ゼロの王子様 (織姫ミグル)
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プロローグ

 

 

 

 

「·········また明日な」

 

 

 

 

 

 

 

ってフレーズが俺は好きだった。

 

 

 

 

 

 

『ノクト!!』

 

 

 

 

 

ああ·······そんな名前だったけ。

 

 

『ねぇ! 今日はもうここら辺で泊まろうよ!!』

 

「ああ······そうすっか」

 

『よっしゃ! キャンプだキャンプ!!』

 

 

キャンプ自体は別に嫌いじゃない。

テントを組み立てる時の作業もなんかワクワクするし、自然の中でみんなと楽しく食いもんを食うのも悪くはない。

 

 

『なぁノクト』

 

 

·········ん?

 

 

「どうしたイグニス?」

 

『明日の朝食の準備を手伝ってくれないか?』

 

「はぇ?」

 

 

また朝食の準備手伝うのか。

別に構わないけど、俺が手伝えば料理が台無しになるってことわかってるよな? 前なんか搔き回しすぎてシチューの底の部分焦がしちまったんだぞ?

 

まあ、それでもいいなら、

 

 

「ま、別にいいけど」

 

『助かる』

 

『あ、ノクト酷くない!?』

 

 

え?

 

 

『明日一緒に写真撮りに行くって約束したじゃん!!』

 

「あ·······そうだった」

 

『おいノクト!!』

 

 

今度はなんだよ?

 

 

『明日の朝は俺と走り込みに行くっつったろうがっ!!』

 

「げっ!!」

 

 

そういやそんな約束したっけ!?

でも朝から疲れるのってなんか嫌なんだけど。でも約束を破るのは流石にわりぃしなぁ。

 

 

『俺だ』

 

『いや俺っしょ!?』

 

『俺だ!!』

 

『···········明日の朝食抜きになるぞ。いいのか?』

 

『まじかよ!?』

 

『酷くなーい!? じゃあいいもん! 俺だって明日写真撮ってあげないもんね!!』

 

 

·······························································································································································································································································································································································。

 

 

「············プッ」

 

『『『!?』』』

 

 

ヤベェ。

思わず吹き出しちまった。

 

 

『ちょ、なに笑ってんのノクト!?』

 

『元はと言えばお前があれもこれも背負いこむからだろうが!!』

 

「ははっ! ああ、悪い悪い」

 

 

·········なんだろうな。

 

 

「みんな·········ありがとうな」

 

 

なんで俺、今こんなタイミングで「ありがとう」なんて言ってんだろうな。

 

 

『?···········ノクト?』

 

『なんだいきなり?』

 

「··············いや、なんつーかさ」

 

 

何かわかんねぇけど、お礼を言っときたい気分だった。

 

 

「王都がめちゃくちゃになって、親父も死んじまって·······正直、俺一人だったらどうしたらいいかわかんなくなってたと思う」

 

 

家を失った、家族を失った。

何もかもを失った気持ちになって、俺は空っぽだった。全部が消えた時の喪失感てのは、本当に何もかもがどうでもよくなって、希望すら見出せなくなる。

 

そんな時に、お前らがいた。

 

そばにいてくれた。

 

 

「だから·······今こうして普通に、明日の予定がどーとか話せること自体······奇跡っつーか、幸せっつーか」

 

 

結局何が言いたいんだろうな俺は。

 

まあとにかく·····················その、

 

 

 

「お前らがいてくれてよかったわ···········み、みたいな?」

 

 

 

『『『·················』』』

 

「·····························」

 

 

なんか言って!?

 

言った自分が恥ずかしくなってくるから!?

 

 

『·········ノクト』

 

『どしたのノクト? いきなりそんな』

 

『さては熱でもあんじゃねぇか?』

 

「お、お前らなぁ!!」

 

 

言わなきゃよかった。

 

なんでいきなりこんなこと言ったんだ俺は!?

 

 

『············仕方ねぇ。それじゃあここは公平にくじ引きで決めっか』

 

『さんせーい!!』

 

 

公平にくじ引きで決めた結果、明日の朝はイグニスと朝食を作ることが決まった。

 

自分で食うもんを自分で作るのも悪くねぇかもな········味は保証しねぇけど。

 

 

『ノクトー』

 

「ん?」

 

『明日の昼からはどうするー?』

 

 

················昼か。

 

なんも決めてねぇな。

 

 

「適当にぶらぶら?」

 

『うわ、何それ無計画!!』

 

 

つってもやることなくね?

今日だってほとんど適当に過ごしてたし。

 

 

『あ、じゃあさ【ハンマーヘッド】行こうよ!!』

 

『ああ·········そういやシドの爺さんに頼み事してたっけな』

 

『タッカからは食材の調達の依頼も来ていたぞ』

 

『シドニーにもレガリアのメンチしてもらわないとだし!!』

 

 

················ははっ!

 

あっという間に明日の予定埋まったな!

 

 

「じゃ、そうすっか」

 

『おー!!』

 

『では·········明日に備えて』

 

『ああ、明日朝起きられるように··············』

 

「そんじゃ────」

 

 

 

 

 

“また明日な”················································································································。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「···········ッ!!」

 

 

かろうじてだが瞼が動いた。

それは自分の意思で動かしているとは思えないほどわずかなものだ。ほとんど痙攣にも近い感覚で、ゆっくりと、ゆっくりと···········()()()()()()()()()()()

 

 

(··········今のは夢?)

 

 

いや········走馬灯か。

 

数秒、視界がどんどん何の像も映さなくなっていく。フォーカスの遠近が揺らいで、脳が現実を離れようとしている。

 

 

(··········俺、は···········)

 

 

ここがどこなのか、薄れゆく意識の中で理解した。

 

自分が“誰なのか”、自分が“何をしたのか”、自分は“何故ここにいるのか”ということを思い出した。

 

周りには何もない。気配もない。痛みは微かに感じるが、それもすぐに意味はなくなる。

 

 

「···············」

 

 

だらりと下がった己の手に、わずかな力が戻る。

 

付けていた“指輪”が跡形もなく塵と化していっている。自分の体も、燃え尽きるように灰となっていく。意識が消えていくのに呼応して、頭の中で考えれる時間はわずかだというのがわかる。

 

 

“王子”

 

“歴代王の宝具”

 

“六神”

 

“夜明け”

 

“王の使命”

 

············そして、

 

 

(··········俺は、“死ぬんだな”··········)

 

 

世界は闇に覆われ、世界に太陽が昇ることはなくなった。

朝が訪れなくなったことにより、世界中に【シガイ】と呼ばれる化物たちが出没するようになった。人は朝日を浴びることを忘れ、あるものは化物退治、あるものは奇跡を願い、あるものは化物と化した。

 

それを救うには、“選ばれし王”の力が必要だった。

 

 

(··········役目、終えたんだな········)

 

 

長かったな。

 

闇を祓うために選ばれた王、“ノクティス・ルシス・チェラム”はそう思った。

 

 

(················)

 

 

彼が朝日を拝むことは二度とない。

 

ノクトが闇を覆う元凶となるものを倒したことで、世界には光が戻ったはずだ。

 

そうであって欲しい。

 

でないと、

 

 

(昨日みんなと過ごした最後の夜··········本当はもっといろんなことを話したかったんだ)

 

 

みんなのために()()()()()()()()()()()()()()()()()、そのくらいの代償がないと意味がない。

 

 

(·······『また明日』·······か)

 

 

あの時言った言葉が、脳内で何度も蘇る。

あの時した約束は、結局守れたんだっけ? ちゃんとみんなとした約束は果たせたんだっけ? それすらも今思い出せなくなって来ている。

 

その事にノクトはほんの少しだけ胸が痛んだが、

 

 

(·············悪い)

 

 

体に宿す力がもうない。意識は既に手放しかけている。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

ああ········眠いな。

 

彼らには悪いが、朝日を拝められるビジョンが頭に浮かばない。というか考える力さえも、もうないに等しい。体のあちこちが灰と化し、残るは上半身だけとなっていた。

 

 

(················)

 

 

薄れゆく意識の中で唯一残っている、“一枚の写真”。それを胸ポケットから取り出して確認し、ノクトはゆっくりと目を閉じて微笑んだ。

 

 

(目を閉じて··········次に目が覚めたなら·············)

 

 

彼は手に握っている写真をもう一度見た。

 

一緒に旅をして来た仲間と共に撮った最初の写真。全てが始まった最初の一歩の風景。自分の父親から預かった愛車を囲んでみんなと一緒に撮った思い出の一枚。

 

その光景を最後に、思い浮かべながら、

 

 

(“明日”になってたらいいな)

 

 

もう目を覚ますことのない王子は、心の底から大切にしていた愛しき友人たちの姿を思い受かべながら········ゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんた誰?」

 

「·························は?」

 

 

抜けるような青空と突如聞こえてきたその透き通った“女の子”の声に、目を覚ますはずのない王子は瞳を開けた。



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第1章

 

 

爽やかな青色の空に、ドォン!! という轟音が鳴り響いた。

 

その爆発の音源は、トリステイン魔法学院。長い歴史を誇る魔法学園であり、魔法を始めとした様々な教育を貴族の子供達に行う学び舎だ。

 

この世界では、魔法を扱うものは『貴族』として扱われる。自分たちが当たり前のように街中を闊歩しているのと同じように、この世界では魔法使いと呼ばれる人種が行き交うように存在している。そいつらはこう呼ばれている。

 

『メイジ』と。

 

それを使えないものを『平民』と分けられる、格差社会のような世界観だ。

 

それは置いといて、現在行われているのは春の使い魔召喚の儀式である。生徒達はこの儀式を行う事で自分の属性に合う使い魔を召喚し、自分の魔法属性と専門課程を決めるのだ。この使い魔は呼び出した人間の属性によって異なり、モグラやカエルなどを召喚した人間もいれば、サラマンダーやウィンドドラゴンの幼生など非常に珍しい生き物を召喚した者もいる。

 

しかしその中に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

桃色がかったブロンドの髪に透き通るような白い肌、それに鳶色の目がくりくりと踊っている。黒いマントの下には白いブラウス、そしてグレーのプリーツスカートを身に纏っている。顔はかなりと言って良いほど整っているが、今その顔は苛立ちと焦りの表情で彩られていた。

 

悔しそうに奥歯を噛み締める少女に、あちこちから罵詈雑言が投げかけられる。

 

 

「さすが“ゼロのルイズ”だな! 召喚もまともにできないなんて!」

 

「おいルイズ、どうでも良いけど早くしてくれよ!」

 

「さっきから爆発ばっかりじゃないか! もう諦めた方が良いんじゃないか!」

 

 

それに少女、“ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール”は観衆達にうるさい黙れと言いたくなったが、どうにかその言葉を呑み込んで歯を食いしばる。

 

彼女は一応魔法使いで貴族ではあるものの、ここではその称号はあまり意味は成していない。

 

彼女は所謂、落ちこぼれ。

 

魔法使いなんてものも、貴族やメイジなんて肩書きも、ここではほとんどなんの力にもなってくれない。

 

才能による差異、力による上下関係、魔法の資質と威厳、それらが全て重要視されたこの世界では彼女はただの不良品として扱われる。

 

 

「ミス・ヴァリエール」

 

 

自分の名前を呼ぶ声に振り返ると、そこには一人の中年の男性が立っていた。

 

黒いローブを着用しており顔には眼鏡、頭は見事に禿げてしまっている。

 

使い魔召喚の監督を行っている教師、『炎蛇』のコルベールだ。

 

 

「だいぶ時間が押してしまっていますし、続きは明日にしましょう」

 

「お、お願いします! あと一回だけ召喚させてください!!」

 

 

叫びながら、ルイズはコルベールに向かって頭を下げた。

さっきから何回もやっても爆発ばっかりで、一向に成功する兆しが無い。もしかしたらこれ以後も爆発するだけかもしれないが、このまま諦めて明日に回すのはルイズのプライドが許さない。

 

私、召喚魔法、『サモンサーヴァント』だけは自信があるの!! などと召喚の儀式をする前に自分は啖呵切ってしまったのだ。惨めな格好だけは見せないという彼女なりの強がりであったが、そんなことを言ってしまった以上引くことは許されない。

 

何よりもそれでは周りの諦めろという声に負けたようで悔しかったからだ。

 

するとルイズの気持ちを察したのか、コルベールは少し考え込んだ後優しい声音でルイズに言う。

 

 

「········分かった。じゃああと一回だけですよ。これでだめだったら、明日にします」

 

「·········っ! ありがとうございます!」

 

 

ルイズは再びぺこりと頭を下げると、深呼吸した後に息をついて心を落ち着かせる。

 

 

「何だよ、またやるのかよ!」

 

「もう無駄だってのに··················」

 

「悪いこと言わねぇからやめとけよ」

 

 

うるさい黙れ、とルイズは心の中で言い返してから杖を握る。

 

多数の同級生どもに見守られながら、今度こそと言わんばかりに思いっきり叫んだ。

 

 

()()()()()()()()()()()()()!」

 

 

はぁ?

と、皆が呆れた目でルイズを見た。

 

明らかに神聖とはかけ離れたおかしな呪文に、皆が目を点にする。そんな呪文で成功するとは思えない。こちらを見る生徒たちは誰もが驚きやら呆れと言った眼差しを向けてくる。貴族と呼ばれるような気品溢れる雰囲気があんまり感じない。

 

だがそんなやつらに構っている余裕はない。

 

自分のありったけの力を込めて、ルイズは叫ぶ。ここまで失敗したのだ。もうドラゴンやグリフォンなどといった伝説的な神獣が来て欲しいなんて贅沢は言わない。

 

せめて。

 

せめて。

 

犬や猫、最悪自分の大嫌いなカエルでも構わない。

 

 

(お願い··········お願いだから、成功して!!)

 

 

礼儀作法だとか神聖な儀式だとかそういうのは今は忘れさせて欲しい。

気持ちを強く込めたことでやや語気を強くして、ルイズは呪文を続ける。

 

 

()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 

そして杖を振り下ろすと、今日一番の爆発が起こった。

 

 

ドガァァァァァァアアアアアアアアンッ!!

 

 

校内に爆風が吹き渡り、激しい一撃で地面が揺さぶられていた。あちこちで建物が揺れる。余波だけでかなりの被害が出ている中で、校内の庭には灰色の粉塵が吹き散らされる。

 

 

「おい! また爆発したぞ!!」

 

「もう勘弁してくれよ、ゼロのルイズ!」

 

 

周りの観客たちのブーイングがうるさいが、ルイズは耳を貸さずにただ黙っていた。

 

 

「················」

 

 

嫌な考えが頭を過る。

 

思いはしたが、口に出すのは憚れた。思えば思うほど、その考えは現実になると思ったからだ。失敗、という自分の中で一番大嫌いな言葉が脳裏を過る。

 

そして、しばしの時間が経った後、煙は徐々に晴れていく。

 

 

「!?」

 

 

と、そこであることに気がついた。

 

ルイズの目の前に、()()()()()

 

粉塵の中で見えた一つの影。徐々に粉塵が晴れていくにつれ、その影が明確に現れていく。

 

 

(嘘っ! 成功した!?)

 

 

自分でも不可解な魔法に頭を悩まされていたが、ようやく彼女は魔法を成功させたんだと自覚した。

 

今もなお皆がルイズのことをバカにしてきているが、ルイズの顔には笑顔しかなかった。

 

前方に自分が召喚した使い魔がいる。それだけで彼女を笑顔で満たすには十分だった。

 

しかも見えた影の大きさからして、少なくても自分よりは大きいサイズだった。犬や猫など小型でもいいとは思っていたが、それ以上のものを召喚したんだと思うと居ても立っても居られずに煙が完全に晴れる前にルイズは粉塵が舞う中へと突っ込んでいく。

 

そして、そこにいたのは、

 

 

「えっ·········?」

 

 

ルイズはそれを見て唖然としていた。

 

そこにいたのは、確かに生き物だった。が、それは犬や猫でもなければ、カエルですらなかった。やや緊張感が欠けた表情になりながらも、ルイズは自分の召喚したであろう使い魔の姿を観察する。

 

黒を基調とした上着に脛辺りまでの長さのズボンで、黒いブーツを履いて黒一色に揃えた服装。前髪がやや目にかかってよく見えないが、整った顔つき。

 

 

「こ、これが、神聖で、美しく、そして強力な··················?」

 

 

呆然と呟くルイズ。

 

彼女の召喚したものは、変わった格好に身を包んでいるがそれはどこからどう見ても、『ごく普通の人間』だった。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

『んぅ···············』

 

 

鼻孔に入ってくる風と草の匂いに、ノクトは目を覚ました。

 

それからゆっくりと起き上がると、彼に向かってどこか不機嫌そうな声が投げかけられた。

 

 

「あんた誰?」

 

『···················は?』

 

 

その声にノクトは目の前を見ると、桃色がかったブロンドの髪の毛の少女がノクトの顔をまじまじと覗き込んでいる。

 

ノクトが彼女から視線を外して周囲を見渡してみると、彼女が身に着けているのと同じ黒いマントを身に着けて自分を物珍しそうに見ている人間がたくさんいるのが見えた。さらに豊かな草原が広がっており、遠くにはテネブラエにあるような石造りの巨大な城まである。

 

 

『は··········はぁ!?』

 

 

どう判断していいのかわからないのだろう。ノクトはただ口調をふらふらとさせている。

 

空を見る。とても青い。

 

地面を見る。緑が広がっている。

 

前を見る。自分の国では見かけないような桃色がかったブロンドの女の子がいる。

 

 

(··············え?)

 

 

空白の思考。

ノクトの視界に、ありとあらゆる色が飛び込んでくる。夜の闇で埋め尽くされた世界にいたノクトは久々に太陽が照らす風景を目にした。統一の取れた風景に若干の違和感を感じているものの、全体としてはやはり綺麗なものだった。

 

だが、一つ問題がある。

 

 

『·········なんだ、ここ?』

 

 

見慣れぬ景色に首を傾げ小さく呟く。

 

 

『どこだここ?』

 

「言葉が通じないの? どこの平民?」

 

 

聞き慣れぬ言語がノクトの耳に入ってくる。

わけがわからない事態にノクトは思わず目の前にいる女の子に対して警戒心を抱く。だが、一瞬身構えようとしたが、彼女たちから敵意は感じない。今向けられているのは疑惑でも、敵意でもない、純粋な好奇の目だけであった。

 

そこまで把握し終えた所で、ノクトは自分の体のある異変に気付いた。

 

 

(体が·······若返ってる!?)

 

 

着慣れた格好に身を包んでいることに関してはさほど驚かなかったが、それよりも自分の状態の方を見て愕然としていた。

 

“自分のご先祖様”と戦った傷もなく、歴代王の武器に貫かれた跡もない。全くの無傷の状態でいることにノクトはオロオロとしている。何より、自分の着ていた服まで変化しているし、さらには修復までされている。

 

自分の置かれた状況に戸惑っていると、ノクトに向かって少女が再び口を開いた。

 

 

「ねえ、あんた誰って聞いてるんだけど」

 

『何? なんだって?』

 

 

見てみると、少女の表情は先ほどよりも不機嫌そうである。

だが何言ってるのかわからない。聞いたこともない言語がノクトを余計に不安にさせる。するとノクトと少女を遠巻きに見つめている観衆の一人が目の前の少女に言った。

 

 

「ちょっとルイズ、サモン・サーヴァントで『平民』を呼び出してどうするの?」

 

 

その言葉と同時に、ノクトの顔を覗き込んでいた少女以外の全員が一斉に笑い始めた。

 

 

「ちょ、ちょっと間違っただけよ!」

 

 

少女は名を呼ばれたんだろう。

呼ばれた少女が鈴の様によく通る声で言い返すが、周りは連鎖反応のようにして笑いが伝染していく。

 

 

「間違いって、ルイズはいつもそうじゃん」

 

「ははははは! こりゃ傑作だ!」

 

「言葉すらも話せないとか、どこの田舎者を召喚したんだよゼロルイズ!」

 

「おまけに何だよあの格好! 変わり者にもほどがある!!」

 

「さすがはゼロのルイズだな! 期待を裏切らない!!」

 

 

誰かが言うと、人垣がどっと再び爆笑する。

自分が置かれている状況が分からずにノクトが呆然としていると、

 

 

「ミスタ・コルベール!」

 

 

少女が誰かに向かって怒鳴った。

少女の声に反応するかのように、人垣が割れて中年の男性が現れる。

 

その姿を見て、ノクトは思わず目を丸くした。

 

何故なら彼が大きな木の杖を持ち、真っ黒なローブに身を包んでいたからだ。その姿は自分の故郷では見慣れない格好で、一言で表すと『魔法使い』のような見た目をしていたからだ。

 

あと、妙に頭の方へと目が行く。

 

 

「何だね。ミス・ヴァリエール」

 

「あの、もう一度召喚させてください!」

 

 

なんて?

 

と、ノクトは意味がわかっていないものの、そんなノクトはほっといて少女は禿げたおっさんへと話しかけている。おそらく何か交渉のような、頼み事のようなことを話しているんだろうが、少女に呼ばれた男性が首を振ったのが見えた。

 

 

「それはダメだ。ミス・ヴァリエール」

 

「どうしてですか!」

 

「決まりだよ。二年生に進級する際、君達は『使い魔』を召喚する。今やっている通りだ」

 

 

··············何言ってんのかわかんない。

 

 

(話している言語といい、こいつらの格好といい、よくわかんねぇけど絶対やばいところに俺はいるのだけは間違いねぇ············ッ!!)

 

 

状況が整理できていないが、自分は今とんでもないところに巻き込まれてしまっているのだと自覚する。

 

 

「それにより現れた使い魔で、今後の属性を固定し、それにより専門課程へと進むんだ。一度呼び出した使い魔は変更する事は出来ない。何故なら春の使い魔召喚は神聖な儀式だからだ。好むと好まざるにかかわらず、彼を使い魔にするしかない」

 

「そ、そんな··········っ!!」

 

 

互いの意見を突きつけている一瞬のタイミングを見逃さないよう、ノクトはゆっくりとこの馬鹿げた幻想から抜け出すように匍匐前進で包囲網を突破しようとする。

 

が、

 

 

『ぐおっ!?』

 

「でも! 平民を使い魔にするなんて聞いた事がありません!」

 

『おい何すんだ、離せよ!?』

 

「あんたは黙ってなさいッ!!」

 

 

急に首根っこを掴まれた。

ニゲルナヨと言外に宣告され、ノクトは蛇に睨まれたカエルのようにビクっと固まった。少女はノクトのジャケットの襟部分を持ったまま男性に抗議する。

 

平民を使い魔にするというこの世界ではパワーワードのような単語に、また周りが笑い出した。ルイズがその人垣を睨み付けるが、それでも笑いが止む事は無かった。

 

 

「これは伝統なんだ、ミス・ヴァリエール。例外は認められない。彼は················」

 

 

コルベールはノクトを指差しながら、

 

 

「ただの平民かもしれないが、呼び出された以上は君の使い魔にならなければならない。古今東西、人を使い魔にした例はないが、春の使い魔召喚の儀式のルールはあらゆるルールに優先する。彼には君の使い魔になってもらわなければ困る」

 

「えぇ···········これと········?」

 

 

それを聞いて、少女はがっかりと肩を落とした。

 

なんか知らんがとてつもなく好き勝手に自分のことをひどく言われて、そして今は逃すまいと首を掴まれて、さらにはなんか勝手に落ち込んでいるみたいだが、できればノクト抜きでやってもらいたい。

 

 

「さて、では儀式を続けなさい」

 

「え······あ、あの、こいつと?」

 

「そうだ。早く。次の授業が始まってしまうじゃないか。君は召喚にどれだけ時間をかけたと思ってるんだね? 何回も何回も失敗して、やっと呼び出せたんだ。良いから早く契約をしなさい」

 

 

男性に賛同するように、そうだそうだと周りにいた観衆からの野次が飛んでくる。

 

 

「···········わかりました」

 

 

重たい息を吐く。

少女は観念したように首根っこを掴んでいた手を緩めると、一次的にノクトを解放した。

 

そしてノクトの顔を困ったように見つめた後、怒りと羞恥でわなわなと肩を振るわせながら彼に言った。

 

 

「ねえ」

 

『な、何だよ!?』

 

「あんた、感謝しなさいよね。貴族にこんな事されるなんて、普通は一生ないんだから」

 

『そんな真剣な顔で見つめながら言われてもお前が何言ってんのかわかんねぇんだよッ!! 何しようってんだ!?』

 

 

ノクトは必死に少女に向かって文句を言うものの、そんなノクトのことなんて御構い無しに少女は諦めたように目を瞑った。

 

手に持った小さな杖を、ノクトの目の前で振る。

 

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

 

 

朗々と呪文らしき言葉を唱え、杖をノクトの額に置いてから彼女はゆっくりと唇を近づけてきた。

 

 

『················は?』

 

 

唐突の行動に、頭が一瞬吹っ飛んだ。

 

それと同時に理解した。こいつが何をしようとしているのかを。

 

 

『ま、待て待て待て待てッ!!!???』

 

 

いきなり口を近づけてきた少女に困惑するも、ノクトは慌てて顔を赤くしながら止めようとするが、もう遅かった。

 

次の瞬間、ルイズの唇がノクトの唇と重ねられた。

 

 

『っ!?』

 

 

柔らかい唇の感触にノクトは目を見開くが、身動きもできない。

 

初々しく、ぎこちなさの残るキスだった。

 

永遠とも思える数秒の後、ようやくルイズが唇を離した。

 

 

「終わりました」

 

 

よく見ると、彼女は顔を真っ赤にしていた。どうやら照れているらしい。

 

少女の報告を聞いて、男性が嬉しそうに何かを言った。

 

 

「サモン・サーヴァントは何回も失敗したが、コントラクト・サーヴァントはきちんとできたね」

 

 

危機は去ったと言わんばかりの晴れやかな顔で男性は言った。

この儀式の脅威をわかっていなかった少女以外の生徒たちは、何を大袈裟に言ってるんだかと呆れ顔で、再び少女にからかいの言葉を放つ。

 

 

「相手がただの平民だったから契約できたんだよ」

 

「そうそう、そいつが高位の幻獣だったら契約なんかできないって」

 

 

すると、ルイズがその生徒達を睨み付けながら叫んだ。

 

 

「馬鹿にしないで! わたしだってたまにはうまくいくわよ!」

 

「ほんとにたまによね。ゼロのルイズ」

 

 

見事な巻き毛とそばかすが特徴的な少女が嘲笑うように言うと、腹を立てた少女が別の少女を指差しながら男性に言う。

 

 

「ミスタ・コルベール! 『洪水』のモンモランシーがわたしを侮辱しました!」

 

「誰が『洪水』ですって? わたしは『香水』のモンモランシーよ!」

 

「あんた小さい頃、洪水みたいなおねしょしてたって話じゃない! 『洪水』の方がお似合いよ!」

 

「よくも言ってくれたわね! ゼロのルイズ! ゼロのくせに何よ!」

 

「こらこら。貴族はお互いを尊重し合うものだ」

 

 

男性が二人を諌めるように言う。

 

わけの分からない単語にノクトが困惑していると、

 

ジュワァァァァ、と。

 

体がだんだんと暑くなってくるのを感じた。

 

 

『え··········ちょ!? な、なんだよこれ!?』

 

 

痛みにはある程度慣れているノクトではあったが、それにしてもこの熱さは予想外だった。

 

体が焼けるように痛い。特に左手がめちゃくちゃ痛かった。まるで皮を剥ぎ取るような痛みに耐えきれず、ノクトは左手につけている手袋を取って確認する。

 

左手にまるで烙印を押されているかのように何かの痕が出来上がっているのを見て、思わず地面に膝をつく。

 

 

『や、やべぇ····················っ!!』

 

 

そんなノクトに、先ほどよりも若干落ち着いたルイズが声をかける。

 

 

「すぐ終わるわよ。待ってなさい、使い魔のルーンが刻まれるだけだか············ら」

 

 

直後だった。

少女の言葉は完全に紡がれることはなかった。

 

何故なら変化があったからだ。

 

パキンッ!! と。

 

何かガラス製のものが割れるような音と共に、ノクトの体から何かが吹き出したのだ。

 

 

『がっ、あああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!???』

 

 

ノクトは異様に苦しみだした。

信じられない痛みにまだ自分に何が起きているのか分析をすることすらできない。

 

だが周りは違った。

 

ノクトに起きていることを現在進行形で目の当たりにしている。

 

 

瞳の色が体内に流れる血の色よりも禍々しく赤く変色した瞬間、ドバッ!! とノクトの背中が弾けた。

 

 

そこからクリスタルのように透き通ったいくつもの剣が飛び出した。

 

 

全身が文字通り燃え盛り、複数の剣を生やしたノクトは苦しみを逃がすように倒れたまま、地面をつかむように伸ばされた手がべキリと地面を丸ごと掴み取った。

 

 

『が······························あ····················!?』

 

 

絶叫というよりは咆哮。

 

その間にも痛みは続いていた。

やがて、体の熱が無くなり平静を取り戻そうとした直後、ノクトは強烈な脱力感に襲われ、そのまま緑あふれる芝生の中へと沈んでいった。

 

 

「え··········えッ!?」

 

「「「「「「「··············ッ!?」」」」」」」

 

 

空気が凍った。

通常の人間には見られない現象を彼らは目の当たりにした。

 

血ではない。

 

肉や骨でもない。

 

もっと。

 

もっともっともっと。

 

禍々しくも神々しい何かに振り回されるように、ノクトは絶叫しながら苦しんでいた。さらにはわかりやすい形が青年の体から吹き出してきた。

 

『剣』というこの世界ではごく一般的な道具が青年の体から現れた。

 

 

「お、おい··············なんだよ今の!?」

 

「こいつ··············今··············ッ!?」

 

「ひ··············っ!?」

 

 

膝から崩れ落ちたノクトに皆が恐怖を抱く。

よほど皆今の出来事に混乱してしまっているようで、ほとんどのものがカチカチと小刻みに震えていた。平民だと思っていた者に起きた現象は意味不明かつ恐怖の塊だった。

 

 

「····························っ!?」

 

 

召喚した本人まで顔を真っ青にしている。

自分の召喚したものに起きた謎の光景を目の当たりにすればそりゃ怖がって当然だ。

 

いくつもの見知った顔が少女の方を見る。

一体こいつは何を召喚したんだ? 化け物を召喚したのかと、誰もが一歩引きながら少女と倒れている青年の方を見ている。

 

 

「ミス・ヴァリエール!!」

 

「!?」

 

 

そんな混乱の渦が巻き起こっている中、あの禿げた中年男性が少女の元へと駆け寄ってくる。

 

 

「ミ、ミスタ・コルベール··············っ!!」

 

「ああ、わかっている。風を得意とする生徒は前に出てきてくれ、彼をミス・ヴァリエールの部屋へと運ぶのを手伝ってほしい。他の生徒は皆先に教室に戻っておいてくれ、本日の儀式は終了とする」

 

 

儀式を監督する教師の声で、皆が平常心を取り戻す。

 

少女の震えた声にも優しく対応し、凄まじかった混乱の渦が徐々に晴れていく。先生の言われたとおり、風を得意とするメイジ達が前に出る。その他の生徒たちも言われた通り先に教室へと戻る準備を始める。

 

何人かの生徒が戻っていくのを確認した教師の男性は、青年の左手の甲へと注目していた。

 

 

(··········このルーンはなんだ? 見たことがないな········)

 

 

冷静に分析する男性。

流石にこの先生な儀式を監督するだけあって、さっきに出来事を目にしても動じないようだ。

 

それよりもノクトのことだ。

 

ノクトの左手の甲に、謎の文字が刻まれていた。

 

刻まれたルーン文字はノクトからしても、この儀式のプロフェッショナルからしても理解不能であった。男性は後で青年の左手に宿ったルーンを調べるためにスケッチをする。

 

そんな中、途方もない魔法使い達は全員が納得いかなかった。

 

ゼロのルイズが喚んだものがまさか神獣とか亜人とかそういう類いの者なのかと、誰もが納得出来ずにいた。慟哭も悲鳴も絶叫も恐怖心も、皆正気を取り戻したことで忘れてしまっていた。

 

ゼロのルイズが呼び出したものはなんなのかだって?

 

『普通の人』にわかるはずがあるかそんなもん、落ちこぼれのゼロのルイズにお似合いだ。なんて思考の原型が留められなくなっている中でなんとか強引に納得した。

 

そんなことを考えながら、一部の生徒を残して、ほとんどの人達が召喚した使い魔を連れて先に校舎へと戻っていっていた。

 

 

「················」

 

 

残された劣等生はただ、膝から落ちて芝生に倒れてしまっている青年の側に駆け寄る。

 

 

(一体なんなのこいつ··············ただの平民じゃないの?)

 

 

疑問が疑問を呼ぶ中で、少女は抜け出せない思考回路を何度も往復する。

 

今日だけで意味がわからないことだらけだ。自分の呼び出したものがまさかの人間で、その人間が人間離れの芸をやってみせた。わけのわからない平民に頭を悩ませることになるとは思わなかった少女は唇を噛む。

 

少女は唇を噛んで。

 

そして、一人でこう結論付けた。

 

 

(なんであれ、誰がなんと言おうとあんたは正式に私の使い魔なんだからね··············ッ!!)

 

 

少女に明確な覚悟が灯る。

 

具体的に言葉にしたわけではない。むしろまだその素振りも見せていない。

 

だが、契約は完了した。

 

その事実は覆らない。

 

 

 

これよりここに、“ゼロ”と呼ばれた落ちこぼれの魔法使いと·············かつて、『真の王』と呼ばれた青年の奇妙で珍しい組み合わせのコンビが誕生した。

 

 

 



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第2章

 

 

目を覚ましたら知らない天井でした。

 

 

『·····················は!?』

 

 

クリアで一切の二酸化炭素が排出されていない草原の空気と、テネブラエというかオルティシエのような古くさくも神秘性のある伝統的な部屋の空気がノクトの目を覚まさせる。

 

そして、自分の状況をよく見てみよう。

 

木製の地面に乱暴に敷かれた藁の上で、自分は寝ていた。隣にはとても立派で寝転べば体が沈みこみ即夢の世界へと連れていってくれそうな高級ベッドがあった。家具なんかを見ると高級ブランドのようなデザインをしたものが立ち並び、何より塵一つ落ちていない中で、場違いな藁の上に自分は寝ていた。

 

そこまでのことを観察し終えて、見慣れてはいるものの自分の国ではあまり馴染みのない作りの部屋を見て、なぜ自分がここにいるのか、その理由に心当たりがなかった。

 

 

(········あれ? 俺はたしか、玉座の上で歴代の王達の武器に貫かれて、そんで死者の国に行って“あいつ”の魂を消し去って、そのまま俺も·················それから、どうしたっけ?)

 

 

闇を広げていた元凶の“自分のご先祖様”の魂を、自分も死ぬことで死者の国まで行き、歴代の王の力と十年という長い月日をかけて蓄えた『クリスタル』の力を解き放って、あいつの魂を解放し、そのまま自分も王の力で燃え尽きたところまでは覚えているのだ。

 

体がボロボロと崩れていくなかで、最愛の友人達との思い出を走馬灯のように思い返して、来るはずのない明日を願ってそのまま眠ったというのも覚えているのだ。

が、その後はどうしたのだったか。

 

というか、違和感がある。

 

 

『なんで俺···············まだ生きてんだ?』

 

 

自分の体を見返す。

服装は、旅をし始めたときから常に着用していた特注品の戦闘服だった。だが、これだけは覚えている。自分が死ぬその直前まで着ていたものは王族用の礼服であったはず。だが今着ているものは全くの別物。

 

何より、何故自分は若返っているのだろう?

 

顎を触るもジョリっとした感触はないし、髪を触るもまだツンツンとしながらも柔らかい毛質が跳ね上がっている。一気に年を取る経験ならしたことはあるが、一気に若返るなんて自然の摂理に反していて全く理解できない。これまでの出来事が意味不明な状況のせいで記憶は埋もれてしまっている気分だった。何故自分がここにいるのか思い返そうとしても、当時は朦朧としていたこともあって、そもそも正常に記憶されていなかったのかもしれない。

 

しかし、徐々に状況の異様さが追い付いてくる。

 

やや違和感のある空気と一緒に、その違和感が肌の奥にまで突き刺さって潜り込んでくるような感覚で、一つの考えに至った。

 

 

誰かが、この部屋まで運んできた。

 

 

と判断するのが妥当だろう。だが一方で、それはあり得ないとも思う。

 

何故ならば、自分は死んだからだ。

 

死んだものをどうやって運ぶ? 遺体なら運べるが、そもそも自分は確かに呼吸もしているし、手足の感触もちゃんとある。なんなら肌もピチピチだ。

 

なにより、ここが何処なのかわからない。

 

テネブラエやオルティシエのような作りではあるものの、少なくともノクトには見覚えがなかった。自分は先ほどまでルシス王国の都市、インソムニアの城の玉座にて命を捧げていたはずだ。そんな自分が生きたまま、しかも若返ってこんなところにいるのはあり得ない。意味不明だった、運命に振り回されたわけありの青年をこんなところに連れてくるなんて、相当な無理がある。

 

命を落とした自分をだ。それを実際にやったものがいる。

死んだはずの自分を、こんなところに連れてきた何者かが。

 

 

「やっと目を覚ましたようね」

 

『!?』

 

 

唐突に。

見覚えのない寝室に、新しい声が滑り込んできた。

ノクトがビクリと肩を震わせてそちらへ振り返ってみれば、腕を組み、木製ながらもセキュリティはバッチリなデザインをしたドアの前に、一人の少女が立っていた。

 

黒マントをかけて、自分の国では見かけないような桃色のブロンドヘアをした少女。

 

それを見て、ノクトは徐々に意識がはっきりとしてきた。そして、徐々に忘れかけていた記憶が蘇ってきた。

 

 

『···················ッ!!』

 

 

無言で自分の唇に指をやった。

 

感触は、まだ残留している。気絶してしまったことで忘れかけていた記憶の中にある甘くもトラウマな記憶。どうも、あれは理解が追い付かないことで記憶が混乱した頭が見せた幻、または夢、というわけではないらしい。未だにどう受け止めていいのかわからないが、一つだけ確かなことがある。

 

青年の初めてを奪い、それでいてトラウマ並みの激痛を与えた張本人が目の前にいる。

 

 

『お、お前ッ!!』

 

「胃が痛くなるほど悩んだけど、諦めてあなたを【使い魔】にすることにしたわ。光栄に思いなさい」

 

『おいッ!! 無視すんなッ!! そしてなに言ってんのかわかんねんだよッ!!』

 

 

戸惑いながらも怒り続けるノクトをよそに容赦なく自分の言い分を述べて前を通りすぎていく少女。

そんな少女に対して、ノクトはさらに怒りを募らせる。

 

だって、おかしいのだ。

 

いきなり自分は知らないところに放り出されたと思ったら、初対面にも関わらず自分の口にキスをしてきて、なおかつ激しい痛みを味わわせたのだから。

何より、年下の女の子に初めてを奪われることになるなんて思いもよらなかった。

 

初めては年上ながらもずっと思いを寄せてきた『自分の許嫁』のために取っておいたというのに、それが誰かもわからない、しかも年下というちょっと危なそうな奴に奪われてしまった。

 

じゃああれか。初めてのキスの味は··············少女の味だったと。

 

それを思い出した瞬間、ノクトの口はわなわなと震えていた。

 

だが黙っているわけにはいかない。こいつには聞きたいことが山ほどあるんだ。ノクトは半分痙攣したような喉で、それでも必死になって言葉を絞り出す。

 

 

『一体俺は何処に拉致されちまったんだっ!? なんで俺はまだ生きてんだっ!? 俺は確かに死者の国でそのまま命を落としたはずなのに、なんで俺はこんなわけもわかんねぇとこにいんだよっ!? というかお前誰だっ!? なんでいきなり俺に迫ってきやがったんだっ!? わけもわかんねぇ相手に初めてを奪われるってどういうことだっ!? 説明し························ろ?』

 

 

と、そこで言葉は途切れた。

 

何故ならば、

 

 

『·········って、なんで脱いでんだお前はっ!?』

 

 

急だった。

少女がいきなり自分の服を脱ぎ出した。ブラウスのボタンに手をかける。一個ずつ、ボタンを外していく。ノクトは思わず自分の目で視界を塞いだ。

いきなりの行動に頭がパンクしそうになりながらも、少女は構わず着替え始める。

 

そして、だ。

 

 

『うわぶっ!?』

 

「それ、洗濯しといて」

 

『おいっ!? さっきからなんなんだよお前はっ!?』

 

「言葉はわからなくても使い魔なんだからそれくらいわかるでしょ?」

 

『何なんだよっ!? マジなに言ってんのかわかんねぇし、あんた一体何様のつもりだっ!? つか、何自分の服他人に預けてんだッ!! あんたの発育がまだなってないもの見たって全然嬉しくねぇんだよッ!! って、そんなことはいいからさっさと服着てくれっ! 目のやり場に困んだよっ!?』

 

「主人の命令もわかんないの? 命令すら通じないなんて·········犬以下だわ」

 

『何いきなり落ち込んでんだよっ!? さっきからわけのわかんねぇことばかりしやがって············いい加減にしろッ!!』

 

 

テンションが噛み合っていない部屋の中で巻き起こる論争。

自分よりも年下の柔肌なんぞ享受している心の余裕はないのか、ノクトの怒りの叫びはやめられない、止まらない。

 

 

『結局のところお前一体誰だよっ!? 俺がなんでここにいるのかの理由も含めて分かりやすく説明しろッ!!』

 

「ああ~ッ!! もう、うるさいッ!! その口黙らせてやるわッ!!」

 

 

と、文句を言うノクトをよそに、少女は机においてあった一本の杖をノクトへと向けた。

 

 

『!? おい!! いきなりなんだよッ!?』

 

「ほんっとうにピーピーうるさいわね。去年習った【口封じ】の魔法でしばらくの間口を開けなくしてやるわ」

 

 

少女達の世界ではそれは銃口を向けられているに等しかった。

が、青年からすればただの木の棒を向けられただけにすぎないので、少女が何をしようとしているのか、その動作に何の意味があるのかわからなかった。

 

しかし、だ。

ノクトはもう少しだけ状況を深く観察すべきだったのかもしれない。杖を向けられているという文化がなかったので意味はわからなかったが、その動作に見覚えはあったはずだったのだ。おとぎ話に出てくる魔法使いがやるお決まりの動作。それをこの時理解しなかったことで、ノクトに更なる災難が降りかかることになる。

 

 

「ええっと········あんスール、ベル·······アム··············」

 

 

何かを思い出そうとして指を頭にやって何かを呟く少女。

そして、杖を上に掲げると、呪文を唱え出す。

 

 

「ただちに沈黙をもちて、我が要求に··············答えよッ!!」

 

『は?』

 

 

 

チュドオオオオオオオオンッ!!

 

 

 

という爆発音と共に、二人の視界は真っ黒に塗りつぶされた。

衝撃波と共に、爆音が部屋中に撒き散らされ、灰色の煙が吹き荒れた。少女も近距離でいたため、爆発の余波が頬を掠めたが、ノクトの方は顔面をもろに衝撃を受けた。

 

 

「·····················」

 

「が·········あ······っ!?」

 

「おかしいな~」

 

 

木製の床と口づけをしているノクトを見ながら、少女は頭を抱えながら自分の魔法が失敗したことを悔やむ。カエルのように足をヒクヒクとさせて床の上で潰されながらも、ノクトはまだ息があるようだ。

 

 

「な、なんだ·······今の·········?」

 

「·························え?」

 

 

絶賛床と合体しているノクトから聞こえてきた声が時間を止めた。

 

震源は青年の口。

確かに聞こえた。『何だ今の』と、聞き慣れた言語がいつも失敗ばかりする魔法使いの少女ルイズの鼓膜を震わせる。

 

 

(··············うそっ!?)

 

「ちょっとばかり年下だし相手が女だから遠慮してたけど、いつまでも調子にのりやがってッ!! 年下だろうが関係ねぇ、もう許さねぇぞッ!!」

 

「わかる、わかるわッ!!」

 

「···························え?」

 

 

と、怒り狂ってルイズに対して怒りの鉄槌を喰らわせようとしたノクトも動きを止めた。

 

 

「今······“わかるわ”って言ったか?」

 

「う、うん··············」

 

「····························」

 

「····························」

 

 

聞こえた。

互いに聞き慣れた言葉が聞こえてきた。二人の声が交錯した時、数秒の沈黙が空間を支配する。

 

 

「······················な」

 

「あ?」

 

「何か············言ってみなさい」

 

「············なんだよ、ルシス語話せんじゃねぇか!」

 

 

二人の間に言葉の壁がなくなった。

聞き慣れた言語にノクトは安堵を浮かべているものの、少女の方はなんか複雑な気分だった。

 

 

(どういうこと? 沈黙の呪文だったのに·············はぁ、また失敗か)

 

 

思わぬ副産物が生まれたことに不満を抱く。

 

黙らせるのを目的とした魔法を放ったはずなのに、逆に言葉の壁を破壊するという結果をもたらしてしまった。結果オーライとは思えるが、ルイズからすれば魔法が失敗した感覚で何とも言えない感じであった。

 

しかし、それよりもだ。

 

ようやくお互いの言葉が通じあったのだ。ならばやることは決まっている。

 

 

「あんた··············名前は?」

 

「は?」

 

「名前よ名前。自分の名前くらい言えるでしょ?」

 

「俺? 俺は、“ノクティス・ルシス・チェラム”だけど」

 

「ノクティス? ルシス? チェラム?」

 

 

舌噛みやすい名前だ。

しかし、青年の名前を聞いて正体がわかったルイズの瞼がパチパチと動く。名前が何というか、貴族のような名前だった。平民なら普通は何気なく特に何の意味もない言葉を使って名前を付けられる。

 

だが青年の名前には、意味が込められている気がした。

 

その名前の意味はわからないが、少々貴族っぽい名前にルイズは首をかしげる。が、どっからどう見ても貴族って感じには見えない。

 

THE普通のイケメン男性という印象しかない。

 

 

「って、そんなことより俺はなんでこんなところにいるんだよっ!? ようやく話せるようになったんだッ!! 質問に答えろッ!!」

 

「··············あんた、【貴族】に対してどの口聞いてんの? 身の程をわきまえなさい」

 

「は? 【貴族】?」

 

「そう。私の名前はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。ヴァリエール家の貴族の一人よ」

 

「··············名前なっが」

 

「別にいいでしょ。あんたはこれから私のことを【ご主人様】って呼ぶんだから」

 

「··········································はぁ?」

 

 

意味が、わからなかった。

時間をいくら経過させても、理解できない。なに言ってんだこいつ?

 

貴族? ヴァリエール家?

 

聞いたこともない。王族である自分でも知らない家名に頭を悩ませる。

 

とにかく。

この瞬間。

 

ノクトの頭の中で何かを理解した。

 

 

(そういや··············こいつにキスされたとき、何か左手に変なのが浮かび上がってたな)

 

 

それを思い出した瞬間、ノクトは左手につけていた黒手袋を取る。

 

そこには、理解できない文字が左手の甲に浮かび上がっていた。それを見たルイズが、意味をわかっていないノクトを理解させるように強気な口調で説明する。

 

 

「その左手の甲にあるのがその証。あんたは正式に私の僕、【使い魔】になったのよ」

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

「···············使い魔?」

 

「そう」

 

「·····················僕?」

 

「そうよ、しつこいわね。あんたは私に召喚されたの。だからあなたはここにいるの。理解できたかしら?」

 

「···························」

 

 

なるほどつまり。

自分は死んだけれど、何かの手違いで彼女に召喚され、そして自分はこれから彼女に仕える言うなれば家来になったと。

 

そういうことでいいのか?

 

 

「·····················ッ!?」

 

 

ノクトの顔に嫌な汗が浮かぶ。

 

意味もわからずこんな小さな女の子の僕になる道理はない。例えそれが決定していたとしても、納得がいかない。というか、仕える理由もない。赤の他人に忠誠を誓う意味もない。

 

何より、王族である自分がその下の階級の貴族の使い魔になるなんて馬鹿げている。

確か絵本で読んだことがあるが、使い魔とは魔法使いが連れて歩く動物達のことだ。主人の目となり耳となり、時には主人をサポートする相棒的な役割のポジションにいるあれ。

 

····························納得できるわけない。

 

寝るための服装に着替えて怪訝な目を向けている彼女であったが、こちとらそれどころではない。

 

ふざけてる。王子で、しかも『真の王』である自分がこんなことになるなんて。なにより、王族としてのプライドと立位置の示しがつかない。

 

故に、だ。

 

疑問よりも先に、ノクトの目的は決まった。

 

 

「はぁ··············なんで私の使い魔が平民なのよ。しかも、わけのわかんないことしでかしちゃうし。あんた一体何なのよ。目が急に真っ赤になったり、体から剣が生えてきたり、意味不明にも程があるわ。私はグリフォンとか、ドラゴンとか、そういうかっこいいのがよかったのにぃ~ッ!!」

 

 

好き放題言いやがってッ!! とノクトは心の中で毒づく。

 

めちゃくちゃ嫌そうにしているルイズは苛立ちのあまり力をいれた結果唇を噛み、目を細めてしまう。

 

そして、次に目を開けたときには、

 

 

「··············あれ?」

 

 

目の前にいるはずの青年の姿が忽然と消えていた。

 

 

「ノクティス··············?」

 

 

いきなりの出来事に絶句するルイズは青年の名を呼んでみる。

 

が、返答なし。

 

代わりにギィ、ギィ、という軋む音がふいに耳に入ってくる。そちらに目を向けると、またふいに冷たい風が肌に当たってくる感触がやってきた。

 

そして。

 

そして。

 

微妙に開かれた寝室に出入りするための唯一の扉が静かに悲鳴を上げ、その先からバタバタバタバタと、狭い廊下を思いっきり走っているような音が微かに聞こえてくる。

 

そこから導き出せる答え、それは、

 

 

「逃げたッ!? 使い魔が、嘘でしょっ!?」

 

 

突然の僕の行動に呆気に取られたルイズだった。

しかし、そんな余裕はない。それに気づいたルイズは迅速に逃げ出した使い魔を捕獲するべく、一度ノクトに脱ぎ捨てたこの学校の制服に着替え、急いで獲物の追跡を開始する。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

「はぁ··············はぁ··············ッ!!」

 

 

得体のしれない建物内を転げ回るように逃げ、螺旋状に作られた石造りの階段を飛ぶように降りていく。今は夜の時間帯だからか誰ともすれ違わない。

 

好都合だ。

 

誰にも見られない今が好機。何処にいったのかとかあの少女が事情聴取をする心配がなくなったノクトは逃げるための足に力をいれて更に加速する。

 

 

「信仰宗教だか、ファンタジーマニアの団体だか知らねぇが、王族が貴族の僕なんかになってたまるかッ!」

 

 

ごもっともだ。

貴族よりも地位の高い自分が、何故こんな目に遭わなければならないのか。あんなところにいれば何させられるかわからない。

 

となると、あの少女に捕まえられないようにするのが大前提で、あとは出来るだけ遠くに行って、自分の故郷であるルシス王国に帰るのが最終目標だ。ならば早くここから立ち去るに限る。

 

複雑で狭い通路をあちこち走り回り、出口を探し求めていると、

 

 

「私、スフレを作るのが得意なんですのよ」

 

「それは是非とも食べてみたいな!」

 

「!?」

 

 

長い階段を降り終えた先に待っていたのは青春を謳歌している二人のカップル。

 

ノクトはそれを見た瞬間、すぐ近くの物陰に身を隠し、壁を背にして様子を窺う。

 

 

「本当ですかっ!?」

 

「もちろんだケティ。君の瞳に嘘はつかないよ」

 

「··············ギーシュ様///」

 

「君への想いに、裏表などありはしないんだ」

 

(························)

 

 

何やってんだこいつら。

と、ノクトは呆れたように目を細めていた。なんか二人の周り、というより女の子の方から妙にピンク色の雰囲気が出ている気がするが、きっと気のせいだ。

 

というか、相手の男の子もよく気障なセリフを吐くものだ。はっきり言ってあまり使いこなせているように見えない。なんというか覚えたての言葉を使っているような感じがあって、どことなく胡散臭さというか、嘘っぽいというか。

 

まだナンパ術を極めたグラディオの方が上手かったぞ、と評するまでである。

 

と、こんな奴に構っている暇はない。

こうしている間にも、あのめんどくさい少女が追ってきているかもしれないのだ。巻き込まれない内に退散するに限る。

 

ノクトは静かに、自然に、風景に溶け込むようにして視界から消えるように中腰になりながら突破しようとした時、

 

 

「ん? ルイズが呼び出した平民じゃないか?」

 

(やべっ!!)

 

 

呆気なく気づかれた。

だがまだ諦めるのは早い。ステルスミッションは継続。すぐさま立ち上がり、何事もなかったかのように立ち去ろうとするノクトの耳に、二人のカップルの声が聞こえてくる。

 

 

「あ~、今日の儀式で。一年生の間でも話題でしたわ。確か、急に苦しみ出したかと思ったら体から剣が生えてきたとか」

 

「ああ、彼がいきなり気絶して動かなくなったものだから、僕らは大変だったんだ」

 

「まぁ··············!」

 

 

何か言ってきているが関係ない。

巻き込まれる前に早く抜け出さなくては。

 

 

「待ちたまえ」

 

「!?」

 

 

急に呼び止められたことで肩がビクンと上がる。

ノクトは面倒だなと思いながらも、気障な男の方へと振り向いた。

 

 

「何?」

 

「ふん、何だねその態度は。平民が貴族の手を煩わせておいて、礼の一つもないのか?」

 

「ああ?」

 

 

てめぇこそ誰に向かってもの言ってんだ?

と、睨むが面倒事になるのだけは避けたい。こんなところで足止めを喰らえば追跡者が追い付いてくるに違いない。

 

ノクトは不本意ながら頭を下げることにした。

 

 

「··············そりゃどうも」

 

 

と、吐き捨てるように言った。

ムカつく奴だ。やっぱりこいつはグラディオの下位互換だ。絶対将来女関係でひどい目に遭うに違いない。

 

 

タタタタタッ!!

 

 

「!?」

 

 

何てことを思ってるのも束の間、先ほど降りてきた階段の方から嫌な気配を感じた。更に続いて小柄な女性の足音まで響いてくる。

 

 

「やべっ!!」

 

 

ダッ!! と慌てたようにノクトは走り出す。

 

 

「全く、忙しない男だな」

 

 

なんて気障な野郎が肩をくいっと上げて呆れていると、先程ノクトが出てきた所から一人の少女が姿を現す。

 

 

「おや、ルイズ」

 

「はぁ·········はぁ·········はぁ」

 

「ルイズ、ついさっき君の使い魔が────」

 

「捕まえて」

 

「え?」

 

「··············逃げ出したのよッ!!」

 

 

息づかいが荒く肩で呼吸するのを見ると相当探し回っていたらしい。

目は鋭くしていて、捕まえられたらおそらく無事では済まなそうだ。そんなルイズにギーシュはまたもや肩をくいっと上げて、

 

 

「契約した使い魔がかい? さすが、ルイズの使い魔だけあって、常識外れだな」

 

「関心してないで手伝ってッ!!」

 

「仕方ない」

 

 

不本意ながら力をお貸ししましょうとばかりに気障に仕草する。

ルイズからすればそんなの何の効果もないが、隣にいた一つ下の生徒からは好評だったようだ。

 

仲間が増えるよやったねルイズ!

 

割りとまだ元気そうなルイズは新しくできた仲間と共に、捕獲対象の追跡を再開する。

 

傍目から見ればあはは、うふふ、待って待ってー! というちょっとしたドラマになりそうだが、近くから見れば復讐の女神に追いかけられる勇敢警察官のようだ。追い駆けっこは捕獲対象が逃げきるか、追跡者が捕獲するまで続く。

 

 

「あぁーもーちくしょう!!」

 

 

追跡者からやや離れた場所で叫ぶノクト。

なんでこんなことになるんだ。普通に生きてきただけなのになんてことを思いながら走る。面倒事に巻き込まれたことに頭を悩ませ、それでいて年下なんかに振り回される自分に悲しくなってくる。

と、また別の出口を見つける。今度こそ外に出られたらいいね。

 

 

「こうして、君と二人きりになれるなんて夢みたいだよ。“微熱のキュルケ”」

 

「ふふ··············今夜は微熱じゃ済まなそう」

 

 

なんかその前の噴水でまたもやカップルがイチャイチャしているが、そんなのもうどうでもいい。

それよりもだ。

 

 

「はぁ、はぁ··············ようやく、見つけたッ!!」

 

 

探し求めていたものが目の前に現れたことに歓喜する。

外の風景が見えることから、あそこが出口のようだ。こんなところに長居する道理はない。それに、追跡者も追ってきてるのだ。

 

ならば急いで外に出なくては。

 

こんなにも荒い息を吐かせた場所からはおさらばだと言わんばかりに、ゴールを目指して走り出す。

 

 

「ん? あいつ、確かゼロのルイズの··············」

 

「えぇ··············平民の使い魔だわ」

 

 

背景の声に応じている暇はない。

周りの景色を無視して、とにかく外を目指して走る。

 

 

「いた!! あそこよ!!」

 

「ああ!」

 

 

と。後ろから新しい声が滑り込んでくる。

 

 

「ねぇ、あんた達何やってんの?」

 

「いや、それが聞いてくれよ」

 

「急いでッ!! 逃げられるわッ!!」

 

「おおっと」

 

 

背後では甲高い声なんかが交差しているが、もう構う必要はない。

外から中に、中から外に出るための階段なんて使用せず、ノクトは飛んでその行動を省略させる。

 

 

「くそ、こんなわけのわかんねぇ場所、とっとと────ッ!!」

 

 

ようやく手に入れた自由、それを実感した。

 

そこで異変が起こった。

 

 

「は?」

 

 

気がつくと、足の裏の感覚がなかった。それどころか、一瞬内蔵すら浮いているような感覚がやってきた。

 

そこで気づいた。自分の体は浮いているのだと。

 

 

「はぁ!?」

 

 

ふざけた現象にノクトは腹を立てる。

あと一歩というところで、わけのわかんない出来事がノクトを襲う。

 

 

「な、なんだよこれ!?」

 

「勘弁してほしいな」

 

「!?」

 

「君を浮かべるのは、これで二度目だ」

 

 

ふざけた調子の声が下から聞こえてくる。

あの気障な野郎が、一本のバラを弄ぶようにして振るわれると、ノクトの体もそれに合わせるように揺らされる。

 

 

「ちょ、おいッ!! やめろッ!!」

 

 

夜空が照らす中で、ノクトの声が響き渡る。

 

 

「あははッ!! 主人から逃げ出す使い魔なんて··············おかしすぎッ!!」

 

「むッ!!」

 

 

ぎゃあぎゃあと騒がしい声が耳には入ってくる。

 

ルイズはそれに睨み目を向けるが、こっちはそれ以上に腹が立っている。

 

見た目は二十歳前後に見えるかもしれないが、少なくともあいつらよりは年上の自分が、年下どもからのからかわれるように弄ばれている現状にムカつきながら、下に入る気障野郎に怒鳴り声を上げようとしたその瞬間、

 

 

「···················は?」

 

 

と、ここまで来てようやくノクトは異変に気づいた。

 

思わずポカンとしてしまうノクトは苛立ちなど忘れてしまった。

 

その異変に気づいたのは、『夜空に浮かぶもの』。彼は明らかにあり得ないものを目にしてしまった。一瞬、自分自身の目を疑う。幻覚かとも思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何故···································()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「········嘘っ!? マジかっ!?」

 

 

ノクトはわずかに思考し、そして結論を得る。ここまで来れば嫌でもノクトでも推測できる。

 

赤い月に青い月。

 

故郷ではありえない光景に、ノクトはとっさに理解した。事情を説明するまでもない、今の自分の状況に。

 

そう、この時をもってしてノクトは完全に理解したのだ。

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 



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第3章

 

 

「································おい」

 

「何よ、あんたが悪いんでしょ。主人の元から逃げるなんて、普通なら死刑よ死刑」

 

「脱走兵じゃねぇんだから罪もっと軽くしろよ。ついでにこれも······················ていうか、俺に対してこんなことをしていることの方が罪が重いわ」

 

「? なんか言った?」

 

「別に···········んなことよりこれ、外してくれよ」

 

 

ノクトに素敵なアクセサリーがつけられております。

南京錠付きのとても丈夫な革製のペット用チョーカーには、それ以上に頑丈な鎖が近くの柱に繋がれております。その首輪はグリフォンだろうが、ドラゴンだろうが幻獣神獣全部含めて簡単に引きちぎることは不可能です。愛するペットのためにつくられた特注品のようです。ペットが近くにいる、もう逃がさないぞというペット想いの強さが伝わってきますね。ご主人に仕える者がちゃんと目の前にいる、ただそれだけで安心感を覚える。そんな気がしませんか?

 

貴族のルイズがもう逃げられないようにとつけられた首輪は、王族であるノクトを不満にさせる。

 

自分の国だったら絶対ルイズの方が悪いってことになるが、あいにくここは別世界。自分の常識やルールは一切通用しないことがわかって、かつてあった怒りはもうすでに消え去っていた。

 

 

「ダメ。それ外したらまたあんた逃げ出すでしょ」

 

「もう逃げねぇよ······················どこ行ったって帰れねぇってことわかったし」

 

「? 何それ、どういうこと?」

 

「······················」

 

 

ノクトはその声に応答せず、ただ空に浮かぶ二つの月をじっと見つめていた。そんなノクトを、夜食のパンを握りつつ怪訝な目をしながらルイズがこちらを見ている。

 

二人はテーブルを挟んだ椅子に腰掛けている(一方は絶賛鎖首輪で拘束中)。

 

だが今のノクトにはそんなのどうでも良かった。夜空に浮かぶ月、鼻孔をくすぐる草原とアンティークな部屋の香り。どれもこれもノクトには縁もないものだった。自分は鉄筋機構が埋め込まれた都会の中で育った。さっきあの気障な野郎に空中に浮かばされた時、ほんのちょっとだけ壁の向こうが見えた。壁の向こうにあったのはビルでもなくコンクリートで出来た道路でもなく、どこまで行っても果てしない草原が広がっていた。

 

その事実が、さっきまであった希望を粉々に打ち砕いた。ノクトは二つの月を見ながら絶望的な事実を思う。

 

 

(·········これから俺、どうすりゃ良いんだ···········)

 

 

彼は一度死んだこともあり、ただ死人のようにぐったりしながら、空に浮かぶ月を眺めている。

 

もう、帰る場所は無い。

 

帰ろうにもここは異世界だ。それはこの城と、空に浮かぶ二つの月が証明している。

 

 

何より自分は、死んでいる。

 

 

死んだ人間が元の世界に帰れば大混乱になる。闇を祓うために命を捧げた王子が生き返って戻ってきたなんてことになったら民の皆はどう思うのだろうか。喜ばれるか、もしくは怖がれるか。自分の世界には『シガイ』と呼ばれる化物がいる。『シガイ』は夜のうちしか行動できず、洞窟内とか常に太陽光が当たらない場所で生息している。

 

そしてその正体は、『人間』。原因は、『寄生虫』。

 

寄生虫が人間に寄生した結果、耐えられなくなった人間は死に、寄生虫に体を奪われて怪物の姿へと変貌する。言うなれば、死んだ人間の成れの果て。ノクトはそうでないかもしれないが、死んだ人間が姿を現せばシガイと思われる可能性は高い。そんな自分に帰る資格があるのか、そもそもみんなは受け入れてくれるのか。

 

というか、だ。

 

帰る場所もなければ、その手段もないし手がかりもない。まさに八方塞がりの状態の中だ。ここで笑う事ができれば少しは気が紛れるのだろうが、生憎今はそんな気分ではなかった。戦いの最中、そのまま玉座へと向かったノクトはそこでそのまま命を捧げた。それでどういうわけか、ルイズという自称貴族の少女にここに召喚されたので、今のノクトには何もない。

 

 

························いや、正確にはあった。

 

 

「·······································」

 

 

ノクトは無言で胸に手を置く。

確かにそこにはある。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。前にルイズは自分がここに呼び出された時、ノクトの体から数本の剣が生えたと言っていた。しかも瞳の色を真っ赤にして、だ。

 

つまりノクトには残されているのだ、『()()()()()()()()』が。

 

これだけが、自分が持っているただ一つの所有物だった。

 

 

「·················」

 

「な、何よ?」

 

 

ノクトはまたもや無言でルイズの顔を見つめる。

すると、彼女はどこか警戒したような声をノクトに返す。

 

彼女は自分を召喚した少女。

 

悪く言えば自分をこんな世界に召喚した元凶。面倒なことになってしまった上に、自分はご主人様だ、そしてあなたは私の僕なのだから黙っていうことを聞きなさいと言ってきている災厄。平民を使い魔にするなんて聞いたことがない、馬鹿げてるわなんて言っていたが、こちらからすれば王族が貴族に仕えるなんてことの方が聞いたこともないし馬鹿げてやがる。

 

だがよく言えば、彼女は命の恩人だった。視点を変えれば彼女は、命が尽きるノクトを別の世界に転生させて命を救ったのだ。死者の国であいつを倒した自分はあのまま消えるはずだった。もう見ることのない朝日を見ることができた。

 

つまり、結果はどうあれ自分の命は彼女に救われたのだ。

 

 

「··································」

 

 

今の自分をもう一度振り返ってみよう。

 

自分は死んでいる。死んだ身として扱われている。ルシス王国の次期国王は亡くなられた。そんな奴が元の世界に帰ったらどう見られるか。シガイとして見られるか、受け入れてくれるのか、それはわからない。何より帰る手段がない。帰り方もわからないまま、元の世界のことなど考えてもいい考えが出てこない。

 

そして、今自分が置かれている状況。

 

今自分は異世界に来ている。ここではノクトはただの一般人。悔しくも、自分のご先祖様の兄上様と同じ状況に陥っている。自分は確かに王だが、ここではその肩書きはなんの意味もなさない。城もない、家来もいない、忠誠を誓ってくれる民たちもいない。王権を剥奪されたわけではないが、なんの意味もなさない王権などただの一般人と変わらない。

 

果たして、死んだ王に自分は王子だという資格はあるのだろうか?

 

プライドだとか、そういう問題じゃない。現実的に、自分はもう王子ではないのだ。

 

 

「·································」

 

 

頭が回らない。

先程までの怒りが、全て冷めてしまった。自分はこの子よりも階級はない。

 

大きく重たいため息をつき、左手の甲を見る。そこには契約のときに刻まれたルーンがある。このルーンが使い魔の証。見方を変えれば足枷、別の視点で言えば恩人の烙印。

 

帰る場所もない、手段もない。故に居場所もない、何もない。

 

そう考えたノクトは、やがて諦めたように肩をすくめて、

 

 

「····························なぁ、ルイズ··············だっけ?」

 

「? 何よ?」

 

 

彼女の顔を見据える。

 

空気が変わってしまったノクトにルイズは少々引いてしまうが、ノクトは構わず続ける。

 

元凶に、恩人に、ノクトは言った。

 

 

 

「··························使い魔って、具体的に何すんだ?」

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

「··········································!?」

 

 

するとその言葉がよほど予想外だったのか、ルイズは目を丸くして、

 

 

「ど、どうしたのよいきなり」

 

「いや、元の世··················元いた場所に帰れねぇってわかった以上、残ってるのはお前の言う使い魔ってのになるしかねぇなって思って」

 

「? どういうことよ?」

 

 

使い魔になってくれるという事実にホッとする反面、この局面でいきなり使い魔になると言い出して来たノクトにルイズは怪訝な顔になる。

 

 

「言った通りだよ。俺にはもう帰る場所すらねぇんだ」

 

「い、いきなりどうしたのよ!? さっきまであんたそんなキャラじゃなかったでしょう!?」

 

「じゃ、気が変わったって言えばいいか? お前が最初嫌だったように、諦めてお前の使い魔になるって言えば都合がいいのか?」

 

「!?」

 

「俺のことが嫌なら別に追い出しゃいい。でも一応、俺の意思だけは伝えとこうと思ってな················」

 

 

ルイズの表情が変わった。

つい先程までの青年の怒り狂った感情が一切なくなっていた。

 

彼にあるのは、無。

 

あるのはご先祖様のお守りのみ、ならば、彼女の使い魔になって彼女の世話をするのも悪くはない。この世界で死んだとしてもそれならそれで構わない。誰も悲しまないし、どうせすぐに忘れられる。ここでは後世に名を残すようなことをやったわけでもないし、シガイとか、世界が闇に覆われたわけでもない。自分はこの世界では何も持たない、役に立たない、ただの人間。死んだところで世界は変わらない。ノクトがこんなにも自分の命に無頓着に見えるのは、喪失感のせいというのが大きい。

 

ノクトが心に負った傷は深い。何もなくなったことによって引き起こされた自暴自棄というのもあるかもしれない。

 

そんな自分に唯一あるものは、彼女の僕になること。ただそれだけだ。選択肢が限られてしまっている以上、自分が選べるものはこれしかない

 

 

「········································」

 

 

一方ルイズは、しばらくの間ポカンと口を大きく開けて唖然としていたが、ノクトが自分から使い魔になると言い出したせいか、打って変わって無い胸を張りながらふんと鼻を鳴らした。

 

 

「じ、自分から言い出すとは殊勝な心がけね。良いわ、教えてあげる!」

 

 

やっと私のターン!!

歓喜に包まれたルイズは勢いよく立ち上がってノクトに説明をし始めた。

 

 

「まず使い魔は主人の目となり、耳となる能力を与えられるわ」

 

「····························そりゃつまり、俺が見ているものをお前も見る事ができるってわけか?」

 

「そういう事。でも、あんたじゃ無理みたいね。私、何にも見えないもん!」

 

「あっそう」

 

「それから、使い魔は主人の望む物を見つけてくるのよ。例えば秘薬とかね」

 

「秘薬って··············具体的にどんな?」

 

「特定の魔法を使う時に使用する触媒よ。硫黄とか、コケとか····························でもあんたじゃ無理そうね。秘薬の存在すら知らないのに」

 

「まぁ、見た目とか特徴がわかれば普通に取ってこれるぞ。つっても、大体のものは店とかで買えんじゃねぇの? 知らねぇけど」

 

「使い魔が見つけてこなきゃ意味がないの!! ま、そこは別に期待してなかったから気にしてないけどねっ!!」

 

 

ルイズは苛立たしそうに言葉を続けた。

 

 

「そしてこれが一番なんだけど····················使い魔は、主人を護る存在であるのよ! その能力で、主人を敵から護るのが一番の役目! でも、あんたじゃ無理そうね··········弱そうだし、そこらへんにいる小型の動物にも負けそう」

 

 

ここでルイズはノクトをまじまじと見つめた。

自分とそう変わらない年齢差に締まりのない表情、風貌からして見ても、ルイズの想像する『どんな苦境からも守ってくれそうな戦士』には到底見えなかった。

 

そんな失礼なことを考えているルイズに対してノクトは、

 

 

「いや、そうでもねぇぞ?」

 

「え?」

 

「これでも腕っ節には自信があるし、なんならこの学園にいるやつの中では俺が一番強いかもな」

 

「························あんた、頭大丈夫? 平民が貴族に勝てるわけないでしょう?」

 

 

つい先程この世界について聞いたが、どうやらここは魔法が発達した魔法国家のようであった。

全く事情が飲み込めなかったノクトに、ルイズは面倒臭そうに説明してくれた。魔法が使えるものは地位が高いものしかおらず、神からの授かりものということで使えるものは神に愛されたものとして扱われ、貴族としての地位を確立する。

 

魔法が使えないものはただの一般人、つまり平民として扱われる。

 

第三者から見れば、ノクトはただの一般人。故に、魔法が使える貴族を相手にすれば即死ぬだろう。

 

なんてことを思うが、ノクトは自信満々にフッと鼻で笑って、

 

 

「やってみねぇとわかんねぇぞ? まあ、決闘とか襲撃とかそんなことが起きない限り、『この力』に頼ることはなさそうだけどな」

 

 

そう言ってノクトは胸に手を当てる。

 

その動作になんの意味があるのかわからなかったルイズは平民の戯言だと思ってあ〜はいはいそうですかと聞き流した。平民がメイジにかなうはずない。幻獣とかなら並大抵の敵には負けないけど、こんな奴のどこにそんな力があるのかわからなかった。

 

だが実際、ノクトは相当強い。

 

何故なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()。戦い方次第ではグリフォンやドラゴンすらも超える存在なのだ。

 

しかし、そんな事をルイズが知っているはずが無く、

 

 

「ま、だからあんたにできそうな事をやらせてあげる。洗濯。掃除。その他雑用」

 

「は?」

 

「それくらいのことはできるでしょ? 使い魔なんだからご主人の命令は絶対!!」

 

「································まじで?」

 

「何よ! 不満でもあるっていうの!? 言っとくけど、もしできないとか抜かすんだったらご飯抜きだからね!!」

 

「·······································はい」

 

「わかればよろしい··························ふぁ~あ、喋ったら眠くなっちゃったわ」

 

 

そう言ってルイズはあくびをした。

時間はもう深夜といったところ、夜風が窓から侵入し、外には満点の星空が広がっている。都会のルシスでは見れない光景に、ノクトは思わず見とれてしまう。

 

で、だ。

 

 

「俺はどこで寝りゃいいんだ?」

 

「もちろん、そこ」

 

 

ルイズは床を指差した。

 

先程ノクトが気絶した際に寝ていた藁の上で寝ろということらしい。

 

 

「··························ま、藁があるだけマシだな」

 

「?」

 

 

文句の一つでも飛んでくると思ったが、意外と素直にノクトは受け入れた。

 

まぁベッドは一つしかないからしょうがないかと諦めたのもあったし、何より、ずっと外で過ごしてきたこともあってかこういうのは慣れっこだ。寝袋で寝たとしても、テントの底にたまに石があって寝転ぶだけで痛かったのもあったし、柔らかい地面だけでもまだマシだった。

 

 

「でもせめて何かかけるものくらいくれよ。風邪ひくわ」

 

「まぁ、それくらいならくれてやるわ」

 

 

毛布を一枚投げてよこしてくれたので、さらにマシになりそうである。

それからルイズはブラウスのボタンに手を掛け、一個ずつボタンを外していく。

 

 

「!? お、お前、また!?」

 

「?」

 

 

すると下着が露わになったので、さすがのノクトも慌てて声を上げた。

 

一回だけでなく二度までも、なんなのこいつ。恥じらいもなく男がいる前で平然と脱ぐなんて、脱ぎ癖でもあんのか!?

 

しかし、きょとんとした声で、ルイズが言った。

 

 

「寝るから、着替えるのよ」

 

「い、いやそういう問題じゃねぇし! いくら何でも男の前で着替えるのはおかしいだろ!?」

 

「男? 誰が? あんたはただの使い魔でしょうが」

 

「はぁ?」

 

「使い魔に見られたって、何とも思わないわ」

 

「······················マジないわっ!」

 

 

どうやら本当に犬か猫扱いらしい。

男として認識していないどころか、人間扱いもされていないという事実は、ノクトのプライドを大きく傷つけた。王族であった自分のプライドがもはやゴミのように思えてきた。

 

そんなノクトの前に、ぱさぱさっと何かが飛んできて、何だと思いながらそれを取り上げる。

 

下着でした。

 

 

「じゃあこれ、明日になったら洗濯しといて。あとちゃんと朝になったら起こすのよ、いいわね」

 

「じゃあって····················いや、その前にこれ外せよ!!」

 

「ちゃんとやったら外してあげる」

 

 

レースの付いたキャミソールに、パンツだった。白く、精巧で緻密な作りをしている。女性の下着に顔を赤くするものの、ノクトはそれらを床に置いてこの首輪を外すように要求する。

 

しかし、聞き入れてくれなかった。

 

その後、ルイズがぱちんと指を弾くとランプの明かりが消えた。どうやらランプまで魔法らしい。

 

 

「····························はぁ、マジないわ」

 

 

負の感情が篭った息を重たく吐くも、ようやく平穏を取り戻した室内にノクトは渋々床に寝転がる。実のところ彼もまた疲労困憊していた、一日の間にあまりに多くのことが身に起きすぎたのだ。

 

魔法が発達した国、ハルケギニア大陸。トリステイン。魔法に使い魔。二つの月。

 

そして、転生。

 

 

「························································」

 

 

ルシス王国に戻れる日は来るのだろうか。

 

もし戻ったとして、みんなは受け入れてくれるのだろうか、そんな不安はあるが今は目の前の状況を打破しなくてはならないことは確かだ。

 

 

「国も帰る場所もねぇ王子が貴族の召使いになるとか··················ハッ、馬鹿げてるよな」

 

 

そう呟き静かに目を閉じる。同時に猛烈な睡魔が襲ってきた。

 

今頃、向こうは自分が死んだことで大騒ぎでもしているのだろうか、そして、無事に朝を取り戻すことはできたんだろうか。今もなお必死で国の復興の為に動いている彼等の姿が容易に想像出来るだけに、少し罪悪感に苛まれた。

 

 

(悪いな······················グラディオ、プロンプト、イグニス)

 

 

 

約束守れなくて───

 

 

 

そう口にして、そのまま睡魔に身を任せるように深い眠りに落ちて行った。

 

 



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第4章

 

 

使い魔のルーンというものは契約の証。

 

その証の模様は様々だ。なぜ模様が違うのか、なぜ全て一緒ではないのか、具体的な理由は未だによくわかっていないが、大体は皆が見慣れているような模様だった。

 

 

「··········································」

 

 

しかし、中には例外があるようだ。

模様が違うのは、個体のレア度のせいという説もある。相手が犬やら猫、ふくろうなんかではたいした模様ではない。逆に、竜や幻獣といったものはかなりのレア度とされ、ルーンも確認されているものでも少数だ。

 

しかしレア度が高いとはいえ、既に確認されているので世間一般では珍しくはない。よくて、あまり見ない程度だ。

 

だが、

 

 

「彼のルーンは見たことがない。少なくとも私は」

 

 

魔法使いが集う学校の図書館は一日かけても、一ヶ月かけても読みきれないほどの大量の資料が並べられている。普段は夜に入ることなど許されない。が、彼は『教師』という権利を利用し、特別にここに入ることができた。授業を終え、全ての仕事を終わらせたあと、彼は残業代もでない仕事をしていた。仕事、とは言えないな。気になるから調べているのだ。

 

にしても、だ。

 

気になるからって一日に百冊も越えるほどの資料を読み込むか?

 

ここにあるのは長い歴史がいくつも記されたものばかりだ。だが、それらのほとんどは未整理で、何処に何が記されているかなんて未だにわかっていない。ここの管理人が少しずつ中身を解析して決まったところに整理をしているようだが、それでは何十年もかかる。そんなにも大量にある資料の中から、彼は『あるルーン』が載った資料を探していた。

 

調べ始めてからもう何時間たっただろう? 少なくとももうすぐ朝日が昇る時間帯だ。やりすぎにも程があるが、彼にとっては何の苦でもない。むしろ楽しいと思うほどであった。

 

大量の資料が氾濫しているなかで、彼はついに探し求めていたものを引き当てる。

 

 

「これだ··············!」

 

 

そこにあったのは、『あの青年が左手に宿していたルーン』。

ランダムに刻まれるはずのルーンの中で、全くといっていいほど見ないルーンが、そこには記されていた。

 

 

「····························これはッ!?」

 

 

記されていた内容を深く読めば読むほど彼の眉間のシワは深くなる。

図書館の一角を埋め尽くさんばかりの本の溜まり場からやっと見つけ出した資料には、驚くべき事実が書き残されていた。これを書いたものは誰なのか、そのルーンを見たのは誰なのか、そんなことは今は些細なことでさほど興味はない。後で調べればいいことだ。

 

それよりも重要なのは、このルーンに記されている意味だ。

それぞれの使い魔のルーンには意味が込められているが、大体が『主人の目となり耳となれ』だ。

 

だがここに書かれているのは違う。ここに書かれているのは、それ以上に重い使命。

 

今思えば納得だった。ここに記されているのが本当なら、平民のはずの彼が、あんなわけのわからないことをしでかしたのも納得がいく。原理とかそういうのは不明だが、記されている内容だけで納得がいってしまった。それほどまでに、ここに書かれていることは説得力があったのだ。

 

内容を読み込みすぎて、今日も授業があるというのにそんな準備をすることもなく読み込んでいく。朝日が完全に昇っても、朝の朝食がもう用意されていても、そんなことをすっかり忘れてしまっていた“コルベール”が、記された内容を茫然としたまま呟いた。

 

 

「伝説の使い魔····························『ガンダールヴ』」

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

「··········································」

 

「スゥー··············スゥー··············」

 

 

魔法使いで貴族の少女、ルイズは不機嫌そうな目つきで、昨日呼び出した平民を見下ろしている。

 

この世界は世界観的にはかなり昔になってはいるが、一応ここにも学校という学舎はある。数学とか、国語とかそういうのではなく、一般人には理解できない異能の力の使い方について教わっている。魔法を使うには、体力と精神ともに必要になる。

 

故に、学生であるルイズにとって、朝の時間は貴重である。

 

朝食もあるし、朝からある授業の準備もある。なので、朝からの支度は必須科目だ。いつまでも寝てはいられないし、いつまでも怠けてはいられない。

 

 

「なのに··············なのに··············ッ!!」

 

 

いつものように朝起きたものの、今日からは少し違った日常を送ることになる。

 

だからこそ、明日からは大変になりそうだなということは覚悟していた。

 

だからこそ、そいつに朝からのサポートも頼んでもいた。

 

だからこそ、この結果になってしまった。

 

 

「スゥー··············スゥー··············」

 

 

運命とは残酷に出来ているものらしい。

ルイズが呼び出したのは残念ながら今までルイズ側として生活を送ってきたものだった。だから朝起こすとか、着替えを用意するとか、洗濯とかそんな雑用については縁もゆかりもない。

 

ルイズは知らないが、貴族と王族。

 

住んできた世界が違うとはいえ、ここでは王様のルールは通用しない。どうにかこうにか、この溢れ出てくるものを抑えられないかやってみたかったが、やはりルイズには何ともならなかった。お互い色んなことを抱えている身とはいえ、朝起きたら状況は一変した。

 

何かの間違いか、見間違いか、なんなら記憶そのものを疑った。

 

 

 

 

 

何故··············先に起きていなければならない奴が、今もなお気持ち良さそうに寝ていやがるんだ?

 

 

 

 

 

「こ、こ、こここここここ、この····························ッ!!」

 

 

ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ、とルイズはほとんど唇を動かさないで何かを呟き、ほとんど八つ当たり気味に、

 

そして怒りが全てを埋め尽くした。

 

 

 

「起きろバカ犬ぅぅぅううううううううううううううううううううッ!!」

 

 

 

チュドオオオオオオオオンッ!!

 

 

 

もう怒号とか体罰とかでなく。

初っぱなから盛大で芸術的な爆発が部屋中を舞った。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

トリステイン魔法学院の食堂は、学院の敷地内で一番背の高い真ん中の本塔の中にあった。食堂の中には長いテーブルが三つほど並んでおり、百人は優に座れるだろう。

 

ルイズ達二年生のテーブルは、その真ん中だった。

 

どうやら学年ごとにマントの色が決められているらしく、食堂の正面に向かって左隣のテーブルに並んでいる、少し大人びた雰囲気のメイジ達は全員紫色のマントを着けていた。雰囲気からして、三年生なのだろう。右隣のテーブルのメイジ達は、茶色のマントを身に着けているので恐らく一年生だ。ルイズによると学院の中の全てのメイジ達、つまり生徒も先生も全員平等にここで食事を摂るらしい。

 

そんな中に、異物が混じっていた。

 

 

「来た!」

 

 

誰かがそう言うと、多くの視線が食堂の入り口へと注がれる。

そこには、もう学校中で噂になっている件の平民さんがいた。皆が皆、それを見て好き勝手なことをほざきやがる。

 

 

「あれがミス・ヴァリエールが呼び出した使い魔?」

 

「ああ、噂じゃそこらへんにいるやつを連れて来たんだとか」

 

「使い魔が呼べないからってそこまでする?」

 

「しかも、ちょっと特別感を出す為にあの平民に訳のわかんない小細工をしてみんなを驚かせたんだとか」

 

「何それ! 必死すぎ!!」

 

 

どうやら、あの一件はルイズが使い魔に何か小細工をしたとして片付けられたらしい。

召喚魔法に何回も失敗したルイズがいきなり召喚に成功できるわけがないと思った誰かが、変な噂を広めてしまったらしい。何回も失敗する為、そこらへんの平民をあらかじめ用意し、たった今自分の力で召喚しましたというわざとらしい演出をした、という失礼な噂が飛び交っていた。

 

 

「おまけに、昨日の夜ご主人様の前から逃げ出したらしいぞ」

 

「あ~、だから····························」

 

 

平民さんの首に皆目が行く。

鎖は外されているが、首輪は今も尚ノクトの首に装着されている。皆からすればいい笑いものだが、こっちはそれどころではない。なぜこんな酒の肴というか、見世物みたいな屈辱を王であるノクトが味わわなければならないのか。

 

だが、中にはそうでないものもいた。

 

 

「····················ていうか」

 

「····················なんで、あんなに黒焦げてんだ?」

 

 

ノクトの様子を見て、皆が言葉を失っていた。

ノクトは周りの声が聞こえていないのかそれともどうでもよくて敢えて聞いていないのか、ただ主人の後をふらふらとついて行っていた。

 

 

「おそらく··············ミス・ヴァリエールの爆発に巻き込まれたんじゃないかと」

 

「··························お気の毒に」

 

 

中にはノクトのことを心配してくれるものもいた。

 

心配というか、同情?

おそらく、ゼロのルイズがへまをしたんだろう。いつものように魔法に失敗して爆発が起こり、それに巻き込まれてしまったんだろうと。爆発に巻き込まれたことのある生徒たち全員が、ノクトに対して慈愛の眼差しのようなものを向けていた。

 

 

「死ぬ················マジ死ぬ」

 

「ご主人の命令に背いていつまでも寝てるあんたが悪い。私がいつものように朝の習慣を守っていたからよかったけど、下手したら今頃遅刻してたかもしれないのよ。それくらいの罰は受けてもらうわ」

 

(朝から爆破で起こされるなんてかつてねぇ経験だわ································くそっ!)

 

 

言い返せないのか、心の中で文句を言うノクト。

今までは王子という身分だったので、いつもは家臣たちが起こしてくれていたので寝る癖が定着してしまっていた。一人暮らしをしていた時もイグニスが電話をかけて来てくれて起こしたり、旅に出た時もイグニスたちが必ず起こしてくれたりと、少々みんなに甘えてしまっていた。

 

しかし、ここではそうはいかない。

今の自分は目の前を歩いているこいつの僕。なんなら扱い的には下僕か?

 

王子という肩書きが通用しないので、この貴族様には逆らえない。ノクトは不満に思いつつも、この罰を受け入れることにした。

 

 

(にしても································)

 

 

そんな事はさておき、ノクトは食堂を興味深そうに見渡す。

一階の上にはロフトの中塔があり、先生達がそこで歓談に興じているのが見えた。全てのテーブルには豪華な飾り付けがなされており、いくつもの蝋燭が立てられ花が飾られ、果物がたくさん盛られた籠が乗っている。自分のところもこれくらいの豪華さはあったが、いつも父としか食事をしなかったのでこんなにも豪華な食材が大量に並べられてるのはあまり見たことがなかった。大量に置かれた高級料理に今日は何かの祝日かパーティーかと思ってしまうほどだった。

 

ノクトがその豪華絢爛さに驚いていると、得意げに指を振ってルイズが言った。彼女の鳶色の目が、悪戯っぽく輝く。

 

 

「トリステイン魔法学院で教えるのは、魔法だけじゃないのよ」

 

 

内装の豪華さに目を奪われているノクトに気づいたのか、前にいたルイズが声をかけてくる。

 

 

「メイジはほぼ全員が貴族なの。『貴族は魔法をもってしてその精神となす』のモットーのもと、貴族たるべき教育を存分に受けるのよ。だから食堂も、貴族の食卓にふさわしいものでなければならないのよ」

 

「貴族の食卓、ねぇ············」

 

 

呟きながらノクトは食堂を見渡す。

彼女の言い分は分かるが、それにしてもやけに豪華すぎるような気がする。朝からこんなに高級料理が並べられては、胃もたれを引き起こしてしまいそうだ。

 

 

「いい? ホントならあんたみたいな平民はこの『アルヴィーズの食堂』には一生入れないのよ。感謝してよね」

 

「なんだその、“アルヴィーズ”って? 誰かの名前か?」

 

「小人の名前よ。周りに像がたくさん並んでいるでしょう」

 

 

ルイズの言う通り、壁際には精巧な小人の彫像が並んでいた。

食堂になぜこんな彫像が置かれているのかそんな事はどうでもいいが、なんか見られている気がして落ち着いて食べれなそうだ。

 

 

「そんな事はいいから、椅子を引いてちょうだい。気の利かない使い魔ね」

 

「ああ、はいはい」

 

 

腕を組んでルイズが言った。

ノクトはやれやれと言うように肩をすくめながら椅子を引く。流石にちゃんとエスコートしないと文句どころかまたあの爆発が飛んでくるだろうし、ここはしっかりとご主人様の期待に答えなければなるまい。

 

ルイズが礼も言わずに腰掛けると、ノクトも隣の椅子を引き出して座った。

 

 

「しっかし············これが朝食か」

 

 

ノクトは目の前の料理に改めて絶句した。

大きい鳥のローストに、ワインや鱒の形をしたパイが並んでいる。それらから漂ってくる香りにノクトは思わず口にたまっていた唾液を一気に喉に押し込んだ。いくら貴族とはいえ、ここまで豪華にする必要があるのだろうか。まぁ、自分の時もこれくらい豪勢に出してもらってたので人のことを言えないが。

 

と、目の前の料理に目を奪われていると、ルイズが自分をじっと睨んでいる事に気付いた。

 

 

「な、なんだよ?」

 

 

その眼差しにノクトが尋ねると、彼女は静かに床を指差した。

そこには皿が一枚置いてあり、小さな肉の欠片が浮いたスープが揺れている。皿の端っこには硬そうなパンが二切れ、ぽつんと置かれていた。

 

 

「·················································なんだこれは?」

 

 

なんとなく、察しはついていた。

だが認めない、認めたくない。絶対そうではないと願いたい。

 

こんなしょぼいのが自分の食事だなんて、絶対認めない。

 

ノクトが皿を見ながら言うと、ルイズは頬杖をついて言った。

 

 

「あのね? ほんとは使い魔は、外。あんたは私の特別な計らいで、床」

 

「····································マジか」

 

「食事抜きにされないだけでもありがたく思いなさい。今日の朝のあんたを見れば普通は食事すらなしにしても生ぬるいくらいなんだから」

 

「····································ねぇわ」

 

 

そう呟きながら、不本意ながらもノクトは渋々床に座り込んだ。

どうもこの少女は使い魔の意味を履き違えているような気がする。ノクトを本格的に人間扱いしていない。貴族としてのルイズに見る目が変わったノクトであったが、ノクトが座り込むと同時に、食事の席に着いているメイジ達全員による祈りの声が唱和された。

 

 

「「「「「「偉大なる始祖ブリミルと女王陛下よ。今朝もささやかな糧を我に与えたもうた事を感謝いたします」」」」」」

 

 

これでささやかって、とノクトは呆れかえっていた。

この学院に来た時から思っていた事だが、どうもこの学院のメイジ達は貴族とは名ばかりのような気がしてならない。自分を召喚したルイズを嘲笑うし、正直言ってあまり貴族という雰囲気が感じられない。まだ自分の方が気品があったように思える。本当にここの生徒達はきちんと貴族の教育を受けているのかと疑問に思うレベルである。

 

唱和が終わると、ルイズは美味しそうに豪華な料理を頬張り始めた。

 

ノクトはただ無の感情になりながら、目の前のパンとスープにかじりつく。

 

 

「····················································································」

 

 

口の中に広がるパンの硬さに顎が痛い。

それに加えてひどく作られた味に、ノクトは自分の背筋が凍りつくのを感じた。スープなんか水で薄められたかのように味がほとんどしなかった。白湯みたいなスープに石みたいなパン。これでは本格的に犬や猫どころか奴隷の扱いだ。本来使い魔は動物なのだろうが自分はれっきとした人間である。こんなものでは腹の足しにもならない、ここまで扱いがひどいとは正直想像もしていなかった。

 

 

「·····················································································」

 

 

キランッ! と、ノクトの頬に一筋の雫が伝う。

王族である自分がこんな扱いを受けるなんて、みんなが聞いたらどう思うんだろうな~、なんてことを考えると悲しくなって来たノクトであった。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

涙を流しながら一応完食したノクトはルイズと一緒に魔法学院の教室に向かった。

 

机や椅子などが全て石で造られている点が異常に気になる。

やはりこの光景を見るとここの文明はかなり遅れているように思える。ノクトとルイズが中に入っていくと、先に教室にやってきていた生徒達が一斉に振り向くと同時にくすくすと笑い始めた。生徒達の中には昨日出会った気障な野郎、確かギーシュとか言ったか、あとは微熱だか高熱だとか言ってたキュルケもいて、彼女の周りを男子が取り囲んでいる。

 

皆、様々な使い魔を連れていた。

 

キュルケの近くにいる赤いトカゲは椅子の下で眠り込んでいる。肩にフクロウを乗せている生徒もいた。窓から巨大なヘビがこちらを覗いており、男子の一人が口笛を吹くとヘビは頭を隠した。他にも、カラスや猫などもいる。

 

 

(そりゃあんなのと比べると、俺なんか場違いなんて思われるわな)

 

 

数多くの奇妙な動物達に目を奪われていると、そんな考えが頭を過る。

呼び出すんだったらかっこいいのがいいというその気持ちは理解できる。なんなら自分が従えていた“六神”なんか、気に入らないがかっこいいと思ってしまったくらいだ。

 

ルイズもそういうのを望んでいたんだろうな、なんて事を考えているとルイズが不機嫌そうな顔をしながら席の一つに腰掛けたのが見えた。ノクトも続くように隣に座ると、ルイズがノクトを睨んだ。

 

 

「············今度は何?」

 

「ここはね、メイジの席。使い魔は座っちゃダメ」

 

「さすがに座る事ぐらいは許せよ。こんな狭いスペースに座ってるわけにもいかねぇし」

 

 

ノクトは軽く両手を広げるとルイズの抗議をあっさりと無視する。

人間扱いしていないとはいえ、流石に硬い床に座るのだけは勘弁願いたい。ルイズが何かを言おうとした直後、扉が開いて先生が入ってきた。先生が入って来た事でルイズもそれ以上言うのはやめたのか、ルイズは視線をノクトから前に映す。

 

入ってきたのは、中年の女性だった。紫色のローブに身を包み、帽子を被っている。ふくよかな頬が優しい雰囲気を漂わせていた。

 

彼女は教室を見回すと、満足そうに微笑んで言う。

 

 

「皆さん、春の使い魔召喚は大成功のようですわね。このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に様々な使い魔達を見るのがとても楽しみなのですよ」

 

 

その言葉に何故かルイズが俯くと、シュヴルーズの目がノクトに向けられた。

 

 

「おやおや。変わった使い魔を召喚したものですね、ミス・ヴァリエール」

 

 

シュヴルーズがノクトを見てとぼけた声で言うと、教室中がどっと笑いに包まれた。シュヴルーズは今朝着任したばかりでまだここには慣れていないためか生徒達の接し方がなっていない。彼女はただ純粋に平民を召喚したルイズに問いかけただけのようだが、悪意はないものの、それでも周りはそれをからかいの合図と受け取って全員が一斉に笑い出した。

 

 

「ゼロのルイズ! 召喚できないからって、その辺を歩いてた平民を連れてくるなよ!」

 

 

その言葉にルイズが立ち上がった。長いブロンドの髪を揺らし、可愛らしく澄んだ声で怒鳴る。

 

 

「違うわ! きちんと召喚したもの! こいつが来ちゃっただけよ!」

 

「嘘つくな! サモン・サーヴァントができなかっただけだろ?」

 

 

ゲラゲラと教室中の生徒が笑うのを、ノクトは冷めた目つきで見ていた。

 

 

(くだらねぇな·························それでも貴族かよ)

 

 

貴族としての立ち振る舞いがなっていない馬鹿どもを見て、ノクトは内心呆れていた。

気品らしさのかけらもない奴らの幼稚な振る舞いを見て、こいつらの実力の底がよくわかったような気がした。

 

 

「ミセス・シュヴルーズ! 侮辱されました! 風邪っぴきのマリコルヌが私を侮辱したわ!」

 

 

握りしめた拳で、ルイズが机を勢いよく叩く。

 

 

「か、風邪っぴきだと!? 僕は『風上』のマリコルヌだ! 風邪なんか引いてないぞ!」

 

「あんたのガラガラ声はまるで風邪も引いてるみたいなのよ!!」

 

(·························)

 

 

まるで小学生の喧嘩みたいだな·····················とノクトは思った。

マリコルヌと呼ばれた少年が立ち上がってルイズを睨み付けると、シュヴルーズ先生が手に持っていた小ぶりな杖を軽く振った。立ち上がった二人は糸の切れた操り人形のように、すとんと席に座った。

 

 

「ミス・ヴァリエール。ミスタ・マリコルヌ。みっともない口論はやめなさい」

 

 

その一言にルイズはしょぼんと項垂れた。シュヴルーズの一言で、さっきまでの生意気な態度が吹っ飛んだようだ。

 

 

「お友達をゼロだの風邪っぴきだのと呼んではいけません。分かりましたか?」

 

(いや、そもそもあんたが蒔いた種だろうが。何自分は関係ねぇみたいな感じで終わらせてんだよ)

 

 

ノクトはそう思うものの、口には出さず呆れたように目を細めていた。

自分のことは棚の上に上げている先生に対して、ノクトは軽い苛立ちを覚えていた。

 

 

「ミセス・シュヴルーズ。僕の風邪っぴきはただの中傷ですが、ルイズのゼロは事実です」

 

 

マリコルヌのその一言でくすくす笑いが漏れると、シュヴルーズが厳しい顔で教室を見回した。するとシュヴルーズは赤土を取り出してから杖を振るうと、笑っている生徒達の口にぴたっと赤土の粘土が押し付けられた。

 

 

「あなた達はその格好で授業を受けなさい。風紀を乱した罰です」

 

 

その一言で、教室には不自然な静寂が包まれていた。

 

だがノクトだけは納得のいっていない顔を続けていた。

 

めちゃくちゃ文句を言いたいが、生憎そんな権利はノクトにはない。平民の言うことなど、こいつらにとってはただの自然風に等しい。背景に流れるだけの音。路傍の石ころ。聞く耳を前提として持っていない奴らに何言っても無駄だと思ったノクトは、渋々おとなしくすることにした。

 

 

「では、授業を始めますよ。皆さん、私はシュヴルーズ。二つ名は『赤土』。これから一年、皆さんに土系統の魔法を教えていきたいと思います。それでは、まずは一年生のおさらいといきましょうか。魔法の四系統をご存知ですね、ミスタ・マリコルヌ?」

 

 

そうシュヴルーズが尋ねると、マリコルヌの口に貼っていた赤土を一時的に取り外した。杖を振って赤土を取り除き、見事に正解したなら罰を撤回しようという考えらしい。

 

質問されたマリコルヌは期待を裏切らないように元気よく答えた。

 

 

「はい! 『火』『土』『水』『風』の四系統です!」

 

「その通り。お見事ですねミスタ・マリコルヌ」

 

 

それを聞いてからというもの、ノクトもまた興味深くこの講義を聞いていた。

 

何でもこの世界の魔法には『火』『水』『風』『土』の四大系統が存在し、さらにそこに今は失われた系統魔法である『虚無』を合わせて全部で五つの系統があるらしい。

 

さらにシュヴルーズによると、五つの系統の中で土は最も重要なポジションを占めているという事らしい。それは彼女が『土』の系統による身びいきではなく、土系統の魔法が万物の組成を司る重要な魔法だから、という事のようだ。土系統の魔法が無ければ重要な金属を造り出す事も出来ないし、加工する事も出来ない。大きな石を切り出して建物を建てる事もできなければ、農作物の収穫も今より手間取るという事だ。

 

 

(要するに、この世界じゃ本格的に魔法が発達してるのか············それなら確かに、貴族達が力を持ってるのも分かる。でもその魔法も俺たちの世界の技術には追いついていないみたいだな)

 

 

推測だが、この世界の文化レベルはおよそ二千年ほど前のルシスに近いのかもしれない。魔法についてまだわかっていないこともあって、魔法の解析が進んでいないと見える。

 

それからシュヴルーズは机の上に置かれた石ころに向かって杖を振り上げ、短くルーンを呟くと突然石ころが光り出した。光が収まると、ただの石ころだったそれは光る金属に変わっていた。

 

 

「ゴゴ、ゴールドですか!? ミセス・シュヴルーズ!?」

 

 

キュルケが興奮したように身を乗り出した。

彼女はどうやら金目のものには目が無いらしい。しかし、シュヴルーズは首を横に振り、

 

 

「違います。ただの真鍮です。ゴールドを錬成できるのは『スクウェア』クラスのメイジだけです。私はただの············『トライアングル』ですから」

 

「·····················なぁ~んだ」

 

 

キュルケはそれがわかると急に興味がなさそうにした。

 

しかし、何の変哲もない小石が真鍮へと変化したのだ。多少の制限はあるようだが、様々な資源を人の手で生み出せるという点は大きい事である。そして、こほんともったいぶった咳をしてから、シュヴルーズは誇らしげに自分のことを自分で褒めるように『トライアングル』だのわけのわからないことを言った。

 

それを聞いたノクトは、横のルイズに小声で尋ねる。

 

 

「なぁ、ルイズ」

 

「何よ。授業中よ」

 

「わーってるって。でもちょっと気になっちまって··········あいつの言ってる『スクウェア』や『トライアングル』って何のことだ?」

 

「あいつって、仮にもあの人もメイジで先生なんだからもうちょっと言葉選んでよね。まあいいわ、『スクウェア』や『トライアングル』っていうのは系統を足せる数の事よ。それでメイジのレベルが決まるの」

 

「つまりランクのこと言ってんのか、どういう基準で決まるんだ?」

 

 

ルイズは小さな声でノクトに説明する。

 

 

「簡単に言えば、土系統の魔法はそれ単体でも使えるけど、火の系統を足せばさらに強力な呪文になるの。単体の魔法を使うメイジの事を『ドット』メイジ、二つの系統を足せるのが『ライン』メイジよ」

 

 

それを聞いてノクトは考え込むように顎に手を当てながら、

 

 

「要するに、1、2、3、4っていうのを図形の形にして表してんのか。じゃああいつは三つの系統を足せるから『トライアングル』メイジって事か。じゃあ『スクウェア』メイジは四つの系統を足せるって事なのか?」

 

「そうよ。ま、『スクウェア』メイジは超一流の証だから、滅多にいないんだけどね」

 

「それでお前は? お前はどのランクなんだ?」

 

「······················」

 

「? ルイズ?」

 

 

ノクトが何気なくした質問に、ルイズは急に黙り込んでしまった。

何か気に障る事でも言ってしまったか? そう考えたノクトは小さく肩をすくめると教壇へと視線を戻す。

 

するとシュヴルーズが席を見渡しながらこんな事を言った。

 

 

「では、誰か一人に『錬金』の魔法をしてもらいましょうか。そうですね················ミス・ヴァリエール、どうですか?」

 

「「「「「「「!?」」」」」」」

 

「····················っ!?」

 

 

名指されたルイズはきょとんとしている。

そして周りはというと、授業を進めていたシュヴルーズが『錬金』の魔法の実演にルイズを指名したことで教室にどよめきが走っていた。

 

 

「····················え? 私?」

 

「そうです。ここにある石ころを、望む金属に変えてみてください」

 

 

しかしルイズは立ち上がらない。困ったようにもじもじしている。

 

それを見て、疑問に思ったノクトが声をかけた。

 

 

「なんだよ? 行かねぇのか?」

 

「っ!!」

 

「ミス・ヴァリエール、どうしたのですか?」

 

 

シュヴルーズ先生が再び呼びかけると、キュルケが困った声で言った。

 

 

「先生」

 

「何です?」

 

「やめといた方が良いと思いますけど···························」

 

「? どうしてですか?」

 

「··················危険だからです」

 

 

キュルケがきっぱりと言うと、教室のほとんど全員がそれに同意するように頷いた。

それに対してトライアングルの称号をもらっているシュヴルーズが首を傾げている。なんならノクトでさえも皆がなんでここまでルイズにやらせたがらないのか疑問に思っていた。

 

 

「危険? どうしてですか?」

 

「ルイズに教えるのは初めてですよね?」

 

「ええ。でも、彼女が努力家という事は聞いています。さぁ、ミス・ヴァリエール。気にしないでやってごらんなさい。失敗を恐れていては、何もできませんよ?」

 

「··················ルイズ、やめて」

 

 

キュルケが蒼白な顔で言うが、ルイズは立ち上がってはっきりした声で告げる。

 

 

「やります」

 

「「「「「「「ッ!!!??」」」」」」」

 

 

そして緊張した顔で、つかつかと教室の前へと歩いて行った。

隣に立ったシュヴルーズはにっこりとルイズに笑いかけた。一方で教室中の生徒達がそそくさと机の中に退避する。一体何事かとノクトは呆気にとられながらその様子を見つめた。

 

 

「ミス・ヴァリエール。錬金したい金属を、強く心に思い浮かべるのです」

 

 

こくりと頷いて、ルイズは手に持った杖を振り上げた。

 

ノクトが周りを見てみると、ほとんどの生徒達が椅子の下に隠れてしまっていた。

 

その姿に嫌な予感を感じたノクトは、さすがに空気を読んでとりあえず自分も椅子の下に隠れる。

 

その直後だった。

 

 

 

ドガァァァァァァアアアアアアアアンッ!!

 

 

 

という凄まじい轟音が教室内に響き渡り、それに続いて窓ガラスが割れたような音がした。ノクトも驚いて椅子の下から這い出ると、教室の中は阿鼻叫喚の騒ぎになっていた。

 

キュルケのサラマンダーが先ほどの爆音に驚いてか炎を口から吐き、飛行動物も驚きのあまり勢いよく飛び上がり、外に飛び出していった。他にも、穴から先ほど顔を覗かせた大ヘビが入ってきて誰かのカラスを飲みこんだりしている。

 

ちなみにルイズとシュヴルーズは爆風をもろに受けて、床に倒れていた。

 

するとノクトと同じように椅子の下に避難していたキュルケがルイズを指差して叫んだ。

 

 

「だから言ったのよ! あいつにやらせるなって!」

 

「もう! ヴァリエールは退学にしてくれよ!」

 

「俺のラッキーが! 俺のラッキーが蛇に食われたッ!?」

 

「·····································」

 

 

その光景にノクトが呆然としていると、煤で真っ黒になったルイズがむくりと立ち上がった。

 

ブラウスが破れ華奢な肩が覗いており、しかもスカートが裂けてパンツまでもが見えていた。見るも無残な姿である。ちなみにシュヴルーズは倒れたまま動かないが、たまに痙攣しているので死んではいないようだ。

 

教室はもう大惨事だ、ガラス戸は割れ、壊れた机と椅子が散乱し何人かの生徒が下敷きになっている。

 

そして事の張本人であるルイズは大騒ぎの教室を意に介した風もなく、顔についた煤を取り出したハンカチで拭きながら、淡々とした声で言った。

 

 

「ちょっと失敗したみたいね」

 

 

その直後、ルイズは他の生徒達から猛然と反撃を食らった。

 

 

「ちょっとじゃないだろ!? ゼロのルイズッ!!」

 

「いつだって成功の確率ほとんど“ゼロのルイズ”じゃないかよ!」

 

 

納得がいった。

毎回起こる爆発についての謎が今ようやくわかった。

 

ここに来るまでに何度か聞いた彼女の『ゼロ』の二つ名、ノクトはようやくその意味を理解した。

 

 

「魔法の成功確率が『ゼロ』···········だからあいつゼロって言われてたんだな」

 

 

ノクトはジャケットについた煤を払い落しながら、これはこの先苦労しそうだと若干呆れつつ小さくため息をついた。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

「こんなもん?」

 

「················ええ、十分よ」

 

 

その後、ルイズと使い魔のノクトはめちゃくちゃになった教室の掃除を命じられた。罰として魔法を使って修理する事が禁じられたが、ルイズは魔法が使えないのであまり意味が無かった。

 

ちなみに、だ。

 

掃除を命じたミセス・シュヴルーズはその日一日錬金の講義を行わなかった。どうやらトラウマになってしまったらしい。

 

まぁ、周囲の注意も聞かずにルイズを指名してしまったんだから自業自得と言える。

 

そしてノクトは特に何も言わずに、黙々と掃除を行っている。あんまり掃除とかは得意ではないが、一応一人暮らしの時もマジで物が増えてきたら流石に片付けをしなくてはならないので、イグニスの手も借りて片付けをしたことはあるので、やり方だけは知っている。

 

新しい窓ガラスを運んだり重たい机を運んだり、煤だらけになった教室を雑巾で磨いたりなど重労働ばかりで、すでに時刻は昼休みの前にさしかかっていた。最後の瓦礫をかき集め、木箱の中に詰め込み、後はこれを捨てるだけとなった。

 

 

「························これで分かったでしょ」

 

「え?」

 

 

と、その時だった。

 

木箱を抱え教室を出ようとしたノクトに、今まで黙っていたルイズが口を開いた。そんなルイズを見て、なんのことなのか尋ねる。

 

 

「何が?」

 

「とぼけないでよ!! 私の二つ名の由来に決まってるでしょ!!」

 

 

教室に、ルイズの悲しそうな声が響き渡った。

 

 

「何を唱えても爆発ばっかり!! 魔法の成功率ゼロパーセント!! それで付いたあだ名が『ゼロ』のルイズよ!! あんただって本当は私の事馬鹿にしてるんでしょ!? 貴族のくせに魔法が使えない落ちこぼれだって!! メイジ失格のできそこないだって!! 笑えば良いじゃない!! どうせ本当の事なんだし、あんたも笑って馬鹿にすれば良いじゃない·············」

 

「····························」

 

 

ひとしきり叫ぶと、ルイズはうずくまって啜り泣き始めた。

 

 

「どうしてよ··················どうしてわたしは、魔法が使えないのよ··················どうして··················」

 

「························はぁ」

 

 

いきなりこんな愚痴を聞かされて迷惑か、と思いながらもルイズは黙れなかった。

と、気がつくとノクトはそんなルイズに背を向けており、ルイズの目も顔も見ずにして、自分の言いたいことを全て言った。

 

 

「そうだな、確かに思うわ··············これが俺のご主人様なのかってな」

 

「!?」

 

 

ルイズはそれを聞いてさらに泣き出しそうになる。

 

わかっていたとは言え、使い魔からも馬鹿にされてしまえばプライドもズタボロだった。少しは期待していたのかもしれない。愚痴を吐くことでそんなことない、あなたは一生懸命やっている、とか。でも、現実は甘くなかった。使い魔にすらバカにされて、もうルイズのプライドは限界まできていた。

 

が、ノクトは言葉を続けるようにして、ルイズに言った。

 

 

「こんな─────」

 

(こんな、才能のない奴の使い魔なんて··············でしょ)

 

 

ノクトの言いたいことを言う前に脳内で変換してしまった。

そりゃそうだ、あんなにもみんなから罵倒され続けたら嫌な想像しかしない。

 

そして、ノクトはそんなルイズに、言いたいことをはっきりと述べた。

 

 

「──────こんな、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

···································································································································································································································································································································································································································································································。

 

 

「··························え?」

 

「お前すげぇよ。こんなにも破壊力のある魔法を放つことができるなんて、普通はできねぇぞ」

 

 

ノクトは笑っていた。

そこにあるのは純粋な笑み。見たものを落ち着かせる笑み。

 

悪意も、敵意も、そんな負の感情などなく、正真正銘の彼の優しさが込められた笑みがそこにはあった。

 

 

「そもそも、周りのやつの言うことなんかいちいち気にすんなよ。相手にするだけ面倒だぞ」

 

「で、でも、実際私失敗ばかりで──────」

 

「何言ってんだ?」

 

「え?」

 

「成功してんじゃねぇか、一つだけ············ある魔法が」

 

 

え? とルイズがノクトの顔を見ると、彼は彼なりの優しい笑みを浮かべて、ルイズの顔を真っ直ぐに見て言った。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()

 

「!?」

 

「その事実だけは否定しなくていいんじゃねぇの? 今目の前にいるこの俺がそれを証明してんだから」

 

 

静かだが、不思議と力の籠った声だった。

彼はそれ以上はなにも言わなかった。その言葉だけを言い放ってまた片付けを再開した。

 

 

「························································」

 

 

対して、ルイズはその言葉を聞いてからと言うもの、胸にあった圧迫感がいつの間にか消えていた。

 

ノクトはただ純粋に自分の思ったことを述べただけだった。確かにこいつはムカつく。人の扱いも雑だし、なんなら人だと思ってない。しかし、それでもどこか見捨てられなかった。

 

理由は単純だ··············そんなものはない。

 

誰かを助けるのに一々めんどくさい理由なんていらない。彼女が抱えているものが苦しそうだったから言ったのだ。ルイズという自分よりも小さな少女の胸の内から吹き出した言葉の数々を、彼は静かに全て受け止めていた。

 

それはきっと、美しいものではなかったろう。

それはきっと、とても醜く傲慢なものだったろう。

それはきっと···········苦しくて仕方のないものだったろう。

 

それを聞けて、彼は安心したのだ。

 

彼女には彼女にしかわからない悩みがある。それがどうしても理解できてしまう。自分自身それに近い経験をしたからかもしれない。比べたらどこが似てるのかとか言われるかもしれないが、彼だって一応は王族だ。王族だった。故に、彼にしかわからない苦しみがある。

 

例えば、勝手に今日やることを押し付けられて本当にやりたいことをやらせてもらえなかった。

 

例えば、勝手に王子だからと期待されて、やったこともないものを上手くやれると勘違いされた。

 

例えば、勝手に自分達の抱えている不満を、全部この国の王子のせいだと決めつけられて批判を浴びたりした。

 

だからだろうか、どうしても彼女を見捨てられなかった。魔法が使えないからって馬鹿にされるより、魔法を試して失敗するほうがよっぽどマシだった。なにかをやる前に諦めてしまう方が、少女にとってはよほど腹が立つ。

 

そう。

 

有体に言えば、彼女は今まで拗ねていたのだ。

 

ある意味では、人間臭く。

貴族らしさもなく、そこにいたのはただの女の子。人間の女の子だった。

 

そんな子を否定する奴らこそが、本当にゼロな奴らだ。

なにも知らないくせに、どんな苦しみがあるかもわからないくせに、与えられたものだけで満足している奴の方が何の成果も上げられない。真の結果は、自分がどれほど努力したかではなかろうか。努力もなしに何も得られない。故に、馬鹿にしてきている奴らは今の状況に満足して、これからも成長することはできない。

 

挫折を経験したことがない時点で、そいつらは何も挑戦していない。しかしルイズは、失敗するかもしれないとわかっていて何回も挑戦した。挑戦した結果、彼女はついに魔法を成功させた。

 

そんなルイズを否定する権利なんて誰にもない。

 

それが、ノクトが導き出した答えだった。

 

 

「で? 笑ってお前の気が済むなら笑うけど·············笑った方がいいのか?」

 

「ひぐ···········何よ、偉そうな事言って·········」

 

 

それを聞いた途端、彼女は瞳から溢れ出ていた涙を拭いて、気持ちを切り替えたかのように、ふん! とそっぽを向いた。

 

 

「ま、まったく使い魔のくせに生意気なこと言って、礼儀のなってない使い魔ね! それと! ルイズじゃなくてご主人様って呼びなさいッ!!」

 

「はいはい、ご主人様」

 

 

ノクトは笑いながらも、ルイズの調子が元に戻った事を感じ取って内心安心した。自分にとっても彼女にとっても予想外の召喚だったとはいえ、自分にとって彼女は命の恩人なのだ。そんな彼女が泣いているのは見ていられない。

 

彼女はノクトに背を向けたまま、少し声を振るわせて大声で叫んだ。

 

 

「まったく、お腹が減ったわ! 先に食堂に行ってるから、あんたも早く来なさいよね!」

 

「はいはい、わーったよ」

 

「それと················································とう」

 

「? なんて?」

 

「な、何でもない! それじゃッ!!」

 

 

顔を真っ赤にしたルイズがノクトを置いて急足で教室を後にした。

 

 

「·············素直じゃねぇな。うちのご主人様は」

 

 

しかしノクトは、その後ろ姿を笑みを浮かべて見つめていた。

 

彼女には悪いが、ノクトにはちゃんと聞こえていた。

 

そう、彼女なりの感謝の気持ちを。

 

 

(『ありがとう』ね··································言えたじゃねぇか、ご主人様) 

 

 

 



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第5章

 

 

学院長室は、本塔の最上階にある。

トリステイン魔法学院の学院長を務めるオスマン氏は白い口髭と髪を揺らし、重厚な造りのテーブルに肘をつき、退屈を持て余していた。

 

ぼんやりと鼻毛を抜いていたが、おもむろに引き出しを引き、中から煙管を取り出す、

 

すると、部屋の隅で書き物をしていた秘書のミス・ロングビルが羽ペンを振った。煙管は宙を飛び、ミス・ロングビルの手元までやってきた。つまらなそうにオスマン氏が呟く。

 

 

「年寄りの楽しみを奪わんでくれんか、ミス································」

 

「オールド・オスマン、あなたの健康管理も私の重要な仕事なのですわ」

 

 

オスマン氏は椅子から立ち上がると、理知的な顔立ちが凛々しい、ミス・ロングビルに近づいた。

椅子に座るロングビルの後ろに立ち、重々しく目を瞑る。

 

 

「こう平和な日々が続くとな、時間の過ごし方というものが。何より重要な問題になってくるのじゃよ」

 

 

オスマン氏の顔に刻まれた皺が彼のすごしてきた歴史を物語っている。百歳とも三百歳とも言われている、本当の年齢など、彼ももはや覚えていないらしい。

 

 

「オールド・オスマン」

 

 

ロングビルは、羊皮紙の上を走らせる羽ペンから目を離さずに言った。

 

 

「なんじゃ? ミス──────」

 

「暇だからといって、私のお尻を撫でるのはやめてください」

 

 

オスマンは口を半開きにしたまま、よちよちと歩き始めた。

 

 

「そして都合が悪くなるとボケた振りをするのもやめてください」

 

 

どこまでも冷静な声で、ミス・ロングビルは言った。

オスマン氏はため息をついた。深く、苦悩が刻まれたため息であった。

 

 

「真実とはどこにあるんじゃろうか? 考えたことはあるかね? ミス・ロングビル。我が師に言わせれば、真実は──────」

 

「オールド・オスマン!」

 

 

図書室から慌てて走ってきたコルベールは、学院長室に通じる扉を勢いよく開けて部屋に飛び込んだ。

 

 

「························」

 

「························」

 

「? オールド・オスマン? ミス・ロングビル?」

 

 

一瞬、変な残像が見えた気がした。

気のせいだろうか、一瞬二人が険悪なムードになっていたように見えたのだが、ロングビルはいつものように書類整理を行い、オスマン氏は貫禄たっぷりの校長先生らしさを出すために腕を後ろに組んで窓の外を眺めている。

 

 

「··················なんじゃね?」

 

 

中にいたオスマン氏は何事もなかったかのように腕を後ろに組んで重々しく闖入者を迎え入れた。部屋の隅に置かれている机には、秘書のミス・ロングビルが机に座って書き物をしている。

 

実はセクハラする前にもオスマンは問題行動を取っていた。

ついさっきまでオスマンが使い魔のネズミ、モートソグニルを使ってロングビルの下着を覗き見るというセクハラ間違いなしの行為を行い、それが理由でオスマンがロングビルに蹴りまわされていたのだが、二人は素早く定位置に収まり、何事もなかったかのようにいつもの日常に戻っていた。

 

そんな事があったことをコルベールに微塵も悟らせなかったのを見ると、ナイスコンビネーションの上に、とんでもなく見事な早業である。

 

 

「たた、大変です!」

 

「大変な事などあるものか。全ては小事じゃ」

 

「ここ、これを見てください!」

 

 

コルベールはオスマンに今朝からずっと読んでいた書物を手渡した。

オスマンはそれを見ても一切表情を変えなかった。別に珍しくもなんともないものを持ってこられて、逆にため息までついてしまった。

 

 

「これは『始祖ブリミルの使い魔達』ではないか。まーたこのような古臭い文献など漁りおって。そんな暇があるのならたるんだ貴族達から学費を徴収するうまい手をもっと考えるんじゃよ。ミスタ················なんだっけ?」

 

「コルベールです! お忘れですか!?」

 

「そうそう。そんな名前だったな。君はどうも早口でいかんよ。で、コルベール君。この書物がどうかしたのかね?」

 

「これも見てください!」

 

 

コルベールはノクトの左手に現れたルーンのスケッチを恐る恐るといった感じで手渡した。

 

 

「っ!!」

 

 

それを見た瞬間、オスマンの表情が変わる。

先程までの下心は一切なくなり、雷撃でも浴びたように動きを止めた。オスマンはそれを認識しつつも、表情が動くことはなかった。

 

目が光り、厳しい色になって、秘書のロングビルに一次的に退出してもらうように言った。

 

 

「ミス・ロングビル。席を外しなさい」

 

 

するとロングビルは言われた通り立ち上がり、軽く一礼すると部屋から出ていった。

彼女の退室を見届けると、オスマンは口を開く。

 

 

「詳しく説明するんじゃ。ミスタ・コルベール」

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

「はぁ····························終わった」

 

 

王様らしからぬことをしてしまうことになったが、ようやくゴミの片付けが終わった。

片付けを一人でやるなんて狂気の沙汰だと思う。今まで家事についてはほとんどやって来てない人に片付けを任せればさらにやばいことになるに決まっているのに。

 

しかしやり切った。

自分の中で精一杯やって教室を片付けた。これで文句を言う奴がいたら問答無用でぶっ飛ばす自信がある。

 

 

「俺が一人でゴミの片付けをしたなんて、イグニスに言ったら驚きと感動のあまり泣き出すんじゃね? もしくは、あいつ卒倒するかもな」

 

 

なんてことを思うノクト。

なにせ彼は基本堕落に満ちており、自分で何かをやったり、何かをしだすなんてことはなかった。ほとんど側近であるイグニスにやってもらい、自分は誰かがやってもらえるからいいなんて思考で今までやってきたので、自分一人で部屋の片付けをするなんて、自分でも驚きだった。

 

ゴミを処分し終えたノクトは、改めて食堂へと向かう、先ほどの重労働のおかげで腹が空いて仕方がない。教室を出てルイズがいる食堂に向かっていたノクトは、ふとある事に気付いた。それはノクトにとって非常に重要なことで、これからのことに関わることだった。

 

 

「························俺、こっちに来てから石みてぇなパンと水みてぇなスープしか食ってねぇけど、今後もあれしか出てこねぇのか?」

 

 

こう見えても、というかノクトはグルメ派だ。

好き嫌いや偏りがあるものの、味に関してはめちゃくちゃ敏感だ。粗末な物が出されてことのないノクトからすればあんなのが口に合うわけがない。なんなら大っ嫌いな野菜の方がまだ味があってマシに思えて来た。それほど、今日のは不味かった。本当に犬の餌を食ってる気分で、正直不満しかない。

 

 

「聞く耳持たねぇと思うけどダメ元でルイズに掛け合うか」

 

 

こればかりは死活問題だ、早めに改善しないとならない。

実際、先程から自分のお腹が飢えているのか部屋中に響き渡るぐらい大ブーイングを起こしている。空いた腹を抱え肩を落とし、そして食堂に向かおうと顔を上げた。

 

 

「あの、お腹空いているんですか?」

 

「へ?」

 

 

と、後ろから声が掛かった。

振り向くと、そこにはどっからどう見ても貴族には見えない少女がいた。

 

この学院では滅多に見ない黒髪をカチューシャで纏めており、顔にはそばかすがある。彼女はノクトの顔を見て一瞬きょとんとしたが、すぐに笑顔を浮かべてこちらに近づいてきたのだ。

 

 

「················えっと、あんたは?」

 

「私ですか? 私はこの学院でメイドをしている、“シエスタ”って言います」

 

「メイド?」

 

 

確かに格好からしてメイドのようだ。どうやらこの学校は貴族たちのためにメイドといった使用人までも雇っているらしい。

するとシエスタは急に伺うような視線を向けて、ノクトの顔を覗き込んで来た。

 

 

「もしかしてと思ったんですけど、あなたはひょっとしてミス・ヴァリエールの使い魔になったっていう····················」

 

「ああ、そうだけど················俺の事知ってんの?」

 

「はい。なんでも、召喚の魔法で平民を呼んでしまったって学校中で噂になってましたから」

 

 

そう言うと少女はにっこりと笑った。

この世界に来て初めて見る屈託のない笑顔。今までずっと低民貴族どものからかいの笑いしか見ていなかったから、こんなにも心が晴れるような純粋な笑顔を見て、迂闊にもまぶたの端から一筋の涙が伝うところだった。

 

 

「この学校で雇われてるってことは、あんたも魔法使いなのか?」

 

「いえ、私は違います。あなたと同じ平民です。貴族の方々をお世話するために、ここでご奉公させていただいてるんです」

 

「ふ~ん」

 

 

実際の所は平民じゃなくて王族なのだが、さすがにそんな事を説明するわけにはいかない。なので、ノクトは普通に挨拶をする事にした。

 

 

「そうなのか。俺はノクティス・ルシス・チェラムだ。呼びにくいからノクトでいいよ。よろしくなシエスタ」

 

「ノクト··············変わったお名前ですね。よろしくお願いしますノクトさん!」

 

「おう·······で、なんの用?」

 

「いえ、たいした用事というわけではないんですが。ミス・ヴァリエールの使い魔が平民だって聞いてから私たちの間でも話題になって、どんな人なんだろうって思っていたところに見慣れない格好をした人がいたのでもしやと思って声をかけに行ったら··················ちょうどあなたのお腹が鳴ったのが聞こえてしまいまして」

 

 

と、言いながらくすっと笑いをこぼした。

彼女の目にはほのぼのとした光景に見えているようだが、当の本人にとってはそれどころではない。聞かれたくないものを聞かれた。こればっかりはどうしようもないが、しかし自分の不甲斐なさを見られてめっちゃ顔を赤くしている。

 

 

「あの、もしよろしければ今からノクトさんの分を用意いたしますけど、どうですか?」

 

「え?」

 

 

その瞬間、ノクトは何を言われたか理解できなかった。

数秒の空白を用いてようやく今日初めて会ったメイドさんの殊勝コメントの意味を理解すると、なんでか勝利の余韻に浸かった気分になった気がした。

 

 

「······················いいのか?」

 

「はい! ここで会えたのも何かの縁ですし、もっとノクトさんのことを知りたいので!」

 

「いやでも、わる──────」

 

 

そう言い切る前に、自己主張するかのごとく一段と大きな腹の音が鳴り響いた。

それを聞いたシエスタは、再びくすっと屈託の無い笑みを浮かべると、ノクトの手を引いて歩き出した。

 

 

「どうぞ、ついてきてください。賄いものでよろしかったらお出しします」

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

ノクトが連れて行かれたのは、食堂の裏にある厨房だった。

 

大きな鍋やオーブンがいくつも並んでいる。早朝から先に寝かしておいたスープの最後の手入れをしたり、今まさに味見しようと小皿に少量のスープをよそっていた料理人がゆっくりとした動作で責任者のシェフへと小皿を渡していた。そして今日の朝出した料理のソースがしつこくついた皿をシミ一つ残さずに洗っていたり、コックやシエスタのようなメイドたちが休むことなく忙しげに一生懸命に料理を作っている。

 

 

「ちょっと待っててくださいね」

 

 

ノクトを厨房の片隅にある椅子に座らせると、シエスタは小走りで厨房の奥に消えた。しばらくすると、お皿を抱えて戻ってきた。

 

皿の中には温かいシチューが入っており、香ばしい匂いが食欲を刺激させてくる。

 

 

「貴族の方々にお出しする料理のあまりもので作ったシチューです、賄い食ですがよろしければ食べてください」

 

「悪いな、ありがたくいただくよ」

 

 

ノクトはそれを受け取ると、スプーンで一口すする。

 

 

「ど、どうですか?」 

 

「あ、美味い。朝のスープとは比べ物にならない」

 

「本当ですか! お口に合いましたか?」

 

「ああ、ここにいる人達って料理上手いんだな。すっげぇ美味しいわ」

 

「よかった、おかわりもありますから、ごゆっくり」

 

 

シチューを食べるノクトの様子を見てシエスタはニコニコと微笑んだ。

確か後でルイズと待ち合わせをしているはずだったが、今はそんなことは忘れて恵の光を一身に受ける。ノクトにとってはこの世界での初めてのまともな料理が来たので、それを美味しく深く味わうようにしてあっという間に平らげた。

 

 

「ご飯、もらえなかったんですか?」

 

「いや、もらえたのは貰えた。でもあいつが用意していた朝の食事があまりに貧相だったんだよ。パンなんかすげぇ硬ぇし、スープなんか水で薄めたような感じで全然美味しくなくってさ。貴族の方が上だってわかっても平民の扱いがなってなさすぎだろ。もうちょっと俺を人間扱いしてくれてもいいと思うんだが」

 

「あはは···························でもまぁそうですよね」

 

 

シエスタは先程とはうってかわってしんみりとした口調で、そして恐る恐ると言った。

 

 

「もしメイジたちが本気になったら、私たち平民が何しようが敵わないですよね·······················」

 

「?」

 

 

暗い顔をして俯くシエスタが言ったその一言に、ノクトの眉が不審げに動く。

が、シエスタはなんでもないって感じですぐに切り替えて、ノクトに笑顔を向ける。何事もなかったかのように振舞って来たので、ノクトは何も言わずに食事を用意してくれたことに感謝した。

 

 

「ご馳走さま、ありがとなシエスタ。おかげで腹が膨れたわ」

 

「よかった、お腹が空いたらいつでもいらしてください。私達が食べているものと同じものでよかったら、お出ししますから」

 

「おう、ありがとな!」

 

 

うれしい提案である。

ここまでしてくれるとは流石に予想外だったが、これでルイズが食事を用意してくれなかった時の抜け道を確保することができた。

 

 

「せっかくご馳走になった事だし、礼として何か手伝うこととかないか?」

 

「えっ? そんないいんですよ、困った時はお互い様ですし」

 

「そう、困った時はお互い様。だから俺もなんか手伝うよ。一食の恩は返さねぇっといけねぇし」

 

 

それを聞いて、シエスタは可愛らしく顎に指を当ててうーんと言いながら、大きなケーキと皿がたくさん並んでいるのを見た。

 

丁度食後のデザートを配ろうとしたところだった。

 

 

「では、お言葉に甘えてもよろしいでしょうか。こちらのケーキを運ぶのを手伝ってくださいな」

 

「おう、任せろよ」

 

 

そう言うとノクトは、シエスタと一緒にトレイに置かれたケーキを持って食堂へと向かった。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

銀のトレイを持ち、食堂に出たノクトは、シエスタとともにケーキを配って行った。シエスタがはさみでケーキをつまみ、ノクトの持つトレイから手際良く貴族達に配って行く。

 

と、そこでノクトの動きが止まった。

 

視線の先に、あのムカつく奴がいたからだった。金髪の巻き髪にフリルの付いたシャツを着た気障なメイジ、薔薇をシャツのポケットに挿している。

 

 

(あ~、あいつか)

 

 

ノクトをからかうように宙に浮かべたあの気障野郎に周りの友人たちが、口々にあいつを冷やかしている様子が見えた。

 

 

「なあ、ギーシュ! お前、今は誰と付き合っているんだよ!?」

 

「誰が恋人なんだギーシュ!?」

 

 

その冷やかしに彼はすっと唇の前に指を立てると、お得意の気障な台詞を言った。

 

 

「付き合う? 僕にそのような特定の女性はいないのだ。薔薇は多くの人を楽しませるために咲くのだからね」

 

(····································)

 

 

その言葉を聞いて、ノクトは思わず鼻で笑う。

物腰や言い回しなどはグラディオの方が数段上だったが、あいつも中々言う。ほんっとう、よくもまぁそんな戯言を抜かすものだ。いつか痛い目見るに違いない。

 

と、その時、ギーシュのポケットから何かが落ちた。ガラスで出来た小壜だ。中に紫色の液体が揺れている。ノクトはしゃがみ込んで小瓶を拾うと、ギーシュに言った。

 

 

「おい、落としたぞ」

 

「·······································」

 

「?」

 

 

だがギーシュは振り向かなかった。

 

どうやら聞こえていて無視しているらしい。仕方ない、とノクトは思うと一旦トレイをシエスタに預けて、拾い上げたものをテーブルの上に置いた。

 

 

「ここ置いとくぞ」

 

 

それにようやく反応したのか、ギーシュは苦々しげにノクトを見つめるとその小壜を押しやった。

 

 

「これは僕のじゃない。君は何を言っているんだね?」

 

「は? お前こそ何言ってんだ? そんなわけねぇだろ、お前のポケットから落ちたんだから」

 

 

するとその小瓶の出所に気付いたギーシュの友人達が、大声で騒ぎ始める。

 

 

「おお? その香水はもしや、モンモランシーの香水じゃないのか?」

 

「そうだ! その鮮やかな紫色は、モンモランシーが自分のためだけに調合している香水だぞ!」

 

「そいつがギーシュ、お前のポケットから落ちてきたって事は、つまりお前は今モンモランシーと付き合っている。そうだな?」

 

「違う。いいかい、彼女の名誉のために言っておくが······························」

 

(······························もしかしてこいつ)

 

 

と、ノクトが何かを察した時だった。

 

ノクトが察したと同時にギーシュが何かを言おうとしたとき、後ろのテーブルに座っていた茶色のマントの少女が立ち上がりギーシュの席に向かいコツコツと歩いてきた。

 

栗色の髪をしたかわいらしい女の子。

 

あいつは確か、昨日ギーシュといた子だ。スフレを作るのが得意だとか言って、それを是非食べて見たいとか確かこちらにいるギーシュ様は言っていたな。

 

 

「ギーシュ様··························」

 

 

そう呟くと、少女はボロボロと泣き始めた。

 

 

(ああ·············やっぱりこいつ)

 

 

早すぎる伏線回収であったが、予想通りだったことにノクトは呆れてしまう。

女の子はわなわなと震えており、涙を見せないようにして顔を下に下げている。明らかに怒っている。修羅場の予感がしたが、ここは止めるべきではない。最後まで見守ろう。

 

 

「やはり、ミス・モンモランシーと····················」

 

「か、彼らは誤解しているんだケティ。良いかい、僕の心の中に住んでいるのは君だけ····················」

 

 

しかしケティと呼ばれた少女は、思いっきりギーシュの頬を引っぱたいた。パシーン! という小気味良い音が食堂内に響き渡る。

 

 

「その香水があなたのポケットから出てきたのが何よりの証拠ですわ! さようなら!」

 

「··········································」

 

 

ギーシュは頬をさすった。

すると今度は遠くの席から、一人の見事な巻き髪の少女が立ち上がった。ノクトはその少女に見覚えがあった。ノクトがこの世界に召喚された時、まだこの世界の言語が理解できていなかった時に、ルイズと口論していた少女である。

 

厳めしい顔つきで、ギーシュの席までやってくる。

 

さらなる修羅場の予感がして、ノクトは内心心臓の鼓動を早めながらその様子を見ていた。

 

 

「も、モンモランシー、誤解だ。彼女とはただ一緒に、ラ・ロシェールの森へ遠乗りをしただけで·································」

 

 

と、何かまた言い訳をしようとしているが失敗している。その証拠に、彼は冷静な態度を装っていたが、冷や汗が一滴額を伝っていた。

 

 

「やっぱり、あの一年生に手を出していたのね?」

 

「お願いだよ。『香水』のモンモランシー。咲き誇る薔薇のような顔を、そのような怒りで歪ませないでくれよ。僕まで悲しくなるじゃないか!」

 

(いや········そもそもお前が原因)

 

 

と、呆れたようにノクトが思った直後、モンモランシーはテーブルに置かれたワインの瓶を掴むと中身をどぼどぼとギーシュの頭の上からかけた。

 

まさに見事な修羅場である。

 

そして、

 

 

「この嘘つき! 最っ低ッ!!」

 

 

どこかの世界にはこういう言葉がある。

 

あなた方も聞いているとおり『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、私は言っておく。悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。(マタイによる福音書 5章39節)

 

ということで、追加として勢いよく鋭い一撃を反対側の頬にお見舞いした後、怒鳴ってその場から去って行った。常人ならオーバーキルだが、沈黙の中でギーシュはハンカチを取り出すと、ゆっくりと顔を拭いた。そして首を振りながら芝居がかかった仕草で言う。

 

 

「あのレディ達は、薔薇の存在の意味を理解していないようだ」

 

(························マジかこいつ)

 

 

元凶であるのに一切悪びれてない。

 

あの子たちはお前の身勝手な行動のせいで傷ついたというのに、何も思ってない。あんなことをしでかしても平然でいるその根性だけは流石だなと思うが、ぶっちゃけクソ野郎だ。そんないつまでも気障っぽく振る舞うギーシュの様子にノクトは呆れたような表情をしてから、シエスタから銀のトレイを受け取って再び歩き出す。

 

 

「····················待ちたまえ」

 

「あ?」

 

 

急に、後ろから呼び止められた。

振り返るとギーシュは椅子の上で体を回転させて、すさっ! と足を組んだ。いちいち気障ったらしい仕草に、ノクトは内心ムカッとしていた。

 

 

「君が軽率に香水の壜なんか拾い上げてくれたおかげで、二人のレディの名誉が傷ついた。どうしてくれるんだね?」

 

「····································は?」

 

 

呼び止めておいて何を言い出すかと思えば························まさかの人のせいか。

 

ノクトは半ば呆れた口調で言った。

 

 

「いや、お前が二股をかけてるのがそもそもの原因だろ。なに人のせいにしてんだよ」

 

「ッ!!」

 

 

いともあっさり返される正論に、ギーシュはグウの音も出ない。

 

 

「その通りだギーシュ! お前が悪い!」

 

「ふっ、ふはは、いやこっちとしては良い物を見せてもらえたけどね」

 

「あはははははっ!! ああ、ギーシュには悪いがモンモランシーにぶっ飛ばされた君の姿は傑作だった!!」

 

 

周りの友人達の笑い声で、ギーシュの顔にさっと赤みが差した。

ぐっ!? と刃物が胸にぐさっと刺さったかのように顔を顰めているが、すぐに平常心を取り戻し、

 

 

「良いかい? 給仕君。僕は君が香水の瓶をテーブルに置いた時、知らないフリをしたじゃないか。話を合わせるぐらいの機転があっても良いだろう?」

 

「いや知らねぇし。お前が蒔いた種だろうが、それを八つ当たりのように人のせいにされてもこっちが困るわ」

 

 

さらに友人達の笑い声が大きくなり、ギーシュの顔がさらに赤みを増す。

 

 

「で? もう行っていいか? これでも俺は仕事中なんだ。これに懲りたらもう二股なんて真似はすんなよ」

 

 

これ以上は間違いを起こすなよと助言したつもりだったのに、ギーシュにはどうやら逆効果だったようで余計に苛立たせてしまったようである。

 

そしてその直後、ギーシュは何かに気付いたような表情を浮かべた。

 

 

「そう言えば···········ああ、君は確かあのゼロのルイズが呼び出した平民だったな」

 

「だからなんだ?」

 

「さすがはゼロのルイズの使い魔だ! 主人が出来損ないであれば、使い魔も出来損ないというわけだ!」

 

「······························あ?」

 

 

感情が消えた。

あいつが言った言葉が耳に届いた直後、ノクトの顔からあらゆる感情が消えていた。ノクトはギーシュの方を冷たい眼差しで見つめると、いつもよりも低い声で問いかける。

 

 

「············何が言いたいんだお前は?」

 

「言った通りさ。出来損ないのゼロのルイズが召喚したなら、その使い魔も出来損ないというわけだ。そんな使い魔に貴族の機転を期待した僕が間違っていたよ。どこへなりとも行きたまえ」

 

「·····························」

 

 

ノクトの唇から、薄く薄く息が漏れた。

沈黙するノクトの耳に、あいつの馬鹿みたいな言葉が届いてくる。周りは流石に二股したギーシュが原因なのに、平民の使い魔に対してあそこまで言ったことに軽蔑しているのか黙っている。

 

 

「·····························」

 

 

その時、ノクトの手に強烈な力が篭る。

 

頭が破裂する。

今まで抑えていたものが全部綺麗に弾け飛ぶ。脳内が怒りで包まれて行き、制御していた理性が解放されて行く。

 

そして彼は、気障でうざく言ってくるギーシュに対してこう言った。

 

 

「そうかそうか、そりゃ悪かったな。気が利かなくて」

 

「ああそうさ、君のせいなんだからよく反省するんだね」

 

「ああ、よく反省しましたよ貴族様·················でも、一ついいか?」

 

「なんだね?」

 

 

へらへらとしている気障野郎は未だに余裕そうに、そして平然としているが、その態度を崩す一言をノクトは容赦なくぶつけた。

 

 

「·················そんなに俺より気が利くんなら、なんであの程度の場を切り抜けられなかったんだ? お得意の機転があるんならあいつらを傷つけることなく場を収めることだって出来たはずなのに、なんでお前は自分の責任を他人のせいにしかできなかったんだ? 平民である俺にもわかりやすく教えてくれよ貴族様?」

 

「!?」

 

「正直がっかりしたわ。気高い貴族がそんな幼稚なことしかできないなんて、怒りを通り越して呆れるしかねぇわ。二股がバレれば俺に責任を押し付けて、しかも何の関係もないあいつを馬鹿にすることしかできない奴が貴族だなんてな?」

 

 

その言葉でギーシュの顔が怒りで震え、目が光る。

 

 

「ど、どうやら君は貴族に対する礼儀を知らないようだね······························!」

 

「少なくとも、お前みたいな品のない貴族にはお目にかかったことがないな」

 

 

二人の異様な雰囲気が空間を震わせる。

周りにいた奴らもこの状況に息を飲んだ。この後の展開を予想してしまったからだ。

 

二人はしばらくお互い睨み合っていたが、やがてギーシュの方が先に口を開いた。

 

 

「良かろう。君に礼儀を教えてやろう。ちょうど良い腹ごなしだ」

 

「··············場所は?」

 

「貴族の食卓を平民の血で汚すわけにはいかない。ヴェストリの広場で待っている。ケーキを配り終わったら来たまえ」

 

 

ギーシュはくるりと体を翻し、食堂を後にする。

ギーシュの友人達がわくわくした顔で立ち上がり。ギーシュの後を追った。一人はノクトを逃がさないために見張るつもりのようでテーブルに残っている。

 

ノクトはそれを確認すると、後ろのシエスタに振り返った。

すると彼女は、どういうわけかぶるぶる震えながら、ノクトを見つめていた。

 

 

「あ、あなた殺されちゃう····················ッ!!」

 

「?」

 

「貴族を本気で怒らせたら······························ッ!!」

 

 

そう言うとシエスタは、走って逃げて行ってしまった。

ノクトがきょとんとして彼女の後ろ姿を見ていると、そんな彼に先に食堂についていたルイズが駆け寄ってくる。

 

 

「あんた! 何してたのよ! 見てたわよ!」

 

「ああルイズ。悪いな、待ち合わせしてたのに」

 

「悪いなじゃないわよ!! って、そんなことよりもあんた何勝手に決闘なんか約束してんのよ!」

 

「つってもなぁ~、もう決まっちまったし」

 

 

この期に及んでまだそんな態度でいるノクトにルイズは腹をたてる。

ルイズは一瞬そんなノクトに言葉に詰まる、しかし気を取り直し強い調子でノクトを見つめた。

 

 

「あんたの気持もわかるわ、でも聞いて。あれでもギーシュはメイジなの。あんたは平民なんだからメイジに勝てないの!」

 

「····························」

 

「あのね? 絶対に勝てないし怪我するわ。いや、怪我ですんだら運がいいわよ! 早く謝ってきなさい! 今なら許してくれるかもしれないわ!!」

 

「謝る必要ねぇし、なにも間違ったことを言ってねぇのに。それに先に因縁をつけてきたのはあいつだろ?」

 

「なんでそんな意地張るのよ! これは命令よ!! 痛い目見る前に謝ってきなさいッ!!」

 

「···························心配すんなよルイズ」

 

「え?」

 

 

彼はルイズの横を通り過ぎ、振り向かずになにも感じさせない底冷えするような声でこう言った。

 

 

()()()()()()

 

「!?」

 

 

ビクッと、ルイズは震えた。

 

青年の声が耳に届いた時、一瞬感じたことのないものを感じ取った。少なくとも、ノクトから今まで感じ取ったことのないもの。おそらく、ノクトは特になんも意識していない。無意識の中で、彼はそのセリフの中に一つの感情を込めたのだ。

 

ルイズはそのままなにも言わず、ただその場に佇んでしまっている。

 

 

「ヴェスなんちゃら広場ってのはどこだ? さっさと案内してくれ」

 

「こっちだ、平民」

 

 

ルイズを無視してノクトは歩き出し、ギーシュの友人の一人が顎をしゃくった。

 

 

「·····································································ッ!!」

 

 

ルイズは止めることだって出来たはずだ。

すぐに走れば追いつけるし、使い魔の代わりに主人である自分が謝れば済むことだった。

 

だが出来ない。

出来ないのだ。

 

ルイズの意思とかではなく、ルイズの生存本能がそうさせていたのだ。

 

少なくとも彼女は感じてしまったのだ、()()()()()()()()()()()()。納得できないのにそれを感じてしまってからというもの、どうしても身体が動かなかった。

 

 

「················································································」

 

 

ノクトの表情は変わらない。

 

むしろ、この時を待っていたという顔をしている。

 

ようやく、驕り高ぶった低級貴族どもに思い知らせるチャンスがやってきた。そう思うと、何だか楽しくなってきた。ダメだとわかっているのに、弾けるような解放感を抑えれれなかった。今、自分がどんな顔しているのか、ノクト自身には想像つかない。

 

ともあれ、これだけは自覚していた。

 

まだノクトらしさはあるものの、その中にある『王』としての器。

 

それをあいつらに見せつけようとするように、彼は純粋に笑って歩いて行く。

 

一切の同情も、哀れみもない。

ただ自然と笑みをこぼしていた。

 

 

散々自分をコケにした愚かものを地の底へと打ちのめすべく、かつて『真の王』と呼ばれた男が決闘の場へと歩いて行く。

 

 



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第6章

 

 

決闘が始まる、少し前。

 

学院長室で、コルベールは泡を飛ばしてオスマンに説明をしていた。

春の使い魔召喚の際に、ルイズが平民の青年を召喚してしまった事。ルイズがその青年と契約した証明として現れたルーン文字が気になった事。

 

そして、その平民が只者じゃないこと。

 

作為的に演出されたものだと噂されていたが、資料を調べれば調べるほどそうとは思えなくなり、気になって深くまで調べていったらある事実にたどり着いた。その事実はあまりに説得力があり、あまりに馬鹿馬鹿しい事実。誰もがその事実を受け入れようとはしないだろう。

 

世界の常識を崩してしまうような事実。

 

その正体を調べていくと····················

 

 

「始祖ブリミルの使い魔、『ガンダールヴ』に行き着いた、というわけじゃね?」

 

 

オスマンはコルベールが描いたノクトの左手に現れたルーン文字のスケッチをじっと見つめながらコルベールに尋ねる。

 

コルベールはぶんぶんと首を勢いよく縦に振りながら、

 

 

「そうです! あの青年の左手に刻まれたルーンは、伝説の使い魔『ガンダールヴ』に刻まれていたモノとまったく同じであります!」

 

「で、君の結論は?」

 

「あの青年は、『ガンダールヴ』です! これが大事じゃなくてなんなんですか!? オールド・オスマン!!」

 

「···························」

 

 

コルベールは、禿げあがった頭から溢れ出る汗をハンカチで拭いながらまくしたてた。

 

 

「ふむ··············確かに、ルーンが同じじゃ。ルーンが同じという事は、ただの平民だったその青年は『ガンダールヴ』になった、という事になるんじゃろうな」

 

「ど、どうしましょう?」

 

「しかし、それだけでそう決めつけるのは早計かもしれん」

 

「な、何故ですか?」

 

「ただの偶然ということもあり得る。今この瞬間に伝説の使い魔が現代に現れたなんて、誰が信じる? 仮にそうであったとしても、まだ確かな証拠がないんじゃ。真偽もわからないまま公にしてしまえばどうなるか···················」

 

「························それもそうですな」

 

 

オスマンは、悩むようにコツコツと机を叩く。

 

するとその時、ドアがノックされた。

 

 

「誰じゃ?」

 

「私です。オールド・オスマン」

 

 

扉の向こうから、先程席を外した秘書であるロングビルの声が聞こえてくる。

 

それを確認すると、オスマンは入室を許可して何の用なのか尋ねる。

 

 

「なんじゃ?」

 

「ヴェストリの広場で、決闘をしている生徒がいるようです。大騒ぎになっています。止めに入った教師がいましたが、生徒達に邪魔されて止められないようです」

 

「まったく、暇を持て余した貴族ほど性質(たち)の悪い生き物はおらんわい。で、誰が暴れておるんだね?」

 

「一人は、ギーシュ・ド・グラモン」

 

「あのグラモンとこのバカ息子か。親父も色の道では剛の者じゃったが、息子も輪をかけて女好きじゃ。おおかた女の子の取り合いじゃろう。で、相手は誰じゃ?」

 

「いえそれが·········メイジではありません。ミス・ヴァリエールの使い魔の青年のようです」

 

 

そのロングビルの報告に、オスマンとコルベールは顔を見合わせた。

 

 

「教師達は決闘を止めるために『眠りの鐘』の使用許可を求めております」

 

 

オスマンの目が、鷹のように鋭く光った。

 

 

「アホか。たかが子供の喧嘩に、秘法を使ってどうするんじゃ。放っておきなさい」

 

「よろしいのですか?」

 

「構わん、いざとなればワシが出向く。それでバカどもを黙らせるには十分じゃろう」

 

「分かりました」

 

 

そう言った直後、ロングビルが去って行く足音が聞こえた。

 

コルベールは唾を飲みこんで、オスマンを促す。

 

 

「オールド・オスマン」

 

「うむ」

 

 

頷いたオスマンが杖を振るうと、壁にかかった大きな鏡に、ヴェストリ広場の様子が映し出された。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

ヴェストリの広場は、魔法学院の敷地内、『風』と『火』の塔の間にある中庭にある。西側にある広場なので、そこは日中でも日があまり差さない。そのため、決闘にはうってつけの場所になっていた。

 

だが、今では噂を聞き付けた生徒達で広場は溢れかえってた。

 

 

「諸君! 決闘だ!」

 

 

ギーシュが薔薇の造花を掲げると、歓声が巻き起こる。

 

 

「ギーシュが決闘するぞ! 相手はルイズの平民の使い魔だ!」

 

 

観客は大いに盛り上がっている。

ギーシュは腕を振って歓声に応えると、やっと路傍の石ころに対して興味を持ったという風に、ノクトの方を向いた。

 

 

「とりあえず、逃げずに来た事は誉めてやろうじゃないか」

 

「はいはい、そりゃどーも··············」

 

 

適当に答えるとノクトは手足をバタバタと揺らし、戦闘の準備に集中する。

そのいつまでも余裕そうにしているノクトの様子に、ギーシュは自分の立場がわかっていないのかと呆れたようにため息をつく。

 

 

「相変わらず貴族に対しての礼儀がなってないな··············まあいい、思い知らせてやればいいだけのことだ。では、始めるか」

 

 

いつの間にか、ギーシュとノクトの周りには生徒たちが取り囲んでいた。

観衆で築き上げられたリングは、二人を逃すまいとしているように思えた。どちらかというと、ノクトに対してか。平民が逃げられないように築き上げられた見世物の場は簡易的に作られた処刑場。

 

そんな中から、ギーシュが言った直後に制止の声を挟むためにルイズが飛び出してきた。

 

 

「ギーシュ!」

 

「おおルイズ! 悪いな。君の使い魔をちょっとお借りしているよ!」

 

 

ルイズは長い髪を揺らし、よく通る声でギーシュを怒鳴りつけた。

 

 

「いい加減にして! 大体、決闘は禁止のはずでしょ!」

 

「禁止されているのは、貴族同士の決闘のみだよ。平民と貴族の間での決闘なんか、誰も禁止していない」

 

 

ギーシュのその理屈に、ルイズは言葉を詰まらせた。

 

 

「そ、それは、そんな事今まで無かったから····················」

 

「なんだいルイズ、もしかして君はそこの平民が好きなのかい?」

 

「!?」

 

 

ルイズの顔が、怒りで赤く染まった。

その一言で、割りと絶対零度だったルイズは取り乱し、怒りの矛先が一瞬ブレつつも、正気を取り戻して半分痙攣したような喉で、必死になって言葉を絞りつつ否定した。

 

 

「誰がよ! やめてよね! 自分の使い魔が、みすみす怪我するのを黙って見ていられるわけないじゃない!」

 

 

そう言うとルイズの怒りの矛先が、今度はギーシュからノクトに変わった。

 

 

「ノクティス! あんたもこんな馬鹿げた事やめなさい!」

 

「······························」

 

「なんで返事もしないのよ!? 大体あんた平民なんだし、メイジと戦えるはずがないじゃない!! 命令よ、今すぐやめなさいッ!!」

 

「·······························」

 

 

ノクトは応じず、敵の前であるからかただ一点に視線を向けている。

そう、いつまでも貴族ぶってる気障野郎へと。

 

一方、ギーシュはそんな視線をバカにするようにふふんと笑いながら、

 

 

「おやおやルイズ、君の使い魔はやっぱり出来損ないだね。返事の一つもしないとは、主人愛の欠片もない·········だけど、それでいい。決闘は決闘だ。手加減なしでいかせてもらうよ」

 

 

言いながら薔薇の花を振るうと、花弁が一枚宙に舞う。

 

するとその花弁は地面に落ち、詠唱すると花弁は地面へと消え、そこから甲冑を着こんだ人形が現れた。身長は大体人間と同じぐらい。どうやら土から錬成された人形のようで、しかも金属製のようであり淡い陽光を受けてその甲冑がきらめく。

 

 

「······························」

 

 

だが、ノクトは一切動じない。

ノクトの前に得体の知れないものが立ち塞がっても、ノクトの表情は変わらない。

 

 

「僕はメイジだ。だから魔法で戦う。よもや文句はあるまいね」

 

「·······························」

 

「どうやら、恐怖で声も出ないようだね。ああ、言い忘れたな。僕の二つ名は『青銅』。『青銅のギーシュ』だ。従って、青銅のゴーレム『ワルキューレ』がお相手する。君なんかでは相手にならないだろうが、まぁ、少しは楽しませ────」

 

 

ギーシュが自慢げに言おうとした瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ザシュッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「「「「「·················?」」」」」」」

 

「···················································え?」

 

 

その音に、皆が音の発生源へと視線を向ける。

 

ギーシュ視点から説明すると、ワルキューレと名付けられたゴーレムの後頭部から、()()()()()()()()()。やがて、青銅で作られたというゴーレムは首がだらしなく垂れ下がり、ふらふらと倒れこむ。どしゃり、と音を立て青銅のゴーレムが地に伏した。

 

と、そこに何者かがゴーレムを押し倒すようにして立っていた。

 

ギーシュがそいつが何者なのか確かめるために視線を倒れたゴーレムから徐々に上げていくと、黒いブーツから黒いズボンに、黒いズボンから黒い上着に、黒い上着からそいつの顔にと徐々に目で追いかけていくと、そこにはあの平民の顔があった。

 

そして、ゴーレムに突き刺していた『一本の剣』を引き抜くと、そいつはギーシュが言おうとしていた台詞を代わりに言った。

 

 

「少しは楽しませろよ貴族殿」

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

何が起きたのか理解できなかった。

 

自分のご自慢のゴーレムがブレるようにして急に倒れこんだ。

先程まで距離が空いていたはずだが、いつの間にかノクトはゴーレムに一瞬で近づいて何処からともなく取り出した『奇妙なデザインをした剣』でワルキューレの顔面を突き刺した、のだと気づいたのは、ゴーレムの顔面に出来た風穴を見た後の事だった。

 

 

「な··············な··············ッ!?」

 

「少しは楽しませろよ貴族殿」

 

 

退屈そうに言った。

初めて戦う相手な上に、メイジだというからどんな魔法を使ってくるかと思えば、ただの兵隊を呼び出すだけとは。しかも一撃を喰らわせて見たが、顔面に突き刺して押し倒すようにそこに移動した瞬間に、ゴーレムは呆気なく倒れこんでしまった。

 

なんて呆気なく脆い人形だ。

これでは全然本気を出せない。

 

そして、ノクトの退屈そうなその一言でようやくギーシュは我に返ると、ノクトに叫んだ。

 

 

「な、何をした!? 一体何をしたんだ平民!?」

 

「さぁな。貴族ってのは平民より優れてんだろ? なら、格下なんかに答えを求める前にその優秀な頭を働かせて考えてみろよ」

 

 

笑いながら、ノクトは『奇妙なデザインをした剣』を持った手の反対側をぷらぷらと振る。

 

皆が皆こう思っただろう、『あいついつの間に剣なんて持ったんだ?』と。何も握っていなかったはずのノクトの手に、突然剣が出現した。ノクトの左手に握られている剣はこの世界では見ない形をしていた。剣の鍔に当たる部分から妙な唸り声のようなものが鳴り響いている。

 

そして、もう一つ皆が皆こう思っただろう、『あいついつの間にワルキューレに近づいたんだ?』と。ノクトは確かに五メートル以上は離れた場所に立っていたはずだった。

 

しかし気がついた時にはワルキューレに一撃を入れていた。ワルキューレが立ち上がろうとしても頭に風穴を空けられたことで再起不能になり、ワルキューレの体を構成していた青銅の甲冑が自分の重さに耐えきれなくなり崩れていっていた。

 

 

「で、なんつったっけ? 青銅のなんちゃらだっけ? もっと呼び出さねぇのか?」

 

「ワ、ワルキューレ!!」

 

 

叫びながら、ギーシュは慌てて薔薇を振るう。

 

花弁が舞い、また地面についた途端に新たなゴーレムが現れた。

 

数の暴力で挑むのが、ギーシュの武器だ。一体しか使わなかったのは、それには及ばないと思っていたからだ。しかも今度は全てのゴーレムが剣や槍などの武器を持ち、完全に武装している。数体のゴーレムはすぐにノクトを取り囲むと、いつでも攻撃できる態勢に入る。

 

 

「ど、どうだ! 降参するなら今のうちだぞッ!?」

 

「····························」

 

 

ノクトはその問いかけに応じない。

ただ冷たく、ギーシュを睨んでいた。

 

 

「ッ!! 後悔しても遅いぞッ!! 自分の愚かさを呪え平民ッ!!」

 

 

それ以上はなにも言わず、ギーシュは薔薇を使ってゴーレム達を操る。ガシャンガシャンという関節部分の金属がぶつかり合う音を響かせてノクトへと迫り、その内の一体がノクトに向かって剣を振り下ろす。

 

が、当たらなかった。

 

 

「な··············ッ!?」

 

 

何もない虚空へと振り下ろされた剣を見て、ギーシュは驚愕に目を見開く。彼の狙いは正確だった。故に、ギーシュが狙いを間違えたわけではない。

 

突如として、ノクトの体が消えたのだ。

 

シュンッ!! と。

 

聞いたこともないがとても綺麗な音が、その振り下ろしたゴーレムの真後ろから響いてきた。

 

 

「··············遅ぇ」

 

 

平淡な声と共に、ゴーレムの頭の頂点、つむじ辺りに鋭い一撃が突き抜けた。

ゴーレムは右半身と左半身と綺麗に別れ、左右に倒れこんだ。ノクトの剣が勢いよく振り下ろされたのだと、皆がない知恵絞って揺らぐ意識でそう思った。

 

 

「めちゃくちゃ脆いな。余裕で斬れるわ」

 

 

肩で剣を担ぐノクトは小馬鹿にした様子でギーシュに話しかける。

 

 

「な··············な··············ッ!?」

 

 

だが、そんな挑発に乗る余裕はないのかさっきから変わらずに口を哀れにわなわなと震わせている。

 

またもや消えていた。

ノクトが持っていた武器が上へと放り投げられた瞬間、彼の体はその場から消えていた。そして、気がついた時には彼の体は一メートルほど上方にいた。そのまま両手を剣に揃え、全体重をかけてワルキューレを一刀両断した。わけのわかんない現象にギーシュだけでなく、皆が言葉を失っていた。

 

 

「わ、ワルキュ────ッ!!」

 

 

ギーシュが慌てて指示を出そうとしたが、もう遅い。

 

 

「そらよッ!!」

 

 

叫び、投げ槍のようにして思い切り剣をぶん投げた。この世界では見たことのない剣は空間を突き抜ける。

 

と同時に、ノクトの体がまた消えていた。

 

そして剣がゴーレムの一体に突き刺さった瞬間、ノクトの体がそこから現れた。

 

ドシュッ!! と、耳を破裂させるような音と共に、鋭い斬撃がワルキューレの体を潰しにかかる。懐に飛び込んできたことによって他のゴーレムが攻撃を加えようとするが、ノクトは先に潰しておいたゴーレムの頭を踏んで空へと跳ぶ。

 

そして上半身を捻るようにして一八〇度回転して方向転換し、剣を振り下ろした。

 

右腕を切断したことを確認すると間髪いれずにそいつの腹へと蹴りをぶち込み、吹っ飛ばしたゴーレムはボーリングのようにして他のゴーレム達を薙ぎ倒していった。

 

 

「ッ!!」

 

 

と、その時。

後ろから気配を感じたのでノクトは手を後ろへとやり、そこから『もう一本の剣』が現れた。

 

ガキンッ!! と、甲高い音がなる。

 

反対側の手にも、『羽のついた黒剣』を握らせ、死角から襲ってきたゴーレムの一撃を軽々と受け止め、

 

 

「貴族が死角から攻撃するとか、手口が三流以下だな」

 

 

返す剣で、もう片方の剣が裏拳気味にゴーレムの顔面を捉えた。

鋭く鈍い音と共にゴーレムの体が真横に吹き飛び、先程薙ぎ倒したゴーレム達の元へと激突させた。人間だったら致命傷だったろう。ゴーレムの首元に残る鋭利な刃物で斬りつけた痕は痛々しく、見た者たちの全ての背中に冷たい悪寒が走る。

 

 

「····························?」

 

 

しかし、この時ノクトは妙な違和感を感じていた。

 

()()()()()()()()()()()()

 

子供の頃に父親からもらい、旅先で何度も改造して強化した『アルテマブレード』を出現させ剣を握った瞬間、ノクトは自分の体に起こった異変に思わず目を見開いて驚いていた。体が羽のように軽くなり、握った剣が自分の体の延長のようにさらにしっくりと馴染むのだ。いつも以上に調子が出る。

 

その異変に違和感を覚えるも、ノクトは目の前の敵に集中する。

 

 

「ひ··············ッ!!」

 

 

ノクトにギロリと目を向けられたギーシュは、咄嗟に残りの一体を自分の盾に置いていた。

 

 

「··········································」

 

 

ノクトの目の色が変わった。

あんなに近くにいたのでは、あの気障野郎を巻き添えにしてしまいそうだと思ったからだ。

 

出来れば、あいつは最後まで取っておきたい。メインディッシュは一番最後に頂くものだ。先にやってしまっては面白くない。

 

だが、何の問題もない。コントロールには自信がある。

 

ノクトの前には遮蔽物はない。よくて最後の一体がギーシュの前にいるだけだ。だが、薄い。あいつからすれば分厚いはずの壁であろうが、それはノクトの前では何の意味も持たない。かつて元の世界でよく相手にしていた『魔導兵』と比べたら物凄く脆い。

 

故に、だ。

 

 

「ッ!!」

 

 

ノクトは再び『アルテマブレード』を槍のようにぶん投げる。

彼の得意分野とも言える、瞬間移動能力の『シフト』。座標を剣を投げたことによって指定出来る能力は、『王』にしか扱えない“魔法”だった。

 

剣を投げた時にはノクトの体は消え、あっという間にギーシュの前にいる最後の一体の真横まで距離を詰めてきた。

 

 

「終わりッ!!」

 

 

確かに、彼はギーシュを巻き添えにしなかった。

巻き添えにしないように、彼は未知の合金で構成されたアルテマブレードをフルスイングし、最後のゴーレムの胴体を真っ二つに切り裂いた。あまりの衝撃に上半身はぶっ飛び、鈍い音を立てて上半身だけとなった体は竹とんぼのように四回転もし、それから床に激突して動かなくなった。

 

 

「ひぃっ!?」

 

 

時間はまだ三分も経っていない。朝飯前にもならないほどあまりに呆気なく、あっという間に全てのゴーレムを平らげたノクトは腰を抜かしたギーシュに向かい歩いて行く。ギーシュは、まるで死神を見ているかのような表情で歩み寄るノクトを見上げた。

 

 

「あ、ぁぁ··············ッ!!」

 

「···········································」

 

 

迫り来る恐怖に腰を抜かしたギーシュは膝から崩れ落ちる。

 

 

そしてこう思った、自分は一体何に喧嘩を売ってしまったんだと。

 

 

これまでのノクトは、そういう素振りを見せなかった。ただの人間として立ち振る舞っていたので、皆が彼をただの平民だと誤認した。

 

だが、彼の本性をたった今知った。

 

 

彼は··············ここにいる奴ら全員を相手にしても勝ててしまう。

 

 

ただの平民だと思っていたのが間違いだった。

なんの能力も魔法も使えないとばかり思っていたので、簡単に倒せる相手だとばかり思っていた。だが実際は違った。この世界の魔法技術の常識を覆す力で、全ての障害を薙ぎ払って止まることなく前進してきたノクトに、誰もが言葉を失っていた。

 

平民なら倒せると思っていた。しかし、今はもう違う。

 

剣を使う。未知の能力を使う。こちらの心理を先読みし、最も効率的に攪乱する方法を編み出して実行する。ギーシュだって思っていた、挑発すれば理性を失って簡単に対処できると。しかしノクトはそれ以上に上手だった。単純に怒りに任せて叩き斬るだけでなく、相手に最大のダメージを与えるなら、まずは敵の策が通用しないということをわからせ、そしてその主謀者を最後まで殺さないという選択肢まで採り始める。

 

恐るべきは、彼らにとってその能力がなんなのかわからないということだ。

 

手口がわからない、相手の能力がわからない、相手の実力がわからない、故に対策のしようがない。

 

持てるもの全てを出し切ってしまったギーシュは、もう成す術がない。

 

未知なる相手に、ギーシュは驚愕し、神経は麻痺していた。

もはや恐怖を得る資格すら奪われていた。

 

目の前にいるのは怪物。

 

愚かにも、ギーシュはそいつに喧嘩を売ってしまったのだ。

 

と、その時。

 

 

パシッ! という音がノクトの手から鳴った。

 

 

先ほど見た、もう一本の剣が青い光と共に現れた。何もない空間から武器を召喚する魔法なんて聞いたことも見たこともない。しかも、彼は何のモーションもなしに魔法を発動させた。杖も使わず呪文の詠唱もせずに魔法を使ってみせたことにも驚きだった。

 

左手には、羽のような彫刻がつけられた黒い剣。そして右手には、どういう仕掛けなのかもわからないが剣の鍔に当たる部分から妙な唸り声のようなものが鳴り響いている剣。

 

その二本を················()()()()()()()()()()()()()

 

 

「「「「「「!?」」」」」」

 

「!?」

 

 

皆がそれを見て理解した。

チェックメイトを取った行動に、誰もが言葉を失う。主人も同様だった。自分の使い魔がなにをしようとしているかわかった瞬間、見る目が変わった気がした。

 

何より先程から見ている技···········なのかすらもわからない。が、超一流のメイジすら扱えないような『瞬間移動』というものを見てしまえば誰だって認識が変わる。しかも、なにもない空間から武器を取り出してしまうのを見れば、たとえどんなメイジでも驚愕するだろう。

 

武器を召喚する魔法なんて聞いたことがない。空間を瞬時に移動する魔法なんて見たことがない。少なくともここにいるメイジたち全員が絶対にできない。

 

 

·································こいつは、平民じゃない。

 

 

あの時、召喚の儀式で見たものは幻覚でも小細工でもなかった。

 

正真正銘の、本物の力。その力を使う、『怪物』

 

そして今認識が改まったところで、ノクトの姿を見る。

 

ギーシュも震える声でその意味を知った途端、情けなく命乞いをするように、

 

 

「じょ、冗談だろ····························?」

 

 

意外にも、声は甲高い。よくよく見れば、ギーシュの目には水が徐々に溜まっていっている。

 

 

「·································冗談?」

 

 

恐怖で震えるギーシュを見ても、ノクトの顔色は変わらなかった。むしろ、こんな退屈で呆気ない試合をさせたことに不満を抱いていた。もっと骨のある奴かと思って期待していたのに、素直にがっかりだった。

 

何より気高い貴族様が呆気なく膝をつけ、そしてこの期に及んで冗談だと思っているとは、見上げた根性だ。自分の方が強いと思っていたその傲慢さがこいつの中から一気に崩壊した瞬間、ノクトの瞼がつまらなそうに細くなる。

 

 

「ま、待ってくれ!! ぼ、僕が悪かった!! だからもう許してくれ!! いや、許してください!!」

 

「先に因縁をつけてきたのはお前だろ? 決闘を申し込んできたのもお前。決闘を申し込んだ時点で、お前には最後まで付き合う責任がある。それに貴族ってのは死ぬその時まで気高くいるもんだろ? なら、最後くらいちゃんとしろよ。他の貴族たちに示しがつかねぇだろうが」

 

 

それを見ても、ノクトは哀れみを感じなかった。

それどころか、両手に持っている剣に明確な力が篭る。

 

殺意。

 

二本の刃からギーシュの首元に向かって流れてくる強烈な殺意に、ギーシュは涙を浮かべながら何かを懇願している。

 

 

「あ、あぁ、あぁぁぁ······················ッ!!」

 

「······················悪いな」

 

 

ノクトは遮るように一言謝って、

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()··············()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

似合わない台詞を吐くと同時に、ノクトの足がギーシュの前へと強く踏み込む。

全身の体重移動によって強く握りしめられた二本の剣へ絶大な力が加わり、二本の剣はギーシュの首を目掛けて勢いよく交差する。

 

 

「ッ!?」

 

 

その動作を見て一番早く反応したのは、むしろギーシュではなく彼のご主人だった。

このままじゃ彼はもう戻ってこれない場所に足を踏み入れることになる。そう思うと自分の理性がそうさせるよりも早く叫んでしまっていた。

 

 

「ノクティス! やめなさ───ッ!!」

 

()()()()!」

 

「······················え?」

 

 

直後だった。

 

ルイズが止めに入るも、それは意味を成す事なく終わった。

 

 

「え?··················え?」

 

 

ギーシュもこれからくるものに耐えられず目を閉じてしまったが、いつまで経っても意識ははっきりしているし、広場の喧騒も聞こえる。ギーシュは確かに自分の首が胴を離れ、宙を舞い、数瞬後の確かな姿が脳裏に浮かんだが、予想したような衝撃はやってこなかった。

 

目を開くと、ノクトに握られていたはずの剣はすでになかった。

 

青い剣の残像のみが空中に留まっており、それも数秒後には綺麗さっぱり消えてしまっていた。

 

 

「な、なんで·········?」

 

「さすがに命を取る真似はしねぇよ。そもそも、お前が死んで何の意味があるんだ?」

 

 

ノクトは即答する。

間近で止めた剣は既になく、代わりに伸ばされた手がギーシュの額をコツンと軽く叩いた。

 

 

「で、まだやるか? やるってんならそれに応えるが?」

 

 

答えは分かっていたが、ノクトは敢えてそう尋ねた。

その問いに、ギーシュはふるふると勢いよく首を横に振りながら震えた声で言う。

 

 

「ま、参った」

 

 

それを聞いたノクトはニヤリと笑い、先程までの恐ろしげな表情と底冷えの声とはうって変わってにっこりと純粋な笑顔になると、

 

 

「これに懲りたら二度と二股なんて真似すんなよ、痛い目見るだけだし。あと、一つだけ言っとくぞ············()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「·····················ッ!!」

 

 

ノクトが言ったその言葉の意味を、ギーシュは咄嗟に理解できなかった。だが、冷静になればなるほどその言葉の真の意味を理解することができた。

 

普通に受け取れば、『他の奴は俺みたいに甘くない。だからあんまりその態度で挑むな』と捉えられるが、その先をさらに読み込めば別の意味になる。ノクトはこう言いたいんだ。単純で、もっと手短な言葉を。

 

『二度と馬鹿な真似をするな。さもないと次こそはお前の体に風穴を作ることになる』と。

 

脅しにも近い警告。警告にも近い助言。

それだけを言うと、ノクトはくるりとギーシュに背を向けて歩き出した。

 

 

「は、はい····················」

 

 

震える声でそう呟くと、後ずさろうとして慌てて尻餅を付いた。

 

格好とか屈辱とかもうどうでもいい。この恐ろしい男から離れたい。ただそれだけを一心に。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

「な················何なんだあいつ!?」

 

「ギーシュが················負けた?」

 

「貴族が························平民に?」

 

「いやでもあいつ················“魔法”みたいなことを················!?」

 

 

見ていた全員が言葉を詰まらせる。

目の前で起きていた試合、というよりかは一方的な蹂躙ショーに皆が思考を停止させていた。脳が情報を処理しきれないまま、貴族たち全員が欠如した言葉を並べている。

 

先程までただの平民だと思っていたものの認識が一瞬でガラリと変わってしまった。

 

 

「························ッ!!」

 

 

ルイズも同様だった。

周囲にいる貴族たちに混じって見ていたが、目の前で起きていた光景を現実に存在するものとして処理していいのかいけないのか、その段階で既に迷っている風に見える。

 

 

自分たちとは違う魔法。自分たちとは無縁の技術。

 

 

その存在が、たった今この世界の領域に足を踏み入れたのを見てしまった。

 

 

今まで下だと思っていた存在が、自分たちよりも上な存在だということを三分にも渡って理解した。最後にノクトはギーシュにアドバイスを送っていたが、それはここにいる全員にも向けた言葉だった。自分たちの勝手な思い込みを押し付ければ痛い目を見る。それを今回のことで学んだ。

 

平民の使い魔改め、正体不明の使い魔のノクトから。

 

 

「ノ、ノクティス!」

 

 

皆が静寂に包まれている中で歩き出したノクトの後を追いかけるように、その主人のルイズはノクトに駆け寄ってくると、ノクトの顔をまじまじと見つめながら、

 

 

「け、怪我とかはしていないみたいね······················」

 

「ああ、ルイズ。だから言ったろ? 死なねぇって」

 

「························ね、ねぇ、ノクティス」

 

「ん?」

 

 

近づいてきたルイズに対してノクトはいつもの調子で応えるが、一旦言葉を区切るとルイズは恐る恐ると言った感じでこう尋ねた。

 

 

「あんた、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()······························?」

 

 

使い魔に対して勇気を振り絞った質問だった。

ふらふらとした動きをしながら尋ねたその言葉には、若干の畏怖が紛れ込んでいた。

 

あまりのノクトの行動に、主人でさえも信じられなかった。あまりの光景に、主人であるルイズはつい現実から目を逸らしてしまっていた。

 

そんなルイズに、ノクトは迷わずにただ目を見て。

 

 

「ああ··················あれについてはただの冗談だ。いわゆるカッコつけってやつだから、戯言だと思ってくれ」

 

「で、でも! あのわけのわかんない魔法みたいなのはなんなのよ!? 平民が使えるようなものじゃないことだけは確かよね!? あんた一体なんなの!? 説明して!!」

 

「························さぁな、今の俺にも分かんねぇよ。自分が一体何者なのか」

 

 

でも、と一区切り置くとノクトはゆっくり口角を上げた。

まるでご主人様をからかうことがこの世界で唯一楽しめる娯楽のように、

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

抽象的で曖昧な返答だった。

その返答に、ルイズは喉が一気に干上がった気がした。唾を飲めば喉を裂くような痛みが発せられる。

 

 

「じゃ、また後でな。さっき運んでたトレイを厨房に戻しに行ってくるわ」

 

 

それだけを笑いながら言うと、ノクトはルイズの横を通り過ぎて行った。

声をかけようとするも、言葉が見つからない。話そうとすればどういうわけか言葉が詰まってしまう。

 

結局彼女はその後ろ姿だけを見て、そのまま見送った。

 

決闘を受ける前もただ見送るだけで終わってしまったが、今回はそれだけではない。

 

今日、この日、この時、この瞬間。

 

ルイズは思い知る。

自分の常識では説明できない存在を。

 

自分で言っていて信じられないと言った感じで、それでいて恐れながらも謎の高揚感が体の内側から湧き起こるようなテンションで、

 

こう思った。

 

 

『自分はとんでもないやつを喚び出してしまったのではないか』と

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

オスマンとコルベールは、『遠見の鏡』で一部始終を見終えると、顔を見合わせた。

 

コルベールは震えながらオスマンの名前を呼ぶ。

 

 

「オールド・オスマン」

 

「うむ」

 

「あの平民、勝ってしまいましたな··················」

 

「うむ」

 

「ギーシュは一番レベルの低い『ドット』メイジですが、それでもただの平民に遅れを取るとは思えません。だがしかし、見ましたかオールド・オスマン。()()()()()()()()()!?」

 

「うむ····················」

 

「あの動きに、()()()()()()()()()()()。我々の魔法理論では説明できない力を彼はいとも簡単にやって見せた。あんな力を持った者が平民であるはずがない!! やはり彼は『ガンダールヴ』!」

 

「うむむ············もしかすると、これは本当に··············」

 

「だから言ったではありませんか、やはり彼は伝説の使い魔『ガンダールヴ』なんですよ!」

 

 

コルベールが嬉しそうな調子でそうオスマンにまくし立てた。彼がこんなにも興奮しているのには理由がある。

 

彼は興味のあるものが目の前にあれば周りが見えなくなるタイプだ。

興味の対象物には目がなく、何が何でも真実を明らかにしたいというほどの人間。

 

あの日、ルイズが平民を召喚した時左手に現れたルーンは普通の文献には載っていない全く見たことのないルーンだった。それからコルベールは図書室へ赴き、古いものから最新のものまで本を隅々と読んで調べまわっていた。

 

そしてやっと、あのルーンに関する一冊の文献が見つかった。

 

それが、かつて始祖ブリミルが使役したとされる伝説の戦士『ガンダールヴ』。

 

主人の長い詠唱の間を守るため、あらゆる外敵を寄せ付けないその強さを持った使い魔は、一説によれば千人もの軍隊を蹴散らし、並みのメイジでは歯が立たなかったと言われる程だったとか。コルベールは熱く語りながらも考える。ルイズの部屋へと運ぶ際、念のために彼が亜人ではないかと疑問に思ったコルベールは、『ディテクト・マジック』という正体を探る魔法を使ってまで調べたが、やはり彼は普通の人間だった。

 

だが、少なくとも彼らは遠目でも確かに目撃した。

 

()()()()()()()()()()使()()()()()

 

魔法なのかはわからないが、現時点ではそう判断するしかない。何もないところから剣を呼び出す召喚術に、神速どころか瞬間移動と言える移動術。この世界ではまず使っている奴は見たことがない。武器は必ずしも召喚するには素材が必要となる。それは何もないところから生み出すことは不可能だ。そして、瞬間移動なんていうのもこの世界の魔法では実現不可。空間と空間を繋いで体を指定した座標に移動させることなどできない。もしできたとしても、体は空間に取り残されて何重にもブレて体が木っ端微塵になるだろう。

 

しかし、あの青年はやって見せた。

 

だが、もしあの力が魔法だったとしても違和感がある。彼の使っていた魔法は、『火』『水』『風』『土』の四大系統のどの系統にも当てはまらない。ならばあれは魔法ではないのかとも思ったが、

 

しかし、だ。

 

もしさっきの技が、彼の実力の片鱗であり、そしてあの力が伝説と言われた『虚無』の魔法だったとしたら────────そう思うとコルベールは身震いをした。

 

コルベールは、オスマンを促した。

 

 

「オールド・オスマン。さっそく王室に報告して、指示を仰がない事には····················」

 

「それには及ばん」

 

 

オスマンは重々しく口を開いた。

 

無論、コルベールは納得がいかずに反論する。

 

 

「どうしてですか!? これは世紀の大発見ですよ! 現代に蘇ったガンダールヴ!」

 

「ミスタ・コルベール。ガンダールヴはただの使い魔ではない」

 

「その通りです。始祖ブリミルの用いたガンダールヴ。その姿形は記述がありませんが、主人の呪文詠唱の時間を守るために特化した存在と伝え聞きます」

 

「そうじゃ。始祖ブリミルは、呪文を唱える時間が長かった。その強力な呪文ゆえに、な。知っての通り詠唱時間中のメイジは無力じゃ。その無力な間、己の体を護るために始祖ブリミルが用いた使い魔がガンダールヴ。その強さは──────」

 

 

オスマンの台詞を、コルベールが興奮した調子で引き取った。

 

 

「千人もの軍隊を一人で壊滅させるほどの力を持ち、あまつさえ並のメイジではまったく歯が立たなかったとか!」

 

「で、ミスタ・コルベール」

 

「はい」

 

「その青年は、本当にただの人間だったのかね?」

 

「はい。どこからどう見ても、ただの平民の青年でした。ミス・ヴァリエールが呼び出した際に、念のため『ディテクト・マジック』で確かめたのですが、亜人などではなく正真正銘ただ人間の青年でした」

 

「そこじゃ、そこなんじゃよミスタ・コルベール」

 

「は?」

 

「その青年を現代のガンダールヴにしたのは誰なんじゃね?」

 

「ああはい。ミス・ヴァリエールです」

 

「彼女は優秀なメイジなのかね?」

 

「いえ、優秀とは言えません。どちらかと言えば落第ギリギリの生徒でして····································」

 

 

ひどい言われようではあるが、実際彼女は第三者からすれば無能に見える。

 

ため息と共にオスマンはさっきの決闘を思い出しながら、

 

 

「それで、何か違和感を感じんか?」

 

「え? えっと················ただの人間なのに魔法を使っていたことですか?」

 

「魔法なのかはまだわからんが、それもある。あの青年が本当にただの人間なら魔法が使えるわけがない」

 

「しかし、それはおそらくガンダールヴの力で、確かガンダールヴはありとあらゆる『武器』を使いこなしたという説もありますし──────」

 

「確かにそうじゃな、だがこうは思わんかね?」

 

「?」

 

 

まだ何もわかっていないコルベールに、オスマンは一言一句全てを重要そうに説明した。

 

 

「おそらく彼は自分が伝説の使い魔だということには気づいていないじゃろう。ガンダールヴの力の正体にも気づいておらん。にも関わらずじゃ、彼はまるであの魔法を扱い慣れているようにあの力を使っていた。ガンダールヴはあくまで、ありとあらゆる『武器』を使いこなしたということしか書かれておらん。魔法の力が宿って、魔法まで使いこなせるなどという記述はどの書物にも一切書かれておらんかった。わしの勝手な解釈じゃがあれは、剣や槍といった武器のみに対応しておる力なんじゃろう。もしそうなら、いきなりわけのわからない謎の魔法が宿ったところでただの人間が即戦いの場で都合よく使えるとは思えんし、おそらくじゃがあれは、ガンダールヴの力とは別の力じゃ。つまり、はじめから彼が持っていた能力ということじゃよ」

 

「!?」

 

 

コルベールはあっと思わず声を漏らした。

 

確かにその通りだ。

あそこに書かれていたのは、ガンダールヴはありとあらゆる『武器』を使いこなしたという説しか載っていなかった。魔法の力が宿る、使いこなせるなんて書いてもいなかったし、そもそも聞いたこともない。

 

理解できない魔法の力が急に宿ってしまえばその力の使い方がわからずに混乱するはず。だが彼はあの力を何の問題もなく使って見せた。普通なら制御不能になると思うが、まるで元から使い慣れているように彼は魔法を使って戦っていた。

 

 

「では、彼はただの人間ではないと?」

 

「断定できないが、可能性は高いじゃろうな。彼にはガンダールヴの力ではない『もう一つの力』を使い魔になる前から所有していると思われる。そもそもガンダールヴの力の本質すらまだ我々には解明できていないのじゃからな。何にもわからん。そしてもう一つの問題じゃ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「··························確かに、謎ですな」

 

「まったく、謎じゃ。理由が見えん」

 

「そうですね······························」

 

「とにかく、王室のボンクラ共にガンダールヴとその主人を渡すわけにはいくまい。そんなオモチャを与えてしまっては、またぞろ戦でも引き起こすじゃろうて。宮廷で暇を持て余している連中は戦が好きじゃからな。そんな面倒なことはしたくないのでな」

 

 

洒落や冗談で言っているというような調子ではなかった。

確かにルーンのことや決闘の件から、『ガンダールヴ』なのか、そうでなくても未知の能力を備えた強者であることは事実だ。

 

ならばこれを王宮に報告したらどうなることか。

 

今のご時世、腕っ節の強いものは戦場で活躍される時代だ。この件が知れたら主人諸共戦に利用されかねない。そうオスマンは危惧したのだ。

 

 

「この件は私が預かる。他言は無用で頼むぞミスタ・コルベール」

 

「は、はい! かしこまりました!」

 

 

それからオスマンはコルベールを下がらせると、腰を上げて後ろの窓を物思いに吹けるように眺めていた。

 

この学院始まって以来の異例の出来事に、皮肉にもオスマンは内心ワクワクといった感じで楽しんでいた。自分で言った憶測が正しいかどうかはわからない。もしかしたらあの力もガンダールヴの一部かもしれない。現段階では何もわからない。

 

 

「ありとあらゆる『武器』を使いこなしたというガンダールヴ················それとは『別の力』を持つ青年、か。彼は一体何者なんじゃろうな」

 

 

しかし、と自慢の髭を撫でるようにして考え込む。

何もないところから武器を召喚し、武器を投じることによって別の場所に移動する力。

 

あれには驚かされたが、何故か引っかかるものがある。

 

どこかで見たことがあるような························と、遠い記憶を呼び起こそうとしながら、

 

 

「まさか、“あの時”の─────まさかのう」

 



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第7章

 

 

あれから学校中騒がしかった。

 

所詮は平民、だから負けるのは確定事項。そう思ったやつが大半だった。

 

その噂はたま〜に形が変わって変な方向で流れてしまったりもしていたが、ほとんどが正確だった。

 

 

『ゼロのルイズが召喚した使い魔が貴族のギーシュを倒した』

 

『平民の使い魔が実は魔法が使えるやつだった』

 

『瞬間移動とか、武器を召喚したりなどしていた』

 

 

大体がこんな感じの話題だった。

午後の授業も皆そのことが気になって集中できず、ルイズが召喚したものは一体なんなのかということで持ちきりだった。

 

ただ、ルイズはそれ以上の感情に心が支配されていた。

 

『自分が呼び出した使い魔がいつも私を馬鹿にしていた貴族に勝った』

 

『自分が呼び出した使い魔がただの平民ではなかった』

 

その実感がようやく追いつく。

 

 

「〜〜〜っっっ!!」

 

 

圧倒的な優越感に開放感。そんな気分にぶるると幼い背筋を震わせる。

思わず両手を上にあげて背筋を伸ばし、改めて自分の使い魔のことを思い出す。あいつには何か不思議な力が宿っていると思っていたが、普段のイメージからそんなことは感じさせなかったため、主人だけでなく皆がノクトのことを平民と勘違いした。

 

だが、違ったのだ。

 

彼は、魔法を扱える人間だったのだ。

 

なぜ使えたのか、なぜ黙っていたのか。それはわからないが、とにかくわかっている事実は一つ。自分の使い魔があの気障ったらしいギーシュを打ち負かした。それだけで、調子に乗っているメイジ全員を黙らせた。

 

 

(ギーシュには悪いけど、本当スッキリした!)

 

 

自分が戦ったわけではない。

それでも自分の使い魔が勝ったっていうだけで主人は満足だった。

 

だが、それと同時に疑問が残る。

 

 

あいつは一体何者か。

 

 

皆が知りたがっている真実。それは主人であるルイズも例外ではない。

最後にギーシュにとどめを刺すと見せかけたあの時にノクトは、『王』と言っていたが、そのあと彼はただの冗談と言っていた。

 

正直苦しすぎる言い訳だ、どうしても引っかかる。

 

あんな魔法みたいなものを見せられてただの冗談だなんてふざけているにも程がある。

 

王、と言ったことが仮に冗談だったとしても、何故彼は魔法が使えた? 何故今まで黙っていた?

 

 

「····················」

 

 

そればかりが頭の中を駆け回る。

 

あいつのことが頭の中に浮かんだらずっと固定されて外れない。

 

しかも、彼に対しての認識が変わった。今まで平民だと思っていたものが、魔法を扱うとなれば、彼は貴族かそういう高貴な存在であるかもしれないと考えてしまう。

 

そんなやつに、爆発喰らわせたり、質素な食事を出したり、なんなら罵倒までした。

 

 

(あいつ、怒ってるかな?)

 

 

自分が今まで散々ノクトに対して乱暴な真似を行ったことに後悔するルイズ。

 

しかし一旦そう言うことを考えるのはやめよう、とルイズは思う。

 

やってしまったのなら償えばいい。まずは謝罪して、今までの自分の態度を悔い改め、ノクトに感謝を述べよう。

 

 

(まずはいい食事をあいつに用意してあげよう。それで誠心誠意謝って、あいつとゆっくり話そう)

 

 

ので、ルイズの行動は決まった。

これから厨房に行って、特別にノクトのために料理を作ってもらい、それでノクトに謝ろう。

 

と、考えている少女の前に、ミラクルマジカルなことが起こった。

 

一瞬目を疑った。

あまりにも馬鹿げたものを見てしまった気がした。

 

横切ったんだ、件のノクトが。なんか赤いトカゲに追われているのか全力疾走で。

 

 

「····················な!?」

 

 

思考は停止。

今まで考えていた彼のことを一次的に忘れ、ルイズは硬直している間にも、ノクトは全力疾走で建物の中へと消えて行った。その後を、赤いトカゲが追い回して行った。

 

 

「ちょ、ちょちょちょちょッ!? ちょっとどういう事!? 私があんたに対してどう謝ろうか一生懸命悩んでるって時に、あんた一体何やってんの!?」

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

知らない何かに追われる恐怖って味わったことある?

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおお!!???」

 

 

何故こうなったのか、王子様だってわかっていない。

わかっていないが、彼は学院内の廊下を全力で走っている。

 

理由は何故か、背後から得体も知れないトカゲが追ってくるからだ。

 

地獄の火炎のように燃えている尻尾に、血の池のように真っ赤な肌。全体的に鳴き声はペットとしては少々一部の人しか聞いたことがないもの。鳴く怪物の正体は少なくともノクトの世界ではあんま見たことがない。それ以上にやばいやつになんて大量にあったことはあるが、ここで剣を抜くことは許されない。決闘の場以外での武器使用はおそらくここでは許されない。ここではノクトは平民であるがゆえに貴族が大量にいる中では武器抜いたら切腹ものですぞなんて言われそうだ。

 

ちなみにサイズはかなりでかく、ノクトといい勝負ができるほどだ。

 

どうもここに来てからひどい目にしかあっていない。ひどい扱いしか受けていない。もはやここに来てからの数々の狼藉を数えるのもめんどくさくなってきた。

 

 

「キュルキュル!」

 

 

トカゲって意外と早いんですね。

全速力で走っているノクトのほぼ後ろから地獄の生物の鳴き声が聞こえてきた。

 

 

「チッ!!」

 

 

なんでこうなったんだろうか?

 

思い返してみるも、別に変わったことはしたつもりはない。

 

決闘を終えたノクトは満足そうに歩いていた。

一泡吹かせてやったわ! というストレス発散を行なったことに満足していたのだ。愚かな貴族どもに対して自分の実力を見せたことで開放感を得られ、なんとなくだが抱えていたものが軽くなった気がした。

 

だが勝利したことによって、勝利者にもあるデメリットがたまに起きてしまうことがある。

 

ギーシュには悪いが、それは物足りなさだ。

 

あっという間に終わってしまい、ノクトは力の半分も出せなかった。自分の力が存分に出せると思って期待していたのに退屈な戦闘しかできなかったことに、彼は不満を抱いてしまっている。時間を正確に測ったわけではないが、それでもすぐ終わってしまったことだけはわかる。

 

少々物足りない戦闘だったが、得られるものもあった。

 

『武器召喚』と『シフト』といった魔法がこの世界でも問題なく扱えるということだ。

 

正直、不安ではあった。

鼓動は感じていたとはいえ、それでもここには『クリスタル』はない。『指輪』も、死者の国で跡形もなく砕け散った。ので、『武器召喚』が行えるか不安だった。

 

一応武器の波動が感じていたことからなんとなくだが『王の力』は残っているのはわかっていた。しかし、半信半疑であったため、ある意味ではさっきの戦いはギリギリであった。といってもギリギリだったのは最初だけか。武器召喚が行えるかわからないのに決闘の場へと赴いてしまったため、最初だけ緊張していた。

 

が、いつものように手に力を込めて呼び出したい武器のイメージをした途端、それに応えてくれた『アルテマブレード』が現世に具現化した。

 

それがわかればもう何も心配なくなった。

武器召喚が行えるとわかれば、『シフト』も使えるということ。実際、武器を投げてゴーレムの頭にシフトブレイクしようとした時、自分の体をそこへ移すことは成功した。

 

あとはもう、一方的な蹂躙を行うだけだった。

 

迫り来るゴーレムは『魔導兵』よりも脆く、簡単に斬れてしまった。あんな弱い敵しか生み出せないとは、ギーシュが弱いのか、それともこの世界の魔法が大したことないのか。だが、自分たちにはない技術だとは思う。例えば、午前中に受けた授業であの先生はポケットから出した赤土を浮かべ、生徒の口へと投じていた。ものを浮かばせたり、ただの石を真珠に変えたりなどの技術は素晴らしいとは思う。もしかしたら、ノクトも見たことがない魔法もあるかもしれない。そう思うと、この世界にはまだまだ楽しめそうな要素があると思えて、気分が高揚する。

 

と、そんなことを思いながら歩いている時、

 

なんか後ろから悪寒が走ったのだ。

 

 

それはまるで、苦手なものが近くにいたときの感覚。ゴ◯ブリが部屋に出た時の感覚。

 

 

ノクトは恐る恐る振り返る、とそこにいたのはそういう類のものではなかった。

 

 

トカゲ。

 

 

虫ではなく、爬虫類。

 

 

なら大丈夫か、なんて油断しなければこうはならなかったか。

近づいた自分が馬鹿だった。なんとなく興味を示して頭でも撫でてやろうと思ってそいつに手を伸ばした瞬間、

 

キュル!! とノクトの手を噛み付こうとしてきた。

 

あぶね!? と手を離したが、その後が問題だった。危険だと感じたノクトが一歩下がるごとに、何故かめちゃくちゃ近づいてきた。で、背を向けたのがさらにまずかった。なんか獲物を狙う目に変えたトカゲが、全力でノクトのことを追いかけてきたのだ。

 

それに気づきゃ誰だって逃げる。それからどれくらい経ったかわからないが、ルイズが午後の授業を終えた時刻になっているのだけは確かだ。時には身を隠してやり過ごし、時にはシフトを使って壁に剣ぶっ刺して登ったりなどしたが、あのトカゲは諦めることを知らない。

 

こんな激しい鬼ごっこは生まれて初めてだ。いや、一度死んでるからその表現は間違いか?

 

兎にも角にも、そんな素材不足な説明で終わってしまったが、そういうわけでなんやかんやこんなことになっている。

 

 

「いや意味わかんねぇわ!!」

 

 

厨房にトレイ返しにいって、そこで何やら自分のことを『我らの王』などと崇められ、そしてそこの最高責任者であるシェフに危うく接吻されそうになったりで大変だったのに、なぜこんな目にあっている?

 

シエスタにも勝利宣言したら泣きつかれて、少々いいムードになっていたというのに。なぜそこからこんなホラー展開を味わわなければならんのだ?

 

なんて泣き言言うのは後回しだ。

 

ちょうど角を曲がったところで扉が空いている場所を見つけた。倉庫だろうか、部屋の内側に開けられてる扉の中には掃除道具とかそんなものが入っているのが見える。ならばあそこに閉じこもってまたやり過ごすしかない。

 

 

「せいっ!!」

 

 

一本の武器を召喚してノクトはそこに向かって剣を放り投げた。

剣はその空いている扉の前の床にぶっ刺さり、ノクトの体はそこへと転移される。と同時に、まるでサッカーのスライディングのように足を伸ばして摩擦をできるだけなくして勢いよくその倉庫の中へと身を滑り込ませるノクト。

 

同時に扉を閉め、後からバコンッ!! って音がドアの向こうから響き渡った。

 

飛びかかったトカゲが標的を見失って、頭からドアに激突したのだろう。

 

 

「ゼェ、ゼェ···········」

 

 

荒い息を吐いて部屋の奥へと進む。

 

これでやり過ごせる。あいつが諦めるか、騒ぎを聞きつけた誰かがあいつを追い払ってくれる。それまでは持久戦という苦しい戦いが待っている。だが、覚悟の上だ。本来なら倒すべきなんだろうが、おそらくあれは誰かの使い魔。こんな学校にあんなヘンテコな生き物を置くなんて許されるのは使い魔しかいない。

 

トカゲ畜生になんでこんなに振り回されにゃならんのだ。 

だがとりあえず、掃除用具入れに逃げ込んだし、これでひとまず安心だろう。

 

なんて思って扉から背を向けた時だった。

 

 

ガチャ!!

 

 

「は?」

 

 

ガチャガチャガチャガチャ!!

 

 

「·································!?」

 

 

殺人鬼でございま〜すのごとく乱暴にノブが動き続けていた。対してノクトは汗が尋常でないほど顔中から吹き出す。

 

見たくない、後ろ絶対見たくない。いる、絶対いる。

 

そして来る、きっと来る。

 

そして青年の背後から静かにゆっくりと、それでいて明確な音が鳴り響いた。

 

ぎい、と。

 

振り返るとそこには、

 

 

ドアノブを口で咥えてぶら下がっている赤いトカゲの姿が目に入った。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

「······················」

 

「キュルキュル」

 

 

ノクトは返事をしない。

王子はお魚咥えたどら猫のお魚さんのようにして悠々と連れ去られていた。愉快な王子様ですね。

 

こんな情けない状況になっていることにノクトの王子としてのプライドは大変傷ついているのか、しばらくの間ノクトはただの屍の如く黙っていた。ゆっさゆっさと体を揺さぶられながら運ばれて行く感覚はあるが、何も感じないように心を無にしている。

 

意識を別のところに預けている中で、ノクトはいつの間にか真っ暗な部屋の中へと連れ込まれていた。

 

 

「······························?」

 

 

ようやくそこでノクトは意識を取り戻す。

 

目と鼻も先もよく見えない暗闇の中、トカゲの尻尾の炎だけがぼんやりと明るく光っている。

 

 

「キュルっ!!」

 

「いてッ!?」

 

 

トカゲは咥えていたノクトを乱暴に中へと放り投げると、部屋の隅にまでのそのそと歩いていって体を丸めるような姿勢をとる。

 

そんなトカゲをよそに、ノクトは一体どこなのかと両手をペタペタと地面を触って探ってみる。ここに来てからずっと不幸な目にしかあってなかったからか、またわけのわかんない場所に拉致されたと思ったノクトは一瞬、これから何か不吉なことが起きるのではないかと、とんでもない考えが脳裏を過る。

 

その時だった。

 

 

「ようこそ··············」

 

 

と、他人の身体をこれから舐め回すような意味が込められたような声が聞こえて来た。

 

同時に、パチンという音が響いた瞬間に真っ暗だった闇に光が点く。空間一面を均等に埋めるような強い光ではなく、蛍とか線香花火とか、闇の一点にいくつも浮かぶような光。それをさらに強くしたような感じの光の正体は、ただの蝋燭だった。

 

ノクトの近くに置かれた蝋燭から順番に火は灯っていき、部屋の奥の方にある蝋燭がゴールのようだった。道のりを照らす街灯のように、蝋燭の明かりが浮かんでいる。

 

ぼんやりと光る淡い幻想的な光の中に、ベッドに腰掛けた一人の大人びた少女が悩ましい姿でこちらを見つめていた。彼女のはしたない姿を見て、ノクトは思わず頬を赤らめてしまう。

 

だがしかし、この程度ではノクトは揺らがない。健全な青少年とかなら、このまま押し倒しても不思議ではないほどの妖しい魅力を持っている少女だったが、王族として健全な教育を受けたことによって堅苦しい倫理観を備え持つノクトからすれば、その姿は「ただ色気付いただけのみっともない少女」という感想しか出てこなかった。

 

それに、ノクトはどちらかというと清楚な女の子がタイプだ。前世の許嫁のような、聖女のように純真で大人びたような女性。

 

こういう風に見た目で男子を悩ませて、その隙を突こうとしてくるような格好をしたような子は対象外だ。

 

というか、確かこいつはルイズの同級生であったはず。

 

名前は確か、“キュルケ”だったか。

 

ルイズの同級生ということは、ルイズと同い年ということ。そんな年下の見栄っ張りな格好を見たって、呆れという感情しか抱かない·············はず。

 

 

「貴方は、あたしをはしたない女だと思うでしょうね」

 

「いやそう思うならまず服を着てくれよ!?」

 

 

それでもノクトは目を開けてられなかった。

 

いきなりわけのわかんない状況に放り出されノクトは面食らったが、やがて彼は我慢できずに声を荒げる。

 

どんなに年下であろうが、誘惑するための下着だけの格好は年上のノクトであっても目のやり場に困る。男を悩殺するための勝負服はどの世界でも共通で世の男を悩ませるデザインで、女性とのコミュニケーションに疎いノクトには刺激が強すぎる。

 

彼女のあられもない姿を見て、キュルケの胸が上げ底ではない事が確認できた。メロンのようなそれが、レースのベビードールを持ち上げている。

 

 

「思われても、仕方がないの。わかる? あたしの二つ名は『微熱』」

 

 

慌てふためくノクトの都合などを意に返さず、自分の世界に引き摺り込もうとすり寄るように近づいてくる。

 

 

「あたしはね、松明みたいに燃え上がりやすいの。だからいきなりこんな風にお呼び出てしたりしてしまうの。わかってる。いけないことよ」

 

「じゃあしなきゃいい話だr───」

 

「でもね、貴方はきっとお許し下さると思うわ」

 

 

もはや話の筋が見えない。

 

展開も状況も急すぎて今何が起きているのかまるでわかっていないノクトは困惑しっぱなしである。

 

格好といい、急な展開といい、もはやついていけない。

 

ノクトの言葉を遮りながらすっと手を握りつつ、指でなぞり始める。そして急に顔を上げると、その妖艶な表情でノクトを見つめた。

 

 

「恋してるのよ、あたし。あなたに。恋はまったく、突然ね」

 

「····························」

 

 

格好じゃなくて、思考回路が馬鹿なのかな?

 

一瞬、本当に一瞬、何言ってんだこいつと思った瞬間に全てを諦めかけたノクトだったが、ぶんぶんと首を振ってなんとか否定する。

 

ノクトは王族。

 

対して少女は貴族、そんで高校生。

 

王族の称号はここにはなくても、心の中にはちゃんとある。こんなところで諦めるわけにはいかない。

 

しかし、どうにも錯乱しているのは否めないらしく。

 

 

「なぁ··············少し頭を冷やし───」

 

「あなたがギーシュを倒した時の姿···········とってもカッコ良かったわ。まるで伝説のイーヴァルディの勇者みたいだったわ!」

 

「そうか···········でもとりあえず俺の話を聞い───」

 

「私の二つ名の微熱の真の意味は、“情熱”なのよ! あの戦いを見てから、あたしはぼんやりとしてマドリガーレを綴ったわ。マドリガーレ、恋歌よ。あなたのせいなのよノクティス。あなたのことを考えるだけで胸が苦しくなるものだから、これはきっと恋に違いないわ。だからフレイムを使って様子を探らせて··········」

 

 

ダメだこいつ、早くなんとかしないと。

 

こちらの言葉を聞きもせず一方的に自分の感情を押し付けてくるあたり、絶対に関わったら面倒なことになる。足を踏み入れた瞬間に爆発する地雷と同じくらいの危険性を秘めている。監視までさせている辺り、このままではノクトのプライベートにまで障害を与えてくるに違いない。

 

それに、どんなに誘惑してこようがこの誘いは絶対に乗ってはいけないと第六感が警告してきている。

 

めちゃくちゃ迫ってくるキュルケの肩を押し戻し、ゆっくりと扉の方に向かおうとした時、

 

 

「キュル!!」

 

 

またお前かトカゲ野郎、と言わんばかりに扉の前で通せんぼしているフレイムを睨みつけるノクト。

 

おのれフレイム謀ったな、テメェだけは許さねぇ! ってぐらいの眼光で睨むもフレイムは動じずにノクトを逃がさないように尻尾の炎を向けて威嚇してきている。

 

そして、足止めを喰らっている間にもキュルケが再び近づいてくる。

 

 

「大丈夫···········あなたはきっと許してくださるわ」

 

 

さっき許さねぇって思ったばかりなんだが、構わずキュルケは抱きしめようとするかのように両手を広げて次第に近づいてくる。

 

学園ラブコメどころか大人のドラマに見える台詞だろうが、こんな状況ではホラーな展開にしか見えない。出入り口をふさいで逃げ道を失くし、抵抗できなくしたところでやられてしまうといった未来しか想像できない。ロマンの欠片もないこんな状況にノクトは引きつった顔をしていると、

 

 

「キュルケッ!!」

 

 

突然窓の外から声が飛んできた。

 

二人が目を向けてみると、そこには恨めしげに部屋の中を覗く一人のハンサムな男の姿があった。三階の窓の外で、わずかに上下に動いていることから魔法かなんかで浮遊しているというのは容易に想像できるが何故窓の外に?

 

 

「待ち合わせの時間に君が来ないから来てみれば·········これは一体どういうことだ!?」

 

「ペリッソン!? ええと、二時間後に」

 

「話が違う!」

 

 

またもや急展開すぎてノクトは唖然としてしまった。

 

状況はなんとなく理解したが、皆まで言わせずキュルケはスッと胸の谷間から杖を取り出すと、何の躊躇いも見せずに男に向かって呪文を放った。ボン! と火が燃え上がるような音と悲鳴と共に、男は遥か彼方へと消えていった。

 

ここ三階なのだが、果たして無事なのだろうか? なんなら、窓まで吹き飛んでいったが。

 

 

「まったく、無粋なフクロウね」

 

「············どう見ても人だったぞ」

 

「それでねノクティス、あたしは本当にあなたのことを············」

 

「いや············それよりもさっきの奴」

 

「彼はただのお友達よ」

 

「そうは見えなかったぞ」

 

「とにかく今あたしが一番恋しているのはあなたよ、ノクティス」

 

 

ジト目で睨むノクトだったが、キュルケは特に気にせずに抱きつこうと両腕を回そうとした───その時だった。

 

 

「キュルケ! 今夜は僕と過ごすんじゃなかったのか!」

 

 

再びでかい穴の外から怒号が投じられる。

 

 

「スティックス!? ええと、四時間後に」

 

「そいつは誰だ! キュル───ッ!?」

 

 

怒り狂いながらスティックスと呼ばれた男は、窓があった場所から部屋への侵入を試みる。

 

が。

 

キュルケはそうはさせないように再び杖を振るうと、今度は蝋燭の火から太い炎が伸び、男は火に炙られて地面に落ちた。

 

 

「··················」

 

 

ちょっとわかってきた気がした。

 

こいつの正体を。

 

本質が徐々に見えてきた時にはもはやジト目を通り越して、得体の知れないようなモノを見つめるような目でノクトは言った。

 

 

「お前·················」

 

「勘違いしないで。彼は友達というより知り合いね」

 

「だとしてもあんな扱いは酷すぎんだろ」

 

「とにかく時間をあまり無駄にしたくないの。夜は長いだなんて誰が言ったのかしら! 瞬きする間に太陽はやってくるじゃないの!」

 

 

と、もはやなりふり構っていられなくなったのか全ての過程を無視してキュルケは強引にノクトの唇を奪おうと勢いよく近づけてくる。

 

だが。

 

 

「「「キュルケ! そいつは誰なんだ! 恋人はいないって言ってたじゃないか!?」」」

 

 

またもや窓際から妙にシンクロがかった声で部屋に響き渡る。

 

今度は三人の男が、押し合いながらこちらを睨みつけていた。一体何人と約束していたんだろう。全員が違う男であったため、どこまで手を伸ばしているのか逆に興味まで湧く始末である。

 

 

「マニカン!? エイジャックス!? ギムリ!?」

 

 

焦りを見せるキュルケは余裕がないのか、思考がわけわかんなくなって、

 

 

「ええと····················六時間後に」

 

「「「朝だよ!?」」」

 

 

ごもっともなツッコミを三人仲良く唱和する男どもに向かって、三度杖を振り上げようとしたところで今度はその腕をノクトに掴まれた。

 

 

「もうやめてあげろ」

 

「··············フレイム〜」

 

「キュル!」

 

 

と、ノクトを逃すまいと扉の前で眠っていたフレイムが起き上がり、三人が押し合っている窓だった穴に向けて炎を吐いた。

 

断末魔にも似た悲鳴を三人仲良く上げながら吹き飛ばされていく様子に、ノクトはいよいよ顔を顰める。なんか、このままだとあいつらと同じ運命を辿ってしまいそうな雰囲気が出ている。別にノクトはキュルケに対して何にも興味はないが、やはりこいつと関わったらろくなことがないというのは目に見えている。

 

これ以上こいつといるのは危険だ。

 

絶対その攻撃性がいずれどこかでこちらに向く。その前に離れよう。

 

 

「ふう、これで邪魔は居なくなったわね。ノクティス───」

 

 

と、キュルケが振り向いた時には既にノクトは出口のドアに手をかけていた。あの忌々しいトカゲは炎を吐き出すために大穴の近くまで行ったため今なら逃げられる。

 

これには流石のキュルケも慌てた様子を見せ、ノクトを止めるために声を荒げる。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!? まだ夜は始まったばかりよ!? これから───ッ!!」

 

 

諦めずに近づこうとしてくるキュルケに、ノクトは呆れたようにため息をつくと

 

 

「そういう言葉はもっと大人になってから言えっての。俺はお前のことよく知らねぇし、そもそもそういうのは間に合ってウボアッ!!???」

 

 

そう言い切る前に唐突に炸裂する衝撃。

 

頬に鋭い一撃が放たれ、吹き飛ばされた余波でノクトは目を回す。脳を揺さぶられて視界が定まっていない中で何が起きたのかそっちを見ると、我が主人であるルイズが鬼のような形相で見つめていた。

 

 

「ル、ルイズ───」

 

「あ?」

 

「ッ!?」

 

 

主人の名を呼んだ瞬間、ルイズは恐ろしい眼光をノクトに向ける。

 

幾多の死線を潜り抜けたノクトが思わず身構えるほど、今のルイズからは怒気と殺気があふれ出ていた。ルイズは忌々しそうに部屋に立てられたロウソクを一本一本蹴り倒しながらキュルケに近づいていく。

 

ドスン、ドスンと地響きまでなっている事から、主は大変御機嫌斜めのようである。

 

 

「ツェルプストー! 誰の使い魔に手を出してんのよ!」

 

「仕方ないじゃない。好きになっちゃったんだもん」

 

 

そう言ってキュルケはここぞとばかりに床に尻餅をついているノクトを優しく抱き寄せながら、吐息がかかるような声で耳元に囁いた。

 

 

「こ~んな乱暴でガサツなご主人様より、あたしの方がよっぽど彼を幸せに出来るわ。ねえ、王子様?」

 

「·····················」

 

「ッ!!」

 

「ねえルイズ、恋と炎はフォン・ツェルプストーの宿命なのよ。身を焦がす宿命よ。恋の業火で焼かれるなら、あたしの家系は本望なのよ。貴方が一番ご存知でしょう?」

 

 

もうリアクションするのすら疲れてきた。

ルイズはルイズでそんなノクトを睨んでいるが、こっちだって困っていたのだ。そんな理不尽な目で見てこられても望んだ展開というわけではないし、むしろノクトは被害者である。

 

主人に誤解を解くために説明したいが、あれでは聞く耳を持ってくれないだろう。

 

キュルケの言葉に反論できないのか、ルイズは一瞬にして鼻の真ん中から耳の端まで全て真っ赤になる。しかし、ゴージャスで気高く美しい貴族の本質を見失ってはいけないと思ったのか、キュルケの煽りに似た言葉に惑わされずにゆっくりと、陽炎のように音もなくノクトに近づいていく。

 

 

「··············ノクティス」

 

「·············ハイ?」

 

「来なさい」

 

「····························ハイ」

 

 

どうでもいいのか、それとも何もかも諦めたのか、とにかくノクトは言葉を一切発さずに立ち上がり、黙ってルイズの後をついていく。

 

キュルケは名残惜しそうにノクトを見つめた。

 

別れを惜しむように目尻に涙を溜めてひらひらと手を振って見送った。

 

 

「ふふっ·········うふふふふ··········ルイズ、彼はあなたの手に余るわよ」

 

 

だがしかし、彼女はまだ諦める気はないらしい。

 

必ずや彼を堕としてみせる。

 

自分の美貌で彼の心を掴み取り、絶対に自分のものにしてやるという意思を見せるように、彼女の瞳に炎が灯る。彼女の二つ名の微熱というのは伊達ではないようで、燃え始めたらもう止まることはないらしい。

 

 

「··········くしゅん!」

 

 

だが、それでも彼女は寒さには弱いようである。

 

窓だった壁の穴から吹き込む風に体を冷やしたのか、小さくくしゃみをする。

 

 

「はぁ··········この窓どうしましょ」

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

「さぁ~て、それじゃ早速説明してもらおうじゃないかしら」

 

 

こっちの台詞である。

 

手にムチを持ち、眉をピクピクと釣り上げている所から相当お怒りのご様子なのはわかったが、何故そんなものを手にしているのかの説明をしてもらいたい。明らかに人に聞く態度ではないと思われるが。

 

あるいは。

 

彼女にとってはこの程度、乱暴にすら感じないのだろうか。

 

 

「いや、あのな。説明って言われても俺だって事件に巻き込まれて逃げ回っていただけで何が何やらな状況だったんだよ。それでも頑張って逃げようとして必死に抵抗だってしたし、そこらへんの出来事を俺だって説明したいからここはおんb」

 

 

言葉は終わらなかった。

 

バァンと、激しい音が目の前に叩きつけられた。空気を破裂させるような衝撃波がノクトの体を叩く。音だけでもかなりの威力があると思われるそれを、ルイズはまだ当てる気ではない。

 

 

「そんな常套句はいらないわ········何でキュルケなのよ」

 

 

ルイズの怒りが体全体から伝わってくるのがわかる。正直、いつ噴火してもおかしくない状態だ。

 

 

「ちょっとカッコイイなとか、感謝しようとか········一瞬でも思った私が馬鹿だったわ················なんであの女なのよ」

 

 

話を聞く気が無くもう絶対これノクトに体罰を受けさせたいという意思が見えた瞬間、ノクトの眼差しも好戦的な色を帯びていく。

 

 

「だから穏便に、お互いに持ってる情報を出し合って徐々に誤解を解きあおうぜって言おうとしてんのに、見た感じもうそういう雰囲気じゃねぇか」

 

「········穏便に、ですって········?」

 

 

こめかみに血管を浮かばせて、わなわなと声まで震わせながら呟く。同時にトーンは段々と落ちて小さくなっていた。

 

あ、来るな········とノクトの予想を裏切らず、とうとうルイズは爆発した。

 

 

「何であの女なのよ!! この、バカ犬ゥゥゥウウウウウウウウッ!!!」

 

 

やたらめったらムチを振り回すルイズに対し、ノクトは今立っているその場にシフトすることによって実体を一瞬だけ虚空へと転移させ、ムチを通過させることによって何とか躱すが、表情は冷や汗でダラダラだ。ルイズの性格からして、こうなるだろうなってのはわかってた。だからノクトは受け入れるようにムチを喰らうが、痛いのは嫌なので攻撃を通過させてやり過ごす。

 

ちなみに知ってるか? シフトって魔力を使うんだよ。

 

その後もルイズはかれこれ一時間は暴れ続け、やっと体力が底を尽きたのか息切れして止めた········と思ったら今度はノクトに正座させ、キュルケの家柄は自分の家系の、祖先の恋人を奪っただの、戦争の度に殺しあっただの、どれだけツェルプストー家がルイズの家計にとって憎たらしい存在かを語り始めた。

 

ぎゃーぎゃーと喚くように説明するルイズの体力はまだ底を尽きなかったらしい。

 

が。

 

もう今日だけでいろんなことがありすぎてそろそろ限界に近かったノクトは、思考を完全に凍結させていた。

 

シフトして避け続けたせいで魔力も既に底を尽きたのもあってか、頭の中は空白で埋め尽くされている。

 

さすがはご主人様だ。ルイズってば、やはり自分より若いからか、お元気、です、ね。

 

こてん、と。

 

長いお話を聞かされながら横倒しになった視界の先には、なんか綺麗な川が見えたという。

 

 



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第8章

 

 

鬱陶しいくらい今日は嫌な風が吹いている。

 

この感覚はいつまで経っても慣れない。この時間は“彼”にとっては馴染みやすいはずなのに、やはりどこか違和感がある。“彼”は城下町の広場にいた。広場は幅二十四メートルぐらいの楕円形で、中心からやや外れたところには噴水がある。その噴水の縁に腰をかけて、頭上の星空を静かに見上げている。

 

人工的な灯りはなく、真の暗闇の中では彼の顔は見えない。その怪しいシルエットのみが闇に包まれ、一種のヴェールとして機能していた。

 

 

「···················はぁ〜」

 

 

鬱陶しい。

 

そう思いながら彼はため息をついた。

 

今が昼間で彼の顔がはっきり見えたなら、なんて退屈そうにしているんだこの男はと誰もが思ったはずだ。まるで残業でもしているような顔だった。

 

 

「···················ここにいたか」

 

「?」

 

 

低い男の声が聞こえた。

 

“彼”は噴水の縁に腰を下ろしたまま、首のみそちらに向ける。先程と変わらず鬱陶しそうに。

 

そちらにいるのは、仮面をつけた男。羽帽子をかぶった長身ではあったが、“彼”よりは小さかった。謎の人物らしい風貌ではいるが、彼は恐れることなく、それどころかため息を漏らしながら男の足元へ視線を落とす。

 

 

「おやおやこれはこれは················君みたいなやつがこんなところにまで足を運んでくるだなんて。一体何事かなぁ〜?」

 

「················身の程をわきまえろ平民風情が。仮にも俺は貴族だぞ」

 

「おっと、心外ですねぇ貴族様」

 

 

彼は低い声で笑いながら、

 

 

「確かに君は貴族かもしれないけどさ、それでもこの国の反乱分子でしょ? しかもその地位もほぼ役に立っていないように見えるけど?」

 

 

その言葉に男は、彼を鋭い目で睨む。

 

だが彼は動じない。そんなこと気にするに値しないからだ。

 

 

「················貴様」

 

「ハハッ! 俺だって貴族の称号を外された身だからねー。普通の人達と違って悪い子なんだよ」

 

 

軽い調子で口添えする彼に、男は顔をしかめた。

 

お前なんかと一緒にするなと思ったのかもしれない。貴族らしさもなければ、敬虔さも微塵も感じられない。そんな奴が元は貴族だったなどとほざくのが許せないという顔をしている。

 

だが、今は気にないことにした。こいつのことはほとんど知らないが、一応仕事だけはしてくれている。今日だって彼のおかげで一つの目的を果たすことができた。どうやったのかは知らないが、邪魔な貴族の抹殺を代わりにしてくれた。その役目を果たしてくれたのだから、もうそれでよしとしよう。

 

それから男は、一万人もの人がこの場に入れるくらいの大きな広場を見渡し、

 

 

「しかし、仕事終わりにろくな護衛もつけずこんな野外で集まることになるとはな。もっと良い集合場所はなかったのか? 徘徊している兵どもに見つかったら面倒だぞ」

 

「ああ、その辺は大丈夫。俺、こう見えて証拠消すのは得意だし」

 

「そういう問題では───」

 

「それに」

 

「?」

 

 

彼は被っている中折れ帽子を整えながら夜空を見上げて、

 

 

「こんなにも静かな夜なんだ。たまには綺麗な夜空を眺めながら会合するのも悪くないでしょ?」

 

「················」

 

「さて、と」

 

 

そう言うと彼は噴水の縁からゆっくりとした動作で立ち上がると、軽く背筋を伸ばしながら、

 

 

「わざわざ“お姫様”の護衛から抜け出して俺に会いに来たんだ。何か用があって来たんでしょ?」

 

「················近頃、とある『盗賊』が貴族相手に盗みを働いているという噂を知っているか?」

 

「ああ、勇敢だよねぇ〜。貴族相手に盗みを働くなんて················()()()()()()()()()?」

 

 

その言葉を受けて、男の眉がわずかに動いた。

 

 

「················目星は既についているということか」

 

 

彼は男の声を聞いて薄く開いて笑う。

 

口調から掴み取ったのだろう。男の中に、不快の感情がある事を。

 

 

「仕事ができる奴っていうのはこういう奴のことを言うんだよぉ〜? まぁ、俺はこれだけが取り柄だから自慢にもならないけどね」

 

「················情報収集なら、それで糊口を凌ぐような低級貴族共に任せれば良いだろうに」

 

「ハハッ! 身分が高かった貴族様らしい意見だねぇ! でも───」

 

 

彼は愉快そうに笑みを広げて、

 

 

「さっきも言ったけど、俺にはこれぐらいしか取り柄がないんだよ。それにさ、その“盗っ人さん”も低級であれ高級であれ、貴族が相手じゃ緊張するでしょ? ここにその盗っ人さんと同じような境遇の人がいるんだから、わざわざこれを出し惜しみする方が不自然ってもんでしょ」

 

「················」

 

「じゃ、依頼は引き受けたから。あとはこっちで勝手にやらせてもらうよー。俺なりのやり方じゃないとうまくいかないからさぁ〜」

 

 

彼は無精髭を手で撫でると、星で覆われた夜空を見上げながらそう言った。

 

この国················いや、この世界では見かけない作りをした服装を身に纏って、平然とした足取りで前へと歩いていく。

 

 

「君たち『レコン・キスタ』はハルケギニアの将来を憂い、国境を越えて繋がった貴族の連盟。ハルケギニアは君たちの手で一つになり、始祖ブリミルの光臨せし『聖地』を取り戻す」

 

 

両手を水平に広げ、片足で立ってくるりと回るように男の方へ振り返って、

 

 

「君たちの目的とか思惑とか、そんなのは俺にとってはどうでもいいけど、俺もその計画に微力ながら加担させてもらうよ·············我が『チェラム家』の恨みを晴らすために」

 

 

 



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第9章

 

 

わかってはいた。

 

この世界はどうも古くさい匂いがするから。

 

天から降り注ぐ数多の星空の光とコオロギのさえずりの中、ノクティスは一面緑景色の中で呆然と立ち尽くしていた。

 

彼の眼前にあるのは、見事に溜まった洗濯物達だ。

 

 

「··············はぁぁぁぁぁ」

 

 

膝から崩れ落ちた。

 

その際、手に持っていた木製の洗い桶を落としてしまう。水が入っていて中身が全部溢れてしまったのだが、もはやそれすらも意識に入ってこない。

 

溜まりに溜まりまくったルイズの洗濯物、それら全てをノクトに預けると『今までサボった分、今日中に終わらせること』とかなんとか言って、着物だけでなく分厚い掛け布団までも太巻きにして投げ渡された。

 

大量に出された洗濯物を見て、ノクトは目を白くしてしまっていた。

 

夕食が終わって約一時間後、この世界でもその時間は比較的遅い時間と言える。そんな夜遅くに何の前触れもなく言い渡された命令にノクトのこめかみがブチッと嫌な音を立てた。

 

なんで自分がこんな大量の洗濯物を洗わなくちゃなんねぇんだなんてことは思わなかった。それが使い魔の仕事なら仕方ないで片付けられるからだ。

 

ただ、量が多すぎる。

 

その上時間も遅い。

 

出すんなら早く出してくれ、乾かすのに一番最適な時間帯は柔らかい陽射しと小鳥のさえずりが聞こえてくる朝なんだからって言いたかった。こっちはまだこの世界に来てからいろんなことがありすぎてさんざん頭を悩ませているのに、この期に及んで急に僕としてのお仕事ですか。

 

 

「くそ··············」

 

 

普通なら洗濯機という最新鋭の技術を詰め込んだ機械を使いたいところだが、この世界に機械はない。

 

様々な偉業を成し遂げた機械に頼りきっていたノクトからすれば、洗濯機という機械もまたなくてはならない存在。

 

しかし、この世界は教えがいいのか機械という言葉すらない。

 

その事実はノクトを絶望させた。

 

目の前にある洗濯物を見た瞬間、ノクトの全身から力が抜け、思わず涙を流してしまった。

 

怒りという感情が、猛烈な悲しみへと切り替わっていく。

 

キャンプの最中は洗濯どころか身体すら洗えなかったので、近くのホテルなんかで洗うしかなかった。そして、ホテルに泊まる際に溜まった洗濯物は全部、家事担当のイグニスに任せっきりだった。翌日には汚れもシミもない状態で戻ってきたことが当たり前となっていた日常が懐かしい。あの当たり前のようだった日常に感謝すら覚える。

 

しかし、ここではそうはいかない。

 

到底洗えるはずもない量の洗濯物を、これから素手で洗わなくてはならない。

 

使い魔として生きるということを決めたノクトであったが、

 

 

「··············やっぱ辛ぇわ」

 

 

かつての言葉が情けなく聞こえる。

 

そしてノクトが馬鹿げた事を考えて逃避している間に数分という時間が過ぎてしまった。夜の風がノクトの髪を静かに揺らす。

 

なんか慰められてる気分だった。

 

だが、それと同時になんかの罰みたいだった。

 

最新鋭の機械に頼りきり、全ての事を家臣に任せっきりだった人間の末路。普段の生活に甘えすぎた結果、王族という称号にすら愛想を尽かされるとか、いよいよ第二の人生には希望がない。

 

途方に暮れた。

 

でもって、ノクトは黙々と無意識に何の考えも持たずただひたすらに溜まった洗濯物を無心で洗い続けた。

 

結果、翌日超寝不足になった上にルイズから全部やりきれなかった罰として爆裂魔法を喰らったのは言うまでもない。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

ノクティスは王族だ。

 

しかし、どう見ても彼は不幸な日常を送っている。

 

この数日を振り返ってみるだけでもそれはわかる。誰でも不幸だと思う。ここに来てからまともな対応を受けた覚えはない。

 

掃除洗濯、主人の着替え、質素な食事に藁の上での睡眠。どう考えても王様が送る生活ではない。ついには貴族に決闘を挑まれて圧勝したが、その後大変ご不満なご主人様から乗馬用の鞭で叩かれるという有様だった。その後にしたってまともでなかった。相変わらず魔法には失敗して教室を真っ黒な空間に埋め尽くしたり、ご主人と共に後片付けをやらされたりと、何だかもう色々とボロボロなのだった。

 

前世でも苦しい思いをして来たのに、またこの世界でも彼は王としてあるまじき生活を送っている。

 

もう一度言っておこう、彼は王族である。

 

なのに不幸な生活を送っている。

 

環境がそうさせているのだとしたら、早々に改善すべきだ。

 

しかし、ご主人様があれなので望みは薄い。

 

食事も以前と変わらずにパン一個に白湯みたいなスープ一皿。食事を用意してくれるだけでもマシなのかもしれないが、あの性格であるからには使い魔の意見を聞くことなど絶対にあり得ない。

 

使い魔に気を使うことなど、あり得はしない。

 

 

「ノクティス! 今日はあんたに『剣』を買ってあげるわ!!」

 

「···········ハ?」

 

 

ある日の朝、ルイズが出し抜けにそう言った。寝起きで一番にそう言われ、支度どころか思考回路すらもままならない状態でそう言われて頭の中がボーッとしていたせいでそんな簡単な言葉しか返せなかった。

 

早いもので、ここに召喚されてからもうそれなりの時間が経っていた。

 

使い魔の仕事にも大体慣れて安定した時間を過ごしていたノクトは、これを聞いて今日もそうはいかないだろうなぁと心中そう思っていた。

 

別にルイズが突飛なことを言うのは珍しいことじゃない。言ってることがコロコロ変わったり、論破されると真っ赤になって怒ったりと、それに比べればまだ優しい方だ。ただ、こうも情緒不安定だと彼女は何か病気を抱えているのではないかと心配になってしまう。

 

そんなご主人の口から使い魔である自分のために買い物をすると言って来た。

 

彼女の声を聞きながら、むしろ肩を落とし呆然とした様子で反応したノクトはちょっと人間不信になっているのかもしれない。彼の黒くてクセっ毛が個性的な髪が窓から入ってくる風を受けて間抜けに揺れる。

 

 

「···········いきなりどうしたんだ?」

 

「だから早く支度なさい。せっかくのお休みをあんたのために使うんだから」

 

「···········どういう風の吹き回しだ?」

 

「言葉通り、あんたに剣を買ってあげるのよ。その意味もわからないぐらいまだ寝ぼけてるの? だったら早く顔を洗って来なさい」

 

「······················」

 

 

腕組んでなんかドヤ顔しながら言ってきたが、この期に及んでノクトはこの降って湧いた事態に、とんでもない落とし穴がないかと勘繰っていた。

 

ノクトはルイズと同じく両手を組むと、うーんと首を斜めに傾けて、

 

 

「剣って、あの剣か?」

 

「質問の意味がわかんないんだけど」

 

「刃物がついた武器のことだよな?」

 

「ねぇ、早く支度して欲しんだけど」

 

「それを俺に買ってくれる、と?」

 

「だからそう言ってるじゃない、しつこいわね」

 

「あのルイズが俺なんかのために剣を買いに行くと。それも無償で、何の対価もなく?」

 

「······················なんか失礼な意味が含まれている気がするけど、そういうことよ」

 

 

呆れたというより、むしろ冷たく見られてしまった。どうも彼女にはノクトがまだ理解できない部分があるようだ。どういうつもりなのかはわからないが、その意味についてようやく理解したノクトは立ち上がって、

 

 

「········買ってくれるのは嬉しいけど、剣なら俺もう大量に持ってるし、無理して買わなくても別にいいぞ? 間に合ってるし」

 

「なによ? 剣が欲しくないの?」

 

「いや、別にそうは言わねぇけど··············金とかさ」

 

「心配ないわ。使い魔に剣の一つも買ってあげられないくらい貧乏じゃないから」

 

「いや、でも··············」

 

「それ以上反抗的な意見を言ったら無礼を働いたと判断して食事抜きにするわよ?」

 

 

もはや脅迫じゃないかそれ?

 

ノクトがこうも躊躇うのには理由がある。あのルイズが自分のために剣を買ってくれるなんておかしいのだ。

 

だからどうせなんか見落としがあるんだ、とノクトはそう思っていた。そしてその見落としがあるせいで後に無理難題な面倒ごとを命令してきたりといった計画を立てているに違いないのだ、と考えていた。

 

 

「はぁ··············あんたがわたしにどんな印象を持っているのか大体わかるけど、今回は真面目にあんたのために買いに行くの。いつものお礼としてね」

 

「!」

 

「使い魔に褒美を与えないほど冷酷じゃないわよ。あんたにはいつも助けられてるし、だからあんたに剣を買ってあげようと思っただけ!」

 

 

感謝しなさいよね! と付け足しながらルイズはエヘンと平坦な胸を張る。

 

口ではそう言ってはいるが、これには実はちゃんとした狙いがあった。

 

ルイズはキュルケとノクトとの、あの夜の邂逅があって以降、ちゃんと自分がご主人様であることをどうやって示せばいいかずっと考えていた。どういう理由があろうと、宿敵であるツェルプストー家に自分の使い魔を取られたとあっては、ただでさえヴァリエール家に塗りたくっている泥を、さらに上塗りしてしまう。

 

これ以上生き恥は晒せない。そこでどうやってのくとに関心を持ってもらうか、結局行き着いたのは『何かを買い与える』という手段だった。

 

しかし、ノクトは何を欲しがっているのかさっぱり分らない。聞き出すのも面倒だ。そんな矢先にノクトは剣を扱えるということを思い出したため、じゃあ剣にしようという風になったのだ。

 

半分は褒美、半分は周りの目を気にしてといった感じか。

 

どちらにしても、ノクトのことをちゃんと思ってはいるのだろう。

 

 

「だからホラ、ちゃっちゃと仕度しなさい。早く行くわよ」

 

「··············」

 

 

あれ? とノクトはそこで目を点にするように細めてしまう。

 

ルイズの親切心に、ノクトは何も違和感を感じなかった。

 

このまま出かけても、何も問題が起きない気がする。

 

ノクトはここに来てから不幸な目にしか遭ってなかったはずなのに。

 

こういった事からはこの世界に来てからというもの一番縁がなかったはずなのに。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

そんなルイズ達から所変わって。

 

キュルケは昼前に目覚めた。

 

今日は虚無の曜日である。

 

窓を眺めるとあったはずの窓ガラスはなくなり、代わりに大きな穴があいている。

 

だがしかし、窓のことなどまったく気にも留めずに起き上がり、すぐさま化粧を始めた。自分の美貌をさらに目立たせるために、美しさのレベルを一つ、また一つと上げていく。その間、今日はどうやって彼を口説こうか、考えるだけで身体の芯から疼いてくる。

 

今回の獲物、ノクトは今までの男どものような誘えば寄ってくるような容易い相手ではない。昨夜、まさか自分があそこまでノクトのことを求めるだなんて思ってもいなかった。そこらの男と同様、すぐさま飽きてしまうかと思ったが、彼は自分に対して一切の興味も示さなかった。

 

それが悔しいというよりかは、逆にそれが彼女の心に情熱的な炎を灯してしまったらしい。

 

恋の狩人であるキュルケだからこそわかる、彼はそこらの男とは違う。

 

だからこそ、彼をモノにしたい。自分だけのモノにしたい。彼の事を想う度に胸が熱くなる。彼を考えるたびに胸が苦しくなる。今まで感じたことのない気持ちが彼女の胸の中で暴れまわる。

 

その人のことが頭から離れないのであれば、それはきっと恋でしょう。という言葉を聞いたことがある。

 

ではこれはきっと恋だろう、とそう結論づけた。

 

そうだとわかったらもう黙ってはいられない。化粧を終え、着替え終えると共に部屋から出て、ルイズの部屋の扉をノックした。

 

その後、キュルケは顎に手を置いて、考える。

 

そう、ノクトを堕とすための作戦だ。

 

ノクトが出てきたら抱きついてキスをする、まずは先制攻撃だ。

 

でももしルイズが出てきたら·········どうしようかしら? 

 

そんなことを考えながらドアが開くのを待つ。

 

 

「··················」

 

 

しかしいくら待てどもノックの返事はなく、ドアが開くことはなかった。

 

試しに開けようと試みるも、案の定鍵がかかっていた。

 

 

「えい!」

 

 

それを確認したキュルケはなんの躊躇いもなく『アンロック』の呪文をかける。犯罪行為を躊躇なくしてしまうほどに、彼女はノクトに惹かれていた。愛のためならなんでもできる。愛こそが彼女の原動力なのだ。そして、鍵穴からガチャリとロックを解除した音が聞こえてきた。開けてみるとやはりというべきか、部屋はもぬけの殻だった。

 

二人ともいない。ただ静かな空気が部屋を包んでいるだけ。

 

キュルケは部屋を見回して何か手がかりがないか部屋中を探し始める。

 

 

「相変わらず色気のない部屋ね·········」

 

 

不法侵入しておいて無礼な台詞を吐き捨てるも、今ここには彼女しかいないので問題ない。

 

入ってみてすぐに気づいたことがあるとすれば、ルイズの鞄がない。

 

虚無の曜日なのに鞄がないということは、どこかに出かけたのだろうか。学校内であれば鞄をわざわざ持ち出さないはずだ。彼女は堂々と奥へと入っていき、窓を勝手に開けて外を見回した。不法侵入さえもものともしないところを見ると、彼女は本気らしい。

 

 

「!」

 

 

と、そこであるものに目が行った。

 

門から馬に乗って出ていく二人の影。よく目を凝らしてみると、それはノクトとルイズだった。

 

 

「なによー、出かけるの?」

 

 

キュルケはつまらなそうに呟いた。

 

だがしかし、彼女は諦めない。出かけるというのなら、その後を追いかければいいじゃない。

 

そうと決まったら、馬なんかよりも足が早い使い魔を持つ『親友』のところへレッツラゴー、ってな感じで彼女は不法侵入した扉を閉めることすらしないで出て行った。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

本はいい。

 

作品で取り扱っている分野の予備知識があればより深く作品を楽しむことが出来る。たった一文からでも様々な夢想にふけることが出来る。

 

集中すればするほど本の世界へと意識は入り込んでいき、自然と読み手の意識が作者の思考回路へと近づく。作者の考えている世界を一部分でも覗き込むことが出来る。それが出来ると、読み手側はより作品を深く味わうことが出来る。

 

本一冊だけでも出来ることが多すぎて退屈しない。

 

紡ぎ手の目線で物語の世界を自由に動き回ることを夢想すると、興奮で身震いまで覚える。

 

今日は虚無の曜日ということで、皆が遊びで街に繰り出したり、楽しいひと時を過ごしたりなど、自由な休日を味わっていた。

 

 

「··············」

 

 

自室で本を読む少女、タバサもその一人。

 

いつもいる騒がしい友人がこの日は来ないため、いつもよりは本の世界へと意識を向けることが出来るかもしれない、なんて思いながら静かにページをめくる。

 

本の世界に没頭している間だけは、自分が何者なのかも全て忘れられる。

 

そう、“辛い出来事”さえも。

 

辛く苦しい時に支えてくれたのは沢山の作品たちだった。作品の登場人物の思考を自分に当てはめて作品に入り込むと、その作品の登場人物になった気がして代わりに満足出来る。言わば擬似体験のようなものだ。

 

今日は誰にも邪魔をされず本を読むことが出来そうだ。いつものように、作品の主人公になった気持ちで本をゆっくりと読もう。

 

と、考えている最中で邪魔なノイズが入った。

 

ドタドタドタ、と走ってこちらに向かって来る音が聞こえてきた。

 

 

「··············」

 

 

タバサはその音を聞くなり、心なしか顔をしかめる。なんとなくこの後の展開を予想したのか、隣に置いてある身の丈以上もある杖を手に取り『サイレント』の呪文を唱えた。

 

それに遅れて、タバサの部屋のドアがノックもなしに開けられる。

 

世間一般の常識を無視して入ってきたのは、あの歩くわいせつ物のキュルケだった。

 

礼儀も知らないキュルケが慌てた様子でタバサの目の前までやって来る。

 

 

「─────ッ!! ··············、───。 ··············ッ!!」

 

 

が、音を遮断しているのでタバサの耳には届かない。

 

キュルケはしばらく何事か自分に向かって話しかけていたが、タバサがこうも無視しているのを見ると、やがて自分の声が聞こえていないのだと察した。

 

困ったような様子で肩を思い切り揺さぶり始めた。

 

 

「··············」

 

 

それにタバサは鬱陶しそうに顔を上げる。

 

流石にこれでは読書どころではない。音を遮断しても隣で動いてるのを見ると気になって集中出来なくなる。

 

仕方なく『サイレント』を解くと、キュルケの大きな声が耳元で響いてきた。

 

 

「タバサ、今から出かけるわよ! 早く支度してちょうだい!」

 

「··············虚無の曜日」

 

 

鬱屈そうな様子を隠そうともせずタバサはそう言うと、再び本に視線を落とした。

 

キュルケはそんなタバサから本を取り上げると、頼んでもいないのに事の顛末を話し始めた。

 

 

「分かってる。あなたにとって虚無の曜日がどんな日なのか、あたしは痛いほどよく知ってるわよ。でも今はね、そんな事言ってられないの。恋なのよ! 恋!」

 

 

それで分かるでしょ? と言わんばかりのキュルケの態度だが、タバサは首を振った。

 

そもそもタバサに恋話をすること自体間違っている。

 

恋愛なんてそんなにするもんじゃない。男と関わることが全くと言ってもいいくらいなタバサに恋だとか言われてもなんも理解できない。

 

というか、キュルケがおかしいのだ。

 

何人もの男達を誘惑して引っかけるなんて、いつかギーシュのように痛い目を見るに違いない。感情に身を任せるようにして行動するなんて、危険でしかない。先が見えない道を何の考えもなしに歩くようなもの。石橋を叩かずに歩くなんて無謀すぎる。

 

キュルケは感情で動くが、タバサは理屈で動く。

 

どうにも対照的な二人である。

 

しかし、そんな二人でも何故か仲が良かった。

 

だから、キュルケは何がなんでもお願いを聞いてもらいたいらしい。

 

 

「そうね。あなたは説明しないと動かないのよね。ああもう! あたしね、恋をしたの! でね? その人が今日、あのにっくいヴァリエールと出かけたの! あたしはそれを追って二人がどこに行くのか突き止めなくちゃいけないの! 分かった?」

 

 

分かるわけない。

 

それは犯罪に値する。

 

理屈がめちゃくちゃすぎる上に、説得するための言葉までもが支離滅裂だ。そんな犯罪行為に手を貸せと言うのか。共犯にはなりたくないし、そんなくだらない理由で犯罪を犯したくない。

 

だが、タバサは会話の中である部分に反応していた。

 

ヴァリエールという単語。

 

ミス・ヴァリエールは女性。そしてキュルケが動く理由は大抵男。ヴァリエールの近くにいる男と言えば、一人しかいない。

 

それは、つい最近現れた平民。 

 

 

「··············」

 

 

簡単にまとめると、キュルケがまた新たに恋をした男が今度はミス・ヴァリエールの使い魔ということか。

 

それで、どうやって自分の情熱をアピールしようかと考えてた矢先、彼は主人と共に外出した。追いかけようにも、馬に乗っている以上徒歩では追い付かない。そこでタバサの使い魔でもある風竜『シルフィード』を借りたい、そう言いたいのだろう。

 

それを頭の中で整理すると、タバサはキュルケの目を見て尋ねる。

 

 

「··············その人というのは、彼女の使い魔?」

 

「ええ、そうよ」

 

 

するとタバサは珍しく何か考え込んでいるかのように顎に手を当ててから、言った。

 

 

「··············わかった」

 

「えっ、本当に!?」

 

 

頼んでおいてなんだが、実はキュルケはあまり期待していなかった。タバサの事だから望みは薄いだろうなと思っていたのだが、快く引き受けてくれたのでつい驚愕してしまった。

 

 

「··············」

 

 

キュルケほどではないが、実はタバサもノクトには興味を持ったクチだ。

 

正直言って、彼の事はこの前まで興味を持っていなかった。タバサのノクトへの印象が明らかに変化したのは、この前のギーシュとの決闘の時だ。

 

平民だと思っていた者が、魔法のような力を使った。

 

あんなものを見せられては嫌でも興味が湧く。

 

そしてあの無駄のない剣筋。魔法と剣技を合わせた戦闘はとても美しかった。

 

注意深く目を凝らしていたのに、結局あの魔法の正体がわからなかった。剣を投げた瞬間に視界から消え失せ、瞬く間にギーシュの生み出した兵隊達を打ち倒したあの動作は、驚きの歓声があがるまで思考を停止させてしまうほどだった。あの魔法を見た瞬間から、滅多に他人に対して興味を抱かないタバサはノクトという青年に強い興味を持っていた。

 

そういった意味では、未だ隠している彼の実力についてタバサにとっては大いに関心があったのだが、だからといって自分から特段どうこうするつもりはない。いつか彼の力の本質が見れたらいいなと思う程度だ。

 

まあ、そう考えれば彼の動向を探るのにいい理由が出来たし、読書だって飛行中でも充分読める。それに拒否すればキュルケが隣でずっと騒がしくしているだろうし、そう考えればこっちの方がずっと有意義か。

 

そうタバサは結論づけ、キュルケのお願いを聞くことにした。

 

 

「ありがとね、タバサ! やっぱり持つべきものは友人よね!」

 

 

都合のいい時だけそういうことを言う。

 

しかし、それは本心から出た言葉であることはタバサも理解している。

 

嬉々としてはしゃぐキュルケをよそに、タバサは窓を開けて口笛を吹くと、窓枠によじ登り外に向かって飛び降りた。

 

何も知らない人間が見たら、気が狂ったかとしか思えない行為。自決するにはまだ早いなんて説得を始める者がいたかもしれないが、その場にいたキュルケはまったく動じない。そんな彼女も少しの間タバサの様子について考え込んでいたが、やがて考えるだけ無駄だと思ったのかタバサの後に続いて飛び降りた。

 

一応言っておこう、タバサの部屋は五階にある。

 

普通であれば地面に叩きつけられてあっという間に現世とはおさらばするほどの高さ。

 

タバサは外出の際、扉から外へと出ていくことはない。こっちの方が早いからだ。

 

落下する二人を、その理由が受け止めた。

 

二人を受け止めたのは、タバサの使い魔である“シルフィード“だった。

 

 

「いつ見てもあなたのシルフィードは惚れ惚れするわね」

 

 

キュルケが突き出た背びれに掴まり、感嘆の声を上げる。

 

竜などといった幻獣を使い魔に出来ること自体かなり稀だ。普通は子犬だったりフクロウだったりとか、そういった小動物しか現れないのだが、時々タバサのシルフィードのような幻獣が現れることがある。

 

タバサから風の妖精の名前を与えられた風竜は、寮塔に当たって上空に抜ける上昇気流を器用に捕えて、一瞬で二百メイルも空を駆け上った。

 

 

「どっち?」

 

 

タバサが短くキュルケに尋ねる。

 

するとキュルケは、あっと声にならない声を上げた。

 

 

「分かんない··············慌ててたから」

 

 

『追いかける』、ということだけに焦点を当てすぎてどの方向へ行ったのか確かめることを忘れていた。

 

そんなキュルケにタバサは別に文句をつけるでもなく、シルフィードに命じた。

 

 

「馬二頭。食べちゃだめ」

 

 

シルフィードは短くきゅいと鳴いて了解の意を主人に伝えると、青い鱗を輝かせ、力強く翼を振り始めた。

 

何処へ行ったのかわからないなら、高空に上ってその視力で馬を見つければいい。

 

草原を走る馬を見つける事など、この風竜にとっては容易い事だった。

 

自分の忠実な使い魔が仕事を開始したという事を認めると、タバサは中断していた本をキュルケの手から取り返し、尖った風竜の背びれを背もたれにしてページをめくり始めた。

 

 



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第10章

 

 

ノクトは意外と適応力が高い。

 

初めてのことだろうと、慣れればすぐ身につける。

 

元の世界で旅をしていた頃の話だが、歴代の王の墓所を回っていた頃、ある時移動手段にしていた車を敵国に奪われて強制的に歩かなければならなくなった時期があったのだが、車の代わりにある動物を使ってよく移動していた。

 

一言で言えば、でっかい鳥。

 

といっても、長距離を飛ぶことはできずに主に陸地を歩く平胸類に分類される鳥類だ。

 

ノクトの世界ではその鳥を『チョコボ』と呼んでおり、その動物があの世界での一つの移動手段であった。

 

ノクトはそういったものとは関わりのない都会で過ごしていたため、触れ合える機会がほとんどなかったのだが、初めてにも関わらずにノクトは完璧に乗りこなしていた。チョコボ自体は温厚な動物であるため、優しくすれば素直に従ってくれるのだが、それでも初心者が動物を操るのは難しい。

 

しかし、ノクトはそれを勘でやってのけた。

 

王族のため王室に閉じ込められるという堅っ苦しい生活を続けていたせいで外の世界をあまり知らなかったというのに、彼は平然とやってのけた。まあ、外の世界を知らないからこそ彼は図鑑や教科書などを見て勉強したというのもあるが、それでも実際にやるとなると難しいと思う。知識だけで本番に臨むのは無謀だと思うのだが、それでも彼は乗り慣れているかのように平然とチョコボを乗りこなしていた。

 

つまり何が言いたいのかと言うと、彼にとって馬を乗りこなすなど朝飯前であった。

 

筋骨隆々とした馬には手綱や装具の一部が取り付けられていて、ノクトはその上で平然とまたがり、パカパカというちょっと呑気な蹄の音を右から左へと流しながら走っている。

 

一応言っておくと、ノクトは乗馬の経験なんてない。

 

チョコボで培った騎乗スキルを活かしているだけである。

 

馬自体は元の世界にも存在した。しかし、あの世界ではチョコボが主に動物での移動手段であったために乗馬をする機会こそなかった。実際、かつてあった戦争でもチョコボにまたがって戦地に赴いたという記録があの世界では残されている。馬に乗るという文化はノクトの世界では薄いものであった。

 

 

「あんた、乗馬もできるのね」

 

「初めてだけどな」

 

 

それに比べて、この世界では馬を移動手段にするのは普通のことだった。

 

馬と言えば原始的に聞こえるかもしれないが、固い石造りでできた地面であった場合、走行用に特殊なゴム性の蹄鉄を噛ませたらバイクに匹敵する機動力を誇る。ましてやここはファンタジーな世界。普段から移動手段として乗り回されている愛馬の育成にしたって相当手を加えられているに違いない。

 

故に、貴族であるルイズは幼い頃から乗馬の知識を叩き込まれている。そんなルイズが感心するほど、ノクトの乗馬の腕は大したものであった。

 

 

「初めてにしては乗り慣れているように見えるけど?」

 

「ま、種類は違うけどこういう動物に乗るのは初めてじゃねぇからな。どうすればうまく乗れるかなんとなくわかるんだ」

 

 

とは言いつつも、ノクトは初めての乗馬に感動していた。

 

パカパカという足音は心地がよく、新鮮味があった。しかしそんな平和な音とは裏腹に、オープンカーで高速道路を突っ走るような感覚で突風が吹き荒れ、左右の景色が流動形に流れていく。

 

そんな感覚がどこか懐かしく、ノクトは久々にその空気を味わっていた。

 

 

「ま、初めてにしては上出来ね。それじゃ、前を走るからちゃんとついてきなさいよ」

 

「はいよ」

 

 

パカラパカラッ! と体勢が入れ替わる振動が二人の体を揺らす。ノクトは初めての乗馬で肩凝りを気にするように、片手を手綱から離してもう片方の肩を軽くさすると、

 

 

「にしても、意外と時間がかかりそうだな」

 

 

学院から出て一時間。

 

さすがのノクトも初めての乗馬で疲れが見え始める。

 

乗馬は意外と体力を使うのである。まず、平行的に動いて大した揺れを感じさせぬ車とは違って、馬は全体の筋肉を使って走るために上下左右に揺れる。よって、長時間乗っていれば尻も痛くなるし、揺らされることもあって気分も悪くなる。

 

馬に乗るならペースを乱されないようにうまく呼吸を合わせなければならない。そこが乗馬の難しいところである。乗りこなすにしても並みのバイクを越える結構な速度を出して進み、それに加えて不安定な揺れを体全体に感じさせるため、体調を崩さないように気を付けなければならない。

 

疲れが見え始めたノクトに、ルイズは声色を優しくしながら話しかける。

 

 

「なんなら、ちょっと休む?」

 

「いや、いいよ。まだ大丈夫だわ」

 

「いいの? あと二時間はかかる距離だけど」

 

「··············ああ、大丈夫」

 

「そう、ならいいけど」

 

 

ルイズはノクトがそう言うならと前を向き直す。

 

しかし、ノクトは内心マジかと思っていた。結構かかる距離だなぁ、とノクトは自分の体調を気にしつつ正面を睨む。

 

車と同じで長時間と長距離の移動は体力勝負となる。

 

少しでも体力を温存するように、前を向いて遠くの景色を見つつ馬を走らせる。

 

と、少し進むと分かれ道になっている所までやって来た。その手前には木製の看板が立っており、この世界の文字で書かれているためにノクトはなんて書いてあるのか読み取ることは出来なかった。

 

ルイズが先導してくれているためどっちに行けばいいのかすぐにわかるのだが、その看板にはこの世界の言葉と矢印の簡単な図面でこんなことが表記されていた。

 

───直進、トリステインの城下町まで六十キロ。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

トリステイン。

 

学院から三時間はかかる場所にある街。

 

その中心部となる市街地には全長四キロ程度の城壁に囲まれていて、限られた土地の中にたくさんの店や家を詰め込んであった。城下町ということもあり、この世界屈指の観光名所及び商業場所として機能している。

 

 

「馬で三時間もかかるとか、さすがにきっついわ」

 

「慣れてないとそうかもね」

 

 

当初の予定通り剣を買いに来た二人は、一緒に巨大な石の城壁に備え付けられたアーチ状の城門をくぐり抜け、壁に囲まれたトリステインの街に入る。

 

馬を街の門の側にある駅に預けているので、帰りもまた三時間ほど馬にまたがらなければならないが、今はそんなことは気にしない。

 

街中はだいぶ賑わっており、道端で声を張り上げて果物や肉、籠などを売る商人たちの姿が目に入ってくる。こうした光景だけ見ると、まるでおとぎ話の中にいるかのような気分になる。のんびり歩いたり、忙しなく歩いている人間がいたりと、老若男女取り混ぜて歩いている。

 

その辺は元の世界とあまり変わらなかったが、鉄筋コンクリートで作られた元の世界とは違って、土の地面に石造りの街並みはテネブラエを連想させて懐かしい気持ちになる。

 

広場らしき所に出ると、噴水のようなものが見えた。三六◯度、噴水を囲むように建物が建てられており、脇に置いてあるお店の看板にはこの世界の言語が並べて表記されている。しかし、ノクトからすればその文字は理解のできない落書きにしか見えないため、結局はなんの店なのかわからなかった。店頭に並べられている品々で判断するしかない。

 

ルイズはノクトを連れて、広場から離れるように細い道へと入っていく。

 

すると、ここが穴場とでも言うかのようにひっそりと剣の形をした看板が下げられており、見るからに武器屋だとわかりやすい外見をしている店を見つけた。

 

 

「ここか?」

 

「そうよ」

 

 

一応確認してみるも、本人はあっさりと認めた。

 

ルイズが先導して店の出入口の羽扉を開けて中に入っていくも、ノクトは少し気になることがあった。

 

ルイズが一切迷わず武器屋にたどり着くのを見ると、貴族でも剣や槍といったものを買いに来る機会があるんだろうか。あれだけ貴族達は魔法が絶対とでも言うかのように魔法に頼っていたのに、こういう物理攻撃に特化したものに頼ることがあるんだろうか、と。

 

魔法についての知識だけでなく、魔法が使えなくなった場合の対策として武器の使用が出来るように訓練とかあるんだろうか。もしそうなら意外だなと思うノクトであった。

 

 

「なにやってるの? 早く来なさい」

 

「ああ、悪い」

 

 

ルイズに呼ばれてノクトも店の中へと入っていく。

 

店の中は昼間だというのに薄暗く、ランプの灯りが灯っていた。壁や棚に、所狭しと剣や槍が乱雑に並べられ、立派な甲冑が飾られている。

 

店の奥でパイプを咥えていた五十絡みの親父が、入ってきたルイズを胡散臭げに見つめた。紐タイ留めに描かれた五芒星に気付き、パイプを離してドスの利いた声を出す。

 

 

「旦那。貴族の旦那。うちはまっとうな商売をしてまさあ。お上に目をつけられるようなことなんかこれぽっちもありませんや」

 

「客よ」

 

 

ルイズは腕を組んで告げた。

 

すると親父は目の色が変わって、即座に接客モードに切り替わるように背筋をピンと伸ばして、

 

 

「こりゃおったまげた! 貴族が剣を! おったまげた!」

 

 

そして意外そうな目付きをしながら驚きの声を上げた。

 

ノクトはその瞬間、やっぱり貴族が武器屋に訪れるなんて滅多にないことなんだなと思った。そんなノクトのことなど気にせずルイズはその店主の態度に疑問を抱き、どういう意味なのか質問する。

 

 

「どうして?」

 

「いえ、若奥様。坊主は聖具を振る。兵隊は剣を振る。貴族は杖を振る。そして陛下はバルコニーからお手をお振りになる、と相場は決まっておりますんで」

 

 

なるほど、ルイズが武器を扱うと勘違いしているご様子だ。ルイズは訂正するように、後ろにいるノクトに指を指して、

 

 

「使うのはわたしじゃないわ。使い魔よ」

 

「忘れておりました。昨今は貴族の使い魔も剣を振るようで」

 

 

主人は商売っ気たっぷりに愛想を言った。それからノクトをじろじろと見て、

 

 

「剣をお使いになるのは、このお方で?」

 

 

ルイズは頷きながら、店主に言った。

 

 

「わたしは剣の事なんか分からないから、適当に選んでちょうだい」

 

 

自分の知識の無さを自白。

 

それを聞いた主人はいそいそと奥の倉庫に消えると、ニヤリと口元を歪ませて聞こえないように小声で呟いた。

 

 

「············素人の貴族か。こりゃ、鴨だな」

 

 

悪い目をしながら奥に引っ込んで行った時、彼は一メイルほどの長さの細身の剣を持って現れた。随分と華奢な剣は片手で扱うものらしく、短めの柄にハンドガードが付いている。

 

ノクトの代わりにルイズが受け取ると、主人は思い出すように言った。

 

 

「そういや、昨今は宮廷の貴族の方々の間で下僕に剣を持たすのが流行っておりましてね。その際にお選びになるのが、このようなレイピアでさあ」

 

 

なるほど確かにきらびやかな模様がついていて、いかにも貴族好みしそうな綺麗な剣だった。

 

 

「貴族の間で、下僕に剣を持たすのが流行ってるの?」

 

 

ルイズが尋ねると、店主はもっともらしく頷いた。

 

 

「へえ、なんでも最近このトリステインの城下町を盗賊が荒らしておりまして··········」

 

「盗賊?」

 

「そうでさ。なんでも『土くれ』のフーケとかいう、メイジの盗賊が貴族のお宝を盗みまくってるって噂で。貴族の方々は恐れて、下僕にまで剣を持たせる始末で。へえ」

 

 

手をスリスリとこすりながら説明してくれる店主だったが、ルイズはそんな盗賊話には興味が無かったので、じろじろとレイピアを眺めた。

 

しかし、すぐに折れてしまいそうなほどに細い。ノクトは確かこの前もっと大きな剣を軽々と振っていた。

 

刀身は太く大きめに作られており、持ち手には奇妙なデザインが施されていた。理解不能な呻き声に似た音が鳴っていたのはともかく、あれに比べたら凄く脆そうであった。

 

 

「··············」

 

 

使い手になるノクトもその剣を見て不服そうな表情になっていた。

 

主に、デザインの方。これは所謂『ドレスソード』と呼ばれる類いの剣だ。

 

ノクトは王族という立場もあってか命が狙われることも多々あるため、幼少期から武器の訓練を受けている。武器の扱いには慣れているのもあり、あらゆる武器の知識に詳しい。

 

ルイズが今手にしている剣の知識を説明すると、見かけだけの武器である。貴族や将校という偉い立場の者がその階級に見合う用にデザインされた武器。その用途としては、戦闘ではなくもっぱら式典や舞踏会などの場で佩びる物として利用され、自分の権威を知らしめるための、言わばファッションの一種だ。

 

儀礼用に特化したタイプの非常に高価な剣で、ノクトも王族という立場からよく式典の際はそういう武器を手にして出たものだ。

 

しかし見た目はよくても肝心の攻撃性能としては極めて脆く、実用に値しない。

 

誰かと戦うことを想定して作られてはいない。

 

ノクトの持つ武器も一見すればそういう風に見えるが、あれはギリギリのデザインを攻めつつ攻撃性を重視した武器だ。ルシスの技術を取り入れて攻撃性を上げている。なにより、『王の力』という特殊な魔力が込められており、威力と耐久性は格段と上がる。

 

時には特殊な効果がつくものまである。ノクトの持つ『アルテマブレード』なんかは敵を倒した際に魔法を精製するためのエレメントを吸収する効果がある。

 

だが、この武器はまさにお飾りの剣。

 

というか、この店に置いてあるもののほとんどがそう。特殊な効果があるわけでもないし、何より全部見かけ倒しのものばかりだ。壁に飾られているものは店を立派に見せるためのものと見える。それを知らずに買わせるというのが狙いだろう。

 

だがしかしルイズは、とにかく強そうな武器が欲しいとしか考えていないようで、

 

 

「もっと大きくて太いのが良いわ」

 

「お言葉ですが、剣と人には相性ってもんがございます。見た所、若奥様の使い魔とやらには、この程度が無難なようで」

 

「大きくて太いのが良い、と言ったのよ」

 

 

ルイズが言うと、店主はぺこりと頭を下げて店の奥に消えた。その際に小さくケッ! 素人が! と毒づくのを忘れない。

 

今度は立派な剣を油布で拭きながら、主人は現れた。

 

 

「これなんかいかがです?」

 

 

それは見るも見事な剣だった。

 

一・五メイルはあろうかという大剣で、柄は両手で扱えるよう長く、立派な拵えである。ところどころに宝石が散りばめられ、鏡のように両刃の刀身が光っている。

 

一見すれば、頑丈そうで強そうな武器である。

 

 

「店一番の業物でさ。貴族のお供をさせるなら、このぐらいは腰から下げて欲しいものですな。と言っても、こいつを腰から下げるのは、よほどの大男でないと無理でさあ。やっこさんなら、背中にしょわんといかんですな」

 

「ノクティスこれよ! 店一番って言うし、これにしましょう!?」

 

 

と、ルイズは目を輝かせてノクトにこれにするように薦めるが、

 

 

「··········いや」

 

「え?」

 

 

が、ノクトはそんな剣には目もくれずに店の角に置いてある樽へと向かう。樽の中に入っているのはどれも中古品という感じで、その中からノクトは適当なのを選んで取り出す。

 

錆の浮いた古い剣で、見るからに弱そうな剣であった。

 

しかし、ノクトはその剣を鞘から抜くと見入るように観察し始めた。少し古いが、手入れすればなんとかなりそうであった。目立つように店のあちこちに並べられている飾りの剣よりは実用性があり、それに比べたらまだマシであった。

 

なにより、ルイズには悪いが買ってもらっても使う機会が少ないと思う。使い慣れていない剣を下手に使うよりは手に馴染んだ武器を使用したい。そういう理由だった。

 

つまり、なんでもよかった。実用性があれば、一応持ってても困らない。

 

そう考えたノクトは手にしている剣を鞘にしまうと、

 

 

「これでいい。これと砥石を何個か買ってくれ」

 

「ちょ、ちょっと! 何言ってるのよ!? 別に良いじゃないこれで! 店一番だって言ってたし! なんでよりにもよってそんな安っぽい剣なのッ!?」

 

 

店一番の所が強調されていたのは、ルイズが剣よりもその言葉を気に入っていたからだろう。貴族はとにかく、なんでも一番でないと気が済まないのである。

 

一方でノクトは、そんなルイズを落ち着かせるように説明する。

 

 

「いや、その剣よりこっちの方が実用性がある。そっちは貴族や王族とかそういった奴らの権威を示す時に身に付けるだけのもので実戦向きじゃねぇから、一回使っただけで駄目になる。それにお前、そんなに金ねぇだろ?」

 

「ッ!?」

 

「見たところその剣は宝石とかめっちゃついてるし。金の心配はないとか言ってたけどその剣絶対お前の手持ちじゃ足りねぇだろ? 見栄張んのはいいけど、あまりやり過ぎると自分の首を絞めることになって、後々しんどいぞ」

 

「ぐっ·········!」

 

 

経験者は語る。

 

かつて旅をしてきてお金のやりくりをしなければならなくなった際、欲しくても買えない故にいろんな人から依頼を受けたりバイトしたりして生計を立てていた。ホテルに泊まろうにも金がなく、キャンプして寝過ごしたり、なんなら徹夜を三日連続でしたりした。

 

王族という立場から金銭感覚が鈍っていつも甘えてしまったが、旅をしたことによって金の大切さを学んだノクトは出来るだけ節約するということを覚えていた。

 

痛いところをつかれてルイズは思わずぐっと胸を締める。

 

しかし値段も聞かずにそう決めてしまうのは早計すぎる。念のため、その剣が一体いくらなのかノクトは聞いてみることにした。

 

 

「ちなみにさ、その剣っていくらだ?」

 

「へ、へぇ·········エキュー金貨で二千。新金貨でしたら三千ってとこですな」

 

「はっ!? に、にせっ、二千!? 嘘でしょ!?」

 

 

ノクトがその店一番だと言った剣がいくらか聞いたところ、目を見開いてルイズは思わず上擦った声で叫んだ。まだ貨幣の価値がいまいちピンとこないが、ルイズが声を上げるくらいの驚愕の値段ということだけは理解できた。

 

 

「立派な家と森付きの庭が買えるじゃないの··········」

 

 

それを聞いて、自分の考えの甘さに痛感する。

 

実際ルイズは現在手持ちが少ない。剣一本くらいなら買うお金はあるだろうが、それでも宝石なんかで装飾されたような高価な剣を買うお金があるかどうかも疑わしい。

 

店主の方も、ノクトが剣についての知識を語ったおかげで高値で売ってやろうという野望を打ち砕かれてしまって肩を落としている。

 

そんな店主を一々気にすることなくノクトは、

 

 

「で、こっちは?」

 

「あ、ああ、そちらの剣でしたら新金貨百枚で結構でさ」

 

「········いきなり安いわね」

 

「少し傷んでますが、手入れすればまともなものになりやすからね。金が足りないというのなら、そちらの剣をおすすめしやすぜ。砥石もセットで、安くしときやすぜ?」

 

 

だがしかし、ノクトが古びた剣を買おうとしているとわかった途端に店主は露骨に態度を変える。

 

主人は手をひらひらと振りながら言うのを見ると、おそらくルイズ達にはさっさと出ていって欲しいのだと見える。ルイズ自身も自分の知識の浅さもあってか恥ずかしさのあまり一刻も早くここから出たかった。

 

ルイズは顔を赤くして下を向いてしまう。

 

一番の剣をプレゼントしようと勢い込んでやってきたのに、これでは情けなさ過ぎる。それでも金貨が足りないのではどうしようもない。

 

 

「··········本当にそれでいいの?」

 

「ああ、俺は良いと思うぜ。なにより、せっかくご主人様がわざわざ俺なんかのために剣を買ってくれるって言うんだから、どんなものであろうと買ってくれるだけで俺は嬉しいけどな」

 

「··········」

 

 

ノクトの言葉に、ルイズは軽くため息をつく。

 

ルイズは財布を取り出すと、中身をカウンターの上に置いた。店主は慎重に枚数を数え、やがて頷いた。

 

 

「へい、毎度」

 

 

店主は代金が支払われたことをしっかりと確認してから剣を手に取り鞘に収めると、懇切丁寧に布で巻いてノクトに手渡した。それからノクトはカウンターに置かれた砥石を収納する。

 

布に巻かれた剣を両手で持つと出入口前で待機しているルイズのもとまで行き、店主に世話になったと軽く会釈をして外へと出る。

 

 

「ああ、言い忘れてた」

 

「? なによ?」

 

 

ノクトはそう言うと、ルイズの目を見据えて、

 

 

「ありがとな、ルイズ。俺のために剣を買ってくれて」

 

「·············」

 

 

ノクトは感謝を込めて礼をする。

 

ルイズはそれを見て、小さく笑った。

 

 

「うん、よろしい」

 

 

自分の不甲斐なさを補ってくれただけでなく、ちゃんと従者としてご主人様に感謝をするのを見てルイズも満足したようであった。とりあえず、当初の目的を果たす事が出来たルイズは、これでもうキュルケなんかに目がいかないでしょ、とか思いながらそのままノクトと共に帰路についた。

 

 

「はあ·········やれやれ、面倒な客だったなぁ」

 

 

一方で、店の中にいた店主は厄介な客の対応に疲れてカウンターに頬杖をついて本人達がいないところで悪態をついていた。

 

 

「あの兄ちゃん、見かけによらず相当剣について詳しいみたいだが·········まさかあの剣を買っていくとはねぇ。なまくらだって見抜かれた時はどうなることかと思ったが、ま、あの“小煩い奴”を買っていってくれただけでも儲けもんだ」

 

 

一人でなにかぶつくさと言いながら満足そうにしている。

 

ノクトがあの古びた剣を買っていってくれたのが相当嬉しかったようで、新金貨百枚のうちの一枚を机の上でクルクルと回して弄びながらにっこりと笑う。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。あの兄ちゃんお目が高いねぇ、おかげでいい厄介払いが出来たわい」

 

 

椅子に座ったまま肩をすくめた、その時だった。

 

唐突に、店の出入口の羽扉が開かれる音が聞こえてきた。ギィ、という軋む音が聞こえてきた瞬間にすぐ背筋をピシッとして、即座に接客する姿勢になる。

 

二人の人影。

 

一人は誘惑の塊のような女性、もう一人は内気な読書家の少女。

 

読書をしている少女は店の中を見ることすらもせずに、文字をひたすら読み込んでいる。対して、目のやりどころに困る女性は店の中にある剣を舐め回すように見つめると、店主のいるカウンターの方へと歩いていく。

 

彼女はその重そうな胸をカウンターに押し付けるように置くと、

 

 

「この店で一番立派な剣をくださいな」

 

 

マニキュアでギラッギラになっている指を一本立てながら、甘い息を吹きかけるように店主に店一番の剣を要求してきた。

 



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第11章

 

 

「······で」

 

 

疑問を口にした。

 

本来なら「な」と「ん」をその前に付き足さなくてはならないのだが、正式な言葉を紡ぐことすらできないほど疲れていた。壁まで追い込まれたノクティス君は反省させられるかのようにその場で正座している。

 

そんな状況に彼はマジで理解できていないから、ちょっと目の前にいるお二人に低い声で質問を放ってみた。

 

 

「全体的に何でこうなってんだよ······俺が何した?」

 

「黙ってなさい」

 

「はい······」

 

 

場所はご主人様のお部屋。

先程まで主人であるルイズと共に買い物へと出掛けたのだが、帰りの馬で体力を使いすぎてしまったせいでぐったりとしていた。

 

疲労でふらふらになった体を引きずるように主人の部屋へと入り、ちょっと休んでから購入した剣の手入れをしよう、と思わずあくびをして床に撒かれた藁に倒れこんでそのまま眠ってしまった。

 

時間的には一時間かそれくらいか。

 

で、ちょっと寝て起きたら何故か目の前には驚くべき光景が広がっていた。

 

 

「······」

 

 

主人が腕を組んでふくれっ面だった。

 

呑気なのは、その隣にいる主人のご学友くらいなものだ。

 

おかしい。

どうしてちょっと眠ったからってノクトに突き刺すような視線が集中するのだろう? 

 

あと何でご主人様にとって不倶戴天の敵であるキュルケと、誰だかわからないけど空気の流れを読まず無心で本に視線を向けている場違いな少女までここにいるのだろう。

 

そんな納得いかない状況の中、もちろん正座の王子様には申し開きの機会は与えられなかった。

 

理由について説明すれば、現在ノクトが手にしている剣に問題があったからだ。

 

今、彼の手には二つの剣が握られている。

 

一つは、ルイズが買ってあげたオンボロで小汚なく錆びまみれの剣。

 

もう一つは、見るからに高そうで上品な人間に相応しそうな剣。黄金色に輝いており、背中に背負えばその剣の美しさに皆が目を奪われ注目の的になること間違いなしである。

 

もちろん、見た目からもわかる通りルイズにはそんな剣を買うほど金に余裕がない。

 

では何故そんなにも高そうな剣がノクトの手元にあるのか。

 

答えは単純である。

 

 

「ふふっ。気に入っていただけた?」

 

「······どういうつもりツェルプストー?」

 

「え~? 虚無の曜日だったから暇潰しにタバサと街に散歩に行ってたら偶然ノクティスにとっても似合いそうな剣が売られてたから、プレゼントしただけだけど?」

 

「······跡をつけたってわけ?」

 

「ふふっ、情けないわね~? こんな安物の剣すら買ってあげられないなんて······」

 

「······」

 

 

なんだかとても荒れそうだ。

ノクトはただ成り行きを見守ることしかできなかった。

 

 

「この剣、ゲルマニア製の業物だそうよ。剣も女もゲルマニアに限るわねぇ~。あなたみたいなトリステインの女なんか敵うわけないわ」

 

「へ、ヘンだッ! あんたなんかゲルマニアで男漁りすぎて相手にされなかったからってわざわざ隣の国に留学してきたんでしょ!?」

 

「ムッ!」

 

「フンッ!」

 

 

その瞬間、二人ともローブのポケットからそれぞれ杖を出して互いに突きつけた。

 

 

「言ってくれるじゃない」

 

「本当のことでしょ!?」

 

 

お話している少女達の黒いオーラが半端じゃなかった。まだ何の呪文も唱えてないのに、二人の間には何故かバチバチと火花を散らしている。

 

しかし、このままだとまずい。室内で暴れられたらこっちもただじゃ済まない。巻き添え喰らうだけでなく、何かしらの罰まで押し付けられそうだ。片方とか普通に爆破呪文使ってくるし、多分あれは呪文を唱えたら自分まで巻き込むくらいの爆破を起こすほど頭に来ている。

 

ガチの自爆魔法。

 

それを起こしかねないほど場の空気がやばかった。

 

 

「······おい、もうその辺で────」

 

「「黙っててノクティス!!」」

 

「······はい」

 

 

二人の激昂にノクトは萎縮する。

止めようとしたが失敗してしまった。こうなったらもう誰も止められないだろう。怒りが収まったときには、おそらく骨すらも残っていない状況になっていると思う。

 

こんな形でまた死を覚悟しなければならないなんて。

 

と、思っていたがふいに二人の手から杖がすり抜けていった。

 

 

「「あ!?」」

 

「······室内」

 

 

ずっと本を読んでいたメガネの少女が限定的な地点を目標にして風を引き起こし、絡め取るようにして二人から杖を奪ったのだ。視線は本に向けているものの、大きな杖を軽く振っただけで二人の杖を奪うとは、彼女はかなり優秀な生徒と見える。

 

弾き飛ばされた杖はノクトの前へと落下する。

 

自分達の杖が奪われて行き先を目で追っていたため、杖の落下先にいたノクトが目に入った瞬間に二人は彼の元へと近づいていく。

 

この騒ぎの原因となっている者に解決案を提案するためだ。

 

 

「じゃあノクティスに決めてもらいましょうか」

 

「······え、俺?」

 

「そうよ! あんたの剣で揉めてるんだから!!」

 

「え、えっと······」

 

 

単に矛先がノクトに変わっただけだった。

思わず冷や汗が出るほどノクトは開きかけた心の扉を全力で閉めて目を逸らした。

 

二方向から殺人的な圧を受けているノクトを見ても、他人事だと思っているタバサは何の気にも留めない。一応ノクトが可哀想だとは思っているみたいだが、かと言ってあの最前線に割って入るだけの度胸など持ち合わせていない。自己防衛のために二人から杖は取り上げたが、自分に被害が及ばないならこれ以上手を出す気はないみたいである。

 

実際、この揉め事の原因はノクトだ。

 

中立勢力である自分が何か口出したらさらに二人は攻撃的になって暴れまわるに違いない。

 

ここは、ノクト自身がなんとかしなければならない。平和になるかどうかは彼の手にかかっている。

 

 

「······」

 

 

ノクトは口の端をビクビクと小刻みに震わせて笑うしかなかった。頭をフル回転させて解決へと導こうとするも、何を選んでも自分には不幸しか振りかからないと悟ったからだ。

 

片方を選べば片方から攻撃される。

両方を選べば両方から攻撃される。

 

そんな展開にしかならない気がする。

 

剣だけの問題じゃないことは彼にだってわかっている。

 

しかし、どうしろというのだ?

 

どちらを選んでも最悪な結果にしかならないし、答えが出せない状況が続く。

 

素直に言えば、どっちも別にいらない。

 

そもそも剣なんて腐るほど持ってるし、今更買い与えられても使うかどうかもわからない。しかし、ご主人が善意で買ってくれたからありがたく貰おうとした挙げ句、キュルケまで剣を買ってくれるとは思わなかった。しかも買ってきたのはこれまたドレスソード類の剣。

 

使ったらすぐ折れてしまうような剣に、錆びれた剣。

 

見た目だけならキュルケのが欲しいが、使えるかどうかで判断したらルイズのが良い。

 

······悩む。

 

いつまでも曖昧な笑みを浮かべたまま黙っているが、二人は視線を一向に外さない。答えが出るまでいつまでも待ち続ける覚悟でいるようだ。しかし、出来るだけ早く答えてもらうように、二人は更なる圧をかける。

 

 

「「どっちッ!?」」

 

 

その圧を受けて、彼は思う。

 

詰んだ、と。

 

 

(もう、どうにでもなれ)

 

 

ノクトは諦めたようにして、自分の答えを提示した。

 

 

「逆に二つとも使わず大切に保管する······っつーのは?」

 

「「······」」

 

 

瞬間、ゴッ!! という鈍い音が響いた。

 

二つの方向から細い足が勢いよく迫ってきて、顔が内側にめり込んだ。

 

最低な選択をしたとは思ってる。どちらを選んでも最悪な結果にしかならないのならもう逆に考えて二つとも保管して大切にすればいいんじゃね? と混乱した頭で考えた結果結局喰らう羽目になった。

 

せっかくくれたプレゼントなんだし、大切にしておきたい。

 

使ったら汚れる、欠ける、磨り減る。

 

そっちの方が勿体ない、という考えに至ったわけだがやはりその選択は大きな間違いだったようだ。絶対こうなると覚悟はしていたが、やっぱ辛ぇわ。

 

 

「いい機会だから教えてあげる。あたしね、あなたのことが大嫌いなの」

 

「あら、気が合うわね。実は私もよ」

 

 

ルイズとキュルケがいつの間にか仲良くなっていた。二人共気が合いすぎて、互いに絶対零度な笑みを浮かべておられる。

 

いがみ合う二人の間に再びバチバチと青白い火花が断続して瞬く。

 

そしてついに、

 

 

「「決闘よ!!」」

 

 

ついに怒りが爆発した。

 

互いのおでこがゴチンとぶつかるほどの至近距離で叫ぶと、狂犬のように二人は唸り声を上げる。

 

 

「お、おい。二人とも少しは落ち着け───」

 

 

いがみ合うルイズとキュルケを仲裁するようにノクトが声をかけた。

 

瞬間。

 

 

『おい! うるせぇぞ馬鹿女共ッ!!』

 

 

磨り減る金属音と共に、ものすごい暴言が部屋中に響き渡った。

 

声色からして、男の声。

 

現在この部屋に男はノクトしかいない。そして聞こえてきた方向もノクトがいるところからだった。

 

よって、容疑者は一人に絞られる。

 

 

「······馬鹿」

 

「女共、ですって?」

 

 

二人がノクトを睨む。

本当しょうもない所で気が合うと現実逃避気味にそんな事を思いつつも、即座に誤解を解くためにノクトは焦った表情で首を横に激しく振る。

 

 

「ち、違っ!! 今のは俺じゃね───ッ!」

 

「あんた以外に誰がいんのよッ!!」

 

 

聞く耳など持っていなかった。

 

ルイズはノクトの胸ぐらを掴むとお仕置きよと言わんばかりに机に置いてあった跳馬用の鞭を振るおうとする。

 

と、そんな時。

 

 

「······剣」

 

「「「え?」」」

 

 

唯一の中立勢力たるタバサがようやく平和活動をするべくボソボソした声でそう言った。

 

三人は一瞬どういう意味なのか理解が遅れたが、彼女の指がノクトの持っている錆びた剣を指していることにようやく気付く。その指の先を三人は視線で追ってくと、錆びた剣の柄の部分にたどり着く。

 

よく見ると鍔にある金具が小刻みに動いており、それが上下に動く度に声に似た音が聞こえてきた。

 

 

『人が気持ちよく寝てるとこを起こしやがって!』

 

「······は?」

 

 

意味が、わからなかった。

ふざけた調子の言葉は、おっさん染みた声をした『剣』だった。

 

わざわざ人の言葉で話す錆びれた剣は続ける。

 

 

『今何年だ? つかここどこだ? 答えろコラ』

 

「な、なんだこれ? 喋ってるぞ?」

 

「そ、それって······知性を持つ剣『インテリジェンスソード』じゃない?」

 

「インテリジェンスソード?」

 

 

ノクトに続いて、キュルケが当惑した声を上げた。

 

 

「またあなた、変なの買ってきたわね······」

 

「知らなかったのよ! こんな気色悪いものすぐに返品するわ!」

 

「やっぱり、さすがはゼロのルイズね。剣一つまともに買えないなんて」

 

「なんですって!?」

 

 

キュルケが悩むような調子でありつつ、そこに深刻さはない。ルイズも大して驚いていない。

 

彼女達の様子からして、喋る剣というのは世間ではそこまで珍しいものではないのかもしれない。レア物なのかもしれないが、あまり好まれていない代物だと思われる。

 

そして、二人はまた睨み合うようにしてノクトから互いの目へと視線を移す。目を離したら負けと言うかのように、二人は全く一ミリも視線を動かさずに唸っている。

 

 

『······ん?』

 

 

すると剣は何故か黙ってしまった。

 

持ち手であるノクトを視界に入れた瞬間に口を閉じてしまい、しばらく何も話さなかった。

 

まるで、ノクトのことを観察しているかのようだった。

 

 

『おでれーた。てめぇ【使い手】かよ』

 

「使い手?」

 

『通りで目が覚めるわけだ。ただ者じゃねぇ雰囲気がプンプンとしてきやがるぜ』

 

 

ノクトは眉をひそめる。

いきなり話し出したかと思えば意味不明な単語を述べたからだ。ノクトが理解する前に、剣はどんどんと話を進める。

 

 

『相当な修羅場潜ってやがるな? とんでもねえ力がてめーの手から伝わってきやがる······ん?』

 

「?」

 

『······なるほど、お前そういう人間か。まさに、おとぎ話の中に出てきそうな【王子様】ってわけか』

 

「!?」

 

 

二人には聞こえないくらい小さな音量ではあったものの、それを聞いたノクトは目を見開く。

 

その一言に目を白黒させるノクトであったが、剣は完全に馬鹿にしたような口調でノクトに言った。

 

 

『まぁそんな事は俺にはどうでも良い。それよりお前、これからは俺を使え。お前が今まで使ってきたどの武器よりも役に立つぜ』

 

「はぁ?」

 

『お前みたいな奴に使われるなら本望だ。いくつもの武器を所有し、それを指先のように使いこなす。何より【使い手】だってんだから、俺が使われなきゃ意味がねぇ』

 

「お前さっきから何言ってんだよ。意味わかんねぇわ」

 

『いいから使え。じゃねえと、お前が何者なのかを今すぐここでばらすぞ。見た所、娘っ子さんらはお前さんの正体に気付いてないんだろ?』

 

「ッ!」

 

『心配すんな、後悔はさせねぇよ。俺も、お前さんの持つ剣の一つにしてくれ』

 

「······わかったよ」

 

 

ノクトは諦めたかのようにその交渉を受け入れた。

 

すると剣は、ノクトを新たな主と認めたのか忠誠心らしきものを見せるために、自らの名を明かす。

 

 

『俺様の名は“デルフリンガー”だ! よろしくな兄弟!!』

 

「······ノクティスだ。よろしくな」

 

 

納得はいっていないものの、一応礼儀として自分も自己紹介をする。半ば強制的に武器を押し付けられた気分。

 

ノクトはデルフリンガーを鞘に収めると、肩に背負わずにゆっくりと真横に向ける。

 

その動作の意味がわからなかったデルフリンガーは疑問をぶつける。

 

 

『おい、何やってんだ? なんで背中に背負わず俺を寝かせるように横にしてんだ?』

 

「いいから、黙ってろ」

 

 

ノクトは特に答えなかった。

 

まるでこれからデルフリンガーを地面に落とそうとするような姿勢にも見えるが、ノクトは躊躇いもせず空中に置くように手を離した。

 

瞬間。

 

パシュン! と羽音のような音色が響いたと思った瞬間、デルフリンガーの姿が虚空へ消えた。

 

消える寸前、デルフリンガーが『え、ちょ!?』とか何とか言っていたような気がしたが、きっと気のせいだろう。

 

そこまで考えたノクトは、ルイズとキュルケに視線を戻す。どうやら議論はますますヒートアップしているようだ。

 

 

「「やっぱり決闘よ!」」

 

 

二人の怒鳴り声が部屋の中に響く。

 

結局そうなるのか、とノクトが小さくため息をついた。

 

 

「もちろん、魔法でよ?」

 

 

キュルケが勝負はもう決している、と言わんばかりに言った。

 

ルイズは唇を噛み締めたがすぐにうなずいた。

 

 

「ええ。望むところよ」

 

「いいの? ゼロのルイズ、魔法で決闘よ? 本当に大丈夫なの?」

 

 

小馬鹿にする様子でキュルケが挑発するも、ルイズは強気な態度で頷く。

 

自信はない。

 

しかし相手はあのツェルプストー。貴族の名にかけて、ここで引き下がるわけにはいかない。決闘と言ったからには、最後までやり通すのが貴族としての礼儀だ。

 

 

「もちろんよ! 誰が負けるもんですか!」

 

 

了承は得られた。

二人の瞳には炎が灯り、必ず勝つという覚悟が宿っている。

 

 

「······」

 

 

その様子を見たノクトは、そのまま無言で立ち上がりくるりと一八◯度回転すると、部屋の外へと通じるドアまで歩き出す。

 

急いでその場を離れる。

 

触らぬ神に祟りなし、何を言ってもこちらに危害が加えられるような展開にしかならない以上、さっさと退散するに限る。

 

と思ったのだが。

 

 

「ノクティス」

 

 

ビクゥ!! とノクトの背が真っ直ぐになった。

 

ノクトが恐る恐る、もう一度回転してみると、そこにはメラメラと背中辺りが燃えている二人の少女が。

 

それを見た瞬間ノクトはすぐさまドアノブを掴んで外へと出ようとするも、ルイズとキュルケはマッハで逃げようとする彼の首根っこを掴んで、その耳元で噛みつくように叫ぶ。

 

 

「あんた、何さりげなく逃げようとしてんのよ。元々はあんたのせいでこうなってるんだから、責任取って最後まで付き合いなさい」

 

「え?」

 

「ねぇ、ノクティス······これもあなたのためなの、悪く思わないでね? あなたの愛を得るためには、こうするしかないの」

 

 

トン、という小さな音が聞こえた気がした。

 

ノクトは音のした方、自分のお腹辺りに視線を落とした。

 

そこには二人の腕があった。ただし、肘から手首の先辺りまでを目で追いかけていくと、二人の手には杖が握られていた。

 

杖の先端を彼の腹へと押し付け、その棒の先端の感触に、ノクトはわずかに体を強張らせた。

 

銃を突きつけられた気分に、ノクトは息を呑む。

 

 

「決闘の方法は?」

 

「タバサも言ってたけど、室内だと危険だし、まずは一回外に出ましょうか。それで、勝ち負けについては『彼』に決めてもらいましょう」

 

「わかったわ、そうしましょう」

 

 

勝手に話を進められて、ノクトは冷や汗がまた止まらなくなった。なんとなく、二人が何をしたいのか察してしまったから。三人はそのまま部屋の外へと出ると、ルイズとキュルケの二人は歩きながら首を曲げず横目で互いに睨み合う。

 

心臓の音が止まらない。少しでも口を開けば即座に腰に風穴が開く。そんな状況に置かれたノクトは胃に穴が開きそうだった。

 

その様子を見たルイズとキュルケは、失笑して。

 

 

「「そんなに緊張しなくても大丈夫よノクティス」」

 

「無理だろこの状況じゃッ!!」

 

 

ノクトは一人で戦々恐々としていたが、二人は意に介さずにノクトを連れていく。その後をタバサもついていくが、彼女は特にノクトに興味を示さずに本を読みながら歩いていく。

 

 

「おいお前らちょっと待て!! 何処に連れてく気だ!?」

 

「あんたは何も心配しなくていいわよノクティス」

 

「ええ、すぐ終わるから」

 

「「ただ決闘に立ち会ってもらいたいだけだから、怪我するかもだけど」」

 

「結構重要な一言だぞそれ!? 全然安心できねぇわッ!!」

 

 

他人にエスコートされながら歩いていくノクトの怒号は、どこにも届かなかった。

 

そしてノクトはそのまま連れていかれる。

 

これから待つ、『処刑台』へと。

 

 



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第12章

 

 

そいつは実体のない盗人だ。

 

フードを深く被った奴は魔法学院の五階にある、宝物庫がある本塔目指して走っていた。二つの月の光は本塔につけられているいくつもの窓の中を照らし出すが、フードを被った奴はその光にすら当たらぬように俊敏な動きで走る勢いを落とさず、それでいて周囲をくまなく観察しながら目的地を目指す。

 

 

『土くれ』

 

 

と、呼ばれるメイジの盗賊。

 

その二つ名は、トリステイン中の貴族を恐怖に陥れている。

 

まず、恐怖となる要因が、『何者なのかわからない』からだ。人は、自分とは違うものを恐れる生き物だ。故に、防衛本能に従って強いもの達と手を取り合い、弱いものを叩きのめして自分の身を守ってきた。

 

攻撃対象がどんな奴なのかわかっていれば、こちらも策を考えて太刀打ちできる。だから、怖くはない。一度経験してしまえば更にその恐怖心は和らぎ、余裕という感情さえも生み出す。

 

しかし、

 

『土くれ』

 

『土くれのフーケ』だけはどうしても対策できない。

 

その盗賊の手口は繊細に屋敷に忍び込んで盗み出したかと思えば、別荘を粉々に破壊して大胆に盗み出したり、白昼堂々王立銀行を襲ったと思えば、夜陰に乗じて邸宅に侵入する。

 

あまりにも乱暴で、そして行動が全く読めない奴相手に、この国の治安維持部隊の王立衛士達も手を焼いている。

 

死者も出ていることから、国際指名手配されているらしいが、その姿が男か女かすらわからないため、どんな奴なのかわからないという恐怖が人々の心を襲う。

 

今隣に立っているものが、その盗賊かもしれない。

 

なんて考えてしまった日には、人種差別や魔女裁判といった大規模なものにまで発展してしまいそうだ。

 

疑心暗鬼。

 

故に国の治安を司る王立衛士や魔法が使える魔法衛士達すらほぼ壊滅状態と言っても良い。壊滅といっても、別にこちら側の誰かが死んだとかそういうわけじゃなく、奴は完全に神出鬼没で大胆に盗んでいき、派手な演出まで起こしてるのにその手がかり一つさえ見つからないので、完全にお手上げということで治安を守るという機能がぶっ壊されまくっている。

 

それが今、ルイズ達が通う学園内に侵入していることに、まだ誰も気付いていない。

 

忍び込むばかりでなく、力任せに屋敷を破壊するような奴が学園内に不法侵入しているというのに、警備の奴らは何やってんだと問い詰めたい。

 

ここに通っているのは優れた魔法使い達だ。

 

にも拘らず、これだけ大胆に侵入されてもなお警鐘すら鳴らさないなんて、この学校どうかしてる。自分達がどういう被害を受けているのか、全く気付いていない。

 

警備が甘すぎる。

 

それがフーケが始めに思った感想だった。

 

そうこうしているうちに、目的地まで簡単にたどり着いてしまった。

 

五階にある大きな門。

 

その中にある、『一つのお宝』

 

正確には、『強力な武器』

 

フーケは一先ず門に触れることだけはしない。万が一触れて学園全体に侵入者警報の鐘とか鳴らされたら堪ったもんじゃない。

 

フーケはプロの怪盗だ。

 

故に、もっと派手で大胆な演出をして見せて目的の物を手に入れる。

 

フードから覗かれる顔は今もなお笑っている。笑みを絶やさず、余裕を崩さず、門の隣にある分厚そうな壁に一蹴り入れて、どの程度の頑丈さかを確かめる。

 

カツン! と。

 

足の裏から伝わってきた感触だけで、この壁がどれほど最硬に作られているのかわかったのか、笑みを打ち消して舌打ちをする。

 

 

「さすがは魔法学院本塔の壁ね·······物理衝撃が弱点? ハッ! こんなに厚かったら、ちょっとやそっとの魔法じゃどうしようもないじゃないのッ!?」

 

 

フーケはプロの怪盗だ。

 

故に、盗む際には必ず抜け穴となりそうな所を見逃さずチェックする。

 

足の裏で壁の厚さと強度を測り、脆そうな部分を物理攻撃で破壊。その衝撃音で気付いた時にはもう遅い。フーケは目的の物を手に入れて誰にも見られずにその姿を消す。

 

『土』系統魔法のエキスパートであるフーケにとってはそれが方針らしい。

 

 

「確かに、『固定化』以外の魔法はかかってないみたいだけど······これじゃ私の『ゴーレム』でも壊せそうにないね」

 

 

男か女かも不明なフーケだが、盗みの方法には共通点がある。

 

フーケは盗みを行う際『錬金』の呪文を使用し、強固な壁を錬金によって粘土や砂に変え、穴をあけて潜り込む。

 

案外簡単なやり方で、フーケは大胆と盗んでいく。

 

入り口や出口がないのならば作ってしまえば良いという、どっかのおチビ錬金術師と同じモットーを持っている。

 

それともう一つ。

 

フーケはおよそ三十メイルはあろう巨大な『ゴーレム』を土で作り出して召喚する魔法も使ってくる。豪華な邸宅なんかその拳一振で粉々に粉砕出来るだろう。

 

跡形も残らないほどの破壊力を持つ厄介なゴーレムには、何十人も集まった魔法衛士隊達を蹴散らすほどだ。

 

そんな、世間から厄介やら恐怖やらとまで言われているフーケだが、珍しく目の前の壁にぶち当たって困ったように首を傾げている。

 

 

「やっとここまできたってのに······」

 

 

フーケは唇をかみしめる。壁に強力な『固定化』の呪文がかけられている以上、『錬金』の呪文で壁に穴を開けるわけにもいかない。

 

可能かもしれないが、分厚い上に時間もかかりそうだ。

 

 

「かといって、『破壊の水晶』を諦めるわけにもいかないしねぇ」

 

 

どうしたもんかな~なんてことを悩んでいると、

 

 

『やぁぁぁめぇぇぇろぉぉぉおおおおおおッ!?』

 

 

フーケが立っていたすぐ近くの窓から、悲鳴が響いた。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

別の影があった。

 

フードも被らず、素顔をさらけ出して無様な光景を見せつける。

 

学園の本塔てっぺんからロープでぐるぐる巻きにされて吊るされているノクトは、五階付近の窓と窓の間にいる。

 

もがき続け、身体を左右に揺らし、なんとか逃げようと模索している。

 

 

「おいマジやめろッ!? 本当にやるつもりかッ!?」

 

 

まるで死刑台に昇らされた気分だ。

 

首にかかってないだけマシかもしれないが、両腕に食い込んでくる縄が痛くて、こんなことをすぐやめるように真下にいる少女達に向かって叫ぶ。

 

ルイズとキュルケは二人横に並び合うように立ち、吊るされたノクトを見つめている。

 

これじゃ死刑というより晒し者じゃないか、という感想を抱く暇もなく、自分達でやっておきながら汚物でも見るかのようにノクトに目を向けながら、二人だけで会話するように冷酷な声音でキュルケは呟く。

 

 

「いいことヴァリエール? あのロープを切ってノクティスを地面に落とした方が勝ちよ。勝った方の剣をノクティスが使う、いいわね」

 

「わかったわ」

 

 

ルイズは今回はマジで真剣なのか硬い表情で頷いた。

 

 

「使う魔法は自由。ただし、あたしは後攻。そのくらいはハンデよ」

 

「······いいわ」

 

「じゃあ、どうぞ」

 

 

右手を差し出して先陣を切らせるキュルケにルイズは前に一歩出る。話がどんどん勝手に進められていき、それに対して不快な声音でノクトは叫ぶ。

 

 

「オイ待て!? 勝負すんのはそっちの勝手だけど俺を巻き込むなッ!? つか、この高さから落ちたら俺確実に死ぬぞ!?」

 

 

慌てすぎて声を荒げ過ぎた。

 

そんな声に、ルイズはなんてこともないような口調で言う。

 

 

「大丈夫でしょ? アンタ瞬間移動が使えるんだから。落ちる寸前になったらどこか別の所にワープすればいいのよ」

 

「そういう問題か!? そもそもまず人の命が懸かってるんだから安全対策ぐらいしっかりしろッ!! いやっていうか俺を的当てゲームの的にすんなッ!?」

 

「あぁ、もうッ!! うるっさいわねッ!! 集中するんだから静かにしてなさいッ!!」

 

 

ノクトの意志なんて関係なく、全ての尊厳を無視してルイズは懐から杖を取り出して彼のロープに狙いを定める。

 

 

「ひッ!?」

 

 

もう前方で銃口を構えているルイズのその本気度を感じて、ノクトが引きつった声を出した

 

 

「ヤバいヤバいヤバいヤバいッ!!」

 

 

やはり殺される。

 

そう感じたノクトは後ろで両腕を縛られている片方の手に短剣を召喚し、結び目を切るために急いで刃物を擦らせる。刃物は摩擦でどんどん硬い縄に食い込んでいき、溝を作り出す。

 

一つ目の結び目が切れた音がした。

 

残りはどれくらいかはわからないが、さっさとしないとロープを切るための詠唱を始めているルイズの魔法によって殺される。

 

注連縄のように固いから本当に急がないとヤバい。小さな結界に囚われた王子は、主人の爆裂魔法から逃れるために必死に縄を切る。

 

絶体絶命の大ピンチ状態の中、ついに死刑のギロチンが解き放たれた。

 

 

「えいッ!!」

 

「ッ!!」

 

 

チュドオオオオオオオオンッ!!

 

 

壁の砕け散る、甲高い悲鳴のような轟音

 

空気すらも燃やしつくす炎の刃。

 

ノクトの後ろにあった分厚い壁を輪切りにし、壁のレンガを切り崩すように無数の熱波の刃が暴れ狂う。近くにあった窓も割れ、破片は内側へ飛んでは来ず、外側に弾けるように地面へと落ちていく。

 

爆煙が巻き起こり、視界が数瞬確保されなかったが次第に晴れていき、

 

薄っすらと空中を舞う爆煙の中、ノクトを縛っていたロープは今もなお本塔のてっぺんにくくりつけられているのが見える。

 

それはつまり、

 

 

「ゼロ! ゼロのルイズ! ロープじゃなくて壁を爆発させてどうするの!? あんな細いロープをすり抜けて壁を爆発させるなんて、むしろ器用過ぎて羨ましいわッ!!」

 

「そ、そんな······」

 

 

ルイズは愕然とした。

 

脱力したように膝をつき、目の前の光景を唖然として見ている。

 

 

「あなたってどんな魔法を使っても爆発するんだから! あっはっは!」

 

 

腹を抱えて笑っているキュルケに、ルイズは悔しくて悔しくて奥歯を思いっきり噛み締めて、生えている爪が内側にめり込むくらい拳を握りしめて、思わずその拳を地面に叩きつける。

 

 

「さぁて、次はあたしの番ね。見てなさいルイズ、今から本物の魔法って奴を見せて上げ────」

 

 

既に勝負は決したと言わんばかりに微笑んでいたキュルケだったが、途中で言葉を詰まらせた。

 

その様子に、ルイズは顔を上げると、どういうわけかキュルケが目を見開いて愕然とした表情を見せている。

 

ルイズも同じように、爆裂した壁から垂れ下がっているロープの先を辿ってみると、

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

そして、当のノクトの姿は何処にもなかった。

 

しばらくして、

 

 

シュン!! と。

 

 

空間を切るような音が背後から聞こえてきたと思ったら、青い光を纏ったノクトが短剣を地面に刺して、テレポートを使って虚空を渡っていた。

 

 

「はぁ、はぁ······マジ、焦ったわ」

 

 

冷や汗が身体中から吹き出して、身の危険を感じていたノクトは安全な地面に無事着地したことで安堵に包まれると、膝をがっくりと折って両手を地面につける。

 

後ろにはノクトの姿があり、そして前には壁ごと破壊したロープがある。

 

状況が読み込めていくと、勝ち誇っていたはずのキュルケの顔から笑みが消えていく。

 

 

「う、嘘·······嘘よ······ッ!?」

 

 

信じられないといった目で見るも、現にノクトはそこにいる。

 

それを見たルイズはキュルケの代わりに表情がぱぁっと輝き、身体を小刻みに震えたまま、

 

 

「うそ········やった!! 切れたぁぁあッ!!」

 

 

跳び跳ねて喜びをアピールするルイズだが、ノクトは爆裂の際に発生した煙を少し吸い込んでしまったようで、咳き込みながら、そして涙を流しながら二人の方に振り返る。

 

 

「ゲホッ! ゲホッ!········なぁ···もう、これで·····十分、満足、しただろ?」

 

 

定まらない呼吸の中、ノクトは涙ぐんだような声でそう訊ねた。そんなノクトに主人であるルイズは駆けよっていき、本当に嬉しそうに先程まで自分が拘束されていたロープを指差して叫んだ。

 

 

「見なさい! ノクティス! 私の魔法でロープが切れたわ! 私の勝ちよッ!!」

 

 

本当に喜びを感じすぎて、ルイズの声は歌っていた。胸を張ってキュルケに対して『私の勝ちね!!』と無言で訴える姿を見て、もう怒る気力すらなくなったのか、ノクトは脱力して地面に完全に横たわる。

 

 

「う、嘘、嘘よ········あたしがゼロのルイズに負けるなんて········ッ!?」

 

 

余談だが、現実を受け止めきれないキュルケは相当ショックだったのか、壁の端で丸まってぶつぶつと呟いていた。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

「あの分厚い壁を、破壊した!?」

 

 

フードを深く被ったフーケは爆裂の嵐に巻き込まれそうになり、慌てて窓から離れて悲鳴まであげようとするが、爆発が全て揉み消してくれた。

 

『固定化』をかけられていた分厚い障壁を、あの少女が放った正体不明の爆裂魔法を目の当たりにして、フーケは悲鳴すら忘れて息を呑んでいた。

 

窓から即座に離れて、そしてガラス片は外側へと落ちたため、フーケには傷一つない。

 

熱波が吹き荒れた。『固定化』の概念を破壊した弊害らしい。どうやら彼女の魔法はただの爆発ではない。

 

何か、秘密があるに違いない。

 

 

「なんにせよ」

 

 

今日はやはりラッキーな日だ。

この千載一遇のチャンスを逃してはいけない。

 

 

「今のうちに」

 

 

フーケは杖を取り出して呪文を詠唱し始める。とても長く、複雑な文章を数秒ほど呟くと、地面に向けて杖を振る。

 

 

「······ふふっ」

 

 

フーケの顔に変化はない。

 

ただし。

 

その口元だけが、まるで口裂け女のように真横へ細く長く笑っていると。

 

 

地面が、勢いよく爆発した。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

 

「残念ね! ツェルプストーッ!!」

 

 

初めて勝ちルイズは、本当に素直に喜んでいた。

 

今まで散々バカにされてきた分、鬱憤でも晴らそうとしているかのように勝ち誇ることをやめない。

 

キュルケはルイズに負けたことが悔しいのか、プライドがとにかく傷ついたのか、膝をついたまましょぼんと肩を落として、壁の端の地面で指を使って何か変な絵を描いている。

 

見た感じ、相当精神的ダメージを喰らっているご様子だった。

 

ノクトはもう、なにもしてやれない。

 

だって、こっちは完全なる被害者なんだから、慰めるつもりもなかった。

 

そんなことを思っていた瞬間だった。

 

 

ドゴォォォオオオオオオッ!!

 

 

と、地面全体が大きく揺れた。

 

 

「「「「!?」」」」

 

 

ずっと無言で存在すら忘れかけていたタバサでさえも、本を読むのを中止した。本を閉じ、杖を持って立ち上がり周囲を見渡す。

 

 

「なん······っ!?」

 

 

地面が傾きそうな振動に、ノクトは思わずよろめいた。視界の端では転びそうになったタバサが再起したキュルケによって腕の中で支えられている。

 

更にもう一度、砲撃が直撃したような衝撃が学園を襲う。

 

爆心地は、相当近い。

 

余波が一瞬で学園全体に広がっている。パラパラと、学園の壁から粉塵のようなものが落ちてくる。

 

低く、重たい音が響き始めた時だった。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「きゃああああああああああッ!?」

 

「ルイズ!?」

 

 

ルイズが悲鳴を上げ、ノクトは今何が起こっているのか冷静になろうと努めたが、ふと気付いてしまった。

 

地面が隆起し、その中から『手』のような形をしたものが生えていた。隆起部分が何だかガキゴキと固い音を鳴らして、別の何かに形状を変えているように見えたが、その姿が『人の形』に見える。

 

ルイズはそんな巨大な土で出来た人形に掴まれ、捕らわれてしまった。

 

 

「ァ、ああああああああああああああああああああッッッ!!!??」

 

「ッ!?」

 

 

ルイズを掴んでいる五本の指が強く握られて、同時に、腰を掴む手がさらに食い込んでくる。あまりの激痛にルイズは目を閉じて更なる悲鳴を上げる。

 

主人が苦しんでいる。

 

ならば見過ごすわけにはいかない。

 

今もなお、主人はわけのわからない人形に掴まれているのだから救わねばならない。

 

 

(た、助けて········ノクティスッ!!)

 

 

そう彼女が自ら封じた視界の中で、そう念じると。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

ブゥゥゥウウウンッ!! と。

 

 

蜂の羽音を数百倍にしたような不可思議な音がルイズの耳を叩く。

 

 

「······え?」

 

「うぉぉおおおおらぁぁぁあッ!!」

 

 

突然の一撃に、ルイズは驚いて目を開けた。

 

すると、僕であるノクトが刃こぼれしたような両手剣を大きく振るって、ルイズを掴んでいた『手』の丁度手首部分が切断されていた。

 

大剣の輪郭をよく見る前に、ルイズの身体を固定していた『手』は地面に叩き落とされる。それと同時に、ルイズもそのまま地面に落ちて尻餅をついてしまう。

 

 

「無事かルイズッ!?」

 

「え、ええッ!!」

 

 

すぐに主人の安否を確認するノクトは、大剣を構えて警戒する。

 

見ると、ノクトの持っている武器はまた見たこともないデザインだった。細かい刃がいくつも付けられた剣は、振動するように縦に超高速で回転していた。

 

覇王の大剣。

 

厳つい姿は山の如し すべてが規格外の王の証。振動する刃で与えるダメージが増加し続ける。

 

いわば、ノクト達の世界で言うチェーンソーのようなものだ。

 

ノクトはルイズを救うため、土で出来た人形の手を切断するために、回転した勢いで剣を投げつけてシフトブレイクをぶつけて薙ぎ払った。

 

切断された手は、衝撃を受けた途端に結合が解かれ、バラバラと元の土くれに戻って砂埃となって消えていった。

 

しかし、たとえ手を切断して主人を救い出しても、ノクトは警戒を怠らなかった。一度武器を虚空へと消し去ると、ルイズの元に駆け寄り、そのまま脇で抱えて反対側の手に剣を召喚して遠く離れるために別の場所へと槍投げのように投げつける。

 

シュン!! と。

 

空間を裂く音を響かせて、ノクトとルイズは十メートルもの距離を一瞬で移動する。壁に刺さった剣を抜き、すぐに土くれ人形の方に振り返る二人だったが、

 

 

「······ふふっ」

 

 

錆びた女の声が、人形の肩から聞こえた。

 

いつの間にか人形の肩に乗っていた黒いローブを身に纏った謎の人物の手には、『小さな箱』。それを手にした黒いローブは、ノクト達の方を見向きもせず、ずしんずしんと地を踏み鳴らす。

 

 

「ま、待ちなさ────」

 

 

追いかけようとするルイズだったが、ノクトは無言で右手で行手を遮る。

 

 

「ちょっと!? 何すんのよ!? 早く追いかけないとッ!!」

 

「わけのわかんねぇ奴相手に無闇に動くのは危険だ。今は様子を見てから動いた方がいい」

 

 

そう言われて何も言い返せなかったルイズは、大人しくノクトの言うことに従う。

 

しばらくすると、

 

黒いローブを身に纏った謎の人物を乗せた人形は夜の庭を歩いていたが、魔法学院の城壁を一跨ぎで乗り越えると、そのまま屋外へと出てしまった。

 

 

「ここにいろルイズ。様子を見てくる」

 

「ちょ、待ちなさいッ!? 私も一緒に─────」

 

 

ルイズが言い切る前にノクトは剣を天高く投げて、一人で上空へと瞬間移動する。城壁の上に投げ置かれた剣へとワープすると、土くれ人形がどこへ行くのか身を潜めながら観察する。

 

夜の草原を地響きを重く鳴らしながら進んでいく人形は、八十メートルも離れたところで突然崩れ去った。

 

 

「!?」

 

 

崩れ落ちた土くれ人形は山となり、その場を動かなくなったのを見て、ノクトは驚愕するが、様子を見に行くためにまた剣を投げてワープする。

 

シュン!!

 

シュン!!

 

と小刻みに空を切り裂く音を響かせ、十メートルの距離を移動したら、空中に置かれた剣を手に取りまた投げつけて次の十メートルの距離を飛ぶ。

 

そして、最後の目標地にまで届く距離まで来た時、ノクトは土くれ人形が崩れ落ちた山のてっぺんに突き刺してシフトする。

 

だが、土の塊以外何もなかった。

 

 

「くそッ!!」

 

 

ノクトはつい舌打ちをして周囲を見渡した。

 

当然ながら、あの黒いローブを身に纏った奴の姿はどこにもなかった。

 

風が吹き、追撃することはできず、土の山にはかつて王子だった者だけを残して、謎の盗人はどこかに消え失せてしまっていた。

 

 



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第13章

 

 

『秘蔵の【破壊の水晶】、たしかに領収いたしました────“土くれのフーケ”』

 

 

と、ふざけた犯行声明サインが丁寧に残された宝物庫に、学院中の教師が集まっていた。

 

召集を受けた老若男女は普段の学園の賑やかさを引き裂く勢いで、縦横に行き交い様々な情報のやり取りを行い、今回の事件について話し合う。

 

怒号が飛び交うように。

 

 

「土くれのフーケ!? 貴族達の財宝を荒らしまわっているという盗賊か!? 魔法学院にまで手を出しおってッ!! 随分とナメられたもんじゃないかッ!?」

 

「衛兵はいったい何をしていたんだね!?」

 

「衛兵などあてにならん!! 所詮は平民ではないか!! それより当直の貴族は誰だったんだねッ!?」

 

 

その声に、とある女性が震え上がった。

 

教師陣は、ビクッと肩を震わせて硬直したのを見逃さなかった。

 

昨晩の当直は、ミセス・シュヴルーズである。

 

本来ならば、彼女は夜通し門の詰め所に警備として待機しておかねばならない立場であった。

 

なのに。

 

まさか、魔法使いだらけの学園に盗賊が現れるなんて夢にも思ってなかったからか、彼女は当直をサボり、自室で眠ってしまっていた。

 

教師の一人が当直リストに目を通して、彼女で間違いないと判断した途端、全ての罪を擦り付けるように詰問する。

 

 

「ミセス・シュヴルーズ!! 当直はあなたではありませんかッ!?」

 

「ッ!!」

 

 

追及されて言葉も出ない。

何故こんなにも強気な態度で問い詰めてくるのか、校長や主任など偉い教師がやってくる前に、責任を全て彼女に押し付けて事を終わらせたいのだろう。

 

声を荒げられて、シュヴルーズの目尻から涙が溢れだしてしまう。

 

 

「も、申し訳ありません········ッ!!」

 

「泣いてもお宝は戻ってこないのですぞ!? それともあなた、『破壊の水晶』を弁償できるのですかなッ!?」

 

「わ、私、家を建てたばかりで······」

 

 

何としてでも責任を押し付けたいという狙いが見え見えで、周囲の教師陣はフォローする隙もない。そもそもする気もないのだろう。

 

自分達も、実は彼女と同じような気持ちで盗人なんてこんなところに入るわけないという軽い気持ちから真面目に当直にあたってない。

 

だから、庇ったりなんかしたらどんな飛び火が飛んでくるかわからない。

 

 

「うぅ······ッ!!」

 

 

精神的に追い込まれた彼女は、頭が混乱し、涙を流しても許してもらえない現実に身体が拒否反応を起こし、目が眩んで倒れそうになる。

 

そんな彼女を支えてくれたものがいた。

 

オールド・オスマンその人である。

 

 

「大丈夫かの?」

 

「オ、オールド・オスマン······!」

 

「泣かんでよろしい、今回の件は君だけのせいではない。全く、君も女性を苛めるものではない·······遅れて済まんな諸君、老人に階段は堪えるのでの」

 

「し、しかしですなオールド・オスマン!? ミセス・シュヴルーズは当直にも関わらず、呑気に自室で寝ていたのですぞ!?  責任は彼女にありますッ!!」

 

 

この学園トップの者がそう言っても曲げない教師は、何としてでもやはり彼女の責任にしたくてたまらないらしい。

 

そんなにも彼女に恨みがあるのかと思うくらいの口調で、唾まで飛んでくる始末。

 

オールド・オスマンは自慢の長い白い口髭を撫でながら、そう言ってきた者の名前を思い出そうと首を傾げる。

 

 

「ミスター·········なんだっけ?」

 

「ギトーです!! お忘れですかッ!?」

 

「そうそう、ギトー君·······君は怒りっぽくていかん」

 

 

名を思い出したオールド・オスマンは咥えていたパイプタバコを離すと、

 

 

「さて、この中でまともに当直をしたことのある教師は何人おられるのかな?」

 

 

白い息と共に、冷酷な質問を全体に投げ掛けると、皆凍結したように固まった。顔は動かさず、目だけ動かして左右隣にいる教師の顔色を窺ったが、誰も彼もが名乗り出しそうな雰囲気ではなかった。

 

呆れたことに、つまりは誰も当直をしていなかったという事実がここで発覚したわけだ。

 

 

「さて、これが現実じゃ。責任があるとするなら、我々全員じゃ。この中の誰もが·······もちろん私も含めてじゃが、まさかこの魔法学院が賊に襲われるなど夢にも思っていなかった」

 

「「「「「······」」」」」

 

「何せ、ここにいるのはほとんどがメイジじゃからな。誰が好き好んで、虎穴に入るのかっちゅうわけじゃ。しかし、それは間違いじゃった」

 

 

オスマンはフーケによって、大胆に開けられた大穴を見つめながら、

 

 

「この通り、賊は大胆にも忍び込み、『破壊の水晶』を奪っていきおった。つまり、我々は油断していたのじゃ。責任があるとするなら、我ら全員にあると言わねばなるまい」

 

 

オスマンは最後まで冷静に、それと同時に学園が抱えている問題点を指摘した。皆の甘さが招いた結果として受け止めて、誰も咎めずに場を納めた。

 

その言葉に教師陣は誰一人として言い返すことはできず、そのまま顔を伏せてしまっていた。

 

寛容な心持ちをしたオスマンに、シュヴルーズは泣くことはないと申し上げたのに泣きながら抱きついてきた。

 

 

「おお、オールド・オスマン! あなたの慈悲のお心に感謝致しますッ!! 私はあなたをこれから父と呼ぶ事にいたしますッ!!」

 

 

抱きつかれたことを良いことに、オスマンはそんなシュヴルーズを慰めるようにして、尻を撫でた。

 

 

「ええのじゃ。ええのよ。ミセス······」

 

「私のお尻でよかったら! そりゃもう! いくらでも! はいッ!!」

 

「······」

 

 

オスマン氏はごほん、と咳をして誤魔化した。

 

少し冗談のつもりで尻を撫でたのが間違いだった。場を和ませるつもりが、シュヴルーズの余計な発言で周囲の空気は一瞬凍り付き、静寂に包まれる。

 

そもそもセクハラを皆の前で堂々とする彼が悪いのだから、フォローする必要はない。

 

そんなオスマンは、冗談など通用しなかったことを全てなかったことにするかのように、真剣な目で今回の犯行現場を目撃した者はいないのか訊ねる。

 

 

「で、犯行の現場を見ていた者は誰かいるのかね?」

 

「この三人です」

 

 

少々頭が寂しいコルベールがさっと進み出て、自分の後ろに控える三人を指さした。

 

ルイズにキュルケにタバサの三人。

 

もちろんノクトも傍にいたが、彼は『使い魔』という立場なので人間としての権利は与えられず、数には入っていないようだった。

 

なのに、

 

 

「ほう······君か」

 

「?」

 

 

オスマンはそうは思ってないのか、ノクトの姿を見た瞬間に興味深そうに見つめてきた。ノクトはその目がどこか自分を観察しているように見えて、居心地悪い気分になった。

 

だが、

 

目が合ったから念のため一礼だけして挨拶しておく。

 

 

「あ、えっと······どうも」

 

「ノクティスッ!! アンタは下がってなさいッ!!」

 

 

ルイズはそんなノクトを叱りつけ下がらせようとした。やはり使い魔としての立場からあまりいい印象ではないのかもしれない。

 

しかしオスマン氏はそれを手で制し、柔和な笑みを浮かべると彼に話しかけた。

 

 

「おぉ、これはすまんのミス・ヴァリエール。少し彼のことが気になってな·······君、名は何と?」

 

「え、俺? えっと、ノクティス。名前はノクティス・ルシス・チェラム。どうぞよろしくお願いします」

 

「なに、そんなにかしこまらなくてもよいぞノクティス。君の噂は良く耳にしてたのでな、いずれ話をしてみたいと思っていた所だったんじゃよ」

 

「は、はぁ」

 

「········しかし、今はそのような場合ではない」

 

 

するとオスマンはルイズの方に向き直り、

 

 

「詳しく、説明してもらえるかの? ミス・ヴァリエール」

 

「は、はい!!」

 

 

オスマンに促されると、ルイズが進み出て見たままのことを説明し始めた。

 

 

「唐突でした。何の前触れもなく、土で出来た『大きなゴーレム』が現れて、私を鷲掴みにしたんです」

 

「なんと、怪我の方は大丈夫かの?」

 

「はい、もう痛みは引きました。それで、ノクティスの助けによって私はゴーレムの手から救いだされ、一度距離を取って様子を窺っていたんです」

 

 

そしたら、と一拍置いて、

 

 

「いつの間にか、肩に乗ってた『黒いローブを着たメイジ』がこの宝物庫から『何か』を盗み出していて。それを見たノクティスがゴーレムの後を追いかけて·······」

 

 

ルイズはその続きを言うようにノクトに視線を向ける。ルイズに促されたノクトは発言権を得られたと思って前に出て、一応気をつけの姿勢を取って目を下に向けながら慣れない敬語を使って説明する。

 

 

「野原のど真ん中で突然崩れて、後を追いましたが後には土の山しかなくて、黒のローブを着こんだ奴の姿形も捉えられず、残念ながら逃げられてしまいました」

 

「ふむ······」

 

 

ノクトの説明を聞いて、オスマンは困ったように目を細め髭を何度も撫でる。

 

ちなみに、事実だけを述べておくと宝物庫の壁をぶっ壊したのは実はルイズである。堂々と禁止されている貴族同士の決闘を行い、ノクトを使って勝負した結果、壁ごと破壊した。故に、それをフーケに利用されて脆くなった部分を自身の魔法で土くれにし、侵入したという感じだ。

 

ということを告げたら恐らく退学処分という恐ろしい処遇を下されそうなので、全てフーケが悪いということにしておこう、とルイズとキュルケは互いの目を見合って視線だけで会話した。

 

その事に気付いていたノクトは、やっぱりこいつら仲良いんじゃないかと疑っている。

 

そしてそんなことには気付いていないオスマンは、ため息混じりの声で呟く。

 

 

「後を追おうにも、手掛かりは無しというわけか·······」

 

「あ〜えっと······どうも、申し訳ございませんでした」

 

「いや良い。君も無事で良かった。メイジでない身でありながら、主人を救うためにゴーレムを退け、よくぞフーケを止めようとしてくれた。宝物庫の警備をちゃんとしていれば、こんなことにはならなかったろうに······教師陣を代表して礼と謝罪をさせて欲しい。ありがとう、そしてすまんかったの」

 

「はッ!? いや、そんな·······ッ!!」

 

 

ノクトにお辞儀をするオスマンに彼は戸惑いを見せ、気まずい雰囲気になった。すぐに顔を上げたので、やめてもらうように説得する必要はなかったが、オスマンは切り替えたように視線を固くする。

 

周囲を見渡し、何かしらの異変がないか探しているようにも見える。

 

と、オスマンは何かに気付いたのか周りにいる教師陣に尋ねる。

 

 

「時に、ミス・ロングビルはどうしたね?」

 

「それがその······朝から姿が見えませんで」

 

 

ミスタ・コルベールがオスマンの質問に答えるが、言われてみればオスマンの秘書である彼女の姿がどこにもない。

 

秘書ならば常にオスマンに付き添っていないといけないというのに、

 

 

「この非常時に、どこに行ったのじゃ」

 

「どこなんでしょう?」

 

 

と、二人がロングビルの話をしていると、噂をすればとばかりにロングビルの姿が部屋に現れた。

 

 

「ミス・ロングビル!? どこに行っていたんですか!? 大変ですぞ!! 事件ですぞッ!?」

 

 

急に姿を現したのを見て興奮したのか、コルベールが強い口調でまくしたてる。

 

しかしミス・ロングビルはそんな彼とは対照的に落ち着いた調子でオスマンに告げた。

 

 

「申し訳ありません。朝から、急いで調査をしておりましたので」

 

「ほう、調査?」

 

「はい。今朝方、起きたら大騒ぎじゃありませんか。そして、宝物庫はこの通り。すぐに壁のフーケのサインを見つけたので、これが国中の貴族を震え上がらせている大盗賊の仕業と知り、すぐに調査をいたしました」

 

「仕事が早いの。ミス・ロングビル」

 

 

秘書として当然です、と言わんばかりに微笑んで見せるロングビルだったが、とにかく答えが知りたいコルベールが額に汗を掻きながら結果はどうだったのか尋ねる。

 

 

「それで、結果は!?」

 

「はい、フーケの居所が分かりました」

 

「「「「「!?」」」」」

 

「な、何ですと!?」

 

 

あっさりとしたロングビルの報告を聞いて、コルベール一同は思わず目を見開いて愕然としていた。衝撃の事実を告げられたかのように、コルベールの頭のてっぺんに雷が落ちたような気がする。

 

そんな彼は置いといて、オスマンはその情報をどこで手に入れたのかを聞く。

 

 

「それは誰に聞いたんじゃね? ミス・ロングビル」

 

「はい。近所の農民に聞き込んだところ、近くの森の廃屋に入っていった『黒ずくめのローブの“男”』を見たそうです。恐らく彼はフーケで、廃屋はフーケの隠れ家ではないかと」

 

「······え?」

 

 

黒ずくめのローブという単語に、ノクトが反応した。

 

しかしその前にルイズが叫んだ。

 

 

「黒ずくめのローブ? それはフーケです! 間違いありません!」

 

 

証言者であるルイズの言葉に、オスマンは目を鋭くして、ロングビルに再び尋ねた。

 

 

「そこは近いのかね?」

 

「はい。徒歩で半日。馬で四時間と行った所でしょうか」

 

「······」

 

 

どうも怪しい。

ノクトは素直にそう思った。その情報の出所が何処なのかは知らないが、少し気になる部分がある。

 

朝方の騒ぎに気付いて、ロングビルはすぐに調査を開始して、聞き込み回ったところ、徒歩で半日程度の距離にフーケがいるという情報を掴んだ。

 

近所の農民に聞き込み回ったとしても、こんな短時間でそんなに詳しい情報が得られるか?

 

ノクトは一先ず先程気になった箇所を指摘するように質問する。

 

 

「えっと、あのさ」

 

「はい、なんでしょう?」

 

「すげー取り込み中の所悪いんだけど、一つ聞いていいか?」

 

「? はい?」

 

「そのフーケって奴はさ、男なのか? あの時暗くて良くは見えなかったけど、声だけは聞こえてさ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。俺の聞き間違いかもしれないから何とも言えねぇけど」

 

「······」

 

 

ノクトの質問にロングビルはただ彼の目を見つめたまま、離すこともなく、そのまま優雅に頷いて肯定する。

 

 

「ええ、間違いありませんわ。私が聞いた限りでは黒いローブを着こんだ者は男であったと、近所の農民達はそう証言しています」

 

「········そっか」

 

「フーケは神出鬼没、それだけでなく手口も様々で、治安維持の魔法衛士隊ですら手を焼くほどだと聞いています。その姿は未確認ですが、少なくとも私の聞いた情報では男だと言っていました」

 

「······なるほど」

 

 

納得したような素振りを見せるが、やはり辻褄が合わない。この胸騒ぎは何なのかわからないが、わからない以上、使い魔としての立場から勝手に動くことは許されない。

 

成り行きを見守ろうとしたところで、コルベールが叫ぶ。

 

 

「すぐに王室に報告しましょう! 王室衛士隊に頼んで、兵隊を差し向けてもらわなくては────ッ!!」

 

 

その提案を聞いたオスマンは首を振ると、目を剥くようにして怒鳴った。

 

 

「馬鹿者! 王室なんぞに知らせている間にフーケは逃げてしまうわ!! その上、身にかかる火の粉を己で払えぬようで何が貴族じゃ!? 魔法学院の宝が盗まれた······これは魔法学院の問題じゃッ!! 当然我らで解決するッ!!」

 

 

オスマンの言葉を聞いて、何故かロングビルは微笑んだ。

 

まるで、この答えを待っていたかのように。

 

 

「では、捜索隊を編成する。我と思う者は、杖を掲げよ」

 

 

オスマンは一度咳払いをすると、有志を募った。

 

しかし、誰も杖を掲げなかった。困ったように、顔を見合わすだけだ。

 

 

「おらんのか? おや、どうした!? フーケを捕まえて、名を上げようと思う貴族はおらんのかッ!?」

 

 

そうは言うものの、相手はあのフーケ。

 

魔法衛士隊ですら手を焼くほどの相手ともなると、トライアングルレベルの魔法使いがせめて三人は必要だ。

 

『土くれ』という土系統の魔法を得意とする者に勝てる自信がないのか、皆ただただ顔を俯かせている。

 

しかし。

 

しかし、だ。

 

やがてすっと杖を顔の前に掲げた者がいた。

 

その杖を掲げた有志は、

 

 

「ミス・ヴァリエール!?」

 

 

それを見てシュヴルーズが驚いた声を上げた。

 

 

「何をしているのです!? あなたは生徒ではありませんか!? ここは教師に任せて────」

 

「誰も掲げないじゃないですか!?」

 

 

叫ぶだけ叫ぶと、ルイズは正論を述べるとすぐに口を閉じた。

 

それに乗じるように、キュルケまで杖を取り出して掲げて見せた。

 

 

「ツェルプストー!? 君だって生徒じゃないか!?」

 

「ふん。ヴァリエールに負けてられませんわ」

 

 

動機がたったそれだけだが、共に戦ってくれる有志であることには変わりない。

 

その勇気ある二人に合わせるように、タバサも杖を掲げた。

 

 

「タバサ、あんたは良いのよ。関係ないんだから」

 

「心配」

 

 

ほとんど動機がないタバサでも、友人が死なれでもしたら悲しいのだろう。

 

短くそれだけを告げたタバサはキュルケを感動させた。

 

ルイズも同様。

 

二人の賛同に悔しながらも感謝の言葉を述べる。

 

 

「ありがとう······タバサ·······」

 

 

そんな三人の様子を見て、空気が凍った。

 

そしてまた皆顔を見合わせている。

 

三人が買って出たのは、フーケの討伐と盗まれた秘宝の奪還。生徒ごときが引き受けられる依頼じゃない。

 

だが、現状を見ると、まさにお手上げなんだろう。

 

みんなの反応から察するに、フーケのことを任せられるのはこの三人だけらしい。

 

その勇気ある三人の姿に、オスマンは笑った。

 

 

「そうか。では、頼むとしようか」

 

「オールド・オスマン! 私は反対です!! 生徒達をそんな危険にさらすわけには·······ッ!?」

 

「では、君が行くかね? ミセス・シュヴルーズ?」

 

 

そう言われると、彼女の先程までの威勢は何処へ行ったのか、威嚇されて萎縮した小動物のように小さくなる。

 

 

「い、いえ······わたしは体調が優れませんので······」

 

 

下手な言い訳をするだけでなく、本当は止める覚悟もない。

 

そんな彼女より、三人の方がよっぽど勇敢だ。

 

なにより、

 

 

「彼女達は、敵を見ている。その上、ミス・タバサは若くして『シュヴァリエの称号』を持つ騎士だと聞いているが?」

 

 

『シュヴァリエ』

 

その称号は、王室から与えられる爵位としては最下級なのだが、タバサの年齢でそれを与えられていたという事自体が驚きだ。

 

タバサは返事もせずにぼけっとした表情で突っ立っている。そんな彼女とは対照的に、教師達は驚いたようにタバサを見つめていた。

 

 

「本当なの·······タバサ?」

 

 

彼女は頷きもしない。

 

ノクトはそのシュヴァリエとはなんなのかわからなかったが、なんとなく偉い称号なんだろうということだけは理解した。

 

補足を入れると、男爵や子爵の爵位ならば領地を買う事で手に入れる事も可能なのだが、『シュヴァリエ』は違う。

 

純粋に業績に対して与えられる爵位、実力の称号なのだ。

 

王に認められるほどの実力を持つタバサの件で宝物庫の中がざわめくと、オスマンは続いてキュルケを見つめた。

 

 

「それに、ミス・ツェルプストーは、ゲルマニアの優秀な軍人を数多く輩出した家系の出で、彼女自身の炎の魔法もかなり強力と聞いているが?」

 

「!」

 

 

それを聞いたキュルケは得意気に真っ赤な髪を靡かせて、ふふんと鼻を鳴らす。

 

キュルケの家系の話に周囲がまたざわめくが、今度はルイズの方を見つめたオスマンは困ったような顔をする。

 

それを見たルイズは、なんとなくだが察してしまった。

 

 

『ゼロのルイズ』

 

 

そんな失礼な二つ名をつけられていることは学園側も知っているのだろう。故に、何処を褒めたら良いのかわからなくなっている。

 

とりあえず、オスマンはルイズの家系から話し始める。

 

 

「ミス・ヴァリエールは数々の優秀なメイジを輩出したヴァリエール家の息女で·······その、うむ、なんだ······将来有望なメイジと聞いているが? しかもその使い魔は!!」

 

 

吃音気味に言葉を選んで話していたオスマンだったが、何故か最後にこちらの方に勢い良く視線を向けられて、ノクトの肩がビクッ!? と跳ねる。

 

彼のことを熱く語るように、オスマンの口が早口になる。

 

 

「平民でありながら、あのグラモン元帥の息子である、ギーシュ・ド・グラモンと決闘して勝ったという噂だが······確か彼は、誰も見たことがないような魔法を使い、何もない所から剣を召喚し、敵に投げつけてその身をその場へと移動させる能力を持つという」

 

 

自分の能力まで知れ渡っている事実に驚く暇もなく、オスマンは皆に見せつけるように彼に手を差し出しながら、

 

 

「なにより見よ、この男を。平民の身でありながら、この場にいる誰よりも勇敢さを持ち合わせていると思わんかね?」

 

 

オスマンは思った。

この青年が、本当に、伝説の使い魔『ガンダールヴ』ならば、『土くれのフーケ』ごときに、後れを取る事はないだろう、と。

 

しかも、彼には平民には扱えない······いや、この場にいるどの魔法使いにも扱えない魔法のような力を使える。

 

いくつもの武器を虚空から取り出して、投げつけてワープする能力。

 

その力を持ってすれば、土くれなんか簡単に捕らえて、秘宝も取り戻してくれるだろう。

 

 

「この四人に勝てるという者がいるのなら、前に一歩出たまえ」

 

 

ノクトも数に入れ、オスマンが教師達に名誉挽回のチャンスを再度与えるように言うが、結局前に出る者は一人もいなかった。

 

ならば、もう何も言うことはあるまい。

 

勇敢なる四人に全てを託すしかない。

 

 

「魔法学院は、諸君らの努力と貴族の義務に期待する」

 

 

ルイズとタバサとキュルケは真顔になって直立をすると、

 

 

「「「杖にかけて!」」」

 

 

と自分達の持つ杖を胸の辺りに掲げて同時に唱和すると、スカートの裾をつまんで恭しく礼をする。

 

そんな彼女達に倣って、ノクトも一応オスマンに一礼だけしておく。

 

うむ、とオスマンは威厳のあるように頷くと、

 

 

「では、馬車を用意しよう。それで向かうのじゃ。魔法は目的地につくまで温存したまえ。ミス・ロングビル!」

 

「はい、オールド・オスマン」

 

「彼女達を手伝ってやってくれ」

 

 

ロングビルはそれを聞いて、頭を下げる。

 

 

「元よりそのつもりですわ」

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

腑に落ちない。

 

どこかに見落としがある、とノクトは思っていた。

 

あらゆる高難易度ダンジョンを攻略してきたせいで人並み外れた洞察力が身に付き、人との関わりで猜疑心が強くなったのもあってか、先程のあの秘書の説明には何かしらの欠点がある気がしてならない。

 

 

「ノクティス、早くしなさい!」

 

 

ルイズは自室で叫んだ。

 

それを聞いたノクトが主人の命令のもと、出発の準備を整えながらルイズを見た。腰まである長いピンクの髪に魔法学院の制服を着こんだ少女だが、これから戦場となるかもしれないということで服の下に気休め程度の防護服を着込んでいる。

 

といっても、よくて衝撃を和らげるための皮で出来た鎧だ。それにファッションを合わせるように外見からはわからないような薄い盾だ。

 

 

「早くしないとミス・ロングビルが馬車を用意してしまうじゃない! 一番乗りだけは譲れないわッ!!」

 

 

どこまでいっても主人はぶれない。こんな時にまでキュルケとの下らないプライド争いか。

 

これから命を懸けて調査しに行くというのに。

 

そこを気にしていてしまっては、命の危険性に対しては疎かになっていると思われる。ノクトは一応これから行く場所の確認も含めて、命の重要性を訴えてみる。

 

 

「わかってっけど、俺達がこれから行くのは危険な場所だぞ? 万が一のこともあるから最低限の装備は用意しとかないと」

 

「そんなの、魔法でなんとかなるでしょ。こちらはメイジが四人、ドットクラスとはいえ貴族との決闘で勝った私の自慢の使い魔が一人、それで相手はトライアングルクラスとはいえ一人。戦力差から見ても大丈夫よ。心配性なのね、ノクティスって」

 

 

なんか自慢気にない胸を張ってふふんと鼻を鳴らしてるが、甘い戦略だ。なんかちゃっかり自分のことを褒めてくれた気がしたが、今の雰囲気的に何も響いてこない。

 

彼女はもしものことを考えてない。

 

というか、具体的な戦闘方法を考えてない。

 

当たって砕けろ的な考えでいるのかもしれない。その方針はノクト的にも支持するが、しかし本当に砕けてもらっては困る。

 

ノクトの力だって万能じゃない。シフトブレイクする時は自身の魔力を使うし、回復するにはどこか遠くの方へワープして休まないといけない。

 

その隙を突かれて再起不能にされられでもしたらどうなるか。その後、ルイズ達だけで対処できるのか。

 

戦は将棋なんかとは違うということをわかって欲しい。

 

単なるボードゲーム戦略なんかで勝てるわけがない。ルイズはそういったものを経験してないからこそ、そんなことしか考えられないんだろう。

 

彼女達の魔法だってそうだ。

 

得意系統の魔法でキュルケは炎、タバサは確か風。ルイズは何も使えず爆発を引き起こす。

 

そして、相手は土系統。

 

勝てる見込みがあるかと言われれば、ある。

 

が、

 

相手がプロの怪盗である以上、そう簡単に倒せるとは思えない。盗人らしく、姑息な手を使ってこちらを混乱させてくるはずだ。

 

ギーシュも土系統だったが、奴は数で攻めてきた。

 

どいつもこいつも簡単に斬れる雑魚だったが、もし今回の相手がギーシュみたいに数で攻めてきたらどうする? それも、あの馬鹿でかいゴーレムを何匹と作り出されたら。

 

ロングビルの得意とする系統も知らないから更に不安だ。

 

情報があやふやすぎてて、整理しきれない。

 

なにより、さっきから胸騒ぎがしてならない。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

それのせいでノクトは真剣な表情を崩さず、眉間に皺を寄せて考え込んでしまっている。

 

だからだろうか。

 

準備する手を止めてしまっていた。

 

 

「ノクティスッ!! 手が止まってるわよ!!」

 

「え? あ、ああ悪い」

 

「もう! 早くしなさい!! 集合予定時刻を過ぎちゃうでしょッ!?」

 

「悪かったって!!」

 

 

どうもツアープランを重視するルイズは何としても一番乗りをしたいらしい。というか、貴族という身分から、ちゃんとしなければならないということを教えられているのだろうか。

 

声を荒げられて怒鳴られるノクトは一度考えるのをやめて、一応主人のご機嫌を損ねたから謝っておく。

 

ノクトは言われた通り持っていく物を皮袋に入れ、ルイズと共に部屋を後にする。

 

しかし、何をやってもこの不安は拭えない。

 

どうか、自分の勘違いであることを祈るばかりだ。

 

 

 



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第14章

 

 

支度を終わらせ、それぞれ装備を整えた四人は、ミス・ロングビルを案内役とし、馬車に乗り込んで魔法学校を後にした。

 

貴族を乗せるには少々貧寒とした馬車。それ相応の身分として屋根付きで金や白で装飾されたの四輪馬車で迎えてくれるはずが、予算の都合かそれとも怪しまれないようにするためか、村人達がよく使う荷車のような馬車を走らせている。

 

御者台にいるロングビルが申すには、『襲われた時にすぐに外に飛び出せる方が良い』という事で、屋根のない馬車にしたのだそうだ。

 

 

「「「「········」」」」

 

 

しかし、それにしても少々退屈そうだ。

 

それもそうだ。馬で四時間もかかる距離なのだから。

 

ノクトに到っては昔からの癖なのか、馬車に乗った途端に夢の世界への旅立ってしまった。乗り物に乗って静かな自然の音が子守唄となったのか、こてん、と首を横にして静かな寝息を立てている。

 

素直に呆れる。

 

主人であるルイズは緊張感のないノクトにムッとして、わなわなと震えながらも立ち上がって彼に近づき起きるように膝を叩く。

 

 

「ノクティス!!」

 

「······んあ?」

 

「もう! ちゃんと起きてて!! 私達がこれから行くのは戦場なのよ。それに、使い魔として主人を守るためにも常に周囲を警戒しときなさいッ!!」

 

「わかったわかった、さっさとやる!」

 

 

耳を掴んで引っ張られて至近距離で叫ばれたノクトは、刺激された鼓膜がキーンとしながらも、無礼を働いたことを反省し主人に謝罪する。

 

叩き起こされたノクトは目を擦りながら、しかしまだ目を細めたままウトウトとなりながら周囲の警戒を怠らない。

 

そんな中、一同が目的地に向かっている途中、退屈さに飽きたのかキュルケが黙々と手綱を握って前だけを向いているロングビルに話しかけた。

 

 

「ミス・ロングビル······手綱なんて付き人にやらせれば良いじゃないですか」

 

「良いのです。わたくしは『貴族の名を無くした者』ですから」

 

 

それを聞いて、キュルケは思わずきょとんとした表情を浮かべた。

 

 

「だって、あなたはオールド・オスマンの秘書なのでしょ?」

 

「ええ。でも、オスマン氏は貴族や平民だという事に、あまり拘らないお方です」

 

「·····差支えなかったら、事情をお聞かせ願いたいわ」

 

 

好奇心を抑えられないキュルケは話の続きを聞こうとする。

 

 

「······」

 

 

だが、ロングビルはただ優しい微笑みを浮かべたまま視線を元の位置に戻してしまう。

 

彼女の心理状態から察するに、恐らく言いたくないのだろう。

 

 

「良いじゃないの。教えてくださいな」

 

 

それでもなおキュルケは聞こうとするのをやめない。むしろ、さらに好奇心を刺激することになってしまったようだ。

 

何てことのないような日常会話でロングビルの秘密を聞こうとしているが、唐突にキュルケの肩に軽い衝撃が伝わってくる。

 

振り返ってみると、そこにあったのはルイズの手。

 

伸ばされた手を追って彼女の顔色を伺うと、こちらを睨むように目を鋭くさせている。

 

 

「なによ、ヴァリエール」

 

「よしなさいよ。昔の事を根掘り葉掘り聞くなんて」

 

 

貴族としての礼儀マナーがなってないキュルケにそう言うと、キュルケは下らなそうに鼻を鳴らし、荷台の柵に寄りかかって頭の後ろで腕を組んで呟く。

 

 

「暇だからお喋りしようと思っただけじゃないの。ノクティスだって退屈すぎて寝てしまったくらいだし」

 

「あんたのお国じゃどうか知りませんけど、聞かれたくない事を無理矢理聞き出そうとするのはトリステインじゃ恥ずべき事なのよ。それに、ノクティスも」

 

「?」

 

「さっきも言ったけど、あんたは一応私の使い魔であり護衛騎士なんだから、どれだけ退屈であろうと常に周囲を見張ってなさい。わかったわね!?」

 

「わかったって······」

 

 

もう耳にタコが出来るほど同じことを言われたノクトは完全に目を覚まさせ、周囲に敵意がないかどうか神経を集中させる。

 

と。

 

そんなノクトにキュルケは黙って足を組むと、質問の矛先を変えたようにまた平然と聞いてくる。

 

 

「ねえ、ダーリン」

 

「ダ、ダーリン·······?」

 

 

その呼び方にノクトが困惑していると、キュルケは色気たっぷりに流し目を送りながら聞いた。

 

 

「ダーリンって、召喚されて学院に来たんでしょ? ご両親は心配してない? 大変よね、ゼロのルイズなんかにいきなり召喚されて·······」

 

 

どうやら彼女はなにか話題がないと落ち着かない性格らしい。隣にいるタバサは我関せずと、相変わらず読書にふけっている。本に夢中になることで、暇を潰しているらしい。

 

ノクトはキュルケの話にどう答えようか悩んだ挙げ句、特になんともなさそうな声で言う。

 

しかしどこか、寂しそうな声をして。

 

 

「······別に、特にそんな心配してねぇわ」

 

「あら、どうして?」

 

「······」

 

 

唐突に、ノクトは口を固く閉ざした。

馬車の中が長い沈黙に包まれると、ルイズはおろか、今まで黙って本を読んでいたタバサもノクトの顔をじっと見つめている。

 

彼のその顔を見た者達全員が、表情を凍らせた。

 

今にも消えてしまいそうなほど、疲れきった青年の素顔。普段活発に見えたノクトだからこそ、その表情は余計に痛々しく見えた。

 

歯を食い縛り、両手を掴んでいる手に汗をかく。

 

だからこそ、ルイズは声をかけるかどうか少しだけ迷った。

 

だけど声をかけないわけにはいかなかった。

 

使い魔の体調を心配するのは主人としての役目、ルイズは恐る恐る、ノクトに声をかける。

 

 

「······どうしたの? ノクティス?」

 

 

声に、ノクトはルイズを見た。

 

そこにいるノクトは、いつも通りの活発で、生意気で、そしていつもの優しげなノクティスだった。

 

 

「別になんでもねぇよ、ちょっと考え事してただけだから」

 

「······そう」

 

 

ノクトは訝しげな『いつもの』態度で返した。

 

だが、何故かその表情を見たルイズの胸はズキンと痛んだ。おそらく、踏み入れてはならない何かに踏み入れようとしていたのかもしれないと自覚する。

 

それでも、キュルケは諦めず話を聞こうとした。

 

その瞬間だった。

 

 

『オイ! いつまで俺をここに閉じ込めておく気だッ!? いい加減ここから出しやがれッ!!』

 

「ッ!?」

 

 

ズキンッ!! と。

 

ノクトの頭脳が激しく揺れた。いや、響いたという方が正しいか。

 

聞き覚えのある声だった。忘れることの出来ない声だった。

 

音源はどこか、どこを探そうにも頭が重くて動かせない。頭を抱えるように両手で抑える。

 

 

「ノクティス!?」

 

「どうしたのダーリンッ!?」

 

 

心配してくれる声が聞こえてくるが、ノクトはただ大丈夫とだけ言って柵に寄りかかると、

 

 

『何だ、こんなにも武器だらけの空間に俺を飛ばしやがって! 俺はこいつらとは違って特別なんだよ! 貯蔵庫みてえな所に俺を放り込みやがって、俺はお前にとっては在庫みたいなもんかもしれねぇけどな、俺はれっきとした『特殊な剣』なんだよ。俺はこんなおまけ程度に武器が漂っている空間より、お前さんの背中に背負われてた方が何倍もマシだってんだッ!!』

 

「う、うるさい······ッ!!」

 

『はあ!? うるせぇだぁ!? そもそもお前が────』

 

「わかったわかったッ!! 今出すからッ!!」

 

 

独り言のように叫ぶノクトに皆が目を向けているが、ノクトは苦しげに右手を伸ばして物体を具現化させる。

 

錆びれた剣。

 

デルフリンガーだ。

 

 

『はぁ~、ようやく外に出られた。おいお前! もっと俺のことを大切に扱えよなッ!! 俺はお前の持つ武器達とは違って特別なんだからよッ!!』

 

 

鞘から勝手に抜き出たデルフリンガーは、ノクトに猛講義する。頭痛くてそれどころではないノクトであったが、その特別とはなんなのか、怒り混じりに問い詰めた。

 

 

「特別って······何が特別なんだよ。 話せることか?」

 

『違ぇよ。俺は─────』

 

 

と、そこでデルフリンガーは声を止めた。

 

ガチャガチャと錆びれた金属音を停止させ、その場の空間が静寂に包まれる。

 

何かを言い出そうとして、言葉を探しているみたいだが、数秒間何も言わずにボーッとしたまま動かなくなった。

 

 

「······なんだよ」

 

『悪い、忘れた』

 

 

ルイズ含め、全員がスゴォと前倒しになる。

 

あれだけ期待させておいて忘れたの一言で片付けたデルフリンガーにノクトはお怒りモードだ。

 

 

「お、お前なぁッ!!」

 

『ま、いいや。そのうち思い出すさ。それよりも! 今度俺をあんな武器だらけの空間に放り込んでみろ。今度は脳内で暴れまわるくらい大声で叫んでやるからな』

 

「わかったわかった」

 

 

あんな思いをするのは二度とごめんだ。

 

あんな、“六神”の時のように人間には理解できない言葉を聞いて、頭痛を引き起こすような現象だけはもう勘弁して欲しい。

 

ノクトは慣れないながらも鞘に収まったデルフリンガーを背中に背負うと、ずっしりとした重みに肩ががくんと揺れる。

 

 

「おわっとッ!!」

 

『なんでい、やっぱお前さん剣を一度も背負ったことなかったのか? それでよくいろんな武器を使いこなせてたな』

 

「ッ!!」

 

 

デルフリンガーのその皮肉な一言にムカッとするノクトだったが、奥歯を噛み締めるだけで静まった。武器を召喚することが出きる魔法に頼りすぎてて腰や背中に剣を背負ったことなどなかったので、デルフリンガーの剣の重さに体重が後ろに持っていかれる。

 

そのやり取りを近くで見ていたご主人様達は呆れというか心配というか、この先思いやられそうだと感じながら首を横に振る。

 

 

「······」

 

 

手綱を取っているロングビルもそのやり取りが可笑しかったのか手を僅かに震わせて堪えている。

 

こうして馬車は再び沈黙を取り戻すと、さらに先へと突き進んで行った。やがて馬車は深い森に入って、鬱蒼とした森が恐怖を煽る。

 

昼間だというのに薄暗く、気味が悪い。今にも何か出そうな雰囲気である。

 

と、ここで御者台にいたロングビルが馬を止めて腰を上げると、地面に足をつける。

 

 

「皆さん、ここから先は徒歩で行きましょう。ここから先は馬では通れません」

 

 

確かに、彼女の言う通りだ。

 

木々がいくつも並んでおり、森を通る道から小道が続いている。この先になにかあるっぽいが、これほどまでに狭くては馬車で移動するのは不可能だ。

 

なにより地面も柔らかく、車輪が土に埋まって上手く回らない可能性だってある。

 

四人は彼女に言われた通り荷台から降りて、その小道からさらに先へと歩いて行った。

 

自然と沈黙。

 

風の波に乗って枝が揺れ光があまり届かない森の中をより不気味にさせる。

 

すると、一行は開けた場所に出た。

 

森の中の空き地といった風情で、広さはおよそ魔法学院の中庭ぐらいの広さだ。

 

真ん中には確かに廃屋がある。こんなところにポツンと一軒家があるのは不自然にも思えるが、この廃屋は元々木こり部屋だったのかもしれない。

 

廃屋の隣には、朽ち果てた炭焼き用と思われる窯と、壁板が外れた物置が並んでいる。長く使われていないのが見てわかる。廃屋の近くの地面を見ても雑草が多く生えており、人の気配すらない

 

そのことにすでに察知していたノクトは疑惑の目で廃屋を見つめている。

 

 

(······人の気配がない、罠か?)

 

 

もしあそこにフーケが潜んでいるのだとしたら、気配がないのはおかしい。一同は小屋の中から見えないように、森の茂みに身を隠したまま廃屋を見つめる。

 

中から物音もしない。

 

完全に無人であるとノクトは確信する。

 

 

「わたくしの聞いた情報だと、あの中にいるという話です」

 

 

しかし、ミス・ロングビルが廃屋を指差してそう言った。何の迷いもなく、自信たっぷりにそう告げた。

 

 

「······」

 

 

ノクトはそんな彼女を横目に目が細くなる。

 

彼女は朝早くから学院内が大騒ぎであるからということを認識し、いち早く状況の把握を行った。

 

そして、彼女はこう言っていた。

 

 

『はい。近所の農民に聞き込んだところ、近くの森の廃屋に入っていった【黒ずくめのローブの“男”】を見たそうです。恐らく彼はフーケで、廃屋はフーケの隠れ家ではないかと』

 

 

情報収集をするために手早く動いたのには感心したが、だとしてもおかしな部分がある。

 

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朝起きて状況を把握するのは当然であるが、大騒ぎしている中で冷静でいたのも気になる。

 

何より。

 

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そこがどうも引っ掛かる。

 

もしそうなら、()()()()()()()()()()()()()()()

 

だって、つまりは彼女は────

 

 

「ノクティスッ!!」

 

「······ん?」

 

「ちゃんと聞いてるの!? これからどうやってフーケを捕まえるのかちゃんと話し合わないと」

 

「あ、ああ······悪い」

 

 

茂みに隠れて息を潜めて考え事をしていたところ、隣にいたルイズが小声で話しかけてきた。

 

ノクト達はゆっくりと相談を始めた。

 

とにかく、あの中にいるのなら奇襲が一番だ。

 

寝ていてくれたら尚更である。

 

すると、王室から認められた『シュヴァリエの称号』を持つタバサが地面にちょこんと正座をすると、全員に自分の立てた作戦を説明するために杖を使って地面に絵を描き始めた。

 

人と接するのが苦手なのか、少々小声で、

 

 

「まず、偵察兼囮が小屋のそばに向かって、中の様子を観察する」

 

「「「「······」」」」

 

「そして、中にフーケがいたとしたらこれを長蓮して、外に出す。小屋の中にゴーレムを造り出すほどの土は無いと思うから、外に出ない限り、得意の土ゴーレムは使えない」

 

 

そして最後に、フーケが外に出た所を魔法で一気に攻撃する。土ゴーレムを造り出す暇を与えずに、集中砲火でフーケを沈めるというわけだ。

 

 

「でもその偵察兼囮は誰がやるの?」

 

 

ルイズが尋ねると、タバサは短く簡潔に言った。

 

 

「瞬間移動」

 

 

その言葉に、全員が一斉にノクトを見つめた。確かに、離れたところにシフトできる能力を持つノクトであれば、敵に気付かれても即抜け出せる。

 

 

「任せろ」

 

 

ノクトも了承するかのように首を縦に振った。

 

剣を手に、できるだけ物音を立てぬように廃屋の近くの地面に剣を投げ、素早く小屋の傍まで近づいた。

 

トスッとした音だけが鳴り、ノクトの体は廃屋の近くまで一気に飛ばされる。

 

ノクトは廃屋に背をつけ窓に近づき、慎重に中を覗きこむ。小屋の中は、一部屋しかないようだった。部屋の真ん中に埃の積もったテーブルと、転がった椅子が見えた。

 

そして薪の隣には、木でできた『大きな箱』がある。

 

中には人の気配は無いし、どこにも人が隠れるような場所は見えない。

 

 

(······やっぱり罠か?)

 

 

ノクトは一瞬、家の中の現状を見て違和感を感じたが、それでもやはり人の気配はない。

 

隠れていた全員が、恐る恐る近寄ってきた。

 

ノクトはしばらく考え込んだ後、ルイズ達を呼ぶ事にした。罠があるにせよフーケが隠れているにせよ、同じメイジの彼女達ならば何か分かるかもしれない。

 

ノクトが頭の上で腕を交差させる。誰もいなかった時のサインである。その合図にルイズ達は隠れていた茂みから出てきて、全員が恐る恐る近寄ってきた。

 

 

「人の気配がない、罠とかありそうか?」

 

 

ノクトが言うと、タバサがドアに向かって杖を振るう。数瞬後、彼女は首をふるふると横に振った。どうやら罠も無いらしい。

 

 

(······考えすぎだったか?)

 

 

少しだけ慎重になりすぎていたようだ。

 

それからタバサとキュルケとルイズはドアを開けて、中に入った。ノクトは外で見張りをすると言って後に残る。

 

主達を守るのが使い魔の務め。

 

周囲の警戒を怠ってはならない。

 

 

「ノクティスさん」

 

「ん?」

 

「わたくしは辺りを偵察してきます。ここを任せてもよろしいですか?」

 

「······」

 

 

このタイミングで自分達から離れるなんて、一体何を考えているんだ。オールド・オスマンから自分達を手伝えと言われており、この中でも最年長であるのだから、生徒の安全を気にして近くにいないといけないのでは? と思う。

 

が、

 

ノクトは特に表情も変えず、わかったとだけ伝えると、彼女は足早に森の中に消えていった。

 

小屋に入ったタバサとキュルケ、そしてルイズは何か手掛かりがないかを調べ始めた。

 

そしてタバサがチェストの中から、なんと『破壊の水晶』を見つけ出した。

 

 

「破壊の水晶」

 

 

タバサが無造作にそれを持ち上げてみんなに見せると、キュルケが叫んだ。

 

 

「あっけないわね!」

 

 

キュルケが叫んだ。

 

タバサは窓を開け顔を出すと空へ向け、ピィーっと口笛を吹いた。その音はノクトの耳にも聞こえ、奪われたものを取り返した、という合図だと気付いた。

 

 

『なんでい、もう終わりかよ』

 

「無事終わったんだからそれでいいじゃねぇか」

 

 

鞘から勝手に抜けて錆び付いた声で不服の声を上げるデルフリンガーにノクトは聞き流す。

 

と、

 

不自然ながら何もかもが順調に上手くいきそうになっていたその時だった。

 

 

「?」

 

 

ノクトが不思議そうに声を溢すと、足元の石ころがカタカタと揺れていることに気がついた。それに気づいたときには、今度は整備された道の脇にあるいくつもの樹の葉が風もないのにカサカサと音を立て始める。

 

刻みに揺れ始めた自然。

 

地震、という感じではない。まるでどこか遠くで怪獣でも歩いているかのような、奇妙な振動。

 

 

「!? ルイズ!!」

 

「え?」

 

 

ルイズが首をかしげてノクトを見るが、ふと気づいた。ノクトが鋭利な物を構え、こちらに向かって投げてきたことに。

 

 

「!?」

 

 

ルイズ達は条件反射でとっさに後方へと飛ぼうとした瞬間、ノクトが放った剣はもう目前まで迫ってきていた。

 

しかし、届くことはなかった。

 

シュン! と、風を切る音が聞こえてきた瞬間に剣の刃はルイズの鼻先で固定されて、ノクトの姿がすぐ側まで近付いてきていた。

 

彼は片手で三人を引き寄せると、もう片方の手に剣を出し大声で叫ぶ。

 

 

「捕まってろ!!」

 

「「「!?」」」

 

 

そう言った瞬間、彼女達は奇妙な体験をした。景色が歪み、次の瞬間には体が失われ、そしていつの間にか自分達はそとの景色へと移されていた。

 

そして。

 

ルイズ達がとっさに避難した廃屋は、跡形もなく爆発した。爆心地からは、石を固めて作ったような化け物の腕が伸びていた。その高さだけでも二メートル近く。

 

腕を創造するための石が地面から吸い込まれていき、一部噛み合わなかった破片が空に舞い飛ぶ。

 

ガキゴキと型に合わない石同士が強引に噛みつきあい、大地の破片の豪雨がぶつかり合う音が不気味に響く。

 

 

「下がってろ!!」

 

「「「!!」」」

 

 

ノクトはただ後ろにいる少女達にそう言って、不本意ながら背中に納めていた錆びだらけのデルフリンガーを解き放つ。

 

ノクトは後ろなど振り返らない、ただ前を見る。

 

そこにはまるで亡者のような姿勢で佇んでいる巨大な石像が、ノクト達を叩き潰そうと睥睨していた。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

「······」

 

 

ノクトの目が、音もなく細まる。

 

土で出来たゴーレム。この前学園で自分達を襲ってきた奴と同じ個体と見ていいだろう。所々コケや雑草が混ざっているが、モデルが同じなのでまず間違いない。

 

自然に出来たとは考えにくい。このタイミングで、この展開で、偶然なんてことはあり得ない。

 

おそらく、自分達が追っている盗人の手先だろう。

 

だが術者らしき人は見当たらない。遠隔操作が可能なのかもしれない。

 

と、そんなことを考えていると、

 

考え事をしているノクトに向かって、巨大な石像は容赦なくその腕を振り上げる。

 

 

「ノクティス !危ないッ!!」

 

 

轟ッ!! と、空気どころか空間すら押し潰そうとする一撃が襲いかかってくる。

 

前に。

 

少年は小さく息を呑み、

 

 

「オラァッ!!」

 

 

ガキン!! と。

 

瞬間、ゴーレムが真っ直ぐ放ったはずの拳が、突然蛇のように左へ逸れた。やったことは単純だ、拳を剣で受け止めて横に受け流しただけだ。

 

かなり重かったが、前世での神様である巨神様の拳に比べたら全然軽い。

 

 

『おい相棒ッ!! 折れるかと思ったぞッ!?』

 

 

しかし、ノクトはそのデルフの言葉に反応をしなかった。何もない空間を薙ぎ払う石像を尻目に、ノクトは一歩だけ進み、ゴーレムの隣に立つ。

 

ゴーレムは振り向き様に横殴りの拳を振るう。

 

 

「遅っせえッ!!」

 

 

だがその一撃もやはり弾き返されて、起動を曲げられた腕はノクトの上を通りすぎる。続けてゴーレムが更なる拳を放とうとしたところで、

 

 

「終わりッ!!」

 

 

ノクトの姿は虚空に消えると。

 

瞬間、すでにノクトはゴーレムの目と鼻の先にいた。

 

 

ザシュ! と。

 

 

突きを繰り出したことによってゴーレムの顔面は内側にへこみ、バランスを崩して、拳を振り上げた所で重心を失ったゴーレムはそのまま勢いよく後ろに倒れてしまう。

 

ズシン!! と地面を響かせ、ゴーレムはピクリとも動かなくなった。

 

 

「ま、こんくらい楽勝だわ」

 

 

呆気なく終わってしまった。

 

その様子を見ていたルイズ達は唖然としていたが、既に危機は去ったとばかりにのんびりとノクトの元へと歩いてくる。

 

 

「すごい! やっぱりダーリンはすごいわッ!!」

 

「······」

 

「ノクティス、あんた一体······」

 

 

三人がノクトのことを見つめてくる。

 

どんなにプロのメイジでも手を焼く相手に、たった一人で勝ってしまった。それもボロボロの、あまり役に立たなそうな剣一本で。

 

巨体相手に怯みもせず、臆することなく立ち向かったこの青年は一体何者なのか。

 

皆がそう疑問に思っていたところ、

 

 

グゥォォォォォオオオオオオッ!!

 

「「「「!?」」」」

 

 

倒したはずの石像が雄叫びを吐き出しながら立ち上がった。助走をつけるようにノクト達の距離を詰め、その砲弾のような拳を放つ。

 

 

「ッ!!」

 

 

ガン!! と。

 

咄嗟にノクトは手に持っていたデルフリンガーを横にして押し留め、足に力をいれて食い止める。

 

 

「三人とも退却しろ!!」

 

「え、ええ! 行くわよタバサッ!!」

 

「······ッ!!」

 

 

キュルケとタバサは一目散に逃げ出し始める。

 

しかし、ルイズの姿が見えない。

 

どこ行った? と、ノクトが辺りを見回すと、すぐにルイズの姿が見つかった。

 

彼女はゴーレムの背後に立っていた。

 

ルイズはルーンを呟き、ゴーレムに杖を振りかざす。すると巨大なゴーレムの表面で、何かが弾けた。恐らくルイズの魔法だろう。その爆発でルイズに気付いたのか、押し留めていた拳は離されて標的を変えたとばかりにゴーレムが彼女の方に振り向いた。

 

危険な行動に出ているルイズに、ノクトは怒鳴る。

 

 

「なにやってんだルイズ!? 早く逃げろ!!」

 

 

ノクトがそう叫ぶも、ルイズは唇を噛み締めながら、

 

 

「嫌よ!! あいつを捕まえれば、誰ももうわたしをゼロのルイズなんて呼ばないでしょ!」

 

 

彼女の目は、真剣そのものだった。

 

ゴーレムは近くに立ったルイズを踏み潰すか、逃げ出したキュルケ達を追うか、攻撃してきたノクトを叩き潰すか迷っているように首を傾げて止まっていた。

 

 

「この期に及んでそんなこと言ってる場合か! 命の方が大事だろ!!」

 

「こんな所で逃げるわけにはいかないのよ!! わたしにだって、ささやかだけどプライドってもんがあるのよ。ここで逃げたら、ゼロのルイズだから逃げたって言われるわ! わたしは······わたしは貴族よ! 魔法が使える者を、貴族と呼ぶんじゃないわ────」

 

 

奥歯を噛み締め、力を込めるように持っている杖を握り直した。

 

 

「敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!」

 

「!」

 

 

おそらく、それが最大限の彼女なりの勇気だったろう。たとえ死んででも、決して背中を見せることなく勇敢に強敵へと立ち向かった。

 

ずっとゼロと呼ばれて何者にもなれなかった自分が英雄になる。彼女はそれになるために無謀でも戦う意思を選んだ。

 

それがルイズという人間。

 

ルイズは最後の最期まで、貴族として誇りを持っていたかったから、彼女は逃げなかった。

 

だがいくらやってもゴーレムが怯むことはない。火力不足なのだ。あれだけの爆裂を発生させても、部分部分しか当たらずましてや当たる精度も低い。よく狙いもせず魔法を放っている。

 

本心は怖いのだろう。

 

心の中では挑もうと考えているようだが、体は正直だ。

 

手元が震え、杖の照準が合っていなかった。

 

しかし、もう逃げることはできない。

 

ヴァリエール家の名にかけて、敵前逃亡などあってはならない。勇敢な死を遂げてこそ、貴族というもの。

 

 

「ぐう······ッ!!」

 

 

ルイズは歯を食い縛る。だったらこの身体を盾にしてでも、皆が逃げるだけの時間は稼いでみせる。

 

と、彼女は最後の決意を固める。

 

ゴーレム脳でが狙いを定めるように中空の一点でピタリと静止する。次の瞬間には確実に襲いかかってくる破滅を前に、ルイズは覚悟を決めるようにして目を閉じようとしたところで、

 

 

「オラァァァァァアアアアッ!!」

 

 

聞き慣れた、青年の声が耳に届いた。

 

そして次に目を開けたときには、ゴーレムの腕はまた起動を曲げられた。

 

 

「全く、世話のかかるご主人様だな」

 

『へ、全くだぜ』

 

「ノクティス!」

 

 

体当たり気味の振り下ろしを放ったノクトのデルフリンガーが彼と同じように呆れた声を出すが、青年は笑ってルイズの前に降り立った。

 

しかし、

 

危機を脱したとはいえ、まだ本体は形を保ったままだ。もっと威力のある、それこそルイズの爆裂以上の火力がいる。

 

と、ノクトはあるものに目が行った。

 

遠くの方でこちらの様子を見つめている、タバサとキュルケ。

 

そのうちの一人、タバサが持っているケース。確かあの中には、『破壊の水晶』と呼ばれるものが入っていたはずだ。

 

学院の宝を勝手に使うのは申し訳ないが、今は危機的状況。中身がどんなものなのかは知らないが、あれを使えばおそらくこいつを倒せるかもしれない。

 

 

「行くぞルイズ!!」

 

「へ?」

 

 

ご主人に声をかけるとノクトはルイズの手を取り、タバサ達がいる方向にデルフリンガーを投げて転移する。

 

一本の閃光がゴーレムの真横を通りすぎ、ルイズとノクトの身体は既になく、タバサ達の元に姿を現した。

 

そして、ノクトはルイズをキュルケに強引に預けると、

 

 

「ちょっとこれ借りてくぜ」

 

「え?」

 

「ちょっとノクティス!?」

 

「ダーリン!?」

 

 

有無を言わさずタバサからケースを奪うと、すぐにゴーレムの前まで近付いた。

 

宝物庫で厳重に保管されていた重要なケースを、ノクトは乱暴な手付きで開いてみせた。そして、その中にあったものを見て驚愕することになる。

 

 

「は!? これって!?」

 

 

『破壊の水晶』を目にした瞬間、思わず自分の呼吸が停止するのを感じた。自分の目に狂いが無ければ、これはノクトが何回も目にした事のある物だった。

 

それは、化け物を駆逐するために作られた“魔法が封じ込められた武器”。

 

形状はボール。

 

赤色の光をぼんやりと淡く光らせている玉。

 

手で触れるだけでは何も起きないが、モンスター相手にこれを当てれば驚異的な力を発揮する。ルシス王国の戦闘部隊にとっての最上の武器。

 

それをノクトは、使い慣れているような感じで放り投げた。

 

 

「ぶっ飛べッ!!」

 

 

考えるより先に右手が動いた。

 

その球体がゴーレムの身体に当たると、それは一瞬で紅蓮に輝く閃光と化す。

 

 

「「「!?」」」

 

 

ルイズ達は目を潰すような紅蓮の光の渦と猛烈な熱量によって思わず両手で自分の顔を庇った。

 

球体に封じ込められていたものが衝撃によって破裂し、辺り一面へ炎を撒き散らした。周囲の酸素は跡形もなく燃やされ、摂氏三◯◯◯度の業火がゴーレムの頑丈な鎧を一瞬で溶かす。

 

それと同時に肥大化したゴーレムの全身に亀裂が走り、そして灰まみれになった岩は脆くなってガラガラと崩れ去った。派手に灰色の粉塵が舞い上がり、炎は尚も野原を焼き付きし、皆の視界を奪っていく。

 

その圧倒的な威力に言葉を失っているルイズ達は、その炎の渦の中心地に立っているノクトに目を向ける。

 

そして、しばらくすると彼は彼女達の方へと向き直り、

 

 

「終わったぞ」

 

 

ノクトは、灰色のカーテンで仕切られた視界の中、一人孤独に笑った。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

『おでれーた······』

 

 

背中のデルフがそんな事を呟き、後ろのルイズ達もゴーレムだったものをぽかんと見つめている。あまりの高火力に言葉が出ない。

 

炎の系統のメイジでさえ、あそこまでの威力は出せない。いたとしても、数人だ。そんな炎が封じ込められていたあの水晶は一体なんなのか、皆が頭を悩ませていた。

 

だが、ノクトは知っている。

 

先ほど使った物の正体を。

 

かつて、前の世界でよく使っていた武器。各地にあるエレメントストーンから魔法の原材料となるものを吸収し、それをボトルに詰めて魔法を錬成していた。

 

今回使ったのは、炎系統の中でも最高級のもの。

 

 

フレア

 

 

辺り一面を焼き付くし、敵を一網打尽にする最高魔法だ。

 

と、そんな時だった。

 

 

「終わった······ようですね」

 

 

木陰に隠れていたロングビルが駆け寄ってくるのが見えてくる。まるで、タイミングを見計らったかのように姿を現した。

 

そんなロングビルなどお構い無しに、キュルケがノクトに抱き着いてきた。

 

 

「ノクティス! すごいわ! やっぱり私のダーリンね!!」

 

「いや、もうそれいいから」

 

 

二人をよそに、ようやく我に返ったタバサが消し炭となったフーケのゴーレムを見つめながら呟く。

 

 

「フーケはどこ?」

 

「ミス・ロングビル! 先ほどフーケのゴーレムと対峙したんですが当の本人はどこにも見当たりません!!」

 

「そう、ですか。一体どこに────」

 

 

と、ロングビルが首を傾げた時だった。

 

シュン! と。

 

瞬間、すでにノクトはロングビルの鼻先に立っていた。

 

 

「!?」

 

 

驚くのも束の間、ノクトは手を伸ばしてほつれた彼女のローブを掴むと左足で彼女の足を蹴った。

 

直後、気が付けば彼女の身体は地面に倒されていた。痛みと衝撃でわけがわからない状況のロングビルは、いきなりなにをするのかと問い詰めようとして地を転がって起き上がろうとするが、

 

ザシュ! と。

 

デルフリンガーが彼女の肘部分の服を貫き、土の地面に縫い付けていた。

 

 

「ちょっ、ノクティス!?」

 

「動くなよ。自分が拘束される理由は、言わなくてもわかんだろ?」

 

 

ルイズが声をかけてくるも彼は振り返らない。そのまま、地面に倒したロングビルを睨み付ける。

 

 

「い、一体何のことで······!?」

 

「とぼけるなよ。俺達をここまで連れてくるのが目的だったんだろ? ミス・ロングビル······いや、『土くれのフーケ』」

 

 

ノクトの口から出た単語に、ルイズ達は驚愕で目を見開いた。それにロングビルが何か言おうとしたが、無駄だと悟ったのだろう。ロングビルは倒れながらもこう言った。

 

 

「な、何故わかった?」

 

 

それは、自分自身がフーケだと認めたものだった。

 

ノクトはデルフリンガー突き刺したまま口を動かす。

 

 

「ありえないからだよ、あんたがあそこにいるのは」

 

「なに?」

 

「あんた言ってたよな? ここに来るまでには、徒歩で半日。馬でも四時間はかかる。それで朝起きて調査を始めたって言ってたけど、それが本当ならあんたがあそこにいるのは不自然すぎる」

 

「「「!?」」」

 

 

それを聞いて、ルイズは思わずあっと声を上げた。

 

確かにノクトの言う通りだ。朝から調査を始めたならば、例えどんなに急いでも学院に戻ってくるのは昼近くになる。ロングビルの言う事を信じるならば、彼女があの場にいるはずがないのだ。

 

その矛盾にはフーケも気が付いたらしく、目を大きく開く。

 

ノクトはそんな目を気にせず続ける。

 

 

「あんたは宝物庫からあれを上手く盗めたのはよかったものの、そのあとが問題だった。恐らく、使い方が分からなかったんじゃないか? だから他の奴をここにおびき寄せてわざと見つけさせ、自分のゴーレムと対峙させて使い方を知ろうとした。そして使い方を知ったら連れてきた奴全員殺してそのまま去るつもりだった、そんな感じか?」

 

「ッ!!」

 

「といっても、生憎あれは一度きりの代物だ。たとえ使い方がわかったとしても、もう今は破片となってそこらの地面と混ざってる。あれだけ苦労して手に入れたのに残念だったな」

 

「グッ!!」

 

 

舌打ちをし、何もかもお見通しとわかったロングビルは降参するように両手を挙げた。

 

その様子を見たノクトは反対側の手にナイフを召喚し、喉元に押し当てて起き上がらせた。

 

 

「よっし、無事にフーケは捕まえたぞ。これで任務は終わりだよな?」

 

「え、ええ」

 

 

ノクトがそう言うと、ルイズはゆっくりと首を縦に振った。

 

危機は去った。

 

しかし、緊張感は拭えない。

 

戦争が終わったあとの兵器と同じく、こんな力を持った彼はこの魔法界にいるだけでイレギュラーな存在となってしまう。

 

ルイズは、連行しているノクトを見る。

 

顔が見れなくてよかったと、彼女は思った。

 

今彼がどんな顔を浮かべているか、ルイズには確かめる度胸もなかったから。

 

 



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第15章

 

 

フーケを捕まえた後、ノクト達は学院に戻りオスマンに報告をした。

 

 

「ふむ······ミス・ロングビルが土くれのフーケじゃったとはな······美人だったので、なんの疑いもせず秘書に採用してしまった」

 

「一体、どこで採用されたんですか?」

 

 

隣に控えたコルベールが尋ねた。

 

 

「街の居酒屋じゃ。私は客で、彼女は給仕をしておったのだが、ついついこの手がお尻を撫でてしまってな」

 

「で?」

 

 

コルベールが促すと、オスマンは照れたように告白した。

 

 

「おほん。それでも怒らないので、秘書にならないかと言ってしまった」

 

「何で?」

 

 

コルベールが本当に理解できないという口調で尋ねる。

 

 

「カァーッ!」

 

 

すると、オスマンは目をむいて怒鳴った。なぜ理解できない!? と言った顔で叫ぶが、できればこんな所で発揮してほしくないほどだ。

 

それからオスマンはこほんと咳をして、真顔になった。

 

 

「おまけに魔法も使えるというもんでな」

 

「死んだ方が良いのでは?」

 

 

ぼそりと本音を思わず呟いたコルベールをよそに、さも自分は悪くないというようなで口でオスマンはまくし立て始める。

 

 

「今思えば、あれも魔法学院に潜り込むためのフーケの手じゃったに違いない。だって居酒屋でくつろぐ私の前に何度もやってきて、愛想良く酒を勧めてくるし? 魔法学院学院長は男前で痺れます、などと何度も媚を売り売り言いおって······終いにゃ尻を撫でても怒らない。惚れてる? とか思うじゃろ? なあ? ねえ?」

 

「要は、アンタがしっかりしてさえしてればこうはならなかった······ってことなんじゃ?」

 

「「ッッッ!!」」

 

 

ぐうの音すら出させないノクトの言葉が、オスマンの胸にぐさっと深々と刺さった。コルベールも、どういうわけかどこか申し訳なさそうに顔を赤くした。おそらく、彼も共犯者なのだろう。人のことを言えない立場なのに言ってはならぬことを言ってしまった。それ故に反省し、彼も口を固く閉じてしまった。

 

いつもなら口を慎みなさいノクティス! と言うべきであろうルイズも、今回ばかりは完全にノクトの言うことに同意で、キュルケと共に首を縦にウンウンと二回頷いた。

 

あ、もう弁解の余地は与えてくれんだろうな、と思ったオスマンは、仕切り直しとばかりに話題を変えた。

 

 

「ま、まあそれは置いといて······君たちはよくぞフーケを捕まえて『破壊の水晶』────」

 

 

とオスマンが言った時、一同はバツの悪そうな顔をして俯いた。あの水晶、『フレア』が詰められていたマジックボトルは、ゴーレムを倒すためにに思いっきり叩きつけて跡形もなく吹き飛ばしたからだ。

 

ルイズは学園長でもあるオスマンの表情を見て、嫌な予感を覚えた。

 

叱られる。

 

そう思ったルイズやキュルケは力強く目を瞑って腰を曲げて謝ろうとした時、

 

 

「───を使用し、見事に彼女のゴーレムを撃退してくれた。何よりノクティス、君には礼を言いたい。フーケを捕まえるだけでなく、我が校の生徒を命がけで守ってくれたことに感謝する。ありがとう」

 

「は、はぇ!?」

 

 

そう言うと、オスマンはルイズ達の頭を撫でさらにこう告げた。

 

 

「君達に『シュヴァリエ』の爵位申請を、宮廷に出しておいた。追って沙汰があるじゃろう。ミス・タバサには、精霊勲章の授与も申請しよう」

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいッ!?」

 

 

そう言うとルイズはオスマンの撫でてくれた手を取りそっと降ろすと、目を見開いて驚愕したような表情のまま彼に訊ねる。

 

 

「いいんですか!? 確かにフーケは捕まえましたが、結局『破壊の水晶』は取り戻すばかりか勝手に使用してしまったんですよ!?」

 

「慌てるでない」

 

「!?」

 

「あれは、()()()()()()()()()()()()()()。敵に対して扱う武器を、私が勝手に宝物庫に保管していただけのことじゃ。何より、形あるものはいつか壊れる。それが今日だっただけのこと。それよりも私は君たちが無事に帰ってきてくれたことの方が嬉しい」

 

「·····ッ!!」

 

 

その寛大なオスマンの心に感謝したルイズはありがとうございますと頭を下げた。キュルケ達もそれに倣ってお辞儀をし、感謝の意思を見せる。

 

ノクトも失礼なことを言っておいて、むしろ感謝されたことに焦り、腰を九十度曲げて礼をする。

 

オスマンがそう言うのを聞いてから、ルイズは横のノクトをちらりと見てオスマンに尋ねる。

 

 

「オールド・オスマン。ノクティスには、何もないんですか?」

 

「うむ。残念ながら、彼は貴族ではない。すまんのノクティス」

 

「ですが······」

 

 

ルイズは言葉に詰まった。フーケを捕まえたのは他ならぬ彼である。正直、自分達は何か活躍したわけではない。

 

しかし、ノクトは言った。

 

 

「ああ、別にいいよ。そんな名誉とか報酬欲しさについていったわけじゃないし」

 

「で、でも·····」

 

「俺はルイズの使い魔だ。ルイズ達を危険な目に遭わせないようにするのが使い魔の仕事、だろ?」

 

「······」

 

 

ノクトもノクトの方針で特に気にしない様子を見せてそう言った。その言葉に少し不服そうに、しかしどこかノクトらしいその表情を見て嬉しそうな顔をしたルイズだったが、ここでオスマンがパンパンと手を叩いた。

 

 

「さてと、今日の夜は『フリッグの舞踏会』じゃ。『破壊の水晶』は残念ながら戻って来なかったが、フーケを捕まえた実績は大きい。予定通り執り行うことにする」

 

 

それを聞いて、キュルケの顔がぱっと輝いた。

 

 

「そうでしたわ! フーケの騒ぎで忘れておりました!」

 

「今日の舞踏会の主役は君達じゃ。用意をしてきたまえ。精々、着飾るのじゃぞ」

 

「わかりました! 行くわよタバサ!!」

 

「······」

 

 

キュルケはそう言ってタバサを連れ出すと、オスマンに礼をしてその場を後にした。ルイズも続くように礼をしてドアに向かったが、ノクトだけは何故かその場から動かない。

 

 

「ノクティス?」

 

 

ルイズがノクトをちらりと見つめると、彼は笑みを彼女に向けながら言った。

 

 

「悪い、先に行っててくれ。ちょっと聞きたいことがある」

 

 

その言葉を聞いてもルイズは心配そうにノクトを見つめたまま動かなかったが、やがてこくりと頷くと扉を開けて部屋を出て行った。

 

ルイズが出て行くの確認すると、ノクトの意図を知っているかのようにオスマンはコルベールに二人だけにしてほしいと頼んで、部屋から下がらせると口を開いた。

 

 

「何か、私に聞きたい事がおありのようじゃな」

 

「······ああ」

 

 

ノクトは訝しげに頷いた。

 

 

「言ってごらんなさい。できるだけ力になろう。君に爵位を授ける事は出来んが、せめてものお礼じゃ」

 

 

オスマンとの会話が許されたことを確認すると、ノクトはオスマンを真っ直ぐ見据えて尋ねた。

 

 

「あの『破壊の水晶』·····ってのは、この世界の物じゃない。『俺の世界』にあったものだ」

 

 

俺の世界、という言葉を聞いた瞬間、オスマンの目が光る。

 

 

「ふむ。君の世界、とは?」

 

「······俺は、この世界の人間じゃない」

 

「本当かね?」

 

「ああ。俺はルイズの召喚で、違う世界からこの世界に呼び出された······らしい」

 

「らしい······とは?」

 

「······」

 

 

それを聞かれてノクトは言葉を詰まらせて俯いてしまう。ノクトは答えるべきか迷っている。自分が何者なのか、一体何処から来たのか。

 

すると、何かを察したのかオスマンはその話は一旦置いておこうとして、ノクトに提案する。

 

 

「言いたくなければ良いのじゃよ。無理に詮索するのは貴族として恥ずべき行為じゃ」

 

「いや、そんなんじゃ······ッ!!」

 

「じゃが、さすがに別の世界からやって来たと聞かされてしまってはこちらとしても黙っておくことはできん。君のためにも、少しだけでも良いから聞かせてくれんかね? そうしないと、別の世界からやってきたと他の者が知った時、君を狙わんとするものが現れるやもしれんからな。そうなった時、守ることができるのは我らだけじゃ。心配せんでも、第三者に情報を流したりするなんて愚かな真似はせん。個人情報は必ず守る。だから、君のタイミングで良いから、話せるところまで話してはくれんかね?」

 

「······」

 

 

オスマンはそう呟きながら、目を細めた。その目を見てノクトはふと表情を曇らせた。

 

この世界にやってきて、一つだけ解消しきれなかったことがあったのだ。

 

 

「······悪い」

 

 

それはどういう意味で謝ったのか、彼の声色からすぐに察せれた。

 

誰かに話してしまうことで、誰かを傷つけてしまうと思っていたからだ。だが、今ならようやく話すことができる。そう確信したノクトはオスマンの目を見て語る。

 

 

「まず、あの『破壊の水晶』っていうのは正式な名前じゃない。俺の世界では、『魔法を封じ込めておく武器』として扱っていた」

 

「なるほど、そうじゃったか」

 

「·······その様子だと、やっぱ知ってたんだな」

 

「まぁ、の。実は私はあれがどのようなものなのか初めから知っておった。何せ、()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ッ!?」

 

 

ルシス王国の軍隊が使う武器、マジックボトル。

 

各地にあるエレメントから魔法の源を吸収し、ボトルに詰めて手榴弾のようにして相手にダメージを与える兵器だ。

 

吸収したエレメントと魔物の素材を合わせることでより強力な魔法を生み出すことができるが、あの『破壊の水晶』と呼ばれていたものには『フレア』という炎属性最強の魔法が詰められていた。

 

ゴーレムを一瞬で粉砕させるほどの威力を持つ魔法。

 

それを持つ人間も、かなりの実力者だったに違いない。それが誰かを知るために、ノクトはオスマンに対して質問する。

 

 

「あれを持っていたのは誰なんだ? 少なくとも、そいつは俺と同じようにこの世界の人間じゃないはずだ」

 

「······」

 

 

それを聞くと、何故かオスマンはため息をついた。

 

まるで、悲しそうに。

 

 

「あれを私にくれたのは、私の命の恩人じゃ。三十年前、森を散策していた私はワイバーンに襲われた。そこを救ってくれたのがあの『破壊の水晶』の持ち主じゃ。彼は『破壊の水晶』を使ってワイバーンを吹き飛ばすと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「!?」

 

「しかし、ワイバーンの皮膚は相当に固い。彼の持っていた武器では傷一つつけられんくてな、もう一回あの『破壊の水晶』を使用して撃退してくれた」

 

 

短剣を投げて別の場所にワープした。

その単語を聞いて、ノクトの目が驚愕に見開かれる。

 

ノクトはそいつが今何処にいるのか声を荒げて訊ねる。

 

 

「今そいつは!? そんな戦い方ができるのは俺の世界にしかいない! そいつの名前は? 一体どこにいるんだ!?」

 

「······死んでしまった。三十年のワイバーンとの戦いでな」

 

「な·······ッ!?」

 

 

オスマンの口から放たれた事実に、ノクトは思わず目を見開いてそんな声を出す。驚愕しているノクトを見ながら、オスマンは悲しそうな表情を浮かべて語り出した。

 

 

「助けてくれたのはいいものの、彼は怪我を負っていての。しかも相当深い怪我をの。私は彼を学院に運び込み、手厚く看護した。しかし、看護の甲斐なく······」

 

「死んだ······のか」

 

 

一旦間を置いて息をつくと、オスマンはゆっくりと頷いて再び口を開いた。

 

 

「永遠とも思える瞬間じゃったが、決着は直ぐだった。一瞬の隙を付いて、彼は短剣を投げてその身を別の場所へ移すという見たこともなかった魔法を使用して死角に回ると、『破壊の水晶』でワイバーンの体を吹き飛ばしおった·····そして糸が切れたように、彼もその場に倒れ付した」

 

「······」

 

「どうやら彼は、戦う前から大きな怪我をしていたようでな、まるで全身に火傷を負ったような傷跡があった。ほとんどギリギリの中で私を助けてくれたらしい」

 

 

オスマンは言葉を伏せた。ノクトもその意味はわかる。だから何も聞かずに待った。

 

 

「私は彼を手厚く弔うと、使っていた折れた短剣と『破壊の水晶』はそれぞれ『秘宝』として、宝物庫に仕舞い込んだのじゃ。恩人の形見としてな······」

 

 

するとオスマンは机の引き出しを漁り始めた。しばらくすると、彼は机の中から何かを取り出した。

 

 

「あったぞ、ほれ。これもその恩人が持っていたものじゃ」

 

 

そういってオスマンが取り出したものを見て、今度はノクトが目を見開く。

 

 

「それは、名札?」

 

 

しかも、『王の剣』が身に付けておく名札だ。

 

ノクトは歩み寄り、手に取ってよく見る。かなり傷ついた名札だ。端のほうは擦り切れているし、微かに焼け焦げた跡がある。

 

名札には、個人を証明するための出身地とかつての持ち主の名前と顔写真が貼られていた。

 

 

「ガラード地方出身、“ニックス・ウリック”······聞いたことがないな」

 

 

頬や耳の後ろ、指先に至るまで細かいところにガラード特有のタトゥーが入っている。顔写真のため全身は見れなかったが、ニックスの戦闘服だけ角と毛皮が付いており、これはガラードに棲む獣をモチーフとした装飾であることがわかる。

 

『王の剣』は難民の中から優秀な人材を集めて組織されており、前線での戦闘や特殊任務を担当する。

 

国王であり父である“レギス”から魔法の力を貸与されており、国内に限り隊員は魔法やノクトと同じくシフトブレイクが使える。

 

 

「それで、こいつはどこから来たとかは······?」

 

「わからん。どうやって来たかとか、その謎は解明されぬままじゃった。しかし······やはりそうか、通りで君の動きは彼に似とると思っとったよ」

 

「?」

 

「実は君に聞きたいことがあってな」

 

 

オスマンがノクトの左手の手袋に手を触れると、勝手に取り外し、ルーンを食い入るように見始めた。

 

そういえば、確かにこれについても聞きたかった。時々力が湧いてくる現象は、このルーンのせいだということは、薄々感づいていた。

 

 

「これについて何か知ってるのか?」

 

「うむ、これは『ガンダールヴ』という伝説の使い魔の印じゃ」

 

「······伝説の使い魔?」

 

「そうじゃ。一説によれば、その伝説の使い魔はありとあらゆる『武器』を使いこなしたという噂じゃ」

 

 

ノクトは自分の左手に刻まれたルーンをじっと見つめながら、オスマンに聞く。

 

 

「どうしてそんな伝説の使い魔のルーンなんかが俺に?」

 

「わからん」

 

「······」

 

「すまんの。ただ、もしかしたらお主がこっちの世界にやって来た事と、そのガンダールヴの印は、何か関係しているのかもしれん」

 

「······そっか」

 

 

ノクトはオスマンの言葉を聞きながら、左手のルーンから視線を外し、彼の手から離れると左手に黒いグローブをはめ直した。

 

すると、オスマンがノクトの顔をまっすぐ見て言った。

 

 

「それで······話を戻すが実は私からも君に一つ聞きたい事があるんじゃが、構わないかの?」

 

「······ん?」

 

「君はギーシュ・ド・グラモンと戦った時、何もないところから剣を出現させてみせたじゃろう? そればかりか、武器を投げた瞬間に他の場所へと移動までした······正直言って、あんな魔法は我らでさえも使えない不可能な魔法じゃ。かつての命の恩人もその魔法を使っておったし、もしかしたら君には、ガンダールヴ以外に何か特別な力があるんじゃないのかね?」

 

「······ッ!!」

 

 

それを聞いて、ノクトはまたふと表情を曇らせた。今までそれをずっと隠してきたが、それは本当に正しかったのか、ということが頭を悩ませる。

 

なにせ、ここではノクトは一般人として扱われている。

 

たとえ真実を伝えたところで、今後彼らがどのような目で見てくるかわからない以上、こちらから話すことはなかった。

 

が。

 

ほんのわずかに俯いていたノクトは覚悟を決めたように、彼は自分の意思で顔を上げた。

 

 

「俺は」

 

 

告げる。

そのために口を開くことがこんなにも重く感じるのはこれが初めてだった。

 

彼は語る。

 

今までずっと隠してきたことを。

 

彼らよりも、もっと高貴な存在であることを。

 

 

「別の世界からやってきた、王族だ」

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

「王族、じゃと?」

 

「ああ、格好や言動から想像しにくいだろうけど、俺は『イオス』っていう世界にある『ルシス王国の王子』であり『次期国王』だった」

 

「国王!?」

 

「恐らく、アンタを助けた人は俺達王族を守る人間······『王の剣』の一人だ。あの武器も、他の場所へワープする能力も、その力を持てるのは基本的に俺達王が認めた奴しかいねぇから」

 

「······」

 

 

話を聞いて、オスマンの目は限界まで開いていた。

 

大きな、それこそ貴族としての立ち位置を左右するほどの大きな揺らぎが見えた気がした。戸惑っているオスマンを見て、ノクトは続ける。

 

 

「と言っても、もうそんなことは関係ないけどな」

 

「関係ない?」

 

「ああ、俺はもう『王子』じゃねぇし。()()()()()()()

 

「っ!?」

 

「らしい······ってさっき言ったのは、自分が死ぬ直前にこの世界に来たから覚えてないんだ。だから、どうやってここに来たのか、どうしてルイズに召喚された瞬間に負っていた傷まで治ったのか、全くわからない。何にしても、俺は元の世界じゃ死んでるってことになってるから、元の世界に仮に帰れたとしても王子は死んでるってことになってるだろうから、むしろ戻ったら市民から化物扱いされて怖がられるかもな」

 

「······」

 

「何より、ここでも王子だっていう称号さえ使い物にならねぇし、今まで通り一般人として扱ってくれても別に気にしねぇわ」

 

 

自分を悲観するように話すノクトを見て、オスマンの方も衝撃が走る。

 

死んでるから。

 

その単語の意味を理解できないほど、オスマンは馬鹿ではない。彼が冗談を言っているようにも見えないし、本当ののとだろう。

 

 

「······」

 

 

だがそれがどうした。

 

オスマンはかつて一度、本当に命を救われたことがある。それは、直接的にではないが、彼がいたから命の恩人である彼にも特別な技が備わった。

 

間接的にだが、オスマンはノクトに救われていた。

 

彼という存在がいなかったら、命の恩人である彼には魔法の力を与えられず、共倒れしていた可能性がある。

 

そんな彼を、今まで通りに一般人と貴族の関係性として見てよいのだろうか。彼自身がそう望むのならそうすべきだろうが、オスマン的にはそうはいかない。

 

 

「······ノクティス」

 

 

そこでオスマンは、ノクトの名前を呼んだ。

 

真っ直ぐに、真剣に、彼を見据えながら何の偽りもない言葉を紡ぎだす。

 

 

「それ以上自分を追いつめるような事を言うのはやめなさい。それは誰よりも、君自身に失礼じゃよ」

 

「え?」

 

「確かに、ここでは君のことを王子だと認識して貰えないかもしれん。しかし、だからといって我々は君を無下に扱ったりはせん。大切な客人·····いや、友人として迎え入れるつもりじゃ」

 

「······」

 

 

ノクトは呆然としていたが、目の前の老人の言葉に何も言い返せなかった。崩れ落ちそうでありながら、ノクトの目に少しだけ涙が流れる。

 

今までずっと孤独だった、王子だと認識されずに迫害された経験もあってか、初めてノクトをノクティス・ルシス・チェラムとして見てくれたことに対して、素直に嬉しかったのだ。

 

そんな彼を見て、オスマンは笑みを浮かべて優しく抱きしめた。

 

 

「よくぞ恩人の形見を取り戻し、そして我が校の生徒を守ってくれた。改めて礼を言うぞノクティス」

 

「······はい」

 

 

ノクトは小さな声で返事をした。

 

 

「お主がどういった経緯でここに来たかは私もできる限り調べようとも思う。でも分からなくても恨まんでくれよ。なぁに、住めば都じゃ。なんなら嫁さんも探してやるぞ」

 

「いや、それは遠慮願うわ」

 

 

ノクトは口元に笑みを浮かべ、即答する。

 

オスマン氏は満足そうに頷くと、ぽん、と手を叩いた。

 

 

「さて、先も申したが、今夜はフリッグの舞踏会じゃ、お主も楽しんでくるがよかろう」

 

「ああ、そうさせてもらうわ」

 

 

ノクトは一礼すると踵を返し、ドアへと向かう。

 

ノクトが出て行ったのを見送ってから、オスマンは学院長室の机に座ると、ふぅ~と長いため息を漏らした。

 

「王子、か······意外な存在だったようじゃな。それにしても、彼の秘密はそれだけではないような気がするがの」

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

学院長室から退出したノクトは、フリッグの舞踏会が行われているであろう食堂へ向け、一人歩いていた。

 

窓から差し込む巨大な二つの月の光が、彼を照らし出す。

 

月明かりがノクトの目を揺らがせ、自分が路傍の礫のようなちっぽけな存在だと感じてしまう。

 

 

「異世界······か」

 

 

ノクトは小さく呟くと、気がつけば異様に強い力で腕を上に上げて背筋を伸ばしていた。

 

 

『なんでい、案外元気そうじゃねぇか。王子だって扱われなくて悲観してるのかと思ってたぜ』

 

「······」

 

 

ため息をつきながら、背中のデルフリンガーを手に取る。ノクトは鞘から少し引き抜くと、剣に話しかけた。

 

 

「お前、知ってたんだろ? 俺が別世界の王子だってこと」

 

『まあな。どういうわけか俺は、使い手がどういう人間なのかわかっちまう性質らしい』

 

 

ただ、とデルフは一言置くと、

 

 

『俺には、相棒がどんな人間なのかってのは、あまり関係ないからな、重要なのは俺を使ってくれるかどうかさ』

 

「·······そうか」

 

『ま、あの娘っ子に召喚されたのも何かの縁だ、今日はせいぜい楽しんだらいいんじゃないか?』

 

「······そうだな」

 

 

その言葉に、ノクトは我ながらつまらない事に悩んでるな、と思うと共にデルフリンガーを鞘に納める。

 

もうすぐ『アルヴィーズ』の食堂だ、辛気臭い表情のままパーティ会場に足を踏み入れるわけにはいかない。

 

今は不安を忘れ、楽しむのも悪くは無い。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

『オイオイ相棒ぉ、さっきから食い過ぎじゃねぇのか?』

 

「こんなにも旨いもんを大量に喰える機会なんて滅多になさそうだし、今日はせいぜい楽しめって言ったのそっちだろ? 別にいいいじゃねぇか」

 

 

ノクトは、大量の料理をバルコニーに運んで食べていた。

 

中では着飾った生徒や教師達が豪華な料理が盛られたテーブルの周りで歓談している。ノクトは外に続くバルコニーから中を眺めて、シエスタが持ってきてくれた肉料理の皿とワインの瓶を貰い、次々と口へと放り込んでいく。

 

 

「ダーリーンっ!」

 

「······ゲッ!?」

 

 

食事の最中、近寄るなり胸に飛び込んできたキュルケを慌てて抱きとめ、ノクトは苦笑した。綺麗なドレスに身を包んだキュルケは甘えるようにノクトの胸に顔を埋める。

 

 

「どうしたのノクティス、パーティはもう始まっていてよ? たった一人なんて寂しくない?」

 

「ああ、俺はここでいいわ。ところで、ルイズは?」

 

 

ノクトは周囲を見渡すと、ルイズの姿を探した。いつもなら怒鳴りながら間に割ってくるはずなのに、それがないのを見ると安心するような、不安になるような。

 

するとキュルケは、つまらなそうに唇を尖らせた。

 

 

「んもう! ノクティスったらあの子のことばっかり!! ······まだ来てないわ、着替えに時間がかかってるんでしょうねぇ········だから、ねぇ? ルイズなんて放っておいて、一緒に踊ってくださらない? これから舞踏会が始まるの」

 

「·······せっかくの誘いは嬉しいけど、やめとくわ」

 

「どうして? 私と踊れる機会なんて滅多にないことよ。いつも多くの男子が私を誘ってくるし·····でも、今日はあなたと踊りたいの、どう?」

 

「ああ、だろうな。だからこそ、遠慮しとく」

 

「んもう! どうしてぇ~?」

 

「そりゃ、だって······」

 

 

ノクトはキュルケの真後ろへと視線を向ける。

 

タキシードを着飾った男子達が真っ黒なオーラを纏ってこちらを睨み付けていた。殺意の視線を一斉にノクトに向けて集中させる。

 

彼らの目は語る。またテメェか平民、と。

 

想定内と言えばあまりにも想定内な展開に、ノクトの思考が真っ白になる。

 

というわけで、ノクトはキュルケを離して、

 

 

「ま、そういうわけだから。またの機会にしてくれ」

 

「むぅ~!!」

 

 

膨れ顔になって見てきても、ノクトは動じない。しかし、ようやく諦めたのかキュルケはわかったわと一言告げると、また後でねダーリン! と手を口に当ててチュ! と投げキッスを投げ渡してきた。

 

ちょっと悪寒を感じたノクトだったが、そのタイミングでパーティーが本格的に始まった。

 

パーティが始まると中に入ってしまった彼女は今、ホールの中でたくさんの男に囲まれて笑っている。予想通り、あらゆる男達に声をかけられている。

 

だから関わらなくてよかったと、改めて実感させられる。

 

ちなみに黒いパーティドレスを着たタバサは、一生懸命にテーブルの上の料理と格闘している。ノクトといい勝負ができそうだ。野菜をアリにしたら、たぶん彼女の方が勝つだろうが。

 

それぞれ、パーティを満喫しているようだ。

 

と、ちょうどそんな時、門に控えた呼び出しの衛士がルイズの到着を告げた。

 

 

「ヴァリエール公爵が息女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢のおな~り~!」

 

 

振り向くと、そこには綺麗なドレスに身を包み、高貴な上品さが漂う美しさを見せるルイズがいた。

 

現れたルイズは、長い桃色がかった髪をバレッタにまとめ、ホワイトのパーティドレスに身を包んでいた。肘までの白い手袋がルイズの高貴さをいやになるぐらい演出し、胸元の開いたドレスが作りの小さい顔を、宝石のように輝かせている。

 

主役が全員そろったことを確認した楽師達が、小さく流れるように音楽を奏で始めた。ダンスの開始を告げる合図。男と女はそれぞれパートナーを決め、曲に合わせるようにステップを踏む。

 

そして、そんな彼女に今まで馬鹿にしていた生徒達でさえすっかり見惚れてしまったのか、盛んに群がり我こそは、とダンスを申し込んでいた。

 

しかし·····というかやはり、ルイズはそんな男共には目もくれず、その足でバルコニーにいるノクトの所まで行った。

 

 

「······楽しんでるようね」

 

「まあ、な。いっつも貧しい食事ばっかりだったから、こういう肉料理が染みて、そんでワインもすっげぇ美味しいわ」

 

「ふ~んそう?」

 

 

少しにらみ目でこちらを見てくるルイズは、腕を組んでノクトを威嚇する。相変わらずだなと、もうこのやり取りに慣れたノクトは一気にグラスの中のワインを傾けると、テーブルに置いた。

 

すると、テーブルに立てかけていたデルフリンガーがルイズに気付き、

 

 

『おお、馬子にも衣装じゃねぇか』

 

「うるさいわね」

 

 

ルイズは剣を睨むと、腕を組んだままノクトの方を向いて首を傾げた。

 

 

「踊らないの?」

 

「生憎、こういうのは慣れてなくてな。事情もあってダンスの輪に入ったこともない」

 

 

王子という立場から玉座を離れることを許されなかったノクトは、ダンスのレッスンは一応受けてはいたものの、披露する機会はほとんどなかった。故に、踊り方を忘れてしまった。

 

困ったような顔を見せるノクトに対し、ルイズはふーんと呟くと、そのまま何も言わず彼に向けて手を差し出した。

 

 

「だったら······どうやって楽しめばいいか、わたしが教えてあげるわ」

 

「え?」

 

 

そして、今度はドレスの裾をつまんで、恭しく礼をした。

 

 

「わたくしと一曲踊って下さいませんこと? ジェントルマン」

 

「······」

 

 

ノクトはどうするか考えた。ダンスなんて生まれてこの方やったことなんてない。

 

断ろうかとも考えたが、他の男と断ってまでせっかく誘ってくれているのに、それはあんまりにも無礼だろう。

 

悩んだ末、ノクトはふっと笑みを浮かべながらルイズの手を取った。

 

 

「喜んで、お相手させていただきます。ご主人様」

 

 

そう言うと二人は手を取って、ホールへと向かって行った。流れるような音楽の中、ノクトとルイズは踊っている。

 

実質上ダンス初心者のノクトは、最初はルイズに合わせてステップを踏んだ。

 

最初はどこかぎこちない動きだったが、徐々に思い出してきたのもあり、的確な読みと動きでルイズの行動を予測し、上手くリードしている。

 

 

「ねぇ、ノクティス」

 

 

ルイズは軽やかに優雅にステップを踏みながら、ノクトに呟く。

 

 

「何?」

 

「あんたは、元の故郷に帰りたいの?」

 

「······」

 

 

一瞬ルイズの掴む手が、ギュッと強くなった。まるで手放したくないように。

 

そんなルイズの心情を察してか、ノクトはぎこちないステップを踏みながら少しの間黙ってから、口を開いて小さな声で続けた。

 

 

「帰りたくない、って言ったら嘘になる。けど、今はそうでもないな」

 

「え?」

 

 

そう言われると、ノクトは苦笑して、

 

 

「確かに俺には帰るべき場所がある。だけど、まあ······事情があって帰るわけにはいかないんだ。向こうでは俺は········」

 

 

するとノクトは、口を固く閉じてしまった。

 

そんな彼を見たルイズは不思議そうな目で見ていた。なんで黙っているのか、全く理解していない顔。

 

他人に心配をかけさせるような事は全部内緒にしてるから、誰かに声をかけてもらう事なんて絶対にありえないと、何も言わなくても察してくれるなんて、そんなマイナスなものが込められた表情。

 

しかし。

 

ノクトはしばらく呆然としていたが、やがてゆっくりと唇を動かした。

 

それは笑みのようにも見えた。

 

 

「元の世界に帰るための手段は一応探す、けどそう簡単には見つからないだろうし、戻る気はないからな。だから、お前の使い魔でいることを誓うよルイズ」

 

「······そう」

 

 

ルイズは小さく呟くと、しばらく無言で踊り始めた。

 

それからルイズは少し頬を赤らめると、ノクトの目から目を逸らした。そして、思い切ったように口を開く。

 

 

「ありがとう」

 

「······え?」

 

 

ルイズが礼など言ったのでノクトは少しだけ驚いたような表情になった。

 

 

「な、何よその顔?」

 

「えっ、いや······まさか礼を言われるなんて思わなかったから」

 

「い、言う時は言うわよ!」

 

 

ちょっと怒った風に口をとがらせるルイズを見て、ノクトは笑いかける。

 

 

「ははっ、お前からそんな言葉が聴けるなんてな·······こっちこそありがとな」

 

「え?」

 

「俺に······()()()()()()()()

 

 

その言葉の意味を理解できなかったルイズだったが、ノクトは続けるようにこう言った。

 

 

「なあ、一つお願いしていいか?」

 

「? なに?」

 

「今度からはさ、“ノクティス”じゃなくて、“ノクト”って呼んでくれ。その······言いにくいだろ、ノクティスだと」

 

 

ノクトは優しい笑みを浮かべた。その笑顔に、ルイズも思わず微笑んでしまう。

 

 

「わかったわ、これからもよろしくね。ノクト」

 

「ああ、こちらこそよろしくな。ルイズ」

 

 

その言葉と共に音楽が鳴り止み、ダンスは終了を告げた。

 

 

 

 



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第16章

 

 

その夜、ルイズは夢を見た。

 

ずっと昔、まだ家で貴族の教育を受けていた頃。夢の中の幼いルイズは屋敷の中庭を逃げ回っていた。迷宮のような植え込みの陰に隠れ、追っ手をやり過ごす。

 

良く出来た二人の姉に比べられるのが嫌で、いつも何か言われれば、逃げるようにどこかへ行き、今では嫌なことが起きると、自然とそこに足が向くようになった。

 

誰もいない心の拠り所。

 

そこへ行くために、彼女は涙を押し殺して進む。

 

 

『ルイズ、ルイズ。どこに行ったのルイズ!? まだお説教は終わっていませんよ!?』

 

 

屋敷を歩き回って騒いでいるのは、ルイズの母親だった。いつも出来の良い姉達と魔法の成績を比べられて、物覚えが悪いと叱られていた。

 

見つかるまいと、足音を殺して植え込みへと隠れた時、誰かの靴が植木の下から見えた。

 

 

『ルイズお嬢様は難儀だねえ』

 

『まったくだ。上の二人のお嬢様はあんなに魔法がおできになるっていうのに······』

 

『······ッ!!』

 

 

ルイズは悔しさと悲しさで歯噛みすると、嫌々と召使い達は植え込みの中をがさごそと捜し始めた。半分不服な仕事ではあるが、見つからねば即刻クビにさせられる。

 

それほど、ルイズの家庭は厳しかった。

 

そして、このままでは見つかると思ったルイズはそこから逃げ出した。上手いこと物陰に隠れて追手を躱し、彼女自身が『秘密の場所』と呼んでいる、心を休めるための唯一のオアシスに向かう。

 

そこは、中庭の池だった。

 

あまり人の寄り付かない、うらぶれた中庭だ。池の周りには季節の花々が咲き乱れ、小鳥が集う石のアーチとベンチがあった。池の真ん中には小さな島があり、そこには白い石で造られた東屋が建っている。

 

島のほとりに小船が一艘浮いていた。

 

しかし今、船遊びを楽しむ為の小船は、誰も使っていない。

 

姉達はそれぞれ成長して魔法の勉強で忙しかったし、軍務を退いた地方のお殿様である父は近隣の貴族との付き合いと狩猟意外に興味は無かった。

 

母はあの通り娘達の教育と、その嫁ぎ先以外目に入らない様子だった。

 

そんなわけで、忘れ去られた中庭の池とそこに浮かぶ小舟を気に留める者は、この屋敷にルイズ以外にいない。ルイズは叱られると、決まってこの中庭の池に浮かぶ小舟の中に逃げ込むのだった。

 

夢の中の幼いルイズは小舟の中に忍び込み、用意してあった毛布に潜り込む。

 

そんな風にしていると、

 

 

『泣いているのかい? ルイズ』

 

 

中庭の島にかかる霧の中から、一人のマントを羽織った立派な貴族が現れた。つばが広く、羽根つき帽子で隠れて顔がよく見えない。

 

だが、ルイズは自分の目の前にいるのが誰だかすぐに分かった。

 

子爵だ。

 

最近、近所の領地を相続した年上の貴族。夢の中のルイズはほんのりと胸を熱くした。憧れの子爵。晩餐会をよく共にした。

 

そして、父と彼との間で交わされた約束。

 

 

『子爵様、いらしてたの?』

 

 

幼いルイズは慌てて顔を隠した。みっともない所を憧れの人に見られてしまったので、恥ずかしかったのだ。

 

最近近所の領地にやってきた、自分にとって憧れの貴族。優しく、強そうで、尊敬にも似たような感情を持っていた。

 

故に、弱いところ何て見せたくなかったんだろう。彼女は彼と会うとつい顔を赤らめてしまう。

 

 

『今日は君のお父上に呼ばれたのさ。あのお話の事でね』

 

『まあ!』

 

 

あの時の自分は、まだ十にも満たない年だった。だから、その言葉の意味がよく分からずに、どう答えていいか分からなかった。

 

父が交わしたという、自分と彼との間の約束。幼き頃よりの誓い。

 

 

『いけない人ですわ。子爵様は······』

 

『ルイズ。ぼくの小さなルイズ。君はぼくの事が嫌いかい?』

 

『······』

 

 

おどけた調子で子爵が言うと、夢の中の小さなルイズは首を振った。嬉しくないと言ったら、嘘になる。

 

だからルイズはこう答える。

 

 

『いえ、そんな事はありませんわ。でも······わたし、まだ小さいし、よく分かりませんわ』

 

 

ルイズははにかんで言った。帽子の下の顔が、にっこりと笑った。そして、手をそっと差し伸ばしてくる。

 

 

『子爵様······』

 

『ミ・レィディ。手を貸してあげよう。ほら、つかまって。もうじき晩餐会が始まるよ』

 

『でも······』

 

『また怒られたんだね? 安心しなさい。ぼくからお父上にとりなしてあげよう』

 

 

島の岸部から小舟に向かって手が差し伸べられる。大きな手。

 

憧れの手。

 

ルイズは頷いて立ち上がり、その手を握ろうとした。

 

その時、

 

ビュゥゥウッ!! と。

 

大きな風が吹いた。帽子が外れ、宙に浮く。

 

 

「え?」

 

 

ルイズは思わず戸惑いの声を上げた。

 

貴族の帽子が飛んだ直後、周りの景色ががらりと変わったのだ。さっきまでいた子爵の姿は消え、自分一人しかいない。しかも自分の姿は六歳の姿から、今の十六歳の姿に変わっていたのだ。

 

 

「あれ?」

 

 

優しい表情のまま、子爵のいた場所には漆黒がやってきた。そして、いつの間にかその夢の中の景色も、心の拠り所の池のほとりも小舟も、全てが闇へと消えた。

 

事態の把握が追い付かない。

 

急な出来事にルイズは戸惑っていると、一つの声が飛んできた。

 

 

『ノクティス王子』

 

「え?」

 

 

聞き慣れた名前だった。

 

つい最近、本人の希望でその名を呼ぶことをやめてしまっていたが、その名を忘れることはない。

 

そして気付く。

 

自分が今まで見た事も無い建築様式の建物に、来た事も無ければ見た事も無い風景の中にいたことを。

 

その中で、ルイズはまるで空気から浮かび上がるように、透き通る体でこの世界に降り立っている。重力なんて概念はなく、しかし自分で方向転換もできない。

 

そんな中でも声は続く。

 

 

『ノクティス王子』

 

『······』

 

『ノクティス王子!!』

 

(······王、子?)

 

 

声が聞こえる方へと目を向ける。するとそこには、使い魔であるノクトの姿があった。

 

しかし、そこにいたのは確かにノクトだったが、ルイズが知っている彼の姿とは少し違う点があった。

 

上品なスーツを着込んで、雰囲気もなんだかクールだ。いつも軽くオラオラ来る系の性格ではなく、どこか億劫そうな感じが全身から出ている。

 

 

『······ん?』

 

 

ここでようやく、ずっと眠って運転手の呼び掛けを無視していたノクトが目を覚ます。

 

そう。

 

今いる場所は見たこともない乗り物の中だったのだ。ルイズは無条件でその中へと押し込められ、ノクトの隣に座らされている。

 

一体どういうことなのか、わけのわからない展開がずっと続く中、ノクトの前にいる男性は後ろを見ずに首だけ振ってある方向を指しながら話しかける。

 

 

『あれ、迫力ですね!!』

 

『······んぅ?』

 

 

先のしつこい呼び掛けに少し苛立ちを感じながら、怪訝そうな顔で運転手の後頭部を見た後、窓の外へと視線をやる。

 

ルイズも引かれるようにそちらを向くと、驚くべき光景が広がっていた。

 

夕焼けにギラギラと光る縦に長い四角い建物。石造りや木製といった建築物は見当たらず、先から先まで天高く届くほどの建物がずらりと並んでいる。

 

そして、特に目が行くのはその建物の周辺に浮かんでいる『舟』。一体どういう原理で飛んでいるのか、ルイズには理解できない。

 

夕日に包まれていたその街の風景を見て、ノクトは眠そうな声でこう答えた。

 

 

『まるで·······占領されたみたいだな』

 

『······フフ』

 

 

運転手は振り返りもせずにノクトの発言を聞くと、ハンドルを握り直して、街に出入りするためのインターチェンジまで進み、自分達専用の門のところまで行くと、メーターの下にある操作盤を鼻唄を歌いながら押すと、目の前にあった通行止めのポールが連動して下へと沈んでいった。

 

道が開いたことを確認すると、運転手はそこで警備をしている人に手を上げて挨拶をし、街の中へと入っていく。

 

 

『········ふぅ~』

 

 

ノクトはノクトで、なんだかめんどくさそうに窓の外を眺めるだけで何も言わない。

 

 

「ノクト、ここは一体どこなの? あと、王子ってどういうこと?」

 

『······』

 

 

ルイズが声をかけるも返事はない。無視してる、って感じじゃない。完全に聞こえてないようだ。

 

しかしそれでも諦めないのがルイズという少女なわけで。

 

 

「ちょっと! 聞いてるのノクト!!」

 

 

と、彼の肩に手を置いて強引にこちらを向けさせようとした時だった。

 

今度はどういうわけか、ルイズの手はノクトの体をすり抜け、少女の体が車の向こうへと躍り出る。

 

 

「うわ!?」

 

 

そのまま落下していくルイズは虚空へとダイブし、見えない何かに搦め捕られて引きずり込まれていく。

 

そして。

 

そして。

 

そこはまたしても別の世界だった。

 

 

「······あれ?」

 

 

風景は先程と一緒。

 

今度はただ、見たこともない天高く積み上げられた立派な城がルイズを見下ろしていた。その外観は一つの建物に四つの塔を建てたような形で、その中心から青白い閃光が空高く伸びている。

 

 

「·······なに、これ?」

 

 

不思議そうにして、その割には警戒もしていたルイズは無意識のうちに彼女の足が動き、その踵が床を蹴る。

 

ローブを着込んでいるなかで、人差し指だけがその建物により近くなる。彼女はその建物に触れようとした。そして中へと入り、一体この中はどうなってるのか確かめたかったのだ。

 

次に来たのは音だ。

 

ただし。

 

それはルイズが作り出した音ではない。

 

 

ドパラタタタタタタタタッッッ!!!!!

 

 

と。

唐突にルイズの背後から空気を引き裂くような乾いた音が何発も放たれ、入り口に入ろうとしていたルイズの体を狙って襲いかかってきたのだ。

 

 

「!?」

 

 

感覚としては、バリスタのような武器。

 

しかし矢を放つ弦もなければ、放つための矢もない。全長九◯◯ミリメートル、重量三・二キロという図体を持ち、五・五六ミリメートル口径もの弾丸を使用する小銃。

 

そんな、ルイズからしたら意味不明な武器を持つ、あの鎧を着込んだ連中に命が狙われているとわかると、あまりの恐怖に膝をついて耳を塞ぎ、目を瞑ってしまう。

 

が。

 

ガキン!! と。

 

何かが弾かれる音が聞こえてきた。

 

 

「え?」

 

 

ルイズは石造りの地面に腰が抜けて座り込みながら這って移動し、音が聞こえてきた方へと視線で追い駆けた。

 

この城の前にある、階段付近。

 

ほぼ入り口前の辺りに誰かが立っていた。

 

そこには、格好は違えど自分にとって下僕のような存在の男が立っていた。

 

 

ノクティス・ルシス・チェラム。

 

 

レインコートのように襟が立っているジャケットを着たノクトは周囲にいる兵士達を、その『赤い目』で睨み付ける。

 

ルイズは先程別れてからというもの突然現れて、どう扱っていいのかわからないという顔で見て、

 

 

「ノ、ノクト!!」

 

『······』

 

 

声をかけるも、やはり返答なし。ノクトは振り返りもせず、ただ階段を降りていく。

 

それが合図となる。

 

何百もいる兵士達の持つ銃口が一斉に火を噴き、ノクトの体を蜂の巣にしようとする。鼓膜を突き破るような銃声の嵐と共に、ノクトはそれでもなお突き進む。

 

ガキン!!

 

ガキン!!

 

と、衝撃と共に発射音すら食った弾丸は、その弾丸から爆竹なような安っぽい最小限の炸裂音と火花を散らかせる。

 

 

「な、何!? 一体何が起こってるの!?」

 

 

ルイズはノクトがなぜ無傷なのかわからなかった。

 

するとノクトは、右手を軽く振っただけで、頭上にいくつもの武器を展開させて見せた。

 

剣、斧、槍、両手剣、短剣、杖、ハンマー、盾。

 

あらゆる武器がノクトの周囲に浮かんでいる。

 

あれが弾丸を弾いていた盾の正体。宙に浮いている武器はノクトを中心として高速で回転し弾丸を寄せ付けず、そしてその中から一本の剣を手に取った。

 

記憶が正しければ、あれはギーシュのゴーレムを切り裂いた剣だ。

 

黒い青年は瞬きすらしない。ただ目を赤くし、その漆黒な姿に浮かぶのは、とてつもない殺意。

 

弾丸が飛び交う中へと飛び込んでいくノクトは自分の周囲に武器を展開して流れ弾に当たらぬように注意しながら敵陣の中で暴れまくる。

 

斬り、突き刺し、叩き潰し、敵から奪った武器を使って銃口から火を噴かせる。

 

そして、敵の一人頭に足を挟んでそのままそいつの首を折った。

 

 

「ノ、ノクト······?」

 

 

驚愕に凍る暇はない。青年は身を捻り、首を折った兵士から無事に着地すると、四方八方から放たれる弾丸の対処に当たる。

 

音と同時の速度で突き進む弾丸は、人の意識を永遠に奪う破壊力を秘めているはずだ。だったっていうのに。

 

よりにもよって、青年の周囲に展開されていた半透明な武器によって跳ね返って兵士達の急所を貫いた。

 

全ての攻撃が通らない。

 

そう感じた時には、兵士達の足は震え、構えていた銃口も定まっていなかった。

 

だがこれで終わりではない。

 

兵士に背を向け、興味をなくしたように城へと戻っていくノクトの背後に、

 

 

ドゴォ!! と。

 

 

直後、あらゆる音が吹き飛ばされた。

 

爆薬の粉末が撒き散らされた、半径一◯メートルもの空間そのものが、巨大な爆風に巻き込まれた。

 

 

「うわ!?」

 

 

熱い風がルイズの頬を叩きつける。爆風に押し負けたルイズは地面を転がり、爆風によって発生した黒い煙のせいでボロボロになった体を動かしてかろうじて起き上がる。

 

後ろを。

 

ノクトがいた場所へと振り返る。

 

 

「ノクトォォォオオオオッ!!!」

 

 

自分よりもさらに爆風の餌食になったノクトが心配になって彼の名を叫ぶも、返事はなかった。当然だ、やはり今の光景は夢のようなものであるらしく、何もできなかったルイズは悔しそうに奥歯を噛み締めた。

 

だが、

 

 

シュシュシュン!!

 

 

と、空間の中を縦横無尽に駆け回るような風切り音が聞こえてきたのと同時に、煙も晴れてくる。

 

音が飛んできた方向を見ると、そこには無傷のノクトが立っていた。

 

青白く半透明な武器達に守られ、なんの影響も浮けなかったノクトは兵士達を睨み、眼光だけで撤退させた。

 

 

「ノ、ノクト?」

 

『······』

 

 

ノクトはこちらのことなど気にしていない。

 

顔を向けてもない。

 

彼は言葉を一切発さず、ルイズなど視界にもいれないで城の中へと戻っていく。

 

ルイズはしばらく呆然としていたが、すぐに彼に視線を移し、急いで彼に駆け寄ろうとした。

 

瞬間、

 

彼女を凄まじい眠気が襲いかかってきた。思わず膝をつきながらも、自分の右手をノクトに必死に伸ばす。

 

 

「ノ······ク······ト」

 

 

使い魔の名前を口にして、ルイズは意識を失った。

 

残ったのは、数々の遺された死体と。

 

無口な王子、ノクティス・ルシス・チェラムただ一人となった。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

「········うん?」

 

 

小さく声を漏らしながら、ルイズは自分の部屋のベッドの上で目を覚ました。窓を見てみると、すでに日が昇っている。

 

それから部屋の片隅を見てみると、相変わらず静かな寝息を立てながら寝ているノクトの姿が目に入った。

 

 

「··········ノクト、だったわよねあれ?」

 

 

今思い出してみても、とてもおかしな夢だった。冷や汗が全身から噴き出しているのがわかる。

 

彼女の胸を締め付けているのは、あの人の命を奪うことをなんとも思わないノクトの姿だ。

 

 

「······」

 

 

口に出そうとして、ルイズは声が出ないことに気が付いた。

 

震える手を動かして、なんとかベッドから起き上がって、先程まで見ていた夢の中での主役をしばらく眺めていた。体の震えが止まらないから収まるまでじっとしていようと思ったが、いつまで経っても収まる様子はない。

 

それでも少しずつ硬直状態から脱してきたルイズは、両手でパンパンと頬を叩き、気持ちを切り替える。

 

あの夢は、早く忘れようと思った。それが、自分とノクトにとっても良いことだろうから。

 

とりあえず、まずやるべきことは一つ。

 

 

「バカノクト! ほら起きるッ!!」

 

「ぐおっ!?」

 

 

腹にいきなり入れられたハンマーパンチにて、今日も二人の優雅な学園生活が始まる。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

遠く離れたトリステインの城下町の一角にある『チェルノボーグ監獄』で、土くれのフーケはぼんやりとベッドに寝転んで壁を見つめていた。

 

彼女は先日『破壊の水晶』の一件でノクト達に捕まった後、魔法衛士隊に引き渡された。

 

重要参考人であり大罪人である彼女は、例え裁判が行わられたとしても、今まで散々貴族相手に盗みを働いてきたのだから軽い刑でおさまるとは思えない。

 

待っているのは吊るし首。

 

そんな感じで人生を終えるのも嫌なので脱獄を考えたが、フーケはすぐにあきらめた。得意の『錬金』の魔法で壁や鉄格子を土に変えようにも。強力な魔法の障壁が張られているため通用しないだろう。

 

それ以前の問題として、杖がなくなっているため魔法は使えない。監獄の中には、粗末なベッドと木の机だけ、これではなにもできないだろう。

 

 

「まったく、かよわい女一人を閉じ込めるのにこの物々しさはどうなのかしらね」

 

 

全てを諦めたかのようにして呟くフーケ。

 

もう何もかもどうでもよくなったフーケはとりあえず寝ようと思い、目を瞑ったが、

 

かつん、かつん。

 

というフーケが投獄された監獄が並んだ階の上から、誰かが降りてくる足音に、すぐにぱちりと開いた。

 

フーケがちらと廊下を見やると、ランプを手に持った人影が階段から降りてくるのが見えた。どうやら見回りらしい。

 

なんだ、とフーケはため息をつき、もう一度横になった。

 

その時。

 

 

ザシュ!! と。

 

 

見回りの胸から『剣』が生えてきた。

 

 

「があっ······!」

 

 

ランプを持った人影に、くぐもったうめき声と共に人が倒れる音が聞こえた。

 

ただ事ではない様子にフーケは驚いて身を起こす。

 

すると、鉄格子の向こうからは『長身の中折れ帽子』を被った人物が現れた。

 

目深に被った中折れ帽子に、左手につけている羽のようなマント。

 

フーケは鼻を鳴らした。

 

 

「おや。こんな夜更けにお客さんなんて、珍しいわね」

 

 

マントの人物は鉄格子の向こうに立ったまま、フーケをじっと見つめていた。

 

フーケはすぐに、おそらく自分を殺しに来た暗殺者であろうと当たりをつけた。これでもかなりの数のお宝を盗んできた。中には公になってはならない宝物を盗んだ事もある。

 

そんな貴族にとっては、来週ではなく今すぐに死んで欲しいと思っている者も少なくは無いはず。

 

つまり口封じというわけだ。

 

その時、中折れ帽子の男が口を開いた。軽い声で、からかうような口調で。

 

 

「どうも! こんにちは、ご機嫌いかがです? こりゃどうも!!『土くれのフーケ』さん?」

 

「······何? あんたは? 私を消しに来たのかい?」

 

「ハハッ! ざ~んね~ん!! ハズレだよ、“マチルダ・オブ・サウスゴータ”!!」

 

「!?」

 

「安心しなよぉ~。俺はただ、君を助けに来ただけだからさぁ?」

 

 

その名を口にされ、目を見開くフーケ。

 

その名を知っているものは少ない。とうの昔に捨てた名だ。

 

それを知ってる時点で怪しむのは当然だと思うが、フーケは動じず警戒しながら目の前の男が誰なのか訊ねる。

 

 

「あんた······何者だい?」

 

「おっと失礼、レディに名を名乗らないのは紳士としてあってはならないこと! では改めまして、私の自己紹介をお許しください」

 

 

そう言われると、中折れ帽子の男はさっきと変わらずからかうような気軽さでこう答えた。

 

 

「“アーデン・イズニア”······宮廷革命運動『レコン・キスタ』の幹部です。どうぞ、お見知りおきを」

 

 



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第17章

 

 

食堂にたどり着いてからお祈りを済ませ、ようやくノクトは食事を始めることが出来た。

 

しかし、相も変わらずノクトの食事は貧しいもので、黒くて硬いパンに白湯みたいなスープ。少し変わったことがあるとすれば、スープに肉がわずかに追加されたくらいだ。

 

ルイズ達は貴族らしくナイフやフォークを使って朝食をいただいている。

 

朝から肉料理とは胃もたれしそうだが、彼女達は気にせずに食べている。綺麗に切り分けて口に運ぶ様子は高貴な貴族らしく、作法もしっかりとしている。

 

そんな食事風景を床から目にしているノクトはつい腹の虫を鳴らしてしまった。

 

だからだろうか、側にいたルイズがギロリとこちらを睨んできて、思わず硬直してしまった。

 

はしたないことをするのはやめなさいとでも思っているのだろうか、眼光を鋭くし、ナイフで肉を乱暴に切り分けている。

 

やはり、このご主人様は使い魔に対して厳しいんだな······と思った瞬間だった。

 

 

「······はい、ノクト」

 

「え?」

 

 

唐突に。

ルイズは切り分けたステーキをノクトのスープ皿に置いた。

 

そこでノクトは驚愕した。

 

あの使い魔に対して冷酷な扱いをしているルイズが、高級ステーキの一切れを譲ってくれたのだ。一体何を企んでいるのか疑い深いノクトはルイズにどういうつもりなのか訊ねる。

 

 

「え、え? ちょ、これ───」

 

「何うろたえてんのよ。たかがステーキ一切れくらい譲ってあげるわよ」

 

「いや違う、そうじゃなくて。いきなりなんでステーキを渡すんだ?」

 

「は? 何よ、アンタがそれだけじゃ足りないかなと思ったから譲ってあげたんじゃない。それとも何? わたしのステーキは食べられないって言うの?」

 

 

まるでパワハラ上司みたいな台詞を吐くルイズに、ノクトは何も言えなかった。ルイズにジト目で答えられて、貧乏王子様ノクトは乾いた笑みを浮かべた。

 

なんのかんの言ったところで、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールはやっぱり高貴な貴族の出で本物のお嬢様なのだ。

 

庶民に施しを与えるほどの慈悲は持ち合わせているようである。

 

ひとまずノクトはルイズに『ありがとう』と感謝をし、手渡されたステーキを口の中へと運ぶ。

 

悔しいが美味しかった。

 

今まで貧しい食事ばっかりだったから、こんなにも肉汁たっぷりのステーキが染みる、染みる!

 

美味しすぎて思わず口角を上げてしまい、にやける表情となってしまった。それを見たルイズはつい引いてしまう。周りの貴族は自分達の食事に集中しているから見られてないのがせめてもの救いだ。

 

やはり、高貴な王族として育てられたとしても、美味しいものを食べると表情を歪めてしまうらしい。

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

朝食を終えたルイズとノクトは一時間目に行われる授業の教室へと足を運んでいた。

 

教室へと入りルイズの後ろについていって隣に座ると、ノクトが彼女に訊ねる。

 

 

「次の授業は何だ?」

 

「ミスタ・ギトーの授業よ。これから火や風といった魔法の系統について学ぶの」

 

 

そんなやり取りをしながら教室で座っていると、扉が開かれ、ルイズが言っていたミスタ・ギトーが現れた。

 

ミスタ・ギトー。

 

たしかアイツはフーケの一件の際に当直をほっぽり出して寝ていたミセス・シュヴルーズを責め、オスマンに『君は怒りっぽくていかん』と言われた教師だったはずだ。

 

あんな性格だ。校内での人気も薄いだろう。

 

その証拠に、長い黒髪に漆黒のマントを身に纏ったその姿は、言っては悪いが不気味である。まだ若いのにその不気味さと冷たい雰囲気からか、生徒達の顔から表情が消えている。

 

皆真顔のまま、入ってきたミスタ・ギトーに注目する。

 

 

「では授業を始める。知ってのとおり、私の二つ名は『疾風』。『疾風のギトー』だ」

 

 

どこか自慢気に名乗った瞬間、教室中がしーんとした雰囲気に包まれる。その様子を見て彼は口角を僅かに上げている。自分の偉大さに皆が感銘を受けているとでも思っているのだろうか。最初に『知ってのとおり』なんて大前提を先に付け足して名乗ってる時点で、かなりのナルシストだと思われる。

 

だが、本人はそんなことにも気付かぬまま満足気に席に座る皆を見つめると、ギトーは言葉を続けた。

 

 

「最強の系統は知っているかね? ミス・ツェルプストー」

 

 

周りを見渡し、一番前に座っていたキュルケと目があったから名指しで声をかける。キュルケは椅子から立ち上がり、

 

 

「虚無じゃないんですか?」

 

「伝説の話をしているわけではない。現実的な答えを聞いてるんだ」

 

 

おとぎ話を信じないような口振りでキュルケの一言を一蹴すると、彼女は少しカチンとして自分の最も得意とする系統が最強だと述べる。

 

 

「火に決まってますわ。ミスタ・ギトー」

 

 

キュルケが負けじと不敵な笑みを浮かべて言い放つが、ギトーはむしろ余裕そうにして再び尋ねる。

 

 

「ほほう、どうしてそう思うね?」

 

「全てを燃やし尽くせるのは、炎と情熱。そうじゃございません事?」

 

「残念ながらそうではない」

 

 

ギトーは右手を腰に回し、ベルトに差してあった杖を引き抜くとキュルケに杖先を向けて言い放つ。

 

決闘でも申し込むかのように。

 

 

「試しに、この私に君の得意な火の魔法をぶつけてきたまえ」

 

「!?」

 

 

唐突な指示。

授業だというのに、この教師は人に対して火をつけろと言ってきた。そのあまりにも人としてのルールを越えている提案にキュルケはギョッとした表情を浮かべている。

 

 

「どうしたね? 君は確か、火系統が得意ではなかったかな?」

 

 

彼にはそれだけの余裕があるのだろうか。キュルケに対して言ったその言葉の中に、少し挑発的な響きが込められていた。

 

キュルケは目を細めながら、

 

 

「··········火傷じゃすみませんわよ?」

 

「構わん、本気で来たまえ。その有名なツェルプストー家の赤毛が飾りではないのならね」

 

「···············ッ!!」

 

 

言葉と同時。

キュルケの顔からいつもの相手を小馬鹿にしたような笑みが消えた。胸の谷間から杖を引き抜くと炎のような色をした赤毛が熱したようにざわめき、逆立つ。

 

キュルケが杖を振るうと、目の前に差し出した杖先に小さな炎の玉が現れる。キュルケがさらに呪文を詠唱し続けると、その球は次第に膨れ上がり、直径一メイルほどの大きさになった。

 

それを見て、生徒達が慌てて机の下に隠れる。

 

悲鳴を上げるものもいた。やりすぎだと抗議するものもいた。

 

だがキュルケは止まらない。

 

キュルケは手首を回転させた後、右手を胸元に引きつけて炎の玉をギトーに向かって押し出した。ゴオッ!! という焦げ付くような唸りを上げて、炎の玉はオレンジ色に光る槍となって教室内を突き抜ける。

 

槍、というよりレーザー光線に近い。

 

自分目掛けて飛んでくるレーザーを避ける仕草すら見せずに、ギトーは手に持っていた自分の杖を剣のように振るって薙ぎ払う。

 

轟!! と音を立てて風の流れが渦を巻く。烈風が舞いあがり、一瞬にしてレーザーが掻き消え、教室内に漂っていた緊張感は全て無に帰した。

 

悠然として、ギトーは教室にいる全員に言い聞かせるように告げる。

 

 

「諸君、風が最強たる所以を教えよう。簡単だ。風は全てを薙ぎ払う。火も、水も、土も、風の前では立つ事すらできない。残念ながら試した事は無いが、虚無さえ吹き飛ばすだろう。それが風だ!!」

 

「······」

 

 

ここの奴らって誰もが自分の系統を最強だと自慢するよな、と素直にノクトは思った。

 

熱弁を振るうギトーだが、シュヴルーズも自分の土系統の事をやや自慢げに話していた。

 

キュルケも火が一番強いと言っていたし······。

 

そしてギトーという男性教師は、風の魔法を過信しすぎているような気がする。確かに、ギトーの風の威力はわかったが、もしそれが打ち破られるほどの威力だったらどうなるのだろうか。

 

たとえば、土系統の魔法で言えば『巨神タイタン』が投げつけてくるような山より大きな大岩を、果たして風だけで薙ぎ払えるのだろうか。

 

彼の腕だけで、それは可能なのだろうか。

 

たとえ、彼レベルの魔法使い達が何人もいてそれを試したとしても、多分無理なのではないかとノクトは思った。

 

しかし、確証もないしそんなノクトの心の声が伝わる事は未来永劫あり得ないわけで、ギトーはさらに自分の風系統の自慢を続ける。

 

 

「目に見えぬ風は見えずとも諸君らを護る盾となり、必要とあらば敵を吹き飛ばす矛となるだろう。そしてもう一つ、風が最強たる所以は······」

 

 

今からそれを見せてやると言わんばかりに、ギトーは杖を立てて詠唱を始める。

 

 

「ユビキタス・デル・ウィンデ────ッ」

 

 

集中し、固く目を閉じて杖を振るう。

 

しかしその時、

 

ガラッ!! と教室の扉が開き、緊張した顔のミスタ・コルベールが現れた。

 

 

「はぁ、はぁ······ッ!!」

 

 

何やら慌てた様子であった。

そして彼は珍妙ななりをしていた。

 

頭にやたらデカイ金髪ロールのカツラを被せ、ゴテゴテとした派手な礼装をしている。普段の彼の『ある部分』を知るものから見れば、その姿は滑稽な出で立ちだった。

 

 

「ミスタ······授業中ですよ? 一体これはどういうおつもりで?」

 

「あややや、ミスタ・ギトー! 失礼しますぞ!」

 

 

コルベールを睨んでギトーは言うが、それを無視してコルベールが咳払いをする。

 

 

「おっほん、今日の授業は全て中止であります」

 

 

コルベールは重々しい調子で告げると、その途端教室から歓声が上がった。すると歓声を抑えるように両手を振りながら、コルベールが言葉を続ける。

 

 

「えー、皆さんにお知らせですぞ」

 

 

もったいぶった調子で、コルベールは仰け反った。その拍子に頭に乗せたカツラが取れて、床に落っこちる。ギトーのおかげで重苦しかった教室の雰囲気が、一気にほぐれた。

 

教室中がくすくす笑いに包まれる。

 

一番前に座ったタバサが、コルベールのつるつるに禿げ上がった頭を指差して、ぽつんと呟いた。

 

 

「··········滑りやすい··········」

 

 

滅多に口を開かない彼女の一言で、教室が爆笑に包まれた。彼女の言葉には、さすがの金木も少し口元に苦笑を浮かべている。キュルケが笑いながらタバサの肩をぽんぽんと叩く。

 

 

「あなた·····たまに口を開くと言うわね」

 

 

コルベールは顔を真っ赤にさせると、普段彼から聞いたことがないほどの怒鳴り声が響き渡った。

 

 

「黙りなさい! ええい! 黙りなさい小童共が! 大口を開けて下品に笑うとはまったく貴族にあるまじき行い! 貴族はおかしいときは下を向いてこっそり笑うものですぞ! これでは王宮に教育の成果が疑われる!!」

 

 

コルベールのその剣幕に、教室中がおとなしくなった。ようやく冷静になったコルベールは再び咳払いをしてから、

 

 

「皆さん、本日はトリステイン魔法学院にとって、良き日であります。始祖ブリミルの降臨祭に並ぶ、めでたい日であります」

 

 

コルベールは横を向くと、後ろ手に手を組んだ。

 

 

「恐れ多くも、先の陛下の忘れ形見、我がトリステインがハルケギニアに誇る可憐な一輪の花、“アンリエッタ姫殿下”が、本日ゲルマニアご訪問からのお帰りに、この魔法学院に行幸なされます」

 

 

途端に、周囲がざわめき出す。

 

当然だ、『アンリエッタ姫』はトリステインの間では知らないものはいない程の有名な王家の一人だ。

 

ギーシュなどを始めとした貴族が、皆彼女のために命と杖を捧げる者が後を絶たない高嶺の花であり、人気者だ。

 

その彼女が、ここトリステイン魔法学院へと訪れるのだから、この反応は当然と言えた。

 

 

「姫さまが······来る·······ッ!?」

 

 

ノクトは、そう呟くルイズの横顔を見た。

キョトンとした顔で、何とも夢を見ているような、そんな惚けた表情をしていた。

 

コルベールは辺りを見回して、皆が静まり返るところを見計らうと最後にこう叫んで締めくくった。

 

 

「諸君が立派な貴族に成長した事を、姫殿下にお見せする絶好の機会ですぞ! 御覚えがよろしくなるように、しっかりと杖を磨いておきなさい! よろしいですかな!?」

 

 

生徒達は緊張した面持ちになると、一斉に頷いた。コルベールはうんうんと重々しげに頷くと、目を見張って教室を後にした。

 

 

(······王族、か)

 

 

正直、ノクトは複雑な気持ちだった。というのも、彼自身が王族だったというのもあるだろう。

 

しかし、彼は王族の堅苦しさを嫌い、周囲を呆れさせるほどの自由奔放な性格のせいで、自分が王子だという自覚が持てなかった。

 

そのため王族としての自覚や礼に欠ける面も少々見られる。口調もお世辞にも丁寧とはいいがたく、敬語で話をするような場面は殆どない。アコルド首相にして、議会代表を務める敏腕女性政治家を相手にする時でさえ、一国の長とは思えない口調で終始話し、態度も高圧的とさえとれる話し方だった。

 

だが、今のノクトはもう王族ではない。

 

故に、これからやってくる王族に対して少し興味が湧いていた。

 

本物の王族。

 

立ち振舞いに、佇まい。

 

今後の参考のためにも見ておきたいと思ったのだ。

 

 

「うう·······っ!」

 

 

と、ルイズがどこかちょっと緊張気味になってるのもお構いなしに、ノクトは少し興味深そうにしてこう思った。

 

 

(この国の王族はどんな奴なんだろうな)

 

 



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