、その可能性はかなり低くなっていた。

 今はまだ数の力で持ち堪えている。だからと言って、この状況が長く続けばどうなるのかは考えるまでも無かった。

 この場を脱出するのであれば誰かがこの場に残る。殿が無い撤退戦は、ある意味では絶望との戦い。誰もが頭ではわかっているが、それを実行するとなれば、相応の覚悟が必要だった。

 救出の為に出動した以上は、誰一人人員が欠ける事は許されない。仮に死傷者が出れば、ナナの精神が確実に壊れる。只でさえ不安定な状況が更に悪化すれば、このままリタイアする未来は誰にも予測可能だった。

 この死地の中で残るとなればそれは死を待つ以外の何物でもない。既にナナが錯乱気味になっている以上、誰が残るのかはほぼ決定している様なものだった。

 

 

「俺がこの場に残る。ロミオ先輩はナナをお願いします。シエルは2人の誘導をしてくれ」

 

「しかしそれでは……」

 

 シエルが言い淀むのは無理も無かった。

 この場に残ると言う事は即ち死と同義でもあり、またこの場に全員が残れば全滅の道しか残されていない。誰もが分かっているからこそシエルの言葉に口を挟む者はいなかった。

 

 

「シエル。それ以上の事は言うだけ無駄だ。北斗の気持ちを汲んでやれよ」

 

「ロミオはそれでも良いんですか!私は……私は、少なくとも納得できません」

 

 シエルの激白にロミオは驚きを隠さなかった。当初フライアに来た際には合理的な判断をし、また神機兵のトラブルの際にも同じ様に自己犠牲は問わないとまで考える事が出来ていたはずだった。

 しかし、この状況下でのシエルは明らかに以前とは違う。だからこそ、当時との大きな違いに驚きを隠せなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コウタ。先ほどの通りだ。予定よりも少し時間が早いが、このまま一気に行くぞ。リンドウ達も向かっているが、今はお前の判断に任せよう」

 

 急行中のヘリからは刻一刻と変化する戦場がモニターされていた。

 このままでは到着時には何人かの犠牲者が出ている可能性が高い。そこに追い打ちをかける様に大型種の接近はどう考えても最悪の二文字しか浮かばなかった。

 

 

「分かりました。俺もやれる事を精一杯やります」

 

「そうか。ならば後の事は頼んだぞ」

 

 その一言と共にヘリの開口部が大きく開く。上空から見れば恐らくはブラッドとの間には距離は殆ど開いておらず、ここからでもギリギリの可能性が高いとも判断できる程の距離でもあった。

 開いた瞬間に無明のその身は一気にダイブしながらも距離と方向を修正しながら現地へと一気に下降している。

 自分に出来る事は脱出の為の退路を開く。今はそれ以外の事は一切に考える事もなくコウタも自身のやるべき事だけを考えていた。

 

 

「コウタさん。現地の状況ですが、無明さんが殿で食い止めるならばここから少し先の所に開けた場所があります。距離は大した事はありませんが、今はこんな状況です。気を付けて下さい。我々も全員が搭乗できる事を祈っています」

 

「ありがとうございます。俺もここから一気に行きますので」

 

 そう一言残すと同時にコウタも一気にダイブする。まるでそれを見送ったかと思うと、ヘリは先ほどの指定場所へと向かいだしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シエル。いつまでその場に居るんだ!早く退避しろ!」

 

 北斗は戦いながらも未だ動く気配が無い3人に苛立ちを覚え始めていた。

 副隊長としての命令を出し、本来であれば一も二も無く命令を実行するはずのシエルが率先して命令を聞こうとしていない。

 この場に留まる時間が長くなればなるほどにリスクだけは増大していく。事実、シエルの能力が無くても大型種が接近している事は北斗も理解していた。

 

 

「シエル!後ろだ!」

 

 いち早くアラガミの攻撃に気が付いたものの、この場から移動する事が事実不可能ともなれば、自然と指示を出す以外には何も出来ない。シエルの背後からは、これまで隠れていたからなのか、グボロ・グボロの砲弾がシエルに狙いを定めていた。

 このままでは直撃の可能性が高い。しかし、この場を離れる事すら許されないこの状況に北斗は自然と歯噛みしたくなる気持ちをそのままに怒声を飛ばしていた。

 

 

「えっ?」

 

 北斗の怒声に気が付くまでにどれ程の時間を有したのだろうか。少なくともこの戦場で意識が戦いから削がれればそれだけ命の灯が消える可能性は極めて高い。そんな当たり前の事に気が付かない程に今のシエルは冷静になれなかった。

 

 このままでは直撃と共に戦線が崩壊する。このままでは拙いと思われていた瞬間だった。

 突如としてアサルトのバレットが着弾したと同時にその場で小規模な爆発が何度も続く。弱点とも言えるそれが直撃したからなのか、グボロ・グボロは攻撃をする事なくその場で怯んでいた。

 

 

「みんな!まだ生きてるか!誰も死んでないよな?」

 

 グボロ・グボロを狙ったのはギリギリの所で間に合ったコウタだった。

 この瞬間、少しだけ北斗は安堵していた。コウタが居るのであれば増援が来た事になる。しかし、その増援が本当に大丈夫なのかは未だ理解出来なかった。

 

 

「コウタさん、すみません。何とか全員無事です。ただ、ナナだけは少し落ち着かせないと…」

 

 話ながらもアラガミと対峙したままの北斗は戦い続けていた。事前に連絡があったからこそ、今は誰が来ているのかを知っていたが、それ以外のメンバーはまだ何も知らなかった。

 

 

「とりあえず大型種がこっちに来てるけど、無明さんが殿でやってくれるから大丈夫だ」

 

「殿って事は増援は2人だけなんですか?」

 

                                         まさか増援が2人だけって事は無いだろうと考えていたが、どう考えてもそれ以上の人員が居る様には思えない。事実シエルの直覚でもこの場に来たのは2人だと理解していた。

 

 

「その辺は大丈夫だから。俺たちはすぐにヘリの回収場所まで走るんだ。ロミオ、悪いけどナナを頼むぞ」

 

 コウタもそう言いながら周囲を警戒し、その都度バレットを何発も打ち込む。

 元々はアサルトなので、完全な精密射撃は難しいはずだが、今は何もなかったかの様に当たり前にアラガミに着弾していた。小爆発が次々と起こる度にオウガテイルの悲鳴が上がる。先程までの勢いは若干弱まっていた。

 

 

「は、はい。ナナしっかりするんだ」

 

 ロミオが起こす頃には錯乱しきったのか意識が途切れていた。突如として起こった謎の襲撃が未だに止まる気配は無い。しかも時間的には大型種の接近までもが時間の問題だと思われた時だった。

 

 

「お前ら早くするんだ!」

 

 ヴァジュラの断末魔とも取れる大きな声と同時に何かが横たわる様に小さな地響きがしていた。

 既にこの場に大型種が来た証拠であると同時に、その場には一人の神機使いが血塗られた漆黒の刃を片手にこちらへと近づいてくる。

 その姿は先ほどコウタよりも一足早く戦場に降り立った無明だった。

 

 

「ここはもう数分で大規模な戦場と化す。完全に撤退するまでは俺がここを引き受ける。お前たちは直ぐにこの場から離脱しろ」

 

「しかし、この場に留まるのであれば…」

 

「シエルとか言ったな。同じ言葉は二度言わない。この場からすぐに立ち去れ」

 

 これ以上の押し問答は時間の無駄だと言わんばかりにシエルに反論をさせるつもりは無かった。

 先程倒したヴァジュラが少しでもここに到達させる事を阻む様に、敢えて横に倒れる様に討伐していた。

 

 幾らこちらに向かっているとは言え、アラガミも目の前にはいつでも捕喰が可能な餌があればそれに飛びつく。時間にすれば僅かとは言えど、この場から離脱させるには十分とも言える時間だった。

 

 

「無明さんの事なら心配するな。今は一刻も早く離脱する事を考えるんだ。ここから1キロ先に開けた場所がある。そこまでは全員一気に走り切るんだ」

 

 これ以上の時間をかけるのは正に愚の骨頂だと言わんばかりの言葉でコウタが先へと促す。既に無明はブラッドの事は意識から遠のくと同時に、ここから来るだろうと当たりを付けた場所で待ち構えていた。

 

 

「ロミオ先輩ナナをお願いします。シエルはコウタさんの後を!」

 

 北斗もその言葉通りに指示を出す。

 いくら綺麗事を言った所で、このまま全員が討ち死にする事だけは避ける必要があるのは今さらだった。

  既にロミオはナナを背負い、コウタは神機ケースにナナの神機を保管している。

これ以上この場に残るのは無理だと悟ったのか、そこから先は誰一人振り返る事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて。こちらも遠慮はしない」

 

 誰もが完全に居なくなった頃、一番最初のアラガミを完全に捕喰したからなのかサリエルとコンゴウが争う様に出てくる。

 元々待ち構えていた所での襲撃であれば、こちらが一方的に攻撃する事も可能である以上、時間をかける必要はどこにも無かった。

 

 争う様に来たサリエルはこれから攻撃を図るべくレーザーを数本無明に向けて放つ。

 元々ホーミングと呼べるほどの精密な動きをする事は無いが、空中から毒物を散布されると何かと都合が悪くなる可能性が高く、その結果として一番最初に討伐すると決めていた。

 

 

「はぁああああああ!」

 

 裂帛の気合いと共に浮いたスカートの部分を足掛かりに更に一段高く跳躍する。

 完全にサリエルの頭を超える高さにより、無明の姿がサリエルの視界には存在していない。

 この戦場で一瞬とは言え、見失ったのであれば、その先に待っているのは明確な死だけだった。

 

 頭上からサリエルの頭部に向けて一気に捕喰形態へと変化する。頭から完全に齧られたからなのか、ガリボリと咀嚼音をしながら無明はバーストモードへと変化していた。

 

 他のゴッドイーターとは違い、漆黒のオーラが無明の全身を包む。ここから始まるのは一方的な虐殺の為の合図変わりの狼煙が上がった様にも思えていた。

 先ほど齧られたアリエルは命が尽きたのか浮遊する事を諦めたのか、力無いまま地面を落ちた瞬間、無明は飛び降りると一陣の風の様に素早い動きでコンゴウに襲い掛かっていた。

 

 漆黒の影が動いたかの様な後には斬り刻まれたコンゴウの2本の腕が何事も無かったかの様に空中へと放り出される。

 それと同時にコンゴウ種の特徴でもある異常とも言える聴力を破壊する為に、頭部に刃が真横に走ると、コンゴウの顔の上部は既に無くなると同時に血が噴水の様に吹き出ていた。                                                                               

 

 

                                         最初の2体があっさり倒されたからなのか、それともその状況に警戒をしているからなのか、アラガミは本能的に無明に襲い掛かる事を止めていた。

 アラガミにも本能で黙る事があるのかとも考えるも、この場で動きを止めるのは襲われても文句が言えない事を示す。

 勿論、こちらとしても完全に撤退出来るだけの時間稼ぎだけをするつもりなので、不用意な態勢になる事もなく動きを止めた物から次々と屠り出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コウタさん。その……無明さんは大丈夫なんですか?」

 

「あの人なら問題無いから、気にする必要はないさ」

 

 ナナを背負いながらもやはり先ほどの状況のままに撤退するのは気が引けたのか、ナナを背負いながらにロミオはコウタに話かける。

 先程の場所からはそれなりに離れたからなのか、既に戦闘音が聞こえない距離まで来ていた。

 

 

「ロミオ先輩。あの人は大丈夫ですよ。エイジさんよりも戦闘能力が高いのは直ぐに分かりましたから、後は落ち着いて行動するだけですよ」

 

 話はしながらも耳は周囲の音を聞き分け、目は索敵をしている。恐らくは到着までに時間がかかる事は無いだろうと考えていた。

 既にヘリのローター音が戦闘音と入れ違いで聞こえて来る。このまま一気に乗り込むだけとなっていた。

 

 

「お前たち大丈夫か!」

 

 ヘリに乗り込むと、今回別行動だったジュリウスの声が聞こえていた。

 ギルと感応種討伐で離れていた際に通信をキャッチしていたが、現場からは間に合わず、連絡が出来たと同時に安否の確認をしていた。

 

 

「俺たちは大丈夫。コウタさん達の救援で何とか一息つけたよ。後は無明さんを回収してこのまま帰投する」

 

「そうか。今後の事もあるから、アナグラに付いてから榊支部長とも話をした方が良さそうだ。こちらはその準備をしておこう」

 

 そんな通信のやり取りが終わったと同時にヘリは緩やかにホバリングしながらゆっくりと上昇する。まだ戻らない無明を心配したが、その数秒後黒い影がヘリの足へとしがみつくと、無明はその勢いを利用して中へと入りこんでいた。

 

 時間にして数分だったにも関わらず、アラガミも届かないその上空からはどれ程討伐されたのか、おびただしい数のアラガミが倒れこんでいるのが見えていた。あれだけのアラガミを屠れば、体力的には限界に近いはず。にも拘わらず、当人でもある無明はそんな事など気にしないと言わんばかりだった。返り血一つ浴びていない。それ程までに鋭い斬撃は、先程までの不安を完全に払しょくしていた。

 戦闘力の高さを垣間見ながらも、全員は一路アナグラへと帰投していた。

 

                  

 



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第144話 解明すべき物

 突如として現れたアラガミの大群から撤退を成功させた事を受けたのか、ロビーに来るとそには先ほど交信したジュリウスとギルの姿があった。突然の襲撃は予想を超える疲労を呼び起こす。

 ミッション終了後に突如としてアラガミの大群が襲い掛かってきたのが堪えたのか、疲労感を隠す事無く当時の状況を北斗は2人に話していた。

 

 

「その件なんだが、一度榊支部長が話したい事があるそうだ。疲れている所済まないが、これから全員で支部長室に行く」

 

「ああ」

 

 恐らくは先ほどのナナの様子とも何かしら関連性があるのかもしれない。それ程までに先程の襲撃は不自然だった。原因が分からなければ対策の取り様も無い。

 まずは状況を確認しない事には話が進まないと判断したのか、全員が支部長室へと足を運んでいた。

 

 

「先ほどは大変だったね。無明君からも状況については聞いてるよ」

 

 ブラッドが入ると、そこには先ほど殿(しんがり)を務めていた無明とツバキも同席していた。

 これまでにも極東では何度かアラガミの大群に襲われた経験がある。勿論そこには何らかの陰謀があった事が殆どではあったが、今回の件に関してそんな兆候は一切無かった。

 今後の事も考えれば、指揮を執るツバキ達がこの場に居るのはある意味当然だとも考えられていた。

 

 

「それで榊支部長。我々を召集したと言う事は、原因が何か分かったと考えても良いのでしょうか?」

 

「ジュリウス君。その件に関してなんだが、実はラケル博士から聞いていた内容と今回の原因となった偏食場パルスの異常についての関連性が認められたんだよ」

 

「関連…性」

 

 突然の話にブラッドは驚く事になった。各自の血の力に関しては未だ完全に理解された物でもなく、血の力の因子が発露した場合どんな影響を及ぼすのかすら未だ研究の途中。ましてや、それが原因であるとは完全に想定外とも言える内容だった。

 事実、今回の榊の発言に対して、以前から話を聞いていたジュリウスとシエルが一番驚いている。それは、この内容に関しては実用はされているが、実際にはまだ発展途上でもある事が裏付けられたのと同意だった。

 

 

「そう。今回の件なんだが、偏食場パルスの異常性は君達の戦場を中心に拡がった事が原因となっている。実際にはどこまで影響を及ぼしているのかは未知数だが、それが一つの要因である事に間違いはないだろう」

 

 このメンバーの中で一番状況を理解し、その内容から今回の結果に位置づけ出来たのは単に無明がその現場に居たからだった。

 確かにあの時のアラガミは、通常とは違う何かに引っ張られている様な雰囲気と同時に、どこか狂気じみた雰囲気があった。捕喰欲求と言う本能そのものは変わらないが、詳細に関しては明らかに異様だった。獣と同じだと考えてもあの動きは尋常ではない。

 事前に聞いたラケルからの話の内容を組み合させた結果とも考える事が出来た。

 

 

「それと今回の件に関してなんだが、ナナ君の力が暴走した結果であれば、意識が回復してからは経過観察すると同時に、暫くは能力が安定しない事には今後の運営にも大きな障害となる可能性がある。

 我々としても不本意だが、このまま放置する訳にはいかない。君達に負担をかける様で済まないが、暫くはここの別室に居て貰う事になるよ。

 因みにそこは完全にオラクル細胞の活動を完全に遮断できるから安心してくれても大丈夫だから」

 

「榊博士。そうなるとナナはこれからどうなるんですか?」

 

「これからの事に関しては、我々としてはブラッドの能力に関して不安視はしていない。ただ、これは我々が決める事ではなく、君達とナナ君が考える事になるだろうね。どうだろう?気になるのであれば、一度ラケル博士とも相談してみては?」

 

「……了解しました」

 

 北斗の疑問に榊が答えるが、それは以前にラケルから言われた言葉と同じ内容でもあった。

 北斗自身は血の力に目覚めているが、シエルやジュリウスの様な目に見える分かり易いものではない。

 自分の意識しない部分。つまり、日常においても常時発動している様な物の為にハッキリとした自覚症状はなかった。

 しかしナナの暴走でアラガミを寄せ付けるとなれば、一旦戦場に降り立ってからは完全に帰投しても安心する事が出来なくなる可能性が高く、万が一の際には迫害の対象にもなり兼ねない。そうなれば待っているのは能力の完全破棄か単独での行動を余儀なくされる未来。そうなればブラッドに所属する意味の大半は失われたも同然だった。

 能力か身の安全か。どちらの選択肢もナナにとっては苦渋の決断となる事だけが今の北斗に分かる事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。どうしたんですか?」

 

 支部長室から出てラウンジに向かった所までは記憶があったが、どれほど時間が経過したのか、気が付けば目の前のコーヒーは完全に冷めていた。

 シエルが気を利かせて呼んでくれた事で漸く思考の森から脱出できたのか、既にラウンジには人影がまばらになっていた。

 

 

「前にもラケル博士から言われたって言ったと思うけど、どうすれば正解なんだろう?」

 

「例の道標となる話ですか?」

 

「ああ。今回の話からすれば、恐らくナナの血の力には集合フェロモンと同等の能力があるのかもしれない。

 前向きに考えれば索敵しなくても向こうから来るから便利だとは思うけど、血の力である以上は際限無く能力が発揮するはずなんだ。俺には分からないんだけど、シエルの直覚はどうなんだ?」

 

 北斗の言葉にシエルもまた自分の置き換えて考えていた。

 実際に、北斗の喚起とシエルの直覚は方向性が全く違う。無意識の内に撒かれる物と意識的に出来る物では方向性がが確実に違う。仮に切り替える事が可能であれば問題はないが、制御出来ないとなれば話は大きく変わる。

 言葉は少ないが、北斗が何を考えているのかシエルには痛い程に良く分かっていた。

 

 

「そうですね。私の場合は集中すると頭の中に直接何かが飛び込んで来る感じでしょうか。それを皆さんに直接データとして介在してるんだと思います。

 それと、、最近になってからは記憶が徐々に取り戻していると言うのであれば、無意識の内に自分の過去と向き合っているのかもしれません。ギルもそうでしたが、自身の内側と向き合って出た結果が血の力に目覚めるきっかけだと私は考えています」

 

「って事は、あとはナナが自分で答えを出すのを待つ以外に手が無いって事になるのか……なんだか歯痒い気分だ」

 

「そうですね。私達で出来る事は何かあると良いのですが……」

 

 答えが見つからないままに時間だけが過ぎていく。今はナナの様子がどうなっているのかは、本人以外には誰も知る由も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいナナ。誰が来てもドアを開けちゃダメよ」

 

「は~い。わかった」

 

「そう。ナナは良い子ね」

 

 何時の頃なんだろか、目の前の母親がこれから任務に行くんだと子供のはずのナナは理解していた。

 当時はぼんやりとしか分からなかったが、ゴッドイーターになった今なら理解できる。

 これから任務に行く為にはナナを置いて行くしか手段がなく、また当時の状況は分からないが、この場所はアナグラでもなければ外部居住区でも無い。アラガミ防壁が無いからなのか、どこか隔離された様な雰囲気のある地域だった。

 

 

「寂しくなったらおでんパン食べるから平気だよ」

 

「そう。すぐに帰ってくるから、お利口にしててね」

 

 軽くナナの頭を撫で、そう言いながら母親はドアを開けて出て行った。幼い自分に出来る事はただ見送る事だけ。それを理解したからこその何時もと同じ行為だった。何時もと同じ。そこにナナが疑問に思う部分は何処にも無かった。

 

 かなりの時間が経過したのか、何時もよりも帰ってくるのが遅くなっている気がする。

 今回の様なケースは今までにも何度かあったので気にしてなかったが、何故か今回に限っては胸騒ぎが起こっていた。

 

 そんな中、不意にドアに何かが当たった様な音がする。これまでにここに訪れた人物は自分以外には母親だけ。ナナは疑う事は一切無かった。しかし、その瞬間思いだすのは母親との約束。

 開けてはダメとキツク言われた言葉は一旦忘れた事にして恐る恐る玄関のドアを開けた。何時もなら笑顔で待っているはずの母親。しかし、そこには笑顔では無く、血塗れで倒れている母親が居ただけだった。

 

 

「おかあさーん!」

 

 まるで夢だったのかとナナは瞬間的に目を開けていた。ここは見た事も無い天井と、壁にはいくつもの落書きがされた壁の部屋に一人寝かされていた。

 任務の途中で倒れた記憶だけが残っているが、その後はどうやって帰投したのか記憶が全くない。その前にここが一体どこなのかとキョロキョロと見渡すと同時に放送が聞こえていた。

 

 

「お目覚めの様だね。ここは特別な部屋になっているから、君の力が外には届かなくなっている。だから安心してくれて構わないよ」

 

 困惑した感情を宥めるかの様に、どこからかモニタリングしていたのか榊の声が聞こえていた。

 

 

「でも私の血の力って…」

 

「それについてなんだけど、目下究明中なんだよ。事実、血の力には目覚めた事は間違い無いんだが、今はコントロールする方法を確立する必要があるんだよ。すまないが、暫くの間はここで過ごしてもらう事になるよ」

 

「はい………」

 

 自分の暴走によって部隊を窮地に追い込んだ事だけが今のナナに理解できた事だった。

 小さい頃の記憶が垣間見せた様に、恐らくは今回のその力が大きく影響を及ぼしたのだろう。それと同時に、これ以上ここにいても許されるのだろうか。北斗やジュリウス達は自分の事を許してくれるのだろうか。一度沸き起こった不安が次々と浮上する。

 今の疑問に答えを持つ者は誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「榊支部長。ナナの様子はどうなんですか?」

 

 ナナが目覚めた一報はずぐ様ブラッドにも伝えられていた。

 当初の状況から考えればよほどの状況である事だけは理解できる。しかも、自身の力の暴走が生んだ結果が部隊の全滅させる可能性があった事は間違いなくナナも理解できる。

 今のナナの事を考えれば、確実にフォローが必要だと考えていた。だとすれば、一刻も早く行動に移すしかない。

 直ぐにその話をすべく面会を求めたが、榊によって阻まれていた。

 

 

「ジュリウス君。特に大きな問題は無いと考えているんだが、君達にはすまないが暫くの間は面会謝絶とさせて貰う事にするよ。

 恐らくは今の状況のまま君達との面会はどんな影響をもたらすのか、我々も計り知れないんだ。

 君達には酷な話かもしれないが、ここの安全を護る事も我々の仕事だからね」

 

「しかし、ナナは当時の状況を確実に自分が原因だと考える可能性もあります。それならば、一旦はその考えに対する意見を述べるだけではどうでしょうか?」

 

「本来であれば我々としてはその気持ちを汲んであげたいんだが、今回の件に関してはさっきも言った様に答えは同じだ。絆がどれ程の価値があるのかは我々とて知っている。

 しかし、今は完全に精神的な物から立ち直っていない以上、過剰な反応はかえってマイナスにしかならない。

 せめて少し自分と向き合える時間は必要だと思うよ。君達だってナナ君の事を心配してるのは身内だと考えているからなんだろう?」

 

「それは……」

 

 ブラッドの本心とも取れる部分を榊の口から聞く事によって、ここでは支部のトップであろうとも部下の心配はしっかりとしている事が理解出来た。

 榊はその見かけと言動から一見何もそんな部分を考えていない様にも見えるが、ここまでに極東で起きた事件の事を考えれば、他の支部長よりも格段にその内容を理解していた。それが分かるからこそジュリウスも抗弁出来ない。沈黙を肯定と取ったからなのか、榊は改めて口を開いていた。

 

 

「少しの間で良いんだ。ナナ君の事を信じてみてはくれないか?」

 

 榊の声のトーンからは拒絶の色は無かった。

 その話方はまるで自分たちの子供に諭す様な口調で、今後の事も踏まえて再度確認するからとこの場を収めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、これからの事を考えると頭が痛い話だね」

 

 ジュリウスが退出してから榊はどうしたものかと頭を抱える事になっていた。

 今回の原因を作ったのは間違い無くナナの血の力の暴走が原因ではあったものの、その根底にあるのはラケルが発見したP66偏食因子。

 

 この発見はP73から派生したP53に次ぐ新たな偏食因子の発表ではあったものの、あまりの特異性に適合するケースが殆どなく、また、凡庸型とも取れるP53程に広まる可能性が低い事から、世界中の支部でも詳細を知っている人物は誰も居なかった。事実、P66の恩恵を受ける事が出来るのは、世界中でも極東支部だけ。解析が進んでいるとは言え、オラクル細胞に関しては未だブラックボックスの部分が多分にある。

 だからこそ、その制御方法の確立となれば、これからの方針をどうすれば良いのかすら雲をつかむ様な話になっていた。

 

 

「事実、P66に関しては我々も知らない事の方が多すぎると言った方が早いかもしれません。ただ、これに適合し、今は安定した3人と隊長のジュリウスの事を考えれば、何かしらのヒントはあると考える事はできます」

 

「だが、この偏食因子に関しては、本部でさえも一部の人間しか知らないのは少しおかしいんじゃないのか?事実、私も今回の件で初めてこんな状況になるとは考えても居なかったのが本当の所だ。本当に本部はこれについて掌握しているのか?」

 

 今回の偏食因子に関しては、無明はそれほど重要視していなかった事が一つの要因でもあるが、これが研究者ベースで考えた際には実に不思議な部分が多々あった。

 新しい偏食因子の発見に伴う適合試験に関しては、未だに失敗する可能性があるP53とは違い、全員が何ら問題すらないまま適合している点が挙げられていた。

 

 同じ部隊のギルに関しては、一旦はP53に適合しながらもその後の検査でP66の適合までもがクリア出来るとなれば、何かしらの判断材料があったのかとまで考えられていた。しかし、それを裏付ける為の材料は極東支部には無い。情報提供をしたラケルの資料を見ても、肝心の部分には何も記載されていなかった。

 

 

「ツバキさん。今回の件に関してはともかく、今後の事も考えればこの場にずっと置いておくのは決して良いとは考えられない。今後の事も含めれば経過観察は必要だが、何かしらの対策を講じた状態で生活してもらうのが一番だろう」

 

「だが、あの能力をどうするのかが先決だろう。常時あそこまで襲撃されれば今後のミッションで同行出来る人員は限られてくる事にならないか?」

 

 ツバキの言葉は尤もだった。

 何気ないミッションで今回は始まったが、気が付けば大規模な襲撃へと発展している。このままでは早晩にでも極東支部として対策を立てない事にはここが壊滅する恐れが予見出来ていた。

 

 

「ただ、今回の件なんだが、実は以前にマクレイン君のデータを調べたんだが、少し変わった部分があってね。あの偏食因子は規則性があまり無いからなのか、どこか自我が制御している様に見えたんだ。

 これはまだ仮説の段階なんだが、この偏食因子に関してはある程度自分で制御が可能だと考えても差し支え無いだろうね」

 

「となれば、オラクル細胞そのものが大きく変化する可能性があるのでは?」

 

 血の力の発露の際には榊が嬉々としてデータを取っていた事が思い出されていた。恐らくはラケルもこの時点では何となく分かっていたのかもしれないが、今後がどうなるのかが分かっていない可能性もあった。

 今は極東に来ているが、それはあくまでも一時的な話。極東支部としては感応種対策として期待したいが、今後の運営に関してはフライアが取り仕切っている以上、こちらからは何も出来なかった。

 

 

「あくまでも可能性……の部分だね。実際にはもう少し有用なデータが必要だね」

 

 今後の展望を考えるも解決策が見いだせない以上、今は様子を見る以外に何も出来なかった。榊の言葉に室内は沈黙する。打開策が無いのであれば、様子を見る以外の選択肢は何も無かった。

 

 

 



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第145話 自己犠牲

 

「ジュリウス!ナナはどうだったんだ?」

 

 原因不明の襲撃から時間が経った事だけけなく、ブラッドの生存もまた確認されたからなのか、アナグラも漸く落ち着きを取り戻していた。これまでに極東い於いては奇襲に近い襲撃を受けた事も少なくない。だが、その殆どは何らかの兆候が出ていた。

 しかし、今回のこれに関してはその限りではない。何もなかったはずのミッションが突如として危険性の高いミッションになったと同時に、ナナの能力が何らかの原因を作ったとも考えられていた。

 だが、肝心のナナに聞いた所で有効な情報は何一つ無かった。原因そのものが完全に特定出来た訳では無い。仮に何らかの問題があったとすれば、ナナへの配慮も必要だった。

 

 

「先ほど榊支部長からも聞いたんだが、今は能力の安定化を優先させるとの事だ。それに伴い、暫くの間はナナは血の力の影響を及ぼさない場所で隔離される事になった」

 

 突如として出てきた回答に誰も言葉を発する事は出来ない。血の力が原因だと分かった以上、後は確認する以外に手段は無かった。実際にこのP66偏食因子に関しては、未だ解明された部分の方が圧倒的に少ない。ましてや力の暴走となれば、隔離の意見は必須だった。ここはフライアではなく極東支部。榊の立場を考えれば自然な流れだった。

 先程までのあの状況が思い出されたからなのか、誰も意見する者は居なかった。

 

 

「それでは何時までと言った期間は決まっていないと考えて間違い無いでしょうか?」

 

「その件に関しては回答は得られなかった。ただ今はナナ自身が自分と向き合える事が出来るかを経過観察する方針らしい」

 

 期間を設定していないのであれば、事実上の無期限と同意だった。今回のナナの力の暴走に関しては制御出来ないとなれば厄介な事になるのは間違い無い。またジュリウスが去った後でどんな話になるのかと言った可能性は誰でも想像出来ていた。

 その場の空気が重くなる。実際に血の力に覚醒した北斗やシエル、ギルもまたそんな状況にならなかったからこそ、今回の内容に関してはその言い分を完全に呑むしかなかった。

 その対策を早急にたてない事には、ブラッドだけでなく、他の部隊にも大きな影響が出るかもしれない。だとすれば、慎重にならざるを得ないのはある意味致し方ないとも考える事が出来ていた。

 

 

「俺達の力じゃ何も出来ないって事なのか?」

 

「ロミオ、それについては先ほどの回答と同じになるだろう。まずはナナが自分と向き合えない以上、我々に出来る事は何も無い。これ以上は時間が解決すると考えれば、今はそれぞれがやれる範囲の事をやりながら様子を見る他ないだろう」

 

 これ以上の議論をしていても、何も手出しが出来なければ前に進む事は出来ない。今はただジュリウスの言う様に各自のやれる事をやるだけしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかナナの力が暴走するとああなるとは思ってなかったよ。そう言えば、北斗が血の力に目覚めた時ってどんなだった?」

 

 解散と言われても行先が同じであれば、話の内容は自然とその話になってくる。この場で未だ血の力に目覚めていないのはロミオだけ。当初はジュリウスの力だけだった事からも、どんな状況になるのかを想像する事は出来ず、改めて自分の能力の影響として考えていたフシがあった。

 以前にラケルからかけられた言葉が不意に甦る。だからこそナナの様に暴走するなんて考える可能性は微塵も無かった。

 

 

「実はそれについてなんですけど、俺の場合は正直良く分からないんですよ。キッカケはマルドゥークとの戦いでいたけど、感応種との戦いが何かを刺激したとは思えないんで」

 

「そっか。シエルやギルは北斗の影響だったから何かヒントでもあればと思ったんだけどな。やっぱり今は時間が解決するしかないのかな」

 

 そんな事を言いながら歩きはするが、やはり北斗自身も理解していない事がある以上、ロミオの質問に答える事が出来なかった。

 そんな中で一つだけ北斗には気がかりな事があった。自分だけの話だからなのか、意識はしてなかったが目覚める直前には捕喰した際に何かに意識が引きずられる感覚があった。

 あの時のナナの言葉はいつもの自分ではなかったと言われていた事が思い出される。

 しかし、それを今回の件に当てはめるとなれば少し違うのかもしれないと考えていた。だとすればあの時ナナに一番近かったのはロミオ。何か兆候があればあと考えた末の結論に北斗は改めて確認する事にしていた。

 

 

「そう言えば、ナナが倒れたときって何か何時もとは様子が違っていたなんて事は無かったんですか?」

 

「…そうだな…特に気になる事はなかったんだけど、ただ、時々頭が痛くなっている事が多かったかな」

 

「頭痛ですか……それが何かの原因なんですかね?」

 

「詳しい事はラケル先生に聞くしかないんだよな。俺もそんなに詳しい訳じゃないんだ」

 

 何が正解で何が間違いなのかが分からないまま時間だけは経過していく。これ以上の事は何も出来ないのは間違いない。

 今はただナナの復帰を願うだけにとどまったのか、それ以上の会話が続かないままお互いは自室の前で別れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 経過観察が決定してから3日が過ぎようとしていた。時々記憶がフラッシュバックの様に蘇る事はあったが、ミッションの出撃前の診断の際に言われたラケルの言葉がナナの考えの大半を占めていた。

 ラケルと邂逅した際には記憶の欠損が認められていた事もあってか、マグノリア=コンパスでは当時の記憶が無い事が分からないほどに活発に動いていた。時折治療の様な物を受けていたが、気になる様な事は何も無く、そのままブラッドへと、ゴッドイーターとして赴任する事が決定した際には驚きを隠せなかった。

 当初はゴッドイーターに対しての忌避感は若干あったものの、北斗と出会ってからはそんな忌避感は徐々に薄れて行くようになっていた。そんな中で次々と合流するシエルやギルの覚醒と共にナナ自身も意図しない部分に異変が起きていた。

 

 当時の無かったはずの記憶が断片的に蘇る。これが何を指しているのか理解は出来ないが、当時のラケルの言葉では自分自身の血の力の目覚めが影響しているからだと結論付けられていた。

 感情の起伏が大きくなるにつれ、それに呼応するかの様に次々と記憶が断片的ながらも戻る。だが、同時にそれを拒む様に頭痛が生じていた。

 そしてその結果として能力の暴走と最悪の状況下で血の力に目覚めていた。

 

 

「はぁ~。いつまでここに居ればいいのかな。そう言えば、この部屋って所々に落書きがあるけど、元々は何をしてた部屋なんだろう?何だか小さい子が描いてる様に見みえるんだけど……」

 

 榊に連れてこられた部屋には子供が落書きしたと思われる様な絵が色々と書かれていた。それは絵だけではなく、置かれた机の一部が齧られたり、何かで斬られた様な形跡もあった。

 当初はいぶかしげに思う部分もあったが、ここに3日も居ればそれはすでに背景の一部と化していた。この部屋に入った当初は色々と何か出来る事がないのかと精神修養になる物を試したが、そのどれもが直ぐに飽きる。これで本の1冊でもあれば違ったのかもしれない。だが、榊の持っている本をナナが理解するには難しすぎていた。

 自分がこんな事になる前は時間がそれだけあっても足りなとさえ思えた。まだ3日しか経っていないが、やる事が無いのはある意味拷問にも近いのかもしれなった。

 

 何も考えなければある意味快適な住環境なのかもしれないが、今まで当たり前にやってきた事が出来なくなるのは案外と苦痛に感じてくる。今は経過観察なので、この部屋から出る事も出来ず、ナナにとってはやる事もないままこの部屋に居るのは既に飽きていた。

 しかし、そんな考えは突如として終わりを告げる。この部屋にまで響く様な振動と音が部屋の外での異常性を示していた。

 

 

「外部居住区にアラガミが侵入!討伐班及びブラッド隊が帰還するまで防衛班は第3防衛ラインまで退避して下さい!」

 

 警報と共に今までに聞いた事が無い程の緊張感のある放送が部屋の中で鳴り響く。それと同時に榊の声が聞こえてきていた。

 

 

「ナナ君。聞こえるかい?」

 

「榊博士。これってもしかして……私のせいなんですか?」

 

 錯乱しながらも記憶があったのか、恐る恐る榊に問いかける。万が一これが自分のせいだと考えれば、恐らくはここに自分の居場所はなくなってしまう。聞きたくないが、ここで聞かないと前に進む事が出来ないからと、ナナは思い切って榊に問いかけていた。

 

 

「いや。それは明確に否定しておこう。今回の件は老朽化していた第6防壁からの侵入だ。君の力は一切関係無い」

 

 何時もとは違ったトーンではあったが、これは今の緊急事態の対処の為なのか、榊は端的にナナの質問に答えている。この一言で自分のせいじゃないとは思うも、だからと言って楽観視して良いとは思えなかった。

 

 

「でもナナ君。君はそこで待機していてほしい。今はまだ対処方法が見つからないのと同時に、その状況で戦場に出向くのは我々としては容認できない」

 

 今がどんな状況で、仮に自分が外に出た際にはどんな影響が起こるのかは、考えるまでもなかった。

 振動はしなくなったものの、異常を示す警報は未だ鳴ったまま。ここから外の様子は感じなくても、ナナとてゴッドイーターである以上、それは想像するには容易かった。

 

 

「でも……」

 

「この件に関しては厳命する事になる。君の件に関しては現在解明中なんだ。もう少しだけ辛抱して欲しい」

 

 一旦は待機を命じられるとこれ以上の事は何も出来ない。今はただだまってベッドに腰掛ける事しか出来なかった。

 本当にこのままでいいのかと自問自答した際に、不意に右手の黒い腕輪が目に留まっている。何時もであれば気にする事がないそれは今回に限って言えば、珍しくその存在感がハッキリと伝わっている。

 

 

 ───自分は一体なんだろう

 

 

 不意にそんな考えが過っていた。自分の事ではないとは言われたが、その真偽は分からないまま。

 だからなのか、ナナは一つの決意を胸に立ち上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗!ナナが車に乗って外に出てる。すぐに追っかけて!」

 

 帰投してすぐに北斗はリッカに呼び止められていた。当初は直ぐに戦場へと出向くつもりだったが、その場に居たリッカからナナの行動が伝えられていた。

 今のナナの様子はブラッド以外には誰も知らない。そんな中でナナが取った行動は自身の能力を制御する事無く今のアナグラのアラガミを囮となって呼び寄せる手段だった。

 リッカは単に単独で行動するのは危険だからと言ったつもりだったが、北斗には何故そんな行動を示したのか容易に想像出来ていた。

 

 

「分かった。で、今はどこに?」

 

「今は移動中だけど、このルートなら鎮魂の廃寺エリアだよ!」

 

 行先が確定したのであれば、やるべき事は自ずと決まってくる。既にナナが出ている以上ここから先の予想出来る事を一旦棚上げすると同時に、北斗はブラッド全員へと連絡を急いだ。

 

 

「ジュリウスか。ナナが単独で飛び出したらしい。恐らくはここに居るアラガミの囮になるつもりだ。行先は鎮魂の廃寺。俺は直ぐに現場に向かう」

 

「了解した。こちらも行先を変更して現場に向かう。今のナナでは危険すぎるからな」

 

 北斗の通信の内容でリッカも今のナナの状況がおぼろげに見えてきていた。

 恐らくは血の力によってアラガミの囮となるべく飛び出したのであれば、最低限の装備で出ているはず。いくら整備班と言えど、死を前提にした出動をそのまま見ているつもりは全く無かった。非戦闘員だからこそ、出来る事は限られる。リッカもまた自分の出来る範囲の中で行動を起こしていた。

 

 

「北斗。行くならあのヘリを使って。あれには緊急時の装備品が全部そろってる」

 

「すまないリッカ」

 

 ただ一言だけを残し、北斗はヘリポートへと走り出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり来るよね」

 

 強奪とも取れる程に強引に神機を抱えたまま乗り込んだまでは良かったが、やはりナナの予想通り見えない何かに導かれるかの様にアラガミが車へと襲い掛かる。舗装された道路でさえも場合によっては追い付かれる可能性がある所に加えて、悪路を走るとなればその速度は徐々に落ちてくる。

 前を殆ど見る事なく、バックミラーを注視する。ナナは背後から襲い掛かるオウガテイルを右へ左へと躱しながらに目的の場所へと誘い出していた。

 

 

「おお~っと」

 

 ハンドルを切り過ぎたのか、目的地に付くと同時に車体は独楽の様に周りながら派手に音を立て停止する。このまま車内に残るつもりは最初からなく、最初から打って出るつもりだった。

 無意識の内にコラップサーの柄を握る力が強くなる。今はこちらへ向かってくるアラガミを一体づつ討伐すべく、恐らくそこから侵入するであろう獣道を睨んでいた。聞きなれたアラガミ特有の足音。既にナナの腹は決まっていた。

 

 

「とりゃぁあああ!」

 

 全力で振り回したコラップサーは先ほど獣道からのぞき込む様に顔を出したオウガテイルの頭蓋を砕きながら元の道へと吹き飛ばす。悲鳴らしい物と手ごたえだけを考えれば一撃で倒した事は理解出来たが、これから来るであろうアラガミがまさか一体だけとは一切考えずに、再度襲撃してくるタイミングを見定めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジュリウス!あとどれ位かかるんだよ」

 

「少し落ち着けロミオ。今ここで焦っても何も出来ない。今は無事を祈る位しか出来ない。戦場で冷静さを欠けば自分の方が危うくなるぞ」

 

 一刻も早く急ぎたいが、既に移動してから時間が経過していると同時に、今は北斗以外の全員が移動する以外の手段を取る事が出来なかった。既に無線では北斗も向かっているのは確認しているが、それでも時間的にはジュリウス達と大差が無い程の状況にロミオは焦りを隠そうともせずにただ状況だけを確認していた。

 

 

「ロミオ。気持ちは分かりますが、今はナナを信じましょう。私達が出来る事はそれだけです」

 

「そりゃそうだけど……でもナナは自分の状況を理解した上で行動してるんだぜ。すぐにでも助けに行かないと」

 

「ロミオ。今焦ってもこれ以上早くは付かない。これ以上早くと言っても無理なんだ。少しは落ち着け」

 

 逸る気持ちを落ち着かせるべくシエルとギルも言ってはみたものの、心情としてはロミオと大差はなかった。今まで家族同然で過ごしただけではない。そこには信頼もあるからこそ、この場で命を簡単に散らしても良いとは思えなかった。幾ら焦ろうがヘリの速度が変わる事は無い。

 今はただヘリの中でナナの無事を祈るだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗さん。現地まであと30秒です」

 

 ヘリのパイロットから到着時刻を告げられると、そこにはどこかで見た様な光景が広がっていた。

 幸いな事に大型種の接近は無いが、それでも何体かの中型種も交じっている。

これならばジュリウス達が間に合えば何とか討伐可能だと考え、北斗は到着までの時間に改めて装備品の確認を行った。ここから先は僅かな時間さえもが惜しいと考えながらも、どこか冷静に状況を見ている自分を感じていた。

 

 

 

「月並みですが、必ず全員生きて戻ってください。では、ご武運を」

 

「ありがとうございます」

 

 一言だけ挨拶すると同時に現地へとダイブする。既にナナの周りには何体かのアラガミが横たわっているが、高度から見ればそれはまだ序盤にしか過ぎない。時間を稼ぐと同時に少しでも負担を軽減させるべく北斗は戦いへと集中する事にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「も~!あとどれ位出てくるの!」

 

 肩で息をする程にアラガミは際限なく出てくる。当初は一体づつ出てきた所を一撃必殺とも取れる勢いで倒してきたが、スタミナが徐々になくなるとそれが難しくなり、今はその場から少し後退した場所で何とか休憩していた。

 いくらゴッドイーターと言えど体力は無限にある訳でもなく、またナナ自身も長時間の連続した戦闘経験がそこまである訳では無い。しかし、本能的に取った行動に間違いは無かったと考えていたのか、最悪の事態だけは避ける事に成功していた。

 ここにコンゴウやサリエルが居れば戦局は一気に怪しくなるが、今はまだ小型種がメインの為にそこまで深刻ではない。しかし、このままではいずれ何か大型種が来るであろう事だけは理解しているが故に、今度は今後の行動をどうするかを試案していた。

 

 

「せめて北斗が居てくれたらな」

 

 ナナの脳裏に一番最初に出た任務の事が思い出されていた。

 あの時はオウガテイルに襲われそうになった瞬間、北斗が一刀両断で斬捨てた場面だった。極東に来てからも色んな人間とミッションに出はしたが、あんな攻撃をする人間はエイジとリンドウ以外に見た事が無かった。

 それほどまでにセンセーショナルな光景が今のナナの思考の大半を占めていた。

 時間にして僅かではあったものの、その瞬間頭上から何か音が聞こえる。まさかと顔を上げるとオウガテイルが大きな口を開けながらナナめがけて襲い掛かっていた。

 

 

「助けて北斗!」

 

 北斗の名前が何故でたのか理解出来なかったが、本能的にナナは叫んでいた。

 このまま捕喰されておわりだと思わず目を瞑ったものの、いつまで経っても何も起こらない。恐る恐る目を開ければ、肝心のオウガテイルは縦に真っ二つになってナナの両横に落ちていた。

 

 

「ナナ大丈夫か?」

 

 声の方向を見ればあの時と同じ場面の北斗の姿があった。

 

 

「北斗なの?本物?幻じゃないよね?」

 

「本物だ。幻ならアラガミを斬れないからな」

 

 涙ぐんだ目をこすりながら北斗を見れば、あの時と同じ様な表情だった事が思い出されていた。

 周囲には未だアラガミが湧い出る様に徘徊しているが、北斗が居るだけで何となくこのまま切り抜けられる様な雰囲気があった。

 

 

「ジュリウス達もこっちに向かっている。今は一体でも多く倒すんだ。ここに来る途中で見た限り、大型種は居ない」

 

「うん!分かった」

 

 北斗が来た事で戦術と戦局が動き出した。単独であれば囲まれない様に周囲を察知しながら行動するが、2人になればアラガミのプレッシャーは若干和らぐ。

 一人に意識を向いた瞬間、もう一人が無防備な背後から攻撃する事で大きなダメージを与えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジュリウス現地が見えてきました。アラガミはやはりナナさんを中心に動いています。今は北斗が間に合った様なのでこのまま我々が到着すれば押し切れるはずです」

 

 シエルの直覚の範囲に入ったのか、全員がその内容を瞬時に把握する。確かに北斗が来た事で先ほどよりもマシとは言えるが、絶対安心だとは考えていない。ここからならばすぐにでも戦場へと突入出来る距離まで近づいていた。

 

 

「ブラッド隊。このまま行くぞ!」

 

 ジュリウスの声で全員が一斉に飛び降りる。空中からも援護射撃を開始したのかシエルのアーペルシーの銃声が何度か鳴り響く。それと同時に掃討戦の幕が切って落とされた。

 

 

 

 

 

 空中からの銃撃は、アラガミの意識の範疇を超えていたのか降り注ぐ雨の様に次々と着弾していく。轟音と共に破裂するそれは、明らかに死を明確に叩き込んでいた。

 この瞬間、北斗はジュリウス達が到着した事を理解したのか顔を頭上へと向ければ4人が降下している最中だった。

 

 

「ナナ。みんなが来たぞ!」

 

「分かった!一旦合流だね」

 

 目の前のアラガミと弾き飛ばしながら着地点へと走り出す。既に相当な数のアラガミが周囲に横たわると同時に、次々と霧散してく。本来であればコアも抜き取る所だが、今はそんな暇すらないからと無視すると同時に一体でも多くのアラガミを屠る事だけに専念していた結果だった。

 

 

「北斗戦局は?」

 

「ここまでは小型種ばかりが来ていたが、俺が到着する際には何体かの中型種が見えていた。それ以上の事は分からない」

 

「ジュリウス。恐らくですが、こちらに向かう中型種でここ一帯のアラガミは最後だと考えられます。既に距離は1000メートルありません」

 

 シエルの判断にジュリウスと北斗はそれ以上の事を聞くでもなく、全員で周囲を警戒する。シエルの能力で察知したのは全部で3体。これを乗り切れば当面の聞きを脱出する事が出来ると全員が理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中型種が霧散する頃、漸くこの地での殲滅戦が終わりを見せていた。無線の内容ではアナグラの方もこちらでアラガミを引き受けた結果なのか、掃討戦は終わっていた。

 今は先ほどまでの緊張感はどこにもなく、今は帰投のヘリをただ待つだけとなっていた。

 

 

「みんな……ありがとう。でも、私…また迷惑かけるかもしれない」

 

 終結した事で落ち着いたのか、それとも冷静になったからなのか、ナナはポツリポツリと話だしていた。

 恐らくは自身の能力についてなのかもしれないが、そこには何か深い物がある様にも思えていた。

 

 

「馬っ鹿だな。何言ってんだよ。誰が迷惑だなんて言ったんだ?」

 

「でもさ…迷惑かけたのは…事実なんだし…」

 

 ロミオの言葉にまるで悪い事をした子供の様な言葉が零れ落ちる。血の力の暴走で確かに厳しい場面には遭遇したが、結果的には負傷者は0で切り抜けている。

 勿論、ナナも頭ではそんな事は分かっているが感情が追い付いてこない。言い淀んだ空気が辺りを重くしていた。

 

 

「ナナ。ブラッドに気にしてるやつは居ない。泣きたい時は思いっきり泣けば良いんだ。俺達は家族なんだから」

 

「でも…でも…」

 

 ロミオの言葉に素直になれず、罪悪感だけがナナの胸の内に残る。このままでは何の解決も出来ないと考えていた時だった。暖かい何かがナナの頭をなでているようだった。

 

 

「ナナ。今は素直になれば良いさ。何かあっても俺たちが守るから」

 

 ナナの頭をなでていたのは北斗の手だった。先ほどまでの厳しい表情がそこには無く、今はただ穏やかな表情だけがそこにあった。

 そんな表情が不意に母親との思い出となって蘇ってくる。自然とナナの目から涙が零れ落ちていた。

 

 

「ありがとうみんな」

 

 堰を切ったかの様に流れる涙をぬぐう事もせず、ナナは感謝の心を全員に見せる。どれほど時間が経過したのか帰投のヘリのローター音が徐々に近づいていた。

 

 

 



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第146話 立ち直り

 

「ご苦労様。事の詳細は聞いているよ。今回の件で分かった事があってね。折角だから君達全員に伝えた方が良いかと思って来て貰ったんだよ」

 

 激戦とも取れる内容を無事に終わらせると当時に、そのまま支部長室へと全員が直行する事になっていた。任務そのものを放棄した訳では無いので、何の為に呼ばれたのか理解出来ない。だが、完全に達成したのか言われれば何とも言えなかった。

 何となく予想は出来るものの、まずは確認する事によって判断の材料が必要だからと全員が榊の元へと集まっていた。

 

 

 

 

 

「それで我々が呼ばれた件とは何でしょうか?」

 

「実は今回の件についてなんだけど、ナナ君から発せられた偏食場パルスがここに来て落ち着きを見せている様なんだ。勿論我々としても制御が可能であれば、これ以上隔離する必要性が無いからね。

 今日の現時点でナナ君には原隊復帰してもらう事になるよ」

 

 その一言にナナの表情は明るくなった。特段病気では無いにも関わらず、ただ部屋で大人しくしているのは案外と苦痛だったりもする。それゆ故に榊の発言は天啓とも取れていた。

 

 

「榊博士。本当に良いんですか?」

 

「もう大丈夫だよ。ただし、君の血の力の源泉でもある能力『誘引』と名付けたんだが、それは決して安心出来る物では無い。恐らく発揮されるとなれば、君が囮となる可能性が高い物である事は理解してもらいたいね。どうだいナナ君。これから教導カリキュラムをやってみるのはどうだろうか?決してフライアでの教育が劣っているとは思わないが、ここは世界最大の激戦区でもある極東だ。その方が安心できる気がするんだけどね」

 

 途中までは良い雰囲気だったはずが、ここでまさかの極東での教導カリキュラムの話が出るとは思ってもなかったのか、ナナの顔が少しだけ引き攣っていた。ここの教導カリキュラムは良くも悪くも本人次第ではなく、事実上命令に等しい物でもあった。

 もちろんブラッドは極東の所属では無いので榊からは提案とも取れる発言に留まっている。だが、それはあくまでもしごく事が目的ではなく、純粋にナナの能力を勘案した結果だった。

 榊の善意から出た言葉。だが、ここで安易に返事をする事だけは躊躇っていた。何故ならナナの記憶の範囲ではこの内容に満足していたのは北斗とシエルだけ。只でさえ自らを追い込むかの様な鍛錬を繰り返す北斗をシエルが満足気になるのであれば、その難易度は推して知るべし。

 とてもじゃないが、エイジやリンドウが態々手加減をするとは到底思えなかった。自然と緊張感が高まる。普段から薄着のナナは戦闘時以外では汗が出る事は少ないが、今だけは明らかに違っていた。

 

 

「え~それは…また考えておきますので」

 

「そうかい。良い返事を期待しているよ。今はまだクレイドルの教導が受けられるからね。これはある意味チャンスだと思うよ?それに、ロミオ君も序にどうだい?」

 

 まるで獲物を罠にかけるかの様な誘いにナナだけではなく、ロミオも引き攣った表情を見せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも良かったよな。もう問題ないんだろ?」

 

 支部長室を退出ると、今度こそ漸く落ち着く事が出来るからと全員がラウンジへと足を運んでいた。北斗達が出る際には防衛ラインが後退したままだったが、クレイドルの主軸組が帰還すると同時に、その前線は元の位置へと押し上げられていた。

 勿論それが誰の力によるものなのかは敢えて言う必要性はない。それ程までにクレイドルの主力の力を理解していた。だが、今はそんな事よりもナナの原隊復帰の方が先だとばかりに、アナグラの状況に関しては誰も語る事は無かった。

 

 

「う~ん。多分大丈夫だと思うんだけど……まだ何とも言えないって所かな」

 

「榊博士がああ言ってるなら大丈夫だろ?それよりも北斗の方が移動が速かった事に驚いたがな」

 

 ギルが言う様に北斗の移動速度は通常以上の早さだった。当初はリッカに案内されたままヘリに乗り込んだものの、飛び立ってからいつもとは違う事に気が付いていた。

 元々戦闘以外には関心が薄いからなのか、当時は何時もより早い位にしか考えていなかったが、ギルの言葉からすれば確かに間に合ったのは異常とも考えられていた。

 

 

「リッカに誘導されただけだから分からないんだけど、確かに速度はかなり出てた記憶があったかな」

 

「まぁ、ここには色んな設備もあるからな。結果オーライとは言え、やっぱり大したもんだ」

 

 ギルと話しているうちにラウンジへと到着する。まだ外にも関わらず色々な話声が聞こえていた。恐らくは今回の任務の慰労を兼ねた宴会でも開かれているのだろうと考えながら扉を開いていた。

 

 

「ようギル、お疲れさん。詳しい事はツバキさんから聞いたぞ。お前たちがここのアラガミの大半をおびき寄せたらしいな。お蔭で助かった」

 

「ハルさん。俺たちはナナを助ける為に出ただけであって、そこまで考えてた訳じゃ…」

 

 日が明るいにも関わらずハルオミは既に出来上がっていたのか息が既に酒臭かった。周りを見ればよほど厳しい戦いだったのか、何人かが包帯を巻いた状態で参加している。

 厳しい戦いを忘れたいと思う程に、既にこの会場はカオスとなっていた。

 

 

「まぁ、途中経過は何だって良いんだよ。ここじゃあんなミッションは偶にあるからな。気持ちのオンオフはしっかりしないと身が持たないぞ」

 

「はぁ。で、今回のこの様子はやっぱり防衛戦での打ち上げですか?」

 

「まあ、そんな所だな。遠慮なんてするなよ。料理と酒は待ってくれないんだ。早い者勝ちだぞ」

 

 会場のカオスっぷりに引いているのか、他の面々はどこか入り辛い雰囲気があった。しかし、ここではそれが当たり前である事はここに来た当初から知っている。そのキッカケとばかりに、北斗達はエイジの居る場所へと向かってた。

 

 

 

 

 

「大変だったみたいだね」

 

「いえ。何とか出来たので大丈夫ですから」

 

 エイジは定位置とも言えるカウンターの中、アリサはその前に座っていた。騒ぐラウンジとは違い、ここは紛れもなく料理人の戦場。

 隣ではムツミが休む間もなく、只管フライパンを動かし料理を作り続けていた。

 

 

「それよりも、エイジさんこそ任務があったのにカウンターの中ですか?」

 

 北斗と話ながらにもエイジの手は止まる事なく、またヒバリとカノンが料理を運んでいる。カウンターの内部の出来事など考慮しないとばかりに喧噪が支配していた。

 

 

「これは大した事じゃないからね。知っての通り今回みたいな大規模戦の後は割と打ち上げする事が多いし、ムツミちゃんだけは気の毒だからね。とりあえず有合わせだけど食べていきなよ。遠慮すると前みたいに無くなるから」

 

 エイジの言葉は以前のサテライトの視察の事を指していた。

 当時はまだ来たばかりだっただけでなく、サテライト計画の趣旨を考えた場合、ブラッドの立場はあまり良いとは言えなかった。

 事前にサツキの話が影響したのかもしれない。本部に頼ることなく独自で用意された資材を使う為に、フェンリルのロゴは殆ど見なかった。

 そうなればブラッドの立場はお客さんと同じ。それがあった為に遠慮がちに食べていた。

 

 だが、それは杞憂に終わる。

 イレギュラーで採ってきたエイジの肉は、職人があっと言う間に食べていた。気持ちは分かるが、目の前に置かれた食材が片っ端から無くなっていく。後でナナとロミオが悔しそうな表情をしていた事が思い出されていた。

ここでは食料事情は他よりもマシとは言え、食事と言えど我先に取らないと食いっぱぐれる位に遠慮が無い事だけは直ぐに理解できていた。

 

 

「そう言えば、兄様がから伝言があるんだけど、今直ぐじゃなくても良いから、時間にゆとりがあった際に来て欲しいって」

 

「あの、無明さんはここには居ないんですか?」

 

「ここには居ないね。近い所だから時間が空けば案内するよ。もし僕が居なくてもナオヤに聞けば分かるから」

 

「分かりました。ではその際には連絡します」

 

「そうそう。これ、少し取った方が良いよ。多分直ぐに無くなるだろうから」

 

 そう言いながらもエイジの手が止まる事は無かった。会話をしながらも両手は事前に決まっていたのかと思う程に左右の手が別々に動く。

 北斗は知らなかったが、ある程度の動きが出来る料理人の大半はそうだった。一つの事だけに捕らわれず、その先の工程にまで目を向ける。まるで事前に用意してあったかの様に新たな料理が創り出されていた。

 目の前には幾つかの大皿が目に入る。出来立てだからなのか、どの料理もまだ湯気が立ち上っていた。ここに来てからのラウンジの料理のレベルがどれ程なのかは良く知っている。

 これが運ばれるとなれば、自分が箸を伸ばす頃には無くなるであろう事だけは予見していた。となればやるべき事は一つだけ。

 エイジの許可が出ている以上、運ばれる前に何かを取らなければ最悪は食べる事も出来ない。北斗もまた空腹である事を思い出したからなのか、自分の分を取ると、一先ず落ち着く為に窓際へと移動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、北斗。こんな所に居たんだ」

 

 少しだけ距離を取って食べていたが、気が付けばナナが隣に座っていた。

 何も持っていないのは既に満たされているからなのか、それとも他の要因があったのか。今の北斗にはそれが分からない。だが、あの時の表情からすれば今は何倍にもマシに見える。この表情なら一先ず安心だと考えゆっくりと食事をする事にしていた。

 

 

「今回の事なんだけど……ありがとう。来てくれた時は嬉しかった」

 

「あれは当然の事だから気にする必要は無いさ。それよりも今は血の力の制御は大丈夫なのか?」

 

「それについては榊博士からも説明は聞いたんだけど、何をどうしたのか今は完全に制御出来てるんだって。だから大丈夫だよ」

 

 笑顔で話すその言葉が本心である事は直ぐに理解していた。ナナとは事実上の同期でもある。フライアでは恐らく一番親交があるからこそ、今の表情がナナの状況を雄弁に語っている様に北斗は見えていた。

 

 

「そっか。だったら安心だな」

 

「あのね。……その件で一つだけ聞きたい事があるんだけど……」

 

「聞きたい事?」

 

 何となく歯切れの悪い言葉に、北斗もまたナナの表情を改めて確認していた。何となく深刻な様に見えないでもない。

 だが、今の会話で何か問題点があったのだろうか?特段変な会話をしたつもりは無い。

 取り止めの付かない内容だったはず。だからなのか、北斗もナナがどんな話をしようとしているのかを見るよりなかった。何時もとは違う表情。無意識の内に北斗はナナに視線を集中させていた。

 

 

「うん。ほら、オウガテイルが頭上から襲い掛かった時があったでしょ?その時に私って何か口走った?」

 

 当時の状況は確かに思い出されていた。あの時はかなりギリギリのタイミングだった記憶はあったが、ナナが何かを叫んでいた様な記憶は殆ど無かった。

 改めて思いだせば、何となく何かを言っていた様にも思える。だが、完全に集中していた関係で細かい内容までは覚えていない。そうまで言われると逆に北斗は何と言っていたのか気になり出していた。

 

 

「で、なんて言ってたの?」

 

 何気なく聞いたはずの言葉。北斗も何となく聞いただけに過ぎなかった。だが、返ってきたのは想定外の反応。ナナはまるで麻痺したかの様に動かなくなったと思った瞬間、頬だけでなく、顔を中心に一気に赤く染まっていた。

 

 

「き、聞こえてないなら問題ないから」

 

「そんなに困る様な事を口走ったのか?」

 

「な、何でも無いってば!」

 

 北斗は苛めたい気持ちは全く無く、純粋に疑問を解消したいだけ。にも関わらずこの反応は何かと困るも今は打開策は何も見つからなかった。

 

 

「北斗。それ以上はナナさんが困ってますよ」

 

 助け船を出したのはシエルだった。元々この空気に馴染みにくかったのか、それとも北斗とナナを見かけたから来たのは分からない。だが、今のナナにとってシエルの存在は有難かった。

 先程までナナに注がれた視線がシエルへと向かう。この膠着した空気が少し和らいだのか、ナナも少しだけ先程よりも落ち着きを見せていた。

 

 

「私なら大丈夫だよシエルちゃん。何だかすごく迷惑をかけたから、今はちょっと申し訳ないなぁとは思ってるんだけどね」

 

「考えすぎです。ブラッドは誰もそんな事なんて考えていませんから」

 

「シエルの言う通りだ。そんな事は誰も気にしてない。血の力の覚醒の方が重要なんだし、今後は頑張ればそれで良いだけだから気にしなくても問題無い」

 

 シエルだけでなく、北斗にまで言われると、それ以上の事は何も言えなくなった。確かに血の力に覚醒したまでは良かったが、他のメンバーとは違い、自分の場合は明らかに何らかの影響を与えている。少なくともナナはそう考えていた。

 だが、ブラッドの中で気にしていないと言われた事により、ナナは少しだけ心が軽くなっていく。幾ら能力の暴走が原因とは言え、子供の頃の内容までも完全にそれで片づけるには、まだ時間が足りなさ過ぎていた。

 

 今回は偶然窮地を脱しただけであり、今後はこの能力の制御を完璧にしなければこの前の様な状況がすぐに来る。

 その結果として、誰かの命が散る様な事があれば確実に立ち直る事は出来ないとも考えていた。本来であればそんな危惧を最初に指摘するが、北斗はそんな事は関係無いとばかりに口にする事は無かった。

 勿論それはシエルとて同じ事。どんなベテランであっても迂闊な事をすれば自身の命は簡単に消し飛ぶ事は理解している。

 血の力と言う物の存在を正確に誰もが理解していない以上、当事者の感覚だけが全てだった。

 『喚起』の能力によって覚醒された以上、北斗もまた態々脅かす様な真似をして怯ませる必要性を感じていない。それを正確に理解したからこそ、ナナは改めて気にしない方がマシであると考えていた。

 

 

 

 

 

「あれ、北斗の周りには常に女の子がいるみたいだね?今度はナナの番なの?流石だね」

 

 何となく良い雰囲気の空気だったはずが、突如として飛び込ん出来た言葉に穏やかな空気が破壊される。先程までの雰囲気は霧散していた。

 言葉の意味を考えれば対象になるのが誰なのかは直ぐに分かる。誤解だと弁解する前に、誰なのかを確認する必要があった。

 確認するかの様にゆっくりとその発言元へと振り返る。そこには、何となく顔が赤くなったリッカがグラス片手に近づいてきていた。酔っている事だけは間違い無い。だが、リッカの言葉の意味を察知したからなのか、シエルは完全に冷静さを失っていた。

 

 

「り、リッカさん。一体何の事なんでしょうか?」

 

「え?だってこの前シエルと抱き……」

 

「リッカさん!ちょっと相談があるんですが!」

 

 その言葉に何を察したのかシエルがその言葉を塞ぐべく突如として大きな声を出す。

 一体何の事なのかナナには分からないがシエルの言動を見た後の北斗の表情はどこかおかしい。気が付けばリッカはシエルに引き摺られる様にカウンターの方へと連れていかれていた。

 

 

「北斗。シエルちゃんと何かあったのかな~」

 

 ナナは表情は笑っていたが、目はどこか座っている。この場をどうやって脱出すべきなのか頭の中をフル回転させるも、残念ながらその手段が浮かぶ事は何もなかった。

 リッカは口にはしていないが、シエルの態度を見れば何かがあった事だけは間違い無い。あれでは言外に何かがあったと自白しているのと同じだった。

 北斗もまたそれを悟っている。あれは事故みたいなものであるだけはなく、何かあった場合、シエルにも迷惑をかける可能性が出てくる。これ以上の事はこの場で話すべき事では無いと判断していた。

 今出来る事は、一亥も早く話題の転換をし、この窮地を脱出する以外に出来なかった。

 

 

「いや。大した事は無いはずだけど。多分リッカさんの勘違いじゃないかな」

 

「本~当に?」

 

「本当だ」

 

「……………」

 

 ポーカーフェイスが信用されたのか、それ以上の追及は何も無かった。

 仮に何かを言った所で問題は回避出来ないかもしれない。だが、北斗自身がどこか人の感情の機微に疎いのか関心がないのか、人の名前を覚える事をしようとしない。ナナはそんな北斗の特性を知っていた。

 人間関係に関してそれ程関心を持っていない事を理解したのかもしれない。だが、今の北斗にナナの心情を察する事は出来なかった。今出来る事はナナの追及をどうやって躱すのか。それだけを考えていた。

 

 

「まあ、北斗だし」

 

 何となく貶められた様にも感じたが、それ以上の追及が無い。その結果としてナナからの追及を完全に躱す事が出来た。

 これ以上何かがこじれると面倒な事しか起こらない。ならばこのまま何も語らないのが一番であると北斗は無意識にそう考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 撤退戦の馬鹿騒ぎから数日の間、ナナは様子見程度にミッションをこなしていた。当初はおっかなびっくりの出動ではあったが、外部では完全にナナの状態を観察していた。

 万が一の可能性だけでなく、実際に度どれ程の効果を発揮するのか。その確認の為だった。

 

 

「これならもう大丈夫でしょう。こちらが気になった数値も安定してるようなので」

 

「そうですね。今の状態は完全に安定していると言っても大丈夫かと」

 

 結果的には完全に制御出来ているとラケル、榊の両博士からのお墨付きを貰った事で漸く日常が戻りつつあった。

 

 

 

 

 

「これでもう大丈夫みたいだな」

 

「これからは私に任せてよ」

 

 ナナの能力を使う事により、ブラッドの戦術が拡大していた。誘引の能力は集合フェロモンと同じ効果を発揮する。その為にある程度の誘導を可能としていた。

 囮に近い作戦ではあるが、ナナもまた生き残る為の訓練を欠かさずこなしている。そんな作戦の結果は、直ぐに表れていた。

 

 今までの鬱憤を晴らすかの様に、数字が順調に積みあがっていた。

 一番の利点がアラガミの分断化だった。音に敏感なアラガミの場合、戦闘音を察知して現場に現れた結果乱戦となるケースがあったが、今はナナの誘引を利用する事でアラガミを常時分断させる事により、常に多対一の状況を作り上げていた。

 勿論アラガミの内容によっては不可能な場面もあるが、相対的にみればそれは僅かな物でしかない。何より安全に討伐できる事から周囲の状況を気にする事無くアラガミに意識を向ける事が出来た結果でもあった。

 

 

「何だかナナに全部美味しい所持って行かれた感じだよな」

 

「え~そんな事無いよ。ロミオ先輩だって……活躍してたんじゃないの?」

 

「あ、ああ。何だよ、ナナは俺の雄姿を見てないのかよ」

 

「だってアラガミを引き付けるなら単独の方がやりやすいから、そっちの事は分からないよ」

 

「……まぁ、そうだよな」

 

「ロミオ先輩どうかしたの?」

 

 何となく歯切れの悪いロミオにナナは何かあったのかと考えはするものの、ここ最近の戦術ではナナはそうしても単独になる可能性が高くなっていた。当然ながら囮として動けば周囲の状況は何となくでしか分からない。また、全体を見た際にも他のメンバーも血の力に目覚めた事から、以前よりも討伐時間が短縮される様になっていた。

 単純な能力だけならば気になる事は無い。ここが極東である為に、上の人間以外の数字が目に留まる事は少ない。ブラッドはその立ち位置から多少の注目を浴びる事はあったが、それ程では無かった。

 だが、血の力に目覚めた副産物とも言えるブラッドアーツの存在は戦場でも確実に目に留まる。誰もが気にしていなかったが、ロミオだけはその状況を一人忸怩たる思いで見ている事しか出来なかった。

 

 

「いや。何でもない。俺、ちょっと用事を思い出したから一足早く行くよ」

 

「おい、ロミオ。ったく、一体あいつはどうしたんだ?」

 

 ギルが呼び止めるも、何も聞かなかったかの様にロミオは走り去っていた。実際にロミオが何を考えているのかはナナだけでなく、他のメンバーも理解出来ない。

 だからなのか、ロミオの走り去る後ろ姿だけを見る事しか出来なかった。

 

 

 

 



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第147話 周囲の影響

 

「こんな早朝からやる必要があったのか?」

 

「リッカさんの都合があったんですから仕方ありません。それよりも準備は大丈夫ですか?」

 

 北斗とシエルはまだ夜も明けきらない内からミッションに出向いていた。まだ早朝だからか、周囲に人影はおろか、生物の反応すら感じない。

 レーダーもよって捕捉しているからなのか、そんな光景であっても焦る事はしなかった。

 元々今回のミッションに関しては以前にリッカから依頼された事が発端となっている。未だ研究の域を出ていない機構の開発。それを完成させる為に北斗はシエルと共に時間外とも言えるミッションに出向いていた。

 本来であれば善意でやるべき物。だが、今回に関してはその限りでは無かった。

 ブラッドバレット開発の為に、感動の余り北斗にシエルが抱き着いた事を公表しない条件。以前にリッカから言われた貸しを返すべく、今はリッカの実験に付き合っていた。

 

 

《早朝にゴメンね。シエルも無理に付き合わなくてもよかったのに》

 

 二人の会話を割く様に無線機からリッカの通信が聞こえていた。

 今回の内容は新技術における実験検証。その名目で珍しくこんな時間帯での任務となっていた。

 本来であれば早朝のミッションは哨戒任務に含まれる為に、態々出る必要性は低く、また日中とは違って小型種が殆どの為に襲撃以外で出る事は珍しかった。

 北斗とて哨戒任務には何度も出ているので問題は無いが、まさか緊急事態でもないのに早朝にいきなり叩き起こされるととは思ってもなかった。本音を言えば何時もよりも集中力は散漫している。防衛や討伐ではないとは言え、リッカの要件はある意味ではこれまでに無い戦いの幅を広げる事が出来る可能性を秘めている。幾らブラッドが極東支部には事実上の試験配備されているとは言え、ここまで手荒になるとは考えていなかった。だからこそ、緊急時とは違った雰囲気が故に、リッカに悟られない様にしていた。

 北斗の隣にいるシエルの様子を伺えば、何時もと違わない雰囲気を持っている。副隊長と言う立場である為に、リッカとは違った意味で対応していた。

 季節柄なのか、早朝独特の朝靄が発生している。視界不良と言う程ではないが、それでも警戒するだけの要素に変わりは無かった。

 

 

「私は勝手に付いてきただけですから気にしなくても結構です。それよりも今回の内容はこれで大丈夫なんでしょうか?」

 

《今回の実験はあくまでも理論上は可能なんだけど、実際に現場でどう稼動するのかを検証するのが一番だから結果については考えてないよ》

 

「そうでしたか。では運用実験と言う事であれば、私は援護するだけに留まります」

 

《そうしてくれると助かるよ》

 

 北斗はそんなやりとりを聞きながらも、眼下の戦場をジッと見ている。確かにコクーンメイデンとドレッドパイクの姿しか見えないのであれば、これ以上の人員は必要ない。

 もし、試験運用で一部隊を動かすとなれば正規のミッションとなる可能性があった。幾ら規律が緩い極東支部言えど、その面に関してはシビアに対応する。リッカもまたそれを理解している為に、敢えて新兵であっても問題無いミッションを選択していた。

 

 だが、このミッションに関しては榊もまた事前に関知していた。公私混同は本来はあってはならない。だが、内容が内容なだけに今後の面での戦略の幅が広がるからと判断していた。

 当然ながらデータは榊の元にも逐一届くようになっている。仮にリッカの行動が問題になったとしてもフォローする為だった。

 

 

《こっちの準備はオッケーだよ。あとは自分のタイミングで出てくれれば、後はこちらで動作確認するから》

 

「了解しました。これから行きます」

 

 リッカの言葉に北斗は何の躊躇もせずに現場へと降りる。既に気が付いたのかドレッドパイクが北斗の元へと襲い掛かってきた。

 見る者全てを刺し貫こうとその動きが鈍る事は無かった。北斗とシエルもまた迎撃する為にそれぞれの行動へと移行する。運用実験と言う名のミッションが人知れず開始されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、あれは今後の役に立つと私は思います。それに、今後の戦術の幅も広がるかと思います。恐らくですが、今以上に戦果を出しやすくなるのではないでしょうか?」

 

 シエルが少しだけ興奮気味に北斗に話をしていた。今回リッカからの提案で検証したのは休眠中の神機に関する運用方法だった。

 神機は持ち主が居ないのであれば単なるオブジェにしかすぎない。幾ら優秀な神機とコアがあったとしても、肝心の適合者が居なくては置物と同じだった。

 だからと言って、そのまま放置する事は出来ない。使用者が不在であっても、定期的なメンテナンスを欠かす事が出来なかった。

 

 ゴッドイーターであれば半ば常識的な事だが、神機のコアはアラガミと何も変わらない。その結果として休眠しない限りは実戦にはいつでも出せる状態にして置く必要があった。

 万が一、適合者が現れても機械の様に直ぐに稼動させる事が出来ない。また、一旦休眠してしまえばそれを覚醒させる為にはそれなりの代償を必要とし、ただでさえ任務が連戦となった場合、技師は既存の神機整備に時間を取られる事になってくる。

 その結果、使われない神機を破棄する理由にもならない。神機だけが唯一アラガミに対抗できる武器である為に、最初からその選択肢は無かった。

 同じだけの手間暇を使う。だとすれば、無駄に死蔵させるのではなく、抜本的な運用方法を確立する事が必要不可欠だとリッカは常々考えていた。

 元々は自分の父親が生涯をかけて行っていた研究。フェンリルからは資金提供はされなかった物の、密かにやってきたのはそんな思いがあった。

 

 

「確かに現場でのサポートは有難いだろうな。ただタイミングの問題もあるから一概に全部が有効かと言われれば、少し考える必要があるかも」

 

「まだ試作段階ですからそれは今後の課題だとリッカさんは言ってましたから、それに期待するしかないですね」

 

 内容的にはシエルは遠距離からの射撃程度で終わったものの、元々が新人が受ける様な任務内容な事もあってか、討伐時間そのものは殆どかかる事無く終了していた。しかし、その後のデータを取得するにあたって時間が必要だからと、少し遅めの朝食を取るべくラウンジへと足を運んでいた。

 

 

「北斗。これから食事か?済まないが終わってからで良いんだが、少し話したい事がある。後で俺の部屋に来てくれないか?」

 

「それは良いですけど、何かあったんです?」

 

「あったと言う訳では無いんだが、まぁ……その件については来てからで構わない」

 

「了解です」

 

 ジュリスが口ごもるのは珍しいと北斗は考えていた。実際に現時点では目に見える心配らしいものは確認されていない。部隊運営の面に関してなのか、それてもブラッドに関してなのか。この場で言えない様な話に北斗は思い当たる事が何も無かった。

 ただジュリウスの表情を見れば少し深刻にも見える。今は自分達の用事を済ませて部屋へと行く事を考えながらに改めてシエルと歩き出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「話って何でしょうか?」

 

 ラウンジからそのままジュリウスの部屋へと直行すると、何時もとは違う雰囲気がジュリウスから発せられていた。

 少しだけ悩みがある様にも思えるも、その原因が分からない。先程の話の内容を確認するのが一番だからと、まずはジュリウスの言葉を待っていた。

 

「北斗。最近のブラッドの運用についてどう思う?」

 

「どうと言われても…血の力目覚めた恩恵があるから、討伐時間の大幅な短縮が可能になった位じゃないか?スコアも順調に伸びていると思うが」

 

 思った事をそのまま口にしながらも、北斗は疑問を持っていた。

 唐突に聞かれた質問の意図がまるで見えない。そんな話であれば態々こんな所に呼び出す必要は無いはず。だが、肝心のジュリウスはこれが一つの取っ掛かりであると考えたからなのか、改めて質問していた。

 

 

「それは、各自の能力の底上げが成された結果が大きいのだろう。事実、ここに来てからの個別のスコアは飛躍的に伸びている。我々としても神機兵の開発だけではなく、部隊の運用についても喜ばしいと考えている」

 

 回りくどい言い方に北斗は内心疑問しか出てこなかった。ジュリウスは何が言いたいのかが未だに分からない。これが一体何に繋がるのだろうかと考えた頃、意を決するかの様に重い一言がジュリウスから飛び出していた。

 

 

「実は最近のロミオについてなんだが、知っての通り未だ覚醒してないからなのか、一人だけ飛び抜けて数字が悪い。元々ブラッドアーツが高火力であるのは知っての通りだが、それを差し引てもだ。

 それと、特にここ最近のミッションだけを抽出すれば被弾率が異様な程に高くなっているのは気が付いていたか?」

 

「見てれば何となくそうだとは思ってるが」

 

「それだけじゃない。討伐に対する早さも明らかに落ちているんだ。ロミオの気持ちを考えれば分からないでもないが……」

 

「だったら、その事実を伝えた方がロミオの為じゃないのか?」

 

「言いたい事は分かる。だが……」

 

 北斗もジュリウスの言いたい事が何なのかは分かった。だが、本人に直接伝えず、ここで話を終わらせる必要が何処にも無い。少なくとも気が付いた時点で何らかの助言をするのは当然だと考えていた。

 

 

「残念ながら俺にはロミオに伝えるだけの弁が立たない。北斗に頼るのはどうかとは思うが、一度やんわりとその辺りの事を伝えてくれないだろうか?」

 

 ジュリウスの言う通り、ここ最近のロミオの動きが鈍いのは北斗も感づいていた。被弾率が高いなんて簡単に言える様な内容では無い。それ程までにロミオの行動は破綻していた。

 事実、所持する神機はバスターにも関わらず、アラガミに対しての行動がそれに即していない。バスター型の本質は一撃必殺。過大な重量を活かす攻撃が最適だった。

 当然ながら破壊力を強めれば早さは失われる。そんな特性を無視するかの様な行動が度々見受けられていた。

 本当の事を言えば、クレイドルの教導を受ける方が効率的なのかもしれない。だが、ロミオはそれだけはしなかった。

 無理だと分かる行動を取る為に、効率が悪くなる。その結果、被弾率が上昇し討伐スコアが下落する。時には拙いと思う場面も何度かあった。これで心配するなとは言えない。北斗もまたジュリウスの気持ちが手に取るかの様に分かっていた。

 

 

「そりゃ言うのは簡単だが、その言葉を聞いてどう考えるのかはロミオ先輩次第だと思う。事実、ここの教導カリキュラムの内容もある程度習熟している様にも見えない。確かに家族の様に考えれば何とかしたいとは思うが、それはあくまでも本人が現状を認識している事が前提の話であって、仮に何も考えていないのであれば、それは無意味になる」

 

「それは俺も考えたんだが……もしこのままの現状が続くとなるとロミオの方が先に参ってしまうのではないかと危惧している。だから一度遠回しでも良いからロミオの耳に届く様にしてくれないだろうか?」

 

「……期待しないでくれれば助かる」

 

「こんな事を頼むのは心苦しいが、今回の事に関しては今後の事にも影響する可能性が出てくる。迷惑をかけるが頼んだ」

 

 頭を下げてまで言ったからなのか、北斗もまた拒否する事は無かった。

 ジュリウスの言葉通り、ロミオの動きは自分達ではなく、極東の人間が見ても同じ事を思うかもしれない。未だブラッドが本部の直轄部隊だと思っている人間であれば不様だとさえ考えているかもしれない。本当の事を言えば、本部か極東所属なのかと言った部分は北斗からすればどうでも良かった。

 どんな状況であっても、結果が全て。命をかける以上、生き残るのは当然の事。命が散らない様にする為に技術を磨く。その積み重ねが結果になる。その未来に近道は無い。

 仮にやり方が違うを口にした所で素直に聞くのかすら分からなかった。

 ジュリウスの性格からすれば、ロミオが一刻も早くこの状況を脱出させたいと考えているのも理解出来ている。事実として、極東に来てからギルにナナと立て続けに覚醒していけば、自ずと出遅れた感が強くなるのは、ある意味当然とも考えるのは自然だった。

 ジュリウスの次にブラッドに配属されながらも誰よりも覚醒が遅い。

 明確な指針を持たないままに進むのがどれ程危険な行為なのかは考えるまでも無かった。このまま進めば待ち構えるのは黄泉路への旅立ち。それが分からない程北斗は鈍くは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?北斗が一人なんて珍しいけど、他は皆ミッションなのか?」

 

 具体的な打開案なんて早々に浮かぶ様なものでは無い。基本的には自分の事なんだから自分で解決しろよと言いたい気持ちも本当の事を言えばあった。そもそも自分の能力が覚醒に関与していると言われても、自分の力で何か出来る事は何一つ無い。全てが偶然と言う名の何かだと考えていた。勿論、それが本当かどうかは分からない。だが、北斗自身でコントロールできない以上、打つ手は何も無かった。

 

 しかし、今のままでは拙い事も北斗とて理解している以上、今は少しでも何かを掴む事が出来ればと考えながらロビーへと足を運んでいた所だった。不意にミッション帰りだったのか、北斗を呼び止めたのはコウタだった。ここの第1部隊隊長にも関わらず、未だ旧型と呼ばれる第1世代の神機を使って戦場に出ているのであれば、何かしらのヒントがあるかもしれない。藁をも掴む思いで北斗は声をかけていた。

 

 

「そんな所です。そうだ、コウタさん時間ってこれから少しありませんか?少し聞きたい事があったんですが」

 

「そうだな……30分後にラウンジで良いかな?」

 

「助かります」

 

 コウタにはああ言ったものの、改めて北斗はどうしたものかと考えこみだした。

 基本的に北斗は他人に対して積極的に懐に入ろうとする気持ちがあまり無い。今回の件に関しても立場があるからと考えている部分があった。

 この仕事をしていれば、助けが必要になる部分は確かにある。しかし、それは自分の限界ギリギリの話であって、どこか油断した人間にはそこまで必要だとは考えて無かった。

 

 

「ゴメン、ゴメン。思ったよりも手間取ったからさ。で、聞きたい事って何?」

 

「実はちょっと思う所があったんで、コウタさんの事を参考にしたいと思ったんですが」

 

 コウタは見た目とは違って何にでも首を突っ込むつもりは無いが、何かと相談事を引き受ける事が多く、以前にも外部居住区でのトラブルの回避など何かと友好的な行動をしていた。勿論その件に関しては北斗も直接目にしている。そんな事もあってか、思い切ってロミオの事を話出していた。

 本来であれば部隊の内部の話であれば、内部で解決するのは当然の事。だが、やはり今回の件はそれだけではどうしようもないと判断していた。能力の多寡でここは評価しない。誰もが何らかの個性を持っている。それが直接的なのか間接的なのか。

 北斗もまた、そんな特性を理解していたからこそ、現状をごまかす事なくコウタに話していた。

 

 

「……意外とブラッドでもそんな事あるんだね。でもさ、何となくだけど俺もロミオの気持ちは分かるよ。ほら、俺も遠距離の旧型神機じゃん。そうすると単独でのミッションはコアの剥離も出来ないしオラクルが枯渇すればそれで何も出来なくなるだろ。そうなると俺の出番は無くなるんだよ。

 最近はそうでも無いんだけど、部隊長に就任した頃は色々と陰で言われてたんだよな」

 

「そうだったんですか?」

 

 突然のコウタの言葉に北斗は驚きを隠さなかった。初めてここに来た時には既に部隊長としての運用をしていたと同時に、遠距離の旧型なのも驚いた記憶があった。

 コウタが言う様に、コアの剥離も出来なければオラクルの枯渇ともなれば攻撃の手段を失う事になる。

 それが自分だけならまだしも、部隊の全滅や自身の命までもが脅かされる可能性がある。そえはどうしようもない事実。

 だからこそ部隊長としてやっていられるのは確かな実力があるからだろうとは思っていたが、まさかそんな事があったとは考える余地も無かった。

 

 

「ほら、俺の前の隊長がエイジでさ。クレイドルの発足後、遠征が続く事が決定してから指名されたんだ。北斗も知っての通り、エイジはここの最高戦力だし、誰も異論を挟む余地は無かったんだけど、俺がこうだろ?だから当時は何かと陰で言われる度に焦りがあったんだ」

 

 

「でも、今は立派にこなしてるんじゃ?」

 

「おっ!嬉しい事言ってくれるね。実際はエリナとエミールを見れば分かるだろうけど、あいつらのおもりみたいな部分も否定できないんだ。けどさ、俺もこのまま終わるつもりは無いって考えてたんだ。そんな時に隊長を指名したエイジから局地的な面を冷静に判断出来ない人間は他人の命を背負う事は出来ないって言われたんだよ」

 

 当時の事を思い出したのか、コウタはいつもとは違った表情をしていた。

 北斗はエイジの戦闘能力を初めて目にした時に思ったのは、どうしてこの人が部隊長をしていないのだろうかと考えたときもあった。だが、コウタの話にどこか納得出来る部分が確かにあった。その結果、コウタの話に北斗も引き込まれて行く。ロミオに対しての何らかの手段が必要だと考えていたからだった。

 しかし、コウタは自分の事を語り過ぎたからなのか、それとも何も考えなかったのか、ある人物の接近に気が付く事無く話をそのまま進めていた。だからこそ、不意に出た言葉。ある意味では当然の結末を呼ぶだけだった。

 

 

「で、俺はこう考えたんだよ。旧型は旧型なりに……」

 

「コウタ。まだそんな話をしてるんですか?」

 

 背後から聞こえた女性の言葉。その声の主が誰なのかは考えるまでも無かった。北斗が分かったとなれば、コウタも気が付く。

 コウタは油が切れたロボットの様に首をゆっくりと動かす。背後にいたのはこめかみに青筋が浮かび上がったアリサが仁王立ちでコウタの背後にそびえていた。

 

 

「い、いや。俺は、そんな、つもりじゃ、な……ぐぁっ!」

 

 コウタの言葉は最後まで発せられる事は無かった。狙い済ましたかの様にアリサの軸足を中心に、綺麗な弧を描く。鍛えられた体幹はアリサの動きを阻害する事無く、理想通りの動きを実現していた。

 鋭く回った腰はそのまま蹴り上げた足へと回転エネルギーを伝える。鋭く回転した事によってスカートのすそは下着が見えない程度に僅かに浮き上がっていた。

 躊躇すらしない背後からの蹴りがコウタの背中に綺麗に入る。まるでお約束とも言える様にコウタは椅子から転げ落ちていた。

 

 

 

 

 

「ててて…ったく。少しは手加減しろよ」

 

「コウタに言われる筋合いはありませんから。所で北斗さん?」

 

「は、はい……」

 

 先ほどコウタに向けた笑顔とは違った笑顔が北斗に向けられる。まるで教導の時のエイジと対峙しているかの様な剣呑としたプレッシャーが北斗を襲っていた。

誰の眼も引く美貌ではあるが、今はそんな物では無かった。目には怒りが浮かんでいる様にも見える。

 原因は不明だが、このままでは拙い事になり兼ねない。この場をどう切り抜けるのが正しい方法なのか、今の北斗に良案は浮かばなかった。

 

 

「アリサ。どうしたの?」

 

「いえ。何でも無いですよ。ちょっとコウタに教える事があっただけですから」

 

 エイジの声に得体のしれないプレッシャーが一気に消え去っていた。先程まではしんみりとした空気がコウタの一言によって破壊され、今度はこっちにまでその感情が向けられている。だが、その空気はエイジの声によって霧散していた。

 唐突に始まったかと思った瞬間に終わった事実。エイジと一緒のアリサをここ最近見ていた事もあって北斗はすっかりと忘れていたが、アリサとて歴戦の猛者とも取れる神機使いである事に変わりない。一番最初に戦闘場面を見た、当時の状況が目に浮かんでいた。

 

 

「そう。この後なんだけど、ちょっと予定地の件で打ち合わせしたいから少し時間ある?」

 

「勿論です……北斗さん。では、これで」

 

「あ、はい」

 

 嬉々としながらエイジの腕を組んで歩く姿に少しだけコウタを気の毒に思いながらも、先程までのコウタの言葉に何かしらヒントとなるべき部分が有った様にも思えていた。

 しかし、それをどうやって本人に理解させるかとなれば、また違った手段が必要なのかもしれなかった。

 普段であれば人の機微には疎いイメージを持つジュリウスがそうまで考えるのであれは、既に手遅れなのかもしれない。そんな考えが北斗の脳裏を横切っていた。

 

 

 



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第148話 自身との対話

 コウタの話を聞きながらも、ここ数日のロミオの様子を思い出しながら北斗は自室へと足を運んでいた。

 言われてみれば確かにここ数日の戦績は決して良いとは言えない。それこそ、お粗末な内容なのは北斗にも理解出来た。

 しかし、戦績の原因が仮に自身の焦りから来る者であれば根本的な解決は難しい。何故ならば、それは自分の立ち位置や実力を客観的に把握していない可能性の裏返しと考える事が出来ると同時に、それをどう処理するのかは個人の判断と資質の問題となる可能性が極めて高いとも考えられた。

 戦いに於いては無駄な経験は存在しない。様々な戦いを経験すれば、万が一の際には何らかの恩恵を受ける可能性もあった。アラガミは生物をベースとしている事が殆どの為に、ある程度の予測が可能だった。それを集中して行っているのがクライドルを中心とした教導でもあり、新兵が生き残れる様にする措置だった。

 ロミオとて恐らくは理解しているはず。だからこそ北斗はどうして素直に動けないのかが分からなかった。

 

 

「北斗か。珍しく悩んでるみたいだがどうしたんだ?」

 

「ああ、ギルか。ちょっと聞きたい事があるんだが、少し時間良いか?」

 

 考えながら歩いていた事もあってかギルが近くに居た事に気が付かなかった。

 ここ数日はブラッドとしてのミッションには参加する事が少なく、リッカの新型兵装でもあるリンクサポートシステムの試験運用やカノンの教導と感応種が出ないときにはそれこそ馬車馬の様に色んな所に顔を突っ込んでいた。当然の事ながら部隊運営からは大きく逸脱している。その結果、細かい部隊運用についてはむしろギルの方が良く知っているのではないだろうかと考えていた。

 

 

「で、聞きたい事ってなんだ?」

 

「ジュリウスから言われたんだけど、最近のロミオ先輩の戦績がかなり悪くなってるって聞いたんだ。で、確認したんだけど、言葉の通りだったから俺よりもギルの方が良く知ってるかと思ったんだが」

 

 北斗の言葉にギルも少し前に出たミッションの事を思い出していた。確かにナナの能力が安定した頃からロミオの動きは少しづつ何かがズレてる様にも見えた。

 なりたての新人ならまだしも、もう新人とは言えない程に実戦経験があれば、いくらなんでもここまで悪くなる事はない。だからこそギルも帰投の際には苦言を呈したものの、どこか楽観視しているのか気楽に考えていたロミオの言動を思い出していた。

 

 

「まぁ、確かにロミオのここ最近の動きは悪くなっているのは間違いない。何かを考えているにしても、ここは極東だ。いつどこで厳しい任務になるか分からないからと口頭で言った記憶はあるが……楽観視した様な言い方は確かにしていたな」

 

「技術面だったら、ここの教導カリキュラムをやれば良いとは思う。だが、それもやってる形跡も無い。そうじゃ無いのかもしれないと思ったんだけど、何か心当たりは無いか?」

 

「さあな。俺にはあいつが何を考えてるのか分からない。どうせくだらない事を気にしてるんだとは思うが、世間は思った以上に当人に対しては何も考えていないからな。後の事は直接本人に聞いた方が早いと思うぞ」

 

 北斗もまたギルと同じ様な事を考えていた。確かにギルの言う様にここはアラガミの質は他よりも数段高い為に、気が緩んだ様な雰囲気でミッションに臨めば同行者にも影響を与える可能性は高い。ここに来てそれなりに時間が経っているから忘れているかもしれないが、ブラッドは極東支部の所属ではない。

 開発中の神機兵のデータの取得の為に来てるだけ。本部の特殊部隊の位置付けであるが故に苦情が出ていないだけだった。

 仮に何らかの取命的なミスが出れば、謝罪だけで済まなくなる。下手をすれば今後の事にまで大きく問題になる可能性も秘めていた。

 万が一の事を考えながらも、今は確認する方が先決だからと次回のミッションの際には注意深く見るより方法が無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや~ここ最近のブラッドの戦績ならここでも楽勝じゃん?今回だって負傷者0なんだぜ」

 

 予定していたロミオとのミッションは直ぐに組まれる事になっていた。確かに結果だけ見ればロミオの言う通り。だが、実際には楽勝と呼べる程の内容では無かった。

 極東のアラガミは他よりも強さが一段高い個体が殆ど。当然の事ながら幾ら経験を持っているからと言えど油断で出来る程では無かった。

 かなり際どい場面に何度か遭遇した事もあった。これまでならば確実に気にする程ではないと思えても、今に限ってはその限りでは無かった。

 一言で表せば『辛勝』。お世辞にもロミオが言う様な内容とは言い難い事実だった。ロミオを除く全員の気持ちが無意識の内に引き締められる。ここで楽観視しているのは本人だけの様にも見えていた。

 

 そんな中、北斗が一番気になったのは戦場でのロミオの立ち位置だった。

 本来であればバスターの人間がやる様な戦術ではなく、むしろショートブレードが取る様な行動を起こしていた。

 バスターの攻撃力は確かに大きいが、それに伴って大きな隙も確実に生まれる。その為に攻撃の際にはアラガミの隙を利用して強烈な一撃を与えるのがある意味理想とも考えられていた。

 攻撃は最大の防御でもあるが、戦う際にアラガミは1体だけではない。他のアラガミの動きを察知しながら戦う事が要求されていた。

 視野狭窄になれば、その分だけ危険が増す。攻撃している間に他のアラガミからの攻撃を受ければ待っているのは死の入口だった。幾らベテランでも致命傷を受ければ待っているのは同じ事。下手をすれば自分以外の味方にも大きな影響を及ぼす可能性があった。

 だからこそ命を軽視した攻撃を認める事は出来ない。幾ら強靭な肉体を持っているとは言え、驕る時点で問題があるのと同じだった。

 流石に今回の内容に関してはシエルやナナの表情を見ても納得できる部分はどこにも見当たらなかった。

 

 

 

 

 

「ロミオせんぱ…」

 

「おいロミオ。さっきの攻撃は何だ?」

 

 先程の戦いの内容は一言で表せば無様に尽きる。ギルは北斗が言う前に口を開いていた。

 その表情からは間違い無く自分が持っている感情と同じ物がある。幾ら仲間内と言えど、全てをなあなあには出来なかった。

 

 

「何言ってんだよギルちゃ~ん。討伐時間だって今まで以上に早かったんだし、結果的には何の問題も無かったじゃん」

 

「そんな事を言ってるんじゃない。お前の戦い方は何だと言ってるんだ。碌に確認もせずに突っ込んだり、状況を確認せずにぶっ放したり。少しは周りを見て判断しろ!まだここの教導カリキュラムを受けた人間の方がまともな動きを見せるぞ」

 

 最後の一言がロミオの何かに触れたのか、にらみ合いが起こるかと思われた瞬間ロミオの拳に力が入る。ロミオの取れる行動を予測したのか、北斗がここで改めて口を開いていた。

 

 

「ロミオ先輩。言いたくは無いが、ギルの言う通りだ。何を焦っているのか知らないけど、今回のミッションの動きはあきらかにチグハグだし、あれじゃ攻撃する前に大ダメージを受ける。俺達はもうフライアに配属された頃の俺達じゃないんだ」

 

 本来であれば慰めの一つでもした方が良いのかもしれない。しかし、北斗の立場は部隊の人間の命を預かる以上、下手な行動をされれば運営はともかく、何の為にブラッドが作られたのか目的すら見失う可能性があった。

 

 

「北斗。お前何言ってるのか分かってるのか?」

 

「ロミオ先輩。いや、ここは敢えて言うが、ロミオ。副隊長として言わせてもらう。お前の行動原理は間違っている。自分の命は一つしかないんだ。どうしてそれを蔑ろにする?」

 

 北斗の辛辣な物言いにロミオは握った拳に力が入っていた。この後どんな行動を起こすのかを理解した上で、更に厳しい言葉をかけている。

 苦言を告げる事を愉悦に思う事は無かった。自らの命を粗末にして喜ぶ人間は誰も居ない。ロミオもまた北斗の言葉を認識はしたが、理解はしなかった。

 その瞬間、これまで抑え込んていた感情が爆発する。既にロミオの感情は冷静さを失っていた。

 

 

「お前に何が分かるってんだよ。入隊直後にすぐに血の力に目覚めたかと思ったらすぐに副隊長になって、今度は何を望みたいんだ!俺が邪魔だって言いたいんだろ!俺だって好き好んでこうしてる訳じゃないんだ。シエルの様に知識も無ければギルの様に経験も無い。ましてやナナみたいに開き直る事すら出来ない。その全部を持ってるお前に俺の何が分かるってんだ!」

 

 勢いよく言うと同時に北斗の顔面にロミオの拳が向かっていた。この距離であれば多少なりとも届くはずの攻撃。だが予想に反してその攻撃が届く事は無かった。

 挑発したつもりは無いが、結果的にはそれに近い物があった。幾ら強靭な肉体を持つゴッドイーターと言えど、攻撃の瞬間が見える以上、その攻撃を喰らう道理は無かった。

 ロミオはああ言ったが、実際に北斗はそれ以上に鍛錬を続けている。地べたを舐めたのは数える必要が無い程だった。努力を見せつけない以上、その感情を認めるつもりが無い。

 自分の顔面に伸びてきた拳もまた同じだった。

 振りかざした瞬間からそこを狙っているのは悩む必要もない。予想通りにロミオの拳は北斗の手によって完全に遮られていた。

 目の前で北斗の右手に掴まれそれ以上先へと動かない。いくらゴッドイーターだとしてもこうまで綺麗に止められるとは予想してなかったのか、ロミオは手をひっこめると同時にその場から逃げ出す様に走りだしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗良かったの?」

 

「多分誰かが言わないとダメだったんだよ。多分だけどロミオ先輩は焦ってたんだろう。でも、ギルの言った事もある意味正解なんだよ。最低限、教導カリキュラムをクリアすればあんな動きはあり得ないんだ。ましてや今はエイジさんやリンドウさんも居るんだ。血の力がどうだとか言う以前の問題なんだよ」

 

「でも。そこまで言わなくても…」

 

「ナナの言いたい事は分かる。でも、仮にも副隊長である以上今の状況を黙認すれば、万が一感応種や強大なアラガミと対峙した瞬間にロミオ先輩の命は簡単に消し飛ぶ事になる。どんな状況でも冷静になれないのであれば、ある意味不要だと言われても仕方ない」

 

「北斗……」

 

 何時もの北斗からは想像できない程の冷徹とも取れる言葉に、ナナも少しだけ考えていた。

 自身の能力を覚醒した際に、もっと確実に律する事が出来ていればアナグラも大きな襲撃を受ける必要は無かったのかもしれない。ナナの中にあったあの出来事の事を考えれば、北斗の言いたい事は何となく理解出来た様にも思えていた。

 

 

「第一、試行錯誤する位ならベテランに指導を受けるのも一つの手なんだよ。事実、ロミオ先輩の動きは完全にバスター向きじゃなかった。あれで数字を出せと言われても俺にも無理だ」

 

「そんな事まで見てたの?私は勝手に動いてるんだと思ってたよ」

 

「そんな訳無いって。全員の行動は確認してる。それが部隊を預かる身の最低限の行動だから」

 

 コウタとの話を聞いた際に、北斗がどう捉えたのかは分からないが、隊長の立場は決して軽いものではない。事実、コウタとてエリナからは何だかんだと言われはしても戦闘時には最悪の事態を想定しながら指示を飛ばし、自身の行動範囲と状況を確認しながら指揮を執っている。

 個人的にはロミオに何かしたいとは思っても、傷を舐め合う事に良い事は一つもない。そんな考えがあるからこそ、未だクレイドルの指導を受ける事が出来る間に、指揮を執りながらの戦い方や自身の戦闘方法についても試行錯誤でやっていた。自分と同じ事が出来ると考えたつもりはない。折角のチャンスを無駄にしない方がマシだと考えた末の言葉だった。

 

 

「そうですよナナさん。こう見えて北斗も教導カリキュラムでは結構ボロボロになってますから」

 

「なぁシエル。折角良い話で締めたと思ったのに、そこで落とすのはどうかと思うんだが」

 

「いえ。カッコ良い部分は今さら見る必要はありませんから」

 

 その一言に何か火が付いたのか、ナナは北斗とシエルを見ていた。確かにこの2人は時間があればすぐに教導カリキュラムを実施している。

 実際にどれ程なのかは知らないが人伝に聞く内容は厳しいの一言だった。恐らくはその間も何らかの話をしているのだろうと考えながらも、今は2人を見ている事しか出来なかった。

 

 

「じゃあ、私もカッコ悪い北斗を見る為に教導カリキュラムをやろうかな」

 

「それが目的だと副隊長としての威厳が無くなるんだけが」

 

「大丈夫。そんな物は最初から無いから」

 

 今度は違う意味での辛辣な言葉が北斗の胸に刺さったのは誰も知りえなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「畜生!何で俺があんな事言われないとダメなんだよ。まるで俺が何もしていないみたいじゃないか!」

 

 怒りに身を任せた事もあってか、気が付けばロミオは見知らぬ場所まで来ていた。

 それ程怒りに染まったまま行動していた為に何も分からないが、ここが外部居住区外である事だけは理解している。このまま戻るのは癪だと考えていた矢先に、自己主張したのか腹が大きく鳴っていた。

 

 

「何だこんな所で?迷子にでもなったのか?」

 

 先程の腹の音が盛大になったからなのか、それともただの偶然なのか、ロミオが振り向くと、そこには少しみすぼらしい格好をした老人がロミオに声をかけていた。

 

 

「いや。迷子なんかじゃなくて……」

 

 そう言いながらも一度鳴り始めた腹は簡単には止まらない。まるで何かを食わせろと催促している様にも思える程に自分では止める事が出来なかった。先程までの怒りの感情は既に無く、今は羞恥が勝っている。無意識の内に思考が完全に切り替わっていた。

 

 

 

 

 

「そうか…なんだ、お前さん神機使いか。流石に神機使いでも腹の虫には逆らえないみたいだな。大した物は無いが、お前さん家にくるか?」

 

 老人は腕輪に気が付いたのか、視線がそちらへと動く。気恥ずかしさからなのか、ロミオは腕輪自分の背後へと隠すように移動させていた。

 

 

「でも、アナグラに帰れば腹いっぱい食えるし、今は大丈夫だから」

 

「若いもんが何遠慮してるんだ。神機使いなら自身の状態を十全にしないと力も出せないだろうが。なぁに、家はすぐそこだ、付いて来ると良い」

 

 そう言われ、ロミオは素直に老人の後ろを着いて行く事にした。身なりからも想像できたが、ここにはアラガミ防壁の様にアラガミから身を守る術が何も無かった。

 ロミオは知らなかったが、こんな環境はここだけではなく、各地の至る所に当たり前の様に存在している。今の状況を目の当たりにすれば、以前に見た建設中のサテライトがまるで天国の様にも思えていた。

 ゴッドイーターが故に気が付かない事実。アラガミは未だ人類の天敵である事に変わり無い。人類の矛でもあり盾でもある。本当の事を言えばフライアではそんな事実を知る機会は微塵も無かった。

 何故なら自分達のもたらす結果がどんな未来を描くのか。この時点で漸くロミオは理解していた。自分の悩む事など些細に過ぎない。誰から教えられた訳では無い。ただ、目にした光景が全てを物語っていた。

 

 

 

 

 

「おや、お客さんなんて久しぶりだね。でもどうしたんだい?」

 

「散歩の途中で見つけてな。すまんがメシを食わせてやってくれ」

 

 二人の会話を聞いた瞬間、ロミオは何とも言えない感情に支配されていた。ロミオのこれまでの経験を表に晒した場合、糾弾される可能性の方が高かった。一番の要因は

そう言うと、老婆は奥からご飯とみそ汁に漬物を持ってきていた。いつもならば確実に食べないであろう食事だが、強い空腹感に苛まれたロミオには十分すぎるご馳走の様にも思えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でさぁ、ジュリウスってのが俺たちの部隊の隊長なんだけど、戦闘中は頼りになるんだけど、普段はちょっと抜けた所があってさ、俺がいつもフォローしてるんだよ」

 

 腹が満たされた事もあってか、ここで漸くロミオは落ち着いた思考を取り戻す事が出来ていた。食事をして直ぐに帰るのも忍びないと考えたロミオは2人に普段の行動やアラガミの話を嬉々として語る。その姿に何かを投影したのか、老夫婦はロミオの話をただ黙って聞いていた。

 

 

「そうかい。ロミオちゃんはその部隊の中でも頑張ってるんだね」

 

「……いや、俺は部隊の中では一番足を引っ張ってるから。皆に迷惑をかけない様にするのが精一杯なんだ」

 

 些細な一言ではあったが、何か考える部分があったのかロミオの表情が突如として曇る。確かに北斗にはああ言ったが、実際に北斗が任務が無い時には常時訓練に明け暮れているのも何度か見ている為に、どれほど努力をしているのかも知っていた。

 

 自分はそんな風景を見ながらも、どこか他人事の様に見ていた部分があったのかもしれない。特にエイジが教導教官の際にはギル以上に酷い結果になっているのも知っている。その結果が今に繋がっているのは頭では理解していても感情が否定していた。

 ブラッドの設立は当初から実験的な意味合いが強かった。ブランドに加入するのはこれまでにあったP53偏食因子ではなく、新たに発見されたP66偏食因子の適合が要求される。

 突然変異に近い偏食因子が故に、その適合者の発掘もまた困難を極めていた。

 ジュリウスからも、発足当時からロミオが入隊するまでずっと一人だったと聞いていた。入隊した時点でジュリウスはある程度完成された様にも見えていた事もあり、ロミオもまた然程気にした事は無かった。

 

 北斗やナナが入隊したのはロミオが入隊してから1年程後になる。当時の内容はジュリウスから聞いていたが、訓練の結果についてはSSSを叩き出したのは驚愕だった。本部待遇であれば、間違い無く最初の段階から将来有望だと言われるのは既定路線。それ程までに最初の段階でそのスコアが出る事は無かった。

 通常であれば賞賛された内容に胡坐をかくのかもしれない。少なくとも自分が同じ立場であればそうなっていた可能性もまった。だが、北斗に関しては違っていた。

 これまでに無い程突出したスコアを出しながらも、それを良しと考えた事は微塵も無く、只管自己鍛錬に時間を費やす。その姿はまるで求道者。肉体が悲鳴を上げると思える程に続く訓練は完全に常軌を逸していた。

 当時はそれ程気にしなかったが、今なら分かる気がする。何となくそう感じていた。

 

 

「ロミオ。卑屈になる必要はないと思うぞ。誰しもが同じ事をしたからと言って、必ずしも同じ結果にはならない。もしそうだとすれば、こんな時代にはならなかったはずなんじゃ。他人は他人なんだ。気にする必要がどこにあるんだ?」

 

「そうよ。ロミオちゃんは少し頑張り過ぎただけよ。たまには休憩で立ち止まって振り返らないと」

 

 まさかそんな事を言われるとは思ってもなかったが、確かにこの老夫婦の言う言葉にも一理あった。他人と自分を比べた所で自分がその人間と同じ事が出来る訳では無い。

 事実、このブラッドのメンバーとて皆が自分と向き合ってそれを乗り越える事が出来たから今に至っている。当時のシエルがどうだったのか、ギルはあのアラガミにどんな思いを持っていたのか、ナナの苦悩はどうだったのか。そんな当時の状況をロミオは見ていた。

 それが自分の事では無いとは言え、無関心でいられた訳では無い。そんな事すら今まで気が付かなかったのかと、ここにきて漸く思い出していた。だからなのか、心の奥底から湧き上がる感情を否定するつもりはなかった。人は人。自分は自分。最初から比べる必要などどこにも無かった。

 

 

「俺、……多分みんなに嫉妬してたんだ。皆が力を発揮しているのに、俺だけ何も出来ない。部隊の中でジュリウスの次にここに居たはずなのに、何も気が付かなかった。いや、気が付こうとしなかったのかもしれない」

 

 何故、今までこんな単純な事に気が付かなかったのだろうか?少し前の自分は多分自分自身を見失っていたのかもしれない。自分が気が付けないから他人のせいにする事で目を逸らしていたんだと、ここに漸く理解していた。

 淀んだ感情のままに来た当時の様な諦観じみた表情は既になく無くなっていた。そこには断固たる決意を持った表情のロミオがそこに居た。

 

 

「ロミオ。わしらは詳しい事は分からないが、恐らくは他のメンバーも心配してるはずだ。自分を卑下する必要なんてないんだ」

 

 老夫婦の出す雰囲気が温かい物だからなのか、今のロミオは何かを核心した様な表情に変えていた。

 本人は気が付いていないが、一つの結論が出た人間の表情はどこか自信に溢れている。そんなロミオの表情を老夫婦は笑顔で見ていた。

 

 そんな穏やかな空気を壊すかの様にけたたましくサイレンが鳴り響く。これが一体何なのかは考えるまでもなく、アラガミの接近に関する警報だった。

 

 

 



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第149話 解決

 

「ロミオ先輩が居ない?」

 

 ロミオが走り去ってから暫くした後、姿を確認できないとナナから報告を聞いていた。当初は居たたまれなくなったから自室にでも行ったかと思っていた物の、扉を叩いても声をかけても返事がなく、その結果としてヒバリに確認してもらった際にアナグラには居ない事が判明していた。何らかの形跡があれば違ったのかもしれない。だが、ロミオの部屋は最初から誰も来ていなかったかの様にひっそりとしていた。

 

 

「さっき部屋に行ったんだけど、反応が無かったからヒバリさんに確認してもらったんだ。だけど、この近辺には居ないって」

 

「あれから時間もそれなりに経過してますし、このままでは偏食因子の投与のリミットを超える可能性があります。ロミオとてそんな基本的な事位は知ってる筈ですが」

 

 ゴッドイーターの超人的な能力は、適合試験の際に投与されるオラクル細胞の影響によるもの。もちろんこれがノーリスクで使える訳では無く、一定時間に対抗となるアポドーシスを含んだオラクル細胞を摂取する事が義務付けられている。

 万が一規定の時間を過ぎた場合、待っているのはアラガミ化の未来のみ。それはP53だけではなく、ブラッドに投与されたP66も同じだった。ゴッドイーターになった際に、真っ先に教えられる事実。最低限やらねばならない事が出来ないとなれば、最悪の未来になる可能性が濃厚だった。

 

 既に時間が差し迫っている以上、早急に見つけない事には今まで仲間だった者が討伐対象となる。これは神機使いとして一番遵守しなければならない物でもあった。シエルの言葉に、されもが僅かに背筋が冷える。これまで仲間だと思った人間に神機を向ける未来を無意識の内に想像したからだった。

 

 

「でも、どこに行ったのか分からないんだよな?」

 

「手がかりが無さ過ぎるんだ……予測すら出来ん」

 

 焦りから来る焦燥感は思考を閉ざす。このまま手をこまねいている訳にも行かず、今はどうした物かと悩んでいた時だった。

 

 

「あの~皆さん。私はアナグラには居ないとは言いましたが、場所が分からないとは言ってませんが?」

 

 ヒバリの何気ない一言に今まで悩んでいたブラッドの面々が固まる。一番最初に聞いた際にはロミオの事情は伏せたままだった為に、ヒバリは何も聞かず、純粋に答えただけだった。

 しかし、シエルの一言でヒバリもまた気が付く。無断で外に出ている事を理解したからなのか、その作業は早かった。元から極東の所属であれば気にしないが、他から来るゴッドイーターにはビーコンの識別情報を設定する事が義務付けされている。本来であれば各自にも伝えた方が良いのかもしれないが、ここではそれを伝える事はしなかった。

 信号から来るのは位置情報だけでなく、バイタルなど生体信号も送られる。オペレーターとしての常識をそのまま事実を伝えていた。

 

 

「ヒバリさん。それはどう言う事でしょうか?」

 

「えっと。皆さん、腕輪には生体確認の為にビーコン信号が出ているのを知らないんですか?」

 

「え………」

 

 

 ヒバリの言葉に沈黙が支配する。アナグラでは当たり前の話ではあったが、恐らくフライアではそんな事になる可能性がないからなのか、誰もそれ以上の言葉を発する者は居なかった。だからなのか、誰もが完全に固まって反応が遅れている。今はただヒバリを見る事しか出来なかった。

 

 

「ロミオさんでしたら、ここから北に向かった所に……すみませんが、皆さんにはこれから緊急出動して頂きます。ロミオさんの反応地点にアラガミが接近しています。詳細は不明ですが、反応の大きさから中型種以上の可能性があります。皆さんは速やかに出動して下さい」

 

「ロミオは今丸腰だ。すぐに出るぞ!」

 

 捜索から一転し、急遽討伐へと移行する。万が一の可能性を考え、今は任務へと意識を向けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「拙い。今はここからすぐに離れないと」

 

 サイレンが未だ鳴りやまないままなのは、アラガミの接近を意味しているから。サイレンを聞いたからなのか、ロミオはアラガミの気配が少しづつこちらへと向かっている事を感じ取っていた。

 幾らゴッドイーターと言えど、神機が無ければただの人と何ら変わらない。となれば、今出来る事は見つかる前にどこかに身を隠すか、この場から離れる事しか出来なかった。なぜ神機を持ってこなかったのか。丸腰のままで何ができるのか。今のロミオには自分に対する憤りしかなかった。

 

 

「ここにアラガミが来るのか?」

 

「絶対とは言えないけど、この感覚だとこっちに向かっている気がする。この辺に集落とかある?」

 

 ロミオがここに来るまでに民家らしいものを目にした記憶は一切なかった。実際にこんな開けた様な場所にアラガミ防壁もなく家があればアラガミにとっての格好の餌食となる。そんな事は分かってはいたが、敢えてロミオは老夫婦に確認していた。

 

 

「この辺りはそんな物は無い。わしらの家の周辺がこうやって山に囲まれているからここに居るだけで、他には無いな」

 

 老夫婦の言葉に、ロミオは思わず舌打ちしたい気持ちになっていた。本来であればアラガミの気配を感じるなんて事は戦場以外ではまずありえない。にも拘わらず、こうまで存在感が分かるのであれば、それは紛れも無く大型種である事が容易に想像できていた。だからと言ってそれをそのまま口にする事は出来ない。下手に情報を開示すれば、今後の行動に差支えが出る可能性があった。

 自らを護る神機が無い以上、ロミオはどうすれば良いのかと思考する。やれる事は一つだけだった。

 

 

「多分、あそこから来るから反対側に逃げるんだ」

 

「ロミオちゃんはどうするの?」

 

「俺?……俺はゴッドイーターだ。皆を護るのが仕事だから大丈夫。アナグラには高感度のレーダーもあるからすぐに誰かがここに来るから大丈夫だって。だから来る前に早く逃げて……いや、どこかに隠れてくれ。今からだと多分間に合わない」

 

 神機を持たないゴッドイーターが何も出来ない事位は子供でも知っている。今のロミオには武器となるべき神機を所持していない。そんな分かり切った事を敢えて口にする事でロミオはここで時間を稼ぐ事を決意していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「到着まであと1分です。各員の準備はよろしいですか?」

 

 移動のヘリの内部では、現地の情報が刻一刻と流れてくる。討伐の対象はガルム種。感応種で無い事は間違いないが、それ以外に安心できる要素は何処にも無かった。警報が出てはいるものの、近隣で動く部隊は何処にも無い。元から人の気配が薄い場所の為に、精々が警報を発する程度の施設しか無かった。そんな場所にロミオの反応がある。ミッションの合間であれば時間稼ぎも出来るが、丸腰で出来る事は何も無い。

 万が一、間に合わない様であれば最悪の未来しかありえない。前回のナナの際にはギリギリだったが、この距離であれば確実に間に合う事だけが唯一の救いだった。

 

 

「もう……ロミオ先輩には困ったもんだよね。神機も持たずに出るなんて」

 

「ここからなら十分間に合うだろう。後は現場に着いてからの判断になる。ロミオの事はともかく、事前情報では一般人もそこには居るらしいからな。総員心してかかれ」

 

 ジュリウスの言葉に改めて全員が気を引き締める。時間が経つにつれて現地が肉眼でも見えてくる。幸いにして被害は無いが、それでも何か起こる様な事だけは避けたいと、その場にした全員が再度認識していた。逸る心を落ち着かせるかの様に誰もが神機に視線を動かす。ここから先、やるべき事は一つだけだった。

 

 

「これより、ロミオの救出とアラガミの討伐任務を開始する」

 

 ジュリウスの言葉に全員がヘリから飛び降りていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ああは言ったけどさ)

 

 ロミオの言葉に納得はしないながらも、素の肉体での移動を考えればロミオの言葉に従うより無かった。誰かを庇いながら移動する事は極めて困難なのは言うまでもない。事実、ロミオ一人であれば恐らくは何とか出来るかもしれない。アラガミの事を理解すれば当然だった。

 

 スタングレネードも無い中での逃走が不可能である事は誰もが知っている。老夫婦もまた同じだった。アラガミの前に立てば他に意識が向く事は無い。幾ら獣の様な姿をしていても、嗅覚までがそれではない。だからこそロミオは自身を鼓舞するかの様に老夫婦の姿を完全に見送ってた。

 自分の感覚が正しければここに来るまでそれ程かからない。先程までは何となくだったが、ここに来て明らかに大型種である事を実感していた。丸腰で出来る事は一つだけ。この場から少しでも遠くへと移動する事だった。

 

 

 

 

 

「ロミオ先輩!忘れ物しちゃダメだよ」

 

 丸腰のままに立ち向かおうとした矢先だった。自分よりもはるかに上からナナの声が聞こえてきた。アラガミの襲撃に対して派遣されたのは第1部隊ではなくブラッド。本来であれば聞こえて来るはずのない声にロミオは戸惑っていた。

 

 

「なんで?だって俺……」

 

「ロミオ。何を考えているかは分からないが、今は目の前のアラガミに集中するんだ。ここには守るべき人もいるのだろ?」

 

 まるで見ていたかの様なジュリウスの言葉に少しだけ驚くも、今は目の前のアラガミを一刻も早く討伐する必要があった。ガルム種の最大の特徴は遠吠えによって他のアラガミを呼び寄せる能力を持っている。

 ただでさえ面倒とも取れるアラガミに増援が来られた日には苦戦する以外の何物でもなかった。実際にガルム種が厄介なのはデータ上でも知られている。ジュリウスの言葉にロミオは無意識の内にナナの持つケースへと視線が動いていた。

 

 

 

 

 

「ロミオ先輩。これで貸し一つだからね」

 

「ああ。分かった。後で何でも言ってくれ」

 

 ケースから取り出した神機を接続すると、今まで無機物とも言えた神機が眠りからさめるかの様に稼動しだす。今のロミオは飛び出す前の様な散漫な雰囲気は既に消え去り、今は純粋にアラガミだけを睨むかの様に見ていた。明鏡止水。まさにその境地だった。

 そんなロミオを見た北斗も僅かに驚いていた。この短期間で何があったのかは分からない。何らかの心境の変化があったのかもしれない。だが、その思考はそれで終わっていた。

 迫りくるアラガミの存在に戦闘態勢へと切り替わる。ロミオの事であれこれ考えるのはこれが終わってからで問題無い。そう判断した為に、今はガルムに向けて視線を固定していた。

 

 

 

 

 

「ちょこまかと図体がデカいくせに何であんなに俊敏なんだ!」

 

「落ち着け!シエル。援護射撃を頼む!北斗は着地点を狙え!」

 

 ロミオを落ち着かせると同時にジュリウスはシエルと北斗に指示を飛ばす。ガルム種の特徴は、同じ場所で留まる事が一切無いと言わんばかりに、動き回る事が殆どだった。

 元々巨躯ならば本来は動きは鈍く、また、見てから次の行動に動いても十分に間に合っていた。その為に、先読みする事によってこちらかの一方的な攻撃で終始するはず。だが、この種に関してはその限りでは無かった。

 強靭な四肢は元々の狼を連想させるからなのか、動きはどこか洗練された様にも見える。跳躍したかと思った瞬間、狙いを定めて突進する。その為に動きを封じる事が最優先だった。援護射撃の指示はそれを狙った物。本来であればこれが最適解のはずだった。だが、それが正解かと言われれば言葉に詰まる。同じアラガミと言えど、明らかに動きにキレがあった。

 元々空中に浮けば回避は困難になる。だが、攻撃が散発であれば脅威では無かった。だからなのか、援護射撃に関しても、直接狙う事をしなかった。 

 

 

 

 

 

「ここだ!」

 

 飛び跳ねる着地点を見切ったのか、北斗はガルムが恐らくは足を付くであろうその場に向けて刃を振りかざす。その場に打ち合わせたかの様な攻撃は、ものの見事にガムルの前足を捉えていた。肉を斬り裂く手応え。北斗の攻撃が確実にガルムに届いた証拠だった。

 全体重が乗ったその一点を突いた事によってガルムは大きく動く事を止め、恨みがましく感じるかの様に北斗へと視線を向けていた。しかし、ここにいるのは北斗だけではない。そんな僅かとは言え分かり易い行動を見逃す様な人間はこの場には誰も居なかった。

 

 

「今です!」

 

 シエルの言葉のキッカケは完全にガルムの目を狙った狙撃だった。一対一であればそれは有効だったのかもしれない。しかし、この場には他にもギルやジュリウスも居る。対峙したかと思った瞬間に視界を塞がれれば、後は一方的とも言える怒涛の攻撃をただ受ける以外に何も出来なかった。

 

 

「うりゃああああ!」

 

 ナナの掛け声と共に後ろ足の付け根が何度も集中的な攻撃を受ける。ナナのブーストラッシュは血の力を発揮しているのか、コラップサーは赤黒い光を帯びていた。ハンマーの後方にちらつく炎。ナナの感情を表すかの様にその炎は推進力を高めていた。全てを破壊すると言いたくなる様な衝撃音。面の部分が直撃された瞬間、ガルムからは僅かに声が漏れていた。

 

 

「喰らえぇぇぇぇ!」

 

 もちろん攻撃をするのはナナだけではない。中距離からはギルもチャージグライドを準備しているのか神機のパーツが解放され、所々にオラクルをまき散らしながら今にも突撃せんと構えている。それを援護すべくシエルは牽制の意味を込めてガルムの急所へと精密な狙撃を続けていた。

 

 

「ロミオ先輩!このまま止めを!」

 

 北斗の声に反応したのか、ロミオは自信のヴェリアミーチを肩に担ぐと、そのまま闇色のオーラがその周囲に纏いだしていた。刀身よりも長いオーラがヴェリアミーチを覆う。今のロミオを止める手段をガルムは持ち合わせていなかった。

 

 

「これで終われぇぇぇぇ!」

 

 ロミオの放った一撃は視界をつぶされたガルムの肩口からそのまま地面を斬りつけるかの様に大きな衝撃を伴いながら地面へと距離を詰めていた。肩口からバッサリ斬られた瞬間、断末魔の様な物が漏れる。ガルムはそのまま絶命したのか、周囲に血をまき散らした状態で横たわっていた。地響きを立てた事のよって戦闘機動が終了する。漸く終わった事をだれもが鵜意識に実感していた。

 

 今回の任務に関しては特筆すべき事は何も無いが、かつての絶妙なチームワークを発揮したからなのか、討伐時間は今までの中でも上位に食い込む程に早かった。いくら大型種と言えどコアを抜かれた時点で霧散する以外に何も出来ない。まるでこれがいつもと変わらない任務であったかの様に程なくしてガルムは霧散していた。

 

 

「ロミオ。よくやったな」

 

「お、おおう……」

 

 無我夢中で攻撃したからなのか、肩で息をするロミオを労う様にジュリウスは肩を叩いていた。振り向けばジュリウスの背後には老夫婦が立っている。どうやらジュリウスがガードしていた事がここで漸く理解出来ていた。

 

 

「なんだロミオ。お前さん、やれば出来るじゃないか。自信を持ってやれば結果もそのうち付いて来るんだ」

 

 ゴッドイーターとは違い、一般人が戦場で見る事は少ない。確かにロミオは戦っている間に老夫婦の事は頭から抜け落ちていたが、戦闘が終わったからなのか改めて見れば暖かい眼差しが向けられていた事が理解出来ていた。

 

 

「あの…俺…」

 

「良いんだロミオ。お前さんは自分の仕事をただ全うしただけだ。わしらの事は気にしなくても良いんだ」

 

「そうよ。私達の事は気にしなくても良いから。また時間が出来た時に出も顔を出してちょうだい」

 

「……ありがとう。俺また時間作って来るから」

 

 この老夫婦にとの間に何があったのかは分からないが、この短時間の間に何かがあったのだろう。ジュリウスはその様子を遠くから眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰投中のヘリで今回の一連内容を改めてロミオは思い出していた。今回の連携した戦いの中では、蟠りとも言える様な物は何一つなく、全部自分の焦りから来る一人相撲だと考えていた。

 確かに北斗やギルの言葉厳しい物ではあったが、決して悪いとは一言も言っていない。今なら当時の言葉を冷静に受け止める事が出来る。全員がただ心配してくれたんだと改めて考えていた。

 そんな中で何か重大な事を忘れている事を思い出していた。

 本来であればロミオはこのミッションには正規で参加していない。それどころか無断で出ている以上、このままアナグラに戻れば待っているのはツバキの厳しい叱責以外の何物でもない。只でさえ、その場に居るだけで空気が完全に引き締まるにも関わらず、今回は無断で出ているのであれば場合によっては逃亡と捉えられても仕方ない。

 このままここから飛び降りたい。そんな考えがロミオの脳裏を横切っていた。

 

 

「今回はご苦労だったな。ロミオも休暇中の所済まなかったな。今回の件は休暇ではなく任務扱いとしてある。もし休暇が必要だと考えるならば改めて申請してくれ」

 

「え、あ、はい。分かりました」

 

 震える身体をごまかしながらアナグラに到着すると、そこには当然の様にツバキが居た。この場をどうやって乗り切ろうかと思った矢先の言葉が労いである。その事に些か疑問が湧く物の、今は何事もなく終わった事に一人安堵していた。

 

 

「ロミオ、後でギルにお礼を言っておいて下さいね。今回の件は休暇の申請を出すと決めたのはギルですから」

 

「え…そうだったのか。ギル、ありがとうな」

 

「馬鹿言うな。お前みたいな問題児がブラッドの全部だと思われたくなかっただけだ」

 

 突然の言葉に照れ隠しなのか改めて帽子を目深にかぶりなおす。心の中で感謝しながらも何か重大な事を忘れている様な感覚だけがそこにあった。

 

 

「さぁて。ロミオ先輩。さっきの貸しを返してもらおうかな」

 

 ナナの一言で先ほどの喉に小骨が引っかかっていた様な感覚の原因が理解出来ていた。確かに神機ケースを渡された際に貸し一つと言われて、それに同意していた。何であの時もっとしっかりと確認しなかったのだろうか。せめてナナの要望が自分の手に余らなければ良いのだがと、一人考えていた。

 

 

「じゃあ、ロミオ先輩の奢りで皆でご飯食べよう!それ位なら良いよね?」

 

「そんな事位なら大丈夫……だけど」

 

 その一言がまるで言質を取ったかの様にニコッと満面の笑顔を見せる。そうと決まれば早速実行だとナナはラウンジへと足を運んでいた。

 

 

「ムツミちゃん。例の物ってまだあるの?」

 

「ナナさん。まだ大丈夫ですけど……でも、本当に良いんですか?あれって結構しますよ?」

 

「それなら大丈夫。今回はちゃんとスポンサーが付いてるから」

 

 上機嫌な声に一体何事なのかとロミオは状況を確認していた。例の物とは一体何なんだろうか?そんな疑問は30分後に解消したと同時に激しく後悔する事となっていた。

 

 

 



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第150話 馬鹿騒ぎ 前篇

 

 アナグラは良くも悪くもノリが良いのは、一度でもここに訪れた人間であればすぐに理解出来る。だからこそ、ミッションに行く前と帰って来てからの今、目にしている状況にブラッドの面々は付いていけないと考えていた。

 

 

「ねぇ北斗。ここ最近のアナグラの様子が何だかいつもとは違うみたいなんだけど、今日に限っては特に変だよ。何か聞いてる?」

 

「いや、何も聞いてないな。でも、ジュリウスが榊博士から何か聞いてる可能性はあると思う。明らかにここ最近の空気が違うから何か起こるんじゃないか?」

 

 ナナと北斗は廊下からロビーに出ると、確かに何時もとは違った喧噪に違和感を覚えていた。近々何かあるのだろう事は予想出来るが、それが一体何なのかが想像できない。それならば知っている人物に聞くのが一番だと、報告のついでにカウンターに居るヒバリに聞く事にした。

 

 

「ヒバリさん。ここの様子が何だか何時もとは違うみたいなんですけど、何かあるんですか?」

 

「これですか?多分、FSDの準備に入ってるからだと思いますよ」

 

「FSD?ですか?」

 

「はい。そろそろ準備をしないといけない時期になってきましたので、時間に余裕がある方は率先してやってますね」

 

 今までに聞いた事が無い単語がヒバリの口から飛び出していた。FSDなんて言葉はここにきてから今までに一度も聞いた事がなく、もし、新手の戦術なんかであればこんな雰囲気になる様な事は一切ない。

 寧ろこれから始まる何かに期待している様にも思えていた。

 

 

「北斗。すまないが、これから榊支部長の所に来てくれ」

 

「ジュリウスは何か聞いてるのか?」

 

「いや、俺も何かは知らない。今回の件で隊長と副隊長に用事があるから来てほしいとだけ聞かされているだけだ」

 

 ジュリウスの言葉に北斗は少しだけ考えこんでいた。隊長と副隊長だけを召集するのであれば、何か大規模な作戦でもあるのだろうか。だが、この雰囲気の中で特殊な作戦がるとすれば厳しい物になるかもしれない。厳密に言えばブラッドの所属は未だ本部である事に変わりない。そう判断した為に、無意識の内に気を引き締めていた。

 先程ヒバリから聞いたFSDの事は一旦棚上げし、2人は榊の元へと歩き出していた。

 

 

「ブラッド隊隊長ジュリウス・ヴィスコンティ、以下副隊長の饗庭北斗です」

 

「忙しい所済まないね。実は君達にはこれから行われる重大事案についての説明をする為に来て貰ったんだ。弥生君、済まないが例の物を渡してくれないか?」

 

「はい。では、これを」

 

 榊の言葉に弥生は2人に何枚かの重要書類の印字がされた書類を渡していた。機密文章を渡された事に嫌が応にも緊張感が高まる。これから始まる内容の説明だと判断したからなのか2人の表情は硬くなっていた。

 

 

「そんなに緊張する必要は無いんだよ。今回の件は読んでもらえれば分かるんだが、FSDに対する参加の件で打診したいんだよ」

 

 榊の言葉にジュリウスは疑問しかなかった。勿論、北斗ももた同じだった。重要機密と榊の話。それと書かれた書類の内容。先程ナナとヒバリから聞いた言葉がこんな所で聞かされると考えてなかったからなのか、まずは一通り目を通していた。

 

 

 

 

 

「榊支部長。これは一体?」

 

「これは3年程前から毎年の恒例行事と言う事で極東支部で盛大にやっているイベントなんだよ。因みにFSDは(friend-ship-day)の略でね。これは一般の人にも、この極東支部をもっとよく知ってもらおうと企画した物なんだ。既に君達の上司でもあるラケル博士とグレムスロワ局長からも許可は出ているから、ブラッドとしてもぜひ盛り上げてほしいんだよ」

 

 まさかの言葉にファイルの内容を全部確認する。今回の参加の際には神機兵のアピールを条件として、ブラッドの参加を許可するサインがされていた。ギルの擁護のブラフとは違い、正規の依頼書と許可に対するサイン。これには確実に目を通した結果である事は容易に理解出来た。

 

 

「勿論、そのサインは本物だよ」

 

 当時の事を思い出させるかの様な榊の言葉。北斗は不意に隣のジュリウスを見るが、特に変化は感じなかった。本当の事を言えば、北斗は榊の言葉に僅かに動揺している。だが、それも直ぐに平常へと戻っていた。そんな僅かな心情の揺れを察したからなのか、榊だけでなく、弥生もまた微笑していた事を北斗は知らなかった。

 

 

「準備する物や資材に関してはそこに書いてある通り。詳しい事はヒバリ君に聞いてもらえると助かるよ」

 

「了解しました」

 

 ジュリウスの言葉に北斗もまた再度現実感を取り戻していた。正規の命令書に背く概念は最初から無い。特にこの極東支部に関しては余程の事が無ければそんな命令書が発布される事は無い。当然ながらブラッドはそんな事実を知らない為に、その意味を正確に知る事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へ~面白そうだね。でも私達は何をすれば良いんだろ?」

 

 榊から聞かされた事を改めてブラッド全員に対して話すべく、全員がラウンジの一角で話をしていた。FSDは元々些細なイベントのつもりで企画していた物だったが、2年程前から広報部が例の如く取材した事がキッカケとなった事から他の支部でも似たような事が出来ないだろうかと、世界中の支部でも企画されていた。

 当初はまた極東が。と言った目も向けられていたが、今や世界中に認知されているのか、このイベントには各地からの視察や見物に来る人間が徐々に多くなっていた。娯楽が少ないこのご時世。ブラッドもまた同じく娯楽そのものを体験する機会は多く無かった。

 

 

「ジュリウス!ここに書かれているのは本当なのか!」

 

 ロミオが驚いたのは、今回の内容の中でユノのライブがスケジュールに盛り込まれている点だった。今やユノは海賊放送から公営放送に切り替わった事で極東の各地を慰問で回っていた。アラガミが闊歩する世界でもささやかな癒しは予想以上に成果を上げている。その為にユノは拠点こそここだが、まともにここに居る機会はそう多く無かった。

 初めてここでユノの姿を見たロミオの感情は大きく揺れていた。以前にフライアで見た際には、他の人間も居た為に、碌に話をする事すら叶わない。だが、極東支部のパーソナルスペースでは、かつてない程の接近していた。女性らしい小さな手。握手ではなく握り込む様な感触は今もなお忘れ難い。何も知らない人間からすれば、完全に危ない人物に近かった。

 これからは近い場所が故に会う機会は多いはず。当初はそんな甘い事すら考えていた。

 だが、現実はそう甘くは無い。各地での慰問を中心にする為に、歓迎会以降、その姿を見たのは映像のみ。誰もが知る姿だけだった。そんなユノがライブをここでする。ロミオのテンションはこれまでに無い程に高くなっていた。

 

 

「ああ。それに関しては間違い無い。それには予定となっているが、スケジュールは既に抑えてあるから事実上の決定だ」

 

「では、私達は一体何をすれば良いのでしょうか?」

 

 テンションが既に絶頂を超えたロミオを無視するかの様にシエルはジュリウスに確認する。しかし、そんなやり取りは、ラウンジに入ってきたコウタの一言で解消していた。

 

「よう!ブラッドは今年参加するんだよな?確かシエルとナナはもうやる事が決まっているってアリサが言ってたぞ」

 

「コウタさん。それは一体?」

 

 今さっき聞いたばかりにも関わらず、既にやる事が決まっているの言葉に、シエルだけではなくナナも疑問があった。しかもその情報ソースはアリサ。まさか嘘を言う様な人物では無い以上、一旦この場を解散して聞いた方が手っ取り早いと考えていた。

 

 

「いや、今年はライブだけじゃなくてショーを開催するって言ってた様な気がするんだけど……エイジ、ほら、何だったっけ?」

 

「ああ、ショーの件ね。何でも外部向けのコレクションをするから、そのモデルがどうとか言ってた様な記憶があるけど、もっと詳しい事は弥生さんに聞いた方が早いと思うよ。今回の内容は弥生さん主導の企画だって聞いているからね」

 

 ブラッドは知らないが、秘書の弥生はこの支部では何気に発言力があった。普段は頼れるお姉さん的な存在だが、たまに度を越えた行動力を示す事があり、その結果として色んなイベントが開催される事が多かった。これが思いつきだけ終われば、誰もがそれ程関心を持つはずが無い。だが、断然だる結果を出している事から、何かの企画が起きても弥生と止める事はツバキでさえも出来ない程だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、アリサさん。コウタさんとエイジさんから聞いたんですが、私達がショーに参加するとは一体どう言う事なんでしょうか?」

 

「ひょっとして、もう聞きました?」

 

「はい。先程聞きました」

 

 アリサも今回の件に関しては、クレイドルの仕事に意識を向けていた為に、決定してから聞かされていた。当初は反対したものの、エイジのやんわりとした説得から始まり、弥生の手練手管とも言える話法で気が付けば参加する事となっていた。

 本当の事を言えば、エイジが説得に出た時点でアリサが断れる要素は何処にも無い。気が付けば、そのままあれよあれよと進んでいた事が思い出されていた。

 因みにこれに関しては、アナグラの実質ベテランクラスは皆参加する事になっていたのは、ある意味弥生の手腕が発揮された結果でもあった。

 

 

「アリサさん。私達ショーなんてやった事無いです」

 

「その点は大丈夫です……私もやった事ありませんから…」

 

 既に諦めの境地に達したのか、それとも仕方ないと考えたからなのか、アリサの言葉に力は無かった。この場にリッカやヒバリが居ればその心情を察したのかもしれない。だが、シエルやナナはまだその境地には達していなかった。

 当然ながら弥生がもたらす企画の意味を理解できない。アリサの雰囲気で何となく理解した程度だった。

 

 

「でもコレクションとは一体何を指すのでしょうか?」

 

「弥生さんの話だと、今回は2部構成になってるみたいで、前半は単純なショーとしてのイベントなので、ここにユノさんのライブが組み込まれてます。で、問題なのは後半なんですけど……」

 

 アリサの口調が途端に重くなる。内容に関しては聞かされてはいたものの、やはり衆人環視の中でとなればそれなりに勇気が必要になってくる。

 アリサ自身は知らないが、既に広報誌の関係上、アリサの事を世間は良く知っていた。若しくは、一度位は見た事がある人間は意外と多いが、その事に本人は気が付いていない。そんな勘違いとも取れる部分がそこに存在していた。

 

 

「外部の即販用のモデルです。因みに私だけじゃなくて他にも何人も出ますので、お二人に拒否権は無いそうです」

 

「モデ…ル?モデルって服とか着て、写真撮って雑誌に載る人の事だよね?」

 

「他に何があると言うんですか?ナナさん。残念ですがこれは拒否権が無い以上、最早決定だそうです」

 

「そんな!私そんな事やった事ないよ!どうしようシエルちゃん!」

 

「ナナさん。それを言うなら私もです。ですが…フライアの許可が出ている以上、これは任務だと思うしかありません」

 

「そんな~」

 

 冷静を装っているが、内心シエルとて逃げ出したい気持ちがそこにあった。只でさえ、人との距離感が今一つ分かっていない事に加えて、今回の件ではどう考えても自分のキャパシティを確実に超える可能性が高い。

 ゴッドイーターはアラガミに対する人類の矛として今までやってきたはずが、こんな所で芸能人の真似事まで強要されるとは思っても居なかった。

 ナナはまだ何も聞いていないにも拘わらず、アウアウ言っている様にも見える。気のせいかネコ耳型の髪型もまたうなだれている様だった。アリサに至っては既に諦めの境地に入っているのか、それともこの環境に慣れているからなのか、何時もと何も違いが分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コウタさん。クレイドルは何かやるんですか?」

 

「クレイドルと言うか、男性陣は間違い無く飲食系の出店だな。因みに過去の事を考えると、かなりの人数が来るから多分休む暇は無いと思う」

 

「飲食って事は、何かを作るんですよね?」

 

 シエルとナナとは別でギルとロミオも情報を集めるべくコウタから話を聞いていた。今回の中で一番の目玉はユノのライブだが、それ以外にもFSDならではの色々な飲食店の出店が人知れず目玉企画となっていた。

 普段は中々口にする機会が無い食事から始まり、旧時代で言う所の屋台は、物珍しい物が多かった。それだけではない。普段は目にする機会が少ない神機使いが身近に居る事で近隣の住民とのコミュニケーションを図る事を念頭に企画されている。そんな大義名分を掲げられた以上、当然の事ながら神機使いに拒否権はなかった。

 

 

「それについては各自に連絡が入るから大丈夫だと思う。何だかんだで案外と上手く行くから大丈夫だと思うよ」

 

「コウタさん。俺は今までそんな物を作った経験は無いんですが」

 

「それも大丈夫だって。出来る人間は出来る物を。出来ない人間はそれなりにがモットーだから。俺なんて去年はお好み焼きだぜ。因みにエイジは別口でやるけどな」

 

 普段のラウンジの事を考えるとエイジに関してだけは何故か納得出来ていた。ギルもロミオも何度か食べた事があるが、味に関しては絶品とも言えるレベルである事に異論は無かった。それ故にコウタの別口の言葉にどこか納得できる物があった。

 

 

「でもそれだとこの周囲の警戒はどうするんですか?」

 

「それは持ち回りだよ。だからその時間が休憩に充てられる事になるよ」

 

「まさかとは思いますが、ミッションが休憩ですか?」

 

「そうなるね」

 

 コウタの一言は驚愕とも言える内容だった。ただでさえアラガミの討伐は場合によっては極限の戦いを要求されるにも関わらず、それが休憩だと言われるとそこに張り付いた場合はどうなるのか想像すら出来ない。しかし、既に日程が決まっている以上、今はこれからやるべき事だけを考え、現実逃避する以外に何も出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり今年は視察も含めるとかなりの人数になりそうだね」

 

「今回はフライアの協賛と各支部の視察が組み込まれてますからこればかりは仕方ないと言えるでしょう」

 

 開催直前のゲート前の様子を、榊と無明はモニター越しで見ていた。今回の内容に関しては、何時もであればフォーラムの後の懇親会等も本部でやるが、今回に関しては極東で開催した事もあり、珍しく榊も参加する運びとなっていた。

 フォーラムの内容に関してはいつもと変わりないが、やはり今回は神機兵の兼ね合いが多かったのか、フライアに足を運ぶ重鎮の数もかなりになっていた。神機兵の概念そのものは誰もが見ても素晴らしい物であるのは間違い無い。それに、ゴッドイーターを配備させる事を考えれば神機兵の方が明らかに安価だった。死亡のリスクが無く、壊れれば部品の交換で終わる。支部の責任者の側からすれば有難い物だった。その現物を実際に見る事が出来る。だからこそ、普段はそれ程参加が少ないフォーラムの懇親会には多数の参加者が来ていた。

 

 

「無明君、いや、紫藤君は今回どうするつもりだい?」

 

「ツバキさんも居ますし、そうまで混乱する事は無いでしょう」

 

 今回の重鎮のアテンダントはヒバリではなくツバキが受け持っていた。当初はかなり拒否していたものの、結局の所はいつもの懇親会のメンバーが多いからと無明に説得された事で渋々引き受ける事になっていた。だが、本当の目的はそれだけでは無かった。ヒバリではなくツバキである理由。それはある意味では案内以上の意味合いがあった。

 

 

「そう言えば、あの着物が今回の目玉じゃなかったかな?」

 

「そうですね。今回は若年層にも着やすい柄を作成しましたので。因みに今回の売り上げは年間予算の6割を見込んでますので」

 

「今回の規模ならそれも達成できそうだね。こちらとしても予算は多いに越した事は無いからね」

 

 今回のショーでは若年層向けの着物の展示だけでなく、ツバキもまたそれを着る事によってこれまで以上に富裕層への見本を兼ねていた。

 部下は部下で大変ではあるものの、上は上で予算や政治的な配慮、売上など考える余地はかなり多く、実際には当初の目的とはかけ離れている。本来であれば一支部がそこまで予算に関して頭を抱える事は無いはずだった。だが、極東支部ではサテライト計画のほぼ全てが自前の予算で賄っている。当然ながら資金面の獲得は完全に榊と無明の意向だった。

 ツバキが嫌々ながらに納得したのはその為。勿論、ツバキ自身の能力を勘案した結果もそこにあった。

 運営に関しても何の問題も心配していないものの、それでも今回に関しては各支部のVIPが来る以上、今までに無い警備態勢も抜かりなく要請している。

 後は状況に応じた対応をすれば後は何とかなるだろうと、そんな考えがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうすぐユノさんのライブか。一体どんな事するんだろう」

 

「ロミオ。そんな事言う暇があるなら手を動かせ!このままだとパンクするぞ!」

 

 ギルとロミオはそれぞれ持ち回りの場所でひたすら手を止める事無く動かしている。既に目の前には長蛇の列が出来ているのか、この数をどうこなせば良いのか、ギルには既に考える余裕はどこにも無かった。

 料理を作った事が無いと事前に申請した結果、2人に与えられたのは焼きそば作りだった。作り方と同時に、既に過去の実績を見せられた瞬間、ギルには嫌な予感がしていた。確かに作るのは簡単かもしれないが、過去の数字を見れば確実に人が来るのは間違い無い。幾ら簡単だと言っても限度があった。となればこれはこれでミッション以上の苦労だけが予想されていた。

 

 

 

 

 

 何故、あの時コウタが発した休憩がミッションなのか、この時点で漸く理解する事なった。

 当日になり、ギルの予想は的中していたのか、既に数を数えるのも馬鹿らしいほど並んでいる。今のギルにとっては下手に感情を持たず、機械の様にただ作るだけだった。既にどれ程の麺と野菜を炒めたのかすら記憶が怪しい。それ程までの数をこなしていた。

 

 

「そう言えば、ジュリウスと北斗は何してるんだ?」

 

「ジュリウスはフライアでアテンダントだ。神機兵の兼ね合いでラケル博士のご指名だとよ。で、北斗は会場警備とアラガミ討伐に出てるはずだ。これなら俺もそっちに行きたかったぜ」

 

 ひたすら焼く作業に集中していたからなのか、気が付けば人の数は一気に少なくなっていた。これならばと一息ついた瞬間だった。

 少し先の会場で歓声と共に大音量の音楽が鳴り響く。ユノのライブがすぐ先で始まっていた。

 

 

「ロミオ。今なら俺一人でも何とかやれる。行きたいなら行って来い」

 

「でも……良いのか?」

 

「この数なら俺一人でも何とか出来る。遠慮なんかするな」

 

「サンキューギル!」

 

 ギルの後押しにロミオの意識は完全にライブへと向いていた。今まで映像として見た事はあっても、ここまで本格的な内容を見た事は一度も無い。これから一体何が起こるのだろうかと、ロミオはつけていたエプロンを脱ぎ捨て、全力で会場まで走り出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユノのライブは大盛況の内に終了していた。今回は単独ではなく、他のメンバーとの組わせもあってか通常以上の盛り上がりを見せていた。

 今回はサツキの提案で単独ではなく共同での形をとりなした事もあってか、何時もの慰問コンサートとは違った一面を見せていた。そんな中でも驚いたのはシオの存在と、バックで演奏しているのがエイジとコウタだけではなく、今まで見た事も無い人間が演奏していた。

 制服から見ればクレイドルの人間ではあったが、今までに見た事が無い。それはロミオだけではなく、会場の警備をしていた北斗も同じだった。

 

 

「お前たちがブラッドか。話はエイジから聞いている。俺の名はソーマ・シックザールだ。普段は研究室に居る事が多い。今後の任務に何かあれば、遠慮なく言ってくれ」

 

「ブラッド隊副隊長の饗庭北斗です。コウタさんやエイジさんから話は聞いています。今後連携する事があれば宜しくお願いします」

 

 楽屋でする様な話ではないものの、見た事が無い人間であれば最低限自己紹介位はしなければ、今後何かあった際には頼みにくい事もある。そんな考えを持ちながらも目の前のソーマはやはりクレイドルに相応しい程の実力を持ち合わせている事は些細な動きからも容易に理解していた。

 

 

「そーま。さっきの演奏はよかったぞ。シオのうたはどうだった?」

 

「久しぶりに聞いたが、良かったぞ。今度も出る事が出来る様に頑張るんだな」

 

「えへへ。そっか、じゃあもっとがんばるぞ!」

 

 ソーマを見かけたからなのか、背後からタックルさながらに飛びついたのは先程までユノと一緒に歌っていた少女だった。アルビノと思われる程に白い少女はどこか浮世離れしている様にも見えた。

 初めて見るブラッドに対して、今まで散々出ているのを見ている極東の面々はこれまたお約束とも取れる様子に誰も関心すら持たないとばかりに自分達の作業へと戻っていく。

 そんな事に気が付いたのか、ソーマは改めてシオを紹介すべく北斗達へと向き直していた。

 

 

「シオ。自分で自己紹介できるな」

 

「シオだよ。よろしくな」

 

「饗庭北斗です。宜しくお願いします」

 

 ゴッドイーターでは無い為に、シオとの挨拶は簡単に済ませていた。ソーマとの関係性が多少は気になったが、今ここで聞く様な事では無かった。

 今日はこれで終わりでは無い。今度は後半戦があるからと改めて自分達のやるべき事をすべくそれぞれが持ち場へと戻った。

 

 

 




元々番外編で考えたネタでしたが、気が付けばかなりの量になる可能性があるのと同時に、番外編だけでは勿体無いと判断しました。

タイトルからも分かる様に、次回は後編です。


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第151話 馬鹿騒ぎ 後編

「シエルちゃん。外見た?」

 

「ナナさん。下手に見ると余計に緊張しますから、あまり見ない方が良いかと思いますよ」

 

 前半のライブは熱狂止まないままに無事終了していた。しかし、弥生の計画に抜かりは無く、まるで舞台の設営が休憩だと、時間が経つに連れて人の数が徐々に増えだしている。

 本来であれば会場の設営の為に時間が空く為、始まる頃には人は少ないだろうと安易にシエル達は考えていたが、そんな淡い期待は物の見事に打ち砕かれていた。

 だが、そんな淡い期待は物の見事に打ち砕かれていた。ナナがこっそりと外を見れば、ライブの後の方が人の数が明らかに増えている。これまでに自身の命を賭けたアラガミとの戦い以上に、ナナの心臓は緊張が高まっているからなのか、大きく鼓動していた。

 今回の様なコレクション形式の発表は今までに一度も無かったが、実際にはカタログの名目で何度かこんな状況になった事は何度か存在していた。

 そんな経験があったからのか、アリサをはじめとして極東の面々は平常運転だが、何も知らない二人は予想以上の人出に驚き半分、緊張半分の様相だった。

 

 

「シエル、ナナ。貴女方の雄姿はしっかりと見ておきますよ」

 

 こっそりと会場を見ていたのは良かったが、あまりの人数に呑まれそうな雰囲気がここで一旦止まっていた。背後からここ最近聞く事が少なくなったラケルの声。

 まさかと思いながら振り返れば、そこにはラケルとレアが揃って来ていた。

 

 

「ラケル先生。あの、フライアの方は大丈夫なんですか?」

 

「それならジュリウスとフランに任せてあるから心配は要らないわ。遅くなりましたが、ナナ。血の力に目覚め良く安定してくれましたね。私は嬉しく思いますよ」

 

 血の力が完全に安定する頃にはフライアに行く事が少なく、ラケルもまた、現状に関しては榊からの連絡により状況は把握していた。もちろんナナとて不義理をしていた訳では無かったが、日常の激務と神機兵の事で連絡を怠っていたのも事実だった。

 

 

「ありがとうございます。でも、皆に迷惑ばかりかけてたので……」

 

「ナナ。家族なんですから迷惑だなんて思うのは止しなさい。過去はともあれ今はの力を発揮する事がその恩返しになると私は思うわ。胸を張ってしっかりとやりなさい」

 

 顔を見に来たのか、それとも緊張をほぐしに来たのかは分からない。だが、こんなささやかなやり取りで気が付けばナナの緊張感は軽減していた。先程まで煩いとさえ思っていた鼓動が徐々に小さくなっていく。そんな事を考えていると、少し先でシエルもレアと何かを話している様だった。

 

 

 

 

 

「シエルもついにそんな服を着る日がくるなんてね。私としては嬉しい限りよ」

 

「これは…私が決めた訳ではなく……」

 

「あら?確か弥生さんが決めたのよね?彼女のセンスなら問題無いと思うわよ」

 

「それは一体?」

 

 レアの口から弥生の名前が出た事に驚いたのか、珍しくシエルは感情をそのまま出していたのか、驚いた表情のままレアを見ていた。そんなシエルの表情を読んだからなのか、レアはネタばらしとばかりに改めて話を続けていた。

 

 

「彼女は元々本部の秘書を取りまとめる立場だったから、私も面識はあるし、今でも交流はあるのよ。聞いてなかった?」

 

「何も聞いてませんし、今初めて知りました」

 

「これが終わったら聞くと良いわ。今回の事は貴女にとっても多分良い事だと思うから、これも女の子らしい経験だと思って楽しみなさい。私はラケルと一緒に別室で見てますから」

 

「は、はい」

 

 何気に爆弾を落としながらもシエルは改めて今までの事を考えていた。

 ブラッドに配属した当初の事を考えると、まさかこんな所でこんな格好をして歩くなんて当時の自分では想像出来なかった。我ながら人付き合いがまともに出来ない事は自覚している。そう考えれば、この現状は全くの想定外。だが、それを認めるしかなかった。気が付けば、何時もと違った衣装を身に纏い、こうして楽屋に居る。それが何よりの証だった。

 今回の件でも依頼された事で何かしら自分にとって良い影響が出ていると考え、レアが言う様に今回の件は楽しんで行こうと改めて舞台袖から眺めていた。

 

 

「さぁ!みんな楽しんで行きましょう!」

 

 今回の発案者でもあり参加者でもある弥生からの言葉で、コレクションは開始されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回初の試みでもあるコレクションは大成功と言うに相応しい程に盛り上がっていた。普段の任務では見慣れた服装の人間が全員いつもと違う格好で舞台を所狭しと歩いている。

 今回のコンセプトに関しては、日常の服装をテーマに盛り込んでいる為に、一人で何点か着替える事になっていた。

 今までとは違ったイメージの女性陣に驚きを見せつつも改めて新たな一面を見せ魅力を発揮させる。普段からすぐに手に入る身近な衣装の効果もあってなのか、一般の目は何時もとは違っている様にも思えていた。

 

 

「シエルさん、ナナさん。これで最後だから!」

 

 今回の最大の目玉は事前に榊達が画策していた着物だった。普段着とは違い、着物は着付けが面倒な部分はあるが、それでもその姿は女性らしさを際立たせるには効果的でもあった。

 何時もは活発に動く人間も、淑やかでもあり優雅に歩くその姿は会場に居た全ての人間を魅了するかの様な雰囲気が沸き起こる。普段とは違った艶姿はこれまでのイメージを大きく覆す事になっていた。着付けを姿を見た誰もがその艶やかさに息を飲む。その空気を感じ取った弥生もまた一人満足気な表情を浮かべながら舞台袖から様子を伺っていた。

 

 

 

 

 

「ねぇねぇ北斗。私どう?」

 

 ショーが終わればアリサ達は次のやるべき事の為に既に着替えが終わっていたが、ナナとシエルは物珍しさから少しだけ着たいとの要望で今もまだ着たままだった。専門の人間に着付けをされた為に多少動く程度では着崩れは起きない。これまでに無い感覚だからか、ナナは振袖を揺らしながら北斗に感想を強請っていた。

 

 

「綺麗だよ。いつもとは違った印象だね」

 

「え~それってどう言う意味かな?」

 

 半ばジト目とも取れる目で見るも、北斗自身は珍しいと感じなかったからなのか、印象はともかく何時もの元気なナナの様にも見えていた。

 

 

「他意は無いよ。ちゃんと似合ってるから」

 

「そう…かな?」

 

「そうだとも」

 

 そんなやり取りをしていると、それを見たのかシエルもまた北斗の元へと歩いていた。

 

 

「北斗は確か警備でしたね。私達の所からは良く知りませんが、会場はかなり混雑したんじゃありませんか?」

 

 その一言が現場を思い出していたのか北斗はうんざりとした表情をだしながらも当時の事を思い出していた。

 会場からは完全に死角になっていたが、今回の中で一番危惧していたのはユノが登場する場面でもあった。事前にこれにも出ると告知された事もあってか、会場の雰囲気はある意味狂気を孕んでいる様に待ち構えている人間の雰囲気は、ある意味異様だった。

 実際にはユノだけではなく、極東の女性陣もアリサを筆頭に今までに何度も広報誌に出ていた事もあってか偏執的なファンも何人か居た事もあり、警備をする側からすればより一層の警戒が必要となってくる。もちろん危険だと判断した場合には北斗の手腕で速やかに退場してもらっていた。

 

 

「あれを混雑の一言で片づけるのは多分無理だろう。とにかく大変だった」

 

「これはどうやら販売に直結するとは聞いてましたが、恐らく予想の範囲なんでしょう」

 

「その辺は分からないな。でも、何か忘れてないか?」

 

 北斗の何気ない一言に何か重大な事を忘れている様な気がしていた。この場には3人、フライアにジュリウスがいるとなれば、残っているのはギルとロミオだった。

 

 

「大変!私達も手伝いに行かないと!ロミオ先輩とギルだけじゃ大変な事になるよ」

 

 何かを思い出したのかナナは慌てて着替える為に早足で戻る。着物のまま走るのは無理がある為に今は早足での移動しか出来なかった。

 

 

「北斗、私に何か言わないとダメな事を忘れてませんか?」

 

 慌てるナナを尻目にシエルは改めて北斗を見ていた。ナナには言ったものの、シエルにはまだ何も言っていない。未だ着物を来たままのシエルは何となく拗ねた様な雰囲気で北斗を見ていた。普段であれば絶対に出ないであろう言葉。だからなのか、北斗もまた僅かに言葉に詰まった様だった。

 

 

「シエル。よく似合ってる」

 

「ありがとうございます。私も着替えに戻り次第合流します」

 

 柔らかな笑みと共にシエルも着替える為に別室へと戻る。会場の警備は終わっても、今度は飲食店の方に顔を出す必要があるからと、北斗もその場を離れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前ら遅いよ!早く手伝ってくれ!」

 

 ブラッドの与えられたスペースにはやはりお客の行列が長蛇をなしていた。実際に列が出来てるのはここだけでない。ロミオはユノのライブ以外にこの場を離れる事が余り無かったからなのか、それとも今の状況に追い込まれているからなおのおか、何時もよりも言葉尻は荒かった。

 ここでの状況は知らないが、北斗達はここに来るまでにも他のスペースを見ながら移動していた。そのどれもが長蛇の列をなしている。間違い無くショーが終わった事による弊害だった。時間を確認すれば、そこそこ良い時間になっている。長蛇が出来たのは必然だった。

 

 

「ここも凄いけど、エイジさんの所が一番だったよ。あれで良く暴動が起きないのか驚きだよ」

 

 ここに来る際に、一番目に留まっていたのはエイジのスペースだった。既に列は数えるのも嫌になる位に何列にも折れ曲がり、それをしっかりと制御しながらも次々とこなす。今回はテイクアウトをメインにした事もあってか、回転率はダントツだった。

 

 

「折角なので賄いで頂きました。私達が前に出てる間に頂いてはどうでしょうか?」

 

「いや~助かるよ。流石に焼きそば作りっぱなしで、これを食べるとなると胸焼けしそうだからさ」

 

 用意されたランチBOXの様な箱にはカラフルな色どりの様々な物が詰められてた。箱を分解すると断層になっていたのか、中にはサラダにオムレツ、BLTサンドが入っている。

 こちらは焼きそばなのに、この差は一体なんだろうかと一瞬考えたが、これはどう考えても作るには尋常じゃない程の手間がかかる。何も知らない時点でこのメニューならばクレームの一つも出るのかもしれないが、こちらとて伊達に朝から今まで作っていない。仮にこれと同レベルの物を作ろうものなら、確実にパンクする悲惨な未来しか見えなかった。用意された物を一口齧る。何時ものラウンジで食べるそれと同じ品質はある意味驚愕だった。手間暇をかけるだけの時間は最初から無いはず。にも拘わらず、このクオリティは脱帽するしか無かった。

 

 

「でも、…この調子…だったらナナの…おでんパンも出せば良かったんじゃないのか?」

 

 賄いを頬張りながらにも普段の様子を思い浮かべれば、ナナのおでんパンこそこんな場面で最大限の効果を発揮するのはある意味予想出来ていた。しかし、今回の中ではおでんパンの出店は無く、何故なのかと言った疑問が出るのは無理も無かった。

 

 

「ふっふっふ。ロミオ先輩、まだまだ甘いなぁ。既におでんパンは他で出店してるのだ!」

 

「でも、ここでは見てないぞ?」

 

「今回の出店に当たっては榊博士から直々に話があってね。で、私はその監修をしたんだ」

 

 全ての飲食を賄おうとすれば問題が生じると考えたからなのか、榊は事前にナナに打診していた。今回は出店ではなく、デリバリーの様な形で販売をしているのか、店舗ではなく移動販売の体をなしていた。そうなれば目に留まる機会は格段に減る。ましてや目の前のお客様を捌く事に必死だったロミオ達の視線に留まる事は無かった。

 

 

「マジか。って誰が販売してるんだ?」

 

「確か…ハルオミさんだったような気がするんだけど、詳しい事は知らないよ」

 

「ハルさんが売り子か?そりゃ一度は見ておかないとダメだろ」

 

 何か予想したのかギルも悪ノリとも取れる内容に内心笑いが止まらない様な雰囲気があった。しかし、この状況下での売り子はある意味大変な事に変わりない。

 只でさえ全員が強制的に駆り出された会場であれば動く事すら適わない可能性もある。半分は心配しながらも残りは好奇の考えが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆さんご苦労様でした!」

 

 大盛況の内にFSDは閉会する事になっていた。毎年の事とは言え、それぞれの神機使いがほぼ全員駆り出されたイベントはこれ以外には何も見当たらない。今回初めて参加したブラッド以外にも新人達は皆それぞれが疲弊したのか座り込んでいる者が多かった。

 

 

「みんなご苦労さん。お蔭でかなり盛り上がっていたのはこっちまで届いてたよ。これからは慰労会を開催するから、参加に関しては各自の判断に任せるよ」

 

 コウタの合図の後で榊が今回の労いとも取れる慰労会の案内をしていた。ここに所属するゴッドイーターはそれなりの人数になるが、今回は外部居住区にまで範囲が及んだ事もあってか、全員がフル回転する事になっていた。

 目玉だったショーに関しての売り上げ等は何も語る事は無かったが、榊の言葉からすれば予想以上の出来だった事だけは判断出来る。しかし、今回の件がどれ程の収益になるのを知っている人間は極一部にとどまっていた事もあってか、各々が今は疲労を抜く事だけを考えていた。

 

 

「しっかしこんな事を毎年やってるなんて、最初聞いたときは信じられなかったよ」

 

「俺も話には聞いた事はあったが、まさかこんな規模だとは思わなかったからな」

 

 ブラッドの中で一番働いていたのは恐らくはギル。ロミオはユノのライブに顔を出した事もあってか多少は持ち場を離れはしたが、やはりライブが終われば戦線に復帰していた。

 目玉のショーが終わった瞬間、人の流れは一気に溢れる。その光景はアラガミと対峙するのと同じ位だった。

 あの後の状況に関しては正直な所思い出したくないと思う程のカオスぶりを発揮していた。その一番の要因はシエルとナナ。ショーに出ていた人間が身近に売り子として出ていれば、一度は見てみたいと言う衝動があったからなのか、特に男性客がやたらと多かった。

 一時は身の危険を感じる場面もあったが、警備担当でいた北斗の顔を知っていた人間が何人か居た為に、これ以上問題があれば排除されると考えたのか直ぐに落ち着く。気が付けば、血走った雰囲気は霧散していた。

 

 

「よぉ、ギル。初めて出た感想はどうだった?」

 

「こんなに大変だとは思わなかったっすよ。ハルさんも毎年こうなんですか?」

 

「……毎年こうだな。因みに去年の俺はたこ焼き作ってたんだが、今回は移動販売だったから少しは楽させてもらったよ」

 

 騒がしい中でギルを見つけたからなのか、ハルオミはグラス片手にギルと飲んでいた。実際に休憩出来たのは賄いを食べる時間だけに留まり、その後はひたすら作る事だけに専念していた。本来であればミッションに出る可能性もあったが、幸か不幸か出没したアラガミの殆どが小型種ばかりだった。そうなればブラッドにまでミッションは回ってこない。その結果としてギルとロミオは鉄板の前で延々と格闘する羽目になっていた。

 

 

「いや~今回は他の支部からのお偉いさんも来てるからどうなるかと思ったんだけどな。問題一つ無く終わったのには一安心ってとこだな」

 

「ハルさん。それは良いとして移動販売なんてらしくないですね。絶対にそんな事はしないと思ってたんですけど」

 

「いや。今回はアタリの仕事だったよ。お蔭でこんなにアドレスも貰ったからな」

 

 何気に見せた紙にはいくつかのメールアドレスが記されていた。恐らくハルオミは移動販売のフットワークの軽さを利用したのか、疲労よりも嬉しさの方が勝っている様にも見えていた。

 

 

「ハルさんらしいと言うか、何と言うか……」

 

「おいおい、勘違いするなよ。このFSDには毎年の事なんだが、時期を開けて色々と個別に何か届く事が多いんだぜ。いつとは分からないが、これもまた毎年の恒例みたいな物だからな。そのうちギル宛にも何か届くと思うぞ」

 

「別に俺はそんな事は考えた事も無いですから」

 

 今のギルは帽子をかぶっていなかったが、今までの癖なのか手が頭へと伸びるも何も無かった事を思い出したのか、それ以上の事は何もしなかった。ハルオミの言葉の真意は不明だが、その状況だけは何となく予想出来る。来るだけならまだしも、それを捌くとなれば違った意味での苦労が出るのは後になって気が付く話だった。

 既に打ち上げはそれなりに時間が経過したのか、最初よりも人数は少なくなっている。いくら今回のイベントは任務と同じであっても、翌日の哨戒任務が免除される訳では無い。そんなやるせない事情からなのか、それぞれがグループとなって話をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひゃ~。今回のショーは本当に疲れたよ。最初は緊張のしっぱなしだったから、よく覚えていないよ」

 

「ナナさんは、結構どっしりとしてたんじゃないんですか。少なくとも私にはそう見えましたが。しかし、極東の一大イベントの話は噂程度には聞いてましたが、まさかここまでだとは思ってませんでした」

 

 極東のチームはそれなりに慣れていたからなのか、それとも意識の切り替えが早いからなのか、アリサだけではなくヒバリやリッカも普通にこなしていた。衆人環視の中で歩くのは、ある意味複数の視線を肌で感じる事が多く、また一挙手一投足に注目されていた事も直ぐに理解出来ていた。シエルにとっては初めての経験。まさかアラガミ以外の視線がこれ程までに突き刺さった経験は一度たりとも無かった。困惑したままでは満足な結果を得られない。その為に、後半は既に自分を人形だと思いながらランウェイを歩いていた。

 この中でもユノは慣れていたからなのか、割と普通に過ごせたものの、やはり他の人間はどこか遠慮しながらに歩いていた。

 

 

「今回のコレクションは今年初なんです。去年まではここまでの規模では無かったですよ」

 

 2人に近づいて来たのはアリサとヒバリだった。今回の中でも2人が極東チームの中心的な存在となって皆を引っ張っていた事もあってか、他の人よりも多く出ていた。何かと露出する機会が多い二人にはかなりの視線が向かっている。それ程までに熱狂した空間がそこにあった。

 

 

「そうだったんですか。でも私達までこんな風に参加するのはどうかと思ったんですが、いざやってみるとそんな事は直ぐに忘れました」

 

「今回のショーに関してはここだけの話なんですが、実は極東の物販の大半を占める役割があるんです。なので今回の様な大規模なイベントになったと弥生さんから聞いてますけど」

 

 ブラッドは現在の立ち位置はあくまでもゲスト扱いの為に、まさかこんな支部のイベントに駆り出されるなんて発想は今まで一度も無かった。

 アリサが言ってた様に、今回のコレクションは今年が初めてなのもあってか、打ち合わせが今までに何度もあった。慣れない行為の為に、それが以外に意識が向かない。

 しかしヒバリの物販の話が出た際には改めてこの極東の人間がどんな発想をしているのか、どこか理解出来た様にも思えていた。

 

 

「シエルちゃんとナナちゃんもご苦労様。アリサちゃんとヒバリちゃんもね。お蔭で今回のコレクションは良い形で終わったと思うから多分、多少でもボーナスも出ると思うわよ」

 

 そんな話に追加するかの様に弥生が4人に話かける。今回の発案者でもある弥生もどこかやり切ったかの様な清々しい表情をしたままグラス片手に来ていた。

 

 

「そう言えば、弥生さんはレア博士とは知り合いなんですか?」

 

「レアは、本部時代からのお付き合いよ。私がここで彼女はフライアに行ってからは疎遠にはなってたけど、ここで会えるとは思ってなかったから、実は少し嬉しかったのよ。そう言えば、レアから伝言があったんでだけど、ラケルが今回の件について映像化して各地に配布しようかしらって言ってたけど良いわよね?だって」

 

 まさかの爆弾発言にシエルだけではなくナナも硬直していた。一体何事なのかアリサとヒバリは理解できないが、少なくとも映像化の言葉に引っかかりを感じていた。

 

 

「弥生さん。まさかとは思うんですが、今回の内容は映像化するって事は……」

 

「アリサちゃん、良い勘してるわね。もちろん販売も視野に入ってるのは当然の事よ。じゃあ私はこれからその打ち合わせがあるから」

 

 弥生の投下した爆弾は思いの外強烈だったのか、弥生が去った後も暫くの間、誰もが反応する事は出来なかった。

 

 

 




ショーのイメージは東京ガールズコレクションを参考にしてくれると分かり易いかと思います。





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番外編9 祭りの後

2015年7月2~3日に掲載された 『ゴッドイーター5周年記念&アニメ放送記念 合同短編集』で掲載した物の再録と同時に加筆修正した物になります。




 異様とも取れたFSDは大盛況の内に幕を閉じていた。

 結果的には当初の見込んだ売上を大幅に超えた事に上層部、特に榊の表情は珍しい程の笑みを浮かべていたが、それとは対照的に無明とツバキの表情は微妙な物となっていた。

 売上そのものに関しては当初の計画を上回った為に、本来であれば何も問題は無かったはず。にも関わらず、こうまで微妙な表情になったのはある意味当然の事だった。

 

 

「しかし、極東の住人は何を考えているんだか。少し頭が痛くなりそうだ」

 

「でも、結果的に売り上げにも大きく貢献できたんじゃないのかな。我々の当初の目的もしっかり果たせてるのであれば問題ないと思うよ」

 

 ツバキの疑問に対して榊は淡泊に答えるだけに終わっていた。言葉の通り、ツバキの頭痛の種はそこにあった。

 着物や服の売り上げだけで当初の収益を大幅に超えていたのではなく、問題だったのは、その副次的な内容だった。今回の売上で一番貢献したのは、有償のカタログ。単なるカタログなら問題無かったが、そこには事前に誰が何を着るかと言った簡単な物がグラビア印刷と共に紹介されていた事だった。

 

 このカタログに関しては、当初、予定には全く無い物だった。集客力がイベントだけであるのは分かっていたが、問題なのはそれがその先にどれだけ繋がるのか。ショーだけでも一応は成功と呼べるかもしれない。だが、上層部が期待するのはその売上。

 ショー当日はそれ以上の点数が出ていたが、事前に何をするのかが分からなければ売上は危ういと考え、弥生が急遽参加者全員を説得。その結果として様々なポーズで撮った事から、それがある意味お宝的なグラビアとしての意味合いを招いた結果だった。

 

 

「ツバキさんの気持ちは分からないでもないが、我々の想定した金額を超えたのであれば良しとした方が良いんじゃないか?」

 

「それを言われれば確かにそうなんだが……だがな……」

 

 ツバキとて無明の言い分には理解できる。しかし、これとそれは別物では無いのだろうか。そんな考えがあった。ゴッドイーターの職種を考えれば、ある意味見世物を良しとは言えない。今回の件に関しては、当初弥生からの提案には確かに許可したのは自分だが、まさかこんな結果になるのは想定外。

 恐らくは各個人にも多大な負担がかかるのではないのだろうか?そんな懸念がツバキにはあった。

 

 

「事実、予算はあればあるだけ困る事は無い。サテライト計画を推進する以上は、我々だけの手弁当では無理がある。勿論、本部にも陳情はしている。だが、そう簡単に予算が下りない以上、ここは妥協するしかない」

 

「そうだな………」

 

「それに弥生が主導するんだ。嫌々なんて事は無いだろう。その恩恵でサテライト計画を回す事が出来るんだ。感謝する程度で良いだろう」

 

「確かにそれは道理だな」

 

 無明の言葉は事実だった。実際に極東支部だけでのサテライト計画は予算的には随分と厳しい物があった。一番の要因は最初に作るのが純粋な居住空間だけでなく、食料プラントの製造も入っている事だった。

 実際にアナグラや外部居住区への配給に関しても、本当の事を言えば潤沢とは言えない有様が続いている。そんな中で新たに生命を守るとなれば、そのしわ寄せが必ずどこかに来るのは明白だった。

 既にこの環境に慣れた人間であれば、些細な事でも気に障るかもしれない。この極東支部もまたアラガミ防壁を破られる事がある以上、楽観視は出来なかった。そんな中での新たな資金獲得は支部にとっても最重要課題。ツバキもまたそれを言われると弱い為に、それ以上は何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今年もか~。何で俺にはこう……もう、いいや。考えるだけ無駄だな」

 

 ラウンジでは第一部隊長でもあるコウタが人知れずしょげている光景がそこにはあった。気が重くなる原因はテーブルの上に置かれたダンボール。その中身が何なのかを理解したが故の言葉だった。

 FSDは基本的には神機使いと話をした事が無い人間が多く来場する事もあってか、その後に何かと手紙やメールが多数届く。もちろんプライバシーの関係上、各個人に対して直接届く事はないので、この時期に関してだけは個別用の暫定アドレスが公表され、それを職員が振り分ける作業に追われる事が多かった。

 メールだけならそれ程問題にはならない。だが、手紙の様に郵便物となれば話は別だった。誰の目にも必ず留まるかの様に段ボールに沢山の手紙が入っている。人気のバラメーターと言える程に誰の目にも明らかに分かる程だった。

 

 

「どうした?また子供からしか来なかったと嘆いてるのか?」

 

「なんだソーマか。その通りだよ。何で俺にはこう……言ってて自分が情けないから、これ以上は止めとく」

 

「そんな事は3年前から今更なんだろ?一々気にするからこうなるんだろうが」

 

 コウタのしょげた原因は正にそれだった。当時に比べればコウタも落ち着きが出てるが、どうしても外部居住区の近所に住んでる人間からすれば、当時から何も変わっていないと思われているのか、そのイメージを引きずったままだった。面倒見が良いお兄さん。ノゾミのお兄さん。イメージは完全にそこで終わっている為にコウタが望むべき結末には程遠かった。

 

 

「ソーマこそ、どうなんだよ?」

 

「俺の事はどうでもいいだろうが。何で一々そんな事を気にするんだ?」

 

 コウタとてこの状況に甘んじたいと考えてはいないが、それでも他人の評価が気になる。目の前に居るソーマに確認をせずにはいられなかった。

 

 

「どうせ、何言っても無理なんだろ?ほら、これが俺に届いた分だ」

 

「なんでソーマに………これが顔面偏差値の結果なのか」

 

「阿呆。そんな訳無いだろうが。それにこれは一過性も物だ。気にするだけ無駄だ」

 

 簡単に確認できる物と言う事で、ソーマは個別に届いた内容をコウタに見せていた。当初は何をどう突っ込もうかと考えていたが、見れば見る程顔色だけは悪くなる。

 ソーマはまだ何も確認してなかったからなのか、内容は何も知らない。しかし、コウタの表情がそんな内容に関して雄弁に物語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これがハルさんが言ってたやつか……」

 

 コウタとソーマの反対側でギルもまた戸惑っていた。ハルオミに以前に言われた言葉がここにきて漸く理解出来ていた。そもそもギルは何か目立った事をしたつもりは何も無い。ただ焼きそばを焼いていただけにも関わらず、送られたメールの内容は好意の塊だった。

 

 

「ギルの所はやっぱり多いな。何々…キリッとした顔が素敵でした。私と是非一度……ギル。ふざけるなよ」

 

「ロミオ、なんで声に出すんだ。一々そんな事を口に出して読み上げるな。それに俺がそうした訳じゃねえんだ」

 

 背後からの音読に驚いたのか、ギルは一度開いた画面を直ぐに消し、直ぐに振り向く。声の持ち主でもあるロミオを睨みつけていた。

 

 

「情熱的な文章じゃん。メアドもあったから、これを機に考えてみたらどう?」

 

「俺なんてまだまだ。ここでは半人前も良い所だぞ。どうせ冷やかしか何かじゃないのか」

 

「ギル。女性からの想いを伝えるのは勇気が必要な事です。蔑ろにするのは送ってきた女性に対して失礼なのでは?」

 

 シエルの唐突なツッコミにギルとロミオは驚愕の表情をしていた。今まであればこうまで会話に食い込む事は無かったが、今日のシエルはどこか何時もとは違っていた。

 何時もであれば冷静な判断を下すにも関わらず、今のシエルの表情には困惑と言う言葉がピッタリの表情を浮かべている。一体何がシエルのここまでにするのか理由が分からなかった。

 

 

「シエルちゃん大変だよ。この前のショーの写真集が発売されてるって話、知ってた?」

 

「ええ知ってます。と言うよりも私の所にもそんな内容のメールがきてましたから。ショーだけでも困ってるんですが、まさかここまでやるとは想定外でした」

 

 以前にヒバリが何気なく放った一言が思い出されていた。『ショーだけで済めばいいんですが』の言葉が脳裏に蘇える。冷静に思い出せば、あの時のヒバリの表情はまさに諦観の表情。その意味をここで体験するとはシエルもナナも思っていなかった。精神的な疲れが二人を襲う。既に回避出来るだけの手段が無い為に、この状況に耐えるより無かった。

 

 

「そう言えば、これ、私の所にもかなり来てたんだよ。全部見てないんだけど、こんなに沢山。どうしよっか?」

 

 ナナの所に来ていた件数はギルやロミオの件数を大幅に超えていた。シエルも何気に見れば同じ位来ている。まさかとは思うが、これの全部に返事を出そうと考えれば任務のレポート以上の労力が必要となる。人の機微に疎いシエルからすれば、これは有る身では難解なミッションと同じだった。

 この現状を打開するにはどうすれば良いのだろうか?そんな事を考えはしたものの、有効的な策が何一つ浮かばない。そんな考えが2人にはあった。

 

 

「そうだ。アリサさんなら何か良い手があるかも!」

 

「そうですね。一度確認した方が良いかもしれませんね」

 

 先ほど任務から帰ってきたのか、クレイドルをロビーで見かけた記憶があった。今はどんな些細な事でも重要な対策になるかもしれない。そう考え2人はアリサが居るであろうロビーへと急いでいた。

 

 

 

 

 

「あれ?どうかしたんですか?」

 

「実はFSDの件で大量のメールが届きまして、どうすれば良いのかと…」

 

 任務帰りのロビーには珍しくシエルとナナがアリサを待っていた。理由についてはともかく、先ほどのFSDの言葉にアリサも何となく納得した部分があった。

 

 

「ああ~それですよね。私としては毎回の事なんですけど、合同で謝辞を述べてますね。全員が全員、何かを期待して送っている訳ではありませんから、私はそうしてますよ。と言うか、私の事よりももっと重要な事があるので、それ所では無いんですが……むしろエイジ宛に来た物をどうするのかが先決なので……やっぱりここは……まさかあれが…やっぱり処分でしょうか…」

 

 アリサはどこか遠い目をしながらも、自分の事よりももっと大事な事があると言っているが、言葉の端々に不穏な単語が少しづつ並んでいる。この時点で2人には何となくエイジの事だと想像は付いているが、それを口に出せば確実に自分達にトバッチリだけが待っている未来しかなかった。

 

 

「ナナさん。ここは一時撤退を」

 

「……そうだね。その方が良いかも」

 

 これ以上の事は一旦時間を空けてから再度アリサに確認した方が良いだろう。今はそんな事よりもこの場をいかに戦略的撤退するかに全力を注いでいた。

 

 

 

 

 

「流石に量を全部こなすのは無理だよ。やっぱりアリサさんが言ってた様にするのが無難じゃないのかな」

 

「そうですね。この調子だと私達もミッションにまで影響が出る可能性がありますので、それが最良かもしれませんね」

 

 結果的には、シエルとナナはアリサが言っていた案を採用する事にしていた。とてもじゃないが、この日一日だけ来る訳では無い。この後アドレスは1週間程ある以上、一つ一つを確認する事は出来なかった。

 ロミオに関しては、何か真剣に考えているのか、送られた物をじっくりと呼んでいる。ギルに関してはいくら突っ込まれようとも軽く流し読みし、最終的にはシエルやナナと同様に全体としての謝辞に留まっていた。

 

 

「皆大変そうだな」

 

「そう言えば、北斗宛には来てなかったのか?」

 

 ブラッドのメンバーは極東組とフライア組に分かれていたが、そんな中での北斗の立ち位置は微妙な物だった。内容が全部警備であった事も影響したのか、事実表舞台に出る事が殆どなく、また屋台でも警備に近いポジションだった事も影響したからなのか、自分自身には何も来ていないと勝手に判断していた。

 

 

「さあ?俺は警備だったから基本的には来てないんじゃないのか」

 

「でも何か来てたら返事の事もあるし、一度は見た方が良いんじゃない?」

 

 ナナの言葉に北斗も念の為にと確認だけする事にしていた。警備の特性上、お近づきになりたい人物との出会いを邪魔されるのであれば、非難めいた内容はあっても謝辞が来るとは考えてもいない。態々ストレスの元になる物を好き好んで見たいなどと言った感情は、生憎と持ち合わせていなかった。

 

 

「え?何これ?」

 

「ナナさん。どうかしたんですか?」

 

 ナナの驚きの声にシエルも思わず北斗宛に来たものをのぞき込む。その中身の大半は好意の塊の様な内容であると同時に、いくつか不穏な単語も並んでいた。

 

 

「北斗。本当に警備だけだったんですよね?」

 

「ああ。後は何回かミッションには出たけど」

 

「それで、ですか……」

 

 シエルの半分呆れた様な言葉にナナは理解が追い付かなかった。来ている文面を見ればFSDの内部だけの話ではなく、むしろミッションでの内容を示した物も多々あった。

 北斗は知らなかったが、上層部の意向で、ミッションの内容によっては一部映像をLIVEで流していた。アラガミが脅威の存在であるのは今まで散々捕喰されている事からも知られているが、逆にゴッドイーターがどんな存在であるのかを示した内容は極めて少ない。

 

 以前に極東での広報誌には戦いの映像が流れたものの、それはあくまでもオウガテイルなど小型種の討伐だけだった。しかし、今回の内容は大型種と中型種の混成だった事だけではなく、参加した人物が北斗とエイジ、リンドウとソーマの手練れだった事もあってか、通常では討伐するには困難なレベルでも、この4人であれば通常のミッションの様に終わらせると同時に、誰も被弾する事無く討伐していた。

 

 小型種ではなく大型種である以上、いくら映像化されていても万が一の事もある。しかし、こうまで危なげない内容であれば、それは娯楽映像の様にも見えていた。

 この時代では映画の様な物は過去のアーカイブとして見る機会はあっても、リアルタイムでの映像はアーカイブの映像とは比べる必要すら無い程の大迫力だった。

 

 

「シエルちゃん。それってどう言う事?」

 

「どうやら何回かあったミッションの中でも一部の内容がリアルタイムで映像化していたそうです。文面を見れば大半がそれですね」

 

 この時点で漸くアリサの不穏な言葉の意味が理解出来ていた。あの中ではエイジの顔は知られているのは間違い無かったが、殆どが料理関係だった為にそうまで心配する要素が無かった。だが、ミッションの状況を見れば例え素人だとしてもその技術はまるで殺陣の様に流麗な動きで次々とアラガミを仕留めるその姿はある意味では英雄の様にも見える。

 恐らくはアリサがエイジの許可を取って来ていたメールを見たからなんだろう事がここで漸く理解出来ていた。

 

 

「ああ、多分ヴァジュラとボルグカムランの堕天とコンゴウ2体のミッションだったかも。いや、あれは内容が良すぎたから覚えてるけど、流石にエイジさんとリンドウさんは凄かった。あれを見たら俺なんてまだまだ未熟だと感じたから」

 

 今思い出したかの様に話をするが、それでもどこか他人事の様に話す北斗にシエルは頭が痛くなりそうだった。

 文面を見れば北斗の動きが良かっただけならまだしも、内容によっては老若男女問わず好意の塊が来ていた事が悩みの種だった。

 女性陣だけであればまだしも、男性からも同じ様な内容の文面が届いている以上、今のシエルにはレベルが高すぎたのか、それとも自身の中では想像が出来なかったのかその対処の仕方が思い浮かばなかった。

 

 

「そう言えば、ジュリウスの所って何か来たのか?」

 

 渋い表情のまま固まったシエルを他所に、このままでは何か流れが拙いと判断したのか、ロミオは話題を切り替えるべく話題に出ていないジュリウスへと話の方向転換を図っていた。

 

 

「俺の所は各支部の重鎮が大半だったから、そんな事は無いと思うぞ」

 

「って事は確認してないのか?」

 

「ああ。まだ仕事が片付かなくてな。すまないがロミオが見ておいてくれないか?」

 

「じゃあ、早速……」

 

 まだ見ていない事に驚きを隠せなかったが、これはこれで興味深い物がある。ギルや北斗の様な熱烈な内容は無いにせよ、もしそんな物がればそれが話の種になる。そんな気軽な考えだけでロミオはジュリウスのメールを開いていた。

 

 

 

 

 

「なあジュリウス。本当に見てないんだよな?」

 

「さっきも言ったが見てないぞ。見れば既読になると思うが?」

 

 ジュリウスが言う様に、確かに全部が未読になっているから、一度も見ていないのは間違い無い。しかし、ロミオが驚いたのはそんな事ではなく、その内容だった。

 極東全体に来た内容は、それこそ本人が書いたであろう内容だったが、ジュリスの物に関しては何故かお見合いの釣り書き。

 写真添付から始まり、趣味など多彩な事が書かれている。からかい半分の軽いノリだったつもりだったはずが一転し、何か申し訳ない様にも見えていた。

 

 

「ロミオ先輩どうしたんです?」

 

「い、いや。これってさ……」

 

「う~ん、流石はジュリウスだね。写真や詳細なプロフィールまで書いてあるよ。皆やっぱり神機兵には関心が高いのかな?」

 

 どこか場違いなナナの言葉には誰もツッコむ事が出来なかった。フライアに来ているのが各支部の重鎮であれば、女性のプロフィールが示すのは間違いなく見合いのメール。

 立場を考えれば若くして本部付けの大尉でもあり、見目麗しいのであれば、それはある意味当然の結果だった。ジュリウス本人はまだ気が付ていないが、この事態の収拾をどうやって図るのだろうか?誰もが口にはしないが、その思いが全てだった。

 一人気が付かないナナは横に置いても、これを対処できる術がどこにも無かった。

 

 

 



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第152話 善意の策略

 

 

 

 極東の一大イベントでもあったFSDの喧噪は、まるで嘘だったのかと思う程に翌日のアナグラは何時もと変わらない日常に戻っていた。あまりの変わり映えに今までやってきたのは現実だったのかと思う程ではあったものの、完全に切り替わった訳ではなかったのか、会話の所々に話の種として残っていた。

 

 

「どうやら大変だったらしいな」

 

「その一言で片づけられるにはちょっと抵抗があるな。あれは正直な所二度とゴメンだと思う」

 

 帰投の待機ともなればそんな話も出てくるのか、それともフライアに籠っていたから情報確認なのか、ジュリウスは北斗と一緒にミッションに出ていた。

 当初から予定されていたミッションの為に、難易度はそう高くない。本来であれば4人チームでの出動にも拘わらず、今回に関しては2人だけとなっていた。アラガミの強度が低い為に討伐そのものに問題は無い。既に準備が終わった今、それなりの時間を余した結果だった。

 そんな中での感想の一言。ジュリウスの言う大変と北斗が体験した大変には言葉としては違いは無いが、実情を見ればとてもその一言では言い表せない何かが存在していた。

 

 

「まぁ、それもだが、ロミオの件も済まなかった。やはり俺では解決出来なかった可能性が高いと感じている。北斗に任せて正解だったのかもしれないな」

 

「その件は俺は何もしてない。ロミオ先輩が勝手に自分で結論付けただけで、その結果にしか過ぎないと思う。ジュリウスは俺の事を買い被りすぎだと思うぞ」

 

 今は誰も居ないからなのか、珍しく弱音とも取れるジュリウスの言葉北斗は驚いていた。だが、ジュリウスとて普通の人間である以上、無理に持ち上げる必要はない。誰にだって苦手な事の一つや二つはあるからと、そのまま何気ない話のまま会話は続いていた。

 

 

「で、フライアの方はどうだったんだ?」

 

 事前の情報ではジュリウスとフランが担当しているとは聞いていた物の、詳細については何も聞いていなかった。元々フライアで先行開発された神機兵について北斗は知識を殆ど持ち合わせえていない。ジュリウスが仮に説明した所で、理解出来るのは半分にも満たない程でしかなかった。

 実際には聞いてもどうしようも無い程に時間が無かったのと同時に、やはりアラガミ討伐では無い為に何かと精神的な疲労の方が大きかった。ゴッドイーターと神機兵は対アラガミに対しての方向性は一致しているが、それ以外は真逆の路線を歩いている。ブラッドの設立を考えれば最低限必要な知識ではあるが、北斗からすればそれは余分な知識だと位置づけていた。当然ながら何も知らないと同じレベル。

 そんな事もあってか、ここで落ち着いた事でフライアの話を聞いてみたいと思った結果でもあった。

 

 

「フライアは他の支部の上層部の人間がしきりにグレム局長と何か話していたな。恐らくは実戦配備される日程や開発の調整が主だった要件だろう」

 

「ひょっとして、そんなんばっかりなのか?」

 

「そうだな……殆どがそんな所だろう。ただ、今は黒蛛病の治療方法の確立態勢が急務だから、どちらかと言えば神機兵に関してはラケル先生が推し進めている有人型よりも九条博士の無人型神機兵の開発の方が一歩優先と言った所だな」

 

「九条って誰だ?」

 

 北斗の何気ない一言にジュリウスは北斗の特性を思い出していた。

 基本的に自分以外の事に関しては、ほぼ覚える気が無いからなのか、無関心とも考える事が出来る。これほどまでに人の手が介在しないとやっていく事が出来ない神機兵の開発にも関わらず、こうまで無関心となればある意味考えすぎるキライがあるジュリウスにとっては羨ましいとも取れた。

 

「神機兵の説明の際に一人居ただろう?」

 

「そんな人……ああ、あのヒョロッとした、すぐにへし折れそうな人か……」

 

「……どんなイメージを持って居るのかはともかく……まあ、今は良い。北斗がイメージするその人だ」

 

 神機兵の試験運用の際に居た顔色の悪い人間が何となく居た様な記憶はあった。だが、北斗が覚えているのは精々針金みたいな人間が白衣を着ている程度の認識しかなく、顔もほぼ覚えていない。印象があったのはこれまでに見た事が無い印象があったからだった。

 確かにゴッドイーターからすれば神機兵の存在は複雑な思いが出てくる可能性が高く、ましてや同じフライアの中であっても一緒にミッションに出たのはあの時だけ。北斗からすれば覚える必要すら無いものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗、丁度良かったです。実は先程フライアへの帰還要請が出ましたので、一旦フライアに戻って欲しいとの事です」

 

 ジュリウスとのミッションが終わった矢先に待っていたのはシエルだった。帰って早々に何の用事なのか思い当たる物は何も無い。仮に事前に分かっているのであればジュリウスが知っている為に話には出たはず。にも関わらず帰投の際にもそんな話は何も出ていなかった。

 

 

「ブラッドに出たのか?」

 

「いえ、北斗だけです」

 

「俺だけ?」

 

 シエルの言葉が理解出来ない。ブラッド全員であればまだしも、何故自分だけなのかが理解に苦しむ。今はとにかく帰還命令が出ている以上、その言葉通りにする以外に何も出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、忙しいのにごめんなさい。実は今回来て貰ったのは榊支部長と紫藤博士の助言から、ここで発生している赤乱雲の発生と規模が予測できる様になりました。その結果、今までは予想出来なかった非常事態の可能性も考慮して神機兵の強化と教導は一旦棚上げしていましたが、今回の件を機に再度神機兵のプジェクトを進めようと考えています。

 それで貴方にはその強化の為のお手伝いをお願いしたいと思いますので、必要な任務はフランから聞いて下さい」

 

「あのラケル博士。質問良いでしょうか?」

 

 突然呼ばれた内容は神機兵に関する任務だった。アナグラで聞いた際には自分だけがここに呼ばれているとシエルは言っていた。本来であればジュリウスが率先して動くと思われていたが、今回の件に関してはなぜか自分だけ。

 呼ばれた真意が分からない以上、聞ける範囲で確認したいと北斗は考えていた。

 

 

「構いませんよ。どうかしましたか?」

 

「何故、自分なんでしょうか?重要な案件の様に聞こえました。それならばジュリウスの方が適任なのでは?」

 

「今回の任務はそのジュリウスから推薦がありました。どうやら北斗は今一つここの役割を理解していない可能性があるとの事でしたので、今回は説明だけではなく、実際に任務に入ってもらった方が手っ取り早いと考えた結果です」

 

「それは……」

 

「別に貴方の事を責めるつもりはありません。確かに貴方が入隊してからは直接携わる事はほぼありませんでしたから。ですが、副隊長である以上はそれなりの概要だけでも知っておいた方が、今後の為になると思いますので」

 

 ラケルの驚愕の一言は先ほどまでジュリウスと話をしていた内容そのままが伝わっていた可能性が高かった。あの時点ではどこにも通信していた素振りは微塵も無く、ラケルの話の内容は先ほどまでの話の内容と丁度一致する。抗弁しようにも事実でしかない為に、ラケルの言葉に頷くよりなかった。

 内心膝から崩れそうな雰囲気があったものの、既に決定している事に対して反論する事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フランさん。久しぶりですね」

 

「確か……饗庭さんでした?」

 

 久しぶりに戻ったものの、極東に慣れ過ぎたからなのか、北斗はどこか落ち着かない素振りで改めてカウンターのフランの元へと移動していた。気軽に挨拶したまでは良かったものの、どこか他人行儀な言い方に北斗は内心焦りを生じていた。

 

 

「えっと……ひょっとして忘れられてます?」

 

 恐る恐る話かけたまでは良かったが、他人行儀な反応をされた事でここからフランの言動が一切予測出来ない。背中に嫌な汗をかきながらも北斗は平静を装っていたが、まさか完全に忘れ去られたのかと内心は穏やかでは無かった。

 

 

「フフッ。冗談ですよ北斗さん。お久しぶりですね。活躍の程は聞き及んでますから。先だってのFSDでも大活躍だとか」

 

 先程までの冷淡な雰囲気は消え去り、極東に行く直前のフランが戻ってきた様にも見えていた。極東に行っていたのは僅かな時間にも関わらず、まるでここに来たのはかなり久しぶりの様にも感じていた。ミッション一つとってもフライアでは感じる事が無かった手応えは、北斗の中でもかなり満足できる程。決して戦いに明け暮れてる訳ではなかったが、それでも何となく人の気配が少ないここよりも、極東支部の空気の方が北斗には合っていた。

 それ程までに極東支部で過ごした時間が濃密であった事が、フランの言葉によって不意に理解出来ていた。

 

 

「活躍も何もただの警備ですよ。それならギル達の方が大変だと聞いてますよ。ここでもフランさんがジュリウスと一緒にアテンドしていた事も聞いてます」

 

「今回の件に関しては私は大したことはしていません。実際に来ているのも各支部の上層部だけですから、特に困った事も起こりませんでしたので」

 

 ジュリウスの話から察するに、恐らくは詰まらない話なのか、それとも堅苦しい話なのかと予想していた。来るべき対象の人間が違えば、そこは全くの別世界となる。だからこそ極東支部での内容とフライアの内容に大幅な食い違いが出るのはある意味当然だった。

 

 

「フランさんも次回はこっちに来ると良いかもしれませんね」

 

「シエルさんとナナさんの件でしたら、私も映像を拝見させて頂きました。あれは…流石に私には真似出来ません」

 

 映像化の話は噂程度で知っていたが、フランが見たのであれば間違いなく映像化されているのは確実だった。この件に関してはこれ以上首を突っ込むとトバッチリを食らう可能性が高いと判断した北斗は、笑ってごまかす以外の事は何も出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君が今回の協力してくれる人物……ああ、確か君は以前に無理やり乗り込んだ人だね?今回は無人運用の件でだから、あの時の様な馬鹿な真似はしないでほしいね」

 

 何気に当時の相手は記憶していたのか、開口一番の台詞が既に嫌味に聞こえている。顔も覚えていない人間に言われた所で特に気にするつもりは微塵も無く、当時はただシエルの安否を優先した結果としてその場にあったのがそれなだけで、それ上の考えは何も持っていなかった。開発の状況を知った所で自分には何の関係も無い。少なくとも北斗はそう認識していた。

 

 

「はぁ。了解しました。で、やるべき事とは何でしょうか?」

 

 九条の話はまるで何もなかったかの様にそのまま進める。実際に北斗自身に神機兵についての感慨深さや、現状に関しては一切の興味を持つ物はどこにも無い。今はただ任務だからとそれだけの為にここに来たんだと言わんばかりに話を進める事にしていた。

 

 

「これで神機兵の開発がまた一歩進むだろう。君もご苦労だったね。僕の口からラケル博士には伝えておくよ」

 

「よろしくお願いします」

 

 出された任務は北斗でなくても問題ない様な内容だった。今回の件はジュリウスの言葉通り、北斗の神機兵に対する関心の無さを憂いた為に敢えて用意した任務だった事から早々に解放されていた。アラガミの素材だけでなく、一部、北斗の戦闘データも取られている。実際にそれを見たからと言って何が進むのかは分からない。少なくとも自分に影響が無いのであれば、気にする必要は何処にも無かった。得られたデータに満足したからなのか、九条は気にする事無く、自分の研究室へと帰路に就く。

 これが一体何を指し示すのか関心を持つつもりが毛頭無いのか、北斗は何も無かったかの様にそのままアナグラへの帰路についていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「九条博士。内密にお願いしたいのですが」

 

「内密に……ですか?」

 

「はい。内密にです」

 

 ラケルは人払いが済んだ研究室で、九条に対して一つの制御装置を渡していた。機械じかけの神機兵の一番の問題点でもある制御装置。単なるロボットの様に決められた動きだけをするのではなく、もっと人間に近い動きをさせるにはかなり高機能な処理が要求されてくる。

 今までラケルとレアが開発を一旦中断する事を決めた際には九条はここがチャンスだと今まで以上に研究に没頭していた。しかし、その研究に関しては人間的な動きとそれを探知する能力、そしてそれを思考すると同時に行動に移すとなれば一瞬にして膨大な計算をする事が急務とも言えた。

 実際に人類が当たり前の様に出来るからと言って、その全てを十全に理解している訳では無い。ましてや二足歩行型のそれを作ろう物ならば、単純な動作だけでなく、戦闘時の動きが重要だった。幾らゴッドイーターを使わないと触れ込んだ所で、肝心のそれが動かないのであれば、無意味でしかない。その為に、九条は日夜苦労を重ねていた。

 これが搭乗型であれば搭乗者の操作でカバーできる。だが、それが出来ない以上、その部分が開発の肝となっていた。

 

 これに関しては以前の運用の際に空間把握能力の欠如とも言えるバグによって開発は一時頓挫しかけるほどに困難な状況となっていた。最悪の事態でもある人的被害は0だったが、その結果として局長でもあり、出資者でもあるグレムは九条に大きな失望をしていた。導入が決まっているのであれば投資した分の回収が可能となる。だが、失敗に終われば回収は不可能だった。そうなれば自身の将来にも多大な影響を及ぼす。

 北斗は気が付かなかったが、実際に運用のメドは大筋決まっているにも関わらず未だ開発中となれば、今度は多額の出資をしているグレム以外の人間からも何を言われるか分からない。そんな焦りが九条の思慮と視野を狭めていた。

 

 

「こ、これは……新しい制御装置。しかし、なぜこれを私に?」

 

「同じ開発の志を目指す物としては一定以上の結果をそろそろ求められる時期になりつつあります。今回の制御装置に関しては姉は一切何も知りえません。勿論、唯一の身内である以上は当然有人型を優先するのが当然ですが、最悪この計画そのものが凍結される位ならば、今はある程度研究が進んでいる九条博士の方を推し進めるのが最上だと判断しましたので。

 これで人類のアラガミに対する時計の針が大きく動きます」

 

「まさか、その様に考えていたとは……」

 

 九条はラケルからもたらされた制御装置に心を奪われたかの様に、内容をひたすら確認している。ラケルの話は聞きはしたが、その表情は見ていない。もし、ハッキリと見ていたのであれば、その顔は一体誰に向けての表情だったのだろうか。九条がそれを見逃した以上、ラケルの考えを知る術は何も存在しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?随分と早かったね。久しぶりのフライアはどうだった?」

 

「ジュリウスにやられたよ。あれなら誰でも問題無い任務だった。でもナナはどうしてここに?ミッションじゃなかったのか?」

 

 当初の予想よりも早い帰還にロビーにいたナナが駆け寄っていた。既に他の人間はミッションに出ているのか、人は随分と少ない。そんな中で、ナナだけがここに居るのが不思議だった。

 

 

「私はさっき帰って来た所だよ。今は偶々ここに居ただけ」

 

「そっか。そう言えばフランさんから聞いたんだけど、あのショーの映像見たって」

 

「えっ……」

 

 北斗の何気ない一言にナナは固まっていた。映像化の話はナナも聞いていたが、その後の話は何も聞いていない。寝耳に水だと言わんばかりにどうすれば良いのか思考が停止した様にも見えていた。

 

 

「フランちゃんが言ってたの?」

 

「ああ。私には真似出来ませんってね。詳しい事は知らないけど見たならあるんじゃないの?」

 

 北斗の言葉に何をどうすれば良いのか判断する事が出来ない。まずはシエルに相談した方が良いのだろうか。それともこの話を他の人間は知っているのだろうか。そんな考えだけがナナの頭の中をグルグルと駆け巡る。だが、生憎とナナの感情を満たすだけの案は浮かばなかった。だとすれば、自分以外の知恵を借りるしかない。何かを思いついたのかナナはどこかへと走り去っていた。

 

 

「ヒバリさん。ナナはどうしたんですか?」

 

「さぁ?私にはサッパリですけど、気持ちは分からないでもないですね。でも多分無理だと思いますよ。だって取り仕切ってるのが弥生さんですから、果たして映像だけで済めば良いんですけど…」

 

「何かあるんですか?」

 

「特に変な事はありませんよ。ただ、経験が無い中での事なので、焦ったんだと思います」

 

「って事はヒバリさんは?」

 

「お察しの通りですよ」

 

 ヒバリの一言に全部察したのか、北斗はそれ以上の言葉は何もでなかった。

 ヒバリに関しては既に諦めの境地だったのか、どこか遠い目をしたままだった。ヒバリの言葉通りの結果だったのか1時間後にはナナだけではなくシエルも同じ様にうなだれたままラウンジに姿を見せる事になっていた。

 

 

 

 



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番外編10 想定外

クレイドルの日常編となります





 

「どうすれば良いのでしょうか?」

 

「私も動物は飼った事が無いから詳しい事は分からないよ」

 

 ラウンジには何時もの様な穏やかな空気が流れているが、その一角で少しだけ不穏な空気が立ち込めていた。

 傍から見ればそれ程大げさになる様な事は何も感じない。平時の中での限定が故に不穏だと感じる程だった。その大元には二人の少女。黒い腕輪が特徴的だった。

 シエルとナナの目の前には以前サテライトの建設予定地付近で捕獲されたカピバラのカルビが少し震えながら鼻水を出していた。

 ラウンジは本来であれば寒暖の差は少なく、住環境的には何の問題も無かった。だが、幾ら寒暖の差が少ないとは言え、常に一定の環境を保っている訳では無い。特に、ここ数日の寒暖差から予想以上に室内の温度が変わり、その結果としてカルビの様子が少しおかしくなっていた。

 

 

「やっぱり何かの病気なんでしょうか?一度誰かに相談した方が良いのでしょうか?」

 

 シエルは思いの外、カルビの事を大事にしていた。確かに世話の際には手を噛まれる事が多く、少しだけ痛い思いはするものの、自身の今までの中で生き物を飼った経験が無かった事から、過保護とも取れる程に大事に世話をしていた。栄養のバランスと適度な運動。少なくともそんな生活を送る事によって体の大きさだけでなく、最近は毛並みも格段に良くなっていた。当然の結果にシエル自身も満足している。万全を期して飼っていたが故に、突然のカルビの不調にシエルはショックを受けていた。

 

 

「でも、動物だし……やっぱりここは榊博士に聞くのが一番じゃないかな?」

 

「しかし、榊博士も忙しいのではないでしょうか?」

 

「支部長だもんね……」

 

 ナナの発言に対して、シエルも一瞬そう考えていた。しかし、榊はここの支部長でもあり科学者でもある。恐らくは事務方の中ではかなり多忙を極めるはずの人物。普段は何かと適当な事もしているが、立場を考えればこんな事を相談する訳には行かなかった。本来であればこの時点でコウタにでも相談すれば一笑に付したかもしれない。だが、ブラッドはまだ極東に来て日が浅かったからなのか、榊に対しておいそれと話す事が出来ないと考えていた。

 これがブラッドもまた完全にここに馴染んでいれば誰も気にする事もなかったのかもしれない。ある意味では仕方ない部分がそこにあった。二人の事などまるで無関係だと言わんばかりにおだやかな空気が流れている。だからなのか、二人もまた周囲の事を完全に忘れていた。

 

 

「あれ?二人ともどうしたの?」

 

 そんな2人に声をかけたのはリッカだった。今は休憩中なのか、グラスを片手にクッキーを食べていた。

本来であれば一息入れた後、再度戻る予定。しかし、二人を視界に入れた事によって少しだけ興味が湧いていた。

 実際に神機の整備をするに当たって、ブラッドの事はデータ上では理解している。だが、当人の事に関してはそれ程では無かった。一番の理由はブラッドがゲスト扱いされている点。もう一つは、直接的ではないが長期に亘ってここに所属しないのであれば、神機の整備こそするも大幅なアップデートをするには足りない物が多々あった。ブラッドの管轄は本部。当然ながら許可を取るにしても、その稟議はかなり面倒だった。

 幾つもの部署へと書類を回し、変更点があればその都度申請が要求される。メンテナンス程度であれば作業内の為に不要だが、アップデートとなればその限りでは無かった。登園ながら僅かなそれだけの為に面倒な申請をしたいと思う人間は誰も居ない。その結果として整備班もまたブラッドの神機だけでなく、チームそのものを掌握していなかった。

 そんな中での突発的な出来事。リッカもまた、これを機に少しでも距離を縮めようと考えた結果だった。休憩中でも話ならそれ程長くはかからないはず。そんな打算もそこにあった。

 

 

「実はカルビが鼻水を出しているので、何か病気にでもあったのではと思ったんですが、原因が分からないんです」

 

 何気に格子の中にいるカルビを見れば、確かに若干震えているのと同時に鼻から何かが出ているのが見える。これが人間であれば風邪なんだと思うも、まさかそうだとは誰も思いつかなかった。

 

 

「だったら榊博士に聞いてみたら?」

 

「ですが、忙しくしているのでは無いのでしょうか?」

 

「そうかな?今朝見たときは暇そうに見えたんだけど。取敢えず行ってみたらどうかな?」

 

「……そうですか」

 

 シエルの考えとは裏腹に、リッカお返答は実にあっけらかんとしていた。支部長でもある榊がまさかそんな状態だとは考えてもいなかったからなのか、シエルは一先ず弥生に確認する。リッカが言う様に、今は特に何もしていない事が判明していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだね……元々は温かい所に居るはずの動物だから、恐らくは寒さに弱いのかもしれないね。詳しい事は分からないが、鼻水を出しているのは身体に菌が入らない様に守っているからだと考える事が出来る。恐らくは多少なりとも温かい所に連れて行くのが一番だろうね。ここ数日は特に寒暖の差も激しかったから、多分そうじゃないかな」

 

 カルビの様子を見た榊は自分の所見を口にしていた。これが人間であれば風邪だと言えば納得できる。だが、相手は動物。故に榊もまた遠回しの似た様な事を口にしていた。実際に榊も偶然何もしていないだけで、普段から暇をしている訳では無い。今回の件に関しても、気分転換のついでの様な部分が多分にあった。

 

 

「温かい所ですか?」

 

「元々それはエイジ君が保護したのであれば、近隣に巣があった事になる。基本的には温かい所を好むのであれば、その近隣に何かがあるのかもしれないね」

 

 榊はエイジからカピバラの事を聞いた際に、一つの可能性を考えていた。しかし、それを行使しようとすれば確実に建設の計画が遅れてしまう。何かどさくさ紛れに出来ないものかと常々考えていた。そんな中でのシエルからの問い合わせ。榊にとってはある意味天啓と言える物だった。表面上は何時もとは変わらないが、糸目の様に細い目は普段よりも広がっている。ここに極東支部の誰かが居れば、確実に何かを企んでいる事だけは察知する程だった。

 

 

「確かサテライト002号だったよね?」

 

「はい。そうです」

 

 この時点で、榊は決めかねていた事をやはり一度実行しても良いのではなのだろうかと思案する。仮にあればあったで困る物では無い。無ければ基礎を強固にしたと言い張る事が出来る。

 それだけではない。現時点ではサテライトの拠点に関してはそれなりに関心はあるが、それが完全に軌道に乗せる為にはそこに居住する人間の協力が必要不可欠になる。幾ら食や安全面が確保されているとは言え、あと一つ位は魅力的な何かがあった方が良いだろうと考えていた。完全に調査していないが、何かがあるのは間違い無い。無駄に高性能な頭脳は目的からすぐに逆算を開始していた。

 

 

「あの……支部長?」

 

 今後の考えがいくつも浮かんでは消えていく。この場にいるシエルとナナの存在をすっかりと忘れながら、一人笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりエイジさんに当時の状況を確認した方が良いのでしょうか?」

 

「でもクレイドルの事で居ないんだよね」

 

「何か用かな?」

 

 シエルとナナが色々と頭を悩ませていた所で何気に出た名前。まさか返事が返ってくるとは思ってなかったのか、振り向くとそこには任務から帰ってきたエイジは2人に対して声をかけていた。

 

 

 

 

 

「あの、実はカルビの様子が少しおかしくて先ほど榊博士の所で確認したんですが、その際に恐らくカルビが居た近くに何か温かくなる物があったのではないかとの話が出たんですが」

 

「ああ。その件ね……」

 

 そんなシエルの言葉に当時の事を思い出す。あの時は確か猪を仕留める際に見つけた物ではあったが、実際にそこに住んでいたのかと聞かれると、エイジにも分からなかった。

 シエルがカルビを溺愛しているのは、ここの人間であれば皆が知っている。ましてやエイジはラウンジの調理も担当している。その様子を幾度となく見ている為に、何となくその心情を察していた。体調不良であれば、恐らくは何かしたいと考えていた事だけは想像出来ていた。

 

 

「建設予定地は今まで何度も調査してるから知ってるつもりだけど、あそこはそんな物が無かった気がするんだよね。実際にはアリサの方が知っているとは思うんだけど」

 

「そうでしたか…気を使わせてしまいすみません」

 

「いや。こっちでも一度確認してみるよ」

 

 力になれない事に申し訳ないと思いながらも、この時点で何となくだが、職人達から聞いている事が突如として思い出されていた。しかし、可能性は低く、仮にそれがそうだと分かっていてもおいそれと計画の変更が出来ない。突発的に怒れば対処するしかないが、未確定のままでは何も出来ない。ただでさえサテライト計画は綿密な計画と厳しい予算の元に物事が進んでいる。確定要素にまで口を突っ込む事はエイジであっても出来なかった。

 奇しくもエイジも榊と同様の考えがそこにあったが、今の二人にはエイジが考えている事など知る由も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?今日は一緒じゃないのか?珍しいな。さては逃げられたのか?」

 

「違いますよ。アリサは今日は違う場所でミッションが入ってますから、居ないんですよ。そんなに何時も一緒に見えます?」

 

「そりゃ、誰だっていつも仲睦まじい光景みせられてるのに、いきなり一人なら邪推もするだろ。で、今日はどうしたんだ?」

 

 先だってのラウンジの出来事に一つ確認したい事があると、エイジは予定にはなかったサテライトの巡回と称して現場に来ていた。つい2日前にもここに来ていたが、あの時はアリサも一緒だったが、そんなにくっついていた様な記憶がエイジには無かった。

 

 

「ちょっと確認したい事があったんですけど、この近隣で地下水が出てるんじゃないかと思ったんですけど、心当たりはありませんか?」

 

「地下水ね……そんな話は聞いてないな。ただ、一部に地盤が緩い所があるからそこなら何かあるかもしれんな」

 

 建設予定地にそんな物が出れば確実に計画に大きな支障が出てくる。クレイドルとしては予想さえる物は随分と厄介な物である事を推測していた。事前の調査の段階では確認されていない。今回の件に関しても完全に偶然が積み上がった結果だった。場当たり的と言われればそれまでだが、出たら出たで対処するしかない。希望すべき事なのか、忌むべき物なのか。それ程までに判断が難しい物だった。

 

 

 

 

 

「棟梁。ちょっと拙い事が起きた。来てくれないか?」

 

「拙い事?」

 

「ああ。実は………」

 

 そんな中で現場の人間らしき人物が慌てて走って来ていた。その様子から恐らく事故でも起きたのかとそれに合わせてエイジも駆けつけていた。現場には予想していたのか、大きな水たまりと同時に湯気も出ている。ここは防壁の内部ではあるが、割と外部には近い。このまま埋める事も困難である事から、これをどうするかが懸念されていた。

 

 

「どうやらエイジが考えていた通りだな」

 

「やっぱりですか。以前に捕獲したカピバラがこんな所に居るのは変だとは思ってたんですが、まさかこんな所からとは」

 

「で、どうする?このままには出来ないし、工事も変更が必要だぞ」

 

「工期もありますから……まずはこれをどうにかするのが先決です」

 

「お前ら、土嚢持って来い!まずはこれを何とかするぞ!」

 

 赤い雨の対策としての建物は確かに出来ているが、それはあくまでも簡易的な物。幸運にも基礎まで深く作ってはいなかった。ある程度の工程にまで進めば本格着工する予定だったが、深く掘った際に源泉にぶち当たったのか、その場には湯気と同時に大きな水たまりが出来ていた。湯量が多いからなのか、それなりに掘ったはずの場所が徐々に広がりを見せる。棟梁の言葉に、付近に居た職人は土嚢を運んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうかい。やっぱりだとは思ったんだが、実際に出るとなると多少の計画の変更が出てくるね」

 

サテライトdの一報は榊の元にも届いていた。マグマ地帯があり、温暖な環境を好む動物が居れば可能性は高いとは考えていたが、まさかサテライト建設地から出るとは思っても無かった。旧時代であれば癒しとしての効果を持つが、今のご時世では癒しを求める事は難しい。当然ながら計画の変更も余儀なくされる為に頭が痛くなる内容だった。

 しかし、可能性が頭の片隅にあった為に、突発的な事案ではあるが、驚く事は無かった。それどころか、持って生き様によってはそれなりに付加価値を付ける事が出来る。榊の中での既に計画が成り立っていた。凍結された内容が次々と解放されていく。机の上に肘をつきながらも、頭脳は常に未来へと向けていた。

 

 

「まさかとは思ったんですが……」

 

「確かに計画に大幅な変更は余儀なくされる。でも、これはある意味では良かったのかもしれないね」

 

「確かにそうですね」

 

「この件に関しては直ぐに決済しよう。その方が色々と良さそうだからね」

 

 単純に温泉が出たのは驚くも、問題なのが今後の予定。当初は建設の拠点の為にと考えていたが、温泉が出るならばこれを活かさない手は無かった。

 基本的にサテライト拠点は外部居住区よりも住環境が良くない事は既に周知されていた。これまでアラガミに怯えながら生活した者であれば、住環境の多少の悪さは目を瞑る。しかし、従来から外部居住区で過ごした者はその限りでは無かった。一度でも知った環境からの転落は思いの外嫌がるケースは多い。事実、外部居住区に関しても一時は住人が増えすぎた問題をどうやって回避するかを真剣に考えた事もあった。口にはしないが、外部居住区から外へ行きたいと思う人間は居ない。それ所か、場合によっては重犯罪を犯した場合には追放する事で何とか凌いだ時代もあった。榊もまた当時の事は知っている。だからこそ、何らかの付加価値と同時に、ここと同じレベルでの住居を用意する事を優先していた。仮住まいは仕方ない。その一方で、人の感情を上手く利用しながら入植させる事によって、外部居住区の手狭感も解消しようと考えていた。その一翼を担う温泉。目くらましとも思えるが、ある意味では僥倖だった。

 

 

 

 

 

「アリサ。例のサテライトの件だけど、計画が少し変わる事になった」

 

「え?どうかしたんですか?」

 

「実は建設中に源泉を当てたらしくて、隔壁の近くが……ちょっとね」

 

「やっぱり、そうですか…」

 

 源泉の言葉にアリサも少し頭を痛めていた。当初の予定と大幅に変更が出るとなれば、今後の入植者の数が大きく変わる。そうなれば立地の計画案も大幅な変更を余儀なくされるのは間違いなかった。

 何よりも一番の気がかりなのは、報告した際に榊がかなり乗り気で今回の件に介入する事を決めた点。これまでの事を思い出すとそれ程良い記憶が無かった。

 一刻も早い対処は必要だが、それは現実的であり常識の範囲での事。少なくとも今後の事を考えると頭が痛くなりそうだった。自然とその考えが表情に出る。今のアリサは何とも言い難い表情をしていた。

 

 

「って事はこれから実地調査と泉質の調査なんですよね?」

 

「そうなるね。でも、今回の件はクレイドルじゃなくて、変更計画は極東預かりだから、暫くサテライトの件は一時停止になるって。で、暫くは僕らも開店休業って状態は確定だよ」

 

 エイジの言葉にアリサもまた今後の予定を考えていた。本当であればサテライトの計画の遅れは色々と後に問題を孕む。だが、今回に限ってだけ言えばそれは杞憂だった。開店休業と言う事は本当の意味で何も出来ないのではなく、クレイドルの活動が少しだけ止まる事。当然ながら、それ以外の事に関しては何時もと同じだった。クレイドルと第一部隊の頃では決定的に違う事。それは自由時間に関する事だった。だからなのか、それ以降の予定がアリサの中で即座に構築される。何となく笑みを浮かべたのは、その結果だった。

 

 

「って事は、時間に余裕が出来るんですか?じゃあ、これからはデートの時間が取れるって事ですよね?」

 

 自分達が主導でやるには今回の内容はイレギュラーすぎた。只でさえパンク寸前の所に膨大な変更では今後の計画が分からなくなる。しかし、極東預かりであれば、当然ながらその道の専門家が段取りをする。イレギュラーによる対応だからなのか、それとも興味に走る結果なのか。少なくともこの時点で002号は一度手を離れるのは決定事項だった。

 本来であれば寂しさが勝るが、何よりもエイジが居る状況での休暇は滅多にない。アリサも一旦はこの状況を棚上げすると同時に、現実逃避をしながらも少しだけ喜んでいた。

 

 

「そうだね。でも、これからは無理だから明日以降のスケジュール次第って所だけどね」

 

「それでも良いんです!」

 

 何時もの厳しい表情はそこには無い。自然な笑顔のアリサを久しぶりに見た者は暫し見とれていた。滅多にない光景。ある意味では眼福だった。

 そんなやり取りを他所に、実地調査は直ぐに行われていた。只でさえアラガミの脅威がある以上、のんびりと時間をかける訳には行かない。今後、こんなケースがあれば少しはサテライトの件を前向きに考える事も出来ると計算した結果がそこにはあった。

 

 

 

 

 

「なあ、サテライトに温泉が出たって本当なのか?」

 

「まだ調査段階だけどね。恐らくとは思ってたんだけど、まさか源泉だったとは思わなかったけど」

 

「って事は、温泉の施設を作るのか?」

 

「確定はしてないけど、榊博士の事だからそうかもね。実際にはクレイドルの手から離れてるから、詳しい事は不明だよ」

 

「そっか……」

 

「何にせよ、外部居住区も手狭だし、対策は必要だろうしね」

 

「確かにそうだな」

 

 サテライトの話は直ぐにアナグラにも広がっていたのか、エイジとアリサを見たコウタが開口一番に確認していた。詳しい結果はともかく、今の所はまだどうなるのか確定出来ない事が多い。実際にコウタがエイジに聞いたのもそんな部分があったからだった。

 コウタが聞くという事は、外部居住区でも何らかの話が出ている可能性が高い事を示す。ある意味では榊の描いた絵図の通りだった。どんな結果が出るのかは、少しだけ時間がかかる。

 コウタもまたそれを聞いたからこそ、どうやって説明をしたら良いのかと悩んでいた。そんな中での話だからこそ今後の可能性を考えながらにエイジはラウンジの一角を見ていた。

 温泉が出たのは結果論ではあるも、やはり温暖な環境の動物がいるのであればと考えた結果がそこにはあった。

 既に泉質調査の名目で運び込まれたのか、大きなタライの傍にはポリタンクが置かれている。その中でカルビがお湯に浸かっているのを見ていたシエルとナナの姿が見えていた。

 

 

 



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第153話 災禍

 

「北斗。少し時間は大丈夫か?」

 

 ロミオが復帰してからのブラッドの運用に関しては、今まで以上の戦果を挙げる事が多くなっていた。通常であれば突然部隊の運用成果が良くなる事は少なく、また、今回のケースにおいてもそれは例外ではなかった。

 そんな中で、一番の要因とも取れるのがロミオの実績だった。これはジュリウスと北斗しか知りえない内容ではあったものの、やはり一番の懸念された内容に関してがクリアされた結果でもあった。借物ではなく自分の行動原理を理解して動く。言葉にすれば実に単純だが、目に見える変化は劇的だった。神機の特性を活かす事によって他のメンバーの間合いも気に掛ける。その結果、最適な動きを実現していた。勿論、教導側から見ればまだ動きが荒い事に変わりない。違うのは周囲が視界に入っている事だった。誤射する事も無ければ他の邪魔をしない。効率が良い動きはそのまま部隊の底上げを実現していた。そんな中でのジュリウスの言葉。北斗もまた何があったのかを考えていた。

 

 

「どうかしたのか?」

 

「実はクレイドルからの情報提供なんだが、ここ数日の資材運搬の際に、感応種と思われるアラガミが北の山間部に出没しているとの話を聞いている。今の状況であれば、クレイドルから近日中にブラッドに対して正式な依頼となって、対感応種のミッションが来る事になるだろう。すまないが、それを念頭に置いて今後はミッションに出て欲しい」

 

 ブラッドが極東に来てからは、一部のゴッドイーターを除き、感応種の討伐任務に関しては実質的にはブラッドだけが請け負うケースが増えていた。極東では影響を受けずに対応出来る人間は極僅か。しかも、その人物も常時ここに居るとは限らないのが実情だった。

そんな厳しい現状の中で、ゴッドイーターの中でも偏食因子が一際異なるブラッドだけが部隊として感応種の偏食場パルスの影響を受ける事が無い為に運用される事が期待されていた。しかし、ここ最近になってからはそんな思惑を無視するかの様に状況が大きく変化していた。

 まるで何かに呼応しているかの様に、感応種の出現はパッタリと止まっていた。最初から出没しないのであれば然程気にしなかったのかもしれない。だが、今回の件に関してはあからさま過ぎていた。

 そんな中での目撃情報。故に警戒せざるを得ない状況となっていた。

 

 

「ここ最近感応種なんて見る事が無かったんだがな」

 

「北斗。いくらアラガミと言えど、こちらの都合で動く訳ではありませんから」

 

「それは…そうだな」

 

 感応種の討伐の可能性を考えながらに現地へと赴くと、確かにアラガミが居た様な形跡は残されていた。だが、それがそうだと決めつける事が出来る材料は何一つ無かった。しかし、この地域に出没していると聞いた以上、警戒態勢を解く様な事はないままに周囲を索敵していた。

 

 

「あれ?この辺りって確か、この前ロミオ先輩を、迎えに行った所の近くだよね?」

 

「ああ。実際にこの周辺で出没したって聞いてるけど……」

 

 ナナの言葉に老夫婦の事を思い出したのか、ロミオの挙動が若干怪しくなる。只でさえ、この周辺に遮蔽物は余り無い。幾らか山間に場所があるだけで、完全に回避するには心許ない場所だった。老夫婦の感覚では隠れる場所はあると考える。だが、現実を知るロミオからすれば、心配を回避するだけの場所では無かった。

 そんな事もあってか、何も無いならばこのまま顔の一つも出せばと考えた。だが、今は任務中であってプライベートの時間ではない。ましてや感応種の可能性を否定出来ないからこそブラッドが出動している事実はロミオの感情をミッションに優先していた。

 ここで自分の意見を押し通せば、ブラッドだけに留まらない。極東支部のゴッドイーターでは感応種を討伐出来ない以上、今は一先ず自制し、また次回の休暇の際に来れば良いとロミオは一人考えながら周囲の索敵をしていた。

 

 

「今回は空振りだったな。そう言えばシエル、直覚にも引っかからなかったのか?」

 

「今回は特に何も無かったかと」

 

 改めて確認するものの、やはり何もひっかかる要素が無かったのか、一旦アナグラへと戻る事になった。

 

 

 

 

 

「ジュリウス。感応種の反応は無かったぞ」

 

「そうか。実はあの後、こちらでも色々と調べたんだが、以前に対峙したマルドゥークはああ言った山間部に出没する可能性が高いそうだ。大丈夫だとは思うが万が一の事もある。

今後はミッションに関しても今までの様な運用ではなく、ブラッドとして運用する事を榊支部長は決めたらしい」

 

 マルドゥークの名に北斗は苦い経験を思い出していた。

 あの時は完全にこちらの力が足りなかった為に逃がした様な物で、状況を判断したのかマルドゥークが引き返した事によっては引き分けとも取れた。もし、あのまま続けていればどちらに命の天秤が傾いていたのだろうか。今でこそ血の力に関しては制御出来ているが、当時の状況下ではまともに戦う事が出来たのかと言われれば判断に迷う。

 今よりも戦闘経験が無かった為に、当時は完全に実力を読み切る事は出来ていない。しかし、ここに来て漸くあの戦闘力がどれ程なのかを何となくでも理解していた。少なくとも自分が対峙したアラガミの中では確実に上位に入る。今の実力でそれが本当に可能なのだろうか。そんな答えが出ない様な事を考えながら北斗はただ歩いていた。

 

 

「あの時はあれだったけど、今の俺達なら大丈夫じゃないのか?当時よりも成長してるんだし、実際に神機だってここに来てからは随分とバージョンアップ出来てるんだから、何とかなるだろ?」

 

「そうだな。神機はともかく、ロミオが言う様に、俺達も以前とは違うんだ。今回出没する様ならそのまま討伐するだけだ」

 

 今はまだ見えないアラガミを前に打つべき手が何も無い。しかし脅威が消え去った訳では無い以上、精神的にも厳しい日々が続くかもしれない。そんな考えを胸に秘めたながら、今後の状況に関しては今は何も手を打つ事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?アリサさんだ。何だか焦ってるみたいだけど、何かあったのかな?」

 

 警戒ながらのミッションは想像以上に精神的な負担を強いられていた。本来ならば気にする必要は無く、通常の任務をこなす様にすれば良かったものの、なまじ事前情報を聞いたばかりに過度な警戒がゆっくりと疲労感を伴いながら各自の身体へと蝕んでいた。

 これだけ目撃証言があるにもかからず、未だ発見すら出来ないのであればどこかに潜んでいる可能性も出てくる。通常のアラガミとは違った知性がそれを可能にしているのか、ブラッドも徐々に疲労感を隠しきれない所まで来ていた。そんな中でのアリサの珍しい動き。ナナの何気ない一言の瞬間、事態は動いていた。

 

 

「そうか……分かった。すぐに向かおう」

 

 慌てるアリサが目に留まっていたかと思った瞬間、ジュリウスの携帯端末が鳴り響いた。アリサの行動のちょきごなだけに全員の視線がジュリウスへと集まる。

 話の内容に関しては知らされていないものの、余りにも短い会話とその返答。僅か数秒のやりとりにも拘わらず、緊迫の度合いは高いままだった。

 

 

「ブラッド全員は直ちに支部長室に直行だ」

 

 ジュリウスの言葉に先程までの疲労感が一気に消え去る。少なくともここ極東で緊急的な招集があったとなれば、自ずと呼ばれた内容が何なのかは考えるまでも無かった。支部長室へ歩く速度が無意識の内に早くなる。全員の目には無意識の内に厳しさが宿っていた。

 

 

 

 

 

「疲れている所済まないね。実は今回来てもらったのは、現在建設中のサテライト拠点の件なんだが、現在進行形でアラガミからの襲撃を受けている。今はクレイドルと第1部隊を中心に出撃してもらってるんだが、実は厄介な事が起きてね」

 

「厄介な事ですか?」

 

「そう。実はサテライト建設予定に向かって現在赤乱雲が接近しつつあるんだ。それに伴って、今回フライアからその対策として神機兵の貸し出しの打診があったんだ」

 

 榊は敢えていつも通りの口調で話はするが、現在進行形で起きている襲撃が止む事はまず無い。仮に止むとすればゴッドイーターが討伐するか、それとも捕喰の対象となる物が全部無くなった時だけだった。本来であればすぐさま出動を要請するが、今回は何らかの含みがあったからなのか、何時も以上に丁寧に状況を説明していた。

 

「成程……確かに神機兵であれば赤乱雲でも影響はありませんね」

 

「話が早くて助かるよ。今回はその神機兵と一緒に出て欲しいんだ。ちなみに今回神機兵に関してだが、緊急事態である事と、万が一の赤い雨の際には殿となってもらう事も了承してもらっている。君達の任務の内容は、今生活している住人と近隣の住人の非難を第1優先として動いてほしいんだ。本来ならば君達にはもっと別の任務に入ってもらいたいんだが、生憎と人員が足りなくてね」

 

 榊の話の内容は緊急事態を示していた。サテライトは北斗達も実際に見ていた拠点でもあり、現在はそこにアラガミの襲撃も受けている。かだらこそ、アリサも慌てていた事を考えればどれほど緊急性が高いのかは全員が瞬時に理解していた。

 このままではあの拠点そのものが壊滅する可能性も高い。一刻も早い出動が要請されていた。

 

「今は緊急事態です。我々の都合は関係ありませんので」

 

「そう言ってもらえると助かる。済まないが宜しく頼んだよ」

 

「了解しました」

 

 榊の言葉に、全員が直ぐに行動を開始する。赤い雨の惨劇を知るからこその対処の早さ。誰もが直ぐに格納庫へと急いでいた。

 

 

 

 

 

「前方に赤い雲が確認出来た。赤い雨の対策を急げ。時間はもう無いぞ!」

 

 ジュリウスの号令と共に移動しながら現地の情報を瞬時に察知する。いくら一騎当千とも取れるクレイドルだとしても赤い雨の前にはどうする事も出来ず、完全に討伐すれば退避の時間が無くなる。その結果として住人の避難を最優先と考え誘導急務としていた。

 そんな中で近づくアラガミを討伐する為に神機兵と一緒に戦場へ行くブラッドが今回の作戦の肝とも言える内容だった。

 

 

「ジュリウス隊長。サテライト付近に強い偏食場パルスの兆候がキャッチされました。規模から想定すると感応種だと思われます。今はまだ距離がありますが、今後の動向に関しては未知数です。万が一の際には討伐も視野に入れて下さい。なお、現地の情報が更新され次第報告します」

 

 ヒバリの声がヘリの中に鳴り響く。この一言で最悪の事態に突入する可能性はあったが、今はそれを完全に相手にする事は困難とも考えられていた。

 いくら防護服を着た所で戦闘に巻き込まれればそんな防護服は簡単に破れてしまう。その結果待っているのは黒蛛病の感染。致死率100%の罹患はあってはならない結果ではあったが、今はそれ以上の最悪な事態を考えるのは難しかった。

 大規模な襲撃だけでも手に余る状況。追い打ちをかけるかの様な感応種の出現は、ある意味では厄介なミッションへと発展していた。

 

 

「アリサさん。我々も応援に来ました」

 

「ありがとうございます。今はアラガミの討伐に関しては一定以上の危機は無いと思いますが、それよりも今は赤い雨のからの非難が最優先です。アラガミの討伐もですが、今は地域住人達の退避を優先させて下さい」

 

「そうですか。しかし、我々もここに来る際に感応種の反応もキャッチしています。万が一の際にはこちらでフォローします。今はとにかく急ぎましょう」

 

「宜しくお願います」

 

 ジュリウスの感応種の言葉に、アリサも状況が悪くなることが予測出来た。だが、今は躊躇する様な暇はどこにもない。やれるだけの事をやるだけだと各々がそれぞれの場所へと散っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思ったよりも赤乱雲の動きが早い。総員直ちにシェルターに退避するんだ!この場は神機兵に託す!」

 

 事前に予想された赤乱雲は予想超えた早さでサテライトの建設予定地へと流れ込んでいた。

 誰の目にも明らかな動きはまるで人々に襲い掛かる様にも思える程に禍々しく見える。ここまで来れば雨の対策よりも退避の方が早いと判断し、全員が近くのシェルターへと駆け込んでいた。

 

 

「ジュリウスで最後か?」

 

「ああ。ここは俺で最後だ。ブラッドβ聞こえるか。状況を報告しろ」

 

「こちらブラッドβ。小型アラガミと遭遇中。今は残り一体だけです」

 

 無線の向こうからシエルの事が聞こえていた。当初は退避していたのかアラガミの影はなかったが、どこからともなくサイゴートが襲いかかっていた。

 逃げ惑う人々をかわしながらの撤退戦はいつも以上に手間取っている。シエルの声に冷静さはあるが、それでも周囲から漏れる音は紛れもない戦闘音だった。銃撃の音が耳朶に響く。その瞬間、得も言われぬ感覚が胸中を過っていた。

 アナグラのレーダーに異常が無ければ突然のアラガミの出現は余りにも不自然すぎていた。ましてや、ここにサイゴートが単体で居るはずがない。そんな単純な事さえも気が付かなかった。何時もであれば気が付く可能性。だが、今は赤い雨の対策に追われた為に、それ以上の思考は中断していた。

 

 

「早く中央シェルターに移動するんだ。間もなく赤い雨が来るぞ!」

 

「了解しました。ブラッドβ直ちに行動を開始します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サテライト拠点での状況がフライアの元へと逐次報告されると同時に、ラケルもまたその状況をリアルタイムで見ているのか、視線は画面にくぎ付けになっているが、手元はまるで無関係だと言わんばかりにせわしなく動く。もし、この場に誰かが居たのであれば、今のラケルの目に映っているのは神機兵の行動を確認してるのだとその時は誰もがそう思える様子だった。

 

 

「雨は降り止まず、時計仕掛けの傀儡は来るべき時まで眠り続ける」

 

 まるで呪文の様につぶやきながらもラケルは端末から手を放す事は無い。まるでそれが何かの合図であるかの様に一つの図面と思われる何かを見ながら最後のキーを無慈悲に叩いた。 小気味良い音だけが室内に響く。その後に起こる未来は最早必然だった。機械仕掛けの人形は突如として停止する。ラケルの目に映る光景は予定調和だった。

 

 

 

 

 

「フライアから緊急連絡!全ての神機兵の稼動が停止しました!原因は不明。繰り返します。すべての神機兵は停止しました!」

 

 悲鳴の様に通信は現場の確認へと繋がっている。突如として停止した神機兵の影響で命令系統が混乱しているのはフライアだけではない。現地でも突然の神機兵の停止によって退避の方法の変更が余儀なくされると同時に、今度は赤い雨ではなくアラガミとの競争となっていた。

 

 

「どうなってるんだ!神機兵が止まったままだぞ!原因不明なんて冗談じゃないぞ!」

 

「文句を言う暇が合ったら早く全員を非難させろ!赤い雨が来るぞ!」

 

 各地の混乱はピークとなっていた。前提条件が崩れるだけではなく、その場に居る全員の命の担保が消し飛んだ事に動揺は隠しきれなかった。

 かろうじてクレイドルや第1部隊の居る所だけが何とか平常を保とうとしているが、それはあくまでも一部だけの話。全体をコントロールするには時間が圧倒的に足りなさ過ぎていた。焦る事によって戦場は混沌と化す。その原因となった神機兵は未だピクリとも動く気配は無かった。

 

 

 

 

 

「人もまた自然の循環の一部なら人の作為もまたその一部。そして……やはり貴方が王の為の贄となるべき存在だったのね……ロミオ」

 

 まるでその混乱を楽しむかの様なラケルの姿は誰の目にも留まらない。ラケルが見ている端末には既に脅威となるべきアラガミの姿が確認出来ている。このままではどうなるのかは誰の目にも明らかだった。

 

 

「全員確認したか!早く名簿と照合するんだ!」

 

 珍しいジュリウスの怒声と共に人員の確認を急ぐ。混乱の極み中にいても最低限の確認が出来た事はまさに僥倖とも取れた。しかし、それが更なる追い打ちをかける事になった。

 

 

「ジュリウス!北の集落の人達がまだ居ない。爺ちゃん達がまだ来てないんだ!俺、ちょっと行ってくる」

 

「待て!ロミオ!」

 

 ロミオが叫ぶ頃には既に赤い雨はポツリポツリと地面を赤く濡らしだす。この時点で防具を持たないのであれば黒蛛病に罹患する可能性が極めて高く、これ以上この場に留まるのは危険だと判断されていた。

 そんな中、事前に用意してあった防護服を身に纏うと同時に、ロミオは未だ来ていない人間を捜すべく外へと走り出していた。想定外の事態はこれだけに留まらない。まるで嘲笑うかの様に新たな情報が飛び込んでいた。

 

 

「ブラッド隊!聞こえるか!」

 

「こちらブラッド。どうしたんだ?」

 

「ノースゲート付近に白い大型のアラガミが来ている。このままだとここは持ちそうにも無い。至急援護を頼む!」

 

 赤い雨が降り出すと同時に、まるでこの場を待ち構えていたのか白いアラガミの情報が飛び込んでいた。ロミオは捜索に神機を持って出ているが、ノースゲートに現れた白いアラガミは恐らくマルドゥーク。このまま遭遇すればどんな状況になるのか、考えるまでも無かった。

 

 

「ジュリウス!」

 

「北斗。ここは俺が行く。この場はお前に任せる。後は頼んだ!」

 

 ジュリウスもまた、防護服を着込むと同時に神機を片手にロミオの後を追う。北の集落の人が避難するなら恐らくそこから来るはず。先程届いたアラガミの一報はノースゲートであれば、恐らくはロミオもそこに向かっている。

 今はただロミオの無事を祈りながらジュリウスは全力でロミオの元へと走る事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロミオ。貴方はこの新しい秩序をもたらした者の礎になる。貴方のおかげでもう一つの歯車が回り始めると共に新たに時計の針が加速する。

 貴方の犠牲は世界を統べる王の名の元に……きっと未来永劫語り継がれて行く事になるでしょう。おやすみロミオ。新しい秩序が誕生するまで暫し眠りにつきなさい」

 

 無機質とも冷淡とも取れるラケルの笑みは消える事は無かった。それどころか新たな何かが誕生する事を祝うかの様に…まるで子供の様な無垢な笑顔の様にも見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「畜生!なんでこんな時に!お前ら邪魔なんだよ!」

 

 いち早く現地に着いたロミオは絶望しそうになっていた。そこには白いアラガミでもあるマルドゥークだけではなく、ガルムやサイゴートまでもが居る。最早この場所は死地と同じだった。

 先程のサイゴートは斥候だったのかもしれない。そんな考えが脳裏に浮かぶも今のロミオにはそこまで冷静に考える事は出来なかった。

 本来であればこれだけの数の討伐は1チームでやっても厳しい結果しか生まない。ましてやその中の一体はあの時北斗と対峙したと思われる個体。あの時に傷を付けた部分がまるでそうだと言わんばかりにその存在感を放っていた。

 

 

「お前ら巫山戯んじゃねぇぞ!」

 

 ロミオは自分の今出せる最大の力でヴェリアミーチを振り回す。つい最近も同じガルム種を討伐した際にもそうだったが、この種はやたらと動きが早く、その結果としてバスターの様な大ぶりの神機は空振りに終わる為に相性が悪かった。

 これが仮に単独で受けたミッションであれば、ロミオとて安易に振り回す事はしない。しかし、この赤い雨が降っていると同時に、まだ老夫婦を見てなかった事が焦りを生む要因となっていた。

 そして、今回の攻撃をまるで決められていたかの様に大きな隙を作り出す最大の要因とした様に、ガルムは大きく跳躍し、ロミオの神機は完全に空を斬っていた。

 

 

「しまった!」

 

 ロミオはその瞬間、自身の身体が衝撃と共に大きく空中へと飛ばされていた。空振りの隙を狙いすましたのか、ガルムの太い前足はロミオの身体をいとも簡単に空中へと浮かび上がらせている。不安定な空中では移動する事も態勢を整える事も出来ない。

 今はただ、何も出来ないままに僅かでも抵抗する為に必死に動かそうと努力をしていた。

 

 

「ウォオオオオオオン!」

 

 まるで何かの合図の様にマルドゥークが遠吠えを出すと同時に全力で放り出されたロミオへと突進する。避ける事も防ぐ事も出来ないままロミオはそれを受ける事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロミオ!!!」

 

 全力で現場へと走ったジュリウスの目の前には空中に飛ばされたロミオに向かってマルドゥークが飛び上がり鋭い爪を向けていた瞬間だった。今のままではロミオの命は簡単に消し飛ぶと判断したジュリウスは自身の神機を銃形態へと変形させ、全弾を打ち尽くすかの様にマルドゥークへと撃ち放っていた。幾度となく発生する轟音。だが、その後に続くはずの音が発生する事は無かった。

 移動する個体に向けての射撃に精密さはなく、何発かは着弾したもののそれを意にも介さず鋭い爪をロミオを襲っていた。

 

 

「とにかく防ぐんだ!」

 

 ジュリウスの悲鳴の様な声が届く事は叶わなかった。マルドゥークの鋭い爪がロミオの身体を簡単に引き裂く。それと同時に防護服は破れ、胸から腹にかけて三本の大きな赤い筋をロミオの身体に刻み付けると、今度はまるでゴミでも捨てるかの様に刻み付けたロミオの身体をジュリウスの元へと弾き飛ばしていた。

 

 

「ロミオ!」

 

 飛ばされたロミオの身体は猛スピードでジュリウスの元へと飛ばされるがギリギリの所でキャッチした瞬間だった。死角からのガルムの前足が今度はジュリウスを弾き飛ばす。それと同時にロミオの身体はその場に落ちていた。

 

 

「ジュ…リ…ウス……」

 

 落下の衝撃で気がついたのか、ロミオの目の前には赤い雨に打たれ横たわったジュリウスの姿があった。何時もであれば絶対にこんな光景はありえない程に。僅かに見開いたロミオの目に映る光景は性質の悪い冗談の様だった。ジュリウスの身体は動く事は無い。こんな無残な姿にロミオは静かにキレていた。

 

 

「お前ら!よくもジュリウスを!」

 

 刻まれた三本の線状痕からは血があふれて止まらない。既に弾き飛ばされた事で全身の至る骨には皹が入り、内臓のいくつかも恐らくは衝撃で破裂しているのか、多量の血を吐いた事で口の中には鉄錆の臭いが充満していた。思考が怒りによって真っ赤に染まる。ロミオは自身の肉体の限界を超えた動きを見せていた。

 この一撃が恐らくは自身の運命を決めるのだとロミオは本能的に判断していたのか、無意識の内にヴェリアミーチを上段の構えへと運んでいく。神機がまるで自分と融合したかの様な感覚と同時に、既にいくつかの臓器や筋肉は動く気配すら感じられないにも関わらず、全身の細胞がこれか何をすべきかと訴えるかの様に活性化していた。これまでに感じた事が無い程のオラクルの奔流。ロミオの思考は完全に飛んでいた。

 

 

「このまま消え去れ!」

 

 その場には何も無いはずの所に向かって大きな一撃を地面に向かって振りかざす。その大きな一撃は直撃する事はなくても赤黒い光がその先へと放出されていた。

 

 

 



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第154話 異動

ロミオとジュウリウスの1件は直ぐにアナグラへと連絡が入っていた。ただでさえ赤い雨の中での感応種の戦いは通常ではありえない程の内容であると同時に、ロミオが意識不明の重体のままフライアへと運び込まれていた。

あまりにも衝撃的なその一報がブラッドの空気を重い物に変えていた。

 

 

「シエルちゃん。ロミオ先輩って大丈夫だよね?」

 

「この件に関しては私にも想像できません。実際の現場を見た訳ではありませんが、本来であれば即死の状態で担ぎ込まれたそうです。今はただ治療の結果を待つ他ないでしょう」

 

「あのバカ…なんで勝手に戦ってるんだ……クソッ」

 

フライアでは現在治療を施してはいるものの、中の様子を知る術が無い以上、今はただ待つ事だけしか出来なかった。ナナの目は今にも泣きそうな程に潤み、シエルとギルは沈痛な面持ちで下を向いている。これ以上この場に出来る事は何一つ無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジュリウス。ロミオの件ですが、ゴッドイーターが故に処置に関しては問題はありませんが、最後に放った攻撃は恐らくは血の力の影響だと考えられます。ただ、その影響なのか、意識を取り戻すかどうかは私にも分かりません。明日なのかそれとも数年後なのか…今は静観する以外出来ません」

 

治療室から出てきたラケルの言葉は想像以上に厳しい内容でもあった。ジュリウスもガルムの一撃が直撃した事もあってか、今はまだ絶対安静の状態となっている。何時目覚めるのかすら分からない状況をどうやって報告すれば良いのか、言葉にするにはどうすれば良いのかを考えていた。

 

 

「ロミオの件に関しては非常に残念に思います。しかし、ジュリウス。あなたとて同じ様な状態である事に変わりはありませんよ」

 

「自分の身体は自分が一番分かっています。これは外傷だけなので、完治は時間の問題です」

 

「そんな事を言っているのではありません。ジュリウス。あなた黒蛛病に罹患しましたね」

 

ラケルの一言にジュウリウスは驚きを覚えていた。ロミオは運んだ際に、確かに赤い雨に打たれはしたが、未だ罹患の証でもある不気味な痣の様な物は浮き出ていない。にも関わらず、なぜそんな事を知っているのか。

未だ本人でさえも自覚症状が出ていない事を知っているのか理由が分からなかった。

 

 

「あなたのロミオをを思う気持ちは私もよく知っています。今は小康状態を保っていますが、今後はどうなるのかロミオの予断は誰にも分かりません。私も念のために榊博士と紫藤博士とも話をしましたが、今回の状況がどうなるのかは支部としても判断に困っているとの事です。万が一アラガミ化するのであれば、即処分するのがフェンリルの掟ですからね」

 

「しかし、それでは…」

 

「貴方の言いたい事は分かります。今後の様子はフライアが責任を持って管理しますから、安心しなさい」

 

動揺しているジュリウスの心の隙間に入り込むかの様にラケルの言葉は甘い物に聞こえていた。神機使いの末路は2つに一つ。そのまま殉職するか、アラガミ化するかの二択の未来。

しかも、後者であればその処分は部隊長でもあるジュリウスの手によって行われる公算が強い。今のジュリウスにとってその選択肢は最初から放棄していた。

 

ジュリウスの心にラケルの甘言がゆっくりと蝕む。あたかも旧約聖書に出てくるアダムとイヴをそそのかした蛇の如く、ジュリウスをゆっくりと絡め捕っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。すまないがこれから一緒にミッションに付き合ってくれないか?」

 

ロミオの事は公にはなっていないものの、ブラッドには詳細が伝えられていた。意識が未だ回復しない現状では、これ以上の手の施し様はなく、また今後どうなるのかも予断出来ない事が伝えられると、当初の予想通りショックが大きすぎたのか誰もそれ以上の言葉を発する事は出来なかった。しかし、いくら嘆き悲しんだ所でロミオの容体が良くなる訳では無く、今はただ忘れる事が無い様に各自が目を覚ます事の無い部屋に見舞いに行く程度の事しか出来なかった。

 

 

「それは構わないが…もう身体は大丈夫なのか?ジュリウスだってかなりダメージを受けてたはずだろ?」

 

「俺は元々外傷だけだからな。気にする事は無い」

 

当事者のジュリウスから言われると北斗はそれ以上の事は何も言えない。以前同様に2人でミッションを受ける事にした。

 

 

「で、何か言いたい事があったんじゃないのか?いくら簡単な内容とは言え、少し杜撰すぎた内容だぞ」

 

北斗とジュリウスの目の前には既に事切れたアラガミがコアを抜かれた事で霧散し始めていた。北斗が言う様に、今回のミッションに関しては明らかにジュリウスは動きに精彩を欠いていた。

ただでさえ油断すれば命を失うのは当たり前にも関わらず、些細な攻撃を避ける事無く被弾し、またそのフォローの為に動いた事によって討伐の時間はいつも以上だった。

 

 

「今回のロミオの件なんだが、皆には言わなかったが生還率はかなり低いらしい。ラケル先生の話だと実際に運び込まれた時には既に心停止してただけではなく、いくつかの臓器も破裂した事から多臓器不全となっていたそうだ。いくら神機使いと言えど、再生能力には限界がある。峠は過ぎたがこのままだと永遠に目覚める事が無い、いわゆる植物人間の可能性の方が高いらしい」

 

何気に言われた内容は北斗に衝撃をもたらしていた。当初聞いた際には、命に別状は無いが、いつ目覚めるかは不明だと聞かされていた。しかし、今のジュリウスの言葉から想像すれば、それは緩やかな死でもあり、また命そのものが無くなる寸前の様にも思えていた。

 

 

「今回の件で俺は改めて考えた。今回の直接の原因は神機兵にあるんだと本部から言われている。いくら赤い雨とアラガミの襲撃が重なったとは言え、このまま赤い雨の対策が可能な手段を失わせる道理にはならない。だからこそ……いや、これは俺の問題だな」

 

いつものジュリウスらしさがそこには無かった。自分自身は気が付いていないのかもしれないが、そこには諦観なのか、新たな選択肢を見つけたのか、今の北斗には分からなかった。

 

 

「北斗、俺はブラッドを抜ける」

 

「は?」

 

ジュリウスが何を言っているのだろうか。突然の話に理解が追い付かない。北斗の驚きを他所に既に決めた事なのか、ジュリウスの目には明確な意思が存在していた。

 

「この部隊は俺がいなくても既に普通に運用する事は可能だ。事実、今はここの環境にも慣れ始めている。それなら、もう無駄な殉職する様な事は少なくなるだろう」

 

「おい、何勝手な事言ってんだよ。ロミオがあんな事になったのは単なる事故だ。残念なのはわかるがジュリウスが気に病む必要は無いだろ」

 

「お前ならそう言うと思った。だが、これ以上時間をかける訳には行かない。これからの行動と結果が今後の計画を決めるはずだ。俺はこれから神機兵の教導を最優先とする。それが赤い雨から守る唯一の方法だと考えているんだ」

 

「ブラッドを捨てるのか?」

 

北斗の言葉はもう届かないのか、ジュリウスは何も答える事は無かった。この場に取り残された冷たい空気が今後の行方を示している様にも思えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ北斗。さっきフライアの人から聞いたんだけど、ジュリウスがブラッドを辞めるって本当なの?」

 

「そうか。ナナはもう聞いたのか……それは本当だ」

 

「北斗は止めなかったの?」

 

「止めたさ。でも……ジュリウスの心にはロミオ先輩に対する後悔しか無かった。少なくとも俺の目にはそう映っていた」

 

北斗がアナグラへと戻る頃、ブラッドに対しての連絡があるからと全員が一旦フライアへと移動する事になっていた。帰還直後にヒバリからの連絡で北斗も遅れてフライアへと行くと、エントランスには北斗を待っていたのか、ナナとギルが待っていた。

 

 

「ジュリウスのやつ……一体何考えてるんだ」

 

「話は聞いたが正直何を考えているのかは分からない。かなり思いつめた感じではあったがな」

 

ナナだけではなくギルも同じ様に話を聞いていたからなのか、北斗に詳細を確認しようとナナも含めて3人で話こんでいた。これからこの部隊がどうなるのかはこの時点では誰も想像する事が出来ない。

今は沈黙する以外に何も出来なかった。

 

 

「北斗、グレム局長がブラッドに招集命令を出しています。全員速やかに局長室へと来るようにだそうです」

 

シエルの呼びかけにこの場に居たブラッド全員がグレムの元へと足を運んでいた。恐らくは今後の部隊運用の件である事は間違い無い。ここ暫くはずっと極東支部で過ごす事が多かったから忘れる所だったが、現状ブラッドは未だフライアの所属になっている為に、グレムの話を聞くのはある意味当然でもある。

全員が重い足取りを隠す事無く向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「既に聞いてると思うが本日付でジュリウス・ヴィスコンティ大尉がブラッド隊の隊長を辞任した。大尉には今後、このフライアで神機兵の量産に伴う研究と開発を担当してもらう事が決定している。

それに伴って、今後のブラッドの隊の措置だがこれからここは神機兵の生産拠点となる関係上、部隊の運用は停止する」

 

突然言われたグレムの言葉は理解はするものの、納得できる物ではなかった。神機兵が原因となった今回の事件に関しては本部からは結果的には何のお咎めもなく、今後の戦力としての神機兵の製造が決定されていた。そうなれば、ここに神機使いを置いた所で何もする事が出来ず、その結果として部隊の停止が決定していた。

 

 

「停止ですか?」

 

「そうだ。お前たちの今後についてだが、今の状況を鑑みた結果、極東支部の要請もあってこのまま極東支部預かりとする。今後は新たな辞令があるまではそれに従ってくれ。で後任の隊長なんだが……なんだ貴様か。せいぜい迷惑だけはかけない様にしてくれよ。ただでさえ神機兵に対して以前に問題を起こしているからな。これが今回の召集内容だ。質問等は一切受け付けない。なお、この辞令は本日の一二○○より発動する物とする」

 

決定事項を淡々と読み上げ、これ以上は無用だと目の前のグレムは改めて書類に目を通していた。決定された内容に関しては本当の事を言えば、利益優先で他の事に顧みないグレムの下に付くよりも、今の極東の方が何倍もマシである事は誰もが理解していた。そんな事よりも、ジュリウスの辞任に関しては北斗以外は伝聞でしか聞いておらず、もしかしたらこの場に現れるのではないのだろうかと考えていた。

 

 

「なんだ?まだ何かあるのか。質問は受け付けないと言ったはずだが」

 

「そんな事より…なんでジュリウスがここに居ないの?普通だったらここに来るはずだよ」

 

「さっきも言っただろうが。大尉は神機兵の開発で忙しい身なんだ。お前たちの事に構っている暇は無いんだろ?今回の件はラケル博士にも承認を得てるんだ。それ上何を望むつもりなんだ?ガキじゃあるまいし少し位考えたら分かるだろうが。それともアラガミの相手をし過ぎた事でそこまで考える事が出来なくなったのか。

ただでさえお前達の隊員はこのままフライアで経過観察するんだ。一人の役立たずを維持するのもコストがかかる。だったら早々に神機兵を実戦配備するのが当然だろうが」

 

最早用事は何も無いと、グレムは会話をこれ以上するつもりは無いと、そのまま切り捨てた。今後の運用に関してはともかく、せめて真意位は知りたいと思うのはある意味当然の事でもある。しかし辞令が既に発令した状況下ではブラッドそのものが既に所属変更されている以上、このままフライアに留まる事すら困難となっていた。

 

 

「クソッ!なんだあの言いぐさは!俺たち神機使いは奴隷じゃ無いんだぞ!」

 

「ギル。少しは落ち着いて下さい。既に辞令は出てますので、今の我々はここにいるのも許可が必要になるんですよ」

 

「そんな事じゃねぇ!あいつはロミオに対して役立たずと言ったんだぞ。元々は神機兵が止まったのが原因だろうが!」

 

「ギル。ここでその言葉は拙い。気持ちは分かるが、一旦極東に戻ろう」

 

ギルの言葉は辺り一面に聞こえていたのか、その場にいた職員が一斉にギルを見ている。今回の一件は事故として処理されているが、実際の所は停止した原因は究明されていない。これ以上の発言となれば今度は極東に迷惑がかかると判断し、今はただ去るのみとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。ロミオの事なんだけど……もっと俺たちが早く誘導していればこんな事にはならなかったんだよな。本当にすまなかった」

 

北斗達がアナグラへと戻ると、既に辞令の事は聞かされていたのか、北斗を見つけ開口一番にコウタは謝罪していた。もし誘導がもっと早くに終わっていればこんな結末にはならなかったのかもしれない。

そう考えるとコウタの胸中には忸怩たる思いしかなかった。そんな中で北斗達に真っ先に謝罪しようとコウタは考えていた。

 

 

「コウタさんが謝る必要はどこにも無いんです。あれは誰がやっても起こりうる事ですし、まだロミオ先輩は死んだ訳ではないんで……」

 

「そうか……そう言ってくれると助かる。でも神機兵が急停止したにも関わらず、生産が決まったのは不思議なんだよな。フライアではその話は出なかったのか?」

 

コウタだけではなく、その場に居た全員が確実にそう考えていた。戦場で兵器の急停止は今後どこまで信頼を寄せれば良いのか判断に迷う事になる。にも関わらず、原因はおろか急停止した事実すら発表される事はなかった。何も知らないままであれば手放しで喜べたのかもしれないが、目の前で起きた惨劇を見た後で喜ぶ様な人間はこの極東にはどこにも居なかった。

 

 

 



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第155話 準備段階

 

「繋がったよ。ジュリウス見えてる?久しぶり~」

 

これ以上グレムに何を言っても無駄だと判断した結果、北斗達はアナグラのラウンジにある大型モニターからジュリウスに向けての通信回線を開く事にしていた。当初は繋がらない可能性も危惧したものの、通信までは制限がかかってなかったのか、モニター越しのジュリウスは何時もと変わらない姿だった。

 

 

「ああ見えてる。それよりもどうしたんだ?これでも俺は忙しい身でな。手短に頼む」

 

「尋ねたい事は一つだ。……ジュリウス。どうしてブラッドを抜けた?いや、逃げたんだ?」

 

ナナの事からギルは若干挑発めいた言い方で詰め寄り出す。何かに座っているからなのか、見た目は何時もと変わらない様にも見えるが、その目は何時もとは違い、感情が欠落したかの様にも見える。

この短時間で何が起きたのか、この場に居る誰もが疑問を生じえなかった。

 

 

「ギル、安い挑発はいい。俺が今回の事に踏み切ったのは人はあまりにも脆い。いくら強化されたゴッドイーターと言えど、強大なアラガミの前には強化された人類など小さい物だ。それならば、安価に大量生産出来る神機兵を大量に投入した物量作戦で押し切るのが一番合理的だ。事実壊れた所で部品を交換すれば再び戦場に戻る事が出来る。最悪コアさえ生きていれば、今度はそれをフィードバックする事で他の神機兵にも同じ経験を積む事が出来れば、人類の、いやゴッドイーターの負担は減る事になる」

 

「ハッ。ブリキの王様気取りはどうかと思うがな」

 

「……ギル。お前の言いたい事は理解した。がしかし、それ以上の事を言うのであれば口では無く実績で示せ。ゴッドイーターの方が神機兵よりも実効的なのか、万が一の対処はどうなのか。すべては結果を出してからにしてもらおうか。幾ら綺麗事や正論を振りかざしても、それに追従するには根拠が必要だ。これ以上は議論する必要もないだろう」                

 

ジュリウスの言葉は正論とも取れる。確かに実行出来る実力が無ければ最終的には実績の根拠をどこかで示す必要が必ず出てくる。いくら緊急停止しようが赤い雨の様な過酷な環境下でも平然と動けるのは大きなアドバンテージとなる。

今回のロミオの件に関しても赤い雨が降らなければ、戦局はひっくり返った可能性も捨てきれない。そんな中で余程のトラブルが無い神機兵の方が体制的には有利だと考える人間も少しづつ増えてきていたのもまた事実だった。

 

 

「ジュリウス。一つだけ良いか?」

 

「なんだ北斗?」

 

「ロミオ先輩は大丈夫なのか?」

 

「ああ。その件に関しては俺が全責任を持つ。いくらグレム局長であろうと、ロミオの事に関しての横槍を入れさせるつもりは毛頭無い。その点に関しては安心してくれ」

 

今回の異動の件で一番気がかりだったのがロミオだった。極東に異動となれば当然ブラッドとておいそれとフライアに行くのは困難になる。ましてやグレムはロミオの件に関してはどちらかと言えばコストがかかるの一言で役立たず扱いをしていた。そんな記憶があった為に、北斗もジュリウスに確認をしていた。

 

 

「そうか。なら俺からは何も言うつもりはない」

 

「もう要件は無いな。だったら切るぞ」

 

ジュリウスの一言で通信が切れたものの、暗くなった画面をそのままに誰も動こうとはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だか少し騒がしいけど、何かあったのかな?」

 

「ナナさんお帰りなさい。今は黒蛛病患者を一旦ここからフライアへと移してるんですよ」

 

ミッションから帰るとロビーだけではなく、全体的にざわついた雰囲気があった。こんな時に何か大きいなイベントがある事は聞いておらず、また緊急事態に陥った様子も無かった。

見れば今回、黒蛛病に罹患した患者が移動しているのか、少し先には治療で来ていたアスナの姿があった。

 

 

「アスナちゃんもこれからフライアに行くの?」

 

「あっナナさん。何でもフライアの偉い人が私の治療を一手に引き受けてくれるって聞いたから、皆で移動するんだ」

 

「そっか。フライアには庭園があるから、あそこに行ったら行ってみると良いよ」

 

「そうなんだ。楽しみだな。皆も来てくれるんだよね?」

 

アスナの純粋な言葉に少しだけナナは言葉に詰まっていた。今はフライアから極東に異動した為に、おいそれと行く事が出来なくなっている。もちろん、これから行く人間に対して安易な約束をする訳にも行かず、返答に困っていた。

 

 

「そうですね。一旦落ち着いたらユノさん達と一緒に行きますよ」

 

「本当!シエルさんも来てくれるの?」

 

「ええ。もちろんです」

 

「じゃあ約束だからね」

 

治療が進めば、容体も良くなる。今は行く事が厳しいかもしれないが、ジュリウスの言葉を信じるならば、神機兵の生産が完全に軌道に乗れば多少の移動許可なら下りるだろう。

戸惑うナナをフォローする様にシエルがアスナへと話していた。

 

 

「黒蛛病、早く治ると良いですね」

 

「元気になったら一緒に遊んでね!次のFSDは画面越しじゃなくてこの目で見たいから」

 

元気いっぱいに手を振りながらフライアへと移動するアスナをいつまでも手を振りながら見送る事しか今は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。少し宜しいでしょうか?」

 

フライアに黒蛛病患者が移動してから数日が経過していた。今まで患者が居た事もあってか、やや落ち着かない場面もあったが、既に居ない以上少し緊迫しながらもどこか緩やかな雰囲気が戻りつつあった。そんな中でのシエルの一言が今後の状況を一転させる事になった。

 

 

「実は、以前にサテライトを襲撃したと思われるマルドゥークの反応を確認したとの一報は入りました。詳細についてはまだハッキリとは分かりませんが、恐らく潜伏している地域から推測するにあたって、ロミオを襲った個体の可能性が極めて高いとの事です」

 

「そうか…で、この事は榊博士は何だって?」

 

「それに関してですが、一度ブラッドと打ち合わせしたいとの事ですので、この後に召集命令が出ます。まずはそこでブリーフィングになるかと」

 

サテライトを襲った個体が今回の調査で発見したとの言葉は嫌が応にも当時の状況を思い出させる。未だ意識が戻らないロミオに、それが原因で隊を離脱したジュリウス。

まさに因縁の戦いである事に間違いは無かった。榊から打診されるのであれば、拒否する気持ちは毛頭無い。まずは確認がてら召集された支部長室へと移動する事にした。

 

 

「よう!お前さん達。今回の件だが、聞いてるな?」

 

「あれ?なんでリンドウさん達がここに?」

 

北斗達を出迎えたのは榊だけでは無かった。この場にいたのはリンドウやエイジ達クレイドルの接触禁忌種の専門討伐班までもがこの場に居た。今さらリンドウやエイジの戦闘能力に疑いを持つ様な事は一切ないが、相手は接触禁忌種の中でも感応種。

となればこの場に一体何の為に呼ばれたのか誰も分からなかった。

 

 

「俺達も取敢えず呼ばれたから来たんだが、詳しい事は姉上に聞いてくれ。…いでっ」

 

「ここでは姉上と呼ぶなと何度言えば分かるんだ。お前もそろそろ大人になれ。それと今回のミッションに関してだが、前回襲撃の際には分からなかった事も踏まえて今回の調査結果を先に公表する」

 

ツバキの一言がこの場の空気を新たに引き締めていた。今回のアラガミが因縁の相手である以上、ここから先にやるべき事は決まっている。そんな空気が支部長室の中を支配していた。

 

 

「今回の対象となったアラガミに関してだが、前回サテライト拠点を襲撃した個体である事に間違いは無い。しかも、一度襲撃に味を占めている可能性が高く、このまま放置すれば、今後のサテライト拠点の建設計画にも大幅な変更を余儀なくされる可能性が高い。従って今回のミッションに関しては完全に殲滅するのが条件となる」

 

リンドウの頭をファイルで叩きながらにツバキが話す言葉に漸くクレイドルのメンバーがここに居るのが理解出来ていた。あのアラガミは北斗が最初に覚醒した際にも対峙したが、極めて高い知能を有している可能性が高く、今回の襲撃によって、どのタイミングでどう動けば良いのか理解している可能性が高い事が危惧されていた。

 

再度サテライトを襲撃されるのであれば、暫くの間は厳重警戒すると共に、資材調達までもが困難になる可能性が高かった。

その為に今回の内容に関しては珍しく殲滅と言う言葉が入っていた。

 

 

「我々とて冷血ではない。ロミオの敵討ちとしての側面がある事は理解している。今回の内容に関してはマルドゥークが感応種である事も理解した上での作戦となる。その為の概要に関してを説明しよう」

 

ツバキの提案する内容はまさに殲滅するのが確実だと取れる内容だった。今回の作戦の中で一番の肝の部分がマルドゥークの持つ特性。元々感応種はP53偏食因子を沈黙させる能力を持っているだけではなく、その種ごとに様々特性を有していた。

 

今回の中では遠吠えによる他のアラガミの誘引の能力を秘めている事が懸念されていた。ブラッドは確かに感応種の対策においては絶大な能力を秘めている可能性は間違いないが、決してそれが全部をカバー出来る程の能力では無い。

事実単純な攻撃能力で言えばクレイドルの遠征チームの方が数段上になっている。単純な戦いではなく、単なる能力の相性の問題である事はこの場に居る全員が理解していた。

 

 

「作戦の内容に関しては以上だ。討伐に関しては通常と何ら変わりはない。ただ、今回は恐らく長丁場になるのは間違い無い。各自しっかりと準備だけはしておくように。それと今回の作戦に関してはフライアからも打診が来ている。我々としてはその能力も勘案した結果、打診を受託する事を決定している」

 

ツバキのフライアの言葉にブラッドの全員は反応していた。まさか大規模作戦になる可能性が高い物にゴッドイーター一人だけ配備する事はあり得ない。そうなればここに来るのが誰なのかは容易に想像出来ていた。

 

 

「今回フライアからは神機兵を3体配備する事になっている。そしてその責任者としてジュリウス・ヴィスコンティ大尉が派遣された」

 

「ジュリウスが来るって事は、神機兵の教導は終わったのか?」

 

「今回のミッションはその最終確認だ。教導そのものは何の問題も無い。それと北斗、お前が率いる新生ブラッドもこの目で確認させてもらうぞ」

 

不敵な笑みを浮かべながらも、内心はブラッドの事を気にしている可能性はあったが、今の時点でそんな話はする必要が無い。今回のミッションに関してのブリーフィングがそのまま続けられる事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが今回の作戦で使う移動型戦闘指揮車か」

 

「この極東にはこれを含めて現在は2台が配備されてるそうです。今回の作戦に関してはブラッドとクレイドルの共同作戦の為に使用するそうです」

 

北斗が一番最初に見て驚いたのはその存在感だった。普段であればヘリや車で移動しているが、この車はそんな感覚すら失せそうな雰囲気があった。

中には簡易ではあるがオペレートシステムが搭載されており、ここから各地へと指示を飛ばす事が可能になっていた。

 

 

「この車凄いよね!設営用の資材が積まれてるから一々アナグラに戻る必要が無いんだって。これなら何かあっても大丈夫そうだよね」

 

設営資材の中には簡易型のシャワーやミニキッチンも併設出来るのか、それを初めて見たナナは目を輝かせている。しかし、裏を返せばこれがあるから超長期任務も可能である事までは気が回っていない。

このままここに居れば確実に気が付くだろうと考え、北斗はそれ以上の事は何も言わなかった。

 

 

「しかし、これを投入するのであれば、今回の作戦は失敗は許されませんね」

 

「ジュリウスも出張ってる。俺たちが神機兵に遅れをとったなんて言わせるつもりは毛頭無いさ」

 

指揮車を見ながらも、今回のミッションは過酷な物になる事だけは既に予想されていた。本来であればミッションの前に行うブリーフィングの際に今まで殲滅の言葉は聞いた事が無かった。

クレイドルとしてはサテライトの、ブラッドとしてはロミオの一件がある以上そんな事は言われるまでも無く殲滅させるのは既に北斗の中では決定事項だった。

 

 

「何だ。お前さん達もここに居たのか?」

 

「リンドウさんはどうしてここに?」

 

物珍しく見ていたからではないが、北斗の背後からリンドウが気軽に声をかけていた。ここに来てからは打ち合わせで話をする事は度々あったが、こんな場所で会うとは思ってもいなかった。

 

 

「これは俺達が本部に行ってた際に使用していたのと同種なんだが、細かい部分に違いがあると面倒だから確認に来たんだ」

 

「本部でもこれを?」

 

「ああ。これはこれで慣れると楽なんだぞ。一々帰る必要もないし、万が一物資が切れる事があれば空輸すれば良いからな。実際に俺達はこれで半分以上暮らしてるみたいなもんだ」

 

そう言いながら、リンドウは手慣れた様子で物資を確認している。既に回復剤等の資材は確認されているはずだが、何を確認するのだろうか。リンドウの行動の意味が分からないままだった。

 

 

「あちゃ~やっぱりか。お~いエイジ。やっぱりあれが配備されてるぞ」

 

「でしょうね。あれには最初苦労しましたから」

 

リンドウの呼びかけにエイジの声が聞こえて来る。既に予想していたのか、エイジの両手には大きな荷物袋が握られていた。

 

 

「エイジさん。それは一体?」

 

「これ?これは資材じゃなくて食料だよ。この車にはレーションも積まれてるんだけど、味気なくてね。本部でもこれが大不評だったから、万が一と思って確認してたんだよ」

 

そもそも戦場に通常の食料を持ち込む考えそのものが間違っている様にも思えていた。レーションは基本的には不味くはないが旨くも無い。単に栄養の補給を第一と考えればそれはある意味当然の事ではあるが、自分達の欲望の為に非戦闘員を何人も連れて行く訳には行かない。

だからこそレーションで無理矢理食事は終わらせるのが一番だと考えた結果でもあった。しかし、クレイドルにはエイジが居る。そうなれば栄養補給の観点だけではなく、自分達の快適さを追求するのはある意味当然だった。

 

「お前さん達もクレイドルとブラッドが違う物食べてたら、お互い気まずいだろ?そんな時こそ同じ釜の飯を食う事で連帯感が高まるんだよ」

 

「やっぱりリンドウさんもそう思いますよね。シエルちゃんだってクレイドルの人が美味しい物食べて、私達がレーションだと気まずいよね?」

 

「別に私としては……」

 

「え~。北斗だってそう思うよね?」

 

ナナが気が付くと同時に、リンドウの話を聞いてすぐに想像したのか、食事の風景を思い浮かべていた。恐らく野戦での食事であれば効率的なのかもしれないが、隣で美味しく食べてるのを横目で見るのはナナとしては耐えられない。

おでんパンはともかく、それ以外の物となれば話は大きく変わってくる。だからこそナナとしても譲れない何かがあった。

 

 

「それは否定しないけど、折角食べるなら旨い方が良いのは確かだな」

 

「でしょ~」

 

これから戦いに行くとは思えない様な空気がこの場を支配していた。お気楽と言えばそれまでだが、そう考えないと気晴らしにもならない程の強敵である事に変わりない。

今はそんな無粋な事を考える事なく、一つの意志となって任務に臨んでいた。

 

 

 

 

 

 



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第156話 共同作戦

ブラッドとクレイドルの共同作戦の概要はアナグラにすぐさま通達されていた。今回の相手は因縁とも言えるアラガミ。通常種ではなく感応種である事が今回の任務を困難な物へと押し上げていた。

 

 

「何だよ。今回は俺だけ仲間外れなのか?久しぶりにエイジとミッションに行きたかったんだけど」

 

「コウタはクレイドルでもあるけどその前に第一部隊の隊長なんだし、それは無理だよ。コウタが参戦したらエリナとエミールが気の毒だと思うけど」

 

通達が出た瞬間、クレイドルの参戦リストにコウタの名前は無かった。ロミオが負傷したまま、ジュリウスの脱退によりブラッドはこの時点で4人。それに対してクレイドルはエイジとアリサ、リンドウとソーマの4人が選出されていた。

 

 

「そりゃそうなんだけどさ……まぁ今回はロミオの件もあるし、サテライトの件もあるからな。今回は譲るって事で次回のミッションは一緒に行こうぜ」

 

「そうだね。久しぶりに元第一のメンバーでのミッションも悪くないかも」

 

これから厳しい戦いになるのは予想されたものの、そこは歴戦の猛者とも言える実績があるからなのか、何時もと変わらない日常の様な雰囲気がそこにあった。そもそも資材の中に食材と調味料を持ち込んでいる時点で本人達は死ぬつもりは毛頭ない。

その戦闘能力の高さがあるが故にコウタも軽口とも取れる話をしていた。

 

 

「ちょっとコウタ。自分の仕事はちゃんとしてるんですか?」

 

「当たり前だろ?アリサが言わなくてもちゃんとやってるよ。それよりも今回のミッションは短期決戦とは言えあれ使うんだろ?少しは周りに気を使えよ」

 

コウタの言いたい事が伝わっていないのか、アリサはキョトンとした表情をしていた。周りに気を使うのは当たり前の話であって、そんな事を態々言う必要性はどこにも無い。何を言いたいのかは分からないが、碌な話では無い事だけは想像出来ていた。

 

 

「コウタの言ってる意味が分からないんですけど?」

 

「今だってエイジと一緒にミッション出てもイチャついてるんだろ?今回はブラッドも出てるんだ。少しは自重しろよ」

 

「誰がそんな事を言ってるんですかね。まさかコウタが適当な事言ってるんじゃないんですか?ドン引きです」

 

そう言った瞬間、アリサの鉄拳がコウタの腹を狙う。いつもならば不安定な場面での行使の為に直撃するが、今はお互いが万全な状態となっている。その為にコウタはギリギリ避ける事が出来ていた。

 

 

「何時もの俺だと思うなよ」

 

「お前達騒いでるが準備は出来たのか?アリサ、エイジが呼んでたぞ」

 

「え?分かりました。コウタ、覚えておきなさいよ」

 

そんな言葉にアリサもキレる寸前だったが、不意にソーマの声で我を取り戻したのかアリサはコウタを一瞥すると、すぐさまエイジの元へと急いでいた。

 

 

「コウタ。これからミッションに行く前に余計な事をするな。まだエイジが居るから良い物を、居ないと大変なのは知ってるだろうが」

 

「分かってるけどさ…今回は俺が外れたんだから少し位良いだろ?ソーマだって本当の事言えば楽しみにしてるんじゃないのか」

 

コウタの言葉通り、不謹慎ながら今回のミッションを密かに楽しみにしていたのはアリサだけではない。ここ最近のサテライトの襲撃以降、かなりクレイドルとしての活動が慌ただしくなった事もあってか、ソーマもここに居ながら各チームとの連携とばかりに色々とミッションを引き受けていた。

 

実際にはリンドウとソーマは偏食因子の関係上、万が一ブラッドが間に合わない状況下でも感応種には対応できるからと、一緒になる事は無かった。

 

 

「ぬかせ。今回のミッションに関しては以前にやりあったディアウス・ピターと同じく高度な知能を有する可能性があるアラガミだ。今回は殲滅すると同時にコアは無傷で獲り出すのが任務だ。ある意味厳しい戦いになる可能性が高い。お前の件にしても万が一その被害がアナグラまで及べば、お前が指揮する必要も出てくる。そんな場面で全員を投入できる訳無いだろうが」

 

「そんな事は知ってるって。心配はしてないけど、気を付けてやってくれよ」

 

態と騒ぐ事で多少なりともリラックス効果を狙った事が読まれたのか、それ以上コウタが言う事は何も無かった。

 

「誰に物を言ってるんだ。まぁ遠征って程でも無いんだ。これなら一両日だろ」

 

不敵な笑みを浮かべながらも、ソーマも今出来る事だけを考え準備をしていく。これからが電撃作戦とも取れる内容に戦いのプランを練っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいか。ブリーフィングでも言った通りだが、今回の対象アラガミでもあるマルドゥークは恐らく高度な知能を有している可能性が高い。我々としても今後の対応だけではなく、コアの研究如何によっては更なる対抗手段を取得できる可能性を秘めている。その為にクレイドルは陽動を兼ねた周囲のアラガミの掃討、ブラッドは時間差で続き、マルドゥークを討伐する物とする。今更ではあるが全員生きて帰れ。これは命令だ」

 

ツバキの厳しい声と共に改めて作戦の概要のおさらいとなった。マルドゥークは自身を中心に放射状にアラガミを配置している。このまま考え無しの突入は悪手となる所か、ここで逃げられると今後の警戒が一段どころか更に数段上がる事になる。

 

ただえさえ警戒しながらの建設には時間がかかる。そうなれば作業効率が落ちるだけではなく物資の問題もやがては出てくる可能性がありる以上、この場で全部終わらせる為の殲滅でもあった。

既に緩んだ空気は存在していない。ここから先はそれぞれの大義の下で戦う事になる事だけは間違い無かった。

 

 

「北斗、マルドゥークの事は頼んだ。僕達は配下のアラガミの掃討と戦闘中に呼びこまれるアラガミを近づけない事が主任務になる。僕達の事は気にせず目一杯やってほしい」

 

「分かりました。クレイドルの意義を有難く受け取ります」

 

お互いのやるべき事は既に決まっている。ここから先は敵討ちとも半ば私怨とも取れる戦いへと突入する。この言葉を皮切りに戦いの戦端は切って落とされ様としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちらクレイドル。近隣のアラガミ反応は消失している。そちらでの反応はどうだ?」

 

リンドウからの無線は指揮車だけではなくアナグラにも同時に飛んでいた。指揮車の車載レーダーでは広域まで探る事は厳しく、その結果アナグラのレーダーも併用して索敵を行っていた。

 

 

「リンドウさん。アナグラからのアラガミ反応はありません」

 

「リンドウ。こちらも反応は無い。周囲の索敵を敢行しつつ、その都度状況確認をするんだ」

 

クレイドルの行動は神速の如き早さで一番外周をうろつくアラガミを一気に討伐していた。元々外周にうろつくアラガミは当初の予想通り、そこまで強固な個体ではなく、一般的な個体ばかりだった。

 

そもそも今回の作戦の中で一番の問題はマルドゥークがどう動くかにあった。ただえさえ要塞の様な地域に生息しながら、まるで兵士の如く他のアラガミを呼び寄せている。

この時点である程度予測しているのではないかとの懸念がそこにあった。ここで通常の様な音を出しての討伐であれば他でも気が付く可能性がある。

まだブラッドが本陣とも言える地点に到達していないのであれば、陽動の意味では成功するかもしれないが、討伐となれば戦局は一気に悪化する可能性がそこにはあった。

 

 

「周囲のアラガミ反応は無い。このまま先へと進むぞ」

 

「了解」

 

リンドウの指揮の元、エイジ達は次のフェイズへと進んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。今通信が入りました。クレイドルが第一陣を突破したとの事です。我々も少しだけ早く移動した方が良いかもしれません」

 

「ああ。しかしクレイドルのチームは早すぎないか。こっちの方が慌てそうだぞ」

 

「向こうは現在考える事が出来る中での最強のチームです。幾ら感応種の討伐とは言え、通常のアラガミであれば我々との戦力差は仕方ありません」

 

感情論は抜きにしてのシエルの言葉はブラッドの誰もが異を唱える事は無かった。ただでさえ最近になってからはエイジやリンドウ相手の教導が一気に増えているとは言え、経験値の差はそう簡単には埋まらない。

もちろん、そんな事は分かり切っているとは言え、誰もがそれを無条件で受け入れている訳では無かった。

 

 

「とりあえず今回の任務が終わったら、また教導プログラムのお願いは決定だな」

 

「そうだな。でも、出来る事ならもう少し何とかならないのかあれは?」

 

ギルの言葉には若干の諦観が含まれていた。元々教導カリキュラムは曹長クラスの早期育成と戦闘能力の向上をメインとした物となっている為に、本来であればブラッドは対象からは外れている。

もちろん教導の際にはスケジュールも決まっている事もあってか、空いた時間は戦術論に関する教導が入り込んでいた。これに関してはシエルは何も問題なかったが、それ以外の3人からすればある種の拷問の様な気がしていた。

 

決して学びたく無い訳では無いが、戦術理論は案外と状況に応じた変化が求められるのと同時に、新たなアラガミが現れる度に内容が更新されていく。その為に技術とは違い、終わりと言う物が存在していなかった。

 

 

「お二人の言い分は分かりますが、アラガミとて進化している以上、それは仕方ない事だと思います。ましてや北斗は隊長ですから、一番最初にやるべき事なんですよ」

 

「シエルちゃんは良いけど、私なんて今じゃ何言ってるか理解出来ないんだよ。せめてそこはもうちょっと……何とかならないかな」

 

シエルはこの3人に対して個別にやった方が良いのではないのだろうかと考えていた。もちろん戦術論は一人ではなく複数の人間とやった方が戦術の幅は確実に拡がる。それ故に理論に関しては部隊の垣根を越えた教導プログラムとなっていた。

 

 

「話はここまでだ……シエル。ツバキ教官に報告。これからミッションを開始する」

 

「了解しました」

 

目の前には哨戒のサイゴートが浮かんではいる物の、こちらに気が付いた気配は無かった。このまま突入すれば発見されるのは確実だった為に、ここは冷静な判断が求められていた。

 

 

「シエルがサイゴートを狙撃した後で一気に突入。相手はサリエルだから気を抜くな」

 

「了解」

 

ハンドサインが出たと同時にシエルはサイゴートの狙撃を成功させていた。着弾後に小さな爆発を伴った攻撃は一発の銃弾ですべてが完了していた。哨戒が消された以上、後はサリエルの討伐だけとなる。

この種は空中に浮いている事から、余程の機動力が無い限り、面倒な戦いになりがちになる。下手に時間をかければ他のアラガミを呼び寄せる可能性が高かった。その可能性を考慮すればブラッドもクレイドル同様に神速の如き攻撃が要求されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、今回の決戦用のチューニングは凄いな」

 

「そうですね。まさかこれ程だとは思いませんでした」

 

懸念していたサリエルの討伐は想定した時間よりも大幅な時間短縮で完了していた。一番の要因は今回の決戦用にチューニングした神機だった。ナナの神機は特性上無理があったが、北斗やシエル、ギルの様に切断する場面が存在する神機にはエイジに施したのと同じ仕様でもある単分子構造のコーティングが施されていた。

 

神機そのものの攻撃能力は上がらないが、単純な切断に関しての能力はまるでバターでも切るかの様な切れ味の影響もあってか格段に上昇していた。

もちろん、今まで同様に運用は厳重に言われていたが、まさかここまでの能力を発揮するとは誰も想像していなかった。

 

 

「ただ、耐久性が著しく低いから、これに慣れると今後が厄介になるから、本来は使わない方が良いのかもしれない。過信は禁物だな」

 

「私はそんなのしてないから分からないよ。良いよね~みんなは。私のだけ何も無いんだよ」

 

「ナナの神機はブーストの出力が上がってるって聞いてるぞ。従来と同じ様に振ると持ってかれるぞ」

 

「え?そうだった…かな。ちょっと覚えてないや」

 

笑ってごまかしはしたものの、ナナも説明は聞いていたはずではあったが、最終的には意味が良く分からないからとそのまま聞き流していた。確かに出力に関しての説明はあった様な記憶はあるが、実際に試した訳では無いので体験しないとその真価は分からなかった。

 

 

「とにかく、今日の流れはこれで一旦終了です。まずは指揮車へ戻りましょう」

 

シエルの言葉をそのままにあるはいよいよ因縁のマルドゥークとの戦いが待っている。今は一先ず帰ってからのブリーフィングに備える事を第一に帰路へと着く事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁ。これが例の資材の意味ですか?」

 

北斗達ブラッドを待っていたのは、既に食事の準備をしていたエイジ達だった。当初の予定通り、素早く討伐した事もあってか、先に食事の準備をしていた。

 

 

「お前さん達も戻ったか。これから食事にしてブリーフィングだ。もう大よそ出来てるぞ」

 

いつぞやのサテライトで見た炊き出しの様にも見えたが、そこに置いてあったのは黒い鉄製の鍋の様な物だった。既に出来ているのか、今はただそこに置いてある。これは一体何だろうかと考えていた矢先にリンドウが声をかけていた。

 

 

「どうやら気が付かれる事なく討伐したみたいだね。もう出来上がっているからそろそろ食べようか」

 

エイジがそう言いながらに鍋の蓋を開けると、そこには大量の具材と鮮やかな色味が付いたパエリアが入っていた。既にテーブルのセッティングはアリサとソーマがやっていたのか、あとは食べるだけだった。

 

 

「外で食べると一段と美味しく感じるよ。何だかキャンプしてるみたい」

 

ナナの言葉が全てを表していた。ダッチオーブンの中身はパエリアだったが、それ以外にもスープやサラダがそれぞれに用意され各自がそれぞれに食べている。普段とは違った環境での食事は思いの外進みやすかった。

 

 

「そうですね。これならレーションだけと言われると少し考えますね」

 

「だろ?これが標準装備のレーションだけだと味気ないんだ。行った当初は苦労したぞ。なんせそんな物を持ち込むのは禁止だって散々言われたからな」

 

リンドウの言葉にエイジも苦笑するしかなかった。レーションそのものは各地によって味や中身は違ってくる。極東の品は他の支部と比べれば段違いに旨いが、それでも何時もの食事と比べれば格段に下だった。

当初は中々認められる事はなかったが、クレイドルの戦果とと共に規制は徐々に緩くなっていた。

 

 

「色々と苦労したんですね」

 

「実際には今回の食事もレーションを転用してるから、そこまで食材にこだわりは無いんだよ。これが長期だと確実に搭載するんだけどね」

 

「でも、今回はリンドウさんは何もしてないですよね?」

 

「たまには良いだろ?向こうじゃ俺だって準備はしてるんだ。今回位は楽させてくれ」

 

北斗の疑問はエイジによって解消されていた。アレンジと言われても気が付かない程にいつものラウンジと変わらないレベルの技術には驚かされるが、これがクレイドルの日常なんだと理解していた。

 

クレイドルには決まった上下関係は存在していない。ある意味部隊運営は難しいのではないかと考える部分もあったが、今のリンドウ達からはそんな気配は微塵も感じなかった。

今のブラッドはジュリウスが抜けた事によって自分の双肩にかかっているのではと考える部分が当初あったが、この目でクレイドルを見た限りでは、こんな運用を目指したいと北斗は密かに考えていた。

 

 

「そう言えば、アリサは何作ったんだ?そろそろ花嫁修業しないとエイジの負担が増えるぞ」

 

「なんで今そんな事言うんですか…もうドン引きです。ツバキ教官、リンドウさんに何か言ってやってください」

 

「そうだな。そろそろ考えた方が良いだろうな。後はエイジから教わるといい」

 

アリサの言葉にまさかツバキまでもがそう言うと思わなかったのか、この場に少しだけ笑いがこぼれていた。幾ら厳しい作戦ではあっても緊張感を保ったままでは明日のミッションにも影響する。

そんな気分転換とも取れる内容を見ながらもこの場は解散し、各々がテントへと戻る事となった。

 

 

 

 

 




気が付けば連載開始より1年となりました。

これもひとえに皆さんが読んでい頂けたからだと考えております。
今後も拙い文章ではありますが宜しくお願いします。



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第157話 それぞれの結末

明日の為のブリーフィングは随分と簡単に終わっていた。一番厄介なのはマルドゥークが他のアラガミを寄せ付ける可能性だけ。しかし、これをクレイドルが始末するのであれば、そんな懸念はどこにも無く、ただ討伐だけとなっていた。

秘密裡とも言える電撃作戦によって周囲のアラガミの排除は完了している。やるべき事はただ一つだけだった。

 

 

「ねぇシエルちゃん。明日はロミオ先輩の敵を討てるのかな?」

 

「今回の作戦は殲滅ですから、討てるではなく討つと決めた方が良いですよ。それにロミオの容体は悪化してませんから我々に出来る事は何も無いです」

 

ナナはブリーフィングが終わり、今は少し時間が空いたからとシエルと話をしていた。幾らブラッドだからと全員が同じテントで一緒に過ごす訳にも行かず、この場には2人しか居なかった。

 

 

「シエルちゃんはどうしてそんなに強いの?私明日の事考えたらドキドキしてるんだ。これってやっぱり怖いからなのかな?」

 

「ナナさん。私だって強くはありません。ただ自分に出来る事は何なのかを考えてやってるだけです。誰だってアラガミと対峙する事を嬉しいと感じる人は居ませんよ。これは推測ですが、クレイドルの人達も色々と思う所はあるはずです。今回の件でも感応種でなければあのチームだけでやれるはずです。我々はその信頼を裏切らない様にやるだけですから」

 

シエルの言葉には色んな思いが存在していた。ブラッドとして考えればロミオの敵討ちでもあり、感応種の討伐でもある。しかし、これが極東支部の所属となればサテライトの今後の為の防衛戦でもある。

ここ数日の間にあまりにも重大な事が幾つも起これば、最早最優先事項がどうだとかを考える程の精神的なゆとりは最早どこにも無かった。

 

 

「でも、今は取敢えず考えても仕方ありません。ナナさん、少し外に出ませんか?」

 

そんな取り止めの無い提案ではあったが、このままここに居れば色んな事を考えてしまう。多少は気を紛らわすのも問題無いだろうと、シエルとナナはテントの外へと足を運んでいた。

 

時間もそれなりに経っていたからなのか、満月の光が柔らかく降り注ぐ様にも見えていた。これがミッションの最中でなければ月を見るのも悪くは無いだろうと考えていると、そこには北斗が一人で座禅を組んで座っていた。

 

 

「北斗もここに来てたんですか?」

 

「ああ、ちょっと考える事があってね。明日は神機兵も投入されるミッションなんだけど、やっぱり急停止するんじゃないかとか、色々と考えると流石に……」

 

「でもジュリウスが教導してるなら問題無いのでは?」

 

「確かにそうなんだけど、どうしても自分が知る神機兵は完全に信用しきれない部分しかないと言うか……シエルには悪いんだけど、神機兵そのものにどことなく悪意の様な物を感じるんだ。明日の戦いも少し考える必要があるかと思うとね」

 

北斗が危惧するのはある意味当然だった。過去の神機兵との任務を考えると、まともに稼動している姿を殆ど見た事が無い。大半は突然の急停止によって大小様々なトラブルを引き起こしていた。それが無ければ今頃ここにはロミオも居たはず。

そんな中でいくらジュリウスの事を信用していたとしても、そのまま神機兵を信用する事はどうしても出来なかった。

 

 

「それは幾らなんでも考えすぎでは?」

 

「杞憂で終わればそれで良いけど…考えすぎても進まないんじゃ、今日はこれで終いだ。ところでナナは?」

 

座禅を解いた際に周囲を見れば一緒に居たはずのナナはいなかった。これからどこかに行く事も無いにも関わらず、この場に居ないのであれば、どこかへと行ってるのかもしれない。そんな考えが出始めた頃だった。

 

 

「あれ?北斗座禅は終わったの?せっかくこれ貰って来たのに」

 

ナナの手には3本の缶があった。どうやら飲み物を貰って来たのか、そこには少しだけ笑顔がのぞいていた。

 

 

「さっきリンドウさんの所に行ったらギルも居たからこれ貰ったんだ。皆で飲もうかと思ったんだけど、どう?」

 

「ありがとう。有難くいただくよ」

 

ナナが差し出した飲み物は少しだけ甘い様な味わいのドリンクだった。中身はともかく味は中々の物。そんな味が少しだけ明日の戦いの緊張感を和らげた様にも感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は神機兵も投入する事になる。マルドゥークはブラッドと神機兵で当たる様に。クレイドルは感応種の影響下に入らない場所でのバックアップだ。質問が無ければこのまま作戦を開始する」

 

朝食を食べ終えると、ツバキのブリーフィングで最終確認が成されていた。今現在の所は周囲にアラガミの反応は何も無い。このまま一気に作戦が決行される事になった。電撃作戦とも言える今回の戦いの中で初めて大きな音を出しながら神機兵が前を索敵している。

北斗達はその後ろから周囲を警戒していた。

 

 

「北斗。この先の広い場所にアラガミの反応があります。恐らくはそれがマルドゥークだと思われます」

 

周囲の索敵に対していち早くシエルの直覚に反応が出ていた。今は邪魔になる様なアラガミはどこにも居ない。このまま一気に突き進んでいた。

山岳地帯には珍しく開けた場所に出るとその先の崖の上には予想通り、マルドゥークがまるでこれから何が起こるのかを確認するかの様にこちらを見ている。

誰が何かを言った訳では無い。このまま自然と戦いが開始された。

 

 

「シエルは狙撃でバックアップ。まずは3人で出る」

 

北斗の合図と共にそれぞれが崖の上からの襲撃にそなえるべく散会している。万が一の可能性を今は1個でも潰したい考えがあっての指示だった。まずは先制攻撃とばかりに神機兵の一斉射撃がマルドゥークの居る場所へと銃弾を浴びせたの皮切りにマルドゥークは一気に崖下へと降下していた。

 

 

「各自神機兵の動きを見ながら攻撃してくれ!」

 

北斗は指示を出すと同時に一気にマルドゥークとの距離を詰めていた。既に攻撃の態勢に入っているのかブラッドアーツ特有の赤黒い光を帯びた神機が顔面へと叩き込まれようとしていた時だった。

 

 

「やっぱりそうくると思ったぞ」

 

まるで予想したかの様に鋭い神機の刃はまるで刃の様な大きな牙で止められたからなのか、周囲にも響く程の大きな衝撃音が響く。

それが合図の代わりだとシエルの放った銃弾がマルドゥークの視界を塞ぐべく目の部分へと狙撃されていた。

この一連の動作に関しては知能が高い事が前提であると同時に強大な火力も持つ神機兵を上手く使う事で討伐を進めるプランだった。当初の予定通り牙で受け止める事までは

まさにプラン通りの展開だった。しかし、それは北斗達だけではない。またマルドゥークも同じ様な考えだったからなのか動じる様な気配は微塵も無かった。

 

 

「向こうも考えてたって所か」

 

改めてマルドゥークと対峙する。以前の様な状況ではなく、今は確実のその命を奪うためにここに来ている。そんな存在感を放ちながら北斗は睨みつける様な目で見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ギル、少し前に出過ぎだ!」

 

マルドゥークとの戦いにどれ程の時間が費やされたのか、既に時間はそれなりに経過している様にも思えていた。他のメンバーは気が付かないが、前回対峙した北斗は明らかに以前とは違う雰囲気のマルドゥークに僅かながら苛立ちを覚えていた。

 

冷静になればすぐに分かる事だが、知性のあるアラガミは他とは違い本能だけで動く事はあまりない。自分の状況を知った上で本能と融合するだけの行動力がそこにある以上、苦戦するのはある意味当然だった。

 

 

「来るぞ!」

 

北斗が何かを感じ取ったのかマルドゥークは身を一旦縮めたかと思ったと同時に、ギルに向かって突進していく。北斗の声でギリギリ躱す事が出来たのは、ある意味偶然とも取れる状況にギルは少しだけ冷静になる事が出来た。

 

 

「すまねぇ!」

 

以前とは決定的に違うのはガルム種にありがちな跳躍を中々してこない点だった。素早く動く際に大きく跳躍する事で距離を稼ぐ事が出来るが、いかなアラガミと言えど跳躍を一旦すればあとは着地点までは何も出来なくなる。

 

事実、ガルムの討伐の際には北斗は大きく跳躍した瞬間に着地点を見極め、一番無防備な所に渾身の一撃を食らわす事で今まで討伐してきた。マルドゥークとてガルム種である以上、同じ様な行動をするかと思われていたが、この戦いに於いては今までに一度も跳躍する事は無かった。

 

 

「シエル。もう一度やれるか?」

 

「はい。やってみます」

 

素早く動くだけではなく、強大な力を持つ以上ゆっくりと戦う訳には行かなかった。今までに何度か遠吠えをする場面はあったものの、外部でクレイドルがシャットアウトしている事からアラガミの増援は一切来ない。

 

通常であれば気が付く事無く同じ事を繰り返すはずも、この個体は直ぐに学習するのか今では遠吠えをする事も無かった。このままダラダラと戦えば、こちらの方が戦局的に不利になる可能性が高く、またクレイドルと言えどいつまでも出来るとは考えにくくなるのであれば、一刻も早い討伐を余儀なくされていた。シエルの銃弾が2度響くも、まるで意にも介さないかの様にマルドゥークは平然としていた。

 

 

「まさかとは思ったけどここまでとはね……」

 

シエルの銃弾がまるで通じていない様にも見えた際に、一つの可能性が北斗の中にあった。一時期は頻繁でなくても度々現れた感応種がこのマルドゥークの目撃以降一度も姿を表していない。偶然と考える事も出来るが、最悪の場合は感応種を捕喰し、自身の力を増大させている事だった。

ここ最近の感応種はシユウ型が殆どではあるが、イェン・ツィーの姿は一度も見ていない。ましてやその下位でもあるシユウですら発見する事は無かった。

 

 

「どうする北斗?このままだとジリ貧だぞ」

 

「ねぇ、1回スタングレネード使ったらどうかな?」

 

ナナも恐らくは考えていたのか、奇しくも北斗と同じ事を考えていた。今回の戦いの中で神機兵もそれなりにはやっているが、身体が大きい分、動きがあまり俊敏ではないからなのか、攻撃があまり当たっていない。神機兵の最大の特徴でもある強大な火力を活かすのはそれが最適だと考えていた。

 

 

「一旦動きを読んで、ギリギリの所でやってみるか?ナナやれるか?」

 

「任せておいて!」

 

その一言で行動は直ぐに決行されていた。一塊にならず各自が散会しながらの攻撃の為に、マルドゥークはその都度攻撃目標を立てながら攻撃をしている。いくら知性があろうともやはり本来の本能から逃れる事は出来ず、一番目立つ神機兵へと攻撃を開始していた。

 

 

「行くよ!」

 

ナナの声を同時に神機兵に向かって突進したマルドゥークは悲鳴と共に大きく怯む。ここまで大きな隙を見出す事が無かったからと、全員が一斉に攻撃を開始していた。

 

そんな中で北斗は捕喰形態へと変え、一気に攻撃を仕掛けるべく黒い咢が後ろ足へと齧り付いた。この瞬間、生体エネルギーが全身を一気に駆け巡る。ここからが勝負どころになるはずだった。

 

 

「なん…だ…これ……」

 

北斗の体内に何かが暴れ出すかの様に心臓の鼓動が早くなる。何時ものバースト状態ではなく、以前にも感じた感覚が北斗を襲っていた。

 

 

「ふははははははは!」

 

「北斗!」

 

「あれってまさか」

 

以前にどこかで見た光景だった。一番最初に対峙した時も同じ様な状況に陥っていた。あの時は血の力に目覚めるからだとラケルから説明されていた為に納得したが、今は既に目覚めているだけではなく、自身でもある程度の制御が出来ているはずだった。

しかし、今の北斗は明らかに理性のタガが外れ、本能の趣くままの状態へと変貌している。あまりの変貌ぶりに3人は言葉にする事が出来なかった。

 

そこからの北斗の動きは明らかにこれまでとは違っていた。本能のまま動くからなのか、突如として違う方向へ動いたかと思った途端に急転換しマルドゥークの後ろ足に切りつける。本来の攻撃とはかけ離れた行動は周囲にも大きく影響していた。

 

一番影響が大きかったのはシエルだった。今までの様な綿密な動きであれば今後の行動が予測でき、その瞬間を狙って精密な射撃をする事が出来たが、この状態での射撃は行動がトリッキーすぎる事から予測する事が出来ず、結果的には散発程度の射撃しか出来ない。これでは致命傷を与える事も出来ず、ただ自身のオラクルを無駄に浪費する事になっていた。

 

 

「ナナさん。このまま北斗一人は危険です。私も援護に行きます」

 

このままでは打開策が何も無いと射撃は一旦諦めてシエルも自身のデファイヨンを引っ提げマルドゥークへと走った。万が一の事があっても大丈夫な様に神機兵の射撃を活かしつつ一気に距離を詰めていた。

北斗の動きに翻弄されている影響があるのか、マルドゥークはシエルが迫る事に気が付かないまま、シエルの攻撃がそのまま顔面を捉える事に成功していた。

 

 

「ナナさん!」

 

シエルの合図と共にブーストラッシュの態勢を作り出す。幾らなんでもこのままの北斗が危険だからと全力でガントレットへ叩きつけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この感覚は……」

 

ブラッドが交戦している所から少し離れた所でエイジは自分の感覚がおかしいのかと少し疑っていた。この場に感応種は確かに居ないが、強い偏食場パルスを感じている。

それでけではない。この感覚はエイジが一番良く知っていると同時に、自身が経験した感覚と酷似じていた。

 

 

「ツバキ教官!ブラッドはどうなってます!」

 

「詳しい事は不明だ。ただ、感応種とは違った偏食場パルスが形成されている。今はアナグラに解析を回しているが、これはこちらからでは分からん。結果が出次第すぐに連絡する」

 

この時点では観測は出来ても詳細は知る事が出来ない。このままでは待っている未来は良い物では無い。しかし、今の段階でこの場を離れる事は戦線を自ら崩壊させる事になる。立場を考えれば流石にそれを自ら崩す事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗!いい加減元に戻れ!」

 

ギルの叫びも空しく北斗は何も考えていないかの様に縦横無尽に動き回っていた。ギルとてアラガミの攻撃を受けていない以上、その事に関しての心配は一切していなかった。

むしろ怖いのはその後。自分の限界値を超えた動きはその能力を持って自らを亡ぼす可能性が高く、またこれがいつまでも続く様ならば今度は違った意味で命の保証は出来なくなる。

このままではこれ以上の過剰な動きは既に自身にも跳ね返っている。それがさも当然だと言わんばかりに北斗の腕や足からは毛細血管が破裂しているのか、所々がドス黒くなっていた。

 

 

「このままだと拙いぞ!一旦距離を取れ!」

 

何かを察知したのかギルが北斗の代わりに指示を出していた。一方的な攻撃に業を煮やしたのか、マルドゥークは皹が入ったガントレットを激しく地面に叩きつけ周囲を振動で揺らす。

不意に地面が揺れた事で全員の足が一瞬止まっていた。

 

マルドゥークとてそのチャンスを見す見す逃すつもりは無かった。ガントレットが僅かに浮かぶと同時にマグマの様な物が足元へと垂れてくる。これから何が起こるのかは誰もが予想出来ていた。

 

 

「キャアアアアア!」

 

勢いよく放たれた火球はそのままナナへと直撃し、この場から大きく吹き飛ばされていた。

 

 

「ナナさん!」

 

「わ、私なら大丈夫。そんな事よりも早く北斗の方を!」

 

ジャケットの一部が焼けこげ、むき出しの肌も少し赤い。本来であれば重度の火傷になるが、そこはゴッドイーター故に最低限の負傷で落ち着いていた。放たれた火球はそのまま炎が消える事無く未だ燃えたままとなっている。

ここが岩場だからこそ火事にはならないが、万が一これが何かに引火すればこの炎は一気に燃え盛る可能性を秘めていた。

 

 

「シエル。俺がマルドゥークの相手をする間に何とかしてくれ!」

 

「何とかと言われても…」

 

ギルの言いたい事は分かるが、既に暴走を初めてから北斗の四肢はドス黒さが拡がりだしていた。これがどんな状態なのかは考えるまでも無い。しかし、肝心の止め方が分からない以上、今のシエルにはどうしようもなかった。

そんな混乱をまるであざ笑うかの様に、ここで改めてマルドゥークは今まで以上の遠吠えを放っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だ?まさか感応種か?」

 

ソーマが一瞬感じたのは以前にも経験したあの感覚。感応種の反応に神機が沈黙した時と酷似していた。ソーマとリンドウに関しては問題無いが、それ以上に拙いのはエイジとアリサだった。既に影響下にあったのか、神機はまるで命を失ったかの様に反応が消え、今はただ沈黙していた。

 

 

「リンドウさん。ここをお願いします。僕はアリサの元に行きます!」

 

「おい!エイジ!」

 

エイジもまた神機の反応が消えた瞬間、一番最初に思ったのはアリサだった。エイジとて神機が動かなければ丸腰ではあるが、まだ自身の能力で回避も出来る。しかし、アリサはまだそこまでには至っていないからなのか、エイジは自分の事を忘れアリサの元へと移動していた。

 

 

「なんでまたなの!」

 

アリサは舌打ちしたい気持ちを抑えながら目の前のコンゴウと交戦していた。通常の感応種であれば、ここまで偏食場パルスが届く事がないからと戦っていたが、まさかこんな所にまで影響が出たのが想定外だった。

 

渾身の一撃とも言える斬撃は一気にその勢いを失い、まるで鈍器で殴りつけた様な手ごたえしかなかった。このままでは一気に押し切られる。そんな軽い絶望感がアリサを襲っていた。

受け止められた神機は既に機能不全となっている事もあり、盾を展開する事すら出来ない。大きな一撃の隙はあまりにも大きな代償を払う可能性だけが残っていた。

 

 

「もうダメ」

 

時間にして僅かではあるが、この状態ではコンゴウの腕はアリサに直撃する。その瞬間アリサは目を瞑っていた。このまま命の灯が簡単に消える。そんな思いしか無かった。

しかし、いつまで経ってもコンゴウの攻撃が来ない。恐る恐る目を開ければそこにはエイジがコンゴウの腕を絡めとり、攻撃をギリギリの所で防いでいた。

 

 

「エイジ!」

 

「アリサ大丈夫か?」

 

「はい大丈夫です。でも…」

 

この状況が何を表しているのかアリサが一番良く知っていた。ネモス・ディアナでの経験がそれを確定させる。今はただ何も出来ない事が歯痒いとだけ考えていた。

 

 

「アリサ。ごめんね」

 

「エイジ…何言ってるんですか?」

 

エイジは一言だけアリサに謝罪し、神機を構えた。ここから何をするのか。考えたくも無いし、知りたくも無かった。アンプルを口の中に放り込むと同時に改めて神機を再接続する。

その行為がどんな物なのかは知っていても、今のアリサに止める事が出来なかった。

 

禍々しい程の漆黒のオーラがエイジの身体を包み込む。その瞬間、エイジの身体はこの場には無かった。

何が起こったのは言うまでもなく、エイジは神機の封印を再び解放し目の前のコンゴウだけではなく、寄ってきたアラガミが全て粉々と言える程に斬り刻まれていた。

 

 

「エイジ…どうして」

 

全身の血の気が引いたのか、膝から崩れるアリサを尻目に今度はブラッドの居る位置へと走り出す。限界以上の速度はエイジの身体を同じ様に傷つけながら現場へと急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「仕方ない。シエルは北斗を押さえてくれこの場は一旦退却だ」

 

ギルはこれ以上の攻撃は無理だと判断してやもなく撤退を決めていた。このままでは戦線が崩壊するだけでなく、万が一の場合は北斗までダメになる。そんな考えがギルの苦渋の決断の理由だった。

 

 

「北斗。少し落ち着け」

 

疾風の如くこの戦場に現れたのは感応種の影響外に居たはずのエイジだった。混乱した北斗の腹に一撃を加えた事でほんの一瞬呼吸が止まる。自分の意思を落ち着かせると同時に、マルドゥークに向かって一気に走りだしていた。

 

 

「エイジさん!どうして?」

 

ギルの疑問に答える事は無かった。エイジは一気に距離を詰めた瞬間、マルドゥークは待ちかまえていたかの様に鋭い爪でエイジを引き裂こうと、今までに見た事も無い程の一撃をエイジを与えた様に見えていた。

 

マルドゥークが捉える事が出来たのはその場に居たと思える程の残像だけ。エイジは身体全体を素早く移動させる事で腹の下へと潜り、そのまま刃を突き立てていた。

エイジの一撃は致命傷とも取れる程の深手を与えている。血をぶちまけながら内臓と思われる物がダラリと落ちていた。それが何であるかは考えるまでも無かった。

 

「俺は一体?」

 

「北斗。漸く正気になりましたね。エイジさんが作ったチャンスを活かすなら今です」

 

シエルが改めて目くらましの為に銃弾を打ち込むと同時に正気になった北斗とギルが一気に斬りつける。その瞬間マルドゥークのガントレットが崩壊し、そこに止めとばかりに改めて刃を突きつけていた。

 

 

「ナナ!あとは頼んだ」

 

「とりゃああああー!」

 

ナナの渾身の一撃がマルドゥークの頭蓋を破壊する。これが止めとなったのか、マルドゥークはその巨体を地面へと倒しこむと同時に命の気配は消え去っていた。

 

 

 

 

 



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第158話 新たな可能性

「これでロミオ先輩の仇は取れたんだろうか?」

 

横たわるマルドゥークから素早くコアを抜くと同時に4人はその場で座り込んでいた。今回の戦いは正に死闘とも取れる程の内容となっていた。当初は神機兵の火力もあって優位な戦いを取っていたものの、徐々に戦局が悪化し始めていたのが原因だった。

 

一番の要因はアラガミの想定外の進化。前回対峙した際とは大幅に力が変わっていた事だけではなく、ロミオを重体に追い込んだ狡猾な知性に伴う事で、様子を伺いながらの戦いが続いていた。

この力のバンスが大きく崩れたのは神機兵の一体をマルドゥークが破壊した頃から変わり出していた。今回の戦いに於いてブラッドの火力不足をいち早く見抜いたからなのか、マルドゥークはゴッドイーターではなく、高火力の神機兵を一番最初に始末する事を選んでいた。

 

当初はそれに気が付かないまま過ぎていたものの、執拗な神機兵への攻撃にブラッドが気が付く頃には時すでに遅かった。

このバランスが崩れた事により、戦局は一気に泥沼化し始めていた。

 

そんな中で北斗の混乱が更に戦局を混乱化したのも要因の一つではあったが、これに関してはエイジの機転によって難を逃れた物の、やはりその代償は大きく、致命的とも取れる一撃を加えた後、エイジはその場で倒れこみ、意識不明のままアナグラへと緊急搬送されていた。

結果的にはブラッドと神機兵との共同戦線だったが、神機兵も3体のうちの1体は完全に大破し、残りの2体に対しても、腕や足の装甲が吹き飛びスクラップ寸前とも取れる内容は辛勝としか表現できないものでもあった。

 

 

「そう…です…ね。多分取れたと…思いますよ」

 

「こんな…戦いは…暫く…遠慮したいぜ」

 

「でも私達よりも…エイジさんの…方が…」

 

帰投準備は結果的にクレイドルに任せ、今はただ休息を取りたいと考えていた。以前も極東で知性の高いアラガミとの対峙を聞いた事はあったが、まさか自分達が対峙するとは考えた事もなかったからなのか、疲労感は今までの中でも最大級だった。

 

そんな中でナナが言う様にエイジの容体が一番心配だった。詳細については知らない物の、明らかにあの動きはゴッドイーターとて気軽に出せる様な動きでは無い。どちらかと言えば北斗の暴走状態を洗練した様にも見えていた。

あれが何なのかは恐らくは聞いても教えてくれない可能性が高く、今はただ息を整える事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジの馬鹿!!」

 

医務室にアリサの怒声は響いていた。防音施設のはずが、あまりの声量にドアが震えている様にも見える。それほどまでの大音量でもあった。

 

 

「アリサ。少しは落ち着け。そもそもお前を助ける為に無茶をしたんだろうが」

 

「ソーマは黙っていてください。何で私の目の前でそんな簡単に出来るんですか。エイジが居なくなったら私は……私は……」

 

アリサはソーマに言われるまでもなく理解していた。どうしてこんな事になったのかを言われなくても理解はしていた。しかし、理解と感情は違う。自分の命はまるでどうでも良いとばかりに考えるのをアリサ自身が納得した訳では無かった。

それほどまでにマルドゥークとの戦いは正に死闘とも言える内容だった。

 

 

「アリサの事を考えたら身体が勝手に動いたんだ」

 

「だからって…エイジに何かあったら……」

 

「ちゃんと問題無いのも確認できたから大丈夫だよ」

 

ベッドに横たわりながらもエイジはアリサの頭を撫でながらあやすようにゆっくりと話す。暫くの間はここの住人である事は容易に想像できるが、こればかりは仕方ないと内心諦める事しか出来なかった。

 

 

「おいおい。どんだけデッカイ声だしてんだよ。フロア中に響いてた……お前らはなんでそうなるかな。ここは身体を治す場所なんだがな」

 

容体をソーマから聞いたリンドウも駆けつけた光景に言葉を失っていた。ベッドの上でエイジがアリサを抱きながら頭を撫でている光景は今さら感があるものの、ここは医務室である以上、まずは安静が一番だと考えていたが、この光景には軽く現実逃避したくなっていた。

 

 

「これは僕の招いた結果のせいですから。リンドウさんにも迷惑かけたみたいですみません」

 

そう言いながらもエイジの手は止まる事無くアリサの頭を撫でている。恐らくはリンドウが来た時点で多少なりとも冷静さを取り戻している様にも思えるが、久しぶりの心地にアリサとしても手放すのが惜しいと考えていたからなのか、なされるがままだった。

 

 

「俺の事はどうでも良いんだが、そろそろ離れないとブラッドの連中が入れないぞ」

 

リンドウの背後には医務室のドアが開いてままだったのか、そこから何かを伺う様にナナが見ていた。そんな事に気が付いたからなのか、アリサも今はエイジの傍を一旦離れ、来ていたブラッドを出迎える事にしていた。

 

 

「エイジさん。今回の件ですが、すみませんでした。俺が暴走したばかりに多大な迷惑をかけたみたいで」

 

「その件なら気にしなくても大丈夫だから。実際に神機を無理矢理動かす為にやった行為なんだから気にする必要は無いよ。それよりもこちらが手を出した事の方が申し訳なかったね」

 

謝るつもりが逆に謝られた事で、流石に北斗もどうしたものかと考えていた。事実あの一撃が無ければ今頃ベッドの上にいたのは自分達のはず。むしろこちらの方が申し訳ないとまで思っていた。

 

 

「お互い謝っていてもしかたないだろ。そうだ、エイジここには一晩なんだが、明日は無明の所に来て欲しいってよ」

 

「兄様がですか?」

 

「詳しい事は知らんが確かに伝えたぞ。それと丁度良い。お前さん達も来てほしいらしいから、明日は全員で来てくれ」

 

エイジだけではなくブラッド全員にまで声を掛ける事に何かあるのだろうとは考えるも、そもそもエイジも無明が何を考えているのかはこの時点では分からない。事実、今回の封印の解除に関しては、恐らくは咎められる可能性は低く、また特殊な状況下での性能評価が出来たが故に何らかの対策を考える公算が高いと考えていた。

 

 

「分かりました。では明日行きますとツバキ教官に伝えておいて下さい」

 

「分かった姉上に伝えておく。それとここは医務室だからな。お前ら自重しろよ」

 

「な、何言ってるんですかリンドウさん!こんな所では何もしませんよ!」

 

リンドウの言葉に先ほどの行為が思い出されたのか赤い顔のまま反論するアリサを尻目にリンドウは次の任務の為に医務室から去っていた。何気に落とされた爆弾は処理しきれなかったのか、アリサは何も動く事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんな所にこんな建物があるとは知りませんでした」

 

「ここも外部居住区なのか?極東らしく無い様にも見えるが」

 

シエルやギルが驚くのも無理は無かった。屋敷は外部居住区からは距離が離れているのと同時に、外からも見つかりにくい位置に設置されている関係上、詳細を知っているのは一部のゴッドイーターだけに留まっていた。

ここに来る際にはいくつかのセキュリティをクリアし、それなりに長い距離を移動しなければ来る事が出来ない。当初、エレベータの隠し階層に付いた際にはここがどこに繋がっているのかすら理解出来ないでいた。

 

 

「あれ?もう来たのか。早かったな」

 

「シオちゃん元気でした?ところでソーマは来てなかったんですか」

 

一団に気が付いたのか、出迎える様にシオが近づいてきた。以前のFSDで紹介されはしたものの、まさかこんな所に居るとは思ってもいなかったのか、ブラッドの面々は少しだけ驚いていた。

今回の件ではエイジの案内でブラッドだけではなくリンドウとアリサも一緒に来ていた。内容に関してはともかく、まさかこんな大所帯で行く所がどこなのか知らされないまま連れて来られた事から、ブラッドのメンバーは物珍しさにキョロキョロと周囲を見ていた。

 

 

「ソーマなら昨日来たぞ。今日は一緒に居られないって言ってたからちょっと残念なんだ。でもエイジとアリサが来たなら嬉しいぞ」

 

「そう言えば、兄様はどうしてる?」

 

これ以上ソーマが居ない事でしょげかえったシオと話すと時間がかかると考えての判断なのか、一旦この事は横に置いて、まずは目的を確認するのが先決だと、エイジは改めてシオに確認していた。

 

 

「とうしゅならまってるぞ。いつもの服に着替えてきてくれだって」

 

「分かった。着替えてから行くって伝えておいて」

 

「りょうか~い。じゃあ待ってるからな」

 

シオが笑顔で走り去るも、先ほどのやり取りが一体何なのかこの場に理解出来た人間はリンドウとアリサだけだった。病み上がりとは言え、それを要求するのであれば何かしら確認するのだろう。

2人はそんな事を考えながらもこの後の予定をこなすべく行動を起こしていた。

 

「じゃあ、私達も着替えて行きますね。さあ、シエルさんとナナさんは私に着いてきてください」

 

「ええっと…どこに行くんですか?」

 

これから何をするのか目的はアリサしか分からなかった。アリサの笑みが何を物語っているのか理解できる人間はこの場には居ない。シエルとナナは困惑しながらもここに留まる事が出来ない以上、今はアリサに黙ってついて行くしかなかった。

 

 

「じゃあ北斗とギルは俺と一緒に行くか。取敢えず付いてきな」

 

アリサが連れ去った先の事は何となく想像できるが、この場にギルと北斗を待たせるのも申し訳ないと感じたからなのか、リンドウは目的の場所へと誘導する。未だここがどんな所か分からない2人は同じ様にリンドウの後ろをただついて行く事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ありがとうございました」

 

「以前よりも反応が良くなってる。まだまだ精進するんだ」

 

庭先とも取れる場所で、エイジは大の字になって仰向けになっていた。着替えたのは屋敷での訓練の際に着る装束。目の前には息一つ切れる事が無い無明が立っていた。

 

当初ここに来た際に一番驚いたのは北斗とギルだった。2人の目から見てもエイジの戦闘能力は群を抜いているにも関わらず、訓練した際にはエイジの攻撃は一度も当たる事は無かった。しかし先ほどまで繰り広げられた光景は2人が知っている様な状況では無かった。

それどころかこの1メートルほどの距離の中での激しい攻防に目がついて行かず、徐々に滲み出る傷によって辛うじてエイジが攻撃を一方的に受けている事が理解できた程度だった。

 

 

「あんな状態のエイジさん初めて見たぞ」

 

ギルの衝撃とも取れる一言に当時の言葉が思い出される。エイジの言葉が本当ならばキルレートは5対1どころの話ではない。ましてや自分だったら気が付く前に倒されている。対峙した瞬間に終わる戦いの想像が北斗の中で嫌な感触として残っていた。

 

 

「ギルだったらどう動く?」

 

「いや、多分倒された事も気が付かないまま終わるだろうな」

 

冷や汗とも脂汗とも取れない嫌な物が背中を伝っている。ここまで戦闘能力が違うにも関わらずなぜ科学者なのか。ジュリウスの話では紫藤博士は極東だけではなく本部でも指折りの実戦に関する研究の第一人者と聞いていた。

本来であればここまでケタ違いの戦闘能力があれば、極東だけではなくフェンリル全体でも有名なはず。にも関わらず、そんな名前は今までに一度も聞いた事が無かった。

 

 

「お前さん達にはやれとは言わない。俺だって無明に勝った試しは今までに一度も無いからな」

 

これが当たり前だと言わんばかりにリンドウは北斗達の隣で緑茶をすすっていた。恐らくはこの光景は今までに何度も見たのだろう。まるでこれが日常だと言わんばかりの雰囲気があった。

 

エイジは改めて汗を流すべくこの場には居ない。今の衝撃的な光景から醒めきらないのか、北斗達までもが呼ばれた理由が未だに理解出来ない。重苦しい空気が流れる頃、ここで漸くアリサに連れられたシエルとナナがやって来ていた。

 

 

「これどうかな?似合ってる?これ浴衣なんだって」

 

「ナナさん興奮しすぎです。少しは落ち着かれてはどうでしょうか」

 

以前FSDで来た着物とは違い、どこかラフな様にも見えるその柄が恐らくはここでは普段着として着られる物である事が容易に理解出来た。物珍しさと当時の状況を思い出したのか、ナナははしゃいでいるがシエルはどこか顔が赤かった。

 

 

「北斗さんもギルさんもこの2人はどうですか?ここではこれが標準なんですよ」

 

アリサの言葉に意識を取り戻したのか、改めてここい来た際の事を思い出せばシオも浴衣を着ていたが、それだけではなく他に会った人達も皆来ていた。アリサも着替えている事もあってか、北斗とギルはどこか場違いなのではと考え出していた。

 

 

「着物と同じで良く似合ってるよ」

 

「ええ~?それだけなの。他にもっと言う事あるんじゃないの?」

 

「ナナさん。北斗ですから仕方ありません。これが北斗の精一杯なんですよ」

 

浴衣姿にもかからず、話す内容は当時と変わらなかった。乙女心としてはもう少し何か捻りが欲しい所だが、これ以上の感想が出る可能性は低く、期待するのも無駄だと悟ったのか、ナナはそれ以上は何も言わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「態々来てもらって済まない。今日ここに来て貰った件なんだが、まずは北斗。先日の戦闘の際に暴走していた様だが、何か心当たりは無いか?」

 

その場に居なかったはずにも関わらず知っている事に驚きはあったものの、基本的にはアナグラの上層部の人間であれば戦闘のログは簡単に確認できる。恐らくはそれを見た結果なんだろう事は想像がついたが、それが一体何を指しているのかは北斗にも判断出来なかった。

 

 

「実は以前にも同じ様な事があったんですが、その際にはラケル博士からは血の力に目覚める兆候だと聞いてました」

 

北斗の言葉に当時のラケルとのやり取りが思い出されていた、確かにあの瞬間全身に何かが駆け巡る様な感覚と共に赤黒い光が出ていた。当時はそんなものだとそれ以上考える事もなく、またあの後に同じ様な事が無かった事からも、無意識の内にその事に着いては除外していた。

しかし、目の前にいる無明からはそんな一言で方が付かない様な雰囲気が醸し出されている。あの後で何かが分かったのだろうか。そんな取り止めのない考えだけが拡がっていた。

 

 

「今回の辞令が出た事でブラッドが極東の所属になった事は知っての通りだが、その際に、君達全員のデータの開示をフライアに対して要求中だ。しかしながら未だフライアからの返答は何もなく、今後ここでの活動が主となる以上、我々としても君達全員がブラックボックスでは困る事になり兼ねない。幸いにもP66偏食因子に関してはデータが公表されている事もあるので問題は無いが、肝心の君達のデータは不足している。榊博士とも話をしたんだが、今後の事もあるので我々としてもデータの早急な取得が急務となってくる。で、君達には今晩ここで過ごしてもらいながらデータの確認をさせて欲しいんだが」

 

無明の言葉には確実に疑惑が含まれていた。本来であれば正常な運用をするのであれば各自のデータが無ければ、万が一の際に困る事が何かと多くなってくる。一番の問題点が神機に対する適合の度合いでもあった。偏食因子が体内で緩やかに馴染むのと同時に、それを活かす為には神機の調整が必要となってくる。刀身は変更出来ても肝心のコアの部分が解析出来なければ、今後のミッションの発注だけではなく、神機のアップデートそのものが困難になる可能性があった。

 

 

「あの、確認と言うのは?」

 

「特に構えてもらう必要は無い。データの取得に対しての手間はかからないが今日から明日にかけて個別でデータを採取する為に各自2.3時間程の拘束だけはお願いしたい。君達もまさか戦闘中にアクシデントがあればどうなるのは既に体験している訳だからな」

 

対マルドゥークとの戦いが嫌が応にも思い出されていた。今考えてもエイジが止めなければどうにもならない可能性が高く、今回の内容は結果だけ見れば対外的には神機兵の投入もあっての完勝となっているが、当事者からすれば薄氷を踏む様な戦いを強いられていたのは間違いなかった。

 

今回の事を教訓にする為には自分の事を知ってなければ今後のミッションにも多大な影響が出る可能性が高い。今抱えている問題を解決する為にはどうしようもなかった。

 

 

 

 

 



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第159話 新たな課題

 

「ここって凄いね。まさか温泉まであるなんて驚いたよ」

 

「そうですね。今ならカルビの気持ちが分かります」

 

当初はデータ取得の為に拘束と言われた事で、少しばかり怖くなったものの、結果的には何時もの検査と変わらないままに終わっていた。初めて来たのであれば隅から隅まで詳細を見るが、既に何度もオラクル細胞の働きの確認の為に検査していた事もあってか、その状況を活かした事で短時間での検査に留まっていた。

特にここではやる事もなく、またアナグラとは違った事から今の2人には特段する事もなく、その結果として露天風呂へと足を運ぶ事になっていた。

 

 

「でもさ、フライアからのデータの提供が無いって少し変だよね?」

 

「確かに私も疑問には思いました。本来であれば完全に引き継ぎをしなければ困るのはゴッドイーターとしての常識なんですが」

 

「やっぱり神機兵の事で忙しいのかな」

 

先ほどの無明の一言が気になったのか、お湯につかりながらも何となく違和感があった言葉に疑問が生じていた。秘匿する必要はそもそも無いにも関わらず、要求に対して何もアクションが無いのもおかしな話ではあるが、今の時点でその疑問に答える人間が居ない以上、今はこの状況に甘んじるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。お前の暴走の原因なんだが、やはり血の力の要因が極めて高いのは間違いない」

 

検査の結果が出たからなのか、北斗はやっぱりと言った表情をしていた。自分の能力は自分が一番理解している。ある意味当然ではあるがラケルと同じ結果だった事が少しだけ残念に思えていた。

 

 

「ただし、これはある意味『特異とも言える』が続くのもまた事実だ」

 

「兄様、それは一体?」

 

本人よりも早くエイジが疑問を知りたいと感じたからなのか、無明もそれを止める事なくそのまま話を続けていた。

 

 

「喚起の能力の正体とその本質についてはまだ仮説の段階ではあるが、恐らくはその人間の潜在能力とも言えるものを引き上げる事が可能な要因が高い。簡単に言えばマルドゥークの他のアラガミを呼び寄せる際に強制的に従わせる効果と酷似していると言った方が早いだろう」

 

 

まさかの言葉に誰も声に出す事を忘れ、全員が無明を見ている。よほど衝撃的とも思える結果に、これからどうすれば良いのかを考えるだけのゆとりがどこにも無かった。

 

 

「今回のマルドゥークは戦闘の前にかなりの感応種を捕喰している可能性が高い。事実、今回の作戦の中でクレイドルの戦場にまで影響を及ぼす事が過去に例が無かったのが一因となるだろう。そしてそれに近い可能性を秘めた喚起の能力が相乗効果となった結果、自我が少し崩壊したと考えるのが妥当な線と考えている」

 

 

衝撃的な一言に言葉が出ないのか周囲の空気は硬いまま。これには流石にリンドウも驚いたからなのかそれ以上口に出すのは厳しいとも思える空気が蔓延していた。

 

 

「無明さん。それを制御する方法は無いんですか?」

 

驚愕の事実に理解が追い付かなくても今後の事を考えれば早急な対処をする必要はある意味当然の事でもある。だからこそ、今回の結論に対しての回答が今の北斗には必要だった。

 

 

「それについてなんだが、現実的には無いと言っても差し支えないだろう。あとは自分がその力に飲み込まれない様に精神修養する位だな。我々としてはそれと同時に神機の面から何か出来ないかのアプローチを模索している。今回のマルドゥークのコアを解析する事で何かしら出来ると考えている。その件に関してはナオヤに既に通達してある以上、近日中に何らかのアクションがあるはずだ」

 

0では無いものの、根本的な解決の糸口は見つかっていないに等しかった。精神修養ともなればそれなりに時間が必要となってくる。これがエイジやナオヤであれば可能だが、残念な事に北斗にはその様な指導をしてくれる人間が身近には居なかった。

 

 

「まぁ、今回の件で多少なりとも分かった物あるんだ。今はその対策の可能性を考えても良いんじゃないのか?」

 

「そうだよ!ギルの言うおりだよ。私に出来る事があったら何でも言ってよ力になるから」

 

「そうですよ。我々をもっと頼ってくれても良いと思います。北斗の力で全員が血の力に目覚めた様な物ですから」

 

ブラッド全員の言葉が北斗の胸に染み渡る。今はその好意を胸に今後の事について少しだけ考える事にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

重苦しい雰囲気はシオの言葉で遮られていた。既に検査と説明でそれなりに時間が経過したからなのか、既に夕食の時間へと差し掛かっていた。当初は何も考えておらず、検査にも時間がどれほどかかるのか分からない状態が続いたからなのか、結局の所は屋敷に留まる事になっていた。

 

 

「こ、これは……」

 

「ナナの言いたい事は分かる。ムツミちゃんには申し訳ないが、ここの料理は何かが違う」

 

ナナと北斗が運ばれた料理を口にした瞬間、言葉では言い表せない何かが全身を駆け巡っていた。フライアからアナグラに来てエイジやムツミの料理を食べている為に、気が付かない内に全員の舌はそれなりに肥えていた。

そんな状況にも関わらず、ここでの料理はその一群を遥かに突き抜けている。言葉で言い表すのが陳腐だと思える程だった。

 

 

「ムツミちゃんもたまにここの料理を習ってますからね。多分、これを超えるのは難しいと思いますよ」

 

ここで何故かアリサが誇らしげな顔で答えていた。屋敷の人間は皆知ってるが、アリサもここで何度か料理を習っている姿が目撃されていた。当初は花嫁修業だと言われはしたが、ここ最近になってその光景が当たり前になりつつあったのか、既に誰もそんな言葉を口に出す者は居なかった。

 

 

「お前達ここに慣れると後が大変だぞ」

 

「それでサクヤさんに激しく怒られたんでしたよね」

 

ここの食事に慣れたリンドウやアリサにとってみれば、ここの食事はどちらかと言うと料亭の感覚に近く、ここに慣れるのではなく食事に来る感覚が強かった。アリサが言う様に一時期はリンドウもこの感覚に慣れた際に、サクヤからこっぴどく叱られた苦々しい記憶が存在していた。

 

 

「ああ。あの時は大変だったな……ってアリサ、こんな時そんな事言うなよ」

 

「いつもの仕返しですから問題無いですよ」

 

ここに慣れていると言うよりも、今まで何度も来ているからなのかこの2人にはそんな気負う感覚がまるでなかった。そんな2人を見ながらもブラッドとしてはただ恐縮した雰囲気だけがそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「丁度良い機会だ。お前達に今後の予定を伝えておこう」

 

和やかな食事が終わる頃、ツバキがものの序でと言わんばかりにクレイドルに対しての指示があると、リンドウとエイジに話しかけていた。この時点でブラッドには何の事か理解出来ないが、何となくアリサにはその真意が気が付いたのか、何時もよりも暗く沈んだかの様な表情のまま俯いていた。

 

 

「本部からの要請で、来週から本部周辺だけではなく、近隣に対しての新種の調査と討伐の依頼があった。現在の所は痕跡しか無い為にデータが何も無い。今後の事も踏まえると早急な対処が必要だと判断し、今後の活動はそちらへと移行する。なお、派兵期間に関してだが、データ解析出来るまでと言いたい所だが、こちらにも都合があるからと3カ月程を予定している。それと同時に今あるミッションに関しては一部をクレイドルからブラッドへと変更する」

 

ツバキの言葉を予想したからなのか、アリサはそれ以上何も言わなかった。以前であればいち早く抗議していたが、ここ最近の行動を考えると、襲撃されたサテライトをいち早く立て直すのが急務となっている以上、アリサの個人的な我儘を押し通す訳には行かなかった。

ブラッドが来た事も恐らくはその要因の一つである事に間違いないが、今は全体を考える必要がある。そんな考えと共にアリサはそれ以上何も口に出せなかった。

 

 

「姉上、新種とは?」

 

「実は今回の依頼の中で気になる部分があったらしい。残留したオラクル細胞からの判断だが、現状生息しているアラガミと一線を引く程との事だ。我々も今後の事を考えれば新たに防壁のアップデートも必要となる。

万が一があってはならない以上、我々も断る道理はどこにも無い」

 

アリサの心情を察したのか、ツバキはアリサに向けて説明している様にも見えていた。新種が出れば今以上にアナグラだけではなくサテライトも困る事になる。その為には何をすべき事なのかを理解してもらおうとの考えがそこにあった。

 

 

「ブラッドの諸君に対してだが、今後は一部のミッションを変更するに当たって現状の神機のオーバーホールとアップデートを同時にしている。今晩ここに逗留するのもその時間の都合によるものだと理解してくれ」

 

ここで漸くここに来た意味が北斗達にも理解出来ていた。事実極東でのミッションは厳しい物が多く、またそれに伴っての神機の摩耗は尋常ではなかった。整備に関しては直ぐに出来るもオーバーホールともなればそれなりの時間が必要になってくる。

その為の時間稼ぎである事が今回の趣旨の一つでもあった。

 

 

「あの、無明さん。俺に稽古をつけてくれませんか?今の実力を知りたいんです」

 

北斗は無明とエイジの稽古を見て何か思う所があったのか、改めて無明に願い出ていた。先ほどの戦いでエイジが一方的にやられた時点で勝敗を考える必要性は全くない。

結果ありきではあるものの、今の自分がどれ程の物なのかを確認したい気持ちがそこにはあった。

そこにはまだ北斗がゴッドイーターになる前に聞いた父親の言葉がそこに存在していた。生前に自分達の所に来ていた無明は確かに現役のゴッドイーターであると同時に、何か異質とも取れる雰囲気があった。

 

無明が去った後で父親から聞いたのは、『当代きっての技を持つ、至高の域に達した者』と聞かされた言葉にあった。ここに来て初めて声を掛けられた際には、そこまで考える事はなかったが、エイジとの戦いを見た事によって今一度自分のレベルを確認したいと考えた結果でもあった。

 

 

「そこまで言うのであれば構わない。ただし、今日はもう遅い。明日の朝にしよう」

 

「ありがとうございます」

 

その一言で明日の朝一番の稽古が決定していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では始めるが、本当にこれで良いんだな?」

 

無明の言葉は最終確認でもあった。内容に関してはエイジと同じで至近距離での接近戦。お互いの距離は精々が50cmあるかどうかの距離だった。先日見た時点では動くそのものに目が追い付いていない。

傍から見てそれならば対峙すれば確実に見えないのは間違いなかった。しかし、自分でも一度はやりたいとの欲求に抗う事は出来ず、こうして目の前で対峙する事になっていた。

 

 

「はい。それでお願いします」

 

「そうか…」

 

今にも殺し合うかの様な空気が朝の爽やかな空間を徐々に支配し出していた。既に今回の件を確認せんとエイジやリンドウだけではなくアリサやツバキのクレイドルだけではなく、ギル達ブラッドの面々も今は固唾を飲んで見ていた。

 

 

無明と対峙した瞬間、既に首筋に冷たい感触が感じると同時に、この時点で既に勝敗は決した様な物だった。対峙した瞬間、鋭い殺気を浴びせられるかと想像したものの、その気配は一向になく、気が付けば首筋に何かが当たった感覚はこの世の物とは思えない程の速度で襲い掛かっていた。

この時点で北斗は気が付かなかったが、エイジはこれまで何度もこの時点で死を覚悟する程の状況下を経験したからこそ無意識で反応する事が出来ていた。

 

基本的には殺気を向けるのは二流以下。一流ではなく超一流ともなれば何が起こったのか理解する前に勝敗が決まるのが常となる。その結果、動きは徐々に洗練され気配は無意識の内に消え去ると同時に、一つ一つの行動に事前行動を起こす事も無くなっていた。

その結果が北斗が一番最初にエイジを見た感想に至っているのだった。

 

「シエルちゃん。無明さんって何かしたのかな?」

 

「私には何も見えませんでした」

 

ナナが疑問に思うのは無理も無かった。合図もなく始まった戦いは一瞬の間に決着がついていた。対峙した北斗も何が思ったのか気が付いていないが、それを見ていた全員も何が起こったのか理解出来ない。まるで狐につままれた様な感覚だけが残っていた。

 

 

「エイジ、今無明さんがしたのは?」

 

「ただ前に出て突きつけただけだよ」

 

ナナと同じ疑問はアリサも持っていた。何かが起こったのは理解できるがこれでは何も分からない。その為には対峙した人間に聞くのが一番だと隣に座っていたエイジに確認していた。

 

 

「それは分かるんですが、どうして気が付かないんですか?」

 

「それは動きの先を予測して無拍子で動いたからだよ。動きは元来何かをしようとすると無意識に事前行動を取ろうとするんだけど、慣れるとその筋肉の動きが見えるからその前にこちらの攻撃を当てるんだよ。実際に体験すると早いんだけど、この場で少しやってみる?」

 

エイジの言葉が理解出来なかったのか、アリサはその体験をした方が早いと考えていた。一番分かり易いのはお互いの手を合わせて押す動作。これが一体何を意味するのか分からないままやってみる事にしていた。

お互いが押すのであれば何も問題無いはずと考え、アリサはエイジの手を押そうとした瞬間、一気にアリサの手は押し返されていた。

 

 

「これは?」

 

「アリサが押そうとした瞬間、筋肉が動いたからその隙間を狙って押したんだよ。因みに、教導カリキュラムで軽装するのはこれを確認する為なんだけどね」

 

「それで教導の際には薄手のノースリーブシャツにハーフパンツだったんですか?」

 

エイジとアリサのやりとりを聞いていたシエルがここで漸くあの格好の意味を理解していた。

教導カリキュラムの上級になると対人戦の際に軽装が義務付けされていると知った際に、シエルは疑問には思いながらも、これが当たり前だと判断し、そのままカリキュラムをこなしていた。元々ゴッドイーターは軽装を好むか露出が多い人間が多く、これもその程度にしか考えてなかったが、まさかこんな意図があったとは想像もしていなかった。

 

 

「え?そんな格好でやってたんですか?」

 

「あれ?知らなかったの?」

 

「因みに聞きますが、エイジも今まで教導をやってたんですよね」

 

この時点で何となくアリサの言いたい事は分かったものの、特に変な感情で今まで接した事は一度もない。それ故に先手を打つべく、エイジは再び言葉を重ねていた。

 

 

「アリサ。気になるなら一度来る?」

 

エイジの一言は何を指したのか理解したアリサはそれ以上の言葉を出す事は出来なかった。自分を一番に位考えてくれるからの言葉に理解できる。そう考えた事でこれ以上の言葉は出さない様にしていた。

 

時間だけ見れば僅かではあるが、濃密な時間を過ごす事が出来たのは大きな経験でもあった。朝食が終わると、再び全員がアナグラへと戻る事になった。

 

 

 

 



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第160話 疑惑

「何だかアリサさんすごく落ち込んでますね」

 

「あれは毎回の事だから気にしない方が良いよ」

 

ツバキの言葉通り、リンドウとエイジはまたもや本部へと新種の調査兼討伐に向けて本部へと旅立っていた。当初はあまりのアリサの落ち込み具合に心配する部分も多分にあったが、ここ最近では周囲も既に慣れたのか、今ではアリサに少しだけ距離を離して様子を見る事だけに留まっていた。

 

 

「コウタさん。何でアリサさん、あそこまで落ち込んでるんですか?」

 

「エイジが派兵に出たからだよ。暫くすれば勝手に立ち直るから放置しておいても大丈夫だから」

 

ラウンジで一人激しく落ち込むアリサを初めて見たのかシエルもナナも心配げな表情を崩す事は無かった。コウタとしてはこのままこの場からフェードアウトした方が良いのは理解しているも、この2人の心配の仕方に仕方なく付き合っていた。

 

このままではとばっちりが来るかもしれない。そんな空気を感じた瞬間だった。突如として立ち上がったかと思うと、どこかへとそのまま出ていくのを今はただ見守る事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「訓練室かと思ったんだけど、居なかったから北斗どこに居るか知らない?」

 

アリサと入れ違いでラウンジへと足を運んだのはリッカだった。先だっての話の中で北斗の暴走を抑える為に神機側からのアプローチを模索している事を聞いている以上、ここに来たのであればそれに目途がたった事を示す可能性があった。

 

 

「訓練室には先ほどまで居たはずですから、もう暫くすればここに来るのかと思いますが?ひょっとして例の神機の件でしょうか?」

 

「そうなんだ。実は今回の件なんだけど、ナオヤとも話をしたんだけど一度現状のデータとすり合わせる必要があったんだ。で、北斗に来てもらおうかと思ったんだけどね」

 

ついでに休憩とばかりにカウンターの椅子に腰をおろしながらリッカはジンジャーエールを口にしていた。少しドライなのかジンジャーの辛さと爽やかな炭酸が喉を潤す。そんな一時だった。

 

 

「あれ?皆どうした?」

 

「北斗こそどこ行ってたの?リッカさんが捜してたんだけど」

 

北斗自身の用事は無かったが、リッカが呼んでいたのであれば内容は神機に関係すべき事。ましてや自身の状況がそうである以上、それ以外には考える事は出来なかった。

 

 

「そっか。実はそこでユノさんに偶々会ってね。それで話をしてたんだよ」

 

北斗のユノの単語に反応したのか、シエルが僅かに反応する。それが何を示しているのかは分からないものの、先ほどまで訓練をしていたはずが、何故そこでユノの名前が出てくるのか北斗は何も考える事無く先ほどまでの状況を改めて説明していた。

 

 

「それは変ですね。ユノさんが今回の黒蛛病の件でどれ程慰問しているのかフライアは知らないはずが無いんですが」

 

「でもさ、私達のデータも提供されてないってちょっとおかしいよ。フライアに何かあったのかな」

 

北斗の話は誰が聞いても不思議な内容だった。ユノ自身が今まで慰問先に選んでいたのはサテライトの建設に関する物か黒蛛病患者の慰問。そうなればこの極東の中で誰が一番その件にタッチしているのかは直ぐに理解出来る内容でもあった。

にも関わらず、こちら側からの通信は事実上のシャットアウトとなれば何かあったのかと勘繰る事も出来てしまう。そんな事を理解した上での対応となればブラッドとしても疑問視せざるを得なかった。

 

 

「あのさ、話してる所悪いんだけど、私の存在忘れてないかな?」

 

話に夢中になり過ぎたのか、捜しにきたリッカの存在をすっかりと忘れていた事を思い出していた。どちらの内容も重要な話ではあるが、こちらは神機に関する可能性が高い為に、優先順位は考える程でもなかった。

 

 

「すみませんリッカさん。少し込み入った話だったものですから」

 

「別に怒る様な内容でも無いから問題ないんだけど、せめてきたなら一言位声をかけてくれても良かったかとは思ったよ」

 

リッカの一言で先ほどまでの疑問は直ぐに立ち消えしていた。今はまだ何を考えるにも検証する材料が何一つない。この場で出来る事はたかが知れている為に、今はリッカの話を聞く事を優先していた。

 

 

「実はこの前のマルドゥークの件なんだけど、北斗の神機を思い切ってコンバートするか、大幅なアップデートのどちらかに踏み切った方が良いと判断したんだけど、まずは本人に確認した方が早いかと思ってね。で、確認したいんだけど今の神機って確かクロガネをずっと使って来たんだよね?」

 

第二世代以降の神機使いは基本的に刀身や銃身の変更が容易に変更できるのが利点だった。アラガミの種類によっては刀身を変更する事で戦闘時の負担が少なるのが最大の利点でもあるが、それと同時に、刀身事の運用が異なる為に、それなりに慣れる為の習熟期間が必要となった。

 

この部分から当初は戦闘時の優位性の為に変更していたが、今まで培ってきた動きが無になる可能性が高いからと、最近では刀身の変更はしても種別までは変えないのが一般的だった。もちろん今でもアラガミ事に変更しているゴッドイーターもいる事もあり、教導カリキュラムに終わりが無いのはそんな意味合いも含まれていた。

 

 

「特にこれと決めていた訳では無いんですけど、仮に他の物となるとどんな物になるんです?」

 

「これはナオヤとも話したんだけど、ロング以外だと多分チャージスピアかショートなら今の動きを活かせる可能性はあると考えてる。でも、ロング以外に変更となればその習熟期間は通常よりも早く終わらせる必要があるから、訓練の時間は今までの3倍は必要になると思う。私達の口からはこれが一番だとは言えないから、君自身の動き方や戦い方から選択するのも間違いでは無いと思うよ」

 

まさかの提案に北斗としても選択肢の幅が思った以上にある事は理解していたが、今までの行動を考えると確かにバスターやハンマーの選択肢は無かった。これがマルドゥークと戦う前までであれば、恐らく簡単にコンバートを決めていた可能性は高かったが、今の北斗にはそんな考えがまるで無かった。

 

一番の要因は無明との対人戦。気配を感じる事無く動くとなれば、今から他にコンバートすれば今まで以上に困難を極める可能性が高く、また時間も膨大に必要になる。

これでまだエイジ達が居ればその可能性もあったが、今は本部に派兵している関係上ここから更なる高見に上るのは厳しいとも考えていた。

 

屋敷での話から北斗が推測したのはただ一つ。訓練は改めてやる物ではなく日常の全てが訓練であると言う事実。

だからこそ、エイジだけではなくナオヤも普段からは気配を感じにくいのだと改めて考えていた。

 

 

「リッカさん。神機は大幅なアップデートにして下さい」

 

「やっぱりね。ナオヤも同じこと言ってたからね。あ~あ、賭けは私の負けか」

 

この一言でリッカは少しだけ落胆した表情を見せていた。先ほどの発言を正しく理解すれば、それは普段から教導カリキュラムを見ているナオヤであればどんな反応をするのか、そして無明との戦いを経験した上で判断した事実があった事になる。

見透かされた様な気分にはなったが、目の前でのあの動きを見せられた以上、ここから別の道を模索するのは違うのではないのだろうかと考えていた。

 

 

「そんなに俺の考えが分かりやすいって事ですか?」

 

「ううん。ナオヤの話だと無明さんに何も考えず挑む様な人間を見た事が無いのと、多分意地でも変えるつもりは無いだろうって言ってたんだよ」

 

まさに北斗の考えていた事そのものだった。伊達に教官をしていないのか、何を考えているのか知られた様な感覚はある種の気持ち悪さはあるものの、何となく納得していた部分もそこにあった。

 

 

「取敢えず大幅なアップデートになるけど、まずは刀身のパーツが無い事にはどうしようも無いから、少しだけ時間がかかるよ。刀身パーツが来たらすぐに交換になるから」

 

今後大幅に変更される物は何なのか、北斗はまだ見ぬ刀身パーツに期待を寄せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「丁度良い所に来ましたね。ちょっと聞きたい事があったんですが、少しだけ時間は大丈夫ですよね」

 

神機の件が終わり、自室へと一旦戻ろうとした際に、何故か施錠されているはずの鍵が開いていた。まさかアナグラで空き巣の可能性は否定したいが、万が一の事も考え北斗は一気に扉を開けた所でサツキが椅子に座って待っていた。

 

 

「ここは俺の部屋なんですが、どうやってここに?」

 

「それはちょっと言えませんね。そんな事よりもブラッドの隊長でもあるあなたに聞きたい事があったんですが、例のフライアの件なんですが、実はユノが今までに何度も連絡を取ろうとしているにも関わらず、未だ返事が一向に無いんです。で、これは変だと出向いたんですが、関係者以外は立ち入り禁止だと言われて追い返されたんですよ」

 

神機の前に話をしていたフライアの異変である事は直ぐに理解出来ていた。確かに自分たちが異動になってからは一切の情報開示はなく、こちらが連絡出来たのはジュリウスに繋がった1回だけ。

確かにマルドゥークの討伐ミッションには来ていたが、その後は会話をする余裕すらなかった。冷静に考えれば通常はミッションに合同で参加したのであればその後の検証についても共同で行う事が多く、その結果として情報の共有化が一般的だった。

そう考えれば確かにあの後の行動には違和感しかない。

これが何を指し示すのか北斗には想像出来なかった。

 

 

「ジュリウスに声をかければ早かったんじゃないのか?」

 

北斗は当然とも言える名前を挙げていた。今までの事を考えればサツキとて面識もある以上、話はスムーズに進むはず。そう考えたはずだった。

 

 

「私も真っ先に声をかけたんですが、けんもほろろでしたからね。ラケル博士?でしたか、あの人にも念の為に声はかけたんですがジュリウスさんと同様でしたので」

 

この時点で北斗も何となくフライアの様子がおかしいではなく、疑惑へと変わりつつあった。ラケル博士に関してはブラッドの中で考えても北斗はそうある訳では無い。むしろシエルやナナの方が面識がある為に、大よその人となりは知ってるからこそそんな感情が湧く事は無いが、北斗に関してはそこまでの関係性が無い以上、それはある意味当然の事だった。

 

 

「その件については理解しましたが、そろそろ本題に入ってもらえると有難いんですが」

 

サツキの言いたい事は分からないでもないが、ここは北斗の部屋。態々招いた訳でもないのにそうじっくりと時間をかけられても、こちらとしても困ってしまう。フライアの事は気になるも、それ以上分からない物を悩んだ所で無意味でしかなかった。

 

 

「実は、フライアで他に顔見知りで話がしやすそうな人物に心当たりなんていないかと思いまして」

 

「心当たりですか……それならオペレーターのフランさんなんてどうですか?」

 

フランの名前を出した瞬間、サツキの目は獲物を狙う猛禽類の様な目をしていた。ただでさえフライアは機密事項が多く、また内部に至ってはFSDで神機兵の格納庫までは公表したものの、それ以上の事になると外部からの情報は全て遮断している部分が確かにあった。

いくら情報を得ようとしても、職員も外部に出る事は少なく、結果的には情報漏洩の可能性はかなり低くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。サツキさんとはどんな仲なんでしょうか?」

 

自室で寛いで居たはずが、振り向くとそこにはシエルが佇んでいた。一体いつ部屋に入ってきたのか分からないが、何となくシエルの表情が硬い。まさか先ほどの話の事なんだろうか。今の北斗には思い当たる節が幾つも存在していた。

 

 

「なんで知ってる?」

 

「先ほど部屋から出できた所を拝見しましたので、何かあったのかと思いまして」

 

その一言が何を言いたいのかは理解出来ないものの、特に話すべき内容では無い。一旦はそう考えたものの、やはりフランの名前を出した手前、無関係でいるには少々無理があるのかもしれない。

一体シエルは何を考えているのか分からないが、今は先ほどの内容に対して話た方が何かと問題無いだろうと、改めてシエルと話をする事にしていた。

 

 

「そうでしたか。てっきり私はサツキさんと何か密会でもしているのかと思ってしまい申し訳ありません」

 

「いや、鍵かけたはずなのに目の前で椅子に座ってたら普通に驚くよ。そんな事よりも俺よりもシエルの方がフライアの事を良く知ってると思うんだけど、さっきの話を聞いてどう思う?」

 

情報開示が全く無いだけではなく、黒蛛病患者の受け入れをしてからは一気に情報統制されているのか、連絡が取れなくなるのは疑惑を持ってくれと言っている様な物だった。確かにフランの名前を出したが、フランとて守秘義務があるのは知っている。

そう考えると、サツキが何を言っても詳細については分からない可能性が極めて高いとも考えられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サツキ。勝手に動く事には感知しないが、万が一ここに火の粉が飛ぶ様な事があれば、お前の首と胴体は真っ先に離れる事になるぞ」

 

薄暗い廊下の中でサツキは一人背中に冷たい汗をかいていた。背後から聞こえる声はサツキが知っているいつもの声とは違い、重く響く様な声の主が誰なのか確認しなくても直ぐに理解していた。

 

 

「こ、これは紫藤博士。随分と物騒な物言いじゃありませんか」

 

「お前が何を探るつもりなのかは知っているが、ここではゲスト扱いだからと言って、何をやっても良い訳ではない。調べるのであれば悪目立ちする様な行動をするなと忠告しただけだ。お前の調べようとしている所は決して清廉潔白でやっている訳では無い。その事を努々忘れるな」

 

この言葉に恐らくは何かしらの調査をしているだろう事はサツキにも理解していた。確かにフリーのジャーナリストからすれば、これから扱う情報は正しく機密とも言える物。

当初はスクープする気持ちもあったが、流石に相手はフェンリルの本部でもあり、また直轄部隊が所属していた場所でもある。下手な事はするなと忠告を受けたと今は理解する事にしていた。

 

 

「私も命は惜しいですから。紫藤博士の邪魔や不安視する様な事にはならないと思いますので」

 

「なら良いだろう。今は下手に騒がず静観するのも一つの考えだと言う事も忘れるな」

 

その一言が出た瞬間、得体のしれないプレッシャーも和らいでいた。まさかこれからしようとしている事が既に勘繰られていた事に驚きを隠せなかったが、先ほどの忠告を護らないのであれば、自分の命が簡単に消し飛んでしまう。

 

改めて先ほどの言葉を思い出しながらサツキは北斗から聞いたフラン某の元へと足を運んでいた。

 

 

 

 

 




今年の秋にGEBのリメイクでもあるゴッドイーター リザレクションが出るらしいですね。

GE2につながるストーリーとキャラエピもあるらしいですが、少し期待したいです。


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第161話 事実

サツキの襲撃とも言える話から数日が経過していた。フライアの事は気になるも、今はやるべき事をこなす事が精一杯である事からも北斗の記憶の中からはサツキの言葉は徐々に消え去ろうとしていた。

 

 

「ちょうど良かった。隊長さん、少しだけ時間を貰えませんか?」

 

サツキは何かを探っていたからなのか、改めて北斗を呼び止めていた。当時何かをやっていだろう事は理解していたが、肝心の内容は何も聞いていない。精々がフランの名前を出した程度でもあった。

そんなサツキからの話となれば内容はは間違い無くフライアの事しか無い。何を見つけてきたのか、今はただ話の内容を確認する他無かった。

 

 

「それって例の件ですか?」

 

「察しが良くて助かりますよ。ちょっと込み入った話になるんで、どこか静かな場所はありませんか?」

 

この時点でどんな内容になるのか何となく北斗にも想像出来た。何ら問題が無いのであれば、態々そんな言い方はしない。静かな所と言うのであれば当然ラウンジえ話せる様な内容でもない。

サツキの何気なく放った一言が北斗の予想通りに結末を迎える事になるのだろうか。そんな予感しかしなかった。

 

 

「静かな所ですか……であれば、空いている部屋を探すしかないですね」

 

前回の様に自分の部屋でとも考えた物の、万が一の事があれば弁解出来ない未来しか見えない。ただでさえ前回の件でシエルからも小言を貰ったばかりもあってか、今の北斗にはそんな場所がどこにあるのかを考える方が苦痛だった。

 

 

「北斗。そう言えば……またサツキさんですか?」

 

呼びに来たはずのシエルの表情がまた硬くなっていた。前回の再来とも考えたが、今はサツキの話を確認する方が最優先と考え、それならばとシエルも巻き込む事を決めていた。

 

 

「シエル。これから時間あるか?」

 

「私なら問題ありませんが、何かあったんですか?」

 

「サツキさん。例の件の事であれば、シエルは今のブラッドの副隊長です。知る権利はあるはずですが」

 

シエルの疑問を一旦棚上げし、今はシエルも一緒にいた方が何かがあった場合に今後の行動がしやすくなると北斗は考えていた。事実、作戦の大まかな部分は北斗でも立案できるが、その際に入る調整に関しては現状はシエルが全て取り仕切っていた。

そんな事もあるのであれば情報の共有化は出来た方が手間がかからない。そんな部分も考えた上での提案だった。

 

 

「シエルさんですか。まあ、結果的には一緒に考えて頂く事になる訳ですから、私は構いませんよ」

 

「シエル。この辺りで静かに話せる環境の部屋は無いか?」

 

「ここではそんな部屋は有りませんね。敢えて言うならば支部長室ですが、そう言う訳には行かなそうな内容ですよね」

 

察しが良かったからなのか、シエルもこれから話す内容が割と重要視すべき内容である事を理解していた。役職があれば話は別だが、今回の内容は極東には殆ど関係無い様にも感じる以上今から提供できるのは精々が自分の部屋だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか…ラケル先生とレア先生がそんな事をしているなんて…」

 

サツキの言葉はシエルにとってみればショック以外の何物でもなかった。当初から親しくしていた二人の元で行われていたはずの黒蛛病の治療は何もなされていなかった。話はそれだけではない。

 

当初、治療の名目で運ばれたはずのフライアでは薬一つとして納入された記録は無く、フライアに居た署員の殆ども人事異動が行われていたからなのか現在の所は職員と呼ばれた人間は殆ど残っていなかった。

そうなれば最早フライアそのものを維持する事すら困難になるのは明白でもある。

今のフライアに何が起こっているのだろうか。サツキの口から語られた事実を裏付けする方法は無いが、納入記録が物語る以上今の2人にはそれ以外で確認する事が出来なかった。

 

 

「それと、今回の異動に関してなんですが、極東にフライアのオペレーターのフランさんがここに異動する事になったらしいですよ。何でもフライアも今回の件でかなりキナ臭い事になっているからと本人からの要望で転属願が出た所を榊支部長が引っ張ってきたらしいですから。

それと隊長さんも手が早いんですね。フランさんもどうやら会いたがってましたから、ちゃんと行って下さいね」

 

シリアスな話が終わり、今後の対応に迫られる事だけは間違いと考えていた矢先にサツキから特大の爆弾が投下されていた。一体何を考えているのか分からないが、隣に座っているはずのシエルからは目に見えない程のプレッシャーだけは確実に感じている。

 

今、隣を見るのは怖いと感じながらも今後の事も踏まえて一度ロビーへ向かう事を決めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「神機兵の任務以来ですね。今日からここに配属される事になりました。ここでもオペレーターとしてまた業務を行いますので宜しくお願いします」

 

サツキの言葉通り、ロビーにはヒバリと話をしているフランがカウンターの前にいた。

ここではオペレーターの先輩とも言えるヒバリも居る事から、フライアとは違い色んな状況に対応する必要性が高く、その結果として今まで以上に素早い対応が必要とされている。

その為には綿密な打ち合わせをしなければ想定外のアラガミが出た際にも冷静な判断が出来なくなるのであれば戦場にいる部隊の命が危うくなり兼ねない。万が一にならないその為の打ち合わせだった。

 

 

「こちらこそ改めてお願いします。それよりもどうしてここに?」

 

北斗の一言にフランは本当の事を言っても良いのか一瞬だけ迷っていた。内容に関しては守秘義務が発生するのはある意味当然の事ではあるが、今回の異動に関してはフランだけではなく他の職員も突如の異動命令であった事から多少なりとも混乱していた。

その結果として極東支部への異動が決定していたが、実際にの所はフランにも内情は分かっていなかった。

 

 

「詳しい事は分かりませんが、フライアの内部もかなり混乱しているので詳細については分かりません。かく言う私も異動命令が出た際に、ここの榊支部長からスカウトの話が来ましたので、そのままここに決まっただけなんです」

 

フランとしても守秘義務があるとは言え、真相を知っている訳では無い。となれば自分自身が感じた事をそのまま説明した方が何かあった場合も困る事もないと判断してた。

 

仮にこの時点で守秘義務がどうこうなどの話が出る可能性も恐らくは無いだろうとの目算もあった。フランとのやりとりは一先ずここで終わらせ、後の事はヒバリとの打ち合わせが終わってからでも問題無いと判断したのか、北斗達はこの場を離れ、ラウンジへと移動していた。

 

 

「シエル。今のフライアってどうなってるんだ?」

 

「まさかフランさんまで異動するとは思ってませんでした。やはり先ほどのサツキさんの話が本当だとすれば、何かが起こっているのかもしれませんが、今は肝心の通信手段が何も無い以上、こちらからの呼びかけに応じるとも思えませんね」

 

シエルが言う様に、ユノでさえも連絡が取れない状況下でブラッドが確認するとすればジュリウスに通信を繋ぐ事しか出来ない。しかし、サツキの話からすればそのジュリウスでさえも繋がらない以上、何もする事が出来なかった。

 

 

「あっ!2人共ここだったんだ。さっきカウンターにフランちゃんが居たんだけど、ここに来るの?」

 

「おかえりナナ。軽く挨拶したんだけど、どうやら今日付けでここだって」

 

「そうなんだ。だったらさぁ、歓迎会とかしないのかな?」

 

任務帰りだったのか、ナナは明るい表情で北斗達と話をしていた。内部の事情については現在の所はサツキ以外には北斗とシエルしか知らない。このまま隠し通すのは難しいと考えはしたが、ナナのテンションを下げるのもどうかと判断し、今はそのタイミングを計る事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな事があったんだ……でも、そうなったらロミオ先輩はどうなるのかな?」

 

簡易的な歓迎会は一部の人間によって開催されていた。元々ここでは騒ぐ事に抵抗を感じる様な人間は誰もおらず、また現在は幸か不幸かお目付け役の人間は極東には居ない。

 

当初はささやかにと考えていたにも関わらず、今後は顔見世もあるからとついでとばかりに結構な人数が参加する事になっていた。当初はあまりのテンションにフランも驚いていたが、ナナやシエルからこれがここでは日常だと教えられた事により、フランもこの状況に慣れる様に務める事にしていた。

 

 

「ロミオさんに関しては、私が知っている限りでは今まで通りの環境で保護されています。今後の点に於いては分かりませんが、恐らくはジュリウス大尉がその件について一任されている以上、大丈夫だと思いますよ」

 

「そっか……ジュリウスが管理してるなら大丈夫だよね。でもどうしてここなの?」

 

最早歓迎会の域を当の前に越え、既に周囲は単なる宴会と化してはいたが、ラウンジの一角では久しぶりだとばかりにブラッドのメンバーがフランとの話に花を咲かせている。突然決まった辞令には困惑しながらも、今フランが知っている状況を改めて説明する形となっていた。

 

 

「フライアから他への転属命令が出た際に、こちらの榊支部長からスカウトの話が来ましたので、皆さんがここに居るのであれば私もと考えた結果です」

 

「でも、またフランちゃんと一緒に出来るなら頑張れそうだね」

 

「皆さんの残された数字はこちらでも把握していますので、私も今後のミッションに対しては足を引っ張らない様にしたいと思います」

 

若干堅苦しい部分はあるものの、当時の状況と何も変わっていない事に北斗も少しだけ安堵していた。以前にフライアでこなしたミッションの際には空気は当時と何も変わっていなかった。

しかし、今のフライアはほぼ全員とも取れる人員を外部に放出したのであれば、まともな運用が出来るとも思えなかった。考えを纏める為にグラスに口を付けるも、気が付けばグラスの中身は既になく、そこには氷だけが残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。少しだけ時間良いか?」

 

空のグラスをどうしたものかと考えていると、そこにはナオヤが同じくグラスを片手にこちらまで来ていた。リッカとは違い、ナオヤもエイジ同様に気配が薄いからなのか近くまで来ないと気が付く事は無い。

当時はまさに驚いたものの、屋敷での体験がそうさせているからなのか、今はどんな状況下でも何も変わる事が無いその状態を感心していた。

 

 

「そうですね……大丈夫です」

 

「実は例の神機の件なんだが、刀身についてのメドが立った。で、今日は無理でも明日の朝一番に一度確認してほしいから技術班まで来てくれないか?」

 

ナオヤの言葉は北斗も予想していたが、この内容は北斗の予想を大幅に上回る早さだった。以前の話ではそれなりに時間がかかるから暫くは既存のパーツでの運用の話をしていたが、まさかここまで早いとは考えても居なかった。

もちろん自身の神機の性能が上がるのであれば断る理由はどこにも無い。今はその結果だけに満足していた。

 

 

「俺は問題ありませんので、朝一番にはお伺いします」

 

「時間を取らせて済まないが、頼んだ」

 

北斗も詳細については確認した訳では無かったが、現在使用しているクロガネ系統の刀身パーツはここで開発され、実戦ではエイジがテスターとして運用していたと言う記憶があった。

 

神機によっては様々な属性が付与する事もあるが、このクロガネに関してはそんな物は不要だと言わんばかりに純粋に攻撃する為の性能だけが追及された代物だった。当時はこの属性に対する効果が大きいからとクロガネを使用するケースは稀だったものの、これがエイジが一時期運用したと分かってからは割と使われる事が多くなっていた。

 

一番の要因は初めて使うはずなのに、どことなく馴染んだ感覚が強い事だった。いくら強大な能力を持っていても、使いこなせないのであれば無用の長物となる。それはゴッドイーターであれば最早常識だとまで思える程に現場に浸透した内容でもある。

 

これが明らかに無駄な事であれば話は別だが、初めてでも長期間馴染んだ感覚があれば、それも一つの拠り所になる。使い勝手が悪いなんて事であれば自分の命を天秤にかける訳には行かないからと、他の神機よりも開発速度はそちらが最優先となっていた。

 

 

「これが新しい刀身パーツですか」

 

「そう。これを君の神機に取りつける事にしたんだ。銘は確か……暁光だって。クロガネの改良系なんだけど、これはエイジが使っている黒揚羽と同じ製法で作られてるパーツだね」

 

リッカの説明を他所に、北斗の視線はそのパーツから外れる事は無かった。エイジの刀身は漆黒の刃でもあったが、これは純白とも言える様な白だった。

戦闘以外でエイジの神機を見た記憶はどちらかと言えば皆無に等しかったからなのか、たまに目に留まった際には何とも言えない凄みがあった。本人の口から聞いてはいなかったが、前回のマルドゥーク戦の際に見たあの光景が嫌が応にも思い出されていた。

 

記憶は怪しいが、あの時のエイジはまるで死神とでも言える程の黒いオーラに包まれた状態で神機を振っていた。あの後でやんわりと聞いたのは神機は無機質なはずにも関わらず、自身の命を吸い上げるかの様に使い手の生命を削り取ると同時に絶大な性能が付与されるとナオヤから聞いていた。大幅なアップデートとは聞いていたがまさかこんな結末になるとは北斗自身も考えていなかった。

 

 

「これなんだけど、エイジの様な機能は無いから問題無いよ。でも、これはこれで使いこなす為には北斗の努力も必要になるよ。例の暴走の件があるから、これはあくまでもその対策品としての側面もあるから、取扱いはやっぱり注意してね」

 

「でも、本当に良いんですか?」

 

リッカの説明を聞けば聞くほど本当に自分が使っても良いのだろうかと考えていた。事実、同じ製法で作られたと言っている時点でどれ程の性能を持つ事になるのかは何となくだが肌で感じる。触れた物が何も抵抗する事無くスッパリと切れそうな雰囲気と同時に、どこか魂が引き寄せられる様な感覚に、北斗は思わず息を飲んでいた。

 

 

「北斗。そこまで緊張する必要は無いぞ。黒揚羽だって、正直な所今でもまだ改良する余地は残されているんだ。これはあくまでも俺達ではなく、兄貴からの指示も含まれている。それだけ期待されてるって事だと考えてくれれば問題無いぞ」

 

極東支部ではなく屋敷の部分に、これがどんな物なのかを理解させられた気分になっていた。元々支部で開発された物は凡庸品とまでは行かないものの、素材さえあればどんな支部でも製造は可能な代物でもある。

しかし、以前に聞いた際にはエイジが使っている神機は他の支部では製造はおろか完全なメンテナンスすら困難だとも聞いていた。まさにその人間の為に作られた品はある意味では憧れる部分もあったが、まさか自分にまでこうやって貰えるとは考えてもいなかった。

 

 

「分かりました。暁光の銘に負けない様に精進したいと思います」

 

「まぁそんなに気負わなくても大丈夫だから心配するな。ただ、性能は良くても使い手がダメならどんな物でもすぐに鉄屑になる。無駄にしない為の訓練は欠かさない事だな」

 

あの時これがあればどんな結末になっていたのかだろうかと一瞬北斗は考えたものの、あの状況があるからこそこれがあると考え、過去のしがらみは断ち切りたい。今はそう考えながらも直ぐにでもミッションで試運転したい衝動に駆られていた。

 

 

 

 

 



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第162話 意外な人物

 

「流石は極東産だな。傍から見ても今までの神機とは明らかに違うのが良く分かるぞ」

 

試し斬りならぬ試運転で、手ごろなミッションを受注し、現在に至っていた。既に討伐対象だったグボロ・グボロ堕天とコンゴウ堕天は霧散し始めていたのか、既に形を維持する事無くそのまま消え去っていた。

 

 

「ギルもそう思うか。今まで使っていたクロガネも悪く無いとは思ってたけど、まさかここまで違うとは思わなかった」

 

「それがあれば今後のミッションは随分と楽になりそうですね」

 

今まで使っていた物に愛着はあったが、今回託された刀身はその遥か上の結果をいとも簡単に出した事で改めてここが激戦区である事を理解されられていた。一番最初に搭載された際には見ただけで今までの神機とは格段に違う事は予想出来たが、ここまでの能力であったとは思ってもいなかった。

一番最初に聞かされたのは、このパーツがまだシェイクダウンしたばかりの為に、これから徐々にアップデートを施すと聞かされていた。またこれ程の能力が無ければ高難易度ミッションをこなす事が出来ない事も嫌が応にも理解していた。

 

 

「でも、これで今まで以上に高難易度ミッションには確実に駆り出されるのは間違いないだろうな」

 

「それは仕方ありません。今はエイジさんとリンドウさんも不在となっていますので、我々も確実に戦力の数に入っている以上、結果を求められるのは必然でしょうから」

 

シエルが言う様に、今回の試運転の際にはナオヤに使用感や実際にどんな使われ方をしたのか、いつも以上に細かいチェックが入る事を事前に通達されていた。エイジの黒揚羽とは特性が違うとは言え、最新型の刀身パーツのデータは今後の開発にフィードバックされる事になる。

その結果が今後の対アラガミ兵器に昇華されるのは、ここ極東ではある意味当然だった。

 

 

「とにかく早く終わる事は良い事だよ。早くアナグラへ戻らない?」

 

時間を見ればそろそろ昼食の時間に差し掛かろうとしててたのか、ナナはどこか急ぐ様な素振りで話を進めるが、生憎と帰投用のヘリの到着にはまだ時間がかかる。そんな中で不意にアナグラからの通信が割り込んで来ていた。

 

 

《任務完了後に申し訳ありません。今いる地点より南東の方向約30キロ地点に民間人が運転していると思われる車がアガラミの襲撃を受けているとの通報がありました。現在帰投用に向かっているヘリでそのまま現地へと移動する事になります》

 

「襲撃って、車は何台?」

 

《こちらで確認しているのは1台です。今の所は何とか大丈夫だとは思いますが、その地点は遮蔽物が無い為にそのまま逃避する事は難しいかと思われます。今後の事を考えれば楽観視できる程の状況にはありません。民間人の保護を最優先とし、これから任務を更新します》

 

通信の相手はフランだった。緊急時であると同時に近隣ではブラッドが一番近い場所に居る点と、ヘリの移動時間を計算した結果だった。その報告は既に全員が聞いていたからなのか、既に表情は通常の戦闘時と大差ない程になっていた。

 

 

「あんな地域に何の為に居たんでしょうか?あの辺りには何も無かった様な記憶しかありませんが」

 

「この辺りで何かの調査でもしてたんじゃないのか?にしても調査なら護衛も居るはずだが、状況がおかしいのは間違いなさそうだな」

 

シエルとギルが疑問に思うのは無理も無かった。フランからの通信で明らかになった地域には学術的にも物質的にも気になる様な物は何もなく、そこはただの平原の様な場所。

そんな所に調査に行くのであれば、通常であれば業務として派遣する際には最低でも2人は護衛が付く事になっている。にも関わらず、連絡ではそんな気配すら無かった。既にヘリは目視出来る距離まで近づいてきている。今は一刻も早い行動を余儀なくされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれは……拙いな」

 

高度からのヘリは現地を見ると、既に車は何度か襲撃されていたのか、車の後ろの部分の一部が大破していた。北斗が呟いた様に、既に車の速度が目に見えて遅くなっている。この距離では運転手は分からないが、一人だけの為に、銃での威嚇射撃もままならない状況に陥っていた。このままでは捕喰されるのは時間の問題。

これ以上の時間の猶予は最早無かった。

 

 

「もう少しだけ高度を落としてください。このまま出ます。シエル、援護射撃してくれ」

 

「了解しました」

 

その一言で全てを理解したのか、シエルは銃身を襲い掛かるアラガミへと向けている。それと同時にヘリの高度が徐々に低くなり始めた瞬間だった。北斗は一気に自身の身体をヘリの搭乗口へと移動させると同時に、一気にアラガミへと襲いかかっていた。

 

 

「ナナ、俺達も北斗に続くぞ」

 

「了解!」

 

北斗の後を追う様にギルとナナもアラガミに向かって一気に降下していく。シエルも数発の援護をしたと同時に、神機を剣形態へと変更し、同じ様に一気に飛び降りていた。

 

 

「間に合え!」

 

北斗の高高度からの降下によって襲いかかろうとしていたオウガテイルの背中に向けて白刃の刃を一気に突き立てていた。重力の恩恵と自身の神機の能力は衝撃を伴う突撃となったのか、大きな口を開けて襲いかかろうとしたオウガテイルは背中から真っ二つになり、そのまま絶命していた。

 

 

「とりゃああああああ!」

 

北斗に続いたからなのか上空からナナの声を伴いながら、同じくシユウの頭にハンマーが直撃し、同じくシユウの頭蓋は砕けそのまま倒れた瞬間、ギルが止めとばかりに空中からのチャージグライドでそのままシユウの命を散らしている。

上空からの強襲に気が付いたのか、同じ様にその場にいたシユウ堕天も周囲を警戒するも、その直後にシエルからの急襲を受けた事で同じ末路をたどっていた。

 

 

「危なかったね。あれ、民間人が乗っていた車ってどこなんだろう?」

 

一瞬とも言える戦いによって戦端が開かれる前に決着は付いていた。詳しい事は分からないまでも、ミッションとして受けるのであれば今のブラッドが受注する程の内容では無い。今回は緊急時での内容が故の判断となっていた。

そんな中で襲撃された車は近くに無かったのか、すぐに見える様な範囲では何も分からない。ナナが周囲をキョロキョロとした時だった。

 

 

「どうやらあそこに停まっている様です。何かあると危険ですから急ぎましょう」

 

恐らくはアラガミの襲撃がこなくなった事で緊張の糸が切れたのか、車はシエルが見つけたのか指を指した方向で停止したままの状態だった。大丈夫だとは思うも、万が一燃料が引火する様な事があれば瞬時にその場は大参事になる可能性が高かった。

車を見れば時間の問題である事を感じたからなのか、このままでは巻き込まれる可能性が高いと判断し、今は少しでも早く民間人を保護する為に走っていた。

 

 

「大丈夫…です…か…えっ、レア…博士?」

 

北斗が言い淀んだのは無理も無かった。襲撃にあった車の運転席にはフライアに居るはずのレア博士が意識を失ったまま運転席に座っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

民間人の保護までの連絡でアナグラには少しだけ安堵の空気が流れていた。しかし、保護した人物の名を告げられると今度は違う意味で言葉が出ない。それほどまでに保護したのは渦中の人物である事が認識されていた。

当初は負傷した可能性が高いとの判断からすぐに医務室へと搬送されていたものの、結果的には目立った外傷は見当たらなく、その結果精神的な疲労の蓄積である事が説明されていた。

 

 

「しかし、当事者がここに保護となると少し厄介な事になりそうだね」

 

「ただ、今回の件に関してですが、あの場に護衛も無く居た事も疑問が湧きます。今は憔悴しきっているので話す事は厳しいでしょうが、ここは一度弥生に確認して貰う方が手っ取り早いのではないかと」

 

レアの保護の件は榊と無明にとっても災いの種にしか考える事が出来なかった。事実、この場にレアが居るのであれば立場としてはフライアに保護の要請をする必要が出てくる。にも関わらず、車両の内部に有った物を確認すると、どう考えても亡命する様な持ち物しか搭載されていなかった。

となれば可能性は今のフライアに何か隠している事がある事になる。万が一の事も考えれば早急な情報収集は必須となっていた。

 

 

「気にならないと言えば嘘になるんだが、君の方では何か掴んでないのかい?今回の件はともかく、ここ最近は神機兵を派遣する方向に加速しているみたいで、我々の所にも打診が来てるんだが、どこまでの情報を掴んでいるのかが皆目見当もつかないのは少々困る事になるからね」

 

「あれは他の支部とは違い完全に独立した運営ですから、恐らく本部経由でも詳細な情報を入手する事は無理でしょう。一番はレア博士ですが、あの状態では何を話しても言葉に真実味を感じる事は無理だと判断するのが妥当でしょう。こちらで掴んでいるのはここ最近の神機兵の稼動に関しては従来以上の動きと実績が出ている事位で、これは推測ですが本部が感知していないか、無視しているのかによっては一番最悪のパターンになる可能性も否定出来ません」

 

極東そのものに害が無いとは言い切れないのも事実だが、またそれを断定できる程の材料が無いのもまた事実だった。このまま膠着した状態が続く様であれば、危惧していた事が現実味を帯びる可能性が高かった。

 

それほどまでに極東以外の支部では神機兵の早急な配備が本部の元に出されていた。ここ暫くの間に神機兵の動きが急激に良くなった事から配下のゴッドイーターをそのまま派遣するよりも安全性と運用コストが高く、現場はともかく各支部の上層部の覚えは良い物へと変化していた。

いくら技術確信の速度があったとしても、今までの物から急激に良くなるのであれば何らかの要因が必要となる。いくらフライアが本部の直轄だったとしても、安心できる材料は何も無かった。

情報漏洩はしないのは当たり前だが、過度な対応をすれば疑う者も出てくる。そんな可能性が否定できない程に今のフライアには外部に対する目は厳しい物だった。

 

 

「弥生君。すまないがここでは秘書としてではなく、友人としてレア君の様子を見てくれないかな。情報は引き出せれば一番良いんだけど、今の彼女の状態を考えるとそれは厳しいだろうからね。暫くの間はこっちの仕事をセーブしても構わないから、そうしてくれないかな?」

 

 

「私個人としてもレアの事は気になりますので、今回の任務は謹んでお受けします。ご当主、詳細が分かり次第逐次報告させて頂きます」

 

「すまないが頼んだ」

 

弥生の目はすでに秘書ではなく一人の配下の様な目をしていた。元来秘書にするには惜しいとまで言われる情報収集と人間を媒介とする人心掌握に関してはこの事務方の中だけではなく、フェンリル全体としても群を抜いている。

幾ら秘書とは言え、仮にも本部の魑魅魍魎を相手にするにはそれなりの手腕が必要不可欠でもある。もちろん、普段はお姉さん的に振舞うが無明の前ではそんな気配は微塵も無く、ただ一つの命令を遂行する為だけに存在している様でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗君、シエルちゃん。ちょっといいかしら?」

 

親しき友人ではあるが、何も語らないままであればここにも迷惑がかかると判断したレアは弥生経由で北斗とシエルにコンタクトを取っていた。憔悴した当初はほとんど口も利かず、ただ涙する場面が多かったが、時間の経過と共に落ち着いたのか、ここで漸く弥生はレアと何気ない話の中から自身の口から語る方が良いだろうと判断する事になった。そんな中で弥生は北斗とシエルに声をかけていた。

 

 

「特に問題はありませんがどうかしましたか?」

 

「実がさっきまでレアと話をしてたんだけど、何か言いたげな事があるみたい。多分だけど、私が聞くよりも貴方達に話した方が良いだろうと判断したみたいなのよね」

 

弥生が言う様に落ち着きだしたレアではあったが、おる程度会話が進むとどこか怯えた様な雰囲気があった。恐らくフライアで何かが起こっているのはこの時点で間違い無かった。

事実、弥生も様々なルートを使って、今のフライア内部の事を確認しようかともしていたが、その結果は芳しい物では無かった。そんな中でのこの状況は何も知らない人間であっても容易に推測できる物が幾つも存在していた。

 

 

「そうでしたか……分かりました。私達に出来る事があればその様にしたいと思います」

 

「ご免なさいね。多分レアとしては私よりもシエルちゃんの方が話しやすいのかもしれないわね」

 

ここで漸く何かしらの打開策があるのではとの考えと同時に、今の状況を確認できるからとシエルは悩む事もなく弥生からの話をそのまま受ける事を決めていた。何がどうなるのかは分からなくても、原因が分かれば今後の事での対応が取れる。

シエルはそう考え、北斗と共にレアの居る医務室へと歩いていた。

 

 

 



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第163話 真相

 

憔悴しながらもシエルの顔を見た事で多少なりとも精神的な物が落ち着いたのか、レアの表情は怯えた様な部分が若干緩んだかの様にも見えていた。

 

 

「レア先生。何故あんな所に?」

 

「まだ先生と呼んでくれるのね。私には先生と呼ばれる資格はもう無いの」

 

何を悔やんだ結果なのかは北斗とシエルには理解出来ない。そもそも友人でもあるはずの弥生に何も言わないのであれば、今は口に出して何かを聞くよりも、レアが話すのを待っていた方が、恐らくは効果的なのではないのかと考えていた。

 

この場では何も邪魔をされる事は無いにせよ、それでも何がフライアで起こっているのかを確認しない事には、ここから先へは進まない。

今はただ、話出すのを待つしかなかった。

 

 

「それではラケル博士とジュリウスがフライアを私物化している様にも聞こえるのですが、実際にはどうなんでしょうか」

 

シエルがそう言うのも無理は無かった。レアから語られた内容は冷静に考えると何かがおかしいと考える部分が幾つか存在していた。元々局長のグレムの事を良い様に考えていた事が無かった事もあってか、それに関しては気にならないも、やはり一番の問題はジュリウスが何を考えているのかだった。

ここ数日の神機兵の稼働率はかなり高くなっているからなのか、以前の様な大型種のミッションはかなり少なくなっていた。偶に出ても中型種程度。現状では堕天種を目にする機会も大幅に減っていた。

 

 

「神機兵の教導については順調のはずよ。現に貴女達のミッションも随分と少なくなっているはずだから、それに関しては何も言わないわ。ただ……」

 

「ただ……何でしょうか?」

 

何気に聞いたシエルの言葉に改めてレアは何かを思い出したのか、両手で顔を隠すも声からは涙声なのか、声に張りはない。一研究者として、今まで必死に開発してきたはずの物が気が付けばその情報にアクセスする事も出来ず、また、その研究に携わる事が出来ないのであれば本人の存在意義までもが否定された様にも考えられていた。

 

シエルにとって研究者が研究の現場から排除された気持ちは知る事は出来ない。しかし、神機兵の開発にどれほどの情熱を持って取り組んで来ていたのかだけはラケル以外では誰よりも知っていた。そんな中で大事な研究テーマからの排除はかなり精神的に大きな苦痛になっている事だけは理解していた。

 

 

「あの、レア博士。ジュリウスはどうなってるんですか?」

 

レアの話だけをそのまま聞いても良いのかもしれないが、物事には客観と主観が必ず存在する。今のフライアがどうなっているのかは何となくでも理解したが、そんな中で以前にマルドゥーク戦の段階で教導は完了しているとの話の後で戦場で戦う神機兵を見れば、明らかに当時の状況よりも格段に動きが滑らかになっていた。

以前はまだぎこちなさも見えたが、ここ最近の神機兵にはそんな雰囲気は微塵もない。

だからこそ、その後の動向を知りたいと北斗は考えていた。

 

 

「ジュリウスはラケルが言う人々を教導するの言葉をそのまま受け取ったのか、今はそれを体現している。元々はラケルの言葉をそのまま信じていたからがずべての始まりなのかもしれないけど、今やジュリウスはどこか妄信している様な雰囲気もある。実際に彼が選んだのはブラッドじゃなく神機兵よ。彼は……彼は」

 

それ以上の会話が厳しいと考え出したのか、これ以上のは話は止めようとしていた時だった。不意に北斗はシエルの手を握り、もう少しだけ様子を見る様に制止してた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかラケル博士の身体に偏食因子が投与されていたとは……」

 

その後の話はラケルの事情にまで及んでいた。些細な喧嘩だったはずが予想以上の大けがに伴い、その結果として当時の時点では最先端の研究でもあったマーナガルム計画の中でのP73偏食因子の投与はまさに想定外とも言えていた。

 

その話になって漸く自分自身を落ち着かせる事ができたからなのか、結果的には思った以上の話の内容となっていた。しかし、そんな中で気になるのがジュリウスの件だった。

レアの話からすれば、何らかのキッカケがあってジュリウスは神機兵へと舵を切ったのは、以前に一緒に出動したミッションでも出た話である以上、ある意味それは当然だったのかしれない。もちろん、それに関しては何ら問題無いだけではなく、ここ数日のミッションの内容を考えればある意味ジュリウスの目的は達成した様な物だと判断出来ていた。

しかし、今となっては思う部分は幾つか存在する。

 

今まで情熱を傾けたにも関わらず、現状に至る神機兵が、こんなにも滑らかに動く事は可能なのだろうか。もしそうであればこの短い期間で技術が急激に進んだ事になる。

あまりにも滑らか動きをみせていた神機兵に目を向けやすいが、本当に教導した結果なのだろうか。レアの話は嘘を言っている様には見えないが、話の整合性は無い様にも思える。

これ以上の事が何も言えない以上、今は時間が癒す効果を待つ事しか出来なかった。

 

 

「詳しい事は分からないけど、偏食因子を投与したにも関わらず腕輪も無いから、実際にはどうなんだろうか」

 

「それでしたら一度弥生さんに話してみればどうでしょうか?そうなれば恐らくは榊博士の所にも情報は上がるでしょうし、最終的にどうするかの判断もしやすいでのは?」

 

シエルの提案を断る道理はどこに無い。今はそんな事を考えて、当初お願いされたレアとの話の顛末を弥生の耳へと届けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、あの忌まわしい計画にそんな火種があったとはね。我々の想定外の話ではあるが、確かに当時の事を考えれば仕方ないのかもしれないね」

 

レアとの話は弥生を通じて榊の耳にも届いていた。当時対アラガミに対する兵力は何もなく、ただ人口が徐々に減っていく事だけが理解させられていた。そんな中で偶然の産物なのか、それとも研究熱心な結果が実を結んだのか、それから程なくしてP53偏食因子の投与に成功し、ここで漸く滅び行く歴史に止める程度に成功していた。

 

当時の事は苦々しく思いながらも、あれがあったからこそ現在に至る。そう考えれば全てが悪いとは思わないにせよ、榊の記憶の中でP73に適合しているのはソーマ・シックザールただ一人だと思われた所で新たにもう一人居た事が驚きの事実だった。

 

 

「いくら君達でも、当時の事はそう簡単に話す事が出来ないんだ。それについては謝罪したい」

 

「いえ。そんなつもりで無いんですが、そのP73偏食因子と言うのは、俺達みたいに腕輪が無くても問題ないのですか?」

 

「それについてなんだが、P73偏食因子の前に、君達はゴッドイーターとしての基本的な座学は習ったのかい?」

 

何気なく話したはずの一言ではあったが、実際には詳細はおろか偏食因子に関しての座学は殆ど記憶には無かった。多少なりとも説明は受けた物の、あくまでも簡易的な物であって詳細まで知っている訳でない。

そんな北斗の前に榊は心の中をのぞいたのかと思う程に的確な内容だった。このままでは確実に講習をこの場で開催される可能性が高い。そう考えたのか北斗の背中には嫌な汗が流れていた。

 

 

「フライアで一通り話は聞いています。ただ、ラケル先生を見ている分にはそんな気配が微塵も感じられませんでしたので、それも確認したいと考えています」

 

北斗をフォローしたのはシエルだった。詳細については今さらである以上、ここはシエルにまかせた方が間違いと考え、今はただ傍観者として北斗はシエルを見ていた。

 

 

「そうか……なら話は簡単だ。P73偏食因子に関しては、我々は当初あれを原初のオラクル細胞として研究していたんだ。結果から言えば、あれはP53やP66の様に制御されている物では無い。それゆえに、アポドーシスとしての措置は要らないんだよ。普段の食事によって自分の体内に取り込む事が出来るんだ。どうやってそのオラクル細胞を入手したのかは知らないが、あれは違う意味で危険な可能性を持っているんだ。だからこそ取扱いには細心の注意と明確な意思が無い物は直ぐにオラクル細胞に自身が捕喰されるんだよ」

 

榊の説明はまさに想定外と言っても過言では無かった。レアの話を聞かなければ恐らくは気が付く事も無いまま過ごしていたはず。これが事実ならば真っ先にラケルに確認したいが、その肝心のフライアに関しては完全に情報を遮断したのか、連絡手段そのものが無いと言った状況である以上、今はただ眺める事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レア博士の気持ちも分からないでもないが、これもある意味当然の結末なのかもしれない」

 

榊との話を終えたからなのか、北斗はシエルとラウンジ向かう道中でふとした感覚があった。レアが子供の頃には感じなかった感覚が大人になる事で感じる物があった結果、現在に至るのはある意味当然だとも考えていた。

しかし、それと偏食因子の関係性が全く見えず、それがなぜフライアから逃亡する様な結果になったのかが分からない。今の精神状態で尋問するつもりは毛頭ないが、それとこれは関係ないのであれば、ある程度の現状把握は必要になる。そんな事を考えていたからなのか、不意に言葉になって零れていた。

 

 

「それはどう言う意味なんですか?」

 

「深い意味は無いんだけど、子供の頃に投与されて今まで生きていたんであれば、余程の精神力が必要なのかと思ってね。対抗すべき物が無いのであれば、どうやって自分の事をそこまでコントロール出来るのかと考えれば、疑問しか無い。

今になって見えない何かを感じた訳なんだから、やっぱりあそこには何かしら隠している事実があるんだと思う。一度でも感じた感覚はそう簡単に消える様な事が無いのは人間としての本能だと思う」

 

北斗の言葉にシエルも少し考えるそぶりはしたものの、今はまだ仮定の段階である以上、それが正しいのか答えを合わせる事は出来ない。そんな中でも今やるべき事をやるしかないと考え、北斗はラウンジの扉を開けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかそんな理由だったとはな……で、今後はどうするつもりなんだ?いくら錯乱気味でも当事者であれば情報の確認は最優先になるぞ」

 

北斗とシエルはラウンジでその場に居なかったギルとナナにも情報を共有する為にラウンジの隅で話をしていた。この場にはムツミしか居ないが、万が一の可能性も考慮しながら、今は誰にも聞こえない様な音量で話を続けていた。

 

 

「ああ。レア博士からはまだ肝心の内容をまだ聞いていない。黒蛛病患者が今どうなっているのかは、ここではレア博士しか知らない事だからな」

 

「詳しい事は分からないけど、どうしたんだろうね?一人だけで運転なんて危ない事には変わらないのに」

 

ナナの疑問には恐らくは明確な答えは無いものの、やはり今となってはラケルが何らかの形で暴走したか、もしくはラケルの異常性を感じたかの選択肢位しか無かった。今はまだ幹部としての権利を認めていたとしても、万が一の状況になれば、そんな権利は最初から無かったのと同じ様に扱われるのは予想出来る。

シエルにとっては親しい恩人であったとしても、この場に於いては所詮は一幹部でしか過ぎない。最悪の事態に陥れば、今度は逆に容疑者扱いされる可能性も含まれていた。

 

 

「ナナの言う通りなんだけど、今はまだ憔悴しているのか全部の事を話した様にも思えない。暫くは時間を空けて様子を見るのが一番だと思う」

 

「そうだよね。でもさ、何にも分からないのに私達もどこか当事者ってイメージがあるんだけど、実際にはそうじゃないんだよね」

 

ナナの言葉はまさにその通りだった。ブラッドは元々フライアに所属していた事もあって、イメージ的には直属ではあるが、実際の所は既に極東に部隊の管轄が移譲され現在では極東支部の所属となっていた。その観点からすればブラッドも極東支部も同等ではあるが、やはり当時の関連性を言われれば、それ以上の反論が難しかった。

 

 

「あれ?みんなで集まって何話してたんだ?」

 

ブラッドの一団を見つけたのか、コウタだけではなくエリナとエミールも一緒だった。神機兵が大型種の討伐を率先してやっている事もあってか、ここ数日の任務内容は殆どが神機兵が取りこぼしたと思えるような小型種や中型種の討伐任務が殆どとなっているからなのか、今のアナグラはどちらかと言えば、過剰戦力気味の状態が続いていた。

 

 

「いえ。対した事では無いんですが、ここ数日は神機兵の影響もあってか、簡単な任務しか無いって話をしてましたので」

 

まさかラウンジでレア博士の話をしていると思われる訳にも行かず、北斗はこの状況で尤もだと思える様な話をコウタにしていた。

 

 

「神機兵が出てるからな。俺達もやる事なんて殆ど無いんだよな。さっきも遠目で神機兵が大型種を討伐していたのを見たけど、あれは凄いと思ったよ」

 

「コウタ隊長。あんな神機兵に負けてるなんて思ってる時点でどうかと思うんですけど」

 

何となく他人事の様に話した事が気に食わなかったのか、エリナがコウタを非難するもエリナの目から見ても十分に凄い事は理解していた。以前の様に突如止まる事も無ければ、動きも洗練されている。

そんな事もあってか、ここ数日の間で神機兵の認知度は極東支部全体でも高くなっていた。それと同時に今度はゴッドイーターの存在意義が問われる可能性があった。

 

元々エリナは同じゴッドイーターでもあった兄の背中を見て育つと同時に憧れも持っていた。しかし、ミッションの途中でのKIAによってこの世を去る事になってからは、私が兄の分までと意気込んでいた背景があった。だからこそ、今の上司でもあるコウタの態度が気に入らないと考えている部分も存在していた。

 

 

「あのなエリナ。何度も言うがゴッドイーターは人類を護る為の存在であって、アラガミを駆逐する存在じゃないんだ。言いたい事は分かるんだけど、フェンリルに属するのであればこの事実は受け止める以外には何も出来ないだろ」

 

「そんな事は言われなくても分かっています。でも…今まで私達が命を懸けてここを護ってきたのに、今じゃ厄介払いみたいなのが気に入らないんです。そんな事も分からないなんて……コウタ隊長の馬鹿!」

 

エリナの感情が爆発すると同時にコウタの脛を思いっきり蹴り上げると、そのままラウンジから飛び出していた。

 

 

「コウタさん。大丈夫ですか?」

 

「ったくエリナのやつ思いっきり蹴っていく事無いだろうに……でも、エリナの気持ちは分かるよ。俺達にだってプライドはある。今までやってきた事が全部賞賛されるとは思ってないけど、やっぱり内心では悔しい気持ちもあるんだよ。ブラッドにこんな事を言うのは筋違いかもしれないんだけど、神機兵が有用的なのは頭では分かってるんだけどね…」

 

コウタの言葉がアナグラ全体を代弁している様にも思えていた。確かにここを今まで護ってきたのは間違いなくここのゴッドイーターである。突然来た上に仕事を奪うかの様に神機兵を投入されれば面白いと思う者は誰も居ない。

確かにフライアは神機兵の開発を目的としてここに来ているが、実際にはブラッドとてフライアから放出された様な部分がある。だからこそナナの言葉がある意味この現状を表している様だった。

 

 

「俺達だって同じですよ。突然神機兵の開発に専念するから、異動しろですからね」

 

「そうだったのか。実際の事は知らないんだけど、俺達もいきなり榊博士からブラッドが極東の所属になったって事しか聞いてないんだよ。多分榊博士も詳しい事は知らないんじゃないかな」

 

神機兵の結果が出ている以上、今はそれ以上詮索する事は出来なかった。既に実戦配備されつつあるそれはジュリウスの言葉を信じるならば、今後開発される個体にも情報はフィードバックされる事になる。

今後はゴッドイーターの任務は間違い無く縮小される危惧を抱く人間は少ないだろう事を考えながらも、北斗達は神機兵の事だけではなく、今フライアがどうなっているのかを考えていた。

 

 

 

 



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第164話 フライアの真実

 

「丁度良かった。北斗君、またレアの所に行ってくれないかな?何か話したい事があるみたいだから」

 

暫くの間は小型種の討伐任務が続いた事により、北斗達は負傷どころか、汗一つかかない程に簡単なミッションをこなしていた。そんな中で弥生からの話は、また一つ何かが分かる可能性があると考えていた。

幾ら頭を捻ろうが、何も分からない状況では満足な答えは出る事が無い。そんな事を考え、今は弥生が言う様にレアの下へと足を運んでいた。

 

 

「レア先生。もう大丈夫なんですか?」

 

「ええ。弥生だけなく、貴女方にも心配かけたみたね。前よりもマシになったと思うわ。でも、一人になると色んな事を考えるの。どうしてあの時そんな結果になったのか、どうしてあの時気がつかなかったのかを今になってから思い出すの」

 

レアの言葉はある意味ラケルの偏食因子の投与と同等に驚きを示す物だった。元来ラケルは無人運用を是とはせず、むしろ今まで以上に有人型の発展を推奨していたはずだった。

しかし、レアが気が付いた時には既に遅かったのか、まるで最初から決められていたかの様に無人運用に舵を切ったと思う程に九条博士の為に制御装置を完成させていた。

しかし、それが不完全だった事はその後のロミオの事件で発覚し、そのまま九条博士は神機兵の開発メインストリームはら外される結果となってた。

ここまでであれば当時のグレムの言動からすればある意味当然の事だと思えた結果ではあったが、そこに何故かレアまでもが外され、結果的にはラケルが一人で神機兵の開発に専念する結果となっていた。

 

 

「あの事件以降の事は言った通り、九条博士は開発から排除、私も開発に関しての結果を残していないと言われ同じく排除されたわ」

 

「しかし、それだと有人型は完全に開発が進まないのでは?」

 

「ええ。有人型の開発は無期限での凍結となったわ。それにとって変わるかの様に神機兵の開発にジュリウスが加わる事になり、神機兵はそこから有人でも無人でも無く、遠隔型制御へと舵を切ったの」

 

この時点で漸く通信を繋いだ当時のジュリウスの状況が見えていた。確かに今の神機兵の動きを見れば、どこかジュリウスの戦い方に似ている様な気もしていた。身体の大きさが違う事もあり、比較するには時間がかかるが、確かにあの行動原理はジュリウスのそれとよく似ていた。

 

 

「これは私の推測なんだけど、今後の神機兵は更なる情報をフィードバックする事で今以上に統制する事になると思う。その結果、ジュリウスは彼らの王として君臨する事になる。そしてそれが恐らくは……ラケルが考えていた最終目的の一つなんだと思う。私はラケルに負い目があったから薄々は感じていた事に目を背けていたの。今となってはあの時点でラケルが何を考えているのかすら考える事を…放棄していたんだと…思うの」

 

今までの事が感情となって襲い掛かってきたのか、再びレアの表情が悲しみに覆われると同時に、それ以上の言葉を聞くのは難しいと考えていた。しかし、この場に於いてこれで終わると、また先へ進むには更なる時間を要する事になる。

今の状態で話を聞く事によってレアの精神が壊れる可能性もあったが、今はそこまで悠長な事を考える余裕はなかった。今の話からすればこの先に待っている未来がどんなものなのかは誰に聞いても想像できる。

 

 

「レア博士、聞きたい事が一つある。ラケル博士、いやラケルは何を考えてるんだ?今の話が本当ならば、あれは人間の心を持たない何かの様にも思えるんだ」

 

「北斗、それは言い過ぎでは」

 

北斗の言葉はストレートにレアに届いたのか、それとも考えられるであろう未来に何かを見つけたのか既に遠慮は無かった。あまりの内容にシエルも制止しようとするが、北斗は敢えて気にせずにレアを見ていた。

 

 

「あの子の事は私にはもう分からない。どんな顔をして何を考えているのかすらも。今さらだけど、私は神機兵以外については何も知らない。いえ、知らされてすら無かった。マグノリア=コンパスの事もだけど、何をしていたのかは父が詰問した際に初めて知ったの。あの時点で気が付いていればこんな事にはならなかったのかもしれない。シエル、あなたには知る権利がある。私の事は構わないけど、貴女には知って欲しい事が

あるから」

 

そこらかの意を決したレアの話はシエルが予想している物とは大きくかけ離れていた。マグノリア=コンパスは孤児を集め再教育する事で改めてこの時代で生きていく事が出来る様にする為の施設だと聞かされていた。

 

確かに当時の状況はシエルにもおぼろげながらに記憶があったが、そこから退園した人間が再び訪ねて来た事は今までに一度もなく、またその後どうやって生活しているのかすら確認する事は出来なかった。

当時は幼心もあってか言われた言葉をそのまま鵜呑みにしていたが、今考えると腑に落ちない点が幾つも存在していた。

 

 

「レア先生。それは一体?」

 

「あそこは人体実験をする為に人間を集める為の施設だったの。元々偏食因子が適合しない前提で無理矢理投与すれば自身がオラクル細胞に捕喰されて絶命するのは知っての通りなんだけど、ラケルはそれを知った上で子供達に投与していたわ。で、ある日それを父に咎められたんだけど、あの子はまるで人形で遊ぶかの様に神機兵のプロトタイプで殺害したの」

 

まさかの言葉にシエルだけではなく北斗も絶句していた。確かジュリウスだけではなく、ロミオとナナも同じ施設出身であれば、今生きているのは偶然だと言える結果しかなかった。人間の所業とは思えない劇的な事実にシエルの拳が僅かに震える。

そんなシエルに気が付いたのか、北斗はシエルの手をやさしく握っていた。

 

 

「ラケル先生。最後に一つだけ良いですか?フライアでは確か黒蛛病患者の治療をしていたと思うのですが、神機兵の開発と並行してやってるんですよね?」

 

シエルの言葉は一つの賭けだった。以前サツキから聞いた際には、今のフライアに薬一つ搬入されておらず、本当に治療をしているのか懐疑的な部分だけが存在していた。事実として黒蛛病に関する特効薬の話は未だ出ていない。それが今に至る為に、その事実だけは最低でも確認したいと考えていた。

 

 

「シエル。貴女の言いたい事は分かるわ。フライアはあくまでも神機兵の開発と生産だけをしている。運ばれた黒蛛病患者は何らかの形で神機兵の制御に利用されているんだと思う。私はすでに排除されているから詳しい事は何も分からない。けど、以前に何かそんな事を言っていた記憶はあるわ」

 

レアの言葉が関係者である以上、今のフライアは完全に真っ黒だった。この事実をどう捉えるのかは自分達が考える問題ではない。そもそも神機兵に利用されているのであれば、今回の情報を下手に扱えばどんな現象が起こるのか想像するまでも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかそうなっているとは……」

 

レアの言葉をそのまま榊に伝えると、弥生経由で話を聞いたのか、その場には無明も同じく壁にもたれながら話を聞いていた。治療の名の下にフライアに集めたまでは良かったが、どんな扱いをしているのかはさておき、明らかな人体実験は幾ら命が軽いこの時代であっても重大なコンプライアンス違反となる。

ましてや人体実験で得られたデータをそのまま公表する事になれば、フライアの特性上、フェンリルそのものに批判の目が向かう効能性を秘めていた。

 

 

「このままではいくらフライアが弁明しようが批判されるのは間違い無いでしょう。確かあそこの局長は…グレムスロアだったか。責任を取る様な真似は絶対にしないだろうな。あるとすれば自己弁明位だろう」

 

無明の言葉に北斗とシエルは驚いていた。フライアの上層部は他の支部とのつながりは殆どない。局長ゆえに名前と顔は知っていたとしても、その人物像まで知っている可能性は低く、同じフライアに居た際にもそこまで話をした記憶は今まで一度も無かった。

 

 

「無明さんはグレム局長を知ってるんですか?」

 

「知っている。何度か舞踏会で見たが、あれがフライアのトップだとすれば、そのラケルは余程うまくそそのかしたんだろうな。あれは案外と金に汚い男なのはその筋では有名な話だ」

 

無明の一言は良く知っている人間からすればある意味当然だったのかもしれなかった。当時初めて見た際にはユノに媚びへつらう姿勢を見せていたかと思えば、今度は製造に関する面だけではなく、ロミオの事ですら無駄だとばかりに吐き捨てる様に言っていた記憶が蘇っていたのか、北斗の表情は大きく歪んでいた。

 

 

「とにかくあれの事はどうでも良いが、今後の事を考えると極東支部としては今回の件に関しては容認する訳には行かない。今後は速やかに査問委員会への働きかけをし、今後の件に関してフライアの権利をはく奪する事になるだろう。これは可能性の一つではあるが、今のフライアは神機兵の製造や調整を一手に引き受けすぎている。今後の事を鑑みれば、我々が査問委員会に提訴した瞬間に本部は直ぐに動く事になるな」

 

北斗達は知らなかったが、現在のフライアは神機兵の製造や調整だけではなく、更なる発展した物を開発していた。対アラガミ兵器としての能力が今回の件で確認出来た事で各支部からも神機兵に関する問い合わせが殺到していた。

 

このままではフェンリルとしては単なる一部署が全体を掌握する可能性があると考えていた部分もあるのか、現在の所は水面下では何かしらの対策を立てる必要があると連日の会議の議題に上っていた。

そんな中で極東から査問委員会に正式に提訴されれば、それを元に本部は堂々とフライアへ乗り込むと同時に、全権限の剥奪と管理者の変更を迫る可能性が極めて高かった。

 

 

「一つ質問ですが、宜しいですか?」

 

無明の言葉はある意味、現実味を帯びた可能性でもあった。実際に上層部の内容もある程度把握している以上、会議の場で何が行われているのかは容易に想像出来ていた。

だからこその可能性を口にしたが、その内容があまりにも現実的過ぎた事も影響したのか、シエルは自分の考え方と可能性を確認したいと考えていた。

 

 

「今の話が仮に事実だとした場合ですが、神機兵の製造と調整で黒蛛病患者が何らかの形で利用されている場合、本部はどう動くのでしょうか?」

 

「上層部の連中は技術に関しては何も知らない輩が殆どだ。恐らくは製造の権限され握れば後で確認すれば良い位にしか考えていないだろう。特に黒蛛病患者の処遇については、技術的な部分で確認が出来なければそのまま切り捨てるだけだろう。ただでさえ致死率が100%である病原体をそのまま管理する必要が無いなら、どこかにまとめて隔離するか、そのまま秘密裡に処分するだけだろう」

 

無慈悲な回答ではあったが、この件に関してはシエルも似たような考えを持っていた。レアの言葉通りであれば、黒蛛病患者をどうしているのかはラケルしか知りえない事になる。ただでさえ今の時点でフライアの職員の殆どを排除した事により情報漏洩の危機は全くあり得ない。

となれば摂取した際に関連性が無ければ早急に処分だろう考えを持っていた。

 

 

「無明君。今回の件に関して何だが、僕としては患者は何も知らずにフライアに行っている。そんな中でいきなり処分となれば何かしら問題点も含まれると考えてる。だから査問員会への告発は少しだけ様子を見てからにしようかと思うんだ」

 

今回の件に関して既に対策を立てていたのか榊が無明に提案していた。証言がある以上、万が一の事が起きてからでは甚大な被害を被る可能性を考慮した結果、本部が乗り込んでも問題無いと判断した結果ですると宣言していた。

 

 

「となれば、やるべき事は一つだけだね。これからミッションを発注するからヒバリ君の所に居てくれれば問題ない。これはわたしから君達への特務だと考えてくれたまえ。ただし、場所が場所なだけにアラガミの侵入の可能性は低くても、そこには神機兵が待機している可能性も捨てきれない。もし行くのであれば、一旦はリッカ君に頼んで神機のチェックも頼んだよ。我々としても、いや、一科学者としても安易な人体実験をむざむざの見逃す様な事はしたくないからね」

 

「では早速ブラッド全員で任務に当たります」

 

榊の言葉はすぐさま現実となっていた。ロビーではヒバリに確認すると、既にデータが来ていたのか特務のファイルを北斗へと渡す。話を聞いからなのかギルもナナも目に怒りとも取れる炎が宿っている様だった。

神機兵の教導に携わるジュリウスはこの事実を知っているのだろうか。

これよりフライアへの侵入及び、黒蛛病患者の救出がメインの任務が発生されようとしていた。

 

 

 

 



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番外編11 犯人は誰?

本編がシリアス続きの為に空気が壊れる可能性が極めて高いです。
実験的に書いて見たので、何かとツッコミどころが多いかもしれませんがご容赦下さい。





「ハルオミさん。ゴッドイーターってやっぱりモテるんですか?」

 

夕方には少し早い時間に、ハルオミは時間の合間を縫ってコーヒーを飲んでいると、背後から急に声をかけられていた。

 

 

「ええっと……君は一体誰なんだ?」

 

ハルオミが振り向くと、ここでは見た事も無い人物が立っていた。右腕には腕輪が装着されている事からゴッドイーターである事に変わりないが、その顔に見覚えが無い。これが女性であれば多少なりともチェックしていたのかもしれないが、男性の時点でハルオミの記憶の中から該当する人物にはヒットしなかった。

 

 

「実は先週からここに配属になったんです。色々な事を聞いていたら、ハルオミさんがここの事に着いて何かと詳しいって聞いたんで声をかけさせて貰いました」

 

笑顔で答えはしたものの、顔見知りでも無い人間に対してどう何をどう説明すれば良いのか、流石にハルオミも迷っていた。態々自分の事を紹介し、なおかつ一番最初に出た言葉から考えれば、該当する人物に心当たりが無かった。

 

 

「そう言ってもらえると嬉しいが、一体誰からそんな事を聞いたんだ?」

 

「実は第1部隊のコウタ隊長から聞きました」

 

笑顔がそのままで話す内容がそれならばコウタも恐らくは手を焼いた結果であろうことはハルオミにも理解出来ていた。しかしながら、この姿から見れば間違い無く新人である以上、どこまで詳しい事を知っているのか疑問は有る者の、今は時間にゆとりがある事もあってか、ハルオミも少しだけ付き合う事にしていた。

 

 

「なるほど。君は中々見どころがある様だな。う~ん、確かにゴッドイーターはモテるかもしれない。でもそれは必ずしも自分に繁栄される訳では無いぞ」

 

「それは勿論です。僕…いや、俺も今はまだ訓練ですが、一人前のゴッドイーターになって皆からモテたいんです」

 

この場にツバキが居ようものならば確実に鉄拳が飛んでくるであろう言葉ではあったが、生憎とクレイドルの遠征もあってかアナグラには居ない。こんな時間である以上は恐らくは訓練が一息ついたのか、それとも単純に時間にゆとりがあったからなのか、些細な時間つぶしとなる程度には世話を焼ければいいだろうと考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハルさん。例の書類ですが……あっ!何かミッションの打ち合わせ中でしたか」

 

「いや、今はそんなんじゃない。彼は最近入った新人なんで俺が色々とここでの事についてのレクチャーをしてるんだ」

 

カノンの隣には見慣れない男性が椅子に座っているが、確かにハルオミが言う様に、どこか初々しい雰囲気が漂っている。ハルオミの言葉を信用したのか、カノンは新人に対して挨拶をしていた。

 

 

「私は第4部隊所属の台場カノンです。で、こちらが知ってるとは思いますが、部隊長の真壁ハルオミさんです」

 

カノンの性格だからなのか、丁寧に説明をしている。既に新人はカノンの方に視線を向けてながらも、ある部分を見たからなのか顔を赤くしながら挨拶をしていた。

 

 

「すみませんが、ハルさん。この書類は明日までなので早めにお願いします。何でも本部で必要らしいのでチェックをお願いします」

 

カノンがそう言いながら書類を渡すと同時に、内容を確認している。パッと見た瞬間、これはちょっと厳しいなどと思いながら先ほどまで話ていた新人の事を忘れていたのか、隣を見れば感動した様な表情を見せていた。

 

 

「やっぱりハルオミさんは凄いですね。さっきの人は…台場さんですか、一緒に出たりするんですか?」

 

「ああ。俺しかいないからな。彼女一人でのミッションはちょっとな」

 

ハルオミとしては誤射の事が一番気がかりだからこそ、肉の壁の代わりに自分も駆り出されるからと言ったつもりだったが、やはりそんな考えは届かなかった様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁコウタ、例の新人の事なんだが、何か聞いてるのか?」

 

部隊編成など関係無いとばかりにハルオミはコウタとカノン、エリナと一緒にミッションに出ていた。内容そのものに関しては対しては元々エリナの経験値とカノンの誤射を減らす為に組まれた内容であった事も影響したのか、内容そのものに問題はなく時間にゆとりがあるからと以前に紹介された新人の話を持ち出していた。

 

 

「いえ、何かあったんですか?」

 

「問題は無いんだが、ちょっと真っ直ぐすぎると言うか馬鹿っぽいって言うか…まぁ、あれだな。ちょっと気を付けた方が良いかもしれんな」

 

何気に出された話はやはりラウンジでのやり取りだった。こんな時代に使命感を持ってゴッドイーターになる人間はあまり多くは無いが、ああまで自分の欲望に素直すぎる人間もそうはいない。ましてやハルオミを紹介したのが目の前のコウタである以上、ある程度の情報収集は必然だった。

 

 

「やっぱりそうでしたか……あの性格ならハルさんに合うかと思ってんですけど、何かやらかしました?」

 

「いや。特には無かった……いや、あったな。あれはまぁ、何かを期待してゴッドイーターになったんじゃないかと思うんだが。俺が一番最初に聞かれた事がモテますか?だからな」

 

あの時の光景は嫌が応にも思い出されていた。どうやら極東の特集をした広報誌を見た瞬間、これだと確信したのかすぐにフェンリルに問い合わせした様な人間である以上、尋常じゃない程の行動力があるのは間違いない。しかも、本人に悪気が無い為に下心すら感じる事もなく、何だかんだと終始和やかにしている光景は何度も見る機会があった。

 

 

「コウタ隊長、それって例の新人の事ですよね?私も話をした事がありますけど、何か勘違いしている様な気がします」

 

「勘違い?」

 

「一言では言い表せないんですが、私の感覚だと単純にモテたいからゴッドイーターになったって感じです。何だか全員がそう思われるのは癪なので、私は相手にしませんでしたが」

 

エリナはエリックの意志を継ぐ様に自分の家の事を考えずゴッドイーターの道を選んでいた。当時も今もエリナの考えは何も変わる事が無く、自分の信念に基づいて行動をしている。そんなエリナから見ればその新人に関しては、見る事すら気持ちの良い物では無かった。事実、エリナの考えはエイジに近い物があり、エイジに対して信念の基に慕う部分が存在していた。

 

 

「確かにここには魅力的な女性は多いから目移りするのかもしれないが、そうなると厄介な可能性があるな」

 

「……でしょうね。多分、俺が考えている事とハルオミさんが考えている事は同じだと思うんです。どうすれば良いですかね?」

 

2人には共通した考えが確かにあった。極東には現在の所一時期に比べると男女の比率が少しづつ均等に近づきつつあった。それは生存率が高まった事もだが、一番の要因は極東支部のアピールの仕方だった。これまでに何度も広報誌で掲載されるだけではなく、一般に比べればゴッドイーターの方が何をするにしても優遇されている。これは今に始まった事では無いが、美容に関する事なども含め、ちょっとした事がほぼ極東発である事が一番の要因だった。

 

もちろん、ゴッドイーターになる以上は神機の適合だけではなく、厳しい訓練をこなす必要があるも、それでもやはり魅力的な物に見えている現実がそこに存在していた。

 

 

「顔が知れているのであれば、あとは本人が気が付くレベルがどうなのかだな。でも、それは完全に個人の自由だからな。俺達がどうこうするのはお門違いだろう」

 

「ですね」

 

まさかここでのやり取りが今後の大事になる可能性を秘めているとは誰も気が付いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、アリサ先輩。俺と一緒にミッションに出て貰えませんか?まだ新人なんで動きとか教えて欲しいんです。因みに中級までのカリキュラムは終わってますので」

 

「私ですか?……今は大丈夫ですよ。あの、他には誰が一緒なんですか?」

 

暫くしてから何が有ったのか、その新人はアリサと一緒に動く事が多くなっていた。一時期、エイジが長期遠征に出ている際には厳しい顔をする場面が多かったが、ここ最近は割と短期で戻る事が多く、今はクレイドルが動く様な大規模な物は何も抱えていなかったからなのか、アリサの表情は穏やかなケースが多かった。

 

 

「今は俺だけなんです。他の奴らは皆払っているので、アリサ先輩の時間さえよければなんですが」

 

「私で良ければ構いませんよ」

 

「ぜひお願いします」

 

クレイドルの任務をこなしていると、どうしてもアナグラいいる事が少なくなるのと同時に、クレイドルに来る人間は最低でも曹長以上の実力が求められる以上、アリサの周りに新人が来る可能性が極めて低かった。

そんな中でアリサを慕う様に来た事もあってか、偶には良いだろうと考えそのまま承諾していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇアリサ。エイジと何かあったの?」

 

アリサがラウンジでの休憩をしていると、同じく休憩で来ていたのかリッカがアリサの隣に座り話かけていた。突然の言葉にアリサはリッカが何を言いたいのか理解出来ない。ひょっとしたらからかっているのかとも思ったものの、その表情は少し心配している様にも見えていた。

 

 

「えっ?何もありませんよ。昨日だって普通に話をしましたけど?」

 

「だったら良いんだけど、一部の噂でアリサが別れたんじゃないかって話が出てるからさ、ちょっと気になってね」

 

平静を装いながらもリッカからの突然の話にアリサは混乱していた。確かにエイジは遠征に出ている関係でここには居ないが、昨日も何事もなかったかの様に普通に話しをしていた。内容はともかく喧嘩する要素も無ければ怒る要素すら無い。リッカの言葉はまさに寝耳に水と言える内容だった。

 

 

「それって誰がそんな事言ってるんですか?」

 

「そんな顔しない。私も噂って言ったでしょ。多分、それが原因じゃないのかな?」

 

リッカの視線はアリサの右手に移ってた。以前にエイジから送られたリングは今は何故か外されているのと同時に、ここ数日は新人と一緒にミッションに出る事が多く、それがトータルで判断された可能性が高かった。

 

古参の人間や既にここに1年以上居る人間であれば、冗談程度にしか思わないが、最近入った人間からすれば、そんな事は何も分からない。ただでさえ派兵でエイジやリンドウの顔を知らない人間が居る以上、噂レベルであるとは言え、それはある意味仕方ない部分があった。

 

 

「リングは今磨きに出してるんです。もう仕上がってるんですけど、中々取りに行けないんです」

 

「なるほどね。だからなんだ。本当の事を言えば私も詳しい事は分からないんだけど、確かに新人を中心に出てるのは間違いないよ。アリサに限って無いとは思うけど、それでも何も知らない人間からすれば、それもまた興味本位の元でもあるからね。特にここ最近は特定の新人と一緒に出てる事があるから余計に出たのかもね」

 

リッカの言葉にここ数日の記憶を遡っていた。確かにここ数日はクレイドルとしての要件は少なくなった事から割と現場に出る機会が多く、またその新人の言葉には確かに該当する人物の顔は直ぐに浮かび上がっていた。

しかし、2人でのミッションは数回だけで、その後は他のメンバーも一緒になる事が多く、それが噂とどう関係するのかが何も分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えばコウタに聞きたいんですが、私の噂が出てるらしいんですが、誰がそんな事言ってるんですか?」

 

「いや、俺は知らないな。確かに新人の中ではそんな話が出てた位の記憶がはあるけど、誰がと言うのは分からないな」

 

久しぶりにコウタとのミッションを終え、帰投準備中の時間にアリサはコウタに確認していた。コウタは立場上新人と同行する機会は割と多く、またアリサとしてもコウタに聞けば何かしら手だてが分かると踏んでいた。

 

 

「本当に使えないですね。一体誰がそんな事を言ってるのか該当する人物位出てこないんですか」

 

アリサの言葉に怒気が含まれている時点で、この場をいかに脱出するのかをコウタは本能的に悟っていた。このままでは何かしらの攻撃が来るのは間違い無い。

 

いくら見知った人間とは言え、今回の内容は普段のからかいとは次元が違う。まだアリサだけで止まっているが、これがエイジの耳に入れば待っているのは地獄絵図さながらの状況を体感する未来しか見えない。今のコウタには慎重すぎる程の選択肢が迫られていた。

 

 

「……多分なんだけど、ハルさんが関係している可能性があると思う。以前にモテたいとか言いながらハルさんと話してた新人が居た記憶があるから。それとここ最近は新人の間では簡単なミッションに男女二人で出るのがデートだって認識があるらしい」

 

「ミッションがデートってふざけてるんですか」

 

コウタの言葉にアリサは少しだけ頭が痛くなっていた。ハルオミの性格はともかく、何も知らない新人がその言葉を鵜呑みにして実行しているのであれば、今後の予想は容易に出来る。

 

ただでさえエイジとは任務の関係上、一緒にいられる事が少ない中でこんなくだらない噂で空気が悪くなるのは面白くない。それならばと帰投して早急に問いただす必要が出てくる。まずは帰ったら真っ先に確認しよう。今のアリサのやるべき事が決まった一瞬だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハルオミさん。話があります」

 

「よう!そんな怒った顔して綺麗な顔が台無しだぞ」

 

「そんな事はどうでも良いんです。それより聞きたい事があります」

 

怒りの表情を浮かべたアリサに身の危険を感じたのか、まずは様子を探るべく軽く言葉をかけるが今のアリサにはそれが通用しなかった。この時点で戦略的撤退を本能が告げるも、生憎とアリサは先回りしたのか撤退すべき退路は塞がれていた。

 

 

「俺に分かる事であれば?」

 

「実は私が別れたなんて根も葉もない噂が出てるんですが、それが特定の新人を中心に出ていると聞きました。で、その人物はとある第4部隊長から何やら薫陶を聞きそれを実行しているとも確認しています。記憶にはありませんか?」

 

アリサの言葉に漸くハルオミは理解していた。恐らくはあの新人が周囲にそんな話をした可能性が高い。見た目は大人しそうな雰囲気はあったが、案外としたたかな一面があるんだと考えながらも、今はこの場からの脱出をどうするのかに専念していた。

 

 

「俺は知らないな。ただアドバイスはしたけど」

 

「アドバイスですか?」

 

「そう。好きな女性がいるなら全力で口説くのは男の本能だって。それ以上の事は知らないが」

 

そんなやり取りをよそに、タイミングが良いのか悪いのか、例の新人がアリサを見つけたのか近くまでやって来ている事に2人は気が付かなかった。

 

 

「あのアリサ先輩。これから一緒に……」

 

「大体私は別れてもいませんし、そんな予定はありませんから!」

 

アリサの言葉に新人が固まっている。叫んだ瞬間誰かが近づいて来たのはハルオミも知っていたが、まさか渦中の人物の疑いが強い新人である事は気が付かなかった。

 

 

「あ、あの…アリサ先輩って彼氏と別れたんじゃないんですか?」

 

「ああ…貴方は。誰がそんな事言ったのか知りませんが、そんな事は有りませんよ」

 

その瞬間、新人は表情こそ乏しかったものの、ショックを受けていた事がハルオミには理解出来た。それと同時に一つの懸念も持ち上がる。これが自分のアドバイスの通りに実行したのであれば、確実に矛先が自分に向くのは間違い無かった。

 

今はアリサだけの話だが、これがエイジの耳に入れば最悪はツバキにまで届く可能性がある。このままでは暗い未来しかありあえない。まだここに弥生が居ない事がせめてもの救いだとハルオミは内心安堵していた。

 

 

「な〜んだ。やっぱりハルオミさんが出所だったの?」

 

どこかで聞きなれた女性の声が聞こえている。まるで油が切れた機械の様に首を捻ると、そこには弥生の姿だけではなく、急遽アナグラに戻っていたのかエイジの姿があった。

 

 

「い、いや。それは俺のせいじゃ……」

 

「ハルオミさん。随分とご機嫌な事をしてくれたみたいですね。これからどうですか?本部でも一目を置かれた業を教えたいと思うんですが、構いませんよね?」

 

突然のエイジの登場に、アリサは少しだけ涙ぐみ、ハルオミはまるで凍結したかの様に動く事はなかった。エイジを見れば表情は穏やかな様にも見えるが、目は冷酷と言える程に怒りに満ち溢れている。その姿を見ていた新人はこの時点で誰がアリサの彼氏であるかを察知すると、その場から消える様に去っていた。

 

 

「俺は……すまんがギルにケイトにちょっと会ってくるって誰か伝えておいてくれないか」

 

その後の訓練室から出てきたハルオミはまるで魂が抜けたかの様に灰になっているのが発見されていた。

 

 

 




「エイジ。いつ帰ってきたんですか?」

「さっきだよ。今回は神機の関係で一時的な帰還だから、明後日にはまた行く事になるよ。それよりも弥生さんから聞いたんだけど、大変だったね。でも何でリング外してたの?」

ハルオミに制裁の名の下での訓練が終わるとエイジはアリサと自室に戻っていた。確かにエイジが言う様に、一時的な帰還の為にリンドウとツバキは来ていない。今は穏やかな空気が部屋の中に漂っていた。


「実は、この前の任務で少し壊れたと言うか、歪んだので調整と磨きに出してたんです」

アリサの右手には存在感を示す様に光り輝いたリングがはめられていた。まさかこんな事態になるとは思っても居なかった事に凹んだ部分はあったが、想定外のエイジとの邂逅に今までの事は過去の彼方へと消し飛んでいた。


「そっか。でも……そろそろ新しい物に変えた方が良いのかな?」

「でも…良いんですか?新しい物って…それって…」

「今の任務が終わったらにするよ。それまで待っててくれないかな」

「はい。待ってます」

甘い空気が充満している一方でラウンジには何とか生き延びる事が出来たハルオミがギルと呑んでいた。


「今回は流石にヤバかった、ケイトが笑顔で川の向こうで手招きしていたぞ」

「ハルさん。いくらなんでもアリサさんは危険すぎるんじゃないんですか?以前も似たようなケースがあったって聞いてますけど」

ギルが伝言を聞き、訓練室に駆け込んだ時には既にハルオミの息は絶え絶えだった。慌てて回復錠をかけた事で事無き事を得たが、内容を聞けば半分以上は呆れる様な内容だった。


「まあ、それも含めて俺のアイデンティティだからな」

「それはそうと北斗に聖なる探索で駆り出すの止めて貰えませんか?シエルとナナから抗議が来てるんで」

「そこはもう少しやりたかったんだが……まあ、仕方ないな。ツバキさんには言わないでくれよ」

懲りる気配が無いままに夜が過ぎていく。今夜はきっと違う意味で寝る事は出来ないだろう。ギルはそんな事を考えながらハルオミと酒盛りを繰り広げていた。















気分転換のつもりで書きました。
これに懲りずにネタが出れば色々と出していきたいと思いますので、これからも宜しくお願いします。




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第165話 救出作戦

 

「まさかこんな事で再びフライアに来るなんて…ジュリウスはこの事実をどう考えているのかしら?」

 

北斗達の特務に関して準備をしていると、先ほどまでの話をどこから聞いたのかユノが出発用のヘリの前で仁王立ちしていた。特務は基本的には極秘ミッションの為にその存在すらしらないままに実行される事が多く、その結果として内容そのものも公言を憚る様な内容が殆どだった。

 

当初はなぜこんな所に居るのかすら理解していなかったが、ユノも今回の件に関して色々と調べていた結果、その情報はサツキからもたらされていた事が発覚していた。今のユノの表情はいつもの穏やかな表情とは違い、少し怒りが滲んでいる様にも見えていた。

 

 

「ユノさんは非戦闘員なので、万が一の事を考えて我々の指示が無い限り最後尾で待機して頂きたいのですが、それが守れますか?でなければ我々としてはユノさんの心情は理解しますが、この任務に関してはユノさんは当事者ではありません。

厳しい言い方になりますが、万が一の際にはフライアが戦場となります。そうなれば出来るだけ身を護るつもりではありますが、それ以上の状況になった際には我々が処分を受ける事になります」

 

恐らくはユノは付いて来るつもりなんだろう事は察する程度には北斗も理解していた。今回の任務に関しては黒蛛病患者の奪還が最優先ではあるが、神機兵に利用されているのであれば、妨害される可能性は高く、そんな所に非戦闘員を連れて行くのは作戦上どう考えても愚の骨頂とも言える行為だった。

 

 

「それは私も理解しています。北斗さんの指示には従いますので、お願いします」

 

頭を下げられはしたものの、ここではユノの立場はVIPと変わらない。北斗の一存で決めて良い様な内容ではなく、また万が一の際には責任の所存は極東支部へとなる可能性が高い。敢えて厳しい条件を出したつもりではあったが、今のユノは梃子でも動かないつもりな事も理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「榊博士からの許可が出ました。ただし、戦闘に巻き込まれる可能性がある為に細心の注意を払って貰う事が条件となります」

 

このままでは何もで居ない可能性が高いからと、北斗は榊へ連絡を入れていた。今回の件に関しては建前としては安全が確保されているはずではあったが、既に研究者としてのレアを排除している時点で何かしらの反応があるのは既定路線に沿ったものであると考えられていた。

 

どんな形で患者を利用しているのかは不明であっても、確実にそれが今の神機兵に利用されているのであれば、最悪の場合は実力行使となり現段階でフライアそのものに戦闘する手段は一つしかない。

となればそれがどんな結果を生み出すのかすら容易に想像出来ていた。

 

 

「分かりました。ありがとうございます」

 

「これは推測になりますが、今のフライアには戦闘手段が唯一と言える物しかありません。最悪の場合は神機兵が我々と対立する可能性がある事を忘れないでください」

 

最悪の事態を想定するのであれば、北斗の忠告はあるい意味当然とも考えられていた。神機兵がどれ程の戦力になるのかユノは知らなくても北斗達は良く知っている。これから行く場所を考慮すればその結果はある意味当然とも取れていた。

 

 

「って事で、ユノさんの同行が認められたから、皆も頼んだ」

 

先ほどのユノに対する忠告とは違い、今はこれからがある意味では厳しい物になるであろう予測はしていた。神機兵が相手とは言えジュリウスが教導している以上、それはジュリウスの対決とも考える事も出来る。

もしそこにジュリウスの影を見た事によっての戦力の低下は避けたいとの思惑から、北斗も敢えてそのことを口に出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薄暗い神機兵の保管では誰も居ないにも関わらずガイダンスが何かを告げるかの様に流れていた。それは侵入者を排除する為なのか、それともこの場に居る職員に対する警報なのか、それを確認する術は無いが警報と共に無機質なアナウンスが保管庫の内部に広がりを見せていた。

 

 

「これは一体…」

 

「これって……酷いよ」

 

シエルとナナが一番最初に目に留まったのは黒蛛病患者と思われる人間がガラスの様なケースに入り、まるで何も無かったかの様に眠っている光景だった。レアの言う様に患者の何かを利用しているのであれば、それは治療の為のケースではなくむしろ何かを取り出す為の保管庫の様にも見えていた。

 

 

「お前達、そこから離れろ。勝手な真似は許さん」

 

声の持ち主が今さら誰なのかは確認するまでもなくジュリウスその人だった。本来であれば懐かしい対面ではあるものの、お互いの立場とこの場に来ている状況がそんな空気を作る事はなく、まるでただの侵入者に対する警告の様にしか聞こえなかった。

 

 

「ジュリウス。これは一体どう言う事ですか?我々は説明を求めます」

 

シエルの鋭い声が音の発生源でもあるスピーカーへと向けられる。既にこの空気は和やかな物では無く今にも火が付きそうな鉄火場の如き重苦しい空気が漂っていた。

 

 

「特に説明する必要はどこにも無い。今直ぐに極東支部へと帰るのであれば穏便に済ますつもりだ」

 

「穏便にってどう言う事だ」

 

ジュリウスの言葉にギルが反応する。本来であれば穏便にの言葉が出ている時点で敵対しているのと何も変わらない。ましてやこの光景はどう贔屓目に見ても非人道的なな措置である事は誰の目にも明らかだった。

 

 

「このまま帰る訳には行きません。……ジュリウス、貴方のやっている事は明らかに非人道的な物でしかありません。私達は……今回の件を全て明るみにし、極東支部やフェンリル本部に通告しその是非を問います。もちろんそれが神機兵の開発が中止になったとしてもです」

 

北斗達の背後にいたはずのユノが現状を見たからなのか、厳しい非難の言葉を向けている。しかし、その表情は決して怒りにまかせた物では無く、どこか悲しげな表情でもあった。

 

 

「ジュリウス、最後に一つだけ教えて下さい。サテライト拠点の人達の為に尽力を尽くし、極東支部の人達と一緒にやってきたあの態度は嘘だったんですか?」

 

今までの事を思い出していたのか、ユノの目に光る物があった。初めてサテライトを見た日から今に至るまでに、何度も支援の現場に足を運んだり、そこに住まう人達との交流をしていた事が思い出されていた。

しかし、今目の前に拡がるその光景はあの時の様な雰囲気は一切無かった所か、その人達をまるでただの部品にでもしたかの様な光景しかない。あれ程献身的と言えるまでやってきた行為をひっくり返す様な言動がユノには信じられなかった。

 

 

「その件に関しては答える義務は無い。もう一度警告する。この場から即刻立ち去れ。それが出来ないのであれば全力で排除する事になる。仮にフェンリルの戦力を投入したとしてもだ」

 

ユノの言葉はジュリウスには届く事は無かった。既に2度の警告により、今まで鳴り響いた警報が更にけたたましくなる。これ以上この場に留まるのは危険だと判断せざるを得ない状況になり始めていた。

 

 

「これ以上この場に居るのは拙い!ユノさん、これ以上の説得は無駄だ!この場から退避するんだ!」

 

警報が変わった事だけではない。既にここに何かが投入される準備が整ったのか横の扉がゆっくりと開きだす。その先には今までに何度も見てきた神機兵の姿がそこにはあった。

 

 

「北斗、このままでは危険です。今は神機兵を食い止めましょう」

 

シエルはすぐさま銃口を神機兵に向けると同時にすぐに牽制の為に発砲していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっちまったな」

 

「今さら後悔しても始まらないぞ」

 

牽制したまでは良かったものの、やはりジュリウスは有言実行とばかりに神機兵をそのまま投入していた。初見であれば苦戦する可能性もあったが、これまでに何度もその動きを目にしていたのと同時に、マルドゥーク戦では共闘している事もあってか、想定外の行動を起こす様な事は無かった。

しかし、その巨体から繰り出される重々しい一撃と高火力な射撃は油断する訳には行かない。万が一の状況ではユノにまで攻撃が届く可能性がある。そう考えると目に見えない枷が煩わしいとまで考え出していた。

 

 

「ユノさんは最後方まで退避!全員攻撃の位置に注意して戦ってくれ。相手は1体だが油断はするな!」

 

北斗の激しい指示と同時に各自がそれぞれの位置取りを考えながらに散開していく。神機兵だからと構えれば何かしらの制限が付く可能性があったが、今は神機兵ではなくただのアラガミと変わらない様に意識を変えたまま戦闘が始まっていた。

 

アラガミとは違うのは特殊な攻撃が一切無い事と同時に、ここで今まで極東での教導カリキュラムの効果が発揮されていた。神機兵はその名の通り、人間の形で作られている為に、その行動原理や関節の稼動領域はそれに近い。そうなれば単独で攻撃するよりも全方向から一気に攻撃した方が効果的である事は言葉に出さなくても直ぐに理解していた。

 

 

「これならエイジさんとやってた方がまだ厳しいぜ」

 

ギルの言葉が示す様に、対人戦闘は結果的には全員が受けていた。当初はナナが渋る場面もあったものの、今ではそんな事すら関係無かった。キッカケは屋敷での無明と北斗の戦闘訓練ではあったものの、やはりその恩恵は絶大な物だった。

 

神機兵の大ぶりな刃は動きこそ早いが軌道が読みやすく、一旦振り下ろせばどこに向かっているのが直ぐに読めていた。その為に神機兵の攻撃の始動が見えた瞬間ギルはその先の行動を予測しながら神機兵の懐へと入りこむ。渾身の突きは腹部に命中した事から、神機兵は大きく怯んでいた。

 

 

「ナナ!膝裏を狙え!」

 

北斗の指示がナナへと飛んでいく。既にブーストラッシュの態勢が出来ていたのか既にハンマーの後方は炎で揺らめいている。そこから先は指示する必要はどこにも無かった。

 

 

「吹っ飛べ!」

 

ナナの渾身の一撃が神機兵の膝裏に叩き込まれると同時に、関節のパーツが損傷したのかバランスを大きく崩し、その場に倒れる。この時点で各々が何をするか決める必要はどこにも無く、目の前に倒れた神機兵に対して最大限の攻撃を仕掛ける事にしていた。

 

 

「このまま決めるぞ!」

 

北斗の言葉に全員が一斉攻撃を開始する。全員のブラッドアーツを放つべく、それぞれの神機が赤黒い光を帯びながら倒れている神機兵に襲い掛かる。態勢を整えて立ち上がろうとする神機兵に対しては、その都度バランスを大きく崩すべく、両足の関節の部分を念入りに破壊し、その場から立ち上がる事さえも許さない程に、渾身の一撃は次々と神機兵の装甲の脆い部分へと入って行った。

既に神機兵の装甲は各所の大きな皹が入ると同時に一部のパーツが剥がれ落ちている。既に破壊されるのは時間の問題だった。

 

 

「サツキ聞こえる?予定通り患者を搬出しましょう。突入して!」

 

ブラッドの戦いはまさに一方的とも言える内容に、これならばとユノは待機させていたサツキに指示と飛ばしていた。今回の一番の任務は搬送された黒蛛病患者の奪還。その為にはフライアで起こるであろう戦闘能力をどうやって無力化するかが一番のポイントだった。

 

当初は数に物を言わせた物量作戦を展開される可能性もあったものの、やはり神機兵のキーとなる黒蛛病患者がいる事で、容易に戦う事は制限されていた。結果は賭けに勝った事から、サツキ達の別働班が直ぐにかけつけ罹患しない様に、細心の注意を払いながら次々と搬出を始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか……まずは一旦極東支部に戻りましょう」

 

帰投のヘリの中の空気は重々しい物だった。神機兵を完全に破壊したまでは良かったが、まさか追加投入されるとは思っても無かったのか、別の方向から来た神機兵がユノめがけて襲い掛かっていた。

 

搬出の作業がほぼ終わっていた事が功を奏した形となっていたからなのか、結果的には人的な被害は全く出ていなかった。しかし、残されていたのがアスナだった事から、ユノは感染用の防具も無いままにそのままケースから搬出した結果、一つの可能性が考えられていた。

 

接触感染による黒蛛病の罹患は100%の可能性を示すと同時にその致死率もまた罹患率と同様の結果をもたらしているのは過去の事例を見ていれば明らかだった。

結果的には全員の搬出は出来たものの、まさかのユノの罹患の可能性は帰投のヘリの内部の空気を重苦しい物に還るには十分すぎる内容だった。

 

 

「榊博士。ユノの様子は?」

 

「…君達が思っている結果の通り、陽性反応が出ている。我々としても、今の所はこれが治す事が出来る治療の手段は持ち合わせていないんだ。何とか進行を遅らせる様な物は投与できるが、これもどこまで対抗手段として使えるのかは、未だ未知数なんだよ」

 

榊の言葉はブラッドの全員が予想した通りの結果だった。陰性になる可能性があるとすればほんの一瞬触った程度なのかもしれないが、ユノはアスナを抱きかかえて運んだ為に、その可能性を否定出来る根拠は何も無かった。

だからこそヘリの内部には重苦しい空気が流れていたが、未だ解決の道が開かれない病気は現状では最大級の脅威となっていた。

 

 

「みんな。私の事はそんなに心配しなくても平気だから。あの場では他に手段は無かったんだし、私だって今は後悔してない。それよりも今はフライアに対しての抗議の方が先決だと思うの」

 

罹患した人間が気丈に振舞う以上、北斗達はそれ以上の言葉をかける事が出来なくなっていた。現時点で隔離されるのは勿論の事だが、これがいつ急激に発症して命が終わるのかは身体に浮かぶ蜘蛛の様な痣だけが知っている。ユノの気持ちを汲んだのか、今はただ一人にすべく全員が医務室から出ていた。

 

 

 

 

 



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第166話 反旗

 

「ナナ、何かあったのか?」

 

ミッションの傍ら毎回では無い物の、ユノの見舞いに行く回数が多くなる頃ミッションの合間の休憩だとばかりのラウンジへと足を運んでいた。いつもであれば穏やかな空気が流れているはずが、どことなく重苦しい物へと変わっている。

そんな中で見知った人間い聞くのが早いからと、北斗は画面をジッと見ているナナへと声をかけていた。

 

 

「もうミッション終わったの?」

 

「軽めだったから、この後もう一つ入れてあるんだ。今はその休憩だ。で、何だか何時もとは違うみたいなんだけど、どうかしたのか?」

 

北斗がナナに確認しようとした時だった。どうやら先ほども同じ様な内容のニュースがずっと流れていたのか、その場に居たゴッドイーターが食い入る様に画面を見ていた。

 

 

《番組の途中ですが、予定を変更して独立機動支部フライアのクーデター事件のニュースをお知らせします》

 

 

無機質なアナウンスと共に流れた情報は、まさに今のフライアの様子を放映した物だった。突然入ってきたニュースに北斗も何があったのか確認するかの様に息をするのも忘れる程に画像を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれってどう考えても俺達が奪還したのが原因だよな?」

 

「私も詳しい事はこのニュースで知ったんだけど、ジュリウスが率先してやってるんだって言ってた。やっぱり私達がやったからなのかな……」

 

突如として飛び込んだニュースはあの時の搬出による突入作戦がキッカケになったのではと、誰もが考えていた。確かにあれが無ければ今頃こうやってニュースに出る様な内容は起こらなかったと考える事は出来る。

しかし、それが本当かどうかは当事者にしか分からない内容でもあった。

 

 

「ナナさん、それは違います。あれは非人道的な実験とも言える様な内容を誰もが知らなかったからこそ極秘裏に進める事が出来ただけで、今はそれ以上に何かをする算段が立ったと考えた方が建設的です」

 

今はグレムの会見を放送しているが、そんなどうでも良い様な話を聞く事も無く、自分達がやった事が正しかったのかと考えるのか、ナナはそれ以上何も言う事は無かった。

 

 

「あのさ……今回の件なんだけど、実際にここの外部居住区でも結構深い部分にまで話は出てるんだよ。実際に今回の放送以降、黒蛛病に罹患した人間は役立たせる為にフライアに出したらどうだって話も結構出てるんだ」

 

沈黙を破ったのはコウタだった。今回の声明発表に於いて一番の要因は既に罹患した黒蛛病患者の処遇についてだった。何かしら検体の様な扱いと同時に何かを利用している事実は巧妙に隠し、患者を差し出した所へは積極的に神機兵を貸与する事も混乱を招く一因だった。

 

 

「何が正しいのかを選択出来る程今の状況は穏やかじゃないのは間違いな。コウタの言葉を借りるなら、今は居住区全体にそんな空気が蔓延している」

 

「ハルさんも何かあったんですか?」

 

コウタの言葉だけではなくハルオミからも同じ様な言葉が告げられていた。コウタは元々外部居住区に住んでいる事から近隣にたいしての人望は厚く、またちょっとした揉め事があればコウタが度々出向く事で何とか決着をつける事が多かった。

しかし、第4部隊でもあるハルオミまでとなれば話は大きく変わってくる。今の段階では何が正しいのかを判断出来る余裕が居住区には無い事だけは間違い無かった。

 

 

「一言で言えば、今回の内容はあまりにも住人に対しての内容が良すぎるのが一番の原因なんだろう。ただでさえ接触感染する黒蛛病患者を引きとって貰えて、なおかつその守護として神機兵が派遣される。

言い方は悪いが、体の良い厄介払いが出来て、なおかつ今の住人の命の保証までされる。そうなれば断る理由がどこにも無いんだ。まだアナグラの内部に住んでるならばまだしも、外部居住区に住んでいる人間からすれば本当の事が分からない。幾らフェンリルとして批判しようが、ここ数日の神機兵の稼動状況を見れば文句は無いからな」

 

ハルオミの言葉が全てを表していた。今回の内容に関しては偶々奪還したからこそ内容が発覚しただけの話であって、外部の人間は何一つ知らされていない。

ジュリウスの声明だけ聞けば非人道的と言っているだけのフェンリルの方が全うだとは考えにくい部分が存在していた。

 

 

「そんな考えは間違ってる。ジュリウスは確かに人類の為だって言ってるけど、それとこれは違う。私が…少なくとも私達が知ってるジュリウスはそんな考えじゃなかった」

 

 

ナナの言葉に今までの言動を思い出していた。確かに世間に疎い部分はあってもサテライトでの話や今後の事についてとジュリウスは何かを犠牲にしながら物事を進める様な事は今まで一度も無かった。

少なくとも自分の手の届く範囲の事位は何とかした。そんな考えが有った様にも思えていた。

 

 

「そうだな……そんなドライな考え方はらしくないだろうな。となればやるべき事はただ一つ。ジュリウスを力づくでも連れてくる事だな」

 

「北斗の言う通りだよ。帰ってきたら皆でお説教しないと!」

 

ナナの言葉に全員が立ち上がる。これから何をすべきなのかは口に出すまでも無くたった一つだった。かつては上司でもあり、良き友人でもあったジュリウスの奪還。

ここから先がどんな道が待っていようと、今はただ足を止める様な考えを持つものはこの場には誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと北斗君。少し時間あるかい?」

 

ラウンジでの決意を元に、これからの行動予定を考えようとした際に、偶然ロビーに来ていた榊に呼び止められていた。先ほどのニュースを見たからなのか、それとも何か進展があったのか、今の榊の表情をみた所でそれが何を示すのかが北斗には分からなかった。

 

 

「お話とは何でしょうか?」

 

支部長室へと足を運ぶと、そこには無明までもが待っていたのか、この時点で随分と深刻な状況に何かが陥ったのではないのかと北斗は考えていた。対した内容でなければロビーで話せば事が足りる。しかし、ここまで来たのであれば、何かしらの重要な内容である事は直ぐに理解していた。

 

 

「態々ここに来て貰ったのは、ユノ君の事なんだ。体面上ユノ君が罹患している事は伏せられているからね。ここならばそう大きな問題にならないだろうと判断したんだよ」

 

榊のその一言でユノの件である事は直ぐに理解出来ていた。ユノはここ極東支部だけではなくフェンリルとしても今はVIPの扱いを受けているからなのか、万が一罹患した事実が公表されれば何かと問題が起こる可能性が高い。

いくら自分でやったと本人が言った所で、それが事実であるかどうかは本人以外には判断が出来ない。情報漏洩を防ぐ為の措置である事だけは理解出来ていた。

 

 

「実はユノ君に関して何だが、どうも他の患者と数値が大きく違っているんだ。黒蛛病に関しては本来であれば数日間の潜伏期間を設けた上で体表に蜘蛛の痣が浮かぶんだけど、彼女の場合、その進行が早すぎる。個人差はあるにしてもなんだけど、他の患者に比べれば些か早すぎる。事実、今はネモス・ディアナにもゴッドイーターが一人罹患しているんだけど、それはゴッドイーターが故の身体能力の結果ではあるんだ。もちろん今まで罹患してそのまま命を落としたケースはこれまでに何度も見てるんだけど、彼女に関してはその考えが当てはまらない」

 

榊の言いたい事は何となく分かるが、それでも理解が追い付く事が無かったのか、既に北斗の目を見れば理解していない様にも見える程に目が泳いでいた。

 

 

「榊博士。それでは北斗は理解出来ません。もっと簡潔に言わないと」

 

「そうかい。では簡潔に言おう。今のユノ君の病気の進行は今までに見てきた患者の中でも断トツと言える程に早い。今はその根拠となる物は何もないが、恐らくはユノ君に関しては何らかの形で黒蛛病に対する資質があると睨んでいる。今はまだその結論をおいそれと出す事は無いが、今までの可能性を考えれば間違いないだろう」

 

榊の前向きな言葉に明るい何かが見えた様にも思える。今はまだ手探りではあるが、それでも何かしらの対策が取れるのであれば希望を見出す可能性だけは記されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかと思ったんだが……これもまた天の配剤なのかもしれないね」

 

「となれば、早急な対策を講じる必要があります」

 

ユノの様子を慎重に見ながらの結果は、榊にとっても無明にとっても一番可能性が低いと思われていた内容であると同時に、どこか納得できる様な部分もあった。しかし、それと同時に今回の件に関しては前回の様な対策を打ち出す事が出来ない事に頭を抱える事になった。

 

決定的に違うのは媒体が完全に完成されていない事だけではなく、未だ未完成である以上、今後はどうやって完成に近づいて行くのかは常時監視する必要があった。今までの事を考えればこの仮説は仮説では無くなる可能性が極めて高い。これをどうやって考慮するのか、どうやって対抗手段を考えるのかが何も見えないままに時間だけが悪戯に進んでいた。

 

 

「……もう少し時間をかけないと何とも言えないんだが、これがもしそうだと仮定した場合、単独では無い可能性も捨てきれないのも間違いない。果たしてどうしたものか」

 

榊の呟きに対して無明も何も言う事は出来なかった。仮にそれが複数あった場合、最悪の事態に陥ると連鎖反応を起こす可能性があると同時に、その個体の寿命との競争結果が誰にも分からないだけではなく、どうなるのかすら考える事が出来ない。

 

荒ぶる神の原始の能力がそうさせるのか、それともそれを人類が克服するのが早いのか、その答えを出すには未だデータが少なすぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「榊博士の話だとユノさんは治る可能性があるって事なのかな。だったら早く治ってほしいよね」

 

「確かに早く治ってくれるのが一番だとは思いますが、私の気のせいなら良いのですが、何となく榊博士の中ではある程度の結論が出ている様にも見えました。何がと言われれば明確には言えないんですが」

 

榊からの説明は少しだけ明るい未来が待っている様にも聞こえていた。しかし、シエルの言葉にもある程度うなずけるだけの根拠もある。

これだけ猛威をふるっている黒蛛病に関しては、本当の部分では完治の為のメカニズムすらまだ解析されていない。致死率が100%を下回らない以上、ナナの様に楽観視しすぎるのは都合が良すぎるとまで考える事が出来ていたがそれを口に出した者は誰一人居なかった。

 

 

「北斗。丁度良い所にいた。これから整備室に来てくれ」

 

ラボから帰る途中で北斗はナオヤから呼び止められていた。神機の事で何か変わった事でもあったのかと考えはしたが、ここ最近の中ではアップデートの話も無ければバージョンアップの話すら出ていない。そんな中で呼び止められはしたが、心当たりは何も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「丁度良かった。実は君の神機なんだけど、少しだけ取り付けたい物があったんだ。で、暫くの間はそれを付けたままにしてほしいんだよ」

 

分からないままに技術班へと呼ばれると、そこにはリッカも作業をしていた手を止めて北斗の方まで近づいてくる。心当たりが無い以上、これから何が起こるのか皆目見当もつかなかった。そんな中で取り付けられたパーツは確かに小さい物ではあった。恐らくは戦闘中でも気兼ねする事が無い程度の大きさにこれが一体何のパーツであるのかが理解出来なかった。

 

 

「これは神機の活性化を計る計測器なんだけど、君の場合は暴走の可能性があるから、実際にはどこまで活性化するのかを数値化し無い事には制御する手段が見つからないんだよ。で、その為には現状を把握しないと先に進まないからその一歩だと思ってくれれば助かるよ」

 

リッカの言葉で漸く北斗は理解していた。暴走状態に陥るとなれば、それがどのタイミングになるのかだけではなく神機が最悪暴走状態の数値をトレースし始めれば、今度は運用そのものが出来なくなる可能性があった。暴走する以上は本人のオラクル細胞の活性化は間違い無く、またそれを制御する為にはそれなりの器が必要になる事が理解出来ていた。

 

 

「まあ、そう簡単になるとは思えないんだが、万が一感応種が出れば、今のままでは最悪の可能性がある。ましてや暴走状態を止める事が出来る人間が早々都合よく戦場に居る訳では無いから、ある意味当然の措置だな」

 

マルドゥーク戦の二の舞だけは確実に避けたい事実が確かに存在していた。あの時の状況は今でも脳裏にこびりつくかの様に残っていると同時に、今後の事を考えればトラウマとなるレベルでもあった。自分で制御が出来ない以上、今は神機からのアプローチで制御するのはある意味当然だと考えられていた。

 

 

「分かりました。それとその数値を出すに当たってはどれ位のサンプルが必要になりますか?」

 

「数値化するならば数は多ければ多い程良い。出来る事なら50ミッション位はこなしてほしい所だな。今は神機兵の事もあるから数値的には厳しいかもしれないが、それ位ないとサンプルとしては役に立たない」

 

ナオヤの言葉に今の現状が思い出されていた。言われた数値は以前であれば困る程ではないが、今は神機兵が率先してやっている関係上、個体数は激減し、目標値にまで届かそう物ならばどれ程の時間がかかるのか想像すら出来ない。

だからと言って、自身に爆弾を抱えたままでは危険な事もまた事実である以上、今の北斗に拒否する事は出来なかった。

 

 

 

 

 



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第167話 水面下

榊との話合いが終わり、無明は人知れず屋敷へと戻っていた。現状では懸念されるのは黒蛛病に罹患したユノの進行状況が他の患者と比べれば格段に早い事が一番だった。

 

事実榊との会話の中でこのままユノが完全に完成された状態になった場合、対策を取る事が何も出来ない事に苛立ちを覚えていた。前回の様に、明らかにノヴァがあるのであればそれを排除すれば問題無かった為に解決方法は極めてシンプルだったが、今回はおそらくは人体から生成されるのであれば、それを速やかに処分する事が最優先だと考えられていた。

 

ユノの立場を考えれば万が一処分した場合には何かと問題視される可能性は高いが、極東の前任でもあったヨハネスではないが緊急事態に於いての回避を理由に説明が出来れば、フェンリルの上層部など、何も問題無いと判断していた。

しかし、研究を進めるに当たって、とある仮説を打ち立てると、それが単純に事が進む様な物では無く、最悪は代わりの者が出てくる可能性が高かった。そうなれば今度は単純な流れで進める事が出来ない。

 

目の前にある要因を省くのは容易ではあるが、それ以外の物にまで目を光らせる事は物理的は不可能である事を悟っていた。

 

 

「那智さん。すまないが確認したい事がある。そちらで隔離しているマルグリットの件なんだが、現状はどうなってる?」

 

無明はネモス・ディアナの総統でもある那智に連絡を取っていた。未だ回復の傾向は一切見られないマルグリットに対し、ネモス・ディアナでは精々が点滴を投与し生命の灯を伸ばす事しか出来ず、今は容体そのものも最早時間の問題とも取れる状況にまで落ち込んでいた。

これが一般人であればとうの昔に死亡しているが、ゴッドイーターが故に生き延びているとしか、現状では納得する事は出来なかった。

 

 

「そうか……実はこちらも困った事になっている。今はまだ仮説の段階なので話すことは出来ないが、現在も解決方法を模索している。…ああ、まさかユノがああなるとは思いもよらなかったがな。本人も気丈には振舞っているが、内心では絶望しているのかもしれない。これは客観的に見たならばの話だ。那智さんの子供だけあって中々表情には出ないがな」

 

無明は少しでも手掛かりになる物があればと那智から状況を聞いていた。ユノが罹患した際には取り乱す一面もあったが、今は何か思う部分があったのか落ち着きを取り戻している様にも感じる。実際には直接会った訳では無い為に詳細は分からないが、少なくとも声の反応だけ聞けば、ある程度の覚悟は出来ている様にも思えていた。

 

 

「物資は継続して送らせてもらう。申し訳ないが、もうしばらくそうしてくれないか」

 

那智との通信を切り、ここで今までの仮説を整理する事にしていた。現状で分かっている事は赤い雨に打たれた人間は蜘蛛の様な痣を浮かび上がらせ、やがて死に至らしめる結果を今まで残している。ここまでであれば強力な感染症の一つだとも位置付け出来たが、今回のユノの検査をする事によって、他の患者よりも病気の進行速度が段違いに早かった。

 

比べた訳では無いが現にマルグリットは罹患しながらも、未だに命の灯は消えていない。

しかし、ユノは患者でもあったアスナの救出の際に接触感染にて罹患したものの、その進行具合は直接の原因となったアスナの数段先の状況まで来ている。そんな中で黒蛛病に罹患した患者の体細胞からは、以前にシオからサンプルとして取り出した細胞と酷似した物がいくつも発見されていた。

この時点で、一つの仮説の答えが出る事になった。

 

 

「榊博士。やはり仮説は正しいと考えた方が良いかもしれませんが、現状ではその対策を練る事が出来ないのもまた事実かと。……そうですね。今後の事もありますから、ここは彼らに一度託した方が良いかもしれません。エイジ達はそのまま継続させましょう。何だかんだと本部も保身に入っているのは間違いないですから、今は心の安定化を図る為に一時的とは言え、許可が出るとは考えにくいでしょう」

 

レアの言葉をそのまま考えるならば、神機兵を動かすには黒蛛病患者の中に生成される細胞を組み込んでいる可能性が高かった。事実、運ばれた後で患者を一人残らず検査した際に、僅かではあったが、何かしらの方法を使って体細胞を搾取した痕跡が見えていた。

ここから考えれるのは黒蛛病患者は神機兵を稼動させる為に何かしら利用し、その先にあるのが特異点と呼ばれる者を捜すのではなく、自ら作り出す方法を取っているとも判断できた。

 

明らかに人類に対しての警告なのか、それとも人類への復讐なのか本来であれば確認したい所だが、生憎とその答えを持つ者は未だフライアの内部に留まっている。今は最悪の可能性を排除するのではなく、それが当たり前であるのが前提で事を進めるしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「忙しい所すまない。今回来て貰ったのは、今まで榊博士と一緒に研究していた黒蛛病の件とユノ君の現状について説明する為に来て貰った。その前に一つ確認したいんだが、前回のマルドゥーク戦の前にロミオとジュリウスが対峙していたはずだが、その後ジュリウスを間近で見た者はいるか?」

 

榊ではなく、無明の突然の呼び出しにブラッドは困惑していた。普段であれば質問の意図も理解し、それについて考える事も出来るが、今回呼ばれた際の質問では、何を考えているのか意図が読めない。今はただ質問の答えを返す事しか出来なかった。

 

 

「俺、いや自分が見たのはマルドゥークとの戦いの直前だけです。あとは通信越しでしたので、詳細を見たかと言うのであれば見ていないと言うのが正解です」

 

北斗の回答に、無明は暫し自分の考えを整理し、間違い無くブラッドにそのままの結論を伝える事を決めていた。

 

 

「そうか。これは仮説ではあるが、今までの経過観察から導いた答えになるが、結論から先に言えば、ユノ君は特異点となりつつある可能性が高い」

 

無明の言葉に特異点とは何なのかすら理解していない可能性があったからなのか、改めて詳細が榊の口から伝えられていた。3年前の終末捕喰の事は各々が理解していたのかもしれないが、まさかそれがこの地で行われていた事は初耳だったのか、全員が驚きはしたが、今はそれよりも先にしる事があるからと、全員が榊の言葉を改めて聞いていた。

 

 

「まさか月の緑化の真相がそれだったなんて……」

 

「この件に関しては、極東でもごく一部の人間しか知らない事だからね。君達にこの事を伝えた意味は……理解できるね」

 

それは極東だけの問題ではなく、フェンリル全体にまで影響を及ぼす可能性が高い事を示していた。万が一情報が漏洩すれば粛清ではなく抹殺の対象となる。それ程までに極秘事項である事だけが北斗達にも理解出来ていた。

 

 

「以上の事を踏まえると、今問題になっている赤い雨は新たな特異点を作る為に地球が選別する為のシステムであると結論付けたのが、僕と無明君の見解だ。そして、現状ではそれに尤も近いのがユノ君に間違い無い。本来であればこうまで短期に進行する事が無いからね。

それを裏付ける為に体細胞を確認したが、特異点に近い物が検出されている。そしてジュリウス君も罹患している可能性がある。詳しい事は見ていないから何も言えないんだが、現在の所では赤い雨に打たれて罹患しなかった人間が0である以上、それは間違い無い。そしてレア博士の言葉そのまま信じるのであれば、ジュリウス君の血の力、確か『統制』だったかな。それを神機兵に対して使用する為に各地から黒蛛病患者を集めているんだろうね。体細胞を神機兵に使う事で恐らくはジュリウス君の血の力の受信機とするのが目的だろう」

 

榊の結論に異論を挟む者は誰一人居なかった。それが事実であるならばフライアに格納されていたのは体細胞を取る前の人間であり、人間を単なる有機物として見ている他無かった。あまりの非人道的な方法に誰もが口を挟まず、支部長室の空気は重い物へと変化していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ついに来たのね……この試練をそろそろ始めましょうか」

 

人払いが完全に感力したフライアにはまともに動く事が出来る人間はほぼ誰も居なかった。実質的なトップでもあったグレムを放逐した以上、ここにラケルを止めようとする者は誰もおらず、今はただ目の前にある端末から流れてくるデータが無機質な目に映っている。それが何を指し示すのかは本人でもあるラケル以外には知らない事だった。

 

 

「俺の身体もそろそろ限界か……」

 

神機兵の教導作業に没頭いていたジュリウスは既に進行が進み過ぎているのか、全身にくまなく痣が浮かび上がっている。袖から見える黒い蜘蛛の痣がまるで自分の命を刈り取る死神の眷属の様にも見えていた。

 

最初は鏡で自分を見た際に驚きはしたものの、今はでは達観したのか、それとも自分の寿命が見え始めた事で、今以上に作業に没頭したからなのか、絶望感を感じる事は何一つ無かった。

 

 

「ジュリウス…貴方は今、さながら亡国の王と言った風情の様ね」

 

「亡国の王か……随分と風情がある言い方だな」

 

せき込むジュリウスを見舞うかの様にラケルは慈悲深い笑みを浮かべながらジュリウスの下へと近づいていた。ジュリウスが自覚している様に、遠目から見てもジュリウスの死期が近い事は誰の目にも明らかな状況。

そんな中でのラケルの言葉を皮肉と考えたのか、それとも敬意を表したのかはラケル以外には分からないままだった。

 

 

「安心してジュリウス。貴方の望むべき神機兵の教導はほぼ終わったと言っても過言ではないわ。既に最終段階まで来ているだけではなく、貴方ならばどう考え、どう感じるかまでも学習し、それを実行に移せる段階にまで来ている。これが終われば望みの通り、すべてのゴッドイーターはアラガミからの脅威に晒される心配はなくなるわ」

 

「そうか……ついに俺の命が無くなる前に間に合ったのか」

 

ラケルの言葉にジュリウスの張りつめてうた何かが切れたのか、咳き込みが止まらなくなっている。身体から何かを排出したいと拒否反応ともとれる反射は体内からは何も排出する事すら出来ない。既に全身に黒蛛病の毒素が回り切っているとも取れていた。

 

 

「そうね。神機兵の中で貴方は一生生き続ける事が出来るの。今ある神機兵は全て貴方の子供でもあり、手足でもある。それは神機兵がある限り、未来永劫変わる事は無いわ」

 

「……神機兵は黒蛛病患者を多大に犠牲にした産物であるのは理解している。俺は地獄に堕ちたとしても、神機兵がある限り、この地が地獄になる事が避けられるのであれば本望だ」

 

達成すべき事が出来た以上、今のジュリウスには生にしがみつく程の執念は既に無かった。当初罹患した際には絶望はしたものの、致死率を考えれば迫りくる未来を変更する事が事実上不可能である事は理解していた。

しかし、このままむざむざと死ぬ事だけは避けたい。虎は死して皮を残す様に、ジュリウスもまた同じく、何かを残そうと模索していた。そんな時にラケルからささやかれた神機兵の教導計画はジュリウスの気持ちを大きく変更させるにはあまりにも甘美な毒の様にも思えていた。

 

実際に黒蛛病患者の偏食因子を利用するアイディアは驚きを見せたものの、近い将来を考えれば、それはある意味止むを得ない選択肢であると結論付けていた。そんな当時の状況が走馬灯の様に思い出される。既にジュリウスはこの時点で自身がどうなっても構わないとまで思い始めていた。

 

 

「いいえ。貴方の使命はこれから更新されるの」

 

「使命を更新?残された命で出来るのはロミオの見舞い程度だろう……いや、叶うならばあいつらに…」

 

「そんな事ではありませんよ。ジュリウス、貴方は現時点で霊長の王。これから貴方は最後の試練を乗り越え『新たな世界の秩序』そのものになるのですよ」

 

ジュリウスにはラケルの言葉の意味が分からなかった。今までは神機兵お教導に事実上の命をささげ、これ以上望むべき事は何も無いと考えていた。にも関わらず、目の前のラケルは新たな試練を課して、世界の秩序を作り出すと宣言している。それが何を示すのかは口に出すまでも無かった。

 

 

「ラケル!貴様ぁ!俺を謀ったのか!」

 

ラケルの背後には何時に間に侵入したのか今まで一度も見た事が無い神機兵の様な物が突如としてジュリウスに襲いかかっていた。既に神機が無いだけではなく、避ける程の力すら無いジュリウスにとっては正に致命的な一撃と取れる程に神機兵の様な物の動きは素早く、そして力強かった。

 

 

「ああ、私のかわいいジュリウス。貴方と初めて会った時からこの事を予感してました……しかし、それが確定したのは貴女が全ての偏食因子を受け入れる事が出来た身体を持ち、荒ぶる神の申し子だと気が付いた時……過去と未来の点を線でつなぐ事が出来る存在、全ては新たな秩序を作りうる事が出来ると知った時には狂喜しました。その時点で私は全てを悟りました。私だけではなく、ブラッドや神機兵の全てが新たな秩序を作り出す為にもたらされた礎であると……貴方が全てを統べる存在であると……そう、新たな出発の門出となるよう晩餐の準備を始めましょう」

 

まるで新たな神の誕生ともとれる程に今のラケルは狂気が全身を駆け巡っていた。それが何を表すのかを知る事は出来ない。神機兵の様な物は弾き飛ばしたジュリウスの下へとゆっくりと歩を進めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第168話 疑惑

 

「そう言えば、最近になってまた大型種のミッションが増えたよね。神機兵はどうしたんだろ?」

 

一時期、それが当然だと言わんばかりに神機兵が大型種の討伐任務をこなしていたはずが、ここ数日の間に突如として稼動する事が無くなっていた。フライアからは何の声明も出ていない以上、詳細を確認する事が出来ず、今はただ当時の様に大型種のミッションを受注しながら、これまで溜まった鬱憤を晴らすかの様にただ励んでいた。

 

 

「またトラブルじゃないのか?こっちとしてはリッカさんから言われたミッション数をこなせるから有難いんだけど」

 

「しかし、以前に侵入した際には人間同様の動きを見せていたのもまた事実です。何か大きなトラブルだとは考えにくいと思います」

 

シエルが指摘した通り、フライアでの奪還作戦の際に対峙した神機兵は確かに人間と同様に滑らかな動きを見せながら北斗達と戦っていた。そこまで完成した神機兵が今さら単純なトラブルや技術的な部分で何かが起こるとは思いにくく、それが少しだけ気がかりの材料となっていた。

 

 

「今さらそんな事考えても仕方ないだろ。今はただ目の前のミッションをこなすだけだ」

 

ギルが言う様に、今の極東は以前の様にほぼ全員が完全に出払う程の状態にまでなってた。今までは暇だと言っていた人間が今度は忙しすぎて休みたいと口にしている。

あまりの両極端な環境は案外と以前の様に戻るのは時間がかかりそうだった。

 

 

「そうだね。今は目の前の事をやるだけだよね。でもさ、これはちょっと頂けないなぁ」

 

ナナの言葉尻が消えそうだったのは訳があった。今回の中で神機兵は数に物を言わせた結果、大半のアラガミを一気に討伐したまでは良かったが、まるでそれに対抗するかの様に、アラガミの出現数が以前の倍以上となっていた。

 

本来であれば毎回帰投しながら次々に行くのが通例だったが帰投用のヘリが間に合わず、現在はブラッドの戦闘能力を買われた事で、移動型戦闘指揮車を使ったミッションが発注されていた。

当初はあの時の記憶が蘇っていたが、ここで誰もが大きく見落としていた事実があった。あの時はエイジ達クレイドルも参戦していた事もあり食事などは一切気にしてなかったが、今はエイジはおろか、クレイドルの人間は一緒ではない。

そんな事もあってミッション後の休憩や食事に関しては備え付けられたレーションを取る事しか出来ないでいた。

 

 

「これは仕方ないさ。誰も作れる人間が居ないなら今はこれが最良の手段なのは間違いない。リンドウさんの話だと、他の支部のレーションよりも数段マシだって聞いているけど」

 

「それはそうなんだけど……やっぱりあの時みたいなのが良いと思うんだ。あれはあれで何となく楽しかったから良かったんだけど、これだと味気ないと言うか……やっぱりおでんパンの方が良いよね」

 

戦場での食事が占めるウエイトは見過ごす事が出来ない位に案外と大きい。食事は栄養補給が一番ではあるが、常時緊張したままの精神を落ち着かせ、それと同時に気分転換の効果もあった。

マルドゥーク戦での食事はエイジやリンドウの経験と、恐らくは厳しい戦いになるとゆとりが無くなるからと判断した結果であるのが今になって理解していた。

 

 

「このレーションは確かにいつもの食事に比べれば味気ないかもしれませんが、確かに他の支部に比べれば格段に上である事は間違い無いですよ」

 

「なんでシエルちゃんはそんな事知ってるの?」

 

「以前にエイジさんが居た際に、レーションの試食をした事があったんです。比べる前提が違うのは仕方ないにせよ、他の支部のレーションははっきり言って味覚音痴の方が作ったとしか言えないですね」

 

シエルはその言葉と同時に、当時の状況を思い出していた。教導カリキュラムを終えた際に、時間があるならばとシエルだけではなくリンドウやアリサと一緒にレーションの開発を兼ねて他の支部のレーションを口にする機会があった。

 

極東では割と食材そのものが形となって残っている事もあり、まだまともだったが、他の支部ともなれば固形物の何かだったり、飲み物も原材料が何なのかすら分からない程の飲み物だった事もあってか、口にした全員が微妙な表情をしていた。本来であればシエルが呼ばれる事は無かったが、これもまた経験だからとついでとばかりに呼ばれていた。

 

 

「そうなんだ……でも私も声をかけてくれれば参加したのに」

 

「あの当時はまだナナさんは教導カリキュラムの最中でしたから声をかけれなかったんです。でも、止めた方が正解かもしれませんね」

 

 

シエルの表情はそんなに豊富だとは思わないにせよ、それでもその眉間に皺が出来る程苦々しい物である事だけはナナにも理解出来ていたのか、それ以上の事は何も言う事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあアリサ。少しはエイジから何か教わったのか?」

 

「ええ。多少はレパートリーは増えましたよ。だから目の前に出てるじゃないですか」

 

ブラッドがレーションを食べながら当時の事を話す一方で、やはり同じくクレイドルと第一部隊が合同でミッションに出向いていた。もちろんレーションも搭載しているが、今回はアリサがエイジ直伝のレシピがあるからと自ら食事係を買って出ていた。

 

アリサの腕前は確かに少しづつ良くなっているのは間違いない。しかし目の間の惨事からコウタは目を背けたくなっていた。ネモス・ディアナでもソーマに食事を披露したが、その後でアリサが料理を特訓した話は今までに聞いた事が無かった。

当時はクレイドルとしての業務が一番忙しく、アリサも一時期は倒れる寸前まで動き回っていた記憶しかコウタには無かった。

 

 

「あの、何だか独創的な料理と……定番料理の差が激しい様に感じますけど、…何が違うんですか?」

 

コウタの軽い非難を受け流し、エリナの言葉にアリサは何の事なのかと確認していた。恐らくエリナが言った独創的な味はアリサのオリジナル。家庭的な定番料理はエイジのレシピだった。

 

 

「最近はレシピの通りには割と作れる様になってきたので、この辺りでそろそろアレンジも考えた方が良いかと思ったんですが、どうでしょうか?」

 

そう言いながら出された物は何をどうやったらそんな物体が出来たのかすら怪しく思う程に目に辛そうな刺激臭とも言える匂いが漂っていた。その時点で何かを察したのか今回同行したソーマは定番の物にだけ箸をつけたかと思うと、その後は事前に用意したのか上級士官用のレーションを食べていた。

 

 

「どうも何も……アリサ、これってさ近づくと目に厳しいと言うか、ツンとくると言うか、何を入れたらこうなるんだ?」

 

「何って…ここにあった調味料を使いましたよ。多分ビネガーですね。それが何か?」

 

コウタとアリサのやり取りでエリナはこの場から撤退した気持ちが勝っていた。遠目で見れば、ソーマが一人何かを食べている様にも見えるが、死角になっているのか詳細までは何も見えない。今はただこの行方がどうなるのかを見守る以外には何も出来なかった。

 

 

「アリサは自分で勿論味見したんだよな?」

 

「ええ。したからこそ薄いかと思って追加しましたから。さあどうぞ。エリナもね」

 

この一言でコウタは何となくだが予想出来ていた。恐らくは味見した際には味がぼんやりしたからと何かを追加したのかもしれない。しかし、その後は味見すらしていない可能性が高く、またこれは中身が煮詰まったからなのか、それとも調味料を入れた事で全体のバランスが壊れたのか、いずれにせよその後の事は確認していない事だけは理解していた。

 

 

「あ、あのアリサ先輩。私は普段から小食なのでこれでお腹一杯ですから、これ以上はちょっと…」

 

「ちょっと待てエリナ。お前この前メシの後であんなデカいパフェ食って……」

 

コウタの暴露に内心冷や汗を感じたのか、それ以上口に出されると何かと拙いとエリナは判断し、素早くコウタ脛を蹴る事で黙らせる事を優先していた。そのかいあってコウタは沈黙した事が肯定と取られたのか、程なくしてアリサの独創的な料理が全てコウタの胃の中へと運ばれる事になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クレイドルと第一部隊の混在チームのカオスな状況を知る事無くブラッドは結果的にはどこの部隊でもあるありふれた光景が広がっていた。既に超長期ミッションが終わりを迎える頃だった。北斗の達の耳には今まで戦ってきたはずの感覚が間違っていなければ、こんな場所で遭遇する可能性があり合えない音。それは神機兵の稼動音だった。

 

 

「北斗。この先1キロ地点でアラガミの様な反応が有ります。ただ、この作動音が私が知っている物で間違い無いのであれば、神機兵の可能性が高いです」

 

何かの反応をいち早くキャッチしたのはシエルだった。距離から考えれば事実上の目と鼻の先とも言える距離。ここ数日間は神機兵が原因不明のまま稼動していなかった事もあってか、本来であればこの場でそれが稼動している事が間違っているとも考える事が出来る程に神機兵の運用は停止状態になっていたはずだった。

 

 

「シエル。すぐにアナグラに連絡。ギルとナナは周囲を索敵してくれ。音の発生源には俺が向かう」

 

まさにイレギュラーとも取れる内容はブラッドの緊張感が否が応でも高くなっていた。原因は分からないが、事前の連絡ではこんな場所に神機兵が派遣される可能性は低く、またそれが正規の任務であれば事前に通告が来るのが通常にも関わらず、遠くから神機兵と思われる物を見た北斗は自身の心の中でどこか納得した部分があった。

 

 

「シエル。アナグラはなんて?」

 

《はい。アナグラに確認しましたが、現在は神機兵に関しての出動は確認されていません。恐らくは任務を放棄したか、もしくは暴走した可能性があるかと思われます》

 

残したシエルはすぐさまアナグラへと確認していた。以前とは違い、今の神機兵に関してはある程度戦力としての計算が出来るからなのか、今までは事前通告無しでもミッションの発注が出来たが、暫くの間はその神機兵との調整が必要だからと、事前に移動先のスケジュールは知らされていた。

 

 

「アナグラに連絡。神機兵の様子を伺うが、状況判断は現場で行うと」

 

シエルへの通信を切ると、改めて北斗は神機兵の様子を見ていた。しかし、いくつか疑問が出てくる。神機兵を稼動させるのであれば、どこかで回収もしくはモニターする為にフェンリルの車かヘリが飛んでいるはずだが、今の時点ではそんな気配すら感じられない。

一体何の為にここに居るのかは今はただ黙って様子を見てからの判断となっていた。

                                       

 

《了解しました。それと同時に索敵している2人にも北斗の下へと集合させるのと同時に私もそちらに向かいます》

 

「ああ、頼む」

 

フライアの事件があったからなのか、北斗は一段と厳しい視線を投げかけながらも、色んな可能性を考えていた。万が一神機兵が暴走しているのであれば、それはジュリウスの制御の下から外れている事になる。

フライアで戦った神機兵の動きはジュリウスの物と遜色なかった事を考えれば、今の神機兵と単独で戦うには少々分が悪い。ましてや超長期任務は単に肉体的な疲労を感じさせるだけではなく、精神的にもクルものがあった。そんな中での戦いとなれば苦戦の可能性が出てくる。

今はその選択肢だけは選ぶ訳には行かないからと、全員が集合するのを待つ事にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、困った事になったね。まさか神機兵が暴走しているとは」

 

榊は北斗達からの連絡を受け、その後の状況判断に少々手を焼いていた。既にフライアはフェンリルの下を離れ、反旗を翻したかの様な対応をしているだけに留まらず、神機兵の製造を止める様子は一向に無かった。

その影響もあってかフェンリルの上層部は未だ答えの出ない対応を余儀なくされている。現時点でフライアの事実を把握している榊の立場とすれば、それはかなり厳しい判断を要求される事に違いなかった。

そんな中での神機兵の暴走を止めた北斗達はそのまま帰投するも、その後処理をどうするかとなれば、今は良く知っている人物に聞く以外に何も出来なかった。

 

 

「レア君。少しだけ君の知識を借りたいんだが、今の神機兵はたしか遠隔型だったと記憶しているが、あれは操縦者が何かしらの都合でコントロールできなくなった場合はどうなるのかな?」

 

「私が居た頃であれば、万が一そうなった場合はその場で緊急停止する事になります。ただ、その後ラケルが何かしらの対策をしているとなれば私には分かりません」

 

時間が開いたからなのか、レアはここに来た当初の様な憔悴は既にしておらず、今回の事実確認の為に榊から呼ばれた際には自身が知っている部分を隠す事無く伝えていた。

最初に聞いた際には、あり得ないと考えはしたものの、職域から剥奪された後で何かしらの手が入っていると仮定すれば、今のレアでも原因を知る術は無かった。

 

 

「となれば、回収した際に確認するしか無さそうだね」

 

「その際には私も立ち会わせて下さい。私の持っている知識が役に立つのであれば幸いですし、また作った人間としての責任もありますので」

 

「そう言ってもらえると助かるね。我々も一先ずは到着までに準備すべき事もあるから、レア君も済まないがすぐに行動できるようにしてくれないかい?」

 

今はただ破壊した神機兵を確認すべく、榊だけではなく技術班も動員する事で原因の解明に全力を注ぐ体制を作り上げる事しか出来なかった。

 

 

 

 

 



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第169話 戦いと疑念

 

元来より、嫌な予感は往々にしてよく的中するものである。榊の杞憂が確信へと変貌するのは然程時間がかからなかった。

遠隔型の神機兵の自律機能が失われた物は最早対アラガミ兵器ではなく、人類に牙を向くアラガミと大差なかった。当時は機械故に故障の可能性はある意味仕方ないと擁護する声が幾つも飛んできたものの、それも時間の経過と共に擁護の声はいつの間にか沈黙したかと思われた後に、今度は解体すべきとの声が徐々に高まり出していた。

 

 

「元々可能性があった事ではあったんだが、まさか黒蛛病患者の偏食因子がああまで変化するとはね」

 

一番最初に確認した際には理由は不明ではあったものの、一旦破壊した物をアナグラで解析した結果、故障した部分から赤い雨が侵入し、コアの代わりとなる部分が汚染されている事が判明していた。

当初はその可能性があると、本部や各地に通達はしたものの、イレギュラーな対応まではカウント出来ないとの考えにより、その通達は黙殺されていた。

 

 

「機械が赤い雨の影響でアラガミ化するとは想像してなかったんでしょう。我々とて解析したからこそ可能性を考える事が出来ただけですから、今後は廃棄物としてアラガミ同様に討伐する必要は出てくる事になるのは間違いないかと」

 

榊と無明が懸念した結末が現在極東支部においても、ある意味懸念すべき事項の一つではあったが、やはり最大の懸念がユノの特異点化の可能性だった。仮説が仮説でなくなった当初に比べれば、現時点でのユノはかなり進行しているのか、以前の様に服に隠れていた痣は既に腕や足だけではなく、首筋にまで及んでいた。

 

最早このままでは時間の問題となる可能性が高く、極東支部とそしての優先順位をどうするのか苦渋の決断を迫られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回のミッションなんですが、こちらで観測確認した際に、多数のアラガミがフライアに向けて移動しています。今回のミッションに関してですが、特定の部隊が出動ではなく、全部隊が出動して頂く形となります。今回の件に関してですが、全員がローテーションで行動をして頂きますので、事前に入念な準備を済ませておいてください」

 

未だ状況が把握しきれない中で、突如としてヒバリから異例とも取れるミッションが発令されていた。通常であれば部隊の運用はしっかりと安全と装備を確認して万全の態勢で出動するが、今回の内容に関しては今までに無い程の大規模なミッションとなっていた。

 

 

「ヒバリちゃん。現状は?」

 

「コウタさん。現在の所、こちらで観測できる個体の数は測定不能となっています。その為に大型種や中型種の数や種別に関しては不明です。万が一の事も考慮すると、ブラッド隊は二分割して他の部隊との混成として運用してもらう事になります」

 

北斗達はヒバリの発言したミッションに対して何も出来ないでいた。今までにも何度か数が多いミッションに出動した経験はあるが、ここまで不明となっている個体については唖然としていた。

種別や個数が分からないとなれば、今後の対応は後手後手に回る。最悪の場合は感応種を引き連れている可能性が高かった。

 

 

「神機兵がこうなったかと思えば次はアラガミの大群か。どうしてこうも立て続けに色々と起こるかな。せめてリンドウさんとエイジが居ればもう少し対処のしようもあるんだけど」

 

「今の所は榊博士も無明さんも対応する事が多すぎているので、私達としても現状を打破する以外に手段は有りません。今はフライアに向けて集結しつつありますが、最悪の場合はここにまで戦火が飛ぶ可能性もあります。今は一刻も早い対応が必要になります」

 

コウタのボヤキとも取れる言葉はヒバリも同様だった。本来であればすぐにでも帰還要請をかけたい所ではあるものの、現状では本部との駆け引きなのか、それとも話が進まないのか、生憎とコウタが望むべき結果を得る事は物理的にも無理な事は間違い無かった。

常時頼る訳にも行かず、今は既存の戦力を最大限に生かす事でこの難局を凌ぐ以外に手だては無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エリナ~大丈夫か?」

 

「大丈…夫と言いたい所ですけど、ちょっと休憩……したいです」

 

「我が騎士道にも……そろそろ限界が迫りくるのか……おのれ闇の眷属ども、暫しこの場は……見逃してやろう」

 

フライアへ向かっていたアラガミの一部は予想通りとも言える様にアナグラへと進路を変更した物も多数存在していた。当初は進路変更は万が一の可能性とも考える事が出来ていたが、やはり数体が向かいだすと誘蛾灯に魅せられた蛾の様にアラガミが次々とアナグラへと押し寄せていた。

 

事前に予想を立てていた事も影響したのか、アナグラは正に総力戦とも取れる状態を維持し、そのまま果てる事があるのかと思う程の戦闘を余儀なくされていた。

 

 

「コウタさん。あと1回で終わります。この場は俺達に任せて下さい」

 

既に第1部隊は各部隊の運用のコアと同じ様に出ていたからなのか、ほぼ出ずっぱりのままの事も影響したのか、それは新兵や上等兵が任される内容を超えた戦いが多かった。

コウタの指揮で死者こそ出ていないが、負傷者はかなりの数に上っている。

残す所はあと僅かではあるがこのままの運用では遅かれ早かれ死者が出るのは間違い無いとも感がる程の疲弊が直ぐに理解できていた。

 

 

「でも大丈夫なのか?」

 

「俺達は万が一の感応種の事もあったんで、他の部隊よりはまだ動けます。今は俺達が出ますのでコウタさん達は休んでいて下さい」

 

「北斗か。本来であれば一緒に戦いたいと考えるが、この場は頼む」

 

「なんでエミールはそんな上から目線なのよ。私だってあと少し位なら平気だから」

 

気丈に振舞うも、やはりこのミッションでは負傷していないだけで、既にエリナもエミールも限界を超えていた。恐らくはこのまま立つ事は出来ても神機を持って戦場に赴くには既に疲労困憊の身体が素直に動くとは思う事も出来なかった。

 

 

「皆!行こうか!」

 

北斗の合図と共にブラッド隊が止めとばかりに出動している。この原因はまさかとは思いながらも、今はただ目の前のアラガミの討伐だけに集中し、その後の事は改めて考えれば良いだろうとそれ以上の思考を中断させ、目の前の戦場へと意識を向けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アナグラの戦闘の一方でジュリウスはここがどこなのかすら検討も付かない場所に居た。周囲を見ればまるで打ち捨てたかの様な神機兵の残骸とも取れる物が散乱している。ここがまるで神機兵の墓場であるかの様なイメージを漂わせていた。

 

 

「俺は…ラケルに騙されていたのか……神機兵を操っていたと思っていたが、まさか俺自身が操られていたとは……」

 

既にジュリウスの身体にはほぼ全部に蜘蛛の痣がクッキリと浮かび上がり、既に自分では確認していなが、このままどうなるのか、その末路に関しては最早考えるまでも無い程に覆いつくされていた。

残す時間は確実に僅かにも関わらず、ラケルは一体何を企んでいるのか、それを確認する術と時間が今のジュリウスには足りなさ過ぎた。

 

 

「俺はこのまま……朽ち果てるの…か…」

 

ジュリウスのつぶやきに答える声はどこにもない。既にこのフライアに残っているのはジュリウス以外にはラケルしかいない。今はただゆっくりと自分の目が閉じていく事しか出来なかった。

 

ジュリウスの意識が途切れたその瞬間、身体は無意識の内に跳ねていた。反射によるものなのか、それとも何かしらの力が働いているからなのか、今のジュリスには理解する事は出来ない。

既に何が起こっているのかすら理解出来ない自身の身体と、脳内では走馬灯の様に、初めてラケルに会った事やブラッドに入隊した事、その後の生活と最後はロミオが横たわる光景と次々とフラッシュバックする。それは死へのカウントダウンが始まった証でもあった。

 

 

「ああ、漸く始まったのね、私のジュリウス。貴方はこれから生まれ変わると同時に人類を超越した物へと変貌する。今はその身体をゆっくりと整える為に暫し眠りにつきなさい」

 

神機兵の墓場とも取れる場所をモニタリングしていたのか、ラケルは冷淡とも言える笑みを浮かべながらジュリウスの身体から何かが出てきたのか、ゆっくりと包み込むと同時に繭の様な物へと変化しているのを見ていた。

周囲にあった神機兵の残骸がそれに呼応するかの様にゆっくりと霧散し始める。まるで新たな生命体の供物としての存在かの様にも見えるこの光景を見ているのは本当に人間なのかと思える程に狂気に満ち溢れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

漸くアナグラへの脅威が去る頃、北斗達ブラッドの部隊は支部長室へと呼ばれていた。激戦とも取れる内容はまさに死闘の連続ではあったものの、死傷者が片手程度で落ち着く事が出来た事は僥倖とも取れていた。

 

 

「今までご苦労様。今回来て貰ったのは、君達にお願いしたい事があったんだ。実は今までの戦いの中で、ほんの一瞬ではあったんだけどフライアから特殊な反応が出てたみたいなんだ。我々としても今のフライアにああまでアラガミが押し寄せる原因は不明なんだが、どうにも嫌な予感しかしなくてね。連戦の疲れを癒すのは難しいかもしれないが、半日程開けてからフライアへと向かって欲しいんだ」

 

連戦の後に再度のミッションともなれば過大な負担だけがのしかかる。しかし、先だって榊から聞いた特異点とジュリウスの関係。そして僅かとは言え、フライアからの特殊な反応と謎のアラガミのフライアへの襲撃は、誰もが一番想像したくない事実しか見えてこなかった。

 

 

「まさかこんな簡単に潜入出来るなんて」

 

「これが今のフライアなのか。当時と随分違う様にも感じるな」

 

北斗達はフライアへと侵入していた。当初は抵抗される事も懸念したが、誰も居ない事が影響したのか、それとも抵抗の意志が無いからなのか、拍子抜けとも取れる程すんなりと潜入に成功していたからこそシエルの言葉は驚きに満ちていると同時に、ギルの言葉の通り、何か違和感があった。

それが何を表すのかは誰にも分からない。今はただ目指すべき場所へとただ走る事しか出来ないでいた。

 

 

「あれってまさか」

 

ナナの驚愕の言葉と同時に、格納庫の扉へと視線を向ければ、そこにはラケルが何もなかったかの様に一人車椅子に乗って出迎えるかの様に待ち構えていた。突然の出現に全員の緊張感が一気に高まる。これから何が起こるのかを警戒していた。

 

 

「そんなに警戒しなくても良いのよ。安心なさい。さあこちらですよ」

 

ギルが改めて神機の柄を握りしめたのを確認したからなのか、ラケルはあの当時と何も変わらないままに全員を案内し始めていた。いくら当時のままと言っても今のラケルを素直に信用する材料はどこにもない。

まるでそれを見透かしたかの様に、ラケルの姿は幻の様に消え去ると同時に目の前の厚い扉がゆっくりと開き始めていた。

 

 

「何…これ?」

 

開いた扉の向こうにはまるでこれから晩餐会が始まるのかと錯覚する程の大きなテーブルと人数分の椅子が置かれていた。テーブルの上には料理が置かれる皿が既に準備されているも、その質量や熱量はどこにも感じる事が出来ない。それがまるで目には見えるが手には取れない様な儚さがある様にも見えていた。

 

 

「さぁ、大変だったでしょう。皆ここで食事にしましょう」

 

「これは…何の真似だ?」

 

微笑むラケルの冷笑は止まる事は無い。まるでこれが当たり前だと言いたくなる様な態度が何を考えているのかを予測する事が出来なかったのかギルが疑惑とも取れる感情をラケルへとぶつけている。

その質問すら意図していたのか、それとも何も無かったと考えたのかラケルはそれ以上

ギルの質問を無視したかの様にすぐに言葉を告げていた。

 

 

「これから多大な儀式が始まるのよ。その前にしっかりと腹ごしらえをしない事には先には進めないわ。さあ、冷める前に召し上がれ」

 

「何だと……おい!いつまでふざけるつもりだ!」

 

「落ち着いて下さい。ギル、これはホログラフですから実体はここにはありません」

 

質量を感じない事を察知したのかシエルが素早く椅子へと手を伸ばせば、その言葉の通り手にかかる事はなく、そのまま素通りしている。未だ目的が分からないラケルに対してギルの感情は爆発寸前だった。

 

 

「その前に聞きたい事がる。ジュリウスはどこに居るんだ?」

 

「北斗。あなたは随分と無粋な真似をするのね。……ジュリウスでしたら今は眠っているわ。ぐっすりと眠っているのを起こすなんて事はしたくないの。……そうね。今はまだ時間もある事ですから、少しだけお話をしましょうか」

 

「そんな事よりもジュリウスはどうしたんだ。なんで眠る必要がある!お前は何を考えているんだ?」

 

「そうね……敢えて言うならば人類の全てが乗り越えるべき試練に全部打ち勝つのが目的とだけ言っておきましょう」

 

北斗の質問に答えるつもりは全くないのか、自分の言いたい事だけを語る。今のラケルが本物なのか、それともホログラフなのかは分からない。そんな中でシエルは今考えている事を純粋に確認したいと口を開いていた。

 

 

「ラケル先生。質問があります」

 

「何かしら?答えられる内容だと良いんですけど」

 

「私はレア先生から色々と聞きました……父親や姉、養護施設の事とその事実、そして神機兵の事……それら全てをジュリウスに捧げる事で貴女は一体何を考えているのですか?…人間を機械の部品の様に扱うこんな邪悪な計画をいつから考えていたのですか?」

 

シエルの厳しい視線がラケルへと突き刺さる。非難とも取れる言葉の内容にラケルは未だ微笑を崩す事無くシエルの言葉をそのまま受け入れている。それはただ単純に自分の事ですら計画の中の一部でもあり、その脚本の登場人物でしかないとばかりに無機質なまま改めて語り始めていた。

 

 

 

 



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第170話 野望

ラケルの口から語れたのは以前にレアからも聞いた話の内容だった。子供の頃に重大な事故に巻き込まれ、その治療の際にP73偏食因子を自身に投与した結果、身体の機能は劇的に回復の兆しを見せていた。しかし、それは表面的な話でもあり、実際にはラケルの脳内には常に荒ぶる神の魂がラケルへと働きかけていた。

 

 

「私の中の荒ぶる神はずっと私にささやき続ける。弱肉強食の収斂、終末の捕喰をこの世現せと言い続けている。そして私は…ジュリウスを見出した。あらゆる偏食因子を体内に宿し受け入れる。

まるで奇跡を体現した子……そろそろジュリウスが目覚める頃ですね。そろそろ最後の下拵えをする事にしましょう。さあいらっしゃい。続きはゆっくりと下で聞きましょう」

 

ラケルの言葉が合図となったのか、背後にあった大きな扉がゆっくりと音を立てながら開いて行く。眼下には何かがうずくまっているのか、それとも何かに囲まれているのか、薄明るい光を発しながらその場にとどまっている様にも見えていた。

 

 

「適者生存…この世で唯一の真理。滅び行く物が弱者であると同時に生き残る事ができるのが強者でもある。それは紛れも無くこの世界の絶対的な真理。それは即ち終末捕喰。絶対の強者でもある特異点だけが許される新たな秩序をもたらす最後の晩餐。

創世から繰り返されたこの大規模な事変は全て終末捕喰によって成し遂げられていた。それは地球の生命体全ての再分配でもあり行き過ぎた進化を抑止する為の神がもたらす御業でもある。

にも関わらず卑しい人間と言う存在だけがその神に逆らい己の持つ旧態以前の無秩序を守ろうとする。そんな自己都合だけで直近の特異点は月へと追いやられ、今もなお人類はそのまま享受を受けようとしている。……でもそれがジュリウスならば」

 

まるで近づいて行く北斗達には目もくれる必要すら無いとばかりにラケルは自身の考えをそのまま示し続けている。既にこの場所からラケルまでの距離はゴッドイーターであれば一瞬にして到達できる程の距離へと近づきつつあった。

 

 

「もうそれは要らない人形なの。ほら、見て」

 

突如現れたのはラケルの幼少時代のホログラフなのか、既に車椅子に乗ったラケルからは気配らしいものが一切感じられなかった。それと同時に幼少のラケルはとある一点を指さし、全員がそこへと視線を向ける。

そこに居たのは神機兵の様な物ではあるが、今までに見た事も無い様な物だった。

 

 

「貴方達ブラッドに最後の任務を命じます。私と一緒に……ジュリウスの最初の贄となりなさい」

 

 

冷たく笑いながらのその言葉に呼応するかの様に神機兵の様な物が大きく咆哮する。これが開戦のキッカケとなったのか、突如として神機兵の様な物は北斗達を襲いかかっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全員その場から散開。気を抜くな!」

 

北斗の激に反応したのか、全員が散会した場所に大きなハンマーが落とされたかの様に地響きを出しながら地面に衝撃を与えている。直撃しよう物ならば即死すら免れない程の一撃によって全員の緊張感が一気にピークへと跳ねあがっていた。

 

ラケルがこの場に用意したのは神機兵の大元でもある存在なのか、所々に神機兵としての名残が存在していた。クアドリガの様に大きな巨体は重力を感じる事なく素早い動きで北斗達に襲い掛かっていた。

 

 

「動きが早い!不用意な攻撃はせずに様子を見ながら攻撃してくれ!」

 

大きな咆哮を挙げると共に、再度北斗に向けてそれは一気に押しつぶすべく右腕を振り下ろしていた。先ほど同様に受け流すにはあまりに大きすぎる質量では確実押し負ける。かと言ってギリギリの部分を見極めて回避するには、その存在感はあまりにも大きすぎていた。

 

 

「北斗!」

 

ギルの声が響くも、振りおろされた衝撃音がその言葉をかき消している。直前に回避行動をとる素振りは見えた物の、あまりの早さでの攻撃にギルだけではなくシエルもナナも驚いていた。

 

 

「俺は大丈夫だ。全員攻撃の隙を狙ってくれ。攻撃の直後は大きく隙が開く。そこがチャンスだ!」

 

北斗の声に安堵しながらも、一撃を加えた神機兵らしき物が作った大きな隙を全員が見逃す事は無かった。当初は時間をかけて隙を探しながら攻撃する予定だったが、実際に見ればさしたる程に攻撃の範囲は小さい事から判断し、それぞれが最低限での距離を保ちながらに攻撃を与えていた。

 

神機兵の元になったのであれば、どんな動きなのか位は予想は出来るが、ヴァジュラ並かそれ以上に軽やかに動く様を見ると安易に攻撃を当てる事も困難な状態へとなりつつあった。

 

 

「あれはどうやら装甲が強固なのかバレットも今一つ効いていない様に思えます」

 

シエルの言葉の通り、牽制とばかりに放ったシエルのバレットはまるで何も無かったかの様な反応を見せ、神機兵らしき物の装甲は他のアラガミとは一線を引いていた。このままではいたずらに時間だけがかかりすぎるのは間違い無く、ここがフライア内部である事も考えると、通常のミッション以上に時間の制約が高いと考えていた。

 

 

「シエル!顔面を狙ってくれ。ギルは胸の部分、俺とナナで攻撃する!」

 

動きが早い故に顔面を狙い視界を潰した所に一気に勝負に出るべく北斗が指示を出す。それと同時に各々が行動を開始していた。

 

 

「厄介な動きをするな」

 

「まだあのリーチだから助かってる。下手に武器でも持たれると厳しいかもな」

 

ギルが言う様に、神機兵らしき物は器用に上体を起こしながら右腕を振り回していた。北斗達が攻めあぐねる最大の要因は短いリーチにも関わらず大きく太い物を振り回せば自然と近寄る事が困難になってくる。

まるで虫でも寄せ付けない様な行動が、これまでの攻撃を困難な物へと変化していた。そんな中で、周囲の様子が少しだけ変化し始めている。それが一体何なのか理解出来ないが、戦闘中の直感を無視する訳にも行かず、北斗は次々と指示を飛ばしていた。

 

 

「全員一旦距離を置け!何かが来る!」

 

北斗の言葉をそのまま理解したのか全員がその場から一旦距離を置こうと回避行動に移った瞬間だった。神機兵らしき物の周囲の空間が僅かに歪む。北斗の直感が正しく機能したかの様に、神機兵らしき物が床を叩いた瞬間、周囲から次々とエネルギーの塊の様な物が噴出していた。

 

 

「キャアアアアア」

 

ナナが回避行動を取ったにも関わらず、まるでそれを追いかけるかの様に噴出するエネルギーが襲い掛かる。空間に制限があるこの場所では一旦追いつめられると行動範囲が一気に狭くなる事の弊害でもあった。

 

 

「大丈夫か」

 

「いたたた。な、何とか……」

 

「北斗、もう少し距離を取るか様子を見ないと厳しい事に変わりません」

 

シエルがそう判断したのか、周囲に対する攻撃はあまりにも規格外の様な攻撃方法だった。先ほどの一撃がどれ程のレベルなのかは分からないが、ナナも回復錠を摂取しなければどうにもならないと判断したのか、それを一気に口に含んでいた。

 

 

「あれだけ大きいなら、思い切って懐に入った方が安全かもしれない。悪いが援護してくれ」

 

北斗は先ほどまでの攻撃で何かを感じ取ったのか、あれだけの巨体でありながら手元の攻撃が殆ど無かったと判断したのかシエルに提案している。このまま膠着状態になるならばと北斗の意見を聞き入れ、シエルは改めて北斗の援護を開始していた。

 

北斗の予想は正解だったのか、懐に入った瞬間、一気に攻撃を一点集中とばかりに胸部に向けて攻撃を続けていた。嫌がる事も考慮したのか、それとも今までの行動を見た結果なのか、援護はシエルだけではなくギルも同じ様に間髪入れずに援護射撃を繰り返していた。

 

 

「私も負けてられないよ!」

 

回復した事で状況を確認するとナナは再び突撃とも言える様に一気に距離を縮めていた。先ほどの様な広範囲の攻撃に備える様に注意しながらもナナの視線は神機兵らしき物を捉えている。

このまま距離を一気に縮めようとあと僅かの距離まで近づいた時だった。突如として後ろに大きくバックジャンプしたかと思った瞬間、神機兵らしき物はナナに向かって大きく跳躍を開始していた。

 

 

「ナナ!盾だ。大きいのが来るぞ!」

 

動きを察知したのか、北斗はナナへと指示を飛ばす。今まで何も握られていなかったはずの右手にはまるでチャージクラッシュでもするかの様な闇色のオーラが集まり出していた。ナナは北斗の指示通りに盾を展開した瞬間、それはナナの胴体をなぎ倒すかの様に横のエネルギーをそのまま斬撃にしたかの様にナナへと襲い掛かっていた。

 

 

「ナナさん!」

 

ナナの盾の展開速度が速かったのか、ナナは攻撃を何とか凌ぐと同時に反撃をし始める。既にその準備が終わっていたのか、渾身の一撃は目の前にあった顔面を大きく横に叩くかの様に衝撃を与えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神機兵らしき物と対峙してから、そろそろ体力の消耗が激しくなろうとしてた時だった。既に右腕と顔面が結合崩壊を起こし、このまま一気に力押しすればどうにかなるだろうと考えていた時だった。今までに何度も見ていたエネルギー弾の放出であれば距離を取れば何も問題ないはず。そう考えていた矢先だった。

 

今までと明らかに違うそのモーションはこの場にいた全員の緊張感を再び一気に引き上げると同時に結合崩壊した顔面から3本の太いレーザーの様な物が放出されていた。少しだけ速度が遅かった事から防御ではなく回避行動で事無きことを得る事は出来たが、問題なのはその威力だった。

 

熱量の大きい3本のレーザーは今までの攻撃とは一線を引くかの様に、地面をも焼き焦がす。直撃しよう物ならば確実に命が消し飛ぶその攻撃は驚愕を与えるには十分過ぎていた。

 

 

「あの攻撃だけは確実に避けろ!」

 

既に何度指示を出したのかすら分からない程に目の前に対峙した神機兵らしき物は圧倒的な攻撃力を持っていた。チャージクラッシュの様な斬撃に周囲にばら撒く様に放つエネルギー弾。極めつけは地面をも焼き焦がす程の極太のレーザーに北斗達の消耗は激しかった。

このままでは最悪の未来が待っている。今まで考えた事が無いそんな思いが少しだけ北斗の脳裏を過ぎ去っていた。

 

 

「このままじゃジリ貧だ。次の行動で勝負に出る」

 

北斗が何かを決意したのか、その言葉に誰も反論する物は居ない。既に回復錠はおろか、Oアンプルさえもが使い切った状況。ここで終わる訳には行かないと、全員が一つの意志となったかの様に決意していた。

 

そんな北斗達に何か感づいたのか神機兵らしき物は光弾を放つべく胸部の装甲を開く。

その瞬間を待ち構えていたかの様に、北斗を先頭に全員が一気に距離を詰めていた。放たれる光弾は広範囲に放たれるも、全部で3発。その向こうには装甲を開いていた為に弱点とも言える部分がむき出しになっていた。

 

 

「うぉおおおおおおお!」

 

北斗の叫び声と同時に、今までの中でも最大級と言って良い程の速度で光弾を避けると同時に暁光の白い刃が一筋の光となって胸へと貫く。それが合図とばかりに全員がそれぞれの神機に赤黒い光を帯びながら結合崩壊を起こした右腕や同じく胸部に向けて攻撃を放っていた。

 

 

「ここが勝負だ!」

 

誰の声とも付かないままに、その勢いに押されたのか神機兵らしき物が地響きを立てながら遂に倒れた。今までの中でも最大級の隙を見逃す事無く全員が渾身の力を振り絞り、止めとばかりに攻撃を繰り広げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やった…か?」

 

「みたい…だな」

 

捨て身とも取れる攻撃で大きな衝撃を伴いながら、目の前には完全に活動を停止した神機兵らしき物は動く様な気配は既に無かった。ここで漸く戦いの終わりだと思った瞬間だった。

突如として格納庫に振動が走る。この戦いですっかりと意識の外に出ていた繭の様な物が振動と共に何かを溢れ出していた。

 

 

「ラケル先生!」

 

シエルの視界にとらえていたのか、既に動こうともしないラケルをも飲み込むと同時に、それは未だに停まる事を許さない。このままここに留まる訳には行かず、北斗達もこの場から脱出する事を余儀なくされていた。

 

 

「晩餐は、終末捕喰はつつがなく進行しています」

 

呑まれたはずのラケルの言葉がまるで何かを伝えるかの様に周囲に響き渡る。それと同時にその場にいるかの様にホログラフなのかラケルが神機兵らしき物の上に現れていた。

それが何を示しているのかを確認する事は出来ないまま、今はその言葉を聞く事しか出来なかった。

 

 

「既に人類に英知が及ぶべき領域は一切無いのです。願わくば手塩に育てた貴方達と一緒にとも考えましたが、どうやら既に…親離れしていた様ですね。私はこれで先に休ませてもらいます。おやすみなさいブラッド。

新しい秩序の先でまた会いましょう。……さあジュリウス、そろそろ起きなさい。皆があなたを待ってますよ」

 

ラケルの表情は何か新しい物が誕生したかの様な清々しい表情をしながらも、神機兵らしき物と同じく繭から漏れだした者へと呑みこまれて行く。まるで全ての物が吸収されたかの様でもあった。

 

 

「あれって…もしかしてジュリウスなの?」

 

ナナの視線の先にはまるで花がゆっくりと開くかの様に大きな振動と共に繭の様な物が大きく開きだす。その中には何かに貫かれたのか、生きているのかすら分からない程に生気を失ったジュリウスの様な物が見えていた。

 

 

「おいおい……マジかよ。洒落にもなってないぞ」

 

それが本当にジュリウスなのかは距離がある為に確認出来ない。既にそこから漏れだした物は北斗達の居る場所までゆっくりと浸食している。これ以上は無理だと判断し始めた時だった。

 

 

《ブラッドの諸君聞こえるかい?そこから巨大な偏食場パルスが出ているのを察知した。そのままそこに留まるのは危険だ。すぐに撤退したまえ!今出ている偏食場パルスは…終末捕喰のそれと酷似している。だが、今直ぐでは無い様にも思える。今はとにかく対策を練る必要がある。すぐに行動に移してくれたまえ》

 

榊からの通信が切れると同時に北斗とシエルはお互いアイコンタクトを取ったかの様に頷くと、すぐにこの場からの撤退をしていた。既に退避出来る部分は極めて少ない。今は周囲の状況をゆっくりと判断する事なく、その場からの離脱を開始していた。

 

 

 

 

 



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第171話 作戦概要

フライアの内部での出来事がまるで悪夢でも見ているかの様な結果に、帰投中のヘリの内部では誰も口を開こうとはしなかった。真相を確認すべく挑んだミッションではあったが、その内容と結果に関してはまさかの想定外とも言える内容でもあった。

 

当初はフライアへの大量のアラガミの襲撃の原因を探るべく侵入したはずだったが、結果的にはラケルの独白とも言える真実と、それに伴う実力行使の場でもあった。辛勝とは言え、神機兵のプロトタイプとも呼べる物を討伐した後の出来事があまりにもショッキングすぎていた。

 

ラケルの言葉を正しく理解すれば、それはジュリウスが完全に特異点と化した物でもあり、それが出来たのであれば、今後どうなるのかも予見出来る。既に手遅れとも取れるジュリウスを目の当たりにした事で、ブラッドは嘗てない程に士気が低下していた。

 

 

「もう、私達が知ってるジュリウスじゃないのかな」

 

沈黙を破ったかの様にナナの呟きとも取れる程の言葉が周囲へと聞こえている。けたたましくローター音が鳴り響く中で、まるでその瞬間だけ音が途切れたかの様な錯覚を覚えていた。

 

 

「あれは……確かにジュリウスだった。なんでああなったのかは分からないが、今の俺達では何の解決も出来ない。一旦アナグラに戻れば榊博士から何らかの説明があるんじゃないのか」

 

「そうですね。今のままでは判断材料が乏しいとも考えられます。先ほどの通信にもあった様に、今は戻ってからの話を聞いた方が、今後の見通しは立てやすいかと思います」

 

撤退の通信の中で榊の口から出た特異点の言葉。それを正しく理解する事は出来ないが、特異点が起こす物が何であるのかは以前に聞いた結果でしかない。当時の事はとにかく、今はただ戻ってからの対策を確認する以外に手だては無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆さんよくご無事で。榊支部長がこの後1時間後に召集してほしいとの事です。何かと慌ただしく申し訳ありませんが、重要な話になるとの事です」

 

 

ブラッドの事は既に通達が来ていたのか、ロビーへ戻ると、フランが労いの言葉と共に今後の予定をそのまま切り出していた。本来であれば直ぐに召集になるが、時間を空けたのは、恐らくは落ち着かせる為に設けた時間である事だけは全員が理解していた。

 

 

「ありがとうフラン。1時間後に支部長室だよな?」

 

「はい。その様にお願いします」

 

北斗が確認し、フランの返事が全員に聞こえたからなのか、その一言で各自は一旦落ち着く為にそれぞれが自室へと戻っていた。

 

1時間後に召集された北斗達は榊から驚愕とも取れる話の内容を聞かされていた。以前にも聞いた終末捕喰とそのキーともなる特異点の可能性。それから起こる未来は人類だけではなく、この地球上の如何なる生物の消滅の二文字だった。

厳密に言えば生命の再分配が行われる事によって地球そのものはそのまま生存する事になるが、その地上には間違いなく既存の人類は存在しない未来。

 

それは人類の終焉でもあり、地球と言う惑星の新たな再出発とも言える内容だった。

 

 

「榊博士。話の内容に関しては我々も理解しました。それでもこのままで良いとはブラッドは誰も思っていません」

 

恐らくはそんな回答が出る事を予測していたのか、それとも期待していたのか北斗の言葉に榊は口許に笑みを浮かべていた。

 

 

「これは僕の持論なんだが、小を殺して大を活かすと言ったロジックを認めるつもりは一切ない。どんな絶望の中でも諦める事無く出来る事をやるのであれば、それは何かしらの筋道が現れる物だと考えている。これは極東の言葉で『死中に活を求める』とも言うんだが、これは実際に私の友人たちが身を挺して体現してくれた事でもあるんだ」

 

榊の言葉には力があった。それは絶望に染まったが故の感情では無く、未だ可能性を秘めた物がある人間の言葉の力でもあった。そんな榊の言葉はブラッドにも伝わっていたのか、心配げな表情をした者は誰も居ない。今はその方法を確認するのが先決だとも考えていた。

 

 

「さて、そんな死中に活を求める方法について何だが、ここから先の事に関しては僕の一存で決める訳には行かない」

 

「それは……一体?」

 

榊の言葉がそこで止まったのには何かしらの問題でもあるのかもしれない。それが示す物は分からないが、榊が言い淀む以上恐らくは大きな代償が発生する可能性があった。何も提示されない以上、こちらとしても判断の材料は何も無い。それ故に北斗は榊に改めて確認する事しか出来ないでいた。

 

 

「仮定の……いや、蜘蛛の糸の様に細く不安定ではあるが道はある。ただし、それは今までに培ってきたミッションとは比べものにならない程の内容になるんだが、仮に終末捕喰を止める事が出来たとしても最悪は君達とユノ君の命の保証が出来ない。勿論、失敗すれば終末捕喰はつつがなく遂行され、我々人類の歴史もその時点で終了となる。その為には君達とユノ君がしっかりと話あった結果で判断する事にするよ。既に特異点が完成した以上、時間はもう然程残されていないのもまた事実だからね」

 

榊の提案は誤解する事無くブラッド全員の耳へとしっかりと入った。事実上の片道キップの可能性とも取れる作戦の内容は語られていないが、この場に於いて今さら何かを試す様な事はあり得ない。

全員の命の担保が既に存在していない以上、選択肢は最早数える必要すら無い状況にまで陥っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっきの榊博士の話なんだけど、私達にそんな大それた事が出来るのかな?」

 

ブラッドとユノはラウンジの片隅で誰にも聞かれる事無く話し合っていた。榊の話を正しく理解すれば、この地球上の人類の命全部をこのメンバーで背負えとも言っている様にも聞こえると同時に、その作戦を実行するに当たって、最悪は全員の命が無くなる事まで聞かされた事もあったのか、ナナの声には何時もの元気さは無かった。

 

 

「話だけ聞けば確かにそうかもしれません。しかし、それが出来ないのであれば我々はこのまま終焉を迎える事になります。これは推測ですが、話し合って決めるのは実行するかどうかではなく、任務を遂行する為にどう考えているのかを確かめると言うか……気概の様な物を確認したいんじゃないかと思います」

 

「なぁナナ。榊博士の話だと、このまま何もしないでいても終末捕喰は実行されると思う。ラケルの言葉じゃないけれど、ああまでやって途中で止める可能性は恐らくは無い。仮にそんなつもりがあるなら最初からジュリウスをああ言う風にする事は無いと思うんだ。確かに俺達が人類を救うなんて大それた事を考えれば腰は引けるけど、単純に目の前のアラガミを討伐するのと同じ様に考えれば良いだけだと思う」

 

北斗の言葉には確かに一理あるとも考える事が出来ていた。このまま全員が等しく終焉を迎える事になるのか、それとも僅かな可能性に賭けてこの状況を覆すべく抗うのかでは、結果が仮に同じだったとしても、その過程は大きく違う。

結果が同じならば自分達が納得できるやり方の方が最悪の結末を迎えたとしても納得できる可能性が高い。そう考えていた。

 

 

「みんな、どうしてそんなに強いの?」

 

「ユノさん。どうしたんですか?」

 

「私は正直言って怖いと思ってる。今までにもアラガミとは遭遇した事はあったけど、それは単に巻き込まれた結果だからであって、自分から戦場に出向くなんて今まで考えた事もなかった。だからなのかな。今になって漸くゴッドイーターの皆が戦場に立つ気持ちが分かった様な気がする。でも北斗の言う通りなのかもしれない。このまま何もしなくても結果は同じだったら、自分が出来る事、いえ、自分達が出来る最大限の力をもって抗うのは当然なんだと思う。それに……榊博士の作戦の内容は分からないけど、万が一何かあったら守ってくれるよね?」

 

そう言いながら笑顔でユノは北斗の方を向いていた。確かにユノは非戦闘員である以上、何かしらの作戦の重要人物である可能性は高く、これから訓練をした所でどうにかなる物でもない。何気にユノの手を見れば恐怖と戦っているのか、僅かながらに手が震えているのを北斗は確認していた。

 

 

「もちろん。どんな作戦かは分からないが全力で守るから」

 

「やる事はシンプルだ。終末捕喰は絶対に阻止する。その後の事はその時に考えれば良いさ。だろ北斗?」

 

ギルが言う様にやるべき事はシンプルでしかない。先ほどの北斗の言葉に安心したのか、ユノの綻ぶ様な笑顔と共に全員が決意したのかこの足で榊の元へと歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「決まったようだね。ではこれから作戦の概要を説明するよ」

 

全員の決意した表情を見たからなのか、榊はまるで今回のミッションも何時もと変わらない様な感覚で説明していた。榊が出した作戦の内容は極めてシンプルな物ではあるが、それと同時に最大のリスクも抱えていた。

本来であれば終末捕喰が開始される前に全ての決着をするのが理想ではあるが、今回の一連の流れから考えると赤い雨は地球の意志でもあり、また特異点はそれを実行する為に存在している存在でもある。そうなれば再び不安定な状況に陥る可能性が高く、それは結果を先送り出来る様な内容では無くなっていた。

そんな可能性も踏まえ、今回は一旦ジュリウス側の終末捕喰を発動させた時点で、ユノ側からも同じく終末捕喰を発動させ相殺する方法だった。異端発動した終末捕喰は止める事が出来ない以上、それは確かに自分の命をベットした人生最大の賭けとも考える事が出来ていた。

 

負けた場合は自分の命が消し飛ぶだけではなく、人類そのものの歴史までもが終焉を迎える事になる。何も知らない人間からすれば正気の沙汰とは思えない様な作戦でもあった。

 

 

「でもジュリウスは既に完成しているのに、ユノさんは違う。となればその時点で力の均衡が取れるとは思えないんですが?」

 

「うん。その件に関してなんだが、ジュリウス君の場合、単体で100%、ユノ君は単体で仮に70%だとした場合は確かに力の均衡は崩れ、そのまま終末捕喰は発動できても最後は呑みこまれる事になるだろうね。そこでだ、こちら側としては質で勝てないのであれば量で対抗するのがベストになる。黒蛛病が特異点としての機能を作り出す為に地球がとった当たり前の行為ではあるが、何も一人で全部をやれと言っている訳じゃないんだ。

力が足りなければ、それはただ補えば良い。考えとしては実にシンプルな事なんだよ」

 

「補うのは理解できましたが、それはどうやってなんでしょうか?」

 

シエルの疑問はここにる全員が同じだった。単に一つに纏めるとは言うが、その方法が分からなかった。

 

 

「終末捕喰は突き詰めればこの地球の意志の力でもあるんだ。それは即ち感応現象の事を指し示す。事実、この感応現象においてはこの極東でもしっかりと研究していてね。幸いにもサンプルになる人間が身近な所にいたから我々としても助かっているんだけどね。……話が逸れて申し訳ない。今回の件についてなんだが、特異点とは即ち『意志の力』でもあり、また感応現象も同じく『意志の力』の発露でもある。感応現象はそんな『意志の力』を増幅する事によって距離を関係無く伝播し、やがて自分の超える『意志の力』を生む事になる。君達ブラッドの血の力はまさにそれを体現していると我々はそう考えている。実際に君達自身が今まで体験してきた事なんだよ」

 

「しかし、それでは我々ブラッドならともかく、他の黒蛛病患者がそんな事出来るとは思えないんですが」

 

「そうだね。確かにオラクル細胞が由来だとしても全員が等しく感応現象を起こせるとは考えていない。でも人の想いを増幅し、遠隔地まで運ぶ事は何も感応現象だけではない。違うかいユノ君?」

 

榊の視線はユノへと向けられていた。榊が考えている事はユノには理解出来ないかもしれないが、なにを持ってユノに話を振ったのかだけは理解出来ていた。

 

 

「歌が……歌が心を一つにするって事ですか?」

 

「そうだね。綺麗な風景を見たり、絵画や歌を共通した時、人は同じ様な感情になる事もあるだろう。少なくとも人間は他の動物とは違う。共感できる考えを持つのは人間だけなんだ。少なくとも私はそう考えている」

 

「……私もそう考えたいです」

 

榊が言いたい事が何なのか、ここで漸くユノは理解していた。自分にとって気持ちを一つにする手段としての歌がある。今求められているのがそれであれば、自分が出来る事はだた一つだけ。ユノはその考えを自分に言い聞かせ、何をすべきなのかを再度確認していた。

 

 

「では、お願いできるかい?」

 

「はい!私の…私の歌で」

 

この時点で作戦概要が公表される事になった。ユノが歌い上げる事により、足りない分の偏食因子を集める事で、ジュリウスが発動する終末捕喰を相殺する。そうなればお互いのエネルギーを相殺し、結果的には終末捕喰を回避する結果になるとの予想が立てられていた。

 

 

「それと…北斗君、君にはやって欲しい事があるんだ。君はブラッドの中でも感応現象を最大限に引き出す事が出来る『喚起』の能力を備えている。その力で集められた『意志の力』を増幅し、ユノ君を特異点へと昇華させる事が役割となる。いいね?」

 

北斗の役割が今回の作戦の最大の肝とも言える部分の一つでもあった。北斗の『喚起』の能力に関しては、直接目に見える事は一切ない、ただその対象者に対して働きかける事になる為に、自分の意志で出来ているとは考えにくい能力でもあった。

 

常時その因子を放出しているのであれば、あとはいかにそれをユノの元へ送り込む事が出来るのか、今はただそれだけを考えていた。

 

 

「この全容が今回提示した作戦だ。今の時点ではこれしか方法が無いと考えている。後はそれを実行するだけだ」

 

既に残された時間は然程も残されていない。今回の作戦に関しても、もっと時間があれば別の手段を講じる事も出来た可能性は否定できない。しかし、それを考えるにはあまりにも時間が無さ過ぎていた。

今ある物を最大限に利用するには他の手段は何もなかった。全ての作戦に関して理解したのか、全員の顔にやる気に満ちた意志の力が見える。これであればたとえ蜘蛛の糸の様な細い道であったとしてもやり切る事が出来るだろうと榊は一人残った部屋で考えていた。

 

 

 



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第172話 直前

支部長室で榊とブラッドが話をしている頃、やはりラウンジでも同じ様な話が成されていた。事実、新人はともかくベテラン勢からすればこれは3年前の忌々しい事件と大差はどこにも無かった。

終末捕喰による人類の掃討は同じ様に経験しただけではなく、事実発動した瞬間をこの目で見ていたからこそ、言い様の無い空気が漂っていた。

 

 

「まさか3年前の再来になるとは思っても無かったよ」

 

「そうですね。でも今回の内容は前回とは違いますので、対処にかなり苦労しているみたいですね」

 

ラウンジの椅子には珍しくコウタとアリサがジンジャーエールを目の前に当時の状況を思い出していた。既に故人ではあるものの、当時の支部長だったヨハネス・フォン・シックザールが政策していた一部の人間だけを脱出させた後に、再度この人類に降り立つ事でこの地球の状況をリセットさせるやり方に、当時の第1部隊の面々は各々が葛藤に苦しみ、そしてもがきながら答えを出した事を彷彿とさせていた。

 

 

「そう言えば今回の件だけど、エイジは何か言ってた?」

 

「本部ではどうやら情報の開示がされてないみたいで、詳細については殆どの人間には知らされていない様です。尤も知った所で何も出来ないのも事実らしいですけど」

 

「って事はフライアの件は完全に本部は切り捨てたって事なのかな?」

 

「それは何とも言えませんね。あれだけ神機兵に関して本部が出しゃばった以上、今から責任の回避は無理なんじゃないですか?」

 

コウタの言葉にアリサもエイジとの会話のやり取りの中で現状の報告みたいな物をしていた。恐らくはツバキのレベルまで来れば多少なりとも情報の開示はあるのかもしれないが、やはり情報統制の名の下では詳細については語られる可能性は極めて低かった。

 

特に今回の件に関しても、前回同様に、一部の本部の役員が関与しているとなれば屋台骨は崩れ、信用されなくなれば簡単にひっくり返る。しかも本部付けの特殊な支部からの内容となれば、責任の追及は誰に来るのかすら、現状では把握し切れていなかった事が影響したのか、フェンリルの上層部では責任の押し付け合いの名の下に議場は常時紛糾していた。

 

 

「そう言えば、リンドウさんは『面倒だがお前達に任せた』って言ってましたよ」

 

「……まあ、リンドウさんだしね。流石に本部に居たら何も出来ないから、それはしょうがないんじゃない?」

 

当時の状況を思い出したのか、アリサも苦笑を浮かべながらにコウタと話をしている。既に賽は投げられ、あとはどんな目が出るのかを確かめる以外には何も出来ない。今回の作戦群に関しても単独では出来る事が少なく、またブラッドには集中してもらう以上、クレイドルとしては周囲のアラガミを近づけない様にする以外には何も出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。少しだけ良いか?」

 

終末捕喰を防ぐミッションが発令される少し前に、北斗はナオヤに呼ばれた事で、整備室へと足を運んでいた。神機兵の活動が突如として中止してからはリッカとナオヤが指定していたミッションの数は呆気なく達成されてた。

 

重要なミッションの間際ではあるが、呼ばれる以上は神機の事以外には何も無い。今はただ今回の状況について確認する事で、何かしらの打開策か、もしくはアップデートのどちらかである事が予測出来た。

 

 

「今までの神機の使い方と今回設置した測定器から判断した結果なんだが、一定以上のオラクルの吸収を急激に摂取すると暴走する可能性がある」

 

「って事は今までよりも制御する方向なんですか?」

 

こんな場面での暴走の話は最悪の展開ともとれていた。万が一暴走しよう物ならば、自身で制御出来ない以上、計画の際には大きな足枷にしかならない。そうなれば榊が提案した計画の遂行が更に厳しい物へと変化するのは明白だった。

 

「最初はそう考えたんだが、今回の件に関してはリッカと兄貴とも相談したんだが、北斗の能力を制限するのは簡単だけど、逆の考え方をすればそれを活かす方が困る可能性は低いとも考えた。勿論、今回の件に関しては偶々このミッションでの流れにはなったが、遅かれ早かれどこかで何かをする必要が当然出てくるならば、態々先送りする必要が無いとも判断している。で、その前提が今回の神機に関する内容になる」

 

ナオヤの言葉に改めて整備様の台には北斗の神機が横に置かれていた。パッと見た感じでは前回とどう変わったのかが分からない程ではあったが、神機のとある部分に目をやれば、その一部の部分だけが従来の物とは大きく違っていた。

 

 

「これは?」

 

「これが今回の目玉なんだ。実際に試した訳じゃないんだけど、暴走するのを上手く制御する事で神機の能力を解放するしくみにしたんだよ。実際にはエイジは使っている神機のデータを流用しているから、その辺りは心配してないのと同時に性能そのものは保証出来るから安心して」

 

北斗の疑問に答えたのはリッカだった。刀身そのものに関しては既にここから何かを大きく変更する必要性は余り無い事も影響したからなのか、実際に神機そのものの攻撃能力は何も変わっていない。ただ違うのはギリギリとも取れる状況下でも心配する必要性が感じられない事だった。

事実として、神機だけではなく北斗自身が暴走に怯えながら使うとなれば完全に能力を発揮する事が出来なくなる。しかし、今回提示された物はその杞憂とも取れる内容を払拭できる存在と成りえる可能性があった。

以前に話に出た神機の側で何とかする行為がこの局面で結果的には間に合う事になっていた。

 

 

「因みに解放した後は少し挙動がおかしくなる可能性はあるけど、使用が不可能になる様な事はならないはずだから、その辺りは安心してくれれば良いよ」

 

「念を押すが、解放した瞬間の神機は驚く程に脆くなる可能性がある。時間と共に気にならないレベルまでは戻るはずだ。刀身が折れる様な軟なつくりはしてないが、その事だけは頭の中に入れておいてくれ」

 

2人の言動を見ればどれ程の時間を費やしたのが分かる程に疲れ切った表情のまま説明を受けた事に北斗は内心感謝していた。それと同時に、なぜ人類の絶滅の間際にいるにも関わらず、こうまで神機の事に関して没頭できるのか、個人的に興味が湧いていた。

 

本来であればこんな状況下では人によっては平然とする事すら出来ない。ましてや自分達でやるのではなく、他の人間に任せる事が出来るその考えが知りたいと思っていた。

 

 

「あの……2人に聞きたい事があるんですが、こんな人類の危機の様な場面でなぜそうまで没頭出来るんですか?」

 

「そう言えば、榊博士から聞いたと思うんだけど、ここは3年前にも一度終末捕喰に関する事で大きな事件があったんだ。今でこそ平然としてるけど、当時の事は今でも憶えてるんだ」

 

北斗の疑問は呆気なくナオヤの口から語られていた。当時の状況はこのアナグラの内部を大きく二分する事で内部には大きな歪が発生していた。それは奇しくもコウタとアリサがお互いに話をしていた事と同じ内容でもあった。

 

榊からは内容に関しては聞いていたが、やはり当事者の口から再度聞くとその感覚は大きく異なっていた。自分達に出来る事をギリギリまでやる事によって、その結果に対して信頼する。現場で直接動く事が出来ない以上、裏方としての最大限の努力だけは悔いが残らない様にやりきるその考えが伝えられていた。

 

 

「そうでしたか……今回のミッションは俺達もハッキリとした意志を持ってやるつもりです。人類の救済なんて考えは誰も持つつもりは無いので、今出来る事だけをやり切ります」

 

「そんな気負わなくても大丈夫だから。これで私達が出来る事の全てだから、後の事はしっかりと見せてもらうだけだから、北斗こそブラッドの全員でジュリウスを連れてくるんでしょ?それ位の考えで丁度良いんだって」

 

これが日常だと言わんばかりのリッカの言葉に知らず知らず力が入っていたのかと北斗は改めて肩の力を抜いていた。力んだ所で何かが変わる訳では無い以上、今は2人に感謝していた。

 

 

「でもまあ、教導の立場から言えば北斗はまだまだリラックスが足りないかもな。このミッションが終わったら少しは精神修養もした方が良いぞ」

 

「……みたいですね。終わってから考えます」

 

今回が最後では無い。まだこれから続くと言わんばかりのその言葉と共に、北斗は改めてブラッドのメンバーの元へと戻っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ!もう用事は済んだの?」

 

「ああ、神機の件だったけど、どうやら間に合ったみたいだ」

 

北斗の間に合ったの言葉にこの場にいた全員が理解していた。一番の懸念でもある暴走はやはり常時緊張を強いられる可能性が高く、また最終局面でそれが起きた場合の事を考えれば、北斗の一言だけでも大きく可能性が高まった事だけは理解出来ていた。

既にフライアへの準備が開始されているのか、ロビーの人影は少なくなっている。これから行われる作戦がどんな物なのかが嫌が応にも理解させられていいる。

既に特異点と化したジュリウスがどうやって元に戻るのかの手だてすら無いにも関わらず、今出来る事だけを集注し、その作戦が開始される時間を待っていた。

 

 

「そうでしたか。それであれば安心出来ます」

 

「何はともあれやるべき事に懸念材料が無くなるのは困る様な話にはならないだろう。これだけの人間が動く以上、やれる事だけを考えれば良いさ」

 

「さっきもリッカさんに言われた。気負う必要は無いって。今は目の前の事だけに集中して、後の事はその時になって考えるで良いんじゃないか」

 

ブラッドとしては通常のミッションと何も変わる事なく普段の様に行動をする。後の事はその時に考えれば良いだけで、他のスタッフの事を信じる以外には何も出来なかった。

 

 

「北斗、そろそろスタンバイの時間だ。俺達はブラッドのバックアップになる。後ろの事は考える必要は無いから十分すぎる位に暴れれば良いからさ」

 

コウタの言葉通り、ブラッドが乗り込むヘリの隣には今回ユノが歌を歌う事での資材を詰め込んでいた。音響設備そのものに関しては北斗は理解出来ないが、即席とも言える内容であっても、それが完全に映像として流す事に耐えられる内容でなければ幾ら歌を歌った所で誰も知りえる事が出来ない。そんな都合もあったからなのか、映像に関する機材の搬入には思った以上に時間がかかっていた。

 

 

「そう言えば、ユノさんの歌って誰が流すの?」

 

「私が聞いた話だとサツキさんらしいですよ。今回の件に関しては流石に万が一の事を考えれば人数を大きく投入する事が出来ないので、トラブル等が発生した際にはそれも修正するのを考慮して決まったらしいです」

 

ナナもシエルも手持無沙汰だったのか、今はただその場面を見る事しか出来なかった。今回の作戦が失敗すれば人類の歴史は即座に終了する事になる。いくら平常心とは言え、まだそこまで落ち着ける心境には至ってなかったのか、それとも緊張を紛らわす為に話をしていたのか誰にも分からなかった。

 

 

「資材の投入が完了しました。総員各配置に付いて下さい」

 

ヒバリのアナウンスで、これから始まる事がどれ程の戦いになるのかは予測する事すら出来ない。これから行く先がフライアであると同時に、戦うのは特異点と化したジュリウスでもある。

かつては同じ部隊に所属していた立場からすれば、戦いそのものよりも、精神的な部分で厳しい事になる事だけは予想出来ていた。

 

 

「これが最終局面だ。気持ちは分かるが油断をすれば自分の命が消し飛ぶ事になる。我々としては自己犠牲などと言った物は一切考えていない。各々がやるべき事を確実に遂行してくれ。それと北斗、暁光は軟な物では無い。エイジの神機にも兄妹とも取れるパーツを使っているが、それはお前にも同じ事が言える。自分を信じ、神機を信じるんだ。そうすれば神機は自ずとお前の力になってくれるだろう」

 

準備完了と共にその確認なのか、ヘリの格納庫には珍しく榊と無明が来ていた。理論上は問題無いが、それが現場ではどう影響して動きが見えてくるのかは判断出来る様な物は何一つ無い。ブラッドの戦力そのものについての疑問を挟む事は無いものの、やはり命運を背負わせた事が気がかりなのか、最終確認も兼ねての確認とばかりにこれから向かおうとする北斗達へと話かけていた。

 

 

「無明さん…」

 

「良いかい。君達の任務に関してはあくまでも向こうが放つであろう終末捕喰をこちらもユノ君を使って同じ様に放つのが目的になる。くれぐれもその事を忘れないでくれたまえ」

 

無明と榊の言葉に各自が思う事があったのか、今は誰もそれ以上の事を口に出そうとはしていなかった。あと残すのはブラッド全員がヘリに乗り込むだけ。

人類の存亡を賭けた運命の扉開かれようとしていた。

 

 

 



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第173話 悲しい対決

 

「まさかこんな短時間であんなに変わるなんて」

 

ヘリから見たフライアは正に異形の様にも見えていた。既に特異点としての影響もあるのか、移動要塞の様な雰囲気は既になく、まるで生命が住まう様な雰囲気すらも感じる事が出来ない程に変貌したフライアを見たからのか、シエルの言葉は全員の代弁の様にも聞こえていた。

 

ある程度討伐したはずのアラガミもまた集まってきたのか、そこは対アラガミの施設ではなくアラガミが居住する空間の様にも見える。短期間とは言えそこに居たはずだったブラッドからすれば、それ以上は何も感じる事すら出来ないでいた。

 

 

《ブラッド隊はこのまま空中からフライアに侵入して下さい。機材については内部の状況と安全を確保する事が確認でき次第、搬入します。危険な事に変わりませませんが皆さんご武運を》

 

ヒバリの通信と共にフライアの上空へとヘリが移動していた。地上からであれば搬入の事も考えると再び周囲のアラガミを掃討する必要が出てくるだけではなく、時間が経過すればリスクだけが増大するからとフライアの見取り図で確認しながら上空からの侵入となった。

既に内部にまでアラガミが入り込んでいるのか、通路にはオウガテイルやサイゴードがまるで自分達のテリトリーだとばかりに闊歩していた。

 

 

「ここで時間を使う訳には行かない。一気に突き進むぞ!」

 

北斗の宣言通り、小型種しか居ないアラガミは全員が一刀の下に斬捨てるかの様に一撃で屠っていた。時間が経過すれば計画が困難になり、最悪の事態になり兼ねない。今は些細な事にまで時間を使う必要は無いからと、まるで最初から存在しなかったかの様に突っ走っていた。

 

 

「ジュリウスが居ないね…」

 

神機兵保管庫へと到着すると、ジュリウスが居たと思われた場所には何も無かった。精々がそこに何かがあった痕跡はあったものの、生体反応は何も感じない。もう既に事が進んでいたのだろうかと考え出していた頃だった。

 

 

《ブラッドの諸君、終末捕喰の準備をするんだ》

 

「榊博士、何か様子が変です。目の前にいるはずのジュリウスが居ません。これでは…」

 

 

「シエル!上空に何か居るぞ!」

 

榊との通信を遮る様に北斗は上空に何かが居るのかを察知したのか、顔を上空へと向ける。それにつられたのか全員が上を見上げると、そこには白い羽の様な物を広げた生命体の様な物が見えてた。それが何なのかは言うまでもない。特異点と化したジュリウスがその正体だった。

 

 

「マジかよ。何だあれは……」

 

ギルが驚くのは無理も無かった。最後に見たのは確かにジュリウスの身体に何かが貫いた様な物が羽を広げた様にしか見えていないままに退却したが、ゆっくりと目の前に降り立ったその姿はまるで咎人を断罪したかの様に腕を吊し上げ、まるでジュリウスを処刑している様にも見えている。それだけではなく、下半身から下の部分はまるで一つの生命体の様に手足が存在し、背中には羽の様に6枚の白い何かが浮かんでいた。

 

 

「目を覚ましてジュリウス!」

 

ナナの声に反応したのかジュリウスは改めて意識を取り戻したかの様に顔を上げるも、既に人間としての意識が無いのか、金色に光るその眼球に生気を感じる事はなく、ただ無機質な色だけしか見えていなかった。

 

 

「ナナ。ジュリウスの意識はもう無い。あれは既に人間ですら無いのかもしれない」

 

「でも、まだ完全にそうだと決まった訳じゃ」

 

北斗とナナのやりとりを無視し、ゆっくりと特異点と化したジュリウスが羽をそのまま上空へと上げた瞬間、それが意志を持った刃となって全員に襲い掛かっていた。

 

 

「全員回避だ!」

 

北斗の指示と同時に上空からの攻撃を回避する。重力の影響もあったのか稲妻の如き速度で落下する羽はギロチンの様に保管庫の床を易々と貫いていた。かつての仲間でもあったはずにもかからず、今のジュリウスはまるで最初から何も無かったかの様な攻撃に嫌が応にも仲間ではなく敵である事を意識させられる。

既に北斗達が知っているジュリウスはどこにも存在していなかった。

 

 

「私は北斗と時を重ねる事で改めて思い知りました。人は想いを束ねる事で足りない物を補い生きていると……ジュリウスにも改めてそれを知ってもらいましょう」

 

「そうだよね。このままだとジュリウスが今まで築いてきた想いが全部無駄になっちゃうよね……先に言っておくよ。ゴメン。今から行くよ」

 

「北斗。ここまで来たんだ。ロミオだってまだ意識は無いが想っている事は俺達と同じはずだ。解放すると同時に目を覚まさせるのも仲間の役割だぜ」

 

既に全員が臨戦態勢に入っている。北斗自身が言った言葉でもあるジュリウスを取り戻す以上、今のままではどうしようも無い事だけは間違いない。既に神機を握り直し全員の意識がハッキリとジュリウスへと向いていた。

 

 

「やる事は一つだ。全員突撃!」

 

北斗の合図と共に全員が一斉に走り出す。走り出すたびに足の筋肉が爆発したかの様に衝撃を与えながら地面を蹴り、速度を上げていく。そこには仲間としてのジュリウスではなく、今は一つのアラガミとして認識したかの様に全員がジュリウスへと駆け出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの羽には気を付けろ!」

 

北斗が言う様に、ジュリウスの周囲に近づくのは容易では無かった。6枚の羽根はまるでジュリウスを守護するかの様に周囲に対して牽制とも取れる様に近寄らせる事すらさせていない。銃撃を放ちはするが、羽が盾の役割をしているのか、直撃する事無く事前に全て防がれていた。

一つの生命体の様に動く羽はジュリウスの手足の如く動き、刃でもありながら盾でもあるその役割が戦いを困難な物へと押しやっていた。

 

 

「ぐああああああ」

 

「ギル!大丈夫か!」

 

最大の要因でもある羽は攻撃のレンジを無視し、まるで嘲笑うかの様にブラッドを近寄せる事が無かった。従来の様に手足が伸びる程度であれば攻撃の距離は大よそでも判断出来るが、空中に浮いた羽であればその射程距離は全く想像出来ない。

ギルも十分に距離を取っていたにも関わらず、直撃したのは油断ではなく、想定外の距離からの攻撃が原因でもあった。

 

 

「俺ならまだまだ大丈夫だ。それよりもあれを何とかしないと近寄らない事には攻撃のしようが無いぞ」

 

「そうだな。一度懐に入れれば勝機はあるはず。一旦はそれを実行してみるさ」

 

北斗はその言葉と同時に考えがあるのか、再びジュリウスに向かって全力で近づく。迎撃するかの様に次々を襲い掛かる羽を北斗は完全に回避するのではなく、その攻撃範囲を見切ったかの様に紙一重とも取れる程の微細な動きで回避すると同時に回避出来ない物に関しては神機を上手く使う事でそれを往なし、自身の速度を落とす事なく一気に距離を詰める。

全ての羽の先には無防備となったジュリウスの身体が目の間にあった。

 

 

「北斗!」

 

誰とも付かない叫び声が響く。目の前には何も抵抗する物が無い以上、そのまま北斗の攻撃が直撃するかと思われていた。

 

鋭く振りかざす一撃がジュリウスへと襲い掛かる。時間にすれば刹那とも取れる程の時間だったはずが、今はその状況がまるで当然だと言わんばかりにジュリウスの身体は攻撃に合わせて翻し、マントの様な物が北斗の攻撃を弾いていた。

 

 

「このままじゃ拙い。シエル!援護射撃で全弾撃ち尽くしても北斗に攻撃を当てさせるな!」

 

ギルの言葉にシエルも最大限とも言える速射で北斗を護るべく援護を開始する。弾かれた北斗は大きく態勢を崩した事もあったのか、反応がいつもよりも鈍い。このまま直撃だけは避けたいからとの思惑で北斗が移動できる時間を稼いでいた。

 

 

「すまない!」

 

「仲間なら当然だろ。一々そんな事を考えてる暇はねえぞ」

 

ギルの言葉通り、今のジュリウスには大きな隙が見当たる事は無かった。先ほどの渾身の一撃は結果的にはマントに阻まれた影響もあるのか、攻撃が当たった手ごたえが無い。斬る事が出来ない何かをむりやり斬ろうとした様な感覚だけが手に残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは俺の感覚なんだが、一旦攻撃した瞬間は羽を戻すのに時間がかかる気がする。最後はマントにやられたけど、理論上はそれで間違いないだろうから、攻撃するならマントを避けると同時に多方面からの一斉攻撃が有効かもしれない」

 

一瞬とは言え、先ほどの突撃の際に北斗が感じた事が全員に伝えられていた。空中に浮いていようが身体に着いていようが、一旦出された攻撃は再び手元に戻るまでは無防備な状態をそのまま晒す事になる。恐らくはそれを考慮したからこそマントで攻撃を弾き飛ばしているのかもしれない。

それが先ほどの一瞬の攻防の中で理解した物でもあった。

 

 

「でも、どうやって羽で攻撃させるの?」

 

「俺が囮になる。その瞬間を狙うのが一番だ」

 

「しかしそれでは……」

 

シエルの心配は無理も無かった。北斗は簡単に囮になると言ったものの、ジュリウスが繰り出す羽の速度は今まで対峙したアラガミの攻撃よりも格段に早く、また6枚の攻撃が必ずしも来る訳ではない。

一番最悪なのは半分だけ残した場合だった。

3枚でも最悪は誰かが被弾するか、もしくは直撃をしようものならばその場から即退場となりうる可能性が高く、また通常の移動速度も早い為にリンクエイドで回復する隙が殆ど見当たらない。そうなればあっと言う間に戦局が傾き最悪の展開へと転げ落ちる可能性が極めて高かった。

 

 

「シエルの気持ちは分かるが、この中でエイジさんかリンドウさんと教導した際に回避率が高いのは誰だ?」

 

北斗の言葉にシエルは黙るしかなかった。北斗が言うまでも無く、このメンバーの中で一番教導カリキュラムに没頭し、成果を出しているのは北斗しか居なかった。シエルやギルもそれなりには回避出来るが、それでも相手が全力では無い事は分かっている。

今の作戦を実行するのであれば、それ以外の選択肢は存在しない様にも思えていた。

 

 

「決定だな。北斗、お前に任せた。シエル、ナナ、俺達は北斗の心配よりも優先すべき事があるはずだ。伊達に隊長やってる訳でもないんだから北斗を信じたらどうなんだ」

 

ギルの言葉に反論する事は出来ない。ただでさえ終末捕喰の可能性を考慮しながらの戦いに精神的にも過大な負荷がかかる以上、今は僅かな可能性も試す以外に方法が無い。それ以上は愚問になる可能性しかなかった。

 

 

「北斗、無理しちゃだめだよ」

 

「ああ。俺が突撃する際に全員が様子を見ながら周囲へと動く、羽が出た瞬間が合図だ」

 

北斗の言葉がそのまま作戦の図案となる。動きが早いジュリウスに対して距離は保つも長時間その場に留まるのは自殺行為と変わらない。今はシンプルに行動する以外に無かった。

北斗は全員に確認すると同時に、ジュリウスの気を引くべく、一気に距離を詰める。その行動を確認した3人はジュリウスの行動を確認しながら散開していた。

 

 

「ジュリウス!いつまでそんな事してる。さっさと目を覚ませ!」

 

囮になるべく北斗は僅かな可能性でも試すとばかりにジュリウスへと話かけながら6枚の羽根を自分に向けるべく回避行動に専念していた。

 

飾りでは無く純粋に手足の様に動くその羽は北斗の目の前で襲い掛かる物もあれば、死角から責め立てる様に攻撃する物があるものの、未だ全部が攻撃に向く事はない。羽の動く方向に注意しながらも全員の位置を確認する。

 

既に知覚の限界を超えそうになろうとした時だった。業を煮やしたのか、今まで3枚だけだった羽とは別の羽が改めて北斗へと襲いかかる。それが合図だと言わんばかりに周囲に散開した3人は全力でジュリウスの元へと走り出していた。

 

 

「マントにだけは当てるな!」

 

ギルは指示を飛ばすと同時にヘリテージスにオラクルを集めながら突進する。既にチャージが完了したのか、神機の先端は赤黒い光を帯びると同時に自身にも赤黒い光が渦巻いている。自身の一撃必殺と言わんばかりにその力を解放させる様にそのままの勢いで突進していた。

 

 

「これでも喰らえ!」

 

推進力を最大限に活かしたギルの渾身の一撃が守るべき羽が無い胴体の部分へと吸い寄せられる様に距離を詰める。このまま一気に決めんとする一撃だった。

 

 

「なんだ…と…」

 

直撃したと思われた一撃は胴体に当たりはしたものの、身体を捩じった事により攻撃がそのまま進行方向を変えられた事で掠る程度で終わっていた。一撃離脱となった事でその場で確認出来ないが、手ごたえが軽すぎる為に躱された事だけは理解していた。

 

ギルの一撃を決める頃、同じくしてナナもまたコラップサーに炎を入れると同時に、そのままの勢いをつけたままブーストドライブからの一撃を当てるべく距離を詰める。ナナは直前に身体を捩じって回避した瞬間は目に映るも、今はそれを確認する事はせずに自分の感覚を頼りに全精力を傾ける。

チャージスピアよりも接地面積が大きいハンマーであれば最悪直撃までは行かないにしても、何かしらのダメージを与える事は出来ると考えていた。

 

 

「うそっ!」

 

ハンマーが直撃かと思われた瞬間、羽では無く防いだのはジュリウスの左腕だった。今まで当たり前の様に羽だけで攻撃していた事もあってか、その腕の存在が頭の中から抜け落ちている。チャージスピアとは違い、その場に停止しているのであれば、それは格好の的にしか過ぎなかった。

 

 

「ナナさん!」

 

ジュリウスの左腕で攻撃を防ぎ反撃とばかりに右腕でナナを殴り飛ばすべく丸太の様な太い腕がナナへと襲い掛かる。それを既に見越していたのか、シエルは攻撃ではなく防ぐ為に盾を展開したままナナの眼前に立ち塞がっていた。

 

 

「ぐうううっ!」

 

シエルのうめき声が今の一撃の威力を物語っていた。シエルはナナとは違い、バックラーの為に防御の展開は早いが防ぐ能力が一段落ちる。展開速度が速かったのは僥倖ではあったが、その威力は完全には殺しきれなかった。

 

それと同時に隙を狙った攻撃は僅かなダメージを与える事しか出来ず、その瞬間北斗に向いていた羽が全部戻っていた。

 

 

「キャアアアアア!」

 

シエルとナナは追撃とも言える羽の攻撃を食らうと、その場から弾かれた様に吹き飛ばされる。回避の隙すら与える事無く周囲を牽制すべく羽が回転しながらジュリウスの身体を護るかの様にも見えていた。

 

 

「畜生!」

 

北斗はシエルとナナが飛ばされるのを見はしたものの、それ以上の事はせずにジュリウスへと距離を詰める。ギルの一撃を躱し、ナナの勢いを完全に止めた以上、北斗が提案した作戦は失敗に終わっている。それと同時に反撃を食らったのは想定外でもあった。

そんな気の隙間ともとれた僅かな隙をジュリウスは見逃さなかった。アラガミとは違い、ジュリウス自身の戦闘経験までもが反映されているからなのか、胸に鎮座した青いコアが鈍く光る。

それと同時に北斗を迎撃するかの様にジュリウスは北斗の方向へと動く。それと同時に羽が神機の様になったかと思われた瞬間だった。

 

 

「ぐわあああああ!」

 

「北斗!」

 

ジュリウスの攻撃はまだブラッドに入隊した際に最初に見たブラッドアーツそのものだった。羽を突きつけながらに突進したその後には無数の斬撃ともとれる衝撃が次々と北斗の身体を斬り刻むかの様に襲い掛かる。見えない斬撃を回避する事は出来ず、ほぼ直撃とも言える内容はまさに最悪の展開に近い物でもあった。

 

 

「北斗!まだ大丈夫?」

 

「ああ、何とか…しかし、よりにもよってあれとはな……」

 

意識が刈り取られる直前ともとれる程の斬撃はギリギリの所で耐える事に成功していた。回復錠の飲みながらもジュリウスの行動からは目を離さない。既に次の攻撃が待ち構えているのかジュリウスの目の前には羽が花びらの様に展開している。どんな攻撃が出るのかは分からないが嫌な予感だけは確実にしていた。

 

 

「拙い。全員あの羽が向いている線上に立つな!」

 

まるでそれが合図であったかの様に北斗達めがけて一条の光線の様な物が襲い掛かろうとしていた。

 

 

 



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第174話 それぞれの戦い

 

「何、あれ!」

 

「ぬおおおおお!何だあの光は!」

 

フライアの内部で戦うブラッドの周囲をアラガミから守るべく、コウタ達第1部隊は付近でアラガミの掃討戦をしていた。

特異点と化したジュリウスはまるでアラガミを引き寄せているのか、倒しても次から次へとアラガミが湧いて出るかの様に寄って来くる為に終わりが見えない。既にどれ程の時間が経過したのかすら感覚が怪しくなった頃、周囲に来たアラガミの一団に向けてまるで掃射でもしたかの様に一条のレーザーが引き寄せられたアラガミに直撃し、目の前で全部のアラガミが消し飛んでいた。

 

 

「まさかフライアの壁面を貫いたのか?」

 

エリナだけではなくコウタも今の一撃を見たからなのか、珍しく一瞬だけ行動が停止していた。光源は恐らくは今戦っているはずの場所。あまりにも驚愕な一撃は戦場で呆然とさせるには十分すぎた一撃だった。

 

 

《コウタさん。さっきの一撃はブラッドと戦っている特異点から放たれています。見たかとは思いますが、フライアの壁面すら破壊しますので、直撃しない様に注意して下さい》

 

先ほどの状況を確認したのか、ヒバリから通信が入っていた。フライアは移動型とは言え支部としての役割がある以上、周囲は最新のアラガミ防壁が設置されている。にも関わらず、最初から何も無かったかの様な一撃はあまりにもインパクトが大きすぎていた。

 

 

「了解。こちらも周囲の様子を見ながら行動します。で、今はブラッドの連中はどうなってる?」

 

《状況は芳しいとは言えません。先ほどの攻撃だけではありませんが、特異点となったジュリウスが今まで使っていたブラッドアーツを発動した形跡もあります。今は打開策をどう出すのかと言った所です》

 

フライアの通信設備の乗っ取った訳では無いものの、概要だけはヒバリ達も把握していた。それ故に現状の把握は確実に出来るのが最大のメリットではあるが、それと同時に今がどんな状況下にあるのかも分かる以上、状況が良くないのは悪手である事までもが確認できていた。

 

 

「マジか……こっちも今の所は最大でも中型種だから、まだ持ち堪えるのは可能だがエリナとエミールの疲労が目に見えて分かる。誰か派遣出来ないか?」

 

《すみません。今はフライアの周囲にもアラガミが発生している関係上、一つの部隊を派遣する事は出来ません。今の場所からはアリサさんとソーマさんが近いですが、現在は大型種と交戦中です。討伐が完了次第に依頼しますので、暫くの間は耐えて下さい》

 

ヒバリとの通信が切れると同時にコウタは珍しく舌打ちしたい気持ちになっていた。事実上の全面作戦の時点で余剰戦力は既に無く、アリサとソーマも今は大型種と交戦している。この場には本来であればエリナとエミールが居る事自体が既に厳しい状況になっているが、戦力を埋める為には今は仕方ないと考えた上で参加している。

このまま疲弊が続けば、この場所とて決して安心できる材料はどこにも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか特異点と化したジュリウスがああまで攻撃能力が高かったのは誤算だ。しかし今は何も出来ない以上、ブラッドを信じる以外に手だけは無いのもまた事実か」

 

ヒバリとフランからの報告を聞いた榊は今の現状が極めて厳しい物である事が容易に想像できていた。刻一刻と変わる戦局を覆す為には更なる増員が一番ではあるものの、まさかこの難局で新人を投下する事も出来ず、今はただ様子を見る以外には何も出来なかった。

 

 

「榊博士。無明さんからの連絡です。屋敷に曹長クラスを3人つけて欲しいとの事です」

 

ヒバリの声に榊は少し疑問を感じていた。屋敷の防衛は無明が一人でやれる為に、今まで一度も増員した事が無い。にも関わらず、増員を申し込むのは何らかの意図があっての事であるとは考えるも、そこから導き出される答えは一つだけだった。

屋敷の防衛と引き換えに自身がフライアへと乗り込む。理由は分からないが、榊はそう結論付けていた。

 

 

「よし。では屋敷に近い人員を直ぐにピックアップしてくれたまえ」

 

「了解しました」

 

程なくしてヒバリからの通信が切れると同時に、まるでそれを知っていたかのかの様に無明からの通信が来ていた。

 

 

「到着次第、俺も現地へと向かう」

 

「すまないが頼んだよ。特異点の件は彼らに任せるしかないが、その環境を作る為の戦線が既にギリギリだ。君に頼むのはお門違いかもしれないが頼んだよ」

 

無明の返事は無いものの、先ほどの一言ですべてが理解出来た以上、周囲の掃討戦は時間の問題となる。人事を尽くして天命を待つ事だけが今の榊に許された行為でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すまないがここでの防衛は頼んだ」

 

「り、了解しました」

 

曹長クラスの人間が到着した頃、無明は既にフライア周辺の掃討戦の準備を終えていた。来ている3人は無明が誰なのかは分からないものの、それでも圧倒的な雰囲気に誰も疑問を口にする事無く頷く事しか出来ないでいた。

 

一言のやり取りではあったが、了承した事が確認出来たと同時に、その場から消え去る様に姿が無くなっている。あまりにも非現実的なその光景がこれから何が起こるのかすら想像出来ない程の状況でもあった。

 

 

「ここから近いのはソーマか。まずはそこからだな」

 

尋常ではない速度で無明は移動していた。本来であれば車を使うのが一番ではあるが、屋鋪の場所からでは大きく迂回する必要がある為に、かえって時間がかかる。その為に、ショートカットとばかりに谷と山間部と突っ切る形で移動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これでも喰らえ!」

 

ソーマのイーブルワンが闇色の光を帯びながら目の前で防御しているボルグカムランの盾を破壊していた。当初はボルグカムラン一体の討伐だったはずが、戦闘音を察知したからなのかサリエル堕天までもがこの戦場に引き寄せられていた。

 

単独での討伐であれば何の問題も無いはずだったが、後から来たサリエル堕天の攻撃を避けながらの攻撃は効率を悪くしていた。いくら大ダメージを与えやすいとは言え、それでも一旦怯ませた瞬間をまるで庇うかの様にサリエル堕天のレーザーがボルグカムランへ近寄せる事なくソーマを襲う事によって徐々に苛立ちを感じ出していた。

 

焦りは冷静さを失わせるのは十分すぎる材料。先ほどの一撃が怒りに任せた事もあってか視野狭窄に陥ったソーマにサリエル堕天の攻撃を躱す事は出来なかった。

 

「クソッ俺としたことが…」

 

ほぼ直撃とも言える攻撃を受けたソーマは怒りによる視野狭窄になっていた事に気が付くと同時に、この状況下では一番やってはいけない事をやってしまった事に後悔していた。ただでさえ人類の存亡かけた戦いの中で、今は一刻も早くフライアの内部に突入しなければならないとばかりに焦りが生じたからなのか、通常であればボルグカムラン一体程度にこうまで時間がかかる事は無かった。

 

戦場では冷静さを失った者から退場していく。これは今までに培ってきた経験の中で導き出された真理でもあった。

焦りを生むソーマを嘲笑うかの様にサリエル堕天は悠々と空中を浮かぶと同時に、まるで連携にしているかの様にボルグカムランが尾を鞭の様にしならせ、針が息を付く暇すら与えんとばかりに執拗にソーマに襲い掛かっていた。

 

 

「チッこのままだと拙いか」

 

時間をかければ確実に討伐出来るのは間違い無い。これが通常のミッションであればこうまで焦る事は無いが、既にフライアに向かって未だ引き寄せられるかの様に何かに導かれるアラガミが視界に入る事で、徐々に冷静さを失いつつある。このままでは悪手である事は理解しても、その打開策はどこにも無かった。

 

 

「ソーマ。この場は任せろ」

 

低く響く様な声と同時にサリエル堕天の首がまるで最初から無かったかの様に跳ね飛ばされると同時に、噴水の様に血が飛び散る。既に絶命したのか、力無く落ちてきたサリエルはそのまま生命活動を停止していた。

 

 

「無明、なぜここに?」

 

「ここはともかく今はフライアの内部が拙い事になっている。第1部隊が今は何とか持ちこたえているが、それも時間の問題だ。この場を一旦俺が預かる。すぐにアリサと合流して内部へと急げ」

 

話をしながらも無明の攻撃の手は緩む事は無かった。既に結合崩壊を起こした盾の部分だけではなく、あと数回攻撃すれば尾も切断されそうな状態へと変化している。サリエル堕天の脅威が無い以上、この場はソーマが見ても問題無いと考えていた。

 

 

「特異点と化している以上、この場にはアラガミが寄ってくる可能性がある。お前の能力を信頼するからこそこの場を俺が支配下に置くんだ。一人でやれる事はたかが知れてると考えるのであれば、お前はまだまだだ。ここからならアリサの居る場所までそう時間はかからない。すぐに掃討した後で内部へと急げ」

 

それ以上の会話は無駄だとばかりに無明はソーマからすぐさま意識をアラガミへと向ける。口には出さないまでも既に言うべき事をしたからと無明はボルグカムランの尾を斬り裂き、既に命の灯は消し去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソーマが無明に戦場を渡すと同時にアリサの元へと向かう頃、アリサもやはりこの地でアラガミを討伐すべく一人で奮闘していた。当初はクレイドルのサポートメンバーと戦っていたものの、襲撃による負傷をした事から戦線から一旦外し、孤軍奮闘ともとれる内容で戦っていた。

 

 

「もう!キリが無い」

 

以前にもアリサが単独で戦った経験が今の戦線を維持していたのか、アリサの周囲には小型、中型が群れを成す様に湧き上がっていた。当初は大型種が居ないからと判断したものの、討伐の数よりも寄ってくる数が多く、その結果としてメンバーが負傷したのは目算が甘かったのか、それともアラガミの個体強度が想定外だったのか、今では判断する事が出来ない。

 

既にサイゴートの堕天が各々の攻撃特性を活かしながら、まるで獲物を追い立てる猟をするかの様にアリサの行動範囲を狭めると同時に、隙を狙いながらシユウ堕天がアリサを追い詰めていた。

 

 

「せめてあと一人居れば、打開できるのに」

 

数の力は侮る事が出来ない。いくら小型種とは言えアラガミである以上、油断すれば自身が危険な状態へとさらされる。誰か一人居れば小型種を掃討する間にシユウ堕天と対峙できると考えては居たが、この場にはアリサ以外の気配は無い。時間だけがやたらと消耗していく感覚を一人味わいながらアリサはこの場に留まっていた。

 

 

「アリサ!目を瞑れ!」

 

この場には聞こえないはずのソーマの声が響く。その指示の後に続くのはスタングレードなのは既にゴッドイーターであれば当たり前の行為でもあった。放り投げられたスタングレネードが白い闇を作り出すべく周囲に広がりを見せる。

時間にして僅かではあるが、その時間が決定打となったのか、気が付けばサイゴートの大半が地面に落ちると同時に、纏めて討伐するつもりなのか、まるで周囲ごと巻き込むかの様にソーマのチャージクラッシュが数体を一度に潰すかの様に地面へと叩きつけていた。

 

 

「ソーマの所は良かったんですか?」

 

「ああ、無明が来た。この場は任せて俺達もコウタの援護だ。どうやらフライア内部はヤバいらしい。ブラッドの攻撃はともかく今はコウタの所まで援護が届かない。まずはあいつらの所にまで行くのが先決だ」

 

ソーマはアリサと会話をしながらもイーブルワンを振り回す様に水平に回す。スタングレネードで落ちたサイゴートが、まるでゴミでも飛ばすかの様に次々と血飛沫をまき散らしながら絶命していた。

 

 

「そうでしたか。では私達もサッサと行きましょうか」

 

既に回復したのかシユウ堕天はこちらの数が増えた事を認識したのか走りながらこちらへと向かっている。先ほどまではサイゴートが弾除けになった事もあり銃撃が当たる事は無かったが、今は視界がクリアになっている。アリサのレイジングロアの発するマズルフラッシュと共にシユウ堕天の頭が結合崩壊を起こす。

そのタイミングをまるで狙いすましたかの様にソーマが上段の構えから袈裟懸けに斬り下ろすと、先ほどまで執拗な攻撃を続けていたはずのシユウ堕天は断末魔と共に自身の命を散らしていた。

 

 

「詳しい事は分からないんですが、今はどんな状況なんですか?」

 

「それは俺も知らん。ただ無明の話だとフライアの内部にまでアラガミが侵入しているだけじゃない。知っての通りだがあそこにはユノも居る。あいつらの任務の内容を考えれば、かなり重要な事に違いないが既に数は徐々に増えているからなのか、コウタ以外の2人がギリギリだ。あそこの戦線が崩壊すれば、榊の作戦も水泡に帰す。今はその為に俺達が向かっているんだ」

 

既に回復錠を口に含んだからなのか、先ほどまでの細かい傷は活性化した影響で既に消え去っている。血の跡はそのままではあるが、今はそんな事よりも重要な任務だからと2人はコウタの元へと走っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ソーマさんとアリサさんがコウタさんの所へと移動を開始しました」

 

アナグラでは無明が来た事で、少しだけ安堵していた。本来であればここに来る事は無いが、作戦の内容を考えるとある意味断腸の思いとも取れる内容ではあるが、強力な人間が一人入るだけで戦線が十分すぎる程に維持される。一旦は襲撃の波が収まり出したのか、目に見えてアラガミの数が減っていた。

 

 

「これでコウタ君の所も大丈夫だね。あとはブラッドの皆の頑張りにかけるだけだ。ヒバリ君はそのまま戦場の把握を、フラン君はヒバリ君のサポートをしつつ、負傷した人員の確認と周囲で戦っているゴッドイーターをローテーションして戦線を維持させてくれたまえ」

 

戦闘指揮所となったロビーには次々と各地からの情報が上がってくる。本来であれば2人でこなすのは無理だとも考える内容ではあるが、ここでは意にも介さないとばかりにヒバリとフランのキーボードをあやつる手はまるでピアノの演奏の様に滑らかに流れている。

肝心の特異点と化したジュリウスの状況の詳細を見ながらもこの先に見える光景がどんな物なのかは、榊にとっても未知数の出来事だった。

 

 

 

 



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第175話 最終局面

「全員無事か!」

 

ジュリウスの驚愕とも取れる一撃はフライアの壁を突き抜けたのか、そこから大気が漏れるかの様に空気の流れが発生していた。もしさっきの攻撃が直撃していたらと思うとゾッとしないが、事前に北斗が察知した事もあってか、結果的には掠る事もなかった。

 

 

「問題ありません」

 

「ああ、問題ないぜ」

 

「私も大丈夫だよ」

 

全員の無事を確認すると同時に、この戦いがかなり厄介な物である事が再確認されていた。先ほどのレーザーの様な攻撃は間違い無く直撃すれば盾の存在は一瞬にして無になるだけではなく、恐らくは自分の身体そのものが骨も残らない可能性を秘めていたのはフライアに大穴を開けた事で理解している。

既にジュリウスは羽が元の状態へと戻っている。そう簡単に放つような攻撃で無い事だけが唯一の救いでもあった。

 

 

「とにかく攪乱して隙を作るのが先決だ。スタングレネードも考えたが、それが常時有効になるのかはまだ未知数であるのと同時に、万が一効かないなら致命的な隙が出来る。今のジュリウスには悪手の可能性が高い以上、その事は頭から排除してくれ」

 

スタングレネードの性質上、効果が発動するには若干ではあるがタイムラグが存在している。今のジュリウスの尋常じゃない攻撃速度から考えれば、最悪は跳ね返される可能性が否定できず、またその一瞬に視界が失われるリスクを孕む以上、使用する事は頭から抜くしかなかった。時間だけがゆっくりと進むその中でブラッドは常時過酷な状況下での選択を余儀なくされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全員足を止めるな!」

 

北斗の激が飛ぶと同時に再び散開する。今出来るのは羽の意識をどうするのかが最優先となる以上、常時その動きを見る必要があった。

 

 

「ジュリウスー!」

 

ジュリウスの名を叫びながら北斗は敢えて存在感を出しながら再度ジュリウスの元へと突撃する。既に迎撃態勢に入っていたのか、先ほど同様に羽が襲い掛かっていた。

襲い掛かる羽は当初と変わらず3枚だけ。残りは防御に回っているのか、それとも先ほどの攻撃を警戒したのか再度襲う気配は既に感じる事は無い。誰もがこのままではとの考えが脳裏を過ってた。

 

襲い掛かる3枚の羽の攻撃を既に北斗は見切っていたのか、先ほどの様に完全に回避するのではなく往なし受け流す。既に戻す事すら無いと感じたのか、それとも羽の制御だけで意識が完全に北斗へと向いていたのか、ジュリウスの身体はその場から動く気配は感じられなかった。

 

 

「今がチャンス!」

 

ナナが動かないと判断したのか、不意を衝くと同時に黒い大きな咢がジュリウスの左足へと噛みつく様に喰らう。それが合図だとばかりにシエルとギルも同じ様に行動していた。

捕喰した事で全員がバーストモードへと突入する。そこからはほぼ無意識と取れる程にナナとシエル、ギルまでもが北斗に向けて活性化させる為にオラクル弾を放っていた。

 

 

「北斗!ここが勝負どころだ!しくじるな!」

 

ギルの言葉を耳にした瞬間、全員からのリンクバーストを受けた事で北斗の体内は一気に活性化すると同時に、出撃前のナオヤとリッカの言葉が脳裏を過る。神機の解放を行うのは今しかない。そんな思いと同時に北斗に襲い掛かる羽の1枚を無意識に捕喰していた。

 

 

「うぉおおおおおおお!」

 

強制的に力は全身を駆け巡る。本来であればこうなる可能性は皆無ではあるが、目の前に居るのは特異点と化したジュリウス。その恩恵はまさに計り知れない程の力を与えていた。

 

北斗の全身には溢れんばかりにオラクルが活性化した事による反応が出始める。それは奇しくもエイジが封印を解いた際に吹き出す漆黒のオーラとは真逆に、白銀に近い程のオーラを纏っていた。

 

 

「ここで決める!」

 

一言だけ呟くと同時に、周囲に襲いかかっていた羽が今まで苦労していた事を度外視したかのように次々と撃ち落とし破壊する。既に再起する事すら出来なくなった羽は1枚1枚と霧散し、北斗の周囲からは消滅していた。

 

 

「北斗に意識が向いている今です!」

 

ジュリウスは破壊された羽の事は意にも介さず、残りの羽を北斗へと差し向ける。既にシエル達への警戒が無いのか、それとも目の前の北斗を脅威と判断したのか、既にジュリウスの意識からは3人の事は除外されていた。

先ほど北斗に渡した以外にまだオラクル弾が残っている。シエルは神機を変形させると同時に、照準をジュリウスの胸に光る青い部分へと付けていた。

 

 

 

 

 

 

 

シエルはブラッドの中でも一番ジュリウスとの付き合いが長かった。ブラッドに異動してからはその長さは既に無い物の、幼少の頃より護衛の名の下で居た事を不意に思い出していた。

 

当時の事は今さら考えた所で何かが変わる事も無ければ状況が覆される事も無い。しかし当時のシエルはまるで機械仕掛けの人形の様に感情が欠落していた。当時の大人達の思惑はともかく、そのまま護衛の帰還が終了し再び会いまみえる頃、シエルを取り巻く状況は激変していた。一番の要因は現在戦っている北斗。当時の事を今考えれば恥ずかしさで悶えそうになるが、一人の人間としてシエル・アランソンとして見てくれていた。

 

そこからは本人が気が付かないままに色んな事が起きすぎていた。当時は任務の事だけを考えていたはずが、気が付けばブラッドだけではなく極東にも馴染んでいく自分に驚いていた。

そんな感情は全部北斗から始まった事。本来であればこんな状況下で思い知る必要はどこにも無いはずにも関わらず、そんな事がふと思い出していた。

 

『そんな北斗の力になりたい』

 

今のシエルには純粋な意志しか無かった。

 

まるで時間が制止したかと思う程にゆっくりと流れる。シエルのアーペルシーからは先ほど入手したオラクルバレット、後にそれがラストジャッジメントと名付けられたバレットが銃口から出ると同時に、先ほどの驚愕の一撃と何も変わらない勢いでレーザーが発射されていた。光速の一撃がまるで生き物の様に胸の青い部分へと吸い寄せられていた。

 

 

「シエルちゃん!」

 

「まだ終わってません!注意してください!」

 

シエルの放った一撃は勢いが付きすぎたからなのか、狙いからは僅かに逸れていた。しかし、それでもその一撃は致命傷ともとれる勢いだったのか、右腕を肩の部分から消し飛ばし、既に片腕の状態へと変貌していた。

 

 

「これで終わりだ」

 

まるでこれが日常の様に北斗の声だけが響く。先ほどの隙を最大限に活かしたのか、北斗の神機は光を未だ放ったままジュリウスの胸部へと貫いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちらサツキ。ブラッドによる特異点の活動停止を確認しました。これからスタンバイします。ユノ!準備は良い?」

 

ジュリウスの活動停止を確認した事で、隠れていたサツキがこの場に出てくる。既に準備の大半が完了していたのか、あとはユノが登場すると同時に、映像を全世界へと流す事に専念していた。

 

 

「大丈夫よサツキ」

 

ユノは既に準備を終えていたのか、いつもの様に普段着ではなく、FSDでも見たステージ衣装のまま登場していた。既に活動停止したとは言え、特異点がこれから行う行動の事を考えれば、怖くないと言えば嘘になる。

 

しかし、自分で決めたステージから降りるつもりは毛頭ないのと同時に、命をかけて戦ったブラッドの意志を無碍にしたいとも考えていない。今はただ純粋に自分が出来る事だけを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「偏食場が大きく乱れています。恐らくは特異点が活動停止した事が原因かと」

 

アナグラでは現状での生体反応だけではなく、サツキが繋いだ通信によって現地が中継されていた。既に討伐が完了したとも取れるほどの様子なのか、ジュリウスは動く気配が無いのと同時に、ブラッドも既に死闘とも取れる内容が終わったからなのか、ボロボロの状態だった。

 

 

「あの時と同じ……終末捕喰と同様の偏食場パルスが発生しています」

 

モニタリングしていたヒバリが気が付く。既に動かなくなっているジュリウスの周囲にはオラクル細胞が滲み出ているのか、少しづつ渦巻いた状態に近づきつつあった。

 

 

「このままでは影響が出ます。ブラッドは至急その場から退避して下さい」

 

ヒバリの声が通信越しにブラッドへと指示を出している。既にアナグラではこれ以上は何も出来ない状態になりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちらサツキ。これからロビーへと向かいます。全部の中継を繋いでください。ユノ!あとはお願い!」

 

サツキが退避すると同時にユノはゆっくりとした足で設置されたマイクスタンドの元へと歩く。その姿は何かに決意した様な表情と同時に、ここからは自分の仕事だと言わんばかりの表情をしていた。

 

イントロが流れると同時に、気負う事なくいつもと変わらない歌声が響く。ここが終末捕喰の最終局面で無ければ、誰もがユノの表情に魅了されたかと思う程に慈悲深い表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全員ユノを護れ!これが最後のミッションだ!」

 

ジュリウスの周囲からは最初に見たのと同じ様な勢いで、全てを呑みこもうと終末捕喰特有の触手の様な物が溢れだす。それは目の前にあるユノまでもを取り込まんと今正に襲い掛かろうとしていた。

 

 

「これは拙いかも…」

 

サツキは目の前に起きている状況が理解出来ないでいた。ジュリウスの元から溢れだした物が生き物の様にユノへと向かっている。それが何を意味する事なのかは理解出来ない。しかし、本能的にはこれが終末捕喰の開始である事だけが唐突に理解出来ていた。

 

呆然としてその場を見ていた瞬間だった。まるで新たな獲物を見つけたかの様にユノではなくサツキに襲い掛かる。今のサツキには成す術も無かった。

 

 

「サツキさん大丈夫ですか!」

 

襲い掛かる寸前、一発の銃弾がサツキに襲い掛かろうとした所を防いでいた。銃弾を発射したのは第1部隊に合流出来たアリサだった。既にアラガミの波は完全に収まったのか、それとも目の前で繰り広げられる終末捕喰に吸収されたのか、他のメンバーも遅れてやって来ていた。

 

 

「ありがとうございます。助かりました」

 

「いえ。サツキさんも今出来る事をやってください。この場は私達が何とかしますので」

 

既にサツキも認定したのか、周囲から次々とサツキやアリサに向けて襲い掛かる。遅れてきたコウタ達第1部隊以外にもハルオミやカノンまでもが来ていた。

 

 

「ここが正念場だ。気を抜くな!」

 

ハルオミの言葉通りにその場にいた全員が改めて意識を目の前におそいかかる特異点へと向き直す。既に歌い始めたユノを護る事だけを優先し防波堤の如く周囲からの攻撃を排除し続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユノさんの喚起率が80…85…90%」

 

カウントダウンの様にヒバリがユノの状況を告げていく。元々からジュリウスとは違い未完成の特異点でもあるユノは周囲からの協力が無い事には特異点とはなりえない。現状では中継が始まった事によって、その喚起率が徐々に高まりつつあった。

 

 

「95…96%終末捕喰来ます!」

 

モニターには歌っているユノの周囲に赤いオラクルが渦を巻きながら徐々に上昇し始めている。ここからがいよいよ佳境へと入るその時だった。

 

 

「榊博士!ブラッド側が押されています。このままでは防ぎきれません!」

 

ヒバリの悲痛とも言える声がアナグラのロビー全体に響き渡る。既にモニターしている事からその状況は誰の目にも容易に理解出来ていた。

 

 

「人の時代の終焉か……」

 

榊の言葉に対し誰も反論する事は出来なかった。目の前で繰り広げられている様子は明らかにブラッド側が勢いに負けているのか、徐々に後退し始めている。既に終末捕喰が発動した今、ここからの挽回は最早不可能だと考えたからなのか、榊の声に力は無い。人類滅亡のカウントダウンが静かに始まろうとしていた。

 

 

「待ってください。こ、これは……」

 

ヒバリの隣で異常を察知したのはフランだった。既に終末捕喰が発動された現在の時点でやれる事は何一つ無い。ただあるがままを受け入れる以外の方法が無いと思った矢先の出来事だった。

中継を見ていたのか微かな歌声がアナグラのロビーへと響く。それは奇しくもモニターで歌うユノに同調するかの様にゆっくりと流れ始めていた。

 

 

「皆の声が聞こえる……ユノ、聞いてる?皆がユノと一緒に歌っているのよ」

 

フライアのロビーではサツキが最初に察知していた。ユノを護るべく戦闘音以外にも微かな歌声がフライアにも届き始めている。それが一体何を示しているのかは言うまでも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「偏食場パルスがフライアへと流れ込んでいます。それに伴いユノさんの喚起率が再び上昇。97…98%止まる気配はありません」

 

突如として上昇し始めた偏食場パルスがフライアへと流れ込む。この時点でどんな状況になっているのかはアナグラにいるヒバリとフランと榊の3人だけだった。理論上は可能であるからとブラッドを送り出しはしたものの、科学者としての立場からはどこか懐疑的な部分も少なからず存在していた。

 

声は元来空気の振動にしかすぎず、歌の共感による感情の一体化は極めて特異な状況下でしか起こり得ないのは、科学者であれば誰もがそう考えていた。感情の一体化は人々の意志となり、やがて想いへと昇華する。

 

それが何を示すのかは科学的な根拠が無い事はこの場では無粋とも取れる程に、今の状況に対し説明が出来なかった。

 

 

「……99%ブラッド側が徐々に押し返し始めています。このままであれば3分、いえ1分以内に終末捕喰が発動します」

 

「旋律と律動、心と言葉か…まさかこうまで素晴らしい感応現象が見れるとは……やはり人間には無限の可能性を秘めているのだろう。ここから先は我々人智が及ばない領域へと入る。我々に出来る事はこの現象をただ見守る事以外には何も無い」

 

目の前に起こる事象が全てだと考える事が出来る科学者としての目から見れば、この状況は科学者としての常識が覆される事になる。本来ではありえない現象が目の前で起こっている今、榊は科学者ではなく、ただ一人の人間としてこの現象を眺めていた。

 

 

「ユノさんの喚起率100%…完成です」

 

モニターには既に特異点として完成されたユノとその隣には自身の『喚起』の能力によってユノを特異点へと昇華された北斗の姿があった。ジュリウスから発動された力とユノから発動された力が榊の予想通り拮抗する。程なくして周囲が光に包まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは?」

 

「あれ?さっきまで戦っていたはずだよね?」

 

一瞬の光に包まれたと同時にブラッドとユノは見た事も無い場所へと来ていた。周囲を見渡す限りに花が咲き誇っているものの、どこか浮世離れした様な風景に困惑している。ここがどこなのかを確認する術はどこにも無かった。

 

 

「ジュ、ジュリウス!」

 

全員の視線がかつて一緒に戦っていたままのジュリウスである事に気が付いた。既に手には自身の神機が握られると同時にこちらへとゆっくりと歩いている。今までの戦いはジュリウスと共に帰る為の戦いであった以上、目の前に現れたジュリウスを確認しようと無意識のうちにナナの手が伸びていた。

これで何もかもが終わり、再びあの日常が戻る。誰もが疑う事無くそれを信じていた。

 

 

「なんで?どうしてここから先へは行けないの?」

 

泣きそうな声を出しながらもナナはジュリウスへと手を伸ばす。しかし、ナナの手がジュリウスに触れる事を拒むかの様に見えない障壁となってそれ以上の行動を阻んでいた。

 

 

「ナナ、終末捕喰はまだ終わっていない。今はまだ進行中なんだ」

 

ジュリウスの言葉は極めて冷静だった。ここまで紆余曲折したはずの内容にも関わらず、目の前のジュリウスは中断は出来ない事を暗に言っている。そこから導き出される答えは一つしか無かった。

 

 

「この場に特異点が残らないとこの状況が維持できないと言う事ですか?」

 

まるで何かを悟ったかの様にユノは自分の感情を押し殺しながら冷静さを演技してジュリウスへと問いかける。

 

 

「ああ、その為に俺はこの地に留まる必要がある。だから一緒に帰る訳にはいかない」

 

「それならば我々も」

 

「シエル、お前達は俺に付き合う必要はない。むしろ、残された人々を護る為に元の場所へと戻るんだ。……これは命令ではない。俺の、俺のささやかな願いだ」

 

目の前には目に見えない境界線が引かれているからなのか、ジュリウスの手はブラッドに届く事は無い。それが何を示すのかは誰もが理解したが、口に出す事で現実を直視したくないと考えたのか、それ以上の言葉誰からの出なかった。

 

 

「俺はこの地で戦い、お前達はそちらで戦う。それだけの事だ。仮に場所は違えど、全員が戦っているのであればそれで本望だ」

 

既に諦観の念が言葉の端々に感じたのか、シエルはそれ以上の言葉を口にせず、瞳からは涙が溢れ崩れ落ちている。ナナも既に限界値を超えたのかシエルと同じく流れ出る涙をぬぐおうともせずに、まるで今生の別れを惜しむべくジュリウスだけを見ていた。

 

 

「北斗」

 

ジュリウスはただ名前を呼ぶと目の前に手を差し出す。それが呼応するかの様に北斗も自身の手を差し出す。手が合わさった瞬間、まるで何かを伝えたかの様に光が発生していた。

 

既に泣き崩れたシエルとナナを横目にギルが帽子を目深にかぶり直し、ユノはただ黙って見ている事しか出来ない。それが何を指し示すのかは分からないまでも、今はただ黙ってい見ている事しか出来ないでいた。

 

 

「ありがとう……これから始まる…」

 

ジュリウスの前にはまるでたった今湧き出たかの様に数える事すら出来ない程のアラガミが待ち構えている。先頭にいるヴァジュラとマルドゥークが交戦開始とばかりに大きな遠吠えと同時に今にも襲い掛かろうと態勢を徐々に変化させている。それが何なのかは改めて考える必要はどこにも無かった。

 

 

「皆も自分の持ち場に戻れ……良いな?」

 

「分かった。こっちの事は任せてくれ」

 

ジュリウスの言葉に呼応するかの様にギルが一言だけ声をかけこの場から歩き出す。既に何かを決めたのかギルが再びジュリウスを見る事は無い。それがキッカケとばかりにいち早く立ち直ったナナがシエルをやさしく起こしていた。

 

 

「シエルちゃん。ギルの言う通りだよ。ここはジュリウスに任せて私達も行こう。ここにずっと留まる事は出来ない……このままここに居たらジュリウスだって心配で戦う事が出来なくなるよ」

 

「シエル。俺達は俺達がやるべき事をやるだけだ。ここに留まれば今度は向こうが困る事になる。今は自分達がやれる事を優先しよう」

 

ナナの反対側でシエルにやさしく問いかける北斗を見て安心したのか、ジュリウスの顔には笑みが浮かぶ。短い期間ではあったものの、ブラッドとして戦った日々は悪い物ではない。そんな状に満足していたのかジュリウスの表情は満足げだった。

 

 

「ジュリウス……ご武運を」

 

「ありがとう。北斗、最後にお前に任せる事になって済まなかった。だが、俺の目に狂いは無かったと今はそう考えている。こちらの事は俺が何とかする。ブラッドの事は……任せたぞ」

 

そう一言だけ言い残すと、ジュリウスは再度アラガミへと視線を向ける。これから終末捕喰を維持しながらの未来永劫とも取れる戦いの中へと身を置くには十分すぎる程の時間も取れた以上、心残りは既に存在していない。

あとは送り出してくれた皆を信じるべくジュリウスはアラガミの大群の元へと走り出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フライア全体を取り囲むかの様に白と黒がまるで互いを食い破らんとその勢いを上空へと突き進む。お互いの終末捕喰のエネルギーは絡み合うかの様にいつまでの進むかと思った瞬間だった。

突如としてその行動が停止する。その僅かな後にそれが爆発したかの様に光を出しながら何かを引き寄せていた。

 

その光景はまさに奇跡としか言いようの無い光景。黒蛛病の原因でもあった蜘蛛の痣が次々と浮かび上がり、それが先ほど光った元へと吸い寄せられる。幻想的な光景と同時に、黒蛛病の脅威が消え去る。それはまさしく奇跡としか言いようの無い様光景でもあった。

 

 

 

 

 

 



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第176話 事後処理

 

ジュリウスとユノによって作られた終末捕喰はユノの特異点化を確かな物にする為の措置として全世界に映像を流した事により、後日フェンリル全体での対応に追われる事になっていた。

前回の終末捕喰の様に秘匿された物ではなく、むしろ積極的に開示した事によってフェンリル得意の隠蔽工作以前の状況もあってか内部で人知れず混乱している。

 

市民の反応は各地によって様々ではあるものの、映像だけでは分からない部分をクローズアップする事で、結果的には特定の情報を加工する事によって受け止めるニュアンスの変更が功を奏したのか、事態の鎮静化を図る事に成功していた。

 

 

「しかし、フェンリルは相変わらずですね。まさか容疑者から一転して救国の英雄の様な位置づけにするなんて。……とは言っても、今はそうする以外には手段が無いのもまた事実なのはどうかと思うんですが」

 

サツキの若干棘がある言い方に、相変わらずであると考える人間は3年前の事情を知る者からすれば、呆れて物が言えないと思えるのは仕方ないとまで思えていた。当時は極東支部の一部だけに留まったものの、今回は映像とその全容までもがバッチリと公開された為に、当初は批判の嵐であると予測したフェンリルの上層部は、すぐさま今回の件についての公式発表と同時に、現在に至るまでのカバーストーリーを発表していた。

人類が救われ安堵した瞬間を狙ったのは、時間の経過と共に批判の声が高くならない為の措置でもあった。

 

 

「でも、結果的には良かったからそれ以上の事は良いんじゃない?」

 

「ユノがそう言うなら、私はそれ以上の事は言わないんだけど、でも良い様に使われるのは癪なんだと思うんだけどね」

 

この時点では当初はジュリウスとユノに責任を被せ、そのままスケープゴートにする案も存在していた。一番やり方としては姑息ではあるが簡単でもあり、それが尤も効果的であるとまで考えられていた。

しかし、そんな状況をどうやって知ったのか、極東支部からの案として今回のカバーストーリーが作られると同時に、その公表のタイミングと責任者の追及をどうするかへと議論を少しづつ誘導していた。

 

 

「サツキ。命が惜しいならそれ以上の言葉は出すな。結果論ではあったが、今回はユノが魔女裁判にかかる可能性もあった。それが嫌ならこれ以上の事は口にしない事だ。今回の件に関しては既に本部でも緘口令が敷かれている」

 

無明からの声で流石のサツキもそれ以上の事は言えなくなっていた。事実として、カバーストーリーと今後の事に関しての計画を立案し、それを上層部に飲ませたのが無明である以上、改めて秘匿事項が増えた事だけを理解していた。

既に終末捕喰の跡とも取れる物は『螺旋の樹』と命名され、現在は極東支部の近隣10キロ圏内であればどこからでも見える程の位置にあった。

 

 

「ジャーナリズムを前面に押し出すだけが能じゃない。事実、全ての情報開示が正しい訳ではない事位は理解出来るだろう。時には優しい嘘が必要になる場合もある。人間誰もが清廉潔白を貫ける世の中では無い」

 

「そ、それは……」

 

続けざまに発せられた言葉にサツキは背中に嫌な汗をかいていた。清廉潔白が全て正しいとは限らない事をサツキとて理解している。事実、ネモス・ディアナでもギリギリの所でマルグリットの生命の灯が消える直前に黒蛛病が消滅した事で生きながらえる事に成功していた。無明の言った言葉は暗にその事実を指していた。

 

ただでさえ使い捨て同然に自分達の利益の為だけにゴッドイーターが使われていたと知れば、今までユノとサツキが苦労して築いた物が一瞬して瓦解するだけではなく、今まで築いた印象が一瞬にして反転して襲い掛かるのは間違い無い。勿論そんな事も重々承知したからこそ、無明の言葉に対しての反論が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しっかしまた終末捕喰を目にするとは、俺達も早々こんなケースは無いだろうな」

 

全世界に中継され、お互いの終末捕喰が発動された映像は本部にいたリンドウとエイジ、ツバキも同じだった。奇しくも3年前の当事者でもあったリンドウとエイジは驚きよりもよくやったと言った感覚が強く、またそれと同時にその場に居なかった事が悔やまれていた。

 

本部でもその内容に関しての情報を得はしたものの、あまりにも大胆なその計画に対し上層部と一部の上級職にだけ通達が出ていた。本来であればツバキの下には情報が届く事は無いはずだったが、やはり今回のフライアの件のフォローも含め、無明からの提案をツバキを介して提案した事から、極東支部が取る作戦群の全容は確認していた。

勿論、通信によるアリサからの情報も同じであった事から、本部としては既にこのカバーストーリーをそのまま継続する事もエイジ達は知っていた。

 

 

「確かに終末捕喰をこの目でそうたて続けに見るなんて考えても無かったですからね。多分上は大事になってるんじゃないですか?」

 

「今回はカバーストーリーの発表のタイミングまで指示が出ている以上、それほど混乱はしてない様だな。しかし、よくもまああんな無茶な計画を実行するもんだと関心したぞ。確かにらしいと言えばらしいがな」

 

エイジの言葉にツバキがため息交じりに現在の状況を口に出していた。最悪の展開で本部の肝入りとも取れる部隊の離脱からの敵対。そして人類滅亡とも取れる内容はフェンリルだけではなく全世界にも激しい動揺を呼び起こす。それもまた3年前に学んだ結果とも取れる内容だけに、リンドウもエイジもそれ以上の事は何も言わなかった。

 

 

「って事で、俺達はまた新種の索敵としゃれこむか。ここまで来て手がかりがまだ殆ど無いのは困るからな」

 

今回呼ばれた最大の要因は新種の討伐及びデータの採取に2人は難航していた。本来アラガミは知能が然程高い訳では無く、また個体の大きさから言っても完全に隠れようとする事が出来ず、その結果として生息している地点等が容易に分かっていた。

しかし、今回の対象となるアラガミは今までの討伐内容からしても、ありとあらゆる系統に入る事が無いのは事前の調査で確認されていた。にも関わらず痕跡しか現在は見つかっていない。

これだけ捜しても見つからないのであれば、余程小さいのか知能が高いのかのどれかでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終末捕喰がつつがなく進行し、結果的には被害は殆ど無い結果に終わったのは、まさに奇跡としか言い様が無い事実に、榊は珍しく興奮していた。科学者の性とも言える客観的に事実に対し、あまりにも不明瞭な内容の作戦は終始綱渡りをしたままだった。

 

最悪はどちらに転んでも終焉を迎えうるのは間違い無く、ただそれがジュリウス元でなのかユノの元でなのかの違いでしかなかった。しかし、以前にブラッドにも説明した良き友人と言わしめた当時の第1部隊のメンバーと同じく、諦める事をせずもがき苦しみながらに出した結果が良い方向へと転んでいたのもまた事実だった。

 

 

「やはり、人間とは常に進化すべき生命なのかもしれないね。出来る事ならこの光景を一緒に見たかったよ」

 

既に故人となったヨハネスとの当時のやり取りを思い出す。ペシミスト過ぎたが故に起こした事件と今回の起きた事件は結果的には同じ事ではあるが、その中身とも言えるアプローチは正反対とも取れていた。

人為的な物なのか、それともこの地球の意志なのか、螺旋の樹に飲みこまれた事でラケルを捜索する事は困難でもあると同時に、自身が発見したP73偏食因子との因果関係がどんな物なのかも調べたいとも考えていた。

 

 

「あら、珍しいですね。普段はそんな感傷的になる姿は拝見した事はありませんが」

 

「いや、今回の感応現象は正直な所、僕も感動したんだよ。まさかあんなに素晴らしい結果が出るのであれば人間もまだ捨てたもんじゃないとね。出来る事ならば当時のヨハンにも見せたかったよ」

 

弥生が居た事を失念していたのか、感傷的な榊の姿を弥生は初めて見ていた。科学者は冷徹ではなく冷静でなければ目の前の事象の解析は出来ない。フェンリル内部でも天才と呼ばれた榊ではあるが、やはり今回の結果に関しては何かしら考える部分が存在しているのだと弥生は考えていた。

 

 

「それもなんだが、無明君のカバーストーリーはいつ考えていたんだい?」

 

「当主の考えを私如きが知りうる事は有りません。ただ、この決戦の前には既に出来上がっていたのではないかと思います」

 

あまりにも早すぎた行動ではあるが、問題なのはその内容。知らない人間からすればこれ以上の事はあり得ないと思える程に、真実と虚構が入り混じっていた。

全部が虚構で無い以上、その線引きが出来るのは当事者だけ。しかし、その当事者と言えど、こうまで説明が出来るかと言えば、それは否であるのは間違い無かった。

 

既に公式見解として発表された以上、こちらに問い合わせが来る事は殆ど無い。だからこそ今回の件の事後処理は以前の物とは打って変わって穏やかな空気を醸し出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジュリウスが少しでも安心できるように私達も頑張らないとね」

 

「そうですね。あの時の言葉は今でも胸の中にあります。ジュリウスは向こうで一人ですが、こちらは4人居ます。一人に負けない様にやるしかありませんね」

 

最終決戦とも取れた戦いから帰還した際に、既に内部の映像で結果を知っていたからなのか、ブラッドが極東支部に帰還すると同時に手荒い歓迎とも取れる程に祝福を受けていた。

特異点化したユノをガードすべく全員が一丸となって防ぐ姿は全世界に公表された事に

より、FSDの時以上に各地から違う意味で問い合わせは来ていた。事件の全貌に関しての問い合わせでは無い為に、既にFSDで鍛えられたスタッフは何の問題も無く返答している。

 

それが何に繋がるのかは現段階では予測できないものの、それよりもやり遂げた任務に対する達成感に浸りたいと、それ以上の事は誰も考えない様にしていた。

 

 

「で、北斗はどうしているの?」

 

この場に居るべき人物でもあった北斗はこの場には居なかった。一番の要因はジュリウスとの戦いの際に神機の限界を突破させた事によるデータの収集と、それによる検査が到着した瞬間に言い渡された事で、現在は技術班に軟禁状態となっていた。

 

今回のデータの有用性はもちろんではあるものの、一番の問題は神機の限界値を超えた事による弊害の確認でもあった。エイジの様に全身の力が吸い上げられる様な性能では無い為に、肉体的な損傷の心配は無い物の、それでもオラクル細胞の急激な変化に対する状況を確認し無い事には今後の運用にも多大な影響が出てくる。

 

事前に念は押されたものの、結果的には成る様になるだろうと言った軽い考えを持った事も、今回の状況を迎えた一因でもあった。

 

 

「今は技術班であの2人からデータ採取だ。多分、羽をやった時のデータが異常値を示していたらしい。本来ならば暴走する可能性もあったが、今回は神機の影響でそれからは免れたって所だな」

 

「ギルは誰から聞いたの?」

 

「ナオヤさんだ。北斗の神機の数値もどうやらモニタリングしてたらしいから、帰投直後に即技術班に直行だ」

 

ギルの言葉にやっぱりかと言った表情をシエルとナナは浮かべていた。あの一撃が無ければ戦局がどうなたのかは考えるだけも恐ろしい結果しか生まれてこない。そう考えれば身震いしそうな未来に2人は少しだけ考えるのを止めていた。

 

 

「多分大丈夫だと思うけど、念の為に技術班に行ってみない?やっぱり心配だし」

 

「そうですね。今回の件に関しては北斗の攻撃が無ければ今頃は私達はこの場に居ない可能性がありましたから」

 

普段の行動から考えれば褒められるイメージが全く無いのか、ナナの言葉にシエルも同調する。功績がある以上、怒られる様な事は無いとは思うが万が一の際には多少なりとも弁明した方が良いかもしれない。そんな考えの下、2人は技術班へと足を運んでいた。

 

 

「あの、北斗は居ますか?」

 

普段は来る事があまりない技術班にナナは少しだけ緊張感を持って入室してた。偶に神機の件で来るシエルはともかく、ここに来てから今まで一度も足を運んだ事が無いナナからすれば、ある意味未開の地に入る様な感覚で行動していた。

 

 

「ああ、ナナ。北斗ならもうすぐ検査が終わるから、少しだけ待っててくれない?」

 

緊張感で一杯だったナナの顔を見たからなのか、リッカは普通に話しかけていた。今回のミッションではあらゆる場面で激戦が繰り広げられた事もあり、結果的には技術班全員が野戦病院にでも居るかの様に片っ端から神機の整備の為に動き回っていたからなのか、この場にはリッカ以外の人影は見当たらなかった。

 

 

「あ、はい」

 

普段は来ないからなのか、すべてが物珍しいのか、ナナの視線は一つの所に留まる事無く色んな所をキョロキョロと見ている。まるで子供の様な視線の移動にシエルはほほえましくナナを見ていた。

 

 

「ナナさん。そんなに慌ただしく見なくても、何かあったらここに来れば良いのでは?」

 

「それはそうなんだけど、中々ここに来る機会が無いと言うか……ちょっと入りくいんだよね」

 

「そうですか?私も北斗も割とここに来ますが、皆さん良い人ばかりですよ」

 

ナナの言葉にシエルがフォローを入れるも、やはりここは気軽には足を運びにくいのか、ナナの表情は曇ったままだった。時間にして僅かではあったものの、そんな状況がいつまで続くのかと思われた頃だった。

 

 

「あれ?どうしたんだ」

 

「実は北斗を捜しに来たんです。ギルからはここだと聞きましたので」

 

その一言で北斗は察したのか、それ以上の疑問は出てこなかった。確かに任務直後にここに直行では心配したのかもしれない。そんな事を北斗は考えていた。

 

 

「今回の件は事前に聞いていたデータの採取だから気にする必要は無い。今回の件で今後の神機のアップデートがやりやすくなれば、今後の任務にも好都合だし」

 

「そうそう。今回のデータ採取は事前に話してあった通りの事を実行しただけだから、2人が気にする必要は無いよ。……それとも、何か気になった?」

 

北斗とのやりとりを見たリッカがにんまりとした表情で近づいてくる。何か弄りたいと考えていたからなのか、更に口を開こうとした時にナオヤの通信機が都合良く鳴り響いていた。

 

 

 

 



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番外編12 七夕

時系列は少しだけ違います。
他にも色んなキャラを出したかったのですが、自分にはこれが限界です。

これからの色んなキャラを出したいと思いますので、これからもお付き合いのほど宜しくお願いします。





「ソーマ。どうだこれ。すごいだろう」

 

時間が空いたからと、不意にソーマが屋敷を訪れると、そこにはどこから調達したのか、大きな笹が屋敷の敷地内に置かれていた。ソーマが知る中で屋敷の庭先に笹が生える様な環境は今までに記憶が無い。

だからこそ、シオが何かをしていた様子に疑問を覚えていた。

 

 

「ああ。でもこれはどうしたんだ?」

 

「七夕って知らないのか?」

 

シオも気が付けばこの環境に慣れたからなのか、それともソーマが知らない事にただ教えたいだけなのか、満足気な顔をしながらも笑顔で話かけている。ここでは意外と世間では知られていない事でさえも当たり前の様になっているからなのか、ソーマが知らない事をシオが知っているケースが度々あった。

 

 

「……名前位は知っている。だが、確かそれは7月7日だったはずだ。既に8月に入ってるならば、時期が違うはずだが」

 

暦は既に7月が終わり、8月へと入っている。ソーマが言う様に世間のイメージは7月のそれだった。

 

 

「え~。ソーマはしらないのか~。そっか~」

 

「他に何か意味があるのか?」

 

ソーマが知らない事を知っているのが嬉しいのか、シオの表情は明るいまま。これがコウタ辺りが同じ様な事をすれば速攻でソーマの鉄拳が飛ぶのは間違い無いが、相手がシオである以上、今のソーマはただ見ている事しか出来ないでいた。

 

 

「ソーマ。シオが言いたいのは、旧暦の話だ。7月7日は今の暦ではあるが、旧暦で言えば、今年は8月の20日がそれに当たる。ギリギリでやるのではなく、前倒しでやった方が良いだろうと判断した結果だ」

 

シオの説明の捕捉とばかりに近くにいた無明がそのまま説明を続けていた。ここ最近のクレイドルの活動が慌ただしかった事もあってか、ソーマもじっくりとカレンダーを眺める程に余裕があった訳では無い。

改めてカレンダーを確認すれば、確かにその時期に間違いは無かった。

 

 

「とうしゅ~。折角シオがソーマに教えてあげようとしたのに先に言うのはちょっとだめだぞ」

 

「そうだったか。まだ言ってなかったのか。ソーマ、そんな所だ。ここで暫くは七夕飾りを出しておくから、あとの事はお前達の好きにすると良いだろう。既にリンドウ達にも連絡はしてある」

 

既に根回しが終わっていたのか、気が付けばシオだけではなく屋敷の子供たちも短冊や飾りつけをしている。既に見あげる程の高さの笹に、ソーマもまさかこんな事をする事になるとは夢にも思ってなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジ、屋敷で七夕やるんだってな。リンドウさんから聞いたんだけど」

 

「みたいだね。確認したら随分と大きな笹を調達したらしいから皆でどうかって話だけど」

 

ミッションが終わったからなのか、いつもの光景とばかりにカウンターの向こうでエイジが夏のメニューと称して新作に取り組んでいる。極東の夏は他の地域に比べれば高温多湿とかなり厳しい暑さが続く事もあってか、周りからの要望で何か冷製メニューを出してほしいの要望に応えるべく、鋭意作成中でもあった。

 

 

「エイジ。七夕ってなんですか?」

 

「アリサ……七夕知らないのか?」

 

「コウタのその言い方に何か含みがあるんですが……知らないから聞いてるんです」

 

既に極東に来てそれなりになるが、今まで七夕の事を聞いた事が無かったアリサからすれば、それが一体何なのか知りたいと思うのは無理もなかった。ここ最近のアナグラでも屋敷で行われた事を少しづつ取り入れ出したのか、季節の行事が少しづつ浸透し始めている。

何事も極東支部発の行事は既に外部居住区でも馴染みつつあった。

 

 

「七夕には諸説色々とあるんだけど、一般的には短冊に願い事を書いて吊るすのが多いかな。本当なら最後は海に流すんだけど、流石にそれは難しいから屋敷では最後は焼いて終わる事が多いね。多分、笹飾りとかもつけてるはずだから見に行く良いかもね」

 

そう言いながらもエイジが改めてアリサに七夕の説明をし始めていた。話の内容に何かを見出したのか、アリサは真剣に話を聞いている。エイジも話に集中したい所ではあるが、今は生憎と新作レシピの開発中だけあって手を止める訳には行かず、全体的な話だけで終始していた。

 

 

「なんだかロマンチックですね。そう言えば、それっていつやるんですか?」

 

「詳しい日程は聞いてないけど、確か来週だった様な気がする。一度確認してみるよ。それと今度来た時に新しい浴衣を下ろすからそれも合わせた方が良いかもね」

 

「新しい浴衣って。いつも新しい物を下ろしてる様な気がするんですが、良いんですか?」

 

夏に入ってからは、何かと新作と称した浴衣がアリサの手元に届く機会が増えていた。屋敷での標準的な衣装ではあるものの、中々ゆっくりと出来ることが少ない事もあってか、アリサとしても好意は有難いものの、どこか申し訳ない様な感覚があった。

 

 

「気にする必要は無いよ。多分新作の為にアリサが着ているのを見て確認してるんだと思う。洋服とはまた図案も違うから念の為に確認したいんじゃないかな」

 

エイジの言葉に以前の状況が思い出されていた。以前に着た際には弥生がどこからか調達したカメラで何かと撮られていたかと思いきや、その後すぐに新作として販売されていた事が記憶にあった。

 

当時は抵抗感があったものの、FSDでの経験からなのか、それとも弥生の行動に対し諦めの境地に達したからなのかアリサも既に気にする事が少なくなり、その結果として販売の際にはモデルとして登場する事が度々あった。

もちろんアリサにも事前に通達はしているが、まるで狙ったかの様に一番忙しい頃に弥生から話が来る為に、アリサの記憶には中々残らないでいた。

 

 

「そうなんですか。あの、エイジの予定はどうなってるんですか?」

 

「僕も参加する事になってるよ。兄様からも打診があったからね。多分リンドウさんの所もそうだと思うよ」

 

この時点でアリサの予定は決まっていた。エイジの参加が確定しているのであれば、断る理由はどこにも無い。後はいかにスケジュールの調整をするかにかかっているのは間違い無い。そんな事を考えながら今後の予定を少しづつ修正し始めていた。

 

 

「あのさ、俺も一応は行くんだけど…」

 

「そうなんですか。別に私としてはどっちでも構わないので」

 

「そこはもう少し言葉を濁せよ……って言うか、もう慣れたけどさ」

 

これが日常だと言わんばかりのやりとりにエイジも苦笑を浮かべながら手を動かしている。後は盛り付けだけだったからなのか、コウタの目の前にはトマトで彩られた冷製パスタと冷製スープのビシソワーズが置かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「屋敷で七夕?ですか」

 

時間が丁度夕食の時間帯だったからなのか、珍しくクレイドルとブラッドの任務が同時に終わった事もあってかラウンジはいつも以上に賑やかになっていた。どこから聞きつけたのか新作の試食の言葉にナナもカウンターの椅子に座り、まだかまだかと出来上がるのを待っている。

既にコウタは食事を終えたのか、目の前にパスタはなく、代わりにアイスクリームが置かれていた。

 

 

「そう。実は兄様から打診があってね。ここ最近のミッションが慌ただしかったのと、この辺りで休憩とは行かないまでも気分転換でどうだって事なんだけね」

 

ナナは話を聞いているのか分からないままに出されたパスタを頬張っている。恐らくは感想を聞くのは無理だろうと考えながらにエイジは他のメンバーの為にとムツミと二人で作業をしている。そんなナナの代わりとばかりにシエルがエイジにその内容を確認していた。

 

 

「特に参加の制限は設けてないからブラッドの皆もどうかと思ったんだけど、どうだろう?」

 

「そうですね。私としては反対する道理は有りませんが、他の皆がどう言うのかは分かりませんね」

 

「それは大丈夫だよ。私が皆を説得するから。エイジさん。当日は何か準備する物とかってあるんですか?」

 

全部食べ終えたからなのか、それともデザートのアイスクリームを待っている為に手持無沙汰なのかナナが会話に参加してくる。既に行く事が前提である事にシエルは気が付いていたが、シエルも個人的に関心があったからなのか今はナナの話を聞いている事に留まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に我々も参加して良かったのか?」

 

「制限は無かったと聞いてますので問題は無いかと」

 

七夕の話はブラッドの内部に届いた時点で既に参加が決定されていた。突然決まった出来事にジュリウスとしては困惑気味ではあるものの、感応種が現れる様な前兆も無く、また通常のミッションしかなかった事から一も二も無く参加する運びとなっていた。

 

 

「でもさ、ここでこんなイベントやるなんて凄いな。ここだって極東支部の中みたいな物なんだよな?」

 

「ロミオ先輩。そんな事は今はどうだって良いんだよ。今は七夕を楽しまないと」

 

この場には北斗達は何度か来ていたが、ジュリウスとロミオに関しては初めてであった事から、ロミオは物珍しげに色々と見ている。ここに来る際にアナグラのエレベーターから来れると分かった際にはかなり驚きはしたものの、ここに来た途端、先ほどの状況は一端横に置いて、ナナの言葉通り今を楽しむ事に決めていた。

 

 

「シエルもナナも浴衣がよく似合ってるな。だが、これは一体どうしたんだ?」

 

「これは無明さんからの提供です。どうやら我々にもと言う事で準備されてます。他の方々も各々所有していますので、ジュリウスは気にしなくても大丈夫かと」

 

既に用意された浴衣に着替えたからなのか、シエルとナナは何時もとは違い、髪も改めて結わえられた事によって雰囲気が違っていたからなのか、一本の簪が鈍く光る事でその存在感を示している。確かに周りを見れば全員が浴衣を着ている中で洋服を着れば確実に浮くのは間違い無い。

だからこそ、今回浴衣を手渡された事で周囲に溶け込んでいた。

 

 

「よう!ブラッドの皆も来たのか……あのさ、ジュリウスとロミオ。悪いがあっちにエイジが居るから、少し直してもらってきてくれ」

 

「リンドウさん。それは一体?」

 

リンドウが一番最初にジュリウスとロミオを見た瞬間、これは拙いと判断したのはその着付けの方法だった。ジュリウスは左前、ロミオに至っては帯の位置が高い。これでは違和感があるだけではなく単純にみっともないと考えた結果なのか、それともリンドウにも極東人としてのアイデンティティがあった結果なのかは知る由も無かった。

 

 

「詳しい事は後だ。お~いエイジ。ちょっと頼む。俺はこれから大事な要件があるから、後は任せたぞ」

 

そう言いながらリンドウは浴衣を着崩し右手を懐に入れながら酒を取りに行ったのか、その場から去っている。シエルとナナはアリサに着付けをしてもらった事もあってか着付けには問題は無く、その場で目の前の笹飾りを眺めていた。

 

 

「2人ともそれ新しい浴衣?」

 

「北斗もそう言えば、新しい物ですね」

 

「北斗もいつもと印象が違うね」

 

2人を見かけたのか北斗も何時もとは違い浴衣を着ているが、2人とは違いどこか着なれた雰囲気が漂っていた。既に気が付けばこの場にはそれなりの人数が揃っている。程なくして榊の言葉と共に七夕が開始されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、貴方達がブラッドの人なの?」

 

「はい。自分が隊長の饗庭北斗です」

 

既に開催されたと同時に各々が笹飾りを眺めながら用意された食事へと箸が伸びる頃、不意に背後から女性の声が聞こえてきた。北斗も職員の顔を漸く覚えはしたものの、目の前の女性には記憶が無かった。

確認とばかりに隣に居たシエルにも聞くが、シエルも初めて会ったからなのか、該当する人物に心当たりは無かった。

 

 

「何時も主人がお世話になってるわ。私は雨宮サクヤ。リンドウの妻です。で、この子がレンなの」

 

「リンドウさんのご家族の方でしたか。我々も何時も大変お世話になってますので」

 

「畏まらなくてもいいのよ。リンドウの方が貴方達に迷惑をかけてると思うから」

 

柔らかな笑みと共にリンドウの妻と名乗ったサクヤは正に極東を代表する様な黒髪美人といった様相が珍しく感じたのか、北斗も言葉を発する事が出来ない。そんな北斗に軽く肘うちしながらシエルが代わりに話を続けていた。

 

 

「北斗もやっぱり黒髪の方が好きなんですか?」

 

サクヤと簡単な挨拶を終えた後、シエルは何気に北斗に先ほどの事が気になったのか、少し意地悪気に聞いてみた。北斗自身の好みは知らないが、最近ではファッション感覚で髪の色を変えるゴッドイーターも増えていた事もあってか、北斗の言葉を参考にしたいと考えていた。

 

 

「いや。そんな事は無いよ。その人に似合っていれば色は特に気にしないからね。さっきのサクヤさんは少し驚いただけだよ。まさかリンドウさんの奥さんがあんなに綺麗な人だとは思わなかったからね」

 

「そうですね。でも腕輪をしていたみたいですから、やはり同じゴッドイーターなんでしょうね」

 

浴衣の袖から僅かに見えた腕輪は封印された形跡は無かった。恐らくは育休を取っているからなのか、詳しい事はリンドウに聞かない事には分からないが、子供を見る限りは幸せである事は理解出来た。

今の感情が何なのかは分からないが今までやってきた結果があるからこそ現在がある。改めて北斗はこれからの事を考えていた。

 

 

「でも浴衣だと案外と見えにくいよな。シエルが言わなかったから気が付かなかった」

 

「ふふっ。北斗は変な所で注意散漫ですから」

 

浴衣効果なのか、柔らかな笑顔のシエルの言葉と同時に何時もとは違った空気が2人を包み込む。それがどんな空気なのかは当人達は気が付いてなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。これから流し素麺やるけど、どう?」

 

「流し素麺ですか?」

 

「そうそう。今エイジ達が準備してるんだ。シエルも一緒にどう?」

 

2人を見つけたのかコウタが北斗達の下へとやってくる。コウタもここでは慣れているのか浴衣を着ながらも袖がうっとおしいのか腕まくりをしていた。

 

 

「コウタ。少しは空気を読んだらどうですか?そのうち馬に蹴られますよ」

 

「ええ、何でなんだよ。そんな感じじゃなかっただろ」

 

「もう…だからコウタなんですよ。コウタがすみません。これから良かったらどうですか?既に屋敷の子供達とシオちゃんも居ますからもう始まりますよ」

 

アリサは既にゲストではなくここでは家人としての行動をしているのか、浴衣は着ているが、エイジと共にゲストに対してもてなす為の行動をしている。ここでは全ての事が初めてではあったが、一時の憩いとしては十分過ぎる程だった。

 

 

「でしたら、これから向かいますので。シエル、行こうか」

 

「そうですね。私も流し素麺は初めてですから楽しみです」

 

夜空に浮かぶ天の川が一時の憩いを作り上げたのか、笹飾りによる願いの効果なのか、珍しくその日アラガミの姿は現れる事は無かった。

 

 

 




ギルはジュリウスやロミオ同様に何も聞かされないまま屋敷へと来ていた。来る道中で七夕の話は聞いたものの、それがどんな物なのか想像する事が出来なかった。しかし、ここに来た途端ギルは息を飲んだかの様に大きく伸びた笹に飾られた七夕飾りに魅入られていた。足元には灯篭が僅かな光で照らしている。雲一つない星空と相まった光景が幻想的でもあった。


「どうた。凄いだろこれ?」

「これが七夕ですか?」

ギルに声をかけたのはハルオミだった。既に用意された酒で酔いが回ったのか僅かに顔が赤い。以前にもグラスゴーで何となく見た様な表情がどこか懐かしさを呼んでいた。


「ああ。今年初めて俺も呼ばれたんだが、流石にこの光景には驚いたんだ。出来る事ならケイトにも見せてやりたかったなんて思ってな」

いつものおどけた雰囲気はそこには無く、当時の状況を思い出したのか、少しだけしんみりしたハルオミにギルはそれ以上の言葉をかける事が出来なかった。極東のイベントには慣れたつもりではあったが、こうまで幻想的なイベントは恐らく無かったのかもしれない。ハルオミ同様に、今のギルも少しだけ感傷的になっていた。


「ハルオミさん。お代わりいかがですか?」

「おっ。すまないな。でもアリサは楽しまなくても良いのか?中々こんなイベントは無いと思うが?」

「私はここの家人として来てますから、大丈夫ですよ。それよりもギルさんもどうですか?」

浴衣を着たアリサが持つお盆にはいくつものグラスが置かれていた。アリサが言う様に本来はゲストのはずが、家人としてもてなしている。アナグラでエイジとアリサの事は言い出せばキリが無い程にエピソードがある以上、ギルはそれ以上何も言う事無く、そのままグラスを手に取っていた。


「しかし、アリサも随分と似合ってたな。やっぱり女性はあの項が良いんだよ」

「ハルさん……」

先ほどまでしんみりしたはずの雰囲気が一瞬にして壊れていた。良く見ればナナとシエルも何時もとは髪型が違い髪を上げて簪で止めてある。その先ではジュリウスとロミオが笹飾りを見ているのか、何か話している様にも見えていた。


「なんだハルオミ。こっちで飲まないか?俺達も丁度招待されたからさ」

「タツミも来てたのか。今日は随分と来てるみたいだな」

「前に花見をした時以来って所だな。俺も久しぶりにヒバリちゃんと一緒だったんだけど、今はサクヤさんも来てるから、皆そこで集まってるんだ」

ヒバリと来たまでは良かったが、どうやら久しぶりにサクヤにも会ったからなのか、提灯の下でカノンとリッカ、エリナが何かを話していた。


「なんだ、あぶれたから来たのか?」

「あのな。でも実際にサクヤさん見たのは久しぶりだったから積もる話もあるんだろ?」

一緒に居られないからかとも思ったがタツミの表情を見ればそんな雰囲気はどこにも無い。宴会の様に騒がしくは無いものの、偶にはこんな事があっても良いのかと思い始めていた。

「でもヒバリちゃんの浴衣姿が見れたから俺としては満足してるよ」

「そうか。やっぱり項が女性らしさと色っぽさを出してるよな」

「そうそう。浴衣姿って、女性らしさが凄く出るからな。これが普段の洋服だとこうはいかないよ」

「だな。新たな探索の予感がしそうだ」

何となく雰囲気が違う事を感じたからなのか、それとも同じ人種だと思われるのを嫌ったからなのか、2人が話しているこの場からギルは徐々にフェードアウトしていた。






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第177話 それぞれの理由

「じゃ、皆さんお疲れ様でした」

 

大きなミッションの後に待ち構えていたのは、毎度の如く打ち上げと言う名の宴会だった。今までもこんなに大きな物では無かったが、それなりに宴会には出ていたが、流石に終末捕喰を止めた結果に対しては、今までの中でも最大級の規模となっていた。

 

コウタの音頭と共に、アルコールやソフトドリンクが一気に消費されて行く。既にラウンジはカオスと化していた。

 

 

「今回は大変だったな。まさかああなるなんてな」

 

「大変とは……いえ、そうですね。まさかあんな形でジュリウスと戦う事になるなんて考えても無かったですから」

 

どれ程飲んでいるのか分からないが、既にハルオミの顔は赤くなり、一先ずは労いの言葉でもギルの元へと歩いていた。宴会では基本が無礼講である為に、部隊や階級に関しては誰もが気にする事無く話をしていた。

遠目で見れば既にナナとシエルも捕まっているのか、遠くで誰かと話をしている様にも見えていた。

 

 

「詳しい事は俺達には分からんが、事実終末捕喰が発動した瞬間、お前達の周囲には視認できない程の光が覆っていたから、そこで何が起きたのか詳しい事は分からない。でも、何かしらの話が出来たんじゃないのか?」

 

「まあ、そんな所…ってどうしてハルさんがそんな事を知ってるんですか?」

 

まるで確信したかのように話すハルオミの表情は寄っているはずにも関わらず目が真剣だった。確かにあの当時、ジュリウスと最後に話をしたのは間違い無いが、それが外部から確認出来たとは思っても無かった。

 

 

「いや、何となくなんだ。あれほど部隊や色んな面で分かち合ったはずのお前たちが流石にあんな状態になったんなら、最後は何かしら話でも出来たかと思ってな。俺の勘だから適当に流してくれても構わんよ」

 

「いえ、ハルさんの言う通りです。確かにあの時俺達はジュリウスと話が出来ました。事実、螺旋の樹に関してはあの中でジュリウスが戦っているのは間違い無いですから」

 

ギルの言葉には重みがあった。神機兵の教導の名の下に袂を分かち、そしてラケルにそそのかされた事実を横にしても、それでも前に進むべくただ出来る事だけを愚直にこなしていた事は紛れも無い事実でもあった。

 

しかし、土壇場で特異点と化したジュリウスと戦う事になった際には、ブラッドの誰もが話合う事で、今後の未来を念頭に、全員の気持ちを一つにすべく動いたのもまた事実。そう考えれば、馬鹿騒ぎの前に少しだけしんみりとした様な空気が漂っていた。

 

 

「でも、ここも無傷で済んだ訳じゃない。この場には居ないが、今回のミッションで何人かは殉職しているし、怪我人だって多い。今回の宴会だって、実際には鎮魂の意味合いとこれから前に進む為に、敢えてやってるんだ。気持ちは分かるが辛気臭いのはここの主義に反するぞ」

 

「ハルさん。なんでこんな所なんですか。他の人もハルさんに用事があるみたいですから来てください」

 

「え。誰が呼んでる?」

 

「とにかく早くです」

 

この場を打ち切る為なのか、本当に呼ばれたからなのか、カノンがハルオミの下へと来ていた。既に何人もの人間が出来上がっているのか、先ほどのハルオミの鎮魂の言葉がギルの胸に刺さる。

 

ジュリウスが特異点となった事でアラガミを呼び寄せた事実が消える事はなく、またゴッドイーターとしての職務の最中の殉職は結果でしかない。

確かに悲しい事ではあるが、ジュリウスとも約束した以上、このまま歩みを止める訳には行かない。ジュリウスの希望と努力を無駄にする事無くただ前へと進み続けるしかない。そんな気持ちがギルには溢れていた。

 

 

「あ、あの。ギルさん。お疲れ様でした。私達も現場で戦いましたが、皆が大変だったんだと思います。色々とハルさんが何か言ったかもしれませんが、元気出してくださいね」

 

「カノンさん。ハルさんは、俺には良い事を言ってくれたんだと思います。極東での宴会が鎮魂のつもりでやってるのは本当なんですか?」

 

「その話ですか。そうですね……最初はどちらかと言えば気分転換に近かったんですが、ここ最近はそうかもしれませんね。やはり赤い雨の影響はアナグラだけではなく外部居住区にもかなり出ましたから、一時期はそれこそ毎日がお通夜みたいな感じだったんですけどね」

 

カノンの赤い雨の言葉にギルは僅かに反応していた。あれがあったからこそロミオが意識不明の重体となり、ジュリウスが神機兵の教導の為にブラッドを抜けていた。そんな直接ともとれる内容にギルが我ながら自分も女々しいのかもと考え出していた。

 

 

「でも、ある日リンドウさんが言ったんです。『俺達は逝った人間の事だけではなく、これからの人間の事も考える必要がある。こんな所で立ち止まる様では死んでいった人達に申し訳が立たない。生きる以上は困難なこともあるかもしれないが全員がそれぞれの力を発揮してここを護れるのは使命なんだ』って言ってましたよ」

 

この場にリンドウが居れば、確実に言うであろう言葉にギルは少しだけ報われた様な気がしていた。今考えればギルはあまりブラッドに溶け込んでいなかったのかもしれない。今は4人の部隊ではあるが、それでも部隊がどうだとか、階級がどうだとか、そんな感情がここには余り無い。以前にいたグラスゴーに至っては、人数が少ないのもあってそれが顕著に出ていた。

 

赤い雨の脅威は去ったものの、残念な事に感応種は既に一個の種として固着したのか、赤い雨が降っていない現在でも時折出没する事があった。今後は北斗だけでなく、ブラッドそのものも更にミッションに出る事が多くなる可能性があるだろうと、今は改めて考えていた。

 

 

「カノンさん。態々ありがとうございます」

 

「言え、私自身が何かした訳ではありませんので。これで失礼しますね」

 

カノンが離れると同時に、ギルは宴会の喧噪を肴に一人で少しの間飲む事にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結果オーライだったけど、まさかあそこでやるとはね……代々どこぞの部隊長は無茶をするのが専売特許なのかな。少しはこっちの身にもなってほしいよ」

 

リッカが口に出したのは北斗が帰投した際に、真っ先に確認したのはバイタルのデータと神機のデータだった。

モニタリングしていたのは間違い無いが、いくら映像でも見えたからと言って、実際に自分の目で直接見た訳では無かった事もあってか、やはり内容はこの目で確認したいからとリッカは色んな手順をすっ飛ばし、真っ先に北斗の神機を確認していた。

 

 

「リッカの言いたい事は分かるが、こればっかりは仕方ないだろ。事実あの場面を何とかしたから今回の結果に繋がった以上、今はそれ以上の事を望むのは酷じゃないのか?」

 

既に出来上がっているのか、リッカの手にはロングタイプのグラスに砕かれた氷が大量に入っているモヒートを片手にナオヤと話をしていた。神機の整備だけではなく、今回の内容は明らかに開発まで手掛けた事もあってか、他の神機に比べれば多少の安定感の無さが心配の元でもあった。

 

あのジュリウスの羽を破壊した際に見えたオーラは紛れも無くエイジが封印を解いた際に出る様な感じのオーラ。元々それがベースとなっていたが、まさか土壇場で使うとまでは考えてなかった事もあったのか、帰投直後の焦りは尋常では無かった。

 

 

「そりゃ…そうだけどさ。やっぱり心配するのはある意味当然だよ」

 

「そうか?俺はそう考えてなかったけどな。元々のベースがある以上、気にしても仕方ないだろ?俺達の出来る事はやったんだ。リッカがそうまで気にする必要は無いさ」

 

そう言いながらもリッカはグラスの透明な液体を口腔内へと流し込んでいく。既にどれ程飲んでいるのか分からないが、翌日は確実に二日酔いになる可能性だけは隣に並べられたグラスの量から想像が出来る。

恐らくは飲まずにはいられない程に心配したのどうか、ナオヤはそんな目でリッカを見ていた。

 

 

「ナオヤは飲んでないね。どうしたの?」

 

「飲んでるけどリッカのペースが早いんだよ。飲み口は良いけど度数が高いから、明日泣きを見ても知らないぞ」

 

「だったらナオヤが…やってくれれば…大丈夫…だ…か…ら」

 

「リッカちゃんも心配だったのよ。実質手さぐりに近い状態での神機の開発は大変なのはナオヤも知ってるんじゃないの?」

 

酔いつぶれたのか横で寝ているリッカを尻目にカウンターには弥生がアルコール関係の提供を行っていた。既に時間がどれほど経過したのかは分からないが、未成年組は既に撤退している。今のラウンジには時間が遅いからとムツミも退席した事で弥生がカウンターの中を回していた。

 

 

「俺がと言うよりも、そもそも整備する人間は心配しか出来ない。だったらその元を取り除く為には出来る事を最大限にやるのが筋なのはリッカだって分かっている。ただ、こうも短期間で終末捕喰が発動した事実の方が問題になる可能性は高いだろうな。今回の件だって兄貴のあれがなければ最悪は破綻するのは確実だったからな」

 

ナオヤの言葉を一番理解したのは紛れも無く目の前にいた弥生だった。確かに極東支部には問い合わせはあまり無かったが、本部には一元集中したのか回線がパンク寸前まで追い込まれていた。

結論の先送りなのか、完全解決なのかはこれからの調査が始まらない事には前に進む事すら出来ない。

今の所は本部でも何かと画策している事はキャッチしているが、無明と同じく弥生もまたここに火の粉が飛ばなければ静観の構えで居るつもりだった。

 

 

「当主の考えが分かるはずもないし、私達が出来る事をするしかないんじゃないの?差し当たってはリッカちゃんをちゃんと連れて行きなさいよ。屋敷だったら、もう姉さんに連絡してあるから」

 

ウインクしながらの回答にナオヤも流石に何も言えなくなっていた。まさかこのまま放置する訳にもいかず、未だ横で酔いつぶれているリッカをこのまま放置する訳にも行かず、ナオヤはこの場を離れる事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで暫くはまともな任務が続きそうだな」

 

「そう言えば、エイジ達は新種のアラガミの調査だったはずですよね。ソーマ、何か進展はあったんですか?」

 

「いや、まだだ。そうやら姿が見えない以上は何も進まないらしい。ただ、期限だけはそろそろ終わりだからな。一旦は戻るかもしれん」

 

クレイドルもまた弥生達が話す様に、今回の終末捕喰には何かしらの思い入れがあった。

3年前はシオの代わりでノヴァを月へと放出したものの、今回はお互いのエネルギーを相殺した事から、今後の行方が全く見えてこない事だけではなく、一般市民の最前線に出る事が任務上多い事から、何かと聞かれる事が多かった。

 

秘匿すれば問題無かったのかもしれないが、今回の状況ではそれが出来なかった事から、何かと話が出ていた。そんな中でアリサもエイジと話をした際に不意に新種のアラガミの話が出てくるも、やはり現状ではデータが揃わず未だ手がかりしか無い様な状態が続いていた事を思い出していた。

 

 

「って事はそろそろ戻ってくるのか?」

 

「エイジの話だとそれもまた微妙な話らしいんです。今回の件は珍しくツバキ教官も憤ってたらしいですからね。多分ですが、終末捕喰の後始末で追われてるのかもしれません」

 

契約の更新の手続きを検討したのは良かったものの、やはり終末捕喰が発動した影響が大きすぎたのか、ツバキの出した申請に関しての連絡はまだ来ていない。期限の更新をするにも一旦は戻らない事には前には進まず、それが暫く続いた事で現場への混乱が大きくなっていた。

 

 

「事実、あれだと今後がどうなるのかすら分からないのもまた事実だからな。今後は螺旋の樹の調査任務も何かと入る可能性はある。そうれなれば、俺達もまたフル回転する事になるぞ」

 

「だよな。でも、あれって調査するのは良いんだけど、どうやって調べるんだ?見た感じだと入り口みたいな物も見つからないし、事実フライアから侵入するにも面倒なんだろ?」

 

ジュリウスが反乱を起こした後、本部の行動は色んな意味で素早かった。特にグレムを責任者としてスタートした独立型移動支部ではあったものの、結果的には一旦は役職をはく奪し、様子を伺う事を優先させていた。

しかし、終末捕喰が発動してからは、再び本部がフライアを摂取する事になったからなのか、極東支部としての意見を反故にした事で内部への侵入する経路が無くなった事から、これから先に調査する為には何らかの手段を講じる必要性があった。

 

 

「今はまだ本部との折衝中らしいですよ。ここはともかく本部では未だ対応しきれていないからって言うのが本当らしいですけどね。どうせ最後はこっちに何かさせるに決まってます」

 

アリサの言葉には少なくともエイジが帰って来れない事への苛立ちに似た感情がある事はコウタとソーマの2人には理解出来た。このままこの話をするのは危険だと判断したのか、今はただこの騒ぎの中に少しだけ居たいと考え、それ以上の言葉を言う事は無かった。

 

 

 



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外伝 弐
第178話 新たな計画


 

「なあエイジ。これって例のアラガミか?」

 

「そうですね。データベースと照合しましたが該当が無いのであればそうかもしれませんね」

 

極東での終末捕喰から数日が過ぎる頃、リンドウとエイジは改めて調査を開始していた。ここが極東であれば事後処理に追われる可能性は高かったが、本部である以上リンドウとエイジには何の影響も無かった。

 

 

「何か見つかったのか?」

 

「姉上、どうやらお目当てらしい物が見つかったんですが、まだ痕跡しか無いんでこれから調査って所ですかね」

 

既に期間が残り僅かになった所で漸く手がかりが発見されていた。未だ姿は分からないものの、過去の痕跡をデータベースから照合した結果、新種である事は確認出来たまでは良かったが、それがどんな物なのかまでは未だ分からずじまいでもあった。このまま期間終了かと思われた矢先の出来事に、周囲の警戒をする。万が一の襲撃に対しての当然の対応でもあった。

 

 

「近隣、少なくとも半径3キロ圏内では確認が出来ない。痕跡に関しては何かしらの細胞があればそれの採取をしてくれ。今回の内容に関しては榊支部長の下にも送る予定だ」

 

ツバキの指示にエイジが残留細胞が無いのかを確認する。新種のアラガミがどんな能力を持っているのかは、ここ数年の技術の発展に伴い以前よりも格段に向上していた事もあり、大よそながらの判別を可能としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回発見されたアラガミは、どうやら我々が感知しないタイプのアラガミかもしれないね」

 

「新種って事ですか?」

 

「新種なのは勿論なんだが、今回発見された細胞は簡単に言えば、オラクル細胞の原種がそのまま進化したと言った方が正解に近いかな。君らも知っての通り、アラガミは色んな物を捕喰しながら学習していくのが一般的なんだ。ただ、そうなるとオラクル細胞そのものが複雑怪奇に色んな物を取り込む関係上、細胞を知らべればそれがある程度どんな種族なのかが特定できる。しかし、この送られたオラクル細胞はその概念が一切当てはまらない事から考えると、原初のアラガミと言っても問題無いようだね」

 

当初、リンドウとエイジが摂取したサンプルは本部ではなく榊の下へとデータが送られていた。本来であれば本部付けの研究者の下へと提出するのが筋ではあるが、現在の混乱した状況下の下では落ち着いた研究が出来ない事と、本部でサンプルを調べるよりは極東支部の方が今まで新種が出た数が多いからと、有耶無耶の内に押し切った結果でもあった。

 

そんな中で調べた結果が原初のアラガミの存在。

榊の驚愕とも取れる言葉にリンドウとエイジは改めて個体そのものを探す事が決定されていた。

 

 

「しかし、このままでは期間が過ぎる可能性が高いので、一旦は契約の継続か再契約かの何らかの措置を取らない事にはこちらとしても動くだけの権限が無くなるのもまた事実です。がしかし、終末捕喰の対応に終われたままなので、どうした物かと思案していると言った所が正しいでしょう」

 

未だ回答が来ないままに契約の期限が指し迫っている。ツバキが言う様に、当初の期間での契約が終わるのであれば、今後の活動に対しても何らかの制約が出る可能性が高く、その為にはすぐさま契約の更新が必要になって来ていた。

 

 

「それに関してなんだが、こちらからも個体の調査名目で2週間の延長申請は出してある。恐らくは問題は無いはずだからそのまま受理されるはずだよ」

 

「それならば我々としても困る事は無いので問題ありません。では再度こちらからも申請しておきます」

 

通信が切れると同時にまるで図ったかの様に本部からの一通のメール。先ほどの話に出てきた期間延長における申請の受理が通知されていた。

 

 

「と言う事だ。まずは新種の捜索だが、最悪はその細胞の採取を一番とする」

 

「って事はまた延長に?」

 

「そうなるな。どのみち今の時点で一度戻っても直ぐにトンボ返りになる可能性が高いのであればこのまま索敵を続けた方が得策だと判断した。すまないがあと2週間で結果を出してくれ」

 

「リンドウさん。こうなったらすぐに動いた方が良いかもしれません。採取したオラクル細胞はまだ新しい様でしたから、この近くに居る可能性が高いです」

 

エイジの言葉通り分析した結果、以前の細胞と決定的違ったのが鮮度だった。一番良いのはコアの採取ではあるものの、それが適わないのであれば細胞の摂取が優先となる。しかもそれが新しいのであれば、データとしての幅が広がる事から、今は一刻も早い捜索が必須となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「榊博士!いくらなんでも横暴です!」

 

支部長室にはここ最近聞く事が無かったアリサの怒声が響いていた。当初は一旦帰還する話ではあったが、ここにきて急遽2週間の延長が決定していた事が原因だった。

 

 

「アリサ君にはすまないと思ったんだが、こちらとしても新種のアラガミではあるが、今回の内容がある特別な物を示している以上、早急な対応が必要なんだよ」

 

アリサが憤るのはある意味仕方ない部分もあった。エイジとリンドウは派兵はしてるが元々はクレイドルとしての任務に就いている。今回もサテライト002号が完成したからと、何かとそこでやるべき事を幾つか詰めていたが、急遽決まった申請によって予定していた物が脆くも崩れ去っていた。

 

 

「…で、いつまでなんですか?」

 

「2週間の予定になっているね。今回はそれで見つからないのであれば一時的な帰国となるけど、見つかればまた予定が変わるから、一概には言えないね」

 

「それって事実上の期間の未定って事じゃないんですか?」

 

顔は居たって平常だが、目は怒りに満ちている。予定していた物が延長されるとなれば、今後のサテライトの予定も立たなくなる可能性が高く、また個人的な部分でも久しぶりに会えると思っていた物が意図も簡単に延長となれば、落胆ぶりもまたすさまじかった。

 

 

「榊支部長。この件は私に任せてもらえませんか?」

 

このままでは確実に何らかの危害が加えられると判断したのか榊は僅かに冷や汗をかいていた。あまりの剣幕だけは無く、このままでは榊に襲い掛かろうとする程の雰囲気を拙いと判断したのか、弥生からの提案があった。

 

 

「弥生君。何か良い案でも?」

 

「ええ。任せて下さい。じゃあアリサちゃん。ちょっと良いかしら」

 

弥生からの提案に、このままでは身の危険を感じた榊は否応なしに了承する。内容はともかく、この空気をなんとかすべく弥生に任せる事によって榊はこの危機からの脱出に成功していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リンドウ。この先2キロ地点に中型種の群れらしいものがある。こちらにはまだ気が付いて無い様だが、気が付くと何かと面倒な可能性が高い。エイジと共に討伐任務に入れ」

 

周囲を索敵すればもれなく何かしらのアラガミとの遭遇は既に日常茶飯事と化していた。つい最近でさえも接触禁忌種でもあるディアウス・ピターの討伐を終えたばかりではあるものの、まるでそんな事は関係無いとばかりに次から次へとアラガミを発見していく。

既にこれが何体目の討伐なのかは数えていない。今回もそんな日常だと思われし内容だと考え出した所でもあった。

 

 

「リンドウさん。何だかおかしくないですか?」

 

「どれどれ……確かに言われてみればそうだな。まるで何かから逃げている様にも見えない事はないな」

 

アラガミはいくら同種だとしても早々群れで行動する事はあまりない。群れる際にあり得るのは、上位種がそのままボスとして操る様な場面であれば可能性はあるが、眼下に居るアラガミはそんな事はなく、アラガミそのものの動きもどこか警戒をしている様にも見えている。本来の行動とは一線を引いたそれはエイジ達に疑問を投げかけるのはある意味当然だったのかもしれなかった。

 

 

「姉上。レーダー反応を見てくれ!」

 

リンドウが素早くツバキに確認する。群れの様に集団でいたはずのシユウはどこからともなく放たれたレーザーの様な物で次々と貫かれていた。当初は他の部隊が居るのかと思われはしたが、ツバキが確認した際に近隣にはどのチームも存在していない。

にも関わらず、まるでスナイパーが放ったと錯覚する程にオラクル弾の様な物が次々とシユウの身体を貫き、中にはコアに直撃した個体もあったのか一部は霧散していた。

 

 

「何だありゃ?」

 

「リンドウさん。あれは?」

 

遥か先にアラガミの様な物が見えるが距離が離れているせいなのか、その姿が確認出来ない。大きさから考えれば大型種か中型種のどちらか。しかし、リンドウとエイジが知っているアラガミには先ほどの様な攻撃をするアラガミの該当は無い。それゆえにこれが新種の可能性が高いとアタリを付けていた。

 

 

「リンドウ、エイジ。あれはデータベースには無いアラガミだ。今回の目的の可能性が高い。今直ぐに追いかけて討伐後コアを引きずり出せ!」

 

「了解!」

 

ツバキもレーダーで確認したのか、それが目的のアラガミである事が発覚していた。距離があるが先ほどの攻撃からすれば、恐らく逃げる様な事はしないはず。今は一刻も早い行動が最優先となっていた。

距離はあるが全力で駆ければまだ間に合う。そう考えながらに現地に着いたものの、やはり今まで同様にアラガミの無慚な死体だけが横たわっていた。

 

 

「しっかし逃げ足がああも早いと今後の手だてが思い浮かばないのはどうしたもんだかな」

 

肝心のアラガミは結果的には逃走を許したまま姿をくらましていた。以前にも採取した細胞だけがこの地に残りはしたものの、それ以上の手がかりは何も無い。

ギリギリまで手が届く寸前にも関わらず、直前で逃げられた事により、今までの疲労感が一気に3人に襲い掛かる。既に本部を離れてから1週間が経過した事からも、一旦は報告すべきと判断し、本部へと戻る事が決定されていた。

 

報告そのものは既に通達した事もあってか、改めての追加での報告の義務は無い。未だ混乱した中での報告は情報錯綜の原因にもなりやすい。ましてや内容が内容なだけに、情報の管理に関しては厳重になっていた。

 

 

「そうですね。でもここまで何かしら出てるのに、見つからないと言うかすぐに逃げるなんて、まるで野生の動物みたいな警戒の仕方ですね」

 

「アラガミと言っても全部が好戦的とは限らんからな。とにかく今は少し身体を休めた方が良いだろう。こんな任務だと討伐するよりも精神的に参り易いからな」

 

そう言いながらもエイジがリンドウと別れ自室へと足を運んでいた。今回のミッションは討伐とは違い、常時索敵している様な内容の為に肉体的な疲労よりも精神的な疲労の方が多く、いかに歴戦の猛者と言えども休憩を余儀なくされるのはある意味仕方の無い事でもあった。

ここに来てから初めての捜索ミッションは想像以上に精神を消耗させる。アナグラとは違い、ここでは精神的な疲労を癒すには何よりも時間が必要だった。

 

 

「あの……如月中尉。少しだけお時間宜しいですか?」

 

疲労を癒すべく重い足取りを止めたのは一人の女性ゴッドイーターだった。以前にここでやった教導カリキュラムの際に指導した一人である事は記憶にあったが、今のエイジには誰だったのかと思い出させるのも一苦労だった。

 

 

「構わないけど……どうかしたの?」

 

部下とも言える人間の前で疲労感を漂わせる訳には行かないと考え、何時もと変わらない対応を心掛ける。相手の女性も今回のミッションがどんな内容かを知っていた事もあってか、無碍に扱う事の無い今のエイジの対応には嬉しく感じる部分があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかそんな大胆行動をするとはな……」

 

「言葉を濁さなくてもいいじゃないですか。何か言いたい事があるならハッキリ言ってください」

 

ソーマとアリサはアナグラを離れ、上空1万メートルを飛んでいた。通常であればヘリでの移動を余儀なくされていたが、今回は偶然にも他の支部が使っていた機体を一旦本部に移送するからと、2人はついでとばかりに乗り込んでいた。

 

今回の目的は本部での新種の細胞の受け渡し。元々はソーマが一人で行く予定だったはずが、気が付けばスケジュールが直前になって変更され、今回はソーマ博士の護衛の名目でアリサが同行する事になっていた。

当初はサテライトの件があった為にアリサも渋る姿が確認されていたのはまだ記憶に新しかった。今回の事は明らかな越権行為であるのは当然ではあったが、終末捕喰の混乱に加え新種の発見とフェンリルの主要な支部が落ち着かない様相である事から、半ば強引に今回のスケジュールが決定されていた。

 

 

「いや。本来であれば非戦闘員に護衛が付くのは当然の事だからな。俺の立場は榊の代理である以上、今回の件に関しては特に言う必要は無いだろう」

 

「そんな事は分かってますから。私だってまさかこんな状況になってるなんて思ってなかったんですから仕方ないですよ」

 

半ば言い訳めいた言葉ではあったが、言葉と表情は大きく違っていた。弥生が今回アリサに提示したのは、本部での新種の細胞の運搬についての護衛任務の依頼でもあった。ソーマが言う様に、本来であれば非戦闘員には最低限2名の護衛を付ける規則ではあるものの、ソーマ自身が他の護衛よりも戦闘能力が高い事から護衛よりも強い人間に対しては無駄だとばかりに規定の内容を切捨てていた。

 

勿論、それはただの建前でもあった。ただでさえ新種の細胞を極東で解析するとなれば、本人以外にも最悪はその護衛にまで批判の目が届く可能性が高い。

今までソーマ自身が味わった経験でもあったからこそ、護衛の存在を否定していた。

 

 

「……まあ、確かに弥生と無明に言われれば大半の人間はそれに従うだろうな」

 

今回の護衛に関してアリサが渋ったのはまさにそれが原因でもあった。本来であれば完成した際に今後の予定を何かと詰める予定ではあったが、想定外の任期延長でそれが叶わぬ結果となっただけではなく、サテライトの職人も休息が必要だと取って付けた様な言葉を言われた事により、アリサとしてもそれ以上の抗弁は適わなかった。

 

事実、いくら候補地があっても肝心の職人が居なければ作業に入る事も出来ず、またその職人の棟梁が無明の所の人間であれば、どちらの言葉を優先するのかは考えるまでも無い。表向きはそうではあるが、職人からすればアリサの行動がそろそろ限界に近い事も想定していた事もあり、また倒れる様な局面が発生すれば更に状況が悪くなるのは当然の事でもある。職人からすればアリサは既にエイジの嫁の認識がある為に、結果的にはアリサは現場の人間から心配された結果、押し切られた形となっていた。

 

 

「でもよりによってソーマの護衛ですよ。別に私じゃなくても……」

 

「アリサ。お前、自分の顔を鏡で見た上でそんな事を言ってるのか?だったらその笑顔はおかしいだろう」

 

「もう。コウタじゃあるまいし、一々そんな事言わなくても良いですよ。確かにエイジに会えるから嬉しいのは隠すつもりはありませんから」

 

今回の日程は4泊5日。行先は本部ではあるが、肝心の依頼内容が現地でのクレイドル隊員からオラクル細胞の直接の受け渡しとなっている以上、リンドウとエイジに会うのは必須条件となっている。だからこそ確実に会えると分かっている為に、アリサとしても笑顔が自然と零れていた。

早くエイジに会いたい。今のアリサにはそんな想いだけが存在していた。

 

 

 



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第179話 誤解

「極東支部所属独立支援部隊クレイドル所属のソーマ・シックザール、並びにアリサ・イリーニチナ・アミエーラだ。ここに現在滞在中の同隊所属雨宮ツバキに面会に来た」

 

「ようこそフェンリル本部へ。現在の所、雨宮少佐は会議中となっております。時間的にはもう終わる頃かと思われますので、そのままお待ちください」

 

 長かったフライトに付くや否や、ソーマとアリサはすぐさま本部での受付を済ませていた。

 今回の日程が短いのは、そもそも希少価値の高いオラクル細胞の運搬が目的の為に、長期の滞在を予定している訳では無かった。

 

 今回の要因はアリサの為に元々用意された内容を弥生が更新した事が始まりでもあった。

 事前に連絡があったからこそ混乱する事は無かったが、それでもアリサ自体本部に来た事が無かった事も影響したのか、何となく居心地が悪かった。

 

 

「しかし、ここは無駄に豪勢な気がしますね。極東はどちらかと言えば実用的なんですが、ここは何と言うか……無駄に立派な気もします。今となってはフライアと同じ様な感じがするのはそうなんでしょうか」

 

「フライアの事は知らんが、ここは本部だからな。アナグラと違ってここは俺も何度か来たが落ち着かない雰囲気なのは同意だな」

 

 ソーマはこれまでに榊の名代で何度か来た為に、何となくこの雰囲気を理解していた。アナグラは基本的に前線基地でもあると同時に、一般人の立ち入りも安易に出来る為どことなくざっくばらんな雰囲気が漂うが、ここは一般人が出入りする様な気配は全く感じられなかった。

 そんな事もあったのか、それとも単純に外部の支部の人間が珍しかったからなのかどことなく2人に視線が突き刺さる。

 

 人によっては訝しく、また人によっては何か変わった感情が入り混じった様な視線が2人を襲っていた。

 

 

「ソーマ。私の気のせいかもしれませんが、何となく見られている気がするんですが」

 

「気のせいじゃない。見られてるのは間違いない。ここは他の支部とは違い、無駄にプライドが高いやつらが多いからな。恐らくは田舎者が来た程度にしか考えてないんだろ」

 

「そうですか?何となく舐め回す様な視線にも感じるんですが……」

 

 この時のアリサの感覚は正しかった。実際にソーマもアリサもこれまで広報誌に出ている関係から、他の支部の人間も目にする機会が多かった。

 特にクレイドルはその実力だけではなく、現在進行形で計画が進んでいるサテライトの件もあり、フェンリル内部でも知らない方が少ない程に注目されていた。

 

 

「あれってアミエーラ少尉だよな。実物はあんなに美人なのかよ」

 

「ここの女性陣よりも格段に上だな。今度声かけてみないか」

 

「バカか。お前なんて相手になるかよ。まだ俺の方が可能性は高いぜ」

 

 常人よりも聴覚が鋭いソーマからすれば、アリサの事で話をしているのがまる聞こえも同然だった。

 ここが本部だからと言って全員が品行方正ではない。色んな支部からの寄せ集めだったり、元からの生え抜きの人間も居る。

 そんな中でのアリサの存在は今まで紙面が画面上でしか見た事が無い人間からすれば、注目を浴びるのはある意味当然の事でもあった。

 

 隣のアリサは聞こえていないからなのか、先ほどの様な下碑た会話の内容は聞こえておらず、今はただこの場で待つ以外の方法が無いからなのか、所在無さげな様にも見えていた。

 

 

「すまないが、俺達はこの先にあるラウンジで待つ事にする。来たら伝言を頼む」

 

「はい。賜りました」

 

 このままここに居ても問題無いが、余りにも注目される事に嫌気がさしたからなのか、記憶の中にあったラウンジへと移動する。このままよりはマシだと判断したのか、アリサも同意し、2人はそのまま移動する事にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここも何だか無駄に豪勢ですね。ここにこんな設備を作るならサテライトに予算を回してほしいと思いませんか?」

 

 記憶をたどりながら来たラウンジは、まるで豪華なホテルにある様に隣接されてた。ここに来るのは2度目ではあったが、当時のソーマはまだそこまで考える程の余裕が無かったのか、記憶が怪しい。

 目の前に座ったアリサがどれほど冷静になっているのか、それとも気持ちを誤魔化す為に言っているのかソーマには判断出来なかった。

 

 

「サテライトはここでは多少懐疑的な部分があるんだろう。万が一屋敷の様に自主性を持たれれば今後のフェンリルとしての権力が無くなる可能性もある。今でこそ漸く予算が少しづつ出てるが、恐らくはそれとこれは別物だろう」

 

 ここに来て漸くサテライトの事が認められつつあったものの、フェンリルが予算を出すのを渋るには訳があった。

 

 自主性と考えるのであれば一番厄介なのはネモス・ディアナの存在。屋敷とは違い、あそこは今回の終末捕喰の件で今まで以上に人気が出たユノの故郷と言う事もあり、これまでに何度か撮影される機会があった。

 

 そんな中でフェンリルの恩恵が殆ど無く、事実上の自主活動をしているのであれば、それが対外的に拡がった場合、誰も制御できなくなる可能性があった。

 そんな中でサテライトをクレイドルが主導で作るのであれば、今度はサテライトが独立した際に一番の戦力でもある極東支部と提携すれば、その時点でフェンリルの存在意義が無くなる事になる。

 そんな懸念材料があった事が一番の要因でもあった。

 

 それは無明からアリサではなくソーマにだけ伝えられた真実もであった。

 万が一アリサにこの話が届けば話は確実にややこしくなる。そうなれば今度はアリサが矢面に立つだけではなく、最悪は逆に攻撃される可能性も秘めている。

 態々好き好んで火中の栗を拾う真似だけは絶対にしたくないとソーマは自分に誓っていた。

 

 

「そう言えば、如月中尉って彼女が居るのかな?」

 

「え~どうだろう。でも普段からここ居るなら、仮にいたとしても別れたとか」

 

「だったら告白したらチャンスあるかな。ほら、今度中級の教導だから例の服装でしょ。多少強引に行けば何とかなるかな」

 

「如月中尉は倍率高いもんね」

 

 今度はここでもかとソーマはうんざりしていた。しかもアリサの事ではなくエイジの話。

 この話がアリサに届けばどんな結末が待っているのかを想像するだけでも恐ろしい未来しかない。改めて場所を移動すべくアリサに声をかけようとしたが、どうやら先ほどの会話が耳に入ったのか平然とした表情を作りながらも、意識はその会話へと向かっている。

 この時点でソーマは自分が取った行動を後悔していた。

 

 

「ソーマ。私の聞き間違いなんでしょうか?エイジの事を狙っている女がまさかこんなに居るとは思ってませんでしたが、ソーマはこの事実を知ってたんですか?」

 

 普段アリサがコウタに制裁を加えるのと同じ目をしていた。ここが本部で無ければ間違いなく小一時間は問い詰められる可能性が高いが、生憎とここが本部のラウンジだった事が今のソーマを最悪の事態へと向かう事を阻んでいた。

 

 アラガミが相手であっても冷や汗は出ないが、今のアリサを目の前にソーマの背中は嫌な汗をかいている。ここで迂闊な回答をしよう物ならば、確実に不幸な未来しか見えなかった。

 

 

「そんな事実は今初めて知った。そもそもあいつにそんな話が出るのは今さらだろうが」

 

「アナグラなら良いんです。でもここは本部なんで、私の事は誰も知らないんじゃエイジが誰かと一緒になる可能性が否定できません」

 

 言葉が気持ちを代弁しているのかアリサの表情が徐々に暗い物へと変貌している。アリサはエイジの事になるとどうしても視野が狭くなるのか、落ち込む事が多くなる。

 

 エイジの性格を考えればそんな事は杞憂にしか過ぎないが、それを言葉にした所で、恐らく状況が改善される事は無いのは間違い無い。

 このまま放置してもソーマとしては勝手にアリサが落ち込んでいるだけなので問題は無いが、このシチュエーションだけはかなり拙い状況である事だけは理解出来る。

 このままではまるで別れ話でもしている様な誤解を招く可能性がある。既に何人かの人間がヒソヒソと話をしているのを視界の端にとらえたソーマは早くツバキが来るのを一刻も早く待ち望んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あのエイジさん。クレイドルの方がツバキさんの面会で来てますが、何か聞いてますか?」

 

 先程とは違い、受付では既にここに馴染んでいるからなのかエイジだけではなくリンドウやツバキも堅苦しく呼ばれる事は殆ど無かったのかアナグラと何ら変わらない対応がここでは既に定着しつつあった。

 

 当初はぎこちない部分があったものの、その実力と結果を示した事だけではなく白い部隊服が本部でも珍しいからなのか、色んな意味で注目されていた。

 特に受付に関してはこれまでにエイジが差し入れを何度もしていた事から、既に親しくなっている。

 余所者を排除しやすいはずの本部ではあったが、この3人に対しての意識は別次元でもあった。

 

 

「詳しい事は知らないけど、誰が来てるの?」

 

「確か、シックザール博士と護衛の方でアミエーラ少尉ですね」

 

受付の人間が来訪記録を確認している。本部にはこれまで何度か来ていた事もあってなのか、既にソーマはゴッドイーターではなく博士の位置づけをされていた。

 

 

「で、今はどこにいるの?」

 

「ラウンジで待っているそうです」

 

「ありがとう」

 

 受付に笑顔で返すと同時にアイジはラウンジへと急いだ。今回の目的は未だ捕獲出来ないアラガミの細胞片の運搬である事は予想出来たが、まさかアリサまで来ているとは聞いてなかった。

 エイジの内心はやはり嬉しさがあったからなのか、今は少しでも早く移動すべきだと走りそうになる自分を制御しながら急いでいた。

 

 

「何してるの?」

 

 ラウンジの入り口まで来ると何人かの見知った顔があった。討伐だけではなく教導教官としての顔が有る為に、エイジの事を知らない人間は少ない。

 まさかこんな所に来ると思ってなかったからなのか、話かけられた人間は驚いていた。

 

 

「実はあそこのカップルが別れ話をしているみたいなんで、近づきにくいんです」

 

「あの、如月教官からやんわりと何か言ってくれませんか?」

 

 まるで懇願されるかの様に言われれば相手にもよるが、場合によっては多少なりとも公共の場では控えて欲しい気持ちがエイジにはあった。

 個人的にはどうでも良いが流石に部下から言われた以上、断る訳にはいかない。

 まずは誰なのかを確認する必要があるからと様子を伺う事にしていた。

 

 エイジは改めて中を見れば、該当する例のカップルはアリサとソーマになる。確かに関係性を見ればそう見えるのは無理も無いほどアリサは沈んでいる。

 その原因が一体何なのかはエイジは見当もつかなかった。

 

 

「アリサどうしたの?」

 

 沈んだアリサを引きもどしたのはエイジの声だった。通信越しの声ではなく明らかに肉声のそれがどれ程の威力だったのか、アリサの負のエネルギーが一瞬にして吹き飛ぶ。

 待ち焦がれた恋人の声にアリサは顔が綻んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジは私に何か言う事が有るんじゃないんですか?」

 

 ラウンジでのやりとりはそのまま平穏に終えた様にも見えたのか、それ以上の事は誰もツッコむことは無く終わっていた。

 ツバキだけではなく、リンドウも踏まえ食事をしながらのミーティングのあとは各自の部屋へと解散している。今のエイジの部屋にはエイジとアリサだけが居た。

 

 

「特に何も無いはずだけど……そう言えば、ラウンジで何かあったの?別れ話がどうだとか言われたんだけど」

 

 アリサが何となく怒っている様な、それとも拗ねている様な表情に何があったのか想像出来ない。アリサとしてもまさかラウンジで盗み聞きしたとは言えず、それを自覚しているのか、確認する為にエイジに聞いていた。

 

 

「ソーマとのやりとりは誤解です。ちょっと気になる話を小耳に挟んだので、少しだけ気分が落ち込んでいただけですから。それと本当に気が付いてないんですか?」

 

「ゴメン。何の事なのかサッパリなんだ。今回はここにはあまり居なかったから詳しい事は知らないんだけど、どうかしたの?」

 

「居ないって、どう言う意味ですか?」

 

「言葉の意味そのままだけど。今回は新種のデータ確認と討伐絡みで殆どが外だったから、ここには多分1.2日しか居なかったんだよ。で、何があったの?」

 

 エイジの言葉にアリサは少し冷静になっていただけではなく、ここに来て自分の早とちりである事が唐突に理解出来た。

 ここに居ないのであれば、先ほどの話は今までアナグラでも散々聞いてきた様な話でしかなく、恐らくエイジはその事実に気が付いていない。

 

 完全なアリサの勇み足の結果が今の状況へと陥ってた事を理解したのか顔が徐々に赤くなる。まるで今まで会えなかった所に聞いた話がそれだからと、自分の嫉妬した気持ちがただ出ていた事だけが理解出来る。

 まさかそんな事でエイジを問い詰めたのかと思うと、今は気恥ずかしさからなのか何も言えない状況に自己嫌悪していた。

 

 

「アリサ」

 

「ごめんなさい。ちょっとだけ嫉妬したんです」

 

 ここで黙秘した所で感応現象が起これば全部が伝わる。隠した所で仕方ないと考えたのか、アリサは胸中の想いをエイジへと話す。

 呆れられたかと恐る恐る見れば、エイジもまたアリサと同じ様な表情をしていた。

 

 

「気にしなくてもいいよ。僕だって同じだ。アリサがここに来てから何かと話が聞こえていたからね。お互い様だよ」

 

 エイジも到着した事を確認し、移動の最中にアリサの話は聞こえていた。

 いくら教導教官だとしても、ここでは臨時のゲスト扱いである為に、砕けた話をする機会はそう多くない。只でさえ遠征を繰り返す事もあってか、事実本部に居てもその大半は外部でのキャンプに費やされていた。

 

 

「明日も早いから取敢えずもう寝ようか。明日からの任務は意外と疲れるから」

 

「そうですね。でも、今晩は一緒に寝ても良いですか。久しぶりにエイジの温もりが欲しいんです」

 

 狙ったかの様に上目使いで言われれば、エイジも断る理由はどこにも無かった。

 既に時間はもう遅く、これからアリサを部屋へ送り届けるのは勿体無いと考えていた所での提案はすんなりと受け入れる事が出来ていた。

 

 

 

 



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第180話 未知のアラガミ

「お前達にも今日から我々と一緒に捜索の任務が入っている。日程は4日だと聞いているが、ギリギリまでは任務に当たると考えてくれ」

 

改めて新種の捜索ミッションの名の下に再び全員が就く事になった。何も知らない人間であれば文句の一つも言いたくなる様な状況ではあるが、生憎とソーマは自分の目で見た方が分かり易いからと、アリサはエイジと同じミッションに就くからとの理由により誰も異議を唱える者は居なかった。

 

そもそも今回のアラガミは事前に報告が来た事もあり、今後の人類の行方に多少なりとも変化をもたらす可能性が高いとの算段もある以上、出来る事ならば見つかるまでと考えたい程だった。

 

 

「そう言えば、リンドウ。お前達は遠目から見たんだったな。それはどんな形状をしてたんだ?」

 

「見たと言っても具体的な物を見た訳じゃないからな。少なくとも遠距離からの攻撃でもアラガミを一撃で倒す事が出来る攻撃手段がある以上は、常時警戒する必要があるな」

 

リンドウの回答はソーマが期待した様な事は何も無かった。しかし、攻撃の威力がその言葉通りであれば警戒に越した事は無い。それ以上の確認が出来ない以上、今はその情報しか手がかりとなる様な物は無かった。

 

 

「今後の任務に関してはこれまで同様、常時索敵をかけ、発見次第討伐が主な任務だ。このメンバーであれば問題は何も無いと思うが、各自気を引き締めて任務に当たってくれ」

 

ツバキの言葉に全員が何時もと同じく返事をする。本部の内部ではあるが、そこだけはまるでアナグラに居る様な錯覚があった。

 

 

「それとアリサ。弥生から連絡を受けているが、ここは極東では無い以上しっかりと自重しろ。それとエイジ。お前は先に回復錠を使ってから出ろ。良いな」

 

厳しい言葉の次に来るはずでは無い内容にエイジは首を傾げる事しか出来なかった。自重も何も、昨晩は同じ部屋で一緒に寝たのは事実だが、特に何もしていない。にも関わらず、アリサに対して自重し、自分は任務にもまだ入っていないにも関わらず回復錠を使う指示が出た理由に気が付けなかった。

 

 

「エイジ、それだよそれ」

 

何かに気が付いたのか、リンドウの視線が首を指している。特に怪我をした記憶は一切にも関わらず、指をさした場所を触っても傷跡すら見つからない。リンドウの表情をみればニヤニヤしている様にも見えるが、それでもエイジには意味が分からなかった。

 

 

「あ、あの……」

 

何も気が付かないエイジに居たたまれなくなったのか、アリサが顔を赤くしながら耳打ちをする。漸く理由が分かったのか、エイジは直ぐに回復錠を口に含んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺達が見たのはここが最後だ。それと今回のミッションだが、捜索しながら近隣から来るミッションも同時にこなす事になるから、各自しっかりと準備しといてくれ」

 

移動型指揮車を運転しながら、レーダーが常に周囲の探索を続けている。本部でのやりとりなどまるで無かったかの様に、全員が周囲を索敵する事しか出来なかった。

 

 

「しかし、目的が目的なだけに、何も見つからないのは苦痛だな」

 

「そう言うなよソーマ。俺達はこんなのをここに来てからずっとやってるんだぞ」

 

索敵しながらの移動は常時精神的な物を感じるのか、疲労の度合いは普段以上だった。時折入る通信で移動しながらの討伐任務に関しては何の問題も無いが、それでも目的らしい物が無いままの捜索はゆっくりと精神を疲弊させていく。

 

既に時間も遅くなりつつあったのか、一旦はここでのキャンプを余儀なくされる。こんな状況なのは今さらなので誰もが何も言わずにやるべき事をやると同時に、一日の疲労を癒すべく食事の準備をしていた。

 

 

「お前達、この先でアラガミの反応があった。装備を整えて任務に入れ」

 

これからゆっくりと出来るかと思った矢先だった。今までレーダーに何も反応が無かったはずの場所に突如としてアラガミの反応をキャッチする。今までの経験上、明らかに従来の反応とは違う事だけは本能が告げていた。

 

目的のアラガミの可能性が高い事を全員が察知したからなのか、既に臨戦態勢に入っていた。既に太陽が沈みかけ、恐らくは時間にして然程も残されていない可能性が高い局面での戦闘には、多大な注意が必要となっていた。

 

この時間帯であれば厄介なのが視界が一気に狭くなる事。夕暮れ時の西日が思う以上に視界を塞ぎやすく、また逆光の中での戦闘ともなれば最悪の結末を招く可能性があった。本来であれば完全に沈んだ方がまだ目が慣れるが、現状では投光器は用意する事が出来ず、万が一には他のアラガミの襲撃を考えれば使用する事が躊躇われていた。

 

 

「まだ太陽の光が強い。お前らも逆光を考えてやってくれ!」

 

リンドウの指示と同時に全員がアラガミに向かって突撃する。既に西日がキツくなり始める頃、ここで初めてアラガミの姿を目撃する事が出来ていた。

 

 

「あれが……アラガミだと」

 

「ソーマ。関心するのは後だ。攻撃のパターンが分からない以上、警戒してくれ」

 

ソーマだけではなく、この場にいた全員が驚いていた。アラガミと言わなければ恐らくは未確認の動物の様にも見えるその姿は今までのアラガミとは一線を引いた存在である事が直ぐに理解出来た。これが今まで姿すら確認出来ない程の存在でもあり、今回の最大の目的でもあった。

しなやかな肉体に金色の毛、三本の尾がまるで生き物の様に蠢いているその姿は、まさにアーカイブでも見た狐の様な形状をしていた。

 

 

「これが今回の目的ですか?」

 

「ああ。こいつが僕とリンドウさんが探してたアラガミだよ。恐らくだけど、このアラガミは他の個体とは大きく違う。油断した瞬間にどうなるのか予測出来ないから、要注意だよ」

 

攻撃では無く、すぐに回避できるように刀身は低く構えエイジは警戒しながらアリサに話す。今回の最大の目的でありながら、中々お目にかかれないこのアラガミが目の前に居る以上、今は一刻も早い討伐とばかりに様子を伺っていた。既に近くまで来ているのは恐らく気が付いているはずにも関わらず、そのアラガミは意にも介す必要が無いとばかりにゆっくりと歩く。

それがまるで誘っているのではないかと思わんばかりの行動に見えていた。

 

 

「このままだと膠着だな。どうするリンドウ?一気に決めるか」

 

ソーマが言う様に、このまま見過ごすわけにはいかないが、今の状況は明らかにアラガミに分がある様にも見える。太陽がゆっくりと沈むのを待つかの様に、時間だけがゆっくりと過ぎ去ろうとしていた。

 

 

「行くぞ!」

 

太陽が沈み、薄暗くなった瞬間、リンドウの叫び声と共に戦端は一気に切り開かれた。今まで新種の対応は散々やっている以上、何の弊害も無い。ここぞとばかりに全員がアラガミへと距離を詰めていた。

 

 

「アリサ、援護を頼む」

 

「了解です」

 

エイジの言葉と同時にアリサは既に銃形態へと変更し、エイジの行動を読み切るが如く少し先を予測しながら弱点となる属性を探るべくオラクル弾を撃ち込みだす。アサルトの特性を活かしながらアリサは次々と全部の属性を試すべく素早くバレットを変更していた。

通常であれば一つ一つの動作を確認しながらのはずが、エイジとの呼吸が合っているのか、一々確認する事もなく、全弾が命中する。

元々属性の確認の為だった事もあってか、アラガミは気にする事無く距離を詰める為に突進しているエイジへと襲いかかっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサ!大きく回避だ!」

 

お互いが距離を詰めながらの攻防は既にお馴染みとも取れる光景でもあった。本来であればギリギリで回避しながらカウンターで攻撃を当てるエイジのやり方を当たり前の様に見えていたアリサはエイジの発する言葉の意味が理解出来ないまま、そのばから大きく跳躍する事で回避行動に入っていた。

 

 

「どうしたんですか?」

 

「嫌な予感がしたんだ。薄暗いから詳しい事は分からないが、距離を詰めた瞬間嫌な感覚があったんだ」

 

エイジもまたアリサ同様に大きく回避行動に移っていた。本来であればカウンターを当てながら弱点の分析をしていたが、狐のアラガミの突進にどこか嫌な予感しかしない。セオリーではなく、今まで培ってきた感覚がエイジの脳内で警鐘を鳴らしていた。

 

 

「そう言えば、何かしら弱点は分かった?」

 

「殆ど差は無い様にも思えましたが、多分火属性かもしれないです」

 

全部の属性を僅かな時間で撃ち尽くすと同時に、弱点となる属性の探索をするのも新種と対峙した際には重要な情報となりうる。流石に討伐が出来ない事は無いにしても、ある程度のデータが求められる戦い方は、事実上クレイドルのチームでしか出来ない事が多かった。

 

本部に於いては極東を基準にすれば階級は尉官でも、未だ曹長レベルの人間が多く、本来であれば全員が教導の対象になりうる可能性があったものの、流石に立場上は同じ中尉でもあるエイジとの教導をする訳には行かないとの理由によって、実際には上等兵クラスの教導がメインとなっていた。自分よりも若く実力がある人間が妬まれるのはどこの世界でも同じではあったが、本部ではその傾向が強かったからなのかエイジと話すのはどちらかと言えば若手から中堅までが殆どでもあった。

 

 

「了解。リンドウさん。あれは火属性です」

 

「了解。データの収集はしてある。でも、さっきの突進は何かあったのか?」

 

狐のアラガミの突進は確かに速度はあったが、それに負ける様な軟な鍛え方はしていないにも関わらず、先ほどの大きく回避行動を取った事がリンドウの中で疑問を生じていた。

 

 

「勘としか言いようがないんですが、距離を詰めた瞬間に嫌な予感だけがしたので」

 

「新種はパターンが分からないからな、今は行動パターンだけでも調べる必要があるって事か」

 

突進を大きく回避した事と、それに伴って距離が空いた事から、情報の共有化を進める。既に慣れたやり方ではあったが、エイジとリンドウはスナイパーの攻撃の様なオラクル弾らしきものをまき散らした光景も見ている。

そう考えると、今後の対策が必要となるのはある意味当然の事でもあった。

 

 

「ソーマ、アリサ。あいつは上空からオラクル弾を周囲にまき散らす事もある。少なくとも俺とエイジはそれを見ているが、攻撃力はかなり高い。出た際には指示を出すから常時警戒してくれ」

 

少し前に見た光景が嫌でも思い出される。このメンバーで直撃は無いとは思うが、やはりその攻撃力は警戒の対象にしかならかった。

 

 

「おしゃべりはここまでだ。また近づいてくるぞ」

 

ソーマは既に臨戦態勢へと入っている。距離が空いたかと思ってはいたが、やはりその行動は早く通常であればゆとりが持てたはずが、今は既に手前10メートルの地点まで接近していた。再度距離を取りながらも全員が固まる事無く散開している。攻撃の的をしぼらせない為に、全員が狐のアラガミを取り囲む様にして距離を詰めていた。既に太陽が沈んでからはそれなりに時間が経過しているからなのか、徐々に闇が周囲を覆いつくそうとしてていた。

 

 

「ちょこまかと動きやがって」

 

「アリサ援護して!」

 

リンドウのボヤキはある意味正解だった。狐のアラガミは今まで見た中でもヴァジュラやガルム種以上に大きな躯体を激しく動かすからなのか、攻撃を当てる事が出来ても散発程度の銃弾だけもあってか、中々捕喰する事も難しい。

 

戦闘中は時間の概念は殆ど無いが、夕日が完全に沈む事から否が応でも時間の経過を理解させられている。本当に夕闇が周囲を囲む事になればクレイドルとしても厳しい戦いを迫られる可能性があった。エイジの指示でアリサが火属性のバレットを放つと同時に、再びエイジは距離を詰める。既に手を伸ばせば届くと思われた瞬間だった。狐のアラガミはまるでその場で回転するかの様に大きく動き出す。その動きが大気を動かす事で小さな竜巻を連想させていた。

 

 

「エイジ!」

 

アリサの言葉と同時にエイジは盾を展開させる事に成功したからなのか、ギリギリの所で防御に成功していた。しかし、それと同時に厄介な可能性が浮上する。下手に距離を詰めるとカウンターの如く先ほどの攻撃によって行動が阻まられる可能性があった。

このままでは斬撃を当てる事が出来ないと同時に、攻撃の手段が限られる事を示唆していた。

 

 

「間に合ったから大丈夫だ」

 

ギリギリで防御したまでは良かったが、盾の表面を見ればゾッとしたくなる様な状況が攻撃力の高さを示している。防御出来たからまだ問題無かったが、これが直撃すれば流石に無事とは言えない可能性が極めて高い。今までに見たアラガミの中でもこれ程までに見た目と攻撃力が番う個体はそうそう出会う事は無い。明らかに接触禁忌種に指定する程の威力がそこにはあった。

 

 

「お前ら来るぞ!」

 

リンドウの言葉に改めて狐のアラガミを注視する。先ほどまで3本だった尾が、オラクル細胞が活性化したからなのか、既に腰の部分からも炎が揺らめく様に6本の尾の様な物が立ち込めている。それが何を意味するのかを理解したのはリンドウとエイジだけだった。

 

 

「アリサ、ソーマ盾で防ぐんだ!」

 

エイジの指示と同時に全員が盾を展開する。既に完了したからなのか、盾がオラクル弾を防ぐもその威力が盾越しに伝わる。どれ程の力があるのか想像するだけでも気が重くなりそうな一撃は、今後の討伐のハードさを予感させる。それ程までに、目の前のアラガミは脅威の対象となっていた。

 

 

「リンドウさん!」

 

「おう!任せたぞ」

 

アイコンタクトの様にお互いが一言だけ発すると同時に、エイジは盾を収納すると同時に剣形態へと戻し、回避しながら距離を詰める。既に一度見た攻撃は脅威とはなり得なかったからなのか、エイジを狙うオラクル弾を回避しながら捕喰形態へと変形させる。スライディングしながら狐のアラガミの尾の部分へと僅かに齧る事に成功していた。それと当時に体中にオラクル細胞を取り込んだ事によって大きく能力が高まったのか、エイジの身体がバーストモードへと突入する。鍛えられた業と手になじんだ黒揚羽の威力がそのまま尾の部分を破壊していた。

 

 

「このまま一気に決める」

 

まるで当たり前の様な言葉と同時にエイジの一撃が狐のアラガミの腹部へと襲い掛かる。気になるのは先ほどの回転しながらの回避。今はその姿が少しだけ頭の中に残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかああ出るとはな……」

 

「結局逃げられましたね」

 

エイジの一撃は予感がしたのか回転しながら周囲を巻き込む事で狐のアラガミは回避に成功していた。エイジのバーストモードに死の臭いを感じ取ったのか、最初からそう決めていたかの様に狐のアラガミはそのまま逃走していた。

 

 

「でもマーカーを付ける事に成功したから、多少の間は状況を追跡できると思うよ」

 

直前に気が付いたエイジは防御するのではなく、バーストモードを活かし最大限に回避行動に移ってたと同時に、ポーチからマーカーを取り出すと、狙いすましたかの様にマーカーを投げつけていた。個人技能とも言えるその行動にマーカーの設置が出来た事によって、追跡が可能となっている。

 

最終的にはオラクル細胞に捕喰される可能性はあるが、それでもやはり一定期間の位置情報は今後の為になる事だけは予測出来た。突然の邂逅は結果として逃走された形ではあったが、少なくとも一部の結合崩壊をした事により、今までに中でも最大級での細胞の摂取が可能となった事だけが、唯一の戦果でもあった。

 

 

 



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第181話 互いの気持ち

「お前達ご苦労だった。取り逃がした事は致し方ないが、今回の戦闘データは今までの中でも最大級の戦果だろう。ソーマは今回の細胞を直ぐに榊支部長へと運んでくれ。手続きは既に完了している」

 

 

指揮車に戻ると、既にツバキはモニターを終えていたのか、労いの言葉と同時に、今後の予定についての説明し出していた。結果的には討伐こそ適わなかったが、今回の戦闘によって、恐らくはここに寄り付く可能性は低い事が結果として出ていた。

 

知能が高いと感じとったのか、それとも今後は力を蓄えた状態で襲撃に来るのかは誰にも理解出来ないが、今は一時の憩いとも取れる結果に全員が安堵していた。

 

 

「って事は今回の役割はこれで役目御免と言った所で?」

 

元々食事の準備の途中だった事もあり、改めてその場で食事となりながら、これまでの情報を纏めると同時に今後の予定を決定していく。既にこの戦闘データは本部と極東に送られた事もあってか、返答は随分とシンプルながらに早い回答となっていた。

 

 

「そうなるな。今回の件は元々調査であって討伐ではない。結合崩壊を起こした部位も手に入った以上、我々の任務はこれで一旦は終了だろう。その後の事は榊支部長から追って研究の解析結果が来てからになるだろうな」

 

エイジとアリサが用意した食事を食べながら今後の予定を考慮していく。既に本部からも契約満了の文面が届いた事で、これで長い道のりでもあった、調査任務が完了していた。

 

 

「それと今回の件だが、ソーマとアリサは予定通りの日程となっている。エイジとリンドウは明日は一日休暇とし、その後は同じ機体での帰国となる」

 

ツバキの言葉にアリサの表情は明るくなっていた。会えるだけでもうれしかったが、明日一日は事実上一緒に居る事が可能となる。折角来たのであれば本部の周辺でデートしたいと考えていた事が全員に知られたのか、それ以上の事を誰も言うつもりはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうですか。了解しました」

 

短く切った言葉と同時に、エイジは端末から情報を更新していた。今回の対峙した狐のアラガミは正式に『キュウビ』と名付けられていた。ノルンで確認すれば既に更新されたのか履歴にも残っている。

今はまだ正式に討伐した結果が無い為に、恐らくは一部の上級職以上のみ閲覧可能となっているのは、今後の経緯を確認しているからだろうとあたりをつけていた。

 

ギリギリの中で付けたマーカーは未だ信号を出しているからなのか、既に本部の周辺一帯には他のアラガミを襲撃した気配すら存在していない。今回のミッションが厳しい事だったと言う意識だけが残されていた。

 

 

「どうかしたんですか?」

 

「いや。あのアラガミは正式に『キュウビ』と決まったらしいよ。それとこの周辺には既に影も形も無いらしいから、恐らくはどこかの地域へと移動したんじゃないかって話だね」

 

食事を終えた後は、そのまま撤収の準備へと取り掛かった事もあり、既に時間はかなり遅い時間になりつつあったが、今は本部の自分達の部屋へと戻っていた。

深夜ともなれば人もまばらになる事もあり、今回のミッションの結果が既にノルンに更新された以上、クレイドルに対して確認をする様な事は無かったからなのか、エイジはアリサと自分の部屋に戻っていた。

 

 

「って事は今後は極東にも来る可能性があるって事ですよね」

 

「そうなるね。まだ今の状況がハッキリしないけど、可能性は高いと思う」

 

サテライトの事が思い出されたからなのか、アリサの表情は少しだけ影を落としていた。日没から始まった戦闘は時間にすれば然程経過する事は無かったが、その内容はまさに濃密とも取れる程だった。

今までにも色んなアラガミと対峙したが、こうまで苦戦したのはハンニバル以来。今でこそ対応策があるが、今回のキュウビに関してはこれから手さぐりでやっていく事になる。

当時の状況が思い出されたからなのか、アリサの表情は中々戻る事は無かった。

 

 

「でも、今は対策も直ぐに立てる事が出来るし、僕たちも当時のままじゃないからね。今はただ一時の憩いを取るだけだよ。休むのも仕事のうちだからね」

 

「そうですね。もう時間も遅いですから」

 

戻ってからも何かとやるべき事があるからと、既に時刻は日付を大幅に超えていた。明日は一日休暇とは言え、やるべき事を先送りする訳にはいかない。今はただ少しだけ眠りに就こうと考えた矢先に朝の一コマが思い出されてた。

 

 

「そうだ。ねえアリサ、あれはいつ付けたの?全然気が付かなかったんだけど」

 

「あれですか……実は少しだけ早く起きたのでつい…」

 

アリサの言葉の歯切れが悪かったのは、今朝の一幕が要因でもあった。朝、鏡を見た際には絶妙な場所に付いてたからなのか、エイジは気が付く事もなくそのまま部屋を出ていた。

首筋に咲いた真っ赤な花はここに来てからアリサがこっそりと付けた物。まさかツバキに指摘されるとは思っても無かったが、これで多少なりとも周囲への牽制にはなるはずと考え実行していた。今思い出せば、確かにエイジを見知った人間からは微妙な表情をされていたが、まさかこれが原因だとは思いもしなかった。

 

 

「そうなんだ……じゃあ、アリサにも同じ事しないとね」

 

「あの、優しくしてくださいね」

 

「善処するよ」

 

まるで意趣返しの様にも思えるも、それが何を指しているのかを理解したからなのか、それ以上の言葉はお互いに何も無かった。暗くなった部屋からはお互いの息遣いと僅かな水音だけが聞こえる。ここに来て早々は翌日のミッションに差し支えが出るからと特に何も無かったが、明日は休暇となっている以上、今は久しぶりの逢瀬を存分に味わうべく、お互いの愛を確かめ合う様に時間だけが経過していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、ここは初めて来たんですが、どこか見る様な所でもあるんですか?」

 

「そう言われると、何とも言えないんだよね。実際にはリンドウさんもだけど、ミッションは当たり前の様に連続してるから、ゆっくりとここを回った記憶は無いかな」

 

先日言い渡された休暇の件で2人は本部周辺の居住区へと足を運んでいた。エイジとリンドウは確かにこれまで何度も来ているが、実際には教導と遠征の繰り返しだった事もあってか、居住区まで来た事は皆無だった。

 

 

「でも、色んな所を知ってるみたいですけど?」

 

「ああ、それは受付の人に聞いたんだよ。ほら、アリサ達が一番最初に受付したかと思うけど」

 

エイジの言葉にアリサは当時の状況を思い出していた。あの時はソーマが受付をしたものの、中々見た目が整った女性だった事が記憶に残る。それは無いとは分かっていても、何となく面白く無いと考えたのか、少しだけエイジの顔を眺めていた。

 

 

「…確かに美人でしたね。話によれば何かと懇意にしてるらしいですね」

 

「ミッションの発注がそこだから、それは仕方ないよ。アナグラだってヒバリさんがやってるのと変わらないと思うけど?」

 

「アナグラは良いんです。ヒバリさんはタツミさんも居ますから、エイジを誘惑する事はありませんし」

 

何か嫉妬している様に聞こえるが、それはある意味お互い様だと考える部分があった。今回の休暇の際に、どこか見どころが無いかと確認した際に何気にデートだと告げた瞬間、男女を問わず色んな所で悲鳴の様な物が聞こえていた。

それが誰に対する物なのかは言うまでも無いが、それはエイジからしてもアリサがここでは人気があるからだと考えていた。

 

広報誌に載った際には必ず話題に出るだけではなく、一部のゴッドイーターからは何かとアリサについて聞かれる事も多かった。本当の事を言えば声を大にして言いたい気持ちも何度かあったが、まさか教導で来ているにも関わらずそんな事をする訳には行かないからと、そんな話題に対してはなるべく入らない様にしていた。

 

 

「それは無いよ。だったらあんなに大量に付けないからね」

 

笑顔で言われた言葉で今朝の一幕が思い出されていた。気だるい身体を起こしシャワーを浴びようとした瞬間、アリサは自分の身体を見て驚いていた。首筋に限らず、胸元やお腹にまで赤い花が咲いていた。ゴッドイーターが故に代謝が高いからそのまま放置しても恐らくは早い時間で消えるのま予想出来たが、あまりの数にアリサは慌ててエイジを起こしていた事実があった。

 

 

「あれは…流石に私も驚きました。ドン引きです」

 

愛された実感がそのまま形になったかの様な花はあちらこちらに主張していた。既にめぼしい物は消えているが、未だに残っている部分もある。見えない所ではあるが、気恥ずかしい事に変わりはなかった。

 

 

「次からは要領が分かってきたから大丈夫だよ」

 

「もう。そんな事言わないでください」

 

笑顔で言われるとアリサもそれ以上の事は何も言えなかった。既に時間がお昼に差し掛かろうとしたからなのか近くのカフェへと入る。ここでもやはり2人は注目の的でもあった。

 

 

「ここに来てからいつも思うんですが、ゴッドイーターの感覚がここは他とは違うんですか?」

 

「多分、本部だからが一番だと思う。極東や他の地域だと神機使いは何かにつけて優遇されるけど、ここには貴族も多いから優遇の感覚が無いのかもしれない。事実フェンリルの上層部には貴族がそれなりに食い込んでいるからね。多分そっちの方がインパクトはあるんじゃないかな」

 

エイジの言葉が表す様に、エイジとアリサに視線は一瞬だけ集まっていたが、その後はまるで何も無かったかの様にいつもの空気が漂っていた。誰もが好き好んでい注目されたいとは考えてもおらず、この2人もまた同じ様な事を考えていたのが知られたかの様に特別視される様な事はなく、何時もの日常の様な時間を過ごす事が出来ていた。

 

 

「あれ?如月中尉じゃないですか。こんな所で会うなんて珍しいですね」

 

「今日は休暇だよ。明日には帰国だけどね」

 

恐らくは教導の担当者だったのか、自分と同じかそれよりも少し若い位だと思える男性二人がエイジとアリサを見つけたからなのか、こちらへと向かってきていた。当初は困惑していたが、話を聞けば恐らくは後輩みたいな者なんだろう。エイジはここでも慕われてるんだと考えながらアリサはただ黙って見ていた。

 

 

「そうだったんですか……ってアミエーラ少尉と一緒だったんですか。済みませんデート中ですよね」

 

「まあ、そうだけど。ってなんで知ってるの?」

 

「本部の連中の大半は知ってますよ。だって俺の所にもメールで速報が入ってましたから」

 

そう言いながら目の前の青年が届いたメールを見せている、確かに内容はそれではあったが、まるで芸能人と変わらない行動に少しだけ引いていた。

 

 

「大半って、まさかとは思うんだけど……」

 

「はい。教導の担当者全員です」

 

「……そうなんだ」

 

どうしてこうまで話が広がるのかエイジには予測出来なかった。確かに何も知らないから知っている人間に聞いた方が早いからと受付で聞いたまでは良かったが、まさかこんな事態にまで発展していたとは思っても無かった。

 

 

「あの、アミエーラ少尉」

 

「は、はい」

 

「如月中尉ですが、結構本部でも人気があるんで、このまま手を離さないで下さい。今の姿を見てると如月中尉もリラックスしているみたいですから」

 

突然の出来事に話の流れが追い付かない。今のアリサに分かったのは精々がエイジは人気がある事だけだった。無意識の内に握られた手に力が入ったのかアリサの緊張感が伝わる。それが何を示すのかを理解したエイジは敢えて何も言わなかった。

 

 

「大丈夫です。この手は離しませんから」

 

笑顔で話したと同時に、それを理解したのか、近寄ってきた二人はその場を離れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突如として降って湧いたかの様な休日はあっと言う間に過ぎ去っていた。極東に居れば、確実に何らかの仕事が舞い込む事もあってか気が休まる事は少なく、今回の日程を半ば強引とは言え、組んでくれた弥生にアリサは少しだけ感謝していた。

時間は分からないが既に日が沈みかけている。ここは展望エリアなのか、2人以外にもカップルと思われしペアが何組か居た。

 

 

「今日は楽しかったです。久しぶりにのんびり出来たのはある意味弥生さんのおかげですね」

 

「それは確かにそうだけど、今日の事は多分知られてるよ。何だかんだで本部とのつながりは未だにあるからね」

 

少し前に見たメールから考えればその可能性は否定で出来なかった。今回の内容を画策したのが本人であると同時に間違い無くこの情報はアナグラでも知らさせる事になるのは間違い無かった。既にゆっくりと夕日が沈もうとした時だった。

 

 

「ねえアリサ」

 

「なんですか?」

 

何かを思い出したかの様に、エイジはアリサの顔をジッと見ていた。この問いかけが何を意味するのか分からないアリサはただエイジの顔を見る事しか出来ない。

 

エイジが口を開くと同時に夕方の時刻を知らしめようと辺り一帯に大きな時計の鐘が鳴り響く。エイジがアリサに対して何を言ったのか、周囲の人間が知る事は何も無かった。大きく鳴り響いた鐘の音が終わる頃、アリサの目には涙が溢れ、顔を赤くしながらもほころんでいた。

 

 

 

 

 



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第182話 新たな人物

 

「あの、アリサさんは居ませんか?」

 

「アリサさんなら現在は出張中の為に、ここには居ません。予定では明日には帰還予定ですが、どうかされましたか?」

 

フランの言葉に何かガッカリしたのか、目の前にいた女性は少しだけ考える素振りを見せていた。フランもここに来てからは大よそのゴッドイーターの名前と顔は一致しているが、目の前に居る少女は少なくともフランの記憶には該当しなかった。

 

 

「いえ。大した事では無かったので、明日改めて来ます」

 

「そうでしたか。申し訳ありませんが、その様にお願いします」

 

ぺこりと聞こえそうな程深くお辞儀をした少女を見れば、そのまま真っ直ぐにホールの外へと出ていくのをフランは見る事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、ヒバリさん。今日来た女性神機使いの件なんですが、私の記憶の中では該当する人物は居ませんでしたが、どなたなのかご存じないですか?」

 

交代の際に先ほどの事を思い出したのか、フランはヒバリに確認すべく大よその特徴を伝えていた。当初は何か考える事があったのかヒバリは端末から次々とデータを引っ張り出す。それが誰なのか知っている様にも見えていた。

 

 

「ひょっとしたらこの人じゃありませんか?」

 

「そうです。この人です」

 

該当した人物の顔写真と氏名は極東の所属では無い事を示していた。この人物であればアリサとは確かに面識はあるに違い無いが、その要件が何なのかが分からない。名前も特に名乗らなかった以上、今はただアリサが戻った時に分かるだろうとその程度の認識だけしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか。流石は神機使いの生命力は大した物だな。所でどんな要件だったんだ?」

 

ヒバリからの話はすぐさま弥生の元まで届いていた。マルグリット・クラヴェリ。一番最初にアリサ達がネモス・ディアナで邂逅した神機使いの少女でもあり、それと同時に今は根絶したと思われる黒蛛病の患者でもあった。一時期は心停止の状態にまで陥ったものの、その後のブラッドとユノの活躍によりギリギリの所で一命をとりとめていたのが思い出されていた。

 

 

「いえ。詳しい事は分かりませんが、アリサを頼って来たとの事です」

 

「そうか。今はここから派遣しているから、あそこも人的な部分でゆとりが出たのかもしれんな。アリサは確か明日だったな」

 

「予定通りであればそうなります。如何しますか?」

 

「詳しい事は後で聞く事にしよう。それと今回の帰還についてはエイジとリンドウだけだ。ツバキはそのまま残っている。入れ替わる形だが俺が現地に合流する」

 

既に帰国の途に就いているのはツバキを除いた全員だった。事実、その帰還したヘリに入れ替わる形で無明は本部へと乗り込むのは新種の細胞の件ではなく、今後の行方を見据える為に確認すべき事があるのが目的でもあった。

 

事実、情報の諜報ともなれば何かと面倒な事もあり、その為には2人で居た方が何かと都合が良いからと事前に連絡をしていた。

 

 

「了解しました。準備は既に出来ておりますので」

 

その言葉と同時に弥生が無明の部屋から退出する。今回の珍しい来訪者が何をしに来たのかは本人のみぞ知る事となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒバリさん。ただいま戻りました」

 

本部とは違い雑多な感じが残ったままのアナグラにアリサは少しだけ既視感を覚えていた。最後のデートはともかく、新種の討伐や内部での影響など幾らエイジが一緒だったとしても心が穏やかにはならない部分が多かったものの、ヒバリの声を聞いた事によって改めてここが極東である。その感覚が戻ってきた事を確認していた。

 

 

「お帰りなさいアリサさん。そう言えばエイジさんとお楽しみみたいでしたね。弥生さんから聞きましたよ」

 

ヒバリの言葉にその場にいた数人が反応している。ここが本部であれば何かと問題が生じる可能性があるが、生憎とアナグラである以上アリサも少しはヒバリの言葉を受け流すゆとりがあった。

 

 

「お楽しみだなんて……向こうでは何時もと同じでしたよ」

 

赤い顔をしながらの言葉に説得力は皆無である事は間違い無い。本来であればこのまま詳細を聞きたいと思ってはいるものの、今はまだ就業中。ひとまずその件は皆で聞く事を心に決めて、先日の件を改めてアリサに伝える事にしていた。

 

 

「そうでしたか。でも態々ここまで来るのは何か目的があるんでしょうか?」

 

「詳しい事は分かりませんが、多分明日にも改めて来るとは思います」

 

既に時間は夕方の4時を回っていた。この時間帯であれば来る可能性があるのは明日になる。それならばと思った矢先にヒバリの手元の端末が警報を鳴らしていたのか、状況が同時に流れてくると同時に先ほどまでの緩やかな空間が一気に緊張感の高まる空間へと変貌していく。

民間人と一人の護衛が逃走しながら交戦中の内容でもあった。

 

 

「コウタさん。帰投中の所すみませんが、そこから約10キロ先で民間人と護衛の方が救難信号を出しています。ここから出るよりも早いので、すみませんがこのまま任務を更新します」

 

《了解。すぐに現場に行くよ》

 

コウタの返事と同時に通信が切れる。誰からの通信なのかは分からないが、今はただ無事である事を祈るしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《護衛の神機使いが負傷している。怪我は問題ないけど、多少の治療は必要だからこのまま同行します》

 

「了解しました。近隣にアラガミの姿は確認出来ませんが、周囲の警戒をお願いします」

 

現場へと急行した第1部隊が無事に完了したと同時に、護衛のゴッドイーターの負傷の一報。コウタの話から判断するのであれば、大事にはならない可能性が高く、軽い治療をするだけに留まるからとヒバリは判断し、そのまま受け入れ態勢と同時に治療の手配を進めていた。

 

帰投したヘリから降り立ったのはコウタ達第1部隊のメンバーと見慣れない神機使い。それと今回の同乗者を見た瞬間、ヒバリは固まっていた。

 

 

「フェンリル極東支部へようこそ。葦原総統」

 

「態々済まない。まさか助けられるとは思ってなかったからな。折角だから榊支部長か無明さんは居るか?少し挨拶をしたい」

 

まさか那智だとは思っても無かったのか、ロビーに居たアリサも偶然見かけた那智を見て少し固まっていた。既にネモス・ディアナとは友好関係が築かれてはいたものの、やはり当時の印象が強すぎたのかアリサの表情が少しだけ強張っている。それに気が付いたのか那智は少しだけ固い表情を緩ませながらアリサの元へと歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど。我々としても今回の提案は特に困る事でも無いし、お互いの技術交流も兼ねるのであれば特に問題無いと考えていますが、そちらは問題無いのですか?」

 

「既に我々の防衛任務の中にネモスディアナは含まれている以上、その件に関しては特に問題ありませんよ」

 

突如として降って湧いた話が決まったからなのか、那智と榊の話合いから、ネモス・ディアナに所属する神機使いを極東の教導に組み込む話が決定していた。終末捕喰の影響もあってか、ここ極東でも少しづつ志願する人間が多くなった事も影響したからなのか派遣の日程がスムーズに進んでいた。

 

極東が世界有数の激戦区であるのは既に常識となりつつあったが、その一方では過度な戦力は不信感を生む原因にもなりやすいと判断したのか、これまでにも色んな支部からの教導の名目で極東支部に派遣されている。そんな中で今さら一人増えた所で何も問題は無かった。

 

 

「我々としても一時的とは言え、戦力が増強されるのは間違い無いのでこれから通達を出しておきますので」

 

榊の言葉をそのままに弥生が命令書を作り上げる。既に決定された内容はそのまま全員へと通達される事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺が?別に構わないけどさ」

 

「そう言ってもらえると助かるよ。マルグリットさんはアリサの話だと曹長クラスの力量があるらしいから、そのまま実戦に組み込んでほしいんだ」

 

教導のメニューを考えた際に、エイジの中で一つの考えがあった。現状では教導メニューは新兵から曹長未満までが受ける事になっているが、基本的に新人である事が前提での話である以上、既にネモス・ディアナでの任務についているマルグリットがそのまま教導を行うよりは実戦に出した方が合理的ではないのだろうかとの考えがあった。

 

事実、総統の那智の護衛任務に付けるのであれば、それなりに技術があるのは間違い無い。それなら今後の事も考えた上で単独ではなく、集団での戦い方を学んだ方が合理的である事もその一因でもあった。

 

 

「そうなると、基本的には仮とは言え、第1部隊の所属なんだろ?俺の胃が持つかどうか……」

 

コウタの表情が全てを物語っていた。いくらここにはあまり居ないとは言え、現状の第1部隊を知っていればエイジとて同情の一つもしたくなるのは当然の事でもあった。

 

 

「ひょっとして、まだやってるの?」

 

「ああ。因みに俺はもう匙を投げたよ」

 

「…ご苦労様だね」

 

「ったくエイジよりも俺の方がこんなに苦労するのは何か間違ってるだろ。当時の第1部隊は皆良かったじゃん」

 

「それは無いんじゃない?」

 

コウタの言いたい事はエイジにもすぐに理解出来た。しかし当時の状況を考えればソーマは人との関わりが無く、アリサも今みたいな素直な性格では無い。何をどう考えたらそんな考えが出るのかはともかく、今は確かに苦労しているのはここに来て最初にブラッドが驚くのも無理は無いとまで思えた状況が思い出されていた。

 

一時期よりは大人しくなったものの、それでもエリナとエミールは些細な事で口論になる事が未だにあった。既に周囲はその環境に慣れたからなのか何時もの光景程度にしか認識をしていない。

そんな中でもう一人を投入すればどうなるのかは容易に想像出来る。しかし、クレイドルに入れる訳にも行かず、また新人と同行となれば細かい部分で軋轢を生じる可能性もある。だからこそコウタの部隊が今のマルグリットには丁度良いと判断した結果だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう身体の方は良くなったんですか?」

 

「はい。神機使いは一般の人よりも頑丈らしくて、今はもう元通りです。それよりも私の件で総統に色々言って頂きありがとうございました。実は先日お伺いしたのは丁度この近隣にまで来てたのでお礼をと思ったんです」

 

既に通達が来た事で、マルグリットは一時的に極東支部の配属として組み込まれていた。ゴッドイーターは本来であればフェンリルの配下に入る必要があったが、今回の経緯からネモス・ディアナはフェンリル配下では無い事もあって、事実上の特例措置としての配属となっていた。

 

 

「あの、私はエリナ・デア=フォーゲルヴァイデと言います。第1部隊に入るって聞きましたので、よろしくお願いします」

 

「マルグリット・クラヴェリです。以前は整備士だったんだけど、ちょっとした事で神機使いになったの。研修期間満了までだけど、お願いします」

 

アリサの紹介で、エリナとマルグリットは挨拶する事になっていた。何時ものエリナであれば、多少なりとも懐疑的な部分を持つ事もあったが、紹介されたのがアリサからであると同時に、今まで事実上の一人でネモス・ディアナで戦い抜いていた事がエリナを刺激したのか、アリサの心配を他所に2人は終始和やかなムードが広がっていた。

 

 

「マルグリットさんは、どうして今回ここでの教導になったんですか?」

 

「私にも分からないの。総統から言われてここに来ただけのつもりだったんだけど、何故かこうなってね」

 

何も聞かされずに来たからなのか、事実マルグリットも困惑しながらこの場所にいた。黒蛛病から完治した際に、これまでの顛末を聞かされたまでは良かったが、マルグリットが懸念したのは自身の居場所の問題でもあった。ネモス・ディアナで生活が出来ていたのは、あくまでもオラクルリソースを回収する事を条件にギースを待つべく留まる権利の確保が優先されたからだった。

しかし、自分の意識が無いままに屋敷とネモス・ディアナが調印し、その結果として極東からローテーションで神機使いが派遣されていた。住環境はともかく、自分の居場所の確保が出来た事から、少し先の未来に希望を持つべく当時は戦っていたものの、現状ではその希望を持つ事すら出来ない。そんな中で那智の護衛にと、まるで設えたかの様な任務がこれまでに舞い込んでいた。

 

 

「あ、あの。ギースさんの事なんですが…」

 

「ギースの事は無明さんからも聞きました。あの時確かにギースは神機兵に搭乗していたのは事実ではあったんですが、その後の事についても全部教えてくれましたので」

 

マルグリットの処遇は本来であれば議会の下で切捨てる話が大半ではあった。しかし、当時クレイドルが発足した事とアリサの議会への条件としてマルグリットの保護と同時に、全面的な支援までもがなされていた。黒蛛病の発症から致死までが100%である以上、そこに求められるのは経過観察と言う名のデータの採取。

結果論ではあったが、命の灯が消える直前に発生した終末捕喰の結果、一命をとりとめた事実だけが残っていた。

 

 

「そうでしたか…」

 

「アリサさんが気に病む必要はどこにも無いんです。本当の事を言えば私自身も薄々とは感じていました。いくら隠蔽した所で神機使いがオラクル細胞無しで生活出来ない事位は知ってましたから」

 

そう語るマルグリットの表情は当時の様な何かに追い縋る様な物では無かった。恐らくは何かしらの葛藤があった事は想像出来るが、それはあくまでもアリサが一方的に考えている話であって、本人に直接聞いた訳では無い。本人が立ち直った以上、それ以上の口を出す事は無いだろうと一人考えていた。

 

 

「本当の事を言えば、今回の教導が何を意味するのかじゃなくて自分がどこまでやれるのかを試したい気持ちもあったんで、丁度良い機会だと思ったんです。今なら教導の教官が居るからってタツミさんから聞きましたから」

 

マルグリットの教導教官の言葉にアリサは少しだけ反応していた。ここアナグラで教導教官をやっているのは3人だけ。それが誰の事を指しているのかは分からないが、何となく確認したい気持ちがアリサの中に芽生えていた。

 

 

「因みにタツミさんは誰の話をしてたんですか?」

 

「確か、エイジさんですね。本部とここを常時行ったり来たりだから、機会は少ないって言ってました。でもアリサさんとお付き合いしてるからって事も聞いてますので大丈夫です」

 

マルグリットの言葉にアリサの表情が僅かに渋い表情を浮かべていた事に気が付いたのか、すぐさまフォローの様に言葉を続けていた。何がどう大丈夫なのかは横に一旦置く事に成功したからなのか、アリサの表情も元に戻っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「詳しい事は分からないけど、取敢えずは部隊同伴で良いんだよな?」

 

「多分、明日正式に辞令が出ると思うから、頼んだよ」

 

アリサとエリナがマルグリットと話をしている頃、同じくエイジもコウタと打ち合わせをしていた。本来であればそれほど重要な話では無かった為に、別で動く必要は無かったが、何となくの流れと同時に、女性同士の方が何かと都合が良いだろうと判断していた。

 

 

「でも教導なんてやった事ないんだぞ。本当に大丈夫なのか?」

 

「教導と言うよりも実践における部隊内部の動きがメインだから、コウタがいつもやっている事をそのままやれば問題無いと思う。気負う必要はないって」

 

「まあ、エイジがそう言うなら良いけどさ」

 

「配属を推したのは僕だけど、今回の件はマルグリットの事だけじゃなくてエリナとエミールにも良い刺激になると思うんだ。彼女は今まで単独で戦ってきたらしいから、それなりに動けるだろうし、あとはエリナと一緒の方が何かと良い結果を生むと思ったんだよ」

 

部隊全体の事まで言われれば、コウタも何も言えなくなる。戦力の底上げをして困る要素がどこにも無い以上、今はその言葉を信じてやるしかなかった。そんな言葉と共に教導が開始されようとしていた。

 

 

 



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第183話 窮地

 

「そう言えば、マルグリットさんの調子はどうなんですか?」

 

マルグリットがアナグラに来てから1週間が過ぎようとしていた。ここでは何度も派兵を受け入れている事もあってか誰も気にする様な事は無く、当初からいたかの様に受け入れられていた。

 

 

「俺の出る幕は殆ど無いかな。最近はエリナが何かと一緒に行動している様にも見えるね」

 

ミッションから帰ったコウタを見かけたからなのか、アリサも当時の事が影響しているからなのか、仕事の合間には何かと気に掛ける事が多くなっていた。

これまで派兵された人間は一度アナグラの教導メニューで心を折られてから配属される事になるが、マルグリットに関してはその過程が抜けていたからなのか何となく心配する様な部分があった。

 

 

「その内コウタの事は忘れられそうですね」

 

「そうそう。その内俺の代わりに部隊長に……ってさりげなく馬鹿にしてないか?」

 

「それはコウタの気のせいですよ。数字は嘘はつきませんからね」

 

よほど今の部隊に水が合ったのか、マルグリットの数字は当初予定していた物を遥かに超える数字が叩き出されていた。元々単独で任務をこなしていた物の、それが小型種ばかりだと思われていたが、リザルトを見れば誰もが直ぐに理解出来る。

それ故にその結果に虚偽が無い事は誰もが知っていた。

 

 

「って言うか、後で聞いたら少しだけ屋敷で訓練受けてるんだぞ。屋敷で直接やってるならそれも当然だと思うけど」

 

コウタが言う様に、初めて配属されたミッションはヴァジュラの討伐任務だった。極東の基準では単独で討伐出来て一人前と言われているが、実際に上等兵やなり立ての曹長クラスでは手こずる事も多かった。

 

当初は曹長クラスと言われた事もあったものの、部隊を預かる身としては一度その目で確認しない事には、今後の部隊運用にも影響が出てくる。そう考えると今のミッションはある意味試金石とも考えられていた。

 

 

「でも1週間位だと聞いてますよ」

 

「期間は短くても内容が濃いから結果が出るよ。それをミッションの後でエリナが聞いた結果があれだからな」

 

コウタの視線は窓際の椅子に二人で談笑している姿があった。確かに何かにつけてエリナが話しかけている様にも見える。エリナもどちらかと言えば純粋な技術に憧れる節があるからなのか、教導の際にもエイジを指名する事が多かった事がアリサにも思い出されていた。

 

 

「でも、今は正直な所有難いよ。ここ最近はミッションの難易度が高めだったから、少しヤバい場面もあったんだよ」

 

遠目で2人を見ながら、コウタは当時の事を思い出していた。終末捕喰の影響が一番大きい極東支部では、螺旋の樹の影響なのかアラガミの出没数が以前よりも増加傾向になりつつあると同時に、小型種や中型種を捕喰しようとそれに釣られたのか大型種の乱入が多くなっていた。

 

エリナとエミールだけでも何とかやってこれた部分は確かにあったが、ここ最近はそれでもオーバーワーク気味になりつつあるのか、疲労度が増してきた所でのマルグリットの加入はコウタの目から見ても有難いと感じる方が多かった。

 

 

「そうですね。確かにここ最近は増加傾向なのは感じてましたから、今が出没のピークなのかもしれませんね」

 

「だと良いけどな。そろそろ俺達も定期ミッションの時間だ」

 

「エイジスですか?」

 

「そう。いつもの掃除ミッションだよ」

 

コウタは休憩は終わりだと目の前のソーダフロートを一気飲みし、これからミッションだと改めで第1部隊を召集すると同時に、これから始める内容を各自に説明していた。

 

エイジスは3年前のノヴァの影響が未だに残っているのか、それとも目に見えない何かを察知してくるのか、定期的に色んなアラガミが出没していた。

定期的に討伐しなければ、エイジスがアラガミの巣になる可能性が高く、またアナグラからも距離がそう遠くない事から、これまで第1部隊がメインとなって任務に入っている事が多くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで全部か。今日はやけに数が多かったよな」

 

「コウタ隊長。そろそろ私達も休日が欲しいと思うんですが…」

 

「申請は出してるから、そろそろ休暇のローテーションに入れるはずだけど、その件は一旦戻ってからだな」

 

エリナの言葉にコウタも思う所があるのは無理も無かった。今回も事前情報と何も変わらないと思われたミッションだったが、蓋を開ければ連戦に次ぐ連戦だった事から既に手持ちの回復錠やOアンプルが既に底をつく寸前だった。

 

エイジスは他の場所とは違い、回避できるスペースだけではなく移動する事で振り切る事も難しいだけあって、出没した瞬間に即討伐しなければ数が徐々に増える事が確定している。

その結果、自身の命が脅かされる可能性が高いからこそ現在のミッションは割と高難易度に設定される事が多かった。

 

 

《コウタさん。想定外のアラガミが乱入します。大型種ですが、アイテールとヴァジュラです。直ぐに撤退して下さい》

 

一旦は途切れた緊張感はヒバリが入れた通信によってすぐさま臨戦態勢へと移行するも、既に装備品の手持ちは無く討伐のレベルが既に規定を超えている。アラガミの種類から想定すれば、この場でやれる事はただ一つだけだった。

 

 

「エリナ、エミールをつれてマルグリットは直ぐに撤退してくれ。全員で撤退すれば追撃される可能性が高い」

 

「でもコウタ隊長一人でなんて無茶です」

 

「エリナ。気持ちは分かるが、この場は隊長命令を最優先しないと」

 

エリナの悲痛とも取れるその声にその場にいたマルグリットは直ぐに反応していた。今まで単独で戦って来たその判断力から全部を察したのか、それ以上の言葉は何も言わない。既に会話する時間すら惜しい所までアラガミが迫ってきているのか、既に足音が聞こえていた。

 

 

「マルグリット。後の事は頼んだ」

 

「了解しました」

 

「でも…それじゃ」

 

「エリナ。これは命令だ。今直ぐに撤退しろ。これ以上はここに居る全員が全滅する。俺一人なら何とかなるからまかせておけって」

 

奇しくも以前にリンドウが放った言葉でもあった。

当時の状況と今の状況は違うものの、それでも誰がこの場に残らない限り追跡される可能性が高い。撤退中の戦いがいかに難しいかはこの中ではコウタが一番理解していた。

 

 

「コウタ隊長…ご武運を。エリナ。ここはコウタ隊長の言う通りだ。我々の技量では足手まといになる。今は戦略的撤退をするしかない。そうでなければ救援すら呼ぶ事が出来ない」

 

エミールの言葉がコウタの考えの全てだった。時間は既に残されていない。アラガミの気配はすぐそこまで来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかリンドウさんと同じ事言って、エイジと同じ行動をする事になるとはね。やぱりこれが第1部隊長の運命なのかな」

 

コウタの呟きに答える人間は既に居ない。今はただ来るであろう援軍の事を信じ、コウタは一人この場に残る事を決めていたのか、アラガミが来るであろう領域にモウスィブロウの銃口がマズルフラッシュと共にアイテールへと向けられていた。

 

 

「マルグリットさんならコウタ隊長と戦う事も出来たはずなのにどうして」

 

撤退しながらマルグリットはアナグラへと通信を繋げていた。既に疲労の限界を超えながらも、ここで立ち止まれば動く事は二度とできないとばかりにただひたすら走り続けていた。

 

 

「私はまだ万全じゃない。あのまま居てもコウタ隊長の迷惑にしかならないから」

 

マルグリットは今まで黒蛛病に長期間患った事で、従来のゴッドイーターよりも戦力的には数段落ちていた。

 

一般人とは違い、代謝の能力が高いゴッドイーターとは言え、半年以上病魔と戦い続けていた身体は想像以上に身体に大きな負担をかけている。屋敷で1週間とは言え指導したのは短時間で戦闘が終結出来る技術を教え込んだ結果でもあった。

もちろんその事実を知っているのは隊長のコウタと支部長の榊だけ。それ以外で気が付いた人間は居たとしても、それを口に出してまで糾弾する様な人物はどこにも居なかった。

 

 

もちろん諦めた訳では無い。今出来る事を最優先させるしかない。ヘリのピックアップポイントが徐々に近づきつつある。

既に大きく離れたからなのか戦闘音はともかく、その状況すら分からない程の遠くまで来ていた。遠目から見るエイジスは何時もと何も変わらない様にも見える。しかし、その中ではまさに死闘とも取れる戦いが繰り広げられていた。

 

 

 

 

『本当に良いのか』

 

 

 

 

ヘリのピックアップポイントまでひたすら走る3人の中で唯一マルグリットだけが自問自答していた。

エリナが言う様にこのメンバーの中で自分だけがコウタの手助けを出来る可能性が高いのは間違い無い事を理解している。しかしそれと同時にこのまま行けば最悪の場合、コウタを助けるどころか逆に足を引っ張る可能性が高い。

 

少しづつ近づくにつれて頭の中で何かが囁く様な感覚が徐々にマルグリットの思考を支配し始めていた。距離からすればもう僅か。そんな中で何かを決心したのか、不意にマルグリットの足が止まっていた。

 

 

「あの、マルグリット…さ…ん?」

 

「エリナ。やっぱり私はコウタ隊長の所へ行く。悪いけど2人はピックアップポイントまで退避。良いね」

 

「でも…」

 

「私はもう決めたの。今出来る事だけをやるってね。エミールとエリナはそのまま退避」

 

足を止めた時点でマルグリットの目に迷いは無かった。万が一の事があればギースの様に後悔しか出来ない事になる。今出来る事が何なのかを考えた訳では無いが、少なくともこのまま退却する事はダメだと本能が警鐘を鳴らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「チッ!やっぱ厳しいか」

 

大型種二体との対峙はコウタにとって初めてではない。しかし、それは一般的なフィールドである事が大前提での話だった。

一定の距離を取りながら常時こちらに意識をする様に攻撃するのは退却戦での常識ではあったが、ここはエイジス。退却の為に距離を取る事は極めて困難でもあり、最悪は回避に失敗した時点で自分の命が簡単に消し飛ぶ可能性が高い場所でもあった。

時間がどれほど経過したのか今のコウタには知る由も無い。このまま退却が成功すれば何とか応援を呼ぶ事も出来るだろうと考えていた時だった。

 

 

「しまった!」

 

疲労が距離感を狂わしたのか、そこはヴァジュラの攻撃の間合い。二世代や三世代と違って遠距離型神機には身を護る盾が無く、コウタに許させる行為は回避しかない。にもかかわらず、今の間合いがどんな状況下なのかは考えるまでも無かった。

 

 

「ぐはっ」

 

神機を盾にする事も出来ず、回避行動に入るよりもヴァジュラの前足がコウタを襲う方が早かった。鋭い爪の部分は致命傷となる最悪の展開は回避したが、事実上の直撃と同時に肋骨が何本かもってかれたのか、嫌な音が体内に響く。

それに呼応するかの様に口からは夥しい程の喀血がクレイドルの純白の制服を赤く染めていた。既に死地に入っている以上、このまま生命の灯が消える事しか無い。そんな未来がコウタの脳裏を過っていた。

 

 

「コウタ!」

 

この場に居るはずの無いマルグリットの声が戦場に響くと同時に、緑の柔らかな光はコウタの身体を僅かに癒していた。最悪の事態だけは回避できたものの、それでもこの状況が覆る様な事は何も無い。それ故に何故この場にマルグリットが居るのかコウタには分からなかった。

 

 

「どうして戻ってきた!幾ら神機使いの回復力が通常よりも早いとは言ってもまだ本調子には程遠いだろ!」

 

「私はこれ以上大事な人を見殺しにしたくない!」

 

コウタの攻撃を自分へと引き寄せる様にオラクル弾をヴァジュラの顔面へと撃ち込む。まるで狙ったかの様にヴァジュラとアイテールはターゲットをコウタからマルグリットへと変更していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私達の事よりも早くコウタ隊長の所へ」

 

ピックアップポイントに来たヘリにはハルオミとソーマが搭乗していた。ヒバリの通信が切れた瞬間の行動は素早く、すぐに動けるゴッドイーターをヒバリは召集すると同時に緊急ミッションとばかりに新たな発注と受注をそのまま更新していた。

既に通信が切れてからそれなりに時間が経過している。今は何とかやれているが、このままでは最悪の事態を招く事は容易に想像が出来ていた。

 

 

「まかせておけ。それよりもマルグリットはどうしたんだ?一緒に行動していたはずじゃなかったのか?」

 

「マルグリットさんはコウタ隊長の援護に向かいました。多分現地には到着しているはずです」

 

エリナの言葉にソーマは内心焦りがあった。今回のミッションに関しては、内容は分からないものの、マルグリットがどんな状況にあるのかは偶然知っていた。

 

当時屋敷で無明と打ち合わせをしようと行った際に、マルグリットが訓練をしていたのが目に入っていた事が思い出される。

データ上では何ら問題が無かったはずだが、今の動きを見ると何か違和感がある。そんな疑問を生じながら少しだけ訓練を見ていると、無明が現状の説明をしていた。

 

表面上は確かに完治した事によって問題無いと思われていたが、やはり長期の闘病が蝕んだ身体が万全の状態になっているとは言い難い内容でもあった。その為に死なない訓練を積む事が重要だと判断した結果、アナグラに教導を入れる前にここでの訓練を少しばかり施していた。

 

 

「ハルオミ。急ぐぞ!」

 

「お、おう。このまま一旦エイジスに向かう。お前たちは絶対に戦場に足を入れるなよ」

 

ハルオミの言葉通り、上空には屋根がある事から、エイジスへの侵入は少しだけ時間がかかるのか、手前から着地する事で、そのまま救出作戦が開始されていた。

 

 

 



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第184話 窮地の後で

「ここ…まで…な…の…」

 

 

 想定していた攻撃は、当初の予定通りコウタからの意識を外す事からは成功していた。しかし、この時点でコウタが攻撃に加わる事が不可能である以上、今はマルグリット自身が何とかしない事にはこの死地からの脱出は不可能となっている。

 詳しい事は分からないが、コウタの状況は極めて悪い。まだ自分の意識がある状態の中でせめて回復錠を口に含む事が出来ればまだ再起の可能性があるものの、今はまだその状況はおろか、手持ちの回復錠が事実上無いに等しいこの状況は厳しいとしか言いようが無かった。

 

 既に肩で息をした状態に加え、自身の能力の低下によるスタミナ切れが冷静な思考能力を奪う。既にここから先の展開が何も見えない以上、このままでは2人ともアラガミに捕喰される未来しか無かった。 

 刀折れ矢尽きるその瞬間が今である事を確信したかの様に、既にアラガミのターゲットがマルグリットに向けられている。この先の想像は最悪の一言に尽きるその瞬間だった。

 

 

「目を瞑れ!」

 

 白い闇が周囲を覆うと同時に、マルグリットは何者かに掴まれた感覚だけが残っていた。一瞬の闇が晴れたその先には救援に来たソーマとハルオミの姿がそこにあった。

 

 

「まだ回復錠を持ってるならすぐにコウタに飲ませろ!早くしないと手遅れになる」

 

 ソーマの言葉と同時にマルグリットがコウタの顔を見ると、既に血の気の色は完全に引き、真っ青な状況になると同時に、喀血の跡からは呼吸音が何時もとは違い徐々に弱くなりつつあった。

 

 

「コウタしっかりして!」

 

 声をかけながらもマルグリットは最後の回復錠を口へと運ぶ。しかし、自発的に飲む事が出来ないコウタは口に入れてもそのまま溢れる事しかない。

 既に死神がコウタの命を刈り取る寸前の様にも思えていた。意を決したマルグリットは自分の口に一旦含むと同時に口移しで回復錠を飲ませる。無理やし流し込む事に成功したのか、コウタの喉が動くと同時に回復錠の効果が一気に発揮しだしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っとここは?」

 

 エイジスでの戦闘からは数日げ経過していた。あのミッションに関しては時間的に間に合ったソーマとハルオミ以外にもブラッドの北斗とナナが駆けつけた事により、事実上の討伐任務が完了していた。

 それと同時に部隊長でもあるコウタが重体のまま担ぎ込まれた事により、アナグラ内部は少なからずとも動揺が走っていた。

 

 

「医務室です。もうあれから2日経ってますよ」

 

 ギリギリで間に合った回復錠が無ければ、いくらゴッドイーターと言えど最悪の展開から免れるのは厳しい程に際どい状態が続いていたが、間に合った回復剤の効果がその展開を押しとどめ、今は医務室での療養となっていた。

 

 

「…そんなに経ってるのか」

 

「皆心配してましたよ」

 

 コウタの呟きとも取れる言葉に返事をしたのはベッドの隣に座っていたマルグリットだった。意識を取り戻した事により現状認識を改めるも、まさか自分が意識不明のまま担ぎ込まれたとは思ってなかったのか、周囲を見渡すと僅かに見えたカレンダーがその事実を示していた。

 

 極東支部では戦力そのものが存在意義を持つ様なイメージがあるが、コウタが運び込まれた際には極東にも大きな衝撃が走っていた。

 いつもの様に人当たりが良いコウタはブラッドやクレイドルの存在を加味しても上位に入る。以前とは違い、第1部隊だけが討伐専門ではなくなった今は、大半の人間が実戦に入る際には少なからずコウタが指揮する第1部隊で一定の経験を積むケースが多い。

 その結果、コウタの事を知らない人間は少なく、また実戦での指揮がかなり安定している事からもここ極東支部に於いての知名度は高い物となっていた。

 

 

「そうか~?精々エミールとエリナ位だろ?エイジ達はまだミッションから戻ってないだろうし」

 

「コウタは一度、自分の存在意義について認識を改めた方が良いですよ」

 

 どうしてもコウタの中ではクレイドルに関してはエイジやリンドウの名前が先に出る事が多く、事実としてコウタはクレイドルと第1部隊の兼任である以上、そこまでの知名度は無い程度にしか考えてなかった。

 マルグリットの言いたい事は理解出来ない事も無いが、まさか自分がそこまで慕われている認識が余りなかった。

 

 

「コウタ。目を覚ました…んだってね……取り込み中みたいだからまた来るよ」

 

「ちょっ……エイジどうしたんだよ!」

 

 意識を取り戻したとの報にミッションから戻ったエイジが見舞いに来たものの、すぐに踵を返し、そのままこの場から立ち去っている。今の状況がどんな物なのかその場にいたコウタとマルグリットには理解出来なかった。

 

 ここは医務室ではあるが、ここ最近で利用している人間はおらず、この場には少なくても他には誰も居なかった。何かを誤解しているのかもしれない。しかし、今のコウタにそれを確認出来る術は無かった。

 

 

「なあ、何かあったのか?」

 

「さあ?私も知りません」

 

 そんな疑問は程なくして解決する事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コウタの意識が戻ったらしいですね」

 

「はい。何とか戻ったので少しホッとしてます」

 

 マルグリットがラウンジへと足を運べば、そこには珍しく女性陣が休憩とばかりにそれぞれが寛いでいる。普段であれば何かしら誰かが居るはずにも関わらず、この場には女性陣以外でいたのはカウンターの中にいたエイジだけが男として一人いただけだった。

 

 今まで何かを話していたかの様な雰囲気があるものの、何となくその空気が何時もとは違う。それが何を意味しているのかマルグリットには知る由も無かった。

 そんな中でアリサがマルグリットを見つけたと同時に、ソファーの所へと手招きしながら誘導している。どうやらここに居たメンバーと休憩していたのか、目の前には各々のチーズケーキとコーヒーや紅茶が置かれていた。

 

 

「そう言えば、今回のミッションなんですが、原因は不明だと言う事です。念の為に榊博士もエイジスでの状況を確認しましたが、これと言った原因は分からないらしいです」

 

「後で連絡入れるけど、コウタの神機だけじゃなくてマルグリットの神機も完全メンテするから、暫くの間の出動は出来ないからね」

 

 この状況で何となくマルグリットは察していた。そうやらここでちょっとした女子会的な物が開催されているのか、随分と寛いだ雰囲気が出ている。

 恐らくエイジがカウンターに居るのはケーキを作ったその流れだったのか、今はムツミと新作メニューの考案で何かを作っている状況だけが見えていた。

 

 

「分かりました。いつまでなんですか?」

 

「そうだね~。これから作業に入るから明日の昼までかな。まだ詳しくは見てないから何とも言えないんだけど、問題無ければそんな所だよ」

 

 リッカはチーズケーキを口に運びながら、何かを思い出したかの様に話をしている。

 内容が内容なだけに、正確な状態が分からなければ今後のスケジュールに支障が出る。そんな程度の事を考えていた。ヒバリとて事実上の業務報告の様な雰囲気があったからこそ、他にいたメンバーの表情を確信する事が出来なかった。

 気が付けばマルグリットの前にチーズケーキが出される。既にこれだけの人数が居る以上、この場から離れる事は難しいと考えた矢先だった。

 

 

「あ、あの。マルグリットさんはコウタさんとお付き合いしてるんですか?」

 

 カノンから放たれた爆弾がついに会話の中心となるべきマルグリットに炸裂していた。何が言いたいのかは分からないが冷静に周囲を見れば何か期待した様な表情が見えている。カノンの放った言葉が脳に達し、口から言葉が出るまでにかなりの時間を要していた。

 

 

「え?……あの…それって?」

 

「実は今回のミッションの際にコウタさんが意識不明の重体で運ばれた事は全員知ってるんですが、その際にハルさんから口移しで回復錠を飲ませていたって話を聞いたのでつい…」

 

「やっぱりそうだったんですか。あの通信の内容もそんな感じだったんで。まさかコウタさんとは…」

 

 カノンとヒバリの言葉にここで漸くマルグリットがコウタに対してやった事と同時に、当時の言葉が通信越しにヒバリに聞かれた事を理解していた。

 確かに緊急事態だから仕方ない部分はあっただけではなく、大事な人の台詞も恋人じゃなくてどちらかと言えば仲間のつもりで言ったはずだったが、どうやら通信越しにはそんなイメージが全く湧いてない状況だけが理解出来た。

 

 気が付けば両隣にいたアリサとヒバリがマルグリットを逃がすつもりが全く無いと言いたげにしっかりと両手を握っている以上、マルグリットの退路は断たれていた。

 

 

「い、いや。そんなつもりじゃ……」

 

「ハルさんがかなり力説してましたから、間違い無いかと」

 

「何せ大事な人ですからね」

 

 獲物を狙う様な視線を感じた瞬間、他からも興味の視線が突き刺さる。目の前にいたナナとシエルも何かを聞きたいのか興味本位を隠すつもりが無いそんな表情をしている。

 一体何が楽しいのかが分からないままマルグリットへの尋問大会とも言える話が続いていた。

 

 

「因みにどこまでそんな話が?」

 

「ハルさんの事ですから、恐らくはその場に居た全員が知っていると思いますよ。それに火が付けばアナグラ全体に広がるのは時間の問題かと」

 

 カノンの言葉にマルグリットは少し頭が痛くなりそうな感覚があった。特段意識してなかったはずが、こうまで何かと言われると嫌が応にも意識しだす。

 このままではコウタの耳に届くのは時間の問題でもあった。

 

 

「でもあの時のコウタさんに対するマルグリットちゃんはやっぱりそうだよ」

 

「確かに窮地であれば、周りへの意識はともかく生存本能が出ますから、それはある意味では当然の事かと」

 

 現場を見ていたナナの言葉が信憑性を高めていく。

 このまま何も言わない訳にも行かないが、何をどう言えば良いのか案が出ない。今まで孤独と向き合いながら戦って来たマルグリットからすれば、この場面の機微にはどうしても疎くなってくる。

 

 当時のギースに抱いた気持ちと今の感情が同じなんだろうか?それをそのまま口に出せば良い結果を生まない事だけは分かるも、この場から脱出する事が出来ない。せめて隣のアリサの圧力が緩和出来ればとエイジに助けを呼ぼうとしたが、エイジはムツミとの話でこちらへの意識は何も無い。

 このままでは何もかもが既成事実として築かれてしまう。まさにそんな状況に差し掛かろうとしていた。

 

 

「お前達。そろそろ休憩の時間は終わりじゃないのか?ヒバリは後で支部長室に来るんだ。カノンはミッションの報告がまだ来てないみたいだが、もう出来上がったのか?」

 

 ツバキの言葉に全員が一瞬にして固まる。こうまでタイミングが良かった事には疑問はあるが、まずはこの空気が壊れた原因でもあるツバキに礼が言いたい気分だった。

 

 

「どんな話かは想像が着くが、ここ最近の部隊長が副隊長とくっつく事は既に周知の事実だ。そんな事を気にする暇は無いぞ」

 

 先ほどの会話の中身が既に知らされていたからなのか、まさかツバキからそんな言葉が出るとは思わなかったからなのか、マルグリットだけでなくアリサも固まっている。 既にツバキは要件が終わったと言わんばかりにラウンジから去っていた。

 

 

「あ、あのアリサさん。先ほどの話は本当なんでしょうか?」

 

「確かに今考えればそうですね。それがどうかしたんですか?」

 

 ツバキの言葉を思い出せば、確かにそれは間違い無かった。リンドウも当時は副隊長だったサクヤと結婚していると同時に、自分も当時の隊長だったエイジと今の関係になっている。

 程なくして当時本部の外部居住区で聞かされた言葉を思い出したのか、アリサの顔は少しだけ頬に赤みが差していた所での言葉だった。

 

 

「いえ。まさか極東にそんなジンクスがあったとは知らなかったので」

 

 シエルの言葉にアリサは現実に引き戻されていた。確かに間違ってないが、全員がそんな訳では無い。慌ててその言葉を修正しようと決めていた時だった。

 

 

「ひよっとしてシエルさんも関心があるんですか?」

 

 先ほどまで攻め込まれていたのが嘘の様に、今度はマルグリットがシエルへと攻め込んでいく。誰もが自分の事よりも他人の事の方が聞いていて楽しいからなのか、誰も止めようとする者は居なかった。

 

 

「そんな事はありませんので……私も用事を思い出しましたので、これで失礼させていただきます」

 

 戦術を学んだ彼女からすればこの状況下は最悪の展開になり兼ねないと判断したのか、そのままシエルはこの場から脱出する事に成功していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今後はどうするつもりですか?」

 

「今は研修の名目で議会も承認しているが、今後の事を考えると多少なりとも連携の必要はあるのは間違い無い。後は本人の気持ちだけかと」

 

 

 厳しい結果ではあったものの、マルグリットの研修期間が終わろうとしていた。

 ネモス・ディアナから派遣された結果、短期での研修となっていたものの、問題なのは今後のマルグリットの扱いに対する方針だった。

 

 自主性を考えればこのままネモスデイアナに戻る選択肢しかないが、今後の事も考えるとマルグリットの後進が居る訳では無い為に、今までの仕打ちが外部に漏れないのだろうかと言った考えが議会の内部でもあった。

 

 非人道的な行為をやったのであれば、それは普段から口に出ているフェンリルと何も変わらない事を意味するのと同時に、今のユノの活躍と同時に既にその存在が知れ渡ったネモス・ディアナがどうなるのかを想像すれば今後の対応次第では簡単にその存在が消し飛ぶ可能性が高い。

 ここに来て漸く赤い雨に悩まされる事が無くなった雰囲気に水を差す訳にもいかないとばかりに那智は榊との話をそのまま続けていた。

 

 

「今後の対応についてだが、君はどうしたい?」

 

 研修も終わりに近づこうとしていた矢先にマルグリットは榊に呼ばれていた。既に話の内容はお互いに付いているも、最終的には本人の気持ちが優先されていたからなのか、まずは確認が必要だとばかりにマルグリット自身の考えを確かめる必要があったからからと支部長室に呼ばれていた。

 

「ここに来て分かりました。私の実力ではいずれネモス・ディアナに更に強力なアラガミが出没した場合、無力な存在になるかと思います。だからこそ私は……」

 

 突然言われはしたが、これはコウタの事だけではなく、純粋に自身が感じた事実だった。今はまだ自分で対処できるが、今後更なる強固なアラガミが出没した場合、単独での戦いは無理である事が今回の件で理解出来ている。

 

 自分の力が及ばなかった場合、最悪は自分以外にも他人の多数の命が同じ様に危険にさらされる。今はそれを良しとは考えたくは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?コウタ隊長。またマルグリットさんにメールですか?少しは任務の方に集中してほしいんですけど」

 

「エリナ。気持ちは分かるがそれ以上の事は野暮と言うものだ。極東の言葉にもあるだろう。人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られるとな」

 

 ジト目気味にコウタを見れば、何故かエミールがフォローするかの様にエリナに話を続けていた。あの後の結果、マルグリットはこのまま転属ではなく、一時的な所属変更と称し近い未来にアナグラへと転属が決定されていた。

 

 突然の変化は住人にも動揺が走る可能が高い。いくら独立自治とは言え、ゴッドイーターの戦力が無けれ場立ち行かない事はこの時代では既に常識となっている。

 その対策として少しづつ状況を変化させる事ですべての予定がそのまま決定されていた。

 

 

「べ、別にそんなつもりじゃないんだから。ただ、コウタ隊長が最近たるんでいる様にも見えるとなれば私達全体がそう思われるのは癪でしょ」

 

「あのな、人が返事しないからって適当な事を言うなよ。っとにあの時は大変だったんだぞ」

 

「そうでした?何となく喜んでいた様に見えたのは気のせいですかね?」

 

 何かに気が付いたのかコウタは当時の状況を思い出していた。

 何もしらないまま任務に復帰した瞬間、何となくロビーには生温かい目で見られていた。

 

 何が原因なのかは分からなかったが、ヒバリだけではなくカノンやアリサまでもが分かっているからと言わんばかりの表情でその場に居た。そんな中で顔を赤くしながらマルグリットが来た事で何となく察したのか、コウタはそれ以上の言葉を言うつもりはどこにも無かった。

 

 結論はどうなっているのは分からないが、今のコウタの口からはアイドルの話が出なくなった事から、大よその判断が出来る。少し先の未来の事を考えたのか、それ以上の言葉はコウタからは出なかった。

 

 

 

 




少しだけコウタの活躍の場を作ってみたつもりです。
やや強引な部分があるかとは思いますが、ご容赦頂ければと思います。

色々と思う部分はあるかと思いますが、今後も外伝はこんな調子が続くかもしれません。




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第185話 焦燥感

「ナオヤさん。ちょっと相談があるんですが」

 

 通常、神機使いが技術班の所へ来るケースは極めて少ない。一番の理由は神機の調整は基本的に専門の技師に任せる事が多く、いざ任務にとなれば内容がハードになる事が多い為に、自分の身体のケアをする事だけで精一杯になるのが最大の理由だった。

 もちろん、全員が必ずそうでは無い為に、今回の様に技術班まで来る人間は限られていた。

 

 

「ギルか。すまん、ちょっと今手が離せないんだ」

 

「いえ、忙しいならまたにしますが…それはロミオの?」

 

 何気なく目に留まっていたのはロミオの神機だった。意識不明の重体からフライアでの療養を余儀なくされていたが、終末捕喰の際に出来上がった螺旋の樹にフライアごと摂取された関係で、現状の把握が難しくなっていた。

 事実、螺旋の樹の探索に関しては未だ道筋すら出来上がっておらず、今はロミオの事よりも全体的な部分での計画が優先されていた。

 

 

「ああ。ギルも知ってると思うが、神機は持ち主が亡くなった場合は休眠状態になる。だが、この神機は未だその状態になっていない以上、ロミオの状況は横に置いても生存しているのは間違いないだろうな」

 

 死を迎えるまで神機使いの右腕には腕輪が装着される事になる。これは自身の体内にオラクル細胞を摂取した結果であると同時に、その抑制策としての役割を果たす。

 

 ミッションに出れば詳細に関しては分からなくても現在の生死を判断する為に、バイタル情報がビーコンとして発信されている。現在でもロミオの信号は途切れる事は無いものの、螺旋の樹の影響なのか時折ノイズが走る事があるが生存はしている事だけは確認出来ていた。

 

 

「そうですね。いい加減目を覚ませばとは思っても、今の状況では探索出来ない以上、やるべき事が何も無いのは歯痒い所ですけどね」

 

「少なくとも極東の連中はリンドウさんの事もあったから、そう簡単に死んだとは思ってないのが正解かもな」

 

 そう言いながらも、ナオヤの目線はロミオの神機へと向いていた。ブラッドが改めてフライアから極東支部へと編入された際に、些細なキッカケでギルは神機の事に関心を持つ様になった。

 ギルに限った話では無いが、ここ極東でのアラガミが他の地域に比べて強固な個体が多いのと同時に、自身が使う神機もそれなりのレベルにならない限り簡単に命が消し飛ぶ事がしばしば出てくる。

 

 当初極東に来た際に他の支部の神機使いが最初にするのはこの地で戦う為のアップデートだった。命を守る為には仕方ない事ではあるが、この状態で元の支部に戻ると、その神機は過剰戦力とも取れる状況となる。誰もが口には出さないが、それはここに来た際の暗黙の了解でもあった。

 自分のもう一つの分身とも取れる神機に関心を持つケースが増えてきたからなのか、ここ最近では神機使いの派遣と同時に技術者も同じく派遣されるケースが多々あった。

 

 

「その話はリンドウさんからも聞きました。今ではそれがここのスタンダードらしいですね」

 

「まあ、全員って訳ではないんだけど自分が教導している以上は他人事には思えないのもまた事実だがな」

 

「実は今回ナオヤさんにお願いがあったのはその件なんです。今の教導メニュー以外でもう少し発展した内容の教導をお願い出来ませんか?」

 

 ギルの一言がナオヤの手を止める結果となった。現在の教導メニューは一定以上のレベルになると基本的にはリンドウかエイジがやる事が多く、その2人とて常時アナグラに居る事が無い為に時折殺到するケースがあった。

 

 

「ギル。気持ちは分かるが、事実そこまで行けば教導は最早要らないレベルなんだけどな。どうしてそんなに力を欲するんだ?」

 

 ナオヤの言葉は尤もな内容でもあった。ナオヤはゴッドイーターではなく一般人として教導に入っている。

 

 最初は技術の重要性を高める為の内容ではあったが、最近では槍術としての動きや間合いの取り方も加味する事もあり、内容としてはかなりハイレベルな物を要求されるケースもあった。にも関わらず、ギルはそれ以上の力を求める。やるのは簡単だが、そこから先は荒行にも近く自分も同じ修行をした経験があったからこそ、その真意を知りたいと考えていた。

 

 

「あの戦いの後から少し考えたんです。ジュリウスとの戦いは確かに想像を絶する部分がありました。しかし、結局の所は北斗におんぶに抱っこじゃないのかって考えると、今よりも更に一段高見に上る必要があると判断したんです」

 

「でもな…気持ちは分かるんだけど、過ぎた力は身を亡ぼすからな。確かに技術は大事だが、他にもやるべき事があるんじゃないのか?最近は新人からよく相談されてるってリッカから聞いたぞ」

 

「それは、自分ならこうするって話をしただけど、それ以上の事は何もしてないですから」

 

 他の支部からすれば、元極東や極東上がりは他の支部ではステータスとなっていた。

 アラガミの討伐が厳しいだけではなく、それに見合った報酬が出る。それは神機のアップデートの際に必要となる部材が一番の要因でもあった。

 その結果として極東では平凡な数字だとしても、他の支部に行けばエース級の活躍が出来る事から、ある意味ではブランドと化した部分も存在していた。

 

 

「だったら少しは考えてもいいんじゃじゃない?こっちも一息入れるには丁度良いタイミングだし」

 

「後は実戦だけか?」

 

「そうなんだけど、ちょっとこれは癖があるからね。シミュレーションで様子見かな」

 

 ナオヤが整備していた隣では、新たな神機の開発をしていたのか、今までに見た事が無い神機が横たわっている。それが新たな種類の物である事を理解するには大した時間は必要としなかった。

 

 

「それは一体?」

 

「これ?これは今回新たな神機として開発した物なんだ。今までの物と違って、形状が鎌になってるんだよ」

 

 リッカの言葉通り、全体を見れば確かに鎌の形状をしている。今まで見てきた物とは違い、長物の様にも見えるが、実際には鎌の部分が攻撃の要となるのであれば、要求される動きも間違い無く今までとは確実に異なってくるのは間違い無い。

 癖があると言ったリッカの言葉がどこかしっくりとしていた。

 

 

「でも、誰がそれを使うつもりなんですか?」

 

「実はその件に関してなんだけど、ある程度の候補者を絞ってるんだ。さっきも言った様に癖はあるんだけど、上手く使えば結構な威力は保証出来るからね」

 

 既に候補者が決まっていると言ったリッカの言葉にギルは驚きを覚えていた。ここ最近になってようやくチャージスピアとブーストハンマーが従来のパーツの様に安定的な運用が出来る様になった事に代表される様に、新機種の運用にはそれなりに時間が必要となってくる。

 それ故に候補者は結果的には人柱となる可能性が高く、最初からその運用を考えるのは珍しいケースでもあった。

 

 

「使い手を選ぶのは仕方ないんだけどね。因みにこれは今までのキャリアがある人間が使うと多分使い勝手が悪いと感じるから、対象は絞ったと言った方が正解かもね」

 

 既に候補者が具体的に分かっているからの言葉に驚きながらも、今は新型神機よりも自身の技能向上が優先だとばかりにギルは話を戻す事にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう…ござい…ました」

 

 教導メニューとは違い、ナオヤが提案したのは普段から自分がやっている内容をアレンジした物だった。

 如何に応用的な動きをしたとしても肝心の基礎がダメならば無意味になり兼ねない。それならばと基本の動きだけをひたすら繰り返す事を最優先させる事が出来れば、最終的には基本の行動一つ一つが一撃必殺と言える内容になるからと、ひたすら同じ行動を繰り返していた。

 

 教導の際には基本は大事だとは言っても、そこまでじっくりと取り組む事は無かったが、今回の様に、基本を一から叩き込むと如何にゴッドイーターと言えど疲労感は隠せない。

 地味な訓練がどれ程厳しい物なのかをギルは身を持って体験していた。

 

 

「これが本来なら毎日なんだ。動きが洗練されれば神機の威力は自然と上昇する。これは俺の憶測だけど北斗も同じ様に訓練してたんじゃないかな。前に見た時には基礎が出来た様にも見えてるから、それは間違い無いだろうな」

 

 ナオヤの言葉を聞くまでもなく、北斗はミッションが無ければ毎日と言って良い程何かしらの訓練をしていた。

 以前のままであればギルは何も感じなかったのかもしれないが、今ならばその理由が分かる。血が滲む様な日々の積み重ねがどれ程重要なのかを今になって身を持って理解していた。

 

 

「一番最初にも行ったけど、対人戦をするのは理由がある。一つは自身の身体の運用をスムーズにする為、もう一つは自分の限界の意識を取っ払う事。その為にはアラガミとだけだと理解しにくいんだよ。何かやるならその理由は必ず存在する。それを理解しない限り、厳しい言い方をすれば高みに上る事は出来ないし、北斗の隣に立つのは無理だと思う」

 

 元々考えていた部分を見透かされたかの様なナオヤの言葉にギルも息を飲んでいた。

 口にはしなかったが、力を欲するのは北斗の相棒として隣に立ちたいと思う気持ちが一番だった。確かに技術面では多少なりとも協力出来たが、マルドゥーク戦以降に新たな神機パーツとして運用している暁光は既に現状では考えられない程の威力を要した神機となった為に、それ以上の手を入れるのは困難である事が直ぐにギルにも理解出来た。

 

 焦りでは無いにしろ、あの最終局面が再びあった際には傍観者ではなく、当事者として隣に立ちたいと考えた気持ちが今回の要因となっていた。

 

 

「今直ぐには無理でも最終的には追い付きたいので」

 

「そうか……俺が出来るのはこれ位だからな。千里の道も一歩からだけど、無理はしない方が良い。トレーニングと同じで気が付いたら出来ていた位が丁度良いんだよ。その方が結果も良くなる」

 

 汗をぬぐいながらもナオヤはこれが普段のメニューである以上、平然としている。

 ゴッドイーターで無いにも関わらず教導教官が出来るのは日々の賜物である事がギルにも理解出来ていた。

 

 

「武術を極めるって言い方は変かもしれないが、アラガミの相手をすればその効果が直ぐに分かる。後は自分を信じるだけだな」

 

 そんな言葉と共にギルはその効果を程なくして実感する事になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしたんだギル。何時もより威力が違ってたみたいだけど?」

 

 北斗が驚くよりも今まで戦っていたギル自身が一番驚いていた。基本の動作をひたすら訓練していたからなのか、今までであればそれなりに時間がかかっていた討伐が大幅に短縮されていた。

 

 一番の理由は無駄と言える動作が削げ落ちた事により、攻撃が的確になった事が一番の要因でもあった。

 結合崩壊するにしても一点集中と言わんばかりに寸分たがわず同じ部分を執拗に攻めた結果、今までの半分程の時間は同じく戦っていた北斗だけではなくシエルやナナも驚く程だった。

 以前に聞いたナオヤの言葉。ギルは今それを実感していた。

 

 

「そうですね。今回のミッションは過去の討伐時間を見てもこれまで以上の成果だと思います」

 

「何だろうね。何か変わった事でもやったの?」

 

「そんな事は無いんだが、ただ基本に返っただけだな」

 

 そう言いながらも今回の戦闘内容が過去を振り返ってもこうまで余裕があった様には思えなかった。

 しかし、今回の内容はそんな事すら嘘だったかの様に身体が動く。ギル自身が気が付いていないが、冷静に物事を見た結果、弱点とも言える部分を見出し優先的にその部分を攻撃する。

 

 ギルが気が付いていないが、これは屋敷で訓練する際に一番最短で終わらせる為にやるべき訓練であると同時に、マルグリットも同様の訓練を受けていた。

 討伐時間が早くなれば万が一討伐対象外のアラガミが乱入しても冷静に対処出来ると同時に、生存率も大幅に上昇する。生きる事が大前提であるのがゴッドイーターとしての責務であるのであれば、これほどまでに有効な訓練は無いだろうとも考える事が出来る。

 それがどんな結果をもたらすのかは考えるまでも無かった。

 

 

「何やったのか分からないけど、ギルが凄くなったのは分かったよ。今日はそのお祝いを兼ねてラウンジで何か奢ってよ」

 

「何で俺が奢るんだ?奢られるなら分かるが……まあ良いだろう。今日は気分も良い。偶にはブラッドだけで騒ぐのも悪くは無いな」

 

「やっぱりギルはそうじゃなくっちゃ!じゃあ早速ムツミちゃんに連絡をしないと」

 

 終末捕喰以降、ブラッドとしてのミッションは数える程しかなかった事が漸く今になって思い出されていた。

 感応種の討伐任務そのものが少なかった事もあったが、やはりジュリウスとロミオの影響は全員の中に影を落としていたからなのか、その時以降その話題に触れる機会は一切無かった。

 そんな中でのギルの話題が随分と懐かしい様にも思える。今回の件はあくまでもキッカケなのかもしれないが、今はそんな事も乗り越える事が出来るのであればナナの言葉に乗せられるのも悪くないと思いながら帰投の準備へと入っていた。

 

 いつか必ず。誰の耳にも届かない程の声でギルは一人誓いを立てていた。

 

 

 

 

 

 

 




「これ本当に良いの?確かにご馳走なんだけど…」

 一行がラウンジに行くと帰投の際に連絡した結果なのか、大量の食事が用意されていた。量だけ見ればブラッドが歓迎会に来た当時とほぼ同じレベル。想定外の内容にナナだけではなくシエルと北斗も驚いていた。


「ギル。財布の心配した方が良いんじゃない?」

「…これ位なら想定内だ」

 よく見ればギルの口許は若干引き攣っているのか、何となく心配したくなる雰囲気があった。以前にもナナはロミオとのやりとりで似たような事をしていたが、あの時はチキンの数だけだった。しかし、今回のナナはご馳走とだけしか言っていない。それが何を示すのか、ギルの胸中には嫌な予感だけが走っていた。


「このローストビーフは今まで食べた事が無いよ。これ本当に良いの?」

「ご馳走なので張りきって作りました。沢山食べて下さいね」

 心配げなナナの感情を払しょくするかの様にムツミは笑顔で答えている。既に約束している以上、気にする必要は無いからと、ナナは手当り次第に色んな物を口に運んでいた。


「なあギル。本当に良いのか?絶対これは高いと思うけど」

 北斗もやはりこの料理のグレードに気が付いたのか、今回一押しのローストビーフを皿に乗せてはいるが、やはり気になっているのかギルに確認していた。


「ああ。男に二言は無いからな。ブラッドの隊長がそんな事気にするな」

「北斗。ギルがああ言ってますから私達も食事を楽しむ様にしましょう」

 シエルの言葉に北斗はそれ以上の事は何も言わなかった。この雰囲気につられてきたのか、他の人間も何かあったのかと遠目で見ていた。


「ようギル。俺も一緒に良いか?」

「ハルさんなら構いませんよ」

「なんだ?ひょっとしてギルの奢りなのか?」

 この時点でハルオミはブラッドがラウンジで食事会を開催する事は知っていた。丁度通りかかっていた際にフランとの通信が聞こえたのか、その話はすぐさまラウンジへと繋がる。その結果がこの状況だった。


「まあ、そんな所です」

「いやあ、ギルの奢りか。アルコール類も大丈夫だよな?」

「それ位なら」

 言質を取ったとばかりにハルオミは琥珀色の液体の入ったグラスをギルにも差し出す。今までに飲んだことが無い様な上質な味わいは、今まで飲んでいた物とは比べものにならない程の内容だった。


「なんだ?良いもん飲んでるな。俺にもくれないか」

「リンドウさん。ってクレイドルもここですか?」

「たまには他の部隊との連携も必要だろ?前みたいな野営でも良いけど、たまにはここでも良いだろ?弥生さん俺にも同じ物一つ」

「良いんですか?」

「まあ、大丈夫だろ」

 ギルに言うと同時にリンドウも同じく琥珀色の液体を頼んでいる。弥生との会話の内容は気になったものの、理由が判断出来ない。
 それが何なのか知ってるかの様に味わっている事だけがギルの中で印象付いていた。

 ラウンジは気が付けばブラッドだけではなくクレイドルと第一、第四部隊の混成宴会の会場と化していた。

 そしてその数日後、ギルの嫌な予感が現実の物となっていた。




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番外編13 請求額

これは185話、焦燥感のおまけ話の続きです。







「ギルさん。ごめんなさい……」

 

 ラウンジでは珍しくムツミとギルが何かを話していた。話の内容はともかくムツミの目には涙が出そうな程に赤くなり、何となく体も震えている様にも見える。理由が分からなければ、まるでギルが少女を苛めている姿にしか見えなかった。

 

 

「いや、俺が出すと言った以上この件に関しては気にしないでくれ」

 

「私も頑張ったんですけど、これが限界で……」

 

 いかがわしい行為でもしていたのかと誤解される程の会話に嫌が応にも視線が集まる。

 これ以上この場に居るのは危険だとギルの危機管理能力が警鐘を促していた。そもそもこの話は数日前のミッションの後に起こった内容が全ての原因だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが今回の金額なんですけど……」

 

 ミッションからの帰投の際に何気にナナが放った一言が全ての原因の始まりだった。

 ブラッドでのお祝いと言う名の宴会の請求書の金額を見た瞬間、ギルはこれまでの中でも見た事が無い程の請求額に頭を痛めると同時に、どうしてこうなったと自問自答していた。

 

 発言者のナナに至っては金額を見た瞬間、何気に後ずさりすると同時にその場からフェードアウトしている。このままでは拙いと思ったのか、ムツミが色々と説明をし始めていた。

 

 

「……これについてはもう大丈夫だ。ゴッドイーターの稼ぎなら大した問題にはならない。だから、これからも旨いメシを作ってくれれば大丈夫だ」

 

 ギルが見た請求書の金額は29万fc。まともに考えれば神機の装備一覧を今よりも2~3ランク程アップする事が出来る金額がたった一晩で消えている事になる。

 厳密に言えばこの中の半分以上は間違い無くブラッドだけの支出ではなく、むしろアナグラでの宴会の全額とも言える金額は流石にギルも驚きを隠せなかった。

 

 

「ギル。念の為に言っておくけど、この中の大半を占めてるのはアルコールだよ。因みに一番高いのが、ビンテージ物のマッカランが2本かな。これだけでもこの金額の3割を占めてるから、それは仕方ないよ」

 

 余りにも気の毒に思ったのかエイジが改めてその内容を説明している。確かにギルも口に入れた際には、今までに飲んだことも無い様な味わいに満足出来た記憶があった。

 

 値段と内容を聞けば確かにその金額では安いとも考える事が出来る。しかし、それはあくまでもゆったりとした中で飲む話であって、決して宴会で飲んでい良い様な酒では無かった。

 

 

「因みに大半はハルオミさんとリンドウさんが飲んでたけどね」

 

 止めの一撃とも言える言葉にギルはどこかやっぱりかと言った表情を浮かべている。冷静にあの場での出来事を思い出せば確かに納得できない訳ではなかった。

 

 

「それとハルオミさんからの指定だったから食材も結構良い物使ったけど、これもギルが払うからって事で実費だけなんだけど、これが通常の価格で提供するならこの3割増し程度は見た方が良いと思うよ」

 

 狂気の沙汰とは思えない金額にも関わらず、この3割増しともなれば、最早支部をあげての大宴会に匹敵する。一度ハルオミとリンドウには厳しく言った方が良いのではなのだろうか。そんな取り止めの無い考えがギルの脳内を占めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハルさん。なんでマッカランなんて頼んだんっすか?」

 

「あれ?もうバレた?流石ギルは気が付くのは早いね」

 

 ロビーにはまるで何も知らないと言った顔でハルオミがミッションから戻ってきた所を捕まえる事にギルは成功していた。先ほどの一幕はともかく、流石に宴会の費用を個人負担するとなれば幾ら稼ぎが良いゴッドイーターと言えど眩暈がしそうな金額である事に間違いは無い。

 まずは目の前のハルオミから聞くのが手っ取り早いとギルは考えていた。

 

 

「別に俺が言い出した事なんで、もうそれについては気にしませんが、せめてもう少し金額を抑えるとかやりようがあったんじゃないんですか?」

 

「俺も最初はそう思ったんだが、折角ギル自身が何か大きな目的を見つけたなら盛大にやった方が良いかと思ったんだよ」

 

 ナナの言葉から推測すれば、あの時点で釘を差すべきだったと後悔した所で時すでに遅い。用意されている物は廃棄するしかなく、勿体無いからと食べた以上は仕方ない事でもあった。

 

 

「ギル。ここ最近少し悩んでたろ?何となく察してはいたが、今回のミッションの後に吹っ切れたのか表情があの時以来に明るくなったのがおれにも分かったんだ。幾らルフス・カリギュラを討伐しても、そこで止まった時間が元には戻らない。少しだけ前に進んだ途端に今度は終末捕喰だろ。正直な所俺も心配してたんだよ」

 

 まさかハルオミにそうまで知られていたとはギルは思っても居なかった。ジュリウスの離反以降ブラッドそのものは何も言われる事は無かったが、ギル自身が何となく居づらい雰囲気を感じる事が多々あった。

 

 部隊長の離反は部隊にとっては致命的な事。後釜で北斗がなったとは言え、少なからず身近な人間にはショックがあった。

 それ以降はミッションだけではなく、何とかその考えを払しょくすべく、自分の身体を痛めつけるかの様に訓練やミッションに明け暮れた結果、教導メニュー以外での訓練をつい最近までナオヤに懇願していた。

 

 

「それについては心配かけました。でも、俺もこれからはあいつらと一緒に戦う以上、北斗の相棒として戦う以上は今のままではダメだと感じた結果ですから」

 

「そうか……なら良いんだ。確かにグラスゴー以降のギルの内容はあまり知らないが、ここに来てからは俺も見ていたつもりだ。だからこそ嬉しいんだよ」

 

「ハルさん……」

 

 この時点で既に論点はすり替えられていた。ハルオミの言葉が正しく理解できるならば、奢るのはハルオミであってギルではない。

 しかもスコッチウイスキーの中でもかなり高額な部類に入る物を態々頼む必要はどこにも無かった。しかし、その事実にギルはまだ気が付いていないのか、しんみりした様子がそのまま続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リンドウさん。どうしてあのマッカランが入荷したの知ってたんですか?あれってまだ上級士官チケットの交換でしか手に入らないはずですけど」

 

 ロビーでのギルとハルオミの話と同時に、ラウンジでもリンドウとエイジが同じ様な話をしていた。今回の内容に関してはムツミと一緒にエイジも手伝った事もあってか、内容に関してはよく知っている。

 しかも、あの酒がどれほど高価なのかもエイジは同時に知っていた。

 

 

「ああ、それなら無明から聞いたんだ。今回は極東から発送した日本酒と対等交換したって事で、まずは確認の為に準備されたらしいってな」

 

「流石に1本5万fc越えを気軽に頼むのはどうかと思うんですけど」

 

「最初は俺もそう考えたんだけどな、今回ブラッドの連中が宴会するならついでにクレイドルも混ざったらどうかと思ってな」

 

 当時の状況ではそんな話は無かったが、確かにエイジも動いている以上、それは否定出来なかった。

 

 事実金額に換算するのであれば今回の費用は材料費のみで、光熱費を入れれば確実に赤になる。

 にも関わらず、請求したのが原材料だけなのは、ひとえにエイジの人件費を計上しなかったが故の結果でもあった。

 

 

「そう言えばさ、今回の請求額って幾らだったの?」

 

「29万fcだね」

 

 コウタが何気なく聞いた金額はやはり尋常じゃなかったのか、今まで口に運んでいた箸を動かした手が止まっている。エイジが何気なく言った金額がどれ程の物なのかが漸く理解出来ていた。

 

 

「マジで?」

 

「大マジだよ。だって食材も結構良い物使ってたし、ブラッドの歓迎会の時は支部持ちだったけど、今回は完全に私費だからね。あのローストビーフは美味しかったでしょ?」

 

確かに今までにおいそれと食べた事が無い様な味わいは今思い出しても涎が出そうな程だった。これ以上は聞きたくないが、あれは確実に結構な値段が発生するはず。それほどまでに絶品と言いたくなる様な味わいだった。

 

 

「確かに。エミールやエリナが絶賛してるなら間違い無いな。そう考えるとアリサって結構良い物食ってる事になるよな。毎朝エイジと食べてるんだろ?」

 

「私は関係ないじゃないですか。何こっちに話を向けてるんです」

 

 全く関係無いと思ったアリサではあったが、まさかコウタから飛び火が来ると思ってなかったのか、動揺したままだった。

 確かにエイジとは毎朝と言って良い程食べているが、実際にはラウンジよりも自室で食べる事が多く、結果的には食材の配給のみなのでコスト的には抑えられていた。

 

 

「そう言うならコウタだって、いつもラウンジで試作を食べてるじゃないですか。あれは事実上の負担は無いんですよ」

 

 アリサが指摘する様に、ラウンジでの試作に関しては負担を求めた事は今までに一度も無かった。

 エイジとムツミが作る以上、突飛な物は出来ないが、時には微妙な物も出てくる。そうなると費用を請求する訳には行かず、結果的には無償での食事となる事が多かった。

 

 

「2人ともその件に関してはギルの事だから、それ以上言えばギルじゃなくてムツミちゃんが気にするよ」

 

 今は休憩中なのか、カウンターの中はエイジが回している。確かにこれ以上この話題を続けるのは気の毒だからとそれ以上の事は何も言わなくなっていた。

 

 

「まあ、マッカランはやりすぎだったかもしれんが、ブラッドの連中も色々とあったからな。この辺りで馬鹿騒ぎして多少でもガス抜きした方が今後の為だろ?」

 

 これで自腹ならまだいいが、どこまで行っても奢りである以上、説得力に欠けるのは間違い無い。エイジもそれ以上の事は野暮だと判断したのか一旦は作業へと切り替えていた。

 

 

「でも、あれって大半がキープ用ですよね?」

 

「なんだ気が付いてたのか?」

 

「弥生さんから聞きましたから」

 

 ラウンジのバータイムは相変わらず弥生が入る以上、隠し事は出来なかった。自分の事情も多少なりともありはするが、それ以上の事はきっとギルが何とかするだろうと、それ以上の言葉は全員が無意識の内に避けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、私も気が付いてませんでしたが、やっぱり私の配給をこっちに回した方が良いですよね?」

 

「これ?これはアリサが気にする必要は無いよ。屋敷での試作品が殆どだからね。リンドウさんはああ言ってるけど、実際にはクレイドルの分はちゃんと外してあるから大丈夫だよ。最初にリンドウさんからそうやって聞いてるからね」

 

 まさかの発言にアリサも驚いていた。まさかリンドウがそんな事をやっていたとは思ってなかったのか、珍しく感心している。

 最初に聞いた際には相変わらずだとは思ってはいたが、あの場では敢えてエイジは事実を言ってなかった。

 

「そうだったんですか。だったら最初にそう言ってくれれば良かったのに」

 

「そこがリンドウさんらしいんじゃないかな。クレイドルの分も半分はリンドウさんの負担だからね。ギルの分への影響はあまり無いよ」

 

「いつも任務にも出てるのに大変じゃないですか。偶には私にも頼って下さいね」

 

 アリサの善意は嬉しいが、、今でもレパートリーはそう多くないそれは今後の課題でもあった。

 基本のメニューは問題ないが、アレンジとなった瞬間に世にも奇妙な味わいの物体Xが出来上がる事が未だに多い。当初の事を考えれば幾分かはマシになったものの、まだまだ改善の余地の方が多い。

 万が一単独で新作を作るのであれば自分の管理下でしか作るのは難しいのではないのだろうかと考えていた。

 

 

「エイジ、何か失礼な事を考えてませんでしたか?」

 

「そんな事無いよ。でもこれからは少しづつやっていこうか」

 

「はい。お願いしますね」

 

それぞれの夜が過ぎようとしていた。

 

 

 



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第186話 夜明けと共に

 

 対アラガミの最前線基地と言えるアナグラも深夜になればひっそりとした空気が漂っている中で、僅かに動く人影がラウンジの中にあった。

 

「こんな遅くまでご苦労さんだなソーマ」

 

「リンドウこそどうしたこんな時間に……哨戒任務か」

 

 既に時刻は深夜から早朝に差し掛かろうとしていたのか、ソーマは漸く徹夜していた事に気が付いていた。

 原初のアラガミと目されるキュウビのコアこそ回収出来なかったが、それでも結合崩壊させた部位と今まで回収してきた細胞片により、研究は今までの停滞が嘘だったかの様に、一気に進む結果となっていた。

 

「そう無理にやる必要は無いんじゃ無いのか?まだ研究も始まったばかりだろ」

 

 リンドウが言う様にこの研究はまだ始まってもいないのが正解だった。厳密に言えば、僅かな細胞片で通常のアラガミとは違うと判断した榊の能力が異常なだけだが、それでも未来に繋がる何かは研究職であれば興味は尽きない。

 そんな可能性がソーマの知的興味を刺激していた。

 

「確かにこれだけではやれる事は限定される。榊のオッサンと同じ世界に足を突っ込んで初めて理解出来たと思うのもまた事実だな」

 

 同じ立場に立って初めて分かる世界がある。今までの様に戦場に居ただけでは分からなかった事が突如見えた時、人間はそこで理解する事がある。

 今のソーマはまさしくその状況に居た。

 

「まさかお前が研究者の道に進むなんてな。最初に聞いた時には随分驚いたぞ」

 

 リンドウの言葉通り、クレイドルが発足した際にソーマ自身が決めた事はこの先の未来だった。エイジとアリサはこれからの人類の未来を、コウタは守るべき未来を見据えていた時だった。

 ソーマは元々自分の事は対アラガミの生体兵器としての価値しか見出す事が出来なかった。当時はアナグラでも死神と称される様に常に死が隣合わせの環境に身を置いていた事が思い出されていた。

 

「身近に手本となる人間が居たからな」

 

「無明の事か。確かにあいつはある意味バケモノみたいな存在だしな。少なくとも俺にはあんな真似は無理だな」

 

 屋敷を自らの手で作るだけではなく、ゴッドイーターとしての稀代の実力と同時にフェンリルでも名うての研究者はある意味異質な物だった。当時のやり取りはリンドウも知らないが、アリサの救出作戦の際に僅かに触れたフェンリルの暗部は少なからずリンドウにも衝撃を与える結果となっていた。

 

 本来であればあり得ない事実だけではなく、その契約を履行する為にあらゆる手段を構築する際に吸収した知識が今の無明の原点とも言える。しかし、その事実をリンドウは直接確認した事は今までに一度も無く、またその話題に関しても知っているのがごく僅かな人間だけである以上、その事実をソーマに伝える事は出来ないでいた。

 

 

「それはそうだろう。俺だって当時は分からなかったが、今なら理解出来る事が一気に増えた。榊のオッサンはともかく、現場から研究者への転職はそう簡単にできる物では無い。ただ、今の俺には無明よりもヨハネス・フォン・シックザールの名前の方が重要だ」

 

「お前の父親がか?」

 

「ああ。少なくとも研究者としての道を目指したのであれば親父の名前は必ずどこかについて回る。理解したいとは思わないが、研究論文に目を通せば嫌でも目に入る」

 

 休憩だからなのか、ソーマはコーヒーを片手にカウンターの椅子に腰を下ろす。休憩だったのは間違い無かったからなのか、コーヒー以外に些細な物ではあったが、簡単なサンドウイッチも用意されていた。

 

 

「まあ、何だ……今頃になって父親としての理解を示したって事か?」

 

「ふっ。父親だとは今でも思っていない。今の俺が関心したのは研究者としてのヨハネス・シックザールって事だけだ」

 

 熱いコーヒーをすすりながら用意したサンドウイッチを齧る。恐らくはこうなる事を見越したエイジが用意したのか、プレートの端にはソーマ宛のメモが乗っていた。

 

 

「ま、お前の人生だ。やれる事だけやればい良いんじゃないのか?さっきも言ったが、俺は無明の様な事は出来ないし多分お前も同じだ。規格外の人間と付き合うと嫌が応にも比べられるのは仕方ない事だしな」

 

「なんだ。リンドウもそんなコンプレックスがあったとはな。今初めて知ったぞ」

 

「あのな……まあ良い。実際には姉上の後釜は俺じゃなくてあいつだったんだ。ただ一身上の都合で除隊したから俺に回ってきただけだ。本当ならあいつが俺達を導く存在になるはずだったんだ」

 

 当時の事はソーマは何も聞かされていなかった。自身が他の話を聞くつもりが無かった事も影響しているが、詳細については上層部の判断である為にソーマが知ろうとすれば必ず父親が関与せざるを得なかった。

 反発しているのであれば事実だけを受け止めて、その後の話を聞くつもりは一切無かった。

 

 

「でも、今じゃ義理とは言え俺の兄貴だからな。結果的には同じだったのかもな」

 

 リンドウの何気ない言葉にソーマは今まで口に運んでいた手が止まっていた。聞き間違いでなければリンドウの義理の兄。誰がどうなったのかは考えるまでも無かった。

 

 

「おい。まさかとは思うが……」

 

「なんだシオから聞いてないのか?てっきり知ってたと思ったがな」

 

 2人だけのラウンジだからなのか、それとも徹夜明けだからなのか、普段は動揺する事が無いとまで思われていたソーマが珍しく動揺していた。確かにソーマは屋敷にはこれまで何度も足を運んでいるし、実際に2人に会う事もあった。

 しかし屋敷の内部ではそんな雰囲気は殆どなく、偶然居た程度にしか考えていなかった。

 

 

「ああ、悪いな。基本的に現場には関係ないから多分殆どの連中は知らないかもな。ここで知ってるのはエイジとアリサ位だな。別に口止めされてる訳では無いが口外しない方が良いかもな」

 

「そうだな。多少は驚いたが、無明は殆どここに来ないのであれば、大した情報ではないかもしれんな」

 

「姉上も気にしてない以上、俺もサクヤもそんな話はしないからな。おっと。そろそろ時間だ」

 

 既に時間がそれなりに経過したのか、リンドウは哨戒任務の準備の為に移動した事もあり、この場に居るのはソーマだけだった。

 ちょっとした休憩のつもりではあったが、リンドウの言葉に衝撃を感じなかった訳では無い。

 研究者としての紫藤の名前はフェンリル本部では知らない人間は誰もおらず、元ゴッドイーターだと言った偏見すら見当たらなかった。当時も初めて本部へ行った際には多少なりとも偏見の目にさらされる事を覚悟した事もあったが、既に実績を残した人間が居る以上、奇異の視線に晒された事は一度も無かった。

 

 

「目指す頂きは余りにも高い…か。同じ道を歩む以上、それは分かっていたはずなんだがな」

 

 ソーマの言葉はそのまま薄暗い空間へと消えていく。既にキュウビの研究をいち早く始めたのもそれが原因でもあった。リンドウはああ言ったものの、ソーマ自身はそんな考えをもつつもりはどこにも無い。

 後はどこまで自分が高みに上れるのか、ただそれだけを考えていた。

 

 

「あれ?ソーマさんは哨戒任務じゃないですよね?」

 

「北斗か。俺は休憩で来ただけだ。そう言えばリンドウならさっき神機保管庫に向かったぞ」

 

 今日のペアはリンドウと北斗だったのか、目の前の北斗も恐らくは既に動いていたのか、少しだけ身体から発せられる熱を感じる。ブラッドがここに来た際には随分とエイジと似た雰囲気を持っているとは感じたが、まさか考え方も似ているのかもしれない。

 一度同じ任務でもしてみようかとソーマは考えていた。

 

 

「そうですか。では俺もこれで」

 

「リンドウが迷惑をかけてるみたいですまんな」

 

「いえ。リンドウさんは結構俺達に色んな事を教えてくれますから」

 

「レポートのサボリ方か?」

 

「まあ、そんな所ですかね」

 

 間違い無く心当たりがあったのか、目の前の北斗は苦笑しながらもやんわりと肯定している。碌な事を言わない事もあるが、基本的には人の行動を案外とリンドウは見ている。

 今さらではあったが、それも人の資質なんだとソーマは考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、ソーマさんって以前は凄腕のゴッドイーターだったんですよね?」

 

「どうした急に?」

 

 哨戒任務でアラガミと遭遇するケースは割と少ない。アラガミが夜行性なのか昼行性なのかは分からないが、案外と哨戒任務で出くわすケースは少ないのは既に周知の事実でもある。

 警戒はしているが、通常よりはレベルが低くなっていた。

 

 

「いえ、以前に見た数字がリンドウさんとソーマさんだったので、ひょっとしたらと思ったんですが」

 

「それは、かなり昔の事だな。エイジが来てからはあいつの数字がダントツだったけど。エイジじゃなくてソーマだなんて何かあったのか?」

 

 先ほどまで話をしていたソーマの事が話題に上ったからなのか、リンドウは珍しく北斗に確認していた。

 クレイドルが発足してから現場の足が遠くなっているのは研究者としての道を歩んでいるからなのは本人を見ればすぐに理解出来る。

 ましてや常時ここに居るブラッドであれば知らないはずは無い。にも関わらず、その話題が出た事が驚きだった。

 

 

「そんなつもりじゃないんですが、クレイドルは少数精鋭だっていうのはここに来てから知りました。本来であればこの人数なら支部の一部隊でしか過ぎないのに、本部を中心に色んな方面での活躍を聞く事があったので、どんな考えを持っているのか知りたいと思ったんですが」

 

 北斗が何を考えてリンドウに話かけているのかは分からないが、今のブラッドの状況を考えればそれはある意味自然な流れだったのかもしれなかった。

 

 ジュリウスとロミオの離反と同時に終末捕喰による世界の危機。

 それだけではなく感応種と戦える唯一の部隊でもあるブラッドは何かにつけて注目の的でもある。

 

 色んな視線を浴びる中で全部が好意的とは限らない。中には色眼鏡的な部分もやっかみと言う事であるのは北斗も理解している。そんな中でクレイドルがやっている事は世間からすれば偽善だと罵られる可能性が高く、どうして常に上を見続ける事が出来るのかを単純に知りたいと思っていた。

 そんな中で目の前のリンドウと同じ任務に着くならば、今まで聞く事が出来なかった疑問について、一度確認したいと考えていた。

 

 

「あいつは目の前の事に必死なだけで、それ以外には何も無いさ。研究者としての実力が無いのを実感してるからこそ上を目指したいと努力している。それだけの事だ」

 

 どこか柔らかい表情をしたリンドウが先ほどまでの事を思い出していたからなのかいつもとは違った表情がそにこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「哨戒任務の後のメシは旨いな」

 

「リンドウさんは自宅でサクヤさんのご飯が待ってるんじゃないんですか?」

 

「かてぇ事言うなよ。そんなにエイジと2人の朝食の方が良かったのか」

 

 哨戒任務を終える頃、リンドウはエイジへと連絡を入れていた。任務の時間からすればラウンジでも食べる事が出来るが、不意に純和食の朝食が食べたかったからなのか、リンドウは任務終了と共にエイジの部屋へと足を運んでいた。

 

 

「そんなの当たり前です……ってソーマとコウタは何で一緒なんですか?」

 

「リンドウに引っ張られただけだ。俺はまだ研究の途中だったんだがな」

 

「たまには良いじゃん。アリサは普段から食べてるんだしさ」

 

 そう言いながら以前にもあった状況がエイジの部屋で繰り広げられていた。ラウンジでは簡単な物が多い事もあって、純和食の朝食を食べようとすればそれなりに準備が必要となる。

 もちろん事前に連絡すれば問題ないが、流石にムツミに朝からハードな内容をさせるのは申し訳ないと思っただけではなく、哨戒任務の前に話した事がキッカケだったのか、不意にリンドウがそう思った結果でもあった。

 

 

「少しはエイジの負担も考えたらどうですか?そんなに食べたいなら私がこれから作ります」

 

「それはちょっと……朝から体調を崩すのはどうかと思うから、勘弁してよ」

 

「何言ってるんですか。私だってそれなりに作れますから問題ありません。もしマルグリットが同じことやったらコウタはどうするつもりなんですか」

 

「それは大丈夫。アリサとは比べ物にならないから」

 

 一時期ほどではないが、ここ最近はコウタも割とその話を持ち出される事が多くなっていた。どんな関係なのかよりもコウタをからかうネタとしての言い分が多かったが、流石に今の話はそれなりに踏み込んでいないと口には出ない。

 コウタはこの時点で気が付いてないが、アリサはそれに気が付いたのか、そこから更に足を踏み込んでいた。

 

 

「もうそんな関係なんですか。コウタって手が随分と早いですね。ドン引きです」

 

「何でだよ。ただ、メシ作ってもらっただけじゃないか」

 

「は~、何だかマルグリトが気の毒に思えそうです」

 

 アリサの言葉にコウタが漸く気が付くも、口から出た言葉が戻る事はどこにも無い。 既にこんな状況に慣れたのか、リンドウトソーマは2人のやり取りを無視しながら朝食を食べ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でもまあ、あれだな。こうやって久しぶりに皆で食べるのも悪くないな」

 

「どうしたんですか?何だか気持ち悪いですよ」

 

 2人の時間を邪魔された事に腹をたてたのか、アリサの言葉にはどこか棘があった。

 かと言って、思い出に浸ったからそうしたいとは口にも出せず、結果的にリンドウはアリサの言葉をそのまま受け止める事しか出来ないでいた。

 

 

「これからはちゃんと事前に連絡するから、少しは機嫌を直せよ。そんなんじゃエイジも愛想尽かすぞ」

 

「エイジはそんな事は気にしませんから大丈夫ですよ」

 

「へいへい。お熱い事で」

 

 何となく当時の状況が思い出されるには時間は必要なかった。事実クレイドルとしての環境は当時よりも今の方が何かと厳しい物が多く、特にエイジとリンドウに関しては派兵も止む無しと言った空気が存在している事からも、こうやってゆったりとした空気が漂う事は今では殆ど無い。

 口には出さないまでも全員が同じ様な事を考えていた。

 

 

「そう言えばサクヤさんが屋敷に来てるみたいですけど、何かあったんですか?」

 

「レンの定期健診だ。そろそろデータが揃いはじめたらしいって連絡があったんだ」

 

 リンドウとサクヤの子供が世間でよくあるゴッドイーターチルドレンとは少しだけ事情が異なっていた。通常であればある程度のデータは揃っているが、リンドウの場合はオラクル細胞の暴走の結果がついた事もあってか、屋敷でのデータ採取と同時にレンの事も含めて屋敷で同じ年代の子供たちと遊ばせる事が度々あった。

 

 アナグラや外部居住区とは違い、屋敷では遊びの中でも色んな事が学ばれるのかレンの行動は同年代の子供に比べて随分と活発な物でもあった。

 遊ぶだけではなく、時折失われた文明とも言える様な行動を習ったからなのか、母親でもあるサクヤが驚く事も多々あった。それ程までにレンにとっては充実した日々を過ごす事が出来ていた事が思い出されていた。

 

 

「それでなんですか。でも屋敷は遊びの中にも学ぶ事が多いですから、レンくんにとっては良いんじゃないですか?」

 

「それはサクヤも同じ事言ってたな。この前は木登りしてたらしいからな。子供の成長は早いもんだ」

 

 レンの話題の前にはリンドウも親の表情を浮かべていた。これから先の人生をどうやってつなげる事が出来るのか。それがクレイドルとしての至上命題の様にも思える。

 

 これから先の未来の為にも、やれる事をやる。北斗の知りたかった考えが図らずもこの場には存在していた。

 

 

 

 



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第187話 新たな教導

「ねえシエルちゃん。やっぱり、料理が出来る人が居た方が良いと思うんだけど、どう思う?」

 

 ミッション終了の際に唐突にナナが言い出した事に、その場に居た全員がまたかと言った表情で見ていた。

 既にブラッド単体でのミッションは感応種意外では殆ど無く、今もこの場に居たのは発言したナナとシエルの他にはコウタとハルオミのメンバーだった。

 

 

「ナナさん。唐突にどうかしたんですか?」

 

「ほら、前にも言ったけど作る事が出来るスキルがあったら便利だな~って」

 

「FSDでやったレベルではダメって事ですよね?」

 

 FSDはほぼ全員が参加している為に、簡単な物であれば確かに作る事は可能ではあるものの、ナナが望むのはそんなレベルの物では無い。何となく想像はつくがそれを口に出せばどうなるかを悟ったのか、シエルはそれ以上の事は何も言わなかった。

 

 

「まあ、そうなんだけど……コウタさん。クレイドルって連続ミッションがあった場合、エイジさんが殆どやってるんですか?」

 

「遠征先では知らないけど、殆どはそうかな。ああ、偶にアリサもやってるかな」

 

 何かを思い出したのか、コウタの表情は冴えないままだった。

 ここ最近のミッションの中には戻らずにそのまま連続するケースが多いのか、レーション以外では誰かが担当する事があった。そうなると深刻なのが食事事情。

 どのミッションでもエイジが常時入る訳ではなく、メンバーによっては最悪の展開となる可能性があった。

 

 一番の問題がアリサの料理。何も知らない人間は当初アリサの手料理に色めき立ったが、時折出てくる新作の物体Xを食べた人間は全員が顔色を悪くしていた。

 だからと言って本人に面と向かって言える剛の者はおらず、結果的には誰かが犠牲となっていた。

 

 

「それなら教導の中に入れてみたらどうだ?全員は無理でも希望者の参加なら、何とかなるんじゃないか」

 

 ハルオミの提案に、誰もがなるほどと言った顔をする。これが全員となれば面倒だけでなく、仮にツバキに申請しても却下されるが、希望者となれば話は変わる。今後も連続ミッションがあり得る以上、大義名分だけはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確かに今後の事を考えれば筋は通る。だが、その対象者はどうやって決めるつもりだ?」

 

 今回の提案はすんなりと承認されたのはある意味ではハルオミの作戦が功を奏した形が現れた結果だった。しかし、ここで大きな問題に直面する。

 ツバキが言う様に対象者を何処まで拡げるかだけでは無く、基準すら何も無いものを1から決めるのであればツバキの言葉はある意味当然だった。

 

「曹長以上の対象者で連続ミッション経験者を優先とするのはどうです?」

 

「そうなると、対象者は絞られるな。だが、そんなにレーションだけの食事が嫌なのか?他の支部と比べても極東はかなり良いとは思うが?」

 

 以前にもエイジが言った言葉がツバキの口からも出ていた。極東支部に支給されている物は他の支部に比べても格段に質と味がよく、偶に来る他の支部の人間はただのレーションでも随分と感動していた事が思い出されていた。

 ここに比べれば確かに他の支部の物は月とスッポンの様に違っていても、それはその他の存在を知らないからであるのは、ある意味当然の話でもあった。

 

 

「それもですが、やはり厳しい戦いを生き抜くのであれば人間の三大欲求とも言える食は重要なウエイトを占めると同時に、現場運用の面から見ても、十分に効果を発揮するのはツバキ教官もご存じのはずです」

 

 敢えて固い言い方でハルオミは言うと同時に、ツバキ自身も本部でのミッションの際にはエイジが作った食事を食べている。極東支部のレーションを持ち込んでいればハルオミの意見は却下された可能性は極めて高かったが、実際には本部支給のレーションをエイジが加工することによって何時もと同じレベルで食べていた事が思い出されていた。

 

 

「まあ、ハルオミの言い分も尤もだな。では賞味期限間近の物を使う前提で許可しよう。真壁、申請書は直ぐに出しておくように」

 

「はっ!ありがとうございます」

 

 その言葉が全てを物語ったのか、ハルオミだけではなく様子をコッソリと見ていたナナ達も思わず両手でコウタとハイタッチしそうな状況になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「別に構わないけど、どれ位の人数になるの?」

 

 申請が出された事によって、特別教導メニューが急遽開催される事が程なくして決定されていた。

 当然の事ながら事前に出された条件に適用するのは限りなく限定されており、その結果として現状では4人が選出される運びとなっていた。

 

 

「ツバキ教官から聞いたのは、極東からは私とカノンさん、ブラッドからシエルさんとナナさんの計4人ですね」

 

 単純な料理であればツバキも許可しないが、これはあくまでも任務の一部となる事もあってか結果として教導の担当者はエイジしかいなかった。

 通常であればムツミでも良かったが、まさか戦場にムツミを送り込む訳には行かず、内容はレーションのアレンジが基本となる事もあって、手慣れた人間がやるのが一番だからと指名された経緯が存在していた。

 

 

「なるほどね。確かに曹長以上となれば対象者は限られるのは間違いないけど、なんでアリサが入ってるの?」

 

「私は……まだまだ修行が足りませんから」

 

 基本のレシピは問題なくてもアレンジが壊滅では、近い将来料理でエイジを驚かす事は違う意味では可能だが、本来の意味では不可能である事はアリサも十分理解している。

 特にレーションのアレンジであれば、それはアリサにとっては鬼門とも言えるアレンジしか出来ない事を示すが、事実元となる物がある時点でアレンジの幅は限られてくるだけではなく、普段からも何かと習っている事が多い。

 それ故に態々この場に出て学ぶ必要性がエイジには理解出来なかった。

 

 

「でも、元々レーションのアレンジだから、味なんて破綻させる方が難しいと思うけど」

 

「もう。その辺りは察して下さい。とにかく明日の昼からなので、実技の教導は午前中にお願いしますね」

 

 人数はともかく、なぜそこにカノンが居るのかも疑問には上ったが、今はとにかく教導メニューの番外ととして取り組む事になる。

 後の事を今考えた所で仕方ないと考えたのか、アリサの言葉だけではなく、この後の事に起こる可能性の事も一旦は棚上げする事で、それ以上の事を考えるのは放棄していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「教導に関してなんだけど、どれ位のレベルまでを考えているの?」

 

 いざ始まったまでは良かったが、問題なのはどのレベルまで引き上げるのかが一番のポイントだった。

 事実、極東のレーションならば、多少手を入れるだけでもそれなりに旨くなるのは周知の事実。その為には完全に習得するのは無理ある以上、その妥協点をどの位置に持って行くのかを早々に決める必要があった。

 

 

「せめてちゃんとした食事ってレベルはどうです……か?」

 

 何となくナナの言葉尻が弱いのは発案者だからではなく、まさか自分も参加する事になったからなのが一番の要因だった。確かにおでんパンを作れる以上、教導で料理を習うのは何となく筋違いの様にも思えてくる。

 

 確かに美味しい料理は食べたいが、決してナナ自身が作りたいとは、今の今まで一度も考えていなかった。しかし、教導と決まった瞬間シエルがナナの分まで志願した事によって、そのままなし崩し的に決定されていた。

 

 

「引きうけたまでは良いんだけど……出来る範囲の中でって事で良いかな?」

 

 何とも言い様が無いのはエイジだけではない。がしかし、引き受けた以上は任務と同等である以上、そこに妥協点を作るのは間違いだと考え直した事で教導はすべからく開始されていた。

 

 当初は何から手を付ければとも考えたが、一番重要なのは主食である以上、それさえまともであれば後は何とでもなるのと言った方が正解なのは古今東西今に始まった話では無い。逆の言い方をすればそれがダメなら何を作っても全部の結果が同じであるのは最早常識とも考えられていた。

 

 

「基本はレーションには2種類あるんだけど、お湯で温めるタイプと固形物のタイプがあるけどやっぱり簡単なのが良いよね?」

 

「折角つくるなら美味しく食べるのが一番だとおもうんですけど…」

 

 何が始まるのかが何も分からないのであれば、自分の要望をぶつけた方が結果的には良いと判断したのか、ナナの意見以外にも反対が出ない。それを肯定と決めた事で炊事の教導メニューは静かに始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だか思ってるのとは違いますね。やはり習うより慣れろなんでしょうか」

 

「それは言えるかもしれない。見た感じは簡単そうだったんだけど、案外と難しいかも」

 

 簡単に終わると思われた教導はエイジの予想の斜め上を行っていた。

 想定外だったのはシエルとナナのコンビ。アリサは何だかんだとやっているのと同時に基本だけはまともに出来る為に、アレンジは結果的には基本に少しだけ何かを足した物で終始した為に、大きな問題は何も無かった。

 

 期限切れ間近とは言え、最後に自分達が食べる前提である以上は適当過ぎると自分にしっぺ返しがやってくる。その結果大胆な味付けが出来ず、結果的にはレーションと大差ない物にしか出来なかった。

 

 

「コンロの火加減の調整が難しいから、最初は仕方ないと思うよ。誰だって最初は失敗するんだし」

 

「でもエイジさんは最初から出来たんですよね?」

 

「それは無いよ。僕だって常に試行錯誤しているしね。ただ、こんな炊き出しみたいな物は小さい頃からやってるから慣れてるだけだよ」

 

「エイジさんでもそんな時期があったんですね」

 

 最初から出来たイメージがあったからなのか、シエルとナナは意外だと言わんばかりに驚いていた。

 どんな内容の物でも一定の経験値は必ず必要となってくる。その過程があるからこそ今に至るのは料理だけの話では無かった。

 既に慣れはしたものの、屋敷での戦闘訓練の結果、大きな傷を作った事もある。普段は見えない所での努力がいかに大変な事なのかは誰もが知っている内容でもあった。

 

 

「あの、私のはどうですか?」

 

 今回の教導の中で何故カノンが参加しているのかがエイジには分からなかった。カノンはお菓子作りをしている事もあってか料理そのものが苦手だと言った認識は殆ど無い。だからこそ今回の教導の参加には疑問を生じていた。

 

 

「美味しいと思いますけど、なんでまた今回の教導に?」

 

「お菓子を作るだけじゃなくて、私の場合は誤射もあるのでせめてこんな場面で改めて活躍出来ればと思ったんですが……」

 

 カノンの誤射の一言に誰もがそれ以上の言葉を発する事は無かった。

 一時期に比べれば誤射率は格段に下がったが、それでも今なお時折やらかす事があるそれは、ある意味では新人殺しの異名を取っている。

 見た目に反して戦場での言動が新人をドン引きさせると同時に、態とではないのかと疑いたくなるほどに緊迫した場面での誤射が多々あった事で、カノンは新人からは遠巻きに恐れられていた経緯があった。

 

 

「そこまで落ち込まなくても良いと思いますよ」

 

「でも……」

 

 何かのスイッチが入ったのか、カノンは一人自己嫌悪とも言える状況で少しづつ落ち込んでいる。恐らくはミッションの合間で何とか癒されてほしいとの願いから志願した事だけは予想出来ていた。

 

 

「そう言えばアリサさんのはどうなったんですか?」

 

 落ち込むカノンはそのままに、まだ見ていないアリサの物は未だ調理中の様にも見えない。この場に出ていない何かがあるのだけは間違っていなかった。

 

 

「さっき見た時には特に問題無かったんだけどね」

 

 そう言うと同時に何やら異様な臭いが周囲に漂う。確かにアリサを見た際には何も問題なく作り上げていたはずにも関わらず、今の漂う臭いは正に刺激臭とも言える物と酷似していた。

 

 

「時間にゆとりがあったので、思い切って二品作ってみたんですがどうですか?」

 

 エイジが一番恐れていた鬼門の扉がゆっくりと開きだす。見た目は何も問題無いが肝心の臭いが既に何らかの危機感を嫌が応にも高めていく。

 既に平和だった場所は危険地帯へと突入していた。

 

 

「多分、色が正常なんだったら、塩や他の調味料の配合が違うんだよ。料理は足す事よりも引く方が難しいからね」

 

 そう言いながら少しだけ味見をすると、やはり絶妙な配合によって素材の持ち味が見事に消され、結果的には味が無いと言った結果にエイジは驚いていた。 

 

 

「あ、あの、どうですか?」

 

 何となくエイジの表情で悟ったのか、アリサの心配げな表情にエイジも少し困っていた。

 このまま素直に言った方が良いのか、それとも誤魔化した方が良いのか判断する事が出来ない。どちらに転んでも結果的にはアリサを傷つけてしまう可能性が極めて高い。

 究極の選択に対しどう答えるのが無難なのか流石に判断に迷っていた。

 

 

「なんだ。こんな所でやってたのか」

 

正に天啓とも言える声が聞こえていた。今回のキッカケを作ったハルオミがミッションの帰りがけだったのか、ギルと北斗も引き連れてこちらへと向かっている。

 本来であれば素直に言うのが筋ではあるが、流石にこのメンツの前で直接言うには少し気まずい部分があったからなのか、エイジは少しだけ心の中で謝罪しながらも今の状況を確認してもらおうと、そのままこちらに誘導する事にしていた。

 

 

「そうですね。とりあえず試作で作ったので、どうですか?」

 

「良いのか?」

 

「ええ。僕らも他の人の感想を聞いた方が励みになりますから」

 

 さりげなくエイジは手始めにアリサが作った基本の方を差し出している。最初にアレンジした物が来れば流石に警戒するが、初めのとっかかりさえよければ後は何とでもなるだろうと考えた末の結果だった。

 

 

「これなら中々イケると思うけどな。因みに誰が作った?」

 

「それは私です」

 

 自信なさげに手を上げたアリサではあったが、まさかアリサが本当に作ったのとは思わなかったのか、ハルオミの目が大きく見開く。

 アリサの腕前が両極端である事を知っているのはクレイドルの中では最早常識とも言えるが、他の人間からすれば、今までの物体Xの印象が強すぎた事もあってか、まともな物が作れるイメージを誰一人持ち合させていなかった。

 

 

「凄いなアリサ。そうか…やっぱりツバキさんに推した効果は出たみたいだな」

 

 何も知らないハルオミには申し訳ないと思いながらも、そのまま食べているのを見たシエルとナナも北斗とギルに対して自分が作った物を振舞っていた。

 

 

「シエルもちゃんと作れるんだね」

 

「北斗。私をどう言う目で見ていたんですか?説明を求めたいんですが」

 

「そんなつもりじゃないんけど、料理のイメージが無かったから」

 

詰め寄られた事で失言した事を理解したのか、北斗はたじろいでいる。それならもう少し言葉を選べば良い物をを考えながらギルもナナが作った物を食べていた。

 

 

「どうかな?」

 

「レーションだけよりは格段に良いと思うぞ」

 

「そっか!これからも頑張ってみるね」

 

 終始和やかな空気で終わりそうな時だった。ハルオミの元に出されたもう一つの物体Xが襲い掛かったのか、何か大きくむせていた。

 

 

「こ、これは……味がしないんだが……」

 

 エイジの予想通り、アレンジしたアリサの料理の感想がそのままハルオミの口から出ている。それが何を示すのかは考えるまでも無かった。

 

 

「あのハルオミさん。何か問題でも?」

 

 余程大げさに聞こえたからなのか、ハルオミがアリサの不穏な気配を察知したのか、それ以上の言葉は何も出ない。エイジもこうなる事を分かった上でやっている為にこれ以上は拙いと判断したのかフォローに入る事を決めていた。

 

 

「アリサ。一度食べてみたらどうかな?」

 

 エイジに勧められるまま自分の口に入れる。恐らくはエイジが何を言いたかったのかを判断したのか、それ以上の言葉は何も出なかった。

 

 

「すみません。これからはもう少し研究します」

 

「良いんだよ。誰でも失敗はあるから」

 

 なだめる事に成功したのか、アリサの怒気が和らいでいる。ここから先はエイジに任せればなんとかなるだろうと、他のメンバーは改めて各々の料理の研鑽を積む事になった。

 

 これから暫くの間、教導の名の下でシエルとナナの料理をひたすら食べるギルと北斗が目撃される事になった。

 

 

 

 

 



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第188話 警戒からの

「そうか。すぐに調査隊を派遣させよう。弥生君、済まないが彼らを呼んでくれないかい?」

 

「承知しました」

 

 以前に本部周辺で見かけた原初のアラガミとも言えるキュウビの痕跡が見つかったとの一報が極東支部の榊の下に届いていた。

 以前に逃げられた際に付けたマーカーは既に捕喰された事もあってか、現状では探知する事は不可能ではあったが、ここ最近になってから行動範囲が広がったのか、上海やシンガポール支部でも目撃情報は少しづつ出始めていた。

 

 原初のアラガミと名付けた最大の原因はこれまでに一度も見た事が無い程のオラクル細胞の活性化と反応だった。既にソーマ自身が少しづつ研究した結果、このアラガミのオラクル細胞は従来の物とは違い、細胞の一つ一つの動きが活発に動くだけではなく、他の細胞よりも反応が素早い点だった。

 

 オラクル細胞そのものは単独でも学習する事で進化を果たすのが最早常識ではあるが、この細胞に関してはその常識を覆す程の性能を秘めていた。

 しかし、それを取得するには討伐の方法しかなく、そうなれば当然どこかで戦う事になる。短期間での進化であれば、あれを保有するアラガミもまた強固な個体である事に変わりはない。

 相反する内容ではあるが、それはこの時代では最早当然と考える他無かった。

 

 現在のアラガミ防壁のアップデートだけではなく、神機そのものの性能すらも大幅に底上げできる可能性を秘めたこの細胞を原初のアラガミと名付けた事から『レトロオラクル細胞』と名付けていた。

 

 

「忙しい所済まないが、事が事なだけに簡潔に言うよ。キュウビが再びこの近くの支部で姿を現した。今はまだ目撃程度になっているけど、僕は近い将来ここ極東に来るんじゃないかと考えている。

 今の所は君達が動く程では無いが、近々調査隊を結成して近隣での警戒に当たってもらう事になる。発見した場合は……頼んだよ」

 

 キュウビの言葉にリンドウとエイジは当時逃げられた事を思い出していた。あれからは姿形は一切見えず、実際に戦った側からすればあの程度で死ぬ可能性は皆無だと考えていた事もあってか、今はそれ以上の事を考える事はしなかった。

 被害は無いとは言え、絶対に襲撃しない保証はどこにも無い。今はただその内容を確認しただけに留まっていた。

 

 

「哨戒の連中はこれからすぐですか?」

 

「その件なんだが、先週の時点ではシンガポール支部で発見されただけだね。ただ、討伐に入る前に逃げられたみたいなんだが、痕跡はこれまで解析したデータと一致している以上、間違い無く君達が直接戦った個体に違いないだろうね」

 

 榊の言葉に当時の状況が思い出される。キュウビの攻撃は他のアラガミと比べても決して劣る様な事は一切ない。それだけなく、軽やかに動くその有様は確実に討伐を困難な物へと引き上げていた。

 

 決して驕る訳では無いが、極東で仕留められなかった物が他の支部では相手にすらならないのはある意味では予想通りだった。キュウビを発見したのは偶然にしかすぎず、該当するデータが無かった事もあってか本部に照会した際に、今回の内容がそのまま極東にも届く事になっていた。

 

 

「では僕達が行動を起こすのは、キュウビが見つかってからと考えれば良いんですか?」

 

「現在の所はそう考えてもらっても構わない。ただ、見つかった場合は急遽ミッションを発注する可能性があるからそれでは留意してくれないかな」

 

「了解しました」

 

 改めて敬礼をすると同時に意識がキュウビへと向かう。未だ見ないアラガミがここに来ると決めた事でリンドウとエイジは再び当時の戦いの二回戦を繰り広げる予感だけが走っていた。

 

 

「キュウビが見つかったんですか?」

 

「ああ。どうやら東南アジア周辺の支部で痕跡だけが発見しれたらしい。榊博士の話だと、恐らくはここ数日の間に現れる可能性が高いって事だけだな」

 

 キュウビ発見の一報はすぐさまクレイドルにも伝えられていた。当時戦ったのはリンドウとエイジだけではない。その場にソーマとアリサも居ただけに、お互いが当時の状況を苦々しく思い出していた。

 

 

「って事は、今回の討伐任務は」

 

「その件に関しては現在の所調整中だ。何せ目撃証言だけだからな。ただ、近日中には第一弾としての調査隊が動く事になる」

 

 直ぐに討伐任務に入るかと考えていたアリサの考えを読んだのか、リンドウは調査隊の名前を出していた。ここ最近は大型種が少なかった事もあってか、サテライトの製造拠点が完成してからは一気に建設の数を増やしていた。

 

 002号サテライトで他のサテライト用の部材を製造すると同時に、現地では時間をかけないやり方が功を奏したのか、いくつものサテライト建設が勢いよく同時に進み始めていた。

 

 

「サテライトに関しては今の所は何とも言い難いのもまた事実だな。今は002号のサテライトとネモス・ディアナに主力の一部を派兵している。一旦は戦力の再分配も必要になるかもしれんな」

 

 既に一戦を交えている以上、そこには冷静な分析の結果だけがあった。それぞれが互い思惑を抱えながらにこれから来るであろうアラガミの対処を迫られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれがキュウビか。話の通りまるで動物そのものだな」

 

 調査隊が派遣されてから既に1カ月が経過しようとしていた。元々交戦した経緯もあった為に、大よその行動パターンはクレイドルからも提供される事になった。

 知能が高い割にどこか野生の動物の様な動きを見せるアラガミの探索には当初の予定以上に困難な物となっていた。従来のアラガミの様な行動パターンは存在せず、事実上の本能の趣くままの行動には、これまで幾つものアラガミを調査したベテランであっても厳しいものだった。

 

 時期的には物資の補給のタイミングが近づきつつある。そんな矢先の出来事だった。

 突如として水場を探しに来たのか大型種でもあるキュウビがゆっくりと姿を現す。周囲を警戒するつもりが無いのか、それとも必要が無いからなのか何事も無い様に水場の傍へと歩いていた。

 

 

「知能が高いと聞いている。各自警戒だけは緩めるな。撮影班は映像を撮ってるか?」

 

「こちらは大丈夫です。既に撮影は開始しています」

 

キュウビとの距離を考えれば聞こえるはずの無い声での会話。キュウビの探索にだされた神機使いはいずれもそれなりに実力があり、アラガミの特徴も理解している。

 いかに聴力に優れたアラガミと言えど、聞こえるはずの無い声での会話だったはずが、まるで何かを察知したかの様にキュウビは調査隊へと視線を向けていた。

 

 

「全員退避だ!」

 

 これまで生き残った勘が働いたのか、隊長は隠れるつもりが無いとばかりに大声で全員へと指示を出す。

 既に察知していたからなのか、既にキュウビは腰から6本のオラクル細胞を噴出しながら、大きなレーザーを上空へと放っていた。

 数える事すら出来ないオラクル細胞のレーザーが調査団全員へと向かっている。退避しようにも既にその弾丸の様なレーザーは目の前にまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ!調査隊が壊滅しただって!」

 

 キュウビの攻撃を受けた事によって派遣したはずの調査隊の全滅の一報が榊の下へと伝わっていた。元々は探索を中心とした部隊を再編制した事で派遣したが、今回のメンバーはいずれもそれなりに実績を残していたメンバーだったにも関わらず、最後に届いた情報は通信の途中で切れていた。

 

 

「既に連絡が途絶えてから24時間が経過しています。バイタルのビーコン反応も確認できません」

 

 普段は冷静なはずのフランも榊の叫びに珍しく驚きながらも自身の知っている内容をそのまま伝えている。

 今回のサポートを担当していたフランも今回の結果に対しては内心忸怩たる思いがあった。もう少し警戒する事が出来るのであれば、最悪の展開は防げたのかもしれない。もう少し指示が早ければ今頃全滅を免れたかもしれない。

 榊の叫びだけではなく、自身の力量までもが嘲笑われた気分だけが自信に残っていた。

 

 

「そうか……フラン君、彼らが撮った映像はどうなってる?」

 

「それに関してはギリギリの所でデータがこちらに転送されています。私もまだ確認はしてませんが、直近で映像データファイルが一件来ています」

 

 言葉と同時に榊の下へも画像データが転送されている。キュウビとの交戦の話をきかなければ脅威としか思えなかった事もあってか、核心したデータを見る榊の目は既に何かを解析している様にも見えていた。

 

 

「これが彼らが全滅する寸前に送ってきた画像データだ。実際に交戦した君達から見て、これがお目当てのアラガミだと思うかい?」

 

 画像を見た後の行動は早かった。アナグラの内部で研究していたソーマだけでなく、帰投直後だったリンドウやエイジ、アリサもすぐさま支部長室へと召集する。既に確認したからなのか、当時のメンバーが集まって見た映像は確かに交戦したアラガミのそれだった。

 

 

「十中八九そうだと考えるべきだな」

 

「だろうな。しかし、目測でこの距離の会話が聞こえるのは前よりも強力になったんじゃないか?」

 

 当時キュウビと交戦した際にはここまで聴力が発達した形跡はどこにも無かった。あの当時はまだ単なる大型種にしか過ぎず、聴力もそこまで強固では無かった事だけが思い出されていた。

 

 

「あれは取り逃がした事だけじゃなくて多分だけど、結合崩壊させた部分が足りない何かを補う様に進化したのかもしれない」

 

 ソーマとリンドウの言葉にエイジは一つお可能性を考えていた。色んなアラガミが居る中で、このキュウビに関しては未だ研究の途中であると同時に、これまでのアラガミには無かった驚異的な反応がある事だけが現状では分かっている。

 そんな中で交戦した結果取り逃がした事で今までの様な形ではなく、別の部分での進化をした可能性がある事が予想されていた。

 

 

「って事は前回に交戦したアラガミではあっても、別の個体って事です?」

 

「それは無いな。これまで調査した結果からすれば、あれは俺達が交戦したキュウビである事には間違い無い。多分レトロオラクル細胞の学習能力の結果から危機管理能力だけが異常に進化したのかもしれない。俺達が研究しているアラガミは完全に解析出来た個体は今までに一つも無い。こうまで急激な進化を成し遂げたのであれば、やはりあのレトロオラクル細胞は今までとは違った性能があると考えた方が良いだろう」

 

 

 アリサの疑問に答えたのはソーマだった。今回のレトロオラクル細胞を研究していく傍らで、これまで散々研究されたと思われていたオラクル細胞学を改めて検証した結果、完全に解析された種はどこにも無いと言った結論となった。

 

 事実、人類でさえも完全にDNAの塩基配列を解析出来ている訳では無い。それよりもはるかに進化する速度が早いオラクル細胞ともなれば、アラガミとしての個体の対策は出来たとしても、それがどんな結果を及ぼすのかまでは未だ検証されていなかった。

 

 

「ほう。もうそこまで知ってたんだね。ソーマの言う通り、アラガミは我々にとっては未知ではあるが未知の生物では無いと言ったある意味矛盾した存在なんだ。事実我々が知り得ている内容なんて物はオラクル細胞全体からすればほんの数パーゼント程度なんだよ。だから最近になっても新たな学説が発表されているんだ」

 

 榊の言葉にクレイドル発足当時の事が思い出されていた。アラガミの規則性と捕喰欲求が研究されたのはまだ記憶に新しい。

 

 常に進化し続ける存在との敵対は嫌が応にも研鑽をし続けなければ、早晩にも人類は絶滅す事になる。確かにこれまでに終末捕喰を何とか回避できたが、その原理と原因については誰も知らない。

 精々が仮説の段階でこれが地球の意志ではないのかと言った程度が今の人類が知る限界でもあった。

 

 

「とりあえずは見つかってからの対処しか出来ないと考えて良いんですよね?」

 

「そうなるな。まだ極東の圏内での目撃情報は無いのであれば、暫くの間は各部隊にも通達した方が良いだろう」

 

 調査隊の壊滅がどれ程の物になるのかを知らない神機使いは極東支部には居ない。アリサとてそれを理解しているからこそ今後のサテライトの建設にも影響が出る可能性を考えていたのか、ソーマの言葉に終始何かを考えていた。

 それがいかに脅威であるのかを何も知らないままであれば危険しか無い以上、今は内部通達で注意喚起する以外には何も出来ないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《帰投の際にも警戒を怠らない様にお願いします》

 

「了解しました。帰投の際にも警戒を怠らない様にしますので」

 

 今回の内容は全部隊に即時通達されていた。キュウビの話は詳細はともかくどんな形状をしているのかは聞いているも、実際にはどれ程の力を有しているのかすら分からないのであれば、今はただ警戒する以外には何も出来ない。

 現状ではミッション帰投中のブラッドにも他の部隊同様に通達がされていた。

 

 

「シエル。何か起きたのか?」

 

「先ほどヒバリさんから連絡がありました。北斗もクレイドルがキュウビを追いかけているのは知ってると思いますが、今回の調査隊が壊滅に追い込まれたのと同時に、クレイドルが本部付近で交戦した当時よりも強固な個体となっているそうです。

 現状では極東支部ではまだ観測されていませんが、今後の可能性を考慮すれば警戒した方が良いと榊博士が判断したそうです」

 

「確か、原初のアラガミって言ってたあれだよな?」

 

「そうですね。我々が現在の出動中の部隊で一番の遠隔地にいるので、通達があったそうです」

 

 ミッションの帰投中に突如として入電した内容はブラッドを警戒させるには十分すぎる内容だった。

 今回は珍しく感応種の討伐だった事もあり、何時もよりも携行品を多めに持ったミッションではあったが、想定外のアラガミの侵入もあってか、通常のミッションと大差無い結果に終わっていた。

 

 

「でも、キュウビだっけ。確か先週の話だとシンガポール支部で見かけた後で調査隊が壊滅したんだよね。ひょっとして近くまで来てるのかな」

 

「詳しい事は分かりませんが、現状は警戒を緩めない様にするのがアナグラからの命令ですので、今後は警戒しながらになります」

 

 シエルとナナが話をしている際に、北斗はふと今回のミッションの内容を思い出していた。

 感応種との戦いは既にそれなりの数に上ってはいたが、問題だったのは侵入するアラガミの数だった。本来であればこうまで膨れ上がる事はあまりなく、また感応種との戦いであれば、案外と侵入する個体は今までの経験からすればそう多くないのが通常だった。

今回の内容であれば、本来ならば即時撤退の考えもあったが、やはり相手が感応種である事からもその考えを捨て去りそのまま討伐任務に入った形となっていた。

 

 

「あっ!ヘリが来たよ!」

 

 ナナの言葉と同時にヘリが近づく音が聞こえている。これで漸く帰投に入ろうかと思った瞬間だった。まるで待ち伏せしたかの様にオラクルが対空砲の様にヘリへと襲い掛かる。

 本来であれば対アラガミ装甲を備えたヘリであれば余程の事が無い限り、アラガミの攻撃には一定レベルであれば耐える事が出来る、にも関わらず目の前で起こった惨状は既にその事実を忘れさせようとしていた。

 

 

 



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第189話 強襲の中で

「榊博士。緊急事態です。ブラッドの帰投用のヘリが撃墜されました。最後の連絡から推測するとアラガミの襲撃の可能性が高いとの事です」

 

 まさに緊急事態とも言える状況がヒバリの口から告げられていた。

 帰投の際にも万が一の事があってはいけないからと、帰投の際にその場にいる部隊が周囲を警戒するのは当然の義務である事はゴッドイーターとしては最早常識でもある。

 今回のメンバーは新人で混成された部隊では無く、クレイドルに次ぐ精鋭でもあるブラッド。ましてやそのメンバーの中にはアラガミの状況を探知する能力を持ったシエルが居る以上、ヘリへの襲撃はまさに想定外の出来事だった。

 

 

「ヒバリ君、アラガミの反応はどうなってる?」

 

「レーダーでの探知外の可能性があります。パイロットの最後の通信はレーザーの様な物だと言った直後に切れました」

 

 現在確認されているアラガミの中でレーザーの様な攻撃をするアラガミは極めて限られている。しかし、アナグラのレーダーの範囲外からの攻撃であればサリエル種の可能性は低く、唯一考える可能性は一つしかなかった。

 

 

「ヒバリ君。クレイドルを緊急招集してくれたまえ」

 

「了解しました」

 

 まさかと思いながらも、どうしても拭いきれない可能性。キュウビがここに来る可能性は高いとは思っていたが、まさかこんな早い時間でこの近隣にまで来るのは完全に想定外だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「緊急で呼び出して済まない。知ってるとは思うがブラッドの帰投用のヘリがアラガミの襲撃と思われる攻撃を受けた事で撃墜されている。ブラッドそのものには問題無いが、今回の襲撃の際にはレーザーの様な攻撃を受けていると聞いている事から、キュウビの可能性が高いと考えているんだ。すまないが万が一の可能性があるから君達に言って欲しいんだ」

 

 エイジ達が召集される理由は明確だった。未知なるアラガミの可能性が高い。エイジとリンドウに関しては既にその道の専門部隊に近く、今なおこのアナグラでの最高戦力である事に変わりは無かった。

 

 

「レーザーねえ……多分キュウビだろうな」

 

 リンドウが呟く言葉に誰も異論を挟もうとはしなかった。調査隊の壊滅と移動の要素を考えれば可能性は捨てきれない。

 勿論、榊とて考えて無かった訳では無いが移動の速度が予想以上の早すぎた事が全ての原因でもあった。

 

 

「榊博士!先ほどシエルさんから通信がありました。対象アラガミはキュウビです。既に移動用のヘリの手配は完了しています」

 

「ブラッド隊は今どうしている?」

 

「現在は距離がある為に様子見だそうです」

 

 クレイドルとしてもブラッドの特性は良く知っている。既に目視出来る可能性が高いのであれば、戦場に到着する頃には交戦している可能性が高い。

 ましてやブラッドは既に感応種との戦いが終わったばかりの状態でる以上、手持ちの携行品だけではなく活動限界時間の事を考えても安易に考えるには無理があった。

 

 

「ヒバリ君。ブラッド隊に連絡してくれ。クレイドルがそちらへ急行すると同時に、対象のアラガミの聴力は異常だ。行動や会話には十分注意してほしいと」

 

 cその言葉と同時にエイジ達は直ぐにヘリポートへと急ぐ。既に連絡が入っていたのか、4人分のケースを用意したナオヤと同時に、そこにはツバキとコウタが待っていた。

 

 

「今回の討伐対象でもあるキュウビに関しては既に一度逃げられている。今回のミッションはキュウビの討伐と同時に、万が一ブラッドが交戦している状況であればそれに対してのフォローだ。なお、今回の任務はある意味特殊な部分が多い為に、暫定的にコウタをクレイドルに、第1部隊の2名はは第4部隊の傘下へと変更する」

 

 ツバキの言葉が全てを物語ってた。精鋭揃いのブラッドと言えど、携行品はあまり無い状態での戦闘がもたらす結果は考えるまでも無かった。

 回復する手段が仮に無くても問題無いが、精神的には負担がかかる可能性が高い。

 今回の様にイレギュラーな任務であれば、それはより顕著な物へと変化するのは、ツバキ自身もこれまで戦ってきた経験によるものでもあった。

 

 

「今回の戦いはある意味今後の事にも大きく影響する。全員必ず生きて帰ってこい。それとコアは無傷で剥離するんだ。それについては……分かっているなソーマ」

 

「ああ、前回の様な事にはならないはずだ。俺達も常に進化し続ける。コアの剥離は最低限の条件だ」

 

                                            

 

 

                                                                                                                      簡単なミーティングと同時に準備は着々と進んでいく。他の支部とは違い、極東支部はアラガミの乱入や緊急ミッションはざらにある為に、準備に関しても他の人間が手慣れた様子でヘリへと荷物を積んでいく。このままならばあと数分で出発出来るまでとなっていた。

 

 

「エイジ。何をやろうとしているのかは大よそ理解出来るが、無理はするなよ」

 

「知ってたの?」

 

「当たり前だ。何年親友やってると思うんだ。考えている事と行動が一緒に出てるんだ。分からない訳ないだろ?」

 

 ヘリに乗り込む直前に、何かに気が付いたのか、ナオヤが珍しくエイジに話かけていた。いつもであれば態々出撃用のヘリポートに顔を出す事はなく、こんな緊急時に顔をだした事は今までに一度も無かった。

 

 何かを知っている様にも思える表情にエイジも心当たりがいくつかあった。これまで戦って来た中で今以上に高みに上る為には更なる研鑽が必要となってくる。

 ただでさえ封印を解除しなかればならない場面があれば、いくら制御しているとは言え最悪の展開になる可能性は否定できない。だからこそこれまで以上の研鑽を積んでいた事がばれているのが意外だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「了解しました。ではその様にしますが、万が一の際にはこちらで出来る限りの対処をします」

 

 アナグラからの状況を確認しながら先ほど撃墜されたヘリの辺りを北斗達ははなれた場所から見ていた。

 以前に少しだけ確認したのが、コンゴウ種やサリエル種よりも遠距離まで聞こえる聴力に加え、上空へと放ったオラクル弾はまるでホーミングでもするかの様に対象物へと襲い掛かる攻撃が厄介だと聞かされていた。

 当時は交戦まではいかないにせよ、どこかで発見する可能性があるからと詳細までは確認しないまでも概要だけは目に留めていた。しかし、今はそれが裏目に出ている。過ぎ去った時間を後悔しながらも北斗は様子を見るに留まっていた

 

 

「北斗。我々としては万が一の際には交戦許可が出ましたが、現状を鑑みれば回復する手段に乏しい以上、無理は禁物です」

 

「そうだな。皆どれ位残ってる?」

 

 北斗の言葉に全員が手持ちの確認を急いでいた。

 連戦に次ぐ連戦の場合、最初からそうだと分かっているのであれば問題はあまり無いのと同時に心構えが違ってくる。この先の行動を考えながら交戦する場合は、出来る限り安全に配慮する事も出来るが、今回の様に緊急で戦場に侵入されると最悪は部隊の分断や背後からの強襲の可能性も高く、結果的には手持ちの品を多く使うケースが多かった。

 そんな中で新たに交戦しようと考える者は誰も居ない。しかし、聴力に優れたアラガミである以上、今のブラッドには様子を見る意外には何も出来なかった。

 

 

「回復錠が1個とスタングレネードが1個だよ」

 

「俺もナナと同じだが、スタングレネードは無いな」

 

 ナナとギルの手持ちは事実上無いに等しい状況でもあった。今は帰投準備中だった事もあり、この後は帰投するだけだったが、万が一ここで戦闘が始まれば、それはあっと言う間に消費する事になる。

 声をかけた北斗でさえも回復錠は2本と強制解放剤が1本だけだった。

 

 

「北斗。私は回復錠は3本ですが、最悪のケースを想定すれば手持ちは無いと考えた方が無難です」

 

 シエルの言葉を全員が等しく理解した以上、今は再度待つ以外にには何も出来ない。事前の情報ではここまで来るのに30分程はかかる。短い様で長い時間がこれから過ぎようとしていた。

 

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                              

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回のキュウビなんだが、恐らくは何かしらの過剰な進化をしている可能性がある。勿論どこまでが進化しているかは分からんが、今回の討伐に於いては俺とソーマ、エイジが前衛、アリサは遊撃でコウタは後衛だ。ただキュウビの動きは素早いだけじゃなくて力もある。特にコウタは後衛だからと言って距離が離れてると思ってると一気に詰められるぞ」

 

 ブラッドの応援と言った雰囲気は既に無く、これからクレイドルとしてのキュウビ討伐の為にヘリで移動しながらブリーフィングをしていた。

 既に交戦経験がある4人はリンドウの言葉の意味を理解したが、コウタはこれが初見である以上、念入りに確認する必要があった。

 

 

「リンドウさん。一応携行品は持てるだけ持って来たんですけど、これで足りるんですか?」

 

「実際にはここまで要らないんだが、俺達が到着するまでにブラッドが交戦する可能性がある。何せ聴力が今までに無い位強化されてるのは間違いないからな」

 

「って事は一部はブラッドの為って事ですね」

 

「そう思ってくれ。事前に確認した内容だとブラッドの手持ちは殆ど無いらしいから、万が一の際にはこちらで支給する必要がある。それと現地に到着する前に一旦確認するが」

 

 コウタへの説明をすると同時に今回の内容を理解しようと話を続けていた時だった。

 本来であれば移動中の通信は無意味な事もあり、繋がる事は殆ど無い。

 にも関わらずこの場で繋がる理由はただ一つだけだった。

 

 

《極東よりクレイドルへ。キュウビがブラッドを捕捉。交戦を開始しました》

 

「了解。こちらは到着まであと5分はかかる。それまでは何とか凌ぐ様に言ってくれ」

 

《了解しました》

 

「って事で予想通りブラッドはキュウビと交戦を開始した。さっきの話じゃないが、コウタは確実に距離を取るんだ。やつの動きは予想以上に早いぞ」

 

 ヒバリからの通信はリンドウが予測した展開通りの結果となっていた。どんなに音を出さない様にしても、ああまで異常であれば気が付くのは間違い無かった。

 原因は分からなくても既にブラッドが交戦している以上、クレイドルに求められるのはブラッドの救援とキュウビの討伐のみ。高速で移動するヘリの中では待つ事しか出来ない以上、今はただ無事を祈る事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《キュウビがブラッドを捕捉しました。全員戦闘態勢に入って下さい。クレイドルもそちらに向かっていますが到着まで少し時間がかかります》

 

 クレイドルがこちらに向かう一方で、やはりと言った表情なのか、キュウビはブラッドを完全に捕捉していた。

 本来であれば1キロ以上の距離の中で針が落ちた様な音を聞きつけるアラガミは存在しない。にも関わらずこちらに気が付いたキュウビはやはり異質な物でもあった。

 

 

「リンドウさんの話だとキュウビの動く速度は早いのと、全員なるべく距離を取りつつ戦ってくれ」

 

「全く気が安まらないもんだな」

 

「了解しました」

 

「最後まで頑張るよ」

 

 簡単な説明を受けていたものの、直接その状況をブラッドは見た訳では無い。確かに口頭での話は聞いていたが、やはり直接対峙した迫力は全くの別物でもあった。

 

 距離がまだあると思った瞬間、まるで瞬間移動でもしたかの様にキュウビは巨体を苦にする事無く一気に半分まで距離を詰めていた。

 あまりの早さに北斗だけなく、距離を一定にするべくシエルが狙撃の態勢を取っていた瞬間だった。その場にあったその巨体は大きく横へと跳躍する。

 以前に戦ったマルドゥークとは比べものにならない程の速度だった。

 

 

「北斗!狙撃は無理です」

 

「全員距離を取って散開!」

 

 ギリギリまで粘る事なく、即断すると同時に全員がその場から大きく後ろへと跳躍していた。

 キュウビは態と狙いを外す様に横へ着地した瞬間、今度は再び距離を詰める。先ほどまであったはずの距離のアドバンテージはものの数秒で消滅したと同時に、先ほどまで全員が居たはずの場所へと着地していた。

 

 

「早いな」

 

 ギルが無意識の内にに呟いたのは無理も無かった。幾らアラガミとは言え、こうまであったはずの距離が一瞬にしてなくなると同時に、先ほどまで居た場所に留まれば直撃した可能性が高かった。

 脊髄反射とも言える北斗の判断は間違っていない。本来であれば交戦した瞬間一気に攻撃に反転したい気持ちはあるが、回復の手段が乏しい時点ではどうしても慎重にならざるを得なかった。

 

 

「リンドウさん達の到着はあと5分だ。それまでは何としても凌ぐんだ」

 

 北斗の言葉に理解したのか、全員がその意味を感じ取っていた。攻撃はあくまでも牽制程度にしながら距離だけではなく時間も稼ぐ。

 討伐ではなく牽制する方法を選んだ事により、全員が一歩下がった戦いを開始する事にしていた。

 

 

「ギルもいできるだけ牽制してくれ。ナナは回避を重視してくれ、ショットガンの射程だと届かない」

 

「了解」

 

 アサルトでギリギリ攻撃出来る距離を測りながらギルはアサルトでキュウビを狙う。

 射程距離であればシエルは問題無いが、スナイパーの特性上連射が出来ない。それを当てようとすれば技術だけではなく、誰かがキュウビの足を止める必要があった。

 

 

「ナナ行けるか?」

 

「私なら大丈夫だよ」

 

 北斗はナナを見ながら確認する。ナナの目にはまだ力があった事を確認すると、北斗とナナはキュウビに向かって一気に距離と詰めるべく走り出していた。

 

 

 

 



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第190話 九尾の狐

 

「まさか…こうまで…予想と違うとは」

 

 肩で息をしながら北斗は現状を把握しようとしていた。

 交戦してから5分。当初だけは互角の戦いではあったが、そこから数分も経過しないうちに、ブラッドの面々は一方的とも取れる程にキュウビに抑え込まれていた。

 ギリギリの中での戦いであるだけではなく、携行品が殆どないままの戦いは肉体よりも精神を激しく消耗させる。精神的な負担は焦りを呼ぶ事によって冷静でなければならない判断を狂わせるのか、動きが一気に鈍くなる。

 その結果として僅かな時間でありながらも既に手持ちの品は使い切っていた。

 

 

「北斗…大丈夫です…か?」

 

「何とかって所だけど、ナナとギルの様子は?」

 

 想定外の速度はブラッドの予想を大きく裏切る結果となっていたのか、数度交戦した途端キュウビの周囲へまき散らすレーザーの一部が被弾した事で、即時散開したままだった。

 既に回復の手段が無いだけではなく、僅かな声も聞き取る事から、お互いが近づき合わないと会話すら厳しい状況にまで追い込まれていた。

 

 

「今の所は問題ないはずです。がしかし、このままここで隠れている訳には行きません。そろそろ何らかの対処を必要とします」

 

 シエルの言葉が全てを物語っているが、現状では通信する事で所在地を知られるのは悪手意外の何物でもない。

 『直覚』によるアラガミの位置は捉える事が出来るが、そこからの行動をどうやって全員に伝えるのかがいかに難しいのは数分とは言え、交戦した結果でもあった。

 

 

「仕方ないか。シエル、俺が囮になるから全員に通信を繋ぐんだ。そうすれば現状からは多少でも挽回できるかもしれない」

 

「しかし、それだと北斗が」

 

 このままの会話がどれ程危険な状況なのかは2人とも知っている。既にキュウビの意識はこちらを向き始めているのか、距離をジワジワと詰めているのがシエルには理解出来ていた。

 このままではどうなるのかは考えるまでも無い。北斗が言う様に、誰かが囮になる手段しか方法が無いのかと思った矢先だった。

 2人の場所から少し先で敢えて気が付く様に信号弾が上空へと打ち上げられる。それが何の合図なのかは直ぐに理解出来た。

 

 

「シエル、全員に対し回線を開いてくれ。クレイドルが到着したらしい。それと同時にクレイドルの場所も確認してくれ」

 

 疲労だけでなく、既に交戦した結果なのか身体にはあちこちに傷が出来ているのか、服の破れた部分からは血が滲み出ているが、上げられた信号弾の存在が疲労を訴える身体の意識を遮断し、無理にでも身体を動かす。

 信号弾が上がった以上、キュウビの意識は確実にそっちに向かうのはこれまでの交戦での経験から容易に判断が出来ていた。

 

 

「了解しました」

 

 シエルに指示を出すと同時に北斗は疲れ切った身体を無理矢理動かし、周囲を確認する。北斗が予想した通り、そこにキュウビの姿は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちらクレイドル。ブラッド全員生きてるか?」

 

《こちらブラッド。全員無事ですが携行品は既に切らしています。現在は各々がキュウビを回避しながら警戒しています》

 

「良かった。ブラッドの分も用意してあるから、こちらが指示するポイントまで来てほしいんだ。現在はエイジとリンドウさん、ソーマがキュウビを索敵後交戦の予定をしているから」

 

 シエルからの通信でコウタもまずは一安心だった。ここに向かう道中で色々と情報を整理すればするほど、今回のキュウビがどれほどの物なのかは交戦していないコウタにも予測出来ていた。

 如何にブラッドと言えど、回復の手段を持たないままの交戦は時間の前後があったとしても最悪の展開しか予測出来ない。まさに、危機一髪の状況下で到着出来たのは正しく僥倖だった。

 

 

「アリサ、これからブラッドがこっちにくるから個別での装備品を渡してくれ」

 

「分かりました。全員分は既に準備済みです」

 

 万が一の事を考え距離を取った状況が功を奏したのか、ヘリはダメージを受ける事なくそのまま離脱が可能となっていた。

 本来であれば余計な荷物は邪魔以外の何物でもないが、既に簡易コンテナに搭載した物資は開封する事で遊撃と後衛でもあるアリサとコウタはブラッドが来るのを待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全員クレイドルのポイントまで急いでくれ。キュウビはエイジさん達が交戦している。とにかく時間を最優先してくれ。シエル、俺達も行くぞ!」

 

「了解です」

 

 北斗の言葉と同時に全員が一気に動き始める。

 本来であれば警戒しながらの行動ではあるが、既に交戦しているのであればこちらが気を使う必要性は無い。それならばと全員がクレイドルの待機ポイントまで一気に駆け抜けていた。

 

 移動しながらもキュウビへと意識を向けるとやはりクレイドルとキュウビが既に交戦しているのか、何度も戦闘音が鳴り響く。

 ブラッドもアナグラでは精鋭部隊ではあるが、クレイドルと直接の戦闘能力を比較した事は無いが、やはり普段から教導で出ているエイジやリンドウの実力を考えれば、これから始まる戦いの結末の中に自分達が入れないのは歯痒い気持ちしかなかった。

 

 

「お~い。こっちだこっち」

 

 北斗達を見つけたのか、コウタが手を振って知らせている。恐らくは窮地に陥る可能性を考慮したからなのか、コウタとアリサの隣にある簡易コンテナが何なのかが何となく予想出来ていた。

 

 

「皆さんの携行品一式です。これを装備して下さい。それと、これが偏食因子の簡易キットに、これがすぐに使う回復剤です」

 

 アリサから手渡された回復剤を口に含むと、何となく何かが急激に回復した感覚がしたのか、既に当初の疲労感が完全に抜けていた。

 この場所はあくまでもキュウビに感づかれない為の拠点ではあるが、決してベースキャンプする様な物では無い。既にコンテナが空になると同時に、それを畳むとその場に放置していた。

 

 

「ありがとうございます。俺達も直ぐにエイジさん達の所へ行かないと」

 

「その件ですが、現在の時点では私が遊撃、コウタが後衛になっています。ブラッドも交戦する事は既に計画の中に入ってますが、特に取り決めはありませんので、各々が各自で行動してほしいとの事です」

 

 今回の特注品だったのか、回復剤の効果は直ぐに表れていた。今はまだ任務に入る間際の状態にまで回復したからなのか、先ほどまでの窮地に追いやられていた感覚は既に無く、これが最前線で培われた技術だと改めて感じ取っていた。

 

 

「……これ凄いね。さっきまでの疲労感が無かったみたいだよ」

 

「確かにこれはそうですね。これなら私達も再び戦えます」

 

 ナナとシエルは驚愕すると同時に、今まで使っていた回復剤とは全く性質が異なる物資なのは理解できた。しかし、これが何なのかを今はじっくりと考える余裕は既に無くなっている。

 全員の視線がまるで固定されたかの様に、今の戦場へと向けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱ前の時よりは格段に早いな」

 

「結合崩壊したままの放置ですから、ある意味では想定内じゃないんですか?」

 

 ヘリでの移動の際に、今回のキュウビの現状がなぜ大きく変化したのかを事前に予測していた。

 一番可能性が高ったのは、中途半端の状態が招くキュウビの更なる進化の可能性だった。いくら純血種だと言ってもどこかで捕喰行動を起こせば何らかの形で吸収される。

 それが恐らくは今回の結果だとエイジは考えていた。

 

 

「あいつらにもちょっと良い所見せるか。ソーマ、エイジ、打ち合わせ通りで行くぞ!」

 

「了解!」

 

 リンドウの合図と同時にエイジとソーマは回り込む様にキュビへと向かう。

 先ほどとは打って変わってこれからが本番だとも言える速度で一気に距離を詰め、これが決戦だと言わんばかりに攻撃を開始していた。

 

 三方からの同時攻撃はほんの一瞬ではあるが、キュウビの判断を迷わせていた。記憶にあるからなのか、キュウビはソーマとリンドウの事は無視すると同時にエイジに向かって全身の毛を逆立てるかの様に大きく威嚇すると同時に、これからそこへ向かうかの様に進行方向にまるで道が出来たかの様に黒い筋が浮かび上がる。

 この黒い筋に見覚えは無いが、その行動パターンには記憶があった。

 

 互いが対峙したのは既に日が沈んでからだった事もあってか、当時のこの攻撃のパターンは行動を見切る事が出来ないままに回避したが、今はその黒い道筋が見えるからなのかキュウビはそれが通り道だと言わんばかりに筋に沿って突進している。

 

 これが初見であれば完全に回避する以外の方法が無かったが、今はそれが見えている以上、単純に回避だけするつもりは無かった。

 キュウビがこちらへ向かうのを確認すると同時に、エイジも今まで以上に速度を出して走り出す。時間にしてほんの一瞬だけ交差した瞬間、キュウビの胴体には大きな赤い筋が出来ていた。

 

 交差する瞬間、移動する際にギリギリの距離を見極めた事で黒い刃がキュウビの胴体を斬り裂きながら交差する。互いの速度が出ていた事もあってか通常よりも深手を負わせる事が出来たと同時に、エイジはそのまま行動を止める事無くキュウビと再び対峙した瞬間だった。

 

 

「このまま死ね」

 

 移動した先で待ち構えていたかの様にソーマのイーブルワンはキュウビの頭めがけて凶刃を振るう。この一撃は完全にキュウビの意志の外から出された事により、僅かながらに反応が遅れたのか回避したまでは良かったが、完全に交わしきれなかったのか、キュウビの首筋に少しだけ斬りつける事が出来た程度だった。

 

 バスターの大きな隙はそのまま反撃の格好の的となる。本来であればソーマの大きな隙はキュウビにとっては格好の的ではあるが、すぐ近くの存在がそれを許さない。

 ソーマの一撃が大きく地面を抉った瞬間、リンドウの攻撃が三度キュウビに襲い掛かっていた。

 

 

「俺の事も忘れるなよ」

 

 凄まじい程の速度で横なぎに飛ぶ斬撃はキュウビの反撃を許さない。危機管理能力が如何なく発揮されたのか、リンドウの一撃を大きく回避していた。

 ソーマも再び態勢を立て直すと同時に3人とキュウビは距離を置きながら再び対峙していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これがクレイドルの戦い方ですか……少なくともこうまでお互いの行動を読みあった攻撃は見た事がありません」

 

 距離を空けながらもブラッドは現地に視線を向けながら同じく距離を詰めていた。

 シエルの視線の先にあったのは先ほどのキュウビに対するクレイドルの流れる様な連携だった。まだシエルが入隊直後だったブラッドの連携も有用的に動いていたが、それに比べれば今見せた連携はまるで大きな生き物がお互いの行動を妨げる事無く自然に動いている様にも見えていた。

 

 自分達も当時に比べれば連携に関してはスムーズになったと思っていたが、今の連携と比べれば雲泥の差だと思わずにはいられない。

 それほどまでに自然に動いている様に見えていた。

 

 

「偶にミッションに行くけど、こうまでの連携は見た事無いな。これがクレイドルの戦い方なのかもな」

 

 北斗も先ほどの場面を見たからなのか、不意に言葉がこぼれていた。

 お互いの隙がどうやったら出るのかを理解しながらも攻撃の手は緩まない。恐らくは従来のアラガミであればソーマの一撃かリンドウの追撃でそのまま命を散らすが、キュウビは回避した事によってその能力の高さだけでなく、クレイドルの連携の隙の無さがハッキリと理解していた。

 

 

「俺達もああまで出来る様に研鑽すれば良いだけだ。クレイドルは極東一の部隊なら、目指す頂きがそこにある。要はシンプルに考えるだけだ」

 

「そうだよギルの言う通り。私達だって頑張ればやれるんだから!」

 

 驚愕とも取れる内容ではあるが、同じゴッドイーターである以上、並び立つ事は不可能ではない。

 今はただ眺めるだけではなく、同じステージまで自分達を昇華させる事が大事だからと再び気を引きしめながら4人はエイジ達の下へと再び走り出していた。

 

 本来であれば1体のアラガミを討伐するにあたっては、こうまで部隊を投入する事はあり得なかった。

 人員的な問題も去る事ながら、一番の要因は部隊間での実力差。

 一方が格段に能力が高い場合、アラガミは弱い部分を責め立てる。結果的には討伐が出来たとしても最悪はどちらか一方の部隊が囮となる可能性が高く、その結果としては殉職率が上昇する可能性が高い事もあってか、実力差が激しい部隊運用は禁止されていた。

 

 僅かな攻撃とは言え、今のクレイドルとブラッドではどれ程の差があるのかは口にはしないが、見た瞬間当事者には理解出来ていた。感応種相手では問題が無いと判断しても、やはり以前のマルドゥーク戦の様に純粋なアラガミ討伐ではクレイドルの方が力量が上なのは今に始まった話ではない。

 だからこそ、目の前にある頂きはどれ程の高さなのかはブラッド全員が理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサ。俺達も動くか」

 

「コウタ、キュウビの動きはかなり早いです。さっきのエイジ達の攻撃が完全では無いにしろ躱された以上、油断は禁物です」

 

 少し距離が離れた場所からアリサとコウタも先ほどの連携を目にしていた。連携の速度に関しては今更驚く事は無いが、それでもあの攻撃を躱しきったキュウビの行動は警戒のレベルを引き上げるには十分過ぎていた。

 

 

「その辺は大丈夫だろ。今の攻撃でキュウビの意識は完全にエイジ達の方に向いているんだ。俺がやる事はキュウビの集中力低下だからな。アリサも前線に向かっても問題ないから」

 

「後衛は頼みました」

 

 コウタの言葉にアリサは改めてキュウビと対峙しているエイジを見ている。

 戦いが未だ序盤の中でもまだほんの少しだけ足を踏みいれたにしか過ぎないのは直ぐに理解出来ていたのかアリサもキュウビと対峙するエイジ達の下へと走り出してた。

 

 

                    



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第191話 因縁の決着

 キュウビの行動は最初に交戦した際にある程度のパターンを読んでいたのか、クレイドルはこれまで苦も無く攻撃を続けていた。

 

 基本の攻撃がいくつかあるものの、既に一度目にした攻撃は既に脅威では無い。初見でも一定レベルの成果を要求される事に比べれば、今のキュウビの攻撃は幾ら動きが早くてもある程度のパターン化された事で対処する事が可能となっていた。

 

 

「全員来るぞ!コウタはもっと距離を取れ!」

 

 エイジの叫びと同時にキュウビはオラクルの塊を上空へと押し上げる。そこから来る攻撃は無差別のレーザーの雨だった。

 様子を見ながら北斗達もキュウビの討伐へと参加する。エイジの指示通り、全員が盾を展開した瞬間、大きな衝撃が走っていた。

 

 

「あれは厄介だな」

 

「でも距離を取れば何とかなるんじゃないか」

 

 時間と共に今まで苦戦していたブラッドも徐々に目が慣れ始めたのか、キュウビの行動パターンについていき出していた。

 元々過剰戦力での交戦ではあるが、何か重大な物を見落としている様にも見える。しかし、現状の戦闘の最中にそれが何なのかを判断する程の余裕は無かった。

 キュウビは再び大きな雄叫びを上げると同時に初戦同様に黒い筋が進行方向へと湧き出ている。そこから先の行動がどんな物なのかは直ぐに見当が付いていた。

 

 

「ギル大きく回避しろ!コウタ!回復弾の準備だ」

 

 黒い筋の先にへと移動するはずにも関わらず、エイジは大声で叫びながら指示を出す。本来であれば大きく回避する必要性はどこにも無いはずだった。

 

 黒い筋を一気に駆け抜けたキュウビは先ほどとは打って変わって進行方向の後で大きな球状の何かをまき散らす。それが何なのかは直ぐに分かった。

 

 

「くそっ!」

 

 エイジの指示とキュウビの攻撃、ギルの判断に僅かながらにタイムラグが発生していた。先ほどの雄叫びが合図となったそれは、まるで絨毯爆撃したかの様に周囲に黒い球状の何かが一気に炸裂する。

 

 無差別の攻撃が回避に送れたギルに襲い掛かっていた。盾を展開するも周囲一体にまき散らす爆撃は全方位からギルに襲い掛かる。

 流石に全方位ともなれば何らかの形でいくつかは被弾したものの、事前にコウタから放たれた回復弾でギルはギリギリの部分で難を逃れていた。

 

「活性化してるそ!今までと同じだと思うな!」

 

 ソーマの言葉に全員が再び警戒する。本来であればどんなアラガミでも共通するはずが、今になってそれがスッポリと抜けていたのはひとえに現状の対策に意識が向き過ぎたのが原因でもあった。

 既に回復したとは言え、ギルも直ぐにはダメージが抜けきらない。このままでは攻撃のターゲットとなるのは時間の問題だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサさん。私に何か出来る事はありませんか?」

 

 シエルは遊撃で行動していたアリサと行動を共にしていた。元々シエルの神機の特性を考えると、ブラッドの中では中衛から後衛に近く、今回の戦いでもクレイドルの状況を判断した結果だった。

 

 

「見ての通りですが、キュウビの行動は素早いのでここからの狙撃となればある程度行動を読んでからの方が良いかもしれませんね」

 

「そうですか…因みにアリサさんはどうやってするんですか?」

 

 シエルは疑問に思っていた。今回のキュウビとの交戦の中で確かに指示は出ているが、誰に何をと言った具体的な発言は一切ない。コウタにしても回復弾の指示は出たが、コウタの行動を見ると疑問に思う事もなく、それが当然だと言わんばかりの行動を取っている。

 各々が個人の判断をしているのは想像出来るが、それがどの程度のレベルなのかがシエルには判断出来なかった。

 

 

「私は基本的には皆の行動パターンを読んだ上で狙うべき所に撃つだけです」

 

「指示も何も無いんですよね?」

 

「その辺りは私の判断なんですけどね」

 

 中衛の位置から見れば、近接で戦っているエイジやリンドウの攻撃がかなり早く、また時折強烈な一撃を見舞うソーマの攻撃の隙間を撃つとなれば、事前に入念な打ち合わせをしているものだとシエルは考えていた。

 しかし、アリサの言葉をそのまま理解するならばお互いの行動を知った上で攻撃をしている事になる。熟練された部隊であれば起こりうる可能性がある事はシエルも知っていたが、まさか目の前でそれをやっているのはある意味衝撃的だった。

 

 

「あとは行動パターンを読むのが一番ですね。これまでの交戦からすればキュウビが上空にオラクルを放つ瞬間か、突進した最後の瞬間が一番分かり易いかもしれませんね」

 

 攻撃をしながらのパターンを読むのは未確認のアラガミ討伐に於いては最低限必要な技術。だからこそ一番最初にクレイドルが呼ばれるのはある意味当然なんだとシエルは考えていた。

 

 

「ブラッドバレットでしたよね。その威力には期待してますから」

 

 アリサの言葉を考えていたシエルは少しだけ現実に戻っていた。未だに動きが鈍くなる気配は微塵も無く、今なお攻撃の手を緩める事もなく交戦している姿が見える。

 アリサの言葉では無いが、シエルの構成したブラッドバレットは通常よりも大幅な攻撃力があるのは既にアリサも知っているからこそ、この戦いでの存在を仄めかしていた。

 

 

「はい。任せて下さい」

 

 交戦してから既に30分以上が経過するも、今なお発見当初と何も変わらない動きを見せるキュウビは本当に討伐が可能なのかすら疑問に思う程、軽快な動きを続けている。そんな中でシエルは一発必中とも言えるタイミングだけを虎視眈々と狙っていた。

 

 狙いを付けるスコープを動かす事無く一つの風景の様に微動だにせず、そのタイミングが来る瞬間だけを待つ。これまでシエルが訓練していた成果なのか、シエルの意識は既にアペルシーと一体となっていた。

 

 着弾までの時間を考えるだけでなく、周囲の行動やその気配までもが自分の支配下に入った感覚がシエルの引鉄を引くタイミングを伝える。

 これまでとは違った感覚に内心驚きながらも無心となった瞬間、自然と引鉄に当てられた人差し指が僅かに動いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今だ!一斉にかかれ!」

 

 中距離からの一撃はキュウビの目を撃ち抜いたのか、これまで軽快に動いていたキュウビの行動がその瞬間止まる。この瞬間、戦場の潮目が大きく変化していた。

 誰が何を発砲したのかは考えるまでもなくその場にいた全員が勝負を決めるべく一気に動いていた。

 

 

「リンドウさん!」

 

 リンドウに声をかけると同時にエイジはキュウビの前方から一気に距離を詰める。

 怯んだとは言え、キュウビとてそのままむざむざと攻撃を付けるつもりはなく、素早い動きで短距離での突進を敢行していた。

 

 互いの素早い行動にそのまま弾き飛ぶのはどちらなのかと思った瞬間だった。エイジの身体が大きく沈み、キュウビの顔面の顔面を下から黒い刃が襲い掛かる。いつもの様に刃を引く様に斬るのではなく、態と押す様に振り上げながら斬った事によってキュウビの顔が上へと弾け飛んでいた。

 

 

「任せろ!」

 

 大きく弾いた先には既に待っていたかの様にリンドウの一撃が横なぎに飛ぶ。鋭い斬撃がそのままキュウビの顔面を結合崩壊へと導いていた。

 

 

「ギル!俺達も続くぞ!」

 

「ああ!」

 

 北斗の声にギルはヘリテージスをチャージしながら距離を詰める。既に赤黒い光を帯びたそれはまだかと急かすかの様にも見えていた。

 

 

「このままくたばれ!」

 

 チャージした力を解放する様に、キュウビの胸部に向けての一撃が急所と貫いたのか、再び大きく怯んでいた。

 本来であればこの時点で絶命するも、キュウビは未だ平然としている様に見えるのか、全身の毛を逆立てながらに今なお戦意がなえる気配が無い。

 このキュウビがどれほどの個体なのかを考える暇も無く、攻撃によって作られた隙は最大限に利用されていた。

 

 

「吹っ飛べ!」

 

 ナナのコラップサーが再びキュウビの顔面を捉えると同時にソーマもチャージが完了したのかイーブルワンから吹き出す闇色のオーラがキュウビの尾を捉えている。以前に交戦した際にも結合崩壊していた部分ではあったが、既に脆くなっていたのか、一発のチャージクラッシュによって再び都合崩壊を迎えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ終いって所か」

 

 既にキュウビの身体からはオラクルがちの様に吹き出し少し前の様な動きは完全になりを潜めていた。

 このまま一気に攻撃をすればこれで任務は終わる。リンドウが零した一言に誰もがそう考えていた時だった。

 キュウビの行動に僅かな異変があった事をエイジだけは見逃さなかった。

 

 

「全員回避しろ!」

 

 命が消える間際の足掻きなのか、キュウビは声にならない雄叫びを上げる。その瞬間、キュウビの身体が大きく翻すと同時に周囲を巻き込む様に大きく回転し出していた。

 

 近距離での戦闘が続いたからなのか、この場に居る全員がキュウビの起こす攻撃を直撃する。エイジの叫び声を聞いた瞬間、無意識のうちに身体は動くが、それでもキュウビの行動の方が僅かに早かった。

 その場に居たはずのナナとギルは大きく吹き飛ばされると同時に岩壁に激しく叩きつけられ、ソーマとリンドウも回避行動に移りはしたが、やはりキュウビの攻撃に巻き込まれる形となっていたのかそこから3メートルほどふっ飛ばされていた。

 

 僅かな油断とは言え、既にキュウビそのものも満身創痍だった事から油断した事によりその場にいたほぼ全員が直撃したものの、その中でエイジと北斗だけが回避に成功していた。

 

 

「ギル!ナナ!」

 

「北斗、今はそれよりも目の前のキュウビを最優先だ。多分アリサとシエルがここに来る。今、この瞬間に集中を切らすな」

 

 冷徹とも取れる判断ではあるが、この時点でエイジと北斗が倒れれば、飛ばされた全員の命が消し飛ぶ事になる。

 実力的な問題もあるが、残された人間だけで討伐するのは事実不可能である以上、今は仲間の危機よりも討伐を優先する方が結果的には有効でしかない。これがこれまでギリギリの中で戦い、培ってきた経験が判断した結果だった。

 

 

「北斗、バックアップしてくれ」

 

「エイジさん?」

 

 北斗に一言だけ言うと同時にエイジは目線を切る事無く一度だけ呼吸を深く吸い込むと同時にその場から一気に勝負をつけるべく走り出していた。

 既にキュウビもエイジを捕捉している以上、攻撃がくるのは間違い。バックアップと言われてもこの状況下で何も出来ない北斗はただ見ている事しか出来なかった。

 

 先ほどの行動をまるで再生したかの様に同じ様にキュウビが突進するが、次の攻撃の準備も終えているのか、既に尾が怪しく光っている。先ほどと同じになるのであればエイジの身体は一旦沈みこんでかち上げる攻撃となるはずだった。

 

 一瞬だけエイジの身体の輪郭がぶれると同時に、既にその場にはおらず、死角をつかれたのか、キュウビは僅かコンマ数秒だけエイジを視界から捉える事が出来なかった。

 僅かな時間がまるで止まったかの様にゆっくりと見えたのは気のせいなのか、エイジはフェイントをかけたのか身体全体が右側へ飛んだと思った瞬間左側へと回り込んでいた。

 

 

「これで終いだ」

 

 既にエイジの姿を捉える事が出来ないまま、キュウビの真横から黒い刃が首を一刀両断する。断末魔をあげる暇すら与えないままにキュウビの首は胴体から離れ、噴水の様に血をまき散らしながらそのまま巨体はゆっくりと横たわっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや~あの瞬間は焦ったぜ。流石にもうダメかと思ったよ」

 

 キュウビの巨体が倒れると同時に、すぐさまコアを引き抜いていた。既にアナグラでも討伐が完了した事を受けたのか、今回は珍しく大型ヘリが現地へと向かっていたのか遠くでローター音が徐々に大きくなっていた。

 

 

「流石にあそこでああ来るとは思わなかったですけどね」

 

「これからが俺の本番だがな」

 

「頼んだぜ。ソーマ博士」

 

 今回の討伐に当たって結果的にはクレイドルの手で完了していた。既に解析に回される準備が完了しているのか、ソーマはコアと共にいち早く移動している。

 どれ程の時間が経過したのか、空は青からゆっくりと茜色へと変貌し始めていた。

 

 

「今回の戦いで初めてクレイドルの戦闘方法を見ましたが、我々もまだまだって所ですね」

 

「3年以上同じメンバーなんだし、それは仕方ないんじゃない?」

 

 先ほどの戦いを事実上客観的に見る事が出来たシエルは人知れず興奮していた。

 ブラッドは他の部隊よりも濃い連携が出来ていると思っていたが、クレイドルの戦闘方法を見た後では児戯に等しいとまで考えていた。

 

 誰もが共通した考えと同時に、個別に戦うのではなく、部隊が一個の生命体の様に連携しながら一気にしとめる。それはある意味ではシエルの理想的な戦いの様にも見えていた。

 

 

「しかし、同じ部隊とは言え少なくても3年間は誰もが無傷で来たならそれも一つの実力じゃないのか?」

 

「俺達はまだまだって事だけが今回の件で分かった気がするよ。少なくともギルだってそう感じたんじゃないのか?」

 

 北斗の言葉は少なからずブラッドの中で何かしらの認識があった。一つの完成形でもある部隊運営を見るのであれば、恐らくはクレイドルの5人で小さな支部の最大戦力に匹敵する程の能力を有しているのは誰の目にも明らかだった。

 既にクレイドルは撤収の準備を始めている。今まで追いかけてきた因縁のアラガミとの戦いはここに幕を下ろす事になった。

 

 

 

 



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第192話 今後

「あれがクレイドルが追いかけていたアラガミなんですね」

 

 帰投中のヘリは大型だけあってか、室内には随分と余裕があったのか、結果的にはクレイドルとブラッドが同じ機体でアナグラへと戻る事になっていた。

 今回のキュウビとの戦いは共に想定外ではあったが、結果的には討伐出来ただけでなく、無傷でコアを取得出来た事が一番大きな成果となっていた。

 既にナナは疲れ果てたのか夢の国へと旅立っている。そんな中で何か思う事があったのか、北斗はエイジに確認したい事があった。

 

 

「そうだね。一度は本部周辺で交戦しているから問題無いと思ってたんだけど、まさかああまで進化してたのは誤算だったよ。初めて交戦した際にはああまで動きも早く無かったからね」

 

 当時の状況を思い出していたのか、エイジの言葉はどこか感慨深い物があった。

 これまでに幾つものアラガミを討伐してきたのはクレイドルだけでなくブラッドも同じ事。しかし、今回討伐したキュウビはその遥か上を易々と飛び越える程の強さを誇っていた。

 もしあの場面で信号弾が上がらなければ今頃ブラッドは全員捕喰されていた可能性もあった。

 ギリギリではあったものの、クレイドルが間に合った事は僥倖以外の何物でもなかった。

 

 

「って事は前はそうでも無かったって事ですか?」

 

「そうまでは言わないけど、まあ、そんな所だね。当時はギリギリの所で逃げられたから、結果的には僕らの失態だよ」

 

 取り逃がすケースは確かに無いとは言い切れない以上、これまでの任務でもあった事もあってかエイジの言葉に北斗は反論出来ないでいた。

 あれ程のアラガミでさえも苦も無く討伐出来るとなれば、仮にブラッドと同等の血の力があれば、フェンリルでの勢力は一気に変わる可能性もあるのかもしれなかった。

 これまでの話を総合的に聞けば、既にエイジとリンドウは指導教官としての資格は無いが、教導に関しての実績をかなり収めている。

 その結果としてエイジが本部では極東の鬼とまで言われていた事はシエルから聞かされていた。

 

 確かにその戦闘能力を考えればまだまだクレイドルに追い付くのは先だと思う反面、常に自分達も鍛錬した結果だと言うのが、最近になって分かる様になって来た。

 屋敷での無明とエイジの訓練はそれの集大成とも取れる。未だエイジとの教導ではまともに攻撃が当たった試しが無い以上、今のままで良しと思える要素はどこにも無かった。

 

 

「俺達だって人間だ。偶にはしくじる時だってあるさ。しくじりが無い人間なんて……一人だけ居たな」

 

 先ほどの会話が気になったのか、リンドウが会話に割って入ってた。既に帰投中のヘリの中ではエイジとアリサだけではなくソーマもタブレットを片手に作業をしている。

 ほんの少し前までギリギリの戦いをしていたはずが、帰投の際には既に今回の顛末を作成している様だった。

 

 

「それは無明さんの事ですか?」

 

「ああ。俺の知りうる範囲の中であいつが何かしくじった記憶は一度も無いな。確かにアナグラにはあまり居ないが、屋敷でも常時何かしてるみたいだし、今回の件も恐らくはソーマが主体となって研究が進むと思うが、最終的には榊博士と無明も付く事になるだろうな」

 

 リンドウの言葉に何となくそんな感覚があったが、以前に見た雰囲気からすれば納得できる部分は多々あった。

 

 隙がまるで無いだけでなく、研究者としても神機使いとしても極東支部全体を見渡せば隣に並べる様な人間は恐らく居ないだろう事だけは北斗もすぐに分かった。

 事実エイジを見れば研究者でないにしろ、普段はラウンジでも何かやっている姿を見る機会が多く、時折シエルやナナも何かにつけてお菓子を作ってもらっているのを北斗は何度も見ている。

 普段であれば膨大なレポートの作成にも追われるはずが、どうしてそんなにゆとりがあるのかは目の前の状況を見ればすぐに理解出来ていた。

 

 

「俺達はキュウビについては何も知らされてないんですが、今回の件で何が分かるんです?」

 

「そうか。ブラッドにはまだ何も言ってなかったな。今回の件に関しては実はこれから本格的な研究が始まるから、近日中には何らかのアクションがあるはずだぞ。そうだよなソーマ博士?」

 

「リンドウ。何度言えば分かるんだ。博士は止めろと言っただろう」

 

 何かを楽しむかの様にリンドウはソーマへと視線を向けている。先ほどの北斗とのやり取りを聞いていたのか、今後の事も踏まえて全員に改めて伝える事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふわ~あ。良く寝たよ」

 

 ナナが大きく伸びをする頃になってようやくヘリはアナグラへと到着していた。既に技術班が待機しているのか、運ばれたコアは慎重に運ばれると同時に、結合崩壊した部位や今回の先頭情報を纏めたデータをソーマは渡している。

 

 最前線で働いているのは神機使いだけでは無く、一般の職員も大勢いる。最前線で戦っているからこそ、そお行動に無駄は感じる事無く、全員が既に決められていたかの様にキビキビと作業をしていた。

 

 

「確かに連戦に次ぐ連戦でしたからね。そう言えば、私もアリサさん達を見習って移動中にレポートを作成しましたので、後で北斗の端末に送っておきます」

 

 エイジの隣で何かをしていたかと思えば、シエルもアリサ同様にレポートを作成していた。

 ミッションが終わって真っ先にやるべき事は使い終えた神機のメンテナンスだが、これは技術班の所へ持って行くだけにしか過ぎず、その後に待っているには戦闘時のアラガミのデータをその行動パターン事に記したレポートの提出だった。

 

 エイジは第1部隊時代からやっている為に、締切には随分と余裕があるが、コウタやリンドウに至っては常時ギリギリでしか提出されない事もあってか、時折ツバキからの有難い言葉を頂戴する場面に出くわすケースがあった。

 

 

「何だか悪いな。隊長職を押し付けてるみたいで」

 

「いえ。これは私が好き好んでやっているだけですから、北斗が迷惑と思う必要はありませんので」

 

 クレイドルとは違いブラッドもレポートの提出は確かにあるが、感応種以外での任務は他の部隊と何ら差がない。それ故に大事になる可能性は極めて低かった。

 

 

「ねえねえ。折角なんだから皆でご飯食べに行かない?あれだけのミッションの後なんだしさ」

 

 ナナの一言にギルが苦笑を浮かべる事しか出来なかった。以前に払った大金はギルの想像を大きく超えた事は未だ記憶に新しい。流石に前回の件があったからなのか、ナナも宴会のノリでの話をする事は無かった。

 

 

「皆さん任務お疲れ様でした。今回の件は流石に私もヒヤヒヤしました」

 

 アナグラに到着したブラッド全員を見て漸く安心したのか、フランだけではなっくヒバリも少しだけ安堵の表情を浮かべている。

 通信越しとは言え、ギリギリでの部分も知っている為に、その安堵した表情を浮かべるのはある意味当然の事だった。

 

 

「フランちゃんもお疲れ~。流石にキュウビとの戦いはヤバかったよ」

 

「あのアラガミの行動パターンは私もある程度把握しましたから、今後はあの様な事にはならないと思います」

 

 戦場での通信はロビーにも聞こえていた。2部隊の合同討伐なんてケースはこれまでに一度も無く、連携に心配する様な材料はあったものの、結果的にはクレイドル主体の運用が綺麗に嵌った事もあってか、それ以外での注目度はそうまで高い物では無かった。

 しかし、バイタル信号や状況は嘘はつかない。今回の戦いの内容が如何に過酷な物かを知っていたのはヒバリとフランだけだった。

 

 

「リンドウさん。すみませんが、今回のキュウビの討伐の件で連絡があるらしいので、支部長室にクレイドル全員が集まってほしいとツバキ教官から連絡がありました」

 

「姉上がそう言ってたのか?」

 

「それと今回の件でブラッドも同じく来て欲しいそうです」

 

 ヒバリの言葉にリンドウは何となく召集の理由は分かったが、ブラッドまでが召集される理由が分からない。ツバキの言葉である以上、それに従わない理由はどこにも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しっかし2部隊が入ると流石に支部長室も狭いよな」

 

「キュウビの件ならクレイドルだけなのに、何かあったんでしょうか?」

 

 各々が召集された事の理由が分からないまま支部長室へと足を運ぶ。部屋には既に榊とツバキだけではなく、無明の姿もそこにあった。

 

 

「態々すまないね。今回君達を呼んだのはキュウビに関する事と今後の事についての説明なんだ。君達が討伐したキュウビのコアはこれまでのアラガミとは一線を引いた存在である以上、研究には多少の時間がかかる事になる。

 その結果、これが一体だけに留まる可能性は低いのと同時に、これからはブラッドもキュウビの討伐に当たる可能性が高いんだ。で、その為に技術交換をする必要があったんだよ」

 

 榊の一言で、何となくだが、北斗は嫌な予感がしていた。

 今回戦ったキュウビは明らかにこれまでの討伐任務とは一線を引く程の強固な個体であると同時に、今回の内容もシエルの一発の狙撃が流れを変えたが、それ以外の内容

に関してはほぼエイジやリンドウが戦っていた事が思い出される。

 常時でないのがせめてもの救いだが、現状では少し訓練した方が良い様な気がしていた。

 

 

「しかし、キュウビはこれまでに目撃情報があまり無かったと記憶していますが?」

 

「確かにシエル君の言う通りなんだが、いくら原初のアラガミと言われるキュウビだとしても、基本はアラガミなんだ。事実これまでにもここ極東では新種のアラガミがいくつも発見されたが、最終的にはその種が定着するんだよ。

 これまでのデータから導き出された内容だから、それは間違い無いはずなんだ。だからこそ、君達ブラッドにも万が一キュウビと対峙する機会があるならばそのまま討伐をお願いしたいと思ってね」

 

 既に榊の中では決定事項だったのか、ブラッドに対する言葉は打診ではなく命令のそれだった。極東がアラガミの動物園と言われてどれほど経過しているのかは分からないが、気が付けばブラッドも既にその世界の住人となって久しくしている。

 人間慣れとは恐ろしい物で、既にこの決定に対しては誰からも異論は無かった。

 

 

「それとお前達にはあまり関係ないが、コウタ。現時点で部隊運営を従来に戻す。既に第4部隊にいたエリナとエミールは第1部隊に再編と同時に、貴官を再び第1部隊長へと任命する。これは現時点持っての適用となる。これまで同様に頼んだぞ」

 

 今回の件でコウタの異動は限定的な物だったが、キュウビの討伐が完了した以上元の運営に戻る事になる。何も変化はないが、なぜこの場でツバキがそれを口に出したのか理解するまでに少しだけ時間が必要だった。

 

 

「それと、明後日から第1部隊に追加メンバーが編入する事になっている。そちらも頼んだぞ」

 

「あの、ツバキ教官。ひょっとして新人なんですか?」

 

 何気ない疑問ではあったが、これまでの事を考えればコウタの言い分は尤もだった。コウタの指導で初めて実戦に入る人間は今もなお続いている。それ故にコウタの中でも事前に聞いておくのが当たり前となっていた。

 

 

「その件については今後の運用次第となる。既に先方にも辞令が出ているから、その時でも確認すると良いだろう」

 

 珍しく言及しなかった事は気になるが、それでも明後日には配属されるのであれば、その時に確認すれば良いだろうと、コウタもそれ以上の事は聞かなかった。

 

 

「それはそうと姉上。まさかそれだけの為にこれだけの人数を召集したんです?」

 

「その件なんだが、今回のキュウビ討伐だけではない。並行して幾つかの事をこれからやってもらう事になる。それなら一度に全員を召集した方が手っ取り早いからな」

 

 リンドウの疑問に答えたのは無明だった。キュウビの件に関しては当初は榊同様にソーマに一任する事で何の手出しもしていないが、先ほどの言葉に出た並行には含みがあった。

 それが何を意味するのかは無明とツバキ以外は誰も分からない。

 支部長でもある榊に関しては既に何らかの提案が為されたからなのか、口を開く気配すら無かった。

 

 

「並行って事はまた無茶な要求が本部からあったのか?」

 

「その件ならば、既に本部には連絡済みだ。今回のキュウビ討伐の時点で一時的にクレイドルの本部への派兵は中断とした。今後の展開に関してはリンドウとエイジもクレイドルとしての従来の任務が言い渡される事になるのと同時に、今後は他の支部からの教導がここに来た際にはお前達が主体となっての任務になる。

 既に今回の提案に関しては本部での承認が出ている以上、今後はそれが主任務になるぞ」

 

 無明はその言葉の裏付けとばかりに先ほど承認されたメールと正式にな通知をリンドウだけでなく全員に見せていた。このメンバーの中で本部からの書類を見た事がある人間は極僅かにしか過ぎないが、その少ない数の中にリンドウとエイジも含まれていた。

 

 

「確かに間違い無いな。でもあの本部の連中がよく承認したな。また何かやったのか?」

 

「人聞きの悪い事を言うな。今回のキュウビに関してはこれまでのわずかな研究データをそのまま本部に送った結果だ。極東ではサテライトの事があるから現状は問題が少ない様に見えるが、未だに他の支部の周辺では人口減少に歯止めがかからないのが現状だ。

 今回のサテライト計画に関しても、全世界の人口の減少を食止める為の試金石にしているから僅かながらでも予算が出ている。これまでそんな事を言わなかったのはお前達にプレッシャーを与える様な真似はしたくなかったからだ」

 

 無明の言葉には裏付けがあるのはブラッド以外の人間であれば誰もが知っている。

 本部でのやり取りだけでなく、ソーマ達が本部に出向いた際での対応なども考えれば、上層部はともかく、少なくとも現場レベルでは間違い無いと言い切れる程の信頼があった。

 

 今回のサテライト計画に関しても、今は極東でどれほどの結果が出るのかを見ている最中でもあり、今後の結果如何によっては世界中でサテイライトの建設が始まる可能性もある。

 そんな無明の言葉はまるで自分達がやって来た事が間違ってなかったと思わせる内容にクレイドルの中でもアリサに関しては胸が熱くなる思いがあった。

 

 そんな中で、先ほどの言葉の中に一つ気になる発言があった事をアリサは思い出していた。クレイドルの本部への派兵の中断。

 それはエイジとリンドウが暫くの間は派兵する事が無い事を裏付ける言葉でもあった。

 

 

「まあ、積もる話は色々あるが、とりあえず今日の所はこれで解散だ。あと、今回の結果を引き出す事に成功したのは全部お前達の手柄みたいな物だ。今後の事に関してもだが他の支部からも注目されている事は間違い無い。リンドウ、お前も本部でやるような事がここでも起きる以上、適当な事はするなよ。それとお前も偶には家に帰れ。最後にレンを見たのはいつだと思ってる。そのうちサクヤからも三下り半を突きつけられるぞ」

 

「姉上。別にこんな場所で言わなくても……」

 

 ツバキの言葉にそれ以上リンドウは反論する事は出来なかった。これまで散々遠征に次ぐ遠征だけではなく、偶に極東に戻っても直ぐに任務や本部にと碌にゆっくりとした記憶が無かった。

 ツバキの言う様に最後にレンを見たのはいつだったのかと言われれば苦笑するしかなかった。

 

 既に言葉のニュアンスが先ほどまでとは違っている。任務ではなく、家族としての言葉に支部長室の空気は少しだけ和らいでいた。

 

 

 



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第193話 激闘の後で

 

「まさかこんな展開になるとは思いませんでした。確かに私も何も考えずに来ましたが、本当に良かったんでしょうか?」

 

 

 クレイドルとブラッドの合同会議とも言える内容が終わり、今回の労いを兼ねて全員が屋敷へと出向いていた。

 当初は人数的な問題があるかと思われていたが、時間的にも人数的も余裕があるだけでなく、今回の件でついでとばかりに幾つかの打合せと打ち上げを兼ねた事もあってか、ヒバリやフラン、リッカまでもが来る事になった。

 当初はあまりの人数に誘われたフランは気遅れする事もあったが、当主でもある無明が了承している以上、大きな問題は無いだろうとの結果が今に至っていた。

 

 

「詳しい事は私では分かりませんが、とにかく人数的には問題無いとの事ですし、折角ですからフランさんもヒバリさんと話をする事もあると思いますが」

 

「シエルさんがそう仰るのであれば私も気にしない事にします」

 

 大人数で来たまでは良かったが、本当に良かったのかと言った一抹の不安は確かに拭いきれなかった。

 フランにも声がかかったのは嬉しい事だが、これから行く所がどんな場所なのかはヒバリからは聞いていたが、内容までは知らされていなかったからなのか、任務時間が終わった時点でついて行く事しか出来なかった。

 

 

「皆さん、お疲れ様です。屋敷へようこそ」

 

「あれ?なんでマルグリットちゃんがここに居るの?」

 

 屋敷で出迎えに来たのはここの家人ではなくマルグリットだった。経緯はともかく、まさかこんな場所で会えると思わなかったのか、ナナの言葉にコウタもその存在に気が付く。

 久しぶりに見た顔は晴れやかにも見えていた。

 

 

「今はここで修業中です。丁度教導の兼ね合いで色々と教わる事がありましたので」

 

 マルグリットの言葉通り、今は浴衣を着ているが、普段とは違い襷掛けした状態になっていた。

 ここで戦闘訓練が出来る事は知っていたが、それ以外で何が出来るのかを知っているのはここのメンバーではアリサだけ。当時の状況と今のマルグリットの状況が重なって見える。何をしているのかはアリサだけが予想出来た。

 

「その格好って事はひょっとしてあれですね」

 

「そうなんです。でも結構大変なんで、どうした事かと思ってるんですが」

 

「私も苦労しましたので…」

 

 固有名詞が無い会話は他の人間が聞けば予想出来ない。何があるのかは2人だけが知る事となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、本当にタオルで隠さないで入るんですか?」

 

「それがここの流儀らしいです。湯船にタオルを入れるのはマナー違反だとも聞いてます」

 

 屋敷に来て最初に行ったのは温泉に入る事だった。アナグラとは違い、ここでは大きな浴槽がある事から大人数で入る事が可能な為にほぼ全員が一度に入る事になった。

 誰もが気にしていなかったはずだったが、一人だけ例外としてフランが困惑していた。

 シエルとナナは気が付いてないが、以前に極東に研修で来ていたアネットも同じ様な反応をしていた事がアリサの記憶にあった。既にここに慣れたヒバリやリッカは気にする要素すらなく、そのまま入っていた。

 

 

「分かりました。極東の言葉に郷に入れば郷に従えと言う言葉もあります。シエルさんの言う様に、私もそのまま入ります」

 

「フランちゃん。そんなに気合いを入れる必要は無いと思うんだけど…」

 

 何かを覚悟したかの様なフランの言葉にナナは思わず言葉が漏れていた。

 事実ナナもここに来たのは1度しかなく、その時も温泉に入ったが当時はそんな事を気にした事は無かった。当時の事であればシエルもフランと同じだった記憶があったが、シエルはそれを当たり前の様に受け入れていた記憶しかなかった。

 

 身体を洗いお湯につかると、これまでの疲労が流れ出るかの様に落ち着いた空気が流れる。ヒバリから話には聞いていたが、まさかこれほどだとはフランは思ってもなかった。

 

「そう言えば、シエルちゃんはあの時も直ぐに入ってたよね?」

 

「私ですか?私の場合はそれが当然だと受け入れていたので、特に気にもしてませんでした」

 

 髪がお湯につからない様にタオルで束ねながら同じくお湯に入ってきたシエルにナナは先ほどの疑問をぶつけていた。極東ではよくある風景が他でも同じとは限らない。恐らくはフランの様な反応が普通なんだと気がつくのはアリサから話を聞くまで分からなかった。

 

 

「しかし、前にも来た時に思ったけど、ここに居ると何だか堕落しそうだよね~。アナグラにはこんな施設は無いし。いっその事、榊博士に言えば作ってくれるかな」

 

 手足を大きく伸ばしゆっくりと浸かると数時間前までギリギリの戦いを繰り広げられた事が遠い過去の様にも思えてくる。

 今まで緊張していたはずの筋肉もゆっくりとほぐれる様な感覚と同時に如何に緊張していたのかがナナにも分かったのか、お湯につかる事で思い知らされていた。

 

 

「アナグラには場所の関係で難しいみたいですよ。作るなら少なくとも部屋をいくつか潰す必要がありますから」

 

 3人の背後には同じ様にアリサとヒバリとリッカも同じ様に湯船に身体を入り込んでいた。既に手慣れた感じがしているのは時折聞く言葉からも知っていたが、ここに来るまでに聞いた通りだったのか、3人は随分とリラックスした表情を浮かべていた。

 

 

「アリサさんも以前に同じ事を言ったんですか?」

 

「直接ではないんですけど、当時の榊博士からはそう言われましたね。外部居住区には似たような施設はありますが、流石に行くのはちょっと厳しいですから……でも002号サテライトなら多分大丈夫ですよ」

 

 ナナの疑問に答える様な言葉と同時に、建設現場で温泉が噴き出した事はまだ記憶には新しかった。

 事実建設拠点となった002号サテライトには、現在はかなりの人間が移住している。人間が集まれば自然と活発になるだけでなく、仕事が山の様にある事からも、現場従事者を優先して入植させる方針が当時あった。

 

 今は他のサテライト現場の複数建設が進んでいる事からも、あそこで出た温泉は少なくともこじんまりした雰囲気では無かった記憶があった。

 

 

「そう言えば、カルビを拾ったのはあそこでしたね。やはり動物はまだ居るのでしょうか?」

 

「多分居るとは思いますが、サテライト建設が進んでからは中々外に目を向ける事は少ないですからね。今なら落ち着いた001号サテライトの周辺なら居ると思いますよ」

 

 クレイドルの計画の中で一番の問題点は早急な食料の確保だった。

 外部居住区だけに限らず、今なおサテライトにすら入植出来ない人間をそのまま放置する事はせず、近い将来の入植者となる可能性があるのと同時に、サテライトの防衛で極東支部からゴッドイーターが派遣されている事も影響しているのか、サテライトの近隣に暫定的に人々が住むケースが多かった。

 その結果として、001号サテライトは食料のプラントを最優先して建設が進められていた。

 

 

「クレイドルの計画って凄いんだね。私何も知らなかったよ」

 

「現在は軌道に乗ったので、以前よりはマシです。当時はかなり苦労しましたから」

 

 当時の事を知っているのはヒバリとリッカ位しかいない。ブラッドに関してはある程度軌道に乗った頃に合流した事もあってか、その当時の状況を知る由も無かった。

 当時を思い出しながらアリサは無意識に左手でお湯を身体にかける。何気ない行為ではあったが、それが隣にいたリッカは目ざとく見られていた。

 

 

「ねえ、アリサ。私達に何か言う事が有るんじゃないの?」

 

「何の事ですか?」

 

「アリサさん。左手を見せてくれませんか?」

 

 リッカの言葉の意味が分からないと言いたい所にヒバリから追撃が入る。左手と具体的に言われた事で漸くアリサはその言葉の真意を知る事になった。

 

 

「こ、これはですね……」

 

 3人の会話にシエル達も何事なのかと改めてアリサの方を向く。既に臨戦態勢に入ったヒバリとリッカが今にもアリサに襲い掛かろうとしているのが何なのかを、今はただ見ている事しか出来ないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、今回のキュウビはヤバかったな」

 

「流石に感応種の後にあれは厳しいなんて言葉じゃ足りないな」

 

 北斗達もシエル達同様に温泉につかりながら今回のミッションを思い出していた。結果的には討伐できたが、支部長室での話からすれば、今後は通常の部隊運営での討伐任務が入る事になる。

 リンドウ達の言葉からすれば、今回のキュウビは通常よりも強化された個体らしいが、実際に通常の個体との交戦経験が無い以上、今の時点では予想する事すら出来ない。

 まだフライアで移動していた頃に比べれば格段に経験は積んでいるが、現在では新種討伐をブラッドがするのは感応種しかなく、それ以外となればやはり何らかの訓練等で底上げする以外には無かった。

 

 

「しかし、前にも来たが、偶には裸の付き合いも良いもんだと漸く理解出来る様になったな。以前にハルさんから聞いた際にはただ驚いたがな」

 

 ギルがまだグラスゴーに居た際に、そんな話を聞いた記憶はあった。当時はそんな事は無意味でしかなく、また何でそんな面倒な事を極東の人間が重視するのかすら理解出来なかったが、今なら当時のハルオミの言いたかった事が分かった様な気がしていた。

 

 

「でもここまで大人数で入れる施設はそう無いと思う。普通なら精々1.2人が良い所じゃないかな」

 

「そう言えば、エイジさんとコウタさんはどうしたんだ?」

 

本来であればエイジとコウタも来ると思っていたが、既に時間がそれなりに経過しているにも関わらず、未だに来る気配が無かった。

 エイジは元々ここが自宅である以上、一緒に入る可能性は少ないが、何か話が出来るキッカケがあればと北斗は考えていた。

 

 

「何か用事でもあるのかもしれない。ここが自宅だから別行動の可能性も高いと思うけど」

 

 時間もそれなりになってきたのか、これ以上入っていると湯あたりを起こす可能性が出てくる。今日はここに滞在するなら食事の時間にでも聞けばいいかと考え、2人は温泉から出る事にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか。お前がそう考えるならばそうした方が良いだろう。俺もツバキも特に異論は無い」

 

 皆が温泉に入ってる間、エイジは食事の準備やこれからの事に関して無明と話をしていた。

 既に時間が経過している事もあるが、これだけの人数が居るならば、今後の打ち合わせも簡単に出来るだろうと、少しだけ食事の準備を手早く終わらせると、2人の居る部屋へと足を運んでいた。

 今回の件でやるべき事が新たに山積している以上このまま停滞する訳には行かず、これから先の事を漸く考えるだけのゆとりが僅かに出ていた。

 

 

「いつから考えていたんだ?」

 

「以前からですが、あの本部での最終日にそう決めました」

 

「まあ、お前はリンドウとは違うから大丈夫だとは思うが……まあ、好きにすると良い。申請を出すなら早めにしてくれるとこちらも助かる」

 

 無明ではなくツバキから聞かれた事に驚きはあるが、遠征先でも一緒にいる以上隠すつもりは無かった。

 色々と面倒な申請がある事はリンドウからも聞いていたが、それでも今回の一連の予定がある程度見えた以上、それをそのまま実行するには丁度良かったと考えているのか、エイジの表情には決意がしっかりと出ていた。

 

 

「こちらでの準備は進めておくが、希望は何かあるか?」

 

「その辺りは一度相談してからにしたいかと。何せ話したのは今さっきなので」

 

「そうか。詳しい事は弥生と相談すると良いだろう。我々よりも多少なりとも考える部分があるだろうからな」

 

 報告と同時に一つづつ現状を認識しながらエイジは無明と話を進めていた。

 弥生に話を振る時点で何となく想像はつくが、今回の件がどんな結果を生むのかは想像出来ない。

 既にエイジの中では予定はあるものの、今は改めて確認する以外に方法が無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「激戦の後だからご飯は美味しく感じるよ」

 

「これはまたアナグラでは中々食べる機会は無さそうですね」

 

 ナナとシエルが関心したのは無理も無かった。普段のアナグラでは純和食を口にする機会はあまり無い。

 用意出来ない訳では無いが、ラウンジを一人で切り盛りするムツミの手間と、静かな環境とは言えどこか雑多な感じがするラウンジではこうまでゆっくりとした空気が流れる機会が無いからと、精々が焼魚程度しか出ない事が多かった。

 

 目の前には季節の野菜を使った焼き物と椀物が出ると同時に時期的な物として素麺に天ぷらと、普段であれば中々食べる機会が少ない代物だった。以前にここに来た際には、データ採取の関係上ここの料理人が作っていたが、今回の食事に関しては私的な部分が強い為にエイジとマルグリットの2人で厨房に立っていた。

 

 

「天ぷら?だっけ。これサクサクして美味しいよ。こんなの今まで食べた記憶が無いよ」

 

「これは極東の料理じゃないんですか?」

 

「シエルちゃん。極東に住めば皆がこんな料理を口にする訳じゃ無いんだよ。普段はこんなご馳走なんて出ないし、私もこんなのは前に来た時に初めて食べたんだよ」

 

 そう言いながらも茄子の天ぷらを口に入れる。十分に瑞々しさを感じる中でカリッと揚がった茄子は、これまで食べた中でも一番だと思える程だったのか、ナナはひたすら食べている様にも見えていた。

 ナナの余りに真剣な表情で言われた事もあってかシエルは珍しくたじろいでいたが、今のナナにこれ以上の会話は危険だと判断したのかシエルも改めて食事をする事にしていた。

 

 

「そう言えば、これってマルグリットさんも一緒に作業したんですよね?」

 

「はい。エイジさんの手伝い程度ですけど、下拵えは私がしたんです」

 

 椀物のつみれは上品な味わいを見せるだけでなく、しっかりと出汁が引かれているからなのか、見た目よりも味わい深く身体に染み渡る様にも思えてくる。

 エイジが作るのは既に知っての通りだが、下拵えをマルグリットがやった事にヒバリは驚いていた。

 

 

「実はここで料理も教わるんです。最初はダメ出しばかりだったんですけど、ここにきて漸く及第点を貰える様になったんです」

 

 マルグリットの言葉にアリサも当時の状況を少しだけ思い出していた。

 基本の出汁引きが悪ければすぐにダメ出しされると同時に、その原因を常に追求される。かなりのスパルタだった経験から、ここで習えば最低限の基本レシピの料理はそれなりのレベルで作る事が可能となっていた。

 そんな経験があったからこそ今のアリサは基本のレシピの料理だけは身体が覚えているのか、最近になってまともに作る事が出来ていた。

 

 

「板長厳しいですからね。私も苦労しました」

 

 何気に呟いた言葉ではあったが、もう一度スパルタでやれと言われれば、恐らくは二度とやりたくない感情しか残っていない。どれ程の厳しさなのかを知っている人間以外は興味しかなかった。

 

 

「あれ?アリサがやったのってかなり前だよね?」

 

「そうですけど、それが何か?」

 

「いや、まさかそんな当時から既に考えていたとは思ってなかったからさ」

 

 何気に聞いていたはずのアリサではあったが、先ほどの温泉での一コマを思い出したのか、様子が徐々に変化していく。リッカが放った言葉のそれが何を指すのかを理解したのは当事者のアリサと傍にいたヒバリだけだった。

 

 

「で、いつ式を挙げるんですか?」

 

 和やかだった食事の場に、ニンマリとした表情のヒバリから特大の爆弾が放り込まれた。

 理由は先ほどの温泉での一コマだが、当時ナナとシエルはフランと何かを話していた事もあってか、詳しい事は何も聞いていない。

 アリサに向けて放たれた言葉である以上、それが誰と誰の事を示しているのかは言うまでも無かった。しかし、この場に居るのはアリサだけ。

 肝心の片方は未だ料理を少し作っているのか、この場に姿は無かった。

 

 

 



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第194話 祝福の時

 ヒバリから放たれた爆弾を処理する事が出来なかったからなのか、それとも想像以上の破壊力を持っていたからなのか、その場にいた全員の時間が一瞬だけ停止していた。

 

 以前とは違い、最近ではゴッドイーター同士の婚姻は既に認知されている。

 ここアナグラでも既にリンドウとサクヤが式を挙げたのは古参の人間であれば全員が知っている。しかし、今の言葉はアリサに向けて放たれた以上、相手は一人しかいなかった。

 

 

「そ、それはですね……まだ決まっていないと言いますか……」

 

 顔を赤くしながらも答えにどもるアリサとは対照的にヒバリとリッカは興味津々だった。

 先ほども温泉に入っていた際には上手くはぐらかされたが、この場では回避する手段はどこにも無い。確かにエイジから貰った白金のリングはアリサの感情を大きく揺さぶる程の衝撃があった。

 

 右手にはめた物とは明らかに違うそれが何を意味するのかは言うまでも無い。しかし、この場でいきなり公表されると思ってなかったのか、概要に関しては聞いてるが、その後の予定に関してはまだエイジからは何も聞いていない。

 それ故にアリサとしても返答には困っていた。

 

 

「茶碗蒸し出来…た…よ」

 

 爆弾が落とされた事に気が付かないままエイジはマルグリットと作っていた茶碗蒸しを運んでいたが、なぜか空気がさっきとは違う。

 冷静に状況を分析すればアリサの顔は赤く、ヒバリとリッカはニンマリとしている。

 ブラッドとコウタに至っては原因が分からないまま固まっていた。

 これが戦場であれば確実に捕喰される未来しかない。その原因が何なのかは今のエイジには分からなかった。

 

 

「エイジさん、どうかしたんですか?」

 

「さあ?何かあったみたいだけど、詳しい事は全く」

 

 何が起きたのかすら理解できないが、このまま立ち尽くす訳にもいかず、取敢えずは持ってきた茶碗蒸しを各々に出す。それが合図となったのか、それとも時間が来た事で再起動したのか、最初に口を開いたのはコウタだった。

 

 

「あのさ、アリサと結婚するのか?」

 

「それがどうかしたの?」

 

 コウタの言っている意味は分からないが、口から出た言葉に偽りが無い以上、エイジは現状がどうなっているのかすら判断出来ない。

 用意が終わったマルグリットは既に厨房へと戻っていたのか、既にこの場には居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかあの2人がこうなるなんてね」

 

「まあ、あいつらも色々とあったからな」

 

 弥生が全てを取り仕切った事から、式の日程はあっと言う間に決定していた。

 当初は身内だけのささやかな物をと考えていたものの、気が付けばリンドウ達同様に支部を上げての結果となっていた。

 

 屋敷で準備をするにあたり、無明とツバキが執り行った式を最初に、その後は支部での式となっていた。

 リンドウとサクヤの視界に入るのは粛々と執り行われている2人がいる。アリサはツバキ同様に白無垢を、エイジは黒の紋付を着たまま祭壇の前で祝詞を詠んでいた。

 

 極東初の新型でもあったエイジとロシアから来た同じく新型のアリサの加入には当初は何かと色んな意味で注目されていたが、当時の支部長でもあったヨハネス・フォン・シックザールの策略に嵌ってからの状況は大きく一転する事になる。

 

 結果的には終末捕喰を回避した事やリンドウの生還によって今に至るも、それでも次の支部長でもあったガーランド・シックザールによって再び支部内に混乱を招いた。

 その後もアリサの拉致など色んな事がありすぎた結果ではあったが、サクヤとしてもリンドウとしても元第1部隊の人間であると同時に、この二人がここまで来る過程に大きく影響を与えた事を考えていたからなのか、どこかしんみりとした空気があった。

 当時の経緯はともかく、今はただ祝いたい。そんな気持ちでこの式に臨んでいた。

 

 

「でもよく考えたら、ツバキ義姉さんもアリサも白無垢着たのよね。私の時も着たかったな」

 

「それについては説明したろ。あれはここでの習わしだって」

 

 極東の伝統的な婚礼衣装でもある白無垢は普段は早々目にする機会が無いからと、本来であれば完全に身内だけのはずだったが、ここにはリンドウ達以外にソーマとシオ、コウタとマルグリットまでもが参加していた。

 当初はマルグリットが渋る部分が多分にあったが、今はここに居るからと弥生に説得されていた事もあり、着物姿で今は2人を見ていた。

 

 

「サクヤさんも良かったら着ます?これからはこれも一つの文化と言う事で既に当主から許可を頂いてますので」

 

「良いんです?」

 

「勿論です。でもそうなるとリンドウさんも、もう一度あれ着る事になりますね」

 

「俺としては勘弁してほしいんだがな」

 

 サクヤだけで着るのも良いが、折角だからと言うのはある意味当然だった。

 片方だけが着るのであればバランスが悪いだけではなく、仮に写真とそて記録に残す事も考えれば夫婦である以上ある意味当然だとも取れている。

 

 だからと言ってこのまま放置すればサクヤの機嫌は一気に垂直降下するのは目に見えていた。

 

 

「私と一緒に着るのが嫌って事?」

 

「そんな事は無いさ。ただ照れくさいだけだ」

 

 小声でやり取りをする向こうではエイジとアリサが先ほどとは違い、玉串を備えるとお互いの指輪を交換している。リンドウとサクヤの時にはやっていなかった事もあってか、ソーマやコウタは珍し気にジッと見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサさん綺麗だったよね」

 

「そうですね。こう言った事は初めて体験しましたので、何もかもが目新しかったです」

 

 屋敷での式が滞りなく終わる頃、アナグラでも準備がそのまま続けられていた。

 事前に用意されていた事もあってか、場所もアナグラの中ではなく外での物になったのは予想以上の人が集まった事が全ての要因だった。

 

 ここでも当初は出動する人間もいるからと、割と少人数での予定のはずが、偶然アナグラに戻ってきたユノやミッションの時間にゆとりがあった人間がそのまま参加する運びとなり、ユノに至っては普段から親交があるアリサの為だからと、その後の予定までもずらした事でサツキは頭を抱えるハメに陥っていた。

 

 

 ナナとシエルは屋敷での参列が出来なかったものの、その中での事がアナグラでもそのまま映像として流れた事も影響したのか、普段とは違った雰囲気に暫し見とれ何時もとは違った厳かな雰囲気は普段であれば騒がしいアナグラの空気までもを一変させている。

 どんな事があっても常に騒がしい空気が漂うこの場所が何か張りつめた様な空気に変わっている事にヒバリとフランも珍しいと思いながらもその様子を見ていた。

 

 

「予想はしてたけど、まさかこんなに早いとは思ってなかったってのが本当の所だね」

 

「でも、あの2人はお互いに思う部分もありましたし、クレイドルとしての任務が今は一旦落ち着いたからって所が本当の所じゃないですか?」

 

 今回のキュウビの討伐以降、クレイドルの派兵中断はヒバリの所にも情報が届いていた。

 事実、本部の派兵に関してはアナグラで発注をかけているヒバリからしても、時折危ういミッションの際にはお願いしたいとまで思う物がいくつも存在していた。

 

 エイジとリンドウの実力が外部に出れば出る程ここに居る時間は少なくなる。いくら戦力が増強されたと言っても感応種はブラッドが、接触禁忌種の連続ミッションはクレイドルが受け持つケースが多かった。

 厳しい台所事情を把握しているヒバリからすれば、今回の件は良い意味でエイジを縛り付ける事が出来ると考えていた。

 

 

「ヒバリちゃん!やっぱり次は俺達の出番じゃないかな」

 

「何言ってるんですか、今すぐは無理ですよ。タツミさん防衛任務の検討がまだ終わってませんし」

 

「それを言われるとそうなんだけど……あれ、今否定しなかったよね?」

 

「もう……そんなタツミさんは知りませんから」

 

 今回の件で防衛班は大半がアナグラの警備から現在進めている予定地やサテライトの警備で全員がそれぞれローテーションで配置されていた。

 事実タツミがアナグラに顔を出すのは半月ぶりと、隊長でもあるタツミもやはり遠距離では無いが、ヒバリと会う時間はかなり削られていた。

 そんな中で会ったのがこんな式だった事もあってかタツミのテンションまこれまでに無く高いままとなっていた。

 

 

「リンドウさんの次がエイジ達ってのがな。まあ、めでたいから何も言わないけどさ。でもこのアナグラの順番から言えばツバキ教官の方が先じゃないの?」

 

「そう言われればそうですけど…」

 

「あれ?タツミは知らなかったのか。ツバキ教官なら随分前に結婚してるぞ」

 

「は?って誰と?」

 

「誰なんですか?」

 

 タツミとヒバリの言葉に答えたのはハルオミだった。

 以前にリンドウから聞かされた際には随分と驚いた記憶があったが、まさかこんな場面で公表する事になると思ってもなかった。

 基本的に隠す様な話でもなかったと思い、改めてタツミとヒバリに説明していた。

 

 

「なんだよ。鳩が豆鉄砲食った様な顔して」

 

「いや……そんな話は聞いてなかったからさ。ちょっと驚いただけだけど、ヒバリちゃんは知ってた?」

 

「いえ。私も初めて聞きました」

 

「神機使いじゃないし、リンドウも他に言ってない様なら特に言う必要性も無かったからな。俺が言ったって事は内緒にしておいてくれよ」

 

 突如として知らされたはしたが、ツバキの相手が誰なのかを知ると2人はそれ以上の言葉は出なかった。

 確かに考えれば順当ではあったが、せめて少し位は話しても良いのではと考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋敷とは打って変わり、アリサとエイジは白無垢ではなくウエディングドレスとフロックコートへと着替えての参加となっていた。

 参加者は2人が登場した瞬間、全員がアリサを見て息を飲んでいる。

 大きなひだが特徴的なチュールスカートの後ろには長いドレープがそのまま続いている。

 

 ボリューミーなひだはアリサが歩くたびに波の様にさざめきながらゆっくりと動く。

 長い時間をかけて作られたかと思わせる程に動きになじんだそれはアリサを引き立てるかの様に存在していた。

 

 

「ちょっとアリサ、このドレスどうしたの?何だかメイクもバッチリだし」

 

「これでは弥生さんが手配らしいです。このメイクも併せてしてくれたんです。私も今日初めて見ました」

 

「凄く似合ってるよ。良かったねアリサ。おめでと」

 

 リッカの言葉が合図となったのか2人に周りには沢山の人が囲むように集まっている。普段クレイドルとしてアナグラには殆ど居ないが、これまでの実績や時折行われる教導メニューで2人の事を知らない人間は居ないとまでいわれるほどだった。

 既に時間が経過した事もあってか、改めて全員が居る中で式が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。どうしたんですか?」

 

 2人の式が終わると、既に立食形式のパーティーが始まっていた。結婚式だろうが、何だろうが宴会になればそこは既にいつもの光景が見ている。そんな中で北斗は先ほどまで行われてた式を見たからなのか、それとも何か別の思惑があったのか、シエルの問いかけに僅かに反応が遅れていた。

 

 

「さっきの結婚式を見て、ちょっと思う所があったんだ。俺達のやった事で、何か大きく変化があったのかって」

 

 北斗が言う『やった事』が何を指しているのかシエルも何となく分かった様に思えていた。

 アナグラから見える螺旋の樹はいつもと何も変わらない様にも見える。しかし、あの中ではジュリウスが未だ戦っているだけでなく、ロミオも恐らくは生存しているが、その所在は未だ明らかになっていない。

 ブラッドが極東支部へと編入された事で、事実上は極東支部所属ブラッド隊となっているが、今回のキッカケとなったキュウビの戦いから見れば、まだまだ実力が伴っていない様にも思えていた。

 

 

「北斗。君の考えは分からないでもないですが、今はお祝いの場です。ここで沈んだ表情をみせるのはアリサさんとエイジさんにも申し訳が立たないだけなく、極東支部に対しても失礼です。こんな時位は楽しく過ごしても良いかと思いますよ」

 

「そう言われればそうだよな」

 

 そう言いながらも北斗の様子は何も変わる事は無い。暗い雰囲気がこの場には似つかわしく無い事は北斗とて理解するが、やはりこんな場面だからこそ、自分達のやって来た事が正解だったのかは未だ自問自答したままだった。

 

 

「北斗。これだけは言っておきます。ここで脅威だった赤い雨は既に過去の物となっています。それがどれほどの結果に繋がっているのかは北斗が一番知っているんじゃないですか?」

 

 シエルの言葉に漸く北斗はまともな思考になり始めていた。赤い雨が完全に降らなくなった事でサテライトの建設計画は一気に進みだしていた。

 それはこれまで懸念していた工事の日程の大幅な短縮だけでなく、防衛するゴッドイーターとしても脅威を取り払った事になる。そう考えればブラッドとしての貢献の度合いは比べる必要が無い程だった。

 

 

「折角の式です。私達ももっと近くで見ませんか?」

 

 柔らかな笑みと共にシエルは北斗の手を取って2人の所へと歩き出していた。

 螺旋の樹の事だけを考え続ければ、確かに極東支部よりもエイジとアリサに申し訳ないと考える方が先に出る。

 

 今回の前にも支部長室で言われた並行してやる物が何なのかは未だ聞かされていないが、今後の事を考えれば何か大きな転換点を向かえる様な予感だけはしていた。

 手をひかれながらも北斗は僅かに視線を螺旋の樹へと向ける。まるで北斗に何か言いたげだったのか僅かに何かが光った様にも見えていた。

 

 

「シエル」

 

「何ですか?」

 

「ありがとう。それよりも俺達もエイジさんとアリサさんをお祝いしに行こうか」

 

 北斗の言葉と表情が何時もと変わらなくなっていた。

 今回のキュウビとの戦いでエイジのバックアップとして戦ったまでは良かったが、結果的にはただ見ているだけに終わった事がどれほど悔しいと感じたのかはシエルにも何となく理解出来ていた。

 ブラッドだけが使用できるブラッドアーツは確かに戦力としての性能は高いのかもしれない。しかし、今回の戦いに関してだけ見ればエイジの戦い方は全ての神機使いに当てはまる可能性があった。

 確かに終末捕喰を回避した事は大きな戦果ではあったが、厳密に言えば終息したのではなく継続しているにしか過ぎない。未だ解明出来ない状況が続くのはどう考えても禍根が残る可能性だけは確かにあった。

 

 これから研究が進めば近い将来、何らかの手段が構築される可能性がある。今はそんな先の未来事を考える事が出来るのも精神的なゆとりがあるからだとシエルは考えていた。

 

 

「そうですね。折角ですからブラッドとしてお祝いした方が良いですね」

 

 2人にもたらされた束の間の幸せを享受すべく、今はただこの時間を大切に考えていた。

 

 

 



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第195話 昇進試験

「ねえシエルちゃん。この場合ってどうすれば良いの?」

 

「そうですね。これならこうやって対応するのが一般的です。分かってると思いますが、ブラッドアーツでなんて書けば一発で終わりです」

 

「だよね……なんでこんなに難しいのかな」

 

 ラウンジの一角でシエルとナナはタブレットと睨めっこしながら何やら話を続けていた。

 本来であれば今日は非番のはず。いつもならおでんパンの新作や他にやる事があるからなと何かと動いているはずの人物が珍しく半日ほどソファーセットを2人で占領していた。

 他のメンバーも当初は何事かと気になる部分もあったが、会話の中で察したのか誰もが遠目で見ているも、手助けしようと思う奇特な人間は誰一人居なかった。

 

 

「ナナさん。これはある意味仕方の無い事ではありますが、普段からそれを理解していれば然程難しいは訳ではないんです。やっぱりこれを気にさらに戦術論を学んだ方が良いかと思いますが」

 

「それは分かるんだけどさ……まだ教導なら良いけど、これって私一人の考えなんだし万が一の事を考えると…」

 

 自身の許容量を既に超えたのか、ナナの頭はオーバーヒート気味だった。

 誰もが見て見ぬふりをするそれは、この極東支部に於いて誰もが一度は通る道なのが昇格試験だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ブラッド隊入ります」

 

「忙しい所済まないね。今回君達を呼んだのは訳があるんだ」

 

 突如として榊に呼ばれた事でブラッド全員が今度は何の用事なんだろうかと思案していた。既に極東のメンバーであればお馴染みの光景ではあるが、感応種以外の事でブラッドだけが召集されるケースはこれまで殆ど無かった。

 クレイドルとの合同であれば話が予想出来るが、今回クレイドルは感知していない。 

それ故に榊の発言の意図が読み取れないまま話が進んでいた。

 

 

「そうでしたか。しかし、我々の階級に関しては確か曹長級だと以前に聞いた覚えがあります。となれば今回の要件は我々とは無関係なのでは?」

 

「シエル君の言いたい事は僕にも理解出来る。事実、ここ極東支部は他の支部と違って階級による恩恵が殆ど無いからね。ただ、今回の件は我々極東支部ではなく本部からの依頼も半分入ってるんだよ」

 

 シエルの疑問に答える様に榊は今回の経緯を全員に話していた。終末捕喰の際に撮られた映像に関して、当初は一般市民からの問い合わせが殺到する事態がここに来て漸く落ち着き始めていた。

 

 そんな中でフェンリルとしてはブラッドが元本部直轄の部隊である事を理由に、極東支部ではななく本部の基準に合わせた昇進をさせる事で一致していた。

 これが何かしらの無茶ブリとも取れる召集やミッションであればクレームが入るが、階級そのものに対して何の気概も持たない極東支部からすればそんな本部の案件に全力で反対する必要がどこにも無かった。

 

 

「でもいきなり少尉って言うのはちょっと厳しいんじゃ?」

 

「今回、少尉としての試験を受けて貰うのは北斗君とシエル君だけだよ。後のナナ君とギルバート君に関してはここでの階級になるが准尉の試験となる。終末捕喰を終わらせた君達には実技試験は除外されるから、残りは筆記のみの試験となるね」

 

 榊の無慈悲とも取れる言葉にナナと北斗はうんざりとしていた。元々北斗はジュリウスに指名されて副隊長をしていたが、ジュリウスの離反によって半ばなし崩し的に隊長になっている。

 本来であれば外部の人間がブラッド隊に編入されるが、生憎と血の力を発動出来ない人間が部隊運営は無理だと判断した結果が現在に至っていた。

 

 

「榊博士。ちなみになんですけど准尉になったら何があるんですか?」

 

 本部からの指示となっただけでなく、極東支部としても何ら困る事が無い為に、今回の榊の話は回避不可能である事は間違いない。せめて尉官になるのであれば何らかの恩恵が無い事には今一つ気合いが入らないのもある意味当然だった。

 

 

「ミッションに関しては殆どの制限が外れる事になるから、さらに厳しい物がこれから増えるって所だね。我々としては実にありがたい話だね。勿論、義務が発生する以上権利だって存在するんだ。尉官になった際に発券される嗜好品チケットが従来の物に比べれば格段に良くなるんだよ。今まではfcで払っていた物がチケットと引き換えになるんだよ」

 

 本来であれば尉官チケットは少尉で交換できる物に限りがあった。しかし、それは他の支部の話であって、極東支部では事実上その意味は無いに等しい。

 一番の大きなポイントは食事に対する物ではあるが、ここではそんな尉官級で交換できる以上の物を口にしているが、ブラッドでそれを知っている人間は誰一人いなかった。

 普段から自炊していれば気が付くが、ラウンジで食事をしていると案外と気が付かないケースが殆どだった。

 

 

「試験は1週間後だから頼んだよ」

 

 終始笑みを崩す事無く榊は話を続けている。既に本部案件となっている以上拒否権がどこにもなく、これから先に起こる事だけが全員の肩にのしかかっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナナさん。お勉強なんですか?」

 

「そう、聞いてよムツミちゃん。ゴッドイーターにだって試験があるんだよ。ただアラガミと戦うだけじゃダメなんだって」

 

「そうなんですか。でも私だって宿題がありますから同じですよ」

 

 気分転換でカウンターで何かを頼もうとナナがムツミに話かける。ここで多少気分転換を図ろうと考えていたナナの考えがムツミの一言で打ち消されていた。

 

 

「ここでご飯作ってるのに、ムツミちゃんも勉強してるの!」

 

 まさかと言った言葉ではあったが、ムツミの年齢でここのカウンターに立っている事自体、既にまともではない。

 ラウンジ設立の際に応募したのはほんの軽い気持ちだったのは今でも思い出されるが、まさかここまで厳しい業務だと思っていなかった事もあって、当時は大変だった記憶だけが残っていた。

 

 

「そうですよ。最近はエイジさんが少し変わってくれるんで、前よりはマシになりました」

 

 クレイドルとして今まで不在がちだったエイジが極東に常駐する事になってからのラウンジは少しづつ変化が発生していた。

 一番の理由は前よりも利用者が格段に多くなった事だった。本来であれば有償のはずのお菓子類も事実上の負担無しで誰もが口に出来るだけでなく、以前にも有った様にロビーでも配布される事もあってか、以前の様に少しづつ一般の人間の来場数も増えている。

 目的は分かり易いがそれでも垣根が低くなるのと同時にFSD以外でも交流を深める為と支部長でもある榊が容認しているのが最大の要因でもあった。

 

 

「ナナさん。そろそろ休憩を終えて勉強に入らないと、最悪の結末が待つ事になりますよ」

 

ナナとムツミの会話に割り込む様にシエルがナナを引き戻しにかかる。今回の試験に関してはブラッドだけなく、最近になって第1部隊に配属されたマルグリットも同じく准尉の試験が待っていた事をナナとシエルは最近になって知っていた。

 向こうは既にツバキからの聞かされていた事だけでなく、コウタが付き添う形で勉強を続けていた。

 

 

「でもさ……こんな事しなくても討伐任務はできるんだし、そんなに力を入れなくても良いんじゃないかな?」

 

「ナナさん。私だって本当の事を言えばそう思いますが、今回の件に関しては本部案件だけで終わらない可能性があります。少し前に聞いた話だと、我々ブラッドを一旦解体する動きが本部の一部で出ているらしいです」

 

「えっ!ブラッドを解体するの?」

 

 シエルから出た言葉にナナは驚きを隠さなかった。これまでブラッドは感応種との戦いに於いて常時優勢に戦いを進めるだけでなく、他の神機使いと一緒に出れば感応種に対するアドバンテージが大きくなるからと水面下でそんな話があった事をシエルは北斗を通じて聞いていた。

 

 実際に他の神機使いに対するアドバンテージ云々が本当なのかは知る由も無いが、北斗はエイジを通じて無明からそう聞いている為に疑問を持つ事は無かった。まさかそんな大事になっているとは何も聞かされてなかったナナからすればそれは青天の霹靂とも言えた。

 

 

「階級が低ければ、他の支部でも支部長クラスが人事異動の打診をすれば、その支部で支部長が承認すれば本部はそれを単に履行するだけです。しかし、これが尉官となれば部隊の話になる為に支部長クラスでも簡単に話しが出来ないのが本当の所の様です。

 勿論、榊博士としては最初から打診を受けるつもりは全く無いらしいですが」

 

 実際に感応種の被害は他の地域で出る事は全くなく、赤い雨が残した負の遺産を極東支部はそのまま完全に清算する事は出来なかった。その結果、榊としては感応種の対策が出来るブラッドに対し打診があっても全て突っぱねていた経緯が存在していた。

 

 

「って事はこの試験でブラッドの未来が変わるって事なの?」

 

「少なくとも私はそう考えています」

 

「だったらもっと頑張らないと」

 

 シエルの言葉に奮起したのか、ナナは改めてタブレットを片手にこれまで以上にテキストに目をやっている。この光景は試験がおわるまで背景の様になりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、今回ブラッドは全員が昇進試験を受けるんだよね?」

 

「はい。以前に榊博士から打診がありましたので」

 

 北斗は珍しくエイジと一緒にミッションに出ていた。北斗も本来であれば勉強すべきではあるが、ナナ同様に気分転換とばかりにエイジ達のミッションに同行する事にしていた。

 ミッションそのものは可もなく不可も無くと言った事もあってか、程なく討伐が完了していた。

 

 

「最近のアナグラは割とその辺りがキッチリし始めているよね。僕らの時はそんな試験は無かったからさ」

 

「いつから今みたいな制度が導入されたんです?」

 

 エイジの階級は未だに中尉のままだった。これまでの功績と本部からの打診の形で大尉の要請があったが、現在はリンドウと共にそれを辞退していた。

 大尉ともなれば一部隊の運営だけでなく、様々なしがらみまでもが付いて回る。これまで何度も極東と本部を往復していたエイジからすれば面倒事以外の何物でも無かった。

 

 

「確か3年前位だったかな。コウタとアリサが准尉から少尉になった頃だったと思うよ」

 

 エイジもまた当時の事を思い出していた。あの時は確かに少尉になったから何か良い事があった記憶はどこにもなく、ただ高難易度の任務の回数が大幅に増えた程度だった。

 尉官級のギャラが良いのはひとえにその高難易度ミッションの報酬が格段に良いから

だった事が全ての原因となっている。

 だからこそトータルで考えるとさらに上になろう物なら面倒事だけが加速度的に増える未来しか見えない。そんな記憶だけがあった。

 

 

「どのみちクレイドルはしがらみが無いからね。ただ参加の目安は曹長以上って一応は決まっているよ」

 

 極東支部においてクレイドルは独立支援部隊となっているのはひとえに外部からの要請を一切受け付けない性質があるのが全ての要因だった。

 部隊運営をしようと考えれば人員は確実に足りなくなるだけでなく、最悪は一つの支部の様な形式となる可能性が高い。

 しかし、大きな組織は団結すれば確かに大きな力になるが、今度は何かあった際の情報伝達による内容の反故や些細な変更があった際の小回りがきかなくなる。

 組織運営していない場合はそれに担当した人間が最終事案まで責任を持つ必要がある為に、ミッションで判断出来ない人間は事実上、入隊の資格すら与えられなかった。

 

 

「そうだったんですか。少尉になったら何かが変わるんですか?」

 

「何も変わらないよ。ここは少尉以上の昇進は上層部の判断だけだからね。他の支部から見れば厳しく見えるかもしれないけど、ここは本当に世界の最前線なんだ。実際にここの曹長と他の支部なら少尉か中尉辺りの実力は拮抗しているのが本当の所だから、あまり深く考えない方が良いと思うよ」

 

 これまで散々他の支部を渡り歩いたエイジの言葉には真実だけしか無かった。

 確かに北斗もフライアに居た当時のミッションとここでの新人や上等兵のミッションを比べれば段違いであるのは直ぐに分かっていた。ここでは高額な報酬なのは仕方ないと割り切れる程の激戦区である以上、一般人も変な羨望は持っていない。

 

 現状は極東支部やサテライトの周辺ではアラガミに怯えながら生活している人間が未だに後を絶たないだけでなく、ここ極東支部だけに関して言えば、サテライトの建設が本格的になってからも人口の流入が止まる事は無かった。

 

 

「北斗は何を悩んでいるのか知らないけど、本当に自分の事を考えると今のままだと近い将来ブラッドそのものが消滅する可能性もあるんだ。昇進するのは期待ばかりじゃない」

 

 エイジからの衝撃的な言葉に北斗は唖然としたのか、何も言えなかった。

 

 

「陥れる訳じゃないけど、事実ラケルの遺産である君達はフェンリルからすれば羨望の的なんだ。感応種の脅威は今の所ここだけなんだけど、何かにつけて本部は安心の担保を欲しがるんだ。僕が本部に行ってたのもそれが原因だしね。

 今のまま極東にいるつもりなら、ブラッドアーツに頼らない行動原理を手に入れない事には仮に本部から招聘された瞬間、ここには戻れないだろうね」

 

 昇進試験の前に聞いた本部招聘の概要ではなく、今の言葉はその本当の意味だと北斗は本能で感じていた。

 ゴッドイーターになったのは本当に偶然だったのかもしれないが、これまで一緒に戦って来た仲間を失う可能性は否定したい気持ちがあった。

 

 確かにブラッドアーツに頼った戦いは万が一発動しなかった時に自分の能力だけで戦う事になる。それほどまでにブラッドアーツの破壊力は他のゴッドイーターからしても垂涎の的だった。

 

 

「僕だって感応種と戦う事は出来るけど、それは一部の感応種の話であって、全部じゃない。実際にマルドゥーク戦は危うい部分まで足を突っ込んでいたのも事実だし、今はリッカとナオヤが対感応種に対しての技術的アプローチを繰り返してる。

 でもそれだって今はまだ完全じゃないのは知っての通りだからね。正直な所、ブラッドの話を初めて聞いた時には僕も嫉妬したよ。なんで僕にはその力が無いんだってね」

 

「でも、エイジさんはそんな物よりも技術も力量も俺達よりもあるのは間違い無いんじゃ」

 

「確かにそうなんだけど、僕が欲しいのはブラッドアーツなんかじゃない。その感応種に対抗できる偏食因子が欲しい。ただそれだけなんだよ」

 

 エイジの言葉と同時にその表情にはどこか諦観じみた物があった。これまで最前線で感応種の討伐の際にはスタングレネードを利用し、速やかに退却するのがこの極東のスタンダードだとアリサから聞いていた。

 他の誰よりも卓越した技術とその力量は誰もが羨む物ではあるが、それでもどうしようも出来ない事実も存在している。

 孤高が故の悩みなのか、それとも単に無い物ねだりなのかは考えるまでも無かった。

 

 

「自分の事ばっかりでゴメン。今回の昇進試験の件だけど、本部案件なのもさっきの話の可能性も大よそ間違い無いのは事実だよ。少尉と言ってもコウタだって昇進したんだし、北斗なら大丈夫だよ」

 

「そうなんですか。でもコウタさんだって第1部隊で活躍したからじゃないんですか?」

 

「いや。コウタは見た目はああだけど、やる時はやるからね。今回は確かマルグリットも試験を受けるから任務の合間を見て勉強してるはずだよ」

 

 ミッションに出る前に何となくそんな場面があった様に記憶だけが北斗にもあった。 昇進試験で実技が無いのは有難い。しかし、座学に関しては通常ミッションに出ていれば自然と答える事が出来る内容であるのはエイジも知っているが、この場では話す必要性はどこにも無かった。

 

 

「参考に聞きたいんですが、仮に実技をやるならどうなるんですか?」

 

「教導教官との模擬戦でそれなりの手ごたえがあれば、そのままクリアだね」

 

「それって誰なのか聞いても良いですか?」

 

 何となく誰なのかを察しはしたが、やはり気になったのか北斗は確認とばかりにエイジ聞いてみる。その回答は北斗の予想通りの内容だった。

 

 

 



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第196話 試験の後は

「やっと終わったよ~。暫くは何も考えたくない」

 

 ここ数日の勉強が終了すると同時に、試験の結果は即時発表されていた。

 元々は任務の際に基本的な行動をしていれば何の問題も無い程度の内容ではあったが、ブラッドに関してはブラッドアーツを持っている事もあってか、戦い方は常時基本からかけ離れる事が多く、その結果として今回の様な試験となれば一から基本を叩き直す必要が出ていた。

 

 

「確かに基本的な事でしたが、今回の試験で初めて知った事もありましたので、私としては有意義な時間でした」

 

「シエルちゃんはそうかもしれないけど、私にとっては厳しい戦いだったよ。これならミッションに出ていた方がマシだよ。ムツミちゃん!ケーキセット頂戴」

 

「はいどうぞ」

 

 結果が出た事で、まずはお祝いとばかりにナナはムツミにケーキセットを注文していた。今回の試験は元々から予定されたものではなく、本部からの要請が一番だった事から対象者の数は限られ、結果的にはブラッドとマルグリットだけが受験する運びとなっていた。

 差し出されたのはメロンソーダとイチゴのムースケーキ。疲れた脳にはピッタリだとどこかで聞いた話をそのまま鵜呑みにしたのか、ナナは出された物をそのまま口へと運んでいた。

 

 

「う~ん。やっぱりムツミちゃんのケーキは美味しいね。これなら何個でも行けそうだよ」

 

「ありがとうございます。エイジさんからレシピを貰ったので、今日初めて出したんです」

 

「これって元々はエイジさんのレシピなんですか?」

 

 何気に話したムツミの言葉にシエルは少しだけ関心を持っていた。

 確かにお菓子やケーキ類はよく出るので特に考えた事はなかったが、まさかムツミまでもがレシピを貰って作っていたと思ってもなかったのか、ここ最近の北斗が何となく落ち込んでいる様な雰囲気があるからと、多少なりとも元気づける事が出来るならばと考えていた。

 

 

「はい。他にもいくつか貰ったんですけど、試作を作るにも手間がそれなりにかかるので、まだ試して無い物も幾つかあるんです」

 

「ムツミさん。出来れば私も作ってみたいんですが宜しいですか?」

 

「シエルちゃんが作るなら私もやりたい!」

 

 シエルに便乗する様にナナも乗っかってくる。今日は試験が終わったまでは良かったが、本来であればミッションが入る可能性があった。しかし、試験の日程をずらす訳にも行かず、その結果ブラッドの代わりを第4部隊やクレイドルが代わりに受注していた。

 そうなれば今後の予定は白紙となる。そんな結果があったからなのか、2人は急遽ムツミとお菓子作りを開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「試験お疲れ様。予想はしていたけど、改めて結果が出ると嬉しいもんだね」

 

 マルグリットも准尉の試験が終わった事で、漸く一息つく事が出来ていた。

 今回の内容はブラッドの試験のついでとは言え、改めて極東支部になってからの内容は精神的な負担が思いの外大きい物となっていた。

 

 時間にはまだゆとりがあるが、今回の試験の事もあってなのか、エリナとエミールが気を利かせたからなのか、コウタとマルグリットはそのまま非番扱いとなっていた。

 本来であればコウタは全く関係ないが、ここ最近の件でアリサが既に結婚した為にネタとなるカップルが居ないと判断されたのか、極東女子のターゲットは人知れずマルグリットへと向いている。

 現状では着々と外堀は埋められているが、コウタはともかくマルグリットはまさかそんな状態になっていると気が付いていないのか、それとも感づかれない様にやっている結果なのか、何時もと大して変化は無かった。

 

 

「多分、私だけだとこんな結果にはなりませんでした。今まではこんな風に考えて戦ってなかったんで、ある意味新鮮でした」

 

「それは、これまでの実績と蓄積があったからだって。実技が無いのもネモス・ディアナでの実績をちゃんとカウントしたからだよ。実技だったらリンドウさんかエイジと模擬戦やるんだから、そう考えればまだマシだよ」

 

 コウタの言葉にマルグリットも何となくその状況が見えていた。

 確実に手加減はされるかもしれないが、あの2人のどちらかと対峙しろと言われれば流石にどちらも嫌ですと言いたくなるのが本音だった。

 事実、これまでにも昇進試験の実技の結果が悪いからと昇進を見送られた事は何度もある。プレッシャーに負けた結果なのか、それとも本当に実力が無いからなのかは分からないが、それが一つの壁となっていた。

 

 短い期間とは言え、マルグリットも屋敷で教導を受けた際に言われたのは、今やっている行為をエイジは少なくとも10年以上、現在に至っても継続していると言われた点だった。

 

 技術に上限はなく、新たな力が付けばそれを踏み台にして更に教導が過酷な物へと昇華する。それを聞いたマルグリットはただ笑う事しか当時は出来なかった。

 

 

「でも、コウタは私に付き合って非番だったんですよね。本当に良かったんですか?いつもなら実家に戻るのに」

 

「最初は俺もミッションにと思ったんだけど、どうにもこうにもタイミングが合わなくてさ。結果的にはアリサにまで今日は休暇の申請出したって言われたんだよな」

 

「何だかすみません」

 

 2人はラウンジへとゆっくり歩いていた。時間的には非番の人間以外はほぼ出払っているからなのか、2人の間には何時もの様な喧噪は何も聞こえなかった。

 やや微妙な時間。この時間なら小腹を満たす為に何かを摘まむ程度は良いだろうとコウタは考えていた。

 

 

「折角なんだし、何か食べない?多少なら奢るからさ」

 

「え?でも私の為に何だか申し訳ないって言うか……」

 

「試験の打ち上げみたいなものだし、この時間なら軽食程度だからマルグリットが気にする必要は無いって」

 

 そう言いながらラウンジの扉が開くと、そこにはお菓子らしき物を作っているはずのシエルとナナが何か苦戦している様にも見えていた。既にどれほどの時間が経過したのか、教えていたはずもムツミの表情にはクッキリとした疲労感が滲み出ている。

 その表情がこれまでの内容の全てを物語っていた。

 

 

「えっと……2人は何を作ろうとしてるんだ?」

 

「あっ!コウタさん。今、簡単なお菓子を作ろうとしてたんだけど中々上手く行かなくて……」

 

 自信無さげなナナの手元を見ればボウルから何かが散乱したのか周囲に色んなものを飛び散らしながら何か得体のしれない物が僅かに残っている。

 隣にいるシエルに至っては、先ほどからレシピを見ながら何やらブツブツと言っているが、まだ何も始まっていないのか、まだ材料がそのままの状態だった。

 

 

「何を作るつもりだったの?」

 

「いや~クッキーなら簡単だと思って色々とやってたんだけど、思ったよりも上手く行かなくって…ははははは」

 

 何となく笑ってごまかしているものの、周囲に飛び散ったのが小麦粉の慣れの果てだと察知したのか、コウタも渇いた笑いしか出ない。一方でシエルは漸く何かを習得したのか、ここに来て漸く行動を開始していた。

 

 以前に行われた炊事の教導は既存の食料のアレンジに留まるだけだった事もあり、無難に終えていたのはコウタもハルオミから聞いていた。しかし、目の前で繰り広げられた惨劇は一から作る結果でしかない。シエルが卵をジッと見たと同時に、幾つも割り出していた。

 

 

「あの、シエルさんは何を作るつもりですか?」

 

「はい。実は簡単だからとプリンを作ろうかと。ただ、材料が少ないので手順を一旦脳内でシミュレートしてから行動しようかと思いまして」

 

 マルグリットが何気に聞いた代物はそこまで慎重になる程の内容では無い事はマルグリットだけでなくコウタも知っていた。

 クレイドルが発足してからは何かと忙しくなる事が多く、コウタも最後に作った記憶はかなり以前だった記憶だけが残っている。

 しかし、シエルの様な危うい手つきになる程の物で無かった事から、コウタは少しだけ考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だかすみません。コウタさんの手を借りる事になるとは思いませんでしたので」

 

「私もマルグリットちゃんに手伝って貰ったからなんとか出来た様な物だよ」

 

 結果的にはコウタがシエルに付き、マルグリットがナナに付いた事で、何とか一定数の確保だけは出来ていた。

 気が付けば時間は既に日が沈むころへと移りつつある。このまま疲れ切った表情で仕事をする訳には行かないからとムツミも残った気力を振り絞って何時もの様にキッチンの前に立っていた。

 

 

「毎日とは言いませんが、偶に作った方が良いですよ。案外と数をこなすと身体も覚えますし、なによりも慣れると味も食感も良くなりますから」

 

「そうしたい所なんだけど……案外と忙しい事の方が多いんだよね。これがおでんパンなら間違いないんだけど……」

 

 折角だからと4人は自分達で作ったクッキーとプリンを口に運んでいる。料理は各自の感性にも左右されるが、お菓子は科学と同じでレシピと手順を間違えると味が壊れる。

 いくら同じレシピだと言った所で熟練した人間と初心者を比べれば雲泥の差であるのは誰の目にも明らかだった。

 

 

「私も同じです。でも、コウタさんがプリンを作るなんて意外でした」

 

「そうだよ。てっきり食べる専門だと思ってからね。コウタさんは誰から教えて貰ったんですか?」

 

 ナナの一言にその時の光景が思い出されていた。

 マルグリットはナナとクッキーを作る傍で、プリンを作るコウタとシエルを横目で見ていた。当初は大丈夫なのかと心配した部分はあったが、コウタの手つきは意外な程に手慣れていた。

 

 卵液と生クリームを混ぜながら甘さを調節すると同時に、砂糖を焦がしてカラメルを作る手つきに驚いたのはマルグリットだけじゃなくシエルも同じだった。

 文章だけで作るのはイメージが湧かないが、隣でコウタが作るのを見ながら隣で作っていたシエルは、試食の為に自分で食べると予想以上の出来栄えだった。

 

 アナグラの男性陣もそれなりに出来るのかもしれないが、それはあくまでも簡単な物であって、まさかこんな物まで作ると思っていない。だからこそ、慣れたコウタに驚くと同時に、マルグリットの中で僅かに気になる事があった。

 こんな場所で中々作る機会が無いにも関わらず、それなりに手慣れているのであれば誰かに作っていた可能性があった。

 事実、カラメルもタイミングを間違えると苦さが表に出るが、口に運んだそれはそんな気配は微塵も無い。誰にとは思ってないにしろ、何となく面白く無い考えが少しだけあった。

 

 

「これ?これは第1部隊当時にエイジから教わったんだ。因みにアイスクリームだって作れるぜ」

 

 ドヤ顔をしながらも確かにそれなりの水準の物であるのは間違い無いと同時に、当時はそんな事もしていたんだと3人は改めて考えていた。

 アラガミの討伐だけでなく、自分達の生活もそれだけで終わらす事が無い様な考えだったのかもしれない。

 結果はともかく何となくシエルとナナは負けた気になり、マルグリットは少しだけ違う事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ。そんな事もありましたね」

 

 ミッションが終わったからなのか、アリサもラウンジで食事とばかりに先ほどの顛末をシエルから聞いていた。

 当時のアリサからすればあの時点でコウタにも劣っていたのは間違い無いかった。

 今でこそそれなりには作れるはずだが、それでもアリサがお互いに食べる人間がエイジである以上、比較する気にはなれないと同時に、当時の出来事を思い出してた。

 

 

「コウタ隊長がプリン作ったんですか?」

 

「そう。案外と手つきも良かったから少し驚いたけどね」

 

 ソファーで先ほどの出来事をアリサとエリナはマルグリットから聞いていた。来た当初はシエルから事の顛末を聞いていたが、その後は用事があるからと作った物を大事に持ち帰ったのか、既にラウンジには居なかった。

 ミッションの関係でエリナも本来はアリサと一緒になるタイミングでは無かったが、偶然にも帰投のヘリが同じだったことから2人でラウンジへと足を運んでいる。そんな矢先の出来事だった。

 

 

「コウタは案外と手先は器用ですからね。何かにつけて出来栄えは良かった記憶が有りますね」

 

「だからって最近は何も作ってないって言ってたんで、ああまで上手く出来るとも思いませんでした。やっぱり誰かに作ったりしてたんですかね?」

 

 何気に放ったマルグリットの一言にアリサとエリナの目に何かが宿っている。自分の色恋とは違い人の色恋は生活のスパイスでしかなく、ただでさえ秘密裡にコウタとくっつけようと企む部分がある極東女子はこの2人だけではない。

 

 エリナとしてもマルグリットを慕っているだけでなく、これからの事を考えれば何かにつけてくっついてくれた方がメリットがあると判断していた。

 一方のアリサに至っても、これまで散々自分がやられた事を今度は他の人間で自分の楽しみたい思惑があった。

 

 事実、結婚してからはヒバリとリッカからも何かといわれる機会が激減していた。他人の恋路は楽しいが逆に惚気話は聞きたくない。その心情が全てにおいて優先されていた結果だった。

 

 

「それは……コウタには聞かなかったんですか?」

 

「それもちょっと…聞きにくいと言うか…」

 

 随分と歯切れの悪い回答ではあるが、それがどんな心情なのかをアリサは何となくだが理解していた。

 自身がそうだった事が一番ではあるが、今はまだ一気に行動に移す訳にも行かず、隣に座っているマルグリットの様子を見ながら当時の事を思い出していた。

 

 

 



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第197話 自壊と教導

 

「分かりました。では、それが今回の内容なんですね」

 

 日々進化し続けるアラガミに対し、人類の進化の速度は遅々たる物だった。

 これまでの歴史を考えれば、人類が大きく転換点を迎えたのはそう多くは無い。

 文明が発達すればそれに伴いゆっくりとしか進まない事に対し、アラガミの場合は些細なキッカケで一気に進化する事から、常時その差に怯えながらもギリギリのラインで踏みとどまる生活を送っていた。

 

 そんな中でここ極東支部の最大の難関でもある感応種はこれまでのゴッドイーターとしての常識を一気に覆し、アラガミの天敵でもあったゴッドイーターは特定の種に対しては無力なままだった。

 

 

《取敢えずは検証する事しか出来ないけど、まずは偏食場パルスの解析が優先されるから無理は禁物だよ》

 

 これまでにも開発が進められていたリンクサポートシステムも完成の域に近づく頃、榊と無明から一つの仮説が立てられていた。

 今回の仮説の元となったのはブラッドが終末捕喰を回避した際に流れ込んだ偏食場パルスの伝達とその影響。

 時間が経過した事によって仮説ではあるが、感応種との対策が少しづつ進められていた。

 

 その中でも一番の注目する点はこれまでに確認されたアラガミの固有の偏食傾向は感応種に対しても有効なのかだった。

 現在の時点では極東にしか感応種の出現が見られていない為に外部に対しての発表は控えられているが、今回提示した仮説が適切だと認める事が出来た場合、人類はこれまで同様の対抗手段を手に入れる事になる。

 その為の壮大な実験がこれまでに何度も繰り広げられていた。

 

 

《北斗さん。今回の討伐任務はリンクサポートシステムの検証ではありますが、これはあくまでもブラッドの偏食場パルスの計測が最優先となるミッションですので、申し訳ありませんがあまり討伐時間を短縮する様な事だけは控えて下さい》

 

 リッカとフランからの通信が全てを物語っていた。

 以前にエイジと同行したミッションでブラッドアーツに頼らない戦い方を考える必要があるからと、これまで以上にミッションに出撃する回数が一気に増えていた。

 北斗はフライアにいる際にも、時間に余裕がれば訓練を繰り返していたが、極東に来てからは教導の比率が多くなるだけでなく、これまでの訓練も同時にこなしている事もあり、普段はアナグラの内部で探そうと思えばロビーか訓練室に行けば姿を見る事が出来ていた。

 

 

「俺ってそんなに信用無いかな?」

 

「そうです。今の北斗はフライアに居た頃と何も変わりませんよ。今回だって本当は単独で受けていたんですよね?」

 

 半ばジト目で見るシエルの視線に耐えられなかったのか、北斗は目を合わせようとはしなかった。確かに今回のミッションはリッカからの依頼もあってか、大義名分もある以上、弁解する必要は無かった。

 ゴッドイーターとて一個の人間である以上、どこかで休息を取る必要が必ず出てくる。

 万が一があっては困るからとフランは早々にシエルも併せて同行する手はずを取る事を選択していた。

 

 

「そう言われれば確かにそうなんだけど、今回はリッカさんの依頼もあったから仕方ないはずだけど?」

 

 確実に言い負かされる未来しかないが、それでも一応の弁解はしてみようと北斗は考えていた。

 確かに若干オーバーワーク気味なのは理解しているが、今はそんな程度の事に囚われる必要はどこにも無い。一体でも多くのアラガミを狩る事によって自身の能力の底上げが今は最優先とばかりに行動していた。

 

 

「北斗。あなたはもっと自分の価値を理解した方が良いかもしれません。我々も既にクレイドルと同様に部隊が位置付けられています。今後の事も考えれば連続ミッションも少人数では避けて欲しいと思っています。

 だからこそ自分の体調管理だけでなく、それ以外の事にももっと目を向けて欲しいんです」

 

 シエルにキッパリと言われるとそれ以上の事は何も言えなかった。シエルの言いたい事は理解するが、それが何を示すのかまでは今はまだ理解し難い部分だけがあった。

 

 北斗自身、技術的な事に気を取られているからなのかまだ気が付いていない。

 今は少し前のめり気味なっているその状態が危ういと感じるには認識を改める必要性があるも、今はその時でない事だけが理解出来ていた。

 既に時間が来たからなのか、眼下にはウコンバサラとシユウが闊歩している。

 今はただその討伐の内容だけに集中していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《お疲れ様。今回の件で少しだけ何かが分かった気がするよ。取敢えず帰投してから説明するね》

 

 今回のアラガミは思った程では無かったものの、やはりブラッドアーツを使いながらの戦いに北斗自身がこれは拙いと判断していた。

 以前に言われたブラッドアーツを基本に組み立てた戦いは既に北斗の身体に染みついている。

 再構築と口にするのは簡単だが、これまで培ってきた戦い方を否定するのは難しく、このままの状態が続く様なら最悪の展開になる可能性が高いとも思えていた。

 

 

「北斗。最近の君の行動は以前のロミオにそっくりです。一体何があったんですか?」

 

「大した事じゃないけど、ブラッドアーツ一辺倒になるのもどうかと思って試行錯誤してるんだ」

 

 帰投まで時間があるからと今回の件のキッカケとなった話をシエルは北斗から聞いていた。

 確かにブラッドアーツの高火力は否めないのは間違い無いが、厳密に言えば北斗の戦い方はそれに頼った物では無い様にもシエルは思っていた。

 確かにクレイドルはブラッドアーツを一切使わないにも関わらず有用的な動きでアラガミを仕留めるのは自分の目でも確かめている為に否定は出来ない。

 しかし、そこには今の北斗と決定的に違う部分があった。クレイドルの戦い方は個人的でありながらもどこか組織的な行動原理が多く、全てを自分の手だけで完結する様な雰囲気は微塵も無い。

 

 確かに単独やペアの任務であればそれはある意味仕方の無い事ではあるが、今の北斗にはその違いがどこにも見当たらない。このまま前のめりになるのが拙いなら一度エイジに確認した方が手っ取り早いのかもしれないと考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうなんだ……なんだかゴメンね。北斗も混乱してるのかもしれない。ただ、戦局を見誤るとそれは自分に跳ね返る危険性があるのもまた事実なんだ。使うなと言ってる訳では無いんだけどね……」

 

「私の言葉は多分ですが届いていない様にも思えます。出来れば一度エイジさんからも何か言ってくれればと思うんですが」

 

 北斗の事は教導しているエイジに相談するのが一番だと考えたシエルは帰投後、すぐにエイジの元へと急いでいた。

 本来ならばシエルが勝手に動く事はあり得ないが、このままこれが続くとなれば何かにつけて拙い事態になり兼ねないと判断した結果でもあった。

 

 

「多分、北斗の性格だと言うだけだと無理かもね。一度体感した方が良いかもしれない」

 

「でも、エイジさんにもご迷惑がかかるのでは?」

 

「教導のついででやれば問題無いと思うよ」

 

既に口頭での説得と理解が不可能ならば実力行使が一番だと話が纏まる頃、部屋の扉が突如開いていた。

 

 

「えっと……お帰りアリサ」

 

「はい。ただいま…ってシエルさん。何かあったんですか?」

 

 改めてシエルは今回のミッションの内容をアリサにも話していた。確かにエイジの言いたい事も理解出来るし、北斗の考えも理解出来る。

 大よそ答えらしい答えが見つからない事だけが理解出来たと同時に、エイジの考えている事がアリサにも何となく理解出来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。すまないけど、今回の教導はこれまでと趣向を変えてやるから」

 

「何かあったんですか?」

 

「ちょっと思う所があってね」

 

 取り止めの無い会話を他所に何時もとは違った趣向での教導が始まっていた。

 この時点で北斗は気が付いていないが、訓練室のオペレート出来る場所にはリッカとナオヤだけじゃなく、ブラッド全員がその場に居た。

 これまでの内容を心配したシエルが今回の教導で何かヒントが掴める事になればと話した事がキッカケだった。

 

 

「北斗も何か悩んでたのは知ってたけど、まさかそんな事になってたなんて」

 

「ったく水臭せぇんだよ。仲間なんだから俺達をもっと頼れば良いだろうが」

 

「でも北斗の気持ちも分からないでもないんです。今はまだこの規模での話で終わりますが、今やっている事の結果次第で何かが変わる可能性もありますから」

 

 いつもであれば神機に近いモックを使う事が多いが、今回使用しているのは事実上の真剣に近い状態での神機を使用していた。

 

 刀身のパーツだけは安全面を考えて交換されているが、それでも万が一の事があればお互いの力量を見れば最悪は大参事になる可能性があった。

 既に訓練室には異様な空気が漂い始めている。

 目の前に対峙した2人の意志が何なのかは口に出すまでも無い。なぜならば当初持つ事になった神機パーツが雄弁にそれを語っていたからだった。

 

 

「エイジも本気みたいだな」

 

 ナオヤが人知れず呟いたかの様に、お互いが最初から全力で動きだしたのはある意味必然共言えていた。

 普段であればどこか落ち着いた雰囲気の教導が、今はアラガミと対峙している様な雰囲気へと変貌している。

 

 エイジから発せられるプレッシャーはこれまでに対峙したアラガミをもはるかに凌駕する程の状況だった。

 当初こそお互いの様子を見るべく牽制しながらの動きを見せているも、時間が経つに連れ目が慣れ始めてきたのか戦局は徐々に変化し始めていた。

 お互の戦い方の特性が違う事から決着には時間がそれなりにかかる様にも思えていた

のは無理もない。

 これまでに数えきれない程の教導を繰り返した結果、お互いの行動の癖が分かる以上、些細な隙があればそこを突かれる。この場にいた全員がそれを予想していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 訓練室内に響く剣戟の音とは裏腹に、お互いの一撃が直撃する事は結果的には全く無かった。動きの癖を覚えているのも勿論ではあるが、ある程度のレベルに達すると、動きと行動範囲が徐々に読める様になる。

 その結果として直撃すらしなくなる可能性が高かった。つば競り合いとも取れる光景がこれまでに何度行使されたのか、既に別室で見ている人間は数える事すらしなくなっていた。

 僅かに瞬きをした瞬間にこの戦いが終わるのは間違い無い。それ程までに速度の乗った戦いはある意味スリリングだった。

 

 エイジと北斗の戦いからは真逆にとも取れる行動原理が全てを物語っていた。一撃必殺と言わんばかりの行動はお互い様ではあるが、その過程が大きく異なっている。

 エイジは一挙手一投足をまるで予測したかの様に一つ一つの行動の隙間を狙う戦い方をする事によって詰将棋の様に行動を制限していく。第三者の目からみれば薄氷を踏む様な戦いにも見えるが、当事者の感覚は違っていた。

 

 

「くそっ!」

 

 その結果、北斗は最大限の効果を発揮する戦い方が出来ず常に主導権を取られやすくなっていた。

 当然の事ながら北斗もまた制限される事を良しとせず、時に力技とも取れるやり方で

強引に自分の領域へ引きずり込んでいく事で主導権を握ろうとしている。お互いのハイペースとも取れる戦いは既に教導の域を大きく逸脱し、既に殺し合いに近い様相へと変化していた。

 

 

「これって……」

 

「まさかここまでだとは……」

 

 ナナとギルが口からこぼれた感想が全てを物語っていた。

 いつもであれば教導はどこか手加減した部分が多分に含まれている為に、最後まで何も問題無く履行する事が出来ていた。

 しかし、今回の教導はそれまでの内容がまるで嘘だったかの様に一方的な物へと偏りを見せている。その内容がエイジの言わんとした事でもあった。

 

 力技を使う際にはどうしても僅かながらに動作の一つ一つに溜めが必要となる。溜めを作る瞬間は行動が制限されるだけでなく、攻撃を一方的に受ける可能性を秘めていた。

 これがアラガミとの戦いであれば回避出来るが、目の前のエイジは態々そんな状態を待つつもりは全くなく、隙が一瞬でも出来た瞬間を狙っていた。

 

 

「これで北斗も気が付くだろうな。って言うかよくもまあ、実行出来るもんだ」

 

「それってどう言う事なの?」

 

 今回の内容をいち早く理解したのはナオヤだった。当初は意味も分からないままにセッティングしたが、今回の戦いを見た瞬間エイジの考えが理解出来ていた。

 理論上は間違いないかもしれないが、それを実感させるには身体で覚えるしかなく、また最初から高火力を持った人間に対して戒める部分もある事だけは直ぐに理解出来ていた。

 

 

「ここにブラッド全員がいるから簡潔に話すが、高火力の業はどうしても威力を出す為にほんの僅かだが溜めの動作が必要になる。

 それは悪い事ではないが、万が一速度があるアラガミがその瞬間を狙うとすればこちらの致命的な隙にしかならない。もちろんそこまで進化する可能性は低いのかもしれないが、今回みたいな対人戦になるとそれが顕著に出るんだ。

 事実こうまで一方的になるのはブラッドアーツを出す瞬間が常に狙われているからなんだ」

 

 ナオヤの言葉を理解した上で全員が再びその部分を意識して見る、確かにペース配分を握られた北斗は徐々にブラッドアーツを無意識の内に多用し始めたからなのか、動きに淀みが出始めていた。

 

 

「そろそろ終わるな」

 

 ナオヤが呟いた事が合図となったのか、ほんの一瞬だけエイジの身体がブレた様にも見えた瞬間だった。

 北斗の神機は弾き飛ばされ、逆にエイジの神機の切っ先が北斗の喉元に突き立てられる。ここで漸くハイペースで進んだ戦いが終息する事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「漸く分かった気がする」

 

「そうれは良かったです。ここ最近ずっとそんな事ばかり考えてたとは流石に思いませんでしたが」

 

 教導の濃密な時間が終わる頃、漸く北斗もエイジが言った言葉が理解出来ていた。

 ブラッドアーツを多用するやり方は間違いでは無いが、正解でも無い。今はまだ問題なくてもギリギリの戦いで頼るにはまだ精度が低い事だけが理解出来ていた。

 

 戦いが終わった事で静寂が破られた瞬間、北斗は唐突にエイジが言った事を理解していた。

 ゴッドイーターになる前はどちらかと言えばエイジと似たような戦闘スタイルが、気が付けば今の様に一撃必殺とも取れる戦い方へと変貌していた。

 これまで培ってきた経験を無視した事で体捌きが歪み、その結果が付いてこない事に苛立ちを無意識の内に覚えていたのかもしれない。

 北斗は今になって自分と向き合う事が出来たんだと改めてそんな事を考えていた。

 

 恐らくは本当の戦場になればそれ以外に飛び道具が加わる事になる。今回の件が完全に本気で戦った結果なのかは分からないが、今の北斗には漸く何か目標が見えた様にも思えていた。

 

 

「私も何だか燃えてきたよ」

 

「ナナさんも一度は全力でやってみるんですか?」

 

「それはちょっと……まだ早いかも」

 

 ナナとシエルの話を聞いていたギルもナオヤとの教導の事を思い出していた。

 基礎訓練は地味な上に苦労しかないが、積み上げたそれは決して自分を裏切る様な事はしない。冷静に考えるとナオヤとの教導は神機を使う事が無いからなのか、自然とギルの中でブラッドアーツを多用する様な考えは余り存在してなかった事が思い出されていた。

 神機を使わないからこそ、北斗同様にギルも何かを思う部分が存在していた。

 

 

「俺もナオヤさんとの教導では攻撃が当たる事はあっても当てた記憶が殆ど無いからな。ある意味極東は高みを目指すには丁度いいのかもな」

 

 教導を終えたブラッドはラウンジで食事をしていた。何時もの様な光景ではあるが、どこか吹っ切れた様な表情をした北斗は今後はさらに成長するのかもしれないと考えていた。

 

 

「本気で戦った感想はどうだったの?最後の方はエイジさんの身体がブレた様に見えたけど」

 

 ナナはふと最後に見えたエイジの姿が何だったのか疑問をそのまま口にしていた。この場でそれが何なのかを理解したおは対峙した北斗だけ。

 それ故にその答えを全員が待っている様だった。

 

 

「あの瞬間はエイジさんの身体が二つになった様に見えた。多分なんだけど、キュウビの首を跳ねた瞬間に酷似していたから間違いないと思う」

 

「ひょっとして分身の術なのかな。ほら、よく漫画なんかに出てくるよね」

 

「それとはちょっと違うかもしれないけど、大方そんな様なものかもな。事実、動きに対して目が追い付かなかったから詳しい事は分からないが」

 

 そう言いがら北斗は水を飲んでいた。北斗の言う言葉が正しければ人間の限界値を超える様な動きをしている事になる。

 それがどれほどの高みにいるのかを考えれば、まだまだ目標が遠い事だけが理解出来ていた。

 

 

 



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番外編 14 仲秋の名月 壱

今年の仲秋の名月は9月27日です。
今回は二つの話を区分けしました。

次は来週の掲載予定です。




 暑かった夏が過ぎ去り、周囲の環境は少しづつ変化をし始めていた。

 既に極東に来てから何度目かのミッションを数える事すら必要ないと思える頃、不意に野営をしながら北斗は空を見上げていた。

 ここ最近は以前とは違い周囲の状況が見える様になったからなのか、それともこれまでが何も見えなかったのかは分からない。

 しかし、眺めた月は何時もと何も変わらないままだった。

 

 

「北斗、月を見てたけど、どうかしたの?」

 

「ナナか。いや、特に意味は無いんだけど月明りが何時もより眩しく感じたから見上げていたんだ」

 

 連続ミッションも当初とは違い、既に手慣れた事から野営に伴う設営やそれ以外の準備は既に滞りなく進んでいた。

 元々は部隊運営に対しサポートする人員が一人着くのが慣例だった事もあり、今回は珍しくフランも同行する事になったからなのか、久しぶりにブラッドとしてミッションを受けていた。

 

 

「北斗、ナナさん、ここでしたか。そろそろ食事の準備が出来るそうです。こちらにいらしてはどうですか?」

 

「今日は確かフランちゃんが担当だったんだよね?」

 

 そう言いながら今回の出動の際に決めた事を思い出していた。

 あれから何度か炊事に関する教導をこなした事によって、結果的に全員がそれなりに食べる事が出来るレベルになりつつあった。

 

 これまでの様に、担当制ではなく当番制で決めるケースが多くなっていた事によって不慣れな人間が担当になった場合、その人間が不在となれば一気に食事の内容が低下する。

 その結果、今後の士気にまで影響が出るなどと言った意味不明なナナの理論が採用された形だった。

 

 しかし、個人の力量とそれは大きく異なる。部隊の中でもナナとシエルもそれなりにはなりつつあるが、やはり普段はミッションに出向く事が多く、また炊事の教導は及第点は出ても、通常の料理となれば未だ及第点には程遠いのが現状だった。

 

 

「そうですよ。既に殆どの準備が終わってますので、後は私達がテーブルのセッティングをするだけです」

 

 食事以外に関しては各員で各々の役割分担が決まっている為に、本来であれば代わりに手伝う事も当初は提案されていた。

 しかし、それでは従来と何ら変わらないだけでなく食事を作ってくれた人にも申し訳ないと言った事もあり、ミッションとは違い食事の準備に関してだけは担当するそれぞれが準備する事が決定されていた。

 

 

「じゃあ、早く準備しよっか。お腹も減ってきたしね」

 

「ナナはいつもそれだな」

 

「それはちょっと失礼じゃないかな。私はいつもミッションには全力だからお腹が減り易いだけです。北斗はもうちょっとデリカシーを覚えた方が良いかも」

 

「それはそれは…今後は気を付けるよ」

 

 おどけながらも先ほどまで苦戦していた事はおくびにも出さず、いつもと変わらないペースでナナは北斗と話していた。

 

 ここ最近、極東支部ではアラガミが活性化しているのか出現率がやたらと高く、またその影響もあってなのか、本来でればミッションよりもサテライトなど周辺に力を入れているクレイドルも目下アラガミの討伐任務がかなり舞い込んでいた。

 

 事実アラガミを討伐しない事にはサテライトの建設も進まず、またその結果として未だ居住区や他のサテライトに入植出来ない人間が増える事になる。

 その為には一亥も早い討伐が要求された事もあり、今回のブラッドと同様に連続したミッションが計画されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりこれは普段から料理をしている差なのかな?少なくともいつもよりは美味しいと感じるけど」

 

「アレンジと一から作るのはまた要素が違いますからね。今回の様に一から作ると手間じゃありませんでしたか?」

 

 ナナの感想にシエルが冷静に答えを交わしていた。

 レーションは味は均一な為に誰が作っても同じ物でしかならない。事実、炊事の教導が開始されたと同時に開発班の開発魂に火が付いたのか、これまでもそれなりの味だったコンバットレーションはエイジや屋敷での共同開発を皮切りに次々と新しい物が作られていた。

 

 その結果、これまでのレーションは他の支部やサテライトへと配布、若しくは売却される事になり、他の支部からも新たに購入する為にこれまで以上に榊の手を煩わせる事になっていた。

 

 

「これはレシピもありますし、作り方そのものは簡単ですから問題ありませんでしたよ」

 

 今回フランが作ったのは、以前にクレイドルとの共同作戦で食べたパエリアだった。

 手間のかかる部分はレーションを上手く利用しながらも、味付けの大半はフランの好みとなっている。

 細かい違いはあれど、当時のエイジの作ったものと遜色は無い様にも感じていた。

 

 

「って事はそろそろ私のおでんパンも正式なレーションとして開発してくれないかな。絶対に美味しいと思うんだけど」

 

「おでんパンは有りませんが、まだサテライトではおでん缶は出てるみたいですよ。あれも細かい調整をしながら配布されてますので」

 

 コンソメスープを飲みながらフランはオペレーター権限で見ていた情報を思い出していた。

 これまで戦闘時の内容はヒバリだけでなくフランも同等の権限を持っていたが、それ以外の随所になるとヒバリだけがアクセスできる権限を有していたが、ここ最近になってからフランも同等の権限が与えられていた。

 

 オペレーターはミッション時だけでなく、それ以外でも何かとやる事だけは多い。

 特に帰投の事後ともなれば報酬の管理や新たなミッションの管理に発注、神機使いの健康状態まで把握する必要性がある。

 その為に普段であれば現場に出る事は少なく、仮に出たとしても随時アナグラとの回線は開いたままだった。

 

 

「まだ配布してるんだ。さすがはおでん缶。あれって私も開発には加わってたんだよ。知ってた?」

 

 ナナの言葉に反応したのはギルだった。当初は何かの缶詰位にか思ってなかったが、味の確認だと言われた事で酒の摘みとして食べるつもりだったが、まさか中身がおでんだと思わなかったのか、見た目とのギャップに驚いたのはまだ記憶に新しかった。

 

 

「あれはナナが監修したのか?」

 

「ギルは食べなかったの?」

 

「食べるには食べたんだが……ちょっと俺の口には合わなかっただけだ」

 

「ええ~。本当なのそれ?」

 

 まるで自分の方が味音痴なのかと疑う様な視線にギルはそれ以上の事は口に出すのは憚られていた。

 恐らく合わなかったのは飲んでいる酒の種類。スコッチではなく日本酒であれば恐らくは口に合ったのかもしれないが、ギルの部屋には生憎とその種類の酒が置かれていない。

 それはある意味では仕方ないと思える状況だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楽しく過ごす事が出来た食事も終わり、今は各々が自分の時間を有意義に過ごす為に散会となっていた。

 今日のミッションはあまりにも厳しかった事もあってか、本来であればミーティングをする所だが、今は疲労回復を図る事を優先した為に、時間にゆとりが出来ていた。

 普段であれば訓練室に籠るが、流石にミッションに出ている時にそれは出来ない。今は今後の対策を兼ねて北斗は座禅を組みながら今日の内容を思い出していた。

 

 今回のミッションの最重要課題とも言える部隊運用は確かに厳しさが先に出ていた。

 アラガミ単体であれば数の論理で押し切る事も可能だが、今回の様に各自がそれぞれのアラガミと対峙するミッションとなれば、厳しさは尋常じゃ無くなっていた。

 

 誰か一人が倒れれば即作戦が破たんするだけでなく、各々の神機との特性を考えればマッチングによっては早急た対策を要求される事になる。

 焦りが焦りを呼べばそこから先は自分自身が仲間よりも先に危機に陥る事になる。その結果、全員の命が危うくなる可能性があった。

 目を閉じた際に考えるのは本当にこれで良かったのだろうかと言った自問自答。

 

 ジュリウスから引き継いだブラッドの立ち位置は既に極東支部にも完全に認知されており、それ以上の揶揄は既に無くなっていた。

 

 

「北斗。ここにいたんですか」

 

 そんな自問自答を繰り返していた北斗の思考を遮ったのはシエルの声だった。

 既にこの時間は各自が有意義に時間を使う事を優先していたはず。とすれば、シエルがこの場に来たのであれば、それは緊急でアラガミが出没した可能性だけだった。

 

 

「ひょっとしてアラガミか?」

 

「いえ。そうでは無かったんですが、先ほどアナグラから連絡がありまして、今回の物資の中にこの時期だからと普段とは違う物を入れたと連絡があったそうです」

 

 シエルの不明瞭な言葉に北斗は何の事なのかは分からないままだった。

 この時期特有の何なのか想像出来ない。シエルに連れられそのまま皆が居る場所へと移動していた。

 

 

「北斗。これ、今回のミッションの差し入れみたいだよ。なんでも今日は仲秋の名月なんだって。月を見てお団子食べるらしいよ」

 

 ナナの目の前には白い団子が山の様に置かれていた。確かにナナが言う様に頭上の月は存在感を示すかの様に煌々と周囲を照らしていた。

 いつもであれば照明が必要ではあるが、今回に至っては月明かりが想像以上に明るかった事から、それほど照明は必要無かった事が思い出されていた。

 

 

「ナナ、それは間違ってないけど、決して団子が主役じゃないから。作物の収穫を祝う為に団子があるだけだ」

 

「北斗、それって本当なんですか?」

 

 恐らくはナナから少しだけ間違った知識を聞かされたのか、シエルは北斗に確認してきた。

 

 

「旧暦の8月15日の内容だったと記憶があるかな。多分、俺よりもエイジさんの方が詳しいと思うよ」

 

 北斗の言葉にシエルだけでなくナナとフランも頷く部分があった。

 以前にあった様に極東支部での暦のイベントにはどこか懐かしい様な雰囲気が多分にあった。

 本来であれば収穫のお祝いであればここではなく001号サテライトの方がしっくりとくるはずだが、恐らくはそんな事だけでなく極東全体でも広がっている事が予想出来た。

 

 荒廃しながらもどこかその精神的な部分での風習をやる事は、少なくとも他の支部ではあり合えない事でもあった。事実、他の支部であれば精々がクリスマスと新年を祝う程度しかなく、また単純に騒ぐ為の理由付けの様にも思えている。

 しかし、極東ではそんな一面もありながらもどこかそれだけでない部分にフランは少しだけ感心していた。

 

 

「なるほどね。って事はこれを入れたのはエイジさんなの?」

 

「お団子はムツミちゃんが作った物らしいですよ」

 

「ねえ、これってウサギなのかな。目と耳が付いてるよ」

 

 いくつかの白い団子とは別にウサギを象った白い団子が置かれていた。小さいながらも立派にウサギになっているそれは女性陣の関心を誘っている。

 既に月を見るよりも団子に意識が映っているのは仕方ないと考えながら北斗は一つだけ団子を口に放り込んでいた。

 

 

「ギルもどう?少し甘いけど、くどさは無いよ」

 

「すまないが俺は甘い物は苦手なんだ。俺の分は気にしないで食べてくれ」

 

「ギルがそう言うならっと……う~ん。ほのかな甘みが上品な味わいだね」

 

 既にウサギの事は横に置かれたのかナナとフランもそれぞれが口にしている。恐らくはその為なのか、他にはお茶も団子と一緒に入っている。

 厳しいミッションの合間の休憩は結果的には疲労回復の役割を果たす事となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、こんな所でお月見とはね。少し驚いた」

 

「やはり幼少の頃はやってたんですか?」

 

「ここまでの物では無かったけど、やった記憶はあったかな」

 

 団子を食べ終え、改めて北斗は月を眺めていた。先ほどまで自問自答していた悩みは既に消え去っていたのか、何時もより表情が和らいでいた。

 そんな中でシエルは以前に少しだけ聞いた言葉を思い出していた。

 恐らくはそんな意図は全く無かったのか、意味が分からなかったからなのか、極東出身の北斗ならば恐らくは知っているだろうと、不意に聞いて見たくなっていた。

 

 

「そう言えば、一つ聞きたい事があるんです」

 

「聞きたい事?」

 

「ええ。こんなシチュエーションの際に『月が綺麗ですね』って言うのが極東流らしいのですが、北斗はその意味を知ってますか?」

 

 シエルの何気ない言葉に北斗は暫し固まっていた。確かにそれは有名な言葉ではあるが、まさかシエルが誰かから聞いたのかを詮索する訳には行かない。

 大よその見当は付くが、今度はそれを口にすればどうなるのかはコウタとマルグリットを見てきた北斗には容易に想像が出来ていた。

 

 

「……意味は知ってるが、それは俺じゃなくて他の誰かに言った方が良いと思う。と言うか、その言葉の意味はシエルが聞いた人間以外の人に聞いた方がいいだろう。そうだな……ナオヤさんかエイジさん辺りが適切だな」

 

「北斗が知ってるなら教えてくれませんか?」

 

「そろそろ寝る時間だ。言葉の意味はアナグラに戻ってからの方が良いだろう」

 

「分かりました。では戻ってから教えて下さい」

 

 逃げる様に北斗はシエルから離れていた。シエルの性格からすれば帰投すれば確実にこっちに聞いてくるのは間違いない。

 誰が犯人なのかは分からないが、北斗自身はそんな人間でないと思っている。今はただそんな言葉を教えた人間の代わりにアラガミを討伐する事にしようと一人誓っていた。

 

 




夏目漱石の有名な一言がただ書きたかっただけです。
あまりにも有名な言葉ではありますが、中々使いづらかったので、番外編として書きました。




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第198話 予兆

 

「これで最後だ!」

 

 リンドウからのリンクバーストを受けた北斗は全身に漲る力をそのまま斬撃へと転化する。既に目の前のハンニバルは攻撃の要でもある爪が砕け、防御の要でもある左腕の小手は既に結合崩壊したのか、その形すら残されていなかった。

 バーストモードにおける恩恵を最大限にまで高める様に北斗は集中しながらも視線はハンニバルへと向けたまま一気に距離を詰める為に走り出していた。

 

 

「これで終わりだ」

 

 ハンニバルは迎撃せんと砕かれた爪を振るい、走って近づこうとする北斗に攻撃を仕掛けている。いつもであれば横に回避か一旦急停止する事でタイミングをずらし、その隙を狙った攻撃をしかけるが、今回に限ってはそのどちらも選択する事はしなかった。

 横薙ぎに飛ぶハンニバルの腕をかいくぐる様に回避しながらも、それでもなお視線は目的の場所から外す事は一切無い。

 走った勢いをそのままに北斗の神機はまるで何事も無かったかの様にハンニバルの長い首を胴体から切り離すと同時に、頭蓋を叩き潰すかの様に一刀両断で跳ねた首を縦に斬り裂いていた。

 

 

「よう、お疲れさん。今回のミッションは随分と楽させてもらったぞ」

 

「あれから絶好調みたいだな」

 

「今回は俺の出る幕は無かったみたいだな」

 

 鮮やかな切り口がこれまでの北斗の攻撃能力を物語っていた。既に討伐任務そのものは完了した事で、今は素材を回収しきったのか帰投の準備へと移行していた。

 

 

「俺なんてまだまだですから」

 

「そこまで謙遜すると嫌味だぞ。折角年長者が褒めてるんだからそれ位の言葉は受けとめろ」

 

 リンドウの言葉に北斗は少しだけ謙遜していたのかと考えていた。

 既にギルやハルオミもリンドウの言葉が全てだったのか、それ以上の言葉をかける事はなく、今までの戦いがなんだったのかと思う部分の方が強くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エイジとの教導が終わってからの北斗は漸く自分に何が足りなくて焦っていたのかを実感していた。

 人間の感覚はいくら時間をかけようとそう簡単に変化しない物と、容易に変化する物がある。

 特に今回の教導で一番理解出来たのは、思考の変化だった。

 

 ブラッドアーツの攻撃力は魅力であると同時に、タイミングを間違えれば危うい物へと変化する。

 便利な物は目先の結果は得られやすいが、それと同時に自分のこれまで培ってきた経験を無に帰す事は自身の否定へと繋がる。

 その部分を理解出来た事が一番の収穫でもあった。そんな中で目ざとくリンドウは北斗をミッションへと連れ出していた。

 以前に様な目の中にある暗さは既に無くなっている。それがどれ程の物なのかを確かめたいとばかりにリンドウは考えていた。

 

 

「リンドウさん。さっき何か聞こえませんでしたか?」

 

「いや。何も聞こえなかった様だが、何かあったのか?」

 

 任務が終わり既に移動し始めていたが、不意に北斗は何かが聞こえた様な気がしていた。

 一体聞こえたのが何だったのかは分からない。しかし、それが決して自分達にとって良い物では無い事は間違い無かった。

 当初は順調に終わった事による高揚に伴う幻聴の様にも思えていたが、何となく胸騒ぎがしないでもない。それが何なのかを考えるまでも無かった。

 

 

「こちらリンドウ。すまないがそっちのレーダーに何か映ってないか?こちらの現在地からできれば半径5キロ圏内で頼む」

 

《こちらの広域レーダーにアラガミの反応はキャッチ出来ませんでした。再度範囲を変更して索敵を開始します》

 

 通信越しに響くヒバリの声に、リンドウは些細な事であっても見逃す事無く、周囲を当たり前の様に警戒していた。

 恐らくは気のせいだと北斗は言いたかったが、リンドウのフットワークの軽さに改めて北斗も先ほどの様な音が聞こえないのかと周囲を見渡していた。

 

 

《すみません。やはりアラガミの反応はキャッチできませんでした》

 

 通信機越しに響く声は少しだけ落胆気味にも聞こえている。ゴッドイーターとしての本能が単に反応しただけなのか、それとも本当に気のせいなのかが分からないままに北斗達はそのままアナグラへとい帰投する事になった。

 

 

「しっかし最近は大型種のミッションが各段に増えたな」

 

「全くだ。少しは年長者を労わって欲しいんだけどな」

 

 休憩とばかりにリンドウとハルオミはラウンジでお互いにグラスを傾けていた。

 ここ最近になってからアナグラだけでなく、サテライト周辺にも大型種の反応が多くなったのかアナグラの内部も僅かながらに慌ただしい雰囲気が漂い始め居ていた。

 

 大型種であれば通常ならばヴァジュラ種が一般的ではあるが、ここ最近になってからはハンニバル種や接触禁忌種の目撃が多くなり、その結果としてクレイドルとブラッド、第1部隊の混成部隊を編制しての任務当たるケースが増えていた。

 事実、今回のハンニバルに関しても従来のミッションの帰りに見つけた事によって緊急討伐になった経緯は少なからずとも階級が上位の人間の警戒感を引き上げる形となっていた。

 

 

「まだ、この程度なら何とかなるんだがな……」

 

 茶色い液体を喉に流し込みながら、リンドウはこれまでのミッションの内容を思い出していた。

 既に最近の極東に関してはリンドウだけでなくエイジも居る事から、厳しいミッションがこの2人に任される件数が一気に多くなっていた。

 発注をかけるヒバリからすれば、最悪はこの2人に丸投げすれば良いと思える部分はあったが、実際にそれが実施された事は片手で数える程しかなかった。

 カランと聞こえるグラスの氷が融ける程の時間が必要だったのか、リンドウだけでなくハルオミもまたこれまでのミッションの内容を気にかけていた。

 

 

「お二人とも何か気になる事でも?」

 

 カウンターに居た弥生はお代わりを渡すかの様に新しいグラスを2人に差し出していた。

 既にラウンジはバータイムだった事もあってか時間が遅く、既にこの場に居る人間は数える程しか居なかった。

 

 

「ちょっと最近のミッションがね……弥生さん。ここ最近って何かあった?」

 

「そうですね……私の知る範囲ではハルオミさんの希望に答える様な内容は無いですね。偶に苦情に近い物は来ますけど」

 

 笑顔でハルオミと話すが、この場で話す内容ではなかったのか弥生はそれ以上の事は何も言わなかった。

 グラスを拭きながらもハルオミを見る目は若干冷たい様にも見える。本来は違う目的で聞いたはずがどうやら藪蛇だったのか、ハルオミはそれ以上弥生に話す事は無かった。

 

 

「敢えて言うならここ最近の偏食場パルスが色んな所で乱れがちになっているんじゃないかって話は少し出てますね」

 

 本来の意味合いを答えた事によって、何とも言えない空気は少し和らいでいた。

 偏食場パルスの乱れそのものは今に始まった話ではない。事実螺旋の樹の出現以降、これまでとは少しだけアラガミの偏食傾向が変わったのか、以前よりもアラガミの出現率は少なくなっていた。

 本来であれば有難い話ではあったが、それはあくまでもこの周辺における話であって、それ以外の場所ではアラガミの出現率は増大していた。

 

 

「って事はこの周辺は大丈夫なのか?」

 

「今の所は…と言った所ですね。ただ、アリサとエイジはサテライトの拠点候補地の再選定が必要だとは言ってましたよ」

 

 依然としてグラスを拭く手が止まらない以上、緊急事態に陥ってる可能性が低いと判断したのか、それ以上の事は何も分からない。

 未だ原因も何も分からないままであれば単なる杞憂でしか過ぎない事は分かるも、それでも尚、嫌な胸騒ぎがする事だけは続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だか最近のアラガミの出現率って多くないですか?」

 

「だな。俺達はまだ良いけど、エリナとエミールが厳しくなってる。そろそろ休みを出す必要性があるな」

 

 以前にも聞いた様な言葉がコウタの口から洩れていた。

 忙しくしているのは討伐任務に常時駆り出された事が全ての元凶となっていた。

 以前にもエイジスでの掃討戦をした際にもあったが、この場に於いて尉官級はコウタとマルグリットだけ。

 確かに第1部隊としての任務には参加しているが、エリナとエミールに至っては未だ上等兵でしか無かった。

 

 本来であれば曹長に推す事も出来るが、この2人に関しては未だ指揮経験が無く今後の事を考えれば最低限その経験が無い事には昇格させるのは厳しいと判断されていた。

 もちろん、2人とて本来であればこうまで疲弊する事は殆ど無い。

 上等兵で受けるミッションともなれば中々大型種の討伐任務にアサインされる事が無いが、第1部隊に関してはそんな規定がまるで無かったかの様に、事実上の曹長級のミッションにまで駆り出されていた。

 

 本来であれば同じ様な階級の人間からの羨望や嫉妬もあるのかもしれないが、ここ数日の過酷とも言えるミッションを見ていたからなのか、誰もその事を口に出そうとはしいままだった。

 

 

「そうなると、部隊配置の変更か新たに人数調整するしかないですね」

 

「でもなあ……」

 

 コウタが悩むのには訳があった。ここ最近の任務に於いて人員が足りなくなっているのは第1部隊だけでは無かった。

 実質クレイドルとブラッドは感応種が出現した場合の事を考え、出撃の際には混成部隊へと一時的に変更されていた。

 そうなると残されたのはカノンだけになるが、本人の特性と神機の特性を考えれば火力には申し分ないが、それでも前衛としての駒が足りない事は間違い無かった。

 

 

「こんな時にエイジさんとアリサさんがいてくれたらって思うんですが……無い物ねだりですよね」

 

 マルグリットの言葉はコウタも同感せざるを得なかった。

 しかし、エイジとアリサはサテライト拠点の防衛に出ている為にアナグラに戻る事は難しく、少なくとも2拠点を同時に防衛ともなればその疲労は想像を絶する可能性があるのはお互いに想像出来た事から、それ以上の事を話す事すら憚られていた。

 

 

「そう言えば今回の様な件ってここではよくあるんですか?」

 

「いや。俺の知りうる限りでは殆ど無いかな。以前は何となくパターン化された可能性があったけど、ここ最近は無秩序に来てるから榊博士も頭を抱えているらしい」

 

 原因が分からないままでは問題点を回避、もしくはクリアにする事は出来ない。

 今のままでは対処に追われたの後に力尽きる可能性だけが予感出来るほどでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の件なんだが、どう思うかい?」

 

「未だ原因が分からないのはこちらも同じです。以前の様な人為的な物でなければ、可能性としてはアラガミしかないでしょう。ただ、こうまで統制しているのであれば、以前の様な知能が高い個体の可能性も否定出来ないかと」

 

 現場での疲労が蓄積している事は既に榊と無明だけでなくツバキも理解していた。

 本来であればエイジとアリサを呼び戻せばこの状況は一気に解消される可能性があるが、問題なのは現在建築中のサテライト拠点だった。

 一気に建築を進める関係上、そこには常時膨大なオラクルリソースが運ばれる事になる。これは人類だけに恩恵があるのであれば問題無いが、アラガミにとっても良質な餌となる可能性が高い為に、現在はサテライトの防衛よりも、資材の撤去作業を優先していた。

 

 これまでも何度かアラガミ防壁が破られる事があった為に、それそのものについては仕方ないと思えるが、流石に膨大なオラクルリソースまではそんな考えで居る訳には行かなかった。

 万が一捕喰されれば今度はそのアラガミが強固な個体へと変化する。結果の見えないイタチごっこをする訳にはいかないからと、今はその体制を維持する事しか出来ないでいた。

 

 

「そう言えば、前回討伐したキュウビのコアなんだけど、ソーマはどの程度まで研究が進んでるんだい?」

 

「未だ一進一退のままですね。やはり通常種では無い事が一番の問題点でしょう」

 

 高性能なコアはまたその存在も確かに存在していた。

 しかしそれが生物としての可能性に於いては良くあるケースではあったが、それをアラガミに当てはめるとなれば、これまでの考えの一部がひっくり返る可能性もまた秘めていた。

 無明とて屋敷の防衛と研究を同時に進めている関係上、何時もよりは思考能力に陰りがあるのは仕方なかった。

 

 

「そうなると、現在建設中のサテライトの資材の撤去を急がすしか手が無い事になるね」

 

「それしか手は無いでしょう。ツバキさん、現状はどうなってる?」

 

「今はまだ60%程は残ってる状況だな。今の速度だとすればもう一つのカードを使うしかないだろう」

 

 ツバキの言葉に榊も無明もある意味仕方ないと考え出していた。

 しかし、それを使えばその後がどうなるのかが容易に想像できるだけでなく、万が一の際には本当に一からやり直す可能性が出てくる。

 出来る事ならばそれは避けたいが背に腹は代えられないと判断したのか、榊は仕方なくヒバリへと通信を開く事にしていた。

 

 

「ヒバリ君。ちょっとこっちに来てくれないかい?」

 

《分かりました。すぐに伺います》

 

 既に腹を括ったのか、榊の目には確固たる意志だけが存在していた。

 いかな極東と言えど精鋭ともなれば実際には数える程の数しか居ないのもまた事実だった。

 他の支部からすればある意味では羨ましいと感じるのかもしれないが、それもひとえに激戦区だからだけでなく、現在のクレイドルが進める計画も影響しているからでもあった。

 

 枝を広げる事に集中する事で本体を枯らす事にまれば本末転倒でしかない。今は一刻も早い行動をする以外に手だては何も無いままだった。

 

 

 



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第199話 集結

「はい。……そうですか。……いえ、仕方ないですね。では明日にでも」

 

 久しぶりに聞いたはずのヒバリの声にタツミは当初嬉しさがあったが、それはあくまでも最初だけだった。ヒバリの口から出た言葉にタツミは一気に任務とばかりに厳しい口調へと変化する。

 本来であればアナグラからタツミの元に通信が来るケースはそう多くない。今回の通信もまさにそれをそのまま具現化した様にも思えていた。

 

 

「で、アナグラはなんだって?」

 

「一旦、俺達を召集だとさ」

 

「そうか……そうなるとここの防衛はどうなるんだ?」

 

「取敢えずローテーションで曹長と上等兵の連中を回すんだと。今の状況なら大丈夫だろうけど……」

 

 バスターでもあるディスペラーを肩にかけ、先ほど通信でやり取りしていたタツミに相方の男はその状況を聞いていた。

 丁度任務が終わったばかりなのか、目の前に横たわっているコンゴウとボルグ・カムランはコアの引き抜かれた事によって霧散していた。

 

 

「しかし、原因不明のアラガミの出現率か。何だか気になるな」

 

「だな。最悪はこっちにも影響出る可能性が高いんじゃ仕方ないだろ」

 

 タツミもまた同じく自身のロートアイアンをため息交じりに地面に刺し、ゆっくりと周囲を見渡している。既に太陽が高くなりつつある空を眺めながら今後の予定の事だけを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、タツミさん達アナグラに戻るんですか?」

 

「召集がかかった以上仕方ないね。ここ最近の極東におけるアラガミの出現率が尋常じゃない以上、俺達も防衛班として任務に就く必要があるからな」

 

 タツミは防衛班としての拠点でもあったネモス・ディアナに常駐するケースが多かった。

 一番の理由はこの場所が他のサテライトやアナグラとの中間地点であると同時に、アナグラとは違い、普段の生活がしやすい点が一番だった。

 現状サテライトは農場プラントと建築プラントに分かれているケースが多く、お互いが事実上の専門となっている事からも、それに従事する人間もどこか厳しい面が強く出ている。

 しかし、このネモス・ディアナに関して言えば極東支部とは違った生活感がタツミの水に合ったのか、タツミ以外の他の人間もここを拠点に活動するケースが多かった。

 

 

「でもさ、そんなにアラガミの出現が多いならここもやばいんじゃない?」

 

「いや、話によると螺旋の樹の周辺は問題無いらしいんだけど、どうも安定している訳じゃないみたいなんだ。事実、ここでもたまに大型種が出る事もあるけど、それもここ最近の話だからな」

 

 そう言いながらタツミはホットドッグを口にしながら炭酸水を飲んでいた。ここがアナグラなら出てくる物はまた違うのかもしれないが、ここでは割とジャンクな食べ物も多く、タツミだけではなく隣にいたブレンダンも好んで食べるケースが多かった。

 

 

「今は何も分からないままだから、一旦はアナグラで情報の共有をしない事にはこちらも対処のしようが無いからな。ここには他にもゴッドイーターが派遣されるのは決定だから対アラガミに関しては多分大丈夫だろう」

 

「でもよ。俺達はまだ良いけど、他の連中がどう思うかだよな。そう言えば昨日エイジから通信が入ったけど候補地の方は激戦区らしいぞ」

 

 そう言いながらタツミは2つ目のホットドッグを口に運んでいた。ここ最近、タツミとブレンダンは同じチームとして動くケースが多く、またお互いがそれなりにベテランの域に入っている関係から防衛任務も広域を担当する事が多かった。

 

 

「タツミさん。もう少し味わって食べたらどうなんだ?折角の特製ソースの味も分からないままじゃ俺も張り合いないって」

 

 既に時間は予定を押していたからなのか、タツミだけでなくブレンダンも詰め込む様に口へと運んでいる。目の前のマスターには申し訳ないとは思うが、生憎とここに余剰戦力は存在しない。

 今は少しでも早い行動が要求された結果でもあった。

 

 

「いや。前に比べたら格段に良くなっているって。でも、こんな場所で売らなくても、もっと大通りに出れば良いんじゃないの?」

 

「なあに。ここの方が俺の性に合ってるんだ。俺の商売の事なんだから一々気にするな」

 

 元々この店を見つけたのは全くの偶然にしか過ぎなかった。

 ネモス・ディアナ内部の哨戒で色んな所を回った際に偶然入っただけの店だったが、実際に食べるとこれまでの中でも上位に入る程の味わいから、タツミは他の人間も引っ張りながらここに来る事が多くなっていた。

 そんな影響もあったのか、裏通りの割には客がよく来る店として経営されていた。

 

 

「とりあえずはアナグラに戻るしかないな。ブレンダン、そろそろ行くか。遅いとツバキ教官にどやされるぞ」

 

「全くタツミは慌ただしいな。隊長なんだから少しは落ち着いたらどうなんだ」

 

 そんな会話をしながら店を出ると、2人は新ためてアナグラへと急ぐ事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「緊急の呼び出しで済まなかったね。今回君達を呼んだのは今の極東支部を取り巻く環境が著しく悪くなっている。その件での召集なんだ」

 

 突如として召集がかかったのはタツミとブレンダンだけでは無かった。既に支部長室にはカレルとジーナ、シュンまでもが召集されている。

 本来であれば各サテライトを防衛しているはずの人員が全てアナグラに召集されていた。

 

 

「任務なんで気にしませんけど、どうなってるんですか?」

 

「実は今回の件なんだが、ここ最近になって極東支部周辺の偏食場パルスの大幅な乱れと同時に、螺旋の樹を中心とした場所は問題無いんだが、それ以外の場所で大規模なアラガミの襲撃が予想されたんだ。

 ただ、現状は原因が不明となっている事もあるだけでなく、最悪はここまでもがアラガミの襲撃を受ける事になる。そうならない為にもまずは先手を打つ必要があったんだ」

 

 突如として呼ばれたまでは良かったが、ここ最近はクレイドルも長期派兵が取りやめになった事からエイジもリンドウも常駐している。ましてや終末捕喰を回避する事が出来たブラッドまでもが居るのであれば召集される理由が見つからなかった。

 既にどれほどの戦果を残しているのかは各自でも確認する事が出来る為に、これまでのミッションの数と討伐数を考えれば、榊の言い分は分からないでもないが、それでもやはり疑問だけが存在していた。

 

 

「俺達を召集する訳は何なんだ?本来の任務はサテライトの警備だったはずだが」

 

「実を言うと、既にクライドルとブラッドには部隊編成をした状態で任務に当たってもらってるんだが、襲撃の数と範囲があまりにも大きすぎてね。実際にサテライトの建設予定地も既に最悪の事態を想定してオラクル資源の退避を始めているんだけど、そこもまた襲撃に合っているから、今はエイジ君とアリサ君を中心に今はそこが最前線となっているから、アラガミの襲撃がそこで踏みとどまっているんだよ」

 

 榊の言葉に先ほど確認とばかりに口を開いたカレルはそれ以上の言葉を告げる事が出来なくなっていた。

 これまでサテライトの建設予定地にもアラガミの襲撃は何度かあったが、それも結果的にはそこに常駐するゴッドイーターの手によって撃退してきた。

 もちろん、今のメンバーの中でエジとリンドウの2人が突出した戦闘能力があったとしても、所詮は数の論理となる可能性が高く、その結果として最悪の事態を引き起こすだけでなく、万が一の際には最大戦力を失う事もにもなりえた。

 

 

「勿論、彼らはあくまでも撤退までの殿ではあるが、今の所は何とかなっているみたいだね。我々としても全戦力を投入する訳には行かないからね。こでも苦渋の決断なんだよ」

 

 普段であれば何を考えているのか分からない榊の表情も今回ばかりは誰もが厳しい事を悟っていた。

 既にここは最悪の事態に半ば突っ込んでいる。榊の表情が全てを物語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サテライトの進捗率はどうなってる?」

 

「まだ4割です。最悪は資材の廃棄も視野に入れた方が……」

 

 エイジに話すアリサの表情は悲観まではいかないものの、それでも何か思う所があった。

 既に完成しているサテライトの事は気にしなくても、ここを放棄するにはあまりに惜しい部分まで来ていた。

 外壁もあと僅かだった事から既にそこを入り口にアラガミが次々と押し寄せる。幸か不幸か入り口となっている場所からは大型種がギリギリ通れる幅でしかなかった事からも、撤退の事をアリサに任せ、エイジはただひたすらに目の前のアラガミを叩き斬っていた。

 既に霧散したアラガミの数を数える事は無く、次から次へと侵入するアラガミは資材におびき寄せられている様にも見えていた。

 

 

「こっちの事ならまだ大丈夫。神機も身体もまだ戦えるからアリサは一亥も早い撤退の準備を続けて」

 

 確かにエイジはまだ余裕があるのは直ぐに分かる。しかし、それがつまで続くのかと言えば本人にしか分からない。今は丁度休憩出来るのかアラガミの気配を感じる事は無かった。

 

 

「エイジさん、少しだけ神機の調整をしませんか。レーダーには少なくとも半径5キロ圏内にアラガミの姿は見当たりません」

 

「……そう。じゃあ、テル君悪いけど頼む。ちょっとだけ休むから」

 

 エイジはクレイドルの整備士として来ていた真壁テルオミに神機の調整を頼むと少しだけその場で仮眠をしていた。

 確かにこの状況がいつまで続くのはは想像すら出来ない。であれば僅かながらでも体力を回復させるべく、壁にもたれかける様に仮眠を取ってた。

 

 

「エイジ……ひょっとして寝てます?」

 

「今は神機の調整の間だけ仮眠すると言ってましたので、時間的には僅かですよ」

 

 テルオミの言葉にアリサは苦笑するしかなかった。通常であれば夜間の襲撃の可能性は低いが、万が一の事があっては拙いからと事実上エイジは一人で夜間の警戒任務をこなしていた。

 アナグラからも戦闘時の物資の補給と人員も補給されるが、実際には非戦闘員の作業の警備に当てると同時に、戦い易い状況を作るべく、小型種に関しては任せていた。

 しかし、小型種を捕喰せんと中型種や大型種がやってくると、早く討伐すべく常時警戒したままだった。

 

 既に部隊の制服もあっちこっち泥で汚れ、返り血もかなりついている。それがエイジ自身の物で無い事はアリサも理解しているが、それでも見た目のダメージから気になるのは仕方なかった。

 

 

「じゃあ、私もここで一旦食事の準備をしますね。本当ならちゃんとした物を作れれば良かったんですが……」

 

「いえ、こんな時にそんな事言っている暇は無いですよ。仮に作るとなれば多分エイジさんが無理にでも動こうとしますから。今回の件が落ち着いたらパーッとやりましょう」

 

 テルオミは雰囲気を明るくする為に態とおどけた話をしているが、やはりアラガミを警戒しながらの行動は時間がかかる。

 普段であれば既に積み荷は無くなるが、今は撤退の道までも警戒する必要があるからと、トラックも時間をかけながら撤退していた。

 

 

「そうですね。折角ですからアリサさんの手料理も食べたいですからね」

 

 そう言いながら無理にでも笑いを作る。ここで意気消沈しよう物ならばこれまで孤軍奮闘していたエイジに申し訳ない事になりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回君達には一つお願いがあるんだよ。実は今回の任務に当たって、可能性の一つとして感応種の存在がある。君達も既に知っての通りだが、現在の所極東のマニュアルでは感応種の発見の際にはスタングレネードを使用した即時撤退が義務付けられている。

 勿論それに関しては今も同じなんだが、今回からリンクサポートシステムも併用した部隊運用をして貰う事になる。それでなんだが……」

 

「リンクサポート?何だそれ?俺今まで聞いた事無いぞ」

 

「シュン。人の話は最後まで聞きなさい。榊博士も困るでしょ?」

 

 榊の話を最後まで聞く事無くシュンは真っ先に言葉に出していた。

 これまで開発中だったリンクサポートシステムは未だ極東支部の中でも一部の人間にしかその存在を知らせておらず、その開発が大詰めに来ている事すら知らない人間が多かった。

 シュンとしても感応種に対して何か思う所があったからなのか、真っ先にその内容を確認したいと思っていた。

 

 

「なんだよジーナ。お前は気にならないのか?」

 

「気にするも何も私はただアラガミと命のやり取りをしたいだけよ。貴方とは考えが違うの」

 

「すまないが、話を進めても良いかい?」

 

 シュンとジーナのやりとりをこれ以上続ける訳にも行かず、今は説明をする事で理解してもらう事を優先せざるを得なかった。

 今回の襲撃に関して万が一感応種が多面攻撃で一斉にこられれば、如何にブラッドと言えど無理が生じる。この場面は出来る事なら無傷で乗り越えたい。

 半ば強引な考えである事は理解しているが、そんな思惑が榊にはあった。

 

 

「今回の作戦に関してなんだが、僕のプランはこうなんだ」

 

 これまでも何度か厳しい戦いはあったが、それはどのゴッドイーターでも討伐が可能であるのが大前提の話でしかない。しかし、感応種となれば事実ブラッドか、ソーマ、リンドウしかいないのもまた事実だった。

 幾ら歴戦の猛者と言えど、常時そうする訳には行かなかった。

 自信があるのか榊のメガネの奥に見える目に力が入る。今回の作戦群の内容が支部長室で話されていた。

 

 

 



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第200話 それぞれの立場

「で?概要は理解したが、本当にそれは可能なのか?こっちとしては無駄な事は金にはならない。だとすれば俺は降りる」

 

 榊の概要は極めてシンプルだった。しかし、カレルの疑問も分からないでもない。そんな中で今回の最大の要因は動作確認中のリンクサポートシステムの動作確認だった。

 これまでの研究とブラッドのデータを解析した結果、一つの仮説が出来ていた。ブラッドのP66偏食因子の解析に伴い一定の周波数の偏食場パルスを発射する事で感応種の神機を不能にする偏食場パルスを打ち消す方針を打ち出した事だった。

 現時点では感応種はそう簡単に出現するケースは少なく、当時の終末捕喰の際に計測した偏食場パルスのデータを流用した結果だった。

 

 

「今回のデータに関しては仮定でしかないが、これまでのブラッドの偏食場パルスと感応種の発する偏食場パルスを測定した結果でもあるんだ。結論から言えば、完全な系統かつ同一方向に完全な逆相を合成しようとする場合、そもそも波動そのものが発生させられないんだ。故に感応種の偏食場パルスと同等の波動を発生させる事が出来るのであれば理論上、神機が動作不全となる事は無い」

 

 やや興奮気味に榊は話すが、この場に於いて完全に理解した人間は居なかった。精々が例によって妙な事を口走った程度にしか考えておらず、その結果何となく分かった様な、分からない様な話をで終始した程度の認識しか無かった。

 

 

「榊博士の言ってる言葉だが、簡単に言えば感応種と同じ偏食場パルスを発生させる事が出来れば、お互いが打ち消し合って効果が相殺される。その結果、これまで脅威となっていた結果が脅威では無くなる。それだけの話だ」

 

 榊の話を無明は簡潔に話す。それでも何となく理解した様な、しない様な空気が支部長室には流れていた。

 

 

「って事は感応種に怯える必要が無いって事なんだな」

 

「有体に言えばだ。だが、これにも重大な欠点がある」

 

 感応種の脅威が無くなるのはこれまで苦労してきた人間であればあるほどその言葉の意味は大きかった。

 これまでは撤退するしかなかった事が一転し攻勢に出る事が出来る。それが如何に大きなアドバンテージになるのかは誰もが考えた瞬間だった。

 しかし、無明の言葉に全員が冷や水を浴びせされる。重大な欠点が何なのかが今回の最大の焦点だった。

 

 

「で、重大な欠点とは何だ?」

 

 最初に口を開いたのはブレンダンだった。既にこれまでの内容を冷静に把握した結果だったのか、シュンの様に単に浮かれる様な部分はなく、欠点を指摘した無明を見据える。

 

 

 

「一つはこれまで得たデータはあくまでも既存の種にのみ対応する。当然新種が出れば偏食場パルスは感知出来たとしても打ち消す手段が直ぐには出来ない。それと、リンクサポートシステムにかかる膨大な負荷をどこまで処理できるのかだ」

 

 現在開発が進められているリンクサポートデバイスは既に実戦にも少しづつ投入されていた。これまでの結果、発生させるためには既存の神機をデバイスのコアにして運用する以外に手段はなく、その際にはその神機の所有者の出動が無理である事だった。

 もちろんそれだけではない。偏食場パルスを常時発生させるとなれば膨大なエネルギーが必要となる為に、稼動限界時間に制限がある点だった。

 

 

「……なるほど。そうなると我々が感応種と交戦する際にはその動作が安定して運用が出来る時間の制約が付くんだな」

 

「そうなるな。それと、感応種に対しての偏食場パルスを発生させるにはそれ用にキーとなる神機が必要となる。現在の極東での感応種のコアがまだ圧倒的に数が足りない。現状では全部の部隊に配備させるには素材の数が圧倒的に足りないのもまた事実だ」

 

 無明の言葉をそのまま理解したのか、ブレンダンは口を閉ざしたままだった。

 ここ極東には世界最大級の保管庫はあるが、感応種のコアとなればその数は圧倒的に少なく、また時折出現はするがブラッド以外に殆どが対抗できる状態では無い時の方が圧倒的に多かった。

 それ故に感応種のコアが品薄な為、安易に作る事が出来ず結果的には貴重品となっていた。

 

 

「と言う事は、今の所は絵に描いた餅って事だな。で、それの実戦配備が出来ないのであれば俺達の出動は無理だとも考えるが、それで良いか?」

 

「カレル。お前の言いたい事は理解している。そこでだ。今回の任務を行う際には万が一リンクサポートシステムが間に合わない場合、ブラッドの隊長でもある饗庭北斗も同行させる事にしよう。彼の能力は同行した人間に対し、実に有効的な結果をもたらす事になる。

 先ほども言ったが、これは偏食場パルスの発生と制御を兼ねた実験も兼ねている。我々とてこの状況に満足している訳では無い。単純に良しと考えた結果でしかない。ただ、今回の全員を呼んだのはそれだけではない」

 

 無明はそう言いながら端末を少しだけ触ると、大きな画面に今後の可能性が記されると同時に、これまでの経過状況を呼び出していた。夥しい程の情報量がこれまで研究してきた結果を物語っていた。

 

 

「これまでに発生したアラガミの大群は既にサテライトの候補地を襲撃してるのは知っての通りだが、そこの撤退が終われば今度は既存のサテライト拠点、若しくはネモス・ディアナへとアラガミは襲うだろう。

 我々としてもこれ以上の被害を拡大させる訳には行かない。既に撤退に関する準備はそろそろ終焉を迎える。仮に感応種が出た場合、各地で当たる人間が感応種と交戦する事になる。現在の所、この状況をもたらした原因は未だ不明ではあるが、アラガミの数が多く、また各方面へと戦火が広がる事を想定している事から今回は多面防衛を展開する。

 万が一が常時ある訳では無いが、用心の越した事は無い。勿論デバイスが有効だと分かれば各自で対応してもらう事になる」

 

 ツバキの言葉に全員が改まって実情を理解していた。既に撤退に関するデータが画面を見る限り拠点候補地の撤退状況は残り2割を切っている。既に撤退をした輸送団は各サテライトへと移動を開始していた。

 それだけではなく、今回のアラガミの襲撃の中で一部にシユウ感応種が居る事も確認されていた。既存の中では一番貧弱な能力しか無いが、それでも神機の作動を停止させる能力は脅威でしかない。

 既に交戦しているエイジのデータは画面上に出ているが、これと同じ事をやれと言って出来る人間はこの中には誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジ!これで全部です!」

 

 候補地の撤退の準備が漸く終焉を迎える事になっていた。既に運び出したオラクルリソースがこの場に無いと本能でかぎ分けたのか、アラガミの数も徐々に減り出していた。

 ここまで来れば残す所の討伐任務の先が徐々に見えだしていた。

 

 

「了解!こっちも今のこれでもう終わりだ」

 

 シユウ感応種が確認された瞬間、その場に居た全員が固まっていた。これまでにも何度か出没した事があったが、殆どがリンドウかソーマが居た場合のみ討伐し、後はスタングレネードの利用に伴う撤退だけが存在していた。

 

 勿論、この場で撤退するのであれば仕方ないが、残すオラクルリソースが僅かに残るのが最大の杞憂でもあった。そんな中でいち早く事態を収拾すべくエイジは行動に移していた。

 スタングレネードは何も撤退にだけ使う物ではない。強烈な閃光はアラガミの視界を奪うと同時に行動をも不能へと導く。その結果、多大な隙が発生していた。

 

 時間にして僅かとも言える瞬間、エイジは一気にシユウ感応種との距離を詰めていた。

 既にこのアラガミの弱点はアナグラ内部での周知の事実。僅か数秒とも取れる瞬間、翼手と同時にその発生させるであろう部分を一気に斬り裂き、その勢いを殺す事無く一気に首を跳ね絶命させていた。

 これまでにアリサは今回の様な場面を何度か見た事があった為に気にした様子は一切無く、その瞬間も自分の出来る作業をひたすら進めていた。

 しかし、エイジの戦い方を初めて見た人間はその驚異的な戦闘方法がどれほど非常識な物なのかを理解しながらも、自分達の命が助かった事に安堵していた。

 

 

「総員、準備は良いか!撤退と言っても一時的な物だ。この混乱が終われば再びここが拠点になる。改めてここに来る事を考えるんだ」

 

 エイジの激が全員の心を打つ。既にこの地は死んだも同じだと思った人間も居た事から、再びこの地にサテライトを建設させる事だけを意識させるべく大声で叫んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサ。少しは落ち着いた?」

 

「こんな時にすみません。私も少しだけ諦めてました」

 

 移動の最中にアリサは不意にエイジの胸を借りていた。理由は一つだけ。これまで苦労して築き上げた物が一瞬にして瓦解した事だった。

 これまでも何度かこんな場面に遭遇したが、ここまでの厳しい局面は一度も無かった。

 アリサがどれ程サテライト建築計画に集中しているのかは極東支部の人間であれば誰もが理解している。目の前に起こった惨劇はアリサの張りつめた神経を刺激するには十分すぎていた。

 そんなアリサの気持ちを知っているからこそ、エイジは撤退の際にも一歩も引く事無くアラガミを屠り去り、全員に対して激を飛ばしていた。

 

 

「壊れた物はまた直せば良い。仮に防壁が破壊されても基礎は残るだろうから建築にも時間はかからないだろうし、防壁が残るなら新たにアップデートしてすぐに補修すれば良いから」

 

「でも……」

 

「でもじゃない。僕たちはそれをやるんだ。その為に僕はこの場に居る」

 

 アリサの髪を撫でながらエイジはゆっくりと話を続ける。今は一時的な撤退にしかずぎす、これで終わった訳ではない。これが完了すれば今度はこちらから攻勢をかけるのはエイジの中では既に決定事項でもあった。

 徐々には成れるサテライト候補地には目に見える範囲では既にアラガミの姿は確認出来ない。今回の件が終わるまで暫し離れる事しか出来ない自分を悔やむしか無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大変な任務をまかせっきりにしたのはすまなかった。しかし、サテライト建設のオラクルリソースが完全に確保出来た事はこちらにとっても良い情報になるだろう。この後1時間後に全体ブリーフィングを行う。それまでに準備を進めておいてくれ」

 

「了解しました」

 

 サテライトの撤退任務が無事に完了した一報はすぐさまアナグラにも届いていた。これまでの戦闘データの採取も撤退状況の確認と同時にした事から、エイジとアリサが帰投する頃にはほぼ全員がその事実を知っていた。

 

 

「被害は甚大ですが、完全に再起不能になった訳では無いので今後の再建のメドは立て易いかと思います。それよりも今回の襲撃の原因は不明なままなんですか?」

 

「…今の所は不明だ。ただ、榊博士と無明がその原因に関しては解析しているが、今はそれ以上にアラガミの襲撃を防ぐ事が最優先だ。疲れている所済まないが、お前にも今回のブリーフィングには参加してもらう事になる」

 

 未だ原因が分からずじまいであれば、今後はこの襲撃がどれだけの期間続くのかが予測出来ない。その結果、アナグラ全体にまで士気が下がる可能性が懸念されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回の任務に当たってはこれまでにも何度か経験した作戦が伝えられていた。しかし、これまでの作戦群と唯一異なっていたのが今回の最大の要因とも呼べる感応種が混じっている点と、その対応策としてのリンサポートシステムの稼働に関してだった。

 

 既に感応種と対抗できる人員は出来る事なら全員がバラバラにするのが一番妥当なのは理解しているが、万が一交戦した事が無い感応種が発生した場合、リンクサポートですら役に立たないとの現実問題を抱えている事にあってか、ブラッドは遊撃の位置につけると同時に、近隣で苦戦している部隊への援護が優先される事となっていた。

 

 

「なお、今回の作戦ににはこれまでに経験した事が無い程の被害がこちらに出る可能性がある。勿論、それを我々も指を咥えて見ているつもりは毛頭ない。その為に今回に作戦に関してはこれまでサテライトの防衛任務に当たっていた者達も招集している。今回の件に関してはこれまで培ってきた防衛任務のノウハウを学んだ上で任務に当たって欲しい。

 今回の内容はアナグラ全体に影響が出るだけでない。これまで我々に庇護下の元に集まってきた者達の命も護るべき戦いだ。良いか、誰一人命を散らす事は許さん。これは命令だ」

 

 ツバキの言葉が全員の士気を上げたのか、そこには恐怖の感情を持つ者は誰一人居なかった。

 今回の原因が何なのかが未だ分からない以上、確実に見えるゴールはどこにも無く、最悪は息切れした瞬間全滅する恐れがあった。ツバキの言葉が無かれば誰でも予想出来るが、今回の件は事実上の、極東の全精力を傾ける戦いへと変貌する。

 既にこれからのスケジュールの調整と部隊配置に入るのは時間の問題だった。

 

 

 

 




この作品では他の神機使いがブラッドアーツを覚える事はありません。
あくまでもブラッドのみが使える設定となっています。



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番外編 15 仲秋の名月 弐

前回はブラッド.verでしたので、今回はクレイドル.verとなります。

27日は仲秋の名月ですが、残念ながら満月ではありません。その代り翌日は満月でのスーパームーンが観測されるそうです。

作中は満月の表記がされてますのでご了承下さい。






 

「今日は済まないな」

 

 

「この程度なら問題ありませんので」

 

 普段で有ればソーマ単独でも何ら問題無い筈のミッションに珍しく北斗が同行する形となっていた。

 原初のアラガミとも言えるキュウビのコア取得以降、これまで以上に研究にのめり込んだのか、ソーマは徹夜が続く事が多々あった。

 本来であれば危険極まりない任務ではあるが、今回の目的がサイゴードだった事もあり、この程度の内容ならばと受注する際にヒバリの機転で北斗がアサインされていた。

 

 

「そう言えば、キュウビの研究はどうなってるんですか?」

 

「今はまだ何とも言えない。他のアラガミの様に簡単に取得出来るならともかく、今は虎の子のコアである以上、慎重に成らざるを得ないのが本当の所だな」

 

 希少価値が高いキュウビの変異種のコアは他のアラガミの様に扱うのはソーマだけで無く榊や無明でさえも慎重だった。

 コアは文字通りアラガミを調べるには一番分かり易く、また解析するにもそれが有れば他は何も要らない程の情報量持っていた。

 しかし、ソーマとて解析=コアの破壊である意味を知らない訳では無い。貴重な資源を使った研究をするにはこれまでやって来た経験が物を言う事が多く、また研究に於いてもコアの解析が出来ないのであれば疑似的に近い物を使うしかない。

 その結果、これまでと同様に細胞片を利用しながら研究せざるを得ず、その結果として研究は遅々として進まなかった。

 

 

「俺は研究の事は分からないですが、大変な事だけは想像出来ます。あれだけ討伐に苦労しましたから」

 

「そうだったな」

 

 結果的に合同ミッションとなったキュウビ戦は激闘と呼ぶに相応しい内容だったのは未だ記憶に新しかった。特に北斗達ブラッドからすれば、感応種の後だった事もあり、クレイドルが間に合わなければ全滅の予感さえあった。

 戦いに於いて仮にと言う言葉は何処にも無く、どんな精鋭だったとしても僅かに歯車が狂うだけで窮地を陥る可能性がある事を身を以て体験していた。

 

 

「何事も大きな結果を出すには小さな積み重ねが必要だからな。次も同じ様なミッションがあれば、また頼む」

 

 アナグラ近隣のミッションだった事もありヘリではなくジープでの移動となっている。北斗がハンドルを握り、そのまま戻る事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様でした。ソーマさん、無明さんからの伝言で屋敷の方に来てほしいとの事です」

 

「そうか……」

 

 普段であれば無明はこんな伝言を残す事は殆ど無い。態々ヒバリに頼む以上、何か新たな発見があったのかもしれない。そう結論付けたのか、ソーマは神機を運ぶと同時に屋敷へと足を運んでいた。

 

 

「おっ来た来た。何だ、ミッションに出てたのか?」

 

「ああ?何でお前がこんな所に居る」

 

 ソーマを出迎えたのは無明ではなくコウタ。本来ならばこんな場所に居るはずが無い人間がここに居る時点で何時もとは違うと考えるが、徹夜からのミッションはソーマの思考能力を僅かに奪い去ったのか、頭が回らないままだった。

 

 

「あっ!ソーマ。これからお団子食べるか?これおいしいぞ」

 

 ソーマを見つけた嬉しさからなのか、早足で近寄ってくるシオの手にはお盆に乗せられた幾つもの団子が乗っていた。

 まさかこの為だけに呼んだつもりなのかと思いはするが、無明が呼ぶ以上、そんな事は無いだろうと考えたソーマは未だ目的が分からないままだった。

 

 

「今忙しい所すまないな。今回呼んだのは今後の件も含んだ上での打診だ」

 

 ゴッドイーターではなく、一研究者としての招集は僅かにソーマを緊張させる結果となっていた。

 まだ駆け出しの研究者でしかないソーマからすれば紫藤は既に実績を残している研究者。勿論それだけではない。稀代の戦闘能力を持ったゴッドイーターでもあるその存在は、榊とはまた違った緊張感があった。

 

 

「例のレトロオラクル細胞の件だが、研究の進捗は芳しく無い様だな」

 

「ああ。今はまだ手探りの状態が続いているのが現状だ。コアでは無く他からの細胞での解析と研究の難易度は想像以上だ」

 

 レアなコアの最大の難関は誰もが同じ道を辿る。それはかつて自分だけでなく、榊も通った道でもあった。

 本来であれば確認するまでも無いが、やはり若き研究者が気になるのか、榊も無明に頼む事で進捗状況をそのまま確認していた。

 

 

「他の個体が手に入れば研究は一気に進む可能性が高い。だからと言っていつ出現するのか分からない以上、焦る事なくやってくれ」

 

 研究者であれば焦りは禁物であるのは当然の事ではあるが、まさか無明から言われた事で、漸く自分でも気が付かない程に前のめりになっている事に気が付いていた。

 

 

「そうだぞ。ソーマも少しは休まないとだめだぞ」

 

 改めてシオはそう言いながら団子が乗ったお盆を差し出す。恐らくは口にする迄は手が引っ込む可能性は無いと判断したのか、ソーマは改めて団子を口にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうだ?おいしいか?」

 

 どこか心配気なシオを他所にソーマはまだ咀嚼しているのか、暫し沈黙が流れていた。普段のソーマであれば何かを食べるにしてもそう時間をかけて食べる事は余り無い。

 本当の事を言えば目の前の団子も一かじりしてそのまま飲みこむ事が多いが、シオの視線が気になったのか何時もと違ったその雰囲気に珍しくゆっくりと食べていた。

 

「ああ。美味いぞ」

 

 ソーマの味気ないと思う程にシンプルな感想はある意味では最大の賛辞の様にも思えたが、生憎とここに居るのはソーマに近い人間しか居ない。そんなシンプルな言葉だけで納得出来る人間はどこにも居なかった。

 

 

「ちょっとソーマ!折角シオちゃんが一生懸命作ったのにそれは無いんじゃないですか!」

 

「そうだぞ。折角時間をかけて作ってたのにそんな態度はヒドイと思うけど」

 

 アリサとコウタの言葉に改めてソーマはシオが作った事を理解していた。綺麗に丸められた団子は当初エイジが作った物だと思っていた。

 歪になる事なく丸められた団子は口の中に入れると上品な甘さが口に広がっていく。

 まさかこれをシオが作ったとは思わなかったのか、ソーマは再度シオに対し感想を述べていた。

 

 

「シオ。有難うな。俺好みの甘さだった」

 

「そっか」

 

 そっけない言い方ではあったが、元々ソーマがそんなまともな感想を口にした事はこれまでに一度も無い。そう言われた事にシオは満足したのか満面の笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だ。もう皆来てたのか」

 

 ソーマが来てからどれ程の時間が経過したのか、遅ればせながらにリンドウとサクヤも屋敷へと出向いていた。

 元々今日は仲秋の名月だからとお月見をしたいが為にコウタが企画していたが、今回の中でソーマだけが来る可能性が一番低く、確実にここに来させる為にエイジを通じて無明に依頼をかけていた。

 リンドウとサクヤに至っては単に集まるからと連絡をすれば勝手に来るだろうと判断したからこそ、誰もがあまり気にする事無く満月の月を眺めていた。

 

 

「リンドウさんが一番遅かったんですよ。ご無沙汰してますサクヤさん」

 

「アリサも久しぶりね。その後の新婚生活はどうなの?」

 

「私は……何時もと同じですよ」

 

 既にこの場に馴染んでいるのか、アリサもこの場に居る際に来ている浴衣がそれを物語っていた。既に月は上空で煌々と光っているのか、周囲を柔らかい光が照らしだしていた。

 

 

「折角だから月見酒としゃれこむのも乙なもんだな。っと、ソーマはどうしてる?もう来てるんだろ?」

 

 相変わらずのリンドウだが、ここ最近は激務が続いているからなのか、配給ビールを口にする暇すら無かったのか既に右手には一升瓶が、左手には杯が握られ既に準備万端。一人で飲むのも寂しいと思ったのかソーマを探しに来ていた。

 

 

「ソーマならあそこですよ」

 

「あら?珍しいわね」

 

「本当だな。余程疲れてるんじゃないのか?最近は研究にのめり込んでたみたいだしな」

 

 アリサの言葉に促され、その先を見ればシオに膝枕されて眠りについたソーマがそこに居た。

 確かにここ数日は碌に寝る事もなくほぼ徹夜に近い状況でのミッションはこれまで過酷なミッションをこなしてきたソーマと言えど疲労感は残ったままだった。

 恐らくは団子を食べた事で睡魔が襲って来たからなのか、安心した様に眠っていた。

 

 

「でも、当時に比べれば随分と穏やかになったみたいだし、やっぱりシオのお蔭かしら」

 

 当時のソーマを知ってる人間は今のアナグラには殆ど居ない。今の状況を当時の自分が見ればどんな反応をするのかを想像すれば、明らかに面白い結果しか見えない程に今は穏やかなになっていた。

 当時はまだリンドウとサクヤ位しか相手にしなかったが、エイジやコウタが配属されシオとの邂逅が今のソーマを作ったのかもしれない。

 そんな風に考えるととサクヤも随分とそれは昔の様だった気がしていた。

 

 

「そうだ。折角だし写真でも撮っておくか。何かあった際には使えるかもしれないしな」

 

 コウタはそう言いながら携帯端末のカメラで何枚か撮っていた。恐らくは後日その話を口に出せばどんな結果が待っているのかはエイジとアリサも想像していたが、こうまで警戒感が無いソーマを見たのは恐らくは初めての可能性もあった。

 隣を見ればリンドウとサクヤもどこかニヤニヤした表情で見ていたのかコウタの行動を止める気配はどこにも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、こうやって月を見ているとあの時を思い出すわね」

 

 サクヤが何気なく呟いた『あの時』の事はこの場にいた全員が当事者でもあった。

 ソーマの父親でもあったヨハネスが極秘裏に計画していた物は、この場にいた全員の行動に阻まれた結果、月で終末捕喰が発動しその後月の一部が緑化していた。

 

 当時の研究者は何か甚大な異変だと騒ぎ立てていたが、本当の事を知っている人間はある意味では当然の結果だとも思えていた。

 既に部外秘中の部外秘なのは月の緑化だけでなく、今ソーマに膝枕しているシオもまた同じだった。

 

 少女を模したアラガミであると同時に特異点でもあったシオは既に一瞬とは言えノヴァと同化した事によって特異点としてだけでなくアラガミとしての能力も喪失していた。

 なぜ喪失したのかは既に榊と無明の手で解析したものの、結果が分からずじまいであった事と同時に、既に特異点としての機能が無いのであればそれ以上の解析の必要は無いとの判断により、現在ではその結果すら無かった事になっていた。

 既に正体は分からなくてもシオはこれまでに何度もアナグラに行っているだけでなく、ここにも他のゴッドイーターが来ている事からその存在だけは知られていた。

 

 

「でも、当時の事があったから今があるんじゃないですか。だってそうでないとサクヤさんもリンドウさんと一緒になれなかった訳ですから」

 

「あら?そう言うアリサも同じでしょ。でも、本当は何時から意識してたのかしら?」

 

「まあ、それは……」

 

 まさか結婚してからも弄られると思わなかったのか、何気に放った言葉はサクヤに直撃する前にそのままブーメランとなって返ってきたのか、アリサはそれ以上の事は何も言えなくなっていた。

 

 

「あれ?何か楽しい事でも話してた?コウタ、ご所望の月見うどんだよ」

 

「おお!サンキュー腹減ってたんだよね」

 

「慌てて食べなくても逃げないなし、誰も取らないよ」

 

 助け船とも言える状況を作ったのはコウタの希望で作っていた月見うどんだった。

 既に団子はシオが作ってた事もあってか、エイジは団子ではなくウサギに加工した団子をいくつも用意していた。かわいらしいその姿のウサギの隣には、何故か今にも転げ落ちそうな雰囲気のウサギらしき物も乗せられていた。

 

 

「えっと……これもウサギなのよ…ね?」

 

 まじまじとそれを見ていたサクヤは流石にこれもエイジが作ったとは思ってなかったのか、今度は誰が作ったのかと思案した矢先だった。まるで何も空気を読まなかったかの様にコウタがそれを持ち上げていた。

 

 

「ひょっとしてこれアリサが作ったのか?」

 

「だったらどうだって言うんですか」

 

 何となく思いつきで言った言葉はそのままズバリだったのか、アリサは不機嫌なままだった。神機の扱いは器用なはずが、どうして料理となるとこれほど不器用なのかは本人ですら分からない。

 単独で置かれれば味があるが、隣に綺麗なウサギが有れば嫌でも比べてしまうのは仕方がなかった。

 

 

「いや、何となくそう思っただけだし。ほら、口に入れれば同じだから」

 

「本当にコウタはデリカシーが無いんですから。少しは空気を読みなさいよ。でないとマルグリットに言いますよ」

 

「いや、マルグリットは関係ないだろ?」

 

 証拠隠滅とばかりにコウタはウサギらしき物をそのまま口へと放り込む。既になじみつつあるやり取りが懐かしさを呼んだのか、リンドウもサクヤの隣で月見酒と洒落込んでいる。

 既に上空高く上がった月はそんなやり取りをほほえましく映すかの様に優しく照らしていた。

 

 

 

 

 

 





「ねえアリサ。マルグリットって誰なの?」

「実は以前はネモス・ディアナに居たんですが、最近になってアナグラに転属してきたんです。コウタはまだ自分の気持ちに気が付いてないかもしれませんが、結構普段から何かと見てますよ。本人は副隊長だからって言ってますけど」

「あらあら。私が居ない間にそんな事になってたなんて。そう言えば、ここ最近ショートヘアの娘をここで見たけど、その娘かしら?」

「多分サクヤさんの思ってる通りだと思いますよ。ここでも教導やってましたから」

 コウタを遠巻きにアリサとサクヤは2人で何やら話をしていた。既に極東女子の玩具……ではなく、温かい目で見ているのは第1部隊だけではなかった。
 ヒバリとリッカの策略もあってか、殆どの人間はこの2人の事を知っていた。知らないのは本人達だけであり、またマルグリットも認めては居ないが何かとコウタを意識する場面が多々見られていた事が更に真実味を与える形となっていた。


「そうだったの……じゃあ、何か進展があったら教えてね。でもコウタがね……」

「任せて下さい。進展があればすぐに報告しますから」

 既にうどんを食べ終えた後でまさか自分が話題に上っているとは思ってもなかったのか、コウタは月見うどんの後は団子を食べていた。
 こうまで騒いでも未だ目を覚ます事無くソーマが眠りについている。どこか懐かしい空気がこの場に漂ってた。




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第201話 それぞれの覚悟

 

「しっかし、今回の任務は厳しくなりそうだな」

 

 ツバキの言葉と同時に部隊編成されるまでに時間が必要になるからと、既にタツミ達はラウンジへと足を運んでいた。

 今回の作戦群は新人もベテランも関係無く各地に配属される事になる。

 今回のタツミ達はそんな中でも全体の指揮だけでなく、万が一に於いての盾としての役割があった。

 

 

「リンクサポートシステムだったか、あれは本当に効果を発揮するのか?現地で動きませんでしたは洒落にならないんだが」

 

「その時はその時じゃないの?まあ、確かに私もそうなると厳しい戦いになるかもね」

 

 ラウンジには普段中々顔を出さない面子が珍しく集まっていた。何時もなら見慣れた人間が多いラウンジにカレルやジーナの姿を見た者は普段は見ない顔だからとどこか遠巻きに眺めていた。

 

 

「皆さんここだったんですか。今回の作戦は私も久しぶりに防衛班の一員としての任務になるとツバキさんから聞きました」

 

「なんだ。カノンもここなのか?もう誤射は治ったのか?」

 

「まあ、その辺はおいおいと……」

 

 明るく来たはずのカノンは何気なく聞いたシュンの言葉に軽く凹んでいた。

 確かにこれまでも何度か北斗だけでなく、エイジやハルオミともミッションに出ていたが、残念ながらその教導の効果が未だ発揮された形跡はどこにも無く、数字だけ見ればエイジと北斗の被弾率は少ないが、それ以外のメンバーの被弾率は何も変わっていなかった。

 

 

「まあ、そんな事よりもさ。今回の件で新たにオペレターが増員されたんだよな。名前は確か……」

 

「星野ウララちゃんと真壁テルオミ君でしょ」

 

 カノンの件を回避するかの様に、タツミはこれからの事について口を開いていた。しかし、タツミはヒバリを見ていたからなのか、それとも最初から記憶にはあまり無かったのか、ジーナの言葉にタツミはそうだと言うしかなかった。

 

 今回の作戦は多面防衛の為に、一人のオペレーターで回す事は事実上不可能であると同時に、今後の人材育成も今回のミッションを通じてやる事から新人の2人も参加する手はずとなっていた。

 当初は誰なんだと思われた部分もあったが、今回紹介されたのはハルオミの弟でもあるテルオミだった。

 元々テルオミはクレイドル付きの整備士だったが、今回の任務に伴って、オペレーターへと転身していた。

 

 

「そうそう。まさかテルオミがオペレーターなんてな。流石に俺も驚いたよ。だってあいつここに来る直前まで神機の整備やってたんだぜ」

 

「今回のサテライト建設地の撤退はある意味では苛烈を極まりない戦いだったらしいからな。いくら何でも人員を裂けるのが一人だけなら仕方ないだろう」

 

 そう言いながらカウンター越しに出されたコーヒーをゆっくりとタツミは口に運んでいる。口に拡がる苦味と香ばしい匂いが広がる事で荒れた様な気持ちがゆっくりと落ち着きを取り戻したのか、少しだけ冷静に思い出す事が出来ていた。

 今回の作戦に関してはそれだけでは無かった。ツバキのブリーフィングの後で紹介されたブラッドが今回の感応種の対抗手段となる事もあってか、終了後に早々に紹介されていた。

 既にタツミに関しては以前に行われたエイジとアリサの結婚式の際に少しだけ面識があったが、それ以外の人物に面識が無く、その結果改めて今回招集された人間との対面がなされていた。

 

 

「しっかし、あいつら…ブラッドだっけ?本当に大丈夫なのかよ?これまでにも厳しい防衛戦はあったけど、こうまでの規模の物は経験してないんだろ?」

 

「シュン。お前だって同じ様な物だろ。正直言えば、ブラッドの連中がどうなろうと俺には知った事じゃない。如何に効率の良い報酬を得る事が出来るのかが問題であって、あいつらの実績なんてどうでも良い。目先の数字に囚われるのはガキと同じだ」

 

「それを言うならカレルも同じだろうが。あれからどれだけ経ってると思ってるんだ。俺だって成長してるぞ!」

 

「ふっ。そうやってすぐにムキになるのがダメなんだよ。戦場で冷静さを失った者から退場する。それがここでの真理だろ」

 

 紹介された際に、これまで感応種に苦戦していたのが苦も無く討伐出来ると紹介された際にシュンは北斗に対し、どこか対抗意識を持っていた。

 ここは世界最大の激戦区でありながらも各自がそれぞれ単独での任務を負っている事もあってか、やや敵対心の方が勝っていた。

 全員では無いが、各々が自分達の自負を持ってるからなのか、それとも単に何も知らないからなのか、挨拶はややぎこちないまま行われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、シエルちゃん。さっきの防衛班の人達だっけ?何だか怖そうだったね」

 

「恐らくはこれまでも単独でサテライト拠点を護ってきた方々ですから、やはりそれぞれ何かしらの自負があるんだと思います。今回の様な大規模な多面作戦となれば少なくとも一定以上の実力が要求されますから、恐らくはその自信が少し雰囲気に出てたんだと思いますよ」

 

「なるほど……って事はタツミさんは人当たりが良さそうだから、まずはそこからかな。ねえ、おでんパンはいくつ用意した方が良いかな」

 

 ラウンジで防衛班の面々が集まる頃、ブラッドもロビーでまた話をしていた。

 今回の作戦に於いてのブラッドの立ち位置は決して楽観視出来る物では無い。既に何度も感応種と交戦経験があるからと言っても、何か特別な事をしている訳は無く、他のアラガミと同様の戦いをしているにしか過ぎなかった。

 そんな中で防衛班の隊長でもあったタツミだけは何となく面識があった。

 

 結婚式の際にヒバリから紹介されただけではあったが、人当たりの良さとは裏腹に、

これまでの激戦を戦い抜いたその実力は行動の随所に出ていた。

 極東のアラガミは他に比べれば例え小型種と言えども油断する事は出来ない。そんな中で支援を受ける事無く任務にあたるその実力はクレイドルの影になってはいるが、やはり素晴らしい物があった。

 

 

「今回の任務に於いて俺達の立ち位置は遊撃である以上、見知らぬ誰かと組む事もあるからな。まずはその辺りの事だけでも解消した方が良いだろう」

 

「たまには良い事言うね。ギルも騒動を起こしちゃダメなんだよ」

 

 入隊当時の事を言われるとギルは何も言う事が出来なくなっていた。当時はロミオにいきなり殴りかかった事が一番最初の話だったが、当時はまだケイトの事があった事から何かにつけて苛立ちを思えるだけでなく、もっと真剣な部分が必要なんだと厳しく当たっていた頃の話を持ち出していた。

 

 

「あのなあ……当時と今は違う。後は純粋な神機使いとしての能力は参考になるだろ。北斗だってそう思わなないか?」

 

「確かにギルの言葉は一理ある。俺達だって終末捕喰を防いだんだ。今さら他に後れを取るつもりは無いさ」

 

 お互いの技量を認めると同時に、人間関係がぎくしゃくしたままでは何かにつけて綻びが出ないとも限らない。となれば円滑な運用をする事を考えたのか、こあれから始まる作戦群に北斗は改めて気を引き締めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかこんな時にこの反応が起こるとは……まさかとは思うがこれの仕業なのかもしれないね」

 

 各々が作戦前の団欒を過ごす頃、支部長室で一つのアラガミの反応が榊の元へと伝えられていた。

 これまでに何度か見た事がある様で、良く見れば違う反応に榊は思わず自分の考えの一部が口からこぼれた事に気が付いていた。

 既に今回の作戦に於いての結果が確定している為に、そこからの可能性を考えるのはある意味当然だと思われていた。

 

 

「榊博士もやはりそれを考えていましたか?」

 

「これまでの作戦を考えれば可能性はあったんだが、まさかこんな場面になるとは思ってもなかったと言った方が正解だね」

 

 端末に届いたデータがもたらすのはどう贔屓目に見ても災いにしか見えない。万が一の事を考えれば最早ため息しか出なかった。

 

 

「しかし、今回のケースであればクレイドルで当たるしかないでしょう。ただ、手さぐりでの戦いは今回の場面では厳しいのもまた事実。我々としても最大限の努力を払う必要があるでしょう」

 

 既に今回の状況は多方面ではあるが、リンクサポートデバイスの数が限られている事から、多くに分ける事が出来ず、結果的には4部隊にしか編集出来なかった。

 

 そのうちの1部隊がブラッドであるものの、これはあくまでもリンクサポートシステムが不調に終わった瞬間に現場へと移動する手はずになる。その為に、何かと事前に準備する事が多くなっていた。

 既にアラガミの襲撃は広範囲に渡るからなのか、アナグラで確認出来るだけでもかなりの数に上っている。

 既にブリーフィングが終了している以上、今はただ今回の結末を見守る事だけしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「撤退戦って感応種も出たんだよな?」

 

「シユウ感応種が出たよ。流石にあれはヤバいと思ったけど、結果的には何とかなったよ」

 

 クレイドルは今回の作戦に於いて第1部隊との混合が決定されていた。一番の要因はこれまでここでの討伐任務は第1部隊と第4部隊で執り行われていたが、今回に作戦の際に第4部隊は防衛班に編入された事により、結果として第1部隊はそのままクレイドルの方へと編入される形となっていた。

 既に今回のサテライト撤退戦の状況は誰もが知っているが、やはり当事者の言葉が一番重かったのか、エイジの感想が今回の作戦の深刻さを物語っていた。

 

 

「いや、俺もログ見たけどあんな戦い方するのはエイジだけだって。普通はその段階で撤退するか、増援呼ぶしかないだろ」

 

「それも一瞬考えたんだけど、現状でそれは無理だったからね。今回の襲撃は本当に疲れたよ」

 

 アナグラに帰投した際に見たエイジとアリサは既に制服がボロボロの状態だった。

 泥と返り血にまみれた制服を着たエイジはこれまでの様に綺麗な姿しか見た事が無かったゴッドイーターの驚きを誘い、アリサもまたアラガミの返り血を浴びていたからなのか、既に制服の白い部分が殆ど無いままだった。

 

 データで見る結果と違い、自分の目で見た人間は今回の戦いの厳しさを直ぐに理解していた。本来であれば主力だけを投入するのが最適な事は誰もが知っているが、それでも絶対数が足りないからと事実上の全員参加となっていた。

 

 

「原因はまだ分からないってのは厄介だよな。これまでだと大体はアラガミが原因なんだけど、今回はその影すら見えないんだって聞いている」

 

「常時何かしらの理由がある訳じゃないしね。でも、それ以上は止めときなよ。流石にエリナとエミールも余計な力が入りかねないから」

 

 エイジの言葉にコウタは2人を見た。確かに表面上は何時もと変わらない様にも見えるが、今回の様な大規模な作戦の参加は今回が初めてとなっている。既に握られた手がどこか震えている様にも見えた事で、コウタは失言した事を理解していた。

 

 

「2人ともそんなに固くなる必要は無いから。私だって今回の作戦で初めて参加するんだし、ここは極東なんだから階級も関係無い。何時もと同じ感覚で良いのよ」

 

 コウタのフォローとばかりにマルグリットは優しく声をかけていた。

 本当の事を言えばマルグリットとて緊張しているが、第1部隊に於いては副隊長でもあり階級も尉官となっている以上、目の前の2人に悟られる事無く平静を装う事に成功していた。

 

 

「今回のケースだと、クレイドルと第1部隊、防衛班に関しては混成部隊になるのは間違いないよ。恐らくは僕らが攻勢に回って防衛班が守勢に回る配置になると思うよ」

 

「今回のケースだとそれが妥当なんだろうな。って事は編制された部隊で再度確認するって事か?」

 

「発表される内容次第だけど、多分そうなるだろうね。撤退戦と防衛戦は全くの別物だから、こっちが指揮するよりも確実だと思う」

 

 まだ編成に関しては発表されていないが、エイジの言葉を額面通りに受け止めれば妥当な判断であるのはコウタだけでなくマルグリットも分かっていた。

 ブリーフィングが終わってから既に30分が経過しようとしている。時間的にはそろそろ部隊編成の発表がされる頃だった。

 

 

「エイジの言った通りだったな」

 

「消去法で言えばだけど、これは旨く行き過ぎたかもね」

 

 各部隊長の端末に送られた内容を瞬時に確認していく。今回の内容はやはり攻勢と守勢に回っているが、それでも防衛班は第1世代の神機使いである事からそれぞれがクッキリと別れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では今回の概要ですが、いきなりの実戦なので大変だと思いますが、それぞれの特性を考えた上で配置します」

 

 今回の作戦群では現場だけでなくオペレーターも即実戦配備される事になっていた。

 確かにヒバリとフランはオペレーターとしては優秀ではあるが、全部の部隊を一度に見るのは物理的にも厳しい部分があるだけでなく、間違って情報やタイミングがズレる事があれば部隊そのものが危うくなり兼ねないとの配慮から、ウララとテルオミの部隊はベテラン勢が多い部隊への配置となっていた。

 

 これまでに何度も研修してはきたが、いきなりの実戦となれば部隊全員の命を預かる事になる。仮に部隊が生き残ったとしても危うい場面に何度も遭遇するオペレーターは現場からは信用される事は無い。今後の事も考えた上での配置となっていた。

 

 

「現状はフランさんはブラッドをお願いします。ウララさんはエジさんの部隊を、テルオミさんはリンドウさんの部隊をお願いします」

 

 部隊編成が上がると同時に各部隊の特性を把握し、配置を決定していく。この業務は本来であればツバキがやるべき事ではあったが、これまでの任務の状況を一番現場で把握しているのはヒバリである事から、今回の配置に関しては全権委譲されていた。

 

 

「あ、あのわたす…ん、んん。私で大丈夫なんでしょうか?確かに研修は受けましたが、こんな大規模作戦が初任務なんて聞いてませんでした」

 

「誰もが初めてが必ずありますし、エイジさんなら最悪何とかなりますから。今からそんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」

 

「そうそう。エイジさん何だかんだ言って撤退戦の時は鬼神の如き働きだったからウララちゃんは心配いらないよ。僕も実際にこの目で見たけど戦い方も安定してるから大丈夫だって」

 

「そう言ってくれるんなら……私も出来る限りの事はやりますので」

 

 撤退戦のエイジはまさに普段の温厚な雰囲気は微塵も無く、アラガミの側からすれば出くわした瞬間に命を刈り取る死神の様にも見えていたと錯覚させる程に鬼気迫る物があった。

 撤退戦が難しいのはいかに被害を出さずに終わらせるのかが最重要課題となる。

 

 常に相手に背中を見せる戦いはある意味では不可能にも思える程の内容でもあり、常時犠牲が出る前提で行動する事が殆どだった。

 そんな中で被害が0はある意味脅威の数字でもあった。残す所はあと数時間。

 ここにお互いの存在意義をかけた大規模な作戦の幕が上がろうとしていた。

 

 

 



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第202話 確認と戦局

《では各チームの皆さん。厳しい局面ではありますがお願いします》

 

 ヒバリの声が全員の通信機に鳴り響く。4分割された部隊配置は既に大規模な襲撃の予測地点へと配備されていた。

 今回の配置の中で最大の問題点が感応種の対策でもあった。既にリンサポートシステムはブラッドを除く各隊に配置されているのか、その存在感だけが示されていた。

 

 

「これ本当に動くんだよな?」

 

「だから配備されてるんだろ?いい加減その会話から離れたらどうなんだ」

 

 今回の部隊配置は明らかに攻勢に回る人間が出来る限りアラガミを倒し、逃げたアラガミを後続の守勢に回る人間が確実に仕留める方法が採用されていた。

 既にアラガミの気配は遠くからでも判断出来る程の大規模な物。ここから始まる戦いがどれ程の物なのかは誰も予測出来なかった。

 そんな中で今回防衛に回されたシュンとカレルはこんな場面でも日常だと言わんばかりに行動をしている。

 それが今回の大規模作戦に初参加となった人間のプレッシャーを幾分か和らげる効果があった。

 

 

「あくまでも感応種が出たらの話だろ?だったら出るまでは関係無い。お前の分の報酬まで俺が掻っ攫うだけだ」

 

 既に守勢としての配置にはついているが、少し先ではコウタ達第1部隊のメンバーが交戦を開始したのか、カレルとシュンの元には戦闘音だけが届いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マルグリット!全部を倒す必要は無いからな!エリナも無理するなよ!」

 

 攻勢のメンバーの中でコウタが唯一の第1世代型神機を使用していた。

 今回のチーム編成で一番頭を悩ませたのは第1世代の特性だった。近接型は自分で捕喰する事でバーストモードへと変われるが、遠距離型ではそれが出来ない。

 しかし、渡した際のアラガミバレットの威力を考えれば、それを活かさない手はどこにもなかった。

 

 マルグリットとエリナが前衛を務め、その後ろでコウタが指揮を執る。既にこの体制でこれまで第1部隊を運用してきたコウタにとって、極当たり前の陣形だった。アラガミの襲撃は今に始まった事では無いが、それでも心配すべき事は幾つか存在していた。

 最大のポイントがマルグリットとエリナがどこまで戦力としてテンションを保つ事が出来るかだった。これまでコウタは本当に厳しい局面を戦わせた経験が殆ど無かった事が仇となっていた。

 それは自身が遠距離型である以上、いくらバレットエディットを利用しても火力が近接型よりも劣るのが最大の要因だった。

 

 距離を稼ぎながらの射撃そのものは問題なくても、仮にコウタに攻撃が向いた際に回避するしか手段が無く、万が一の場合には自身の命の担保がどこにも無い点だった。

 以前のエイジスでの任務でその事を理解しながらも他のメンバーを撤退させた事は本当に正しかったのかと自問自答している。

 しかし、今回の防衛戦に於いては既にそんな事を考える余裕があるのかすら判断が出来ない状況へと追い込まれていた。

 

 

「出来るだけの事はやります!」

 

「エリナのフォローは任せて!コウタは全体を見て頂戴」

 

 チャージスピアの特性を上手く活かす事でエリナはヒット&アウェイとばかりにその場に留まる事無く常に攻撃を仕掛けている。

 既にその威力を存分に発揮したのか、初戦となったオウガテイルの群れは既に跡形も無く霧散していた。

 

 

「エリナ、調子は良さそうね」

 

「はい。この調子で行きます!」

 

 これまで好調に動いた結果なのか、既にエリナのテンションがかなり高く自分でも高揚しているのが理解出来る。このままの調子を維持しながら行けば恐れるに足りないとまで思う程だった。

 

 

「エリナ!」

 

 エリナの側面からのコンゴウの攻撃は完全にエリナの死角からだった。気が付かないエリナのフォローとばかりにコウタはアサルトを連射し、攻撃の手を僅かでも緩める様に全精力を傾けていた。

 今回の様な大規模な戦いでの致命傷は部隊全体を瓦解させる可能性が高い。その為には火力が低くても命を最優先する戦いが求められていた。

 

 

「あ、有難うございました」

 

 コウタの射撃でコンゴウは僅かに動きが鈍っていた。しかし完全に攻撃を止めた訳では無く勢いが先ほどよりも若干遅くなった程度にしか過ぎなかった。

 そんな中でマルグリットがエリナの前で盾を展開する事で最悪の展開だけは免れていた。

 

 

「エリナ。気持ちは分かるけどコウタのフォローが無かったら拙かったよ。もう少し落ち付いてね」

 

「分かりました。以後気を付けます」

 

 これがエミールであればエリナも逆上するが、やんわりと窘めたのがマルグリットである以上、エリナはその言葉を素直に聞き入れていた。

 この場での致命傷は最悪の展開にしかならない。それがどれ程厳しい物なのかを身を持って感じる事になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今の所コウタさん達βチームは問題ありません。現在はエイジさんのαチームに大型種が接近中。ウララさんは常時アラガミの動作とメンバーのバイタル情報を常に注意して下さい」

 

 現場での戦いとはまた違った緊張感がアナグラにも存在していた。今回のオペレーションに於いてヒバリとフランは各々の状況お把握しながら今回初めて入るウララとテルオミのサポートも同時進行で進めていた。

 平時の戦闘であればそこまで気を使う事は無かったが、今回の様な多面作戦となれば万が一の際に他のチームとの連携が必要不可欠となってくる。

 その為にはお互いの状況を把握する必要性があった。

 

 

「分かりました。αチーム、現在のバイタルは良好です。アリサさん、目の前のアラガミのバイタルが大きく乱れています」

 

 元々研修では安定した成績を収めていたからなのか、緊急時のオペレーション以外は申し分なかった。しかしここは極東。ある意味での最前線は伊達ではなかった。

 

「ウララさん。αチームの9時の方向から大型種の反応があります。注意を促してください」

 

「は、はい。エイジさん、大型種の反応が9時の方向にあります。目視で確認出来るはずですので注意して下さい」

 

 既に数える事すら諦めたくなる程の想定外のアラガミの侵入はウララの精神を遠慮なく削り取っていた。

 事前にヒバリからこの地域の最大の特色でもある想定外のアラガミの存在は、ギリギリのテンションを保ちながら指示を出すオペレーターをまるで嘲笑うかの様に次から次へと溢れ出てくる。

 現在の所、α、β、γの3チームの中でエイジが居るαチームが一番の激戦区となっていた。

 本来であればこのアラガミの出現率からすれば既に何度も危機的な状況に陥っている可能性が高いが、このチームの人員のレベルが高った事から未だ危機に陥る可能性は皆無に等しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《想定外のアラガミの侵入です。個体は不明ですが中型種です。現在地より9時の方向です》

 

「了解」

 

 戦場では既に何体のアラガミを屠ったのかすら数えてもいなかった。本来であればコアを抜き取る事が先決ではあるが、既に抜き取らずに霧散した個体の方が圧倒的に多く、時折出る大型種のコアを取る事で精一杯だった。

 既にαチームとしては攻勢と守勢に分ける事はしていない。

 当初はそれでも機能していたが、戦局が徐々に一方へと傾きだした瞬間、これまでの作戦を捨てると同時に一気にしとめるやり方へと変更していた。

 

 

「結果的にはこれが一番手っ取り早いとはな」

 

「こればかりは時間をかけるのが最大のリスクですし、仕方ないですよ」

 

 一瞬とも言える速度で討伐して行く事による最大の利点は僅かながらでも休息が取れる事だった。

 当初は作戦通りに運用していたが、数が徐々に増える事から作戦を殲滅戦へと変更し、全員で一気に形を付けるやり方へと変更した結果だった。

 

 

「でも、この方が次のアラガミへの対処も出来るから私としては有難いのよね」

 

「そうですね。結果が出るならばこの方がある意味安全かもしれませんね」

 

 エイジのチームにはアリサとジーナを守勢に回し、エイジとブレンダンが攻勢に回っていた。

 本来であれば防衛班としての能力を守勢に回すのが当初の予定だった事もあり、その考えの下で運用していた。しかし、アラガミの襲撃が徐々に増えると同時に、強固な個体が比率として徐々に増えだしてくると、部隊の運営が一気に厳しくなり出していた。

 

 エイジもアリサも攻撃能力は上位に入るが、それでも強固な個体が出れば討伐に時間がかかる。その結果次のアラガミへの行動が遅くなる事から、最大火力で殲滅しないと今後が危ういとエイジは判断していた。

 もちろん、適当に考えた結果では無い事からもブレンダンもジーナも否定する気は無かった。

 

 

《すみませんエイジさん。先ほどの中型種ですが感応種です。個体名はイェン・ツィーです。直ちにリンクサポートデバイスの起動準備をお願いします》

 

 通信越しに聞こえるイェン・ツィーの言葉に全員の意識が一気に引き締まった。それは現場だけでなく、アナグラの内部全員が同じ様な感覚だった。

 理論上は可能であるはずのリンクサポートシステムが正常に稼働するかどうかで今後の戦いの行方が見えてくる。既に種の個体が特定出来た事により、サポートを担当する人間がせわしなく動き出す。

 ここが今回の最大の山場である事がこの場にいる人間だけでなく、ブラッドも含め全員がその効果を確認していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《リンクサポートシステム効果発動!偏食場パルスの逆相を確認!神機の停止は確認できません》

 

 ウララの言葉には嬉しさが滲んでいた。当初出現した際に最初に打った手は実際に神機が動作不全になるまでは通常の様な戦う方針だった。

 今回のデバイスの動作時間は頑張っても15分に連続稼働がギリギリの線だった。常時運転したままであればリンクサポートシステムそのものが圧倒的な力に負けて自己崩壊を起こす点だった。

 勿論、最初から発動させる計画もあったが、動作確認が出来ないだけでなく、何がどこにどうやって影響を与えるのかを判断する為でもあった。

 

 

「ふう~。どうやら成功したみたいだね」

 

 ウララの声は榊がいるアナグラのロビーにも響きわたっていた。

 イェン・ツィーが放った偏食場パルスが一瞬だけ神機の稼動を停止させた瞬間だった。すぐさまリンクサポートデバイスが発動すると同時に偏食場パルスが逆相を作り出す。

 一旦停止したはずの神機は息を吹き返したかの様に再び稼動していた事にその場にいた全員の歓声が響いていた。

 

 

「そうですね。まずは一安心と言った所ですが、まだ油断は出来ません」

 

 榊も理論上は可能だと判断したまでは良かったが、今回は検証が一切出来ないままのぶっつけ本番だった事もあってか隣に居たツバキと同様に安堵の表情を浮かべていた。

 この時点で新種が出なければ感応種の討伐任務はこれまで以上に警戒する必要性が無くなる。

 それはこれまで撤退しか出来なかった人類側の反撃の狼煙でもあった。既にその情報が榊の手元へと渡る。これが常時安定すればこれまで同様の任務となるのが目に見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうやらエイジのチームのリンクサポートシステムが正常稼動したみたいだな」

 

 感応種の脅威がなくなった事は全部の戦場へと情報が共有化されていた。この時点で殆どのゴッドイーターの精神的な限界が突破された事によって、戦局が徐々に好転し始めていた。

 それほどまでに感応種の影響が大きかったからなのか、それともまだ見ぬ感応種への鬱憤を晴らす為なのか、一時的にせよ押され気味だった戦線までもが息を吹き返す。

 それがどれ程望まれた結果だったのかをリンドウとソーマも思い出していた。

 

 

「となればこっちも少しは楽出来るかもな。リンドウ!俺達もうかうかしている暇は無いぞ」

 

「分かってるって。タツミ、カノン、聞いた通りだ。感応種の事は気にするなよ!」

 

 目の前のボルグ・カムランの盾を破壊しながらリンドウは刃を止める事無くそのままふるい続けていた。

 既に目の前のボルグ・カムランは死に体同然なのか動きは鈍い。止めとばかりにソーマのチャージクラッシュが弱った身体ごと真っ二つにしていた。

 

 

《おう!今の所は問題無いが、そろそろ下の連中を休ませる必要があるな。こっちは交代で休憩を取らせるが、そっちはどうする?》

 

 リンドウ達γチームもこれまで順調に事が運んでいた。しかし連戦に次ぐ連戦によって新人を含めた曹長以下の消耗は想像以上に激しくなっている。

 αチーム程ではないが、こちらもこちらで大型種の乱入が多く、先ほどリンドウ達がボルグ・カムランを討伐した裏でタツミ達はガルムと対峙していた。

 

 

「おいエミール。お前もそろそろここで休憩しろ」

 

「いえ!僕はまだやれます!このポラーシュターンもそのつもりですから、僕の事など気にせず任務に入ってください!」

 

 このメンバーの中で上等兵での前線はエミールだけだった。本来であれば守勢に回りリンドウとソーマが攻勢に回る予定だったが、エミールの強い意志を感じ取ったのか、リンドウは前線に残る事を許していた。

 

 

「エミール。お前の気持ちは話かるが、今回のミッションは誰一人欠ける訳には行かない。普段であれば何も言わないが、この前線では誰かが倒れればそこからアラガミは侵入してくる。俺もお前が戦力だと計算に入れているからこそ、ここは休むんだ」

 

 今回の作戦が過酷な物である事はエミールも理解している。確かにリンドウの言葉をそのまま聞くのが一番良い事は理解しているが、それと同じ位に使命感が今のエミールを突き動かしているのもまた事実だった。

 既に細かくに休憩をして動いているのはリンドウやソーマとて同じである。意志を尊重したいのは分からないでも無いが、今はそんな事に気を使う程のゆとりは無かった。

 

 

「エミール。今回の作戦はこのアナグラの未来がかかっている。事実、俺もソーマも細かく休憩を入れながらミッションに臨んでいる。自分だけが大丈夫だと言うのは少々おこがましいとは思わないか?」

 

 リンドウの言葉にエミールはそれ以上の言葉を出す事は出来なかった。ここで無理にでも前面に出れば、これまでの戦果を挙げてきた者を侮蔑する以外に無い。

 仮にリンドウと同等の実力があったと仮定すれば、今度は戦局が読めない人間だとも判断される可能性が出てくる。

 既にこの時点でエミールの取る行動は一つしか無かった。

 

 

「別にお前さんを責めてる訳ではないんだ。ただ、今回の任務はさっき言った通りだが、アナグラの未来と生存がかかってる。幾ら騎士道が大事とは言え、まずは自分が無ければ無意味だろ?だったら自分の騎士道を示す為には何が求められるかは理解していると思うんだがな」

 

「……分かりました!僕も自分の騎士道を貫く為に、今はその指示に従いましょう!」

 

 何かを考えた結果なのか、リンドウの言葉にエミールも休憩を取る形となっていた。 一時期よりもアラガミの出現頻度は少なくなっているが、それはあくまでもここに出現していないだけの話であって、他のチームでは総数は殆ど変化していない。これが何を示しているのかを今の時点で確認する事は出来なかった。

 

 

 

 



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第203話 新種出現

 

「極東の技術力は大したものだな」

 

「まさか感応種までもを超えるとは流石に思いませんでした」

 

 リンクサポートシステムが正常に稼動しているのは既に通信で確認していた。

 今は漸く一区切りついたのか、目の前にはアラガミの姿がどこにも見えない。まずは休憩だとばかりに警戒しながらも周囲を眺めていた。

 

 今回の最大の懸念と希望がリンクサポートの稼動状況であるのは誰の目にも明らかだった。そんな中での稼動と効果の確認は今後の展望を明るくする話題であると同時に、もう一つの懸念材料も出ていた。

 既存の種には対抗できるが、新種となればその対策が必要不可欠となるだけでなく、キーとなる神機作成にはやはりその種のコアが必要となる点だった。

 

 

「北斗もシエルちゃんももう少し驚いても良いと思うよ。だってこれからは既存の感応種が出ても慌てる心配が無くなるんだよ」

 

 ナナの言葉に2人も確かにそうだと改めて考えていた。現状では感応種の討伐に関してはブラッドが極東に編入した際に明確に指示が出る様になっていた。

 これまでの様に撤退を視野に入れるのではなく討伐を主体とした作戦の変更に伴い、ブラッドの稼働率は一気に跳ね上がっていた。

 そんな中での感応種の対策が確認出来た事はまぎれも無く大きな出来事だった。

 

 

「だが、今のままだと新種の場合は当て嵌らないからな。結果的には大差無いだろ」

 

「もう!何でギルはそんなに冷めてるかな。ここは少しでも喜ぶ場面だと思うよ」

 

 ナナとて楽観視している訳では無い。ここに来て極東の出動率に慣れつつあるからなのか、今回の大規模ミッションでの疲労感が今の所見られる気配は無かった。

 

 今回のブラッドの位置づけは感応種の討伐を中心に、数を少しでも減らす為の遊撃の役割が功を奏したのか、無理な討伐が必然的に無くなっていた。

 本来であれば完全に討伐させるのがミッションでの当然の任務となる。しかし、いつ現れるか分からない感応種を意識しながら目の前のアラガミと対峙出来る程、部隊そのものが円熟している訳でもない。

 そうなるとブラッドだけが消耗する形となる為に、それを防ぐ為の措置として、出来る範囲の中での任務に留まっていた。

 

 

「確かに楽観視したいのは山々だけど、ここで未知の感応種が出ればリンクサポートシステムが稼動出来ないんだったら、一先ず警戒だけは緩めない様にした方が良いかもね」

 

「北斗がそう言うなら確かにそうなんだけど……」

 

 苦戦する事が無かったからなのか、それともほんの僅かな油断が招いた結果だったのか、突如としてフランから通信が入る。それは今回の最大の懸念事項でもあった。

 

 

《皆さん19時の方向に中型種の反応です……しかしこれは…》

 

「フラン、どうかしたのか?」

 

 アラガミの反応をキャッチしたまでは良かったが、どこかフランの言葉に切れが無い。それが何を示しているのか、その場にいた全員が何となく理解した瞬間だった。

 

 

《いえ、中型種のデータはありません。恐らく新種の可能性が……感応種です!皆さん、どんな動きをするのかすら現状では不明です。慎重にお願いします!》

 

 感応種の中でも未確認データとなれば、新種以外に思い浮かぶ物は無かった。

この時点でリンクサポートシステムの対処が出来ないアラガミが出現した事になる。

 今回の戦いでの試金石となるからなのか、これまでの雰囲気が一転した瞬間、全員の表情が引き締まっていた。

 

 

「ここに来て新種とはね……どうやらアラガミからすれば、このシステムは何かと都合が悪いのかもしれないね」

 

 リンクサポートシステムが正常に稼動したと同時に今度は感応種の新種の登場はまるで何かがしくまれでもしているのかと思える程にタイミングが良すぎていた。

 これが本当の決戦になるのかすら今はまだ怪しい。今、榊にできるのはただ祈るだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれが感応種?何だか見た目がグロテスクと言うか……」

 

 ナナの言葉はその場に居たブラッド全員の気持ちを代弁していた。感応種の報はすぐさま警戒レベルを引き上げるが、戦場で発見した感応種は明らかにこれまでの種とは違っていた。

 

 

「確かに見た目はグボロ・グボロ種の様ですが……」

 

 遠目で見るアラガミのその形状は確かにグボログボロの様に見えるが、時折見えるその横顔は明らかに人面のそれに近く、また砲台の部分が高い鼻の様にも見える。

 一言で言えばこれまでの様な威圧感が何処にもなく、ただ滑稽なアラガミの様にも見えていた。

 

 

「見た目で判断は危険だ。感応種である以上、データは必要だろうから警戒するに越した事は無い。フラン、近隣のチームはどうなってる?」

 

《現在地からはどのチームも離れています。仮に感応波が発生したとしても、周囲のチームへの影響は無いか、仮にあったとしてもかなり限定的かと思われます。それと新種ですのでこちらも測定を開始します》

 

 一番最初に確認するのは周囲への影響だった。リンクサポートシステムは既存の種にのみ対応するだけなので、今回の様な新種が出れば虎の子の装置は用を成さなくなる。 その為には感応波の測定と同時に周囲への影響を弾く必要性があった。

 既に作戦が開始されてからそれなりの時間が経過している。各戦局は不明だが、それでも僅かな懸念材料すら排除する必要だけがあった。

 

 

「了解。まず俺達がやるべき事はあのアラガミが発生する感応波の確認だな。それが確認出来たと同時に一気に討伐しないと今度は各チームへ影響が出る。時間にシビアな展開になる以上、これまで以上にやるしかない」

 

 北斗の言葉に全員が頷いていた。新種の脅威は一刻も早く除外する必要があるも、測定もする必要がある。お互いの条件が相反するのは仕方ないのであれば、確認後は迅速な攻撃が必要となる事から、今回の討伐に関しても神速でやる必要が出ていた。

 

 

「全員散会。各方面から一気に攻撃するんだ」

 

 叫ぶ事無く静かに行動を開始し始めていた。まだアラガミは捕喰しているのかこちらの気配には気が付いていない。

 既に気配を絶つ事にも慣れたのか、全員が周囲を囲む事に成功していた。大きな咢がまさにその胴体を喰いちぎろうとアラガミに襲いかかる。

 それが合図とばかりに新種のアラガミとの戦いが開始されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「油断するな!」

 

 北斗の言葉に全員が警戒しながらも未だ休む事なく攻撃を続けていた。今回の最大のポイントは一気に討伐するのではなく、感応波や行動原理に弱点と確認すべき事を全てやる必要があった事だった。

 

 既にデータがあれば影響は出る前にやれば良いが、新種の場合はそう簡単に出来る訳もなく、結果を出す為には部隊を危険にさらし続けると言った二律背反が北斗に枷をかけていた。

 グボログボロ種だからなのか、一部は既に結合崩壊を起こし、目の前のアラガミは半ば死に体の様にも見える。にも関わらず感応波は未だ発生していなかった。

 

 

「北斗!様子がおかしい」

 

 ギルの言葉に全員が改めてアラガミを見る。このアラガミに体毛があれば恐らく何らかの行動を起こすのだろうと予測も出来るが、この種にそんな物はなく、今はこれまでの経験から判断した結果だけしか判断出来なかった。

 

 

《偏食場パルスを確認しました!皆さん落ち着いた行動して下さい》

 

 フランの通信と同時にアラガミが僅かに全身を震わしている様にも見える。その瞬間だった。全員の神機は一斉にバーストモードへと突入し始めていた。

 

 

「なんだこれ!」

 

「北斗、これは一体!」

 

 2人が驚いたのは無理も無かった。突如として発動したバーストモードに心当たりが一切無い。これまでの感応種であれば神機の行動不全になる事はあっても、こうまでバーストする様な能力はこれまでに一度も無かった。

 本来であれば感応種の偏食場パルスに影響を受けないはずのブラッドでさえも、無理矢理そうさせたと錯覚する現象は少しだけ慌てさせる結果となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「榊博士!これは一体」

 

 ブラッドが交戦したアラガミが放った偏食場パルスの結果にその場にいたフランは改めて榊へと視線を向けていた。これまでとは違った傾向の偏食場パスルが何なのかを解明する必要がある。

今はただ送られたデータを見るより仕方なかった。

 

 

「詳しい事は分からない。しかし……」

 

 榊が気になるのは無理も無かった。単純にバーストモードへと移行するだけであれば大きな問題はどこにも無い。

 むしろこのままの方が攻撃力が上がった状態で討伐出来る為に、大事になる可能性は低いとも考えられていた。しかし、これまでアラガミを研究し、今回の感応種が発生してからの経験が警鐘を促している様にも思える。

 それが何なのかが現時点では判断出来なかった。

 

 

「はい。分かりました。では直ちに確認します」

 

 原因不明のバーストモードをまるでどこかで見ていたかと思える様なタイミングでヒバリに通信が入った。

 既にこの事態を理解していたのかヒバリは頷きながらも状況を確認すべく、モニターの一部にブラッドのパーソナルデータと神機の適合を示すデータを引っ張り出す。

 それが何なのかヒバリには理解出来なかったが、榊は一目でそれが何を意味するのかを理解していた。

 

 

「無明君。どうしてこれが?」

 

《こちらも僅かながらに影響が出ています。データ上では感知されていないかもしれませんが、個人の神機によっては何らかの影響を及ぼす危険があります。特にエイジの神機に関しては恐らくは僅かながらでも影響が出ている可能性が高いのであれば、早急に確認して下さい》

 

 通信越しの声は無明も戦場に居るのは直ぐに理解出来た。本人の声は何も変化は無いが、時折聞こえる外部の音はアラガミの咆哮や悲鳴。それがどんな状況であるのかは確認するまでも無かった。

 

 

「ヒバリ君。エイジ君に通信を繋げてくれるかい?」

 

 榊の言葉と同時に通信がエイジへと繋がれている。既にこちらも交戦中なのか、無明と同様にアラガミの声が間断無く聞こえるその状況は正に激戦区の名に相応しい状況でもあった。

 

 

「どうかしましたか?」

 

「実はこちらでも観測した結果なんだが、君の神機に異変は感じるかい?」

 

「先ほどからバーストモードの際の神機の出力が大幅に上昇している様にも感じます」

 

 榊の言葉が何を言わんとしたのかを理解したのか、エイジは誤魔化す事無く事実だけを伝える。それが何を意味するのかは榊だけでなくエイジも大よそながら理解していた。

 交戦の最中にアリサから受けたリンクバーストはこれまでの能力とは段違いの出力にエイジも戸惑いを覚えていた。

 これが通常の任務であれば早急に確認すべくアラガミを始末するが、現状ではそれすら厳しい状況もあってか、容易に確認が出来ないでいた。

 このままの状況が続くのであれば大よその未来が見えてくる。その為には一亥も早い討伐を優先すべく、目の前のアラガミを瞬時に屠り去っていた。

 

 

「実は今ブラッドが戦っている感応種の影響が極めて高いんだ。これについては新種の為にデータを採取しながらの討伐に当たって貰っているんだが、流石にこれまでの感応種とはまたアプローチが違った形での神機への行使だから、現在はその結果待ちなんだ。

 ただ、こちらで分かっているのは一つだけ。君に限った事では無く、他の神機に関しても何らかの影響を受けているのは間違い無い。だたこちらで観測できるレーダーにはその影響が出ていない以上、現場の君達に確認するしかなかったんでね」

 

 通信を繋げながらもヒバリが出した画面には各自の神機の出力が一様に出ている。本来と決定的に異なっていたのは、通常のバーストモードは徐々に減衰しながら元の状態に戻ろうとする力が働いているが、現状では常時全開に近い内容の為に、未だに減衰が

確認出来ない点だった。

 このまま続けば神機も自身の能力によって壊れる危険性が高く、またエイジの神機に関しては特別な機能が搭載されている事もあってか、今回の中でも最大の影響を及ぼす可能性だけがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい。了解しました。直ちに討伐を開始します」

 

 榊の考察から推測された結論はすぐさまブラッドへと繋がれていた。既に様子を見ながらの感応種の討伐は幾つかの部位が結合崩壊したのかボロボロになっている。

 様子を見る為に敢えて急ぐ必要が無かったのが一転し、すぐに完全討伐の為の内容へと変わっていた。

 

 

「北斗。このアラガミの能力は極めて危険な物です。このままでは最悪、神機が持ち主を無視し勝手に暴走する可能性がある事が指摘されました。既に必要なデータは揃ったとの事でした」

 

 シエル言葉に誰もが声に出す事を忘れたのか、僅かな沈黙がそれを表す。このまま続けば神機の負荷だけが続く先が見えていた。

 

 

「このままだと神機に偏重出ても何も出来ない。今は一刻も早く討伐するんだ!」

 

 北斗の言葉で全員が改めて感応種へと視線を向ける。この局面で神機の動作不全が何を予定するのかは考えるまでも無かった。

 全員が一気にアラガミへと距離を詰めると同時に最大の火力で殲滅する。極限の中でも最大限のパフォーマンスを発揮させるべく、全員の神機が赤黒い光を帯びていた。

 

 

 

 



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第204話 一時の憩い

 

「まさかそんな感応種が居るとはね……今後の対応を急ぐ必要がありそうだね。ヒバリ君、各チームの様子はどうなんだい?」

 

《現在はアラガミの進行が停止している為に各チームとも小休止状態です。原因は未だ不明なままですが、これを機に各チームとも一旦休息を取っています》

 

 アナグラでは未だに新種の感応種にむけてのデータの整理と今後のリンクサポートシステムの反映の為の更新作業が続けられていた。

 既にブラッドの手によって討伐されたコアは解析に回されて居る事もあってか、ラボでも榊の手が止まる事は一切無かった。

 既に作戦が開始されてから10時間以上が経過している。このままではこちらのゴッドイーターの方が先に終わるかと思われる頃、突如として波が引くかの様にアラガミの進行がプッツリと止んでいた。

 

 

「そうか。すまないが各チームへの物資の手配を頼むよ。長期戦は免れないかもしれないが、こちらで観測できるアラガミの数はかなり減りつつある。後は彼らの奮戦に期待するしかないからね」

 

《了解しました。各チームへの物資供給は既に手配済みです。お互いの状況を確認しながら情報の共有化をします》

 

 ヒバリの声にも僅かながらに安堵の色が見えていた。今回の作戦に於いては戦場だけでなくオペレーターとしても何かと消耗の具合は著しかった。

 ヒバリとフランはまだしも、テルオミとウララに関しては初の実戦投入が最大の防衛戦となっている事もあってか、疲労の色が如実に見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フランさん、ウララさん、テルオミ君お疲れ様でした」

 

「いえ、私の事よりもヒバリさんの方が負担が大きかったのではありませんか?」

 

 これまでにも激戦をオペレートした経験が他の2人よりも僅かに勝っていたからなのか、ウララとテルオミ程消耗はしていないが、それでも疲労感が勝ったからなのかフランも今だけは珍しくソファーにへたり込む様に座っていた。

 既にウララとテルオミに関しても声に出せる様な状況は当の前に過ぎたからなのか、今は口を開く事もなくただ座っている。

 初めての実戦にしては余りにも緊迫するぎるこれは訓練とは比べものにならなかった。

 

 

「私はこれまでも何度かこう言った作戦の経験が有りますから大丈夫です。それよりも2人の方が…」

 

 そう言いながらフランも横目で見れば確かに疲弊しているのが直ぐに分かったからなのか、それ以上の事は口にはしない。

 今回の戦いに於いて未だ殉職が出ていないのはひとえに防衛班の指揮の上手さとそれをフォローしている事が最大の要因でもあった。

 しかし、完全に無傷と言う訳でも無く、それでも負傷者が新人や上等兵を中心に出ているのはある意味では仕方ない部分があった。

 

 

「ぼ、僕の事よりもウララちゃんの方が…」

 

「私も…何とか大丈夫です」

 

 口では大丈夫だと言っているが、精神的な疲労はそう簡単に癒される事は無い。いくらアラガミが今は襲ってこないと分かっていても、万が一の事を考えれば安易な事も出来ず、今出来る中で最大限の事をやるしか出来ない。

 これまでの激戦で培った経験からヒバリは直ぐに行動を起こしていた。

 

 

「取敢えず今後の事もありますので3人は一旦休憩して下さい。これまでの行動パターンからすれば夜間の襲撃は無いとは思いますが、それでも万が一の事があります。今夜は交代で周囲の状況を見ますので、先に休んでいて下さい」

 

 完全に終わった訳では無いからなのか、ヒバリは未だ緊張感が抜ける事無く画面を見据えている。現状では広域レーダーにアラガミの反応が無いからと既に現場でも休憩しているのはバイタルのデータから知る事が出来る。しかし、必ず来ないとは限らない以上、完全に気を抜く訳にも行かないのもまた事実。

 そんな全体の目となる為に、ヒバリは未だ警戒を解かずにいたままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「流石に今回の襲撃は堪らないね。何だか集団で襲い掛かる事に規則性も何も無いから気を緩める暇も無いってのは厳しいよ」

 

 一旦はアナグラに戻る事も考慮されたが、今回アナグラまで戻るには些か不確定要素が強いからなのか、2台の戦闘指揮車を中心に、4つの部隊は2つになって休憩を入れる運びとなっていた。

 これまでの情報として上がっているのは各戦場でも負傷者の数とその度合い。曹長以上ともなれば負傷者は少なくなっているがそれでも上等兵以下は数が多く、一部の神機使いはアナグラへと搬送される事になっていた。

 

 既に今回の戦いに於いての物的な被害は未だ少ないが、これがいつまで続くのが分からない戦いは精神を摩耗する事になる。それが分かっているからこそ現地での確認が急務となっていた。

 

 

「でも、当初よりは負傷者の数は少ないですからやっぱりタツミさん達の指揮の効果は出てますよ。僕らだけならちょっと厳しい数字が出たでしょうから」

 

 休憩に入ると同時に、数人が食事の準備をすべく運ばれた物資を使い準備を進めている。今回は人数が多い事もあってか用意だけでもそれなりの数に上るからなのか、準備にはこれまで以上に時間がかかっていた。

 

 

「しっかし、あのバーストモードがそんなにヤバいとは思わなかったから、あのままだとしたらゾッとするよ」

 

「そう?私としては有難かったんだけど、やっぱり近接型は違うのかしら?」

 

「恩恵は確かにあるんだが、万が一アラガミの手前で神機が動作不全になるとかなり拙いからな。その辺りの感覚なんだと思う」

 

 タツミの言葉にジーナは何気なく状況を確認していた。今回のバーストモードに関しては近接型よりも遠距離型の方が一方的に恩恵を受けていた。

 常時バーストモードであればバレットの威力も上がるだけでなく、弾切れにならない間隔が長くなるのか、これまでの中でも最大限に狙う事が出来ていた。

 お互いの特性が大きく異なる為にそれ以上の事は何も出来ず、今はただ聞く事しか出来なかった。

 

 

「皆さん、とりあえず一旦は食事にしませんか。準備は出来ましたから」

 

 アリサの言葉に情報の共有をここで一旦終えると同時に、今は少しでも体力を回復させる事を優先していた。

 既に他の人間も食事にありついた事から、僅かに張りつめた雰囲気が緩んでいた。本来であれば直ぐにも食べたい所ではあったが、ここでタツミは一度確認すべく、エイジの方を見る。

 この場にずっと居た以上、何もしていないのは分かっている。となれば誰が作ったのかをまずは確認してからの方が良いだろうと判断した結果でもあった。

 

 

「これってアリサが作ったのか?」

 

「私だけじゃないですよ。今回は有志で作りましたけど、流石にこの量ですからほぼ全部がコンバットレーションです」

 

「……そっか」

 

 その言葉に何となく安心したのか、タツミはそのまま出されたスープを口にしていた。

 暖かいスープが疲弊した身体に染み渡る。如何に今回の作戦が厳しい物なのかを改めて実感していた。今回の作戦で事実上の全精力を投入している以上、これ以上の人員の追加を望む事は出来ない。

 既に負傷者は治療の為に運ばれてはいるものの、すぐに回復出来る様な状況はどこにもなく、このままではと嫌な未来だけが現実味を帯び始めている。

 疲弊しているのは身体だけでなく心も同じだった。

 

 

「せめて原因が分かれば対策の立てようもあるんだけど……アリサ、榊博士は何か言ってた?」

 

「今回の件に関しては未だにハッキリと分からないそうです。これが通常でない事は分かっているらしいんですが……」

 

 情報の共有化に於いて原因を探るのも一つの考えでもあった。既に先が見えない戦いは如何に強靭な肉体を持ったゴッドイーターとて消耗し続ける。

 それがもたらす未来もまた分かり切っていたからなのか、タツミだけでなくエイジも口に出す事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見えない戦いがこのまま続くかと思われた矢先だった。嵐は突如としてやってきた。

 

 

《エイジ、さっき聞こえた声はまさかとは思うが……》

 

 野営をそのままに朝日が昇る頃、突如としてどこかで聞いた様な声が微かに聞こえたと思った瞬間、エイジの通信機からリンドウの声が響いていた。

 既にその正体に気が付いたからなのか、早朝のテンションは既になく、そこにはいつでも交戦可能なままのリンドウが通信機越しに見える様だった。

 

 

「間違いないです。あれは……キュウビです。一度アナグラにも確認します」

 

 以前に聞いた声は討伐したキュウビのそれだった。未だ距離があるからなのか、まだ耳を澄ます程度にしか聞こえてこない。

 しかし、本来の移動速度を知っていればその距離は既にこちらへと一足飛びで接近出来る距離でもあった。

 

 

「ヒバリさん。広域レーダーにキュウビの姿は無いですか?」

 

《こちらでも既にキュウビはキャッチしています。キャンプ地からの距離であれば恐らくは時間はもう少しかかる可能性は高いです。既に全部隊にも同時に指令が出ています。クレイドルは一旦現状の部隊配置を廃棄し、新たな作戦に任務の更新を行います》

 

 早朝にも関わらずヒバリの声は普段とは変わりは無かった。アナグラのレーダーにキャッチしている以上、ここから先は現状の勢力を変更しての討伐に入る。

 その為に準備をし始めていた。

 

 

《緊急事態です。キュウビのさらに後ろにキュウビに似たような個体がキャッチしました。詳細は不明ですが恐らくは変異種の可能性が高いです》

 

 ヒバリの声は何時ものアラガミの出現とは違っていた。本来であれば半ば絶望的な状況の様にも思えるも、敢えて冷静に話す事で現場の動揺を抑えている。

 既にもう一体のキュウビの情報が流れていたからなのか、上級職の人間は臨戦態勢へと変わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「了解。ブラッドも一旦はαチームに合流する。こちらも既に引き払う準備は出来てるからすぐにでも行動に移す」

 

 ヒバリからの一報はブラッドにも通達されていた。以前に瀕死の状況にまで追い込まれたキュウビとの戦いはブラッドにとっても最早因縁の相手。それが二体となれば確実にこちらも戦力として行動する事を最優先と考えていた。

 

 

「キュウビが二体ですか…」

 

「そうだけど、恐らくそのうちの一体は変異種の可能性が高い。俺達も一旦はαチームに合流する。詳細はそれからだな」

 

 通信越しの状況は決して良い物ではなかった。厳しい戦いを余儀なくされるキュウビの討伐だけでなく、その後方にも同じ個体の変異種が接近し始めているのは既に尋常では無い状況だった。

 北斗の通信を横で聞いていたシエルの表情が晴れる事はどこにも無い。再度あの戦いを繰り広げすのであればと言った考えも無く既に臨戦態勢へと入っていた。

 

 

「ギル、ナナ。俺達もαチームに合流する。あとはそこでの対応だ」

 

「あの時の雪辱戦って所だな」

 

「一気に決めるよ」

 

 一旦合流し、情報の共有を終えたあと、ブラッドは少し離れた場所での警戒をしていた。感応種が出た場合真っ先に動く為にと離れはしたが、そんな事などお構いないなしとばかりのアラガミの動きはこちらの行動を読んでいる様にも思えていた。

 既に簡易キットで組まれたキャンプ地を引き払い、合流しようと行動を開始していた。

 

 

《ブラッド。現在地より2キロ先に感応種の反応があります。そちらの地点までの到達予測時間は5分です》

 

 突如としてフランから来た通信はまるでブラッドを寄せつける事を阻むかの様な行動の様にも見えていた。

 5分であれば事実上移動する事は不可能なだけでなく、今度はブラッドが感応種を他に近寄らせない様に行動する必要が出ていた。既に遠吠えが聞こえる時点で個体が特定できる。

 それはマルドゥーク接近の合図でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「榊博士。いくら何でもキュウビの連続討伐はクレイドルと言えど無理があります。最悪は倒れる可能性もあります」

 

 全体を俯瞰的に見ていたヒバリの言葉は事実だった。今回の任務の中でも難点がキュウビの処遇。

 仮にクレイドルが交戦した際に戦闘音を聞きつけたのであれば2体と同時に交戦する形をなってくる。如何に手練れと言えど同時に2体は無理があるのは明確だった。

 徐々に近寄るキュウビの個体はまるで試すかの様に移動を開始している。それがもたらす物が何なのかは誰にも分からなかった。

 

 

「フラン君。ブラッドの方はどうなんだい?」

 

「2分前にマルドゥークと交戦を開始しています。リンクサポートの関係もあってか、他の部隊から少しづつ距離を取りながら移動しています。この討伐がどれだけかかるのは未だ見当が付きません」

 

 フランは榊の顔を見る事無く現状を把握し始めていた。既に交戦中であるのは大画面にも記されている。交戦中の感応種を引き離す事が無理である以上、今は考慮する事すら憚られていた。

 

 

「榊博士!一体目のキュウビがβチームの場所に最接近まで推定10分です」

 

 既に悩む暇すら与えられない程の時間しか残されていなかった。この状況下で出来る事は限られてくる。今後の状況判断をゆっくりと考える暇は既に無くなっている。

 となれば、やるべき事はただ一つだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「了解しました。直ちに行動に移します」

 

 キュウビの最接近まで残す時間は10分を切っていた。既に咆哮が時折聞こえると同時にやるべき事を明確に決定したからなのか、通信を切ったコウタの行動は迅速だった。

 

 

「曹長以下のゴッドイーターはこのまま後方へと退避!この場は第1部隊と防衛班で賄う。既に他の部隊も移動を開始してるが最低限の物だけ持って移動だ!」

 

 コウタの言葉に上等兵クラスの人間が固まっていた。これまでに経験した事が無いアラガミがこの地に来る以上、足手まといでしかない。

 既に状況を確認したからなのか大半の人員が退避行動を開始していた。

 

 

「ここにキュウビが来るって事は、俺達で何とかしろって事か?」

 

「なんだ。怖気づいたのかシュン」

 

「んな訳あるかよ。逆に返り討ちに決まってんだろ」

 

 コウタの言葉を聞いた2人も神機を手に即座に戦闘態勢へと入りだしていた。

 この時点で詳細は不明だが、キュウビがここに向かっている事だけは間違い無い。2人の言葉からからも既に迎撃態勢だけが整っている。

 それがどんな結果をもたらすのかも分かった上での判断だった。

 

 

《キュウビ接近まであと1分!もう間もなく来ます!》

 

 ヒバリの声が通信機越しに響く。既にここからも見えるのか、崖の上からキュウビがゆっくりとこちらに向かって歩き出している。

 こちらにも援軍としてαチームが向かっているのは知ってるがそれよりもキュウビの方が行動が早い。残された時間をいかに凌ぐのか、最後の戦いの幕が切って落とされようとしていた。

 

 

 



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第205話 各々の任務

 

「エイジさん。コウタさん達βチームは現在キュウビと交戦中です。速やかに合流をお願いします」

 

 コウタ達βチームが交戦を開始した情報はすぐさまエイジ達αチームにも届いていた。 キュウビの出現した場所だけでなく、現在感応種と交戦しているブラッドの中間地点でもあるこの場所からは即座に判断される程の距離となっていたのが幸いしたのか、既に行動を起こすべく準備に入っていた。

 事前に出た指示に曹長以下は既に撤退している。現在この場に残されたのはエイジ以外にはアリサとブレンダン、ジーナだけだった。

 

 

「エイジ。キュウビは確かこの前までクレイドルが追いかけていたアラガミの事だったと思うが、俺達も参戦して大丈夫なのか?」

 

 ブレンダンが心配するのは当然だった。当初キュウビと対峙した際にクレイドルは一度目の前で取り逃がしている。

 勿論、何もデータが無い状態と現状では比べる対象が違うのは重々承知の上ではあったが、これまでに防衛班がキュウビとの交戦が無かった事もあってか、確実な行動を起こす為にエイジに確認していた。

 既にジープは砂ぼこりを上げながら全速で走っている。本来であればヘリを使うのが一番早いが、この場所からでは到着から移動までの時間を考えれば車の移動の方が結果的には早いと判断されていた。

 

 

「当時は何も分からないままでしたからね。でも今は討伐のデータも行動原理も分かりますから、以前の様な事にはならないと思います。後はどれだけ上手く攻撃を捌けるのかだと思いますよ」

 

 ハンドルを握りアクセルは床を抜くかの様な勢いで踏みつけながらもエイジは周囲を確認しながら走らせている。この音にアラガミが引き寄せられる事になれば本末転倒の可能性が高く、また一刻も早い到着が要求される事もあってか、ブレンダンとの会話を交わしながらも視線は周囲を見渡していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一気に仕留めようとするな!様子を見ながら被害は最小限に止めるんだ!」

 

 コウタの声が戦場に響く。既に目の前のキュウビは全身の毛を逆立てるかの様にし、周囲を威嚇する。それがまるで何かの合図かの様に戦端は一気に切って落とされていた。

 これまでの戦いの中でも最大限に厳しい戦いである事は間違い無かった。既にコウタの指示で普段であれば突撃隊長とばかりにエリナが突進するが、流石に目の前のキュウビにも同じ様な事が出来るとは思ってもなかったからなのか、お互いの間合いを考えながら行動を起こしていた。

 

 

「ヒバリちゃん。エイジ達はどうなってる?」

 

《現在はコウタさん達βチームへと移動を開始していますが、恐らく到着まで15分程かかる可能性があります》

 

「15分か……ありがとうヒバリちゃん」

 

 ヒバリが伝えた15分の時間はコウタが思った以上に長く感じられていた。未だ膠着状態となってはいるが、目の前のキュウビは既に突撃の態勢に入っているのか前足に体重がかかり、既に突進する寸前の状態となっている。

 このまま回避だけを続ける訳にも行かないだけでなく、既に合流したカレルとシュンも最初の第一手を見極めようとしていた。

 

 

「来るぞ!」

 

 コウタの言葉に全員が散開していた。このメンバーの中でコウタだけが唯一クレイドルの隊員である事から、キュウビの行動パターンがリンドウやエイジから聞かされていた。

 しなやかに動くその行動とは裏腹に、これまでに討伐したアラガミよりも攻撃力が高いそのキュウビはこのメンバーだけで討伐出来るのかすら怪しい物となっている。

 既に属性が伝えれている事から、防戦一方になる事を避けるかの様にカレルがキュウビの目に向かって銃撃を放っていた。

 

 

「カレルさん退避だ」

 

「一々俺に指示を出さなくても大丈夫だ。お前こそ自分の部隊の人員の心配でもしていろ」

 

 当たり前の様にカレルはキュウビの突進を回避していた。これまで防衛班はその名の通り、サテライトの防衛を最優先とした任務に各自が事実上の単独で就いていた。

 アナグラからも念の為にと何人か新人に毛が生えた程度の神機使いを同じチームで行動をしているが、完全に信用しきれないと判断したからなのか、それとも最初から居ない物だと判断した結果だったのか、全体を俯瞰で見ながらの攻撃方法はコウタと同様に遠距離型特有の行動パターンを作り出していた。

 それ故に直撃を避け、回避行動を最優先に動いていた。

 

 

「カレルだけがやれると思ったら大間違いだからな」

 

 シュンの持つラトルスネイクはこれまでの神機使いには珍しくベノム効果が付与された神機を使っている。

 従来の様な生物に対してのそれでは無い為に致死量が分からないアラガミに対し、どこまで有効なのかは未だハッキリとしていない部分が存在している。

 しかし、アラガミとてオラクル細胞を準拠した生物である事から即死の効果は無くても徐々にその命を奪う事が可能である事が検証されていた。

 突進した直後の隙を逃す事無くシュンは気配を殺し最接近する。本来であれば捕喰行動に移るが、このアラガミの特性が分からない以上、今は確実に毒を与える方を優先させている。

 

 

「ざまぁみろ!」

 

 シュンの一撃がキュウビの太ももを貫く。それに呼応したかの様に神機に付与されたオラクル由来の毒がキュウビをゆっくりと蝕んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「焦るなナナ!」

 

 キュウビとの討伐が開始される頃、ブラッドは2体の感応種と未だ交戦を続け居ていた。

 これまでの事を考えれば感応種が同時に出てくるケースは殆ど無く、今回のミッションでの内容も事実上初めてと言っても過言では無かった。

 お互いの属性が正反対であるだけでなく、お互いがまるで連携しているかの様に属性の異なる攻撃を交互に繰り返している。既に交戦してから30分以上が経過しているが、現時点では未だ結合崩壊の兆しすらなくこのまま先が見えない状況が続いていた。

 

 

「分かってるけどさ」

 

 北斗の声にナナは珍しく声を荒らげていた。このメンバーの中では割と相性の問題もあってかナナがマルドゥークと交戦するのが良いと判断したまでは良かったが、今の時点ではイェン・ツイーの行動にナナが翻弄されている状況だった。

 ブラッドが感応種と交戦してからは誰も気が付いていないが、徐々に戦場の位置が他の部隊から遠ざかっている。

 このまま合流されるのが困るかの様にも見えるその行動に誰も気が付かないままだった。

 

 

「シエル。少しづつだが戦場が移動していないか?」

 

 現在の時点でイェン・ツイーと交戦しているのはナナと北斗であると同時にギルとシエルはマルドゥークと交戦していた。本来であればナナの重攻撃で一気に結合崩壊を狙う事が多かったが、肝心のナナがこの場に居ない事もあってか、ギルとシエルはマルドゥークに対して決定的な攻撃が無いまま交戦せざるを得なかった。

 飛び跳ねるマルドゥークを捕まえるのは困難に等しく、その為に何時もとは違った行動で徐々にダメージを与え続けていく事しか出来ない。

 そんな中で周囲の景色が先ほどとは微妙に違う。既にどれほど最初の地点から離れているのかは分からないが、確実の当初の位置よりも大幅に移動している事にギルは気が付いていた。

 

 

「そうですね。先ほどまでとは景色が若干違う様にも見えます。アラガミが誘導しているとは思いませんが、やはり地形が変わっている以上、何らかの意思が働いていると考えた方が良いかもしれません」

 

 距離が離れるたびにシエルのアーペルシーは一撃必殺とも取れる程の勢いでマルドゥークの顔面に狙いを付ける。しかしマルドゥークは激しく移動する事が多く、行動もまた不規則な事もあってか目を狙うも直撃する事は一度も無かった。

 その戦いの最中、フランからの通信が今の疑問の答えとばかりに通信機に鳴り響いていた。

 

 

《ブラッド、所定の位置よりも3キロ程移動していますが何かあったんですか?》

 

 フランからの通信でまさかそれ程移動していると思ってなかったのかギルだけでなくシエルも驚きを隠せなかった。既にそれ程移動しているとなれば、今度は討伐が完了しても他の戦場に向かう事が困難となるだけでなく、そのほかの移動手段を使うにしてもそこにいくまでの時間がかかる。

 既にブラッドの交戦地は他のチームから分断されているに等しい状況に陥っていた。

 

 

「北斗!ここは既に当初の位置から大きく外れています。一度距離を縮めるか、一気に討伐するしかありません!」

 

「分かってる。だが、こっちはそうもいかない」

 

 少しだけ攻撃が当たる度にイェン・ツイーは大きく跳躍を繰り返し距離を一気に突き放す。それが戦場の位置を移動する最大の要因でもあった。

 これ以上距離を離す訳には行かないが、上空へと逃げられるとナナのアンベルドキティでは距離が足りず、また北斗もそれほど銃撃に重点を置いていない事からも直撃させるのではなく、牽制程度にしか使っていなかった。

 既に移動しているからなのかそこがどこに近いのかを誰も気が付く事はなかった。

 目の前に見える小さな森はある意味結界の意味合いで置かれている事に誰も気が付いていなかった。

 

 

「どうしよう北斗。このままだとあの森の中まで行っちゃう」

 

「何とかこっちに寄せる様にするしかないぞ」

 

 何とかこちらへ意識を向かせようにも、まるでこちらの意図が透けて見えるのか、一向にこちらへ来ようとはしない。既に森の一歩手前までイェン・ツイーが近寄ろうとした瞬間だった。

 これまで苦戦した最大の原因でもある両方の腕羽が身体から肩口から一気に斬り裂かれると同時にこれまで微笑を浮かべた様な顔は悲痛な表情へと変化している。

 妖婦のこれまでに聞いた事が無い様な悲鳴と共に血をまき散らしながら飛ぶ事だけでなく、その場から逃げる事すた許されなかった。

 

 

「何あれ?」

 

「いや…何だ?」

 

 北斗とナナが驚くのは無理も無かった。突如として斬り裂かれた後の光景を見ていたが、その直前に何が起こったのかを理解出来ない。分かっているのは森の近くまで近寄ったイェン・ツイーが斬捨てられたかの様に居ただけだった。

 

 

「お前達。ここで何をしているんだ。既にここは戦場から離れているはずだが」

 

 気配を察知出来なかったのか、その声が誰なのかは分かっても肝心の姿を見つける事が出来ない。それ程までに完璧な隠形は周囲と同化していた。

 

 

「ここは屋敷の周辺なんですか?」

 

「そうだ。既にここは敷地の近くだ。このイェン・ツイーの始末は殆ど終わっている」

 

 姿を現しながら神機に付いた血を振って飛ばしながら2人に声をかけた主は無明だった。

 今回の作戦群に関しては一度も姿を見せていなかったはずが、ここに来て突如として姿を現す。既に目の前のイェン・ツイーは両腕羽だけが斬られただけでなく首も胴体から離れていた。

 先ほどまで苦しめられていたイェン・ツイーの変わり果てた光景に北斗だけでなくナナも驚愕の表情を浮かべながら、これまで苦戦していたこのアラガミが一刀両断とも言える斬撃で命を散らした事実だけを見ていた。

 

 

「ありがとうございます。助かりました」

 

「ここは俺の管轄する敷地だ。礼を言われる必要はない。コアの回収はしておくからお前達は直ぐにマルドゥークとの交戦に入れ」

 

 大きな咢がイェンツイーの身体を捕喰する。手元のコアが回収出来た事を確認したのか無明は再び森の中へと姿を消していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 αチームのキュウビ討伐はそろそろ佳境を迎えようとしていた。これまでの様に何も無い状態からの戦いではなく、既に持っているデータを駆使した戦いはクレイドルではなくても討伐が可能な状況になりつつあった。

 今回の最大の要点はシュンが使う猛毒の存在だった。元々キュウビは他のアラガミとは違い、混じり気が少ない事から状態の変化を受けやすく、それはシュンの猛毒も例外ではなかった。

 

 ゆっくりと全身を蝕むと同時に、少しづつキュウビの動きを鈍らせていく。これまでの様に活発に動く可能性は既に無いと分かり始めた頃、これまでの苦戦が嘘だったかの様な反撃がブランダンのチャージクラッシュを皮切りに始まっていた。

 

 

「これがキュウビか。今回の報酬はさぞ良いだろうな」

 

「誰がお前だけに渡すかよ!」

 

 カレルの銃撃が一転集中とばかりに鼻先へと集まる。これまでの蓄積されたダメージによって決壊したかの様にキュウビの顔面が大きく崩れていた。

 既にオラクルを吹き出しながらの行動に精彩は微塵も無い。止めとばかりにジーナの銃撃が結合崩壊を起こした場所に着弾すると、キュウビの身体が一瞬だけ跳ねるとそのまま動かなくなっていた。

 

 

「あら、最後は私だったみたいね。横取りする形でごめんなさいね」

 

「畜生!なんでジーナなんだよ!」

 

 シュンの叫びを他所に、横たわったキュウビのコアをブレンダンが一気に引き抜く。 今回のキュウビは前回対峙したものよりも個体的には劣っていたのか程なくしてそのまま霧散していた。

 

 

「皆さん。お疲れ様でした」

 

「ああ、しかしクレイドルが情報を提供してくれなかったらこんな結末になったかどうかも怪しいのもまた事実だ」

 

「いえ。やっぱり皆さんの力があっての結果なんで」

 

 ブレンダンの言葉にコウタだけでなくマルグリットも素直に賞賛の言葉をかけていた。

 これまで個体数が圧倒的に少ないだけでなく、今回の大規模な戦いにまでキュウビが潜んでいるとは誰も思ってもいなかった。

 戦闘の後半になってからエイジとアリサも到着したが、実際には直接戦う事は無く、結果的には様子を見るだけに留まっていた。

 今回の作戦での結果からすればこのままの勢い次に行きたいと思うが、今はそんな心境にはなれないでいた。

 

 

《皆さんお疲れ様でした。現在の所αチーム周辺のアラガミは感知できませんが、警戒はそのままお願いします》

 

「ウララさん。他のチームはどうなってる?」

 

《現在の所ブアッドは感応種と未だ交戦中です。先ほどまでは2体同時でしたが、今は残す所1体だけです。ただ距離この場から大きく離れているのと同時に今はマルドゥークと交戦中です》

 

 この場は問題が無くても他の戦場の事が気がかりになる。既にこの周辺一帯のアラガミは掃討された事もあってか周囲を見渡してもアラガミの姿を見る事が出来ない。

 この地での戦いは僅かに終了を醸しだしていた。

 

 

《エイジさん、アリサさん。すみませんがγチームの所に急いでください、こちらもキュウビですが変異種の可能性が極めて高いです》

 

「了解。直ちに向かいます」

 

 和やかな空気はヒバリの言葉にかき消されていた。今回襲撃に来たアラガミの中でもたった今討伐したキュウビが最大の原因だとも考えられたはずが一転し、今度は他のキュウビが出現していた。

 しかも通常種ではなく変異種。それが何を指しているのかは考えるまでもなかった。

 

 

 



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第206話 囮と分断

「ったく次から次へとキリが無いぞ」

 

 γチームのリンドウは珍しく苛立ちを隠せないでいた。今回の最大の作戦群の中にキュウビが混じっていた事だけなく、苛立ちの最大の原因となったのは目の間に居るキュウビは通常種ではなく、変異種だった。

 当初はこれまでのキュウビの行動パターンを参考に、各自お互いの行動を制限し無い様に行動していたが、徐々にそのパターンが乱れつつあった。

 

 

「ソーマ。ここらで一発やるか?」

 

「馬鹿か。出来るならもうやっている」

 

 ペースが乱れたのであればそれを回復させるのが戦局を立て直すには手っ取り早い。

 しかし、それをひっくり返す為に必要な物資でもあるスタングレネードの手持ちは既にリンドウとソーマの手元には存在していなかった。

 変異種のキュウビの最大の特徴は以前に討伐した種とは違い性格なのか、それとも変異種独特の気性の荒さなのか随分と交戦的な部分だった。

 これまでの様な動物的な行動がなりを潜めると同時にアラガミ特有の捕喰傾向が強いのか、誰か一人だけを決めつけたかの様に執拗に攻撃をする点だった。このメンバーの中で最大のアキレス腱となったのが、一番経験が浅いエミール。

 タツミやカノンには一瞥すらせず、まるで一番やりやすいとばかりの行動にリンドウとソーマもフォローだけで精一杯の状況となっていた。

 

 

「まさか、狙ってやってるなんて事は無いよな?」

 

「そんな事知るか。今は何とかエミールから引き剥がす事が最優先だ」

 

 このメンバーの中では確かにエミールが一番経験が浅いのは誰もが知っている。だからと言ってエミールが悪い訳では無かった。

 カノンとタツミは元々守勢に回っていた事もあってか、突如として現れたキュウビの変異種はターゲットにすらしていない。元来の野生の名残なのか、それとも何かが違ったのかキュウビはひたすらエミールを狙った事によって、事実上の携行品の殆どを使う羽目に陥っていた。

 

 

「僕がふがいないばかりに……おのれ闇の眷属よ!今度こそ神をも倒す一撃をくれてやろう!冥土の土産に持って行くがいい!」

 

 エミールは自身を奮い立たせるかの様にタプファーカイトに火を入れる。その燃え盛る炎が今のエミールの心情を表していた。

 奮起したのかエミールの視線はキュウビから外れる事は既になく、まるで一騎打ちと思える緊張からなのか、周囲の人間は見守る様に見ている様な雰囲気だけが存在したと思われた瞬間だった。突如としてキュウビの後ろ足に激しい音と衝撃が加わる。

 余りの威力に周囲の砂埃が舞い散っているのか、その中から現れたのは自信のスヴェンガーリーの銃口を向けたカノンだった。

 

 

「まだ倒れないなんて……肉片にしてあげるね」

 

「タツミ!何でカノンがあそこに居るんだ!」

 

「あれ?なんであんな所に居るんだ。カノンこっちに戻れ!」

 

 突如として現れたカノンの同行はその場にいた全ての人間が虚を突かれたからなのか、リンドウがタツミに向けて放った一言だけが全てを物語っていた。

 先ほどまで隣に居ると思いこんでいたタツミでさえも、カノンの行動の予測が出来ないでいたのか動揺は隠せていない。

 改めて銃口を向けるカノンは再び引鉄を引く。既に被弾したキュウビはそれを察知したかの様に大きく跳躍しながら距離を取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キュウビの変異種?」

 

「今、リンドウさん達が交戦中なんですが、どうやらその個体の特徴なのか、気性が荒く現時点での携行品は無いらしいです」

 

 先ほどまでの戦いを他所にエイジとアリサはジープで移動していた。途中の情報をアナグラから確認したアリサが運転するエイジへと情報を伝える。既に時間がどれ程経過したのか分からない程に2人の心の中は焦りが出ていた。

 

 既に一度でも対峙した事があるアラガミだとしても精神的な余裕は必要不可欠なのは既にゴッドイーターの常識となっている。

 これまでにも結果的には携行品の使用がないまま任務完了となるケースはあったが、それでも何も所有しないままで出向く事は一度もない。既に手慣れた任務の内容だとしてもアラガミまでもがそうだと言う保証がどこにも無いのが一般的だった。

 常に学習する事で進化し続ける個体は人類の想定をいとも簡単に越えてくる。既に携行品が無い事がどれ程の事なのかをエイジとアリサだけでなくヒバリも理解しているからこそ逐一情報を更新していた。

 

 

「変異種の特徴とかって何か分かってますか?」

 

「こちらで確認出来る事は特にありません。目立った変化は分かる範囲であれば気性が荒い事と、特定のゴッドイーターに狙いを付けて執拗に攻撃している点です」

 

「特定の……ですか」

 

 ヒバリの言葉にアリサはそれ以上の事は何も言えないでいた。これまでにも知能が高いアラガミはどこか戦略じみた行為をする傾向が多く、これまでにも何かと苦しめられてきた。今γチームが戦っているキュウビも最近ではその中の一つに当てはまる。

 そんな知能が高いアラガミの変異種ともなれば苦戦するのは間違いと思うのはある意味仕方ない部分だった。

 

 

「すみません。ここで一旦通信を切ります」

 

 突如として切れた通信だけでなく、その瞬間のヒバリの声には大きな動揺が含まれていた。変異種のキュウビとこれまでの内容。そして突如として切れた通信が何を示すのかは分からないが、携行品が無い事から導き出される可能性はそう多くは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このマルドゥークはやたらとしぶといな。ダメージ的にはそろそろだと思うが……」

 

 ギルの言葉は既にどれ程の時間が経過したのかすら分からない程に力が弱々しかった。

 結果的には無明の一撃によって始末されたイェン・ツイーを尻目に、改めて北斗達はマルドゥークと対峙している。本来であれば既に討伐が完了してもおかしくないと思える程のダメージを与えているにも関わらず、目の前のマルドゥークは未だ健在だった。

 既に両前足のガントレットはナナによって結合崩壊を起こし、後ろ足も破壊された事によって自慢の機動力すら既に無くなっている。

 本来であればこのまま討伐出来るはずが、未だ倒れる事が無い事にギルだけでなく、他の全員も同じ様な事を考えていた。

 

 

「直覚によるデータからも既にギリギリの状態である事に間違いは無いんですが……」

 

 少しだけ距離を取りながらも一定の警戒と視線を外す事無くブラッドはマルドゥークと対峙している。以前のロミオを襲った個体は既に霧散している以上、早々知能が高いアラガミが出没する可能性は無いだろうと考えていた。

 しかし、目の前に対峙したマルドゥークの目には未だ力が残っている。本来であれば真っ先に逃亡してもおかしくないが、それでも結果的には逃げる素振りすら見える事は無かった。

 

 

「シエル。あのマルドゥークなんだけど、やっぱり何か変だと思わないか?」

 

「確かに言われればそうですが」

 

 既に虫の息と取れる程のダメージを受けながらも未だ対峙するそれに北斗は違和感を感じていた。

 シエルの能力がこれまでに間違ったデータをはじき出した事は一度も無い。しかも攻撃の手ごたえだけを見れば軽いとは言い難い一撃を何度も直撃させている。

 確かにアラガミの生体は未だ解明されない部分もあるものの、これほどまでに生存に特化した情報はこれまでに一度も感じていない。そんな矢先の事だった。

 不意に北斗の中で一つの可能性と疑惑が生じる。まさかと思いながらもそれが事実であれば、今回の襲撃の可能性とその特性を垣間見た様な錯覚に陥っていた。

 

 

「シエル。悪いけどもう一度マルドゥークに向かってブラッドバレッドを放ってくれないか?」

 

「それは構いませんが、何かあったんですか?」

 

「いや。少し確かめたいんだ。頼む、やってくれ」

 

真剣な表情で北斗はシエルに対し頭を下げる。今は行動が先決だと無言の命令の様にも見えていた。

 

 

「……分かりました。では準備に入ります」

 

 改めてシエルは自身の神機を銃形態へと変形させると同時に、アラガミの命を刈り取るべくアーペルシーの銃口をマルドゥークに向ける。

 一定の距離があるにも関わらず未だ動く気配が感じられないそれに対し、北斗以外のメンバーも違和感を感じ始めていた。

 

 

「手ごたえありです」

 

 無慈悲な一発の銃声がマルドゥークの眉間を直撃する。動く気配が無いと思われたマルドゥークは元からなのか、それとも今しがたなのか体の輪郭が徐々に崩れ出したと思った瞬間だった。まるで何もなかったかの様にそのまま霧散し始めていた。

 

 

「北斗、あれは一体?」

 

「恐らくは既に命が無くなっていたのかもしれない。可能性としては低いとは思うが、何故なのかを考えても今は何とも言えない」

 

 北斗はそう言いながらもこれまでに戦っていた経緯を改めて考えていた。今回の最大の特徴でもあるのがリンクサポートシステムによる検証と同時に同時多発攻撃を防衛する為の作戦が行使された点だった。

 しかし、当初の予定とは大きく違っていたのは今回の任務は防衛班だけでなく全戦力と投入した点だった。そこから導き出される事は一つだけ。既にこのイェン・ツイーとマルドゥークの交戦がブラッドをここに止める為の囮の可能性だった。

 しかし、それが事実なのかを検証する暇は既になく、目の前で霧散した事と、既に指定の場所から大きく逸脱しているのが何よりの可能性でしか無かった。

 

 

「フラン。現在の状況はどうなってる?」

 

《現在の所、αチームとβチームの合同でキュウビの討伐が完了していますが、γチームにも同じくキュウビと交戦中ですが、これは変異種の可能性が高い事もあって、現在はα、βのチーム編成は解除。今はエイジさんとアリサさんがγチームの元へと移動しています》

 

 フランの言葉に北斗はやはりと言った表情を浮かべていた。今回の作戦の最大のポイントはお互いの戦力の分断。誰が何をどうするではなく、それぞれが完全に分けられた事によって一極集中する事を完全に防がれていた点だった。

 

 

「フラン。ここからγチームへの移動は可能なのか?」

 

《残念ですが、そこからの移動は既にヘリでの行動となります。しかし、現在は主戦力を残し他の戦力は一旦アナグラへと帰投している途中なのでブラッドの元に帰投用のヘリを向かわせるのは最低でも1時間は必要です》

 

 冷静なフランの通信に北斗だけでなく全員がここで理解していた。先ほどまで戦っていたマルドゥークは確かに手こずったのは事実だが、それは単に足止めするだけの工作でしかなく、これがアラガミが本能で立案した作戦だとは考えにくいままだった。

既に移動用の車も無い状況下では何も出来ない。この時点でブラッドが今回の作戦での事実上のリタイアとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様でした。でも良かったんですか?本当の事を言わなくても…」

 

「テルオミさんの言いたい事は分かります。しかし、あそこからブラッドを一気に運ぶ手段が無い以上、私達も今はただ見ている事しか出来ません。そう言うのであれば気丈に振舞うヒバリさんの方が大変なんです」

 

冷静を装いながらフランは通信を切ると、大きなため息をつくかの様にゆっくりと息を吐いていた。

既にアナグラの会議室でのオペレーションは各部隊の帰投だけでなく、現在戦闘中のログが表示されている。先ほどフランが言った気丈な振る舞いはそのログの内容そのものにあった。

 これまでの経緯から判断すればキュウビの変異種は異常とも取れる行動を繰り返した事もあってか、既にエミールは事実上の退場となっている。元々の偏食傾向がそうさせるのかは分からないがキュウビの変異種は負傷したゴッドイーターを捕喰する事はなく、それまでに交戦した物に一瞥をくれる事すらなく戦い続けている。

この場にいたフランとテルオミだけでなくウララでさえも今の戦場がどうなっているのか分かり易いほど交戦中のゴッドイーターのバイタル信号が際どいゾーンに入ったまま回復する事無く危険を知らせるアラームだけが部屋中に鳴り響いていた。

 

 

「このままだとちょっと拙くないですか?」

 

「それは分かってますが、エイジさん達が到着するまでにまだ5分程かかります。それまで何とか現状を打開する手段があれば良いんですが……」

 

 ヒバリの目は画面を見つめているが、手元はせわしなく動いているのか、インカム越しの言葉の内容は極めて厳しい部分があった。この時点でオペレーターが出来る事はただ見ているか祈る事しか無い。既に悪くなる事すら無いと思われる状況が更に一段と悪化していくのは見ているだけの人間にとって無力だと叩きつけられている様にも見える。

 既に画面全体が警告の赤色で覆われている以上、フランとテルオミも出来る事は何もないままだった。

 

 

「あの、私達に出来る事って無いも無いですか?」

 

「ウララちゃんの考えは分かるけど今出来る事は無いんだ。せめてもう少し何とか時間を稼ぐか、現場で対応が出来ればとは思うんだけど…そうだ!ちょっとリッカさんの所に行ってくるから」

 

「テルオミさん!」

 

 ウララの言葉にテルオミは何かを思いついたのか会議室を離れると全力で走っていた。このまま見ているだけで終わるのはオペレーターである以上仕方ないのかもしれないが、それでも目の前で起こっている事に対し、多少なりとも抗う事が出来るのであればその可能性にかけたい気持ちだけがあった。

 既に理論上は完成してるとは聞いている。あとは実際にどんな状況になるのか実地試験を待つだけの物があった事を聞かされた事が思い出されていた。

 

 

「リッカさん。たしか例の装置は実験段階なんですよね!」

 

 息も切れ切れにテルオミはリッカに詰め寄っていた。以前に聞いたリンクサポートシステムを使った支援システムの応用版が理論上完成し、今は実験の途中である事だった。

 テルオミの言う例の装置の言葉を理解したのか、テルオミの呼吸が戻るまで待っておく事にしていた。

 

 

「あれの事?あれならここには無いよ」

 

「じゃあ、今は何処にあるんですか!」

 

 テルオミの気迫のこもった言葉にリッカが気圧されている。既にこの場に無くても知覚にあれば今からでも稼動させる時間があるからと、テルオミはリッカに詰め寄っていた。

 

 

「ちょっ、ちょっとテルオミ君。痛いよ」

 

「リッカさん!どこにあるんですか!」

 

 リッカの肩に置かれた手に力が入ってたのか、リッカの顔が苦悶に歪む。しかしこの状態のテルオミがまともに話しを聞くとは思えないと判断したのか、リッカはこの場から何とか離れる事だけに専念していた。

 

 

「テルオミ。少しは落ち着け」

 

 低く響く言葉と同時にテルオミの腹に鍛えられた拳が突き刺さる。その瞬間テルオミは呼吸が出来なくなったのか、ここで漸く今の状況を認識出来ていた。

 

 

「テルオミ。少しはリッカの言葉を聞く様に努力しろ。確かにここには無いが、ある所にはある」

 

 ナオヤの拳がテルオミの腹に刺さった事で漸く自分が周囲を見ていない事を思い出されていた。気が付けば顔なじみの人間がナオヤとテルオミの事を見守っている。つい最近までここに居た以上、テルオミは弁解する事が出来なかった。

 

 

「すみませんでした。どうやら取り乱していたみたいです」

 

「突然どうしたのかと思ったよ。リンクサポートシステムは確かにここには無いけど、既に今は現地に到着しているから、そろそろ稼動するはずだよ。そんな事よりも君がここに居る時点で何かと拙いと思うんだけど」

 

 技術班には不釣合いなオペレーターの制服は今のテルオミの所属を表しているかの様に白く綺麗なままだった。普段から油にまみれる事が無い為に服が汚れる心配も無い。それが何を表すのかは言うまでも無かった。

 

 



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第207話 苦戦

 

「こ、これは……」

 

「アリサ、すぐにリンクエイド。で、どこかに移動した方が良さそうだ」

 

 エイジとアリサの目の前にはリンドウとソーマだけでなく、タツミとカノンまでもが倒れていた。

 既に周囲にアラガミの反応は無いが、このままにする訳には行かない。偶然にも捕喰傾向がゴッドイーターに向いてなかった事だけが僥倖でしか無かった。倒れたリンドウの肩を触ると柔らかな光と共に気が付いたのか、リンドウは頭を振りながら周囲を見渡していた。

 

 

「どうやら俺達はやられちまったみたいだな。リンクエイドすまんな。まさかこうまで窮地に陥るのは想定外だ」

 

「一体何があったんですか?こっちはここに来るまでの情報が何も無かったんで」

 

 既にリンドウだけでなくアリサと手分けした事により全員の意識を取り戻す。この場に居るのは危険だからと一旦はどこかの物陰に隠れる事で態勢を整える事を優先していた。

 

 

「俺達が戦ったキュウビだが、基本の行動そのものは対して変わらないんだが、何かを見極めたのか今回のチームだとエミールだけを執拗に狙って来たのが大きな要因ってとこだな」

 

 リンドウから聞かされたキュウビの変異種はこれまで同様に高度な知識を持っているのか、それとも本能で何かを嗅ぎ分けているのかを判断する事は出来なかった。

 これが仮に常時この調子であれば、今後キュウビの変異種が出た際には確実に厳しい戦いが待っているだけでなく、一定以上の技術水準が無ければ即時撤退が基本だが、それも素直に待ってくれる可能性は限りなくゼロに近かった。

 そんな中でフォローし続けた事によっての携行品を使い切った結果は、ここに来て莫大なツケとなってリンドウ達へと降りかかっていた。

 

 

「でも、それだけでこうまで全滅に近いなんてありえます?」

 

 アリサの疑問は尤もだった。仮にそれだけの要因であればエミールをひたすら護るのではなく、むしろ攻撃に参加させず防御に徹すれば回避できる内容であるのは誰にも出予想出来る事実でもあった。

 しかし今回のメンバーを見れば、エミールが狙われたことが直接の原因ではなく、むしろそれが今回の内容を引き起こす為に準備された行為であるかの様にも思えていた。

 

 

「アリサの言う通りだ。あのキュウビの攻撃の一つが実は厄介でな。今回の結果になったのはその影響なんだ」

 

 今回の最大の理由をリンドウが改めて客観的にエイジとアリサに話す事によって、この場に居る全員に改めて共通の認識を持つ様に考えていた。

 従来の攻撃だけでなかく、しなやかに動きながら時折フェイントが入るかの様な突進をされる事によって回避や防御が間に合わず、そこに止めとばかりに空中からのオラクルによるレーザー攻撃は全員の体力を確実に奪い去っていた。

 しかし、この時点で本当にそれだけなのかとエイジの脳裏を疑問が過る。その回答をするかの様にリンドウではなくソーマが口を開いていた。

 

 

「詳しくは分からんが、あのキュウビが活性化した際に、頭上に球体の様な物が出現していた。それがどんな原理なのかは分からないが、これまでに感じた事が無い程に神機の機能減衰を感じたのは間違い無い。詳しい事は調査しないと分からないが、恐らくはそれが最大の原因かもな」

 

 淡々と話すソーマの言葉には主観が一切含まれておらず、その結果が客観として述べられていた。

 どんな内容の物なのかは分からないが、機能減衰するのであれば、神機だけでなくゴッドイーターに肉体にまで影響を及ぼす可能性が高くなる。その結果が事実上の全滅である以上、その攻撃だけは何としてでも最優先で回避すべき内容だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「榊博士。γチームの急激なバイタルの変化の件ですが、こちらでも今回の経緯について調査中です」

 

「やってくれるかい?何だかすまないね。実は今回のケースについてなんだが、どうやら直接の原因は例のキュウビが繰り出した攻撃の何かが多大な影響を及ぼしてるのは間違い無いんだがね」

 

 現場でのリンドウの言葉はアナグラにも同時に伝わっていた。今回のバイタルデータの急激な変化は榊だけに留まらず、その場にいた全員が共通の認識を持っていた。

 全員をリンクエイドにまで追い込む攻撃は感応種とは比べものにならない程に危険度が高い。それ故に早急な対応が必要とされていた。

 

 

「しかしこのまま放置してい置く訳にはいかない以上、何らかの対策は必要になるんだが……まるで古事記に出てくる禍津日神(まがつひのかみ)だね」

 

 アナグラのデータは既に回復を記すも、未だその討伐の方法が見当たる様な気配はどこにも無かった。

 これまでとは違った経緯で出没したキュウビの変異種にこれほどの能力があるのであれば、今後の任務には嫌が応にも慎重にならざるを得ない。

 まるで何かを克服したと同時に新たな災いが生じる様な事態に、現時点では現地のリンドウやエイジ達に託す以外の手だてはどこにも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って事で、これから改めて討伐に入るが、さっきソーマが言った攻撃が来た際には全員退避するしか今の所は方法が無い。活性化した際には一斉に距離を取るんだ」

 

 既に隠れてから10分が経過していた。キュウビの変異種はまるで先ほどまでの行為そのものが無かったかの様に、何かを捕喰している。

 既に時間の認識は怪しいが、ここで見逃す訳にも行かず、また最悪の事を考えればここでの討伐は決定事項でしか無かった。

 

 

「あ、あの…」

 

「どうしたカノン?」

 

「先ほどの私の攻撃なんですが、後ろ足に直撃した手ごたえは確かにありました。一度、そこを改めて攻撃しようかと思うんですが……」

 

 緊迫な空気に耐えられなくなったのか、発言したカノンの言葉は徐々に言葉尻が短くなっている。

 確かにさっきのカノンの一撃が下手なアラガミであれば結合崩壊を起こす可能性があると思われた一撃であるのは、このメンバーの中ではタツミが一番理解している。しかし、キュウビの見た目とカノンの言葉から考えれば結合崩壊まではいかなくても、それに近い可能性である事だけは推測できた。

 

 憶測で物事を運ぶやり方が拙いのはこの場にいる全員が一番知っている。しかし、今は一刻も早い討伐と同時に先ほどの攻撃を見極める必要性がある以上、今は僅かな可能性も手繰り寄せる必要があった。

 

 

「……タツミはどう思う?この中でタツミが一番カノンの事を知っていると思うんだが?」

 

 リンドウの言葉にタツミも僅かに迷いがあった。確かにカノンの適合率と神機の性能を考えればあり得ない話では無い。しかし、ここ数カ月は防衛班としての任務が長かった事から現在のカノンの状況を完全に把握しきれていない。そんな中でのカノンの言葉はタツミをさらに迷わせる一因となっていた。

 

 

「私もここまで来るに至ってオラクルリザーブも解禁しましたし、既に以前よりも誤射は減ってます。後方からの攻撃は私に任せて貰えませんか?」

 

 そこにはいつものカノンとは違った表情を浮かべ真剣な目でタツミをみている。既に一度は全滅している以上、だれもが異論は挟む事が出来ない。そんなやりとりの中でタツミは渋々とも言える表情と同時にカノンに新たな指示を出す事になった。

 

 

「…カノン、やれるか?」

 

「私がやれる事を全部やるつもりです!」

 

 その言葉に奮起したのか、カノンは勢い強くその場で立ち上がり握り拳を作っていた。

 

 

「エイジ。カノンについてくれるか?」

 

 何かを決めたのかタツミの言葉にカノンは笑みがこぼれる。本来であれば場違いなそれはまるで認められたかの様な錯覚を覚える。決定した以上、あとは即実行する事しか無かった。

 

 

「言っておくが俺達もただやられた訳じゃねえからな。それなりにダメージは与えている。もし活性化しそうになったら退避は遵守だ」

 

 リンドウの言葉に全員が頷く。未だ捕喰している為なのかキュウビはこちらの動向など意にも介さないままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ終わらせるぞ!」

 

 カノンの背後からの攻撃は、言葉通り改めて溜めたオラクルリザーブをそのままキュウビにぶつけた事によって後ろ足の結合崩壊を起こす事に成功していた。どんなアラガミにも共通するが、機動力を最初に潰すのは、今後の戦いを有利に運ぶ。

 既に崩壊した後ろ足は踏ん張りが利かないからなのか、以前の様に動く姿を見る事は無かった。

 

 全員が背後から一気に捕喰すると同時にリンクバーストを開始する。一気に上がった攻撃力でそのまま殲滅するつもりだった。

 

 

「このままくたばれ」

 

 ソーマの一撃がキュウビの顔面にめがけて一気に振り下ろさせる。本来であれば一撃で仕留めるか、最悪は結合崩壊を起こすそれはギリギリの部分で回避される。しかし、完全に回避出来なかったのか、キュウビの左目を掠める事だけが確認出来ていた。

 怒涛の攻撃が一気に始まる。エイジとリンドウは己の限界値を超えるかと思う程の速度で神機をキュウビへと向ける。アリサとカノンが崩壊した部分に追い打ちをかけるかの様に銃撃を浴びせていた矢先だった。

 

 

「みんな目を瞑れ!」

 

 タツミの叫び声が周囲に響き渡る。一方的な攻撃尉嫌気を差したのか、キュウビが活性化しようとした瞬間だった。狙いすましたかの様なスタングレネードはキュウビの鼻先で白い闇を作り出す。

 活性化した瞬間だったのか、それとも単純に嫌気を差したからなのか白い閃光はキュウビの行動を文字通り封じ込める事に成功していた。

 

 

「ここが勝負だ!」

 

 エイジの言葉通り、ここが正念場となっていた。既に結合崩壊を起こした以上そこは弱点でしかなく、そこを重点的に攻撃すると同時に、新たな部分を崩壊させるべくタツミとソーマがキュウビの顔面を斬り出している。

 このままなら一気に討伐が可能だと思われた瞬間だった。

 

 

「キャァアアアア!」

 

「クソッ!」

 

 スタングレネードの効果は確かに発揮したが、その効果は予想以上に短かった。

 まるで周囲を薙ぎ払うかの様に回転する事によってアリサとソーマが吹き飛ばされる。既に死に体のはずのキュウビの目には未だ生命の力が宿ったままだった。

 吹き飛んだ二人の事は気がかりだが、今はそれ以上に目の前のキュウビから視線を外す訳にも行かず、エイジだけでなくリンドウやタツミも視線を向けている。先ほどまでの優勢だった雰囲気は既に消え去っていた。

 

 

「冗談みたいなやつだな……だが、俺達もこのまま指を咥えてる訳にも行かないんでな」

 

 囮の様にリンドウが態とキュウビの行動を引き寄せる様に攻撃を加える。本来であればそんな事をする必要はどこにも無いが、今は飛ばされた2人の態勢を整える方が先決とばかりに行動している。

 手負いのキュウビは未だ健在である以上、出来る事をやるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リンドウさん、スタングレネードって後どれだけありますか?」

 

「俺の手持ちはもう無い。タツミ、どうなんだ?」

 

「俺ももう無いです」

 

 変異種のキュウビの生命力はこれまでに考える事が出来ない程だと思える程に未だ動いていた。

 既に後ろ脚だけでなく顔面も結合崩壊を起こし、キュウビの尾の一部も既に切れて無くなっている。にも関わらず、未だ何も変わっていないと錯覚する様な生命力はこのメンバーを持ってしても心を折るには十分すぎていた。

 これまでにも厳しい戦いは何度も経験したが、ここまで追い込まれたのは感応種が現れた初期の頃以来。

 目の前に対峙したアラガミは感応種ではないにしろ、それでも神機の機能減衰を行う攻撃は常に頭の片隅入っている。それ故に攻撃の刃が鈍っていたとも考える事が出来た。

 

 

「アリサは……だよな」

 

 リンドウの視線に気が付いたアリサも顔を横に振る事で、手持ちが無い事を示していた。

 そもそもこのメンバーに合流した際にエイジとアリサが所持していた物を配布しただけな事が拍車をかける。それは次に活性化した際には回避する術が無い事だけが記されていた。

 そんな状況を見透かしたかの様にキュウビは腰の辺りから不気味に光るオラクルを尾の様にゆっくりと広げ始めている。そこから先の攻撃が何なのかを考える必要は無かった。

 

 

「カノン退避!全員盾で防御だ!」

 

 リンドウの事が響くと同時に、全員が盾を展開する。その瞬間だった。キュウビの周囲に黒いドーム状の物が出現した瞬間、周囲に向かって太いレーザーをまき散らす。この中で唯一盾を持たないカノンにとってはまさに最悪の相性の攻撃でもあった。

 展開した盾にレーザーの衝撃が加わる。全身で防ぐにもその勢いは止まる事を知らないのか少しづつ後ずさりする程の威力に、万が一直撃しようものならばどんな結果になるのかは考えるまでも無かった。

 

 

「このままやられっ放しになる訳には行かないんだよ!」

 

 タツミはもう来ないと判断したのか既にキュウビに向かって走り出していた。

 ゴッドイーターの全力で走る速度によって距離が一気に詰まっていく。そのままタツミのロートアイアンがキュウビの胸に深々と突き刺さった瞬間だった。

 キュウビの声なき声による咆哮が周囲の大気を震わせる。それが何かの合図になったのか、キュウビの頭上にはゆっくりと球体の何かが湧きだしていた。

 

 

「タツミ!すぐに戻れ!」

 

 それが何を意味するのかはこの場に居た全員が理解している。

 原理は不明だが、その球体が事実上の全滅を引き起こしたそれそのもの。すぐに気が付いたエイジはその球体に向かって引鉄を引いていた。バレットエディットで構成された銃弾は普通のアラガミであればかなりのダメージを起こす程の威力がある。

 しかし、キュウビの出した球体はまるで何も無かったかの様に徐々に大きくなっていた。

 

 

 



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第208話 辛勝

 

「γチーム神機に機能減衰が見られます。すぐにその場から退避して下さい!タツミさんも早くその場から退避して下さい!」

 

 ヒバリの悲痛な声がその場に響き渡る。

 既に交戦してから1時間以上が経過した戦場に、突如として変化が現れ出した。最大の要因は各自の神機の機能減衰による急激なバイタルの悪化。少し前に聞いたアラーム音が再び部屋中に鳴り響く。それが何を意味するのかを誰もが知らない訳では無かった。

 

 一気に悪化するその信号はまるで底が抜けたバケツの様に一気に低下し始める。既に最低のラインまで下がり切ったそれが示すのは対峙している人員の命の保証が既に無い事だけ。

 これまでの状況下でよく戦線が維持できたと思える程の攻撃はお互いに一歩も引く事すら出来ない程にギリギリの状況だった。

 しかし、それはゴッドイーターだけの話ではなく、対峙したアラガミから感知できるバイタル信号も最早虫の息である事を示している。

 既にこれが最後の戦いだと言わんばかりの状況にヒバリだけでなくフランやウララも見ている事しか出来なかった。

 

 

《ごめん。ちょっとそれは無理だ》

 

 通信機越しのタツミの声は余りにも弱々しい物だった。

 アナグラから状況を判断出来る者は個人の生体データのみ。当然ながらその状況に関しての詳細を知る術はどこにも無かった。しかし、これまでのオペレーターとしての経験から今のタツミがどんな状態に陥っているのかだけは容易に想像が出来ていた。

 幾らどんな状況下でも諦める事を止めない限り生き延びる可能性は極めて高い。しかし、今のタツミの声からは既にその諦めが入り混じった様にも聞こえていたのか、ヒバリが今どんな表情をしているのかを見ようとは誰も思わない。

 既にバイタルのデータは観測しきれない程に低下したままピクリとも動く気配は無かった。

 

 

「ヒバリさん!これで何とか間に合うはずです!」

 

 悲壮感が漂う部屋に先ほど飛び出したはずのテルオミが走りながらに腹を抑えている。先ほどの厳しい一撃を食らった事で漸く冷静になったのか、その表情にどこか先ほどまで抱えていた憂いは消え去っていた。

 

 

「今ならまだ間に合います!」

 

 突如として隣に置かれたコンソールの操作を一心不乱に操作し続けるテルオミの表情に諦観は存在していない。まるでこれが当たり前だと言わんばかりに淀みない操作はこれから何が起こるのかは誰も予測出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このままだと見殺しだぞ……」

 

 リンドウだけでなくソーマやエイジも突如として現れた球体に対し、なす術も無いまま現状に甘んじる以外に何も出来ないでいた。

 既に低下しきったバイタルだけでなく、これまで自分の手足の様に動いていた神機はまるで死んだのかと思う程に沈黙を保ち続ける。

 現時点で神機の稼動が事実上の不可能に近いのは可変型神機の使い手でもあるエイジとアリサ。リンドウは自身のオラクル細胞に変調を来しているのか神機の形状に保つ事すら困難な状況へと追いやられている。それ程までにキュウビの頭上に浮かぶ球体が忌々しいと思った事はこれまでに無かった。

 

 現に感応種との戦いでは無理矢理神機を稼動させたソーマの神機も既に沈黙している。このまま目の前でタツミの命が散る事を見ているしかないのかと思える程の状況は屈辱以外の何物でも無かった。

 

 

「何とかならないのか!」

 

 余程攻撃されたことによりキュウビの意識は既に接近していたタツミへと意識が向いていた。このまま捕喰される未来しかないその状況を指を咥えたままに見ている程このメンバーは薄情ではない。

 今出来る事をやってから考える正にそう考えた矢先の事だった。

 

 

《リンクサポートデバイス効果発動》

 

 全員の通信機越しに響くテルオミの声に何が起こるのが理解出来ないまま全員はタツミに視線を向かわせていた。既に捕喰しようとキュウビの前足はタツミの肩口から胸にかけて大きな三条の線を残すと同時に血飛沫が舞う。

 まるで弄ぶかの様な雰囲気と同時にタツミの意識は半ば混濁し始めていた瞬間だった。これまでに無い感覚が全員の体内に何かを降り注がれていく。

 それが何なのかはこの場に居る人間は分からないまでも、ほんの少しだが先ほどまでの状況から回復したのか、真っ先にリンドウがタツミに向かって走り出していた。

 

 

「アリサ、僕たちも行こう」

 

「はい!」

 

 僅かに回復した神機は戦闘に入るまでの状態に戻ってはいない。しかし、絶望の中から舞い降りた蜘蛛の糸は希望を照らすには大きかった。

 確実に仕留める事だけを考え、エイジとアリサが走り出す。それと同時にソーマもまたキュウビめがけて走り出していた。

 

 

「タツミ!くたばるにはまだ早いぞ!」

 

 リンドウの声に混濁し始めたタツミの意識は回復したのか目の前に横たわったロートアイアンはまるで自分を使えと主張するかの様に鈍く光る。体力の限界値を超えたその身体を無理矢理動かし、目の前にあったキュウビの右目を斬りつけていた。

 まさかの攻撃にキュウビも僅かに眼下にいたはずのタツミへと意識を向けた瞬間だった。

 まるで視界を塞ぐかの様にアリサの銃撃がキュウビの顔面を捉える。ギリギリの戦いの中での意識の断絶は死を意味する。キュウビはそれをまじまじと体感する事になっていた。

 

 

「くっそ固ぇな!頼んだぞソーマ!」

 

「んな事言われなくても分かってる」

 

 リンドウの勢いを付けた一撃は死角となった右側からの一撃。肩口から入るその斬撃は本来であれば完全に斬捨てる事が出来る程の威力を秘めている。しかし、機能不全に追い込まれた事によって従来の様な攻撃力を発揮する事は出来ず、肩口から30センチ程の所で斬撃が止まっていた。

 それに追従するかの様にソーマの力任せの一撃はキュウビを吹っ飛ばす程の勢いで大きく態勢を崩していた。キュウビとてこのままむざむざとやれるつもりは毛頭無い。目の前にいるタツミから始末せんと前足を振り上げタツミを潰そうと襲い掛かる。質量を持った大きな足が影となってタツミの頭上にかざされた瞬間だった。

 

 

「これ以上はさせない!」

 

 エイジの一撃がキュウビの前足を斬り落とす。驚愕の一撃に驚いたのかキュウビはこれまでに無い程に大きく態勢を崩していた。

 

 

「これで終わりだ!」

 

 目の前にはタツミとその相棒のロートアイアン。タツミの一撃はキュウビの断末魔と共にその命を散らすと同時に、先ほどまで苦しめていた球体はそのままかき消されたかの様に消滅していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「対象アラガミの討伐確認……至急…救護班を……向かわせ……ます」

 

 キュウビの討伐が完了出来た事を知ったその瞬間、オペレーターが在籍していた会議室に歓喜の声が響いていた。既にこの状況は極めて際どい物であった事はオペレーターだけでなく、その周囲に居た人間誰もが知る事となってた。

 事実上のアナグラの最高戦力がギリギリでも命のやり取りをし、常時危険を示すアラートが鳴りっぱなしのその状況がどれ程の物なのかを知らない人間は居ない。

 既にヒバリはそれ以上の言葉を出す事が出来なかったのか、帰投の指示はさりげなくフランが進めている。今回の状況がどれ程だったのかは全員が知る事となった戦いは余りにも代償が大きすぎると思える程の内容でもあった。

 

 

「こちらテルオミ。タツミさん大丈夫ですか?」

 

《こっちは何とかって所だ。出来る事なら早く迎えが来て欲しい所だが、他の状況はどうなってる?》

 

「こちらの感知できる広域レーダーにアラガミの反応はありません。救護班が同乗し、ヘリは既にそちらに向かっています。到着まであと15分程です」

 

《了解》

 

 通信が切れる頃、改めて今回のログをテルオミは覗いていた。アラガミの起こした状況が何なのかはこれから解析される事になるが、今回のキュウビの様な攻撃はある意味では感応種よりも厄介な代物でもあった。

 

 偏食因子に何かをもたらす物でもなく、ただ神機の活動を停止させ、それに関する全ての物までも影響下置く事が出来る攻撃はある意味ではゴッドイーターの天敵となる可能性を秘めている。

 それが何なのかは今後解析が進むとは思うも、今はただタツミ達が無事に生還する事だけを考える事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の防衛戦は大変だったな」

 

 防衛戦から1週間が経過する頃、漸く全員が戦線に復帰する事が出来たからとアナグラの外部で盛大な打ち上げが開始されていた。

 帰投直後の6人を出迎えたのはヒバリ達オペレーターだったが、ヘリから降りたタツミを見た瞬間、ヒバリの顔色は一気に青ざめていた。バイタルがギリギリだった事は知っているが、まさかこんなに酷い状況だったとは思ってもいなかった。

 既にジャケットはズタズタになり、肩口から胸にかけて大きく斬り裂かれた三条の筋には血が滲んでいる。既に止血された事もあってかタツミの顔色は当初よりはマシになっているが、それでも血を流し過ぎたのか僅かに蒼白気味だった。

すぐに医務室に直行となると同時に即入院のそれは完全に回復するまでに時間が必要だった。

 

 

「俺達もキュウビを討伐したが、まさかタツミ達の所もそうだったとは後で聞かされた。変異種だったんだろ?」

 

「出来る事ならもう対峙したく無いってのが本音だな。あんなのがうようよ出る様になったら最悪だぞ」

 

 怪我から復帰したタツミを待っていたかの様な打ち上げは任務が無い全員が参加していた。

 既に早々と撤退させた新人も今回の討伐の内容は知らされている。もちろん完全では無いものの、結果的に討伐出来たからと厳しい雰囲気はそこにはなく、少しだけ忘れたい様な空気が漂っていたのか、とにかく騒いでいた。

 タツミも既に怪我そのものは回復しているのか、右手にはアルコールが入ったグラスを片手にブレンダンと今回の内容を話していた。

 

 

「榊博士の話だと早々キュウビの個体が無いのと同時に、変異種になる可能性は更に低いって話だ。当面はそうナーバスになる必要は無いんじゃないのか?」

 

 ブレンダンの言う様に今回のキュウビの変異種に関しては榊の口から早々に結論だけが発表されていた。元来キュウビそのものが生体としての数が少ないだけでなく、その結果となった変異種への変化は更にかのうせいが低い事だった。

 

 今回の戦いは、これまでどこか楽観視してきた人間はにとって冷や水を浴びせられた結果となったのか、改めて教導に励む人間も多くなっていた。

 万が一自分が対峙した際に生きて帰る事が出来るのかすら怪しいその戦いは支部全体を引き締める結果となっていた。

 

 

「だと良いんだがな……ってそれ俺が育てた肉だぞ!勝手に食べるなよ」

 

 本来であればラウンジでもと予定したが、あまりにも参加人数が多かった事から急遽外でのバーベキューへと変更を余儀なくされていた。

 既にあっちこっちで実施されているのかタツミとブレンダンだけでなく、この場にはシュンやカレル、ジーナとカノンと旧第2、第3部隊の人間が集まっていた。

 

 

「何言ってんだ。タツミが食べないから焦げる前に俺が食べてやったんだ」

 

 そろそろ焼けたと思い、箸を伸ばした瞬間横からシュンが肉をさらっていく。少し前に見た様な光景が広がっていた。

 

 

「って言うか、お前は食べるだけじゃなくて少しは焼くとか何かしろよ!」

 

「あのな、俺達だってキュウビの討伐したんだぞ。少しくらいは良いだろ!」

 

「最後はジーナが掻っ攫ったがな」

 

「一々言うな!」

 

「シュンの活躍を奪ってごめんなさいね」

 

 シュンの言葉にカレルがツッコみを入れる。確かに最後の一撃放ったのはジーナの銃弾だが、それまでにシュンの毒の効果が発揮されたのか、それともこうれまでの攻撃が蓄積された結果なのか、キュウビの討伐そのものは割とスンナリ終わりを告げている。

 本来であれば防衛班がやるべき任務では無いが、持ち前のポジティブな考えからの行動が功を奏した結果となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、今回のあれは何だったんですか?」

 

「あれは試作品だったんだけど、リンクサポートシステムを媒体にして従来の神機の機能を少しだけ緩和させると同時に、オラクル細胞を活性化させる機能だよ」

 

 防衛班のテーブルから少し離れた所でオペレーターチームはリッカとナオヤも同じテーブルに着いていた。既にアルコールが入っているのかリッカの顔は少し赤く、酔いが回った事でいつも以上に饒舌になっていた。

 

 

「そうだったんですか。でもあれが発動しなかったかと思うとゾッとしますね」

 

「正直な所分が悪い賭けだったんだけど、何とか起動したのがせめてもの救いだな。因みにあの後何度か試したが起動する気配すらなかったからな」

 

 フランの言葉に右手にトング、左手に皿を持ったナオヤが焼けた肉を次々と持ってきながら答えている。

 既に出されたアルコールがどれ程の量なのかは考えたくない程にビンがテーブルの下に転がっていたの見ながらもリンクサポートシステムの事を思い出していた。

 当初開発した際に感応種の対抗措置として研究した物だったが、今回の試作品に関してはこれまでの理論とは違った角度のアプローチで作られていた。理論上は可能だが、現場でどんな効果を発揮するのかはやって見なければ分からない。その結果、試作品が効果を発揮すれば何とかなるだろうとの言葉からそのまま動作確認の一環として現地へと運んでいた。

 

 

「結果オーライって事ですよね。タツミさんも助かりましたし、これで一件落着ですね」

 

 テルオミの言葉に当時の状況を思い出したのかヒバリの顔が赤くなっていた。確かにあの時はそれ以上の出来事があった為に、当時の状況場既に忘却の彼方へと行っている。既にその事実をヒバリ自身も忘れていた所だった。

 

 

「そうそう。あの時のヒバリったらさ……」

 

「リッカさん。その話についてはまた追々と……」

 

「確かにあの時のヒバリさんは大変でしたから」

 

「ちょっとフランさんも!」

 

 バイタルがギリギリの頃からヒバリは冷静なオペレート出来たのかと言われると何も言えなかった。

 特に最後の場面に関しては討伐が完了してからは周囲の歓喜の声にかき消されたが、間違い無くヒバリは嗚咽交じりに涙していた。これほどまでに追い込まれた戦いがあった事をヒバリは知っている様で知らない部分が多々あった。

 今回の総力戦には様々な課題が残るも、防衛班の活躍がなければ恐らくはこの場にいた人員の3割程は殉職していた可能性が高い。

 特に従来であればミッションは本人のランクに基づいた内容でしか発注しないが、緊急事態では多少のアンバランスは自力で何とかする必要があり、またその結果幾つものミスマッチが生まれていた。

 

 厳しい局面では何度かタツミだけでなく、カレルやシュンの指示が出た事によって戦線の維持が保たれ、結果的には微小な被害で抑えられている。

 これが他の支部であればどんな結果になるのかは考えただけでも身震いする様な内容だった。

 

 

「ヒバリさんもですけど、僕も痛い思いをしたんですから、少しくらいは役立ってもらわないと困るんですけどね」

 

「あれはテルがリッカに襲い掛かっていたからだぞ。それでも手加減したんだから大げさすぎるんじゃないのか?」

 

「ナオヤさんは鍛えてますから他の人の一撃よりもキツイんですよ。あの後鏡見たら驚いたんですから」

 

 リッカに詰め寄ったテルオミはその後シャワーを浴びるべく何気に鏡を見ると拳大の痣を発見していた。確かに冷静になれなかったのは仕方ないが、幾らなんでもこの仕打ちは無いはず。そんな事が今思い出されていた。

 

 

「これからは何があっても冷静でいられるだろ?我を忘れる場面があるならその都度やるけど?」

 

「それは遠慮したいですね。今後は冷静に対処しますから」

 

 当時の経緯をごまかすかの様にテルオミは自分のグラスの中身を一気に飲み干す。既に時間が経過したからなのか、当時の緊迫した空気は既に薄れ始めていた。

 

 

 



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第209話 昇格

 防衛任務の打ち上げも終わり、アナグラの内部はいつもと変わらない空気が流れていた。今回の防衛任務に於いてはクレイドルやブラッドの戦力もさる事ながら、これまでは日陰の花の様な扱いだった防衛班が改めてクローズアップされる事になった。

 各個人の技術の結果なのか第一世代と第二世代の神機の差をもろともせず、また負傷者こそ出したものの、死者数ゼロの結果は少なからずともアナグラ内部でも話題に登っていた。

 

 

「任務の合間にすまないね。実は今日来てもらったのは、今後の防衛班についての打診なんだ」

 

「はあ。それで要件とは何でしょうか?」

 

 榊の言葉に呼ばれたタツミは生返事しか出来ない。サテライトの防衛任務に就く様になってからの無茶ぶりは既に無いが、態々呼び出す以上これまでの経験からロクでも無い話になるのではと思ったのか、タツミは無意識のうちに身構えていた。

 

 

「そんなに警戒しなくても良いよ。実は今回の防衛任務遂行の後で第2、第3部隊へと志願する人間が一気に増えてね。もちろん僕達としても有難い事だから、今回を機に部隊の再編をしようかと思うんだ」

 

「部隊の再編だと?何でそんな面倒事を引き受ける必要があるんだ?」

 

 榊の言葉にカレルが真っ先に反論していた。これまで防衛任務は事実上の単独任務に近く、またサテライトやその予定地も元々アラガミの出没率が低い事から報酬を第一と考えるカレルの主義に反する任務に仕方なく就いている。

 そんな中での増員は報酬の事を考えると賛成したいとは思えない結果だった。

 

 

「カレル君。その件に関してもなんだが、今回の結果から我々としては君達をそれぞれの部隊長へと昇格。それと同時に各個人の裁量によって従来の様なミッションの受注も許可出来る様になる。もちろんリンクサポートシステムが完全に稼働するのであれば感応種の

討伐も受注してもらっても構わないよ」

 

 感応種の言葉にカレルの目に力が宿る。これまで討伐はブラッドか一部の人間のみ対応だった事もあってか、報酬は他のミッションよりも割高傾向になりやすく、その結果従来のミッションを回すよりも効率が格段に良くなっていた。そんな中での榊の言葉は余りにも分かりやすい。

 報酬を第一と考えるカレルからすれば断る理由はどこにも無かった。

 

 

「って事は、これまでの様に防衛任務をこなしながらやれって事なのか?」

 

 榊の言葉を単純に考えれば、今後は防衛だけでなく討伐の任務もこなしていく事になるのは予想出来る。確かに人員を増やせばそれは可能だが、それでもやはり足手まといの人間が居れば、今度はそれが自分にも跳ね返ってくる。となればその言葉の真意を確認しない事には安易に受託する事が出来ない。

 だからこそカレルは榊ではなく、秘書の弥生に話をした方が手っ取り早いと判断していた。

 

 

「カレルさん。今回の防衛班の部隊編成は防衛任務をこなしながら討伐任務が受注出来るって事。極東支部としては戦力の確保と防衛の両輪を回せるのであればこれまでの様に制限する必要が無いって事です。極東支部としては極論だけ言えば今は以前とは違って第1部隊だけが討伐に力を入れる様な事にはならないから、その辺りは考慮してもらえると助かるわ」

 

「弥生さん。それは私達も同じ事なのかしら?」

 

 カレルの質問には弥生が答える。榊の口からでは信用性が無いからなのか、それとも今後の事を考えれば弥生の報から話した方が何かと都合が良いと判断したからなのか、カレルからはそれ以上の質問は出なかった。

 

「今回の再編の最大の趣旨はそうですね。もちろん、防衛任務が最優先ではありますけど」

 

「…それなら私はその話に乗るわ。普通のアラガミも悪く無いけど、感応種がどんな花を咲かせるのか興味あるわ」

 

 弥生の言葉を理解したのか、ジーナは当然とばかりに榊の打診を受けている。カレルも何かを考えていたのか、暫く考えた後に受託していた。

 

 

「なぁ、部隊長って事は少しは昇給もするんだよな?」

 

「もちろんそうなります。ただし、権利が発生すると同時に部下の指導は義務になりますが」

 

 カレルとジーナが応諾したと同時にシュンも声を挙げる。

 部隊長になれば報酬面だけで無く、色んな特典がある事を優先したのか深くは考えている様には見えない。そんな中で未だ沈黙を保つブレンダンに視線が集まっていた。

 

 

「で、ブレンダンはどうするんだ?後はお前だけだけど」

 

「今回の話は確かに悪く無い。ただ、俺なんかが本当に部隊長になっても良いのだろうか?」

 

 今回の防衛戦でのブレンダンの立ち位置は防衛よりも寧ろ討伐のそれに重点を置いた戦いだった事が踏み切れない一因だった。

 本来ならば他の人間の指揮を執り、僅かな懸念材料すら払拭するそれは防衛班としての当たり前の話だった。しかし、実際にはアラガミが出没する場所を察知し、神速の如き速度で討伐している。

 もちろんエイジの提案だけで無く、出没する頻度とそれぞれの個体の強固さが導き出した結果、全員一致での行動ではあるが、それを差し引いたとしてもブレンダンには重荷の様にも感じていた。

 

 

「なぁ、お前の考えは尊重したいが、防衛班の基本は被害を如何に少なくするか。だろ?今回は討伐が結果的に防衛に繋がってるだけで、被害が無いなら本質は間違って無いと思うぞ」

 

 ブレンダンの悩みを解決するかの様にタツミは自身の考えを口にする。防衛班の最大の任務は居住区の住民の保護が最優先。今はそれがサテライトに変わっているだけだった。

 部隊長ともなれば権利と義務は表裏一体となっている。既にそれなりに実績があったとしても、それはあくまでも個人の判断による結果でしかなく、仮に就任したとしても果たして部下を指導しながら自身も戦場に立つ事が可能なのかは、このメンバーの中でも一番戦術を学んだと自負するブレンダンにとっても簡単に出せる問題では無かった。

 

 

「タツミの言いたい事は分かるが、俺には本当にやれるのかと言われれば、正直な所分からないんだ。事実これまでの実績は俺の個人だけの判断になる。しかし、今後は部下が居るのであればそれらの命を護る事も考えなければならない。出来る事なら少しだけ時間をくれないか?」

 

 ブレンダンの考えは分からないでもなかった。隊長職ともなれば自分の命だけでなく、部下の命までも責任の範囲となってくる。他のメンバーの様に楽観論で考える程にブレンダンは軽く考えて居なかった。

 

 

「あのさ、俺だって最初から部隊長をしっかりとやれた訳じゃない。事実、俺なんかよりももっとふさわしい人間はこれまでにも居た。だが、この日常ではそんな事を一々考える程に寛大な世界じゃない。俺だって事実まだまだだしな」

 

「そうね。あの後、ヒバリを盛大に泣かせたんだったわよね。同じ女としてヒバリの気持ちは分かるわ」

 

「その話は今は良いだろ。弥生さんもそんな目で見ないでくれよ」

 

「あれは仕方ないわよね。ヒバリちゃんだってそれまで気丈にオペレートしてたんだから。タツミさんだって悪い気はしなかったでしょ?」

 

 何気にブレンダンの説得をしていたはずが、気が付けば帰投直後の話をジーナは持ち出していた。

 止めとばかりに弥生の口から出た言葉は、当時の状況はその場にいた人間以外にも大半の人間がその状況を見ていた。

 ギリギリの戦いだった事は誰の目にも明らかで、その中でもタツミの負傷が一番酷くなっていた事が記憶に新しかった。

 

 

「まぁ、とにかく俺だって未だに出来てるかって言えば全然なんだぜ。それなら一回やってから考えるか、修正すれば問題無いだろ?」

 

 何となくしんみりしたはずの空気はいつもの如く霧散したからなのか、それとも何かを考えていたのか、ブレンダンは思考の森を彷徨っている。何かを考え着いたのか、改めて弥生に確認すべく口を開いていた。

 

 

「弥生さん。部隊の件なんだが、今後の対応な運用方法は部隊長に一任されるのか?」

 

「もちろん。基本的な運用に関しては各部隊長に権限がある以上、それは当然の事よ」

 

 弥生はそう言いながらも榊に視線を送る。それに関しては問題無かったのか、榊はそのまま頷くだけだった。

 

 

「そうか……だったら今回の件は改めて受託したい」

 

 既に先ほどは違いブレンダンの目に迷いは無かった。

 既に何もかもが決まっていたのか、全員に対する新たなパスコードが配布される。そんな中でタツミの反応だけが少しだけ違っていた。

 

 

「あの、俺だけ何か違ってるみたいなんだけど……これってどう言う事?」

 

「その件に関してなんだが、タツミ君には今回の防衛班の総隊長としてやってもらう事になるんだよ。今回の件で人員の配置に伴う部隊編成はこちらで決めるよりも君達が決めた方が何かとやりやすいかと思ってね。今後の件に関してはヒバリ君が窓口になるから、これからも宜しく頼むよ」

 

 防衛班として新たに編成された事により、すべての状況がクリアになる。既にアラガミに襲撃されたサテライト候補地も僅かな時間も惜しいとばかりに復興が始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今後はタツミさんを中心に防衛班が再編されるんですか?」

 

「まだ正式な辞令は出てませんが、近日中に本部に申請の稟議を出してそれが承認されればって話です」

 

 ラウンジではヒバリとフランが先ほど聞かされた防衛班としての再編の話をしていた。 現時点ではまだ正式な物では無いが、今回の様な場面に再び遭遇した場合、速やかな行動が可能になるからと極東支部だけでなく今後は他の支部でも採用される手筈が水面下で決まっていた。

 既にその行動を前倒しするかの様に、タツミはこれまでの様にサテライトに常駐するのではなく、他の場所にも顔を出す事になる為に、一旦は極東支部での所属となっていた。

 

 

「なるほど……ではこれからはタツミさんと顔を合わせる機会が増えるって事ですね」

 

「まぁ、そうなりますね。でも、各地に配置された部隊の視察と現場を統括する事になるので、今後はこれまで以上に忙しいのは間違い無いですね」

 

 ヒバリはそう言いながらも内心は少しだけ安心できる部分があった。これまでの様にデータと実際の現場の乖離は今後のオペレートにも影響を及ぼす可能性があった。

 一番の問題点は、データ上は問題無いと判断しても本人の状態が悪ければ次の行動を起こす事も出来ず、これが万が一ギリギリの戦いだった場合、部隊の全滅の可能性もあった。

 もちろんそう簡単に防衛班として機能している物が全滅する事は無いだろうと分かったとしても、それでも自分の目の届く範囲であれば多少なりとも安心出来る部分が存在していた。

 

 

「そう言えば、この前の定例会議でも書類に苦戦してましたね。私が見ても流石にあの量の書類は問題だと思います」

 

 タツミが総隊長となってからの最大の変化は事務処理の多さだった。既にこれまでの部隊に関する書類の提出に加え、各地から上がってくる書類を纏め、それをそのまま支部長に上げる事になる為に、ここ最近ではラウンジで書類と格闘している姿を良く見かけていた。

 これが部隊長までならば誰かに頼る事も出来るが、総隊長は他の部隊の内容を把握する必要もある事から書類に関しての代筆を認める事も出来ず、その結果なれない雑務はこれまでの討伐任務以上に過酷な物になりつつあった。

 

 

「でも、その量をクレイドルの皆さんもやってきた訳ですし、タツミさんなら大丈夫ですよ」

 

 そう言いながらコーヒーの口に入れると少しだけ酸味の利いた苦味と香りが鼻孔へと抜ける。ここ最近になってからヒバリはタツミの為にコーヒーを入れる機会が増えたのか、当初は紅茶を愛飲していたフランもヒバリのコーヒーを口にする様になっていた。

 

 

「あっ!僕もコーヒー貰って良いですか?」

 

「もう研修は終わりですか?」

 

「ええ。かなり苦戦しましたが、何とか終わりました。そろそろウララちゃんもここに来ますよ」

 

 テルオミはヒバリとフランが飲んでいるコーヒーを目ざとく見つけると同時に、カウンターにいたムツミからドーナツを受け取っている。余程厳しく鍛えられたのか、テルオミは精神的な疲労を隠す事なくコーヒーを口にしていた。

 

 

「皆さんここだったんですか」

 

「ウララさんも終わったんですね」

 

「はい。流石にツバキ教官の指導は厳しかったです」

 

 テルオミ同様にウララも少しだけぐったりしていた。

 これまでにオペレーターとしての教導は余程の事にならない限り受ける機会は早々なかった。

 ヒバリも事実としてこれまでに教導を受けた記憶は殆ど無く、今回の題材もアナグラの防衛戦でのオペレートだけでなく、出現予測出来るアラガミの種類やその対処方法と指示、また戦術的な意味合いでの指導とやるべき事は山積していた。

 

 

「僕なんて何回部隊が全滅した事か……」

 

「それは私も…です」

 

「まぁ、その辺りは経験を積めば何となく分かる様になりますから。ね、フランさん」

 

「そうですね。アラガミはこちらの都合で行動している訳ではありませんから、それらの特徴をしっかりと見極めた上での判断は必要でしょうね」

 

 既に休憩とばかりにラウンジで寛いでいる。周囲に香るコーヒーのそれが漸く普段の日常に戻った事を認識させていた。

 

 

 

 

 



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第 肆 部
第210話 介入


「そう言えば、今回の防衛戦では全員が隊長に昇格したんですよね?」

 

「みたいだね。弥生さんの話だとそうらしいけど」

 

 今回の防衛戦は色んな部隊にとって様々な結果を残していた。既に襲撃にあったサテライト候補地はエイジの想定していた以上に被害が軽微だった事から、当時の状況を忘れないとばかりに復興が一気に進んでいた。

 アラガミ防壁のアップデートが終わると同時にすぐに内部の建設へと作業が進む。一度基礎が出来ている事からも、依然と何も変わらない速度での建築技術はこれまでに何度もその状況を見て来たアリサにとって、漸く見慣れる事になっていた。

 

 

「今回の襲撃に関しては結果的にはキュウビの変異種の一連の行動の結果が公式な見解なんだけど、実際に襲撃された箇所から推定すると、やはり螺旋の樹の周辺には影響が出てないみたいなんだよね」

 

 今回の襲撃の際に一番の被害を被ったのはアナグラではなく周辺のサテライト候補地だった。これまではアラガミの偏食傾向から襲撃されにくい場所を検索し、その地にサテライトを建設する流れが出来ていたが、今回の襲撃はそんなこれまでの内容を断ち切るかの様な状況で襲撃されていた。

 

 

「螺旋の樹……ですか。冷静に考えればあれはブラッドの尽力で何となく終わった様にも思えますけど、実際にはあの中ではジュリウスさんがアラガミと戦っていると聞いてます。以前の様に月に放り出したのとは違う訳ですから、今後の状況はともかく今は解析すら進んでいない以上ひょっとしたら何かあったんでしょうか?」

 

「その辺りは兄様にも聞いたけど、実情は全く進んでいないらしいんだ。ただでさえ分かりにくい入口だけでなく、内部の状況は全く分からないから、今後の展開によっては本部が介入する可能性もあるらしいね」

 

 改めてエイジとアリサはサテライト候補地での現場確認と同時に、いつもの様に炊き出しを作るべく鍋に材料を入れている。既に2人の事を知っている職人は新婚だからと言った言葉と同時に、漸くかと言った思いを持ちながらこれまでと同じ様に接していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、どうしたものかね…」

 

 支部長室で榊は独り言の様な言葉が漏れていた。先ほどまで通信が開いた先は本部の情報管理局。

 これまでに何度か極東支部に対し、情報の開示請求を迫っていたはずだったが、一向に解析が進まない螺旋の樹の件で遂に業を煮やしたのか、これまでの様な迂回的な話ではなく、直接的な内容を迫っていた。

 今回の内容に関しては極めてシンプルな提示だったのか、情報管理局が今回の螺旋の樹に対し、何らかの意図を持ってアピールしたいとの思惑が透けて見えていた。

 

 

「支部長。差し支えなけえばこちらで今回の内容に関しては調査する事も出来ますが、いかがしますか?」

 

 通信が終わった事を確認したのか、秘書の弥生は榊の机の上に緑茶と羊羹を差し出しながら、先ほどまでの通信の内容の意図を図るべく諜報を暗に匂わしていた。

 

 

「それに関してなんだが、今回は我々としても既に手詰まっているのは間違いないんだ。事実、あの螺旋の樹の内部がどうなっているのかは憶測でしか分からないだけでなく、ブラッドの言葉をそのまま信じるのであればジュリウス君が内部でアラガミの侵攻を単独で止めている事になる。

 確かに当時の状況からみれば、あれ以外の選択肢は無かったかもしれないが、今となっては果たしてそれが本当に正しかったと言えるのかが疑問に思えてね」

 

 榊の提案した作戦が現状を維持しているのは弥生も知っている。確かに今の状況が未来永劫続くのかと言われれば疑問はあるものの、既に螺旋の樹がある事に慣れつつあったのか、極東支部の周辺ではそんな疑問すら起こる事は無かった。

 しかし、それはあくまでも極東支部の内部の話であって、外部の人間からすれば今は危ういバランスの上で保たれた仮初の日常でしかない。恐らくはそんな曖昧な対応を続けているフェンリルに対して、外部からの圧力がかかっているのではないのかと予測されていた。

 

 

「今はとにかく一歩も前に進まない以上、最低限の情報は各自に開示させて一旦は本部の意向を受け入れる事にしよう。弥生君、すまないが各部隊長に召集をかけてくれないか?」

 

「了解しました。でも、クレイドルに関してはどうします?ここには殆ど居ませんし、この前の防衛以降はサテライトの建設にそのまま着手してますが」

 

 弥生が言う様にクレイドルでも特にエイジとアリサがアナグラに顔を出すのはここ最近では殆ど無いに等しかった。

 防衛の際に破壊されたサテライト候補地は既に復興と同時に新たな建築の計画が始まっていた。既に外部の防壁に関しては工事が完了している為に、今は建築資材の護衛任務と近くに寄って来たアラガミの討伐が主な任務となっている。

 ソーマに至ってはキュウビのコアによる新たな技術の開発とその研究、リンドウに至っては新人の教導を兼ねた実地と訓練の日々を送っていた。

 もちろん、他の部隊とてアラガミの脅威から護る為に防衛班を中心としたサテライトの防衛任務とアナグラから確認出来るアラガミの討伐がひっきりなしに舞い込んでくる。

 そんな中でのこの情報管理局の来襲は決して穏やかな話になるとは思えなかった。

 

「恐らくなんだが、今回本部からは情報管理局の上層部の人間がここに派遣されるはずなんだ。今の極東支部で情報管理局とまともに渡り合える事が出来るのは君の所の当主だけなんだが……」

 

 そう言いながらも榊はそれ以上の言葉を濁していた。目の前に居る弥生も榊の言わんとしている事は既に理解している。だからこそそれ以上の言葉は何も発する事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろだな……」

 

 人知れず赤い頭巾の様な物を被った一人の女性が吹雪で視界が悪い空間をゆっくりと歩いていた。右腕には神機使いの証でもある腕輪がはめられているが、それは従来のゴッドイーターの様な赤色でもなければブラッドの様な黒色の腕輪ではなく、まるでそれが見られると困るかの様に包帯で巻かれている。

 既に右腕には大きな鎌の神機を所有し、周囲を警戒しながら何かを探していた。

 

 

「対象を発見した。……任務を開始する」

 

 その少女の目の前には右腕を抑えながらうずくまる一人の神機使いの姿。周囲にアラガミの姿はなく、まるでそこに一人だけ取り残されている様にも見えていた。

 赤い頭巾の少女が多いな鎌の神機を大きく振りかぶる。無慈悲な一撃が何を意味するのか考える事なく対象物に向けてその一撃を食らわせようとした瞬間だった。

 

 

「その場から離れろ。ここは既に極東の範囲だ」

 

 低く響く声と同時に、これまで周囲を索敵したがそんな気配は微塵も無かった。その声がどんな目的があってこれからしようとした行為を止めたのかを理解するのに時間はそうかからなかった。

 

 

「何……だと……」

 

 その少女は目を見開いた瞬間だった。胸から背中に突き抜ける一振りの黒い刃はうずくまったゴッドイーターの命を一気に散らす。心臓を突き刺した事によって絶命したかと思った瞬間、その神機使いの首も同様に撥ねられていた。

 心臓を貫いた事により、引き抜かれた刃は栓を開けたかの様に周囲に鮮血を散らす。大きな血の花が咲いたその場所に一人の男が周囲から湧き出たかの様に姿を現していた。

 

 

「貴様はどこの所属だ!」

 

 赤い頭巾の少女はと突如として現れた男に対し、最大限に警戒しながら確認をする。

 いくら周囲の状況の見通しが悪いとは言え、ここまで最接近されたのであれば、かなりの手練れである事は容易に想像が出来ていた。

 目の前の男は全身が黒づくめであると同時に、何も描かれていない面を付けている。

 既に臨戦態勢に入っていたのか、その少女は自身の握っている神機の柄を改めて力を込めて握っていた。

 

 

「貴様に答える必要は無い」

 

「私は…フェンリルの情報管理局からの依頼でここに来ている。何故目の前の人間を殺害した!」

 

 少女は語気を強く荒らげながら、いつでも襲撃できるように少しづつ態勢を整えて行く。少しづつ警戒した空気が重くなりつつある頃、面の男は改めて言葉を発していた。

 

 

「貴様には関係ない。これ以上詮索をするなら貴様の命を頂戴する事になる。それが仮にフェンリルの情報管理局所属の人間であったとしてもだ」

 

 面の男の言葉に少女は戦慄していた。先ほどは第三者を装って依頼されたと言ったにも関わらず、目の前の男は所属とハッキリ言っている。

 この時点でこちらの素性が知られていると同時に、少しづつこちらに攻撃の意図がある事を示しているのか、僅かながらに距離を詰めていた。

 

 少女はこの時点で目の前の人間はかなり危険である事を察知していた。これほどまでに足場の悪い場所での戦闘は最悪はどちらかの命が確実に消し飛ぶ可能性が高く、これまで経験した中でも最大級の危険人物である事を察知していた。

 事実、まるで日常だと言わんばかりの言動と同時に、殺気をまるで感じる事無く距離が詰められている。既に気が付けばお互いの致命傷を与える事が可能な距離まで詰め寄られていた。

 

 

「くっ!」

 

 見えないプレッシャーに耐えられなくなったのか、無意識の内に大きな鎌を遠心力を活かしながら面の男に振りかざす。一撃必殺と言える程の斬撃はそのまま斬り裂くかの様に襲い掛かっていた。

 

 

「警告はしたぞ」

 

 面の男は言葉を発したと同時に強烈な一撃を躱すそぶりも見せず、その場から微動だにしない。このまま一気に仕留めようとした瞬間、鎌は本来あるべき軌道を逸らされた事により目的の場所から大きく外れた瞬間だった。

 赤い頭巾の裾を起点とし、肩口まで袈裟懸けに斬られる。派手な鮮血は雪で白くなった大地を血で染め上げていた。

 

 

「これ以上やるならもう5ミリ斬撃を深く入れる。今は表皮を切ったに過ぎない」

 

 斬られた事で漸く少女は何が起こったのかを理解していた。

 明らかに技量が違いすぎていた。面の男がいつ刃を向けたのか理解する事も出来なかっただけでなく、斬撃を往なされた瞬間の手ごたえがまるで無かった。それがまるで当たり前だと言わんばかりに逸らされた所をカウンターで狙われていた。

 このまま対峙するのであれば、その少女の命は確実にこの場で無くなる事を理解したのは本人だけ。このまま戦えば先ほどのゴッドイーターと同じ運命をたどる事しか出来なかった。

 絶望の名の未来は手に取る様に理解できる。このまま戦えば生き残る可能性はゼロに近かった。

 それ以上の抵抗は無駄だと悟ったのか、少女は構えた神機をそのまま地面へと置いていた。

 

 

「貴様にはこれが必要なんだろう。今回はそれを持って行くが良い」

 

 一言だけ発したと思った瞬間、その男の姿は再び周囲に溶け込むかの様に姿を消し去る。その場にあった腕輪だけが先ほどまでの交戦が事実であった事を裏付けていた。

 あまりにも開きすぎた実力差に少女はただ茫然と自分の命が助かった事だけが理解出来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれが例の特務要員か。フェンリルは相変わらずだな」

 

 先ほどの少女と一戦を交えたのは同じく特務で赴いた無明だった。屋敷の自治区を担保とした対価は以前のヨハネス支部長の頃から未だ継続されいていた。

 事実、極東支部でもその事実を知っているのは支部長の榊と妻のツバキ、秘書の弥生と義弟のリンドウの4人だけ。エイジやナオヤなど屋敷の住人はその事実に関しては何も知らされておらず、その内容は本部でも一部の役員しか知りえない内容でもあった。

 

 先ほどの少女が情報管理局の所属である事は事前に得た情報で知っていた。

 本来であれば年端もいかない様な人間に任せる任務ではなく、ここ極東でのそれは全て無明が只一人請け負っていた。

 もちろん部隊長になった際にはそれも隊長としての職務である事は全員が知っているが、その場面に立ち会った事があるのは現時点での隊長職に就いた者では皆無だった。

 

 

「ツバキか。こちらの任務は完了した。今後の事も踏まえて一度認識を共有化したい。済まないが、この後の予定を全部キャンセルしてくれ」

 

 既に情報管理局がこの地に来ている以上、目的が何なのかは直ぐに見当が付いていた。

 自身の情報からすれば目的の大半は随分と私的な可能性が高い。それが本当なのかは今後の対応次第だと考えながら無明は帰路に着いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかそうなっているとなると……これまた随分とキナ臭い話になりそうだね」

 

 無明は一旦屋敷に戻ったと同時に榊を呼び出していた。本来であればこちらから出向くのが当然ではあるが、支部長室では何かと問題が起こる可能性が高いと判断した結果でもあった。

 

 

「事実は未だ不明ですが、恐らくは本部に食い込んだ貴族連中に突き上げられた結果でしか無いかもしれません。管理局の人間を受け入れるのであれば、その真意は確認すべきです」

 

 屋敷には無明とツバキ、榊の3人だけだった。当初は弥生もこの場に居たが、これから話す内容の事を察知したのか席を外している。既に集まってから1時間が経過していた。

 

 

「でもこれまでの様に調査が出来ないのであれば幾ら管理局の人間と言えど、同じ結果になるだけなんだがね」

 

「仮に失敗したとしても名目は達成できるのと同時に、そのまま上手く行けば本部の研究者が今度は流れ込んでくるでしょうね。ただでさえ、技術面では極東支部に大きく水をあけられている訳ですから」

 

 極東支部は以前から他の支部にも目を付けられていたが、今回のブラッドの編入と同時に、現在もなお開発が進んでいるリンクサポートシステムの開発は、技術フォーラムでも何かと注目を浴びていた。

 本来であれば本部が新技術を開発した際に情報を吸い上げる事が多かったが、ここ最近になってからは、他の支部でも極東同様に何かと情報開示を固持しているのか本部にそのまま新技術が還流されるケースは少なくなっていた。

 元々戦場での技術開発は常時最前線に居る極東ならではの内容が多く、時に本部が開発した内容は既に極東では当たり前の技術に成り下がっているケースが殆どでもあった。

 

 

「まぁ、その辺は仕方ないとして今後の対応だね。まずは各部隊長に話をした方が良さそうだね」

 

「情報管理局が来るのが既定路線であれば仕方ないでしょう。その後は出てきた人間次第です」

 

 今後の対策を早急にまとめ、支部の内部の動揺を抑える事を最優先する事が先決だった。

 事実支部の立場からすれば本部の意向は関係無い。にも関わらず推し進めるのであれば最小限に止めたい思惑がそこに存在していた。

 

 

 



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第211話 事情

「って事は今後は本部の情報管理局の人間がここに出入りするって事ですか?」

 

「まぁ、直接何かをしていくる事は無いとは思うが、もし何かあるようならばこちらに言ってくれればありがたいね」

 

 榊からの指示で各部隊長は支部長室へと召集されていた。既に通達が来ている事から順番に発表するが、やはり事前の予想通り、情報管理局の介入には少なからずとも動揺が走っていた。

 これまでの事を考えると、極東支部は本部にとってはある意味では目の上のたん瘤に近いそれがあった。それは誰かが口にした事では無いが、何となくでも理解している。これまでに起こった内容とそれに対処してきた事を考えればそれはある意味では当然とも言えていた。

 

 

「どうしたリンドウ。何かやましい事でもあったのか?」

 

「いえ。そんな事は無いんですが、これまで本部の介入が多々あった事を考えると、どうしても素直に従う気にはなれないと言いますか…」

 

 リンドウの言葉が代弁する様に、これまでの所業を考えれば素直に頷ける道理は何処にも無かった。もちろんリンドウの言いたい事はツバキも同じではあるものの、既に正式な辞令が出ている為に、撤回はおろか抗弁する余地すらない。

 可能性を考えた所で素直に公表出来る訳もなく、今はただ決定した事を淡々と伝える事だけに終始していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。部隊長が召集されたのって、ここに何か起きるの?」

 

「起きると言うか、本部の情報管理局の人間がここに介入するらしい。詳しい事はまだ未定らしいけど、どうやら螺旋の樹の調査がメインらしい」

 

 手短に終わった部隊長会議ではあったが、部屋から出てきた人間の表情が若干暗くなっているのは何かが起こるからだと判断したのか、ナナは北斗を見た途端走り出していた。 北斗そのものは特に何も考えていなかったからなのか表情に変化は少ないが、リンドウやアリサの顔を見るとどこか影がある様にも見える。だからこそ何かがあったのかと北斗に確認の為に来ていた。

 

 

「情報管理局がですか……」

 

「シエルちゃんは何か知ってるの?」

 

「いえ。詳しい事は知りませんが、情報管理局は基本的にはその名の通り情報に関する事を専門に扱っている部署だと記憶していますが、詳しい事は…すみません。私にも分かりません」

 

「シエルちゃんも分からない部署か~。これからどうなるんだろうね」

 

 螺旋の樹の言葉が出た以上、ブラッドは既に無関係だとは言い難い状況になっていた。

 詳細が未だ分からない以上口にする事も出来ず、またそれがどんな結果を呼ぶのかは分からないままだった。

 

 

「ただ、榊博士の話だと螺旋の樹の調査が進んでいないから、それの実態調査じゃないかって話なんだけどね」

 

 北斗の言葉にナナもシエルも思う事が多々あった。これまでにも何度かアナグラから調査団が派遣された際に護衛として同行した事は何度かあった。しかし、調査の結果は表面的な事だけが分かっただけに留まっていたからなのか、結果が伴っていない事は知っている。

 それがどうしてこうなったのかは政治が絡む以上、現場に人間には分からない部分の方が多かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今度は何を要求するつもりなんですかね。もういい加減何とかしてほしいんですけど」

 

 ラウンジでも先ほどナナ達が話していた事が同じ様に繰り広げられていた。

 これまでの介入で一番被害をこうむっていたのは当時の第1部隊。すなわち現クレイドルのメンバーだった。

 他の任務を止めてでも招集された内容は、またかと言った部分が多分にあったものの、既に辞令が出ている以上何も出来ない事も理解している。だからこそ以前の様な事があれば困るとばかりにアリサは少しだけ憤っていた。

 

 

「まぁ、今回の事は螺旋の樹の実態調査なんだろ?だったら俺達には関係ないだろ」

 

「リンドウさんはそれで良いかもしれませんが、本部絡みで既にエイジが遠征と称して出てるんですよ。折角サテライトの建設も軌道に乗り出したですから……」

 

 なだめる様な言葉ではあったが、アリサの言葉にリンドウは何となく憤る原因が分かっていた。確かにこれまでの本部に遠征に出ている事に対しアリサは良い顔をした事は一度も無かった。

 ここ最近は確かに復興に力を入れている事もあってか、まともに休んだ事も無い。事実リンドウも任務が無い時は事務処理に追われている事もあってか、しばし自宅に戻る事すら困難な時もあった事が思い出されていた。

 

 

「アリサ、それはエイジに言え。ここは自分で何とかしないと仕事だけは山の様にある。休める時があれば遠慮なく休んだ方が良いぞ」

 

「な、何言ってるんですか…私はそんなつもりじゃ……」

 

 お互がまた別れる可能性を察せられたのかアリサの顔が徐々に赤くなる。既に一緒になってからはそれなりに時間が経過していても、お互いがゆっくりと過ごした記憶はあまりにも少なすぎていた。

 

 

「あれ?皆さんがここに居るなんて珍しいですね。何かあったんですか?」

 

「サツキさん……どうかしたんですか?」

 

 リンドウとアリサの会話を割って入ったのはこれまで各地を慰問で回っていたはずのユノとサツキだった。

 あの終末捕喰以降、各地を転々と回りながら歌によって勇気づけた事によってこれまで以上に人気に拍車がかかったのか、今ではアナグラに居る事の方が圧倒的に少なくなっていた。

 そんな中でのユノとサツキの邂逅は先ほどまでの会議の内容を一蹴する程の威力があった。

 

 

「実はここ最近ユノの行動範囲が広くなりすぎた事もあって、この辺りで一度休みを取った方が良いかと思いましてね。丁度ツアーの途中に極東支部が近いから来たんですよ」

 

 何時もと変わらない物言いに、アリサは少しだけ違和感を感じていた。

 サツキは何も変化が無い様にも見えるが、ユノの表情はどこか影がある様にも見える。それがなんなのかは分からないが、少なくとも本当の原因がそれでは無い事だけは理解出来ていた。

 

 

「そうだったんですか。で、いつまでここに?」

 

「日程は決めて無いんですが、3.4日程の予定です。私は別に良かったんですが、サツキがここ最近はオーバーワークだと言って押し切ったので…」

 

 何時もと変わらない様な言い方で、ユノは何も無い事を示す。しかし、何時もの様などこかはつらつとした雰囲気はなく、何となく違う意味での疲労感が出ている様にも見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?珍しいね。もうサテライトの方は良かったの?」

 

 コウタがミッションから帰還するとラウンジには珍しくエイジの姿があった。

 ここ最近は殆どアナグラに来る事が無く、精々声を聞く事があっても任務の際の状況説明や物資の補給が関の山だった。

 少なくともコウタが知っている範囲の中では完全に今の状況が完了するには最短でも2ヶ月程はかかる予定のはず。まさか途中で放棄する様な事も無い為に、コウタの中では疑問だけが残っていた。

 

 

「サテイラトの方は殆ど終わりに近いかな。思ったよりも基礎の部分も残っていたし、ここ最近はアラガミの姿もあんまり見ないから思って以上に早く進んだんだよ」

 

「へ~思ったよりも復興は早そうだね」

 

 そう言いながらコウタはカウンターの前に座る。既に出来ていたのかコウタの前にはアイスティーが置かれていた。

 

 

「って事はアリサもここに来てるのか?」

 

「アリサなら今ユノさんと一緒だよ」

 

 そう言いながらラウンジの窓際に視線を送る。エイジが言う様にアリサはユノと何かを話しているが、小声の会話なのか話の内容までは分からない。顔を見る限りでは楽しそうな会話だろう事は予想出来るが、それでも最初に見たユノの表情にエイジも何か思う部分が存在していた。

 

 

「ここに立ち寄っただけ?」

 

「いや、少し忙しかったから休暇だって。……でも何か無理している様にも見えたけどね」

 

 そう言いながらもそれ以上2人のやりとりを見ている程コウタにもゆとりは無かった。

 防衛任務以降、コウタの下には現地での実地を兼ねた部隊運用が増えた事もあり、一時的にはコウタとマルグリットをそれぞれの隊長と位置付けた事によって忙しい日々を送っていた。

 既にコウタも今日だけで数えるのが嫌になる位にミッションに出ている。新人が主体の部隊編成だけに、これまでの様に大型種や接触禁忌種の討伐には参加していないが、やはり新人を配置早々に死なす訳にも行かない為に、それなりに緊張を持ち続けたミッションが多くなっていた。

 

 

「あら、コウタ君。もう終わったの?」

 

「今日のミッションはさっきので終わりです」

 

「あら、そうなの。そう言えばマルグリットちゃんは元気にしている?」

 

「最近は部隊配置の関係で少し情報のやり取りをするだけです」

 

 エイジとのやりとりに割り込む様に弥生が珍しくラウンジに来ていた。既に時間も夕方近い事もあってか、弥生も自身の業務時間が終わったからなのか、何時もとは違った雰囲気だった。

 

 

「そう言えば、この前の情報管理局の件ですが、日程とか分かったんですか?」

 

「その件ならまだ折衝中よ。でも君達にはあまり関係無いかもしれないわね。今回はあくまでも螺旋の樹の調査がメインだから、現場にまで何かがあるとも思えないのよね。でも……」

 

 そう言いながら弥生の視線はアリサとユノに向けらていた。サツキの言葉とユノの表情から判断すれば、何かしらのトラブルでもあったのかと思うが、お互いの口からそんな言葉が出ていない以上、本当の事を知る術はどこにも無い。

 仮に無理に笑顔でいたとしてもやはりその雰囲気が完全に隠れる事は無かった。

 

 

「何かあったんですか?」

 

「ちょっと情報管理局絡みでね。ここだけの話だけど、あの終末捕喰事件以降、上層部はユノちゃんと少しだけ距離を取っているらしいの。原因と理由は何となく予想出来るけど、それが思った以上に厄介みたいなの」

 

 弥生の立場からすればエイジに事実を伝える訳にもいかないが、今後の事を考えれば多少なりとも憂慮があればその原因は早急に取り除く方が今後の為になる。

 もちろん肝心の部分はボカすものの、それでも弥生の立場で知り得た情報の中でも一部漏洩した所で問題無い物を伝えていた。

 

 

「距離……ですか」

 

 弥生の言葉にエイジはやはりかと言った部分があった。極東支部だけ見れば他の支部の内情はどうでも良いと思えるが、逆に力と技術と金が揃った極東支部を本部が見過ごす可能性は極めて低い。

 それだけでなく、当時の終末捕喰の映像が全世界に配信された事によってユノは違う意味で人々を魅了していた。

 これは一つの宗教と何も変わらず、その結果、これまでの様な関係ではなく脅威と感じ取った事によって、これまでの様なサポートを受ける事が困難になっていた。

 しかも厄介なのはそれだけではない。元々から極東支部を中心とした活動を今もなお行っている関係上、万が一極東支部がユノを担ぎ出して独立を宣言しようものならば、他の有力な支部もそれに追従する可能性が懸念されている。フェンリルとしては見過ごす事が出来ないと判断された結果でもあった。

 

 

「実に馬鹿馬鹿しい話なのよね。サツキさんは恐らくその事実に何となくでも気が付いてるんだと思うけど、ユノちゃんは詳しい事を知らされてないからね。多分それが原因で落ち込んでるんじゃないかしら」

 

 そう言いながら弥生の視線はアリサとユノに向かったままだった。既にそれなりに時間が経過している事もあってかラウンジには少しづつ人が増えている。

 このままユノがここに居るのは少し拙いと判断したのか、弥生は2人の元へと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし面倒な事になったな」

 

 情報管理局の介入が現実のものとなったのか、今回の移動に対して本部から極東支部までの道程の整備と称したミッションが連続して発注される事になった。

 既に決定された事項に基づく内容は各部隊長を通じ、全員の耳に届く事になったものの、その内容のそれはまるで支配下におさめた様な物言いに所属しているゴッドイーターからは苛立ちが募っていた。

 

 

「螺旋の樹の調査が進んでないんだし、今回の件に関しては榊博士も受け入れてるんだからギルがここで何を言っても無駄だと思うよ」

 

 露払いを命じられたブラッドはこの後にこの地を通る予定の本部の移動を助けるべく、周囲一帯のアラガミを根絶やしにしていた。

 既に霧散した物だけでなく、これから消え去るアラガミの数は既にカウントしていない。本来であれば本部の人間が自分達でやるべき事をあも当たり前だと言わん限りの命令でこちらに依頼した事に対し、ギルが憤りを感じていた。

 

 

「ギル。ナナさんの言う通りです。既に極東支部として任務を受託している以上、我々に選択肢はありません。確かに個人的な感情で言わせてもらえれば確かに気になる部分はありますが、それはあくまでも調査に基づく下準備です。後の事は我々の預かり知らない事になるかと思います」

 

 今回の最大の原因でもある螺旋の樹はこれまでに調査をした結果、生体的な反応が見受けられていた。

 侵入する際には何ら問題は無いが、次回の調査をする際に、以前に利用した侵入経路はまるで最初から無かったかの様に見つからず、その都度新たな侵入経路を発見しての調査は内部の様子がハッキリと分からない為に周辺の探索すら困難な状況へと陥っていた。

 その結果、以前までは使えた入り口は既に用を成さず、新たな場所がどこに繋がっているのはすら判断出来ない結果が今回の本部の介入を招いた結果だった。

 

 

「どっちにしても俺達が出来る事はアラガミの討伐だけだ。詳しい事は任せるしかない。ギルもそれ以上の事は考えるだけ無駄だ」

 

 まるで他人事の様な北斗の言葉にギルもそれ以上の言葉を口にするのを止めていた。

 いくら何を言った所で既に本部の人間がこちらへと向かっている。北斗が言う様にいくら何を言った所で予定が変わる道理はどこにも無い。

 到着予定時刻を考えれば後数時間後にせまりつつあった。

 

 

 



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第212話 情報管理局

「ほう。まさかお前がここに来るとは本部の人間はよほどパトロンに突き上げられてるのか?」

 

「まさか。我々はあくまでも螺旋の樹の調査任務に関してここに来ただけですので、上層部の事など関係無いかと」

 

 情報管理局がアナグラに来た際に一番最初に支部長室を訪れたのは、管理局長のフェルドマンだった。情報管理局はフェンリルの公安としての役割を果たすが、近年になってからはその取締りは一段と厳しくなっていた。

 最大の要因はこの目の前にいたフェルドマンの存在だった。これまでにもフェンリル内部でも問題があった一部の取締役の逮捕や解任など、余程の内情が分からない限り手出しできないと思われた人間を立て続けに放逐している。

 そんな事実があるが故に、今では情報管理局に所属している人間に対しフェンリル内部の職員は畏怖の目で見ていた。

 

 

「ここは既に知っての通りだ。我々も出来る限りの協力はするが、それまでだ。万が一そちらの職員が何かをした際にはこちらとしてもそれなりの手段を取る事になる事は記憶しておくと良いだろう」

 

「我々とてそんな無粋な真似をするつもりはありません」

 

 支部長室には榊だけでなく、紫藤までもが同室していた。既に紫藤の事を知っているフェルドマンからすれば藪をつつくような真似をするつもりは毛頭なく、過去にフェンリルの役員を何人を放逐した事実がある事も知っている。

 だからこそそれ以上の事をするつもりが無い事だけを先に伝えていた。

 

 

「しかし、紫藤博士と榊博士がいて何も調査が進まないと言うのは、本当の事を言えば本部としては何かしらの重大な秘密があるのではとの疑いがあるのもまた事実です。

 我々としても極東支部の査察をしに来た訳ではありません。螺旋の樹が今後どのような状況で発達していくのかが最優先となっていますので」

 

 目に見えない何かが支部長室の中で弾けていた。

 事実、この場を取り仕切るに当たって榊は無明に依頼をしていた。これまでの様な人間であれば榊が対応すれば事は足りたが、相手は管理局。万が一の事があった際に罪状を捏造して処分される訳には行かなかった。

 

「重大な秘密……ねえ。我々が本部に対し何か画策するとでも思ってるのかい?」

 

 先ほどの言葉に榊が反応していた。上層部の権謀術数に関しては今に始まった事では無い。

 実際に本部がどれほどの権力を有した所で事実上の自給自足が出来ている極東支部からすれば、配給の停止をした所で痛手をこうむる事は出来ず、また経済の主力でもある支部間の商取引に関しても既に極東から出される物無しでは一定レベルの品質を保つ物が難しい物がいくつも存在している。

 それだけない。極東支部は他の支部に対し事実上の無償と言える状況での技術交流を行っている。それが停止、もしくはこれまでの対価を払えとなれば、それは一つの支部が事実上破綻に追い込まれる可能性すらあった。そうなれば各支部から本部への突き上げが出るだけでなく、本部としての威厳すら保てなくなる可能性を秘めている。

 それが今の現状である事をお互いが理解している以上、先ほどの重大な秘密の言葉が何を意味しているのかは容易に想像出来ていた。

 

 

「フェルドマン局長。長旅でお疲れでしょうから、お茶でもいかがですか?」

 

「それには及ばない。既に部下が会議室で端末をセッティングしている。これらの準備が終わり次第、今後の件での打ち合わせを考えている」

 

「……そうですか。では準備が終わり次第こちらも今回の作戦群に当たってのチームを紹介しますので」

 

 見えない攻防は弥生が来ても何の変化も無かった。極東支部からすれば情報管理局は何かしら畏怖すべき物である認識があると同時に、管理局側もやはり極東支部そのものは油断すべき支部では無い認識があった。

 お互いが最低限共通する情報だけを引っ張り出す。既に作戦は人知れず始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様でした。あと今回の件とは別件ですが、榊支部長がブラッドに対し要請したい事があるそうです。恐れ入りますが会議室までお願いします」

 

 ミッションから北斗達が帰投すると、フランがそのままの内容を伝えていた。

 内容に関してはフランも何も聞いてないのか詳細に関しての伝達が無い。いつもならば支部長室での打ち合わせのはずが、普段使う事が少ない会議室を出した事に違和感だけが存在していた。

 

 

「支部長室じゃなくて会議室?」

 

「はい。もう知っているかとは思いますが、ここに情報管理局の人間が来ています。恐らくは今回の作戦群に関するすり合わせでは無いかと」

 

 その言葉に漸く周囲を見渡すと出撃前とは空気が変わっていた事に気が付いた。既にここに来ている以上何も対策を立てる事も出来ず、その結果としての雰囲気は決して良いとは思えなかった。

 気にならないと言えば嘘だと言える程に周囲の空気が硬直していた。

 

 

「遂に来ちゃったんだね。やっぱり怖そうな人なのかな?」

 

「ナナさん。怖いかどうかはそれぞれの主観になるますので、私の口からは何とも言いようがないんですが、とにかく帰投確認後すぐに来てほしいとの事でしたので」 

 

 ナナとのやり取りが終わると同時にフランへ目の前のキーボードを叩いている。既にブラッドが到着した一報はすぐさま榊の下にも伝えられていた。

 

 

「やあ、任務を終えてすぐに来て貰って済まないね」

 

 北斗達が会議室へと出向くと既に情報管理局の人間が若干訝し気な目で北斗達を見ていた。普段であれば利用頻度が少ない会議室は既に何かがセッティングされているのか、大きな画面に何かが表示されている。

 これまで入る機会が少なかったこの部屋は既に極東支部とはまた違った空気が醸し出されていた。

 

 

「いえ。それよりも要件とは何でしょうか?」

 

 何時もと違った雰囲気がそうさせたのか、北斗もまた何時もとは違った感じで榊に話かけていた。既に所狭しと動き回る職員はこちらの事など視界にも入っていないかの様に動いている。そんな中で一人の士官用の制服を着た男性が目に入っていた。

 

 

「君がブラッドの隊長か…思ったより若いな」

 

「極東支部ブラッド隊所属の饗庭北斗です。この部隊での隊長をさせてもらっています。年齢については自分の意図すべき事ではありませんので」

 

「いや済まない。そんなつもりでは無かった。ただあの終末捕喰を止めた部隊であれば少々意外だと思っただけだ。それ以上に他意は無い。私はフェンリル本部、情報管理局局長のアイザック・フェンルドマンだ宜しく頼む」

 

 元々はブラッドの隊長はジュリウスであって、北斗は代理だと考えている部分が未だにあったのか自己紹介をした制服を着た人物に対し、やや慇懃的に話していた。

 この時点で何となく目の前の人間が情報管理局の人間である事は理解しているが、まさかその部署のトップの人間だとは予想していなかった。

                         

 

「今回の件に関してなんだが、既に榊支部長には伝えてあるが、我々がここに来たのは終末捕喰の残滓とも言えるあの螺旋の樹の調査にある。ここでは常時見慣れているから気にならないとは思うが、他の支部からすれば脅威になっている。

 君達をここに呼んだのはあの螺旋の樹の当事者であるジュリウス・ヴィスコンティ元大尉が居た部隊であると同時に、終末捕喰を回避した実力を見込んでの結果だ」

 

 フェルドマンが発したジュリウスの言葉にブラッドの全員の表情が僅かに曇る。あの内部でのやりとりを完全に理解しろとは言わないまでも、そこに至るまでの内容やそれぞれの状況を勝手に判断するのは仮に情報管理局の人間であったとしても不快感しか湧かない。

 目の前の男が何を考えているのを態々考えるまでもなく全員の思考は相容れない気持ちだけが残っていた。

 

 

「そうでしたか。しかし我々に出来る事などたかが知れているのではありませんか?事実これまでも極東支部は内部の調査を敢行しています。結果が伴っていない事も踏まえると自分達がその任に着くのは適切では無いと考える事もできますが?」

 

 先ほどの言葉が腹に据えかねたのか珍しく北斗は何時もとは違う口調で話をする。

 隣にいたシエルやギルも内心ハラハラする部分はあったが、本音を言えば北斗と同じ様な考えを持っていた。

 

 

「気を悪くしたのであれば済まない。だが、今回の顛末は君達から持たらされた情報を元にデータが作成されている。どうしても気に入らないのであれば命令として発注する事も可能だが、どうするかね?」

 

「……どちらにせよ協力するのであれば同じ事であれば、その命には従います」

 

 これ以上の事は何を言っても無駄だと判断したのか、北斗はそれ以上の事は何も言わなかった。この時点で拒否権はどこにも無く、今はまだ協力体制で済むがこれが命令となれば話は大きく変わる。

 どのみち同じ結果になるのであれば、これ以上の抗弁は無駄だと悟っていた。

 

 

「そんなに対抗意識を出す必要は無い。今回我々としては終末捕喰のシンボルとしてではなく、それが永遠に来ない証としての特別な地域、すなわち『聖域』として認定する為の調査だ」

 

「……聖域って?」

 

「聖域とはフェンリルが人類の共有財産として認定し管理する領域だ」

 

 ナナの質問に対し、フェルドマンの何気ない言葉はその場に居た全員が僅かに驚いていた。

 これまでの本部の行動から考えれば、螺旋の樹の事をあれ程執拗に調査、報告をせっついていた以上、何かしらの考えがある事は予想出来たが、まさか聖域として認定する事によって本部が直接介在する事に違和感があった。

 

 

「そんな事は初めて聞いたが?」

 

「これは我々の独断ではない。既に本部の決定事項となっている。不満があるようならばその議事録を見せる事も可能だが」

 

 今回の情報管理局の打ち合わせには極東からは榊とソーマが参加していた。本来であれば紫藤が出る予定だったものの、今後の研究のヒントになればと判断した紫藤がソーマに依頼をしていた。

 詳細については何も聞かされていなかった事も影響したのか、フェルドマンの発言にソーマだけでなく榊も初めて聞いた事実なのか、視線はフェルドマンに向けられたままだった。

 

 

「事実、本部の直轄となれば潤沢なリソースを使う事によって安全かつ安定的な調査、研究が可能になる。確かに極東地域にあるのは間違いないが、それを一支部で賄うとなれば、それは膨大なコストを払う事になる。違うかね?」

 

「フェルドマンとか言ったな。少なくとも本部のリソースは各支部からの摂取であって、本部単独での個数は少なかったと記憶している。それにここには世界最大のオラクルリソースを保管するスペースがある事を忘れていないか?」

 

「…もちろんだ。そんな事は既に理解している。だが、極東支部のリソースは既に建築が始まっているサテライト拠点でも使用されている事を考えれば、実際に貯蔵されている総数はそう多くないと認識している。だからこそ今回の内容は我々がフェンリルを代表して調査、研究をする事になったにすぎない」

 

 ソーマとフェルドマンの言い合いに、ナナはお互いの表情を見ながらオロオロする事しか出来なかった。何気に呼ばれた内容は明らかに本部がここで直接螺旋の樹を調査し、場合によっては接収する可能性も秘めている。

 それはすなわちこれまでの出来事がまるで最初から無かったかの様な物言いだった事にソーマが反発した結果でもあった。

 

 

「って事は本部が螺旋の樹を接収し、旨い部分だけを頂いた残りカスとその防衛をしろって事か?」

 

「……そう考えているのであればそれでも構わんよ。我々としては素人風情が気軽に扱っても良い様な物では無いと言う事だけ認識してくれればそれで構わない」

 

「…何だと」

 

 既に一触即発の雰囲気が会議室に漂い出していた。先ほどまで準備していた職員も既に手が止まっているのか、フェルドマンとソーマの言い合いをただ見ているだけだった。

 

 

「君達は何か大きな勘違いをしている様だから、この際ハッキリと言っておこう。ここ数年の間に起こった重大な事由は全て極東支部を中心に起こっている。しかも、それもこれも人類にとって致命的とも言える事が本部の預かり知らない所でだ。

 我々としてはこれ以上の暴走を看過する訳には行かないんだよ。それに対し何か反論はあるかね?そう言えば君の性はシックザールだったな。だとすれば言いたい事があるのは我々とて同じだ」

 

 フェルドマンの言葉にソーマはそれ以上の言葉を出す事が出来なかった。これまでに起こった致命的な事件は父親でもあったヨハネスの件、それと叔父であったガーランドが起こしたクーデター未遂事件の事を暗に指していた。

 当時どちらの事件も当事者でもあったソーマからすれば身内がしでかした事件でもあり、その結果、一度は終末捕喰を完遂した苦々しい内容でもあった。

 当時の情報操作によってシオの存在は未だフェンリルには感づかれていないが、ノヴァが引き起こしたそれは世界中で観測されている。

 だからこそフェルドマンの言葉は厳しい物となっていた。

 

 

 



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第213話 特務少尉

 

「クソッたれが!」

 

 会議室でのやりとりはその後も粛々と進んでいた。情報管理局からすれば至極当然の話だったとしても、ソーマからすれば身内がしでかした事件でしかない。榊が間に入って取り持った事もあってか、何とかその場をやる過ごす事は出来たがそれでも空気は重々しいままになっていた。

 

 

「どうかしたんですか?」

 

「詳しい事は無いも聞いてないんだ。多分会議室で何かあったんだとは思うけど……」

 

 ソーマは苛立ちを隠すつもりが無いのか、ラウンジで少し荒れていた。あまりの雰囲気の悪さに感づいたのか、エイジはムツミを早めに帰らせ自分がカウンターの中に入っている。

 既に周囲はそんなソーマの苛立ちに対し空気を読んだのか、近づく者は居なかった。

 

 

「ソーマ、ひょっとして何か言われたんですか?」

 

「アリサには関係ない。これは俺自身が飲みこむだけの話だ」

 

 アリサが聞こうにもソーマとしてはそれ以上の事は何も言うつもりはないのか、出されたグラスの液体を一気に飲み干すと同時にグラスをカウンターに叩きつける。表情から読み取る事は難しいが、それでもこれまで一緒に戦ってきた仲間である以上放置する訳にも行かなかった。

 

 

「ソーマ。気晴らし行くなら付き合うけど?」

 

「……勝手にしろ」

 

 そう言うと同時にエイジもエプロンを外し、弥生に連絡を入れる。既にムツミを帰した以上この場をそのままにする訳にも行かなかったのか、程なくして弥生がラウンジへと来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「付き合わせて悪かったな…」

 

 ソーマの八つ当たりとも言えるミッションの内容は思った以上にハードな物となっていた。既に霧散したアラガミを含めて5体のボルグカムランはソーマとエイジの手によって斬り刻まれていた。

 既に時間が経過した事もあったのか、全てのボルグカムランが霧散した頃だった。

 

 

「気にする必要は無いさ。実際に情報管理局の事はこっちも兄様からも聞いている。今回来た局長はこれまでの局長の中でも切れ者らしいってね。何を言われたのかは何となく予想はついている」

 

 そう言いながらエイジとソーマは完全に日が沈んだ海岸線を見ていた。既に日が落ちた事もあってかアラガミが居ない空母の上はただ波の音だけが聞こえて来る。

 既に帰投の準備が終わったヘリが来るまでは手持無沙汰な状況となっていた。

 

 

「我ながら子供じみた思考だとは思ってる。今でもそうだがシックザールの名は悪い意味でフェンリルの上層部が理解している以上、俺はその言葉を今後も飲みこむ必要がある。それがあんな戯言に一々苛立ちを覚えるのもどうかとは思ったんだがな」

 

 どこか自嘲するかの様な物言いではあったが、エイジは何も話す事なくソーマの言葉を聞いていた。詳細は分からないが、シックザールと情報管理局の言葉からおおよその内容は予測出来る。

 本来ならば何か言うのが良いのかもしれないが、やはり本人が言う様に飲みこむ事が必要であるならばと判断した結果だった。

 

 

「どうやら俺の中にはまだあいつの事を親だと思える心が残っていたらしい。そんな自分もどうかとは思うがな」

 

「確かにヨハネス支部長のやった事は是非を問うには難しいのかもしれない。でも、それは人類を救済する為に取った措置であって、結果的には阻止したのは僕達だ。

 仮にそれが表に出るなら遠慮なく言いなよ。アリサやコウタだけじゃない。リンドウさんやサクヤさんだって何かしらの力になってくれるから。

 それにどんなに酷い事をしても親は親だ。これからの事だって気になるならこうやって一緒にミッションにだって出るから」

 

 エイジの言葉にソーマはそれ以上の言葉が出なかった。当時の事を事を考えれば人を寄せ付けなかった当時に比べ、今は随分と信頼できる仲間が隣にいる。

 そんな些細な一言がささくれだったソーマの心を癒した様にも感じていた。

 

 

「あれだったらシオの所にでも行って来たら?案外と気晴らしになるかもね」

 

「シオは関係無ぇだろうが!」

 

 むず痒く感じる様な友情はシオの名前にどこかへ消え去っていた。既に時間が経過したのか、ヘリのローター音はすぐそこまで近づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも本当に大丈夫なのかな?」

 

「今の段階では何とも言えないですね。ただ本部の内部でもジュリウスの事はしっかりと認識されているのであれば、今はそれ以上の事は心配する必要が無いとも言えますね」

 

「……あの上からの目線での物言いは気に入らないが、一応筋だけは通っている。一先ずは様子を見る位だろうな」

 

 会議室での内容は部外秘では無い物の、それでも情報の内容の一部は外部に漏れる事が厳禁とされていた。既に周囲を見れば情報管理局の人間が居るせいなのか、どこか落ち着かない空気が漂っていた。

 

 

「すまない。先ほどの事なんだが、少しだけ時間を良いだろうか?」

 

 先ほどフェルドマンから紹介されたのは、今回のミッションにおける重要な役割を果たすリヴィ・コレットだった。

 情報管理局所属のゴッドイーターであると同時に特務少尉とこれまでに聞いた事も無かった階級に少しだけ驚いたものの、結果的には今回のミッションはあくまでも情報管理局が主導となっている事もあってか、その場に居た全員がリヴィの言葉に振り向いていた。

 

 

「なんでしょうか?」

 

 北斗だけに声をかけたはずが、思わず全員が振り向いた事でリヴィは少し驚いた様な表情を浮かべていた。

 先ほど自己紹介した際には特に問題が無かった事から気軽に声をかけたはずが、全員が振り向いた事による行動が予想外だったのか、言うべき言葉を僅かながらに遅らせていた。

 

 

「……すまない。実は今回の作戦に関してなんだが、我々としてはブラッドの戦闘能力は把握しているが、ブラッドは私の戦闘能力を何も知らない。今後のミッションはフェルドマン局長も言っていたが、私が指揮を執る以上お互いに知っておいた方が良いかと思ったんだが……」

 

「そうですね。今後はどんな状況になるのか分からないとなればお互いに背中を預ける事は難しいでしょうから、少しお互いの実力を確認したいと言う事ですね?」

 

「そう思ってくれれば助かる。そんな訳でこれからミッションに出向こうかと思うが大丈夫か?」

 

 そう言いながらリヴィは北斗の方へ視線を向ける。ここが極東であると同時に世界最大級の激戦区は伊達ではない。

 アラガミの強さもダントツとなっている以上、油断をすれば死に直結する事はゴッドイーターとしての常識となっていた。既にそれが事実だと言わんばかりの提案にこれまでの認識を少しだけ改めると同時に、これからの戦いの前哨戦とも取れる内容を選択する事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「流石は極東だな。まさかこのレベルのアラガミがこうまで強いとは想定外だ。今後は少しこちらの対応レベルを引き上げた方が良さそうだ」

 

 ブラッドはクレイドルに次ぐ実力を持っている事は事前のデータで確認していた。しかし、今回発注されたミッションでその実力の一端が見れるのかと思った内容は、やはり極東ならではの内容となっていた。

 これまでにリヴィも何度と討伐してきたアラガミは戦端を開いた瞬間にその考えを思い知らされた気分になっていた。

 個体の強度がこれまでに戦って来た経験を一瞬で無へと還す。既に慣れたと驕る暇すら無いアラガミの攻撃はリヴィの思考を改めて変化させる要因となっていた。

 

 

「俺達も最初に来た時には驚きました。これまでに戦って来たアラガミとは段違いですから」

 

「私達もコレット特務少尉と同じでしたので」

 

 サリエルとコンゴウのミッションは既に戦いが終わった結果なのか、コアを引き抜かれた結果霧散している。北斗だけでなくナナとギルも他の地点での索敵が完了したのか、全員が一旦集合する手はずとなっていた。

 

 

「どうやら他のアラガミの気配は無い様だ」

 

「こっちも何も無かったよ」

 

 既に周囲の索敵が完了したのかギルとナナもこちらへと走ってくる。既にアラガミの気配が無い以上、あとはアナグラへと帰投するだけとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、一体やつらは何を考えているのかさっぱり分からん」

 

 ブラッドと情報管理局が接近している頃、屋敷でも無明はツバキと今回の状況について事前に調べた範囲の中で真の意図を探るべく模索していた。

 これまでの螺旋の樹に関する情報は逐一本部に上げている事から、螺旋の樹は端的に

言えば一個の巨大なアラガミとも言える存在であると同時に、他のアラガミに対する何かがある事だけは確認されている。

 しかし、入り口と出口が常時異なる内部では調査の前に生存率が極めて低い事から内部にもアラガミが存在している仮説を立てていた。

 これはブラッドが最後にジュリウスと話した際に、無数のアラガミの影を確認している事から推測された結果でもあった。

 

 

「恐らくは本部としてはこれ以上ここでの活動を勝手にされる訳には行かないと考えてるのかもしれんな。事実、上層部の中には貴族出身の連中もいる。ああ言った人種はある意味強かな一面を持っているからな」

 

 無明の言葉にツバキはその様子を少しだけ思い出していた。これまでにも何度か晩餐会に出ていた事もあってか、何となく上層部の実情はツバキも知っている。中にはあからさまに極東支部そのものを自分の支配下に置きたいと考える者や、また、自分の優越感を満たす為に部隊の派兵や引き抜きなど、言葉の裏には常時そんな思惑が透けて見えていた。

 本来であれば紫藤が居る場で話せば良い物を、態々ツバキが一人になった時を見計らったかの様なタイミングで来ていた事が思い出されていた。

 

 

「それは確かに否定できないが、それでも今回の事は些か性急すぎる。態々秘匿回線でつなげてきたのもそれなのか?」

 

「その辺りは今の段階では何とも判断出来ない。ただ螺旋の樹に関して調査するのでれば、今後は少しでも確かな情報が必要になるのは間違い無いだろうな」

 

「まさか、また行くのか?」

 

 無明の言葉にツバキは少しだけウンザリしていた。魑魅魍魎の住む晩餐会は肉体よりも精神的な物が著しく消耗する為にこれまでにも何度か手を出そうかと思う事が多々あった。

 時にはツバキが既婚者であるにも関わらず情交を求める者すら居る。そんな輩の相手をしたくないと考えるのは一人の女性としてはある意味当然の内容だった。

 もちろん無明とてそんな事は知っている。しかし視線が常時ツバキに向いている事がどれ程諜報にとっては便利なのかは言うまでも無かった。

 ツバキ自身もそんな理由を理解しているからこそ、多少は拗ねる位の事をしても問題無いだろうと考えていた。

 

 

「今回の内容はあの場に行っても何も分からないだろう。事実、貴族連中でも情報管理局を相手にしたいとは思っても無いだろうからな」

 

 情報管理局のやり口はある意味では狡猾なやり方で対象者を叩く事が暫しあった。

 現場に従事する神機使いからすれば面倒な相手位の認識しかないが、上層部ともなれば最悪は財産の没収に罪状の捏造に次ぐ投獄は当たり前の行為。

 手段を選ばないやり方になったのは、今の局長でもあるフェルドマンになってからだった。

 

 

「もっと確実に今回の一連の内容を知ろうとするならば、当事者の記した内容を確認するのが一番早い。未だ螺旋の樹が終末捕喰の成れの果てだと本部が認めない限りそこからは一歩も前には進まんだろうな」

 

「全容は分からずか…」

 

 無明の言葉が全てを表していた。ただでさえ終末捕喰のあの光景はユノの歌に乗せて感応波を高める為に映像で流したのは記憶に新しい。しかし、それ以降はそんな映像すら最初から無かったかの様な振る舞いを続けるフェンリル上層部に対し、世間は疑問を抱くには十分すぎた。

 それが何を意味しているのかは現時点では分からない。今はただ今後の成り行きを見守る事しか出来ないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、今の状況でそれが可能かと言われると、予測が出来ないと言った方が正解かもしれないね」

 

 無明の言葉にあった当事者の記した内容は、すなわち今回の一連の実行犯とも言えるラケルの記録の事を指していた。

 情報管理局が極東に介入してからの一番の問題点は情報の共有化にあった。これまでの事実を客観的に見る為には複数の考えを同時に見せる事によって、一方的な考えや思考に陥らない様にするのが一般的だった。

 しかし、肝心の情報は一旦管理局預かりになるとそこから先には一切下りて来ない。 その為に極東支部のゴッドイーターからすれば、一体なんの為にやっているのか、これが本当に正しいのかを判断する材料が無かった。

 そんな僅かな綻びは静かに亀裂を大きくさせる。その結果、ここがどうなるのかを考えれば、無明の提案はある意味当然の結果となっていた。

 

 

「後は誰を派遣するかだな。どうせお前の事だ。人選は済んでるんだろ?」

 

「ああ。今回の内容と今の所まともに行動できる範囲をスムーズに行動できるのは一人だけだ。ある意味適任かもしれんな」

 

 閉鎖された施設とそうでない施設が今のフライアには存在していた。螺旋の樹の影響を受けていない部分は出入りできるが、肝心の内部の事を知っている人間はそう多くない。

 本来であればブラッドの誰かを派遣させるのが最適ではあるものの、やはり戦力と今後の情報を天秤にかける訳には行かなかった。

 

 

「……となれば彼女はある意味適任かもしれないね。では、そちらの件に関しては我々も極秘裏にやった方が良いかもね」

 

 ただでさえ表情が読みにくい榊の目が一層細くなる。本来であれば一度許可ないし申請を出す必要はあったが、現時点でお互いの信頼関係はゼロに等しい。

 最低限やるべき事が出来ない組織であればいずれ瓦解する。今回の件に関しては極秘裏に動く方が何かと都合が良いだけだった。

 

 

 



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第214話 重い空気

 情報管理局が介入した事は少なからずアナグラにとってはストレスが溜まる部分が多々あった。

 一番の要因は職員の目。何をするにしてもまるで監視するかの様な視線は何もしていないにも関わらず、まるで犯罪者でも見るかの様な視線にされされる事から、職員だけでなくゴッドイーターにも影響をもたらしていた。

 

 

「ったくいい加減にしてほしいよね。まるで自分達のやっている事が全部正しいみたいな目で見るんだよ」

 

「リッカさんの気持ちは分からないでもないですけど、今は取敢えず榊博士も管理局の行動の邪魔はしないって言ってる訳ですし、多少は仕方ないんじゃ…」

 

 リッカの言葉にヒバリも思う部分は多々あった。ここ数日の間のミッションに関しては何かにつけて管理局の職員が監視しているかの様な視線を何度も送っている。もちろん被害妄想だと言えばそれまでの事ではあるが、リッカが言う様に視線による集中力の低下は認めざるを得なかった。

 

 

「だってあいつらって態々こっちが開発している物までもジロジロ見てくるし、気味が悪いんだよ!あいつらに部外秘って言葉は理解出来ないんじゃない?」

 

「リッカさん。声が大きいですよ」

 

 余程腹に据えかねたのかリッカの語気が徐々に強くなる。しかし、ここはアナグラのラウンジ。今は偶々管理局の局員が居ない為に問題無いが、ここに誰かが居ようものならば何かと都合が悪くなる可能性を秘めていた。

 もちろんそんな事をリッカも知らない訳では無い。誰も居ないのを確認した上で口に出していた。

 

 

「このままだとストレスでどうにかなりそうだよ……」

 

 今回の作戦群に関しては情報管理局とブラッドが合同で任務に就く事はヒバリも事前に耳にしている。既にお互いの力量と極東のアラガミの強度の確認で何度かミッションに出向いているのは知っているが、問題なのは極東支部のゴッドイーターの処遇だった。

 リッカの言葉通り、職員は当然の様な顔であっちこっちに出没している。どんな支部にも最低限の秘匿事項があるのは当然の事ではある。今回に至っても事前に螺旋の樹の調査だと聞かされているが、やはり完全に意識はそれだけに向いていない事だけは誰の目にも明らかだった。

 技術班でこれならば、現場はどうなっているのだろうか。ヒバリもオペレーターの立場で見れば討伐に対して集中力の低下は最悪の結果を招く事を誰よりも理解している。

 このままでは問題が起きるのも時間の問題だと思い出していた。

 

 

「一度、弥生さんに相談するのはどうでしょうか?きっと何らかの対策を練る事も出来ると思いますけど」

 

「でも最近って弥生さんも忙しいんじゃないの?ここ最近はここでもカウンターに入ってないみたいだしさ」

 

「そうですね……そうだ。適任者がいるじゃないですか」

 

 ヒバリの顔に笑みが浮かぶ。この場合の適任者が誰なのかは直ぐにリストアップされる事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、俺に何をどうしろって?」

 

 新兵の教導の合間にヒバリとリッカがナオヤの下を訪ねていた。既に休憩なのか、まだ新米とも言える人間が訓練室の真ん中で息も絶え絶えに大の字になって寝ている。

 ナオヤを見れば汗も碌にかいてないにも関わらず、大の字のゴッドイーターの周囲には汗が水たまりの様になっていた。

 

 

「最近、管理局の局員が何かと居るでしょ?いくら螺旋の樹の調査だと言っても度が過ぎるからこっちも困るんだよね。少し前もリンクサポートシステムの事で根掘り葉掘り聞いて来たかと思ったら、何かメモしているし……あれはまだ部外秘の技術がまだあるんだよ」

 

「ああ……あれな。俺の所にも来たな」

 

 リッカの言葉にナオヤも何かを思い出したかの様な表情を浮かべていた。元々リッカとは違い、ナオヤが手掛けている物は神機の開発に関する物が多く、実際には殆どの内容は本部にも知られた内容だった事もあってか、あまり来る事は無かった。

 

 

「やっぱり来たの?」

 

「来たけど追い出した。普段なら問題無かったんだが、丁度エイジの神機と北斗の神機の調整中だったんでな。何かブツブツ言ってたけど、そこは話合いで…な」

 

 技術班の中でも最大の問題でもあるエイジと北斗の神機の調整はナオヤが事実上一人で請け負っていた。本来の性質とは違う両者の神機の調整は緻密な作業を求められる事が多く、エイジの神機は本来の機能が暴走しない様に厳重な封印が施されていた。

 

 神機使いが神機に殺される訳にもいかず、また万が一の際にはアリサからもクレームが来る。ナオヤとて親友の命を軽々と扱う事を良しとは考えていない以上、それに関しては作業の際には誰一人部屋に入れる事はしていない。

 また北斗の神機に関しても北斗の喚起の能力を活かした戦いは時として神機の性能をギリギリまで引き上げる。

 その結果、常時確認しない事にはエイジ同様神機が暴走する可能性があった。

 

 

「話合いって、まさか拳で語ったの?」

 

「そこまでの事はしないさ。やっても良かったんだが、そうなると兄貴の手を煩わせる事になるからな。俺だって面倒事は嫌だから少しだけ殺気を込めて睨んだだけだ」

 

「へぇ……そう」

 

 半ばジト目とも言えるリッカの視線にナオヤは何か思う事があったのか、自分の視線を逸らしている。ここに居る時点でゴッドイーター相手に教導する人間が一般人が相手になるとは思えないのはその場にいたリッカだけでなくヒバリも同じだった。

 教導教官に殺気を込めた視線を向けられれば、曹長クラスのゴッドイーターとて怯む。

 昇進試験の際に避けて通れない関門を何の心得も無い人間が受ければどんな結果が待っているのかは考えるまでも無かった。

 

 

「で、俺に何か用なんだろ?でなきゃこんな所に来るのは珍しいだろ?」

 

「そうそう。実は今回の件で弥生さんに相談したいんだよ。でも、弥生さんも最近は忙しいのかラウンジには見ないから、ナオヤから連絡取って欲しいんだ」

 

 その時点で何となく何を依頼したいのかナオヤも想像出来ていた。

 確かに意識するなと言われても常時監視の様な視線があれば誰だってストレスは溜まる。ここ最近の整備を見ればそれが顕著に出ているのか、これまで大した傷もつけずに居た人間が今では大きな傷を作って帰投してくる。

 集中力の低下が引き起こすそれがどれほど危ういのかは直ぐに理解出来た。

 

 

「今後の生存率の事もあるからな……取りあえず連絡はしてみるさ」

 

 ナオヤの言葉にリッカの表情が晴れ渡る。ナオヤが連絡した事によって事態が変わればと思いながらヒバリは2人のやり取りを見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だか癒される~」

 

「当初の目的とは違う様にも思えるんですけど…」

 

 弥生からの回答は極めてシンプルだった。ここでは何かと話がしにくいからと、リッカが呼ばれたのは屋敷だった。アナグラとは違い、屋敷の存在を完全に情報管理局が認めているのは現時点では局長のフェルドマンだけだったのか、ここに職員の姿は見えなかった。

 元々アナグラからの直通の通路は隠し扉の向こう側にある事だけでなく、通路の情報そのものも開示されていない。

 そんな中でリッカは久しぶりに羽を伸ばすかの様に温泉を堪能していた。

 

 

「あのままだと絶対に息が詰まるんだよ。流石に居住部分にまでは来なくても、やっぱり同じ空間に居るかと思うと気分が悪いんだよ。ヒバリだってそうでしょ?」

 

「それは確かに否定しませんけど……何だか私達だけみたいで申し訳ないですよ」

 

 当初呼ばれた際には今後の事もあるからとリッカだけでなくヒバリも呼ばれていた。局員のクレームだけならここに来る必要は無いはず、にも関わらずヒバリまで呼ばれた以上何らかの目的がある事だけが分かっているだけだった。

 

 

「あれ、リッカさんとヒバリさんも来てたんですか?」

 

 浴室の扉が開くと同時に、そこに居たのはアリサとフランだった。ここに来る際にフランがここに来る事をヒバリは聞いて無かったのか、少し驚きを見せながらも持ち前の頭の回転の早さで自分と同じ様な要件がある事を悟っていた。

 

 

「アリサは分かるけど、フランが何で?」

 

「実は弥生さんから呼ばれました。詳細についてはヒバリさんにも関係があるので、恐らくはこの後にその話が出るかと思います」

 

 身体を洗い、湯船に浸かる。フランもやはりストレスを感じていたのか、お湯に浸かる事でリラックスした表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここまで来て貰ってごめんなさい。忙しかったでしょ?」

 

「いえ。こちらこそ久しぶりストレスが少し解消できましたので」

 

 温泉から出ると、そこには弥生が机の上に置かれた書類を積み上げ、何かと格闘していた。普段であればこうまで仕事をため込む姿を見た事が無いのかフランも含めた3人は物珍しそうに見ている。

 既にアリサは用事があるのかこの場には居なかった。

 

 

「そう。なら良かった。この後エイジが食事作ってるから食べて行くと良いわよ。今回来て貰ったのは情報管理局の件なんだけど、これは私からでは無くて当主からフランさんに依頼された要件があるの」

 

「私に…ですか?」

 

「ええ。そんなに緊張する必要は無いんだけどね」

 

 そう言いながら弥生は今まで見てい居た書類を片付け、3人に対し今後の予定を話していた。既に情報管理局から極東支部に対し、一切の情報の開示が無いだけでなく、今後の予定をひとしきり説明していただけに過ぎなかった。

 当初は驚いた表情で話を聞いていたが、既にフランは弥生から聞かされていたのか、改めてその内容に頷いている。

 ヒバリとリッカも何となくだが、ここで何かの極秘の会談があったのではと推測はするも、弥生の考えを全部理解した訳では無かった事から、終始話を聞くに留まっていた。

 

 

「となると、フランさんの分を穴埋めする必要がありますね」

 

「その件に関しては既に問題無いの。奥様と榊支部長は了承しているから。後は向こうの目を少しだけくらます程度なんだけど、それもこちらの方で手は打ってあるからフランちゃんが心配する必要は無いから」

 

 笑顔で言われるとそれ以上の事は何も言う事は出来ない。既に水面下で事が動いている以上、今出来る事はこの事実を知らなかった事にするだけだった。

 

 

「それと、リッカちゃんの件だけど、これもあと少しだけ我慢してほしいの。近いうちに何とかするから…ね」

 

「…弥生さんがそう言うのであれば分かりました」

 

 ウインクまでされた以上、リッカも弥生の言葉を聞く事しか出来ないでいた。対策が既に立っているのであればそとはその日が来るのを待つしか出来ない。

 今は少しだけ我慢するしかないと思っていた矢先だった。

 

 

「お食事が出来ましたよ」

 

 アリサが何気なく襖を開けると、その先には既に用意されていたのか食事の準備が出来ている。元々業務が終わってから来た事もあってか、既に時間もそれなりになりつつある。先ほど聞かされた以上、今はその好意に甘える事にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、ここ最近コレット特務少尉とよくミッションに出てますが、その後何か分かったんですか?」

 

 情報管理局の下でブラッドは螺旋の樹周辺のアラガミの一掃と同時に、特務少尉でもあるリヴィとの連携を受けたミッションを何度もこなしていた。極東支部の中でもブラッドとそれ以外の部隊の扱いが異なるのはある意味では仕方ないものの、介入してからの情報が一向に開示されない事から、徐々にブラッドに対する視線も厳しい物へと変化しつつあった。

 既に立ち位置が特殊である事は支部内の人間は頭では理解しているが、一方的な命令と吸い上げた情報の共有化、周囲にもたらす雰囲気はこれまでの中でも最大とも言える険悪感は管理局の局員が居ない場合、ブラッドへと向けられる。

 本来であれば公言したい所だが、守秘義務が課せられている事もあってか、厳しい視線に耐える事しか出来ないでいた。

 

 

「いや。周囲の掃討だけだ。ただ……」

 

「どうかしたんですか?」

 

「気のせいかもしれないけど、リヴィの腕輪の色が黒かったな。今は包帯で隠しているけど何となく俺達の腕輪に似ている。何で隠してるのかは分からないが」

 

「黒い腕輪…ですか」

 

 腕輪の色が赤ではなく黒の時点で、リヴィには通常のP53偏食因子ではなくブラッド同様のP66偏食因子が適合しているのは間違いない。しかし現時点で態々隠す必要性は何処にも無く秘匿しておく必要性がどこにも見えなかった。

 ただでさえ情報の開示がされない所に加え、腕輪の色まで違うとなれば更に空気が悪化する。最悪はその悪意がブラッドに向く可能性も出ていた。

 

 

「情報管理局がこれまでに情報を開示したケースはそう多くありません。一先ずは今あるミッションをこなすしか無さそうですね」

 

 シエルの言葉に北斗も頷く事しかできない。既に提示されたミッションの半分程が消化された事もえり、漸くゴールが見え始めていた。

 

 

「饗庭隊長。すまないが少し時間は大丈夫だろうか。今後のミッションの件で確認したい事がある」

 

「それは構いませんが……念のため、副隊長のシエルも同行させます」

 

「……まあ良いだろう。今後の事はブラッド隊の事だけでは無いからな」

 

 既にミッションの数をこなした事で、漸く馴染みつつあったのか、リヴィの動きが理解出来る様なレベルにまで追い付いていた。

 完全に背中を預けるにはまだ遠いが、それでもこれまでのミッションの行動から考えれば及第点とも考えるまでに達していた。

 

 

「忙しい所すまない。次からのミッションに関してだが、これまでとは違い、当初の予定通り螺旋の樹の調査の下準備に入る。先だっての説明であった様に、巨大装置の安定化と周囲の探索も含まれてくる。これまでの調査で分かっている事は、説明の通りだ。何か質問はあるか?」

 

 以前のフェルドマンから説明されたのは今回の最大の目的でもある螺旋の樹の内部調査に関する特殊ミッションだった。

 事前に分かっているのは螺旋の樹は巨大なアラガミであると同時に生体反応がハッキリと確認出来る点。これに関しては既に一定の調査を極東支部もしていた事からブラッドとしてもある程度の内容は既に知っていた。

 

 

「特にありません」

 

 全員の言葉を代弁する様にシエルが答える。螺旋の樹の内部調査に伴うミッションは人知れず開始される事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここまで来たのは久しぶりだな」

 

「ジュリウスは今もあそこで頑張ってるのかな」

 

 螺旋の樹を護るかの様に居たアラガミはブラッドの手によって討伐が完了していた。 感応種では無かっただけでなく、何時もであれば複数の討伐内容だったが、今回は単独だった事もあり、危なげない内容で完了していた。

 最接近した事により、何時もとは違い上空を見上げる程の高さ。ナナが言う様にこの中では未だジュリウスが一人戦っている。

 あの時の場面が脳裏に浮かんだのか、それ以上の言葉を発する者は誰一人いなかった。

 

 

「接地する場所をある程度ピックアップしてくれないか。今回の任務は接地場所の確保と同時に実地調査も含まれている。手分けして幾つかのポイントをピックアップしてほしい」

 

 感慨深い感情の事はまるで無かったかの様にリヴィはブラッドに指示を出す。元々それが本来の任務である以上、一旦ジュリウスの事は置いておく事にし、それぞれが設置できる場所の選定作業へと移っていた。

 

 

 









「そう言えば、弥生さんが奥様とって言ってたけど、それって誰?」

 食事の準備が終わったからと先ほどの言葉を思い出したのか、リッカは何気ない一言の様にアリサに聞いていた。弥生もエイジとナオヤ同様にここに住んでいるのは以前にも聞いて事が有ったので気にもしてなかったが、奥様の言葉に誰が該当するのかは想像すら出来なかった。


「奥様って何の事です?」

「さっき、今回の件でフランにお願いするからって事で榊博士と奥様にも了承を貰ってるって聞いたからさ」

 次々とお盆から出された食事をリッカとヒバリの目の前に置いて行きながらも、アリサは少しだけ困っていた。この屋敷に於いて当主は無明の事を指すのは周知の事実。しかし、奥様と言われる人物に該当するのは一人だけだった。
 果たしてその事実を言っても良いのだろうか?既に弥生が話した以上口に出しても問題無いが、果たして理解してくれるのだろうか。そんな葛藤がアリサの中に存在していた。


「ええっとですね……」

「リッカさん。ツバキ教官の事ですよ」

 言い淀むアリサに助け船を出したのはヒバリだった。以前にもハルオミから聞かされた事で随分と驚いた記憶はあったが、どうやら本当にそれ以降は何の音沙汰も無かった。

もちろん、秘匿事項で無い為に態々公表出来ない訳では無いが、それでも普段から接する状況はアリサにとっては言い淀んでしまうのは仕方ない事でもあった。


「ひ、ヒバリさん。良いんですか?」

「別に秘匿事項って訳でもありませんし、よく見れば左手に指輪もしてますから問題無いんじゃないですか?」

 ヒバリの言葉に漸くアリサもそれを思い出していた。ここ最近は屋敷に2人が居るケースは多く無かった。現時点では情報管理局が来ている事も一因だが、何かにつけて本部へ出張する事も多く、その際には晩餐会の参加が事実上義務付けられている事もあってか、よく見れば左手の薬指には鈍く光るリングは確かに存在していた。


「ヒバリさんはそれでも良いですが、私にとっては…身内みたいな物なので」

「まあ、アリサはそうだろうね。でもさ、普段はアナグラだと言いにくいけど、ここでは何て呼んでるの?」

「えっ?」

 リッカはからかうのではなく、単純に好奇心から来る言葉ではあったが、これまでの事を思い出せば、確かエイジはツバキさんと呼んでたが自分が直接呼んだ記憶は無かった。それ故にどう答えていいのかアリサには分からなかった。


「あの、それってリッカさんが将来の事を考えた上での質問でしょうか?」

「なっ……そんなんじゃ無いよ。ただ好奇心から聞いただけで…」

 援護射撃とばかりに飛び出た言葉はフランからだった。色恋にはまだそこまで関心は無くても、目の前居る3人はそれなりのはず。フランとて普段のツバキが厳しい事はオペレーターである以上は知っていた。


「そうだったんですか。いや~リッカさんがね~」

「もう!そんなんじゃないから」

「そうだったんですか…詳しい事は私もエイジから聞いておきますね」

 顔が赤いままの反論に説得力は無かった。アリサは既に結婚し、ヒバリとタツミとの仲はアナグラでは中堅以上は殆どが知っている。
 既にツッコミ所は少ないが、このメンバーの中では一番リッカがそのやり玉にあげやすかった。


「あのさ、フランの分が出来たから持って行ってくれる?」

「あっ。すぐに行きます」

 エイジに呼ばれた事によってアリサはこの場から離脱していたが、まだヒバリとフランがこの場に居る以上、回避は困難を極めるのは間違い無い。まだ時間にはゆとりがあるからなのか、4人は暫し時間を忘れ話に夢中になっていた。






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第215話 進む時の針

「何だと貴様!我々が情報管理局員だと知っての話なんだろうな!貴様の所属と名前を言え!」

 

 アナグラの空気が悪く成る頃、一人の職員の荒らげた声がロビーの近くで響く。これまでに何度か警告したにも関わらず、一向に改善されない事に業を煮やしたのか、一人のゴッドイーターが言い争っていた。

 

 

「別にそんなつもりじゃない。ただ、螺旋の樹の調査とこれでは意味が違うと言っただけだ!」

 

 アナグラの不穏な空気がこの一言でこれまでの鬱積した感情と共に破裂していた。事前に螺旋の樹の調査についてと聞かされてはいたが、一部の職員からは半ばセクハラめいた言動があっただけでなく、実際には極東の調査をしているのではないのかと思える様な発言が度々出ていた。

 これまでに何度かクレームとして上に上げはしたものの、一向に改善されない事が全ての発端となっていた。

 

 

「どうかしたのか?」

 

 既に言い合いは周囲にまで伝播している。誰も止めようとしないのはある意味当然の事だった。ただでさえ命を削りながら任務に励む所に、追い打ちをかけるかの様な精神の疲弊はリスク以外の何物でもない。既に一人の職員に対し、複数のゴッドイーターが囲んでいる様子はヒバリを通じてすぐにツバキにまで届いていた。

 

 

「貴様の所の神機使いが我々の業務の邪魔をしている。極東支部としてこれに対しどうするつもりだ?」

 

 余程腹に据えかねたのか、局員はツバキに食ってかかる。これまでは水面下で何かをしていた事もあってか、アナグラの雰囲気が悪くなっている事は何となく察していたが、まさかここまでだとは予想していなかった。

 この状況に少しだけツバキは悩んでいた。どちらに正当性があるのかは直ぐに理解出来るが、この状況を改善出来なかった事もまた事実。そんな葛藤の中で、局員はまるで勝ち誇ったかの様な表情を浮かべていた。

 

 

「どうやら本性を現した様だな。フェルドマン、貴様の言葉は局員には浸透してなかったみたいだが、この責任はどう取るつもりだ?」

 

 局員の言質を取ったのか、その場に居たのはフェルドマンと紫藤だった。先ほどの言葉が命令違反だと気が付いたのか、局員は先ほどとは打って変わって真っ青な顔色を浮かべている。

 それがどんな結果をもたらすのかは局員だけでなくその場に居た全員が注目する事になっていた。

 

 

「どうやら我々の規律統制が乱れていた様です。この場をお借りして謝罪したい。それと当該局員に関しては当方で処罰させていただきます」

 

 その言葉と同時にフェルドマンが頭を下げる。事前に螺旋の樹の調査だけと言っていたはずが、人知れず支部の調査紛いの事をしているとなれば、それは重大な違反でしかない。

 仮にこのままうやむやにすればコンプライアンスの面からしても重大な問題を発生させる事になるだけでなく、極東支部に対し大きな貸しを作る事になるのは極めて拙い判断でしかなかった。

 そんな状況を察したからなのか、フェルドマンが頭を下げた事によってその場を収めていた。

 

 

「それについては及ばない。今回の件で支部内を調べていた人間全員を一旦はコンプライアンス違反と同時に服務規程違反として査問委員会で取り調べる事は既に決定している。それと同時に、今後の状況に関して極東支部としては情報の開示が為されない場合、フェンリルの上層部に掛け合う事で今回の件に関しては一旦白紙撤回とさせてもらう」

 

 紫藤の言葉に局員は既に何も言う事が出来なくなっていた。元々フェルドマンのやり方はこれまでに紫藤がやって来た方法に近く、既に裏で手を回した結果なのか上層部の署名が入った指示書まで手元にある。

 いくらフェルドマンが抗弁しようとも、今度は自身が解任される事になる。弥生が少しだけ時間が欲しいと言ったのはこの書類の取得に関しての事だった。

 

 

「改めて今回の件に関して極東支部に対し謝罪したい。今後はこの様な事が無い様に我々も任務に励むつもりだ。これは我々だけの問題ではない。人類がやるべき事である以上、ここに居る神機使いの諸君にも協力してほしいと考えている」

 

 この場を会治めるべくフェルドマンが再び話を始める。この状況下ではいくら命令を出した所で受け入れる事は事実上不可能に近く、また最悪はそのまま自身が放逐される事になる。

 紫藤が出ている以上、確実にそれは実行される。それがフェルドマンの判断した結果だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ~そんな事があったんだ」

 

「その影響なのか、ここも少しだけ状況が改善されたんですよ」

 

 紫藤とフェルドマンのやり取りから数日後、これまで色んな所にいた局員が一斉に視界の中から消え去っていた。既に監視紛いの事をしていた局員は査問会議の結果、重篤な命令違反であると判断された事によって一部の人間は降格、また一部の人間はフェンリルから去る事が決定していた。

 これまでの事を考えればある意味では妥当とも言える結果に、ガス抜きが出来た様な雰囲気が漂っていた。

 

 

「でもさ、螺旋の樹の調査ってこれまでに何度もやってきたんだろ?今さら何か出来るとも思えないんだけどな」

 

 そう言いながらコウタは炭酸が聞いたオレンジジュースを口にしていた。これまでに教導の名目で部隊編成を行っていたものの、ここに来て漸く目途が立った事から少しだけゆとりが出来る様になっていた。

 

 

「その辺りは私も詳しい事は知らないんです。ただ、ヒバリさんからやんわりと聞いただけなので」

 

「いや、マルグリットだってここに居なかったんだろ?それなのに俺よりも知ってるからさ」

 

 ラウンジでは久しぶりにコウタはマルグリットの顔を見ていた。これまでに暫定的にマルグリットを中心とした教導部隊を立ち上げた事によってコウタの負担を少しでも減らす目的で設立されていた。

 本来であれば隊長職に就くのであれば准尉では厳しいものの、ある意味仕方ない部分と情報管理局が介入する前に決めた事もあってか、それについては誰も異を唱える事無く現状が過ぎていた。

 

 

「コウタ隊長が知らなさすぎるんですよ。私だってそれ位の事は聞いてます。それよりもマルグリットさん。コウタ隊長から本格的に脱退して私達で新しい部隊編成の提案を榊博士に出しませんか?」

 

「ちょっ!エリナ。お前何言ってるんだ!俺だって苦労してやってるんだぞ!」

 

「え~そうですか?私も今回はこっちの部隊でしたけど、やっぱりコウタ隊長よりもマルグリットさんの方が動きやすいんですけど」

 

「エリナちゃん、私だってコウタに比べたらまだまだだよ。この前だって危うい所もあったんだし……」

 

 マルグリットの部隊はコウタの部隊とは違い、今後の部隊長候補の教育も同時になされていた。第1部隊としてはコウタがやっているが、万が一クレイドルの任務が入った場合、事実上の隊長をマルグリットが担当する事になる。その結果、試験運用の名目で隊を分割した経緯が存在していた。

 もちろんその中には他のメンバーの部隊長としての適性確認が入っているが、その事実はコウタにしか知らされてなかった。

 

 

「エリナ。隊長のやる事は簡単じゃないんだ。部隊の全員の命を預かる事が最上の適正なんだぞ」

 

「それはそうですけど……でも私はマルグリットさんの方が良いです!」

 

 エリナとてコウタの言葉の意味は知っている。今回の部隊編成の際に、エリナは副隊長としてのポジションに着いた事もあってか、部隊の命を預かる身がどれほどのプレッシャーなのか身を挺にして初めて実感していた。

 自分だけが生き残るではなく部隊全員となれば必然的に視野を広く持つ必要が要求される。事実数回のミッションに出ただけでエリナの精神的な疲労はピークに達していた。

 

 

「コウタ。エリナちゃんだってコウタの事認めてるんだから、少しは大人になったら?」

 

「マルグリットがそう言うなら仕方ないけどさ……」

 

 誰もが気が付いているが、コウタとマルグリットの空気が先ほどとは少しだけ違っていた。既に2人の仲はあと少しの所まで来ているのは知っているが、コウタがヘタレなのか、それとも単純にタイミングの問題なのか、そこから先に進むまでの距離が未だに遠い。

 先ほどのやり取りにしてもエリナとしては何かのキッカケになればと思って発言しただけで、実際にはコウタの事は尊敬している。

 気が付けば2人をくっつける為の工作員としての活動をしただけだった。

 

 

「あの、よかったらこれどうですか?」

 

「頼んでないけど…」

 

 

 この空気にいたたまれなくなったのか、ムツミがコウタとマルグリットの前にチーズケーキを出していた。ムツミはこの関係が良く分かって無い様にも見えるが、実際にラウンジでヒバリとリッカが話してる内容は嫌でも聞こえて来る。

 年齢的にはまだまだだが、女子として関心が無い訳では無い。そのせいか、既に耳年増な部分があった。

 

「これはお疲れ様って事でのサービスです」

 

「え?マジで!サンキュー!ムツミちゃん!」

 

 目の前のコウタは未だその事実に気が付いていないのか、出されたチーズケーキを口に入れる。ここ最近、ゆっくりと話す事が出来なかった事がまるで嘘だったかの様な雰囲気が流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうなの……じゃあ、暫くはここに居るのね」

 

「そうね。今回の件では随分と紫藤博士に尽力を尽くしてもらっただけじゃなくて、本部でのやりとりもフォローしてくれたのもあるから」

 

 少しだけ喧噪が去ったラウンジに2人の女性の声が聞こえてきた。一人は弥生である事は直ぐに分かったが、もう一人の声はここでは聞き覚えがあまり無い声。背後からの声にコウタだけでなく、横に座っていたマルグリットも思わ振り向いていた。

 

 

「あれ?弥生さん。その人って……」

 

「あらコウタ君とマルグリットちゃんじゃない。隣に居るのは友人のレアよ。今回のミッションでは結構重要な任務を負ってるから、今回はその兼ね合いでここに来てるのよ」

 

 2人には何となく程度の認識しかなかった。弥生の隣に居たのは以前にここで保護したはずのレア・クラウディウス。

 今回の件で問題を起こしたラケル・クラウディウスの実姉でもあり、フライアの責任者でもある彼女は終末捕喰の事件以降、本部で査問委員会にかけられた事だけはコウタも何となく知っていた。しかし、ここを離れれば既にそれは過去の話でしかない。

 以前に保護した際には少しだけコウタも見ていたが、既に当時の様な雰囲気は微塵もなく、今は明るい表情とその美貌に少しだけコウタは目が離せないでいた。

 

 

「ちょっとコウタ。ジロジロ見るのは失礼だよ」

 

「イデッ。なんだよ」

 

「なんでも」

 

 コウタの視線が動かなかった事に苛立ちを覚えたのか、マルグリットはコウタの脇腹を抓ると、まるで拗ねた様に違う方向を見ている。既に2人の事は周りからも聞いていた弥生は微笑ましい雰囲気である事を確認しながらも、隣にいるレアから今後の状況を確認すべく何かと話を続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか……どうやら今回は本当に本部として本腰を入れてきた訳か」

 

「レアは今回の立場は有人型神機兵の責任者としての立場だとも聞いています。実際にはアラガミの討伐ではなく、巨大装置設置の際に運搬する事がメインだと」

 

 弥生はレアからの話を確認すると同時に、これまでの顛末を無明に報告していた。本来であれば気にする必要性は何処にも無いが、これまでの事を考えればどうしても慎重にならざるを得ないと判断したのか、逐一報告を聞いていた。

 既に局員を解任に追い込んだ時点で何らかのアクションがあるかとも予想されたが、フェルドマンの動向からはそんな可能性は無く、今なお螺旋の樹の外部調査に余念がないまま時間が経過している。

 屋敷に対して何かしらの介入が無いのであれば、それ以上の調査は不要なのかと思われていた。

 

 

「そうか。そう言えば例のフライアの調査の件だが、何か進展はあったか?」

 

「いえ。フランに依頼してますが、今の所は特に何も見つかって無いようです。ただ、いくつかの端末にはロックがかかっていますのでその解析をするのであれば、まとまった時間が必要不可欠だとは聞いています」

 

 以前に依頼された件に関してフランは時間の調整をする事で少しづつこれまでの検証を密かに依頼されていた。幸か不幸か情報管理局が来てからはフライアの出入りは可能になったものの、肝心のラケルの端末を調べようとするにはそれなりの時間が必要とされていた。

 現時点でフライアの一部は螺旋の樹の浸食を受けているものの、完全に隔離されている事から一部の局員は何かと出入りしている最中の調査には素人フランからすれば困難なミッションだとも言えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか。それでは各員準備をそのまま続けてくれ」

 

 一部の職員を放逐した事でアナグラの空気が多少なりとも和らいだのか、以前の様な閉塞感は成りを潜めていた。未だ情報が極東支部には降りてくる事は少ないものの、それでも息苦しさかの解放が功を奏したのか、当初の計画通りに事は進んでいた。

 既に準備された巨大装置は神機兵を使う事により、困難だと思われた運搬がスムーズに進んでいく。事前に調査された場所に目途が立ったのか、合計で6個の巨大装置の設置とモニタリングが完了していた。

 

 

「これは?」

 

「…どうやらこれからの例の装置の試験運転が始まる様だ」

 

 これまでの報告を兼て北斗はリヴィと共に会議室へと足を運んでいる。既に準備が終わったからなのか、会議室にあるモニターには巨大装置の設置個所と見た事が無いようなデータが出された画面が映し出されていた。

 

 

《フライア、予定通り螺旋の樹の周辺の安全を確保。周囲に気になる物はありません。準備完了です》

 

「そうか……では予定通り開始する」

 

《了解しました。》

 

「こちら極東。これよりシステムの同期を開始します」

 

 目の前で行われているのが何なんか北斗も聞かされはしたが、理解した訳では無い。

 目の前で行われている光景がどこか異質な様にも見えている。これから何が起こるのか北斗はただ見ている事しか出来なかった。

 

 



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番外編 16 ハロウィンの奇跡

「今日は何かあったのか?」

 

 ギルと北斗がミッションから戻ると、アナグラのロビーだけでなく、ラウンジ迄もが出撃前とは大幅に変わっていた。確かに出撃前はこんな気配は微塵も無く、この短時間の間に何が起こったのかを知る為に何か作業をしていたナナに確認すべく北斗は歩いていた。

 

 

「ナナ、何かイベントでもあるのか?」

 

「おかえり北斗。実はハロウィンの準備をしてたんだ」

 

 

 何時もの様に笑顔で答えながらも手に持ったハサミは何かを切っている。見た感じからするとメッセージカードの様な何かにも見えていた。

 

 

「ハロウィン?ってなんだ?」

 

「ハロウィン知らないの?」

 

「ああ。良ければ教えてくれないか?」

 

 北斗の人生の中でハロウィンなる単語を今まで聞いた記憶は無かった。

 ゴッドイーターになる前はこんなに恵まれた環境で生活していた訳では無く、人里離れた場所で慎ましく生活をしていた事もあってか、アナグラに来てから初めて知った物が幾つかあった。

 そんな中でのハロウィンもまた北斗が知りえない事実の一つだった。

 

 

「小さな子供がトリック・オア・トリートって言ってお菓子貰えるんだよ」

 

 本来の意味を知らない北斗からすればナナの言葉が全ての為に、本来の内容を知る術はない。故にお菓子を貰える日である位の認識しか無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハルさんも準備っすか?」

 

 北斗と別れたギルもロビーで何かをしていたハルオミを見つけたのか、近寄ると何かを書いている様にも見える。それが何なのかは分からないが時期的な事を考えると恐らくはハロウィンの何か位にしか覚えが無かった。

 

 

「大した事じゃないんだが、ケイトが何かしていた記憶があったから何となくだ」

 

 作業が終わったからなのか、ハルオミはメモらしい紙をジャケットのポケットに入れる。ケイトの名前が出た事でギルはそれ以上の事を口にするのは止めていた。

 

 

「仮装するんですか?」

 

「そうよ。今回はハロウィンのイベントを開催するからアナグラの一部も開放する予定なの。だからアリサちゃんも協力してね」

 

 

 既に準備が着々進んでいく最中でアリサは弥生からの打診にしばし動きが止まっていた。

 これまでのイベントでは何かと駆り出される事が多く、これまでにも何かに付けて参加するよりも巻き込まれると言った表現の方が多かった事から、今回の弥生がどんな話を持ってきたのかをアリサは警戒していた。

 

 

「仮装って言ってもそんな本格的にする訳じゃないから、心配しなくても良いのよ」

 

 

「弥生さんがそう言うなら…」

 

 

 やや心配したくなる部分はあるものの、これまでもそれ程困った記憶も余り無い。今はまだ準備段階の為にアリサはこの件に関しての記憶が徐々に薄れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いくらアナグラと言えど、イベントがあるからとアラガミまでもが出ない訳では無い。討伐任務に加え、戦場で散ったゴッドイーターの残滓とも取れる遺された神機の回収とやるべき事は山の様に出てくる。

 そしてそれは最終的には技術班にまで影響を及ぼしていた。

 

 

「う~ん。やっぱり素材が足りないな」

 

「リッカさんどうかしたんですか?」

 

「実は今整備している神機でアナグラの強化素材の在庫が一部欠品になるんだよね」

 

 

 遺された最後の意思でもある神機は生体兵器であると同時に、常時整備する必要があった。

 既にオラクル細胞を取り込む事で超人的な力を発揮するゴッドイーターは自身の体内に常時偏食因子を投与するだけで無く、神機にも素材を与える事により休眠したまま現状維持させる事が可能となっている。本来ならば所有者が任務に出ればその問題は克服されるも、休眠中の神機は外部からの投与をせざるをえなかった。

 

 

「もし良かったら俺が取りに行きますよ」

 

「本当!だったらこれとこれが必要なんだ。悪いんだけど、早目に宜しくね」

 

 リッカの遠慮の無い言葉と同時に渡されたメモを見るとギルは眩暈がしそうな量に一人では無理だと判断したのか、北斗を誘いミッションへと出向く。既に慣れたとは言え、やはりこれだけの素材をまるで子供のお使いの様にお願いするその内容はやはり極東ならではの内容に、改めてギルは不用意な言葉は止めようと心に誓っていた。

 

 

「そろそろ全部揃ったんじゃないのか?」

 

「そうだな。これでリッカさんの依頼した物は揃ったはずだが……」

 

 既にありとあらゆる部分の結合崩壊を起こし、コアを抜き取られたヤクシャの群れが霧散する頃、全ての素材を集めきったのか、北斗は帰投の連絡をしようと何気に見た場所にキラリと光る何かを発見していた。

 普段も討伐の途中や事後に周囲に落ちている素材の回収は既に当たり前の内容。故に回収しきれていない物がその辺りにある可能性は極めて低かった。

 しかし、先ほどの視界の中に入った何かがまるで訴えるかの様にその存在をアピールするそれが一体何なのかは北斗にも分からない。

 普段であれば然程気にしないが、今回に限っては妙に気になっていた。

 

 

「なぁギル。この辺りの素材って全部回収したよな?」

 

「そうだな。全部回収してるはずだが…どうかしたのか?」

 

 

 そう言いながらも北斗の視線は何かをずっと見ているのか視線が外れる事は無かった。

 

 

「で、これも回収してきたんだ」

 

「偶然だが北斗が見つけたんでな。最初はそのまま放置も考えたんだが、やっぱりそのままにしておくのは忍びなかったんでな」

 

 

 北斗が見つけたのは、かなり時間が経過した様にも見えた神機。既に第二世代が当たり前の時代には不釣合いな第一世代のその神機はその存在を主張する様に鈍く光る。  リッカとて整備士である以上、幾つもの神機を見てきた自負はあるが、その神機は何処か温かみを感じていた。

 

 

「なんにせよ、こちらでそのまま整備しておくよ。それと素材ありがとね。これで何とか神機の整備が少しは進みそうだよ」

 

 既にリッカは先ほど回収してきた神機を作業台の上に乗せている。生体兵器である神機は整備次第で今後も使用は可能となる。

 ならば最初に出来る範囲の事から進め、その後で微調整する様な段取りを組んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トリック・オア・トリート!」

 

 準備に余念が無いとばかりに勧めれば既に当日となっていた。一般開放の言葉通りに、FSDほどでは無いしろ沢山の人がアナグラへと出入りしている。顔を見ればサテライトの住人も来ているのか、アリサはその対応に追われていた。

 

 

「アリサ姐も仮装してるのか?」

 

「そうですよ。最近はあまり顔が出せませんが、その後はどうですか?」

 

 当時サテライトの建設が始まった頃に仲が良かった子供がアリサに話かけていた。

 今のアリサは魔女の仮装だったのか胸元が大胆に開いた黒のドレスだったが、肩にかけたケープが上手くそれを調和させているのか何時もとあまり変わらない様にも見えている。

 気が付けばアリサだけでなくエリナやシエルも同じ様な格好をしていた。

 

 

「こっちは大丈夫。でも偶には旦那と一緒に来てくれよな。皆何だかんだ言いながらもおめでとうって言いたいみたいだしさ」

 

「そうですね。また時間を作って近々寄りますね」

 

「本当か!だったっら皆に言っておくから」

 

 そう言いながらアリサは籠にいれていたお菓子をその少年に渡す。既にいくつか貰っていたのか、その少年もまた袋にお菓子を入れ直していた。

 

 

「参考に聞くけど、これってもしかして……」

 

「それは私じゃないですよ。私が作ったのはクッキーですから。でも今食べないんですか?」

 

 少しだけ警戒したのか、少年は恐る恐るアリサに確認する。アリサの腕前を既に知って結果だったのか、今回これなかった子供にも渡す為に幾つも貰っているからなのか、何かにつけて慎重だった。

 

 

「そっか。これは帰ってから皆で食べるつもりだから、この分は我慢しておくよ」

 

 そう言いながらも視線は他のお菓子へと向いている。ロビーに拡がる甘い匂いは子供にとって十分すぎる程に威力があった。

 元々ハロウィンのイベントはアナグラでの開催は決定していたが、サテライトに関しては未だそこまで出来る余裕が無い事もあり、結果的には弥生の機転によって子供たちだけが招待されていた。

 初めて来る子供はキラキラした環境に目を向けると同時に、各々がハロウィン様に変装した人間からお菓子を貰っていた。

 

 

「でも、それだとお腹空きますよ」

 

「それなら……さっきお姉さんにこれ貰ったから、これ食べるよ」

 

 少年が取り出したのはおでんパンだった。ここではナナが何かと配っている事は一度でも来た事がある人間であれば周知の事実。だからこそアリサもそれ以上の事を言うつもりは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大盛況だな。しかし……こうもっと滾る何かがあっても良いんじゃないか?」

 

 ハルオミの言葉にギルは隣でウンザリとした表情を浮かべていた。当初は過剰とも言える露出の服装を選んでいたが、今回はサテライトの子供も来るからと、そう言った類の服は全て弥生が却下していた。

 

 

「流石にサテライトの子供も来るんですから、いくらなんでもそれは無理じゃ…」

 

「やっぱりここは大人のハロウィンに期待って事にするか」

 

 ギルの話をまるで聞くつもりすら無かったのか、ハルオミの表情は残念だと思ったのか、少し曇っていた。

 ここアナグラではハルオミの言動は殆どの人間が既に慣れた様な物だが、サテライトに来た子供や外部居住区の子供とその保護者となれば、今後も目にする可能性が高い。

 

 笑って済ませるレベルなら未だしも、こんな場面での半ばセクハラめいた言葉を阻止するのは至難の業の様にも思えていた。

 

 

「ったくハルさんは……何だ?」

 

 そんな中で、ギルは少しだけ記憶を揺さぶる様な何かを感じていた。既に極東に来てそれなりに時間は経過したが、これまでにここで感じた事が無いそれは随分と懐かしい様にも思える。

 隣のハルオミを見れば、何も気が付いていなかったのか何時もと変わらない表情だった。

 

 

「ハルさん。トリック・オア・トリート!」

 

 そんなギルの思考を遮ったのはナナだった。パッと見は何時もと何も変わらない様にも見えたが、よく見れば髪型に合わせたかの様に全体的は黒を基調とした服を来ている。お尻からはそれが何なのかを主張するかの様な細長い尻尾が付いていた。

 

 

「ナナか。ひょっとして黒猫か?」

 

「せ~か~い。どう似合っている?」

 

「ああ。黒がまた良いね。今までのナナとは違ったイメージが一段と良いよ」

 

「何だかハルさんの目がいやらしいんだけど……」

 

 何かを感じ取ったのかナナは徐々に後ずさりしていく。既にこれまでの戦利品があったのか、ナナの持っている袋にはかなりのお菓子が入っていた。

 

 

「ナナ、それって誰から貰ったんだ?」

 

「これ?これは見た事無いお姉さんから貰ったよ。腕輪してたから神機使いだと思うけど、私は見た事ないんだよね…」

 

「それどこで貰ったんだ?」

 

「これならあそこだよ」

 

 何気に反応したのはナナの袋の中にあったブラウニーだった。以前にも見た記憶があるそれが何なのかギルは記憶を一気に遡る。

 ナナが指を差したその先には確かに女性の神機使いが子供たちにお菓子を配っている様にも見える。仮装しているからなのか、その姿から誰なのかを確認する事は出来ないが、あの立ち振る舞いには記憶があった。

 

 

「ハルさん!……俺ちょっと行ってきます」

 

「……そうか。頑張ってこいよ」

 

 ギルはハルオミに一言だけ言い残すと、その女性の下へと急いでいた。結構な人数がラウンジにいた事もあり、子供を突き飛ばす事も出来ない。ギルは焦りながらその女性の下へと急いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハロウィンのイベント大盛況の内に幕を下ろしていた。招待された子供たちも護衛を付けての移動に万全を期したからなのか、移動の途中で夢の国へと旅立っている。そんな姿を見たアリサは一緒に同行していたナナに礼を告げていた。

 

 

「今日、おでんパンを配ってくれたんですね。子供たちは皆喜んでいましたよ。有難うございました」

 

「えっと……今日は私、配ってないよ」

 

 身に覚えのないアリサからのお礼にナナは戸惑っていた。確かに今日の中で何人かの子供がおでんパンを食べている姿は目撃したが、ナナ自身は配った覚えが無かった。当初はムツミかエイジが作ったのかと思ったものの、2人とも作っていないと聞いている以上、ナナとしては心当たりはどこにも無い。

 ナナの覚えが無いおでんパンに関して、アリサがお礼を言うのはある意味では筋違いでもあった。

 

 

「そうだったんですか。じゃあ、誰が作ったんでしょうか?」

 

 未だ移動する車の中では誰も答えてくれる人物は居ない。今はただ子供たちをサテライトに送り届ける事だけを優先していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、これは一体……」

 

 ギルの手元には切り分けられた一つのブラウニーがあった。

 女性の下に近寄ろうとした際に、偶然転んだ子供に意識が向いた瞬間、その女性の姿は消え去っていた。結局の所は姿が見ないままにモヤモヤした感情が残っていたが、その姿を見かけた一人の女性がギルに預かりものだと渡されたのがブラウニーだった。

 ほのかにリンゴの香りがするそれは以前にも作られた代物。まさかとは思いながらもギルはジッとそれだけど見ていた。

 

 

「なんだギル。また随分と懐かしい物持ってるな。それ貰ったのか?」

 

「ハルさん。これってまさか……」

 

 ギルはそれ以上の言葉を出す事は出来なかった。、ギルの手元にあるブラウニーは香りづけにカルヴァドスが使用されている物。匂いで気が付いたのかハルオミはどこか懐かしい思いが存在していた。

 

 

「まあ、どこにでもあるレシピだからな。誰かが偶然作ったんじゃないのか?」

 

「そう言われればそうなんですけど……」

 

「どうだ。俺と少し飲むか?」

 

「いえ。今日はこれで遠慮します」

 

 既に時間も遅くなったのかラウンジは既にバータイムになっている。薄暗い照明は雰囲気を作っているのか、他にも人が居る様にも見えたが、それが誰なのか分からない。 ギルが居ないならとハルオミは一人キープしたスコッチを飲んでいた。

 

 

「隣良いかな。一人で飲むのもなんだからさ」

 

「俺か?別に構わないぞ」

 

 ハルオミに声をかけたのは女性だった。薄暗いからなのか少し離れた場所では顔が確認できない。右腕にはめた腕輪のシルエットが辛うじて神機使いである事だけが理解出来た。

 

 

「これは俺からの奢りだ」

 

 ハルオミがカウンターの上に置かれたグラスに琥珀色の液体を注ぐ。ふわりと香るリンゴのそれがカルヴァドスである事が直ぐに分かった。

 

 

「私の好み知ってるんだ。じゃあ、乾杯しよっか」

 

 チンと音がするグラスの音が周囲に響く。リンゴの香りがハルオミの脳裏を過った頃だった。

 

 

「ねぇハル。今は楽しい?」

 

「……そうだな。ギルにもここで会う事が出来たし、お前の仇も取れたからな。心残りは……もう無いかな」

 

「私の事なら、もう忘れても良いんだよ。ギルだって前に進んでほしいから」

 

 そう言いながら女性がハルオミの肩に頭を乗せる。慣れ親しんだ重みが何を意味するのかは言うまでもなかった。これまでに何度も経験した重みがその女性の正体を現していた。

 

 

「今はまだやるべき事があるはずだから、そっちに行くのはもう少し先になるな」

 

「気にしなくても良いよ。ハルの好きなようにやれば良いから」

 

 女性の腰を抱きながらハルオミは引き寄せていた。懐かしい匂いに心がざわめく。原理は分からないが、今はただこの限られた時間を楽しもうと考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと…早速明日の分の準備でもしようかな」

 

 サテライトの護衛も終わり、ナナは自室へと戻っていた。アリサの言葉が正しければナナ以外の誰かがおでんパンを作った事になる。しかしムツミもエイジも知らない以上、今のナナに心当たりはなかった。

 

「あれ?私ロックしてなかったっけ?」

 

 ノブにはロックが解除された感覚があった。オートロックである以上、誰も勝手に開ける事が出来ないはず。ましてや腕輪認証であればそれは尚更だった。

 部屋に入ると懐かしい匂いがしている。それが何なのかは考えるまでもなかった。

 

 

「お母さん。お腹へった」

 

 ナナはキッチンに立っていた女性に確認せず抱きしめる。子供の頃の記憶にあった匂いと感触は既に失われたそれだった。理由はわからないがここに居る。

 ナナの目には涙であふれたのか、振り返ったその顔が満足に見えなかった。

 

 

「おかえりナナ。おでんパンここにあるから」

 

「うん……」

 

 ナナが抱きしめると同時に同じくその女性もナナを抱きしめる。既に失われたはずの温もりはナナの心をゆっくりと満たしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど……で、気が付いたら朝になっていたって事だね」

 

 不思議な体験は榊の知的好奇心を大いに満たしていた。

 ナナの言葉だけでなくハルオミも似たような言葉を聞いた際に、ギルはやはりと言った表情を浮かべていた。

 カルヴァドスを香り付けに使うブラウニーは以前にケイトが焼いてくれた物。自分の記憶に間違いは無かった事だけでなく、ハルオミとも会えた事に少しだけ笑みを浮かべていた。

 

 

「実は、ギルと北斗が回収した神機はナナのお母さん、つまり香月ヨシノさんの神機だったんだ。一度は完全に修復したんだけど、今朝にになったらまた元に戻ってたからね。因みにケイトさんの神機も同じ症状が出てたよ」

 

 リッカの言葉に北斗とギルはただ驚くしかなかった。今思いだせば見つけてほしいとアピールしている様にも見えたその直感は間違っていなかった。事実、今朝になってナナの言葉を聞いた際には理解する事が出来なかった。

 しかし、ハルオミの話も併せて聞いた事によりその信憑性は高まっていた。

 

 

「君達は知らないかもしれないが、実はリンドウ君も自分の神機の仮初の姿と会ってるんだよ。使い込まれた神機には使ってきた人間の意志が宿るのかもしれないね。ましてや昨日はハロウィンだったんだから、ひょっとしたら君達に会いに来たのかもしれないね」

 

 以前にリンドウから聞いたレンの名前の由来は北斗だけでなくギルやナナ、シエルも聞いていた。当時はそんな馬鹿なと言った考えも僅かにあったが、当時のリンドウの表情はまるで何かを慈しむかの様な表情を浮かべていいた事が思い出される。

 会いたいと願った結果なのかは本人達にしか分からない。しかし、昨晩の出来事が夢で無かった事は間違いない。そんな不思議な出来事がナナとハルオミの心の中にそっと残っていた。

 

 

 




 追憶のキャラエピを元に思いつきました。

 当初はもっと軽いノリでとか考えましたが、西洋のお盆である事と追憶のキャラクターをミッションに出していた事もあって書いて見ました。






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第216話 異変

 試験運用は途中で些細なトラブルこそ発生したものの、結果的には問題無いと判断されたのか無事に完了していた。

 この時点で螺旋の樹に関しては今後の事を決定付ける為に、一先ずは全世界にそれを知らしめる必要がある。その映像を持って行う事により事態の沈静化を図ると同時にフェンリルへのクレームを少なくする為の公営放送が決定されていた。

 

 

「しっかし、本部のお偉いさんは何を考えてるんだかね。態々こんな事する必要は無いだろ?」

 

「それは確かにそうですけど、今回の螺旋の樹に関してはここ以外の地域では結構なクレームと言うか、心配している声がかなり届いてるらしいですよ」

 

「その辺りは極東の人間は肝が据わってると言うか、おおらかと言うか……」

 

 エイジとリンドウは何故かクレイドルの制服ではなくコックコートを身に纏い、目の前の作業に集中している。エイジが厚く切ったベーコンを焼きながら手際よくパンを切り分けている隣でリンドウは寸胴の中身をかき混ぜる。

 既に目の前には大量のお客が並んでいた。

 

 

「ちょっとリンドウさん。無駄口叩く暇があったら手を動かしてくださいよ」

 

「へいへい。なあエイジ、お前の嫁はもう少し何とかならないのか?」

 

「流石にこれを止めるのは無理ですよ…」

 

 リンドウ達は公営放送の現地でFSDの様にひたすら屋台で手を動かし続けていた。 見れば他とは違いここだけがやたらと長い行列が出来ている。ここで手を止めよう物なら目の前のお客に怒られるのは間違い無い事だけは理解している。

 既に手慣れた内容ではあったが、つい昨日まではアラガミと対峙しながら業務に励んでいたはず。事実、今回の事を知ったのは今朝になってからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って事ですまないが、君達にはFSDの時と同じ様にやって欲しいんだ」

 

「それは分かりましたが、態々僕らがやる必要性は無いんじゃ……」

 

 支部長室に朝一番で呼ばれたのはリンドウとエイジだった。ここ最近はサテライトの建築が思いの外早い進捗だった事から、通常の教導や討伐任務が今日も入っている。

 極東の人間が暇を持て余しているなんて事が無いのは榊が一番知っていたはずだった。しかし、呼ばれた先に聞かされた内容は予定任務とは正反対の内容。

 突如として起こった出来事に2人はしばし固まる事しか無かった。

 

 

「本当だったらやる必要は無いんだけど、エイジの料理をぜひ出してほしいって要請があったのよ。で、ここに来て貰ったんだけど、話は既にアリサちゃんには伝えてあるから」

 

「はぁ……って事は当然ミッションは…」

 

「ええ。もちろん全部キャンセルよ。で、折角だから神機の整備もする様にナオヤには言ってあるから」

 

 弥生の笑顔が全てを物語っていた。アリサとナオヤに手を回されればエイジとてそれ以上は何も出来ない。ミッションには出れないだけでなく、教導もキャンセルされている以上、出来る事はイエスと言うだけだった。

 

 

「エイジは分かったんだが、どうして俺なんだ?」

 

「リンドウさんは、既に溜まっているレポートの一部と交換よ。嫌なら溜まってる書類は今日中に全部仕上げて提出してほしいの」

 

 弥生の言葉にリンドウはそれ以上何も言えなかった。何だかんだとマメに提出しているエイジとは違い、リンドウは良くて期限ギリギリ、悪ければ期限から1週間程遅れる事が殆どだった。

 既に期限切れのレポートがどれ程あるのかは端末を開く気にもなれない。それが今日中に全部となれば頷く以外の選択肢はどこにも無かった。

 

 

「喜んでやらせて頂きます」

 

 退路を断たれた2人に出来るのはただ頷く事だけ。すべては弥生の計画通りに事が運ばれていた。

 

 

「2人ともお疲れ様です」

 

「そんな事言う暇あるなら少し手伝えよコウタ」

 

「それってエイジとリンドウさんのミッションですよね。今回はスンマセン」

 

 行列の隙間を縫うかの様にコウタが陣中見舞いにやってくる。既にお客もはけたのか、漸く終わりが見え始めていたのかアリサも少しだけ一息入れていた。

 

 

「コウタ、賄いだよ。持って行きなよ」

 

「サンキュー。まだメシ食ってなかったから助かるよ」

 

 渡された物を見ながらコウタはその場で齧りつく。何時もの様な凝ったメニューではないものの、用意されたのは本部の指示だったのか厚く切ったベーコンのサンドウィッチとコンソメスープだった。

 それなりの量があったにも関わらず次々と口の中へと消え去っていく。今回はエイジとリンドウが不在の間はマルグリットと2人で部隊編成を行っていた。

 

 

「でも真面目な話なんだけど、聖域に認定したからって何かが分かる訳じゃないんだよな?」

 

「詳しい事は知らないけど、兄様の話だと対外的な物らしいよ。実際に装置が設置されている場所も内部では無いし、周辺のアラガミを仮に除去した所で根本が変わっていない以上は何の解決にもなってないからね」

 

 先程とは打って変わってコウタは真面目な顔でエイジに確認する。未だ現場に情報が降りてこない以上は推測でしか物事は分からないが、エイジであれば無明経由で何かしら確認出来るのではとの思惑も存在していた。

 

 

「そっか……この前の件で多少はガス抜き出来たのは事実だけど、何やっても知らされないとなるとモチベーションがね。俺達は何時もと変わらないんだけど、まだここに来たばかりの連中は良い様に思ってないんだよ」

 

「……コウタも偶にはまともな話をするんですね。少しだけ関心しました」

 

「あのな……アリサ、一度その件についてじっくりと話合った方が良いんじゃないか?」

 

「私は客観的事実を述べただけですよ」

 

 いつものやりとりの向こうではフェルドマンが広域放送をしているのか演説をしていた。コウタだけでなくこの場に居る全員は支部長室で聞かされた事実だった為にそれ以上の関心を持つ事はどこにも無かった。

 既に話の内容は終盤にさしかかりつつある。そんな時だった。

 

 

「何だ?地震か?」

 

 リンドウの言葉と同時に地震だと思える程にハッキリとした振動は周囲に広がっている。突如として起こった事実に誰もが対処できないままだった。

 

 

「コウタ、ちょっとヤバいぞ」

 

「何だありゃ?」

 

 リンドウの視線の先にはこれまで何も変化が無かったはずの螺旋の樹が大きく動き出していた。これまでの様なつぼみ状のそれがゆっくりと花を咲かせるように開きだす。 それに呼応するかの様に幹の部分も大きく変貌し始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先ほどの螺旋の樹に関してだが、少々拙い事になった。既に君達も知っての通りだが、螺旋の樹の周辺に異変が起こった事により外縁部周辺に近づく事すら困難な状況下にある。

 現時点での原因は調査中ではあるが、未だ原因は不明のままだ。我々の感知している中では何らかの人為的な要因が関係している様だが、それもあくまでも推測にしか過ぎない」

 

 突如として起こった螺旋の樹の異変は結果的にはこれまで鎮静化した不安を再び煽る結果となっていた。既に周辺部の異変はその場からも確認が取れただけでなく、全世界の放送された事も仇となったのか、これまで以上に周辺地域からの問い合わせが殺到している。

 既に起こった事に関してはどうしようもなく、現地の鎮静化がスムーズに運んだのはある意味では僥倖だった。

 

 

「それと、残念は結果が一つだけ分かった。現時点を持ってジュリウス元大尉の特異点反応は消失している」

 

「それって……終末捕喰が再び起こってるって事?」

 

 特異点反応の消失の言葉にその場にいた全員は何も言う事が出来なかった。螺旋の樹は特異点同士がお互いを喰い合っている結果でしかなく、事実、ユノを中心としたブラッドが均衡を保った結果だった。

 そのジュリウスの反応が消失した事実はクレイドル以上にブラッドに大きな衝撃をもたらしていた。

 

 

「コウタ、まだ決まった訳じゃない」

 

「しかし、今回の螺旋の樹の発現はお互いの力が均衡した結果である以上、残された時間はそう長くは無いかもしれないね」

 

 榊の言葉に誰がそう考えずにはいられなかった。

 お互いの力が均衡する様に出来ただけでも奇跡に等しいにも関わらず、その均衡が崩れれば自動的にそれは再び進行する。既に代替えとなる特異点反応を作り出す事が出来ない以上、他の手段を構築するしか無かった。

 

 

「そこでだ。現段階を持ってこれまでやってこなかった螺旋の樹の内部調査を敢行する。

 もちろん外縁部に関してはこれまでと同様に進めるつもりではあるが、今回の想定外の出来事が起こった以上、予定していた計画を前倒しする事になる。その為の布石を打つにはそれなりの準備が必要となるのもまた事実だ。我々もただ指を咥えて見ていた訳では無い」

 

 フェルドマンの言葉に揺らぎは無かった。想定外の事実ではあるものの、事前に予定していた内容をそのまま実行に移すだけだったのか、そのまま全員をフライアへと向かわせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかとは思うが……」

 

 リンドウが驚きの声をあげたのは当然だった。訓練所に設置された神機の接合用の台の上には既に所有者がいないジュリウスの神機。その目の前にいるのは特務少尉として赴任してきたリヴィの姿だった。

 

 

「そうだ。あれはジュリウス元大尉の神機だ。あれが螺旋の樹を切り開く鍵となる。これまでの調査で分かった事はあれの半分がジュリウス元大尉のオラクル細胞で出来ていると言う事だ。そう言えば意味は分かるだろう」

 

 フェルドマンの言葉にその場にいたリンドウやコウタ直ぐに意味を理解していた。

 これまでのゴッドイーターがアラガミ化した場合の処理は既に公式見解として、所有していた神機を持ってその者を討伐するのが望ましく、適合者で無い物はゴッドイーターが完全にアラガミ化してから討伐する以外に手段が無かった。

 

 しかし、その言葉には少しだけ足りない物がある。アラガミ化する直前であれば早急な人間の生命活動を停止させる事も同じ効果があった。しかし、そうなると今度は人道的、かつ倫理的な意味合いが生じてくる。

 前者であれば心理的負担は少ないが、後者の手段はアラガミ化してからよりも格段に簡単に出来るが、その分自身が手掛けた事による精神的な葛藤を克服する必要性があった。

 本来であればその苦渋の選択に関しては考えるまでもなかったが、これまでにそれが原因で退役した人間は極東支部には居なかった。

 

 

「なるほど……だからこそジュリウス君の神機と言う訳か」

 

 榊の言葉が全てを表す。アラガミ化したゴッドイーターを始末するのと変わらないその手段は確かに効率を求めれば致し方ないのかもしれないが、やはりそう考える情報管理局とは相いれないと思うのはある意味では仕方ない事実でもあった。

 

 

「それは理解したとして、どうしてコレット特務少尉なんだ?確か神機は一人一人のDNAの塩基配列で決まっているはずだったと記憶しているが?」

 

 ギルの疑問は尤もだった。自分に適合出来ない神機はむりやり接続した人間を捕喰しようと体内に侵入し、内側から喰い破る。これは適合試験の際にこれまで何度も起こった事実であると当時に、ゴッドイーターであれば当たり前の事実でもあった。

 既に自分の神機を所有している人間が第二の神機を所有するなどと言った話はこれまでに一度も聞いた事が無い。だからこそ目の前で起こる行為が本当に事実なのか疑わしい気持ちの方が勝っていた。

 

 

「それに関しては言うまでもない。コレット特務少尉、準備は良いか?」

 

 作業台の上に置かれた神機を一瞥すると同時にリヴィは当たり前の様にジュリウスの神機の柄を握る。接続の際に確認すべく神機から伸びた触手は当たり前の様にリヴィの腕輪へと接続を試みていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、そのコレット特務少尉?だっけか。随分と無茶な事するよな。いくら適合出来るからと言ってそれが直ぐに実戦に適応できる訳ないんだが」

 

「だから暫くの間はジュリウスの神機を使って習熟させるらしいよ」

 

 リヴィの神機接合の件は直ぐに技術班にも通達が来ていた。これまでの常識から考えれば、通達された事実が本当ならば拒む必要はどこにもない。ただの整備士であればそれ以上の考えは存在する事は無かった。

 

 時間が遅い事もあったのか、リッカはナオヤと一緒に遅めの食事を取っていた。既に技術班の連中は時間が来たからと担当以外は帰宅している。休憩室に持ち込んだ食事を取りながら、今回の顛末を改めて考えていた。

 

「……整備士としては言うべき事は無いんだ。ただ、教導を預かる身としては複雑なんだよ。下手に出られて負傷か死なれたらどうるつもりなんだろうな」

 

 ナオヤの言葉にリッカは今まで口に運んでいたていたスプーンを止め、ジッとナオヤの目を見ている。既に教導でこれまでに数えきれない程に対戦してきた人間であると同時に、一人の武術者としての言葉に何か興味があるのは間違い無い。

 それが何を意味しているのかを悟ったのか、ナオヤは再びリッカに説明していた。

 

 

「神機の適合を果たしたらすぐに実戦をしていたのは、既に過去の話だ。リッカも知っての通りだが、今は一定以上の技術を取得しないと戦場に出れない事は既に常識になりつつある。

 ただ、神機の刀身部分を軽く考えていると万が一の時に確実にその刀身パーツは使用者に牙を向くだろうな」

 

「それってどう言う事?」

 

「前にも言ったかかもしれないが、それぞれのパーツには最適な間合いと行動原理が必ず要求される。実際に銃身パーツを思い出せば早いが、まさかスナイパーの間合いでショットガンなんて使えないだろ?原理はそれと同じだ」

 

 ナオヤの言葉にリッカも直ぐにその状況が理解出来ていた。ショットガンは近接型の銃身である為に、その射程距離は極めて低い。着弾させるにはかなり距離を詰める必要があるだけでなく、その距離を考えればとてもじゃないが、スナイパーと同列に扱う事が出来ないのは周知の事実だった。

 

 

「でも、それだけなら個人の力量でカバー出来るんじゃ……」

 

「そう。一定レベルなら…だがな」

 

 ナオヤの言葉にリッカはこれまでに手掛けてきた神機パーツについて思い出していた。

 極東支部の中で一番の戦闘能力はやはりエイジである。当初、スピアとハンマーが実装された際にも、何となく関心を示していたが、それを手に取る様な素振りは一切無かった。

                                                                                         当時の話からすれば最終的には馴染んだ神機の方が安定しているとの回答ではあったが、当時はリッカもなんとなく程度でしか聞いてなかった。

 

 

「自分の命がギリギリのところにまで追い込まれた時に発揮できるのは、結局の所は自分が一番信頼出来るそれだけなんだ。ましてや借り物や間に合わせなんて言語道断だ。

 信頼出来ない物に命を預ける事は出来ない。

 仮にそれが出来るのならば、余程の馬鹿か達人のどちらかだ。ここは本部じゃない。だからこそ俺としては管理局云々以前に本人の適正が重要だと考えるんだがな」

 

 自分の言いたい事を言ったのか、ナオヤも目の前にあった炒飯をかきこむ。既に時間はそれなりになりつつあったのか、休憩する部屋にはナオヤとリッカしか居なかった。

 

 

「さっきのはあくまでも俺の見解だ。実際にコレット特務少尉の技術がどの程度なのかは知らないが、あくまでも本部レベルでの話ならが前提だけどな」

 

「暫くは習熟期間を設けるらしいし、私の方からも北斗には言っておくよ」

 

 そう言いながら食べ終わった皿を洗い終えると食器棚へとしまい込む。以前にはこの部屋には設置されてなかったが、ここ最近になってから技術班にもミニキッチンが併設されるようになってた。

 しかし、現場の叩き上げの人間が利用する機会は無く、実質的にはナオヤが利用している程度だった。

 

 

「なあ、たまにはリッカが作った物を食べてみたいと思うんだけど、得意な料理とか無いのか?」

 

「え?わ、私の?」

 

「他に誰が居るんだ?」

 

 今日の炒飯もナオヤが作った物をリッカも食べる事になっていた。ここ最近では他のメンバーも材料だけ持ってくる事で頼まれる事は多々あったが、これまでの事を考えると誰もリッカに頼んでいるのを見た記憶は無かった。

 

 

「まあ、そのうちに何とか……」

 

 いつもの様な言葉にキレが無いのか、語尾が徐々に小さくなっていく。食べるのも仕事のうちだと考えるナオヤの腕前はそれなりのレベルに達している事をリッカが一番知っている。そんな中で自身の料理を作るのがどれほどハードルが高いのかを改めて考えさせられていた。

 

 

 



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第217話 模索

 ナオヤの心配をよそに、リヴィは習熟する為のミッションを幾つか選択していた。

 リヴィとて今の神機になる前には色んな神機を試した結果でもある。しかし、それはあくまでも本部レベルでの話でしかなく、ここは極東。既に何度もミッションに出ている事もあってか、何となくアラガミの個体能力やその強度がこれまで体感した中でも最大級である事は間違い無かった。

 これまでであれば、小型種の討伐にそんなに時間がかかるのはなぜなのかと思う事すらなかったが、やはり何かが違っていたのか、ここが極東である事は嫌が応にも意識させられる事が多くなって来ていた。

 ミッション後のデブリーフィングはこれまでやっていなかったが、リヴィと合流してからは格段にその数が多くなっていた。

 

 

「やっぱりデブリーフィングは必要ですね。これを機にもう少し知っておくのは悪くないと思いますので」

 

 リヴィが率先してやっているものの、ブラッドの中ではシエルだけが唯一ホクホク顔で望んでいた。

 これまでの戦術やアラガミの捕喰傾向、周辺地域の分布と覚える量はシエル以外のメンバーはどこか視線が定まらないままに空を見つめていた。

 

 

「なるほど……流石に世界の中でも名だたる最前線と言った所か。確かに通常種でこれだとすれば接触禁忌種となれば相当な物になるのだろうな」

 

 本来であれば北斗がリヴィに対し説明するのが一番ではあるが、これまでの状況から判断すればこのメンバーの中ではシエルが最適だった。

 これまでに討伐した経験があるアラガミの特徴やその攻撃方法、弱点の部位など話し出せばキリが無い。既にどれ程の時間が経過したのか、気が付けばナナは少しだけ居眠りをしていた。

 

 

「あとは、可能性としては未公認だが特異種の事もある」

 

「そうだな。あれはある意味では厄介極まりないのは間違いないな」

 

 北斗の言葉に反応したギルもここ最近の中で一番大変だと感じていたのがキュウビとマルドゥーク戦だった。

 実際には認定していないが、知能が高いアラガミはそれだけで厄介な物となっている。

 これまでにもブラッド苦戦したのはその傾向が強く、それ以外のミッションではそこまで気になる様な存在は全く無かった。

 

 

「ところで話は変わるが、今回の同行に当たってだが、北斗の能力でもある『喚起』によってブラッドアーツの習得も並行してやっているが、具体的にはどんな状況で習得出来るんだ?」

 

 何気に話したリヴィの言葉に北斗だけでなくシエルも困惑していた。実際に今回のミッションに関しては確かにその習得も一つの条件として提案されていたが、実際にどんなタイミングで習得できるのかは、北斗自身も全く分からないままだった。

 事実として最低限の可能性がP66偏食因子の所有と同時に、これまでの感覚からすれば自分の意志の枠外での覚醒となって事もあってか、シエルもギルも自分達がどうやって習得出来たのかすら理解できないままだった。

 そんな中であまりにも不確定要素が高すぎるそれを条件にされた事もあってか、どうすればと言った事を今回改めて考えさせされる形となっていた。

 

 

「俺に聞かれても……」

 

 そう言いながら北斗はシエルに視線を向ける。自分よりもそれに反応した人間に聞いた方が早いからなのか、視線を向けられたシエルもどうやって習得出来たのかを言葉にしろと言われても困惑する事しか出来ないでいた。

 

 

「私よりも、ギルの方が……」

 

 北斗から来た視線はシエルを経由しギルへと向かう。ギルの下には3人の視線が集まるものの、ギルにしても分からない以上、説明できる要素はどこにも無かった。

 

 

「それを言うなら俺にも分からない」

 

 帽子を目深にかぶり直し3人の視線を一旦遮断する。今のギルに取ってはそれ位の回避しか出来なかった。

 

 

「多分、感情がわーって爆発したら出来るんじゃないかな?シエルちゃんもギルもそうじゃないの?私はどっちかと言えばそんな感じだったけど?」

 

 大よそ答えらしい物が無いのかと思われた矢先だった。これまで居眠りをしていたはずのナナの声が背後から聞こえて来る。確かに言われてみればそんな記憶が無い訳ではないが、それがどんな状況だったのかを考えると一概にそれが正しいとは言い難い。

 しかし、ナナの発言以外に手だてが無いのもまた事実でしか無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と言うのはどう……かな?」

 

「なるほど。それは確かに一理ある。早速実証してみよう」

 

「でもその前にコレット特務少尉って言うのはどうかと思うんだ。そう言えば、北斗はリヴィって名前で呼んでたよね?で、コレット特務少尉は最初は饗庭隊長だったのが、気が付いたら名前で呼んでたけど」

 

 ナナの何気ない言葉に改めて思い出すと、確かにコレット特務少尉ではなくリヴィと呼んでいた。最初は何気に聞き流していたが、他の人間が特務少尉と階級まで言うのに対して北斗は普通に名前で呼んでいる。その事実に気が付いたのか、ナナとシエルの視線は厳しい物となって北斗に向いていた。

 

 

「この前の任務の際に、そんな話が出ただけだ。長いのは戦場でも呼びにくいだろ?だったら名前の方が合理的じゃないのか?」

 

「…北斗は戦闘時にはその力を如何なく発揮するけど、それ以外っててんでダメだよね~。少しは周りの影響を考えよっか」

 

 ナナの言葉だけなく視線には何となくヒンヤリとした雰囲気が漂っていた。気が付けば隣に居るシエルも同じ様な目をしている。

 それが何を意味するのかを理解出来なかったのは北斗だけは無かった。

 

 

「なるほど。では私の事はこれからはリヴィと呼んでくれれば良い。実際任君達の階級は少尉と准尉だ。准尉も実際には少尉相当官と聞いている。それならば少しはマシになるのではないか?」

 

「じゃあ、これからは私達も名前呼びだね。これからも宜しくねリヴィちゃん」

 

「そうですね。これからは宜しくお願いしますリヴィさん」

 

「なあギル。何となくシエルとナナの様子が変だけど、これはこれで纏まったんだよな?」

 

「……多分な」

 

 言葉の表現は間違っていないが、何となくその文脈の中にあったそれが違っていると理解したのはギルだけだった。本来であれば口に出せば北斗も理解するかもしれないが、この状況でそれを口に出せば、矛先は自分へと来るのは間違い無い。

 それを悟ったが故にギルはこの状況をただ眺めているしか出来なかった。

 

 

「で、話は元に戻るんだが、今後のミッションの重要なキーとなる可能性もある。やはり習得の方法が分からないとなれば、何かと困るんだが……」

 

 ナナの言葉を参考にすれば感情が高まる事をすれば良いのは間違い無かった。しかし、感情が高まる行動はある意味では厄介な部分があった。

 リヴィはブラッドにはまだ伝えていなかったが、特務少尉としての任務の中に、制御不能となった神機使いの抹殺が任務として入っている。任務に入る際には徹底して感情を押し殺している為に、喜怒哀楽の表情を出す事が難しくなっている事実が存在していた。

 既に数える事すら出来なくなるほど手をかけた今のリヴィに取って、感情を爆発させる行為は難しい物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、これか……俺にも予定があるんだが、それは理解してるよな?」

 

 口調は穏やかにも関わらず、目は既に怒りに染まっている様にも見えたのは自分だけでは無いと思いたい程にナオヤの表情は複雑だった。これまで教導の名目で新人と訓練したかと思った途端に、今度はブラッドからの依頼。

 今日の予定が何かと立て込んでいるにも関わらず横槍を入れる以上、結果は火を見るよりも明らかだった。

 

 

「だったら、予定してたアレは私がやっておくよ。だからナオヤはそっちに行っても大丈夫だよ」

 

「リッカがそう言うなら仕方ないか……で、何で今さらコレット特務少尉の教導なんだ?」

 

ナオヤの疑問は無理も無かった。既に少尉の立場で教導する意味がどこにもなく、今回の件に関しても正確な検証をした訳ではないが、一旦は心身共にギリギリまで追い込めば何らかの変化が発生するだろうと考えた末だった。

 

 

「今回はブラッドアーツの取得の為に色々と検証しようかと思ったんです。で、折角ならばジュリウスの神機の習熟も兼ねた教導が一番かと思いまして…」

 

 提案したのはナナだったが、既にナオヤの雰囲気が悪くなっているだけでなく、今後の事も考えれば、ここは一旦北斗が全面に出る事でそれらしい内容にした方が良いだろうと考えた結果だった。

 暇が無いのは間違い無いが、事前に確認しなかった事もあってか、流石に北斗もナオヤを目の前に言葉のキレはなくなっている。既に事情を説明している以上、後はナオヤの返事を待つだけだった。

 

 

「コレット特務少尉だったな。俺は教導の際に肩書は一切考慮しないがそれでも良いか?」

 

「こちらとしてもその方が有難い。極東の教導がどれほどの物なのかは本部でも聞き及んでいる。折角のチャンスは有効活用した方が合理的だろう」

 

「……そうか。これから準備するから少しだけ待っててくれ。リッカ、悪いけど残りの分は頼んだ」

 

「了解。いつもの様に頑張ってね」

 

 その言葉と同時にナオヤは教導用の服に着替え直す。それが今回の了承代わりとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だか何時もより厳しい気がするんだけど気のせいかな?」

 

「ナナさんの言う通りです。確実に厳しいのは間違いありません」

 

 訓練室の内部ではリヴィとナオヤの教導を見る為に北斗達がオペレーター室から見渡していた。かたや神機使い、かたや一般人である以上、お互いの基本の能力は格段に異なる。

 本来であれば教導するのはベテランの神機使いか資格を持った元が付く人間が殆どだった。にも関わらず、ここでは目の前に対峙したナオヤがその任を担っていた。

 圧倒的な力の差では無意味だと思うのがこれまでの常識でもあったが、ここは世界で一番過酷な戦場と言われる地域であるが故に温すぎる教導が意味を成さないのは既に周知の事実でもあった。

 

 リヴィも他の支部の神機使い同様に、一般人の教導で何が出来るのかと思いながらも、ロングタイプの得物を片手にナオヤと対峙する。どれ程の物なのかと力量を試すつもりの軽い気持ちだった事を真っ先に後悔する事になったのはある意味仕方の無い事でもあった。

 

 お互いが対峙した瞬間、リヴィは奇妙な感覚に襲われていた、これまでの常識から言えば、お互いの殺気が混じる程の闘志は相手を飲みこもうとお互いの主導権を握ろうとするのが通例だった。しかし、目の前にいるナオヤにはそんな殺気はおろか、闘志すらも感じさせない程にただ静かだった。

 目の前に出された一本の棒に視線が固定される。リヴィはその棒の先端から視線を外す事が出来なかった。

 

 

「くっ!」

 

 そこに有るべきはずの先端は既にリヴィの目の前にまで到達していた。決して視線を外した訳でも無く他の事を考えていた訳でもない。気が付いた瞬間に眼前にまでせまりくる一撃は、ただ回避する以外の選択肢を選ばせてくれない。

 あまりにも異様な一撃がこの戦いの開幕を迎える事になっていた。

 人間の反射速度の限界値を超えるかの様な動きはこれまでにリヴィが対峙したアラガミや暴走した神機使い以上の速度で襲い掛かってくる。

 

 本来であれば神機のモックを使うのが通常ではあるが、今回はギリギリまで追い込む事が目的の為に、ナオヤが一番動きやすい得物を使った教導メニューとなっていた。

 一本の固い棒が獣の爪の様にリヴィに襲い掛かると同時に、反撃とばかりに横薙ぎに振るった僅かな隙は一点集中とばかりに差し込まれる。

 純粋な教導であればこの一撃で決着が付くが、それをギリギリで躱したリヴィは既に目の前の人間の認識を改めていた。

 

 

「ナオヤさんは本気でやってるぞ。何時もの様な遊びの部分が殆どない」

 

 まさに一方的とも言える内容とその光景をギルは何度も経験している。基本に戻った動きは、自分にとって当たり前の行動でしかなく、その結果事前に察知できる情報は驚くほどに少なかった。事前行動が出れば対処が確実なのは間違い無い。

 にも関わらず、ナオヤの攻撃の一つ一つが無拍子の如く動く事により事前の攻撃のモーションを確認する事は不可能に近かった。リヴィの命を落とさんと言わんばかりにナオヤは攻撃を続けていた。周囲に聞こえるのは僅かな息遣いと、時折聞こえるお互いの得物が交差する時だけ。

 外に漏れない程の風切り音とは裏腹に、お互いの視線は常に交わり続けている。一瞬でも目を離せば命が刈り取られる程の重圧は見ている者にも襲い掛かる程の内容だった。

 

 

「まさかこれ程とは…」

 

 リヴィはナオヤと対峙しながらも、その技術の高さに驚かされていた。極東では当たり前の光景ではあるが、それが他の支部からすればありえないと一笑される内容に当初は疑問を持っていた。

 事前に教導の事も確認はしたものの、やはり聞くとやるとでは天地の差がある。これまでにリヴィは何度かナオヤに直撃出来ると思われる一撃を当てようとした事はあったものの、全ての攻撃がまるで誘導されるかの様に迎撃される。

 攻撃の際に起こる僅かな隙を常に狙われるからなのか、どうしても防戦一方になりやすく、行動の一つ一つが洗練されているからなのか、攻撃の隙すら淀みが無い。

 時折入れるフェイントは最初から無かったかの如く無視されるだけでなく、逆にナオヤの時折殺気を込めたフェイントに本能が反応するのか、ギリギリで回避せざるをなえない場面が多々あった。

 時間と共にまるで詰将棋の様にこちらの攻撃範囲を狭め、行動を制限してくる。既にここから出来る事は何も無いと思った瞬間だった。

 僅かに漏れた息の吐く音と同時に螺旋状に突かれた一撃がリヴィの獲物を破壊する。

この時点で勝負は決していた。

 

 

「流石は本部所属の特務少尉だな。ここの連中なら最初の一撃で終了だったんだが」

 

「いや。私の方こそ極東が如何に高度な戦力を保有しているのかを理解させてもらった」

 

 僅かに弾む息がこれまでの戦いの現していた。いつものナオヤであれば息が弾む所まで行く事は殆ど無い。それはリヴィの戦闘能力が高い事を示していた。

 

 

「まあ、本当の事を言えば慣れない神機で戦うなんて正気の沙汰じゃないんだが、そのレベルなら何とかなるかもしれんな。ちなみにエイジは俺のさらに上を行くぞ」

 

 厳しい戦いの最中にも関わらずこちらの動向を伺っていた事に驚いたものの、自分が僅かに懸念していた事を言い当てられた様な気分にリヴィは驚いていた。

 今回のミッションの際に、ジュリウスの神機で螺旋の樹を探索する以上、最悪の展開を考えなかった訳では無かった。今回の最大の任務は万が一の際には自分が確実に生き残り、ここに帰還する事。

 既に神機の接合に関してはブラッドだけでなく、目の前のナオヤもその特性に関しては聞かされている事をリヴィは知っている。

 まさかとは思うが、今回の教導で自分の力量が試されたのではないかと思えていた。

 

 

「そうか。教導教官にそう言ってもらえるならば安心だ。私も期待に添える事が出来るように約束しよう」

 

 当初の目的とは違ったものの、それでも今後のミッションの憂いを無くす事だけは成功していた。

 

 

 



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第218話 リヴィ

 

「既にジュリウスの神機との適合率はそれなりになっているかと思うが、ブラッドアーツの取得の方はどうなっている?」

 

 螺旋の樹に侵入する為のキーとなるジュリウスの神機を適合させてから数日が経過していた。これまでの様な技術的な話であればどうにでもなるものの、ブラッドアーツと言った未知への取り組みに関しては一向に進む気配が無かった。

 螺旋の樹の侵入には不可欠な事はリヴィ自身も理解しているものの、未だハッキリとしない状況に、内心焦りが生まれつつあった。

 

 

「適合率そのものは当初に比べれば格段に良好です。ただ……ブラッドアーツの取得に関しては未だ分かりません」

 

「そうか。時にブラッドアーツとはどんな物だと推測している?」

 

「私の見解としては恐らくは第二世代に起こる感応現象をもっと具体化した様な物ではないかと思います。これまでに何度かミッションに出た際に見た限りではその様な物かと」

 

 これまでにリヴィは北斗と何度か合同ミッションに出向いていた。本来であれば数回のミッションに出れば何かしらのヒントを得る事が出来るかと思われていたが、北斗は色んな意味でリヴィの期待を裏切っていた。

 最大の要因は北斗自身があまりブラッドアーツに頼った戦いをしていなかった事だった。少し前まではブラッドアーツを多用する場面が見受けられていたが、エイジとの教導

の結果、ブラッドアーツだけに頼る戦いは自身の油断を招く可能性があるだけでなく、万が一に際にはその隙を狙われる可能性が高いからと無意識の内に封印していた。

 もちろん全く使わない訳では無かったが、やはり同じ様な理由で使うのは僅かな瞬間のみに留まっていた。

 

 

「こんな事を言うのは今更かもしれんが、今回の作戦にはそのブラッドアーツの取得が最大の要因となっている。焦らずにと言いたい所だが、現時点では何も分からないのであれば取得に関しては慎重にやってくれ」

 

「了解しました」

 

 リヴィとの問答にフェルドマンはやはりかと言った表情を浮かべていた。既にブラッドがP66偏食因子がもたらした結果である事は本部としても把握しているが、肝心の血に纏わる能力に関しては未だブラックボックスの中だった。

 事前にに確認した際に実姉でもあるレア・クラウディウスも何かを知っていると考えたものの、査問委員会での書状を確認してもレア自身は神機兵の開発がメインだった事からも、そのは事実は把握しきれていなかった。

 幾らデータを探しても疑惑をもたらす物証そのものが発見されない以上、この段階からは打つ手がどこにも存在していなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ではすまないが、改めて宜しく頼む」

 

 螺旋の樹の外縁部の探索は既に佳境を迎えつつあった。いくら周囲を探索しても、以前の様に内部に入り込む様な隙間は既に無くなっているのか、侵入の経路が見つかる事は無かった。

 既に螺旋の樹が暴走してからそれなりに時間が経過している。本来の計画であれば早急にブラッドアーツを習得し、一刻も早い内部の調査が要求されているにもかからず、その事前の段階で躓いている以上、今はただ状況は好転するのを待つより無かった。

 以前に話題に出た感情の爆発のよる習得に関しても、それはあくまでも個人の主観でしなかい。しかし、これまでにブラッドがブラッドアーツを習得した条件が同じである以上、無視できる状況でもなかった。

 

 

「じゃあ、今日もブラッドアーツ習得のミッション頑張ろ~」

 

 ナナの掛け声と共に何時もの日常の様なミッションが開始されていた。螺旋の樹の外縁部は一時の様にアラガミを寄せ付けない様な雰囲気は既に消滅していたのか、これまでの他の地域同様にアラガミは湧いて出てくる。

 既に数える事すら億劫になる程のミッションにリヴィも徐々に慣れ始めていた。ブラッドも当初はジュリウスの神機を持つリヴィの姿に戸惑いは生じたものの、戦闘時にはそんな感情は既になく、これまで同様のパフォーマンスを発揮していた。

 

 

「あれ?リヴィちゃんのご飯はそれだけ?」

 

「ああ。卵は高タンパクの食材だ。もちろんこれだけではないが、やはり食事は重要なエネルギーの摂取だ。効率を求めるのであれば当然だろう」

 

「ええ~。確かに間違ってないかもそれないけど、それだけってのはどうかな~」

 

 既に時間が遅いのか、螺旋の樹から見える空は徐々に夕闇を映し出していた。本来であればアナグラに帰還するのが基本ではあるが、今回は時間の問題だけでなく、一刻も早いブラッドアーツの習得も至上命題となっている事から外部でのキャンプを余儀なくされていた。

 既に手慣れているのか北斗とギルは宿泊の設営をし、ナナとシエルは食事の準備に取り掛かる。余りにも手慣れたその行動にリヴィはただ見ている事しか出来なかった。

 そうこう言いながらも準備は着々と進んで行く。食事が出来上がった頃、不意にナナが気が付いたのがキッカケだった。

 

 

「まるで、ブラッドに来た頃の誰かさんみたいだな」

 

「ギル。それは誰の事を言ってるんでしょうか?内容によっては説明を求めますが?」

 

「誰とは言ってないが、何か心当たりがあるのかシエル?」

 

「誰もシエルの事だなんて言ってない」

 

「北斗までそんな事を言うんですか?」

 

「まあまあシエルちゃん。今は楽しく食べなきゃ。明日もあるんだし」

 

 ギルがぼかした言葉に北斗がまともに返答を返す。既に慣れた環境なのか言葉とは裏腹に笑顔が溢れている。いつもの光景ではあるものの、そんな部分を目の当たりにしたのかリヴィは少しだけ羨ましいと思えていた。

 自分がミッションに出向いた際に、果たしてこんな環境がこれまでにあったのだろうか?自問自答するも幾ら記憶を遡ってもこんなケースは一度も無い。そんな光景が今のリヴィには眩しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは……夢なのか?」

 

 リヴィは周囲には何もない草原の中で一人佇んでいた。

 先ほどまでは全員で野営をしていたはず。突然の環境の変化はそれが夢である事を表していた。周囲に遮蔽物は何もなく、目の前には腕輪が暴走したのか、一人のゴッドイーターがうずくまっていた。

 極東に来る直前にあった様な光景はどこか現実離れしていた。気が付けば自分の手には専用の神機が握られている。目の前の抹殺対象を一刻も早く処分しなければ今度は自分の命が危うくなる。これまで同様にやるべき事は一つだけだった。

 

 死神の様な大きな鎌で一撃の下にゴッドイーターの命を散らす。これまでに散々やってきたはずの任務にも関わらず、まるで身体が拒否しているのか動かす事すらおぼつかない。夢の割にはあまりにもリアルすぎたのか、いくら動けと脳から信号を送っても、肝心の身体は拒否したまま動こうとはしなかった。

 

 

「幾ら夢とは言え、これも任務だ。悪く思うな」

 

 呟いた声は誰も拾う事は無い。改めて握り直した神機を背後から斬りつける様に大きく構える。この一撃でこのゴッドイーターが楽になれると確信しながらも、それでも尚、身体は言う事を聞く事はなかった。

 

 

「貴様はもう用済みだ」

 

 低く響く声と共に漆黒の刃が背中から飛び出る。その瞬間、ゴッドイーターだった物はただの肉片へと変化していた。一撃でそれを屠ったのは以前に見た仮面の男ではなくもう一人の自分自身だった。

 

 

「嫌だ!私はまだやれる!」

 

 リヴィは一気に覚醒したのか上体を起こし周囲を見ると、隣にはナナとシエルが眠っていた。既にどれ程の時間が経過したのか分からないが、今のリヴィにはどうでも良かった。先ほどの光景が夢であったと同時に、以前に対峙した仮面の男の光景が自分と重なっていると感じたのか、リヴィは嫌な汗をかいていた。

 悪夢とも取れる内容に再び眠気を呼ぶ事は無い。携行した水を口に含むと同時に大きく深呼吸をする。このまま眠ればまた同じ夢を見ると考えたのか、少しばかり外の空気を吸いに外へと動いていた。下弦の月がうっすらとし始めている。既に夜明けが近いのか、どこか空気はヒンヤリとしていた。

 

 

「随分と早いな」

 

「北斗か。そっちこそどうしてこんなに早く?」

 

 夜明け間近の空を見あげていると、背後から不意に北斗の声が聞こえていた。時間はまだ早朝に近い。振り向けば北斗は既に何かをしていたのか、僅かに息が弾んでいた。

 

 

「俺はいつものルーティンだ。野営をしているといつも以上に気が鋭くなってくるから、少し身体を動かしてほぐしてるんだ」

 

 北斗の言葉は日課だと言わんばかりだったのか、手に握られている木剣は手になじんでいた。ここ最近使われた様な物ではく、まるで人生の一部だと言わんばかりのそれがこれまで培ってきた技術の結果だと物語っていた。

 

 

「そうか。邪魔したな」

 

「いや。もう終わりだったから気にする必要はない」

 

 北斗はそう言いながらリヴィの隣に座り込んでいた。普段のアナグラであれば分からないでもないが、まさかこんなミッションの最中にまでやっている事に驚きながらも、先ほどもまで悪夢に苛まれていたのが嘘の様になっている。

 今回の任務が自分の双肩にかかっていると気負いすぎた結果なのかは不明だが、今は少しだけ穏やかな空気に身を任せたい気持ちがあった。

 

 

「詳しい事は分からないが、ブラッドアーツの習得に関しては正直な所、どうやって良いのか分からない。自分の『喚起』の能力がそうだと言っても、自分で制御出来ないからな。リヴィにも悪いと思ってる」

 

 悩みを見透かされたのか、北斗の言葉にようやくリヴィは先ほどの悪夢の意味が理解出来た様な気がしていた。自分の生い立ちに関しては未だ何も言ってないが、必要とされていたはずが突然飽きたとばかりに捨てられた様な状況になるのではと自分の深層心理の中で感づいた結果だった。

 昨晩の光景に関しても、これまでにリヴィが味わった様な空気ではなく、一つの部隊ではなく家族の様な空気に戸惑っていたのかもしれなかった。、これまでの情報管理局でミッションは内容が内容なだけにどこか殺伐した雰囲気だけでなく、一つのミスすら許されない雰囲気が漂っていた。

 緩む事の無い空気はやがて精神を緩やかに蝕んでいく。これまでのミッションとは正反対のそれがリヴィには羨ましかったのかしれなかった。

 

 

「ブラッドアーツの習得に関してはフェルドマン局長からも無理はするなと言われている。今のままでは計画が進まないのは紛れも無い事実ではあるが、だからと言って後退している訳でもない。北斗は気にせず何時もと同じ様にやってくれればそれで良い」

 

「そうか」

 

 既に時間もそれなりに経過したのか、薄く姿を残した月が消え去ると同時に太陽の光がゆっくりと昇る。既にリヴィの心に巣食った悪夢はどこにも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?リヴィちゃんも早いの?」

 

 時間的にはそろそろだと思う頃、まだ誰も起きてこない間に北斗は全員の朝食の準備にとりかかっていた。事前に当番が決まっている以上、やるべき事はただ一つ。コンバットレーションを活かした朝食の匂いにつられたかの様にナナが顔を出していた。

 

 

「ちょっと今日は目覚めが早かったんだ。少しばかりブアッドアーツの取得に関して悩み過ぎたのかもしれん」

 

「そうだね。考えすぎた所で良い事は何も無いしね。北斗、今日は何?」

 

「何もいつもと同じだ。エイジさんと違ってレパートリーなんて無いからな」

 

「そこも少しは頑張ろうよ。偶には違う物も食べたくなる時は無いの?」

 

「善処するよ」

 

 何時もの様な光景がまた戻ってきている。楽天的と言えばそうかもしれないが、ガチガチに緊張するよりはマシだと思った矢先だった。

 遠方でアラガミの気配を感じる。既にその気配に感づいたのは北斗とリヴィだけでは無かった。既に臨戦態勢に入ったのかギルとシエルは既に神機を持って出ていた。

 

 

「何か来る!全員警戒するんだ」

 

 北斗の言葉に先ほどもまでの緩やかな空気が一変する。全員が神機を握る頃、その根源とも言えるアラガミはゆっくりと姿を現していた。

 

 

「シエル!すぐにアナグラに連絡。キャンプ地の設備は後で回収か廃棄。状況に応じて交戦する旨を伝えてくれ!」

 

「了解しました!」

 

「あれは……まさかとは思うが?」

 

 ギルの視界の先にはこれまでに幾度となく見たシルエットが浮かび上がっている。その言葉が更に信憑性を高めていくのか姿は徐々に正確に表していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「了解しました。こちらも逐一確認します。問題は無いかとは思いますが、念には念を入れて下さい」

 

 現地での通信が切れると同時にアナグラでも今後の状況を見ながら計画を推し進めていた。通信の際に聞こえたのは神機兵の襲撃。既に神機兵の製造に関しては無人型の製造は中止されているものの、回収に至る事は無かった。

 最大の要因はラケルの設計した自動制御の回路の設計図が全てダミーだった事だけでなく、当時の証拠すら残されてなかったのか、当時の共同研究者でもある九条ですら知りえない内容だった。

 そんな状況の中で製造された神機兵は自動制御すら出来ないまま放置された所に、赤い雨の影響で半ばアラガミ化していた。

 フェンリルとしては公式見解では全てラケルによる仕業だとしている以上、見つけた物は回収ではなく討伐と言う名の破壊が現状だった。

 

 

「暴走した神機兵がこんな所に大量に居るとは……」

 

 榊の疑問に答える事は誰にも出来ない。既に交戦している以上、今はただその安否を祈る事しか出来なかった。

 

 

 

 



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第219話 崩落

「油断するなよ!」

 

 アナグラへの通信が切れると同時に北斗達は既に暴走した神機兵と対峙していた。これまでにも何度か戦った事はあったものの、今回の数は圧倒的に多い。

 本来であれば苦戦する要素はどこにも無いはずが、何故か今回の神機兵との戦いはこれまでの様な感覚で戦う事が出来ないでいた。今回の戦いは何時もとは何かが決定的に違っている。疑問を持ちながらの行動は何時もの様なキレのある行動をする事が出来ないままに時間だけが経過していた。

 

 大剣型の神機兵は時折強烈な一撃を上段から振り下ろす。この行動はこれまでにもあった事なので、特に何も感じる事は無いが、その行動そのものにどこか違和感があった。

 原因は未だ分からないが、本能が何かあると警鐘を促す。しかし、これまでの様な戦いではないからなのか、暴走した神機兵は数に物を言わせる様な戦いを強いる為に、本能が警告するそれを意図的に押し殺しながら北斗は戦っていた。

 

 

「うそっ!」

 

「北斗!」

 

 想定外の災いは突如としてやってきた。これまでの神機兵の一撃がゆっくりと大地を破壊したのか、周囲に大きな皹が入り始めている。そこから先の展開は考えるまでも無かった。

 

 

「全員この場から退避!」

 

 北斗の叫び声が早かったのか、それとも全員の反応速度が早かったのか周囲一帯に広がる皹を回避すべく行動に移そうとした瞬間だった。その場から離れる為に大きく跳躍した先にいたのは一体の神機兵。

 まるで生贄だと言わんばかりにリヴィに向かって大剣を振りかざしていた。

 

 

「リヴィ!」

 

 神機兵の大剣がは横なぎに斬りかかったからなのか、リヴィは直撃だけは回避に成功していた。ギリギリで盾の展開が間に合った事は僥倖だが、問題だったのはその態勢だった。

 罅割れた大地はその場を破壊するかの様に一気に崩壊し始めている。これまで気が付かなかったが、この場所の下は大きな空洞が広がっていた。

 北斗に響く警鐘はこれを暗に示していた事が今になって理解できるも、時すでに遅し。崩壊した大地は空中で防御したリヴィの足場を容赦なく奪い取っていた。

 

 

「俺はリヴィのフォローに向かう!シエル、この事はアナグラに報告してくれ!」

 

「北斗!」

 

 崩れ落ちる大地を足場に北斗は叩き落とされるリヴィに向かって跳躍を開始していた。

 今ならまだ何とか出来る可能性が高い。そう判断した行動をシエル達は見ている事しか出来ないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか……では至急回収の為のチームを派遣しよう。しかし…」

 

 シエルからの一報はアナグラの会議室へと届いていた。崩壊した大地の先がどうなっているのかは、現時点では把握できない。これまでの調査でも大きな空洞がそこに存在していた事実が無かった事からフェルドマンは直ぐにチームを派遣すべきだとは理解しているが、問題なのはその編成だった。

 この時点では極東支部とはある程度のわだかまりは修復出来ているも、問題なのは協力出来る人間がどれだけ居るかだった。完全に修復された訳では無いこの状況下では、北斗の捜索はやるかもしれないが、リヴィの捜索をやってくれるのかに疑問が生じている。

 今回の計画に関して半ば強引にやり過ぎたツケがここに来て表面化する可能性も否定出来なかった。

 

 

「フェルドマン局長。君がどう考えているかはともかく、ここにでは簡単に見殺しにする様な人間は居ない。その点に関しては気にすべき問題では無いと思うんだが?」

 

「お気遣いありがとうございます。しかし、場所が場所なだけに派遣する人材をどうするかが問題かと」

 

 榊の言葉に内心焦りが生じていた。今回の作戦の最大の要点はリヴィの持つ特性を活かす以外に方法が無い事だった。情報管理局はその任務の特性上、疎まし気に思われる事は度々存在する。今回の件に関しても、上層部の判断を全員が確実に理解していなかった結果が招いた部分も存在している。その結果が今に至るのは違いなかった。

 ただでさえ厳しい内容だけに、果たしてそれを受け入てくれるのかすら判断に困る。誰が悪いと言う様な程度の低い問題では無かった。

 

 

「フェルドマン。今回の捜索の件だが、我々がやろう」

 

「しかし、それでは……」

 

 フェルドマンに差し出した声の主は紫藤だった。フェルドマンの中では紫藤は既に退役した神機使いのイメージがあったからなのか、その提案に関しては戸惑いがあった。

 

 

「そう言ってくれるなら助かるよ。すまないが宜しく頼んだよ」

 

 フェルドマンが口にする前に榊がそのまま容認していた。内容に関してはともかく、退役した神機使いで大丈夫なのかとの思惑がそこに存在していた。

 

 

「そうそう。彼は退役してなどいない。未だ現役なだけでなく、間違い無く極東の最高戦力なんだ。結果に関しては気にする必要はないよ」

 

 榊の言葉にフェルドマンは認識を改めていた。事実、フェンリルのデータベースには紫藤が退役した事になっている。確かに本人を目の前にすれば、とてもじゃないが退役した様には見えなかった。

 改めて見れば確かに紫藤の動きに隙は無く、常に自分の存在を消すかの様な行動はその辺にいるゴッドイーターとは比べものにならない。既に行動を開始した紫藤の背中を見て自分の認識が誤っていたのだろうかとも思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ってて…大丈夫か?」

 

 足場の崩壊から間に合ったのか、北斗はギリギリの所でリヴィを助ける事に成功していた。どこまで落下するのかすら不明なこの状況下でリヴィと合流できたまでは良かったが、問題なのはここがどこなのかだった。崩壊した上を見れば何となく距離は掴めないでもないものの、周囲は既に明るさが足りないのか、目を凝らす事で漸く周囲の状況が見えている。

 このままこの場所に留まる訳にも行かず、脱出の方法を模索せざるを得なかった。

 

 

「ああ、何とかと言った所だ。しかしここは一体……」

 

 改めて周囲を見渡すも、螺旋の樹の外縁部とそう変わる様な雰囲気は無かった。上空を見上げれば、ポッカリと開いた大きな穴が空の代わりとなって周囲に光をもたらしている程度だった。

 

 

「あの上から落下してるのは間違いないが、このまま戻るのは困難って所だろう。シエルに任せたから後はここで待機だな」

 

 周囲を見渡すと、少し先の状況が見えないからなのか、暗闇の中に景色が消えている。このまま下手な行動を起こした場合、今度は違う意味で遭難する可能性だけが残されていた。気が付けば視線の先にはお互いの神機が横たわっている。

 一先ずそれを回収してからだと、北斗とリヴィは自分達の神機の回収を急いでいた。

 

 

「どうやら足をひぱった様だな……すまない」

 

「謝る必要は無いだろ。あの状態であれば誰がやっても同じ事だ。むしろ俺の方こそさっきの神機兵の行動が少し変だった事は気がついていたが敢えて無視したからな」

 

 今になって北斗も自分の中で鳴っていた警鐘を無視した事を悔やんでいた。確かに神機兵が地面に叩きつけた際に、通常であれば反作用が働く事で多少なりとも神機は宙に浮く。しかし、先ほどの攻撃の殆どはまるで衝撃を与えているかの様に反発する事は無かった。

 あの時点で衝撃が地面に伝播しているのは確定していたが、やはり戦闘中の為か目の前の討伐に集中した結果でしか無かった。

 

 

「無線が通じないんじゃ後は何も手だては無い。せめて周囲の状況でもとは思うが、流石にこの光量だと視界に止めるにも限界があるからな」

 

 時間がどれほど経過しているのかすら判断が出来ず、周囲の状況も視界不良の為に確認する事が出来ない。となればやるべき事は何も無かった。

 既に周囲の探索をするつもりが無いからなのか、北斗は改めて神機を隣に於いて瞑想している。

 本来であればこの作戦がどれほど重要な物なのかを一番理解しているはずの自分が一番足をひぱった事で招いた事態を何とか挽回できる方法が無いのかとリヴィは一人考えていた。いくら北斗が何と言おうが現実問題として何も出来ないのもまた事実。その影響だったからなのか、お互いの沈黙が暫く続いていた。

 

 

「リヴィ。さっき何か聞こえなかったか?」

 

「北斗も聞こえたか。どうやらアラガミが周囲に居る様だな」

 

 突如として瞑想を止めたのは周囲にアラガミの気配を察知したのがキッカケだった。どれほどの数なのか、大きさなどうなのかはまだ分からない。

 しかし、こあれまでに戦って来た勘がそれを知らせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「持ち物は全て持ったか?」

 

「俺はバッチリだ」

 

「念の為に簡易キットも装備しました」

 

 無明の行動を読んでいたとばかりに会議室から出れば、そこにはリンドウとエイジが立っていた。今回の捜索に関しては未だ解明されていない場所での捜索だけでなく、万が一の際には討伐をこなす必要もあった。

 本来であれば大規模な救出チームを編成するが、今回の場所が場所なだけに、行動を共にする人員は必要最小限に止められる形となっていた。

 

 

「あの…私も連れていってくれませんか?北斗は私達の隊長です。リヴィさんも今は私達の部隊には必要な人物ですから」

 

「だとさ。どうするんだ?」

 

 3人の前に立っていたのはシエルだった。既に捜索チームの名前を見た際にはこれ以上の人選は無いだろうと全員が考えていた矢先の出来事。既に準備は整っているのか、シエルも良く見れば何かしらの物資を持っていた。

 

 

「ここで断っても無理にでも付いて来るのであれば、素直に受け入れた方が良いだろう。だが、今回の捜索に関しては螺旋の樹の内部に尤も近いだけでなく、恐らくは偏食因子の投与時間にも影響が出てくる事になる。万が一ついてこれないと判断した場合には素直に従ってもらう事になるが、それでも良いか?」

 

「はい。それで結構です。私は目の前に居ながら何も出来ませんでした。せめてこれ位の力にはなりたいんです」

 

 シエルの真剣な眼差しに無明だけでなく、リンドウとエイジも同じ事を考えていた。目の前に居ながら助ける事が出来なかった悔しさがどれ程の事なのかは言うまでも無い。

 それだけが確認出来るのであれば、後は時間との戦いとなるだけに一刻も早い行動が要求されていた。

 

 

「気持ちは分かるが、ここで力が入り過ぎると後が大変だぞ。少しはリラックスして行こうや」

 

「リンドウさんの言う通り。今からそれだと大事な時に疲れるだけだから、少し落ち着こうか」

 

 リンドウとエイジの言葉に反対の意見は無かった。既に準備が出てきている以上、あとは一刻も早い現地入りが必要となる。残された時間はそう多くは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんな所にまでアラガミが居るとなると、今後の計画には多少なりとも警戒が必要になるだろうな」

 

 アラガミの反応は数体のオウガテイルだった。既に霧散したのか先ほどまで横たわっていた個体は既に無く、先ほどの地点から少し離れた場所で2人は休んでいた。

 未だ視界が悪い中では下手に動く事が出来ず、通信も回復する気配がどこにも無い。今は上空の穴から差し込まれる光が届く範囲の中で行動するしか無かった。

 

 

「今は下手に動いた所で仕方ないな。助けが来るまでには素直にここに居るだけだ」

 

「確かに。実際にここがどんな場所なのかすら判断出来ないんじゃ、こうするより仕方ないだろうな」

 

 改めて座ると同時に、周囲を観察する。未だ闇に閉ざされた場所は見えないままだった。既に時間の概念はあやふやになりつつあるも、今はただ待つ事だけしか出来ないままだった。

 冷静に見れば、この場所はこれまでとは少し雰囲気が違う様にも見えていた。細い木々が枯れて折れるのではないのだろうかと思わせる様に、木々には生命力を感じる事は無い。そもそも螺旋の樹そのものがアラガミと近い性質であるだけでなく、この中にはジュリウスがひたすら戦っているのはブラッド全員の共通した認識であった。

 この場所で生命力を感じる方が異常だと思うには少しだけ冷静さを欠いていた事だけが思い知らされていた。

 

 

「そう言えば北斗、折角だから聞きたい事がある。なぜブラッドはそうまで仲間を信用する事が出来るんだ?本来ならば我々の事は憎いとさえ思うのが普通じゃないのか?」

 

 リヴィの言葉に北斗は少し驚いていた。これまでリヴィだけでなく情報管理局が介入した支部は少なからず忌避感が存在していた。いくら表面上は体裁を整えていても、言葉の端々や行動にそれが僅かながらに出ている。それがこれまでは当たり前だとばかり思っていた。

 しかし、今回の部隊編成を行った際に、他の支部では多少なりとも忌避感はあるかもしれないが、ここ極東支部の中でも特にブラッドに関しては格段にその傾向が少なかった。

 

 

「それは多分ジュリウスがこれまでそうやってきたからだと思う。確かにブラッドはこれまでのゴッドイーターとは違い、特殊な偏食因子の適合した人間の部隊だ。ただでさえ珍しいだけでなく、感応種の討伐までやってるとなればそれなりに注目も浴びる。今でこそこんなだけど、最初の方はかなり酷かったんだ」

 

 北斗の笑みにリヴィは少しだけ何かが分かった様な気がしていた。自身の立場もそう考えさせるからなのか、これまでの経歴を見ればブラッドの立ち位置はかなり特殊な物である事は一目瞭然だった。

 既に極東では固定した種となった感応種だけでなく、全世界を巻き込んだ終末捕喰を止めた事など、言い出せばキリが無い。本来であれば驕りがあったり横柄な態度になる事も多々あったが、この目の前にいる隊長は前隊長のジュリウスの考えをそのまま引き継いでいるのか、そんな事は微塵も無かった。

 ミッションの最中でさえも自身の鍛錬を欠かす事もなく、またこれまでに同行したミッションを見ていても、その戦い方に慢心は存在していなかった。だからこそ、この部隊で戦う事に嫌気がさす様な事が無かった。

 

 

「そうなのか」

 

「ああ。特にシエルとギルは……まあ、機会があれば話を聞くと良いさ」

 

 色んな事を話したのは今回が初めてだったのか、リヴィは何も言う事もなくただ北斗の言葉を聞いていた。時折出てくる家族は何を意味するのか、今なら少しだけ分かった様な気がしていた。

 

 

「リヴィ。気が付いてるか?」

 

「ああ」

 

 先ほどまでの穏やかな空気はどこにも無かった。既に臨戦態勢に入っているのか、北斗の右手には神機が握られている。未だ視界の中には何も映らないが、その見えない先にはアラガミが居る事だけは気配で気が付く。

 既にお互いの思考は同じだったのか、リヴィもまた神機を構えて様子を伺っていた。

 

 

 

 



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第220話 捜索と激闘

 景色が僅かに見えなくなっている距離にアラガミの気配がハッキリと感じられる。アナグラに設置されたレーダーは無いが、まるで隠すつもりが無いのか、僅かに聞こえる荒々しい息遣いが明らかにこちらに意識を向けている様にも思えていた。

 視界不良の中ではそれが小型種なのか大型種なのかすら判断は出来ない。しかし、これまでに感じた事の無いそれが確実に大型種である事を理解させていた。

 

 

「来るぞ!」

 

 北斗の声と同時にその場から大きく跳躍する事で、その場から一気に離脱していた。先ほどまでいた場所には見えない何かが斬り裂いた様な痕跡だけが残されている。原理は不明だが、確実にこちらに向けて放たれた攻撃が、2人の警戒度を最大にまで引き上げていた。

 

 

「リヴィ、多分新種だ。あんな攻撃は今まで見た事が無い。気を付けろ!」

 

 北斗の言葉が正しければ、この螺旋の樹周辺に生息している可能性が極めて高い。これまでにも色んなアラガミと対峙したであろう北斗でさえも見た事が無い攻撃はその可能性だけを示していた。

 既に臨戦態勢に入ったこの状況下では如何にして生き残るかを優先させていた。ゆっくりと姿を見せたアラガミはやはり北斗の言葉通り、これまでに見た事が無いアラガミ。4本足の姿に、まるで全ての物を斬り裂くかの様な大きな爪を持った腕が肩口から生えている。まるで威嚇するかの様にその爪のある腕からはゆっくりと鋭利な刃物の様な物が生えていた。

 既に獲物を見つけたかの様な表情をしたアラガミは改めてゆっくりとその全貌を表す。

 これから攻撃を開始すると宣言するかの様な状況に2人は改めて警戒していた。

 

 

「ここまで早いか!」

 

 ゆっくりと姿を現したかと思った瞬間の出来事だった。先ほどまでそこに居たはずのアラガミは突如として速度を上げリヴィへと襲い掛かっていた。触れる物全てを斬り裂く様な刃は間一髪の所で防がれている。以前にナオヤとの教導を受けていなければ、その一撃でリヴィの命は散っていた。

 

 

「大丈夫か!」

 

「私なら問題ない。それよりもこいつは移動の速度が普通じゃない。距離があるからと油断するな」

 

 半ば無意識に近い状況で盾を展開出来たのは僥倖だった。教導の一撃同様に、無意識下での一撃が表す結果は厄介の一言だけだった。

 危険なのは爪と刃だけではない。まるでネコ科の動物の様に跳ねる動きは、狙いを定める暇すら与えられない。しなやかに動く身体は瞬間の行動を可能にする程に発達している。先ほどの一撃は除外したとしても、今後はこのアラガミを捉える事が可能なのかと疑いたくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも良かったのか?フェルドマンに実際の姿を見られたとなれば何かとヤバくないか?」

 

 無明達捜索チームは北斗達を最後に見た場所へと近づいていた。未だどんな状況下にあるのかは通信が届かない以上、想像する事しか出来ない。既に時間がそれなりに経過している点からも2人の安否の確認が出来ない以上、一刻も早い発見が要求されていた。

 

 

「その件なら問題ない。特に隠していた訳でもない。この状況だと向こうも今回の件に関しては特別な事は出来ないだろう」

 

「しかし、態々行動に移さなくても」

 

 無明が未だ現役で行動しているとなれば何かと拙いと判断したのか、リンドウとエイジは今後の可能性を心配していた。ここに来るまでにも何度か小型種や中型種とは遭遇したものの、現時点で考える事が出来る最強のメンバーが一刀の元に斬り伏せている。

 捜索に同行したシエルはただ見ている事しか出来なかった。

 

 

「お前達が心配した所で、既に現実が変わる事は無い。シエル、確か崩落した場所はこの辺りだったな?」

 

「はい。場所的にはそろそろだとは思うんですが……この先にアラガミの反応があります。警戒して下さい」

 

 シエルの『直覚』の能力が警鐘を促しているのか、この先に居るであろうアラガミの反応に3人は少しだけ視線を動かしていた。本来であればシエルの言葉に全員が改めて警戒しているが、この3人はそんな気配が微塵も無い。既に察知していると思える程の行動にシエルはただ驚くだけだった。

 少し先の視界には映るのは、今回の崩落を招いたはずの神機兵の姿。あれさえ無ければとの思いがシエルの思考を濁らせていく。その気配を察したのか、無明は少しだけ落ち着かせる様にシエルに話かけていた。

 

 

「シエル。何を思っているかは知らんが、濁った思考は時に大きな失敗を招く可能性がある。今は少しだけ落ち着け。以前に指導された教官がそう言ってなかったか?」

 

 何気に話した言葉にシエルは僅かに思考が切り替わっていた。まだフライアに来る前に受けた暗殺術の指導教官と同じ言葉が脳裏に浮かぶ。まさかとは思うも、今はただ先ほどの思考を脳の片隅へとおいやり視界に移る神機兵を改めて見ている。

 既に気持ちが切り替わったのか、何時ものシエルの表情が浮かんでいた。

 

 

「北斗が大事なのは良い事だが、今は冷静に行動するんだ。お前さんだって元気な状態で会いたいだろ?当時の誰かさんとそっくりだぞ」

 

「リンドウさん、それは今言う必要は何処にもないですよね?」

 

「なんだエイジ?該当する人物に心当たりがあるのか?」

 

 ニヤニヤとするリンドウの言葉にエイジが反応していた。シエルは知らないが、この場面は以前にアリサを救出する場面とよく似ていた。特にシエルの感情が渦巻く所までもが当時とあまり変わりない。リンドウは暗にその事を言ったのか、エイジが反論する言葉の意味がシエルには理解出来なかった。

 

 

 

「お前ら、そろそろ神機兵がこっちに気が付くぞ。いい加減集中するんだ」

 

「まかせておけ。こう見えて暴れる人形を壊すのは得意なんだ」

 

「リンドウさん。それ自慢にもなってませんよ」

 

 無明の言葉にリンドウは神機兵に視線を向ける。既にお互いの認識が完了したのか、神機兵はこちらに向けて全力で走り出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頭上でリンドウ達が交戦する頃、地下では北斗とリヴィが未だ新種と交戦状態が続いていた。厄介な動きだけでなく、時折爪の先の刃から飛ぶ斬撃は距離を離しても気を抜く事すら許されない。

 素早い行動と同時に繰り出される攻撃は2人を翻弄し続けていた。

 

 

「リヴィ、焦るな!今は確実に回避しながら様子を見る事が先決だ」

 

 北斗の声が飛ぶのは無理も無かった。新種のアラガミはどこかマルドゥークやガルムを思わせる様に、飛び跳ねながら攻撃を仕掛けてくる。まともに当たった攻撃は一度もなく、これまでの攻撃パターンを見切ったとばかりに近寄った瞬間、カウンターめいた攻撃にリヴィは弾き飛ばされていた。

 

 

「しかし、このままだとジリ貧なのは間違い無い。相手は分からないが、こっちには時間の制限もある」

 

「だからと言って特攻なんて愚の骨頂だ」

 

 素早い動きをし続けるアラガミに対し、未だ有効打が入らない2人には徐々に苛立ちと共にストレスが溜まり出していた。

 こちらの状況を見れば盾の表面は既にズタズタになり、自分達の来ている服も所々が斬り裂かれた様になっている。通常の攻撃と遠距離に斬撃を飛ばすモーションが同じ為に、一度は攻撃を受けるか躱すかを悩んだが、今ではどっちを選ぶかを完全に選択してから行動を起こした結果でもあった。

 本来であれば、シエルが居れば一発当てる事でこちらの流れに持って行く事も考える事ができたが、生憎と今の装備は北斗はショットガン、リヴィはアサルトとなっている為に射程距離が完全に不足しているだけでなく、いくらブラッドアーツを習得していたからと言って、射撃の能力が向上する事は無い。

 これまでも自身の訓練は専ら刀身に関する近接攻撃に特化している事を自身が一番理解している。既に射撃の事を諦めたのか、ここ最近の北斗の神機の使用率はダントツで刀身のみの使用が多かった。

 

 

「仕方ない。だったらどうする?」

 

「リヴィは援護してくれ。その間に俺が距離を詰めて何とかする」

 

 一か所に落ち着く事が出来ないとばかりにアラガミは2人に襲い掛かる。既に相手になるではなく、単に餌としてか見ていないのか、表情が無いと思われるアラガミがどこか下碑と笑みを浮かべている様にも見えていた。

 

 

「行くぞ!」

 

 北斗の言葉と同時にリヴィは援護射撃を開始していた。これまでの行動からすれば、全弾が命中する可能性は極めて低く、あくまでも北斗が言う様に援護に留めていた。一方の北斗は直線的に走るのではなく、ジグザグに進む事で狙いを絞らせない様に距離を詰める。

 援護射撃の恩恵なのか、手前1メートルまで接近していた。本来であればこのまま一撃を与える事が正解なのかもしれない。しかし、近づけば付かづく程に嫌な感覚が蘇る。背筋に走る悪寒なのか、それとも第六感なのか、北斗はそのまま攻撃をする直前に急停止していた。

 

 

「リヴィ!」

 

 北斗の叫び声と同時にリヴィは思わずアラガミに向かって走っていた。理屈は分からないが、何となくこれがチャンスに繋がると唐突に理解する。北斗は言葉と同時に急停止した瞬間だった。

 これまでにも見た攻撃が大きな隙を呼んでいた。アラガミはカウンターとばかりに回転しながら上空へと跳躍している。この瞬間北斗は自身の勘に助けられたと同時に多大なチャンスをモノにした事を理解していた。如何にアラガミとは言え、翼がある訳では無い。

 大きく跳躍したあとはただ降りて行くのをジッとしている以外に手だては無かった。

 

 

「北斗、ここだ!」

 

 アラガミに近づくと同時にリヴィは捕喰形態へと変化させていた。どれ程の威力を発揮するかは分からないが、通常時よりもバースト時の方が攻撃力は格段に上昇する。

 今ならノーリスクで捕喰出来るからと既にジュリウスの神機は大きな黒い咢を開けていた。アラガミの後ろ足に黒い咢はガッチリと喰らい付く。既に何度も経験したその感触と同時に、アラガミの生体エネルギーはリヴィの全身へと走り出す。アラガミが着地する寸前、リヴィの戦闘態勢は既に整っていた。

 

 

「うぉおおおおおお!」

 

 リヴィの咆哮の様な叫び声はこれまでの様な状況とは一転し、荒々しい物へと変化していた。これまでであれば常に冷静に相手を見ながら攻撃を繰り返す戦闘スタイルから、まるで別人が乗り移ったかの様に荒々しい物へと変化しただけでなく、北斗は僅かながらにリヴィを取り巻く偏食因子が周囲を巻き込んでいるかの様にも見えていた。

 自身が初めて経験した光景。恐らくは無意識だと思われるそれは正にブラッドアーツの目覚めでもあった。ジュリウスの神機は赤黒い光を纏いながらアラガミの右の爪の部分を破壊している。未だ気が付いていないそれはまだ光を帯びたまま。このまま一気に決着が付くかと思われた瞬間だった。

 

 

「リヴィ!回避しろ!」

 

 最接近したリヴィは気が付いていなかったが、少しだけ距離をとっていたいた北斗は冷静にその姿を見ていた。右の爪は確かに破壊されたが、それと同時にリヴィの身体は目の前で無防備な状態を晒している。現時点でそれに気が付いていたのは北斗だけだった。

 言葉と同時にリヴィの下へと走り出す。既にリヴィの身体でアラガミの表情を見る事は出来なかったが、そんな事を確認する前に北斗は全力で走り出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どう…して……」

 

 無防備な状態に気が付いたのは北斗だけは無かった。またアラガミも肉を切らせて骨を断つかの如く、左の爪でリヴィの胴体を斬り裂くべく横なぎに爪を払おうとしていた。

 時すでに遅し。リヴィが気が付いたのは既にアラガミの左の爪が胴体に向かって迫る直前の事だった。時間にしてどれ程だったのか、リヴィは思わず目を瞑っていた。本来であれば胴体を真っ二つにされるはずの攻撃が届く事は無く、僅かに目を開ければ北斗の脇腹に爪が深々と突き刺さっている。

 僅かな瞬間を北斗が活かしきれた事で凶刃がリヴィに届く事は無かった。

 

 

「北斗!」

 

 突き刺さった爪で僅かにアラガミに隙が生まれるその瞬間だった。遠距離からの射撃の轟音がアラガミの顔面に着弾すると同時に、3本の剣閃がアラガミへと襲い掛かる。捜索に来ていた無明達がこの地に駆け付けた事による結果だった。

 既にアラガミは後ろ足だけでなく首から先と大きな右の爪は斬り裂かれている。時間にして僅か数秒の出来事だった。

 

 

「北斗!大丈夫ですか!」

 

 シエルの言葉に北斗の表情が動く事は無い。既に先ほどの一撃が致命傷となっているのか、顔色は青く赤みが差す事は無かった。何気に触ったはずの制服から感じるぬめりに違和感を感じたのか、北斗の脇腹を見れば夥しい血液が制服を濡らしていた。

 

 

 

「無明!」

 

「エイジ、例のキットだ」

 

 リンドウの言葉に無明が素早くエイジから応急キットを取り出していく。時間はまだ然程経過した訳では無いが、出血量は予想を超えている。このままであれば北斗の命の炎が消えるのは時間の問題となっていた。

 

 

「兄様、これを」

 

 エイジから渡されたキットを取り出すと、無明は直ぐに首筋に薬剤を打ち込んでいく。少しだけ緑がかった液体は注射針を通して一気に北斗の体内へと注入されていた。

 

 

「一命はこれで何とか保てるが、ここは一旦アナグラに戻るのが先決だ。既に時間も怪しくなっている。リヴィとか言ったな。後でこのアラガミの事を聞かせて貰う」

 

「無明。念のためコアの剥離も終わったぞ」

 

 薬剤が効いたのか、北斗の表情から険しさが消えている。薬剤の麻酔成分の効果もあったのか、今の北斗は僅かに穏やかな表情を浮かべていた。

 

 

「一旦、このまま帰還するぞ」

 

「あの、無明さん。出来れば北斗は私が背負って行きたいんですが、宜しいですか?」

 

「そうは構わん。そろそろヘリが来るはずだ。周囲の警戒を怠るな」

 

 元々捜索に来ていただけでなく、万が一の事もあったからなのか、持って来た道具の内容にリヴィだけでなく北斗を背負ったシエルも少しだけ驚いていた。

 これまで行方不明になった神機使いの捜索と言えば、基本的には神機の回収がメインなだけで、その使用者の事は二の次になっている事が多かった。しかし、今回のケースは今後予見される作戦の事だけでなく、今ならまだ間に合うと判断し、生きながらえる方法を選択している様にも見えていた。

 結果的にはその選択肢が正しい物だからこそ北斗は一命ととりとめていた。

 既に無明が手配していたのか、ヘリのローター音だけが周囲に鳴り響いていた。

 

 

 

 

 

 



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第221話 それぞれの思惑

 

「榊博士!北斗の容体はどうなんですか!」

 

 北斗が負傷して帰還した一報は、すぐさまアナグラの内部を駆け抜けていた。帰還した当初、背負ったシエルのブラウスは既に血で染まっていたのか、それが誰の出血なのかすら分からに程の状態に、待機していた医療班も直ぐにシエルもと医務室へ運ばれて行く。

 一方で助けられたリヴィは暗い表情を浮かべたままだった。

 

 

「薬剤が投与されているから命に別状は無いよ。ただ、思ったより衰弱しているみたいだから、暫くは安静にしておくしか無いね」

 

「そうですか……失礼しました」

 

 ナナの言葉に榊は当然の様に答えていた。本来であれば多少なりとも取り乱す可能性があったが、榊の表情を見る限りでは恐らくは言葉に嘘が無い事だけは理解出来た。

 既に北斗とシエルが医務室に運ばれた以上、この場に残った所でナナは何も出来ないままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「実際の所はどうなんだい?」

 

 榊はナナだけでなく、シエルが部屋から出たと同時に無明へと視線を動かしていた。今回の捜索の際に、本来であれば外縁部の調査をもくろんでいたが、想定外の北斗の重症に結果的には当初の目的だけを果たし戻る結果となっていた。

 

 

「あのアラガミに関しては新種だとだけ。詳しい事はリヴィに聞くしかないかと」

 

「螺旋の樹がああなってから、周りは少しづつ変化し始めているのは間違い無いようだね。今回の件についてなんだが、一旦フェルドマン局長と話し合う必要がありそうだね」

 

 恐らく今回の内容に関しては真っ先にフェルドマンの耳にも届いているのは間違い無かった。今回の計画の中での最大の焦点はリヴィのブラッドアーツの習得。しかし、その根本は北斗が持つ『喚起』の能力を当てにした内容だった。

 しかし、肝心の北斗は一命はとりとめているが、負傷した箇所が箇所なだけに暫くの間は絶対安静となっている。そうなれば今後の任務の計画に関しても改めて検討する必要があった。

 

 

「時間はかかれど仕方なしです。こればかりはどうしようも無いでしょう」

 

 ブラッドアーツの習得に関しては完全に解明された訳では無かった。これまでの検証とデータから考える事が出来るのは、P66偏食因子を持った者のみが習得できる可能性が高く、現時点ではブラッド以外にはリヴィだけとなっている。

 未だ解明されないP66偏食因子の存在は既にこの場に居ないラケルのみが知りえる内容。密かに榊と無明はこれまでのブラッドのデータを解析しながら、今後の可能性を模索していた。

 いくらリンクサポートシステムがあった所で、どんな戦場でも間に合う可能性が高い訳では無い。そんな事実があるからこそ水面下でフランを利用し、フライアに残されているであろうラケルのデータを探させていた。

 

 

「因みに、フライアの方はどうなんだい?」

 

「未だ手がかりらしい物は無いとだけ」

 

「ブラッドアーツの事だけじゃないんだが、今回の螺旋の樹のジュリウス君の反応は消失している原因が何なのかも分かればと思ったんだが……前途は多難の様だね」

 

 榊の言葉に無明もただ頷く事しか出来ない。今はまだ意識が戻っていないのか、医務室のベッドの上で北斗は眠っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、シエルちゃん。北斗は大丈夫なの?」

 

「ええ。現地での応急処置で何とかなった様です。ただ、負傷した箇所が脇腹なので、暫くは回復の状況を見るそうです」

 

 医務室から戻った事を確認したナナは真っ先にシエルへと詰め寄っていた。既に榊の口からは命に別状は無いとは聞いているが、やはり実際に見ていたシエルの方が冷静に判断出来るだろうと考えた結果だった。

 

 

「そっか……でも北斗があんな状態で戻ってきてるし、シエルちゃんも実際に血塗れだったから大事だと思ったよ」

 

「あれは私の血ではありませんから。背負った際に北斗の血がそのまま付いただけなので」

 

 ナナが言う様に、最初に見たのは血塗れになった2人だった。シエルが背負っている以上、北斗が負傷したのは理解したものの、背負っているはずのシエルまでもがブラウスだけでなくスカートにまで血がこびり付いた事から、医療班は2人を真っ先に医務室へと運んでいた。

 当初はシエルも早急な治療を促されはしたものの、実際に負傷していない事もあってか、服を脱いで見せた事によってそれ以上の大事にはなっていなかった。しかし、北斗は傷はある程度塞がっているものの未だ昏睡状態なのか目を覚ます気配は無かった。

 一緒に同行したリヴィに関しては既にフェルドマンの下に報告に向かっていたからなのか、ロビーにその姿は無かった。

 

 

「でも、今後はどうなるんだろうね。『喚起』の能力でリヴィちゃんのブラッドアーツの習得が条件なんだよね?」

 

「恐らくは北斗が目覚めてから改めて計画を進めるのではと思います。ただ……」

 

 ナナの言葉にシエルも今後の可能性の事は脳裏を過っていた。計画の根幹でもあるブラッドアーツの習得は北斗以外の人間が代わりに行う事が出来ない。もちろん、これまでにも何度か榊や無明の検証実験と生体データから判断した結果である以上、その事実が揺らぐ事は無い。

 本来であれば数日で現場復帰は可能だが、現時点では意識が戻らない以上シエルとしてもそれ以上の推測が出来なかった。

 

 

「ここで俺達がああだこうだと言っても仕方ないだろう。そんなに心配なら見舞いにでも行ったらどうだ?」

 

「そうだよね……でも面会謝絶じゃなかった?」

 

「それなら、既に解除されてるみたいですよ。治療に関しては事実上終了してますから。後は意識の回復だけみたいです」

 

「あの、北斗は怪我でもしたんですか?」

 

 ギルの提案にナナとシエルも色々と思う所が多分にあった。しかし、意識が戻らない以上は面会した所で何かが変わる訳では無い。そんな堂々巡りの様な思考に陥りそうな時だった。背後から聞こえたのはこの場には居ないはずの人物。

 振り返るとそこにはツアーに出ているはずのユノが立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここ……は…?」

 

 北斗が気が付いた先には荒廃した様な大地の平原の上だった。先ほどの戦いで新種のアラガミと対峙し、リヴィへの一撃を身代わりになって防いだ所までは記憶があった。

 本来であればここがどこなのかは全く分からない。しかし、どこか見た記憶が有った様な場所でもあった。改めて周囲を見渡すも手がかりらしい物は何一つ無い。それどころか生命の息吹すら感じない虚構の空間は確かにどこかで見た記憶だけが残っていた。

 

 

「…少なくとも現実では無いのか」

 

 人知れず呟くも、その返事が返ってくる事は無い。この地に居るのは問題無いが、本来であれば右手にあるはずの神機は姿形すらない。ゴッドイーターになる前はこれが当たり前だったはずが、気が付けばそれが無い事がどれ程危険なのかを改めて感じ取っていた。

 

 

「気が付けば随分と遠くまで来たもんだな」

 

 北斗の言葉は単純に距離を表している訳では無かった。既に初めて適合試験を受けてからどれほどの時間が経過したのかは思い出す必要が無い程に濃密な時間を過ごして来た事は自覚している。

 右手に何も持たない丸腰のまま見知らぬ土地を歩いたのは何時だったのかと思い出していた。そんな中で北斗の耳に僅かなノイズの様な音が聞こえて来る。当初は静かすぎたが故の耳鳴りかと思ったが、音に規則性は無く何かと何かが戦っている様な音にも感じていた。

 再び周囲を見渡すも、北斗の視界に飛び込んでくる物は何も無い。ただ音が聞こえる方へと足が自然と向いていた。

 

 

「なんで……」

 

 どれ程歩いたか分からない程の時間が経過した際には大型種と戦う一人の人間がそこに居た。それが誰なのかを確認するまでもない。螺旋の樹の直接の原因となったはずのジュリウスが目の前のアラガミと戦っている。北斗は既に考える事を放棄したかの様に丸腰のままその場へと走り出していた。

 

 

「ジュリウス!」

 

 北斗の叫びに気が付いたのか、振り向いた顔はまさにジュリウスその人。既にどれ程戦っているのかを考える必要が無い程に着ている服はボロボロになり、肝心の神機は右手には存在していない。

 ジュリウスも北斗の姿を見た事に驚きはあった。しかしそんな事はおくびにも出さず目の前のアラガミをただ屠り続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだったんですか……でも命に別状は無いんですよね」

 

 ユノはこれまでの顛末をシエルから聞いた事で漸く事態を飲みこむ事が出来ていた。ここには時間に少しゆとりが出来たからと軽い気持ちで足を運んだまでは良かったが、まさかそんな事態になっていると思っていなかったのか、当初は驚きを隠す事すら無かった。

 

 

「まだ意識だけは回復してませんが、それも時間の問題らしいです」

 

「そう…私もお見舞いに行って良いかな?」

 

「それは構いませんが」

 

 ユノの何気ない一言に了承こそしたものの、何となく嫌なドス黒い感情がシエルを襲っていた。それが何なのかは分からない。自分の気持ちにも関わらずなぜそうなるのかを今は考える事を止め、お見舞いに行くと言っているユノの後を歩く事しか出来なかった。

 

 

「本当に寝てるみたいだね」

 

「当時の傷は全て癒えてますので、あとは意識の回復だけと聞いています」

 

 改めてユノとシエルは医務室のベッドで寝ている北斗の表情を見ていた。未だ目が覚める気配は無い物の、見ている分にはただ眠っている様にも見える。

 怪我の大きさと目覚無い原因の因果関係が分からない以上、今はただ様子を見る事しか出来ない事は榊からも聞かされている。既にやるべき事はシエルが全部やっていた事から、ユノはただ北斗の顔を見ている事しか出来ないでいた。

 

 

「原因が分からないって事はミッションで何かあったんですか?」

 

「すみません。今回のミッションに関しては緘口令が出ています。ユノさんもご存じだとは思いますが、今は螺旋の樹のミッションの関係で部外者に対しての情報漏洩は出来ないんです」

 

 シエルの言葉は半分は事実ではあったが半分は嘘だった。ユノがどれほど多忙なのかはシエルとて知っている。もちろん終末捕喰を乗り越えた仲間である事は理解しているが、元来ゴッドイーターのミッションは一般に知らしめる必要性は何処にも無い。ましてやアナグラに常時いる訳では無いユノに対し、全てを話すのはかなりリスキーな行為でもあった。

 実際にユノは本部からも目を付けられている以上、下手な事を言えば世界中が混乱する可能性も出てくる。情報管理局がここに居る時点でそれ以上の口外はシエルの責任の範疇を超えていた。

 

 

「そっか…情報管理局が来てるんだもんね。私もサツキからは嫌と言う程聞かされてるから。でも、何かあったら言って欲しいの。私に出来る事があればやりたいから」

 

 ユノの言葉は間違い無く善意である事は確かだった。しかし、今回のミッションに関してはこれまでずっと同じ部隊として戦って来たはずの北斗がブラッドアーツの習得の為にリヴィと出向いていた為に何も状況が分からないままの結果。

 何も知らないままの結果だった事からもシエルの心には棘が刺さった様な感覚だけが残っていた。

 

 

「気を使わせる様ですみません。でも、今は私達もただ見ているだけなんです」

 

 何気に言ったはずの言葉のつもりではあったがそれが今の現状を示している事はユノも気が付いていた。それと同時に、今のシエルの表情に一つの疑念も生まれていた。

 

 

「私が居てもお邪魔だよね。少しアリサさんと話す予定があるから、私はここで失礼するね」

 

「何も出来ないままですみません」

 

 シエルの言葉を聞くとユノは医務室を出ていた。先ほどのシエルの表情が何を示すのかは何となく予測出来るものの、今はそんな事を本人に話す訳にも行かない。色々と思う部分があるのは間違いないが、今は先ほどの言葉通りユノはアリサがいるであろうラウンジへと歩いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうですね。確かに現状はそれしか手段が無いのは否めないですからね」

 

 ラウンジの片隅で書類と格闘しているアリサを見つけたユノがこれまでの顛末を聞いていた。既に一時期とは違い、ラウンジに情報管理局の人間は居なくなっている。

 フェルドマンの方針なのか、それとも何か別の思惑が働いているのかは分からないが、ここに居るゴッドイーターは以前と変わらない様子で各々の時間を過ごしていた。

 

 

「今回の作戦がどんな影響を及ぼすのかは分からないんですか?」

 

「その件に関しては、私も分からないんです。そもそも極東支部に情報は殆ど降りてきませんし、今回の作戦に関してはクレイドルは蚊帳の外なので」

 

「そうだったんですか……」

 

 ユノはアリサに確認したものの、やはり今回の作戦に関しては情報管理局の主導でブラッドが関与しているだけなので、アリサも何も分からないままの状態だった。

 仮に聞いていた所でアリサもユノに口を滑らせる様な事は一切無い。それほどまでに今回の作戦群に関しては極東支部そのものも知りえない内容に変わりなかった。

 

 

「医務室で北斗を見ていたシエルさんの表情が切ない様に見えたんで、余程の事があったのかと思ったんですが…」

 

 ユノの言葉に改めてアリサはここ最近の様子を思い出していた。アラガミの討伐そのものは何時もと同じだが、ここ最近のサテライトの進捗状況が少しづつ早くなっている事から、関係各所への通達の事務仕事がやたらと多くなり始めていた。

 既に完成したサテライトも新たな入植者の書類や本部への申請など優先順位を付けない事には終わりが一向に見える気配は無い。いくらエイジが手伝ってくれても、次から次へと舞い込む仕事はアリサを安穏とさせるつもりは毛頭無かったからなのか、今の状況を詳しく知らなかった。

 しかし、ユノが言う切ない表情には何となく想像がついていた。以前に自身も経験したそれが間違いないと考えていた。

 

 

「多分……いえ。私がそんな話をする必要は無いですね」

 

 ユノに言葉にアリサはやや意味深気に話題を打ち切る。それが何を示すのかはユノには何も分からなかった。

 

 



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第222話 意識の回復

 当初は見知らぬ場所だと思っていた北斗はジュリウスと会った事で、ここが漸くどんな場所なのかを理解していた。ここは終末捕喰を相殺した後で移動した場所。北斗の記憶が正しければ、見えない障壁の向こう側である事を唐突に理解していた。

 

 

「北斗。どうやってここに?」

 

「俺も分からん。気が付いたらここに居ただけだ」

 

 そう言いながら北斗はジュリウスと同じ様に、神機の代わりにヴァジュラの牙を短剣代わりに今もなお湧いて出てくるアラガミを屠り続けていた。神機は無くてもこれまでの戦闘経験が北斗を当たり前の様に動かしていく。

 既に数える事をしていないジュリウスにとっても、まさか北斗に会えるとは思ってなかったからなのか、これまで襲い続けてきたアラガミの大群は僅かに波が引いたかの様に収まり出していた。

 

 

「死んだ訳じゃ無いんだが、今は丁度他のミッションで来た人間にブラッドアーツの習得をしてた結果だ」

 

 怪我云々まで話を進めれば、ジュリウスの性格から考えるのであれば態々詳細を言う必要は無かった。だからこそ北斗はそれ以上の事は何も言わないままだった。

 

 

「そうか。で、ブラッドの皆は元気なのか?」

 

「ああ。今はこの螺旋の樹の事で手一杯だがな」

 

 北斗の螺旋の樹の言葉にこれがそう呼ばれている事をジュリウスは理解していた。既に終末捕喰の維持の為にどれほど戦いに身を置いているのかを思うのは既に止めていた。

 元々は自分がラケルの甘言に乗った結果でしかなく、今の現状についてもある意味責任を取っている程度の認識でしかない。しかし、これまで一緒に戦って来た記憶はジュリウスの気持ちを高ぶらせている。不謹慎ながらに北斗との共闘を一人喜んでいた。

 

 ジュリウスの考えはともかく、色々と話したい事は山の様にあるが、一つだけ北斗はジュリウスに確認したい事があった。螺旋の樹の萌芽によるジュリウスの反応が消えている件。まさか本人と話せるとは思ってなかったからなのか、北斗は何気に確認したい事があった。

 

 

「ジュリウス。ここで何か変わった事は無かったか?」

 

「愚問だな。常に変わった事だらけで、比較対象すべきものは何も無い。ただ、時折見た事が無いアラガミを倒す事はあったな」

 

 ジュリウスの言葉に北斗は少しだけ考える素振りを見せていた。ここがアラガミの宝庫だとすれば、当然知っているアラガミばかりでない可能性はある。しかし、お互いが共通した認識があるかと言えば否でしかない。

 それ以上の説明をするだけの時間が無い以上、今はただその事実だけを知るだけに止めていた。

 

 

「今、何とか螺旋の樹を解析しようとしている。俺達もやれる事だけをやる」

 

「そうか」

 

 何かを決意したかの様な言葉にジュリウスはそれ以上の言葉を発するつもりがなかったのか、それ以上会話を続けようともぜす、今はただアラガミに意識を向けて集中していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか。では完全にブラッドアーツの習得が出来た訳では無いんだな?」

 

「はい。これは私の個人的な見解ですが、一度覚醒すれば後は問題無いとは言えない様な気がします。もちろん習得できるのが最低限のラインですが、やはり少し習熟させない事には何時もの様な運用は出来ないかと」

 

 リヴィの報告にフェルドマンはそれ以上の事は何も言わなかった。神機に限らずいつでも当たり前の様に使うのはゴッドイーターであれば当然の事。戦いの最中に懸念材料を持たせない為の試運転とばかりに神機とのマッチングをするのは最早当然の行為だった。

 ただでさえリヴィの場合は他人の神機を接合出来る能力があるからなのか、他に比べれば身体にかかる負担は確実に大きい。既に計画が発動しているからなのか、フェルドマンの視線は現在の進捗状況を公表しているディスプレイにだけ視線を向けていた。

 

 

「そうか…で、ブラッドの隊長の様子はどうなんだ?」

 

「今はまだ意識が戻っていないとの事です。榊支部長の話ではここ数日の間に意識が回復するのではとの予測が立っている様です」

 

「では意識が戻り次第、当初の計画を実施しよう」 

                

「了解しました」 

                               

 改めて報告報告した内容にフェルドマンの表情が崩れる事は無かった。

 既にこれまでの概要は上がっているからこそ質問として聞いている。だからこそ冷静に計画を遂行できるのかもしれない。そんな考えがリヴィを過っていた。

 

 

「ところで、神機の適合具合はどうなっている?」

 

「今の所は順調に進んでいます。現時点で考えれらる不測の事態に発展する可能性は限りなく低いかと」

 

 これで話は終わりだと思う頃だった。唐突に聞かれたのはリヴィ自身の現状。ジュリウスの神機に適合した当初に言われたのは精々が無理はするな程度だった内容が、気が付けば現状に伴う質問にリヴィは少しだけ訝しく感じていた。

 

 

「そうか……安定剤は問題くなく機能しているのであれば心配はしないが、今回の様なイレギュラーな面が今後も無い事も否定出来ない。以前にも言ったとは思うが無理はするな。ここは本部や他の支部とは違う」

 

「了解しました。まだ私はやるべき事が有りますので、これで失礼します」

 

 会議室から出た所でリヴィは先ほどの会話の内容に意味が見いだせなかった。既に神機が適合している事は勿論の事だが、ブラッドアーツの習得に関しても先ほど報告したばかり。これまでであればそれ以上の話が出る事は毛頭無かったが、今回は珍しい質問に未だ戸惑っていた。

 フェルドマンとの話はこれで終わりだが、この後は榊と紫藤とで未確認のアラガミの内容の確認が待っている。既に極東では当たり前の内容でもある新種の解析は世界中でも群を抜いていた。

 これまでも他の地域で新種が出た事は度々あったが、その後の経過報告に関しては極東から更新されるデータの方が格段に精密な内容になっている事が圧倒的に多かった。上層部はその辺りの事を何も分かっていないが、現場からすればその更新内容は衝撃的な物となる。それが分かっているからこそリヴィは支部長室へと足を運んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗のおかげでこっちの方は少し落ち着いた様だ」

 

 未だ螺旋の樹内部の状況は分からないままではあったが、北斗は久しぶりのジュリウスとの共闘に懐かしさを感じていた。突然の離脱から今に至るまでに何も感情が無いと言えば嘘になる。しかし、当時の状況下でまともな判断を下す事が出来たかと言えば、答えは否であるのは間違い無い。

 言いたい事は色々とあったが、少しの共闘でお互いを理解した様な気持ちだけがそこに存在していた。

 

 

「そうか……なぜここに俺が来ているかは分からないが、さっき言った通りだ。今はこの螺旋の樹の調査を開始した所だが、今後の進捗状況ではまた何かが分かるかもしれない。俺だけじゃなく、他の皆もジュリウスと会いたいと願っているのは間違いない。だからそれまではここを頼む」

 

 北斗の言葉にジュリウスの表情は僅かに驚きに染まる。しかし、この状況を願ったのはジュリウスであるからこそ今に至る。北斗もあの時の別れの間際の事は覚えているはず。だからこそジュリウスはそれ以上の言葉を言うつもりは無かったのか、しばし沈黙が続いていた。

 このままここで戦うのも悪くはないのかもしれない。そう北斗は思い始めた頃だった。これまで実体化していた自身の身体がゆっくりと透明になり出だしている。これが何を意味するのかは分からないが、何となく元の世界に戻ろうとしている事だけが唐突に理解出来ていた。

 

 

「そうだな……期待せずに待つ事にしよう。くれぐれも無理はするな」

 

「言ってろ。必ずそっちに行くからな」

 

 北斗の最後の言葉がジュリウスに届いたかは分からない。今分かるのはジュリスはボロボロになりながらも終末捕喰を食い止めている事だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれ程の時間が経過したのか分からないが北斗は唐突に目覚めていた。天井の白さから察するに医務室である事は分かる。先ほどまでジュリスと共闘しながら会話していたのは夢なのか現実なのか。北斗はただぼんやりとそれだけを考えていた。気が付けばいくつかのセンサーが北斗の身体取り付けられているのか、先ほどからアラームだけが鳴っている。それが何を意味するのかを理解するまでに然程時間は必要としなかった。

 

 

「北斗!大丈夫ですか!」

 

 突如として医務室に響く声はシエルの物だった。突然アラームが鳴った事を察知したのか僅かにシエルの息が弾んでいる。余程急いで来た事だけが北斗に分かった事だった。

 

 

「ただいま」

 

「ただいまじゃありません!」

 

 目覚めた北斗にシエルは勢いよく抱き付いていた。以前にもこんな事があったと思いながらもどれ程の時間が経過したのかが全く分からない。本来であればシエルに聞きたかったが、生憎とシエルに聞けるような状況では無いと早々に判断したのか、北斗は今の現状をただ甘んじていた。

 

 

「あのさ……」

 

 どれほど時間が経過したのかは分からないが、このまま成すがままなのも拙いと判断したのか北斗は改めてシエルを引き剥がし、今の状況を確認すべく改めて顔を見ていた。

 

 

「…すみません。ちょっと気が動転してたので」

 

 シエルの頬は赤く、目元には僅かに涙の痕が残っていた。普段のシエルからは想像する事は出来ないが、今の状況から考えると時間はかなり経過している様にも思える。

 聞きたい事は色々とあったが、現在の状況確認が先決だと改めてシエルに問いかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これはまだ推測の段階なんだが、君の『喚起』の能力とジュリウス君の神機、そしてリヴィ君のブラッドアーツ習得が絡み合った感応現象じゃないかな。あくまでもこれは我々の推測でしかないのが前提だけどね」

 

 北斗が目覚めた事実は直ぐに榊の下にも伝わっていた。意識が回復しない事にはそこからの作戦は何一つ進む事がなく、現状では螺旋の樹の外縁部の調査に留まっていた。

 以前に崩落した空洞についても今は調査の対象となっているからなのか、頻繁に行われていた。

 

 

「感応…現象…ですか…」

 

「以前に君達とユノ君がフライアでやったあれだよ。実際に感応現象に関してはある程度の研究は進んでいるんだけど、確固たる有用性については未だ解明中でね。この件に関しては情報管理局とは共通認識になるんだが、今回のそれも君達の言う所の血の目覚めだと推測している」

 

 目覚めた事によって既に一通りの検査が完了する頃、榊に言われた言葉がそれだった。感応現象についての認識は事実上無いに等しく、ただでさえやる事が多い日常の中で新たに知っておくべき事実が多すぎた事から、北斗の中では他に任せれば良いだろう程度の認識でしかなかった。

 

 

「榊博士。それ以上の事を言えば北斗は混乱します。詳しい事は改めてで良いのでは」

 

「そうだね。またその辺りの話は後日にしよう。君が目覚めた事は既にフェルドマン局長には伝えてある。君は5日間眠っていたんだ。本調子にする為にも一先ずは様子を見てから作戦は再開される事になるよ」

 

 まさか5日間も眠っていたと思ってもなかったのか、北斗は少し驚きはしたが、冷静に考えればそれだけの日数を意識不明のまま過ごしたのであればシエルのあの顔もうなずける。皆には迷惑をかけた事だけは詫びようと一人考えていた。

 

 

「そっか……ジュリウスはあの螺旋の樹の中で今も戦ってるんだね」

 

「って事は一刻も早く何とかしたいものだな」

 

 北斗の意識が回復した事はすぐさまナナとギルにも伝えられていた。5日間の空白は北斗が予想以上に衝撃をもたらす部分があったのか、情報管理局が来る前の様な雰囲気が漂っていた。回復した当初はブラッドだけでなく色んな人間からも話を聞かされはしたものの、やはり作戦群が何も進まない事からこれまでの様なギスギスした雰囲気は過去の物へとなっていた。そんな中でナナの提案で食事会を提案された際に何気に言った言葉が全員を驚かす結果となっていた。

 

 

「でも、暫くは今までの様なミッションをこなす訳には行かないそうです。5日間とは言えずっと寝たきりだったのは間違いないですから」

 

「そうそう。無理は禁物だよ」

 

 シエルの言葉に誰もが頷くかの様に同意していた。実際に北斗が居なかった事によって以前の様にブラッド単体の任務は事実上無くなっただけでなく、これまでの様に混成部隊として討伐任務に出ている。

 現時点では北斗の意識が回復した事は良い事ではあるが、今後の事を勘案すれば、すぐに現場復帰と行かない事実がそこには存在していた。

 

 

「そう言えば、例のアラガミってどうなったんだ?」

 

「あのアラガミでしたら極東支部から全支部に対し『クロムガウェイン』の名称で登録はされました。ただ、現状は螺旋の樹の周辺と言うよりは、あのミッションで見ただけなので正式ではなく仮と言った形で登録されています」

 

 北斗が気になったあのアラガミはこれまでのアラガミの中でも厄介な部類に入ってる事だけだった。以前にクレイドルが対峙したマガツキュウビ程では無いにしろ、一気に距離を詰める速度と攻撃能力はこれまでのアラガミとは一線を引く強さでもある。

 攻撃を受けた所までは記憶にはあるが、その後の事は何一つ分からない。命がある時点で討伐が出来ている事は理解できるが、それ以上の事は何一つ分からないままだった。

 

 

「詳しい事はリヴィちゃんがやってたよ。でも後で聞いたら止めをさしたのは無明さんとリンドウさんとエイジさんだって」

 

 ナナの言葉に当時の状況が徐々に思い出される。記憶は曖昧ではあるが、意識を手放す直前に3本の剣閃をぼんやりと見た記憶があったものの、それ以上の事になると何も分からない。いくら止めをさすとは言ってもあのアラガミを一瞬にして屠る実力は流石だとしか言えないでいた。

 未だ3人の力と比べれば自分はまだまだだと思うのは無理も無かった。

 

 

「あ~北斗。まさかとは思うけど、これを気に一人で訓練しようとか思ってないよね?」

 

「え、い、いやそんな事は……」

 

 何かを察知したのかナナの言葉に北斗はそれ以上何も言えなかった。教導メニューをこなそうと思っていたのは紛れも無い事実。ましてやここ数日はミッションに出る事を禁じられている以上、今は何もする事が出来ないのであれば教導メニューは勘を取り戻す為の格好の身体慣らしでしかなかった。

 そんな北斗の思惑が見透かされたのか、表情に出ていたのがシエルにも伝わったのか、視線がどこか冷たくなっていた。

 

 

「少し位は良いだろ?」

 

「ダメです。少しは大人しくしてください」

 

まるで同調したかの様にシエルとナナの声はラウンジの中に響いていた。

 

 

 



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第223話 提案

 

「すぐに目を離すとこれなんですから……北斗、私の話を聞いてますか?」

 

「聞いてるよ。そろそろ身体を慣らす必要があるから動かしてただけだ」

 

 諦観漂うシエルの言葉に北斗は開き直る事しか出来なかった。意識を取り戻した当日は大人しくしていたが、やはり元来よりジッとしている事を良しとしない性分が変わる事はなく、偶々見かけたコウタの訓練に、気が付いたら参加していた。

 

 

「コウタさんも北斗の事は知ってるはずですよ」

 

「まあまあ、そんなに怒らなくても良いんじゃない?実際に身体は完治してるんだろ?」

 

「身体は良くても休養の指示が出ている以上、それは最低限守るべきです」

 

「それは……そうだけど」

 

 コウタがやんわりとフォローを入れるも、それすらも聞く耳をもたないのかシエルは一刀両断の様にコウタの言葉をバッサリと斬る。この場にはコウタ以外にもう一人いるはずだが、今は所要で外していた。

 元々コウタはここ最近になってエイジから教導では無いにしろ体術の稽古をするケースが多くなっていた。最大の理由は万が一の際の回避の精度の向上。それともう一つがマルグリットの神機パーツのコンバートが絡んでいた。コウタにとっては何気ないはずがなぜこうなったのか、話は少しだけ前に戻っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私がですか?」

 

「ああ。今はショートを使っているのは知ってるが、今後の事を考えるともう少し火力があっても良いかと思ったんだよ。実際にコウタにも聞いたが、ここ最近はコウタとは別行動してる事が多いんだろ?で、他の部隊と組むなら自分の火力が必要なのも分かっているとは思うんだが」

 

「それはそうですが…」

 

 北斗が負傷してからは再びミッションの回し方が従来へと戻っていた。リヴィのブラッドアーツの習得が進まないのであれば作戦が進捗する事はなく、だからと言って部隊そのものを遊ばせる程に極東支部もゆとりは無い。だからこそ今後の事を含めてナオヤとリッカが相談した結果が現在に至っていた。

 

 

「確か、舞踊は名取レベルまでは出来るよな?」

 

「まあ、そこまでは師事しましたから」

 

 ナオヤとマルグリットの話にリッカはついて行く事が出来ないままだった。舞踊の名前が出た時点で屋敷絡みなのは理解出来るが、リッカは師事している訳では無い。しかし何かしらの目的があって確認している事は知っている為に、この場は口を挟む事はなかった。

 

 

「足さばきは全ての動きに通じる部分があるんだ。多分理解してないかもしれないが、今回俺達が検討しているのがヴァリアントサイズだ。使い方は特殊だが、使い方によってはこれまで以上に神機の火力は上がる。動きが似ている部分があるからどうかと思ったんだが、一度やってみないか?」

 

 ナオヤはそう言いながらヴァリアントサイズのモックを持ち出してた。実際にはまだ極東内部で使用している人間は誰もおらず、現状はパーツだけが用意されている。

 ナオヤも最初にこれを見た際には何か閃く物があったのか、暫くはこちらの開発に力を入れていた。

 

 

「しかし、周りの行動を見ながらじゃないと扱いにくくないですか?」

 

「だからなんだよ。視野が狭い人間にこれを使わせる訳にはいかないが、マルグリットなら大丈夫だと思ったんだがな」

 

 そう言いながらナオヤはモックを持つと同時に、自身が見本を見せる様に動いていた。

 普段であれば整備士がそんな事をする事は無いが、教導の教官でもある以上扱いは熟知しているのか、これまでに使った事が無いはずのヴァリアントサイズを持った動きに澱みは無く、流麗に動く様に誰も言葉を発する事は出来なかった。

 ナオヤの動きはまるで舞を舞っているかの様な円運動と同時に時折見える強烈な一撃を思わせる風切り音は周囲の空気を斬り裂く様に変化させている。当初は何気に見ていいたはずのリッカも動きの後半はナオヤの思惑に気が付いたのか既に魅入られている様にも見えていた。

 本来であればそんな事は無いはずの動きはリッカだけでなくマルグリットもその気にさせる程の勢いが存在していた。

 

 

「まあ、こんな感じだ。名取かって聞いたのはそれが原因だ」

 

 本来の神機の使い方と一線を引くそれはあきらかにこれまでの神機とは異なっていた。

 直線ではなく曲線を活かした行動と同時に、遠心力がその力を助長する。円運動を利用した舞踊の足さばきを使いこなせるのであれば、理論上は可能な事は直ぐにマルグリットにも理解出来ていた。

 

 

「でも、コウタやエリナ達との連携も必要になるんじゃ…」

 

「その点なら手は打ってある。そろそろ……忙しい所悪いな」

 

 ナオヤの言葉の先には呼び出されたであろうコウタが訓練室に姿を現してた。いつものクレイドルの制服とは違い、明らかに通常の教導で着用する服を着ている。それが何も意味するのかマルグリットには分からなかった。

 

 

「いや、俺の方こそ無理言った手前当然だよ」

 

「なんでコウタがここに?」

 

 突然コウタが現れた事にマルグリットは軽く混乱していた。神機のコンバートの話がコウタの出現に繋がらない。理解出来ないと思われたのか、その理由はコウタの口から聞かされていた。

 

 

「実は、今後の事でナオヤとエイジに相談してたんだ。実際に今のメンバーで第1部隊は固まっている以上、火力の向上は必須だし今後の事も考えれば俺も少しは身体のキレが増した方が迷惑がかからないだろ?」

 

 何気に話されたコウタの言葉にマルグリットは以前にコウタから聞いた悩みの事を思い出していた。防衛班の活躍で今では第1世代の神機使いの能力は改めてクローズアップされたが、それまでは旧型や遠距離型は使えないなんて話は多少なりとも聞こえていた。

 事実、近接攻撃が出来ないだけでなくオラクルが欠乏すればたちまちお荷物になってしまう。攻撃手段がそれ以上存在しないのであれば実質は一人少ないミッションと大差なかった。

 また、遠距離型の特性上どうしても後方支援の形が優先するからなのか、未だに何も知らない人間からは時折そんな事が聞こえていた。コウタ自身は既に第1部隊長が故に面と向かって言う人間は少なく、また実地の際には第1部隊に優先的に配属される事から、表に出てくる事は無かった。

 

 

「そんな事無い。コウタの指揮があるから私やエリナ、エミールが自在に動けるのは皆知ってる。コウタが気にする必要なんて無いよ」

 

「それでもなんだよ。実際に昨日今日始めた訳じゃないし、流石にこれ以上の醜態を晒す訳にも行かないから」

 

 コウタの醜態を晒すの意味が今一つマルグリットには理解出来なかった。

 誰に対して言っているのか分からない。事実部隊内でもエリナは敢えてそう言う事はあるが、貶めるつもりは毛頭なかった。エミールに関しては未だにコウタの指揮がなければ危うい部分がまだある。自分もそんな事を微塵にも思っていないからこそコウタが誰に対して言っているのかが謎だった。

 

 

「ねえ、ひょっとしてコウタってマルグリットには本当の事言ってないんじゃないの?」

 

「さあな。それは俺には分からん。実際に話を直接受けたのはエイジであって俺じゃないからな」

 

 2人の話を遮らない様にリッカとナオヤはヒソヒソと話す。お互いがこれだけ近いのに気が付かない現状は傍から見るともどかしく映っていた。そんな中で突然訓練室の扉が開く。開いた先には療養中だったはずの北斗がそこに立っていた。

 

 

「ひょっとしてお邪魔でした?」

 

「いや。今は少し休憩だ。これからコウタと体術の教導やるんだ」

 

「それ、俺も一緒でも良いです?」

 

「確か療養中じゃなかったのか?俺はそう聞いていたんだが?」

 

 北斗はまさかこれだけの人間が訓練室に居たとは思ってもなかった。本来であればヒバリかフランに訓練室の状況を確認するのが手っ取り早いが、今は療養中である事は2人共知っている。ましてやそんな中で訓練室なんて話になれば真っ先にシエルに連絡が行くのを知っていたからこそ、こっそりと行動に移していた。

 そんな中でナオヤが居た事は幸運だったが、その場にリッカが居た事で北斗は人知れず背中に冷たい物を感じていた。

 

 

「怪我はもう問題ないんです。今は少し落ち着く為に少し身体を動かしたいと思ったんですが」

 

 このままでは拙いと判断した北斗は普段とは違い、かなり饒舌に色んな理由を述べていた。既にそれが怪しいと公言している様な物ではあるが、現時点ではそれに気が付かないままだった。

 

 

「だったら、俺と一緒にやらないか?ナオヤ、俺と同じレベルなら問題ないだろ?」

 

 北斗に助け船をだしたのはコウタだった。本来であればナオヤとやる予定だったが、実際にはあまりの技術の違いで比べものにならない部分が多分にあった。実際にコウタ自身の能力も向上しているが、比較するのがナオヤだった為にせめて北斗ならばと思ったのが理由だった。

 

 

「ナオヤさん。コウタさんもああ言ってますから」

 

 この状況からいち早く脱出したい北斗からすれば渡りに船。ナオヤの返事を聞かないままに、真っ先に訓練室内の隅で柔軟を始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒバリさん。北斗を見かけませんでしたか?」

 

 シエルは北斗が療養中である事を理由にここ最近おろそかになりつつあった戦術論についての話をしようと部屋まで向かっていた。いつもならば何も用事が無ければラウンジか自室に居るはずの人間が居ない。それ以外では訓練室もあるが、まさかとの考えからその可能性は真っ先に排除していた。

 いくら大丈夫だとは分かっていても、やはり北斗の性格を考えるとミッションに出ている可能性も否定出来ない。安否を確認する為のビーコン反応を確認する為にシエルはロビーへと向かった結果だった。

 

 

「私は見てませんね。でも出撃した形跡はありませんし、神機は現在メンテナンス中です。心当たりは無いんですか?」

 

「予想出来る所は捜したんですが……どこにも居ないんです」

 

 可能性があると思われる場所は全て回っている。ヒバリとて落ちこんだシエルを見るのは忍びないが、実際にビーコン反応はアナグラ内部を示している。この時点でシエルが分からない物をヒバリが知る由は無い。どうしたものかと思案していた矢先だった。

 

 

「ナオヤさん。北斗さん見ませんでしたか?」

 

「あいつならコウタと体術の教導やってるぞ」

 

「ナオヤさん。それはどう言う事でしょうか?」

 

 突然の情報にシエルはナオヤに詰め寄っていた、一番最初に除外した可能性が結果的には正解だった事にシエルは苛立ちを覚えている。しかし、ナオヤにそれを言った所で何も話が進まない以上、今は真っ先に行動に移していた。

 

 

「少しは身体を動かしたいとか言ってたぞ」

 

「そうですか。ありがとうございます」

 

 鬼気迫る様な表情に流石のナオヤを僅かにたじろいでいる。これが男連中なら鉄拳の一つでも喰らわすが、相手が相手なだけにそれも出来ない。その結果ナオヤはただ頷く事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いつだって女性陣の方が強いんだから仕方ないって」

 

「そりゃそうだけど、ちょっと過保護過ぎないか?」

 

 コウタのフォローも空しく北斗は自室へと戻る事になっていた。よほどシエルに厳しく言われたのか、普段の北斗を知っている身とすればトボトボと歩く北斗の背中はどこか哀愁が漂っていた。

 いつもであれば我先にとミッションに出向く勇敢な姿はどこにも無い。一方のナオヤも少し申し訳ないと思ったのか、先ほどの顛末をコウタから聞いていたのか、北斗の居場所を漏らしたナオヤは珍しくカウンターのエイジと話をしていた。

 

 

「でも、ここ最近の情報管理局絡みのミッションは割と過酷だったからさ、多少は羽を伸ばすのも悪くないとは思うんだけどな」

 

「だろ?俺もそう思ったんだけど、どうやらシエルからすればよろしくないらしい」

 

 時間はお昼を回っていたが、夕方にはまだ程遠い。すでにミッションに出ている人間が殆どだった事から、ラウンジにはエイジ以外にはナオヤとコウタしかいなかった。コウタもどうやら同じ考えだったからなのか隣に座りながらジンジャーエールを飲んでいる。割と辛目の味わいがどこかスッキリとした気分を誘っていた。

 

 

「でも、療養中を盾にされるとそれ以上は言えないのもまた事実だしな……」

 

 何か思う所があったのか珍しくナオヤが凹んでいた。普段は教導教官の一面が強すぎる事からも周りからは少し距離は置かれている。

 普段の人と成りを知っている人間はそうは思わないが、やはり新人からすれば鬼教官である事に変わりは無かった。もちろんその話は新人と同行する機会が多いコウタも知っている。しかし、コウタとてナオヤとの付き合いがそれなりに長い事からも今回の件に関しては珍しいとさえ思っていた。

 

 

「だったら屋敷で療養なら許可が出るんじゃない?」

 

「それ、良いかも……って。あれ?」

 

 背後から聞こえた言葉に2人が振り向くと、先ほどの提案をしたのは弥生だった。何時の間に来たのかは分からないが屋敷であれば建前上は温泉療養が主張出来る。弥生が提案する以上屋敷の予定を知った上での発言なのは間違いなかった。その事実を察したからなのか、その提案に誰も反対する者はいなかった。

 

 

「ナオヤは少し気を抜きすぎよ。珍しく背中が無防備だったから」

 

 コロコロと笑いながら弥生はエイジの前に座る。先ほどの提案に関しては魅力的なのは分かるが、問題はその許可をどう取るかだった。

 

 

「実は今後の作戦に関して少し非公式で打ち合わせをレアと当主がする予定だから、屋敷の手配が出来るのよ。折角だし皆を誘ったらどう?ローテーションを見た限り夜間任務は皆入ってないみたいだし、コウタ君も久しぶりにマルグリットちゃんの手料理を食べたいでしょ?」

 

「え……まぁ。はい……」

 

 気軽にウインクしながら言われた時点で2人は何も言う事は出来なかった。エイジはそんな話は聞いていないと思いながらも弥生の為にフレーバーティーを入れる。既に決定事項だったのか、弥生の言葉を否定する材料は誰も持ち合わせていなかった。

 

 

 



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第224話 一時の憩い

 

「何だか上手く誤魔化された気がします」

 

 アナグラでの定時の任務時間が終わると同時に大人数が屋敷の門をくぐっていた。既に何度も来ているからなのかシエルやナナも以前ほど遠慮が少しだけ無くなっていたのか、アナグラと同じ様に寛いでいる。気が付けば手慣れた浴衣の着付けは堂に入っていた。

 当初シエルが弥生から聞かされたのはあくまでも療養がメインだと言われた事。療養を盾に北斗を訓練室から離した理由が逆に使われた以上、シエルもただ頷く以外の方法を取る事は出来なかった。

 

 

「ここ最近は戦いっ放しだったし、少しは寛がないと疲れちゃうよ」

 

「それに関しては否定はしません……が、なぜこんな大人数なんですか?」

 

 当初はこじんまりとした人数だったはずが、気が付けばブラッドと第1部隊、クレイドルと何時もと変わらないメンバー。これでは落ち着く要素がどこにも無いとシエルは内心ため息をつきたくなっていた。

 

 

「シエルは気にしすぎなんだよ。実際にエイジさんとアリサさんはここが自宅みたなものだし、他だって」

 

 北斗の言い分は確かに理解出来る。ここに来る人間の大半は屋敷に近い人間ばかりでなく、北斗の言葉通りエイジやアリサにとっては自宅同然でもあり、またマルグリットはここで時折何かを習っている事は以前に聞いている。だからこそ、この結果なのは分かってはいたがシエルの中ではやはりどこか釈然としない部分が存在していた。

 

 

「そう言う北斗は嬉しそうですね。まさかとは思いますが、これを機に訓練をつけて貰おうなんて思ってませんよね?」

 

「……も、もちろんだ」

 

 図星だったのか北斗はシエルの視線を逸らしながら誤魔化していた。ここに来ている時点で何をどうしているのかを確認する手段が無いだけでなく、アナグラとは違い普通に何かの訓練をしようとすれば容易にそれが可能な環境なのは一番最初に来た際に聞かされている。

 本音を言えばここまで北斗の行動を厳しく制限する必要性が無いのは知っているが、なぜそう感じるのかをシエル自身が理解した訳ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら?こんな所でどうしたの?」

 

「レア先生こそどうしてここに?」

 

 シエルが驚くのは無理も無かった。ここに来る事は急遽だった事もあってか、まさかこんな所にレアが居るなどとは微塵も思ってなかった。実際には極東に来てからレアはここに滞在する事が多くなっていた。本来であれば情報管理局の人間同様にアナグラ内のゲスト用の部屋を当てがわれているはずだった。

 

 

「弥生がこっちの方が落ち着くからってここを薦めてくれたのよ。シエルはどうしてここに?」

 

 レアの格好はここでは当たり前の浴衣を着ている。確かに滞在しているのが分かるのか随分と着なれた格好にそれ以上の疑問をシエルが持つ事は無かった。

 

 

「私も弥生さんに言われて来たので」

 

 そう言いながらもシエルは少しだけ穏やかな表情を浮かべていた。最後にレアに会ったのは終末捕喰の危機から脱却して直ぐの頃。当時はラケルが発端となった事案の確認で本部へと移動してからは顔を見る機会は殆ど無くなっていた。

 久しぶりに会ったレアは当時の荒んだ表情はなく、何時もと変わらない表情を浮かべていた。

 

 

「シエルも以前と変わってなくて良かった。ブラッドの皆とは上手くやっているの?」

 

「はい。お蔭さまで皆さんとは上手くやっていると思います……」

 

 表情は明るく振舞っているも、言葉尻に何かひっかかりがあった。自分の口から上手くやっているとは言ったものの、ここ最近の自分の感情が何なのかを思うとどうしても戸惑いしか出てこない。本来であればナナにでも聞けば良いのかもしれないが、それもまた聞ける様な内容では無いと判断しているのか、実際にそんな事まで聞くのはどうかと言った部分が存在していた。

 

 

「あら?本当にそうなのかしら?」

 

 シエルの葛藤を見抜いたのか、レアは改めてシエルに問いただす。一方のシエルもまるで今の状況を見透かされた様に感じたのか改めて意を決していた。

 

 

「なるほどね。シエルとしてはここ最近の北斗の行動が気になるのよね?」

 

「はい。今までこんな事は無かったんです。何だか私達の知らない所で何かが起こっている様な…一人遠くに行ってしまう様な気がして……」

 

 シエルはここ最近の情報管理局絡みのミッションの事を話していた。当初はレアと言えど緘口令が出ている以上、安易に話す事は出来ないと考えていた。しかし、レアからの今回のミッションにあたって神機兵の運用とそのデータ採取でここに来ている事を聞かされた事によって、これまでの顛末を話していた。

 この時点でレアは何となくシエルが何に囚われているのかを理解したが、それが本当なのかどうなのか判断する事が出来なかった。以前の様に目をかけるにしても既に本部と極東では物理的な距離もあるだけでなく、今は重要なミッションの最中である為に、そちらの方に意識を向けざるを得ない為に、精神的にも距離があった。

 

 

「ふふふっ。まさかシエルがそんな悩みを持つようになるなんてね」

 

「レア先生はこれが何か知ってるんですか?」

 

 レアの笑みにシエルは少しだけ戸惑っていた。自分でもこの感情が何なのかが分からないのに、レアにはそれが何なのかが理解出来ている。未だそれが分からないシエルからすれば、それは藁にも縋る思いだった。

 

 

「知ってると言えばそうね。シエル、以前にも言ったけど、貴女は少しづつ皆と同じ道を歩んでいるかと思うと私は嬉しいのよ」

 

 レアの言葉と表情は柔らかくなっていた。理由は教えて貰えないが、言外にそれは自分が理解してと言われた様な気がしている。それが何であって、どんな結末を迎えるのかは誰にも分からなかった。

 

 

「それでも私は知りたいんです。レア先生、教えてくれませんか?」

 

 笑みを浮かべるレアはそれ以上の事を言うつもりは無かった。当時のシエルがフライアに配属された際に、北斗に対し個人的にお願いした事がこんな形となるとは思ってもいなかった。

 それは決して悪い感情では無いが、他人から教えて貰う様な物でも無い。だからこそシエル自身が気付いてほしいとレアは考えていた。

 

 

「あら?シエルちゃんもここだったの?レア、食事の準備が出来たんだけど良いかしら?」

 

「何だか悪いわね弥生。何時もの事なんだけど」

 

「こっちが招待したんだし、それは当然よ。シエルちゃんもどう?そろそろ皆集まるから」

 

 弥生が来た事によって話は中断していた。皆が動いている以上、迷惑をかける訳には行かないからとシエルはそれ以上の言葉をレアに告げる事無く2人は広間へと移動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シエルちゃんこっちだよ。レア先生もこっちこっち」

 

 広間では既に準備が出来ているのか、シエルを見つけたナナが手招きしていた。

 改めてシエルとレアが座ると同時に食事が開始されていた。目の前には相変わらずラウンジで食べる様メニューはどこにもなく、恐らくはレアが来てるからと和食をメインとした料理は見た目と味が何時も以上となっている。当初ここに来たレアも初めて見た食事に驚かされたが、数日の滞在で漸くここの料理にも慣れ始めていた。

 

 

「貴方達はいつもこんな食事を口にしてるの?」

 

「いえ。普段はもっと普通にあるメニューです。ここではいつも驚かされますが」

 

 先ほどの会話の続きをしたいとは思うも、こうまで人が居れば流石にシエルも気後れする。出された料理は上質な味わいである事は間違いないが、今は先ほどの会話の内容が気になったのか、シエルは料理の味が今一つ感じにくかった。

 

 

「あの、シエルさん。口に合いませんでしたか?」

 

「いえ。美味しくいただいてます」

 

 シエルの表情が気になったのか、今回もエイジと一緒に作ったマルグリットは気になったのかシエルに話かけていた。この時点で問題があったのは料理ではなく自分自身。気にしてくれたマルグリットにシエルは少しだけ申し訳ないと考えていた。

 

 

「マルグリットちゃんが今回も作ったの?」

 

「またエイジさんの手伝いですけどね。ナナさんはどうでした?」

 

「前よりも美味しいよ。でもここまで上達するのって大変なんじゃ?」

 

「そうですね。大変ではありますけど、やっぱり美味しいって言ってくれる人がいるから頑張れるんだと思うんです」

 

 その言葉と共にマルグリットは改めて今回の出来を自分でも確認していた。作った感想が直ぐに聞けるのは有難いと思う反面、逆の事を言われる可能性もある。だからこそ浮かない表情のシエルの反応が気になっていた。

 そんなやりとりを見たのか、レアは改めてシエルの悩みをどうしたものかと思案していた。自分が言わないのであれば、それに該当する人間と話す方が手っ取り早い。そんな考えが閃くと同時に気が付かれない様に弥生に連絡を取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、今回のこれも手伝ったんだよな?」

 

「コウタにしては珍しいですね。何で分かったんですか?」

 

 シエルとレアのやりとりを他所にコウタは出された料理を食べながらふと気が付いた事があった。口にした味はどこな懐かしさを呼んでいる。それが何なのか答えは一向に出てくる気配はなかった。

 この場にアリサが居る以上、今回の食事には間違い無く何も関与していない。だとすれば、これが何なのかを考えていた。

 

 コウタが悩む一方で、アリサとて本来であれば厨房に立ちたい気持ちは多分にあった。

 本来であればエイジと一緒に作りたいとは思ったものの、今のアリサの力量では未だ和食を作る事は困難なままだった。確かに基本の事は既に習得しているものの、コウタやソーマに出すのとは違い、流石にここのゲストにまで作って出せるレベルかと言えば言葉に詰まる現実があった。事実、今アリサが摘まんでいるニンジンは花びらの飾り切りが丁寧に施されている。以前にエイジが作っている所を見て自分もやろうとした際に止められた事は未だ記憶には新しかった。

 自分もここの一員でありながら力になれない現実に、改めてここの板長に師事する事を考えたものの、最近の忙殺気味の仕事を優先するのであればその時間を捻出する事すら困難な状況となっていた。

 

 

「いや。何となくそう感じたんだよ」

 

 理屈抜きで無く本能がそう感じとったのか、改めてコウタはポツリとそんな言葉をこぼしていた。事実コウタは知らないが、コウタの分だけは全部マルグリットが作っている。

 この時点でその事実を知っているのは本人以外ではエイジだけ。その違いが分かっただけでも大きな進歩だった。

 

 

「良く分かったね」

 

「エイジ、それは本当なんですか?」

 

 コウタの疑問に答えたのは厨房から戻ってきたエイジだった。今回の食事に関しては全部を2人でやっている。レアが滞在している時は屋敷の板長が作るが、他のメンバーが来ている時にはエイジが作る事が殆どだった。

 

 

「ああ。多分コウタのそれは慣れ親しんだ味に近いからね。アリサもこれ少し食べればすぐに分かるよ」

 

 エイジはコウタに出した物と同じ物を箸でつまみ、アリサの目の前に出す。一方のアリサも出されたそれをそのまま口へと入れていた。

 食感は同じだが、確かにいつものエイジの味付けとは違うそれはアリサにも直ぐに理解出来ていた。しかし、それとこの味にどう関係するのか分からない。少しだけ困ったアリサを助けるべく、エイジはアリサにだけ聞こえる様に耳打ちしていた。

 

 

「……でも、何でエイジはそんな事知ってるんですか?」

 

「さっき、味付けの場面を見たら何時もとは違ってたから何気に聞いたんだよ。詳しい事は聞いてないけど、使った量から判断したら多分そうだと思うんだけどね」

 

 まだ第1部隊に配属されて間もない頃にエイジは何回かコウタの家に行った事があった。今は行く事が殆どないが、エイジにとっても家庭料理が何なのかを一番理解したのがその当時。味を再現するには目分量なだけでなく隠し味も家によっては異なってくる。その僅かな差をエイジは見抜いていた。

 

 

「そのうち何かしらのアクションがあるんじゃないかな?アリサもそれ以上の事は2人の為にならない事位分かるでしょ」

 

「それは……そうですけど」

 

「あの、それってまさかとは思うんですが」

 

 2人の会話が聞こえたのかエリナもアリサと同じ様な表情を浮かべていた。幾ら詳しい事は分からなくてもその状況は間違い無い。本当なら会話に割り込むのはマナー違反だとは思いながらもエリナも思わず会話に参加していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、感応現象でジュリウスと一緒に戦ったんだろ?ジュリウスは元気だったのか?」

 

 ギルは北斗の言葉に何か思う所があったのか改めて北斗に話かけていた。感応現象が起こったからと言って、それが全て正しい訳では無い。

 ブラッドの立ち位置は情報管理局側に近いが、作戦の全貌を知っている訳では無い。今回の反応が本当であれば、今後の作戦が一層厳しい物になるのではと考えた結果だった。

 

 

「元気と言えば元気だったが、神機は持ってなかった。アラガミの部位を神機代わりに使ってるが案外と大変かもな」

 

「そうか…俺達も今回の作戦に参加はしてるが未だに全貌が見えてこない。ジュリウスがそんな状況だとすればやはり時間が短いのかもしれないな」

 

 当時の螺旋の樹の萌芽の際に出た言葉。命がけで食い止めた終末捕喰が改めて発動する可能性を知っているのは極東でも極一部の人間のみ。クレイドルの人間もその場に居た以上は知っているが、緘口令が出ているからなのか、普段の会話からもそんな言葉は微塵も出ていなかった。

 

 

「後はブラッドアーツの習得が問題無いなら、一気に作戦が進む様な気もするんだが、実際にはどうなんだ?」

 

「リヴィの事か?確認はしてないが、多分習得は出来てると思う。最後にアラガミと対峙した際に、そんな兆候を感じたからな」

 

「そうか……だったら、お前の体調が戻り次第作戦は再開だな」

 

 そう言いながらギルは出された料理をたいらげていた。アナグラとは違い、ここでは殆どが和食の提供となっている。一番最初に来た際には驚く部分が多分にあったが、今ではアナグラでも割とそんな系統の食事を取る事が増えていた。

 

 

「そう言えば、ギルも割とこう言った系統の物を食べる事が多いよな?」

 

「そうだな。最初は驚いたがな。ただ、納豆だけはちょっと無理だ」

 

 ギルが食べなれた頃に見たのは納豆だった。どう贔屓目に見ても料理とは思えない臭いと糸を引くそれが人間の食べ物だとは思えなかった。生卵の時もそうだったが、何気に隣で食べる北斗が食べているのを見て口にはしたが、それ以上箸が進む事は一切無かった記憶だけが残っていた。

 

 

「あれは好き嫌いが出るからな。シエルとジュリウスも嫌がっていた様な記憶がある」

 

 何かを思い出したのか北斗は笑みを浮かべていた。まだジュリウスやロミオが居た頃に食べた記憶は今もまだ新しい。今回の感応現象がそれを思い出させたのか、少しだけ当時の状況を懐かしんでいた。

 

 

「そうか……どうなるかは分からんが、また当時の様な状況になるようにやるしかないな」

 

「今度こそジュリウスにも納豆を食べさせて見せる」

 

 面と向かって宣言する事はしないが、ジュリウスにそうさせるには螺旋の樹の探索が最大の要因となる。北斗の言葉が何を意味しているのかはギルにも分かったのか、今はそれ以上の事を言うつもりは無かった。

 

 

 




「ぬおおおおおお!何で僕だけが夜間任務なんだ!」

 屋敷で皆が寛いている頃、エミールはリンドウと夜間任務に励んでいた。当初は弥生から誘われたものの、既に夜間の任務はローテーションで組まれている。緊急時であればその限りではないものの、やはり平時で無理矢理交代をしようとすればツバキを説得する必要があった。


「エミール、少し落ち着け。お前さんだけじゃなくて俺も同じなんだ。ったく突然の誘いは仕方ないが、せめて夜間じゃなくて早朝の方が良かったぜ」

 夜間であれば終わりの時間は確実に深夜から早朝にかけてとなってくる。これが早朝任務であれば朝食にありつく事は出来たが、それすらも適わない。特にここ最近は情報管理局絡みで屋敷に行く機会が随分と少なくなっていたのもまた事実。そんな事を思いながらも今はただアラガミの気配が全く感じる事が無い平原をリンドウは眺めていた。


「そう言えば、今回の件は一体どうなってるんでしょうか?我々とて極東ではそれなりにやっているはず。にも関わらず情報管理局は一向に我々に情報を下ろそうとしないのには何か訳でも?」

「うん?その件なら悪いがまだ緘口令が出てる。まだ口外する訳には行かないらしい。俺の権限では何も言えないんだ。すまんな」

 突如として真面目な質問にリンドウは少しだけ面食らっていた。確かにエミールの言う通り、ブラッドとクレイドルには作戦の一部は知らされているが、全容については語られていない。まだリンドウの立場は最低限の情報を知る部分はあるが、エミール達にとっては何も知らされていないままだった。


「いえ。実を言えば、多少は何か分かるかとも思ったんですが…残念です」

「まぁ、そのうち何らかの形で話も出てくるさ。それまでは頑張る事だな」

未だ全容を知る術はないままに作戦はそのまま進行していく。それがどんな結果をもたらすのかは未だ誰も知らないままだった。



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番外編 17 コウタの想い 前篇

勢いで書いたからなのか、長くなったので2部構成となります。
本来とは予定は大きくかけ離れました。





 

 何時もの日常は、常に半ば死と隣り合わせ。この職場に限った話ではなく、この世界の住人の誰もが同じ様な事を考えながら生活を営んでいる。それは今に始まった事では無く、こんな日常だからこそ誰もが多大なストレスをうまく誤魔化しながら生活をしていた。

 もちろんそれは一般市民だけでなく最前線に赴くゴッドイーターとて同じ事でもあった。

 

 

「今日のミッションもこれで終わりか」

 

《み、皆さんお疲れ様でした。帰投までまだ30分程時間がありますので》

 

 通信機の向こうではウララがぎこちないアナウンスでコウタへと現状を伝えていた。既に配属されてからそれなりに時間は経過した事から、本来であれば慣れるはずのオペレート業務のはずだった。しかし、残念ながらウララは未だ緊張からか、ぎこちなさが目立っていた。

 

「了解。周囲の資源を探索しておくよ」

 

 既に第1部隊のメンバーが固定されつつあったからなのか、コウタも以前に比べれば前線での指揮が随分と緩和されつつあった。最大の要因はマルグリットの存在。准尉でありながら自分でも一時期は部隊を率いた事が良い結果を呼んだのか、ここ最近のミッションの時間が短縮されていた。

 

 

「あれ?今日はこの後非番じゃなかった?」

 

「非番だよ。ちょっとノゾミにお土産を持って行こうかと思ってね」

 

 何時もであれば非番であれば真っ先に自宅に帰るコウタが珍しくロビーにいる。普段の行動をよく知っているエイジからすれば、今のコウタの行動は少しだけ珍しいと考えていた。

 

 

「だったら丁度良かった。これノゾミちゃんに渡して」

 

「これ、良いのか?」

 

「ああ。試作みたいなものだし、よかったら感想を聞かせてくれればありがたいね」

 

 エイジが手に持っているのは白い箱だった。取っ手がついたそれはこれまでに何度も見た事がある箱。試作の言葉と感想を聞きたいの言葉から察したのか、コウタは中身を確認する事無くそのまま受け取っていた。

 

 

「それ位ならまかせておいてくれよ!」

 

「中々行けないけど、ノゾミちゃんに宜しく言っておいて」

 

 そんなやりとりが終わり、エイジはそのままコウタを見送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「母さん、ノゾミ。ただいま」

 

「帰ってきたんだ!おかえりお兄ちゃん」

 

「またお土産買って来たの?偶には自分の物を買って来たらどうなの?」

 

 コウタの家は外部居住区の中でも割と中心に近い部分にあった。ここ極東支部ではサテライトが軌道に乗り出した事から、一部の住民はサテライトへの引っ越しを余儀なくされていた。

 また001、002号サテライトの様に農業や建築に携わる事によって従来の様にただ配給だけを貰う生活から徐々に脱却した事により、一部の住民は区画整理の名の下に以前の住居から引っ越す事になっていた。そんな中でもコウタの家族は現在第1部隊兼、クレイドルの隊員でもあるコウタの存在によって従来の場所よりもアナグラに近い場所へと引っ越していた。

 

 

「いや。アナグラに居ると割とお金使うのって神機の整備位で、それ以外で使う事は早々無いんだよ。実際にエイジなんてそんなだから結構お菓子とか作って放出してるんだよ」

 

 ゴッドイーターに支給された神機は基本的には個人の支配下になった際に、各々の実力に応じた神機のアップデートが常時施されていた。そんな中でも神機の強化には素材だけでなく費用もそれなりに必要とされている。しかし、現時点でエイジの使用する神機に関してはアップデートはするものの強化する事が事実上無いに等しく、また普段の食材に関しても屋敷での試供品を使う事から、普段配給としてもらう品はお菓子の名目で還元されていた。

 

 

「でも、それだけの稼ぎになれば当然任務も厳しいんでしょ?私はまだ心配なのよ」

 

「いや、俺も部隊長だし、何だかんだ言っても指揮するから厳しい任務になるのは仕方ないよ。でも、皆でやっていけるから。だから母さんはそんなに心配しなくても良いよ」

 

「ああ!それお土産なの?」

 

 母親との会話を阻んだのはノゾミの声だった。既に視線はコウタが持って来ていた白い箱に向かっている。そんなノゾミを見たからなのか、母親はそれ以上の言葉を出すのを止めていた。

 

 

「これ、出がけにエイジから貰ったんだ。後で感想聞かせて欲しいって」

 

「お兄ちゃんありがとう!」

 

「ノゾミ。手はちゃんと洗うのよ!」

 

「は~い」

 

 白い箱とエイジの名前でノゾミは中身が何なのかを直ぐに理解していた。これまでにもお土産と称してお菓子やケーキは何度も持って来ている。事実、広報誌でも何度も取り上げられているからこそ、ノゾミだけでなく母親もそれを理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 オヤツ代わりに出されたお土産のシュークリームは一瞬にして消え去っていた。毎度の事とは言え、その辺りで販売している物よりも味が良いのは今に始まった事では無い。3人は折角だからと口にした際にコウタは衝撃的な言葉を耳にしていた。

 

 

「だから、あっ君と今は仲がいいんだよ」

 

「あっ君って誰!?」

 

 何気に食べたシュークリームの味が一気に忘れ去る様な内容にコウタはそれ以上考える事が出来なくなっていた。以前にも何気に仲が良い男の子が居た記憶はあったが、当時の名前と今の名前が明らかに違う。それが何を意味するのか理解するには些か時間が必要だった。

 

 

「ここに引っ越してから仲良くなったんだ。今は2人で一緒に遊びに行ったりしてるんだ」

 

 それは世間で言う所のデートではないのだろうか?コウタはギリギリ動き出した思考で何とか叫ぶ事だけはしない事に成功していた。

 冷静に考えればノゾミはコウタの目から見ても十分すぎるほどに可愛いとさえ思っている。以前にそんな話をした際に、エイジとナオヤには半ば呆れられた雰囲気はあったものの、コウタ自身がそれを感じていたからなのか、当時の状況を思い出すまでにはそう時間はかからなかった。

 

 

「そ、そうか……で、楽しいか?」

 

「うん!楽しいよ」

 

 ノゾミの声にコウタはそれ以上の言葉を出す事は出来なかった。シスコンと言っても間違い無いそれは既にアナグラでも一部の人間は知っている。もちろん母親でさえもコウタのノゾミに対する過干渉はどうかと考えていた。

 

 

「ノゾミの事はともかくコウタはどうなの?誰か好きになる様な人はいないの?エイジさんだって最近結婚したって言うじゃない」

 

「そ、それは……」

 

「あ~お兄ちゃんだっているんだ。で、誰なの?」

 

 母親とノゾミに言われた事で、コウタは改めて自分の事について考えていた。一番最初に浮かんだのは自分の部隊の副隊長。今はそれだけしか該当がなかった。

 

 

「まあ、居るんならいいんだけどね。そろそろ夕飯の支度しなきゃ。ノゾミも手伝うのよ」

 

 沈黙した事で母親はそれ以上の事は何も言わなかった。

 以前にも聞いた際には即答で居ないと言ったが、今回は沈黙している以上該当する人物はきっと居るであろう事だけは理解していた。事実、これまでに父親を早くに亡くしてからはコウタがこの家の大黒柱となって生活を支えてきただけでなく、部隊長になってからは他とは支給される物資の内容は他の人よりも恵まれている事も理解している。だからこそ、そろそろ自分の事に向き合って欲しい親心がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?母さん。味付け変えた?」

 

「そんな面倒な事しないわよ。何かあったの?」

 

 夕食になってからコウタが一番最初に気が付いたのは味付けの違和感だった。これまでに家で食べた味と、ここ最近になって食べた味がどうしても一致しない。自分の味覚が変わらず味付けが変わっていない以上、何かしらの変化があるのは間違い無いが、それが何なのか違和感がどうしても拭いきれない。

 自分の記憶を呼び起こした瞬間だった。これまでの違和感が瓦解していた。

 

 

「いや、なんでもない。いつもと同じで美味しいよ」

 

「変な子だね」

 

 夕飯が終わり、自室へと戻ってからもコウタはさっきの違和感の正体をずっと考えていた。自宅に戻ってきたのはかなり久しぶりではあるものの、家の食事に似たような味は確かにここ最近口にしているのは間違いない。しかし、ムツミやエイジの味付け以外で食べた記憶が思い出せない。

 ここ数日のミッションは過酷さは少ないものの、その数が多かったことから、コウタの意識は徐々に眠りへと誘われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで漸く終わりか。今回も割と苦戦続きだったな」

 

 何時もと変わらないミッションが終わったのか、周囲にアラガミの気配はどこにも存在していない。既にエリナとエミールは物資の回収へと向かったのか、この場にはコウタとマルグリットの二人だけだった。

 

 

「そうだね。今日は少しだけ苦戦したのは間違いないね」

 

 そう言いながらマルグリットはコンバートしたばかりのヴァリアントサイズの様子を確認しながら、今回の戦いの結果を報告書にまとめるべくタブレットを取り出していた。何時もと変わらない日常、何時もと同じ光景がそこには存在していた。

 

 

「そうそう。コウタ、私ね。ギースと結婚しようかと思うんだ」

 

「ギース?」

 

 突然出てきたギースの名前にコウタは少し訝しく思っていた。

 まだネモス・ディアナにいた頃、マルグリットはギースの生存を信じて黒蛛病に罹患しながらひたすらその帰りを待っている事は以前にアリサから聞いていた。しかし、結果的にギースは偏食因子の投与が為されていなかった事によるアラガミ化の結果、討伐された事をエイジを通じて無明からその事実を聞いていた記憶があった。

 もちろん、当時の状況は多少なりとも事実をぼかしながら聞いていたのはマルグリットとて同じ事のはず。にも関わらず、目の前のマルグリットはギースが見つかっただけでなく、結婚するとの言葉に大きなダメージを負っていた。

 

 

「そう。この前漸く見つかったの。怪我はしてたんだけど近くのサテライトで保護されてたって」

 

 その後も嬉しそうな言葉を言ってる事は理解できるが、コウタの耳には結婚の言葉以降の話がまるで入ってこない。突然の話にどうなっているのかを考える余裕は殆ど無かった。

 

 

「あれ?だってギースは確かに死んだはずじゃ…」

 

「何言ってるの。ほらここに居るでしょ?」

 

 気が付けばマルグリットの隣にはコウタの見知らぬ男がマルグリットの腰を抱いている。その表情はまるで当たり前の様なのか、隣にいるはずのマルグリットも頬を赤らめながら話していた。

 

 

「何言ってるんだよ……だってマルグリットは俺と…」

 

 この時点でコウタは何を言おうとしたのかを思い出したのか、そこから先の言葉を出す事が出来ない。既にコウタの事は眼中にないとばかりにマルグリットは左手の薬指にリングをはめている。お互いが目の前の相手しか見えない様なのか、そのまま唇を寄せようとした瞬間だった。

 

 

「違う!」

 

「私はコウタの物じゃないのよ。何を今さら言ってるの?」

 

「だから違うんだ!」

 

 先ほどの頬を赤くしたマルグリットは既にそこには居なかった。今のコウタの目の前に居るのはクスクスと笑いながら冷酷な目をした一人の女性にしか見えない。それが何を意味するのかコウタには理解できていた。

 

 

「私が誰を好きになろうと貴方には関係無い事よ。もちろん、今後も副隊長だからミッションには付き合うわよ、藤木隊長」

 

「だから違うんだ!」

 

 絶望に染まろうとした瞬間だった。気が付けば目に飛び込んできたのは自宅にある自分の部屋の天井。先ほどまでの事が夢であった事が漸く理解していた。

 気が付けば多量の汗をかいていたのか、シャツはベッタリと張り付いている。母親から言われた言葉なのか、それともノゾミの言葉が引鉄となったのか、先ほどの夢の内容を忘れたいとばかりにコウタは冷蔵庫の水を口にしながら少しだけ落ち着く事が出来ていた。

 

 実際に結末を聞いた事は既に過去の話だが、それでも生々しく感じたのは自身の深層心理なのかもしれないと、コウタは少しだけ考えていた。

 冷たい水で少しだけ覚醒したのか、冷静にこれまでの事をゆっくりと思い出す。確かになし崩し的に今は第1部隊の副隊長をやっているが、今後の部隊運営がどうなるのかは誰にも分からないままだった。

 事実、今のコウタのポジションはクレイドルも兼用している関係で他の3人に比べれば忙しさは別次元となっていた。情報管理局が来てからは従来の様な部隊運営は殆ど無く、気が付けばマルグリットはエリナと他の部隊の運用を少しづつ手掛ける様になっている。

 そしてコウタも新人の指導や部隊の指揮などやるべき事が多くなっていた。そんな中で屋敷で食事した際にマルグリットを見たのはかなり久しぶりの様にも思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コウタ。例のシュークリームだけど、どうだった?」

 

「うん?ああ、ノゾミも美味しかったって」

 

 休暇が終わった事でいつもの日常が戻ってきたのか、コウタの名前を呼んだのはエイジだった。確か休暇の前に言ってたのは試作だからの言葉が漸く思い出される。

 コウタにとって悪夢とも言えるそれをずっとひきずっていた結果なのか、コウタは珍しくいつもとは違うテンションにエイジは少しだけ疑問を感じていた。

 

 

 

「それだけ?」

 

「ああ。それがどうかしたのか?」

 

 いつもであればもう少しまともな感想が聞けるはずが、その返事は少し違っていた。この休暇に何があったのかは分からないが、何かが無い限りこうまで凹む姿を見る事はあまり無い。何時もと違う事をコウタ自身が気が付かないでいたのか、カウンターの椅子に座ったまま何も話す事は無かった。

 

 

「そう言えば、噂だとマルグリット准尉の部隊を立ち上げるらしいぜ」

 

「マジで!俺立候補しようかな」

 

「何だよ、お前もかよ」

 

「当たり前だろ?実力だけじゃなくて見た目も良いし、料理の腕だっていいんだぜ。俺、今回の件でお近づきになれるならと思ってな」

 

「なんだよ。お前もライバルかよ」

 

 ラウンジのソファーセットで話しているのはまだ上等兵になったばかりのゴッドイーターだった。マルグリットに対する話はコウタは知らないが、エイジはこれまでに何度も聞いている。本来であればコウタに言っても良いのだが、どこまで行ってもそれはお互いのプライバシーであってコウタに言う必要性が無い物だった。

 何気に聞いた言葉ではあるが、会話の中に聞き捨てならない話が存在している。作業をしながらでも聞こえる内容にエイジは少しだけ苦笑いを零していた。

 

 

「なあ、さっきの話って本当なのか?」

 

「新設部隊の話?」

 

 突然話かけたのは先ほどの言葉に反応したコウタだった。目の前には何かを察したのかエイジがアイスティーとクッキーを出しながらコウタの言葉に返事する。先ほど話していた男連中は既にミッションに出たのかラウンジに姿は無かった。

 

 

「そんな話は聞いてないよ。実際にそんな話があればツバキ教官も何かしら言うと思うよ」

 

「だよな」

 

 エイジの言葉に今朝の夢の事が嫌でも思い出される。夢だった事は間違い無いが、先ほどの話は間違い無く現実。それが何を意味するのかを考える余裕は既に無くなっていた。

 

 

 



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第225話 悩みは遠くへ

 

「シエルさん。良かったら一緒に温泉に行きませんか?」

 

 穏やかに食事会が終わり、時間的にもそろそろ解散だと思われる頃、シエルはアリサから突如として温泉に誘われていた。時間も既に遅いだけでなく、今は情報管理局の関係で、アナグラの隠し通路は事実上制限されていた。

 今回もいつもならば地下通路を利用するはずだったが、それが変更されたのか車での移動となっている。一直線の通路とは違い、陸路での移動は迂回する為にどうしても時間がかかる。今からの帰還だと遅くなるからと、既に各々の部屋には布団が敷かれていた。

 

 

「私は構いませんが、アリサさんは良いんですか?」

 

「私なら大丈夫ですよ。エイジもまだやる事があるらしいですから」

 

 今回の作戦に関してはクレイドルが蚊帳の外であるのはシエルも理解していた。確かに螺旋の樹の萌芽の際にはリンドウやコウタも居たが、その後の調査に関してはリヴィのブラッドアーツの習得を兼ねたミッションが入っていた事で部隊編成は大きく変更されていた。

 他の部隊の運用を理解はしているが、詳細まで知っている訳では無い。だからこそアリサの言葉を信用する以外に何も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、食事の際に何か考え事でもしてたんですか?」

 

「いえ……そうですね。何も考えていなかったと言えば嘘になります」

 

 アリサは元々弥生から言われただけでなく、自身の経験からも今のシエルの状況が良く分かっていた。確かに確信は無いかもしれないが、それは大よそ間違っていないはず。

 理屈はともかく、今は少しだけでも話をすれば何かしら変化がある事だけは理解していた。

 

 

「言いたくないのであれば仕方ないですが、私で良ければ話してくれませんか?」

 

 アリサの言葉にシエルは少しだけ戸惑っていた。レアに話をしたまでは良かったが、その後の事に関しては完全に話すつもりが無いのかそれ以上は何も教えてくれなかった。

 何となくはぐらかされた事だけは間違いないが、それ以上は分からない。既に北斗の療養期間が終わった今、明日からはまた作戦が開始されるのは間違い無かった。今回は何とか間に合ったが、次回同じケースが起こった場合、自分は一体どうなるのだろうか?そんな考えが支配していた。

 レアから明確な答えが出ない以上、何かしらのヒントでもあればと思いアリサの提案に乗ったまでは良かったが、まさかこんな場面で言われるとは思ってもなかった。

 

 

「はい。実はレア先生にも聞いたんですが、それを教えてくれなかったんです……」

 

 この場にはシエルとアリサしか居ない。それならばとシエルは自身が感じている感情がなんなのかを確認すべく重い口を開いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど……そうだったんですか」

 

 シエルから一通り聞いた内容はまさにアリサの予想通りの内容だった。これまでにコウタとマルグリットの件である程度の事は予想していたが、まさかシエルがそうだとは思っても無かった。確かにそれは一言で言うならば簡単ではあったが、それをアリサは自分の口から直接言っても良いのかと少しだけ思案していた。

 

 

「やっぱり変ですよね……私どうすれば良いんでしょうか?」

 

「変じゃないですよ。それは誰にでもある感情です。私だってそんな経験がありますから」

 

「本当なんですか?それはどうやったら治るのでしょうか?」

 

 予想外の食いつきに流石のアリサも少し考えを改めるしかなかった。なぜレア博士が答えなかったのか今になって理由が分かる。シエルの事はそう深くは知らないが、一つの事に集中しすぎる性格はある意味では危うい部分も存在していた。

 

 

「その前に確認したい事があります。それを知ってシエルさんはどうするのかです」

 

「どうしたい……ですか?」

 

「ええ、そうです」

 

 アリサの言葉にシエルは更に頭をかしげる事になった。その内容が何であれ解決したいと思うのは当然の欲求でもあり、また明日から開始されるであろう作戦に支障をきたす可能性もある。だとすれば今のシエルにとっては解決する以外の手段はどこにも無かった。

 

 

「やはり問題を解決する……のでしょうか」

 

 それ以外の方法が有りえないからとシエルは口にするが、その言葉は先ほどは違いどこか弱々しい。本当に解決できるのかすら分からない未来は不安しかなかった。

 

 

「だったら簡単ですよ。その思いの丈を直接北斗にぶつけたらどうですか?」

 

「え……でも……」

 

「大丈夫です。北斗だって真剣に話せばしっかりと受け止めてくれますから」

 

「そうでしょうか?」

 

「そうですよ」

 

 既にお湯に浸かってから30分が経過していた。本来であればもう少し理性が働き冷静な考えをもたらす事が出来るが、流石に長時間の入浴は冷静な判断を起こさせない。アリサの言葉以外の方法は存在しないとシエルは徐々に考えだしていた。

 

 

「そろそろ出ませんか。このままだと湯あたりしますから」

 

気が付けばお互いの肌の色はほんのりと桜色へと変化している。どれほど入っていたのかは分からないが、そろそろ限界が近い事だけが理解出来ていた。

 

 

「あら?また行ってたの?そうだ。良かったらこれ」

 

 温泉に出た2人を待っていたのは弥生だった。食後のデザートにしては時間が遅い。既に殆どの人間が各々の部屋へと移動したのか、脱衣所の隣の部屋で弥生はアイスクリームを出していた。長時間の入浴はかなり体力を使うだけでなく、身体の温度も高くなっている。そんな状態で出されたアイスクリームはまさに今の2人にとっては有難い物だった。

 口に含んだそれはいつもの物よりもコクが深く、口の中でゆっくりと溶けていく。湯上りに染み渡るそれは今の2人にとっては甘露だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗!大変だよ。シエルちゃんが急に倒れた!」

 

 このまま平穏無事に終わる事は無かった。既に寝る準備が出来たはずの北斗の下にナナが慌てて走ってくる。シエルの言葉に反応するも、慌てすぎて何を言いたいのか分からないナナを落ち着かせる事を優先していた。

 

 

「倒れたって何かの病気なのか?」

 

「分からない。突然顔が真っ赤になって倒れたの。一応エイジさんに確認してもらったら大丈夫だとは言ってたんだけど、シエルちゃんが北斗の名前を呼んでたから……」

 

 何が起こったのか分からないが、うわごとを言っている時点で事態は軽く無いと思われていた。エイジの話では問題無いとは言うものの、それでもナナの表情に偽りは無く、焦りだけが感じられる。

 嫌な予感だけが過る。北斗と同じ部屋にいたギルも事態を重く感じたのか、3人でシエルの下へと急いでいた。本来であれば入る際には遠慮するも、今は緊急事態。一々確認するまでもなく北斗は襖を勢いよく開けていた。

 

 

「シエル大丈夫か?」

 

「……あれ?……ろうして……」

 

 ナナの言葉通り、シエルは赤い顔をして横たわっていた。息遣いは少し粗く、目も潤んでいる。何も知らないそれは確かに何かにうなされている様にも見えていた。

 

 

「どうもこうも無い。何があったんだ?」

 

「……なん…の事…れす…か」

 

 何時もの様な冷静さはどこにも無かった。上気しているのは顔だけでなく首筋までも赤くなっている。これまで見た事が無いそれは北斗を動揺させるには十分すぎていた。

 北斗の視界にはシエルしか映っていない。視野狭窄に陥ったからなのか、周囲を見る余裕はどこにも無かった。

 

 

「しっかりしろ」

 

「私なら……らい…じょうぶ…れす…」

 

この時点でギルだけが今のシエルの状況をいち早く察知していた。理由は分からないがエイジが言う大丈夫の意味が確実に分かる。確かにそれが原因ならやる事は何一つ存在していなかった。

 

 

「ナナ。この場は北斗に任せよう。エイジさんが言う様に確かに大丈夫だ」

 

「でもあのままだとシエルちゃんが…」

 

「いや。本当に大丈夫だ。そんなに心配なら冷たい水でも用意すれば良いだろう」

 

 これ以上ここに居てもやる事はなく、また事実上見ている以外に何も出来無い。どうしてこんな結果になったのかは分からないが、ひとまずナナをこの場から離す事だけをギルは優先していた。

 

 

「北斗。今のシエルは何の問題無いはずだ。後で水でも飲ませておくんだな」

 

「…それって」

 

 ギルの言葉に北斗は少しだけ冷静になっていた。確かに呂律は回っていないがシエルの呼気からは微かにアルコールの臭いがしている。年齢的に飲むはずが無い物をどうやって口にしたかは分からないが、今はかなり酔っている事だけが理解出来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。わらしの話をちゃんと聞いれますか?」

 

「……聞いてます」

 

 北斗は正座をしながらどうしてこうなったんだと自問自答していた。

 ナナの言葉に慌てて来たまでは良かったが、その後については仮に聞かれても語りたくない気持ちしかなかった。酔って寝たならばとその場を離れようとした際に、無意識の内にシエルの手は北斗の浴衣の裾を握っていた為にその場から離れる事が出来ない。かと言って、この部屋はシエルとナナの相部屋の為にこのままではナナに申し訳が立たなくなっている。まずはゆっくりとシエルの手を離そうとゆっくりと指を開きだした瞬間だった。

 突如として目が覚めたシエルは何を思ったのか北斗を正座させている。まさかこんな場面で目覚めるとは思ってなかったのか北斗も酔っ払いの言葉だからと素直に従った方が良いだろうと判断した結果だった。

 

 

「ろうして君はリヴィさんとばっかりミッションに行くんれすか。私の事なんてろうでも良いんじゃないれすか!」

 

 突然言われた想定外の言葉に北斗は暫く絶句していた。目が覚めたかと思えば正座を強要し、第一声がそれであれば一体何なのかと思わざるをえない。本当の事を言えば情報管理局からの直接のミッションが故に北斗には最初から選択の余地はなく、単に命令に従っただけ。もちろんそれはシエルとて理解しているはずにも関わらず、そんな事を言われれば北斗は何も言う言葉が見つからなかった。

 

 

「北斗。聞いれますか!」

 

「聞いてるよ」

 

「私がどれほど今回の件れ心配したと思ってるんれすか!自分の事を考えずに直ぐミッションに出て、挙句の果てには大怪我してくるなんて前代未聞れす!」

 

 酔っているとは言え、今回の直接の負傷は流石に北斗自身も苦々しく感じていた。確かにあの瞬間はリヴィの事だけを考えた上での行動だった為に、自分の身体の勘定は一切入ってなかった。

 今になって思えば銃撃で意識をそらすなりスタングレネードなりを使えば良かったと思えるが、既に過ぎ去った時間を巻き戻す事は出来ない。そんな事実があったからこそ北斗は自身の鍛錬をしようと考えていた。

 

「それは悪かった。俺も反省してる」

 

「いいれすか。北斗は北斗らけの身体じゃないんです!まさかとは思いますが自分なんてろうなっても良いなんて考えてませんか!あの赤い雨の時らってそうです。君は…君は…もっと自分を大事にしてくらさい」

 

 酔った勢いとは言え、シエルの目には涙が浮かんでいた。北斗自身は自分をそうまで追い込んだつもりは全くないが傍から見れば確かにそう感じる。事実赤い雨だけでなくギルとハルオミと共同で戦ったルフス・カリギュラの際にもかなり際どい戦いであった事は間違い無かった。

 

 薄氷を踏む戦いは今後の事も考えれば決して良いとは言える内容ではなかった。実際に今回のクロムガウェインに与えた剣閃は明らかに自分よりも技量が上だからこそ出来る芸当でもあり、またそれにふさわしい鍛錬をしてきた証である事は北斗自身が一番理解している。だからこそ北斗もその高みを目指したい気持ちが勝るからこそ暇さえあれば鍛錬をしていた。

 

 

「これ以上私が好きな北斗を嫌いにさせないでください」

 

「……え?」

 

 何気に言われたシエルの言葉に北斗は固まっていた。これまでに友達だと言われた記憶はあったが好きだと言われた記憶が全くない。本当ならばその言葉の意味を確認したい気持ちはあるものの、酔っ払いに聞いた所でまともな返事が来るとも思えない。きっと友達として好きなんだと自分に言い聞かせてこの場をしのぐ事にしていた。

 

 

「決めました。これから北斗の事は私がずっと管理します。これから離れるつもりはありませんから!」

 

「あの、シエル?」

 

「北斗。私の事が嫌いですか?」

 

 この時初めて北斗はシエルの瞳を見ていた。潤んだそれだけではなく、どこか怖がっている様にも見える。何がそうさせたのかは分からないが、北斗もシエルを嫌いになる要素はどこにも無い。しかし、だからと言ってこんな場面で言うべき言葉では無いのもまた事実だった。

 

 

「…嫌いじゃない」

 

「そんな事は聞いてません。私の事は好きなんれすか、嫌いなんれすか!」

 

 既に目が完全に座っているのか、シエルの視線は北斗から外れる事は無かった。

 酔っているはずの瞳にどこか力強さを感じるそれは誤魔化す事を許さないと語っている様にも見えている。突然言われた事によって北斗は自分の感情に向き合いたいとは思うが、そんな時間を与えられる予感はどこにも無かった。

 

 

「……もう良いです。こうなったら既成事実を作るしかないれす。北斗さあ一緒に寝ましょう」

 

 正座している状態でシエルのタックルを躱すは出来なかった。至近距離からのそれによってシエルは北斗を抱きしめたまま酔いつぶれたのか、そのまま寝ている。既に逃がすつもりがないのか、シエルの腕は完全に北斗を捉えたままだった。

 このまま寝たシエルは仕方ないが、そろそろナナが戻ってくるはず。それまではこの態勢を維持するよりなかった。

 

 

 




「ねえギル。偶に激しい声が聞こえるんだけど大丈夫だよね?」

「北斗に任せておけば大丈夫だ」

 ナナの心配を他所にギルは違う事を考えていた。先ほどのアルコール臭はそれなりに摂取した結果だけでなく、明らかにブランデーの香りだった。度数こそ分からないが、飲みなれない人間からすれば事実上のストレートはかなり強い。時折声は聞こえるも、話の内容までは分からないままだった。


「ギルがそう言うならそうなんだろうけど…」

「それはともかくまだ時間がかかるならどこで寝るつもりなんだ?」

 ギルの言葉にナナは改めて現状を知らされていた。いつまでも終わりの見えない話が仮に長引くのであれば、今度は自分の寝る場所の確保が必須だった。今いるメンバーであれば、エリナの部屋しか空いていない。まだ起きていれば良いが、既に部屋に入ってからそれなりに時間は経過している。既に悩む時間は残されていなかった。


「そうだよね。今ならまだ間に合うかも!ギル、もし直ぐに終わったんだったら教えてね」

 ギルの返事を聞く事もなくナナはエリナの下へと走り出している。ナナにはああ言われたが、ギルとて酔っ払いに付き合うつもりは端から無い。この事態は隊長でもある北斗が何とかする話であって自分には無関係。そんなにべも無い事を考えながら自室へと戻っていた。



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第226話 作戦前日

 朝の気配が北斗の意識をゆっくりと覚醒していく。毎日の鍛錬の結果なのか北斗はいつもの時間通りに目を覚ましてた。結果的にはナナが部屋に来る事はなく、また北斗も疲れから知らず知らずのうちに眠っていたのか、目を開けた瞬間シエルが目の前で眠っていた。

 既に空は少しづつ朝の様相を出し始めている。このまま起きたいのは山々だが、肝心のシエルは寝たままにも関わらず未だにガッチリと北斗を捉えていた。

 

 

「シエル、起きてくれ」

 

「う、ううん」

 

 北斗は起こそうとするが、酔いつぶれた状態で寝たシエルは目を覚ます気配がどこにも無かった。早朝から大声を出す訳にも行かず、かと言ってこのままでは今度は何が起きるのかすら分からない。既にどれ程の時間が経ったのか分からなくなるほど経過していた。

 

 一人焦る北斗を他所に、僅かに足音がこちらへと向かってきていた。北斗の記憶してる間取りからすれば、この先に部屋は一つも無く、確実にその足音はこちらへと向かっている。誰がここに向かっているかは分からないが、北斗の心情は既に最悪の結末を迎える寸前だった。

 やんわりとシエルを起こすも未だ目を覚ます気配は感じられない。最悪は誤魔化すしかないと北斗は動ける範囲で布団を何とか被り直す事に成功していた。

 

 

「おっはよ~朝だよ。目さめたか?」

 

 勢いよく襖を開けたのはシオだった。ここに居るのは間違いなかったがなぜここに来ているのかは理由が分からない。既に布団でシエルを隠した事に成功した以上、ここは最悪の展開を回避するしか無かった。

 

 

「もうそんな時間か?」

 

「そうだよ~。そろそろ朝ごはんだよ。エイジが起こしてきてくれって」

 

 これがエイジならばまだ何とでも出来たが、シオであればどんな結末が待っているのか予測出来ない。ある意味、戦闘とは違った緊張感が北斗を襲っていた。

 

 

「もうそんな時間か。着替えたらすぐに行く」

 

「うん分かった。じゃあ、そう言っておく」

 

 この時点で最悪の展開だけは回避出来た。今の北斗にはそんな安堵の感情が勝ったのか、自分の今置かれている状況を察知する事もなくこのままやり過ごしてしまおうとだけ考えていた。しかし、無慈悲にもそんな展開が許される事は無かった。

 

 

「あれ?おはようございます」

 

 布団に隠したはずのシエルが唐突に目を覚ましていた。両腕はまるで逃がさないとばかりにガッチリと掴んでいた腕が解かれ、隠したはずの全身が布団と共にめくれ上がる。余程何かあったのか着崩れた浴衣の影響なのか、肩先まで露出したシエルがそこに居る。この状況を見た瞬間、北斗は既に覚悟を決めていた。

 誤魔化す為のポイント・オブ・ノーリターンは遥か後方へと去っていた。

 

 

「あれ?シエルも一緒だったんだな。もう朝ごはんできるよ」

 

「そうですか。……ありがとうございます」

 

 酒の影響なのか、普段であればすぐに思考が冴えるはずが、どこか淀んでいるのかシエルは何も考える事なくシオと話をしている。言うべき事を伝えたシオは自身のミッションがクリア出来たからからなのか、そのまま皆の居る場所へと機嫌良く戻っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 北斗とシエルが来る頃には既に朝食の準備が終えていたのか、この場にエイジやマルグリットも座っていた。普段であればこんな人数で食べる機会があまり無いからなのか、ナナだけでなくシエルもどこか笑みを浮かべている。用意された朝食は和やかに始まっていた。

 

 

「北斗、昨日の件なんだけど、あれツバキさん用に試作した物なんだ。多分それが原因だと思う」

 

「そうだったんですか」

 

 エイジの言葉に漸く昨日の事態の原因が判明していた。あのアイスクリームにはブランデーを使ってコクを出していただけでなく、そのアルコール度数を色々と変えていた試作品。その上に同じくブランデーを使ったソースをかけていたが、これもまた同じく度数の調整をしている最中の物だった。

 申し訳なさそうな表情ではあるが、あれを用意したのはエイジではない。弥生が何気に渡した物ではあったが、今はその件については正直な所あまり触れてほしく無かった。昨晩から今朝にかけての出来事がどんなはずみで出てくるのか分からない。ゆったりと食事をする他のメンバーとは違い、北斗だけが一人背中に冷たい感覚を残していた。

 

 

「昨日はビックリしたよ。突然シエルちゃんが真っ赤になって倒れるし、うわごとは言うから一大事だと思って…」

 

「いや、それは問題無い。ナナだって悪気があった訳でもないから」

 

 少なからず今回の騒動に加担したと思っていたのか、ナナも少しだけ申し訳無さそうに話す。確かに何かの病気であれば一大事である以上それはある意味では当然の事でもあった。

 既に朝食も半分ほど食べたのか、コウタが味噌汁のお代わりをマルグリットに頼み、それを口に含む。その瞬間だった。

 

 

「そういえば北斗とシエルはふうふなのか?」

 

 ついに北斗の恐れていた事実が発覚していた。周囲を見れば先ほどお代わりを貰ったはずのコウタはむせかえって咳き込んでいる。ナナは突然の言葉に箸を落とし、ギルは手に持っていたご飯茶碗を落としそうになっている。

 何気にシオから出た言葉は穏やかな朝の空気を一変させる程の威力を持っていた。

 

 

「シオちゃんどうしたんですか急に?」

 

「さっき起こしに行ったら抱き合って寝てたぞ。あれはふうふじゃないとやらないんだよなアリサ?」

 

「それって……」

 

 そう言いながら全員の視線は北斗とシエルに向いていた。酔った事により記憶は曖昧になっていた結果に間違いは無いからなのか、シエルは珍しく赤面し、北斗は視線が完全に泳いでいる。言葉では何も語らなくてもその行動が事実だと言ってるも同然だった。

 

 

「だってアリサもエイジと、この前同じことやってたぞ」

 

「シオちゃん!それはちょっと違うんです!マルグリットもエリナも勘違いしないでください!こっちが恥ずかしいじゃないですか」

 

 シオの一言に今度はエリナとマルグリットは何を想像したのか赤面し、エイジは顔を天へと仰いでいる。隣のアリサは誤解だと言わんばかりに訂正を始めていた。

 エイジとアリサは夫婦だからと一言で方が付くが、問題なのはその現場。何も知らない2人からすればある意味では刺激的な言葉なだけでなく、その状況から回復したのかコウタもどこか呆れた顔で見ていた。

 

 

「あれは、この前ここで少しだけうたた寝してただけです。もう、何考えてるんですか。ドン引きです!」

 

「いや、別にそんな言い訳しなくても良いぞ。そんな事今さらだから」

 

 コウタの言葉に赤面しながらのアリサの反論の説得力は皆無だった。それだけではなく、現在進行形でナナとギルは固まったままが続いているのか、先ほどまでの穏やかな空気はカオスな物へと変化していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だか今日はこれまでと雰囲気が違う様だが、何かあったのか?」

 

 屋敷でのカオスな朝食は結果的には騒がしいと広間に来たツバキによって場が収まっていた。シオとて悪気があった訳では無く、見たままの事実を述べただけ。素直な言葉にからかいの意図はなく、各々が何かを思う所がありながらアナグラへ来ていた。

 

 

「いや、大丈夫だ。リヴィが気にする必要は無い」

 

「そうか。どこか余所余所しく感じるんだが…」

 

「いや。リヴィが気になる様な事実は無い」

 

「……そうか」

 

 今朝の出来事が少しだけ尾を引いていたのか、どこか全員がぎこちなく行動していた。

 このままの状況を放置する訳には行かないのも事実だが、今日からは北斗が従来通りに復帰する。既に連絡が入っていたからなのか、リヴィは既にロビーで待っていた。

 戦列復帰の最初の任務は、やはりリヴィのブラッドアーツの習得が優先されていた。何時もであれば2人でのミッションになるが、先日のシエルの言葉が印象的だったのか、今回はこのまま出る前に一つの提案が北斗から出されていた。

 

 

「これからの作戦がどうなるのは分からないが、今後の事を考えれば習得のキッカケが出来ている以上、後は習熟がメインなら並行して部隊の連携も兼ねた方が良いかと思う」

 

「……そうだな。確かにこのままでは何かあった際に連携出来ないのであれば前回のミッションの二の舞になる可能性が高いのもまた事実。今後はなるべく複数の人間で行く様にした方が合理的だな」

 

 北斗の提案にリヴィは少しだけ考える素振りはしたものの、この提案に対して合理的だと判断したのか何も疑う事も無く了承する。それ以上のツッコミが無かった時点で北斗は少しだけホッとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか。多少のイレギュラーはあったが、概ね予定通りか」

 

「はい。これで今後の作戦に関しては何ら問題はありません」

 

 リヴィのブラッドアーツの習熟は予想以上に早い結果となっていた。これまでの様に、無理矢理適合した神機ではあったものの、ブラッドアーツの影響なのか、それとも適合率が高まった結果なのか不明ではあるが、既に螺旋の樹を切り開く為の準備だけは出来ている。残すはそのまま作戦が完了される手筈となるだけだった。

 

 

「では今回の螺旋の樹の安定化を図る『開闢作戦』の説明を今から行う」

 

 フェルドマンの言葉と同時に、会議室にはブラッドだけではなくクレイドルも同様に呼ばれていた。

 今回の作戦の最大のポイントは未だ安定していないと思われる螺旋の樹の内部に突入する為の入口作りと同時に内部の探索、及び異変の原因究明が最大点だった。事実崩落の現場周辺を探索したまではよかったが、やはり外縁部からの侵入は不可能である事が判明している以上、それはある意味では当然の内容でもあった。

 

 

「フェルドマン局長、私達も螺旋の樹内部の探索任務に志願したいのですが……」

 

 シエルの言葉はここに居るブラッド全員の総意でもあった。実際に北斗が感応現象でジュリウスと会っていた事は情報管理局には敢えて何も伝えていなかった。

 万が一重大だと判断した場合に、どんな行動を起こさせるのかを予想出来ない事だけでなく、作戦が確実に成功していない状況でのジュリウスの様子をそのまま伝える事がどんな影響を与えるのかも勘案した結果でもあった。

 

 

「その件に関しては我々専門家の領域となる。素人風情に横槍を入れられる訳には行かない」

 

 以前にソーマとやりあった事が思い出されたのか、フェルドマンの言葉にシエルはそれ以上の事は何も言えなくなっていた。幾らリヴィがミッションで行動していても、それは部隊に配属された訳では無く、ただ純粋にミッションに必要となるブラッドアーツの習得のみの関係である事を認識させていた。

 まるでさも当然だと言わんばかりに発言を続けるフェルドマンに対し、それ以上の言葉はシエルだけでなく、今回の件で呼ばれていたソーマもそれ以上の言葉を出す事は無かった。

 

 

「なお、この件に関してんなんだが……レア博士。聞こえるか?」

 

《はい。聞こえますフェルドマン局長》

 

 話が一旦途切れたと思った矢先だった。会議室にはこの場にいなはずのレアの声が聞こえている。既に作戦の一部を聞いていたからなのか、その先がフライアである事だけがこの場にいた全員が理解していた。

 

 

「機材の搬入時、現場の進行は君に任せる。神機兵の搭乗者、並びに情報管理局員の統率を頼む」

 

《はい。承りました》

 

 短い通信と同時にそのまま切れる。既にフライアの準備は完了しているからなのか、そこに慌ただしさを感じる事は一切無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて…と。九条博士。今回の件ですが、今回の通達は明日にでも出ますが、神機兵の搭乗の件は宜しいですか?」

 

 通信が切れたと同時にレアは一息入れると同時に、隣にいる九条へと頼んでいた。

 今回の神機兵は既にラケルの負の遺産と呼べる無人型ではなく、レアの主導の下で新たに開発された有人型神機兵が機材運搬を担当する運びとなってる。

 

 以前は無人型を開発していた九条もラケルが既に存在していない以上、開発者としての生きる道はこれしかなかった。当初はラケル亡き後自分がその後継となるつもりではあったが、ここで大きな誤算が生じていた。これまでの様に完全に管理された神機兵とは違い、自立装置そのものがラケル単独で開発された事から、集積回路そのものがブラックボックス化していた。

 アラガミを討伐するはずのそれが一般市民に向けて襲った瞬間、フェンリルはすぐさま緊急会見を開くと同時に、今回の主たる原因を作ったラケルを主犯とし、またそのサブでもあった九条を人身御供とばかりにフェンリル内部で懲罰の対象としていた。

 その結果、暴走した神機兵の責任を追及された事で既にその地位ははく奪されていた。

 

 

「そ、それは勿論です。レア博士は私を救ってくれた方ですから、断る理由などありませんので」

 

「いえ。そう言わないでください。一時期は方法は違えど同じ道を目指した者同士ではありませんか。こちらとしても熟練者の数が少ない事で頭を悩ましてましたので、こちらの方こそ助かります」

 

 時間の短縮はそのまま神機兵に登場する人物の選定までゆとりは無かった。以前に開発した神機兵と今回の神機兵は外側は同じでも中身は全く別の物となっている。その結果、搭乗者の命は完全に護られる事になったが、その代わりに操作性能は従来の物よりも格段に落ちている。それが今回レアが九条を頼った最大の要因でもあった。

 

 

「あら?こんな所にこんなフォルダなんてあったかしら?」

 

 神機兵のオーバーホールだけでなく、今後の事も含めてレアは最終確認を行った時だった。これまでの見た事も無いようなフォルダが急遽発現していた。

 

 

「あら?変ねぇ。さっき見た際にはこんな物なかったんだけど……」

 

 突然出てきたフォルダを訝しく見るも、今はこの後に決行される開闢作戦の方が確実に忙しくなっている。既に気が付いた時にはそのフォルダは跡形も無く消え去っていた。

 

 



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第227話 迫り来る悪意

 

「これはまさか……」

 

 今回の作戦の補佐の名目でフライアにいたフランは誰にも悟られない様に小さく驚いていた。慌てて周囲を見渡すが、既に開闢作戦の為にデータを作成しながら検証を続けているからなのか、フランの変化には誰も気が付く事は無かった。

 一番の目的でもあるラケルの情報がまさかこんな形で取得できたのは偶然の賜物でもあった。プロテクトはかかっているも、暗号そのものは難しい物では無い。フランはすぐさまコピーした後に秘匿回線を使用し、紫藤の下へと送っていた。

 

 

「無明君。何か分かったのかね?」

 

 フランからの秘匿回線による通信はすぐさま無明の手で解析されていた。これまでの様に面倒なプロテクトがかけられて無かった事が一番の要因ではあるが、完全に解析出来た訳では無い。恐らく他人の目を盗んでコピーはしたものの、詳細を確認していないそれを見る為には少しだけ手間がかかっていた。

 いくつものファイルが開いては閉じるを繰り返す。どれほど時間が経過したのかは分からないそれを目にした瞬間だった。衝撃の内容に隣に居た榊は思わず目を見開き息を飲んでいた。

 

 

「弥生!今すぐレアに伝えるんだ。開闢作戦を中止させろ!」

 

 いち早く行動を起こしたのは無明だった。現時点で会議室では情報管理局の下で神機兵が機材を運搬し始めている。あの中身が事実だとすれば、それは最悪の展開を招く危険性だけが存在していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「神機兵!準備は良いか」

 

 フェルドマンの言葉に機材を持った神機兵は既に準備が完了したのか、隊列を組みながら切り開かれた螺旋の樹内部へと侵入していた。事前の調査の結果が正しければ、この機材を置いた事により、内部の空間が安定化する。そうなればこれまでの様に帰投の位置を確認しながらの行動をする必要が無くなる為に調査は容易になるだろうと思われていた。

 

 

「リヴィちゃん、本格的にジュリウスの神機を使いこなしてたね」

 

「元々それが今回のミッションの本命だからな。ある意味、あいつらにとっては当然なんだろ?」

 

 ブラッドは現時点では神機兵の機材運搬に対する護衛任務となっていた。ブラッドアーツを習得したリヴィの一撃がこれまでに無い程の斬撃を持って螺旋の樹の一部を切り開く。その瞬間、内部より周囲を吹き飛ばす程の激しい旋風が巻き起こっていた。

 大きく出来た開口部から先には空間がおぼろげながらに見えるものの、会議室での素人発言の結果、遠目で見る事しか出来ないでいた。神機兵αはオラクル制御装置を所定の場所へと設置する。既にプログラムが組まれたそれは程なくしてその効果を発揮しだしていた。そんな中でその状況を見ていたレアの通信機がけたたましく鳴っていた。

 

 

「あら?今は作戦中だって知ってるでしょ?」

 

 会議室のモニターで見ていたレアは通信先の名前を確認すると同時に、いきなり本題を切り出す。会議室では既に作戦の状況を見ている職員が殆どだった事からレアの事に気が就く人間は誰もいなかった。

 

 

「そんな事出来る訳無いでしょ!」

 

 突如として大きな声を発したレアに気が付いた職員の視線に気が付いていないのか、レアはそのまま半ば激昂気味に通信相手と話をしている。一体何が起こっているのだろうか?まさにその瞬間だった。

 

 

「神機兵βのバイタルが乱調してます。九条博士、大丈夫ですか?」

 

 神機兵の搭乗に於いて操縦者のバイタル信号は常にモニターされていた。

 今回の搭乗型神機兵は従来の様に性能を主体に置くのではなく、搭乗者の身の安全を保持する事を優先させていた。もちろん技術に絶対はあり得ないが、人道的な観点だけでなく、今後のアラガミ討伐を視野に入れるのであればそれは当然の事だった。だからこそ九条が搭乗している神機兵の異常がいち早く察知されていた。

 

 

「神機兵βが螺旋の樹内部へと侵入していきます!」

 

 フランの言葉を遮ったのは、これまで神機兵のモニターをしていた職員の言葉だった。

 既にフランの通信を繋げるつもりが全くないのか、幾ら呼びかけても返答は無い。それと同時に神機兵は機材を持ったまま内部へと突入していた。

 

 

「神機兵β!今すぐ行動を止めろ!レア博士!緊急停止は出来ないのか!」

 

 事態の異常はすぐさまフェルドマンによって沈静化を図る手段に移行していた。既に職員の停止は内部から回線を切断したのか、緊急停止のボタンを押すも一向にその気配が無いだけでなく、フェルドマンの呼びかけにも応答する気配すら無い。

 現時点で会議室でやれる事は事態の結末をただ見ている事だけだった。

 

 

「神機兵β螺旋の樹内部に侵入!ビーコン反応が消失しました!」

 

 ヒバリの言葉と同時に端末を操作する手はこれまで以上に慌ただしく動いている。既にモニターを見る余裕すら無いのか、ヒバリは自分が操作している端末と格闘する以外の方法は無い。既に会議室には緊急事態を伝える為のアラートが鳴り響いていた。

 

 

「…これは!フェルドマン局長!システムがハッキングされています!」

 

「今直ぐ遮断しろ!」

 

「コマンドを受け付けません!」

 

「だったら電源だ!急げ!」

 

 神機兵の異常行動に意識が向いたからなのか、それとも発見が遅れたのか突如として襲って来たのはクラッキングによるシステムの破壊だった。既にヒバリとフランが対応しているも、次々と襲いかかる攻撃は常に後手後手に回っている。

 画面のモニターからは見える光景はこれまで研究してきたオラクル制御装置の反応とは真逆の作用を起こしているのか、それは制御ではなく、寧ろ暴走させている様にも見える。レアは弥生から来た通信をそのままにただ茫然と見ている事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ブラッド、了解しました」

 

 会議室の混乱だけでなく、螺旋の樹の現場も先ほどのオラクル制御装置の影響からなのか、周囲の様子が徐々に変化しだしていた。既に先ほどまでの落ち着いた雰囲気は完全に消え去っている。そんな周囲の変化と同時に北斗の耳からはツバキからの指示が出ていた。

 

 

「どうしたんだ?」

 

「どうやら今回の作戦は失敗らしい。既にアナグラの端末は正体不明のクラッキングによってシステムがダウンしているらしい。それと作戦の最重要でもあるオラクル制御装置の一部が暴走している」

 

 ギルの言葉に北斗は冷静に答えていた。会議室の混乱を知っているのはこの場に於いてはブラッドだけ。そこから入る情報は今作戦のメインでもある会議室からではなく支部長室からだった。

 

 

「それって…」

 

「全員、第1級緊急配備!アラガミの襲撃に備えろ!」

 

 北斗の言葉に全員の意識は螺旋の樹内部へと切り替わる。既に空気が変わったのか螺旋の樹内部から発せられる雰囲気は何時もの戦場と大差なかった。

 

 

「今の音って…」

 

 螺旋の樹内部にはまだ神機兵が居るはず、このままでは拙いと思った瞬間だった。突如として機械が破壊される音と同時に、アラガミの雄叫びが聞こえて来る。既に内部にアラガミが侵入したのか、それとも螺旋の樹内部のアラガミがここまで来たのかを知る術は無かった。

 それと同時に、先ほどの咆哮に北斗とリヴィ以外の人間は聞き覚えが無かった。それが何であるのかを理解したのか、いち早くリヴィは螺旋の樹内部へと走り出していた。

 

 

「リヴィ!勝手に行くな!」

 

 北斗の制止を聞くつもりが無いのかリヴィはジュリウスの神機を携え、破壊音の発生元へと走り出す。制止するつもりが無い事を悟ったのか北斗達も改めてその先へと走り出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何、あのアラガミ」

 

 ナナの事は僅かに動揺が混じっていた。以前に北斗とリヴィが螺旋の樹の崩落の際に対峙したアラガミの様に思えたのは良かったが、ノルンで見た画像とはまた違っていた。

 色は鈍色だったはずが、どこか黄金を思わせるだけでなく、爪の部分も大幅に変化している。その時点で以前に討伐した種とは違う事は間違い無いだけでなく、その顔面も王冠を被った人面の様にも見えていた。

 

 

「ナナ、多分クロムガウェインの亜種の可能性が高い。かなりの火力を持っているから油断するな」

 

 ナナに言いながらも北斗は以前対峙したクロムガウェインの事を思い出していた。高機動から来る攻撃は一瞬にしてこちらの命を刈り取ろうとする攻撃に油断しないだけでなく、その姿を常時見ている必要がある。

 先ほどの破壊音の発生源とも取れるそれは、ついさっきまで機材を運搬していた神機兵だった物。既に見るも無残に残骸となって崩れ落ちていた。

 

 

「固まるのは危険だ。散開しつつ全方位からの攻撃だ!」

 

「了解!」

 

 北斗の指示によって全員がその場にとどまる事をせず一気に散開する。それに気がついたのかアラガミは改めて咆哮とも雄叫びとも付かない声を張り上げ北斗達の下へと移動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ!まさかラケルにしてやられたとは」

 

 ツバキは思わず憤る感情を隠す事無く口に出していた。フランからの極秘回線で送られた内容は今回の開闢作戦を睨んだ結果だったのか、それとも終末捕喰の結末をあらかじめ知っていたのかと思わせる内容だった。

 既にこの地に居ないだけでなく災いの種を残し、それが芽吹くまで一切の行動を起こさない。水面下で起こっていた事実は人知れずその結果をもたらしていた。

 先ほどの言葉はツバキだけでなく無明もまた同じ様に考えた一人でもあった。

 

 

「ツバキさん。今はそんな事よりも今後のリカバリーを優先するしかない。どうやらブラッドが螺旋の樹内部に発生したアラガミと交戦しているが、万が一の事もある。既に討伐を終えた部隊だけでなく、今後出発するであろう部隊も一旦は襲撃に備えるしかない。他の部隊の出撃準備を取りやめてくれ」

 

「分かった。真壁、これから出る部隊の出動は一時凍結しろ!それと同時に帰投する部隊に関しては第1級緊急配備を通告。装備の解除はさせるな!それとクレイドルの即時帰還を要請。至急だ!」

 

《了解しました。既に殆どの部隊は帰投、若しくは出撃の凍結を行っています。帰投する部隊に関しては既に70%は帰投済みです》

 

 通信の向こう側でも慌ただしい事は時折漏れるノイズから察する事は可能だった。従来の様にアラガミの襲撃であれば時間は稼げるが、生憎と螺旋の樹はアナグラからもかなり近い。ツバキは次々と指示を出しながらも様子を伺っていた。

 

 

《こちらリンドウ。何があった?》

 

「ラケルにしてやられた。今はブラッドが対応しているが、恐らくは以前に討伐したクロムガウェインの亜種の可能性が高い。既にブラッドは交戦中だ。あとどれ位かかる?」

 

 リンドウからの通信に答えたのはツバキではなく無明だった。説明をする程の余裕は既に無い。冷静にはなっているからなのか、それとも既に詳細は伝わっているのか、リンドウも余分な言葉を発する事は無かった。

 

 

《今、全力で飛ばしてるが、30…いや20分はかかる》

 

「そうか。俺も装備して待機する」

 

《なあ、大丈夫なのか?》

 

「すまんが現時点で分かっている情報は殆ど無い。螺旋の樹内部にはセンサーが無い以上、至近距離からのアラガミの襲撃は警戒せざるを得ないだろう。先ほどのクロムガウェインの亜種に関してもブラッドからの報告が全てだ」

 

 無明の判断にリンドウはそれ以上の言葉が出てこなかった。第1級緊急配備だけでなく無明自身が神機を装備する意味をリンドウが一番よく理解している。それがもたらす物が何なのかを知らない訳では無い。今出来る事は限られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ついにやってしまった」

 

 神機兵βに登場していた九条は人知れず狂喜していた。憧れと懸想を抱いたラケルからの映像は九条を狂気へと変えるには十分すぎていた。

 レアが僅かに席を離れた瞬間、オラクル制御装置のプログラムを書き換えるだけでなく、万が一の際にそれが確実に行われる様に時限式のウイルスもフライアの端末から直接侵入させている。既に神機兵の通信を切っている以上、現状を把握する術は何処にも無かった。

 今の九条を支えているのはラケルを慕う妄信的な感情だけ。既に神機兵を乗り捨てたのか九条は自分の足で螺旋の樹内部を走っていた。

 

 

「やはり貴女はこの螺旋の樹の内部で……」

 

 何かを感じ取ったのか、周囲には何も存在していないはずの場所で九条は一人呟く様に言葉を漏らしていた。

 

 

「九条博士。私の願いを聞き入れて下さって有難うございます」

 

「ラケル博士…」

 

 突如として現れたラケルに九条は足を止めていた。どれほど歩いたのか分からない程に疲弊した身体に力が漲る。気が付けば九条はラケルに対し跪く様な形で身体を寄せていた。

 

 

「貴方のお蔭で…こうやって形を成す事が出来ました…」

 

 ラケルの笑顔に九条は自分の事すら忘れたのか、その笑みに意識を奪われていた。それを理解したからなのか、ラケルは九条の頬を撫でるかの様にゆっくりと両手を顔に添えていた。

 

 

「九条博士。私も実は不思議な程に貴方に執着があったんです……これからは…ずっと私と共に歩んで行きましょう」

 

「ラ…ケル…博…士」

 

 菩薩の様な笑みと頬の添えられたラケルの手により九条は完全に自分の意志を失っていた。それが何を意味するのかは分からない。今の九条にとってラケルの言葉は絶大だった。

 

 

「そう……私の中でずっと……」

 

 その瞬間、九条の身体は黒い蝶に囲まれる。それが何を意味するのか、黒い蝶が消え去った後には車椅子から立ち上がるラケルの姿だけが残されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジュリウス。どうして貴方は未だに抗うのですか?」

 

 未だアラガミと戦っていたジュリウスの下に来たのは以前に感応現象で繋がった北斗ではなくラケルだった。突如現れた事に驚きはあるが、既にジュリウスの中では以前の様なラケルに対する感情は無くなっていた。

 相対するその存在は既に人間ではない。こちらに向かってくるアラガミに意識を向けながらもジュリウスはラケルに対し警戒を続けていた。

 

 

「ラケル!貴様がやった事は人類にとって許されない事だ。何を今さら言っている!」

 

「ジュリウス。少し私の考えを知って貰った方が良いでしょう。ほら……」

 

 突如として先ほどまでの光景が一気に暗闇へと塗り替えられる。目には見えないが何かに囲まれている事だけは察知していた。気が付けば既に禍々しい何かがジュリウスを囲んでいる。

 現時点で抵抗する術は今のジュリウスには存在していなかった。

 

 

 



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番外編 18 コウタの想い 後編

「そんな噂があったんですか。私もそれに関しては聞いてませんね」

 

 何気に無いラウンジのやりとりが終わる頃、エイジは今回の件でアリサと夕飯を食べながら話をしていた。ラウンジではエイジが作るも、自分達の部屋ではアリサが作る事がここ最近は多く、またそれに伴い料理の腕も以前よりは少しづつ上達していた。

 

 

「多分、願望もあるとは思うんだけどね。でも、あながち間違いとも言い切れないのもまた事実なんだよ」

 

「確かにそう言われればそうですね」

 

 事実上の部隊編成の際に、いくつか実験的に投入されていると思われる編成がある事をエイジだけなくアリサも知っていた。情報管理局が来てからはブラッドは常時別任務に就いている事が全ての発端となっていた。

 そんな中で、今回准尉でもあるマルグリットを部隊長に、エリナを加えた不特定多数の編成をこれまでに何度も見てきていたのが根拠だった。

 

 

「でも、今はそんな事をしている暇なんて無いんじゃ」

 

「でも、今回の作戦が終わった際に実績が出来てれば、それもある意味考える事が出来るのもまた事実だよ。事実、人数は増えても部隊運営まで出来る人間はそう居ないからね」

 

 エイジの言葉にアリサは否定出来なかった。今は一時的に情報の管理の為に新人を入れる数を減らしているが、今後はどうなるのかは未だ未知数。教導に関しても卒業した人数と入ってくる人数が同じなだけに、今後の展開を読める人間は誰もいなかった。

 

 

「しかし、ラウンジでマルグリットの名前が出たのは驚いたよ。まさかとは思ったんだけどね」

 

「暫くはそのままにしておくんじゃ無かったんですか?」

 

 今回の蛇足とばかりに出た話はエイジ自身が経験した内容と大差無かった。既に結婚した今ではそんな話は以前ほど聞く事はない。まさかコウタまでもが同じ道を辿るなんて思ってもなかったのか、思わず笑みがこぼれていた。

 

 

「いや。ただ懐かしいと思ってね」

 

「…その言葉はそっくりそのまま返します」

 

 エイジだけでなくアリサも同じ事を考えたのか、当時の状況を思い出すだけでも苦い思い出なのは変わらなかった。当時は恋人同士にも関わらず、そんな話が幾つも出れば流石に意識せざるをえなくなる。それがどれほど嫉妬心に駆られる結果となったのかはお互いが口に出すまでも無かった。

 

 

「でも、コウタは気が付いてないかもしれないけど、マルグリットって兄様が詳細を伝えてから指輪を外してる事気が付いてるのかな?」

 

「エイジも気が付いてたんですか?実はこの前ヒバリさんとリッカさんと話した時にその話も出たんですよ。多分コウタは気が付いてないだろうって」

 

 ネモス・ディアナで会った時は左の薬指に指輪がはまっていた記憶はアリサにもあった。しかし、ブラッドの終末捕喰事件以降、事実を聞いてからマルグリットはそれまではめていた指輪は外していた。

 実際に本人に確認した訳ではなかったが、以前の様な危うい雰囲気は既に無くなっている。屋敷の教導の際には既にそんな事すら無いのがまだ記憶に新しかった。

 

 

「コウタもさっさと言えば良いんですけどね。皆、気にしてますよ」

 

「確かに……でも今回の話が出れば少しは考えるんじゃないかな」

 

 屋敷で作った味付けはコウタだけが違うのはエイジとアリサしか知らない。同じレシピでもその人間の味覚と嗜好が基本である以上、同じ物にはならない。

 コウタの食事だけ違う事もあってか、本人の口から聞いていないが作る側からすれば確信できる部分は多分に存在している。

 本当の事を言えば、コウタが非番の際に渡したシュークリームもエイジが作った訳では無かった。

 いつ気が付くのかを見ている側からすれば、やはりもどかしいのもまた事実だった。

 

 

「そう言えば話は変わりますが、エイジって案外と女の子の事をよく見てますよね」

 

「どうしたの急に?」

 

「何でもありませんよ」

 

 そう言いながらもアリサの目は何かを語っている。先ほどの会話のどこに地雷があったのかは分からないが、既に弁解をする余地はどこにも無かった。

 

 

「今後の為にちょっとマーキングした方が良さそうですね」

 

「……じゃあ、こっちもそうしようかな」

 

 お互いが何か思う事があったのか、それ以上の言葉が出る事は無かった。いつもより早めに消えた照明がそれ以上何かを詮索させる事を阻んでいる様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、コウタ。どうかしたんですか?」

 

「なんで?何もないけど」

 

 以前に見た夢なのか、それとも既視感がそうさせるのか、コウタはこの光景を少しだけうんざりした様子で見ていた。既にミッションが終わり、エリナとエミールは回収の為の探索でこの場にはおらず、結果的にコウタはマルグリットと2人きりとなっていた。

 

 

「何だか最近、心ここにあらずって感じなので。勿論ミッションではそんな事は感じませんけど」

 

「そう?気がつかなかった」

 

「ひょっとしてノゾミちゃんと何かあったんですか?」

 

 ここ最近のコウタの様子がおかしい事はマルグリットも気が付いていた。確かにミッション中は何時もと変わらない指揮で部隊は無傷で終了している。しかし、帰投の隙間の時間になるとどこかボンヤリとした表情をする事が多くなっていた。

 

 

「ノゾミは関係ないよ。ちょっと違う事でね……」

 

「私でよかったら相談に乗りますよ。だって副隊長ですし」

 

 何気に笑顔で話すマルグリットを見るとコウタは心の中に黒い何かが溢れだしていた。

 それが何なのかは分からないが、良い物でない事位は直ぐに分かる。今口を開こうとしたら何を言い出すのか分からない状況にコウタは苛立ちを感じていた。

 

 

「それは関係無いから!」

 

 突然の張り上げた声にマルグリットだけでなくコウタ自身も驚いていた。なぜこんな衝動に駆られるのか分からない。既に結論は出ているのかもしれないが、それを口に出せば戻れなくなる事だけは間違いなかった。

 

 

「何よ。私にも言えない事?」

 

「そんなんじゃない。ただ……」

 

「……ただ?」

 

 コウタが今考えている事はマルグリットには全く関係無い事だった。自身の持つ黒い何かは間違い無く嫉妬心。いくら夢だと分かっても、第1部隊に配属される以前の事をコウタは知っている。

 当時の状況に既に戻れない事も自分が一番良く知っている。だからこそ、それ以上の事は言いたく無かった。しかし、そんな心情が伝わる事はどこにも無い。コウタの抱えている考え事はまるで無関係だとばかりにマルグリットは口を開いていた。

 

 

「分かった。言いたくないなら言わなくても良いよ。でも、これだけは言わせて。私はコウタのそんな表情は見たく無いの。いつもみたいに笑顔が見たいの」

 

 その言葉にコウタはまともにマルグリットの顔を見た気がしていた。両目からはキラリと光る物が見える。既に隠すつもりがないのか、マルグリットは頬に伝うそれを拭おうとはしていなかった。

 

 

「コウタが何をそんなに考えてるかは分からない。私の事が嫌なら嫌って言ってよ。そうしたらもう顔を見せるつもりは……無いから」

 

 まだヘリが来ない状況でこの場を離れるのは自殺行為に近い。現時点でアラガミの気配はなくても時間が来ればどこかで発生する可能性が高く、また今いる場所はこれまでの調査の結果、中型種よりも大型種の発生が高い場所でもあった。

 何を思ったのかマルグリットはその場から走り出そうとしている。まさにその瞬間だった。

 

 

《すみません。想定外のアラガミがあと30秒で侵入します。エリナさんとエミールさんも侵入したアラガミと現在交戦中です》

 

 2人の通信機にフランの言葉が飛び込んできたと同時に既に目視出来るそれはハガンコンゴウだった。これまでにも散々討伐した種である事に変わりない。いつもの第1部隊であれば2人でも何も問題はず。それがいつもの状況であればが前提だった。

 

 マルグリットが前衛で、コウタが後衛で動くのはこの部隊編成になってから割と早い頃だった。元々遠距離型のコウタは指揮をしながら戦闘をするが、アラガミが接近すると神機の特性上、厳しくなる。エミールやエリナはいるものの、フォローを任せるとなれば荷が重いのは間違いない事から自然とそんな体制を取っていた。

 目の前のハガンコウンゴウは1体しかおらず、普段通りであれば苦戦するはずが無い相手。しかし、先ほどのメンタルの状況から考えれば果たして本当に問題無いのかと思える内容だった。

 明らかに動きにキレがなく、ハガンコウンゴウの攻撃を完全に殺しきれないのか、マルグリットはコウタの援護も空しく劣勢に追い込まれる。既に殆どの部位は結合崩壊を起こすも、未だ倒れる気配は皆無だった。

 

 

「マルグリット!」

 

 時間にして僅か数秒。コウタの視界にはマルグリットが空中に弾き飛ばれた光景が広がっていた。防御したと思われた盾のジョイントが破壊された事でローリング攻撃をまともに受ける。既に気が付いたコウタは回復弾を放つ事で最悪の事態だけは免れていた。

 その後どうやって倒したのかコウタは記憶に無かった。アサルトとは言え遠距離型ではオラクルの欠乏の可能性を常に考慮する必要があったが、今のコウタはそんな事すら考える暇が無い。全弾を一気に撃ち尽くす頃、漸くハガンコンゴウが地に沈んだ事を理解していた。

 

 

「大丈夫か!しっかりしろよ!」

 

「私のせいですよね。コウタには迷惑ばかりかけてますね」

 

 横たわるマルグリットはどこか弱々しいままだった。命に別状は無いが、露出した二の腕の部分には明らかに打撲を受けたと思われる痕が残っている。見える部分でこれであれば、他の部分も明らかに軽症とは言えない程度のダメージは負っているのが予測出来ていた。

 既に帰投用のヘリが近寄っている事は知っている以上、今のコウタに出来る事は無かった。

 

「そんな事ない。俺がどれだけ助けられていると思ってるんだ。感謝こそするけど嫌になんてならない」

 

「でも、ここ最近私の事、避けてましたよね」

 

 マルグリットはの言葉にコウタの背筋は寒くなっていた。あの夢を見てからどうやって接すれば良いのかコウタには判断出来なかった。色々と考えてはみたものの、やはりそれ以上の事となれば二の足を踏む。そんなギクシャクした雰囲気をマルグリットも感じていた。

 

 

「違うんだ」

 

 その瞬間コウタの目に飛び込んだのはマルグリットの手だった。優しくコウタの頬を包むそれは命が消える事が無い意思表示。少しでも安心させようとした配慮だった。

 

 

「良いの。私がしたいだけだから」

 

 既に左手の薬指にあったはずの指輪の跡は随分と前に消え去っていた。コウタが知っているマルグリットの指には指輪があったはず。今になってようやく外していた事に気が付いていた。

 

 

「指輪してたんじゃ……」

 

「随分と前の話だよ。今になって気が付いたの?」

 

「ゴメン。気が付かなかった」

 

「以外と鈍感なんですね」

 

「あのさ……マルグリットはまだギースの事を想ってるとばかり思ってた」

 

 マルグリットの顔を見たからなのか、コウタは不意に漏れた言葉に内心焦り出していた。

 態々こんな状態で自分の心情を吐露した所で何も良い事は無いはず。それこそドン引きされるのではとの考えが脳裏を過る。しかし、今のマルグリットの顔を見ればそんな事は些細な事だと思い出したのか、コウタはこれを気に自身の気持ちをゆっくりと吐き出していた。

 

 

「前にも言ったよ。もう踏ん切りはついたって」

 

「でも俺、怖かったんだ。いつか傍から離れるんじゃないかって。だったら俺は自分の気持ちを言うべきじゃないって」

 

 コウタの言葉を受け止めるかの様にマルグリットは笑みを浮かべコウタの頬をやさしくなでる。その行為はそのままコウタの言葉を促している様にも見えていた。

 

 

「でも、この前ギースと隣に立っているマルグリットの夢を見て、俺は何もできないんだって思ったから…何も言ってないって思ったから…」

 

 既にコウタの言葉には語尾が途切れている。それが何を意味するのかを見ている人間はこの場にはいなかった。

 

 

「好きなんだ。どこにも行かないでくれ」

 

「私も好きよコウタ。でも後でもう一度聞かせてくれない?少し疲れちゃったから」

 

 既に帰投のヘリはローター音を響かせ現地へと降り立っていた。急遽の討伐によってマルグリットはアナグラ到着後、すぐさま医務室へと運ばれる結果となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?ここは」

 

 マルグリットが目を覚ますとそこは医務室だった。既に報告が完了ているのか、気が付けばマルグリットの左腕には点滴がされていた。

 

 

「大変でしたけど、無事でなによりです」

 

 マルグリットの言葉に返事したのは予想外のヒバリの声だった。その隣にはエリナとリッカも椅子に座っている。既に気が付けば外は夕闇がせまりつつある時間となっていた。

 どれ程の時間が経過したのか分からないが、こうやって集まった顔を見ていると何だか申し訳ないと思えて来ていた。しかし、よく見れば全員が心配している様にも見えない。その疑問の答えははフランの口から出ていた。

 

 

「あの…大変申し訳ありません。あの会話なんですが、実はオープンチャンネルになってまして……」

 

「オープン…チャンネル……」

 

 フランの謝罪と同時に聞こえた言葉にマルグリットはそれ以上の思考が停止していた。

 あの会話は間違い無くコウタとの会話。本来であればオープンチャンネルになるはずが無いと思っていたが、一つだけ例外があった。

 

 極東のルールではミッション中の緊急事態の際には無線は全てオープンチャンネルに自動的に切り替わり、付近の部隊が援護に向かう仕様となっていた。結果的には討伐できたものの、その設定はヘリに回収されるまで続いている。臨時とは言え、部隊長になった際に聞かされた内容ではあったが、そんな事は失念していた。

 それを思い出したのか、マルグリットの顔はミルミルと赤くなっていく。その行動が全てを物語っていた。

 

 

「あの、心配には及びませんよ。オープンチャンネルと行っても全部隊じゃありませんから。近隣の部隊が対象なので」

 

「…ちなみにその部隊って」

 

「クレイドルの皆さんと第4部隊の混成チームです」

 

 事実上の身内並に近い部隊ばかりだったからなのか、それとも近すぎるかからなのか、それ以上言葉が出る事はなかった。幾らなんでも公開では少しどころかかなり恥ずかしい。今のマルグリットは自室に逃げる事すら許されていない。今出来る事は現状を確認する事だけだった。

 

 

「コウタ隊長の事なら大丈夫ですよ。もう逃げない様に捕獲してありますから」

 

「ははは……そう」

 

 笑顔のエリナの言葉にマルグリットは渇いた笑いを出す事しか出来ない。既に外にはエイジとコウタの声が聞こえているのか退路は既に断たれていた。

 

 

「じゃあ、私達はまだ仕事が有りますので」

 

「あ、は、はい。分かりました」

 

ヒバリ達と入れ替わりにコウタが入ってくる。既に何かを言われたのか顔は赤く染めあがっていた。

 

 




「へ~コウタもついにね」

「まさかオープンチャンネルの公開告白だとは思わなかったがな」

 緊急ミッションの通信を聞いていたのはリンドウだった。元々クレイドル自体が旧第1部隊のメンバーで構成されているだけでなく、マルグリットは屋敷でも教導の一部をこなしている事を妻のサクヤも知っている。最初に見た際には少し陰があると思ったからなのか、暫くの間は機会があれば声をかける事も時折あった。


「でも、まあ良かったんじゃないの?彼女は何だかんだと色々と出来るみたいだし、今なら多分アリサよりも出来るんじゃない?」

「その件に関しては俺は知らないがな。でもアナグラでも人気はあるのは耳にしてたからこれで多少は落ち着くんじゃないか?」

 久しぶりの晩酌にリンドウはビールをあおる様に飲んでいるからなのか、何時もよりも若干饒舌になっていた。あの時点でオープンチャンネルになっているのであれば、部隊だけでなく、ロビーにも聞こえている事になる。
 事実上の公開告白とも取れるそれをその場にいた人間が何も言わない保証はどこにもない。そんな事をリンドウは珍しく考えていた。


「でも、私達の頃よりは格段に良くなっているのかもしれないわね」

「そうだな…実際に姉上がやっている教導を始めとして何かとミッションのフォローも入るからな。少なくともここ3年の間生存率は格段の向上しているしな」

 当時の事を考えていたのかリンドウは珍しく物思いにふけっていた。今では良い思い出となっているのか、ヨハネスが画策した計画の瓦解から既にかなりの時間が経過している。
 当時の教訓を活かしたからこそ現在の体制になっているのは間違い無かった。事実、その発端となった内容は完全に極秘となっている事から、今では当時の真実を知る者は極少数となっていた。

「あとはソーマね」

「何だ?サクヤもアリサ達と同じなのか?」

 サクヤの言葉にこれまでコウタとマルグリットの件で何かとやっている事を知っているリンドウからすれば、今のサクヤの笑みは何かを企んでいる様にも見える。自分に害が無ければ問題無いが、最悪はトバッチリが来る事だけは避けたいと感じていた。


「でも、ソーマは何か思う部分もあるかもね」

「あのなあ……」

「あら?レンもここ最近は手がかからなくなってきたんだし、私もそろそろ自分の時間を有効活用しようかと思っただけなんだけど」

 母親の顔ではなく、一人の女としての顔にリンドウはそれ以上の言葉をかけるのを止めていた。元々サクヤは退役した訳では無く、産休扱いとなっている。既にレンがここまであれば自分の時間にゆとりがあるのは想定内の事でもあった。


「何でも良いが、程々にしてくれよ」

「分かってるわよ」

 笑顔でリンドウの肩を叩きながらサクヤは笑顔を崩す事は無かった。




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第228話 総力戦

 開闢作戦の本部となった会議室は重苦しい空気に包まれていた。既に螺旋の樹内部の状況を確認する術はブラッドから来る通信だけが頼りとなっている。現時点でこれ以上の手だては何も出てこなかった。

 既に職員の人払いを完全に済ませたのか、現時点で会議室にいるのはフェルドマン、レア、榊、ツバキ、紫藤の5人だけだった。

 

 

「まさか……」

 

 レアは今回の映像を見せられた事により言葉を失っていた。フランが偶然見つけたデータの内容は九条宛のビデオメッセージ。内容を公開すると同時に、添付されたファイルデータにレアはそれ以上の言葉を出す事が出来なかった。

 既に榊達はこの内容を把握すると同時にアナグラでの組織編成を展開している。現時点でどれ程の状況なのかを態々口にする必要はどこにも無かった。

 

 

「これは今後の可能性も秘めているが、現時点で螺旋の樹からアラガミが出没してるだけでなく、螺旋の樹周辺部のアラガミもそれに呼応している様な反応が多数ある。我々としては既に第1級緊急配備を通達している」

 

 紫藤の言葉にフェルドマンは口を閉ざしたまま腕を組み、告げられる事実だけを聞いていた。既にアラガミが螺旋の樹内部で新種として交戦中なのはリヴィからの報告で知っている。しかし、現時点ではそこから先の報告が無い以上、今はただ静観している事しか出来なかった。

 

 

「フェルドマン局長。我々としても不本意ながら今回の状況に関しては既に当事者だ。現場の指揮統制に関しては我々が采配する事になるが、異議はあるかい?」

 

「いえ。現時点を持ってこの開闢作戦は失敗。対アラガミ討伐に関しては我々も極東支部の傘下に入ります」

 

 榊の言葉にフェルドマンが口を開いたのはこの事実だけだった。今回の作戦に限らず本部の直轄の部隊が仮に居たとしても組織を維持出来る程生き残れる可能性が無い事をフェルドマンが一番理解している。

 事実、これまでの接触禁忌種を派兵と称してエイジとリンドウが討伐して以降、稀に出た際には1個小隊レベルのミッションでも生還率は3割を切っている。それを僅か2人でこなしている時点で戦力差は絶望的に開いているのを知っているからこそ、何も言う事が出来ないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思ったよりも厄介ですね」

 

「ああ、全くだ」

 

 シエルとギルの言葉が現状を表していた。北斗とリヴィは確かに一度交戦している為に、以前の様に窮地に陥る可能性は高くは無かった。しかし、シエルやギル、ナナに関しては事実今回が初めての交戦である事が影響したのか、疲労感は通常以上に感じていた。

 亜種である以上、ある程度の攻撃方法は似通っているが、個体ごとに攻撃は微妙に異なる。事実上の初見では無いとは言え、一度はクロムガウェインと交戦した北斗とリヴィも同じ様な部分があった。

 

 

「でも、結合崩壊も起きてるんだし、そろそろじゃないの?」

 

「そうですね。直覚の能力だけではないですが、それなりにダメージを与えているのもまた事実です。どの程度と考えるよりも、目の前の事だけに集中した方が恐らくは効率が良いと思います」

 

 無線でのやりとりではあるものの、シエルの能力は全員に今のアラガミのバイタルデータを送り続けている。何時もであればアナグラからもアラガミの状態が通知されるが、現時点では障害が起きているのか、通信そのものにノイズが入り詳細までは分からないままが続いていた。

 そんなシエルの言葉に全員が改めてアラガミに視線を向け直す。既に結合崩壊を起こした部分を積極的に攻撃した事も影響したのか、目の前のアラガミは当初の勢いは既に無くなっていた。

 そんな中で北斗はこのアラガミに違和感を感じていた。亜種である以上、何らかの違いがあるのは間違い無いが、それが何なのかが分からない。一点だけを集中的に見たのであれば気が付かなかったが、そのアラガミの爪周辺は以前に対峙したそれとは大きく異なっていた。

 

 

「シエル、あのアラガミの爪の部分だが、何だか神機の盾みたいに見えないか?」

 

「…確かに言われてみれば……そうですね」

 

「まさかとは思うけど、神機も吸収してるんじゃないのか?」

 

 北斗の言葉にシエルだけでなくギルやナナも改めてそのアラガミを注目していた。

 北斗が言う様に、爪の部分は盾の様に見えなくもない。仮にそれが事実だとすれば今後は他のアラガミも神機を捕喰する可能性が高くなる。対アラガミの兵器が人類に牙を向くには些か飛躍した様な気持ちになるが、完全に否定出来る物でも無かった。

 時間の経過と共に目の前のアラガミの動きが徐々に鈍くなる。事前に指示した様に、このアラガミの行動と攻撃の能力は警戒する必要があった事から、全員が一か所に固まる事は無い事が良い結果を生んでいた。バラバラであれば誰かを攻撃する間に、他のメンバーの攻撃が一方的に入る。程なくして大きな巨体は全身を血塗れにしながら地に沈む事となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れさん。どうやらアラガミの討伐は完了したみたいだな」

 

「ええ。以前に対峙したクロムガウェインの亜種だったんで、被害も無かったんですけど……何だかロビー全体が殺気だってませんか?」

 

 螺旋の樹内部のアラガミを討伐したブラッドを迎えたのはコウタだった。開闢作戦が開始される以前とはアナグラのロビーの雰囲気はまるで別物だと思える程に変貌していた。

 既にここに来るまでに第1級緊急配備が敷かれている事は聞いていたが、まさかここまでと思わなかったのか、北斗だけでなく、他のメンバーを少し落ち着かないままだった。

 

 

「北斗も知っての通り、今は第1級緊急配備が敷かれています。既にアラガミの大群がアナグラに向けて移動してるようですが、その発生源が螺旋の樹らしいので」

 

 北斗の疑問に答えたアリサの言葉にブラッド全員はそれ以上の事は何も言えなかった。

 自分達がアラガミと交戦している間に囲まれているとなれば、明らかに何かの力が働いている様にも見えていた。既に螺旋の樹は開闢作戦の際に取り付けられたオラクル制御装置の暴走により、以前よりも汚染度が進行している。

 ついさっきまでは作戦の成功を考えていたはずが、一転してのこの結果に各々の思考が追い付いていなかった。

 

 

「すみませんが、ブラッドの皆さんは会議室に来て欲しいと先ほどフェルドマン局長から話がありました。現時点ではここも緊急事態となっています。至急出頭をお願いします」

 

 ヒバリの言葉も何時もとは違った緊張感であふれていた。恐らくは今回の作戦の結果なのか、それとも今後の作戦に対する対処なのか現時点では何も判断出来ないまま。今はただ会議室へ向かう事を優先させていた。

 

 

「ブラッド隊入ります」

 

 北斗達が会議室に入ると、そこには以前の様に情報管理局の人間だけでなく、榊、ツバキ、紫藤の3人も同席していた。既に事態の把握が完了しているのか、目の前の電光掲示板には極東支部を中心としたアラガミ反応を示したレーダー画面が表示されている。

 極東の上層部は何時もと変わらないが、情報管理局員の表情はどこか青ざめていた。

 

「突然呼び出してすまない。実は今回の作戦の際に起きた一連の流れの中で我々も想定していない事態に陥った。既に知っての通りだが、今回の開闢作戦に於いて重篤な瑕疵があった事から、事態は以前よりも悪化している。後ろの画面を見れば分かるとは思うが、螺旋の樹の汚染により大量のアラガミが発生していると思われている。既に周辺にいたアラガミも巻き込んだ戦いになるが、君達にはその中でも一層過酷な任務になるだろう」

 

 改めて見るアラガミのレーダーは既に極東支部と螺旋の樹を中心に囲まれていた。以前にもあったマガツキュウビの際にも厳しい戦いがあったが、今回のそれは明らかにそれ以上となっている。画面全体の倍率を近距離にすれば、既に画面はアラガミの表示で真っ赤に染まっていた。

 

 

「フェルドマン。命令を出すだけではブラッドも動くには厳しいだろう。ここは今回の顛末を話した方が良いのでは?」

 

 フェルドマンの言葉を遮る様に言ったのは紫藤だった。既に第1級緊急配備の統制によってアナグラには事実上の全戦力が揃っている。先ほどのコウタとアリサの言葉が示す様に、ロビーでは何時もと違う雰囲気が漂っている事から既に事態は緊急を要していた。

 

 

「今回の件なんだが、先ほどのフェルドマン局長が言った瑕疵は九条博士が乗った神機兵βの件と、それに伴うシステムのハッキングが全ての原因なんだ。実際に我々も気が付いたのは作戦が開始された直後だったからね」

 

 フェルドマンの代わりに口を開いたのは榊だった。クロムガウェインの亜種との前に入った通信は会議室ではなく支部長室。その時点で何となく察しはついたが、この場で話した事によって推測が事実へと変わっていた。

 

 

「螺旋の樹の汚染が確認された時点で、ここは第1級緊急配備になった。指揮権は既に極東支部へと移管している。本来であればクレイドルをぶつけたい所なんだが、防衛班、第1、第4部隊をアナグラの守備に配置せざるを得ない。

 本作戦に於いては既に時間の猶予は微塵も無い。ブラッドの諸君にはすまないが、汚染された螺旋の樹までの侵入経路の確保が最重要任務となる。今回戦ったのと同じ系統のアラガミが出没した際にはそのまま討伐してほしい」

 

 ツバキの言葉に誰もが異議を唱える事はなかった。単純な戦力差だけで言えばツバキの言う様にクレイドルでチームを組んだ方が新種の討伐や探索は格段に上となっている。しかし、アラガミが極東支部全体を囲んでいる以上、クレイドルの任務はここの防衛が第一。既に先ほど話をしていたアリサやコウタだけでなく、エイジとリンドウ、ソーマもそれぞれの防衛拠点となる場所へと移動している。

 一騎当千の戦力を防衛に使う以上、今はその任務にブラッドが当たるのは当然の結果だった。

 

 

「今回の作戦の顛末は完全に我々の落ち度だ。君達にその尻拭いをしてもらうのは済まないとは思っている。だが、先ほどの戦いに於いてやれない訳では無い事を証明したのもまた事実だ。過酷な戦いになる事は分かっているが……すまないが宜しく頼む。それとリヴィ、君もブラッドと一緒に行動してくれ」

 

 事実上の謝罪に北斗達は少しだけ驚いていた。以前にあった素人発言からしても情報管理局が今回のミスを認めるとは思ってもおらず、上からの物言いだとばかり思っていた。

 しかし、作戦の結果が既に出た以上、幾ら取り繕ったとて何も変わる訳では無い。今はただ目の前のアラガミを屠るのみだと、これまでの事を一旦リセットし改めて今回の作戦を確認する事にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しっかし凄い数だね。本当に大丈夫なのかな」

 

「クレイドルの皆さんであれば大丈夫だと思います。以前の様なマガツキュウビが居れば話は変わりますが、見た所中型種をメインに一団が形成されている様ですから」

 

 螺旋の樹に向かうにあたって、これまでの様に地上の移動ではなくヘリによる空中からの突入が立案されていた。既に上空から見えるアラガミの集団は極東支部へと移動している。

 事前にレーダーで確認しているものの、自分の目で見た光景は想像を絶する内容となっていた。既に目測で極東支部までは3キロを切っている。全部が一気に囲むのではなく、地形的な物を利用しているのか、それぞれの動きが一部の場所から流入している様にも見えていた。

 

 

「こうやって見るとクレイドルの戦闘の力は尋常じゃないな。あの一点で殆どシャットアウトされてるぞ」

 

 ギルの差した方向を見ると、一部のアラガミの動きが狭くなった箇所で止まっていた。既に配置された地形からアラガミの流れをコントロールし、一定以上の侵入を防いでいる。幾つか討伐漏れはあるものの、それでも広い部分から狭い部分に差し掛かると同時にその流れは遮断されていた。

 

 

「多分、リンドウさんとエイジさんの所だろうな。以前のクロムガウェインの討伐で見た際には剣閃しか見えなかった」

 

 初めて対峙した際に重症を負ったアラガミは北斗の中でも忌々しい結果をもたらしたと思っているからなのか、それともあの剣閃を見たからなのか、一番の印象が残っていた。それまでにダメージを与えていた事は事実だが、あの時点で一撃で屠れるかと言えば北斗は首を縦に振る事は出来ない。

 事実上の最高戦力は未だ到達するには高いまま。見える頂きを垣間見た事によって北斗自身が自分の実力を理解していた。

 

 

「クレイドルの事もですが、我々もこれから神融種との戦いの可能性が高いです。気を引き締めるに越した事はありません」

 

 出動の際にフェルドマンから今回対峙したアラガミの種別が伝えられていた。汚染された螺旋の樹から生まれたのか、ゴッドイーターが使用する神機をも融合させたアラガミの出現は衝撃的だった。既にフェルドマンの口からは今回対峙した新種は神融種と名付けられていた。

 人類に残されたはずの刃が間接的にこちらへと向けられる。既に聞いた内容を理解したからなのか、シエルの言葉に全員の意識は螺旋の樹へと向けられていた。

 

 

「そうだよね。リヴィちゃんもいるし、私達も頑張ろう」

 

「そうだな…油断だけはしない様にしないとな。後々大変な事になり兼ねないのもまた事実だ」

 

「まずは侵入経路の確保。話はそれからだ」

 

《ブラッド隊。そろそろ螺旋の樹周辺部に到着します。今回は私が皆さんのサポートを任されました。厳しい戦いになるとは思いますが、どうかご武運を》

 

 到着を知らせるフランの声に全員の意識は改めて螺旋の樹へと向かう。露払いも何もなく、侵入経路の確保となれば間違い無くアラガミの数は尋常では無いはず。既に防衛戦が開始されている極東支部の事は一先ず意識の向こうへと追いやる。戦いの幕が切って落とされようとしていた。

 

 

 



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第229話 生存の危機

 螺旋の樹から押し寄せるアラガミの数は尋常では無かった。一部狭窄した場所に追い込んだ事で、アラガミの数を抑制しながら各々が刃を振るい続けている。既にどれほどのアラガミを屠ったのか数える事すらやっていなかった。

 

 

「こちらエイジ。リンドウさん、そっちはどうですか?」

 

《こっちも何とか片が付きそうだ》

 

 既に第一陣の波が引いたのか、エイジの視界にアラガミは映っていなかった。事実、狭窄した場所に誘導出来たのは偶然以外の何物でもなかった。

 念の為にアラガミを引き寄せる集合フェロモンを使用したが、何かに操られていると錯覚するアラガミの行動に効果があるのかは一種の賭けだった。螺旋の樹から割と距離があった事からこれまでの任務と同じ様に神機を振るう。既に純白の制服はアラガミの返り血でベッタリと汚れていた。

 

 

《西部方面は既にアラガミの気配は感じられない。あと3分で防衛班の一部隊が到着する。あとはそいつらに引き継いで次の場所へ向かってくれ》

 

 耳から聞こえるツバキの声にはほんの僅かに安堵が感じられていた。既に大型種だけでなく中型種の大半は霧散している。どれ程の時間が経過したのかすら考える事を放棄していたからなのか、空に見える太陽は既にそれなりの時間を経過している事を示す様だった。

 

 

「何だ……俺の任務はお前の残飯処理か?」

 

 エイジの背後から聞こえたのは防衛班所属のカレルだった。時間には正確だったからなのか、未だ残っているアラガミが横たわった姿を見た事で、自分のやるべき事が言外に無いと言っている様だった。

 

 

「いえ。ここはカレルさんの部隊に任せる様にとツバキ教官から指示がありました。多分ここが螺旋の樹から一番遠いからかのか、アラガミの様子は何時もと変わらないです」

 

「そうか。折角来たんだ。俺も部下の指導には些か飽きてきたからな。ここらで大きく一稼ぎさせてもらうぞ」

 

 ツバキの名前にカレルはそれ以上話す事はなかった。恐らくは現時点でどんな状況なのか確認したからこその結果なのか、カレルの表情は何時もと大差無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここも大よそは完了した。現時点で目視出来るアラガミの存在は無い。防衛班の到着までどれ位かかる?」

 

 ソーマが受け持った地点でも既にアラガミの討伐が完了したのか、周囲に気配を感じる事は何も無かった。ソーマ自身、今回の螺旋の樹のミッションに関してはフェルドマンと衝突はしたものの、実際には一部の内容は榊を通じて確認出来ていた。

 

 本部とは違い、極東ではアラガミに対して散漫な気持ちで臨む人間は誰もおらず、また想定外の乱入が多々ある事から任務が完全に終了するまで油断する事は一切無かった。既にツバキからの通信が来たのか、防衛班の到着まで警戒を緩める気配は何処にも無い。そんな中で自身の感覚が新たなアラガミの乱入を感じ取っていた。

 

 

《現在地点からの移動の為にソーマさんの所までおよそ10分です》

 

「万が一の可能性を考慮してリンクサポートデバイスの用意をしておいてくれ」

 

《……了解しました。至急配送をかけます》

 

 ソーマからの言葉にアナグラでオペレートしていたテルオミはすぐさま行動に移していた。リンクサポートデバイスの用意は感応種の可能性が極めて高い事を意味している。既に実戦配備は出来るものの、まさかこんな場面で使用する可能性が高いとなれば向かっている防衛班でも最悪の展開を迎える可能性が出てくる。既にその事実を隣で聞いていたのか、ヒバリはタツミと通信回線を開いていた。

 

 

「ヒバリさん。ソーマさんのオーダーですが、タツミさんには?」

 

「既に通達してあります」

 

 アナグラの会議室は以前の様な作戦の為に占拠されたものではなく、作戦指揮所の様相を醸し出していた。既に前面にある大型ディスプレイは4分割されているのか、周囲の状況が拡大されたままとなっている。先ほどの言葉と同時にテルオミは技術班へと通達を出す。連絡が入った先でも既に準備は整えられていた。

 

 

「エイジさん。現在地点はどこですか?」

 

《今は北部方面に移動中。到着まであと5分》

 

 ソーマが居る場所は南部方面。既に北部付近に移動しているとなればそこからの移動は物理的にも困難な状況となっていた。感応種に対する攻撃を考えれば最大火力で一気に殲滅するか、ソーマかリンドウに頼らざるを得ない。既にソーマが待機しているとは言え、防衛班の投入だけでは厳しい戦局となる事だけが予見出来ていた。

 アラガミの姿は未だレーダーには映らないが、これまでの経験から基づくソーマの感覚はそれ以上となっている。既にアナグラではその事実を否定するつもりはないのか、各地の状況を次々と確認していた。

 

 

「ソーマさん。大型種の反応をキャッチしました。これまでの推定からすると恐らくはマルドゥークの可能性が極めて高いです!」

 

 テルオミの言葉にその場に居た誰もが一瞬だけ視線が現地の画面に向けられる。ここで確認出来るだけでもマルドゥーク以外に数体のアラガミ反応が見える。既に至近距離まで接近しているのか、既に打つ手は限られていた。

 

 

「厄介なのが来やがったな」

 

 ソーマも既に目視したのか、1キロ先に見える白い巨体が何なのかを考えるまでもなかった。通信から聞こえる感応種の言葉と、白い巨体を組み合わせればそれが何なのかは直ぐに理解出来る。視界の中に見えるアラガミを見据え、ソーマは改めて神機の柄を握り直していた。

 時間と共に白い巨体は徐々に大きくなってくる。リンクサポートデバイスの用意が為されていない現時点で防衛班が来た所で何も出来ない事実は思考の彼方へと追いやっていた。

 遠吠えと共にマルドゥークはその地に降り立つ。既にお互いが臨戦態勢に入っているからなのか、お互いは一気に距離を詰めるべく走り出していた。

 

 

「何だと……」

 

 お互いの最初の一撃はまるで様子を探るかの様な交戦となっていた。体躯の違いはそのまま攻撃の勢いに変化する。ソーマとてその一撃を受けようとは最初から考えておらず、襲い掛かる爪の軌道を読んだ上で回避しながらイーブルワンを横なぎに振るっていた。

 何時もであればこの一撃でそれなりの手ごたえを感じるはず。しかし、目の前のマルドゥークはまるで意にも介さないとばかりにそのままソーマを大きく飛び越える様に跳躍していた。

 

 

「こちらソーマ。マルドゥークは確かに出没したが、ここには関心が無い様だ。進行方向から予測するならば東部方面へと移動が予測出来る」

 

 ソーマの一撃はマルドゥークの前足を直撃したものの、まるでそんな事すら意に介さないとばかりにソーマを飛び越え他の地域へと走り出す。本来であればこのまま交戦となるはずも、それすら無かったかの様に周囲は静寂を呼んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ったく次から次へとよくもまあ…」

 

「ギル!休んでる暇は無いぞ!」

 

 螺旋の樹への侵入経路の確保は想像を絶する戦いが余儀なくされていた。既に螺旋の樹は目の前にあるものの、そこまでの距離があまりにも遠すぎた。次から次へと戦場に侵入するアラガミはまるで螺旋の樹に近づかせる事すら許さないとばかりに大型種を中心にアラガミが舞い込んでくる。既にどれ程のアラガミが霧散したのかすら判断出来ないままに、時間だけが悪戯に過ぎ去っていた。

 

 

《ブラッド。既に周辺のアラガミは波が引いたかの様に静まり返っていますが、それとは逆にその場所には次々とアラガミの姿が確認出来ます。

 現時点で東部方面へのアラガミ接近は全部で5体。そのうちの1体はマルドゥークですが、南部方面でソーマさんが手傷を負わせたにも関わらずまるで無視したかの様にそっちに接近中。到着までの予想時間はおよそ3分です。至急討伐して下さい》

 

 耳から聞こえるヒバリの声に、その場にいた全員の心が折れそうな状況になりだしていた。既に大型種だけでなく中型種までも数える必要性が無いと言わんばかりに討伐してる。

 もしこの場に意志の力が見えるのであれば、それは間違い無く悪意であると言える程に厳しい戦いが繰り広げられていた。

 

 

《すみません予想が外れました!マルドゥーク接近まであと30秒です!侵入地点は現在地より北部方面です》

 

 ヒバリの声に全員の視線は北部にある崖の上に移っていた。白くて大きな巨体がこちらに向かって走っている。既に体力がギリギリの場面ではあまり見たく無いと思える程だった。白い巨体が周囲に衝撃をもたらしながらブラッドの眼前に立ち塞がる。まるで螺旋の樹の門番の様にそびえたつマルドゥークの視線はリヴィに向けられていた。

 

 

「リヴィ!狙われているぞ!シエル!援護射撃だ」

 

「了解しました」

 

 北斗の言葉が出ると同時にマルドゥークは全身をバネの様に縮めたと思った瞬間、リヴィに向かって弾丸の様に突進していた。現時点でやれるのは援護射撃のみ。北斗の指示に従いシエルは意識をこちらに向けさせる為ににマルドゥークへと狙い撃つ。既にターゲットが決まっているからなのかマルドゥークは自身に着弾するそれを無視するだけでなく、他の人間に目もくれる事なく一気に距離を詰めていた。

 

 

「リヴィちゃん!」

 

 ナナの言葉は聞こえるも、ここまでの戦闘で既に疲弊した身体はまるで鉛の様に動かす事すら困難な状況へと陥っていた。既に立っているのがやっとだと言える状態でのマルドゥークの突進を止める術は既に存在していない。

 このまま何も出来ずに命が散ってしまうのでは思い始めた瞬間だった。傍から飛び出した黒い影がリヴィに襲い掛かるマルドゥークの前足を一気に切断しその勢いを完全に停止させていた。

 

 

「どうやら間に合ったようだな」

 

「む、無明さん……」

 

 北斗の口から出た言葉に全員の視線が一気に集まっていた。マルドゥークの突進を止めただけでなく、右の前足は鋭利な刃物で斬られたかの様になっているのか、マルドゥークは斬られた事に気が付かないままだった。

 

 

「このまま散れ」

 

 時間にして僅か数秒の話だった。いつ動いたのかすら分からない程に無明の身体が揺らいだ瞬間、突如としてマルドゥークの頭が胴体から斬り離れている。既にマルドゥークの命はそのまま一気に散ったのか、前足の切断が遠い過去の話の様に思えていた。気が付いた時点で既にその命の灯は消え去っていた。

 

 

「既に周囲のアラガミは一旦は無くなっている。恐らくはここに集まっているのかもしれん。少しだけ時間を稼ぐ。お前達は少しだけ息を整えろ」

 

 無明の手にした神機はこれまで同様に漆黒の刃がそのままアラガミの命を切り取る死神の鎌の様にも見えていた。振って捨てた血が同心円状に地面に叩きつけられる。

 既に先ほどのマルドゥーク以外ではアラガミの姿は何処にも見えない。気が付けば周囲にアラガミの気配は感じなくなっていた。

 

 

「ありがとうございます」

 

「礼には及ばん。だが、お前達も既に活動の限界時間に近いはずだ。一旦は戻って新たな偏食因子の投与も視野に入れろ」

 

 これまでの任務の中で既にブラッドの偏食因子の限界投与時間にせまりつつあった。通常のP53偏食因子とは違いP66は能力の発揮が異なるからなのか、それとも元々からそうなのか、通常であればまだ問題無く能力を発揮できるはずの時間帯に比べ短い物となっている。既に限界時間まではそう多くの時間を残してはいなかった。

 

 

《クレイドル、ブラッド、聞こえますか!螺旋の樹より第二波が到達。その場から撤退して下さい!》

 

 ヒバリではなくテルオミの声が通信機に響く。既に待ち構えていたのかこれまでに一度も見た事がないアラガミが次々と姿を表していた。これまでに見たウコンバサラやヤクシャとは明らかに個体が異なるそれは、螺旋の樹内部で対峙したクロムガウェインの亜種に近い物だった。

 

 

「お前達は直ぐに撤退しろ!俺はここで殿を務める」

 

「ですが…」

 

 北斗達に言うと同時に無明はヤクシャの亜種へと距離を詰める。いくら変異種と言えど、これまでの特性を大きく異なる可能性は低いと判断したのか、無明の行動に躊躇は一切無かった。漆黒の刃が二合、三合とアラガミの身体を通過する。まるで抵抗など無いかの様に見えたそれは驚愕の一言だった。

 

 

「す、凄げぇ」

 

 ギルのつぶやきとも取れる声にブラッドの誰もがただ驚く事しか出来ないでいた。アラガミの行動を予測したかの様に懐の奥深くへと回避し、お互いが交差した瞬間だった。

 身体の一部が斬撃による衝撃で斬り飛ばされ、ヤクシャの上半身と下半身は既に横一文字に分離していた。

 その場に残ったのはただ斬られたと言う事実だけに北斗だけでなく、ギルやシエルも驚きを隠す事は無い。既にヤクシャの亜種は斬り飛ばされた上半身の両腕を無くし、なす術も無いまま血だまりの中に沈んでいた。

 

 

「お前達、油断はするな!戦場で動きは止めるな」

 

 無明の声が戦場に響き渡る。既にヤクシャは討伐されたが、この場に襲い掛かるアラガミはそれだけでは無い。気が付けばこれまでに見た事も無いようなアラガミが周囲を取り囲んでいた。

 

 

「俺達もこのまま一気に殲滅するぞ」

 

 北斗は声を出すと同時に、全身を囲む様にオラクル細胞が活性化し始めていた。

 刃の一太刀が既に赤黒い光を帯びている。それに触発されたのか、ギルやシエルも同様に赤黒い光を神機の刃に纏わせていた。

 

 第二波はこれまでとは攻撃のスケールが大きく異なっていた。無明の合力はあるものの、やはり戦力差だけを考えればこれまで苛烈な戦いを強いられ、強大なアラガミと対峙してきた分だけ動きに陰りが発生していた。

 事実上、気力だけが今の状況を支えている。無明も自分一人であれば撤退は可能だったが、この場にブラッドが残っている以上、このままの撤退は困難だと思い始めていた矢先の出来事だった。

 突如として見えない何かが空気中を伝播している。それが何なのかは説明するまでもなかった。

 

 

「何だ今の感じ……」

 

「これは……」

 

 ブラッドの全員が既にブラッドアーツを習得してから時間が経過している事もあってか、その感覚は随分と懐かしい物となっていた。本来であればあり得ないはずの現象。この懐かしい感覚が何なのかを全員が理解していた。

 

 

《極東全域に発生したアラガミは螺旋の樹へと向かっています。現時点でアナグラを囲んでいたアラガミは離散したました。皆さん無事ですか!》

 

 懐かしさを感じたのは極僅かな時間に過ぎなかった。耳に飛び込むテルオミの言葉に現状がゆっくりと認識し始める。現時点をもって防衛戦だけでなく螺旋の樹への侵入経路確保もここに完遂される事になった。

 

 

 



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第230話 考察

 原因不明のアラガミの撤退後、アナグラに戻った北斗達が見たのはある意味では予測出来た光景であると同時に、今回の作戦群の厳しさを体感させるには十分すぎた内容だった。ロビー全体には治療を要するゴッドイーターで溢れ返っているのか、視界に入る人間の殆どが何かしらの治療を受けた形跡が残っている。既にどれ程厳しい戦いであったのかを認識するのに然程時間は必要としなかった。

 

 

「皆さん帰還されたんですね。実は今回の件でリッカさんとナオヤさんから伝言があります。すみませんが一度技術班までお願いします」

 

 状況を確認する間もなくヒバリからの通達に北斗達は今回の件で何となく感じたそれが原因である事だけは理解していた。しかし、現時点でそれを確認すべき手段は無しに等しく、今はただ出来る事だけを優先する為に技術班へと向かっていた。

 

 

「ナオヤさん。伝言ってなんですか?」

 

「ああ。丁度、今回の件でお前達に知らせておかなければならない事があったんでな」

 

 既に帰投したゴッドイーターの神機の整備を他のスタッフが懸命にしている。整備の事は何も分からないが、一見しただけでも、かなりの損傷が激しい神機がいくつも並んでいる。

 ロビーではゴッドイーターが治療を終えているが、ここはこれからが本番となっている。何人かの見知った人間はいるものの、既に声をかける事すら許されない雰囲気が事態の深刻さを物語っていた。そんな中で呼ばれた先は事実上休眠しているはずの神機、ロミオが使っていたヴェリアミーチェが整備途中だった部屋だった。

 

 

「実は少し確認したいんだが、ブラッドの神機が一瞬でも停止しなかったか?」

 

「神機がですか?」

 

「ああ」

 

 唐突に出たナオヤの言葉にその場にいた全員が当時の状況を思い出していた。無明の剣閃の後で感じたそれは間違いなく血の力が作用した様な感覚が全身を駆け抜けていた。目の前で起こった事実に意識が向きすぎたのが原因の可能性が高かったものの、それでも改めて思い出せばやはり一瞬だけ神機が停止した様な覚えがあった。

 

 

「そう言われれば、停止した様にも思えますが」

 

「…やっぱりか」

 

「それが何かあったんでしょうか?」

 

 まるで確認だと言わんばかりのナオヤの言葉に北斗達はその意味が理解出来ない。ここに戻った際に、直接聞いた訳では無かったが、少しの間アナグラだけでなく、外部居住区の一帯も停電になったとの話はあったが、今のナオヤの言葉と結びつかない。どんな意味を持つのか分からない時点でそれ以上の事がまるで見えなかった。

 

 

「その件なんだが、アラガミが原因不明の撤退をした際に、今作戦中の神機すべてが一時的に停止した。現時点で分かっているのは、それが神機だけでなくオラクル細胞を由来とした技術に関する全ての事だ」

 

「全部……ですか」

 

 ナオヤの言葉に全員が何も言えなくなっていた。オラクル細胞が発生してからの人類の技術の大半はオラクル細胞を由来とする技術を元に大きく発展を続けていた。この事実はゴッドイーターだけでなく、この世界で生きている人間であれば誰もが知りうる常識。

 その技術の根幹を担うはずのオラクル細胞の停止は全員の予想を大きく超えていた。

 

 

「現時点では、その原因は既に特定出来ている。今回のアラガミの撤退と極東全域の停電。それらの原因の全てはこの場所から起こっている」

 

 言葉を切ると同時にナオヤは視線を一つの神機に向けている。視線の先にあるのはロミオの神機。その視線の先に気が付いたからなのか、全員の意識はヴェリアミーチェへと向かっていた。

 

 

「まさかとは思うんですが……」

 

 ナオヤの言葉に北斗は一つの仮説を打ち出していた。戦場で感じたそれは間違い無く血の力に目覚めた時と同じ感覚。

 最近で言えばリヴィがブラッドアーツ習得の際に感じたそれと同じ物だった。しかし、目の前にある神機の使い手は死亡こそ確認していないが、行方不明のままとなっている。以前に聞いたリッカの言葉が正しければ、それはロミオの能力である事を示していた。

 

 

「それについては現在調査中だ。ただ、その可能性が極めて高いとも感じられる」

 

 ナオヤの言葉にそれ以上はどんな言葉も見つからなかった。あの時に無理にでも止めればと後悔したはずの出来事が改めて思い出される。未だ死亡が確認出来ない中での血の力の発露。

 この事実はブラッドにとっては明るいニュースとなっていた。

 

 

「ただし、その件に関しては楽観視するのは早計だ。確かに現時点でロミオの生体反応は未だ確認出来ている以上、それは生きていると言う事は間違い無い。

 だが、あの時から現在に至るまでに経過した時間を考えれば、正直な所五体満足で会える保証が無いのもまた事実だ。仮に生きて発見されたとして、それが昏睡状態のままだったら?ただ生きているとだけ言えるそれが本当に良い事なのか?その時の責任はどうなるのか?可能性を考えればキリが無いのもまた事実だが、それについても改めて考えて欲しい。今は神機の、お前達の力の可能性の一つでしかないんだ」

 

 ナオヤの言葉にリヴィ以外のメンバーは黙り込んでいた。確かに生体反応があるからとは言え、それは必ずしも五体満足で生存している確証はどこにも無かった。

 当初フライアの一部が螺旋の樹に取り込まれた時点で、ロミオの治療が出来ているとは言い難い状況下なのは言うまでもなかった。更に、今回の開闢作戦の失敗により螺旋の樹は汚染される結果となっている。もちろんロミオの事はブラッドが一番心配しているのは間違い無いが、その現状を知っているからこそ、敢えて誰もが思い描かきたくない可能性をナオヤが口にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「実際に戦場では小型種や一部のアラガミは形が崩れたかの様に霧散した個体もあったぞ。だとすればかなりの能力と言わざるを得ないな」

 

 ナオヤの言葉に何か思う部分があったのか、ブラッドの面々は暫くの間沈黙を保っていた。それ以上の事は本人を目にしない限り何も言うべき言葉が見つからないと考えたからかのか、ほどなくして整備室を後にしていた。

 リッカとナオヤだけが整備室に残った事で静寂が生まれる。まさにそんな時だった。突如として整備室にソーマの声が飛び込んでくる。既にやるべき事を終えたからなのか、ソーマは自分自身がその目で見た事実だけを述べる為にその言葉を口にしていた。

 

 

「なるほどね。ここだとログだけしか見えないから何とも言えないんだけど、実際にはどんな感じだったの?」

 

「さっきも言った通りだが、交戦中に突如として動きが急停止したかと思った瞬間、コアが抜かれた後みたいだったな。確認はしてないが、他も同じ様な物だろう」

 

 ソーマの言葉通り、交戦中のゴッドイーターの言葉を集めると、殆どが同じ様な言葉を告げていた。事実、原因不明のアラガミの消滅により、ヒバリ以下事務方は現時点で大混乱を起こしている。早急な原因の解明は至上命題ではあるものの、その可能性がロミオの神機でもあるヴェリアミーチェだと分かるまでに相当な時間を要していた。

 

 

「さっきのブラッドの話からすればロミオの血の力の可能性が大だな。たしかマルドゥーク戦でもギリギリの際にロミオから何かが放たれた形跡は残っている。他に可能性が無いかぎり原因はそれで問題無いと思う」

 

 ナオヤの言葉が客観的事実だけを浮かび上がらせていた。既に技術班としては榊の下にデータは送信されている。仮にそれが今回の要因となたのであれば、使い方さえ確立出来れば、違った意味で対アラガミ兵器と成り得る可能性を秘めていた。

 

 

「確かに兵器として考えるのであれば、あの現象は大きな戦力ととなるのは間違い無い。だが、一教導担当の立場からすれば、あれに頼るのは反対だ。神機にまで影響が及ぶのであれば、最悪アラガミに効かなかった場合、リスクだけしか残らない」

 

「でも、やり方次第とは思うんだ」

 

「リッカの言いたい事は分かる。でも俺達の本当の意味での仕事は神機の整備なんかじゃない。あくあでも神機を使用する事によって付いてくる結果を望むだけなんだ。小型種ならまだしも、接触禁忌種でそんな現象が起こればどうなる?こちら側だけ作用したなんて状況が起こるなら、それは事実上の無抵抗にしか過ぎない。その可能性がゼロでない以上、丸腰で戦えなんて俺は言えない。それはただ死地に送り込むだけだ」

 

「それは……」

 

 ナオヤの言葉にリッカはそれ以上の事は何も言えなかった。究極の諸刃の剣はお互いに刃を向いているからからこそ取扱いに細心の注意を払う必要がある。それを思い出したからなのか、リッカは今後の展望を考え出していた。

 

 

「そうだね。この能力は惜しいけど、常時博打しろなんて言えないしね。今後の事もあるからこの神機はこのまま一旦は封印する事にするよ」

 

「…致し方ないだろうな」

 

「実は今回の件で榊のオッサンと無明とで色々と検証したが、ロミオの血の力はあらゆるオラクル細胞の活動を停止させる能力を保有している。……言わば『圧殺』と言った所だろう。今後はこれも視野に入れる必要があるかもしれん。で、実際に封印した場合のこの神機の影響力はどうなる?」

 

 ソーマの言葉にリッカは少しだけこれまでの事から今後の事を踏まえて自分の見解を考えていた。これまでにこんなケースは一度も無く、またブラッドが扱う神機は他のゴッドイーターの物とも明らかに違っている。可能性としてを考えるのか、それとも客観的に考えれば良いのか、これまでに幾多の神機を整備したリッカも言葉に詰まっていた。

 

 

「……正直な所、私にも分からない。血の力に関しては未だブラックボックスになっている部分もまだある。現時点でハッキリ言えるのは、この神機がなんらかの形で意思表示をした結果だって事だね。確かに封印すれば神機は休眠とは違って、新たな偏食因子の適合者が現れるまで何も起こらない」

 

「そうか……」

 

「なぁソーマ。お前の気持ちは分かるが、今回の件に関しては完全にイレギュラーなんだ。事実、俺達も何もしていない訳じゃない。現時点でロミオが生存している以上、封印を施したとしても、何らかの形で目覚める可能性はある。今でもリヴィがジュリウスの神機を使っているが、ブラッドアーツは普通に使えている。悪いが封印とは言っても実際にはあまり期待しないでほしい」

 

 言い淀むリッカの言葉にフォローとばかりにナオヤが口を出す。もちろんソーマとしても神機の整備にまで口出しをするつもりは毛頭ないが、やはり『圧殺』の力はこれまでのブラッドの能力の中でも群を抜いている程の効果を発揮している。だからこそ制御出来ないのであれば何とかしてほしいとの一念からくる言葉だった。

 

 

「実際に、本当の意味で神機の事を理解している人間はそう多く無い。俺達だって実際にはトライアンドエラーの繰り返しなんだ。でなければエイジの神機は当の前に完全に制御出来てる」

 

 ナオヤの言葉にソーマも思う部分があったのか、エイジの神機の特性を思い出していた。あれほど特異な神機はソーマ自身も見た事が無かった。

 単なる生体兵器だけで片付く物では無く、実際に無明も開発には携わったのかもしれないが、完全に関与している訳では無い。いわば現時点では知りうる範囲の中で自分達の都合に合わせた結果であって、完全に支配下に置いた訳では無い。それが何を意味しているのかをソーマ自身も知っているからこそ、それ以上は何も言わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて。終わった事を悔やんでも何も変わらないのは今に始まった事じゃない。今後の事をどうするかなんだが、どうしたものかね」

 

 整備室で先のミッションでのアラガミ撤退の推測と同時に、会議室でも同じ事が繰り広げられていた。今回の瑕疵の結果は想定した以上の被害を及ぼしたのか、現時点で螺旋の樹への侵入は不可能とされていた。

 以前の様に安定した空間ではなく、既に内部ではオラクルが暴れるかの様にうねりを上げている事からも、万が一の事を考えただけでなく、今後の予想すら出来ない事実に榊だけでなく紫藤もまた頭を悩ませていた。

 

 

「例のアラガミを撤退した能力を使う事は出来ないのか?」

 

「その件に関してなんだが、現時点での問題としてあれがどれほどの影響力を有しているのかがこちらでは把握しきれない。しかも戦場に出たすべての神機が停止している以上、特攻させる訳もいかない。事実、俺の神機も僅かながらに影響を受けた」

 

 ツバキの考えは誰もが一度は考えた結果だった。しかし、あまりにも漠然とし過ぎた結果をそのまま実戦の投入する訳にも行かず、また今回の様に大規模な影響を及ぼすとなれば、それは戦場での命の保証をしないのと同義でしかない。

 事実その可能性を考慮したからこそ紫藤はソーマに対し、今回の考察をそのまま伝えていた。

 

 

「しかし、従来の持ち主は未だ行方不明であれば、今後はその探索も必要になるだろうね。確かビーコン反応はノイズの影響で完全に特定出来ないと聞いているが、今もそれは同じなのかい?」

 

「何も変化は無いと言うよりも、現在の螺旋の樹内部に関してはオラクル細胞が暴走しているのか、現在は暴風雨の様な状況の為に、ビーコン反応の位置情報は完全に途絶えているのが現状かと。現時点で分かるのは僅かにキャッチできる生体反応だけと言った所が本音でしょう」

 

 紫藤の答えに一縷の望みをかけはしたが、口から出た言葉は予想の範疇だった。現時点で螺旋の樹の内部の専門家は存在しておらず、またその沈静化をしなければそこから先に進む事すら許される状況では無い。この場にいた誰もが今後の事を考えるも、妙案が出る事は無かった。

 

 

 



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第231話 適合

 幾らフェンリルが誇る頭脳を持ってしても、手さぐりで進むそれに対し有効的な提案が出る事は無かった。

 事実、可能性の一つとしてはツバキの言葉が全てではあるが、既にその所有者は螺旋の樹内部に居る可能性が高く、また、もう一つの提案に関してはフェルドマンの口から直接聞いた訳では無いが、大きな懸念事項が存在していた。

 

 これまでのオラクル細胞学のスタンダードな考えからすれば、リヴィの存在はある意味では特異な存在だった。あらゆるオラクル細胞を受け入れる事が可能な為に、これまでの様に特定の神機だけを運用するやり方ではなく、神機にこちらが合わせる事によって適合を半ば強引に可能とさせていた。

 冷静に考えればその異質な能力はある意味では迎合出来る物ではあるが、全部がと言う言葉に対しては語弊があった。実際には適合する際には抑制剤を使用しなければ、自身の身体が浸食される危険性は今でも内包している。対外的にその事実を知っているのは本人以外では局長のフェルドマンだけだった。

 

 

「フェルドマン局長。可能性についてですが」

 

「リヴィか。その件ならば私も確かに考えはした。しかし、現実問題としてはどうなんだ?」

 

 フェルドマンの言葉は短いものの、口から出た言葉にその人となりを知っている人間からすれば珍しいとさえ思えていた。既に会議は終わり、この場にはフェルドマンとリヴィだけしかいない。短い言葉の内容を理解したからのか、リヴィは言葉を多く語る事は無かった。

 

 

「問題は特にありません。ジュリウスの神機に慣れてはいますが、今後の事を勘案すれば今必要なのはジュリウスの神機ではなく、ロミオの神機です。局長さえ問題が無い様であれば直ぐにでも適合の準備をお願いします」

 

 フェルドマンの心配を他所に、リヴィは何時もと変わらない回答を示していた。これまで同様にゴッドイーターの神機を適合させる事に何の抵抗も無い。それが現時点でのリヴィの考えでもあった。

 

 

「そうか……ただ、今回の件に関しては少し我々も確認したい事がある。一両日までは現状を維持とし、その後は指示に従う様に」

 

「了解しました」

 

 誰も居ない場所での指示が今後の行方の全てを物語っていた。現時点で螺旋の樹の内部の鎮静化の可能性はロミオの神機だけ。それしか手立てが無い事は間違いないが、それが果たして正しいのかと言われれば即答できない部分が存在していた。

 通常の適合とは違い、ブラッドアーツに関しては未だ完全に解明された訳では無かった。今もなおリッカやナオヤが整備の傍らで、第三世代の神機の解析を止める事無く続けている。

 現時点で分かっているのはP66偏食因子の適合者で、北斗の『喚起』の能力によって引き出される事しか判明していない。そう考えれば開闢作戦そのものも仮定の上に立案された作戦なだけに、本来であればじっくりと検証をしなかればならない現実があった。

 しかし、時間の経過と共に悪化する螺旋の樹が今後どんな形で変貌するのかは誰にも予測出来ない。そんな焦りにも似た状況での結果がこれである以上、次は無いとしか言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フェルドマン局長は何も言わなかったけれど、あの調子だと間違い無くリヴィ君にロミオ君の神機を適合させる事を選ぶだろうね」

 

「現状はそれしか手立てが無いのもまた事実です。それは止むを得ないとしか」

 

 会議室から支部長室に移動した榊は紫藤と先ほどの会議の内容を改めて考え直していた。

 現時点で分かっているのは、汚染された螺旋の樹への侵入そのものは開闢作戦で作られた入口から出来るが、問題なのはその荒れ狂ったオラクル細胞の中をどうやって移動するのかだった。ロミオの神機が発端となった現象を使えば確実に起こるであろう結果は予測出来る。しかし、リヴィの状態を考慮すれば、今後はそう簡単に適合させるのは躊躇せざるを得なかった。

 

 

「確か、抑制剤を使ってるんだったね。実際に効果そのものは信用出来るが、副作用等はどうなんだい?」

 

「副作用に関しては、正直な所何とも言いようが無いと言った方が正解でしょう。本来であれば緊急時に使う物であって、常時使う物では無いので」

 

 開発に携わった紫藤からしても、まさかそんな使い方をするとは思っても無かった。事実、緊急時のアラガミ化を緩和させる用途で作った物が、お互いを融和する効果が認められた結果、現在に至っている。

 当初の時点で想定した用途とは異なっている以上、今後の可能性に関しては未知数でしかない。本来の用途からかけ離れた使用方法も、今の様な状況下で無ければ論文に値する内容ではあるのは間違い無かった。

 仮に適合率が低かったとしてもそれを使う事によって適合が可能となれば、世界中で広がっている人員不足の解消に大いに役立つのは間違い無かった。しかし、完全に神機と適合出来ないのであれば、一般的なゴッドイーターよりも能力が劣る可能性が高く、実際に現場レベルで適合出来ない人間に無理矢理適合させるとなれば、最悪は非人道的だと言われる可能性も内包していた。

 

 

「さてと…我々としてもただ祈るなんて事は考えたくないんだが、こればっかりは方法が見つからないのもね……」

 

 榊の言葉に反論する材料は何処にも無かった。事実上の決定事項をひっくり返すのでれば、それ以上の内容を対案として出す必要がある。ただでさえ推論に推論を重ねる現状を打破できる材料はどこにも無いまま時間だけが悪戯に過ぎ去っていた。

 これまでに何度も対策会議を開くも決定打にはどれも欠けている。既に内部では止む無しの意志が充満していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回来て貰ったのは、今後の展望と行動についてだ」

 

 未だ決定的な物が出ないままに主要な人間が会議室へと集められていた。既に内容そのものに関しては大よそながらの方針が打ち出されているが、誰もが詳細を確認した訳では無かった。

 この場に居る全員の顔が自然と引き締まる。全員の視線がフェルドマンへと向けられていた。

 

 

「君達も知っての通りだが、先のアラガミの逃走に関してはやはりロミオ・レオーニの神機を媒介とした血の力である事を認定した。それによって今後の作戦は次の様になる」

 

 フェルドマンの口からでた内容はジュリウスの神機を使用したのと同じ内容だった。事実、それに関しては上層部はそれ以外の手だてが無い事は既に知っているからこそ、今度はリヴィの犠牲の下に作戦を行使し続けるのは如何な物かとの結論から対案を模索していた。しかし、結果はいずれも非現実的であった事から、フェルドマンの案を採用せざるを得なかった。

 

 

「そこで今回も前回と同様に、君達には再びリヴィがロミオの神機を適合させる事が出来るように支えて欲しいと考えている。今回の作戦についても君達に負担がかかることは承知しているんだが、現時点でやれる事はそれしかない。すまないが改めてリヴィの事を宜しく頼む」

 

「了解しました」

 

 改めてフェルドマンの口から出た言葉に北斗達は返事をするしかなかった。何時もであれば何らかの対策がこれまでに榊の口から出ていたが、今回に限ってはその言葉が何も出てこない。そんな状況を察知したからなのか、今はただ頷くしか出来なかった。

 

 

「それと、今後についてだが作戦の指揮そのものは我々情報管理局がこれまで同様に執るが、厳しい台所事情を考えれば、我々だけの手に負える状況では既になくなっている。

 今後は極東支部とも連携を取りながら君達に指示を出す事になる。螺旋の樹への侵入が確認出来ると同時に、調査を開始する。最終目的は螺旋の樹に纏わりつくラケルの意志を断ち切ると同時に終末捕喰を留保する者、即ちジュリウス・ヴィスコンティ元大尉の復活が最終目的となる」

 

 フェルドマンの口から出たジュリウスの言葉にナナだけでなくシエルも僅かに口元が緩んだ気がしていた。以前までの状況であれば、螺旋の樹に関して対外的には英雄視しているものの、それ以外の場面ではどこか胡散臭さがあった。しかし、先ほどの言葉にそれらしい事は一切感じられない。何が起きたのかは分からないが、これまでの状況から一転した事だけは間違い無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで少しはやりやすくなったのかな」

 

 会議室から出た後の雰囲気は格段に良くなっていた。先ほどまでの厳しい雰囲気は既に無く、これからの任務に対し、情報が逐一開示される事になったのも一つの要因だった。

 ナナの言葉ではないが、一定以上の目的が開示されるのであれば、少なくともこれまでの様な雰囲気にならない事だけは間違い無かった。

 

 

「喜んでばかりではいられないぞ。俺達がやるのは確かにこれまでと変わらないが、今はジュリウスの神機からロミオの神機に持ち替えて再び使いこなす様にするのが優先されるんだ。気持ちは分かるが、ここで油断すればすべての作戦が瓦解する事を忘れるな」

 

「私だってギルが言わなくてもそんな事は理解してるよ。でも、今までみたいに何をどうやっているのかすら分からない状況よりはマシになったんだからさ…」

 

「ナナさん。それ以上の事は……」

 

 会議室から出たとは言え、この場にはリヴィが居る。それ以上の批判じみた言葉は危険だと判断したのか、シエルはやんわりとナナを窘めていた。

 

 

「シエル。私の事は気にするな。これまでやってきた中で作戦の全容が知らされていないままに行動するのがそれほど精神的に厳しい物なのかは私も理解出来る。確かにフェルドマン局長のやっている事が気になるのは仕方ないが、これも万が一の情報漏洩に対する策なんだ。これまでの事に関しては局を代表して私が謝罪しよう」

 

「リヴィがそんな事をする必要はない。俺達がやる事はシンプルなんだ。実際に俺達だけでなく榊博士や無明さんがいても対策が進まない以上、それは仕方ない事だ」

 

 リヴィの謝罪を遮る様に北斗が自分の意見を述べていた。部隊長として何かと重責があるだけでなく、間接的に北斗の能力が敢行された結果が前提の作戦はあまりにも不透明すぎた。万が一があった場合には北斗にも何らかの批判が向けられる可能性を秘めていたからこその発言に誰もが口を開く事は無かった。

 

 

「しかし、ラケルの執念とも言えるそれに対し、俺達の力はあまりにも小さい。螺旋の樹がまさかああなっているとは思わなかったがな」

 

「そうですね。まさかあれが今回の顛末だとは思いませんでした」

 

 ギルのため息交じりに出た言葉が言う様に、今回の顛末に関してもフェルドマンから説明がなされていた。

 オラクル制御装置の中に組み込まれた無人型神機兵の頭脳とも言えるエメス装置を働かせる事により、一旦は水面下にあったラケルの意志を統合するだけでなく、その結果、装置を暴走させる事によって螺旋の樹そのものがラケルの手中に落ちている。そんな事実に呼応する様に、螺旋の樹内部には新たなアラガミでもある神融種なる物が発生した事実に、ナナとシエルは少なからず動揺していた。

 

 

「だからこそ、リヴィにロミオ先輩の神機を制御してもらう事が優先されたんだろう。現時点であの内部に入れば命の保証が無いのであればやむを得ないのもまた事実なんだ」

 

 事態を収拾させるには余りにもリスキーな作戦であるのは間違い無かった。ブラッドアーツにしても、実際に『喚起』の能力があって初めて成り立つと言われているが、それはあくまでもラケルの導き出した結論であり、それを検証しようにも適合者との因果関係までもが一からのやり直しをするだけの時間が残されていない。

 今回の作戦に関しても、それはあくまでも理論上は可能性がある前提でしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フェルドマン局長。少し確認したい事がある」

 

 ブラッドが会議室から出たのを見計らったのか、紫藤は改めて確認したい事があった。それは今回の作戦の最大の要因と言うべきリヴィの件だった。

 

 

「何用で?」

 

「リヴィ・コレット特務少尉の件だ。確かに事前に聞いたあらゆる神機に適合出来る能力はこれまでに無い程の物だと言うは認識をしている。だが、データ上では一定値以上になると途端に数字が悪くなるのは知っているのか?」

 

「その件であれば十分に理解している。もちろん、その件に関しては本人にも通達済みだ」

 

「なら良い。抑制剤を開発した立場から言えば、今のリヴィは危険な状態になりつつある。知っての通り、本来であれば各自のオラクル細胞はDNAと似た様な性質がある。だからこそ適合者の試験をしなければ神機との接合が出来ない。今直ぐにとは言わんが、そろそろその能力を過信するのは止めた方が良いだろう」

 

 以前に提出されたデータでは確かに当初の適合率はこれまでに無い数値を叩き出していた。理論上はそれで問題無いが、抑制剤を利用しているとなれば話は別物だった。

 一定以上の適合が認められなかった場合、ゴッドイーターは神機に宿るオラクル細胞の浸食を受ける事になる。それは即ち自身が捕喰されアラガミ化するのと同じだった。

 

 抑制剤の使用は現時点で臨床結果は出ているが、本来の用途とは明らかに違っている。

 これが一般人に向けての薬品であれば大問題となるが、元々はこれまでにアラガミ化したゴッドイーターの救済措置の為に開発された物。あくまでも救命の一環であり、それを任務の為に利用する為では無い。そんな経緯があったからこそ紫藤としては、その事実をフェルドマンが留意しているのかの確認の為だった。

 

 

「我々とてこのまま無残にリヴィを人身御供にするつもりは無い。ただ、現時点ではそれ以上の案が無い以上、やむなしとだけ言うしかない」

 

「そうか。厳しい言い方になるかもしれんが、今回の作戦はこれまでに無い程に大ざっぱな概要しかない。良く言えば自由度が高いが、悪く言えば現場に判断を委ねているだけにしか過ぎん。本部がどうなろうと知った事ではないが、ここは極東だ。最悪の展開も常に片隅置いておかない事には作戦の履行など夢のまた夢だ」

 

 これまでに何度も厳しい局面を潜り抜けた紫藤の言葉はこの場に居る誰よりも重みがあった。いくらブラッドと言えど、対アラガミともなれば相応の注意が必要となってくる。そんな中で、時限爆弾を持った人間を任務に放り出すのは事実上の自殺行為でしかなかった。

 

 

「言葉を返す様だが、それは我々とて理解した上での作戦だ。犠牲を出さない様にする為の方法が現時点でこれしかないのであれば、我々は一人の犠牲を払う事で人類を護るしか手立てがないと考えている」

 

 厳しい視線を紫藤に向けると同時に、フェルドマンの手はしっかりと握られている。既に力が入り過ぎたのか、その手からは僅かに血が滲んでいた。

 

 

 



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第232話 侵入

 

「リヴィ。適合の方はどうなってる?」

 

「思ったよりも厳しいな。ただ使うだけならまだしも、ブラッドアーツとなればまだ時間がかかる」

 

 ロミオの神機を適合させてから3日が経過していた。適合そのものはこれまで同様に大きな問題らしいものが発生することなく運用出来るレベルにまで引き上げる事が可能ではあったものの、最大の目標でもあるブラッドアーツの習得には予想以上の時間を要していた。

 ジュリウスの神機の時には純粋に螺旋の樹を切り拓く事が目的だった事もあってか、自身の支配下に置くレベルはそう高い物は要求されていなかった。しかし、今回の目的は螺旋の樹内部の鎮静化が最大の焦点となるだけでなく、今後出現するであろうアラガミの討伐までもが目的となる為に、通常の運用が出来るレベルにまで引き上げる必要があった。

 

 

「ブラッドアーツらしき物が出てるんだよね?」

 

「まぁ、その辺りは見ての通りだ。だが、完全に運用するとなればこのレベルでは命の危険性を孕む。既にこれ以外の方法が無い以上、無い物ねだりは出来ない」

 

 これまで同様に運用出来るのかと言えば、安易に返事が出来ない事情が存在していた。

 これまでの様に介錯の為に適合させるレベルであれば苦労する事は殆ど無かったが、ブラッドの神機に関してはそれよりも高いレベルが要求されてくる。神機を振るうだけでなく、自身の力とも言える血の力の覚醒は未だ解明されていなかった。

 ジュリウスの神機で一旦は発動しているからなのか、片鱗そのものは出始め居ているものの、完全な形となるには第三者の目から見ても厳しい物である事だけは明白だった。

 

 

「北斗。ナナさん。今は焦っても仕方ありません。今回の作戦に関しては事実上の持久戦に近い物が多分にあります。今からそんなだと後々疲弊しますよ」

 

 何気に言われたシエルの言葉に、北斗自身も自分の気が付かない部分で焦っていた事を実感していた。今回の件に関してもフェルドマンの話をそのまま噛み砕けば、この作戦は色んな意味での持久戦が予想される結果となっていた。

 荒れ狂うオラクル細胞を鎮静化させる為にロミオの神機を使用し、その隙を狙って鎮静化の為に機材を投入する。その結果、安全なエリアを徐々に拡大させる内容だった。アナグラからでは序盤は問題無いかもしれないが、今後の探索の範囲が広くなれば当然偏食因子の投与のタイミングが必要となってくる。事前に聞いた内容が壮大すぎたのか、完全に作戦を理解したのはシエルだけだった。

 

 

「そうだな。焦り過ぎも危険だ。事実、今後の事は俺達だけではなく、後方支援としてクレイドルも参加するんだ。今の時点で仮に不安定なままだと万が一の際には大怪我の元になりかねんからな」

 

「確かにギルの言う事は一理ある。時間が許す限り適合率を上げる事が先決だな」

 

 北斗の言葉に全員は改めて今回の作戦に関しての再確認をする事になった。後方支援を担当するクレイドルも既に指示を受けているからなのか、ベースキャンプを作るための資材の発注を進めている。今回の作戦に関してはブラッドが事実上の尖兵となる以上、油断をする訳には行かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ。まだ……ここで終わる訳には……行かないんだ」

 

 ヴェリアミーチェの適合率は時間の経過と共に順調に高くなりつつあった。

 既にアラガミの討伐にも影響が出にくくなる頃、突如としてリヴィの身体に異変が発生し始めていた。

 この場には誰も居なかった事が幸いしたのか、リヴィは苦悶の表情を浮かべながらも自身の右腕を抑えながら壁にもたれかかっている。適合率の向上と共に自身に対する反応は日増しに強くなり始めていた。

 

 元々の兆候はジュリウスの神機を適合させた事が発端となっていた。見た目はこれまでの神機と同じ第二世代ではあるが、やはりブラッドアーツの使用に耐えうる事が可能となっていた第三世代の神機はこれまでの物に比べれば別格となっていた。

 元々適応するだけの力に加え、自身の潜在能力を発揮させる血の力の強大さは、人知れずリヴィの身体をゆっくりと蝕んでいく。表情にこそ出しはしないが、抑制剤を投与してこの結果である以上、自身の限界値が近くなりつつある事を悟っていた。

 もしこの場に誰かが居れば即座にこの計画の変更、もしくは中止を告げられる可能性は極めて高い。それが万が一表情に出る様であれば拙いとの判断により、リヴィはミッション以外ではなるべくブラッドのメンバーと行動を共にする事を避けていた。

 

 

「やはり私では……」

 

 痛みが一定時間を過ぎた事で嘘の様に引いて行く。一定周期で来ている事は間違い無いが、これが明らかに無理をしている事が原因であるのは間違いなかった。代替え案が無い事も理解している今、リヴィは人知れずその痛みと戦うしかなかった。

 

 

「まさかとは思ったが、やはりか……」

 

 人知れず痛みに耐えていたはずの場面を無明は影から見る事しか出来なかった。既に危険性を知っているものの、現時点で有効的な作戦がどこにもなく、今回の作戦に関しても事実上の耐久戦となっている事を理解している。いくらゴッドイーターが丈夫だと言った所で荒れ狂うオラクルの中ではどんな影響を及ぼすのかもまだ分かっていない。先ほどの様子から見れば、限界値までは然程遠く無い事だけは理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これから螺旋の樹下層部への侵入を開始する。フラン、中の様子はどうなってる?」

 

《こちらで分かる範囲では数体のアラガミの影はありますが、やはりノイズが強すぎる為に内部の情報は事実上不明です。厳しい戦いになるとは思いますがご武運を》

 

 北斗達はリヴィの適合をみつつ作戦を開始していた。下層部に関してはベースキャンプの設営の必要性が無い事を確認したからなのか、クレイドルの行動を待つ前に行動を開始し始めていた。既に荒れ狂った内部はヴェリアミーチェの影響なのか、時間の経過と共に沈静化し始める。それが何かの合図の様に全員が感じていた。

 周囲にアラガミの気配は感じられない。元々居なかったのか、それともロミオの『圧殺』の影響なのか、侵入してから30分が経過したものの、アラガミの気配は皆無となっていた。

 

 

「フラン。周囲一帯にアアガミの気配は感じられない。シエルの能力でも感知出来ない以上、ここはクリアだと言っても問題ない」

 

《了解しました。既に侵入してからそれなりに時間が経過しています。こちらも予定を早めて安定化させる為の作業にはいります》

 

「了解。宜しく頼む」

 

 通信を切り、改めて周囲を探索する。やはりアラガミの気配は感じられないのか、周囲にその気配は一切無かった。

 

 

「北斗、そっちはどうだった?」

 

「何もない。ナナこそどうだった?」

 

「私の方も何も無かったよ。ただ、壁の一部らしいところに繭みたいな物が幾つかあったかな」

 

 周囲の探索を終えたのか、ナナは神機を肩に担ぎ北斗の下へと来ていた。確かに戦闘音も無かれば、その形跡すら無い。ここが螺旋の樹内部である事は理解しているも、その内部の反応はどこか有機物の中に居る様な雰囲気だけが残っていた。

 

 

「そう言われれば、確かに…」

 

 北斗も周囲の探索をした際に、時折鈴なりになっている繭を見かけていた。当初は何かの構造物だと思ってはいたものの、目を凝らすとどこか生体の様にも見えてくる。しかし、肝心の生物としての気配を感じなかったのか、それ以上視線を向ける事は無かった。

 

 

《北斗。神機兵の到着まであと2分です。周囲を警戒して下さい》

 

 耳から聞こえるフランの言葉に北斗だけでなくナナも同様に行動する。未だ視界の中にアラガミが見える事はないままだった。

 既に神機兵が機材を設置すると同時に装置が青い光を出している。既に装置の効果が発揮されたのか、先ほどよりみ視界がクリアになった様に感じられていた。

 

 

「なんだかこうやって見ていると螺旋の樹の内部ってなんだが、生きてるみたいな感じだよね」

 

「終末捕喰の有り様だけじゃなく、ジュリウスの何かもあるのかもな」

 

 既に下層部の探索はそのまま続行されていた。偏食因子の投与までまだ時間にゆとりがある。このまま一気に探索を薦めようと装置から距離を置いた瞬間だった。目の前にあった繭が突如として震えている。それが何を意味するのかはその直後に理解出来ていた。

 

 

「ひょっとしてあの繭ってアラガミの生まれる物なの!?」

 

 ナナの言葉の通りの事実が目の前で起こった瞬間だった。震えが止まったと同時に、繭は内部から喰い破られる様に縦に大きく裂けていく。その中から現れたのは1体のアラガミだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど……どうやら内部にある繭はアラガミを生み出す役割をしている様だね」

 

 螺旋の樹内部でブラッドが交戦している一方で、支部長室にもその情報は瞬時に届けられていた。既に討伐開始からそれなりに時間が経過している。まるで何かの合図かの様に次々と繭からアラガミが発生し始めていた。

 

 

「あれは恐らく生きた『何か』かと。外部でも一部生体に近い組織が検出されている以上、間違い無いでしょう」

 

 自身が螺旋の樹に赴いた結果だからなのか、榊の言葉に答えを返した紫藤も当時の様子を思い出してた。崩落した際に救出のついでとばかりに周囲の細胞をサンプルとして持ち帰って解析している。既にジュリウスの生体反応に近い何かと似た様な成分が検出された時点で、一つの仮説を作り出していた。

 螺旋の樹そのものに関しては情報管理局が専門の様な言い方をしていたが、実際には詳細までは何も知らないが正解だった。これまでの調査で分かっているのはジュリウスの体組織が検出できる点、生体の様な物が主となっている事からアラガミの発生に於いての母体の様な可能性を秘めている点だけだった。

 

 

「それと、これは懸念に事項ではありますが、リヴィの件に関しては嫌な予感がします。早急な判断をしなければ、最悪は飲みこまれるでしょう」

 

「君が言うのであれば間違い無いんだろうけど、その辺りの判断は我々の管轄外となってくる。やはりここは対案か対策を講じる必要があるだろうね」

 

 螺旋の樹の作戦の要でもあるリヴィの能力は無明が確認した時点で厳しい状況に追いやられている事実だけが発覚していた。黒い腕輪から漏れだす瘴気の様な物はオラクル細胞がゆっくりと身体を侵食している証でもある。

 以前に徘徊したリンドウにも出ていたそれが今と同じ結果である以上、幾ら隠した所でどうしようもない事実があるのは間違い無かった。

 

 

「いくら抑制剤を使用しているとは言え、実際には耐性が付く為にその薬効も薄れます。かと言って現状ではブラッドの進行をこれ以上は止める事は無理なのは承知ですが、今後の事を考えれば最悪の展開も視野に入れる必要があるでしょう」

 

 淡々と可能性だけを述べる無明の言葉に榊も同じ事を考えていたからのか、反論する様な事は何も無かった。限界ギリギリまでは知らせた後で使い捨てるのか、それとも何らかの対処をする事によって救い上げるのか、あの時のフェルドマンの様子からすれば考えるまでも無いが、それでも目の前でそれが起こった場合、本当に正確な判断が可能なのかは未知数だった。

 

 

「……ベースキャンプを併設しながら我々も別の戦力を出すしかないだろうね」

 

「どれだけの猶予が残されているのか判断出来ない以上、仕方ないでしょう」

 

 支部長室で話された事実がどこまで回避できるのかは現時点では誰も予測する事は出来ない。既に何をどうするのかが決定している以上、後はそれに従って進むだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、ここまで神融種ばっかりだと厳しいな。リヴィ、調子はどうなんだ?」

 

 既に数体の神融種を討伐したまでは良かったが、その数は事前に予測した以上だったのか、内部の探索は思う様に進まないまま時間だけが経過していた。一定周期で訪れるアラガミの襲撃は生体のリズムの様にも思えてくる。ここまでの状況を振り返ると、やはり進行速度は遅々としていた。

 

 

「……ああ、すまない。何だった?」

 

「適合率をと思ったんだが、大丈夫なのか?顔色が少し悪い様にも見えるんだが」

 

「私なら問題無い。予想以上のアラガミに少し疲れただけだ」

 

 ブラッドのメンバーとは違い、リヴィだけが神機の適合率が低いからなのか、戦闘時間や戦局は思った以上に悪い結果を残していた。当初は何か負傷したとも考えられていたが、リヴィ自身に怪我を負った場面を見た者はおらず、やはり低い適合率を何とか打破しようと行動した結果だと判断していた。

 

 

「でもアラガミの数は多いし、今後の事を考えたらこの辺りで少し休憩しない?」

 

 ナナの言葉に北斗もこれまでの状況を考えれば選択肢の一つだと考えていた。事実上の強行軍ではあるが、その尖兵の役割がどれほど重要なのかは理解している。探索の最前線に出ている以上、下手な結果を残す訳には行かなかった。

 

 

「そうだな。少しだけ休憩しよう」

 

 北斗の言葉と同時にシエルは簡易キットから休息用にスペースを確保する。ここに探索に入るにあたってクレイドルから渡された備品の一つが今回の簡易キットだった。折り畳み式のそれは直ぐに設置と撤収が可能となっている。周囲にアラガミの反応がなかったからなのかここで漸く一息つく事が可能となっていた。

 

 

 



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第233話 極秘任務

 

「忙しい所すまないね。実は今回の作戦に関してなんだが、極秘裏にお願いしたい事があってね」

 

 ブラッドの進行作戦と並行するかの様に、リンドウとエイジは榊に呼び出されていた。当初の予定ではクレイドルの作業はベースキャンプの設置とその場所の保護。既に下層部の進行がゆるやかではあるものの、時間的にはそろそろ中層へと到達しようとしている頃だった。

 

 

「態々極秘裏って事はまた特殊任務ですか?」

 

「そうだ。今回の作戦とは別のアプローチになるが、我々も戦力を派遣する事にした。差し当たってはブラッドが中層に突入する時期に合わせる事になる」

 

 

 支部長室にいたのは榊だけでなく無明とツバキも同室している。この時点で榊が言うまでも無くリンドウもエイジも大よその検討ついていた。

 既にブラッドが行動している事を知った上での作戦である以上、口外する事はあり得なかった。

 

 

「……で、お前がその格好だとすれば、今回の任務内容は何だ?」

 

「現在進行しているブラッドの件だが、今後の可能性を考えるとこのまま行くのは厳しいと判断した。特に今作戦の中でも最大の要となっているリヴィ・コレット特務少尉だが、少しばかり厳しい状況になりつつある」

 

 リンドウの言葉通り、この場に居た無明はいつもの服装ではなく戦闘時に好んで着る黒装束だった。

 本来であれば何かと説明をする必要があるが、既にその格好である以上、改めて説明をする必要は無かった。今回の榊の極秘裏の言葉が示す様に、本来の内容とは大きく逸脱する可能性はあるものの、それでも万が一の可能性を危惧したからこその内容でもあった。

 

 今作戦の最大の要でもあるリヴィの状況は既に厳しい部分に突入しつつあった。抑制剤を使いながらに戦闘を続け適合率を高めていく。これが今までのやり方でもあり、ジュリウスの神機の際にも同様の手段でもあった。

 本来であればこれで問題は無いはずだっだが、ここで大きな誤算が発生していた。暫定的に『圧殺』と名付けた力はこれまでの血の力の中でもかなりの威力を持っていたからなのか、適合した神機の能力が本人の限界値を超えようとしていた。

 あの場面をから推測できるのは、今後、上層部へ移動すると同時により強固なアラガミが出る可能性が極めて高いと予想されている点。また、現時点では中層部に突入してはいないが、これまでの調査の結果からジュリウスが下層から中層に居る可能性は極めて低く、その結果、神機の能力を無理矢理行使しれば自身の命が危険にさらされる可能性が極めて高い状況となりつつあった。

 

 

「それで、今回の作戦に関してなんだが、君達には本来の持ち主でもあるロミオ君の探索をお願いしようかと思ってね。少数精鋭でやるのは情報管理局ではなく、それ以外の外部の介入の可能性を極限にまで減らしたいんだ。

 実際に、ベースキャンプの設置に関してはアリサ君が先頭に立ってやっているし、その拠点防衛はコウタ君にお願いしてある。そうすれば多少は君達の姿が無くても問題ないだろうと考えたんだよ」

 

「しかし、探索は構いませんが、ロミオが生きていたとしてもこれまでの様に動けるのかは分からないんじゃ…」

 

 榊の言葉に疑問を持つのは当然の事だった。エイジは直接の事は知らないが、後から聞いた話ではロミオは意識不明のままに運ばれている。外傷そのものは多少の傷は残るが、大多数は回復傾向にある事も知っている。あの時点で確定しているのは目覚める事が無い点だけだった。

 

 

「その件に関してだが、これまでの調査で分かった事はあの螺旋の樹の内部は一つの生命体の様な物である可能性が高い。ここから先はあくまでも事実に近い推論ではあるが、螺旋の樹そのものは何らかのダメージを負った場合、人体の様に自己修復しようとする機能が備わっていると予想されている。

 それとフライアが飲みこまれた当時からこれがあったと仮定した場合、ロミオの生存は高いと判断した。詳しい事は省くが、人体の構造とよく似た器官が幾つも確認されている。仮にそうだとすれば回収した後に多少の訓練をすればリヴィの代わりになるだろうと判断した結果だ」

 

 ツバキの言葉に2人は納得していた。これまでの様に極秘任務でやる場合は大きく分けて2通りしかない。裏の仕事か、表に出すには少し材料が足りない場合だった。既に検証を重ねた上での結論が出ている以上、2人にとっても否定する必要性は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「無理は絶対にしないでくださいね」

 

「今回も兄様とリンドウさんがいるし、大丈夫だよ」

 

「お前さんの旦那はちゃんと返すから安心しろって」

 

「リンドウさんが言うと何だか縁起悪いんですけど」

 

「エイジ、お前の嫁の躾はもう少し何とかならないのか?」

 

「まぁ、その辺はまた改めて……」

 

 ベースキャンプの準備を他所にアリサとコウタもリンドウとエイジの下に集まっていた。既に準備が整っているからなのか、いつでも行動が可能な状態になっている。何時もの純白の制服とは真逆の漆黒の制服が裏の任務である事を物語っていた。

 

 

「螺旋の樹の内部はどんな状況になっているかは分からん。このメンバーなら大丈夫だとは思うが油断はするな」

 

「はい」

 

 無明の言葉に全員の意志が一つにまとまる。既に用意された部材は時間の経過と共に送られる事が決定しているからなのか、何時ものミッションに出向くそれと何も変わらなかった。

 ただ違うのは何時もと真逆の制服の色だけ。まるで散歩にでも行くような雰囲気ではあるが、ブラッド同様に厳しい戦いになる事は間違い無かった。

 

 

「なぁ、支部長室での話なんだけど、外部の介入って既に情報管理局が介入してるんだ。それ以上の可能性なんてあるのか?」

 

 下層部から中層部へと差し掛かろうとした際に、リンドウは支部長室でのツバキの言葉を思い出していた。

 情報管理局そのものが事実上の本部直轄の組織である以上、それ以外の介入の可能性を考えるのは困難とも言えている。これまでにも何度か本部が直接、間接を問わず介入してきたが、結果的には全ての事態をそのまま跳ね返してきたからこそ、その言葉の真意が分からない状況だった。

 

 

「実際には情報管理局が介入した時点でその支部そのものは問題があるかもしれないが、今回の作戦群に於いてのミスはフェンリルにとっても面白く無い結果だったんだろう。

 これが極東支部だけの話ならこれまでの様に介入がどうだとうか難癖をつけるのが可能だが、今回は明らかに情報管理局の失態だ。しかも、今回の作戦の開始直前にこちらが一旦計画の中止を指示している事実を知っているからこそ、このまま情報管理局に任せても良いのかと言った話が水面下で出ている。

 今後の作戦の結果如何では局長が差し替え、再び頭の悪い人間が介入する可能性も出てくる」

 

 無明の言葉にリンドウはそれ以上の言葉が無かった。今回の作戦が失敗に終わった最大の要因はラケルの残滓を見逃していた点だった。既に神機兵に搭乗し、そのまま行方不明になった九条は当時、誰も監視する事無くそのまま計画の中枢へと食い込ませていた。

 本来であれば当人が生存しているのであれば査問委員会への召喚は必須だが、既に消息を絶っている以上、その当時の状況下で責任を取るはずの九条の代わりになる人間がそのままフェルドマンになっていた。

 

 

「情報管理局は敵も多い。恐らくは今回の作戦の失敗の責任追及による左遷、若しくは降格を画策しているんだろう。ああ見えてフェルドマンの事をやっかんでいる輩は多いからな」

 

「って事は、俺達はそんなくだらない事の為にこの作戦をするのか?」

 

「それは違う。今回の作戦に関しては要となるリヴィ・コレット特務少尉の状態が思った以上に悪い事だ。今はまだ良いが、実際に血の力を完全に開放出来る状態になった場合、最悪の事態が発生すれば我々はその力の制御の方法を完全に失う事になる。それがどんな影響を及ぼすかを考えれば、この作戦は当然の事だ」

 

 『圧殺』の能力はこれまでのブラッドの中でも使い方を間違えれば最悪の結果となるのはリンドウだけでなく、エイジも知っていた。オラクル細胞の活動停止となった際に懸念されるのは、アラガミと人間ではどれほどの差があるのかだった。

 人間側に都合がよければ問題無いが、それはあくまでも楽観すぎる内容。これが逆の立場になった瞬間、人類はアラガミに対し抗う手段を一瞬にして失う可能性を秘めている。だからこそ、その対策が要求されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いい加減、こいつらの相手は飽きてきたな。そう考えるとブラッドの連中は大変だな」

 

 探索の際にはアラガミの出現が予想された事もあってか、既に神融種の討伐は数えきれない程となっていた。下層から中層に差し掛かった瞬間、神融種だけでなく、通常種のアラガミも多数出現するも、高い戦闘能力を発揮した事により、探索そのものは大きな障害を向かえる事なく進んでいた。

 

 

「これは当初から推測された結果だな。今分かっている範囲であれば、ジュリウスは上層に居る可能性が高いだけでなく、今回の最大の障害がそれであれば、今後出てくるアラガミもそれに比例するだろう。我々もゆっくりとしている暇は余り無い」

 

「そりゃそうなんだが、本当にこの周辺なのか?さっきから同じ様な場所をうろうろしているみたいなんだが」

 

 これまでブラッドが築いた正規のルートではなく、無明達は敢えてその本流から外れた場所を探索していた。地道に進行するブラッドはあくまでもジュリウスの奪還の為に移動している事もあってか、空間の安定は常時優先されている。

 一方のこちらに対しては、そもそも極秘任務である為に調査の本流からは大幅に変更されているからなのか、アラガミの出現率は尋常ではなかった。

 

 

「ちゃんと進行方向は間違っていない。少なくともフライアを飲みこみはしたが、基本はその構造がベースとなっている。旧神機兵の保管庫から進んだそれが物語っている。場所的にはそろそろのはずだ」

 

 入手したフライアの見取り図から螺旋の樹の内部を読みとったからなのか、無明の進む道に迷いは無かった。既に何らかの情報を得ているのか、それとも勘に頼った物なのかは現時点では判断出来ない。

 しかし、先ほどの場所から陰になった所を突き進むにつれ、これまでの様な雰囲気は既になく、これから何かが間違い無く襲ってくる様な雰囲気に2人は自然と厳しい視線を送る様になっていた。

 

 

「……まさかとは思うがここに来てこれは酷くないか?」

 

「逆の事を言えば、それだけ警戒しているという事になるだろう」

 

 3人が目的地へと歩こうとした瞬間だった。周囲から感じられるのは明らかに大型種のそれだった。既に気配を感じる必要はなかった。アラガミの息遣いがこちらにまで聞こえてくる。目的地の目の前には、これまでに見たアラガミに変わりはなかったが、何時も対峙している物に比べて一回り大きい。

 邪悪な顔を見間違う事も無く、リンドウがため息交じりに漏れた言葉に無明が答える。目測で約20メートル程先の地点には、まるでそれ以上先には進ませないと明確な意志を叩きつけるかの様にそのアラガミはこちらを睨む様な視線で感知していた。

 

 

「どのみちやらねばならない。なら、やる事は一つだけだ」

 

 無明の言葉が合図になったのか、威嚇する様な咆哮を上げ、巨体が地響きを起こしながら一気に突進してくる。無明だけなく、リンドウとエイジもその場から大きく跳躍する事によって散開した結果となっていた。

 

 

「しゃあねーな」

 

「仕方ないですね」

 

 2人の言葉をその場に置き去りにしたかの様に、大きな雷球がその場を抉る様に激しく着弾する。散開した為に既にその場にはいないものの、衝撃によって出来たのは大きなクレーター。その攻撃だけでどれ程の威力を持っているのかを改めて考えるまでもない。既に3人は臨戦態勢へと入っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《榊博士。極東支部周辺に大規模なアラガミの大群がせまりつつあります。アナグラまでの到達予測時間は大よそ3時間です。どうしますか?》

 

 ブラッドとクレイドルが螺旋の樹へと侵入している頃、ウララが見ていた画面には大きなアラガミ反応を示した画面が広げられていた。距離としては中距離ではあるものの、アラガミがどんな行動を起こすのかは現時点ではまだ分からないままだった。

 広範囲の索敵がキャッチしたまでは良かったが、現時点での残存勢力から考えれば、今直ぐにも出ている部隊を帰還させたい気持ちがあった。

 

 

「この距離だと少し判断に迷う所だね。ウララ君。螺旋の樹への通信回線は繋がってるかい?」

 

《ブラッド隊に関しては最前線がまだ安定化してませんので、通信は届くには届きます……ただ、現時点ではノイズが激しいので、会話が一方的になる可能性が高いです》

 

 ウララの言葉に榊は珍しく判断に迷っていた。このままブラッドを呼び寄せた所で突然の戦闘に果たして身体がついてこれるのかが未知数なままだった。ただでさえ何も分からない場所での探索は嫌でも神経をゴリゴリと削っていく。そんな中で大規模作戦を突入させるのは得策ではない。

 だからと言って無明達を戻すには回線を開く必要があるが、こちらも現時点では極秘任務の真っ最中。ましてや安定していない場所となればその摩耗具合は半端な物では無い。まだ視界には入らないが広域レーダーに映っている時点で、事実上の接近となっている。既にやれる事をやるしかなかったのか、榊は人知れずほかの場所へと通信を開いていた。

 

 

「研究中の所済まないね。少しばかり手を止めてこっちに来て欲しいんだ」

 

《ああ。すぐに行く》

 

 榊の言葉に反応したのか、通信先の音は少しばかりゴソゴソと聞こえている。螺旋の樹の探索は完全に任せるだけでなく、ここの防衛も担う必要がある。既に主要のメンバーが支部長室に召集されるには然程時間は必要としなかった。

 

 



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第234話 変異種

 薄暗い空間の中に濃密な殺気の様な物がこの場に漂っていた。咆哮の先に居るのはこれまでに見た者とは明らかに異なる個体。可能性としては変異種である事だけが現時点で分かっている状態だった。

 先ほどの強烈な一撃で抉れた地面がこれまでのアラガミとは一線を引いている。それが何を意味するのかを考える前に3人はそれぞれの行動を起こしていた。

 

 

「お前達気を付けろ!」

 

 無明の言葉に誰もが警戒を緩める事は無かった。目の前に居たのはこれまでに何度も討伐した事があるディアウス・ピター。しかし、先ほどの攻撃によって誰もが油断するどころか更に警戒を高めながらに様子を見ている。既に交戦中ではあるものの、散開した事もあってか、その行動を確実に観察する様に見ていた。

 

 

「エイジ、やれるな?」

 

「はい」

 

 エイジがディアウス・ピターと交戦しながらにどこまでの物なのかを図っていた。

 このメンバーであれば偵察に近い任務ではあるものの、新種のアラガミの弱点や挙動を引き出す事に関しては一番だった。

 実際にこのメンバーでの戦いを直接見た事がないアリサが仮にこの場に居れば確実に卒倒したくなるほどの行為。これが無明になれば完全に挙動を引き出す前に仕留める為に今後のデータに残す事が困難な状態となり、リンドウに関しても高火力で応戦する事から、完全に挙動を引き出すには適さなかった。

 常に8分程度の能力で慎重に行動パターンを引き出す。遠距離の攻撃に関しては完全に防ぎ切り、中距離から近距離にかけては状況を見て回避行動を続けている。

 既に雷球を何度放ったのは分からないが、その隙を逃す事をエイジはしなかった。同じ部分を何度も斬りつけた結果、ディアウス・ピターの前足の先端が斬り裂かれていた。

 

 

「用心しすぎたんじゃねぇか?」

 

「いや、明らかにあれは変異種だ。今まで見た事がなかったが、背中から肩口にかけての部分に瘤の様な物がある。これまでと同じだと思うな」

 

 エイジの行動を見ながら無明はディアウス・ピターから視線を外す事は無かった。既にどれ程の時間が経過したのか、右の前足部分の先端は既に破壊され斬り飛ばされている。

 これまでであればそろそろ倒れる頃にも関わらず、動きそのものは当初と何も変わらないままだった。エイジが対峙しているとは言っても無明とリンドウも何もしていない訳ではない。回避が厳しいと判断すればこちらに意識を向ける様に行動し、エイジの援護をしている。まるで何かのコンビネーションの様にも見える動きに隙は無く、態勢を整え終えた後、エイジが再び戦列に加わる事を幾度となく繰り返していた。

 既にどれ程の時間が経過したのかすら分からなくなる頃、突如としてディアウス・ピターの動きが止まる。その姿はまるで何かに変化するかの様な行動だった。

 

 

「リンドウ。ここからが本番だ」

 

 無明の言葉にリンドウは改めて変化し始めているディアウス・ピターの姿を見ていた。これまでであれば精々が活性化する程度の物だったが、目の前にいるそれはこちらの想像を大きく上回る。これまで瘤の様な部分からはメリメリと音をたて4本の刃を連想させる一対の翼が大きく開く。赤黒いそれが何を意味するのかを考えるまでもないのか、改めて全員が距離を取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど。で、実際にはどうなんだ?」

 

 ソーマが会議室に入ると、そこにはタツミ達防衛班が全員揃っていた。以前にもあったアラガミの大群は未だ距離はあるものの、万が一の事を考え早い防衛ラインの構築の為に招集されていた。

 

 

「あの…現時点ではまだアナグラに到着するまでに時間があります。目的は不明ですが、以前の様な強固な個体は確認出来ません」

 

 ウララの拙い説明に誰もが口を挟む事無く話を聞いている。既にやるべき事は一つしかない以上、考える必要は無かった。

 

 

「まだ完全にここに来るのかは測り兼ねる状況なんだ。だからと言ってギリギリまでひきつけるのも得策じゃないからね。大丈夫だとは思うんだが、万が一の際には君達にお願いしたいんだよ」

 

「それは構わないが……クレイドルの連中がどうしてるんだ?リンドウさんとエイジの姿が見えないが?」

 

「彼らは違う任務中なんだ。今から呼び戻すとなると時間的に厳しい物があるからこそ君達にお願いしたい」

 

 カレルの疑問は尤もだった。この場に2人が居ない時点で戦力的な部分の采配を改める必要が出てくる。しかし、榊の口から別任務と言われた以上はこの戦力を上手く活用する他無かった。

 画面上のアラガミは未だ移動中なのか、それとも動いていないのか、探知する範囲が広すぎる為にハッキリとは分からない。榊の言葉通り、画面の向こう側がどうなっているのかは誰も分からないままだった。

 

 

「ここでそんな事を言っても埒が明かない。まずはお前達に今後起こりうる可能性を前提とした作戦を伝える」

 

 沈黙を破るかの様にツバキの声が会議室に響いていた。このまま漠然としているほどの余裕がある訳では無く、現時点でアラガミの群れが見える以上早急な対策を打つ必要性があった。

 改めてツバキの口から今回の作戦に関しての全容が伝えられる。既におなじみとなりつつあるそれに誰も口を挟む事は無かった。

 

 

「作戦は以上だ。これからは随時警戒態勢に入る。万が一の事も考えてリンクサポートシステムも配備させるが何か異論はあるか?無いのであればこれで解散だ」

 

 警戒水準を上げつつ状況に応じて迎撃する作戦に誰も異論は無かった。既に作戦が伝えられた事により、それぞれが部下へと連絡をしている。既に螺旋の樹の探索を続けているブラッドの事は一旦は意識を棚上げし、全員がそれぞれの立場で備えに入っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれは厄介な代物だな」

 

 リンドウの呟きが全員の総意とばかりにディアウス・ピターと対峙していた。翼の様に広げられた刃の攻撃範囲は3人の想像を絶する物だった。

 これまでの様に大きな隙を突いた瞬間に一撃必殺と言わんばかりの攻撃を加えた方法を取っていたが、翼の攻撃範囲はその隙すら少なくなる代物だった。使い方を熟知しているのか、それとも警戒しているのか、時折大きく振りまわす様な行動を取るも、回転が終わると同時にその場から大きく跳躍する事で距離を取っている。

 時折散発気味に当たるリンドウとエイジのバレットが今の攻撃の手段となっていた。

 

 

「確かに厄介だが、やり様は幾らでもある。データも取り終えた以上は討伐をする以外に無いだろう」

 

「何か方法でもあるのか?」

 

「隙は突くんじゃなくて作る物だ」

 

 リンドウの言葉を遮るかの様に無明は自分の神機を確認し、ディアウス・ピターとの距離を一気に詰めた。これまでの様に3人で攻撃をするのではなく単独での攻撃に何かを見出したのか、リンドウだけでなくエイジもまた無明の攻撃方法を見るべく注意しながらその行動を見守っていた。

 

 基本的に単独任務が多い無明からすれば、複数での攻撃から織り成す戦法は基本的に隙を作り出す手段として見ている部分があった。

 生存率と効率を考えれば単独任務に比べ、そっちの方が格段に上なのは当然の結果でもある。しかし、基本が単独の人間に攻撃をし続ける事による隙を作り出す方法は無に等しかった。

 

 元々無明の神機は旧型と呼ばれた第一世代。黒い刀身はあっても銃撃の手段はなく、また自身の行動能力を極限にまで高める為なのか、それとも重量の増加を嫌うからなのか、盾が潔く外されている。事実上の刃だけの神機はある意味では自身の能力の裏付けとも言える代物だった。

 全速力に近い速度で走りながらもカウンターに備える為に視線は常に固定している。ディアウス・ピターとの距離がゼロになるには然程の時間も必要とはしなかった。単独攻撃だと察知したのか、ディアウス・ピターは雷球を飛ばすと同時に翼で斬り裂くつもりなのか、牽制とばかりに5発の雷球が無明に襲い掛かかっていた。

 

 

「ったく相変わらずだな」

 

 リンドウの言葉がまるで耳に入ってなかったのか、エイジは無明の一挙手一投足をひたすら見ていた。ディアウス・ピターが放った5発の雷球は防ぐ事が出来な勢いで襲い掛かるも、全てがまるで身体をすり抜けるかの様に後方へと流れて行く。

 距離を詰めながら雷球の間合いを完全に把握したのか、無明は完全に避け切った瞬間、襲い掛かるかの様に前へと大きく跳躍していた。本来であれば跳躍した攻撃は勢いを利用するには問題無いが、空中での移動が出来ない以上、リスクとも表裏一体となっている。これまでにもエイジ自身が無明から学んだ行為でもあり、また教導でも必ずそのメリット・デメリットを指導していた。

 既に跳躍した先にあるのはディアウスピターの顔面。そのまま一気に決着をつけるかの様な攻撃に見えていた。

 

 

「おいおいマジかよ」

 

 顔面の攻撃をまるで待ち構えていたかの様にディアウスピターはにやりと笑った様な表情を見せ、自身の背中を器用に動かし翼の刃で斬りつけようとした瞬間だった。空中では態勢を変えるのは至難の業ではあるが、それすらも予測していたのか、無明は自身の前に黒い刃を突き立てる。

 迎撃ならば体格差で弾き飛ばされるはずのそれは一瞬の出来事だった。薙ぐような斬撃に近い翼を弾き返す事は無く、そのまま刃を滑らせて自身の身体をそのまま縦に回転させている。既にその勢いまでもが予定通りと言わんばかりに自身の身体全体を回転させながら回避と同時に漆黒の刃が翼の根本を斬り刻んでいた。

 

 

「僕にもあんな動きは無理です」

 

 高みの頂点とも言える部分に近づきつつあったと思った地点は未だ中間だと言わんばかりの攻撃にエイジも見ているだけに留まっていた。跳躍をしたのは攻撃を引き出す為の事前行動にしかすぎず、また攻撃の威力をそのまま自身の攻撃に転嫁した斬撃は普段の攻撃以上の物を有していた。

 大きく怯んだディアウス・ピターの眼前に先ほどまで脅威の存在だった翼の片翼が大きな音を立てると同時に横たわる。先ほどの隙がこうやって作られていた。

 

 

「エイジ、俺達も続くぞ!」

 

「はい!」

 

 2人も一気に距離を詰めるべく全力で走り出す。既に態勢が大きく崩れた今は反撃の可能性が無い事を示していた。エイジの黒い刃は走った勢いそのままにディアウスピターの右目に深々と突き刺さる。そこを起点にその刃は頭蓋までも斬り裂くかの様に一気に振り上げられていた。

 

 

「これで終わりだ!」

 

 リンドウは気合いと共にまだ健在の片翼を一気に斬り落とす。本来であればそのまま距離を置くが、エイジの一撃が効果的だったのか、ディアウス・ピターが動かない事を確認すると同時に刃を背中に突き立てる。

 背骨があれば確実に切断するかのような勢いと同時に深々と突き刺していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか変異種があんな攻撃をするとはな。今後の事も考えると対策を立てない事には死者が増えるだろう」

 

 それぞれの渾身の一撃をもって討伐したディアウス・ピターは、断末魔をあげながらその場で大きな音を立て横たわっていた。既にコアが抜かれている以上、霧散するのは時間の問題。通常種に比べ霧散する時間が長かった事からも、この個体がかなりの物である事に間違いは無かった。

 

 

「外見の特徴があれだけってのもな……」

 

「元々接触禁忌種ですから、討伐の際の特記事項って事にすれば問題ないんじゃないですか?」

 

 通信が完全では無いにしろ事実上の切断に近い状況の為に、アナグラもログを解析しながら更新する為には討伐した人間に聞き取りをするか、その本人が更新する必要があった。

 特記事項にせよ何にせよ、リンドウからすれば面倒以外の何物でもない。ただでさえ面倒な事務仕事はエイジにこっそりと丸投げしている以上、ウンザリとした表情を浮かべるのは仕方の無い事だった。既にそれなりの時間が経過したのかディアウス・ピターの身体が霧散していく。改めて今回の任務の過酷さがここに来て改められていた。

 

 

「面倒事は……任せたぞ」

 

「リンドウさんには最初から期待してませんから」

 

「お前ら夫婦そろって……ちょっとアリサに毒されてないか?ったく、少しは敬えよ」

 

 先ほどまでの過酷な戦いから既に日常へと変化している。このメンバーだからこそ何も起こる事がなく終わりはしたが、今後の脅威となるのは間違い無かった。既にここに来るまでに何体かの神融種も討伐したものの、危なげない戦いはそのまま結果へと続いている。だからこそ榊としても極秘任務を振っていた。

 

 

「お前達、そろそろ行くぞ」

 

 先ほどのディアウスピターが門番だったのか、その後アラガミを見る事は無かった。外部やこの上層部の事も気になるのは間違い無いが、各自のやるべき事がハッキリしている以上、考える必要は無い。改めて3人はそのまま奥へと歩き続けていた。

 既に先ほどの場所からそれなりに歩いた先に、これまでに見た事が無い様な大きな繭が成っていた。これまでの様に大きな物では無く、人間が一人だけ入れる程の大きさは目的の物の可能性が高い。既に準備した苦無で一気に引き裂く。その中には今回の目的でもあったロミオが眠った様にうずくまっていた。

 

 

「やはりか……リンドウ、エイジ。目的は達成した。一旦は屋敷に連れていく」

 

「アナグラじゃないのか?」

 

「いや。一旦は確認する必要がある。目覚めてからは戦闘訓練をするつもりだ。既にツバキにもそう伝えてある。時間は有る様で無いからな」

 

 当たり前の様に出た言葉にリンドウは少しだけロミオを見ながら気の毒にと思っていた。アナグラとは違い、屋敷での戦闘訓練は常軌を逸すると思える程に過酷な部分が多分にあった。

 以前にマルグリットが訓練をした際にも、ギリギリまで見極められたのか体力限界の極致まで訓練が続いていた事を思い出していた。もちろん、その対価に見合うだけの力が付くのは間違い無い。ただ、そこまで持てばが前提の話にそれ以上の事は何も言わないままに帰投していた。

 

 

 



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第235話 目覚め

 

「くっ。またか……」

 

 螺旋の樹の安定化の為に突き進むブラッドの行軍とは裏腹に、リヴィは誰も居ない事を確認し一人苦悶の表情を浮かべていた。時間と共にヴェリアミーチェの適合が上がっていくのが体感出来ると同時に、まるでそれを蝕むかの様にリヴィを責め立てる。

 自分の能力そのものを過信する訳では無かったが、これまでの中でも最大級の痛みは自然とその動きにまで出てくるのかミッションの際にもその影響が徐々に出始めていた。

 悟られない様に行動してきた精神力は賞賛に値するが、やはり強くなるそれが何時まで続くのかが見えない以上、それは仕方の無い事だった。

 

 

「リヴィさん。今後の事ですが……どうかしたんですか?」

 

 用事があったのかシエルの声に反応が遅れていた。既に痛みは引いたものの、顔に浮かぶ脂汗はシエルに疑問を抱かせるには十分すぎていた。

 

 

「いや。何でもない。少し疲れただけだ」

 

「なら良いんですが、今後の事もあるので、少しだけ時間を頂きたいのですが……本当に大丈夫ですか?」

 

「私なら万全だ。皆が待っているのであれば直ぐに行こう」

 

 先程の光景を見られたからなのか、話す事すら億劫だと言わんばかりにリヴィはその場から去っていた。簡易キットを使った休憩地点でやれる事はそう多くは無い。

 現時点で出来るのは精々が偏食因子の投与程度でしかなく、既にここに入ってからはそれなりに時間が経過しつつあった。これまでの中で中層域の場所の確保はほぼ完了とも取れる内容に全員が一息つける。一旦はアナグラに帰還し再びこの地を目指す事が予定されていた。

 

 

「まだベースキャンプの設営って始まってないんだよね?」

 

「まだ資材発注の途中らしい。なんでもサテライトの資材を流用するのに調整してるって話だ」

 

 シエルが皆の下に戻ると今後の予定いついて話されていた。当初の予定とおり中層の探索の時点で偏食因子の投与だけでなく神機の調整が組み込まれていた。ベースキャンプが構築出来ればそこが最前線になる可能性が高く、今後の進捗状況を確認する意味合いも含めた帰投となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だか久しぶりに感じるんだけど、何だか雰囲気が何時もとは違わない?」

 

 久しぶりに帰投したブラッドがラウンジに訪れると、そこは何時ものリラックスした雰囲気からは僅かに遠くなっていた。既に何かの作戦が始まっているのか、ここに居る人間も何時もの雰囲気は無くなっている。そんな何とも言えない雰囲気がラウンジに漂っていた。

 

 

「皆さんお疲れ様でした。この後ですが、榊支部長が情報の共有化をしたいとの事でしたので支部長室に来て欲しいとの事です。それとリヴィさんに関しては会議室に来て欲しいとの事です」

 

「会議室じゃなくて、支部長室に?」

 

「はい。その様に聞いています」

 

 今回の作戦に関しては何かと会議室での話が多かったが、今回フランの指した先は支部長室。しかもリヴィは外されている事が僅かに疑問を生じていた。部屋の違いは余り無いが、何となく気になる事があったのか、北斗は返事をしながらも何か進展があったのかと思いながら足を運んでいた。

 

 

「ブラッド隊入ります」

 

「中層部の探索ご苦労様。今回の件で君達に言っておかなければならない事がいくつかあってね。実は今後の事も踏まえてなんだが、改めて情報を共有化しようと思ったんだよ」

 

 榊からの言葉はこれまでに分かった情報を整理した結果が述べられていた。これまでにもジュリウスは螺旋の樹の上層部に居る可能性が高い事だけでなく、今後の予定としてのベースキャンプの設置、そこからの行動予定などが発表されていた。

 

 

「それと、ベースキャンプに関して何だが、実はここ最近になってアラガミの群れの様な物が確認されてるんだ。多分知ってるとは思うが、ベースキャンプはサテライトに使われる素材をベースに開発している。

 今もその調達をしてるんだが、そのアラガミの群れを刺激しないようにやっている為に予定が大幅に遅れてるんだ。で、君達にはすまないが、暫くの間はその素材の護衛任務をお願いしたいと思ってね」

 

「螺旋の樹の調査は大丈夫なんでしょうか?」

 

「それに関してはレア博士がやっている装置が効果を発揮している。本来であれば君達がその装置を護って欲しい所なんだが、今の所螺旋の樹内部に感応種が出る可能性が低いと判断してるんだ。その関係上、君達は遊撃の立場として護衛してほしい」

 

 シエルの質問に答えた榊の言葉に全員が頷いてた。しかし、実際にはそれは建前であって本当の部分ではリヴィの状況の確認と同時に、救出したロミオの訓練時間を確保する為の詭弁でもあった。

 屋敷での検査の結果、ロミオの身体そのものには損傷がなく、現時点では目覚めるのも時間の問題でもあった。もちろん、リヴィにはこれまで同様にその力を発揮してほしいとは思うも、やはりこれまでの可能性を考えると、この辺りで一度身体の状況を確認する必要があった。

 既に綱渡りの作戦である以上、落下する訳にはいかない。これが榊と無明が判断した結果でもあった。

 

 

「護衛任務そのものは明日からになる。今日一日はゆっくりと過ごしてほしい」

 

「分かりました」

 

 榊の言葉に返事をし北斗達が去った今、この場には榊だけとなっていた。本来であればロミオの救出の件に関しても伝えるべきかは悩みはしたが、以前のリンドウ程に深刻な状況下では無い事が確認されている以上、目覚めてからでも問題無いだろうと考えられていた。

 実際に榊は自分の目で確認した訳では無いが、無明からの極秘回線によるバイタルの情報を見る限り、大きな問題点は少ないとも考える事が出来る。今はただその時間を稼ぐ為にも接近しつつあるアラガミを理由にブラッドを螺旋の樹の内部へと行かせるつもりは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よう!久しぶりだな。螺旋の樹の探索は終わったのか?」

 

 支部長室から再びラウンジへと移動すると、そこには以前に防衛任務で見たタツミ達の姿があった。先ほどまでの雰囲気そのものは変わらないが、タツミ達がいる事で何となくその場に落ち着きが出てくる。どこか懐かしく感じる空気をそのままに北斗達はソファーセットに座っていた。

 

 

「あっ!タツミさんお疲れ様です」

 

「ナナも元気だったか。こっちはアラガミの防衛で来てるんだけど、これがまた大変なんでな。今は少しだけ休憩って所だ」

 

「タツミさん。アラガミの防衛って?」

 

「あれ?榊博士から聞いてないのか。アナグラからは距離があるんだが、アラガミの群れらしい物が来てるんだ。ただ事態が膠着しているのと同時に、万が一の事もあってな。俺達は元々防衛班だったから問題ないんだが、他の連中はそうでも無いからな。意外と精神的に疲れるんだよ」

 

 そう言いながらタツミはコーヒーを口にしていた。既に何度も経験しているからこそ今回の内容も何時もと同じ感覚でやっているが、他の人間はそうではなかった。

 以前の様に防衛班に志願した人間もいつ来るのか分からないアラガミに常時警戒をしている為に精神的な疲労が蓄積している。恐らくはそんな休憩のつもりでラウンジに来ていた事が原因である事がここに来て発覚していた。

 

 

「ナナさん。先ほどの榊博士の護衛任務が多分そうなんだと思いますよ」

 

「なるほど…それが原因って事なんだね。ケホッケホッ」

 

 ムツミが用意した炭酸が効いたオレンジジュースは喉を潤すには刺激的だった。螺旋の樹では休憩時にそんな物を口にする事がなく、精々が何となく味が付いた様な水が関の山だった。久しぶりに飲んだそれが、少しだけむせる原因となっていた。

 

 

「ナナ。少しは落ち着いて飲んだらどうなんだ?」

 

「ちょっと久しぶりに飲んだからびっくりしただけだよ。でも、ここでこれを飲んでるとアナグラに戻って来たって実感するんだよね」

 

 ナナの言葉に北斗もそれに関してはは少しだけ思う部分があった。

 エイジやリンドウ達とは違い、これまでにブラッドだけでの単独の任務は数える程しかこなしていなかった。特に今回の様な目的は有れど時間を有する任務となれば今回が初めての作戦となっている。今まで確認した事はなかったが、心がゆっくりと荒んでいく感覚はこれまでに体験した事が無いと同時に、如何にクレイドルが過酷な任務を続けているのかを理解していた。

 

 

「皆さん。これはサービスです」

 

「有難うムツミちゃん。でも、本当に良いの?」

 

 目の前に出されたのはサツマイモを使った大学芋だった。こんがりと揚ったサツマイモに透明な何かが絡められている。見た目は芋そのものではあるが、僅かな琥珀色のそれが照り返している。それが単なる料理で無い事だけが予想出来ていた。

 

 

「これは食材の余りで作った物なので大丈夫です。まだ完全に出来た訳では無いので試作品ですが、味は良いと思いますよ。折角なので皆さんもどうぞ」

 

 さしだされた皿の上に置かれた芋を遠慮する事無く口に入れる。久しぶりの感覚だったのか、一番最初に口に入れたナナはそのまま固まっているのか動こうとはしない。何があったのかと心配になり出していた。

 

 

「あの……ナナさん?」

 

「これ美味しいよ。今までに食べた事無い味だよ。ねぇ、もう無いの?」

 

 再起動したかと思った瞬間、ナナの持つ箸は止まる事が無かった。シエルも少しだけ食べたが、外側のカリッとした食感に対し、中はホクホクした食感と、見た目だけでは感じる事が無いそれは確かに美味しいと思える味だった。

 気が付けばナナは一心不乱に食べている。ギルも北斗も殆ど箸をつけていなかった事に気が付いたのか、念の為に確認する事にしていた。

 

 

「あの、北斗とギルは食べないんですか?」

 

「少し食べたが、俺は甘い物が得意じゃ無くてな」

 

「美味しいけど、ナナとシエルが食べてるの見たら満足したからもう大丈夫だ」

 

 サツマイモに絡めてあったのは蜂蜜だった事から、ギルは少しだけ食べはしたが、甘さが得意でない為に、それ以上は不要だと判断していた。一方の北斗に関しても食べはしたが、そこまで食べたいと思わない部分があった。しかし、ムツミがサービスだと言う物に対し、態々言うまでも無いと判断したからなのか、お茶を濁す結果となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マルドゥークに半ば一方的だと思われる攻撃を受け、自分の身体が宙を舞っている視界の中で、ジュリウスが単独でマルドゥークと交戦しているのが見える。既に感応種の中でも厄介な存在だと思われたアラガミはどこか狡猾な部分があった。

 幾らもがこうとしても空中を漂う自分の身体は既に別の物だと言わんばかり言う事を利かない。自分の視界にはただ弾き飛ばされるジュリウスだけが残像の様に残っていた。

 

 

「ジュリウス!」

 

 何かの刺激を受けたかの様にロミオは飛び起きていた。周囲を見渡すと、ここは明らかにアナグラでは無い事だけが理解出来る。気が付けば自分もいつもの服装ではなく見た事も無い様な服が紐の様な物で縛られていた。

 

 

「お目覚めになったんですか?ここは屋敷です。ご当主がここに運んできたんですよ」

 

 気配を察知したのか、これまた見た事も無い女性が柔らかな笑みと共にゆっくりと状況を説明している。ここはフライアでもアナグラでもない場所。目覚めたばかりのロミオにとってここがどこだと言う前に、どんな状況なのかを理解する方が先決だった。

 

 

「あの、俺、いや、僕は一体?」

 

 未だハッキリと理解出来ないからなのか、ロミオは目の前の女性を見ながらオロオロしている。その姿がおかしかったのか、女性は改めて説明を始めていた。

 

 

「ロミオさん。ここは屋敷です。アナグラではありませんが、アラガミの脅威はありませんのでご安心下さい。それと、目覚めて間もないですがこれから少し診断をした後にご当主から説明がありますので、このままここに居て下さい」

 

 何も分からない場所でここに居ろと言われた事で自然と警戒心が高まっていく。しかし、目の前の女性からは邪な雰囲気は感じられず、また耳をすませば時折子供の笑い声が聞こえた事に、ロミオは少しだけ安堵感に包まれていた。

 

 

「分かりました。ではここで待たせてもらいます」

 

 その言葉が全てだったのか、その女性はそのまま部屋から退出していく。一人静まりかえった部屋にロミオは改めて部屋の襖を開けて周囲を眺めていた。

 

 

「え?」

 

 ロミオの視界に飛び込んで来たのは子供たちが周囲を走りながら何かをしている様にも見えていた。手には棒の様な物を持ちながらも、遊んでいるのか笑顔で走り回っている。

 周囲を走りながら聞こえるそれが先ほどの声である事を理解していた。

 

 

「あれ?たしかブラッドにいた人だよな?」

 

 周囲に気を取られていたからなのか、背後からの声にロミオは慌てて振り返る。そこにいたのは以前にFSDで見たアルビノの少女シオだった。

 

 

「あ、ああ。確か、ユノさんのライブの時に一緒に歌ってた人だよね?」

 

「おお~。しってるのか。私シオ。ヨロシクね」

 

 浴衣姿だったからなのか、当時の状況と一致しない事が多かったが、声とその見た目は間違い無く本人のそれ。握手を求めようと手を差し伸べた瞬間だった。

 

 

「シオちゃん。ここに居たの?もう時間だよ」

 

「もうそんな時間なのか。えっと、なまえ……なんだった?」

 

「俺、ロミオ。ロミオ・レオーニって言うんだ」

 

 改めて自己紹介をする。以前にも紹介された記憶が僅かにあったが、その時は時間の都合もあってかあまり話をした事がなかった。そんな中で先ほどシオを呼んだ女性もここに来ていた。

 

 

「確か、ブラッド隊の人?ですよね」

 

 シオを呼びに来た女性はロミオの右腕に装着された黒い腕輪を確認していた。一方の目の前の女性も浴衣姿ではあったが、気が付けば赤い腕輪が右手に装着されている。

 お互いがゴッドイーターである事を理解していた。

 

 

「私、極東支部の第1部隊に所属しているマルグリット・クラヴェリです。アナグラで会ったら宜しくお願いします」

 

 柔らかな笑みと共に頭を下げて挨拶をする少女にロミオは不覚にも顔が熱くなった感覚があった。ロミオの知っている女性陣の中でも目の前の少女の様な女性はこれまでに誰も居なかった。

 思い起こせばナナはどこか奔放な感じがし、シエルに関しても硬さが抜けきらない記憶しかない。そんな経験の中でマルグリトの存在は一段と違った雰囲気を持ち合わせていた。

 

 

「いえ。こ、こちらこそ宜しくお願いします」

 

「私、これから用事がありますので、失礼させていただきますね。シオちゃん。行こっか」

 

 シオと共に歩く姿をロミオはぼんやりと見ていた。目覚めてから今に至るまでまだ時間はそう多くは無い。しかし、目覚めた瞬間の警戒心は既に消え去っていた。

 

 

 



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第236話 訓練中

「なぁ、ちょっと休憩させて……」

 

「何言ってんだよ。お兄さんはゴッドイーターなんだろ?だらしないな」

 

 息も絶え絶えにロミオはその場にへたり込んでいた。目覚めてからまだ数時間しか経過していないにも関わらず、気が付けばここでの稽古着を着て動き回っている。ロミオが座り込んだ事によって、先程まで一緒にいた子供達がロミオの下へと寄って来ていた。

 

 

「いや。ちょっと慣れてないんだよ。少し休憩させてくれよ」

 

「こんなんで休憩なんて早すぎるよ。まだ時間があるからもう1回だよ」

 

「ちょっと勘弁してくれよ!」

 

 子供達の声にロミオは大きく悲鳴をあげる事しか出来なかった。検査が終わってから今に至るまでに怒涛の時間は過ぎ去っていた。屋敷だとは聞いていたが、ここに榊博士が居ただけでなく、指導教官のツバキも一緒に居た事に驚きを隠す事が出来なかった。

 一通り説明を受けはしたが、それが何を意味するのかを説明された訳では無い。ただ言われるがままにやったまでは良かったが、まさかここまでのレベルだとは予想していなかった。

 

 

「今日から暫くの間は、ここで過ごしてもらう事になるよ。君が戦線から離脱してから今に至るまでの事はおいおい説明するが、まずは君の身体の調子を整えながら戦線に復帰する事を最優先とするからね」

 

「今回の件に関してだが、ブラッドにはまだ何も伝えていない。現時点でのアナグラを取り巻く環境は厳しい状況だ。既に我々もかなりの配備をやっている為に、ゆっくりとリハビリと言った考えは無い。早急なトレーニングメニューで戦線に復帰してもらう事になる。なお、私の言う事にはすべてイエスで答えろ。良いな?」

 

 榊の言葉だけでなく、隣にいたツバキは初対面ではあるものの、その雰囲気はこれまでにロミオが経験した事の無い物だった。フライアではありえない程の迫力に何も言葉が出てこない。仮に出たとしても口答え出来る雰囲気は微塵もなく、今はただ頷くより手段は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが復帰のメニュー?」

 

 ロミオが最初に聞かされたのは子供達と遊ぶ事だった。見れば一番上でも10歳前後、下は4歳位の少年少女がそこに居た。聞かされたのは走り回る鬼ごっこ。単純なルールであると同時に、ロミオが全員を捕まえる鬼となる事だけが聞かされていた。

 

 

「なんだ、お兄さん新入りか?ここの遊びは半端じゃないぜ」

 

「いや。俺ゴッドイーターだぜ。こんなの直ぐに決まってるだろ?」

 

 ロミオの言葉に誰もが笑顔を崩す事は無かった。一般人とゴッドイーターの身体的能力の違いは誰もが知っている常識でしかない。もちろんロミオもその事を理解しているからこそ出た言葉だった。しかし、目の前にいた子供達はそんな事すら無関係だとばかりに笑顔のままだった。

 

 

「まぁ、何でもいいけど。じゃあ、10秒数えたら開始だぞ。皆!やるぞ!」

 

「お~!」

 

 子供の遊びに付き合う事のどこが訓練になるのか分からないままロミオは数を数える。これのどこが訓練なんだろうか?何も知らされない事実だけがそこに残されていながらロミは数を数え始めていた。

 数え終わったその数分後には後悔する事となっていた。事前に聞かされた範囲は屋敷の敷地全域。しかし、子供の脚力とゴッドイーターでもある自分の脚力を考えれば自ずと答えは出てくるはず。そう考えながらロミオは最初に見つけた子供へと肉迫する寸前だった。

 

 

「え?」

 

 ロミオは驚愕の表情を浮かべるしかなかった。今さっきまで目の前に居たはずの子供の姿が僅かな音を残して一気に消え去る。突如として消えた事によってロミオは周囲をただ見ていた。

 

 

「お兄さん。上だよ。う・え」

 

 言葉通り上を見上がれば先ほどまでいた子供が屋根の上に立っていた。改めて周囲を見ればいくつか足場があるのか、そこから踏み上がった事だけが予測出来る。視界から一気に消え去った事によってまるで姿が消えた様な錯覚を覚えていた。気が付けば他の子供も何かしらの上に立っている。この時点でロミオは嫌な予感だけが走っていた。

 

 

「待てこの野郎!」

 

「そんな事言って待つやつなんて誰もいないぞ!」

 

 全力で走りながらロミオは改めて他の子供達を見ていた。どの子供も当たり前の様に足場を使い一気に上昇したかと思えば、今度は駆け降りるかの様に建物から降りている。一足飛びで行動する子供達に比べ、ロミオは終始振り回されていたままだった。

 今のロミオには既に遊びの感覚はなく、間違い無くこれが訓練である事が嫌が応にも意識に叩きつけられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう時間みたいだ。じゃあ、お兄さん。また明日な!」

 

 楽しそうな子供の声と同時にまた明日の言葉にロミオは既にうなだれていた。

 いくらゴッドイーターとしての強靭な肉体があっても、肝心の動かし方までは習っていなかった。事実、フライアでの訓練はダミーアラガミとの戦いを想定はしていたが、身体の運用方法までは指導されていない。現時点ではまだ完全に理解していなかったが、一番最初に極東に来た際に、北斗とシエルが嬉々として教導メニューに取り組んでいた意味がここで漸く理解出来ていた。

 気が付けば既に太陽は大地へと沈み始めている。遊びのはずが想定外の運動量に、ロミオの表情からは生気が失われつつあった。

 

 

「どうした?もうたべないのか?」

 

「し、食欲が無いと言うか……あまりにもハード過ぎて胃が受け付けないんだよ」

 

 夕食は折角だからと一人では無くシオやそれ以外の人間と一緒に食べていた。気が付けば先に会ったゴッドイーターの女性は少しだけ給仕をしていたのか、色々と動き回っていた。

 

 

「いきなりのあれはビックリだったでしょ?実は私もなんだ」

 

「え?そうなんですか?」

 

 ロミオの表情を見て何か気が付いたのかマルグリットがロミオに声をかけていた。自身も経験があったのか、それとも当時の状況を思い出したのかマルグリットもどこか乾いた笑いがそこにはあった。

 まだ初日にも関わらず、ここまでの内容だとすれば明日からどうなるのだろうか?今のロミオにはそんな考えだけが胸中に広がっていた。

 

 

「私の場合は期日があったんだけど、ロミオさんは何時までなんですか?」

 

「それは……」

 

 マルグリットの言葉にロミオは改めて思い出してた。ツバキからの言葉は早急なトレーニングによる戦線復帰としか聞いていない。それが何時までとの発言が無かった事を思い出したのか、それ以上の返事は無いままだった。

 

 

「多分、状況を見極めてじゃないかな。今はちょっと厳しいのも事実だし。私も今日はここに予定があったから来ただけなんだ」

 

 言葉に詰まったロミオを見た何かを察したのか、マルグリットは改めて目的の可能性を告げていた。目的が無いままの訓練はある意味では精神を鍛えるには問題無いが、それはあくまでもその人による話。今出来る事はロミオにフォローを入れるだけだった。

 

 

「そうなんですか?」

 

 改めて見るマルグリットの笑顔にロミオは少しだけ何か惹かれる様な感覚があった。これまでに無い対応が原因だったのか、それともしっかりと向き合って話をしてくれたからなのか、ロミオは少しだけ何かを想う部分がこの瞬間まであった。

 

 

「あれ?もう目覚めたんですか?」

 

「あれ?アリサさん。どうしてここに?」

 

 食事中の部屋に来たのはアリサだった。何時もの制服ではなく浴衣に着替え、何事も無い様に空いている場所に腰を下ろす。その雰囲気はまるで自宅に居る様な感覚にも見えていた。

 

 

「ここは、私にとっては自宅みたいな物ですから。今日は少しだけここに予定があったので」

 

 これまでに見た事が無い姿にロミオは少しだけ落ち着きを無くしていた。目覚めて早々にシオやマルグリットと会うだけでなく、浴衣姿のアリサまで居るとなればかなり良い物を見れた様な感覚があった。

 何事も無かったかの様にアリサは隣に座っているマルグリットと話をしながら食事をしている。既にロミオの中ではそれどころではなかった。

 

 

「そう言えば、最近はこっちも忙しくて詳しい事は分からないんですが、大丈夫なんですか?」

 

「今の所はって前提であればですけど。でも、コウタだけじゃなくてエリナもエミールも皆頑張ってますよ」

 

「コウタの場合は単純に良い所見せようとしているんじゃないです?」

 

「別にコウタの良い所だけしか知らない訳じゃないんで」

 

「…ごちそうさまです」

 

「いえいえ。アリサさん達ほどじゃないですから」

 

 食事をしながら聞こえてくる話を聞いた際に、ロミオは少しだけ疑問があった。今のアリサとマルグリットの話からするとコウタとは随分と親しい様にも聞こえて来る。アリサはともかく、改めてマルグリットの顔を見れば先ほどとは違い、頬に赤みが差している様にも見えていた。

 

 

「あの、コウタさんって第1部隊のコウタさんですよね?」

 

「そうですよ」

 

 ロミオの確認の様に話す言葉に隣にいたアリサは何となくこの状況を理解していた。

 ここに来る前にツバキだけでなく、無明からもロミオの件を聞かされている。ブラッドに参加させるには現状の技量に大きな差があるだけでなく、一番厳しい局面でロミオの能力そのものが要求される可能性が高い事から、極東での上級向け教導メニューが導入されていた。

 まだ初日である事から身体をな慣らす所からではあるが、明日からは厳しい一日が始まる事を事前に聞いている。アリサもロミオは初対面では無いが、今のブラッドとでは明らかに力量に大きな差がある事は認識していた。

 本来であれば厳しい訓練である以上、多少の気の緩みは必要ではあるが、今後の事を考えれば緩めすぎるのも問題だと判断していた。

 

 

「そうだ。さっきロミオとたのしく話してたぞ。あれはうわきって言うんだよな。弥生がそう言ってたぞ」

 

「そんなんじゃないです。ちょっとお話しただけですから。それは誤解です!」

 

 何気にないシオの言葉にロミオの顔は赤くなり、マルグリットは逆に青くなっている。そんな状況が既に何かを大きく壊していた。

 

 

「シオちゃん。いくらなんでもそれはコウタがかわいそうですよ」

 

「え~そうなのか?」

 

「そうですよ」

 

 この時点でロミオは何となくだった推測が確信に変わっていた。改めて口に出す必要がなかったのか、何となくガッカリとした気分になっている。

 アリサもシオとの話をしながら視界の端でロミオを見ている。どこか哀愁が漂うそれに、少しだけ気の毒とは思うも、それ以上の事は何も言うつもりはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だか今日のお兄ちゃんは昨日とは違うみたいだけど、何かあったの?」

 

 色んな意味での激動の初日が終わり、ロミオは再び遊びと言う名の訓練を開始していた。好感が持てる女性がまさかコウタの彼女であると思わなかったのか、ロミオは少しだけ傷心気味となっていた。

 しかし、いくら凹んだ所で何かが変わる訳では無い。既に昨日の事は終わった事だと一人心を入れ替えて子供達と向き合う事を決めていた。

 

 

「何でもねぇよ」

 

「そっか。てっきり振られたのかと思ったけど違うみたいだな」

 

 何気に言われるその言葉にロミオは心に何かが突き刺さったのか、それ以上の事は何も言えなかった。既に訓練は開始されている。昨日のあの感情を晴らすべく、今は目の前の子供達と真摯に向き合う事を一人決めていた。

 

 

「大きなお世話だ。今日の俺は昨日の俺とは一味も二味も違うぜ。覚悟しなよ!」

 

「何だかしらないけどやる気出たみたいだ。今日もまたやるぞ!」

 

 再び子供達の事が周囲に響く。既にロミオは何か吹っ切れたのか、目から出る心の汗をそのままに訓練を開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだやれる?」

 

 大の字になったロミオを心配したのか、先ほどまで遊んでいたはずの子供達が次々と寄って来ていた。昨日とは打って変わって鬼ごっこだけでなくかくれんぼまでもが導入されていた事が最大の原因でもあった。

 遊びそのものは至ってシンプルではあるが、問題なのはその内容だった。子供達は隠れると同時に気配が次々と消え去っていく為に、ロミオが鬼の際には一向に見つかる気配は無く、また子供達が鬼の場合には気配を消し去って近寄る為に真っ先にロミオが見つけられていた。

 単なる遊びだけでなく、その中に身体の運用方法が多分に入っていた為に身も心もギリギリの部分まで追いやられていた。

 

 

「まだ大丈夫だ」

 

 そう言いながらロミオは疲弊した身体を無理矢理起こす。既に体力がギリギリだった事を考えれば、子供相手の強がりでしかない。目覚めた際に聞かされた事実を知った際に、ロミオは以前程では無いが、やはり置いて行かれた様な感覚があった。終末捕喰の結末を迎えた先に起こった現実と、その主犯でもあるのがラケルである事実。また、現在進行している作戦の内容、そして今の状態で復帰した場合の戦場がどこなのかを考えると、これでも最低必要現の訓練でしかない事を理解していた。

 

 

「そう?だったらもう少し気合い入れてやっても大丈夫だよな」

 

「………」

 

 無邪気な中に手心を加えるつもりが全く無い言葉は今のロミオの心をへし折るには十分すぎたのか、今のロミオには返事をする気力すら失われていた。

 

 

 



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第237話 新たな現実

 

「フェルドマン。リヴィ・コレットの件だが、体調の確認をしているか?」

 

 一旦は螺旋の樹の調査を取りやめる事でリヴィの体調の確認とばかりに紫藤は改めてフェルドマンに確認していた。これまでの結果から抑制剤の過度な使用が身体を蝕むだけでなく、その効果までもが慢性的になっているからなのか、効き目が弱くなりつつある事実がそこにあった。

 これまでのデータその物は情報管理局の内部だけで管理していたが、既に管理の権限が外れた事による数値の確認は今後の作戦の結果にまで大きく影響を及ぼす。既にリヴィが苦しんでいる事実があるからこそ、以前は問題無いと聞いていた話を改めて確認すべくフェルドマンに訊ねていた。

 

 

「確認はしています。本人の言葉からは問題無いとの報告も聞いていますが」

 

「通り一辺倒の回答を聞いている訳では無い。これまでの摂取量からすれば、そろそろ抑制剤の効き目がなくなりつつある。このまま使用するのであれば最悪は本人の命の問題にもなりかねん」

 

 一刀両断の如き言葉にフェルドマンはそれ以上の事は何も言えなくなっていた。

 目の前の人間が抑制剤を作っただけでなく、その薬効までも一番理解しているのが一番の要因でもあった。だからこそ、その言葉の意味は理解できるが、一人の犠牲の上で全人類を天秤に乗せる事は出来ない。どんな厳しい結果になるのかは予測しているが、今はそんな事を言う必要はどこにも無かった。

 

 

「一人の人間の下で成り立つ作戦は最早作戦では無い。それは単なる人身御供でしかない事を理解しているか?」

 

「……勿論理解しています。私とて無為無策でやっている訳ではない。現時点でやる為の対案が無ければ仕方ないと以前にも言ったはずですが、それをもうお忘れで?」

 

 フェルドマンの視線に力がこもる。これ以外の作戦はあり得ないと言う確固たる意志が見えるからこその言葉には、自分の立案した作戦を覆す意志は感じられなかった。

 ヴェリアミーチェの本来の持ち主でもあるロミオは保護しているものの、現時点で戦場に出せばどうなるのかは考えるまでも無かった。事実、救出作戦に関しては極秘裏に動いた結果でしか無く、その事実はフェルドマンにすら伝えていない。もしそれが発覚した場合、ロミオに対し、即時戦線復帰を言い渡すと同時に過酷な戦場に放り出されるのは明白でしかない。

 仮に言った所で何かが改善される様な雰囲気は微塵も無かった。

 

 

「そうか……ならば多少なりとも改善した抑制剤を使うと良い。以前ほどの副作用が無いだけでなく、薬効の配分も変えてある。これならば多少なりとも効き目は改善されるだろう」

 

 こうなる事を予測していたのか、紫藤から渡されたアンプルにフェルドマンの顔色が僅かに変化していた。

 薬効を変えるとは言っても事実上の成分の強化はそれだけ身体にかかる負担も大きくなるのは当然の事だった。数字を見たからこそギリギリの範囲まで副作用を抑え、効き目だけを高めたそれが何を意味するのかは自身が一番理解している。だからこそ、フェルドマンの表情は僅かに曇っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい。では、その様にお願いします」

 

 ブラッドが一旦は螺旋の樹の探索を中断し始めてから1週間が経過しようとしていた。既に資材が揃ったのか、神機兵がゆっくりと資材を運搬している。

 既に今回の指揮を任されたアリさはタブレットを片手に進行状況を逐一確認していた。

 

 

「アリサ。状況はどうなってる?」

 

「資材運搬は今ので最後ですから、この後はキットの組み立てになりますね」

 

 エイジの言葉にアリサは改めて予定を確認していた。事前に聞いていたリヴィの件に関しても未だ改善の兆しが見える事は無かった。そうなれば屋敷で訓練をしているロミオの復帰が一刻も早くする事だけが念頭に置かれていた。

 一度はアリサも屋敷で見た事もあってか、既にエイジが屋敷での教導を開始している事を知っている。現時点でブラッドにはロミオの件はまだ伝えていない事もあってか、その話をしようとすれば必然的に近寄っての小声となっていた。

 

 

「ロミオの件だけど、もう少し時間が欲しい所かな。良い線までは言ってるんだけど、やっぱり実戦をしない事には厳しいかも」

 

「でも、神機無しだと無理ですよね?」

 

「そこなんだよ。だからと言って夜中にアナグラって訳にも行かないからね。案外と難しいんだよ」

 

 アリサをベースキャンプ設置の責任者にしたのはロミオの存在があったからだった。

 元々サテライトの建設をアリサの主導でやっていた為に疑問が誰も浮かばなかったが、それはあくまでもエイジとリンドウが派兵に行っているからの話であって、既に派兵に行かない今は誰がなっても不思議では無い。しかし、これまでサテライトの建設に尽力を注いでいたのがアリサであればそれは全て自然な流れにしかならない。だからこそエイジは屋敷でのロミオの教導に精力を傾ける事が可能となっていた。

 

 

「お前ら、なんでこんな所でイチャイチャしてるんだよ」

 

「なんだ、コウタですか。今はエイジと話があっただけですよ」

 

 背後からのコウタの声にアリサは僅かに焦っていた。現時点でロミオの存在を知っているのはアリサとエイジ以外ではマルグリットだけ。コウタなら知らせても問題無いとは言われたものの、これまでの事を考えた結果、マルグリットはコウタに話す事無く今に至っていた。

 

 

「だったらそんなにくっつく必要無いだろ?」

 

「マルグリットに構って貰えないからって僻むのはお門違いですよ」

 

「誰も僻んでないよ。って俺の事はどうでも良いだろ?」

 

 既に神機兵は資材を運んだ事で、今は3人しか居ない。本来であれば自室で話せば良かった事だけが悔やまれていた。

 

 

「コウタはこれから神機兵の護衛だよね?僕はあれから内部には殆ど入らないから分からないんだけど、実際にはどうなってるの?」

 

 エイジが裏の任務として行動していたのはコウタも知ってはいたが、その肝心の内容までは何も知らされていなかった。精々は情報管理局の目を欺く程度の事しか思っていないだけでなく、あの任務以降エイジが螺旋の樹の内部に入っていない事をコウタも知っている。事実、その後の状況は良好とは言い難い状況になりつつあった。

 最大の要因は下層部から中層部に上がる際にはルートがハッキリとしていたが、中層部から上層部へと移動するにあたってのルートが何も発見出来ない点だった。ブラッドが開拓した場所は確実に安定化を図っているものの、未だ見つからない上層へのルートの発見の遅れは作戦全体を停滞させる原因でしかない。そんな事情からも一刻も早い発見が急務となっていた。

 

 

「全くだよ。上へのルートが見つからないってタツミさん達もボヤいてた。実際に俺達も護衛をしながら新ルートの開拓をするんだけど、手がかりが何も見つからないんだよ。何だかブラッド以外の人間を入れるつもりが無いみたいでさ」

 

 話題の回避に成功はしたものの、既に今後の予定が事実上の手詰まりになっている事は何も変わらないままだった。

 これまでに分かっているのは螺旋の樹の内部は植物の様な維管束が発見されている為に、そこを起点に探せば良いのではとの憶測が会議室内にあった。しかし、それが本当に正しいのかと言われれば回答に困る。

 上層部に行けない事には何も進まないのもまた事実。現場だけでなく事務方も見つからない苛立ちが徐々に表面に出始めていた。

 

 

「簡易型のベースキャンプですから多分設置そのものは時間がかからないはずですから、今後はそこを拠点にする必要がありますよ」

 

「だよな。でも良く考えればベースキャンプが出来たらアナグラに戻る機会ってかなり減るよな。って事は今後はどうなるんだ?」

 

「今後は偏食因子の投与と神機の整備、食事に関してはベースキャンプが主体となりますね。住環境に関しては最低限の物で構成してますから、その辺りは各自の判断になりますけど」

 

「やっぱりか……でもこればっかりは仕方ないよな」

 

 コウタは何か思う所があったのか、それ以上の言葉を出すのを止めていた。螺旋の樹の萌芽による終末捕喰の開始は既に履行されている。現在はブラッドが何とかその状況を打破する為に行動しているが、それもまた人知れず厳しい内容となっていた。

 

 

「一応はミニキッチンも併設してますから、自分達で作る事も可能ですよ」

 

「まぁ、それも何だけどさ。実際に俺達も機材の護衛もしているから分かるんだけど、部隊の消耗が思ったよりも早いんだよ。幾ら制御装置で安定してるとは言え、やっぱりオラクルが荒れた内部は負担も大きいんだよ」

 

 食事の事では無く部隊の心配だった事にアリサは目を丸くしながら驚いていた。これまで長い付き合いではあったが、部隊の事を優先的に考えている姿を見た事がなかったからなのか、いつもと違って真剣な表情のコウタはこれまでに見た事が無かった。

 一個人では無く部隊の長としての発言は人知れず本人の成長を意味している。本人は気が付いていないが、それがこまれまでの甘さが残っていた部分との決別を意味していた。

 

 

「コウタが珍しくまともな事言ってます。神機兵は大丈夫なんですかね?」

 

「あのなぁ……俺だってちゃんと部隊運営の事は考えてるよ。実際に何時もの場所じゃなくてここが最前線なんだし、過酷な状況下でのミッションは命の危険性もあるから、しっかりと考える必要があるんだよ」

 

 既に一部の部隊を残して主力は螺旋の樹の内部が主戦場と化していた。外部に関しては未だアラガミの大群はまるで何かを監視しているかの様に一部の場所に留まったままだった。監視をしながらも時折群れからはぐれるアラガミの討伐がここ最近の通常ミッションとなっていた。

 

 

「そろそろじゃない?こっちの事はこっちでやるから、コウタも頑張りなよ」

 

「ああ。じゃあそろそろ行くか……」

 

 準備が出来たのか、何時ものメンバーとは違う部隊構成でコウタの背中は徐々に遠くなっている。既に日程的な物がクリアできたのか、改めてブラッドの螺旋の樹への投入が数時間後決定していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと。ソーマ、君は今回の件に関してだが、どう考えているんだい?」

 

 支部長室を後にしたブラッド以外でこの部屋にいるのはソーマだけだった。今回の螺旋の樹の探索に於いてはソーマの名前は入っていなかった。

 元々極東支部での研究の内容はレトロオラクル細胞の研究を主としてやってきたソーマからしても未知数の物だった。当初は断りを入れた部分もあったものの、無明が改めてソーマを説得した事によって今に至っていた。

 

 

「…俺が出来る事はロミオの神機の効果でもある『圧殺』の事だけだ。少なくとも現時点で分かっているのは、あの力は本当にアラガミを抹殺する程の内容なのかが気になる点だ。これまでの数値と俺の経験上、あれはもう少し意味合いが違うのかもしれん」

 

「ほう。では何だと考えてるんだい?」

 

 何時もの笑みを浮かべ、細い目の榊の視線が珍しくソーマに注がれていた。

 これまで研究といえば、既に聞き及んだ知識を総動員して結論を導き出すやり方をソーマはやっていた。やり方そのものは間違っていないが、それはあくまでも十把一絡げにくくられる研究者と何ら変わらない点だった。

 実際それでもそれなりの成果が少しづつ出始めているのは良い事ではあるが、それでは自身の経験を全否定しているのと変わらない行為に榊は少しだけ残念に考えていた。

 

 榊の次点でもある紫藤博士は既にフェンリルでも確固たる地位を築いているが、それはこれまでの自信の経験に裏打ちされた結果が表に出た格好だった。そんな経緯があるからこそ、本部の技術フォーラムでは実戦に関する論文で紫藤の右に出る者は誰もおらず、その結果として今回も使用されている抑制剤を開発出来た経緯が存在していた。

 しかし、ソーマは良い意味ではスタンダードではあるが、悪くとらえれば誰でも出来る内容でしかなく、今回の作戦の参加に当たっては自身の経験を上手く引き出す事が出来る可能性を秘めてるとの榊と紫藤の算段の結果でしかなかった。

 

 

「実際にこの目で見た訳では無いが、ログを見た限りだと小型種に関してはその存在に押しつぶされた感じはあるが、中型種以降はその働きが弱っている様にも窺える。そう考えると俺が思っていた内容は間違っている可能性があるな」

 

「なるほど。だとすればどう考える?」

 

「……そうだな。俺なら……おいオッサン。俺はあんたの弟子になった覚えは無いぞ」

 

 榊の誘導尋問の様な質問に気が付いたのか、ソーマはそこで言葉を一旦区切っていた。既にそれが答えを導きだしつつあった事を理解しながらも、ソーマは改めて自分の推論を纏める様に考え出していた。

 

 

「そんなつもりは無いよ。ただ、ヨハンが生きていれば今の君を見てなんて思うかと考えるとね……」

 

「ふん。馬鹿馬鹿しい。親父は親父だ。俺には関係無い。今後の事もあるから、リッカとナオヤにも幾つか確認したい事がある。俺もこれで失礼するぞ」

 

 支部長室を出た事を確認した榊は一つの写真を見ていた。映っているのはまだ若かりし頃の榊とヨハネス、アイーシャの3人。当時の状況がどれほど絶望的だったのかを考えれば、今はまだ恵まれているのかもしれない。しかし、目の前ではゆっくりと進行する終末捕喰に対する案が事実上無に等しいのは間違いなかった。

 既に幕は上がっている。今の榊の心情は子供の成長を見守る親の様な物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ!きっとあれはそうですよ。遂に見つけましたよハルさん」

 

「どれどれ……ああ。多分そうだろうな。でかしたぞカノン!」

 

「ありがとうございますハルさん!」

 

 未だ見つからない上層部へのルートが見つかったのは本当に偶然の事だった。制御装置を護りながらの探索任務は根気が必要となってくる。既に第1.第2部隊も同じ様に探索してはいたものの、一番最初に発見したのは第4部隊のカノンだった。改めてハルオミもその存在を確認する。既に上層部に向けての入り口らしき物が大きな空間に穴を空けている様にも見えていた。

 

 

「了解しました。すぐに行動を開始します」

 

 上層部へのルート確認の一報はすぐさま北斗達の耳にも届いていた。時間がいくら経過しようともその入り口の痕跡はこれまで見つかる気配は無く、その結果ここからは何も進まないままの現状に大きな進歩を見せる結果となっていた。

 

 

「遂に見つかったんですか?」

 

「ああ。カノンさんが見つけたらしい。これから直ぐにブリーフィングと作戦の開始だ」

 

 休憩とばかりにラウンジにあった空気が一気に張りつめる。既にその表情はこれからの作戦の厳しさを物語っていたからなのか、誰も甘い考えを持った者は居なかった。

 

 

 



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第238話 真理

「これが今後の拠点となるベースキャンプですか。思ったよりも中は充実してますね」

 

「シエルちゃん。簡単な設備だけどシャワー室とかもあったよ!」

 

 上層部へのルート発見後の行動は迅速だった。当初はアラガミが付近に待ち構えていないかとの懸念事項もあったものの、結果的には杞憂に終わっていた。

 今後の拠点となるベースキャンプも併せて設置が完了した事から、アリサからの依頼によって北斗達はその確認をする事になっていた。

 

 

「これは簡易キットの組み合わせではありますが、サテライトのノウハウを使ってます。外部の防壁程のレベルではありませんが、対アラガミの部分だけでなく、住環境もそれなりに利用する部分に関しての不自由さは感じないはずですよ」

 

 最終確認の為にアリサもブラッドと行動を共にしていた。既に引き渡し完了の手続きを終え、後は設備に関しての不具合を一つ一つ確認していく。突如として現れた設備にナナははしゃぎ、シエルはただ感心していた。

 

 

「まぁ、以前の物に比べればかなり違うだろうな。ただ、ここが拠点となるなら暫くはアナグラには戻れないと考えた方が良いのかもしれんな」

 

 ギルの言葉にこれまではしゃいでいたナナも現実を見直したのか、先ほどまでの表情とは打って変わって引き締まっていた。螺旋の樹の内部は、これまでに分かっている事だけを挙げても事実上のアラガミの体内に近い物があり、この場は事実上の敵地のど真ん中でもある。

 何気に呟いたはずのギルの一言ではあったが、現実を直視するには十分すぎていた。

 

 

「ギルの言う通りかもな。既に上層部へのルートも確立したのであれば、今後は更に厳しい戦いが予想されるのは間違い無いだろう。中層の時点で居ないならジュリウスはこの上に居る。あともう少しだけやるしかないな」

 

 事前に榊からもたらされた情報の中でも今後の上層部への進行はこれまで以上に険しい道程が待ち受けている事は確認している。既に対策を立てるべく、新たな制御装置は神機兵が運ぶ事が決定している以上、残された時間はそう多くは無い。まだ見ぬ光景に全員が改めて気持ちを引き締めていた。

 

 

「北斗。少しだけ確認したい事があるが、今良いか?」

 

 全員が居る場面で発言したのはリヴィだった。今後の進展を考えるに当たって最大の要点でもあるのがジュリウスの所存だった。

 リヴィはブラッドに配属されてまだ間もない事だけでなく、ここに来るまでに色んな情報に一通り目を通していた。ジュリウスのやって来た事が正しいのかどうなのかは今決める話ではなく、今後の歴史がその正邪を判断すれば良いだけの話。しかし、あくまでもジュリウスが生存している前提での話であって、最悪の展開になった場合の決意は誰の口からも聞いた事が一度も無かった。だからこそ、今後のモチベーションの源泉でもあるジュリウスの事について確認しておきたいと考えていた。

 リヴィが発言した事で全員の視線がリヴィへと集まる。それが合図だと言わんばかりにリヴィは現時点での話の為に口を開いていた。

 

 

「正直な所、君達とは違い、私はジュリウスの事はよく分からない。だが、これまでの調査で既に生体反応そのものが確認できず、もし万が一無事だとしても未だ特異点の状態であれば終末捕喰は始まってしまう。それでもジュリウスを助けたいと思う気持ちが皆にはあるのか?」

 

 本来であればこんな状況下で言う言葉ではなかった。リヴィが言った言葉は極東の中でもブラッド以外の事実上の全員が口には出さないまでも少なからず考えている言葉ではないのかと思える部分が多分にあった。それは奇しくもまだブラッドが極東に来る前にクレイドルの主要メンバーでもある旧第1部隊が考えぬいた状況と酷似していた。

 しかし、事実上の部外秘でもあるその内容を今の北斗達は知る術は無い。当時の状況に近い事だけが今の現実である事を知らしめていた。

 

 

「今はそんな事を考える必要は無いと思う。リヴィはジュリウスの事をどう思っているのかは知らないが、ここに居る全員は少なくとも助けたいと願って行動をしている。今から最悪の事態を考えた所で何かが変わる訳でないのもまた事実だ」

 

 北斗はそう言いながらリヴィに向けた視線に力を込めていた。もとより終末捕喰が一旦は発動した時点で全員が激しく後悔している事を北斗が一番理解している。既に同じ轍は二度と踏まないとの確固たる意志があるからこそ、リヴィの質問が愚問だとばかりに明言していた。

 

 

「そうか……すまない事を聞いてしまったみたいだ。先ほどの発言の詫びをしよう」

 

 明確な意志にリヴィは少しだけ安堵した様な表情を浮かべていた。フェルドマンに報告した際に適合における拒絶反応についての質問は事実は異なる答えを述べていた。

 適合率が上昇しているのは体感だけでなく神機の運用やその状態が数値化されている為に誤魔化す事は出来ないが、自分の浸食に関しては生体データでは表れにくいからなのか、情報管理局員も気が付く事は無かった。自分の力でここまで来たなどと、おこがましい考えは無いが、事実上『圧殺』の能力が無ければ何も始まらないのもまた事実。

 明確な意志があるのであれば、それに最後まで付き合うのもまた一興だとリヴィは考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここが上層部なの?これまでとは全然違うんだけど……」

 

「そうだな。事前の話だとオラクルがかなり荒れているって話だったが」

 

 ナナとギルの言葉がブラッド全員の気持ちを代弁していた。これまでに分かっている事は螺旋の樹の内部はオラクルが暴風雨の様に荒れ狂っていると予測されていただけでなく、事実、観測している計器もその数値を叩き出していた。

 そんな事もあってか、入念な準備を終え改めて上に進むとそこは何もない凪いだ状態の空間が広がっている。一部の場所からは青空が顔を出し、その傍には小さな滝の様に水が崖の上から流れ落ちている。これまでの様に禍々しい雰囲気はどこにも無く、まるで小高い高原の様な光景はこの場に居た全員が呆気に取られる様でもあった。

 近寄っては居ないが、隙間から見える空の向こうは既に雲が眼下にある様な光景に、本当にここが最前線なのかと自分の視覚に入る景色を疑わずにはいられなかった。

 

 

「でも、穏やかな様にしか見えないんだど……」

 

 ナナは改めて周囲を見渡している。見える範囲の中にアラガミの姿は微塵も無く、本来であればここにベースキャンプを設置した方が良い様にも思えていた。

 

 

「ナナ、ちょっと待つんだ」

 

 何も無いのであれば周囲の探索をするのは当然だとばかりにいち早く動こうとしたナナを北斗の右腕が伸びる事で制止する。確かに景色は風光明媚だと言えるも、何か嫌な感じだけが纏わりついている。まだ誰も気が付いていないのか、突然の北斗の行動に誰もが動こうとはしなかった。

 

 

「何かあったんですか?」

 

「何と言う訳じゃない……ただ嫌な勘が働くだけだ」

 

 シエルの質問に対し、北斗は抽象的な言葉でしか表す事が出来なかった。嫌な予感はこれまでに培ってきた戦場に於ける勘でしかなく、またそれがこれまでの中で間違っていない事も理解している。だからこそシエルの質問に対し、北斗もそれ以上の言葉を出すには時間が必要だった。

 

 

「何だあれは?」

 

 リヴィの言葉に全員の視線はその声の方へと向いていた。今までのどかだったはずの景色が徐々に崩れ出す。周囲に湧いたのはこれまで見た事が無い黒い蝶の群れだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだここは?さっきまで居た場所とは違う様な気がする……」

 

 黒い蝶に襲われた事により、周囲の視界が一気に塞がれていた。憎悪の塊の様な蝶は明らかに自然界に存在しない物であると同時に、何かしらの明白な意志がそこに宿っていた。

 既にどれ程の時間が経過したのかは分からないが、改めて周囲を確認しても先ほどの場所とは明らかに異なるだけでなく、他のメンバー全員の姿も発見する事は出来ないでいた。周囲を歩くも出口らしいものは何処にも見当たらない。既にここが夢なの現実なのかすら判断する材料はどこにも無かった。

 

 

「何故、貴方はここにいるのですか?」

 

 周囲の探索を初めて数分もしないうちに聞こえて来る声に北斗は聞き覚えがあった。自分の記憶違いで無ければこの場に居るはずの無い人物の声でもあり、最悪の展開を考えた際に確実にそうであろう人物の声。忘れるはずもないラケル・クラウディウス本人の声だった。

 圧倒的な存在感が視界にないはずのそれを際立たせている。気配を察知したのか、純白の神機の刃を振り返りざまに向けた先に、先ほどの声を発した人物は佇んでいた。

 

 

「フフッ。随分な挨拶ですね。私は貴方にそんな教育をした覚えはありませんよ。それともそれが今の貴方方の流儀なんですか?」

 

 これまでに何度も見たラケルの笑みは、当時と何も違わないままだった。

 既に車椅子に乗っていないからなのか、佇んだラケルは笑み浮かべるだけで動こうとはしない。しかし、その佇まいは明らかに人外のそれと同じ気配を持っていた。

 

 

「………貴様は何故ここに居る?」

 

 北斗の言葉には明確な殺気が含まれていた。ジュリウスを上手く使う事で自分の大望でもある終末捕喰を完遂させた張本人でもあり、今回の螺旋の樹の汚染に於いても最大級のイレギュラーを作り出した人間は北斗が放つ殺気をいとも受け流す。まるで子供がやる事を穏やかな目で見守る親の様な視線は終始崩れる事はなかった。

 

 

「それは愚問と言うものですよ。貴方方はここに来る際にしっかりとした認識を持って来ていたのではありませんか?……ここは私とジュリウスが作り出した世界。私からすれば貴方方がここに居る必要性が何も無い存在でしかありませんよ。

 改めてもう一度言います。何故、貴方はここに居るのですか?」

 

 ラケルの笑顔は今もなお崩れる事は無かった。禍々しい空気を全身に纏い、全ての物を拒絶している様にも見える。ラケルの事を何も知らない人間であれば気にならないレベルではあるが、これまでに何度も接してきた北斗からすればラケルの皮を被った悪意そのものの様にしか見えなかった。

 

 

「貴方はあの時ジュリウスにこの螺旋の樹を任せたのではありませんか?」

 

 そう言葉にしながら一歩一歩北斗に向けてゆっくりと歩き出している。目の前には神機の刃があるにも関わらず、まるでそんな物が最初から無かったかの様にゆっくりと歩を進めていた。

 

「ジュリウスを手放したく無いと言うのであれば、何故あの時、手を取らなかったんですか?」

 

 神機の刃まであと2メートルもあるかどうかの距離をゆっくりと歩む姿は先ほどまでと何も変わらない。徐々に近づくラケルは北斗の下へ歩みと止める気配は無いのか、笑みを浮かべた表情そのままに今なおゆっくりと距離を詰めている。

 

 

「そう……あの時もそうでしたよね。ロミオが襲われた際に貴方はどうしてましたか?」

 

 ラケルの口から出たロミオの言葉に北斗の精神は僅かに揺らいでいた。赤い雨の中を知り合ったばかりの老夫婦を見つける為に、防護服を着用しそのまま走り出した事を思い出していた。あれが元気なロミオを最後に見た場面だった。

 

 

「もし貴方があの時ジュリウスの制止を振り切ってロミオの所へ走っていればこんな事にはならなかったんじゃないですか?」

 

 そう言った瞬間、ラケルの背後には当時の情景が浮かび上がっていた。シェルター内部に居た為に知り得なかった事実。うっすらと浮かび上がる光景はロミオがマルドゥークに弾き飛ばされ空中に浮いている姿。

 

 

「そしてジュリウスが黒蛛病に罹患する事も無かったかもしれない」

 

 弾き飛ばされたロミオを救出すべく走り出したジュリウスもまたマルドゥークに弾き飛ばされる姿が浮かび上がる。

 

 

「そしてその後も……ジュリウスがブラッドを抜ける際に、貴方がもっと強く引き止めていればこんな事にはならなかったのかもしれない……」

 

 既にラケルは北斗の間合いに入っていた。このまま一気に横薙ぎに神機を振れば間違い無くラケルの胴体は一瞬にして切り離される。本来であれば不用意に間合いに入る事はあり得ない。にもかからず未だラケルは歩を止める気配は無く北斗の元へと歩み続けていた。

 

 

「全ては確かに私が貴方に対して与えた試練です。しかし……この様な結果になったのは私だけの試練だけではありません。貴方が貴方自身で考え、導きだした答えとしての結果が今出ているだけなのです。

 これが試練の結果の対価であれば現実を粛々と受け入れるだけなのではありませんか?」

 

「…………」

 

 ラケルと北斗の距離は既に50センチも無い程の至近距離まで迫っていた。神機を振るうまでもなく、これまで鍛え上げた自分の業があれば一撃の下に葬り去る事が確実な距離。にもかからず、今の北斗は攻撃そのものをする意志は無かった。

 

 

「……沈黙は肯定と同じですよ。……最後にもう一度尋ねましょう。貴方が成すべき時に成す事が出来なかった貴方は……今更何の為にここに居るのですか?」

 

 不意にラケルから発せられる気が大きく膨れていた。攻撃する意志は無くてもこれまでに鍛えられた精神と肉体は半ば無意識の内に神機を横薙ぎに振るっていた。

 大気を斬り裂くかの様な斬撃がラケルの胴体めがけて襲い掛かる。絶対の間合いを外す事はあり得ないと言わんばかりの鋭さを秘めていた。事実上の至近距離であれば余程の頃が無い限り回避するのは不可能だった。

 この間合いで攻撃を避ける事が出来る人物は北斗が知る中では2人しかいない。ましてや目の前のラケルがそんな芸当が出来るはずもなかった。

 

 

「…迷いの無い見事な太刀筋……どうやら貴方は絶対の覚悟を持ってここに来たようですね」

 

 北斗はラケルに向けた斬撃に手ごたえを感じる事は無かった。確実に仕留めるかの様に振るったはずの斬撃は勢いが衰える事なく空を斬っている。残像の如くラケルの姿は消えると同時に北斗の背後に集まった黒い蝶が集まると、改めてラケルの身体を形作っていた。

 

 

「……良いでしょう。貴方にジュリウスを取り戻す資格があるのか試して見ると良いでしょう。ただし……それは終末捕喰から特異点を引きずり出すのと同じ事。『再生なき永遠の破壊』を生み出す引鉄を引く事になる事。

 ジュリウスを救出する行為に対し、貴方はそうであったとしても他の皆が果たしてそう考えていると言い切れますか?」

 

「それ以上は黙れ!」

 

 背後からの声に北斗は超反応とも言える速度で機を鋭く振るう。しかし、そんな行為すらまるで嘲笑うかの様にラケルの胴体に刃が通る事は無かった。既にラケルの姿は先ほどとは違い現れる気配は微塵も無い。

 既に現れる必要が無かったのか、純白の刃が再び斬り裂く事は無かった。

 

 

 



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第239話 ギリギリの選択

「……斗。北斗!どうかしたんですか?」

 

 シエルの言葉が北斗の耳に届いた頃には、既に周囲の景色は先ほどの場面へと戻っていた。夢にしてはあまりにもリアルすぎる感覚に、気が付けば手にはジットリと汗が滲んでいる。既にどれ程の時間が経過したのか、全員の視線は北斗へと向けられていた。

 改めて周囲を見れば、のどかともとれる風景が広がっている。全員の視線に気が付いたからなのか、北斗は先ほどの状況を思い出し、その事実を伝える口を開こうとした瞬間だった。

 

 

「おい!何だあれは」

 

 ギルの言葉に全員の視線が集まる。少し前に見た黒い蝶が再び周囲を巻き込むかの様に湧き出たと思った瞬間だった。

 その場に居た5人を取り囲むかの様に襲いかかる。元々実体を持たないそれに対し、神機を振るった所で何も解決する事が出来なかった。

 襲い掛かる黒い蝶からの攻撃を防ぐ為に盾を展開する事だけで精一杯だった。時間にして数秒程度。先ほど襲い掛かった黒い蝶は群れの様に一つの塊になってその場から上空へと移動している。一塊だったそれが徐々に大きな個体へと変化している。その姿は終末捕喰の最終局面で見たジュリウスが乗っ取られたアラガミと酷似していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全員散開!」

 

 北斗の怒号の様な指示と同時に全員がその場から一気に離散していた。以前に戦った個体とは似ているが、よく見れば明らかに異なる点がいくつか存在していた。

 以前の様に捉えられたジュリウスが居た場所には王冠を被った様な骸骨の面が付けられている。既に臨戦態勢に入っているからなのか、一つの個体の様なそれが全員に対しむき出しの殺意を持って対峙していた。以前の様な羽は既に失われたからなのか、それとも今のアラガミの体をそのまま体現しているからなのか、これまでに何度か討伐した神融種の特徴と酷似していた。

 最大の違いでもある羽の部分に変わって存在しているのは明らかに神機の刀身部分を模した物。8本の刃が宙を漂い付き従うそれは紛れも無くこちらの命を奪いかねない代物だった。既に刃が周囲に向かって回転を始めている。それが起点で始まる攻撃は既に予測出来ていた。

 

 

「思ったよりも……厳しい…な」

 

 盾を展開する事で直撃は避けるも、斬撃と変わらない一撃はこれまでに感じた事が無い程の重さを秘めていた。無理矢理回避する事も可能ではあるが、当時の攻撃をそのまま周到するのかは対峙しない事には何も分からない。最悪は自分の命と引き換えになり兼ねない為に、確認すべきとばかりの行動でもあった。

 突きの一撃はそのまま斬撃に変かする事はなく、元の場所へと戻っている。先ほどの一撃によってどれほどの強さなのかが改めて浮き彫りとなっていた。かつての攻撃の気配は僅かに残るも、その色は殆ど見える事は無かった。当然だと言わんばかりに羽の刃が斬撃の嵐とばかりに全員に襲い掛かる。

 以前の様な攻撃の甘さはそこにはなく、ただ命だけを奪い去るだけの殺戮機械でしかなかった。

 

 

「クソッ!またか。シエル頼む!」

 

 8枚の刃は厄介以外の何物でもなかった。以前同様に、刃を回転させる事によって接近戦に持ち込ませる様な隙を作らず、また銃撃をメインとした攻撃の際には幅広の刃を盾の様に扱う事で直撃する事は適わなかった。

 対峙してからの時間の経過を感じる暇はなく、戦闘中の頭脳は常時働き続けていた。このままの上体が続く様であれば、体力差を考えれば最初に疲弊するのはこちら側。しかし、現時点での対処は遅々として進まなかった。

 

 

「ダメです。本体に届きません」

 

 ギルの言葉でシエルのアーペルシーから放たれた銃弾はこれまで同様に刃に阻まれ未だ着弾した事は無かった。厚みを増した刃は以前の様な隙間を発生させる要素はどこにもなく、回転させる事によって近接攻撃すら受け付けない。現時点でやれる行動は限定されていた。

 これまでの攻撃がここまで続けば本来であれば刃の一枚も破壊される可能性があるものの、常時回転している為にどれがどれだけのダメージを与えているのかすら分からない。全部にそれなりのダメージがあるのかもしれないし、ごく一部にだけ深刻なダメージがあるのかもしれない。しかしその確認をする事は適わない以上、今はただひたすらに攻撃を与え続ける以外の方法は無かった。

 

 

「だったら!」

 

 ナナの気合いの入った声と同時に目の前のアラガミの背後に回っていたナナのコラップサーは既に準備が完了していたのかチロチロと見える青い炎が姿を現している。渾身の一撃と思われるそれが1枚の刃に始めて直撃していた。

 高速回転していなかった事が拍車をかけたのか、1枚の刃はミルミル皹を大きく広げ出していた。既にその用途に適さないと判断した結果なのか、それとも放棄したのは8枚のうちの一枚はそのまま崩壊していた。

 

 

「行くぜ!」

 

 刃の一枚が破壊された事が最大のチャンスだととばかりにギルは自身のヘリテージスを赤黒く光らせる。既に突進の体制が出来上がっているのか、あと半歩足を踏み出す事が出来ればそのまま自身がオラクルの塊となって突撃する事が可能となる。

 既に視線はアラガミから外れる事は無い。本来であればこのまま一気に追撃するのがこれまでのパターンだった。

 

 

「ギル!ストップだ」

 

「北斗、どうかしたんですか?」

 

 このまま一気にケリを付けようとした所で北斗はギルを制止させていた。アラガミの様子は先ほどに比べれば若干弱っている様にも見える。千載一遇のチャンスを不意にした事に誰もが疑問を持っていた。

 

 

「まだ弱っている様には見えない。理由は分からないが何となくそう感じるんだ。ナナ!その場から離れろ!」

 

 北斗はナナに退避の命令を出すと同時にアラガミを注視するかの様に視線を定めたまま動く気配は無かった。そんな北斗の意図を汲んだのか、シエルは改めてアラガミに向けて今まで使用していた物とは違うバレットをアーペルシーに装弾すると同時に、すぐさま銃弾を撃ち込んでいた。

 轟音を挙げながらシエルが自身の研究の成果とも言えるバレットは着弾すればかなりのダメージを与える事が出来る、事実上の止めの一撃の様な役割を果たしていた。仮にギルのチャージグライドが直撃したとしてもほぼ同レベルかそれ以上の破壊力を秘めている。もし、致命的なダメージを負っているのであれば、着弾した後の事は考えるまでもない。そんな思惑が存在していた。

 

 

「やっぱりか……」

 

 北斗の呟きの様な言葉はすぐに結果となって表れていた。先ほど破壊したと思われた刃は擬態だったのか、改めて数を確認するとこれまで同様の8枚の刃が周囲を囲むかの様に浮かんでいる。

 もしあのままギルが突撃する様な事があれば、ギルの胴体は上下に分離した可能性を秘めていた。

 

 

「まだ蟠りがあるとでも言うのか……」

 

 誰にも聞こえない程の呟きが北斗の口から洩れるかの様に出ていた。目の前のアラガミが強固な個体であるだけでなく、先ほどのラケルの言葉が北斗の行動を制限するかの様に封じ込めている。良く言えば慎重ではあるが、悪く言えば迷っているとも言える行動は部隊全体に広がりを見せていた。

 既に時間の概念はどこにもなくこれまでにどれ程の攻撃を当てようとも8枚の刃の鉄壁の防御は崩れる気配がどこにも無かった。既に携行品も底をつきかけている。上層部に入った途端の戦闘は予想を超えた苦戦を強いられてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方のシエルだけでなく、先ほどの攻撃を制止させられたギルもまた僅かながらに戸惑いを覚えていた。この上層に入った瞬間に襲い掛かった正体不明の黒い蝶が全員を襲ったかと思った瞬間、北斗の行動がおかしくなっていた事を思い出していた。慎重と言えばそれまでだが、これまでの様な早さを活かした攻撃がなりを潜めていた。

 結果的には先ほどの崩壊に関しては完全にブラフだった事は良かったが、その後の指示はやはりどこか違和感を感じ得なかった。

 

 

「北斗。こんな時に言うのもなんだが、どうかしたのか?」

 

「いや。なんでもない」

 

 ギルの言葉の意図は北斗も理解している。自身でも明らかに行動が鈍いのは自覚している。しかし、先ほどのラケルの亡霊に言われた言葉が自身の行動を蝕んでいるのは間違いない。最低限のダメージを避ける事は各自の技量で何とか凌いでいるも、このままの状況が続くとなれば最悪の展開になるのは時間の問題だとも思われていた。

 戦闘以外の思考がほんの僅かの判断を狂わす。今の状況を理解しているかと思える程にアラガミの刃は北斗へと向いている。既に8枚の刃は花の花弁の様に展開していた。以前にも自分達が感じた最大の脅威。既に刃の光が中心に集まっていた。

 

 

「くっそたれ!」

 

 時間にして恐らくは1秒の時間にも満たない中での意識の遮断は死の臭いを予感させるには十分すぎた。時間にして僅かコンマ5秒。北斗に向けた一撃は既に回避の選択肢を奪い去っていた。

 

 

「北斗!」

 

 ナナの叫び声と同時に、北斗の目の前でマンチムームーが展開される。脅威の一撃を防ぐには北斗のバックラーではなく、ナナのタワーシールドで防ぐ以外に方法がなかった。通常の一撃とは違う威力にナナは全身を使いながら防いでいるが、徐々に押され始めている。

 以前に見た程の威力は無いが、それでもかなりの威力を有した攻撃にナナの表情が苦痛に歪む。既に靴の跡は徐々に後ろへと延び出しているのか、地面には深く溝が出来ていた。

 

 

「ナナ!」

 

「いつもの北斗らしくないよ。私の事よりも、今は目の前のアラガミに集中しなよ。でないとここまでしてくれた皆に顔向けできないから!」

 

 盾を展開しながらの攻撃はかなりの質量があるのか、気を抜けば確実に弾き飛ばされる程の威力を持っていた。以前にも見たこの攻撃は最新のアラガミ防壁すら凌駕する程の威力を有している。それを自分の盾だけで守るにはあまりにも厳しい状況だった。

 熱線の熱量が徐々に神機にも伝播する。このままではナナの神機に何らかのトラブルが発生するのは時間の問題だと思われた瞬間だった。

 これまで普通に戦って来たはずのリヴィから強力なオラクルの反応を感じている。既にチャージクラッシュの態勢に入ってるのか、通常の闇色ではなく、そこにはブラッドとしてのオラクルの活性化の証でもある赤黒い光を帯びていた。

 

 

「このまま死ね!」

 

 リヴィの言葉と同時に上段に構えたヴェリアミーチェが振り下ろされる。そこから生じた衝撃波は周囲の土砂を巻き込みながらそのアラガミへと走っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だ今の感じ……ぐわっ!」

 

「訓練とは言え戦闘中によそ見なんかするな!これが実戦なら死ぬぞ!」

 

 訓練中のロミオは現在ナオヤと教導の真っ最中だった。穂先が無いが、先端は何となく槍の形状をしたもののがロミオの腹部を直撃する。気を抜いた一撃はロミオを弾き飛ばすには十分すぎた一撃だったのか、道場の壁に激突していた。

 

 

「痛てててて………よそ見じゃなくて、さっきオラクルの血の力……ブラッドアーツの鼓動みたいな物を感じたんだ」

 

「血の力?」

 

「確証は持てないけど、確かにそれを感じたんだ。まるで何かを引き寄せる様な、呼んでいる様な……」

 

「そう感じるとはね……」

 

 ロミオの言葉にナオヤは内心感心していた。事前に聞いた情報ではロミオ自身が自分の力だけでブラッドアーツを行使した事実はどこにも無かった。

 教導教官としてロミオと対峙する前に、細かい部分のログまで事前に確認していた。

 精々が瀕死の間際の一撃にその痕跡があった事を、整備をしたナオヤは知っていただけに過ぎない。詳しい理論は分からないが、これまでに血の力を感じたジュリウス以外ではこのロミオもまたその血の力が完全に覚醒している事だけが予想出来ていた。

 既に教導は終盤にさしかかりつつある。時間的にはそろそろなんだと目の前のロミオを他所にそう考えていた。

 

                                                                                                         

 

 

 

 

 

 

 

 リヴィの一撃はこれまでの戦った事によるダメージの積み重ねの総決算とばかりに繰り出した衝撃波は刃で防御したそれをいとも簡単に破壊し、そのまま消滅させる結果となっていた。

 リヴィの放った衝撃波は地面までも抉るかの様に大地にも多大な跡を残している。止めの一撃となったそれの力の大きさが垣間見える様に思えた。

 

 

「何、今の……」

 

「今のは……」

 

 リヴィが放った後はまるで何もなかったかの様に再び空気が凪いだ状態に戻っていた。

 先ほどの一撃はこれまでに感じた事が無い力。厳密に言えば今のメンバーでは感じる事が無かったロミオの力だった。全身の力が全部吸い上げられたかの様にリヴィに虚脱感が襲い掛かる。それが何かの引鉄を引いたかの様に、声が周囲に響いていた。

 

 

「ぐぁあああああああ!」

 

 全員が振り向くと、そこにはリヴィが自分の右腕を押さえながらうずくまる姿があった。先ほどの一撃が自身の限界値を超えた結果なのか、それとも既に身体に限界が来ていたのかは分からない。しかし、現時点でそれを判断出来る材料は何もなかった。

 

 

「シエル、すぐにアナグラに連絡。救護班の手配と護衛の依頼。ギルは神機を頼む。ナナはリヴィは担いでくれ。俺はここで警戒しながら殿を務める」

 

 北斗の指示に従いシエルはアナグラへの通信を開き、ナナはリヴィを背負い出していた。未だアラガミの気配が無かったのは僥倖だが、それでも今後の事を考えると暗い未来しか無かった。

 

 

 



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第240話 葛藤

 シエルからの一報はすぐさま会議室に居たフェルドマンの下にも寄せられていた。限界を超える様な一撃がキッカケとなった結果なのか、それとも自身の身体に限界が来たのか、現時点では何も詳細は分からない。しかし、届いた情報は事実上の作戦の継続が困難だと言っている様な内容に、会議室の中は動揺が隠せないままだった。

 

 

「うろたえるな!今やるべき事は帰投するブラッドの支援を最優先だ。現状は何も分からない以上、まずは状況確認を優先させろ!」

 

 会議室の動揺を払拭するかの様にフェルドマンの声が響き渡る。現時点ではリヴィの負傷とだけ知らされているが、これまでの状況から考えれば負傷の可能性ではなく、むしろ限界値を超えた事による暴走の可能性が否定出来なかった。

 誰も口にはしていないが、会議室に居る職員全員の推測だった。いくら何を言おうが、帰投後の検査ですべてが分かる。フェルドマンの声が功を奏した形となったのか、会議室に静寂が戻るまでに僅かに時間を必要としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは思ったよりも酷いね」

 

 ブラッドが帰還した直後、直ぐにリヴィは医務室に運ばれる事となっていた。それと同時に、先ほどの一撃を何とか防ぎ切った代償だったのか、ナナの神機を見たリッカは暫し呆然としながらも、手は一向に停まる気配は無い。既に各パーツを分解したのか、ナナの神機は柄の部分から先は既に外されていた。

 

 

「やっぱり無理がありすぎたのかな……」

 

 リッカの呟いた言葉に全てを察したのか、ナナはいつもの様なはつらつとした雰囲気は無かった。

 あの一撃はかつてフライアの壁面さえも破壊する程の威力だった物。実際に防ぐ事が出来た以上、それはあくまでも劣化版である事は間違い無かった。しかし、威力に関しては通常のアラガミが繰り出す攻撃に比べれば比較すべき内容ではなかった。

 実際に良く見れば盾の一部はクラックが入り、中心部は僅かに溶けている。如何に厳しい戦いであったのかを雄弁に語っている様にも見えていた。

 

 

「いや。神機がよくここまで持ったって事が大事なんだよ。神機はアラガミを倒す剣であると同時に、その最前線で戦うゴッドイーターの盾でもあるからね。無理矢理動かして壊れた訳じゃないんだし、ましてや北斗を護った結果でしょ?だったらそんなに凹む必要は無いよ」

 

 沈み切ったナナのフォローとばかりにリッカは今回の件についてしみじみと考えていた。終末捕喰の手前のアラガミと同等の物がそうホイホイと出てこられても整備をする側からすれば困るだけでしかない。以前に対峙したマガツキュウビとは違い、今回は直接的な防御に対する結果である以上、損壊の度合いは溜息が出そうだが命の保護が出来た事は嬉しいとさえ考えていた。

 

 

「うん……でも、もう少しやり方があったんじゃないかと思うと……」

 

 リッカのフォローもむなしく、ナナの落ち込み様はこれまでに無い程だった。細かい物を数えればキリがないが、いつもであれば直ぐに回復する。今回の作戦がこれまでの中でも最大級であると同時に、リヴィも現在は治療の為に医務室へと運ばれている事が拍車をかけていた。

 北斗を護った代償とは言え、それは決して小さい物では無かった。

 

 

「まぁ、気持ちは分かるよ。でも、命あっての物種なんだし、それに関しては良しとしないと。元々上層に入る事が分かった時点で、一度は神機の点検には時間をかける予定だったから、そうまで気にしなくても良いよ」

 

 そう言いながらもリッカの手は止まる事は無かった。その事実を裏付けるかの様に、気が付けばシエルとギルの神機も既に作業台に乗せられている。

 決してフォローの意味合いだけでない事がナナの気持ちを徐々に回復へと向かい始めていた。

 

 

「そう言えば。北斗の神機が見当たらないんだけど、どうかしたんですか?」

 

「ああ、あれは私の管轄じゃないんだ。ナオヤがやってるからね。今は教導やってるから、整備はその後になるかな」

 

 リッカの言葉にナナは今の神機になった事を思い出していた。北斗の神機は元々はクロガネ系統の神機を使用していたが、今は『暁光』と言う銘の神機を使用している。

 これまでに使っていた漆黒の刃とは正反対の純白の刃はある意味では退魔刀としての役割を果たしていると何となく聞いた記憶があった。それだけではなく、通常とは作り方や調整もある意味では特殊だからと言う事で、整備そのものも他とは一線を引く様な内容となっていた。

 

 

「そう言えば聞いてなかったんだけで、なんでこんな状況になったの?何時もの北斗らしくないとは思ったんだけど」

 

「……それは、私にも分からないんです。上層部に上がった直後に黒い蝶が現れたかと思った途端にアラガミが出たのがキッカケだとしか」

 

 帰投した際にログとシエルからの報告でリッカは大よその状況は想像がついていた。

 上層部に達した瞬間に厳しい戦いが発生したとなれば、今後の探索が今よりも更に厳しい物になるのは間違い無かった。事実、修理しているナナの神機も被害が甚大なのは盾の部分だけではなく、ハンマーヘッドの部分も僅かにクラックが入っている。

 明らかにこれまでのアラガミよりも強度が高いのか、それともここまで酷使した結果なのかは分からない。そんな事実があったからこそ、完全点検と同時に新たにアップデートする必要があった。

 

 

《ブラッド隊は直ちに会議室に集合して下さい。繰り返します。ブラッド隊は直ちに会議室に集合して下さい》

 

「リッカさん。私呼ばれたみたいだから、お願いします」

 

「良いよ。これが私の仕事なんだから」

 

 館内放送が終わると同時にナナは神機の整備室からそのまま出て行った。既に作業中だった事からもリッカも気にする事無くそのまま作業を続けている。先ほどの件でナナは気が付いてなかったが、ここには本来であればリヴィが使っていたロミオの神機が置いてあるはずだった。しかし、この部屋にはその気配は既に無くなっている。

 リヴィが使用したはずの神機は別の場所へと運ばれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「早速だが、今回の要件は今後の作戦に関してなんだが、現状は君達も良く知っての通り、リヴィの処遇についてだ。現在の所は安静にしているが、今後の事を考えるとむやみやたらに任務に就かせるのは厳しい状況となりつつある。既にこちらでもその可能性は予想していたが、想定した以上に厳しい状況となっている。そんな事からも、リヴィの容体が安定するまでは君達の神機の完全整備と、今後の対策を要する事になる。

 神機に関しては整備士に依頼はしてあるが、最短でも3日は必要となる。すまないが、君達も今回の件で暫くは休養となる……それとリヴィの件なんだが」

 

 フェルドマンの言葉に全員の表情に疑問が浮かんでいた。何でも無いミッションであれば休息は嬉しいが、こんな緊急時のミッションの最中での休息は尋常では無い。そんな空気を感じたのか、改めてフェルドマンは重い口を開いていた。

 

 

「まさかリヴィさんがそうだったなんて……」

 

 いつも冷静なシエルもフェルドマンのの言葉に動揺がハッキリと現れていた。これまでの内容に関してはラケルの独白の様な言葉でマグノリア=コンパスの概要が語られていたが、リヴィに関しても一時期はラケルの手の中で過ごして来た事は初耳だった。

 ジュリウスのプロトタイプとして培ってきた経験を置き去りにし、新たにジュリウスに対し傾倒していくそれは子供の幼い心を破壊するには過分すぎていた。あらゆる偏食因子を難なく受け入れるそれは明らかに異能ではあるが、それと同時にその頃から既にラケルは人知れず行動に移していた事実に誰も声にするのを忘れたのかと思う程でもあった。

 

 

「だったらなぜ情報管理局はリヴィを未だに使い続ける様な真似をしてるんだ?その言葉が事実ならば、やっている事はラケルと何も変わらない」

 

 フェルドマンがもたらした言葉に納得出来なかったのか、北斗は自身の考えをフェルドマンにぶつけていた。仮に自分の命を削りながらのミッションは自殺するのと大差ない。

 ましてやその事実を本当に自分が理解しているのであれば、今回のミッションに関しては確実に自分のの命と引き換えにしているのと同じだった。

 

 

「もちろん我々としても今回の作戦に関しては万全を期しているだけでなく、本人とも面談した結果だ。何よりも今回の作戦に関してはリヴィの志願の部分が強い。我々も苦渋の決断をした結果だ」

 

 フェルドマンの言葉に偽りは無かった。事実、今回の作戦に関してもリヴィからの提案である事が伝えられていた。既にリヴィの意志が確固である為に作戦は開始されている。

 対案が未だ無い以上、ある意味では仕方ないと考える部分もそこには存在していた。それと同時に、北斗自身もナナに護られる事が無ければ今回の様な結果を招く事はなかったのだと考えていた。ラケルの幻影とも言えるそれはゆっくりと北斗の精神を蝕んでいく。

 自分が本当にブラッドの隊長を続けても良いのだろうか。北斗もまた人知れず苦悩する事になっていた。

 

 

「色々と考える部分もあるだろう。我々としても失うにはあまりにも惜しい人物である事に変わりはない。今回の件に関しては既に極東支部に多大な損害を与えているのもまた事実だ。今出来る事を最大限にやってほしい。その為に我々が出来る事をやりたいと考えている」

 

 フェルドマンの心の内を聞かされた様な気持ちが勝ったのか、会議室から出た後もブラッド全員の表情が優れる事は無かった。これまでのやりとりを見てきた側としても、まさかここまでの考えを持ってるとは考えた事もない。

 既にそれなりの時間が経過したのか、4人がラウンジに着く頃には、帰投したゴッドイーターの姿が多くなりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし。とりあえずここでの教導は一旦終了だ。今度からは実戦に入る事になる」

 

 屋敷での教導は事実上の終了を迎えていた。負傷する前よりも格段に動きが良くなっただけではなく、そろそろ神機を使用した実戦に入る必要性が出た事から、ヴェリアミーチェは既にアナグラから屋敷へと移送されていた。

 アナグラでの状況がどうなっているのかはナオヤも理解している。これまでにリヴィはジュリウスだけでなくロミオの代役としても十分すぎる程に活躍してきた事は一番理解していた。

 リヴィには申し訳ないが、今後はリヴィの変わりに本来の持ち主でもあるロミオがやるべき内容がどんな物なのかも理解しているからこその実戦となっていた。

 

 

「漸く実戦か………腕が鳴るぜ!」

 

 ナオヤの考えを他所にロミオはこれから始まる実戦に意識が向いていた。これまでにナオヤだけでなくエイジにも散々しごかれた結果、自分が今どれ程の力の持っているのかを判断する材料は無かった。

 朝は遊びと称した訓練をやったかと思えば、アラガミの構造に関する座学や戦術論、挙句の果てには意識が飛ぶまでの対人訓練はアナグラの上級カリキュラム以上の内容となっていた。もちろんロミオにはその事実は一切告げていない。一時期、教導メニューを見た記憶はロミオも持っていたが、今やっているはその上の上級カリキュラムだと偽った結果にしかずぎなかった。奇しくもそれはシエルが配属された当時のカリキュラムが児戯に等しいと思える様な内容だった事を知るのは後日になってからだった。

 

 

「なんだ。嬉しそうだな。そんなにここでの教導は嫌だったか」

 

「いえ。そんな事は思ってませんって。だってアナグラの上級カリキュラムはこれ以上なんでしょ?俺がこれから投入される場面を考えればこれ位はやらないと」

 

 嫌々の様にも見えたが、まさかここまで前向きに考えているとはナオヤは思ってもなかった。実際にこのカリキュラムは屋敷でこれまで培ってきたエイジやナオヤが無明相手にやって来た内容と大差ない物。早々に音を上げるかと思っていたが、まさかそんな事を思っていたとは考えてもいなかった。

 

 

「そうか……それ位の気概があるならば実戦の方は問題無いだろうな。今日は明日に備えてここで終了だ。明日の現場は朝一番に伝える。エイジが迎えにくるから、それに一緒に行ってくれ」

 

「了解しました」

 

 ここまでの内容からすれば実戦の内容は過酷な物でしかない事をナオヤは知っていた。今回のロミオが投入される物はエイジとアリサ、マルグリットとの連続ミッション。アナグラの周囲に巣食ったアラガミの掃討戦が復帰の初戦だった。

 冷静に考えてもこのミッションが最低限こなす事が出来なければ螺旋の樹の内部探索は厳しい物にしかならない。既にロミオは訓練ではなく明日の事に意識が行ってるからなのか、どこからともなく鼻歌が聞こえていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と言う訳で、君達には明日からのミッションにロミオ君を同行させる事にしたから、くれぐれも頼むよ」

 

「了解しました。自分としても見てきた以上は結果を出す様にすべきですから」

 

 支部長室ではエイジとアリサ、マルグリットが召集されていた。事実上のロミオの戦力の確認だけでなく、未だにアナグラの周辺に巣食ったアラガミが行動を起こさないのであれば、こちらか迎撃した方が良いだろうとの判断から出されたミッションだった。ここに呼んだ人間は事実上の身内だけ。ロミオの状況をよく知っているだけでなく、情報漏洩を防ぐた為のメンバーでもあった。

 

 

「でも、私が入っても良かったんでしょうか?エイジさんとアリサさんはともかく、私は第1部隊の所属ですが」

 

「その件に関しては問題無い。今回のミッションはマルグリット、お前の適正試験も兼ねている。部隊を増やす予定は今の所無いが、万が一コウタに何かがあった場合、速やかに指揮を執る為の訓練を兼ねている。今回の作戦に関しては互いにツーマンセルでのミッションを各方位に対して開始する。マルグリットはロミオとのコンビになる予定だ」

 

 ツバキの言葉にマルグリットは漸く理解していた。ここに来るまではどんな目的があるのかすら伝えられておらず、またメンバーを見ても極秘裏に行動する割にはクレイドルとしてのミッションでも無い。

 以前に噂された新部隊設立の可能性を含んでいる以上、マルグリットとしても拒む必要はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?コウタ隊長何落ち込んでるんですか?」

 

「落ち込んでなんてねぇよ」

 

 先ほどまで見送ったはずのコウタは珍しくラウンジのカウンターに座っていた。エリナの記憶が正しければ、今日からマルグリットは連続ミッションに出向いているはず。だからこそ、今日1日は溜まった書類を整理するはずだと記憶していた。

 

 

「でも、エイジさんとアリサさんが一緒のミッションだと、きっと過酷なんでしょうね。私も立候補したかったな」

 

「俺だって同じだって。でもツバキ教官から言われたら何も言い返せないしな」

 

 コウタの言葉にエリナはその状況が目に浮かんでいた。厳しい言い方かもしれないが、こちらの考えや意図は確実に理解した上で許可を出してくれるのは、周囲を見ている証拠でもあった。事実、一時期の部隊編成の際にエリナはダメ元でツバキに掛け合った事があった。本来であれば即却下となるはずが、まさかの容認はエリナの記憶にもまだ新しい。

 そんな事実があったからこそ、コウタの気持ちが分からないでもなかった。

 

 

「どのみち明日には戻るんですから、今日中にこれやったらどうですか?出ないとマルグリットさんも呆れますよ」

 

「これからやろうと思ったんだよ。エリナは今日は第4部隊か?」

 

「はい。久しぶりにカノンさんと同じミッションなんです」

 

「そうか……頑張れよ」

 

 コウタの言葉を即座に理解したのか、エリナはそれ以上の事は何も言えなかった。既に極東では常識になりつつある第4部隊でのミッションは後方確認が必要であることをよく理解している。

 既にアサインされているからなのか、エリナは神機保管庫へと歩き出していた。

 

 

 

 



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第241話 独白

 

「ロミオさん!油断しないで」

 

 マルグリットの声は周囲に響くかの様にロミオにも伝わっていた。既に連続ミッションは中盤に差し掛かろうとしているも、未だにアラガミの反応が消える頃は無かった。

 

 

「分かってるって!」

 

 ロミオは最初の様な気勢は既に無くなりつつあった。久しぶりのミッションだった事も影響したのか、それとも今回のメンバーにやる気が湧いているのかは分からない。

 最初はリハビリだろうとタカをくくっていた気持ちすら既に無くなっていた。一体に時間をかければ、他のアラガミが次々とロミオの下に集まって来る。最初にエイジから概要を聞いた際には冗談だとばかり思っていたが、時間の経過と共に戦局は徐々に悪化の一途をたどり出していた。幾ら整備された神機とは言え、アラガミを屠り続ける事にその威力も徐々に落ちて行く。力任せに神機を振るえばその傾向は尚更だった。

 既に周囲にエイジとアリサの姿は見えていない。マルグリットも交戦中の今、この場に頼れるのは自分の力と神機だけだった。

 

 

「このまま行け!」

 

 ヴェリアミーチェから発せられた赤黒い光が衝撃波となってアラガミへと襲い掛かる。訓練の時点で大よそ問題無いと予想されたブラッドアーツは既にこの場面でも何の制約もなく行使されていた。赤黒い衝撃波はアラガミに直撃したかと思った瞬間、周囲に居たはずのアラガミの挙動がこれまでとは違い突如として緩慢になる。ここに来るまでにソーマからきかされたロミオの『圧殺』の能力はこれまで自分が知っているそれとは明らかに異質な力だった。

 しかし、ソーマから聞かされた内容に間違いは無いが、何となくイメージとも違っている様に思える。僅かな違和感が何を意味するのか分からないが、マルグリットはただその力の威力を見た事でその違和感を無意識の内に放棄していた。

 

 

「まさかいきなりこんな修羅場みたいな戦場に放り込まれるとは思ってなかったよ」

 

「今回のミッションは割と厳しめですからね。私はまだ螺旋の樹に行軍した事が無いので分かりませんが、あれもかなり過酷な物だとはコウタから聞いてますよ」

 

 ロミオの能力の影響なのか、周囲にアラガミの反応は消失していた。戦闘指揮車から来る情報でもアラガミの姿は探知できない。ここで一息いれるべく、2人は一旦、本営の場所へと戻っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確か、内部はオラクルが荒れ狂ってるって聞いたんだけど」

 

「そうですね。既にブラッドが整地した部分は安定化してますが、それ以外の場所になると並のゴッドイーターだと厳しいかもしれませんね」

 

「でも、今回の件でその計画も綻びが出始めていると言った方が正解ですね。ここにロミオが居て自分の神機を使用している時点でどうにも出来ませんから」

 

 食事をしながらの現状の把握はロミオにとっても衝撃的な物だった。ブラッドは今の所、神機の整備の関係で一時休息を取った状態となっているのは良かったが、問題なのはロミオの神機ヴェリアミーチェの使い手の事だった。

 ロミオはブラッドの中ではジュリウスに次ぐ古参であると同時に、北斗とナナが来るまでは2人だけの部隊だった記憶しか無かった。もちろんP66偏食因子に適合出来ないのであればブラッドに入る事は適わず、またそれを開発したラケルは既に居ない為に新規で加入するケースはあり得ないはずだった。

 そんな中で出てきたリヴィの名前。自分の記憶が正しければまだマグノリア=コンパス時代に関わった褐色の少女だった事だけが記憶の中にあった。

 

 

「あの、リヴィってまさかとは思うんだけど、ブラッドに編入したって事です?」

 

「それは違うよ。厳密には情報管理局からの出向みたいな形だよ。なんでも色んな偏食因子を取り込む事が出来るとかって話で、今回の作戦に一時的に加入しているだけだよ。でもリヴィ・コレット特務少尉の事をロミオは知ってるの?」

 

 エイジの言葉にロミオは改めて驚いていた。神機は各個人の適正に応じた物が支給されるのは最早常識でしかない。そんな中であらゆる神機に適合出来る能力はそれだけでも破格の内容でもある。既にジュリウスの神機を適合させ、ブラッドアーツまでも行使するその能力にはただ驚くしかなかった。

 

 

「知ってるも何も、まだ子供の頃、マグノリア=コンパスで一緒だったんです。詳しい事は覚えてませんけど、当時は独りでいるだけでなくいつも腕に包帯を巻いていたのが記憶にあったんで」

 

 エイジだけでなくアリサも詳細については何も聞かされていなかったからなのか、リヴィに関する事を完全に知っている訳では無かった。

 大よそは聞いてるが基本はブラッドと行動を共にしている以上、クレイドルとの直接のコンタクトは無い。無明とツバキは間違い無く知ってるかもしれないが、現時点では態々確認するまでも無かった。

 

 

「そうか……実はそのリヴィがこれまで先陣を切って螺旋の樹の内部探索をしていたんだ。その件に関してなんだけど、今後の事を考えるとリヴィの代わりをロミオが担当する事になると思う。今回もそれが可能なのかが本来の内容なんだ。

 実際に螺旋の樹の内部探索には神融種と呼ばれるアラガミを多く存在している。それを踏まえた上での訓練のつもりだから、この後の任務は少しだけハードにするつもりだよ」

 

「……了解しました」

 

 パスタを口にしながら今後の予定だけがエイジの口から聞かされていた。既に厳しい局面に何度も遭遇しているだけに、この後のミッションでは少しハードになるの言葉がやたらと重くのしかかる様だった。

 既にここまでの討伐数は数える気持ちすら失せる程の数であると同時に、時折出てくるアラガミの中には接触禁忌種も交じっている。そこからのハードとなればどれ程の物になるのか、ロミオはそれ以上想像すると素直に返事が出来そうになかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。リヴィちゃんの意識が戻ったみたいだからお見舞いに行かない?」

 

 リヴィが担ぎ込まれてからは暫くの間意識不明の状態が続いていた。原因はハッキリとはしていないが、明らかに自分の容量を超えた数値が原因である事だけは判断されていた。

 改めて数値を確認すると、既にギリギリの状態になっているのか今後の予断は厳しい物へと成り下がっている。既に抑制剤の投与すら危ぶまれたそれが、今後の戦いの厳しさを予感させていた。

 そんな中のナナの言葉。訓練を一旦は中止させ、北斗はナナだけでなく、ギルとシエルも同行し、医務室へと移動していた。

 

 

「そうか……フェルドマン局長がそんな事を…」

 

「かなり心配してたみたいです。検査の結果を見ても予断は許さない状況だとも聞いています。どうしてもっと早くに言ってくれなかったんですか?」

 

 落ち込むリヴィにシエルが確認とばかりに問いかけていた。これまでのミッションの際にも何度か右腕を押さえている姿をシエルは見ていた。当時はそれが何も意味するのかは分からなかったが、フェルドマンの言葉を聞いた今ではその意味は痛い程に理解出来る。

 事実上の自己犠牲を伴う作戦は周囲に与える影響が大きい事をブラッド全員が痛い程に理解している。だからこそシエルはリヴィにその真意を確かめたいと考えていた。

 

 

「私には元々居場所が無かったんだ……」

 

 リヴィの口から出た言葉は事前にフェルドマンから聞かされた内容そのままだった。自分はあくまでも研究の途中で放り出された出来そこない。ラケルに言わせれば欠陥品同然の人間であると意識付けられていた。

 

 事実、ブラッドはこれまでのゴッドイーターとは偏食因子が異なる事からも他の部隊からは色んな意味で注目されている事は情報管理局所属のリヴィが一番理解していた。P53偏食因子とは一線を引くそれは既に既存の能力を大幅に越えた存在でもあり、リヴィからすればラケルに捨てられた自分とは違い、自身が率先して招聘した人間。そんな中で欠陥品の自分が加入しても良いのだろうかと考える部分が多分に存在していた。

 

 戦いに参加すればするほどブラッドの卓越した戦闘能力は自分の想定をはるかに超えているだけでなく、過大な能力を持った人間に特有としてある驕りすら感じる事が出来ないでいた。今は一時的な編入だと言い聞かせるだけでなく、自分が必要とされているのであれば自分の身はどうなっても構わないと言う部分もそこにはあった。

 そんな衝撃的な言葉が全員に告げられる。独白めいた言葉によって医務室の空気は重い物へと変化してた。

 

 

「……私が言うのも何ですが、リヴィさんの考えは間違っています。少なくとも私達が最初にジュリウスから言われたのは、部隊のメンバーではなく家族だと言う事。技術に関しては最初からこうなっていた訳ではありません。それはここに居る極東支部の指導方法や私達を導いてくれた先人が居たからこそです。

 情報管理局の事は良くは知りませんが、もっと詳細を見れば……これまでのログを見れば一目瞭然です」

 

「そうそう。今のリヴィちゃんの方が私なんかよりもずっと戦力になるだろうし、カッコイイんだよ」

 

「だが……」

 

「リヴィがそこまで気に病む必要は無い。実際にロミオの神機を使ってなら分かるとは思うがロミオはそんな自己犠牲の下で成り立つ様な事には賛成しない。今のリヴィの考えは神機だけでなく使い手のロミオまでも否定する事になる。俺達は今回の作戦に関しては誰一人失うつもりは無いんだ」

 

 北斗の言葉に改めてリヴィは全員の顔を見ていた。これまでの様に作戦の失敗の際には嘲笑される様な視線はどこにも無い。既に部隊に受け入れられている事がリヴィの心を癒していた。

 

 

「だが、差し当たっては今後の計画の見直しだな」

 

「それは私も同感です。今のままではあまりにもリスキーすぎます。今後のは適合率もさることながら何かもっと建設的な作戦を考えた方が良いかもしれません」

 

「2人の気持ちはありがたいが、これは元々私が志願して立案された物だ。私は……私の意志で誓いを果たしたいと思ってる」

 

「誓いって?」

 

 リヴィの言葉に誰もが疑問を持ってた。これまでの話の中でそんな単語が出てきた記憶は何処にも無かった。フェルドマンから聞いたのはリヴィの状況だけ。さらに本人の口からもそんな単語が出ていない。一体誓いとは誰に対しての言葉なのだろうか。そんな疑問がナナの口から出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「誓いはまだ私の子供の頃の話なんだ……」

 

 先ほどのまでのないようとは違っていたからのか、リヴィは自分の過去の事を話し出していた。

 ラケルに見出された事による幸福感は周囲の子供達からも羨望の的だった。何をするにもラケルはリヴィを優先させるだけでなく、他の子供達とは明らかに待遇そのものすらも異なっていた。当初は戸惑う事が多かったが、自分だけが贔屓されている事に徐々に疑問を持つ事はなくなりつつあった。

 このままならばこの場での自分の居場所は確保できる。まさにそう考え始めた頃だった。突如としてその立場からは一気に転落する事になった。それは新たな人物ジュリウスの加入だった。

 これまでの様に優遇されていた立場からは一転し、他の子供達と同じ様に扱われた事が、周囲のからの心無い声を多分に聞く事になっていた。

 大人とは違い、子供の言葉に裏表は存在しない。事実上の本音に近い言葉によってリヴィの心は荒む一方だった。既にいくつかの季節が過ぎる頃になればリヴィは誰とも話をする事もなく日常を続けて行く。そんなありふれた日常を一人の男の子が破壊していた。

 

 

「あの頃の私はラケル先生の期待に応えたいだけだった。だからきつい検査や実験にも耐える事が出来たんだんだと思う。それだけが私お唯一の生きがいみたいな物だった」

 

 リヴィの心情を察したのか、当初は何人かの子供がリヴィを元気づけようと話かけていたが、既にそんな心情ではないからとリヴィは何も答える様な真似はしていなかった。

 無愛想で無関心となればその状況を見た人間は徐々に距離を取り出す。気が付けばリヴィを心配する様な人間は誰も居なくなっていた。そんなリヴィに近寄ってきたのは人好きのする笑顔の持ち主でもあった男の子だった。当初から明るくクラスの人気者でもあったその子はリヴィの心情を察する事無く、ただ仲良くなりたいとの考えからいくら無視されようともずっと話かけていた。

 

 

「初めはうっとしいと思ってた。何かにつけて構ってくるだけじゃない。私は何度も明確に拒絶もしていた。にも関わらずその男の子はずっと私を気にかけていたんだ」

 

「…ひょっとしてその男の子は力になりたかったんじゃないのかな?少なくとも私はそう感じたんだけど」

 

「そうですね。私もそう感じました」

 

 ナナとシエルの言葉に自分もそう考えていたからのか、リヴィの顔に笑みが僅かに浮かんでいた。あの時の事は今の自分の最大の要因でもあり、また今の自分があるのもその子のおかげだとも考える事が出来る。だからこそ、その当時の誓いを今もなお守ろうと考えていた。

 

 

「ああ。だから私はロミオと約束したんだ。私が出来る事をやって行こうと……」

 

「えっ!リヴィさんの相手はロミオだったんですか?」

 

「ああ。私を、あの時の私を引き上げてくれたロミオの為ならばどんな状態になろうと力になりたい。だから私はここで止める訳には行かないんだ」

 

 リヴィの発言にシエルだけなくナナやギルも驚いたままだった。冷静に考えればロミオらしいとも思える。これまでに何度か話をした際にはそんな部分が見て取れている。だからこそ独白めいた事実が今の作戦を支えていた事が理解出来ていた。

 

 

 



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番外編 19 新春



新年明けましておめでとうございます。
昨年に続き、本年も宜しくお願いします。


まさか、今年の新年のバージョンを書く程に続くとは思いませんでした。
本来であれば番外編は週末でしたが、正月なので、今日の更新は番外編とさせて頂きます。


 静寂を保った舞台にシャンシャンと鳴る鈴の音が、まるで空気を神聖な物へと変化させている。

 既に神の信仰が失われた時代にはおおよそにつかわないそれは、明らかに異質な物だった。時折一定のリズムを奏でるそれを持っているのは一人の少女。普段の天真爛漫さは既に消え去り、口元に引かれた紅が真っ白な肌を際立たせている。

 白装束に緋袴のそれは、その少女を引き立たせる為の物なのか、それともこの場の為に設えた物なのかは分からない。しかし、この場の空気を支配していたのは間違い無かった。

 

 

「私、初めて見ました」

 

「普段は見せないからね。あくまでも新年の舞の一つだから」

 

 二組の若夫婦だけでなく、普段であれば礼儀から程遠いはずの面々もまた、いつもの純白の制服ではなく、男性は黒い極東由来の紋付袴、女性は色とりどりの振袖を着ていた。時間にして僅かではあったが、神聖と言うに相応しい舞に魅了されていたからなのか、神楽が終わってもその空気が壊れる事は一切無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「屋敷でですか?」

 

 クリスマスが終わると同時に、一部の人間が急に慌しく動き回りだしていた。アナグラでも中心にいる人物でもある、如月エイジ、黛ナオヤ、柊弥生はアナグラの業務が終わると同時に、直ぐにその姿が見えなくなる事が多くなっていた。

 

 

「そう。今年は漸く神楽の舞を奉納する事が出来る様になってね。昼からは主要の部隊長やメンバーが来るんだけど、その前に一部の人間に対しての非公開行事があるんだよ。だから年末までは慌しくなるかも」

 

 アリサは以前にそんな話をエイジから聞いていた。既に屋敷の一員となったアリサにとっても行事毎があれば積極的に参加するのは当然となっていた。

 以前にリンドウから言われた旧時代の行事はアリサの好奇心を十分すぎる程に刺激していた。去年もやった餅つきだけでなく、七夕やお盆の行事など以前の様な関係であれば確実に体験しなかった事が一度に来ている。

 そんな中での新年の行事は目新しい物だった。しかし、今回の件まで参加するとなれば確実に時間がかかる。流石にアリサまでが参加するとなればサテライト計画が停滞するからと、エイジに説得されていた。

 

 

「聞いてはいたけど、まさかここまでだとは思わなかったよ」

 

「そうですね。まさかここまで厳しくなったのは想定外でした」

 

 リッカの言葉にヒバリも苦笑せざるを得なかった。ゴッドイーターの業務はアラガミの討伐だけではない。まだ中堅までは日報の提出だけだが、ベテランや部隊長クラスともなればアラガミの情報や負傷者の報告など多岐に渡る。それが一旦秘書でもある弥生の元に来た後に支部長の決裁と共に情報が共有化されるのがここのルールだった。

 本来であれば、2人が知り得る中でこうまで書類が停滞した事が記憶に無いのは、一重に弥生の処理能力の高さが大前提だった。

 

 

「こっちもだよ。ナオヤが居ないだけで現場が回りきらないんだよ。ここ暫くはずっと午前様なんだから。終わったらナオヤに何か奢って貰わないと割に合わないよ」

 

「大変ですね。私は逆に時間内に終わるので残業はありませんよ。その代り普段がかなり忙しいですね」

 

「なるほど。だからタツミさんが最近ウキウキしながら帰投する訳だ」

 

 リッカはここ最近のヒバリではなく、タツミの事を思い出していた。

 ただでさえ忙しいはずのタツミもここ最近のミッションの帰投の早さは群を抜いていた。それは整備をしているリッカも当初は不思議に思っていたが、ヒバリの話で漸くなる程と思うのは無理も無かった。

 ヒバリが定時に上がるのであれば、タツミもまた時間内にミッションが終われば互いに時間が空いてくる。普段は中々一緒になる事が少ないのであれば2人の事を知っている側からすれば、その後の行動は容易に想像出来ていた。

 

 

「そんなんじゃないですよ。でも、時間にゆとりがあるのは事実ですけど、まさかああなるとは思いませんでしたが……」

 

 ヒバリは当時の事を思い出していた。弥生がやらなくても書類は理論上は問題なく回ると当初は思われていた。しかし、いざやってみると段取りが悪く、またチェック機能が働いていないのか、書類上のミスも多発していた。フォローも含めれば結果的には何も変わらない事が発覚し、現在では時間内の提出をする事により今の状況が作り上げられていた。もちろん、そのトバッチリは現場にまで影響をもたらす事になっていたのもまた事実だった。

 

 

「ねえアリサ。そう言えば、屋敷で何をしてるの?」

 

「新年の行事毎の段取りだそうです。今年は何かやるらしいんですが、私はこっちに専念して欲しいって言われたので」

 

 アリサを見つけたからなのか、リッカは目ざとく確認をする。ここ最近の慌しさを知っていたからなのか、アリサも特に隠す様子もなく、屋敷での出来事を話していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奉納神楽はまさに今となっては失われた文化そのものだった。これ迄にも極東由来の伝統的な物を体験してきたアリサも目の前の少女が舞うそれには感動した以外の言葉が思い浮かばなかった。

 色んな賞賛の言葉はあれど、どれも陳腐だと言わんばかりだった。これ迄に一連の行動を知っていたエイジやナオヤはシオの舞の出来栄えを見ていたが、それ以外のアリサやソーマ、コウタは未だに呆けた様にも見えていた。

 

 

「なんだ?そんなに感動したのか?」

 

「まぁ、そんな所ですけど……まさかシオがあんなに動けるとは思ってなかったんで」

 

 リンドウの言葉にコウタはありきたりな言葉しか出せなかった。神聖な空気を作り出し流麗に舞うそれは、普段のシオを知っている者からすれば驚愕の一言だった。

 事実、隣に居たソーマも珍しくコウタと同じ様な反応を見せていた。

 

 

「シオちゃん、一生懸命練習したからね。色が白いから化粧映えも良いし、私もおかげで良いものが見れたと思うわ」

 

「最初は誰なのか分かりませんでした。でも綺麗な舞でした」

 

 弥生が舞台裏を話すと同時にマルグリットが感嘆の言葉を告げる。その言葉がこの場に居た全員の総意だった。

 普段とは真逆の行為にハラハラする様な場面は何処にもなく、悠久の中に息づく天女の様なそれは、既に神々しさまで存在している。今回は知った人間だけに終わったが、世間が見ればたちまち衆人環視の注目を集める事は間違いなかった。

 

 

「どうだった?良かったか?」

 

 既に着替え終わったのか、新年らしく浴衣ではなく振袖を着たシオは舞の感想を尋ねたかったのか、先程までの神秘的な雰囲気は消え去っていた。ほんの1時間前の天女の姿は存在していない。何時もの光景がそこにはあった。

 

 

「ソーマ。どうだった?」

 

「ああ、良かったぞ」

 

「ちょっとソーマ。もっと他に言い様があるんじゃないですか!」

 

 

 シオの問いかけにソーマはいつもの様にぶっきらぼうに返事をしていた。ソーマの中では賞賛したい気持ちはあったが、今回の舞は自身の想像の遥か上を行っていた。普段の行動を良く知っているからこそ、本当に目の前のシオがつい先ほどまで舞台で舞っていた同一人物なのかと思う程でもあった。

 中々素直になれないそんな雰囲気が漂っているのを周りは知っている。だからこそアリサの言葉を止めようとする者はいなかった。

 

 

「シオお姉ちゃん綺麗だったよ。僕、大人になったらシオお姉ちゃんをお嫁さんにするんだ」

 

 超弩級の爆弾がこの場に炸裂していた。放った無垢な声の主はリンドウとサクヤの息子レン。屈託の無い笑顔に2人は我が子に視線をやり、エイジとアリサはソーマを見、コウタとマルグリットはシオを見ていた。三組の男女がそれぞれを見ている。既に周囲の空気は極寒へと変貌していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな面白い事があったの?」

 

「笑い事じゃ無かったですよ。ナオヤが間に入らなかったら大事でしたよ」

 

 新年の宴は榊の挨拶を合図に開催されていた。既に用意された着物に全員が着替え、リッカは用意された酒を飲んでいる。フルーティーな味わいが良かったのか、ヒバリやカノンもグラスの中身は透明な液体ではあるが、中身は同じ物を手にしていた。

 

 

「でも、その場にはツバキ教官や無明さんも居たんですよね?」

 

「居ましたけど、それどころじゃ無かったですよ」

 

 

 そう言いながらアリサは自分の手にしたグラスの中身を飲み干す。爽やかな味わいのサラトガ・クーガーがこれまでの状況を表していたのか、喉を潤していく。

 ホッとするそんな時だった。舞台と思われし場所に僅かに照明が走る。視線の先には面を付けた男二人とその背後には何か楽器の様な物を持っていた女性が佇んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう始まってるよね」

 

「時間を考えればそうですね」

 

 既に開始の時間を大幅を過ぎた事にナナは焦っていた。当初は『午前のミッションを終えて準備出来る時間を確保する』と言った余裕を持ったスケジュールを組んだつもりだっだが、新年早々の感応種の出現が全ての予定を狂わせていた。

 当初はリンクサポートシステムを発動させる予定ではあったが、アラガミの位置と襲撃された部隊の事を考えればブラッドが現地に行くのが一番効率的だとの判断からすぐさま現地へと急行となった事が全ての原因だった。

 

 

「感応種じゃなくてラウンジに居たのが原因じゃないのか?」

 

「間違いない」

 

 リヴィの言葉が全てを表していた。討伐そのものは問題無かったが、何時もの癖でラウンジに寄ったのが運の尽きだった。

 いつもの様にムツミがいるはずの場所に誰もおらず、カウンターとソファーセットのテーブルには三段のお重が幾つも置いてある。その隣には出汁を入れれば直ぐに食べる事が出来る雑煮が用意されていた。

 何時もとは違うそれにナナがいち早く反応していた事が最大の要因となっていた。

 

 

「え〜あれ見たら誰だって止まるよ。だってあんなの初めて見たんだよ」

 

「確かに華やかでしたね」

 

 リヴィとギルの言葉を軽く流し、当時の状況を思い出していた。

 お重そのものが珍しいだけでなく、他の人間が食べている物がこれまでにラウンジでは見た事が無い料理はナナの目を引くには十分すぎる威力があった。

 既にその後の予定の事は頭から抜けていたのか、ナナは何時もの様にカウンターへと移動し始めている。北斗の忠告が無ければそのまま手を伸ばすのは間違い無かった。

 

 

「あれはアナグラ用だから、俺たちはダメだって言われてただろ?」

 

 既に門構えが見え始めてきたのか、玄関の両隣には大きな門松が出ている。開始時間は既に経過しているからなのか、焦りはピークになりつつあった。

 

 

「あけましておめでとうございます」

 

「あけましておめでとうございます。任務お疲れ様でした。既に皆さんは会場に居ます。まずはこちらに」

 

 玄関に入ると待ち構えたかの様に三つ指をついて出迎えられた事に驚きながらも促された場所へと移動する。既に用意されていたのか、そこには其々に合わせた着物が置かれていた。

 

 

「何だか少し静かだよね?」

 

「ナナさん、きっとあれじゃないですか?」

 

 着物に着替え終え、会場に入ると華やいだ雰囲気はそのままだったが、静寂さの中に唯一とも言える楽器の音が周囲一帯に広がっていた。当初は何が原因なのか判断する事が出来なかった。しかし、その疑問は直ぐに解消されていた。

 入口からはハッキリ見えないが、男二人が白装束に白袴の出で立ちに面を被っている。手には木剣を持っているのか、優雅に剣舞が繰り広げられていた。面を被っている為に誰なのかは判断出来ない。しかし、時間と共にその動きから誰なのかは誰もが分かりだしていた。

 

 

「あれはエイジさんとナオヤさんだよな?」

 

 北斗の言葉にギルも分かったのか、改めて舞台に視線を向けていた。流麗な動きは何処か教導で見た映像を彷彿とさせ、お互いの動きが計算されたかの様に剣戟は幾度なく交わされていた。

 

 

「そうだな。あそこ迄の動きはお互いが知らないと無理だろうな」

 

 会場の視線がそこに釘付けになるのは無理も無かった。ゴッドイーターとしての、また指導教官としての荒々しい動きはそこに無く、演武の一つとしての動きは見るものの目を奪う。いつもであれば自分達の事が優先されるカレルやシュンでさえも、その動きに視線は釘づけとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ、これは……」

 

 リヴィは思わず手にした箸が止まっていた。ゆで卵が栄養価の面で効率的だと言う考えの元に卵料理を今まで好んで食べていたが、重箱に入った黄色の食べ物が気になったのか、おもむろに口にした瞬間だった。

 アナグラでの卵料理と言えばオムレツやだし巻き卵が殆どだったが、この変わった形の黄色い食べ物はこれ迄に感じた事の無い食感。ふんわりと柔らかいそれは甘みも強く、見た目も渦が巻いている様にも見える。まるでお菓子の様な食感はリヴィの人生の中で感じた事が一度も無かった料理だった。そんなリヴィを見たのか、これが何なのかは隣に居た女性が代わりに答えていた。

 

 

「それは伊達巻ですよ。卵に出汁やすり身を混ぜた物ですよ」

 

「こんなに美味しい物は初めて食べた。もう少し取っても良いのか?」

 

「お重はまだ有りますから遠慮無く食べて下さいね」

 

「そうか」

 

リヴィに一言だけ告げると既に女性は皿を片付けるべく、次々と下げていた。周囲の様子を見れば、各自が其々に食べている。リヴィもまたそんな一人のうちだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今年は来てないよね?」

 

 去年の事を思い出したのか、リッカは周囲を見渡していた。去年の新年の宴は広報が来ていた事もあってか、色々とやらかした記憶を思い出しながらグラスを片手にヒバリに話しかけていた。

 既にリッカの中では黒歴史になっているのか、それ以上当時の事を口にするつもりはどこにも無い。しかし、今年も来ているとなれば話は別だった。

 

「詳しい事は聞いてませんが、多分来てると思いますよ」

 

 ヒバリの言葉に改めて周囲を見渡すと、何人かがカメラらしき物を持っている。ヒバリも聞いていないが、多分の言葉はそれが原因なのは間違いなかった。

 

 

「多分あれだよね。去年ほ大変だったからね。今年は少し気をつけないと」

 

「新年早々のあれは案外と厄介でしたからね」

 

 

 リッカの言葉にヒバリも思い出したのか、苦笑が漏れていた。

 広報とは言うが、実際には他の支部や外部居住区にも写真や映像として伝わる為に、ここで醜態を晒せば自動的に世界中に晒すのと同じだった。今年はまだブラッドがいる為に、自分達に話は来ない筈だが、やはり気を抜く事は出来ない。そんな心構えが功を奏していた。

 

 

「お二人とも丁度良かったです。今年もよろしくお願いします」

 

 アナグラで聞きなれない声に振り向けば、やはり以前にも見た顔。広報部の面々がカメラ片手に近寄っていた。

 

 

「いえ。こちらこそよろしくお願いします」

 

 既に遠慮が無いからなのか、談笑しながらも撮影は進んでいく。既に慣れたからなのか、二人は余所行きの顔で対応していた。

 

 

「ありがとうございました。今回の件は2週間後には各媒体に掲載されますので」

 

「あの、他の方は撮られたんですか?」

 

「ええ。皆さんの分はしっかりと撮らせて頂きました」

 

 

 笑顔で話される以上、かなりの点数が撮れたのは間違いなかった。リッカとヒバリもそれがどんな結果をもたらすのかを身にしみている為にそれ以上の事は何も言わない。2週間後の楽しみとして待っていれば良いだろうと考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え〜何これ!いつ撮られたのか分からなかったよ。これじゃ私ただの食いしん坊みたいに見えちゃうよ!」

 

 ナナの絶叫は珍しくラウンジに響いていた。突如起きた大声にカルビは驚いたのか、エサでは無くシエルの手を囓る。ムツミは思わず皿を落としそうになっていた。

 

 

「どうしたんだ?」

 

「聞いてよ北斗。これ今回の広報誌なんだけど、この前の新年の宴が写ってるのは良いんだけど、全部何かを食べる直前の写真ばっかりなんだよ」

 

 ナナの言葉が何を指しているのか直ぐに理解出来ていた。毎月の恒例とも言えるフェンリルの広報誌は極東の特集記事だった。

 去年の事は何気なく聞いた記憶があった為に北斗はその状況を何となく理解していた。もちろん、広報誌はどこに配布されるのかは誰もが知っている。だからこそナナの焦りも分からないでもなかった。

 

 良く見ればナナとシエルが澄ました顔で写っている写真は問題なかった。しかし、他の写真を見ればいくつかの背後にナナが箸を持って小皿に何かを取っている場面がいくつも見える。これが1枚だけならばまだしも、主要メンバーの背後に必ずと言って良い程写るそれは紛れも無くイメージ的にそう見えるのは無理もなかった。

 

 

「ナナがあれもこれもって取ってたからだろ?少しは自重すれば良かったんじゃないのか?」

 

「でも、新年にしか出さないなら食べないと損じゃん。私だけじゃなくてリヴィちゃんだって伊達巻を結構食べてたのに……」

 

「ナナ。私の事は関係無いだろう」

 

 まさかのとっばちりにリヴィも反応していた。情報管理局からブラッドに居たからこそ招かれた行事だが、リヴィにとっても初めての体験だった。去年の今は何をしていたのかが僅かに思い出される。当時は何となく広報誌を見た記憶はあったが、まさか自分がこうやって参加しているとは思いもしなかった。

 

 

「それはともかく……」

 

 ナナの言葉を遮るかの様にシエルが珍しくつぶやいていた。あの新年の宴以降、シエルだけでなく、ナナやエリナもなぜか特定のメンバーだけでミッションをこなす事が多くなっていた。一時期は北斗やギルも疑問に思っていたが、それはアリサのとある言葉によって理由が判明していた。

 

 

「うん。漸く元に戻ったからね。あの時は流石に焦ったよ。まさかああなるなんて」

 

「全くです。私も油断してました。知ってたなら一言位言ってくれても良かったんですが」

 

 そう言いながらシエルとナナは北斗を半目で見ていた。一番の要因は雑煮に代表される餅が全ての原因だった。初めて食べた食感に、つい調子に乗って食べたまでは良かったが、その後の体重の増加に人知れず悩む事になっていた。

 冷静に考えればアリサやヒバリ、リッカに関してはあまり口にしていなかった記憶がある。当初は疑問に思ったが、これがずべての原因である事が笑顔で告げられたのはその後の話だった。

 

 

「いや。知ってると思ったから何も言わなかったんだ。アリサさんやリッカさんはそんなに口にしてなかったはずだろ?」

 

「あれはここの女性陣の鬼門みたいな物だから」

 

 シエルとナナのやりとりに休憩がてらリッカが来ていた。既に当時の事を思い出したのか、自分の事を上手く隠しながら色々と話をする。今年の起きた事は来年初めて体験する女性陣には知っていても言わないのがここの暗黙の了解となっていたのか、3人はそれ以上の事は何も言う事は無かった。

 

 

 



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第242話 確認

 

「なるほどね。『圧殺』ではなく『対話』とはね。やはりP66偏食因子にはこれまでの物とは一線を引く能力があると考えると……実に興味深い」

 

 リヴィの言葉と同時にロミオの血の力が何なのかはすぐさま榊の下ににも伝わっていた。

 これまでアラガミを退けると思われていた能力はアラガミをむしろ説得させた結果でしかなく、時折小型種に関しては消滅するのはその意志の力を受け入れる事が出来なかった結果だと判明していた。しかし、その結果が分かったとしても現状が好転する様な事は無い。事前に無明から聞かされていなければ榊としての今後の対策に関しては厳しい選択をせざるを得ないとまで考えていた。

 

 

「しかし、ロミオの生存に関しては俺も初めて聞いたんだが、どうしてこうまで秘匿したんだ?」

 

「簡単な話だ。今のままのロミオとブラッドの戦力差を考えれば、すぐに合流すればどんな結果になるのかは考えるまでもない。ただでさえ厳しい戦いが要求されるだけでなく、今後の探索に『対話』の能力は不可欠だ。仮に何もないままに行動するのでれば、少なくともこれまでの進捗度合から考えれば最悪の展開しかありえない。

 少なくともあの終末捕喰を防いだ頃の彼らとは比べるにはリスキーすぎる。今度は本当にロミオを失う様な事があれば、本当に対案が無くなる。となれば情報をいたずらに公開する訳にはいかんだろう。

 それに目覚めてからはこちらの教育プログラムを適用させている。その為にも僅かでも時間が欲しいと言いたい所だな」

 

 無明の言葉にソーマは少なからずこれまでの状況を思い出していた。下層から中層にかけて、これまでに見た事が無い神融種の出現だけでなく、螺旋の樹の内部に巣食うアラガミは通常の戦場となる場所に比べてやや全体的な能力が高くなっていた。

 戦闘能力の差はそのまま命に直結する。お互いが似たようなレベル、もしくは部隊長が圧倒的な指揮能力を発揮する様な場面があれば大事にはならないが、そうでない場合、そこが蟻の一穴となる可能性があった。

 幾ら各自の能力が高ったとしても、一旦組んだ陣形が乱れればそれは致命的な隙だけでしかない。ただでさえ厳しい螺旋の樹の探索には被害は最小限に留める事が至上命題となっていた。

 

 

「それと、これは実際に我々が内部に入った感想だが、あの能力が無かったとしても理論上は探索そのものは可能だが、その際には無限とも言える戦いが要求される事になるのは間違い無い。いくらブラッドと言えど、ブラッドアーツだけで押し切れる程甘くは無いだろう」

 

 実際に安定化された本道から外れただけでもあのレベルのアラガミが掃いて捨てる程に湧き出てくる。そんな中で何も指標が無いままの探索は事実上の不可能だと言ってるに等しかった。

 実際に無明がリンドウとエイジとで探索しただけでもそれなりに時間が必要とされていた。そんな中でブラッドだけに全てを押し付ける訳には行かないのもまた事実だった。そんな事実があるからこそ幾らこの場に居る事が多いソーマと言えど秘匿せざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はここまでだね。細かい事は明日にして今日は一旦キャンプ地に戻ろうか」

 

「そうですね。無線の状況だと向こうも問題無さそうでしたし」

 

 気が付けば太陽は地平線の彼方に沈む間際の様に見えたのか、夕日がエイジとアリサを照らし出していた。午後からのミッションも午前中同様に厳しい内容を伴っていた。既に基本種は出てくる事は一切なく、事実上の接触禁忌種との戦闘が殆どだった。

 

 そんな中でもロミオの疲労はピークに達していた。これまでにロミオの記憶を幾ら辿っても、こうまで接触禁忌種の討伐経験はなく、通常であればフォーマンセルで臨むミッションにマルグリットとだけのツーマンセルで臨むのは、厳しいを通りこして命の危険性まであると思われていた。既にロミオはあまりの緊張と疲労でウトウトしている。

 本来であれば全員で準備するのが基本だが、いきなりのハードなミッションに仕方ないとばかりにそのままにして3人は食事の準備をし始め居ていた。

 

 

「ロミオさん。食事ですよ」

 

「ん、ああああ。えっ、もうそんな時間!?」

 

 気が付けば空は闇色へと変化していた。帰投した瞬間に一気に疲労が襲ってきたのか、ロミオは椅子に座って休憩しただけのつもりだった。

 しかし、呼ばれてみれば既に食事の準備は終わり、全員が集まっている。目覚めた瞬間、ロミオのお腹は大きな音を立てていた。用意された食事はこれまでにラウンジで食べた物と何も遜色が無い程の味にロミオは一気にかきこむ様に食べていた。気が付けば3人は呆気に取られているのか、ただロミオの様子を見ているだけだった。

 

 

「そんなに慌てなくてもまだありますよ」

 

「すんません。あんまりにも旨いんで……」

 

 アリサに言われただけだったが、この場にナナがいれば確実にツッコミが入る様な場面ではあった。

 少なくともこのメンバーでそんな事をする人間はいない。お互いはそんなロミオを横目に静かに食べている。全てが食べ終わる頃になった漸くブリーフィングが開始されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、無明さん。お願いがあるんですが」

 

 北斗は休暇を言い渡された事でこれまでの状況と今回の原因が自分の精神の甘さにあると考えていた。あのラケルの言葉は北斗の心を強く揺さぶっている。リヴィがあんな状況になった為にそうまで重要視される事は無かったが、結果的には自分の精神の弱さが招いた結果でもあると考えた結果の行動だった。

 当初は屋敷に行く事を考えたが、偶然にも支部長室に来ているとフランから聞いた事によりすぐさま行動に移していた。

 

 

「なるほど……だが、人間である以上、葛藤するのは当然の話だ。今回のいきさつはある意味では仕方ないとしか言えないだろう」

 

「しかし、俺自身が招いたからこうなったかと思うと……」

 

 無明の前で北斗は改めてこれまでの経緯を話していた。冷静に考えれば予測出来た事態。その結果、ロミオの離脱とジュリウスの黒蛛病の罹患。その結果から発生した終末捕喰による螺旋の樹の発生。それらが北斗の双肩にのしかかっている様にも思えていた。

 これまでに北斗は自分の心情を吐露した事は一度たりともなかった。本来であれば無明に言う事も筋違いなのかもしれない。いくらブラッドの隊長だとしても、『喚起』の能力を持ち合わせたとしても、それは一人の責任で収まる様な内容では無かった。

 心の内側を言いながらも北斗とて自覚している。無明に父親としての側面を見たからなのか、北斗はこれまでに自身がずっと考えていた事を全て言葉にして吐き出していた。

 

 

「誰にだって後悔など幾らでもある。俺自身もそうだが、これまで一緒にやって来た仲間でさえも皆が悩み傷付き、時には血を流しながら前に進んでいく。それはこのアナグラだけの話ではない。生きている以上、何かしらの使命を持っているのは間違い無いんだ。

 過去は過去だ。仮にラケルの亡霊が何かを言った所で戻る事は出来ない。だとすればまだ決まっていない未来に視線を向けてやれる事だけをやった方が今までよりも幾分も良いだろう」

 

 無明の口からは特別な言葉は何もなかった。フライアに居た際には気が付かなかったが、ここ極東では色んな人間との交わりがこれまでに幾つもあった。普段は適当だと思われる人間でさえも、その顔の裏には悲しみや後悔を持ちながらも今を生きている人間が大勢いる。

 自分達のメンバーを改めて見ても、それぞれが血の力に目覚める際にも己と向き合う事によって消化し、そこから前に進もうと努力をしている。ギルやナナは過去との決別を、シエルはまだ未知なる結果に向けて歩き出している。それは北斗自身が誰よりも理解している話でもあった。

 

 

「螺旋の樹の内部での出来事に関しては、詳細はまだ判別していないが、今後の事を考えれば純粋なアラガミによる襲撃だけが来るとは思えん。ラケルの事は詳しくは知らないが、お前にそんな事をしてくる以上は今後のその可能性は心に止めておいた方が良いだろう」

 

「そう…ですね。今後の事も考えれば可能性は否定できないでしょうね」

 

 話をした事が功を奏したのか、北斗の心の蟠りは以前よりも無くなっていた。既に表情も明るくなっている。

 幾らゴッドイーターと言えど人間である以上は肉体的には超人の様な力を発揮出来るも、精神面は自分との対話でしかない。冷静に考えればブラッドの最年長でもあるギルでさえもまだ5年程度でしかない。ましてや北斗は1年にも満たないキャリアしか無く、ここまで部隊を引っ張っただけでも通常に比べればかなりの物であるのは間違い無かった。

 終末捕喰を食い止めた事でこれまでに以上に世間から注目されている事を無明は思い出していた。

 

 

「仲間は確かに重要だが、最終的には自分の気持ちだけだ。極東でもこれまでに色んな危機が何度も訪れている。それをどうやって乗り越えるのかは各自の判断だ。だが、これだけは覚えておけ。自分が一体何をしたいのかと言った考えは常に持ち続けるんだ」

 

 気が付けば無明の視線は柔らかい物へと変化した様にも北斗は感じていた。自分の父親はまだ健在ではあるが、現状ではおいそれと戻る事も出来ない。以前に聞いた父親の言葉が事実だったのか、まだ短い期間ではあるが何か感じる物がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、今後ってどうなるんですか?」

 

 連続ミッションの最終日は予想通り尋常では無いミッションがいくつも続いていた。周囲に囲まれるかの様な場面では人知れず命が散るとまで覚悟せざるを得ない場面が何度も存在していた。

 以前であれば焦りから致命的なミスを起こす可能性もあったが、これまでに培ってきた訓練はそれ以上の過酷な場面が多かったからなのか、窮地に追い込まれてもロミオは諦める事は微塵も無かった。

 事実、その情報は自身の腕輪を通じてコンバットログが保存されている。現時点ではアナグラにはロミオが行動している事実は伝えられていなかったからなのか、誰もロミオのログを見た者は居なかった。

 

 

「多分、リヴィの行動制限が解除されれば、再び作戦は開始される事になるはずだよ。ただ……」

 

 何気に聞いたはずの内容ではあったが、エイジは言葉尻を珍しく濁していた。神機は元々一人一つだけ。本来であればロミオは直ぐに現場復帰すれば問題ないが、情報管理局がどんな判断を下すのかがエイジには想像出来なかった。

 これまでの内容を考えれば途中での作戦変更をする事はあり得ない。ならばリヴィの容体による事だけは間違いないが、今の段階で情報を持ってい無い以上、推測で判断するしか無かった。

 

 

「ただ?」

 

「これはあくまでも可能性の一つなんだけど、このままの状態が続けばリヴィは早晩にもアラガミ化の手前の段階まで進む可能性が高い。今は抑制剤を使っているんだけど、それはあくまでも応急措置でしかないんだ。既に改良された物を使った結果、今の状態だからね。ロミオには悪いけど、何かしらの対策を立てる必要があるね」

 

 エイジの言葉にロミオはそれ以上何を言えば良いのか判断する事が出来なかった。あらゆる神機に適合し、あまつさえブラッドアーツまでも使用できる時点で破格の能力ではあるが、事実上の自分の命を削りながらであれば、最悪の展開は免れないと考えていた。

 子供の頃に一緒に居たリヴィの命が散ってしまう。今のロミオにとって、知った人間がそれ以上居なくなる事は耐えられなかった。

 

 

「あの、今の俺に出来る事って何かありますか?」

 

「その件については現在検討中って所だね。今後の事を考えるとロミオの戦闘能力を上げるには時間はまだ足りないんだ。実戦に関しては、今回のミッションが事実上の最終になるから、後はまた教導になるんだけどね」

 

 何気無く言われた内容にロミオは思わず顔を引き攣らせていた。これまでの教導でも厳しい事に変わりなかったが、ここから更にとなれば当然過酷な未来だけば待っている。これまでの事を思い出したのか、先ほどまでのリヴィの事は既に記憶の彼方へと追いやられていた。

 このままミッションが続けば良いと思うだけでなく、自分と今のブラッドにどれ程の差があるのかが今のロミオには判断出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、リヴィ・コレット特務少尉の病室はここで良かったですか?」

 

「はい。こちらになります。ただ、今は少し眠ってますのでお静かにお願いします」

 

 看護師のヤエは不意に背後から声をかけられていた。振り向けばそこには一人の金髪の青年が立っている。これまでにアナグラの中で見た事が無かったのか、記憶の中から色んな顔を呼び起こす。

 しかし、該当する人物が居なかったからなのか何気に右腕を見るも、上着で手首は隠されている。リヴィの名前が出ている時点で関係者であるのは間違いないと判断したのか、その青年の呼びかけにそのまま答えていた。

 

 

「有難うございます」

 

 金髪の青年はそのまま病室に入った事を確認したのか、いつもの業務へと戻っていた。

 ヤエが見た事が無いと思うのは無理もなかった。金髪の青年の正体はこれまで秘匿されていたロミオだった。身長はあまり変わり映えしないが、これまでに伸びた髪を切らなかったからなのか、肩位までの長さの金髪は後ろで括られている。また着ている服も一旦は自分のは廃棄された事もあってか、屋敷で渡された羽織とその下は黒いインナーに戦闘時に穿くパンツの様ないでたち。羽織で腕輪が隠されていた為に該当する人物すら判断出来ないままだった。

 病室ではヤエが言う様にリヴィは眠っている。良く見れば胸が呼吸の度に規則的に上下している事から目覚める気配はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行っても大丈夫なんですか?」

 

「今のロミオなら多分ロミオだって判断出来ないと思うよ。それに今回の件で神機はアナグラに戻す以上、一旦は状況を確認しても問題無いと思う。ただし、ブラッドの皆には見つからない様にね」

 

 ミッションから戻ったロミオは今のアナグラの状況を確認したいと考えていた。エイジやアリサ、マルグリットから話は聞いているが、どうしても自分が知っている状況と、今の状況に大きな隔たりがあるのを感じていた。

 しかし、今の自分は復帰している事を知っているのは極一部の人間だけでなく、今のまま戦線復帰するのは自殺行為に等しいからと無明からも厳しく言い渡されていた。教導であればここならば十分すぎる程に出来る。ただ話に出てきたリヴィの顔を一度見たいと思った結果だった。

 

 

「そうですね。今のロミオなら腕輪さえ見られなければ他の支部の人間だと言っても通用しますね。でも少しだけ髪型は変えた方が良いですね」

 

 アリサはそう言いながら櫛を持ちロミオの背後に立っていた。まるで玩具の様な扱いではあったが、これまでの様なくせ毛を帽子で押さえるのではなく、後ろに束ねてスッキリとした髪型はこれまでのロミオのイメージを一新させていた。

 

 

「ならこの羽織を着れば大丈夫ですね」

 

「あ、あのマルグリット……さん?アリサ…さん?」

 

 既に用意された羽織をマルグリットが渡す。既に2人の好き勝手な行為にロミオはそれを受け入れる事しか出来なかった。

 

 

 



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第243話 戦線復帰

 病室はリヴィの呼吸以外に何も聞こえない程静寂に包まれていた。目覚める気配は無いのか、ロミオの存在にリヴィは気が付く事はなかった。

 シーツから出た腕はロミオが思う以上に細く、当時の様に包帯は巻いていないが、見える右腕がどれ程の状況だったのかは想像すら出来なかった。これまでに聞いているジュリウスの神機への適合だけでなく、自分の神機にも適合させブラッドアーツまでも解き放つ。

 当初は信じる事も難しかったが、自分の神機をミッションの際に接合した瞬間、これまでに感じた事が無い感触が有った様にも感じていた。

 

 

「こんな細い腕で今まで頑張ってきたんだな。よく頑張ったな」

 

 ロミオがリヴィの頬を撫でた瞬間だった。これまでに感じた事の無い映像がロミオの脳内に映し出される。それはこれまでにリヴィが見てきた映像だと判断するまでにそれなりに時間が必要とされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どう?俺と話をするのは嫌?」

 

「そんな事は無い。ただ、何を聞きたいのか分からない。それに私はラケル先生に捨てられたんだ。これ以上私に纏わりつけばロミオも同じ目に合う」

 

「んな事無いって。ここに居る皆はラケル先生と直接話をする事なんて殆どないんだぜ。俺だってラケル先生とはまともに話なんてした事が無いんだからさ」

 

 何気なく言われた言葉にリヴィは思わず絶句していた。これまでに自身の異能が認められたからこそラケルと接する機会が多かったが、実際にはここに居る殆どの生徒はラケルと話をするケースは皆無だとは思ってもいなかった。

 当初は周りに目を向ける機会が無かったが、気付けば月に数人が同じクラスから見なくなったと同時に新たな子供がやってくる。当初は気にもしなかったが、ロミオと話をす様になってからは周囲を見るだけの余裕が出てきた結果だった。

 

 

「そう……なのか?」

 

「そうだよ。確かにこれまでリヴィはラケル先生と一緒に居る機会が多かったから気が付いてないかもしれないけど、ここのほとんどの連中は皆そうだよ」

 

 リヴィは改めてこれまで自分が置かれていた立場が周りから見て優遇されていた事を認識していた。殆ど会った事が無い子供が大半にも関わらず、自分は2.3日に1回はラケルと会っている。いくらジュリウスが来た事で自分に感心が無くなったとは言え、その回数から考えれば周囲がやっかみで何かを言うのは当然だと認識していた。

 

 

「そうだったんだ……」

 

「リヴィがこれまでどんな事してたかは知らないけど、これからは俺達と何も変わらないんだろ。いい加減話ばっかりも飽きてきたんだったら、皆と一緒に遊ばない?」

 

「そうだな」

 

 そう言い終わると同時にロミオの手が差し出される。それが当然だと言えるほどに自然と出た手をリヴィは取っていた。

 これまで自分が拒否したはずの手は思いの外温かかった。これまでの自分がそれほど向けられた行為を無碍にし、我儘だったのかと思うと同時にロミオに対してい感謝さえしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ今の!?」

 

 話すかに触れたリヴィの頬から手を離した瞬間ロミオは思わずのけ反っていた。頭の中に浮かんだ映像は紛れも無くマグノリア=コンパス時代の物。おぼろげだった記憶がロミオの記憶中枢を刺激したのか、当時の状況がクッキリと思い出されていた。

 

 

「ロ、ロミオなの…か?」

 

「まだ休んでいなよ」

 

「あ、ああ。あとで話を…聞かせて…ほしい」

 

 目の焦点が合っていないのか、リヴィは僅かに目を開く。恐らくは完全に覚醒していないからなのか、言葉はまだ舌足らずの様にも聞こえていた。本来であればそうだと言いたい所ではあったが、今はまだ誰にも見られない様にと釘を刺されている以上、無言のまま頬を撫で終えるとそのままリヴィの目が閉じた事を確認してその場を去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう大丈夫なの?」

 

「ああ。身体そのものは問題無い。今日は一日安静にして明日からは再び螺旋の樹の内部へと進行する予定だ」

 

 時間の経過と共にこれまで蓄積された疲労が抜けると同時に、オラクル細胞が安定し始めた事から、リヴィの復帰の日程は程なく決定されていた。既にロミオのヴェリアミーチェは整備に回されているのか、完全に整備が終われば即現場復帰の予定となっていた。

 

 

「でも倒れた時はどうしたものかと思いましたから」

 

「皆にも迷惑をかけたが、私はもう大丈夫だ」

 

「でも、この前に比べれたらリヴィちゃんの顔が少し穏やかになったみたいだね。やっぱりこれまでの戦いが思った以上に大変だったからなのかな」

 

 ナナが言う様に、今のリヴィの顔は以前に比べれば晴々とした様にも見えていた。これまでにあった眉間に皺はなく、言動の端々も言葉そのものは同じだが、口調はどこか穏やかになっている様だった。

 

 

「そうか?私は何も変わっていないが」

 

 リヴィはそう言いながらも僅かに心当たりがあった。寝ている所ではあったが、懐かしい顔を見た様な気がしていた。

 眠りから目覚めた際に見た顔は誰だったのかは分からないが、少なくとも警戒する様な顔ではない。何となく記憶にはあるが、それが一体誰なのかと言われれば言葉にするのも憚られていた。

 

 

「お前らもそれ位にしておけ。リヴィ、体調はもう大丈夫なのか?」

 

 2人の会話を遮る様にギルはリヴィに話かけていた。今回の作戦に関しては事実上リヴィの能力が生命線となっているのはブラッドだけでなく、情報管理局を含めたすべての総意でもあった。

 3日間の休息は明日で終わる。それが始まれば再び厳しい戦いが待ち受けているのは明白だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう……」

 

 訓練室でリヴィはヴェリアミーチェを馴染ませるかの様に振るい続けていた。ただでさえ自分の体調が悪化した事による作戦の停滞だけでなく、自分以外に代わりになる者が誰も居ないとの強迫観念からなのか、リヴィは無心になて神機を振るい続けていた。

 

 

「どうやら本調子みたいだな」

 

「北斗か。随分と済まない事をした。見ての通り体調そのものはもう問題無い。あとは実戦に入るだけだ」

 

 休憩に入ったのか、リヴィは汗をぬぐいながら水を飲んでいる。気が付けば既に全身は汗にまみれていた。

 

 

「そうか。上層は中々厳しいみたいだ。他のメンバーの話だと、周囲に俺達が見たのと同じなのかは分からないが、時折黒い蝶を見るらしい。それがラケルの仕業なのかは分からないが、気を付けるに越した事は無いだろう。だが……」

 

「私の事なら気にする必要は無い。既に当時の状況からは脱却しているだけでなく、ラケルは終末捕喰を結果的に引き起こした大罪人だ。生憎と感傷的になる様な軟なメンタルは持ち合わせていない」

 

 以前に聞いた事を思い出したのか、北斗はそれ以上の言葉を出すにあたって僅かに良いのかと逡巡していた。いくら隊長と言えど軽々しく口にして良い物なのかは直ぐには判断出来ない。今はひとまずリヴィの様子だけを見るに留まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では改めて作戦の再開だ。既に手順はこれまで同様に『対話』の能力で不活性化した所を一気に推し進める。交代要員は常に配備させている。君達に出来る事を専念してやってくれ」

 

 フェルドマンの言葉通り、リヴィの復調と同時に作戦は再開されていた。既に全員の神機の整備は終わっているからなのか、これまで以上に神機からどこか鼓動の様な物を感じる。

 口には出さないが、既にこの先にあるのが何なのかを考えれば自然と力が入る。全員の心は一つになっていた。

 

 

「神機に関してだが、整備は完全に終えている。だが、前回の様に無理矢理血の力の出力を上げると今度は無事で済まされない可能性もある。上層が厳しい事は知っているが、自分の命があっての作戦なんだ。違和感を感じる様なら直ぐに撤退と神機の接続を切断してくれ」

 

「了解した。復帰したばかりだ。無理をするつもりはない」

 

 神機保管庫でリヴィはナオヤからヴェリアミーチェの取り扱いに関しての注意を受けていた。今回の倒れた原因は自分の制御出来るレベルを大幅に越えた血の力の行使が原因なのは明白だった。

 既に抑制剤の利きが悪くなりつつあるのは自身が一番理解している。気を付けろとは言われても、既に自分の中にある時限爆弾がいつ破裂するのかは誰にも分からない。子供の頃に交わした約束を行使すべく、口では無理はしないと言いながらも時間が既に無い事は間違い無かった。

 このまま行ける所までは止まるつもりは最初からリヴィの中には無かった。

 

 

「それと、今回の作戦に関しては上層に向かう際に、ベースキャンプの物資の搬入も兼ねている。ベースキャンプ地までは神機兵と行動を共にしてくれ」

 

「確か、今回は我々だけのはずでは?」

 

 ツバキの言葉と同時にそれぞれの端末に今回の作戦の内容が更新されていた。先ほどまでは単にその先を目指す事になっていたが、気が付けば任務の内容は更新されている。改めて見れば確かに物資の供給の為に神機兵の護衛に変わっていた。

 

 

「各自確認したな。今さらではあるが、この作戦はかなり厳しい物に変わりはない。前に進むのは良い事だが、時には撤退する事も必要だ。どんな結果になろうとも命が最優先だ。命を投げ出しても遂行しろとは言わない」

 

 改めて神機保管庫にツバキの声が響き渡ると同時に、ブラッドは螺旋の樹に再度侵入すべく神機保管庫後にしていた。

 

 

「後はあいつ次第か。ところでナオヤ。あいつは神機兵の操縦は大丈夫なのか?」

 

 ブラッドが退出した後、フェルドマンが居ない事を確認したツバキはナオヤに改めて問い直していた。これまで屋敷での教導の内容は確認していたが、神機兵の操縦に関しては何も聞いていない。時間があれば常に教導していた為に神機兵の事まで時間が無かった事は間違い無かった。

 万が一の事を考慮して神機兵のパイロットにロミオを載せてあるが、実戦は訓練とは違い何が起こるのかは予想すら出来ない。そんな中で物資の運搬だけとは言え、ロミオにそれを任せても大丈夫なのかツバキは心配になっていた。

 

 

「実際には遠隔操作らしいですよ。今回の件に関してはギリギリになってレア博士には事実を伝えてあるので、その辺りは問題ないはずです」

 

「そうか。お前にも、いつも以上に苦労させたみたいだからな。何かあるなら言ってくれ。私で出来る事なら善処しよう」

 

「いえ。今回の教導は何時もと同じですから。敢えて言うなら今回の作戦が終わったら少しゆっくりしたいですね」

 

「そうだな。この作戦が終わればみんなで騒ぐのも悪くは無いな」

 

 神機保管庫にはツバキとナオヤの2人しかいない。そこには身内ならではの空気が漂い始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「案外と拍子抜けだな。まさかここまでアラガミの姿が出てこないとなると緊張の糸も切れやすくなりそうだな」

 

 ギルが言う様に、下層や中層でアラガミの姿を見る事は殆ど無かった。時折中型種が単体で出る事はあったが、今のブラッドからすれば苦戦する様な部分はどこにも無く、戦闘が発生しても然程時間がかからない間に終了していた。

 

 

「確かにそれは否定できませんね。しかし、今後の事を考えればそろそろ中層から上層にさしかかる場所です。ベースキャンプ地までは油断しない方が良いでしょう」

 

「でも、これもやっぱりリヴィちゃんの『対話』の力なのかな」

 

 ナナもここまでに来るまでにアラガミの姿が無かった事は素直に驚いていた。既にベースキャンプまでの距離はあまり無い。そこから先は上層へと入る分岐点。既にここから先に何が起こるかは誰にも想像が出来なかった。

 

 

「いくら何でもそこまでの力は無いはずだ。今回出てこなかったのは偶然だろう」

 

 リヴィはそう言いながらも、本当にこの力がもたらした物なのか考えあぐねていた。自分の身体の状態は自分が一番理解している。何が作用しているのかは分からないが、今の自分の状態が悪化しない事は僥倖だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「案外と気が付かなものだな」

 

 神機兵に乗り込んだロミオは一人呟いていた。神機兵は遠隔操作をしている為にロミオは操縦桿すら握っていない。神機兵のカメラから外部の景色を眺めながらも、今後の事について改めて考えていた。

 今回の作戦に関してロミオは無明と榊からリヴィに関する事実を聞かされていた。今回倒れた直接の原因が血の力の制御が出来ない事になっていたが、実際にはリヴィの身体は既にヴェリアミーチェの適合率が一時期よりも低下し、ボロボロになりつつあった。

 抑制剤で何とか最悪の展開は避けられてはいるが、実際には効果がどれほど続くのかは未知数でしかない。万が一リヴィが再び倒れる様な場面があれば今度はブラッドだけでなくリヴィの命すら危うい状況になる事が予測された結果だった。

 万が一が無いのが前提ではあるが、ここはミッションで行くいつもの戦場ではなく螺旋の樹の内部。無明からは多くは語られなかったが、ロミオの存在を隠してまでこの作戦に参加させるのは暗に保険としての役割を果たしている事はロミオも理解していた。

 

 

「しかし、初めてここに来たけど、何だか気持ち悪いよな。何だが何かの体内にいるみたいだ」

 

 神機兵のカメラを周囲に動かす事で周囲の景色を確認する。下層から中層は何かが蠢いた様にも見えるそれはまさにロミオの言葉通りだった。

 

 

「おっとそろそろか」

 

 ロミオは神機兵の操縦を移動から作業へと切り替える。一旦組まれたプログラムは、まるで人間がそのまま操縦しているかの様に持ち込んだ荷物をベースキャンプ地に下ろしだしていた。

 食料や生活物資などに荷物の内容は多岐に渡る。ここはブラッドだけでなく他の部隊も最前線基地として使用している為に、ブラッドが不在となればロミオがそれを整理するのが今のロミオの役割だった。

 

 

「ったくあいつら少しは掃除くらいしろよな………なんだ今の感じ」

 

 北斗達は既に上層に向かったからなのか、ベースキャンプにはロミオしか居ない。誰も居ない間に物資の運搬をしていた瞬間だった。これまでに感じた事が無い程の胸騒ぎがする。これまでに感じた事の無かった感覚は不安以外の何物でもなかった。

 

 

 



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第244話 解禁

 上層の景観が良かったのは最初だけだった。探索が開始されてから既に2時間以上が経過している。気が付けば周囲の景色は全体的に薄暗く、時折不気味な何かが羽ばたく様な音だけが全員の耳に入るだけだった。

 

 

「さっきから羽の羽ばたく音がやたらと耳につくな……」

 

 ギルは周囲を警戒しながら独り言の様に呟いていた。周囲をいくら見渡しても、これまでに見た螺旋の樹の内部とは一線を引く景色は、心理的にも嫌なイメージを抱かせている。薄暗く、その先が何も見えない景色はまるで何かに誘われている様にも思えていた。

 

 

「何だか薄気味悪いよね……私も虫は嫌いじゃないんだけどさ、あの黒い蝶に関してはちょっと……」

 

 既に景色らしい物が何も見えないままに歩き続けているが、目標となるべき物が何も見当たらない。薄暗くなっている事も影響しているのか、ナナはいつも以上に口数が多くなっていた。

 気が付けばナナを先頭にその後にギルとシエルが続いて行く。少し遅れた所で北斗とリヴィは2人で歩いていた。

 

 

「リヴィ。さっきから雰囲気が変だが、何かあったのか?」

 

「何故そう思う?」

 

 北斗から何気に言われた事でリヴィは内心焦りが生じていた。螺旋の樹の内部に入ってから、これまで何も問題無く使えたはずのヴェリアミーチェの感覚が何時もとは違っていた。

 倒れる前は気にならなかった感触が今ではやけに気になってくる。当初は気のせいだと思っていたが、上層に近づくにつれ違和感が徐々に大きくなりだしていた。

 

 

「気に障るなら済まないが、何となくさっきの戦い方がこれまでとは違った様にも見えたんだ。まさかとは思うが、無理はしてないよな?」

 

 決して疑う様な視線ではなく、純粋に心配している様な北斗の視線はリヴィにとって心苦しい様にも思えていた。神機の適合率が以前に比べ低下しているのは直前のチェックで判明しているが、個人の感覚までは数値化されていない。その為にリヴィはこれまで同様に異常無しとだけ伝えていた。

 適合率の低下に関しては北斗だけでなく全員が情報の共通化によって把握している。しかし、今の北斗からすればそれ以外で何かトラブルが発生したかの様にも見えていた。

 

 

「それならば先ほども言った通りだ。今は特段問題無い。それよりも今はこの先の探索の事に意識を持った方が良いんじゃないのか?」

 

 これ以上突っ込まれればリヴィと言えども心苦しくなる。既に話題を切り替えるべく先頭を歩くナナ達に視線を向けた瞬間、事態は唐突に変化していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リヴィ、この場から後退しろ!」

 

 突如としてナナ達の足場が最初から何も無かったかの様に大きな穴が開いていた。

 既にナナだけでなく、シエルとギルの足元もポッカリと獲物を捕らえたかの様に大きく口を開き、そこには空間が広がっている。

 北斗の声で大きくバックジャンプに成功した2人は回避に成功したが、既に3人は何かに飲みこまれたからなのか、その場から消え去っていた。

 

 

「リヴィ!アナグラに通信回線を開いてくれ」

 

「極東聞こえるか?こちらはリヴィ。たった今、シエル、ナナ、ギルの3人が突然開いた穴に飲みこまれた。こちらからは状況が確認出来ない。至急ビーコン反応を確認してくれ!」

 

《了解しました。直ぐに確認しますが、そちらは大丈夫ですか?》

 

「ああ。私と北斗は難を逃れる事が出来た。目の間に空いた穴の底が全く見えない。我々は一旦この場から退避しベースキャンプへと戻る」

 

《では至急こちらも確認します》

 

 既に目の前に開いた穴の奥底は光すらも届かない程だった。通常であれば下の層に落ちるはずの場所が、何故かその穴に関しては違和感だけが生じている。

 このままこの場に留まるのは危険だとの判断により、2人は一旦ベースキャンプへと撤退を余儀なくされていた。

 

 

「そうか……ではしかたあるまい。我々も一旦は戻る」

 

 ベースキャンプに到着すると同時にリヴィの通信端末が鳴り響いていた。既に通信越しの会話の端々からは3人の状況が伝えられている。既に先ほどからそれなりに時間が経過しているからなのか、静まり返った内部には通信越しの声も僅かに聞こえていた。

 

 

「で、大丈夫なのか?」

 

「ああ。バイタル情報は問題ない。だが、場所の特定はジャミングの影響なのか特定出来ないらしい。このままここに残るにしても、これ以上の探索を2人でやるには危険すぎる。一旦は戻った方が良いだろう」

 

 既にこの場には2人しかいない。生きている事が確認出来るのであれば、一旦は救助チームを派遣させる以外に手だては無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか。まぁ、しゃーねぇな」

 

 支部長室ではリンドウとエイジが今後の活動についての報告を聞かされていた。螺旋の樹の内部がどんな状態なのかを理解し、かつ戦闘力が高い人物は必然的に限られてくる。 既に事情を聞かされた事により、リンドウとエイジは榊からの申し出に対し、了承していた。

 

 

「黒い蝶の存在は厄介ですけど、僕らが動いた時にはそんな物は見当たらなかったんですけどね」

 

「確かに見た記憶は無かったな」

 

「その件に関してなんだが、実際に発見したのは全て上層なんだよ。目撃がブラッドだけならまだしも、既に防衛班の数人も目撃していてね。今回の件に関しても恐らくはラケル博士の意志が働いているのかもしれないね」

 

 既に黒い蝶の目撃はこれまでに何度か発見された結果なのか、螺旋の樹の内部を探索したチームからも報告は幾つも上がっていた。本来であれば野生の生物が居る様な環境では無いのはこれまでの調査で判明している。

 それが何を意味するのかは榊の言葉が全てだった。

 

 

「しかし、いきなりの落とし穴はちょっと頂けないな。仮に上層部の殆どがそうだと仮定すれば一段と探索に時間がかかるのは間違いないしな」

 

 頭をガリガリと掻きながら話すリンドウの言葉は今後の行動を大きく制限させる予感だけしか残されていなかった。螺旋の樹の探索が始まってからは既にそれなりの時間が経過している。誰もが頭の片隅ある終末捕喰の言葉に頭を悩ませる結果だけが残っていた。

 

 

「そう言えばロミオはどうしてるんだ?あの場に居たんだろ?」

 

「はい。戻ってきた際には神機兵の中に隠れたらしいですけど」

 

 ベースキャンプの内部の事を知ったのはその場に居たロミオからだった。元々保険代わりに搭乗させていたが、未だ一部の人間以外に公表されておらず、今回の件で漸くリンドウがその存在を知った程度だった。本来であれば情報開示も止む無しと思われたが、結果的にはリヴィの件がある為に、そのまま様子を見る事が決定されていた。

 

 

「でもよ。そろそろ開示の必要があるんじゃないか?今の状況を考えれば、少なくともマイナスにはならないと思うが」

 

「その辺りは兄様が管理してますので僕の一存で決める訳にもいかないんですよ」

 

 捜索をするのであれば頭数が多い方が何かと都合が良いのは当然の判断だった。

 特に今回の様に未開の地への行進は想像以上に精神を疲弊させやすい。これまでに交代で入った人間は、常時過度な緊張から来るストレスに榊としても頭を抱える部分が存在していた。

                                        

 通常とは違い、螺旋の樹の内部には何か神機使いを疲弊させるような働きがあるのか、それとも精神的な部分なのかは判断出来ない。今はただ現状を受け入れる事しか出来ないでいた。

 

 

「だったら仕方ないな。とりあえず俺達が出向くのは上層って事で問題無いって事です?」

 

「そう言いたい所なんだが、まだ場所の特定が出来ないのが本当の所だね」

 

バイタルサインから全員に問題無いのは間違い無かった。しかし、救出となれば場所の特定は必然となる。未だハッキリと判断出来ないのであれば、二次被害を招く危険性から行動に移すには躊躇いが生じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フェルドマン。今後の予定に関してだが、こちらとしてはこれ以上リヴィ・コレットのヴェリアミーチェの適合は中止させるつもりだ」

 

 支部長室で榊とリンドウ達が話をしている頃、紫藤はフェルドマンと今後の事についての意見交換を求めていた。会議室に響く紫藤の声に、フェルドマン以外の職員は固唾を飲んで見守る事しか出来ない程に緊迫した空気が漂っている。

 一触即発の雰囲気にに誰もがおいそれと声を出す事すら憚られていた。

 

 

「何を今さらおっしゃるつもりですか?我々としては既に手段はそれしかない。以前にそう申し上げたはずでは?『対話』の能力無しであの探索は事実上不可能なのは貴方もご存じのはずだ」

 

 改めて出た言葉が今作戦の全てだった。『対話』の能力が荒れたオラクルを鎮静化させる事で進行させるだけでなく、戦闘時にもアラガミに対し無用な能力を発揮させる可能性がある事がこれまでのログで判断されていた。

 このままでは探索の人員に死を覚悟しろと言っているも同じ意味合いでしかない。だからこそ激昂まではいかなくともフェルドマンの視線に力が籠るのは無理も無かった。

 

 

「ブラッドが行方不明になった事は知っている。だからこそ今回の作戦は完遂出来る事が確認されたに過ぎない。先ほどの件に関しても既に技術的にはクリアされている」

 

 紫藤は背後の大画面にこれまでのミッションに関するログを開示していた。大画面の端から端までに映し出されたそのログは、その場に居た情報管理局員でさえも文句の付けどころが無い内容だった。これまでに見た中でもこれほどの戦績を残す事は早々可能では無い事だけは間違い無かった。

 

 

「これは一体誰の?」

 

「ロミオ・レオーニ上等兵の物だ。既に我々はこれまでに教導を重ねた事で既に実戦にも出している。リヴィ・コレット特務少尉には申し訳ないが、現時点では彼が一番適任なはずだ」

 

 紫藤の言葉を聞きながらもフェルドマンはただログを見ている事しか出来なかった。ロミオは民間人の保護の為に意識不明重体のまま戦線から離れているはず。当初は疑う部分もあったが、その画面に記された事実が全てだった。

 画面に出た名前は左側から時系列にミッションの内容が並んでいるが。右側に行けば行くほど堕天種だけでなく接触禁忌種の名前までもが並んでいた。

 これが仮に本当だとすれば今のブラッドの数字に対しても何の遜色も無い事を示していた。

 数字を誤魔化した所で誰にもメリットは無い。仮にロミオ自身が偽ったと仮定しても、それが何を意味するのかは明白だった。ログの詳細を見れば、そこには討伐だけでなく血の力の行使までもが刻まれている。既に反論するだけの余地は何処にも無かった。

 

 

「なるほど。これが正解だとすれば我々としては何も問題ありません。しかし、この目でその実力が本当なのかは確認したいですね」

 

「それについては問題ない。では明日改めて本人を招聘しよう」

 

 2人の会話は摩擦を生む事無く淡々と進められていた。既に会話をそっちのけで職員は刻まれたログを見ている。極東が如何に苛烈で過酷な現場であるのかは数字が雄弁に語っていた。その事実から、誰の口からも異論が出る事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私はもう必要無いとでも言いたいのでしょうか?」

 

 フェルドマンから告げれた言葉にリヴィは思わず反発しそうになっていた。これまでジュリウスの神機を使い螺旋の樹を切り開くだけでなく、上層までやってこれたのは紛れも無く自分がやってきた実績。しかし、そんな事実は最初から無かったかの様に言われた事で、リヴィはどこか呆然としながらも自身の考えの述べていた。

 

 

「そうではない。新たな使い手が極東から出されたと言う事だ。事実、ここまでに適合率の数値が低下しているだけでなく、数字以外の何かも低下してるんじゃないのか?」

 

「そ、それは……」

 

 フェルドマンの言葉にリヴィはそれ以上の言葉を告げる事は出来なかった。既に適合率の低下は誰もが知っている状況ではあるが、それ以外に関しては秘匿してきている。ここに来て本当の部分を言い当てられた事により、リヴィの内心は動揺していた。

 

 

「我々も最初は反論したが、紫藤博士が出した数字は我々が想定した以上の結果を示している。既に何体もの接触禁忌種を単独で討伐しているログも存在している以上、これを拒む必要性はどこにも無い」

 

 主観ではなく客観的に出された事実は非情でしかなかった。ログは基本的に腕輪から更新のデータが採取される為に、偽りのデータを流す事は物理的には可能であっても、それを実戦しようと考える人間は皆無だった。

 数字が良ければより過酷な任務が求められる。仮に偽ったままであれば確実にその持ち主の命が消し飛ぶ以上、態々改竄しようと考える人間は皆無でしかない。そんな事実があるからこそ、リヴィは子供の頃にたてた約束がここに来て履行されない様になる訳には行かないからと反論した経緯があった。

 

 

「適合率の低下は私自身も理解しています。しかし、『対話』の能力は必要不可欠なはずでは?」

 

「その件に関しても問題はクリアされている。これが今回の適合率のデータだ。見ての通りこれまでに無い数字を出している。我々としては終末捕喰をこのまま完遂させようなどと酔狂な考えは一切持ち合わせていない。となれば今回の件は事実上の命令だと思ってくれ」

 

「それであれば一度私にも確認させて下さい」

 

 言葉だけでリヴィを説得できるとはフェルドマンは最初から考えていなかった。紫藤から言われたのはこの数字の持ち主の名前を開示せずに事実だけを伝える事だけ。

 これまでの様に冷静な判断を下したはずのリヴィが今は取り乱した様にも見えている。それが何を意味するのかはフェルドマンには分からなかった。

 

 

 



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第245話 模擬戦の行方

 

「リヴィが……ですか?」

 

「そう。既にこの件に関してはフェルドマン局長の許可も出ているからね。そろそろ各自の場所の特定も出来るはずだから、今回の探索メンバーはリンドウ君とエイジ君も同行する事になっているよ。君達の戦力ならば問題無いと判断した結果なんだ」

 

 北斗は榊から言われた言葉に驚きを隠す事は出来なかった。これまでに一緒にやってきたはずのリヴィの気持ちを無視し、突然のメンバーの変更に北斗は愕然とした表情しか浮かべる事が出来なかった。

 既にフェルドマン局長までもが許可している以上、今の北斗に抗弁するだけの権利は無い。出された命令に不服だったからなのか、珍しく何時もと表情は異なっていた。

 

 

「これまでの事があったから念の為にログの確認はしたんだが、流石だとしか言いようがないね。彼なら今の君達の実力とは何の遜色も無いはずだよ。気になるならヒバリ君かフラン君に確認してもらうと良いよ」

 

 北斗の苛立ちを浮かべた様な表情をまるで気にする事なく榊はそのまま話を続けていた。

 一度リヴィの心情について話を聞いた事からも、今回の交代に関しては素直に従う気持ちは無かった。しかし、螺旋の樹の上層の探索に関しては今後も過酷な物になるのは間違い無い。リヴィ以上の力があるのであれば、ここの上層部は問題解決の為に認めるのはある意味では仕方ないと考える部分も存在していた。

 

 

「そうですか。では確認してから改めて判断したいと思います」

 

「そうしてくれるかい?それと、その数字の持ち主に関しては他言無用で頼むよ」

 

 榊の含みを持たせた言い方が気になりはしたが、それよりも気になったのはログの確認の件だった。

 コンバットログの確認は自分の分以外は部隊長クラス以上でなければ中々確認出来ない部分が多分にあった。北斗自身も部隊長の資格がある為に、他の人間のログを確認する事は可能ではあるが、ブラッドの特殊性を考えれば、事実上の無意味でしかない。

 戦闘時の内容そのものは場合によっては今後の教導にも活かされる可能性があるが、かと言って誰の物でも安易に開示する様な事はなかった。

 数字を見た事により自分の身の丈を超えるミッションの受注は、自分の命を危険に晒すだけでなく、他の仲間の命までも晒す事になりかねない。そんな事情があったからこそ、珍しく他人のログを開示するのはある意味では自分の目で確かめろと言っているに等しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ明日ですか?」

 

「そう。明日、今後の事を含めて模擬戦をする事になった。因みに名前は伏せた状態で説明したから、ロミオの事は何も知らないはずだよ」

 

「マジっすか……」

 

 一旦帰投した事で、ロミオはそのまま屋敷へと戻っていた。メンバーが行方不明になった瞬間の行動が今回の事実上の決定打となっていた。

 いかなる状態であったとしても、自分の身を挺した行動は今回の作戦に於いては邪魔な感情でしかなかった。ブラッドの特性を考えた場合、各個人がそれぞれ大きな特徴を秘めた能力は誰一人として欠ける様な事があってはいけない。人道的には問題があるかもしれないが、冷静になれなかった者から人生の退場を余儀なくされるのは極東では当然の事。

 自身の事を顧みず行動に移すのか、それとも冷静に判断するのかが今回の分かれ目となった事をロミオはエイジから聞かされていた。

 

 

「厳しい言い方かもしれないけど、リヴィの状態はかなり悪い。無理に神機に接続してるのは以前にも言った通りだけど、その当時よりも今の方が悪くなっている。このまま無理に推し進めばアラガミ化以前の話になる可能性が高いんだ」

 

 エイジの言葉にロミオの表情は真剣そのものとなっていた。

 以前に感じたあれは間違い無く感応現象。子供の頃の記憶が今でも鮮明に思い出される。自分の不出来で、これ以上リヴィを危険な目に合わせたい気持ちは持ち合わせていなかった。

 

 

「でも、それだと今後のリヴィの状況はどうなるんですか?」

 

 ロミオの関心はそこにあった。感応現象で確認した記憶の断片に間違いが無ければ、今回の模擬戦の結果、リヴィがどう言った行動を起こすのか予測すら出来ない。一度こうだと思い込んで今回のミッションに臨んでいる以上、下手に刺激をすればどんな結果が待ち受けているのかすら分からないままだった。

 

 

「今回の模擬戦は、あくまでもロミオの技量の確認であってメンバーの交代は無いはずだよ。実際に螺旋の樹の内部はかなり厳しい状況に晒された中でのミッションだけでなく、神融種も当たり前の様に出てくる。人数は多ければ多い程良いと上は判断してるよ」

 

 エイジの言葉は気休めでは無かった。既に派兵された神機使いの大半は過度なローテーションを組むのではなく、余裕を持って活動している。もちろん螺旋の樹の探索が最優先であるのは間違い無いが、だからと言って他の地域にアラガミが出ない訳でもない。以前に出た様にアラガミの群れの様な物が螺旋の樹に引き寄せられるかの様に出没している事実がある以上、その言葉が意味する事をロミオも感じ取ったのか、それ以上の話は何も出ないままだった。

 

 

「エイジ、ロミオさん。食事の準備が出来ましたよ」

 

 アリサの言葉にエイジとロミオは一旦食事へと向かうべく、皆の場所へと移動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、今後の作戦の為にお互い実力の確認をする。模擬戦とは言え、全力を尽くせ」

 

 ツバキの声が訓練場に響き渡ってた。ツバキの隣にはエイジとアリサ、北斗が様子を見ている。既に誰が来るのかを知っているエイジとアリサは何時もとは何も分からないが、北斗の表情は硬いままだった。

 あの後、北斗が見たログは驚愕の一言だった。どんな人間でもそれなりにミッションをこなさない事には上のレベルのミッションがアサインされる事は決してない。仮に無理矢理行こうとしても、ヒバリやフラン達オペレーター権限でミッションが取り消される結果しか無い為に、自身の身の丈を超える事は事実上不可能だった。しかし、見せられたログは既に接触禁忌種の名前が幾つも載っているだけでなく、その一部は単独での討伐。ブラッドが極東に来てからそれなりに時間は経過しているが、ここまでの実力を持った人間に北斗は覚えがなかった。

 仮に顔と名前が一致しなくてもその実力があれば噂程度でも聞こえて来るはず。仮にあの名前がそうだとすれば質の悪い冗談の様にも思えていた。

 

 

「誰が相手かは知らないが、私は私のやるべき事だけをやるだけだ」

 

 これまでの様にジュリウスやロミオが使用した神機ではなく、リヴィの本来の神機でもあるヴァリアントサイズは模擬戦仕様の為に刃引きされていた。しかし、刃引きしたとしてもやり様によってはかなりのダメージを与える事は理論上可能となっているからなのか、これまでに感じた事が無い程に気合いが感じられていた。これならば番狂わせはあり得ない。今のリヴィを見た北斗は内心そう考えていた。

 

 

「でも、ちゃんと出来ますかね?」

 

「多分大丈夫だと思う。これまで散々やって来たからね」

 

 何気に聞こえた2人の会話は北斗を混乱させるには十分すぎていた。元々はクレイドルだからリヴィとは然程交流は無かったのかもしれないが、これまで一緒に戦って来た仲間ではなく、今回の模擬戦の相手を応援している様にも見える。

 肝心の顔には面が付けられているからなのか、服装から金髪の男性以外の情報が無い。それが誰なのか判断出来ない。北斗の内心は2人の言動に悩まされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「強い。まさかここまでとは……」

 

 リヴィは内心焦りが徐々に生まれ始めていた。面をつけたまま対峙した人物に心当たりは無く、むしろその面が邪魔になるのではとの考えが内心あった。

 目の部分だけがくり抜かれているのであれば視界はかなり狭くなっているのは考えるまでも無かった。

 

 死角の外からの一撃で一気に決着をつけるつもりだった。開始の合図と同時に一気に横に跳躍を開始する。面を付けたのであれば感知すら不可能だとばかりにリヴィは鎌の刃を相手の首に向かって振り下ろした瞬間だった。

 

 

「馬鹿な!」

 

 これがアラガミならば一気に首を刈り取る事で絶命するはずが、目の前にあったのは神機の刃。バスター型の神機の特性を活かしたのか、鎌は刃の腹で受け止められ凶刃の一撃は食い止められていた。

 モックとは言え金属がぶつかり合う高音が訓練場に響く。その音の高さがこれまでの一瞬で行われた攻防の結果だけを残していた。

 

 

「だが、私も譲る訳には行かないんだ!」

 

 裂帛の気合いと共にリヴィの斬撃が面の男に襲い掛かっていた。一合一合お互いの刃はまるで打ち合わせたかの様に互いの中央で交差する。一方的な攻撃にも関わらず全ての斬撃が迎撃されたのはリヴィの人生の中ではありえない事実。近いはずの相手の身体がやけに遠く感じる。このままの状態が続くのであれば、最初に疲弊するのは間違い無く自分である事は間違い無かった。

 フェルドマンから伝えられた事実によって既に退路は断たれている。今のリヴィは前進する以外の手段は持ち合わせていなかった。

 

 

 

 

 

「厳しい…な。でも、これならやれない事は無い!」

 

 ロミオは事前にエイジから面を付ける事が前提であると告げられていた。これまでの教導の際に付けた面は視力だけに頼るのではなく、五感をフルに使った戦い方を強要されていた。

 ロミオはエイジとナオヤ、時に無明から教導を受けていた事もあってか、自分の状態がどれほどの物なのか理解出来ていないままだった。

 明らかに自分よりも格上と戦った事により、今の状態を正確に把握できないまま臨む事になっていた。リヴィの容赦ない斬撃がロミオの首を狙う。死角外からの攻撃は目では捉えられないが、大気のうねりがそれを教えてくる。既にロミオは事実上の死角からの攻撃を完全に把握していた。

 神機の腹で受け止めた斬撃が攻撃の重さを証明するかの様にロミオにも衝撃がフィードバックされる。

 元々自分の代わりにやってきたと言う自負があるだけでなく、自身の誓いを履行するにあたって、新たに出てきた自分の存在は邪魔だと言わんばかりの意志すら感じる。そんなリヴィの鬼気迫る表情にロミオは態と負けようと思う事は無かった。自分がどれ程の状態なのか、明確な定規がリヴィであれば、ただ確認をするだけ。

 既に殆どの攻撃の軌道が予測出来る為に、傍から見れば防戦の一方だが、今のロミオには精神的な余裕があった。既に数えきれない程の斬撃を捌き、中央で交差させる。それだけでなく今のリヴィにはロミオに対し攻撃が届かない事を本能で理解していた。

 

 

「このまま戦場に送りこませはしない!」

 

 リヴィの気合いに答えるべくロミオは自信を奮起させる。それが合図となったのか、剣戟の激しさは更に加速し始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、エイジさん。あれって本当にそう……なんですか?」

 

 眼下で行われた模擬戦に北斗は視線を外す事は出来なかった。あの時に見たログの名前はロミオ・レオーニ。当初はその名前すらも偽りだと北斗は思っていた。

 もし、それが本当であれば北斗が知っていた当時の状況と、今繰り広げられている状況が圧倒的に違い過ぎている事に疑問を持っていた。色々と思考錯誤しながら自分の戦闘スタイルを確立していたはずの記憶が一気に色褪せる。

 今、リヴィと戦っている面を被った男は確実に当時よりも洗練された行動原理に基づいて攻撃を捌いていた。仮に当時の自分と比べれば、確実に地べたに這いつくばるのは自分であるのは間違い無い。それ程までに面の男は洗練された動きをしていた。

 

 

「ロミオの事?それなら間違い無いよ」

 

「やっぱりロミオなんですか!でも、あの時とは動きが全然違う!」

 

 戦っている場面から初めて目をそらし、北斗はエイジの顔を見ていた。その言葉に偽りは感じられない。まさにその瞬間だった。鈍い音が響くと同時に、面の男の一撃がリヴィの神機を弾き飛ばす。北斗が改めて見れば面の男の神機の先端はリヴィの喉先だった。

 

 

「詳しい事は本人から聞きなよ。ロミオ、お疲れ様でした」

 

 エイジはマイクに向かって話した瞬間、北斗だけでなくリヴィの表情までもが一変していた。髪を後ろで束ね、服装が違う為に最初は分からなかったが、面を外した顔は間違いなく当時の面影を残したロミオ。勝敗が決した後もリヴィは驚愕の表情のまま動こうとはしていなかったからなのか、ロミオはリヴィに手を差し出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にロミオ……先輩…なの…か」

 

「当たり前だろ?足だってちゃんとあるし、生きてるよ」

 

 下に降りて話をすれば全体的なイメージは違っていたが、その声はま紛れも無くロミオの物だった。いくら何でも当時の状況と今の状況が違い過ぎる。北斗はあまりにも変貌しすぎたロミオに理解と理性が追い付いていかない。

 確かにフライアで治療されたまま飲みこまれた事は記憶しているが、そこから救助された事実は何も聞かされていない。だからこそ榊が言った他言無用の意味がここにきて理解出来ていた。

 

 

「すみません。あまりにも違い過ぎたんで……ちょっと…」

 

「ああ、それなら気にしなくても良いって。俺だってここに来るまでかなり苦労させられたんだぜ。あの時の俺と一緒にするなよな」

 

 先ほどまでの厳しい雰囲気は既に霧散していたのか、ロミオの言動は当時と何も変わっていなかった。北斗は目頭が熱くなりそうだったが、こんな所で流す訳にも行かない。

 今はただそんな感情を押し殺し、これまでの状況を知りたいとさえ考えていた。

 

 

「お前ら、いつまでそうしてるつもりだ。使用時間が迫っているんだ。さっさと後片付けをするんだ!」

 

 ツバキの怒声に漸く今の状況が判断出来ていた、時間はすでに予定時刻にせまりつつある。今はまだアナグラにも報告されていない為に、一先ずは場所の移動が先決だった。

 

 

 



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第246話 探索前夜

「でも、それならそうと早く言ってくれれば……」

 

「北斗の気持ちは分からないでもないけど、これにも理由があるからね。もし目覚めた状況が確認されて、そのままミッションになったらどうなる?」

 

 北斗はエイジから言われた事によって漸くこれまでの事実を思い出していた。リヴィが派遣されてからの作戦はどれもこれもギリギリに近い内容が殆どでもあり、またロミオがそのまま原隊復帰したとしても、その過酷な戦場に於いてのフォローは事実上不可能とも取れた。

 事実、ラケルの謀略に嵌った結果が現在であれば、尚更その事実が重くのしかかる。エイジの言葉を正しく理解したからなのか、北斗はそれ以上の事は何も言えなかった。

 

 

「今回の模擬戦の結果はフェルドマン局長だけでなく、アナグラにも通達されてるから、今頃は大変だろうね」

 

「それは……間違い無いでしょうね」

 

 今はロミオの件での説明と同時に身柄を匿う為に北斗とリヴィは屋敷に滞在していた。

 ここに居る為に事実は何も知らされていないが、オペレーターのフランに関しては原隊復帰の調整だけでなく、これまで溜まったログの整理や報酬の手続き。既存の神機のコード変更などやるべき事が余りにも多く、パンク寸前の状況に追い込まれていた。

 時折ヒバリのフォローが入るが、やはりブラッドに関する情報の更新に関してはフランが全面的に担当している為に、今は急遽ローテーションの変更を余儀なくされていた。

 

 

「しかし、短期間でああまで変わるなんて一体何をやったんですか?」

 

 北斗が知りたかったのはそれだった。ロミオの変貌ぶりは北斗にも衝撃を与えていた。既に洗練された動きはこのアナグラでも確実に上位に入るだけでなく、ひょっとしたらギルやシエルよりも上なのかもしれないとまで考えていた。短期間での教導がどれ程の物なのか、北斗はロミオの事は横にしてもエイジに確認したいと考えていた。

 

 

「体力の増強と視覚を封じた訓練だね。教導のメインはナオヤだけど、時折僕と兄様がやったからね。我ながらかなりのスパルタぶりはちょっとね……」

 

 現時点で考えられる人間の教導の結果でしかなかった。エイジやナオヤはアナグラでも時折やるが、無明とまでとなれば話は大きく変わってくる。以前に一度だけ対峙した際には手も足も出なかった苦い記憶だけが残されている。そんな記憶があったからこそ北斗はロミオの動きの原点を見た様な気がしていた。

 

 

「やっぱりここのお風呂は良いよな~。極東に来て良かったって思うよ」

 

 そんな北斗の考えを他所にロミオはここでの当たり前でもある浴衣に着替え、まるで自分の家の様にこちらに来ていた。

 

 

「ロミオ先輩!聞きたい事があるんですが、無明さんとの教導はどうだったんですか?」

 

「え?」

 

「だから、無明さんとの教導に付いてですが」

 

 何気無く聞かれたはずの名前にロミオは先ほどまでのリラックスした表情から突如として顔が青ざめ身体はガタガタと震えている。今思い出してもあれ程厳しい教導は二度とやりたくない。そんな記憶がそこにはあった。

 

 エイジやナオヤとの教導とは違い、事実上の真剣を使った教導は自分の命の保証すら成されていない。仮に反撃をされるのであれば、自分の命は確実に無くなる未来が常に付きまとう教導は生きた心地が一切しなかった。

 事前に入念なチェックはあるが、それでも恐怖心を抑え込むのは不可能に近い。無明と対峙するならば、まだハンニバル侵喰種と対峙した方だマシだと思える。こうして生きている事に感謝したくなる感情はこれまでの自分の人生の中では一度も無かった。

 そんな思い出しかないにもかかわらず、それを口にしたいとは既に思っていない。今ロミオに出来る事はその事実から北斗の目を背けさせる事だけだった。

 

 

「それは…俺の口からは言えないんだ……」

 

 どこか遠い目をしながら話すロミオに、北斗は何かを悟った様な様子は一切無かった。確実に誤魔化してるのは明白である以上、その内容を知りたいと考え続けている。

 今現在もラケルの放った呪いの様な言葉は北斗をがんじがらめにしている。今は少しでもその状況から脱却したいと考えた結果でしか無かったが、今のロミオにはそんな事実が伝わる事は一切無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私がここに来ても良かったのか?」

 

 ロミオと北斗が話をしている一方で、リヴィはアリサと行動を共にしていた。お湯から出た事で今は着付けを行っている。これまでに着た事が無かった事も影響したのか、アリサがリヴィの浴衣の着付けを担当していた。

 

 

「私の一存じゃありませんよ。ここに来る事を指示したのはツバキさんですし、今アナグラに居た所で現場は混乱してますから」

 

 アリサもここには遅れて来ていた為に、ロビーの状況は理解していた。ロミオに近いフランの混乱と同時に、ヒバリが隣でそれに伴うフォローを続けている。それとは別でウララが現状のミッションのオペレートをしながらテルオミが受付をこなしていた状況は遠目で見ても気の毒としか思えなかった。

 そんな中で本人がその辺をウロウロすれば何かと問題が生じると判断した結果でしかなく、それを見越したツバキの指示がそこにあった。

 

 

「そうか。まさか面を付けた人物がロミオだなんて気が付かなかった。私もまだ未熟なんだな」

 

 リヴィとの会話をしながらもアリサの手は止まる事は無かった、手慣れた手つきで次々と帯を締めて行く。気が付けば残すは髪型だけとなってた。

 

 

「そう言えば、私は何となくしか聞いてませんが、ロミオだってさっき気が付いたんですか?」

 

 アリサの質問にリヴィは少しだけ考えていた。厳密に言えば確認したのは模擬戦の終了時だが、何となくそうだと感じた事は医務室で眠っていた際ではなかったのかと思い出していた。あの時触れた人物が誰だったのかは分からない。今思い起こせばあの時からロミオの事がやけにハッキリと思い出された様にも感じていた。

 

 

「いや。確証は無いんだが、医務室で誰かに触れられた際に脳裏に何かが飛び込んだ様な感じがあったんだ。あの時の人物は誰だったのかは分からない。ヤエに聞いても見覚えが無いとだけ聞いたんだ」

 

 リヴィが言った時間帯にロミオが医務室に向かった事をアリサは知っている。そして、その後に起こった現象が感応現象である事も想像していた。

 螺旋の樹の発言の原因となった終末捕喰の際に榊が漏らした言葉ではないが、お互いが思いやりを持っていれば起こる可能性が極めて高い。ましてやブラッドであればその可能性もあながち間違いでは無い様にも思えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よう。せっかくだから親睦も兼ねるとするか」

 

 リヴィが浴衣を着て部屋に来ると、そこにはリンドウが既に座っていた。今回の探索ミッションではリンドウとエイジが加わっての作戦は既に2人にも伝えられている。まるでそれを見越したかと思える程リンドウが来たタイミングが良すぎた。

 

 

「今日は家族で過ごす予定じゃなかったんですか?」

 

「そのつもりだったんだが、姉上からちょっと話があってな。どちらかと言えば俺の方はおまけだ」

 

 リンドウがおまけだとすれば、本来の目的が何なのか誰も想像すら出来なかった。教導やイレギュラーなミッション以外にリンドウが必要とされるケースはそう多く無い。にも関わらずおまけだとすれば、それが何を意味するのか僅かに興味が湧いていたのか、アリサは何気なくリンドウに聞こうとしていた。

 

 

「皆お待たせ。アリサも久しぶりね」

 

「サクヤさん!お久しぶりです」

 

 久しぶりに聞いた声に反応したのはアリサだった。北斗とリヴィに至ってはここに来た女性が誰なのかすら分からない。雰囲気からすればアリサの知り合いである事は理解できるが、それが誰なのはまでは想像出来なかった。

 

 

「えっと、貴方達がブラッドの人ね。私は雨宮サクヤ。リンドウの妻です」

 

 黒髪の女性が名乗ると同時に、その背後には小さな子供が隠れていた。その様子から子供であるのは間違い無いが、それが誰なのかは何となく想像出来ていた。

 

 

「雨宮…レンです」

 

「息子のレンだ。ロミオは確かここでも何度か見た事あったよな?」

 

「ええ」

 

 元からここに来る事が予定されていたのか、気が付けば3人の食事の準備もされていた。時間を考えるとそれなりに時間は経過している。リンドウが言う様に親睦はともかく、このまま食事へと突入される事になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たまにはこうやって食べるのも悪くないな。そう言えば、ブラッドはこんな事はあまりしないのか?」

 

「そんな事は無いですけど……でも、こうやって全員での食事の機会はそう多くは無いですね」

 

 リンドウは不意に思ったのか、北斗に何となく聞いていた。ここでの食事はクレイドルになってから数える程しかないが、第1部隊の頃は割と多かった記憶が蘇る。ラウンジでの食事も悪くは無いが、やはりここでの食事はどこか別格な様にも思える。

 古い考えなのかもしれないが、同じ釜の飯を食べる事で全員の結束が固まる事実がある事を経験則で理解してた。

 

 

「リヴィは食べないのか?これ結構旨いよ」

 

 大人数なのと、準備の手間を省く目的から用意されたのは大きな鍋だった。黒い鉄で出来たそれに材料を次々と入れ、それを割り下で煮る。既に準備された物はスキヤキだった。

 初めて見たのかリヴィはどうして良いのか分からず、ただ呆然と見ている。そんなリヴィをフォローするかの様に、ロミオは取り皿に入れて渡していた。甘辛く煮こまれた野菜に溶き卵の味わいはリヴィの価値観を変えていく。これまでにラウンジで食べた食事とはまた違う感覚は、少しづつリヴィの心を解きほぐしていく様にも思えていた。

 

 

「スキヤキと言うのか……ロミオは普段からこんな物を食べているのか?」

 

「これは初めて食べたよ。噂には聞いた事はあったんだけど、食べたのは初めてだよ」

 

 ここに来てからのロミオの生活はフライアやアナグラとは大きく異なっていた。着ている浴衣もそうだが、普段は全て自分でやるべき事は自分でやらざるを得なかった。

 これまでの様に誰かがやってくれる環境は一切なく、精々が食事だけは皆と同じ物を提供されていたが、その生活はこれまでに無い事ばかりを経験していた。ここにはノルンによる娯楽は何も無く、日が昇れば起きて活動し、日が沈めばそれなりの行動の後に就寝する。ある意味では規則正しい生活を送っていた。

 本来であれば過酷な任務もあるが、ここではそれ以上の戦闘訓練が毎日行われ、休憩ともなれば子供達との遊びと言う名の訓練が待ち構えている。当初こそは混乱したが、慣れさえすればこれもまた心地よい物であると思っていた。

 

 

「そうか。そう言えばあの時来たのはロミオだったんだな?」

 

「そう。あの時は少し焦ったんだよ。まだ秘匿した状態だから絶対に正体を晒すなって言われてたからな。目が開いた時はヒヤヒヤしたよ」

 

 食べながら何かを思い出したのか、リヴィは何気にロミオに聞いていた。夢か現実か分からない情景とアリサから聞かされた感応現象の言葉。自分自身が経験した事がない事実を確認するには当人に聞くのが一番だと判断した結果だった。

 

 

「まさかとは思うんですが、ロミオさん、リヴィさんの寝顔見て邪な事をしたなんて事無いですよね?」

 

「いえ。そんな事は無いですよ」

 

 2人のやりとりに何か思う部分があったのか、アリサは半ば興味本位で聞いていた。自身も経験した状況に酷似している。そんな記憶が蘇ったからなのか、何時もの様な厳しい視線はそこには無かった。

 

 

「良いじゃないのアリサ。誰だって言いたく無い事の一つや二つはあるんだから。誰も居ないなら何をしても分からないしね」

 

 アリサのフォローに入ったはずのサクヤの言葉はロミオに止めを刺していた。確かに知己の間柄とは言え、それはあくまでもずっと同じだった場合の話。

 今の2人には事実上の接点は無に等しく、いくら見舞いだと言っても誰にも見つかるなと指示をされれば、その場所は密室でしかない。そんな中で眠っているリヴィに何をしても本人が気が付かず、何も言わなければ邪推されても仕方なかった。

 

 

「いやいや。そんな事はしませんよ。あの時だって顔を見たいと思っただけなので」

 

「本当ですか?」

 

「嘘じゃないですって」

 

 半目のアリサと笑顔のサクヤにロミオはタジタジになっていた。既に模擬戦の様に厳しい雰囲気は無く、アットホームな空気が流れている。そんなやりとりを見たのか北斗はその行方を見守る事しか出来なかった。

 

 

「北斗。どうかしたの?」

 

 何気に見ていた北斗に気が付いたのか、エイジはさりげなく北斗に声をかけていた。ここに来る際にどこか重苦しい雰囲気を漂わせていた事が気になったのか、以前に見た表情よりも暗くなっている。今後のミッションの要はロミオの力ではあるが、ここまで引っ張って来たのは北斗の尽力でもある。

 部隊長をやる以上、しがらみが多い事はエイジも理解しているからこそ北斗に声をかけていた。

 

 

「いえ。ただ、クレイドルがどうして結束が高いのか理解出来た様な気がしたんで」

 

「なんだ。そんな事気にしてたのか?俺達だって最初からこうじゃなかったからな」

 

 ラケルから浴びせられた『ジュリウスを救いたいのは全員の意志なのか』との問いかけが北斗の心に突き刺さっていたからなのか、思わず出た言葉に対しての返答としては随分な言葉だった。背後からリンドウが来たと同時に、先ほどの言葉もまたリンドウの答え。

 あまりにも呆気らかんとし過ぎた回答は北斗に驚きをもたらしていた。

 

 

「そうなんですか?」

 

「ああ。もちろんだ。俺がまだ第1部隊長をやってた頃はソーマはあんなんじゃなかったし、アリサだってああじゃなかった。どいつもこいつも素直じゃなくてな。俺がどれほど苦労したかと思ってるんだか」

 

「それはリンドウさんもですよね。一人で放浪してどれだけサクヤさんを困らせたと思ってるんですか」

 

 これ以上自分の事を言われるのは拙いと判断したのか、アリサはロミオを弄るのを止め、すぐさまリンドウの話を転換させようとしていた。

 最近では聞く事が無いが、自分の中でも黒歴史の1番でもある、あの当時の事を未だに言われるのは流石に辛い物があった。これ以上の暴露は危険だと、いち早く察知すると同時にリンドウに矛先を向けていた。

 

 

「おいおい。俺は客観的な事実をだな……」

 

「それはお互いさまですから」

 

「まあまあ。アリサもその位にしたら?」

 

 楽しく食事が出来たからなのか、北斗も少しだけ心が晴れた様な気がしていた。既に暗い雰囲気はどこにも存在していない。今は少しだけクレイドルが羨ましいと感じながら北斗は箸をすすめていた。

 

 

 




「で、結局のところ、姉上の用事ってなんだったんだ?」

「それなら、まだ確定した訳じゃないんだけど教導教官にならないかって話だったのよ」

「は?なんでまたそんな話が?」

 リンドウが驚くのは無理もなかった。現時点でサクヤの扱いは産休による長期休暇となっている。実際にレンの兼ね合いもあってか、ここ暫くは前線はおろか任務にも出る事はなかった。
 元々産休前は第1部隊の副隊長をやっていた事もあり、その経験や旧型とは言え、卓越した射撃の技術は未だに色褪せる事はなかった。螺旋の樹の作戦の関係上、今はまだ大きな問題にはなっていないが、それでも教導教官も人手不足に変わりはなかった。


「でも、他にも理由はありそうな気もしたのよね」

「理由?」

「まあ、その件は私の勘なんだけどね」

 そう言いながらもサクヤは鍋からレンの為に色々とよそっている。今のサクヤの表情は恐らくは何を言っても話す事はないのだろう。いずれ何かしら公表されるのであれば、その時まで待てば良いだろう。リンドウはそう思いながらお猪口の中身を飲み干していた。




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第247話 甘言

 

「ここは……一体……」

 

 ギルは突如として落とされた穴から変化した風景に思わず周囲を見渡していた。生い茂る森にどこか見た事がある小屋が立ち並ぶそこは、以前に居た場所の周辺に近い。先ほどまでは上をみれば天井が見えるはずの螺旋の樹だったはず。記憶の奥底に漂う風景は嫌が応にもギルのあの時を思い出させていた。

 気が付けばその時に見た黒い蝶がヒラヒラと飛んでいる。その行方の先にはギル自身が直接手をかけたはずのケイトに似た人物が腰を下ろしていた。

 

 

「まさか……ケイト……さん?」

 

 ギルの記憶が確かならあの最後のミッションの際に着ていた服装に、栗色の長髪。赤いメガネをかけた女性はギルの心情に大きく影響を与えていた。

 本来であればあり得ないはずの人物がそこに居る。自身が何故と思う前にギルの足は自然とその場所に走り出していた。

 

 

「ケイトさん!」

 

「やあ、どうしたのギル?何かあったの?」

 

 俯いた頭が上がると、その顔とその声は紛れも無くケイト・ロウリーその人だった。自身が直接手にした記憶が未だに残っている以上、目の前の女性が偽物なのは間違い無い。しかし、ゆっくりと立ち上がり、まるで何事も無かったかの様に話かけるそれは、本人以外の何物でもない様にしか思えなかった。

 

 

「いえ、どうして……ここに。ここは螺旋の樹の内部なんじゃ……」

 

「螺旋の樹?夢でも見てたの?ここはグラスゴーじゃない。そうやってボケっとしてるなんて、らしくないよ」

 

 ギルの言葉をまるで夢でも見てたのかとケイトはやんわりと否定していた。改めて周囲を見ればその場所にアラガミの気配は何も無い。手にしたヘリテージスがやけに重く感じていた。

 

 

「まあ、ここで立ち話もなんだし、折角だから一旦は休憩場所に戻ろうか」

 

「あ、はい」

 

 ギルの前を歩くケイトは紛れも無く偽物であるのは間違い無いと当初は考えていた。質の悪い幻か悪夢。それ位の認識しかない。しかし、先を歩くケイトの背中はまるであの当時の事が最初から無かったかの様な感覚がギルの中に出ていた。気付けば休憩場所の小屋が見える。グラスゴーに居た際に割と良く使っていた思い出の場所にケイトは何も思う事無く扉を開けてそのまま入っていた。

 

 

「何だかこうやってここに来るのは久しぶりだね。そろそろハルも来るはずだから、来る前にお茶にしようか」

 

 手慣れた感じでケイトは紅茶とブラウニーをギルの前に差し出していた。紅茶から立ち上る香りはケイトが好んで飲んでた茶葉の香り。その隣にある小さなそれはケイトが得意としているお菓子。余りにも自然に出されたそれにギルはここが本当にどこなのか少しづつ曖昧になり始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどね……でもギルがまさかそんな大それた作戦に参加するなんて私も鼻が高いよ」

 

 出された紅茶に手を付ける事無く、話し上手なケイトの言葉にギルはやんわりとこれまでの事実を話し出していた。事実上の極秘任務と言う訳では無い為に、一部の部分はぼかしながらもこれまでの顛末を話している。

 既に出された紅茶に熱は無く、ギルは何も手を付ける事無く会話を続けていた。

 

 

「でもさ、その話。ラケルって人だっけ?その人の言ってる事は分からないでも無いかな」

 

「どうしてそう思うんです?」

 

「だってよく考えて見なよ。もし、このまま終末捕喰が完遂されればアラガミはこの地上から居なくなるんだよ。そうなればゴッドイーターだって要らなくなる。ギルも知っての通り、私達がアラガミを根絶する事は事実上不可能なんだ。だったらこのまま終末捕喰に賭けてみるのも悪くは無いんじゃないの?私は少なくともそう思うよ」

 

 ケイトの突然の言葉にギルはそれ以上の事は何も言えなくなっていた。以前に榊から聞かされた終末捕喰は生命の再分配。地球を一旦リセットする為の装置でもあり、今もなおそれを実行せんとする意志は継続されている。確かに極東に居る榊や無明がフェンリル内部でも上から数える程の研究者であっても、その根本をどうにかする事が出来ないのは紛れも無い事実だった。

 今出来るのは、対処治療に等しい行為である事はギルも理解している。だからこそケイトの言葉はギルの心に忍び込む込む様に入っていた。

 

 

「そうしたらさ……私みたいにアラガミ化するゴッドイーターも居なくなる訳だし、そうすれば誰も傷つく必要は無いはずだよ。私はさ……結果的にはもう手遅れだったけど、こんな最悪な世界を次代の子供達にまで引き継がせたく無いんだよ」

 

 そう言いながらケイトは自身のカップの紅茶を飲み干し、再びポットから紅茶を入れ直す。改めて立ち上る香りが改めてギルの思考を溶かそうとしていた。

 

 

「ギルだって将来、結婚して自分の子供が産まれた時に、こんな過酷な世界は見せたくないでしょ?」

 

 ケイトの視線がギルを射抜くかの様に力が籠る。何かを伝えたい気持ちが真っ直ぐ伝わるのは紛れも無くケイトの癖なのはギルも知っていた。これが現実ならどれほど良かっただろうか。ギルは内心そう考えながらも一言だけケイトに告げていた。

 

 

「それは違う」

 

「そうしてそう思うの?」

 

「確かに終末捕喰は地球の意志で行われている物であると同時に、今の全てを解決する物なのかもしれない。極東だけでなく世界の視点からすれば正しい事なのかもしれない。でも……それは結局誰かの想いを……誰かが命をかけてまでやった行為を踏みにじる物…だ」

 

 気が付けばギルは無意識の内に立ち上がっていた。これまで螺旋の樹の内部に留まったジュリウスの意志を、この場所を護る為に散った仲間たちの意志を、そしてなによりも目の前に居るはずのケイトの意志さえも踏みにじる様な台詞をそれ以上聞きたく無いとさえ感じた結果でしかなかった。

 既にこの場所がどんな場所でも関係無い。今のギルは何よりもそう感じていた。

 

 

「ギル……」

 

 ケイトの手がギルへと延びる。まるで何かに縋るのか、それとも何かを捉えるのか。ケイトの手はゆっくりとギルに近づいていた。

 

 

「だからこそ、俺はラケルのやった行為を認める事は出来ない。そして……お前はケイトさんじゃねぇ。ラケル!俺は貴様を絶対に許さねぇ!」」

 

 近づく手を叩き、ギルは隣にあったヘリテージスをケイトの喉元に突きつける。その瞬間ケイトの姿がラケルへと変わっていた。

 気が付けば周囲の景色は螺旋の樹の内部へと戻っていた。ゼロ距離からの攻撃の為にギルは全身をバネにし、手首を捻りながらそのまま一気に首へと突き刺す。この距離であれば確実に躱す事は不可能なそれはラケルの喉に直撃する前に黒い蝶へと変わっていた。

 

 

「折角のお誘いを断るとは……ギルバート。貴方は随分と無粋なのですね」

 

「最初から分かってただけだ。貴様とケイトさんはあまりにも違い過ぎる。三文芝居にこれ以上は付き合えない」

 

 姿無きラケルの声だけが響く。既に自身の右手のヘリテージスは何時もと変わらない重みと、現実に戻った事に答えるかの様に鈍く光っていた。

 その瞬間だった。先ほどまで周囲に飛び散ったはずの黒い蝶が再び周囲から集まり出す。塊の中からは以前に聞いた事が無い咆哮が周囲に響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろこの辺りのはずなんだがな……」

 

 リンドウは僅かにキャッチした信号からギルが居ると思われる場所に向かって歩いていた。ここに来るまでにアラガミとは殆ど遭遇する事が無かったのはひとえにロミオの力が働いていた事だった。

 時折出てくる小型種程度であれば討伐に時間はかからない。路傍の石の様にそれを一気に消し飛ばしながら探索を続けていた。

 

 

「リンドウさん。何か聞こえませんか?」

 

「言われれば確かに…な」

 

 周囲を見渡しながら探索を続ける中で僅かに聞こえた咆哮は明らかに大型種特有の物だった。視界の中にまだそれらしき物が見えない。

 視界に入るよりも遠距離なのか、それとも最初から視界には入らない場所での出現なのか、エイジは視覚、聴覚を最大限に活用するかの様に神経を集中させていた。咆哮以外に聞こえるのは僅かに響く地響き。自分の感覚が正しければそれは自分達の足元からの様に思えていた。

 

 

「エイジさん、リンドウさん。多分あれなんじゃ!」

 

 ロミオの差した先にはおおきな窪みがある様にも見えていた。周囲が完全に照らされた訳では無い為に、差した先は今一つ見えにくい。アラガミや罠の可能性を考慮しながらも5人は急いでその場所へと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「また随分と洒落が効いてるみたいだな。だが、それがかえって命取りだ」

 

 ギルは黒い蝶が固まった後に出てきたアラガミを見て、思わず零れるかの様に呟いていた。ケイトの死を招くだけでなく、自身の存在すら疎まれる原因となったアラガミに見えるが、大きな特徴が一つだけあった。

 本来であればこの種にそれがあるはずの無い物。額の部分から突き出た凶悪なそれは神機のチャージスピアの様にも見えていた。既に臨戦態勢に入ったギルは先手必勝とばかりにヘリテージスにオラクルを集める。赤黒く光る威力をそのままに、先端はそのアラガミへと自身も同時に突進を開始していた。

 

 

「どうやら交戦中だな。こちらリンドウ。ギルを発見した。現在はカリギュラ種と交戦中。こちらもこのまま一気に加勢する」

 

《了解しました。こちらで分かる範囲ではカリギュラ種の特定は出来ません。恐らくは変異種か神融種の可能性があります。そのメンバーならば問題は無いと思いますがお気を付け下さい》

 

「って事で、これからギルの加勢に入る。全員油断するな!」

 

「了解!」

 

 リンドウはアナグラへの通信を切ると同時に振り向くと、全員が臨戦態勢に突入していた。窪みだと思われたそれは大きな空洞となっている。そこから見えたのは赤黒い光を帯びながら突進するギルの姿だった。

 既に戦端は開かれている。このまま見ているだけのつもりは誰も無く、全員が一気に穴の中へと飛び降りていた。空洞は天井の高さがそれなりにあったのか、飛び降りた瞬間に周囲リンドウとエイジは全体像を確認していた。遮蔽物は一切無く、場所そのものも広い訳では無い。無駄な行動を避け、一気にケリをつけるのが得策だと考えていた。

 

 

「周囲にアラガミの姿は無い。万が一の可能性はあるから警戒は怠るな!」

 

 エイジの言葉が周囲に響く。その言葉が聞こえたからなのか、これまで単独で戦っていたギルは内心感謝しながらも目の前のアラガミから視線を外す事はしなかった。

 背後からは援護射撃の様に銃弾がアラガミに向かって放たれる。顔面に集中砲火されたからなのか、アラガミは僅かに怯んでいた。

 

 

「援護有難うござい……ます」

 

 背後からの攻撃に感謝しつつギルが後ろを振り向いた瞬間だった。あの事件以降、絶対に見る可能性が無いはずの人物が神機を肩に担ぎ、既にチャージクラッシュの態勢に入っている。そんなギルの驚きなど無視だとばかりにロミオの一撃がアラガミを襲っていた。

 闇色と赤黒い光が混じった様な一撃はアラガミの左腕にあった装甲を一気に破壊していた。既にその攻撃が当たる事を前提としたからなのか、ロミオだけでなく、リンドウと北斗は右手から、エイジとリヴィは破壊された左手側からアラガミに向かって距離を詰める。一撃で結合崩壊を起こした際に出来た隙は致命的でもあった。

 

 

「ギル!ボケっとするな!」

 

 反撃とばかりにアラガミの右腕には刃を展開すると同時に横なぎに振り払っていた。刃は北斗へと向けられている。強烈な一撃はまともに盾で受ければ弾き飛ばされるのは必至だと思われた瞬間だった。

 距離を詰めながら北斗はしゃがむと同時に頭上にはアラガミが振るった刃が走る。それは致命的な隙となったのか、北斗はギルに叫びながら白い刃を下から一気に振り上げる。横への斬撃はそのまま下からのベクトルを受けた事によってアラガミの腕は方向転換し、上に弾き飛ばされていた。

 

 

「お前ら!一気に決めるぞ!」

 

 跳ね上げられた腕に対し、胴体は事実上の無防備となっていた。固い鱗の様な物に覆われているはずの胴体の中でも唯一柔らかそうな腹部はリンドウの格好の斬撃の的となっていた。

 渾身の一撃がアラガミの腹部を斬りつける。カウンター気味に入った一撃はアラガミの反撃を許す事さえしなかった。斬りつけらた腹部からは当然の結果とも言う様に血が噴き出している。リンドウの斬撃の鋭さを如実に物語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にロミオなのか?」

 

 カリギュラの亜種か神融種はその後の戦闘で地面に沈む結果となっていた。

 カリギュラ種そのものは接触禁忌種に指定されているだけでなく、今回のアラガミは明らかにこれまでの物とは違っていた。

 額に生えた槍の様な物だけでなく、振りかざす刃の強靭さと時折吐く冷却のブレスはこれまでの物とは一線を引く程の威力を有していた。通常のミッションであれば4人で回す戦闘も極東が誇る戦力の前では歯ごたえが無いとも言える程だった。

 

 的確なエイジの銃撃に加え、僅かな隙すら斬り刻むリンドウの斬撃だけでなく、北斗とリヴィの移動しながらの攻撃はアラガミの狙いを碌につけさせる事なく次々を赤い線を作り上げていた。ここまでならばギルとて見た事が無い訳ではない。未だ信じられないと思えたのはロミオの存在だった。

 バスター型の神機はその特性から機動性はロングやショートに比べれば格段に落ちる。ギルが最後に見たロミオは攻撃ばかりに意識が向いていたからなのか、被弾率がかなり高い記憶しかなかった。しかし、目の前のロミオは決してむやみやたらと神機を振り回す様な真似はせず、アラガミの行動と攻撃範囲を確実に理解した上で攻撃を加えていた。

 バスター型の神機の破壊力は自分が使うチャージスピアよりも大きい。ロミオの攻撃を軸に4人だけでなく、気が付けばギルもその行動の中に自然と入っていた。

 

 

「あったりまえだろ?何を訳の分からない事言ってんだよ。そもそも勝手に俺の事を殺すなよな」

 

「ああ。すまない。まさかロミオがこの場に居るとは思わなかったんでな」

 

 横たわるアラガミは既に両腕が切断されただけでなく、額にあった槍も破壊されていた。既にコアが抜かれた為に霧散するのは時間の問題。油断はしないままにギルは今の現状を把握したいと考えたからなのか、目の前のロミオのこれまでの経緯を聞いていた。

 

 

「そうだったのか……」

 

 先ほどの戦闘能力から考えればギルとて納得は出来ないが理解は出来ないでもなかった。北斗と同様にあの時点でのロミオは確かに焦燥感に囚われた行動をしていた記憶しかなく、実際に戦ったロミオはまるで別人だと言っても過言ではなかった。

 短期間での急成長だけでなく、血の力にも当然の様に発露している状況はギルを軽い混乱状態へと陥らせていた。

 

 

「だが、それがあるからこそ今があるんだろ?」

 

「応よ。って頭に触るなよ」

 

「幾ら何でも雰囲気が変わりすぎだろ?それにその髪型は偶にやる俺と被るんだよ」

 

 何かを誤魔化すかの様にギルはロミオの頭をぐしゃぐしゃにしていた。

 束ねた髪型は今のロミオに似合っていない訳では無いが、時折自分も長髪を束ねる時がある。いくら病み上がりだと言われても、あの時のロミオはこれまで記憶にあったロミオではなく、既に歴戦の猛者と組んでいる様な感覚にギルは口こそ何時もと変わらないが、内心は喜んでいた。

 自分の道を見つけるの事の難しさは、ブラッドの中では誰よりも理解している。図らずもラケルが見せたケイトの幻影はギルの気持ちをより強固な物へと変えていた。

 

 

「おい。じゃれるのはその位にしておけよ。今回はここでアナグラに戻る予定だからな」

 

 そんなやり取りを見ながらリンドウは少しだけ安堵していた。幾らゴッドイーターと言えど、一生戦場に立ち続けるのは不可能である事を誰よりも一番理解している。

 今は螺旋の樹の作戦に就いている為に忘れそうになるが、今もなお極東が激戦区である事は紛れも無い事実。元が人間であれば代変わりすればその戦力がどうなるのかはリンドウも一抹の不安があった。

 しかし、今回の件に関しては自分は教導には加わっていないが、事の一部始終はツバキから聞かされていた。それと同時に、直接の原因となったマルドゥーク戦はリンドウも参加している。ブラッドの中でも確執があったこの2人の様子が悪くないと判断したのか、それともこれから先の世代に対する期待の表れなのか、その目は穏やかな物だった。

 

 

 



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第248話 遍歴

 

「ロミオさん。お疲れ様でした」

 

 リンドウ達を真っ先に出迎えたのはフランだった。実際にフランはロミオを見るまでは、これまでのロミオの戦績やそれに関するデータの更新をしながらも、どこか幻でも見ているのではと思いながらに手を動かしていた。

 事実、フライアでのブラッドとしての活動記録はそう多く無い。それはロミオだけでなくジュリウスも同じ事だった。

 最初はジュリウス一人だった部隊にロミオが加入し、その後は2人だけの部隊が続いていたが、北斗とナナが加入してからのブラッドはまさに激変とも言える程に状況は大きく変わり出していた。

 

 感応種でもあったマルドゥークによって重篤な怪我からのロミオの戦線離脱に伴うジュリウスの離脱、それと同時に神機兵の運用に伴いフラン自身もフライアから極東へと異動していた。

 極東に来てからは北斗を隊長としてのミッションを実際に見て来た事もあってか、それに関しては驚く様な部分はどこにも無かった。しかし、現在の螺旋の樹の探索を進めている中での突如としてのロミオのデータ更新はフランにとっては驚愕の一言だった。

 実際に同行したメンバーの実力から考えればミッションの内容そのものは妥当ではあったが、問題なのはその個人記録。コンバットログは虚偽の報告をする事は事実上あり得ないのはゴッドイーターだけでなく、オペレーターも常識となっていた。

 対象アラガミは通常種から接触禁忌種まで極東に長く居れば誰しもが一度は対戦した事がある。

 現時点で確認されているアラガミの名称のほぼ全部がこの短期間でログに記載されているのは幾ら冷静さを装っても、尋常では無かった。

 

 

「うん。フランこそお疲れ様。ひょっとして今日って何かあった?」

 

 フランの内心などまるで考える事も無い様にロミオは当たり前の様にロビーへと姿を現していた。まだフライアから来たばかりの頃はどこか品定めされている様な視線は感じたが、今のロミオに対する視線はそんな物ではなかった。

 ブラッドそのものは終末捕喰を止めた事によって知名度は高い。しかし、何も知らないゴッドイーターは珍し気な視線を向けるが、今のロミオには明らかに驚愕の意味が宿っている。そんな状況を察したからなのか、ロミオはフランに何かあったのかを聞いていた。

 

 

「いえ。何もありませんよ。恐らくはロミオさんを見て驚いてるんだと思いますよ」

 

「俺、何かしたっけ?」

 

「しいて言うなら、ロミオさんが復帰した事が一番だと思います。ブラッドが来た当初の事を知っている人間であれば、恐らくはそうだとしか……」

 

 ロミオにはそう言ったが、フランはそれが事実だと感じ取っていた。地域住民を護る為に感応種から身を挺した事は既に極東の中でも知られている事実。しかも意識不明のままフライアごと飲みこまれた事実を勘案すれば、最早それ以外にはあり得ないとまで考えていた。

 そんな人間が突如として現れただけでなく、この世界の最前線と言われる極東でも、上から数えた方が早い数字を叩き出した事実に誰もが驚愕するのは、ある意味では当然の結果でしかなかった。

 

 

「へ~そうなんだ。何だが俺って歓迎されてない?」

 

「それは無いと思いますよ。ただ皆さん驚いてるだけだと。それと、今後の予定に関してですが、榊支部長とフェルドマン局長が連名で会議室への出頭を求めています。手続きはこちらで全部やっておきますので、至急お願いします」

 

「え?榊博士とフェルドマン局長が?俺、何もやってないんだけどな……」

 

 アナグラに来る前にロミオは大よその事を北斗から聞かされていた。ロミオが戦線から離脱してからの状況に、当初は理解が追い付かない部分もあったが、一部は屋敷でツバキから聞いていた事もあってなのか、大よその事は理解していた。榊一人なら分からないでもないが、ここに情報管理局長のフェルドマンまでとなればロミオにとっても気持ちの良い物では無い。

 詳しい事は分からないが、何となく呼ばれた理由は想像出来る。それが何を意味するのかを確かめる為にロミオは改めて会議室へと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、ロミオ君。戦線復帰おめでとう。詳しい事は聞いていたから驚く事は無かったけど、まさかこうまで結果を残すとは思わかなかったよ」

 

 会議室の扉を開けると、そこには数名の職員とフェルドマン、榊とツバキが色々と作業をしていた。ロミオが入ると同時に全員の視線がロミオに向けられる。そんな視線を感じたからなのか、ロミオは少しだけ居心地が悪くなっていた。

 

 

「いえ。これまでの教導の結果ですから」

 

「その件に関してはツバキ君からも聞かされているから問題ないよ。さて、今回君に来て貰ったのは、いくつかの要件があったからなんだ。ツバキ君、後は頼んだよ」

 

「ロミオ・レオーニ。貴官を本日一四○○付けでブラッドに原隊復帰。並びに同部隊に於ける階級を上等兵から曹長へと昇格する」

 

 榊の言葉にうなずくと、ツバキは幾つかの文言が書かれた読み上げ書類をロミオへと渡していた。ロミオの手には1枚の紙。中身は先ほどの言葉を文章化した辞令だった。

 

 

「了解しました」

 

「それと、今後の予定に関してだが、ロミオがブラッド内に於いて一番階級が低い。今作戦が完了時に改めて昇格の試験を受けて貰う事になる。何か異論はあるか?」

 

 突如として渡された辞令と同時に昇格の話はロミオの予想を大きく裏切っていた。これまで全く自身の階級に無頓着だった訳では無いが、それでも内心は多少なりとも思う部分は存在していた。しかし、今は然程階級に関心を示す事は少ない。

 ハリボテの階級が極東では如何に役に立たないのかを肌で感じているからこそ、大きな驚きを見せる事は無かった。

 

 

「いえ。特にありません」

 

「そうか。因みに他のメンバーに関して言えば、饗庭北斗、シエル・アランソンは少尉。ギルバート・マクレイン並びに香月ナナは准尉となっている」

 

「えっ?」

 

 ツバキの言葉にこれまで意にも介さなかったはずのロミオは小さく驚きをこぼしていた。

 自分達よりも後から来たにもかからず、自分の階級を一気に抜き去る事実は以前であれば確実に愕然としていた可能性はあるが、今はそこまでの欲望は無い。にも関わらず、全員が尉官クラスはロミオにとっても驚きの対象でしかなかった。

 

 

「先ほども言ったが、この作戦終了時に貴官も試験を受けて貰う事になる。ここでの階級は殆ど意味を成さない事は知っての通りだが、ブラッドに関しては終末捕喰を止めた実績を買われた結果だ」

 

 突然の出来事はロミオの理解を遥か彼方へと追いやっていた。まだしっかりと確認した訳では無いが、現在探索しているあれが終末捕喰の成れの果てである事は理解している。

 それが何を犠牲にし、そして誰がその絵図を描いた事も理解した上での結果だった。

 

 

「レオーニ上等兵。私は情報管理局長のフェルドマンだ。既に大よその事は知っているとは思うが、改めて私の方からも今後の作戦に関しての説明をしたい」

 

 呆気にとられたロミオを見ながらも、このままでは時間の無駄とばかりにフェルドマンから今後の作戦に関する全容を改めて確認する事になっていた。螺旋の樹の出現と今に至るまでの経緯、そして話の最大の内容はリヴィに関する事だった。

 

 

「了解しました。でも俺にそんな大それた事なんて出来るかどうかは分からないんですが?」

 

「それでも構わない。どうやら君の事は幼少の頃に会ってからの心の拠り所になっている様にも見受けられる。君が復帰した以上、自分の神機を今後は振るう事になる。これ以上の問題は恐らくは無いだろう」

 

 リヴィの過去をやんわりと聞きながらもロミオは以前に感じた感応現象の事を思い出していた。

 お互いの記憶を交換したかの様な出来事は今でも驚きを持っている。屋敷でエイジから聞かされた際には、まさか自分が体験するとは思ってもいなかった。しかし、屋敷で食事をした際にはそんな雰囲気は微塵も感じなかった。

 今でこそ記憶が鮮明になっているが、それまではどこかボンヤリとした感じにもなっている。何気に言われたフェルドマンの言葉にロミオは暫し今後の事について考えていた。

 

 

「では我々からの話は以上だ。現在は神機の整備中に付き、出動は出来ない。それまでの間はゆっくりと過ごしてくれ」

 

 ボンヤリとした所でフェルドマンからの言葉。情報の共有化が終わった為に、ロミオはそのまま久しぶりのラウンジへと足を運んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか。ナナが見つかったのか」

 

「はい。上層部の探索をしていた他の部隊からの通信によると、その様です。連戦になるのは気がかりですが、今はナナさんの体調を優先する事が先決だと判断しました。神機の整備が完了後の出撃となります」

 

 

「整備完了の予定時間はどの程度になる?」

 

「4人分の整備になりますので、時間にして3時間程は必要になる予定です」

 

「そうか。では、それが終えてからの出発だな。フラン。全員にそう伝えておいてくれ」

 

「了解しました。では直ぐにその旨連絡します」

 

 既に神機は整備班に回されているからなのか、フランは端末を叩きながら上がってくる情報をツバキに報告しながら逐一確認していく。既に予定時刻が出ている為に、後はそれを伝えるだけとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと、これからもう一働きだな。でも、リンドウさん達は今回来ないんだよな?」

 

「流石にサテライト絡みだとあっちの方が優先になるのは当然だしな」

 

 神機の整備が終わる頃、突如として計画の変更が余儀なくされていた。最大の要因はサテライト建設予定地に接触禁忌種が複数体発見された事が発端となっていた。

 以前にも視察した際に記憶している数と今の数は大きく乖離している。どれほど時間が経過したのかをロミオは感じながら出撃ゲートを歩いていた。

 これまでに、このゲートを歩き出動したのは数えきれない程経験している。しかし、今のロミオにはそんなゲートすら懐かしいとさえ思える程だった。4人の足音だけが響き渡る。ナナの捜索の為に4人は改めて決意を胸に神機保管庫へと歩を進めていた。

 

 

「やはり私なんかよりもロミオの方が能力は上だな。ここに来る度にそう感じる」

 

「そうか?俺はそんな事考えた事もなかったけど?」

 

 独り言の様に呟いたリヴィの言葉を拾ったのか、ロミオはさも当然だと言わんばかりに返事をしていた。ロミオが参戦するまではリヴィがその役目を果たしていたが、呟いた様にロミオになってからは中層までにアラガミの姿を確認する事は殆どなかった。

 これまでリヴィがその役目を果たしていた際には何回かの戦闘が行われていたが、中層に至るまでに戦闘らしい戦闘は殆どない。適合する神機との相性がどれほど重要なのかをリヴィは肌で感じ取っていた。

 

 

「いや。私の時にはここまでじゃなかった。やはり各自の能力に適した物を使うのが最適だと感じただけだ」

 

 子供の頃に感じたそれが刺激されるのか、今のリヴィの言葉はどこか自虐的な様にも感じていた。万能である事は脅威ではあるが、実際にそれを当てはめればすべてに於いて平均以下。悪い言い方をすればそれば中途半端でしかなく、当時のラケルの寵愛を失ったそれにリヴィの今の感情は酷似していた。

 

 

「それはリヴィの考えすぎだって。俺だって最初からこんなんじゃなかったんだぜ。今の状況は偶然なんだし、実際に色んな神機を使うなんて出来っこないんだから、そこは素直になろうぜ」

 

「いや……しかし……」

 

 落ち込んだ様に見えるリヴィの表情はフェルドマンから聞かされた言葉にまさに当てはまるとロミオは感じていた。

 リヴィの情報管理局に入隊するまでの状況は分からないが、入ってからの任務は常に冷淡な様にも見えていた。それは自身が期待された結果、また捨てられるとの強迫観念に因るものなのか、それとも元々の性格なのかは分からない。ここまでの道程をどうやって歩んできたのかは分からないが、その感情は決して良い物では無い事だけは理解出来る。自分も嘗ては一度は通った道。ならば自分の事を話した方が今よりもマシになるんだとロミオは判断していた。

 

 

「いやもしかしも無いって。俺だって実際にブラッドの中では一番最後まで焦ってたんだ。北斗なんて俺よりも後に入隊して真っ先に血の力に目覚めたかと思いきや、次はシエルにギルにナナだぜ。リヴィがそれだったら俺なんて落ちこぼれも良い所だ」

 

 ロミオの当時の状況を語り出した際に、北斗とギルはそれ以上の事は何も言わずにおこうと判断していた。先ほどの言葉に何かあるのは以前に聞いた独白で理解している。

 少なくとも北斗だけでなくギルであっても今のリヴィにかける言葉を持ち合わせていない以上、今はロミオの考えに委ねる事にしていた。

 

 

「でも、今はそんな事はないはず……」

 

「それはあくまでも結果論。あんな教導受けたら誰だってこうなるって。アラガミ以外に命の危機を感じるなんてもう御免だよ」

 

 当時の事を再び思い出したのかロミオの表情はどこか苦虫を潰した様にも見えていた。

 命がけの教導は決して誇張した訳では無い。今だから理解出来るが、あれがあったからこそ今の自分があるのは間違い無いと言い切れる。それに関しては感謝しているが、再び同じ事をやれと言われてはいそうですとは言い難い物だけが残されていた。

 そんな2人の会話を聞いていた北斗は人知れず安堵していた。先ほどのロミオの発言は事実上のトラウマに近く、また命の危機に追いやられた当時の状況と同じ台詞。仮に今の技術がなかったらどうなっていたのだろうか?そんな考えが脳裏を過っていた。

 自分の自信が全てを覆す。今のロミオは正にそれそのものだった。

 

 

「そろそろだな」

 

 目的語が無いギルの言葉に全員の視線は一か所に集中していた。アナグラから出る前に確認した場所はここから100メートルも無い場所。事前にキャッチした情報に間違いがなければ、そこにはナナが居るはずの地点だった。

 

 

「ここで合ってるんだよ……な?」

 

「情報ではそうなってる」

 

 どこを見渡してもそれらしい場所が見当たらない。本当の情報が正しかったのか、それとも誤報だったのか、判断すべき材料が見当たらない。ここに来た全員がそう感じた瞬間だった。

 壁だと思われた場所から突如として振動と同時に砕け散った破片が北斗達の方へと飛んでくる。その場所に立っていたのは探索していたはずの少女だった。

 

 

 



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第249話 過去からの脱却

 

「あれ?ここって……」

 

「あら、起きたの?ナナ」

 

 ナナは自分の意識が回復したと同時に、周囲を見渡していた。螺旋の樹の探索で上層まで上り、その際に落とし穴に落ちたまでの記憶はあったが、その後の記憶は無くなっていた。目を左右に動かすも、ベースキャンプ以外での休憩出来るスペースを作り上げたなんて話は聞いていない。四方が壁に囲まれた場所はどこか懐かしい記憶だけが表に出てきていた。

 壁には小さな子供が書いたと思われる絵がいくつも貼られている。それが何なのかを考えた瞬間だった。絶対にありえない声で自分の名前を呼んでいた。

 

 

「そろそろご飯が出来理るから、手を洗ってらっしゃい」

 

 本来であればあり得ないはずの光景。自分がまだ幼少の頃に故人となったはずの母親の声を忘れる事はなかった。それと同時に改めて周囲を見渡すと、そこに貼られた紙は全て自分が書いたはずの物に酷似していた。

 

 

「え?お母……さん?これって……夢な…の?」

 

 落とし穴に落ちた衝撃で夢でも見ているのか、それともこれが現実なのか今のナナに明確な判断が出来ない。自分の頬を抓ると痛みは感じる。これが夢では無いのだと本能が告げていた。

 

 

「全く。何を馬鹿な事言ってるの?貴女はただでさえ沢山食べるんだから作るのも大変なのよ。これ、テーブルの上に置いてちょうだい」

 

 キッチンに見えるのは女性であるのは理解出来るが、肝心の顔は見えない。声とその仕草からは間違いと言えるも、それが事実なのか未だ判断に困る。しかし、言われた内容だけでなく、その雰囲気に悪意は何も感じられない。そんなナナの心情を無視するかの様に、女性の隣に置いてあった皿には大量のおでんパンが乗せられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう。よく頑張ってきたんだね」

 

「うん。皆と楽しくやってるんだよ。それにアナグラの料理はどれも美味しいんだ」

 

 ナナの両手にはおでんパンが握られていた。これまでに何度も食べてきたが、それは全部自分の手で作られた物。しかし、今のナナの手にあるのは母親が作ったおでんパンだった。

 一口齧る度に当時の様子をまるで思い出したかの様に記憶が蘇る様な味わいに、ナナの思考は当初の様子を伺う様な部分が消え去っていた。振り向いた際に見たはずの顔と、抱きしめられた際に香る母親の匂いは紛れも無く本物。味覚、触覚、嗅覚のいずれもナナに間違い無いと訴えかける。

 当たり前だったはずの日常がナナの思考をゆっくりと濁らせていた。

 

 

「そうだ。料理だけじゃないんだ!私ね、お母さんにもっと伝えたい事があったの」

 

「伝えたい事?一体何かしら?」

 

「私ね、……あのね……一緒に笑ったり、泣いたり出来る仲間が出来たんだ!」

 

 これまであった出来事をナナは嬉々として母親に話しだしていた。フライアに配属されてから今に至るまでに起こった出来事、そして自分の力を認めてくれると同時に、それを受け入れてくれたブラッドの仲間の事を次々と話していく。

 子供の頃に言われたはずの『簡単に泣いたりしちゃダメだ』って言葉を覆す事が出来た喜びの感情が次々と口から出て行く。そんな自分の感情が爆発したかの様な言葉を告げているからなのか、ナナの話を聞いていた母親の表情が徐々に変化していく事にナナは気が付かないままだった。

 

 

「ナナ。ダメでしょ?」

 

「え?どうして?」

 

 今まで嬉々として話した内容を否定する様な端的な言葉にナナの話は中断していた。今まで話した内容に何も問題は無かったはず。にも関わらずダメだと言われた言葉の意味が分からなかった。

 

 

「貴方は笑ったり、泣いたりしちゃダメな子なのよ。貴方が感情を露わにすると皆が困るのよ。現に今だって口では言わなくても皆は心の中ではそう思っているのよ」

 

 先ほどとは打って変わって母親の目にはどこか険を含んだ様にも見えていた。既に先程までの穏やかな空気は一気に変化を見せ、室内はどこか冷え冷えとした物へと変わっていた。

 

 

「貴方の事を誰よりも考えているのはお母さんである私だけよ。他の人は分からないけどお母さんは負担に思った事なんて一度も無いわ。今まで随分と寂しい思いをさせてゴメンね。これからはずっと一緒に暮らそうね」

 

 そう言いながらナナをやさしく抱きしめる。ナナは距離が近い為に確認する事は出来ないが、今の状況を第三者が見れば明らかに親子の情愛には見えなかった。

 母親の背後に黒い蝶がゆっくりと羽ばたき周囲を飛び回る。その姿は獲物を捕らえ、逃がさんとする蛇の様にも見えていた。母親の匂いや温もりはナナの思考をゆっくりと塗り替えて行く。

 このままゆっくりと変化するナナを伺うかの様に母親の表情は歪みだしていた。

 

 

「でも!それでも……私の事を受け入れてくれるって皆が言ってくれたんだよ!私も友達が出来たんだよ!皆の事を紹介したいんだ!それからでも良いよね?」

 

「どうしたの急に?」

 

「だって……皆に迷惑をかけたくないって一人飛び出した時……皆が私を探しに来てくれたんだ。アラガミがうじゃうじゃ居たんだよ。それでも来てくれたの!」

 

 抱き付いた母親から逃れるかの様にナナは立ち上がっていた。既にナナの表情は先ほどと違い、自分の確固たる意志を持っている様にも見える。

 母親から独り立ちしたのか、それとも今の情景が偽物なのかナナの様子から伺う事は出来ない。先ほどまでの空気は既に一変していた。

 

 

「私、皆のお蔭で今があるの。だから…だから…私にも出来る事があるならそれをやりたい。お母さんと一緒に暮らすのは楽しみだけど、今はもう少しだけ皆の為に何かしたい。恩返しがしたいの!」

 

「ナナ……」

 

「だから、それが終わったら一緒に暮らそう。お母さん」

 

 自分の言いたい事を言い終えたからなのか、ナナはいつの間にか隣にあったコラップサーを手にドアノブへと手をかけていた。何時もならそのまま回せば開くはずのドアはびくともしない。まるでここから逃がさないとばかりに開かないドアにナナは思わずコラップサーを振りかざしていた。

 渾身の力で扉を破壊する。砕け散った扉の向こうの景色を確認する事なくナナはそのまま扉の向こう側へと歩き出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?場所が違う様な……」

 

 突如として破壊された破片は周囲に飛び散る。気が付けばそこは先ほどの部屋ではなく、螺旋の樹の内部へと変化していた。疑問に思いながらもナナは周囲を確認する。そこには北斗だけでなく、リヴィとギルが立っていた。

 

 

「ナナ。私達は助けに来たんだ」

 

「えっと……確か、落とし穴に落ちたんだよ…ね?」

 

 部屋に居たはずの記憶は曖昧になっていたのか、ナナは直前の出来事を思い出していた。どこか記憶があやふやなのかボンヤリとしている。先ほどの光景は夢だったのだろうか?そんな曖昧なままに今の状況を確認しようとしていた。

 

 

「そうだ。で、ナナの反応があったからここに来たんだ」

 

「そっか……やっと合流でき…」

 

「ってあのな!いきなり何すんだよ!ビックリしただろ!」

 

 3人の顔を見て安堵したはずのナナの会話が突如として遮られていた。ここに居るはずの無い人物の声。幻聴にしてはあまりにも近すぎる声にナナは改めてここが現実なのかと考えなおそうとしていた。

 

 

「って俺の事無視かよ!ナナ。寝ぼけてんのか?」

 

「……ロミオ…先輩?…えっと、夢?」

 

 先ほどの一撃を完全によけきれなかったのか、ロミオはその場から少し遠くへ飛ばされていた。自分で回避したまでは良かったが、その勢いは完全に想定外。

 怪我こそないが、それでもその場からは少し離れる結果となっていた。

 

 

「ナナ。夢じゃない現実だ。ロミオ先輩はギルの救出の際にブラッドに合流したんだ」

 

「え……嘘……ロミオ先輩!」

 

「くる…しいよ。ナナ……」

 

 北斗の言葉にナナは漸く現実である事を理解していた。これまで意識不明のまま今に至っていたにも関わらず、目の前に居るのは本物である事を確かめるかの様にナナはロミオの身体を色々と触っていたと同時に思わず抱きしめていた。

 突然の出来事に誰もが驚く以外の事が出来なかった。突然ナナが現れただけでなく、色々とロミオを触り出した突端に抱きしめた光景に、北斗だけでなくギルもどうしていいのか分からない。ぎゅうぎゅうに抱きしめられたロミオを今はただ見ている事しか出来ないでいた。

 一方のリヴィは今の光景に驚きながらも、どこか面白くない様な感情があった。特別な感情を持ち合わせていないのであれば、今の状況を気にする必要はどこにも無い。しかし、何故か本能でこのままでは拙いと判断していた。

 

 

「ナナ。もうその位にしておけ。ロミオが嫌がっているぞ」

 

「え…あ……。ご、ゴメン」

 

「ナナ。再開を喜ぶのはまだ早そうだぞ」

 

 北斗の言葉に改めてナナが出てきた先に視線を移す。そこにはギルの時と同様に黒い蝶が集まると同時に一体のアラガミがそこから姿を表していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれってもしかして神融種なの?」

 

「みたいだな。コンゴウ種にも見えるが、肩にハンマーの形状をした物が付いている。恐らくはそうだろうな」

 

 現れたコンゴウが威嚇するかの様に咆哮を吐きながら自分の胸をドラミングする。仮面を被った様にも見えるそれは、これまでに見たコンゴウ種とは明らかに形状が異なっていた。

 北斗の神融種の言葉に全員の意識は自然と集中する事になっていた。

 

 

「神融種は全体的な力が強い。攻撃は極力避けろ!」

 

 北斗の指示に全員がその場から散開する。コンゴウ種を囲むかの様に全員はその場から様子を伺っていた。

 これまでに戦ったデータとこれまでのログから解析された結果から、神融種は通常種に比べて攻撃の力だけでなく耐久力がかなり強化されている事実があった。

 基本的には堕天種に近い物は確かにあるが、それでも事実上の未知のアラガミがどんな攻撃をするのか、またその攻撃範囲はどれ程の物なのかは個体によって違いが幾つか存在している。ギルと一緒に戦ったカリギュラ種はリンドウとエイジが居た為に特に考える事はなかったが、今はその2人が居ない。

 新種との戦闘経験が乏しいブラッドは幾ら見た目がそれに近いと分かっていても、全体像を把握するのが困難だと判断した結果でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ブラッド、ナナさんの救出が完了したと同時に交戦も同じく開始しました。これまでの状況からコンゴウ種と断定。しかし、該当データが無いのと、これまでに観測した数値から神融種と断定しました」

 

 会議室ではモニターしているフランがログの解析と同時に周囲に対する警戒を開始していた。

 幾らロミオの血の力が発動したと言っても、場合によっては戦闘音を聞きつけて寄ってくるアラガミが居ない訳ではない。これが下層や中層であれば、他の部隊の増援も可能ではあるが、今の部隊は上層なだけでなく、ナナの探索の為にこちらでも把握していない場所にいる為に、増援を送り込むのが困難となっていた。

  既にリンドウもエイジも螺旋の樹の内部には居ない。クレイドルとしての防衛任務の為にサテライトの候補地とサテライト居住区へと向かっている為に、周囲の状況を探索するのは当然の事だった。

 画面上には新たな情報が次々と上がってくる。今のフランの翡翠の色をした瞳には画面上の情報が映っていた。

 

 

「随分とラケル博士はブラッドの事を重要視してるみたいだね。まるで全員が揃うのを嫌っている様にも見えるけど」

 

「確かに分断すると同時に合流地点にアラガミの中でも神融種を配置させるのは、そう言ってるも同然ですね」

 

 榊の言葉に紫藤も改めてその状況を大画面で確認していた。刻一刻と変化するバイタルが今の状況を物語っている。神融種の攻撃の強さに警戒しているからなのか、心拍数は激しく動くが、それ以外の部分は冷静さを保っていた。

 

 

「どうやら噂の極東式の教導の賜物ですか?」

 

 そんな2人のやり取りとは別にフェルドマンはロミオとリヴィのバイタルを眺めていた。元々リヴィは情報管理局の所属であるからなのは勿論だが、それと同時に今作戦からリヴィとは変わって加入したロミオの状況が気になったのか、思わず口に出ていた。

 

 

「そう捉えてもらって構わないだろう。事実、極東のやり方は本部でも理解しているはずだが?」

 

 紫藤の言葉は暗にリンドウとエイジが遠征に出ていた事を示していた。既に派兵しなくなってからはそれなりに時間が経過しているのは、紫藤だけでなく榊も理解している。そして今の現状がどうなっているのかも理解した上でフェルドマンに発言していた。

 

 

「いえ。そんな意味で言った訳では無いので。実際にこの目で見た訳ではないですが、リヴィの数値がかなり安定しているのを初めて見た様な気がしたので」

 

「そうか。少なくとも今後は異なる神機の適合を止めれば、これまでの様な事になる事は無いだろう。事実、抑制剤の効き目は無いに等しい程に体内での効き目が悪くなっている。任務の方針を今後は変更するしかないだろう」

 

 フェルドマンの言葉の意味は分からないでもないが、やはり紫藤の考え方からすればまだ自分の人生に責任を持てない様な人間に裏の仕事をさせるのは間違いだと暗に言いながらも、画面上のデータを紫藤はジッと見ていた。

 年齢が若い方が神機の適合率が高いのは既に周知の事実である以上、こちらからどうこう言うつもりは無いが、アラガミとは違い、人間の抹殺を常時の任務として考えればやはりどこかで歪な人間が出来ると考えもそこにあった。

 紫藤の言葉に何か思う所があったのか、フェルドマンはそれ以上の事は何も言う事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり神融種は色々と面倒だよな」

 

 目の前に倒れたコンゴウ種を前にロミオは少しだけ一息ついていた。ここに来るまでに幾つかのミッションをこなしてきたが、やはり神融種はギルの救出の際に戦ったのが事実上初めてに近い事が実感されていた。

 自分が知っているカリギュラ種でさえも力や耐久力は接触禁忌種の名に恥じないにもかからず、神融種となった途端に感じた力の増大は盾越しでも判断出来る程だった。そんな前例があってのコンゴウ種もカリギュラ種同様に高い威力の攻撃を誇っていた。

 弱点そのものは変わらないが、そのタフネスぶりは攻撃を直接受けていないロミオでさえも、精神をガリガリと削られていた。

 

 

「まさか血の力に似たような能力があったのは想定外だな」

 

「だよね。まさか他のアラガミを呼ぶなんて……思わずゾッとしたよ」

 

「確かに他のアラガミを何の制限も無しに呼ばれると今後の用兵が難しくなるのは間違い無いだろうな」

 

 ギルやナナの言葉が全てだった。今後の事を考えれば、血の力に似た能力で周囲に居るアラガミを呼び込むのは想定外の能力だった。

 今回は個体の撃破が優先された事もあってか、それぞれのアラガミが単独で表れている。しかし、これが一度に出現しているとなれば今後の部隊運営がどれほど厳しい物に変わるのかを考えると、自分で発した言葉の内容が末恐ろしくなるのは間違いではなかった。

 

 

 



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第250話 下準備

 

「本当にロミオがいた……」

 

 ナナの捜索が終えると同時に再びロビーに戻ると、そこには他のミッションに出向いたコウタ達がロミオの顔を見て驚いていた。一緒に出たマルグリットから話を聞いていた為に、それ程大きく驚く様な事はなかったが、それでも帰投の際にヘリの中で告げられた事実はコウタだけでなく、エリナやエミールまでもが驚愕の表情を浮かべていた。

 

 

「コウタさん……」

 

「ロミオ……。ここじゃなんだし、折角だからラウンジに行こうぜ!俺、奢るからさ」

 

 ブラッドが配属された当初、真っ先に打ち解けあった仲だったからなのか、お互いは久しぶりに会った事を喜び抱き合いながらコウタはロミオの背中をバシバシと叩く。ロミオも余りにもコウタの力が強すぎたからなのか、痛いと言いながらも笑顔で溢れていた。

 そんな2人を見たリヴィは先ほどナナと抱き合っていた事を思い出していた。今のロミオは先ほどと何も変わっていないはずのシチュエーションにも関わらず、今は先ほどの様な感情は持ち合わせていない。それが何だったのかを考えながら何となく2人を見ていた。

 

 

「リヴィ、どうかしたのか?」

 

「いや。さっきの光景を見て思ったんだが、ロミオは男と女と両方イケるのか?」

 

「………は?」

 

 何気なく先ほどの光景を見て何かを思う部分があったからなのか、北斗は何気なくリヴィに話かけたまでは良かったが、まさかの斜め上の回答に何も答える事が出来なかった。リヴィの言っている言葉の意味は分かるが、何故そう思ったのかと、そこに至るまでの思考が理解出来ない。北斗は思わず隣にいたギルに助けを求めるべく視線を投げていた。

 

 

「リヴィ。別に抱き合ったからと言って全てが慕情ばかりでは無いだろう。ロミオは何だかんだ言ってコウタ隊長とは一番最初に友好を交わしてる、久しぶりに会った事が嬉しいだけだろ?」

 

「極東ではそんな風習があるのか?」

 

「別に極東だけの話でも無いだろ?」

 

 助け船を出したギルも内心頭を抱えたくなっていた。リヴィに関しては大よその事は北斗同様にフェルドマンや本人からも聞かされているが、親愛の情と言う概念がやや薄いのではと考えていた。

 このメンバーの中でギルが一番色んな意味での大人の事情と言う物を理解している。自身の経歴からなのか、それともハルオミと言う教師が居たからなのかは分からないが、それでもリヴィの様な考えに至る可能性は本来であれば高いはずがなかった。しかし、情報管理局に所属する事でこなさなければならないミッションがどれ程過酷な物なのかは、今回の作戦で何となく理解した様にも思えていた。

 恐らく周囲には同年代の仲間や色々と教えてくれる人間が居なかった結果なのかもしれない。そんな取り止めの無い考えがギルの脳裏に浮かんでいた。

 

 

「そうだったのか……では私もロミオに抱き付いた方が良かったのだろうか?」

 

「それは本人に聞けば良いだけの話だろ?俺は少し用事があるから北斗、後は頼んだ」

 

「ちょっとギル!」

 

「そこから先は隊長の仕事だ」

 

 これ以上この会話に参加する訳には行かないと判断したのか、ギルは用事を適当にでっち上げこの場から退散していた。既に手続きが終わったからかのか、この場にはヒバリ以外には北斗とナナ、リヴィしかいない。今までいた人間はそれぞれの用事があったからなのか、既に人影すら無くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、マルグリットさんがコウタさんの彼女だなんて……びっくりですよ」

 

「いや、ロミオ。声が大きいって」

 

 ロミオの言葉にコウタは周囲を思わず確認していた。現在のラウンジは時間帯の影響もあってか人影は少なく、カウンターの中にムツミが居る以外には殆ど人は居なかった。目の前のムツミは夜の食事の為に下拵えに専念しているからなのか、意識はこちらに向いていない。そんな事からちょっとした個人的な空間となっていた。

 

 

「だって屋敷で話を聞いた時は俺、ショックでしたから。まさかあれだけシプレを一押ししてたのに、気が付いたらそんなのは卒業したみたいな事になってたら、俺は今後誰とそんな話をすれば良いんですか?」

 

 ロミオの言葉にコウタはそれ以上何も言えなかった。確かに一時期に比べればそんな話題を出す事はかなり少なくなった記憶はあるが、自分では実感できないからなのか、特に意識した様な部分はあまり無かった。

 冷静に考えれば自室の中も一時期よりも随分と小綺麗になった気がするが、それがマルグリットに繋がるとは思ってもなかった。

 

 

「別に卒業したなんて思ってないんだけどな……」

 

「へ~コウタはマルグリットよりもアイドルの方が良いんですか?」

 

 何気なくロミオと会話していたはずが、背後から聞こえるのはアリサの声。何かを感づいたのか、コウタはゆっくりと振り返っていた。

 目の前にはアリサとマルグリットが一緒に立っている。気恥ずかしそうに並んでいるマルグリットよりも、隣にいるアリサの方が何処かイラついた表情を浮かべていた。

 

 

「誰もそんな事言ってないだろ?」

 

「あれ?私には少なくともそう聞こえましたよ。マルグリットさん。こんなアイドル馬鹿なんて放っておいてあっちで話をしませんか?」

 

「いえ…私は別にそう思った事は…ないです…」

 

「だそうですよ。コウタ、愛されてて良かったですね」

 

「アリサ、視線が怖いんだけど……」

 

 そう言いながらアリサはムツミに2人分の飲み物を頼むと窓際の席へと移動していた。どうやらミッションにおける打ち合わせなのか、すぐさまタブレットを使い情報交換をしている。恐らくは先ほどのやり取りは何かしらの牽制の様な気が少しはしたが、今は一先ずロミオとの話を集中すべく再びロミオを方へと視線と向けていた。

 

 

「コウタさん、良いッスね……正直羨ましいです」

 

「お前までそう言うなよ……」

 

 何時もの日常が戻ったかの様な空気が流れているも、今はまだシエルが行方不明である事に変わりはなかった。現時点ではまだ見つかっていないとの話から、僅かな休憩となっている。そんな一時の憩いの時間がラウンジに漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか。となると何かと厄介な可能性があるな。我々もあの時の偏食場パルスの異常は確認したが、まさかそんな効果を持っているとはな」

 

 ロミオ達がラウンジでのやり取りを展開している頃、北斗とリヴィは今回の報告の為に会議室へと足を運んでいた。コンバットログでも確認出来る事はいくつかあるが、それでも実際に戦って実感を持った人間が話をする方が情報量は格段に多くなる。

 ましてや今回のコンゴウの神融種はナナの血の力に似たような偏食場パルスを発生させていた事からも、情報の精査はある意味では当然の事でもあった。

 

 

「フェルドマン。今後の事を考えると、螺旋の樹の内部にそれが発生したのであれば、今後はそれが外に出る可能性だけでなく、万が一の場合には他の戦場でも自然発生する可能性がある。直ぐにノルンのデータを更新した方が良いだろう」

 

「しかし、それでは悪戯に他の支部にも動揺が走る可能性があります。それに関しては暫く様子を見た方が良いかと」

 

「フェルドマン局長。言いたい事も、どんな影響を及ぼすのかも分からない訳では無いんだよ。しかし、赤い雨が終えてからも感応種は既に固定化された種となっているのもまた事実。ここは各自の判断ではなく、お互いの情報の共有化は必須だと思うが……違うかい?」

 

 榊の発言にフェルドマンも何でも否定する様な考えは元から持っていなかった。実際に通常のアラガミに関しての情報は精査した後にノルンで公表しているが、感応種以降の新種の出現に関してはかなり慎重になっていた。

 今はまだ感応種に関しても極東でしか活動が確認されておらず、一時期は本部に対して情報の開示要求が各支部からも上がっていた。本来であれば本部の意向を無視する様な事は無いが、新種のアラガミの討伐に関する情報は何もなければ対処のしようが無いだけでなく、最悪はゴッドイーターをそのまま失う可能性もあった。

 そうなれば支部の戦力のダウンは必須となる。今回の件に関してもフェルドマンはその状況を知っている為に、安易な更新を停止していた。

 

 

「……分かりました。一先ずは今回の件に関しては本部に対応する様に働きかけておきます。しかし、それをする事になればここにも何かしらの要請が来る可能性も否定出来なくなりますが、それでも宜しいのですか?」

 

「その件に関しては構わん。そんな事は今更だ。仮に情報だけでなく、実戦が必要ならばここに来れば良いだけの話だ。そこから先は各支部との話し合いでしかない」

 

 このメンバーの中で唯一、現役での戦闘をこなす人間の言葉は絶大だった。世界中にアラガミは当たり前の様に発生しているが、その中でも極東のアラガミは他の支部では事実上の危険種扱いする種ですら通常種として登録されている。

 他の支部では現れただけで第1級配備するヴァジュラが、ここでは独り立ちさせる為の通過点でしかない事はまだ記憶に新しい。そんな中でもここに来れば事足りると言われても、おいそれと派遣させる支部は無いだろうとフェルドマンは内心考えていた。

 

 

「紫藤博士がそうまで言われるのであれば、我々としては吝かではありませんので。饗庭隊長も、リヴィもご苦労だった。引き続きシエルの捜索は続いている。両名とも招集までは時間がある様であれば休息を取ってくれたまえ」

 

「了解しました」

 

 北斗とリヴィはそのまま会議室から退出していた。既にこの場には僅かな職員しか居ない。先ほどの会話から、改めて極東の基準を思い知らされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか……ではそのまま連絡しておいてくれ」

 

《了解しました。では直ちに出撃の準備もしておきます》

 

 シエルの探索は当初予定したよりも随分と早い発見となっていた。既に上層の探索は佳境に入っているからなのか、探索する場所は徐々に小さくなっている。

 全体的な範囲が狭まっているのは、ひとえに最上部に肉迫しているのも一つの事実だった。

 

 

「どうやらこれで全員が見つかったみたいですね」

 

「そうだな。となれば残す所もあと僅かって所だろうな」

 

 会議室での話とは別に、ツバキは支部長室でリンドウとエイジに改めて打ち合わせをしていた。現時点ではまだ榊と無明にしか伝えられていないが、ここ最近のアラガミの襲撃が活発になりだしただけでなく、その際には何体化の神融種や感応種も混ざり出していた事が原因となっていた。これまでに大きな観測はされていないものの、ジュリウスが終末捕喰を起こした頃に状況が近いのか、アラガミの活動は日々厳しい物へとなりつつあった。

 

 

「今はシエルの探索を最優先としているが、今後の予定に関しては、全員が集まった時点で改めて最上層へと進行するのは既定路線だ。ただ、あの時の話ではないが、あれがどんな事をしでかすのかは誰にも分からんのも、また事実だ」

 

 螺旋の樹の探索に影響が出ない様にとの配慮から、既にブラッドには知らされていないが、ここ数日は事実上の緊急配備となっている事が多くなっていた。何かに引き寄せられるかの様にアラガミが次々と戦場に入り込む。本来であれば装備を常にチェックしながらの戦闘ではあったが、ここ数日は事実上の連戦となっていた。

 精神の疲労は致命的な隙を生む可能性が極めて高い。今はそんな事にならない為に休憩の時間を設けていた。そんな状況があったからこそ、アリサとマルグリットは休憩がてらラウンジへと足を運んでいた。

 

 

「まさかこんな短期間で終末捕喰を体験するなんて、普通はあり得ないんだがな」

 

「だからと言ってそのまま発動させる訳にも行かないのも事実だ。まあ、これが終わって落ち着けば多少の羽目を外すのも良いだろう」

 

 報告の傍らでツバキは今の状況を一つづつ確認していく。タブレットに映されているのは各補給物資の搬入度合いだった。既に7割は完了し、残りも完了まではそうかからない事を示している。残された任務と作業はあと僅かとなっていた。

 

 

「やっぱりそうでないとな。俺達もブラッドに負けず劣らずにやるしかないな」

 

「そうですね。僕らに出来るののは大きな事でもありませんからね」

 

 それ以上の言葉は何も無かった。徐々に螺旋の樹の探索も終わりを告げるだけでなく、これがある意味では現時点での最大の作戦であるのは間違い無い。クレイドルとしてだけでなく、極東に所属する一ゴッドイーターとしての想いがそこには存在していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか。了解した」

 

 北斗は通信を一旦切ると同時に、その場にいた全員に改めて視線を向けていた。この状況で来る通信の内容は確認するまでもなく、シエルの生存を意味している。既に先ほどまでのゆったりとした空気はどこにも存在していなかった。

 

 

「漸く見つかったのか?」

 

「ああ。救難信号をキャッチしたらしい。場所はナナが居た所からそう遠くは無いらしい」

 

 ギルが発した言葉が全てだった。既に神機の整備だけでなく、出撃の準備が完了している。ここからやるべき事は一つだけだった。

 

 



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第251話 決意

 落とし穴に落ちてから既にどれ程の時間が経過したのか、今のシエルには判断する術が何処にも無かった。周囲を見渡すも、目印になる様な物はどこにも無く、地平線を思わせる程に周囲には物が無さ過ぎていた。持っていた救難信号を発生させる装置は既に起動している。今出来る事はこの地が何処なのかを確かめる事だけだった。

 目標となる対象物が無いだけでなく、目印が無い為に歩く方向すら分からない。このまま歩き続ければ更なる遭難の可能性が高いと判断したからなのか、シエルは進める歩を止めていた。

 

 

「シエル…」

 

 突如として耳に届いた声に覚えがあった。しかし、この場にあるはずが無い声はシエルの警戒度を一気に高めていく。既に襲撃に備えるかの様に、神機は剣から銃へと変更している。先ほどの声がどの方向から聞こえてきたのかを探るべく耳に意識を集注させていた。

 

 

「シエル。何故ここにいるんだ?お前達は俺に全てを任せたのではなかったのか?」

 

 改めて聞こえる声はなつかしくもあり、今回の目的でもある持ち主のそれ。ジュリウスの声に間違いは無いが、本当にそれがジュリウスの物である確証はどこにも無かった。

 幾ら聞きなれた声であったとしても、そう簡単に信用する事は出来ない。まさかの可能性を考えシエルは銃口をいつでも発砲出来る様に水平にする。既に周囲を『直覚』で確認するが、アラガミの気配は感じられないままとなっていた。

 

 

「お前達がここに居ても、何もやるべき事はない。今直ぐここから立ち去れ」

 

「何を馬鹿な事を……私達は貴方を連れ戻しに来たんです。既に螺旋の樹は以前のそれとは大きく変わりました。申し訳ありませんが、その言葉を受ける事は出来ません」

 

「愚問だな……俺がここから離れれば終末捕喰は再び再開される事になる。それは既に理解しているはずだが?」

 

 明らかにジュリウスの声である事に間違いは無い。しかし、自分が感じる気配がここには存在していないだけでなく、その声もどこか異質な様にも聞こえる。

 先程よりも声の発生源が近いからなのか、シエルは改めて神機を剣形態へと戻していた。

 

 

「残念ですが、このまま私が引き返したとしても事態が好転する事はありえません。それは私ではなく、貴方が一番存じているはずでは?それと、それ以上何か言いたいのであれば態々声を擬態する様な小賢しい真似をするのではなく、姿を見せて話すのが道理かと。今の状況でそれを鵜呑みにするのは愚の骨頂と言う物です。違いますか?………ラケル博士」

 

 シエルが背後に視線を向けるかの様に振り向くと、そこにはこれまでの様に車椅子に乗ったラケルではなく、健常者と変わらない姿で佇んでいた。怪しく浮かぶ笑みが既にシエルの記憶にあるラケルではない。

 薄い笑みと共に見える目は、どこか狂気を孕んでいる様にも見えていた。

 

 

「流石ですね……ですが、さとい貴女なら既に理解しているはずですよ………既にこの螺旋の樹にジュリウスは事実上一つのシステムとして取り込まれているのですから、今さらどうこう出来るはずが無い事は判断出来るのではありませんか?」

 

 ラケルの言葉が事実を表してた。確かに螺旋の樹は以前とは明らかに異なり出しているのは間違いない。それは元々一つだったはずの終末捕喰を無理矢理2つにした事により相殺した結果でしかなく、今はその相殺しているはずのバランスでさえも崩れかけている。

 幾ら何を言った所で現時点で分かっているのは、終末捕喰をどうやって終わらせるのかがまだ未定である現実だけだった。

 

 

「聞きませんでしたか?終末捕喰から特異点が失われれば、再び力の均衡は失われるだけでなく、今のままでは『再生無き永遠の破壊』だけがもたらされる事になる。そうなれば生命の再分配は行われず、この星はそのまま消滅する事になるのですよ」

 

 そう言いながらラケルはシエルの元へと近づいてくる。一歩一歩近づくその距離を離す事も出来ず、またラケルが言う言葉に対する抗弁すら何も浮かぶ事はない。今のシエルには何の手だても無いままだった。

 

 

「そうなれば貴女方は人類に対してどんな償いを……事実を公表するつもりですか?貴女がやっている事は自己満足にしか過ぎませんよ。それよりも更なる再生を行う終末捕喰をそのまま実行した方が未来に繋がるとは思いませんか?」

 

「………」

 

「沈黙は肯定と同じですよ。それならば私の言葉が正しい事になるのですよ」

 

 そう言いながらもラケルの歩は止まることなくシエルへと近づいて行く。ゆっくりと縮まる距離はシエルとの物理的な接近だけでなく、精神的な物にも近寄っている様にも感じていた。

 

 

「どんな言葉で飾ろうとしても事実に変更はありません。ジュリウスを取り外すのであれば、破壊だけが永遠に続き、そこに生命が宿る余地はどこにもありません。それでも尚、抗い続けるのは建設的な話ではありません。そうだ……どうですかシエル。改めて私の下に戻って来てはどうですか?貴女がここに戻るのであればブラッドの全員も赦しましょう。

 ジュリウスの下に全員が集まり、終末捕喰をそのまま完遂する。それならば誰の良心も呵責する事無く穏やかに過ごせるはずですよ。貴女も苛まれながら送る人生よりも、大事な人と楽しく過ごしたいでしょ?」

 

 気が付けばラケルはシエルの耳元で囁く様に言葉を告げている。何も知らないのであればその言葉は甘美な物に聞こえたのかもしれない。既に外部の状況はあまりにも危険な水準を超えている。

 このまま何もしなければどうなるのかは、ラケルが言うまでも無くシエル自信も理解していた。

 

 

「それであればお断りします」

 

「あら?私の聞き間違いだったかしら?」

 

「いえ。紛れも無く事実です。たとえ……たとえ合理的でないとしても…私はそう決めた以上、誰からの干渉も受けるつもりはありません。例えそれが茨の道であったとしても、仮にその道が険しかったとしても……終末捕喰を迎えるその一分、その一秒の直前まで私はもがき続けます」

 

 シエルのラケルに向かう視線に力がこもる。既に自分の明確な意志を持ったその視線は何があっても揺るぎない物へと変化していた。

 

 

「そうですか……実に残念です。ならば貴女にこれ以上何かを言うつもりは特にありません」

 

 既に説得を諦めたのか、ラケルの周囲に黒い蝶が群れを成して飛び交っている。ラケルを囲む数は徐々に増えだしていた。

 

 

「さよならシエル……貴女と共に歩む事が出来なかったのは実に残念です」

 

 黒い蝶がラケルの姿を覆い隠す様に集まり出している。既に交渉が決裂した事実は間違いなかった。辺り一面がスタングレネードを使ったかの様に白い闇で覆い出す。気が付けば、そこは螺旋の樹の内部へと戻っていた。

 

 

「大事な人が傍に居てくれれば、私はそれ以上何も必要とはしませんから……」

 

 誰も居ない場所でシエルは一人呟いていた。周囲には瘴気が立ち上るかの様に禍々しい風景が広がっている。あのラケルの言葉の答えとばかりにシエルの言葉はその場から消え去っていた。

 

 

《シエル、そこに居るのか?無事なら返事をしてくれ》

 

 腰に吊るした通信機から聞こえたのは北斗の声だった。所々ノイズは入るが、内容はハッキリと聞こえている。救難信号をキャッチして走っているからなのか、声は弾んでいる様にも聞こえていた。

 

 

「はい。私は問題ありません。救難信号の発生地点から移動はしていません。ですが……」

 

 周囲を警戒しながらも鳴り響く通信機にそのまま返事だけをする。ノイズと声の届くギャップが徐々に縮みだす。どの位置に居るのかは分からないが、それでもここに到着する時間だけは大よそ見当が付いていた。

 通信機越しの会話をしながらもシエルの目は依然として周囲を確認するかの様に厳しい視線をまき散らす。それが何かの合図になったのか、先ほどまで居なかったはずの黒い蝶の大群はシエルから約3メートル程離れた場所で固まり出していた。

 

 

《何かあったのか?》

 

「いえ。何でもありません。場所は動いていませんので、合流までに時間は然程かからないでしょう」

 

 黒い塊が徐々に姿を固定化させる。ねっとりと纏わりつく様な空気と、純然たる殺気の塊は既にこの場が誰のテリトリーなのかと示す様な空気へと変化する。通信が切れると同時に現れた一匹のアラガミは、大きく咆哮していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、今、アラガミの咆哮が聞こえなかったか?」

 

「可能性としてはシエルが居ると思われる場所の様にも感じた。恐らくは神融種に違いない。全力で向かうぞ」

 

「了解!」

 

 5人はシエルとの通信が切れた途端にアラガミの咆哮を耳にしていた。これまでの捜索の際には、合流される事を嫌うかの様に神融種がそれぞれ顕現していた。ここに来るまでにアラガミとの戦いらしいものは殆ど無く、一気に目的地に向かって駆け抜けている。そんな中でのアラガミの咆哮はまさにその状況を容易に判断させる物となっていた。

 周囲を過ぎ去る風景が一気に姿を歪ませてく。既にアラガミが対峙しているとなれば、今出来る事は一秒でも早くシエルと合流する事だけだった。

 

 

《シエルさんが交戦を開始しました。アラガミの種はデータベースに無い為に不明。しかし、これまでの状況から判断するとキュウビ種の可能性が極めて高いと推測されます。そこからであれば恐らく合流まであと1分程です》

 

 通信機から聞こえるフランの言葉に全員が一つの目的地へと更に加速する。目的地に向かうまでにいくつかの障害物を一気に飛び越え、最小限の行動で次々に回避する。

 既に一つの塊となって走る先頭の北斗の隣にはロミオが並んで走り出していた。

 

 

「ロミオ先輩、あんなに足早かった?」

 

「さあな。でも北斗と同じ速度で走ってるなら早いんじゃないのか?」

 

「お前達、早くしないと差が広がるぞ」

 

 北斗と並んで走るロミオの姿にナナはこれまでの状況を思い出していた。確かにあの後で話をしたが、ナナの記憶にあったロミオとは大きく異なっていた。

 口調はこれまでと変わらないが、一つ一つの行動が以前よりも鋭さを増しているのか、動きに無駄がなかった。良く見れば北斗と同じ様に並んでいるが、僅かにロミオの方が早い。あまりにも違い過ぎるその変化にナナはただ驚いていた。

 ギルとの会話もリヴィによって窘められる。既に目的地まではあと僅かなのか、アラガミの姿が荒れ狂うオラクルの嵐の中で視認出来る程の場所まで近づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思ったよりも手強いですね」

 

 シエルは現れたアラガミに対し攻めあぐねていた。開戦の合図と言うべき初弾こそアラガミに着弾したが、その後は狙いを付ける事さえ厳しい状況に追い込まれていた。

 最大の要因は、シエルの目の前に居るキュウビの姿をした神融種は以前に対峙した事があったキュウビに比べ、動きが洗練されていた点だった。初弾こそ狙いを定める事が可能だった為に、気になる様な事は無かったが、その後は一か所に留まる様な事をせず、ひたすら狙いを定める暇すら与えられない状況が続いていた。

 時折回避したかと思った瞬間に突進し、銃撃のタイミングを悉く外しにかかる。同じ行動ではあるが、まるでシエルの考えを読んでいるのかと思わせる行動は、精神を苛立させていく。嘲笑うかの様な動きにシエルは終始翻弄されていた。

 

 

「一旦は距離を取らないと……」

 

 何度かの攻撃で行動パターンは読み切ったのか、事前行動からアラガミの次の行動を予測する。これまでの結果から考えれば、これは回避。その隙を狙って中距離から遠距離へと間合いを外そうとした瞬間だった。

 回避行動のつもりだったキュウビは大きく身をひるがえし、このまま後方へとジャンプすると思われた瞬間だった。

 

 

「まさか!」

 

 シエルの予想を覆したのか、本来であればバックジャンプのはずが地面に着地した瞬間、巨体を活かし、シエルに対し突進を開始していた。既に自分の回避行動に移っている為に、そこから更に行動を起こすのは事実上不可能。予想外の突進はシエルに盾を展開させる時間すら与える事は適わなかった。

 アラガミの巨体は一気にシエルの眼前に迫るのか、その姿が一気に大きくなり出す。そこから出来る事は受け身を取るか、最悪は直撃を避ける事だけだった。

 距離が縮まる一瞬の時間がやけに長く感じる。既に今のシエルに出来る事は限られると判断した瞬間、アラガミの上空から空気を斬り裂く様な轟音が鳴り響く。

 僅かに視線を動かすと、それはオレンジ色をした神機の様にも見えていた。

 

 

「リヴィさん……ありがとうございます」

 

 上空からの斬撃は、アラガミに直撃する事なくシエルの眼前で地面を破壊するかと思える程の威力で叩きつけられていた。轟音と共に振り下ろされた神機は、つい最近適合させたヴェリアミーチェ。となれば、その持ち主でもあるのは一人だけだった。

 

 

「シエル。俺、リヴィじゃないぜ」

 

「え……まさか……」

 

 渾身の一撃によってアラガミは先ほどまでの攻撃をギリギリで回避すると同時に、再び距離を取り出していた。先ほどの一撃がヴェリアミーチェからもたらされた一撃であるのは間違い無いが、今の声は明らかにリヴィの物では無い。想定外の声の持ち主によってシエルは珍しく戦場に居るにも関わらず意識がアラガミから発せられた声の主へと移っていた。

 

 

「ほら!私の言ってた通りだよ。シエルちゃんだって驚くんだから」

 

「まさかシエルまでもが驚くとはな。俺の負けだな」

 

 驚きのあまり固まったシエルの隣で聞こえたナナとギルの言葉に、シエルは改めて神機の所有者を確認していた。リヴィで無ければ、そこに居るのはニット帽をかぶった青年のはず。しかし、今のシエルの目に映るのはニット帽ではなく、髪をくくり羽織の様な物を着た一人の青年だった。

 

 

「シエルがそうなるなんて珍しいな」

 

「ブラッドの俺に対する見方が良く分かったよ……」

 

 北斗と話をしているのは、見た目こそ違うが紛れも無くロミオ。突然現した事にシエルは理解が追い付かないままだった。

 

 

 



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第252話 自己の考え

 

「まさかキュウビまで神融種となっているとはな……」

 

「全くです。よほど上層部に行かせたくない何かがあるのかもしれませんね」

 

 北斗とシエルの背後にはキュウビの神融種が横たわっていた。当初はこれまでの経緯があった為に警戒しながら戦闘を重ねていたものの、既にこの種の中でも厄介な物を過去に体験していたからなのか、珍しく討伐に迷いは無かった。

 初めて出会ったキュウビは極東支部に於いても事実上の変異種に近い物があり、また今回の能力に似たような性質があった事が全ての要因となってた。動きが早いだけでなく、まるで何かを嗅ぎまわっているかの様に一人を執拗に狙う性質はまさにあの時と同じ物だった。

 

 

「まさか、初めて対峙したのがそんなだなんてな。俺の知らない所でも結構大変だったんだな」

 

「あったりまえだよ。ロミオ先輩が成長しているのと同じで私達だって日々戦っているんだから」

 

「………」

 

 リヴィはロミオとナナの会話を聞きながら改めて極東がどれ程過酷な地域なのかを改めて体感していた。

 神融種に関してだけでなく、キュウビそのものが希少な個体である事からも通信機からの指示はコアは無傷で手に入れる様に榊から指示があった際にはリヴィも驚いていた。

 これまでの戦いの中でもキュウビそのものが希少な個体と言うだけでなく、既にノルンの画面上にもキュウビに関するいくつかのデータが表示されていた。そんな中でもキュウビに関しては通常の個体だけでなく、マガツキュウビと言った変異種までもが記載されていた事実は情報管理局員も驚き続けていた。

 

 事実、ノルンのデータは全世界共通となっているが、そんな中でも一部記載されていない情報が幾つか存在してた。一番の違いはアラガミの分類が細かい事だった。一般的な情報にはアラガミの名称や能力、属性程度の記載しかなされていない。しかし、極東支部に関してだけ言えば、それ以外にも幾つかの選択肢が存在する中で通常種、堕天種、変異種の3種類に分類され、その中でも変異種に関しては内容を見た瞬間唖然とする事が記載されていた。

 ここでの基準がヴァジュラの単独討伐である事を皮切りに細かく分類されたアラガミの種類は全てが全世界と同じではなかった。事実上の極東の固有種の様にも見える変異種はまさにその最たる物でもあった。

 

 

「リヴィ。どうかしたのか?」

 

「いや。少しばかり驚いただけだ。まさか同じ様な個体と交戦していたなんて事も初めて知ったからな」

 

「だよな。俺が囮になるなら最初からそう言ってくれれば良かったんだけど、誰も何も言わないんだぜ。ちょっと酷くないか?」

 

「まあまあ、それは結果論であってロミオ先輩の力量があったからこそ出来た作戦だったんだし」

 

 ナナのフォローになってない様な言葉にロミオとしても少し面白く無い感情が混ざっていた。一番最初にキュウビが攻撃を仕掛けてきたのはロミオに対してだった。

 恐らくは神機の性質上、素早く行動する事が困難だと判断した結果なのか、キュウビはロミオの事を執拗に狙っていた。通常種に比べれば高い攻撃能力を誇るアラガミではあるが、その行動を完全に理解しているかの様に、攻撃をギリギリまで引きつけ完全に防ぎ切った力量は何気に全員が驚いていた。

 キュウビの討伐に関してはクレイドルとブラッドだけが交戦しているだけで、実際にロミオのログにもキュウビの名称は無い。しかし、事実上のシャットアウトした技術に関しては、口にこそ出さないが全員が関心してたのもまた事実だった。

 

 

「はいはい。とりあえず褒め言葉としては受け止めるよ」

 

「何だか復帰してからのロミオ先輩って余裕があるみたいで面白く無いんだけど」

 

「なんだそれ?俺は昔からこうだって」

 

「え~そんな事あったっけ」

 

 ナナとロミオの会話に意識は向くが、ここからアナグラに戻るまでにアラガミが出ないと言う保証はどこにも無い。軽口こそ叩くも全員の視線は周囲を索敵したままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで全員が揃ったね。これで螺旋の樹の探索の最終フェイズに移行出来るよ」

 

「では、これより最終局面に関する情報の共有化を行う。今後の作戦に関してだが、今回のブリーフィングが事実上の最終になるだろう」

 

 シエルの捜索が終えると同時に全員が会議室へと呼ばれていたからなのか、既にそこには榊やフェルフォマンだけでなく、ツバキやクレイドルのメンバーも揃っていた。

 3人の探索は事実上の上層の探索を兼ねていた事もあってか、探索は佳境を迎えている。会議室の空気が伝播したのか、会議室に入るまでの緩んだ空気が既に無くなっていた。榊の言葉を皮切りにツバキの厳しい声が会議室全体に響き渡る。

 半ば当事者では無いと思っていた部分もあった他の局員でさえも姿勢を正したかの様に背筋を伸ばしていた。

 

 

「ではこれより螺旋の樹の最終決戦となる概要を説明する。各自後ろの画面を見てくれ」

 

 フェルドマンの言葉に全員が視線を向けていた。既に情報の共有化における各部隊から上がってきた情報が一つにまとめられて、それが今作戦の概要として映し出されていた。 既に探索を終えた螺旋の樹の内部の情報が包み隠さず公表されて行く。すべての情報を頭に叩き込むかの様な内容は全員から無駄口を叩く暇さえ奪っていた。

 

 

「それと、今作戦に関しては中層と上層の境にベースキャンプが既に設置されているが、それとは別で上層部にもう一つ設置する。その件に関してはアリサ、お前が指揮と執るんだ。それとエイジ、お前はその間の護衛任務をリンドウとやれ。コウタ、お前はクレイドルの立場として第1部隊以外の陣頭指揮を執るんだ。アナグラの周囲の防衛はタツミ達に任せる事にする。各自質問はあるか?無いのであればこれで解散だ」

 

 画面に出された情報が全て理解出来たと判断したのか、画面は何時もと同じ画面に戻っている。事実上の最終決戦が近い事が全員の中で一致していた。

 

 

「いよいよ……だな」

 

「ああ。あの時にした後悔はもう二度としない」

 

 会議室を出て、歩きながら北斗はその当時の事を思い出してた。自らが特異点となり、永遠の闘争を選んだジュリウスの判断は全体的な事だけ見れば当然の話かもしれないが、ブラッドの意志としては肯定する事は出来なかった。

 お互いが捕喰活動を繰り返すのは未来永劫の闘争を選んだ結果でしかない。何をどう言いつくろったとしても今の状況を良しと思わない以上、やるべき事は一つだけ。既に萌芽した螺旋の樹に対し、出来る事は限られていた。

 廊下を歩く音がやけに耳につく。そんな2人の心情を表している様でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今さらやっても遅くないか?」

 

「いえ。折角なので是非お願いしたいんです」

 

 螺旋の樹の上層部に置けるベースキャンプの設置は簡易的な物とは言え、改めて資材の調達だけでなく周囲の状況を加味しながらの設置となる為に、それなりの時間を必要としていた。ツバキからの指示と同時に、アリサとエイジはすぐさま連絡を入れ設置に対する計画を取りまとめ、コウタはマルグリットに改めて今後の指示を出していた。

 決戦はベースキャンプの設置が完了後となっているからなのか、これまでの連戦を労わる為にブラッドには僅かばかりの休息が言い渡されていた。そんな中で北斗はロミがこれまでにやって来た教導のメニューに興味を持っていた。

 リヴィとの模擬戦の動きは確実に北斗の中にある何かを刺激したからなのか、時間に余裕が出来た事が分かったと同時に技術班の下へと足を運んでいた。

 

 

「ロミオのあれはまた違うからな……最終決戦を前に下手な事はしたくないんだが……」

 

「しかし、今のままでは部隊にも影響を及ぼす可能性もあるので」

 

 北斗が真っ先に向かった場所はナオヤの下だった。既にエイジやリンドウが資材調達と現場の確保の為にアナグラを離れている事を理解している以上、頼る事が出来るのはナオヤだけとの判断だった。

 既にナオヤとしても全員の神機の整備を始める為に、決して時間にゆとりがある訳では無い。いくら頭を下げられても出来る事と出来ない事があるのは明白だった。

 

 

「俺の今の仕事はお前の神機の整備だって事は理解してるよな?身体は一つしかないんだぞ」

 

 自分の神機の整備と言われれば北斗と言えどそれ以上の事は強く言えなかった。既に整備の段階に入ってるからなのか、神機は各パーツごとに分解されている。北斗自身も目に入ったからなのか、それ以上の事は何も言えなかった。

 

 

「しかし……」

 

「なぜそんなに焦る必要があるんだ?」

 

 神機の分解作業に入ってるだけでなく、事実上のオーバーホールはブラッドを優先的に進めた事で殆どの技師は自分達の事で手一杯となっていた。それはナオヤだけでなくリッカも同じ事。ここでの中断はどうなるのを理解しているはずの人間がこうまで頼み込むのは何かしらの問題がある位の事は理解できるが、それが何を意味するのかと言われれば本人に聞くよりなかった。

 作業をしながらの為に北斗の表情を伺う事は出来ない。今のナオヤの優先順位は神機の整備であって、カウンセリングや教導ではなかった。何時もとは違い、冷たく突き放つ。その口調が何を意味するのは北斗にも理解出来ていた。

 

 

「螺旋の樹の中でラケルの亡霊とも言える物に言われた事が気になるんです。俺は今までみんなに甘えてきてたんだと。事実、ジュリウスを助けたい気持ちは自分ではあるにも関わらず、他の人間がどう考えているのかと言われた時に、疑いもあったんです」

 

 北斗の言葉にナオヤは少しだけ作業の手を緩め、北斗の独白とも取れる言葉を聞いていた。実際に今回の探索に於いて、行方不明となった3人以外には北斗だけが残されている。

 当時の状況を詳しく知らない為にナオヤはそんな事実があった事に驚きはしたが、恐らくは先ほどの言葉が全ての原因なんだろうと予測していた。実際に教導の立場なので弟子や師匠なんて間柄では無い。しかし、神機を振るう人間に躊躇があれば、その代償はいつしかそれは自分の元に来る事になる。

 最終決戦の直前の独白にナオヤは少しだけ考える部分があった。

 

 

「お前は馬鹿なのか?」

 

「え?」

 

 唐突にナオヤから言われた言葉に北斗はそれ以上の言葉を告げる事は出来なくなってた。自分の考えについて何を考えていたのか、何をしてほしかったのかが理解出来なくなっていた。それと同時に自分が何の為にここに来たのかを改めて思い出していた。

 今のままで本当にジュリウスを救出する事は可能なんだろうか?自分の実力に疑問があったからこそ誰かに縋りたいと無意識に考えていたのだろうか?そんな取り止めのない疑問が頭の中で出ていた。

 

 

「幾ら仲間を信じると言った所で、全員の気持ちなんて分かる訳ないだろ?自分一人がブラッドを背負ってるとか、世界を救うなんて考えてるのは烏滸がましいにも程がある。自分の人生は自分だけの物であって、他人の物じゃない。自分の力量が足りなければ他人を使い、自分で出来る事は自分でやる。考え方はそんな物で十分だ。

 実際に俺達は俺達が出来る事だけをやっているにしか過ぎないんだ。それを活かすも殺すも俺達からすれば全てが他人任せなんだぞ。だが、お前は自分で何とか出来る立場にあるんだ。疑った事に罪悪感を持つ必要がどこにあるんだ?嫌なら自分の力だけで何とかする位の気概を見せればいいだけじゃないのか?」

 

 呆気らかんと言われた言葉に北斗は呆然としていたと同時に、一つの事を思い出していた。自分の出来る事だけをやる。以前にも無明から言われた言葉だった。実際に北斗自身の力量はそう低い訳では無かった。

 事実このアナグラの内部でも片手に入る程の上位のスコアを持っている。上を見ればキリがないと言うよりも、明らかに自分に比べれば高みを歩いている人物しか居ない。

 実際にミッションにだって同行している。だからこそ自分の状態がどうなっているのかを正しく理解出来ないでいた。

 

 

「ジュリウスの事を考えてるなら尚更だろ?現状はどうやって終末捕喰をさせずに助け出すかなんて理論すら無いにも関わらず、助け出す事を至上命題としてやるなら、下手な事は考える必要なんて最初から無いに決まってるだろうが」

 

 ナオヤの言葉は北斗の意識を改めて変えていた。心の中に巣食った靄が消えて行く様にも感じる。何に囚われていたのかを北斗は改めて考えていた。

 

 

「ですが……」

 

「なんだ。何もしてないから余計な事を考えるだけだろ?だったらロミオとやれば良いだろうが。あいつだってまだまだ修行中の身なんだからな」

 

 自分の言いたい事だけを告げるとナオヤは再び神機の整備へと取り掛かっていた。先ほどの会話の時間すら惜しいと思ったのか、既に北斗の事は思考から抜け落ちている。

 目の前の自分の神機のパーツごとに何かをしている場面はどこか遠い情景の様にも見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、あれで良かったの?」

 

「何がだ?」

 

 北斗が外に出た事と、整備の方も漸く一息つける事が確認出来たからなのか、ナオヤはコーヒーを飲みながら休憩をしていた。背後からのリッカの声に、同じく休憩である事は理解出来ていた。

 

 

「さっきの事だよ。北斗があんなに悩んでるなら師匠として何か言うべきだったんじゃないの?」

 

「師匠な訳あるかよ。実際に俺の本業はこれであって、教導は違う。大体ブラッドの中でも一番の攻撃力を誇る人間が何を今さら言ってるんだって話だろ?」

 

「随分と手厳しいね」

 

 そう言いながらリッカはナオヤの隣に腰を下ろしていた。螺旋の樹の探索は既に最終局面に入っている事はナオヤやリッカだけでなく、技術班全員が知っている。周囲の防衛に関する神機の整備よりも螺旋の樹の探索チームの整備を優先している関係上、誰もが何も言わないまでも、その先の事を考えていた。

 これまでに2度回避された終末捕喰。しかし、2回目に至っては完全に回避したのではなく、事実上の均衡を保っているにしか過ぎない事実は極東に居る人間は誰もが理解している。

 そんな中での新たな局面に誰もが敢えて何も言う事無く出来る事だけをやっていた。そんな中での北斗の言葉はおのずと不安になる要素しか無かった。

 

 

「だいたい、自分の置かれた立場を理解してないんだよ。あいつはここに来てから色んな事があったはずなんだ。ギルの件やナナの件。ロミオの件だってそうだ。これまでの殆どが自分を中心として来ている。全員の心を一つにしてなんで綺麗事だけでやって行ける程ここは甘くは無いんだ。全員が自分を信じていると気が付かないのも不思議な話だ」

 

 再びコーヒーをすすりながらこれまでの状況を思い出していた。基本的な部分はともかく、色んな場面で北斗を信頼していることは他人から見れば明白だった。

 誰もが無傷で今まで生きてきた訳ではない。それぞれに起こる内容を自分で消化しながら一歩づつ前に進む。どれがどれ程困難な事なのかは当事者以外には知る由も無い。

 これまでにエイジやリンドウが残した足跡から考えても、今の北斗は十分すぎるほど恵まれている事に気が付いていない事が気になっていた。

 

 

「さっすが教導教官。ちゃんと見てるんだね」

 

そう言いながらリッカは目の前にあったクッキーを口に運び、同じくコーヒーを口にしていた。

 

 

「見えるも何も、誰だって一人で生きて行く事は難しいに決まってる。ましてやゴッドーイーターなんて、そんな中でも最たる物だろ?」

 

 そう言いながらもナオヤは改めて北斗の事を考えていた。これまでまともに教導以外で会話をした記憶は無かったが、それでも整備士として携わってきた者からすれば北斗の考えを理解出来ない訳では無い。しかしあまりにもそれが危うい考えであると本人は思っていない様にも思えていた。

 

 

 



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第253話 決戦前

 激しい呼吸音と同時に時折聞こえる剣戟の音は、まるで周囲を破壊するかと思わせる程の高音を発しながらリズムを刻むかの様に響く。既にお互いが対峙してからどれ程の時間が経過したのかすら忘れそうになるほど高度な戦いが訓練室内で行われていた。

 ロング形態の刃が空気を斬り裂かんと上段から袈裟懸けに斬り落とされる。既にそれを察知していたからなのか、バスター形態の刃は紙一重と言わんばかりの距離を見切り、攻撃の隙を見逃す事は無かった。反撃とばかりに重量感のある刃は目の前にある胴を薙ぐかの様に振り切っていた。

 

 

「改めて見るが、まさかここまでとはな……」

 

 訓練室の窓から見る光景にギルは暫し言葉を発する事すら忘れ、眼下でくり広がられている戦いに目を向けていた。体感的には1時間以上戦っている様にも思えるが、時計を見ればまだ5分にも満たない時間しか経過していない。

 どれ程の鍛錬をしたらこうなるのかを考えながら傍観するしか出来なかった。

 

 

「そうですね。今のロミオは確実に自分の間合いと動きを理解しているとしか言えませんね。北斗であれなら、私は当の前に倒されているでしょう」

 

 ギルの隣で呟く様にシエルの声が聞こえていた。既に対峙したリヴィは自身の経験を踏まえた上で模擬戦を見ているのか、目はロミオの行動から離れる事は無かった。

 一方でナナはロミオのあまりにも変化しすぎた姿に呆然と見ている事しか出来なかった。時間は確実に刻まれて行く。お互いに決定打が入る可能性はなく、このまま永遠に戦いが続くのではと思えるほどだった。このままではお互いが消耗するだけ。

 永劫とも取れる戦いは無情なブザーの音と共に終了する事となっていた。

 

 

「流石はロミオ先輩ですね」

 

「何が流石はロミオ先輩だよ。俺だってこれでも目一杯やってるのに決定打が当たらないなんて、北斗の方こそふざけてるとしか言えないぞ」

 

 お互いの感想を言いながら2人は神機のモックを片付けていた。

 事の始まりは悩んだ末にナオヤに相談に行った事がキッカケだった。自分が自分の事を信用出来ない様な状況はあり得ないのと同時に、今一度頭の中を空っぽにする為にロミオとの模擬戦をしたのが始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロミオ先輩。時間があるなら俺と模擬戦やってくれませんか?」

 

「へ?なんで?」

 

「少し思う所があったのと、やるならロミオ先輩とやれってナオヤさんが言ったので…」

 

 当初はラウンジで寛いでいたはずのロミオだったが、北斗の深刻な表情に何か思う所があった。しかし、今の北斗がどれ程の力量なのかはロミオとて知っている。だからこそ自分と模擬戦をする意味が分からなかった。

 

 

「ふ~ん。別に構わないけどさ、これから直ぐか?」

 

「はい。そうして貰えれば」

 

「そっか。じゃあ、行こうか」

 

 ラウンジにはロミオ以外にもブラッドのメンバーが休憩とばかりに腰を下ろしていたが、北斗の真剣な表情とロミオとの模擬戦に何か思う所があったのか、既に視線は2人へと向いている。気が付けば先ほどの様な穏やかな雰囲気は無くなっていた。

 

 

「だったら俺も見に行っても良いか?今のロミオの力量がどれ程なのか知りたいからな」

 

「それならば私も同席したいですね」

 

「じゃあ、私も。リヴィちゃんも見るよね?」

 

「ああ」

 

 何かを思う部分があったからなのか、ギルだけでなくシエルもそれに続いていく。そんな2人を見たからなのか、ナナとリヴィも一緒に訓練室へと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、何か分かったのか?」

 

「はい。何となくですが」

 

 お互いがタオルで汗を拭きながら先ほどの模擬戦の事を思い出していた。当初はいつもの如く仮面を付けたロミオだったが、北斗からの提案で仮面を外した状態で開始する事となっていた。

 北斗はロミオが模擬戦の際に気配を探知せざるをえない状況を作り出す為に仮面を付けている事をナオヤから聞かされていた。視界が事実上失われた場面を想定したからなのか、それとも未だ訓練中だからなのか、ロミオはこれまでの教導の殆どがそうだった事から特に疑問を持つ事は無かった。

 しかし、北斗からすれば今のロミオの全力が知りたいからと仮面は外した状態での模擬戦を提案していた。実際に対峙した瞬間、北斗はこれまでにナオヤやエイジと対峙した雰囲気をロミオから感じ取っていた。

 

 攻撃の際に視線が動く事でどこに攻撃が来るのかを予測し、先手を取る事がこれまでのやり方だったが、ロミオは常に視線は半目のまま固定されている様に見えていた。

 攻撃の意図が見えない箇所に来る斬撃は、油断をすれば確実に致命傷となりかねない勢いでいくつも飛び込んでくる。当初はその異様な攻撃方法に、自分の攻撃のリズムが組み立てられなかったが、時間の経過と共に何となくロミオの攻撃の癖の様な物が見え始めていた。

 無意識にされる攻撃は狙いがどこなのかすら判断出来ない。事実上の無心となった攻撃は、ある意味では反撃し辛く、また回避行動も厳しい物だった。

 

 

「そっか。俺もまだまだだからな」

 

 座り込みながら用意したドリンクを口にする。事前に用意したそれは今のロミオだけでなく北斗にとっても甘露の様な味わいだった。

 

 

「ロミオ先輩凄かったね。私ビックリしちゃったよ。何か手品でも使ったの?」

 

「んな訳無いだろ。屋敷で毎日教導メニューやってただけだって。ツバキ教官からこれが上級カリキュラムだって聞いてたからさ。だって尉官級は全員やってるんだろ?ブラッドは尉官持ちだから当然だって聞いているぞ」

 

「え……?」

 

 何気に言ったロミオの言葉に笑顔だったナナの表情が一気に曇る。話の内容は分からないが、どうやらロミオはこれが基準だと勘違いしている様だった。

 困惑とも取れる表情を見たロミオも何か間違った事を聞いたのかと疑問を持ち出す。そんな状況を見たからなのか、北斗はフォローとも取れる言葉をかけていた。

 

 

「まだ昇格したばかりなのと、教導メニューに関しては螺旋の樹の探索が終わってからって聞いているので。恐らくはロミオ先輩の教導の方が多分早いかと」

 

「そうなんだ……だよな。じゃなきゃ、あんな過酷な事しないもんな」

 

 疑う概念が無かったのか、ロミオの表情が一気に晴れていた。実際に上級者カリキュラムがどうなのかは知らないが、以前に聞いた内容は明らかに常軌を逸している事に間違い無かった。

 今後の事も考えれば、今はロミオの戦力は嬉しい誤算でしかない。ならば、このまま勘違いさせた方が良いだろうと判断した結果だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思った以上に状況は悪くなってるみたいだね」

 

 訓練室で模擬戦をする頃、会議室内は重苦しい空気に囚われていた。上層部でのベースキャンプ設置のついでとばかりに調査した結果は、榊だけでなく紫藤にとっても良いとは言えない内容が報告されていた。

 今回の目的でもある特異点となったジュリウスの取扱いをどうするのかが最大の要因だった。ここに来るまでにジュリウスの特異点としての反応が無くなっているだけでなく、ブラッドの意志はジュリウスを救出する一点にだけ絞られている。

 このまま螺旋の樹を維持する為には再度お互いが喰らい合う姿勢を打ち出すのが本来であればベストな選択ではあるが、ブラッドの事を考えればその選択肢は事実上あり得ない。事実上の頭頂部はこれまでに無いほどのオラクルの嵐である為に、ブラッドのP66偏食因子を持たないゴッドイーターは活動すら阻まれる。

 仮にブラッドが何かしらの手段を講じようとしても、そのフォローすら出来ない事実はその場に居た人間全員が理解していた。

 

 

「ここまで荒れるとなれば神機兵と言えど厳しいのは間違いありませんね」

 

「とすれば、事実上はブラッドに全てを委ねる事になるのか……」

 

 神機兵の責任者でもあり、開発者のレアの言葉に誰もがそれ以上の言葉をかける事が出来なかった。上層部のベースキャンプの設置に関しても、アリサ達3人からの情報ではギリギリまで近づける事が困難であると同時に、設備の大きさも最低限度の物しか組み立てる事が出来ない。

 最終決戦を前に僅かでも休息を取ってもらおうとした行為が結果的には螺旋の樹の現状を現していた。

 

 

「フェルドマン。確認だが、情報管理局としては着地点はどう考えているんだ?」

 

「我々の考え……フェンリルとしての考えは世界の均衡を得られるのであれば、ジュリウス元大尉はそのままであった方が良いと考えている人間が大多数を占めています。事実、我々としても今回の件は既に全世界に向けて放送した際に、螺旋の樹をシンボルとして考えている事は発表済みですので」

 

「そうなるとブラッドの考えとは逆の結果になるのか」

 

「結果的にはそうなるかと」

 

 事実上の決定者でもあるフェルドマンの言葉はブラッドが考えている事の真逆とも取れる内容だった。お互いを元に戻そうとすれば特異点が残る必要性がある。しかし、現場でもあるブラッドが考えているのはその特異点となったジュリウスの救出でもあり、その結果がどうなるのかも考えた上での結論であるのは既に事実でしかない。

 準備はアリサの指揮下で刻一刻と進められている。ギリギリの場面になった際、どんな結果をもたらすのかを判断する事が出来ない事実に会議室の空気は更に重くなりだしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「要件とはなんでしょうか?」

 

「実は今回の件でブラッドの意志を再確認しようかと思ってね。君達も知っての通り、今作戦は現在進行しているベースキャンプの設置と同時に開始される。君達に聞きたいのは特異点となったジュリウス君の救出が一番の目標である事を再確認しようかと思ったんだ」

 

 会議室ではなく支部長室に北斗は呼ばれた矢先の榊の言葉に、北斗の表情が強張っていた。既に螺旋の樹の最上部と思われる場所にあるのは間違い無い事実だが、問題はその時にどんな行動を起こすのかだった。

 螺旋の樹が出来たのはお互いの終末捕喰が喰らい合った結果なのは周知の事実だが、今の時点でジュリウスを外せば終末捕喰が敢行される事実に変わりはなかった。未だ解決すべき手段が無く、そのミッションでさえもラケルからどんな手段を講じられるのかすら予測出来ない。

 そんな手さぐりで進める事実に対し、いざとなれば独断でやろうと考えた際の榊の言葉に北斗の背筋は寒くなっていた。

 

 

「因みに言っておくが、僕の考え方は以前とは変わってないんだよ。君達がジュリウス君を取り戻す為に行動している事実に間違いは無いし、その為の努力をしているのも知っている。上はどう考えているかは何となくでも分からないでもない。しかし、我々としてはそれよりももっと重要な事があるんだよ」

 

「重要な事ですか?」

 

 呼ばれた事に北斗は疑問を持ちながらも榊の言葉を待っていた。ジュリウスの救出を優先すれば終末捕喰がラケルが望む様に、再び終末捕喰が再開する事になる可能性を孕んでいる事は理解している。

 また、フェンリルとしてもどんな結末を望んでいるのかも理解している。決められた未来の選択肢はそう多く無い。仮に止められたとしても決めた内容を覆すつもりは無かった。

 

 

「そう。情報管理局が考えている事じゃない。君達が極限の中でどんな選択肢を選ぶのかは君達に任せようかと思ってね。少なくともフェンリルではなく、極東支部としてはそう考えているんだ」

 

「そう…なんですか」

 

 榊のまさかの言葉に北斗は驚いていた。決して何かを誤魔化す様な雰囲気でも無ければ、試す様な事も無い。何をどうではなく、その潔さとも取れる行動にただ驚くだけだった。

 

 

「言っておくが、今回の件に関しては既に人智を超えた部分に結末があると考えてるんだ。事実、終末捕喰を再び起こせばどうなるのかは考えるまでも無いだけなく、今の時点で既に対抗できる特異点は存在しない。だとすればプログラムの役割を果たすジュリウス君を除いた結果も推論ではあるが、予測出来るんだよ」

 

 北斗が驚いている事を見越したのか、榊はそのまま説明を続けていた。今回の発端は本来では唯一のはずだった特異点が2つ出来た事が当初の始まりだった。しかし、ラケルの妨害ともとれる手段により既に螺旋の樹の終末捕喰はコントロールできない事態にまで進んでいた。

 このままの状況が進行すれば、ラケルの思惑通りの結果だけが待っている。だからこそ、その考えを逆手に取る様な考えを榊は北斗に伝えていた。

 

 

「我々はね。目の前で人間の可能性……いや、諦める事をせずに今の状況に持ち込んだ現場を見ているんだよ。そして、それが何を意味するのかもね……」

 

 北斗に伝える榊の目は以前の出来事を思い出していたのか、どこか懐かしむ様な目をしている。事実上の許可が出た以上、今の北斗に迷いは無くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。榊博士の話は何だったんですか?」

 

 北斗が呼ばれた理由を理解していたのか、エレベーターの扉が開くと同時にシエルが目の前に立っていた。ここに至るまでにブラッドでもその行動をどうするのかは何度も考えた末の結論である事に変わりはない。そんな状況を察知したからなのか、シエルの後ろにはナナやギルも立っていた。

 

 

「ここでは言いにくい。場所を移動しよう」

 

 ロビーで気軽に出来る話題ではないと判断したのか、北斗は場所の移動を促していた。自分達の行動を肯定されると思ってなかったからなのか、万が一その事実を公共の場所で話す訳にも行かない。

 話が出来る場所は限られているからと、自分の部屋へと誘導していた。

 

 

「そうか……榊博士は肯定したのか…」

 

「ああ。まさかこちらが考えていた通りの事を容認するとは思わなかった」

 

 北斗の部屋で榊博士から言われた事実を公表した途端、全員の表情は驚愕に包まれていた。事実上の答えが存在しないだけでなく、落とし穴に落とされた際に言われたラケルへの返事が全員の意志でもあった。

 詳細までは誰にも伝えていないが、その意味はこのままで有ってくれた方が助かるとも取れる言葉。それが意味するのはラケルの行動が完全に完了した訳では無い事実だった。

 

 

「以前に、コウタ隊長から少しだけ聞いた事があったんだ。元々エイジスは一つの計画を実行する為に建造された物だったんだけど、その当時アナグラの中がバラバラになったって。でも、結果的に誰もが諦める事をしなかった結果が今に至るんだって」

 

 北斗の言葉にまだ終末捕喰が敢行される直前の事をロミオとリヴィを除く3人が思い出していた。月の緑化現象の真相は終末捕喰が発動した結果。そして、それを阻止したのは今のクレイドルである事だった。

 人間が持つ可能性だけでなく、生きる者すべての意志を尊重するかの様な榊の言葉が再び全員に聞かされる。その言葉が意味する事実が何なのかは改めて考えるまでもなかった。

 

 

「リヴィ。情報管理局の人間としての立場は分かる。何をどうしたいのかは強制するつもりはない。今のブラッドの考えはさっきの通りだ」

 

 このメンバーの中でリヴィは情報管理局の所属である為に、基本はフェルドマンの部下となっていた。基本的なスタンスはブラッドとはまるで異なる。だからこそ、それ以上の踏み込んだ内容を実行するには意志を確認する必要があった。

 

 

「それに関しては愚問だ。私はフェルドマン局長からは何も聞かされていない。私が聞いた命令はラケルの野望を砕く事であって、それ以上でもそれ以下でも無い。知っての通り、私も今さら後に引く事は出来ないのもまた事実だ」

 

 抑制剤が効かなくなった時点でリヴィは自分の与えられた任務が今後行使出来ない事を理解していた。自分の異能が無くなれば情報管理局に居場所は無い。既にそう考えていた事を改めてこの場で口にしていた。

 事実上の参加宣言に改めてその時が来るのを待つしかない。今はアリサからもたらされる一報を待つより無かった。

 

 

 



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第254話 決戦の地へ

 

「そうか。色々と急がせて済まなかったね」

 

 支部長室で榊はアリサからの進捗状況を確認していた。何事も無く進めば、今日の時点で最上部のベースキャンプの設置が完了する。事実上の最終決戦とも取れる戦いまで残す所あと僅かとなっていた。

 合同のミーティングは既に完了している為に、ここから先はブラッドに命運を託す以外の方法は無い。アリサからの通信が切れると同時に榊は改めて椅子に座り直し、深いため息を吐いていた。

 

 

「どうしたんですか?」

 

「いや。もう設置が完了したと先ほどアリサ君から連絡が入ってね」

 

 秘書の弥生は通信が切れる時間を見越したのか、榊の目の前に熱いお茶を出しながら今後の予定を改めて思い出していた。既に神機のオーバーホールは完了し、出撃を待つだけとなっている。全ての状況を知っている弥生からすれば、アリサからの通信が事実上の作戦決行の合図でしかなかった。

 

 

「弥生君、済まないがブラッドの召集を頼むよ」

 

 榊の言葉に弥生は頷くとそのまま支部長室を退出していた。やれる事は全て終えた以上、今出来る事はブラッドの無事を祈る事だけだった。

 

 

「本日一五○○を持ってベースキャンプの設置が完了した。現時点を持って作戦の決行を開始する」

 

 支部長室に呼ばれたブラッド全員を迎えたのは榊だけでなく、ツバキと無明も来ていた。

 既にやるべき事が何であるのかを理解しているからこそ、それ以上の言葉は必要無い。北斗を中心に全員の表情に強い決意が浮かんでいた。それを見たからこそツバキもそれ以上の言葉をかける事は無かった。

 

 

「既に我々としてはこれ以上何も言う事は無い。ただ、自分を信じて行動をするんだ。万が一の際には極東支部としてのバックアップは惜しまない。全員必ず生きて帰るんだ」

 

「はい!」

 

 無明の言葉に全員が頷く。今回の作戦がどんな結末をもたらすのは誰にも想像する事は出来なかった。事実上の螺旋の樹の破綻はそのまま終末捕喰を進めるだけの結果になるのか、それとも回避できるのかすら何も分からない。

 以前の終末捕喰を回避した当時の様な迷いは既に誰の胸中にも無いままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いよいよだな」

 

「ああ。煩わしい事はサッサと終わらせてジュリウスを引き連れに行くか」

 

 上層部までの移動に関してはロミオの『対話』の力が発揮されたのか、アラガミの姿は殆ど確認出来ないまま一気に上層部へと進行していた。螺旋の樹の内部は外部に通じる様な場所はそう多くは無い。中層でのベースキャンプで一旦は休憩をし、時間の調整をしながら上層へと移動を続けていた。

 上層のベースキャンプは最低限の構成でしかない。本来であれば事実上の休息スペース以外の設備も併設されているが、ここは休息を取るだけのスペースだけが用意されていた。ここに来るまでにも嵐の様にオラクルが荒れている。こんな環境下で設置した事にブラッドの全員は素直に感謝だけしていた。

 

 

「しかし、あの『再生無き永遠の破壊』とは何を意味するのでしょうか?」

 

 用意されてドリンクを口にした際にシエルは不意にラケルから言われた言葉を思い出していた。当時の話の内容は、全員の情報の共有と言う名目で理解している。しかし、ラケルの言った言葉に意味は何をもたらすのかだけは理解出来ないままだった。

 当初のラケルの話では既にラケルの形をしたアラガミと言った表現が正しく、まるでそれがもたらす結果を望んでいる様にも思えていた。

 

 

「シエル。どのみち俺達がやれる事なんてたかが知れてる。今出来る事だけをやるしかないだろう」

 

 北斗はシエルの疑問に答えながらも全員に話をするかの様に言葉にしていた。元々北斗自身が色んな責任を勝手に負い被った事もあったが、結果的には自分に出来る事だけをやると決めてからは悩む事を止めていた。

 どんな結果が出ても受け入れる。そんな自分の心情がそのまま口から出ていた。

 

 

「そうだよ!私達がやれる事だけやる。後はきっと榊博士が何とかしてくれるよ」

 

「そうだな。榊博士だけじゃない。ツバキ教官や無明さんもああ言ったんだ。今さらあれこれ考えても仕方ないだけだ」

 

 ナナやギルの言葉が総意だった。今からやれる事は一つだけ。シンプルな考え方に誰も疑問すら無かった。

 

 

「リヴィ。どうかしたのか?」

 

「いや。改めてこのチームは良いチームだと思っただけだ。願わくば私もその一員でありたいとは思うがな」

 

「リヴィちゃん。今さら何言ってるの?もうリヴィちゃんもブラッドの一員だよ」

 

 ナナの一言がリヴィの胸の内を熱くしていた。

 情報管理局として極東に来てからはまだ期間がそう長い訳では無い。実際に当初は険悪なムードもあったが、結果的にはお互いが擦り寄せる形で今に至っている事は理解している。しかし、あくまでも形上の話であって実際にブラッドに迎えられた訳では無い。だからこそナナの言葉はリヴィの心に響く物があった。

 

 

「そうか……私も既にブラッドの一員だったのか」

 

「そうだ!この作戦が終わったらさ、正式に異動出来るか言ってみるのはどうかな?いざとなったら弥生さんや榊博士も助けてくれるだろうからさ」

 

「おお!ロミオ先輩にしては良いアイディア。そうだよね。それが一番だよ。きっとジュリウスだって反対しないよ」

 

 何気ないロミオの言葉に誰もがなるほどと関心していた。戦闘能力は飛躍的に向上しているが、ロミオはやはりロミオのままだった。実務レベルでは分からないが提案としては悪くは無い。そんな空気がベースキャンプの空気を変えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺達もそろそろ行動するとしようか」

 

 螺旋の樹へと飛び立ったヘリを後に、現時点でやれる事は何時もと変わらない内容だった。螺旋の樹がどうなろうとアラガミの襲撃が止まる事は無く、むしろその影響でこれまで以上にアラガミの数が増えていた。リンドウの言葉にソーマやエイジ、アリサも同じく立ち上がる。託したそれがどんな結果をもたらすのかは考えるまでも無かった。

 誰一人ノヴァの現場に居た際に起きた出来事は3年以上の年月が過ぎても未だ色褪せる事は無かった。自分達が心配した所で何も変わる事は無い。だとすれば、今出来る事をただやるだけでしか無かった。

 

 

「そう言えば、コウタはどうしたんですか?」

 

「コウタなら、もう出撃したよ。ここで待ってても何も変わらないからってね」

 

 気が付けば先ほどまでコウタも同じくそこに居たはずが、今は既に居なくなっていた。

 このメンバーの中でアリサを中心にエイジとリンドウがベースキャンプ設置の任務に就いていた事からも一番螺旋の樹の内情を理解している。特別なミッションではなく、あくまでも通常のミッションでしかないと考えたコウタの胆力はある意味では大物とも取れていた。しかし、それが事実である事に誰も意義を唱える者は居なかった。

 

 

「俺も新しい素材の調達をする必要があるからな。悪いが、お前達にも付き合ってもらうぞ」

 

 何時もであればラウンジには中々顔を出さないソーマも今回に限っては何時もの日常を演出している。そんなクレイドルの様子を見たからなのか、他のゴッドイーター達に動揺が生まれる事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ見えるはずだ」

 

 北斗の言葉に全員の視線はある一点だけに集中していた。上層部でもその最奥ともなればロミオの力であっても一部のアラガミは北斗達に襲い掛かっていた。既にここに来るまでに何体のアラガミを討伐したかは分からないが、それでも全員の気力が充実したままだからなのか、疲労感を感じる事無くジュリウスが居ると思われる場所に歩が進む。

 今頃アラガミが出た所で何も問題なく討伐出来る程に、全員の集中力はピークへと達し始めていた。

 

 

「あ、あれじゃない?」

 

「そうですね。ナナさんが言う様にあれに間違いはありません」

 

 ナナの指が示した先には、何か赤く光る何かの中に人影が見えていた。事前に聞いた情報に差異が無ければ、あれは生体反応が消失したと思われるジュリウスに間違い無かった。一歩一歩近づく度にその人影がより鮮明に見えてくる。

 既に全員が理解出来る程まで接近した際に見えた物は、予想通りジュリウスそのものだった。

 

 

「ナナ、ストップだ」

 

「え?」

 

 思わず走りだしたナナを制止した事で全員の視線が北斗に向いていた。囚われたジュリウスは目と鼻の先。ここから何を警戒するのか分からなかったナナは北斗を見る事しか出来なかった。

 

 

「察しが良いですね……ようこそ。旧き神話の最終章へ。貴方方来るのを一日千秋の思いで待ってましたよ」

 

 囚われたジュリウスは祭壇に祭られているかの様にオラクルの塊が支え上げている様にも見えていた。

 ここからであれば大きく跳躍すれば届く距離。そんな死角からラケルは唐突に表れていた。突然の出現に全員の警戒心が最大に高まる。既にここで待ち伏せでもしていたのか、ラケルは終始笑顔を絶やす事は無かった。

 

 

「ラケル……先…生………」

 

 久しぶりに見たリヴィに対し、ラケルは路傍の石でも見るかの様な視線でリヴィを見ていた。既に当時のラケルではない事は事前に聞いた事で理解したが、やはり当人を見れば確認せずにはいられないままリヴィの視線はラケルへと向けられていた。

 

 

「ここに至るまでの予定と出来事は私の中の荒ぶる神々と対話した通りの展開でした……本来であればこのまま、予定調和の如き終焉を迎えるはずでしたが………どうやら貴方方だけはその中には収まらず、今まさに私に刃を向けようとしています。

 これまでに定めた一連の行為は全てこの地球(ほし)が望んだ物でもあり、またその意志でもある。これ以上の歴史の改竄は赦されるべき物ではありません」

 

 気が付けばラケルはジュリウスが囚われている場所へと移動していた。あの時のラケルは車椅子に乗ったまま意識すら無かったはず。だとすれば、目の前のラケルは一体何なのだろうか。既に全員がラケルの一挙手一投足に注目している。

 ここから先に何が起こるのかを確認しようとも取れる状態となっていた。

 

 

「貴方方の行動は既に破綻へと導こうとしています。このままでは正しい未来へと導く事は出来ません。私とジュリウスが紡ぎ出す新たな神話に不穏分子は必要とはしません。このまま新世界の創世をした際に、罪深き背信者として……後世に伝える事にしましょう」

 

「貴様の能書きなどどうでもいい。それよりもジュリウスを返してもらおう」

 

 ラケルの戯言に付き合うつもりは毛頭なかった。既に北斗は臨戦態勢へと入っている。事実上の北斗の間合いに入っているはずのラケルはそんな言葉すら取り合うつもりは無いのか、そのまま自分の言葉を告げていた。

 

 

「ジュリウスならほら……貴方方の声は届きせんよ。何故なら…私の想いをしっかりと受け止めて、今ではすっかり…」

 

 それ以上ラケルの言葉が紡がれる事は無かった。かなりの距離があったはずにも関わらず、しなやかな獣の様な動きで北斗は一気にラケルの首を跳ねようと肉迫していた。

 一瞬の出来事にロミオだけでなく、シエルやギルも気が付くまでに時間が必要だった。この距離であれば回避は不可能。白刃がラケル喉笛へと到達する直前だった。まるで見えない何かに遮られたかの様に神機の刃がラケルの眼前で停止する。僅かに感じた違和感を感じ取ったのか、北斗は繰り出した刃を引くと同時にその場から退避していた。

 

 

「あらあら……随分とせっかちな事。やはり貴方は『系の振る舞い』を乱す最大の因子でしか無いようですね。そんなだとこれから苦労しますよ」

 

「生憎とそんな心配は無用だ。お前の計画こそ破綻している。お前がやっている事は新世界の創世なんて物じゃない。ただの大量破壊をもたらすだけの存在だ。その言葉、お前にそっくりそのまま返してやるよ」

 

「そうですか。ここまで来てもまだ聞き分けが無いようですね」

 

 笑みを浮かべたラケルの目が僅かに狭まると同時に、先ほどとは変わって冷たい物へと変化していく。既に何かの準備が終わったからなのか、隣に移動したラケルはジュリウスが捉えられた物に手を伸ばしていた。

 ラケルに呼応するかの様にジュリウスを包むそれにオラクルが変化した黒い蝶が集まり出す。周囲の視界を無くすかの様な集合体から見えたのは、ラケルの願いを具現化した様なアラガミだった。

 

 

「この…螺旋の樹に……新たな秩序を実らす事を…阻む事は容認しません……貴方方はこれから新たな世界の創世の為の贄となってもらいます……その役割を全うして……もらいましょう」

 

 地響きと共に現れたアラガミはこれまでに最大級だとも割れたウロヴォロスをも凌駕する程の大きさだった。一歩一歩近づく度に大地が揺れる。全てを破壊せんとするその姿はある意味では人類を滅ぼそうとするこの地球の意志の様にも見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「螺旋の樹から激しい偏食場パルスが確認されました。これまでの観測史上最大級の物です。一部画面を切り替えます」

 

 会議室に設置されたモニターから見えるのは、ブラッドが突入してから大きく変貌した螺旋の樹だった。これまでの様な樹木の様な雰囲気は微塵も無くなっている。禍々しい塔の様にも見えるそれが、この場にいた全員に事実上の最終決戦である事を伝えていた。

 ヒバリの声が会議室に響き渡る。それと同時に、端末から送られたデータが一気に変動を始めていたからなのか、ヒバリの手が止まる事は無かった。

 

 

「いよいよ始まるか……頼んだよブラッドの諸君」

 

 榊の言葉と同時に、全員が二分割された画面へと視線を向けている。激しく動く各自の状況を示すバイタルの数字は止まる事すら許さないとばかりにめまぐるしく変化していた。

 

 

 



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第255話 最後の戦い

 

「貴方方ハここで永遠ノ反逆者ノ烙印を押さレルノです」

 

 どこか人工的な音声が周囲に響き渡る。目の前に現れたアラガミはラケルが祈りを捧げている様にも見えるが、その手足は人間のそれでは無かった。

 黒く獣じみた四肢はブラッド全員を殲滅しようとその巨体をものともせずに動き回っていた。周囲にはまるで纏わりつく様な黒い靄が常にかかっている。視界を遮るにしてはその量は少なく、またそれが何を意味するのかすら判断する時間さえ与えられる事は無かった。

 

 

「ここは私が」

 

 遠距離からのシエルの銃撃は豆鉄砲だと言わんばかりの防御能力にアーペルシーを手にしたシエルはジットリと嫌な汗が掌に滲んでいた。これまで数多のアラガミを屠ってきたバレットでさえも致命傷どころか掠り傷すら見えない。桁以外の能力に呆然としそうになっていた。

 

 

「シエル!足を止めるな!」

 

 北斗の叫びと同時に、シエルは我に返っていた。時間にして僅か1秒足らず。あまりにも大きい代償はシエルの足元から襲い掛かっていた。黒い靄が輪郭を地面に作ると同時に地中から大きな突起物の様にシエルを襲い掛かる。地面に描かれた紋様に不審を感じたシエルはその場から大きく跳躍していた。

 本来であれば正体不明の攻撃はこれで回避可能となっている。こここから反撃をしようとした瞬間だった。跳躍した着地点に再び円を描いた紋様が浮かび上がる。既に着地直前だったからなのか、回避行動は不可能だった。

 縦横無尽に襲い掛かるそれがシエルの足に赤い筋を作り出す。もし出てきた場所が悪ければ、確実に機動力を奪う程の威力はシエル以外のメンバーにも警戒を促していた。

 

 

「私なら大丈夫です!それよりも目の前のアラガミを!」

 

 先ほどの攻撃に毒が仕込まれていたのか、デトックス錠を飲みこみ戦線に復帰する。素早く動く巨体はある意味では周囲の状況の確認が必須だった。

 目の前のアラガミだけでなく、足元にすら気を配る必要がある。攻撃を食らうだけでなく、追加で毒の効果まであるのは厄介以外の何物でも無かった。

 

 

「ああまで堅いと、攻撃が効いているのかすら怪しいな」

 

「だからと言って何もしないよりはマシだろう」

 

 素早く動く事でギルだけでなく、リヴィも戦いながら漏れた感想は今の状況を表していた。シエルのバレットが効かないのであれば、ギルやリヴィの攻撃すら効果を発揮しているのかすら怪しい。一気に距離を縮めるチャージグライドやラウンドファングで中距離からの攻撃で終始していた。

 初見であるだけでなく、事実上の最終決戦。いくら特殊部隊とは言え、人類の生存をかけた戦いはあの時以来。ブラッド側にとっては決して良い条件が揃っている訳では無かった。

 

 

「ここは俺がやる!」

 

 既に準備が終わっていたのか、ロミオのヴェリアミーチは既に闇色のオーラを纏っていた。距離はまだあるが、相手は気が付いていない。ロミオが何を狙っていたのかを察知したのか、北斗はアラガミの顔面に向かって銃撃を行いながら誘導を開始していた。

 極大のオーラがアラガミに向けて放たれる。黒い前足に一刀両断と言わんばかりの刃が振り下ろされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「螺旋の樹内部の偏食場パスルは異常値を示しています。既にこちらの観測可能限界値を突破。オラクルの増加が止まりません!」

 

 会議室でのヒバリの声にその場にいた全員が画面を見ていた。偏食場パルスの異常値は既に観測できるであろう上限を突破したのか、計測が不可能となっていた。その一方で、他の画面を見ていたフランは違う意味での声を上げていた。

 

 

「螺旋の樹から発せられた偏食場パルスによって付近のアラガミがほぼ同時に活性化しています。周辺地域を警戒しているゴッドイーターはアラガミの急襲に備えて下さい」

 

 先程までは螺旋の樹内部の情報を映した画面は既に分割化されたのか、周辺地域を映し出していた。アラガミの反応は、まるで一つのうねりとなって螺旋の樹へと向かっている様にも見える。まるで従うべき存在を見つけたと言わんばかりのそれに、誰もが絶句していた。

 

 

《こちらリンドウ。アラガミがうじゃうじゃ出てきた。これから交戦に入る。ブラッドに通信が出来るならこっちの事は任せろと言っておいてくれ》

 

《こちらエイジ。アラガミの姿を確認。討伐任務を遂行する。螺旋の樹に近づけるつもりは無い》

 

「皆さん。無理はしないでください。ご武運を」

 

 螺旋の樹だけでなく、周囲の状況までもが活発化している状況はこれまでにも体験した事がある極東支部の諸君とは打って変わり、情報管理局員は青い顔をしている。自分達の常識で考えれば、確実にこの支部は壊滅する可能性が高いと考えていたが、榊やツバキの表情に変化は見られない。既に当たり前だと言わんばかりの態度に職員たちは徐々に冷静さを取り戻していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「堅いだけじゃなくて再生能力でもあるのかよ!」

 

 ロミオの一撃は右前足の関節を捉えていた。本来であればこの一撃で足が吹き飛ぶ程の火力を有する。直撃した当初は誰もがそう考えていた。関節の途中で止まる刃と同時に、まるで瘡蓋でも出来るかの様にオラクルがその周囲を囲み、先ほどの斬撃が無かったかの様にも見えていた。

 既に見た目は何も変わっていない様にも見える。異常な姿に果たして本当に討伐出来るのだろうかとの考えが脳裏を横切っていた。

 

 

「さあ、今カラ楽にしてアゲますよ」

 

 無機質な声が再び響く。既に攻撃の準備の終えたのかアラガミの目が赤く光る。いくら周囲を見ても攻撃する様な素振りはどこにも無かった。

 

 

「北斗!上だ!」

 

 他のメンバーよりも僅かに距離があったからなのか、リヴィがいち早く攻撃を察知していた。気付けば頭上に天輪が発生している。動いて振り切ろうにも天輪はまるで追尾するかの様に動く先々へと寄っていく。移動しながらも、よく見ればまるで何かがを溜めている様にも見えていた。その僅かな瞬間だった。

 溜めから攻撃へと移る瞬間は動きが鈍いのか、こちらの行動に付いてこない。そんな隙を狙って北斗はその場から大きく跳躍を開始していた。時間にして1秒にも満たない時間。その僅かな時間で天輪から地面に対し雷の様な光が降り注いでいた。

 

 

「まだだ!」

 

 横に大きく跳躍した先には白い丸太の様な物があった。これまで開けている場所にそんな障害物と成る様な物は無かったはず。北斗は頭上の攻撃に意識を向けすぎたからなのか、周囲の状況確認を怠っていた。

 白い丸太の正体は対峙していたアラガミの腕。横に大きく振るったそれはその場にあった物を容易く破壊する程の威力を誇っている。回避行動に意識を向けすぎた結果なのか、北斗は盾の展開が間に合わなかった。

 白い腕が北斗は弾き飛ばすかの様に大きな衝撃を与えると同時に何本かの肋骨が折れる様な感覚を与えながら10メートル程弾き飛ばす。まるでピンポン玉の様に北斗の身体が地面に叩きつけられ大きく弾んでいた。

 

 

「北斗!」

 

  シエルのアーペルシーから放たれた緑のレーザーが北斗に当たる。最悪の事態だけは回避できたが、それでも身体が受けたダメージは致命傷ともとれる程だった。

 現時点では誰も確認出来ないが、肋骨以外にもいくつかの臓器が破裂している。北斗の口からは赤い物が見えると同時に意識を失っているのか、反応すらしない。本来ならば今直ぐにでも駆けつけたいが、それもまた厳しいと思える状況にシエルは歯噛みしていた。

 

 

「ギル。弾幕張れるか?」

 

「ああ。任せておけ」

 

 リヴィの言葉にギルは何をするのかが予想出来ていた。最終決戦の前に発覚したリヴィの血の力。『慈愛』の効果は対象者が最悪の事態に陥っても回復を可能とする内容だった。元からジュリウスやロミオの神機を使用していた為に、自身にも何かしらの能力がある事は予想出来ていたが、改めて計測した結果がそれだった。

 致命的なダメージは即時撤退を余儀なくされる事が極東に於いては推奨されている。本来であれば北斗が受けた攻撃もそれに値するレベルだった。現時点でブラッドの誰もが気が付いていないが、既に螺旋の樹が外周だけでなく、内部も既に崩壊し、大きく変貌している。

 既に退路は事実上断たれている。仮に撤退しようと行動を起こしてもそれすらかなわない事実があった。

 

 

「北斗。しっかりするんだ」

 

 リヴィが北斗の身体を抱き起すと同時に柔らかい光が北斗の身体を包み込んでいた。致命傷を受けたはずの肉体はまるで時間を巻き戻したかの様に瞬く間に修復し、何事も無かったかの様に元に戻っていた。

 

 

「すまない」

 

「それは構わないが、次はもう無いぞ。油断はするな」

 

「ああ。次は問題無い」

 

 ギルが弾幕を張り、攻撃を集注させている間に北斗は今の状態を確かめるかの様に手足を動かしていた。各部に異常は感じられない。肉体の損傷が完全に回復されたからなのか、口に付いた赤い跡だけが先ほどの攻撃を表していた。

 改めて周囲の状況を確認する。既に各自が散開しているからなのか、アラガミの攻撃は若干単発気味になっていた。

 

 

「俺達も行くぞ」

 

 北斗の言葉にリヴィもまた改めて行動に起こしていた。今はまだ散開している為に損害は大きくないが、コンビネーション気味に攻撃をし出すと先ほどの自分の二の舞を演じる可能性が高くなる。未だ膠着状態が続く戦闘に求められるのは劇的な打開策だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今だ!ナナ、ロミオ先輩!」

 

「おう!」

 

「うりやぁあああああ」

 

 北斗の合図と同時にナナのコラップサーとロミオのヴェリアミーチがアラガミの左後ろ脚へと襲いかかっていた。北斗が囮になる事で2人の行動を悟られない様にし、その隙を叩く。高火力の二撃は激しい音を出しながら直撃していた。

 2人の攻撃は結合崩壊を誘発している。これまでの様に動き回っていたアラガミが初めて行動を止めていた。緊迫した戦闘における劇的な隙を逃す事無くシエルとリヴィ、ギルの神機は赤黒い光を帯びながらアラガミへと向かっていた。

 狙うはラケルの姿を模した顔面。三条の筋は狙いすましたかの様に顔面の中でも目の部分に走っていた。

 

 

「油断するな! 回復の状況が見えたら直ぐに離脱しろ!」

 

 北斗の声と同時に背後にいた2人も前へと回り込み、自身が放つ事が出来る最大の攻撃を繰り出している。ダウンしたとしても、まだ致命的なダメージを与えたとは思っていなかったからなのか、全員の意識は完全に止めを刺す為に向かっていない。

 バランスを崩した事による攻撃はこれまで均衡を続けていた天秤をこちら側に傾ける事に役立っていた。

 

 

「全員離脱!」

 

 再び北斗の声で全員が離脱していた。既にそれなりの攻撃を喰らっていたのか、アラガミの動きは先ほどに比べ緩慢となっていた。起き上りの際に振り払うかの様に腕を周囲に振り回す。既に離脱していたからなのか、その攻撃が直撃する事は無かった。

 

 

「北斗!気を付けて下さい。活性化している様にも見えます」

 

 シエルの言葉と同時に全員が警戒を一気に高める。巨体から繰り出される一撃がどれ程の物なのかは北斗が身を持って経験している。既にリヴィの能力が使えない以上、どんな攻撃がくるのかは様子を見る以外に存在しなかった。

 

 周囲に立ち込める黒い靄の様な物が黒い蝶へと実体を作り出す。まるでアラガミを護るのかと思った瞬間だった。光の弾丸の様に黒い蝶が次々と撃ち出される。ホーミングの特性があるからなのか、射線上に居なかったナナとロミオは慌てて盾を展開していた。

 激しい衝撃と共に連続して飛んでくるそれはかなりの威力を秘めているのか2人は僅かに後退していた。ギリギリで回避した北斗やギルは直ぐに距離を詰めるべく次の行動を起こし、シエルとリヴィは中距離で様子を見ている。僅かに傾いた天秤を元に戻すつもりは毛頭ない。遠距離で集中している所を一気に決める作戦に出ていた。

 

 近寄せまいと頭上に天輪が現れ、目の前には黒い蝶が弾丸の如き勢いで放たれる。北斗の攻撃力を警戒したからなのか、アラガミの攻撃は徐々に北斗へと集中していた。飛び交う攻撃はステップを左右に踏みながらギリギリの距離を見切り一気に距離を詰める。既に準備した赤黒い斬撃はアラガミの目の部分を突き刺していた。

 純白の刃がまるで血を吸うかの様に赤い物へと染まっている。手ごたえを感じたからなのか、北斗は無意識の内に抉る様に捻りを入れ、間髪入れずにその場から離脱していた。

 

 

「今です。北斗が作ったチャンスを無駄にはしません!」

 

 シエルのアーペルシーから放たれた銃撃は北斗が先ほど攻撃した場所へと寸分たがわず着弾する。既に強固な防御能力が失われていたのか、着弾と同時に幾つも小さな爆発を次々と起こし、周囲は爆発によって抉れた様にも見えていた。程なくしてアラガミの巨体が地面へと沈みこむ。正真正銘のダウンは全員の意識を一気に集中させる結果となっていた。

 ロミオの刃がアラガミの前足を右肩口から一気に斬り落とすと同時に、ナナの攻撃は左の前足を粉砕している。ギルとリヴィの神機は既に大きな黒い咢が胴体の部分を喰いちぎっていた。

 

 

「皆さん、一旦退避です!」

 

 断末魔とも取れる叫びはあげるが、シエルの目には未だアラガミの生命の灯が消えていない事を理解していた。ここまで大よそ三分の二が経過した程度。完全に気を抜くには至らないとの結論から、素早く退避命令を出していた。

 片足が完全に斬り落とされた事からアラガミは行動を起こす事は無かった。既に決戦の大半は終結へと向かい始めている。バランスを崩さない程度に立っているだけにしては、その雰囲気はやや異質な様にも感じていた。

 気が付けばこれまで白かった部分が、若干ながらくすんだ様な色合いへと変化している。これから何が起こるのかを警戒した瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 周囲一帯に白い閃光が走る。気が付けば北斗は半ば反射的に盾を展開していた。他の仲間に指示を出す暇すら与えられない。まさか自分達がアラガミに対し使う事があるスタングレネードの様な効果は北斗以外の人間を気絶させていた。閃光の後は誰もが地面に伏している。そんな絶対的な隙をアラガミは見逃す事は無かった。

 全員の頭上に天輪が生じているだけでなく、まるでタイミングを計ったかの様に地面からは黒い紋様が浮かび出す。一気に全員の命を奪い去るつもりなのか、無機質なはずのアラガミの口許は歪んだ様にも見えていた。

 このまま何もしなければ最悪の未来が確実に見える。今の北斗には逡巡する暇すら用意されなかった。

 

 

「貴様の思い通りにはさせん!」

 

 北斗は神機を構え一気に距離を詰めるべく走り出してた。既に特攻ともとれる行為に気が付いたのか、アラガミは北斗に向けて幾重にも攻撃を繰り出している。迫り来る攻撃を紙一重で回避しながら北斗は最短距離を走り出していた。

 全ての攻撃が背後で破裂音を出している。この時北斗は気が付いていなかったが、他から見れば攻撃がすり抜ける様にみ見える移動は脅威の一言だった。1秒ごとに距離は一気に縮む。これ以上は近寄らせないと言わんばかりにアラガミは自身の腕を再び振り払っていた。

 

 圧倒的な存在が北斗自身に迫り出す目視で確認が出来るそれに対し、北斗は既に受けた攻撃の事は頭の中から除外していた。

 不意打ちの一撃は確かに致命傷ではあるが、既に自分が感知している以上直撃する可能性は極めて低い。一陣の風の様な身のこなしで北斗は再びアラガミの眼前に迫っていた。

 再び白刃が先ほどとは逆の目に突き刺さる。事実上の致命傷とも取れる攻撃は仲間に向かった攻撃を霧散する事に成功していた。

 

 

「止めだ」

 

 白い刃はまるでそれが使命だと言わんばかりに自らの刃が怪しく光った様にも見えていた。本来であればブラッドアーツを叩きこむはずが、本来の様な赤黒い光が発生する事は無かった。

 これまでと違った白い閃光が神機の刃を包み込む。袈裟懸けに顔面を斬り裂いた事により、アラガミは断末魔を上げながらその巨体は大きな音を立て地面へと沈みこませていた。

 

 

 



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第256話 激闘の後

「やった……のか?」

 

 先ほどの攻撃から回復したギルの目に飛び込んで来たのは先ほどまで戦っていたアラガミだった。既に顔面は両目が抉れた様に破壊され、斜めに大きな斬撃の跡が残されている。既に事切れた様にも見えたが、警戒を緩める様な事はしなかった。

 

 

「さあな。どうだシエル?」

 

「……恐らくは大丈夫かと……ですが……」

 

 シエルは答えあぐねていた。何故ならば自身の能力でもある『直覚』から感じるそれは間違い無くアラガミの討伐を完了するだけの状況しか感じ取れない。しかし、『直覚』による感覚ではなく、自分の目に映るアラガミは時間が経過すれば再び復活する様な雰囲気も感じられていた。

 感覚か経験か。その不適合な事実がそれ以上の言葉を出す事を許さなかった。全員が改めて警戒をしながらアラガミから意識を背ける事は無い。いつでも行動を起こせる様な態勢を保ちながら様子を伺っていた。

 

 

「全員散開!」

 

 北斗の叫びと同時に全員がその場から飛び去ろうとした瞬間だった。突如として復活したアラガミが最後の一撃とばかりに腕を大きく振りかぶり、そのまま地面へと叩きつける。単純な攻撃にしては悪あがき共取れるはずの攻撃はこの場にいた全員の想定を上回っていた。

 これまでの様に攻撃の意志を持った突起部が再び全員へと襲い掛かる。本来であれば回避できるそれはどこまでも執拗に追いかけてくる。まるで捕獲する為にあるかの様に回避先まで及んでいた。

 

 

「しまった!」

 

「くそったれが!」

 

「きゃああああ」

 

「くっ」

 

「何だよこれ!」

 

「ううっ」

 

 突起物は全員を張り付けた様に捕獲していた。既に戦いの後だった事が影響しているのか、いくら拘束を解こうとしても一向に解ける気配は無い。まるでその状況を見越していたのか、アラガミは弱り切った身体を引きずりながらジュリウスの下へとゆっくりと進む。今の北斗達に出来る事は抵抗しながらも、その状況を見ている事だけだった。

 先ほどの様な素早さが失われていたのか、アラガミはゆっくりとジュリウスの元へと進んでいく。奇しくも北斗が両目を潰した事により、まるで血の涙を流している様にも見えるそれは既にこれまでに感じた異質な雰囲気は失われていた。

 

 

「ジュリウス……今日カラ私ガ……貴方ノ…オ母サン……デスヨ」

 

 アラガミの声がジュリウスの下に届く。当時の記憶が蘇っているのか、それとも自身の記憶が混濁しているのか誰にも判断する事が出来ない。既にアラガミはジュリウスを手中に収めていた。

 今まで抵抗するかの様にジュリウスと包む被膜の様な物が鈍く光るも、アラガミはそんな事すら気にしないとばかりに自身の口元へと近づける。それが何を意味するのかは直ぐに理解出来ていた。

 

 

「拙い、あれを止めるんだ」

 

 リヴィの言葉の意味を全員が理解するが、拘束された状況から脱出できる気配が誰にも無い。近寄ったアラガミは果実をもぎ取るかの様にジュリウスを取り出し、近くへと寄せた瞬間だった。

 

 

 世界の終焉が一気に始まっていた。

 

 これまでに感じた事が無い程の悪意の塊の様な漆黒のオーラが大地から天空へと突き抜けるかの様に激しい噴流を見せていた。終わりの始まり。終末捕喰を管理し、特異点となったジュリウスが無くなった事により力の均衡が一気に傾く。

 既に対処出来るレベルを大きく逸脱していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「螺旋の樹にあった偏食場パスルが暴走しています。このパターンは……終末捕喰と同じです」

 

 ヒバリの力無い声がこの場の全てを表していた。画面上に見える螺旋の樹の頂上からは、これまでに見た事が無い様なドス黒い何かが噴出し、それが上空を塗り替えるかの様に広がっている。以前にも観測した終末捕喰のデータと合致している以上、疑う余地はどこにも無かった。

 半ば呆然としながら画面を見ている職員は無慈悲な現実を受け入れる事が出来ないからなのか、涙しその場で大きく崩れていた。

 

 

「まさか、この目で人類滅亡の瞬間を見る事になるとはね……」

 

 榊は自身のメガネを一旦外しガラス面を拭いた後、再びメガネをかけて会議室に映す画面を眺めていた。以前に話した人智を超えた現象が目の前で行われている。エイジスで見た様なそれとは明らかに違う現象に、違う意味で考え事をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───このまま見過ごす事が出来るのか

 

 ───自分のやるべき事はそれだけか

 

 

 北斗は目の前で起こった現象を見ながらも拘束を解くべく奮闘していた。ガッチリと捕まえている突起物が揺らぐ雰囲気はどこにも無い。絶対にこの場から動かすつもりは無いと言わんばかりの強度に北斗は苦戦していた。

 目の前のアラガミはジュリウスを包んだ被膜を破壊し、人形の様になったジュリウスを自身と結合させようと胸の細胞を開き、コアの様な物の傍へとしまい込む。これまでに感情が一切感じられなかったはずのアラガミの表情はどこか違う様にも見えていた。

 

 

 ───僅かで良い。俺に力を

 

 ───この身がどうなろうと必ず救い出す

 

 体内にある自分のオラクル細胞を燃焼し、エネルギーへと転換するかの様に北斗は全身の力を総動員していた。

 徐々に高まる自分の力が両手足へと集まり出す。その瞬間だった。拘束していたはずの突起物に亀裂が入る。アラガミの意識が完全にジュリウスに向いたからなのか、それとも自身の力の結果なのかは分からない。しかし、今はそんな事を考える暇は無かった。瞬時にして拘束を外すと同時に一気にアラガミへと距離を詰めた。

 

 

「このままやらせるか!!」

 

 雄叫びとも取れる声を出しながら北斗は迫り来る腕を回避し、そのまま一気に胸の部分へと距離を詰める。既に体内にジュリウスが摂取された以上、一刻も早い取り出しが条件となる。既に北斗は自分が考えた行動ではなく、本能の趣くままの行動に出ていた。

 鍛えられた腕力がアラガミの細胞を徐々にめくり出す。開いた先に居たジュリウスをそのまま一気に引き摺り出す事に成功した。

 

 

「ヨクモ…ヨクモ…サイゴ…マデ……」

 

 悲鳴とも呪詛とも付かない声が周囲一帯に響き渡る。自身の体内に閉じ込めたはずのジュリウスを無理矢理引きずり出した事により、これまで以上の多大なダメージがアラガミを襲っていた。

 苦悶の表情を浮かべながら巨体が再び地面へと沈みこむ。先ほどとは違い、そのアラガミから生気を感じる事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかこうやって会える日が来るとはな……だが、喜んでばかりもいられないようだな」

 

 ジュリウスの言葉に改めて現状がどうなっているのかを理解させられていた。既に終末捕喰が敢行され、周囲一帯は昼間にも関わらず深夜の様な色を見せている。いくら何も分からないとは言え、あまりにも異質すぎる現状に確認せざるを得なかった。

 

 

「ジュリウスがこの場に居る為に既に大よその事は分かるとは思いますが、既に特異点が消滅した事により終末捕喰が進行しています。特異点を失った終末捕喰は『再生無き永遠の破壊』をもたらすとラケル先生は仰っていました」

 

 つい先ほどまで戦った相手ではあったが、やはり自分の人生に於いてかなりの影響を及ぼしたからなのか、シエルはどこか申し訳なさそうな表情を浮かべながら話を進めていた。それはシエルだけではない。ロミオやナナ、リヴィにとっても同じ事でもある。いくら大罪人だと口にした所で、そう簡単に気持ちが切り替わる訳では無かった。

 何かしらの影響があったからこそ今に至る。シエルの表情がその場に居た殆どの人間が持った感情でもあった。

 

 

「そうか……どうりで……俺にもっと力があれば…」

 

「ジュリウス。今はそんな事は後だ。後悔なんていつでも出来る。生きてアナグラに戻ってから嫌になるだけやれば良い」

 

「ああ。北斗の言う通りだ。後悔なんて物は生きて戻ってからやれば良い。今はそんな事よりもやるべき事はあるはずだ」

 

 自身が招いた結果ではあるものの、ジュリウスにしても完全に自分だけの意志でこれまでやって来た訳では無かった。ラケルの甘言に乗った事から今に至るまでの事実は既に覆す事すら出来ない。仮に謝罪をしたいと考えても、それはこの地球が無事であればが大前提の話でしかなかった。

 2人のやりとりを見ながらも終末捕喰そのものが停止する事は無かった。

 

 

「だが、ここから挽回するにはどうするつもりだ?」

 

「それについてなんだが、ロミオ先輩の力で何とか出来ないか?」

 

 リヴィの答えだとばかりに北斗が出した言葉に全員の視線がロミオへと向いていた。ここに来るまでにも散々使った『対話』の能力がどれ程の効果を発揮してきたのかは考えるまでも無い。事実上の良案とも取れる内容に誰も意義を唱える事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、やるぞ!」

 

 ロミオの言葉と同時に地面にヴェリアミーチを勢い良く突き刺す。それが何かの合図となったのか、その場にいた全員が次々と神機の柄に手を乗せていた。既にこの場でやれる事はタカが知れている。だったら今出来る事をやるだけとばかりに全員の心が一つになっていた。

 それぞれが自身のオラクルを活性化させ、ヴェリアミーチへと送り込む様に力を込める。まるでそれに呼応するかの様にゆっくりと光を帯び始めていた。全員を囲むかの様に赤黒い光が渦を巻く。最後に手を添えた北斗によって赤黒い光は黄金の光へと昇華していた。

 心臓の鼓動が何時も以上に早くなるのと同時に、まるで全身の力が一気に抜けるかと思う程に脱力感が襲い掛かる。気が付けば以前の北斗が全身に黄金の光を纏っていた物がこの場全部を支配していた。

 

 

「ここ…は」

 

 北斗の視界に映った光景はこれまでに見た事が無い場所だった。白い闇とも取れる空間に居るのは自分だけ。幾ら周囲を見渡してもそれ以外の物は何も無かった。

 先ほどまでは螺旋の樹の頂上に居たはず。あまりにも違い過ぎる光景に、北斗はただ茫然とするだけだった。

 

 

「これが貴方方が出した答えですか。荒ぶる神との対話をする事により事態を収束させる。ここまでは及第点でしょう。しかし、その後貴方方はどうするのですか?人類開闢以来、歴史は繰り返されます。仮に今だけが良ければ問題無いとでも考えているのですか」

 

 どこかラケルに似た声が北斗の耳に届いていた。確かに自分達が今やっている行為によって世界が良い物に変化するのかは誰にも分からない。これが元で今後の状況すら判断出来る材料はどこに無かった。

 終末捕喰を回避したからと言って何かが大きく変わる訳では無い。事実上のラケルの残滓は北斗へと囁き続けていた。

 

 

「そんな事は俺には関係無い。決められた未来があるならばそれに従うのか、抗うのかはその人間だけが持つ特権だ。少なくとも貴様の様にただ殺戮と破壊だけが目的なのはアラガミと同じだ。所詮は自分の手の中で掴める者しか護れない。そんな大層な事は知らん」

 

 その瞬間だった。今までに無かったはずの自分の神機が右手に握られていた。存在を主張するかの様に『暁光』の純白の刃が鈍く光る。まるで自分の腕の様に声が聞こえた方向へと振るっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかこうなるとは……」

 

 会議室のモニターを見ていた榊は思わず呟いていた。螺旋の樹の頭頂部から発せられた漆黒の光がまるで引鉄となったのか、螺旋の樹そのものを崩落させていく。周囲にまで影響を及ぼすかと思った瞬間だった。黄金色に輝く光が全てを浄化させるかの如く飲みこんでいく。先ほどまでの破壊をもたらすそれは跡形も無く消滅していた。

 

 

「どうやらあついらがやったみたいだな」

 

 気が付けばいつの間にか会議室に来ていたソーマが一人呟いていた。既に状況を確認しようにもアナグラ周辺に設置されたモニターは探索が不能となっている。詳細の確認とばかりに通信をしようにも磁気嵐が起きているのか、ノイズばかりで確認出来ないままだった。

 時間がどれ程経過したのかすら記憶していないほど映し出された光景は人類の歴史の中でも異質な物だった。人類が人類と認識出来る様になってから幾多の戦争はあったが、それはあくまでの自分達の都合の為でしか無かった。しかし、今目の前で起きた事実は紛れも無く人類そのものを消滅させようと明確な意志がある物に対する対抗措置。

 まばゆい光が広がりきったのか、徐々に収束し始めていた。

 

 

「すみません。やはり機材の故障か消滅に伴い周囲の状況は確認出来ません」

 

 光が収束に向かう頃、ヒバリの声で漸く状況が追い付き始めていた。しかし、肝心の観測機器は何も反応を見せる事は無かった。既にブラッドの生存状況すら判断出来る物がない。フランも何とか安否だけでもと色々と手段を講じているが、反応は一切無いままだった。

 

 

「あれは一体?」

 

 光が完全に収束した先はつい先ほどまで禍々しい姿でそびえ立っていたはずの螺旋の樹が完全に消滅し、まるでその周囲の物を寄せ付けない様に山の様な物がそびえ立っていた。腕輪による生体反応すら確認出来ない状況は何を意味するのか、その場にいた誰もが理解していた。

 

 

「ヒバリ君。救護班に連絡。直ぐに飛び立てる様に連絡しておいてくれたまえ」

 

「了解しました」

 

 この場で冷静な判断を見せたのは榊だった。科学者である以上、先ほどの現象が何を意味するのかは理解している。まともに考えればその場での生存の可能性は限りなくゼロでしかない事も理解している。しかし、これまでに見た極限の中での奇跡とも言える結果を知っていたからなのか、ヒバリに対して救護班の要請を出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………俺は…そうだ。皆はどうしたんだ?」

 

 北斗がゆっくりと目を覚ますと、真っ青な空が最初に目に飛び込んで来た。雲一つない青空は今の状況を表している様にも思えていた。ギリギリの中で選んだ選択肢だけでなく、あの真っ白な空間の中で聞こえた声。それが何を意味し、どんな結末を迎える事になったのかは考えるまでも無かった。

 自分の身などどうなっても良いとまで思い、渇望した力がその結果をもたらしたのであれば本望だと考えたのか、北斗はそれ以上考えるのを放棄し、今はただ目の前に移る景色を眺める事にしていた。

 周囲を見渡せば大地と川が流れ、遠くには山脈も見える。極東に来るまでに何度も見た事があったはずの景色ではあったが、どこか違う様にも見えていた。

 

 

「このまま暫く寝るか」

 

 周囲を見る事に飽きたのか、少しばかり休憩したい気持ちが勝ったのか、草原の中で横たわると同時に目を閉じていた。

 

 

「……斗。北斗、起きてよ」

 

 誰かが自分の身体を揺すっているのか、身体がかなりの勢いで動いている。

 覚醒に近づきつつある意識の向こうでは呼びかけている少女がどこか泣きそうな声で自分の名前を呼んでいる様にも聞こえる。

 夢ではなく現実なのか、それとも自分の都合の良い幻覚が引き起こした感覚なのかは分からない。疲れたから寝たいと思い寝ているだけにも関わらず、一体何がそんなに重大なのかが分からない。このままずっと揺すられると寝る事すら困難でしかない。であれば一度目を開けた方が良いだろうと目覚めた瞬間だった。

 

 

「あ……」

 

 北斗の目に飛び込んだのはナナの顔。あまりにも至近距離過ぎた為に、お互いが目を見開き固まっている。一体何がどうなったのかを考えるよりも疑問だけが先に出ていた。

 

 

「どうしたんだ?」

 

「あ……いや…その…」

 

「北斗がここで倒れていたのでナナさんが慌てて起こしたんですよ」

 

 未だに言葉が上手く出ないナナの言葉を代弁するかの様にシエルが状況を説明していた。気が付けば全員が北斗だけを見ている。自分はただ疲れたから眠っていただけに過ぎないはずが、どこか全員が安堵の表情を浮かべていた。

 

 

「そうか。俺はただ疲れたから、ひと眠りしただけだったんだが」

 

「あの激闘の中で今に至れば誰でも心配します。ナナさんだけが心配してた訳ではありませんから」

 

「そうか。すまなかったな。で、ここは一体?」

 

「ここは恐らくは螺旋の樹があった場所だろう。あの時点で終末捕喰は遂行されていた事から、ここは再生された世界だろう」

 

 ジュリウスの言葉に北斗は改めて周囲を見渡していた。先ほど目に飛び込んだ感覚はこれまでずっと見てきたオラクル細胞に汚染された世界。確かに自然の風景は綺麗ではあるが、やはり目の前に見える風景とはどこか違う様にも思えていた。事実と記憶が混同している。再生された世界であれば何となくその意味が分かった様な気がしていた。

 

 

「って事は結局は阻止出来なかったのか?」

 

「それは違う。調査した訳では無いから詳しい事は言えないが、ここから見える山は少なくとも自然界では絶対に起こり合えない様な形状をしている。これは推論だが、螺旋の樹の外縁の様な物だと思う」

 

「と言う事は、終末捕喰は限定的に遂行されたと言う事でしょうか?」

 

「あくまでも推論だが。恐らくはそうだろう」

 

 シエルの言葉にジュリウスは、あくまでも可能性である事しか告げる事は出来なかった。あの瞬間から今に至るまでに実際にどんなプロセスを踏んだのかは誰にも分からないままだった。

 いくら記録を確認しようとしても気が付けば全員の右腕にはあの黒い腕輪が消滅している。生体反応も確認出来ない今、やれる事は何一つ無かった。

 

 

「そんな事よりも、極東支部が無事だったら私達ってどうやって帰るの?腕輪に何も無いんだよ」

 

「ナナ。何か聞こえないか?」

 

「えっ?」

 

 僅かではあるが、ヘリの音が徐々に大きくなりだしていた。最初は豆粒の様にも見えた機体が時間と共に大きく成り出す。何かを勘案した結果だったのか、ヘリもこちらの人影を発見すると同時に機体の高度が下がりだしていた。

 

 

「よし、詳しい事は榊博士に任せる事にして、取敢えずは無事の報告だな」

 

 北斗の言葉に全員の視線はヘリへと向けられていた。

 

 

 



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第257話 それぞれの目標

 

「えっと……何だか大変な事になってるような……」

 

 ブラッドがアナグラへと戻るとロビーは既に喧噪に包まれていた。以前とは違い、明らかに人類が終焉を迎える様な状況を目にした住民からの問い合わせにより、受付は事実上パンクしていた。

 ヘリに搭乗した直後はまだ然程大きな問題になっていなかったが、時間の経過と共に、周辺に住む住民からの問い合わせは一気に増えていた。既にロビーだけでなく、会議室にも回線を引く事により、事態の収束を謀るべく、一般職員が総出で対処する事になっている。激闘を終えたブラッドを出迎える者は皆無だった。

 

 

「ナナさん。お疲れ様です。すみませんが、今こちらは外部からの対応で手が回らない状況になっています。既には話は通っていますので、そのまま支部長室へお願いします」

 

 帰投したナナを視界にとらえたフランはすぐさま最低限の言伝だけを残し、すぐに外部からの回線に切り替えていた。気が付けばフランだけではない。ヒバリやウララ、テルオミまでもが同じ様な状況となっていた。

 視界には入るが言葉を話す暇すら無いのか、ヒバリ達もブラッドに対し目礼をするだけに留まっていた。切れた瞬間に繋がる回線は一向に停まる気配はどこにも無いままだった。

 

 

「ブラッド隊入ります」

 

「任務お疲れ様。早速で悪いが、君達全員は一旦メディカルチェックを受けて貰うよ。既に腕輪が消失しながらもアラガミ化していない時点で何となく結果は想像出来るが、一応は規則だからね。念には念を入れさせて貰う事にするよ」

 

 既に報告が届いていたからなのか、榊は幾つかの書類を用意していた。ゴッドイーターの腕輪が消失する場合、残された道は一つしかない。

 これまでにデータとして持っている数値からすれば、全員が当の前にアラガミ化しているはずだった。しかし、今のブラッドにその兆候は感じられない。終末捕喰が敢行された結果と、これまでの推論からすれば大よそ問題らしい物は無いと判断した事実があった。

 

 

「皆さん、お疲れ様でした。でもその前にこちらにどうぞ」

 

 弥生の言葉に全員が改めて検査の場所へと移動する。全員が退出した事を確認した榊はこれまで自身の考えを纏めた内容のレポートに改めて目を通していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「疲れてる所、急に検査してすまなかったね。今回の件で判明した事実がある。その前に、ジュリウス君。よく戻ってきてくれた。僕としても嬉しい限りだ」

 

「ありがとうございます。しかし、今回の検査は一体?」

 

 全員の検査が終わると同時に、改めて榊から招集がかかっていた。既にロビーの喧噪は静まり、何時もの状態へと戻りつつある。元々詳しい状況を説明された訳では無かった為に、今の北斗達は榊の話を聞くしか無かった。

 

 

「実は今回君達を直ぐに検査したのは、その右腕の事実についてだよ。知っての通り、神機使いは体内に偏食因子を適合させる事によって神機を使う事が出来る。本来であれば君達はとうの前にアラガミ化していないとおかしいんだ」

 

 榊の言葉に改めて腕輪が無い事実を再認識させられていた。あの時点でも腕輪が無い事が話題には上がったが、かと言って何かが分かった訳では無い。元々アナグラに帰投して榊に確認しようとした矢先の結果であった事から、ブラッド全員が緊張感に包まれていた。

 

 

「まあ、そんなに畏まらなくても大丈夫だよ。結論から先に言おう。君達の体内からは本来であれば有るべきはずの偏食因子が完全に消滅していた」

 

「偏食因子が……消滅…です…か」

 

 驚愕の事実に何とかそれだけの言葉を発するのが限界だった。これまでの常識から考えれば、一旦体内に摂取したオラクル細胞はの躯体が朽ちるその時まで消滅する事はありえない。事実、退役したゴッドイーターは通常の物とは違う物の、やはりこれまでの様に偏食因子を投与し続ける事が前提となっている。

 人間の体細胞に比べ、摂取したオラクル細胞はアポドーシスとしての役割を果たす事により時事上の無害化されてる。しかし、今回の結果はこれまでの常識を打ち破る結果となった事から改めてその事実確認が必要となっていた。

 

 

「君達に関してなんだが、恐らくはあの時点で既に終末捕喰……分かり易く言えば、『再生無き永遠の破壊』が敢行されているのは知っての通りなんだが、恐らくはロミオ君の『対話』の力で本来の終末捕喰に変化したと同時に、君達はその中心部で一度生命の再分配を受けた可能性が極めて高いと考えている。推論ではあるが、恐らくは事実だろうね。

 何よりも君達の体細胞は産まれたての赤ん坊と同じだったからね」

 

 榊の言葉に誰もが絶句していた。榊の推論が正しいと仮定した場合、ブラッドのメンバー全員が一度死亡し、再び生命を授かった事になる。時間にして刹那の出来事であればその認識は難しいのかもしれなかった。

 

 

「とにかく。今はまだ極東支部そのものが混乱しているのもまた事実。君達の今後については我々としては制約を付けるつもりもなければ要望もしない。一旦リセットされた事実は現実だからね。

 それとリヴィ君。君の処遇に関しても同じだ。既にフェルドマン局長からも話は聞いている。今回の件を持って君に今後どうするのかの選択肢を与えたいとの事だ。言っておくが、今回の件は決して情報管理局は君をパージした訳では無いからね」

 

 榊の言葉に全員が今の現状を改めて思い出していた。今回の作戦の完了まではリヴィはブラッドには一時的な参入でしかなく、籍は情報管理局のままだった。螺旋の樹の崩壊により作戦は終了し、理論上は情報管理局への帰属となる。しかし、リヴィは文官ではなく武官。偏食因子が無い今の状況では何もする事が出来ないままだった。

 

 

「君達が自分達の力で勝ち取った結果だ。我々としてはその意志を尊重する事にするから、気兼ねする必要は無いよ」

 

「分かりました。どうするかを相談した結果を改めて伝えます」

 

「そうだね。これからの人生だ。しっかりと話し合ってほしい」

 

 唐突に告げられた事実が何を意味するのかは何となく理解はしたものの、自分の常識の枠にはまらない結論に誰もが即答する事は出来なかった。これまで戦って来た経験はあれど、改めて自分の人生の身の振り方を考えた事は無い。一度は決めた未来が一瞬にして白紙となった今、改めて何をすべきなのかを考えるには時間が必要だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れさん!話には聞いてたけど、やっぱ本当だったんだな」

 

 支部長室からラウンジへ行くと、既に色々と話を聞いていたからなのか、コウタが真っ先に声をかけていた。既にラウンジに居る人間の殆どがブラッドの右腕に視線が動く。あまりにも当たり前にあったそれが突如として無くなった事実に誰もが好奇心を隠さずにいた。

 

 

「何だか変な感じですけどね」

 

「まあ、詳しい事は分からないけどさ、ロミオの血の力の結果なんだろ?何はともあれだよ」

 

 いつものコウタの言動に誰もが色んな意味で安心していた。あの光景を見ていたのは一般人だけではない。螺旋の樹の周辺で戦っていた全てのゴッドイーター全員があの光景を見ていた以上、何かしらの影響があるとまで推測されていたからでもあった。今回の件で何かしらのアクションが起こる可能性は否定できない。ある意味、恐れや心配する部分も存在していた。しかし、いざ目にすれば何も変わらい何時ものまま。ただの日常がそこにある様にも見えていた。

 

 

「後は今後の身の振り方を考えて欲しいと言われたので、どうした物かと」

 

「ああ……だろうな。腕輪が無いんじゃ神機も使えないしな。でも、時間はまだあるんだし、今回の作戦は結構ブラッドに取ってはハードだったから休暇だと思ってやりたい事やってみるってのは?」

 

 何時もの様にムツミは各々にジュースやクッキーを出していた。幾らブラッドがこうなっていても他の人間までもがそうではない。何時もの様に出動する人間、帰投する人間が代わる代わるラウンジを出入りする。腕輪が合っても無くても何も変わらない空気が流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうゴッドイーターじゃないんなら無理にしなくても良いんじゃないのか?」

 

「いえ。これは今に始まった事じゃないので」

 

 訓練室では何時もの光景が繰り広げられていた。訓練室から聞こえる音は何時もと何も変わらない。激しい剣戟の音はこれまでと同じだった。

 

 

「そうか。なら良いが……これまでと同じ感覚だと痛い目を見るから気を付けるんだな」

 

「もう味わってますから大丈夫です」

 

 ナオヤの言葉に北斗は全身から汗を噴き出していた。これまでの様にゴッドイーターとしての超人的な肉体は既に無く、今は教導教官のナオヤと同じレベルの肉体である為に、ナオヤは僅かに加減をしていた。

 

 何時もの様に厳しい攻撃を入れると肉体の回復に時間がかかる。ゴッドイーターであればそれなりの攻撃ではあるが、一般人ともなれば致命傷になり兼ねない。急所を微妙に外す事により打ち身程度の怪我に止めていた。

 腕輪が外れてから時間は既に2日が経過していた。当日と翌日は何かと手続きの関係上、時間はあっと言う間に過ぎ去っていったものの、3日目ともなればやるべき事は既に無くなっていた。これまでの様に討伐ミッションが1日の大半だったものの、今は何もする事が出来ない。それは北斗だけでなくギルやロミオも同じだった。

 ジュリウスに関してはまだ何かやるべき事があったのか、色々とやっている様だが、それ以外はただ漫然と過ごすしかない。外部居住区へ出るも、やはりやる事が特に無かったからなのか、結果的には何時もと同じ教導を行っていた。

 

 

「そうか。こっちはそろそろ時間だ。神機の整備が待ってるからな」

 

「そう言えばギルはどんな感じなんですか?」

 

「今の所は整備士見習って感じだな。やっぱり実戦に出ているだけあってアップデートの際の方針を決めるには十分って所だな」

 

 ギルはこれまでにもやってた神機の整備に少しづつ傾倒していた。元々神機に対してのセンスがあったのか、今は何かと自分の経験則から判断し、新人の神機整備の手伝いをしていた。

 技術面は仕方ないが、それでも調整などの簡易的な物から徐々にやり出している。それが自分の進むべき道なのだと考えた結果なのか、本人もやる気がある様だった。

 

 

「ゴッドイーターじゃなきゃ何やるのかも分からないってのも案外と面倒な物だな。で、今後はどうするつもりなんだ?」

 

「俺はもう決めてます。ただ、他のメンバーがどうするのかは分かりませんが」

 

「お前の人生はお前の物であって誰の物でもない。自分でやるべき事が決まってるなら、それに向かって進めば良いだけだ。一々気にする必要は無いぞ。

 それと刀身パーツに関しては役目を終えたからああなったんだ。今はまだ開発中だが、何かしら考えがあるのもまた事実だ」

 

 ナオヤの言葉通り、北斗の神機の刀身パーツでもある『暁光』は突如として砕け散っていた。最終決戦前に整備した際にはクラックすら無かったパーツが、まるでその役目を果たしたと言わんばかりに砕け散った記憶はまだ記憶に新しかった。

 これまでの幾多の困難な状況を支え、最後には思念体の様な物を斬り裂いたそれは既に北斗自身の一部の様にも思えていた。そんな自身の相棒とも取れていた物。劇的な最後は北斗に驚愕を与えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりここだったんだね。さあ、さっそく試食してもらおうかな」

 

 訓練室に飛び込んで来たのはナナとシエルだった。特別やるべき事が無いからと、兼ねてより一度やりたかった料理を改めてムツミから習っていた。皿の上には何か得体のしれない物が乗せられている。少し前に口にした際には思わず顔色が悪くなった事が思い出されていた。

 

 

「参考に聞くが、ナナは味見した?」

 

「もちろん。私の食べた物はちゃんとしてたよ」

 

 北斗はナナの言い回しに何か引っかかる物を覚えながらも皿に乗せられた物を見ていた。以前に口にしたのはクッキーらしき物。あの味を思い出したのか、そこから先に伸びるはずの手が動かない。本能が危険だと察知している様にも思えていた。

 動かない北斗を見ながらもナナはその皿を戻す事はしない。膠着状態が続くかと思われた瞬間だった。

 

 

《外部居住区の第7防壁よりアラガミが侵入。速やかに防衛班及び現在待機中のゴッドイーターは現場に向かって下さい》

 

 フランの声が訓練室に響いていた。本来であれば北斗達に真っ先に通信が来るが、神機を所有していない北斗達は既に携帯端末は所有していない。訓練室の外ではその放送を聞いた何人かが走り出していた。

 

 

「そっか……私達は何も出来ないんだね」

 

「……仕方ないさ。俺達が行った所で足手まといになるだけだからな」

 

 既に試食する様な空気は無くなっていた。館内放送にアナグラの内部の空気がざわつき出している。既にナオヤも自分のやるべき事があるからなのか、この場には北斗とナナ、シエルの3人だけだった。

 

 

「北斗、ナナ。シエルもここだったか。少し時間があるなら俺と一緒に支部長室まで来て貰えないか?」

 

 やるせない空気を破ったのはジュリウスの声だった。ジュリウスは復帰後何かを色々と調べているのか、他のメンバーと別行動を行う事が多くなっていた。これまで自分が何をやったのかを理解し、何か出来る事が無いのかを模索している様にも見えていた。

 それは誰もが気が付いていたが、ジュリウスの心情を考えればそれ以上の事は何も言えない。そんなジュリウスからの言葉に何を意味するのかは2人には理解出来ないままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっ。北斗君とナナ君も来たんだね」

 

 支部長室に居たのはリヴィとロミオだった。ジュリウス達が来てからギルが遅れて入ってくる。一体何をするのかを誰も聞かされていない状況に、全員が戸惑いを見せていた。

 

 

「実は、今回来て貰ったのは今となっては新たに認定された聖域に関する事だ。螺旋の樹の跡地として既に調査を進めているんだが、その件に関して俺達も加わろうかと思う」

 

「ジュリウス。急にどうしたの?」

 

「あの後俺は自分に出来る事は何なのかを考えてきた。今までアラガミを討伐する事だけしか出来なかった自分が今出来る事は限られている。だとすれば、今後あそこが果たす役割は大きい物になるのは間違い無い。だから俺は改めて何か出来ないかを考えていたんだ」

 

 

 突然のジュリウスの発言に誰しもが驚いていた。何かをやっているとは知っていたが、まさかそんな事を考えているとは誰もが思っていなかった。

 改めて出た言葉に新たな目標が出来た様にも思える。それが何を意味するのか、またそれがどんな結果をもたらすのかは考えるまでも無かった。

 

 

「榊支部長。我々も調査に関しての動向の許可を願いたい」

 

「今は人手が足りないのもまた事実。君達さえ良ければ我々は異論は無いよ」

 

「すまんが、これは俺の我儘だ。それぞれが自分の見つけた道があるならば止める事はしない。だが、僅かでも力を貸してくれるなら俺は嬉しい」

 

「誰もそんな事考えてないって。何を今さらそんな事気にしてるんだよ」

 

 ジュリウスの言葉に対し、ロミオが真っ先に回答を出していた。今後はどうするのかは各自の人生である事に変わりはない。それがどんな結末をもたらすのかは現時点では誰にも分からない。僅かに出来た目標に対し、誰も異論を挟む者は居なかった。

 

 

 



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最終話 新たな人生

 

「改めて見ると、ここは凄いよね」

 

「そうですね。以前もでしたが、ここはやはり緑が濃い様にも思えます」

 

 ブラッドのメンバーがヘリから降りると、既にいくつかの調査機械が各所に設置されていた。螺旋の樹の崩壊後、フェルドマンは本部に対しいち早くこれまでの経緯を説明していた。

 螺旋の樹の崩壊後に起こった事実とその結末。そしてその後の管理に関しての見解を次々と報告していた。当初は首脳陣の中には極東に全てを一任させるのはいかがなものかと言った話も出たが、これまでの経緯の中で情報管理局の失態をフォローした際の結果である事をそのまま伝えていた。

 本来であれば自分の失態を態々報告する必要性は無かった。本部での失態は事実上のフェンリル内部での降格を意味するだけでなく、最悪はパージされる可能性も秘めている。しかし、火のない所に煙は立たない。既に一度はリヴィが白紙の状態になった事で情報管理局からの脱退と、今後の経過観察を鑑みると、下手に誤魔化すよりも開き直った方が得策であるとの判断の結果だった。

 それによって今回の件で発生した空間に対し、これまでの経緯を公表する事によって事態の鎮静化を図る事が提案されていた。

 

 

「フェルドマン局長の話だと、ここはオラクル細胞の完全不活性化地域となっているらしい。今の俺達には変化は無いが、ゴッドイーターからすればオラクル細胞の恩恵は全て無くなるそうだ」

 

 ジュリウスが当初榊に聞いたのは、この地の今後の処遇についてだった。現時点で判明しているのは、この地域一帯に関してはオラクル細胞の不活性化が認められた点。それに付随する様に、オラクル細胞が働かないのであればアラガミからの強襲の恐れも無い点だった。現時点で確認出来るのはまだそれだけ。これまでの様な荒廃した様な雰囲気は一切感じられず、これもまた終末捕喰の結果である事が結論付けられたに過ぎなかった。

 

 

「でもさ、俺達も良くやれたよな。今さらながら自分を褒めたいよ」

 

「ロミオの言う通りかもな。だが、それが全てでも無いだろう。今の俺達があるのは極東支部で俺達に力を付けてくれた全員の結果だって事だ」

 

「んな事言わなくても分かってるって。ナオヤさんなんて殆ど手加減気味の教導だけど、今までよりも大変なんだからさ。ギルだって毎日の様に医務室に行ってるのは俺も知ってるんだぞ」

 

 北斗同様にギルとロミオもナオヤとの教導は今まで同様に続けていた。一般人に戻った際に初めてナオヤと対峙した瞬間、これまでに無い程背筋が寒くなったのはこれまでの経験で一度も感じた事が無かった。

 以前の様に強靭な肉体があった際には良い意味で飛び交う気迫を感じる事は少なかったが、対等になった瞬間これまでの様な感覚は消え去っていた。動体視力に変化は無いが、一撃でも喰らえば致命傷になるのは間違い無い。これまでの様に多少は攻撃を食らっても反撃すると言った戦法は一切使えなくなっていた。

 薄氷を踏む様な教導はどこか命のやり取りを迫られている様にも感じる。それに気が付いたからなのか、今ではある程度抑えた状態でやっていた。

 

 

「噂だと看護師のヤエさんと仲良くなってるって話なんだけど、ひょっとしてそれが目的なのか?」

 

「何をくだらない事言ってるんだ。行く度に文句が出るんだ。そんな甘い様な話がある訳無いだろ」

 

「俺だってそんな甘酸っぱい話の一つや二つしたいんだよ」

 

「そうか。ロミオもそんな話に興味があるのか……」

 

 ギルとロミオの話にリヴィが参加している。あの後、フェルドマンから正式に情報管理局からの脱退を言い渡された事により、リヴィは極東支部預かりとなっていた。未だ今後の未来が見えないままではあるが、これまでの功績と今回の作戦の結果となっていた。

 

 

「お前達。そろそろ調査の件で話があるんだ。少しは静かにするんだ」

 

「ほら見ろ。怒られたじゃんか」

 

「お前が騒がしくしてるからだ」

 

 ジュリウスから注意を受けるも2人の話が止まる事は無かった。まだブラッドが部隊として出来た頃の様な錯覚に陥る。少しだけ離れて見ていた北斗は思えば遠くに来た物だと一人考えていた。

 

 

「北斗、どうかしたんですか?」

 

「いや。ちょっとだけ懐かしいと思ったんだよ。最初の頃は本当にこんな感じになるなんて予想すら出来なかったからな」

 

「…そうですね。私も北斗が居たからこそ変われたのかもしれません」

 

 気が付けば北斗はシエルと話をしながら歩を進めていた。目の前で話をしながら歩く姿を見たからなのか、どこか懐かしい感覚がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆さん。お疲れ様でした!」

 

 聖域での調査も進み始めた頃、今回の作戦の労いとばかりにアナグラの敷地で宴会が催されていた。今回の作戦い関してはブラッドとクレイドルの連携だけでなく、極東支部の全員が一丸となった結果でしか無かった。

 何かが欠けても結果的には無しえなかった可能性と、ギリギリまで苦しめられた結果が今に至る以上、この結末はまさに想定外の内容となっていた。部隊長だけでなく、それ以外の非番やミッションの終わりの人間が次々と入れ替わる。まさに支部を上げての大宴会となっていた。

 

 

「しっかし、あの時は流石にもうダメだと流石に俺も思ったぞ」

 

「確かにそれは否定出来ませんね。結果的には良かったですけどね」

 

「俺達の時に比べれば今回の結果は、ある意味当然の帰結だったのかもしれんな」

 

「あれってロミオの血の力だって聞いた時には俺、驚きました」

 

 FSDで使う資材を用意し、既にバーベキューとばかりに次々と肉が焼かれていた。本来であればもう少し凝った料理を出すつもりだったが、それでは一部の人間が楽しめないとの結果に今の状況に落ち着いていた。周囲を見ればそれなりのグループ分けが出来ている。各々が楽しんでいる様にも見えていた。

 

 

「でも、今回の件で少しはサテライト建設の資材管理が良くなったので、私としても有難かったです」

 

「おいおいアリサ。今日は仕事の話は無しにしようや」

 

「そう言うリンドウさんは仕事をしなさすぎです。もう、期限の過ぎた書類がどれだけあると思ってるんですか?ソーマの代筆とか無しですよ」

 

「あれ?バレてたのか?」

 

「あれでバレないと思ってるリンドウさんの方が凄いですよ」

 

 ビール片手にリンドウも焼けた肉を次々と皿に乗せて行く。今回の宴会は急遽決まったにしては十分すぎるほど用意された食材に誰もが遠慮する様な事は無かった。かなりの量の肉や野菜が次々と運ばれて行く。既に準備されていたからなのか、今回に関してはエイジも珍しくやる事は殆ど無かった。

 

 

「アリサもその位にしたら。今日位は気分転換するのも悪くないと思うよ」

 

「まあ、エイジがそう言うなら今日の所はこれ位にしておきますけど……でも明日からそうはいきませんよ」

 

「流石旦那だな。嫁の操縦方法を良く知ってるもんだな」

 

「リンドウさん。ひょっとして、聞いてないんですか?」

 

「聞いてないって、何をだ?」

 

 何気に言われた話の内容にリンドウは首を傾ける事しか出来なかった。ここ数日は事後処理もあってかゆっくりと過ごした記憶はなく、また家にも戻れない状況が続いていた。

 先ほどの会話からエイジは何かを知っている様にも思えたが、それが何なのかが分からない。しかし、その答えは直ぐに訪れていた。

 

 

「皆、楽しんでる?」

 

「サクヤさんじゃないですか。でも、何で?」

 

「実は私、明日から復帰が決まったのよ」

 

「マジっすか!」

 

 コウタの質問にサクヤは以前と変わらない表情のまま普通に答えを出していた。突然の話に誰もが固まっている。サクヤのキャリアを考えれば復帰するのは有難いが、それが何を意味するのかが誰にも分からないままだった。

 

 

「お前達。全員揃ってるな。ついでだから言っておくが、サクヤは明日付で教導教官として復帰する事になった。今後は後進の指導がメインとなるが、コウタ同様にクレイドルの兼任も行う事になる。以後クレイドルの事務方はサクヤが窓口になるから、これまでの様に適当には出来ないと思え」

 

 背後から聞こえたツバキの声に全員が振り向いていた。隣にはマルグリットと何故かシオも居る。当然の言葉にエイジとアリサ以外は理解が追い付いていなかった。

 

 

「あの姉上、俺は何も聞いてないんですか……」

 

「正式に決まったのはついさっきだ。打診は以前からしている。辞令書は明日渡す手筈になっているがな」

 

 その言葉に以前サクヤから何となくは話があった事をリンドウは思い出していた。あの当時は本当だと思わなかったが、この件に関してツバキが冗談を言うはずもない。正式に辞令が出るのであれば、それ以上の事は何も言えないままとなっていた。

 

 

「って事はレンはどうするんだ?」

 

「レンは屋敷でいっしょにいるんだ。明日からいっぱいあそぶぞ」

 

 リンドウの疑問にシオが当然だと言わんばかりに答えていた、事実サクヤがここに来る際に屋敷にレンは預けてある。今でも当たり前に居る為に、人見知りする様な状況は既に無くなっていた。

 

 

「だとすればソーマ、大変だな」

 

「何がだ?」

 

「ソーマ。目が笑ってないって」

 

 何気に言った言葉の返事を思いもよらない回答ではあったが、その視線は笑っていない。正月の際に飛び出した爆弾宣言は今もなおソーマの地雷となっている。迂闊に出た言葉にコウタはたじろぐ事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか皆同じ気持ちだったとはな……つくづくブラッドは変わらないな」

 

「みんな一緒だったなんてね。私もびっくりだよ」

 

 ブラッドの右腕にはこれまでの様に黒い腕輪が再びはめられていた。聖域での調査が終わると同時にブラッドは改めて今後の事について話し合っていた。既にお互いの気持ちは固まっていたのか、事実上の話し合いは10分程度で終了していた。

 改めてはめられた腕輪にはこれまで同様にP66偏食因子が投与されているが、これはブラッドが極東に来てから榊と無明が改めて解析し直した物だった。以前の様な尖った内容では無い為に、今後はP53とP66が同時に併用させる事が決定されていた。

 現時点で新しいP66が適合した場合のブラッドアーツや血の力の発露がどうなるのかは未確認ではあるが、それでも偏食因子の違いは今後の感応種の討伐任務に於いては多大な効果を発揮する事だけは期待されていた。

 

 

「でも、今回の件で分かった事もある。私達が必死になって守ってきた物がこんなにも温かく、そして心が豊かになる物だと改めて知らされた気分だ。少なくとも情報管理局に居た頃にはこんな感情を持つ事は無かっだろう」

 

 リヴィは改めてはめられた黒い腕輪を見てしみじみ思っていた。それと同時に、初めてここに来た際に攻撃を受けた謎の神機使いの事を思い出してた。

 

 

「そう言えば、ここには私も知らない凄腕の神機使いが居るんじゃないのか?実はあれから少し気になったので調べたんだが、該当する人物が居なかった。北斗は何か知らないのか?」

 

「謎の神機使い?」

 

「ああ。初めて会った際に斬りつけられた。太刀筋がまるで見えず、私はただ斬られた事実だけしか感じる事は無かった。あれは警告だったからだが、本当に斬り合いになっていれば私の命は当の前に無くなっていただろう」

 

 リヴィの凄腕の言葉にジュリウスを除く全員の予想した事実に該当する人物は一人だけ居た。しかし、以前に榊からやんわりとその件に関しては緘口令が敷かれていた事を思い出してた。

 これまでリヴィが介錯を務めていたのと同じ任務に就き、これまで極東で全て解決した事実はブラッドが正式に組み込まれた際に聞かされた事実だった。もちろん、口外すればブラッドと言えど命の保証は出来ないとまで言われた以上、誰もが口にすら出来ない。

 一体誰なのかのリヴィの疑問に答える事は誰も出来なかった。

 

 

「そうか。世間はまだまだ広い。新生ブラッドとしての精進を積む必要がまだあるって事だ。それに介錯の任務から外れたのなら、もう会う事は無いと思うが?」

 

「そうだな……。北斗の言う通りだ。これからは私も、もっと精進する必要がある。差し当たっては同じ神機を使うマルグリットさんともう少し交流したいものだ」

 

 同じ神機のパーツを使うからと何かと2人で話をする機会は多くなっていた。まだ極東ではヴァリアントサイズを使用しているゴッドイーターは少なく、実戦レベルで使いこなせているのはマルグリットだけだった。元々リヴィは人間関係の構築は得意とはしていない。しかし、相手のマルグリットはそんな素振りすら無く、お互い同じ神機を使用している関係上、当初に比べればそれなりに親しくなっていた。その際に戦闘以外の話にも話題が移る事が多く、何かと話をする機会が多くなったのはまた別の話となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと、サクヤ君が復帰すれば君の負担はかなり少なくなるんじゃないのかい?」

 

「そうと言いたい所ですが、私も何かとやる事が多いですから。それと、今後のフォーラムの参加に関しては無明ではなくソーマを派遣させて下さい」

 

 ツバキの言葉に榊は少しだけ驚きを見せていた。これまで無明が紫藤の名で参加した際にはツバキが必ず一緒だった。一時期のミッションとは違い、事実上の社交界は貴族の噂も馬鹿にはならない。昼間は技術面で、夜は世間の動向を探るにはそれが一番の行動パターンだった。一人よりもツバキが居た方が他の人間の口も僅かに軽くなる。だからこそ、これまでも重宝していた部分が多分にあった。

 

 

「因みに、理由は聞いても?」

 

「榊支部長、それについてですが、奥方様は既に3カ月になりますので、我々としてはそろそろ落ち着いて頂きたいと考えております」

 

 ツバキが言う前に弥生が当然の如く榊に説明をしていた。ここでは名前呼びのはずが敢えて奥方様と呼んでいる。その呼称と期間が何を意味するのかは考えるまでも無かった。

 

 

「そうかい。君達も遂にお世継ぎがね……だとすればまた騒がしくなりそうだね」

 

「後ほどとは思いましたが、サクヤはまずは私の補佐として扱います。その後は1カ月程で独り立ちさせますので。その後は私の後任として行動する様に既にサクヤには説明はしてあります」

 

「なるほど……既に説明してあると言う訳だね」

 

「暫くは勝手ではありますが」

 

「いや。君が気に病む事は無い。後任がいるのであれば問題も無いし、サクヤ君ならきっと上手くやってくれるだろうからね。所で彼は何を?」

 

「何か緊急の予定が入ったと聞いています」

 

 この場におらず、緊急の予定が何を指しているのかは誰も口にはしなかった。情報管理局は既に本部へと戻りはしたが、完全に極東を信用している訳では無かった。今後の利権になるであろう聖域は確実に護る必要があった。

 幾らフェルドマンが本部に報告したとしても上層部の人間全員が納得した訳では無い可能性が極めて高かった。オラクル細胞の不活性化地帯が今後どんな効果を及ぼすのかは誰にも予測する事が出来ないからと、無明は既に根回しをしていた。

 

 

「この件では完全に彼に任せるしかないからね」

 

 そう言いながら榊の視線はクレイドルの方へと向いていた。何時ものメンバーの場所にサクヤが入った事で、当時の第1部隊の頃を思い出していた。リンドウの失踪やヨハネスの暴挙、最近になってからはラケルの暴走とこの3年間はあまりにも濃密すぎる内容となっていた。

 

 これまでの中で3度の終末捕喰を迎え、それも悉く回避できたのは一重にこの場に居る全員の結果でしかない。ヨハネスの時とは違い、ラケルが起こしたそれは完全にダメだと思える部分も少なからずあった。しかし、人類は未だ終末捕喰を逃れ日常の営みをしている。それもまた人々の意志の結果である事に間違いは無かった。

 

 

 

 ───終末捕喰を回避したとしてもアラガミが根絶する事はない。今のメンバーもやがては代替わりすれば、また何か起こる可能性もある。そんな取り止めの無い事を考えながらも今はただ、このムードに酔いしれる事にしていた。

 

 

 

 

── 完 ───

 

 





2014年の6月に初めて執筆を開始してから、今に至る事が出来ました。

気が付けば文字数は150万オーバー。単行本として考えても約15冊ほどの長さとなりました。これまで色々と閲覧して下さった皆様にはこの場にてお礼を述べたいと思います。

当初は継続か終了か悩みましたが、このまま続けるのではなく、これで一旦はこの物語を終了した方が良いと判断しました。

話の一部は今後別の形で掲載を考えています。この物語に関しては今もそうですが、少しづつ手直しをしていく予定です。

新しい物が出来た際には改めて宜しくお願いします。





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幕外
番外編 20話 クリスマス


2015年の【GE作者合同投稿企画】聖なる夜だよ、神喰さん!
で掲載された物の加筆修正版になります。
本編ではクリスマスの内容を一度も掲載していませんでしたので、完結はしましたが、特別版で掲載します。


 

「あれ?こんな所でも雪が降るんだ」

 

 依頼されたミッションが無事に終わり、帰投までの待ち時間にナナの顔に不意に冷たい物が触れた瞬間に融けて消えている。どんよりとした天空の色は明らかに何時もとは違う色。ここ数日に及ぶ寒気の影響もあってなのか、空を見上げれば雪がチラチラと降っていた。

 

 

「もう12月ですからね。雪が降っても問題ありませんよ」

 

「そっか。もうそんな時期なんだね」

 

 空を見上げれば、しんしんと降る雪は大地を白く染め上げるかの様に降り続く。鎮魂の廃寺エリア以外での降雪は珍しくその季節の印象を深くしていた。気が付けば既に12月も下旬。世間ではそろそろ電飾に彩られたツリーのお目見えになる時期にさしかかろうとしていた。

 

 

「そう言えばシエルちゃんはサンタクロースって何時まで信じてた?」

 

「サンタクロース……ですか?」

 

「そう。サンタクロースがね、良い子にしてたらプレゼントをくれるんだよ!シエルちゃんはどうなの?」

 

「私……ですか……」

 

 突然のサンタクロースの話が何を意味するのかシエルには判断出来なかった。改めて振り返ると、これ迄の人生の中でそんな単語を聞いた記憶が無かったのか、言葉に出たのは確認の意味合いでのそれだけだった。当然ながらナナとシエルには明らかに温度差がある。だが、それを指摘する者は居なかった。

 

 

 

 

 

「そう言われればそうかもしれんな」

 

 帰投後、ラウンジではシエルの言葉の真意を確認する為にナナはジュリウスに先程の顛末を話していた。あの時のシエルの反応は誤魔化しているのではなく、純粋に知らない可能性が高い。最初こそ何も感じなかったが、帰投の際にそんな話をしても一向に反応が無いシエルを見た為に、ナナは改めて確認をする事を決めていた。元々同じマグノリアコンパスの出身ではあるが、ナナとシエルは明らかにここに至るまでの過程が異なっている。だとすれば、それを一番理解していると思われるジュリウスに確認するのが一番だと考えていた。

 

 

「流石にサンタクロースは無理があるけど、パーティーとかだったら皆でやったらどうかな。きっとその方が楽しいよ」

 

「ふむ。それについての異論は無いが、準備の方は大変じゃないのか?」

 

「そこはほら、北斗の力を借りて何とか…」

 

 ナナの言いたい事が現時点でジュリウスにも理解出来ていた。本来であれば自分達で企画を立てるのが一番手っ取り早い。だが、生憎とそれを実行するだけの段取りを組むのがナナだけでなく、ジュリウスも苦手だった。そうなれば、実行すべき段取りを出来る人間に任せるのが確実性が高い。手っ取り早いのは北斗を経由して弥生に何か提案をしてもらう事だった。

 

「だが、北斗に何でも頼るのは些か気になるな………」

 

「まあ、確かにそうなんだけど……」

 

 ジュリウスの言葉に、ナナも一気にテンションが降下していた。ここ最近の北斗の出動を考えると安易に頼む事は出来なくなっていた。赤い雨が降らなくなってからは既に久しく時が過ぎているが、それでも感応種が一つの個体として定着した段階で、極東支部としても厳しい状況が緩やかになる事は無かった。リンクサポートシステムによるフォローが可能であっても、その数には限りがある。ましてや緊急ミッションともなれば必然的に北斗が駆り出されるのは必然だった。ブラッド単体で動く事もあるが、その殆どが混戦状態の中での乱入。部隊の全滅の可能性が無ければ北斗とブラッドの誰かが派遣される程度だった。そうなれば必然的に北斗の出動回数は多くなる。事実、今もまだ北斗は現場に向かっている最中だった。

 

 それだけではない。聖域が出現してからは新しい計画も発動していた。種の保存と言う大義名分を抱えた農業は、実質的にブラッドが従事している。それは、あくまでも未来に向けた壮大な実験であって本業では無い。既にオーバーワークとも取れる程にブラッドの活動内容は多岐に渡っていた。

 

「あら、何だか楽しそうな計画ね」

 

「あっ!弥生さん。丁度良かった!実はお願いが……」

 

 そんな2人の会話に割り込んできたのは秘書の弥生だった。まだ仕事の途中なのか、手には書類が幾つも所持している。しかし、既に殆どが終わっているのか、遠目から見るそれは支部長の決裁印が全て押されていた。

 

 

「ナナちゃん。計画を立てるのは良いけど、しっかりとやらないと後が大変よ」

 

「そこは……適材適所で良いかな~なんて。ははは……」

 

 笑って誤魔化す以外の手段が無かったのか、弥生の言葉にそれ以上の事は言えなかった。事実、ブラッドの場合、隊長だけがレポートを提出している訳では無い。ブラッド固有の能力。P66偏食因子からなるブラッドアーツもまたミッション中での作用を確認する必要があった。

 従来のP53偏食因子とは異なる為に、データそのものが少なく、また未だブラッド以外に適合者が世界中で現れた報告は無かった。本来であれば世界中で一気に適合者を発見する必要があるが、生憎と感応種に関しては極東支部以外での観測はされていない。その結果、新しい種は極東地区固有の種として認定されていた。

 そうなれば、態々適合者を絞る必要が何処にも無い。その結果、ブラッドは全員が毎時戦闘終了後のレポートていしゅつが義務付けられていた。そんな中でもナナは提出に襲い部類に入っていた。イメージとしては北斗も遅いが、これまでの隊長経験から提出の早さは上位に入る。ナナに関しては完全に苦言を頂戴する一歩手前の為に、弥生だけでなくツバキやサクヤにも頭が上がらなかった。その為に、弥生の言葉に笑ってごまかすしかない。何気ない一コマではあるが、ナナの背中には嫌な汗が滲んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどね。でもそれなら弥生さんに許可を取れば良いだけじゃないの?」

 

「確かにそうなんだけどさ」

 

 任務から帰ってきたのか、ラウンジではロミオがジンジャーエールを飲みながら、ナナの提案とも言えるクリスマスイベントの概要を聞いていた。ここでもこれ迄にハロウィンなど季節の行事が敢行されていたものの、全てが弥生の下で為されていた。事実、許可を取る事を考えればこれ程最適な人選は無い。だからこそナナもそんな考えがそこにあった。

 だが、その考えは一蹴される。弥生から一度自分達で計画したらどうかとの提案にナナが頭を抱えていたのが実情だった。

 

 

「だったら俺が考えるよ。一度イベントを仕切ってみたかったからさ」

 

「ロミオ先輩、大丈夫?」

 

「大丈夫だって。少しは俺の事を信用しろよ」

 

 笑顔で安請け合いしたロミオに、ナナは僅かな不安を感じていた。これまでのイベント事を思い出すと、全てが予定調和だったかの様に滞りなく実行されている事は誰もが知っている。舞台裏はともかく、表の部分だけ見れば、如何にスームズに進んでいるのかを見ればその苦労は考えるまでもなかった。

 しかし、その弥生から自分達でと言われた時点で頼む事が事実上不可能となっていた。恐らく無理にお願いすれば結果的にはやってくれるかもしれない。だが、確実に次の機会が無いのも事実だった。要求されるのは緻密さではなく勢い。それを実感するからこそ、ナナはロミオの言葉を冷静に考えていた。

 

 

「じゃあ、ロミオ先輩に任せるよ!」

 

「おう!任せとけよ!」

 

 このまま自分がやるよりはとの意識が働いたからなのか、ナナはそれ以上の言葉を出す事はしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロミオがね。でも、何事も経験じゃないの?」

 

「確かにそうですけど、既にクレイドルとしても動いてるなら、一言位は言った方が」

 

 エイジはアリサの話を聞きながらも手を止める事はしなかった。ナナ達がラウンジで色々と予定を考えている頃、自室ではクリスマスに向けての仕込を続けていた。シュトーレンの仕込みの為に、僅かにアルコール臭が部屋に漂う。元々時間をかけて馴染ませる事が重要な為に、エイジはかなり前から仕込みを始めていた。既に幾つかの出来栄えをチェックしている。時間をかけただけあって、生地にはドライフルーツとブランデーが調和したかの様な味わいとなっていた。今やっているのはジンジャークッキーの生地を人型に模る事。ラッピングする前の試作をアリサもまた少しだけ口にしていた。

 

 サテライトは既に軌道には乗っているものの、イベントをする迄の余裕がある訳では無い。その結果としてハロウィンの様にアナグラに招く事を決めていた。既に立案が終わり、現在はそれに向けての準備を続けている。本来であればラウンジか厨房施設を利用するのが一番ではあるものの、ロミオ達の事も考え自室で作業を続けていた。

 

 

「でも、案ずるより産むが易しだよ。アリサだって最初から今みたいに出来た訳じゃないでしよ?」

 

 エイジの言葉にアリサは言葉に詰まっていた。今ではある程度の件数をこなしたからなのか、サテライトの立案から申請に至るまで然程時間を必要としなくなっていた。

 当初は誰もがやった事が無い手探りの状況が続いた事がまだ記憶に新しい。何をするにも前例が無く、一つの事をすれば三つの問題が生じる程の状況に、他の部隊の人間も一時期はアリサの体調を心配していた。

 

 

「それは否定しませんけど……」

 

「これは弥生さんとも話したんだけど、今後はブラッドも何かと立案する場面が必ず出てくる。事実、聖域の事業はブラッドが専任でやっているんだ。そうなれば聖域絡みの話の窓口になるのは間違いない。今回の事は一つの試金石になるはずだよ」

 

 エイジの言葉にアリサは改めてその事を思い出していた。初めて収穫した野菜を使ったカレーパーティーはブラッドに近い人間だけを集めた結果でしかなかった。現時点で聖域は本当に僅かながらに拡大している事から、今後は身内だけにとどまらず、最悪は他の支部のやっかみも集める可能性がある。

 幾らアラガミ討伐の力量があっても、現在のメンバーでは年長者のギルを除けば、ジュリウスを筆頭に人間の持つ悪意や欲望を上手く躱す手段は持ち合わせていない。本当の事を言えばクレイドルも同じだった。だが、クレイドルの場合にはエイジを筆頭にツバキやサクヤもまた多方面からの話を受け持っている。部隊としての単独ではなく、支部が絡むからこその対応だった。だが、ブラッドに関してはその限りではない。

 だからこそ、こう言ったイベントの内容を仕切らせる事によって、もっと視野を広げる為に訓練させるのが目的の一つだった。

 

 

「まさかそんな裏があるとは思いませんでした」

 

「もちろん、放置するつもりは無いから、徐々に誘導する必要があるけどね。そろそろ焼けたはずだから、粗熱取ったら一気にラッピングしようか」

 

「そうですね。早く皆の顔が見たいですね」

 

 オーブンには焼きたてのジンジャークッキーが入っていた。簡単な人形のそれは、粗熱が取れたらそばから次々とラッピングをしていく。既に焼かれたそれは香ばしい匂いを出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今年ももうそんな時期なんだね。有難くお伺いすると伝えてくれるかい?」

 

 支部長室には珍しい来客でもあった一人の着物を着た少女。普段であれば珍しい赤地に華の刺繍が施されていた。全身が白い為に、着物色は華やかさを彩る。誰もが見惚れるはずの少女を支部長の榊は何時もと川穴井対応をしていた。

 既に顔見知りなのか、榊は特段気にする事もなく、少女が差し出した目録と要綱を受取り内容を確認していた。気になる変化は何処にも無い。榊もまた当たり前の回答をしていた。

 

 

「分かった。そう伝えておく」

 

「そうそう。今日はこのフロアの会議室でクリスマスパーティーをやっているから、帰りに寄って行くと良いよ」

 

「そっか。じゃあ寄ってくね」

 

 無邪気な声に榊は笑顔を浮かべていた。既にこのやりとりはどれくらいになったのかは分からないが、目の前の少女は以前に比べて少しづつ大人びた容姿へと変化していた。このまま成長すれば間違い無く大輪の華を連想させる程の美貌になる。そう考えると少しだけ温かい気持ちが過ってた。

 あの時の状況は既に一部の人間しか知りえていない。だが、結果的には良かったんだと一人考えていた。

 

 

 

 

 

「メリークリスマス!」

 

 会議室の中を飾り付けた事でクリスマスパーティーは開催されていた。本来であればラウンジで開催する予定ではあったが、クレイドルが立案したサテライトの子供達を招く事があるでけでなく、内部の職員の慰労やついでの食事とばかりに会議室を開放する事が決定していた。

 当初はブラッドが単独でとの話もあったものの、時間と場所の関係上、弥生からやんわりと打診された事をそのままロミオが受けた結果、クレイドルとの合同で開催される運びとなっていた。そうなればあとは会場設営に集中するだけ。これまでに幾度となく行って来たからなのか、クレイドルのメンバーに澱みは無かった。次々と飾り付けられる会議室。時間の経過とともに武骨な部屋は少しだけ華やかになっていた。

 

 

「一時期はどうなるかと思ったけど、結果オーライで良かったよ」

 

「本当にヒヤヒヤしましたよ。弥生さんからの提案が無ければ、開催すら危うかったですから」

 

 ナナとシエルはここに至るまでの苦労をシミジミと思い浮かべていた。元々やった事が無い所に加え、何かとパーティーの中に色々なイベントを入れて行こうとすると、時間やスケジュールに大きな問題が幾つも発生していた。

 アイディアは良いが、肝心の予算や人員の確保が思う様に行かず、また、ブラッドだけでやるにしても事実上の戦力が殆ど居ない事が、結果としてコウタを巻き込んでの大騒動となっていた。結果オーライだったのはコウタをはじめとしてクレイドルの有志が参戦した為。その結果、今に至っていた。

 

 

「本当だよ。こっちがどれだけ頭を下げたか分からない位なんだけどさ」

 

「コウタさんもご苦労様でした」

 

 スパークリングワインを片手に、シエルとナナの傍に来たコウタはこれ迄の事を思い出していた。思いついた物を次から次へと入れて行こうとすれば時間の都合が合わず、また、資材発注をかけた途端の計画の変更は、流石にコウタもキレそうになっていた。

 アリサとエイジに関してはクレイドルとして準備をしていた為に手が一切回らず、ソーマとリンドウに関しては最初から戦力外通告をしていた為に、コウタとしても部隊の事をマルグリットに任せギリギリまで調整に走っていた。もし、有志が無ければどうなっていたのだろうか。考えるだけも恐ろしい結果になる事だけは間違いなかった。思い出したからなのか、コウタの躰が僅かに震える。ある意味では時間との戦いだった。

 

 

「俺も乗りかかった船だから仕方ないんだけどさ、もう少しだけ何とかロミオの暴走を止めて欲しかったよ」

 

「まぁ、その辺りは結果オーライで……。そう言えば。マルグリットちゃんはどうしたんです?」

 

「ああ。それなら……」

 

 半ば呆れた様なコウタの視線を交わし、話題の転換を図るべくナナはここに見当たらない人物の名前を出していた。いつもであれば第1部隊の副隊長としていたはずが、今は珍しくここに居ない。それが何かの合図になったのか、会議室の扉が開いていた。

 

 

「メリークリスマス!」

 

 扉の先にいたのはマルグリットだけでなく、アリサとリンドウ、エイジが何時もの制服ではなくサンタの衣装をイメージした赤い服を着ている。ゲストで来ていた子供達にプレゼントの代わりにジンジャークッキーやシュトーレンを配っていた。参加者の数の分だけラッピングした袋をそれぞれに渡す。子供達もまた、貰えると思っていなかったからなのか、驚きの後は終始笑顔だった。

 元々クレイドルとしての内容ではあったが、折角だからと第1部隊も参加した事によりマルグリットがその役目を引き受けている。ミニスカート姿のサンタは何時もの雰囲気とは違っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ、機嫌が悪そうだな」

 

「ほっとけ。それよりも自分の役目は終わったのか?」

 

 部屋の片隅で食事がてらに来ていたソーマをリンドウは目ざとく見つけていた。既にプレゼント代わりのお菓子を配り終わったからなのか、リンドウはいつものビールではなく珍しくスパークリングワインを片手にしていた。テーブルの上には各自で取る事ができる様に大皿に乗せられている。会場内はあちらこちらで盛り上がっていた。その正反対なのがソーマの存在。リンドウから見れば、不機嫌の理由は何となく察していた。周囲を見ればある意味分かりやすく、またソーマが望む人物がここに来る可能性が少なかったからだった。

 今日はあくまでもフェンリルの組織としてのイベント。元々無関係な人間はここに来るはずが無かった。

 

 

「ああ。それなら全部配り終わったぞ。クッキーはともかく、シュトーレンに関してはサクヤも手伝っていたからな。お蔭で秘蔵の酒が半分以下になったぞ。流石に子供達のケーキの為だと言われれば何も言えないからな」

 

「そうですか?サクヤさんはこれを期に、少しは在庫整理出来て良かったって言ってましたよ」

 

 2人を見つけたのか、アリサもミニスカートのサンタ姿で来ている。同じく配り終えたからなのか、アリサもグラスを片手にしていた。本来であればエイジが隣にいるはずだが、生憎とその姿は無い。エイジは舞台裏で奮戦しているからだった。本当の事を言えばアリサも少しだけ残念に思っている。だが、この人数を前に一方的に負担を押し付けるのは申し訳ないとの理由が全てだった。そう言われればアリサも反論は出来ない。これが終われば改めて二人でと言われている為に、機嫌そのものが悪くなる事は無かった。

 

 

「あれ?エイジはどうした?」

 

「皆の為に厨房ですよ」

 

「それは……まあ、残念だな」

 

「これが終わればゆっくりとしますから大丈夫ですよ」

 

「そ、そうか……」

 

 アリサの隣にいない人物の事を思い出したからなのか、リンドウは探るかの様にアリサに確認していた。確かにこのメンバーと人数を考えれば厨房は火の車になっている。エイジの性格を考えればある意味当然だった。完全に理解しているからこそアリサもまた落ち着いている。返事から察したのか、それ以上の言葉を口にする事は無かった。

 

 既にそれなりに時間が経過したのか、パーティーも中盤に差し掛かろうとしていた。

 アルコールが入っているからなのか、それとも子供達も一旦はお開きになって居なくなったからなのか会場の空気は少しだけ騒がしくなっている。既にイベントをいくつかこなした為に、それ以上の出来事が起こるとは誰も予想しないままのはずの空間が僅かに変化していた。

 

 

「何だか騒がしくなりましたね。誰か来たんでしょうか?」

 

「さあな。アリサが知らない事を俺が知るはずないだろ」

 

 扉が開いてからその騒ぎの元は少しづつ移動しているのか、こちらへと近づいて来ている。その元となった人物を目にしたソーマは固まっていた。

 

 

「メリークリスマス!ソーマ」

 

 この場に合わない着物を来たアルビノの少女シオ。クリスマスに相応しい色合いの着物は周囲の眼を奪うかの様だった。何も知らない人間はシオとソーマの関係性に疑問を持っている。だが、それを問いただすだけの勇気は無かった。

 周囲の眼など知らないとばかりにシオは迷わずソーマの下へと歩いていた。アリサの記憶が正しければ、元々シオも誘いはしたが、予定があるからと断られていた経緯があった。もちろんその事実はソーマとて知っている。だからこそシオが現れた事に驚きを隠せなかった。心なしか持っているグラスが僅かに揺れる。それ程までに動揺していた。

 

 

「あ、ああ。メリークリスマス」

 

 シオの言葉にソーマはただ返事しか出来なかった。突如として現れた着物の少女の事を知っている人間は現時点では殆ど居ない。だからこそ、会場の全員の視線はソーマへと向けられていた。ソーマの動揺を無視するかの様にシオは何かを確認している。目的の物が見つからないからのか、視線が横や上を向いていた。

 視線の先にあったものを確認したのか、これから何をするのか誰も予測出来ないままだった。僅かに溜まる緊張感。その瞬間、誰もが驚愕の光景を目にしていた。

 

 僅かに響くリップ音。シオの唇がソーマの頬に着いた瞬間だった。先程までの空気が一気に霧散する。普段であればクルーなイメージを持ったソーマが珍しく目を見開いたまま硬直した姿だった。

 珍しい光景。誰もがそう考えた瞬間だった。シオの行為に、周囲の空気は徐々にかわりつつある。気が付けばソーマの頬にはピンクの跡がくっきりと残されていた。

 

 

「……えへへ。プレゼント」

 

 頬を少し赤くしながらシオがほほ笑んだ瞬間だった。先程までの視線の向こう側からは野太い絶叫と同時に黄色い悲鳴がざわめきだつ。何が起こったのかを理解するまでに暫しの時間を必要としていた。

 

 

 

 

 

「随分と大胆なプレゼントだな」

 

「でも良いじゃないですか?こんなソーマの顔なんて見た事無いですから」

 

「確かに。写真を撮っておけば良かったな」

 

「そんな事言ったらソーマが怒りますよ」

 

「でも、あれはソーマが悪いな。あれの下だろ?」

 

「……まあ、そうですね」

 

 リンドウとアリサの言葉通り、ソーマは何が起こったのかを理解してなかったのか、暫し呆けた表情を浮かべていた。頬に残るリップの跡はそのまま残っている。何も知らない人間が見ても何が起こったのかを理解するには十分すぎていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれってシオちゃんだよね?何か凄い大胆な事してたけど」

 

 チキン片手にナナもその様子を見ていた。この時期に珍しい着物を着ているのは屋敷の人間しか居ない。そんな中でもここに来るのであれば限られた人間だけ。何気なく見ていたはずが、目の前で起きた出来事にナナは珍しくチキンよりもその事実に意志を奪われていた。

 

 

「確かにそうですね。でも、その前に視線は何かを探してたみたいですけど」

 

「なるほどね。あれはソーマがそこにいるから仕方ないな」

 

「ハルオミさん。それは一体?」

 

 シエルの疑問に何か気が付いたのか、その場を見ていたハルオミだけが理解していた。今の状況が分からないのか、ナナとシエルは疑問を浮かべている。このメンバーであれば確実に分かるはずがないと思ったのか、ハルオミは種明かしをしていた。

 

 

「ほら、ソーマの上にヤドリギのリースがあるだろ?」

 

「はい。確かにありますね」

 

 ハルオミの言葉に2人の視線は上へと動く。確かに幾つかのリースがあるが、ソーマの上に有る物だけは僅かに違っていた。人工物の中にある唯一の自然物。ハルオミが言う様にヤドリギを使用したそれだった。誰が何の為に用意したのかは分からない。ただ、会場内でそれだけが異彩を放っていた。

 

 

「クリスマスの時期は、ヤドリギの下でのキスは拒まないのがルールなんだよ。本来は男性から女性にが定番なんだがな。どう?俺と一緒にあの下に行かないか?」

 

「それは遠慮させて頂きますので」

 

「私もそれはちょっと……」

 

「……振られちまったな。やっぱりお前さん方は隊長さんかジュリウスの方が良いのか?」

 

「……それは秘密です」

 

「乙女の秘密は口にはしないよ」

 

 そう言いながら2人をハルオミは見ていた。隊長が誰なのかは言うまでもない。ジュリウスの言葉に反応したのか、それとも隊長の言葉に反応したのかは当人だけが知っていた。先程の光景もまた時間共に消え去っていく。会議室の喧噪は長きに渡って続いていた。

 

 

 



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