星と少年 (Mk.Z)
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星と少年
第一話 パラノイド・アステロイド


 

 □■アルター王国 王都アルテア シャンブルズ通り

 

 その通りはいつからか、シャンブルズ通りと呼ばれていた。

 

 スラムの奥には怪しげな店が軒を連ね、気味の悪いものたちが這いずり回る。強面の用心棒は、今にも誰かを叩き殺したいとでも言いたげな凶相を晒して往来を睨み、売られるものは殆どが違法の品物ばかり。まさに最悪の(シャンブルズ)裏通りというわけだ。

 

 日が落ちた後の時刻、闇に沈んだその通りを闊歩する者がいた。

 臆病な浮浪者の眼が爛々と光り、キイキイと威嚇する鼠の鳴き声が響く。

 その人物の風体は、このいかがわしい場所にあってもひときわ奇妙だった。帆布のようなマントを羽織り、その下には金属製の装甲を張り付けた黒いゴムのような服を着ている。だが、何より目を引くのはその顔面だった。

 仮面。黄色味がかった白色の、まるで陶器のような質感の仮面がその眼と鼻を覆い隠している。仮面の表面には、血のような色の塗料で一つの大きな眼を象った紋様が作ってあった。

 あたかも人ではない何かの怪物のような、異様な服装だ。その左手はまっさらで、何の模様もない。つまり、信じがたいが……ティアンなのだろう。

 

 彼は、確かな足取りで夜道を進んでいった。

 石造りの壁に囲まれた路地を通り、石段を下り、半地下のじめじめした通路を潜り抜ける。ろくな灯りは無いというのに、何かに足をとられることもなく男はそこへと辿り着いた。

 石造りの建物だ。質素な壁には人間を探知するまじないがかけられ、地面には魔法のシンボルが彫り込んであるのが分かる。男は何の躊躇いもなくそこへと足を踏み入れた。

 すぐさま、店の中から店主とおぼしき人影が姿を現した。黒いローブに身を包んだ小男だ。ギョロ眼や顔の造形、ひょこひょこした足取りはまるで蛙が立って歩いているかのような印象を与える。小男は口を開き、掠れた声を低くして言った。

「……『ブライアン』様ですね?」

 ブライアン、に妙なアクセントがついている。彼はそのまま、媚びるように笑って名乗った。

「あたしァ、店の主のモートです…宜しく」

 店主ーーモートはそう言うと背を向けて、案内するようにヨタヨタと歩き出した。

 店の中は、外に輪を掛けて暗かった。商品の棚や机は一切なく、殺風景な屋内に申し訳程度の調度品と、沢山の木箱が並べてある。どちらかといえば倉の中のような雰囲気だ。蝋燭の明かりが尚更、足下の暗がりを引き立てている。

 その奥には下へと続く階段があった。階段の先はまるで、墨を流し込んだように黒々としていた。モートは一段目に足を踏み入れると、カンテラを掲げて振り返った。

「足下暗くなっておりますンで」

 モートは慇懃に頭を下げた。

「そのような“面”を着けていてはご不便でしょう……どうぞ、お取りになっては?」

 仮面の男は黙って足を踏み出すと、一段目をしっかりと踏みしめた。足音が空間に響く。

 モートはまた、深々と頭を下げた。

「これァ差し出がましいことを申しまして……ですが、置いてある花瓶にだけはお気をつけ願いますよ、なかなか高級なものを揃えております」

 恥ずかしながら花が趣味でして、と顔に似合わないことを呟きながら、モートは階段を下っていった。

 一度直角に折れ曲がってから底へと着く。そこは地下室の入り口になっていた。怪しげな呪具や護符が等間隔に配置され、侵入者に備えている。鉄製の扉を押し開けると、モートは蛙のような顔で歯を剥き出して笑った。

 

「お待たせを致しました…ようこそ、“えんぶりお屋”へ」

 

 薄暗い地下室は、意外にも広かった。地下特有の湿り気や冷気こそあるものの、部屋は小綺麗に片付けられ、沢山の調度品が置いてある。上の店ではなく、此処が本当の店舗なのだと誰でも見てとれるだろう。蝋燭の明かりを映して、沢山のお守りや飾り棚が煌めいていた。

 店主モートはカウンターとおぼしき長机の奥へ引っ込むと、椅子に腰かけて一息をついた。

「どうぞ、じっくりご覧になって」

 そういってモートは部屋の真ん中に据えてある品物を示した。如何にも一番の目玉商品とばかりに、目を惹くような場所を占めている。山ほど泥棒除けの呪いや盗難防止の魔法が掛けられているのだろうガラスケースの中、水をたっぷりと含んだ布地の上には、透明感のある丸い宝石のようなものが置いてあった。もし仮に<マスター>が目にしたなら、共通のものを想起するだろう。

 

 <エンブリオ>、その第0形態。淡く輝く卵のようなそれが、ところ狭しと陳列されている。

 

 モートは盛り上げるように、身振り手振りを交えながら饒舌に語った。

「レジェンダリアの奥地、ハイエルフが管理する禁足地のそれァ険しい山で見つかったもンだそうで…仕入れにはたいそう苦労をしました、はィ」

 モートの顔は蝋燭に照らされててらてらと光っていた。まるで本物の蟇のようだ。

「<マスター>達から情報を得るのは大変難儀でして、いや、ですがあたくし諦めきれませンでしてね、それァ腕利きの【冒険家】を何人も何人も雇いまして」

 モートは得意気に笑みを溢して続けた。

 

「生きた<エンブリオ>の卵!ご自分でお使いになるも良し、もちろん他へ売り捌くのもよござんす。お値段の方はぐーっと勉強させて頂いておりますが、何分物が物ですンで……」

 

 確かに大変な代物だった。

 <エンブリオ>に憧れるティアンは掃いて捨てるほどいる。たとえいくら高値を付けようとも、買おうというものは必ず現れるだろう……盗もうとするものも。おもての厳重な警戒も分かるというものだ。

 だが、値段の説明を始めたモートを尻目に、男はつまらなさそうに仮面越しにじっとガラスケースを見つめた。

 <エンブリオ>の濡れた表面は蝋燭を映してぬらぬらと光っていた。見ようによっては、まるで美しい宝石のようにも見える。男は一瞬口角を上げると、わざとらしくため息をついて、楽しげに口上を述べるモートを突如、無造作に遮った。

「【ジュエル】の加工品だな……暫く経つと中に仕込んだ<エンブリオ>役のモンスターが出るようになる仕掛け?それとも見た目がそれっぽい武具でも入れてるのかな?」

モートはそのギョロ眼を白黒させながら言った。

「お、お客様、何をおっしゃいますンで、これは正真正銘本物の<エンブリオ>!<マスター>どもの<エンブリオ>ですよ!」

「残念ながら、僕には確信があるんだよ」

 男はそう言うと、自らの手、なにも着けていない素手の左手に、右手の指先をめり込ませた。

 皮膚がベリベリと剥がれ、ぶよぶよとした手袋のようなものがボロリと取れる。

 

 露になった本当の左手には、焔を纏う翼の紋章が赤々と焼き付いていた。

 

「僕、<マスター>だからさ。あんたよか“本物”には詳しいのよね」

「……へぇ」

へらへらと嗤う男を見て、モートはそれまでの間抜けな演技を即座に引っ込めた。変わって冷酷な表情がその蛙面に浮かぶ。

「よく左手を誤魔化せたもンだね。“渡し屋”には、念入りに調べるよう釘を刺しといたンだが」

「いやぁ、知り合いに腕の良い【裁縫職人】がいてさぁ、紋章の偽装にだけ拘った装備(もの)を、()()()作ってくれたんだよ」

「ふン……」

愉快そうに話す男を差し置いて、モートは静かに右腕を捲り上げた。

「それで?あンたは騎士団かィ?それともどっかの鉄砲玉かィ?」

「個人営業さ。官憲の依頼じゃあないし、商品が欲しい訳でもない」

 仮面の男はそう言うと、柔らかな紙を懐から取り出した。【契約書】だ。黒い文字の行列の下には、大きく『ブラー・ブルーブラスター』とサインがしてある。

「ありがたい契約の提案だ。諸々を黙っててやる代わり、今後得た利益の一部を僕によこせ。どうせ儲かってるんだろ?」

「あたしを脅す気かィ……そうか、テメェが……」

 モートは信じられないバカを見るような目で吐き捨てた。

 その要求は、端的に言ってまったく無茶苦茶だった。モートには、目の前の仮面男に金を払ってやる義理も筋合いもない。

 だが、ブラーは懇切丁寧に言い聞かせてやる、とばかりに説明を始めた。

「<マスター>に関わる事物を偽って商売するのは大体どこでも重罪だ。分かるかい?僕は善良な一市民として、お前を取っ捕まえて官憲に足を運ぶことも出来るんだ。それを黙っててやるってんだから、あんたにとっちゃ泣いて喜んだって良いくらいの親切じゃないか」

「あたしを舐めるンじゃあないよ」

 モートは不快そうに言った。その後ろから、人影のようなものが立ち上がる。

「用心棒なしで商売する訳ないだろ、分かったらミンチ肉になる前にとっとと失せな!」

 そして、その人型の影がモートを守るように立ちはだかった。

 いや、おおむね人型、という方がふさわしいだろう。手足の数こそ同じだが、腕は膝まで垂れ下がり、その痩せた体躯には不自然な筋肉が要所要所に盛り上がっている。掌は西瓜でも掴めそうな程大きい。顔には目鼻や口すらなく、ただ《claiomh》という文字が刻まれていた。

 人に造られしモノにして人ならざる生命体、いわゆるホムンクルスである。

「腕利きの<マスター>に伝手があンのは其方だけじゃねえンだよ旦那…………ヤれェ!」

 モートがそう言うと、そのホムンクルスはおもむろに両腕を上げた。その前腕が剣へと変じ、ホムンクルスの腕を刃が彩る。

モートが更に右手を振ると、その後ろからもう二体のホムンクルスがのっそりと立ち上がった。それぞれ、《bogha》《casur》と顔面に書かれている。彼らもまた腕を持ち上げると、その腕がメキメキと音を立てて大弓と戦鎚に変形した。

 だが、仮面の男(ブラー)はニヤリと笑い、真似するように大仰な動きでその左手を掲げて言った。

 

「《自由飛孔(バーニアン)》」

 

 ◇◆

 

 □【豪商】モート

 

 ホムンクルスを呼び出すが早いか、モートは後ろも見ずに駆け出した。荒事は専門外だし、ホムンクルスは流れ弾に十分気を配れるほど細やかではない。

 敗北の心配はなかった。ホムンクルスたちは上級職とてタコ殴りに出来るほどの戦力だ。高い金を出して買い付けたかいがあるというもの。あんなものを容易く造り出す辺りが<エンブリオ>の力を率直に示しているというものだ。

 こういう事態のために沢山用意してある出入口の一つへと向かう。内開きの木製の扉に手を掛け、真鍮の取っ手を引く。

 

 そして、轟音と共にモートの身体は扉を突き破って外へと飛び出した。壁に叩きつけられ、モートが潰れた蛙のように呻く。その懐から役目を果たした【ブローチ】がこぼれ落ちた。

 驚きと共に振り返る。地下室は半壊し、瓦礫と木屑に埋まっていた。高価な調度品の破片が砕けて崩れる。

 そして、粉塵と土煙の中からブラーが姿を現した。仮面の紋様が一瞬、血のように紅く瞬き、そして光を失う。帆布のようなマントがはためく。その後ろではホムンクルスが、全身を爆発に撹拌され壁の染みへと成り果てていた。モートは思わず叫んだ。今日は厄日だ。

「馬鹿な…あいつらをこんな簡単に…」

「強かったよ、でも中途半端だったね」

仮面の男(ブラー)は口元だけで笑って見せた。

「ENDとSTR、武器化能力は大したもんだけど、AGIは低いし動きも単調、僕には()()()()()()

 さて、とブラーは呟いてモートの襟首を素早く掴み、引きずったまま階段を登り始めた。モートは力の限り暴れ、喚き散らした。

「は、離せ、離してくれェ、命だけは、命だけは!」

 背中を叩く階段の一つ一つがまるで処刑へと至るカウントダウンのようだった。だが、如何に抵抗しようとモートの肉体能力では逃れられない。彼は一介の【豪商】に過ぎないのだから。その振り回す手は壁を引っ掻き、足は階段を蹴りつけたが、男の手はびくともしなかった。

 ブラーは上階の店先にモートを放り出した。モートは放心したようにへたりこんだ。

「命だけは…」

力の抜けた呟きに、男は鷹揚に頷いた。

「安心しろよ、僕に従えば助けてやるさ」

「そ、それァ…」

「さっき言ったでしょ?」

 ブラーはニヤニヤと笑い、先程の契約書を取り出し、ゆっくりとモートの前にしゃがんだ。

「契約だ。今後得た利益の四割を僕によこせ」

「四割!?」

モートは驚愕のあまり絶叫した。

 それは法外な要求だった。そこまでの金を持っていかれてはーー

「商売上がったりでさァ…!干上がっちまうよォ!」

元気が戻ってきたのかキイキイ喚くモートを半ば無視して、ブラーは立ち上がった。

「<エンブリオ>の偽造、販売。その詐称、詐欺。従魔による攻撃。違法行為のオンパレードだ。あんたの場合は品物の数も数だし、余罪もどうせしこたまあるんじゃないの?」

「あ、あたしを官憲に突きだそうってンならそうは行きませんぜ、あんただって偽名、器物破損、暴行、そう、暴行だ!もう少しで殺されるところだった!」

「正当防衛だろ」

ブラーは首を振って続けた。

「それに僕は例え王国に指名手配されても怖くないよ、アホの騎士団ごとき簡単に撒ける。でもあんたはどうかな?縛り首とかになっちゃうかも?アハハ、そうなったら大変だね」

 モートは口ごもった。そも、眼前の男にはモートの命を左右する力があるのだ。彼にとってモートなど瞬きする間にバラバラに出来る塵芥に過ぎない。

 先の必死の反駁とて、死人に口なしと言われればむしろそれまでだ。あの粉々になった地下室を思い出してモートは身を震わせた。

 

 四割とて命には替えられない。

 

 モートはよろよろと立ち上がり、店の奥へと足を進め、そこにあった机の引き出しを掻き回してペンを取り出し、そして木の丸椅子にけつまずいて辺りを散らかしながら転けた。自分の惨めさにため息をつく。モートは投げ出された後頭部に仮面の眼が向いているのを肌で感じていた。

 実際には、ブラーはモートを見下ろしてなどいなかった。その視線は店の奥、けつまずいたモートの脚に押されて倒れた空箱の後ろに向いている。男はマントを翻しておもむろに店の奧へと足を向けた。

 そこにあったのは、いや、()()()()一人の子供だった。年の頃は十かそこらだろうか?荒縄で縛られ、口にはボロ布で猿轡を嵌められている。短く刈られた薄茶色の巻き毛は嵐の後の茂みのごとく乱れていた。

 だが意識はあるようだ。そのターコイズ色の瞳は、怒りと恐怖でギラギラと眼に映る全てを睨み付けている。

 

 

 ブラーは大きくため息を吐き、モートを振り返るとあたかも大いなる悲劇に憤る若き英雄のような声音で言った。

「幼気で無垢な少年を酷く縛り上げ、口を塞ぎ、あまつさえそれを忘れた事とばかりに押し黙る、まさに外道の行いというべきものだ。未成年者略取、監禁、暴行、傷害、殺人未遂!……五割に値上げだな」

 

 

 To be continued



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第二話 ニュー・ファイターズ

 

 □■アルター王国 王都アルテア シャンブルズ通り

 

 明々と燃えるランプの側で、トビアはさっきまでいましめられていた腕を確かめるように動かした。まだひどく痛むが、折れてはいないらしい。

 トビアを救ってくれた男は、店の軒先で暗闇をねめつけていた。もっとも、眼が見えないので本当のところは分からないが。

(変な仮面…)

 トビアはその失礼な考えを振り払った。<マスター>は往々にして珍奇な格好をするものだ。何より命の恩人でもある。

「あの……ありがとうございます、助けてくれて」

「え?あぁ、そういえば助けたんだっけ」

男は一瞬考え込むと、トビアに尋ねた。

「君さ、どこの子?」

「王都の外の村です……アルムト村」

「ふーん…まあついでだし家までは送ってあげるよ。で、なんでこんなところにいたのさ?」

「そんガキゃあ、あたしの商品をくすねに入ったんでさぁ」

モートが横から苛立たしげに言った。

「目敏いあたしですから、直ぐに見つけてふんじばりましたがね!」

「……<エンブリオ>が欲しかったんです」

トビアは諦めてぽつぽつと話しだした。こうなりゃ自棄だ。

「<マスター>になりたくて……どうやったらなれるか、いろんな人に聞いてたんです。そしたら、ここで<エンブリオ>が手に入るって聞いて……悪い人からならちょろまかしても良いかなって」

「全くふてぇクソガキでさぁね!」

モートが再び遠くからがなった。トビアは無視して続けた。

「だから、家に帰る前にこの下に<エンブリオ>を取りに行きたいんですけど…」

「こいつが売ってたのは偽物だし、そもそも瓦礫の下だから全部壊れてると思うけどね」

 男はぞんざいに答えると、トビアを縛り上げた張本人である小男を指で呼びつけた。あんなに極悪非道で恐ろしく見えた彼は(実際トビアに対しては変わらず横柄だった)、今後売り上げの四割五分をむしられる契約を交わして今やすっかり萎縮していた。へつらうように揉み手をしている。

「あ、あの、親愛なる偉大なブラー閣下様、御契約も済んだことですし、そろそろあたしァおいとまをですね」

「ダメ」

「ダメェ!?それァ一体どういう…」

ギョロ目を白黒させる店主モートに、ブラーは鼻を鳴らしながら命じた。

「お前さぁ、もう僕の収入源だから、勝手に死なれちゃあ困るんだよね」

「へ?」

その穏当でないセリフに、モートと、そしてトビアも戸惑ったようにブラーを見つめた。ブラーは構わず続けた。

「外に山ほど刺客がいるから。誰か、他人から恨まれてる覚えのある人はいる?」

 

 ◇

 

 モートの店の近隣。屋上や、下水道、あるいはただの道端に、ただならぬ人影が集まっていた。全員が完全に武装をし、敵の姿を見定めている。すなわち、奇妙な仮面を被ったブラーの姿を。

 そして、モートの店の向かいには、建物の屋上で口早に会話をする者たちがいた。

「あ、これバレてますね、リーダー。もう行きましょうよ」

「いや、ダメだ」

「ダメって何でっスか、リーダー!」

「援軍が来てねぇからだよ!<マスター>共が来るまで待つんだ!」

「いや、でも完全に包囲してますよ、アニキもいますし」

「それでも勝てねぇよ!」

リーダーと呼ばれた男は、そういうと痩けた頬を震わせて、バルコニーの目隠しに顔を隠した。

「知ってんだ、あいつの仮面。カルディナの【ドラグノマド】で暴れて指名手配されてた<マスター>だ。“監獄”行きだと思ってたが王国にも伝手がありやがったとは」

「いや、だからって…」

渋るリーダーに部下が呆れ始めたとき、その背後から大柄な男がその背中を叩いた。

「ビビってんじゃねぇぞ、お前ら」

「ア、アニキ!」

「俺が闘る。ここいら一帯の組織のメンツ潰されてよ、親父達(ファーザー)はいたくお怒りなんだ」

 ならず者にはならず者の法があり、秩序があり、組織がある。彼らはその組織の実行部隊、暴力の行使を担当するもの達だった。

 仮面の男はそこらじゅうの悪党を脅し、騙し、契約を結んで自分の物にしていた。シノギの上前を跳ねられるなど許しがたい不利益であり、同時になんとしても取り返さねばならないメンツの問題でもあるのだ。敵が<マスター>といえど、目にものを見せてやらねば組織が揺らぎかねない。

「絶対に逃がすなよ。周りを固めとけ」

 そういってアニキと呼ばれた男は、彼らの期待を込めた眼差しを背中に背負いながら、通りに飛び降りた。

その背中には、特典武具の赤黒い刀が光っていた。

 

 ◇

 

 ブラーは眼前の道に降ってきた男を見つけると、店から出て、静かに歩み寄った。件の男、すなわちアニキが目を見開いて威嚇するように笑う。

「テメェ噂になってるぜ、ブラーさんよ」

身体を左右に揺らしながら男はなぜか愉しげに言った。

「ブルーノ、ブロント、バイロン、ブレンダン、ブラッドフォード……今日はブライアンだったか?よくもまぁ色んな名前をホイホイ使って荒らしてくれたもんだ。こんなことしてただで済むと思ったかよ?生憎、シノギを横からかっさらわれてボスはカンカンだぜ」

 じゃなきゃこんな陰気なとこまで来ねぇ、と小さく吐き捨て、何気なく間合いを詰める。

 一方のブラーもまた挑発的に微笑んでいた。一歩踏み込む。唇が動く。

「後ろの店に子供(ガキ)がいるんだけどさぁ、あれを代わりに差し出したら帰ってくれない?」

 トビアは腰を抜かした。さっきまでの救世主が、途端に今は犯罪者に見えてくる。男はクツクツと笑って首を振った。

「駄目だな。まぁここにいる奴は全員始末するからどっちにしろ、だが」

「始末?<マスター>をか?脳ミソが少ないぞゴリラ野郎」

「お前はカルディナで指名手配されてる」

男はそう言いきると、また一歩ブラーの方へ踏み込んだ。

「まったく幸いだったな、後は王国で罪をでっち上げりゃまず間違いなく“監獄”行きだ。お前に恐喝された()()()()()()()()()()()()の訴えが証拠になる手筈なんだぜ」

「へぇ、そりゃ怖いね、今夜は寝られないかも」

「いや?安心しろよ。すぐには殺さねぇ。まず両手足を粉々にしてから、小銭一つも出てこなくなるまで《強奪》してやるよ」

 残忍に顔を歪める男に対し、ブラーは変わらずせせら笑った。間合いを詰める最後の一歩を踏み込む。

「やってみろよ、NPC(ティアン)如きが」

 

 ◇◆

 

 緊張した空気は一瞬で弾けた。

「アホがッ!俺のレベルは496!更にィ!」

 男はギラリ長いものを引っこ抜いて斬りにかかった。

「逸話級特典武具!【焔刀定理 メラニウス】ッ!いくら<マスター>といえどもこの俺の前にはゴミカスッ!そこらの立ち木と同等よォォッ!」

 そう吠えながら、男は音速にも迫ろうかという速度でその燃えるように紅い刀を振り下ろす。

「死にさらせェッ!《愛羅愛羅(メラメラ)》!」

 殺さない、という先の発言は頭から吹き飛んだらしい。本気の剣筋が炎を纒い、ブラーのマントにぶち当たった。

 凄まじい高熱と運動エネルギーが解放され、夜の風が火の粉を孕んではぜる。

 だが、そこまでだった。

 ぼろ布など容易く塵に出来る筈の紅い剣閃は、ぼろ布の表面に食い込んで止められている。ブラーが肩をすくめた。

「熱攻撃かァ……このマント炎熱系への耐性装備なんだよね」

 いわゆる、耐火布と呼ばれるものだ。

 けれど、或いは単なる衝撃、斬撃に特化した武装であっても、意味は無かっただろう。

「《瞬間装備》……《ストロングホールド・プレッシャー》」

 ブラーが手にしたバックラーが、呆けた男の顎を垂直に撃ち抜く。

「《看破》ぐらい取っておけよ…だから脳ミソ少なめだっていうんだ」

 倒れ伏した男を一瞥すると、END型上級職【盾巨人】ブラーはそう言って、鼻で笑った。 

 

 ◇◆◇

 

 □■シャンブルズ通り ある店舗の屋上

 

「抑えておけませんよ」

諦めたように部下はリーダーにーーアンクストという男だったがーー具申した。

「ヴィルトのアニキがコケにされて皆キレてます。このままじゃ俺らの面子は潰れっぱなしだ」

ヴィルトはその強さゆえに、皆に恐れられると同時に慕われていた。暴力を生業とする彼らにとって強者とは輝きであり、それを倒したブラーへの敵意は推して知るべしと言うものだ。

 というか、と部下は死人のような顔で続けた。

「俺もキレてます。やっちゃって良いですかね」

「ま、待て!アニキがやられたんだぞ、お前らで勝てるのかよ!」

「《看破》は済んでます。あいつは【盾巨人】、それもサブまでガチの耐久型で埋めた筋金入りでしょう。並みの【盾巨人】ならアニキに斬られてるんで」

「だからどうすんだよそれを!」

「アニキの刀を避けなかったのは、避けられなかったからですよ」

部下は表面上冷静に続けた。

「耐久に振りすぎてAGIが極端に低いんスよ。奴の<エンブリオ>も痕跡から推測できてます。伝説級金属も破壊する打撃能力……対物破壊能力特化でしょう。連続した中遠距離攻撃と速度型のヒット&アウェイならハメ殺せます」

部下ーーシュネールはそういうと蒼白な顔を歪めてアンクストを威圧した。

「さぁ早く……【司令官(コマンダー)】のスキルを」

 

 ◇◆

 

 □【盾巨人】ブラー・ブルーブラスター

 

「殺してもなんら得はなし…悲しい限り」

回復薬を呷りながらヴィルトを見下ろして、ブラーはそうひとりごちた。特典武具は譲渡不可だといったい誰が決めたのだろうか?もちろん運営だ。ブラーは通算一〇〇回を越えているだろう運営への悪態をつこうとして、やめた。代わりに絶賛【気絶】中のヴィルトの身体を斜向かいの店に蹴り飛ばして鬱憤を晴らす。

「ゲームには報酬とスリルがなきゃなぁ…」

 とはいえ自分が奪われる側に回ったらそれはそれで不快だろうな、とブラーは思った。生憎特典武具など一つも持ち合わせては居ないが。

「不公平大好きのクソ運営が……《サウザンドシャッター》」

不意の防御スキルの宣言と同時に、風を切って投擲されたナイフが飛来する。それに間髪いれず五つの属性による魔法弾がブラーのマントに突き刺さった。

 AGI型の刺客達が死角に回り込むように蛇行しながら迫る。それらの攻撃の幾つかをまぐれの盾で受けながら、ブラーは敵手の作戦を考察していた。

「この戦い方、速度型と遠距離で僕を削り切る気か?」

 それは耐久型に対峙する一つのセオリーだ。固さで勝る敵には、敵手の攻撃を完全に回避しつつ攻撃を当て続けて粘り勝つこと。最終的なダメージの収支で勝利する、堅実で賢明な策。ブラーの防御とて永遠には続かない。いつかは数で勝る彼らにすり潰されるだろう。

 

 ただしそれは、彼の“オンリーワン”を入れ忘れた計算だ。

 

「起きろ、アシュトレト」

 ブラーの呼び掛けに、その仮面の眼紋が血のように紅く輝いた。

 

 To be continued



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第三話 メイルバード

 

 □■アルター王国 王都アルテア シャンブルズ通り

 

 トビアの中で、先だって救世主から異常者へと評価を変えたブラーなる男は、相変わらず遊んでいるかのような気軽さで平然と通りに突っ立っていた。その身体を様々な攻撃が襲っているが、てんで堪えた様子がない。魔法、投擲、すれ違いざまの殴打、まるで効果無しだ。

【盾巨人】は盾の運用に特化した上級職であり、すべからく耐久にも優れている。ENDの高さのみを求めてサブをも耐久職でひととおり埋めたブラーが防御スキルを用いたなら、これを削りきるのは難しい。だが、攻撃は防御に勝る。ただ耐えているだけの人間に勝利は永遠に訪れない。

 と、ブラーの外観に変化が生じていることにトビアは気づいた。マントの下、背中の部分から金属の筒や輪っか、孔のようなものが突き出て…いや、生えてきていると言う方が良いだろうか。トビアには、それが大砲か或いは煙突のように見えた。だが、<マスター>ーー地球から訪れる異邦人達なら違ったことを言うかもしれない。

 

 すなわち、ロケットのメイン・スラスター、と。

 

 ◆◆◆

 

「《自由飛孔(バーニアン)》出力四〇」

その指示を彼の忠実な半身たるアシュトレトは誠実に実行した。背中を覆うようにびっしりと生えた金属色の噴射孔が噴炎を上げる。次の瞬間、ブラーの身体は超音速で射出された。バーニアが火と煙を空中に軌跡として残す。

 これこそがブラーの<エンブリオ>の能力特性だ。ロケットやミサイルのごとき高速飛行能力をもたらす、推進装置(バーニア)

「ガぁッ…!」

たまたま軌道上にいたひとりの【兇手】が自動車事故のように撥ね飛ばされる。かすっただけで石造りの建物は砕け、通りに瓦礫とほこりを撒き散らした。まるで、地上に現れた流星のようだ。

 トビアは店の石壁に隠れつつ、憧れの視線を向けた。あれこそが不死の超人たるあかし、トビアが焦がれてやまない<エンブリオ>の力なのだ。

 焔はピンボールのように折れ線を描くと、辺りの刺客達を次々と木っ端の如く体当たりで吹き飛ばし、空中で急停止した。翻すマントの下から暖かく光るスラスターを覗かせて、紅く光る一ツ目で眼下を睥睨する。

 超音速飛行と高耐久のコンボ。それこそがブラーの強みだ。速度、硬度、高度。三重の防御戦術で守られている。

 シュネールはさきの自らの発言を思い出した。

(あの破壊や熱の痕跡は副産物…本質は飛行能力だったのか)

これは紛れもない計算違いだ。それに気づいた途端、脳裏に自分の死がちらつく。シュネールは自分を鼓舞するように、大声で叫んだ。

「怯むな!攻撃を当て続けろ!」

そして、彼は自らの悪手を悟った。なぜならーー

『あぁ、お前が指揮?』

 一瞬目をそらした隙だった。AGI型の彼をも少し上回る速度でブラーが突っ込んでくる。突如、爆発と激突の轟音が響き、シュネールは衝撃に身体をもみくちゃにされて地面に転がっていた。シュネールは反撃を試み、そして断念した。手足に力が入らない。どうやら骨がへし折れたらしい。ブラーは全身から蒸気を立ち昇らせ、厚手のグローブを嵌めた手でシュネールの髪を掴んで頭を持ち上げた。

「安心しろよ、殺さないから」

その言葉にシュネールはむしろゾッとした。あたりをチラリと見渡せば確かに死んでいるものはいないようだった。だが、それが果たして善意や同情からのものだろうか?ブラーはニヤリと笑って声を張った。

「聞け!ここにいる奴ら、全員僕の【契約書】にサインすれば命は助けてやる!」

「テメェ最初から…!」

「僕のやり方はずっとコレだよ?むしろなんで君らは例外だと思ったのか聞きたいね?」

 シュネールの手足が折れていなければ、悔しさの余り拳を握りしめていただろう。ブラーがここ一帯でゴロツキ相手に恐喝による契約を繰り返したのは、報復を忘れた愚行ではなく、むしろならず者の組織を引きずり出して下僕にするためだったのだ。ただで済まないことなどとうに織り込み済みだったらしい。

「まだ戦意喪失してないやつもいるみたいだけど……考えてみなよ、勝算ある?」

ブラーは万事順調とばかりに口笛を吹いていた。

「カルディナじゃ失敗したんだよね。こともあろうにたまたま<セフィロト>のチート野郎どもに見つかっちゃってさぁ…王国にセーブしてて正解だった」

 苦い思い出を語りつつ、ブラーは満足げだった。これを足掛かりに、ゆくゆくはすねに傷のある奴らで悪の帝国をこしらえるのだ。ゴロツキを片っ端から半殺しにし、契約を結ぶ。いずれはアルター王国全土のワルどもを従えられるかもしれない。王国から領土を奪い取ることさえ!その暁には城を作ろう。謁見の間にはドリンクホルダー付きの純金の玉座を置く。誰が玉座なしの城に住もうなどと思う?素晴らしき未来を思い描いてブラーはニマニマ笑った。

 そこへ、シュネールのよく知る人物が息を切らして走ってきた。暗殺のリーダー役、アンクストである。指揮官系統に高い適性をもつ人材であったがゆえにリーダーとして抜擢されたが、実際のところは愚鈍で臆病な男だった。その評判に違わず、アンクストは近づくなり転ぶように土下座をした。

「ほ、本日は晴天に恵まれ…偉大なるブラー閣下におかれましても…」

「なんかそれ最近見たことあるなぁ……あといま夜だよ」

「わ、わたくしは是非とも、あなたのしもべに!他のものにもよく言い聞かせます」

「従順だな、ずいぶんと」

「あなた様の評判は、ぞ、存じておりますです、カルディナには友人がおりまして」

アンクストはしどろもどろに捲し立てた。

「シハールという男でして、あなたの強さはよく聞いております、並みの者では太刀打ちできないとか」

「うーん良いねぇそういう台詞……もっとくれよ、もっとね」

あからさまに調子に乗るブラーの足元に、アンクストは這いつくばった。

「あぁ、ブラー様!偉大なる不死の<マスター>……準<超級>のひとりと謳われるお方!」

 

そして、夜の空に再び轟音が響き渡った。

 

 ◆◆◆

 

 ■トビア・ランパート

 

 トビアにとって、<マスター>とは視覚化された特権だった。彼らは死なない。彼らは負けない。彼らは束縛されない。ある意味でもはや人ではないもの、人を超えたものとして扱われる。自分自身の平凡さ、弱さを分かっているトビアにとってそれは何より欲しい力なのだ。

 父と母はトビアに愛情を注いでくれる。兄たちはティアンとして全うな人生の指針を示してくれる。だがそれはトビアにとって不満だった。どこにでもいる子供として、青年として、男として、夫として、父として、老人として、そして…平凡に死ぬ。誰が彼を気に留めるだろう?その他大勢の一人として、過ぎ去る時間の中に埋もれることが幸せだといえるだろうか?

 それはトビアに打ち込まれた毒だった。<マスター>という存在がトビアに打ち込んだ猛毒だ。毒は彼の心を蝕み続けた。<エンブリオ>に対する憧憬は日増しに強くなっていた。

「欲しい…あれが欲しい!」

思わずトビアは呟いた。眼前では今まさにその力が輝きを放っていた。さきほどまで傲慢に笑っていた荒くれ者達が木っ端のように散らかされ、地に額づいている。力ある者達のステージに昇るための資格!この世の上澄みに手を掛けるための資格!

「あの力があれば…僕も《特別》にーー」

「その考えは身を滅ぼすぞ、ガキ」

浮かれるトビアにモートが口を挟んだ。

「あたしもあんな商売をしとるからな、<マスター>になりたがる連中など沢山見てきた。大抵ろくなことにならん。あたしの様なもンに付け入られるのがオチよ」

「それがどうしたっていうのさ」

トビアは振り向きもせずに反駁した。

「これからは<マスター>の時代だ。ティアンに何が出来るっていうんだよ?」

「生きていくには困るまいが」

モートは深くため息をついた。

「こうなった以上、あたしもヤサを変えて商いをせにゃならん。お前のようなガキなどもうどうでもいい。家に帰って普通に暮らせ」

 普通!それはトビアにとって最も忌避すべき言葉だ。トビアは答えることなく立ち上がった。

「<エンブリオ>…」

 トビアは外の暗闇の中へ一歩を踏み出した。

 

 そして、夜の空に轟音が響き渡った。

 

 ◇◆◇

 

 □【兇手】シュネール

 

 シュネールは眼前の光景に目を疑った。今日は度肝を抜かれることばかりだ。

 先程まで満足げだったブラーの右拳が、アンクストの顔面に突き刺さっていた。その腕には、加速に用いたのだろう金属のバーニアがフジツボのようにくっついている。煤と火の粉の匂いが鼻腔を刺していた。

 アンクストの懐から砕けた【ブローチ】が落ちた。アンクストがひいひいと泣きそうな声で喚いた。

「お、俺が何をしたっていうんだ!俺が何をしたっていうんだ!」

「僕を不快にさせた」

ブラーは不機嫌な声で言った。

「他はいいよ、どうせゴミみたいなお世辞だ。けどなぁ、準<超級>ってのはどういうことだ?」

ブラーは吠えた。

「<超級(スペリオル)>に“準ずる”ってのはどういう意味だって聞いてンだよオラァ!」

 踏み鳴らされた足で石畳が砕ける。ブラーは怒りをぶつけるようにアンクストを揺さぶった。

「<超級>!<超級>!<超級>!どいつもこいつもそればっかりだ!大体奴らのどこが偉いんだ?え?おい、僕はリリースの時からずっとデンドロやってるんだぞ、その僕が第六止まりで後から来た奴らが第七になってるのは不公平だ!どうせクソ運営に金でも掴ませたんだ、それがなけりゃあ僕が負ける筈ないだろうが!」

アンクストには理解不能な言葉を並べてブラーは喚いた。

「大体全部そうだよ、未だに僕が超級職を獲れてないのも、特典武具がないのもクソ運営の依怙贔屓だろうが!賄賂使いのチート野郎どもばっかりだ!<セフィロト>!<三巨頭>!<七大>!」

 ひとしきり怒りを撒き散らした後、ブラーはふっと電池が切れたように静かになった。シュネールとアンクストが固唾を飲んで見守る。しばしの沈黙の後、ブラーは口を開いた。

「あー……もう、いいや、全部……僕を不快にさせた罪だ。お前らは、全員殺してやるよ」

「えっ……?」

 剣呑な発言に、小さく驚きの声が上がり、アンクストが困惑して瞳を揺らした。まさか、とでも言う風に小さく、媚びるように笑う。次の瞬間、閃光と烈炎が迸り、空気が揺れる。鈍い音が響き渡り、小さな何かが吹き飛んでゆく。

 

 そして、首から上を無くしたアンクストの身体が、ゆっくりと地面に崩れ落ちた。

 

 ◇◆

 

 トビアは、頬を伝うぬるりとしたものを拭い、そして掌を見つめた。あたりには今まで嗅いだことの無い臭いが漂っていた。足元には何か黒いものが転がっている。そう、ちょうど人の頭くらいの大きさのーー

「う……うぁ……」

 真に戦いた時は叫び声など出ないものだ。そう言ったのは誰だっただろうか。トビアは自分の眼で見たものを認識できなかった。それを認めてしまったら……?

 自分の息づかいが嵐のように煩い。頭がくらくらするのが分かる。生臭い臭いが口の中を侵す。

 

そう、これは血の臭いだ。

 

「あ、ああああああああああああああ!」

気づけばトビアは大声で叫んでいた。足元ではアンクストの千切れた頭だけが、驚愕の表情を晒したまま事切れていた。

 

 ◇◆◇

 

「このおおおおおお!」

折れた右腕を無理に振りかぶるシュネールを、ブラーは片腕で容易く弾き飛ばした。あたりでは他の暗殺者達が叫んでいた。

「は、話がちげぇぞ!サインすれば助けてやるって言ったじゃねぇか!」

「知ったことか。許されない罪だ。()()()は僕を侮辱した。遊戯の賑やかしごときがだぞ!制裁を加えてやるんだよ」

 ていうかまだサインしてもなかっただろ、とブラーは無慈悲に宣言した。その背中が焔を纏う。たちまちブラーの身体は弾丸と化した。ただし、今回は本気の速度だ。

『《自由飛孔(バーニアン)》出力七〇!』

 アシュトレトが唸りをあげる。ブラーの突進は暗殺者達を木っ端微塵にした。先ほどの打ち身や骨折程度のダメージではない。肉が裂け、血飛沫が飛び、千切れた手足が宙を舞っている。もとより速度型の多い暗殺者達では耐えられない衝撃。だが、何より恐ろしいのはその速度だ。

(上級職のAGI型でも追い付けない速度…音速なんぞ軽く越えている)

 シュネールは瓦礫の上で無様に転がりながら目を見張った。眼前では音速を超えたことによるソニックブームが辺りの全てを引き裂いていく。

(飛行速度に特化した<エンブリオ>…!これに対抗するには…)

 そう、これに対抗するには、同じく<エンブリオ>の力を持つもの……<マスター>が必要だ。

 

 ◇◆

 

「《全面通行止メ(ヌリカベ)》!」

 突然、ある宣言が空気を貫いた。音をも置き去りにするブラーの速度がブレーキでもかけられたように、途端に大きく減じる。

「《グルーム・ストーカー》!」

「《スカイ・ブーム》」

間髪いれずに放たれた上級の奥義魔法が、ブラーの身体を貫いた。

「くっ…!」

ブラーは思わず息を吐くと、盾を構えてそちらに視線を向けた。

「おう、良いな、お前!強い獲物は良い獲物だ!」

そこにいたのは、黒ずくめの男達だった。全員、左手に紋章を持っている。<マスター>だ。

「五〇〇万リル、賞金も悪くない。お前ら気合い入れろよ!俺たち<ハウンズハウル>の初陣だ!」

そう吠えると、黒ずくめの<マスター>達はブラーに向かって襲いかかった。

「援軍……ようやくか」

シュネールは血まみれの身体を引きずって壁の残骸にもたれ掛かった。

「壮観だな…」

黒ずくめ…<ハウンズハウル>と名乗った彼らは強力な戦力だった。わざわざ組織が抱え込んだ<マスター>だけのことはある。

 彼らは、暗殺者達が手も足も出なかったブラーと互角に渡り合っていた。圧倒的な速度による突撃はいまや減速をかけられ、その凄みを失っていた。そうなってしまえば、あとはなんということのない並みの速度型と対処は変わらない。

「再度!《全面通行止メ(ヌリカベ)》」

「《超電磁剣戟(ライキリ)》!」

「《三十六計燃やすに如かず(ウィル・オー・ウィスプ)》」

「《裂けよ砕けよ地よ割れよ(フォッサマグナ)》」

 TYPE:テリトリー、【ヌリカベ】の絶対拘束能力が発動し、ブラーの身体がガクンと止められた所へ、三体の<上級エンブリオ>の必殺スキル攻撃が炸裂する。いかな【盾巨人】といえど正面からこれを耐えられる筈もない。ついに粉々になったとおぼしきブラーの居たところを睨みながら、シュネールは感傷的に黙考した。

(やはり<エンブリオ>……<エンブリオ>無しには虫一匹シメることも出来ないとはな、悲しい話だ)

 <マスター>が増えてから様々な事が変わってしまった。何もかも昔とは違う。かつて暴力という資本を独占していた彼らは今や弱者の側にいる。ティアンとしては才能があるものであっても、有象無象の<マスター>にさえかなわない。持っている強さの土台が違うのだ。

「ふはははは!死んだか仮面男!」

 黒ずくめの男達が得意気に雄叫びをあげる。()()()()から、ゆらりと立ち上がる影があった。

土煙が弾け、赤い弾丸が空へと飛び出した。

 

 ◆◆◆

 

 ■トビア・ランパート

 

 トビアはただ怯えていた。先ほどまで愉快にさえ見えた力のぶつかり合いは、血の臭いを知った今では恐ろしいものにしか見えなかった。アンクストの頭を見ないようにゆっくりと後退る。

「<エンブリオ>…」

欲しかった筈だった。特別に…力あるもの達の一人に至るために。だが、その願望が根底から揺らいでいくのをトビアは感じていた。

 死体を見たのは初めてだった。人の死というとびきりに残酷な光景がトビアの心を侵す。トビアにとって力は華々しいもので、強さは誇らしいものだった。こんなに恐ろしいものではない筈だった。目を背けたいなどと思う筈がなかった。

 

 血の臭い。

 

 トビアは踵を返し、脱兎の如く建物の中へと駆け込んだ。眼前の()()から目を逸らすために。

 

 ◇◆

 

 □【盾巨人】ブラー・ブルーブラスター

 

「上級三体の必殺を食らってなお……恐るべし」

「お前ら雑魚が、この僕を殺せるとでも?」

ブラーは空中で息巻いた。だが、どうしたことだろうか、その姿はーー

「まるで巨大な弾丸だな…どういう理屈だ?」

「僕は【盾巨人】だからね」

 そう、まるで緋色の巨大な弾丸のようだった。その紅い金属の光沢は、ようやく昇り始めた月明かりを反射して鈍く輝いている。ブラーの身体はその弾丸の後ろにめり込み、まるで槍を構えるような形で納まっていた。

「天地のとあるイカれた鍛冶の作だよ。身体を覆うほどの大きさ、そして一メートルにも達する厚み…の先が少々尖ってるのはご愛嬌」

「それで盾とは、いやはや詐欺だな」

「実際使い手が居なくってね、カルディナのバザールに流れてきたんだ」

 どのような奇抜な盾でも扱えるが故の【盾巨人】とはいえ、それを使う利点などない。装備スキルは皆無であり、ただ弾丸状の金属塊といったほうがそぐうようなものを使うなど、取り回しが悪すぎるからだ。だが、

「《自由飛孔(バーニアン)出力一〇〇(フルブースト)

自らを弾丸とする者にとっては別だった。

 

 To be continued



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第四話 スターストライク

 

 □■アルター王国 王都アルテア シャンブルズ通り

 

 超音速飛翔能力の強み、正確に言えば速度というファクターの強さは、常に先手を取れることにある。自らの攻め手は避けられにくく、相手の攻め手は当たらない。

 だからこそ<ハウンズハウル>はまず移動阻害の<エンブリオ>、ヌリカベでブラーの圧倒的な速度を封じた、そのはずだった。だがーー

「さらに先があったか」

 今やブラーの速度は減速前よりも増している。超々音速で飛行するその身体を捉えるのは至難だ。先だっての三連上級必殺も恐らくは躱されたのだろう。

 運動エネルギーは速度の二乗に比例し、また質量に等比例する。弾頭盾という巨大質量の塊が音速をはるかに越える速度で突撃してくるのだ、まさに圧倒的な攻撃だった。

「解せんな。カプリコンのヌリカベは第六形態。その必殺スキルの拘束に競り勝つなど、<超級>でもない限りは…いや、そもそも衝撃波が発生しているのが妙だ」

 <ハウンズハウル>のリーダーは思索に耽った。背後では超々音速の紅の弾丸が<マスター>もティアンも平等に撹拌(シェイク)しているが、彼にとっては些事だ。闇雲に闘いを挑んで全滅するなど猪武者でしかない。

 考察無しに勝てる相手ではないことを彼は悟っていた。自らの防御にのみ<エンブリオ>の演算リソースを費やし、思索の時間を稼ぐ。既に二、三度衝突しているが、()()()()()()()()()()()()

「ふむ、やはりな」

ブラーが時折停止する瞬間に《看破》を使い、HPが()()()()()のを見ると、彼は得心したとばかりに頷いた。

 ヌリカベの<マスター>が死んだらしい。ただでさえ速すぎるブラーの速度がさらに一段と速くなる。そろそろ防御も追い付かなくなるだろう。

 男は、考察は済んだとばかりにブラーに向き直った。

「待たせたな……では、お前を倒そう」

『やってみろよ、雑魚が!!(NOOB)

 

 ◇◆◇

 

 彼ーードライゼンという男だったーーは、まず両腕をだらりと下げ、まるで道ですれ違うだけでもあるかのようにゆったりと立ち尽くした。

(何を考えている?)

ブラーは訝しんだ。彼とてカルディナで犯罪者達を鎮圧して回っていた猛者。馬鹿ではないからこそ、その不遜な振る舞いの裏を読む。策があるのではないかと疑う。

 

それが隙になるとわかっていても、だ。

 

 ドライゼンは自らの目論見の第一段階が成功したことを悟って微笑んだ。ほんの少しの隙で良いのだ。あとほんの少しの猶予があれば、準備は完了する。

「《星々よ、軛を外そう(ヘリオセントリズム)》」

ドライゼンが厳かに宣言をし、危険とみたブラーが超々音速による突撃飛行を再開し、

ーーそして、横合いから運動エネルギーを加えられて勢い良く地に墜ちた。

「!?」

驚く暇もなく、墜落地点へと魔法攻撃が炸裂する。ブラーは顔をひきつらせながら再び上昇せんとするが、その飛行さえも再度阻まれる。弾頭盾が外れ、ブラーの身体が転がり墜ちた。

「やはり、見えていないな?仮面男。であれば、貴様の能力の種も見えてこようというものだ」

ドライゼンは自らも両手剣を上段に構えて斬り込みながらほくそ笑んだ。

「飛行能力の<エンブリオ>は俺も少ししか知らんがな、そいつらは漏れなくAGIを累加することで加速している」

ドライゼンの種明かしは続けられる。

「だが貴様のそれは……運動エネルギーの追加による加速だ。だから空気抵抗、ソニックブームも発生するし、衝突による反作用もある。AGIによる加速であれば本来の物理法則の殆どは無視されるからな」

 地に這いつくばるブラーの頭にドライゼンは剣を振り下ろした。間一髪ブラーはそれを躱し、ドライゼンの顎へと拳を振り抜き、そしてまた明後日の方向に()()()()()()()

「言い換えればSTRに近いか。であれば、突進攻撃による接触の反動ではダメージを受けないし、それにヌリカベに対抗できたのも納得がいく。あれは【拘束】の状態異常に類する能力だからな、STRでレジストされる。問題は出力だが……純粋出力で勝るからには、何らかの追加コストーーデメリットを支払っているのだろう?」

 ブラーが弾頭盾を取り戻さんと加速し、跳躍する。その軌道は空中で直角に曲げられ、ブラーは壁だったものの瓦礫に叩きつけられた。

「おそらくはセーフティの撤廃。《看破》で見る限り、貴様のHPは俺達の攻撃とは無関係のタイミングで削れていた。超音速飛行の空気抵抗で自身にも少しずつダメージが入っているのだろう?それに耐える為の【盾巨人】でもあったわけだ。自傷のリスクと引き換えに圧倒的な出力を得たようだがな」

「よくもまぁ、余裕そうにベラベラと」

ブラーが腹立たしげに立ち上がる。そして足元を何かに掬われて勢いよく転んだ。地面の小石が派手に飛び散り、ドライゼンが愉快そうに笑う。

「そう、()()がお前の弱点だ。」

 ドライゼンは呑み込みの悪い生徒に言い聞かせるように語った。 

「AGIは速度に寄与するが、速度はAGIに寄与しない。そして、お前の能力は超スピードに加速する()()の能力。どれほどの速度を得ても、AGIは欠片も増えていない。それはつまり、高AGIによる思考加速や動体視力を得られないということだ。違うか?」

 だからこそ付け入る隙がある、とドライゼンは冷静に語った。

「めくらめっぽうに突撃するだけ。動きは直線的で、尚且つ確認のためにいちいち停止せざるを得ない……それさえ見えれば、やり方はできている」

 ドライゼンは余裕綽々といったふうに両手を広げた。

「そろそろ、こちらも種明かしをしようか。我が<エンブリオ>……【ヘリオセントリズム】」

 

 ◆◆◆

 

 ■ヘリオセントリズムについて

 

 TYPE:レギオン、【天体衝 ヘリオセントリズム】。天動説をモチーフとした<エンブリオ>であり、ドライゼン自身を中心にして高速で公転する十六個の金属球である。その能力特性はいたってシンプルだ。

「弾くこと。ゲーム風に言うならノックバックと言い換えても良い。触れたものを少し弾き飛ばすだけの慎ましい小球群。だが、お前には見えない」

 そう、その理由は彼が先ほど語った通り。すなわち、

「速すぎるからだ。こいつらはAGIに特化したステータスを持つレギオン。ましてや、必殺で軌道を解放して自由化し加速されたなら、お前の貧弱なAGIで捉えられはしないさ」

「貧弱、だと……?このッ……ぐぁぁ!」

「そら、注意が散漫になった」

『弾かれた』ブラーを狙って、後衛の《グルーム・ストーカー》が突き刺さる。防御力を無視するそれは、彼の自慢の耐久を無視してHPを削って行く、天敵とも呼べるものだ。

「他人を見下したがる割に煽りに弱い。速度、耐久、飛行……三重の防御を得て、追い付くものを振り切ってもまだ安心できないと見えるな。傲慢な振る舞いは自信の無さの表れだ。他人を煽る前に大人になったらどうだ?ガキが」

「僕を分析するなァ!」

 ブラーは自棄になったように喚き、ドライゼンに向かってバーニアで加速した。その軌道は再びヘリオセントリズムによって歪められ、大地へと衝突する。

「では、さよならだ。カルディナの準<超級>、とやら」

 ドライゼンが宣告すると、その背後で後衛の一人が<エンブリオ>らしき杖を掲げた。黒々とした紫檀の杖の先、嵌められた紫水晶の中心に黒い光……闇属性魔法のエネルギーが集まって行く。そして、黒い光の爆発がその場の全員の視界を塗りつぶした。

 

 ◆◆◆

 

 ■【盾巨人】ブラー・ブルーブラスター

 

 ブラー・ブルーブラスター、本名チャールズ・クライスト・キャドワラダーにとって、他人は全て『敵』だった。ハイスクールの教師はただ教科書を読み上げるだけのグズのくせして、偉そうな態度で支配しようとしてくる。両親はことあるごとに倫理とか宗教といった『正しい』盲目的教育を押し込もうとしてくる。クラスメートとて彼にはマヌケの集まりにしか見えなかった。ラウンダーズやフットボールのトピックがどうしたというのだ?微積分すら満足に出来ない奴らを人間だと呼べるだろうか?

 彼にとってインターネット、特にコンピュータ・ゲームの類いだけが真実の世界だった。そこには知的な人間達が知的な会話を交わしていて、同時に彼の嫌いな愚物達が蔑まれ虐げられていた。

 彼はゲームにのめり込んだ。様々なゲームを渡り歩き、時には賞を取ることもあった。彼のアカウントはネット上でちょっとした有名人になった。充足と幸福がそこにはあった。

 

そして、彼は<Infinite Dendrogram>に出会った。

 

 最高のゲームだった。何よりもリアルで、何よりも愉しく、そして何よりも自由。彼は費やせる全ての時間を捧げてそれに夢中になった。レベルを上げ、<エンブリオ>の位階を進め、戦法を磨いた。

 だが彼の意に反して、さほどの結果は着いてこなかった。<超級>。それが彼にとっての何よりも唾棄すべき障害だった。いかに努力しても、何処を探そうとも、アシュトレトは第七形態へと進化してはくれない。上澄みへと昇ることが出来ない。不公平であり、不正だとしか思えない事態。

 ゆえに、彼は<超級>と名の付く全てを嫌った。新しい『敵』のひとつとして。

 

 ◆

 

 □アルター王国 王都アルテア シャンブルズ通り跡

 

「《黒日冥導砲(クラミツハ)》」

闇属性の砲撃が、瓦礫や石くれは焦がすことなく肉体のみを滅ぼせる攻撃が、ブラーに向けて放たれる。黒い光が炸裂し、皆の視覚を闇に染め上げる。やがて月明かりと街灯が存在感を取り戻すと、そこにブラーの姿はなかった。

 シュネールはほっと息をついた。戦いの趨勢は明らかだ。今度こそ奴は死んだのだ。手筈通り、これより三日のうちにティアン殺害の罪状で指名手配が行われるだろう。心を満たす暖かい満足感に浸りながらシュネールはドライゼンの表情を見、

 

その厳しい顔に驚きを覚えた。それはシュネールもよく知る感情、恐怖と戦慄の表情だったからだ。

 

「バカな……なぜ!」

ドライゼンは何故か空を見上げて吠えた。

「なぜ!」

「それはこっちの台詞だよ、オッサン」

見上げる空には、ボロボロになったブラーが()()()()()()()と共に滞空していた。

 

 To be continued



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第五話 ハイ&ドライ

 

 □■アルター王国 王都アルテア シャンブルズ通り

 

 地上四メートルほどの高度。昇り始めた月を背に、ブラーは浮遊していた。バーニアからは今はそよ風ほどの推力が放出されているが、その気になればそれがどれ程恐ろしい<エンブリオ>であるかということはその場の全員が理解していた。

「何故だ!」

ドライゼンが吠えた。

「俺はお前を完全に包囲するよう<エンブリオ>に指示した!たとえ空中に逃れても即座に弾き返すようにと!」

「あぁ、そうだろうね。で?だから?」

ブラーはひどく冷めた声音で嘲弄した。

 ドライゼンは静かに冷や汗を流した。彼のヘリオセントリズムは触れるもの全てを()()()()弾く金属球だ。ただし、接触したベクトルが大きければ大きいほど、その効果も大きなものとなる。

 もし、先だっての攻撃に紛れて逃れられるような速度を出せば、同じだけの速度で地表へと墜ちる筈なのだ。例外はない。ある筈がない。

 そこまで考えて、ドライゼンはブラーの弾頭盾の端に張り付いているモノに目を留めた。黒ずんだ鉄灰色の汚れのようだ。

 ドライゼンは何故か、青い顔で一歩だけ後ずさった。

「気がついた?」

そういうと、ブラーは手を伸ばし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()をそこから引き剥がしてドライゼンに投げつけた。

 

 ◇◆◇

 

 ヘリオセントリズムはあらゆるものを弾くことができる。実体をもち触れることさえできれば、魔法の類いでさえ反射する。しかし、そこから何ら影響を受けない、というわけではない。

 物理的な衝撃ならば良い。それらは能力で完全に弾き飛ばせる。しかし、熱や電撃、冷気といったものは弾き飛ばせたとしても伝わってしまうのだ。

「あり得ない……貴様の能力はあくまでも加速、熱攻撃は副次的なものに過ぎなかった」

それは事実だ。彼らのなかにアシュトレトの噴炎で致命傷を負ったものはいない。それほどの熱量は持ち合わせていなかったからだ。ヘリオセントリズムの金属球とて同じこと。

「試してみる?」

 瞬間、ブラーはその言葉を追い越した。空気がはち切れ、空が揺れる。忠実で愚昧な金属製の星々は、しっかと主人の命令を遂行した。火を噴く流星の軌道を歪めんと超々音速に追いすがり、

「なっ?!」

グズグズに熔けた金属の塊として地に墜ちる。

 そして、ドライゼンの後方で闇魔法使いの女が蒸気と炭クズの破片になった。

「さっきはやってくれたなぁ、え、おい?」

全身から煙を上げるブラーが炭クズを踏みつけ、バカにして笑う。そしてドライゼンへ向き直る。

「エネルギーは容易にその様式を変える。物体の運動はより微細なスケールでの運動ーー熱へと変じ、周囲の空間へ伝わって行く。ここまで言えばわかるかい?」

「断熱圧縮……!」

 それは高速で運動する物体の宿命だ。運動エネルギーの一部は空気との摩擦で高熱へと変じて放出される。

 地球では、約マッハ3で航空機の材質がその熱に耐えられなくなることを、音の壁になぞらえて『熱の壁』と呼びさえもする。重厚な金属さえもたやすく破壊する高熱の奔流。それはつまり、ブラーの速度が先程のそれから更に増大したことを意味する。

「貴様……速度に限界は無いのか!?」

ドライゼンの狼狽を甘美に味わうようにブラーは唇を歪め、ただひとこと、その答えを述べた。

「《貞淑なる撹拌(アシュトレト)》」

 

 ◇◆

 

 □【盾巨人】ブラー・ブルーブラスター

 

 【自由航空 アシュトレト】。TYPE:ウェポン、身体へと装着される推進装置(スラスター)の<エンブリオ>だ。

 ノアの息子の一人、セムの血を引く民が祀る天空の女神アスタルト。その名の貶められた形をモチーフとするそれの能力特性は、純粋な加速だ。重力加速度を完全に相殺して飛行することも出来るし、推進力として超々音速で移動することも出来る。

 代償は安全性である。自らの保護に割かれるリソースを撤廃したがために、ブラーはその速度の反動をその身に受けなくてはならない。

 精密動作性は低く、直線的な突撃にしか使えない。いわば超音速機動ではなく、超音速()()である。

 そして、そのスピード狂としてのあり方ゆえに、そこから外れる能力を身につけることもない。

 必殺スキルは<エンブリオ>の本質。アシュトレトの本質たる《貞淑なる撹拌》が有する機能は、通常の《自由飛孔》の加速能力を強化する効果だけだ。だが、あまりにも速すぎるゆえに【盾巨人】でも耐えられず、弾頭盾を使ってギリギリというところ。

 《瞬間装備》のクールダウンが明け、二個目の盾を取り出すまでは使うことが出来なかった。

 

 それほどの力。ゆえに、勝負は一瞬だ。

 

 ◇◆◇

 

「《貞淑なる撹拌(アシュトレト)》」

 その宣言と同時に、今までで最大の爆発が起きた。純然たる運動エネルギーが叩きつけられ、世界が悲鳴を上げる。夜の真ん中、暗い地上に太陽のごとき熱が現出し、風が引き裂かれる。そして、炎の星がその軌跡を周りのすべてに刻み込んでゆく。

「こんなことが……!」

 ドライゼンは呆然と立ち尽くしていた。仲間たちが次々と撥ね飛ばされ、瓦礫が飛び散り、風が渦巻く。これはまさに撹拌だった。まるでミキサーの中のフルーツのように、なす術もなく破壊されていく。熱と衝撃波がドライゼンの四肢を砕き、切り裂いていく。

 速度によって世界から切り離されたその孤独な視界で、何故かブラーは泣いていた。頬を伝い、顎へと流れる涙は熱に侵されて液体たる資格を失い、大気へと溶けて混ざっていく。

『あぁ、本当に、本当に悲しいよ』

爆発音と暴風の中、置き去りにされた言葉が落ちる。

『本当に……』

それを聞いたものがいたかは定かではない。

『お前らごときに、本気を出さなきゃいけないなんて』

 そして、傲慢な流星は空へと舞い上がり…

 

これまでで最大のスピードで、地上へとその速度(パワー)を振り下ろした。何かが砕け散る音が小さく響き、流星が最大の破壊力を解放する。

 風が唸り、熱と光が飛び散り、盛大な爆発音が響く。地表の瓦礫は更に砕け、周囲をすりつぶしていく。

 かくして敵のすべてはその命を失くし、かつてのシャンブルズ通りは更地となった。

 

 ◇◆

 

 □トビア・ランパート

 

 瓦礫の下、塵と埃を押し退けてトビアは地下から顔を出した。大きな音がやみ、暫く経った。もう出ていっても問題は無いだろう、という目算だった。

 街灯の類いが軒並み壊れていたので、あたりはすっかり暗くなっていた。トビアは目を凝らし、注意深く周りを調べた。敵が生き残っている可能性もある。

 敵、果たしてそれはどちらのことだ?そんな問が脳裏をよぎる。トビアは取り敢えずブラーを味方にしておくことにした。そうするに足る()()()()があると思ったからだ。

 

 予想通りというべきか、そこにはブラーが爆心地に瓦礫を引きずってきて座っていた。装甲服やマントは焼け焦げ、全身から煙が立ち昇っている。足元にはなにかの装飾品の破片が転がっていた。トビアは用心深く歩を進め、時折瓦礫に足を取られながらブラーに近づいた。

「あぁ、生きてたのか」

ブラーは少しだけ驚いたように言った。

「危なそうだったからあの店の地下に飛び込んだ。後ろにあいつ(モート)もいる。音が止んだから出てきた」

トビアは静かに答えた。

「送ってくれるって約束だったよね」

「そーだったなぁ……でも、その前にーー」

「ーーおいそこ!動くな!」

突如、暗闇に光が差し込み、厳格な声が響いた。

「こちらは騎士団だ!ここで何があったのか、聞かせてもら……おい、動くな!」

「騎士団かー…」

不真面目に両手を上げ下げするブラーに騎士は顔をひきつらせながら歩み寄ってきた。

 トビアは息を吸い込んだ。ある意味では、ここからが彼にとっての正念場とも言えるのだ。

 

 ◆◆◆

 

 □【騎士】アズライト・キース

 

 キースの目の前にいる男は、ひどく煤けていた。まるでついさっきまで煙突掃除でもしていたかのようだ。とても無関係とは思えない。

「この近辺で爆発、轟音……武装勢力による戦闘が起きていると通報があった。お前たちは何か知っているか」

その奇妙な仮面や風体にも動じることなく、キースは生真面目に尋ねた。

「【騎士】か、下っ端じゃん。もすこし強いやつ連れてこいよ」

「……もうすぐ先輩方が到着する。質問に答えろ!お前達はここで何をしていた!」

「何をもなにも、被害者だよ」

男ーーブラーは首を振りながら答えた。

「柄の悪い奴らに絡まれてさぁ、ついでに拉致監禁されたこの子を解放して、相手も制圧したとこ。戦闘音に関しては、そりゃあ近所迷惑で申し訳ないと思ってるよ」

「……君の意見も聞きたいな。この男の言ったことは真実か?」

キースは子供ーートビアに向かって尋ねた。《真偽判定》は万能ではないが、複数人から証言を取れれば精度は上がる。何より、ブラーの格好や振る舞いは信用するには怪しすぎた。

「ブラーは僕を助けてくれたよ!家まで送ってくれるとも言った」

 トビアは純真な少年の表情で言った。こんな子供にどんな企みがありえるだろうか?キースは今度こそ納得して深く頷いた。

「いいだろう。だが、調書はとらねばならないぞ」

 

 ◆

 

 煩雑な手続きが済んでから、ブラーとトビアはその場を後にした。暗い通りを抜け、ある程度明るい所に出る。騎士団の目が届かないところまで来てから、ブラーは突然笑いだした。

「『僕を助けてくれたよ!』か、よくそんなこと言ったもんだね!」

「お互い様だろ」

トビアは平坦な口調で答えた。

 騎士団に後ろめたいことがあるのは二人ともだ。ブラーは恐喝、トビアは窃盗未遂と言ったところか。

 そもそも、あれらのゴロツキと取引したり関係を持つことそのものが不味いのだ。<エンブリオ>の偽物を盗もうとした、そのことだけで間違いなく立派な犯罪者扱いだろう。一方のブラーも後ろ暗い行いが山ほどある。

 ゆえに、無辜の被害者を演じるという点において二人の利害は一致していた。《真偽判定》があるこの世界では証言は物的証拠と同等に重い。

 空は白んできていた。薄紫が東の地平線から滲み始める。

「トビアだっけ?お前、最高だね!約束した通り送っていってやるよ」

ブラーは嬉しげにそう言った。

(よく言う…僕が騎士団に全部ばらしたら口封じに殺す気だったろ)

或いはトビアにそう思わせることも込みで動いていたのか。

 ブラーが騎士団など歯牙にもかけない力を持っていることはよくわかっていた。だが同時に官憲に敵対して得がないのも事実なのだ。

 殺す。その言葉が脳裏で反響する。死。温かい液体。転がる頭。血の匂い。事切れたあの男の表情。

「ウッ……」

身体の中心に力を込め、吐き気を堪える。そんなトビアには気づかない様子で、ブラーは言った。

「でも、いいのかい?あそこに<エンブリオ>を拾いに行きたいんじゃあなかったっけ?」

「……偽物なんでしょ?だったらいいよ」

それに、とトビアは続けた。

「もういらないんだ。僕が欲しかったのは<エンブリオ>じゃなかった。血塗れになって、人と殺しあうような力は要らないんだ」

 欲しかったのは、或いは憧れそのものだったのかもしれない。平和な日常が、平凡な自分が、そして退屈な将来が如何に貴重で素晴らしいものなのか、トビアにはもう痛いほど分かっていた。

「ふん?そう?」

ブラーは馬鹿にしたように笑った。

「僕は欲しいけどね、力。<超級>になれば、力の頂点が手に入る」

「それで?」

トビアは尋ねた。

「力を手に入れて、その先に何があるんだよ」

ブラーは突然笑顔を消して答えた。

「何でも。全てが手に入るさ」

 

 To be continued

 

 



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第六話 ザ・フー

 

 □■王都アルテア上空

 

「すごい!」

眼下に広がる景色を眺めて、思わずトビアは感嘆の声を漏らした。とてつもなく広大な都市の全貌が見てとれる。その向こうには草原や森林が広がり、地平線からは太陽が昇ろうとしていた。夜明け前の風は冷たく透き通り、この光景をクリアに見せている。

 ブラーの背中に掴まりながら、トビアは首を振り回してこの光景を目に焼き付けようとした。耳元では風切り音が響く。とてもうるさい筈なのに、同時にとても静かだった。大地にこびりつく人々の営みから離れること。それは日々の生活というノイズから離れることなのだ。

「物見遊山かよ…」

思わずブラーはひとりごちた。聞き捨てならないとばかりにトビアが応える。

「だって凄く綺麗じゃないか!こんな風景をいつでもみられるなんて!」

「大したものじゃないだろ」

 そういいながら、ブラーは自分が初めて飛んだときのことを思い出していた。アシュトレトが生まれ、初めて空に上がったときのことを。

 最初は半ば自由落下のようにしか飛べなかった。眼下に広がっていた筈の景色に何を思っただろうか。

 ブラーは思わず笑みを溢して、地平線を眺めた。確かに、少しだけ美しいかもしれない。

 

 ◇◆◇

 

 アルムト村は、王都付近に点在する村の一つだ。赤や緑の屋根が並び、石造りの壁がそれを支える。村には牧場やそれを囲む垣があり、早起きの子供たちが石垣の上で駆け回って遊んでいた。めぼしいものは特に無いが、交易ルートに程近いので、旅人がよく通りかかる。村人は山羊や羊を飼い、乳や毛を売って収入に当てていた。なんの変哲もない村だ。

 村の近くには<イルリヒト森林>という小さな森林地帯が広がり、村人にささやかな森の恵みを分け与えている。強大な怪物や恐ろしい悪党が巣食う余裕もない、ただの森だ。

つまるところ、ここは非常に平和な場所なのだった。

 村の入り口、大きな樹木の傍らにブラーは着陸した。土埃がもうもうと舞い、狼煙のように煙が上がる。

「ありがとう」

一応、というふうにトビアは礼を言った。ブラーは苦い顔でさっさと手を振った。

「社交辞令は嫌いなんだ。早くいけよ、それで全部おしまいだから」

 トビアはブラーを見つめた。どちらかと言えば悪人なのだろうが、トビアを助けてくれたのも事実なのだ。徹頭徹尾遊んでいるような態度だったが、あるいはそれが<マスター>の不死の理由なのかもしれない。

 この世界を真剣に、真の意味で生きてはいない。だから真に死ぬこともない。

 トビアは、初めて関わりを持った<マスター>に軽く手を振ると、村へ向かって歩きだした。自分の『人生』のある場所へと。頭上には、朝の太陽が燦然と輝いていた。

 

 ◆◆◆

 

 □【盾巨人】ブラー・ブルーブラスター

 

「で、いつまでそうしてるつもりだ?」

トビアが完全に去ったあと、ブラーは不意に咎めるような声を上げた。空気が揺らめく。と、背後の空間から抜け出るように小男が現れた。あの店の店主、モートだ。

「いい道具だね。視覚を誤魔化すだけとはいえ、使い勝手が良い」

「店の在庫でさぁね。あのガキ、行かせて良かったんですかい?」

「良いんだよ。僕はあいつが何も言わないと判断した。あいつもそれを分かった上でそう思わせてきた。賢いやつは好きだよ、話が通じるからね」

 ブラーはそう言うと、ゆっくりとモートの方を振り返った。

「で、お前はなんでここに居るの?」

モートは若干慌てたように答えた。

「むしろ置いてく方がひどいんですぜ旦那ァ!あたしがどれ程苦労してここまで来たか……良いですかィ、旦那が全滅させたのは組織の主力なんです、今頃首領たち(ファーザー)は怒り狂ってますよきっと!直ぐに追手が来ます、あの感じじゃあたしもお尋ね者の仲間入りですよォ!」

モートは燦々と照りつける太陽とは対照的に真っ暗なムードで捲し立てた。

「いいさ、そうなったら倒すまでだよ」

「良いですね旦那は!最悪死なないんだから!」

「あ、やっぱ死ぬのって怖いの?」

「当たり前でしょうが!」

 そりゃそうか、とブラーは納得した。そして爽やかな風が流れるなか、再び空へと舞い上がる。後には憤慨するモートが一人残されていた。

 

 ◇◆◇

 

 □【兇手】シュネール

 

 裏路地に血の痕を擦り付け、折れた手足で這いずることほど惨めなことはない。

「ハァ……ハァ……」

自分の荒い息づかいが煩い。頭の中で音が響くのだ。

「クソッ……」

全てはあの男のせいだ。一つ目の仮面を被ったあの男の!

 石畳に頬をつけて、シュネールはへたりこんだ。もう力が尽きそうだ。冷たい石畳がひどく気持ちよく感じられる。と、その石畳に突然、人影が差した。鋭い声が投げかけられる。

「何があった?詳しく説明しろ」

「あんた……!」

 それはシュネールもよく知る、組織の幹部だった。なめし革で出来たコートを着込み、頬には蝶の刺青が入っている。その服装には一切の金属類が用いられておらず、コートのボタンから懐のアイテムボックスまで何故か全てが木製だった。

 シュネールは喜んで情報を提供した。このまま野垂れ死にだと思っていたが、これで助かるというものだ。状況の推移から敵の能力まで、自分がどのようにして逃げ出したかも事細かに、時折咳き込みながら話した。

幹部は頷いて鷹揚に言った。

「ご苦労だった。次は俺が必ず仕留める、お前はもう休むと良い。貴重な人的資源だ。有効に使わねばな」

「ありがとう…ございます…!」

 シュネールは安堵のあまり涙をこぼしながら感謝した。折れた手足の痛みさえ忘れるようだ。

そして、

おやすみ(スリープウェル)

 弾丸が頭を撃ち抜き、ついさっきまでシュネールだった身体は動かない肉の塊として石畳に崩れ落ちた。

 幹部は火薬式銃器をしまいこみ、咥えた煙草に火を点けて煙を吐いた。

「戦闘不能の雑兵を、いたずらに寝かせておくのは資源の無駄というものだ。ティアンはリソース獲得の効率が最も高い。有効に使わせてもらったぞ」

 巧妙なジョークでも言ったかのようにニヤリとすると、その幹部ーーリッター・メートルグラムは敵を始末すべく歩きだした。

 その左手には、黒い塵と人型の紋章が刻まれていた。

 

 ◆

 

 数時間後。さる裏路地を通りかかる浮浪者がいた。日々の着物にも困窮する暮らし。ゆえに、

「こらええもんをめっけたぞ」

路地に転がる死体を見逃す筈もない。

「やっこさんにゃ気の毒だがよ、おらも生きていかにゃならんでな」

 横たわる死体に手を伸ばし、服や所持金を奪おうと試みる。だが、

「なんだぁこれぁ…?」

その死体の持ち物には何一つ金目の物などなく、ただ黒い砂のようなものだけが衣服の中に遺されていた。

 

 ◆

 

 □トビア・ランパート

 

 村に帰ったトビアを待ち受けていたのは、母親の叱責だった。

「丸1日どころか次の朝まで帰ってこないなんて!何かあったのか心配したのよ!」

 罰として食事と外出を禁止されたが、そんなものはもう欲しくもなかった。どっと自らの疲れを感じたトビアは、ベッドに這い上がり、そして泥のように眠った。

 

 目を覚ました時、太陽は西へと傾いていた。

「喉が渇いた……」

水を飲もうと階下へ降りていく。漆喰の壁に手を沿わせながら踊場を曲がったところで、トビアは来客に気づいた。

「やぁ、すまないね。どうしても気になったもので」

テーブルに掛けていたのは騎士団のひとり、キースだった。

「無事家に帰り着けたかどうか、様子を見に来たんだ。何事もなくて良かったよ」

「キースさんから聞いたわよ、なんで言わないの!あぁ、本当に怪我がなくて良かったわ……」

 母親の嘆きを聞きながら、トビアは自分の心臓が早鐘を打つのを感じた。寝ぼけた頭が瞬時に覚醒する。

 騎士団には完全に問題のない供述をした筈だ。もしよしんば怪しいところがあったとしても、彼は完全な被害者。どうにでもなる。そう自分に言い聞かせる。

「ところで、聞きたいことがあるんだ」

キースの言葉にトビアは飛び上がった。慌てて階段を降りてごまかす。

「捜査をしていて、君を捕まえていた男は違法物品の売買を専門に行う者だと推測が立った。誘拐や人身売買の類いではないんだ。それがなぜ君を浚ったのか、わかるかい?」

 わからない、と言えば《真偽判定》に引っ掛かる。

「僕に見られたくないものを見られたからだ、と……」

 これなら嘘にはならない筈。その筈だ!トビアはコップに水を入れ、静かに飲んだ。なぜか生臭い味がした気がした。

「あぁ、済まない、実を言うとね、上で君を疑う人がいるんだ。普段からああいった場所に出入りしていたんではないか、ってね」

 今度こそトビアはひっくり返りそうになった。鎖の音が聞こえる。きっと縛り首だ。どのくらい痛いんだろう?そんなことばかりが脳裏をよぎる。

 冷静に、冷静になれ。そうトビアは自分に言い聞かせた。頭を使うんだ。少しでも迂闊なことをいえば終わる。

「僕個人としてはですね、お母さん、トビア君は完全な被害者だと信じてます。本当はこういう情報を教えてはいけないんですが、上司は頭がかたくって……」

 幸いにも、キースはトビアの母親に向かって続きを話し始めた。

トビアは小さく、「風に当たってくる」と呟いて外へと出た。頭を整理したかったのだ。

 

 ◇◆

 

 トビアは村のはずれへと足を進めていた。歩いていた方が頭が回る気がするのだ。

 空は明るく眩しかったが、トビアはまるで暗い穴のなかにいるような気分だった。これからどうすればいい?どうすれば切り抜けられる?

 そんなことをうつむきながら考えていたトビアは、突然何かにぶつかった。思わず無様に転んでしまう。

「大丈夫か?」

そう声を掛けてきたのは、トビアが今しがたぶつかった男、その人だった。

 背の高い男だ。この季節に黒いコートを着込み、左手には紋章ーー<マスター>だ。頭は短く刈り揃えられ、右の頬には黒い蝶の刺青が入れられていた。

「すまなかったな、脇見をしていた。怪我はないか?この村の子供か?」

「あ、すいません、大丈夫です」

トビアは申し訳ない思いと共に立ち上がった。

「この村の子供ならちょうど良い。ちょっとものを尋ねたいんだが」

「良いですよ」

 トビアは快く応じた。ぶつかったのはこちらからだ、負い目もある。

「ありがたい。実は人を探していてね」

男はそう言うと、内ポケットから一枚の写真を出して言った。

「この男を探している。<マスター>だ。見覚えはないか?」

 差し出された写真には、トビアのよく知る人物ーーブラーの上半身がくっきりと写っていた。

 

 

 To be continued

 

 



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第七話 ビレッジ・バーニング

 

 □■アルムト村

 

 トビアは自分の額に汗が流れるのを感じた。握った掌が熱くなり、目の前が暗くなる。だが、トビアの口はいつの間にか流暢に話しだしていた。

「変な仮面ですね、知り合いですか?」

知らない、といえば《真偽判定》に捉えられてしまう。この相手が何者にせよ、《真偽判定》は持っているものと思った方が良い。そんな計算を無意識にしていた言葉だった。

「いや、友人ではないな。少し()()()()を抱えてしまっていてね、その解決のために会いたいのさ……居場所を知っていたりしないかね?」

「すいません、わからないですね……」

 タイミングがタイミングだ、十中八九シャンブルズ通りの騒ぎに絡んでいる。そこでトビアははっと気づいた。口で当たり障りのないことを教えながら心の中で恐怖にうち震える。

 ブラーを探すだけならこんな所に来る必要はない。むしろ、街へ行って聞くのが筋だ。

 男が本当に探しているのはブラーと一緒にいた子供ーートビアなのだ。しかも、住所や……恐らくは名前まで把握されている。顔までは分からないらしいのが不幸中の幸いだった。

 その時のトビアは、まるで二人に分裂してしまったようだった。身体のほうは冷静に計算高く口を利いているが、心のほうは完全にうろたえている。

 ちょうどその時、「トビー!」と母親がトビアを呼ぶのが聞こえた。天の救いだ。

「すいません、僕はこれで」

トビアはそう言うと、無邪気な子供らしく、我が家に向かって勢いよく駆け出した。誤魔化せたことを祈りながら。

 

 ◆◆◆

 

 □【高位呪術師】リッター・メートルグラム

 

「あの子供(ガキ)だな」

走り去るトビアを見つめてリッターは呟いた。《真偽判定》を避ける話し方には特有のクセがある。子供が普段からそんな話し方を習慣にしているとは考えにくい。

「だが、只のガキだ。レベルは0。やはり脅威にはなり得ない……エサだな」

その呟きはいつしか独り言ではなくなっていた。リッターが続ける。

「ブルーD、準備は出来ているな」

『バッチリっス!』

「よし。俺もすぐそちらに向かう。くれぐれも()()()()()()()()()()()

 通信を切り上げるが早いか、リッターは足早に村をあとにした。不穏な企みを始動させるために。その足跡には一枚の羽根が残されていた。

 

 ◇◆

 

 □■アルムト村 近隣 

 

 数十分後。日が落ち始めた頃、リッターとその部下ブルーDは小さな東屋の前にいた。

 古い建物だ。かつては純白に塗りあげられていたであろう柱の塗装は剥げ、建材の木は屋根の重みで歪み、今にも崩れ落ちそうなほどだった。

 その東屋の前、石畳のように設えられた地面の中央には半透明の石で、鳥を象った模様が作ってある。その()()()を踏みつけにしている人型のモノが、二人に声をかけた。

『前のときより数えて、少しばかり遅かった』

ソレは厳かな声で言った。生臭い息が二人の顔にかかる。リッターは顔をしかめたブルーDの足を静かに踏み潰した。

『心得ておろうな』

「村一つです。十分お気に召すかと」

『それは我の決めることだ』

 ソレの言葉には奇妙な訛りがあった。シュウシュウという空気の音が声に混ざっている。頭から足元までを覆う純白のローブが衣擦れの音を立てる。

「いつもよりかなり多い筈ですが」

 事実だった。普段ならティアンを数人捧げるだけの筈だったのだ。それは契約だった。妄りに人を襲わない代償として、安全な供物を受けとる契約。それを屈辱に思うような、人間的な情緒はソレには無かった。自らの欲が満たされれば構わないのだ。

『いつも、か。たかだか数年ごときの新参がよく言う』

「どちらかといえば、新参で幹部にまで上り詰めた腕を評価していただきたいですな」

リッターは丁寧な物腰を崩さずに言った。

「村にはすでに印を残してあります。あなたなら感じとれる筈だ……派手に頼みますよ」

 リッターがそう言うと、ソレは人型の輪郭を崩し、揺らめき始めた。ローブが引き裂かれ、紅白の翼が広がる。ソレの頭上にかすれた文字が浮かび上がる。

『久々の食事だ』

 二人は黙ってそれを見つめた。文字は、【群襲陽炎 フェザーローカスト】と告げていた。

 

 ◆◆◆

 

 □■アルムト村

 

 キースは既に立ち去っていた。あとには心配そうにトビアをなでさする母と、王都での仕事から帰ってきた父と兄たちが残っていた。

 トビアが疲れたからまだ眠るといったとき、もちろん誰一人それを咎めはしなかった。階下の自分を慮る話し声を微かに聴きながら、トビアは今後のことを考えていた。

 官憲に頼れば罪を咎められるかもしれない。かといって、トビア本人の情報にすら辿り着いている組織を無視することもできない。これを解決できるのは完全にどちらにも属さない力だけだ。

 

ブラー。

 

 そのアイデアだけが今のトビアには頼りだった。思い立ったが早いか布団から這い出し、時々使っている窓のそばの枝から外へと出る。幹を伝って、裸足のまま地面へと降りた。

 どこへ行けばいいか、そんなことは分からなかった。暮れようとする太陽の残滓を目の端で捉えながら、トビアは走った。

王都まで行けば会えるかもしれない。そんな曖昧な考えを頼りに走る。

 だが、村の境界まで来たときだった。突然走るトビアの前の地面が燃え上がり、驚いたトビアは尻餅をついた。炎の壁がうず高く吹き上がり、道を閉ざす。

 明らかな異常事態だ。ただならぬことが起きていることを察して、トビアの顔がひきつる。

 しかも、ここだけではない。見渡せば、村を囲むように炎の壁が広がっていた。なぜか炎と共に紅白の羽根が舞い散っている。

 そして、村の建物に火の手が上がった。空を舞う羽根が次々と弾け、赤々とした炎を撒き散らす。炎が家々をなめ、その勢いを増す。

 

 太陽が消え失せ、夜が始まった。

 

 ◇◆

 

「壮観だな」

「すごいスね、メーターさん」

「リッターだ」

 村のほど近く、小高い丘の上で二人は世間話でもするように気楽な態度でそれを眺めていた。今や村は完全に炎に包まれている。住人が火を消そうと右往左往するのが見えていた。水を運び、土をかけ……それでも炎は止まらない。

「でも、こんなことする必要あったんスか?」

「ブラーは一度あの子供を助けている。窮地に陥れば、もう一度来る可能性は十分にある。それに“彼”への契約も果たせるからな、一石二鳥だ。むしろそっちの方が急ぎではあった」

「“彼”……なんなんスか?あれ」 

 リッターは部下の不躾な物言いを咎めるような目を向けてから、静かに口を開いた。

「何百年も前、組織の首領の先祖の一人がーーもっとも、その頃は今の組織なんぞまだ無かっただろうがーーある<UBM>と契約を取り付けたらしい。」

リッターは一瞬言葉を切って続けた。

「あくまで推測だがな。人を捧げる代わりに、代価として力を貸してもらう。好き放題に人を食い荒らせば力ある人間から睨まれる確率も上がるからな、向こうにとってもメリットはあったわけだろう。こうして、安全な食い物をお膳立てしてやってるんだ」

「食い物?食ってないじゃないですか」

「食ってるのはリソース……経験値だ。口から取り入れるとは限らん」

 リッターは燃え上がる村と、その前に屹立する<UBM>に目をやった。

「敵対するなよ。古代伝説級だ。俺たちではまず勝てん」

そう言って、リッターは更に村の近くへと歩を進めた。

 【フェザーローカスト】は、今や完全に人には見えなくなっていた。背中から翼が生え、手足には太い鉤爪がある。爬虫類のような瞳がぎょろりとリッターを見据えた。

『ヒト。手はず通りだな』

「ええ、ですが、もう一つ追加しておきましょう」

リッターは恭しく言った。村では炎に対抗するのを諦めたのか、馬……亜竜級の【デミドラグホース】に引かせた馬車で炎を突破しようとするものが見えた。

 確かに亜竜級の速さならば炎に焼かれる前に走り抜けられるかもしれない。それは贄を求める彼らにとっても不都合である。ゆえに、策を講じねばならない。

「《偏に錆の前の塵に同じ(ロービーグス)》」

その宣言と同時、リッターの背後から暗赤色の金属で出来た巨人が飛び出した。

 巨人は炎の壁のギリギリに着地すると、そこでうずくまるように動かなくなる。と、村の中の馬車がぐらりと歪み、バラバラに分解した。それだけではない。家の屋根や木の囲い柵が次々と崩壊していく。

 <UBM>は腹立たしげに言った。

『我が獲物に手を出すことは赦さんぞ』

「ご心配無く。あれは生き物には効きませんから」

 【錆人機 ロービーグス】。無機物……金属を錆びさせる<エンブリオ>である。通常なら直接接触で能力を発動するが、必殺スキルを起動した今、その能力は広範囲に及んでいた。

 黒い粉が舞っているのが微かに見える。全身から錆の粉を散布することで、村中の金属製品を破壊しているのだ。馬車、屋根、木柵の釘。

「これで足は無くなりました。私は皇国で十機の<マジンギア>をいちどきに破壊したこともあります。対抗は不可能ですよ」

『<エンブリオ>か』

吐き捨てるように<UBM>は言った。

『暮らしにくくなったものだ』

 

 ◆◆◆

 

 ■トビア・ランパート

 

 燃え上がる村のなかをトビアは必死に駆け抜けていた。炎の羽根や崩れ落ちてくる熾を躱しながら、足を動かす。目的地はただ一つ、生まれ育った我が家だ。

「はぁっ…はぁっ…」

 煙と熱気が喉を刺す。目がかすみ、足がふらつく。それでもトビアは走り続けた。今までは分からなかったことも今では分かる。つまらない暮らし。平凡な人生。それらはいとも容易く壊れてしまうもので、何よりかけがえのないものなのだ。

 

 だからこそ、ここで終わるわけにはいかない。

 

 いつもの角を曲がり、ふらつく足に力を込める。更に加速して、もう一つ角を曲がる。

そして、トビアの目に飛び込んできたのは、

 

轟々と燃える我が家と、半ば炭になった家族の死体だった。

 

 ◆◆◆

 

 焼けた肉の臭いが鼻にまとわりつく。これもまた、『死』の臭いなのだと気づいて、トビアは嘔吐した。

 死体は家の外に出ようとした体勢で転がっていた。どうやら、火事の火ではなく別のものにやられたようだ。その答えはトビアの目の前にあった。

 赤い羽根。風に漂うだけだったそれは、どうやら次の段階へと進んだらしい。人を狙って燃やすように能動的に動いている。形で判別しているのだろう、それらの羽根は未だトビアの家族の死体に群がっていた。羽根が触れる度に焔が弾ける。その光景がおぞましくて、トビアはまた吐いた。

「僕のせいだ……」

自分が招いた結末だ。そんな考えが脳裏を渦巻く。

 目の前では羽根がトビアに標的を移そうとしていた。浮き上がったそれらは、雲霞のごとく群れをなしてゆっくりとトビアへと近づいてくる。

 気づけば、トビアは来た道を駆け出していた。家族の骸を捨てて、振り返りもせずに。もしもう一度亡骸を見てしまったら、二度と立ち上がれないような気がした。

 焼死は苦しいと聞いたことがあった。どれ程の苦痛だったのだろうか。熱かっただろうに。辛かっただろうに。想像し、類推し、怯懦する。トビアにはそれが途方もなく恐ろしかった。

「僕のせいだ……!」

 トビアが招いたことなのに、トビアには何一つ出来ない。こうして逃げ惑うのがせいぜいだ。無力感と罪悪感が心を苛んだ。

 燃える家並みを抜け、トビアは角を曲がった。すかさず瓦礫の山に身体を突っ込み、追跡する羽根の目を誤魔化す。

 あれらは人型を認識して攻撃を加えていた。逆に言えば、形を見てとれなければ見失う筈だ。その計算を嫌悪して、トビアはまた罪悪感に押し潰されそうになった。家族が死んだばかりだと言うのに、茫然自失にもなれないのだ。

 予想通り、羽根はしばらく旋回した後にどこかへ飛び去った。他の生存者を探しに行ったのだろう。

 飛び込んだ拍子に熾火の欠片に触ってしまったらしく、左手の甲が火傷でヒリヒリと痛んだ。トビアにはそれが自分をいやしめる烙印のように思えた。

 

 ◇◆◇

 

「それで、村の状況はどうです……?えー……」

『ローカストでよい。この()は後から付けられたものだが、なかなか気に入っている。響きが良い、そうは思わないか?』

 それが地球の一言語で群れをなす飛蝗を表すと知ったらどう思うだろうか、とリッターは思った。怒るだろうか?屈辱?人類とは思考体系の遥かに違う生き物を前に、その内面を推し量るのは簡単ではない。()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 と、ローカストががばりと振り向いた。つられて、リッターも後ろを見る。ほぼ同時に、ブルーDからの通信が届く。

『メーターさん、ちょい不味いっス。騎士団が来ました』

「あぁ、見えている」

数は多くなかった。僅かに三人。純白の鎧を着こんでこちらへと向かっている。

()()()()?」

『【騎士】のティアンが一人、【聖騎士】の<マスター>が一人、ティアンが一人』

 早すぎる。そうリッターは訝しんだ。騎士団が来るのはもう少し後の筈ーー

 そして、リッターは傍らの<UBM>の力が膨らむのを感じた。

『追加の供物か』

「待っ……!」

紅白の羽根の奔流がうねり、来襲者たちに突き刺さった。焔が吹き上がり、熱風が弾ける。

「勝手な真似は慎め!」

リッターは思わず丁寧口調を忘れて怒鳴った。ローカストが牙を剥く。

『我に命令するな……お前も殺してやろうか』

「出来るものならやってみればいい!」

 啖呵を切ったリッターを鱗と鉤爪が掴んだ。人間の瞳と爬虫類の眼が視線を闘わせる。数瞬後、鉤爪が勢いよく開きリッターを地面へと投げ出した。

『契約なぞ無ければ……』

小さく呟かれたその言葉をリッターは無視して燃え上がる騎士たちを見た。古代伝説級の焔だ、致命傷は必至だろうと哀れみの眼を向ける。

 だが、その予想に反して騎士たちは焔を耐えきり、速度を緩めること無く進み続けた。それぞれの鎧には青白いオーラが光っている。ブルーDからの通信が平坦な声で言った。

『【蒼鎧呪 アキレス】、《マキシマムプロテクト》』

「防御能力の<エンブリオ>か?厄介な」

 ぼやくリッターに、ティアンの騎士ーーキースが剣を抜いて斬りかかる。リッターは知り得ないことだが、この騎士たちを率いてきたのはキースだった。ずっと村を気にしていた彼は、小さな村の異変に感付き、動けるものに片っ端から声をかけてきたのだ。

「うおおおおお!」

そう雄叫びをあげると、キースは知己の村を襲う邪悪を討つべく、携えた剣をリッターの頭めがけて振り下ろした。義憤を乗せた剣筋は定規で引いたように真っ直ぐだった。

「躊躇いがないのは良いことだな」

リッターはそう呟き、その剣戟を顔面で受け止める。刃はリッターの顔に食い込み……そして木っ端微塵に砕けた。剣だけではない。鎧、鎖かたびら、盾……金属でできたものは片っ端から錆び、崩れ、砕けてゆく。

「何っ!?」

 驚くキースたちをリッターは鼻で笑い、そして防御手段をなくした彼らを焔が襲った。ただし、今回は更に火力が高い。白熱したそれらの余波の余波でリッターまでもが火傷を負っている。

『《焔牢》』

羽根の焔は、まるで籠のように凝縮されていた。完全に球体になった猛火の中で、もがく騎士たちが赤熱した灰へと変わっていく。アキレスの<マスター>が光の塵になる。

(すまない……騎士団の皆……村の人達……トビア……)

 キースは、騎士として無辜の民を守れなかったことを最期に悔いながら、白い灰の塊と化していった。

 

 

「よくも…!」

リッターはその声を聞いて訝しんだ。リッターの知る限りでは、この場にいる誰の声とも違う。と、胴体に鈍い衝撃が走る。

 視線を落とした先には、()()()()リッターの腹に石のナイフを突き立てていた。

 

 ◆◆◆

 

 我慢がならなかった。あるいは、罪悪感を振りきるための怒りであったかもしれない。だが、確かにトビアは憤っていた。

 力。自らの行動を貫く強さ。それを持っている奴らが好き放題に振る舞う、そんな不平等をのうのうと受け入れられる筈もない。目の前で知った顔が死んでいく、そんなのはもう沢山だ。

 一撃を!とるに足らない弱者による反撃を!自分を蹴散らそうとしている奴らへの復讐を!

「三日でも死んでこい!!」

 石のナイフを握った手に力を込める。

 村で拾ったそれは、本来木っ端を細工するときに使う筈のものだったが、材質ゆえに偶然錆を逃れ、今や立派な刃としてトビアの怒りを果たしていた。リッターの腹から血が染み出す。

「この、クソガキがァ!」

【高位呪術師】ゆえの脆弱さで、リッターは今、傷を負っている。だが、その弱点と引き換えに得たものもあるのだ。

「《ブラッド・アレスト》!」

 染み出た血液がうねり、呪術の媒体としてトビアを【呪縛】する。上級呪術の力はレベル0の子供を容易く拘束した。トビアが呻く。リッターは忌々しげに口を開いた。炎の赤がその顔を照らす。

「トビア・ランパート、だな?ふん、復讐してやるとでも言わんばかりの顔だな、仇討ちのつもりか?」

「黙れ……!」

「お前ごときが俺に何か出来るとでも思ったか、バカが……お前のことなんぞ調べはついている。<エンブリオ>欲しさに三下の店に忍び込んだ身の程知らずのガキ。潔白なつもりか?俺たちと因縁を作ったのはお前の自業自得なのさ」

「黙れェ……!」

「レベル0のティアンごときが、あの仮面男を誘き出すエサになるかと思ってここまで生かしておいてやったものを、土壇場で俺に傷なぞつけやがって!」

 そういうと、リッターは血の呪縛でトビアを持ち上げた。ローカストがその異形の顔を歪めて嗤う。

『食後のデザートか』

「ええ、派手なたいまつにしてやって下さい」

リッターは冷酷にそう言った。だが、ここまでやってもブラーが来ない以上、計略は失敗しそうだと言わざるを得ないだろう。

(予想よりも情のないやつだったか、あるいは鈍いやつだったか。ローカストの食事のほうの問題はこれで済んだが……)

 ブラーの能力特性を鑑みれば、そもそも闘いになり得ないことが最も火急の懸案だった。他国に逃げられてしまえば目にもの見せることはできない。それはつまり、首領(ファーザー)の望みを果たすこともできないということだ。

 だからこそ向こうから来る気になるよう、エサを用意したというのに!

『では、趣向を凝らして……端のほうから少しずつ喰らうとしようか』

もがくトビアの髪の端がじわじわと焦げ始める。それを見ながら、リッターはふと首を傾げた。

「だが、村は炎で完全に包囲されていたはずだ。なぜこいつはここまで来られた?」

『めっちゃ走ったんじゃないスか?』

「それで越えられるようなものではないはずだが」

 リッターは顔をしかめ、ゆっくりと辺りを睥睨する。と、その顔に影が落ちた。慌てて宙を見上げる。

 

「やぁ、はじめまして」

 

そこには、月を背に浮遊する仮面の男の姿があった。

 

 To be continued

 



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第八話 スワンキー・ゴーン・トゥ・ヘヴン

 

□■アルター王国 アルムト村 十数分前

 

 遡ること十数分前。瓦礫の中で進退を決めかねていたトビアの目に飛び込んで来たのは、見覚えのある人物の姿だった。すなわち、

「ブラー!」

「やあ、また会ったね」

「あたしもいるぞ!」

ブラーの後ろからモートも顔を出す。トビアは思わず顔を緩めた。

「助けに来てくれたの?」

「いや?別に」

 ブラーはそっけなく言った。その身体はかなりの上空に滞空しており、背中ではモートがなにか大きな布のようなものを広げている。

「下に降りると不味いんだよね、ほら」

そう言ってブラーは安物の短剣を投げた。短剣は地面に勢いよく当たり、そのまま崩れて塵になる。

「金属類を分解する能力、それに……」

「旦那、また来ましたよォ!」

「視覚で追尾する羽根、厄介この上ないね」

 羽根の視界を遮るようにモートは布を動かし、ブラーは辟易したとばかりに頭を振って見せた。

「分解能力の高度は約7メートル程度、南西にかけて射程は次第に低くなる。羽根のほうは単純な視覚での形状認知だけど一旦ロックオンされると視線を切らない限り逃げられないみたいだね、ただこれにも有効射程があって……」

「ちょっと待って、なんでそんなに……」

 トビアは青ざめた顔で詰問した。これらの情報の正確さ、実際に見ていないことにはわかりようもない。つまり、

「ずっと見てたのか、上で!」

トビアの叫びにブラーは悪びれることなく頷いた。

「そうだよ?相手の能力を観察できるいい機会だったんだ、利用しない手はないね」

「人が、人が死んでるんだぞ!」

「知ったこっちゃないよ。あぁ、そういえば聞こうと思ってたんだ」

 ブラーは愉しげな笑みを浮かべて続けた。

「『もういらないんだ。僕が欲しかったのは<エンブリオ>じゃなかった。血塗れになって、人と殺しあうような力は要らないんだ』この意見に変更はあるかい?」

「どういう、意味だよ」

「だからさァ、力が欲しくないかってことだよ。良い顔をしてるぜ、復讐心、憎悪、無力感!僕、そういうの大好きなんだ」

 ふざけるな!とは言えなかった。それはまさに、トビアが感じていたことだったからだ。だが、その後でブラーが語ったことはさらにトビアの想像を超えていた。

「僕はね、本当に<エンブリオ>を手に入れる方法を知ってるんだ、君が望むなら紹介してやっても良い」

「言った筈だ、そんなものはいらない」

トビアは思わず立ち上がった。瓦礫の欠片がパラパラと散らばる。

「うんざりだ、痛くて怖くて苦しいのなんて!僕は普通に暮らせればそれで良いんだ!戦うのはそれが好きな人にやらせておけば良い!」

「嘘つき。周りを見ろよ、これが普通の暮らしか?満足か?自分の尊厳を守る手段すらなく、状況に依存して流されるのが幸せか?違うだろ」

 ブラーはそういうと、錆にやられないようガラス瓶に入った小さな何かを投げて寄越した。

「【鎮火のイヤリング】だ。これをつければ少しの間、炎を避けることが出来る」

 ついでに言っとくと敵は北東の方角、丘の上にいるよ、とブラーは言い、今度は布を一枚丸めて落とした。

「それを被れば視覚情報だけは誤魔化せる」

「何のつもりだよ」

「何のつもりもないさ、君の選択だ。君をゴミみたいに燃やそうとしてる奴らに一発復讐するか、あるいは誰か……他の強い人に助けを求めるか」

 

ブラーは悪魔のように笑った。

 

「可能性は無限大なのさ、あとは選択するか否かだ」

 

◆◆◆

 

□■アルムト村付近 現在

 

「ミスターブルーブラスター。情のあるやつじゃないか、やはり助けに来るとは」

「メートルグラムとやら。それは違うよ」

ブラーはリッターの言葉を嘲笑うように言った。

「情じゃない、興さ」

両者はしばしにらみ合い、そして業を煮やしたのはローカストだった。

『ヒト。どう言うことだ』

「食事の邪魔が入りました」

『我を利用したな』

 今さら気づいたのか、と内心リッターはせせら笑い、そして戦闘準備を整えた。既にロービーグスは空中のブラーに狙いを定めている。ローカストは腹立たしげに吠えた。

『この報いは受けさせるぞ』

「結構。ですがまずはそのガキを早く始末して、目の前の状況に集中していただきたいですな」

そして苛立つ炎が燃え上がり、トビアの身体を飲み込もうとしてーー

「《自由飛孔》」

 次の瞬間、紅の弾丸がローカストの鉤爪を粉砕していた。衝撃波がリッターの身体を吹き飛ばす。

『くおお!』

聞くに耐えない騒音で呻くローカストを差し置いて、リッターは内心驚愕した。

(やつの能力は他人を助けるようなことには使えないはずだ、超音速移動を行えばあのガキが真っ先に……!)

 だが、現に空中では五体満足のトビアがブラーに抱えられている。と、その懐から何かの破片がこぼれ落ちた。破片は地面に落ちる途中、錆に襲われて粉末になる。それが何か、その形をリッターはよく知っていた。

「【ブローチ】……それほどか」

「僕は興の為ならなんでもするよ?……あとは、ソイツの特典武具も欲しいね」

 そう言ってブラーはぐったりしているトビアを明後日の方向に放り投げた。その小さな身体は着地の寸前、ぐらりと揺らいで見えなくなる。リッターは顔を歪めて叫んだ。

「他にも協力者がいやがるのか!光学迷彩の能力……」

「さて、細工はりゅうりゅうだ……だから、目を離すなよ」

そして、爆発音が響き渡った。

 

◇◆◇

 

 ロービーグスは金属類を完全に破壊する。だが、その能力の条件は接触だ。必殺の広域錆攻撃とて、散布した錆の粉末に触れなければ発動しない。

「先程あのガキを助けに一瞬下がってきただけか」

 あの一瞬でも錆は発生するはずだ。一旦錆にやられれば、その錆が次なる腐食のトリガーとして連鎖する。

 接触時間の短さゆえに発生速度は遅くとも、いずれ錆が全ての金属類を喰らい尽くす。カウントダウンは既に始まっている。そして錆がある限り、近接攻撃にはデメリットが伴う。

「つまり、最初に奴が狙ってくるのは俺だ。だが飛行中の奴に遠距離の攻撃手段は…」

ない。そう言おうとして、リッターは口をつぐんだ。嫌な予感がする。

 一方のローカストは憤懣やる方ないと言った風で周囲に羽根を飛ばしていた。既に村を覆っていた羽根は引き戻している。紅白の羽根がブラーを焼き尽くさんと群れをなして襲いかかった。

「《自由飛孔》」

弾頭盾とブラーは宣言とともに高空へと飛翔した。だが、あらかじめ軌道を塞ぐように漂っていた羽根が機雷のように爆発する。

 ロービーグスで近距離を塞ぎ、ローカストの遠距離攻撃で仕留める。リッターの作戦は今のところ順調だった。今のところは。

 

◆◆◆

 

「上出来」

超高空にて、モートからの避難完了の通信を受け取ったブラーは方向を反転すると地上に向かって加速した。速度は即座に超音速に達する。

 ここからはよく知ったタイミングだ。もうかなり錆に覆われ始めているアイテムボックスを取り出し、後方へと放り投げ、

「BAN!」

再反転。弾頭盾の先端から発生するソニックブームが安物のアイテムボックスをやすやすと破壊する。そして、当然の帰結としてそのすべての中身が放出された。

 

 次の瞬間、超音速の【ジェム】が地上へと突き刺さった。

 

◆◆◆

 

 地上に破壊の雨が降る。リッターは思わず感嘆の声を漏らした。敵ながら見事な攻撃方法だったからだ。

「速度を乗せた【ジェム】による疑似砲撃とはな」

 速度とは相対的な尺度に過ぎない。超音速で飛翔する物体、すなわちブラーから分離したものなら、それは投擲速度とはなんら関わりなく超音速の飛翔体となって地上に突き刺さる。 

 【ジェム】に込められた魔術はどれも下級、最大でも《ヒート・ジャベリン》がせいぜいだったが、今やそれらは超音速の運動エネルギーを乗せられて本来の魔法とは比ぶべくもない破壊力を誇っていた。

 色とりどりの光が弾け、地面を砕く。【高位呪術師】の身体など一溜りもなく砕かれるだろう。

「ロービーグスを戻しておいて正解だったな」

()()()()()()()()()()()、【装甲操縦士(アーマー・ドライバー)】リッター・メートルグラムはそう呟いた。

 【錆人機 ロービーグス】。TYPE:ウェポン・ギアの<エンブリオ>である。比較的耐久に優れた機体性能を持ち、その装甲は現在、操縦者たるリッターの搭乗によって更に強化されていた。【ジェム】の爆撃でも容易には沈まない。

 そして、《偏に錆の前の塵に同じ(ロービーグス)》の錆粉散布は時間切れで既に解除されてこそいるが、既に撒かれた錆の効果は消えない。

「つまり、ここからは通常攻撃で対応させて貰うぞ」

 ロービーグスが両腕を構える。と、前腕が変形し、砲門がその形を顕にする。

「《定点散布迫撃砲(チャフ・ランチャー)》!」

 地上を貫く【ジェム】の雨の隙間を縫って、砲弾が放たれた。当然、超音速で飛翔するブラーに当てられる筈もない。だが、

「《バースト》」

砲弾は空中で爆発し、夏の夜の花火のように錆の粉を撒き散らした。

「《バースト》!《バースト》!」

 砲弾が放たれるたび、汚染空域が空に撃ち込まれてゆく。たとえ直接の砲撃が出来ずとも、砲撃を()()ことで錆に蝕ませる兵器だ。

 錆に侵されたその装備の防御力で、果たしてローカストの純粋火力を耐えられるだろうか?いや、そもそも自分自身の飛行の反動は?弾頭盾とていずれは錆に侵され、崩れて消えるだろう。

「必殺とは違って侵食速度は遅いが、支障あるまい。俺達の勝ち筋は決まった。残る可能性は……」

 逃走だ。他国に逃げられでもすれば追い付けないのは依然同じこと。だが、その手は既に潰している。ローカストの存在もギリギリまで逃走を選ばせないための餌の一つであるが、より決定的なのは別のものだ。

「ブルーD、状況は」

『順調ッス。必殺のマーキングは既に完了。今はあの商人とガキを見張ってます。三〇〇メートル北に視覚偽装で隠れてますね』

「上々だ」

 ブルーDの<エンブリオ>は【征服兜 ギヨーム・ル・コンクエーハ】。イングランドを征服したノルマンディー公の名をその銘に持つ<エンブリオ>であり、能力特性もまたそれに準ずる。

 《征服王の眼差し(レジュー)》。指定した相手の情報を隅々まで……それこそ<エンブリオ>の能力の詳細までもを覗く。征服者として征服した土地の全てを知る、征服に準えた強大な観測能力。

 だが、ここでの決め手はそれではない。

「奴が次に降りてきたら必殺を起動しろ。少し早いが、保険だ。逃げられるよりは良い。このまま押し込むぞ」

『了解ッス』

そして、ブルーDは兜の紐を締め……

「《王の名の下に退路を断つ(ギヨーム・ル・コンクエーハ)》」

高らかに宣言をした。

 その途端、超音速移動中のブラーの身体に緑色の光で出来たタガが嵌められる。ブラーがそれを外そうとするも、タガはその手をすり抜けた。単なる立体映像のような目印であり、物理的な封印ではないからだ。

 その効果は移動制限。発動地点から三キロ以上の移動を禁じるものである。ただでさえ軽い移動制限系のなかでも行動可能範囲が非常に広いがゆえに、レジストは困難であり持続時間も長い。

「これで奴の逃走は封じた。あとは持久戦だな」

そうリッターは独りごちた。

 残るもう一つの可能性もある。すなわち、ブラーが錆を厭わず突進。ロービーグスのコクピットを貫いてリッターを殺す可能性だ。そうなれば錆の侵食効果は全て即座に不活性化する。だが、それは更にあり得ない。

「奴の必殺スキルを起動しなければ、ロービーグスの装甲を一撃で抜くことはまず出来ない。少しでも手間取れば錆にやられるからな」

『それも見えてるッス!奴の装備に【ブローチ】はありません!』

【救命のブローチ】には、発動後二十四時間の再装備制限がある。<ハウンズハウル>との戦闘で用いた必殺速度の代償に【ブローチ】が発動したことは既に調査済みだ。

「いくらか傷を負っていたとは言え【盾巨人】を即死させる程の速度とは恐ろしいが、奴がそれを遺憾なく発揮できるのはおよそ一時間後。それまでには俺達が粘り勝つ。デスペナルティ覚悟で使うなら、それはそれでこちらの勝ちだ」

 

◇◆

 

 だが、不可解なことにブラーは速度を緩めた。【ジェム】による砲撃すらも止め、錆が舞い散る空域を避け、蛇行しながら地表へと降下する。

『羽虫が!』

ローカストが唸り、羽根が喜び勇んで襲いかかる。

「《サウザンドシャッター》」

 それを耐えながら、ブラーはロービーグスに向かって話しかけた。

「ところで、君らの戦う理由って何?」

「仕事だ。上から依頼を受けたからな。だから早めに自害でもしてくれるならこっちとしては手間が省けて助かるんだが」

 藪から棒の質問にも生真面目に答えるリッターに、ブラーは何故か嬉しげに微笑んだ。懐から懐中時計を取り出し、パチパチと弄ぶ。

「んじゃその依頼主、暗黒街のお偉方がいなきゃあんたに理由は無いわけだ」

「……何が言いたい?」

 リッターは妙な胸騒ぎを感じながら、鋭く聞き返す。ほぼ同時、今までのものとは違った爆発音が響いた。

 リッターは即座にコクピット内部で振り返った。ロービーグスのセンサーシステムがモニターに拡大映像を表示する。

 王都の外縁近く、大規模建造物が立ち並ぶ一角から火の手が上がっていた。時折、再度の小爆発とその他の魔法攻撃の光も見える。【ジェム】による遠隔爆破だ。

「うん、時間ぴったり」

「貴様……どうやって」

 爆発炎上している建物は組織の首領たち(ファーザー)による会合が開かれている筈の建物だった。火急の懸案(ブラー)について話し合う緊急会合だ、間違いなく組織の重鎮が揃っている。

 当然セキュリティは最上級だ、リッターとて<マスター>であるという理由から排除される程には。

「第一、貴様には最優先で捜索がかかっていた……それを潜り抜けて俺達の足元に細工するなど出来る筈が……」

 狼狽えるリッターを嘲笑うように、ブラーは上空を旋回しながら言った。

「特徴的だろ?僕のこの仮面。普段派手な見た目をしてるやつが地味ィーな素顔を……紋章も隠してうろついてたらどうしても気づきにくいよね」

「ティアンに化けて忍び込んだのか!」

「道具は色々あったからね、まぁお陰で上級奥義の【ジェム】は全部無くなっちゃったけど……多めに仕掛けたかいはあったかな」

「貴様…」

 意表をついてやったとばかりにヘラヘラこちらを嘲弄するブラーを横目に、リッターは胃が痛くなるのを感じていた。意外と気に病むたちだったらしい、とつまらない感慨を抱く。 

 組織上層部すら殺されたのであれば確かに交戦の理由は既に無い。個人的に不快なブラーの鼻を明かしてやりたい思いはあるが、それはまた後で気にすべきことだった。今や最も危ぶんでいるのは、忌々しいブラーとは全く別のことだ。

「後継の儀式は…しかし前例は無い……」

 無心でブツブツと呟くリッターーーと共に動きを停止したロービーグスを、不思議そうにブラーは見つめた。

 

 次の瞬間、炎が天へと吹き上がった。

 

 To be continued



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第九話 ウェアー・イズ・マイ・バインド?

 

 ■契約

 

 契約とは、二者間の合意によって、互いの義務と権利を定めるものである。

 すなわち、それを交わす二者の存在が自明の前提となる。では、仮に危険な怪物を縛る契約を交わしたものが死んだならば、解き放たれた怪物はどのような行動に出るのだろうか?

 

 ◆

 

「これはこれは……」

 リッターは目の前の解き放たれた怪物……【群襲陽炎 フェザーローカスト】を見つめた。舞い散る羽根はその数を増し、燃え上がる焔は天高く吹き上がっている。古代伝説級の怪物は今や契約によって課せられた縛りを捨て、本来の力を取り戻さんとしていた。あまりの熱に、その影すら揺らぐ。

『警告。本機周辺の気温が急速に上昇』

「だろうな」

 辺りの光景は一変していた。只の立ち木や茂みが次々と発火する。急速な発熱は上昇気流を産み、空気が大きく動き出す。風がうねり、よじれ、炎が広がってゆく。

「木材の発火点は400度……低温着火を計算に入れても300度程度はあるか」

 大気を伝う余熱でこれだ。あれが直接触ったならどれ程の高熱が襲いかかるか、間抜けでも分かるというものだ。

『メーターさん、なんスかあれ……』

「近所迷惑だな、あんなものを連れてくるなんて」

 もとは貴様のせいだろうが!リッターはその言葉をぐっと堪えた。代わりに一言、鋭く叫ぶ。

「耐えろ!」

 次の瞬間、焔が炸裂した。紅白の羽根が込められた熱を解放し、周囲の大気をはぜさせ、風さえも吹き飛ばす。

 膨れ上がった焔は次瞬、収束し、そして三方向に別れて放たれた。ブラーが即座に高空へ飛び上がる。

『へ!その程度の速さの羽根なんて振り切って……』

 そして超音速で上昇する弾頭に、羽根が次々と突き刺さった。焔が爆裂し、夜の空の闇を切り取る。爆炎と爆煙がアシュトレトの軌道を飾る。

『さっきより速くなってるのかよ!』

 そう喚きながら、ブラーは手持ちのガラクタをばらまいた。机や椅子、安物の武具、その他調度品が超音速で射出され、羽根を遮る即席の壁となる。

 一方の地上では、ロービーグスが焔に呑まれていた。余りの高熱に、機体がギシギシと悲鳴を上げる。だが、更に危機的状況なのは……

『ちょ、メーターさん、すみま…』

ブルーDはそう言い残して、どこかに隠れ潜んだままデスペナルティとなった。近くの森が燃え上がる。

「クソ、俺達もしっかり標的か!」

 リッターはロービーグスを動かしながら吐き捨てた。焔から機体を脱出させようにも、爆発の圧力によって押し戻されてしまう。しかも耐久に優れるロービーグスとはいえ、先端部など機体構造上どうしても弱くなるところから融解が始まっていた。永久には持たない。

「だが、やつに錆は効かん……!直接戦闘とてどうしようも…」

 ロービーグスの能力特性は生物相手には効果が薄い。ましてや金属製の武装を用いない怪物ならなおさらだ。肉弾戦を仕掛けようにも、相手の姿すらこの焔で視認できない。そもそも移動がままならない。

 それでも、とリッターは近接装備を起動する。

高硬度実体剣(ハードブレイカー)展開」

『展開実行……エラー。高熱による変形』

「打つ手無しか」

 変形武装の弱点が出た、と苦々しげにリッターは呟き、そして顔を上げた。打つ手が無いなら、また別の手を作り出す他無い。すなわちーー

「ロービーグス、ハッチを開けろ!」

 瞬時、その命令が執行され、コクピットに超高熱が流れ込む。内外から焔に炙られてロービーグスの機体が熔け落ちてゆく。

 だがその僅かな猶予に、

「くおおお!」

リッターは自らをロービーグスに投擲させた。

 左腕ユニットがその反動で崩れ落ち、斜め上方へとリッターの身体が大きく飛ぶ。【ブローチ】の発動により即死こそしなかったものの、焔に炙られて身体のあちこちが焼け焦げ、両の脚は炭化している。数十秒も掛からずに息耐えるだろう。

 だが、もうそんな時間は必要ない。その焼けた懐から、砕けたジョブクリスタルの欠片が落ちるが、それももう用済みだ。何故ならば、

「あぁ、十分はっきりと見える」

視認さえ出来れば十分だからだ。空中で焔になめられながら、しかして視線は通る。

 本来であれば下準備を重ねて撃つものだが、背に腹は代えられない。完全なゼロよりは、例えゼロに等しい博打であっても可能性が残る方を選ぶ。

勝負だ(コール)……《デス・バランス》」

 【高位呪術師】の奥義。相手を即死させるか、或いはその反動を自ら食らうかのハイリスクハイリターンな呪術だ。

 基本的には彼我のMP差と対象に付与した呪怨系状態異常の数を考え、少しでも確率を上げて使うもの。しかし現在、リッターはローカストを一切呪っていない。成功する可能性は、針の先程の極小。不可能と言い切ってもなんら差し支えの無い確率だ。それでもその僅かな可能性に賭けたからこそ……

『グゥ……ァ』

効果が通った。

 ローカストの爬虫類にも似た身体が凍りつき、どうと倒れ伏す。リッターは空中できりきりまいしながら思わず笑みを浮かべた。

 ギリギリの賭けに勝った喜びと安堵、古代伝説級を倒した達成感、そして特典武具を得ることへの高揚。暖かいものが胸の内を満たし……

 

次の瞬間、超音速の羽根がその胸を貫いた。驚き顔の炭クズになりながら、リッターは《監獄》に落ちないことだけを祈っていた。

 

 ◆◆◆

 

 ■【盾巨人】ブラー・ブルーブラスター

 

「これでも追ってこられるかぁ……」

ブラーは振り向きながらぼやいた。現在の速度は最大、すなわち《自由飛孔》の限界使用で飛んでいる。それを支える装備の数々は錆にやられ、その輪郭を失い始めていた。空気抵抗と断熱圧縮がその破壊に拍車をかける。錆によって生じた傷やへこみから食い込んだ熱と衝撃が、少しずつブラーを削り取っていく。特に錆侵食で限界だった弾頭盾は、既に二つ目に持ち変えた。

 

そこまでしてもなお、羽根を振り切ることは出来ない。

 

「古代伝説級ってこんなに強いのか……!」

 相対速度の澱みの中で、確実に少しずつ距離を詰めてくる羽根を見、ブラーは必死に頭を回す。無為に飛んでいるだけでは自滅と同じだ。

 と、細切れの視界の中に気になるものが映る。ブラーは一時停止を挟んで細かく軌道を折り曲げ、その間隙に地上を見下ろした。

 火の海の中で、ローカストが死んでいた。その鱗と羽毛に生命の息吹はなく、鉤爪は完全に沈黙していた。

 火の海の中で、リッターが死んでいた。その身体は空中で炭から光の塵へと変わり、ロービーグスの姿が揺らいで、消える。錆の侵食効果が即座に不活化する。

 そして、ローカストの羽根だけが今もなお動いている。ブラーはごくりと唾を飲み込んだ。仕掛けは理解した。だがこれが意味することはつまり……

「あの身体は止まり木、羽根のほうが本体ってわけかよ!」

ヒントはあった。羽根の飛蝗(フェザーローカスト)、文字通りあの羽根の群れこそが<UBM>としての本質。恐らくはあの身体は地竜かなにかの身体に寄生したものなのだろう。

(メートルグラムは【呪術師】系統だった、恐らくはなにかの呪術であの身体だけ仕留めたんだろうが…)

 呪術というものは物理的なダメージを与える術ではない。にも関わらずあの止まり木しか倒せていないなら、それは存在(HP)としてあの身体が独立していたことを意味する。即ち、

「次の寄生先を探すよなぁ……」

 地上では羽根の群れがその動きを変えていた。惑うように蠢き、ざわめき、回転し……思い付いたようにブラーの方を向く。そして、全ての羽根が()()()()を求めてブラーの方へ飛びかかった。

「冗談じゃない!」

 瞬間、アシュトレトが噴煙を上げる。既にフルブーストである今、付与できる運動ベクトルの大きさは最大値だ。

 真夜中の空に立体的な軌跡が刻まれ、その後ろをローカストが猛追する。既に錆の侵食は止まっているが、それでも弾頭盾は軋み、装甲服はボロボロと剥げ落ちていく。

「錆が止まったのはいいけど……厄介な置き土産を残してくれたな!」

 叫びながらブラーはアイテムボックスを取り出し、その錆だらけの容器をローカストに投げつけた。双方の速度の大きさゆえに、お互いはむしろゆっくりにさえ見える。錆びたアイテムボックスは即座に壊れ、その中身を撒き散らした。

「最後の【ジェム】だ!ありがたく食らえ!」

 アシュトレトの軌道の後方、暗黒の天空のただ中に、色とりどりの爆発が起こる。だが、軌道を曲げジグザグに飛翔するブラーに、爆発を潜り抜けたローカストの軍団が迫った。ブラーは吐き捨てるように言った。

「《貞淑なる撹拌(アシュトレト)》!」

 その宣言により、《自由飛孔》の加速能力が倍加する。超音速を更に越え、追いすがる羽根が引き離され始めた。

 しかし、その代償は重い。これまでより更に増した速度の反動で、傷んだ装備が空中分解の様相を呈し始める。

「クソッ!なら撃ち落としてやる!」

ブラーは右腕を伸ばし、取り出した魔力式銃器を構えた。超音速のチェイスの中、火の弾丸が勢いよく直線を描く。だが、

「ダメか……」

 空中戦では勝てない。無数の羽根を一つの銃口で落としきるなど無謀にも程がある。一つ二つは倒せてもキリがない。

「……だとしても!」

キッと面を上げ、再び銃口を構える。

 夜空を縫う超音速の推進装置(スラスター)の光の軌跡に無数の直線が交差した。ローカストの羽根が片端から地道に落とされる。弾頭盾が反動で破壊されず、さりとて羽根には追い付かれないギリギリの速度でブラーは飛翔した。

 視界が回り、天地が目まぐるしく入れ替わる。目に映る確かな座標はブラーとローカストだけだ。夜の中空で、まるで超音速のダンスのように光の軌跡が絡み合い、ねじれ、折れ曲がる。

「墜ちろォォォォォアアアア!!」

ブラーが吠え、銃撃が乱れ飛ぶ。ローカストの羽根が次々と塵になる。焔がうねり、夜空が赤く染まる。

 

だが、そこまでだった。

 

 異音と共に、限界を迎えた弾頭盾がひしゃげて砕け散る。武装や装甲服の欠片が爆発する。空中分解したブラーに、超音速の羽根(ローカスト)が飛蝗のように食らいついた。

 

 ◇◆

 

 羽根の群れが渦巻き、球を作る。ウンカの群れのごときそれらは、蠢き、さざめき、やがてほどけた。キチキチと羽根の群れが鳴き、中央にあったものが露になる。

 ゆっくりと空から降りてくるそれは、ブラーの身体だった。但し、その肢体にはびっしりと羽根が生えている。それらが蟲のようにざわめき、風を捉えて浮遊していた。ボロボロの身体にはブラーの意思は感じられない。四肢は弛緩し、顔はうつむいたままだ。

 完全にローカストの支配下に置かれた身体が地上に降り立ち、そして立ち尽くした。辺りを舞う羽根が両翼を象るように集束する。そして、目の前の地面からオレンジ色の何かが染み出した。

 それはまるで種火のように燃えていた。オレンジ大の焔の塊が、心臓のように脈打っているのだ。それはブラーの前に浮かび上がると、彼の心臓の前の位置で停止する。そして、その焔がブラーの中に入ろうとしーー

 

「おっと、ストップだ」

 

ブラーの右腕に捕らえられた。

「へえ、実体があるのか。エレメンタルかとも思ったが。それともそれが縛りなのかな?」

『ナ、ナゼダ!』

 ソレーーローカストの核は、ブラーの手の中でもがきながら言った。ローカストの寄生能力は完璧だ。現にブラーの身体の運動機能は完全に制御下にある、そのはずだった。筋肉、神経、その隅々に至るまで無力化されている。

『動ケルハズナド……』

「そうだね、指一本も力が入らない」

ブラーはそう認め、

「だから、動かしてなんかないのさ」

そう明らかにした。

『ナニヲ……』

 焔は狼狽えながらブラーの右腕を見た。びっしりと羽根が覆ったその腕と拳には、同時に無数のバーニアがフジツボのように張り付いていた。

「アシュトレトの能力は加速だ。一部のみに対して極低速の加速を掛けたなら、操り人形みたいなことだって出来ると思わないかい」

『馬鹿ナ!』

 ローカストが呻き、そしてブラーの右腕から血が噴き出した。

 操作権を乗っ取られた身体を外部から無理やり動かしたなら、静止を命じられて抵抗する身体と外力の鬩ぎ合いが起きる。関節はひしゃげ、筋肉は裂け、骨が捻れる。

 いかに頑強な身体といえど、むしろその頑強さゆえに部分同士が反発し壊れかかっていた。人体を構成するパーツがそれぞれバラバラになりかかっているのだ。肩と繋がっていることが不思議にすら思える。

「乗っ取る瞬間なら核を掴めると思ったよ。群体タイプの中枢を叩くのはセオリーだしね」

そんなことは気にも留めず、ブラーは得意気に続けた。

「高火力の焔、超音速の速度、相手を生かしたままの寄生……どれもハイレベルな能力だ。強すぎる能力の代償に何か、デカい弱点を持つのはよくあること。お前の場合、核を晒すときの弱さか」

 ブラーは仮面の下、動かない顔の眼だけを動かして辺りを見回した。

「羽根、動かせないだろ?僕がお前を握りつぶすより速く僕を殺せるような火力、お前の(コア)も無事じゃすまないもんなぁ?」 

 ローカストの核はとても脆い。ホンの少しのエネルギーを加えられただけで簡単に死んでしまう、弱い生き物だ。

「寄生の完了には核が心臓の位置に収まる必要がある。寄生してない状態で動き回ることも難しいみたいだな。それもお前の縛りだろ?」

『ソコマデ読ンデイタノカ……?』

「いや?確証は何一つなかったよ。これは今、後知恵で話してるだけ。全部は成り行きさ。墜とされた後は半分諦めてたし……そうでなきゃ必死に飛び回ってないよ」

 そう、何一つ確証など無かった。

 寄生するまでもなく、ブラーが殺される可能性。ローカストに核が存在しない可能性。寄生能力で意識を封じられる可能性。アシュトレトでの腕の操作が成功しない可能性。核を掴めない可能性。ローカストが掌からでも寄生を完了できる可能性。核を掴んでも羽根に爆破で妨害される可能性。

 全ては偶然に支えられた結果だ。そもそも、本来ならこうなる可能性など存在しない。それを覆したローカストの瑕疵は一点のみ。

「お前、身体と意識は乗っ取れるけど、相手の能力そのもの……<エンブリオ>までは奪えないんだろ?純粋に肉体操作に特化した寄生能力。だから僕もこうしてアシュトレトを使えてる。まぁ、普通なら意識を落とした段階で能力も使えなくなるんだろうけど、残念だったね」

そうブラーは嗤った。

「精神保護。<マスター>は例え身体を操作されても精神までは操作されない。だから自分の<エンブリオ>は操れる。試してみるもんだね。早まって自害とかしなくて本当によかったよ」

紋付キ(マスター)ノ……化身ドモノ庇護カ!』

 それさえなければこの状況はあり得なかった。<マスター>を乗っ取ろうとしたこと。それがただ一つの予想外(イレギュラー)だったのだ。腹立たしげにローカストはさざめいた。ブラーの拳の中から光が溢れる。

「さて……」

 バーニアの出力を上げ、核を握り潰そうとするブラーに、ローカストは慌てたように喚いた。

『マ、待テ!契約ダ、契約ヲ交ワソウ!』

「へぇ?どんな契約?」

 聞く耳を持った様子のブラーに、ローカストは心なしか安堵して言った。

『我ノチカラヲ貸シテヤル。殺シタイ奴ハ居ナイカ?知識ハドウダ、我ガ持ツ知識ヲ授ケテヤロウ!古代伝説級ガオ前ニ侍ルノダゾ、何ダッテ手ニ入ルトモ!!』

 

「へいこらするのが随分と板についてるじゃないか」

 

ローカストはここが正念場とばかりに熱く語った。

 

『我ノ強サハ戦ッタオ前ガヨク分カッテイル筈ダ!望ムナラ、オ前ダケデハナクオ前ノ子々孫々ニ仕エヨウ!我ニハ何ダッテ出来ル!万ノ軍勢トテ蹴散ラシテ見セヨウ!他ノ<UBM>ノ居場所ヲ知リタクハナイカ?チカラアル武具ヤ鎧ガ眠ル、古代ノ遺跡ノ有リカハ?』

 

「僕を<超級>に出来る?」

突然問うたブラーに、ローカストは口ごもった。

『ソレハ……出来ナイガ……』 

 

「じゃあ、用はないよ」

 

 そして、その拳ごとバーニアが焔を押し潰した。ヒトの言葉すら失くした断末魔が響き渡り、全ての羽根が塵に還ってゆく。再び自由が利くようになった身体で、ブラーは空を見上げた。天空には、青白い月が堂々と輝いていた。

 

 To be continued

 

 

 

 



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エピローグ アラウンド・ザ・ブラー

 

 □■アルムト村跡地 

 

 かつて故郷だった場所を、トビアは歩いた。一歩一歩を踏み出すごとに、足の裏で音が鳴る。

 炭を踏む音。灰を蹴散らす音。そして、骨が砕ける音。

「父さん、母さん、ブルーノ兄さん、カール兄さん……」

 黒々とした人型を眺め、その前に跪く。風が静かに流れ、煙の匂いが鼻腔をくすぐる。

 トビアはうつむき、ただじっと想いを馳せた。

 家族だけではない。幾人かの友達や、近所の人たち、名前を知っている村人、名前も知らない村人、牧場の家畜、誰かが拾ってきた捨て犬、花壇の花、家々、木々、そして……自分自身。

 この現実は、まるで物語のようだった。遠い誰かの話のようだった。

 どこから歯車が狂ったのだろうか。或いは、初めから世界とはこのようなものだったのか。

 何故……本当に何故、こんなことになったのだろう?理屈は分かる、仕組みも分かる。どういう事が起きていたか、手に取るように思い出せる。

 

 それでも、理由だけが分からない。

 

 全て失った。喪ったのだ。どれ程望んでも帰ってこないものが沢山ある。こんな目に遇わなければならない理由があったのだろうか。

 言葉は出てこなかった。謝罪、悲哀、絶望。それらをこの亡骸たちの前で語ったところで虚しいだけだ。彼らは二度とその言葉を受け取ってはくれない。

 

 これが、これこそが死。無慈悲な終わり。人間としての終わり。

 

 トビアは、黙って立ち上がった。悲しみや絶望すらも、心の中で霞み、ぼやけていく。

 だが、代わって鮮明になっていくものがあった。それを自覚したとき、トビアは、自分はなんて身勝手な人間なのだろう、と思った。

 

◆◆◆

 

■トビア・ランパート

 

 かつて村だった場所を後に、トビアは歩いた。夜明けの風がかつて母がしてくれたように頬を撫でる。優しい風の中、一歩一歩を踏み出すごとに、心の中で強くなる思いがあった。

 怒り、憎しみ、そして……渇望。

 トビアは熱と衝撃で形の変わってしまった石垣を越え、そして空を見上げた。薄紫と群青の手前、仮面を被った男が空に座っている。その右腕は包帯で固められており、陶器の仮面にはヒビが入っていた。

「よぉ少年、調子はどうだい?」

「良さそうに見える?」

相変わらずお気楽なブラーに、トビアは冷たく返した。怒りなどは起きなかった。トビアが怒っているのはもっと別のものだ。その眼は憎しみによってか、ひどく黒々としていた。

「ブラー、言ってたよね、僕にも<エンブリオ>が手に入るって」

「言ったね」

 ブラーは何故か愉しげに言った。

「場所はカルディナ。そこまで行けば、君にもその()()()がある。でも良いのかい?『いらない』んじゃなかったの?」

「あぁ、確かに、特別になるとかはもういいよ」

トビアは静かに言った。その幼い憧憬は、あの血の臭いを知ったときに、確かに褪せて壊れてしまっていた。

「でも、分からないんだ。なんでこんなことになったのか。なんで止められなかったのか、なんで……」

トビアは鋭く息を吸い込んだ。

「なんで、僕はこんなに弱いのか」

 憎かった。人や怪物ではない。恐るべき強者や災いが、でもない。強さや弱さといった、無慈悲な尺度が。人の命さえ簡単に損なってしまうその仕組みが。

「だから、力が欲しい」

 欲しかった。かつての無邪気な憧れではない。力の恐ろしさを知り、一度は逃げ出した上でなお、それが欲しい。 

 喰らう側。喰らわれる側。この世界という、冷酷で壮大な無限の上下構造の中で、少しでも上に。それこそが、『強さ』への復讐なのだ。

「<エンブリオ>が、欲しい!僕によこせ!ブラー!」

 ブラーは悪魔のような笑みを浮かべて叫んだ。

「いい台詞だ、NPC(ティアン)!」

推進装置(バーニア)が火を噴き、ブラーが勢いよく着地する。

「砂漠越えは過酷だ。<エンブリオ>の対価だって安くはない。その覚悟はあるよな?」

「あぁ」

トビアは平坦な口調で言いきった。もう惜しいものは何も無い。尻込みする理由も。

「なら、旅の支度を始めよう。僕も装備とか全部失くしてしまったし、君にも旅支度がいるからね……モートに頼めばどうにかなるだろ」

ブラーが半ばなげやりに言う。その装備はローカストとの戦いでほぼ全てが失われていた。一欠片の【ジェム】も無い。リルも手持ちの分は全て無くなってしまった。

 そのとき、地平線が光った。暗い空を朝日が染め上げ、太陽が顔を出す。光に満ちる東方の空(カルディナの方角)を見て、ポツリとブラーが言った。

 

 

「英雄、魔王、王、奴隷、善人、或いは悪人……これから何になるか、それは自由である筈だ。誰にとっても、君にとっても。望むように望めばいい」

 

トビアは黙ってその仮面を見つめた。ブラーは静かに続けた。

 

「これから始まるのは無限の可能性だ。<エンブリオ>と同じさ」

 

 

そして、星と少年は歩き出した。それぞれの目的の為に。

 

 

◆◆◆

 

 □■カルディナ ヴェンセール付近 ポイントOD-3

 

 砂漠の厳格な太陽が照りつける。その日差しを逃れてか、地下の遺跡に()()は隠れていた。砂と岩に隔てられたそこは、まるで夜が取り残されているかのように、暗い。

 ふと、そこにいた幾人かの一人が冷たい灯りを灯した。硬質な白色光がその面々を少しだけ照らす。

 男がいた。女がいた。少年がいた。そして、一段上がった所に一人の人物が鎮座していた。

 漆黒の髪を長く伸ばした男だ。黄金と青に縁取られた仕立てのよい服を身に付け、傲慢な態度で悠々と座っている。両手には純白の手袋を嵌め、首には豪奢な装飾品を下げている。そして、ふと、その口が動いた。

「諸君、時は来た……!計画は最終段階へと入った。これより北方へと移動をするぞ」

その声はぞっとするほど冷酷で、しかし同時になにかカリスマのような力を備えていた。

「未だ数は少ない、よって私はそちらに力を注がねばならん。ゆえに、諸君らには活躍を望む」

その言葉に、その場の面々は静かに頷いた。仄暗いがゆえに、表情を窺い知ることは難しい。それでも、彼らの所作には緊張と畏怖とがあった。

「もう一度……言う。私を失望させるな……それだけだ。去れ」

いうが早いか、彼らの殆どは安堵するように立ち去った。中にはログアウトで消えるものもいる。最後まで残っていた少年が灯りを掲げながら言った。

「良いんですか?オーナー、未だに()は見つかっていませんよ」

「よい。どのみち“監獄”に落ちるようなやつではない。計画にもさして支障は無い。優先するべきは、我が<劣級(レッサー)>を増やすことだ……」

男は余裕そうに言った。

少年は首をかしげた。

「次は誰に?めぼしい奴に心当たりでも?」

その問に男は愉快そうに笑みを浮かべた。

「そうだな。ティアン……ティアンの実力者に与えてみるのも悪くないだろう……」

そう言って男は手袋の掌を開いた。そこには宝石のような何かが、微かな灯りを反射してきらきらと光っていた。

 

 To be Next Episode

 

 

 



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<エンブリオ>を売る男
第一話 始動


 

 □■カルディナ 冶金都市グロークス

 

 カルディナ。それは、大陸中央部に覇を唱える連合国家である。経済力を至上の原則とするこの国では、国家とは商業都市の集合であり、都市は商人たちの集合だ。だからこそ、そこにはひとつの自由があった。

 

 ものを買うことの自由。

 

 この国に売られていないものはない。天地の武具や皇国のマジンギアなどの貴重品でさえ、手に入る。必要なのは十分な金銭と、そして――

「情報だよ、シモン君」

ある豪邸の一室。白基調へと統一された、上品華麗な小部屋の窓辺で豪奢な男が呟いた。富を溜め込んだことを示すかのように、その顔はひどくふくれている。

「情報、でごぜえやすか」

 それに応えたのは側に控えていた粗野な男だ。髭面を傾け、きょとんとしている。

「いくら金があっても、どこで売られているかを知らねば買えんと言うことだ。棚に並べられていないものを取ることは出来ん」

 富豪は湿っぽい声で言った。

「つまり、棚に辿り着くための道筋が商品にもなり得るということだな……資料はそこにある」

 机の上の紙束を指す。

「君には私の……ホンのちょっとした買い物の手伝いをしてもらいたい。腕利きだと聞いている。経費は全て此方で持つのだから、必ず探し出せる筈だ……その、‘’売り場‘’をね」

「承りましたでさぁ」

 男――シモンは気の抜けた声で返事をし、のっそりと頭を下げた。用は済んだとばかりに相手が足早に出ていく。控えていた召し使い達もそれについていき、一時的に誰もいなくなった客間でシモンは頭を上げた。

「ケッ。天下のグロークス市長、マンドーリオ・グラマンの‘‘ちょっとした’’お買い物かよ。よく言うぜ」

 その顔は既に先程の野卑なものではなく、鈍く光る刃のように研ぎ澄まされていた。大きな目がぎょろりと動く。シモンは唇を蠢かせ、息を小さく吐いた。

「まぁ、リスクは承知の上だがね……」

 そう呟くと、【大盗賊】シモンは窓を乗り越え、夜の闇に溶けるように消えていった。

 

 

 

 

 一週間後。カルディナ東部、クレマーラという町の路地裏で髭面男の変死体が発見された。

 顔は恐怖にひきつり、両腕は何かを遠ざけようとするかのように広げられていた。奇妙なことに、彼は砂漠の町、そのただ中で溺れ死んでいたのだ。

 恐ろしき事件に町の住民はみな慄いたが、そこは世の常、一ヶ月もするとやがて過去の陰惨な事件達の一つとして忘れ去られた。

 

 ◇◆◇

 

 □■【ドラグノマド】

 

 酒場は広く、しかし同時に人でごった返していた。罵声、怒号、世間話が飛び交うなか、運よく端のテーブルを手にいれた二人が話し合う。喧騒は二人にとってプライバシーを守る()()()()ヴェールだった。

「それで、受けてくれないか?リンダ」

テーブルの右端で男が尋ねた。

「今回のは合計十四人の大人数だ。失敗はまずない。」

「まぁ、ワルい話じゃないのは知ってるんだよ、キュビット」

テーブルの左端、リンダと呼ばれた女はにこやかに返し、

「あたしをわざわざ誘うっていう辺りを除けばね!」 

顔を歪めた。

「あたしは別に強くない。<エンブリオ>にも大した特殊性はない。そんな大仕事に誘われる理由がない」

「それは……依頼主にメンバーは予め指定されていたって話はしただろ?」

 キュビットは困り顔でエールを呷って続けた。

「頼むよ……あとは君だけなんだよ。メンバーが揃わないと明日の昼に出発できないんだ」

「じゃあなんでその御依頼主サマはあたしなんぞを指定したのさ?明らかにまともな任務じゃないよそれ、他に強いやつもいないみたいだし。怪しィ~ね」

リンダもエールをぐいっと呷り、

「変な事件に巻き込まれるのは御免だね!あたしはここを楽しめりゃそれでいいんだから」

少し赤くなった顔でにべもなく言い切った。

キュビットはますます困り顔になった。眉毛は八の字に傾き、唇はへの字を描いている。

「そこまで言うなら…これを」

 そういって彼は一つの包みを取りだし、人の良さが窺える丁寧な手つきでテーブルに置いた。

リンダは益々うろんげな目付きになった。

「なにさ、コレ」

「依頼を受けるときに渡されたんだ、君が同行を渋ったら渡すように、って」

「ふーん……」

 リンダは右手を伸ばして包みをつまみ、引き寄せた。つまらなさそうに包みをほどく。次の瞬間、リンダは目を見開いた。がばりと顔をあげ、キュビットを見つめる。

「気が変わった。この話受けるよ」 

「それはよかった!でもなんで急に……?」

最初から受けてくれればここまでの面倒がなかったのにと頭をかくキュビットに、リンダは顔を震わせながらこう答えた。

「なんてーか……断った方がヤバそうだからさ」

 

 ◇◆

 

 □■郊外 翌日・正午

 

 砂漠と市街地の境目。さんさんと太陽が残酷に照りつける中、十四人の人間が一人を中心に半円になっていた。中心にいるのは冴えない男、キュビットである。いささか疲れた顔で彼はぐるりと辺りを見回した。

 

 濃い面子だ。最初の彼の感想はそれだった。もちろんあらかじめ交渉で顔は合わせているが、それでも一同に介して初めて感じるものがある。

「……ボーッとしてるなよ、さっさと始めてくれ」

一同の一人から発せられたその不機嫌そうな声に、キュビットは慌てて気を取り直した。

 

「では改めて、仕事内容の確認だ。一応、各人には詳しい内容も話してあるはずだが、追加連絡もあるのでまとめて、概要だけは再度確認させてもらう」

キュビットは一旦切り、話を続けた。

「今回の目的は冶金都市グロークス、及びその市長の調査だ。市長には都市内部での不正な商取引及び贈収賄、そして市民への非人道的行為などの疑いがある」

 

 カルディナは都市の集合体として出来上がった国家だ。必然、各都市の自治権の裁量は大きくなる。とはいえ、好き放題されては国家としての枠組みが持たない。ゆえに行き過ぎた横暴は取り締まらねばならないのだ。当然、そのための調査も。

 

「グロークスまでは歩きで半日くらいだ。野盗なんかの敵襲には警戒しておきたいが、まぁそうそう派手なことはないだろう、俺たちの仕事はあくまでも軽い調査だ」

本職じゃあないしな、とキュビットは緊張をほぐすように皆に笑いかけた。笑い返すものはいない。少しだけ傷ついてから彼は続けた。

 

「なお、ここからが追加事項なんだが、昨日の夜中にグロークス周辺でモンスターの目撃情報があったらしい。<UBM>の可能性もあるとのことだから、一応それにも気を付けておいてくれ」

 

 ◆◆◆

 

 □■カルディナ グロークス近郊 砂漠

 

 砂漠はひどく暑かった。大気は熱で揺らぎ、そのはるか向こうにはサンドワームが哀れなならず者を捕らえているのが見える。地平線まで続く砂の海を、所々で大きな砂岩の影が切り崩している。足元、踏み固められた道の端をムカデのような虫が這いずっていた。いずれ人をも呑み込むサンドワームにまで大きくなるのかもしれない。

 一行の目指す都市の城壁は直ぐそこのように見えたが、そこまでの道のりは一向に縮まなかった。ただつまらないだけの道行きに飽いてか、彼らは次第に雑談を始めていた。

「ねぇ、君はなんでこの話を受けたの?」

 傍らの少女の質問に、少年ーーAFXは目をぱちぱちさせた。帽子を深くかぶり直して答える。

「理由はないよ…断る理由もね。報酬に文句はなかったし」

「そうだよね!知ってる?このメンバーはあらかじめ指定されてて、しかも前払いで個別のボーナスまで付いてたらしいよ?あたしこれもらったんだ、これ」

そういうと、少女は胸元のネックレスを持ち上げた。 

「イカすデザインでしょ。めちゃつよの回復力増幅効果付き!買ったら高すぎてとてもじゃないけど手が出ないの」

彼女は青い瞳をきらめかせ、屈託なく笑った。

「君は?何貰ったの?」

 AFXはあまり気が進まなかったが、その朗らかな笑顔の圧に耐えかねて渋々、帽子を上げて、その下のものを見せた。

「かっこいいじゃん!その眼鏡、じゃなくて、ゴーグル?」

「ゴーグルかな。高レベルの鑑定とか、看破とかがついてる……怖い話だよ」

「怖いの?どうして?」

「僕にぴったりな報酬をくれたことが、だよ。君のそれも多分そうでしょ?」

 AFXはそういうとまた帽子を深くかぶり直した。

「全く無名の僕らを指名、そして各々にぴったりな報酬をくれた。素性やジョブや、それこそエンブリオまでも把握してるんだ」

「そうだね、少なくともあたしは無名だよね…君もあんまり知らないけど」

 彼女は気を取り直すように頭をふった。

「ま、無名同士、自己紹介しとこうよ!あたしはメアリー・パラダイス、ジョブは【教会騎士(テンプルナイト)】ね!」

元は王国出身なのか?そんなことを思いながら、AFXもまた名乗る。

「僕は【偵察隊(リコノイター)】AFXだ……宜しく」 

 

 ◇◆◇

 

「お二人さん、それは聞き捨てならんな」 

足を早め、唐突に声をかけてきたのは二人の少し後ろを歩いていた男だった。

「確かにあんたらは無名かも知れんがね、この俺は違う!ドラグノマドでもちいっとは知られた顔よ!その名も、【芸術家】モーリシャス藤堂だ!」

 AFXとメアリーは顔を見合せ、同じ結論に達した。

「知らない」

「知らないな」

「そらあんたらの情報力の問題さ!目敏い奴らはとっくに俺に目をつけてるぜ。アートで戦いを鮮やかに彩り敵を翻弄する、人呼んで戦場のアーティストさ!」

めげることなく、藤堂は言い切った。

「大体、このメンバーが無名ってのも言い過ぎだ、そりゃ超級職とかはいねぇがよ」

藤堂はうんうんと一人で頷くと、勝手に解説を始めた。

「例えばリーダーの【司令官】キュビットはそれなりに有名だぜ、でっけえサンドワームをパーティー組んで倒したこともある。その隣歩いてんのが【影】リンダ、腕利きの斥候だな」

彼は二人の戸惑った顔を見もせずに続ける。

「出発前に怖い顔でリーダー急かしてたのは【大戦士】グリゴリオ、なんと<UBM>の巨大熊とタメ張って追い払ったことがあるらしい…あそこ、グリゴリオと話してんのは【疾風剣士】シマだな、相棒だって話だ」

「いいよ、もう分かったから……」

AFXはそういうとますます帽子を深く被った。今聞いた名前はどれも耳に馴染みのないものばかり。人材が豊富なカルディナの、それも国家上層部からの指名なのだ、本来なら準<超級>の一人もいていいだろうに、ここには最大でも並のカンスト勢しかいない。

「おかしいよなぁ…」

首をかしげる彼を、メアリーはじっと見つめていた。

 

 ◆◆◆

 

「それで、あんたはリーダーだろ?思うところはないわけかい?」

「勘ぐったってしょうがないだろ、しつこいよリンダ」

同時刻。この二人も依頼の裏を疑っていた。

「気になるんだよ、実際変じゃないか」

「うむ、その疑問、もっともであるな」

その言葉にリンダとキュビットはがばりと振り返った。

後ろに居たのは悠々たる老騎士であった。黒々とした大鎧は所々に傷がつき、まさに百戦錬磨のごとく。ただ奇妙なことに両腕の籠手は無く、素手が剥き出しにされている。キュビットは困った顔で静かに抗議した。

「Ⅳ世。急に後ろに出てくるのやめてもらえないかな」

「うむ、失敬」

老騎士の名はゴルテンバルトⅣ世。調査隊のなかでも無名のほうのメンバーである。

「儂が考えるに、目的は人材育成であろうな」

「人材育成?」

「カルディナは最も<マスター>の多い国。しかし上級者ばかりに仕事を任せては後進が育たない。わざわざ無名のものばかり選り抜いて依頼を出すのだ、我々を戦力として役立たせるべく、経験を積ませて強化しようという目論見であろう」

「もっともらしく聞こえるね」

「推測にすぎんがな」

Ⅳ世はかぶりを振ってそう言った。

「でも、当たってるかもしれないよ」

「そうかね?では、儂ら以外の意見も聴いてみようではないか」

Ⅳ世はそういうと、

「どうかね、グリゴリオ殿」

グリゴリオに声をかけた。

見るからに寡黙な彼はその仏頂面を崩すことなく、静かに口を開いた。

「正しいだろう。今日までに2件、同様の……無名のものを選んだ依頼が他の都市で出されていると耳にした。依頼の内容より、その引き受け先にこだわっているとみていい」

「目的がカルディナの戦力強化なら、それの使いどころがもうすぐあるってことだ。キヒヒヒ、グランバロアか……ドライフあたりと本格的にドンパチを始めようってんじゃないか?楽しみだねェ」

「落ち着け、シマ。お前は今にでもドライフあたりに斬り込みに行きそうで危なっかしい」

たしなめるグリゴリオに、慣れた様子でシマが引っ込む。

「とりあえず、今回の依頼の内容に変わりはないよ。国家規模の思惑は俺たちには関係ないことさ」

エキセントリックなシマに面食らったように、キュビットは述べた。

 

 ◇◆

 

 藤堂は二人に騒がしく絡んだ後、満足したのだろうか、別の話し相手を探してふらふらと隊列の後ろに行ってしまった。今はフードを完全に被った、男とも女とも知れない人物に話しかけているが、完全に黙殺されている。その少し後ろでは、全く同じ顔の四人組が、同じく一言も話さずに歩いていた。雰囲気のおっかなさにAFXは思わず身震いした。

「そういえば、あれは大丈夫なのかな…」

「あれって?」

「モンスター。<UBM>が比較に上がるくらいにはでかいのが出た……って話」

AFXは帽子の下で、見えない眉間にシワを寄せた。

「モンスター相手は嫌なんだ。勝ち目ないから」

「それならね、多分大丈夫だよ!」

メアリーは向日葵のように笑って言った。

「あたしもそのニュース見たんだけどさ、目撃情報があったの、グロークス挟んで反対側なんだよね!」

確かにそれなら安心かもな、とAFXは思った。都市の外壁は相当の大きさがある。迂回してくるような行動範囲のモンスターは限られているだろう。

「それでね、ニュースによると……そのモンスターはおっきな猿みたいな奴だって!」

「なおさら安心。サンドワームの類だったら地下を潜ってこっちに来るかもしれなかった」

しかし、砂漠に猿というのはそぐわない。 ひょっとすると、本当に<UBM>かもしれない、とAFXはうつ向いて考える。メアリーの話は続く。

「しかもさ、側にいっぱい子分の猿がいたんだって、そいつらがーー」

 不自然に途切れた会話に違和感を覚えて、AFXははっと顔を上げた。目に飛び込んできたのはーー

 

右腕を斬り飛ばされたメアリーの血飛沫と、たった今それを完全なる無音で成した子猿の姿だった。

 

 ◇◆

 

 それは同時多発的に、そして恐ろしいほど静かに起こった。黒々とした猿の群れが雲霞のように彼らを飲み込む。キュビットの軽装鎧を殴り付けた猿の爪をグリゴリオがはたき落とし、大声で叫んだ。しかしその声は誰にも届くことはない。

何故ならば、

(無音!)

 敵手の能力特性を把握し、グリゴリオは焦る。辺りを見渡せば、他のメンバーも奇襲を受け、その対応に追われていた。衣擦れ、鎧が揺れる金属音、砂だらけの地面を踏みしめる足音。その全てがレトロな無声映画のように静かだった。

(あいつらの襲撃の前には、俺たちの音は普通だった。でなければ違和感を覚えた筈だ)

 無音で迫る猿の群れに感覚を狂わされながら、グリゴリオは必死で思考を回し、大鉈をふるって敵を蹴散らす。隣では無音のシマが楽しげに双剣を振るっていた。被弾はしていない筈なのに、彼もまた無音である。

(接触……この猿どもに触ることで無音になるのか!自分達自身に由来する音をも消して静かに近づきやがったな!)

 その推測は正しい。この猿の群れ、【消音猿軍 シャットアップエイプ】の能力は、完全なる消音。自分由来の音だけでなく、武器や鎧を介してでも、強制的に触れた者の音を奪い去ること。

 さらに言えば、もうひとつ厄介な特性がある。

「銘が【猿軍】……おそらくこの群れ全体が<UBM>だね。最悪、根絶やしにしなければ討伐したことにならないかも」

キュビットがそう呟く。その言葉に、グリゴリオは黙って首肯した。

(群体タイプのモンスターなら大概はコアを潰せば殺せるが……こうまで各個体が独立したやつは見たことがない。指揮個体を倒しても終わらないかもしれん)

「幸い、スキル特化でステータスは致命的じゃないね。ここは僕が立て直すよ」

 どうやってだ!グリゴリオは思わず出ない声で吠えた。キュビットのビルドは典型的なサポート型で、ステータスはそこまで高くないと既に聞いている。レベルすら上がりきってはいない。敵の猿たちも、近接格闘特化ではないとはいえ十二分に強い。そこまで考えを巡らせて、グリゴリオは、はっと眼を見開いた。

(何故声が出ている?)

 キュビットもまた鎧越しに触られている。同じく武器でしか触れていないグリゴリオと条件が同じであれば、彼も同じ様に音を消されている筈。そうでないのは、違う条件があるからに他ならない。

(まさか、どうにかするというのは襲ってくる猿の方ではなく……)

 グリゴリオの思考を裏付けるように、キュビットはしっかと口を開き、宣言する。

「《喧騒曲:最終楽章(ヤマビコ)》」

『スキル起動、セッティングの提示ヲ』

「半径四〇、クリーントーンでボリュームを最大に上げろ!」

了解(ラジャー)

次の瞬間、全てが音を取り戻しーー

 

「……何をした?」

 飛びかかる猿を切り払いながら尋ねたグリゴリオの言葉に、キュビットは半透明の操作盤ーー自身の<エンブリオ>の映像を見つめながら答える。

「僕のヤマビコは範囲内の音を操作できるんだ。敵の消音能力は条件も緩いみたいだし、特化した上級の必殺スキルならレジスト出来ると思って。うまくハマってくれたよ」

その言葉通り、目に映る全ては本来の音を取り戻していた。

「音さえ戻れば、あとは普通のモンスターの群れってことで、君たちに任せるよ」

キュビットは一仕事終えたとばかりにへたり込む。

「【司令官】の支援はもうつけてるから、掃討をよろしくね」

「上出来!」

 思わず嬉しげな笑みをこぼしたグリゴリオは、違和感の消えた身体で大鉈を奮い、本格的な戦闘を開始した。

 

 ◇◆

 

「クソッ!最悪だ!」

猿の群れを必死で躱しながらAFXは吐き捨てた。訳の分からない無音状態は誰かの活躍ですぐ解除されたが、それで何が変わるわけでもない。もともと奇襲が済んでしまえば嫌がらせ程度の効果しかなかったのだ。

 顔を汚している血を片手間にぬぐう。自分の血ではなく、メアリーの血だ。これがまだ消えていないということは生きているらしい。

 そう、【教会騎士(テンプルナイト)】メアリーの腕を一撃で斬り飛ばしたあたり、猿たちの攻撃力はかなりのものだ。或いは何らかの奇襲系スキルを有していたのか。なんにせよ食らったらただでは済まない。()()()()()()()()()()()()()()()を思ってAFXは歯噛みした。

 その思考の隙をついて、三匹分の猿の爪が迫る。AFXはバザールで買ったばかりの安物の槍を突きだし、そして同時にあきらめた。直撃コースだ。一匹を弾いても 残りの二匹の攻撃は当たる。重傷、行動阻害は避けられないだろう。もちろん痛覚は消しているが、本能的な恐怖にAFXは瞼を閉じた。

 だが、次にAFXが目を開けたとき、眼前にあったのは巨大な拳、握りしめられた右手だった。漆黒と煌めく黄金に彩られたそれは、襲い来る猿を次々と弾き飛ばしていく。さもありなん、指の一本だけで人間の胴ほどもあるのだ。

「怪我は無いみたいだね!」

 そう朗らかにのたまう声に、AFXは後ろを振り向いた。

 さっきまで腕を斬り飛ばされて倒れ伏していたメアリーが、五体満足で先程の拳とよく似た“左手”の上に仁王立ちしていた。

「ごめん、一瞬【気絶】しててさ。いやーもうちょっと寝てたらやられて死んでたよ!良かった良かった」

死ななければ何でも良いのか?そのポジティブさにAFXは思わず呆れて笑ってしまった。

「回復能力の<エンブリオ>か……!腕の欠損まで直せるのかよ」

「や、実は落ちてたのをまたくっつけただけなの。流石に腕一本生やすのはキツいんだよね、だから…」

メアリーは言葉を切ると、即座に巨大な腕から飛び降りる。次の瞬間、拳法のごとき構えをとった “両腕”が周囲の子猿たちを薙ぎ払った。

「…大きな傷は負わないにこしたことはないのよね、さぁアシュヴィン、やっちゃって!」

その言葉に、大きな両の手がともにサムズアップした。

「サンフランシスコのドージョーで習ったカラテよ!」

誇らしげに語る彼女に呼応して、腕ーー彼女の<エンブリオ>アシュヴィンがいきり立つ。純粋な大きさによって拡大された格闘術は、猿達を木っ端のように弾き散らした。だが敵もさるもの、数を恃んでの戦術か、何匹もの猿が同時に飛びかかり、アシュヴィンに取りつく。そして爪と歯を力任せに叩きつけ、その表面を抉り取り始めた。このままでは擂り潰されると見たAFXが、助太刀せんと槍を構える。しかしその踏み込みはメアリーによって止められた。

「せっかく助けてあげたんだし、もう一回やられに行くことないじゃない」

「いや、でもこのままだと……」

「大丈夫」

メアリーはにっこり笑うと、

「自分で言ったじゃない?回復能力の<エンブリオ>か……!って。《癒しの息吹(ヒリング・オーラ)》」

宣言と同時に、アシュヴィンが一瞬金色に輝き、その傷を完璧に治す。

「そーんでもって……」

メアリーが腰を落とし、身体を捻る。次の瞬間、振り抜かれた掌底が二人に忍び寄っていた猿の顎を捉え、ノックダウンした。

Don't get overconfident yet!!(油断大敵)ってね」

そして彼女は得意気に振り返った。

 

 ◇◆

 

 それを遠くから眺めて、モーリシャス藤堂は感心していた。

「結構な回復能力だな。コンスタントに使えるし、ガードナー自身にも効くのが良いねぇ」

 その代わりガードナーとしてはそこそこだが。と、藤堂は心の中で続けた。まともに空飛ぶ拳を食らった猿でも一撃で仕留められていない。複数回連撃を叩き込めば倒せるだろうが、こう数が多くてはそれも難しい。ましてや猿達はアシュヴィンの動きを学習し始めていた。攻撃が当たらなくなってきている。

 リソースの多くを能力特性に割いたがゆえ、ガードナーとしての性能が劣るのは珍しい型ではない。ならば、それを埋める方法も決して珍しいやり方ではない。

「そう、助け合いってやつだな。そうだろ、Mooo」

「……」

 藤堂は隣の人物、先程の男と女とも知れないフードの人物に声をかける。

「俺が撹乱する、あんたはそのまた後詰めを頼む」

Moooが静かに首肯したのを目の端で捉えると、藤堂は跪いて砂漠に掌を当てた。

「さぁ、行ってこい!【アダム】」

そして、砂漠が揺れた。

 

 ◇◆

 

 変化は劇的に起こった。砂丘が一つ、轟音を立てて爆発する。その中から現れたのは、アシュヴィンと瓜二つの腕。それも六本である。

「すごいな、まだ手があったのか!」

AFXは驚嘆してメアリーを見た。

「いや、あたしのアシュヴィンは両手だけなんだけどな…」

メアリーが同じく驚いて呟く。

 二人の驚きをよそに、新たなアシュヴィンは猿達へと襲いかかった。更なる敵の、それもその厄介さをよく知ったばかりの敵の襲来に猿達がどよめく。黒い群れはざわめくと、新しいアシュヴィン達に飛びかかった。猿達の黄ばんだ爪が突き刺さりーー

 次の瞬間、新たなアシュヴィンは全て木っ端微塵に砕けた。あまりの脆さに思わず呆然とした猿達の隙を、本物のアシュヴィンは見逃さなかった。張り手のごとく掌を広げ、猿達を薙ぎ払う。

 ギイギイと慌てて体勢を立て直した猿達の目には、依然戦闘態勢の一対のアシュヴィンと、いつの間にか再出現した六本の偽アシュヴィンが映っていた。

「芸術的だな」

 藤堂は呟いた。既に彼の<エンブリオ>は発動し、その役目を果たしている。藤堂の<エンブリオ>、TYPE:アームズ、【万象戯画 アダム】の主な能力特性は造形と彩色だ。どのような形や色にでも変形する粘土こそが彼の能力。

 であれば、目の前のなにかを複製するのも当然可能である。

 強度は望むべくもないが、撹乱にはうってつけだ。そして、例え破壊されたとしても彼自身のSPが続く限りは再構成できる。

「即興には即興の美がある、とはいえやっぱ雑になるな……ほらあそこ!色が滲んでるだろ?」

「……」

 話しかけられたMoooはあいも変わらず沈黙していた。その足元からはどろどろとねばつく水のような何かが流れ出している。周囲ではその粘液に捕らえられた猿達が、砂漠の真ん中で溺れていた。その毛皮はゆっくりと溶かされ、消化されている。

「……」

 無言のままのMoooが左手を掲げ、走り回る猿たちを指し示す。足元の粘液が蠢き、素早く伸び上がると、その猿達を器用に絡めとった。

【海嘯蟲 ソラリス】、自在に形を変え一切を貪る巨大スライムのガードナーである。

「…注意しろ」

 突然、無言だった彼が口を開いた。驚き顔の藤堂を無視してMoooは展開させていたソラリスを引き戻し始める。

「おいおい、後詰めを頼むって言ったじゃあねぇかよ。逃げられたら後が厄介だぞ」

 抗議する藤堂を無視して、Moooは砂漠の一点を見つめる。次の瞬間、砂漠が噴水のように噴き上がり、ひときわ大きな、まるで黒い山のような大猿が現れた。

 

 ◇◆

 

「あれが情報にあったヤツか」

今しがた猿の頭を叩き斬ったグリゴリオがそう言った。隣ではうずうずしたようにシマが三匹の猿をまとめて細切れにしている。

「どうする?アタシはああいうデカい手合いは手に負えないよ」

 短剣を構えたリンダがぼやく。

「あなたはどうだろう?Ⅳ世」

 キュビットに問われて、老人は静かに首をかしげた。

「儂は対処が難しい。儂の<エンブリオ>は、周りを巻き込みかねぬのでな。出来れば他の…」

そう言って老人はシマを見つめ、

「…他のお歴々に任せたいと思う」

そう締め括った。

「なら、俺たちが行こう。もし他の奴らが動いたなら合わせる」

そういってグリゴリオとシマは大猿へと駆け出した。

 

 ◆

 

「《来たれ大海嘯(ソラリス)》」

 その宣言と共に、ソラリスが膨れ上がる。一定時間体積を増加させ戦闘力を上げる必殺スキルは、遺憾なくその効力を発揮し、ソラリスは大猿をまるごと呑み込んだ。藤堂が息をのむ。

「すっげぇ!あんた一人で倒せるんじゃないかよ」

 だが、フードの下のMoooの顔は険しかった。大猿がもがき、腕がソラリスの水面を突き破る。その勢いのまま、大猿は易々と跳躍しグリゴリオ達へと飛びかかった。

「《地塩土(ジエンド)》」

 グリゴリオが何らかのスキルを宣言し、そのとてつもなく大きな拳を迎え撃つ。大鉈によって勢いを止められた拳は、謎の白い粒を撒き散らしながら大きく傷ついていた。大猿が全身の毛を逆立てて唸る。

「抜刀ォ!《賦羅素丸》!《埋納素丸》!」

 その後ろから、シマが自らの<エンブリオ>たる一対の二刀を握り斬りかかった。だが、大猿の強靭な毛皮は大して傷つくこともなくその攻撃を受け止める。と、掠り傷を起点にその毛皮がグニャリと歪み、弾けた。大猿がいらだたしげに吠える。毛皮は一点にかけて収縮すると同時に、一点を中心に膨張していた。

 ニヤリとシマが笑い、一歩下がった。次の瞬間、黒と黄金の拳が大猿に殴りかかる。

「やっちゃえアシュヴィン!」

 アシュヴィンは一瞬サムズアップすると、両の手でチョップをくり出した。が、力が乗り切る前、振り切る前に手を伸ばした大猿に受け止められた。メアリーが残念そうな顔で唸る。

 即座に大猿の周囲の地面から、アダムが化けた偽アシュヴィンが迫った。だが、大猿は意に介さずに全身で受け止め、逆にアダムを粉砕した。白い粘土の破片が雪のように飛び散るその向こうから、更なる追撃をとグリゴリオ、シマ、ソラリスが飛びかかる。

 だが、大猿はそれを再度の跳躍で易々とかわした。

 飛び上がったそれはAFXの目の前へと、轟音を立てて着地する。砂埃がもうもうと漂い、砂漠の地面は大きく抉れていた。 

 AFXはひきつった顔で、なけなしの【ジェム】を投げつけた。翠風術師の奥義魔法《エメラルド・バースト》が解放され、グリゴリオに受けた右腕の傷をぐちゃぐちゃにする。大猿は苦しげに呻き、AFXを睨みつけた。

 AFXは思わず手の中にあった槍を投擲し、それがまるで爪楊枝のように容易くバラバラにされるのを見て乾いた笑いを溢した。大猿が牙を剥いて無事な方の拳を振りかぶり、AFXの顔に影を落とす。その大岩のような拳を、大木のような槍が受け止めた。

「助太刀だ、少年!」

ゴルテンバルトⅣ世が唸り、猿の拳を押し返す。踏ん張った足元がガリガリと音を立てて砂漠に二筋の溝を彫っていた。

 大猿は恨めしげに老人をねめつけた直後、足元を掬われてどうと倒れた。すかさず、それをなしたソラリスの奔流が大猿を押し潰さんとする。

 大猿は骨と筋がぐちゃぐちゃにシェイクされた自らの右腕を一瞥すると、左腕で地面を叩き、空中へと逃れた。その衝撃で近くにいたものたちを吹き飛ばすと、状況を不利と見たのか、大猿は再び地面を蹴り、今までで最大の跳躍を見せて彼ら調査隊から大きく離れて行った。

「逃すなァ!」

 グリゴリオが目を血走らせて叫ぶ。呼応するようにシマが駆け出し、ソラリスが触手を伸ばし、アシュヴィンが空を駆ける。だが、追いつけるものは誰一人いなかった。諦めたようにキュビットが号令をかける。

「……取り敢えず周囲を警戒しつつ集合だ、回復使える人は協力して」

 

 ◇◆

 

 □■カルディナ グロークス近郊 砂漠

 

 幸いにも、メンバーは全員が無事生きていた。散り散りになっていた調査隊を呼び戻すと、キュビットが状況を纏め始める。

全く同じ顔の四人組ーーカルテット兄弟と言うらしいがーーは、何処からか傷だらけで現れると、小猿たちの掃討をしていた、と奇妙な喋り方で述べた。

『追撃は完了』

『ひとたび将が崩れれば烏合の衆』

『言えるだろう、ほぼ全滅、とな』

『……』

その後ろから小声で話す女が出てくる。女はおろおろとうろたえた様子で弁明した。

「す、すいません、わたし何にも出来なくて……」

「あぁ、別に気にしないでくれ、ユーフィーミア。君の能力はさっきの状況には向いていないだろうし」

ユーフィーミアはそれを聞いてほっと息をついた。

 一通りの状況確認や回復が済むと、キュビットは再び調査隊を集めた。盗み聞きを避けるため、自身の<エンブリオ>で遮音結界を張っている。今までもこうしていたのか、とグリゴリオは一人得心した。

「まあ、災難だったけど、グロークスはもうすぐそこだ。落ちた人もいないしこのまま街へ入ろう」

「待て」

呑気なキュビットの総括に、グリゴリオは待ったをかけた。

「その前に、俺たちの敵について話し合っておきたい」

「敵?敵って……」

「おそらくは調査対象。グロークスの手の者だ。<UBM>をけしかけたのもそいつらだろう」

「そ、それは流石に考えすぎだよ、直接刺客が来たならまだしも!大体どうやってけしかけるのさ」

「【(デコイ)】系統ならば可能であろうな」

Ⅳ世が重々しく言いきった。

「《ルアー・オーラ》にて誘導してくれば容易く連れてこられる、後は見たままだ」

「それ、根拠は?」

「勘だ」

「非論理的極まりないネ……キヒヒ」

シマが不気味に笑う。キュビットは大きくため息をついた。

「そういうのは各自で個人的に警戒してくれ……とりあえず街へ入って休憩しようよ」

「全員の回復は済んでるよ」

リンダが口を挟んだ。

「だけどさ、アタシも気になることがあるんだよね……」

「君もか?いったい何が気になるって言うんだ?」

「いやこの子がさ、怪しい人影を見たって言うのよ」

そう難しい顔をするリンダの後ろから、おずおずとユーフィーミアが顔を出した。 

「あの、わたし、なにも出来なかったからせめて回りを警戒しようと思って…そしたらチラッと見えたんです」

ユーフィーミアは一瞬言葉を切って、

「二人。なんか、こっちを監視してるみたいでした」

そう続けた。

「俺たちの調査対象のグロークス市長にはクーデターの疑いもあった筈だ。その勢力じゃないのか?」

「いやでも、クーデターの話はわりかし確度が低いって聞いてるんだけど」

「確度が低かろうと疑いは疑いだ」

グリゴリオはキュビットに向かってはっきりそう述べた。

「俺たちの任務詳細が漏れた可能性もある…グロークスに向かう奴らなら他にもいる筈だろうからな、少なくとも……」

「グロークスで無防備に休憩、というのは控えたほうが……ククク、良いかもネ」

 グリゴリオの提言をシマが引き取って締めた。

 

 ◇◆

 

 AFXは輪の端で物思いに耽っていた。隣ではメアリーが彼を揺さぶっているが、お構い無しだ。

(そろそろ良い頃だ。経験則から言ってもグロークスに入る前後で行動を起こす筈……)

彼の思考は暗く、深く沈んでいく。なぜならーー

(裏切り者。この中に一人はいる。だが誰が?誰が……)

確信はある。根拠もある。彼以外には理解も納得も出来ないだろう情報だが、彼にとっては何より確かなものだ。

 AFXは周囲を睥睨し、無視されてむくれるメアリーに目を留めた。少なくとも、彼女ではないだろう……きっと。

 

 ◇◆

 

「それで、その噂は真実なのか?」

『肯定する。ティアンが少なくとも一人、この件に関わって死んでいる』

『与太話なら死人が出るはずもなし』

『取引先への友好の意の提示だろう。わざと口封じが可能な人材を派遣した』

「取引は可能なのか?」

『不明だ』

『些か難しいだろう。それほどの能力、コストは絶大だと思われる』

『裏切り者は警戒される。再び裏切らないとも限らないからだ』

「ならば、直接示すしかないな」

そういうと、その人物ーー調査隊の一人は、機会を窺うことにした。調査隊の中にじっと身を潜めて。

 

 ◇◆

 

「にしても、噂だと思ってた猿の<UBM>が本当に来るなんてね……」

ようやくもの思いから帰ってきたAFXに、メアリーはそうぼやいた。

「この分だと、他の噂にも出くわしたりしてね!」

「他の?」

AFXの疎そうな顔に、メアリーは呆れたとばかりに首を振った。

「<DIN>とか見てないの?そんなんじゃあたしみたいな“情報通”にはなれないわよ?」

「……情報通?」

AFXの鸚鵡返しを無視して、メアリーは言った。

「色々あるけど、あたしが好きなのはねぇ、やっぱりあれかな!……グロークスの、<エンブリオ>を売ってくれる商人の噂!なんかワクワクしない?」

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 □■カルディナ グロークス近郊 砂漠

 

 砂漠はひどく暑かった。そこを疾る彼もまた、熱にやられて身体に痛みを抱えている。いや、痛みの原因はそれだけではない。

 裂けた右腕。ズタズタの背中。全身に疲労と損傷を抱えながら、【シャットアップエイプ】の親玉は逃避行を続けていた。  

 彼らは群体だが、ひとつの個ではない。独立した猿たちが群れとして緩やかに結び付いているだけだ。だから自らの命は皆、惜しい。

 彼は群れの中核だったが、<UBM>としての中枢というわけではない。本来なら彼が倒されても他の猿がいる限り【シャットアップエイプ】は続く。それは群れという構造そのものに与えられた名前だからだ。

 だが、他の小猿たちが()()()()()()()()()()()()、そして残りも調査隊との戦闘ですべて倒された今、彼は一人だった。孤独だった。そしてーー

 

「無防備」

 

閃光が閃き、直線が疾駆する。次にまばたきを終えたとき、彼の身体はバラバラの肉塊になっていた。

 ほどなく命が終わり、恐怖する間もなくその意識が消える。光の塵が飛び散るなか、砂漠に一人の剣豪が立っていた。まっさらな左手で刀を鞘へと納め、鋭い目であたりを見回す。

 

【<UBM>【消音猿軍 シャットアップエイプ】が討伐されました】

 

 【MVPを選出します】

 

 【【■■■】がMVPに選出されました】

 

 【【■■■】にMVP特典【沈黙沓 シャットアップエイプ】を贈与します】

 

「ほう、俺が貰えるのか?確かに()()()()()()()()()()()()()が……奴らは人数が多かったからな。功績も希釈された、というところか」

 剣豪はひとり首を傾げると、目の前の革靴を満足げに拾い上げた。

「なんにせよ、後始末は終わった。帰還するとしようか」

 剣豪は朗らかに笑うと、ゆっくりと砂漠に一歩を踏み出し、そして一陣の風と共に消え失せたーー足音を置き去りにして。

 

 To be continued



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第二話 冶金都市

     

 □■カルディナ 冶金都市グロークス 某所

 

 誰しもがささやかな秘密を抱えているように、権力者もまたそうだ。

 ひとつ違うのは、彼らのそれはささやかとは呼べないことも多かったし、それを隠すのに熱心な努力を注いだ、ということだろうか。私兵や口止め、賄賂、あるいは不気味な隠し地下室。

 グロークスの中枢、市長の屋敷の下にも地下室があった。地下堂、と呼んでも良いかもしれない。四方の壁は広く、街中の人々が入ってもまだ余りそうだ。

 ここはかつて、様々な用途に使われていた。怪しげな人物との密会や、人には見せられないような怪物を閉じ込めたり、或いは……殺せないが存在は不都合な人物を閉じ込めたり。裏金、賄賂、貴重な財宝を溜め込む宝物庫だったこともある。さながら死、苦痛、欲望の坩堝だ。

 そこへ続く隠し地下道を一人の男が進んでいた。恰幅のよい、豪奢な服を着た男だ。だが、貴族のような服装に身を包んだその顔はまるで虐げられる奴隷のように暗い。

 暗い地下道に、滴る水の音が響く。と、石の壁から薄ぼんやりと光る青白いものがはい出てきた。人の形をしている。古風な服の裾が揺れ、その口が動いた。

『私は哀れなフレイディ・モーント。グラマンに殺された、グラマンに騙された……』

「ええいうるさい!亡霊めが、失せろ!」

 無害な亡霊は悲しげにグラマンを見やると、『私は哀れなフレイディ・モーント』と呟きながら壁の中に消えた。

 グラマンは脂汗の浮いた膨れ面でとぼとぼと歩いた。あんな亡霊の類いは普段、五回に一回見るかどうかというところなのに、ここのところ毎回出くわしている。それがなにか、不吉な暗示のように感じられてグラマンは身震いをした。

 死刑宣告を待つ虜囚のような気持ちでグラマンは扉を開けた。金属で出来た扉は呻くような音を立ててゆっくりと開いた。

「ようこそ、マンドーリオ・グラマン市長」

 次の瞬間、グラマンは腰を蹴り飛ばされて冷たい床に転がった。その頭を冷たい視線が刺す。

「十二秒の遅刻だ、グラマン。我が時間を無駄に消費させたこと、大いなる罪と心得ろ」

 その声の主は、地下堂に作り上げた玉座に座っていた。青と黄金色に縁取られた衣服が煌めき、その傲慢さを示す。両の手には純白の手袋、黒い髪は肩まで伸びていた。

「加えて、私はお前に失望している……とても失望している。ネズミの始末、我が<劣級(レッサー)>の為の供出。どれも不十分だ」

「ど、努力しております!」

「だからどうした、と云うのだ?グラマン、目標とは約束……信頼だ。其を裏切るというのは此の世で最上の悪行の一つだ……異論は有るか?」

「お、畏れながら」

 グラマンは、グロークスを治める最上の権力者である筈の彼はひれ伏して言った。

「私は、私の役目を果たしました!計画通り、<UBM>を誘導させ、口封じも済ませました!都市の資源とて限界まで供出しております!想定外だったのは彼らが<UBM>を撃退してしまったことで……」

「それって、つまり計画を立てたオーナーの監督責任ってことですか?」

 穏やかな声で横から入ってきたのは、先ほどグラマンを蹴り飛ばした少年だった。柔和な表情、礼儀正しく慇懃な物腰。だが、グラマンはこの少年も恐ろしくてならなかった。その善良な表情はグラマンを蹴り飛ばす時も揺るがない。微笑みながらどんな残虐行為とてやってのけそうな薄ら寒さがその少年にはあった。

「オーナーの監督責任だなんて、大胆なこと言うんですね。もし僕が貴方ならそんなこと言えませんよ、さすが為政者。大した度胸だ」

「ウ……」

 グラマンは恐怖のあまり沈黙し、おずおずと玉座の男に目をやった。

 だが、彼は既にグラマンに興味を失くしてしまったようだった。幸い殺されずにはすみそうだ。

「追って指示する、失せろ」

グラマンはほうほうの体で逃げ出した。その後ろ、少年が重々しい扉を閉めると、男は再び口を開いた。

「遅かれ早かれ、嗅ぎ付けられるとは思っていたが……しかし、些か早いな。未来を読むと云うほどの戦略眼……噂ではなかったようだ」

「どうします?姿を見せて直接妨害した時点でこっちにとっては不利益ですけど、間接的な手ではもう止められないかも……都市の中を調べられても決定的な証拠が見つかるとは限りませんし、いっそ放置します?」

「それは賢明な決断ではないな、ユーリイ」

男はそう言うと、玉座に深く腰掛け直した。

「どのみちある程度は見せ札、奴らもまた切り捨てられる駒に過ぎない……腕彦とゴールデンに尾行させろ。少し早いが、本来の役目を果たして貰う。真の計画に気づかれることが、最も忌避すべき事態だ」

ユーリイと呼ばれた少年は頷いた。

「指示しておきます。最後の一つの錬成は?」

「予定通り執り行うとも。ゆえに、努々ネズミを近づけさせるな」

 

 ◆◆◆

 

 街に入った調査隊を待っていたのは、まず退屈な取り調べだった。無駄にながったらしく調べられて、メンバーはそれぞれすっかり閉口していた。

「なんかあったのかい?普段、こんな取り調べなんて受けたことないよ?」

「うむ。何かただならぬものを感じるな」

「俺が説明してやろう!」

と、そこへ顔を出したのは藤堂だった。持ち前の明るさと厚かましさで事情を聞いてきたらしい。

 なんでも、現在グロークスは検問の強化が敷かれていて、その原因というのが、指名手配犯の目撃情報だというのだ。

「大したことはない只の犯罪者だ。罪状はティアン数人の殺害やら傷害とか。都市を滅ぼすほどのやつじゃないんだが、それでもティアンにとっては結構な心配事だからな」

「うーん……まぁ、気を付けておこう。多分、俺たちが関わることはないだろうけどね。グロークスも広いから」

そこへ最後の一人、AFXが扉を開けて入ってくる。そしてそのまま疲れた様子で座り込んだ。

「面倒臭い……絶対無駄に引き伸ばしてるだろこれ!僕はこういうのが一番嫌いなんだ」

その台詞に、彼らは顔を見合わせた。

「確かに、わざと手続きを煩雑化して立ち入りを遅らせることは市長なら可能だ、犯罪者の目撃情報は名目に過ぎないのかもな」

「しかし、こんなやり方をしては経済が滞るぞ」

「なりふり構わず……ヒヒヒ、コワいねぇ」

「よほど街のなかに調べられたくないものがあるのであろうか?とはいえ、我ら以外にも来訪者は数多いはずであるが」

AFXはメアリーにだけ聞こえるように言った。

「愚痴のつもりだったんだけど」

 

 ◆◆◆

 

 一行は外壁を抜け、そしてバラバラになった。

「十五人で行動してたら目立つかもしれんぜ?ここは別行動すべきでしょ」

という藤堂に賛同したからだ。

 念のため、何かあったら連絡を密に取り合うよう言い含め、おおよそ数人ごとに別れた。彼らは決して隠密や調査のプロではない。自由に行動した方がやり易い、との面も確かにあった。問題は、

「そもそもそも、プロじゃない僕らに何故こんなことをやらせるのか、ってことじゃない?」

そうAFXは愚痴った。

「なに調べりゃいいのさ」

「えーとねぇ、貰ったリストによれば……」

メアリーがパラパラと紙をめくり、そして写真を示す。

「シハール・ミンコス。商人ね。金属資源の取引をしてる。最近、市長に難癖つけられて商品を徴発された、らしいよ」

 

 ◆

 

「全くもって横暴なんだ!そうは思わんかね!」

「や、本当にそうだと思います」

AFXは能面のような顔でその怒りを受け流した。ここはシハールの商店、正確にはその事務所だ。

「全くもって横暴ですね」

「そうだろう!うちが持っていた神話級金属はお陰で全てパァ!大損だ!」

「ちなみに、その徴発理由とはどんな……」

「脱税、その追徴課税だ!全くもって度しがたい、そこは暗黙の了解というか、前もって合意があった筈なのにあのグラマンと来たら……」

脱税はしてたのかよ!AFXはその言葉を飲み込んだ。傍らでメアリーが口を開く。

「いや、脱税はしてたんかい!」

なんで言うんだよ!AFXは思わず天を見上げた。幸いシハールはなんでもない風で続けた。

「その程度のことは皆やっている。これは高度に政治的な話なのだ。それよりうちの損害が問題だ!明らかに難癖だ、いくら神話級金属を集めているからといって!」

「集めている?」

その発言をAFXは聞き逃さなかった。

「集めている、というのは?」

「最近になって、市長が大量の金銭を使って神話級金属を買い集め始めたのだ。もちろん、その他の希少金属も、だがな。お陰で値が上がっていたからかなり儲けさせて貰ったが……あぁ、何でも武具や兵器の類いも買い集めているとの噂だ」

「それって……」

狼狽える二人に、シハールは大笑して続けた。

「クーデター、か?あり得んな、グラマンはそんな大それた男じゃない」

 

 ◆◆◆

 

「って言ってたけどさぁ……」

AFXは偶々入ったオープンカフェのテーブルに突っ伏しながら呟いた。

「怪しすぎるよ、絶対クーデターじゃん」

「でも、そんな男じゃない、ともいってたよ?」

向かいでメアリーがグロークス名物らしい七色のドリンクを飲みながら答えた。

「クーデター、ってつまりカルディナ中央への反乱でしょ?そんなことするだけのメリットがあるの?グロークスは普通に儲かってるみたいだし」

「意外と理由があるのかもよ、或いはカルディナ全土を征服する気かも……」

「あたしはそれこそあり得ないと思うけど……」

メアリーはぐいっとドリンクを飲み干すと、おかわりを取りにカウンターへと歩いていった。

 AFXは突っ伏していた顔を上げた。太陽が帽子を熱し、温い風が頬を撫でる。と、その日差しを遮るものがある。人影だ。

「甘酸っぱいねぇ、お二人さん」

「そういうのじゃないよ……」

下世話に笑って立っていたのは藤堂だった。人好きのする柔和な顔が朗らかに笑う。

「単独行動は避けろって話じゃなかったっけ?」

「カルテット兄弟なら近くにいるぜ、大体、お前さんがいるから一人じゃないだろ」

それもそうだ、とAFXはアイスコーヒーを飲みながら頷いた。その隣では、藤堂が手慰みにか、自らの<エンブリオ>である粘土を弄くっていた。白い粘土が赤く、黄色く、黒く染まり、形を変えて一杯のコーヒーカップになる。

「面白いな、あんたの<エンブリオ>……アダム、だっけ?」

「あぁ、赤き土より造られし原初のヒト……熱心なクリスチャンにゃ怒られそうなモチーフだな」

「変形、変色の能力だったっけ」

「そうだ」

 藤堂の手の中の粘土がゆっくりと大きく膨らんだ。その色が深紅に染まり、右手に剣を携えた、等身大の戦士の彫像のような姿になる。形を少し整え、満足げに唸りながら藤堂は続けた。

「せっかくだからな、能力の共有はしておいた方がいいだろう……通常の変色変形は《立体造形(オブジェ)》、こんな風に色や形を変えられる。都度俺のSPをコストとして消費するがね、まぁ安いもんさ。あぁ、強度は粘土のままだから防御や攻撃には使えないぜ」

「ふーん……」

AFXがコーヒーを飲み干す。藤堂はニヤッと笑って言った。

「必殺スキルは《自由自在の土細工(アダム)》っていうんだ。良い名前だろ?」

 そして、深紅の彫像の右腕が動く。瞬間、その手に握られた長剣が閃き、背後からAFXの頭を唐竹割りに打ち据えた。

 

 ◇◆◇

 

 テーブルが割れ、コーヒーのグラスが転がる。それだけではなく、その下の石畳にさえ、大きく傷が付いていた。

 《自由自在の土細工(アダム)》の効果は、変形能力の強化だ。宣言と同時に、どのようなものでも作り上げる。すなわち、形や色にとどまらない硬度、強度、あるいは……攻撃力までをも再現可能になるのだ。勿論、形を崩せば効果は切れてしまうし、リソース面での限度はあるが。

 今回造ったのは神話級金属の彫刻……動く人形だ。攻撃力も上級職の戦士と比べられるくらいはある。それゆえに、

「なんでかねぇ……?」

今、目の前でAFXの頭が()()であることは、不可思議でしかない。

「【偵察隊(リコノイター)】、間違いなくAGI型だ。それが今の一撃で無傷とはね、どういう理屈だ?」

 その藤堂の疑問には答えずに、AFXは立ち上がった。その胸に再度、アダムが突きを食らわせる。だが、その一撃は完全に止められた。腐った棒切れの方がまだ傷を負わせられそうだ。AFXが口を開く。

「あんたが裏切り者だったのか、藤堂」

「そうだ……なんだ?知ってたような口ぶりだな?まぁ、とりあえず一人倒して、あっちに取り入る材料にするつもりだったんだが……当てが外れたな」

「取り入る?誰にだ?市長か?……あんた、何を知ってる?」

藤堂はふーっと息を吐き、肩を竦めた。

「噂だよ。ただし、真実味のある噂だ。グロークスには<エンブリオ>を売る商人がいる、ってな」

「只の噂だろ」

藤堂はその言葉を無視して、AFXに語りかけた。

「なぁ、お前さんがどう思ってるかは知らないが、二つ目の<エンブリオ>を手に入れられるとしたら紛れもないお宝なんだぜ。感じたことはないか?自分の<エンブリオ>に対する、何て言うかな、不満を?」

 AFXは答えなかった。藤堂は彫像を撫でながら物憂げに続けた。

「俺もよ、アダムは気に入っちゃいるんだ。好きな部分だって沢山有る、が、それァ文句無しってことじゃない。むしろ好きだからこそ、考えるんだ……別の可能性もあるんじゃねえかな、ってな」

 AFXは口をつぐんだままだった。藤堂は尚も続けた。

「どうだ?また別の<エンブリオ>が欲しい、そうは思わねぇか?思うんなら俺と来いよ、俺の持ってる情報を分けてやる。一緒に第二の<エンブリオ>を手に入れに行こうじゃねえか」

そう言って、藤堂は握手を求めるように手を伸ばした。

「僕は……」

 AFXが口を開く。そして、その伸ばされた手が藤堂の手を払いのけた。

「悪いね。僕は、裏切り者を信じないことにしてるんだ」

「そうかよ」

 藤堂が残念そうに首をすくめる。そして、深紅の彫像が再度、AFXめがけて刃を振り下ろした。

 

 ◆◆◆

 

 神話級金属(ヒヒイロカネ)。最上たる深紅の金属は、いまや惨めに圧倒されていた。振り下ろす刃は幾度叩きつけようともかすり傷がせいぜい。逆に、恐るべき強度を誇る筈のその彫像の身体はボロボロに破壊されている。

「理屈に合わねぇな……それが、お前の<エンブリオ>か?だが、身体強化だとしても……」

他人(こっち)のせいにするなよ……むしろ、()()()()()()()()だ!」

 そう話すAFXの拳は、神話級金属を砕き、その刃をへし折っていた。明らかに【偵察隊】の所業には見えない。神話級金属を素手の一撃で砕けるものなど、超級職でもない限りはそういない。

「潮時か……」

 藤堂は呟くと、一歩下がって足元の石畳を踏みつけた。瞬間、地面が崩れ、藤堂がすっぽりと穴に落ちる。

「アダムで石畳に偽装した蓋を……?ッこの!」

 AFXは神話級金属の彫像を粉々に破壊すると、そのまま穴へと飛び込もうとする。だがその瞬間、地面が陥没し、穴は埋まってしまった。

「藤堂ォォォォ!!!」

憤慨するAFXの肩を、細い手が叩く。

「落ち着いて」

「……見てたなら加勢してくれたって良かったのに」

「……ごめん、なんか圧倒されちゃって」

 メアリーのその言葉に、確かに少し興奮していたAFXは頭を振って熱を飛ばすと、少しだけ冷静な顔で口を開いた。

「……いつもこうだ。裏切り者……」

そう呟くと、AFXはカフスを取り出した。これは明らかに有事だ。

 

◇◆

 

『そうか、理解した。しかし藤堂が……』

「あいつは確信があるようだった。何か確かな根拠があるんじゃないのか」

『実は、カルテット四兄弟も通信が繋がらなくなっているんだ。藤堂は彼らと行動していた、グルなのかもしれない』

「奴らが“商人”とやらと通じている……と?」

『可能性はある。信憑性もある』

そう言うと、キュビットは少しだけ声を低くした。

『俺たちが見つけた浮浪者の証言だよ。ここ最近、市庁舎に匿われている謎の集団がいるらしい。表向きはいないことになっているようだが』

「それが、“商人”?」

メアリーの質問に、キュビットは真剣な声で答えた。

『グリゴリオ達が市庁舎に向かってみたらしい。一見普通だが、実のところ厳戒態勢。監視網が敷かれている上に付近の野生動物さえも全て駆除されているそうだ。【偵察隊】等への対策だろうね』

 AFXは通信を切り上げると、憂鬱な顔でため息をついた。どうも雲行きが怪しくなってきた。

 メアリーがその顔を見上げる。そして、気遣わしげに問いかけた。

「さっきの……あの怒りかたは尋常じゃないよ。どうしてあんなに?」

「藤堂のときのこと?大したことないよ、裏切られて苛ついただけだ」

「嘘。そんなんじゃなかったよ絶対!何かあるんでしょ!……教えて」

その真っ直ぐな視線に怯んで、AFXは瞳を伏せた。不躾に他人の心の中に踏み入ってくるこの少女のこういうところが、AFXは苦手だった。なんと言うか、勝てない、という感じがするのだ。

「嘘じゃない、裏切り者が嫌いなんだ」

それが本心であり、全てだった。AFXにとっては。

 

 ◆◆◆

 

 ■【偵察隊】AFX

 

 AFX。彼の人生は、裏切りの連続だった。ドラマチックというわけではない。むしろ、ほんのつまらないことから大きなことまで、裏切りがついて回る、そのことのほうがAFXを絶望させた。

 ジンクス。まさにそれだった。彼が何かに“所属”したとき、絶対に彼を裏切るものが出るのだ。些細なグループから、無二の共同体……家族や友人、恋人であっても。

 不合理であり、非科学的だ。だからこそ、防ぎようなどなかった。常に、不思議な巡り合わせが彼に裏切りをもたらした。地球でも、そして<マスター>となってからも。

 ゆえに、彼はそれを恐れ、忌避した。当然の帰結として、彼の<エンブリオ>もまた……

「僕の<エンブリオ>の能力は、共通点を探すこと」

物憂げに彼は口を開いた。

彼の<エンブリオ>の銘は、【背信定理 メドラウト】。アーサー王の武勲(いさおし)にて、かの王の不義より生まれ、そして王国を滅ぼす裏切りの騎士の名前である。

 その能力特性は、裏切りものからの攻撃に対する耐性。

「所属国、パーティ、クラン、年齢、身長、性別、人種、嗜好、<エンブリオ>、ジョブ……あらゆる要素を比べて、共通点が多いほど、僕は強くなる」

 人間が分析し得ない微妙な差異でさえも読み取り、それをひとつの関数として自らを強化する第五形態のTYPE:ルール。その性質上、限られた状況でしか満足に動作しないが、いったん嵌まれば先だってのように神話級金属の刃すらものともしない防御力を得る。

 これだけなら、単に裏切りを忌避する心として片付けられた。だが、裏切りを恐れると同時、AFXの心にはまた別の暗い動きがあった。

 どうせ裏切るのだから、先に一線を引いてしまえばいい。裏切られる前に裏切ればいい。

「メドラウトの能力はもうひとつ。攻撃力の強化でもある」

人を信じ、裏切り者への盾を持つか、あるいは裏切り者としての矛を持つか。

 現状、その矛は裏切り者に抗うためのものとして機能している。しかし、いつまでそうであるかは分からない。

「結局、怖いんだよ、僕は」

 他人が。そして、何より自分が。あるいは人間同士の間にあるもの……信頼が。

 メドラウトは未だに必殺スキルを持っていない。きっと、盾と矛のどちらを選ぶか、人を信じるか否か、それを決めて初めて現れるのだろう。AFXの心が結論を出せれば、だが。

 メアリーは黙ってその言葉を聞いていた。と、その唇が開く。

「バッカじゃないの!?何よ、自分だけ被害者ぶってさ、あいつのが裏切りだっていうならあたしたちだって裏切られたんじゃない!」

AFXは驚きのあまり目を逸らすことも忘れて少女を見つめた。メアリーの怒気がAFXを刺す。

「怖い?裏切り?そんなのはさ、自分と他人って線引きだけで世界を見てるからそうなるのよ!自分の主観だけで見てるから!」

メアリーは熾の様に怒りを燻らせながら、続けた。

「あたしは?」

「え?」

「あたしも信じられない?裏切るかもって思う?」

メアリーはそう言うと、踵を返してずんずんと歩いて行ってしまった。

 後には、途方に暮れる少年だけが残されていた。

 

 ◆◆◆

 

「それで、こっちに隠し通路があるってのは本当なのか?」

「ぁあ本当だよ、見ィた見ィた」

いまいち舌の回らない浮浪者を船頭に、グリゴリオたちは市庁舎の周りをうろついていた。

「はァいっていったよ、そこから、たくさん」

もう使われていないらしい石造りの建物を指して、浮浪者が楽しそうに笑う。

「……だそうだが。どうする?入ってみるか?」

『……気を付けるなら』

「よしきた」

通信越しのキュビットの声にグリゴリオは強く頷いた。その後ろではシマがニヤついている。と、彼はその顔を上げ、天を見上げた。

「グリー、不味いな」

「どうした?」

シマはその言葉とは裏腹に、喜色を滲ませて言った。

「敵だ」

そして、隣を歩いていた浮浪者の身体が粉々に粉砕された。血が飛び散り、臓物が転がる。

グリゴリオの判断は素早かった。即座に大鉈を取り出し、天から落ちてきた影に振るう。だが、伝説級金属で出来た丈夫な筈の大鉈は、

「オラァ!」

その人影の拳に粉砕された。その勢いのまま、グリゴリオが蹴り飛ばされ、カフスが落ちる。人影が顔を見せ、してやったりとばかりに笑う。

 屈強そうな男だ。鳶色の短髪は無造作に刈り込まれ、下半身のみに鎧をつけている。上半身は何故か裸だった。

「その顔、見覚えがあるねェ……」

シマが呟いた。

「ドラグノマドでティアン相手に傷害殺人事件起こして指名手配になってたネ、違うかぃ?」

「あぁ、俺も知っているぞ」

グリゴリオが唸る。どうやら指名手配犯の目撃情報は確かなものだったらしい。その名は————

「【硬拳士(ハードパンチャー)】腕彦だな?」

「あらぁ、俺も顔が売れてんだね、嬉し恥ずかし」

腕彦はそう言って陽気に笑い、

「つうわけで、指名手配犯らしく通り魔でもすっかな」

拳を構えた。その足が踏み込む瞬間、グリゴリオが動く。

「《地塩土(ジエンド)》」

 その宣言とともに、グリゴリオの足が大地を踏み鳴らし、土埃と共にその足元が白く染まった。

「《塩害(メラハ)》」

 続いて成された宣言により、その白色……塩の塊が歪み、膨らむ。そして、大地から塩の結晶が杭のように襲いかかった。だが、

「効かねぇな!」

腕彦はそれを正面から受け止めた。その肌には傷ひとつついていない。

「抜刀ォ!」

 いつの間にか背後に回っていたシマが双刀を振るう。だが、その刃も等しく止められる。まるで木の棒ででもあるかのように。グリゴリオは塩の結晶を辺りに広げながら口を開いた。

「通り魔、と言ったな?お前のドラグノマドでの犯行の理由は口論と喧嘩からの私闘だったそうじゃないか。通り魔をやるようなタイプには見えん」

「あ?うるせぇなぁ、今日の俺は通り魔なんだよ」

「ほざけ!」

塩が飛び散り、グリゴリオが詰め寄る。

「言い訳が見え見えだぜ、お前、俺達に何か知られたくない事があるな?」

「例えば……市長について、とか?キヒヒ」

それを聞いた瞬間、腕彦の表情が変わった。両の腕を広げ、塩の柱を打ち砕く。

「うおおおお!俺は通り魔なんだよぉ!」

 その破壊の余波に吹き飛ばされながら、グリゴリオとシマは同時に同じ結論に達した。

「こいつゥ……」

「……単純バカだな」

 

◇◆◇

 

「何かあったな」

キュビットは厳しい顔で言った。突然の轟音。怒号。そして、通信の断絶。散開しての別行動は失策だったか、と頭を悩ませる。

「完全に異常事態だ、パラダイスたちに合流して、グリゴリオたちを回収しに…」

「……」

「カルテットは?どうするんだい?」

「た、多分状況的に藤堂さんと同じく、敵に接触を試みてると思われ……」

「うむ。口惜しいが、通信してこないと言うのは離反と捉えて良かろう」

その言葉にキュビットは深く頷いた。

「メアリー・パラダイスとAFXが優先だ。西側に向かうぞ」

そして、一行は足早に歩きだし……

「あらやだ、それは駄目よ」

瞬間、爆発に行く手を遮られた。土煙が巻き上がり、視界を茶色に染める。少し離れた通行人が慌てて逃げ出していった。

「……なんだ!?」

キュビットの叫びに、呼応するように煙が晴れる。

そして、土煙を吹き飛ばした()がキュビットたちの身体をもみくちゃに叩き散らした。

「あらあら、こんなものなのね……まぁ、アタクシが強すぎる、というのが悪いのだから、気に病まなくてよくってよ?」

「…ッ…誰だい、アンタ」

リンダの問いかけに、その人影……フリルの沢山付いた服を着こんだ、でっぷりと肥えた女が答える。栗色の髪を流し、化粧の濃い顔は嗜虐的に歪んでいた。深紅の宝石を嵌め込んだピアスがギラリと光る。

「【金雷術師】レディ・ゴールデン。以後、お見知りおきを……」

「GAW!」

そして、女の背後にいる黄色の竜が、その大きな尾を振り回しなから雄叫びを上げた。

 

 ◇◆◇

 

「……」

Moooの合図でソラリスが膨れ上がり、リンダが短剣を構える。キュビットは【司令官】のバフを起動し、ユーフィーミアを連れて一歩後ろへ下がった。Ⅳ世が馬上槍(ランス)を向け、レディ・ゴールデンとやらに向かって口を開いた。

「何故我らを襲う?」

レディは微笑みを浮かべ、答えた。

「そうね、貴方たちにとっては通り魔だと理解してもらって良いわよ?」

「市長との繋がりは?クーデターの一味のものか?」

それを聞くと、レディは愉快でたまらないというように顔を歪めた。

「ふふ、疑っているのね?でも、通り魔という言葉に嘘は無いのよ?確かに標的の選定にすこし恣意的なものがあるのは否めないけれど、通り魔だって襲う相手は選ぶもの」

そう言うとレディは贅肉を揺らし、

「さぁ、始めましょ?……フルゴラ」

「GAW!」

そして、黄色い竜が突進を開始した。瞬間、キュビットの脳裏に嫌な予感が走る。

(『フルゴラ』!ということは……)

「皆、離れ……」

「ふふふ……《雷庭(ガルテン)》」

 竜ーーフルゴラの尾が唸り、白く輝く。その光が弾け、周囲に雷撃が走り回った。踊る稲光があらゆるものを舐め、焼き焦がす。それに対応して、

「ぬん!」

ゴルテンバルトⅣ世が皆を守らんとその身で雷撃を受ける。更に、

「……!」

Moooが手を広げ、ソラリスが防壁として周囲に流れ出した。波打つ表面で電撃が踊る。

「【スライム】……相性はこちらが有利かしらね?」

レディの言葉通り、物理衝撃ではない雷撃はソラリスの体積を削り取っていく。

「この……!」

リンダが叫び、疾駆した。猫のような身のこなしでフルゴラに飛びかかり、短剣を突き立てる。だが、

「《雷掟(フェッセルン)》」

いかずちが集束し、リンダの身体を貫いた。しびれに耐えかねた身体が落ちる。その頭を踏み潰そうとフルゴラが前脚を掲げ……

「あら、うっかりしていたわ」

リンダの身体が蹴り飛ばされた。

「いけないわね、こちらでも闘わなければ……」

レディが右手を伸ばす。その手にはいつの間にか一振りの鞭が握られていた。鞭が唸り、風を切り裂いてリンダへと迫る。だが、

「させぬ!」

Ⅳ世が馬上槍でその鞭を絡めとった。鍔迫り合いのように槍と鞭がぶつかり合う。鞭が蛇のように蠢く。

「ただの武器ではないな?もぞもぞ動きおるわ」

「もっと面白いものもあるのよ?」

レディは笑うと、左手を威嚇するように広げた。

「《ゴールデン・グリッド》!」

金色の雷球が顕現し、そして鞭に吸い込まれるように消える。黒い鞭の上を火花が走り抜け、

「ぐ……!」

Ⅳ世を雷が襲った。鎧がパチパチと鳴り、煙が上がる。

「制御に難のある雷魔法を……鞭で伝導した?」

リンダが叫ぶ。ただの鞭でないことは明らかだった。レディが得意気に笑いながら鞭を振るわせる。

 と、その後ろから新たな人影が現れた。ローブを着こんだ厚着の男、三人だ。くすんだ色味のローブは砂にまみれて汚れていた。レディが訝しげな表情を見せる。

「そこまでだ!往来での戦闘など許してはおけん!我ら<トロワ・マジシャンズ>が成敗する!」

「ぬ……グロークスの<マスター>であるか……」

呻くⅣ世を無視して、その三人は杖を掲げた。光が迸る。

「おい、俺達も纏めて撃つ気か!?」

キュビットの抗議に、彼らは毅然と言い切った。

「両成敗だ!《クリムゾン・スフィア》!」

「《エメラルド・バースト》」

「《ホワイト・フィールド》」

三種の上級奥義がレディ含め彼らに襲いかかった。だが、

「ふふ、残念だったわね」

レディがⅣ世の槍から鞭を剥がし、素早く振るう。と、黒い鞭が上級奥義を絡めとった。凄まじいエネルギーの塊が鞭を伝って暴れまわる。

「お返しよ」

 そう言って、レディは<トロワ・マジシャンズ>に鞭を叩きつけた。三種の魔法が同時に炸裂し、主たる魔法職の脆弱な身体を粉々にする。

 その隙をキュビットは見逃さなかった。

「《喧騒曲:最終楽章(ヤマビコ)》、衝撃波!」

キュビットの宣言と共に、音の発展形たる衝撃波が指向性と威力を操作され、レディを襲う。だが、

「ハッ!」

レディは返す鞭で衝撃波さえをも絡めとった。その返報を受け止めたⅣ世が吹き飛ぶ。

「ヤマビコの必殺まで?」

キュビットが唸る。

「鑑定は不能。高位の特典武具か?魔法の伝導が能力特性?だが……」

キュビットの《鑑定眼》はかなりの高レベルだ。それで覗けないとなると……

「<エンブリオ>?いや、それはあのフルゴラのほう……」

 考え込むキュビットにフルゴラが突進をかます。その全身をいきり立つソラリスが覆った。迸る電撃に焼かれながらも、フルゴラを押さえつける。フルゴラのいかづちとソラリスの溶解消化が互いの身を食いあう。

「いずれにせよ、強い」

キュビットは渋面を作って言った。

 

 ◇◆◇

 

「強いな」

グリゴリオは吐き捨てるように言った。

 グリゴリオとシマの<エンブリオ>の能力は、どちらも物質……他者に影響するもの。ただしそれには前提となる条件が存在する。

 グリゴリオ……【塩害条約 ソドム】の場合は攻撃全般によるダメージ。シマ……【拡縮双刀 エビングハウス】の場合は<エンブリオ>による刀傷。

それが発動していないということは……

「ダメージが皆無……掠り傷すらも負っていないのか。対した防御力だ」

「お、それ褒めてる?ありがとう!」

「違う。疑問だ」

グリゴリオは静かに言った。

「強すぎる。貴様はせいぜい二流のちんけな犯罪者だった筈。だがこの手応え、準<超級>とさえ思える。……どんなトリックだ?」

「グリー、おれも気になることがあるんだよなァ」

土にまみれたシマがむくりと立ち上がり、口を開いた。

「こいつの左手、紋章が二つあるんだ……おしゃれタトゥーだと思うか?」

 そう、腕彦の左手には二つの紋章が刻まれていた。ひとつは左手の甲、雄々しい男を象った紋。そして、

「左前腕部、正方形と円を組み合わせた紋章。それはなんだ?」

 腕彦は答えない。代わりに、その掌が獰猛に構えた。

「そーいう問答はいいだろ!今度はこっちから行くぜ!」

そして、その拳が唸りをあげて二人に襲いかかった。殴打は地面を割り、手刀が石をも切り裂く。あまりの攻撃力に大気すら歪み、大地が弾けとぶ。

「【硬拳士】の……《我が拳、巌となりて》か」

「グリー、ヤバイぜ、こいつ」

《看破》を済ませたシマが目をパチパチさせて呟いた。

「硬いわけだ。END:200596……二十万越えなんて初めて見たな」

「つまりあの拳の攻撃力はその三倍ちょっと、ぞっとするじゃないか」

グリゴリオが顔をひきつらせる。

「END倍加のテリトリーにしたって強すぎるぞ……+αがあるな」

「特典武具は見当たらねェ。超級職も違う……キヒヒ、まるで……」

「2つ目の<エンブリオ>か?……どうも現実味が出てきたな」

 そう言ったグリゴリオの頭を腕彦の拳が掠める。一発でも直撃すれば致命傷だ。AGIが対して高くないのが救いだった。躱すことは出来る。

「おい、どうなんだ?」

「知らねぇ!俺は通り魔だァ!」

「それしか言えねえのか」

「《真偽判定》に反応アリだぜ、とことんバカだ、キヒヒ」

シマが嗤い、グリゴリオがため息をつく。

「そうでもないぞ、どんな嘘に反応してるのかが分からん。情報が少なすぎるな」

 グリゴリオが替えの鉈を取り出し……しばし逡巡してまた仕舞い込んだ。

「どちらにせよ、知ってることを吐かせてやらねばな……河岸を変えるぞ」

「……!いいぜ、グリー」

 そう言うと、二人は脱兎のごとく腕彦に背を向けて駆け出した。腕彦が呆気にとられて叫ぶ。

「おいおい、マジかよ、逃げるのか!」

「貴様のような耐久バカに付き合ってられるか!」

グリゴリオの発言に、腕彦の額に青筋が浮かぶ。

「俺から、逃げられると思ってるのか……!このバカ!」

 腕彦の拳が唸り、地面を殴り付ける。瞬間、後ろの町並みが爆発し、腕彦の身体が射出された。

「STR移動だと!?」

「あいつのAGIじゃ、走るよりあれのほうが早いって訳か。あのENDならそりゃ反動は無いだろねェ……まるでミサイルだぜぇ」

 町を切り裂きながら移動する腕彦を必死で躱しながら、グリゴリオとシマが走る。

「あの場所まで行けさえすれば……勝機はある!」

「勝機って言えるかい、コレ?」

二人は笑いながら走った。空では、太陽が傾き始めていた。

 

 ◇◆◇

 

 AFXは高台……町を見下ろす展望台で立ち尽くしていた。眼下に広がる町は午後の太陽に照らされて影を伸ばしている。

 グロークスは起伏の激しい都市だ。都市を囲む城壁は厚く、それだけで一つの建造物……内部に沢山の屋内施設を抱えている。その根元は掘削によりいくつもの深い谷が出来上がっており、橋やロープウェイが架けられている。その地下は黒々としていて底が見えない。翻って、都市の南側には元の地面の高さを活かした高台が広がり、南北の傾斜を作っている。その美しい景色を前に、彼の顔は憂鬱だった。

 メアリーの言葉がずっと頭に残っていた。自分勝手。確かにそうだったのかもしれない。自分の都合に溺れ、自らの不幸に怯え……

「そりゃ当然か、端から一線引こうとしてればな」

 とはいえ、訊いてきたのはあっちじゃないか……AFXはため息をついた。メアリーは見つからない。キュビット達に合流しに行ったのか、単独行動しているのか。

 AFXは左手の紋章に目を落とした。これが自分の本質を読み取っていることは事実だ。裏切りへの恐怖と、他人への開き直り……攻撃性。

「<エンブリオ>にしてしまう程拘ってるんだものなぁ……」

 AFXは踵を返し、歩き始めた。メアリー達に合流しなければならない。

 

 

 そして、町のほうから爆発音が響いた。落雷が光り、土埃が舞い上がる。地響きと叫び声が聞こえる。

「……!」

AFXの顔が厳めしいものになる。

 無関係な事故、事件であれば良い。だが、

「そうは思えないな」

市長の疑惑や、その他さまざまな可能性が脳裏を走る。悪い想像などいくらでも浮かぶ。すぐさまAFXは走り出した。そして、

「《冷凍光線(ケイモーン・アルパ)》」

その移動の先に光が突き刺さった。白い煙が溢れ、湧き出した氷の壁が行く手を阻む。痛いほどの冷気が肌を刺す。

「!?」

 動揺するAFXが光の来た方を振り向く。頭上、空高く。そこには、

「はじめましてだな、そして、さようならでもある」

巨大な白い鳥に跨がった、冷たい目の女がAFXを見下ろしていた。

「誰だ!」

「【高位従魔師】白色矮星。あるいは……ただの通り魔と呼んでくれても、いい」

女はそう言うと、酷薄に笑った。

 

 To be continued

 



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第三話 丁々発止

 

 □■冶金都市グロークス 

 

 氷と霜が一帯を閉ざす。あたかも冬そのものが襲いかかってくるかのようだ。息は白く、風は痛いほどに冷たい。

「《冷凍光輪(ケイモーン・ベータ)》」

「こな、くそ!」

AFXは地面を蹴りつけた。次の瞬間、蹴りつけたその場所があっという間に氷に閉ざされる。

「冷凍光線なんて非科学的な能力使いやがって……!」

「肯定しよう、非科学的だ。あるいは空想的(ファンタジー)とも言えるな」

 余裕そうなその言葉にAFXは歯噛みした。その身体は所々が白く、硬く、【凍結】している。それを成したのは、頭上を飛ぶ巨大な鳥だ。その口から出る光線は当たった物体の熱を奪い、氷をもたらす。

 その背に跨がる女、白色矮星。白い髪を緩やかに束ね、黒装束に身を包んだ女は、冷たく言った。

「ふん、よくぞ耐えている。先ほど取り出していた対氷結装備を加味しても、素晴らしい氷結耐性だ。君の<エンブリオ>の能力かな?」

「くっ……」

人間。カルディナ出身。現在地。<マスター>。メドラウトは出来る限りの耐性を発揮していた。だが、それだけだ。年齢、身長、体重、性別、髪の色……

「共通点が少ない。藤堂のようにはいかないか」

AFXは悔しげに顔を歪めた。そのしかめ面の理由はもう一つ……敵の高度だ。

 空を飛んでいる鳥……TYPE:ガードナー系列の<エンブリオ>と推測されるが、その高度はおおよそ地表から数えて一〇メートル弱。手は届かず、足では近づけない。

「空からの一方的な攻撃……定石だけど、意外とキツいもんだね」

「当然だ。ゆえに定石。ゆえに我が戦術。」

 AFXに遠距離の攻撃手段は持ち合わせがない。ダメ元で何か投擲した所で、あっさりと躱されるだけだろう。考える時間も足りなかった。なぜなら……

「さて、足を奪った。ここからは嬲り殺しだな」

AFXの脚が、躱しきれなかった氷に縫い止められているからだ。既に、地面から伸びる氷雪の塊がつま先から脹脛までを覆っている。

「《冷凍光線(ケイモーン・アルパ)》」

「おおお!」

AFXの全身が光線(ビーム)に晒され、ゆっくりと……純白に凍りつき始める。筋肉が固まり、血が濁り、皮膚がひきつる。霜が降り、氷が張る。人体という柔らかな水の流れが、彼女のもたらす冬に硬く留められてゆく。手が、指が、瞼さえもその軟らかさを失い、硬く脆い氷像へと変じていく。

「終わったな、【偵察隊(リコノイター)】」

 氷のように冷ややかな声が響き、AFXの意識が身体から切り離され……

「《癒しの息吹(ヒリング・オーラ)》」

突如、あたたかな光がその身体を満たした。全身の【凍結】が解け、ずたずたの組織が再結合し、正常な皮膚感覚が舞い戻る。

AFXは眼を開けた。その瞳によく知っている影が映る。

「……また、助けられた」

メアリー・パラダイスは黙ったまま、少しだけ口角を上げた。

 

 ◇

 

「助太刀か、君、運がよかったな」

空を飛ぶ巨大な手と少女の出現に、白色矮星は表情を変えることなく言った。

「飛行と回復能力か。使い勝手のいい手札だ。なかなか手ごわい敵になるやもしれんな……丁度いい」

白い髪をバレッタで纏め、黒いグローブを嵌める。その眼が鋭さを増し、地上をねめつける。

「ウルル……飛べ!」

その声に呼応して、純白の怪鳥が翼を羽ばたかせた。嘴が開き、白色矮星の<エンブリオ>、ウルルが嬉し気な鳴き声を上げる。

「《冷凍光輪(ケイモーン・ベータ)》!」

瞬間、ウルルが光の玉を吐く。光球はその厚みを失い平面状になると、高速回転する光のリングとして二人に襲い掛かった。

「アシュヴィン‼」

メアリーが叫ぶ。飛行する両腕が上昇し、二人はその掌に飛び乗った。光輪を躱し、白色矮星へと迫る。

「Gyaaa!」

ウルルが飛び、アシュヴィンが追う。だが、同じ<エンブリオ>でも両者の飛行速度には大きな差があった。アシュヴィンが引き離され、

「《冷凍光線(ケイモーン・アルパ)》!」

光線が襲い掛かる。

右手(ライト)は右上、左手(レフト)は左下へ!」

メアリーが叫ぶ。アシュヴィンが散開し、二方向から円を描くようにウルルへと迫った。途端に距離が縮まり始める。

「チッ!」

白色矮星が忌々し気に舌打ちをする。メアリーがしてやったりとばかりに笑った。

「やっぱり。高度に制限がある。その代わり消費が少ないみたいだけど」

「よく喋る……」

白色矮星の言葉に応じてウルルが一声鳴き、急減速をかける。後ろに回った白色矮星はその両手を広げ、

「狙撃実行」

その手に握った魔力式銃器を無造作にぶっ放した。炎の弾丸が宙に紅い線を引く。ロケット花火のようなそれは轟音を立てて容易くアシュヴィンに突き刺さった。

「飛行性能は並み以下。であれば……」

「おりゃああ!」

メアリーが煙をあげるアシュヴィンから跳躍する。その拳が唸りをあげて黒装束の女に迫る。

「そう、乗り移っての接近戦だろうな」

そして、その拳が凍りついた。メアリーが驚きに目を見張る。その隙を炎の弾丸が捉えた。右腕が木っ端微塵に砕け散る。

「くっ……《サードヒール》!」

 メアリーが腕を治療しつつ、ウルルを蹴り飛ばして地上へと落ちる。それを見つめる白色矮星とウルルの周りは微かな白色光に満たされていた。その紅い唇が動く。

「ふふ……《冷凍障壁(ケイモーン・ガンマ)》」

それは冷凍光線の障壁。軽率に踏み込んだものを圧倒的冷気に晒す無慈悲な結界。ここもまた、彼女の距離だ。

 と、白色矮星が顔を上げ、町の方角を見た。相も変わらず爆発音が断続的に響いている。その口から独り言が溢れた。

「チッ……もう少し()()()()()()()。然らばそろそろ行かざるを得んな、役立たずどもめ!」

彼女の手がウルルを撫でる。巨鳥が心得たとばかりに翼を広げる。

 そして、顔をしかめる彼女の後方に、もう一つの影が近づいた。その気配を見切って白色矮星は言った。

「浅はかだぞ【偵察隊】。お友達がどうなったか見ていなかったのか?」

余裕綽々で女は静かに振り向き……

「え……?」

驚愕でその思考を止めた。

 

白い髪。黒装束。バレッタ。紅い唇。形の良い鼻。

 

そこには、白色矮星と寸分違わぬ顔形の女が、冷徹な表情でアーミーナイフを構えていた。

 

 ◇◆◇

 

「な……!」

 驚愕のあまり一瞬停止した白色矮星は、しかしその凍った思考をすぐに立て直した。

(恐らくは幻術か、【隠密】の《変化の術》!見せかけの虚仮威しだ!)

 であれば、何も変わらない。《冷凍障壁(ケイモーン・ガンマ)》は問題なく動作している。即座に凍結し、行動不能になる。

(いや、しかし!こいつには何らかの耐性があった……)

 冷気に耐え、凍りつくまでの僅かな時間で攻撃を叩き込む手筈か。あちらには回復持ちがいる、大胆な手は取りやすいだろう……と、白色矮星は考察する。

 《瞬間装備》で武骨なシールドを取り出す。少しの間を凌ぎきれば、彼の身体とて凍り付いて動かなくなる。あるいはその後で必殺スキルを起動して彼を殺しても良い。回復があるからと、我が冷凍光線を舐め腐ったその態度が気に入らない。

 そして、己の意図に満足する白色矮星の盾に、AFXがナイフを横薙ぎに叩きつけた。

 

次の瞬間、盾は木っ端微塵に壊れた。

 

「何!?」

 

狼狽する白色矮星に、返す刃の更なる追撃が迫る。

(馬鹿な……盾は十分時間稼ぎになるほどの堅さを……それに、なぜ!)

白色矮星の思考を驚きのノイズが走る。

(なぜ【凍結】していない!?)

目の前のAFXの動きには一切の鈍りも見て取れない。本来ならすぐに霜が降り始めるというのに。

 

 ◇◆◇

 

 AFXが用いているのはサブに置いていた【幻術師】系統の能力……幻術。自らの姿を光学的にのみ変化させ、白色矮星と寸分違わぬようにしている。実態は無く、ただ視覚を欺瞞するだけの一時の幻。

 

そう、ただ姿()()()()()()()()()()()だけに過ぎない。

 

 それは細部に至るまでの()()のみの一致だ。各要素の域にとどまらない()()()。他人からどう見られるかという全て、その完全一致であり、なんら戦闘力には寄与しないとしても、メドラウトにとっては多大なる糧となる。

 偶然ではあり得ないほどのその一致率がAFXに力を与え……

「《裏切りの矛(バトレ・パイク)》」

その一撃は凄まじい攻撃力で白色矮星に襲いかかった。藤堂の時には及ばずとも、十分な強化率。【高位従魔師】にとって致命は必至の必殺擊。だが、

「効きすぎたか……」

AFXは呟いた。白色矮星の黒装束から【ブローチ】の破片が落ちる。

「……《キャスリング》」

 白色矮星は忌々しげに呟き、そしてその姿はかき消えた。代わって現れた小鳥がピイピイと飛び去る。AFXの形が揺らぎ、ほどけて、そして元の姿に戻った。幻術の時間切れだ。冷気の残滓を吸い込んで、AFXの息が白く濁った。

 

 ◇◆◇

 

「うふふ、あははは、《ゴールデン・グリッド》!」

「……《来たれ大海嘯(ソラリス)》!」

辺りを埋め尽くす粘液を雷が蹴散らす。触れるもの全てを貪るスライムを踏み越えて、竜……フルゴラが吠えた。

「ぬん!」

馬上槍を構えた老騎士がレディめがけて突撃する。されどその進撃は、フルゴラの尾の横殴りで止められた。崩れるⅣ世にフルゴラが尾の先を向ける。レディが叫ぶ。

「《雷霆(シュペーア)》!」

そして、黄色い尾が槍のようにⅣ世の鎧に突き立った。雷が溢れ、火花が踊る。

「くおおお!」

Ⅳ世の馬上槍がフルゴラの尾を刺す。その勢いのまま、Ⅳ世は槍を投擲し、

「フン!」

そしてレディの振るう鞭に槍が絡め取られた。

「くそ、勝ち筋が見えない……!」

キュビットは唸った。これほどの人数差をものともしない圧倒的戦力。あるいは準<超級>とさえ思える。

 魔法などの遠距離攻撃は鞭に潰され、近距離で戦おうにもフルゴラがそれを阻む。なにより、火力の高い雷撃の数々を無防備に受けてもいられない。

「《雷庭(ガルテン)》!」

稲妻の雨が降り、電光と火花が走り回る。だが、

「ふん、そうね……そろそろ終わらせてあげるわ」

レディは残酷に顔を歪め、()()()()()()ことを告げた。

 フルゴラの尾が歪み、先細り、鞭のグリップに接続される。黒い鞭が蠢き、敵を見定める。レディの唇が動く。

「《雷帝は此処にいま(フルゴ)ーー」

 だが、次の瞬間、大路の右側にある石造りの建物が爆発した。粉塵と瓦礫が飛び散り、石くれに混じって三つの大きなものが転がり出てくる。それらーー三つの人影が立ち上がり、ぜえぜえと息をついた。

「ああ、くそ!死ぬかと思ったぜ!」

「けどよォ、やーっと当たりを引けたみてぇだな」

グリゴリオとシマが頭を振り、

「あー!デブじゃん!ここで何してんのさ!」

腕彦がレディを指差してわめく。レディは一瞬忌々しげに顔を歪めると、すぐに諦めたように言った。

「……貴方って、本当におバカさんなのねぇ」

「あ!?どういう意味だよ!」

ギャアギャアと騒ぐ彼らを見て、グリゴリオは言った。

「あの女は?」

「先ほど襲撃された。『通り魔』らしいよ」

「ふん、俺達と同じだな……仲間か?」

疑わしげにグリゴリオが唸る。騒ぐ二人の襲撃者を注視しながら、彼らは手早く情報を交換した。

「理解した。その方向で行こう……Mooo、あんたは<エンブリオ>をしまえ」

無言で抗議の気配を漂わせる彼に、グリゴリオは言った。

「体積を失いすぎだ。このままじゃ完全破壊されるぞ」

 Moooは不承不承と言った様子で首肯した。潮が引くようにソラリスが縮み始める。それを見て、二人は口喧嘩を取り止めた。

「あら、戦闘放棄?無抵抗主義かしら?」

煽るように言うレディに向かってグリゴリオは言った。

 

「違う……選手交代だ」

 

 言うが早いか、グリゴリオとシマはレディに向かって駆け出した。グリゴリオが地面を踏みつけたその背後から白い結晶が持ち上がる。

「《塩害(メラハ)》!」

 そして、塩の柱が鋭い槍のようにレディを襲った。だが、それだけではない。シマの腕が動く。

「抜刀ォ!賦羅素(プラス)丸!」

 その刃が塩の槍の一つを切断し、そして返す刀が切断面を打った。尖った結晶が、斬撃の勢いを乗せられて弾丸のように飛ぶ。塩の弾丸は蠢くように膨らみ、爆発した。クラスター爆弾のように塩の結晶が広範囲に突き刺さる。

 シマ・ストライプの<エンブリオ>、【拡縮双刀 エビングハウス】の能力は、斬撃を起点とした物体の膨張と収縮。賦羅素(プラス)丸によって斬られたものは即座に膨張し、靭性に欠けるものであれば爆発する。二つの<上級エンブリオ>による協同攻撃。だが……

「《雷庭(ガルテン)》」

雷速で蠢くいかづちがその全てを打ち砕いた。

「弱いわね……塩?岩塩(ハーライト)のモース硬度はたったの2、攻撃に向く物質じゃないわ」

フルゴラの尾が風を切って二人を襲う。その尾を全身で受け止め、グリゴリオは大鉈を振るった。尾の表皮が白く変色し、白い粒が飛び散る。レディが少しだけ目を細めた。

「なるほど……物質を塩に変化させる能力、そっちのほうがメインウェポンってわけかしら?」

 少しだけ傲慢さを減じた声に、グリゴリオは獰猛に笑う。

 

「あぁ……少し待っていろ。二、三分で塩の像にしてやるよ」

 

 ◇◆◇

 

「で、俺の相手はあんたらってわけ?良いよぉ、遊ぼうぜ!」

腕彦は嬉しげに拳を構えた。その拳が揺らぎ、圧倒的な攻撃力の凄みを帯びる。

「善かろう。だが、一人だ。儂一人が相手をする」

老騎士は重々しく言った。

「皆、下がって呉れ」

「あぁ、分かった」

頷くキュビットに、リンダがひきつった顔で言った。

「良いのかい?さっき覗いたけど、あいつのEND、とんでもないよ。おまけに【硬拳士】……」

「それはそうだが、Ⅳ世なら大丈夫だ。むしろここに俺達が居ることの方が良くない……どうにかしてあいつを誘導して引き離さないと」

キュビットが不可解なことを言う。リンダが眉をひそめ、ユーフィーミアが首を傾げた。

そんな彼らをよそに、

「ふん!」

ゴルテンバルトⅣ世が槍を振るう。馬上槍が大気を切り裂き、

「はっ!」

腕彦の拳が槍を砕いた。砕けた槍の破片の間隙から、Ⅳ世の回し蹴りが飛ぶ。その脚を捉えんとする腕彦の拳を躱して、Ⅳ世は笑った。

「やはりな。AGIでは儂に少しだけ分があるようだ。或いは、貴殿の動きが単純なのか」

「あ、それってさァ、やっぱ馬鹿にしてんの?」

腕彦が不快そうに言う。

「ムカついた!……消し飛ばしてやるよ」

腕彦の拳が宙を切り裂く。触れた大地が限界まで砕け、砂と化した。Ⅳ世が身体を捻って拳を躱しつつ、足を下げる。

「おりゃああああ!!」

闇雲な連撃(ラッシュ)が破壊の雨をもたらし、辺りの全てを粉々に砕く。回避に専念しながら、Ⅳ世が呟いた。

「ホホ、どうした?儂は此処に居るぞ?」

「なめるな、爺!」

急にしゃがみこんだ腕彦の拳が、全力で大地を殴り付けた。土煙が噴出し、地面が大きく消し飛ぶ。視界が土色に染まり、Ⅳ世の足が一瞬止まる。そして、

「……捕まえた!」

その隙に腕彦の拳がⅣ世の顔面を打った。Ⅳ世が弾け飛び、建物に突っ込む。その身体は三棟の家を貫通し、そこで止まった。瓦礫が崩れ、Ⅳ世の懐から【ブローチ】が砕けて落ちる。Ⅳ世は身体を起こしながら悲しげに言った。

「なけなしの【ブローチ】だったのだがな」

そして、再度の爆発音が響き、

「死ね!爺!」

シンプルなセリフと共に腕彦が建物三棟を打ち砕き、止めを刺すべく襲いかかった。それを見切ってギリギリで躱しつつ、Ⅳ世は素早く辺りを見回し、そして……一つのベルを取り出した。

 銀色の金属で出来たベルだ。持ち手には植物を象った装飾がある。Ⅳ世は壊れやすい貴重品を扱うように、そっとやさしくそれを振った。ベルが小さく澄んだ音を響かせる。それを聴いて、Ⅳ世が満足げに頷いた。

「此処なら、近くに人はおらんようだな。逃げたか、或いは……まぁ、それは考えても仕方あるまいな」

「よそ見だと!?この……」

「いや、すまなかったな。儂の<エンブリオ>は他人が居っては使えんのでね、ここまで貴殿を誘導する必要があったのだ」

Ⅳ世はそういうと、両の手をーー何故か全身鎧の中でそこだけむき出しになっている両手を掲げた。

 それは不可解な動き。恐るべき攻撃力を拳に携える強敵を前に、逃げるでもなく、立ち向かうでもなく、ただ両の手を見せる。腕彦でさえ思わず手を止めて注視した。

 傷だらけの鎧の黒に、染みの浮いた両手の白が映える。Ⅳ世の髭に覆われた口が動く。老騎士は呟くように静かに告げた。

「《亡びの地平線(シバルバ)》」

その言葉と同時、腕彦は戦慄した。

 Ⅳ世の両手には、いまや一双の籠手が嵌められていた。青黒い金属で出来たそれにはおどろおどろしい髑髏の意匠が施してあり、緑青が縁を彩っている。これこそが、ゴルテンバルトⅣ世の<エンブリオ>ーーTYPE:エルダーアームズ、【唱老病死 シバルバ】。

 青黒い金属から瘴気が立ち昇り、辺りをゆっくりと満たす。地面がくすみ、瓦礫が崩れ……一切が腐食され、朽ち果てていく。それは腕彦とて例外ではない。装備品が黒ずみ、身体がささくれる。

「こンの!」

 腕彦が拳を振りかぶる。それを一歩下がって避けたⅣ世は、力まずに右手を振り抜いた。籠手ーーシバルバが腕彦の前腕を軽く撫で……その右腕を、ひときわどす黒く染める。

「恥ずかしい限りであるな。<エンブリオ>は個々人の人格(パーソナル)の具現だそうだが……であれば、儂は心のどこかで()()を望んでいるらしい」

 それは、自分以外の一切、万物を壊す瘴気だ。対象の材質や性質、そんなことには頓着しない。敵味方の区別なく、自分以外のものであれば容赦なく作用する。

 能力をオフにすることも出来ない。<エンブリオ>を紋章に格納することで抑えてはいるが、一旦取り出せば強制的に《亡びの地平線(シバルバ)》は発動してしまう。そして、<エンブリオ>と、そこから発せられる瘴気に触れるもの全てを蝕むのだ。

 無差別の極致。一切の制御を投げ捨て、Ⅳ世のMP(エネルギー源)を喰らい尽くすまで止まらない破壊の衝動。<上級エンブリオ>が全てを捧げたそれに抗えるものなどいない。あたりの一切が腐敗し、変質し、崩壊の波が静かに全てを飲み込んでいく。

 その中でも、直接接触を食らってより強く朽ちる身体を眺め、腕彦は狼狽えた。

「な、何でだよ、俺の身体が!」

「これはシステム上病毒系状態異常に分類されておる。ENDが高かろうと耐性が上がるわけではないからの……」

「っこのぉ!」

腕彦は狂乱してわめき、冷静なⅣ世へと殴りかかった。状態異常相手に長期戦は不利。ゆえに、先んじて本体であるⅣ世を沈める。だが、

「だが、貴殿にはAGIが足りない。これから逃げに徹する儂を捉えるのはもう無理だ。そして……《瞬間装備》」

 一転、距離をとって体勢を立て直さんと、逃げの手を打った腕彦の足首をⅣ世の射た弓矢が貫いた。シバルバに汚染された矢がⅣ世の手を離れたことで腐り落ち、その腐敗を周囲に広げる。腕彦がつんのめった。

「……逃走は許可できんな。儂が任された相手だ、ここで朽ちていって貰おうか」

Ⅳ世は何の感情もなく、平然とした顔でそう言った。

 

 ◇◆◇

 

 雷の竜が吠え、その尾が辺りを薙ぎ払う。だが、その身体は少しずつ白く染まっていた。ソドムの能力により、塩に変化していっているのだ。加えて、

「《塩害(メラハ)》」

その塩の結晶の形を操作する能力により、フルゴラの体内に体表から塩の楔が打ち込まれる。フルゴラが痛みと苛立ちで吠え、周囲に雷を撒き散らした。

「クッ……」

レディ・ゴールデンが悔しげにその唇を歪める。

「やはり、俺達の能力はその鞭の対象外だな」

グリゴリオは静かに言った。

「お前が有利を取れるのは、魔法職や対人を得意とするAGI型に対して……俺達のように近距離で腰を据えて戦いうる前衛に対してはそれほどでもないようだ」

鞭で遠距離を、フルゴラで前衛を。レディの戦法は強力だが、それでも穴がある。フルゴラを正面から打倒されれば、魔法職の脆弱な本体を晒すことになるし、鞭で跳ね返せないタイプの特殊攻撃もある。

「……《ゴールデン・グリッド》」

雷の奥義魔法が発動し、極大の雷を帯びた鞭が疾る。だが、

「それも無駄だ。雷を鞭で電導するというのはいいアイデアだが、動きを読まれやすくもなる。その鞭の速度は雷速より遅いのだからな」

「偉そうに、随分と喋るじゃない?余裕のつもりかしら」

「それもある。だが、一番の目的は会話そのものだ」

グリゴリオは鞭を躱しつつ言った。

「その鞭。魔法スキルに類するものの伝導……反撃が能力特性か。まるで<エンブリオ>だな、お前の左手にも二つ目の紋章があるんじゃないのか?」

淑女(レディ)をお前呼ばわりは辞めてくださる?」

レディが不快そうに言った。その背後からシマが飛びかかる。だが、

「《雷丁(ゲーニウス)》」

一部の隙もない高圧電流の障壁がそれを阻んだ。電離した大気の匂いが鼻を刺す。

 すかさず、たたらを踏んだシマをフルゴラの尾が吹き飛ばす。その反動で塩化した身体が砕け、白い粒が飛び散った。

「フルゴラ!」

レディが金切り声をあげる。おもわず狼狽を露にし、顔をひきつらせる彼女に、グリゴリオは言った。

「これ以上相棒が塩になるところは見たくないだろう。答えろ、レディ・ゴールデン!<エンブリオ>を売る商人とは何だ!市長とお前らの関係は!その鞭の正体は!」

「ベラベラ煩いのよ、凡俗が」

レディは顔を伏せた。髪が崩れ、毛の房が垂れ下がる。

「脅迫なんかして……それほどに有利を取ったつもりかしら?良いわ、知りたいなら教えてあげるわよ……身体にね」

女が顔を上げ、形相を露にする。その眼が憎悪と屈辱に光る。

「【劣級伝導 コンダクティカ】、目覚めなさい……《コンダクト》!」

その宣言を聞いた瞬間、グリゴリオは後ろに飛びすさった。何かが違う、そう感じたからだ。そして次の瞬間、

「これはこれは」

グリゴリオが居た場所と……同時にグリゴリオとシマの身体をも、()()()()()()()()()()が吹き飛ばした。

「マジ、かよ、増えやがったぞ!」

「余計な煽りするからだぜぇ、どーせろくに答えやしねえのに」

 黒い鞭は触手のようにうねり、ひとりでに蠢いている。もはや鞭というより生き物といった方が正確だろうか。それを握るレディが叫ぶ。

「《雷帝は此処にいまし(フルゴラ)》!」

 そして、触手の一本一本が極大の紫電と雷光を帯びた。バチバチと痛いほどの音が響く。一本だったさっきまでとは戦術としての質が違う。同時に迫る五本の触手を完全に躱しきるのは不可能だろう。グリゴリオがしみじみと言った。

「必殺の雷か。本来なら半ば無制御だったのだろうに、伝導の鞭を芯にすることで制御されている。それが五本……」

「厳しい、な?」

「あぁ、直撃を食らい続けたらヤバイな」

グリゴリオが唸り、

「ついでにこれも、上乗せしてあげるわ!」

レディが威嚇するように喚いた。触手が蠢き、雷の槍の如く襲いかかる。そして、レディが箱型のアイテムボックスを放り投げる。それは瞬時に弾け、中身の液体を撒き散らした。

「一〇リットルの塩水よ……痺れなさい!」

レディが嗤う。

 食塩水……正確には電解質溶液には電流を流れやすくする性質がある。ただでさえ極大の電流をさらに強くするレディの策だ。

「このォッ!」

 シマは、グリゴリオを庇って飛び出した。降り注ぐ塩水と共に極大の雷を浴び、抵抗力を失くした人体で雷が暴れまわる。そして、

「《塩害条約(ソドム)》」

シマが稼いだその一瞬の隙に、グリゴリオが必殺の手札を切った。

 

 ◆◆◆

 

 【塩害条約 ソドム】。TYPE:ルールの<エンブリオ>であり、その能力は塩への変化……正確には、条件を満たしたものを塩化させることだ。《地塩土》や《塩害》の場合にはダメージが条件として規定されている。

 最も、能力の行使に条件を設ける<エンブリオ>は少なくない。だが、ソドムの場合は条件を設定することがまた違った意味を持っていた。

 ソドムとは、創世記にてその悪徳により亡ぼされた街。預言者ロトの妻は神の言いつけ……条件に背き、塩の柱(ネツィヴメラー)へと変えられた。この<エンブリオ>がモチーフとしたのはそれだ。ある条件の提示と、塩の柱。

 そして、必殺スキルはそのモチーフに最も沿ったもの。予め提示した条件……《命令》を破ったとき、最大の塩化能力が襲いかかる。

「今回は、《答えろ》だったな」

 塩の彫像を前にグリゴリオは事も無げに、しかし冷や汗を流しながら言った。レディの全身は白い結晶に包まれ、フルゴラは純白の彫刻のように牙を剥き出した形で停止している。宙を走る雷でさえ塩の粒と化していた。その足元にはシマが黒焦げで【気絶】して横たわっていた。

「《命令》が弱かったからな。完全に内部までは塩化していないか……聞こえてるんだろう?」

その声に呼応して、レディの顔が動く。塩の内部からその瞳がグリゴリオを睨み付けていた。

 あの一方的な命令だ。レディの言葉だけの承諾がなければ、動きを止められたかさえ怪しい。

「だが、動くことはもう出来ない筈だ。塩化が解けるまではな。さぁ、尋問に付き合って貰おうか?」

「ハッ……誰が……」

憎々しげにレディが呻く。グリゴリオは諦めたように肩をすくめ、ゆっくりと彼女に歩み寄った。レディの瞳が煌めく。

 

 そして、纏わりつく塩の薄氷を破った五本の鞭の先端が、グリゴリオの身体を貫いた。

 

「なっ……!?」

驚愕のあまりに、うなじが痺れる。グリゴリオは信じられないといった表情で自分の身体を見下ろした。

「あり得ない……ソドムの能力は、その人物全てを対象にするものだ……当然<エンブリオ>や装備をも!なぜ、その鞭だけが塩化していない……?」

「だから、言ったでしょう、凡俗……有利をとったつもりか、ってね……ふふふ」

肉に食い込んだ鞭が蠢く。血液がボタボタと落ち、グリゴリオが呻いた。

「まだ秘密があるか……良いだろう、なら、直接《地塩土(ジエンド)》で、骨の髄まで塩に変えてやるぞ!」

「やって、みなさいよ、凡俗!」

双方が血を吐き、苦しげに啖呵を切る。視線が交錯し、火花を散らす。大鉈と鞭が臨戦態勢を示し……

「ーーそこまで、だ」

突如、宙から降ってきた冷ややかな声に遮られた。

 

 ◆

 

「ゴールデン。貴様の失態は目に余る。あるいは活動限界と言っても良いな。なんにせよ、これ以上の戦闘は許可できない」

二人が慌てて空を見上げ、その顔に影が落ちる。闖入者は、大きな白い鳥に跨がった黒装束の女だった。白い髪をバレッタで纏め、きっちりと襟を閉めている。赤い唇が嗜虐的に歪む。

「あたくしは、まだ、負けてないわよ!」

「そのリスクがある、それで十分だ……【劣級飛行 フライリカ】、持ち上げろ!《フライ》!」

女ーー白色矮星の宣言と共に、レディの身体、そしてフルゴラまでもが、あかがね色に輝いて宙へと浮遊する。だが、

「みすみす逃すか!」

グリゴリオが叫び、血塗れの鞭を掴む。その脚が地上を蹴り、大鉈が閃く。

「《地塩土(ジエンド)》!」

塩化能力を纏った一撃が空中で放たれる。その剣閃は過たず白色矮星の頭部を軌道上に捉え、そして、

「《躍動的三分間(ウルル)》」

巨鳥の脚が深紅に染まり、グリゴリオをいとも容易く空中で蹴り飛ばした。グリゴリオが苦しげに空気を吐き、地面に叩きつけられる。白色矮星はいまや紅白に変わった巨鳥の上で冷ややかに言った。

「今の私は機嫌が悪いんだ。とはいえ、やることもあるからな、その程度で済ませてやる」

そして女は、懐から拳大のなにかを取り出し、スイッチを入れた。無造作に投げ捨てられたそれから濃厚な煙が溢れる。

「ドライフの、【スモークディスチャージャー】……煙幕か!」

灰白色の煙が視界を遮り、感覚を阻害する。グリゴリオは黙って地面を殴り付け、そして傷の痛みに顔をしかめた。

 

 ◇◆◇

 

 老騎士が軽やかに剣を構える。その両手の籠手を中心に黒い瘴気が立ち込め、地面がぬかるむ。死の泥濘に膝をつき、腕彦は悔しげにⅣ世を睨み付けた。その右腕は腐れ落ち、左の脇腹も抉れている。どす黒い腐敗液が口の端から溢れ、顎を汚していた。

「Ⅳ世がこんなにヤバかったなんて、あたし聞いてないんだけど」

「俺も見るのは初めてだ……おっそろしいな」

リンダとキュビットが遠巻きにそれを覗き、身震いする。その後ろでユーフィーミアが首を傾げていた。

「あの、腕彦って人の動きを見てて思ったんですけど、あの人なんか左腕を庇ってませんか?」

二人は顔を見合わせた。リンダが首を捻り、キュビットが得心したように頷き……突如、Moooが静かに紙切れを差し出す。

「『確かに左腕の被弾のみが少ない』か、左腕に何か壊したくないものがあるのか?」

「<エンブリオ>の紋章じゃないです?」

「いや、紋章は例え欠損しても他の場所に移るんだ、知らない人も多いけどね」

「へぇ、確かに知らなかったよ」

「俺も実際に見たことはないけどね。左手だけ失くすなんて、よほど血生臭い戦い方してないとそうそうあることじゃないし……じゃあ、一体何を庇ってるんだろうね?」

 

 ◇◆

 

「貴殿、妙な動きであるな。なぜそうまでして左手を庇う?」

ゴルテンバルトⅣ世は半身に西洋剣を構えながら呟いた。

「人間というのは本来、本能的に中心を守るものだ。眉間、鼻、喉、胸、腹、股間……」

 その剣が腕彦の身体を示し、揺れる。純白の刃はシバルバに汚染され、青黒く濁っていた。

「貴殿の強さ、そのカラクリが左手にあるのか?」

腕彦が黙って微笑む。その拳が再び固く握られた。

「くたばれ、爺」

「……ふん」

 老騎士は諦めたように鼻を鳴らした。この男は直情径行に見えるが、実のところ最大の守るべき秘密についてはそれなりに口も硬いようだ。恐らくこれ以上の詰問は無駄。ゆえに、

「とどめ……!」

Ⅳ世が剣を上段に構える。シバルバの髑髏が嬉しげに笑う。狙うは頭、即死の致命傷。

 一歩間合いが詰められ、青黒い剣閃が振り下ろされる。そして、

 

「!?」

 

次の瞬間、その刃がへし折られた。

 腕彦の仕業ではない。彼はいまだ泥濘に倒れている。それを成したのは、新たな闖入者。

「鳥!」

無数の鳥の群れだ。黒いカラスのようなその身は、金属製の嘴と鉤爪に武装され、その黒い瞳は冷酷に老騎士を見つめている。鳥達は一斉に舞い降りると、あたかも鳥葬のごとく腕彦を覆い隠した。

「助太刀か、或いは口封じか!だが……」

Ⅳ世が踏み込む。瘴気が溢れ、鳥達の矮躯が汚染されて腐敗していく。しかして鳥達は数を恃んでか、仲間の、自身の汚染を気にも止めず舞い降り続ける。そして、腕彦の身体が持ち上がった。

「させぬ!」

老騎士が唸り、その左手が【ジェム】を取り出す。投擲されたそれは空中で封じられた力を解き放った。

「《グルーム・ストーカー》」

そは闇属性魔法の奥義。あらゆる障害を無為とし、ひたすらに命を喰らうもの。生命にのみ防御不能の影響を与えるそれは、

「なっ?!」

一発の銃声と共にいずこかから飛来した弾丸に撃墜された。

「何処から!?あの不自然な射角……それに闇属性だぞ!」

「言ってる場合かい!援護だよ!」

キュビットとリンダがシバルバの影響範囲外縁ギリギリに散開し、

「あわわ、ど、どうしたら……」

ユーフィーミアが右往左往する。その傍らで、Moooがひっそりとライフルを取り出していた。大の男一人を抱えた鳥の群れはかなりのっそりと飛んでいる。故に、射撃など容易いことだ。マズルが炎を吹き、超音速の弾丸が唸りをあげて迫る。そして、再びの発砲音が響き、別の弾丸がMoooの狙撃を()()()()()

「……!」

 白い頭巾が破れ、右の肩口に赤が滲む。それをバカにしたように見下ろすと、鳥の群れは高空にて密集陣形をとった。その一羽が拳大のものを咥えて投げ落とす。【スモークディスチャージャー】が地面に落ち、濃厚な白煙を吐き出した。

「煙幕か……!」

感覚を潰された面々が煙のなかで立ち尽くす。暫く経って煙が晴れたあと、そこにはもう誰も居はしなかった。

 

 ◇◆◇

 

「やっぱり、襲われたのか」

少し後。グロークスの中央区に降りてきたAFXが呟く。その隣でメアリーが腕を広げた。

「誰も落ちてないのは(デスペナしてないのは)幸運だったね……《癒しの息吹・極大(ヒリング・オーラ・マキシマム)》」

金色の光が広域に散開する。それを眺めながら、AFXは言った。

「で、逃げられたんだ?」

「あぁ、援軍が近くで張っていたらしいな。鳥に跨がった女だ」

グリゴリオが忌々しげに呟く。治癒した身体を確かめるように動かす彼の後ろで、シマが飛び起きた。

「死ぬかと思ったぜぇ」

「お前、HPが三桁切ってたぞ。ちゃんと耐性装備は揃えておけって言ったろうが」

説教臭いグリゴリオをよそに、AFXは顔を歪めた。

「鳥の女……白色矮星か」

「だろうな……知ってるのか?」

グリゴリオが片眉を上げる。

「僕達も襲われた。途中で逃げられたけど」

「こっちの戦況を監視していたんだろうな。白色矮星、奴はコルタナでオアシスを一つ潰して指名手配を食らっている犯罪者だ……他のやつと同じだよ。強化されてる点もな」

グリゴリオが唸る。

「白色矮星の<エンブリオ>はあのデカ鳥だ。本来鳥の癖に飛べないという、見かけ倒しの筈だが……」

「普通に飛んでたよ。しかも速い」

メアリーの言葉に、AFXは考え込んだ。視線が揺れ、メアリーと目が合う。AFXはそっと目をそらし、口を開いた。

「なんにせよ、援軍が来たってことは……」

「奴らが組織化されてるってことだ。そうだろ?」

「マジにクーデターかい?こりゃあ……」

そこに現れたキュビット達が後を引き継ぐ。Ⅳ世が素手の掌を合わせ、メアリーに回復の謝辞を言った。厳しい顔で彼らは互いに情報を教え合った。

「儂らも会うたぞ。無数の鳥の群れ……そして狙撃手だ。敵を回収して何処に行ったかは……」

「……わたしが、見てました」

ユーフィーミアがおずおずと手を上げる。その左手に、毛むくじゃらの何かが素早く飛び込み、消えた。

「この子……わたしのガードナーに離れたところで見ててもらってたんです。煙幕のせいで、ちらっとしか見てないんですけど、多分……」

彼女はちょっと躊躇うと、

「多分、地下の……採掘坑の底だと思います」

そう言って、街の端の方へと目をやった。

 

 ◇◆◇

 

□■同刻 冶金都市グロークス外壁 三番通用口

 

「全く、どうなってるんだ?」

グロークス西側外壁の、通行検査詰め所。その裏口でメモ帳を繰りながら、ゴビル千戸長は深くため息をついた。沈みかけの太陽が赤くその横顔を照らす。

 入った知らせは街中での……それも複数箇所での乱闘。鎮圧にかかった<マスター>も壊滅。幸い、人の比較的少ない所だったが故に死傷者が居なかったのは幸いと言える。最も、それは鎮圧に協力する通りがかりの<マスター>がさほどいなかったことと裏表ではあるが。

「あそこは再開発予定地区……とはいえ、どのみち撤去作業は必要だな、また人手を持っていかれる」

ゴビルは悩ましげに自らの職務のことを考えた。だが、その次の言葉は、

「あの人は何を考えているんだ?流石に権限を逸脱している……異邦人に好き勝手を許すなど……」

 その言葉は、明らかに千戸長の職務の範囲を超えていた。彼もその恩恵を受けてこそいる、グロークスに巣食う影の権力者を思って頭を振り、千戸長は踵を返して……

 後ろで物音を聞いたような気がして振り返った。砂が風に吹かれて壁を汚している。

「……」

千戸長は気の迷いを振り払うように帯に挟んだパイプを取り出し……

「……ッ!?」

その二人を見た。

「な、何だお前達!ここは民間人立入禁止だぞ!何処から入ってきた!」

千戸長は目を見開いた。

 まず目に入ったのは少年だ。典型的な西方人間種の容姿。年の頃は十一ほどか、伸び盛りの引き伸ばしたような手足がいかにも子供らしく見える。だが、その目付きはゾッとするほど虚ろだった。

 そして、その隣にいるのは奇妙な男。一つ目の紋様を描いた陶器のような仮面で顔を隠し、帆布のようなマントを纏っている。その右腕は深紅の金属で出来た機械の鎧で覆われ、全体的にアンバランスなシルエットを作っていた。その反対、左手がすっと持ち上がり、天を指す。

「上……空からか!その仮面、そうか、貴様、“自殺”の(スーサイダー)……!」

「あ、あ、あー……そんな事はどうでもいい。質問するのはこっちだ。君は『いいえ』と言え。何を聞かれてもね」

 仮面の男は胡乱な事を勝手好き放題に言うと、一枚の写真を取り出した。

「この男を知ってる?最近、このへんで見た?」

「ッ……貴様なんぞに答える義理は無い!応援を……」

「仮に此処にいるなら、君は知ってる筈だ。制服……勤務中に嗜好品(パイプ)の携帯が許可されているのは間違いなく指揮官以上の人間だ、そうだろ?」

男はそう言うと、ゴビル千戸長に詰め寄った。仮面の紋様が紅く輝く。

「見たか?『いいえ』と言え」

そのアンバランスに巨大な右腕が千戸長の腕を掴む。骨が軋み、筋肉が歪み、千戸長の額に脂汗が浮く。痛みのあまり歯を食い縛る千戸長の唇が悔しげに動いた。

「ぐ……い、い、『いいえ』!」 

「《真偽判定》偽。いいね、ご協力どうも」

機械の腕が緩む。千戸長は地面に崩れ落ち、浅い呼吸を繰り返した。

「やはりここに居たか……やっと見つけたね」

仮面の男は少年を振り返って愉しげに言った。

「で、こいつはどうする?」

 その言葉に、奈落のような暗い瞳が千戸長を見つめる。そして少年は口を開いた。

「殺そう。後腐れがない」

「いいね♪」

 一瞬、大気に小さな爆発音が響き、噴煙と噴炎が漂う。それを最後に、ゴビル千戸長は何も分からなくなった。

 

 To be continued

 



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第四話 儀式

 

□■冶金都市グロークス 地下

 

 黒い石壁を結露が潤す。そのじめじめした水溜まりに足を取られて、グラマン市長がつんのめった。その身体をごつごつした掌が支える。

「足元に気を付けたまえ。ここは転びやすいようだからな」

「あ、あぁ、すまない」

「礼には及ばん」

 朱の着流しを着た剣豪はそう言い捨てると、地下室の中央に目をやった。

「それよりも、いざ始まるぞ!これは見物だ」

 グラマンも、それにつられて目をやった。その視線の先、部屋の中央にはうず高く積まれているものがある。深紅の神話級金属塊、魔法の掛けられた武具の数々だ。その他、輸入物だろうミカル鉱石製の剣や、逸話級金属(ミスリル)の鎧も見える。

 “冶金都市”グロークスの誇りたるこの金属製品は全て、グラマンがその権力を濫用してかき集めたものだ。リルに換算すれば凄まじい桁が並ぶだろうそれは、しかし無造作に山積みになっていた。

 そして、その前に佇むのは二人の男。黒く艶やかな長髪がカンテラの灯りでてらてらと光っている。もう一人はがっちりと後ろ手に縛られ、グラマンを恨むように見つめていた。その身体は恐怖にこわばっている。

 長髪の男が、縛られた彼の前に膝をついた。純白の手袋が石の床に触れ、淡く光を発する。床に触れる掌から黒々とした墨が溢れ、ひとりでに石の上を走り始めた。線は金属の山を囲うように緩く曲がり、向こう側で二筋の線が繋がる。そして拘束された男の、恐怖に震えるその額に、黒いX印が浮かび上がった。

 描かれたシンプルな印に、男が満足げに頷く。そして、仁王立ちの男は哀れな生け贄へと左手を伸ばした。その唇が動く。

「《掴め》」

 その言葉と同時に、後ろの金属の山が光り始めた。純白の粒子がその表面を覆う。縛られている男が白目を向き、苦しみ始める。掌が何かを握り込むように閉じた。

「《屈しろ》」

 握られた拳が煌めき、光と共に微かな音が鳴り始める。高く、低く、高く。それが人の声のように聞こえて、グラマンは思わず身震いをした。

 男が歯を剥き出して笑う。その目が危険な光を孕む。最後の文言が、今、述べられる。

「《神髄凝集(ダンシェン)》」

床の円が燃えるように白く輝き、閃光が地下を満たす。純白の稲妻が飛び散り、しゅうしゅうと音を立てる。

 贄の男がもがき、光に血のような深紅が混ざり始めた。大気が揺れ、低く唸る。同時に、囁くような音が大きくなる。グラマンは不意に理解した。これは笑い声だ。含み笑い、嘲笑、哄笑、そして……怨嗟の啜り泣き。

 金属の山の影、その輪郭が崩れ始める。深紅の金属がその鮮やかさを失い灰へと変じていく。その渦に生け贄の男も次第に巻き込まれていった。泣き笑いの声が強さを増し、血の色が視界を塗りつぶす。もはや囁きではない、叫び声だ。

 やがて、光が収まった時、そこにはあの神話級金属の山はなかった。あるのは盛り上がった煤の山、そしてその前に崩れ落ちる焼けた人骨。そして、

「完成だ……」

小さな宝石のようなものが円の中心に転がっていた。煤の中に半ば埋もれたそれを、男は丁寧に拾い上げた。

「十二番目。此で最後のピースは揃った……しかし、未だ足りぬのは、そう、(コスト)だな……」

 グラマンは思わず走りよった。膝を硬い石に擦り付けながら這いよる。

「おお、おおお、おお!是非、私めに!私めに、それを!きっと貴方様のお役に!」

 男は、歩く生ゴミを見るような目でグラマンを見下ろした。

「何故、お前のような……這いずるだけが取り柄の愚かな輩にこの私が意見されねばならん?何故、お前に、与えねばならんのだ?答えろ、グラマン、それに値するお前の貢献が、何か一つでも有ったか?」

 そう言うや否や、グラマンの顔がキッと持ち上がった。その目が憎悪に光る。

「わ、私が供出した資源が材料なのですから!お望み通り、部下の一人も贄として差し出しました!これまでの経済的支援と合わせ、既に代金は支払い終えた筈です!約定に従い、それを私に!」

「貴様が払ったのは、我々に探りを入れてきたことへの償いに過ぎん。ぬけぬけと……いつぞやのシモンとかいう、あの取るに足らん男の行いの分は貴様が埋めるのが筋だろう、なぁ、グラマン?」

 グラマンは青ざめた。その瞳が途端に力を喪い、揺れる。次の瞬間、その横面を黒いブーツが蹴り飛ばした。

「オーナーに逆らうなんて、不遜ですよ?貴方ごときが」

 ユーリイが優しげに笑う。まるで花に水をやるように、暖かい慈愛に満ちた表情で、少年はグラマンの顔面を踏みつけにした。指をへし折り、腹を蹴り飛ばす。グラマンが身体をくの字に折り、苦しげに呻いた。

「ユーリイ、アレは……どうなっている?」

 男がグラマンには目もくれずに言う。ユーリイはにこやかに振り向いた。

「はい、オーナー!」

 彼の合図とともに、その後ろの暗がりから、幾らかの人影が歩み出る。先頭は派手な服装の女。ショッキングピンクに身を包み、傲慢な表情でグラマンを見下ろしている。そして、その側で後ろ手に縛られているのは……

「ボス、例の侵入者を連れてきたわよ」

「ご苦労だ、ジンジャー。さて、貴様の名は?」

「モーリシャス藤堂、だ」

 藤堂は戒められた両手を気遣いながら、歩み出た。その顔には火傷があり、唇から血を流している。

「知らんな……ユーリイ」

「モーリシャス藤堂さん、【芸術家】。主にドラグノマドで活動していたようですね。カルディナ中央からの調査隊の一人です。監視のカークさんの報告によれば、調査隊の一人を攻撃し、離脱……その時の発言では<エンブリオ>を欲しがっていた、だとか」

「ほう、いいタイミングじゃないか」

長髪の男は唇を歪めた。

「既に最低条件はクリアされているが、品質と性質を鑑みれば、更なるデータの収集にも多大なる意味がある……」

「あれ、あげちゃうんですか?本当に?」

男はそれには答えずに、藤堂へと視線を向けた。

「藤堂……ひとつ、テストだ。ティアンの殺害に躊躇いはあるかね?」

 藤堂は暫く黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。表情に残忍なものが浮かぶ。

「ない、ぜ」

「合格だ」

 男の手が開く。その掌には先の、宝石のようなものが光っていた。藤堂が息を飲む。 

「<エンブリオ>……!やはり、あんたが例の“商人”か!だが、どうやればそんなことが……」

「我が<上級エンブリオ>……その能力だ。<エンブリオ>を創造する能力!……オリジナルと区別して、私は<劣級(レッサー)エンブリオ>と呼んでいるがね」

 男が両手を広げ、その手に嵌められた手袋を見せる。藤堂が喘ぐように言った。

「まさか……!そんな、そんな能力……」

 <エンブリオ>の能力特性は千差万別だ。各人に唯一無二であり、奇妙な能力特性など数えきれないほど生まれてくる。とはいえ、よりによって、『別の<エンブリオ>を創る』などという能力は、あまりにも……

「強すぎる……最強の能力じゃねえか」

「最強などという陳腐な賛辞は好みではないな。さて、質問だ、藤堂とやら」

男は静かに問うた。

「それほどの可能性、おめおめとただでくれてやると思うかね?」

「か、金ならある!一億リルかき集めて来たぜ!」

「足りない、足りないぞ藤堂!我が<劣級(レッサー)>の代金は……百億。百億リルだ。それ以下にはならない……!決してな」

「……!」

 法外な金額に、藤堂は眼を剥いた。それほどのリル、たとえ大富豪であっても軽々に動かせるものではない。

「此はあくまで、必要なコストの為だ。<劣級>創造にはーー残念なことにーー現状、多大なるコストが伴う。だが藤堂、幸運なことに……君の代金の不足を埋める方法はある」

男は尊大な態度で続けた。

「金銭だけが支払いの代価ではない。それに足る希少な物資、或いは知識……そして、貴様そのもの、だ」

男はそう言うと、【契約書】を取り出した。

「我が配下となれ。不足分は貴様の、今後の働きで埋めろ……どうだ?」

 藤堂は四の五の言わずに頷いていた。二つ目の<エンブリオ>が手に入るなら安いものだ。その差し出された掌に、<劣級(レッサー)エンブリオ>が落ちる。

「では、努々私を失望させるな。細かい説明は他のものから受けろ」

男が踵を返す。その目が別の暗がりに向いた。

「ときに……久しいな、カルテット。手引きしたのはお前か。まだそんなお人形遊びを続けているのか?」

『……遺憾。その発言は訂正してもらおう』

『私達は私達だ、それ以上にはない。私達は快い取引をモットーにしていたというのに』

『“商人”が貴様だったというのも私達は知らなかった。これは背信だ』

『エンブリヲンのこともある……違約金の請求に異存はないな』

暗がりから四つの声が響く。それはまさしく不気味な四重奏(カルテット)だった。

「貴様のマイルールなど知ったことか。文句があるなら、初めから契約に明記しておけ」

 男がにべもなくはねつけ、歩みを再開する。そして、ずだ袋のように転がるグラマンが呻いた。

「わ、私の……私の<エンブリオ>……」

男が振り返る。その冷たい眼がグラマンを見下ろす。

「計画が完了し、全てが終わった暁には、お前にも<劣級>をくれてやろう……働き次第だがな」

 

◇◆◇

 

「新しいお仲間、というわけですね!よろしくお願いします、藤堂さん!」

「あ、あぁ」

藤堂は朗らかな少年に面食らったように応えた。その藤堂の失礼とも取れる対応に、しかし少年ーーユーリイは変わらず笑顔で言った。

「せっかくですから、皆さんを紹介しておきますね。ここに侵入した貴方を容易く捕まえたこの女性が、ジンジャー・ロッソさん。【爪拳士】です。とてもお強いですよ」

「あぁ、いやというほど知ってるぜ」

藤堂がぼやき、ジンジャーがバカにしたように鼻を鳴らす。

「あそこにいるのが【剣聖】巴十三さん、天地の方ですね。剣術の腕は達人です。特典武具も持ってます、凄いですよね」

それに呼応して十三が遠くから手を振る。藤堂も笑顔で手を振り返した。

「ここにはいませんけど、腕彦さん、レディ・ゴールデンさん、あと、白色矮星さん、フォトセット・カークさんとか……ま、帰ってきたらご紹介します。そして、」

ユーリイが両手を広げ、屈託なく笑う。

「申し遅れました!僕はユーリイ・シュトラウス、ユーリイって呼んでくださいね!」

 その笑顔に絆されてか、藤堂の顔も緩む。ユーリイが左手を差し出す。藤堂はすわ握手かとそれに応じ、

「なっ?!」

 そして、藤堂の左前腕部が切り裂かれた。鮮血が流れ、藤堂が目を剥く。ユーリイの掌には血塗れのナイフが握られている。

「あぁ、警戒しないでください。これは必要なことなんです」

 ユーリイは朗らかに言った。その右手が藤堂から<劣級>を取り上げ、傷口に押し込む。ジンジャーが手早く包帯を取り出し、くるくると巻き付けた。ユーリイが説明する。

「<劣級>は周囲の情報……経験を読み取って孵化します。とはいえ、オリジナルとは違って、核を触ってないと能力が使えないんですよね。落っことすと危ないし、アイテムボックスにも入りませんから、身体に埋め込むのが一番お勧めなんです」

「それ、切るより先に言ってほしかったかなァ~って」

冷や汗をかく藤堂に構わず、ユーリイは説明を続けた。

「孵化までは短くて一日くらいですかね、なにか要望があるなら、それに関係した行動を取っておくと結構能力特性に影響出ますよ?」

「ご忠告、感謝だぜ。ところで、細かい仕様は?まんま<エンブリオ>なのかい?」

「そうですね~……出力は大体下級と同じくらいですね。段階を踏んで形態進化したりもしません。あと、腕のなかに埋まってるその核部分が破壊されるともう復活しないので、気をつけて下さいね?」

「なるほどな。で、あんたの<劣級>はどんな能力なんだ?」

藤堂の目がぎらつく。ユーリイが笑顔の目を更に細める。

「あんた、あのボスにやたら信頼されてるじゃないか。さては相当強いんだろ?教えてくれよ、どんな能力なんだ?」

「すいません、それは言えませんね、ただ……」

ユーリイは少しだけ言葉を切って続けた。

「どんな能力でも、使い手次第で大きく変わるものですよ」

 

◇◆◇

 

□■冶金都市グロークス 夜

 

「だから、俺達は被害者だって言ってるだろう!?敵は採掘坑の下に逃げたんだって!早く追いかけないと、手がかりがなくなるかもしれない!」

「いやいや、うん、それは分かったんですけど、こっちも仕事なんでね。取り敢えず、被疑者として全員留置しないといけない決まりなので」

 日はとっぷりと暮れていた。既に街は夜の暗闇に沈み、オレンジ色の灯りがポツポツと光る。しかし、全壊した街の一角で、調査隊は足止めを食らっていた。

「《真偽判定》があるだろう?こっちが嘘ついてないことは確かじゃないか!」

「いえ、両方から話を聞かないことにはなんともね……捜査のほうは我々憲兵がやることですんで」

 キュビットはため息をついた。彼らは現在、憲兵たちに引き留められ、留置場に連れていかれようとしているのだ。

 憲兵の理屈も理解は出来る。が、キュビット達とてレディや腕彦、白色矮星を早く追わなければならない。キュビットの側では他の面々もいらだたしげに憲兵の質問に応えていた。

「それで、あっちの一帯を汚染したのは……?鳥がたくさん死んでましたけど……」

「……儂であるな」

「地面が塩になっとるこれは、直せんのかね?」

「《地塩土》は時間がたてば解除されると、何べんも言っただろうが!」

「君の名前は?ジョブは?」

「いや、僕は後から来ただけなんで……」

彼らが口々にわめく。その中に物静かな人間が一人。控えめに俯くのは……

「だから、乱闘の原因は何か、って訊いてるんだよ!」

「ぁ……ぅ……」

ユーフィーミアだった。おろおろと所在なげに手を動かし、瞳が泳ぐ。

「なぁ、分かるか!?質問してるんだよ俺は!君たちが街をメチャクチャにした動機は何かって訊いてるんだ!」

「ぃゃ、その……」

「何!?もっとハッキリ喋ってくれ!」

「そのぉ、わたしじゃ……」

「聞こえないよ!」

憲兵の高圧的な態度に、ユーフィーミアが震える。その弱々しい態度に益々苛立ってか、憲兵の口調がヒートアップした。ユーフィーミアが呻く。

「すいません……もう限界です……」

「あ!?何を……」

目の前の憲兵にではなく、他の誰かに向けてユーフィーミアは呟き……そして、

「《イントゥー・ザ・ネイチャー》」

 その声と同時に、毛むくじゃらの生き物が飛び出し、憲兵の顔に張り付いた。あれほど賑やかだった憲兵が即座に脱力し、だらりと腕を下ろして立ち尽くす。なにゆえにか、その身体には、もはやどのような抵抗の意思もない。

 毛むくじゃらの生き物がその顔を上げる。鼬のような手足に、小型犬くらいの丸ッこい胴体。しかして、顔面だけはそれにそぐわず……つるりと毛の無い、人と同じ顔をしていた。頭の後ろには可愛らしい小さな角が生えている。

 毛むくじゃらが人の顔で微笑む。と、その顔面が歪み、捻れ、張り付いている憲兵と同じ顔になった。その口が動く。

『グロークス。凶悪犯。尋問。尋問』

「な、何をしている!」

 他の憲兵たちが慌てて駆け寄る。だが、毛むくじゃらはすばしっこく彼らの間を飛び移った。その顔が触れた人間のものへと目まぐるしく変化し、憲兵たちが次々に、ぼんやりと虚ろな顔になる。毛むくじゃらが鳴く。

『市街地。テロリスト。逮捕』

「ユーフィーミア……」

キュビットが頭を抱えて唸った。

「すいません、この人の声が我慢できなくて……あの、せっかくなので、このまま……」

 ユーフィーミアが申し訳なさそうに頭を下げ、そして毛むくじゃらが憲兵のリーダーとおぼしき男に飛び移る。ユーフィーミアが尋ねた。

「市長は、何か、よからぬことを企んでいますか?」

『知らない。だが、市長邸の地下に誰かを匿っていると噂はある。最近では不可解な指示も増えた』

「<エンブリオ>を売る商人について、心当たりは?」

『噂は知っている。それ以上は何も』

ユーフィーミアの質問に応じて、憲兵の流暢な回答が響く。しかして、その出所は憲兵の口ではない。

『私の名前は、カタルマカン・ラドール兵長。識別コードは四〇五二……』

 毛むくじゃらの顔面。兵長の顔で、その口から語られるのは、兵長の心の中。取り付いたティアンの精神を読み、口にしているのだ。

 明らかに機密情報さえ混じっているそれに、憲兵たちは何のリアクションも示さなかった。立ち木のようにじっと虚ろな顔で立ち尽くしている。

「精神感応系能力……!」

リンダが驚愕の声を漏らす。

「実際に見るのは初めてだよ」

「俺もだ。あんたは知ってたのか、キュビット」

「あぁ、まぁね」

キュビットは疲れ顔で言った。

「【人面心理獣 サトリ】、接触したティアンの心を読み、代弁する。副次効果として、【精神休眠】を付与……とはいえ、憲兵に手を出したらアウトだよなぁ……」

『……明日は非番。趣味は……』

「すいません!でも、これで、お役に立てましたよね……?」

 おずおずとユーフィーミアが尋ねる。その手の中には、びっしりと彼らの発言を書き留めたメモ帳があった。

「合言葉、パスワード、巡回経路、後ろ暗い弱みまで、全部聞き出しました。憲兵さんたちも静かになったし、さぁ、行きましょう!」

 ユーフィーミアがその勢いのまま、とたとたと街の端へ走っていく。それを眺めながら、リンダが言った。

「控えめな子だと思ってたけど、意外とえげつないんだね……ユーフィーミア(評判のよい人)ってのがジョークみたいじゃないか」

「……リンダ、君、彼女のジョブを見なかったのか?」

「……?いや、見てないけど」

リンダが首をかしげる。横にいたAFXがボソリと言った。

「彼女、【審問官(インクイジター)】だよ……拷問官系統だ。おっかないね」

 

◇◆◇

 

□■冶金都市グロークス 採掘露天坑跡地

 

 一行は崖の縁に立ち、その採掘跡……人工谷を見下ろした。夜の谷底はまるで墨を流したように黒い。提げたカンテラの灯りもこの闇の前では頼りないだろう。

「疑うわけじゃないが、やつら、本当にこの下へ行ったのか?」

「えっと、はい、サトリはそう言ってました……なんで皆さん私から遠いんですか?」

「気のせいだろ」

 グリゴリオがキュビットを振り向く。キュビットは頷くと、右手の【ジュエル】から小鳥を取り出した。小鳥が驚いたように辺りを見回す。

「【ペティ・ルースター】だ。握りつぶすなよ」

 戦闘力など何一つ持ち合わせないその小鳥を、AFXが受けとる。その瞳が疼くように動く。

「視覚を繋げた。放してくれ」

 【偵察隊】の能力で遠隔視覚を載せたその小鳥を、グリゴリオが崖の下、谷の中央へ放り投げた。哀れな小鳥が地面を求めて、ふらふらと谷底へ降りていく。 

「暗いけど、辺りは見える。今のところ横穴とかはない」

AFXが呟く。

「いや……採掘の為の通路が結構あるなぁ……これ、どれに逃げ込んだのか分からないよ」

「作業員は居なかったのか?目撃者が居れば……」

「それは些か難しそうであるぞ、グリゴリオ殿」

Ⅳ世がカンテラを掲げて立て看板を読みながら言った。

「ここは既に採掘が終わった部分であるようだ。そも、グロークスの現在の主要産業は金属加工であって採掘ではないからな……ここが採掘の街だったであろう都市建設の黎明期ならいざ知らず、薄い鉱脈を追い続ける意義はなかろうて」

「つまり、作業員はいない、と」

「うーん、降りて探してみます?」

「広すぎるからねぇ……上がってくるのも大変そうだし」

リンダが唸る。と、メアリーが閃いた、とばかりに手を上げた。

「はい!いっそ市庁舎へ乗り込むのはどう?」

「いや、流石にそれは……」

キュビットが渋る。しかし、リンダは真剣な顔で賛成した。

「そうだね。ここまで来たら市長も黒だろうし、直接行くのは良いかもしれない」

「しかし、無茶だぜそりゃ。俺も……グリゴリオと見にいったけどよ、厳戒態勢だ。猫一匹通れやしねぇよ」

「あたしひとりならそこはどうにかなる」

リンダは雄々しく言いきった。その目があふれる自信に光る。

「【影】だからね、忍び込んで手がかりを掴んでくるよ。陽動は頼んだ」

「あ、じゃあ、あの、さっき憲兵さんから聞き出したやつのメモを、渡しておきますね……なんで黙るんですか?」

「なら、僕は他の手がかりを探しに行く。シハール・ミンコスに当たれば……」

「いいね、俺達は陽動も兼ねて、グリゴリオが見つけてたあの市庁舎近くの建物に行ってみるよ」

「それなら、俺は藤堂を追ってみようか」

グリゴリオが狂暴に笑う。

「俺達とは違うルートで敵にたどり着いてるかもしれん」

「キヒヒ、悪くねぇなァ」

 一行は再びこの先の行動を話し合い、口々に推測を述べ、また何人かに別れた。AFXが遠隔カメラを切り、立ち上がる。と、

「ん……?」

カメラを切る前、目の端になにか映ったような気がして、AFXは立ち止まり、

「……気のせいか」

自分の目的地へと歩きだした。ミンコスの店はまだ開いているだろうか……?

 

◇◆◇

 

 漆黒の谷底で、捨て石にされた小鳥はその首をかしげた。【ジュエル】から解き放たれたは良いものの、ここもまた快適な棲みかとは程遠い。哀れな小鳥は持ち前の臆病さで、辺りを丹念に見回し、

『Gyaaa……』

死角から飛来した一羽の猛禽に押さえつけられた。青銅で武装された嘴がその喉笛を噛み裂く。弱々しい小鳥は容易く光の塵になり……そして、ついぞ調査隊がそれを知ることは無かった。

 

◇◆◇

 

□■グロークス中央地区

 

 AFXはミンコスの店へと歩いていた。夜道は暗いが、それなりにすれ違う人もいる。その後ろをメアリーが歩いていた。唇が動く。

「その、昼間は、ごめんなさい」

AFXは足を止めた。

「何が?」

メアリーは真剣な顔で応えた。

「わかったような口を利いたこと。あなたの気持ちなんてあたしには分からないのに」

「いや、あれは僕も……」

AFXは言葉を切ると、メアリーに向き直った。

「あれが、君に失礼だったのは事実だ。君から先に謝らせてるのだって、本当なら……いつもそうなんだ、言い訳ばかり、自分のことばかりで」

AFXは静かにメアリーを見つめた。

「嫌な思い出が多いことは、他人にそれを押し付けていい理由にはならないよ」

「なら、握手をして」

そう言ってメアリーは左手を差し出した。

「思い出は過去のこと。あたしは、あなたを裏切ったりはしない、もう友達だから」

 

 

 二人はミンコスの店まで歩いた。とりとめの無い話をして、少しだけ静かになったりもした。お互いに少しだけどぎまぎしていたし、芝居がかったやりとりに恥ずかしさを覚えてもいたからだ。仲直りしたばかりの友達にはそういうこともある。

 ミンコスの店は開いていた。少なくとも二人にはそう見えた。問題は、見えたものがそれだけではない、ということだったのだ。

「いや、だからさぁ、ミンコスに会わせろって!僕は彼のオトモダチなんだよ、分からない?」

「そう言われましても、約束もないお客様をお取り次ぎするわけには……だいいち、もうこんな時間ですし」 

 店の前には騒々しい先客がいた。二人連れだ。若い男一人に子供……少年が一人、店の者を相手に揉めている。

「いいのかい?君の独断で……あとから彼にこっぴどく叱られるだろうねぇ!」

「いえ、ですから主人は既に休んでおりますし、店ももう終業時間でございますので」

 奇妙な風体の男だ。帆布のような汚れたマント、赤く塗り上げられた巨大な機械の右腕。そして、血のような色で一つ目が描かれた、不気味な仮面。その傍らに黙ってぼーっと立っているのは、まだ背丈が伸び始めたところというふうな少年だった。

「良いんだよ別に、アイツだって僕が来てるってなったら飛び起きて挨拶に来るからさぁ!」

「でしたら、お名前のほうをですね」

「ぐっ……そ、それは、そうだ、『BBB』……と、言って貰えれば通じる、と思うよ?」

「お引き取り下さい」

 わからず屋ァ!と吠えるその人物を見て、二人はどうやら面会は無理らしいと悟った。ミンコスから市長の手掛かりを得るのは明日になるかもしれない。

「あれ、君たちも客?ダメだよこの店、融通効かないから」

 だが、辟易することに、その煩い彼は二人へと話しかけてきた。後ろで店員が忌々しげに四人をまとめて睨む。傍らに立っている少年がどこか申し訳なさそうな目付きでAFXとメアリーを見つめた。男が構わず話し続ける。

「ひどいよね、僕はミンコスの知り合いなのにさ……仕方ないから別の手段で……」

「知り合いなんですか?」

AFXの質問に、男は怪訝そうに応えた。

「前にちょっとした縁があってね。何でそんなこと気になるんだい?」

「ひょっとして、市長とも知り合いだったり……?」

「いや、グラマンとは面識ないね」

「そうですか……」

 そう勢いを失くすAFXに代わって、今度はメアリーが口を開いた。

「あたしたちは<エンブリオ>を売る商人を探してるの、多分市長と関係がある……知らない?」

その言葉を聞いて、男は首を傾げた。

「その噂は知ってるけど、デマだと思うよ?んじゃ、僕らは用事があるんで……」

 そう言い残して歩き去る二人連れを見送りながら、AFXとメアリーは考え込んだ。ミンコスの店はとうに表を閉め、とても話を聞ける状態ではない。

「手掛かりなしかぁ……あれ?」

メアリーはぱちぱち瞬きをした。さっきまで視線の先にいた筈のあの二人連れが消えている。どこに行ったのだろうと辺りを見回し、

「AFX。見つけたよ、“手掛かり”」

急に、低い声で傍らの少年に囁いた。AFXがゆっくりと目を細める。

 二人の視線の先。暗い路地に入ろうとしているのは、姿を消していたカルテット兄弟、その一人だった。

 

◇◆◇

  

□■グロークス上空 

 

 雲が星すらも隠してしまった闇夜。その空と大地の狭間で二人は静かに滞空していた。少年の口が動く。

「ブラーってさぁ、わりと行き当たりばったりだよね」

ブラーと呼ばれた男は笑って応えた。

「そういうなよ、さっきは名演技だったろ?トビア」

少年ーートビアは諦観を含ませたため息を深く、長く吐き出した。

()()だって無茶な方法には変わりないだろ、もう少し慎重さを身に付けてよ」

「僕が慎重な人間だったら、アシュトレトにはブレーキが付いてただろうね」

 仮面の男(ブラー)は一瞬言葉を切って続けた。

「僕ら以外にも奴を探してる奴らがいる。都市の体制側も全部が掌握されてる訳ではないみたいだし、他にも……カルディナ中央の思惑も有るんだろうね。動くなら早い方がいい、多少無茶でも」

むしろ騒ぎが起これば隠れてるのを炙り出せる、とブラーは楽しげに言った。その高度が静かに下がり始める。重力加速度が二人を地上へと押し戻し……

「ビンゴ」

二人は先の店の奥、二つ目の中庭に面した窓辺に静かに着地していた。ブラーが窓をリズミカルに小突く。窓を開けて呆けた面を晒した寝巻き姿のミンコスに、ブラーは愉快そうに言った。

「久しぶりだなぁミンコス、早速で悪いけど情報と物資が欲しい。この【契約書】はまだ有効だろ?」

 

◇◆◇

 

 AFXとメアリーは一人のカルテットを追って、静かに後を付けた。ひたひたと明かりの無い裏路地を通り抜け、幾度か角を曲がる。そして、人通りなど完全に失せてしまった路地の先で、

『何用だ?』

カルテットが静かに言った。その言葉と同時、四方から残りの三人が現れる。

『パラダイスとAFX。まだこの都市の調査を続けていたか』

『勤勉。美徳だな』

『だが、我々を尾行するのは不可能だ。用件を聞こう』

二人は顔をひきつらせ、四人を睥睨した。

「用件は分かりきってるだろ、知ってることを話せ、だ」

「商人、市長、それに藤堂さん、あなた達なら何か、知ってるよね?」

『それは、情報が欲しい、という意思表示か?』

 右のカルテットが淡々と応える。他のカルテットも口を開いた。

『情報が欲しいのなら、契約を結んで貰う』

『一千万リルからだ。最低額だな』

無料(フリー)のサービスは提供していない』

「なんだそれ……情報屋のつもりか?そんな大金……」

AFXの敵意に、カルテットたちは無表情のまま答えた。

『そうだ。我々は“カルテット”。情報屋だ』

『普段は<DIN>を介して依頼を受けている。とはいえ、自己紹介であれば提供するに吝かではない』

『契約を結び給え。それが取引の条件だ』

カルテットが冷たい目で宣う。そして、

「お断り!」

メアリーの言葉ともに、現出したアシュヴィンがカルテットの一人を殴り飛ばした。

「メ、メアリー!」

「あたし、怪しい人とは取引しない主義なの」

狼狽えるAFXに構わずメアリーは言い切った。 

「暴力で訊く。カルディナ中央直通の依頼を裏切って治安の破壊活動に加担してるなら、国際指名手配の可能性だってある。デスペナルティで“監獄”行きになりたくなかったら……」

『それは脅迫か?』

アシュヴィンに殴られたカルテットが静かに起き上がり、言う。その顔には一滴の怒りさえ見て取ることは出来ない。だが、彼らの言葉は決定的な敵対を告げていた。

『遺憾だ』

『誠に遺憾』

『我々への侮辱行為を捨て置くことは出来ない』

『ゆえに、暴力を以って対処する』

 轟音とともにアシュヴィンが吹き飛ばされる。そして、カルテット四兄弟は二人に反撃を開始した。

 

 To be continued

 



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第五話 <劣級(レッサー)エンブリオ>

 □■グロークス市庁舎

 

 【影】リンダ・シリンダは、自分の<エンブリオ>を誰にも秘密にしていた。その能力は、長い付き合いであるビビッド・キュビットですら知らない。

 彼に訊けば、AGI強化か隠蔽能力か、という推測を話してくれるだろう。リンダを知るものは概ねそのような予測を立てている。【影】とシナジーし、尚且つ動作していても目立たない。

 だが、それは大きな間違いだった。リンダの<エンブリオ>は強化(バフ)でも隠蔽でもない……或いは、その両方でもある、と言えるだろうか。本人は常々つまらない能力だと言っているが。

 そして今、まさにその能力を使ってリンダは市庁舎を歩き回っていた。

 なかなか豪勢な建物だ。一旦【影】として中に入ってしまえば、外の厳戒態勢も関係ない。リンダは観光気分で壮麗な内装を眺めていた。

 と、職員たちが(深夜だというのに)慌ただしく通りすぎていく。彼らは侃々諤々、口々に話し合っていた。

「ゴビル千戸長が……」「夕方の爆発……」「……憲兵が十人近くも制圧されたのですよ!ふがいない……」「死傷者はゼロ……」

 リンダはそれを黙って聞いていた。()()()()では近づかずともよく聞こえる。照明が少ないことも幸いだった。隠れられる暗がりは十分にある。

 リンダは()()()()から這い出て小走りに駆けた。この先は市長の居室だ。最重要区画として門番が張っている。彼らは暇そうにうつらうつらしていた。手元には眠気覚ましの薬瓶が置いてある。

 リンダは門番を避けるべく、彼らの死角、壁の後ろに回り込み……そしてそこに立っていた花瓶を蹴り飛ばした。花瓶が大きな音を立てて落ち、芳しい花の香りと水飛沫を撒き散らす。

「ッ!?何事だ、何の音だ!」

「俺が見張る、お前が確認しに行け!」

 リンダは顔をしかめ……ようとしてうまく出来なかったので、代わりに目を細めた。門番は思ったより職務に忠実だったらしい。二人が確認しに飛んでくるほど間抜けではなかったようだ。

(仕方ないね)

であれば、少しだけ強硬な手段に出ざるを得ない。すなわち、

『《イントゥー・ザ・ネイチャー》』

番兵二人が崩れ落ちる。その足元をずんぐりした毛むくじゃらが走り抜けた。

『見張る。見張る。眠い』

(ご苦労さん、サトリ。主人のもとへ帰んな)

 番兵を【精神休眠】させたサトリが走り去るのを見ながら、リンダは更に奥へと向かった。番兵の二人は恐らく、疲れのあまり眠ってしまっただけだ、と思うだろう。すぐに目覚める筈だが……

(とはいえ、憲兵九人の無力化と結びつけられる可能性もある。時間をかけてはいられないね)

 ふかふかの絨毯を踏みしめて奥へと向かう。市長の居室はすぐにわかった。他の部屋よりも広く、調度品も豪華だ。もっとも、ここ最近は使われていないようだった。人の気配がない。

 今も、この部屋には誰もいなかった。ただ書類が机の上に散らばっているだけだ。と、リンダは部屋の端に目をやった。

(本棚)

妙な違和感がある。真ん中、左の一列。

(本の並びが綺麗すぎるね)

 リンダは本棚を()()()()()と、その一列を押し……その棚がガタリと音を立てて開いた。

(隠し扉か……!いやはや、上流階級の嗜みって訳かい?)

 本棚の裏では、急な階段が黒々とした地下へと続いていた。湿り気を含んだ風がじっとりと吹き上げる。リンダは躊躇うことなくその中へと飛び込んだ。

 石造りの通路はずっと奥まで続いていた。途中にはいくらかの分岐もある。どこまで通じているのだろうか。ひょっとして、あの採掘場まで?

(あり得る話だね。たぶん、この地下施設が敵の本拠地なんだ)

 グリゴリオが見つけたあの建物。そして、敵が飛び込んだ採掘場。おそらく、全てがこの地下と繋がり、網の目を成しているのだろう。提供したのはマンドーリオ・グラマン市長以外にあるまい。

(地下の方が上よりも広い……)

 ここグロークスは採掘で勃興し、その上に金属精錬の施設を建てることで発展してきた都市だ。おそらく盛り土をする際に広大な地下施設を造っておいたのだろう……誰かが。恐らくはグラマン一族か。であれば、その用途も高度に()()()であったことだろう。

『グラマンに騙された……殺された……』

 今しがた目の前を通った亡霊に、リンダは身震いをした。気味悪げにそれを睨む。と、その後ろでごとりと物音がした。

「そこにいるのは……誰だ?ロッソか?カークか?」

唸るような声が響く。リンダの後ろには二人の人影があった。

 一人は笑顔の少年、ユーリイ・シュトラウス。もう一人はモスグリーンのバラクラバ帽を被った背の低い男だ。気味の悪いことにその周囲には数個の眼球が浮いていた。眼球の一つがストロボのように激しく光る。

 

 その明かりの中に立っていたのは、なんの変哲もない黒猫だった。

 

 ◇◆◇

 

 リンダは自分の<エンブリオ>を秘匿している。それは情報で上手に立たれない為でもあったが、同時に個人的な趣味を隠すためでもあった。彼女はヘヴィーな猫派なのだ。

 【人獣二相 カル二ヴォラ】、TYPEはルール・アームズ。能力特性は猫への変身だ。普段リンダの首元にさりげなく嵌まっているチョーカーがアームズ部分であり、変身後はそのまま首輪になる。

 変身スキル《獣ノ相(ビースト・アスペクト)》の偽装能力は完璧だ。たとえ高レベルの《看破》であっても見抜けない。

「猫……?」

バラクラバ帽の男が唸る。その横で笑顔の少年(ユーリイ)が言った。

「だめですよノクセクさん、警戒はきちんとして貰わないと……猫ですよ猫、虫じゃないんですから、猫って」

通信妨害(レッサー)はきちんと発動させているし、目玉(エンブリオ)も飛ばしてるぞ。これは不慮の事故だ、シュトラウス」

 その言葉に呼応するように目玉がぐるぐると回り、そして男の背中から目のない蜥蜴のような生き物が這い出した。

「どこかに隙間でもあったんでしょうか、それとも坑道側から入ってきたのかな?……貴方の目で見てくれます?」

「了解した」

目玉が回転し、その瞳孔が広がる。ノクセクが口を開いた。

「《見通すもの(アルゴス)》」

視線がリンダの身体を通り抜け、その情報を隅々まで読み解く。ノクセクはため息をついた。

「何の変哲もない猫だ。戦闘能力は皆無、【偵察隊】の干渉も無し」

「本当に?」

「俺のアルゴスは鑑定特化の<上級エンブリオ>だぞ?何かあったら見抜けないはずがないだろ」

 見抜けるはずはない、とリンダは思った。カルニヴォラの《獣ノ相(ビースト・アスペクト)》は単なる変身ではない、猫に絞った変身だ。猫の姿の時には人間のスキルが使えない、というデメリットも載せている。戦闘能力も存在せず、ジョブの器がもつステータスも一時的に封印されている。見抜けるはずがないのだ。

 だが、ユーリイは納得しなかったようだ。その笑みが柔和さを増し、まるで仏のような表情とともにその右足が振り上げられる。ノクセクが慌てて黒猫に覆いかぶさった。

「ダメだって、ただの猫だぞ!シュトラウス、あんた殺す気だろ!」

「ここに通じる出入り口は全てカークさんの<エンブリオ>……【軍弾鳥 ステュムパリデス】の群れが見張っています。偶然入った、などということはないんですよ」

「俺のアルゴスでチラッとも怪しい情報が出ない、ということもないだろ。シュトラウス、あんた、そんな薄いリスクの為にこんなに可愛い猫ちゃんを殺すつもりか?」

「僕、猫より犬が好きなんですよね、従順だから」

ノクセクは信じられないというように目を見開いた。

「シュトラウス!あんたがそんな人でなし(犬派)だとは思わなかった、そこへ座れ!今から俺がみっちりと講釈してやる」

「結構ですけど、後ろ……」

 ノクセクが後ろを振り返る。そこでは、黒猫(リンダ)が通路を爆走していた。ユーリイが言う。

「あなたがそこまで言うのなら放置しますけど、あの猫はあなたが責任をもって捕まえておいてくださいね」

 

 ◆

 

 ノクセクとその目玉たち(アルゴス)を撒いたリンダはさらに奥へと進んだ。石壁はその湿度を増し、ますます不気味な雰囲気になる。と、その奥、壁の向こうから話し声が聞こえてきた。反響具合から察するに大きな空間があるらしい。リンダは大きな扉の隙間に身をよじり、ねじ込んだ。話し声がクリアになる。

「ゴールデン。腕彦。では、報告を聞こうか?」

その声はぞっとするほど冷たく、しかし同時に強烈なカリスマを感じさせていた。間違いなく敵の首魁だろう。尊大な態度からも分かる。その前に立つぼろぼろの二人が答えた。

「やられたわ。予想外だった、あんな強力なテリトリーを持っているなんて……おそらく条件を満たすことで何かするタイプよ」

「状態異常、だ……俺のタケミナカタとハーデニカのコンボの弱点を突かれた。相性が……」

「そんなことはどうでもいい」

長髪の男が言い捨てる。その瞳が冷たく輝く。

「もとより貴様らに奴らを倒せるなどと本気で期待してはいない。我が計画の最終段階の為には<劣級>の戦闘データの収集が必要であるがゆえに貴様たちを遣わした、それだけのことだ。その目的は達せられた、十分だ」

 ねぎらうようなその言葉に反し、その表情はひどく冷ややかだった。

「私が聞きたいのは、貴様たちの情報漏洩についてだ。腕彦、貴様の会話の稚拙さには反吐が出る。今後戦闘時には一切その臭い口を閉じていろ……そしてゴールデン、貴様もだ。<劣級エンブリオ>の《解放》機能を見せることを許可した覚えはない」

 その言葉に、壁際に立っていた黒ずくめの女が後ずさった。男が振り向くことなく言う。

「白色矮星。貴様もだ。フライリカの《解放》を許可した覚えはないぞ」

「この女の回収のためには必要だった」

「そのためならば露呈もやむを得ないと?大変結構なことだな。目撃者を消しておくという知恵が無かったのが残念だ」

「んじゃ、計画は変更しなくちゃならない、よね?元々そっちも視野に入れてたんだろうけど」

 ジンジャーが愉しげに言う。

「あたしが燃やしちゃうって手もあるけど、それは先送りにしかならないわ。そもそも都市一つ落としておいて気づかれないってのが無理なのよ」

「ジンジャー。提案があるのか?」

 男の視線を真っ正面から受け止めて紅の女は言った。

「日程を早める。最終工程も含めて、ね。その後ならカルディナ全部を敵に回してもどうにかなるでしょ?それに勧誘の材料も揃うわ。いずれ避けては通れないフェイズだしね」

 男は冷たく微笑んで言った。

「いいだろう。だが、カルディナを敵に回しても勝てるなどとは思うな。それは思い上がりというものだ」

 

 ◇◆◇

 

 解散する彼らの目を避けて隅に隠れながら、リンダの脳は今しがた聞いたことを高速で処理していた。まず、何よりも気になるのは……

(<劣級(レッサー)エンブリオ>!それが奴らの、言ってみりゃ二つ目の<エンブリオ>って訳かい?)

 だとするなら、《解放》というのは何らかのスキル行使を指しているのだろう。どのようにしてそんなものを手に入れたかは分からないが、会話から察するにある程度入手のタイミングをコントロールできるようだった。製造手段を握っている、が、希少な原料ゆえに乱造は出来ない、といったところか。

(だけど、目的はやっぱりクーデターみたいだね。カルディナの中央と戦争するつもりなのか)

 だとしたら、それは甘い考えだと言わざるを得ないだろう。

 

 <超級>。

 

 カルディナが抱えるかの極大戦力の前では、いくら二つ目の<エンブリオ>があると言っても対抗は不可能だ。力の桁が違う。

(そんなことは彼らも分かっている筈だ。何か、更に当てにしているファクターが……)

 考え込む黒猫。そんなことには気づかない様子で、地下室ではジンジャーと藤堂が話していた。リンダの鋭い耳が会話を拾う。

「計画の最終段階ってのは、一体何なんだ?グロークスの反乱か?」

「教えない」

 にべもなくジンジャーは撥ね付ける。その手元には蝋燭の炎が、まるでお手玉のように()()()()()転がっていた。ほっそりした手袋の指がそれを弄ぶ。

「あんたはまだ参加して日が浅いもの、リスクヘッジよ」

「俺を疑ってるのか?俺は裏切り者なんかじゃあないぜ」

「あら、どの口が言うのかしら」

ジンジャーの目が鋭くなる。その両手が炎のお手玉をジャグリングのように投げ上げ始めた。

「ま、言えることだけは教えたげるわ。ボスの<エンブリオ>の名前、あんた知ってる?」

「知らねぇ」

「【神髄掌握 エキドナ】、TYPEはエルダーアームズ。<劣級(レッサー)エンブリオ>の製造が能力特性。これがどういう意味か、考えてみればすぐ分かるでしょ?」

「戦力の増強が出来る」

藤堂は迷うことなく答えた。

「<エンブリオ>二つを持つとなれば、戦闘能力は格段に上がるだろうな。その軍団を使ってカルディナと一戦交えるつもりなんだろ?」

「まぁ、そう思うなら、それで良いわ」

 その含みのある言葉に藤堂は顔をしかめたものの、これ以上しつこくしてもしょうがない、と考えたらしい。なんでもないような顔を作って話を変えた。

「しかし、とんでもない能力だよな、マジで。いや、理屈で考えれば可能なのかもしれんが、新しく<エンブリオ>を造るなんて、深い仕様に関係した能力……<エンブリオ>を分解できたり、改造……融合とかもできたりするのかね」

 だが、その話題は逆効果だったらしい。ジンジャーは虫けらを見るような目で鼻を鳴らした。その掌が固まった炎を握りつぶす。

「あんた、意外とピュアなんだ?ボスの言ったこと真に受けてるの?」

「真に受けてるってなんだよ?新しい<エンブリオ>を造れるんだ、<エンブリオ>の深い部分の仕様まで弄くれるってことだろ?」

「あんたねぇ、ちょっとは頭使って考えてみなさいよ。<劣級(レッサー)>を造ることと、<エンブリオ>の仕様とは必ずしも……」

 それを聞くが速いか、リンダは駆け出した。勿論、誰も気がつかなかった。

 

 ◇◆◇

 

 この姿のままでは人間用のアイテムは使えない。もっとも、ノクセクの発言が正しければこの地下では通信が妨害されているらしい。どちらにせよ、

(外へ出なくては……)

 黒猫が通路をひた走る。その脳裏では、さまざまな計算が動いていた。

(エキドナ……思い付くべきだった……レギオンではなくアームズ系列!であれば……奴らの計画は……考えてみれば当然……しかし確証がない……リソースさえあれば!前例は……)

言葉にならない想像が蠢く。そして、無我夢中になるリンダの身体を……

「捕まえた!」

ゴツゴツした手が掬い取った。黒猫がもがく。

「ほーれほれ、悪い猫だな、やっと捕まえたぞ!」

 そう唸るのは、この地下道の番人、ノクセクだった。バラクラバ帽から見える瞳が精神的疲労に揺れる。

「疲れさせやがって……俺は【高位薬師】だからフィジカルは弱いんだよ、え?この猫ちゃんめ!」

 リンダは気持ち悪かったが、同時にほくそえんだ。これが猫の、猫だからこその防御力だ。かわいらしいフワフワの生き物を躊躇なく殺せるものなどいない。“無害”だとのお墨付きがあれば尚更だ。外に放り出されるなら丁度良い。このまま放逐を待つことにする。

 ノクセクが猫なで声でリンダを覗き込む。そして、その瞳が危ない光を孕んだ。

「《見通すもの(アルゴス)》……やっぱり何もないな、単なる猫だ」

 当然だ。カルニヴォラは貫けない。リンダが尚も心中で笑う。だが、

「それが、そう、それが気になるんだよなぁ……」

ノクセクの手が力を増した。拘束が強くなる。

「首輪、してるよなぁ、猫ちゃん。赤い首輪だ。近づいて、アルゴスを通じて見て、しっかりとわかった。良い首輪だな」

 ノクセクの周りで目玉がゆらゆらと揺れる。その瞳に光が宿る。

「出ねぇんだ。普通、アルゴスなら、猫と首輪の両方の情報が見られる筈なのに、猫の……なんの変哲もない猫のことしか見られない。おかしいよなぁ、()()()()()が、見られないんだ。俺のアルゴスは<エンブリオ>の名前、能力だって覗けるって言うのに……」

 ノクセクの手が首輪へと伸び、その指が首輪をしっかりと掴んだ。リンダの心臓が早鐘を打つ。

「これ、外したらどうなる?どうなるんだ、猫ちゃん?どうなるかな?」

 首輪が引っ張られ、緩む。そして、

「《双ノ相(ダブル・アスペクト)》!」

一閃。ノクセクの首筋から鮮血が溢れだした。

 

 ◇◆◇

 

「良い助言だったよ、本当に」

リンダは荒い息と共に、ノクセクを見下ろした。非戦闘職のやわな身体は左腕が千切れかけ、頸からどくどくと血を流している。彼女の肢体は、人間へと戻り……その途中で止まっていた。 

 《双ノ相(ダブル・アスペクト)》。人間の身体、そしてそれに付随するジョブの能力に猫の要素を足し込む、獣人化能力だ。フィジカルの上昇は無いが、得られるものはそれなりに多い。猫の身体の柔らかさ、鋭い感覚、そしてーー爪。

 単なるつまらない爪であっても、【影】を筆頭に積み込んだステータスが乗れば、非戦闘職の身体など簡単に切り裂く。猫の肉体と人間範疇生物の能力(ジョブ)の掛け算だ。

「首輪の情報は出してなかったね……<エンブリオ>はもとより鑑定が出来ないから、単に情報を隠蔽しただけじゃだめだったわけだ。こいつはどうしたもんかねぇ」

 猫人間が流暢に呟く。思わぬ弱点が判明したことを喜ぶべきか、悲しむべきか。取り敢えず、今後は首輪を見られる至近距離にまで近づくべきではないだろう。

「んじゃ、止めってことで」

 口も利けなくなったノクセクの頸をリンダがかっ斬る。光の塵になるバラクラバ帽の男を見下ろし、リンダは静かに人間の姿に戻った。

「テレパシーカフス……不通か」

 リンダはため息を吐き、そこに転がっている小さなものを拾い上げた。

「へえ、見た目はよく似せてるじゃないか」

それは、<マスター>なら誰もが知っている形をしていた。リンダがそれをひっくり返し、じろじろと眺める。

 と、その丸いものの表面に文字が浮かび上がった。

「TYPE:ガードナー……【劣級妨害 ジャムライカ】……?」

そして、リンダの脳内に突然、妙な感覚が生まれた。いや、感覚というのは正確な言い方ではない。言うなれば、

「声?」

 人の声のようなものが響いている。まるでラジオの電波を偶然拾ったガードレイルのように、内容は不明瞭に、そして同時に聞き逃すこともない音量で。リンダは思わず呟いていた。

()()

 瞬間、声が強くなり……そして何処からか走ってきた蜥蜴のようなめくらの生き物が、その宝石の中へ吸い込まれるように飛び込んだ。リンダは呻いた。爬虫類は嫌いなのだ。

「どういうことだい?これは……それにあたし今、戻れって言ったよね……?」

 顔をしかめたまま、リンダが首をかしげる。十中八九、これが彼らの言う<劣級>なのだろうが……

「通信妨害は続いてる。<マスター>を倒したのに<エンブリオ>だけが残ることなんて、まずあるわけがない。あたしがこうやって拾えることも……」

 リンダは気味悪げに<劣級>をハンカチで包み、ポケットに入れた。直接触れなければ、『声』は聞こえなくなるようだ。

「アイテムボックスには入らないね。やっぱり……」

 その思考は、論理的にはイコールではない。他に幾らでも理由の可能性がある。それでも、リンダはそのアイデアを捨てることが出来なかった。

「……奴らの<エンブリオ>ーー<劣級>は、丸っきり<エンブリオ>じゃあない。そして……」

 

 ◇◆◇

 

 □■冶金都市グロークス 地上 中央地区

 

 AFXとメアリーが横に飛びすさる。その空間を、カルテットの斬撃が通りすぎた。

 その手に握られているのは、杖と剣の複合武装だ。その切っ先が光り、風が唸る。

『《エメラルド・バースト》』

『《エメラルド・バースト》』

 【翠風術師】の奥義が吹き荒れ、路地を破壊する。アシュヴィンが再生能力をフルで回しながら、二人の盾となった。黄金の光が翠の風に抗う。

「あんたらもか、カルテット……そのステータス、どういうことだよ?」

《看破》を発動したAFXが、土埃に目を細めた。

「魔法戦士型……魔術師系統と前衛戦闘職のコンボなんて非効率なことを本当にやるやつがいたなんてね」

『それはお互い様だろう、AFX(エイフェックス)。君が幻術師系統を持っていることは我々も知っている』

「はっ……僕はそんなバカなステータスしてないよ」

 カルテット兄弟達のことを、AFXは殆ど知らなかった。知っているのは全員が同じ顔をしていることと、常に四人組で行動することだけ。

「魔法戦士型って言えば、魔法職としても前衛としても半端になるのが常識だろ、なんでどっちも並み以上なんだ?」

 《看破》で見えたステータス情報。カルテット兄弟は全員が物理系ステータスとMPの双方において超級職クラスを誇っていた。レベルは五〇〇であるにも関わらず、である。

「それがあんたらの<エンブリオ>か?四人……各々で各々を強化してるとか?」

『答える義務はない』

 カルテットたちがにべもなく撥ね付ける。その手に握られている杖剣は、高品質ではあるものの、すべて量産品だった。<エンブリオ>ではない。

「そもそもなんで同じ顔なんだよ、四つ子なの?」

『答える義務はないと言った!』

 そして、カルテット達が一斉に迫撃を再開した。【翠風術師】とは思えぬほどの動き、AGIにおいても【偵察隊】AFXを凌駕している。そして四人が同時に口を開いた。

『《サンダー・スラッシュ》』

三人分の剣士系統の剣戟が躍り、庇うように前に出たアシュヴィンを切り裂く。そして、

『足が止まったな』

二人の後ろから四人目のカルテットが踏み込み、雷撃を纏う刃でAFXを容易く両断した。AFXの身体が二つに別れ、揺らいで消える。と、そのカルテットの背後にもう一人……五人目のカルテットが現れた。

 斬られたのは《イリュージョン・エイリアス》。幻術師系統の幻影分身。そして白色矮星の時と同じ、メドラウトとの乗算攻撃。

(完全に死角を取った!まずは一人、倒す!)

 他の三人が割って入ることは出来ない。AFXとてそれに先んじるくらいのAGIはあるのだから。《裏切りの矛(バトレ・パイク)》が乗った一撃がカルテットの首筋を捉え……

『無駄だ』

その杖剣に止められた。まるでなんでもない攻撃かのように。そして後ろに回されたその右手がそのまま、AFXのナイフを断ち切る。

「ッ!」

 AFXが素早く身体を反らす。軽く振り抜かれた杖剣の切っ先は、彼の右頬から唇までを切り裂き、右肩を抉った。幻術が溶け、AFXの姿が露になる。

(嘘だろ!後ろにも目が付いてるのかよ、こいつは!)

 その自信に溢れた動きにAFXが戦慄する。何より信じられないのは、

「僕のメドラウトが上手く機能してない……なぜ」

『当然だ、AFX』

『君の<エンブリオ>は極端に過ぎる。考慮する変数が多すぎて正確な威力の見積りが出来ない、そうだろう?』

『幻術にリソースを割いたせいで前衛としても半端だ』

 カルテットが口々に嗤う。AFXが血を流しながら、首を振って吐き捨てた。

「メドラウトの誤差とか……そんなレベルじゃなかったぞ。なんなんだ、あんたら」

『カルテットだ。そして、君は敗北する』

「そう?」

 AFXが生意気に笑う。その懐から一つの【ジェム】が落ちた。最下級の火属性魔法だ。だが、ここで問題なのは威力ではない。

 魔法が地面の上で弾け、石畳を割り、土煙と砂礫を撒き散らす。目の前のカルテットが思わず目蓋を閉じ、

(ここだ!)

AFXが半ばで断ち切られたナイフを振りかぶった。その腕がカルテットの頭を目掛けて振り抜かれ……そしてそれを正確な動きでカルテットが迎撃する。目は閉じたままだと言うのに。

 それを分かっていたように、AFXはナイフの残骸を途中で放して空振らせた。メアリーに目配せをし、後ろに飛び退る。

 そして、アシュヴィンがカルテット兄弟に張り手を食らわせた。躱された平手が地面を打ち、轟音と共に土を巻き上げる。

(今ならカルテットの目はアシュヴィンに向いている……いや、やっぱり二人は絶対にこっちから目を離してないな)

 連携が巧すぎる。が、それならそれで良い。

(確かなのは、僕を視界に収めてない二人がいる、ってことだ)

 AFXがあるものをアイテムボックスから取り出す。それは、黒っぽい拳大の武器……閃光弾の類いだった。最下級の装備品であり、効果は最弱。だが、

「食らえ!」

AFXはカルテットの目の前でそれを炸裂させた。眩い光が夜の闇を穿ち、二人のカルテットが思わず怯む。それだけではない。残りの二人、アシュヴィンに顔を向けていた二人もその動きを一瞬、確かに止めていた。

「やっぱり、だ……メアリー!」

 AFXは叫んだ。安物の閃光弾はその役を十全に果たしてくれた。

「こいつら、視界を共有してるぞ!」

 あまりにも良すぎる連携。AFXの攻撃を正確に防いだこと。奇妙に連動した反射的反応。視界を共有しているなら、その説明がつく。

 そして、カルテットの一人が投擲した杖剣がAFXの腹を貫いた。痛覚を消しているとはいえ、内臓を掻きまわされる感覚に悪寒が走る。体の力が抜け、視界に黒い星がちらつく。

『こだわりの分析は済んだか?』

『どのような推論も無駄だ。結論は一つ、私達の勝利』

 思わず膝をついたAFXを前に、二人のカルテットが杖剣を構える。と、その横合いから、メアリーとアシュヴィンが飛び出した。だが、残りの二人のカルテットがそれを蹴り飛ばす。

『引っ込んでいろ、パラダイス』

『君のアシュヴィンの回復能力は対象との接触が必要な筈だ』

『AFXの回復はさせない、そこで順番待ちをしていたまえ』

 その言葉に、アシュヴィンごと路地の建物に突っ込んだメアリーが身を起こす。

「へぇ、回復能力者を残してまで?セオリーじゃないよ、それ」

『……』

 カルテット兄弟が無言でAFXに襲いかかる。杖剣の刃が閃く。

「それに、接触が必要じゃないやつも、あるよ。アシュヴィン……《癒しの息吹・極大(ヒリング・オーラ・マキシマム)》」

 次の瞬間、黄金の光が辺りを満たしていた。

 

 ◇◆◇

 

 回復役は一番に潰されるのが常だ。だからカルテット兄弟が心なしか執拗にAFXを狙うことについて、メアリーはうっすらと疑問を抱いていた。理由があるとすれば、AFXの何かに脅威を感じている、としか考えられない。この治癒は、それを確かめるための技でもあった。

 《癒しの息吹・極大(ヒリング・オーラ・マキシマム)》は非接触で広範囲に回復を撒き散らす。問題は敵味方の区別なく無差別に癒してしまうことだが、この状況では大してデメリットにもならない。むしろ、メリットにすら転じうる。そう、範囲内なら誰でも、という点が。

 路地には()()の光が灯っていた。メアリー本人と、重傷のAFX。四人のカルテット。そして……もう一つ。地面の下から光の柱が立ち上っている。

『全体無差別回復を……!』

「アシュヴィン!」

 空を飛ぶ両腕が喜び勇んで地面を砕く。そして、その土くれが軒並み、鋭い刃に変じた。アシュヴィンの装甲がズタズタに傷つく。

「《ホワイトランス》!」

間髪いれず、聖属性の槍が地面を貫く。土煙が吹き上がるその中心へアシュヴィンが手を突っ込みーーなにかを掴み出した。

『貴様……』

 カルテットたちがその動きを止め、戦慄したように硬直する。AFXが深く、血混じりのため息を吐いた。

「なるほどね、そういうことか」

 アシュヴィンの回復には常に発光が伴う。地面の下から光が漏れたなら、そこに誰かがいるということに他ならないのだ。

 その黄金と黒の手の中には、一人の人間がいた。潜水服のような服装の男。その男の顔は、カルテット四兄弟と似て……しかし明確に違う容貌をしていた。まるで兄弟のように。メアリーが得意げに笑う。

「まさか、地下に居たとはね……特典武具か、あるいはジョブかな?確かにあの時も、藤堂さんのアダムじゃ多分、土は掘れなかったよね」

 藤堂が逃げたとき、彼は地面の下へと逃げた。そんな抜け穴を作ることが出来たのは、【芸術家】でありアダムを持つ彼ではなく、この地中の男だったというわけだ。

「放せ……!」

男がもがく。メアリーが首を振った。

「だめだよ、()()()()()()()()()()。アシュヴィンはあなたを完全に捕まえてる」

 それを受けて、AFXが静かに言う。

「カルテット四兄弟……この四人はあんたの<エンブリオ>なんだ、そうだろ?」

 その言葉に、男が動きを止めた。その言葉が正しかったから、だ。

 カルテット四兄弟と呼ばれる彼ら、その正体はまったくもって純然たる人間ではない。TYPE:レギオンの<エンブリオ>、【四重人間 カルテット】。人間の再現を能力特性とする<エンブリオ>である。メドラウトがうまく働かなかったのはそのためだ。

「視界を共有してるって思ったときから、ちょっとだけ考えてたんだ……」

AFXは喉に溜まった血を吐き出して続けた。

「……ジョブに就けるレギオン。ステータスも共有した上で重複させてるよね」

 男の瞳が揺れる。

 カルテットの特性はジョブに就くこと。現に【翠風術師】をメインとして【剣士】【斥候】【魔術師】など、それぞれ五〇〇レベル分のジョブを獲得している。だが、同時に彼らは<エンブリオ>ーーレギオン。視界を共有したように、群にして個たりうるのだ。

 すなわち、彼らは四人分のステータスを合計し、それらを共有している。結果として、手にしたのは常人の四倍のステータスだった。

「HPとかはあんまり意味なさげだけど、MPは最大量に比例して魔法を強くする。AGIやSTRは原理的に使っても減らない……んでもって全員に適用されてるんでしょ?」

メアリーが続ける。

「ステータスはあくまでジョブに依存してるから。ジョブの判定次第ではこんなこともあるんだね」

 それは、ある種のバグとも呼べるものだ。四人であり一人でもある、その曖昧さが生んだ不具合。アーキタイプ・システムの想定外。

 四人分のジョブの器が、一つの生き物に連結してしまったことによる例外。それは、必ずしも良いことばかりでもない。

「四人もいる割にそこまで奥義を撃ってこなかったのは、待機時間(クールタイム)も共有してるからでしょ?カルテットたちは同時にしか奥義を使ってなかったし」

 それは諸刃の剣(カルテット)、そのもう一つの面。四人分の器が接続されたことで、デメリットも四倍になっているのだ。魔法のクールタイムは使った人数の分だけ加算され、しかもしっかりと共有されている。もし仮に四人全員に状態異常を掛けたなら、四人分の効果が四人のそれぞれに現れるだろう。

 男が諦めたように口を開く。

「もういい、十分だ。それを私に聞かせて何がしたい?」

「契約」

怪訝そうな男の顔を見て、メアリーは付け足した。

「さっきあなたが言ったんじゃない?情報が欲しければ契約、ってね」

「ほう、今さら金を払う気になったのか?」

「何言ってるの?代価ならもうあるよ?」

 メアリーがニヤリと笑う。

「私達はこの秘密を黙っててあげるの。言いふらさない。それが情報のお代……ってことで、どお?」

 男の顔が歪む。その渋面が次第に諦めの表情へと変わり、最後には獰猛な笑みが浮かぶ。

「……いいだろう、パラダイス。契約成立だ」

 

 ◇◆◇

 

 【契約書】への署名が済むと、まるで先の攻防などなかったかのように、男は敵の内実を事細かに語り始めた。<劣級>、地下の本拠地、市長の協力。どうやって接触し、どうやって関係したか。

「だが、彼らの計画については私も詳しくは知らない。彼は私にすら情報を隠していた。<劣級>のことも、私が知ったのはつい先日だ」

 男は地面に腰掛け、その前方をAFXとメアリーが囲んでいた。辺りのカルテット達は魂が抜けたように動かない。

「その“彼”ってのは?」

「とある<マスター>だ。犯罪歴はなく、表に出たことは一度もない。私とは以前から接触があったがね。名前は……」

男は躊躇うように言葉を切って、続けた。

「名前は“ウー”。【教授(プロフェッサー)】ウーだ」

「ウー……それが敵の首魁なのか?」

「おそらくは。だが、彼一人だけに注目するのは間違いだ。相当数の協力者を集めているぞ」

男は重々しく言った。

「概ねが犯罪者だ。正確には、ティアンの殺傷に躊躇いがない者ばかりを選んで<劣級>を与えている」

「そこ!そこだよそもそも!」

メアリーが声高に叫んだ。

「<劣級エンブリオ>って何なのさ!なんで<エンブリオ>を作ったり出来るの?」

「言えないな」

 その言葉に二人の顔が険しくなる。だが男は臆することなくその視線を受け止めた。

「私は彼とも契約を結んでいる。全てを明かせるわけではない。これでも最大限の情報を渡しているんだぞ」

男はため息を吐き、立ち上がった。

「だが、言えることはまだある。奴の……エキドナの能力特性を考えろ」

「<劣級>の……製造だろ?」

 AFXの言葉に、男は少しも表情を変えることなく、真っ直ぐに少年を見つめた。その口が動く。

「例えば、敵を殺すのに剣を使うか、銃を使うか、あるいは魔術を使うか……これらは過程の違いに過ぎない。結果が同じでもそれに至る道程には数多の可能性がある」

「どういう意味だよ、それは!」

「考えろ、という意味だ。<エンブリオ>の意味をな。そもそも何故、()()()()()()()()()()()()()()()()と、そう思ったんだ?」

 言えるのはここまでだ、とばかりに男が地中に潜る。カルテット達が息を吹き返したように動き出す。

『……もしまた会うことがあったら遠慮なく私を頼りたまえ。三割引きで請け負おう……』

 立ち去るカルテットを、二人が呆然と見つめる。その視線の向こうでは、空が白み始めると同時、厚い雲が垂れ込め始めている。そして、ポツリと最初の雨粒の音がした。

 

 ◆◆◆

 

 □■グロークス某所 

 

 隠し通路を散々走り回ってやっと地上に出られたリンダは、とある廃倉庫の中でほっと息を吐いた。倉庫の扉を蹴り壊し外に出る。未だ空は暗い。空には雲が漂い、陰鬱な雰囲気を演出していた。さらに言えば、地下から出たというのに通信妨害も何故か続いている。

「面倒だね……早いとこ情報共有しなきゃいけないってのに何で……あ!」

 リンダは頭を抱えて蹲った。自分の馬鹿さ加減に泣きたいほどだ。

「あのノクセクって奴が言ってたじゃないか、通信妨害してる、って……」

そして、その源であろう彼の<劣級>を持っているのは、誰か。そう、

「あたしだ……」

 ポケットから出した包みを見つめ、リンダはため息を吐いた。かといって捨てるわけにもいかない。貴重な資料である。そして、葛藤するリンダをあざ笑うように雨粒が降り始めた。

「あーーーーー……」

少しだけやる気の失せたリンダは、シャワーを浴びるような気持ちでその雨に打たれていた。雨粒が額を伝い、頬を伝い、首筋を伝って流れ落ちていく。

「どうにかオフに出来たりしないのかな……壊す?」

 まさか、とリンダは首を振った。こうなったらアナログに直接合流するしかないだろう。だが、この雨だ。視界も悪くなるだろうし、移動は億劫に……

 そこまで考えて、リンダは血相を変え、倉庫の中に再び飛び込んだ。思い出したことがあったからだ。地下で見た顔。聞こえた名前の断片。そして――――雨。

「まさか……」

リンダが自分の身体を見下ろす。雨に濡れ、水を滴らせた、衣服、装備、身体。

 思い違いや思い過ごしであればいい。が、流れというものはあるのだ。論理とは違う、運勢の流れとでも言おうか。

「————ああ、気付いちゃいました?」

そして、楽しげな声が倉庫に反響した。その声を、リンダは既に知っている。顔も、名前も、知っている。

「さっきぶりですね、お姉さん」

 柔和な表情の少年が、扉の外に立っていた。紺色の雨傘を差し、薄く微笑んでいる。紛れもない、敵の一人だ。

「だからノクセクさんにあれほど言ったというのに……しかし、猫に変身するなんて面白い能力ですね」

 その笑顔を見て、リンダは蒼白な顔で言った。

「ユーリイ・シュトラウス……もっと早く思い出すべきだったよ。()()()、なのにね」

「恐縮です。でも、僕は有名なんかじゃあありませんよ?」

「よく言うよ。“雨傘”ともあろうものが」

 リンダは吐き捨てた。この少年は、地下に居た有象無象の犯罪者たちとはわけが違う。彼らの中で唯一、二つ名を持ち、既に準<超級>としても知られていた人物。

 

 “雨傘”のユーリイ。

 

「それで、何の用だい?これ(レッサー)を取り返しに来た?」

リンダの質問に、ユーリイはその微笑みを深くした。屋根を打つ雨音が倉庫を満たす。傘の下、唇が動く。

「そんなところですよ。ご協力頂けます?」

「やだね。力づくでとってみなよ。自信はあるんだろ?」

その言葉には答えずに、ユーリイは傘をくるりと回した。楽し気に笑うその顔が、愛嬌たっぷりに傾く。

「ところでお姉さん、()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 To be continued

 



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第六話 邂逅エトセトラ

□■冶金都市グロークス

 

 古びた石と金属の建築物。グロークスではこのような廃倉庫がよく見られる。かつては商品たる金属製品を山のように貯蔵していただろう建物だ。

 この都市の経済力の全盛期はおよそ百年前。以後は金属の生産量も減り続けており、使われなくなった建造物が虫食いのように都市の各所に存在するのだ。

 その寂れた建物の前で、澄んだベルの音色が響く。

「【人探しのベル(ルキンフォー)】の音からみて、近くに人はおらぬ。だが、これはあくまでも近くの人間を探知する装備であるからな」

「まぁ、監視するなら遠くから見るよね」

キュビットはそう言って辺りを見回した。

「敵がこっちを監視もなしに放っておく、と思う?」

「……」

Moooが静かに首を振る。

「なら、何故襲ってこないんでしょう」

ユーフィーミアが首を傾げた。

「そもそも、敵はまだいるはずですよね?どうしてあのとき、負傷者を回収するだけで帰っていったんでしょうか?」

「よい疑問だ。が、儂には皆目見当もつかぬ」

Ⅳ世が唸る。

「だが推測できることもある。彼奴等にとって、我々との交戦は恐らくノーリスクではないのであろう」

「交戦ってのは、おおかたが大なり小なりリスキーなんじゃないか?」

「そうであるな。つまり、勝敗に関わらず存在するリスク……」

「『情報の露呈では?』か……Mooo、筆談じゃなきゃ駄目?」

『駄目だ』との紙片を寄越し、Moooが銃を磨き始める。キュビットが言った。

「まぁ、結論は出ないだろう。俺たちに出来るのはもっとピースを集めること……この建物の調査は十中八九それに繋がる」

「陽動も忘れちゃいけませんよ」

ユーフィーミアが横から口を出す。

「そろそろリンダさんが侵入する時間です。サトリを連れてって貰いましたけど、やっぱり注意を引くのは必要ですよ」

「分かってるよ、でも陽動って……何をしたらいいんだ?」

 『君、意外と考え無しだな』とのメモを差し出すMoooに、キュビットは肩をすくめた。

「君は意外と気安いな……だってそうだろ?この中に“陽動”なんてやったことあるやつがいるか?」

 開き直るキュビット。その顔を見つめて、Ⅳ世が言った。

「いやはや、それはそうだ。この中に職業軍人などはおるまいて……儂も兵役に行ったのはかなり前であるからな。とは言え、そこに関しては心配あるまいよ」

キュビットが目をぱちぱちさせる。Ⅳ世が優しく言った。

「我々は最前、憲兵を無力化して逃亡した。つまり、そんな我々がこんなところで話し込んでおれば……」

「動くな!全員、両手を上げて顔をこちらに向けろ!」

「……こうなる」

 四人に突然サーチライトが向けられ、バタバタと現れた憲兵たちが厳めしい声をぶつける。

 砂色の装甲服を着込み、武装をした憲兵たちだ。人数は十人ほど。その全員が犯罪者を見る目でキュビットたち四人を見つめている。

 キュビットが両手を上げて言った。

「なるほど、こりゃ十分……消音結界(ヤマビコ)は張ってたんだけど」

「口をォ、開くなァ!両手を上げ、地面に座れェ!」

 憲兵が唾を飛ばして叫ぶ。魔力式銃器の銃口が光る。

「都市内での戦闘行為!数多の器物損壊!憲兵への公務執行妨害!あまつさえゴビル千戸長殺害の容疑!貴様たちのような凶賊に人権なぞ存在せんと思えェ!」

「おい、一個知らない罪状があるぞ。冤罪だろ」

「口を慎めテロリスト!これが最後だ、従わなければ発砲する!」

 その瞬間、Moooが動いた。その足元の影が膨らみ、のたうち、暴れだす。

 そして膨れ上がったソラリスが、憲兵の全員を一瞬でその腹のなかに納めた。水面が波打ち、そして静止した。あたかも水中にいるかのような憲兵の怒り顔が歪み、やがて虚ろな顔で動かなくなる。ソラリスが静かになった彼らをぺっと吐き出した。

「殺したの……?」

『いや。窒息で気絶させただけだ。だが、応援を呼ばれたのは間違いないだろう』

メモをかざし、Moooが市庁舎を見やる。憲兵ともなれば、思考だけで動作する連絡手段くらいは装備しているだろう。

『彼らが来る前に調査を済ませたほうがいい。おそらく、倉庫の中に入ってしまえば見失う筈だ』

「それ、逃げ場のないところに入るだけじゃないです?」

『恐らくそうはならない』

まだ首を傾げるユーフィーミアに、キュビットは扉を開けて振り向いた。

「Moooの言う通り、多分大丈夫だ。多分な」

 

◇◆◇

 

 倉庫の中には埃が積もっていた。灰色の床に半ば埋もれるようにがらくたが転がっている。空の木箱を持ち上げて、Ⅳ世が言った。

「儂の髭が埃まみれになったぞ」

「確かに、これはひどいね。誰も入ってないんだろうな……」

「不思議ですよね。わたし、部屋の掃除とかしてて思うんですけど、埃ってどこから来るんでしょう?」

三人が口々に言い、そしてMoooが紙切れを掲げた。

『時間がない。ソラリスに探させる』

「ソラリスに?どうやって……」

 Moooは答えない。代わりに、倉庫の入り口からソラリスが勢いよく流れ込んだ。埃やがらくたを押し流し、床を小さな海が満たす。そして、倉庫の右奥でタイルの一つが少しだけ浮き上がった。

「よっと」

 それをキュビットが持ち上げ、中を覗き込む。外れたタイルの下には、

「ビンゴ。お手柄だ、Mooo」

錆び付いた取っ手が据え付けられていた。明らかに隠し扉のノブだ。

「グリゴリオ達が腕彦に襲われたのは、これを見られたくなかったからか。しかし……」

「先程の埃から推察するに、この入り口は使われなくなって久しい。複数の出入口があるとなれば、奴らの本拠地は相当の規模であるな」

Ⅳ世が髭を捻る。

「もしかして、あの採掘孔まで通じてたり……ところで、これ、開けていいんでしょうか?」

『警報装置の可能性はある。が、そのリスクは許容範囲内だろう』

「さて、鬼が出るか蛇が出るか……?」

そう言って、Ⅳ世が取っ手を掴み、持ち上げる。隠し扉が耳障りな音を立てて持ち上がった。その下から冷たい風が吹き上げる。

「では、儂が一番槍を務めよう」

 老騎士が勢いよく穴に飛び込み、他の三人もそれに続く。最後に飛び込んだMoooの後ろで、ソラリスが()()()()扉を閉め、タイルを上からかぶせて隙間から染み込んでいく。    

 

「テロリストどもめ……味な真似を……!」

 ほんの少し後。倉庫の入り口からふらつく人影が現れた。荒い息を吐き、銃口はぶれにぶれている。先ほどソラリスが窒息させた憲兵の一人、指揮を務め四人に怒号を浴びせていた男だ。

「いかな<マスター>といえど、許してはおかん……ゴビル千戸長とラドールの仇、このモハヴェドが逮捕してくれるぞ!」

 いまだ力が入らない足で、彼は転ぶように倉庫の奥へと歩いた。地面に倒れこみ、両手を這わせてタイルの継ぎ目を探る。一度はがされたタイルは割合素直にはがれ、錆び付いた取っ手を晒した。その取っ手を日に焼けた手がしっかり掴む。

 モハヴェド憲兵隊長は朦朧としながらも、ようやく扉を苦労して持ち上げ、その下に身体を滑り込ませた。

 

 

「広いな」

扉の下、地下道でキュビットが呟く。黒々とした地下道にはひとつの灯りもない。ただすべてを塗りつぶす闇だけが、どこまでも広がっている。そして、灯り欲しさにカンテラへ火をつけようとしたユーフィーミアを、Moooが制した。

『…………』

「あ、すみません、暗くて読めないです」

「灯りは点けぬ方がよい、ユーフィーミア嬢。Mooo殿が危惧しておるのは、敵に見つかることであろう。この暗がり、灯りの存在がどれほど目立つかはそれこそ火を見るより明らかだ」

Ⅳ世が諫める。キュビットが懐から眼鏡を取り出した。

「俺が先導する。ついてきてくれ」

 一行は歩き出した。地下道は黒く、広く、冷たかった。響く足音はヤマビコが遮断しているが、それでも無意識に声を潜めるほど不気味だった。

「で、何処へ向かうのだ?」

「このまま、あの角を右」

キュビットが言う。 

「先に言っとくけど、勘だよ」

『……』

「確かに、よい勘であるぞ。見よ」

Ⅳ世が暗闇のなか、おそらく右を指し示す。

「微かに灯りが見える。あちらの方が主要部に近いのであろう」

 照明があるならば、そこは使われている通路だということだ。右前方の道からは、青白い常夜灯の光、その反射らしきものが少しだけ見えていた。先ほどの入り口は本当に使われていなかったらしい。

「でも、それはつまり見つかっちゃう可能性とトレードオフですよね?」

「ヤマビコが効いてる。ある程度は大丈夫だよ」

 Ⅳ世が頷く。角を曲がり、あたりは少しだけ明るくなった。老騎士が安心したように各々の顔を見つめる。

「だが、気づいておったか?この地下は【テレパシーカフス】が不通だ」

「圏外、ってことですか?」

「いや、カフスはそんな携帯電話みたいなシステムじゃない筈だ」

『つまり、通信妨害だな』

 電子音声が響く。Moooが小型の機械を操作して続けた。

『外部との通信を遮断された。もっともこれ以上深く潜るならどのみち射程距離外だろうが』

「Mooo、そこまでして話したくないのか?」

『あぁ、肉声会話は趣味じゃないのでね』

「いや、まぁまぁ……しかし、不気味な場所だ。まるでパリのカタコンベ(ロシュエール・ミュニシパル)ではないか」

「古代の地下施設って意味では同じ感じですね……地上の建築とは多分、年代が違います。グロークス黎明期のものかも」

「だとするなら、街じゅうに通じててもおかしくはないな」

キュビットはそう言うと、突然足を止めた。

「ど、どうしたんですか?」

「何か音がする……Ⅳ世」

「承った」

 老騎士がベルを振る。【人探しのベル】は、さっきより少しだけ大きな音を鳴らした。

「人がおる。そこの角……」

 緊張した老騎士の言葉と同時。角を曲がって姿を現したのは、豪奢な服装に身を包んだ、恰幅のよい男……グロークス最高権力者、マンドーリオ・グラマンだった。

 そのやつれ顔が驚愕に歪む。

「な、なんだお前たち……?もがっ!?」

驚き顔の市長の口を、咄嗟に伸びたキュビットの右手が抑える。ユーフィーミアが太い縄を取り出す。そして、

「あれ、どーしたの?市長?」

「何かあったのか?」

————角の向こうから、二つの声が響いた。

 

(仲間……!一人じゃなかったのか!)

キュビットが顔を引きつらせる。

「市長~?グラマンちゃん?服の裾踏んづけて転んじゃったりした?きゃはは」

「おい、何故返事をしない?マジに何かあったのか?」

 明るい女の声。どこか聞き覚えのある男の声。その声が、次第に疑義の色を帯びる。キュビットが市長を押さえつけ、小さく呟いた。

「……《喧騒曲:最終楽章(ヤマビコ)》……さっきのデータからシミュレーションを……」

『心配ない』

 キュビットの手元、半透明の操作盤が声を上げる。その声は、グラマン市長のものにそっくりだった。

『少し、水たまりで転んだだけだ……気にしないでくれ』

ヤマビコの能力は音の操作。誰かの声を真似してしゃべることなど造作もない。十分なデータがあれば寸分たがわぬ声になる。

「ふふ、気をつけてねぇ?んじゃ、あたしたちは会議があるから」

「足元悪いもんなぁ……ここ」

 角の向こうの二人が歩き去る。キュビットは膝の下でぐったりしている市長を抱え上げた。

「マンドーリオ・グラマン市長だね?貴重な情報源だな」

 Ⅳ世が頷き、Moooが顔を覗き込む。そしてその後ろで、ユーフィーミアがにっこりと笑った。

 

◆◇

 

「ぐああああああ!」

 地下道に叫び声が響く。ヤマビコの消音結界がなければ、がらんどうの地下全てにその声が響き渡っていた事だろう。

 一行は再び、灯りの無い領域に戻ってきていた。人が来なさそうだと見込んだ、行き止まりの通路の一つ、そこに陣取っている。

「うがぁあああああ!」

悲鳴と絶叫が混じった大声が空気を裂く。Ⅳ世が顔をしかめ、キュビットがため息を吐く。

「儂にはあまり人道的な手段には思えんが」

「それはそうだけど……必要なのは確かだからね、多分」

 二人の前。通路の入口付近ではMoooが警戒のため座り込んでいる。そして二人の後ろでは、

「ひいいいぁぁぁぁぁ!」

 縛られたグラマンの前、ユーフィーミアが彼の首を掴んでいた。その手元は青白く、淡く、ぼんやりと光っている。

「【審問官(インクイジター)】の面目躍如か……」

「あ、はい。サトリはリンダさんに着いていかせちゃったので……すいません、グラマンさん」

「うぁ、あ……」

虚ろな眼でグラマンが呻く。ユーフィーミアが首をかしげ、彼の額に手を当てた。

「《アウェイク・オーダー》」

「っは!はぁ……」

 拷問官系統の能力。強制的な覚醒のスキルにより、グラマンが即座に正気を取り戻す。ひび割れたその唇が開いた。

「こ、こんなことをして、ただではすまさんぞ……」

「そんなこと言われても……わたし、【審問官】ですし。サトリがいたらもうちょっと痛くないやり方もあったんですけどね」

「言わんぞ!私は絶対に何も喋らん!」

 強気のグラマンに、しかしユーフィーミアは困ったように笑うだけだった。その青白く光る手が、再びグラマンの……今度は指を掴む。

「で、<エンブリオ>を売る商人を匿ってます、よね?」

「あがぁぁぁぁ!」

 再びグラマンが悲鳴を上げる。Ⅳ世が静かに口を開いた。

「すまぬが、あれは【審問官】の……?」

『奥義だ』

Moooが横から口を出した。

『《ピースフル・ペイン》、肉体への攻撃を非実体化……つまり、ダメージの無い見かけだけのものにする』

「ふむ。だが、それにしては、あの反応は……」

『ダメージは無いが、感覚はある。本来与えられる筈だった外傷から、痛みだけを残して他の全てが消えるんだ』

 言うなれば、それは感覚だけに対する攻撃だ。《ピースフル・ペイン》によって非実体化した攻撃は、物理的な干渉力を一切持っていない。どう足掻いても虫一匹とて殺せない。

 

 代わりに、痛みだけがある。

 

 殺傷力が無いことなどなんの救いでもない。それは畢竟、死という安寧を得られないことと同義だからだ。無傷の肉体に、重傷の感覚だけが残る……何度でも。 

 物理的な防御力もここではなんら意味を持たない。感覚の次元にいないからだ。

『精神系状態異常への対策なら干渉できるかもしれない。あいにくデータが少なすぎて分からないが』

 【拷問官(トーチャー)】系統上級職、【審問官(インクイジター)】。尋問と看破に長けた系統であり、同時に就くものの少なさから不明点の多い系統でもある。

 何故少ないか?メリットが無いからだ。《看破》や情報取得に特化した系統なら、【斥候(スカウト)】や【鑑定士(アプレイザー)】がある。捜査や情報処理なら【探偵】や【書記(セクレタリー)】もある。

 【拷問官】系統で得られるものは、貧弱な肉体ステータスと、【詐欺師(スウィンドラー)】などへのささやかな対抗能力。そしてその主たる能力、拷問スキルだけだ。当然、その活躍の場はどうしてもアンダーグラウンドであったり、諜報といった領域になる。

 そして、痛覚をオフに出来る<マスター>の尋問では、そもそも能力が効かない。就任者が少なくなるのも仕方のないことだ。

『物好きもいたものだ。あれは戦闘にはなんら役に立たない。つまり、拷問そのものを目的とする人間でもなければ就かない』

「ティアンには多いのか?」

『俺は会ったことがないな。そもそもこの世界で拷問は非効率だろう。呪術あたりで聞き出したほうが早い。死なないと分かっている痛みに価値があるのかも微妙だ』

「あぁぁぁ!私は、何も知らん!知らんのだぁ!」

『効き目はあるようだ。訂正しよう』

 Moooの冷静な(電子音声の代弁に感情など無いが)言葉に、Ⅳ世がいささか微妙な表情になる。その後ろでユーフィーミアが言った。

「ダメですよ……?あなた、【詐欺師(スウィンドラー)】の才能があったみたいですけど、それは【審問官(わたし)】には効き目薄いですから」

その光る掌が、グラマンの胸に沈む。グラマンが眼を剥いた。

「お、おい、それは……」

「えいっ!」

 グラマンが声もなく息を吐き出す。その口が蛙のようにパクパクと動き、瞳が狂ったように揺れる。

「心臓を握り潰しました。あ、もちろんホントには潰してないので安心してくださいね!」

「こ、この、この状況の、何が、安心だ……?」

「えっと、もう一回やりますね?えい!」

「はっ……!ぐぅ……」

 人間としての本能が、重要器官の喪失という一大事件を受けて頭のなかで喚く。グラマンは自分が正気を失っていくのをひしひしと感じていた。死の感覚が去ることなく、いつまでも隣に居るのだ。だが、

「《アウェイク・オーダー》」

狂気に逃げ込むことは出来ない。【気絶】すら許しては貰えない。華奢な女が笑う。

「すいません、ほんとにすいません、痛いですよね……次は眼球を」

「も、もう止めてくれ!十分だ!全部話す!私の知る全てを話す!誓う!だからもう止めてくれ!」

 耐えかねて喚くグラマンに、ユーフィーミアは素早く頭を下げた。

「あ、ありがとうございます!とっても助かります!」

その朗らかな笑顔に、グラマンは絶叫した。

「分かった!分かったからその顔を止めてくれ、頼む。笑わないでくれ!」

 

◇◆◇

 

「はじめは、噂だったのだ。<エンブリオ>を売ってくれる商人の噂だ」

 グラマンは観念したように話し始めた。暗がりに、悲しげな声が響く。

「どうしても<マスター>の力が欲しかった私は、人を雇って彼を探させた。見つけ出して帰ってきたものはいなかったがね」

 見つけられないか、あるいは殺されたから。最もその事態を予測した上でティアンを使った面はあるのだが。

「そして、ある日だ!私に彼らから接触があったのだ、然るべき代価をもって私に<エンブリオ>を授けてくれると!」

「代価?」

キュビットが尋ねる。グラマンは昂奮した様子で言った。

「そうとも、代価だ!すなわち、この都市だよ」

「……」

「都市内部の資源や資金、人員の最大限の供出。それが私の代価だった。勿論、可能な限り全てを差し出したとも。少しばかり足りなかったが、あと少し、あと少しだ。あと少し差し出せば……」

「それは、どういう意味ですか!」

 通路入口からの突然の不審な声に、キュビットが勢いよく振り向いた。

 そこにいたのは、先だって四人を逮捕しようとした憲兵の指揮官だった。肩を壁に預け、荒い息を吐いている。

「上の憲兵……!見られていたか!」

 Ⅳ世が唸り、そしてソラリスがその人物を素早く押さえつける。憲兵が床に叩きつけられ、息を吐き出して呻いた。

『すまない。警戒が足りなかった』

 Moooはそう言うと、その人物に対し銃口を向けた。それを見もせず、彼は喘ぐように喚き続けた。

「グラマン市長!私は、グロークス治安維持部隊所属、モハヴェド・アルリン憲兵隊長であります、今の発言、一体どういう意味ですか!」

 市長が視線を逸らす。それを見て、モハヴェドは益々ヒートアップした。

「答えろ、マンドーリオ・グラマン!あんた、この都市を余所者に、あんたの“客人”に売ったのか!」

「そうだ!」

 グラマンは突然反駁した。

「何が悪い?私はこの冶金都市グロークスのトップだぞ!その座を好きなやつに譲り渡して何が悪い!」

「俺たちは、あんたの所有物じゃない!」

「同じだ!所有物に等しいとも!誰が上に座ろうとお前たちに関係あるか!」

「市長としての()()だと思って黙認しておけばこれだ!我々は市民の味方であってあんたの奴隷じゃ……」

「あの、すいません、大人しくしてください……」 

「はぐゥッ……」

 ユーフィーミアがモハヴェドを()()()()させたところで、キュビットは再びグラマンに向き直った。

「資源の供出、と言ったよな?都市ではあんたに、神話級金属やそれ製の武装だのを半ば強制的に買い上げられた、って話が聞けたんだが。なんのためだ?」

 グラマンはしばし逡巡し、ユーフィーミアの笑顔にちらりと目をやってから口を開いた。

「<劣級(レッサー)エンブリオ>の材料だ」

「何?」

「だから、<エンブリオ>の材料だとも!大量の神話級金属(リソース)、あとは生け贄役のティアンを一人用意しろ、と言われたのだ」

「それが、奴らの……<劣級(レッサー)エンブリオ>とやらの材料?だが、一体どうやって……?」

「知らんな」

 グラマンが言う。ユーフィーミアの笑顔が深くなり、グラマンは喘ぎながら再度、言った。

「し、知らないんだ!本当に!詳しい仕組みは私になぞわからん、専門家じゃないからな。私が知っているのは、手順だけだ!あれが本当に<エンブリオ>なのかどうかだって知らん!」

グラマンが泣きそうな顔になる。

「肝心なのは結果だ!コストと人間一人(いけにえ)さえ用意すれば、あとは彼の……【教授(プロフェッサー)】ウーの<エンブリオ>が勝手にやってくれる!私にも力が手に入る!」

「そのために……この都市を……」

 モハヴェドがソラリスの下で呻く。キュビットが立ち上がった。

「うん、仕事はこれでほぼ完了かな?取り敢えず地上に出て、ドラグノマドに報告だ。……これ(拷問)、犯罪にならないよね?」

「市長はクロだったし、良いんじゃないですか?」

『君が言うのか』

 そして、市長を捕まえた一行は歩き出す。足音のなか、ソラリスから解放されたモハヴェドが、所在なげに身体を起こした。

「君たち、ドラグノマドの……」

「うむ、調査に来たものだ。いや、お気になさらず、貴殿らの対応はごく当然であるからな……しかし、ゴビル千戸長殺害というのは我らの犯行ではないが」

「そうか……いやはや、まさかこんな事になるとは」

 モハヴェドは頭を振った。戸惑いと落胆がその顔に浮かんでいた。

 

 

 通路に沢山の足音が響く。一行は再び、通路の端、あの使われていない出入口に戻ってきていた。グラマンは観念したように頭を垂れ、モハヴェドは憤懣やる方無しといった風でそれを見つめている。殿を務めるMoooが、抜け目無く辺りを見回していた。

 キュビットがグラマンを連れて階段に足を掛ける。そして、

 

「あぁ、やっぱり捕まってたのね」

「あららぁ、来てよかったな」

 

 突如、通路に二つの声が響き、カンテラの明かりが眩く射し込んだ。振り向いた彼らが見たものは、溶けるように消える石壁と、二人の人影。

 一人は、派手な暖色系の服に身を包んだ女。両手には赤い手袋。

 そして、もう一人。既に知っている人物。

 

「よぅ、久しぶり……かな?」

 

 モーリシャス藤堂が、そこにいた。

 

◇◆◇

 

「感動の再会だな、キュビットさんよ」

「……俺以外にもどうぞ、言ってやってくれ」

「つれないねぇ……」

 藤堂が笑う。その隣で、赤い女も愉しげに微笑んだ。

「市長ォ、あの声がなーんか怪しかったから、会議終わった後で上の部屋見に行ってあげたら……なんと、空じゃない?よかったよ、気づけて……感謝しなさいよね!」

「お、おお……」

「しかしさぁ、状況は最悪よね、コレ」

 赤い女が悲しげに呟く。

「あたしが言うのもなんだけど、<マスター>って厄介だわ……なにより口封じが出来ない」

「だったら、大人しく降伏しろ」

キュビットが言う。

「もしここで俺達を止められても、いずれドラグノマドに連絡が行くのは確定事項になった。【地神】だの【殲滅王】だのに襲われて逃げられると?」

「ん~、ま、確かに無理ね」

 赤い女は唇を歪め……

「だから、また計画を早めなくちゃいけないわ。まったく、予定が繰り上がりすぎてぐちゃぐちゃ」

「計画とは何だ?」

「教えると思う?言っとくけど事態はあんたが思うほどそっち有利でもないのよ?」

『【地神】に対抗できるとでも?』

 Moooの言葉に、女が鼻を鳴らす。

「【地神】【地神】、そればっかじゃない。もう良いわよ、とりあえずあんた達は三日間お休み!」

「ジンジャー、俺にやらせてくれ」

 そこへ、藤堂が口を出す。

「ちょっと前まで組んでたからな、力試しにゃぴったりだ」

「そう?んじゃ、あとよろしく」

 女ーージンジャーが踵を返し、

「……《来たれ大海嘯(ソラリス)》」

ソラリスがその行く手を塞いだ。Moooが機械のボタンを押す。

『我がソラリスの障害と……』

「……ヤマビコで消音結界を張った」

キュビットが言う。

「通信妨害はお互い様の筈だ。お前たちをここで密かに仕留めて敵の初動を遅らせる。三日間休みはそちらだ」

 それもまた、道理。情報的に隔離されたこの空間で、勝者こそが一歩目の有利を手に入れる。その威勢の良い言葉に、ジンジャーがまるで虎のように獰猛な笑みを浮かべた。

「良いゲームね、乗ったわ。消し炭にしてあげる……!っと、言いたいとこだけど、残念ね」

「俺が先約だ。そこで見てろ、ジンジャー」

「はいはい、りょうかーい」

 ジンジャーが壁にもたれ掛かる。藤堂が自信ありげに言った。

「まぁ、見せてやるよ、ジンジャー。俺の実力ってやつを」

 

◇◆◇

 

『君の実力、とはどういう意味だ?』

 Moooの電子音声が呟く。その手が、最早心配する意義の無くなった光源を確保するべく、手持ちライトのつまみを捻った。無機質な光が地下道を照らし出す。

『【芸術家】そしてアダム、間違いなく直接戦闘に向いた能力ではない筈だ』

「撹乱ならまだしも、正面から一人で勝てると思うのかい、藤堂」

「一度は仲間であった。少し惜しいが、倒させてもらう」

「あ、皆さん、よろしくお願いします……」

 ユーフィーミアの弱気な声に、Moooが黙って振り向く。

「な、なんですか?わたしはそういうの無理なんですよ、無理!勝てないですって!」

「そう気負うなよ、ユーフィーミア。藤堂は問題にならない、ヤバいのは多分あの後ろの……」

「さて、それは不愉快だぜ、キュビット?」

藤堂がぎろりと一行をねめつける。

「予言してやる。お前らは、俺に手も足も出ないぞ」

 そう言って、藤堂は両手を広げる。その掌から粘土が湧き出した。

「さあこい、アダム!」

 粘土が奔流のように溢れだし、地下通路の床を満たす。ユーフィーミアが悲鳴を上げた。キュビットが叫ぶ。

「無視しろ!ただの粘土だ!殺傷力はない!」

「あぁ、その通りだぜ」

 藤堂が言う。その身体が盛り上がる粘土に沈み始める。

「粘土に隠れる気か?」

『無意味だ。防御にもならない』

 Moooが銃を構え、藤堂に発砲する。マズルフラッシュが光り、銃弾が頭を撃ち抜く。

 

 そして、藤堂の身体が白い粘土と化して溶け落ちた。

 

擬態(デコイ)か!』

 Moooが叫ぶ。即座にソラリスがその一部を伸ばし、デコイ周辺を叩き潰した。ほうほうの体で藤堂が転がり出る。その胸をⅣ世の槍が素早く貫き……そしてその藤堂も粘土細工へと変わった。

「ぬう、猪口才な!」

 Ⅳ世が槍を構え、そして穂先をぐるぐると回した。粘土の海に幾筋もの深い傷がつく。

「いかな擬態といえど本体はどこかにいる筈だ、粘土を全部ひっぺがす!」

『ソラリスの防壁は破られていない。まだ此処にいる』

「心得た!」

Ⅳ世の槍が唸りを上げる。白い粘土の塊が全て砕けちり……

「おらぬぞ」

そこに藤堂の姿は無かった。Ⅳ世が戸惑いの顔で振り返り……戦慄の表情になる。

 背後では、石造りの壁が歪み、そしてその中から現れた藤堂が、ユーフィーミアの腹をナイフで貫いていた。

「かふっ……」

 ユーフィーミアの唇の端から、粘つく緋色が溢れる。

「なっ……!藤堂!」

 キュビットが藤堂に飛びかかる。藤堂はほくそ笑み、そしてそのまま壁の中に消えた。ユーフィーミアがゆっくり崩れ落ちる。

『何故だ?奴のアダムの能力は変形変色粘土の筈だ』

「そりゃ、お前……壁が粘土だったってだけだよ」

「……!」

 突如、眼前に音もなく現れた藤堂に、Moooが容赦なく発砲する。だが、その弾丸は藤堂の胸を通り抜けて消えた。

「ちなみに、その俺は絵だぜ」

その発言に、Moooが息を飲んだ。

「この地下道、少しだけ狭くなってることに気がつかなかったか?粘土で表面を覆ったぶんだけ、な」

それは、絵画の……視覚の陥穽を突く力。

 Moooが撃った藤堂は、アダムの表面に描かれた絵だ。遠近感すら支配する絵画の技術。それを示すように、キュビット達の姿も複数現れ始める。

「おちょくってるのか、藤堂!」

「いや?俺は真剣だぜ?舐めてかかったのはそっちだろ」

 藤堂が笑う。その姿もまた壁に描かれた絵に過ぎない。いや、どちらが壁だったか、それすら曖昧になる。

 視覚!背景の視覚を完全に支配する能力。それこそがアダムとモーリシャス藤堂の真髄。精巧な描写技術のただ中で、あたりの目に見えるものは全て信頼できない。

「閉鎖空間で俺と戦おうなんざ、百年早い!」

 いずこかで藤堂が叫ぶ。そして、キュビットの肩口に銃弾が突き刺さった。

「くっ……モハヴェド!ユーフィーミアを頼む!」

 駆け出したキュビットを、尚も銃弾が貫く。

「くそ、ならば中心へ!」

 壁から離れれば少しは……そう思って足を進めたキュビットが見えない壁にぶち当たる。

 いや、それはアダムの壁だ。通路中央の風景が描かれているだけの。

「……ッ!」

 キュビットが身体を反らす。次の瞬間、そこから突き出た腕が持つ拳銃の弾が、さっきまでキュビットの頭があったところを撃った。

()っ!」

 Ⅳ世の槍が壁を打ち砕く。だが、そこには藤堂はいなかった。その向こうの風景も全て、曖昧に歪んでいく。もはや方向や距離を視覚で計ることは出来ない。

『リアルから持ってきた技術、か?藤堂』

Moooの電子音声が響く。

『驚異的だな。リアルタイムで細部までの描写を描き換え続けている。まるでプロの画家のようじゃないか』

「まるで、じゃない。画家だよ。売れないがね」

応じて、壁の絵が口を開いた。

 モーリシャス藤堂、彼の地球での職業は、紛れもなく画家、絵描きである。筆とカンバスという制約を飛び越えて、頭のなかと直結した絵画の道具(アダム)を手に入れた今、その絵の腕はハイスピードかつ最大限に発揮されていた。

「おかしい話じゃないか?これほどの絵画の腕を誇る俺が、貧困な塵芥に甘んじているのは……」

 余裕綽々で愚痴を溢し始めた藤堂を尻目に、MoooがキュビットとⅣ世に囁く。掌では会話機械が藤堂に相槌を打っていた。

「……やつの……能力は驚異的だが、本体はさほど強くない。俺が隙を作るから……Ⅳ世と俺で一気に仕留める」

「隙を作る、ってのは?」

「アダムの能力を鑑みれば、やつの最適解はライトを……光源を遮って視界を奪うと同時の致命攻撃……にも関わらず、【兇手】や【隠密】ではなく【芸術家】。()()が、奴の、弱点だ……」

『いや、まったく、素晴らしい腕だよ、藤堂』

 囁き終えるとほぼ同時。Moooの会話機械が称賛の言葉を出力する。

 機械音声の平坦な声音に、しかし藤堂は満更でもない様子で応えた。

「そうか?そりゃあまぁ……」

『だが、芸術家(アーティスト)とは言えんな』

 遮るように、機械音声ーーMoooが言う。

『そうだろう?アート……絵画の真髄は、表現でありコンセプトだ。ただ精巧なだけの描写技術など、』

 写真機(カメラ)の劣化に過ぎない。Moooがそれを言うが早いか、彼の背後から、拳銃とナイフを構えた藤堂が飛び出した。

「オラァァ!」

 怒りを乗せた攻撃がMoooの頭部へと一直線に向かう。そして、

「くはっ……!」

足元をソラリスに食い付かれて転ぶ。Moooが平坦な音声で言った。

『確かに、いや、少なくとも戦士ではないようだ、藤堂。挑発に弱すぎる』

 わざわざ【芸術家】に就く程だ。アーティストとしての自分に余程の拘りがあるのだろうが、それは隙にもなるというもの。Moooの銃口がキラリと光る。

「姑息ではあるが。許せよ」

 Ⅳ世の突き進む槍が藤堂に迫る。風が唸り、地下道に発砲音が響く。【芸術家】にとって、致命は必至の集中砲火。

 

 

 

 そして、それらは藤堂に傷をもたらすことなく……断続的な鋭い音が響き、攻撃は全て弾かれていた。

 

 

 

「素人が芸術語ってンじゃねえぞ、頭巾野郎……頭来た。テメーはブツ切りに(ダミアン・ハースト)してやるよ」

 五体満足の藤堂が立ち上がる。その身体は、黒光りする鎧に、寸分の隙もなく覆われていた。

 

◇◆◇

 

「いいタイミングで孵化したもんだ」

 藤堂が鎧を確かめるように動かす。

 まるで昆虫のような全身鎧だ。黒光りする装甲には鈍いスパイク。両手の前腕には、刺々しい硬質の刃が突き出している。その刃が曲がり、鋭さを増す。

「試し斬りだ!」

 裂帛の気合いが大気を裂く。Ⅳ世の槍がギザギザの刃と火花を散らす。

「<エンブリオ>……<劣級(レッサー)>か!」

「おうともさ!」

 藤堂がその勢いを増す。だが、

「その鎧。所詮中身が【芸術家】では!」

 Ⅳ世の槍が振り抜かれ、藤堂を吹き飛ばす。落下地点を過たずMoooの銃弾が捉えた。だが、同時にⅣ世の額から血が噴き出す。

「隠し武器……!」

「正解だ!」

藤堂が腕を構える。刃が歪み、その半ばに銃口が開く。

「発射ァ!」

 その瞬間、鎧から炎が吹き出した。青白い焔が流線形を描き、空中を貫いて飛ぶ。Ⅳ世が血を拭い、光る弾を横っ飛びに躱しながら叫んだ。

「ビーム砲か……!」

『防御。遠近に対応する武装。たいそうバランスが良いな』

「いいかげん自分の口で喋るんだな、頭巾野郎!今、止めを刺してやる……《自由自在の土細工(アダム)》」

 藤堂が地面の粘土に手をかざす。だが、その意に反してうんともすんとも言わない粘土に藤堂は舌打ちした。キュビットが叫ぶ。

「今《看破》した、SP(エネルギー)切れだ!そいつのSPもMPも、今は空っぽだぞ!」

 十分残っていた筈のSP。更にMPまでもが電池切れ。何故そんなことになったのかは知らないが、とにかくこれでアダムは使えない。

 だが、藤堂は苛立たしげに言った。

「だったらどうした?キュビット。手はまだある。この(レッサー)で一人ずつ沈めるだけだ」

『さて、可能かな?』

「言っとくが、最初はお前だぞ。ねばねばしたお前の<エンブリオ>ごと斬り殺してやるよ」

 藤堂の言葉に、Moooが銃を構える。キュビットが【ジェム】を、Ⅳ世が槍を突き出し……

 

「はい、時間切れ~!」

 

Ⅳ世の槍が蹴り上げられた。くるくると宙を舞う槍が、壁にぶつかって落ちる。同時に、鎧ごと蹴り飛ばされた藤堂が粘土の山に倒れ込んだ。

「何すんだジンジャー!俺はまだ……」

「やれる?そりゃそうでしょうとも」

 ジンジャーがせせら笑う。

「全力出しきって、手札を晒して、熱血ギリギリの大勝負?……そこで大人しく見てなさい、あんたの出番は、もう終わり」

 ジンジャーが手を広げる。その右手で、カンテラの灯りが挑発するように揺れた。

「こっからはさァ、あたしのターンよ」

「……」

 Moooはフードの下で顔を強張らせた。この女の自信、明らかに只者とは思えない。そしてふと、ジンジャーが出てきた粘土の裂け目……その縁に視線が移る。その粘土は、焼き切られたように黒く焦げ付いていた。

「どちらでもいい。どのみち、敵だ」

 傍らでキュビットが口を開く。

「槍は失くなってしもうたが、得物はまだあるとも」

 Ⅳ世が分厚い手斧を取り出す。その刃がゆっくりと赤熱した。

「【ブレイズアックス改】、とくと味わえ!」

Ⅳ世が斧を振りかぶり、突撃をかける。

「ふん、そんなゴミ武器……」

『どうかな?』

 Moooがライトのつまみを捻ると同時に、狙撃銃でカンテラを撃ち抜く。破片が転がり、カンテラが砕け散った。

『これで……』

「視界を奪った、かしら?暗転に乗じて……ふふ、良いアイデアではあったかな?」

 ジンジャーが微笑む。その顔を照らすカンテラの灯りは……消えていなかった。容器が砕け、地面に転がってなお、その炎は明々と燃えている。ただし、石のように静止して。

「だとしても、直接!」

 Ⅳ世の斧が燃え上がり、炎の一線を引く。その一撃はしかし、ジンジャーの左手に止められた。

「あたしに炎だなんて、無駄なのよ。《固火掌(イグニス)》」

 斧の焔が瞬時に硬質化する。火の結晶がジンジャーの手の中で細かい砂になった。

IGNEM DEVINCO(我、炎を従えるもの也)!」

ジンジャーが高らかに謳う。その右手が掴んだ【ジェム】が光り、燃え上がる。

「《ヒート・ジャベリン》アーンド《固火掌(イグニス)》!」

 掌が突き出され、そしてその輪郭が焔として発射された。Moooが素早くその一撃を躱す。

 可燃物などない石の上。炎が床を舐め、そして直ぐに……消えない。一瞬の眩い熱と光。それが結晶として持続する。

『炎であるならば!』

 超大型スライム(ソラリス)が膨れ上がり、炎に覆い被さる。酸素の供給路を奪われ、静かに燃える炎が……それでも消えない。明らかに尋常の焔ではない。

 そして、ソラリスが見る見るうちに沸騰し、弾けとんだ。パチパチと沸き立ち、しゅうしゅうと蒸発する。Moooが肉声で呻く。

「……くそ……ソラリスが……完全破壊された」

「Mooo!下がってろ!」

「助太刀するぞ!」

 キュビットが叫び、モハヴェドが魔力式銃器を腰だめに構える。その弾丸がジンジャーに迫り、

「《着火掌(インフラマラエー)》」

結晶化した焔の壁に遮られた。

「くっ……」

キュビットが臍を噛み、そしてMoooが口を開く。

「だが、完全破壊されて、奴の能力が分かってきた……」

 ジンジャーが笑う。狙撃銃を構えながら、Moooは続けた。

「炎、その固形化……性質を保ったままの固形化だ」

 本来、燃焼反応に伴って放出されるだけの熱と光。それを固定し、半永久的に持続させる。物理法則に反した、<エンブリオ>の特殊性。それこそが、ジンジャーの能力ーー

「そうよ?【永火法掌 ヘスティア】。それが私の能力!ただ炎を固める力……」

 能力そのものは単なる炎の固形化に過ぎない。だが、炎という外部リソースと、その固定能力が掛け合わされたとき、その威力は何倍にも膨れ上がる。

「炎の固形化……俺のソラリスが一瞬で蒸発した。固形化された熱は消えず、いつまでも燃え続ける。言うなれば、持続ダメージ化、といった所か……」

 本来一発で終わる筈の《ヒート・ジャベリン》。それを連続化し、秒間で何発分も受け続ければ、もともと傷を受けていたスライムなど一瞬で弾け飛ぶ。

「……実に効率的だな」

「そりゃ、どうも?何てったって、このあたしだもの」

ジンジャーが不敵に唇をめくり上げる。

「このビューティフル……【爪拳士(クロウ・ボクサー)】ジンジャーちゃんの前では、あんたたちなんて、薪と同じなのよ」

 ジンジャーが赤い手袋の両掌を目の前にかざし……その手が何かを握り込む。紅い唇が動く。大きな力、その解放の前兆に空気が揺れ、一同に緊張が走る。

「《焔像自在(ヘスティ)ーー」

 

 そして、突如通信が復活した。

 

◆◆◆

 

「……【テレパシーカフス】が、復旧した?」

 キュビットが驚き顔で耳を押さえる。この地下では、通信妨害能力が全てを阻害していた筈だ。MoooとⅣ世が顔を見合わせる。そして、それはキュビット達だけではなく……

 

「……何よォ、今いいとこなのに!」

ジンジャーがカフス越しに不満げな声をぶつけた。その手が何事もなく下ろされる。

「こっちはさぁ、わりと緊急事態なのよ?ていうか計画的には大打撃!ぶっちゃけもうほぼお釈迦なんだけど!……え?そっちも侵入者?目玉野郎(ノクセク)は何して……死んだの?それはまぁ……こっちは?……無視ィ?正気?」

 

『私の正気を疑うのか?戻ってこい、此方は最優先事項だ』

 カフスを介して、ジンジャーの脳内に声が響く。彼……【教授(プロフェッサー)】ウーは、重々しい声で告げた。

『どのみち、計画は既に露呈している。丁度【劣級妨害(ジャムライカ)】を持ち去った者がいる。今ユーリイが追っているが……他にまだ居ないとも限らない』

「だから、いるよ?こっちに、まさに」

『プランを繰り上げる。差し迫った危機への対応が第一だ』

「危機ィ?あんたがそういう程の事態って……」

『とにかく、戻れ』

 そして、ウーは瞼を開けた。玉座に手を突き、立ち上がる。広い地下室に、衣擦れの音が響く。

 その静けさを破って、金属製の扉を騒々しく蹴り開けるものがいた。腕彦だ。そのがなり声が喧しく地下室を満たす。

「ねえ……!ボス、ボス!ヤバい!ヤバいよ!」

「口を閉じてろ、と言いつけた筈だ、腕彦」

「いや、そんな場合じゃ……!」

 そして、爆発音と共に腕彦が吹き飛んだ。紅い炎と白煙が流れ込み、腕彦の傷だらけの身体が石床を転がる。屈強そうな男は、そのまま【気絶】した。

「……珍客だな、全く」

 そう言って、ウーがその手を伸ばす。掌が狂暴に、ゆっくりと敵手に狙いを付ける。

 その手の先。煙と粉塵が揺らぎ、その白色の内で紅い光が蠢いている。その紅は、まるで一ツ目を象っているように見えた。人影が声を上げる。

「……久しぶりだね。相変わらずチマチマコソコソやってるみたいじゃないか、変わりなくて何よりだよ」

「貴様こそ、“監獄”行きは無いだろうと思っていた」

 ウーが静かに返答する。その瞳が一瞬、妖しい輝きを帯びる。瞳孔が狂ったように拡縮を繰り返す。

「……【地神】の魔法の味はどうだった?お山の大将を気取っていたあの盗賊団ごと、手慰みに土葬されたそうじゃないか」

 足音が煙を抜ける。一つ、そしてもう一つ。ウーの掌が獰猛に蠢く。生意気そうな声が地下室に響く。

「僕に殺されたいのか?【教授(プロフェッサー)】ウー。君の()()()()()()()()()でもけしかけてみるかい?」

「口には気をつけることだな。私にはいまや、自分の軍もある。足手まといも多いがね」

 ウーの瞳が、油断無くそれを追う。土煙が晴れ、姿を現した()()()()がウーをねめつける。その隣には、何故かティアンの少年がいた。無害そうなその顔は、しかし同時に抜け目無くウーを見つめている。

 ウーの唇が、ゆっくりと開いた。

 

「だが、一先ずは再会を祝そうではないか……?“自殺(スーサイダー)”の……ブラー・ブルーブラスターよ」

 

 To be continued

 



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第七話 番狂わせ

 □都市国家連合カルディナ・冶金都市グロークス

 

「それで、何の用だ?ブラー」

 ウーが冷ややかに言った。その身体には漲る戦意が溢れんばかりに満ちている。地下堂の空気は張り詰めた弓弦のように緊迫し、冬の夜空のように冷徹だった。敵意と悪意が風に乗って舞う。

 最後に会ったとき、二人の間に在ったのは殺しあいだった。巻き添えを食らった砂漠の盗賊団がひとつ、壊滅するほどの。

「そしてまた、私の駒を痛め付けてくれたな」

「客人を襲ってくるから返り討ちにしただけだよ」

 ブラーの仮面が光り、その口元が食いしばるように笑う。

 ここへ来るまでに、数人のメンバーを倒したのは事実だ。殺してこそいないが。彼の力なら容易い。

 “自殺(スーサイダー)”、それは二つ名。カルディナの砂漠で犯罪者を相手に暴れまわっていた彼を貶め、同時に恐れるための名前だ。

 犬歯をむき出しにした笑顔が、冷めるように消える。

「そう、客だ。僕らは」

「随分と暴力的な客人もいたものだな」

 ウーの瞳が妖しく光る。呆れたような声の中には、しかし確かに緊張が混ざっていた。

「だが、客だというなら、なおさら用件がある筈だ……穏便な用件がな。言え」

 応えるようにブラーが両手を広げ、左手の紋章を見せる。砂まみれのマントがガサガサと音を立てた。

「何のことはない、商談だよ」

 嘘はない、と、貼り付けたような誠実さをアピールする。ウーの《真偽判定》は、それを真実だと審判した。それを分かってか、ブラーの雰囲気が少しだけ緩む。

「君のエキドナの能力……<劣級(レッサー)エンブリオ>をひとつ。それが僕らの目的だ」

 その言葉に、ウーは可笑しくて堪らないといった風に失笑した。剣呑な笑い声が響く。

「あの時は我が誘いを拒否しておいて、今さらの懇願か?いやはや、人生とは分からないものだ」

「懇願?これは対等な提案だよ……ついでに、使うのは僕じゃない」

 そう言って、ブラーがその挑発的な口を閉じる。入れ替わるように響くのは、静かな足音。

 褐色のマントの影、隠れるように佇んでいたその足が動く。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。五歩の冷静な足音ののち、その少年は首をかしげてウーを見つめた。

 まだ若くーー否、幼い。しかしてあどけなさを残した外見の、その裏から少年らしい生命力が覗いている。無理に引き伸ばしたような細い手足が所在無げに揺れていた。ティアンの常としてその手には紋章が無かったが、その代わりだとでも言うようにひきつれた火傷の跡がすべらかな皮膚を汚している。

 だが、何より悼ましいのはその眼だった。子供のする眼ではない。まるで深い海の底、あるいは暗い夜の果て。絶望ではない、恐怖でもない、おぞましいまでの自我の発露。それは、人殺しの眼だ。

 そのターコイズ色の瞳が昏く輝く。火傷跡のある左手を撫でながら、少年ーートビアは口を開いた。

「あなたは、僕を<マスター>に出来る?」

 それは、傲慢な、しかしありふれた望みだ。だが、グラマンのように脂ぎった野心と恐怖からではなく、あるいは無邪気なあこがれからの言葉でもない。

 渇望。純粋な欲望。それを手に入れるためなら最短を貫いて手を伸ばすという覚悟さえ垣間見える、荒々しく昏い欲。

 その渇望を湛える矮躯を見下ろして、ウーは冷ややかに言った。

「私は<エンブリオ>を売る者だ。それ以上でもそれ以下でもない。そして、代価は百億リルだ」

 無謀な額に、トビアが笑う。底無し沼のような目付きが少しだけ和らいだ。

「そんな大金、ないよ」

「そうだよ、殿様商売はごめんだね」

ブラーが横から口を出す。

「将来有望なティアンだ。成長性への投資として無料で売れよ」

 その横暴な口ぶりに、ウーの視線が氷のように冷たさを増した。

「レベル0のティアンのガキに、何が出来るというのだ?雑用なら足りているぞ……それとも、お前が百億の代わりに私に仕えるか?なぁ、“自殺(スーサイダー)”」

「その“自殺”っての、やめろ。僕は一回でも自殺したつもりはないぞ」

 【盾巨人】ブラーは吐き捨てるように言った。その左手で紋章が鈍く輝き、マントがバーニアを孕んで膨らむ。

「……やめておけ、ブラー。ここは既に我が領域だ」

 ウーが鋭い目でブラーを見つめる。その足元で、玉座に据え付けられた石像が動き出した。その顔面がゆっくりと歪み、目鼻立ちが文字へと変わる。どこか冒涜的な痩躯が石床を踏みしめる。その顔に彫られた銘は……

「『solas』……陽光。アイリッシュのババアの『作品』か。これまた、高級品を仕入れたね」

「あぁ。これもまた必要経費だ」

 ブラーがその右腕……深紅の機械鎧を構える。排気機構が唸り、装甲が震え、

「……無駄だよ」

しかして、その機械腕が素早く()()へと回った。装甲が金属音を立て、()()人間を弾き飛ばす。

「後方からの奇襲、ね。正々堂々してるじゃん」

「そりゃどうも……」

 塵を蹴立てて、現れた男が石床に降り立つ。朱の着流しに日本刀、まぎれもなく侍の出で立ちである。

 ウーの部下のひとり、天地出身の猛者にして、修羅。

 その者は剣客、巴十三。【剣聖】がギラリと光る刀を構える。

「交渉は決裂かね、ボス……お客人はかなり虫の居所が悪いようだな」

「そうでもないさ」

 ブラーが笑い、トビアが一歩横へずれる。

「これからだよ、“交渉”は…………起きろ、アシュトレト」

「いやはや、仕事が出来たな」

 侍が呆れたように首を振る。その瞳が修羅の鋭さを帯び、気配に剣呑さが現れる。

「いざいざごろうじろ、妖刀【明霊(あかるたま)】を」

 その足元、両足首の足環が妖しく光る。瞬き一つ分ののち、十三が一気に間合いを詰めていた。

「《レーザーブレード》」

「《自由飛孔(バーニアン)》!」

 轟音と衝撃波が炸裂し、上級職の奥義と<エンブリオ>がぶつかり合う。風が消し飛び、閃光が溢れ出す。そして、踏み込んだはずの十三が吹き飛ばされ、膝をついた。

「なんという出力……まともに受ければ、腕がイカれるな」

「当然だ、相手はあの人間弾頭だぞ」

 ウーの言葉に、十三が裂けるように笑う。

「であらば、これよ!」

その足環ーー<劣級>が光り、そして十三の姿がかき消える。その像も、足音も、世界から失せて……

「ッ……!」

ブラーが右の機械鎧を垂直に立てた。その装甲が火花を散らす。

「《太陽砲》」

 侍の消失とタイミングを合わせるように、あの石像の顔面、文字が刻まれたそれが発光していた。陽光をモチーフに造られたホムンクルスがその力を解き放ち、熱を持った輝きが深紅の装甲を焼き焦がす。そして、

「隙あり、だ」

再出現した十三が背後で上段に構える。その掌の刃が殺戮の喜びに輝きを増す。

 その刀、凡百の刀にはあらず。純粋強度に特化した剛の刀……ふさわしい猛者であれば、無類の切れ味と決して砕けぬ刃を与える妖刀。かの四十二染が一振、決して曇らぬ【明霊(あかるたま)】。

 【盾巨人】すらも切り裂くるその一閃が、その背後に迫る。だが、

「それは駄目だよ」

横合いからがらくた……鉄パイプが突き入れられた。

 その鈍い先端は刀の側面、その中心を少しずれて捉え、軌道をほんの少しだけ、心なしかの少しだけ、曲げる。刃筋を逃した剣閃がブラーの背中に弾かれる。火花が宙を彩り、妖刀が不満げに煌めく。

「……!?」

 十三が驚愕する。

 それは、ありえない現象だった。レベル0。世界に助けられぬまま、物理的な肉体のみで、生まれ持った肉の力で。

 レベル五〇〇……限界までジョブの、アーキタイプの器を載せた十三の刀を逸らすなど、見たことも聞いたこともない。

 確かに、起こりうることではある。偶然の可能性はある。必要なのはふさわしいタイミング、少しだけの力。だが、そんなもの意図できるはずがないのだ。

 見えないはず、追いつけないはずだ。それは文字通り机上の空論。

「このッ……!」

思わず振りぬいた雑な一閃は、しかし躱されていた。振られるよりも早く、十三が漫然と攻撃したその思考よりも早く。

「いてて……掌すりむいた」

 曲がった鉄パイプを投げ捨てて、トビアが手を見やる。その顔を見つめて、十三は立ち尽くした。

「バカな……レベル0の子供が俺の剣を……?いや、確かに……」

「呆けてるのも自由だけどさぁ」

 トビアが血の滲む掌を広げる。

「そこ、危ないよ」

「《自由飛孔(バーニアン)》」

大きな隙を晒した侍を、ブラーの裏拳が打つ。バーニアで加速をかけられた左拳が、【剣聖】の身体を壁に叩きつけた。

「調子に乗るなよ、サムライ・ガイ」

されど、もう一つの脅威は去っていない。太陽をテーマに造られたホムンクルスがその光を解放せんと顔を上げる。そして、

「《フェザー・ミサイル》」

六発の紅色がその顔を焔に染めた。深紅の機械鎧が発射口を閉じ、排気の咆哮を上げる。機械音とともに、挑発的な声が響く。

「で、まだやるかい?」

 

 ◆◇

 

「いっただろ、将来有望だってさぁ」

「確かに、そのようだな」

 ウーが呟く。完全上級職(カンスト)の戦闘に介入できるだけでも大したものだ。何より、この少年にはなにかおぞましいものを感じる。異常なもの、悼ましいもの、その片鱗を。

「レベル0。無能のはずだろうに……どういうトリックだ?」

「リソースの量だけが戦闘の趨勢を決める要因ではないよ」

 その言葉にウーは鼻を鳴らした。

「どちらにせよ、<劣級>はやれんな。再び製造するためには時間もリソースも足らん」

その言葉に、ブラーの殺気が再度膨らみ始める。

「だが、他ならぬ貴様の頼みだ」

ウーがそれを遮るように言った。

「考えてはやろう。居住ブロックに部屋を用意させる。しばし休むといい」

「それは、誰にやらせるつもりなのかしら」

扉の残骸をその足が蹴り飛ばす。傷だらけの身体を引きずって、現れたのはレディ・ゴールデンだった。

「あたしはごめんよ。バラバラにされるとこだったのだから」

「俺も、ごめん被るね」

そう言ったのは、ずだ袋のように転がっていた腕彦だった。横着なことに、寝転がったまま口だけを動かしている。

「危険人物だ。信用して迎え入れるべきじゃないぜ、ボス」

「へえ、的確な評価じゃん」

 トビアが楽しそうに笑う。その濁り切った瞳が腕彦を見つめた。ウーが静かに口を開く。

「私の決定に逆らうな、愚図どもが。貴様たちが調査隊を速やかに始末できていれば、計画を早める必要もなかったのだ」

「じゃあ、リベンジさせてくれよ、ボス」

 腕彦の上半身が起き上がる。その左手に赤茶けた革のような手袋が瞬き、実体化する。

「タケナミカタとハーデニカのコンボは完全だ。あの爺の能力も見切った。今度こそ!」

「挽回の機会はくれてやる。だが、それは最終フェイズ発動のあとだ」

ウーが吐き捨てるように言う。

「全員をここに集めろ。ドラグノマドの<超級>が出張ってくる前にかたを付ける。……エンブリヲンの高慢ちきどもの支援などあてにならん」

 眉間にしわを寄せたウーは、足早に歩き去った。それを見過ごすレディたちに、ブラーがへらへらと声をかける。

「で、危険人物の客室はどこだい?上等の部屋だろうね?」

「あたくしを召使のように扱わないでくださる?」

レディが顔をしかめた。

「あの女に聞けばよろしくってよ、フン!」

 レディの人差し指が苛立たし気に遠くを指す。その指の先に居たのは、いつの間にか地下堂に居た白黒の女だった。

「人を指すな、似非淑女。あるいは気取り屋といった方が似合いか?」

 忌々し気に白色矮星が言う。

「私だってこの男を信用したわけじゃない。いきなり押し入ってきてレベル0の子供に<劣級>を与えろなどと、身勝手もいいところだ」

「あら、ぼろ雑巾にされた個人的な恨みでしょう?」

レディのあざけりを、白色矮星は顎で一蹴した。

「貴様の方が重傷に見えるがな。脳みそが控えめな貴様と違って、私は論理的に考えているんだ。かの“自殺”のブラーだぞ」

そう言って、彼女の視線がブラーの仮面をねめつける。

「大人しく協力するような人物じゃない。絶対に状況を混乱させるだけだ。そうなっても私達では止められもしない。なにせ、準<超級>————」

「ーー誰が“準”だ?」

 空気が爆ぜる。次の瞬間、白色矮星は壁にめり込み、その首をブラーが掴んでいた。仮面の眼が光を孕む。女が苦しげに肺の空気を吐き出す。

「人を見切り品みたいに呼びやがってさぁ、これ、侮辱だろ?侮辱は罪だ、つまり極刑だな。今すぐ極刑に――」

「そこまでにしときなよ、ブラー」

トビアが呆れたように言った。

「その人殺しちゃったらややこしくなるんじゃない?メリットないよ」

その言葉に、ブラーが渋々腕を下す。白色矮星が咳き込み、その腕を構えた。

「愚弄してくれる……!殺す、殺してやるぞ、《躍動的(ウル)————」

「それはだめですよ、白色矮星さん(アスプロスナノス)

 白色矮星が振り返る。そこに立っていたのは、雨傘を差した笑顔の少年だった。

「ただいま戻りました……お久しぶりですね、ブラーさん」

 

 ◆

 

「今度は敵じゃないんですね?」

 ユーリイはそう言うと、雨傘をくるくると巻いて畳んだ。水滴がポタポタと床を汚す。白色矮星が吐き捨てた。

「敵じゃないだと?こいつのどこが味方なんだ」

「まあまあ、落ち着きましょうよ」

 畳んだ傘を片手に、ユーリイが笑った。その目が一瞬鋭い光を孕む。

「オーナーの決定に逆らう気ですか?」

「変わらないな、シュトラウス」

 ブラーが呆れたように呟く。

「それで、客室はどこだい?」

「あぁ、はい。ゴールデンさん、お願い出来ます?」

 レディの顔が心底不快そうに歪む。最後に白色矮星を殺しそうな目付きで一瞥すると、レディは渋々口を開いた。

「……ついてらっしゃい」

「いやー、悪いね!ボコボコにしちゃったのに」

「……!……!……お気になさらないで?」

その拳が白くなる。無言の怒りを滾らせるレディに、ユーリイが後ろから声をかけた。

「三番の部屋でいいですからねー!」

「フン、いい様だ」

 白色矮星がせせら笑う。十三がため息をついた。

「もう少し平和に話せんのか……で、どうなんだ?」

 ユーリイがにっこりと笑う。雫が床に垂れる。

「殺してきました。【妨害】はオフにして僕が持ってます」

 その笑みが殺意の色を帯びる。彼にとって、凡百の<マスター>を始末するなど容易いことだ。“雨傘”の名に懸けて、彼の前で立っていられるものはそう多くない。

「ジンジャーさん、そして藤堂さんはまた別の侵入者と交戦中ですか。どうも警備に問題があるようですね……あとでカークさんと話をしなくては」

 この地下は幾人かの能力で代わる代わる監視下におかれている。ノクセクのアルゴスが内部の主要通路を、展開範囲に優れるカークのステュムパリデスが外部を。こうも侵入を許すというのは、いささか妙ですらある。

「オーナーは?」

「また、あのお転婆姫のところだ」

 白色矮星が髪をほどく。その雪のような白髪が黒ずくめの服に落ちてコントラストを作った。

「だが、今回は少しばかり様子が違う。いよいよ始めるつもりだろう」

「それは残念。戻ってくるまで邪魔は出来ませんね。せっかく見せたいものもあるのに」

 ユーリイが少しだけ残念そうに呟く。そして、引きずっていたものを手前に放り投げた。石の床がゴトリと音を立てる。

「面白い人材ですよ。きっと役に立つと思います」

 

 そこにあったのは、全身が灰色に【石化】した女……生きたまま石に変えられた【教会騎士(テンプルナイト)】メアリー・パラダイスの身体だった。

 

 白色矮星が眉をひそめる。

「これは?」

「帰り道……というか、戦闘のあとで出くわしたんですよ。無視しても良かったんですが、調査隊のひとりですし、何より有用な能力を持っていたので」

「それは知っている。で、どうする気なんだ?」

 女の紅の唇が歪む。

「<マスター>には精神の……いや、監禁や強制に対するセキュリティがある。我々の回復でもさせるのか?穏当な交渉で従うとも思えないが」

「それは大丈夫ですよ」

 ユーリイは、春の日差しのような暖かい笑顔で言った。

「オーナーは、説得が得意ですからね」

 

 ◇◆◇

 

 □■冶金都市グロークス中央区

 

 市街地に爆発音が響く。既に日は十分高いというのに、未だ薄暗い空には暗雲が立ち込めていた。さっきまで雨が降っていたらしい、地面には水溜まりが光っている。

 暗雲に遮られ、空へ抜けられぬ轟音が、もがくように街を震わせる。そして、

「っはぁ!この……!」

地面が崩壊した。炎の柱が大地を割き、瓦礫を投げ上げる。崩落した大穴から、複数の人影が姿を現す。

「くそ、あの女、なんて無茶を……」

 キュビットが呻き声を上げ、そして瓦礫の山に這い上がる。

「みんな、無事か?」

「うむ、なんとかな」

Ⅳ世が鎧を引きずりながら土埃を吐き出す。その後ろでは、Moooがユーフィーミアを背負って倒れていた。爆破された通路の跡を見て、キュビットが呟く。

「これじゃ、もう下には行けないな」

「いや、まだ可能性はあるとも。市内であれば<マスター>も多いはず、岩石操作の能力者を募れば……」

「いや、そこまでする必要はないよ」

 キュビットが頭を振る。その傍らで、モハヴェドが市長を引きずりながら悪態をついていた。

「悪徳市長めが……職権濫用で弾劾してやるぞ」

「煩いぞ、下っ端ごときが……私の所有する弁護人に勝てるとでも思ってるのか?」

 市長が歯を食いしばる。それを見ながら、キュビットはまた口を開いた。

「十分な戦果だ。通信妨害のない地上に出たことだし、迅速に連絡を取る」

『どこに?誰に?』

 Moooがメモ用紙を掲げる。砂塵に揺れる紙切れに応えるように、キュビットは懐からなにかを取り出した。

「ドラグノマド……今回の依頼者にだ」

「依頼者?」

Ⅳ世が身体を起こし、瓦礫に腰かける。

「では、カルディナ議会に連絡を取るのか?」

「いや、それは正確じゃない。今回の任務を斡旋した担当者に、だ。政府の職員だよ」

 キュビットが手の中のものを弄ぶ。それは、黒電話の受話器のような形をしていた。

 血を失いすぎてか、青い顔のユーフィーミアが唇を動かす。

「……あの人、ですか?少し前にかなりお世話になりましたね」

「ユーフィーミア嬢はご存じなのか?」

 老騎士が呟く。キュビットがその電話機を握りしめ、スイッチを押した。

「まぁ、やり手ではあるからね」

 

 ◇◆

 

 □■カルディナ ドラグノマド

 

「ハァイ?珍しいわね、貴方から掛けてくるなんて……雨でも降るのかしら?」

『もともとそういう手筈だったでしょ、テレサさん』

 キュビットが呆れたように言う。その電話の相手、テレサは愉しげに笑った。

「やだ、怒らないでよ?ちょっとした冗談じゃなーい!……それで、連絡寄越したってことは、そういうこと?」

『ええ、グロークス市長は間違いなく危険行為を……というか、テロリストに従っていた、という方が正確ですね』

「ふーん、そのパターンね」

 ドラグノマドの一角。上品に調えられた部屋の窓辺で、女が呟いた。

「【教授(プロフェッサー)】ウー……へぇ、リストには無いわ?犯罪歴は無し、取り立ててニュースにもなっていない」

 ガラス窓を撫でる午前中の風を眺めながら、女は紅茶を淹れ、その湯気に重ねてファイルを捲る。

 身に纏う服は紅のヴェルヴェット。その滑らかな表面が柔らかな明かりに照らされている。

「つまり、作戦能力と慎重さを持ち合わせた人物。厄介ねえ……」

 その肌は浅黒く、すべらかなきめの細かさを誇らしげに見せている。指に嵌められた銀のリングが上品に光る。

「ええ、理解したわ。その概要は上に上げておく……けれど、即時行動は難しいわね」

 そして、その頭部。本来なら女の顔があるはずのそこには、鈍く輝く黒電話が鎮座していた。

「ご存じのように、対グランバロアの関係が急速に悪化しているの。ドライフもアルターに対して強硬策を繰り返しているし、東の黄河は相変わらずの脅威。コルタナの壊滅事件もあったし、動かせる戦力に余裕がある訳じゃないわ……そもそもそれは私の職務の範囲を越えているけど」

 口もないのに、その黒電話が紅茶を啜る。上品な瀬戸物をテーブルに置き、テレサ・ホーンズは()()()()()左手でいくつものファイルを繰った。

「ええ、<エンブリオ>を売る商人についての噂は知っているけど……あら、本当だったの?分からないものね」

『取り敢えず、俺達じゃ勝ち目は薄いです。相手もそれは分かってるだろうし。準<超級>クラスの戦力を派遣した方が良いと思います』

 キュビットが言う。

「敵は強いですよ。人数も居るようですし」

『それは分かってるわよ……あなた、知らないの?まぁ速報だしね……』

「何を?」

『いや、昨日のうちにグランバロア側から……』

そして、耳障りな音を立てて通信が途絶した。

「もしもし?もしもし?!……何があった?」

『無駄だ、キュビット』

Moooが紙切れを広げる。

『再び通信妨害だ』

「地上でもか?急に強気になったな」

「一体、敵は何を考えておるのだ?連絡を取られることは不利益だろうが、その割には行動がちぐはぐであろうに……」

「敵側にもアクシデントがあったことは確かだね」

ジンジャーの言葉を思いだし、キュビットはそう言った。

「まあ概要は伝えられたから、いい。それより、もう一度合流するのがかなり難しくなったのが問題だよ」

 もう現地解散でいいかな、などとナメた口を利くキュビットをユーフィーミアが叩く。

「ダメですって!ていうか、このまま放っておくわけにいかないでしょ!」

 キュビットが頷く。地上で通信妨害など行えば、否応なしに市内のものたちが気づく。それを忌避していない、つまりそれは敵が目的を隠す気をなくしていることを意味する。強硬策の気配がするのだ。

 モハヴェドが難しい顔で言った。

「市庁舎なら市内全域へのスピーカーがある。それでお仲間と連絡を取れるんではないか?」

 どのみち、この事実を知らせに自分は市庁舎へ戻る、とモハヴェドは言った。

「議会と憲兵上層部に報告せねばならん、カルディナへのクーデター画策など、恐るべき破壊行為だ」

「なら、そうしよう。周囲の警戒を怠るなよ」

そう言って、一行は早足で歩きだした。鋭い視線を周囲へと向けながら。

 

 ◇◆◇

 

 □■冶金都市地下施設・最下層

 

 地下通路の網の目の中枢、その更に一段、下層。それはかつて数多の工人たちが掘り上げ、そしてそのまま殉死に処された最下層の墳墓だ。

 石の材質からして違う。銀の混じった黒石は、冷たく闇を吸い込んでいる。地下特有の水分が辺りを濡らし、独特の悪臭すら産み出している。灯りは少なく、辛うじて足元が見える程度。

 そのなかの一室に、ウーは足を向けていた。

 後付けされたと直ぐに分かる木製の扉が開く。黒ずんだ木は、湿気にやられて傷んでいた。扉には原色の塗料で何やら書き付けてある。

 扉の隙間、部屋の内部から暖色の灯りが床に落ちる。そして、ウーは口を開いた。

「気分はどうかね?」

 その声は、気味が悪いほどに優しかった。その他の大勢を相手にする時の、氷のようなそれとはまるで違う。

「欲しいものは全て言うがいい、必要経費として揃えさせよう」

「いらないわ」

 それは、幼い子供の声だった。

「もう十分。あとは時間があればいいわ。あそびの時間がね」

「あぁ、すぐに」

 その白く塗られた部屋にあったのは、大きなベッド。灰白色の壁のそばに、まるで貴族のような天蓋付きの寝具が置かれている。衣装箪笥やローテーブル、幾つかの丸椅子がそれに続く。

 寝具に横たわるのは、まだ幼い女児だ。細やかな赤毛が純白のゆったりとした服に映えている。頭には可愛らしいカチューシャ、そして袖には繊細な花柄の刺繍。その小さな手が、青く透き通る石を弄んでいた。

「あら、教授(せんせい)。今日は早いのですね」

 そして、その傍らには一人の女が控えていた。

 青黒い髪を後ろで束ね、控えめな服装に身を包んでいる。白い丸襟を閉め、黒いタイトスカートが髪の色によく似合っていた。首に下がった簡素なアクセサリーだけが、唯一の華美な服飾と呼べるものだ。手には分厚い書物を携えている。

「何かあったのですか?」

「これから始める。予定を繰り上げなければならなくなってね」

「ええ、一向に構いませんよ」

 女が、ベッドの上で遊ぶ女児を眺める。その眼差しは、自分の半身を見つめるように、優しかった。

「もともとそちらの都合ですから。ですが、ここで全て使ってしまうのですか?」

「次回のことなら、別の手を講じるだけだ。ストアリカはこのためにある」

「了解しましたわ、教授(せんせい)。では、一時間後に」

 ウーが去り、扉が閉まる。白い部屋に閉じ込められた灯りがぼんやりと輝く。

 その光に照らされて、壁に埋め込まれた戸棚が煌めいた。女児がその光をじっと見つめる。

「ねえエリコ、もうひとつ取ってくれる?」

「ええ、いいですよ、ファティマ」

 黒髪のエリコが戸棚を開く。その中には、美しい青の結晶がぎっしりと、数え切れぬほどに多く並べられていた。

 

 ◆◆◆

 

 □■冶金都市・地上 市庁舎

 

「お疲れ様です、今まで何処に……その後ろの奴らは!」

「落ち着けェ!問題はない、現在複雑な状況だが、彼らは敵ではない!」

 憲兵のとがめをモハヴェド隊長が躱す。若い憲兵は不思議そうな顔をし、そして後ろで項垂れている市長を見て首をかしげた。

 先導するモハヴェドに、四人と一人が着いていく。

「放送室はこっちだ」

 豪華な廊下を抜け、硬質な足音が響く。いくつもの角を曲がり、扉をくぐる。そして、またしても一行を呼び止める声があった。

「モハヴェド!無事だったか!」

「カラハールどの!」

 通路の角。大柄で髭を蓄えた、まるで太陽のような男がそこには立っていた。後ろに部隊を並べているところをみると、指揮官クラスのようだ。

「心配していたんだ、今から探しにいくところでね。通信も遮断されていて、大混乱だよ。いやはや、こんなに憲兵は要らなかったかな……で、何故、要注意人物たちを連れている?市長も一緒だとは、危険じゃないか」

「カラハールどの、至急お耳に入れたいことがあります!このものたちを警戒する必要はありません、説明すればその理由もお分かり頂けると」

 モハヴェドが鋭く具申する。

「市長が匿っていたのはテロリストです、詳細は不明ですが、カルディナへのクーデターの計画と思われます、即座に拘束を!ドラグノマドからも支援が……」

「あぁ、成る程、そういうことかね」

 カラハールの顔が何故か緩む。柔和な表情で、彼はその大きな手をモハヴェドの肩に置いた。

「状況は分かった……私の部隊を連れてきていて良かったよ」

「では……!」

「あぁ、心配は要らないとも、あとは私が引き継ぐ」

 そして、市庁舎に鋭い銃声が響いた。

 

 

 モハヴェドが腹を押さえて崩れ落ちる。粘りのある血潮が床を汚し、そしてモハヴェドの肩をカラハールが踏みつけた。

「あぁ、本当に部隊を連れてきていて良かったよ、モハヴェドくん。こうして状況を整えられるのだからね」

「迂闊だったな」

 キュビットが呟く。それに呼応するように、モハヴェドが呻く。

「何故……!」

「なぜもなにも、これが私の立場として正当な振る舞いだとも」

 カラハールが笑う。モハヴェドが血と共に言葉を吐き捨てた。

「貴様ら……!市長派、というわけか……既にそこまで……!」

「逆に何故想定しなかったのかねぇ、きみ、常々言っているだろう、視野を広く、とね」

 カラハールが呟く。その背後、そして前方から銃を構えた憲兵が立ち塞がった。魔力式銃器の銃口がずらりと並ぶ。

「さて、完全に包囲した。さぁ、市長をこちらへ」

「お、おお、よくやったぞ、カラハール!」

グラマンが歓喜に叫ぶ。

「ええ、市長。これが私の役目ですから」

 キュビットは無数の銃口を見つめ、そして悔しげに市長を引き渡す素振りを見せた。市長の身体を迎えるようにカラハールが一歩踏み出し……

「《イントゥー・ザ・ネイチャー》」

瞬間、サトリが飛び出した。カラハールの顔面に獣が張り付き、呼応してMoooがライフルをカラハールに押し付ける。ユーフィーミアが得意気に言った。

「さぁ、これで立場は逆転ですよ、貴方たちの指揮官と市長は私たちの側に!」

 だが、その言葉が終わるより早く、カラハールの身体は動いていた。豪快な前蹴りがMoooを吹き飛ばし、踏み込んだ勢いのままキュビットをも殴り抜ける。

「な、なんで?」

「ふむ、これが情報にあった<エンブリオ>の能力か、確かに脅威ではあったな」

 そう言って、カラハールが顔のサトリを引き剥がす。その唇が優越感にほくそ笑む。

「だが、皮膚接触のみの条件であれば、強力な術理ではないと思ったよ」

 その懐から落ちるのは、【健常のカメオ】、その砕けた残骸。破損と引き換えにどんな状態異常も弾く、高級アクセサリーだ。

「対策はうつとも。危険な能力であればあるほどね」

 その銃口が炎の弾丸を放つ。サトリがギャアと鳴き、床にくずおれた。その腹をナイフが突き刺す。

「状態異常を防いでしまえば、精神感応も弾けるらしいな。そして、こうすればもう能力は使えない……」

「参った、よ」

 顔をいくぶん腫らしたキュビットが両手を上げる(ホールドアップする)。その瞳が、しかし反抗的に動く。

「だが、君たちは状況が分かってない。ドラグノマドから応援が来るのは確実だ、カルディナを敵に回して生き残れるつもりか?」

 傍らの老騎士も口を開く。

「この国にとって、都市間の協力は国体そのものだ、それを脅かす存在など、面子と威信にかけて全力で滅ぼされるであろう」

「それを考えるのは政治家の仕事だ。軍人は命令に従うのみ」

「軍人にしたってどうなんだい?」

キュビットが呟く。

「この都市にいる戦力は俺たちだけじゃあない、異変が起これば対応する<マスター>だっているだろう。個人的な援軍だって大勢来る」

「くどい。それは私の管轄ではないと言った!」

カラハールが銃を構える。その引き金が動き……

 

そして、突如空気が揺れた。

 

「なんだ、地震か?」

「いえ、地面は揺れていませんが」

「なんらかの精神干渉でしょうか?」

 カラハールが冷酷な目で四人を眺める。キュビットが首を振った。

「先に言っとくけど、たぶん俺たちじゃな……」

そして、光の波が通り過ぎた。その場の全員が驚愕し、あたりを見回す。

「今のはなんだ、なんの光だ!」

「下からです、しかし有害な事象は認められません!」

「な、なんなんだ、どうにかしろ!」

 市長が喚く。カラハールは八つ当たりのようにモハヴェドを蹴り飛ばし、窓の外に目をやった。

 街並みは何も変わらず穏やかだった。石造りの直線形の中、ただ白い光の波が揺らぎ、街の外へと広がっていく。その動き方は、間違いなく下から……地面の下から発生しているものだった。

「広範囲にわたっての発光現象……この冶金都市を丸ごと覆っているぞ!」

「そんな広域での影響、あり得るのでしょうか?この通信妨害となにか関係が……」

 その憲兵の言葉に、キュビットも怪訝な顔を作った。地下からの不思議な光、十中八九あの敵の仕業。

「憲兵さんは知らなかったのか?どうせあなたたちの仲間の仕事じゃあ……?」

「なんのことだ?」

カラハールが銃口とともに振り向く。白光が揺蕩い、静かに通り過ぎていく。

 

 そして、その光が群青へと変じた。

 

 ◆

 

 □■冶金都市地下・最下層

 

 純白に塗り上げられた一角。そこで椅子に腰かけた女が置時計に目をやり、その黒い瞳を天蓋へと向けた。

「時間です、ファティマ」

 その言葉に、ベッドの上で玩具の城を並べていた女児、ファティマが振り向く。赤毛が揺れ、瞳が何かを期待するように鈍く輝いた。エリコが続ける。

教授(せんせい)の頼みでもありますから。貴女にも損はないのですし」

「ふーん、そお?面白いといいなあ」

「ええ、きっと面白いですよ、今度の遊びは」

 そう言って、エリコは戸棚を開けた。彼女の首のアクセサリー――【劣級貯蓄 ストアリカ】の中央に嵌められたガラス玉が輝き、呼応するように無数の青い結晶が光る。その硬質な表面が崩れ、光の塵と化していく。蛍が飛ぶように、青い光が舞い散る。

「では、お人形遊びを始めましょうか……《不滅の壁(エリコ)》」

 女はそう言って……その輪郭をほどいた。黒髪が揺れ、瞳が発光する。人間の姿は溶けるように消え、代わりに光の波が伝わっていく。壁を、石を、地面を抜け、空の上まで。彼女が腰掛けていた丸椅子の座面に、アクセサリーがことりと落ちる。

 白い光がさざめく。その中に、青い結晶の成れの果てである光もまた溶け込んでいった。白光が鼓動し、揺らめき、地上へと湧き出して溢れかえる。部屋の中はまるで光の海だった。

「わあ、綺麗だね」

 ファティマがその幼い顔を綻ばせる。その手の中で最後の結晶が光り、崩れていった。満足を示すように、白光が群青に変わる。青い光が地上に満ちる。

 やがて波は一つの像を結び、

『完成ですね』

街に重なって、一つの巨大な城が実体化した。

 城壁、尖塔、堀や桟橋。立体映像のように都市と交錯し、そして同時に触れられる確かな体積を持ち合わせる、不可思議な古城の輪郭。実体のある虚像という不条理のかたち。

 

 それなるは、世に珍しき人間型の<エンブリオ>。

 TYPE:メイデンwithラビリンス、【城塞乙女 エリコ】。

 

 かのヨシュア記はこう述べる。

 

 『今や、エリコの門はかたく閉ざされていた。イスラエルの子等のためである。誰一人として出でもせず、そして誰一人として入ることもなかった。(『ヨシュア記』第6章第1節)』

 

 To be continued

 



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第八話 塞がれた街

□■冶金都市外壁

 

 雨上がりの空気はまだ湿っていた。じめじめした風を孕んだそれは、いまだ晴れぬ暗雲がいずれまた雨をもたらすことを予言しているかのようだった。

 その湿気を割いて、一人の人間が出現(ログイン)する。

「おォ、ショータイムにゃあ間に合ったか」

 動きやすい服装に身を包み、キャスケットを被った男だ。その傍らを光の波が通り抜け、そして実体化していく。都市を丸ごと覆うほどの城塞の姿に、男は息をのんだ。

「こりゃあすげえ、どういう仕掛けだ、おい」

 その言葉に愉悦が混じる。

「グロークスひとつ。並大抵の展開範囲じゃないな、何かカラクリがあるんだろ?」

『その言い方はあまり愉快なものではありませんね』

 突如、咎めるような言葉が響く。それと共に、壁というより屋敷という方がそぐうほどの分厚い外壁、それをさらに外側から覆った城壁から、一人の女が現れた。

『フォトセット・カークさま、でよろしかったですね?』

「そう言うあんたが、ボスの言ってた隠し玉か」

 カークが狙撃銃を持ち上げ、挨拶するように銃口を揺らす。

『正確に言えば否です。私は城の一部、メッセンジャーに過ぎませんから』

 エリコの姿をした女の虚像が揺らぐ。

『なにぶん、上級の身です。ここまで巨大化したのは初めて、ゆえに相応の弊害もあります。細部までの監視は本体の能力特性範囲外。状況の把握はあなたに……』

「あァ、大船に乗ったつもりでいろよ」

 カークが頷く。その自信を真と見たのか、眼の前の女の姿がかき消えた。どこか愉しげに狙撃手は笑う。黒い鳥の群れが蠢き、膨らみ、散開する。

「俺の鳥なら街中に監視網を広げられる、見逃すものはねェさ」

 その言葉に嘘はない。彼のステュムパリデスは彼の目としてどこまでも飛んで行く。拡大された視界に映らないものはない。そう、例えば、

「ーーお前とかな」

「《塩害(メラハ)》ァ!」

 塩の結晶が槍のように伸び上がる。白い破片が飛び散り、数秒前までカークの頭があったところを通り抜けていった。ふと、それを追うように声が届く。

「……藤堂を探してたつもり、だったんだが……お前もお前で重要じゃないか?なぁ、鳥の狙撃手」

 その言葉と共に、一人の男が外壁に這い上がる。石の外壁の表面には塩で造られた足場が点々と続いていた。

 彼の名はグリゴリオ。鋭い目付きで敵を見定めている。片手には荒々しい鉈が握られていた。

「このデカい城についても、だ。情報を吐かせてやる。大人しく降参しろ」

「……よく俺を見つけられたなァ?俺の知る限り、高所に陣取ってるってだけの条件でも五、六人はいた筈なんだが」

 カークが無視するように呟く。グリゴリオは続けて言った。

「野鳥に紛れてたつもりか知らないが、鳥の動きを見ればわかる、それだけだ」

 動きには意図が現れる。本来の動物に交じって市街地を監視する鳥の群れは、明らかにこの場所を中心に飛んでいた。近づくにせよ、離れるにせよ、細部ではなく全体を俯瞰すれば看破は難しくない。

「めざといなァ、結構なことで」

 カークが肩をすくめ……そのまま自然な動きで引き金を引いた。

「で、俺を制圧できるとでも?」

 キャスケットの下でその瞳が愉しげに揺れる。一発、二発、三発と引き金が動き、くぐもった銃声が曇天に鳴り響く。

 グリゴリオがいぶかしむように目を細めた。

(銃口をこっちに構えてすらいない……本当にただ引き金を引いただけ……ふざけてやがるのか?明後日の方向を撃ちやがって……!)

「まぁ、いいがな……《地塩土(ジエンド)》!」

 踏み鳴らした石床がその衝撃の分だけ塩へと変換される。そして次の瞬間、その白塩の結晶が波のように盛り上がった。

「《塩害(メラハ)》!」

 爆発的膨張を見せた塩に押されて、グリゴリオが踏み込む。金属製の鉈が風を切って迫る。

 

 そして、その右腕が後方から飛来した銃弾に撃ち抜かれた。

 

「……!?」

「……」

 グリゴリオが驚愕し、カークがニヤリと笑う。

「申し遅れたなァ、グリゴリオさんよ。俺は【狙撃名手(シャープシューター)】フォトセット・カーク。射線という概念すら超越した男だ……!」

 

◇◆◇

 

□■冶金都市グロークス

 

「まだ俺たちを拘束する気なのか?」

 キュビットがため息をつく。その隣でⅣ世が赤みがかった斧を構えた。

「もうそれどころではあるまい。街がこれではな」

「カラハールどの!憲兵司令所支部、全八ヶ所と連絡がつきません!」

「通信妨害領域が拡大しています!」

「市内全域への通信妨害だと……!?この城の特性か?だがそんな広さ……」

 狼狽えるカラハールをよそに、キュビットは素早くモハヴェドの首根っこを掴んだ。反対側の手のひらには【ジェム】がひとつ握られている。Ⅳ世が得心したふうに頷いた。

『逃・げ・る・ぞ!』

「うっ、ぐぁぁ、耳が!」

 ヤマビコで拡大された“声”が憲兵たちに突き刺さる。その隙を狙って窓へ突進する彼らを、しかめ面のカラハールが追う。

「……ッ逃がすものか!」

 その両足が絨毯を踏み荒らす。しかし、追撃の足取りは市庁舎を揺らす震動によって止められた。

「これは、さっきの【ジェム】か……!地震の魔法……!」

「お、おぃ憲兵ども!わたしを守れよ!市長だぞ市長!」

「分かっていますとも!……お前たち、反逆者を撃て!発砲しろ!」

「しかしカラハールどの、照準が……うわぁぁあ!」

 波打つ床に耐えかねた憲兵たちがよろめく。その隙間をぬって、キュビットが窓枠を殴り付けた。ヒビがガラス面を走る。

「どきたまえ、キュビット殿!」

 Ⅳ世が床を滑る。地震ゆえに軸がぶれた大雑把な打撃は、窓枠とともに窓辺を粉砕した。土埃が宙を汚す。

「では、いざゆかん、自由なる外へ……」

 鎧に覆われた右足が床を蹴りつける。一瞬の後、キュビットたち五人は窓の残骸を押し退けて市庁舎の外へと転がっていた。

 瓦礫が路面を汚し、石壁が余波で崩れている。植え込みは嵐のように乱れ、その上には砂埃が白く薄く積もっていた。

「サトリが……」

 ユーフィーミアが呟く。その手のひらで、血まみれで毛むくじゃらの生き物が手の甲側の紋章へと吸い込まれていく。

『今は休ませておけ、紋章の中は一番安静だ』

 Moooがメモ用紙を掲げる。ユーフィーミアが堪えるように大きく頷いた。

 市街地は惨憺たる有様だった。火の手すら垣間見える。混乱した市民たちが走り回り、何人かは突如出現した城塞に攻撃を試みていた。

「《電光石火の愛(エレクトリック・ラヴ)》!……なぜ壊れない!」

「《拡大解釈領域(トレメンダス)》!……ダメだ、この俺のパンチでも罅すら入らんとは!」

 切羽詰まった声が響く。街には爆発音と悲鳴がこだましていた。

 その原因たる城塞は、市庁舎から少し外れた位置を中心に、同心円状に屹立していた。石や金属で建造された紛れもない“城”だ。尖塔や城壁が立ち並び、頂点には紋章旗が悠々と翻っている。家々と重なるように石壁が伸び、沢山の櫓が点々と並んでいた。

 元来の町並みに、出現した城塞が重複する。通りは寸断され、市内は迷路と化していた。右往左往する群衆が悲鳴と怒号を孕んで揺れる。

「ウーム、我が故郷を思い出す……同郷の所業であろうかな?」

 老騎士が髭を捻りながら唸る。明らかに<マスター>の仕業、それも強力無比な能力だ。

 だが、何より気になるのは……

「縮尺が変だ」

キュビットが呟く。それに呼応して、Ⅳ世も頷いた。手を振って一行を誘いながら、老人は呟く。

「あぁ、明らかにおかしい。あの階段などな」

 そういってⅣ世が左手を指差す。

「とても並みの人間には登れまいて。おおよそ十倍といった所か?」

 そう、その大きさは異常だった。ただでさえ荘厳で広大な城郭が、虫眼鏡でも通したように拡大されている。逆・ジオラマとでも言ったものだろうか。壁も、飾りの彫像も、階段も、城門も、全てが巨人サイズだ。

「まるで小人になった気分ですね」

『それだけじゃない。見てくれ』

 Moooが遠くを指す。その先には、城と重なって存在する民家があった。残骸や瓦礫ではない。何事もなかったかのように、普通の民家が城塞にめり込んで立っている。見るからに堅固な城壁は、奇妙なことに家の外壁に沿って、切り取られたようにその輪郭を象っていた。

『この城塞に押し潰された……のではない。あの家と干渉する部分は城塞の体積が存在していないようだ』

「つまり、後から実体化した……単なる物体じゃないと?」

キュビットが呟く。例えるなら、そう、立体映像のようなものなのだろうか。Moooが素早く周囲を警戒しながら答えた。

『おそらくは。圧死した人間もいないだろうな』

「それは、幸いだ……」

 蚊の鳴くような声が呻く。キュビットは少しだけ顔を綻ばせて言った。

「モハヴェド、気がついたんだな」

「不覚……」

 モハヴェドが身体を起こし、地面に足をつける。腰から取り出した薬瓶を呷ると、モハヴェドはほっと息を吐いた。

「クーデター勢力があれほど多かったとはな……だが、まだ半分はこちら側の筈だ」

 そう言うと、モハヴェドは驚いたことに踵を返し、市庁舎に向かい始めた。Ⅳ世がひきつった顔で言う。

「隊長殿、あそこに戻る気か?」

「それが俺の職務だ。心配せずとも、正面から乗り込んだりはせん……あそこには俺の部下もいる、同僚もいる。放っておくわけにはいかん……助け出さねば」

「死ぬるぞ」

 いつになく真剣な調子で老人が唸る。

「権力闘争……身内同士の争いの果てにあるのはどちらかの壊滅だけだ。孤軍奮闘では勝てぬ、真っ向から戦うつもりでなければ何も守れぬ」

「いやに実感のこもった言葉だな」

モハヴェドが唇だけで笑う。それに構わず、老人は続けた。

「一人で立ち向かうなど無謀だ、人員を集め、準備を整え、彼らを制圧するために行動するべきである!」

「では、どうすれば良い?」

モハヴェドが銃床を撫でる。

「この混乱だ……パニックの中で、遠からず市民にも被害が出る。こんなことを起こした敵が次の……更に苛烈な行動に出ることも想像に難くない。そんな時に、市庁舎はおそらくグラマンのシンパに掌握され、我が部隊とも連絡がつかない!」

モハヴェドの顔が悲観に満ちる。その瞳が狂ったように揺れる。

「もう終わりなんだよ、この都市は!いつかこうなる予感はしていたんだ……お前たち<マスター>の力があれば、都市を壊すことなど容易いからな。そんな奴らが何人も、何十人も、何百人もウロウロしているんだ!俺たち憲兵がいくら頑張っても無力だ、ましてや俺一人に何が出来る!」

「さて、本当に一人かな?」

 キュビットがニヤリと笑う。応じて他の三人も頷いた。

「儂は協力するぞ、この街を守るのにな」

「義理も人情も、それくらいは行きずりのぶんがありますよ!」

『ティアンの非常事態に助力するのも吝かではない。仕事の延長線上でもあることだからな』

「お前たち……」

 モハヴェドが絶句する。キュビットが屈託なく続けた。

「まぁ、気負うなよ。どうせ俺たち、死なないんだからな」

 

◇◆◇

 

□冶金都市外壁直下 集合住宅棟屋上

 

「くそっ!」

 グリゴリオは思わず悪態をついた。状況はよくない。手足にはいくらかの貫通銃創が空き、血まみれの身体はそろそろ限界も近い。

 それをもたらした狙撃手は姿を隠していた。だが、その能力にはもう当たりがついている。

 飛来し、包囲し、しかし接近戦を行おうとはしない鳥。不自然な弾道。よく見れば、その理由がわかる。

 発砲音が響く度、銃口から発射される弾丸。その全ては、鳥達の金属で武装した嘴や脚で弾かれ、受け渡され、軌道を曲げられていた。

「弾丸の反射能力……狙撃補佐のレギオン型、だな」

 鳥の一羽一羽が銃弾を中継する衛星なのだ。監視役としての視線は(スコープ)に、そして包囲する鳥たちは銃身かつ銃口に。狙撃という概念の拡大こそ敵の本質。

(数も厄介だ。二桁後半、いやもっとか?反射を繰り返した弾道の予測は不可能に近いな)

 その首筋を銃弾が掠める。

「あっぶねえ……!」

「さて、『危ない』で済むかな?《グロウ》」

 せせら笑うような声が響く。次の瞬間、石壁に着弾した銃弾が()()した。

「このっ!」

 グリゴリオが跳躍する。その背中を、凶猛化したツル植物が追う。

 深緑の曲線。しかして、その表面は紫がかったトゲや細毛に彩られ、ツルの締め付ける力は岩の破片をも砕き、潰す。捕まれば骨の一本くらい折られるだろう。

「即死ってこともないが、拘束は厄介だな……植物の種子を撃つ狙撃銃がお前の<エンブリオ>か?追加はやはり鳥のほうか?」

 そう、カークの持つ銃もまた単なる狙撃銃ではない。撃つのは鉛玉ではなく種子。植物を戦力とする能力特性を備えた、特殊武装である。

(キュビットのやつが言ってたな……Ⅳ世のとっときの【ジェム】、闇属性魔法を撃ち落としたってアレだ。植物も生命、その種を撃ち出してたんなら闇属性に干渉できたのも頷けるか?)

 グリゴリオが周囲を睨み付ける。何処かに隠れているのだろう敵手は、意外にも気さくに話し出した。

「いや?この銃は<劣級エンブリオ>だぜ。この鳥のほうが俺の<上級エンブリオ>だ……だがその言い方、勘づいてるって感じだな」

 カークが姿を現す。その周りには相も変わらず鳥の群れが控えていた。黒い羽根が飛び散る。

「頭が回る……ってより、夢がねえって言った方がいいか?まぁ、結果に違いはねぇんだけどよ」

「<劣級>?」

「あぁ、なんだ、それは知らねえのか」

 カークが引き金を引く。その銃口は、天空に向けられていた。だと言うのに、反射した弾道は走り出したグリゴリオを掠める。頬を流れる鮮血にグリゴリオは顔をしかめた。

 うなじの泡立つ感覚に従って、すぐさま右へと飛ぶ。植物がその足元を追い、砂埃を撒き散らし、最後には萎びて枯れる。狙撃手が傲慢に笑う。

「しっかしよ、先程からいーい反応だなぁ、グリゴリさんよォ?本能フル使用って感じの動きだ……痛覚オンにしてるな?痛みが怖くねえのか?」

「死なないとわかってる痛みを恐れる必要がどこにある?」

 グリゴリオが唾を吐き捨てる。

「取り返しのつくことが保証されてんなら、痛みを消すことはセンスを鈍らせるだけだ……他人の心配とは、慈悲深いじゃねえか」

「おおよ、俺は他人に共感しやすいたちでね」

 狙撃手はそう言うと、なぜか狙撃銃……<劣級>を格納した。前腕部の若葉を象った紋章が鈍く光る。

「だから、お前さんの今後を思うと辛くってよ……これからの攻撃はもっと痛いだろうからな……!」

 その右手が揺らめく。次の瞬間、その手には巨大なガトリング砲が握られていた。

「……!」

 グリゴリオが青ざめる。次の瞬間、彼はカークに向かって駆けだしていた。

「悟ったか、しかしもう遅い!食らいな……《弾丸結像点(バスターレンズ)》」

 ガトリングが唸りを上げる。雨あられと発射された弾丸は、その全てが鳥の群れに吸い込まれていく。反射を繰り返す弾丸群が網の目を描く。そして、

「shoot!」

一点をめがけて集結した。

 高密度の銃撃が炸裂し、爆発する。空気が爆ぜ、役目を終えた鉄の礫がチャリチャリと音を立てて落ちた。

「理科の授業でやっただろォ~?レンズと同じさ、入射した無数の弾丸は焦点に収束する……虫眼鏡で火をつけるみたいになァ!」

 秒間何百発というレベルで放たれる弾丸を連続反射で滞空させ、そして一点に集中させる秘技。時間的にも数量的にも圧縮された銃撃は、異次元の破壊力を発揮する。だが、

「……これを防いだかよ、やるな」

グリゴリオは無事だった。その左腕は破壊の痕跡によって切断寸前まで抉れているが、想定されるダメージから考えれば軽微なものだ。それを為したのは、その腕に張り付く純白の鎧。

「《塩害装甲(シュリヨン)》」

 自らの塩変換。真皮層すら超える厚さを塩に変化させ、塩の装甲を纏う能力である。

 通常の塩化と同じく、ダメージをコストとするのは変わらない。つまり致命的な損害をいくらか減らすことしかできない消極策だが、この場では最後の命綱として機能した。

「だが、無駄だぜ、グリゴリオさんよ。こっちはあと何回でも撃てる。お前は負けたんだよ、俺のが優勢。そこんとこをよーくわきまえてひとつ……」

「負け、だ?」

 カークの口上を遮って、グリゴリオが鋭い目を向ける。その腕から濁った血がぼたぼたと落ちた。

「俺は負けを認めた覚えはねえぞ……お前を見くびってもいない。未知の戦力だからな、手札を吐き出させるのは当然だ、正面からの愚直な行動も必要なコストだった……」

「何を……?」

 グリゴリオは答えない。代わりに、その右手が振り上げられる。その人差し指に、小さな指輪が現れた。カークが目を見開き、グリゴリオの唇が動く。

『今度は()()()の番だ……やれ、シマ!』

『了解だ』

 そして、カークの足元が崩れた。屋上の地面が波打ち、砕け、割れる。崩落する瓦礫とともに、カークの身体もまたなだれ落ちた。白い粉塵をかき分け、カークがもがく。

「【拡声の指輪】で下の屋内に……!?ステュムパリデスの死角にもう一人を……!」

「キヒヒ、動くなよ」

 体を起こしたカークの、埃まみれの喉元に刃が付きつけられる。その柄を握るシマが嗜虐的に笑った。

「膨張と収縮……同時にやれば、どんな厚い壁でも一瞬で砕けるぜ。お前の身体もな」

「情報にあった二刀流の<エンブリオ>か……降参だ、参ったよ」

 カークがあきらめたようにため息を吐く。接近戦は不利な土俵だし、ましてや彼にはそこまで粘る動機も薄い。

「デスペナは困るんだ。命は勘弁してくれ」

 カークはそう言うと、ガトリング砲を仕舞い込んだ。

 

 

 いやにあっさりと降参したカークに、シマがうろんげな目を向ける。それに構わず、狙撃手は朗らかに続けた。

「俺は敵じゃない、味方でもないがな。中立だ。だからお前さんらと気張って戦う動機はねぇよ」

 意外な言葉に、シマの眉が跳ね上がる。上から飛び降りてきたグリゴリオが、左腕を押さえながら着地した。

「命乞いにしか聞こえねえな」

「あぁ。だからこそよ、お前さんを追い詰めたのは……有利な立場で手打ちにするから恩義になるってもんだ」

 実際はそううまくいかなかったが。カークが舌打ちをする。

「信じなくても良いが、お前らには既に便宜をはかってやってんだぜ。俺が本気なら、お前らの動きは全て筒抜けだった……監視役として情報をコントロールしてやってたんだ!」

「ありがたくて涙が出るよ」

 グリゴリオが呟く。シマがその薄い唇を開いた。

「で、何が目的なんだィ?クーデター側としちゃ、俺らに協力するメリットなんざねえだろ」

 カークが黙る。しばしの逡巡ののち、彼は口を開いた。

「うちのボスに勝って貰っちゃあ困るのさ、俺はね」

 その右手が左腕を撫でる。そこには若葉を象った紋章が焼き付いていた。

「俺らはこの<劣級>……二つ目の<エンブリオ>を貰う時に約束を交わしてる。やつに付き従うって約束をな……悪くない取引だったが、窮屈で仕方がない」

「つまり、持ち逃げしたいって訳か」

 グリゴリオの言葉にカークが頷く。

「ボスが“監獄”に入ってくれりゃあ、あとは野となれ山となれよ、そのためにボスの計画は失敗して貰わなきゃあならねえ……お前らにはそのためにも()()()勝って貰わなきゃな……お前らの仲間はボスの名前やらなんやら入手したみたいだが、それじゃ足りねえからよ」

「足りない?」

 シマが首をかしげる。カークはそれに答える代わりに、懐から新聞を取り出した。その手が乱暴にそれを放る。シマはカークから目を離す事なくそれを刀の先で拾い上げた。

「クーデターの疑惑が確定したからにゃ、いずれドラグノマドから応援が来る、そうなりゃうちは破滅、俺もとんずらできる……そう思ってるだろ?」

「違うのか?」

新聞に目を走らせるシマの隣で、グリゴリオが鋭く訊く。カークはただクツクツと笑った。

「……それじゃ、だめだ。そんな消極策じゃな」

「あァ、お前の言いたいことは分かったぜ」

 シマが真剣な顔で呟く。その手元の新聞が揺れる。

「グリー、ドラグノマドから応援は来ねえ……来たとしても相当遅れる。見ろ」

 グリゴリオが新聞を手に取る。その瞳が驚きに揺れる。

「グランバロアの<超級>……七大のうち四人が上陸……!?」

「陸上戦で運用可能な<超級>の全員投入。グランバロアは本気だ。カルディナ体制側はコレにかかりっきりだろーよ、しかも……」

「<マスター>に真の戦死はない。三日おきに復活する特大戦力が暴れまわるんだ。戦闘は泥沼化する」

 カークが微笑みながら言いきる。これほどの事実が通信妨害のせいで彼らに届いていなかったのは損害だ。つまり、クーデター側には体勢を整える十分な時間がある。

 グランバロアの<超級>とて特級の戦力だ。三日間戦死させることすら容易くはない。カルディナの防衛がすんなり終わるわけもない。間違いなく、人材、物資、時間……それらのリソースは対グランバロアに消費し尽くされるだろう。

「言っとくが、この時間は致命的だぞ」

 カークはもうひとつ言うことがあるとばかりに続けた。

「体勢を整えるなんてもんじゃない……ここ数日のうちにボスを倒してくれなきゃあ、うちの勝ちだ。ドラグノマドの戦力が出張ってきても倒すのが難しくなる。少なくとも、俺が逃げ出せるようにはならねえだろうな」

「何を言ってンだ?そんなアテがあるってのか?」

 シマが少しだけ驚愕を滲ませた声で問う。カークはため息を吐いて続けた。

「あぁ、そもそもクーデターは通過点に過ぎない。ボスの本当の狙いは……」

「……狙いは?」

 グリゴリオが首をかしげる。カークの口がパクパクと動き、その顔が不快そうに歪んだ。

「おっと……言えねえみたいだ」

「おい、今更ビビってんのか?」

「違う!」

 凄むシマにカークが喚く。

「言ったろ、契約だ!【契約書】で縛られてんだよ、クソ!《真偽判定》で分かるだろ、すぐにボスを倒さなきゃヤバいのはマジだ!お前らの情報は誤魔化しといてやる、だから俺を解放してさっさとボスを……」

「足りねえな」

 グリゴリオが言う。その右手の鉈が鈍く輝く。

「消極的協力ってんじゃ勘弁できねえよ?情報は根こそぎ寄越せ。あとは……俺らの眼になってもらおうか」

「眼ェ?」 

 カークが素っ頓狂な声を上げる。グリゴリオとシマが獰猛に笑う。

「とりあえず仲間たちの居場所と状況を教えろ。お前の鳥どもなら簡単だろ?」

 

 

◇◆◇

 

□■冶金都市中央区

 

「とりあえず、この城をなんとかするべきだよね」

 キュビットが言った。その眼前には依然として前代未聞の巨大城が存在している。石で組まれた城壁は左右を見渡しても端を確かめることすら難しい。

「見た感じ、このグロークスを完全に囲んでる。空でも飛べない限り、出入りができないっぽいかな」

 拡大された城塞はそれそのものが巨大な障害物だ。脱出どころか街を歩き回るのも難しい。

『街の大通りは全て遮断。迂回しても東西の移動はほぼ不可能だ』

 Moooがノートを広げる。その隣でモハヴェドが銃を構えた。銃口が火を噴き、城壁に銃撃が突き刺さる。だが、その表面には傷一つついていなかった。

「厄介なのはこの壁の強度だ。かすり傷すら付けられない。間違いなく物理的な強度じゃあないぞ」

 憲兵の銃はそれなりに威力のある武器だ。それで一切傷つかないとなると、何らかの防御能力が働いているとみるのが自然だろう。考えられる候補はいくらでもある。だが、何より信じられないのは……

「むう、この巨大さでそれか……」

「ついでに言っとくと、広域通信妨害もだ、たぶん」

キュビットが言う。Ⅳ世がお手上げとばかりに首を振った。

「攪乱にリソースを振った<超級>クラスだ、間違いなく。儂らでは勝てんぞ」

「そんな<超級>いましたっけ?」

「いてもおかしくはない」

 <超級>のすべてがその能力を明かしているわけではない。自らの<エンブリオ>を秘匿している正体不明の<マスター>などいくらでもいる。

 実際に第七形態の<エンブリオ>を所有しているかどうかが問題なのではない。そうとしか思えない事象を起こしている、その時点で難敵だ。そうキュビットは判断した。Moooが応じるように紙切れを掲げる。

『方針を変えよう。これを破壊するのは諦める。正面から相手をすることはない。肝心なことは……』

「市民の安全だ」

 モハヴェドが断言する。

「正面から相手をすることはない。ドラグノマドには連絡をとったんだろう?」

「あぁ、応援は来る、必ずな」

「なら、それに備えて市民を逃がす」

 モハヴェドの力強い言葉に、各人も同調する。命を懸けて職務を背負う彼の言葉には、それ相応の重みがあった。言外の、言葉にはできない重みが。

「……どのみち、この城は障害物としては片手落ちだ。上が空いている。空を飛べば逃げられるんじゃないか」

「そうだな」

 答えながら、キュビットは首を捻った。どうも敵の意図が見えない。この城塞を置いたのは間違いなくこの都市を隔離、監禁するためだろうが、にしても不十分だ。

(空だけじゃない、普通に登攀で上ろうってやつもいるだろう。殺意が、敵意が足りない……何か、根本的に敵の作戦の要素を見落としているのか?)

 思索はすぐに中断された。敵の考えなどはなから意味不明なのだ。今優先すべき懸案は他にある。

「……壁を越えよう。市内の<マスター>にも協力を仰いで……」

 

 言い終わる前に、地面が揺れた。今までの混乱の音とは桁が違う、明らかな攻撃的爆発音が轟く。

 

「……なんだ?」

「誰かが壁を壊そうとしてるんじゃないです?」

 ユーフィーミアがキョロキョロと辺りを見回す。ふと、Ⅳ世がその頭を振った。

「否。些か間違っておるぞ、ユーフィーミア嬢」

 老人の声は微かに戦いていた。その目がらんらんと光る。

「……犯行声明だ」

その視線の先には、()()()()()()()()()()()()の、半分だけの残骸があった。その黒煙の中から、巨大な映像が現れる。半透明の上半身の映像だ。映像の中、長髪の男が口を開く。

 

『……諸君、わたしは【教授(プロフェッサー)】ウー……<エンブリオ>を売る商人と呼ばれているものだ』

 

 

『現在、この都市はわたしが支配している。今起こっている出来事、もろもろはすべて我が意志と……下僕の働きに由来している』

 その言葉は、都市の隅々まで届けられていた。パニックさえも吹き飛ばす驚愕が、都市内部の全員に共有される。混乱が静まり、すべての人間はいまや敬虔な聴衆と化した。

『わたしの<エンブリオ>の能力は<エンブリオ>……<劣級(レッサー)エンブリオ>の創造。この力をもって、我々はカルディナに宣戦布告をする』

 それはあまりにも荒唐無稽な発言だった。大陸を七分割する超大国の一つを正面から敵に回すなど、いかな<マスター>といえど大言に過ぎる。だが、その眼にはひとかけらの怯懦も無かった。

『都市を封鎖したのは前準備の一環だ。諸君らがこの冶金都市を脱出することは許可できない。もしこの壁を乗り越えたものがいれば即座に処刑する』

 ウーの瞳が冷酷な色を帯びる。

『理解できるかね?この都市を出るなと命令しているのだ……だが、君たちにとっては幸運なことに、わたしは……慈悲深い。一つチャンスを与えようと思う』

 その顔にうすら寒い微笑みが浮かぶ。

『わたしはこの都市の地下、中央部に位置する区画にいる。殺しにきたまえ、自負があるのなら』

 自らの居場所を明かす不可解な振る舞いに、聴衆が少しだけ揺れる。早速動き出すもの、困惑に固まるもの、様々だ。だが、ウーの眼は真剣だった。

『これらが空言でないのは諸君らの《真偽判定》によって確かめられる筈だ。我が確信もな』

 ウーはそう言うと、静かにその白魚のような指を一本立てた。

『だが、ことここに来て、未だ愚鈍で蒙昧だろう諸君らの為にひとつ、デモンストレーションを行うことと決めた。これは単なる演出に過ぎない。ぜひ楽しんでくれたまえ』

 そして、再び大地が揺れた。

 

◇◆◇

 

□■冶金都市・地下施設

 

 地下の一角で、ウーは映像が終了したのを確認した。()()()()()()()()()()()()()()()()()この都市全域において通信は途絶しているが、あれは録画を流しているだけのものだ。ドライフから輸入された立体映像装置は十分に役立った。

 機械はいい、とウーは思った。人間より実直で有能、合理的だ。その思いを断ち切るように、胡乱かつ感情的な人物の声が響く。

「感動的なスピーチじゃないか、ロン毛野郎」

「何をしに来た、自殺」

 ブラーは黙って唇を歪め、両手を広げた。その右手の機械鎧は格納され、今は素の掌を晒している。ウーはため息を吐き、口を開いた。

「まぁ丁度いい。貴様に訊こうと思っていたのだ……」

 その瞳が粘つく熱を帯びる。

「……なぜあんなガキを連れ回しているのか、な」

 ウーもまた両手を翳す。その掌を白い手袋が覆った。

「慈善事業にでも目覚めたか?一族郎党を失った孤児などいくらでもいる……孤児院でも開くのか?」

「言ったろ?将来有望だからさ」

 ブラーが愉快そうに揺れる。ウーは顔をしかめた。

「だからどうしたと?人材育成が趣味にでもなったか?ブラー、貴様、何を考えている?情に絆されたか?」

「僕がなぜそれをお前に説明しなきゃならない」

 ブラーが撥ね付ける。ウーは静かに手を開き、その手のなかにある宝石のようなものを見せつけた。

「既に孵化をした<劣級>だ。貴様はこれが欲しいのだろう?わたしの機嫌をとることは無駄ではないと思うがね」

 ブラーがいまいましげに息を吐く。その歪んだ口元が、突然獰猛な笑みに転じた。

「……なぁ、<超級>になるための条件ってなんだと思う?」

 藪から棒の質問に、ウーが目を細める。

「何を言っている?」

「だから!<超級エンブリオ>への進化の条件だよ!」

 ブラーが声を荒げる。その仮面の紋様が紅く光る。

「あのクソッタレの<超級(スペリオル)>どもに追い付くために僕はなんでもやって来た、自分より上にあんな奴らがいることが我慢ならないからだ!」

 その言葉は怒りと嫉妬に満ちていた。当然だ。あまりにも不公平なリソースの差がそこにはある。看過できるものでは断じてない。

「『戦闘』……違う。既に山ほど敵は倒してる。『強敵』……違う。古代伝説級を倒しても何も変わらなかった。『支配』……違う!砂漠の盗賊団を従えても進化は起こらなかった!」

 ブラーが白熱する。

「『所持金(リル)』『レベル』『移動距離』エトセトラエトセトラ!何をやっても無駄だった、全てが!」

「分からないな。それがあのガキとどう繋がる?レベル0の子供が鍵だとでも?」

 ウーが冷静に問う。ブラーは一転、恍惚とした表情で言った。

「……『物語』それが僕の結論だ」

 ブラーの言葉が含み笑いを孕む。どこか破滅的な愉快さで、仮面の男は続けた。

「<エンブリオ>は個人のパーソナルに応じて進化する。精神面だけじゃない。行動や言動の積み重ねもまた参照される要素のひとつだ、そうだろ?」

 それはまさにこの世界の謳い文句だった。『<エンブリオ>は皆様の行動パターンや得られた経験値、バイオリズム、人格に応じ、無限のパターンに進化いたします』ーーその文言があったから、<Infinite Dendrogram>はこれほどに栄えたのだ。

「けれど、ただ漫然と過ごすだけでは<超級>になれない。だから前例を参考にすることにした」

 前例。この世界にその名を轟かす<超級>たちだ。

「<超級>は有名人だろ、大概は。進化する前から有名人だった。戦争で活躍したり、怪物を討ち取ったり……ほら、それが『物語』なんだ、そうだろ?」

 <超級>たちが成してきた功績、争い、あるいは悪行。なんでもいい。大事なのは、彼らの多くが特筆すべき経歴を持ち合わせているということだ。

「経験は思い出になり、感情は思想になる。必要なのはそれだ、<超級>に至る価値のある物語(ストーリー)を示すこと、それなんだよ!」

 ブラーが咆哮する。その掌が欲望と渇望を捕まえるように固く握られる。甘美な仮説に酔いしれた口元が唇をひきつらせていた。

「わかるか?レベル0のティアンの子供が<エンブリオ>を求め、そして手に入れる!分不相応な欲望と、絶望、渇望、希望を、案内人として僕が演出する!傍で見届ける!申し分なく独創的(オンリーワン)物語(クエスト)じゃないか!きっと試す価値は十分にあるさ、この経験(ストーリー)を完成させた暁に、僕は運営から<超級エンブリオ>をもぎ取ってやるんだ!」

 熱に浮かされた言葉は、しかし確信に満ちていた。仮説としては十分だ。労力と時間を賭ける価値はある。あるいはそれをーー可能性とでも呼ぼうか。

「僕が<超級>に上がるためにトビアは必須だ。貴重な物語の種、だから全力で確保する。最高のコマとして踏み台になってもらう、なにがなんでもね」

「……理解はした、下らないな」

 だが、ウーの返答は冷ややかだった。

「期待したわたしが愚鈍だったようだ。実に残念だよ……そんな不確かな可能性に頼るなど、蒙昧の極み。わたしはもっと確実な……我が裁量のうちの手段を選ぶ」

「あぁ、知ってるさ」

 ブラーは吐き捨てると、マントを翻した。その右手に機械鎧が現れる。

「好きにすればいい、どのみち全ては可能性だ」

 ブラーの背中にバーニアが咲く。機械の穴は、炎を孕んでチラチラと燃えていた。

「ーー上でパーティーが始まったみたいだね、手伝ってやるよ」

「どのみち協力させるつもりだったが」

「お前のそういうとこが気にくわないんだ」

ブラーは仮面の下で顔をしかめた。

「だけど、蹂躙は好きだよ。試したい新技もあるしね」

 その言葉を置き去りにして、超音速の体当たりが歪んだ門扉を今度こそ完膚なきまでに打ち砕く。それを見送りながら、ウーは呟いた。

「可能性、か。それこそ下らない。結局は他者に依存するそれを、上から降ってくるだけのモノを待ちながら、何故のうのうとしていられる?」

 耐えられるはずもない。与えられたものに満足するだけの生き方など。

「わたしは全てを自分で手に入れる、その為の力はあるのだから……クーデターなど、その前段に過ぎない」

 ウーが決意を示すようにその拳を握る。その手には、<劣級(レッサー)エンブリオ>が煌めいていた。

 

 To be continued

 



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第九話 雨天決行

 ■【爪拳士】ジンジャー・ロッソ

 

 ジンジャーは城の上に立って、混乱する街を見下ろした。巣を壊された蟻のように右往左往する人間たちは、実に愉快だった。その中の一人が――ティアンらしかったが——慌てたように壁の上の彼女へと言う。

「おい、あんた!アレを聞いてなかったのか?頭のおかしな連中がこの都市を滅茶苦茶にしてるんだ、危ないから降りた方がいい、早く!」

「ん?あぁ、ありがとね、おじさん」

 ジンジャーは朗らかに笑い――次の瞬間、その手から炸裂した焔が彼を消し炭にした。崩れ落ちる死体に悲鳴が上がり、ジンジャーに敵意の視線が向く。それをそよ風のように黙殺し、女は呟いた。

「『頭のおかしな連中』ねえ、傷ついちゃうなー」

 彼女はティアンを人間だと思っていない。今は家電だって流暢に喋る時代だ。不快ならば()()()()()だけのこと。

「にしても、無茶な計画立てたもんよねー。まあ、指示通り、時間稼ぎ……おっと、デモンストレーションはこなしますか」

朗らかな独り言とともに、その右手が植物の意匠を持つ杖をくるくるともてあそぶ。まるでバトンを回すように。

「とりあえずはよろしく!……リンズ?」

『ああ、了解した、御主人様(マスター)

 その呟きとともに、杖が発光する。柔らかな緑の光が揺らめき、さざめき、

「《来たれ森よ、竜の群れよ(ドラグリンズ)》」

そこには森があった。複雑に絡み合った根と枝が蠢き、緑の木の葉が暴力的に蠢く。よじれ膨張する森は、やがて一頭の巨竜を象って咆哮した。

「むむ!先ほどの蛮行と言い、テロリスト一派か!であれば、捨て置けるはずもなし!」

<マスター>らしき男が叫ぶ。その手の剣が、蒼い光を帯びる。

「我が<上級エンブリオ>の能力を食らってみるがいい!《グレート・メガ・ハイドロ・バズ》!」

 その刃に液体————水が現れる。膨大な水の塊が、剣の一振りとともにバズーカのごとく放たれた。小さな湖ほどもある水が大樹竜の表面に衝突し――しなる樹木に受け止められる。

『水の砲撃か……つまらない。興味も湧かない。ありふれた能力だ』

 そんな侮蔑とともに、蛇のごとく伸ばされた枝が男の身体を素早く貫く。

「かふっ……」

『今回は大きめの物を作ったからな……補充しておくとしよう』

枝が蠢き、男の内臓に根を伸ばす。次の瞬間、栄養(リソース)を吸いつくされた男の身体が萎び、干からび、光の塵になった。

 巨竜、そしてそれをもたらした短杖は、伝説級特典武具。【樹竜誕杖 ドラグリンズ】。その能力特性は、自我を持つ樹木の竜の召喚だ。伝説級に由来する力、そう簡単には倒せない。

 その明朗なる証明、光へと崩れる男の残骸を前にして、伝説級の巨竜が悲し気に呟く。

『やはり<マスター>は身が少ないな』

「そーゆー言い方やめてよ。あたしらが安物の蟹みたいじゃん!」

 竜の背に乗ったジンジャーが抗議する。巨竜————リンズは諦めたように言った。

『善処しよう……栄養がない』

「それもジャンクフードみたいでヤダ」

 繰り返すジンジャーを無視して、巨竜が尋ねる。

『ティアンを吸うわけにはいかないのか?』

「今回はね。殺すだけならいいけど」

 ジンジャーが両手を広げる。その掌から雑な焔の乱撃が地上を焼いた。その砲撃をかいくぐって、また一人、<マスター>が肉薄する。

「樹だろ?樹だな、なら燃やせるはずだ!《掌を太陽に(サウレー)》!」

 焔の掌底が風を裂き、爆熱をもって大樹を抉る。だがその傷は即座に伸びる枝によって埋められた。

 大いなる大樹に、浅慮な炎など効くはずもなし。そしてその愚行の対価は即座に徴収されるだろう。

『《ブランチストライク》』

 報復として大砲のような勢いで叩きつけられた枝が、その男ごと群衆を薙ぎ払う。再生と変形を得手とする樹木竜(リンズ)が人間を蟻のように蹴散らして往く。その光景を前にして、なおジンジャーは不満げだった。

「デモンストレーションにしちゃ、派手さが足りないな……よし、決めた」

 紅の女は笑う。獰猛に、かつ楽し気に。

「【劣級爆破 ブラスティカ】、《ブラスト》!」

 景気のいい轟音が響く。そして、グロークスの曇天に花火が上がった。

 

 ◇◆◇

 

 □【教会騎士】メアリー・パラダイス

 

 少女は身体に意識を取り戻すと、まず耳を澄ました。特徴的な音はない。声もない。この柔らかな静けさ、間違いなく屋内。

 そこまで悟ると、メアリーはゆっくり目を開けた。

 彼女が寝ていたのは古びたベッドだった。カビ臭い布、古びた木枠、錆びた飾り。明らかに放置されて長いものだ。

 身を起こそうとして、メアリーは違和感に気づいた。正確には、その正体に。

 彼女の両手足には、黒い金属で作られた枷がはめられていた。おそらく対象者に装着することで軽度の制限系状態異常を与える拘束具か。

(一定以上の力を発揮できないように……STRに閾値を付ける能力?いや、壊そうとする行為全般を縛ってるのかな)

 驚いたことに、<エンブリオ>の操作……アシュヴィンへの命令すら遮断されている。

(交信はできる。たぶんこの枷を壊すって意志のみに干渉……感知されてる)

 恐るべき強制力。対象者への装備を条件にしたとしても、リソースが重すぎる。ならば、付け入る隙は絶対にあるはず……

「目覚めたかね?」

 その声を聞いて初めて、メアリーは壁際に誰かが座っていたことに気づいた。古びた木の椅子が軋む。

「その枷は【契約書】と同系統の術が込められている。貴様の意志による脱出は不可能だ」

 長髪の男。今まで気づかなかったあたり、自分で思うほど冷静ではなかったのだろうか。

「……“自害”はしないと思っていた。あれは真に最終手段だからな……大多数の人間は、自らの手で可能性を完全に放棄出来る程合理的にはなれない。それはある意味で正しい判断でもある……」

「あなたが……“ウー”?」

 メアリーが尋ねる。ウーは意外そうに眉をあげた。

「ほう?知っているのか。どこから漏れたのか……まぁ、いい、肯定しよう。この私が、【教授】ウー……<エンブリオ>を創造する者だ」

 その大それた言葉に、メアリーは顔をひきつらせた。自称なにか、などろくなものじゃない。自尊心と理想が肥大しているのが透けて見える。メアリーはとりあえず、一番に気になっていることを尋ねた。

「あたしを浚ったのはなんで?<マスター>の誘拐なんて、無意味でしょ?」

「そうでもない。わたしが求めているのは対話だ。その場を作るために貴様を拘束することは十分有意義だろう」

 不気味なほどに平然と、男は嘯く。

「そう、対話だ。早速こちらの提言を述べよう……我が配下となれ、メアリー・パラダイス」

 その言葉に、メアリーは失笑した。検討にすら値しない。そもそもそれを受け入れる可能性があると思われていること自体、噴飯ものだ。

 そんなメアリーを無視して、ウーは続けた。

「ユーリイから聞き及んでいる。他者に適用できる回復能力の<エンブリオ>……実に有用だ。治癒の能力者は貴重なのだよ、パラダイス。我が配下に迎え入れるに相応しい」

「お断り!」

 メアリーが顔をしかめる。ウーが首をかしげた。

「ふむ、何故だ?わたしに協力することに何のデメリットがある?<劣級>は当然、供与してやるぞ」

「クーデターをやるような悪い人と組みたくないから。分かったらこの手錠外してくれない?」

 強気なメアリーの言葉に、しかしウーは愉快そうに椅子に背を預けるだけだった。

「ほう?クーデターが悪行か。何故だ?」

「クーデターは悪いことでしょ?当然じゃん」

「何故だ?」

 ウーの瞳が少しだけ凄みを帯びる。

「政権など、所詮は恣意的に決められた機能に過ぎない。わたしが暴力でその椅子に座ろうと、何も変わらない。グラマンや現カルディナ政権が善良だと思ったか?彼らがわたしより優れていると言えるか?何故だ?」

「……」

 メアリーが思わず沈黙する。ウーは鋭い目で続けた。

「軍事力を用いて民衆を制圧し、支配し、統治する。国家とは本質的にそういうものだ。その正統性を慣例以外に求めることはできない……であれば、わたしという権力がカルディナを征服しようと何の問題もない。この国では相応しい代価さえあれば全てが買える。我が代価は力、商品は国家だ」

 その声には狂気が見え隠れしていた。ただし、光ある狂気だ。ぎらついた光、焼けるような熱。カリスマと呼ばれる力。

「……それでもだよ。わたしはこの国が気に入ってるの。壊させるわけにはいかない。その結果苦しむのは普通の人々だから」

 メアリーが真剣さを増した声で答える。

「現状維持は正義でしょ?それを壊すなら、クーデターは悪だよ」

「現状維持、か」

 ウーが呟く。

「市井の平穏なる生活、というわけかね。だが、そんなものはまやかしに過ぎない。存在しないのだ。あるのは一個人の集合、それだけだ。そこで疑問なのだが、貴様にはそこまでして守りたい特定の人間(ティアン)がいるのか?」

「そういう問題じゃない!知らない人だって、傷つけることはできない!」

 メアリーが断言する。だが、ウーは心底愉快そうに笑った。

「……その愚かしさ、好ましくすらあるではないか、パラダイス。だが、浅薄だな」

 その薄い唇が酷薄さを纏う。

「貴様は貴様の基準で人間に線を引いているだけだ。言っただろう、無辜の市民など所詮は幻想だ」

 ウーはどこか不気味な雰囲気で続けた。

「あるのは敵味方の一線だけだ。そして、私は貴様をその線のうちに迎え入れたい、という話をしている。まぁ、直情的なのは予想の範疇だが……何故、治癒の能力者が少ないか分かるかね?他人を癒したいなどと心から思える変わり者が貴重だからだ……」

 ウーの詭弁はまるで蜘蛛の糸のように、不確かで貪欲だった。真綿のように柔らかく、耳から染み込んでくる。

 だが、メアリーにとっては、彼の講釈を聴くよりもその不気味さ、違和感のために警戒を強める心のほうが強かった。ふと、メアリーはその原因に気づいた。

 

 目の前の男は、一切呼吸をしていなかったのだ。

 

 ◇◆◇

 

 □■冶金都市グロークス

 

 デモンストレーションは未だ続いていた。そう、披露しているのはウー一派の強さ、そして――

「《ブラスト》」

――<劣級>の力。

 ジンジャーが携える大筒は、鮮やかな花火を撃ち出す兵器だ。その威力はさほどでもないが、音と衝撃、光に特化している。触れれば弾き飛ばされ、光と音が感覚を潰す。なにより、

「《固火掌(イグニス)》」

ヘスティアに固定されている。

 本来であれば一瞬で散りゆくはずの焔は、空中で、あるいは地上で、咲き続けていた。触れたものを弾き飛ばすトラップとして。

 それらによって足場を削られて数を活かせぬままにまごつく群衆を、狙いすましたリンズの枝が襲う。ある者は薙ぎ払われ、ある者は森の肥やしになった。もはや多数は互いに足を引っ張る枷でしかない。ゆえに、

「《削岩穿》」

必要なのは、個の強者。

「やはり溜めが長いな……これは要改善だ」

 今しがた枝を打ち破った男が呟き、一歩前に出る。

 その男はまさしく巨漢だった。身長は三メートルを超えているだろう。全身は岩盤のような筋肉で覆われ、その拳はまるで砲弾のよう。右手には、黒い装丁の本が一冊。

 伸ばした髪は三つ編みにリボンで止められ、豊満な下睫毛と厚い唇が愛嬌を醸す。その褐色の瞳がジンジャーをきっと見据えた。その外見の濃さにジンジャーが呻く。

「デモンストレーション!と、言っていた。これがそうかね?強さの誇示……察するに、その手袋と大砲、どちらかが彼の“商品”というわけか」

 男の左拳が蠢く。次の瞬間、リンズの木々は文字通り木っ端みじんに砕かれ、三つ編みの筋肉達磨が突進していた。

「そーよ?このブラスティカこそが彼の、<劣級>。それで?」

「排除する」

 風を切る男が言う。腰を落とし、迫る枝をぎりぎりで躱すと、右に飛んで上から迫る大樹を避ける。その幹を駆けのぼり、根元を打ち砕く。その瞬間、群衆を襲う枝の一部が沈黙した。

「デモ、ならばここでその目論見を挫かせてもらおう。わたしが正面から!打ち破ることによってね……」

 男が勢いよく地面に着地する。赤いリボンがそよぐ風に揺れる。そして男は荒々しくもエレガントに、半身に構えた。

「だがしかし!強者とは認めた。本気でゆくぞ……」

「おお、メルさん!」

「やっちまってくれー!」

 ジンジャーの前に立ちはだかった巨漢に声援が飛ぶ。その丸太のような剛腕が、正面から迫るブラスティカの花火を殴りつけた。

「《破城鎚》!」

 超強化された正拳が焔を薙ぎ払い、円形に吹き飛んだ花火が輪を描いて凍り付く。その中央を走り抜け、巨漢が跳躍した。

「私は【破壊者(デストロイヤー)】メルストーン!近々、準<超級>と呼ばれるかもしれない予定の男だ!この名を刻んで散れ……《あゝ無情(ハデス)》!」

 その右手に携えた本が光り、左手の手刀が暗黒のオーラを帯びる。屈強な掌が、黒い炎を孕んで燃えていた。

 風を断ち切る一撃が重力に任せて振り下ろされ、大気が震える。だが、その手刀は、素早く身体を傾けたジンジャーの横を通り過ぎ、虚しく空振りに終わった。

 

 にも関わらず、彼女の眼が驚きに揺れる。

 

(勘づいたか、しかしもう遅い)

 メルストーンは心中でほくそ笑んだ。仰々しい暗黒のオーラも、派手な手刀の一撃も、見せ札に過ぎない。宣言の要らない攻撃スキルを同時に使って見せただけ、<エンブリオ>の必殺攻撃とは全く別物だ。

 先ほど宣言をしたハデスの必殺、その真の力は不可視の追尾弾。たった今、右手の本から静かに発射した必殺攻撃は、眼に見えぬ、透明のエネルギーとなってジンジャーの背後から迂回し、確実に接近している。

(上級の必殺にしては威力がないことに気づいたのか。だが、防御や回避の姿勢は既に無意味!)

 ハデスの追尾は相手から受けた攻撃——ここでは、あえて殴りつけた先だっての花火——を標識に決定されている。右手の本が、ダメージのログを保存し確かめる記録媒体だ。その自動追尾に間違いはない。

 ある程度なら防御能力をすり抜けることもできる。物理的にではなく、論理的に標的を攻撃する能力。弾速はいささか遅いが、それは高望みというものだろう。少なくとも多少動いた程度では躱せないのだから。

(正面の派手な攻撃に気を取られたのが命取り!戦術的選択肢の回答時間は既にッ!終わっていた!)

 上手くやったという快感を胸に、メルストーンは暫し待つ。時はいらない、数秒でいい。彼自身にも見えない徹底的透明弾の着弾に期待を膨らませる。

 

 ——そして、無傷のジンジャーの傍らでブラスティカが溶けるように消えた。

 

「なっ!?」

突然の状況にジンジャーが驚愕する。その左腕からも、踊る焔の紋章が掠れて消える。だが、驚いたのはジンジャーばかりではなく……

「不可解!」

メルストーンもまた吠えた。三つ編みが躍る。

 無傷などあり得ない。よしんば耐えたとしても重傷を免れるなど考えられない。その威力に、メルストーンは絶対の信頼を置いている。彼のSTRを基準とする超ダメージ弾だ、超級職とて腕の一本くらいは持っていける。

 先に武器が壊れるのも意味が分からない。ハデスは論理的攻撃だ。メルストーンを攻撃した対象者(ターゲット)を追い、反撃する……いわば一種の呪いなのだ。途中で当たったものにダメージを散らすようなことはありえない。少なくとも未経験の事態。

 両者が両者、未知の状況に対して混乱する。驚愕と困惑が脳裏を汚し、身体を硬直させる。ゆえに、

「——《着火掌(インフラマラエー)》」

「ゥワ熱ゥッッ!!」

先に混乱を制したほうが状況を制した。掌を象った焔にメルストーンが吹き飛ばされ、その全身を炎が覆う。そして、

「リンズ!」

『《スプレイ・バレッツ》』

弾丸(バレッツ)のごとき無数の枝が雨あられ(スプレイ)と襲い掛かる。針のような細枝はメルストーンの身体を蜂の巣にした。火達磨の巨漢が呻く。

「この、女ァ!どういうトリックだ!」

「は?なに言ってるか分かんないんだけど。つか、キモいのよ、アンタ」

 にべもなくジンジャーは吐き捨てる。その左腕を悲しげに眺めて、彼女は言った。

「<劣級>がコアまで砕かれるなんて……まぁ、新しいのを貰うしかないか……」

 ジンジャーが掌を構える。その紅の五指がさらなる炎の輝きを放たんとし……

「させぬ!」

 その背後の隙をついて、突如現れた老騎士がその手を振りかぶった。手には槍、瞳には闘志。その鎧が戦意に軋む。その名はーーゴルテンバルトⅣ世。

「あ、ちょっと前の【大騎士】じゃない、お元気?」

「申し分なくな」

 その槍が唸る。伸びた枝を穿つ槍は、ジンジャーの裏拳とぶつかって火花を散らす。紅の女が愉快そうに微笑み、素早く視線を走らせた。

 周囲の群衆に混じって、見覚えのある一行がいる。【司令官】【高位従魔師】【審問官】【大銃士】……

「じゃあ、今『お元気』じゃなくしたげるわ」

 そして、ジンジャーは歯を剥き出した。その紅い唇を、力ある言葉が飾る。

「見せてあげられなかったもんね?これがあたしの本気よ」

 ジンジャーはそう言うと、Ⅳ世の胸を蹴り飛ばした。大樹の上で、老人がつんのめる。軽やかなバックステップで距離を取ると、ジンジャーは両の手を広げた。その拳が何かを掴み取る。

「《焔像自在掌(ヘスティア)》————」

 それは、ヘスティアの必殺。焔の固形化からさらに一歩進んだ、焔の成型能力。象る姿は自由自在、たとえ武器の形とて造ることができる。そしてその材料は————

「【ジェム】……!」

 Ⅳ世が呟く。ジンジャーの両手に握られていたのは、紅蓮を閉じ込めた結晶、二つずつ。まるで卵を割るように、その指が動く。

「————《クリムゾン・スフィア》」

 四つの上級奥義が二つの掌で炸裂し、同時に凝縮される。途方もない熱と衝撃が揺らぎ、形を変えられていく。その輪郭は、

「なるほど、【爪拳士(クロウ・ボクサー)】であったな」

爪の形をしていた。両腕を飾る刃が焔を孕み、蠢く。ジンジャーは得意げに笑うと、口を開いた。

「先の交戦で知った通り、固まった炎は熱を失うことなく、触れるものを焼き続ける。そのベースが上級奥義ともなれば、とんでもない脅威。爪の一撃を貰うごとに《クリムゾン・スフィア》二発を食らうに等しい……そう思ってるでしょう?」

 それは甘い考えだ。本当に甘い……甘すぎる。そのレベルを彼女はとっくに通り過ぎている。

「リンズ、捕まえて」

「!?」

 一瞬、間合いを詰めることを躊躇ったⅣ世の足を、素早くリンズの枝が抑える。絡み合った樹木はがっちりと老騎士の足を拘束していた。

「ほら、信頼できる足場じゃないよ?コレは」

 ジンジャーがその右手を振りかぶる。これから放つのはもう一つの上級奥義。<エンブリオ>を介した乗算攻撃。

「アハ……《タイガー・スクラッチ》!」

 紅蓮の光が迸る。そして、《クリムゾン・スフィア》二つ分……の三連撃が、Ⅳ世とその後ろまでの全てを焼き払った。

 

 ◆◇

 

 □【大戦士】グリゴリオ

 

 曇天は空を塞いでいた。雨を孕んで膨れ上がった雨雲は、次の降雨を待ち望むかのように揺蕩っている。それらに弱められた陽光が、街を白く、柔らかく照らしていた。

 ここは町の中でも治安の悪い、薄汚れた一角だ。路傍にはゴミが転がり、石壁は茶色く汚れている。それとは別に、破壊と戦闘の痕跡が辺りを汚し、極めつけとして全てを見下ろすように、城塞(エリコ)が君臨していた。その下で、グリゴリオとシマの二人が地面を見下ろす。

 カークを仲間……もとい下僕に引き込んだ二人は、大混乱の街を背景に、

「どらぁ!」

シャベルで路面を掘っていた。その傍ら……からは少し離れたところ、城塞の陰に隠れながら、カークが空に向けて銃を構える。その顔は不満と緊張に曇っていた。

「なぁ、おい、そろそろ勘弁してくれって!同僚に見られたらヤバイんだよ、あとから着いていく感じでいいじゃねえか!」

「そう言ってバックレるんだろ?いいからテメーも手伝え」

「キヒヒ、最後まで危ない橋渡らねえって訳にゃいかんでしょ、諦めろよ。もうバッチリ裏切っちまえって」

 シマが笑う。その背後で、カークは静かに発砲した。ステュムパリデスから共有された視界の中で遠くの誰か……背中に羽を生やした男が片翼を撃ち抜かれて地上へと不時着する。

「無茶いうな!大体俺ァ上空からの脱出阻止を仰せつかってんだ、そっちもやらないわけにはいかねえんだよ!」

「さっきから撃ってんのはそれか。お前、往生際が悪いぞ……よし、掘れた」

 グリゴリオが額を擦る。その穴の中には……

「助かった……」

 重傷のAFXがいた。グリゴリオが薬の小瓶を逆さに向ける。少年はほうほうの体で地面から這い出した。

「あぁ、死ぬとこだった」

「幸運だな、俺達が通りかかってよ」

 グリゴリオが少しだけ呆れたように呟く。

「地面に埋められるとはな、どういう攻撃されたんだ?」

「分からない……よく覚えてないんだ」

AFXが呻く。

「確か、後ろから急に……いや、そうじゃなくて!」

 その声が焦燥を帯びる。AFXは慌てて辺りを見回した。

「やっぱり、浚われたんだ、メアリーが浚われた!」

「おい、落ち着け、どういう意味だ?」

グリゴリオが首をかしげる。

「浚われたァ?パラダイスが?<マスター>誘拐してなんの得があるんだ?犬に説法するのと同じくらい無意味だぞ」

「そう言ってたんだよ、最後に聞いたんだ!連れていく、って!」

 AFXが叫ぶ。グリゴリオは困ったように首をひねると、カークを振り返った。

「で?」

「で?じゃねえよ、俺ァ知らないね。大体よォ、マジに攫われてても何ら問題ねぇだろ。デスペナ食らったのと変らねえよ」

 カークはそっけなく吐き捨てると、こわごわと天空を見上げた。

 彼の言葉は真っ当だ。敵に殺される代わりに攫われても、何も変わらない。“自害”がある、精神保護もある。むしろ命拾いしたとも言えるだろう……死なない命だが。

「ま、そういうことだ……どうする?」

「当然、助けに行く」

AFXが断言する。その眼には意思と信念があった。

「友達が捕まったなら、見捨てることは出来ない。それは『裏切り』だ」

 まだ生きているなら、助けない訳にはいかない。できることがあるのにしないのは、彼の最も忌避する罪だ。友達だと決めたのだから。裏切らないと言ってくれたのだから。

「おお、いいぜ。俺たちも付き合おう」

 静かに燃えるAFXに、グリゴリオが口角を上げて応じる。その隣でシマも刀の柄を撫でた。カークが肩をすくめる。

「おい、マジかよ!そんなことしてる場合か?」

「ああ、十分正しい判断だぜ」

 グリゴリオはいたずらっぽく笑うと、言い聞かせるように続けた。

「<マスター>の誘拐に意味が薄いのはそうだが、それをあえてやったんなら敵にとっては利益があるんだろう。大なり小なり、な。そしてゲームで勝つ方法は、敵の利益を潰すことだ」

 戦術的判断として、彼らはメアリーを見捨てない。

「どのみち敵は倒すんだ、道は変わらねえよ」

「そうかよ」

 カークがすねたように呟く。その渋面に呼応するように、

「冷たっ」

AFXの首筋を雫が叩く。空を見上げた少年を、突然の雨が濡らした。

 重苦しい曇天はついに空を支えられなくなったらしい。天空で滞っていた雨が、シャワーのように街を覆っていく。降りしきる雨は、どこか陰鬱な凶兆のように思えた。

「また雨か?今日のグロークスは天気が悪いな……幸先も悪い」

 グリゴリオが不快そうに空を見上げる。

「これだけ水があると、あのカミナリ女にゃ気を付ける必要があるな……手がかりも洗い流されちまうか」

「いや、もうあるよ」

 AFXが言う。その視線の先には、灰色の襤褸布の塊が転がっていた。雨を避ける軒下、壁と地面に吹きだまるように、汚れた布が埃を捕まえている。ふと、その襤褸布が動いた。

「浮浪者だ」

 カルディナでは浮浪者はありふれた存在だ。この浮浪者は日がな一日ここで寝ていたのだろう。一見ただのゴミにしか見えないが、それは彼なりの処世術でもあるのだろうか。人の目に留まらず、トラブルを遠ざけて生きる。賢明な判断だが、ことここにおいては……

「あんた、ずっとここにいた?」

事態の証人としてこの上なく有用だった。AFXが浮浪者に歩み寄り、その襤褸を持ち上げる。浮浪者はいやいやといった風でその顔を上げた。

「あー……見てた。見てたよ。お前ともう一人が傘のあいつにボコボコにやられんのをよ」

 その口調は意外にもはっきりしていた。浮浪者は右手をボロ切れから突き出すと、側溝に手を突っ込んで酒瓶を取り出し、寝起きの一杯とばかりにぐいっと呷った。

「で?おいらになんの用だよ、<マスター>のあんちゃん」

「もう一人のことだ。僕がやられたあと、メアリーはどうなった?」

 浮浪者は面倒臭そうにため息を吐くと、目線をそらした。と、後ろからグリゴリオがリル硬貨を投げる。浮浪者はすばやい動きでそれを捕まえると、ニヤリと笑って言った。

「連れてかれたよ、石になってな。方角は……」

 浮浪者が押し黙る。AFXは財布代わりのアイテムボックスを取り出し、まるごと浮浪者に投げつけた。浮浪者が口笛を吹く。

「おう、思い出したぜ。あっちのほうだ。あの角を曲がる手前で見えなくなった。ありゃあ幻術かなにか使ってたな」 

 その言葉に、雨のなかをAFXは駆け出した。その背中を眺めながら、グリゴリオが呟く。その頬を雨水が伝う。

「で、嘘はねえんだろうな」

「んにゃ、おいらは【詐欺師(スウィンドラー)】なんかじゃねえよ?」

「まぁ信じるとするよ。……おい、カーク!どうせ地下だろう、あっちにある入り口の場所を教えろ!」

 振り向き様にグリゴリオが叫ぶ。だが、さっきまで軒下にカークはいなかった。空しく呼び声が宙に溶ける。

「アノヤロ、バックれやがったな?」

 まあいい、とグリゴリオは首を振った。必要な情報は既におおかた引き出した。地下への入り口も探せば見つかるだろう、あるいは『無理やり作る』という手もある。ソドム、あるいはエビングハウスならそれが出来る。

「俺達もAFXに続くぞ、シマ!」

 グリゴリオが勇ましく言う。だが、

「シマ?」

返事はなかった。シマの答える声は聞こえない。

 それだけではない、姿形もどこにもない。カークと同じく、どこにもいない。

「シマ、どこに……!」

 即座にAGIを戦闘モードに切り替える。鋭い目で辺りを睥睨しながらグリゴリオは勢いよく駆け出し……

「……!?」

 その身体は()()()()()()()()()()()()()()

「バカな……なんだ、これは!」

 地上を遥か下に見下ろしながら、グリゴリオが絶叫する。街並みの上、城塞の壁すらも越えそうな高さだ。風を切る音、妙に揺らぐ平衡感覚、それらが相まって、状況はまるで悪い夢のようだった。

「誰かの攻撃……?だとしたらいつの間に!」

 身体の感覚で分かる、単に空中に移動したのではない。既に軌道の頂点に達したというのに、重力を感じない……否、鈍い。

「無重力……完全じゃないが。あいつらも同じように……」

「グリゴリオ!」

 シマの声が響く。さらに上方に浮遊していたシマは、普段の享楽的態度をかなぐり捨ててもがいていた。その手が刀……エビングハウスを投げ捨て、代わりにあるものを握りしめる。

「【紅蓮鎖獄の看守(クリムゾン・デッドキーパー)】……掴め!」

 鉄色の鎖がするすると伸びる。それを右手に巻き付けて、グリゴリオは叫んだ。

「お前、状況は分かってるよな?」

「あァ、なんとなくな」

「なら……」

 グリゴリオが笑う。その掌でアイテムボックスが開く。中から出てきたのは、安物のタワーシールドだった。重厚かつ長大な金属塊は、慣れ親しんだ物理法則に従って落下を開始する。

「掴まれェ!」

 地上へと落ちるシールドに引かれて、グリゴリオとシマが地上へと落ちる。地面に激突する瞬間、グリゴリオは必死に地面を掴んだ。泥濘が跳ね散り、くぐもった音が響く。顔に跳ねた泥を掻き分けて、グリゴリオは辺りを凝視した。

「クソ、こんなざまを……誰の仕業だ!」

 明らかに他者の介入がある。恐らくは人間を浮かせる能力……<エンブリオ>か。であれば、近くに能力者(マスター)本体がいて然るべきだ。能力の発動条件を満たすために……そこでグリゴリオは、さっきの浮浪者が悲鳴を上げて走り去っていくのに気づいた。似合いの裏路地へと。

(なぜやつは無事なんだ?)

無重力の対象外か、あるいは無重力が効かなかった理由があるのか。だが、なんにせよ……

「僕の仕業、ですね」

 グリゴリオが振り向く。声の主は、雨傘を差した少年だった。黒い傘を雨水が流れ、伝い、落ちる。

「お初にお目にかかります。確か、調査隊のメンバーでしたね。まだこの都市にいたとは仕事熱心なことで」

 その柔和な表情は、むしろ不気味なほどに人間味がない。黒い傘の下、細い目がじっと彼らを見つめている。

「テメェが……なんだって?」

 シマが壁に掴まりながら、右手で刀を構える。その瞳が油断なく少年を見据えていた。

「その口振り、敵かァ?名乗りな」

「あぁ、すいません、忘れてました」

 少年が微笑み、その首にかけたネックレスを収納する。

「隠蔽装備を着けたままでしたね……これで見えるんじゃないですか?」

 シマがその言葉に顔をしかめ……そしてその目が大きくなる。そして、

「ーー()()()()()()()()()()()!少し前のお返しだ!」

少年の頭上に、天空からAFXが落ちてきた。その手には、重たげな槍が握られている。まるでバンカーバスターの如く、その質量攻撃が迫る。

「……攻撃する時に叫んじゃバレバレですよ」

 だがユーリイはそう言って、造作もなくその一撃を躱した。すれ違いざまの鋭い蹴りがAFXを向かいの家へと叩き込む。

「グリー、ヤベえぞ、これ」

 シマがそう言って、しかし笑う。その身体が、武者震いに突き動かされるように構える。

「ガチの準<超級>……猛者だ」

「あぁ、見えてるぜ」

 グリゴリオもまた笑う。これは諦観と驚愕の笑みだ。この少年の存在だけで、ウー一派の危険度がひとつ上がる。

「カークの野郎、知らなかったのか?それともわざとか、どっちにしろ、あとでとっちめてやる」

「あ、やっぱりカークさんはそっち側についたんですか?じゃあ、処刑の必要がありますね」

 ユーリイも笑う。まるで慈母のように、聖人のように。

「どちらにせよ、手間は同じ……殲滅するだけですが」

 

 そう言って、【降水王(キング・オブ・レインフォール)】ユーリイ・シュトラウスは朗らかに一歩、間合いを詰めた。彼の仰ぐ首魁の目的のために。

 

 ◆◆◆

 

 □【教会騎士】メアリー・パラダイス

 

「訊きたいことがあるんだけど」

 メアリーは言った。黒い枷が硬質な音を立てる。

「あなたの目的って何?」

「それは、カルディナの支配……という答えでは、満足せんのだろうな」

「うん。だって……」

 メアリーはウーの瞳を見つめた。妙に生気のない瞳を、射竦めるように。

「あなた、そんなものに興味ないでしょ?」

「ほう……?」

 ウーの瞳は動かない。だが、その言葉は驚愕を明かす。

「正直、馬鹿だと思っていたが」

「あれだけ聴いてればなんとなく分かるよ」

 そう、ウーがカルディナの支配などになんの情動も持っていないのは簡単に察せられることだった。支配に意味を見いだしていない。

「出来るからやる。必要だからやる。問題がないからやる。それだけでしょ?どうせ」

「正解だ。カルディナへの反乱は踏み台に過ぎない。民衆に対する支配などにわたしはそそられていない……」

 ウーの言葉はどこか楽しげだった。彼は決して冷血漢ではない。心に熱い情熱を秘めているのだーー血みどろの情熱を。

「いいだろう。明かそう、我が目的を。そして貴様も理解する。我が軍門に下るべきだ、ということをな」

 唇が動く。貪欲な蛇のように、獰猛な虎のように。

「だが、深遠なる我が目的を教えるには、まず本質たるここでの計画を語らざるを得まい。既にほぼ完了しているこの計画をな」

 そう、この都市での計画は既に終わろうとしている。時が来れば、すぐにでも。今までの出来事は全て前哨戦に過ぎない。

「我が計画は、今までとは一線を画す最強の<劣級(レッサー)>……そう、<超級(スペリオル)エンブリオ>、その創造だ」

 

 To be continued



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第十話 暴力の名前

 ■【爪拳士】ジンジャー・ロッソ

 

 黒煙と蒸気が渦巻き、炎熱で空気が揺蕩う。ジンジャーはあえてそれらを動くに任せた。放った炎が弱まり、煙が晴れる。そして彼女は忌々しげに舌打ちをした。

「姑息……」

 リンズの枝に囚われたまま熔解し焼けついているのは、Ⅳ世の足を覆っていた鎧だった。

「脱ぎ捨てて逃げたってわけ?往生際の悪い!」

 ジンジャーが踏み込む。捨てられたガムのようになっている鉄靴(サバトン)を蹴散らし、灰を巻き上げ、彼女はリンズの上から飛び降り……

『……ッ!御主人様(マスター)!』

「《亡びの地平線(シバルバ)》」

その身体をⅣ世の腐食が襲う。

「ッ!逃げてなかったのね、味な真似をォ!」

「攻めるとき、最も守りが薄くなる。戦の常であるな」

 樹木の影に隠れた老騎士が笑う。彼が先鋒を務め、対メルストーンの隙をついたのはこのためだ。既にあの巨漢は投げ落とされた。

「遠慮は不要」

 ならば、至近の周囲に慮るべき味方はいない。

 シバルバの無差別瘴気がリンズの枝を侵し、ジンジャーへと肉薄する。だが、

「なめ、るなァ!」

その両手が紅く光る。触れれば問答無用で病む毒気のことは、彼女も既に知っている。触れなければ良い。

「燃やせ、ヘスティア!」

 その掌から焔が上がる。爆炎が包むのは、他ならぬジンジャー本人だ。

(《統火掌(レガリア)》、自分自身由来の炎はわたしを焼かない!そして炎ならこの爺の毒も……!)

 炎がジンジャーを呑み込み、固形化する。歪な、しかし強大な炎熱で作られた即席の鎧は瘴気を退け、焼き払えるはずだった。

 だが、シバルバは止まらない。

「ウーム、触れ得るなら……壊せるのである」

 静止状態で燃え盛る炎をも侵すのがシバルバの能力。外界の全てに一切の例外を見いださないからこそ、その瘴気は強いのだ。ゆえに、固められた炎と言えど病んでいく。

「甘んじて受けるがよい、それは貴殿の固められた焔の当然の特質よ。触れるなら触れられる、壊すなら壊される。堅固なる()()として……そのまま亡びよ」

 それは彼女にとって想定外だった。固められた炎すらもシバルバの能力範囲内であったことは。

 拮抗はしている。ヘスティアの焔は確かにシバルバを退けている。だが、足りないのだ。

 触れる端から喰われていく。じわじわと彼女の焔は瘴気に負けて崩れていっていた。遠からずいずれ敗北するのは明確、ゆえに、

「…………ァァァァもう、解除!解除!解除ォ!」

炎の鎧が爆発する。その勢いが一時的に瘴気を吹き飛ばし、ジンジャーは逃げ出した。

「ヘスティアが溶かされるとか……相手してらんない!」

 彼女の戦法はヘスティアの固形化炎を前提にしている。それを容易く蝕まれるのは相性が悪い。

 ゆえに、別の手を使う。

「リンズ!潰せ!」

『了解した、御主人様(マスター)……《ヘヴィー・フォレスト》』

 大樹の竜の輪郭が膨らむ。そして、群衆を蹴散らしていた枝がひとつに束ねられる。

『……興味深い能力だが、主の言う通り潰れて貰う』

 その言葉と共に、大質量の樹木が頭上からⅣ世を押し潰した。老人が呻く。

 シバルバはその特性に違わず、ドラグリンズの樹木をも朽ち滅ぼしている。だが、樹木竜の特性は再生、膨張、変形……瘴気の侵食は、その体積によってほぼ無為なものになっていた。そして、その稼いだ時間があれば攻撃の……圧殺の余裕がある。

『あらゆるモノを病ませる能力……しかも制御機構を徹底的に廃することにより出力を上げているな?意志無き物質をも病毒に侵すとは、独自の論理(ロジック)を感じるじゃないか……面白い、あぁ、世界とはなんと面白いことか!』

 大木がうねり、枝がざわめき、美しい森が老騎士を包み込む。それは、死の抱擁にして歓喜の叫びだ。

こんな奴ら(エンブリオ付き)がいることを教えてくれて感謝するぞ、御主人様(マスター)……面白い!<マスター>というのは本当に面白い!』

「それは良かったわねぇ、リンズ……ほら、押し潰してあげなさい、中身も少しは見られるわよーー」

 ジンジャーが猫なで声で呟く。その手が猛禽の如く獰猛さを帯びる。

「ーー後ろはあたしに任せてさぁ!」

 《ウィングド・リッパー》ーー遠隔攻撃の刃が炎の爪から迸る。それを躱そうと割れた敵勢にタイミングを合わせ、ジンジャーは飛び込んだ。ほんの少し、【爪拳士】としての疾さをもって撫でるように切り裂く。《クリムゾン・スフィア》を固めた爪は遺憾なくその熱を発揮しーー

「BOMB!」

傷口が炸裂した。だが、

「《ホワイト・フィールド》」

「《エメラルド・バースト》」

凍てつく風がそれを相殺する。

「撃て撃て!炎の攻撃はダメだ、固められる!それ以外の手段で攻撃するんだ!」

 大衆を鼓舞する声が響く。

「前衛、熱を防げる奴らは前に出ろ!それ以外の遠距離は炎を壊すんだ!」

 その声……キュビットに、ジンジャーは舌打ちをして振り向いた。

「何堂々と仕切ってんだァァお前……それは、自分から沈めてほしいって意味よね?!」

 炎の爪が構える。

 キュビットの能力は既に把握している。音波を操って攻撃するか、あるいは【司令官】の援護能力か。どっちにしろ、火力ではジンジャーに遠く及ばない。近づけば一瞬で燃やし尽くせる。

 ジンジャーの足が大地を蹴りつけ……

『わたしを忘れてやしないか?』

そして、低いバリトンが右後ろから声をかけた。

 その声には聞き覚えがある。聞いたのはつい先刻のこと。そう、

『第二ラウンドだとも!このメルストーンがな!』

「……しつッこいわね!」

 ジンジャーが振り返り様に右腕の爪を振り抜く。いや、それだけでは済ませない。今度こそ、徹底的に砕く。

「《タイガー・スクラッチ》!」

 炎の三連撃、燃え上がるそれは風を炙り大地を焼く。その一振りが右後方のメルストーンを今度こそ焼き尽くし……

「……空振り?」

……てはいない。圧倒的熱量の炸裂は誰一人呑み込むことはなく、無駄撃ちに終わっていた。少し遠くでキュビットがニヤリと笑う。

「ヤマビコ、上出来だ」

 そしてジンジャーの全身に鳥肌が立つ。これは明確な隙だ、作らされた隙だ!

「今度こそ、ここだ、女ァ!」

 ()()()、死体のように気配を消していたメルストーンが起き上がる。その左拳が握りしめられ、瞳が戦意を帯びる。

「食らえ、《破城槌》ァ!」

 突き進む左の正拳。しかし、ジンジャーはかろうじて振り向いた。振り向いたなら、目で見て避けられる。

「【破壊者】……STR特化は所詮、速度が足りない!」

 【爪拳士(ジンジャー)】がしなやかに身体を曲げる。迫り来る拳に沿うように放たれたカウンターが、瀕死のメルストーンの胸部に触れ……そして、《クリムゾン・スフィア》二発と同等の火力が巨漢の胴体を粉々に吹き飛ばした。

 

 ジンジャーの右腕が肩から消し飛ぶのと同時に。

 

「……ッ!?」

「《破城槌》……?フフ、そんなエネルギーはなかったとも。別のことに使ってしまったからな……」

 人間の形を半ば失いながら、メルストーンがほくそ笑む。

 彼のハデス、その必殺は既に消費されてしまったが……他に下位の攻撃技が無いなどといった覚えはない。威力こそ大幅に劣るが、隠蔽性は同等だ。最後のMPを燃やして放っていたそれは、不可視のままジンジャーの片腕を潰した。

「ふーむ、しかし、この私を顎で使うとは……キュビットとやら、覚えて……お……」

 メルストーンが光の塵になって消失する。その傍らで、ジンジャーが悔しげに吠え……

『隙ありだ』

Moooが狙撃銃の引き金を引く。ほんの小さな弾丸は狙い過たず、ジンジャーの左膝を撃ち抜いた。

御主人様(マスター)の腕が……!』

 リンズが揺れ、

「……崩れたな?」

そしてⅣ世が立ち上がる。

「気を乱したか、であらば、付け入る隙が出来た!」

 Ⅳ世の斧が光り、そして大樹の隙間をこじ開ける。撒き散らされる木屑と共に老騎士がジンジャーへ向かって吶喊した。

「今だ、畳み掛けろ!」

 キュビットが叫ぶ。それに呼応して、大衆の中に光が走る。

「膝を撃たれた、もう走れまい」

「大技のチャンス!」

 あるものは杖を掲げ、あるものは手を翳す。共通点はひとつ、溜めのある必殺技だ。

「終わりだ!《太陽賛歌(ウリエル)》!」

「《荒ぶる天然パーマ(ラプンツェル)》!」

「……《怪奇カニ男(カルキノス)》・《クラブ・ボンバー》」

 辺りの太陽光が一点に収束し、大質量の毛髪が押し寄せ、巨大なカニの鋏が大砲のように発射される。轟音と粉塵がジンジャーのいた場所を中心に膨れ上がった。

「やった……!」

 キュビットが一息をつく。多数派の強みを活かした複数段攻撃。たとえ【ブローチ】を付けていたとしても、磨り潰されて終わりだ。

 

 そう、当たっていたなら。

 

 土煙が晴れる。深い穴が空いた地面を、Moooは訝しげに見つめた。

『深すぎる』

 今しがたの着弾痕の深さではない。そう、これは……

「ちょっとは俺を見直したか?ジンジャー」

「……調子に乗らないで」

 声が聞こえる。そして、大地が崩れる。キュビットが叫ぶ。

「お前……!」

「あぁ、俺だぜ」

 穴の底にいたのは、ボロボロのジンジャーを抱える黒い鎧……【芸術家】モーリシャス藤堂だった。

 

 ◆

 

 その鎧は、まるで昆虫のように黒光りしていた。いかにも分厚く、また丈夫そうだ。先だっての必殺連打も余波ぐらいなら受けられたのだろう。

「来るなって言われたけどよ、一応待機はしてたんだよ」

 藤堂が言う。

 TYPE:アームズ【劣級武装 アルマリカ】。他人には見えないが、鎧<劣級>の銘はそれだ。武装……物体としての堅さに長けた鎧、ゆえにそう簡単には壊せない。

「……往生際が悪いだろう、とは思っていたさ。予期せぬ事態じゃない」

 だが、キュビットはすぐに立て直す。

「頼みますよ、二段構えの方々」

「承った」

 その後ろから後詰めの彼らが姿を現す。

「既に発射準備は完了している……見るがいい、我らが合体奥義!」

 その口上を聞いてやる義理もない、とばかりに藤堂が飛び上がる。傷ついたジンジャーを迎えるようにリンズが枝を藤堂に向け……

「《彼は追跡者(ウァジェト)》」

「《一人軍団(ラクタヴィージャ)》・《グルーム・ストーカー》」

「《すわ足早に(アヌビス)》……三つ合わせて《闇属性ホーミングスピードガトリング》ゥ!」

 些かネーミングセンスに欠ける合体技が、しかし驚異的なスピードで迫る。絶対追尾機能付与、散弾化、加速の<上級エンブリオ>によって改造された闇属性奥義が藤堂に迫り……

「ほぅ?」

アルマリカにそのほぼ全てが防がれた。

「うお、やべ!穴が空きやがった!」

 煙を上げる黒鎧の穴を擦りながら藤堂が毒づく。その身体をリンズが受け止め、枝をざわめかせた。

『他の傷はともかく、腕は不味いな。すぐに塞がねば大量出血で死ぬぞ』

「るっさい!まだ負けてない!すぐに回復するわよ!」

 左手で薬瓶を呷りながらジンジャーはわめく。その目がふと、遠くの空に向けられる。

「……雨か。準備は済んだみたいね」

 都市を呑み込んでいく降雨の線を一瞥し、ジンジャーがため息をつく。

 ここからは全く別の戦いだ。彼女の望む楽しい遊戯(バトル)はもう、ない。

「助けられたとは思わないわよ、シュトラウス」

 

 ◇◆◇

 

 □【偵察隊】AFX

 

 その戦場は幻想的ですらあった。降りしきる雨、天空へと浮遊する人間たち、屹立する城塞、薄汚れた街、そして――雨傘の少年。

 ユーリイ・シュトラウスの戦術は、重力を奪う雨だ。肌を流れるその雨粒が、AFXたちから重さを奪っている。ほんの軽い踏み込みで空へと吹き飛び、打撃を受けただけで後ろへ飛んでいってしまう。そして、降りしきる雨粒は刻一刻と更に体重を奪っていっていた。

「あのティアンの浮浪者が浮かなかったのもそういうわけか」

 這いつくばるグリゴリオが苦々し気に呟く。

「あいつは雨を避けていたからな……この雨の<エンブリオ>に触れることが低重力のトリガーなんだろ?」

「うーん、いくつか訂正がありますね」

 まともに歩くことにも難儀する彼らを前に、ユーリイは言った。

「まず、ティアンが浮いていないのは《上昇方程式(オールライザー)》が現在<マスター>のみを対象に起動しているからです。雨に触れることが条件なのは否定しませんが」

 ユーリイが傘の下で指を折る。

「もうひとつ……雨の<エンブリオ>ではありません。この雨は単に【雨乞(レインメーカー)】系統の能力(スキル)、《レイニー・プレイ》によるものです」

 既に見えている情報なら構わない、とばかりにユーリイは朗らかに告げる。その瞳が、ふと上空を向く。

「ところで、カークさん、何か弁明は?」

「お、俺は裏切っちゃいねえぞ、そんなつもりは無かった!」

 上方。そこには、家の屋根に引っかかるようにフォトセット・カークがしがみついていた。屋根瓦に掛けられた指が震え、その顔が狼狽に引きつる。

「本当だ!俺は無実だ!」

「おや。《真偽判定》には反応がありませんね」

 ユーリイが穏やかに言う。その笑みが少し、深くなった。

「……《真偽判定》は本人の認識に依るところも大きい。質問を変えます、あなたは彼らに情報を与えるなど、有利になるような取り計らいをしましたか?」

「そ、そんなことは……」

 カークが叫ぶ。ユーリイは唇を吊り上げて言った。

「偽。ならカークさん、それは裏切りというんですよ」

 ですが、とユーリイは続ける。

「あなたのその恐怖は本当のようです。チャンスを与えましょう。今すぐこの都市での殲滅活動に参加して下さい」

 その言葉に込められた最後通告の意味合いに、カークが震える。彼にとって最良の選択肢は既に潰えた。ここからウーが敗死したとしても、裏切者の彼を追うものはいるだろう。その筆頭はこのユーリイだ。

 カークが細雨の中、乾いた唇を舐める。その瞳が動揺と逡巡に揺れ、

「俺らを無視するんじゃないぞ……《塩害》!」

憤るグリゴリオが走り出した。その周囲には、何本もの塩の結晶柱が斜めに屹立している。

「浮き上がる身体は、逆に三次元機動の助けにもなる。足場があればな……そして、一度遮蔽物に触れた雨が効力を失うのも確認済みだ」

 重力は枷だ。それから解き放たれたグリゴリオの身体は、羽根のような軽さをもって俊敏な機動力を手に入れている。それはスピード重視のシマ、そしてAFXも同じこと。

 そして塩の結晶の下を走れば、これ以上の重量を奪われることはない。跳ね散り流れる水はもう“雨”ではないからだ。加速したAGI型の二人が、両翼からユーリイに迫る。そして、

「《エメラルド・バースト》」

突如巻き起こった爆風に吹き飛ばされた。ユーリイが【ジェム】を投げた左手をからかうように揺らす。

 膨張する大気の圧力に、羽根のような体重の三人が翻弄される。それを為した雨傘の少年は、笑顔のまま言った。

「その程度、想定してしかるべき手です。僕の想定を超えるには足りませんね」

「このっ!」

シマが吠える。その双刀が閃き、地面を抉る。

「賦羅素丸!埋納素丸ゥ!」

 プラスとマイナス、膨張と収縮の二つの能力特性が大地に対して行使される。自然、矛盾する法則を強いられた地面はたわみ、歪み……ユーリイめがけて爆発した。石畳や土砂、砂礫が弾丸のようにはじけ飛ぶ。塩の柱に掴まった三人が、すかさず攻撃を叩き込む。

「《塩害(メラハ)》!」

「《サンダー・スラッシュ》!」

「《スリーピング・ファング》……!」

 三方向から、微妙な時間差をつけた攻撃が迫る。だが、

「……!」

それらは全て、ユーリイが傾けた傘に容易く止められた。AFXが歯噛みし、ユーリイが笑い……

「《銃撃反射(リフレクション・ショット)》」

そして、傘に銃弾が突き刺さる。

「お、おおおお、やってやった、撃ってやったぞコラァ!」

 カークがわめき、銃弾が発芽する。蠢く植物が雨を遮り、ユーリイを押し退け、蔦を伸ばす。

「決めたぞ、俺はお前さんたちの方に付くってな!どうせ望みがねえなら賭けだ賭けェ!」

 屋根の端でひきつった顔を晒すカークは、自分を鼓舞するように吠えていた。

「テメーらァ!マジで勝てよ、こいつら全員“監獄”行きにしてくんねぇと俺は終わりだ!」

「あぁ……心得た」

 グリゴリオが呟き、加速する。地面を這うように進む彼の右手が鉈を振り抜く。

「【降水王】……【雨乞】の超級職か?ならば、典型的な非戦闘型のはず、純粋な接近戦ではこっちに分がある!」

 それは正しい認識だ。【雨乞】系統には戦闘力などない。直接戦闘能力だけでなく、繰り出せるダメージソースそのものが存在しない。生産職ですらない非戦闘員。ただし……

「……!?」

()()は別だ。

 ユーリイが身体を捻る。その足が軽やかなステップを踏み、グリゴリオとすれ違う。その一瞬、がら空きになったグリゴリオの背後にユーリイがハイキックを食らわせた。グリゴリオが上空方向へと吹き飛び、蔦に捕まって事なきを得る。

「軽い脳味噌だ……さっき攻撃を傘で防いで見せたのを忘れたんですか?」

 嘘臭い笑顔でユーリイが言う。その瞳に雨を遮る障害物の数々が映る。

 それらは対処法として簡単に思い付く類いのものだ。だからこそ、それに対する手もまた。

 ユーリイが傘を静かに閉じ、ライフルのように構える。その石突の銃口が光り、熱を孕む。

「《グレネード・ランチャー》」

 そして、石突が吐き出した大爆発が巨大蔦と塩結晶を砕き割った。傘を閉じ、全身に糸雨を浴びながらユーリイは笑う。

「そろそろ無重力(ゼロ)に達する頃合いでしょうか。完全に重力から見放されたあなたたちは、いずれ空中に囚われる。そして、それに対する抵抗には僕のこの手で……ひとつずつ対処します」

 その身体を雨粒が流れる。そして、ユーリイの身体もまたその重みを失っていく。

「あなたたちにとって重力は足場です。でも僕にとっては……無重力こそが足場なんですよ」

 叩きつける雨に体重を洗い流されるユーリイが、閉じて畳んだ傘を剣のように構える。左腕の十字を象った紋章が光り、その足元が山吹色の長靴に覆われる。

「【劣級歩行 ウォーキッカ】、《ウォーク》」

 ユーリイが空中へと飛び上がる。そして上方、()()()()()()ユーリイが相対する彼らへと反転して突撃した。

 

 ◇◆◇

 

 □■冶金都市地下施設・居住ブロック

 

「<超級>を?」

 メアリーは強ばった顔で繰り返した。壮大な計画だ、なにより、そのアイデアが。

「そんなこと……」

 不可能だ。仮に<超級エンブリオ>を作れるなら、その<エンブリオ>はすなわち、<超級>と同じ力を持つことになる。実質的に進化を飛び越えるに等しい、あり得ない理論だ。

 だというのに、ウーは眉ひとつ動かさず、自信ありげに続けた。

「……我がエキドナは、<劣級>を創造することができる」

 その言葉と同時、両手の白手袋が鈍く煌めく。それこそがウーのエルダーアームズ、エキドナだ。

「正確には、捧げたリソースをコストとして<劣級>に変換、凝縮、固定……必要となるリソースは膨大、さらに完成した<劣級>の出力の上限……制約は多い」

 それはエキドナの《神髄凝集(ダンシェン)》そのものに組み込まれた制限だ。いかに捧げるリソースを増やそうとも、錬成される<劣級>は下級相当が絶対的な限界。それ以上はどれ程のコストを費やしても叶わない。

「コストって?」

 メアリーは尋ねる。嫌な予感を抱きながら。

「何を捧げるっていうの?」

「神話級金属などの高リソース物が基本だ……数値の上ではな。加えて、『生命』……犠牲を捧げる必要もある。つまり、ティアンの屠殺だな」

 生贄は必須だ。生命は高密度のリソースを含んでいる。それが無機質なエネルギーを<劣級>へと励起するトリガーになる。

「そう、それこそが我が計画の要だよ」

 ウーは絶句するメアリーを愉快そうに眺める。

「通常のスキルプログラムに含有される制限を外すことは、我がエキドナの必殺スキルをもってすれば可能だ。そして、大量の生命を捧げることでその器を満たす……第七形態相当の<劣級(レッサー)>を錬成する」

 唇が愉悦に歪む。その目が理想家の熱を帯びる。

「なぜこの都市を制圧したと思う?その全て、我がエキドナの供物とするためだ。都市ひとつ分のリソースは<超級>……あるいは()()()()()をも望み得る可能性をもたらしてくれる!」

 その理論は、凄みと悪辣さをもってメアリーを圧倒した。都市ひとつ、ひしめく人口を滅ぼすというアイデアは、それだけの重みがある。

「……なんでそこまでして?」

 だから、メアリーの口から出たのは純粋な疑義だった。

「ティアンに恨みでもあるっていうの?」

 常人の神経なら、そんな所業をもってしてまで果たしたい目的などない。あるはずがない。

 だが、狂人はそれを一笑に付す。

「恨み?恨みか、そんなものはないとも。あるはずがない、顔も知らない他人に恨みなどどうして抱ける?」

 ウーが掌を広げる。

「わたしは欲しいのだよ、<超級エンブリオ>が。無いなら造る、当然の帰結だ、そのためのコストは惜しみ無く支払う。そしてこの計画が成功したとき、わたしは<超級>を量産できるという証明を手にすることになる……」

 それは大きな意味をもつ事実だ。

「いずれ<超級>になりたいと願う<マスター>もすべからくわたしに額づくことになるだろう。それを求める輩などいくらでもいる……些事だがね」

 そう言いきるウーにメアリーは目を瞬かせる。だが事実、彼にとっては些事だ。自身の<エンブリオ>を持つ<マスター>連中に<超級エンブリオ>を与えてやることは、あくまでも寄り道に過ぎない。ウーの本当の目的は別にある。

「……あなたが本当に狙っているのは、ティアンなんだね」

 メアリーがおぞましいものを見るような目で呟く。ウーはその視線を受け止め、言った。

「あぁ。<マスター>……<エンブリオ>の存在が彼らに与えた衝撃は大きい。ましてや<超級>ともなればこぞって彼らはそれを求めるだろう……最近、傍証を得たばかりだ」

 そう、<マスター>は特別だ。世界に愛されている。それは一度きりの命を懸命に生きるティアンにとってはどう映るだろうか?

「信頼?羨望?崇拝?畏怖?軽蔑?あるいは……憎悪か?わたしはその全てを満たしてやれる。この世界のティアンは我が掌の上で<エンブリオ>を得られるだろう」

 それは、言ってしまえば神の在り方だ。<エンブリオ>という恵みを以て、彼はこの世界に君臨する。力や恐怖ではなく、人々の欲望がそう願うゆえに。

「理解できただろう?貴様は神の側仕えとしての地位を得ることが出来る。あの下劣な、ティアンを人とも思わない犯罪者の彼奴らとは違う、貴様だからこそ、我が軍門に下る意味が分かる筈だ……!さぁ、誓え!わたしに従うと!」

 ウーが鋭く告げる。メアリーは戒められた両手に目を落とし、黒い枷を眺めた。そして顔が上がる。その瞳がウーを見つめ、唇が動く。

「お断り!」

 メアリーが苛烈な気配を纏う。

 

 次の瞬間、紋章から出現したアシュヴィンが両の拳で【教授(プロフェッサー)】ウーの身体を押し潰した。

 

 轟音と共に空気がはぜる。

「強制的に【契約書】と同じ術で脱出を禁止する枷。確かに強いけど、強すぎる。だから、『脱出』しか縛れない……」

 メアリーの付けられた拘束具の弱点がそれだ。強制力ゆえに柔軟性に欠けること。

「お生憎様!逃げる気はないよ、これは単にあなたを攻撃しただけだもん!脱出のためじゃないからね」

 それが行えていることが、メアリーの正直さを明朗に証明している。逃走も脱出も意図していない、純粋な暴力は契約をすり抜けてウーに炸裂した。不人気な道具には、不人気な理由がある。

「それに、あなたの計画って無茶苦茶じゃん?ティアンに<超級エンブリオ>を売るなんて……絶対に無理だよ」

 メアリーが冥土の土産とばかりに言う。

「同じティアンを虐殺しないと作れないものを、ティアンが喜ぶわけないでしょ!」

 唾棄するようなニュアンスを言外に匂わせて、メアリーはベッドから立ち上がった。用は済んだ。ボスを圧死体にされた敵はすぐに瓦解するだろう。その意識が“自害”コマンドを実行しようとし……

「……愚かしいな」

左腕(レフト)のアシュヴィンが吹き飛ばされた。

「……!?」

 メアリーが驚愕する。それに呼応して右腕(ライト)が手刀の形を振り下ろし……

「だが、愚かな女というのは悪くない。どちらかと言えば、理性的な女は嫌いでね」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「うっそ……」

 メアリーが呻く。その瞳には、既に《看破》の力が宿っている。

 見えていた。何の隠蔽も働いていない、【教授】ーー非戦闘職の典型的な肉体ステータスが。

 貧弱なSTR、脆弱なEND、惰弱なAGI。曲がりなりにも戦闘タイプのメアリーとは天と地の差がある。当然、アシュヴィンとも。

「ティアンが同じティアンを犠牲にするはずがないと?いやはや、傑作のジョークだ。ユーモアとしては百点だよ」

 ウーが嗤う。その弱々しい筈の掌が、アシュヴィンの膂力を容易く押し破り、部屋の壁へと吹き飛ばした。

「くっ……!」 

 メアリーが踏み込む。AGIで遥かに勝る彼女の拳が、囚われた枷の範囲とは言えど、【教授】ごときには捉えられる筈もない速度で迫る。

 それを、ウーは容易く躱した。技術ではない、純粋な速度で。A()G()I()()()()()()()()()()()()()()()()

「ティアンは人間だ。わたしは彼らの人間性をこの上なく信じている……」

 ウーの足が閃く。その鋭い蹴りはメアリーを再び古ぼけたベッドへと叩きつけた。

「そう、人間だ。自らの意思で、同じ人間を犠牲にすることこそ人間の本質だ。何故か分かるかね?」

 空っぽになった肺で喘ぐメアリーを、ウーが見下ろす。

「人類という枠は()()には大きすぎる。もしくは狭すぎるのか……人は常に目に見える区切りを抱えて争う。家族、友人、隣人、民族、宗教……そしてあるいは、国家だ」

 メアリーがウーを睨む。その瞳を受け止めるウーの目は、まるでガラス玉のようだった。

「正義のために、愛のために、同じ人間すら殺せるのが人間だ。ティアンは紛れもなく人間だよ。彼らの敵を滅ぼすため、彼らは彼らの敵を捧げるだろう、この上なく合理的じゃないか。ドライフがアルターに何をやっていると思う?カルディナをグランバロアがどう見ていると思う?」

 そして、それを助けるのが彼、ウーの<劣級(レッサー)エンブリオ>だ。倒すべき敵、慈しむべき同胞、それらすべてのために人々は争うだろう。その均衡を崩すだけのトリガーは彼が与えてくれる。

「そう、ここカルディナは世界の火薬庫だ。恨みと欲望が渦巻き、それを許容する論理も持ち合わせている。実に都合がいい」

 火種さえあれば、必ず燃え盛る。その証明はつい最近、為されたばかりだ。そして転がり始めた戦争の炎はそう簡単には止まれない。

「戦果が戦果を生む、その方程式こそわたしが与える恵みだ。ティアンたちは喜んで受け入れるとも。<エンブリオ>をな」

 戦果が戦果を、戦火を、戦禍を……そして人々は守るために戦うだろう、乱世に抗うために立ち上がるだろう。(キング)将軍(ジェネラル)英雄(ヒーロー)も、おしなべて人殺しの称号だ。

 ウーの余裕そうな顔を、メアリーは下からねめつける。その唇が血を吐き出し、そして言葉を吐き捨てた。

「何が<エンブリオ>……だ……あんたの<劣級>なんて、ホントはただの、()()()()()()()の癖に……」

 

 ◇◆◇

 

 □■冶金都市グロークス・地上

 

 長雨は降り続いている。その領域は都市を呑み込み、すっぽりと覆い尽くしていた。その雨の権能、無重力の中をユーリイが跳ねる。

「《換装(イクスチェンジ)》・《アーマーピアサー》」

 空中を蹴って、長靴の少年が反転する。その傘の石突、銃口が光り、放たれた徹甲弾がグリゴリオの建造した塩の傘の支柱をへし折った。

「雨を避ける試みは無駄だと通告した筈です、その為に僕が前線にいるのですから」

 ユーリイが隠れていないのは、ひとえに個別の事態に対処するために他ならない。無重力の雨ーー彼の<エンブリオ>、【天上天下 アイテール】の能力は、罠として完璧に機能している。

「いちいちたかが雨を気に止めるやつなんていない、僕らも……すでに、完全に、どうしようもなく術中に嵌まったってわけか」

 雨天、その中空でぼんやりと漂うAFXが呟く。その手は虚しく空を掻いていた。

 ユーリイの蹴りを食らって上空に投げ出された結果だ。引き留める重力なしには止まることすら難しい。不用意な運動ベクトルが体を回転させ、降りしきる雨はどんどんと体重を奪う。そう、今やーー

「マイナスか……もう重りがないね」

AFXだけではない。彼らの体重はみなマイナス域に突入していた。

 先だってグリゴリオが行った、アイテムボックス内の重量物による降下は、付近の全員が目撃している。模倣を試みたものも大勢いる。

 だが、その方法は既に難しい。ゆっくりと上空に向かうのを緩める程度のものしか残ってはいない。

「雨に打たれた無生物までが重量を失うのは想定外だったなぁ」

 アイテムボックス内部に仕舞われていたものは、外に出て雨を受けた途端に重量を奪われ始めていた。おそらくユーリイの能力対象に設定されているのが、『<マスター>と装備品』なのだろう。手持ちの重いものは全て使い果たしてしまった。

 加えて、メドラウトが機能していない。共通点に応じて敵の攻撃を減衰する筈のルールは、今や超常の雨にすり抜けられている。

 体重を減らす。見方を変えればそれは強化、支援(バフ)だ。重力の制約を離れて溺れているのは、ひとえにAFXの足が空を踏めないことに責任がある。ゆえに、メドラウトでは無重力(ゼロ)までは防げない。もっとも、マイナス域に達してからは負の加重、多少抗してはいるものの、焼け石に水だ。遠からず、マイナスの体重が致命的な重さになる。

 

 空へ落ちる。

 

 それは幻想的であり、同時に恐ろしい体験だった。見上げるべき空は視点を変えた途端、無限の奈落へと変わる。そして、掴まるべきものは何もない。受け止めてくれる大地はない。

 そして<マスター>本体を倒すのもまた難しい。銃を撃てば反動で飛んでいくような状態だ。ましてやユーリイはそう簡単に当たってくれはしない。

 準<超級>、典型的な広域制圧型の猛者。倒す道筋は思い付かなかった。なにせ非戦闘職の癖して、妙に格闘も強いのだ。

(やっぱりあれは……そうなると反則臭いな)

 実を言えば、地上へ降りる手段はある。AFXにしか使えない手だが、確実な手段だ。

(けど、やれるのは多分一回だ。それ以上はストックが怪しいし、絶対に目をつけられる)

 奇襲で確実に沈めなければいけない。幸いなことにユーリイのENDは低い。当てられればダメージは通るだろうが、まず間違いなく【ブローチ】がある。二撃は最低限必須、ゆえに動けない。

「好機を待つしかないな」

 そう、待つしかない。時間切れになる前に来るかどうかは分からないが。

 

 ◇◆

 

 グリゴリオとシマは未だ地上にいた。状況は芳しくはなかったのだが。

 他人の家に踏み込んで屋内戦に持ち込む目論見は、外からの一方的な爆撃で破綻した。塩で作った覆いは容易く砕かれてしまった。更に言えば、変形させられる塩結晶はもうない。

 そして、一発でも攻撃をもらえばその運動エネルギーは彼らを容赦なく空へ放逐するだろう。そうなれば無重力に……いや、マイナスの重力に溺れて死ぬ。

「流石に成層圏まで()()()ってことはないと思いたいねェ……」

 シマが呟く。その刀がきらりと光る。そして、刀にユーリイの影が映った。

「……ッ!」

 鋭い呼気と共に二人が飛びすさる。建物の壁を蹴って軌道を殺す。

 少しでも漫然とした動きをとれば、空中で移動できるユーリイに追い付かれる。ゆえに、一瞬たりとも気は抜けない。

「半ば無差別の重力低下……それを長靴の能力で一方的なメリットに変えている。惚れ惚れするようなシナジーだなァ、おい!」

 吐き捨てるグリゴリオ。その背後で跳躍しながら、ユーリイは楽しげに言った。

「当然です。僕のウォーキッカは<劣級>第一号。他の人間とは年季が違う。戦術は完成の域にある!」

 空を歩く<劣級(レッサー)>、重力の枷を外す雨。その複合戦術はまさに必殺、一方的な戦場を顕現させられる。

「ふふふ……はは、これこそがオーナーの、偉大なる力!あの人のカリスマの現れ、<劣級エンブリオ>!恭順以外の選択肢はありませんよ?」

 少しだけ、その慇懃さが割れて熱が覗く。だが、グリゴリオもまた、その熱に相乗りするように言った。

「よく言うぜ、偉大なる力?カリスマ?ペテン師のくせに」

 その侮辱にユーリイの動きが止まる。アパートの歪んだ壁に張り付きながらグリゴリオは続けた。

 

「てめーらの<劣級(レッサー)エンブリオ>、正体は単なる非人間範疇生物(モンスター)……寄生生物だ。そうだろ?」

 

 時間が止まったようだった。あるいは無重力の海に漂っているのか。沈黙が雨音に溶けていく。それを破ったのは、シマの無邪気な呟きだった。

「どういうことだ?グリー」

 その両手がお手上げとばかりに揺れる。グリゴリオは再び口を開いた。

「こいつらの<劣級>は<エンブリオ>じゃねえ。根本的に別物……モンスターの一種だ。まるっきり別個の生物が体内に取り憑いてる、だから俺の《塩害条約(ソドム)》も効かなかった。あれは同時に一人しかターゲットにできないからな」

 グリゴリオが跳躍する。静止するユーリイに間合いを詰めながら、彼の言葉は続く。

「核を持つ寄生型は珍しくない。そして外に出てるのは言っちまえばトカゲの尻尾みたいなもんだ、壊されても核が無事なら直る。ご丁寧に各TYPE系列まで再現したらしいが……アームズやチャリオッツはそれっぽい形のモンスター、ガードナーは言わずもがな、テリトリーは非実体の……レイス系あたりをベースにしたか?ん?」

 ユーリイは心なしか顔を俯けていた。その髪を雨が流れ落ちる。

「<エンブリオ>を造るって言われれば大それた力だが、特徴だけ似せた寄生モンスターを造るってんならビビることはない。前例も山ほどあるだろ?有名どころなら、ドライフの【大教授】、それに<IF>の【魂売】あたりか。どうだ?」

 グリゴリオが眉を上げる。

「訂正があったら言えよ、【降水王(レインフォール)】」

 ユーリイが顔を上げる。その蒼白な顔面が能面のような無表情になり、そしてすぐさま笑顔に覆われる。

「驚き……とは言えませんね。露出させた以上推測され得るのは当然の可能性でしたから。ええ、想定内ですよ」

 ユーリイは鷹揚さをアピールするように両手を広げた。降り注ぐ雨がその掌を流れている。

「あなたも僕も、オーナーの思想を真に理解するには時が足りない……未だ、無機質な言葉で知ることしか出来ない」

 ユーリイが再び傘を順手に構える。その石突がグリゴリオを鋭く指す。

「それで、この状況のほうはどう対処するおつもりで?」

 超級職の準<超級(スペリオル)>を前に、彼らに勝ち筋などない。その傘は雄弁にそう告げていた。だが、意に介さずとばかりにシマが笑う。

「キヒヒ、どう対処すると思うよ?」

 ユーリイが目を細める。シマが嘲るように両手をはためかせる。

 

 そう、空の両手を。

 

(双刀(エンブリオ)はどこに……!)

 不審を察したユーリイが腰を落とし、間合いを空けようとする。そしてシマが口を開く。

「何のために『お喋り』したと思ってんだ?もう遅い……《大同小異(エビングハウス)》」

 その言葉は途中で風の音に呑まれた。激しい雨音もまた、渦巻く風に呑まれていく。

 エビングハウスの能力は、斬った切り口を起点とした膨張と収縮。そして《大同小異(エビングハウス)》はそれをさらに拡大する。

 固体から気体へ、刃傷から接触へ。刀の輪郭すら霧散して、遍在する大気へと能力が発揮されるのだ。

 膨張と収縮。プラスマイナスの矛盾が空気へ指向性を与え……

「これは……竜巻!」

 暴走する気流は渦を巻き、ユーリイを中心に咆哮した。これこそがエビングハウスの奥の手。発動待機時間は長く、中心座標を指定する必要もある。効果は一瞬、にも関わらず前後で<エンブリオ>は使用不能に陥る。だが、裏を返せばそれだけのデメリットを載せた必殺技。その威力は凄まじく、

「く……!」

その渦中、ユーリイは木の葉のように翻弄される。荒ぶる風は、容易く【降水王】の【ブローチ】を砕き、地面へと叩きつけた。

「これしきで……!」

 だが、ユーリイは即座に立ち上がる。戦闘の場において思考を止めることは自殺に等しい。だから、

「……!?」

その次の瞬間、目の前に瞬間移動してきたAFXに驚愕したことは、彼にとって大きな隙になった。

 

◇◆

 

 好機をみてとったAFXの行動は素早いものだった。目的のものをアイテムボックスから取り出し、ついでに空になったそれを投げ捨てる。

 彼が片手に握る小さなものは、平凡な火属性魔法の【ジェム】だ。それは主の意思を受けて、即座に爆発する。その爆風は未だ致命的ではなかったマイナス重力に抗って、AFXを地上へと打ち上げた。余波で近くにいた<マスター>が明後日の方向に飛んでいくが、些細なことだ。

 AFX自身に、その爆風によるダメージはない。メドラウトの能力は共通点に比例したダメージの減衰だからだ。完全な同一、即ち自傷は完全に無効化される。

 爆風に乗って、【偵察隊】にとってすら速すぎるスピードで、AFXが飛ぶ。AGIをフル活用し、必死に標的を捉える。

 霞む速度の中で、狙うはユーリイただ一人。霧散した竜巻を通り抜けて、AFXが降着する。その位置は、ユーリイの正面。

(思った通り、隙を突かれないために背後を傘で守った!)

 つまり、正面は手すき。言葉を交わす余裕すらもなく、二人が向かい合う。

 純然たるAGIではAFXが有利。ゆえに、立ち上がりが同じならユーリイには防御は不可能。そもそも腕の速度が違うのだ。

「貰ったァ!」

 短剣が狙い過たず、【降水王】の喉を狙う。刃が音速にすら迫るスピードで閃く。

 完璧な連携だった。ここまで来ればユーリイに出来ることはない。彼の身体能力では対処の方法がない。

 

 そう、身体能力には。

 

「《天上(アイ)ーー」

 何故か嬉しげなユーリイの唇が静かに開き……

「《自由飛孔(バーニアン)》」

突如、瓦礫が爆発した。雨風を吹き飛ばして、超音速の一撃がAFXを地面へと叩きつける。まるで銃弾が防弾チョッキを殴るような鋭さで。

 それを成したのはユーリイではない。横合い、アパートの外壁下部を粉砕して突撃してきた攻撃だ。何かを言いかけていたユーリイがため息をつきながら言う。

「……あと少しで僕を巻き込むところでしたよ。わざとですか?」

「まずは感謝が先だろ、シュトラウス」

 ユーリイに答えるその声。この場に新しく出現したその声は、酷薄かつ愉しげだった。

「土下座でもしてみたらどうだい?貴重な体験だ、得るものは多いんじゃないの?」

 土煙が晴れ、突撃してきた()()が立ち上がる。

「ていうかさぁ、こんな雑魚相手に追い詰められてる時点であり得ないよね。このゲーム辞めたら?」

 厚手のマント、右手を覆う機械腕。紅い目を描いた仮面が鈍く輝く。その風貌に、AFXは見覚えがあった。

「その仮面……!ミンコスの店の前にいた……」

 半ば地面に突き刺さったAFXが呟く。アパートを粉砕して現れた仮面の男は、愉快そうに首肯した。

「あぁ、なるほど、あの時のヤツか……結局『商人』は見つかった?」

「ご心配感謝するよ」

 AFXが地面から腰を引き抜く。一方、仮面の男はグリゴリオに顔を向けた。朗らかさのなかに棘のある言葉が響く。

「そんでもってもう一人、知った顔がいるなぁ……塩男。元気そうじゃないか」

「馴れ馴れしいぞ、“自殺(スーサイダー)”」

 グリゴリオが仏頂面で答える。その言葉に、シマが口を開けた。驚きゆえにだ。

「おいおい、それって……」

「“自殺(スーサイダー)”……ブラー。お前もクーデターの仲間だったとはなぁ……!」

 鋭い目のグリゴリオが吠える。AFXもまた緊張感を高めた。その名前には聞き覚えがある。カルディナで指名手配を受けていたーー

「ブラー……確か、準<超級>ーー」

「ーー“準”?」

 そして、一瞬にして加速したブラーの突撃が、AFXの胴を直撃する。肋の折れた感触にAFXが呻く。それを気にも留めず、ブラーは言った。

「へえ、嫌に丈夫だな……丁度いいサンドバッグになりそうだ」

「あーあ、いつも混ぜッ返すんですね、あなたは……」

 その後ろでユーリイが再び構える。もうさっきのような手は通じないと言わんばかりに。シマとグリゴリオも、思わず舌打ちでもしたい気分で戦闘態勢をとる。

 敵は準<超級>二人。戦局は圧倒的劣勢だった。切り札も残っていない。そしてふと、ユーリイが口を開く。

「寄生生物がどうとか言ってましたね……そんな指摘、無駄なことなんですよ。丸っきりね」

 

 ◇◆◇

 

 ■冶金都市地下施設

 

「<エンブリオ>がどうとか……寄生モンスターでもってそんなこと言ったところで響かないよ……あなたの計画は頓挫する、絶対に」

 メアリーが血を吐きながら言う。

「この事実はすぐに広まる。<マスター>の口は塞げないし、気づいたのはあたしだけでもない」

 <エンブリオ>が偽物であれば、ウーの言動はペテン師のそれに成り下がる。いかに題目を並べようと覆らない。

 だというのに、ウーは狼狽えない。動揺も戦慄もない。罪悪感や屈辱の欠片もない。

「寄生モンスター、なるほど。確かにそうだ。私の<劣級>はモンスターをベースに調整と改造を重ねた生命体だとも」

 ウーは口を噤まない。ためらわない。弟子に説諭する師のごとく。

「コア埋没部分への紋章刻印、《鑑定眼》《看破》等への完全耐性、ランダムな能力特性の発現、(T)(Y)(P)(E)の模倣、コアを起点とした躯体の再構成機構……各必要能力を搭載し、<エンブリオ>を再現した。そこに偽りはない」

「ハッ!偽りはない?本物じゃないっていうおっきな嘘があるくせに!寄生モンスターなんて、誰も欲しがらないんだから!」

「では問うが」

 ウーが顔を傾ける。その様はどこか獲物を屠る蟷螂に似ていた。

「何をもって寄生生物と断じたのかね?」

「……あたしの全体治癒に反応があった」

 それはユーリイと戦った……ほぼ一方的に敗北したときのことだ。彼が使った<劣級>が、彼本人とは別に発光した。それはあのアームズ……長靴が、確固たる独立した生命であることを意味する。

「それに、グリゴリオさんも言ってたからね……別の命が取り憑いてるって」

 その言葉に、ウーは深く頷いた。

「理解した。つまり、区別できないほど同化していれば良いのだな?リソースは重いが、いずれは不可能でなくなるだろう」

「……どっちにしろ寄生虫じゃないの」

 メアリーが顔をしかめる。

「何だ?まだ要望があるのか?述べたまえ」

「要望じゃない、寄生モンスターなんていらないって言ってるんだってば!」

「だが、貴様は既に受容しているではないか」

 ウーが心底不思議そうに呟く。

「<エンブリオ>。それが寄生生物でない、とどうして言えるのかね?宿主に取り憑き、決して離れず、リソースを収集し成長する。寄生虫そのものではないか」

「……」

 沈黙する少女に、【教授(プロフェッサー)】は告げる。

「我が<劣級エンブリオ>族と<エンブリオ>を区別するものはなにもない。あるはずがない。任意の条件に於いて同じ能力、同じ特質を持つならそれは畢竟<エンブリオ>に他ならないからだ……例えば……」

 ウーが手を開く。その手の中、半透明の卵が煌めき、そして暗赤色の蝸牛がその身をくねらせて現れた。

「……上級のガードナーは概して、純竜に匹敵する性能を持つという。であれば、戦力の観点から見て、純竜を従えることは上級のガードナーを持つことに等しい。違うか?」

 蝸牛が殻を震わせ、水の塊を吐き出す。それが竜を象り、そして弾けて消えた。メアリーが口を開く。

「違う、だって……それは……」

「……貴様も理解しているはずだ」

 ウーが遮る。その唇が深く息を吐き、そして吸い込むことなく続けた。

「重要なのは結果だ。敵を殺すのに剣を、銃を、魔術を、あるいは奸計を。何を用いようと結果が同じならばそこに違いはない……ただ、人が<エンブリオ>に求めるのは力のみではなかったが」

 蝸牛が眼を伸ばす。その瞳がウーとメアリーを見つめ、涙を溢れさせた。涌き出す水が眼球を肥大させていく。

「重要なのは力の名前。それが<エンブリオ>であることだ。名は呼ばれるためにある。呼ばれればそこに意味が生まれる。力の桁は変わらずとも、人間はそこに力を見い出す。そう呼べるなら。たかが名前に、だ」

 蝸牛の<劣級(レッサー)>が核の中に消え、ウーが掌を閉じる。

「わたしはそれを笑わない。愚昧だとも思わない。だから、わたしは<エンブリオ>を売るものでいられるのだよ、パラダイス」

 水の匂いがした。それはすぐに消え、代わって鉄の臭いが微かに漂う。

「その真贋は結果によってのみ規定される。<エンブリオ>に期待されるそれと同じ結果をもたらすなら、それは本物だ」

 手袋ーーエキドナが鈍く光る。メアリーはそれに目をやり、粘りつく沈黙に沈んだ。《真偽判定》は何も告げなかった。

「……で、だから仲間になれ、って?」

 そして、穿つような声音がウーを牽制する。

「いくら理屈を捏ねても、あたしはあなたの仲間にはならない。<劣級>もいらない。崇拝も欲しくない」

「あぁ、崇拝は私も要らないな」

「寄生虫は嫌。戦争も嫌。あんたは説得が下手!」

 メアリーが歯を剥き出して叫ぶ。その全身に漲る拒絶の意思がギシギシと枷を揺らした。ウーは懐から羽ペンを取り出した。

「では、こうしようか。今後私が直接的にせよ間接的にせよ殺すであろうティアン、そのうち一万人を貴様に所有する権利を与える」

 羽ペンが帳面の上を走る。青いインクがメアリーの知らない文字を記していた。

「選別は貴様の自由だ。あぁ勿論、その一部が()()()()()場合には他で釣り合いをとることも可能とする」

「……あたしは奴隷もいらない」

 心底軽蔑しきった声でメアリーが言う。ウーの羽ペンが止まった。

「であれば、この一万人は死ぬことになる」

 ウーの瞳が猛禽のそれのように少女の顔を捉える。その瞳孔が夜の猫のように開く。

「将来私が消費する人命だ。貴様に選ばれなかったものは極めて効率的にリソースへと変換される。効率的にな」

 ペンと帳面が消失する。エキドナが蠢く。

「理解できるかね?貴様は今一万人を殺したのだ。今一度問う。我が配下となるかね?」

「あたしは……!」

 メアリーの眼は憤りに燃えていた。

「……あたしは、配下になんか!」

「一万人が死んだぞ」

 ウーが言い捨てる。その手が肘掛けを掴み、男は立ち上がった。

「既に結果は決まっている。逡巡と答え合わせの時間を与えよう。それが済んだなら、わたしに恭順しろ」

 扉が閉まる。蝶番が一瞬、断末魔のような金切り声を上げた。

 

 To be continued



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第十一話 準ずるもの・殉ずるもの

 ■【降水王】ユーリイ・シュトラウス

 

 準<超級>と呼ばれる者達がいる。第七形態への進化こそ叶わないまま、それでも<超級>に準ずる強さを得た……とみなされる人間だ。超級職や<上級エンブリオ>、戦闘力の主たる要素は様々だが、たったひとつ、共通することがある。

 彼らは決して二番手ではない。至高の<超級>との違いは単なる進化段階の差に過ぎない。むしろ明確な指標が存在しないなか、その戦力のみを以てその名を世に知らしめる、そう、彼らはーーーー

「紛れもなく、強者……」

ユーリイはブラーをーー空を駆け抜ける暴力的流星をーー見上げて呟いた。その様は準<超級>と呼ぶにふさわしいものだ。強力でピーキーな<エンブリオ>の賜物だろう。

 彼自身は違う。ユーリイに言わせれば、彼は弱者だった。超級職は非戦闘用、<エンブリオ>の能力は貧弱も良いところだ。

「羨ましいですよ、あなた方が」

 その瞳が敵と、今のところ敵ではない彼を映す。

「塩の攻撃……」

 グリゴリオが跳躍し、その鉈を振り下ろす。動きは用心深く、常に反撃を警戒している。

「物体の膨張と、収縮」

 シマが走る。その両手には再出現したのだろう刀が握られ、その刃は斬ったものを歪めていた。瓦礫が飛び散る。

「そして、自分の強化……でしょうか」

 視線の先。AFXがブラーの超音速突撃に撥ね飛ばされていた。いたぶっているのだろう、無重力によって飛びすぎないよう角度を付けている。

 あの攻撃を受けてAGI型が即死しないのはかなりの強化具合だ。おそらくはなにか特殊な外部コストを持ち合わせている、とユーリイは推測する。

 それを一方的に弄べるブラーの能力もまた凄まじい。速度に特化した飛行能力は純然たるエネルギーだけで全てを追い越せる。

「どれも強力な能力特性ですよ、本当に……だからこそ、度しがたい」

 それほどに恵まれた力を、可能性を、人間としての大きさを与えられてなぜ……

「なぜ……僕のような凡人に敗北するのか!」

 ユーリイが踏み込む。その右手の傘がグリゴリオの()()()()()を容易く捉え、天空方向へと放逐する。

 そして、ユーリイは傘を後ろへ向け、振り向くことなく広げた。その盾は過つことなくシマの剣筋を受け止める。そんな攻撃、簡単に読める。

「《クラスター・バン》」

 その体勢のまま、石突が対人拡散弾を吐き捨てる。その弾幕は回避したシマの右半身を掠め、安直な考えで背後の物陰に隠れていたカークを牽制した。

「本当に、分かりませんよ、僕には。僕のような、何も持ち合わせていない平凡な人間が努力を重ねる間、あなた方は恵まれた力に胡座をかいていた。こちらでも、あちらでも、同じことです。恥ずかしくはないんですかね」

 その顔は変わらず笑顔だった。限りなく柔和な微笑みだった。だが、目尻の皺に、口元のへこみに、どこか恥じるような色が浮かぶ。

 感情を揺さぶられ過ぎた。それは隙であり怠慢だ。正負を問わず、心は律されねばならない。それが人の、理性の本懐であるがゆえに。

 強者は君臨するものだ。そうあれかしと、ユーリイは自らに定める。だが、既に綻びは微かな音を立て始めていた。

「……平凡な、か?随分な皮肉だな。都市ひとつ呑み込める広域制圧型の何処が平凡だよ……おまけに、個人の戦闘力も申し分ない」

 グリゴリオが上から文句を付けた。カークの蔦を掴むその手が身体を手繰り寄せる。

「そう、申し分ない。【降水王】……雨乞系統が、だ。お前、そういうことだな?」

 グリゴリオの顔が忌々しげに歪む。サブで補助してはいるのだろうが、それにしても強い。ならば、そういうことだ。

「反則だぜ……リアルから持ってきた技術なんてよォ!」

 言葉と共に地面へと降り立つ、その瞬間に鉈が閃く。それを唾棄するような眼で見やりつつ、ユーリイは笑顔を崩さなかった。

「鍛練を積みましたから」

 それは自負だ。彼が故国にて重ねた近接戦闘訓練の数々は、今でも容易く思い出せる。身体(アバター)を替えても思考に染み付いている。

「あなたも場慣れしている、認めましょう。喧嘩術としては大したものです……でも、それは所詮我流でしかない」

 ユーリイはゆっくりと歩を進めた。その一歩一歩にどれ程の判断と思考が込められているか、眼前の彼らには理解すら及ばないのだ。

「僕が訓練を始めてから十八年、こちらの時間を考えれば二十一年が経ちます。なにぶん非才の身、技は進歩しなくなって久しいですが、それでも得られたものはある……きちんと体系化された理論を基に目的意識を持って積み重ねた技術は、素人の闇雲な、六年そこらくらいの実践で上回れるものじゃないんですよ」

 そう、ユーリイに武の才能はない。一欠片もない。肩を並べたものたちは自分より遥かに強く、洗練されていた。もっともその多くは既に死んでいるか、その道を離れたのだが。

 ただ、費やした時間は裏切らない。その一点において、彼は自分を誇ることができた。そして、その修練はこの世界において乗算を結実させたのだ。

「この肉体は地球よりずっと強い……相対的には、ですが。あなた方のような雑な操縦では余りにも……その真価を活かせない」

 それは憎悪だった。時間という平等な資産さえ無為に食い潰す彼らへの。あまつさえ、自我の発露たる<エンブリオ>など、漫然と振るうだけ。それはあまりにも、あまりにも……怠慢だ。

 

 彼の<エンブリオ>、アイテールの能力は、こんなにも弱いと言うのに。

 

「なのに、何故、僕は準<超級>なんでしょうね……」

 

 ◆

 

 雨は都市を覆い、触れたものを空へ浮かべていた。問答無用の無重力、強者の戦術だと人は言うだろう。

 それはその通りだ。彼の“雨”は強力無比な戦法だった。だが、それを構成するひとつ、彼のアイテールそのものは……或いは、最弱の<上級エンブリオ>と言っても過言ではないかもしれない。

 【天上天下 アイテール】。TYPEはルール・ワールド、その能力は重力の低減。そして、発動条件は『触れる』ことだ。

 素手である必要はない。剣や槍を用いることは構わないし、ダメージも必要ない。魔法を当てても発動する。常時発動型の法則が彼の行動をすべて変質させるのだ。加えて、能力の発動はフレキシブルにコントロールでき、対象やタイミングは自由自在。前もって特定個人を除外したり、その逆であっても可能だ。

 ただし……出力は極めて貧弱である。一回の接触につき、減らせる『重さ』はせいぜい……0.0001%といったところだろうか。たとえ一万発重ねても知覚すらされない。砂漠をティースプーンで掬うようなものだ。とてもとても、実戦で使い物にはならない。そして、それ以外ではなんの役にも立たない。

 仮に接触回数を増やせても、生半可なそれは相手を利するだけだ。身体を軽くすれば、動きは速くなる。圧倒的に減らせないのなら、使わない方がましなのだ。現にユーリイ自身も、自らの<エンブリオ>を戦闘に用いたことはほぼなかった。彼の格闘センスを活かすため、当然の帰結として前衛系の職に就き、そしてそれのみでそこそこの強さを手に入れた。

 速度型の格闘タイプだとして、一回の戦闘で相手に叩き込める攻撃は何発だろうか。数十発?数百発?その程度では、アイテールは役に立たない。リソースを腐らせる日々は長く続き、彼の心もまた腐っていった。

 

 そして、彼は【雨乞(レインメーカー)】に出会った。

 

 【雨乞】は文字通り、雨を降らすことを得手とする下級職だ。そして戦闘能力は一切存在しない。降らせる雨は本当に自然現象の域を出ない雨であり、『ダメージ』などという軽薄な言葉とは無縁のものだ。

 【蒼海術師】などとの違いがそれだ。この雨は嵐ではない。災害ではない。水の魔術でこそあれ、攻撃ではない。煩雑な下準備を必要とし、場所は基本的に固定され、魔力(MP)のコスト効率は低い。代わりに持続時間と規模に優れるが、とはいえ単なる雨だ。

 しかし、被弾ではあった。

 降りしきる雨の一粒一粒、それは一回一回の“接触”だ。たとえダメージなどなくとも、それは独立した物体だった。

 雨に打たれて死ぬ人間などいない。戦闘中に傘を差す人間などいない。そのことは、アイテールにとってプラスに働いた。能力が知れ渡ってからも、降る雨を全て警戒してはいられない。絶対的先制攻撃がここに成立する。

 では、天から降る雨粒の数を数えられるだろうか?無数の雨は、少しずつ、少しずつ“重さ”を奪っていく。重力加速度を削っていく。ティースプーンの一掬いとはいえ、無数であれば砂漠をも掘り起こすのだ。そしていずれ無重力(ゼロ)をも……突破する。

 こうして、彼は広域制圧型の準<超級>に至った。【降水王(キング・オブ・レインフォール)】に就いた今では、もたらす雨の規模はさらなる超広域に広がり、降雨の制御も可能となった。こうして都市を呑み込み、短時間での断続的発動も出来る程に。

 

 ◆

 

 実を言えば、ユーリイは嫌いだった。自らの<エンブリオ>が。

 それはユーリイ自身の心の表れだった。幾度となく接触を、命中を重ねて漸く結果が出る能力……まさしく彼の弱さを表出させている。

 信じられないのだ、たった一発で何かが変わるなどとは。だから回数を重ねて、重ねて……無数でなければ安心できない。自分を信じられない。かつて才能に乏しい身体で訓練に励んだように、苦痛なしに達成を欲せられない。都合のいい夢を見ることができない。それは現実主義者の臆病さだ。

 周りでは多種多様な<エンブリオ>が雑な力を振るう。彼らのように、大雑把な能力を使えたら、馬鹿になれたらと何度思ったことか。自分を過信することすら彼には出来ないのだ。自分勝手な自由は眩しく、厭わしい。一歩踏み出したい。愚か者のように、あるいは……英雄のように。けれど、彼の積み重ねた堅実さはそれを許さない。

 なんのことはない、彼を凡人にしたのは彼自身だ。それを分かっているから、見せつけられるから、なおのこと彼はアイテールを好きになれないのだった。

「それが今や、この有り様ですか……なんて醜い」

 そして、ユーリイが傘を振るう。動きの芯を捉えた一閃は、シマの脚を強く打ち、転倒させた。路面に手を突く彼の後頭部をユーリイが蹴り飛ばす。

 彼のAGIは【疾風剣士】のそれよりは低いものの、自分より速い相手であっても動きを予測すれば避けられる。そして、回避が最も難しい位置に攻撃を置けば当てることも不可能ではない。ステータスの差は技術が埋めてくれる。

 だが、埋めきれない差というものもあるのは事実だった。

 一瞬、轟音と暴風が沸き起こり、そして流星が通り抜ける。AFXがぼろ雑巾のように建物に激突し、反動で空中を流れていく。

「他所でやってはくれませんか、ブラーさん」

聴こえないだろうとは思いつつ、ユーリイは言った。あの攻撃を食らえばさすがに不味い。避けるのも容易くはない。

「……つまり、そういうことですよね、それ」

 気遣いはしない。味方だと思うな。その立ち回りは雄弁なまでにそれを物語っていた。

 ならば、彼もまた遠慮はしない。

「お互い、フリーにやりましょう。準……おっと、僕らのようなレベルの戦力をひとつところに集中させるのは非効率的ですが……まぁ、それは僕のほうで調整しますよ」

 ユーリイが地面を蹴る。大空を泳ぐ少年は、滑らかな動きで浮き上がり、街を見下ろした。

()()()()()()を鑑みれば、これに影響は出ない筈ですが、一応様子を見ましょうか」

 その手が傘を構える。その傘も当然、単なる装備ではない。各所に内蔵された武装は、職人の手で造られたものではなく、あくまで世界に形成されたものだ。

 【重武装砲門傘 エシ】ーー古代伝説級の特典武具。かつては超重武装の暴走兵器ゴーレムだった仕込傘だ。あらゆる部分に兵器を搭載し、MPを消費して発射できる。本来、そのMPの全てを雨に捧げる雨乞系統とは併用不可能な武器だが……問題はない。

 【降水王】の奥義は《慈雨(アクエリアス)》。自分の雨の一粒一粒に触れる度、MPを少しだけ回復する。回収率にして、およそ四割。自らの雨の中にいる限り、MP切れは遠い。

「そういえば、ブラーさんも手に入れたようですね……いやはや、追い付かれちゃったなぁ」

 そして、エシの武装は様々だ。副砲、牽制……殆どはそれほど強力ではないが、中には主武装たる兵器も存在する。

 石突がカチリと音を立て、内部で駆動音が唸る。狙いは地上、カークの鳥による妨害射撃を考慮して、少し照準をずらす。

「《換装》・《M=GAS(ガス)弾頭》、撃て」

 銃口が吠える。地上へと音速で突き刺さったその弾頭は、着弾ののち即破裂して、その中身を撒き散らす。そう、猛毒ガスの中身を。

 灰色の煙が渦を巻き、街並みの隙間を流れていく。これこそがエシの主砲、《M=GAS弾頭》。触れた生物を【石化】する毒ガス兵器である。

 これにはティアンも<マスター>もない。手足が固まり、表面から石になる。根源たる特典武具の多機能性ゆえにその進行は遅いが、しかし着実に皮膚から肉へ、骨へ。【石化】の能力が広がっていく。

 しかも、一発では済まさない。二発、三発……ガス兵器が街に流れ込み、灰煙の海を広げていく。

 その光景に、小さな声でグリゴリオが悪態をついた。これで地上の領域は制限された。そして、市街地の上澄みは……

「僕のエリアですよ」

 アパルトメントの隙間をユーリイが走る。足が風を踏み、空気を蹴る。既に彼自身は無重力、上下すらない。絶対的正義たる彼自身の座標を中心に、世界が回る。

「ならよォ……!」

 シマもまた、走る。壁を伝い、跳躍を繰り返す。そして、その身体が足場を踏み外し、灰色のガスへと落ちる。

「……おや、迂闊ですか?」

 ユーリイが言う。だが、シマは空中でニヤリと笑った。その爪先が重たげなガスを掠め、運動ベクトルが反転する。

「重力はマイナスだ、誰かさんのお陰でな」

 空中。大空へ落ちるシマが刀を構え、()()のユーリイへと斬りかかる。

「食らえや!」

 反・自由落下の攻撃。だが、そんなものは所詮、曲芸の域を出ない。

「奇抜な思いつきはどこまで行っても悪手ですよ。基本を高いレベルで遵守することが『強さ』です」

 ユーリイが空中でバックステップを踏み、そして傘を居合のように振り抜く。

「……!」

「ですが、奇手で注意を引くのに合わせての背後からの攻撃。そのタイミングは評価しましょう」

 背後。グリゴリオが構えた鉈を弾かれて舌打ちをする。

「だが、触ったぜ」

 その軽い身体は反動で流されるが、得られたものもある。鉈での攻撃を受けたなら、

「《地塩土(ジエンド)》」

その物体は【塩化】する。

 ユーリイの傘。古代伝説級特典武具の一部が白く染まる。全体からすればほんの少しの欠片だが、それでも一は一だ。

「通じない訳じゃない……理不尽な相手よりよっぽどやりやすいさ。少しずつでも削っていけば、勝つのは俺たちだ」

「……ええ、そうですね」

 ユーリイが笑顔で踏み込む。

「僕より先に死ななければ、ですが」

 シマが剣を振るい、グリゴリオも鉈を叩きつける。だが、もう当たらない。

「防御が悪手と分かったのですから。受ける理由はない」

 ユーリイは馬鹿ではない。必ずしも戦闘に快楽を見いださない訳でもないが、敗北のリスクは侵さない。

「ゲームで勝つ方法を知ってますか?相手の攻撃を全部避けて、自分の攻撃を当てていけばいい」

 建物の間隙を飛び回りながら、ユーリイが言う。簡単な方程式だ。そして、ユーリイにはそれを可能にする戦闘技術がある。

 ユーリイは被弾しない。そして、雨を避けられなければユーリイの攻撃を避けたことにはならない。その調整は現場で行える。ならば、彼に敗北はない。

 それに、雨だけが彼の武器ではない。

「いつの間にか、マイナス重力にも慣れてきたようで」

 グリゴリオとシマの動きは見事なものだった。建築物の間を飛び回り、時にはお互いの身体をぶつけ合って運動ベクトルを操っている。ユーリイのアイテールを完全に逆利用してのけている。そう、

「……敵の能力を。まったく……」

実に、危機感がない。

「『グリゴリオ』『シマ・ストライプ』」

 ユーリイが呼び掛ける。その目が微かに落胆の色を見せる。右手を翳す。立てるのは、人差し指と中指。動く。つまみを回すように。

「《上昇方程式(オールライザー)》、一時解除」

 その瞬間、マイナスの体重は普段通りに戻る。慣れ親しんだ重力加速度が二人を包み込み……

「……では、さようなら(プロシシャーイ)」 

次の瞬間、無防備に落下した二人が【石化】の煙に墜落した。

 

 ◆

 

 □【偵察隊】AFX(エイフェックス)

 

 身体は浮いていた。あたりの風景がゆっくりと動いている。マイナス重力に侵された肉体は、空へゆっくりと沈もうとしていた。そして、大空の浅瀬で溺れる彼を襲うのは、空を泳ぐ鮫。

『《自由飛孔(バーニアン)》』

 仮面の準<超級>。その能力を、AFXは既に聞いて知っていた。

「……運動ベクトル累加による飛行。その反動は自前のENDで耐え、超音速の機動力で勝つ……だろ?」

 それは奇しくもAFXと似通った在り方だ。メドラウトによる防御と、自前のAGI。ただ一つ違うのは、

「《裏切りの矛(バトレ・パイク)》」

彼には、攻めの能力もある。

「人間。男。年齢。身長。<マスター>……あの雪女よりは、ましだ!」

 空中で、短剣を振るう。ブラーの速度は大きいが、捉えられないほどではない。目の端に映るそれを頼りに、がむしゃらな刃が閃く。

 ブラーの攻撃は言ってしまえば体当たりだ。ダメージは基本的に物理的な衝突、そしてその肉体は自分から飛び込んでくる。場合によっては、それこそ“自殺”。

 折れた骨が軋む。薬瓶を噛み砕き、中身を嚥下する。だが、そんなことは払うに容易いコストだ。

「僕は、友達を助けにいくんだ……」

AFXが叫ぶ。

「だから、邪魔を、するなァ!」

 振り回す短剣がついに命中した。急停止したブラーの肩口から鮮血がぱっと飛び散り、その顔が怪訝そうに歪む。

「おいおい、僕のENDは四桁後半あるんだぜ?【盾巨人】を傷つけるなんて、そんなに強い短剣には見えなかったけどなぁ……」

 それはメドラウトの特性だ。共通点によってこれほどに攻撃をしのげるなら、同等の関数をもって攻撃力も強化される。背信定理は揺るがない。

 されど、限界はある。

「《サウザンドシャッター》」

 青い光がブラーを覆う。短剣が砕け、刃の欠片にAFXは顔を背けた。そしてブラーの右腕、機械の腕装甲(マシン・アーム)がAFXの右肩を掴み、締め上げる。

「……攻撃力と防御力の強化、妙に強い……なんか面白い能力してそうだけど、ま、僕には敵わないね」

「準<超級>なんて言われて調子に乗って……!」

「……ッ!侮辱だなぁ、それは!」

 ブラーが歯を食いしばる。<超級>の代用品よろしく呼ばれることなど、彼にとっては賛辞でもなんでもない。その怒り顔はすぐに、嗜虐的な微笑みへと変わる。

「……そうだ、丁度良い、新技の実験台が欲しかったんだ」

 AFXは相当に打たれ強い。サンドバッグには絶好の人材だ。ブラーの背中で、バーニアが炎をちらつかせる。

 彼の<エンブリオ>、アシュトレトは出力に優れた能力だ。ゆえにテクニカルな戦法は得意とするところではないが、アイデア次第でやりようはある。精密動作性を欠いていても、大雑把な動きは出来る。

「頼むからさぁ、こんなもんで死ぬなよ……?」

 そして、運動エネルギーが即座に膨れ上がった。視界が擦りきれて色の線になる。噴煙が炸裂し、風が爆発する。AFXの身体が空気抵抗に晒されて轟音を鳴らす。

 二人は上空へと超音速で飛翔した。雨雲がどんどんと近くなり、雨粒さえもが相対速度の力で鉛玉のような硬さを帯びる。

「普通の飛行は、点だ」

 ブラーが不意に呟いた。断続的な爆風に言葉が砕けていく。

「運動ベクトルは全て、僕という点を移動させるためにある」

 旋回。直進。停止。それは、ブラーという“点”を動かす力の発露だ。ゆえに、もう一歩先へ。彼を単なる点ではなく、体積を持つ立体として考えたとき、アシュトレトの戦術は進化する。

「点から線へ、面へ。有限の身体は、作用点から支点へと形を変える!」

 ブラーの両手が広がる。AFXを掴んだままの右腕、小さな盾を構えた左腕。その両腕に、バーニアがびっしりと現れた。

「刮目しろ……《自由飛慌(サイクロン)》」

 そして、アシュトレトが吠えた。運動エネルギーが解放され、ブラーの身体が速度を増す。

 ただし、方向(ベクトル)は直線ではない。

 広げた両腕のバーニア群が、互いに違う方向へ向いてエネルギーを吐く。炎と煙が風を汚す。相反するその軌跡は、すぐに妥協点を見つけ出した。

 それは……

「……回転!」

「正解だ、雑魚!」

 正反対のエネルギーが発現したとき、そのズレはブラーを中心に回転の動きを作り出す。普段であれば超音速飛行すら可能にするエネルギーだ。ゆえに、その回転もまた超音速。ソニックブームを撒き散らす渦巻きは、大気と雨を切り裂いて宙を舞う。高空の囚人たちがなす術もなく吹き飛んでいく。見えていた街が、大空が、雨雲が、地平線が、光の線に溶けていく。

 締め上げられたままのAFXは、その回転地獄をもろに食らっていた。遠心力と空気抵抗が身体を引き裂かんと暴れ狂う。全身の血液は外側へと流れ、意識が朦朧とし始める。

 ヒトの身体は、さながら血の詰まった革袋だ。振り回せば流れは片寄る。鬱血と痺れが末梢から広がり、命が壊れていく。

「一発で終わるいつものやつとは違う……これは、“続く”攻撃だ。お前ご自慢の耐性能力で、何秒堪えられるかなァ!」

 サイクロンの中心で、仮面の男が嗤う。

「人間やめてスムージーになれよ、雑魚!」

 メドラウトは完全な防御ではない。ダメージは積み重なっていく。毎秒ごとに、AFXの身体は引き裂かれていく。だが、

「ま……だ……だ!」

 まだ、終われない。

「ここ、で……死んで……いられるか!」

 友達を見捨てること、それは裏切りだ。そして、先に諦めてしまうことも。

 だから、悲観はしない。絶望もしない。そんな権利はない。足掻くことが、友情に報いるただ一つのーー

「ーー手段!」

 AFXの目が力を孕む。その指が鷹のように曲がり、

「……!?」

ブラーの喉を締め上げた。

「ハッ……それで?」

 だが、ブラーは平然と笑う。回る速度の渦中、互いに二人は向かい合った。

 【盾巨人(シールド・ジャイアント)】、それは硬さの名前。惰弱な指では、絞殺など夢のまた夢。

「忘れたか?ナイフだってかすり傷しかつけられなかった……ましてや素手で!」

 その嘲りに、AFXはどす黒い血を吐きながら答える。言葉ではない。ブラーに見えないよう伸ばした、もうひとつの掌で、だ。

 左手の絞撃は注意を引くための囮にすぎない。右手では、風圧と遠心力に骨が砕ける。そして、それこそが彼の、狙い。

「……!」

 外側に伸びた右手に引きずられて、ついに皮膚が裂け、骨がひしゃげる。飛び散る肉と血液が機械鎧を汚し……

「おいおい、マジかよ!」

右肩が粉砕される。血みどろの肉片とともに、AFXが機械鎧のアームをすり抜けた。その勢いのまま、遠心力が彼を地上へと放逐した。

 墜落した場所は、奇しくもさっきまでの通り。そしてそこには、ユーリイの【石化】ガスが充満している。目にも止まらぬ勢いで灰色の煙に突っ込んだAFXを、天空からブラーは見下ろした。

「無茶苦茶だよ……うわ、なんか垂れてる、キタナいな、もう」

 黄色と緋色の肉を振り払い、ブラーが着地する。そのバーニアが暴風を吐き出し、ガスを押し退ける。

 ゆっくりと浮き上がりつつ漂うAFXの体表面は、端から石に変わっていた。うまく曲がらない関節を動かして、その目がブラーを睨む。ブラーがため息をついた。

「偶然だろ、それ」

 ぐちゃぐちゃに裂けた右腕は、ガスへの接触面が多かったのだろう、表面は完全に石へと変わっていた。それが止血と固定の役目を果たしている。

「……そこまでして、何がしたいのさ」

「友達を……助けに……」

「友達って……ティアン?」

 ブラーが尋ねる。沈黙するAFXに、仮面が呆れるようにチカチカ光った。

「<マスター>かよ……ますますクレイジーだぜ」

「そっちこそ、いいのかよ……」

 AFXが死にそうな声で言う。

「ティアンの子供連れ……だったくせに……こんな」

「一緒にするなよ」

 ブラーが吐き捨てる。

「トビアはそんなんじゃない。なんならあいつだって喜んでこの街焼くだろーよ。分かったような口きいてんじゃねえよ」

 その怒り口調に自分でも驚いたように、彼は口ごもった。二、三呼吸。空に太陽は見えない。

「……早いとこ回復したら?その【石化】はあんまり強くない。傷が開くぞ」

 ブラーが踵を返す。その不快そうな足取りは、さっきまでとはなにか別の苛立ちを孕んでいた。AFXが不安を隠せない声をかける。

「……いいのか?」

「興が冷めた。うんざりだ。どいつもこいつもマジになりやがって……これ、ゲームだよ?もういいから好きにしろよ、気違いが感染(うつ)る」

 ブラーが大仰な身振りで両手を振りかざす。その後ろ姿を見ながら、AFXは呟いた。

「クーデターを起こすのは気違いじゃないのか……?あの【降水王】だって……」

 その言葉に、仮面の男は静止する。その視線が空を、大地を、そしてAFXを刺す。唇が狂暴に動く。

「……今、なんて言った?」

 

 ◇◆◇

 

 ■【教授】ウー

 

 地上の喧騒も、地下までは届かない。とはいえ、ほんの僅かに響く轟音に耳を澄ましながら、その男は地下道を闊歩していた。傲慢な足取りは、例え誰かに出くわしても絶対に道を譲ったりはしないだろう。

 計画は順調に進んでいた。下僕たちは概ね彼の命令に……喜んでではないにせよ従い、それぞれの能力は役割を果たしている。

 ティアンの殺害に抵抗がないものを集めたのもその為だ。土壇場で情に絆されるようでは使い物にならない。その選定は彼自身の思想とはむしろ相反するものだったが、使い捨ての駒に拘る程贅沢なこともないだろう。

 だから、これからは違う。ウーの王国に君臨する彼の使徒は多少なりとも、ティアンを人間とみなしていなければならない。クズは所詮クズ、彼の思想を体現することは出来ない。彼がやろうとしていることは、人間の解放なのだから。

 ゆったりとした裾が揺れる。ウーは少しだけ煩わしげに足元に目を落とした。そろそろ自分の脚で歩くのも面倒だ。世界に轟く王者として、乗り物代わりに四つ足の下僕のひとつでも造らねばなるまいか……と、思案する。

 プロパガンダは重要な戦略だ。輝きは目に見えなければ意味がない。まなざされることこそ存在の本質だ。

 思考に浅く沈む。その足が扉の残骸を跨ぎ……

「……うふ。《ひとつまみの大爆発(リトル・ボム)》」

ウーの胴体が爆発した。

「……わざわざ自分の居場所まで撒き餌にして、都市からの離脱をやめさせよう、その心意気は大したものだけれど……リスク、忘れちゃいけないわ?」

 楽しげな声が響く。沈黙したまま、二つになったウーが倒れる。下半身が光の塵になる。その様を嘲笑うように、二人の襲撃者が姿を現した。

「座標が分かれば攻撃される。当然のォ~論理(ロジック)!」

 地下にいる。それさえ判明してしまえば、あとはインターフェースの有無だ。自らを撒き餌として強者を逃がさない作戦は、時に餌を食われてしまうリスクも当然、孕んでいた。

「しかししかし、まさかまさか、こんなに容易いとはねぇ~?アンジェリーナ?」

「仕方ないわよミランダ、あたしたちのコンビネ~~ッション!完璧なんだものォ」

 青髭、筋骨隆々。陶器のように白い肌の男が二人、ウーの上半身を見下ろす。しかし、ウーは狼狽えることなく口を開いた。

「……空間転移の能力か。地下堂周辺に生命の反応はなかった……地上から地盤を超えて侵入するとは、素晴らしい射程距離だ。我が配下にならないかね?」

「ンッンー!おあいにく様、あたしたち、独立心が旺盛なのよ」

「そォよ、それに……普段ならこんな距離を飛べたりしないわ。心当たり、あるでしょ?」

 その言葉に、ウーは上半身を起こした。ボタボタと液体の音が響く。

「成る程、ファティマの……副作用。無差別だな」

 だが、そんな重傷には目もくれず、その腕が身体を持ち上げる。その次の瞬間、

「……あまり見映えのせん格好だ」

ウーの下半身が再生した。五体満足のウーが立ち上がる。何事もなかったかのように、その瞳が地上からの襲撃者を睥睨した。

 アンジェリーナが首をかしげる。【教授】ウーの名前の下に、ズラリとステータス数値が並んでいる。そこでアンジェリーナは目を見開いた。

「あーらあらあらあらあらあらあらあらァ!奇妙(ストレンジ)!」

 肉体が再生したことなどもはや問題ではない。そんな能力はいくらでも考えられる。だが、

「あなた……何故HPが変わっていないのかしら?」

 回復ではない。アンジェリーナはずっとウーを見ていた。下半身の再生に伴って数値が戻ったのではない。

「さっきから変動すらしていない……ありえないことよ?傷を負ったのなら、絶対に変化があっていいはず……」

 それとも、胴体を両断されて尚、ダメージが0だというのだろうか?あり得ない。見えているものが矛盾している。

「まさに、矛盾(アンビバレンツ)!」

不可能(インポッシブル)!」

 二人が観念したように天を仰ぎ……

「ミランダ!」

「よくってよ!《爆発的な粗忽者(ガイ・フォークス)》」

 その両手に四つの光が灯る。瞬間、二人が消え失せた。即座に加速したのだ。

(……どんなカラクリかは分からないけれど、全身を消し飛ばせばどうにかなるでしょう?)

 逆にそれでどうにかならないとしても、カラクリの正体のヒントは手に入るだろう。全うな対応だ。

「追い付けないでしょう?【教授】!あたしたちの必殺技、是非お受け取りになって?」

 その拳、魔法爆弾を掴んだ四つのコークスクリュー・パンチが炸裂する。だが、

「……下らないな」

その瞳が、アンジェリーナの視線を受け止めた。

「……!?」

それもまた、あり得ない事態だ。

 STRやENDは攻撃力や防御力とイコールではない。他の要素によっても変動するのだから、最終的な発揮値とステータスが一致しないことは不可能ではない。

 

 だが、反応速度はAGIとイコールだ。

 

(見ている、見えている?AGI型であるあたしたち二人の動きが!【教授】……それっぽちの、AGIで!?)

 眼前のこの男の<エンブリオ>か?だが、彼の両手に嵌まっている手袋、その能力は第二の<エンブリオ>の創造であるはずだ。そこに疑いはない。《真偽判定》にも反応はなかった。

(自己強化型の能力を重ねているの?いや、だとしても違和感があるわ!噛み合わない……さっきから……)

 ウーが跳躍する。空振りした爆弾の間隙をすり抜けて。ステータスと行動が比例していない。

(あたしが見てるのは、誰のステータスなの!?)

「……ふむ。悪くない。攻撃のタイミングや位置取り、絶妙だ。連携としては百点だな」

 軽やかに着地したウーが呟く。その両手が、二人の方へと突き出される。

「速度型のコンビ。高火力爆発と空間転移のシナジー。称賛に値する……ゆえに、少し見せてやろう」

 ウーの指が、猛禽のように曲がる。まるで照門と照星、照準を象るように。

 ウーが笑い、二人が疾駆する。地下道に、風切り音が響く。

 

 そして数分後。二人は成す術もなく、絶命した。

 

 To be continued

 

 



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第十二話 逆転世界

 □■冶金都市グロークス・地上

 

 雨は降り続いていた。空から続く無数の直線をかき分けて、キュビットが走る。だが、その足取りは困惑と驚愕に揺れていた。その理由は一つ。

「クソ、なんで逆さまなんだ!」

重力が逆転しているからである。

 ユーリイの雨、アイテールの権能は既に都市全域を覆っている。その影響を無防備に食らった彼らは、あっという間に重力を奪われ……そして、マイナス域に突入した。

 現在、散り散りのキュビットたちは皆一様に……空に向かって落ちようとしていた。足元には果てしなく抜ける天空……改め、奈落が見える。キュビットはアパルトマンの壁を這う配管の隅を爪先で踏み、外壁をどうにか走り抜けた。後ろでは壁から剥がれた配管が重力に従い、()()()落ちてゆく。軒の裏を踏みつけ、そして屋根の角を曲がる。足元から雨粒が地面へ()()()()()

 そう、彼が走っているのは逆さまの街。屋根は足元に、頭の上には大地がそびえ、そして眼下には曇天が待ち構えている。

 完全にしてやられた。はじめは身体を浮遊させる程度だった重力は、いまや逆転した重さとして完成されている。無数の家並みはまるで切り立つ断崖絶壁のようだった。壁に張り付きながらキュビットは舌打ちをする。足を滑らせれば、空へとまっさかさまだ。なにより火急のことは……

「逃げんな、コラァ!」

後ろから吶喊してくるジンジャーだった。

「ちょろちょろ、逃げやがッて、往生際の、悪い!」

傘を差したジンジャーが吠え、そして増殖する枝が街を破壊しながら進軍する……()()の地面を。

(なぜ傘を?!)

キュビットが首をかしげ、そしてあたりを見回す。

 飛び移れそうな足場は少ない。他人の家に入り込むのは出来れば避けたかったが……背に腹はかえられないだろう。

「クソ……不法侵入だ!」

キュビットは窓を蹴破った。いいこともある、もう反作用でいちいち浮遊することはない……代わりに曲芸じみた立ち回りを強いられているが。

 かつては天井だったところに土足で踏み込む。薄紅色に塗られた部屋の真ん中で、小さな子供が目をぱちくりさせていた。

「おにーちゃん、どうして天井を歩いてるの?」

「あー……気にしないでくれ、すぐに出ていくから!君も逃げたほうがいいぞ」

 キュビットが天井を走る。この状態だとドアノブが低すぎて……つまり、高すぎて開くのに難儀するのだ、などと下らない知見を得ながら、部屋を三つ通り抜け、ガラス窓をこじ開ける。バルコニーの手すりに雲梯のようにぶら下がり、キュビットは大通りへと直面した。屋根はない。まるで大河のようだ。どうやって渡ればいいか想像もつかない。

「体勢を立て直したいんだが……これ、合流出来るのか?」

 呟きつつ、身体を揺らす。目の端に映ったバザールの日避け布に向かって跳躍する。キュビットはバタバタとはためく厚手の布を踏みつけて無様に走った。逆転していない布の感触はえもいわれぬ奇妙さだ。そして、その背後で裏路地が爆発する。

「みーつっけたァァァァァ……リンズ!」

『《ブランチストライク》』

 巨大な枝の一撃が大雑把な狙いでキュビットを吹き飛ばす。だが、

「ギリギリ、セーフ!」

その手が鉄柵を掴む。凡そ四、五階建ての集合住宅だ。露出した階層構造は、ひっくり返ってなお健在だった。キュビットが階段の裏を失踪し、踊り場を飛び越え、棟から棟へと飛び移る。

「……一般人が巻き込まれてないことを祈るぞ」

 半ばやけくそで言う。まぁ、ここは地球ではない。平均的なティアンなら十分超常の力を備えている。ある程度の災害ならいなせるだろう。問題は、

「……チェストォ!」

後ろから建物を飛び越えて現れた女だ。

 右腕は消し飛んでいるが、その左手には未だ焔の爪がある。雨粒が蒸気へと変じ、シュウシュウと音を上げていた。

 《タイガー・スクラッチ》とヘスティアのコンボの危険さがそれだ。一発では終わらない……ある程度の持続性がある。一人では勝てない。そして集団戦は壊された。

「いつ終わるんだ、あの焔は!」

 キュビットが毒づき……そしてその眼前に壁が出現する。君臨する城塞(エリコ)はひときわ高く……今はより低く、街を分断していた。素早く左右を見渡すが、抜けられる隙間は無さそうだ。

「こな、くそ!」

 キュビットが飛ぶ。残された道は一つ、城塞を乗り越える道。だが、逆転世界にあってはその壁の高さは……致命的。

「……うぉ、おお!」

 城壁の端を掴み、身体を支える。跳躍の衝撃を殺しきって尚、姿勢は不安定だ。

 下は見ないことにした。奈落へと垂れ下がる脚を叱咤し、爪先を持ち上げる。身体を向こう側へ移せれば、どうにかなるだろうか。

 まるで断崖絶壁。絶体絶命の彼の後ろで、致命的な声が響く。

「……大変そうね?楽にしてあげる」

 水の沸く音。木の這いずる音。そして、熱。

「《着火掌(インフラマラエー)》!」

「キュビットどの、掴まれ!」

 焔が炸裂し、雨が蒸発し……そして誰かがキュビットの腕を引き寄せた。城壁が無敵の盾としてジンジャーを阻む。女の怒号が雨にぼやけていく。

「五体満足であるな?走るぞ、あの屋根を伝っていくのだ」

「あァ、ありがとう……Ⅳ世」

 キュビットはそこにいた人物ーーⅣ世に感謝の声をあげた。

 城塞の強度は折り紙つきだ。奇しくもそれは今回、キュビットに味方した。壁の裏側、少しだけ凹凸に富んだそこをありがたく上り、城壁のへりの裏を走る。そのままⅣ世とキュビットは民家の屋根の裏面に足をかけた。

「Ⅳ世、また会えて良かったよ」

「あぁ、だが状況は良くはない。あそこにいた面々の殆どは……」

 老騎士が下を指差す。おりしもそのとき、誰かが足を踏み外して落ちていくのが見えた。

「空へ落ちてはどうしようもないのである。恐らくは人を浮かせるワールドであろうが……広い。抜けられるとは思えんな」

「同感だ」

 キュビットがため息をつく。次の瞬間、彼の左足が屋根の端を踏み抜いた。

「……うォ!」

「ッ!大丈夫か!」

 冷や汗がほほを伝う。木屑と漆喰のかけらが正しい重力に従って、()へと落ちる。キュビットは目に入るそれらを振り払った。

「まともに動き回ることすら至難だ……幸い、彼奴らはまいたようであるが」

 老騎士が嘆息する。と、その顔が歪む。

「どうした、Ⅳ世」

「いや……あれは何であると思う?」

 Ⅳ世が指差した先。路面を逆さまに(つまり、通常の重力に従って)歩くそれは、輪郭だけは人の形をしていた。この状況、もはや呑気な通行人などいないがゆえに、間違えようなどないが。

 顔には目鼻立ちの造形などなく、ただ申し訳程度の凹凸を見せるのみ。金属色の表面は鈍く磨かれ、細身の体躯には鋲が打ってある。そう、

「……人形(ドール)?」

 キュビットとⅣ世が身体を固くする。人形のほうでも二人を見つけたのか、鈍色の両手を上げる。そして、その前腕に仕込まれた鎌がギラリと舌なめずりをした。

 

 ◇◆

 

 ■【高位傀儡師(ハイ・マリオネッター)】ファティマ

 

「あはは、面白いのね」

 ファティマがベッドの上で足を遊ばせながら笑う。その傍らで、エリコのメイデン体を模した分体(アバター)もまた、満足そうに微笑んだ。

「でも、逆さまになってるほうの目で見るほうが楽しかったかも」

『……【降水王】に連絡を取りますか?』

「ううん、いいわよ、難しいだろうし」

 ファティマが楽しげに言う。その右瞳には、美しい青い光が宿っていた。

 それはエリコの権能が一つ、《リモート・アイ》。城塞内部に遠隔視覚を繋ぐだけのささやかな能力だが、戦術上の有用性は高い。これが有る限り、ファティマは部屋にいながらにしてエリコ内部の全てを監視できる。

 そう、ここは未だ地下の深く、ファティマの居室だった。何層もの装甲や隔壁、岩盤に隔てられてなお、彼女は地上を監視できる。人形を操れる。

 

 そう、人形の操作をも、だ。

 

「あ、一体やられちゃったわ。強い人がいるのね」

ファティマが悲しそうに呟く。その指が指揮棒(タクト)のように踊り……

「囲んでやっつけなさい」

人形を操作する。

 それは【傀儡師(マリオネッター)】の能力だ。なんら他と変わらない、人形兵の軍勢。ただ一つ特別なのは、彼女が地下にいるということ。

 通常の【傀儡師】系統であれば不可能だった。どう頑張っても操作射程距離の範囲外。それを埋めるのは、エリコの能力……副作用。

「あら、ジャムが不機嫌だわ」

 ファティマは左目を壁際に向け、エリコの方に指を向けて言った。

「ご飯が足りないのよ。エリコ、言ったじゃない、ジャムはジャムが好きだって」

『申し訳ありません』

 傍らのローテーブルから瓶を取り上げ、エリコが立ち上がる。その足が壁の前で止まり、そこにあった虫籠のようなケージにジャムの瓶を差し込んだ。その指がふと、軋む。

『……貴様ごときが、よくもファティマの寵愛を……』

『Grrrrraa!』

 壁際のケージの中で、ジャムライカがジャムの瓶を嘗め、満足そうに喉を鳴らす。鱗の生えた四つ足がパチパチとケージを叩いた。

『貴様さえいなければ……』

「……?エリコ、何か言った?」

『いえ、なにも』

 エリコが再び椅子へと腰かける。この分体にはエリコ本体の意識を乗せている。ゆえに、エリコはその意志でジャムライカを睨み付けた。

 ジャムライカがここにいることにも、無論明確な理由がある。【教授】ウーは理由のない行動は起こさない。

「にしても、こんなに大きくなると大変ね。もう少し小さくても良かったかもしれないわ」

 それは、エリコのことだ。ファティマが寝返りをうち、ふと上半身を起こす。エリコは心得た手付きで、柑橘の香りをつけた水をピッチャーから注ぎ、よく冷えたコップを差し出した。

「お人形も大きく出来たら良かったのに」

『そうですね。第七形態への進化の際は、そのように取り計らえるよう努力いたします』

 エリコが静かに言う。ファティマは水を飲み干し、ほっと息をついた。

 

 ◆

 

 ■【城塞乙女 エリコ】

 

 その<エンブリオ>は、TYPE:メイデンwithラビリンス。城塞の姿を持つ乙女。そして能力特性もまた、城塞そのものだ。

 堅固なる城塞。その存在こそ、エリコの特殊能力である。剣も魔術も、何であろうとその壁を破ることは出来ない。それはメイデンとして彼女が卓越した部分だからだ。他の同類と比較して些か受動的ではあるが、これもまた一つの強者殺し(ジャイアントキリング)。いかほど巨大なエネルギーであろうと、エリコを破壊することは出来ない。能力の次元が違うからだ。

 破壊不可能という論理。しかし、その絶対性を支えるために、エリコは多大なるデメリットを背負うこととなった。

 それは、コスト。最大効率を誇る《不滅の壁(エリコ)》であっても、平時であれば控えめな豪邸ほどの大きさが精々だ。【高位傀儡師】をメインに据えるファティマのMPを全て枯渇させて、それである。とはいえ、ファティマはそういうものだと受け入れていたし、エリコもそうだった。

 だが、その理屈は逆に……十分なMPさえ費やせれば大きさは天井知らず、という特性も孕んでいたのだ。それを可能にしたのは、ウーの能力。

 

 【劣級貯蓄 ストアリカ】である。

 

 ストアリカはウォーキッカとほぼ同時、二番目に創造された初期ロットの<劣級>。当然というべきか、その能力特性は際立ってシンプルだ。

 魔力(MP)の貯蔵、それのみである。数時間前まで棚に並んでいた青い結晶はその成果物だ。首飾りの形を模倣した寄生生物(レッサー)が宿主のMPを吸い上げ、自らの内で(こご)らせ、卵のように産み落とす。減衰こそあるが、それは純粋な力、魔力の塊だ。

 そして、ファティマがストアリカを孵化させたのは凡そ一年前。余剰魔力は全て結晶に変換されてきた。ゆえに、溜め込んだ魔力もまた一年分。上級魔法職の一年分である。

 それを全て捧げたのだ。エリコの膨張度合いも当然というものだろう。

 《不滅の壁》は捧げたMPに比例して大きさと持続時間を変える。計画に支障はない。積み重ねた時間こそが、パワーに直結してくれる。

(ですが、対抗手段がないわけではない。敵の中に気づいたものがいないようなのは僥倖でしたね)

 エリコは自らも香りつきの水を飲み、思考に耽った。

 エリコの城が破壊不可能なのは、物質ではないからだ。体積と実体こそ備えているが、本質的には捧げたMPの塊……魔力で構成されている。たとえば【呪術師】のような、【吸魔】の状態異常であれば端から崩されてしまう。

 そう、魔力だ。変質した魔力の塊は、もう一つの性質を偶然併せ持った。

 それはーー

 

 ◇◆◇

 

 □【高位従魔師】Mooo(ムー)

 

『射程距離の延長だ』

 フードを深く被ったMoooは息を切らしながら紙片を掲げた。

『この城の能力。魔法、或いはMPを使用するものなら全てが対象だろうな』

「急に、なんですか、今、そんな、場合じゃ……!」

 ユーフィーミアが息も絶え絶えに文句をいう。彼ら二人は、【グロークス市立図書館】と銘打たれた門柱のそば、鉄の柵に掴まって必死に移動していた。既に十メートルは進んだだろうか。

 例えるなら、奈落の上で綱渡りをするようなものだ。路面から()へと伸びる鉄柵は、無限の天空へとその先端を突き出している。他に掴まれるものはなく、足場も見当たらない。手を滑らせれば空へと容易く滑落する。明らかに無駄話をしている場合ではない。

「ぁあ、落ちるッ……!ほんと、こんなとこで、文字を、書くなんて、器用、ですねッ!」

 全身を使って鉄柵にしがみつく。腕には疲労の感覚がのしかかり、状態異常の表示すら垣間見える。必死に、しかも上下逆さで鉄柵を横に這う彼らは、通常の人間から見れば大層間抜けに映るだろう。生憎、退っ引きならないのは事実なのだが。

 非常事態で通行人がいないか、いても辺りを見回す余裕すらないのは僥倖だった。こんな屈辱、ユーフィーミアには耐えられない。

『これは根拠のある考察だ。先の交戦で俺は魔法職の攻撃を観察していた。たとえ流れ弾でも明らかに消えるのが遅い』

 Moooが紙切れをひらひら揺らす。

『実演しよう。見ていろ』

 紙切れが落ちる。それをMoooは魔力式の銃器で撃ち抜いた。緑色の光が尾を引いて飛び、飛び、飛び……城塞(エリコ)にぶつかって消滅する。

『これは最下級の銃だ。本来至近距離でしか撃てないものだが、いまやあそこまで届く。幸運なのは、この特性が無差別に発動していることだが』

「そんなこと、良いから、助けて……!」

 ユーフィーミアが苦しげに喘ぐ。Moooは渋々片腕を貸し、彼女を引っ張りあげた。

『あそこに人工林の庭園がある。枝に座れば少しはましだろう』

「んじゃ、そこに、向かい、ましょう、早く!」

 ユーフィーミアが死にそうな声で叫ぶ。Moooは枝に手をのばし、頭上から樹冠を足元へ広げる木々にしがみついた。ユーフィーミアもそれに続く。

「助かったァ……!」

 幹に背を預ける彼女を眺め、Moooもまた痺れを振り払うように両手を動かした。

『さっきの話だが』

「……射程距離延長、ですか?」

『あぁ』

 Moooがさらさらと文字を書き付ける。

『普通、魔法には限界射程がある。永遠には飛ばせないし、遠隔地への干渉にも限度があるんだ。だが、この城はそれを……仲介し、延長しているようだ』

 彼らの推測は正しい。唯一間違っているのは、厳密にはこれはエリコの能力ではない、という一点だ。

 エリコは魔力を変質、固形化させ、自らのラビリンス体を実体化させている。そして、固められた魔力の塊は、同じく魔力から構築される魔法を……さざ波のように伝えていた。

 変質した巨大なMPの塊が媒介となり、魔術の射程距離を伸ばしているのだ。それは副次的な作用であり、エリコの制御下にはない特質だったが、とはいえファティマとエリコはこれを都合良く利用していた。

 メモ用紙は二枚目に突入する。Moooは忙しなくペンを動かしながら続けた。

『通信妨害も恐らくは他者の能力だな。お得意の<劣級>か。出力はそのまま、都市クラスの能力へと昇華されている。だが、これは無差別だ。俺たちの術も(MPを使用するものなら)この城の内部では際限なく拡大できる。問題は……』

「活かしかたがない、ってことですね」

 ユーフィーミアが悲しげに呟く。

「あたしたちの能力とは噛み合わない……いまのところ、相手の有利だけ。せめて【カフス】が生きてれば違ったでしょうけど」

 無差別の能力が必ずしも双方に利するとは限らない。エリコの特性で利を得るのは、都市全域に通信妨害をばらまいているジャムライカのような存在だ。ユーフィーミアやMoooにそれはない。広域に散布したいものはない。

「サトリも……たぶんダメですね。接触は射程じゃなくて発動条件、かつ識別マーカーだから……」

 ユーフィーミアが左手を撫でる。

『さて、行くぞ』

 Moooが身体を起こす。ユーフィーミアは疲れ顔で口を開いた。

「……ずっと気になってたんですけど、あたしたちどこに向かってるんですか?」

『言っていなかったか』

 首をかしげるMoooに、ユーフィーミアは頬を膨らませた。

「聞いてません」

『すまない。自明だと思っていた』

 紙の上をペンが走る。持ち上げられた紙片が風に揺れる。

『爆破された市庁舎。その跡地だ。恐らくそこからもう一度、地下に入れる』

 

 ◇◆◇

 

 □【司令官】ビビッド・キュビット

 

「勝てそうか……!?」

「無理だ!」

 キュビットとⅣ世が跳躍する。その後ろ……逆さまの路面を、鈍色の人形が行軍していた。

 数は七。歩は遅いものの着実に彼らを狙い、そして間合いに入った途端、鋭い鎌が襲いかかるのだ。犠牲になるのは二人だけではない。既に何人か、一般の市民すらその鎌に屠られ……消えることなく死体を路上に残していた。

「この足場では……」

 老騎士がぼやく。彼らが走っているのは、煉瓦を積み重ねたような四角い街だ。取っ掛かりは決して多くない。逆転した重力の世界で、踏みしめられるのは空へと垂れ下がる町並みの、ほんの一部。曇天が足元から彼らの焦りを照らし出す。

「あそこ、屋根の装飾!」

 キュビットが叫び、Ⅳ世が下へと飛び降りる。曲線を描いて、三階の出窓の石飾りの縁へ二人の足が着地した。白い石が摩擦音を吐く。

「ここは彼らにとっては高所、暫くは時間を稼げるであろう」

 Ⅳ世が息をつく。窓枠を握りしめ、二人は頭上から自分達を見上げる人形を見上げた。ブリキの扁平な顔面がありもしない目で視線を送る。

「足は遅いが、硬い。手間取れば囲まれて落ちる」

 Ⅳ世が斧を撫でる。その目は、さらに遠くにも人形がいることを見定めていた。

「こういう手合いは本体を叩くのが定石だが……」

「【傀儡師】は見つからない。相手だってバカじゃない、俺たちの距離(レンジ)には出てこないだろう」

 人形使いのメリット。それは戦闘行為の代行と、その複製にある。とはいえ、普通なら射程の限界があるのだが……それを埋める能力だ、ということくらいは容易に想像がつく。現状を見ればそれくらいは解る。

 そして、ロングレンジの住人が敵前に出てくるはずもない。

「そもそも、この逆さまの能力もだ。どうやってこんな広範囲に……」

 キュビットが頭を下げ、そして仕切り直すように首を上げた。

「なんにせよ、目的地は決まってるけれどね」

「市庁舎跡だな」

 Ⅳ世が頷く。

「敵は強い。すべてを相手にしてはおれん、大将を落として素早くけりをつける……終わらせるためにな」

 その目が決意に燃える。静かに、微かに、そして、確実に。

「必須なのは、市民の安全と再合流。モハヴェドは無事であろうか……」

 路上の死体に目をやり、そして職務に忠実な軍人を思って、Ⅳ世がため息をついた。彼はティアンだ。死ねば……それで終わり。この都市に抱く思いの重みも違う。

「……Ⅳ世」

 ふと、キュビットが顔を強ばらせた。その手元でヤマビコが淡く光る。

「何か……」

 老騎士は尋ねようとして、気づいた。雨の音に混じって、鈍く震える音がする。大地を叩く音がする。

「……これは」

「お、おい、誰かァ!」

 頭上。叫び声と共に、一人の男が路地からまろびでる。彼は街角を握りしめ、空へと落ちる身体を必死に繋ぎ止めた。<マスター>だ。

「誰か……助けてくれ!後ろから……」

 言葉は半ばで無為に消えた。その顔が苦悶に歪み……粟立って膨らむ。不気味な白色へと皮膚が染まる。そして、力を失った肉体が手を離す。光の塵の塊がゆっくりと、空へと尾を引いて落ちていった。その背後で、蒸気が渦を巻く。

「……蒸し焼き?」

「《着火掌(インフラマラエー)》」

 路地を焔がなめる。降り注ぐ雨が高温の蒸気へと変じ、街角を炙った。

「腕一本の借り……逃がすわけないでしょ?」

 その言葉と共に、紅の女が路地を歩く。薄暗い道を炎が照らす。その目が逆さまにしがみつく二人を見上げた。

「いいざまね」

「壁を乗り越えたか……!」

 ジンジャーには大樹の竜がついている。城塞を踏み越えることは決して不可能ではない。そして、追われるに足る因縁は十分にある。

「この逆転もお前の仕業か?ジンジャー!」

 キュビットがわめく。女は氷のような視線でそれに答えた。左手で握った傘が揺れる。

「違うけど。……除外されてるとはいえ、先手を取られるのも嫌だし」

「ならば、どきたまえ」

 Ⅳ世が重々しく告げる。

「我らには用がある。その道を阻むなら……」

「それは、こっちも同じよ!」

 言うが早いか、ジンジャーは傘を投げ捨てた。その柄を枝が掴み、自由になった左手が炎を帯びる。

「……だが、炎の爪は消えたな!」

 ヘスティアの必殺とて永遠ではない。使いまわしが利くとはいえ、効果時間は既に終了していた。傷もある。ゆえに、

「クロスレンジは許さない」

 ジンジャーの左手が蠢く。指の一本一本に、炎の弾丸が灯る。

「《指灯(グルェース)》!」

 五連装の炎が風を割いた。キュビットたちが飛び上がり、躱しきれずに呻く。二人は砂まみれの壁に、まるで断崖を歩く山羊のようにしがみついた。少しでも上へと登攀し、死角を目指す。

「くっ……!」

 炎の弾丸がその身に食らいつく。持ち合わせた威力は僅少。だが、消えない火だ。雨が蒸発し、蒸気が二人の肢体を少しずつ灼く。

「遠距離偏重タイプへのシフト……そんな戦い方も出来るとはな!」

「そうよ?近づこうにも、こうすれば無理よね?」

 そう言って、ジンジャーは通りの中央へと飛び出した。ざわめく枝がそれに続く。周辺に掴める出っ張りはない。

「それとも、地面にでもぶら下がってみる?無理だと思うけど」

 ジンジャーがせせら笑い、炎は舞い踊る。水蒸気が皮を、肉を、熱で殺していく。遠間の戦法に隙はない。当たらずに当て続ける、それだけのこと。単純な計算式で、二人は蒸し焼きになる。あるいは、耐えかねて自ら遥か天空へと飛び降りるか。どちらでも構わない。

「あたしとしては、這いつくばってほしいけどね?……こんなふうに」

 ジンジャーの爪先がからかうように、そばの路上の死体を指す。

「選べばいいよ?好きな方をさァ!」

「では、選ばせて貰おう」

 老騎士が呟く。その身体が獰猛な猫のようにしなり、たわむ。次の瞬間、全身鎧を鳴らして、Ⅳ世は跳躍した。

「……?」

 ジンジャーは困惑する。目測に狂いはない。その距離を跳んだとしても、ジンジャーによくて精々掠れる程度。その後は墜落だ。

(けれど、ここで無意味な賭けをする人間じゃないわよね)

 ジンジャーは慢心しない。彼女の右腕を消し飛ばした奴らだ。一歩、二歩、三歩下がって間合いを取る。相手の策を見極めるために。

 空中。上下逆さの老騎士が手斧を構え、振りかぶる。その瞬間、ジンジャーは目を見開いた。

(《危険察知》!?この距離で、当てられると!?)

 明らかに斧の間合いではない。<エンブリオ>のそれにも遠い。にも関わらず、ジンジャーの感知能力が警鐘を鳴らす。彼女の足がもう一歩、下がり……

「そう、その位置が良かったのさ」

刹那、ジンジャーの足元で起き上がった死体が、携えた銃で彼女の胸部を消し飛ばした。

 

 ◇◆

 

(ドラグリンズ……破損したか)

 背後に携えていた杖は真っ二つに折れていた。能力の鍵が消えたことで召喚されていた大樹竜が断末魔すら上げられずに消える。

 【爪拳士】は決して耐久戦士ではない。至近距離の直撃は、ジンジャーの胸を抉り、背中に大穴を開けていた。当然、足にも力が入らない。

 痛みこそないが、ぬるりとした血の塊が喉を伝う感覚のおぞましさにジンジャーは顔をしかめた。ミンチになった上半身を、さっきまで死体だった男が見下ろす。

「……テロリスト、一人を射殺、だ」

「……お前は、憲兵の……」

 モハヴェド・アルリン。銃身から煙を上げる武装を撫でながら、彼は忌々しげにため息をついた。

「……ティアンはこの浮遊能力の対象外だったようだな。お陰で、奇襲が成立した」

 鋭い視線が路傍の死体たちを這う。モハヴェドの足はジンジャーと同じく、正しい重力を踏みしめていた。女が呻く。

「ハッタリ、かぁ……やられたなぁ」

「遺言は……それだけか?」

 モハヴェドがそう呟き、そして心底うんざりしたように顔を歪める。ジンジャーがせせら笑うように小さく首を振った。

「そうだな」

 焼けついた銃をひっくり返す。振り抜かれた銃床が女の頭蓋骨をへし折り、【爪拳士】は光に崩れて消えた。

 モハヴェドが振り返る。

「よく察してくれたな」

「できれば、儂の現状も察してほしいのである」

 両手で街灯にぶら下がりながらⅣ世が言った。その後ろでキュビットも建物を地面に向かって上る。

 二人が気づけたのは偶然だ。死体に扮して待ち伏せなど、奇策にも程がある。ジンジャーの隙をついたのはいいが、あくまで結果論だ。

「それに、人形を忘れているぞ」

「あぁ」

 ゾンビのように迫り来る人形を前に、モハヴェドが使い物にならない銃を投げ捨て、予備武装のナイフを構える。小さな刃を侮るように見つめ、モハヴェドは身体を弛緩させた。

「もちろん……手伝ってくれるのだよな?」

 

 ◆◆◆

 

 ■【芸術家】モーリシャス藤堂

 

 ジンジャーが死んだ。その事実に、藤堂は驚いたように眉をひそめた。実際のところ、完全に意外ではなかったが。

 傷もある。油断もある。倒される可能性は十分にあった。

「気を付けなきゃあいけねえな、俺だって立場は同じだからよ……」

 今やまっさらに戻っている、()()()()()()()()()()()()()()()()()ハンカチをし舞い込んで、藤堂はため息をついた。うまく行けばまた会えるだろう。

「ま、今のところ問題はないしな」

「……!」

 その右前方。Moooが銃を構え、発砲する。それを藤堂は腰すら浮かさず、バカにしたように見た。

「ベタベタ野郎、お前、<エンブリオ>を破壊されてたな?サブ武器の銃撃戦じゃきついだろ」

 アルマリカは鎧だ。生半可な銃弾では抜けない。そしてMoooは銃士としては片手落ちに過ぎない。

「んでもって、後ろの【審問官】は非戦闘員か。こりゃあ敗けの目はねェな」

 その視線の先では、Moooとユーフィーミアが裏路地の石塀に掴まっている。足場の有利さは歴然、戦力としての差も歴然。

「既に二、三人仕留めた。お前らも同じだね」

「な、なめないでくださいよ?あなたなんか、このMoooさんが蜂の巣に変えちゃうんですからね!」

「……」

 Moooの沈黙に違う色が混じった。市庁舎跡までは残り一〇〇メテルほど。藤堂を前に、その道のりは長すぎる。

「……認めよう」

 藤堂は強い。いや、厄介か。<劣級>を得て、その戦力は明確に増している。

「……こちらも……手は抜かない……」

「まーだその選択肢があったことに驚きだよ、俺ァ」

 藤堂はなにもしていない。アダムもアルマリカも動かしていない。それでも、二人の戦力では藤堂を排除できない。ゆえに、二人も藤堂を無視できない。

(それとも、何か隠し球があるのかね?だが、ソラリスは完全破壊済。サトリはそもそもティアン専門の筈だ、十中八九必殺もその流れ。そして本体……上級職の能力は俺に通じない)

「お前らさ、もうこっちについたら?」

 藤堂は不意に、気の抜けた声で言った。

「あ、フード野郎はムカつくからなしだな……じゃ、ユーフィーミア、こっちにこいよ」

 勝ち目なんてないだろ、と藤堂は続けた。

「それとも、心情的な義理でもあるってか?」

「……それは」

「愚問だな」

 ユーフィーミアを遮ってMoooが続ける。

「……この街だけでも多くのティアンがいる。カルディナ全土ならそれこそ数えきれない」

 ユーフィーミアが驚いたようにMoooを見つめた。

「人の数は、人生の数だ。無二の命の数だ、それをむざむざ踏みにじらせるなど、許せるものか!」

 その言葉には信念があった。人道を貫くという信念が。ユーフィーミアが目をパチパチさせ、藤堂が立ち上がる。

「まぁ、お前は願い下げなんだけどな……《自由自在の土細工(アダム)》ーー」

 粘土が海のように盛り上がり、溢れ出し、そして収束する。藤堂が翳した掌から、その身体を土の奔流が包み込む。そして、

「ーー《二重武装(オーヴァーグレイズ)》」

アルマリカの黒鎧の上。傷を埋め、装甲は更に厚く。藤堂の鎧が、暴力的な迄に膨張した。棘、刃、もはや人を通り越して獣のごとき体躯が敵意にいきり立つ。

 アダムの必殺は、変形の制限解除。それを<劣級エンブリオ>たる鎧の強化に費やしたなら、もたらされる戦力は更に倍増する。破壊と暴力の権化は、まさに『武装』。

「試運転だ。派手に散れや!」

 その手は猛虎のそれに変じていた。黒光りする三本の爪は、おのおのの一本がまるで剣のように大きく、鋭い。そして、殺意に濡れている。

「……ッ!」 

 【高位従魔師】は【審問官】とともに飛び上がった。

「この短期間でそんなコンボを!?」

「お褒めの言葉ァ……」

 右手がしなり、

「……どうも!」

灰色の石塀が粉砕された。

 瓦礫が舞い散り、粉塵が絶叫する。細い路地の狭い空へと飛び降りた二人は、逆転自由落下の途中で高層階の反転(オジー)アーチへとしがみついた。

「……ここまで来れば」

「高みに逃げた、そう思ったか?」

 そのすぐ横で、藤堂が笑う。空中、高度約一〇メートル。

「甘いんだよ!」

 路地の壁に爪をかけ、黒い虎は天へと上っていた。その手首の位置、小さな銃口が炎を孕む。

「……!」

 Moooが咄嗟に狙撃銃を掲げ、そしてアルマリカの炎ビームがその銃身を破壊する。砕け散った破片にユーフィーミアが顔をしかめ、そして藤堂が跳躍した。その爪が斬撃の花を咲かせる。

「カハッ……!」

 血が飛び散る。鋭い刃の花束は、脆弱な【高位従魔師】の身体を容易く切り裂いていた。紅の花弁がフードを汚し、布地が細帯に変わる。虎が獰猛に吠えた。

「嬲り殺しだ……遊んでやるよ」

 

 ◇◆◇

 

 ■【降水王】ユーリイ・シュトラウス

 

 ガスの雲は湿り気のせいか、重々しく路上を埋めていた。その中に墜落した二人を、【降水王】が覗き込む。

「……死にました?」

 それはまだらしかった。当然だろう。エシの【石化】(mineralization)ガスにそんな力はない。グリゴリオとシマは生きている。表面は石に変えられているが。

「ならば十分」

 そう呟いて空へと登るユーリイを、空の流星が呼び止める。

「シュトラウス……」

「ブラーさん。どうかしましたか?」

 少年は首をかしげる。その傘を握る手が少しだけ、強くなる。

「怖い顔ですねぇ」

「あぁ、やっぱりそうだ」

 空中で不気味なほどに静止したブラーが呟く。仮面の一つ眼が赤く輝く。

「【(キング)】」

「おっと……」

 面倒なことになった、とばかりにユーリイが肩をすくめる。ブラーは熱水のように突沸した。

「超級職!お前、なんで【降水王】なんて肩書きがついてんだァ?おい!」

「前任のお婆さん(バブーシュカ)()()()()()譲っていただいたからですが」

「そういう話じゃないんだよ……!」

 ブラーは叶うなら今すぐユーリイを噛み殺したいとでも言うように、その歯を打ちならした。

「お前、会ってからずーっと隠してたのか……え?おい、笑ってたのか?僕は上級止まりだってか?超級職ゲットしてウハウハだったわけか?さぞ楽しかっただろうなぁ!」

「こうなるから言いたくなかったんですよね……」

 ユーリイが小さくぼやく。それを耳敏く聞き付けて、ブラーが絶叫した。

「今なんて言ったァ!」

「いや……」

 ユーリイが息を吸い込む。彼は飛びっきりの笑顔でブラーに向かって言った。

「まぁ、ブラーさんも頑張ってればそのうち取れますよ……あれ、でも【盾巨人】って、超級職はあるんでしたっけ?」

「……殺す」

 そして、アシュトレトが吠える。その前兆を見てとるより素早く、ユーリイは虚空を蹴り飛ばしていた。風が切り裂かれ、世界が揺れる。

「やめましょうよ~こういうの。時間の無駄じゃないですか」

「うるさいぞ、シュトラウス!腕の一本くらい取れりゃいいんだ!」

「あなたの突撃食らって腕一本で済むと思えないんですよね」

 さっきの逆、上方に立っているユーリイが悲しげにぼやく。

「あなたたちは<劣級>が欲しいんでしょう?大人しく友好を保つことをおすすめしますよ」

 その言葉に、ブラーが心底忌々しげにマントを翻す。

「……主導権を握ってるつもりか?」

「つもり、じゃあない。事実です」

 ユーリイが空から飛び降りる。濡れた砂まみれの屋上に、その足がつく。

「今度こそは、引っ掻き回されるわけにはいかない……あなたの直情径行にね」

「いちいち上からなんだよ、お前は。僕より強いつもりでいるのか?」

 その軽薄な傲慢さを、しかしユーリイは咎めなかった。むしろ感嘆するように、憧憬するように、ただ沈黙する。そして、

「……おや、これはこれは」

「……詰めが甘かったな」

目下。会話に花を咲かせる二人を遮るように、ガスの黒々とした煙から肉厚の鉈が飛び出した。

()ッ!」

 ユーリイがそれを躱し、そして傘を構える。石突が硬質の銃撃音を吐く。

「《ヒート・ガトリング》」

 赤熱した銃弾の雨が煙を貫く。だが、

「《塩害(メラハ)》」

屹立する分厚い塩の壁が、その勢いを削り取った。煙が晴れ、雨が飛沫をあげる。

 ユーリイが路面を見下ろす。そこではグリゴリオとシマが、黒煙を気にかける様子もなく、ただ身体を半身にして油断なく構えていた。

「……【石化】対策を持っていましたか。運がいい」

 エシの【石化】ガスはそこまで強力ではない。十分なENDと然るべき薬でもあれば対抗が可能だ。

「けれど、僕に攻撃を仕掛けたのは悪手ですね」

 そのアドバンテージを捨ててまで、得られたものは何もない。この状況、敗北をほんの少し先延ばしにするだけだ。

 雨も未だ降り続いている。《上昇方程式》を作動させ、蹴り飛ばせばけりがつく。ユーリイが踏み込み……

「……そんなことだろうと思いましたよ」 

即座に反転した。風を切ったその腕が振るわれ、背後に隠れていた狙撃手(カーク)の喉頚を掴む。頭の横を、銃弾が抜けていった。 

「……化け物が!なぜ!」

「動きがワンパターンだからです」

 ユーリイが訓示を垂れる。

「自分の隙は弁えています。目の前の粗雑なチャンスに容易く乗せられるからこういうことになる……稚拙な二段構えなど、あまりにも、ぬるい!」

 その手がカークの喉を離し、そして即座に左腕を握りしめる。裏切りの代価を払わせるために。

「【劣級成長 グローリカ】回収します」

 その指が勝ち誇るように肉を抉り、カークが絶叫する。枝の狙撃銃がごとりと音を立てて落ちる。

「や、やめろ!俺の……!」

「あなたの?それは見解の相違ですね」

 <劣級>。それは、かの偉大なるカリスマの力。恐るべきエキドナの落胤がひとつ。

「そう、これこそがオーナーの偉大さの証……あなたごときが所有できるものでは、ない!」 

 ユーリイの言葉もまた、熱を帯びる。その手が力を増し、笑みが獰猛さを深めーー

「……!」

ーー鮮血が飛び散った。

 カークの血ではない。屋上の地面を汚すそれは、ユーリイの血だ。

 ユーリイが即座に仰け反り、身体を逃がす。空中で横たわった両足が、虚空を蹴って離脱する。それを追うように閃いた刃が、獲物を取り逃がした悔悟に光る。

 片手を費やしてまで傘を差した襲撃者が、不快そうに呟く。

「浅いか。三段構えでもダメとはね」

「なぜ……!」

 最小限に躱したはずのユーリイが、しかし動揺を露にして言う。

「なぜ?」

「なぜ、生きているのですか……!」

 その問いに、【影】()()()()()()()()は、してやったりとばかりに薄く笑った。

 

 To be continued

 



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第十三話 RUNAWAY(ランナウェイ)

 □【教会騎士】メアリー・パラダイス

 

 ウーが言葉を残して去った後、部屋に一人残されたメアリーは、

「あいつ……超ムカつく!」

苛立ちに震えていた。

「決めた!こんなとこ早く逃げ出してやる!」

 その決意はしかし、黒い枷に戒められている。途端に身体に力が入らなくなり、アシュヴィンもまた沈黙した。

 それは金属製の【契約書】だ。『逃げ出さない』という論理の枷、力では壊せない。逃れるためには、同じく論理でもって外さなければならない。

「……強制的な契約なんて、そもそも不可能のはず」

 さっきだって、ウーを殴り飛ばすことはできた。無理を通すために効果を限定していることは明らかだ。その融通のきかなさこそ、付け入る隙になる。

「だったら!」

 メアリーが立ち上がり、鎖が音を立てる。思念を読み取ったアシュヴィンが浮き上がり、狼狽えるように指を動かした。

「……でも、一か八かやってみるしかないでしょ」

 両のアシュヴィンが懇願するように掌を組み、制止するように手を突き出し、脅すように指を広げる。そして最後に、諦めたようにその両手は脱力した。メアリーが肩をすくめる。

「じゃ、よろしく!」

 

 そして、忠実なるアシュヴィンの拳はーーーーメアリーの右手を、粉々に押し潰した。

 

「……ッ!」

 骨が砕け、筋肉が裂ける。皮膚がちぎれ飛び、神経は断絶する。消された痛みではなく、腕が挽き肉へと変わるその感触にメアリーは身震いをした。溢れ出る血液とともに、無傷の黒い枷がずるりと落ちる。

 その瞬間、メアリーの心身を縛っていた契約が消失した。

 強制契約のリソースは重く、前提として満たすべき条件もまた厳しい。その一つである四つの枷(アイテム)の装着が崩れたことで、枷の能力もまた崩壊したのだ。

「そして、これはあくまでもあたしの自由な自傷行為。だから契約では縛れない……成功だね、《癒しの息吹(ヒリング・オーラ)》」

 金色の光が迸り、ズタズタに裂けたメアリーの腕が再構成される。骨が、肉が、皮が、蠢いては継ぎ足されていく。まだ桃色の右腕に【回復薬】を掛けながら、メアリーはふてくされるアシュヴィンを宥めるように言った。

「怒らないでよ、もう二度とこんなことさせないからさ……次は、ドアを壊してくれる?なるべく静かにね」

 かくして、メアリーは脱走した。時間は五分とかからなかった。

 

 ◇◆

 

「思ったより、広い……」

 薄暗い地下を見渡して、メアリーは呟いた。地下道は僅かに湾曲しながら遠くへ続いており、その先は闇だ。もし奥深くへと迷い混んでしまえば、面倒なことになる。

 隧道の石壁には点々と門扉が据え付けてある。メアリーはその一つを試しに押し開け、ため息をついた。

 その先は別の地下道に通じていた。薄暗い道は少し先で枝分かれしている。まるで蟻の巣だ。

「どの道が正解なのかなぁ……」

 少女が二つ目の扉に手を掛ける。その通路が鉄格子で封鎖されているのを見て、メアリーは扉を閉めた。腐臭と獣臭が微かに残っていた。

「いっそ、真っ直ぐ進んでみるか……?」

 顎に手を当てながら、アシュヴィンが三つ目の扉を開ける。

 扉の向こうは小綺麗な部屋になっていた。メアリーが軟禁されていた場所とよく似ているが、幾分手入れがされている。天井に据え付けられた照明が白い光で辺りの全てを照らしていた。そして、そこには、

「……?」

一人の子供がベッドに腰かけて、メアリーを不思議そうに見つめていた。メアリーの全身が即座に緊張する。

(敵……!?いや……)

 《看破》が作動する。見えた名前と戦力に、メアリーはすぐにほっと息をついた。レベル0。間違いなく、無害な単なる子供だ。<マスター>ですらない。よく見れば、その顔には見覚えがあった。ミンコスの店の前にいた子供連れの片方だ。

 メアリーが口を開く。

「君も、捕まってるの?」

 少年は答えなかった。ただ見定めようとするように、その双眸がメアリーを捉えている。

「怖がらなくていいよ、あたしも捕まってたんだ!敵じゃないから。一緒に逃げよ?」

 少年が立ち上がる。その唇が、無遠慮に動く。

「お姉さん、誰?」

 やっと聞けたその言葉を友好と捉えて、メアリーは言った。

「あたしは、メアリー・パラダイス。【教会騎士】だよ。君は?」

 少年は首をかしげたあと、しばし逡巡して言った。

「僕は……トビア。ただのトビアだ」

 

 ◇◆◇

 

 トビアを連れたメアリーは、四つ目の扉を開けた。木材と金属でできた扉はギイギイと軋みながらその蝶番を滑らせた。冷たく湿気を含んだ空気が動く。

「この向こうは外に通じてるの?」

「少なくとも……あの、やっぱり僕は……」

「いいから、逃げるの!」

 メアリーがトビアの肩を掴む。

「あのね、どんなふうに騙されたか知らないけど、ここは危ない人達のアジトなんだよ!?君みたいな子供がいちゃいけないの!」

 瞳が熱意に光る。どこか酔ったような微笑みでメアリーは続けた。

「でも大丈夫!あたしが守るから」

 面食らったような顔のトビアの腕を引っ張って、メアリーはその扉のなかに飛び込んだ。

「未知数……リスク……」

 トビアが口のなかだけで呟く。メアリーは気づかなかった。その独り言にも、その昏い視線にも。

 湿り気と静けさに満ちた地下道には、意外にもなかなかしっかりした明かりが灯されていた。石の隙間を影が流れている。

「……主要通路には照明が点いてるんだ」

 トビアの不満げな呟きは地下に反響し、消えていった。小さな灯りが揺らめく。メアリーはそれでも薄暗い足元に業を煮やしたように、紋章から左腕(レフト)を呼び出した。陽気な掌が辺りを見回し、トビアに気づいてその指を差し出す。その丸太のような人差し指を睨みながら身構えるトビアを横目で捉えて、メアリーは言った。

「大丈夫だよ、気のいいやつだから……レフト、《治癒(リカヴァリー)》」

 その言葉とともに、最下級の治癒能力が作動する。金色の光を纏ってサムズアップする左手を、トビアは気に入らない様子で眺めていた。メアリーが頷く。

「これでちゃんと見えるよね!いやー、暗いの嫌いだからさ!」

「……そうだね。僕も嫌いだ」

 トビアが言う。ふとその足が、止まった。

「悪いけど、やっぱり案内はここまでだ。僕は残る」

 その言葉に、メアリーが口をあんぐりと開ける。左手も慌てたようにその掌を振った。

「まだそんなことを……!残るって!?せっかく逃げられたのに!」

「僕は捕まってたわけじゃない。むしろ、あなたの言う危ない人達の側なんだ」

 トビアの眼が鋭さを増した。

「僕にはやることがある。いま、ここで。それを果たすまで離れるわけにはいかない」

「やることって……」

 メアリーは困惑したように言った。

「あいつらのやろうとしてることは————」

「————《冷凍光線(ケイモーン・アルパ)》」

 その時、その瞬間。叫ぶメアリーの背後を突如、光が襲う。冷気の煙が嵐のように立ち上り、メアリーはつんのめった。それを追うように、暗闇から冷徹な声が響く。

「【教会騎士】、ボスの説得は失敗したようだな」

 メアリーは知っていた。その声を。冷酷で氷のようなその言葉の主を。

 

「白色矮星……!」

 

 それは、氷の【高位従魔師(ハイ・テイマー)】。

「脱走者に与えられるものはふたつ。降伏か、あるいは敗死。お前は————」

 黒い服の女が暗がりから歩み出る。その傍らでは馬のような大きさの鳥が嘴を怒らせていた。女の白髪が灯を映して静かに煌めく。

「————後者のようだ」

 メアリーが疾駆する。その両側をアシュヴィンの両拳が舞い、金色の光を放つ。

「《癒しの息吹》」

 アシュヴィンの能力は治癒と再生。凍結した身体でさえも、容易く復元できる。だが、それゆえに、

「やはりガードナーとしては、三流のようだな!」

 白色矮星が両手を広げる。それを合図にして、巨大鳥————ウルルが突進した。【高位従魔師】により強化されたその体躯がアシュヴィンを蹴り飛ばす。その陰で、白色矮星は速やかに銃を抜く。

撃つ(ピロボロウ)!」

 魔術の弾丸が地下の空気を貫く。その二つは過たずメアリーの左鎖骨を砕き、右ふくらはぎを抉り取った。鮮血が黄金の治癒の光に交じる。

「白色矮星!」

 その後ろでトビアが叫ぶ。その声は抗議の色を含んでいた。

「僕に当たるところじゃないか!もうちょっとで……!」

「知ったことか」

 だが、女は冷たく切り捨てた。

「“自殺”の連れの子供……最初から気に入らなかったのさ。そして、脱走者の手助けときたからには、大手を振って敵だ」

 その弾が再び放たれる。咄嗟に顔を傾けたトビアの頬を掠め、背後の石壁が破片を吐く。

「安心しろ……ボスには明確に『脱走者と共謀の結果、処刑』と伝えてやる……だから、大人しく死ね」

 巨鳥が口を開く。その口腔で白光が膨張する。その純白が、仄かな虹色の輪郭を帯びた。光が炸裂する。

「《大冷凍光線(メガレーケイモーン・アルパ)》」

 暗い地下道を光線とともに氷結が塗りつぶす。アシュヴィンが凍り付き、氷に捕縛された。その合間を縫って走る銃撃がトビアに迫り……

「!」

メアリーの掲げた両手に止められる。

「なんで……!?」

「いいから!身体を小さくして!」

 叫ぶメアリーの身体を銃撃が刺す。飛ぶ血飛沫に、白色矮星が笑う。

「ふはははは!これは傑作だ、グルのお仲間の為に傷を受けるか!いいだろう、ならばそのまま……」

「《癒しの息吹(ヒリング・オーラ)》!」

 黄金の光が迸る。その発光と同時、氷の枷を割って、自分を癒したアシュヴィンが飛んだ。その行先は、メアリーのもとだ。

「……なるほどな」

 白色矮星が忌々し気に言う。

「ガードナーを防御に回し、その上で回復能力を乗せれば、遠距離で簡単には抜けない。ウルルの氷結も相性がいいとは言えない」

 アシュヴィンが拳を丸め、盾の姿勢を取る。<エンブリオ>から伝播する光がメアリーの傷を癒していく。【凍結】が消され得る以上、いたちごっこだ。

 

 であらば、戦い方を変えるのみ。

 

「《躍動的三分間(ウルル)》」

 

 宣言が響く。女が飛び乗る。そして、ウルルは跳躍した。

 

 ◆

 

 ■【寒輝凛冽 ウルル】について

 

 鳥のくせに、飛べないガードナー。有象無象からそう言われることは不愉快極まりなかったが、それでも白色矮星自身は自らの<エンブリオ>を十分愛していた。その白い翼は風に乗るためのものではない。空を不躾に漂うことなど、彼女の戦術ではない。ウルルにとって真の世界、それは、

「アシュヴィン!!」

『Gyaaa!』

至近距離での肉弾戦である。

 《躍動的三分間》の効果は至ってシンプル、かつ強力だ。時間を区切った自己強化のみの一点である。第六形態ガードナーの真髄を注ぎこんだ能力ゆえに、その強化率は凄まじい。

「貴様ご自慢の腕の化け物など、比較にならん!」

 ウルルの身体はいまや紅白に染まっていた。紅蓮の足蹴りがアシュヴィンの装甲を砕き、そしてまたーー凍らせる。

「氷結は健在、いや、更に、ってわけね……」

 メアリーが治癒の魔法を灯しながら言う。その顔は危機感にひきつっていた。

「氷と格闘のコンビネーション。真っ当に、強い」

「ああ。そして、ちょろちょろと彷徨き回るお前の<エンブリオ>を剥がせば治癒は消える」

 それはアシュヴィンの負う制約である。能力を発動するためには基本的に、対象者への接触が必要だ。

(広域型の《極大(マキシマム)》は無差別……差し引きゼロ。この状況じゃエネルギーの無駄。なら、自前で!)

「《サードヒール》!」

「《冷凍障壁(ケイモーン・ガンマ)》!」

 メアリーが拳を振るい、そして氷のオーラがその手を蝕む。極悪な凍傷が組織を侵し、ウルルの脚とかち合った指の欠片が飛んだ。一瞬の後、発動された治癒が働くが、不十分だ。

「アシュヴィン……」

「させん!」

 女が叫び、ウルルが吠える。その紅白の翼が風を叩き、氷風とともにその体勢を立て直す。深紅に染まった脚がローリングソバットのごとく両手を吹き飛ばす。そして、白色矮星はニヤッと笑った。

(いい位置だ。こちらの残り時間も決して多くはないからな……ここで決めてやる)

 その手が空を握る。その瞬間、あかがね色の光がぼんやりとあたりを満たした。メアリーの身体がゆっくりと宙へ持ち上がる。

「これって……!」

「【フライリカ】……《フライ》!」

 <劣級>の能力解放。飛行を得手とするフライリカが、その力をメアリーに対して行使している。奇しくもそれは、【降水王】の戦法に似ていた。

 【劣級飛行 フライリカ】はTYPE:テリトリーを僭称する<劣級(レッサー)エンブリオ>。エレメンタルの類いに類似したエネルギー生命である。非実体の疑似エンブリオ体が取り憑いたものを持ち上げることで飛行しているのだ。であれば、他人をも()()()()()、空中に拘束することなど造作もない。

「お前のガードナーは飛行できるが、お前自身は違う。空中で身動きは取れない、だろう?」

 白色矮星が噛み締めるように一言一言、言葉を吐き出す。その吐息が白く汚れていく。

「そして、この一瞬、それだけのことが、我が勝利を連れて来てくれる……」

 白い髪が逆立ち、紅白の巨鳥が膨張する。その紅の羽根が、脚が、嘴が、眩い光を帯びる。

「《冷凍爆弾(ケイモーン・オメガ)》」

 そして、必殺により強化された極低温の冷気が地下道の中空で炸裂した。全てを塗りつぶす白い光とともに。

  

 ◆

 

 ■【高位従魔師】白色矮星

 

「勝負ありだな」

 白色矮星は髪を上げていたバレッタを外しながら言った。首筋を柔らかな感触が撫でる。

 地下道は氷と霜に塗れていた。彼女の冬に征服された世界が白い悲鳴をこぼしている。視界の端には、氷漬けになったアシュヴィン、そのガードナー体が黒と黄金の粒子に崩れて消えていくのが映っていた。

 《冷凍爆弾(オメガ)》は《冷凍障壁(ガンマ)》の発展形。ウルルの纏った冷凍光線のオーラを周囲へと爆発的に広げる能力である。

(ただでさえ避けられるはずも無い……ましてやあの位置だ)

 先の白色矮星の位置取りは決して無意味なものではない。メアリーが守ろうとしていたトビア、その脆弱な体がメアリーに隠れるように、さながらウルルが月食の太陽であるかのように場所を定めた。

 トビアを守るためには動けず、フライリカの拘束により移動は不可能、さらに全周爆破が迫る。と、こういう筋立てだ。一度に大量の情報と選択を叩きつけて行動を縛る。彼女の好んで用いる戦術である。

「あるいは、あの子供も余波で死んだかもしれんな」

 それでもいい。あるいはそうでなくても、レベル〇の子供など塵芥に等しい。いともたやすく仕留められる。

 

 だがそこで、白色矮星は妙な違和感を覚えた。

 

 些細なことだ。おそらく、何でもないことなのだろうが、目の前の光景の何かが変だ。女の思考が一瞬、内面へと向き……同時に煙が晴れた。

「……!」

 白色矮星が思わず息をのむ。違和感の正体もまた、眼前に姿を現していた。そう、

 

「————《金色生命闘法(アシュヴィン)》」

 

光り輝く黄金色とともに。

 

「馬鹿な……いや、そうか、そうだったな……!」

 メアリーは必殺スキルを切っていなかった。治癒の<エンブリオ>、恐らく必殺も強大な治癒の能力だ。その効果で永らえたのだとすれば、不思議はない。

 だが、その全身は傷だらけだった。血の紅が染み付き、凍りついた皮膚がひび割れ、低温で損傷した体組織が青黒く肉に沈んでいる。凍死体とみなして差し支えない容貌だ。

 しかし同時に、その肉体は仄かな黄金のオーラを纏っていた。やさし気な光がさざめき、傷を癒していく。凍傷など瞬時に消え失せた。半ば死んでいたその身体が急速に再生していく。

 そして、その腕。

「その、腕は……!」

 両の前腕から掌まで。メアリーの両腕は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。白色矮星が呻く。

 違和感はあった。粒子になって崩れるさまが、今まで見てきた<エンブリオ>の消失と違っていたから。それはむしろ形態変化(Form shift)の様相、あるいは————

「融合型の……!」

「やああああ!」

 そして、メアリーが駆けた。無謀ともとれる一直線で、白色矮星に肉薄する。

(くっ……フライリカの照準が定まらない!速すぎる!)

 黄金の拳、アシュヴィンの手が風を割く。貫手がウルルの翼を抉り……しかしてその脚に止められた。

「調子に乗るなよ!」

 紅の爪が殺意に濡れる。《躍動的三分間》にはまだ猶予が残されている。

「防御を捨てた攻め、その稚拙さの報いだ!」

『Gyaw!』

 ウルルがその脚を一閃する。空中に引かれた紅の線は、

「今度こそ、致命傷ォ!」

無防備なメアリーの喉を即座に掻き斬った。

「これで……」

 だが、メアリーは止まらない。

 黄金の光が脈打ち、そして出血が停止する。筋肉が伸長し、皮膚が再結合する。そして何もなかったかのように、メアリーが攻撃を再開した。

 白色矮星が驚愕に怒号を上げ、ウルルもまた咆哮する。鳥類の金切り声が地下道を裂き、紅の羽根が威嚇するように膨らんだ。

「その治癒、そうか、お前の能力は……!」

 メアリーが蹴りを放つ。寸前で躱したウルルがそのまま間合いを取る。

「必殺の能力は……!」

 メアリーが踏み込む。その体重を載せた一撃が、正拳の輪郭を以てウルルに迫る。

「高速の……自動回復(オートリジェネ)!」

 凍結能力の壁を破って、拳が炸裂する。極低温の傷は一秒も保たずにかき消され、もろに拳を食らったウルルが悲鳴を上げた。

 

 ◆◇

 

 アシュヴィン。その名はかの知識の歌(リグ・ヴェーダ)に謳われる二柱、『馬を持つもの(アシュヴィン)』。蘇生と治癒を司るもの。ゆえに、《金色生命闘法(アシュヴィン)》もまた、その名に違わず絶大な癒しをもたらす。

 <エンブリオ>と融合したメアリーはその治癒能力を最大限に高め、()()()()させている。たとえどのような傷を負っても、即死しない限りは自動で再生するのだ。皮が、肉が、骨が、生命の息吹に満ち溢れている。

「《ホーリーランス》!」

「《冷凍光輪(ケイモーン・ベータ)》ァ!」

 輝きがぶつかり合う。その爆心地で、白色矮星は臍を噛んだ。

「なんたる再生力か……!」

 既にフライリカは引き戻し、ウルルの活動領域は三次元的拡大を果たしている。地下の閉鎖空間とはいえ、その程度の余裕はあった。

 空中をも足場にした半飛行格闘。戦術としては十分強力であり、メアリーに幾度も傷を与えている。致命傷寸前のものも少なくない。

(だが、全て無意味になる!)

 窮地だ。白色矮星の側にだけ、疲労とダメージが蓄積していく。紅白のウルルの羽根に、別の深紅が染み付いていく。

 なにより、回避に徹することも難しい。

「この速さ、自動治癒に加えて身体強化も載せているのか……?贅沢者が!」

 白色矮星は悪態をついた。

 金色に輝く少女は速く、直く、何より美しかった。黄金の軌跡に乗って、その手足が軽やかに舞い踊る。今、この瞬間、彼女は地を駆ける黄金の駿馬であった。その足取りが、鮮烈さを増していく。

「……だが、ありえない、ありえないぞ!あるいは間違いだ!」

 わめき声を乗せながら、ウルルが跳ぶ。それを追いかけてメアリーもまた跳躍する。

「お前、そんな能力……どうやってコストを!」

 メアリーの手に聖属性の光が点る。これが初めてではない。ましてや、彼女は既に幾度も回復魔法を使用した筈。

 白色矮星の見立てでは、必殺の自動回復もまたMPを消費して動作している。既にMPが枯渇して当然なのだ。

「【教会騎士(テンプルナイト)】ォォォ!」

 女が雄叫びを上げ、ウルルがメアリーを蹴りつける。そして、拳が右の翼をへし折ると同時に、深紅の脚がメアリーの防具の一部を砕いた。そして、その要が露になる。白色矮星が呆然と呟く。

「な……それは……!」

「なに?この回復増強アクセが気になるの?」

 その無邪気に首をかしげるメアリーを憎悪するように、白色矮星が叫ぶ。

「回復増強だと!?何の冗談だ……?それは、【MPブースター】だろう!」

 <遺跡>からのごく稀な出土品。先々期文明の遺した悪魔の発明品。カルディナで取引されている遺物のひとつ。

「MPを増幅する代わりに、付ければ寿命を……ッ!」

「寿命を、なに?」

「寿命を……」

 そう、初期ロット……通常の【MPブースター】は欠陥品である。その効果と引き換えに身体を蝕む装備品だ。ゆえに、使用者は多くない。

 だが、今のアシュヴィンとメアリーは治癒能力の化身。

「だから、これは回復力増強のアクセサリーなんだよ?」

 その言葉に、今度こそ白色矮星は絶句した。渇れぬ魔力。尽きぬ生命力。その双璧を前に、彼女に出来るのは……

「……ッ《冷凍重槍(ケイモーン・デルタ)》!」

 より苛烈な一撃のみ。

 纏われる凍気のオーラがウルルの嘴に集束し、さながら槍のごとく、氷結鳥が突撃する。鋭い冬が風を刺し、耳鳴りが響く。

(たとえ不死身の身体を持っていようと、即死は覆せまい……この一撃で、脳髄を砕く!)

 無謀ともとれる一直線で、その槍は進む。防御などもういらない。迫り来る敗北より速いスピードで、黄金の敵を貫くのだ。

消え失せろ(ペサーネ)ァァァァ!」

 躍動的な冬の槍がメアリーの頭蓋に突き立つ。霜が沸き立ち、流血が凍る。吹き出した鮮血が紅蓮の華を広げる。

 

 だが、そこまでだった。

 

 黄金が沸き上がる。冬の槍は砕け、メアリーの傷が癒える。ウルルの深紅が薄れ、増幅された力も萎え果てていく。白色矮星は静かに吐き捨てた。

「三分、か……」

 それが断末魔だった。鮮やかだった紅を喪失した大鳥が悲しげに鳴き、黄金の拳が女の頚を吹き飛ばす。冷たい光の塵の吹雪には、どこか口惜しさが滲んでいた。

 

 ◇◆◇

 

 □【教会騎士】メアリー・パラダイス

 

 氷の女は消え失せ、冬の鳥もまた輪郭を喪失する。崩れ去る彼らのあとに残されたのは、黄金の【教会騎士】だ。

 メアリーが頭を振る。額の重傷がみるみる再構築される。だがその直後、アシュヴィンの輝きは急速に弱くなり、吹き消される蝋燭のように消失した。

 メアリーの両腕が膨らみ、そして黒褐色へと変じたアシュヴィンが分離する。

(傷は全快……けど、あと三十分くらいは使えない)

 《金色生命闘法》は治癒能力のリミッター解除。それを終えてしまえば<エンブリオ>のスキルシステムは焼け付き、使えなくなる。冷却と修復が終わるまで、アシュヴィンの一切の治療は封印される。それゆえにか警戒心を増した睥睨が、とあるモノを近くに捉えた。

「……?これは……」

 少しだけ臆病になった手付きで、メアリーは白色矮星の身体があった場所を探った。あたりの純白の霜の輪郭は、そこにだけ人間大の空白を作っていた。

 メアリーの手が何かを握る。その小さななにか、煌めくそれは、

「……ッ!」

()()()()()()()()だった。

「これは……まさか、これが……!」

 そして、メアリーの意識に情報が流れ込む。名称、形式、そして、提言。

『ゴ命令ヲ』

 メアリーが振り返る。さっきより幾分くっきりした輪郭で、あかがね色のソレは繰り返した。

『当方フライリカ。ゴ命令ヲ』

「<劣級(レッサー)エンブリオ>……!」

 メアリーが思わず言葉をこぼす。それを気にもとめず、フライリカは再三希求した。

『現在、(コア)ノ所有権ハ貴方ニアリマス。所有者殿(マスター)、ゴ命令ヲ』

 <劣級>は核に触れた人間に従う。それは本能であり、絶対の根幹プログラムだ。

 <エンブリオ>は従属キャパシティを圧迫しない。それを直接再現するのは不可能だったが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()であれば、結果としては同じことだ。ゆえに、メアリーの命令もまた効果を持つ。

「えっと……取り敢えず大人しくしてて?」

『了解。フライリカ、待機状態(スタンバイ)デ停止』

 あかがね色の光が揺らぐ。フライリカは身じろぎをすると、殻に籠る貝類のように、自らの核へ戻った。そして、

「……!」

同時に静かなトビアがメアリーに飛びかかった。

 レベル0の子供の仕業とはいえ、現在はメアリーのAGIも非戦闘状態に移行している。速さはイーブン、ゆえに彼女の掌の上の<劣級(レッサー)>は……

「……だめ!」

……間一髪奪われなかった。

 メアリーがその核を握りしめ、地面を転がるトビアが叫ぶ。

「それを、寄越せ!」

「君、どうして……!」

「いいから、寄越すんだ!」

 トビアの形相が歪む。その手が一瞬で小さな銃を掴み、ホルスターを投げ捨てた。銃口が小さく光る。

「これは火薬式だ、僕の力でも威力を出せる……その<エンブリオ>を寄越せ!」

 メアリーが躊躇い、しかし首を振る。卵のような<劣級>を懐にし舞い込み、メアリーがトビアを見つめた。

「……寄越せ!」

 銃口が揺れる。しかし、引き金(トリガー)は動かなかった。メアリーが呟く。

「そんなもの、降ろしてよ」

「……断る!」

「なら、なぜ撃てないの!」

 メアリーが叫ぶ。

「撃ちたくないんでしょ?やめてよ、君はそんな子じゃない筈だよ!この<劣級>だって、正体を知れば欲しくなくなる!」

 トビアの瞳が揺れる。罪悪感と苛立ちに。()()()()拳銃を握る手が少しだけ緩む。傲慢な愚者。そして、偶然の詐欺師。

「僕の何を知ってるっていうんだ!」

知らない人(あたし)に親切にしてくれたじゃない!君は良い子だよ!」

「それがどうした!それとこれとは話が別だ!」

 トビアが思わず絶叫する。指先から爪先まで、雷のような怒りが走っていた。

「僕は<エンブリオ>を手に入れる、そのためならなんだってする!そう誓ったんだ!」

 その怒りに、微かな悲哀が混じっているようにメアリーには見えた。トビアの幼さを残した眼差しが、どす黒く濁る。

「子供扱いするなよ、僕にためらいはない!迷いや恐怖に立ち止まるやつらとは違う!人だって躊躇なく殺したことがある!僕は……!」

 致命的な堰が、

「僕は、強い!」

切れた。

「そうでもなきゃ、意味がないんだ……!」

 銃弾が放たれる。その弾は、メアリーが膝を曲げ躱そうとするその反射すら計算に入れて、正確に彼女の眉間へと命中した。

 

 だが、純然たるENDがそれを受け止める。

 

 【教会騎士】を筆頭に貯えられた彼女のリソースは、決して市販品の銃弾でやすやすと貫けはしない。どくどくと流れ出す鮮血、それが限界であり、悪手の証明だ。

「《ファーストヒール》」

 そして、その銃創も虚しく消えていく。鉛弾が落ち、メアリーが血を拭った。その唇が悲しげに動く。

「これは、<エンブリオ>なんかじゃない」

 そして、メアリーは語り出す。

「本物じゃない……それを真似て造られた偽物……」

 トビアが戦慄に震える。

「<劣級(レッサー)エンブリオ>……そういう名前の、寄生モンスターに過ぎないの」

 トビアが目を見開く。少しだけの沈黙が通りすぎていく。ちっぽけな身体を見下ろして、メアリーはもう一度口を開いた。

「ねぇ、教えてよ。君はどうして、<エンブリオ>が欲しいの?あたしに……あたしに、聞かせて?」

 

 ◇◆◇

 

「僕の村は、マフィアに焼かれた……」

 トビアは口を開いた。妙に滑らかな言葉が流れていく。

「家族も、友達も死んだ。黒焦げになったんだ」

 メアリーが息を飲む。トビアは感情を静かに滾らせながら言った。

「だから、力が欲しいのさ、僕は!」

「復讐なんて……!」

「違う!」

 トビアが否定する。

「さっきから、僕を勝手にわかったような……!恨みなんかない、僕はただ……」

 トビアが言葉を切り、メアリーを睨み付ける。

「はっきり知ったんだ、この世界がそういうものだって!善悪なんてない、強いやつにはそんなもの通じない。出来るからやる、なるようになる、それだけだ!だったら、僕だってそっちへ回ってやるんだよ!」

 そのためなら、なんでもやる。人道は壁であり、躊躇は弱点だ。

「寄生モンスター?だからどうした、結果が同じなら、望みには十二分だろ!」

「人が死んでるんだよ!?」

 メアリーが絶叫した。

「<劣級>の材料は人間……生け贄なの!あいつらはこの都市の人間を使ってもっと強いやつを造るつもりなんだ、それで良いの?!」

「くどい!そんなの、僕に関係ないだろ!」

 トビアは一歩前に踏み出した。

「僕の家族じゃない!僕の友達じゃない!顔も名前も知らないやつらを犠牲にしたって、今さら心なんか痛まない!僕は、強い心を手に入れたんだ!」

「暴力は強さなんかじゃない、人殺しとか犠牲とか、そんなのは強さなんかじゃない!」

「なら、ここで死んでみろ!」

 トビアが間合いを詰める。手を伸ばせば触れる距離で、視線が交錯する。

「死なないくせに、ちゃんと生きてもいないくせに!死にたくないって本気で思ったことあんのかよ!なぁ、人間モドキ(マスター)!」

 泣きそうな顔で、トビアが叫ぶ。その表情を咀嚼するように、メアリーもまた引きつった顔で返した。

「だからって、この街を壊すの?それは、君の村を焼いたやつと同じじゃあないの?」

 トビアが心底不快そうに顔を歪める。軽装鎧の上から<劣級>を押さえて、メアリーは言った。

「あたしは君と似てる人を知ってる。不幸の形を自分の頭で決めてる人を。でも、理屈じゃないよ、本当は!」

 メアリーもまた、一歩間合いを詰める。

「悲しいんでしょ!?家族が殺されたから!だったら、それを理由にして他人を傷つけないで!」

 トビアが唇を舐め、しかし押し黙る。その瞳が冷静さを取り戻し、表情が冷えていく。次の瞬間、即座に踵を返したトビアが通路の奥へと駆け出した。

「……ッ!アシュヴィン!」

 粘りつく闇の奥へ、少年が走り、そしてそれを一対の腕が追う。褐色の大きな掌は、容易くトビアを掴み取った。

「行かせない……!」

「離せ!」

「行かせない!」

 メアリーが宣言する。

「君を行かせたら、君はやつらに協力する……そんなのは、駄目!」

「独り善がりの……クソ女が……!」

 トビアが歯軋りを鳴らし、石床を叩く。

「<マスター>なんか大嫌いだ……!いつも勝手を通して!」

「それでも良い!あたしの勝手で良いから、もうやめて」

 メアリー・パラダイスは言った。真剣な顔で言った。

「……あたしは多分、君の不幸を埋められない。でも、人殺しは許せないし、君みたいな子供がそれの片棒を担ぐのも見過ごせない」

「それで……僕を捕まえるのか?」

 トビアが絞り出すように言う。

「正義のつもりで?僕を選ばないのは所詮、あんたの適当な感傷だろ……!」

 灯りが揺れる。

「力を手に入れられないなら僕は終わりなんだ……一生を、世界の脇役(ティアン)で生きろって言うのか!あんたが僕じゃなくてその他のやつらに味方する理由はなんだ!答えろ!」

「この街の人々は君の敵じゃない……」

「あぁ、敵じゃない。だからって味方になると思ったのかよ?僕が大事なのは僕の望みだ、そのために……」

だったら(ゼン)!」

 メアリーが叫び、アシュヴィンがトビアを持ち上げる。苛烈な視線がぶつかり合う。

「だったら、あたしが叶えてあげる、あなたの望みを」

「へぇ、<劣級エンブリオ>をくれるの?」

「違う……」

 メアリーがいささか向こう見ずに言う。

「誰も犠牲にしない、君も満足する、第三の選択を」

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 □■カルディナ 冶金都市グロークス上空 高度一万メテル付近

 

 そこには、薄っぺらな風だけしかなかった。対比される大地や海はない。主観の中心で、座標が霞んでいく。眼下には扁平な曇天が広がっていた。

『速度良好。周囲の異常無し』

 そんな場所に、ソレはいた。

『【降水王】の能力も範囲外……あのお方の演算通り。やはり発破の意味はあったようで』

 両手には白手袋。服装は仕立ての良いスーツ。そして、頭部にも……巨大な白手袋。

『ホーンズの越権行為?それはそちらにお任せしますよ、私の任務はこちらですので……はい、他の班はグランバロアの方面で手一杯でしょうから』

 少しだけ人の形からは外れている、異形の人物。

『ええ、回収と接触……場合によっては破壊。資料は其方にもお送りした筈ですが……あぁ、申し訳ない』

 ソレは通信音声越しに深々と右手型の頭を下げ……

『なにぶん、自由落下の最中なもので』

垂直に落下しながら、雑音を詫びた。

『しかし、利益相反にすらなりえるというのに。スポンサーというのは恐ろしいものです。だからこうして任務を遂行出来るという訳ですが』

 頭上の“黒”をちらっと見上げ、ソレは呟いた。眼下に雲が迫る。【降水王】の天候魔術を見下ろして、ソレは再び頭を下げた。

『では、任務完了の後に』

 ジャムライカ……エリコの能力圏内へと侵入し、通信が途絶する。水蒸気が凝結し、白い線を描く。

『音声記録。任務コード10066』

 ソレは手袋頭をはためかせて独りごちた。

『これより、対象に接触。冶金都市防衛圏内へと降下する……《変身(メタモルフォーゼ)》』

 分厚い雲へと彼がダイヴする。その直前、その身体の輪郭は露と消え失せた。

 

 To be continued



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第十四話 ロングレンジ輪舞曲(ロンド)

 

 □■冶金都市グロークス

 

 雨が煩かった。耳を塞ぐそれは静寂よりも少しだけ、冷たい。

「なぜ生きている……」

 ユーリイは言った。

 目の前の女、猫人間の【(シャドウ)】は確かに死んだ。そのはずだった。四肢を切り飛ばし、頭蓋を砕き、光の塵へと変えた。

(《影分身の術》は考慮して戦術を組んだ。未知の因子なら……)

 リンダの<エンブリオ>(カルニヴォラ)、猫化能力の必殺スキルか。

(あるいは、運よく特典武具でも隠し持っていたのか。どちらにせよ、あの状況から逃れるとはたいそう強力な手札ーー)

「ーーつまり、二度は使えない……でしょう?」

 重心を揺らし、臆することなくユーリイが駆ける。その傘の一撃は、【影】の速さには程遠いが……やりようはある。

(右、そしてさらに後ろ……あと七手で彼女は一瞬立ち止まる。右中段から振り抜いて……)

 ユーリイにとって素人の動きなど容易く予想できる。それが彼の本職であり、そのための訓練を受けているからだ。AGIに劣るとしても、立ち回りを誘導し、確実に大技を当てられれば問題はない。

 だというのに、リンダはニヤリと笑った。

「あたしが、ノコノコと出てくるほど馬鹿に見えたのかい?」

「……?何を……」

「せっかく生き残ったんだ、対策を打つのは自然じゃない?」

 ユーリイが目を見開く。その足取りが僅かに乱れ……

「《午後三時の電信柱(タンムーズ)》」

その足元から突如、石と金属が迫り上がった。

「植物……?いや、建造物か!」

 ユーリイが足場を崩され、そしてその後頭部に火を噴くミサイルが迫る。

「《溶解弾頭の章(メルト・チャプタ)》」

「……ッ!《耐爆シールド》!」

 広げた傘がミサイルを防ぎ、しかしてその着弾部が溶解する。穴だらけになった雨傘を畳み、ユーリイが跳躍する。

 だが、その頭上を金属と石の森が覆っていた。

 まるで雨林のように増殖した電信柱が支柱や電線を伸ばし、天を遮っていく。電線が走り、金属の枝が伸びる。セメントが膨らみ、それら全ての影が地上を染めていく。都会的な森はその深さで、降りしきる雨を受け止めていた。

 空中でユーリイは銃口をかざした。彼の雨を防ぐものは、全て排除するのが当然の理屈だ。

 だが、その無重力の軽やかな身体を突如、突風が吹き飛ばした。

「《トルネイド・グレネイド》」

 風属性の<エンブリオ>がユーリイを木の葉のように翻弄する。回転する視界で、ユーリイは見た。

 

 周囲の街並みから立ち上がる、雨傘の集団を。

 

「……まさか」

「……あたしが今まで、暇を潰してただけだと?違うだろ」

 リンダが呟く。

「集めてたのさ、あんたに勝つための……対策部隊(レジスタンス)をね」

 ユーリイの能力はある程度割れている。そして、直接()()()()リンダ自身の持つ情報をも盛り込み、彼女は組織していたのだ。

 

 対【降水王】に役立つ<マスター>を。

 

「かかれェ!」

 リンダが叫び、傘を差した集団が唸りを上げる。飽和攻撃の波がユーリイに向かって集中した。

「……いくら戦闘が巧くっても、この数で同時に攻められちゃ捌ききれないだろ?」

 リンダが笑う。ユーリイの技巧は相手の動きを読み、最適な位置取りに誘導することだ。手数で攻めれば動きを潰して追い込める。

(確かに、分が悪い……)

 さっきまでとは違う。彼らは全員、アイテールの雨に対策を持っている。その上で集中砲火、さらに雨を遮蔽する電柱。戦闘条件はイーブンであり、そうなれば非戦闘職ベースのユーリイは純粋に不利だ。

 だから、ユーリイは振り返った。

「ブラーさん!援護を!」

 その言葉には、珍しく焦りが滲んでいた。

「ここまで来て、まだ、僕らと敵対したくはないでしょう!いい加減に協力を!」

「あぁ、いいともさ、シュトラウス」

 宙に浮いたブラーが言う。その頬を流れ弾が掠め、髪が風になびいた。

「まったくだ、僕が愚かだったよ、これからは心を入れ換えて君に忠誠を誓おう……協力するよ、心からね」

 右腕の機械鎧が動く。排気が湿った空気を吹き飛ばす。

「僕としても君たちと事を構えるのは嫌だからね、先輩の指示には従おうじゃない」

 その素直な言葉に、ユーリイは思わず悪寒を感じた。ブラーが笑う。

 

「確か……『僕らのようなレベルの戦力を一ヶ所に集中させるのは効率が悪い』だっけ?」

 

 その言葉にユーリイは顔をひきつらせた。嘲るように、ブラーが空中で一回転する。

「あァ、実に……その通りだ、頭が下がるよ、ご高説通り僕は他の場所を担当するとしよう!」

「……!」

『じゃあな、せいぜい頑張れよ、【降水王】!』

 スラスターが焔をあげる。進路上の全てを切り裂いて、アシュトレトは飛翔した。後に残されたユーリイが叫ぶ。

「ブラァァァ!」 

 そして、集中砲火が降りしきる雨とその主を吹き飛ばした。

 

 ◇◆

 

 □【影】リンダ・シリンダ

 

「“死んでた”のか?お前」

 グリゴリオは言った。

「今までどこにいたんだ」

「いろいろさ。敵を騙すにはまず味方からって言うだろ?」

 グリゴリオを正面から見据えて、リンダが言う。頬の泥はねをその手が拭った。

「あいつにやられた後、この都市を回っててね。片っ端から<マスター>に声をかけて、【降水王】を包囲してたんだよ」

 得意気なリンダにグリゴリオとシマは首をかしげ、そしてユーリイを見上げた。

「勝てるのか?」

「“雨傘”の能力は、雨を浴びなきゃそこまで怖くない。まぁ、一旦術中に嵌まっちゃうと難しいけどね、逆に言えば、先手を取れればこっちが有利にもなれるさ」

 雨は封じた。正確には、増殖する電信柱のタンムーズが遮っている。重量剥奪の雨さえなければ、あとは遠距離主体の攻撃部隊で擂り潰せる。自らの無重力化によるマニューバは、気流操作の能力を集めて殺す。そういう計算だ。リンダがニヤリと笑い、そして視線を動かす。

「で、あんたは無事なのかい?」

「無事に見える?」

 路傍のAFXが呟く。その息は荒く、足取りはふらついていた。

「右手が現代アートだよ……」」

「【石化】の中和剤は山ほど買い込んだけどさ……あんたは使わないほうがいいね。【劣化万能霊薬(レッサーエリクシル)】にしときな」

 リンダが投げた瓶を左手で掴まえたAFXは、目付きを鋭くして言った。

「“自殺(スーサイダー)”は追わなくていいのか?」

「追ってる。けど、追い付けないね。飛行型は今()()()()()()()

 リンダはそういうと、頭を振ってAFXを見た。

「ていうか、こんな話してないで早く行きなよ!メアリーを助けるんだろ?」

「いいのか?」

 AFXが尋ねる。リンダは力強く頷いた。

「あんたたちみたいな傷だらけの前衛、戦力にゃならないよ。ここはあたしに任せな!」

「ありがとう」

 AFXが走り出す。それを追うグリゴリオとシマを、リンダは呼び止めた。

「あ、ちょっと待って」

「……なんだ?」

 振り向くグリゴリオに、リンダがとあるものを差し出す。それは、

「アイテムボックス?」

指輪型の“匣”だった。

「秘密兵器さ。使わないならそれに越したことないんだけどね」

「……?あぁ、わかったが」

 グリゴリオが駆け出していく。その後ろ姿から視線を離して、リンダは一息をついた。

「さて……」 

 そして、頭上で濃灰色の煙が炸裂した。

 ユーリイの虎の子、【石化】ガスだ。触れれば皮膚からじわじわと石になる。足止めと牽制を兼ねた広範囲の一手。だが、

「そりゃあ、効かないね」

リンダは嘲るようにナイフを投擲した。

 彼女とその協力者たちは全員、【石化】対策の中和剤を服用している。効果時間は一時間、ユーリイの雨傘(エシ)の石化能力は通用しない。

「……《クラスター・バン》」

 ユーリイが傘を畳む。その石突から放たれたクラスター弾は、リンダ率いる雨傘部隊に襲いかかった。リンダが右手を上げる。

「防御!」

『《キネティック・レジスト・ウォール》』

『《キネティック・レジスト・ウォール》』

 雨傘部隊が輪唱する。運動エネルギーを減衰する障壁は、幾重にも立ち塞がって彼らを守った。

 遠距離の撃ち合いなら数の多いほうが圧倒的有利だ。それを察したのだろうユーリイが跳躍し、空を蹴って加速する。

(接近戦か)

「《嘆きの風(グリーフストーム)》」

 そして、それを大風が吹き飛ばした。

「ナイスだよ、風使い」

 ユーリイは自らの体重を消すことで、AGIの不足を埋めている。有用な戦術だが、それはそよ風にすら吹き散らされる弱さと裏表だ。ならば、気流操作の能力ーー<エンブリオ>を集めることも、当然の対策。

「……」

 ユーリイが眼を細める。次の瞬間、再度放たれた【石化】ガス弾が屋上を中心に薄く大気を汚した。

「なぜ……?」

 リンダが思わず硬直する。毒ガスの意味がないことなど再三の攻防で分かっているはずなのに。そして、

「風使い!」

リンダは叫んだ。

「今すぐガスを吹き飛ばせ!全部だ!」

『……大技にはまだ早いのでは』

「早くしろ!いいから!」

 そのほほを冷や汗が伝う。

「手遅れになる前にーー」

「《ヒート・ガトリング》」

 赤熱した機関銃が降り注ぐ。雨傘部隊は再度の輪唱でそれを受け止めた。発光する結界が幾重にも屹立する。

 その頭上を飛び越えて、ユーリイが仕掛けた。

「ッ……!《嘆きの風》!」

 鋭い暴風が【降水王】を襲う。その手前で、ユーリイは空を蹴った。転がるように、その乱気流の下を潜り抜ける。

『なぜ避けられ……ガスか!』

 風使いの男、黒のガスマスクが叫ぶ。

『ガスの動きで俺の風を……!』

「《グレネード・ボム》」 

 雨傘が炸裂する爆弾を吐く。傘を差した結界部隊は避けられなかった。防御のために足を止めていたから。その一瞬の遅れが、致命傷になる。

「……」

 そこにいた二人の【結界術師】が火達磨になった。炎が走り回り、脆弱な魔法職が崩れ落ちる。燃え盛る焼夷をバックに、ユーリイはあたりを睥睨した。

「……懐に入られれば、脆いものですね」

 石突を構える。金属の礫はまた一人、銃使いの頭を撃ち抜いた。リンダが右手を振る。

「近接部隊!カバーしろ!」

『しかし、作戦では……』

「言ってる場合か!」

 言いながらリンダは吶喊した。AGI型からなる近接部隊がその後に続き、ユーリイを取り囲んで突撃する。ナイフ、警棒、ジャマダハル、種々の武装が閃く。だが、

「それは悪手でしょう」

ユーリイは意に介さなかった。一瞬で攻撃網の穴を見抜き、跳ぶ。

「あなたがたの作戦は分かりますよ。オブジェクト生成に特化した電柱の<エンブリオ>で雨を防ぐ。遠距離と気流操作で僕の体重軽減を解除に追い込み、近距離のAGI戦闘で囲んで倒す。悪くない作戦です」

 ただしそれは、予定通りに進むなら、だ。

「暴風とロングレンジ攻撃で無重力を解除させられなかったのは痛手でしたね。今、前衛を展開することは、後衛の射線を遮るだけですから」

 そして、ユーリイは観る。彼らの動きを。焦るリンダの視線を。

 リンダはよくこらえていた。冷静に努めようとしていた。それでも一瞬、このユーリイの余裕綽々な態度と脅威の感覚に、瞳を動かしてしまった。

 

 ーータンムーズの<マスター>のほうへ。

 

「成程、そこですか?」

 ユーリイが空を走る。風を切って肉薄する。気を持ち直したAGI型が追随するが、届かない。

「一手、遅かったですね。そして、“モスクワも1コペイカの蝋燭で焼け落ちる”」

 タンムーズの主は小柄な魔法職だったが、むさむざとやられるつもりはなかった。両手を広げ、成長する電信柱を槍のように打ち出す。それをユーリイは軽々と躱した。

 どれほど特殊な能力であっても、扱うのは人間だ。人間なら知っている、その思考も、動きも、弱点も。

「ここでも、心は変わらない」

 傘を槍のように構える。あと一秒足らずで、その石突が頭蓋に突き刺さる。そして撃つ。それで、彼は終わりだ。

 だが、

「《どこにでもいる(ステュムパリデス)》」

その姿が消え失せた。

 ユーリイの傘が、男の頭があった場所を手応え無くすり抜ける。そして、さっきまで彼の心臓があった部分には、

『Gyaw!』

一羽の鳥が嘴を尖らせていた。

「……!」

 ユーリイが息を呑む。何か仕掛けられた、という感覚に任せて身体を咄嗟にひねり……

「《グロウ》」

次の瞬間、その鳥が弾いた弾丸がユーリイの左腕を抉り、上腕骨を粉砕した。筋肉が裂け、左手の全感覚がロストする。種の弾丸は瞬時に発芽し、ユーリイを左手ごと吹き飛ばした。

「カーク……!」

「あァ、やっとだな」

 空中。ユーリイが猫のように跳躍し、カークは嘲笑う。血まみれの狙撃手は、尖塔の半ばで踞っていた。

 そのそばにはタンムーズの主が倒れている。状況を理解できない、といった顔だ。それを一瞥もせず、カークがクツクツと笑う。

「敵を騙すにはまず味方から……至言だなァ、おい、良い様じゃないかよ、先輩」

 血の気の失せた顔でカークは笑う。ひたすらに、飽きることもなく。

「テメーの読みはすげえよ。超人だ。視線?体重変化?身体のクセを読み取って動きを予測する、それを多人数相手にやってのけんだからな……俺の単なる反射狙撃だって、当てられないように立ち回ってた」

 それはユーリイの心髄に染み付いた警戒だった。背中を空けるな。無防備になるな。隙を自覚しろ。敵の動きには必ず意図がある。

「けどよォ、存在しない意図は読めねえよな?」

 カークの存在は作戦に入っていない。勿論ユーリイはカークの能力を把握した上で考慮に入れていたが、今このタイミングで何をするかは読めなかった。その意識は雨傘部隊の誰にもなかったからだ。

「必殺ですか」

「おォよ」

 再び沸き立つ戦場をすり抜けながら、ユーリイが尋ねる。その左手はボロ布の如く損傷していた。ユーリイが疑義に口を開きながら、ドロリとした硬化性樹脂で止血をする。

(<劣級>の核を損傷しましたか……もう一撃でも食らったら砕かれかねませんね)

 油断無く周囲を睨むユーリイに、カークは快く答えた。

「あんたにも教えてなかっただろ?知らないものはどうしようもないよなァァ!」

 ユーリイが空を蹴った。カークがそれを見てますます高笑いをする。

「光栄だね、俺を脅威だと認定したか!全くさァ、調子がいいぜ!」

 そして、その姿が消えた。代わりに現れた鳥が、弾丸を射出する。

 それをユーリイは大きく飛び上がることで避けた。追加されたもう二つの弾道が眼下で延びていく。

 ここまでくれば、能力は明らかだ。鳥のレギオンと人間の位置交換。ステュムパリデスの鳥はそのまま銃口になる。

(制限付き転移。連発に際し躊躇がない……おそらく回数制?他人にも適用できるのは厄介この上ないですね)

 最悪なのは、ユーリイ自身に使われることだ。強制的に位置をずらされては戦えるものも戦えなくなる。極論、閉所に転移させられれば詰みだ。

 予測も通じにくくなった。単なる交換転移に予兆などない。薄い連携から読むのも難しい。主たるカークは既に隠れてしまった。

「《影分身の術》!」

 そして、リンダたちもいる。

 数は力だ。ユーリイが対抗できていたのはひとえにその戦闘技巧ゆえ。読みゆえだ。

「《どこにでもいる(ステュムパリデス)》」

 影分身リンダたちが鳥へと変じる。微妙にタイミングをずらした狙撃のひとつが、ユーリイの脚を掠めた。

 読みきれぬ変数が増えてきた。【降水王】ユーリイ・シュトラウスは、確実に追い詰められていた。

 

 ◇◆◇

 

 □【大戦士】グリゴリオ

 

 穴はすぐに見つかった。半ば瓦礫に埋もれていたが。

「クソッタレの“自殺”め」

 グリゴリオが悪態をつきながら瓦礫を蹴り跳ばす。地下通路の入り口は黒々とその顎を広げていた。

「因縁でも?」

「あぁ。少し前にな」

 尋ねるAFXに、グリゴリオはそう返すと、最後の瓦礫を塩に変えて砕き割った。

「つまらない話だ。あいつが騒動を起こして、俺が巻き込まれた。トラブルを起こすことにかけちゃ天才的だからな。結局指名手配されてカルディナを離れた筈だったんだが」

 あいつが<劣級>を手に入れたら最悪だ、とグリゴリオは続けた。調子に乗ってどんなことをしでかすか、知れたものじゃない。

 穴に飛び込んだ三人は、すぐに顔をしかめた。地下通路らしき構造はしっかりとその輪郭を保っていたが、粉塵と瓦礫に汚れ、明かりもなかった。

「灯りはあるか?」

「少しならね」

 AFXはそう言って、ライター型の装置を鳴らした。ポン、と音がして、黄色い光が小さくその先端に浮き上がった。

「長くは持たないよ、使い捨てだから」

「十分だぜ」

 シマが呟き、刀を振るう。十文字の刀傷が捻れ、目の前に立ち塞がっていた金属の扉をこじ開けた。

「で、パラダイスの嬢ちゃんはこの先かィ?」

「とりあえず、進むしかないよ」

 AFXはそう言って、門扉の残骸を跨ぎ越えた。

 地下通路は少しずつ下っていた。壁際にはちろちろと冷たい汚水が小川を作っていた。

 AFXはその湿気に眉を潜めた。湿っているのは嫌いだ。身体が痒くなる。子供の頃からそうだ。

「……“自殺”は子供を連れてた」

 AFXはふと思い出して呟いた。

「ティアンの子供を。それは?」

「知らないな」

 グリゴリオが唸る。あのろくでなしが子供に優しいとも思えない。最後に会った時、“自殺”はカルディナの児童養護施設の上空で純竜級のスカンクを爆破していた。最悪の思い出だ。

「覚えておけ。世の中には痛覚以外の苦痛も腐るほどある」

「……?あぁ、そうだね」

 AFXは頷いた。シマが横から口を出した。

「ティアンの子供には、それなりの使い道もあるぜ……生け贄とかな」

「悪趣味だぞ、シマ」

「共犯だよ、多分」

 AFXは静かに言った。ライターの灯りは揺れ、少し小さくなった。

「“自殺”が脅迫してるようには見えなかった」

「そりゃ、珍しい」

 グリゴリオが足を濡らす水溜まりを睨み付けながら言った。

「……ティアンの子供か。欲しがりそうなものは、あるな」

「<劣級>?」

 子供へのプレゼントには向かない品だ。AFXは考え込んだ。

 ならず者や、あるいは逆に国家権力なら<エンブリオ>の噂を聞き付けて来るのも分かる。だが、只の子供にそんな欲望があるものだろうか?

「……とにかく、敵だね」

「子供がかよ?少し大袈裟じゃないのか?」

 呆れたように肩を竦めるシマに、AFXは首を振って見せた。

「子供だからって弱いとは限らないよ。レベルさえ上げてればいい」

 ティアンでも<マスター>でも、戦闘力の基礎はジョブの器によって定められる。肉体のスペックなど、何の参考にもならない。

「正論だな」

 グリゴリオは壁を蹴り飛ばした。石の壁は崩れ、その向こう側を露にした。

 そこには、少しだけ広い空間が広がっていた。まるで地下納骨堂といったふうな雰囲気だ。反響が抜け、水の滴る音が木霊していく。石造りの天井は緩いアーチを描いていたが、半ば崩壊しかかっていた。

「それで、スカンクって?」

「聞きたいのか?」

 グリゴリオは顔をしかめた。

「あれは、俺が<UBM>を探してた時のことだった……」

 三人は湿っぽい石畳を歩いた。足の裏では、老いぼれた犬の水分補給みたいな音が鳴っていた。グリゴリオは道すがら話し続けた。

「……盗賊に襲われて……」

 納骨堂は広かった。そして水に浸かっていた。同じような意匠で造られた地下堂たちが、壊れた扉越しに連綿と奥へ続いていた。

「……美術館では入館料を払ってくれ、と……」

 気温は地下の常として、冷蔵庫じみたレベルの低温だった。点在する照明もまた、冷たい灯りを点していた。

「……それで、俺は言ってやったんだ。その帽子は悪趣味だってな……あァ、クソ!」

 グリゴリオは突然、足を滑らせた。石床に掌を突き、身体を支える。バランスを取りながら、悪態をつく。

「……水はけの悪い!危ないったらありゃしねえ」

 グリゴリオが腹立たしげに床を見つめる。その身体が起き上がろうとして……

 

 その一秒後。さっきまでグリゴリオの頭があった場所、その後ろの壁が粉々に砕け散った。

 

「……!?」

 三人が即座に身構える。そのAGIが日常レベルから戦闘レベルに引き上げられ、世界が減速する。そして、

「あらあらァ、外してしまったわね……運のよいこと」

挑発的な声が響いた。

 

 ◆◆◆

 

 □■冶金都市・地下部

 

「テメェ……!」

 シマが刀を振る。闖入してきた声を、彼はよく知っていた。そして、グリゴリオもまた。

「出会い頭に人様のドタマをブチ抜こうとは、惚れ惚れする礼儀作法だな……」

 その手が鉈を握る。瞳が戦意に滾る。

「そうだろ?レディ・ゴールデン!」

「ふふふ……」

 その視線の先では、肥え太った淑女がニマニマと笑っていた。成金趣味のような服装。揺れる贅肉。

 少し前に彼らを襲った“通り魔”の一人、【金雷術師】レディ・ゴールデン。

「お久し振りねぇ……こちらの時間で、二十時間と少しかしら?」

 その顔、彼女の笑みが歪む。

「屈辱の時間だったわ。十分に思い知らせなければ、到底満足できない」

「許すことが幸せへの道だぜ」

「お黙り!」

 レディが吠える。イチゴのようなイヤリングがカラカラと鳴った。

「セラピストのつもり?足元を見てごらんなさい!」

 その言葉通り、三人は足元の床に目を落とした。

「高濃度の食塩水よ」

 その言葉に、グリゴリオが目を剥く。レディの左手から這い出てきたフルゴラが、してやったりとばかりに尾をその水浸しの床へと垂らした。

「貴様……」

「このために仕掛けておいたのだもの!塩水は電気をよく通すの……忘れちゃいないわよね?」

 紅の唇が裂けるように笑った。言葉が踊る。

「《雷庭(ガルテン)》」

 そして、電流が迸った。雷光と紫電が跳ね回り、ぱちぱちと愉しげに歌う。だが、

「チッ……」

レディは小さく舌打ちをし、目を細めた。

 飽和寸前の塩化ナトリウム水溶液だ。通電性は申し分ない。フルゴラの電流なら一秒で丸焦げの筈だ。

 だが、眼前の光景は違っていた。

「……《塩害(メラハ)》」

 グリゴリオが鋭く息を吐く。

 水浸しの床は一変していた。橙がかった結晶の四角柱が林立し、三人の周りに森を作っている。シマが呟いた。

「助かったけどよォ……何したんだ?」

「俺の能力は塩を操作できる」

 グリゴリオが答える。その目は油断無くレディに向けられていた。

「たとえ水溶液であっても塩は塩だ。形を命令してやれば結晶化する」

 そして、とグリゴリオは続けた。

「純水は絶縁体だ」

「あらァ、学のおありになること」

 レディが嘯く。グリゴリオはその手の鉈を脅すように振った。塩の柱が割れ、砕け散る。

「リベンジマッチは無謀だったな……既に一度お前には勝ってる。二度目もそう難しくはないぞ」

「ヒヒ、手の内も割れてるってことも忘れんなよ」

「……道を開けてもらう」

 三人が戦意を露に凄む。だがそれを前にして、レディは堪えきれぬというように笑った。

 既に一手、防がれているというのに。

「ふふ、あははは、手の内!手の内を!これはお気楽ね!」

 両手を打ち鳴らす。その左手が鞭を握る。

「手の内は割れている!よくそんな傲慢な口が利けたものだわ……少しはその小さなおつむを使ってあげたら如何かしら?」

 フルゴラもまた嘲笑するように吠え声をあげた。レディが一歩、前進する。

「前回わたくしが敗北した……ええ、認めましょう、事実上の敗北を喫したのは、ひとえに力を制限されていたから」

 その左手には紋章がある。二つの紋が。

「そうでしょう?計画を実行するに当たって、露出する情報は少ない方がいい……だからわたくしの実力をフルに発揮することは許可されていなかった」

 レディが笑みを消す。その形相が敵意に染まる。

「けれど、今は違うのよ」

 だが、もうグリゴリオは聞いていなかった。敵の長口上など無視して、その脚が疾駆する。後ろでシマとAFXが続く。

「……制限されていた、か。陳腐な言い訳だ」

 その手には鉈が煌めいていた。攻撃の意思に、筋肉が張り詰める。

「続きは、首を落としてから聞いてやる!」

 鈍い肉厚の刃が閃く。そして、

「……!」

その刃が砕け散った。

「グリゴリオ!」

 AFXが叫び、カバーするように前に出る。得物を破壊されたグリゴリオは、その勢いのまま転がった。

「何が……!」

「《コンダクト》」

 レディが宣言し、コンダクティカが分裂する。一本から五本の鞭へ。

 そして、その形が変化した。

 単なる鞭ではない。自在に蠢く<劣級>は、脱力した曲線ではもうなかった。例えるなら、

「コイルだと……?」

「ふふふ、そうよ?」

 ソレノイド状にとぐろを巻いた五本。それらが三人に狙いを付ける。そして、コンダクティカの表面を紫電が踊った。

「フルゴラの電気エネルギー、そして、伝導を能力特性とする<劣級>……」

 レディが歌うように言い、そしてその右手が何かを取り出す。そう、

「磁性体の、弾丸」

 複合金属により形成された弾丸が五つ。コンダクティカのコイルへとそれらが投入される。そして、

「《電磁投射砲(マグネ・ショット)》」

速やかに発射された。

「《塩害》!」

 塩の壁がせり上がり、咄嗟の防壁を構築する。だが、鋭い弾丸はその壁をいとも容易く貫通した。

「……くそ、掠ったか!」

 グリゴリオが床を転がる。避けたのではない、吹き飛ばされたのだ……掠めただけの弾丸に。それほどの運動エネルギー、脆く儚く、塩の壁が砕けていく。AFXが叫んだ。

「これって、米軍も研究してたっていう……」

「足を止めるな!」

 グリゴリオがAFXを蹴り飛ばす。一秒後、塩の防壁を粉々に砕いた弾丸がAFXのいた場所を襲った。

「《電磁投射砲(マグネ・ショット)》!」

「走れ!」

 シマが横っ面をはたかれたように走り出す。降り注ぐ五連装砲塔をすり抜けて、三人が疾走する。

 地下堂が砕けていく。石の破片が水飛沫のように飛び散り、壁には弾丸が食い込んでいく。

 直撃すればただではすまない。銃創を通り越して、手足の一本も持っていかれるだろう。

「コイルガンとはな……!」

 グリゴリオは毒づいた。

 通電したコイルは典型的電磁石だ。磁界に引かれた磁性体……弾丸は、その磁力によってハイスピードに加速される。

「コイルガンってのは、使い物にならない技術だって聞いたけどよォ……?」

 三人のなかで一番AGIに優れるシマが、少しスピードを落として走りながら言う。

「確か、パワーが足りねェって」

地球(リアル)ならね!」

 AFXが叫ぶ。その後頭部の髪を弾丸が抉り去った。

IRL(現実では)、威力が足りなかった……コイルは抵抗が大きいし、そんな大電力は効率が悪いから!」

 そして、それはあくまでも地球での顛末だ。

 フルゴラは上級に至った<エンブリオ>。そんじょそこらの凡百な発電機よりよほど大きな電力を扱える。そして、銅線やケーブルを凌駕する導体……【劣級伝導】もある。

「机上の空論に形を与えた……これが、わたくしの本気よ?」

 磁界の強さは電流に比例する。電流の大きさは抵抗に反比例する。物理学の初歩の初歩だ。

 本来ならば広範囲を薙ぎ払える電気竜の力が、たった五つの砲門に注がれている。それは凝縮だ。ゆえに、パワー・スピード、共に桁外れ。

「このままじゃじり貧だぞ!」

 シマが吠える。その足がベクトルを変えた。

「俺がァ……斬る!」

 いかに強力な弾道といえど一度には五本。躱すのはギリギリ不可能ではない。

 半ば博打に出たシマを電磁投射砲が襲った。弾丸の軌道がシマを掠め……しかし、被弾には至らない。レディとの距離が縮んでいき……間合いに入る。

「所詮はロングレンジ……貰ったぜェ(gotcha)!」

 その刀が宙を裂く。<エンブリオ>の刃はまっすぐに、レディの頚を捉えていた。

 しかし、護衛たるフルゴラは動かない。

(何故だ……?)

 シマが訝しむ。

 うまく行きすぎている。余りにも隙が大きすぎる。

 この感覚は知っている。怪しい。罠の匂いだ。

(こいつ、誘ってやがるのか!)

 寸前、躊躇ったシマがたたらを踏み……

「《ハーデン》」

轟音とともに、彼の眼前を通り抜けるものがあった。

「あら、残念」

 レディが呟く。

「しっかり仕留めなさい?前衛……」

 シマが跳躍し、再び弾丸から逃れる。その視線が口惜しげに揺れる。

 そこにいたのは、上裸の男であった。その左拳には圧倒的攻撃力の存在感がある。

 ただでさえ容易に近づけぬ弾幕に、もう一人前衛が加わった。この布陣を崩すのは至難の業だ。

 そして、この前衛を彼らは知っている。

「ほーう、お前もリベンジか……」

 グリゴリオが嘲るように言う。しかして、その表情には緊張があった。

 最悪だ。高火力の銃撃に、この上ないタンク役がついた。

「なァ、腕彦!」

「……」

 眼前の【硬拳士】は答えなかった。のんびりとすら見える動きで拳を固める。その右手は分厚い包帯に覆われていたが、その上からでも重傷に削られているのがわかった。

 そして、足もだ。装備で誤魔化されてはいるが、皮と金属で補強がされている。

(あの傷であれか……)

 グリゴリオとAFXはさっきの攻防を引きで見ている。腕彦は突然現れた。視界の外から、超スピードで。

「STR式移動だな。あんなスピードを出しているのに傷が開きもしない……」

「見えてるよ。END型の中でも極端なタイプだ」

 【偵察隊】AFXもまた《看破》していた。

「END補正に特化したのか、あるいはEND上昇のルールか……どっちにしても高すぎる」

 にしても、とグリゴリオは続けた。

「なんで喋らないんだ?」

 腕彦は黙ったまま、赤いバツの描かれたマスクを鼻まで上げた。

 

 ◇◆◇

  

 ■【盾巨人】ブラー・ブルーブラスター

 

 アイテールの雨はブラーを未だに対象外にしていた。ユーリイはここにきてまだブラーを切り捨てるつもりはないらしい。

「そりゃ結構だな……」

 それが単にウーへの忠誠であることも解っていた。あの心酔っぷりはもはや狂気の域だ。

 とはいえ、ユーリイの選択がどちらにせよ、構わなかった。アイテールの能力はブラーに通じない。

 <エンブリオ>の残酷なまでの相性だ。飛行型に対してユーリイのアイテールは手も足も出ない。重力反転など打ち消して自在に飛行できるのだから。

「あァァァァ、クソゲー!」

 そして、街の上空でブラーは衝動的に叫んだ。

「<超級><超級><超級>……そればっかりだ!なんにでもかんにでも超級を造りやがって、運営の分からず屋が!」

 力が欲しい。いや、正確にはその証が。

 超級ならざるものがいかに強さを示そうと、意味などない。それは判りやすさに欠けているからだ。裏を返せば、<超級>はその力に関わらず一目置かれる。

 それが合理的であることもまた、百も承知だ。第七形態のリソースは莫大であり、半ば一方的に状況を支配できる。

「この役立たずがァ!」

 ブラーは憎々しげに自分の左手を殴った。紋章は相も変わらずその場所にあった。

 トントン拍子に進化してきたアシュトレトもここ最近は鳴かず飛ばず。それが自らへの侮辱のように感じられて、ブラーはまた狂乱した。

 ジョブや特典武具はいい。入手機会の限られるものは極論、いい。だが、<エンブリオ>は平等だ。第六止まりのそれが、もし自分だけの力に呼応するものなら……

「違う……僕は特別だ……その筈だ……」

 才能なし、と断じる言葉が聞こえる。

「……隠された条件がある筈だ」

 無能と呼ばわる声がする。

「僕は賢い……選ばれたギフテッドだ……!」

 

 本当に?

 

「ーーーーーーーーーーーー!」

 無言の絶叫と共に、ブラーは急加速した。正面の時計塔をへし折り、鐘を打ち砕く。爆発する瓦礫の雪崩が、街並みを崩していく。家々が弾け飛び、人々が恐慌に騒ぐ。

 悲鳴が聞こえた。泣き叫ぶ声、恐怖を訴える慟哭、それらが雨に混じって響く。戦慄を湛えた瞳が空を、飛行するブラーを見上げる。

「ハハ……」

 ブラーは嗤った。まるで虫みたいだ。

「ハハハ……」

 地面を這いずり回るだけの、惰弱なティアンたち。

「そうだ、僕を見上げろ……思い知れよ、お前らはゴミだ、<エンブリオ>すら持てない劣等種が!」

 その哄笑に怯えてか、ティアンたちが逃げ去ろうと足を早める。敵意と悲哀が大気を満たしていく。

 

 最高に、滑稽だ。

 

「空も飛べないのか?サルども!」

 あぁ、楽しい。これはいつだって、最高に愉しい。

 この世には身分がある。階層がある。それを決めるのは能力、何が出来るかだ。

 ろくな力も持ち合わせないグズどもを見下ろすのはこの上ない愉悦だ。そして、その無駄な足掻きは蹂躙するのが当然だった。

「《フェザー・ミサイル》」

 古代伝説級・機械装甲型特典武具【フェザーローカスト】。右腕を覆い尽くす巨大なマシンアームが、装甲を展開する。その能力は、焔と爆発を孕んだミサイルだ。

「撃て」

 噴煙を吐き出して、無数のミサイルが街を破壊していく。女が、老人が、少年が、少女が、赤ん坊が、炭クズの塵へと変わっていく。そこには無数の絶望があった。死があった。

「あはは、スッキリした」

 ブラーは大掃除を済ませたあとでもあるかのように、あっけらかんと笑った。

「やっぱ再確認は大事だなァ……自分の“位置”をさ……」

 バーニアがゆっくりと速度を上げる。すぐ近くに聳え立っていたエリコの城壁へとブラーは着地した。

 雑魚は無能だ。存在している価値がない。強者たる自分とは違う。ブラーの価値は明確に証明されている。ブラーは満足げに顔を緩めた。

 

 そして、即座に舌打ちをした。

 

「せっかく気分がよかったのに、水を差してくれるなぁ」

 その視線が躍り、ブラーが数メートル浮き上がる。

「出てこいよ、ストーカー野郎」

 そして、ミサイルが城壁の陰へと突き刺さった。

 概念的防御力の塊であるエリコに傷はない。だが、その爆炎を避けて黒い影が素早く動くのをブラーは見逃さなかった。

「《シールド・フライヤー》」

 間に合わせの安物シールドが飛ぶ。それなり以上の一撃が風を割き、雨を弾いて迫る。

 呼応して、その影が膨らんだ。

「……いやはや、申し訳ない」

 影が人型をとる。その足が勢いよくシールドを蹴り砕いた。

「ご気分を害するつもりは毛頭ございません。深く謝罪申し上げます」

「二度とするな。僕はつけられるのが嫌いだ」

「承りました」

 その影……男が恭しく頭を下げる。

 いや、頭と言うにはいささか異形だった。右手の白手袋。巨人サイズのそれが首から上に鎮座している。

 服装はビジネススーツを思わせる礼服だった。一部の<マスター>が好んで着るようなものだ。黒い布は仕立てもよく、また相応にリソースを込められているのが感じられた。《看破》が全く通じない。

 両手は頭と同じく、清潔な白手袋だ。その指が少し卑屈に揉み手をする。

「この度は少々、相談がございまして。接触するタイミングを図っていた次第でございます。ブルーブラスター殿におかれましては、ますますの御健康のご様子で何より……」

「回りくどいぞ、死にたいのか?」  

 ブラーの仮面が不気味に発光する。

「お前、カルディナの暗部だなぁ……飛びきりの汚れ仕事をやるティアンの暗部だろ?何の用だ?」

「これはご明察……」

 そのセールスマンは心なしか身をくねらせて言った。

 カルディナに限らず、どの国家もティアンの諜報部を備えている。まして、秘匿され裏で動く<マスター>の戦力さえも持っているカルディナでは、表の顔すら持たない完全な暗部を組織していた。忠誠、セキュリティ、そういった面から究極的に<マスター>を完全には信用できないからだ。それに、ティアンならば“処分”も効く。

「私が参ったのは、スカウトのためでございます」

 セールスマンの男はそう言うと、また恭しく頭を下げ、懐から資料の束を取り出した。そこでブラーは気づいた。セールスマンの周りだけ、雨の動きがおかしい。

(雨避けの道具か……?)

「では、説明を」

 セールスマンは資料を捲り、その一枚を差し出した。ブラーは臆することなく間合いに踏み込み、資料をかっさらった。

「詳細は書面にございますが……端的に申し上げればカルディナ議会、ラ・プラス・ファンタズマ議長との契約でございますね。我が国の戦力として行動し、他国との協力を制限される代わり、相応の特典を用意してございます」

「特典?」

 ブラーが尋ねる。セールスマンは頷いた。

「例えば、国内での権限でございますね。カルディナの情報ネットワークの利用、公共施設のフリーパス、そして国家直属クランでの地位……今ですと<メジャー・アルカナ>の“星”、“恋人”、“正義”等に空きがございますが」

 そして、とセールスマンはその掌を広げ、巨大なアタッシュケースを出現させた。人間が二、三人入りそうだ。

「西方での顛末は耳にしております。これは前払い、及び手付けということで」

「へぇ、悪くないね」

 アタッシュケース……コンテナーの中身を確かめたブラーは乾いた声で呟き、脅すように首を傾げた。

「で、なんで今になってそんなことを言い出したんだ?」

 その右手の巨大な機械鎧が、鋭い排気で雨粒を吹き飛ばした。

「僕は指名手配されてる。なぁ、人を勝手に犯罪者呼ばわりしておいて、虫がいいとは思わないか?」

「勿論、指名手配の解除措置は速やかに……」

「違う。理由が出来たんだろう?言えよ、すべて。そうしたら考えてやる」

 セールスマンは、これは困ったと無言で主張するように、その指を神経質に動かしていたが、やがて頭を深く下げてから言った。

「大変恐れ入ります、実はですね、確かに貴殿をスカウトするプランはごく最近提案されたものでして」

 ブラーは黙ったまま、その沈黙で先を促した。

「……国家に忠誠を誓っていただけそうもない自由主義のかたとでは契約の締結は難しいだろう、との判断でしたが……こうも()()()()()()()()そうも申していられなくなったのです。何せ……」

 セールスマンは一度言葉を切ってから、盛り上げるように言った。

「……<超級>相当の力を手に入れるとなれば」

「どういう意味だ?」

「言葉通りですよ」

 セールスマンは静かに言った。

「我々の上司の最新の御言葉です。この冶金都市グロークスにおいて、あなたはスペリオル相当のリソースを手にする」

「……それで、慌てて勧誘しに来たのかい?」

 《真偽判定》は沈黙している。ブラーはバカにしたようにニヤニヤ笑った。セールスマンもまた声に微笑みを滲ませた。

「それで、どうでしょう?」

「あぁ、それは勿論ーー」

 ブラーが愉しげに両手を上げる。その手が、拳を固めた。

「ーーお断りだ!」

 城壁の上で、ブラーが機械腕を叩きつける。それを素早いバックステップで躱し、セールスマンは口を開いた。

「理由をお聞きしても?」

「あ?解るだろ」

 ブラーは吐き捨てた。

「なぁ、おい、<メジャー・アルカナ>だ?それは準<超級>どもの馴れ合い所帯だろうが!なんで……」

 ブラーが加速する。

「……<セフィロト>じゃあないんだ!」

「そうですか」

 そのセールスマンの声に、なにか侮りのようなものが乗っているのをブラーは感じた。まるで、すべてが掌の上とでも言うような。その唇が怒りに歪む。

「お前……」

「理解しました。では、事が済んだ後に改めて伺うと致しましょう。色好い返事を期待しております」

「逃がすかよ……!」

 ブラーがミサイルのように自らを射出する。セールスマンは闘牛で使うような大布を広げ、それを放り出した。ひらめく布がセールスマンの輪郭を隠す。

「《自由飛孔(バーニアン)》!」

 一秒後。その布をブラーが貫いた。何の変哲もないテーブルクロスがズタズタに引き裂かれる。

 だが、セールスマンの姿はどこにもなかった。手品のように消え失せたのだ。歯軋りするブラーへ、セールスマンの声が響く。

『またお会いしましょう。【盾巨人】ブラー・ブルーブラスター殿……』

 ブラーは応えなかった。代わりにその後数十分、城壁の周りでは爆発音が響き渡っていた。

 

 To be continued



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第十五話 意志の座す場所

 □■ある人足 カルディナ・砂漠・某所

 

 その男は、ものを運んでいた。

 それは彼の仕事、職業であり、また約束でもあった。男はずっとそうしてきたし、そうすることに疑問など無かった。背中に沈みこむ重みも、照りつける陽光も、慣れ親しんだものだ。

 だが、太陽は次第に弱まっていた。砂漠にあるはずのない曇天が近づいていたからだ。その力のかつての持ち主を思い出して、男は少しだけ感慨を持った。少しだけだ。余分な荷物は少ない方がいい。

 そして、時計が鳴った。男にだけ聞こえる音で、懐の内側で、小さく二回。その音に数秒先んじて、男は懐からコンパスを取り出した。

 古びた道具だ。この物品にどれ程の歴史があるか、男は知らなかった。少なくとも一つか二つ、国家の興亡を知っているはずだ。コルタナ郊外の砂の中より掘り出してからというもの、これは彼とずっと共にあった。

 彫られた植物のレリーフには黒い錆がたまっていた。その模様は明らかに、今日カルディナと呼ばれている連合体が勃興する以前の文化に属するものだ。

 男は歴史に敬意を表するように、恭しくそのコンパスの蓋を開き、端を指で弾いた。コンパスーー【人探しの鈴(シーカー)】はいつもどおり、造られた当時の澄んだ音を響かせた。

「……【司令官(コマンダー)】ビビッド・キュビット」

 コンパスは男の魔力を吸い込み、震え、針を小さく動かした。男は頷いた。方角に誤差はない。進路に変更はない。

 男は歩み続けた。その足跡は実直な熟練者の正確さに満ち、そして足跡の傍らでは、重厚で長大なケーブルが砂地に沈み込んでいた。

 

 ◇◆◇

 

 □【高位従魔師】Mooo

 

 死ぬのは慣れない。この精緻な世界では、痛覚を消していても死の感覚がリアルに過ぎた。彼の意識に実害がないと分かっていても、愉快な感覚ではない。

(インスピレーションには、なるが)

 人が死ぬとき、まず始まるのは寒さだ。血が足りない、命が足りない身体が幻の寒さに震え出す。視界が歪み、暗くなっていく。手足がうまく動かない。

(引き金を……) 

 それでも足掻こうとした彼の指を、一瞬のうちに黒い爪が斬り飛ばす。銃身がへし折れ、手元で爆発した。

「死にそうじゃねえか。良い様だぜ」

「……」

 眼前では藤堂が、その巨躯を誇るように笑っていた。黒光りする装甲が揺れる。

 Moooが火薬式の拳銃をホルスターから引き抜く。得物はこれで最後だ。まだ関節が残っていた親指の残骸をトリガーに押し当てる。フェザータッチの拳銃は、即時発射の姿勢で待機した。

 藤堂がMoooを殺せていないのは、攻撃力の不足ゆえにではない。彼がそうしたかったからそうなっただけだ。

 端的に言えば、嬲り殺し。藤堂だってそう言っていた。

「そんな拳銃だって、俺には通じねえよ」

 それも事実。今の藤堂に足りないものがあるとすれば、おそらくAGIだ。そしてそれは【高位従魔師】のMoooには突けない弱点だった。

 全身はよろわれている。掌には刃がある。人を殺すには十分な能力だ。

「せめて、スライムの<エンブリオ>が生きてりゃ話は違ったろうが」

 それも不可能。<エンブリオ>の再構成に要する時間はバラバラだが、ソラリスが半日やそこらで再構成されないことはMooo自身がよく知っていた。二十三時間と三十分。それが所要時間だ。

 そして、藤堂は十分に愉しくやったようだった。その爪が蠢く。

「《二重武装(オーヴァーグレイズ)》も永遠じゃねえからな、ここで終わらせてやるよ」

 Moooは逆さまの街を見た。眼下の虚空へと垂れ下がる異形の街を。目的とする市庁舎跡は遠い。逆転世界がそれを阻む。

「……《瞬間装着》」

だから、彼は鎧を着込んだ。

「……?なんのつもりだ?」

 藤堂が首をかしげる。《鑑定眼》が作動した。

 安物の鎧だ。レベル100にも満たない人間が付けるような、ろくに能力も込められていない代物。物体としての厚みはあるが、それだけだ。

 物性だけでは防げない。ここは、リソースの支配する世界。書き込まれた力の質が全てを左右する。

 ここで躊躇う藤堂ではなかった。踏み込み、跳躍し、風を切り裂いて跳ぶ。

「ハッタリか?やりそうなことだな!」

 その爪が唸りをあげ、ついにMoooの胸部……右半分に突き刺さる。致命傷だ。あと少し力を込めるだけで、スライム使いは胴体からバラバラになる。

 そしてMoooは、怯むことなくその手を離した。すなわち……

「なっ……!?」

必死に屋根を掴んでいたはずの手を。

 血まみれの掌が藤堂の腕を掴む。食い込んだ爪とMoooの腕、その二つで二人は繋がっていた。Moooの脚が屋根を蹴り飛ばす。そして、右手に引っ掛かっていた拳銃が頭上の街を目掛けて暴発した。

「てめー!何を考えて……自殺する気か!?」

「……違うな、藤堂」

 Moooが言い切る。

「心中だ」

 鎧は既に彼の一部。反転した重力は、その質量をも計算に入れる。それは天空へと彼を引き落とす、悪魔の誘いだ。

「さて藤堂」

 Moooが言う。

「ニュートンを知ってるか?」

「うォォォォォォ!」 

 Moooにとって、アイテールの能力は既に完成している。それは完全なマイナス加速度……落下速度として現れた。銃の反動、足の蹴りの勢いも手伝って、みるみる遠ざかっていく地上に、藤堂は絶叫した。

「このッ!」

その手が爪を振りかざし、停止する。気づいてしまったからだ。

「俺を殺せば……確かに“重り”は無くなる……」

 Moooが呟く。

「試してみるか……?既に五十メートルだが……」

 落下の速度は本来のそれよりも少し遅いが、それでも毎秒高さを積み上げていく。

 【劣級武装】は強力な鎧だが、その中身たる藤堂は所詮【芸術家】だ。鋼鉄の箱に入ったプリンを天空から落とせばどうなるか、想像できるだろうか。

「……どうか分からねえじゃねえか」

「なら、試せばいいと言っている……どうだ?」

 Moooには、どちらでもいい。実際にどうかではなく、あくまでも可能性の話だ。彼にとってこのルートが一番可能性に溢れていた。

「お前は強い……とても敵わないさ。だから、お前の目的は遂げさせてやるんだ……俺の目的は、お前に勝つことじゃあないからな」

 Moodの目的。それは、

「……ッ!あの女、そうだ、あの女は!」

ユーフィーミアを逃がすこと。

 正確には、この都市をどうにかすることだ。それは彼自身がやらなくてもいいし、敵の一人を潰せるなら御の字だろう。

「てめえ自分を囮に!」

「それは違う……お前が執着した。視界の狭さまでは俺の責任じゃないぞ」

 空へと浮き上がりながら藤堂が見回す。眼下では、家並みにしがみついて進む女の姿が見えた。

 さっきまでの藤堂には気づけなかった。彼は彼の執着に従って嬲り殺しを楽しんでいたから。愉悦に酔っている間は見えないものが多くなるものだ。

「……数秒だ、判断が遅かったな……まぁ、墜ちて死ぬか、空まで墜ちるか……好きな方を選べ」

 そして、二人は昇っていった。【降水王】の曇天へ。

 

 ◇◆◇

 

 □【審問官】ユーフィーミア

 

「いやいやいやいやいや、無理!」

 ユーフィーミアは思わず叫んだ。漫画みたいなオーバーな仕草で手を振り回す。そうでもしなければストレスに耐えられない。

 彼女は路地を辿って市庁舎に向かっていた。辿る、というのは立体的な話だ。雨樋や蔓、煉瓦の出っ張りは絶好の足場だった。

 そして、その後ろでは、金属製の人形が猛烈に走り出していた。

「ウワ来たァ!」

 もし母親に聞かれたら折檻ものの、品の無い叫び声と共に、ユーフィーミアは走り出した。両手の幅と同じくらいの路地を身体を擦るようにして疾駆する。

「わたしは、戦闘タイプじゃないのに!」

 あれが何かだって想像も付かない。【傀儡師】の人形だろうか?生憎傀儡師系統の能力など知らなかったが。どんな能力を持っているのか、欠片も分からない。

 そんなものが彷徨いている理由もわからない。わからないが、十中八九、

「敵!」

 ユーフィーミアが振り向く。その掌が間に合せの石ころを握る。

「食らえ!石ころアターック!」

 放り投げたそれは美しい軌道を描き、金属人形の頭を小突き……何事もなかったように転がった。

「まぁ、そりゃ、そうですよね……逃げます!」

 藤堂から逃れた(Moooに逃がされた)というのにとんだ災難だ。最悪だ。危険物が次から次へとやってくる。

 後ろでは金属の擦れ合う音が聞こえた。さっきよりも近い。

「……このぉ!」  

 ユーフィーミアは上半身だけを回し、また石を、今度は壁から剥がした古煉瓦を投げつけた。人の頭だってかち割れそうなそれは、人形の頭に当たって粉々に砕け散った。ポケットの中のビスケットみたいに。

「石頭!」

 悪態。そして、ユーフィーミアは足を滑らせた。足元の空に腸が冷える。

 人形は完全に彼女をロックオンしたらしかった。その刃を仕込まれた手足が路地の壁に手を掛け、登り始める。

「こ、来ないで下さいよ!」

 ユーフィーミアが次の足場を探す。拙い壁面歩行の後ろでは、人形が壁に爪を突き立てて進んでいた。

 非戦闘職のロッククライミングと、戦闘用人形の追撃。どちらが速いか、考えるまでもない。二人の距離がじりじりと縮んでいく。ましてやユーフィーミアは足を掛ける場所を探しながら進んでいるのだ。そして、

「嘘……!」

路地が終わった。

 開けた視界に彼女は絶望的なため息をついた。普段の彼女なら、易々と横断できるような通りは、この逆転世界では奈落へ続く大峡谷だ。

 渡れる場所を探すべく、彼女は外壁づたいに身体を回した。だが、

『ギギギギ……』

人形が追い付いた。

「ひゃあああ!」

 ユーフィーミアが叫び、必死に爪先を振り回す。

「来るな、来るなぁ!」

 人形は意に介さなかった。無機質な動作で、その左腕部の鎌が開く。刃の擦れる嫌な音が聞こえた。

「この!」

 ユーフィーミアは決死の形相で腰のナイフを抜き、右の逆手に構えた。残りの身体で、落ちないように必死に壁を掴まえる。

 ナイフが閃く。非戦闘職の使用を前提として造られたナイフは、そのよく研がれた綺麗な刃で人形を襲った。

 だが、足りない。ファティマの人形はそんなものを防ぐのに十分な強度を備えている。かすり傷を無視するように、その人形は緩慢な動作で鎌を振り上げた。

「ちょっと待って待って待って!」

 ユーフィーミアが叫ぶ。みじん切りの勢いでナイフの刃が振り回される。その結果は依然、虚しい。

 人形の鎌が震えた。刃が振動し、つんざくような音を立てる。

「何ですかそのギミック!?」

 刃だけでも危ないのに、さらにこれだ。ユーフィーミアは自分の持つナイフと比べて、泣きたくなった。何発叩き込んでも小揺るぎもしない。

 振動鎌が振り下ろされる。ユーフィーミアは捨て鉢になって叫んだ。

「《ピースフル・ペイン》!」

 闇雲なナイフが人形の顔面に当たる。そして、人形は……その動きを止めた。

 

 ◆

 

 ■【高位傀儡師】ファティマ

 

「あァァァァァァ!あぁ、ああ!」

 ファティマはのたうち回っていた。柔らかな絹の寝具が捩れていく。

「あぁ、あぁ!」

「ファティマ!」

 エリコが駆け寄る。その顔は恐怖に歪んでいた。

「どうしたのですか、ファティマ!」

 <エンブリオ>は精神の発露。彼女は彼女の生まれた源、主人の意識と繋がっている。自らの顔を押さえるファティマの感覚を、不明瞭で原始的な意思を通じて、エリコは把握した。

「これは……ファティマ、人形とのリンクを切断!すぐに痛覚をオフに!」

 ファティマが即座にそうする。眼球を切り裂かれる痛みの残滓がその身体を震わせていた。

「【審問官】の……いえ、通常ならこんな……()()()を介して逆流が……?」

 エリコの特質は未だに彼女たち自身も検証が十分ではない。複数の因子が組合わさった結果は予測が付かない。

 エリコがおろおろとファティマの背中を擦る。それを払いのけて、ファティマは吐きそうな声で言った。

「不愉快ね」

 彼女を苦しめたことも、彼女の()()()()を曲げさせたことも、全てが不快。

「絶対に許さないわ」

 だから、ファティマは……静かに激昂した。

 

 ◆

 

 翻って、ユーフィーミアは大通りを渡らんと四苦八苦していた。歩道橋のようなものはないし、空は飛べない。

 それでも、苦しいときにこそ知恵は沸くものだ。ユーフィーミアはやがて、バルコニーから垂れ下がった物干しの綱に気がついた。

 深く息を吸う。痛覚を消していても、足元に吹き抜ける奈落は恐ろしい。本能が行動を拒否している。

 ユーフィーミアは少しだけ頼もしげに見えるようになったナイフを抜き、その物干し綱を掴んだ。両手でしっかりと。勿論足も絡ませる。そして、

「はっ!」

鋭いナイフが吊り綱を切断した。

 捨て置かれた洗濯物に混じって、ユーフィーミアは宙に投げ出された。彼女の身体を引くマイナス重力と、当然総重量はかなりなものである綱を引く本来の重力と、その矛盾する二つが独特の浮遊感じみた奇妙なものを作り出す。

 彼女は必死に綱を掴んだ。油断するとすぐにすり抜けてしまいそうな綱の非日常の物理法則の果てに、やがて空想上の振り子は静止した。その重りはマイナスの座標の先端でほっと息をついた。

 ここからは、クライミングだ。ユーフィーミアは綱に手を掛け、登り始めた。

 子供の頃、よくこうして公園のロープを昇ったものだった。ユーフィーミアはふと思い出した。あの時と同じだ。違うのは、落ちれば天空へと()()()()()だというところか。

 綱と擦れる掌が痛かった。それは幻だったが、彼女の緊張は本物だ。一手一手、確かめるように綱を握る。濡れぼそった綱は固く、重かった。

 やがて彼女は、対岸のバルコニーの裏側へと手を掛けた。安堵に満ちた掌がそのざらざらした石を掴み、身体を持ち上げる。

「二度と、やらないです、こんな……」

 冷たい石の上に横たわって、ユーフィーミアは荒い息を整えた。心臓が肋の内で暴れているのが分かった。まるで地震を呑み込んだみたいだ。

 治まらない身体のどよめきに、ユーフィーミアは黙って座り込んだ。少しくらい休憩したって、バチは当たらない。

 手が震えていた。こんなアクロバットは当然、未経験の非常事態だ。驚きや困惑というのは意外と身体に現れてくるし、押さえられないのだ、とユーフィーミアは思った。

 

 いや、それだけではなかった。

 

「……これって!」

 ユーフィーミアが立ち上がる。動悸は治まっていた。にも関わらず、身体の震えが止まらない。

 そう、建物ごと揺れているからだ。

「まさか、地震ですか?」

 カルディナにそんな自然現象があるのか、彼女は知らなかったが、あってもおかしくはない。あるいは、誰かの“能力”か。

「そんなはた迷惑な<エンブリオ>が……?」

 幸いか、結論はそのあとすぐに現れた。それは不幸であったかもしれない。数秒の後、

「……!」

ユーフィーミアの()()で路面が崩壊したからだ。 

 正しい重力の範疇にいる瓦礫が、水中に落ちた発泡スチロールのように沈んで、浮かんでいく。そして、その波紋の中央、破壊された路面からは……巨大な手が突き出ていた。

「あれは……」

 それをユーフィーミアは知っている。ここカルディナでもそう簡単には手に入らない、他国からの輸入品。

「【マーシャルⅡ】!」

 ドライフ皇国の科学技術の果ての異端児、人型の<マジンギア>がそこにいた。

 その【マーシャルⅡ】は中古のサルベージ品だった。頭部センサーカバーには掠れたノーズアートが残っていた。火器類は売り払うため取り外され、電装系や一部開閉機構には断線がある。初期型の一般向けモデルゆえに、本来の性能も決して高くはない。

 だが、それでいい。ファティマにとって必要なのは、その巨体だけ。

『踏んづけちゃえ!』

 機械巨人が地下から這い上がった。傷だらけの装甲は継ぎを当てるように装甲板を貼り付けられ、強度そのものは上昇している。堅牢な人形重機が唸りをあげてユーフィーミアに掴みかかった。

「ウワァァァァァ!」

 大きいものはそれだけで怖い。少なくとも、威圧の効果は十分だった。ユーフィーミアが叫びをあげて逃げ出す。

 既に難所は越えた。街並みを縫い、密林の猿のように素早く逆さの建物を渡る。

 だが、<マジンギア>は傍若無人だった。その機械仕掛けの身体が咆哮する。軋む金属音と共に、装甲に包まれた体当たりが家々を粉砕した。

 これこそが【高位傀儡師】ファティマの本気。通常の人間より巨大な【マーシャルⅡ】を特大の“人形”とするごり押し技。コストパフォーマンスは悪いが、威力は本物だ。

 瓦礫と悲鳴を掻き分けて、巨人が進む。ユーフィーミアの“足場”を破壊しながら。

「このままじゃ、追い付かれ……!」

 この状況、ユーフィーミアの足ではまともに走っても逃れられるかどうか、だ。建物を伝いながらではとても振り切れない。

「っていうか、何かしました?わたし!」

 ユーフィーミアが文句と共に息を鋭く吐く。そして、彼女の掴まる建物が爆発した。 

 石壁を正拳突きで砕き割った<マジンギア>は、粉塵を割ってその傷んだマニピュレーターを地面に叩きつけた。巨大な瓦礫が暴れ狂うように飛散する。そのただ中を、

「……やぁぁ!」

ユーフィーミアは跳躍した。

 逃げる方角ではない。他ならぬ【マーシャルⅡ】の方へと、空中を走る。その足場は、今しがた飛び散った瓦礫だ。

 空へと投げあげられ、しかし重力に引かれて落ちるそれらは、ユーフィーミアにとっては足元から浮上する足場のようなものだ。

 落下運動の裏側を彼女は走った。土壇場のアクロバットは、幸運なことにその効果を発揮した。

「その図体じゃ!」

 当の巨人が巻き起こした粉塵だ。土煙が立ち込めるなかを潜り抜ける彼女を見つけるには、その【マーシャルⅡ】は大きすぎるだろう。

 巨人の背後でユーフィーミアがほくそ笑む。その小さな手が崩れ掛けたアパルトマンの石壁を掴みとる。

「今のうちに……!」

 ユーフィーミアは素早く周囲を見て取ると、市庁舎の方角へ走り出すために土煙を出た。【マーシャルⅡ】は見当違いの方向を蹴散らしていた。

 

 そして、巨人は轟音と共に振り向いた。

 

「《リモート・アイ》」

 巨人の頭部のカメラアイは端から機能していない。図体ばかり大きいだけの木偶にとって、頭の向きなどなんの意味もない。

 それを埋めるエリコの遠隔視認能力は、土煙を抜けたユーフィーミアを完全に捉えていた。

 <マジンギア>がその足を持ち上げる。十数メートルの一歩一歩は、たかが人間の歩幅をちっぽけなものとして軽蔑するように一またぎで瓦礫の海を飛び越えた。

 震動に振り落とされそうになったユーフィーミアが、恐々後ろを振り向く。【マーシャルⅡ】はその巨大な腕を叩きつけるべく、肩を回して拳を振りかぶっていた。

「な……!」

 逃げる時間はなかった。瓦礫にまみれた近辺で掴まれる足場は少ない。飛び石を探すも、目につくのは破壊された石屑ばかり。

 歯車が唸る。装甲が震える。そして<マジンギア>はその豪腕を振り下ろした。

 

 ◆

 

 大気が震え、地面へと昇る雨粒が揺らぐ。響いていたのは、金属同士がぶつかる硬質な音だった。

「……!」

 ユーフィーミアが目を開ける。目の前で仁王立ちを決めていたのは、

「無事かね?」

【大騎士】ゴルテンバルトⅣ世、その人だった。

「な、なんでここに!?」

「これだけ騒がしければ嫌が応にも耳目は引くものだ。キュビットとモハヴェドもそこにいる」

振り向けば、二人が建物の陰にいるのが見える。Ⅳ世は髭を揺らして笑った。

「さて、反撃である!」

 その足は地面に突き立っていた。爪先から脛まで、具足が槍のごとく改造されているのだ。

「即席の工作だが、いいアイデアであろう?」

 老騎士はそう言いながら、受け止めていた【マーシャルⅡ】の腕を、弾くのではなく、逆に渾身の力で引いた。

「<マジンギア>とて!」

 巨人と騎士が綱引きの様相を見せる。だが、

「むぅ……!?」

鎧が軋み、地面が割れ始める。拮抗する力の天秤は、【マーシャルⅡ】……ファティマの側に傾こうとしていた。そして、重力の加護を喪失したゴルテンバルトⅣ世には余裕がない。

「このままじゃ……キュビットさん!」

 ユーフィーミアが叫ぶ。

()()()、あれを攻撃して、壊してください!」

「ッ!何を……?」

「いいから!」

 ユーフィーミアの気迫に押されてか、キュビットが目配せをする。傍らで、モハヴェドが頷いた。

「良いだろう、了解した!」

 モハヴェドが腰のホルスターから銃を引き抜く。既に破損した貴重品の魔力式ではない、サブ武装の量産型【HW08ピストル】だ。訓練十分の軍人の動きで、モハヴェドはしっかと<マジンギア>を照準に捉えた。

「発砲実行!」

 弾は六発。機械がごとき正確さで、その弾丸は一点へと吸い込まれるように着弾した。雨の間を縫って火花が飛び、金属の装甲が音を立てて外れる。

「ナイスショット、です!」

 そう言って、ユーフィーミアは跳躍した。足元に広がる空を飛び越えて、眼前に痙攣する【マーシャルⅡ】へとしがみつく。そしてその手は、【マーシャルⅡ】の()()()()()()()()()を、ついさっき破損したそれを、渾身の力でこじ開けた。

「何を……するつもりだ、ユーフィーミア嬢!」

 Ⅳ世が歯を食い縛りながら叫ぶ。コックピットの内部へ這い入ったユーフィーミアは、洗濯機の中の衣服のようになりながら、必死に叫んだ。

「サトリ……」

 Ⅳ世の足元がついに崩壊する。支えを失った老騎士は、途端に空へと浮き上がった。

「サトリ……」

 モハヴェドが弾丸を再装填し、【マーシャルⅡ】の腕関節、駆動部を狙い撃つ。だが、駆動部が破損しても“人形”は止まらない。動力は【傀儡師】だ。モーターの性能など関係はない。

「サトリ……《Another(サトリ)》!」

 そして、紋章が発光した。

 

 ◇◆◇ 

 

 □サトリという<エンブリオ>

 

 それは、記憶を覗く獣。ユーフィーミアの望み、“他人の考えが知りたい”という恐怖を埋めるために生まれたガードナーだ。

 ティアンにしか動作しない能力だ、と藤堂は言った。それも間違いではないが、根本の説明にはなっていない。記憶を覗くことが目的だから、ティアンにのみ発動するのだ。他の精神干渉のように身体を操ったり無力化したり、そんなことは彼女とそのガードナーにとっては雑事に過ぎない。

 そう、彼女が興味があるのは記憶、思考、人格だった。それ以外はどうでもいい。当然、《Another(サトリ)》もそれを踏まえている。

 その能力は、記憶の閲覧からさらに一歩進んだ特性……記憶の再生(リプレイ)。読み取った記憶を選び、自分の身体をメディアとして再生すること。

「《再生》」

 ユーフィーミアの両手は操縦桿を掴んでいた。死んだように眠っていた各機能が息を吹き返し、柔らかな駆動音が響き始める。魔力が新鮮な血潮のように隅々へ流れていく。

「……【高位操縦士(ハイ・ドライバー)】ドルトムント、《操縦》」

 その名前は、かつてドライフの軍人崩れだった男のものだ。その記憶、【マーシャルⅡ】を駆っていた記憶が、ユーフィーミアの手足を動かしている。

 操縦士系統の《操縦》とは違う。所詮は精度の高い猿真似に過ぎないがゆえに機体性能を上げる効果は望めないが、今、この状況では機体を動かすだけで十分だ。

 【マーシャルⅡ】のマニピュレーターが動く。五本の指のうち三本は伝達機構が壊れていたが、残りの二本、親指と人差し指に相当するアームは確りと、空へ落ちかけていた【大騎士】ゴルテンバルトⅣ世を掴んでいた。

『なによ、それ!反則じゃない!』

 ファティマが喚き、【傀儡師】の支配を強める。だが、内部から操縦系を確保された人形はギシギシと軋み、その支配に抵抗した。

「……これは、もう……」

 ユーフィーミアが歯を食いしばる。

「……私のものです!」

 【マーシャルⅡ】が咆哮する。それはつかえがとれ、自由になった歯車の音だった。

 ファティマの能力が切れる。他人に操作される物体が【傀儡師】の範疇外だったのか、はたまたユーフィーミアの行動が所有権を書き換えたのか。

「……ユーフィーミア嬢?これは……?」

 老騎士が面食らったように訊く。コクピットの中で、ユーフィーミアは荒い息を吐きながら得意気に笑った。

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 ■冶金都市 地下

 

 トビアとメアリーは暗い道を歩いていた。地下道の寒気を嫌がってアシュヴィンたちが紋章へ引き籠っていたので、今は本当に二人きりだ。そしてふと、トビアが口を開いた。

「さっきの……」

 水滴が垂れる。額に落ちたそれを不快そうに拭って、トビアは続けた。

「さっきの話、確度は?」

 その声は震えていた。震わせているのが何なのか、トビア自身にも分からなかった。メアリー・パラダイスは努めて静かに答えた。

「あたしが提供できる範囲で最大だと思う。言っておくけど、他の……普通の<マスター>も大体は同じだよ」

「だから、普通じゃない特例に頼もうって?」

 トビアはバカにしたように言った。

「信用したわけじゃない。<劣級>は直ぐそこにあるんだ、そっちを選んだ方が確かなんだから」

 攻撃的な態度とは裏腹に、トビアの足取りは穏やかだった。メアリーも、拘束や警戒の類いは見せていなかった。

「大体、あんたらは何なんだよ?さっぱり分からない……人間なのか?」

「人間だよ。分かりやすく言えば、<エンブリオ>と新しい身体を貰った人間……」

 メアリーが明かりを揺らす。

「どうやったらティアンが<エンブリオ>を手に入れられるか、あたしには分からない。でも、それをくれた張本人達なら、きっと可能性はある」

「それで、直接会ったことはあるの?そもそも、()が“そちら側”だって保証はないんだろ?」

 トビアは肩をすくめた。

「あたしは彼の顔も知らない。けど、有名人だし、言われてる推論には説得力があった。間違いないと思う」

 トビアは黙った。自分がどうしたいのか、彼にも分からなかった。欲しいもの、嫌なこと、全体像は明らかでも細かい部分はすぐに霞んでしまう。それは、自分を自分で分かっていないからだ。

 二人は歩き続けた。黒い道の水溜まりを避け、時に緩い上り坂の傾斜を進む。

「【猫神(ザ・リンクス)】……」

 角を曲がる瞬間、トビアは呟いた。道の先には、明かりが増え始めていた。

 

 To be continued



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第十六話 Q.E.D.は高らかに

 ■【降水王】ユーリイ・シュトラウス

 

 空気は湿っていた。頭上の電信柱、その森からは無数の水滴が滴っていたが、それは既にアイテールの権能を外れている。

(これは単なる雨水だ。“雨”……でなくては、【降水王】の範疇でなくては、僕の能力は発動しない)

 雨乞系統の《レイニー・プレイ》は雨を降らせる魔法だが、その降らせた雨の行き先はまた別の要素だ。アイテールの影響下にあるのはあくまでもユーリイ、その動作だけ。

(この電信柱はそのためだ。恐らくは建造物(TYPE:キャッスル)、外からのアイテールで排除することも不可能)

 そこまでは理解した。ならば、勝利条件はひとつだ。

(既にこの能力の主は覚えた。殺害して解除する!)

 タンムーズの消失。それさえ成せば、雨は再び降り注ぐ。屋内に逃げ込む暇すら与えない。自分の身体も空へ逃がせる。

 だが、そう簡単にはいかないのだ。

「《どこにでもいる(ステュムパリデス)》!」

 何処からか、宣言が響く。

 周りを走るAGI型たちが鳥へと変わる。炸裂する弾道が視界を貫いた。

(これで五回目……数で言えば十二羽)

 ステュムパリデスの交換転移。戦術上の有用度は言うまでもない。

(いつ切れる?)

 永遠には続かないはずだ。そんな期待と共にユーリイはそれらを容易く、身をよじって躱し、そして自らのミスを悟った。

「《爆竜》」

「《旋竜》」

「……道士系の!」

 道士系上級奥義は概ね面制圧の傾向だ。前衛を巻き込みかねないそれは軽々に撃てるものではないが……今さっき、鳥との交換で前線は空いている。

 焔と風が一体となり、爆風としてユーリイに迫る。逃れる術はない。

「……ッ!《瞬間装備》!」

 そして、ユーリイの身体が爆風に直撃した。

 無重力の肉体は、荒海の木っ端のごとく吹き飛んだ。石造りの壁へと叩きつけられ、ユーリイが喘ぐ。その右足を、弾丸が貫いた。

「急くなよ!」

 リンダが慎重に近づきつつ叫ぶ。

「攻め手を飛ばすな!手順通りにゆっくりやるんだ、油断して近づくな!」

 【降水王】の脅威を彼らは十分高く見積もっている。少しの優勢に浮き足だって足元を掬われることだとて、想定してしかるべきだ。

「……それは正しいぜ、【(シャドウ)】」

 ふらりと現れたカークが呟いた。

「【身代わり竜鱗】だ」

「……なんだっけ、確か……被ダメ軽減?」

 そう、ユーリイは無事だった。【竜鱗】はレベル0で亜竜級の一撃すら受けられる逸品。【降水王】といえど、簡単には殺されない。

「けれど、そりゃ奥の手だよね……」

 リンダは呟き、傍らの電信柱を見る。そこに取り付けられた電話がリリリンと鳴った。

 タンムーズは単なる電信柱の森ではない。その能力特性は有線通信だ。張り巡らされたケーブルは、電信柱を伝って会話を運んでくれる。

 リンダが受話器を上げる。

もしもし(へロー)?」

『こちらBグループ。位置に着いた』

「タンムーズのあいつは?」

『無事だ。もう前線には出させない』

「上出来」

 リンダは笑い、そしてユーリイを見た。這いずりながら必死に攻撃を躱す、【降水王】を。

「……ローテーションを繰り上げろ。“雨傘”を詰めるよ」

 見ろ、あの無様を。準<超級>なんて言われてたって、所詮は非戦闘職だ、囲んでタコ殴りにすれば……リンダは思った。ユーリイは明らかに広域制圧型、それが個人戦闘型の真似事をやるからこうなるのだ。

 半壊した屋上に、AGI型がズラリと並ぶ。それら全てが刃を構え、ツーマンセルで走り出した。

 これで終わりだ。クーデター一派が何をやろうとしていたかは知らないが、中核の準<超級>を失っては計画も進むまい。

 攻撃が止んだことにユーリイも気づいたのだろう、腹這いで叫び出した。水浸しの大気が細かく震える。

「僕を殺すなら……殺せば、計画は終わりですよ、それでも?」

 何が悪いのか?リンダは首をかしげた。敵にする命乞いの台詞ではない。

「錯乱したのかい?」

 リンダはそう納得した。追い詰められた人間は不可解なことを口走るものだ。そのくらいの可愛げは、彼にだってあるだろう。

 最初のコンビが刃を閃かせる。もうすぐユーリイは血みどろに切り刻まれる。だが、一発では終わらせない。念には念を入れて、徹底的に身体を壊す。先鋒が大きく最後のステップを踏み……

 

 そして、リンダは二人の足取りが乱れたような気がした。

 

 いや、気のせいではない。見間違いではない。

 先鋒のツーマンセル、その右側の一人の背中にナイフが突き立っている。

「なっ……!」

 その光景に、思わずその場の全員がたたらを踏んだ。

「なにやってる、お前!」

「ここにきてそんなドジを……!」

 彼らが口々に言い募る。その中で、また一人。

「……?」

 青色に短髪を染めた女が自分の脇腹を見る。いや、脇腹があった部分の大穴を。

「かはッ……!」

「おい!何してんだい!」

 リンダが叫ぶ。現場は混乱していた。攻撃を繰り出すはずだった段取りは乱れ果て、怒号と困惑が飛び交う。

「はは、は……おい、【降水王】!ど、どうだ?これは、“十分”か?」

「なに言ってんだ、お前!」

 その混乱をもたらした幾人かが取り押さえられ、地面に伏す。馬乗りになった戦士たちが叫んだ。

「スパイ!スパイだな、姑息な真似を!」

「違うぞ、スパイ?知らないね、おい、【降水王】!そうだろ!なぁ、()()()、良いんだよな!」

「この……!」

 訳の分からないことを口走る彼らに、取り押さえたほうも動揺を隠せない。そして、リンダの傍らの電話が鳴る。彼女は静かに受話器を取った。

「……もしもし(へロー)?」

『大変だ!』

 電話の向こう。通信越しの声にも、こちらと同じく揺れているものがあった。嫌な予感にリンダが眉をひそめる。

「何が……」

『背中を……裏切りが……!』

 耳を刺すノイズとともに通信が混乱する。次の瞬間、通信がひときわ耳障りな雑音を上げて途絶した。

 

 そして、ユーリイがゆっくりと起き上がった。

 

「言ったでしょう……デモンストレーションだと!」

 埃と泥を払う。うつ伏せに隠していた治癒能力の薬瓶が、軽い音を立てて落ちた。

「いい働きです。計画が済んだ暁には我々の王国の市民として、迎えられるでしょう」

 ユーリイが笑みを深くする。口元の皺がまるで大きな峡谷のようだった。

「お前ら、最初からそのつもりで……!?」

 その瞬間、カークの背後にも、さっきまで味方だった者のバトルメイスが叩きつけられる。

「……ッ!《グロウ》!」

ツル植物が醜い棘とともに爆発する。下手人を素早く拘束したカークは、血反吐を吐きながら問いただした。

「イカれてるのかよ……そんな、不確かな!」

「いいえ、確実ですよ」

 ユーリイが笑う。その足が地面を蹴り、風を蹴り、そして肉薄したカークをボロ雑巾のように蹴り飛ばした。銃身が手を離れ、明後日の方向に吹き飛んでいく。

「絶望、苦痛、恐怖……そんなものに意味はないんです。ましてや<マスター>相手ではね。人間は希望を胸に生きるものですから」

 どこか恍惚とした光を宿して、ユーリイの瞳が揺れる。カークが潰れかかった肺腑を鳴らして言った。

「希望だと……!これがか?<劣級エンブリオ>を欲しがるのが、それか!」

 これは、多発するこの状況は、自発的な裏切りだ。唆したのではない、脅したのでもない。目の前に釣られた“力”という餌に群がっているに過ぎない。

 考えてみれば当たり前の話だった。<エンブリオ>は<マスター>にとっても特別だ。実際の戦力の多寡とは関係なく、その名前だけで人を酔わせる毒になる。希望という名前の毒に。

「そう、希望!どんな状況でも希望を見いだすのが人間の強さ、そしてそれこそが前へと進む力になる!希望、欲望、展望、ポジティブな信念が世界を変える!」

「なぁ、おい、【降水王(レインフォール)】!お前らの<エンブリオ>とやらは、俺も貰えるのか?」

 目の前で【疾風剣士(ゲイル・ソードマン)】を刺し殺していた【重騎兵(カタフラクト)】の男が手前勝手な言葉を吐く。それを満足げに見ながら、ユーリイが続ける。

「僕たちには、社会がない」

 断言する。起き上がろうとして、カークはよろめいた。

「当然です。僕たちにとってここは“知らない場所”だ。生まれも、地位も、名誉もない。社会という軛がなければ人がその基準にするのは、“利益”……みんな欲しいでしょう?<エンブリオ>が」

「そうだ、俺たちはあんたらに付くぜ!」

「そっちのほうが面白そうだわ!」

「国崩しだァ!《エメラルド・バースト》!」

 喝采が始まっていた。波及する同士討ちに呼応して、声が上がる。

「<劣級(レッサー)>……」

「<劣級(レッサー)>……」

「<劣級(レッサー)>……!」

 

『『『<劣級(レッサー)>!』』』

 

「ええ、我らが(オーナー)はあなた方を受け入れるでしょう。あなた方が我々を助け、計画が達せられたなら」

 その頭がゆっくりと空を見上げ、そして浮上する。タンムーズが崩壊し、曇天が露になる。

「《ウォーク》」

 歩行とは、反発する運動系。

 空を踏みしめる長靴は、あらゆる面を地面に出来る。無限に分割された空間は、一本の軌跡へと再構成される。

 すなわち、飛行だ。

 ウォーキッカを連続的に、低レベルで発動させる。まるでスキーでもするように、ユーリイは空を滑った。上へ、下へ、そしてまた頂点へ。

 その目はもう敵など見ていなかった。必要を喪失したからだ。ことは済んでいる。《上昇方程式》の名の下に。

「クソが……!」

 口惜しげにわめく彼らがゆっくりと、浮き上がっていく。同士討ちのざわめきと共に。

「……あぁ、忘れるところでしたね」

 ユーリイが手を伸ばす。その傘の石突が、カークの頭を砕き割り……

「【グローリカ】回収しましたよ」

 ユーリイは、光に混じって落ちる<劣級>を受け止めた。再び降り始めた氷雨とともに。

 

 ◇◆◇

 

 □■冶金都市・地下

 

 断続的に金属弾が降り注ぐなか、三人……グリゴリオ、シマ、そしてAFXはもう一人の敵、腕彦へと攻撃を仕掛けていた。

「《塩害(メラハ)》!」

 グリゴリオが石床を塩に変え、槍に変える。半透明の結晶が地下の澱んだ空気を割き、そしてあえなく弾かれた。

「……やはり効かないか」

 シマが顔を歪める。

 腕彦の身体はまるで重装甲の戦車だ。明らかに<エンブリオ>のリソースをEND強化のみに注ぎ込んだ能力。しかも、

「勘だが、<劣級>も、だ」

 グリゴリオは吐き捨てるように言った。その頭上をコイルガンの弾道が駆け抜けていく。

「あぁ、もう!」

 AFXが叫ぶ。斜め上方より注がれる《電磁投射砲》の威力は食らうまでもなく絶大だ。機関銃のように雨あられではないのがせめてもの救いだったが、一発でも当たれば致命傷になりかねないというプレッシャーが、注意力のリソースを削いでいく。

(煙幕の持ち合わせは……いや、ダメだ、敵の残弾が読めない)

 コイルガンの照準はレディの視覚に依存している様子だ。それを絶てば、狙い撃ちは確かに出来なくなるだろう。だがーー

(闇雲に撃ってくる可能性を排除できない!この閉鎖空間じゃ僕らの移動範囲はさして大きくない、勝ち目のあるギャンブルだ)

 目の端、落ちた弾丸の残骸を捉える。着弾の衝撃で石材と癒着した金属塊を。

(あの弾丸……市販品か?数を揃えられるものか?闇雲に撃ち続けて良いと、判断するだろうか?)

 確信できない。そして、煙幕の類いは諸刃だ。【偵察隊】であるAFXは多少対抗できるが、無視界戦闘では弾丸を躱すことが間違いなく難しくなる。

(そんなことを考えてると……!)

「……!」

 腕彦がその拳を振るう。圧倒的攻撃力の発露は、空気さえ爆発的に打ち砕いた。

 耳鳴りと目眩にAFXの足が止まる。そして、腕彦がゆっくりとその左拳を引いた。その構えは、ボクシング……ストレートパンチのそれによく似ている。明らかに大技の構え。

「させるかァ!」

 シマ、そしてグリゴリオがあらゆる攻撃手段を駆使して、その隙を突く。だが、無駄だ。

 圧倒的なENDの前に、愚直な攻撃など無為。それを気にしないためのEND特化だ。

 粗末なマスクが動く。腕彦の唇が開いていた。掠れた声が響く。

 

「《ハーデン》」

 

 ◆

 

 ■【硬拳士】腕彦

 

 彼の<エンブリオ>、【剛等身 タケミナカタ】の能力はEND強化のルール。そして、<劣級エンブリオ>。【劣級硬化 ハーデニカ】も同じく、END強化能力だ。

 <劣級エンブリオ>はパーソナル参照機能こそないが、それでも行動や発言をデータとして記録し、それを参考した能力で生まれてくる。能力の発現プロセスに乱数を持ち込むことで出力を確保する、そういうシステム。そして、同じ人間のパーソナルから発した“言動”であれば、同じ能力が発現することも決して、ゼロではない。

 とりわけこの男に限っては、思考と行動が直結したこの【硬拳士】に限っては、それが顕著だった。何も考えたくない、面倒な障害を無視したい、それらの欲望は再び、END強化……些事をはね除ける鎧として結実したのだ。 

 その左拳にはグローブが嵌まっていた。《解放》によって機能制限を外された<劣級>の疑似<エンブリオ>体だ。通常【硬拳士】の奥義は無手でなければ発動しないが……問題はない。

 <劣級>は寄生生命体。拳にモンスターがしがみついていたところで、それが触れることでENDバフを付与する能力を持っていたところで、それでも素手だ。

 そして、《ハーデン》により腕彦の硬度はこの上なく高まっている。END×3+STR。猛烈なる攻撃力の奔流は殴打などというつまらない枠を飛び越え、ただ破壊の軌道として結実した。

「……!」

 三人は間一髪回避した。というより、偶然軌道に入らなかったのだ。

 音が消え、一瞬遅れて暴風が吹く。AFXは自分の頬をぬるりとしたものが伝うのを感じた。耳を少し吹っ飛ばされたらしい。

「バズーカかよ……ッ!」

 そして、レディもまだ健在だ。触れれば消し飛ぶ超攻撃が二人分。状況は最悪だった。つんのめった三人を電磁力砲撃が襲う。

 遠からず、誰かが死ぬ。それは無言の前提だった。いつか二人の攻撃が重なるタイミングが来る。そうなれば終わりだ。だから、

「AFX、先に行け」

グリゴリオはそう言った。

「何を……?」

「最悪を考えろ!」

 グリゴリオが吠える。

「こいつらは壁だ!単なる障害だ!叩き壊すことは有意義だが、第一目標じゃない!」

 この中で一番逃走の目があるのはAFXだ。足は速く、多少の追撃はメドラウトが防ぐ。

「お前の目的はなんだ!」

「メアリーを、助けに……」

「それがお前の理屈だろ。なら、優先しろ!」

 グリゴリオが発破をかけるように言う。乱射しながら、レディが嘲笑った。

「あらァ、あの捕虜を救いに来たの?案外、こっちの味方になってるかもよ、<劣級>は魅力的だもの。ボスの説得で……」

 

 裏切り。

 

 自分に付きまとうジンクスに、思わずAFXが動揺する。シマが吠えた。

「聞いてンじゃねえ!敵だぞ!」

 グリゴリオも力強く頷く。

「それにな、勝ち目はあるんだ……俺たち二人なら」

「あ?あー、そうだな」

 シマが首を回す。そのすぐ横を弾丸が抜けていった。

「でも……」

「いいからさっさと……」

「……行け(ゴー)!」

 二人が叫び、そして腕彦を殴り付ける。体重の乗った一撃に、【硬拳士】が一歩怯むように下がり、そして再び前進した。

「《ハーデン》」

 風が唸る。音すら吹き飛ばす無敵のストレートが床を削り、地下の石壁に円形の大穴を開けた。

「……ッ!」

 AFXはそれ以上躊躇わなかった。即座に踵を返し、背後の大穴へと跳躍する。レディが絶叫した。

「行かせるとお思い!?」

 フルゴラが尾を巻き上げ、雷撃をAFXに浴びせる。疾走する紫電は過たず少年の身体を貫き……そして、その身体が消えた。後にはただ石屑が落ちるばかりだ。

「幻術……いつの間にッ!」

「《塩害》!」

 地下を塩の柱が埋め尽くす。その目隠しの隙間を縫ってグリゴリオとシマが走る。狙いは、レディ・ゴールデン。

「ガードナーとの喧嘩なぞという非効率的なことはしない。直接お前を落とせばその竜も消える!」

「ハッ!それはさっき否定した筈よ!」

 そう、その言葉通り、腕彦が立ちはだかる。

 彼は殺せない。腐蝕の極致たるシバルバも、ソラリスによる窒息死も、ここにはない。単純な物理攻撃では彼の皮膚を貫けないのだ。

 だが、腕彦はそれで終わらなかった。彼は細かい思考が嫌いだが、バカではない。自分の強みと弱みは理解している。敵が何か策を弄しているならそれに気づける自分ではない。ゆえに、

「《剛変身(タケミナカタ)》」

最後の切り札を切った。

 宣言が終わるが早いか、腕彦の全身が変色する。黒い焔のような模様が拡がり、増殖し、やがてその皮膚を漆黒に染めた。

 更に倍増したEND、そして拳の攻撃力。もはや鉄壁の要塞が歩いているようなものだ。核爆弾でも殺せまい。

 現在のENDは四十万を越えている。上級職としては破格の数字だ。グリゴリオたちになす術などある筈もなかった……

「《瞬間装備》」

 

……かに、思えた。

 

「なぜ、あいつを先に行かせたと思う?」

 グリゴリオが笑う。思わず溢れた、という風な余裕の笑みだ。

「これからやることに、あいつがいてもらっちゃ困るからだ」

「下らない策を……?叩き潰しなさい、腕彦(バカ)!」

 レディが激を飛ばす。その鞭が再びコイルを作り、フルゴラの尾がグリップに接続する。 

 腕彦が飛ぶ。膂力のみで自らを射出した黒の【硬拳士】が左手を構え、まるでミサイルのようにグリゴリオたちへ迫った。一秒遅れで、【金雷術師】レディ・ゴールデンの《電磁投射砲》が放たれる。

 それを紙一重で躱しながら、グリゴリオは先程取り出したそれを軌道上に置くように放り投げ……次の瞬間、破壊の化身と化した腕彦の拳がそれを分子レベルにまで粉々に破壊した。

 

 そう、リンダ・シリンダが渡していた、“(アイテムボックス)”を。

 

 一秒などという長い間もなく、即座に中身が溢れ出す。出てきたものは、大量などという言葉でも生ぬるいほど多くの“水”だった。

「……ッ!?」

 腕彦が水圧に押し流され、一瞬遅れてレディの所にも波濤が到達する。地下という閉鎖空間で解き放たれた水は、数ある穴から空気を追い出してその地下を水で埋め尽くした。

(……このッ!)

 レディがフルゴラに命じようとして……臍を噛む。この環境では、電気竜の電撃は即座に漏電し、至近距離……レディ自身を焼く。

 水を貯蓄するタイプのアイテムボックスはかなりメジャーだ。収納対象を絞った代わりに相当量を詰め込める特化型もある。

(最初から持っていたの?いえ、それなら一回目で使ってもいい筈、何処からこんな大量の水を……ッ!!)

 レディが目を見開く。

(【降水王(ユーリイ)】の……雨!)

 レディは知る由もない。リンダがユーリイの雨を逆に集めていたことを。状況を押し流す暴力的な一手に整えていたことを。

(あのバカの能力はEND特化型。【窒息】で殺そうと言うわけね……合理的。けれど、それは相手も同じ筈……)

 既に息が苦しくなってきたことを考えないように、【金雷術師】は思考を回す。

(自爆覚悟で……?)

 グリゴリオやシマの能力に水の操作は無かった筈だ。塩化のルール、膨張・収縮のアームズ。

 暗い水の中、視線を彷徨わせる。目的のものはすぐに見つかった。即ち、

(あれは……!?)

塩で出来たドームが。

 

 ◇◆◇

 

「……久しぶりだよ、この手を使うのは」

 リンダが知っていたのか、あるいは偶然か。“水”はグリゴリオにとって馴染み深い武器だ。

 塩のドームはグリゴリオのソドムが塩操作で形成したもの。対水圧のためスペースは乏しく、グリゴリオ一人分にすら満たない。そこまでしても現在、水圧に塩が軋む音がする。

「……《塩害(メラハ)》」

 グリゴリオが塩にエネルギーを注ぐ。塩が息を吹き返し、罅を埋めた。

 手元には彼が常備する空気入りのアイテムボックスがある。残量は心許ないが、ここでは十分な筈だとグリゴリオは祈った。

 その外では腕彦が溺れている。いくらENDを強化しても窒息死は防げない。だから、

「……《我が拳、巌となりて》」

腕彦は窒息覚悟で動いた。

 身体中の酸素を使い果たしても構わない。今ここで、この敵を倒す。状態異常が暴れまわるのが分かるが、それも許容範囲だ。

 一発打ち込めば終わる。現在の彼の一撃にはそれだけの重みがある。

 粘り付く水を割いて、腕彦の左拳がゆっくりと引かれ、塩のドーム目掛けて放たれんとし……

(……ッ!?)

そして、背後からの何者かの攻撃に、腕彦は思わず手を止めた。

(水中で……だれだ!) 

 傷はない。が、動く水の“重さ”に腕彦の身体がつんのめる。

 水を介して音が聞こえる。何かが動く音だ。速い物体が動く音だ。

(……あいつ)

 それは、水中を鮫のように駆ける【疾風剣士】シマ・ストライプの音だった。

 通常、水中での戦闘にはそれ相応の準備が必要だ。ジョブや潜水服、あるいは<エンブリオ>。だが、シマにはそれはない。あるのは積み上げたAGIと、物体を膨張・収縮させる<エンブリオ>(エビングハウス)だけ。

 

 ゆえに、それだけで動いている。

 

 地球でのシマは水泳選手だ。勿論無名なその他大勢に過ぎないが、それでも体系的な実践に基づいて訓練を積んだプロである。

 その技術で今、シマは身体の抵抗を無くすよう姿勢を整え、そして腕は前後に広げていた。掌には<エンブリオ>がある。

 後ろ手は膨張の刀。突き出すのは収縮の刀。周囲の水の体積を操作した結果として、シマは超スピードの遊泳を可能としていた。

 周りの水をも巻き込んだ“鮫”は暗い水中を引き裂いて、飛ぶ。液体に作用するのはエビングハウスの能力でも無理筋であるため、ハイコストの追加スキルを起動しなくてはならないが、それでもこの二人を殺すだけの時間はある。

 そう、二人を。

(……不味い!)

 腕彦が床を蹴り、静かに浮かび上がる。今のシマは文字通り縦横無尽、あくまで地面の上でノロノロやっていたさっきまでとは次元が違う。やろうと思えば腕彦を飛び越えてレディを落とせる。ましてや、今あの女の雷は制限されているのだから。

(すぐに……ッ!?)

 致命的なる回遊魚の魚影を捉えながら水を蹴る腕彦は、しかし一向に進まない身体に疑問を覚え……すぐに悟った。

 あのドームの中。塩の【大戦士】は水を撒き散らして、その後は引きこもっているのだろうか?そんな無駄な真似をする人間だろうか?

(周りの水が、俺の確保をしている!あの男が何か……)

 そう、その流体操作はグリゴリオの干渉だ。だが、塩を操作する能力で、何故?如何にして?その答えは……

「食塩水だぜ」

グリゴリオが塩の中でひとりごちた。

「俺がなんのために散々一帯を踏み荒らして回ったと思ってンだ?この水には塩化した床から塩が溶け出してる……その塩なら、操れるんだ、俺はな」

 勿論、これは《塩害》の応用だ。精密ではなく、力も強くない。本職の液体操作能力には遠く及ばないが、真似事程度の力はある。少なくとも、この時、蠢く塩水は無類の硬さを誇る腕彦を完全に拘束していた。

 そして、それは腕彦も悟っている。

(ほどけない……!)

 彼の能力は純然たる硬度(タンク)。このような搦め手には正攻法で対処する手段を持たない。ゆえに、彼もまた敵手にならって邪道を遂行する。

 既に酸素も残り少ない。壊れ始めた脳組織に最後の命令を下し、腕彦はーー

 

 ーーその左拳で、自らの胸を殴り付けた。

 

 (スーパー)・ENDを加算された攻撃力は、たとえ主と言えど遺憾なくそのエネルギーを解放した。

 辺りは水だけだったが故に破壊することも出来なかったが、自分の肉体とて物質、殴れば衝撃が発生する。そして、周りは水だ。腕彦の肉体が自らの攻撃力で消し飛ぶのと同時、周囲の水も爆発した。

 

「な……ッ!?」

 

 グリゴリオの塩ドームもまた予想外の圧力に消し飛び、地下堂の壁へと叩きつけられる。大量の水を呼び出したことが災いした。その質量は運動量を与えられ、比例してパワーへと変わる。地下堂が崩壊を始めるほどの。

 崩落した瓦礫の合間を縫って、水が流れ、水位が下がる。爆心地で腕彦は光の塵へと崩れていた。 

「クソ……何が?」

 塩の鎧の欠片をはね除けて、グリゴリオが立ち上がる。そして、

 

「よくやったわ、腕彦」

 

レディ・ゴールデンが、言った。

「後少しで窒息するところよ……フルゴラ!」

「……gi!」

 竜が牙を剥き、その尾を振りかざす。最大の雷撃の光がそこに、灯る。

 そして、グリゴリオは水浸しだ。回避する時間もない。

「弾丸も伝導も要らない……直接、感電死するがいい!」

 グリゴリオが状況を把握する。しかし、もう遅い。雷撃の準備は既に完了している。その驚きの瞳を優越感で見返して、レディは叫ぶ。

「《(ガル)ーー」

「一手、足りなかったな……」

 グリゴリオは呟いた。

「……お前」

「《サンダー・スラッシュ》ゥ!」

 その瞬間。レディの頭上から落下してきたシマが彼女の喉を切り裂いた。

 《賦羅素丸》。膨張の刀に切り裂かれた傷口は即座に膨らみ、脆弱な【金雷術師】の頸が裂ける。頸なしのレディが最後に残したのは、

「……」

雷の光ではなく、自らの死を示す光だけだった。

 

 ◇

 

「死ぬゥ……!」

「死なねえ。黙って回復しろ」

 グリゴリオが落下死寸前のシマに言う。シマは不満そうに回復薬(静脈注射型)を自己投与した。

 地下堂は惨憺たる有り様だった。水の三割ほどはグリゴリオが再回収したが、それでも水浸し。その上壁が崩れかかっている。

「地下での大規模戦闘は不味いな……最悪生き埋めの共倒れだ」

 ここに留まることもあまりよろしくはあるまい。グリゴリオとシマは歩きだした。目標は……

「AFXとの合流だ」

「了解」

 AFXの飛び込んだ穴はかなり様変わりしていたが、まだ奥の通路へと続いてはいた。瓦礫を塩塊に変えて蹴り砕きながら、グリゴリオたちは奥へ侵入した。

 地下は冷たく、暗かった。生きていたのだろう照明も大水に破壊されて消えている。道を進んでいけば納骨堂のようなスペースは終わり、狭い隧道へと再び変わっていった。シマは灯りを灯そうと懐をまさぐり、そして何か思い出したように顔を上げた。

「おい、グリー」

「なんだ」

「忘れてたぜ……アレ、回収した方がいいだろ」

 グリゴリオは眉を上げ、そして首肯した。

「仕方ないな。戻るか?……あ、あー、いいや、お前、戻って取ってきてくれ」

「おい、なんで俺が!」

「二人で戻ったら時間の無駄だろ。後から追い付け」

「……コインだ」

 シマがリル硬貨を取り出し、投げる。グリゴリオが素早く言った。

「表」

「裏……チクショー」

 シマが踵を返す。グリゴリオはそのまま、前へと進んだ。

 地下道は下っていた。先の水攻めが流れ込んだのだろう、新鮮な水に濡れている。滑りやすい足元に毒舌を吐きながら、グリゴリオは目の前の扉を蹴破った。

 溢れる水とともに中へと踏み込む。そこでグリゴリオは気づいた。

「クソ。この扉が閉まってたってことは……」

AFXはここを通っていない。

「途中で道を間違えたか……?だが、分かれ道なんて……」

 グリゴリオは引き返し、そして立ち止まった。

 目の前の暗がりには、少なくとも二本の地下道が隠れていた。更にその先にもうっすらと分岐が見える。

 

「……別行動は不味かったな」

 

 グリゴリオは静かにため息をついた。

 

 ◇◆◇

 

 □【偵察隊】AFX

 

 足音が反響する。その中心を、AFXは走っていた。

 息は荒い。全身の傷が、痛覚はなくとも違和感を主張してくる。

 AFXは薬瓶を取り出し、少し考えてまた仕舞った。短時間に服用しすぎた。効き目はもはやほぼ無い。飲むだけ無駄だ。幸い、今はまだ走れるのだから。

 地下の深部へと、坂を下っていく。途中で見つけた横穴に、AFXは躊躇無く飛び込んだ。こちらの方がより下の方へと潜っていたからだ。

 扉を蹴破り、崩落を飛び越える。やがて灯りが増え始めた。恐らく、敵の中枢に近づいたのだ。

(<劣級>は魅力的だもの、ボスの説得で……)

 レディの言葉がふと、脳裏に浮かぶ。AFXはそれを振り払うように速度を上げた。

 ある筈がない。単なるつまらないジンクスを他人のせいにしているだけだ。彼女もそう言っていた。ジンクスを理由にメアリーを疑うなど、友情への裏切りだ。

「そうだ、きっと、絶対……」

 AFXが左手を撫でる。彼の恐れの象徴、第五形態のメドラウトは常にそこにあった。

 それも、もうすぐ変わる。そんな気がした。この恐れを克服したとき、彼の<エンブリオ>もまた決めるだろう。己の新しい形を。排撃か防御か、あるいは……第三の選択を。

 地下道はより広くなっていた。汚水も少ない。人通りがあるのだ。

(近い……)

 そう、期待に胸を躍らせながらAFXはまた扉へと近づく。蹴破る必要はない、鍵は開いていた。

 重い取っ手を掴み、扉を引きずって開ける。軋む音が地下道に響き、AFXは思わず身構えた。

(もう少し静かにした方がいいかもな)

 そんなことを思いながら扉を越える。そして、次の瞬間、

「やぁ!」

AFXは顔面を殴り飛ばされていた。

「ッ!?」

「あっ!」

 驚いた声が響く。一瞬の後、黄金色の光が地面に倒れるAFXの全身を満たした。その使い物にならなかった右手も、治癒の光に癒されていく。

「ご、ごめん、普通に敵かと思って……」

「……メアリー!」

 AFXが頓狂な声を上げる。

 幽閉されていると思っていた。まさか出会い頭に出くわして鼻を殴られるとは……思いもよらない。

「ごめん、大丈夫?」

「あぁ、まぁ、平気」

 実際、アシュヴィンの力でもう傷はなかった。むしろ健康になったと言っても良い位だ。久々に見た自分の右手を見つめながら、AFXはゆっくりと起き上がり、そしてメアリーの後ろに目をやった。

 

 そう、所在なげに立ち尽くすトビア・ランパートに。

 

「……ッ!」

 鋭く息を呑み込んだAFXが、即座に警戒体勢に入る。この顔を見るだけであのブラーの仮面が思い浮かぶほどだ。

(あの時、“自殺”と一緒にミンコスの店の前にいた子供!)

 “自殺”の脅威はよく知っていた。この子供が【盾巨人】ブラー・ブルーブラスターと一緒にいたことも。紛れもなく、敵だ。

 

 メアリー・パラダイスが、敵と一緒に行動している。 

 

(地下を自由に……敵の子供と……誘惑、交渉、勧誘!)

 頭が混乱する。口から出たのは、驚くほど単純な疑義だった。

「なんで、なんでその子供と一緒にいる……?」

メアリーが口を開く。それを制するように、AFXが叫ぶ。

「なんで、敵と、一緒にいるんだ!メアリー!」

 メアリーは思わず、トビアを守るように前に出た。何か危ないと直感したからだ。

「待って!トビアは……」

 それが分岐点だった。

 頭の中で、レディの言葉が響く。

(<劣級>は魅力的だもの、ボスの説得で……寝返っても不思議じゃないわ)

 あぁ、まただ。いつもこうだった。自分が上手くやれるだなんて、そんなのは単なる勘違いだったのだ。また壊れてしまった。この定理(ジンクス)ならよく知っていた筈なのに、つい思い上がってしまったのだ。

 AFXがその顔を歪め、まるで乞い願うような表情でメアリーを見つめる。AFXの前に立ちはだかる彼女を。

 

「裏切ったな、メアリー・パラダイス」

 

 その瞬間、AFXの中で何かがごとりと音を立てて動いた。リソースが膨らむ。左手が熱をもち、静かに唇が開く。どのように言えばいいかは、もう知っていた。

 

「《背信の証明(メドラウト)》」

 

そして、血飛沫が弾けた。

 

 To be continued



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第十七話 白紙の彼ら

 □【偵察隊】AFX(エイフェックス)/アレックス・ジェンキンス

 

 アレックスは未だに覚えている。割れるガラスを。揺れる窓枠を。勢いよく叩きつけられるように閉まるドアを。ヒステリックに鳴るドアベルを。

 

 家を出ていく母親の、別人のように見える貌を。

 

 それが彼にとって、始めての裏切りだった。

 

 ◇◆◇

 

「《背信の証明(メドラウト)》」

 

 AFXが厳かに言う。次の瞬間、彼の左手に光が灯った。

 鮮やかな緑色の光だ。光を纏う紋章が蠢き、鼓動し、そして水面(みなも)に油を流したように増殖する。

 現れたのはイバラを象った模様だ。毒々しい緑のそれが<エンブリオ>の紋章から延び、AFXの肌を走っていく。刺々しい輪郭が腕を、首を、頬を伝う。そしてAFXは顔を上げ、緑に染まった瞳をメアリーとトビアへ向けた。

「……逃げてッ!」

 メアリーが咄嗟に叫ぶ。AFXは明らかに正気ではない。彼の能力ならレベル0のトビアくらい簡単にひねり殺せる。

「早く!」

「……わかった」

 トビアは事態を把握しきれていないようだったが、それでもAFXの異様な威容は逃げ出すに十分だった。踵を返し、通路を走っていく。その足音を背後に聞きながら、メアリーはAFXを見た。

 イバラに覆われた身体は沈黙していた。ただ絶望のままにふらふらと揺れ、力無く立ち尽くしている。トビアを追う様子もない。そしてその目が、ゆっくりとメアリーの瞳を見つめ返す。

(まさか、標的は……あたし?)

「AFX!」

 メアリーが叫ぶ。

「聞いて!あの子は敵じゃないの、あたしは君を裏切った訳じゃない!」

 その言葉に嘘はない。《真偽判定》にも物言いはさせない。

「約束した。そうでしょ?あたしは君を……」

 そこでメアリーは言いよどんだ。AFXの表情は不気味なほど静かだ。穏やか、と言い換えてもいい。いつものあの臆病で、どこか不貞腐れているような感じは微塵もない。まるで……

「意識が……!」

 その瞬間、呼吸が乱れ、AFXが飛びあがった。ナイフや銃を使うのではない。格闘術の片鱗すらもない、原始的な跳躍。

「……ッ!」

 メアリーはそれを躱し、身体を低くした。復活したばかりのアシュヴィンがおろおろと周りを飛ぶ。それを鋭く叱りつけながら、メアリーは油断無くAFXを見つめた。

 まるで動物のようだった。ゆっくりと息を吐きながら床に手を突き、半立ちになる。その両手がやがておもむろに掲げられ、

「……!?」

A()F()X()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 指が白くなり、呼吸に異音が混じる。間違いなく本気の絞殺だ。

「なんで……自殺を!」

 メアリーが狼狽え、とにかく止めようと走り寄る。そして、

 

「かっ……は……」

 

メアリーの両手もまた、彼女自身の喉を締め上げていた。

 

 見下ろせば、その腕をAFXのものと同じ新緑のイバラ紋様が這っているのが分かる。いつの間にかは不明だが、イバラはメアリーをも能力の射程に取り込んでいたらしい。明らかにメアリーのものではない意思で、その腕は動かされているのだ。操作しているのは……

「AFX……いや、メドラウトか……」 

 全力で抵抗しながらメアリーが呟く。少女は息を荒くしながら、首から自分の両手を引き剥がした。

「自分の“動き”を相手に押し付ける能力……でも、絶対じゃない」

 AFXの膂力は決して大きくない。メアリーの力なら抵抗できる。自殺を図ろうとする指に引き続き拒否の命令を送りながら、メアリーが一歩AFXに近づく。

 恐らく、メドラウトは第六形態へと進化している。その引き金を引いたのは先だってのやり取り、そしてこの現象は必殺スキルへの覚醒。

 メドラウトの能力は大雑把に言えば、共通点を見出だすこと、仲間と敵対することへの対抗。そして、現在起きていることはある意味、その真逆だった。

 対象者の身体に、AFXのものと同じ動きをさせること。それは相手に共通点を作り出す能力であり、生死の同期。AFXの死人のような無表情が雄弁に語っている。そう、

 

同じ目に遭わせてやる(一緒に死んでくれ)』と。

 

「でも、そんな願いは聞けないよ……!」

 メアリーがまた一歩、ぎこちなく動く。

 彼女の身体は彼女のものだ。恐らくこの強制力にもメドラウトの強化が乗っているが、それを加味してなお彼女の方がまだ強い。意識さえしていれば、己の意思で動ける。

「このまま……間合いを詰めれば……」

 AFXの所へ辿り着いて、そしてどうする?メアリーは思わず、眼を逸らした。

 彼を殺すことは出来るだろう。アシュヴィンだってまだ生きている。だが、それは果たして大団円だろうか?他に目指すべき結末があるのではないか?

 メアリーが立ち止まる。AFXは相変わらず自分の首を絞め続けていた。愚直に、盲目的に、絞め続けていた。

 

 そして、唐突にアシュヴィンが墜落した。

 

 2体の腕は突如、飛行を戒められたように石床へと墜ちた。メアリーが驚愕に眼を開く。

「これは……」

 アシュヴィンたちが踠く。だが、その体躯は完全にイバラによって覆われていた。黒と金の装甲を緑が汚していく。押さえつけられているのだ、(メドラウト)によって。

「……ッ!?」

 思わず駆け寄ろうとしたメアリーの脚を、何かが掴む。視線を落とせば、地面の彼女の()にもイバラの模様がびっしりと絡み付いていた。

 それが動く。平面的だった筈の紋様がめくれ、浮き上がり、輪郭を成す。いつしかその紋様はがさがさと葉擦れの音すら獲得していた。

 メアリーの脚を捕まえているのはそれだ。まるで手、腕のように変じたイバラの塊。それが、ゆっくりと身体を起こす。肩が、胴が、胸が、そして……頭が産まれる。

 

 彼女は思い違いをしていたのだ。メアリーが本気になれば、AFXを止められる、倒せる、殺せる、彼はメアリーより弱いのだから……それは果たして真実だろうか?否、彼と彼のメドラウトは決して……少なくともこれから起こることは、単なる児戯ではない。《背信の証明(メドラウト)》は未だ、完了してはいないのだから。

 

 緑の“それ”がゆっくりと、顔を上げる。イバラの象るその顔面は、確かにメアリーの顔と同じ顔をしていた。

 

 準備は整った。“審判(トライアル)”が始まる。

 

 ◇◆◇

 

 □■冶金都市・地上・市庁舎跡近辺

 

 キュビットたちはどうにか目的地周辺まで辿り着いていた。機体の内部はこの上なく狭く、手足を伸ばすことすら覚束なかったが、雨は凌げる。

 【降水王】の存在を知らずとも、彼らとてもう雨のギミックには気がついていた。その動作の詳細も。雨に当たらない時間が続けば、重力は少しずつ戻ってくる。

 だが、【マーシャルⅡ】は破壊寸前だった。

「このッ!木偶どもが!」

 モハヴェドが悪態をつき、ハッチの隙間から拳銃を発砲する。ユーフィーミアが硝煙の匂いに顔をしかめた。

 この機体を取り囲んでいるのは街に放たれた人形兵たちだ。ぎらりと光る硬質な刃は、少しずつ【マーシャルⅡ】の装甲を蝕んでいた。特に脚部の損傷が激しい。遠からず擱坐してもおかしくはない。

 ここにいる人間にフレキシブルに大火力を運用できる能力者はいなかった。人形たちは硬く、強い。生命体ではないのでたとえ頭を撃ち抜いても止まらない。

「キュビットさん!」

 ユーフィーミアは擦りむきかけた掌で操縦桿を握りながら言った。

「わたし、思い付きました!共振です共振!あの人形を、共振破壊で一網打尽に!」

「無理だよ……」

 キュビットは肩を竦めた。

「共振で破壊ッてさ……少なくともあの金属の固有振動数が分かってないと出来ないし、たまたまそれを当てられても、固有振動数は材質だけじゃなく形状や質量の影響を受けるんだよ。人形が動けば変わる。ヤマビコの能力じゃそこまでの対応は出来ない」

「そうですか……」

 ユーフィーミアはため息をつく。Ⅳ世がコクピットの奥で潰れながら呟いた。

「いざとなれば儂が出て全て壊すが……ウーム、ここで使ってよいものかどうか」

 ゴルテンバルトⅣ世の能力(シバルバ)は無差別の極致。触れるもの、触れていないものをも全て腐蝕する。軽々しく解き放って良い能力ではない。

「私のサトリは今これにかかりきりですし、そもそもあの人形相手じゃ心も読めないし……」

 ユーフィーミアが嘆息する。打つ手なし。それを確認しただけだ。

 

 そしてその瞬間。右の脚部フレームが、ガタリと音を立てて崩れた。

 

「ウ、ワ!」

 【マーシャルⅡ】がつんのめり、前傾姿勢で石塀に衝突する。中古のエアバッグが動作不良で破裂した。

「不味いぞ!」

 傾いたハッチから身を乗り出してモハヴェドが叫ぶ。眼下では、人形たちが手を伸ばしていた。彼らの主(ファティマ)の怒りに従って、その刃が次々と展開する。金属の擦れる嫌な音が響く。

「囲まれた……」

「儂がやらざるを得まい」

 Ⅳ世が身体を起こす。

 この四人のうち前衛で戦えるのはⅣ世だけだ。その老騎士とてこの数相手では長くは保たない。ゆえに、Ⅳ世は両手の素手を掲げた。

「皆、儂が彼奴らを<マジンギア>から引き離したら、市庁舎のほうへ走るのだ」

「Ⅳ世さんは……?」

「儂は囮だ。シバルバを使えば引き付けた人形どもを一網打尽にも出来得る」

 そう言うと、Ⅳ世はコクピットハッチをすり抜け、地面へと飛び降りた。

 鎧を雨粒が打ち、人形たちががしゃがしゃと鳴る。その一体を斬り捨てながら、Ⅳ世は走り出した。

「人形よ!このゴルテンバルトⅣ世が相手……」

 しかし、人形はⅣ世を襲わなかった。扁平な顔はいずれも老騎士を無視して、【マーシャルⅡ】を見ている。流れる水のように、人形の群れはⅣ世の傍らを通り抜けていった。

「何故……!」

 Ⅳ世が狼狽える。

「何故襲わぬ!」

 人形は答えない。だが、彼らの主は遠く離れた地下でほくそ笑んでいた。

 

 見え透いた陽動など、襲うに値しない、と。

 

「明け透けに過ぎたか……!」

 それを悔いてもしょうがない。Ⅳ世が背後から人形たちに襲いかかる。

「されば、こうだ!儂を無視して只で済むと思うか!」

 金属がひしゃげ、刃の音が鳴る。だが、人形の数が多すぎた。

 人形たちがコクピットハッチに迫る。先頭の一体が脅すようにカタカタと頭を揺らした。眼も鼻もない、無機質な貌を。

「……絶体絶命?」

 ユーフィーミアがそんな惚けた台詞を吐き、そしてモハヴェドがその人形を蹴り落とした。

「くそ!」

 脚を引っ込める。人形兵の鎌に引っ掛けたらしい、その脹脛には紅が滲んでいた。

「移動……逃走……反撃……あぁ!」

 キュビットがぶつぶつと喚く。打開策はない。こうしている間にもⅣ世の身体は再び重力を奪われて空へ墜ちようとしている。

「何か、策を、策を……」

 

 打開策は、ない。

 

 彼らに打てる手札はない。【高位傀儡師】ファティマとて、限定的ながらこの状況では準<超級>に比肩する能力者。【降水王】の雨と合わされば、一般レベルの<マスター>やティアンとはそもそも地力の……リソースの桁が違う。

 

 だから、この状況を打ち破るのは……彼らではなかった。

 

 ◇◆

 

 突如、轟音が響く。何か硬いものがぶつかる衝撃音だ。

 それは近づいてきていた。中破した【マーシャルⅡ】の右後方、石塀の奥からだ。断続的に、その鈍い音が轟く。次の瞬間、石塀が粉々に砕けると共に、ひしゃげた金属人形が塀を突き破った。

 その後ろから、足音が聞こえる。

 

「……」

 

 現れたのは、砂漠の民が用いるような日除け布に身を包んだ、大柄の男だった。左手には紋章がない。黒い髪が僅かに溢れている。大きなサングラスの奥には、鷹のように鋭い眼差しが赤く光っていた。その眼が手元の黒く錆び付いたコンパスを見、そしてⅣ世を見る。

「お前は……違うな」

 人形たちは躊躇わなかった。この闖入者は明らかに敵だ。その腕部フレームに仕込まれた鎌を叩きつける。だが、

「……」

その鋭い刃は、ティアンの男に傷ひとつつけられなかった。

 男が歩みを進める。その瞳が、今度はユーフィーミアを見る。

「違う」

 モハヴェドを見る。

「違う」

 そして男はキュビットに眼を向け、持っていたコンパスを懐に突っ込んだ。

「……お前が、【司令官】ビビッド・キュビットだな?」

 キュビットの肯定を待つことなく、男は背中に背負っていたものを下ろす。そこでキュビットたちは、男が長大なケーブルを引きずっていることに初めて気がついた。

 視線を遠くに向ければ、聳える巨大な外壁の上を乗り越えるケーブルが見える。

(まさか、全部の壁を乗り越えてきたのか……?)

 数台の人形がケーブルを切りつけ、男の身体と同じく弾かれる。それを見もせずに、男は言った。

「届け物だ。……テレサ・ホーンズから」

「テレサさんから?あんた、誰だ?」

 キュビットが尋ねる。サングラスの男は短く言った。

「……【運搬王(キング・オブ・ブリング)】」

(王……ティアンの超級職か!)

 だが、それだけ言って、男は押し黙った。キュビットは再び尋ねた。

「……名前は?」

 男は小さく舌打ちした。

「下らん質問をするな……殺すぞ」

「言いすぎだろ」

 キュビットの呟きを黙殺し、サングラスの【運搬王】は背後の荷物をぞんざいに差し出した。

 キュビットがコクピットから【マーシャルⅡ】の陰の地面におずおずと飛び降り、泥濘に着地する。その泥はねを殺人鬼のような目線で睨み付けてから、【運搬王】は荷物をほどいた。

 現れたのは、通信機だった。それも有線通信の大型だ。黒々とした箱に受話器が折り畳み格納されている。その受話器を引っ張り出すと、【運搬王】はキュビットに向かってそれを石礫のような勢いで投げつけた。キュビットがよろめく。

 

 その背後から、人形たちが鎌を振り上げた。

 

「うぉっ!!」

 キュビットが紙一重でそれを躱す。人形は泥濘を踏みつけにしながら追撃を開始した。

「くそ、この!」

 キュビットが叫ぶ。その頭へ刃が迫り……

 

「木偶が」

 

【運搬王】の掌がそれを止めた。

 鋭い刃をもろに掴んでいるのに、その掌からは血の一滴も落ちはしない。防がれているのだ、【(キング)】の(END)に。人形風情が高貴なる鎧を破ることなど叶わない。

「俺の仕事を邪魔するな……!」

 言うが早いか、【運搬王】は人形の頭を鷲掴みにした。金属製の人形は罅一つなく逆にその手を切りつけたが、やはり弾かれる。

 【運搬王】は人形を持ち上げると、その躯体を振り回して別の人形を吹き飛ばした。

 膂力が高いわけでもない、特殊な術を使うわけでもない、ただ己の硬度のみにものを言わせたごり押しだ。だが、この場においてその戦術は間違いなく人形たちの戦線を崩壊させた。傷を負わないのだから、あとは動きのぎこちない木偶たちを“退かせる”だけだ。

「面倒な、仕事だ!」

 人形たちが吹っ飛んでいく。破壊こそされていないが、【運搬王】の堅牢さに人形たちは尻込みをしていた。それを殴り、蹴り飛ばしながらサングラスの【運搬王】が呟く。

「俺は非戦闘職だぞ、こんな荒事をやらせやがって」

「……嘘でしょ?」

 キュビットが首を傾げる。【運搬王】は三白眼でキュビットを睨み付け、地面に何かを叩きつけた。

「……《ハイ・キネティック・レジスト・ウォール》」

 【ジェム】が弾け、辺りに魔法の障壁が広がる。外から人形たちが結界を叩くが、高等な海属性結界魔法は小揺るぎもしない。内側に巻き込まれて暴れる人形を放り投げながら、【運搬王】は言った。

「掃除は済んだ。アフターサービスは終わりだ。さっさと喋れ。俺は早く帰りたいんだ」

 勤務態度に問題がある。キュビットはそう口の中で呟きながら受話器を手に取り、直通通信ボタンを押した。【運搬王】の能力でいかにしてか保護(プロテクト)されているらしいそれは、何百回と人形に蹴られ殴られ切られたにも関わらず、無傷の新品同様で動作した。

 

 ◇◆◇

 

『ハーイ♪調子はどう?』

「まずまずですよ」

 テレサ・ホーンズの明るい声に、キュビットは面食らったように眼を細めた。

「通信妨害を抜けてこられるとは思いませんでした」

『あら。当然よ。この私だもの、途絶してから直ぐに最寄りの中継施設から有線引かせたわ』

 当然だ。動き回るドラグノマドから直接ケーブルを下ろすわけにもいくまい。

『で、知らせときたいことがあるの。まずグランバロア。黄河とのあれこれを建前に、陸上で戦力となり得る<超級>をカルディナに全員投入……バチバチの宣戦布告ねぇ、このせいでどこも大忙しよ』

 実際、通信の向こうでは微かに喧騒が聞こえていた。

『まぁそんなだから応援は期待しないでね?で、ここから本題』

 テレサは言葉を切り、

『【教授(プロフェッサー)】ウーの情報、掴んだわ』

ドラマチックに告げた。

「それって……」

『苦労したわよ。十二、三個は規定を破ったわね。方々探し回ってようやく……』

 テレサは欠伸をした。

『コルタナ行政のクラン管理課に記録のコピーが残ってたの。先だってのゴタゴタに紛れて入手出来たわ。ウー……彼は二年前にクランを結成してる。構成員はウー本人と現【降水王】ユーリイ・シュトラウス、そして、大量のティアンの技術者』

「技術者?」

『主に生物学や医学、生理学の方面ね。あと魔術系の学者も山ほど……彼らは協力して、とある研究を進めていたそうよ』

「研究って……どんな?」

 キュビットの質問には答えずに、テレサは静かに言った。

 

『クランの登録名称は……<プロジェクトE-02>』

 

「E……<Embryo(エンブリオ)>!」

 <エンブリオ>の研究……もしかすると、再現。

 それが<劣級(レッサー)>の源、ベースとなったのか。だとするなら、その技術者たちはウーの計画を探る大きな手がかりとなる。<劣級エンブリオ>の弱点が分かるかもしれない。

「そのメンバーは……?」

『メンバー?』

 通信の向こうで資料を繰る音がして、テレサは言った。

『全員、行方不明よ』

「それって……」

 キュビットが息を飲む。

「消されたってことですか?一人残らず!?」」

『……プロジェクトに参加していたティアンの研究員は四十八人。その全員が消息不明、死体はない。そもそもクラン登録情報の原本自体が、()()()()破壊されてたから事件にはならなかったようね。CCI(カルディナ中央保険)は既に死亡扱いに移行してる。ケチな保険屋も匙を投げるほどだから、ま、痕跡は皆無ね』

 つまり、真相は闇のなかだ。恐らく全員死んでいるのだろうが。だとすれば、ここまでウーの存在が露見しなかったことも説明がつく。

『ただ、少し気になることがあるの』

 テレサの調子が変わった。

『冶金都市の完全通信途絶はある程度ニュースになってるわ。通例、付近の都市の軍に警戒配備が要請されるはず……それが、今回は全くないの。対グランバロアに支障を来すって建前でね』

「それは……」

『おかしいと思わない?<超級>なんて特大戦力に警戒するのは分かるわ、でもだからってこの事態を放っておいて良いわけがない。各都市の軍備は基本的に自治権の範疇よ、もしそれを飛び越えて“政治的な意向”を効かせられるとしたら……』

 テレサが言い澱む。キュビットも驚きに声を揺らした。

「……カルディナ上層部の意向があるってことですか」

『私の権限レベルでは大した根拠はないわ。グロークスを捨ててどんなメリットがあるのかも理解できないしね。けれど、気をつけて』

 テレサは真面目な声で言った。その声が少し緩む。

『ま、貴方達(マスター)は治外法権みたいなものだし、大丈夫よ。引き続き調査を進めるか、切り上げるか。それは好きにして。あ、最後に彼に代わってくれる?』

「彼?」

『会ったでしょ?【運搬王】のセ・ガンよ、気難しいヤツ』

 果たして気難しいで済ませて良いものか、キュビットは迷いながら受話器を【運搬王】に渡した。怪訝そうな顔から何かを察した表情に変わりながら、サングラスの男は受話器を受け取った。その顔が更に険しくなる。

「……俺だ。断る。勤務は終了だ」

 【運搬王】が唸る。

「……あぁ、そうだ……だが、それは貴様の都合だろうホーンズ。その手の話は別件として受けるかどうかを改めて検討する。そして検討の答えは却下だ」

 【運搬王】は深すぎて吐くのじゃないかと思う程の深いため息をついた。

「……いや。……あぁ、だがそれは……とにかく、お断りだ。選択権は俺にある、そうだろう」

 テレサが何事か叫ぶ声が漏れ聞こえ、【運搬王】も憤懣やる方無しといった様子で叫んだ。

「……ホーンズ!」

 受話器を投げ棄てる。通信が切れたらしい、沈黙する受話器を、【運搬王】はその視線だけで人が殺せそうなほど睨み付け、石のように沈黙した。数秒経って、その首が動く。

「実に不本意だが」

 そんな断りは必要ないほどの渋面で【運搬王(キング・オブ・ブリング)】セ・ガンは言った。 

テレサ・ホーンズ特別通信局長(あのいけすかないクソ女)からの御依頼だ。俺もお前たちに同行する。了解したか?」

「あ、あぁ、実に……頼もしいよ」

 キュビットはそう言って、深く頷いた。

 

 ◇◆◇

 

 □■冶金都市・地下

 

「おォ、あったあった」

 独り言を溢しながら、シマは薄ピンクのハンカチで水と瓦礫に埋まったそれ――<劣級エンブリオ>を拾い上げた。

 腕彦とレディ・ゴールデンの肉体は彼らの死亡に伴って消失……管理Al一号の元で再構成フェーズへと入っているが、その身体に棲み付き隷従していた寄生体、<劣級>はその範疇にはない。純粋に別の生命体として同じ場所で沈黙していた。それを鹵獲することにはそれなりに意味があるだろう。

 シマは膝まで砂交じりの水に漬かりながら、手に入れた二種の<劣級>を気味悪げに眺めた。当然だ、ヒトに寄生する生き物に親しみを抱けるはずも無い。

 だが、その戦力は本物だ。シマは思った。

 力を“増やす”手立ては幾つかあるが、どれも容易くはない。特典武具は<UBM>との会敵が難しく、何より特殊能力を持った怪物に勝利することが求められる。超級職とて黎明期ならいざ知らず、未だに発見されていないものは相応に解禁条件が厳しい。先々期文明の武装や古代の遺物という手もあるが、そんなものは特殊な伝手か天運でもなければ手に入るまい。

 そして、<超級(スペリオル)>への進化は更に遠い。

(ウーに尻尾を振るだけで獲れる力、そう見れば悪くないだろう。寝返りは幾らでもあり得る……特にティアン社会との結び付きが弱いやつは)

 更に言えば、別にひとつだけとも決まっていないのだ。

 <劣級(レッサー)>という力を足掛かりに、更なるリソースを得る先行投資にすることも出来るだろう。ウー一派が特典武具や超級職を複数獲得していけば、力の桁は<劣級>から更に加算される。

 物思いに耽るシマはしかし、いい加減足を覆う冷たさに辟易して、少し小高い瓦礫の上に上がった。足元の水は既に動きを止めていた。崩落した瓦礫に溜められているのだ。

 シマは気力を無くしたように、その止水を眺めていた。崩落の音は止まっていた。そして、水面を微かな波紋が揺らす。

 

 次の瞬間、シマは(ブレード)を振り抜いた。

 

「出てこいよ」

 微かに、チリのようなものが舞う。そして、空間が揺らめき、

「……良い勘をしてる」

剣豪が現れた。

 朱の着流しは今しがたの一閃で袂が浅く傷ついていたが、皮も肉も斬られていないのは、剣豪の強さの証明だろう。そう、

「【剣聖】巴十三(ともえじゅうぞう)、か。敵だな?」

「おいおい、名乗りくらいこっちでやらせろよ」

 無遠慮に《看破》されて、剣豪が笑う。シマもまた薄い唇を歪めた。

「回収に来たかィ?大事なもんだろうからな、俺がとっといてやったよ」

 柄を握ったまま、指二本だけでハンカチに包んだ<劣級>を見せる。

「で、これ返したら帰ってくれるのかな?」

 十三が頭を振り、肩を竦め、そして刀を抜き放つ。

「……いや、それはダメだなあ」

 だろうな。シマは納得した。

(こいつは俺と同じ……戦闘を楽しめるタイプの人間だ)

 見れば分かる。喜色を隠せていない。理由を探してまで闘う人種だろう。

 つまり、相手にとって不足無し。

 十三もそれを分かったのだろう、空気が張り詰める。間合いはおよそ五メートル。お互い二歩で詰められるだろうか。

 だが次の瞬間、十三の姿は掻き消え、

「……ッ!?」

 

〇.五秒後。剣を中段に構える十三はシマに肉薄していた。

 

(瞬間移動だと!?)

 だがシマとて素人ではない。視界に捉えたなら斬り結べる。即座に手首を返し、振り下ろされる刀を片手の<エンブリオ>で受ける。鈍く光る刃が触れあう。

 

 そして、十三の刀がシマの刀を半ばから断ち切った。

 

「……ッ!おいおい、マジかよ!」

 鮮血が飛び散る。シマは敢えて足の力を抜き、身体を後ろに転ばせた。胴を寝かせたまま瓦礫を蹴り飛び、身体を逃がす。

 もし一瞬でも遅れていたら斬られていた。肩から腹まで綺麗に開かれていただろう。

 十三は油断無く、振り抜いた刀を構え直してシマを見ていた。シマもまた警戒心を漲らせ、肩の傷から流れる血を拭う。落ちた赤色が足元の水を染めた。

 間合いは再び二歩ずつの遠間。だが、それがあまり安心できない数字であることをシマは既によく理解している。

「瞬間移動……空間系の能力か?」

 自分で言っておいて、即座にシマは自嘲した。そんなことを尋ねて何になるというのか?

(我ながらマヌケな台詞だぜ。仮にも剣士の握った上級アームズを!って聞くのがホントだろーによォ)

 TYPE:アームズの破壊はただ事ではない。しかも……シマは素早く目を落とした。断ち切られた刀の切り口は、酷く滑らかだった。

(捻じ切る、砕く、へし折る……そういう形じゃねェ、これは……“切れ味”!)

「気になるか?」

 十三が笑う。その手の刀がギラリと光った。

「妖刀【明霊(あかるたま)】。黄河の寒村の無縁仏に突き立っていたのを俺が拾うたのさ。決して曇らぬ刃よ。然るべき太刀筋で振るえばあらゆるものを斬るが、しかし技を少しでも迷わせればなまくらへと成り果てる気難しい刀だ」

 故に<エンブリオ>の切断も容易い、と十三は嘯いた。

「むろん妖刀の呪い(でめりっと)もあるがね。持ち続けるほどに少しずつ“感覚”を喰われる……技を何より欲する刀でありながら、使い手の腕を鈍らせるのだ、皮肉だろう?」

 最も少しの間なら影響は軽いし、そこまで喰わせる前に使いやめる腹積もりだが。と、十三は微笑みながらのたまわった。

 シマは笑わなかった。代わりに鋭く目を細める。

「やけに親切だなァ……随分喋るじゃあねェーか」

 自分の能力を開示することは完璧にマイナスだ。逆に、それを発動条件にする特性もないではない。そしてその手の能力は妙にトリッキーなものが多い。

 だが、十三は愉快そうに首を振った。

「罠ではないとも。教えてやろうと思ったから教えた、それだけだ」

 その笑みが、裂ける。

「俺が欲しいのは闘争と勝利。慌てふためいたお前さんを苛め殺しても何も愉しくはないだろぅ?」

 さぁ気を持ち直せとばかり、挑発的に【剣聖】が刀を振る。シマのまなじりがつり上がった。

「……てめェ、ナメてんじゃねェぞ?」

 その左手が断ち切られた刀を格納する。一刀流のシマもまた中段に刀を構えた。

(一本になったが……残ったのは膨張の《賦羅素丸》。一太刀当てりゃそこから身体がめくれあがる)

「股裂きにしてやるぜェェ、キヒャア!」

 その言葉が終わるより早く、シマが走り出す。巴十三も応じて大地を蹴った。その輪郭が消失する。

(また消えたか!だがよォ……)

 シマは慌てない。狼狽えない。AGIは全開だ。その速度を緩めること無く、【疾風剣士】は刃を振り抜いた。金属音が響く。

「……やっぱりな」

 消えたはずの巴十三が、その刃と斬り結んでいた。

「その瞬間移動は空間系じゃねえ。()()()()()()()()()()()、だ。言いたいこと、分かるよな?」

「ご明察」

 そう、【剣聖】巴十三のやったのは空間干渉ではない。なんのことはない、姿を消しながら一瞬で動いただけのことだ。それを可能にしたのは……彼の武装。

「足元の靴。あんときの猿どもの能力だな?他にも積んでンだろーがよ……<劣級>込みか!」

 

 革靴型伝説級特典武具【沈黙沓 シャットアップエイプ】、能力特性:消音。

 首飾り型逸話級特典武具【明滅玉飾 シラヌイダユウ】、能力特性:透明化。

 腰帯型逸話級特典武具【踏破霊糸 ユメアルキ】、能力特性:悪路歩行。

 足輪型<劣級エンブリオ>【劣級加速 ラシカ】、能力特性:瞬発加速。

 

 十三の瞬間移動はこれらの並列起動による技だ。ひととき姿と物音を隠し、その隙に途轍もなく高速で跳ぶ。結果として、“瞬間移動”が出来上がる。だから、シマのようにその軌道を読んで剣を振るえば当たりもする。

 だが、そんなことは問題ではないのだ。

(特典武具を複数……こいつ、マジでやベェ)

 <劣級>は力だ。ホンの少し、地力(リソース)が足りずに燻っている猛者たちを後押しする力。一旦手に入れれば、堰を切ったように強者への階段を上り出す。容易に想像できる。

 恐らく、この【剣聖】巴十三もそのような手合い。

(こんなやつをノーマークだったとはよォ……)

「……どうした?」

 シマの沈黙に、十三が梟のように顔を傾ける。

「怯えているのか?」

「ハッ!んなわけあるかよ!」

 シマが吠える。

「命のやり取り!死線!上等だぜェ、考察は十分だ!斬り合おうじゃねえか!」

「……そりゃあいい。やっと身が入ったか?」

「言って……」

 シマの身体がたわむ。

「……ろォ!《サンダー……!」

 【疾風剣士】が飛び出した。後ろで瓦礫が崩れ落ちる。

 動きを読まれることは織り込み済みか、巴十三も今度は“瞬間移動”をやるつもりはないらしい。代わりに、その口が動く。

 

「【劣級加速】、《ラッシュ》」

 

「……スラッシュ》ァ!」

 シマの剣が言葉すら追い越して風を切り裂く。だが、それは空振りだった。

 躱されたのだ、確実に芯を捉えた一閃を。

「な……ッ!?」

 シマが驚愕する。その目には、信じられないものが映っていた。

 

 目にも止まらぬスピードで移動する、【剣聖】巴十三が。

 

 波紋が走り、瓦礫が動く。その全てがまるで同時多発的に起きたようにすら見えた。地下を見渡すシマの視線より、視覚より、認識より、速い。

「これは、腕彦の真逆……AGIを倍加して……ッ!」

 シマが踏み込み、刀を振る。一発当たればそこから“膨張”して弾け飛ばせる筈だ。

 だが、当たらない。いまや十三の影すら捉えられない。AGI型としてそれなりの筈のシマですら、遅すぎるのだ。

「このッ!」

 袈裟懸け。唐竹割り。逆袈裟。切り上げ。突き。あらゆる手を尽くし、エビングハウスを滑らせる。だが、それでも届かなかった。刀を振るより速く見切られている。そして、

 

「《レーザーブレード》」

 

シマの正面。突如減速した十三が加速の世界から飛び出し、光り輝く刃でエビングハウスが斬り飛ばされる。更に返す刃で、十三はシマの首を……骨もろとも断ち斬った。

 血は零れない。切り口はまるで斬れていないかのごとく、ぴたりと吸い付いている。【明霊】の鋭さの証明だ。

加速時間終了(ラッシュタイムアウト)加速時間終了(ラッシュタイムアウト)!』

 十三の足輪(アンクレット)、<劣級>が鳴く。それを煩そうにしながら、十三が呟いた。

「ホンの十秒間だけだ。倍加率も大したことはない。が、それでも俺にとっては大きい助けだ」

 《解放》された<劣級>の力、そして、彼の【剣聖】としての速さ(AGI)、何より、研鑽を積んだ剣術の腕。それが合わされば、十三は全てを切り捨てる刃となる。

 シマの首がぐらりと傾く。紅い線が、ようやく頚元に滲んだ。

「にしても、“命のやり取り”か。軽いな、言葉が軽い。だからお前たち(マスター)は……」

 そこまで言って、十三は押し黙った。シマの首は血反吐を吐き、胴から離れた。水面へと落ちる首が、十三を見る。

 

 その左手を。()()()()()()と、前腕の雷紋(レッサー)を。

 

「お、前……ティアン……」

 

 刀が閃く。シマの首は水に触れるより前に、光の塵になった。

 

 To be continued



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第十八話 ジャンク・パンク・行軍(パレエド)

 □■冶金都市グロークス

 

 最悪だ。最悪の状況だ。生まれてこのかた、これ程ひどくなった試しはない。

 グロークス市長マンドーリオ・グラマンは、苛々と爪を噛んだ。

 最初は、単に<エンブリオ>……憧れの力を手に入れたかっただけだった。情報を探らせ、コンタクトをとり、あとは市長としての莫大なポケットマネーで協力を取り付けられるはずだった。

 それが今や、逆に脅迫され、共犯者に仕立てられ、あまつさえ“クーデター”ときたものだ。カルディナへの反逆者がどうなったか、彼も統治者の家系、記録に残らない顛末を耳にしている。死ぬより酷い目にあわされるかもしれない。ひょっとするとペルヌ送りにさえ……

 街を傾けて資源を供出したことも不味い。これまでグラマンが抑え込んでいた反グラマン派の商家を核に、己の派閥からも離反者が出ていた。あのテロリストどもがグラマンと繋がっていることなど、知っているものは知っている。

 そう、最大の問題は、逃げ道がないことだった。彼の活路は【教授(プロフェッサー)】ウーの計画が成功した先にしかない。

「成功すれば……成功すれば、私にも<エンブリオ>が……」

 グラマンは不安から逃れるため、甘い想像に酔おうとした。力を手に入れた自分。紋章を手に入れた自分。世界に愛される彼らと同じになれた光景を想像する。

 

 もしそうならなければ、彼は破滅だ。

 

 カルディナ征服にも世界征服にも興味などない。都市の長として富を集め、あとは<エンブリオ>があれば完璧だった、それだけなのだ。自分以外の人間の欲のために裁かれることなど、この上なく耐え難い。

「……」

 グラマンは立ち上がり、執務室の窓から外を眺めた。

 市庁舎は爆破され倒壊していたが、あくまでそれは中央ブロックだけのこと。周囲の設備は無事であり、グラマンの居住スペースも残っている。地下への通路も。

 それを目当てに今、敵が近づいてきている。モハヴェド、そしてカルディナ中央の依頼を受けた<マスター>たち。

 排除せねばならない。グラマンは腹を括った。ウーに見放され、使い捨てられるのだけは御免被る。何のためにここまで苦痛に耐えてきたのか。

「排除、排除だ」

 グラマンが上ずった声で呟く。

「私への“害”は!すべて、排除だァ……!」

 

 ◇◆◇

 

 □■グロークス市庁舎

 

 崩れかけた建物に、雨は降り注いでいた。白い石材は粉々に割れ、微かに火薬の匂いが残っている。

 半壊した瓦礫の周りを兵士たちが蟻のように動いていた。雨粒にも怯むことなく、銃を手に、軍靴を鳴らす。

 都市各地で戦乱が起きているのは彼らも知っていた。知った上で無視しているのだ。

 上官の命令は絶対であり、そして崇高なる目的(エンブリオ)のためにグラマン市長の意思を遂行するという大事もある。多少の流血はやむを得まい……というのが建前だった。

「……おい」

 兵士の一人が口を開く。もう一人の憲兵も頷くと、その銃口を上げた。

 人影が見える。どこか怪しい足取りは薬物中毒者(ジャンキー)のそれとよく似ていた。その影が一歩、近づく。

「止まれ!」

 憲兵は叫んだ。

「このエリアは現在我々グロークス憲兵の警戒下にある!速やかに立ち去れ!」

 銃口が鈍く光り、引き金に指が掛かる。それを気にも留めない様子で、人影はまた一歩近づいた。

「警告終了!発砲する!」

 雨にくぐもった銃声が響く。硝煙は湿った風に重く沈み、二発ずつ、四つの銃弾は人影の頭と胸に命中した。

 

 そして、弾は虚しく弾かれた。

 

 暗がりから、人影が歩み出る。ヒトの形をしているのは輪郭だけだ。化粧釘のように鋲を打った銀色の身体、扁平な顔面、軋む関節。一人だけではなく、後ろから続々と。

 それは、ファティマの人形たちだった。

「……ッ!なんだこいつらは!」

 兵士たちがたじろぎ、続けざまに発砲する。だが、鉛の弾は小石のようにあえなく防がれ、人形たちはそれを引き金にしたように、腕から刃を引きずり出した。

「……敵襲ゥーー!敵襲だッ!」

戦闘人形(キリングドール)多数!非常に堅牢!」

 憲兵たちが蟻の巣をつついたように騒ぎだす。小銃などというもはや効果の見込めない武器を怠惰に撃ち続けるほど、彼らは愚かではなかった。

「迫撃砲、構えェーーッ!」

 二百メテルほどの距離を空け、歩兵部隊が空へと砲口を構える。

 【MW088トレンチモルタル】。ドライフから輸出された、数世代前の携行武装である。総合性能では最新型に一段劣るが、現在でも信頼性と安定性に優れる武骨な逸品だ。

 花火筒のようなそれらが一斉に炎を吹く。ずんと腹に響く音を立てて空へ上がった砲弾が、雨に混じって人形たちへ着弾した。

 銀の人形たちが吹き飛ぶ。歪んだフレームと破断した手足が耳障りな音を鳴らしていた。だが、それでも人形たちは止まらない。

「敵、接近してきます!」

「前線後退!距離を取れェーーッ!」

 小銃の弾幕とともに、部隊が下がる。後方では素早く迫撃砲を展開した歩兵たちが第二射を敢行した。

 そして、そこが限界だった。怒れる人形軍が迫撃砲の射程の内側へと踏み込む。これ以上の砲撃は味方にも被害が及ぶ状況だった。人形の砕けかけた頭が、がちがちと鳴っていた。

 中近距離戦闘に頭を切り替えた兵士たちが次々と走り出す。端にいた一体、特に損傷の大きい人形は、飛びかかる兵士たちに押さえつけられて鈍い音を上げた。

 背中に馬乗りになった兵士がホルスターから大きな釘を引き抜き、鈍く尖るそれを人形の首筋へと無理やり押し込んだ。人形が悲鳴を上げるように異音を立て始める。

「……逆探知、成功。やはり【傀儡師】系統の人形と推定。攻性魔術障壁(ファイアウォール)なし、ダミーの反応もありません」

 傍らの兵士が大振りのチェーンソーを持ち上げ、壊れかけた人形の首と手足を素早く落とす。駆動部を断ち切られた人形は、主人に見捨てられてか、即座に沈黙した。

「……【傀儡師】か。なら、操作している本人が付近に居る筈だ。位置は?」

「はい。操作者位置、出ました……」

 兵士が絶句する。

「……凡そ、南下方、直線距離四〇〇メテル!」

「バカな、装置の故障だ!」

 上官が狼狽えたように言う。そのもとへ、新米の若い兵士が駆け寄ってきた。雨を蹴立てて、足元で破裂音が鳴っている。

「た、大佐ァ!」

「作戦行動中は隊長と呼称しろ!……で、なんだ」

「はい、あちら……北側エリアより通信で……!」

 全力疾走してきたのだろう新米兵士は息も絶え絶えに言った。

「<マジンギア>……所属不明の【マーシャルⅡ】が一騎、警戒域に侵入した模様です!」

「な……ッ!」

 上官……カーヴル大佐が青ざめる。その後ろで、人形が銀色の鎌を振り上げた。

 

 ◇◆

 

「やはり、グロークス軍は連携が取れていないな」

 戦域から少し離れたアパルトマンの上。【運搬王】は一人呟いた。

 これはキュビットの作戦だ。人形の振る舞いは明らかに“<劣級>勢力”に属している。市庁舎で憲兵たちも混乱していたことから、敵方は一枚岩ではないということが予測できる。

 人形をグロークス憲兵隊のところまで誘導すれば、後は勝手に戦い合う筈だ。その戦闘を陽動代わりに、手薄になったところから市庁舎に侵入すればいい。強襲の足はある。

「……とか、言ってたか。どうでもいいが」

 人形たちと憲兵はいまやら近距離で混じり合って戦闘を行っていた。ナイフや斧が閃き、人形もまた仕込み刃を震わせ、光らせる。戦況は、ファティマの人形に有利なようだった。近接戦闘に持ち込まれれば人形に分がある。何せ急所がない。倒すには駆動部を破損させるのが一番だが、相手の刃の間合いでもある近距離でそれをこなすのは難しい。

「まぁ、市内で迫撃砲ってのもどうかと思うが。一応ここは市街地だろうに」

 【運搬王】はため息をついた。彼の故郷の都市は戦争で亡びたのだ。戦火に良い思い出などない。

 見通せば、憲兵たちが傷を負って撤退していくのが見えた。巧くやれば、集団戦で戦死は少ない。それでも、その光景は血なまぐさい。

 硝煙が舞い、弾丸が飛び、それを雨が洗い流していく。そんな中、兵士たちの動きは確かに変わり始めていた。

 歩兵が消極的に攻撃を繰り返し、少しずつ退き始める。それも、ただ後方に下がるのではなく、中央を空けるように横へ退いていく。そして石壁の向こうから、巨大な戦車が現れた。

 【運搬王】は思わず口笛を吹いた。

「おいおい、なんだありゃあ」

 重厚な装甲、キュルキュルと鳴く履帯、丸みを帯びた砲塔。その車体が人形を轢き潰し、砲弾を撃ち込んでいく。

「【ガイスト】ですらない……あの形と色、“ホワイトオーガー”か」

 【クノッヘンⅢ・寒冷地仕様弐式】、通称“ホワイトオーガー”。【ガイスト】系より更に二世代前の機体、その局地戦仕様だ。生産台数の少なさから、現存している機体はほぼ皆無。性能も決して高くはない旧式である。

「博物館ものだぞ、よくもまぁあんな骨董品を」

 動いているのが奇跡だ。数十年前の機体で、あまつさえ寒冷地仕様(コールディー・タイプ)。市内とはいえ砂漠気候での運用は想定の埒外のはず。今までどこかに死蔵されていたのを持ち出してきたか。

 とはいえ、戦力としては人形兵に対抗できているようだった。傷だらけの白っぽい装甲が人形とぶつかり合い、弾き飛ばしていく。数世代前とはいえ、その多層式装甲は十分に役目を果たしていた。

(補修したとはいえ中破した【マーシャルⅡ】なら……五分五分くらいは敗けの目があるな。まぁあいつらはそろそろ乗り捨ててる頃合いだろうが)

 諸事情により【運搬王】は機体に乗れない。別行動を強いられることに不満はないが、やはり気に食わないものはある。それはもっと根本的な不快感なのだが。【運搬王】は眉をひそめた。

 

 そして、その眉間に弾丸が突き刺さった。

 

 【運搬王】の顔がのけ反る。弾丸が屋上の地面に落ち、軽い音を立てた。

「……古代伝説級金属(アダマンタイト)のフルメタルジャケットか。いい弾だな」

 額の掠り傷を確かめながら、【運搬王】が呟いた。

「あァ、クソ!首ゴキッつったぞ!なんでいつも狙撃されるんだ俺は?座ってただけだろうが!」

 貨物を触りながら、【運搬王】が立ち上がる。

「手ェ離すと《信用装甲(プロテクション)》が切れるから別行動。通信機能の運搬だからまだ終わりじゃない。理屈だよ、実にな。面倒な仕事だ」

 通常なら頭蓋を貫かれていただろうに、【運搬王】の額には掠り傷があるだけだ。

 人足系統。下級職【人足(ハマル)】に代表されるように、その特性はEND型だ。攻撃性能を廃してまでの極端な防御特化である。

 人足とは、ものを運ぶ職能。その運搬は悪路や妨害を潜り抜けるものでなければならない。たとえどれ程の苦難であっても、乗り越えていかなくてはならない。

 だから、彼らは膨大なENDを得る。そして、それを所持品のうちひとつ、貨物に足し込むことが出来る。《信用装甲》の名の通りに。

 【運搬王】が背負っている通信ケーブルは本来とても脆いもの。それなりの戦士、それなりの刃物があれば切断できるだろう。だが耐久型超級職のENDを重ねられたそれは、いまや砂漠を無防備に横断することすら可能なのだ。それも手を離せば終わってしまうが。

「運び屋に通信兵もどきをやらせようって最低の仕事だが……俺の仕事の邪魔はさせねェよ」

 言うや否や、【運搬王】セ・ガンはケーブルごと跳躍をした。目指すは、直下。 

 背中に背負った通信装置から、ケーブルが巻き上げられていく。落下の衝撃を身体を震わせて殺すと、【運搬王】は進行を開始した。

所属不明者(アンノウン)、一名!人形どもの増援か!」

 兵士たちが小銃を構え、撃つ。金属の人形には効かずとも、ヒトの身体には刺さる筈、との目算だ。

 だが、【運搬王】には効かない。

 後ろのケーブルを何かの急所と見て狙い撃つものもいたが、それも無為。彼本人の防御力を抜けられなければ、貨物もまた壊せない。

「……俺は中立だ。無害な運び屋に過ぎん。それなのにいつもコレだな」

 【運搬王】が呆れたように言い、歩みを進める。

「まぁ、見逃して……くれるだろ?俺はあいつらと合流しなきゃならないんだ、仕事なんでな」

 

 ◇◆◇

 

 ■■市庁舎・内部

 

 華麗なる市庁舎の内部には粉塵が積もっていた。爆破の欠片らしきそれらを踏みながら、キュビットたちは進んでいた。目指すは、地下だ。

 市長は敵方。そして、敵は地下構造に潜んでいる。なら、市長が掌握するこの中央区と市庁舎に地下への入り口がある筈だ。

 そして、それを証明する存在は今、目の前に姿を現していた。

「まさか、直々のお出ましとはね……」

 キュビットが呟く。

「……市長」

「この先は通さんぞ!」

 グロークス市長、マンドーリオ・グラマンはキイキイ声で叫んだ。

 その手が廊下を塞ぐようにばたばたと動く。

「他ならぬ貴様ら!その顔は覚えてるぞ、私にさんざ不法行為を働いてくれた張本人ども、許しておくものか、そうだ、許しておくものか!この貧民どもめ!排除だ排除!」

「……ということは、この先に泣き所があるとみてよいのであろうな」

 Ⅳ世が剣と、盾代わりにむしってきた【マーシャルⅡ】の装甲を構える。その目は明らかに呆れていた。

「降参したまえ、市長どの。貴殿に止められる筈もあるまい」

 グラマンは武人ではない。その肥った身体、締まりのない腹。贅沢を凝らしてきた富豪に荒事が出来る筈もない。事実、先刻は手も足も出ずに捕まっていたのだ。

 それが一人でのこのこと立ち塞がったところで、人質が増えるだけだ。尤もこの連携の拙さから推察するに、グラマンをウー一派が気にかけているかどうかは甚だ疑問だが。

 それでも、敵方に詳しい人材であることには変わりない。

「出来れば案内も頼むよ、本丸までね」

 キュビットが肩を竦め、無造作に近づく。グラマンは声を荒げた。

「わ、私には膨大な資産があるのだぞ!貴様らなど一捻りに出来る資産がな!」

「はいはい、分かったよ。それで、その“資金力”で、どう一捻りにするんだい?」

「それは……」

 グラマンが俯く。キュビットがその肩へ手を伸ばし、

 

「……こうするのだよ」

 

「キュビット!」

次の瞬間、キュビットの肩から胸にかけて、鮮血が噴き出していた。

 Ⅳ世が踏み込む。キュビットの身体を素早く掴んで引き戻すと、その勢いのままグラマンに斬りかかった。

 その刃が止められる。金属がぶつかる耳障りな音が響く。

「……」

 Ⅳ世の剣を止めていたのは、角から現れた巨漢の持つ刃だった。

「イイぞ、ウルジ!イイ働きだ、砂糖をくれてやる、二欠片だな!」

 その後ろで、廊下の壁が崩れ落ちた。キュビットを斬ったとき、壁ごと刃を通したのだ、頑丈極まりない石材に。

(石すら易々と斬る切れ味、これは……)

 油断なく腰を落とすⅣ世の後ろで、モハヴェドはキュビットの処置を手早く済ませると、自分も道中拾っておいた小銃を構えた。

「悪徳市長殿、あんたの私兵か」

「私兵?」

 モハヴェドの言葉にグラマンが嗤う。まるで、最高のジョークを聞いたと云わんばかりの笑顔だった。

「兵ではない。所有物……奴隷だよ。言っただろう、資産があると。自分で暴力を使うなんぞ貧民のすることよ、私のような者は資産で人を殺すのだ、バカめが!」

 その手をグラマンがサッと振る。その後ろから、さらに一人の奴隷が姿を現した。大柄な身体に簡素な布を纏い、口許を鋼の面頬で覆った禿頭だ。その外見はウルジとよく似ていた。

「ゴルジ、ウルジ。命令だ」

 グラマンが言う。

「殺せ」

 そして、二人の奴隷が勢いよく得物を振りかざした。剣や斧ではない、その細く硬い刃は、

 

「……天地の刀か!」

 

 Ⅳ世が叫ぶ。

 ここカルディナは大陸の中枢。天地の名刀とて金を積めば手に入る。その切れ味は折り紙付きだ。石材なぞ楽に切り裂くだろう。つまり、

「気安く受けてはおれぬな」

盾は意味がない。

 正面から受ければ斬られて終わりだ。弾くか当てるか、逸らすか。巨漢の奴隷たちが素早くないのが救いだった。どちらかと言えば大振りだ。

「であらば、先手必勝よ!」

 Ⅳ世は盾を放した。そしてそのまま蹴りつける。【マーシャルⅡ】からひきむしった胸部装甲は、ウルジの顔めがけて飛んでいった。

 その間隙を、Ⅳ世の剣が突く。視界を塞げば、その影でⅣ世の動きは読めない。だが、

「ぬぅ!?」

「……」

奴隷のウルジは素早く一歩下がると、刀を上段に構えた。その太刀筋が投げ捨てられた盾を豆腐のように割き、Ⅳ世へと迫る。当たれば鎧など容易く切り裂くだろう。

(防げるか!?)

 Ⅳ世が剣を構える。微妙な角度を付けて振られた剣は、断ち切られることなくウルジの刀と斬り結んだ。

 

 そして、ウルジの刀が紫を帯びた。

 

「なに!?」

「……」

 ウルジは語らない。ウルジは誇らない。それでも、その光景はウルジの得物の本性を雄弁に示していた。即ち、

「妖刀だァ!」

 グラマンが哄笑する。

「大枚をはたいたとも、天地の妖刀を買うのには。なんせ一本一千万は下らん品だ。四十二染が二振り!ひゃっひゃっ!」

 グラマンは心底得意気にその腹を揺らした。

「気づかないのか、【大騎士】?」

「何を……なッ!」

 Ⅳ世が顔を歪め、一歩飛びすさる。その首から赤い血がたらりと落ちた。

「剣で受けたろう。コレに持たせた刀は妖刀【首無丸(くびなしまる)】。その刀に受けた傷は全て、頚へと移る」

 だが、それは妖刀だ。

 ウルジの頚にも、同じように、同じだけの傷が開いていた。それはつまり、Ⅳ世を殺したときウルジの頚も同じく落ちるということなのだ。

「貴様、奴隷を使い捨てるつもりか!」

「……別に良かろうが。奴隷一個なんぞとは比べ物にならんのだ、妖刀の値はな。金持ちが何故金持ちか、無駄金を使わんから金持ちなのだ!」

 その叫びと共に、ウルジが加速した。めったやたらに妖刀を振り回す。その一撃が当たる度、斬り結ぶ度、頚へと傷が移っていくのだ。

 Ⅳ世が躊躇いがちに避け、躱し、剣ではなく前蹴りを放つ。だが、それは巨漢の肉体にはあまり効き目がないようだった。

「……ぬぅ!」

「なんだ貴様、博愛主義者か?それならそれで、自殺でもして見せるか!」

「人でなし……!」

 Ⅳ世の後ろで、ユーフィーミアが吐き捨てる。グラマンは嗤った。

「はっは!随分盛り上がっとるがなぁ……妖刀はもう一本あるぞォ!」

 そして、右のゴルジも刀を振り下ろした。ウルジの【首無丸】とは違い、当てようとする振り方ではない。ただ遠間で無造作に振るわれたそれは、一瞬の沈黙の後黒ずんだ炎を吐き出した。

「……ッ!」

 傷を負ったキュビットがのけ反り、モハヴェドが発砲する。その弾丸は、しかし実体のある筈のない焔に絡めとられ床へと落ちた。

「これは!」

 モハヴェドが焔に巻かれ、息を止める。

(熱くない……ッ!?)

 黒ずんだ焔は大した熱を持っていなかった。代わりにあるのは、

「重い……ッ!」

重量。

「この焔、『重い』のか……!『熱い』のじゃあなく、『重い』……ッ!」

 妖刀四十二染が一振り、【焦椿(こがれつばき)】。その呪焔は黒く沈み、まるで砂袋のごとく纏わりついたものを押さえつける。熱ではなく、“重み”を燃やす焔。

 それが更に火勢を増し、モハヴェドを押し潰す。足元の床に罅が入り始めた。

 されどまた、それも妖刀。見れば、刀を握る手からゴルジの腕に酷い火傷が這い上がっていくのが分かる。

「……そんな扱いで良いのか!」

 Ⅳ世がウルジの腕と押し合いながら怒鳴る。

「……貴殿ら、そのような捨て駒でよいのか!こいつは貴殿らの命などなんとも思っとらんぞ!」

「なーにを言っているのだ?」

 グラマンは身体をくねらせ、せせら嗤った。

「説得!奴隷を説得か!いやはやうぶだなじじい、奴隷というのは契約で心身を主に捧げているのだ、こいつらがそんな事、聴くと思うか!」

 その太く毛の生えた指がおのれの口許を叩く。

「ましてや。こいつらは“無言奴隷”だ!」

 その言葉に、<マスター>たちは怪訝そうな顔を見せる。グラマンはますますつけあがった。

「知らんのか?そんな素人がよくも私のような“通”に口を出したものだ……!」

 グラマンが両手をバカにするように振る。

「“無言奴隷”とはな、舌を切り取り喉を焼き潰した奴隷のことよ!無駄口は利かんし口は堅い、これが実に扱いやすい。いくら痛めても耳障りに喚くことがない。だから、敵と勝手な問答をすることもない。よく出来ているものだろう?私は全部の奴隷をこれにするよう言っとるんだが、見世にはなかなか通らんでね」

 そのあまりの言い草に、Ⅳ世の瞳が揺れる。白い髪の毛が獣のように逆立つ。

 老騎士がウルジを見た。その口許を覆う面頬を見た。

 老騎士はゴルジを見た。その身体を焼く【焦椿】の呪いを見た。

 明らかに正気を通り越した激怒の形相で、Ⅳ世の紋章が輝き……

 

「取り込み中か?」

 

そう声をかけたのは、四人の後ろから現れた【運搬王】だった。

 

 ◇◆

 

「救世主ーー!」

 突然、ユーフィーミアが品もなく叫んだ。

「待ってました超級職!さぁ、やっちゃって下さい!」

「断る」

 【運搬王】は咥え煙草を燻らせながら言った。

「確認した筈だ。俺は配達者、同行して通信の確保はするが、戦闘行為は契約の範囲外だ」

「朴念仁!」

 叫ぶユーフィーミアをよそに、【運搬王】は市長を見た。

 グラマンは、さっきまでの得意気な表情を消していた。代わりに、驚きと猜疑心を以て【運搬王】を睨み付けている。

「……貴様」

「久し振りですね、義兄上(あにうえ)

 【運搬王】セ・ガンはサングラスを外し、砂漠の鷹のような眼でグラマンを見据えた。

「奴隷使いの荒さは相変わらずですか」

「黙れ、セ・ガン!」

 グラマンがキイキイと吠える。

「何をしに来た!」

「仕事。近くまで来たんで、顔でも見ようか、ってとこですよ」

 セ・ガンは煙草の煙を吐き出した。白い煙はまるで自由を満喫するように躍り、空中に溶けて消えた。

「あんたこそ、姉上の墓にくらいは顔を出したらどうです?」

 グラマンの顔は歪んでいた。炸裂する激怒ではなく、粘りつく不快感の表情だった。

「……こいつらの味方をしているのかね?」

 グラマンはただ尋ねた。

「……他ならぬ“黙殺(イグノア)”が」

「俺は中立だ。知ってるでしょう。金さえ払えばなんでも運ぶ」

「そういうことを聞いとるんじゃあない!」

 グラマンが叫んだ。キュビットが混乱した顔で言った。

「どういう事だ?あんた、市長の知り合いなのか?」

 【運搬王】……“黙殺(イグノア)”のセ・ガンはゆっくりと首肯した。

「親戚、と……言っていいのかな?」

「貴様など、親戚でもなんでもあるか!さっさとハルツェルへ帰れ!」

 グラマンは心底嫌そうに言った。その手が野良犬を追い払うように動く。ユーフィーミアが眼を見開いた。

 【運搬王】は再びサングラスの奥に視線を仕舞うと、ただ億劫げに背中の貨物を下ろし、無造作に腰かけた。その後ろにはお馴染みの通信ケーブルが長々と横たわっていた。

「……因みに教えとくが、奴隷の扱いは大概相応だ。酷い迫害を受けさせるにはそれだけの大義名分が要る。“無言奴隷”なら余程の罪を犯したと見て八割がたは当たりだよ、妊婦でも殺したか?」

 その手の事情をいちいち覚えるグラマンじゃあないだろうが、と【運搬王】は締め括った。

「……だとしても、ゲスだな」

「感じかたは自由だ。それで?」

 【運搬王】は指差した。

「死にそうだぞ」

 【焦椿】。重みの猛火がモハヴェドを押し潰す。キュビットが叫んだ。

「【運搬王】!」

「くどい!俺は同行するだけだ、契約の範囲に戦闘行為は含まれていない!お前らが敗北したら俺も帰るだけのこと、業務はあくまでも配送だ!その為なら戦闘に巻き込まれるのも厭わないってだけの話だ!」

 その言葉に助力を諦めたように、Ⅳ世が振り向く。だが、ウルジは攻勢を緩めなかった。

 窓枠が斬れ、壁が割れる。軟らかすぎる建物を切り刻みながら、刃の竜巻がⅣ世とモハヴェドを切り離す。

「……ヤマビコ!衝撃波!」

 キュビットが傷を押さえながら宣言し、大音量が空気を揺らす。その音圧がゴルジを一瞬怯ませ……

「……何をしてる」

グラマンが呟いた。

「ゴルジ!奴隷に撤退の選択はないぞ、何を止まってる?さっさとこいつらを始末しろ!」

 ゴルジが刀を振り上げる。その全身が一瞬にして焼け爛れ、【焦椿】が一際強く燃え上がった。

 そして、その動きが止まった。

『ゴルジ、止まれ』

 グラマンと()()声がそう命じていたからだ。

『ウルジもだ、即刻戦闘を中止しろ』

「おい、何してる!惑わされるな!」

 グラマンが激昂する。

『敵の策略だ』

「無視しろ!」

『私が本物だ』

「私が本物だ!」

『それは偽物だ、聞くな』

「何を!」

 それは、ヤマビコの声帯模写(イコライザ)。盲目的に従うことを叩き込まれた奴隷たちにとって、それはこの上ない撹乱として機能した。

 彼ら奴隷は唖だが、頭脳は残されている。どちらかが嘘であり、恐らくヤマビコの能力だろうということは分かるし、推測もする。それでも、主人の命令に反乱するリスクが一パーセントでも有る限り、彼らは動けなかった。それは絶対服従の裏返しだった。

 そして、その硬直(フリーズ)をⅣ世たちが突く。

「……すまぬ!」

 Ⅳ世が突進する。その拳がウルジの手首を突き、思わず開いた掌が妖刀を取り落とした。その勢いのまま、鳩尾に正拳を沈める。

「……肋が折れたぞ」

 モハヴェドが焔をすり抜けて立ち上がる。立ちすくむゴルジの腹を蹴り飛ばし、その一歩でグラマンの喉にナイフを突き付けた。

 ウルジが鳩尾を押さえて崩れ落ちる。ゴルジもまた、体勢を崩したまま後ろ向きに転んだ。全身を覆う熱傷に堪えられなくなったのだろう。

「ヒッ……」

「動くな」

 グラマンはしおしおと元気をなくし、瀕死のネズミのように顔をひきつらせた。

「案内しろ。お前の大好きな“<エンブリオ>を売る男”のところへ」

「は、はひ、喜んでェ……」

 その目はユーフィーミアの左手に向いていた。グラマンは首がもげそうなほど頷くと、両手を上げた。

「……い、一番近い入り口はあっちだ。広間の飾りを右に二回、左に三回捻ってから引くと隠し扉が開く」

「よし。歩け」

 グラマンがとぼとぼと歩き出し、他のものもそれに続く。そして二、三歩足を進めたグラマンの目がふと、危ない光を取り戻した。

「……セ・ガン。お前、私が嫌いかね」

「親戚のよしみで助けろってんなら無理ですよ。それは業務範囲外なんでね」

「いや?違うとも。因みに、私はお前が嫌いだ」

 グラマンが嗤う。

「だからな……お前が死んでもなんとも思わん!やれェーーッ!ウルジ!」

 

 その後ろで、気絶していたはずのウルジが飛び上がった。

 

 手には拾い上げた妖刀……【焦椿】。それが燃え上がる。一番近いのは、列の最後方に続いていた、【運搬王】だ。

「ハッハーッ!全員排除だァ!」

 時同じくして、グラマンが懐から拳銃を抜く。場が混乱したその隙に銃声を響かせようとして……

 

「《コンテナハンズ》……解除」

 

 突如、巨石が出現した。

 ウルジが吹き飛ばされ、衝撃の煽りを食らってキュビットたちもよろめく。グラマンの銃弾は天井に命中した。

「瓦礫は沢山あったからな。一番大きいのを拾っておいたんだ。さて……」

 ()()()()()()()()【運搬王】がウルジと、グラマンを見る。

「……お前、俺を殺そうとしたのか(仕事の邪魔をしたのか)?」

 その目は、刃のように鋭く、また野原の獣のそれのように乾いていた。グラマンは拳銃を振り回した。

「セ・ガン!仕事の邪魔だと?中立なんてものがその態度だと本気で思ってるのか!」

「……俺は中立です。常にね。それは全員の敵ってことでもあるでしょう。何か?」

 巨大な瓦礫に埋まった廊下を背後に、セ・ガンが油断なくグラマンを見る。その手の中の、成金趣味の拳銃を。

「豪華な銃だ。そんな金むくの得物で人が殺せるわけないでしょう。あんたは結局、常に“そう”なんですよ」

「私に説教なぞするな、セ・ガン!」

 グラマンが泣きそうに吠える。

「中立だ!?そんなもの、お前の勝手だ!本当に中立なら、お前とてこちら側に付くべきだ!分かるだろう、こいつらは<マスター>だぞ!」

 グラマンが金ぴかの拳銃を投げ棄てる。

「死なない!強い!万能の才!世界に愛された選民だ、なぁ、我々(ティアン)は棄民なんだよ、世界の脇役だ!贔屓された奴らと平等になりたいと願って何が悪い!」

 その激しい嫉妬と粘ついた渇望に、キュビットたちが思わず黙り込む。グラマンは金切り声で叫んだ。

「欲しくないのか?羨ましくないのか?<エンブリオ>を持っているというだけで、我が物顔でのさばるそいつらが!せめて私たちが“上”でなきゃ、不平等だろう。こいつらなど、虐げられてトントンだ!」

 男の顔が醜く歪む。嫉妬の炎を滾らせて、グラマンはふいごのような息を吐いた。

「死にさえしない!そんな特権が、独占されていていいわけがあるか!?今こそ叛逆するのが正義だ、そうだろう?答えろ!セ・ガン!」

 セ・ガンは眉ひとつ動かさなかった。やがて、その口が動く。

「俺の知り合いが……」

「は?」

「<マスター>なんですが。いつだったか、言ってたんですよ。愛する人を亡くしたとか」 

 【運搬王】は言った。

「こっちの、俺達の世界で。そいつはね、丸っきり泣きもしなかったし、恨み言も言わなかったが……その時思ったんですよ」

「何を……」

 

「死ねないのも、それはそれで大変そうだ」

 

 【運搬王】はそう言うと、グラマンの前に進んだ。足元で砂利が音を立てた。

「あんたは……ただ自分が上になりたいだけだ。金持ちとして到達できない高みがあるのが我慢できないだけだ。そうでしょう?義兄上」

 グラマンが歯を食い縛る。二人は暫し視線を闘わせ、そして【運搬王】が黙って引き下がった。

「……失礼した。続けてくれ」

「あ、あぁ。では、地下へと向かう」

 モハヴェドが市長を引き立てる。マンドーリオ・グラマンは、心底不服そうに従った。

 

 ◆

 

 やがて、一行は大広間に到着した。巡回していた兵士を昏倒させると、モハヴェドは言った。

「ところで、俺の部隊がどこにいるか知ってるか?」

 グラマンが首を振る。モハヴェドは続けた。

「全ての兵士がクーデターに協力したんではない、はずだ。見たところ半分足らずって数か。残りはどこにいる?」

「し、知らん!私はそんなこと管轄外だ!」

 グラマンはブンブンと首を振り回し、モハヴェドは諦めたようにため息をついた。

 キュビットは壁の飾り、悪趣味な金色に光る竜の首の彫像を、二回、三回と捻っていた。その開いた口を掴み、引く。何かがどこかで重い音を立て、そして壁の一部が擦れる音と共に開いた。

「嘘じゃなかったか」

「うむ。あれと同じだな」

 穴の中は石造りの階段のようになっていたが、半ば崩れ、輪郭をぼやけさせていた。湿っぽく生臭い風が奥から漂ってくる。

「おい、それで中央はどこに……」

 モハヴェドが振り向く。だが、

「……ッ!」

そこにグラマンは居なかった。

 見回せば、広間の二階部分。そこを駆けていく小太りの男がいる。時間にして凡そ三秒と少し。

「どうやってあんな……」

「……隠し扉はひとつじゃなかったみたいだ」

 キュビットが床にかがみ込む。精緻に組み合わされた床板のひとつが僅かに沈んでいた。それを押すと、ぎしぎしと音を立てて後ろの壁が持ち上がる。上階への昇降装置だ。動作音は竜の首のほうに被せて誤魔化したらしい。

「いやはやこの屋敷ときたら、山程カラクリが仕込んであるのだな……追うかね?」

 Ⅳ世の言葉に、キュビットは首を振った。

「ほっとこう。俺達にはやることがある」

 【運搬王】はほうほうの体で走り去るグラマンを静かに眺めていたが、やがて壁に空いた地下通路への入り口を覗き込んだ。

「……俺はここに残ろう。通信ケーブルは確保しといてやる、仕事だからな。壁は閉めるだろう?」

「あぁ。尤も、敵を倒したなら通信妨害も消えるとは思うがね」

 まず、Ⅳ世がその穴へ飛び込む。キュビットたちも後に続いた。

 

「さて、地下へと……“再入場”だ」

 

 そして最後に、【運搬王】が竜の首を押し込む。隠し扉が大きな音を立てて閉まる。

「侵入者か!?」

「貴様、手を上げろ!」

 広間になだれ込んできた兵士たちが【運搬王】を取り囲む。【運搬王】はただ、一休みと言ったふうに壁際に座り込んだ。

 

 ◇◆◇

 

 ■冶金都市

 

 AFXたちが少し前に、言葉を交わした浮浪者がいる。あの汚れ果てた飲んだくれの男だ。襤褸は擦りきれ、酒瓶は失くしてしまった。

 そして、現在の彼は雨の中を必死に走っていた。

 目の前で<マスター>たちが空へ浮き上がっていったこと、それはどうでもいい。お強い方々がどのように摩訶不思議な世界を過ごそうと知ったことではない。だから、彼を動かしているのはもっと差し迫った事情、彼自身の恐怖だ。

 足元で雫が跳ね、泥が飛び散る。濡れた石畳はひどく滑りやすく、転ばないことは難儀だった。

「ひ、ひゃ!」

 口から無様な音を立てて、路地に飛び込む。次の瞬間、彼は壁のように立ちはだかるものにぶつかった。

 慇懃に、それは言った。

「逃走を取り止めていただけると大変助かります。なにぶん、業務に必要でして。あなたに危害を加えないことは保証致しますよ」

 そこにいたのは、人間だった。何一つ特徴の無い男だ。顔つきは穏和で平凡、威圧感は欠片もない。体つきは中肉中背、服装にも印象に残るものはない。若くもなく、老いてもいない。街中ですれ違っても、二度と思い出せはしないだろう。

 

 まるで、そう意図的に設計されたかのように。

 

「な、なんだあんた!なんで俺を追っかけんだよ!」

 浮浪者は喚いた。男は困ったように眉を下げて言った。

「そう警戒せずとも、私はただ声をお掛けしただけですが」

「嘘つけェ!」

 浮浪者が息を荒くしながら身体をのけ反らせる。

「なんか企んでるな!お、俺をどうにかしようッてんだろ、騙されねぇぞ!怪しいぞ!」

 浮浪者の上ずった声に、男は目を細めた。

「こうも勘がよくては媒体として不適切でしょう。後で苦情を入れなくては」

 浮浪者の顔がひきつる。《真偽判定》で敵意がないことなど何の保証にもならない。眼前の男が何か特異な思考を、常識を持ち合わせていることなど簡単に想像できる。親切との題目で危険な目に合わされてもおかしくない、と思えるほどに。

 浮浪者は後退りをしようとした。そして、男がため息混じりに言った。

 

「“CA157379J5270P555”、承認要請」

「……承、認」

 

浮浪者が突如、虚ろな顔になる。眼球が回り、釣られた魚のごとく唇が開き、閉じた。びくりと一つ大きな痙攣をした後、浮浪者の表情は別人のように変わっていた。

 

『……何故、俺を起こした』

 

 顔つきが変わるだけでこうも違うものか。ぼんやりと酒気に浸っていた眼差しは鋭く、口元は冷徹に引き絞られている。その唇から出てくる言葉は、全く別の人格に基づいているようだった。

『用件は?』

「ご報告と確認でございます」

 男はそう言うと、首もとで何かのつまみを捻った。容姿が揺れ、幻覚が解除される。現れたのは、

「グロークスの状況に関して」

 

巨大な白手袋の頭部だった。

 

 上品なスーツ姿の“セールスマン”は穏やかに一礼し、さっきまで浮浪者だった人間はさっと周囲を一瞥した。

『お前の管轄は中央だろう、なぜここにいる』

「おや、やはりこの身体は記憶に残りやすいですね。お陰で低リスクの情報しか持たせてもらえない。いやはや、特殊で代えの利かない人材というのは実に不便です」

『俺の更新頻度は一年周期だ。お前は、一月ってところか。前任のは……』

「流用はありません。と、()()しています」

 セールスマンは言った。その頭に生えた五指がもぞもぞと動く。

「さて、本題ですが。先ほど【運搬王(キング・オブ・ブリング)】がこの都市に侵入しました」

 “浮浪者”は表情を動かさなかった。

『【人足(ハマル)】の王か。それが?』

「計画には無かった事態です」

 セールスマンはそう言うと、頭を握りしめた。

「多少の誤差であれば想定内です。そもそもこのプロジェクトは提言されたもの……しかし、超級職所持者(ホルダー)の介入はその誤差の範囲を越えた事態です」

 白手袋が開く。

「本来の歴史ではあの【司令官】は既に死亡しているはずでした。この段階で彼が生存し、更に【爪拳士】が敗北していることもシナリオから外れています。今回のプロジェクトが直接演算されたものでないとはいえ、起こりうるはずの無い事態……」

 猛禽のように、セールスマンはその手を歪めた。

「何かがズレ始めている。本筋に影響がなければ良いのですが」

『【運搬王】か。この都市との関係性はそこまで強固なものでもなかったはずだが』

 浮浪者は瞳を狂ったように動かした。

『……人足系統直系超級職、【運搬王】。能力は概ね人足系統の発展。戦闘力は皆無』

 瞳孔が収縮し、拡大する。

『人足系統の特性は、【運搬者(ハウラー)】の《信用装甲(プロテクション)》等に見られるように自身のENDを所持品の一部……運搬物に加算すること。伴って、耐久型だ。超級職にまで至れば相応のもの。その“貨物”も含めて、排除は少々困難だろう。だがあくまでも非戦闘型、その能力はものを運ぶことのみに向けられている』

 “浮浪者”は再び“セールスマン”を凝視する視線へと戻った。

『知らないのか?』

記憶(データ)には記録(インストール)されていません。私の情報濃度は制限されていますから」

『これは一般レベルの知識だ。それで、排除するのか?当代はまだ常人(ティアン)だ。削除可能な要素だろう』

「リスクが大きすぎる。そんなことはしませんよ」

 セールスマンは静かに言った。

 裏路地は静まり返っていた。鼠の一匹すら、ここにはいない。いつしか雨の音すら消えていた。

「代わりに、この都市にいる“端末”の起動権を貸与していただきたい」

 その言葉の持つ意味の大きさに、“浮浪者”は首を振った。

『不可能だ。機密濃度が規定値を越える。解除コードは秘匿されなければならない』

「それで結構です。必要なのは明確な“視点”の確保。あとは其方に委託しますよ」

 セールスマンが頭を下げる。浮浪者も頷いた。

『……なら、そちらは例外因子の特定に努めたまえ。尤も、それほど大きな影響力を持つ不測要素はそうそう存在するものではないがね』

 浮浪者が踵を返す。汚ならしい男は、途端に普段の臆病で野卑な表情を作り上げて去っていった。その目の奥にある冷徹さの残滓を感じながら、セールスマンが顔を上げる。

 

 彼らは、自分達が何をしているのか知らない。所属しているものの全貌も、自らの名前も、その記憶には込められていない。

 名前はリスクだ。それは呼ばれるためのもの。だから、決して呼ばれるべきではない彼らには何一つ、固有名詞の持ち合わせがない。ただ無知なドミノ倒しの一片として、群衆に紛れるだけだ。

 

 セールスマンは白手袋を嵌めた右手を握り、即座にまた開いた。空だった筈の掌には、古びた金属で出来た笛が転がっていた。【運搬王】のコンパスとよく似た材質、輪郭だ。

 口など無い、ましてや呼吸器などある筈もないのに、“セールスマン”はそれを持ち上げ、吹き鳴らした。

 植物の意匠を彫り込まれた笛は、いつも通り澄んだ音を立てた。その音色が消えるより早く、彼の、清潔な黒スーツに身を包んだセールスマンとしての姿は、まるで幻のように消え失せていた。

 

 To be continued



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第十九話 修羅場

 □■冶金都市グロークス

 

 壁は石積みへと変わっていた。シダのような草が生え始め、足元にはちろちろと汚水が流れている。トビアは目の前にある錆びきった鉄格子を蹴り破った。

 外だった。あの地下迷宮は廃棄された用水路に繋がっていたらしい。狭く切り取られた空は曇天で、湿っぽい雨をつまらなさそうに垂らしていた。

 トビアは用水路に造られた階段を登ると、あたりを見回した。知らない路地が知らない路地へ伸びていた。そういえば、どこへいけば良いのか考えてもいなかった。

 瞬きをするのが、少しだけ恐ろしかった。今のこの状況が、夢なのではないかと思えたから。何もかもが浮わついていて、自分の名前すらおぼつかない。自分が誰で、何をしようとしていたのか、確信が持てない。

 そう、恐ろしいのだ。

 過去に戻れるなら、嫌なことが全てゼロに戻るなら、嬉しいはずじゃないか?そう思って、トビアはまた嫌な気分になった。

 人気はなかった。石造りの倉庫らしきものが立ち並ぶ路地には雨水が跳ねていて、時折遠くから砲声のようなものが聞こえてきた。

 

「よお」

 

 そして、トビアは振り返った。

「さっきぶりだな」

 そこにいたのは、巴と名乗っていたあの剣豪だった。天地風の服装は雨に濡れ、腰の剣にも水滴が流れていた。

「こんなとこで何してる?道にでも迷ったか?」

 巴十三は優しく言った。その手が、握手を求めるように差し出される。

 

 そして、トビアが飛び退いた。

 

 一瞬遅れで、十三の剣先が石畳を切り裂いていた。踏み込みの足をずらし、切っ先が上がる。十三は鋭く眼差しを叩きつけた。

「あぁ、やっぱりだ」

 十三はそういうと、トビアを見つめた。

「お前、俺が斬る()に逃げているな」

 トビアは答えなかった。十三は再び刀を中段に構え、足を整えた。

「足、視線、あるいは指や、肩と腰の微妙な強張り。そういうものから俺の“殺気”を敏感に先読みしている。そう出来ることじゃない」

 黙っているトビアを面白がるように、十三は言った。

「で、そんな芸当のできるお前は、()()()()()?」

「……二百回くらいかな」

 初めて、トビアは答えた。十三はくつくつと笑った。

「あぁ、【ブローチ】か?闘技場か?ろくでもない師匠もいたもんだ、あいつだろ?あの一つ目」

 侍は、おかしくて堪らないという風に笑い続けた。

「はっは、なぁ、気にはなっていたんだよ。お前のその目」

「目?」

「あぁ。天地でもたまにしか見ないぞ、そんなドス黒い眼は。それは人殺しの眼じゃあない、単なるゲスの眼なら幾らでも知っている……それは、修羅の眼だ」

 トビアは顔をしかめた。

「なんだよ、それ」

「戦うために戦うやつのことをそう言うのだよ、小僧。眼を見れば分かる、お前は理由がなくても戦える人間だ。死線をくぐったとてそう身に付く気質ではない、生来のものだな」

「人を異常者みたいに言うんだな」

「別に、そうじゃない……俺は、天地の出だからな」

 おもむろに、十三は語り始めた。

「あそこでは、いくさは茶飯事だった。そういう国だ、悪いことじゃない。泥と血を啜って食いつなぐガキも知ってる。そういうやつがどうなるか、分かるか?獣みたいに飢えるんだ、なにかを欲しがってな。だが、お前は違う」

 十三は慈しむように言った。

「酷い目にあった子供は、大概が萎れる。空っぽになって、折れてしまう。そうでなきゃ、逃げたがる。そう、獣のように、常に飢えて暮らすことになる、それは幸せだったり食いもんだったり、平和ってもんだったりする。そんでもって、たまァ~に、いるんだ。牙を剥くやつがね」

 十三は愉しそうだった。

「お前、恨んでいるだろう。敵を、じゃない。理不尽を、だ。不幸そのものを憎んでいる、そういうガキは少ない。時として、目の前にある救いや幸福よりも……不幸を蹂躙することを選ぶ。心当たり、あるんじゃないか?」

 トビアは息を飲んだ。ふと脳裏に浮かんだ()()()を振り払うように、トビアは頭を振った。

「なんだよ、あんたになにが分かるって言うんだ!」 

 トビアは鼬のように獰猛な顔で言った。

「これは、僕のものだ。どこかの誰かと同じだとか、たまに見かけるだとか、そんな言葉で括れると思うな!僕が何かを恨むとしても、僕の、僕だけのものだ!」

「おお。その通りだ、すまんな」

 十三はそういうと、前触れなくまた踏み込んだ。 

 刀が鳴った。風の音がして、雨粒さえも全て分かたれる。だが、

「……」

トビアは動かなかった。首筋の一寸手前にて、刀身が止まっていた。

「やる気のないのが分かるのか。やっぱりな」

「あの超音速突撃を何度も食らってれば分かるよ」 

 トビアはぽつりと言った。その足がふと屈み、その頭の上を刀が抜けていく。

 純粋なスピードではあまりに大きな開きがある。それでも、動きを読めば躱せる。十三の武器が刀であることもその理由だった。線の攻撃は、躱せる。

 だが、それは一撃だけだ。

 十三が振り抜いた刀を起こす。返す刀を、トビアが後退りで避けた。その後すぐに横に転がる。上段からの一撃が石畳を砕き割った。

 トビアが急いで身体を起こす。その頬を、横からの【明霊】の切っ先が切り裂いた。

「……ッ!」

「そう、それがお前の限界だ」

 ぬるりと流れる血の手前で刀を止め、十三は言った。

「いくら先読みが出来ても、純然たる疾さは埋まらない。二手、三手と詰めていけばお前の首など簡単に落とせる」

 十三は刀に力を込め……切っ先を離した。

「俺は、【剣聖】だ。レベル五〇〇だ。レベル〇のお前とは天と地の開きが……」

 トビアは聞いていなかった。切っ先が離れたとたん、腰のナイフを引き抜いてその刃を倒し、水平に十三の心臓めがけて付き出した。黒っぽいナイフは、十三の皮膚で止まった。

「聞けよ」

 十三が呆れたように言う。トビアはナイフを引き戻し、猫のように飛びすさった。

「隙を狙うな。どうせ通りゃしねぇぞ。まったく、擦れすぎだ、ガキめ」

「……」

 冷静に十三を見るトビアに、十三はまた笑った。そういうのは嫌いじゃない。

「そう、そうだよ。逃げられない。単純な駆けっこなら、速さ比べになるだけだからな。よく分かってるじゃないか」

 そう言うと、十三は何の気なしにそばの壁に近づいた。路地を挟む壁は、赤いレンガで出来ていた。

「さっきはあぁ言ったが、別にお前と偶然出くわした訳じゃない。むしろ、待ってたんだ」

 そう言うや否や、十三は石壁を切り開いた。漆喰と石の破片は滑らかな切り口を晒し、すぐさま崩れ落ちた。

「来い」

 十三は瓦礫の向こうに消えた。トビアはそこを覗き込んだ。

「何してる?来いって。雨が降っているだろう」

 それが罠の類いでないことは分かっていた。トビアは瓦礫を踏み越えて、その倉庫の中へと足を踏み入れた。

 天井の高い建物だった。中には乾いた床と、いくつかの戸棚と、

「……それは」

 

巨大なクリスタルが置かれていた。

 

「そうだ。まぁ、ここは元々鉱山都市だからな」

 十三はそう言うと、そのクリスタルに手を触れた。

「案の定、【錬金術師】とか【冶金錬金術師】……【彫金師】【鍛冶師】……そんなものだろ」

 十三は手を離すと、今度は自分の懐をまさぐり始めた。トビアは呟いた。

「左手」

「うん?」

「怪我してる」

「……あぁ、返してきたのだ」

 十三は左前腕に巻いた、血の滲んだ包帯を撫でた。

「もう要らないものだからな。これも」

 十三は腰の刀を外した。靴を脱ぎ、腰帯を抜く。耳飾りや腕輪の類いを投げ捨て、つづら(アイテムボックス)の中から刀を取り出しては放り始めた。

 いくつもの刀があった。異様な紫に染まった刀、刀身が外れるカラクリ仕込みの刀、輪を描いて反り返った刃、柄の後ろにもうひとつの刃を付けた刀。

 十三はそれらを眺めていたが、やがて一番なんの変哲もない一振を拾うと、トビアへ投げて寄越した。

「ほれ」

「何?」

「やるよ。お前の腕の長さなら丁度だろう」

 十三は自分もそっけない一振を拾うと、もう一度クリスタルに向き直った。

「それには何の術も掛かってない。練習刀だ。ま、切れ味は申し分ないから、手を切るなよ」

「何を……!」

 トビアは呟いた。十三は少しだけ躊躇ってから、掌をぴったりとクリスタルに押し付けた。

「何してる……?」

「何って、別に?」

「別に?違うだろ!」

 トビアは叫んだ。

 レベル〇の眼でも、いや、だからこそ分かった。十三の印象が小さくなっていくのが。溜め込んだリソースが散逸していくのが。

「なんで……!それだけの才能があって、どうして!」

「要らないからだよ、もう」

 十三は吐き捨てた。

「【剣士】【斥候】【武士】【忍者】【剣聖】……全部、全部、消去だ」

「な……!」

 トビアは訳が分からなかった。

 レベルは才能だ。それが欲しくて苦悩する人間など幾らでもいる。例外は才能に上限のない<マスター>だけだ。それを、積み上げた才能の証を、消すなどと!

「……俺はな、力が欲しかったんだ」

 十三は、トビアをまっすぐに見た。

「天地じゃあ、強いやつはごまんといる。才能は前提だ、その上で研鑽するのが武の道というもんだ。だが、俺が血反吐を吐いて積み上げた力は、突然出てきた<マスター>連中に及ばなかった。不老不死!万能の才!何より嫉妬したよ、<エンブリオ>に。まさに力の象徴だからな、そして黄河からカルディナへ渡り、俺はそれを得た。ついにだ、それを、得た!」

 十三は叫んだ。

「素晴らしい気分だった、最高の世界だった、少しだけ手が届かなかった場所に、やっと!呼び水だよ、俺はそれまで渇れてたんだ。特典武具もいくつか手に入った。今までの俺じゃあ無理だったろう、俺はやっと、流れ始めたんだ!」

 十三は黙った。その刀はだらりと下がっていた。

「……だが、虚しい。何故だろうな?あんなに欲しかったのに、手に入れたのに、何故か、虚しいんだよ。本当に欲しいのは、なんだったのか、なんなのか、分からなかった。不思議だろ?お前なら分かるんじゃないか、この俺の気持ちが」

 十三は再び刀を構えた。切っ先がきらりと光った。

「だから、もういい。お前を俺のレベルで苛み殺すことは容易いが、それは無意味だ。<劣級(レッサー)>も、特典武具も、もういい。もう良いんだよ、剣さえあれば良い。この技だけで、肉体だけで、ひ弱な世界に戻ってお前とやりあえば、何か分かる気がするんだ。言葉尻では分からない、俺の世界が。俺の流れるべき途が」

「……あぁ」

 トビアも、その刀を構えた。刀の鍔には沢山の傷が付いていて、柄の後ろも磨り減っていた。子供の背丈に合わせられた刀が、かつてどのように使われていたのか、それはもう、どうでもよかった。

「そうしなきゃ、いけないんだ」

「今更だが、良いのか?今、俺とお前は対等(ゼロ)だ。うまくやれば逃げられるだろうに」

「それをしたら、僕は……」

 トビアは十三を睨み付けた。十三は頷いた。

「……巴十三」

「……トビア・ランパート」

 刀が光った。

 

「勝負だ」

 

 ◇◆◇

 

 □■グロークス市庁舎・残存部・大広間

 

  銃声やら砲声やら。煙と足音と、舞い散る火花。

『道路工事でもやってるの?』

「そうだったら良かったよ」

 セ・ガンが唸るように言う。

 【運搬王】は壁の前にゆったりと腰かけていた。タバコは五本目だ。

『禁煙しろってあたし言ったわよね?』

「あぁ。そして俺は、嫌だ、と言ったぞ。いい加減に人の趣味に口を出すな」

 受話器を首に挟んで、【運搬王】は脂の滴る肉を香草で巻き、軽く炙ったものを齧った。通信の向こうで、テレサ・ホーンズが言った。

『何食べてるの?』

「昼飯」

『吸いながら?止めなさいよホントに』

「知るか」

『どうせ味の濃いものばっか食べてるんでしょ?煙草やめないから舌がおかしくなるのよ』

 セ・ガンはため息をついた。

『心配してあげてるのに!』

「そりゃありがたい。ついでに俺の食事の気分の方にも心配を向けてくれるといっそう素晴らしいな」

『そうやって話をずらして!いっつもいっつも理屈ばっか捏ねてあたしの言うこと聞かないんだから!』

 【運搬王】は最後の欠片を飲み込んだ。目の前では弾幕が弾けていた。何発撃ち込まれても堪えない様子で長電話する【運搬王】に、兵士たちは相当頭に来ているようだった。

『心配はそれだけじゃないわ』

 テレサは声の調子を変えて言った。

『妙なやつらに会わなかった?』

「奇遇だな。それを聞こうと思ってた」

 【運搬王】は静かに言った。

「【鑑定士(アプレイザー)】王偉。この名前に聞き覚えは?」

『いいえ?』

「俺をツケていた」

 【運搬王】は手元で小さな手帳を広げた。

「少し前だ。道すがら拷問して色々と聞き出した。《真偽判定》にも掛けたからほぼ間違いはない」

『内容は?』

「要領を得ん。趣味の散歩だとか、待ち合わせがあるとか。だが、首都に戻って報告するという言質は引き出した」

 【運搬王】は笑った。

「無茶苦茶だ。自分の趣味を誰かに報告するのか?だが、嘘の反応はない。滅茶苦茶な作り話みたいな話が真実だと言うんだ」

『そいつは?』

「グロークス領域圏内に入った瞬間に自殺した。こうなると、単なる趣味じゃねえだろ」

 【運搬王】が思い出すように視線を泳がせた。

「全部が変だ。前もこういうことがあったがな」

『多分、カルディナの人形兵ね』

「人形兵?」

『勝手に呼んでるだけよ、正式名なんて無いんだから』

 テレサは言った。

『暗部の噂は知ってるでしょ。そこに所属するエージェントは、精神干渉で頭を弄られてるの』

「どういう意味だ?」

『《真偽判定》とか、偽名を使ったり、敵意を察知されたり、そういうのの対策よ。精神干渉系の能力で記憶を消して書き換えれば、それは決して見抜けない真実になる。絶対にスパイが摘発されることはない。嘘をついてないのは本当なのだから……心当たりは?』

「あぁ。二年前だ」

 【運搬王】は六本目に火をつけた。

「俺は、存在しない男に会ったことがある。コルタナ出身の、アッサジという【拳士】だった。そいつは五年間コルタナの中心街で暮らした記憶を確かに持っていたし、年寄りの両親と姉、別れた妻のことまで事細か過ぎるほどに話せたが、住んでた筈の家も、その家族も友人も、全てが存在しないものだった。本人の名前も含めて、な」

『五年前以前の詳細な記憶は無かったんでしょ?どうせ』

「俺は精神操作の能力者じゃない。裏は取れない」

 セ・ガンは吐き捨てた。

「それで、またそいつらが動いてるのか?」

『確証は……ないわ。分かると思うけど、そこんとこに対策してる連中だもの。というか、存在自体が都市伝説と同レベルよ』

「お目当ては例の<エンブリオ>か。<マスター>に成りたがるやつらはごまんといるからな」

 市長の顔を思い浮かべて、【運搬王】が言う。

「儲かるビジネスだろうよ。厳罰化されたってのに、今でも偽物を売るトンチキが絶えん」

『……気をつけてね。人殺しなんてなんとも思ってないのは確かよ、隠蔽することも。【教授(プロフェッサー)】ウーの件はそれだけの重みと旨味があるし、今のそこなら言い訳さえ十分にあるわ。“メルカバ・レポート”のことだって……』

 そして、突如通信が切れた。【運搬王】は顔をしかめた。

「あいつ、急に切るクセは相変わらずか?……!」

 受話器を置く。通信機から伸びるケーブルへとかけて手を動かす。【運搬王】が平静さを崩した。

(切断されている……!)

 《信用装甲(プロテクション)》は続いている。だが、通信ケーブルはここから遠くない場所でそこから先を失っていた。

 【運搬王】は立ち上がり、舌打ちをした。

 ケーブルが切られたということは、【運搬王】自身の堅さを切り裂ける実力者がいるということだ。特化END型の彼の鎧を。

「……帰るか」

 【運搬王】は銃撃を躱そうと顔を背けながら呟いた。どのみち、こうなれば仕事は終わりだ。

 【運搬王】は懐からペンを取り出すと、豪勢な市庁舎の壁に大きく『退勤』と殴り書きして、歩き出した。

「貴様、どこへ!」

「止まれ!止まるんだ!」

 兵士たちの声に、セ・ガンはふと立ち止まった。大股で進み、その掌が兵士の胸ぐらを掴む。

「そういやぁ……」

「き、貴様、何を!」

「モハヴェドのやつの部隊だ。それだけ聞いといてやろうと思ったんだ。……どこにいる?」

「!?」

「クーデターだろ?反対勢力の兵士は、どこにいるんだ?自由行動させておくはずがないだろう、皆殺しか?だが、それは手間だからな。相場は武装を奪って監禁だ。どこにいる?」

「それを教えると思うか!」

「さぁな。道すがら訊くさ」

 【運搬王】は歩き出した。部隊がざわめく。

「貴様、人質とはなんと卑怯な!」

「隊長ぉ!」

「なんだお前、隊長かよ。部下に言えよ、名誉毀損は止めろって」

「黙れ、この!」

 隊長は胸ぐらを掴む手を殴り付け、銃撃し、ナイフで切り付けた。全ては無駄に終わったのだが。

「ハハッ、固定ダメージの術でも使ってみるか?生憎、HPのほうもそれなりだが」 

 【運搬王】は笑い、正面玄関の大扉を蹴り開けた。

 

 そして、その足を止めた。

 

「邪魔ですね、君」

「誰だ?」

 目の前に突如降り立った雨傘の少年に、【運搬王】セ・ガンは顔を歪めた。

 年は若いが、その落ち着いた振る舞いはひどく大人びていた。<マスター>にはままいる、若作りをするタイプだろうか。雨傘を指しているのに、その身体は濡れていた。戦いの痕跡らしい汚れや破損もある。

 【運搬王】は眼を細めた。兵士を放り出す。

「ケンカでも売ってるのか?」

「いいえ?」

 黄色い長靴の少年は、濡れた雨傘を回して言った。

 

「どうも、【降水王】です。初対面なのに恐縮ですが……とりあえず消えてもらえますか」

 

 ◇◆◇

 

 □■冶金都市グロークス・第三クリスタル安置所

 

 無銘の刀がぶつかり合う。子供と大人の膂力ではかなりの開きがあったが、それでもまだ平等だった。レベルによる暴力よりはマシだ。

 トビアは足をずらし、刀を滑らせた。鎬を削る音が、屋内に響いた。

「いいぞ!」

 十三は叫び、そのまま踏み込んだ。軸足を回し、水平に刀を振り抜く。

「いいぞ、そうだ!」

 トビアはそれを受けなかった。右側、十三自身の腕の死角に走り、太股を狙って刃を振り下ろす。それを少しだけずらした剣筋で受けながら、十三は言った。

「緩めるなよ、小僧!」

「言われ、なくても!」

 トビアも思わず叫んでいた。軽やかにバックステップを踏み、刀の重みに合わせて身体を倒す。その横を、十三の剣が抜けていった。

 トビアの全身を、殺気が揺らしていた。砂漠でブラー相手に幾度となく“殺される”感覚を叩き込まれた身体は、十三の狙っている場所を勘で知らせるまでになっていた。

 その野性的な振る舞いとは対照的に、十三の剣は綺麗だった。素人のトビアにも分かる、実践的で体系的な理論に根差した動きだ。

 闇雲に振り回すのではない理詰めの剣に、トビアはその周りを大きく迂回することしか出来なかった。踏み込めば、詰められて殺される。

「どうした小僧!まだだ、もっと高められるはずだ!」

 十三が叫んだ。

 トビアはふと、下がる足を反転させた。あるいは彼も当てられていたのかもしれない。十三の、狂気に。

 剣を避けるのではなく、前に踏み込んで躱す。それを見てとって、十三が哄笑した。刀は閃いて、軌道を変えた。トビアもまた、足を滑らせて軌道を変えた。

 視界がやけに狭く、ゆっくりだった。刃の気配がお互いに絡み合い、まるで舞を踊っているようだった。

 十三の敵意と戦意が目に見えるようだった。トビアはそれに合わせて身体を動かしさえすればよかった。レベル〇の二人は、幾度となく刀をぶつけ合った。

「……!」

 それがふと、乱れた。十三が乱したのだ。トビアがたたらを踏み、十三の剣が上段へ持ち上がる。

「……これで!」

 十三の全身が動く。滑らかに繋がった筋肉が、美しい太刀筋をまっすぐに振り下ろした。風が小さく唸った。

 トビアが剣を離す。手から外れた刃を、十三の刃が綺麗に断ち切った。

 

 その一瞬、ほんの一瞬だった。十三はトビアの刀に眼を向けた。

 

 トビアは後ろへ下がり、すぐに踏み込んだ。鼻先を掠めた刀を見ながら、トビアの手が腰からナイフを引き抜いた。

 ナイフを水平にする。身体の勢いが乗ったその一撃は、肋骨の隙間を抜けて、十三の心臓を一突きにした。

 十三が刀を取り落とす。トビアは力を込め、大人の体重を支えた。掌に、ぬるりとした感触があった。

 

 音が戻ってきた。

 

 トビアは自分の手を見た。十三の顔を見た。血の色を見、匂いを嗅いだ。

「あっ……」

「どう、した、小僧……」

 十三は笑っていた。満足げな笑みだった。

「なんだ、はじ、めて、か?()()()()()()()、人を、殺すのは……」

「あ、あぁ……!」

 重たかった。刃越しに、肉と血の感触が伝わってきた。鮮血の、温度も。

「覚え、とけ……これが、それだ……」

 トビアは思わず手を離し、十三の身体は崩れ落ちた。その手が、落ちた刀を目指して動いた。

「あぁ、結局、変わん、ねぇな……わかんねぇ」

 刀の鍔へ、指が触れる。

「俺は、なにが、ほし、かったんだ?」

 トビアはそれを見つめた。眼を逸らしてはいけない気がしていた。

「分かんねぇ、けど、まぁ……今のは、楽しかった、が……いい、や……」

 

 死んだ。

 

 トビアの身体が動くようになったのは、それから少し経ってからだった。

 巴十三(ともえじゅうぞう)の身体は静かになっていて、まるで“もの”みたいだった。さっきまで、トビアを殺そうとしていたのに。トビアとは、違う気持ちや思いを持っていて、違うことをしていて、違う声で、言葉で、話していた、“人間(ひと)”だったのに。

 トビアは、ナイフを持ち上げた。十三は動かなかった。

 うつ伏せに倒れたその背中に、トビアはナイフを突き立てた。すぐに骨にぶつかったそれを引き抜くと、赤いものがこぼれ出た。

 トビアは、ナイフを持ち上げた。十三は当然、動かなかった。

 肩を刺した。骨の上で滑ったそれは、勢い余って首筋の方をも切り裂いた。

 トビアは一心不乱にナイフを動かした。粘りつく赤色が吹き出して、トビアを染めた。背を、首を、うなじを、腕を、足を、腰を、どこを突き刺しても十三は動かなかった。

 十三の身体がズタズタになった後、トビアは、十三が切り開いた壁から外へ出た。雨は強くなっていた。頭から爪先まで、流れる雨水は十三の返り血を洗い流してくれた。

 ふと、両手を持ち上げてみた。

 さっきまで、戦闘の高揚に酔っていたはずのそれは、今や血にまみれて震えていた。

 トビアは手を洗い始めた。雨に打たれて、赤いものが流れていった。それが見えなくなっても、トビアはずっと手を洗い続けていた。

 

 To be continued



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第二十話 不遜なる裏切者のためのショファール

 □はじめに

 

 イバラとあざみが地より汝のために生まれ、汝は野の草をとって食さねばならない。

 

 『創世記』第3章18節

 

 ◇◆◇

 

 □■冶金都市グロークス

 

 それはイバラで出来ていた。棘のある残酷な植物が、人の形を真似ている。うねり、繁り、枝を伸ばし、その顔はメアリー・パラダイスの顔を象っていた。

「……ッ!」

 気味の悪さに思わずメアリーが顔をしかめる。

 ぎこちない身体を叱咤する。その足が、鋭い蹴りをイバラの顔に食らわせた。

「……なるほどね」

 そして、その爪先はイバラを通り抜けた。そこに何もないかのように。

「ガードナー系列と複合したわけじゃない」

 イバラが身体を起こす。下半身すら生成しつつあるそれが、這いずりながら双子のように同じ顔でメアリーの腰に手を掛けるが、その感覚、接触の感覚は存在しない。

「そう見えるだけ。これはまだ、生き物(ガードナー)じゃなくて、テリトリー……!」

 それは、能力。結界。領域。法則。

 象るものは、イバラの形。人のかたち。それでも、それは単なる力の結んだ虚像(ヴィジョン)に過ぎない。

 触れられない。壊せない。殺せない。そこは通常のテリトリーと変わりがない。

(実体がない……いま身体を縛っているのは物性じゃなく、“能力”)

 

「そうでしょう?……“メドラウト”」

 

 AFXは答えない。その顔は相変わらず虚ろであり、平穏だった。まるで、眠っているかのように。

「AFXじゃない。あなたは、その身体を動かしているのは、<エンブリオ>なんでしょ?」

 腹に爪を立ててすがり付く“イバラ”を無視して、メアリーは言った。

「メドラウト!身体を放して」

 真っ直ぐ、眼差しを送る。

「AFXと話をさせて!」

 “メドラウト”は……答えなかった。

 彼は、術理(ルール)だ。彼の同調者たる少年は今、精神の内側に引きこもっている。それを咎めはしないし、何も思わない。自我や人間性は彼の、メドラウトの能力の範疇にはない。

 身体を動かしていることも、今、進行している《背信の証明(メドラウト)》も、全てはルールだ。

 重力に懇願する人間がいるだろうか?時間に情状酌量を求める人間がいるだろうか?誰しもが理解している。“理屈”は、感情を持たない。

 だから、次に口を開いたのは、メドラウトでは無かった。

『ア……ア……メアリー・パラダイス……』

 メアリーが思わず視線を落とす。声を上げていたのは、

『メアリー・パラダイス……』

 

メアリーの腰に縋り付く、イバラの像だった。

 

『……審判ヲ開始スル』

 それがメアリーと同じ容貌で、言う。

昨日(サクジツ)。被告ハ被害者ヲ謂レナキ論理デ誹謗。被害者ノ精神的苦痛ハ如何トモシガタク、マタ加エテ単独行動ヲ強イタコトニヨル【高位従魔師】トノ会敵ノ責ヲモ勘案スルナラ、極刑コソ妥当ダト主張スル』

「なっ?」

 メアリーが顔を歪めるのを無視して、メドラウトのAFXは首を絞めたまま呟いた。

『判決、有罪』

 

 そして、メアリーの身体を操作する力がガクンと大きくなった。

 

「まさか、これが、審判?」

『第二審』

 淡々と、メドラウトが言う。

『一方的ナ友人宣言ヲ行ッタニモ関ワラズ被告ハ【カルテット】ニ対シ独断専行ノ宣戦布告ヲ敢行。無意識ノ傲慢タルヤ……』

 罪状を読み上げるようなその振る舞いに、メアリーは戦慄した。

 裏切りを厭う能力のたどり着く先だ、ということを踏まえれば、なんとなくメドラウトのやっていることが分かってくる。糾弾しているのだ、今までの“裏切り”を。そして、それら全てが彼女に自殺させようとするパワーへと加算される。

(まずい……このまま行くと時系列的についさっきの話に到達する)

 <エンブリオ>の位階を進めるほどのショックだ。その恨みが加算されれば、間違いなくメアリーは抗えない。

 

「で、これはどういう状況だ?」

 

 後ろからの声に、メアリーは振り向こうとして……うまくできなかったので、代わりに誰何した。

「誰!」

「俺だ、グリゴリオだ。あァ、なるほどな」

 グリゴリオはさりげなくメアリーの前に出ると、頭をかいた。

「こんなことになってるとはな」

「説明はいる?」

「AFXが暴走してお前を攻撃してる。これ以上に何かあるか?見たとこ、何かのルールを課すタイプだな……あの身体、狂戦士系統と同じロジックか。肢体の操作権を<エンブリオ>に預けることで出力を底上げしてるってわけだ」

「そこまで分かるんだ」

 メアリーは呆れたように言った。

「出来れば、解析だけじゃなくて助けてくれるとありがたいんだけど」

「そこなんだが、先に謝っておこう」

 グリゴリオがそういった時、彼の首筋にイバラの紋様が這い上がっていくのがメアリーにも見えた。

「俺も対象らしい」

 その左手の紋章が、イバラに覆われていく。

「そういや、俺とこいつはテリトリー仲間だったな。そして男同士。能力の効きもいいって訳か」

 難儀そうに手足を動かしながら、グリゴリオは言った。その眼が、自分の影を見下ろす。眼差しがギロリと、影からAFXの身体へ動いた。

「だが、能力の対象はいちどきにひとりまでらしいな」

 そう言うと、グリゴリオは歩き出した。

「感情的な能力だ。欠陥が大きいぜ。一人を拘束できても脇からの攻撃に弱すぎる」

 その手が、ぎこちなく鉈を構えた。メアリーが叫んだ。

「ちょっと!」

「慌てるな、殺す訳じゃない」

 グリゴリオは言った。

「見ろ、こいつの首を。本当に死にそうになってる。自殺することもリスクのうちか?こんなに制約を積み立てて、よほど恨みを買ったらしいな」

「それは……」

「別にいい。が、こいつのメドラウトは自傷行為なら完璧に弾くはずだ、完全な同一人物からの攻撃なんだから。それがないってのは……」

 グリゴリオが鉈を振り上げ、メドラウトの虚ろな視線がそれを見た。

「“盾”を喪失したな。大きすぎる隙だ!手足の一本とでも引き換えに、全身を【塩化】させる!安心しろ、後から解除も出来るからよ!」

 鉈が振り抜かれる。その肉厚の刃がAFXの右腕に触れようとしたとき……

 

『Sooooooooooo……』

 

さらなる第三者が闖入した。

 

 ◆◆◆

 

 ■【教授(プロフェッサー)】ウー・一時間前

 

「騒がしいな」

 地下の静寂にひとり沈みながら、その男は言った。女のそれのように艶やかな黒髪が流れている。耳朶に届く喧騒も、髪を揺らすには弱すぎた。

 言葉とは裏腹に、それに耳を澄ますウーの顔は穏やかだった。まるで潮騒に耳を傾ける海辺の午後、或いは深山にて梢を渡る風を聴く暁のように。

 その表情がふと、嗜虐的なものを浮かべる。

「丁度退屈していた。手慰みと行こうか」

 ウーは立ち上がらない。代わりに、瞳だけを動かして地下堂を見渡した。誰一人いない場所を。

 否、孤独ではない。ヒトではないものが傍で控えているからだ。

「……“solas”」

 その言葉に応えて、ホムンクルスが起き上がる。彫像のような静止を崩して、ウーの顔を見上げた。

「陽光よ。来訪者たちに少し刺激を与えてこい。殺害を許可する」

 ホムンクルスは頷き、踵を返した。ウーが背後で呟く。

「……本気でやれ」

 そして、ホムンクルスが変形を始めた。

 人のかたちが崩れる。四肢が溶けるように胴へ吸い込まれ、顔面に刻まれた文字を中心に白い肌が渦を巻く。一秒ほどが経って、そこにあったのは、宙に浮遊する“陽光”のレリーフだった。

 まず、中央にはレコードの倍ほどもある円盤がある。大理石のように白く、平たいそれには、あの“solas”……光を意味する文言が黒く刻まれている。

 丸いそれを取り囲むように、縁から無数の直線が伸びている。太陽から注ぐ陽光を暗示しているのだ。空中を音もなく進む“陽光”は、静かに暖かな熱を発していた。光線模様が緩やかに回転を始める。ウンウンと唸るような鈍い音が地下の淀んだ空気を震わせていた。

「行け……アシュリー・アイリッシュ(トネリコの繁るエリン)が作りし至高の作品の一つ、陽光のホムンクルスよ」

 刻まれた銘の下に、青白いヒトの顔が浮き上がる。それが瞼を開き、石のような瞳を露にした。

 そうして、その芸術品は所有者の敵のもとへと向かった。その荘厳で、かつ不気味さを備えた太陽の後ろ姿を、ウーは感嘆と共に眺めていた。

「紡ぐはエリンの言葉。記すは征服者の文字。実に美しいな、アシュリー・アイリッシュよ」

 

 ◆◆◆

 

 □■現在・冶金都市 地下

 

『Sooooooooooo……?』

 そのホムンクルスはくるくると回転し、文字を発熱させた。彫り上げられたようなヒトの顔面が蠢く。

「なんだ、お前」

 グリゴリオは言った。

 ホムンクルスは答えない。その太陽光線を象った形が揺れ、三人を見た。

 【偵察隊】AFX。

 【大戦士】グリゴリオ。

 【教会騎士】メアリー・パラダイス。 

 純白の身体が波打ち、光線のラインが前へ倒れる。次の瞬間、筒のようになったその内側で、光が膨らんだ。

「《太陽砲》」  

 瞬間、陽光が三人の身体を焼き焦がした。あまりの光に、網膜すら焼けてしまう。

「……ッ!こんな、時に!」

 メアリーは叫び、手で顔を覆おうとした。が、

『……判決、有罪』

メドラウトの束縛が、再び強くなる。メアリーの身体はほぼ動かなくなり、それどころか実体化したイバラの紋様が食い込んで、全身に傷が開き始めた。

「《サードヒール》!」

 神聖の煌めきが網膜と切り傷を癒して、焼けた肌を再生していく。再び目が開いた時、メアリーの前では、グリゴリオがそのホムンクルスを殴り付けていた。

「誰だか知らんが、敵だな!」

 大振りの鉈と、力の籠った前蹴りがホムンクルスを吹き飛ばす。白い石膏の破片が飛んだ。

「パラダイス!こいつは俺がどうにかする、お前はそのバカを叩き起こせ!」

「え?」

「え?じゃねえ!その必殺を止められるとしたらそいつだけだ!それまでに俺はこの皿モドキを倒す!いいから、どうにかしろ!」

「どうにかって……」 

 メアリーが困惑している間に、グリゴリオは二発、三発と蹴りを食らわせ、浮遊するホムンクルスを遠ざけていった。

「ハッ!どうにも愚図らしいな、ピカピカ野郎が!」

『Soooooo……』

 ホムンクルスが鳴く。その表面にもイバラは這い寄っていたが、取り付けずにうねって消えていた。

(因縁がないからか、ヒトではないからか。どっちにしろ、AFXの暴走のツケはこっちにだけ効いてくるか)

 グリゴリオは地面を踏んだ。そして、顔をしかめた。

(ソドムの能力も弱い。あのイバラはAFXの身体とこっちの身体を同期させるシンボルだ。同じテリトリーなら、<エンブリオ>同士でも縛りが効くのか?なら、()()()()……必殺の起動以外は弱められると思った方がいいな)

 しかし、《塩害条約(ソドム)》は使えない。本来、あれは契約を反故にした相手を殺すものだ。口頭でのひっかけすら通じないこのホムンクルス相手では、全く意味をなさない。レディ・ゴールデンはああもお喋りだったが……

「雄弁は銀、沈黙は金。名言だな」

『Sooooooooooo……』

 ホムンクルスが回転する。その中央の文字が、再び発光した。

 グリゴリオは眼をつむった。そのまま踏み込み、鉈を振り抜く。肌を焼き焦がす熱を頼りに、その方向へと攻撃をした。

 だが、手応えは無かった。

「躱した……?」

 次の瞬間、手中の鉈が一気に熱を持った。グリゴリオは素早く手を離したが、右の掌は半ば焼き上がっていた。指先の感覚がない。

「まず武器を潰しに来たか……意外とクレバーってわけかよ!」

 鉈の落ちる音がして、グリゴリオは諦めたように両手を下げた。代わりに、地面が持ち上がる。

「《塩害(メラハ)》」 

 塩の結晶と化した地面は壁になり、通路を寸断した。

「これで、俺とお前の一対一だな」

 グリゴリオは薄く眼を開き、そして言った。

 ホムンクルスは相変わらず浮遊していたが、その回転は止まっていた。本気らしい。文字が発光を止め、闇雲にばら蒔いていた陽光が消える。

「“so、la、s”……アルファベットか。生産型の<マスター>の造物か?何語だ?」

 目薬のように回復薬を眼球に浴びせながら、グリゴリオは言った。

 そして、突如その顔が発火した。

「ぐォ……!?」 

『Soooooo……las……』 

 いまやホムンクルスは光を無駄にするのではなく、一点に収束させていた。焦点位置で止まっていたグリゴリオの頭部が、虫眼鏡で処刑されるアリのように燃え上がる。髪の燃える嫌な匂いと、脂肪の焼ける香りが漂った。

(クソ!一発で……感覚をほぼ潰された!)

「が、は、《塩害装甲(シュリヨン)》!」 

 グリゴリオの顔面が塩の鎧に覆われ、かろうじて熱を遮断する。

(ヤバい……脳を焼かれたら即死だ!)

 必死に逃れようとしたグリゴリオの脚を、やはり陽光が貫いた。膝関節を的確に焼かれて、グリゴリオがつんのめる。溶けた軟骨が脛を伝っていたが、その感覚ももう、無かった。

(痛覚が……!)

 眼球が茹で上がる痛みに、グリゴリオが悶える。痛覚を消していなかったことを後悔する彼に、更なる陽光が襲いかかった。

 

 ◇◆◇

 

 メアリー・パラダイスは、完全に静止していた。それが限界なのだ。メドラウトの強制力と、メアリーのSTRがぴったり均衡していた。眼球さえ動かないので視界は狭かった。グリゴリオがホムンクルスと戦っているのも、よく分からない。どのみち、もう他人を気にする余裕はない。

(次ので最後……もう、持たない)

 それを口に出すことすら、もう出来ない。表情筋や口蓋も、メドラウトの強制力の範疇なのだから。

『……敵ノ一味ヘト協力ヲシ、攻撃ヲ制止シタ。此ハ明確ナ背信デアリ……』

 目の前では、メドラウトがメアリーの顔でぶつぶつと呟いていた。その口上に、メアリーはだんだんイライラしてきていた。

(全部、全部、覚えてたわけ?こんな細かいことまで……)

 背後で、アシュヴィンがもがいていた。

 彼らはガードナーだ。メアリーの半身であり、一部ではあるが、同時に自律する生命だった。テリトリーではない、AFXには存在しない部分であるために、動作強制ではなく拘束にとどまっていたが、その拘束にすらも抗える余地がある。<エンブリオ>と人間だからだ。

『……況シテヤ今現在抵抗ヲ試ミテイル事カラモ反省ノ色ハ無ク……』

 その余地を掻い潜って、アシュヴィンが少しずつメア

リーに這いずっていく。イバラの像が経文のようにぶつぶつと唱える声を聞きながら、アシュヴィンの指先はやがて、メアリーの踵に触れた。

 メアリーは動けなかった。唇すらも動かない。だから、アシュヴィンが代わりに力を使う。

(《癒しの息吹(ヒリング・オーラ)》!)

 そして、黄金色が膨れ上がった。

「……これ、なら、どうにか、動ける!」  

 金色に染まって、メアリーは叫んだ。

 アシュヴィンの治癒能力は、メドラウトの強制力にすら対抗していた。イバラと黄金のオーラがせめぎあい、ギシギシと軋む。それは(ことわり)同士の争いだった。砂一粒の抗いであっても、助けにはなる。

「AFX!」

 少年の身体は沈黙していた。虚ろな表情は、何も見てはいなかった。ここに彼の意識は無いのだ。

「狂戦士と同じ……それ、なら!」

 メアリーが一歩、踏み出す。その足元で延々と陰気な口上を続けているイバラが、一瞬戸惑ったように揺れた。

「それ、なら!」 

 まるで、重たい十字架を背負っているかのように遅々とした歩みで、メアリーは進んだ。自分の首を締め続けるAFXへ。

「それ、ならァ!」

 メアリーは、AFXの腕を掴んだ。イバラが食い込み、掌を刺した。足元では、イバラの像が慌てたようにメアリーの下半身へすがり付いていた。

 

「《金色生命闘法(アシュヴィン)》……!」

 

 そして、黄金色が爆発した。

 

 アシュヴィンが融合する。ただし、融合する腕はメアリーのものではなく、

「……」

AFXのものだ。

 <エンブリオ>の治癒を失ったメアリーが、再び静止する。イバラに覆われて血を流す彼女の前で、金色に燃え上がるAFXは、アシュヴィンの両手で自らの首を絞めていた。ただし、その指は少しずつ緩んでいる。融合したアシュヴィンが逆らっているのだ。

「帰って、来い、ばか……!」

 治癒の残滓で、メアリーは呟いた。その唇も、すぐに静止する。力を使い果たして拮抗する二人の間で、イバラのメドラウトが高らかに言った。

『……判決、有罪!』

 そして、メアリーの腕が動いた。ゆっくりと、確実に首へ向かっている。

(何が、有罪……!)

 掌が開く。メアリーの首を握りつぶすために。

(知ってるよ、嫌みで、しつこくて、悲観的で……)

 掌があてがわれ、首筋へ指が沈む。

(でも、それだけじゃ、ない、はず、でしょ!)

 アシュヴィンが力尽きた。AFXの絞殺が再び進行する。気管が狭まり、息苦しさが始まった。

 《金色生命闘法(アシュヴィン)》の光だけはそのままだった。《背信の証明(メドラウト)》に対応する、メアリーの“部分”だからだ。

(だめ、押し……《癒しの息吹(ヒリング・オーラ)》ァ!)

 金色が僅かに揺れ、輝きを増す。

 

 そして、AFXの瞳が動いた。

 

「メアリー……?」

 瞬間、イバラの像は狼狽えるように揺れた。無表情で無機質のはずのその顔が、メアリーには怯えているように見えた。光の加減に過ぎないのだろうが。

『再審……【教会騎士】メアリー・パラダイス被告ハ、自ラノ<エンブリオ>ニヨッテ原告ヲ治癒。此ハ紛ウコトナキ友愛ノ証明デアリ、自ラノ不利ヲモ省ミズ此ヲ行ッタコトニハ大キナ意味ガアル……主文、被告ヲ有罪トシタ前回ノ審理ヲ棄却スル……!』

 イバラが揺らぎ、薄れて消えていく。アシュヴィンの光もまた、薄らいで消失した。アシュヴィンが融合を解除し、傍らにごとりと横たわる。

 たとえ<エンブリオ>であっても、主の意識は侵せない。それはこの世界で<マスター>の身体(アバター)に定められた無限の論理。主導権の可能性は常に、同調者にある。精神は保護されているが、その逆はない。

 あるいは、メドラウトが無機質なルールとして公平だったのか。《金色生命闘法》が、その能力を抉じ開けたのか。

「この、バカ!」

 そして、イバラから解放されたメアリーがAFXの頬を張り倒した。

「あたしがあんたを裏切ると思った!?」

「……ごめん」

 AFXは嗄れ声で言った。

「……昏睡状態の、空間で、考えたんだ。僕の、間違いだって」

「当たり前!」

 メアリーは叫んだ。その瞳がふと、揺れた。

「……いや、違うね。違う、たぶん、当たり前じゃないんだ」

 メアリーは首を振った。AFXは朦朧とした表情で彼女を見ていた。

「当たり前、じゃないな」

 メアリーは繰り返した。

「だから、信じてよ。あたしも信じるから。君が他人を信じられないとしても、信用するってことを怖がってるとしても……()()()()()()()()って、信じてるから」

「よく、分からないよ……でも」

「何?」

「なんとなく、分かる気がする」

 AFXはニヤッと笑った。そして、そのまま目を瞑って……崩れ落ちた。 

 メアリーは座り込んでいた。手足に力が入らなかった。治癒能力を使えなくなったアシュヴィンが、慰めるようにその傍らに横たわっていた。

 

 そして、太陽のホムンクルスがそんな二人を見ていた。

 

「……ッ!」

 塩の障壁は砕けていた。その向こうでは、ヒトのかたちを覆った塩の結晶が地面に張り付いていて、一面塩の海のようになった通路がきらきらと光っていた。光源は、ホムンクルスだ。

『Sooooooooooo……』

 ホムンクルスはしかし、攻撃の気配を見せることなく二人を眺めていた。とろとろと回転する放射光線図形の真ん中で、ヒトの顔面がふと、口を開いた。

 

『……畢竟』

 

「え?」

『畢竟、出会いとは偶然だ。世界は偶然だ。ヒトは偶然によってのみ生き、そしてそれは、必然でもある。相互作用のうねりの渦中で、ヒトは他者によって、生かされている』

 顔面は、突如流暢に話し出したことを恥じるかのように言葉を切った。メアリーは困惑に顔をしかめた。

「誰?」

『やはりか。勘が良いな。そこの……愚息のように、理詰めで思考して、その罠に自ら陥るものとは、違う。ヒトの直感には、素晴らしい可能性がある』

「……あなた、女?」

 メアリーは言った。ホムンクルスはくるくると回った。

『予想外だよ。陽光を覗き見ていたのは偶然だった。さっき言った通りだろう?それが地球(あちら側)と同じような顔で、同じような声で……そんな『名前』でいたこともな。『直感』だ。理屈は、直感の従者でしかない』

「だから、誰よ!」

 メアリーは叫んだ。

「その白い彫像みたいなそれ、じゃあない!それを通して話してるんでしょう、誰!」

『回答しよう』

 ホムンクルス……を通して話していた女は、滑らかに言った。

『私は、アシュリー・アイリッシュ』

 女は端的に述べ、付け足した。

 

『ああ、その少年を作った女でもある』

 

 メアリーは口を開けた。

『なんだ?』

「いや、作った、って?」

『子供の作り方を知らないのか?』

 アシュリー・アイリッシュは不思議そうに言った。

『平易に言えば、生命のテーマを表現したくてね。幸い、私は女性だった。個体の新規生産能力を有していたので、それを利用していくつかの連作を作った。20sのこと。自分の作品(こども)所有者(オーナー)の自由にさせる、と決めているんだが……やはり巡り合わせか。度々、さまざまな持ち主の元を巡って、ふと遭遇することが存在する。面白い』

 メアリーはくらくらしながら言った。

「つまり、AFXの……お母さん?」

『その名詞は相応しくない。が、彼の生物学的母親である、とは言えよう。付言するなら私は、自らを“彫刻家”だと自認しているのだが』

 女はそう言うと、少し考えて続けた。

『にしても、“AFX”か。自分の作品が自分でタイトルを変えていたなど、そうできる体験ではないよ。それに……いや、これは、いいか』

 アシュリー・アイリッシュの声は、ひどく平坦だった。

『君がそれをどう扱おうが、君の自由だが。作者としては、気に入ってくれれば嬉しい。それだけだ。強制も規定もしない。単なる感慨だよ』

 突然現れたその女の声は、それだけ言って満足したようだった。

『では』

「ちょっ、ちょっと待って!ねぇ!」

『拒否する。私は昔の作品にノスタルジーを覚えて出てきただけだ。では』

 ホムンクルスはそう言うと、ぶるりと体を震わせた。

 アシュリー・アイリッシュはいなくなっていた。それはメアリーにもよく分かった。ホムンクルスは眠りから覚めたようにぼーっとしていたが、ふと、思い出したように発光を開始した。

『Sooooooooooo!』

「待っ……!」

 光が収束する。反射的に前に突き出されたメアリーの右手が、ボッと燃え上がった。

『So……las……』

 ホムンクルスが高度を下げ、二人に迫ってきた。光の焦点を操るその能力が、スポットライトのように二人を照らし出す。

「《サードヒール》!」

 メアリーは叫んだ。次の瞬間、その舌と口腔が発火した。蒸気が膨らみ、嫌な臭いが鼻を刺す。

 AFXの身体が炎上し、ステーキ肉のような匂いを発し始めた。庇おうとして、メアリーが転んだ。

 両脚が焼けただれていた。既に筋肉の機能は失われ、崩れ始めている。目の前では、AFXの身体が炭から光の塵へと変わり始めていた。

(だめ……ッ!)

 聖属性の光を注ごうとしたが、既に口は潰されていた。他人のことを気にしている場合ではない。メアリーの身体も火傷に爛れている。

『Sooooooooooo!』

 感覚が失せていく。ホムンクルスは光を強めていた。いくつもの焦点が集まり、やがて最大のレーザーとなってメアリーに襲いかかった。

 

『待って、たぜ』

 

 そして、そのレーザーは突然床から持ち上がった塩の結晶に遮られた。

 

『時間が、かかった、ぞ。床を叩くのも、透き通った塩を、作るのも』

 結晶内で陽光が反射し、屈折する。次の瞬間、【塩化】の広がった壁面を伝って連続屈折したレーザーが、ホムンクルス自身の頭を貫いた。

『Sooo!?』

 ホムンクルスが慌てたように、光を切る。だが、それは隙を作るだけだった。

『……ッアァ!』

 潰れた喉から息を漏らして、メアリーがホムンクルスを殴り飛ばした。自分の光に砕かれたホムンクルスは、その焦げた大穴から白い殻をひび割れさせて倒れた。透明の汁が飛び散り、ホムンクルスは動かなくなった。傷穴からは煙が上がっていた。

 やがて、その体躯が光の塵に溶けていっても、メアリーは動けなかった。ホムンクルスの身体は意外にも、内部はヒトのそれに似ていて、そのグロテスクさにメアリーは眼を背けた。

 光の塵の後には、骨のような色の石だけが残っていた。札のようなものなのだろう、薄く削られたその表面には、『<美術会(クンストアウスシュテルンク)>会員番号“弐”番、アシュリー・アイリッシュ』と記されていた。

 

 ◇◆◇

 

 □■冶金都市・上空

 

 【運搬王】は、宙でくるくると回っていた。妙な勢いがついてしまったらしい。自分ではそれを止められない彼は、ただ仏頂面で【降水王】ユーリイ・シュトラウスを睨み付けていた。

「いい格好ですね」

「黙ってろ」

 セ・ガンは毒づいた。それ以上のことはできなかった。彼は所詮運び屋、人足に過ぎない。身体の各所には、傷口が開いていた。

「流石の堅さですね、【運搬王(ブリング)】」

「ティアンは能力の対象外だと思ってたよ」

「それはこちらの自由です。個別人物の指定など造作もない。超級職を自由に放置しておくのは危険が大きいですから。これでも、僕はあなたを高く評価しているのですよ」

 ユーリイは、【運搬王】の握りしめた【ジェム】を見た。

「珍しい型のをお持ちだ。海属性の付与術ですか?その防御を破るのは些か骨です。()()()()()()()()()()()。かといって、逃がすのも論外」

 ユーリイもまた、嘲るように回転して見せた。空に逆さに立ち、黄色い長靴の少年は言った。

「ティアンの超級職は、例外なく本物(プロフェッショナル)ですから。遊び半分の僕ら(マスター)とは違う」

 その眼は、油断なく【運搬王】を見つめていた。

「さて……」懐から、時計を取り出す。「……時間ですね」

 それと呼応するように、サイレンが鳴り、都市全域への拡声器が話し出した。

『……市民の……皆さん!こちらは……グロークス治安維持軍です!』

 【運搬王】は、眉をひそめた。

『現在都市を制圧していたクーデターに……我々は、市庁舎を奪還し……放送室を掌握しました、安心してお待ちください……!』

 ノイズ混じりだが、その声は真実を告げていた。モハヴェドの部隊などの反クーデター勢力が逃げ出したらしい。

 にも関わらず、ユーリイは薄く笑ったままだった。

「……何を考えてる?」

「いえ?流石だ、と思って」

 その言葉にも、嘘はなかった。ユーリイは純粋に、グロークスの憲兵たちを褒め称えていた。

「ティアンはプロ。常にそうですよ」

『繰り返します……現在、我々は市庁舎を奪還し……安心して……』

 その言葉に、ふと違う人間の声が混じった。

『……ッ!市民の皆さん……』

 いささか緊張した声で、アナウンスが言った。

『毒ガスです!毒ガスが都市各所に撒かれているとの情報が入りました、安全な場所……落ち着いて、高台へ向かってください、繰り返します……』

 その言葉にも、嘘はなかった。その声は、彼にとっての()()を、間違いなく告げていた。

 

『落ち着いて……傘は危険です、何も持たずに、すみやかに……高台へゆっくりと避難してください……』

 

「貴様……!」

 【運搬王】が眼を剥く。ユーリイは、初めて驚いた顔をした。

「おや、気づいていたんですね。本当にプロだ」

 【降水王】は、頬を伝う雨をすくいとり、空中に散らした。その視線の先では、ちらほらとティアンたちが外へ走り出し、それに触発されたように段々と群衆が溢れだしていた。

「なぜ、ティアンを浮かせなかったんだと思います?<マスター>だけが戦力になるというわけじゃないのに。雨を浴びたティアンはいくらでもいて、重力を奪おうと思えば簡単だった。それでも、そうしなかった。合理的な理由がありますか?」

「……ないな」

「そう。()()()()()()

 ユーリイは笑った。

「合理。理屈。それは読まれます。簡単にね。けれど、非合理を読むのは難しい。ティアンの彼らにとって、この雨は反重力とは関係なく、空へ落ちる<マスター>は誰かに攻撃された結果でしかない……だから、雨なんて気にも止めない」

 ユーリイはゆっくりと、その姿勢を戻した。【運搬王】は、虎の子の【ジェム】……付与術師系統の術を込めた貴重品で身を守りながらくるくると回っていた。眼下では、信頼するアナウンスに従って毒ガスから逃れる市民たちが、濡れた列を作っていた。

「反クーデターの彼らが逃げ出せたのは、見張りの兵が()()()に倒されていたからです。だから、あの放送は真実。その後の毒瓦斯の情報も、本人は信じきっていますよ。カネを掴ませたバカな貧乏人たちも、誘い水としての役目を果たしてくれました」

 言いながら、ユーリイは両手を広げた。

「ここはかつて鉱山都市でした。有毒気体の漏出に備えて防災放送が完備され、人々もそれに速やかに従う文化が残っています。況んやこの非日常で、みんなして一度はすがりついたものを疑うことなど……出来ない。非合理に見えても、それが人間の理ですよ」

 セ・ガンは小さく叫んだ。

「待て……!」

「《上昇方程式(オールライザー)》……完全解放」

 その瞬間、人々が浮き上がり始めた。

 地面を踏む足、その勢いが削られた重量を押し退けて、空への浮揚へと変わる。

 リソースの鉄則。対象を無差別化すれば、出力は向上する。無数の雨粒が奪い取った“重さ”は即座、人々を空へと幽閉する“ゼロ”へと変わっていた。

「クソ……」

「壮観ですね」

 ユーリイは満面の笑みを消して、穏やかな顔で言った。足元からは、哀れな一般市民たちが次々と空へ落ちていった。

 

 だが、それだけではない。

 

 突如、ひとつの倉庫が爆発した。その煙の中から、数多の人影が空へ上がっていた。

 

 天竜や怪鳥使い、あるいは飛行の<エンブリオ>。零戦のギアや翼に変じた腕、虹色に発光する天使に抱えられた子供。19世紀じみた気球に乗ったものもいる。

 

 ユーリイはそれに目を向け、言った。

「あの、シリンダという【影】も素晴らしい。飛行能力者が少なすぎると思ったんですよ、ここぞと言うときのために取っておいたんですね」

 見れば、彼らの周囲は確実に浮き上がる人間が少ない。恐らく、地道に事前警告もしていたのだろう。ティアンたちは、毒ガスの名前に怯えながらも家の中に隠れているのだろう。

 

 リンダがレジスタンスの一角として集めた飛行部隊は、真っ直ぐにユーリイ目指して飛んでいた。<劣級>の誘惑を恐れてか、その編隊と動きは用心深いものだったが、それでもユーリイにとっては脅威だ。《上昇方程式》は、彼らという変数にとっては無意味なのだから。

 

「ええ、ですから……しかるべき対処をしましょうか」

 【降水王】はそう言うと、身体を震わせた。これから起きるのは、カタルシスだ。

 才に乏しい身で励んだものが、おのが実力を実感するときのような。小さく微力な時間を無数に重ねた果ての、解放の快感だ。

「何をする気だ!」

「見届けてくださいよ、【運搬王(キング・オブ・ブリング)】。僕も、こんなに沢山()()()のは初めてなんです」

 ユーリイは傘を消した。左手を差し出して、ピストルの形を作る。子供の遊びのように。

「ふふ、“10%”……消費」

 その指先に、小さく光が灯った。

 

「《天上崩降砲(アイテール)》」

 

 そして、風が震えた。

 アイテールは、重量を簒奪する力だ。奪われた重みは、ユーリイの中に蓄えられている。それを純然たるエネルギーとして、解放することこそが、アイテールのたどり着いた答えだった。

 愚直に積み上げたものは、決して無駄にならない。これは、信念のエネルギーだ。グロークスにいる人間たちから現在も収奪され続ける膨大な重量が、大規模に炸裂した。

 不可視の“力”が、大気を吹き飛ばして飛行部隊に迫る。咄嗟に散開した彼らをも、アイテールの広い“重み”は粉々にした。その果てに、グロークスの町並みの一角が踏み潰されたように圧縮され、破壊されていく。屋内に隠れても、ユーリイからは逃げられない。

「はは!予想以上だ……この規模!あぁ、あぁ、なんという、解放!」

 降り注ぐ雨、空へと落ちる人々、丸く潰れた街。その光景は、まるで世界の終わりのようだった。

 無重力に囚われたティアンたちは、やがて空の上で雲のように集まっていった。それを()()()()ながら、ユーリイは呟いた。

「さぁ、最後の仕上げを……(ウー)教授」

「待て、止めろ……【降水王】!」

 

「《上昇方程式》……解除」

 

 ◆◆◆

 

 □■冶金都市地下・最奥

 

 【教授】ウーは、目の前の侵入者を見ていた。

 【司令官】【大銃士】【大騎士】。ぞろぞろと、地下に踏み込んでくる。

「……【審問官】はいないのか。まぁ、いい」

 ウーはそう言うと、玉座を降りた。

 今や、彼の味方は誰一人ここにはいなかった。それを分かってか、キュビットは言った。

「さぁ、【教授(プロフェッサー)】、投降しろ」

 ゴルテンバルトⅣ世が槍を向ける。ウーは答えず、代わりに拍手をした。ゆっくりと。

「私は、君たちを侮っていない」

 何を言い出すのか?と三人が怪訝そうな顔をする。それを気にも留めず、ウーは続けた。

「私は上級職だ。第Ⅵ形態の<エンブリオ>だ。何一つ、特別なものはない。故に……条件とリソースはイーブンだった。そんな人間の企てが何一つ失敗なく成功する、と思うのは……むしろ、根拠のない誤謬に過ぎない」

「あぁ、何一つ成功しないさ。あんたは“監獄”行きだ」

「まぁ、待つがいい。君たちはいわば運命に選ばれた、ここまで到達した戦士たちだ。そんな“敵”に敬意を表して、少し教えてやろう」

 ウーはそう言うと、一本指を立てた。

「なんの変哲もない【教授】だ。そう急がずとも良いだろう?」

 その視線に気圧されて、キュビットが口ごもる。

「私の能力は、<劣級>を造ることだが、その為には大量のリソースが要る。冶金都市を占拠したのもそれが理由だ。この街の人口がいかほどか、分かるかね?」

 ウーは問い、自分で答えた。

「おおよそ十万人。不確かな数字だが、行商や傭兵もいることを考えればこんなものだろう……さて、それほどの“人間”……どれ程のリソースかな?」

「お前、この都市そのものを生け贄にするつもりだったのか!」

 キュビットが喘ぎ、モハヴェドも激怒の顔で歯軋りをした。

「だが、そんな真似……」

「あぁ、研究したよ。他者の所有するリソースを使うのは通常、不可能だ。分かるだろう?それを自分の物にするには……【強盗(バーグラー)】や【盗賊(バンディット)】がいい例だが……所有権を得る必要がある。然るべきリソースを割いて。それらでさえ、接触やその他の“条件”は無視できない。リソースの主が誰か、というのは、重い問題なのだよ。だが……ひとつ」

 ウーはまるで、講義をする教授のように言った。

「“死”。“殺害”。これは極上の“条件”だ。殺人は、最も強い所有の形なのさ。お前達も、ごく普通に行っていることだ」

「そんなことは……!」

「そうか?その“レベル”。如何にして、そこまでのリソースを蓄えた?」

 ウーは言った。

「殺害という形で、生命のリソースを簒奪したからだ。分かるかね?同じだよ。この都市にいるティアン、更に彼らの資産……金属類や武具だな。持ち主が死ねば所有権が浮く。グラマンから搾り取った神話級金属も大量に残っている。そして、私が今まで造ってきた<劣級>どものデータだ。能力特性や戦闘の積み重ねをそれに加え、我がエキドナの力で私は……<超級(スペリオル)エンブリオ>を作り上げる」

 ウーの両手に、純白の手袋が現れた。それが猛禽のように、何かを掴む仕草をする。

「今までの生け贄は、手ずから殺さねばならなかった。範囲も狭い。だが、エリコの特質、射程の延長により、その問題はクリアされている。この都市全てが“儀式”の領域だ。そして、我が意志を受けて<劣級>を与えられた彼等が巻き起こした混乱と戦乱は、我が“手”の一部。この都市のリソースは、我が掌の上にある!」

「黙れ……もう十分だ!」

 モハヴェドが唸り、Ⅳ世が走り出した。

「続きは、“監獄”で講釈を垂れるのだな!」

 槍が風を穿ち、鎧がガチャガチャと騒いだ。だが、その吶喊はふと止まった。

 

「はぁ、ひぃ、おお、偉大なるお方……」

 

 マンドーリオ・グラマンが、三人の知らない扉から転がり込んできたからだ。その肥った身体に見合わぬ速度で、グラマンは素早く媚びへつらった。その足運びたるや、見事なまでであった。

「へ、へへ、偉大なるお方!お忘れなきよう、<エンブリオ>!<エンブリオ>を私に!」

「市長!どけ!」

「喧しい!」

 グラマンは絶叫した。

「<エンブリオ>ォ!私は、手に入れるのだ!」

「狂ったか、悪徳市長め」

 モハヴェドが吐き捨て、そしてウーが口を開いた。

「グラマン……」

「は、はい」

「……よくぞ、戻ってきた!」

 その顔はひどく穏やかだった。グラマンの知っている冷酷で残酷な振る舞いは、微塵もない。優しげな声で、ウーは言った。

「<エンブリオ>、そうだったな。今までの貴様は役立たずだったが、ここに至って……素晴らしい働きをしてくれた」

「は、はい!」

「わたしはお前を、少しばかり……誤解していたようだ。認めよう、我が素晴らしきしもべよ。計画を叶え、実験を成功に導くため、私と私の行動に、お前の力を貸してくれるかね……?」

「おお、閣下!」

 グラマンは感激の顔を浮かべ、涙さえ流し、諸手を上げ、

 

「丁度、最後の『生贄(トリガー)』が……必要だった」

 

自らの腹を貫く、ウーの貫手を見た。

「へ?は……」

 口からドロッとした赤いものを流して、グラマンが倒れ伏す。びくびくと痙攣するそれを見下ろして、ウーは言った。

「グラマン……グラマンよ。此処この時に貴様が来たことは、確かに……我が利益になった。故に、<エンブリオ>を与えよう。そう、我が至高の<エンブリオ>の一部になり、望みを叶えるがいい……」

「は、へ?そ、んな……」

 その時、壁際にひっそりと置かれていた時計が鳴った。重々しい鐘の音が小さく、しかし確かに地下へ響いた。

 

「では、始めようか。《泰山之霤穿石(エキドナ)》」

 

 To be continued



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第二十一話 クリムゾン・キングの生誕

 ■冶金都市

 

 その瞬間、エリコの壁が燃え上がった。

 干渉射程を媒介し延長するラビリンスは、エキドナの能力をも街中に広げた。いまや、その白色のオーラは街を駆け巡っていた。怨嗟の声にも似た共鳴が始まり、街が揺れた。

 そして、命が集まってくる。エキドナに消費され、吸収されるための命が。

 【降水王】がアイテールにより転落死を余儀無くされた一般市民たち、あるいは<マスター>たちの“死”というリソースが、地下のウーのもとへと収束していった。持ち主のない武具や、倉庫の金属資源も、供儀の盤へ乗せられた贄として吸い取られていく。

 その渦を捕まえ、制御し、捏ね上げるのは、エキドナの内部に蓄積されたデータだった。<劣級(レッサー)エンブリオ>十二体の能力、戦闘、運用。蒐集されていたそれらの詳細な知識が砕け散り、狂乱の渦に方向性を与えている。

「そう、そうだ!もはや枷はない……リソースのままに、高密度に!<超級(スペリオル)>として誕生しろ!」

 ウーがそんなことを叫んでいるのが聞こえたが、三人にはなにも出来なかった。眩い光に、ウーの姿すら見えない。モハヴェドが発砲したが、その弾丸は光の渦をすり抜けていった。 

 贄としての膨大なリソース、十二体の錬成、それらの十分な戦闘データ、そして三基の<劣級エンブリオ>の共鳴をもって、この儀式は完成へと至る。地上では、ユーリイの懐で卵のようなそれが震え、光っていた。

 大勢がわめくような、苦しむような声が聞こえた。その喧騒には、確かにグラマンのそれが混じっていた。

「【教授(プロフェッサー)】ァァ!」

 キュビットが喚いた。彼はヤマビコによって強化された音を叩きつけたが、効き目があったようには見えなかった。

 そして、光の渦が真っ赤に変色した。まさに血のような、おどろおどろしい色だった。

「屈しろ!従え!エキドナの糧として!リソースどもよ!」

 風が吹いた。それは荒々しく収束し、吹き荒れ、そして弾けた。鮮血の光は風と一体になって渦巻き、怨嗟と嘲笑を響かせていた。

 そして、風が止んだ。

 時を同じくして血のような光が消え、そして炭屑になったグラマンの骸が床の上で崩れ落ちた。

 誰も、動かなかった。

 三人は凍りついたように地下堂を見つめ、ウーもまた硬直していた。儀式の残響は地下にこだまし、微かになって消えていった。

 初めに動いたのは、やはり【教授】ウーだった。彼はゆっくりと、黒く煤けた地下堂の中央へ足を進めた。

 硬質で冷たい足音が、虚ろに床を打つ。ゆっくりと響くそれが、止まった。

 グラマンの骸から、ウーは卵のような結晶を拾い上げた。間違いなく<エンブリオ>に似ているそれは、一瞬だけ先の深紅に煌めいて、また白っぽい無色に戻った。

 それこそが、最大の<劣級>。そして、ウーが口を開いた。

 

「失敗だな」

 

 ◆

 

 ■十数分前

 

 ユーフィーミアは、ふらつくメアリー・パラダイスを支えて、その壁を上った。

 エリコの城塞は大きすぎるジオラマのようで、城壁もまた高かったが、滑る石組みを巧く掴めば、その上に這い上がることは難しくなかった。胸壁の隙間で、ふたりが空を見上げる。

 無重力の雨は相変わらず降り続いていた。ティアンたちが浮かび上がっていくのを見て、ユーフィーミアは焦った。時間がない。

「どうですか?」

「……身体が、軽くなってきてる」

 ほんの少し雨を浴びただけで、二人の身体は既に体重を半分ほども失っていた。だが、ユーフィーミアは首を振った。

「あの、違います。そうじゃなくて……」

「分かってる。さっきの話だよね?」

 メアリーは、決して傷つかない幻影の城に掌を押し当て、目をつぶった。

「えっと、本当なの?その、射程の延長って」

「スライムの人はそう言ってました」

 メアリーは頷き、また目を開けた。

 空に昇るティアンたちに混じって、【降水王】の影が見えた。視線を送ると気取られそうだ、と、メアリーは眼の端だけでこわごわ彼を見つめた。

 あの準<超級>が何をするつもりなのか、なんとなく予想はついていた。

  

『大量の人命を消費することで、<超級エンブリオ>を創造する……』

 

 ウーの言葉が、脳裏にこびりついている。【生贄】の話はメアリーも聞いたことがある。ティアンの殺害は得られるリソースが大きいことも。

 雨で空へと落とされたティアンたち、そして<マスター>たちを、今度は逆に街へと転落させ、その犠牲を元手に儀式を行うつもりなのだと、メアリーは考えていた。

 それを裏付けるように、【降水王】が動くのが見えた。メアリーは顔を歪めた。まだ、準備ができていない。

「アシュヴィン?」

 空を飛ぶ『両腕』は、調子よく指を広げた。その拳が城壁に触れる。金色のオーラが光り始めた。

「……だめ、分からない。延長って何?」

「意識して、ください」

 ユーフィーミアも顔をしかめながら、感覚を思い出そうとした。

「たぶんあの人形のとき、あの《ピースフル・ペイン》のときもそうだったんです。信じて、考えてください」

 その手が、メアリーの肩に触れた。

「能力の影響範囲が広いってことを。この城の特性が、射程の媒介だってことを。この街全域に力を広げられるって、信じて!」

「わかった……!」

 メアリーは真剣な顔で言った。

 そのとき、雨音に混じって微かな声が聞こえた。

 

「……解除」

 

 重みを奪う力が消えたのがわかる。見上げれば、ティアンたちが墜落を始めていた。高空からの転落が意味するのは、全身を砕かれての即死だ。

 

「信じる……」

 

 メアリーは呟いた。

 感覚を広げ、無意識を排除する。アシュヴィンの力を使うとき、メアリーには先入観があった。

 回復の及ぶ範囲にも、条件にも、すでに慣れきっている。けれど、今だけは。

「できる、できる、できる!」

 風を切る落下音が聞こえる。その全てに能力が及ぶと、確信する。

 メアリーは目を開けた。天から落ちてくる子供と、眼が合った。

 

「《癒しの息吹・極大(ヒリング・オーラ・マキシマム)》!」

 

 黄金の光が迸る。アシュヴィンから起こるそれを、メアリーは広げた。押し込み、拡大させていった。

 轟音が響いた。水っぽい音、崩れる音、ぶつかる音。ヒトの潰れる音だ。

「させ、ない!全員!助ける!」

 メアリーが叫び、城塞に光を注ぐ。

 天から降り注ぐ人々の首の骨が折れ、肺腑が潰れ、脳髄が割れる。その傷が出来るそばから、メアリーは回復の光を与えていった。

 傷口が開くより、傷痍系状態異常が発生するより前に、その回復が人々を癒していく。エリコを伝う黄金の光は、都市全域を瞬時に飲み込み、アシュヴィンの能力で満たしていた。

「まだ……まだ!」

 次々と転落する人々の致命傷は、表面化する間もなく閉じた。

 血が溢れ、肉が飛び散り、そして即座に黄金に包まれていく。

 メアリーの光が揺れ、力を吸いとっていく。アシュヴィンの装甲が悲鳴を上げ、骨が軋んでいた。それでもメアリーはやめなかった。黄金の爆発は各所で弾け、稲妻のようになって城塞の上を駆け巡った。

 やがて人々が、軽微な骨折すらもなく走馬灯から覚めて起き上がるのを見届けて、メアリーは膝をついた。

 MPは枯渇していた。一定領域内部の傷を全て癒す《極大》を、エリコの特質で拡大したとはいえ、なかばバグ技にも等しいその代償として、必要なエネルギーは全て持っていかれてしまった。

「や、やりましたね!」

「……」

 メアリーは首を振った。

「全員は、助けられなかった」

 九割九分九厘のそれから幾人か溢れ落ちたって、十分な戦果だ。ユーフィーミアはそう言おうとして、やめた。

 メアリーは緊張を解いて、震える手で城壁を掴み、眼下を見下ろした。さっきの子供が大泣きしながら走っていくのを見て、メアリーはほっと息をつき、

 

「やってくれたな……小娘!」

 

次の瞬間、空中に撥ね飛ばされていた。

 雨傘が揺れ、その身体を叩きのめす。アシュヴィンたちが慌てたようにそれを追い、そして長靴に踏みつけにされて吹っ飛んでいった。

「エリコの特性を逆用して……広域治癒の発動……いや、それより、なぜ逃げ出せているのか……違う、違う!そうじゃないぞ、貴様ァ!よくも!」

「……へぇ、あの丁寧口調はどこいったの?」

 人家の屋根から、瓦礫を蹴り飛ばしてメアリーが立ち上がる。それを見下ろしながら、【降水王】は憤怒を通り越した絶望の表情で言った。

「あぁ、オーナー……あまりに無能で凡愚な僕を赦してください!僕は貴方の期待に背いてしまった!この取るに足らないちっぽけな【教会騎士】のあばずれのせいで!」

「あたし、そんなに不真面目に見える?」

 メアリーは挑発した。ユーリイはといえば、天を仰いでいた。

「今からでも虐殺を……いや、エキドナの儀式はすでに終わっている時間だ……錬成は完了し、リソースはもう継ぎ足せない、あぁ、あぁ、あぁ、あぁ!」

 その蒼白な顔が、メアリーを睨み付けていた。

「あぁ、《天上崩降砲(アイテール)》!」

 重力波が炸裂する。凝縮された高重力は、メアリーを即座に押し潰して肉団子に変えようとした。

「飛べ!《フライ》!」

 そして、あかがね色に染まったメアリーの拳がユーリイの顔面を殴り付けた。

 上級職とはいえ紛れもない戦闘タイプの拳は……空中を駆けるその拳は、非戦闘型ベースでしかないユーリイの鼻をへし折り、身体を吹き飛ばした。城壁に叩きつけられたユーリイが、鼻血を撒き散らす。

「……その、光は、まさか!」

 ユーリイが叫び、慌てて空を蹴る。

 ピカピカ光るメアリーは同じ高さから、それを見ていた。彼女も空を飛んでいた。

 【降水王】の一方的制空権は、もう崩れていた。

 

 <劣級(レッサー)>の力で。

 

 メアリーの身体を覆うあかがね色は、あの白黒の女の骸から拾い上げ、ずっと懐に隠していた【フライリカ】だ。緩やかに空を駆けるメアリー・パラダイスの拳と蹴りが、【降水王】へと襲いかかった。

 虚空を踏み、風を蹴り飛ばして、二人が格闘する。いまいましげに、ユーリイが呟いた。

「【劣級飛行】とは!白色矮星!」

「はぁぁぁぁぁ!」

 メアリーが絶叫し、拳を振るう。そのカラテ・チョップを躱しながら、【降水王】はますます毒づいた。

「厄介きわまりないですね!」

「お褒めの言葉、どうも!」

「その気はァ……ないですよ!」

 徒手空拳が絡み合う。だが、それも長くは続かなかった。

「クソ野郎……くたばりやがれ」

「……ッ!?」

 ユーリイの背後で、爆煙が膨れ上がる。その無重力の身体は容易く爆風に煽られ、雨粒とともに路面に叩きつけられた。

「新鮮な体験をさせてもらったよ」

 鋭い目で、拾ったバズーカ砲を投げ捨てた【運搬王】が言った。

「首の骨を折ったのは初めてだ。死ぬところだった、あァ、全く冗談キツいぜ」

「貴様、よくも……!」

「それはこっちの台詞だ。雨は降り続く。お前は生きている。リスクは消えてない。この機にきっちりトドメを刺しておかなきゃあ、怖くっておちおち気絶もしてられねェんだよ、なぁ?」

 【運搬王】が激怒の形相で呟く。その握り拳が振り抜かれ、そして一秒足らずで【降水王】の頭上へと、雨粒を押し退けて、ひしゃげた家一軒が現出した。

「洒落た墓標だぜ。安らかに逝けよ」

「これは、まさか【人足】系統の……ッ!」

 ユーリイが慌てて後ずさる。だが、死角になった瓦礫の向こうから、空中のメアリーがその家を踏み潰した。

「はぁぁぁ!」

二度と会うものか(アーメン)

 石と砂、瀝青と漆喰の塊が、雨乞系統超級職のやわな身体を押し潰す。メアリーのスタンプに呼応して、セ・ガンが吐き捨てた。

 そのとき、雨音が消えた。

 

「《自由飛孔(バーニアン)》」

 

 横合いから、轟音が炸裂する。次の瞬間、メアリーと【運搬王】の身体を吹き飛ばした赤色の影が、潰れかけのユーリイを巻き込んではるか通りの向こうへ墜落した。

 

 ◇◆◇

 

 ■冶金都市地下

 

 ウーは静かに立ち尽くし、考えを巡らせていた。

「ふん。予想外だ。リソースが足りていない。地上でアクシデントでも起こったのか?これでは<超級>には到底及ばないな」

 だが、その顔は絶望のそれではなかった。むしろ野心にぎらつく醜い顔で、ウーはひとりごちた。

「だが、エキドナの動作には支障がない。第二次実験では必ずや、スペリオルクラスのリソースを得られるだろう。失敗作は決して無為ではないのだから」

「いいや、無為だよ」

 キュビットが煤けた顔で、そう叫んだ。その手には、小さな弩が握られていた。

「【教授】。認めたらどうだい?あんたの計画は失墜した。これから俺たちがあんたを捕縛する。次はない。実験はこれにて終了、だ」

「代わりに始まるのは……」

 モハヴェドは、怒り顔で言った。

「……貴様の贖罪だッ!」

 威嚇射撃が鳴り、モハヴェドが踏み出した。

「さっさと投降しろ!絶望して許しを乞え!惨めな犯罪者らしくな!」

「犯罪者?それは違うな、わたしは科学者だ」

 ウーは愉快そうに言った。

「詩的な言葉で恥ずかしいのだがね、科学者というのは革命家なのだよ。世界の常識と法則を革命するナポレオンなのさ。来るべき皇帝として、わたしはブリュメールから逃げ出すつもりはない」

「違うな、学者どの。ここは貴殿のトラファルガーだ!」

 老騎士は叫ぶ。その槍は、威嚇などではなかった。鎧は軋み、瞳には殺意があった。

 風を貫いて、ゴルテンバルトⅣ世の切っ先がウーに迫る。その一撃は、頭蓋を砕き、脳をかき回すはずだった。

 ウーの顔面に、正面から止められるまでは。

「ほう!ならば、お前たちの『勝利(ヴィクトリー)』は!いったいどこに居るのだろうな!」

「ぬぅ!?」

 ウーが哄笑する。頭の一振で、か弱いはずの【教授】は、その槍を弾き飛ばした。火花さえ散っている。

「……理屈に合わんな」

 Ⅳ世が唸った。

「《看破》に支障はない。貴殿の肉体の力は、貧弱そのものだ。なぜそんな芸当が出来る?」

「どけ!」

 モハヴェドが絶叫し、発砲する。マズルフラッシュ。そして、鉄の礫。

 だが、それらはすべてウーに受け止められていた。その柔らかいはずの掌に。

「……凡愚が!」

 ウーが叫び、片腕を突き出す。

 

 その掌、そして前腕が変形した。刺々しく硬質なかたちに分裂し、牙をむくムカデのように走り出す。風を切って伸びたその触腕は、騎士の横をすり抜け、モハヴェドの銃を吹っ飛ばした。

 

「な……!」

「なぁ、少しはその貧相な脳みそに活躍の機会を与えてやってはどうかね?考えもしなかったのか?」

 ウーが嘲る。

「<劣級>の創製は我が<上級エンブリオ>をして、多大なコストを支払わねば可能ではない。下級時代にはまったく不可能だった。そこで……」

 

「この私が、第四形態への進化を待つ間、ただ暇をしていたとでも思っているのか?」

 

「お前は、まさか……」

 ウーの身体が、変形していく。腕はムカデのように、蒼白な顔は甲羅のように浮き上がり、眼球は激しく動く。

「生物!全身を寄生虫に置換しているのか!」

『何も不思議はあるまい。大したギミックでもない。気づかぬ諸君らが愚かしいだけのこと』

 蟲のかたまりは、ウーの声で言った。

『つまりだな、<劣級>の試作品だよ。ま、能力は探知への軽い抵抗程度のものだが。とはいえ、命令への従順さとヒトとの寄生同調システムはこの時点で既にほぼ完成している。素体選びにも苦労があったが……』

「この、化生が!」

 格闘を挑みかかる老騎士は、しかし容易く撥ね飛ばされてしまった。うねるムカデ腕に包まれて、ウーは笑っていた。

『鈍い鈍い!やる気があるのか?ほら、お決まりの台詞を吐かないのか?なぜ非戦闘型相手に!と言うんじゃないのか?』

「貴殿の、身体、それほどに!」

『あぁ。この眼球型はAGI……動体視力だけに特化させた寄生虫でね。亜音速程度までなら見える。それだけだ。攻撃は他の蟲が担当してくれるとも』

 こんなふうに!ウーは両腕を広げた。節のある腕は、周囲十メートルを制圧するように薙ぎ払った。

『ほら、お前たちは私の敵じゃなかったのか?そう認めたからこうも教えているのだ、少しは骨を見せろ、【大騎士】!』

「ならば、見るがよい!」

 老騎士は素早く周囲に目を配り、無造作に踏み込んだ。その青白い両腕を、青銅の籠手が覆う。

「《亡びの地平線(シバルバ)》ァ!」

 その髑髏は病の瓦斯を吐き、その装甲は触れるものを侵す。ウーの“腕”も例外ではなく……果敢に迎え撃った右のムカデは、顎から第三節までを黒く溶かされ、悲鳴を上げて光の塵になった。

『ふん』

 ウーは凍りつくような顔で(それも甲虫の類いなのだろう)口を動かさずに叫んだ。

『一手、返したつもりか?では、叩き潰させてもらおう』

 その袖が膨らむ。一瞬の後、新たな“右腕”のムカデが生臭い汁とともに飛び出し、Ⅳ世を襲った。ただし今度は、遠距離だ。

 顎が開き、毒液を吐き出す。シバルバの完全無差別病毒と反応したそれらは、大の男を二、三十回は殺せるだろう毒の白煙になって揮発した。

 毒ムカデがキチキチと鳴いた。

『……“サモン”が死んだか。ふん、悲しいかね?“ハーミヤ”』

 キュビットは顔を歪めた。

「あんたのそれ……」

『なんだ?お前は果物を食べるときに肥料に同情するタイプの人間か?』

 ウーがせせら笑い、そしてその足も伸長する。遠距離を確保した【教授】は、毒液を撒き散らしながらぐるりと、そのムカデ腕を振り回した。石が切り裂かれ、粉になって吹き飛ぶ。足を止めたゴルテンバルトⅣ世を、ウーの掌だったものから吹き出した液体が襲った。

『死ね』

 そして、ウーが指を鳴らした。火花が散り、毒液に引火する。次の瞬間、Ⅳ世は火だるまになっていた。

「この、ウー!貴様、何故だ!何故そこまでして!」

『理由か?そんなものが聞きたいのか?』

 ウーは切って捨てた。文字通り、Ⅳ世の槍も。

『力だよ。大きな力。より正確に言うなら可能性か。大きなエネルギーの果てにあるものが見たい。それだけだ』

 モハヴェドがナイフを投げる。それを“指先”で摘まみとったウーは、鋭い金属をバリバリ咀嚼して見せた。

『なぁ、この場所をどう思う?』

「なんの、話だ!」

『聞いたのはお前たちだろう。この場所だよ。いや、世界か。<Infinite Dendrogram>という、ここの事だ』

「それは、世界派か遊戯派かって話か?」

 指揮官系統の力を使いながら、キュビットが呆れたように呟く。ウーも吐き捨てた。

『遊戯……?下らんな。簡単に分かる。この“ゲーム”を成立させることは人類の現行技術では不可能だと。そのような、下らないものか、これが?』

「……じゃあなんだい?本当に魔法だって言うつもり?」

『さぁ、な。未知だ。完全に。オーパーツか?宇宙人か?オカルト魔術か?幻覚か?妄想か?……だからこそ、素晴らしい』

 そのときウーの声は、確かに恍惚としていた。

『アインシュタイン、ニュートン、ラザフォード、ガリレオ、プトレマイオス、エトセトラエトセトラ!彼らにとって、世界とはなんと未知で、余白に満ち溢れていたことか!それと同じだ!このわたしは今、大きな余白の前に立っている!それを埋める栄光はこの手の中にある!しゃぶりつくされた出し殻のごとき地球世界などもはやどうでもいい、私は可能性を手に入れたのだ!』

 ウーはギリギリと、ムカデ腕を引き絞りながら言った。

『そして<エンブリオ>こそがその根幹だ。分かるだろう?』

「……<エンブリオ>が?」

『あぁ。自明だろうに』

 ウーは石壁を破壊した。瓦礫と粉塵に、地下空間は汚れた。

『あの運営者どもが手ずから授けるのは<エンブリオ>だけだ。ジョブも、特典武具も、他のものは我々の自由、拒否することもできる。だが<エンブリオ>を持たない“プレイヤー”はいない。この世界は<エンブリオ>のためにあるのだよ』

 ウーの声は次第に小さくなっていた。

『私が欲しいのはそれだ。その秘密だ。<超級エンブリオ>を創造し、神のごときものとして……運営者どもからその地位を簒奪してくれる!この世の神秘を味わってやる!<エンブリオ>を再現するのも、力を集めるのも、すべてはそのためだ。真理のための必要経費なら私は惜しまない』

「狂っておる、貴殿は」

『狂っている?何故?この私の理路に間違いでもあるか?』

 ウーは言った。その胸が()()、中から蟷螂のような鎌が現れる。

 Ⅳ世が唸り、瓦礫を持ち上げた。シバルバに汚染された石を、ウーは手足を伸ばして素早く移動することで躱した。

『さぁ、明かしたぞ?どうだ?』

「何が!」

『最後通牒だ。我に与せよ。理想も計画も、申し分あるまい!運命が“敵”と定めたお前たちだから言うのだ、さぁ!』

「お断り、だ!」 

「あぁ、それに、大概のやつもそうだろう」

「狂人に付き合う義理はないのでな」

 三人の言葉に、ウーはいささか落胆したように蟲の蠢きを減じさせた。

『……理想に感銘を受けることもまた、貴き資質か。では、仕方がない。去るとしよう』

「させるかァ!」

 キュビットが叫び、その声が爆弾となってウーを襲う。ウーが耳の蓋を閉じるのが見えた。

「その<劣級>とてしくじったのだ!貴殿の逃走も、阻止してみせるとも!」

『あぁ、確かに。なぜ失敗したのだろうな?』

 ウーは呟いた。心底不思議そうに。

『想定量は申し分なかった。地上での収集過程にミスがあったか。ユーリイの実力ならばそうそうあり得ぬことだが。厄介な能力特性の<エンブリオ>でもいたのか……なんにせよ、結果はこれだ』

 その片腕が縮み、ヒトの形へと戻る。掌の中の卵を見ながら、ウーは言った。

 

『精々が……()()()()()()()()()()()()()()()()とは、な』

 

 そして、その卵から緋色の肉が盛り上がり、溢れだした。

 

 ◇◆◇

 

 グリゴリオが地下の扉を蹴破ったとき、その足はまだ再生の途中だった。アシュヴィンの治癒を得たとはいえ、骨と皮膚はまだ柔く、蹴りの衝撃がじんと響いた。

 だが、そんなことを気にしている場合ではもうなかった。

「なんだ、あれは!」

「……あぁ、グリゴリオか」

 蒼白な顔で、キュビットは言った。

「奴の……<劣級(レッサー)エンブリオ>だよ」

 

 それは、大きな肉の塊だった。血走った表面は軽く脈打ち、ひどく湿っている。てらてらと油っぽい皮のなかで、何かが蠢くのが見えた。

 なにより、それから感じる“圧”は、相当の怪物だと身体じゅうで感じられるものだ。

「なんにせよォ……」

 グリゴリオが走り出す。石床をリズミカルに蹴り、その手の鉈が炸裂した。

「……速戦即決!」

 その表面が白く染まる。グリゴリオは目を細めた。

「柔いな」

 見た目どおり、それは肉の塊に過ぎなかった。獣が持つ硬い毛皮も、鎧のごとき殻も、爪や牙さえ持ち合わせない肉だ。だが、嫌な予感がする。

「Ⅳ世!」

「応とも!」

 老人が唸り、その両手を緋色に突き立てる。青黒い汚染が、その身体を容易く蝕んでいった。

 そして、それが停止した。

 病変部を切り離したのだ。その肉はどろどろと床を転がると、膨らみ、巨大な舌のようになって四人へとのし掛かった。

 しかし、その攻撃は容易く躱された。肉塊はしばし考えるように静止し、そして再度持ち上がった。

「な……ッ!」

 グリゴリオは確かに見た。それの表面が、堅く硬質な殻へと変わっていくのを。

 支えを得た<劣級>が、地下空間を薙ぎ払った。赤い殻と石が擦れ、耳障りな音を立てる。

「……ッ!やれ、ヤマビコォ!」

 キュビットが口に手を当て叫ぶ。その音波砲弾は、狙いたがわず肉塊へとぶつかったが、硬さを増した殻に跳ね返された。

「これは……」

「進化。いや、個体の変異にはもっと、違う言葉を使うべきか?」

 グリゴリオはそう言って、唾を飲み込んだ。

 

 ◆

 

 ■『それ』について

 

 その肉塊は、原始的な意識で考えていた。

 辺りをうろつく小さいものたちは、ちっぽけだが侮れない力を持っている。既にそれ自身を侵さんと、少なくない損傷を負わせていた。

 必要なのは、防御だ。柔らかい組織を露出していては、容易く()()()()()しまう。

 けれど、それは直ぐに間違いを悟った。

 殻を作るだけではだめだ。これでは存分に動けない。鈍重では敵の“力”を避けられない。

 分割し、層を形成する。これなら動きを阻害せずに守りを得られる。そのヒントは既に与えられていた。

 肉は膂力に繋がる。けれど、もっと効率的な分割と配置をするべきだ。

 重力に従って這いずるのでは不自由だ。接地面を減らし、動きを良くしたいと欲する。外の殻は支えになってくれるが、肉の芯にも硬いものを作るべきだろう。

 探せば、情報は無数にあった。その断片を繋ぎ合わせ、自分を形成していく。必要な力を獲得し、時には捨て去る。

 損傷は避けられないこともある、とそれは早々に学んでいた。それを素早く的確に知っておくことは大事だ。

 傷を知るための“信号”と、それを伝える経路を作り出す。ふと、それが他の信号も伝えられることに思い至った。

 辺りに溢れる無数の刺激は、外界を把握する助けになるかもしれない。それは自分の内部を探った。さいわい、必要な情報はすぐに見つけられた。

 

 肉塊は変形し、成長をしていた。緋色の外骨格だけではなく、内部にも堅牢な骨組織を作る。単なる肉ではなく、筋肉が生まれ、それを動かすための血液経路と神経系が整備され始めていた。

 骨が変形し、軋み、最適化されていく。先端部にはいつしか、外骨格が変異した、攻撃に役立つ“爪”が生まれ、ずるずると這いずっていた身体はいまや床を踏んで動き出そうとしていた。

『そうだ!』

 どこかでウーが騒いでいるのが聞こえたが、グリゴリオたちにはもうそれを気にするような余裕はなかった。モハヴェドがひきつった顔で“それ”を睨む。

『そうだ!エサは存分にある!』 

 緋色の肉がふと、一辺を持ち上げた。それはどこか、“顔”とすら呼べるように思えた。

『取捨選択しろ!情報を!そして目覚めるがいい、我が<エンブリオ>よ!』

 肉塊に切れ込みが入る。次の瞬間、透き通るような色の巨大な碧眼が、モハヴェドの顔を見つめていた。

 

 それが、瞬きをした。

 

 To be continued

 



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第二十二話 白痴

 □西暦2043年 上海

 

 その男は、ノックの音にも振り向かなかった。

 スライドドアが滑らかに開き、そして軽く静かな足音が踏み込んでくる。いくつかの紙ファイルや情報デバイスが置かれた分厚い机を回り込んで、その足音は彼の背後に近づいた。

「ここにいたんですね、(ウー)教授」

「ユーリイか」

 呉はそう言うと、テーブルの上で走らせていたペンを止めた。

「私がここ以外にいると思ったのか?」

「いえ。僕の知る限り、あなたはこの部屋に閉じ籠ってばかりですよ」

 ユーリイはそう言うと、買ってきた珈琲を机の上に置いた。

「根を詰めすぎです」

「ありがとう」

 呉教授は珈琲を手に取り、しばしその香りを楽しんだ。

「……研究テーマの選定に行き詰まっていてね」

 呉は言った。

「学生のような台詞だが。やはり新機軸の視点がないことには埒が明かない。どうも構想段階からやり直す必要があるな」

「一度息抜きでもしてみてはどうです?煮詰まったときはなにもかも駄目に見えるものですよ」

「至言だが、余暇はないんだ」

 呉は静かに、しかし確かに焦っていた。

「……成果を出さなければ。ここのところはいつもそんなことを考えている。本当なら、真理を探求することにはそんなもの、不純物でしかないはずなのに。……私は弱いな」

「そんなこと」

「いや、弱いよ。能力がありさえすれば出ない悩みだ。結局、私は凡人だったのさ」

 ため息をつく呉に、ユーリイは一瞬悲しそうな顔をしたが、やがて気を取り直し、その背後から大きな箱を取り出した。

「では、時間の要らない息抜きをしましょう。数時間くらいは余裕もあるでしょう?」

「なんだ?」

 ユーリイが笑顔で取り出して見せたのは、つるりとしたヘッドギアだった。呉は顔をしかめた。

「ゲーム?」

「お嫌いですか」

「バカを作る機械だ」

 心底侮蔑したように呉は言った。

「ヒトの創造性を搾り取って、思考を鈍らせる。受動的な無気力人間にはお誂え向きだろうが、あいにく私はごめんだ」

「まぁ、そう言わずに。これが只のゲームでないことは保証しますから」

「噂は聞いているさ。荒唐無稽なものを」

 呉はそのヘッドギアを持ち上げ、トントンと叩いてみた。

「君がこんなものに興味を持つとはね」

「逆に考えてみてくださいよ。僕が勧めるんです。それとも、信用なりませんか」

「いや」

 呉はその機械を持ち上げ、不承不承眺め回していた。そして、それを被った。

「名前は、どうだったか。確か……」

「<Infinite Dendrogram>」

 ユーリイは笑顔で、自分も座椅子に腰かけた。

「無限の系統樹、ですよ」

 

 ◇◆◇

 

 ■現在 冶金都市地下

 

 ウーは目の前の肉を見た。

 獣のようなそれは、爪を軋ませ、ぎろぎろと辺りを睥睨した。心臓の鼓動が微かに聞こえてくる。

「悪くはない。試料は多いほど良い」

 ウーは呟き、そして敵を見た。

「さて、諸君。名残惜しいが、私はそろそろ……立ち去らせてもらう。こうなった以上、しばしカルディナから逃亡せねばならんのでね、諸君らの無様を楽しんでいる余裕はないわけだ」

「させると思うか!」

 モハヴェドが走り出し、ウーが即座に腕を振るう。鞭のようなムカデに吹っ飛ばされたそれを見もせずに、ウーは踵を返した。

「そこで我が実験体と遊んでいたまえ。データも欲しい」

 ウーの手の中には、あの卵のような核、<劣級>のコアが握られていた。

「ご協力感謝するよ、正義の戦士たち?」

「貴様ァ!」

 そして、緋色の獣が吠えた。

「おお、空腹か?安心しろ、エサなら幾らでもある。核は私が持っている。腕試しが終わったら戻ってこい」

 ウーは言い聞かせるように言い、そして後ろの扉へと消えた。重苦しい扉が完全に閉じる。

 次の瞬間、獣の体当たりが扉を押し潰した。

「逃がすか!」

 キュビットたちがいきり立つ。だが、緋色の<劣級>の威圧感は、その足を止めるに十二分だった。

「……素通りは無理か」

 獣はまた吠え、その肉はみちみちと変形し続けていた。首が伸び、頭蓋が膨れる。肩口が開き、腰が細くなる。キュビットが顔をしかめた。

「まるでヒトじゃないか」

 緋色の巨人は、四肢をついて立ち上がろうとした。

 バランスを崩し、巨体が壁を打つ。舞い上がる土ぼこりを払って、キュビットが吐き捨てた。

「これで失敗作かい?」

「まったくであるな」

 老騎士がシバルバを構える。

「どうやら、赤子だ。よちよち歩きの赤ん坊。だが、自分の体の使い方を学んでいる」

 目の前では、巨人がうずくまり、自分の掌を興味深そうに眺めていた。途端に指が増え、五指になる。

「まだ成長途中らしい」

「知恵がつくと厄介だ。早めに仕留めるぞ」 

 グリゴリオが冷や汗をかき、

「Ⅳ世。頼む」

「承った」 

老騎士が吶喊した。 

「シャァァア!」

 病毒の煙を吐く篭手が、深紅の殻へと突き刺さる。あらゆる接触が病をもたらす<エンブリオ>だ。攻撃力だけを見るなら、文句のつけようもない。

 だが、老騎士は顔を歪めた。

「効きが悪いな……」 

 シバルバは触れるもの全てを侵す病、例外はない。その筈だ。

「病毒耐性か?」

「違うぞ、じいさん」 

 モハヴェドが呟く。

「空気だ」

 緋色の殻の前に、空気の層が生まれていた。眼を凝らせば、毛穴のような気孔から圧縮空気が吹き出しているのが分かる。

「シバルバの瘴気が弾かれるとは……わしの能力を『覚え』られたか!」

 篭手は触れている。青黒い病変部は、確かに広がっていた。

 だが、遅い。スピードが足りない。

 巨人が唸り、両腕を振り回す。一度は辛うじて避けたⅣ世も、二度目の攻撃は躱せなかった。

「ぐ……」

 頭上から振り下ろされた拳を、老人が受け止める。青黒い病が止まり、瘡蓋のようになって剥離していた。

「このままでは、わしが先に落ちるぞ……!」

「任せろや!」

 グリゴリオが走り、その腹を殴り付けた。

「《地塩土(ジエンド)》……」

 殻が白く変じる。

「……《塩害(メラハ)》!」

 そして、塩に変化した殻がぱっくり割れた。ソドムの操作で変形しているのだ。

「抉じ開ける……内部に叩き込め!」

「あいわかった!」

 Ⅳ世が鼻息荒く、巨大な拳を跳ねあげる。鈍い巨人の腕の下をくぐって、傷口へと走った。

「……っと、あぶねェ」

 グリゴリオがシバルバの瓦斯を避ける。青黒い瘴気は、重苦しく地を這うように広がっていた。

「こっちも問題だな……手早く済ませないと、この地下空間がまるごとヤバい」

 壁が病んでいた。厚い石は多少崩れた所で問題ないが、このまま続ければ生き埋めになる。

「それでもいいか?どうせあいつもオダブツ……」

 モハヴェドをちらっと見て、グリゴリオは首を振った。ティアンは殺したくない。

 巨人は腕を乱打したが、Ⅳ世は捉えられなかった。

「貴様の動き、既に見た。学習能力がそちらの専売特許と思うてもらっては困るな!」

 Ⅳ世が走る。具足が剥がれ落ち、老人は加速した。

「ヤれェ!」

 グリゴリオが両手を広げ、ソドムに命じる。塩結晶操作能力が、傷口を閉じようとする巨人の意思と拮抗する。

「Ⅳ世!」

「シバルバァァ!」

 Ⅳ世が貫手を作る。無差別殺人ガスの塊が、緋色の肉へと突き刺さった。

 

 ……かに、思えた。

 

「くぉお!」

 次の瞬間には、老騎士が吹き飛ばされていた。ガスもだ。猛毒のそれらは壁に叩きつけられ、反動でグリゴリオたちを襲った。無差別だ。

「クソ!最高だな!」

 右腕をガスに侵されたグリゴリオが、躊躇いなく厚手のナイフで肉を切り裂く。

「全員離れろ!」

 落ちた腕の肉がよじれて萎びていくのを見ながら、グリゴリオは叫んだ。

「Ⅳ世!何があった!」

「爆発、だ」

 Ⅳ世はうめいた。

「だが、知っている……知っているぞ、これは!」

 緋色の巨人は、上体を起こしていた。その口、牙の生えた顎の中には、炎の明かりが点っていた。

 再び、巨人が炎を吐く。着弾した火は、炎熱に不釣り合いな爆圧でまたも四人を吹き飛ばした。

「ノックバックか!」

 モハヴェドが最後尾で叫んだ。これで、近距離はやりづらくなったというわけだ。だが、遠間の戦闘なら……

「俺がやるよ!」

 キュビットが喚く。口に手を当て、息を吸い込む。

「《喧騒曲・最終楽章(ヤマビコ)》!」

 その宣言は、そのまま衝撃波となって巨人を襲った。威力はさほどでもないにせよ、怯ませるには十分だろう。

 だから、巨人もそう思ったのだ。

 緋色の双掌を持ち上げる。広がった五指は、ヤマビコの音波増幅能力を掴み取り、握りしめ、あまつさえ投げ返して見せすらした。

「ッ!」

 キュビットが眼を見開く。一般【司令官(コマンダー)】の彼に、大した耐久性はない。

「ァ……!」

 鼓膜が裂けた。顔面からも血を垂らしながら、キュビットが膝をつく。跳ね返った自分の声に、耐えられなかったのだ。

「チクショー、世話の焼ける!」

 グリゴリオが毒づき、地面を踏み鳴らす。屹立した塩の壁に気を取られ、巨人はそれを殴り壊し始めた。

「知恵が足りないのが救いだぜ……アホ頭め。それともそのうちそれも、進化するのか?つくづく気が利いてるな」

「これ、は……」

「喋るな!」

 モハヴェドが薬瓶を握り潰し、キュビットの頭へ振りかける。遠くで、壁にめり込んだⅣ世が言った。

「知っているぞ……あの爆発(ブラスト)、そして今の、反撃(コンダクト)……!」

 老人が立ち上がる。髭が煤けていた。

「甘く見ていた、な。只の怪物ではない」

「あぁ、そうらしいな」

 グリゴリオは深く息を吸い込んだ。

「こいつ、今までの<劣級(レッサー)>どもの能力を……その因子を、引き継いでやがる!」

 

 ◆◆◆

 

 ■冶金都市・地上

 

 瓦礫が崩れた。

 通りを半ば吹き飛ばした隕石は、マントを翻して棒立ちしていた。一つ目の仮面が、辺りを索敵する。

 そこにいたのは、“自殺(スーサイダー)”のブラーだった。

「……雑魚、雑魚、雑魚ばかりか」

 ブラーは愉しそうにそう言うと、ふと、【運搬王】に眼を留めた。

「けど例外が……ひとり」

 その上ずった声に、セ・ガンが思わず後ずさる。メアリーが顔をひきつらせた。 

 ブラーは叫んだ。

「超級職の……ティアン!あァ、僕はなんてついてるんだろう!ラッキーこの上ないじゃないか!」

 眼紋が深紅に輝いた。

「しかもEND型。おあつらえむきだな。ここに来て運営のアホどもめ、公平性にテコ入れでもしたのか?」

 けれど、と、ブラーはうつむいた。

「迷うなァ……実に迷う。お前から取りかかるのも悪くないけど……優先順位を決めるのは難しいなぁ」

 瓦礫がまた、崩れた。そして吹き飛んだ。

「……やっぱり、お前からか」

「ブラー!」

 血みどろのユーリイが、瓦礫を蹴散らして立ち上がる。割れた薬瓶を投げ捨て、ユーリイはブラーを睨んだ。

 ひどい有り様だった。大して本気でもない横入りだったとはいえ、まるで自動車事故にあったようにその衣服はぼろぼろ、身体は傷だらけだ。裂けた胸元には、本来なら致死量の出血の色が見えた。

「いっぱい血が出てるぞ」

 ブラーは不気味な笑顔で首を回した。

「ま、仕方がないね、【降水王】?お前から片付けよう。すぐに終わらせてあのティアンを捕まえる。面倒臭いから早めに死んでくれ」

「勝手な口を利いてくれますね……!」

 ユーリイは憤懣やる形無しというふうで呟いた。

「今度は、()()()裏切ったというわけですか。良いんですか?<劣級>は手に入りませんよ」

「いいさ。こっちで勝手に貰うから。知ってるよ、お前らのソレ、所持品扱いじゃないから死んだら連れてけないだろ?それにさぁ……」

 ブラーは地面を指差した。ユーリイに見せつけるように、親指で。

「計画の品、完成したんだろ?ご苦労様。疲れたろ?あとは僕が引き受けよう、安心して失せろ」

「それを許すとでも?」

 ユーリイが一歩、空を踏む。ブラーも静かに浮き上がった。

「分かりませんね、僕らと敵対するメリットが。もう少し頭のいい人間だと思っていましたよ。<劣級>の製造は僕らの独占、その源泉と決裂していいのですか?」

「分かってないのはそっちだよ。僕はあの頭でっかちも、ファナティックなお前のことも、一度だって信用したことなんかない」

 ブラーが機械の装甲腕を構える。

「トビアの望みだからお前らとつるんでやってたんだ。僕はね、<劣級>なんて欲しくはないんだよ。あいつの首輪つきになるなんて、そんなリスクは願い下げだね」

 マントが揺れた。ブラーはひらひらと手を振って見せた。

「他人に頼って手に入れた力になんの意味がある?お前らの胸先三寸でへいこらして得られるものなんて、奴隷の権利でしかない」

「そういう物言いだから、あなたはあの人に及ばないんですよ。その<エンブリオ>とて、他人から与えられたものに過ぎないのに。鎖に気づけすらしない奴隷ほど、滑稽なものはない」

「幻覚の鎖が見えてるやつの方が滑稽だよ。そのハッピーな頭で、頑張って煽りを考えてるのか?」

「自分が人より賢いつもりですか?第六止まりの凡人が」

「それしか言えないんだろう?本気でやったら、負けちゃうものなぁ!」

「ブラァァ!」

「シュトラウス!」

 二人の上昇が、止まった。

 

「「死ねァ!」」

 

 そして、空が爆発した。

 

 瞬時に加速したブラーを、ユーリイは空を蹴ることで躱した。アシュトレトの突撃であっても、動かすのは人間だ。攻撃にはタメがある。狙いを読めば、避けられる。

「自分の能力に耐えられない間抜けの癖に!僕より強いだなどと、よくぞ言ったものですね」

 ユーリイは振り向きながら言った。

「知っていますよ、ブラーさん。僕らも<DIN>は使えるんですから。あなた、あの盾をもう持ってないんでしょう?」

 嘲るように、ユーリイはまた空を蹴った。一秒遅れて、ブラーの突撃が通りすぎ、地表に激突した。

「空力特性、対ショック、なにより耐久性。【弾頭盾(ストライカー)】はあなたの本気を出すのに必須のパーツだ。けれど、アルター王国での一件で、あなたはそれを二つとも喪失した」

 土煙が舞い上がる。その奥で、深紅の光が燃えていた。

「余人には大したニーズもないガラクタですからね。決して高性能ではないのに、いや、むしろそうだからこそ、このカルディナでも購入は難しい。市場を探し回ったのに、見つからなかったでしょう?」

 ユーリイはブラーを見下ろした。上下を示すために。

「弱体化したあなたなんて……」

 だが、ユーリイは言葉を切った。

「……弱体化した僕が、どうしたって?」

 ブラーが叫ぶ。土煙が晴れる。

 瓦礫を踏みしめて、彼は立っていた。

 尖った先端が煌めく。滑らかな装甲が曇天を映して光る。

「チッ……」

「おろしたてだ!」

 そこには、【弾頭盾(ストライカー)】を装備したブラーが、空に狙いをつけていた。

「《自由飛孔(バーニアン)》!」

 一段と速さを増した突撃が天を目指して飛ぶ。一秒遅れで、ユーリイが空を振り向いた。

「カルディナに流通はなかったはず……どうやって」

「さぁ、なんでだろうね?後でゆっくり考えれば?」

 ブラーが笑い、今度こそユーリイを照準した。そのマントが膨らみ、バーニアたちが炎を孕む。

「さよならだ、【雨乞(レインメーカー)】!」

 そして運動エネルギーの塊が風を吹き飛ばし、ユーリイの身体をも巻き込んで地上の町並みごと爆発した。

 凄まじい爆風に、周囲の人々が逃げていく。セ・ガンも、メアリーも、ユーフィーミアも、煤けた顔でそれを睨んでいた。

「ハハハ!最高だ!実にイイ気分だ!」

 爆心地で、ブラーは天を仰いで吠えた。

「証明!僕の力の、強さの、価値の!虫けらどもが、思い上がらぬための!ハハハ!最高の爽快感じゃないか!」

 その笑顔が、ゆっくりと振り向いた。

「さて。次は【(キング)】だ。結構早く済みそうだな」

 ブラーが歩き出す。だが、その足はすぐに止まった。

「……思い上がりは、あなたのほうだ」

「……ッ!」

 ユーリイが、ブラーの盾をつかむ。弾頭型のそれに手を這わせ、ユーリイは身を起こした。

 ブラーは唇を歪め、不快そうに息を吐いた。

「外した……?バカな、盾が刺さらなくたって、衝撃波だけでもアタマが吹っ飛ぶはずだ!」

「ええ、そうですね」

 ブラーが飛び退く。舞い上がった埃を厭うように、ユーリイは顔をしかめた。砕けた鱗を投げ捨て、蹴り飛ばす。

「最後の【竜鱗】だったのに」

「雨乞が?小突いただけで殺せるはずなのにな!」

 ブラーが気味悪げに叫ぶ。その右腕が機械の鎧を纒い、そしてそれが口を開けた。

「《フェザー・ミサイル》!」

 炎の弾頭が飛翔する。【降水王】には過剰なまでの攻撃が、ユーリイめがけて突き刺さった。

「《ラッシュ》」

 そして、ユーリイが消えた。

 爆煙に、視界が塗り潰される。次の瞬間、ブラーの背後でユーリイが雨傘を振り上げていた。

「なッ!」

「《グレネード・ランチャー》」

 エシの爆風が、ブラーを吹き飛ばす。ブラーは盾を構えたまま転がり、土埃を吐き出しながらユーリイに向き直った。

 深紅の炎の中で、冷たい表情のユーリイがブラーを見ていた。

「何をした?」

「できないと言った覚えはありませんよ?」

 炎に炙られて、ユーリイのはだけた胸元が揺れる。乾いて黒ずんだ血が剥がれていく。

「お前……」

 ブラーは顔をしかめた。

「……正気じゃないよ」

「これこそが、<劣級(レッサー)>の真髄!」

 

 その胸元には、七つの紋章が刻まれていた。

 

 紋章は絡み合い、一つの大きな紋様を成していた。完全に治癒していないひきつれた傷口から、血が滲んでいる。

「重傷の傷口に、押し込んだのか」

 複数基搭載形態(フル・レッサー)。単なる寄生生物に過ぎないのだから、当然一人にひとつとは限らない。予想の範疇だ。

 ブラーは一瞬ためらい、そして突進した。

「けどさぁ、だから、どうなんだよ!」

 マントが膨らむ。瞬間、音の壁を突き破った緋色の弾丸が、ユーリイに飛びかかった。

「……ッ!」

 刺々しい鎧に身を包んだユーリイが足を曲げ、傘を広げた。破れ煤けた雨傘が、“衝撃と衝突した。

「《ハーデンアームド》!」

 【劣級硬化】・【劣級武装】の能力と、アシュトレトがせめぎ合う。下級相当に過ぎないハーデニカたちが一瞬で押し負け、ユーリイが吹き飛んだ。クレーターの最奥で、振り向いたブラーが呟いた。

「少なくとも、一撃じゃ殺せないってわけかよ!」

「《ラッシュウォーク》」

 ユーリイは立ち止まらなかった。END型のブラーが振り向くより早く、その足が宙を蹴っていた。加速された空中歩行が天へと昇る。後には足跡さえ、残らない。

加速時間終了(ラッシュタイムアウト)加速時間終了(ラッシュタイムアウト)!』

「《グロウコンダクション》」

 鞭のようなものが走り、そして膨らんだ。ブラーを覆うように五本の有刺鉄線が突き立ち、巨大な植物へと変わった。それらが一瞬でブラーを押し潰し、棘皮と質量で攻撃する。

「バカが!」 

 ブラーは吐き捨てた。その身が赤熱し、直上へと打ち上がる。ロケットのような推力で、ひ弱な植物たちは即座にばらばらに引き裂かれ、ブラーが叫んだ。

『こんなもの、効くか!』

「でも、視界は途絶えたでしょう!」

 その軌道の背後で、ユーリイが傘を構えていた。

「エシ!撃て!」

 徹甲弾がブラーを刺す。装甲を貫くための弾丸はその名に恥じず、ブラーのEND(アーマー)を突き破った。右肩が弾かれ、鮮血が溢れる。

「貴様……ッ!」

「《グロウラッシュ》!」

 次の銃声は聴こえなかった。それより速く、着弾した“種”が発芽したからだ。

「【劣級成長】の弾は種子。生命なら、その弾速も【劣級加速】の範疇です」

「また目眩ましかよ!」

 空中で出現した大樹に締め付けられながら、ブラーはうめいた。ユーリイは狙撃銃を構えたまま、左手を広げた。その傷だらけの腕で、紋章が輝いた。

「《ハーデンコンダクション》!」

 鞭が走る。それは黒々と硬化し、軋み、イバラのような枝をすり抜けて、ブラーを取り囲んだ。頑丈な“線”に伝導されるのは、ユーリイ自身の力だ。

さらに(プラス)天上崩降砲(アイテール)》!」

 純粋に重量だけを叩きつける運動エネルギー砲が、鞭の形になってブラーを包囲している。【盾巨人】の目がそれを捉えるより早く、全周囲から“重さ”が炸裂した。

「つァ……ッ!」

 グローリカの草木も粉々にして、ブラーが爆発に飲み込まれる。一点めがけて集中したエネルギーは、溢れて熱や光に変わり、荒れ狂った。

 ここにきて【降水王】が効いていた。<劣級>複数個の消費は決して小さくないが、雨乞系統は曲がりなりにも魔法職だ。そして、その上で行われる能力の乗算は、

「予想以上です。<劣級(レッサー)エンブリオ>の複合……下級相当の試作品でもこうも違う。まさしく可能性だ、これを突き詰めた先にどれ程の“パワー”が現れるか……!」

「……随分と、愉しそうだな!」

 墜落しかけたブラーが吠えた。

「<劣級>をたんまり積み込んでご満悦かよ!それで僕より強いつもりか?結局、あいつにおんぶにだっこじゃないか!」

「そうですね。なにか?」

 ユーリイは首をかしげた。油断なくブラーの動きの兆しに目を配り、加速歩行の気構えをしながら。

「そう、()()()()アシュトレトは強力ですね。反動すら無視してスピードに特化した飛行能力、間違いなく強い。けれど、それはあなたの本質だ」

 ユーリイの言葉は、決して称賛ではなかった。

「己が破滅すらかえりみず、他人を追い越す。空から見下ろす。超越するための能力。トップを走っていなければ気が済まないその焦燥は、恐怖の裏返しだ。そんなに他人が恐ろしいんですか!」

「分かったような口を利くな!謙虚すぎて何もできないお前とは違う!僕の力は、超越するための力じゃない。超越の証明だ。誰も僕に追い付けない、そうだろうが!そう、超級(スペリオル)だってすぐに手に入る!あのガキを利用して、運営どもの目を引いてやる!」

「利用して、ねぇ。利用ですか」

「なんだよ?」

「いえ。そんなことが出来るのか、疑問なだけです」

 ユーリイは濡れた髪をかきあげ、薄く笑った。

「ティアンは人間じゃない、と、あなたは常々言っていましたね。けれど、人と同じ形で、人と同じ言葉で、人と同じ様に泣き笑う、それを人間扱いせずにいられるほど、あなたは非情じゃないですよ」

「何を言ってる?」

「分かっているでしょう?自分でも。心の底ではティアンに感情移入しているくせに。あなたがティアンを見下すのは、見下せるのは、自分と同じスケールの中に組み込んでいるからだ。あなたにはあの子供は使い捨てられない。そろそろ情が移ってるんじゃないですか?」

「考えすぎの妄想を無秩序に垂れ流す、その悪癖を直すことをおすすめするよ、シュトラウス。僕は<超級(スペリオル)>を手に入れるためならなんだって犠牲にする。そう言ったはずだ」

「自分で言っているじゃないですか。犠牲。わざわざそんな言葉を使うことが、なによりあの子供への情の現れです」

 ユーリイは切り捨てた。

「善人にもなれず、かといって非情にも徹しきれない。まだ気づかないんですか、あなたが、僕と同じ……」

 

 どっちつかずの凡人だということに。

 

「黙れ……!」

 ブラーが空へと舞い上がる。そのバーニアたちが、熱と炎を吐き出した。

『他人を理解できるつもりか!お前みたいなやつが!ウーを盲信するだけの人間が!』

「理解できないほど複雑な自我を持ち合わせているつもりですか?単純な凡人だからこそ、そんな能力(エンブリオ)になる!」

 ユーリイが傘を構え、石化ガスを放出する。

「あの人は特別だ!目的のために、合理的に行動できる人物だ!盲信して何が悪い!稚拙な自我に拘ることこそ愚か者のやることでしょう!」

『持論を押し付けてくるな!お前の考えがどうだろうが知ったことか!下らないか?僕の願いは、望みは、不満は!怒りは、僕だけのものだ!安いカテゴライズなんてさせるか!僕の怒りには、誰も踏み込ませはしない!』

 ブラーはさらに加速した。AGIを伴わない乱雑な攻撃が、竜巻のように渦を描いてユーリイを巻き込もうとする。ガスが飛び散り、空を汚した。

『《貞淑なる撹拌(アシュトレト)》!』

 雨粒を吹き飛ばしながら、盲目の流星が荒れ狂った。音の壁を突き破った爆音が遅れて響き渡り、嵐のように衝撃波を撒き散らす。

 その外縁で、ユーリイは空を見上げた。

 稚拙な行動だ。自分でも何を狙っているのか把握できていない。だが、めったやたらに突進するだけの、しかも超音速の弾丸は、悔しいがユーリイの戦術眼でも読みきれない。意思も合理も意図もないからだ。

 ユーリイが片手を上げた。傘を構えたその腕には、石突の先まで黒い鞭が巻き付いていた。

「《コンダクト》」

 頭上では、曇天が渦巻き始めた。重苦しい雲が流れだし、排水口に落ちる水のように、ユーリイめがけて集まってくる。

 ユーリイの全身はよろわれていた。硬化し、武装されていた。雨雲がネジのように縒り固まり、ユーリイがそれを掴んだ。

「《ラッシュ》」

 眼が開く。加速された眼差しをもってしても、ブラーの突進は微かにしか見えなかった。

 けれどそれでいい。少しだけ、見当がつけばいい。

 空が晴れた。ユーリイはいまや、雨天を掴んでいた。手の先には凝縮された“雨”があり、そして<劣級>たちがコンダクティカを通じて力を注ぎ込んでいた。

 ブラーがユーリイを軌道上に捉える。ユーリイは鞭を振り下ろした。

 

「“雨の一撃(ブーリァ・アターカ)”!」

 

 一秒たらずの後。降雨を伝導する鞭が、緋色の弾丸と衝突した。

 

 To be continued



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第二十三話 敵意

 ■雨乞(レインメーカー)系統

 

 雨、というのはーー

 

 まず、水だ。

 

 海や湖、川、もっと小さなつまらない水溜まりからでさえ、『蒸発』は起こる。

 気体になった水は、風に運ばれるままに動き、寄せ集まり、やがて空の上へとたどり着く。

 そこはとても寒い。融点を逆向きに越えるほどに冷たいので、気体になった水はその姿を保てずに液体へと戻る。『凝縮』だ。

 液体の水、細かな粒は、そして即座に凍結をする。チリのようになって高空を漂う。これが雲である。

 雲は永遠には続かない。集まってきた水分が重く、沢山になるにつれ、その浮遊は限界へと近づいていく。

 雨の始まりは『20マイクロメートル』、それ以上はない。上昇気流の内部でさえ支えきれぬほど肥え太りすぎた水滴は落下を始め、あたたかな低空で完全に、液体へと戻る。

 この一連の動きを支えるのが、気流と気温だ。水滴、氷の粒、それらはすべて、目に見えてくる結果に過ぎない。

 大事なのは大気だ。水蒸気を集めて渦巻かせる風や、氷の粒が成長するまで留めておく上昇気流。

 

 つまり低気圧。

 

 とにかく雨というのは、そう簡単に出来上がるものじゃない。ひどく込み入った自然現象の連鎖の果てに生まれるものだ。

 雨乞も例外ではない。雨乞系統が取り回しの悪い大技しか使えないのは、気象操作が大がかりな魔法だからに他ならない。

 その術は、前述の通り大気に大きく依存している。大雑把に言って、《レイニー・プレイ》の本質は気圧に干渉することである。

 

「“雨の一撃(ブーリァ・アターカ)”!」

 

 【劣級伝導】が伝え、絡め取ったのは、低気圧そのものだった。凝縮されたそれは周りの大気を押し退ける空気の渦として、鞭の形で振り上げられている。

 だが、下級相当の寄生虫ではそのような反動には耐えきれない。【劣級硬化】と【劣級武装】による二重架橋強化がなければ、虫の(しっぽ)がちぎれて消し飛んでいただろう。

 【劣級歩行】は、空を踏む力場を【劣級伝導】に対して発動していた。極度の低気圧が()()()()()()、目に見えるほどの気流の歪みとして現れる。

 加えて【劣級武装】の持つ高熱ガス炎と、【劣級成長】の植物発生能力が混ざっていた。燃やされ、熱せられた微細な灰の粒子が上昇気流を強め、低気圧を強めている。

(そして、オーナーから預かったこれを……)

 【劣級水流 フローリカ】。水属性の<劣級エンブリオ>。カタツムリのようなそれがユーリイの腕にしがみつき、触覚を伸ばしている。能力特性は、強酸の水だ。

 降雨の質が変貌していた。圧縮された雨は、猛毒の酸性雨に変わっている。触れれば皮膚が焼け、粘膜が焦げる。

 それらの結実は、猛烈な上下方向の嵐となって、迫り来るブラーを直撃した。

 この気象兵器こそが、ユーリイの極致。

 キロメートル単位で発生するはずの気象を、わずかな大きさに閉じ込めた一撃が、無数の悲鳴のような音を立てて空を引き裂く。雷鳴混じりの黒雲が走り、矛盾する気流が渦を巻いた。頭上では、吸いとられた《レイニー・プレイ》の曇天が消え、くすんだ青空が見えていた。ユーリイの背後で、日差しが光る。

(眼は奪った!AGIもない!この攻撃は避けられないでしょう!)

 

『《自由飛孔(バーニアン)》』

 

 弾丸のようなブラーは、噴煙を纏ってその破壊的な大気を受け止めた。その軌道が直角にへし折れ、地表へと落ちていく。一瞬遅れで、爆発的な衝突音が辺りの風をも吹き飛ばした。

 瓦礫が吹き上がる。家一軒を粉々にして、【盾巨人】は立ち上がった。弾頭型の盾がぎらりと光った。

「……ッ!この……」

 そして、その耳鼻から水のように血が溢れた。

「……あ?」

「たとえEND型であっても、体内にはその強化も及びにくい。眼や耳、鼻は、体内へと繋がる出入り口です。そこへ強烈な気圧の変化を叩きつけてやれば、ダメージもあろうというもの」

 ユーリイは太陽を背に、ふらつくブラーを見下ろした。

 一つ目を描いた仮面の下から、血が滴っていた。耐えかねて咳をする。吐き捨てた唾には、深紅が混じっていた。薬品のような匂いが微かに漂っていた。

「どうです、無敵のENDを破られた気分は?僕にあなたを倒せないと、本気で思って……」

「必要、ないね……!」

 ブラーが呻く。獣のように身をたわめる。次の瞬間、その体はミサイルのように吹き飛んだ。

「……ッ!」

「《自由飛慌(サイクロン)》……三秒!」

 ユーリイの直前に現れたブラーが一瞬停止し、消え、赤色のしみにしか見えないような速度で回転する。超音速の竜巻は、けたたましい金属音を立ててユーリイを弾き飛ばそうとした。ユーリイの周囲に黒いものが瞬いて、鎧が現れる。

「《ハーデン……アームド》!」

『眼やら耳やらを潰したくらいで調子に乗るなよ……どうせ加速中は見えないし聞こえないんだ、大して大事でもないさ!必要なのは、速度の土台になるこの身体だけだ!』

 回転を緩め、ブラーが叫んだ。ユーリイは空中にしがみつくように長靴を滑らせて減速し、言った。

「なんて醜い……」

「そうかよ!」

 ブラーが叫び、突進する。

『寄生虫を重ねたところで無駄さ!所詮、単純な能力!僕の圧倒的な攻撃力はどうにもならない!』

 <劣級(レッサー)>の欠点、それはシンプルな能力しか持てないことだ。本当の<エンブリオ>なら、その能力特性に限りはない。特異の極みのような独自性すら、容易い。けれど、最終出力の面で匹敵しているだけの寄生体には、そこまでのユニークさは許されていない。

 真の<下級エンブリオ>七体……十分な神秘を起こせるだけの力には、到底及ばなかった。

『力押しなら、僕に敗けはない!』

「……ッ!?」

 ユーリイが狼狽える。

 音の壁を突き破った衝撃の後、辺りには同時に一瞬で破壊の痕が現れていた。ユーリイの眼では、突撃の順序を捕捉することが出来ないからだ。

 そのブラーの軌道が歪んでいた。

 グニャリと湾曲し、螺旋を描き、幾重にも折れ曲がり、ネズミ花火のように暴れまわっている。渦巻きと回転が幾重にも折り重なっている。

「直線軌道ではなく……どうやって!」

 【盾巨人】ブラー・ブルーブラスターの能力は、制御性と安全性を廃したスピード突撃だ。当然、機動は単純になる。読みやすい直線的な軌道は、そのスピードの脅威を幾らか和らげている、そのはずだった。

「自分で見えてもいないはず……!」

『《自由飛巧(バルバリアン)》』

 竜巻のようなブラーの飛行が辺りを食い散らかしていく。

 その中心で、思わずユーリイは足を止めていた。動きが読めなくては、下手に躱せない。自殺にもなりかねない。複合解放による防御力も、アシュトレトの運動エネルギーを完全に相殺しきれるわけではないのだから。

「しかし……《ラッシュウォーク》!」

 一秒後。翻ってユーリイは空を疾駆した。

 倍増したAGIがあれば、多少なりともその突撃を捉えられる。今やブラーの飛行は高熱を帯び、辺りの瓦礫が発火を始めていた。複合<劣級>の防御でも、触れればお陀仏だ。

(……そんな手を)

 ユーリイは駆けながら、眼のはしにブラーの動きを捉えていた。今までとは違う、ぶれるような輪郭を。

(バーニアの配置をあえてバラバラに。バランスを崩すことで、不規則な推力を起こしているのか……!)

 それは、アシュトレトの更なる応用技だった。

 一方向への移動、そして対方向による回転。もっと運動ベクトルを増やせば、それはランダムな暴走飛行へと変わる。

 ブラーは、手足やマント、弾頭盾といった末端部にバーニアを取り付けていた。それぞれが上下左右で数も違う。はためき、振り回すそれらが推力を不均等にすることで、まるで幼児がクレヨンで描いたような、不規則で無茶苦茶な動線を作り出しているのだ。

 意図がなければ読めない。ユーリイは相手の戦術を予測して、動きを読んでいるだけだ。完全なランダムには、対処のしようがない。

(まさに、災害……狂人の域ですね。扱いきれない出力を、逆に暴走させるなんて)

 ユーリイがまだ死んでいないのは、ひとえに運だ。あのランダム軌道に巻き込まれたが最期、【劣級武装】や【劣級硬化】もろとも炭屑に変えられる。

(無秩序に暴れ回って、最後に立っていた方の勝ち。野蛮だが、僕にとってはひどく有効です、認めましょう)

 ユーリイが得意とするのは、理屈で動く戦闘だ。あの理不尽の塊のような攻撃は、彼の整然とした戦術をズタズタに切り裂いていた。

(付け入る隙があるとすれば、この無制御……ッ!)

 直前をブラーが通りすぎ、ユーリイが息を飲む。驚くことすら遅れを取っている。当然だ、速度では完全に負けているのだから。それを埋めていた行動予測が、ブラーの意思がなければ、ユーリイは単なる半端な非戦闘職に過ぎない。

 そして、ユーリイは自らの左腕を見た。

(あのランダム軌道……放っておけば明後日の方向へ飛んでいきかねない。この空域を離脱することまでは望まないはず。周囲を確認するのに、どこかで立ち止まる。ならば!)

 ユーリイは、停止した。ここからは賭けだ。周りを駆け巡るブラーはもう、光のしみにしか見えない。

 風が唸る。一秒が長かった。ユーリイは自分の左手を握りしめ、待った。

 

 そして、ブラーが急停止した。

 

「ここ……!」

 ユーリイが小さく叫び、左手を握り潰す。満身創痍の筋肉組織が悲鳴を上げて断裂し、まろびでた<劣級>の核を、ユーリイは左手を振り回して投げ飛ばした。

 足元の長靴が消失し、アイテールの残影響下にあるユーリイがゆっくり落ちていく。ブラーは目敏くそれを見やり、【劣級歩行】めがけて飛び出した。ご丁寧に速度を緩めている。空中でそれをキャッチすると、ブラーはニヤリと笑ってユーリイを見下ろした。

 

「《天上崩降砲(アイテール)》」

 

 そして、ユーリイがブラーを指差した。

 アイテールの蓄積した“重み”が、ブラーへとのし掛かる。重力加速度の何倍にもなる力に、ブラーが軋んだ。

「……ッ!?お前!」

 バーニアが途端に炎を上げる。全推力を下方へと向けて、ブラーは高重力に抗っていた。

「動きが、読めましたね……やっと」

 ユーリイはほくそ笑んだ。

「<劣級>!欲しがると思いましたよ……《天上崩降砲(アイテール)》は十割使用です。ご自慢の推進力で、抗ってみればいい!」

「貴ッ様ァ!」

「墜ちなさい!」

 ユーリイが歯を食い縛り、ブラーも吠える。せめぎ合う特化<エンブリオ>同士が、見えない火花を散らしていた。

「いくら装甲を積もうが、地盤に沈めば息は詰まるでしょう!被弾に甘えるのが、あなたの悪癖ですよ!文字通り、グロークスの“礎”となるがいいでしょう!」

「この為に、この<劣級>を!」

 ウォーキッカは重力に抗う役には立たない。空中に足場を作る能力は、自分で墜落を作り出すようなものだ。反作用で潰れていくだけだろう。

「小癪な……時間切れまで打ち消してやるよ!《自由飛孔(バーニアン)》、出力臨界(クリティカルブースト)!」

 アシュトレトが絶叫する。噴煙と噴炎が大気を汚し、ブラーを押し潰すアイテールと拮抗した。

「普段必殺のフル出力を使わないのは、【盾巨人】でも断熱圧縮に耐えられないだけだ……単なる力の足し引きなら、僕に勝てるかよ!」

「フル出力はこちらも同じです……グロークス全土から削り取った“重さ”、その全てを支えられるものか!」

「言ってろ!シュトラウス!」

 せめぎ合う。ぶつかり合う。殺し合う。相反するエネルギーが互いを食い潰していた。息切れを起こした方が、負ける。

「待ってろよ、すぐにそこまで飛んでいって消し炭にしてやる!」

「準備をするといいですよ、土中で窒息するときに息を止める準備をね!」

 大気が震動していた。今までの鋭い衝突ではなく、静かな、けれど莫大な力の震動だ。それは二人の意思の衝突だった。

「捩じ伏せてやる……お前を!お前の能力を!」

 

 その時、全く別の震動が轟いた。

 

 ◆◆◆

 

 ■地下

 

 緋色の巨人は、その翡翠のような眼をぎらつかせて辺りを睨んでいた。

 主人の意思に絶対服従する。それは<劣級>の根幹に刻まれた書き換え不可能なプログラムだ。

 現在、核を所持しているのは【教授(プロフェッサー)】ウー。

 その意思は、試作品である巨人の進化。

 戦闘データ収集による、能力特性の確立。

 だから、巨人は暴れていた。

 Ⅳ世たちを吹き飛ばし、殺そうとしている。既にシバルバの猛毒のことは分かっていた。触れれば病む。触れてはならない。

 自分の内部に注がれた無数のデータを漁り、それを取捨選択してこねあげていく。欲しいのは、より効率的な体だ。

 そのためには実験が必要だった。試行錯誤が必要だった。力を試す、敵が要り用だった。

 だが、巨人は理解していた。

 眼前の人間たちは一例だ。彼らの能力も戦術も、膨大な人々の中の一握りを掴み出したに過ぎない。これらを基準に進化を完成させてしまうことは、限定的なガラパゴス化に他ならない。

 他の敵が必要だ。たくさんの敵、たくさんの情報が。

 進化を止めてはならない。まだ能力を完成させてはいけない。

「《塩害(メラハ)》……塩人形!」

 グリゴリオが叫び、さっと手を振ると、地面からいくつも塩柱が顔を出した。人間のシルエットをいびつながら形作っている。

 だが、その白い人形たちを無視して、巨人は飛びかかった。

「……囮にもならないか。知恵がついてきたな」

 グリゴリオは呟き、嫌がらせのようにそれら塩人形を爆発させた。弾け飛んだ鋭い結晶は、赤い殻に弾かれて落ちた。

 Ⅳ世は籠手を引っ込めていた。無差別攻撃はもう味方を脅かすだけだったからだ。

「いかにすればこやつを倒せる?」

「……言いにくいけど、難しいね」

 キュビットの呟きに、グリゴリオは頷いた。

「それなりの<UBM>にも匹敵しかねない。勝てなくても不思議じゃあない」

「随分と弱気なことを」

「経験だ。<UBM>を倒すってのはそれだけ難しいんだ」

 過去遭遇したそれらを思いながら、面々は頷いた。

 その頭上へ、緋色の拳が振り下ろされた。一瞬遅れて、空気が動く。

「作戦会議くらいゆっくりやらせろよ!」

 グリゴリオが飛び上がり、その拳を殴り付けた。緋色の装甲はひととき白く染まり、ざらざらした塩の塊になり、そしてそれを吸い込んだ。

 グリゴリオは息を呑んだ。

「体液に……塩分を吸収した?」

 同じ手がそう何度も通用する相手ではない。巨人は既に、ソドムへの対策を発現させていた。体内での電解質操作などお手のものだ。

 そして拳も止まらない。彼らを蹴散らした上でなお、その殴打は振り抜かれ、奥の壁にぶち当たった。瓦礫の屑が飛び散り、地下空間が揺れる。

「まさか……このバケモノ……」

 モハヴェドは舌打ちした。攻撃対象は自分達ではない。

「地上へ出るつもりか!」

「させるな!死んでも止めろ!」

 塩の柱が突き立ち、鎧が唸り、大音声が轟く。それでも、<劣級>は止まらなかった。

 それは飢えていたから。肉ではなく、知識に飢えていたからだ。石壁の向こうにはより多くの敵がいると、それは知っていた。試行錯誤への欲はそれの本能に刻まれていた。

「止めきれぬか……ならば……」

 Ⅳ世が走る。老人の眼には、覚悟があった。

「諸君!」

 それだけで、この場の面々には通じた。即座に全員が退避をし、元来た道へと飛び込んでいく。それを目の端で捉えて、ゴルテンバルトⅣ世は拳を掲げた。

「さぁ、地上へご執心のところ悪いが……地獄へ付き合って貰おう。《亡びの地平線(シバルバ)ーー」

 髑髏の籠手が現れた。

 そして、崩れて消えた。

 

「ーー終の双神(モリ)》」

 

 Ⅳ世の年老いた身体が黒ずんで崩壊し、光の塵になる。とうとう自己へのセーフティすら取り外された病毒の権化は、主の生命すら亡ぼして、黒い爆発として地下を駆け巡った。

 石壁が一瞬で腐れ落ち、緑がかった蒸気とともに身をよじる。巨人の血痕が黴と苔のようなものに覆われ、燃え上がるように灰になって消失した。

 緋色の怪物とて例外ではなかった。爆風、圧縮空気、切り離し、あらゆる手だてを講じてもそれらを貫通してシバルバの病が侵入してくる。肉が溶け、骨が侵される。

 それを封じ込めて、地下空間は崩落した。岩盤の圧力がシバルバごと巨人を圧殺する。

「やったか……」

 塩の壁の向こうで、三人は耳を澄ました。

 通路はひび割れ、崩れかけていた。ソドムの結晶化は大地の圧力と、それに伴う気圧に負けてほぼ潰れていた。グリゴリオは後ろの逃げ道を確かめるようにチラリと見た。

「すぐに下がるぞ。ここも長くは持たない」

「まだだ」

 モハヴェドは石壁を睨んだ。

「やつは本当に死んだのか?」

「ここは地下……数十メートル(メテル)か?岩盤の崩落ってのはかなりの圧力だ。爺さんの自爆もある。指一本動けない状態で全身を毒されれば、十中八九死んでるさ」

 グリゴリオは自信ありげだった。

 地質にもよるが、岩盤の密度は平均的に体積当たり数千キログラムは下らない。その重みをこの地下で受ければ、土の圧力……盤圧は鋼鉄の戦車とて平たく押し潰せる。

 あの赤い<劣級>も例外ではない。どれ程頑強でも、全身の骨までを粉々にされて動けるはずはない。石造りの壁は静かなものだった。グリゴリオたちは満足そうに一歩下がった。

 そして、石壁が揺れた。

 

「……一割を引いたか?」

 

 さて、そのグリゴリオたちが見つめる崩落の向こう。

 巨人は震えていた。全身を痛みと圧力の信号が駆け巡り、その体躯は病に侵され始めていた。それを成した敵は既に死んでいた。

 巨人は身の内でなにかが弾けるのを感じた。巨人がまだ知らないそれは、だが確かに、“憎悪”の感情だった。

 彼はその奔流を無感動に眺めていたが、やがてそれに身を任せてみることにした。身体が熱を持ち、針のような“痛み”が走った。

 

 そして、緋色の炎が吹き上がった。

 

 ◇◆

 

 □冶金都市・地上

 

 市庁舎が揺れている。

 “雨”が終わっても、その地震に人々は狂乱していた。市街地の中心から、兵士や一般市民が走っていく。 

 やがて人並みがはけるその後ろで、崩れかけた市庁舎が吹き飛んだ。

 吹き飛ばされた巨大な質量が天を衝き、落下を開始する。【運搬王】が舌打ちした。

「落ちてくるぞ!」

 そんなことは全員が分かっていた。即座に体勢を立て直した幾人かが瓦礫を粉砕し、石の粉に変えて吹き飛ばす。何体もの遠距離攻撃型<エンブリオ>を放つ宣言が響いた後、湿った空気が塵を捉え、濛々とした濃灰色に町の景色は閉ざされた。

 まるで濃霧か、あるいは砂嵐のようだった。入道雲にも似たそれが、渦巻き揺蕩いながら市街を飲み込んだ。

 その内部で、赤いシルエットが咆哮した。

「なにか、いる……」

 メアリーが叫ぶ。

「大きなものが!」

 それは、あの<劣級(レッサー)>だった。

 埋もれた地下構造を掻き分けて、それは地上に手を伸ばしたのだ。だが、シバルバに汚染された膨大な土砂は、そう簡単には押し退けられない。

「へぇ……とんでもないのが……出てきたなぁ……!」

 ブラーは空中で軋みながら呟いた。

 巨人は膨らんでいた。全身の組織はぐちゃぐちゃになり、土砂が食い込み、病に侵されていた。

 それでも地上に出てこられたのは、その特性ゆえだ。ウーの仕込んだ絶対のプログラム、未分化の胎児のように成長するその特質ゆえだった。

 不完全!だから、どんな形にも成れる。

「この大きさ……まさに、巨人!」

「これがオーナーの……ふふ、素晴らしい!」

 巨人は変形を続けていた。腐肉と血みどろの塊が膨張し、それを取り込んで立ち上がっていた。

 土砂も汚染も、その肉に巻き込んで無理やり体躯を成長させたのだ。その成長がシバルバの壊死と辛うじて拮抗していた。

『……』

 その濁った瞳が、市街を捉えた。天を仰いだ。地表を見回した。

 その<劣級(レッサー)エンブリオ>は、今、地の胎から這い出し、世界を知った。

 それは歓喜していた。全身を破壊されながらも、喜びにうち震えていた。

 敵がいる!倒すべき、憎むべき、未知なる“敵”が!己が力を試し、打ち上げるに足る、数多の殺し合いの相手が!

 それはふいごのような音を立てて煤塵ごと大気を吸い込み、吐き出した。

 戦の角笛として、咆哮が大気を揺らした。

 ブラーは巨人を仮面の一つ目で睨み、笑った。

「さて……どうせ核はあいつが持ってったんだろ?あれは能力の発露した器に過ぎないわけだ……壮観だね。ぜひ手合わせ願いたいよ」

「お忘れですか?」 

 ユーリイが指を大地に向ける。

 アイテールは健在だ。今もブラーを押し潰すために力を注いでいる。アシュトレトを緩めれば、待っているのは墜落だ。

「圧死までの秒読みを!」

「あぁ、確かに……邪魔だよ。邪魔、邪魔!邪魔だから……」

 ブラーは獰猛に笑った。

「……“こう”してみるかい?《瞬間装備》」

 そして、その手には縁の尖ったバックラーが握られていた。ブラーが重量に抗って左手を持ち上げる。

「《シールド・フライヤー》」

 ユーリイの首めがけてそれが飛ぶ。身体をひねって躱し、ユーリイは距離を取った。

「その程度、想定していないと……」

 だが直後、ユーリイは背後に風切り音を聞いた。あり得ない、後ろから迫り来る音を。

 振り向こうとしたときには遅かった。AGIに欠けるその身体の残った右腕の骨を、半ばから砕き断ち切って、飛んできた盾が明後日の方向へ吹き飛んでいく。衝撃に撥ね飛ばされながら、両腕を失ったユーリイは絶叫した。

(シールドの裏……死角に【ジェム】を投げていたのか!いかにも彼らしい……!)

「極東のニンジャ・テクニックさぁ」

 ブラーは機械鎧のミサイルを構えながら、へらへらと笑った。

「【ジェム】は実にいいよね……金を積めば魔法が買える。実質外付けの魔法職だ。僕は大好きだよ、それで嫌味な誰かを吹っ飛ばした時には特にね!」

 いまだに重石をのせられたブラーだが、その笑みは軽やかだった。その右腕が動く。

「ローカスト!撃ち殺せ!」

 ミサイルが放たれる。

 幾筋もの炎の線は即座に、まだ空中で錐揉み回転しているユーリイへ迫った。

 【降水王】はここまでだ。一発でも十二分にその身体を引き裂いて肉塊に変えられる。個人戦闘型を気取っても、その本質は非戦闘タイプ、その肉体は戦場では弱みにしかならない。

 煙が弾けて、熱が膨らんだ。ミサイルの先端がとうとう、ユーリイに着弾する。

   

 その寸前、それら全てをぐちゃぐちゃに横風が薙ぎ倒した。

 

「おいおい、嘘だろ?」

 ブラーは顔をしかめた。その仮面に影が落ちた。

「……なるほど、さすが、強さが分かってるな」

 緋色の巨人の掌は、ブラーの頭上に伸びていた。

 それは右腕だった。ついさっき突かれた左腕は、ユーリイとミサイルを吹き飛ばしてなお、街を瓦礫に変えていた。巨人は赤子のように背を倒して、じっとブラーを見つめていた。

 腐り、崩れ、膿み、なおもそれに抗って成長を続ける肉が、おぼろげな五指を広げてブラーを掴もうとしていた。だが、その動きはブラーの予想に反して、その頭上の日差しを遮ったところで止まった。

「……?なんのつもりだ」

 握手を求めるはずもない。ブラーはフル出力を噴かしながらそれを見上げ、そのおぞましさに顔をしかめた。

 腐臭がする。桃色の神経や筋肉が爛れて死に、黄色い汁を吐き出していた。その内側で、新たに作られる肉のプチプチ言う音が聞こえた。汁の一滴が落ちて機械鎧に垂れたのを見て、ブラーは心底吐きそうな顔をした。

 

 その汁が、【ローカスト】の装甲を腐食するまでは。

 

「……ッ!?」

 巨人はシバルバに汚染されている。老人の残した怒りの能力は、巨人を今も殺そうと暴れているのだ。だが、それは無差別。すなわち、見境無し。

「感染能力……!そんなものまで!」

 先刻までの巨人が苦しんだのと同じ様に、触れるものは全て病む。制御性を全廃した<上級エンブリオ>の病に、巨人は感染しているのだから。いわば、シバルバの能力を取り込んだようなものだった。

 ブラーは即座に【ローカスト】をパージした。腕から外れたそれを、脚で蹴り飛ばす。ホンの少しの膿に濡れただけの深紅の装甲は、その軌道上で完全に青黒く染まり、着地した瓦礫の山を黒ずんだチリに変えて粉砕した。

 直接触れれば自分もそうなると、ブラーは理解をした。

 ENDの防御ではこの汚染を防げない。経験則から言って、毒や呪いは状態異常に類する能力だ。

 見上げれば、巨人の症状は酷くなっていた。遠からず、その身体は老騎士の目論み通り死に絶えるかもしれない。皮から骨まで、朽ちて死ぬのだ。

 それまでの間に、グロークス中を汚染区域に変えて。

 水っぽい音がした。爛れた皮膚のひとひらが剥がれ、肉組織がゆっくりと降ってくる。その直下には、ブラーがいる。

 

「お、おい、ちょっと待てよ、今は動けなーー」

 

 そして、死に至る病に汚染された腐肉が、さっきまでの雨(ユーリイ)のように降り注いだ。

 

 ◇◆

 

 メアリーはその光景に顔を歪めていた。

 汚染を撒き散らす巨人は、静かに右腕を持ち上げたまま静止している。先の騒動で人々は逃げていたので、今のところ大した被害はない。

 けれど、あの巨人が暴れだしたらただではすまない。

「あの能力……あの人の<エンブリオ>を取り込んで……?」

「なんだ、あの毒を知ってるのか?かなり凶悪な能力だな」

 【運搬王】はため息を吐いた。

「さて、今日死ななきゃいいが。まだ未練があるんでね。このままじゃ、この街は地図から消える」

「なら、倒せる?」

 メアリーは、セ・ガンとユーフィーミアの二人を振り向いた。色好い答えは期待できなかったが。

 案の定、【運搬王】は否定した。

「無理だな。俺は戦士じゃない」

「わたしですか?無理無理、無理ですよ!」

 ユーフィーミアもまた、とんでもないと言わんばかりに首を振った。

「誰か居ないんですか?他に強い<エンブリオ>を持った人とか……」

「でもさ、無視するわけには行かないよね」

 メアリーは強気だった。

「あれ、かなり強いよ……<超級>と比べられるくらいかどうかはともかくとして……普通の<マスター>で簡単に勝てるのかな」

 メアリーは目をこらした。町中には、あの巨人に対抗せんとする人々が見えた。

 けれど、攻めあぐねている。

 触れれば病むあの呪われた肉体には、白兵戦は仕掛けられない。遠距離狙撃でさえ、下手を打てば拡大する汚染に呑まれかねない。

 そしてふと、メアリーは嫌な予感を覚えた。

「ねぇ、なんであれは動かないの?」

 手を伸ばしたままの巨人は、周りの全てを無視するように止まっていた。腐った右腕が軋み、嫌な匂いを発している。

 その指先に、ボッと(ブラスト)が灯った。

 毒ガスと反応した熱が毒々しい紫に変わり、少しづつ大きくなる。それを中心にして、シバルバの遺した猛毒の瘴気が集まりだした。

 

 伝導だ。

 

「あの能力って……まさか、あの(ひと)の鞭と同じ!」

 ユーフィーミアが喘いだ。

「毒と炎を伝導してるんです!あのままなら、すぐに……」

 伸びた右腕は、街の外縁に向いている。その軌道の先には、他ならぬメアリーたちがいる。無数の一般市民も。

「撃たせるな!」

 セ・ガンは絶叫し、弾切れのバズーカを放り投げ、巨人に向かって走り出した。

 猛毒と熱と衝撃を、巨人は掌に集めていた。コンダクティカから引き継いだ伝導能力は、形なきものを操作する力だ。瘴気も炎も、彼の手にある。

 街中からはぽつぽつと、光の線が飛んだ。しかし、それらのうち実体のある攻撃は毒に侵されて崩れ、実体のないものは“伝導”に弾かれていた。

 巨人は身を震わせると、背中を変形させた。その背中が裂け、毒血と共に()()()()の腕が現れる。それらは煩わしげに五指を広げ、炎や雷を掴んで投げ返し始めた。

「……《コンテナハンズ》」

 【運搬王(キング・オブ・ブリング)】はといえば、足を止めていた。壊れたアパルトマンの瓦礫を眺め、掌を当てる。瓦礫は吸い込まれるように消失し、そしてセ・ガンは握り拳を持ち上げた。

 人足系統の奥義は、《コンテナハンズ》。両の掌を握った空間を、即席の“アイテムボックス”に変える能力だ。本来はあくまでもモノを()()能力だが、瓦礫を握りしめ、振りかぶれば、巨大な岩塊すら投げられる。

「死ね!」

 セ・ガンは往年の野球選手のごとく、美しいフォームで右手を振り抜いた。その掌が開かれると同時、与えられた加速度に従って、《即時放出》された家一軒ほどもある瓦礫が飛んでいく。まるで、中世のカタパルトのように。

 けれど、巨人には通じない。

 岩塊は腐肉の表面で砕け散り、朽ちていくだけだった。その程度の威力では、最大級の<劣級>の肉は揺るがせもしない。何発撃ち込んでも同じことだ。

「こりゃ……死んだか……?」

 セ・ガンはそれでも、手を止めなかった。何もせずに死ぬのは性に合わない。

「逃げたくても逃げられないしなァ……ったく、割に合わない仕事だよ」

 セ・ガンはそう言って、次段を構えた。

(()()()()()()()()()()()()()……どうすれば)

 メアリーは悔しげな顔で飛び上がった。アシュヴィンの掌に乗って、ずたずたにされた町を見下ろした。

 あれを撃たせるわけにはいかない。元は、仕事仲間の能力でもあるのだから。

 巨人の咆哮が耳を揺らした。それはいつしか、力ある言葉としての意味を持ち始めていた。

『《伝導(コンダクト)》、《衝撃(ブラスト)》、《伝導(コンダクト)》、《衝撃(ブラスト)》……』

「……仕方ないなぁ」

 メアリーは乾いた声で言った。

 あれを倒すことは無理だ。打てる手はあるが、敵が大きすぎる。毒炎の放たれるより前に巨人を無力化するのは、街にいる<マスター>たちを含め、ここにいる面々には不可能だと、メアリーは理解した。

 <超級>に匹敵する戦闘タイプが必要だ。これほど巨大な個に対抗するには、もうひとつの個がなくては……

 巨人の咆哮はいつしか止んでいた。掌の光は収束し、静かに発射された。

 軌道上の全ては病み、衝撃が汚染を撒き散らすだろう。人々が死に、街は破壊されるだろう。

 毒を孕む炎が迫るのを見ながら、メアリーは呟いた。

 

「だから、手伝ってくれないかな?」

 

 To be continued



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第二十四話 王殺し

 □グロークス・城壁

 

 かつて、戦争はありふれていた。

 600年前……あるいはさらに古、束縛を失い乱立する都市国家群は、荒野に打ち込まれた点に過ぎなかった。隊商によって文字通り命脈を繋ぐことも、肥沃な耕作地帯を抱えることも出来ない彼らが取った選択は、往々にして鉄血主義だった。

 他国を侵略し、また侵略の脅威に先んじ……ヒトの歴史は、争いの歴史だ。

 ここグロークスが巨大な城壁に覆われているのは、なにも建築家たちの酔狂ではない。“冶金都市”の名前は、侵略者の大義名分として十分すぎる。近隣諸国はすべて、グロークスの金属資源と技術を狙う“敵”だった。その可能性だけでも壁を築くのには十分だった。

 人々は、その壁の内部に逃げ込んでいた。

 壁とはいえ、厚みはちょっとしたものだ。“砦”や“要塞”と呼ぶ方が正しい。500メテルの内部には無数の通路と部屋があり、最上部にはかつて巨砲を戴いていた土台がある。

「大砲運べェーッ!」

 そんな胸郭の陰で、兵士たちはカビの生えた砲を構えていた。

「隊長、本当に撃てるのですか?こんな骨董品……それに市の文化財です、上の許可もなくては」

「我々は軍人だ」

 顔の半分を醜い傷に覆われた隊長は、ひきつれた唇で言った。その視線は、毒を撒き散らす緋色の巨人に向いていた。

「和平のため、魂を捧げるのが軍人だ。市民を脅かすものを見過ごすわけにはいかん。行政の上層部が、不審な客を抱えていたことは知っている。カラハールの野心もな……責任はこのヌビアが取る。発射準備は?」

「ほぼ完了していますが……なにぶん最後に撃たれた記録は180年前ですよ?動作の保証はとても……」

「結構」

 隊長ヌビアがそう言って、号令をかけようと息を吸い込む。

 だがその大音声は、不意に遮られた。

「ちょっと、待ちな」

 見知らぬ女が現れたからだ。

「あー、死ぬかと思った……死んでるんだけど」

 女は誰に言うでもなく呟いた。

「これでもう()()()だよ、全く」

「何者かね、君」

 ヌビアは腰のホルスターに手を触れながら、その女を睨み付けた。

「ここは戦場だぞ。もし避難民なら……」

 女の左手に紋章があるのを見て、ヌビアは言葉を切った。

「……そういうこと。あたしは加勢だよ。まぁ、あんなデカブツ相手じゃ噛み合わないんだけど」

 女……リンダ・シリンダは頭をかきながら言った。

「見たところ、あれは学習して成長するタイプだ。下手な鉄砲じゃ相手を強めるだけさ、やるなら大きなのをガツンと撃ち込むべきだね」

 骨董品の巨砲を見ながら、リンダは鼻をならした。

「あの爺さんの能力でさえ取り込まれてるし……こんな小手調べじゃなくてさ」

「君の<エンブリオ>ならそれが出来ると?」

「いんや、あたしじゃ無理だよ。言ったろ、噛み合わないって」

 リンダは首を振った。

 能力特性“猫”。カルニヴォラでは不可能だ。

「幸い、あれはトロいし鈍い。だから、お互いに連携と対策を……」

 リンダはそこまで言って、はっと振り向いた。

 巨人の指先が燃え上がっていた。無造作に掲げられた掌がエネルギーを蓄え、それが今にも放たれようとしている。

「まさか、遠距離で……?」

「不味い!」

 隊長は絶叫した。

「階下に通達!このブロックから避難民を退去させろ!パニックを起こすようなら荒っぽくやって構わない!」

 大気が張り詰めていた。それはもうすぐ弾けようとしている。

「急げ!あの汚染能力ならこの城壁も溶かされる!全員死ぬぞ!」

「チッ!」

 リンダもまた、顔を歪めて走っていく。道すがら無理やり連絡役に抜擢したブレスレット型の<エンブリオ>越しに、彼女は叫んだ。対【降水王】レジスタンスは何も全滅したわけではない。

「生き残りは!?」

『あんたに言われた通り、標的をあのデカブツに切り替えた。が、芳しくないな。どうも熱や電撃は効かず、跳ね返され始めている』

 黄金のブレスレットはぼそぼそ言った。

「クソ、あの女の鞭と同じかい?」

 リンダが臍を噛む。

「実弾は?」

『見ての通り、あの毒が全て溶かしてしまう。いまは神話級金属の武具を大至急で探しているんだが、発見は難しそうだ』

「ここは冶金都市だろ?なんでなんだい!」

『さぁな。とにかく、そのうち当たっても効かなくなりそうだ。あぁ、あと、市民に襲いかかろうとしてるらしい<マスター>が結構いるんだが』

「あぁ、もう!そいつらも止めておくれよ!皆そんなに<エンブリオ>擬きが……」

 そしてその瞬間、巨人がとうとう焔を放った。

 焔が尾を引いて飛ぶ。それを止めようと立ち塞がった数人の勇気ある<マスター>も、衝撃波(ブラスト)と毒に侵されて消し飛んだ。

 その軌道上のものは全て破壊される。

 状況は絶望的だった。シバルバの無差別殺人能力を、コンダクティカの制御が抑え込んでいるのだから。そのリソースはあらゆるものを病ませて殺す。

 掠れただけの町並みが溶解し、崩壊していく。石も、鋼鉄も、全てが無力だった。

 その力の源であるあの怪物も、簡単には殺せない。既に死にかけているというのに成長を続けている。半端な攻撃は学習の材料を与えるだけだ。

 圧倒的な殲滅力が必要だった。

 この場にいる面々では誰も勝てないと、皆がうっすら思っていた。手がないのだ。鈍い絶望を湛えた彼等が、ゆっくりと燃え盛る毒焔の塊を見つめている。

 

 だが、大地から飛び出したもうひとつの“弾丸”が、その焔を粉砕した。

  

 焔が飛び散って消える。猛毒でさえその炎熱と運命を共にするように、粉々に消え去った。一瞬遅れて、地震のような、遠雷のような音が轟いた。

 

『なるほどォ……制御されている現象を粉々に乱してやれば伝導もしきれない訳か……毒の方も、断熱圧縮で触れる前に焼き尽くせば問題ないね?』

 緋色の弾丸が宣う。それは速度を緩め、辺りを見回した。

「にしても、癪だな。まさか手を貸したつもりか?言っとくけどさぁ、僕ならあのままでも切り抜けられたんだ」

 

 【盾巨人(シールド・ジャイアント)】ブラー・ブルーブラスターは、傲岸不遜に言い切った。

 

 その傷には黄金のオーラが纏わりつき、癒しの力を注いでいた。

「そこをさぁ、分かってる?」

 仮面越しにも、その視線は他ならぬメアリー・パラダイスへと向いていた。

「別に良いよ。あたしは、あれを倒す手伝いをしてほしいだけ!」

 メアリーは声を張って言い返した。

 ブラーは【降水王】と殺し合っていた人物。そして、あの巨人は十中八九、【教授】ウーの言っていた“擬似<超級(スペリオル)>。”敵の敵は味方、とも限らないが……この状況であの巨人を倒せるとしたら、割りの良い賭けだろう。

 

 だから、彼女はブラーを癒したのだ。

 

 それがどういう意味を持つか、ブラーなら理解できるとメアリーは踏んでいた。腐っても準<超級>、そのあたりの勘は働いてくれると思っていた。

「どう?」

「君さぁ、ギャンブルには向いてないよ」

 ブラーは空中で土埃を払った。

 彼が生きているのも、賭けの結果だ。アイテールの高重力に抗ったままあの腐肉を躱すことはできなかった。かといって、シバルバの汚染がENDを無視することなどブラーにも予測できる。

 だから、取れる選択はただひとつ。

 アイテールの重みにアシュトレトの加速を加算して、汚染が落ちてくるより素早く大地に潜る。土中の窒息が早いか、アイテールの時間切れが早いか、その我慢比べだ。

(……そのつもりだったけど、あの女の回復があったからなぁ)

「水入りか……面白くない」

 《天上崩降砲(アイテール)》の影響は既に無い。

 ブラーは確かめるように体を動かし、首を鳴らし、そして嘲るように唇を歪めた。

「ユーリイは死んだか。まぁ両腕吹っ飛ばしたし、評価点ではこっちの勝ちってことで……」

「ねぇ、回復してあげたんだから、手伝ってくれるよね!」

 メアリーが叫ぶ。

「分かってるでしょ、あの巨人は群を抜いて強いの。あなたくらいの強さじゃなきゃ勝てないかも……だから、お願い!こっちも手を貸すし、いがみ合ってる場合じゃないと思わない?」

 メアリーは誠意を精一杯込めて言った。

「だから、手伝って!」

 ブラーは凄まじいほどの笑顔を浮かべ、うんうんと頷き、朗らかにはっきりと言った。

 

「いやだね!」

 

 メアリーが絶句する。

 ブラーは意気揚々と続けた。

「確かに面白そうな相手だけど、そうやって指図されるのは気に食わないな。僕さぁ、そうやって他人を操ろうとする正義ヅラが大ッ嫌いなんだよね、頑張って死ねば?ハハハ!」

「なッ……な!」

「敵の敵は味方、とか思った?知らないよ。ッて言うか、何を勘違いしてるのさ?あのくらいで僕が君のオトモダチになると思う?あ!その面!お前の間抜けヅラの方が面白いぜ!」

「僕が強いって?違う違う、お前たちが病的に弱いんだろ?僕なんか、ほら、“凡人”だよ、その凡人レベルにすら辿り着けないゴミ以下の惰弱な低能が世間に多いのは嘆かわしいことだね。僕なら苦悩の余りにこのゲームもやめてすぐに自殺してるよ、その神経の太さだけには敬意を表するね」

「強大な脅威の襲来にひとまず団結!っていう発想の転換かい?そういうのってバカがやっても意味ないんだよね、頭の悪い人たちってすぐ安易な奇策に飛び付くよなぁ……想像力が貧困なんだよ、やっぱりそれって遺伝な訳?お可哀想に」

「そうだ、どうせなら僕もこの街を滅ぼす側に回ろうかな、ストレス溜まった時って物を壊すのがスッとするって言うよね。寛大な僕でもさぁ、無能な勘違い女に偉そうに指図されると流石に心が弱るんだよ、お前らと違って感受性が豊かだからかな?」

 ブラーは弾頭盾を持ち上げた。その先端に、暮れの陽光が瞬いた。

「ねぇ、どう?どんな気持ち?」

「あんたって、最低!」

 メアリーの言葉に、ブラーはますます愉快そうだった。

「なにそれ。どういうキャラ?品行方正?お前が弱いから、僕を頼ったんじゃないの?自分の行動も客観視できないわけ?下らないことしか言えないならせめて黙ってれば?」

「あの、さぁ!もうちょっと冷静に会話できないわけ!大体、街がこんなになってるのになんとも思わないの?」

「思わないよ」

 ブラーは切り捨てた。

「こんな街、更地にでもなった方が少しはマシな景観になるだろ。人道とか義憤とか倫理観とかを持ち出して他人に命令するのは辞めろよ。お前本人の発明でもないくせに」

 ブラーが吐き捨てる。その仮面がぼんやりと光った。

(さて、あいつを回収してとっとと寄生虫野郎の息の根でも止めにいくか……)

 そのとき、無視されていた緋色の巨人が吠えた。

 戦闘データを欲する学習の権化は、その腐った拳を固めてブラーに殴り掛かった。拳が弾け、手首から切り離された腐肉の塊が隕石のようにブラーに迫る。

 

「うるさいよ、お前」

 

 そして、その拳が粉砕された。

 

 一瞬で超音速に加速した回転体が、断熱圧縮で大気を吹き飛ばす。高熱の爆発は腐肉と毒を焼き尽くし、閃光で見るものの眼を眩ませる。

 《自由飛慌(サイクロン)》。そして、《貞淑なる撹拌(アシュトレト)》。

 空の爆心地が穏やかになり、その中心で緋色の弾丸がゆっくり静止する。ブラーはランスのような弾頭盾に体を預け、ため息をついた。

「あーあ、うっかり反撃しちゃった。全く……なんだ、その顔」

 メアリーの期待するような顔に気づいて、ブラーは言った。

「今のは気紛れだ!手伝いなんかしないぞ!あぁ、もう決めた。イラつくから絶対にお前の言うことは利かない。負けて死ね」

「そう?」

「あぁそうだよ。ついでに不快になったからお前を殺す。<エンブリオ>ごと粉々にして風葬してあげよう、泣いて喜べ。ほら、負け惜しみの文言は?」

「……あの子供(トビア)は?」 

 とたん、ブラーは口をつぐみ、メアリーは饒舌になった。

「ほら……あの子はレベル0。危ないよ。この街を吹き飛ばしたり、あれに蹂躙させてていいの?<劣級>が欲しいんでしょう?仲間なんだったら……」

「見当違いも甚だしいな」

 ブラーは言う。

「……だが、面白い。お前、なんで僕にその名前を出そうと?」

 ブラーは犬歯を剥き出して笑った。とても朗らかではなかった。

「思い出したよ。お前、あのときに会った女……けど、あの一瞬では出てこない台詞だ」

 ブラーの気配が鋭さを増す。

「あいつを知っている。あいつと関係がある。本格的に僕に絡もうっていうのか?」

「……そんなに大事なんだ」

「違う」

 ブラーが吐き捨てる。

「だが、不愉快だ。僕を知った風に語られるのはね。だからお前は殺さない……簡単には殺さないぞ。お前の一番嫌なことをやってやる」

 その仮面が発光した。

「《自由飛孔(バーニアン)》!」

 そして、ブラーが消えた。

 

 ◆

 

 ■高度1700メートル

 

 空だ!

 ブラーは背後の太陽を見上げることはしなかった。代わりに、はるか眼下に見える“冶金都市”を睥睨する。その仮面が赤く光る。

 ブラーの仮面は<エンブリオ>……アシュトレトの一部、統轄機構。バーニア群の状態をモニターし、周囲の状況を知らせる。闇雲な突進をアイデンティティにする彼の、最低限の制御系だった。

 それが、目標をロックオンした。

 宙に浮く女、身の程知らずの女、黄金の女!

「吹き飛ばしてやる、全部、全部!」

 ブラーは弾頭盾を下へ向けた。さながら、空中から投下される焼夷弾の一粒のようだった。

 その切っ先が、僅かに動く。

 狙いをつけているのだ。

「途中での軌道変更は不可能……当然、狙いは慎重にってね」

 ブラーの弾頭のようなシルエットが、揺れ、そしてゆっくり自由落下を開始し、加速し……一瞬で見えなくなった。

 一秒足らずで1700mを駆け抜けることなど、アシュトレトには容易いこと。

 その狙いは……

 

(あたし……いや、()()!)

 

 メアリーは一瞬で看破した。

 ブラーの狙いはただひとつ、メアリーごとグロークスを吹き飛ばす気だ。

 エリコによって包囲された街で、あの超々音速突進のエネルギーを解放すれば、水筒の中に爆竹を放り込むようなもの。閉じ込められた破壊力が荒れ狂い、徹底的な破壊を広げる。

 ブラーの姿は見えない。

 肉眼では……並大抵のAGIでは捉えられない。《貞淑なる撹拌(アシュトレト)》使用時の《自由飛孔(バーニアン)》フル出力は3.4km/sをすら越える。

 だから、メアリーには何も出来なかった。

 気づいたときには、全てが終わっていた。

 

 風の吹くような音がして、次いで耳が聞こえなくなった。

 瞬きの直後、メアリーの身体がエリコの無敵城壁に叩きつけられ、全身の骨が粉々になる。へし折れた脊髄に感覚を失い、必死に黄金の治癒を光らせながら、メアリーはその“結果”を目にした。

 

 すなわち……

 

頭を消し飛ばされた緋色の巨人と、明後日の方向に吹き飛んでいく、“自殺”のブラーを。

 

 ◇

 

 □数分前

 

「これが、その秘密兵器かい?」

 リンダはそれを見下ろした。

 それは弾頭だった。小さな砲弾だった。円錐形の頭から半ばを、鈍い光沢のある金属が覆っている。そこだけは明らかに材質が違う。

「……嘘か真か。我らが冶金都市を以てしても、歴史上僅かに400g程しか錬成に成功しなかったという幻の物質」

 ヌビアはしばし口ごもり、続けた。

 

「【超級金属(スペリオル・メタル)】だ」

 

 リンダは鼻を鳴らした。

「……本物?」

「さぁな。少なくとも尋常でない硬度なのは確かだが。神話級金属でさえそうそうお目にかかるものでもないのだ」

 ヌビア自身も、疑わしげにそれを見つめていた。

「貴重な“それ”で弾頭の先端部を覆い、基部にはミカル鉱石を使ってある。博物館より無断で持ち出した、一発限りの【超級電磁加速弾頭(スペリオル・バスターキャノン)】だ」

 ヌビアは振り向いた。

「発射には専用の砲撃設備を必要とする。これならば、どのような装甲も貫けるだろう」

「……小さすぎるね」

 リンダは首を振った。

「この口径じゃ、あの巨人にはかすり傷にもならないよ」

 リンダはそう言って、ふと顔を綻ばせた。

「……あたしに、考えがあるんだけど」

 

 ◇

 

「発射タイミングをリンダ・シリンダに譲渡」

「あぁ」

 リンダは導火線を握り、口の端だけで尋ねた。

「ラグは?」

「およそ三秒のはずだ。だが、品質の【劣化】は未知数で、内部機構が完璧さえ分からない」

「試験運転はしなかったのかい?」

「それがどれほど信用できる?」

 ヌビア隊長の言葉に、リンダは首をすくめた。

 ブレスレットを持ち上げる。

「もしもし?」

『手筈は整った』

 通信先の<マスター>はぶっきらぼうに言った。

 緋色の巨人を取り囲むように、あらゆる攻撃が飛ぶ。炎が盛り、氷が切り裂き、風が衝突する。

「なんとしても動かすんじゃないよ、特にやつの頭を!」

『理解している』

 轟音を背に、彼は言った。

 リンダは眼を見開き、緋色の巨人を見つめた。その前には、あの【盾巨人】ブラーが天空へ飛ぶのが見えた。

「さて、これから見ることはなるべく他言無用で頼むよ」

「何?」

「なんせ……結構はしたない見た目だからさァ」

 そして、リンダの顔が変形した。

 髪と溶け合うように顔の毛が伸び、顎が突き出し、眼窩が肥大する。耳の位置がずれ、骨格が歪む。

「《双ノ相(ダブル・アスペクト)》ーーーー《眼点(アイズモード)》」

 それは、猫の特質のひとつだ。

 圧倒的な動体視力。猫化能力を視覚系に絞って発現させることで、偏ったリソースを“眼”力に変える。

 今、知覚する動体視力に限り、彼女のAGIは並の【影】をも越えている。その視力の反動で血走る眼球で、彼女は視界に映る全てを掌握した。

「……不味い」

 “眼前”では、あの巨人が咆哮していた。その手があらゆるエネルギー攻撃を掴み取り……投げ返すのではなく、掌で循環させ、加速し始めていた。

 その周囲では、建物が塩に変わっていた。白く結晶し、薔薇の花弁のように巨人を取り囲み、鎧になって張り付いてゆく。

「まだ進化するのかい……!」

 巨人の頭上にあかがね色の光が瞬き、光の円環の下で巨躯がゆっくり浮かびだす。背にはまるで“バーニア”のような噴射孔が次々に現れ、“伝導”した攻撃のエネルギーたちを宿して輝いていた。

 だが、タイミングはまだだ。

「まだか……」

 狙うのは、有効なのは、“あれ”の一点、そのタイミングだけだ。

「まだか……!」

「おい、君!なぜ撃たないんだ!」

「煩いよ!黙ってな!」

 リンダはヒトのそれからかなり変じた声で叫び、そして身構えた。

 天空で、ブラーが止まり、揺らいだ。

 その圧倒的な速度は、上級のリソースを見境なく捧げた結果だ。この形態のリンダでも瞬きひとつで見失う。そんな速度だった。

「……ここォ!」

 そして、リンダは点火した。

 

 冷却材が雲のように弾け、轟音がその場にいた全員の鼓膜を叩く。リンダの猫化した耳朶から鮮血が垂れた。

 数秒遅れで、砲弾が射出される。

 だが、すぐにリンダは悟った。

(遅すぎた……!)

 砲身の劣化が予想以上だった。伝達ラグはおよそ5秒。その誤差は、この状況では致命的だ。

 軌道を外れた弾頭が飛んでいく。それを口惜しげに見守るリンダにはため息をつく暇もなかった。

 だが、砲弾は加速した。

 緋色の巨人が噴き上げた炎熱が偶然、砲弾を熱風の波に煽ったのだ。僅かに上を向いて軌道を曲げられた砲弾がきらりと光り……

 

次の瞬間、はるか上空から狙撃をしてきたブラーを“弾いた”。

 

 弾かれたブラーは、本人が把握するより速くその軌道を折り曲げ、運動エネルギーを解放し、巨人の頭蓋骨を粉砕して脳髄を蒸発させた。

 二つの衝突点を中心に、破壊力の波が溢れた。

 メアリー・パラダイスを吹き飛ばし、街中を揺らした波は、しかしブラーの意図したような徹底的な破壊にはならずに、暴風となって荒れ狂い、すぐに過ぎ去った。

  

「バカな……なんだ!」

 グロークスの中央に陣取る、エリコの尖塔の上に不時着したブラーは、辺りを見回して叫んだ。

「移動中の僕に干渉できる奴なんかいるわけが……」

 弾頭盾はひび割れ、神話級金属のメッキの下から鋼鉄の色が覗いていた。断熱圧縮の余熱で、身体からは煙が上がっていた。

 水のような音がして、何かが落ちた。

 そして、彼は、自分の腕を見下ろした。

 肩口を中心に割れた【弾頭】が突き刺さり、マントと鎧を巻き込みながら、肉を引き裂いていた。骨は砕け、鮮血が溢れ、ブラーの右腕は肩から外れかかっていた。重傷だ、他ならぬ【盾巨人】が!

「僕の、手!」

 ブラーは叫んだ。

「僕の手が、手が、手が!クソ、誰だ、誰だァ!」

 ブラーの仮面が光り、咄嗟に【弾頭】を鑑定する。そう、超級金属メッキの先頭部を。

 【超級金属(スペリオル・メタル)】を。

「……超級(スペリオル)ァァァァァァ!また!」

 ブラーは吠え、弾頭の欠片を掴んで放り投げた。それは軽い音を立てて地表へ落ちていった。

「超級超級超級超級超級!たかが金属にまで!糞運営の貧困頭が!いつもいつも僕の自由な権利を侵害しやがって!嫌がらせもいい加減にしろ!」

 血反吐を吐きながら叫ぶブラーの身体が、失血に由来する不調で揺らいだ。

 

 そして、その背後に雨傘を振り上げる人影があった。

 

 ボロボロの身体、血塗れの顔、汚染された四肢、何より千切れ飛んだ左腕。蒼白な顔が、憎しみに歪んでいる。

「ブラァァ!」

「……ッ!シュトラウス!」

 死んでいなかったのか!そんなお決まりの台詞を吐く前に、満身創痍のユーリイは石突を、その先端に自分の汚染された肉を擦り付けて、ブラーへ振り下ろそうとした。

「死に損ないが!」

 ブラーは絶叫し、雑に蹴り上げた爪先で傘を弾いた。

「死んだふりとはこざかしい細工を……それで僕に、勝てるつもりかよ!」

「何様の、つもり、ですか!」

 満身創痍の二人が打ち合い、離れ、睨みを交わす。

 背後ではあの巨人がくずおれていた。

 膝を曲げ、四本の腕をだらりと広げ、瓦礫の中心で屹立する。思考中枢を失ったことで変形が止まり、取り込んだシバルバの侵食が再び肉体を食い破り始めていた。

 そのことでさえ、ブラーには癪だった。

「この僕が……この僕が利用された?そんなことが、こんな侮辱があるか!」

「やっと、自省のやり方を覚えたんですか?良かった、じゃあ、ないですか、成長できて!」

「黙れ、腰巾着!」

 重心の制御を乱しながら殴りあう二人の図はひどく滑稽だったが、本人たちは真剣だった。二人とも、なかば我を失っていた。

 ユーリイがたたらを踏み、傘を落とし、ぎこちなく左の掌を広げ、人差し指をブラーに向ける。

「ハッ……」

 ブラーが嘲り笑い……血相を変える。

 その眼はユーリイの背後に向いていた。巨人の骸が毒に侵され、崩れて溶けていく。核が壊されない限り、リソースへ、光の塵へと帰ることはない。

 その腰骨が破壊され、黒っぽい血液を吐き出してへし折れた。上体が揺らぎ、高層ビルに匹敵しかねないような巨体がゆっくりと倒れていく。

 

 その直下に、赤レンガの壁のそばに、他ならぬトビアがいるのが見えた。

 

「……ッ!」

 レベル0の人間があの汚染を食らえば一秒ともたない。瞬きひとつでぐずぐずの青黒い汁へと変えられる。そんなことが、一瞬でブラーの脳裏をよぎった。

 次の瞬間、ブラーは千切れかけの右腕を肩から引きちぎった。

 弾頭盾を握ったままの腕の切断面から、フジツボのようにバーニアが湧き出す。噴煙が上がり、ミサイルのようにその“腕”が射出された。

「……《自由飛孔(バーニアン)》!」

 右腕だけが弾頭盾と共に飛んでいく。超音速の弾頭が巨人の骸へ突き刺さり、その崩落を塞き止めた。

 

「あ?」

 

 一瞬の後、我に返ったようにブラーが呟く。自分のしたことを必死で理解しようとしている、その首筋に指先を突きつけて、ユーリイが囁いた。

「《天上崩降砲(アイテール)》」

 そして、ブラーが吹き飛んだ。

 尖塔の頂点から足を滑らせて落ちていく。ほんの数秒の超重力で、身体の落下速度が加速する。右腕を失ったブラー・ブルーブラスターは、あの巨人が這い出た後の穴へと吸い込まれるように消えていった。

 

 その光景を、メアリーは見逃した。

 アシュヴィンは低空飛行に移行していた。円を描く軌道の下で、街はひどい有り様だった。

 その原因のひとつ、緋色の巨人の骸は、膝を突き、腕を下げて静止していた。

 シバルバの汚染は消え始めていた。《亡びの地平線(シバルバ)》の効果時間が終わろうとしているのだ。

「だが、死骸が消えん」

 【運搬王】は顔を拭いながら言った。

「核が生きているからだ。あれは脱け殻、蜥蜴の尻尾だ。本体は別なところで生きてるぞ」

「そうだね」

 メアリーが空から飛び降り、頷いた。

「でも、大丈夫だよ」

「ふん?」

 セ・ガンは眉間を緩めた。

「確信がある口ぶりだ。何か手を打ったのか?」

「そんなに大したことじゃないけど。こっちで死にかけたりして、ウーを追う余裕はないと思ったから、予め頼んでおいたの」

 メアリーはため息をつき、地面を見下ろした。

「……彼でも、勝てるかどうかは分からないけど」

 

 ◆

 

 ■冶金都市・地下

 

 湿っぽい地下を、【教授】ウーは悠々と歩いていた。

 背後で何が起きようと、誰が死に、誰が生きようと、彼の生存は揺るがない。グロークスの地下は入り組んでいて、知識のない侵入者では追い付けない。

 ましてや、あの緋色の巨人がいる。

「……いずれは倒されるだろうな」

 ウーは汚れた掌を見下ろして呟いた。

 それも計算の内だ。<マスター>と同じく、あの<劣級>は何度でも死ねる。死線を繰り返せる。その戦闘経験は、進化のための最高の糧となる。

 核はウーが持っている。それが壊されない限り、地上の巨人が真に滅びることはない。

 あれも、一種のアバターに過ぎないのだから。

「彼等が死力を尽くせば尽くすほど、それは我が利益となる」

 ウーは特段嘲りもせずに言った。事実を述べているだけだ。そういう計画を立て、そういう存在を作った。

「だが、カルディナにことが露見したのは些か不利だ。再び雌伏の時を過ごせるかどうか……いっそ他国に亡命でもしてくれようか。ドライフや黄河なら喜んで買うやもしれぬ。私の<エンブリオ>を……」

 実験に失敗はない。あるのは結果と修正だけだ。それでも、今回の“結果”は思わしくないものだった。

 色々と失った。リソースを集め直すためにも、ここで“監獄”入りなどという無様な羽目になるわけにはいかない。

 ユーリイを失うことも避けたい。ウーにとって、彼の存在は信用できる副官以上のものだった。

 ユーリイ・シュトラウスは冷静な男だ。彼ならば、そう易々と討たれはしないとウーは期待していた。

「……ふん」

 そして、ウーは足を止めた。

 その身体の輪郭が蠢き、瞳孔が拡大する。

「おやおや。これは懐かしい気配だ」

 ウーの周囲を、暗い地下通路を、四つの気配が囲んでいる。

「どうやってこの場所を?」

「<DIN>はあらゆることを把握している。古代グロークスの地下迷宮の地図もな。それなりに高く付いたが」

 返答するその声を、ウーもよく把握していた。

 

「……カルテット」

 

 ウーは感慨深く言った。

「さて、どうやら……加勢に来てくれた訳ではなさそうだ」

 首肯の代わりに、正面から一つの影がウーに飛びかかろうとする。それを牽制して、ウーの左腕がしなり、伸び、円を描くように風を切り裂いた。四人のカルテットたちが思わず足を止める。

『誰の依頼だ?情報屋が!』

 本性を露にし、軋む声でウーが問うた。

『いよいよ私とのビジネスはご破算というわけだな!』

「勘違いしないで貰おう」

 暗闇で、カルテットが言った。

「ビジネスは続いている」

「これもビジネスだ」

「依頼は完遂する。君の違約行為を加味した上で」

 四つの声が木霊する。その四重奏を嘲笑うように、ウーは足を持ち上げ、

『下らない!』

その爪先を蟲に変えた。

 ムカデとケラを掛け合わせたような蟲は、周囲のカルテットなど無視して大顎で足元の石を砕き、床へと潜り込んだ。割れた石畳から、その中にいた人影を引きずり出す。

『貴様の手の内は知っているぞカルテット!本体は、常に“地面”にいる!“安全圏”など存在しないということを思い知るがいいぞ!』

 その大顎が、カルテット本体の脆弱な身体を噛み裂こうとする。いくらレギオンたちが強力でも、本体は常人、それどころか前衛ですらない。さらに、常に近くにいなければカルテットは能力を使えない。

 これは制約だ。ウーはよく知っていた。彼が自らを知る人間を無防備に放置するはずがない。その弱点の情報は、まさに今、彼の戦いに味方しようとしていた。

 

 そして、止められた。

 

「その余裕が貴様の欠点だ」

 大顎に挟まれているのは、<エンブリオ>のカルテットを操作する<マスター>ではなかった。

 

 カルテットの一人だ。

 

『何!』

「「《エメラルド・バースト》」」

 直後、その一人目(ウーノ)が叫んだ。

 目と鼻の先で緑の風が弾け、地下空間を荒れ狂う。その中で、ウーは見た。

『貴様……』

「死ね」

 包囲する四つの影のひとつ、背後の一人だけが違う姿をしているのを。

『本体を敢えて晒して……地下の一人はブラフか!』

 至近で“累ね”を食らったウーの四肢が吹き飛ぶ。

『味な真似を!』

 即座に後続を呼び出したウーの身体は、寄生蟲に置換され、補われる。

 【教授(プロフェッサー)】ウーの能力がこれだ。脳髄のみを残して寄生させた試作品たち、かつての研究員を材料に作り変えた寄生生物たちの数は、二、三回の致命傷でも削りきれない。

 しかし、

「そこか」

無感情な声と共に、カルテットが突撃した。

 三人が一気に刃を突き出し、稲妻が光る。二人目(ドゥーエ)は防御する腕を弾き、三人目(トレ)は装甲する蟲の殻を砕き、そして四人目(クアットロ)、最も最後のカルテットは杖剣を突き込むと同時、その腕が刃に触れることすら厭わずに、

「貰ったぞ」

ウーの胸から【ジュエル】を掴み出した。

 腕のムカデが即座にそれを追う。その追撃をカルテット二体で押し止め、第四の(クアットロ)カルテットは、腕から血を流しながら、素早く【ジュエル】をフリースローの要領ではるか暗闇の奥へ投げ飛ばした。反響音が聞こえ……そして静かになった。

「……君の能力は既存のシステムに大きく依存する」

「【ジュエル】」

「寄生蟲のストックも、方法はありふれていたな」

「これで補充はもう出来ない」

 

「一応、雇い主の言う通りにしてやろうか?」

 

 沈黙していたカルテットの本体がここに来て口を開いた。

 

「投降しろ。お前には弁明と釈明の権利がある。カルディナ司法の裁きを受けろ……とのことだ」

『……』

 ウーは静止していた。胸の傷が塞がり、肋骨が持ち上がるように無数の脚になる。

『……まさか、まさかだな』

 その身体が、更に変形を始めた。めきめきと、乾いた音が鳴る。

 とたんに、脚の先で捕まっていた一人目(ウーノ)のカルテットが、痙攣を始めた。

 身体が板のように硬く反り返り、泡を吹き、白目を剥く。カルテット本体が舌打ちした。

「毒か!」

『貴様のような小物が……私を殺し得ると本気で思っていたのか?』

 ウーは呟いた。その顔面状の甲羅が割れ、内部から黒い複眼が現れる。空気をなめる触覚が立ち上がり、気門がしゅうしゅうと二酸化炭素を吐いた。

『良かろう。認めよう。貴様がここにいることも、【ジュエル】を引き剥がされたことも、我が想定外の事態。……その上で、まだ、なんら問題はない』

 ウーの腕が更に伸び、二本ずつに別れた。背には鱗翅類のような羽が耳障りな音を立てていた。

 脚が伸びた。毛虫のような太股に、神経に作用する毒針がびっしりと生えていた。

『そう、なんら問題はない。貴様を排除するのにストックなどもう必要ない。本体を先に狙う必要もない。五人殺せばそれで済む』

 人型の蟲のようになったウーが、脅すようにキチキチと鳴いた。

『だが、これだけハすこしざんねんダ』

 言語能力すら喪失し始めた“蟲”が、最後に述べたのは、

 

『残念ダ。コノ不恰好ナ姿ヲ晒スノハ』

 

徹頭徹尾、余裕の言葉だった。

 

 To be continued



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エピローグ 星の少年(スターチャイルド)

 ■冶金都市グロークス

 

 日が暮れようとしている。

 リンダは壁の上に立って、高い城壁への早すぎる日没を眺めていた。姿は猫だ。

(……ひどい有り様)

 グロークスは半壊していた。その割に死者が少ないのは、様々な人々の功績だろう。

 町並みは薙ぎ倒され、腐敗し、砕かれている。汚染はとうに消えていて、残されたヘドロを掃除夫たちがモップでかき集めていた。

 市長は行方不明だった。死んだのだろう。少なくともそういうことにした方が都合のいい人々というのはいて、彼等が今後の都市を復興させていくのだ。

 後任には弟のチョーリオ・グラマンが就くらしい。もっとも彼自身は権力欲に欠けた穏やかな人物で、実権は市議会の有力者たちのものだろう。この騒動で一番死傷したのは結局、無辜の市民と下っ端の軍人たちだった。

 街は静かだった。嵐の去ったこのひとときだけは、みな穏やかに過ごしたいのだ。

 その静かな街の城壁の上に、リンダは人影を見た。

 猫の視覚は人のそれとは違って、どこか褪せている。遠くのものはひどく霞み、翻って動きを捉える動体視力が発達する。遅いものは鈍く、速いものは鮮烈に見える。

 リンダがその人影に注目したのも、その素早さゆえだった。

 そしてすぐに、その興味は別の形になった。

 人影は、ヒトの形をしていなかったのだ。

 セールスマンのようなパリっとしたスーツのそれが、()()()の頭を持ち上げ、口元らしき部分に古びた笛を近づけた。優しげな音がして、その男はゆっくり頷いた。

 リンダは猫がやるように目を細めた。あれは、人間を感知する道具だ。確か、Ⅳ世が同じシリーズのものを所持していた。そこそこ貴重品のはずだ。

 

 古の【奏楽王】の造りし【人探しの大楽章(シンフォニア)】シリーズがひとつ、()()()()()()()()()()()()()()人探しの笛(アゲンスト・ゲイザー)】……その音色で、セールスマンは辺りに人気がないことを確認した。

『……はい、もしもし』

 セールスマンは通信機を取り出した。既に通信妨害は消えていた。

『はい、私です。大変お世話になっております。はい、お陰様で。例のジャミングは現在……』

 その時、高らかに角笛の音が轟いた。割れんばかりの荘厳な音色がどこかから響き渡り、それに呼応するようにあの、無敵の論理硬度を誇ったエリコがぼろぼろと崩れ出した。

『……はい。お聞きの通り、城塞型<エンブリオ>が現時刻を以て消失を開始しました。活動限界に至ったものと推測されます』

 セールスマンはグロークス本来の城壁の上で、悠々と言った。

『はい。大変申し訳ございません。目標の確保には失敗、また演算された計画にも大幅なズレが生じております。責任は全て、この私にあります』 

 電話越しに頭を下げる。

『はい、直ちに。はい、はい、大変申し訳ございません。いえ、決してそのようなことは。はい、はい、もちろん承知しております。はい、つつがなく』

 エリコが割れ、細かな破片になって揮発する。はためく軍旗がほどけて消えて行き、尖塔が次々と折れて砕けた。MPの塊が原料に戻っているのだ。

『はい。失礼致します』

 通信を切る。セールスマンはふと辺りを見回し、また笛を吹いた。音色に変わりはなく、人の視線も無かった。

『……《変身(メタモルフォーゼ)》』

 その輪郭が歪んだ。

 背骨が曲がり、手足が胴に吸い込まれていく。仕立てのよいスーツは毛羽立って、毛皮へと変わり、腰から長い尾が飛び出した。一瞬の後、そこにいるのはただの一匹のオオカミだった。

 

 どこからどうみても、ただの動物だった。

 

 その【ティール・ウルフ】は、風の匂いを嗅ぐや否や、城壁から器用に飛び降りて、街の陰に消えた。

 

 猫のリンダは身じろぎもせず、それを見ていた。

(あたしと……同じような能力を?)

 だが、あの会話はどういう意味だったのだろう。リンダは考えてみたが、思い当たるものはひとつしかなかった。

 誰かが、ウーの<劣級(レッサー)エンブリオ>を狙っていた。そして、そのもくろみはまだ続いている。人目を避けて。

(さて、どうしようか……誰かに教えるべきかな?)

 リンダはしばし思案し、そして黙っておくことにした。少なくとも、もう少し情報がはっきりするまで、しかるべき時が来るまでは。

 

 ◇◆◇

 

 ■冶金都市中央区

 

 エリコの破片が降り注いでいた。それらは人に触れるや否や、細かな光の塵になって消えていった。

 <マスター>が死ぬときと同じ光だった。リソースの光だ。

「……!」

 メアリーは額の汗を拭った。

 既にガス欠だった。アシュヴィンの治癒、【教会騎士】の治療、そのどちらも。

「お疲れ様です」

 ユーフィーミアが水を差し出す。

「怪我人は概ね治療し終えたんじゃないですか?」

「……そうだね」

 メアリーはため息をつき、座った。

「どうしたんです?」

「……いや、大したこと出来なかったな、って」

 メアリーは呟いた。悔しさより少しだけ乾いた感情が胸の内を満たしていた。

「こんなに大きな事件をどうにかするだけの力は無かった、あたしには」

「真面目ですね」

 そのユーフィーミアの言葉は、褒め言葉には聞こえなかった。

「やりたいようにやればいいんですよ。理想を追わなくたって」

「付け加えれば、お前の働きは十分理想的だった」

 セ・ガンが横から口を出した。

「お前がいなきゃ俺は死んでたんだ。まず間違いなくな。礼を言うぞ。死んだら補償金が貰えない」

 ニヤッと笑ったセ・ガンは、明らかに苛々していた。

「業務外の仕事を山ほどさせられた。危険手当はたっぷり頂かにゃあな」

「結局、あなたは何をしに来たの?」

 メアリーの問いに、セ・ガンは露骨に顔をしかめた。

「言ったはずだ。俺は運び屋だと。紛争地帯で駆けずり回るのはともかく、通信兵まがいの荷物持ちをするのは明らかに想定外だぞ。政府の担当者には苦情を入れてやる……<マスター>にやらせるべき仕事だ」

 セ・ガンはあの巨人の骸があった場所を見上げた。

「……あれだって、結局は<エンブリオ>の被造物だったんだろう?」

「うん。独自開発のモンスター」

「<エンブリオ>ひとつでも、都市、国、下手をすれば世界を変えられるわけだが。それが何百、何千と……分かってはいたが、気が遠くなる。恐ろしい時代だよ」

 一人のティアンはしみじみと言った。その目がぼんやりと街を見渡した。

「……死骸が消えたな」

「死んだんですかね?」

 緋色の巨人は、少し前に光に変わっていた。

(コア)が破壊されたなら、消えるんでしょう?」

「【教授(プロフェッサー)】ウーにカルテットが勝ったならね」

 メアリーは言った。

「勝っててほしいな……結構高いお金を払ったから。少なくとも逮捕して、<劣級(レッサー)>を……」

「<劣級>を?」

 ユーフィーミアが首をかしげる。

「何かさせるつもりなんですか?」

「……力は必要だよ。やっぱり」

 メアリーは言った。今回のことで、彼女は痛感していた。

 力は手段だ。可能性だ。どんな破壊的なエネルギーも、うまくすれば人の役に立てる。おそるべき脅威は、立ち向かうべき脅威は、いくらでもあるのだから。

「テロに使うんじゃなくて、人の役に立てて欲しいの。……理想論すぎた?」

「甘いですね。まぁ、貴女らしいですけど」

「……ユーフィーミアって実は結構、毒舌?」

 口のなかだけで、メアリーは呟いた。懐を探って、戦利品を掴み出す。

「……これだって、結構便利だったし」

 それは、【劣級飛行】の核だった。

「まだ棄ててなかったんですか?早く踏み潰しちゃえばいいのに」

「だって、使えるよ!それに、証拠品として警察とかに提出しなきゃだし、カルディナが有効活用するかも……」

 メアリーは声高に言った。

「ほら、あたしはあんまり必要ないけど、ユーフィーミアは?要らない?」

「……私は!戦闘とか苦手なんですよ!なのにあんな怖いことばっかり……<UBM>とか殺戮人形とか……」

 ユーフィーミアは不貞腐れた。その目が、ふとメアリーの手に向く。

「あれ?」

「え?」

 メアリーが目を瞬き、()()()の掌を見る。

 <劣級エンブリオ>が失くなっていた。目を離した一瞬の隙に。

「あ!」

「彼処だ!」

 セ・ガンが素早く振り向き、()()()()()()()()()()()()()()()()()その影を捕まえようとした。

 黒い影は鈍い【運搬王】を容易く躱すと、蚯蚓のようにのたくる尻尾を揺らして瓦礫の中に逃げ込んだ。それをセ・ガンが叩き潰す。粉塵の内部から飛び出したのは、核を咥えた狼だった。

 狼はちらりとも振り向かず、ぐちゃぐちゃの街並みを飛び越えて東の方へ走り去った。そのシルエットが濃くなり始めた夕刻の陰に消え、足音も聞こえなくなった。

「取られた!取られましたけど!いいんですか?」

「……誰?」

 メアリーは厳めしい顔で、その狼が消え去った方角を見つめた。

「<劣級>を回収したの?まさか、ウーの一味がまだ……」

「放っておけ」

 不意に、セ・ガンが言った。

「あれは……気にしてもしょうがない。どうせ、同じことだしな」

「?」

 メアリーは首をかしげた。ユーフィーミアは不自然に冷たい表情で、静かにそれを見ていた。

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 ■冶金都市グロークス・五〇〇メテル西 八時間後

 

 砂漠の砂が、少しだけ揺れた。

 既に月が出ていた。青白いカルディナの月光は、起伏の激しい砂海に鮮やかなコントラストを作っていた。

 また、砂が揺れた。

 重い金属音がして、砂が舞い上がる。砂塵の下から、鋼鉄の扉がぎしぎしと持ち上がり、そして蝶番が力尽きて倒れた。

 現れたのは、【教授】ウーだった。

 ただし血みどろだ。服装は擦りきれ、手足は所々欠損している。虫の塊であった身体は、パーツを失って虫食いになっていた。歩くのにも難儀するような体たらくだ。

『忌々しい……!』

 砂を蹴り飛ばして、満身創痍のウーは呟いた。

『忌々しい、あの情報屋ごときが……』

 みしみしと軋む音がして、背中の殻の一部が落ちた。

『だが、何も問題はない』

 舌打ち混じりで、ウーは自分に言い聞かせるように言った。

『寄生虫などまだ、いくらでも造れる……材料の人間はどこででも調達すればいい……』

 砂を蹴り立てて、ウーは東に向かって歩き出した。

『試作品の<劣級>など惜しくはない。データは保存されている……我が能力を欲しがる協力者も、掃いて捨てる程、釣れる……!』

 そして、ウーは自分の辛うじて繋がっている右腕を見下ろした。その掌の中にあるものを。

『何より、肝心の実験体はまだ……』

 そこで、ウーは足を止めた。

 

『……貴様は』

 

 そこに、一人の少年が立っていたからだ。

 どす黒い目付き、小柄な、痩せっぽちの体躯。砂と土と、明らかに血液で汚れた服装。

 ウーは自慢の記憶力を探り、呟いた。

『確か、ブラーの……連れてきた男児か』

「大変そうだね」

 その余裕綽々の眼差しに、ウーは能面のような顔で眼差しを返した。

『……生きて、いたのか』

「そうだね。運が良かったんだ」

『……ふん』

 立っているのも億劫そうなウーに、少年……トビアが向けた表情は、憐れみのようで、侮りのようで、ウーを軽んじているようでもあった。

『まぁ、いい……』

 ウーは言った。

 レベル0の男児。無鉄砲な子供。だが、肝が据わっている。悪くない。

『手を貸せ……子供、我が試作品を欲していたな……くれてやる。だから……』

「……あぁ、いいよ」

 トビアは朗らかに頷いた。その差しのべた手をウーが取り、体重をぶらす。得体の知れない体液に濡れた身体を、トビアは厭うこともなく支えた。

「死にかけじゃあ、流石にしおらしくなるんだ?」

『黙れ……減らず口はいい。もう少しで、回復する……免疫系のシステムが復旧すれば……』

「ふぅん……」

 トビアは首をかしげ、

「じゃ、急いだ方がいいんだね?」

 

次の瞬間、ウーの右腕が斬り飛ばされた。

 

『……ッ!』

 ヒトのそれだった皮膚がめくれあがり、紫色の血が噴き出す。キチン質の殻が割れ、ぼとぼと落ちていく。“右腕”だった長蟲が身を断ち切られて悲鳴を上げ、即座に光の塵へ変わった。

『き、貴様……ッ!』

「はっ……意外と、簡単に斬れるんだ」

 トビアが嘲る。その手には、

『それは……!』

巴十三の遺した、妖刀【明霊(あかるたま)】があった。

 濡れたような刃が妖しく月光を映す。一秒足らずで、その呪いは平凡なトビアの感覚を蝕み、左半身の感覚を食らい尽くした。トビアが力無く膝をつく。

 妖刀が手から落ちた。真っ直ぐに振るえばあらゆるものを斬り割く妖刀の力は、ほんの一振でもレベル0の子供には堪えられるものではなかった。

 だが、一振でいい。

『この、愚か者が!この程度で……ッ!』

 ウーは左膝をつくトビアに、ヒトの顔面を模造した蟲の眼で、獰猛な眼差しを向けた。

『所詮は餓鬼!無力な塵!調子に乗ってくれるな!分不相応な武器を拾ったくらいで、この私にひとときでも敵うと……』

「そう、だね……!」

 トビアは顔を上げ、残された右目だけでウーを見た。その眼には一欠片の怯えもなく、そしてその右手には……

 

あの、緋色の<劣級エンブリオ>があった。

 

『な……ッ!』

 トビアは狼狽えるウーになどもはや眼もくれず、掌の中のそれを見た。恍惚とした眼で、酔ったような瞳で、羨望と期待の眼差しで。

 トビアが口を開き、顔を上げる。卵ほどの“核”をトビアの手が厳かに持ち上げ、

「……ッ!」

 

滑らかに嚥下した。

 

 喉を滑り落ちていく<劣級エンブリオ>が鮮やかに光る。トビアの小さな喉、鎖骨の少し上、青白い首の皮膚が動く。次の瞬間、そこには黒く放射状に光る“太陽”……星型の紋章が刻まれた。

 

「……礼を、言うよ、【教授(プロフェッサー)】……!」

 トビアが立ち上がる。喉元の紋章を握り締めながら。

「ついに手に入れた……僕の(エンブリオ)だ!」

『貴様ァ……ッ!』

 ウーは掠れた声で絶叫し、左腕を刺々しく蟲化させてトビアに襲い掛かった。だが、

 

「来い……<エンブリオ>!」

 

喉元の紋章が紅く光る。

 そして、ウーが頭陀袋のごとく吹き飛ばされた。

 トビアの影が膨らみ、緋と赤と紅の焔が燃え盛る。砂塵が舞い、月光をしばし遮った。

 風が唸った。それは、死者の怨嗟のようにも聞こえた。力の材料になった死者の声だ。

 そして、それは再顕現した。ウーの最高傑作、最新の実験結果。

 

 緋色の巨人が、月に吼えていた。

 

『貴様……バカな!これが狙いで……』

「他に何がある?【教授】……あんたごときに、人が期待するものが、他に何がある!」

 トビアが右足を踏み出す。その背後で、緋色の巨人が獣のように身を屈めた。

 先だっての戦いで消耗し、その質量はかなり減じている。一度リソースから再構成されたので、諸刃の毒も既にない。だが、その蓄えた戦闘経験は、確かにまだその内部にあった。

『ま、待て!』

 砂の上で、無様に転がるウーは言った。

『よく考えろ!それを造ったのは誰か、誰の力か!』

 トビアは沈黙していた。ウーは必死に叫んだ。

『そうだろう?お前は頭がいい、そのはずだ!分かるはずだ、本当に得な行いが何か!』

「得?」

『そうだ!』

 返答があったことにあからさまに安堵して、ウーは言った。

『それを産み出したのは私だ!我がエキドナだ!その力の本質は、我が手にある!』

 そう、ウーは主張する。

『“授人以魚不如授人以漁”!金の卵を産むガチョウをくびり殺すのか?お前と私の利害は一致している。我が能力の成果をお前に与えることは、私にとっても喜ばしいことだ!好きに使えばいい!力を与えてやろう!』

 トビアはまた黙り込んだ。だが、その動きはもう止まっていた。

『さぁ、我が手を取れ!』

 ウーは力強く言った。

『どうした?分かるだろう?理解できるだろう?お前は、()()程度で収まる器ではない、と!私ならこの先もそれと同じものを、いや、それ以上をお前に与えられる!』

「そうだね、本当にその通りだ」

 色好い返事に、ウーは思わず破顔した。

「あんたなら、この先も<エンブリオ>を造れる。いくらでも、力を産み出せる」

『あぁ、共に来い!』

 ウーは笑った。トビアも微笑みを浮かべ、

 

「でも、もういいよ」

 

そして、緋色の巨人の両拳が【教授(プロフェッサー)】ウーの身体を叩き潰した。

 

 <マスター>本体である脳髄を破壊され、ウーの身体の全てが光にほどけていく。それを眺めながら、トビアは笑った。

 このウーに頭を垂れるなど、想像しただけで不快だった。隷属、服従、依頼……それは、弱者だ。己の運命を誰かに依存する、唾棄すべき姿だ。

 唇が歪み、思わず息が漏れた。

「ハハ……」

 砂塵が晴れた。静けさが戻ってくる。天空では、月が輝いている。

「ハハハ!」

 トビアは哄笑した。両手を広げ、月を仰いだ。

 緋色の巨人は静かに屹立していた。その意思も、躯も、力も、リソースの全てがいまやトビアのものだ。トビアのものだ!

「お前は、僕のものだ……!」

 トビアは裂けんばかりに唇を吊り上げ、その巨体を撫でた。

 なぜか、急にどっと疲れ果てたような気がした。しばらくそうして佇む少年を、ただ、青白い月だけが照らしていた。

 

 End & To be Next Episode



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ペルヌの囚人
第一話 The C:囚われ人


 ■???

 

 白い岩の砕かれた欠片は、一つ一つが人の背を越すほどだった。ざらついた表面には嵐に運ばれてきた砂が溜まり、風を凌ぐ僅かな草木が渇いた葉を伸ばしていた。

 そして、一匹の大猿が岩を上った。

 その油断のない目が夜を見透かすように動き、そして二度、甲高く叫ぶ。

 堰を切ったように溢れ出したのは、獣たちの群れだった。ただし、どこかおかしな群れだ。

 猿、狼、鳥、虫。大小を問わず、種々雑多のけものたちが足並みを合わせて歩いている。その群れはやがて岩場の中央、窪みのようになった所に至ると、その足を止めた。黒い影たちが水のように陰に溜まる。幾重にも輪を描く獣たちはまるで池に石を落とした波紋のようであった。

 土気色の猿は一段高くなったところに腰を据え、じっと群れを見つめた。その口が開く。

『……ずいぶん、減った』

 響いたのは、深みのある低い声だった。淀みなく滑らかな、紛れもない人の言葉だ。

『サビアハ』

 猿が呟く。小さな音を立てて黄金虫が飛び、猿の膝に止まった。

『ガラシュリ』

 虫もまた、黄金虫の軋むような鳴き声ではなく、穏やかな女の声で言葉を紡ぐ。その言葉は猿のガラシュリだけではなく、辺りを囲む獣たちの、知性を湛えた瞳すべてに向けられていた。

『……逃げ延びたのは二百十余。うち、五十が死に、五十が……“堕落(コチトラチ)”した』

 獣たちが黒い夜空を仰ぐ。微かな笛のように弔う獣の叫びが風を満たした。

『……【(キング)】も奪われた』

 虫のサビアハが言う。獣たちは体を揺らして囁いた。

『決して赦されぬ……』

『決して赦されぬ……』

『決して赦されぬ……』

 一頭の大猫などは、がちがちと牙を打ち鳴らして見せた。怒りと屈辱が大気を張り詰めさせる。

『取り戻さねば!』

『されど、“掟”を破ってはならぬ』

 一頭の亀が歩み出る。歯の無い嘴から、亀が老婆の声で断じた。

『見られず、悟られず、潜まねばならぬ。数多の父祖が護り伝えた戒めじゃ』

 その言葉を敬うように、獣たちは一斉に頭を下げた。大猿もまた首を落とし、そして言う。

『妙案がございます』

『何か』

 亀が唸る。生臭い水の匂いが漂った。

『如何にして王を救えるのか』

『我等は滅びの道を歩んできたが、それは偏にあの“異人(マスター)”たちのため』

 ガラシュリは言った。

『我等もまたあの恐るべき力を使うなら、王を救えるでしょう』

 獣たちはどよめいた。毛が、羽が逆立ち、さざ波のように囁きが走る。

 大亀も咎めるように口を開いた。

『賢明なるガラシュリよ、それは掟に触れはせんかえ?』

『堅牢なるムバライよ』

 大猿はゆっくりと頭を下げた。

『人界へ伝手を持つのは危うきこと。氏族が姿を晒すのは確かに赦されますまい。ですから、あの裏切り者を使えばよい』

『卑しきヘシリンシか』

 亀のムバライ老は噛み締めるように言った。

『果たして使えるものか?』

『戒律の外にいるものが幾ら掟を破ろうと構いますまい。既に奴に守るべきものは何もない。喜んでその身を捧げるでしょう。むろん、奴とは私が話します』

 再び獣たちが揺れた。牙や嘴が口々に言う。

『ガラシュリ、よい』

『ガラシュリ、偉大』

『ガラシュリ、強い』

『おお、賢明なるガラシュリは優しいぞ!』

 ムバライ老は涙を流していた。

『ガラシュリよ!自ら穢れへの橋となるか!その気高き行いは必ず汝を禊ぐであろう!』

『身に余る言葉に感謝を』

 ガラシュリがみたび叩頭し、ムバライ老は言った。

『では、すべてガラシュリに任せる。必ずや王を……』

『この身を捧ぐ心です』

 ガラシュリはそう言うと、月の無い夜を仰いだ。戒めを想い、再び石のように静まった獣たちの他に、音を立てるものはもう無かった。

 

 ◇◆

 

 □■同刻・“監獄都市”ペルヌ

 

「面白い囚人が入ったよ、シェメシ」

 黒い円柱のごとき見た目の男が呟いた。頭には円形の笠、そこからすっぽりとヴェールのような布を垂らし、その手には大きな硝子板のような道具が握られている。その表面では光の文字が延々と蠢いていた。

「あくまで風の噂だけれどね、その中にも真実はあるものだよ。もし本当なら……」 

「赦されざる大罪だな、ヤレアハ」

 隣でそう言うのは、ひとりの女だった。

 浅黒い肌は黒檀のように美しく、褐色の髪は複雑に編まれている。身に纏うのはほんの少しの麻布と、全身に刻まれた荒々しく猛々しい純白の刺青のみ。殆どすべての裸身を晒してなお、その態度には気品と誇りがあった。

「冶金都市での騒動は、凡そ数週間前……ずいぶん手間取ったものだ」

「中央の最重要区画に入れてあるそうだ。検分するかい?」

「勿論、速やかに……この用事が済んだらな」

 その柳のような指がしなる。厚い石壁、暗い廊下の全てを通り抜け、距離も視線も飛び越えて、いと高き権能が姿を顕す。

「《罪と罰(アブ・オーダー)》……“アラーフ”、“ビトー”、“ギムェル”」

 そして、そこから遠く離れた場所、黒い通路を外壁に向かって忍び足で駆けていた三人の男たちが突如……倒れ伏した。あまりの勢いに潰れたカエルのような呻き声が上がる。

「ちくしょお、見つかってたか……」

「てめえがもたついてたせいだぞ、コラァ!」

「うるせぇ、お前がこの道選んだのが悪いんだ!」

 もがき、わめき、無様に這いつくばって罵りあう彼らを映像越しに見つめ、シェメシと呼ばれた女は立ち上がった。耳飾りが揺れる。

「【看守(ジェイラー)】を回しておけ、彼らを即刻懲罰房へ」

『了解しました、閣下!』

 通信の返答をよそにシェメシは黙って扉を開け、ヤレアハがその後に続く。戸口からは冷たい夜の空気が入り込み、星空が頭上に君臨していた。

「房の現状使用率は?」

「おおよそ八割。この先()()()()()()()()()()()()()。増築を検討すべきかもしれないね」

 二人が立っているのは、金属製の通路だった。硬質な足音が夜に溶けていく。鉄柵と金網が周囲を固め、その向こうには砂漠を裂く奈落の壁がある。

 砂礫の荒野に空いた裂け目、その内部には、大地に隠れるように楕円形の巨大建造物がそびえている。地下方向の高さに君臨する都市、とでもいうべきか。

 黒い金属製の外壁が夜を映し、無数の通路がそのおもてをはい回っている。都市ひとつが、砂漠に埋もれているのだ。

 そんな通路のひとつ、最上層の連絡路を、二人は堂々と歩いていた。

「外層は既に溢れている。次からは中央にな」

「あぁ、わかっているとも」

首肯するヤレアハの、ヴェールの中のその瞳が剣呑な気配を孕む。

「やはり、虫が彷徨いているようだね」

「始末してくれるのだろう、ヤレアハ、我が弟よ?」

「姉君よ、シェメシよ、このわたしが期待を裏切ったことがあったかい?」

 ヤレアハが笑う。その分厚い手袋に覆われた掌が、金属と樹脂の(ロッド)を掴む。

「任せておきたまえ」

 恐れるものなど無い。二人こそ、此の地の君臨者。

 ここはカルディナ大砂漠に佇む、罪と罰の坩堝。力も徳もないものたちの行き着く先、社会の底だ。

 シェメシとヤレアハが治めるこれは、歴史あるペルヌ大監獄。“監獄”とはまた別の……ティアンのための牢獄である。

 

「……さて、噂の囚人か」

 シェメシは呟いた。ヤレアハがしずしずと扉を開ける。 

 最重要区画の牢獄は、どれも静まっていた。

 正方形のコンテナーが幾つも連ねられ、奥まで続いている。その内部にいる囚人たちは、軒並み沈黙していた。意識を失っていたのだ。

 その最奥。明かりさえ薄い二つの独房のうち、ひとつをシェメシは見据えた。猫のように足音のない歩みが、素早く彼女を運ぶ。

「ふむ、見かけはただの子供だ」

「けれど、紋章は刻まれてある」

 ヤレアハは“囚人”を見て、言った。

「不可思議だね」

「不可思議だ」

 シェメシは吐き捨てるように言った。

「恐るべき罪……天地の摂理への離反……」

 独房はなんの変哲もない鉄格子で出来ていた。その奥で、鎖に縛られた囚人が身じろぎをした。

 

「……汝を終身刑に処す、トビア・ランパートよ」

 

 鋼鉄に戒められた少年を、シェメシは睨んだ。トビアはその視線に気づくこともなく、ただ、静かに眠り続けていた。

 

 To be continued



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第二話 The P:監獄都市

 ■都市国家連合カルディナ

  

 グロークスの事件から少し経って、AFXは再びメアリーと行動を共にしていた。

 砂漠はいつも通り乾いていた。遥か遠くには、哀れな盗賊かなにかをボリボリやる【ドラグワーム】たちの細長い影が見えた。風に乗って、微かな悲鳴が聞こえる。

 AFXは覚悟を決めかねるように、横目でメアリーの顔を見た。

「あ、ねぇ、見えたよ!」

 メアリー・パラダイスは突然の大声を上げ、砂の向こうを指差した。午前中の太陽の真下に、砂に埋もれた建物が見えた。

「……やっぱり止めない?絶対に怪しいって」

 AFXは無駄だと理解しながら言った。案の定、メアリーは首を振った。

「まさか!ことは不当逮捕だよ、不当逮捕!体制の横暴を許してなるもんですか!進めェーッ、バスティーユへ!」

「いつから革命家になったんだ」

 AFXはため息をつき、観念して自分も歩を進めた。手元には、道中で<DIN>にそれなりの(全財産の半分)金を支払って得た情報が握られている。

 半ば砂に埋もれた建物は、威厳たっぷりに黒光りしていた。人の影はない。どう見ても、観光向きではない。

 AFXは静かに言った。

 

「“監獄都市”ペルヌ……」

 

 手元の紙を眺め、アイテムボックスに仕舞う。そこには、ティアンの重犯罪者のための監獄、と記されていた。

 

 ◇◇

 

 □数日前

 

 二人がその行き倒れに会ったのは、まったくの偶然だった。

 

 グロークスの事件は一応、終息したということになっていた。勿論街にはまだ傷跡が残っていて、復興の作業は着々と進められていたのだが、この程度の事件はそこまで珍しくもないのだ。

 <マスター>の中には小国一つを“絶やした”ものもいるらしい。

 

 二人は既にグロークスを離れていた。カルディナは広い。砂漠に打たれた点のオアシス都市の間には、いくらでも空白が広がっている。

 他の都市に向かうためのその空白の途中に、一人の男が倒れていた。ティアンだ。

 

「大丈夫ですか!」

 見つけるやいなや即座に駆け寄ったメアリーに、AFXは立ち止まった。これは間違いなく彼女の美徳だ。自分では、こうはいかない。放っておけばいいのに、と少しは思ってしまう。

「意識はあります?名前は?」

 その男はひどく砂まみれだった。浅黒い肌、青銅のようなピアス、入れ墨、赤みがかった髪……服装こそカルディナ人だが、どこかエキゾチックだ。

 インディオみたいだ、とAFXは思った。眼前では、メアリーとアシュヴィンが拳を振り上げていた。

「《癒しの息吹(ヒリング・オーラ)》!」

「……ッ!」

 金色のオーラが光り、その男は途端に息を吹き返した。

「もう大丈夫!かなり衰弱してたけど、それだけだから。でも、ひとまずなにか食べた方がいいよ」

「あ、あぁ、ありがとう」

 食糧を差し出すメアリーに、その男はふらふらと頭を下げ、立ち上がった。

「独り旅?」

 今度は、AFXが話す番だった。

「ここは人里から遠い。こんなところで、何をしてたんだ?」

「それは、君たちも同じ様に思えるが?」

 男はニヤッと笑って、二人を眺めた。

「こんなところで逢い引きかい?」

 AFXの頬がパッと紅潮した。メアリーは冷静に首を振った。

「違うのかい?なら、遠慮なくこの麗しい命の恩人に、俺の感謝を示せるって訳だね……お嬢さん、今度食事でもどう?ドラグノマドの雰囲気の良い店を知ってるんだ……」

「それが行倒れた人間の台詞?」

 AFXは露骨に不機嫌になって言った。

「質問に答えろよ。ここで、何してた?」

「まぁ、ご想像にお任せするよ」

 男は体格に比して長めの手足を振りながら答えた。その手がメアリーの手を恭しく取る。

「……で、どうだろう?君のように愛らしい女性を放っておくことはむしろ無礼だと心得ているんだが」

 その軟派な振る舞いは、確かに男の外見にも似合っていた。長めの前髪はさりげなく切り揃えられ、人懐っこそうな眼はメアリーをまっすぐに見ている。服装も派手だが下品ではない。

 総じて、見目麗しいと言えるだろう。よく整った顔立ちはまるで大輪の花のようで、きめの細かな赤銅の肌には陽光が光っている。立ち居振舞いもそれとなくハンサムで、笑顔がよく似合いそうだ。声もいい。聞いていて心地いい。例えるなら年季の入った滑らかな黒檀の机、あるいは流麗なステンド・グラス……食事どころか、今後も長く付き合っていたいと思うほどだろうか?自分でも自覚しているんだ、並んで歩く女性をエスコートするのに、男が容姿を磨かないことは罪だからね。もちろん君が望むなら、俺はどんな手助けでもしよう、だから俺の隣でいつまでも笑顔という花を咲かせていてはくれないだろうか……!」

「……質問に、答えろ」

 AFXは再三言った。その鷹のような目付きに、今度こそ男は両手を挙げて(ホールドアップ)答えた。

「オーケー、“俺は君たちに危害を加えないし、間接的に害を与えるつもりもない”。これで、ひとまず信用してくれる?」

 AFXは渋々頷いた。《真偽判定》があるこの世界で、言葉はそれなりに重い。

「実はねぇ、俺はとある用事の帰りなんだ」

 男は話し始めた。

「まぁ用事の内容は置いておくとして……俺の目的はひとつ。とある場所に閉じ込められた人物の救出だよ」

 その言葉にメアリーが俄然目を見開いたのを、AFXは見なくても感じた。

「救出?」

「そう、救出。彼女は哀れにも冷たい檻に囚われ、日の光を見ることすら叶わない!」

「なんですって!」

 また始まった!AFXは思った。

 メアリーは叫んだ。

「そんなの、許せないよ!」

「そうだろう?俺は彼女を救い出すため、方々を駆けずり回って助けを求めた……なにせ敵は強大で、俺なんか正面から立ち向かっても殺されるだけだからね。そうだ、君たちも手伝ってくれないか?」

「訊きたいんだけど」

 メアリーを制するように、AFXは言った。

「その囚われ人とあんたの関係は?」

「……大事な人さ」

 男の言葉が、一瞬だけ鋭さを増した。その切っ先が突き刺さったような気がして、AFXは思わず胸を撫でた。

 男は気配を緩めて続けた。

「親友の妹だよ。助けたいんだ」

「勿論、手伝うよ!」

 メアリーは満面の笑みで胸を叩いて見せた。虐げられる人間を救うことこそ彼女の本懐だ。

「それで、どこに捕まってるの?」

 その問いに、男はあっさり答えた。

「場所は、ペルヌ大監獄」 

 二人は首をかしげた。

「知らないな」

「カルディナだよ。監獄都市ペルヌ。まぁ、観光名所じゃあないね」

 男はへらへら手をたたく。懐から、一枚の写真が出てきた。

 若い、幼い少女だ。エキゾチックな見かけは、男のものと同属だった。

「これが救出対象の写真ね。ペルヌの奥、おそらくは独房に入ってるはずだよ」

「ねぇ、それって……脱獄じゃない?」

 AFXは眉をひそめた。

「監獄なんだったら、いるのは犯罪者だろう?強大な敵って、つまりカルディナの体制側じゃあ……」

「不当逮捕なんだッ!」

 突然、男は叫んだ。

「ろくな裁判も、捜査もない!政治的な思惑と取引だけで監獄に入れられた!横暴だよ、体制の横暴だよ!控訴すら許されないんだ、権力の前では一市民は無力なチリに過ぎない……ッ!」

「やっぱり犯罪者じゃないか」

 AFXは首を振った。口ではいくらでも言える。《真偽判定》は虚偽しか見抜けない。隠匿や秘匿、片寄った主観は真実のうちになる。言葉は曖昧だ。

「悪いけど、僕らは……」

「……協力する!」

 渋るAFXを突き飛ばして、メアリーは男の手を取った。

「そんなの酷すぎる……絶対に見過ごしちゃいけない。都市国家の自治権の暴走は、あたしたち二人が止めてみせる!」

「メアリー!?」

「権力は弱者のためにある。政治の道具になって良いはずがない!不当逮捕反対!反対!」

「そうだ、反対!」

 二人が声を上げ、意気投合する。AFXは黙って空を見上げた。空が青い。

 最悪だ。メアリーの性格に火が着いた。AFXは心の中でため息をつき……舌打ちした。

 それを見抜いて焚き付けたのか?

 あの一瞬で?

「……まさか」

 男のことを睨み付けて、AFXは呟いた。

 とにかく、手伝うにしてもこの男の素性を知っておきたい。

「ところで、あなたの名前は?」

 男はあっけらかんとした顔で言った。

「俺の名前は、ヘシリンシだ」

 

 ◇◇

 

 ■再び現在

 

 近づいてみると、その建物は思うより巨大だった。

 ゆっくりと渦巻く流砂、そしてその砂を寄せ付けぬように人工の断崖があり、さらにそれに囲まれて黒い建物がそびえている。その重々しい雰囲気はいかにも、“監獄”だ。

 この大監獄がまるまる、ひとつの都市国家として扱われているのだ。

「で、どうする?」

 AFXは眉を上げた。

「はっきりさせておきたいんだけど、僕はさ、あの人を怪しいと思ってる。その……救出対象も捕まるべくして捕まってるんじゃないかって」

「体制側の言うことを鵜呑みにするのは……」

「あぁ、あぁ、はいはい。だから、少なくとも僕らで裏を取りたいんだ」

 AFXは辛抱強く言った。

「その女の子が不当に逮捕されたのかどうか。助けたいと思えるかどうか」

「違法かどうか、じゃないんだ?」

 メアリーはにやっと笑って、AFXの肩を叩いた。

「あたしに、良い考えがあるんだよね」

 その自信ありげな顔に、AFXは唾を飲み込んだ。

 

 嫌な予感は的中した。

 柔らかな流砂に、AFXが指を沈ませる。そのままで、少年は呟いた。

「本気で忍び込むつもり?」

「他に無いでしょ」

 メアリーはそう言って、ゆっくり両腕を持ち上げた。黄金のオーラが揺らめき、巨大な前腕を象って具現する。

 それこそが、彼女の<エンブリオ>……アシュヴィン。空を舞う双拳だ。

 アシュヴィンはいつもどおりサムズアップすると、不安定な砂の上ぎりぎりを浮遊し始めた。メアリーが右腕に飛び乗り、身体を低くする。AFXも渋々後に続いた。

 砂を踏めば、沈む。しかし、高空を進めばペルヌとて正式な監獄、侵入者を見逃すはずがない。

 だからこうするのだ。流砂によって守られていると、ペルヌが判断している死角だから進めるのだ。

「……【ドラグワーム】だ」

 AFXは声をひそめた。流砂の中を、鰻のような長虫が泳いでいた。エサを探しているのだろう。砂を騒がせていたら、流砂の内部から噛み裂かれていたかもしれない。

「気づいてないよ。あの手の生き物って眼は悪いはずだから」

 AFXは本気にしなかったが、少なくとも襲われることは確かに無かった。ペルヌ大監獄もまだ、沈黙を保っていた。

 じわじわと、いっそ飽いてしまいそうなほどの鈍行のすえ、二人は流砂の縁へとたどり着いた。縁は砂丘のように盛り上がっていて、そこから砂が瀑布のように流れ込んでいる。

 その陰に身体を隠して、二人はペルヌを見た。黒々とした建物は、無数の階段や配管の寄せ集めで、どこか蜂の巣みたいだった。つついたら、わっと働き蜂が飛び出してきて刺されそうだ。

 ペルヌを取り巻く亀裂を越えて、何本かの空中回廊が砂漠から伸びていたが、そのすぐ傍らに番小屋があるのを見て、二人はそのルートを断念した。橋の裏を渡ったり、上を飛んでいくのは無理だ。

『やぁ、困ってるね?』

 そのとき突然聞こえた声に、AFXはもう少しで飛び上がるところだった。

 知っている声だった。この作戦のそもそもの原因の、砂漠の行き倒れ、ヘシリンシだ。

『もう理解したかな?この監獄は周囲を流砂と堀に囲まれ、連絡はあの橋を通してのみ行われる。そして、敵はその橋をガチガチに固めている』

「あんた、どこにいるんだ?」

『君が知る必要はない』

 ヘシリンシの声はすれど、その姿は見えない。声の大きさからして、すぐ近くにいるはずなのだが。見渡しても、岩や砂のかたまりこそあれ、二人の視線から人一人を隠せるような物陰は無かった。

「どうやって入るか、当てがあるの?」

『調べたのさ。この建物は年々、地盤が沈下している。その度に連絡橋を建て増しして凌いでる。だから、奈落に飛び込むんだ。すぐ10メテル下、古い通用口が残ってるはずだ。そこなら警備もない』

 飛び込む?AFXは頭半分だけ、砂丘から出して向こうを見た。ペルヌは遠く、奈落は深い。

『素早くやるんだ。縁でもたついていたらすぐ見つかってしまう。頼むよ、彼女を救いたいんだ』

「僕はまだ、あんたの頼みを聞くって決めたわけじゃ……」

 AFXは口のなかでぶつぶつやったが、メアリーは少しも躊躇わなかった。少年の腕を掴んで、少女は言った。

「絶対、助けてあげるから!」

 

 次の瞬間、二人は砂丘を飛び越えた。

 

 叫びそうになって、AFXは思わず口を押さえた。ドーナツ形に切り取られた空が小さくなっていく。砂の縁から、鳥のようなものが飛び立つのが見えた。

 砂塵の滝が落ちるのと同じはやさで、二人は落下した。砂の粒が周りで浮いているようだった。メアリーは周囲を睥睨し、素早く目的のものを見つけた。

 橋だ。ただし、錆びて落ちている。そのぼろぼろのフレームがペルヌへと繋がっているのを確認すると、メアリーはアシュヴィンの片腕に命じた。

「飛べ!」

 ふわりと重力加速度に抗った<エンブリオ>を踏み台にして、二人は斜めに跳躍した。AFXとメアリーの手が、崩れかけの橋桁を掴む。それがへし折れると同時に、二人は走り出した。

「……ッ!」

 踏みつけるそばから壊れていく。10メテルほどの金属の枠組みは、一歩ずつ分解して奈落へ墜ちていった。音は聞こえない。その事がAFXにはかなり不気味だった。

 最後のフレームが錆の欠片に変わるのと同時、二人は古い扉の縁にかじりついた。人間二人分には到底足りないスペースで息をつく。その後ろで、黒と金色のアシュヴィンが浮いていた。

「素直に、乗せてもらえばよかったんじゃない?」

 AFXは奈落に足をぶらぶらさせながら、皮肉っぽく言った。

 メアリーは扉を用心深く触り、鍵がかけられているのを確かめて、力一杯引っ張ってみた。【教会騎士(テンプルナイト)】の膂力は、ドアの一部を静かに引きちぎっただけだった。

「……おっと」

「賭けてもいいけど、見つかるとしたら絶対に君のせいだからね」

 AFXは懐をまさぐり、小さなガラスの小瓶を取り出した。

「そっちこそ、文句言うくせに準備が良いんだから」

「そりゃどーも。深い感謝のお言葉いたみいるね」

 瓶の中身を扉の蝶番へと染み込ませる。【錬金術師】系統の謹製、魔法のかかった強酸は、錆びた鋼鉄さえ煙と共に易々と溶かして焼き切った。

 AFXはゆっくり、軋まないようにそれを引きずり、扉をこじ開けた。小瓶は投げ棄てた。どうせ、誰も咎めないだろう。

 建物内部は異様に薄暗かった。真昼の砂漠とは正反対で、まるで冬の午後みたいだった。冷たい照明が点滅しながらむしろ物陰を濃くしていた。好都合だ。

 メアリーは光で気取られぬよう、アシュヴィンを格納して歩きだした。

 ホンの少しの衣擦れでも、反響してこだまする。天井は高く、絡み合った通路を吹き抜けのように遥か上まで透かしていた。

「ほんとに蜂の巣みたい……」

 二人は顔を見合わせ、頷いた。目指すなら、監獄中央の最奥だ。

 監獄は入り組んでいたが、構造はめっきり単純だった。中央のシャフトから放射状に連結された監房の列が伸び、その隙間を通路が立体的に繋いでいる。外郭のブロックを抜けて、監房ブロックを耳を澄ましながら進むAFXは、ふと、その監房の鉄格子の内側を覗いた。

 なんのことはない、人相の悪い【詐欺師(スウィンドラー)】だ。

 奇妙なのは、それが意識を失っていることだった。規則正しく、ゆっくり、深すぎる寝息が聞こえた。 

 いや、単なる昏睡ではない。

 【昏睡】【精神休眠】【倦怠】【拘束】【気絶】【強制睡眠】【麻痺】【脱力】【弛緩】【衰弱】エトセトラエトセトラ……数えるのもバカらしくなるほどの状態異常、その五大系統の数々がその囚人を侵していた。他の囚人たちも、だ。微かな呼吸音が周囲から、まるで無数の虫の羽音みたいに、静寂を塗りつぶしている。

 

「……意識を残しておく、メリットが無いからな」

 

 判断は素早かった。

 AFXは振り向きざま、まだ事態を把握していないメアリーの襟首を引っ掴んで走り出した。【偵察隊】のAGIを全開だ。監房の縦列が、薄暗がりに溶けていく。

 そのスピードを誰かが制止した。

「逃げられるとは思わないことだ。侵入者くん?」

 容易く首根っこを押さえられて、AFXが強制的に立ち止まる。

「古いほうの扉を使うとはな。“監視網”に穴はなかったとはいえ、治安上よろしくはない……塞いでおくべきか。御指摘(きみたち)に、感謝しよう」

 引き締まった筋肉を誇るように薄衣のみを身に付けたその女、ほぼ裸身の女は、獣のごとく獰猛に笑った。

「何者かがこの周囲で不審な動きをしていることは把握していた。既に、そして完全に。我が弟は優秀なのでね」

「あんたは……」

「我が名は、シェメシ」

 女は呟いた。AFXを放り出す。二人は蛇に睨まれた蛙のように、身体を固くして彼女を見た。

「ここ、監獄都市ペルヌの長を勤めている」

 AFXは視線を外さぬよう、全身で気配を探った。なぜ気づかなかったのか、辺りの暗がり全てに人の気配がある。静かに、そして確実に二人を見張る気配がある。

「にしても、感心だよ君たちは」

 シェメシは複雑に編み込まれた頭髪を撫でた。その全身には痛いほど純白の入れ墨が走り、褐色の裸身を切り取っていた。

「人々は“監獄”などというものには無関心なのが常だ。ペルヌだって無名の都市だろう。社会には不可欠だというのに。綺麗事だけでは回らないのが秩序だ、そうだろう?汚れ仕事……そう、決して華やかではないが、ここは社会という双璧の片側なのだ」

 鋼鉄の廊下は寒々しかったが、外の気温が微かに入り込んでいた。砂漠の熱が。 

「罪とは……」

 シェメシは誰に言うでもなく呟いた。

「罪は二つから成る。ひとつは法。人を裁くための規律だ。だが、それだけではまだ空虚な哲学に過ぎない。机上の空論を具体的な力にするのは、罰だよ。ここにあるのはそれだ。監獄都市(ペルヌ)は罰を担っているのだ。罪の天秤の左方をね」

「いい哲学だな」

 AFXは左手の紋章に触れた。どうにかして、隙を作れるだろうか?

 シェメシの眼差しが、二人の手に向いた。左手の甲に刻まれ、染め付けられた紋章をちらりと視線が捉える。

 しかし<マスター>の不埒もの二人を前にしてなお、シェメシは徹底して朗らかだった。さっきまでのネコ科肉食獣のような気配は収まり、穏やかな春風にも似た微笑みが顔に上った。

「だから、囚人を逃がすわけにはいかん。意識を失わせれば、いかな曲者どもといえど打つ手はなし。いくらでも状態異常を重ね掛けできもする。囚人は檻のなかで大人しくするのが仕事だ」

 AFXは考えあぐねていた。正直、体制側の重要施設に忍び込んだ時点で逮捕されると踏んでいたのだが、彼女はどうやらその気がないらしい。

(でも、逃がしてくれるって感じでもない。……なにか、様子を見ているのか?)

 そんな考えをよそに、AFXに捕まっていたメアリーは、シェメシを毅然と睨み付けると、懐からあの写真を取り出した。

「ここに送られてきた囚人の中に、こういう女の子は?」

 瞬間、AFXは息を呑んだ。

(このバカ女……!)

 犯罪者を助けに来ました、と自白するようなものだ。脱獄は、歴史上のどのような国家権力の下でも漏れなく重罪。この場で連座式に指名手配でも食らいかねない。

(いや、だが、なら、いい!こうなったら賭けだ!)

 ここには《真偽判定》がある。

 シェメシの視点で考えよう。二人が所持していない、と確定は出来ない。リスクがある以上、軽々しく回答することは悪手でしかない。

 だから口に出せる言葉は、【詐欺師】でもない限り、まず真実にならざるを得ないのだ。ズバリの質問はリスクも大きいが、得られるものも多い。

 可能性はふたつ。明確に否定すれば、少なくともこの少女はここにはいない。肯定すれば、囚人としてその情報を訊ける。もし隠すなら、疚しいことがある証拠だ。

 だが、シェメシの答えはそのどちらでもなかった。

 

「そうか。なるほど……君たちは、あれを脱獄させるために来たのか」

 

 そのやけに自信ありげな言葉に、AFXは眉をひそめた。

(知っていたのか?予め?)

「ふん……君たちの名前は?」

 突然の問いに、思わず二人は正直に答えていた。

「【偵察隊】AFX」

「【教会騎士】メアリー……パラダイス」

 その答えに、シェメシはあからさまなため息をついた。

「反応無し。なんだ……予想外だな。()じゃあないのか……だが、こちらはこちらで……<マスター>(ひとでなし)の力を借りるほど追い詰められて、とうとう形振り構わなくなったのか……?」

「なんの話?」

「君たちの、脱獄幇助計画の話だ」

 シェメシはあっさり言った。

「どうせ詳細は知らんのだろうな。命拾いか?二人だけで乗り込んでくるあたり、計画も稚拙だ。探りを入れよう、というところか。そのような行動に出るからには、君たちにもまだ確信が持てないのだろう?その少女……クオンを脱獄させるかどうか」

 ペラペラと、腹積もりを看破されて二人が沈黙する。シェメシは身体を翻し、声が静かに反響した。

「あぁ、一応、確かめておこうか。君たち、ブラー・ブルーブラスターという名を知っているかね?」

「……ッ!」

 AFXは眼を細めた。

 “自殺”のブラー。冶金都市グロークスで鉢合わせたときの記憶は、少年にとって不愉快な思い出として残っている。

「……あいつが?」

「仲間か?」

「「誰が!」」

 二人は吐き捨てた。シェメシは微笑みながらため息をついた。

「全く……物事というのは、しごく嫌な時機で重なるものだな」

「この女の子を不当に逮捕したの?」

 メアリーは不敵に問うた。シェメシは一貫して柔和な顔だったが、AFXはどこかその笑みが信用できなかった。嘘臭い顔だ。まるで命も感情もない、マネキンのそれだ。

「移送元……レジェンダリアのほうで高度に政治的な判断があった、ということは言っておこう。少なくとも、罪なきものを私は幽閉しない」

 シェメシはメアリーをまっすぐ見つめた。

「そして、罪とは政治が決めるのさ。その“法”に、私は口出ししない。我が職分はあくまで“罰”。【看守(ジェイラー)】だからな」

「あたしは、政治と罪は別だと思うけど」

 メアリーはまっすぐに言った。シェメシは形だけの笑みを浮かべた。

「そうか。で、まだ続けるかね?」

 AFXは後ずさった。シェメシの刺青が、蛇みたいに動いたような気がした。

「きちんと名乗っていなかったか?私はペルヌ市の王、シェメシ・アル=アスファル……看守系統超級職【幽閉王(キング・オブ・ジェイル)】だ。こと大監獄の中においてのみだが、()()の君たちごときに遅れは取らん」

 その剣呑な気配にも、メアリーは一歩も引かなかった。AFXは感心と軽蔑のどちらでもない感情を取り扱いかねながら、一歩下がった。

「やめておけ、【偵察隊(リコノイター)】の少年よ」

 シェメシはメアリーから視線を外さずに言った。その耳には、何も嵌まっていない。

「右手。背後に隠したナイフを捨てろ。これ以上は人間もどき(マスター)といえど治安維持の名目で処刑する。監獄所長の肩書を以て」

(なんで解る……【看守(ジェイラー)】の能力なのか?)

 AFXが停止する。シェメシは、メアリーの直情かつ強情そうな顔を眺め、言った。

「……君らも、一億が目当てのクチか?」

「一億?」

 怪訝そうなメアリーに、シェメシは春風のような笑みを崩さず、答えた。

「一週間ほど前。カルディナの裏社会にとある布令が回った。差出人は不明。だが、《真偽判定》はその文言を保証した」

 周囲を固める【看守】たちは、指一本動かさずに三人を注視していた。シェメシは続けた。

「“監獄都市”ペルヌの破壊、殲滅、及び……最奥の囚人の解放。成したものには、一億リルを支払うと」

(ヘシリンシ……か?)

 AFXはあのエキゾチックな男を思い浮かべた。それほどの財産家だったのか?一億リルを動かせるほどに?

 メアリーは誇り高く叫んだ。

「あたしたちはお金目当てで動いてるんじゃない、正義のためだ!」

 その愚直な言葉に、シェメシは一瞬あからさまな侮蔑を滲ませた。

「正義か。私は“法”と“罰”は知っているが、正義とやらを見たことはない。君は、確信を以て御存知なのかな?」

「悪は知ってる。幼気な子供を不当に逮捕することがそれ!」

 シェメシはまたなにか言おうとして、ふと顔を背けた。風を嗅ぐように上を見上げる。小さな天窓から注ぐかそけき日光が、少しだけ動いた。

 

「……ほぅ?」

 

 監獄が揺れ、地響きが腹の底に届く。二人が身体を強ばらせるのと裏腹に、シェメシは唇を吊り上げた。

「ほう!悪くない……確かに、陽動の次は迅速に行動しなくてはな」

 怪訝そうな顔の二人に、シェメシが心底朗らかで不自然な笑顔を向ける。

「敵襲だ」

 

 To be continued



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第三話 The D:少女クオン

 ■数時間まえ・ペルヌ大監獄最奥

 

 トビアは目を開けた。

 頭が混乱していた。意識が脳の奥深くに閉じ籠ってしまったような感覚だった。眼球と脳味噌が遠ざかってしまったような……

 不快なことに、手足は太い鎖に繋がれていた。その向こうには、鉄格子が廊下と監房を隔てていた。

「お目覚めかね」

 そして、その鉄格子越しに女がトビアの顔を見下ろした。

「お目覚めだ。まぁ、私がそうしたんだが。意識はハッキリしていて、身体の方はチョッピリたりとも動かない、筈だ」

 トビアは試した。そして、同意した。

「君の身体に掛けた、監獄のシステムを少しばかり緩めた。見ての通り囚われの身だが、口だけは利ける筈だ。私がそうしたんだ」

 シェメシは冷たく言った。

「貴様の尋問が出来るようにな」

「シェメシ……さっきの来客はどうしたんだい?」

 その後ろ、簡易椅子に腰かけた男が、木琴のような声を響かせて尋ねた。

 おそらくは、男だ。顔は面布で隠れていて、傍らの得物を握る指は女のように細い。

「……随分と、特殊な御仁が彷徨いていたね。まさか、殺したのかい?」

「帰ったさ」

 シェメシは答えた。

「期待はずれだ……それこそ、あの()の件で手がかりになるかとも思ったのだが。それに、あのイヌどものこともいい加減不快だな」

「なんの話?」

 トビアは、ようやく口を開いた。首も、頭も動かせないのに、視線と唇だけが自由なのは、ひどく不自然な感じだった。

「質問か?それはこちらの権利だ。囚人は、従順に返答をする権利だけだ」

 だが、とシェメシは首を振った。

「君にもいささか、関わりがあることだが」

 シェメシが写真を取り出す。魔法カメラのそれは、さすがの鮮明さで被写体を撮していた。

 人間の右腕が、腐りかかった状態で映っている。

「見覚えがある筈だぞ、囚人。これは君の友人のものだ。そう、“自殺(スーサイダー)”の腕だよ」

 ブラーの右腕は、散々な有り様だった。肉が崩れ、皮膚が溶け、白い骨が見えかかっている。写真越しにさえ、腐臭がしそうだ。

「君の身柄は我々が収監した」

 シェメシは傍らの簡易椅子に腰かけて冷静に言った。

「冶金都市での顛末は聞いている。君を拘束すると同時に、あの街で保管されていたこれも接収させてもらった。既に本物は消えているが、これは事件直後、半日ほどに渡って健在だった」

 トビアはそれを見つめ、不快そうに目を逸らした。

「ご存じの通り……<マスター>は死亡時及び消失(ログアウト)時に身体組織を分解し、消滅する。この腕が、この腐れた肉片が証明だ。“自殺”のブラーは事件後も生きていた。冶金都市の底で死んだ、とかではないってことの証明なのだ。右腕を切断されてなお、な」

「だから?」

「問題なのだよ。奴は、姿をくらましたあと死んだのか?それは甘い考えだ……そうだな?そして、君と奴に繋がりがあったことはハッキリしている。今回の事件で奴は国際手配された。そのレベルの犯罪者が、君に執着している。間違いなく君を救出しに来るだろう。それが問題なのだ」

 シェメシは写真を叩いた。

「出入りする人間には全て入念なチェックをしている。清掃員とか、食糧を運ぶ運送員とか、彼はおそらく、誰かに変装して来るはずだからな。そして、ここ最近、この監獄周辺に不穏な動きがあった。囚人の一人を脱獄させる襲撃計画のようで……“自殺”が紛れ込むにはピッタリだ」 

 シェメシは一旦言葉を切って、獰猛に息を吐いた。

「……友情に感謝したまえ。奴は間違いなく君を助けに来る」

 その言葉に、トビアは唇を歪めた。

「友情?」

 口角が吊り上がる。

「友情……情、ね?はは……」

 シェメシは露骨に表情を変えた。

「何が言いたい?」

「あんたらは何も理解してないってことだよ」

 トビアは挑発的に言った。

「情?僕とあいつにそんなものがあると思う?」

 滑稽でたまらない、という口ぶりだった。

()()はもっと……」

 そこで、トビアは言葉を探すように口をつぐんだ。代わって、シェメシは饒舌に話し出した。

「悪いが、その手の議論に付き合うつもりはない。既に尋問の時間だ。さぁ……」

 手を突き入れる。刺青に縞を刻まれた腕が、トビアの胸元を掴んだ。

 黒い、太陽の紋章が顔を出した。

「……これ、だ。後天的な<マスター>への変質。<エンブリオ>の獲得。どうやった?洗いざらい白状してもらおうか」

 トビアはただニヤニヤ笑っていた。そのどす黒い眼差しが、シェメシを睨んでいた。

「……あんたらが期待してるような、大層なものはないよ」

「御託はいい」

 シェメシは己も虎のような目付きでトビアをねめつけた。

「世の中には、“法”と“罰”がある。“罰”は常に“法”の後ろからやって来る……その法も様々だが。最も原初で、最も至高の法は、天地の規則……生死だ」

 純白の刺青がざわめいた。黒檀の肌が、戦意に張り詰める。

「<マスター>……あの不死者どもははじめからその外側にいる。ヒトの法の外側にいる。“罰”は彼奴らに届かない。本当の人間ではないからだ。偽物の命、紛い物の生命。人間にそっくりな、異界からの怪物。だが……貴様はその境を飛び越えた。どっち付かずの紛い物!困るんだよ、やたらルールを出たり入ったりされるのはな……私たちの職務さえ、意味を失くしてしまいそうじゃあないか?天地の法!世界に逆らうのはこの上ない大罪だ。だから、終身刑に処すと言った」

 喉頚を捩り上げる。トビアは苦悶の声すら上げられなかった。

「くびり殺すことは容易いなぁ、レベル0。答えたまえよ、どうやってその力を手に入れた?それは何だ?あの“商人”ウーと関連があるのか?」

 トビアを放して、シェメシは沈黙した。トビアも口ごもり、考えを巡らせる。

 話すのは、楽だ。だが、<劣級(レッサー)エンブリオ>を飲み込んだことを教えれば、こいつらはきっとトビアからそれを取り出そうとするだろう。肉体的接触が失くなれば、<劣級(レッサー)>との繋がりも、支配も途絶える。

「誰が……言うか……!」

 だから、トビアは吐き捨てた。

 シェメシはぞっとするほど冷たい顔になって、トビアを見つめた。

「その頑なさが君を殺すぞ」

 それだけ言い置いて、シェメシはカツカツと去った。背後では、ヤレアハがローブの中で首をかしげていた。

 

 ◇◆◇

 

 誰もいなくなった。静かだ。

 トビアは牢の中でじっとしていた。どのみち、身体は状態異常まみれで指一本動かなかった。

 <エンブリオ>は奪われたくない。どのみち、詳細不明の段階でトビアを解剖し始めるとは思えない。彼らも、貴重なサンプルをうっかり壊してしまいたくはないだろうから。

 それとも、<エンブリオ>を破壊することが目的なのか。だとしても、まだ早計すぎる。

「……何が、“法”」

 死ぬほど腹立たしい。

 上から目線で、力にものを言わせて、理屈を押し付ける。支配する。あの傲慢さが嫌いだった。

「チッ……」

 怒りはすぐに冷えていった。

 <エンブリオ>を手に入れたと言うのに、今度はこの様だ。だが、何故か……虚しい。

 今までは違った。腹の底に黒く滾っていたなにかが、今はもう冷えてしまっている。

 枷を嫌って、恨んで、憎んでも、すぐに次の枷が浮いてくる。気づけば、己の心さえ枷にまみれて見えない。

 

 僕はなにがしたかったんだ?

 

 トビアはため息をついた。

 <エンブリオ>を手に入れたって、家族が生き返るわけでもない。力がすべての浮世を恨んでいた筈なのに、いざそれを手に入れた次のことが思い付かない。

 強さなど、所詮は無意味な指標に過ぎなかった。あんなに強い奴らが、簡単に勝ったり負けたりしていたのを、トビアは見てしまったのだから。

 きっと、結果に理由はないのだ。この世界に、ただひとつの物差しはないのだ。英雄譚じみた運命など、ない。

 石ころが転がることと、ヒトの死に違いなどない。全ては現象だ。そんな乾いた虚しさが、トビアの心中を支配していた。

 

「……その虚しさは、動機がないからよ」

 

 トビアは目を細めた。

 誰一人いない筈だ。シェメシもヤレアハも、既にこの区画をあとにした。足音のなさで分かる。身動ぎや衣擦れでさえ、よく響くだろう。

 いや……トビアは即座に否定した。

「力は手段だもの。使い道のない道具なんて悲しいだけだよ」

「あんたは、囚人仲間?」

 トビアはまっすぐに、声の出所を見つめた。

 目が闇に慣れてきた。向かいの独房に、小さな人影が見える。

「……女?」

「そんな呼び方はやめて」

 そこにいたのは、一人の少女だった。

 鎖に繋がれ、首枷を付けられたその女は、トビアと同じくらいの歳だった。

 褐色の肌、六本指、白に近い髪、そして、ウサギのように真っ赤な瞳。

 エキゾチックな少女が、闇に沈んでいた。

「あんたは意識があるんだ?」

 トビアは、周囲の無数の独房の中で昏睡する囚人を見ながら言った。

「ええ。そっちと同じ……あたしから聞き出したいことがあるからね」

「それで、お互い退屈って訳?あんたも」

「その呼び方もやめて」

 少女は顔をしかめた。

「あたしはクオン。クオンって呼んで」

「そう……」

 トビアは肩をすくめようとしたが、動かなかったので代わりに眉を動かした。

「クオン以外は、みんな寝てるんだね?」

「当然でしょ。ここをどこだと思って……知らないの?」

「悪い?」

「別に。田舎者だと思っただけよ」

 クオンは深紅の瞳を揺らした。

「ここは、ペルヌ大監獄。カルディナにある由緒正しい監獄ね。もっとも、ほとんど忘れられた土地みたいだけど」

「それが寝てる理由になるの?」

「もし囚人たちの意識があったなら、こんな監獄は今頃吹き飛んでいるでしょうね」

 クオンは言った。

「囚人なんて、抱え込むだけ危ないんだから。ここにいる“悪人”たち一人一人が、鉄の壁も、ことによると状態異常だって、うち壊せるだけの人たちなのよ。わざわざ『生かして』捕まえるくらいなら、不意打ちで……殺してしまえばもっと安全」

 普通はね。クオンは呟いた。

「でも……存在が不都合だけど殺せない、そういう事情なら話は別よ。そういう人々を閉じ込めておくための場所なの、ここは。分かるでしょ?」

「そんな込み入った事情がそうそうある?」

「あるわ」

 クオンは悲しげに断言した。

超級職(スペリオル・ジョブ)は保有者を殺しても消えない。死ねばその器は大いなる原型へと還り、次代の目覚めを待つだけ。そして、それを厭う人々がいる。外縁の、一般の重犯罪者なんておまけよ。ここは……」

 クオンは一瞬、息を吸い込んで続けた。

 

「……本当は、不都合な超級職を歴史から消すための監獄……“超級職のための監獄”なの」

 

 トビアは独房の外を見た。視界に入る限りの監房は、昏睡状態の人間で埋まっていた。

 もしそれが正しいのなら、いったいどれ程の人間がここで眠り続けているのだろう。死も許されず、幽閉されるままに。

「あんたも……クオンも?」

 トビアは尋ね、クオンは頷いた。

「あたしは、レジェンダリアから来たの」 

 レジェンダリア。確か、王国の南にある国だ。七大国家の一角、亜人たちの国。

「かつて、敗北した一族の王がここに入れられることは、それなりに多かったらしいわ。古い盟約だけど、まだ活きてたんだね。あたしもそう……」

 クオンはしかし、大して絶望してもいないようだった。トビアから見て、彼女にはどこか希望があるように見えた。

 クオンは作り笑顔で言った。

「そんなに元気そうに見える?」

「……心が読めるの?」

「そんな大層なものじゃないよ。勘がいいだけ」

 クオンは憂いを含んだ眼で、ふと、遠くを見るように焦点をずらした。

「あなたも助けに来てくれる人がいるの?」

「……さぁね」

 トビアは笑った。クオンは悲しげに言った。

「あたしにはいるの……いっそ、来なければいいのに」

 

 ◇◆◇

 

 ■ペルヌ・現在

 

 ペルヌは賊に囲まれていた。

 さっきの揺れは、賊の誰かが大砲でも撃ち込んだらしい。あるいは<エンブリオ>の能力か。どちらでも同じことだが。

 不思議なのは、その戦火がお互いにすら向いていることだった。ペルヌを襲う傍らで、賊同士が殺しあっている。

 肥満体の男がのしのしと歩き、双子のような二人組が魔法を乱射し、侍ふうの髭面が刀を振り回す。

 地獄絵図だ。

 

「下らない」

 

 そのただ中で、ひとりの【血戦騎(ブラッド・キャバリア)】が呟いた。

 彼もまた、一億リルに惹き付けられてここに来たのだ。カネはあればあるほどよい。誰だってそう認めるだろう。だが、その為に争うのは問題外だ。

「そう思わないか?一億リルの為にさぁ、お互い殺し合うなんて……もっとこう、協力してことに当たるべきだと思うんだよなァ。敵は体制側だし、容易い奴らじゃあないんだ」

「……」

 その足の下、踏み付けにされた【戦士】は、何事か言おうとして、諦めたように口をつぐんだ。【血戦騎】(エント)は、指を伸ばして言った。

「《バイタル・スクイーズ》」

 瞬間、足元の男は灰になり、塵になって消えた。(エント)はゆっくり辺りを見回した。

 一億リルの懸賞金は、確かに魅力的だったが、問題なのはその条件が単なる破壊と救出でしかないことだった。指名もなく、参加条件もない。だから、カルディナでもどちらかと言えば“裏”に属する<マスター>たちが形振り構わず詰めかけたのだ。そのひとつしかない座を、お互いに奪い合うために。

「ちらほら、知った顔がいるなぁ」

 (エント)はため息をついた。

 本当はアルター王国に向かおうと思っていたのだ。特典武具を確実に手に入れられる機会は多くない。尤もその代償が手札を晒すことと王国の首輪……と、必ずしもメリット一辺倒の機会ではなかったから、一億リルの方を選んだのだが。

「似たような口か。知らない奴らも、東から流れてきたのか?一億をエサに釣られたのはいいが、やることは同士討ちかよ」

 (エント)はうつむき……そのまま両手を上げた。

「……例えば、あんたみたいに?」

『【血戦騎】が、こンな、さ、砂漠で、何をしていル?』

 背後に立っていたのは、包帯で自分の身体をぐるぐる巻きにした怪人だった。

 大きすぎる帽子とサングラス、それにロングコートを(砂漠だというのに)包帯の上から身に付けている。さながら、都市伝説から抜け出てきたような怪人だった。

『知ってル、ぞ?きみ、【血戦騎】(エント)、とか、言ったネ?』

「そういうあんたは、“怪人”オブか。なかなかいないぜ、見かけの挙動不審さだけで二つ名が付く奴は」

『お見知りおき、こ、光栄ダ』

 怪人オブはつっかえつっかえ言った。針金みたいに細っこい身体が揺れた。

『そして、すまないガ、僕は一億ヲ分け合う気は、毛頭ナイ。今から、きみヲ襲うけれども、だ、黙って死んでくれると嬉しイ』

「考え直そうよォ……そういうの無駄だよ、無駄無駄。敵は同じだろ?なんならさぁ、ペルヌ大監獄をぶち壊して目的の囚人を解放した後で、平和的にジャンケンでもすりゃいいじゃあない」

『理解に苦しむ、ネ?目的ハ、同じでも、僕らは敵同士ダ。信用も、協調も、難しイよ』

「頼むよ、そう言わずに。知ってるだろ?ペルヌには三人の用心棒がいる。四人目が増員されたとかいう噂だってある……楽に攻略できる要塞じゃあないんだぜ?だからさ……」

『断ル、よ』

 オブはそう言うと、両手を広げた。包帯がざわめき、妙な音を立てる。よく見れば、その襤褸布の縁には、鮫の歯のような細かな刃が、陽光を反射しながら無数に蠢いていた。

『死、ネ』

 オブがゆっくりと歩を進める。その刃が、ホールドアップを続ける(エント)に襲いかかった。

 

「ギャアギャアうるせェーーんだよ!この三下がッ!」

 

 そして、オブの脆弱な肢体を鮮血の刃が両断した。

「黙って聞いてりゃあよ、人が下手に出てンのを良いことに、そのドブ臭え口で好き放題言ってくれやがって……殺し合いは御免だって俺は散々言ったよなあ?ブッ殺すぞ!え?おい!」

 両腕から血の刃を生やした【血戦騎】は、形相を凄まじくして吠えた。

「俺みたく平和主義の人間を捕まえて、先に襲いかかったんならよ、ブッ殺されても、勿論文句はねェよな?失礼って言葉を知らねえのか?テメーのお国じゃあそれが礼儀なのか?育ちと頭、悪いのはどっちだ?言ってみろッ、この間抜けが!」

 砂に崩れ落ちた包帯を踏みつける。真っ赤な刃がそれをズタズタに切り裂いたが、中身はなかった。それは(エント)も知っていた。オブの能力は分身で、この包帯も中身の無い人形に過ぎない。

『……予想外ダ、きみがこれ程、速い、とはナ』

 包帯の欠片は、消滅寸前で呟いた。うぞうぞと、蠢きながら。

『考えを、変えないト、いけなイようダ。要注意の強敵としテ、きみを見てる、ゾ』

 

 そして、血のハンマーがそれを踏み潰した。

 

「全く……なんで皆、こうも血の気が多いんだ?」

 (エント)は嘆息した。オレンジがかった髪が、砂漠の風に揺れている。

「俺は一億が欲しいだけだ……ささやかな望みだ。平和的な望みだ。なのに、いつもこうなる。世の中荒んでやがる。世も末だ。神は死んだ」

 【血戦騎】はそう言うと、ペルヌの方角を確かめ、砂を踏んで歩きだした。その黒い帽子の下の眼差しは、一億を狙って集まる犯罪者たちをうんざりしたように、しかし怒りを以て、しっかと捉えていた。

 

 ◇◆

 

 ■ペルヌ内部

 

 【幽閉王】は渇いた眼差しで、どこかを見ていた。

「共食いの有象無象か……紛れ込むには良しか?誰か知らんが、この絵を描いた黒幕は素人に過ぎるな」 

 AFXとメアリーはまた一歩、後ずさりした。シェメシはそれを見逃さず、ただため息をついた。

「愚かしいぞ、少年……この監獄において、全ては我が眼中のこと。最奥の囚人とて、逃がすと思うのか?<マスター>は治外法権だが、それでもおめおめと目的を遂げさせてやるほどじゃあないな」

「あんたの、能力は……」

 AFXはナイフを持ち上げながら言った。

「……知ってるぞ。【看守(ジェイラー)】は初見だけど、前に似たようなのを見たことがある。知ってる、ぞ」

 AFXは懐を探った。

「視覚の共有。監視カメラみたいに!」

「これはご明察」

 シェメシは嘲るように言った。

「厳密には、【看守(ジェイラー)】系統の《監視網》は……“連携する力”だ。視覚とかで収まるものじゃない。聴覚も、触覚も、思念さえ伝えられる。レベル次第ではな」

 そして、それは文字通り、連携によってパワーアップする。

 【看守】系統が<マスター>に不人気……無名なのには理由がある。数が必要だからだ。

「ひとりふたりじゃあ意味がないんだ。射程距離も精々数メテルで、視覚を粗く伝えるのが関の山……だが、この場所のように、何十人以上が集まったならッ!」

 シェメシは踏み込んだ。その眼は、AFXの一挙手一投足をあらゆる方角から立体的に捉えていた。

人でなし(マスター)どもは個人主義だからな。組織立って連携するのはお嫌いと見えるが……このような環境下で、【看守(ジェイラー)】系統は真価を発揮する!」

 シェメシは誇った。その美しい裸身には、猛々しい意思が漲っていた。

「さて、君らは私の探していた男とは関係がなかった。が、捨て置くこともできん。あの()()()を逃がすことは断じて許さん。かといって、人間紛い(マスター)相手に戦闘することは我が美学を汚す」

 シェメシは断言する。

「美学は重要だ。その“負い目のなさ”が、土壇場で戦う意思をくれる。一度でも美学を曲げたなら、そのことは心の弱点として人生に暗く長い影を落とすのだと、少なくとも、私はそう思っている」

「何の……」

「だから、君たちは我が配下に……<マスター>は、<マスター>に始末させよう。ペルヌが誇る、“三人衆”に」

 シェメシがそう言ったとき、AFXとメアリーはいつの間にか、【看守】たちが静かにいなくなっていることに気づいた。いや、シェメシの姿もだ。

「これは、何を!」

「メアリー、周りを見ろ!」

 周囲の光景も、消滅していた。薄暗い監獄が消え失せ、変わって光溢れる外の、黒い壁の外側の風景へと塗り変わる。

「これって、転移……?<墓標迷宮>の脱出システムと同じ……」

「特定地点への強制転移?そんなことが……?」

 あたりは、砂漠だった。完全に屋外だ。少なくない距離があったはずなのに、それを飛び越えるほどの術は限られている。

 

「……初、我信己紹良(まず、自己紹介すべきかな)?」

 

 そして混乱する二人をよそに、そこに腰かけ待ち構えていた男が言った。 

 小柄な男だ。髪も肌も白く、衣服も雪のような純白だった。腰かけているのは、積み重なった人の身体だった。

 辺りにも、人間の輪郭が白く染まって屹立していた。凍り付いているのだ。氷漬けの人々……<マスター>たちの中心で、その小柄な男は言った。

 

我称(おれは)死騎(デス・キャバリア)再々死(サイサイシ)一含三守護属監獄都市(ペルヌの三人の用心棒、そのひとりだ)喜見汝(こんにちは)且別離(そしてさようなら)

 

 To be continued



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第四話 The T:ペルヌ三人衆

 ■<DIN>曰く

 

 監獄都市ペルヌの戦力がいか程のものなのか、能天気なメアリーとは違って、当然AFXは前もって調べていた。

 ひとつは【幽閉王(キング・オブ・ジェイル)】の率いる【看守(ジェイラー)】部隊、そしてそれを更に弟の歩哨系統超級職【哨戒王(キング・オブ・ヴュー)】、及び配下の【歩哨(センチネル)】部隊が守護する。

 だが、それはティアン戦力にすぎない。それなりの都市なら、超級職の指揮官はさほど珍しくない。

 肝心要の<マスター>は、三人が記載されていた。金銭で都市そのものに雇われた、三人の用心棒。

 そのどれもが限定的ながらも強者だという。戦闘能力の詳細は少なく、高級情報のカテゴリに入っていたが、ただひとつ、一般閲覧用の文言が告げていた。 

 

 “周辺環境と戦術いかんでは、或いは、準<超級>にも匹敵し得る”と。

 

 目の前にいるのは、その一人だ。

「ペルヌ三人衆のひとり……再々死(サイサイシ)

『良。佳識収状。然、汝可解?』

 白い男は自信満々に唇をめくりあげた。

不可打倒我(きみたちは勝てないよ)

「……そうかな?」

 メアリーとAFXは、慎重に相手を観察した。

(得物はない……徒手空拳か。乗機も従魔もいない。身一つで戦うのか?)

(<エンブリオ>は出してこない。それとも、不可視のテリトリー系列なのかな?だったら、あたしたちは既にその射程に入っている)

 間合いを図りかねて、二人は足をずらした。それを嘲笑うように、再々死は間合いを詰めた。

『……先制警?然、確』

「そうかな?そっちこそ、僕らが攻撃するのを待ってるみたいだけど?」

 AFXは唇をなめた。

(【死騎(デス・キャバリア)】……知らない名前。知らない系統。名前からして、騎兵系統の派生か?でも、乗騎はないよな。死……重度の状態異常でも、僕の<エンブリオ>ならしばらくは拮抗できる)

「周りの人たちは、あんたの仕業?」

 凍りついた体を眺めながら、AFXは尋ねた。

 体が残っているなら、まだ生きているということだ。【凍結】はHPを削る状態異常ではない。尤も、骨の髄まで冷凍された彼らは死んだも同然だった。氷の置物だ。

 再々死は答えなかった。ただ肩を竦めただけで。

「氷結攻撃の<エンブリオ>ってわけ?なら、予習済みだよ」

飽。如何要問答?(もういい。いつまでつづけるんだい?)

 再々死はわざとらしくため息をついた。その身体が傾き、重心が前にずれる。

 そして、加速した。

『我除、汝!』

 その突撃に、AFXも腹を括った。こいつは敵だ。体制側の人間を攻撃するのは気が引けるが……むざむざ死ぬつもりはない。

「誰が!」

「あたしがやる!」

 メアリーは金の光を灯しながら、拳を固めた。

 再々死の動きはまるでお粗末だった。ただ突っ込んでくるだけで、何の特殊性も見えない。武器もない。魔法を使う気配もない。

「《看破》……」

 AFXはまばたきをした。特に隠蔽の類いもない。再々死の能力が、はっきりと見える。

(【死騎】メイン……HPだけが突出して高いな。AGIは僕より少し高め。その割にENDとSTRがやたら低い……なんだ、このビルドは?)

 

 戦場で、戦士は大きく二手に別れる。

 ひとつは拙速を尊ぶもの。AGIとSTRで敵を仕留める、電光石火の先制攻撃者。

 ひとつは堪え忍ぶもの。ENDとHPで立ち続ける、不屈の勝利者。

 

 再々死はこのどちらでもない。HPは高いが、耐久性に欠けているからすぐに削りきられてしまう。そのくせ高めのAGIは、敵の攻撃をかわし、即応することを可能にする。

 回避を前提にするなら、耐久面は最低限でいい。むしろ速度の方に全力を尽くすべきだ。リソースは限られているのだから。

(まるで……“攻撃を食らう”ことを前提にしてるみたいな……そのくせ、追撃は速めたいっていう……)

 AFXは顔をしかめ、自分も地面を蹴った。砂漠の砂は足元を不確かにし、一歩間違えれば転びそうだ。

「なんにせよ、二手で仕留めてやる!」

 再々死は無様な格好でメアリーに殴りかかった。メアリーはそれを受け止め、自分が凍らないのを確かめると、アシュヴィンに命じて追撃させた。

 砂柱が立つ。それを掻い潜って、再々死はすれ違う形でメアリーの背後を取った。AGIは十分にある。

我獲(とったぞ)!』

 その手刀が砂を割き……AFXに止められた。

 触られても凍ったりしないのは確認済みだ。仮に氷結を食らっても、AFXなら押し留められる。

「《裏切りの盾(バトレ・シルド)》」

 再々死の攻撃力は全くもってお粗末だった。拳士系統の能力もおそらく載せているまい。【死騎】とやらがシナジーするかは知らないが。

(武器系なら使えたかもな……評判倒れだ!)

「《アルコール・ファング》!」

 AFXは横薙ぎに、【酩酊】の攻撃を乗せたナイフを振り抜いた。間合いは詰まっている。再々死の右手はAFXの腹に、左手はまだ身体の横にある。防げはしない。

「いくらHPを盛ったって、こうすれば終わりだ」

 喉を切り裂いた刃を返しながら、AFXは言った。

 

 【頚部切断】。頸椎の手前を引っ掻くまで切っ先を突き入れたのだ。吹き出す鮮血がその致命傷の証明だった。

 ENDのないHPに意味はない。そして二人のAGI差程度では、これを覆せるほどの戦術的有利は発生しない。

 

 返す刃で駄目押しとばかりに首を斬り飛ばしながら、AFXは再々死の胴体を蹴りつけた。衝撃で取れかけた頭が、白い服の上でぶらぶらと揺れていた。

 

「……やっちゃったなぁ」

 あっけなく再々死を倒せたことにも、AFXは素直に喜べなかった。生来の気質なのだ。規則だとか法律だとかは、とりあえず守っておきたいと思ってしまう。向こう見ずな誰かさんとは違って。

「ほら、行くよ!AFX(アレックス)!時間ないんだから」

 メアリーは腰に手を当て、監獄のほうに足を向けた。

「大丈夫だよ、<マスター>同士の私闘は法律の対象外だからさ!それに、不当逮捕の証拠さえ見つけられれば抗弁できるよ」

「……そういうとこ、妙にしっかりしてるよね」

 呆れたように笑いながら、AFXは血に汚れたナイフを仕舞おうとした。《自動洗浄》付きの鞘を買ったばかりだ。

「あぁ、落としてたのか」

 AFXは一瞬辺りを見回して、ナイフが砂の上に落ちているのを見つけた。血糊と砂塵でベトベトだ。

 こういう光景にも慣れてしまった。ここに来る前なら、女の子みたいに悲鳴を上げて騒いでいただろうに。

「情操への悪影響、やっぱりあるんじゃあないのか?」

 ナイフの柄を掴もうと、AFXは右手を伸ばした。

 

 そして、右手は崩れ落ちた。

 

「なッ……!」

 

 若干黒ずんだ指はボロボロと落ち、乾いた塵のように砂に混じっていく。血は出ない。肌の表面には白っぽいレースのようなものが、柔らかく絡み付いていた。断面が干し肉のように固まっているのが見える。

 

 骨まで凍りついているのだ。

 

「……メアリー!すぐに治癒を……!」

 AFXは右手を押さえながら振り向いた。

「早く!」

「……AF、X」

 メアリーは呟くように答え……膝から崩れ落ちた。

 その首筋も、真っ白に凍り付いていた。剣山のような氷の結晶が、柔らかな喉を締め付け、破壊している。

「バカな……なんだ、これ!」

由我(おれだよ)

 

 AFXは歯噛みしながら、左手でナイフを拾い上げた。鋼鉄製の小刀は、痛いほど冷たかった。

 

「再々死……!」

 

 さっきまでと同じ、そこに立っていた白い男は、ただニヤニヤ笑っていた。不気味なことに、取れかけた頭で。

汝信“殺我了”(殺せたと、思ったァ)?』

「なんで、生きてる……?」

 AFXは喘息のように喘ぎながら叫んだ。

「ありえない!僕は見たぞ、あんたが死んだのを!致命の状態異常!HPは“0”!どんな能力でも、死者の復活はできない!それに、この、凍結は……!」

不徹底(あまいよ)……不、不、不、不、不、不、不(だめだめだめだめだめだめだめ)!』

 再々死は笑顔を崩さなかった。楽しくて仕方がないのだ。

 容易く殺せる、不完全で粗雑なビルド、稚拙な戦法……だ、などと、ナメてかかってくる相手が、訳のわからない状況にわめく様を見るのは、実に楽しい!痛快かつ爽快!これだけのために、彼は自分の能力を決めたのだ。

 <エンブリオ>は心の写し身。彼の心は、この状況をこの上なく楽しんでいた。

『死兵系統上級職【死騎(デス・キャバリア)】!能有、決死之策(ラスト・コマンド)!』

「《ラスト・コマンド》……?」

 AFXは呆然として言った。

仮生命力達零点(もしHPがゼロになっても)可能細間存(少しだけ生きていられる)然、我“能力”(そしておれのちから)!』

 冷気が白い煙になって膨れ上がった。風に乗って、氷結の白煙が辺りを閉ざしていく。

能力(ちからだ)

 再々死は自らの裂けた首筋から、腹にまで指を突き入れ、上下左右に腹筋を裂いた。溢れ出す深紅の血の海に、なにか金属色のものがある。

我的(おれの)“胚能力”(<エンブリオ>)!』

 それは腎臓の形をしていた。ビスマス結晶のように鈍く光る<エンブリオ>は、その能力で即座に肉を塞ぎ、血を補充していく。

「……まさか、お前、は」

 AFXはよろよろとメアリーのほうへ後ずさった。後ろでは、凍りついた喉をかきむしりながら、メアリーが咳き込んでいた。氷の粒を吐き出し、言葉を紡ぐ。

「あた、しと、同じ、ような、能力……」

 黄金色の光が迸り、メアリーを癒していく。

「死後少しだけ生存する【死騎】と……<エンブリオ>の自動回復(オート・リジェネ)能力の合わせ技(コンボ)……!」

『肯』

 【死騎】再々死は自慢げにうなずいた。能力を明かしても構わないどころか、それが威嚇になると彼は確信していた。それだけの根拠があった。

 TYPEは置換型アームズ。銘は【生命臓 ニライカナイ】。

 

我、不死也(おれは、不死身だ)

 

 ◇◆

 

 ■【血戦騎(ブラッド・キャバリア)(エント)

 

「おーおー、お盛んなことで」

 (エント)はその光景を、少しだけ遠くから眺めていた。

 一番槍など馬鹿のすることだ。賢いものは、手札を吐き出しきった面々を悠々と蹂躙する。既に相討ちくらいになっていてくれるとなおよい。

「漁夫の利は戦術の基本だよなァ、うん」

 どちらにも……というか、あの二人に加勢するつもりは、彼には毛頭なかった。邪魔者は少なければ少ない方がいい。加えて顔つきもあまり気に食わない。死んでくれれば都合がよい。

「にしても……」

 二人組は知らない様子だったが、(エント)はたまたま知っていた。

 死兵系統の特性は、死後の生存。矛盾しているようだが、そうとしか言えない。正確にはHP枯渇後も行動を可能にする、基本的に無意味な能力だ。

(自動回復系との組み合わせは何年か前に提言されてたが、マジに実現したやつがいたとはね。“死”の処理が果たしてどうなっているのか……通常なら死んだ瞬間に<エンブリオ>も解除されるんだろうが、そこんとこの判定を死兵系統で誤魔化しているのか?)

 面白い。が、<エンブリオ>に依存しすぎるのが玉に瑕か。

(おそらく自動回復特化。なかば制御を手放すことで出力を担保してるな。だが……あの氷結はなんだ?)

 氷の能力は明らかに死兵系統の技ではない。それをメインに据えている以上、【魔術師】や【白龍道士】でもないはずだ。

(<エンブリオ>能力のオマケにしちゃ強めだな。不死と氷、リソースが合わない。まぁ、その辺りも晒してくれることを期待してるぜ、お二人さん……)

 懐が震える。(エント)は静かにその通信機を取り出した。黄河の品だ。つまり、逆探知は難しい。

「……はい」

『状況を、知らせろ』

 嗄れ声がそう言った。まるで、木の葉の風にざわめく音のようで、人の声にはあまり聞こえない。

 つまり、身元を教える気はないらしい。

「状況もなにも……言われた通り、現着はしましたよ。今は様子見ッスね、まだ人が多すぎる。初見で綱渡りする気はないんで……ええ、まだ監獄の外です。予想通り……」

 (エント)はちらりと視線を這わせた。

「……“三人衆”が出撃を開始しました。現在“不可死(デ・デス)”が交戦中。他の二人……“餓死(ドライデス)”と“中毒死(トキソデス)”もじきに出てくるでしょう。同業者は……大概がお互いに殺しあってます。消耗したあたりで乗り込んで、一億を回収させて頂くつもりです。ってゆーか、マジで良いんですか?一億は俺が貰っちゃって……」

『問題ない……元は、こちらが、用意した資金、だからさ』

 “声”はどうも、話しにくそうなふうだった。(エント)は眉を上げた。偽装や変声ではなく、本当に喉が潰れてるのか?

 いや、それより、今の言葉だ。

「……?それは、どういう……いえ、詮索するつもりじゃないッスよ。ええ、俺ァね、カネさえ頂ければ文句ないんで。では……」

 (エント)は声を低めて言った。

「手筈通り、“少女”と……“少年”を確保します。ええ、五体満足でお届けしますよ。期待して待っててくださいよ」

『期待は……していない。当然の、ことだからね。君には既に……“前金”を、振り込んである。成功以外に、結果はない。僕の……機嫌を損ねれば、“こっち側(デンドロ)”に、居られなくしてやるぞ』

 通話は切れた。勝手なものだ。(エント)は黙って中指と舌を出した。これができるから電話は好きだ。

「電話じゃねえけどな……さて」

 周囲を見回す。近くに敵はない。さっきまではいたが。遠くから見られているような気配はあるが、あくまでも遠くからだ。

 だから、自分の能力を晒しても問題はあるまい。

「フー……《私の夜(ライラ・イ)》」

 次の瞬間、その背中から夜空が湧き出した。

 それは空を埋め尽くすように立ち昇ると、円を描いて渦になった。即座に収縮し、<マスター>本体を中心に凝集する。外からは、黒々とした球体のように見えているはずだ。

 別に不思議なことはない。弾丸飛び交う戦場にいて、身を隠し引きこもりたいと思うのは自然なことだ。とても自然な心の動きだ。

 そんなことは(エント)にはどうでもよかったのだが。

 彼はふらふらと座り込むと、その闇のなかにしばらくじっとしていた。数秒ほどのことだった。

 突然その腕が動いた。まるで弾かれたネズミ取りのように、素早く動いた指で、(エント)は暗い地面から何かを拾い上げた。

「視線が……通らないなら、探知も盗聴も無駄だ。普通なら。だから、これでいい」

 それは蠍だった。ありふれた、普通の蠍だ。掌に収まるくらいのサイズだが、ちゃんと毒針がある。

 カルディナどころか、地球でだって見つけられる。ひょっとすると火星とかにもいるかもしれない。

 (エント)はその蠍に話しかけた。

「小さいなァ、お前。もっとでかけりゃよかったのに。知ってるか?カルディナには亜竜級の蠍もいるんだってさあ。やっぱ名前は【デミドラグスコーピオン】とかいうのかなァ」

 その指が蠍を握りしめる。蠍は、いかにも蠍らしくハサミと毒針を振り回したが、無駄だった。鮮血の装甲が既に掌から手首までを覆っていたからだ。

「ただの虫だな。モンスターだなんて呼びたくないほど。だから……ほら、わかるだろ?」

 首をかしげた(エント)は、口元だけで笑った。

 

「正体を現せ」

 

 蠍はじたばたもがいていた。蠍らしく。だが、(エント)はそれでは満足しなかった。

「いい加減にしろよ、お前。もう種は割れてるんだ」

 うぞうぞと蠢く付属肢のひとつを、(エント)は器用につまんだ。

「これってさ、足か?それとも腕?どっちかな?どっちにしろ……」

 指先に力を込める。あわれな虫けらは、あっけなく足の一つを捥がれてキイキイ鳴いた。いかにも蠍らしく、だ。

 (エント)はその毛の生えた脚を投げ捨てると、暗闇のなかで言った。

「そろそろ弁えろよ……俺はチャンスをやってるんだ。簡単に踏み潰されたって仕方のないお前に、俺とお友達になるチャンスを、だ。頑張って仲良くなるんだよ、なぁ?それが仲良くなろうって態度か?」

 ミシリと、背中の甲が音を立てて割れた。

「それとも潰されたいか!」

『や、やめろ!やめてくれ!』

 (エント)が手を緩める。その蠍は、ハサミを振り回して叫んだ。

『許して!何でも言うこと、聞こう、なぁ!頼む!』

「……もちろんだ、俺たちは友達だものなぁ?」

 地面に放り出された蠍は、まるで人間のように饒舌に言葉を紡いだ。その輪郭は次第に揺らぎ、大きくなっていった。

『あぁ、ご先祖様……』

 

 そこにいたのは、もう蠍ではなかった。人間(ティアン)だ。

 

 肌は赤銅色で、彫りは深い。せりだした目庇に、濃い眉が張り付いている。手の指は六本で、手足は長めだった。まるで、どこかの森の原住民といった風情だ。

「……話せ」

『その……なんと言っていいか」

 さっきまで蠍だったしょぼくれた初老の男は、かなり狼狽えたようすで手足を擦り合わせた。まるで蠍みたいに。

「ひ、久しぶりだ。この、あー……“形”に戻るのは」

「お前は、レジェンダリアの一部族だな?血統で固有種の系統を継承する奴ら……俺の【血戦騎】と同じか」

「あ、あんた、吸血氏族か!」

 男は痩せこけた顔を震わせて言った。

「そうなら、話が早い。わかるだろう、俺たちは、俺たちも、掟を守らなければならん。人前で“形”を晒すのは赦されない。頼む、見逃してくれ」

「生憎、俺はあの顔色の悪い陰気な連中とは違う。忍び込んで盗んだだけだ。俺は……<マスター>だからな」

 (エント)はにべもなく言った。

「お前には色々と聞きたいこともある。そのジョブのことも。今回の騒動のことも。裏にいるのはお前らだろう?いや、“お前らも”と言うべきかな?」

「な、なんのことか、分からないが……あぁ、あぁ、すまない!違う、まだ思考の完全じゃないんだ、長く変身しすぎると、そういう後遺症なんだ!」

「……“変身種族”か」

 (エント)は興味深げに男を見た。

「動物に変身する種族。変身者のジョブを伝える奴ら。デマだと思ってたぜ」

「そ、そうだ。俺はテテハハク。蠍だ」

 その男はどう見たって人間だった。今は、ということだ。

 獣人ではなかった。獣の容姿を併せ持つのではなく、完全な人間から完全に獣へと変身する能力を持っている。レジェンダリアの奥地の伝説にはそうある。つまるところ、かの地レジェンダリアでさえ、“伝説”なのだ。

 テテハハクは慌てて首を振った。

「いや、違う、違うぞ!教えちゃよくない、よくならんのだ!何がだ?あぁ、糞、俺の頭が座り込んでいる!地面に座り込んでいる!」

「俺はお前の友達だ。変身の……その系統名は?」

 呆れたように、(エント)は尋ねた。

「それは、あー、そう、【憑戦士(シャーマン)】だ。そうだ。友達だものな」

 頭をやられた男はふらふらと答えた。

「何の獣に《変身》するかは、人によって違う。そう、違うんだ。俺は蠍で、やつらは大猿、狼、黄金虫。そんで、あの卑劣なやつは、極楽鳥だった!あぁ、やつを監視しなくては!」

「何のために?」

「それは……我らが“王”を取り戻すためだ。ほら、友達も知ってるはずだろ?奪われたんだ、王がいなくちゃ、俺たちは悲しい。ひ、ひ、ひ、悲惨だ。一族が、おかしくなる。そうだろ?王様がいなきゃな。王様、ばんざァい!」

 狂った男は、次第に酷くなりはじめていたが、(エント)は冷酷に続きを促した。テテハハクはつっかえつっかえ続けた。

「あの、黒い牢獄……黒い牢獄に、俺たちの王がいる。でも、俺たちは人に見られちゃいけない。助けにいけない。だから、卑劣な裏切り者がやるんだ。王を助けるんだ。なんたって卑劣なんだからな、それくらいしなきゃ釣り合いが……あー、釣れないだろう?やつは釣り針なんだ、ここには魚が沢山……」

「それが、今回の騒動の目玉か……お前らの王様って訳か。まぁ、やることは変わらないが」

 (エント)は呟くと、まっすぐに男を指した。

「お前、もう一度蠍になるんだ。それで俺の首のとこにいろ。まだ話し足りないが、お前の姿を見られるのは都合が悪いからな、そうだろ?」

「あぁ、あぁ、もちろんだ。そうだな、友達よ……《変身(メタモルフォーゼ)》」

 男テテハハクは即座に収縮し、蠍になって(エント)の首筋に取り付いた。一見して、それはアクセサリーかなにかにしか見えなかったし、仮に蠍だと見抜かれても問題はないのだった。ただの虫だ。上級職のレベル帯にとっては塵芥と変わらない。

「種族変化するタイプの系統は、結果が個人でランダムなことも多いからな。お前らもそのクチだろう?せめて亜竜級くらいはあればよかったのになぁ」

『そうだな、友達。本当だよ。だから、王を助けなくちゃならんのだ』

「おォよ、助けに行ってやるぜ……一億リルのためにね」

 (エント)は指を鳴らした。周囲数メートルを覆っていた“夜”が晴れ、その紋章へと吸い込まれていく。

 とたんに粘りつく視線を感じた。うなじがべたべたするようだ。どこか遠くから見られている。

「……陰険野郎のオブか、他の馬鹿どもか、それとも……雇い主の後詰めか?まぁ、いいさ」

 (エント)は懐から通信機を出し、玩んだ。どうも今回の大騒ぎの後ろには、何人か秘密の絵を描いているやつがいる。それも、お互いに利用し合いながら、だ。

 自分はその絵筆の一つだ。だが、それでいい。いまはそれでいい。

「面白けりゃあなんでもいい……ところで、この“絵描き”はどこのどいつかな」

 通信機をしまう。(エント)は考えながら、監獄のほうを見た。

 

「なんにせよ……どうも性格に難があるのは間違いないか」

 

 To be continued



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第五話 The:W 戦場の悲喜

 ■【憑戦士(シャーマン)】系統

 

 そういう系統があるらしい、というのは聞いたことがある。あくまで、ゴシップの噂程度だが。

 噂は噂だ。いっとき、カルディナの沿岸部の田舎町に超級魔法の【ジェム】が死蔵されていると噂が立ったことがある。訪ねてみれば、なんのことはない、町興しのためのデマだった。それを思いついた【豪商】は腹立ち紛れに引きずり回して磔刑にしてやったが、未だにむかっ腹が立つ。

 

 だが、憑戦士系統についてはどうもそれなりに真実だったらしい。

 非人間範疇生物……つまり、モンスターへの変身を特性とする系統だ。【大死霊】や【血戦騎】のように、種族変化はだいたいが何かしらの余録だ。その中で、敢えてその一点に特化したというのはなかなかニッチな性能をしている、と思う。

 人として、ティアンとしてのスキル体系や装備品は全く使えない。完全な獣への変身。徹底している。そういうのは好きだ。

 だから欲しくなった。レジェンダリアまで出かけていって<DIN>に尋ねてみた。

 その隠れ里とされる森は既に滅んでいた。なんでも、<マスター>に滅ぼされたらしい。

 落胆した。実に無粋だ。秘されるものは、秘されているから美しいのに。これでは噂が事実かどうかもわからない。

「そう思ってたんだが……まだ生き残りがいたんだなァ」

 

 (エント)は呟いた。

 

「そして砂漠のクズども。指名手配犯のドンパチときた。ものすごい数の重犯罪者たちが集まってきている」

 

 ◆

 

 ■ペルヌ周辺域

 

 その漢、侍の出で立ちであった。

 名は地獄道延樂。無精髭を伸ばしに伸ばし、頭は総髪、着物はほつれかけた作務衣と来たものである。腰には馬一頭でも斬れそうな大太刀が一振り刷いてあった。

 その立ち位置はペルヌから少しばかり遠い。争い合う賊を背後から眺める位置だ。

 だが、それでいい。侍でありながら、その遠間がいい。

「少しばかり数が減ったな」

 地獄道は言った。

 共食いの果に頭数が減るのは有り難い。が、減りすぎてもつまらない。彼は天地出身の<マスター>、その気風に違わず、戦場には闘いを求めている。懸賞金も欲しいが、強者との邂逅もまた捨て難いものだ。

「さて、起きよ……【果無丸(はてなしまる)】」

 腰の妖刀に声をかけると、地獄道はそれを構え、今一度告げた。

「《万里を疾る一文字(イワサク・ネサク)》」

 次の瞬間、鞘から飛び出した刃の速さは、まさに閃光と見紛うばかりであった。

 

 そして彼の前にいた人々は……数百メテルに渡って切り裂かれた。腕が落ち、首が落ち、砂の粒さえ裂ける。しばしののちペルヌの城壁から、こぉーん、と金属のぶつかるような音が聞こえた。

「うむ、上々。今少し、掃除を続けるとするか」

 斬撃による狙撃者。【狙撃名手(シャープ・シューター)】地獄道延樂は腰のものを納めると、再びの()()に備えて構え、<エンブリオ>の冷却時間待機姿勢に入った。

 

 ◆

 

「へぇ、刀でロングレンジだなんて、面白いねえ、カストル」

「気を散らすな、ポルックス」

 それを端から見やる双子が、砂漠の上で呟いた。

「雑魚だが数が多い。人数は最も原始的な軍事力だ」

「わかってるよおカストル、でも大丈夫だろ?」

 丸々とした子供、ポルックスは、カストルとよく似た蝶ネクタイをいらい、にやりと笑った。

「僕等に勝てるやつなんて、上級域にはいないさあ」

「さて……その気概だけは買おう」

 ボールが並んで歩いているような双子は、髪油でよく整えられた髪を撫でつけ、周囲を見回した。

 敵はまだいくらでもいる。雑兵でも全員が<マスター>、つまりは<エンブリオ>を保有しているのだ。

「いでよ!《燃え上がる死(ムスペルヘイム)》」

「《幽閉、それは苦しい(ハシュマル)》」

「《瞬間最大風速37564kt(ストリボーグ)》!」

 広域熱波が砂を焼き、触れるものを閉じ込める琥珀が降り注ぎ、そしてすべてを暴風の渦が煽る。だが、二人はそれを一瞬早く躱していた。

「ぶっちゃけねえ、単純属性攻撃の<エンブリオ>ってハズレだよねえ?」

 ポルックス……いや、そう言ったのはカストルだったろうか。

「《アトラクション》!」

「《アトラクション》」

 二人は空中で詠唱し、突如発生した引力が周囲を引き付ける。

「“累ね”!」

 共鳴、倍増して。

 それを放った当人たちも、周囲でただ息巻いていた荒くれも、必殺の攻撃の爆心地へと逆に吸い取られ、いまだ渦巻く己等の攻撃で傷ついた。そこを見逃す二人では勿論ない。

「追撃!《ファイアボール》!」

「《スモーク》」

 極めて初歩的な火と、煙の魔法が着弾する。それらは奇跡的なタイミングで混ざり合い、まだ残っていたあの炎熱をも取り込んで、「Bomb!」

粉塵爆発を引き起こした。

 膨らんだ火が舐め回したあとの砂漠にあるのは、塵だけだった。砂と、リソースの。

「やったねカストル、僕等は最強だ」

「そうだともポルックス、僕等はコンビとして最強さ」

 手を叩き合うさまは、いっそ無邪気だ。舞い散る光の塵さえ背後にないのならば。

 【賢者】カストルと【賢者】ポルックス、双子賢者(ツインワイズマン)による累ね魔法戦術を誇るふたりは、自分たちの強さを確信していた。

「……だけど、すこぉし撃ち漏らしがあったねえ」 

 

 二人がそれを言うなり現れたのは、双子と比してもまだ肥満体型の巨漢だ。脂肪の塊が二本足で歩いているような。

 服装は中華服、髪型は三つ編み。清代の風俗画から抜け出てきたような男は、何をするでもなくただ立っていた。

「確か【決死隊(フォーローン・ホープ)】ボム。“太っちょ(ファット)”ボムか」

 ボムは答えない。ボムは話さない。彼はただ黙って鼻息を荒くしながら、心臓から突き出た紐……彼の<エンブリオ>を引っ張った。

「《ラスト・アタック》……《たそがれにんげん(ラグナロク)》」

 

 そして、半径20mを局所的核爆発が消し飛ばした。

 

 核分裂により生まれた強大なエネルギーは、ボムの能力特性に不自然な形で範囲を限定されつつ、その熱を容赦なく解き放っていた。砂はガラス化し、キノコ雲に成りそこねた爆煙が半径20mの円柱になって成層圏まで昇っていく。

 

 それを唾棄するような顔で見ながら、ふたりが煙から抜け出した。

「自爆能力……あれ、本当に死んでるんだろう?彼は何がしたいんだい?」

「あれはロマンチストなる珍獣だ、ポルックス。理解し得る存在ではないよ」

 【ブローチ】を使わされたことに顔をしかめ、カストルは破片を投げ捨てた。

「さて、核か。僕らの余命はいかほどかな」

「数日あれば大丈夫だけどね〜!ペルヌを落とすのには」

 致死量の放射線からすらかろうじて生き延びたふたりは、そう言って笑った。

「さぁ、殲滅を続けようか」

 

 ◆

 

「ふむ、あれは核だな?」

 少し遠くに、どう見ても何らかの力場で拘束された爆発を見据え、その男は言った。

「ああいうのがいるから怖いのだ。実戦とは一対一の強さの世界ではない。あぁいった問題に捕まらず、正面から向き合わなくて済む能力が問われるのだな」

 男は足元に捕らえたひとりの【盗賊】に向かって講義するように言った。

「広域制圧能力。そして生存、欺瞞、索敵。そこへいくと、火力など不要なものだ。最低限をクリアしていればね。強さ、というより、強かさと形容するべきかな?」

 まぁ、と男は続ける。

「君のように下級職程度なのではお話にならんが」

「見逃して、くれェ……」

 ボロ雑巾になった【盗賊】は哀願したが、男は首を振った。

「駄目駄目、戦場に立ったのだから。一度いくさばを踏んだなら、君はもう死んだと同じだ。生命は生きて帰れたときに初めて気にしたまえ。ま、ここでは本当に死ぬわけではないけれども……そう、ところで、私の顔に見覚えなどないかね?」

 赤毛の男、口髭の男は、やや時代錯誤な山高帽をくるりと回して尋ねた。その周囲には、軍服の人々が十数人、側仕えのように控えている。

「そろそろ気づかないか?これでも結構有名人だと思うんだがね。あァ、顔はあちらのと変えていないよ。若作りはしたけれども。この歳になるとどうもヘアースタイルに不安があってね」

「あん、たは……」

 【盗賊】は(地球での身分はブルガリア生まれの配管工であったのだが)記憶を探り、呟いた。

「まさか、先々代……」

「そのとおり!」

 男は叫んだ。最後まで言う必要はない、とばかりに。白手袋の指を立てて。

 

「私はトラヴィス・E・ロードブラインド!先々代合衆国大統領だ」

 すぐ横で、軍服の一人がぱちぱち拍手をした。

「あァ結構結構……ところで、我が<エンブリオ>をどう思う?大変結構だろう?退職してからもなんだかんだ往時が忘れられなくてね、そんな思いから発現したのだろうな」

 ロードブラインド先々代大統領は、己の“合衆国軍を再現する”能力を見、満足気に言った。

「【自由軍団 ワルキューレ】。TYPEはウェポン・レギオン。能力特性は“軍”。銃や装備まで付いてくる兵隊諸君だ。実に有能だぞ?些か柔軟性に欠けるのが玉に瑕だが。そしてフル稼働にもちょっとした条件がある。……ちなみに、君をわざわざ生かしておいて今さっき長々と説明したのがそれだ。ご苦労」

 銃声がして、【盗賊】は光の塵になる。それを愉快そうに見下ろして、大統領は口髭をひねった。

「さァて、()()()()は済んだ」

 大統領の言葉に、軍人たちは銃を構え整列する。

「使おうか、《衆寡敵せず(イーグルズ・チャージ)》」

 

 それらの影が膨れた。軍人たちの影から、新たな軍人がゾンビーのように這い出してくる。次から次へ、影から影が。数は倍々だ。彼等はみどりの軍服と、ピカピカの銃を持っていて、一人など合衆国の色鮮やかな旗をはためかせていた。

 ヘリの羽音がする。戦車の影もまた、砂漠から這い出てくる。いまや十数人などという少数では利かなくなった軍勢を前に、大統領はホクホク顔で叫んだ。

 

「では全軍、突撃」

 

『Chaaaaaaaage!!』

『Yes, sir!! Go Go Go!』

『Fall in……Fire!!』

 

 目指すは、ペルヌ陥落だ。

 

 ◆

 

 【大鎌士(サイズマン)羊羊(ヤンヤン)は、常日頃から自分の戦術に自信を持っていた。

「……《私を離さないで(デュラハン)》!」

 大鎌型アームズの一撃に、“切り傷が首筋へと移動する”特性を乗せる。足でも腕でも傷を負わせればその傷が首へと動いてゆき、やがて鎌士系統の致命攻撃(クリティカル・ヒット)で死ぬ。

 けれど空振りした斬撃に、(ヤン)はため息をついた。

 

 その戦術は、もう瓦解していた。

 土手っ腹には丸く抉られたような傷が開いていた。致命傷だろう。足元の砂は紅く粘り、足から力が抜ける。大鎌デュラハンは手から滑り落ちていた。腹が熱い。頭は凍るようだ。

 

 恐ろしいのは、さっきまでそれに気づかなかったことだ。 

 痛覚はオンにしている。警戒だって十分にしていた。

「くそ、死んじまう……」

 なぜ気が付かなかったのだろう。

 傷を認識できないのだ。誰かが周りで動き回っていることだけしかわからない。

 それだって、そんな気がするだけだ。傷があることに気づいたからそう推測しただけだ。

 この敵の能力は認識阻害系のひとつの極致にいる。

 見えない。敵の姿も、その存在も、痕跡さえも。

 

 聞いたことがあった。カルディナにはイカれた<マスター>がいると。

 

 (ヤン)は未成年だった。だから、描写に年齢制限があることは知っていた。依頼で惨殺したティアンの遺体にモザイクがかかったこともある。

 これはその究極だ。

 

 <DIN>にある“彼”のファイルには、その情報が細かく記載されている。映像も、戦術も、能力も、すべてが。だが、未成年者の目には空白としてすら映らない。すべての文言があらゆる観点から不適切だからだ。

 

 一挙手一投足、足音から息遣いのノイズまで、すべてが管理AIの倫理規定に多重に違反し続けている。絶対にそうなるよう自己改変されている。黒く塗り潰した程度では規制できない“違反”、そういうTYPE:ルールなのだろう。

 

 もちろん根拠はない。未成年者にはなにも見えないからだ。あらゆる感覚を通じて“彼”は制限されている。ダッチェスの欺瞞を悪用されているのなら、たとえ<超級>でさえ打ち勝てない。

 伝聞でも彼の風姿は判らない。目にした大人たちがどう説明していいか分からなかったからである。

「“未成年殺し”かよ……」

『■■■■■■■』

 

 毒づいた首が吹っ飛んだ。

 最後に、“十八禁(タブー)”の■■■■■が述べた言葉は、不快極まりないものに改変されて風に溶けていった。

 

 ◆

 

 ■ペルヌ・南方7km地点

 

 さて、戦場を遠巻きに、砂漠の村は平和なものだった。

 ペルヌ本拠へ向かった<マスター>たちとて、別に通り過ぎただけだ。その列も今や疎らで、時折乗り遅れがえっちらおっちら走っていくくらい。砂に汚れた白い家並みには、北の遠くを気遣わしげに望む村人だけが出入りしている。

 その寂れた砂まみれの街道を、ターバンで厚着した人間が歩いていた。どこか自信がないような、弱気な足取りだ。

「すみません、監獄都市ペルヌまでの道はこの方角で?」

 彼は礼儀正しく尋ねたが、その相手がなかなか間違いだった。

「おうよ!北に真っ直ぐだ!」

「ところであんちゃん、あんた()ペルヌの懸賞金目当てで来たのかい?」

「……?あぁ、まぁ、その関係ですね」

 声をかけられた二人連れは、見るからに犯罪者だった。ペルヌを襲おうというのだから、そのはずだ。二人の<マスター>は、少しばかり出遅れた口だった。

 鶏のようなけばけばしい髪型で、いかにもパンク・ロック風のピアスをごてごて空けている。その二人が、ターバンの男を睨めつけた。

「俺達もそうだぜ、一億リルだっけか?」

「逃すわけにゃあいかねえよな、写真の女を助ければ一億リル」

「なによりよ、政府側のティアン用監獄だろ?破壊できれば悪名が高くなる」

「箔が付く」

「そこでだ、あんちゃん、ライバルは減らしときたいと思わねえか?」

「思うよなァ!」

 二人が猛る。そして、腰に下げたククリナイフがギラリと光った。

「《黒の将軍(クレイトス)》!AGI十倍ィ!」

「《白の将軍(クレイトス)》!STR十倍ィ!」

 二人の姿はかき消え、剣の唸りだけが残る。それはターバンの頚筋を、狙い違わず目指していた。

 

「超合技!“二重領域殺法(デュアルテリトリーキリングメソッ)――」

 

「《喚起(コール)》」

 

 だが、その剣閃は二筋とも、ターバンの男が瞬間的に纏った球形の黒い結界に弾かれ……そして、二人自身は貫かれていた。胸から頭まで刺し貫かれていたのだ。

 突如出現した、森に。

 

「この防御……テメェも、テリトリー系列……」

「この攻撃……トレント系の、従魔か……」

「おっと、すみません」

 ターバンが謝ったのは、二人にではなかった。往来での<エンブリオ>を用いた乱闘におずおずと様子を様子をうかがう村人に、だ。

「すぐに息の根を止めますから」

 そして、ターバンは二人に向き直った。

「お二人、すみませんね、ちょっと質問よろしいですか」

「ナン、だ……?」

「ちょっとしたことなんです。ちょっぴりばかり口にするのが恥ずかしかったりするんですが……大事なことでもある。お二方、“愛”ってなんだと思いますか?」

「はァ?」

 串刺しでもがく二人を、ただ冷たくターバンの男は見ていた。布地の隙間から、刺すような視線がある。

「愛ですよ。人は人の何を愛するのでしょう?顔ですか?身体?匂い?性格?立場?技能?それとも、想い出?すべてを失って、最後まで“愛”と呼べるのは何でしょう?」

「へっ……」

 男たちは決まってるとばかりにせせら笑った。そうだ、愛の正体などよく知っている。考えるまでもない。古今東西、老若男女。

「“愛”はよ……“(ハート)”だろ」

「そうですか」

 ターバンは深く、深く頷き、手を一拍した。

 

「違いますね」

 

 そして、暴れ狂うトレントの枝が二人を引き裂き、光の塵に変えた。それをなんの感慨もなく見ながら、ターバンはぶつぶつと呟いた。 

「愛、愛……記憶でも人格でもなく、ただ、愛……あぁ、現地民の皆さん、往来を破壊してしまってすいません。また植林してしまった。お詫びに、もう二、三本ばかり植えておきますから是非なにかにご用立ててくれれば。ええ。砂漠では木材も貴重でしょう」

 怯える彼等を背に、男は歩きだす。

「にしても、時間にだいぶ遅れてしまった……ペルヌ市長は寛容な方でしょうか……」

 男は、ペルヌの保険、監獄都市目掛けて集まる重犯罪者たちへの対抗戦力として雇われた人間だ。“ペルヌ三人衆”だけでは不十分だと思われたときのために。

 ゆえに彼は【死騎】再々死、そして他の二人にも劣らぬ実力を備えている。

 

「“愛”とは……何なのだろうか」

 

 そんな永遠の問を自問しながら、植物系指揮特化超級職……【華将軍(フロラ・ジェネラル)】ニッケル・ブラスは、おずおずと歩を進めた。その影はやがて震え、加速し、超級職のAGIの果てに見えなくなった。

 

 To be continued

 



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第六話 The I:不死身の<エンブリオ>

 ■カルディナ

 

 不死の能力は存在しない。

 少なくとも、誰に明言されるでもなく、AFXはそう思っていた。

 <エンブリオ>の能力には必ずどこか欠けた部分がある。一度や二度ならともかく、永久に復活し続けるだなんて不可能だ。そんなのは、言ってしまえば無限に命を作れるのと同じだから。

「さて……死ぬまで殺せば死ぬのかな?」

 MPを使って再生しているなら、あるいは回数制限があるなら、なんでもいいが、それらが尽きるまで倒す。どこかに終わりはあるはずだ。同じ<上級エンブリオ>なのだから。

 

我不可死(おれは死なない)

 だが、再々死(サイサイシ)はあえて言い切ってみせた。嘘か真か、《真偽判定》は沈黙していた。

我、何者不可殺我、付帯各状各時。(だれにも殺せない。どんな手を使っても)故、我持字(それゆえに)不可死(デ・デス)”!』

「自己紹介どうも」

 AFXは軽くナイフを放り投げ、キャッチして逆手に構えた。

「《スリーピング・ファング》!」

 そして加速した。

 【偵察隊】のAGIは決して惰弱なものではない。舞い上がった砂が積もるより早く間合いが詰められて、ナイフの刃が閃く。再々死(サイサイシ)の肌が幾筋も裂けた。

 それを意にも介さず腕を伸ばす再々死(サイサイシ)のそれを潜って、AFXは社交ダンスのように踊った。気を付けていれば躱せなくはない。

「もう、一度!」

 今度は脇腹と大腿部の血管が切り裂かれた。意外なほどの勢いで、噴水のように鮮血が溢れ出す。間違いのない致命傷だ。

 だが、再々死はニヤリと笑った。

不汝利(むだなことだね)

「……!」

 

 AFXは腹立たしそうに間合いを離した。再々死の不遜な態度故にではない。

「メアリー、治療を」

 その両腕が再び【凍結】していた。AFXは膝を叩きつけてそれを躊躇いなく粉々に砕くと、黄金の光に腕の残骸を浸した。

「《癒しの息吹(ヒリング・オーラ)》」

 急速に再生し繋がっていく腕をよそに、AFXは呟いた。

 

「さっき、僕はあいつの攻撃を全部躱した」

「触られてないってこと?」

「エフェクトだとか分かりやすい遠距離攻撃だとかは無かった。それなのに腕が凍った。体の周りに透明な冷気があるのか。ダメージ起因のカウンター能力か。あと二、三回殺してタネを割る」

 換えの武装を握ったAFXは再度、再々死に向かって地を蹴った。

(なるほど)女属治療在後方(ヒーラーと援護は女に丸投げして)汝在戦撃実。非拙(自分は前衛に徹するか。悪くない)

 肉体再生を終えた再々死は、砂漠を踏んで立ちはだかった。

非且良(別に良くもないけど)

 

(霜が降りている)

 AFXは加速したAGIを以て、緩やかに敵を観察した。

(氷結の能力と、不死の再生。上級職との合せ技だとしてもリソースが足りない)

 絶対にそうだ。全く別方向のものを、実戦レベルなどとうに超えた高水準で両立するなど。ましてや、それに限界がある節もない。不死に限界があるなら、守りの動作を廃せる分を活かすために、接近戦でもっと積極的に攻めるはずだ。

(ブラフの可能性はない。そんなハッタリに意味はないからだ。なら、本当にあいつの不死に限界はない……少なくとも分かりやすい限界は。氷のスキルを無駄撃ちできるくらいなんだから)

 辺りを凍らせながら迫り来る【死騎】を見ながら、AFXは考える。

(数字の上での明快な限界はない。なら、なにか条件があるのか?それが満たされる限り死なないような。幾度殺されようとも関係ないような。僕のメドラウトは共通点がある限り強化される。それと一緒なのか?)

 なら、それこそが割るべきタネだ。

 候補はそれこそ無限大にある。時間帯や環境のような、壊しにくい条件かもしれない。だが、AFXはあまり心配していなかった。

 <エンブリオ>は制約されるほど強い。これほどのスキル出力、逆に背負っている条件の強さも押して知り得る。攻撃され得る弱点があるから、敗北のリスクがあるから強いのだ。覆せない条件だとは思えない。

 部位による再生の違いは見当たらなかった。ならば次の情報だ。AFXは《瞬間装備》で二つ目のナイフを握った。

「まずは、同時攻撃!」

 AFXは宙に飛び上がった。そこにいた左手のアシュヴィンを踏み台にして、再々死の上を取る。

 

 再々死の無様な防御をすり抜けて、二筋の刃が赤い線を書く。その青白い指と、眼球の表面がパックリと割れた。代償として、AFXの両手が霜に貫かれる。

(致命傷ではなくとも能力は発動している。再生能力はやっぱり<エンブリオ>本体から末端に掛けて。最悪あの腎臓を破壊するか。本当に最悪だけど。TYPE:アームズを壊せたなんて話はろくに聞かないし)

「メアリー、治癒を……!」

 

 AFXはまた飛び退きながら叫んだ。

 そして絶句した。

嗚呼(アハ)……《クリムゾン・スフィア》』

 再々死は【ジェム】を取り出していたが、それを放り投げるような構えではなかった。彼は真紅の結晶を掌から転がすと、悪戯っぽく前歯に挟み、素早く呑み込んだ。

 

 次の瞬間、その肉体は胸を中心に弾け飛んだ。

 肉と骨の破片が血しぶきと共に散乱する。再々死は二本の脚しか残っていなかった。真っ赤な血を全身に浴びたAFXは、一呼吸置く間も無く全身を【凍結】されて氷像のようになった。

 

(やられた!僕の無力化と同時に、位置をひっくり返したのか!)

 AFXは砕け散りながら身体を回した。同じように血を浴びて凍りついたアシュヴィンと、辛うじて全身【凍結】は免れたメアリーの前に、金属製の腎臓が転がっていた。

 ニライカナイだ。

 それを中心に生体組織が盛り上がる。喩え<エンブリオ>だけになっても、再生能力は健在だった。

 瞬きひとつの間に、人間一人の輪郭が出来上がって立ち上がり、口を利く。

「本当に<上級エンブリオ>?そんな状態からの再生なんて……!」

愕何(何を驚いてる)極理先除癒者不歪(ヒーラーをまず落とすのは当たり前だろ)

 再々死はAFXを既に倒したように言った。

「……容易くできるとでも?」

 メアリーは拳を構えたが、再々死は鼻で笑った。

汝愚(賢くないな)汝氷縁我、亦我不死。(お前は僕に触れれば凍る。僕は死なない。)非難計算。誰屹立最終場我汝何(簡単な理屈だよ。最後に立つのはどちらかな)?』

 再々死はもう勝ったつもりで大仰に手を広げた。メアリーは残った右のアシュヴィンと呼応するように、右拳を引いて腰を落とした。

「《癒しの(ヒリング)――」

 

「《ヒート・ジャベリン》」

「《ウィンド・カーテン》」

 

 だが次の瞬間、いずこかから飛来した2属性の魔法がメアリーとアシュヴィンを背後から吹き飛ばした。

 熱風に煽られて氷が解け落ちる。あたりの【凍結】被害者たちもまた砕け散って飛ばされていった。

 AFXは復活した血流を撒き散らしながらごろごろと転がり、手足を落っことして止まった。傷ついたアシュヴィンの左が心配そうにその上を舞う。

 

誰何(どちらさまァ)?』 

 全身の皮膚を白く焼き焦がされた再々死が問う。一秒足らずで瘡蓋が剥がれて雪のように舞う。

 

「不潔だな。人間とはかくも穢いものか」

「生命の本質は汚穢だよね〜。で、不死は果たして生命かな?」

 砂丘の上で、太った双子が踊っていた。《看破》したのだろうか、再々死は首を傾げた。

『【賢者(ワイズマン)闘槍属離間(が接近戦を)?』

 

「あいにく。無様に負けるやつの顔が見たいのでね」

 カストルとポルックスは、両手に魔法を灯しながら一歩、間合いを詰めた。

 

 ◆   

 

 ■同刻 ペルヌ周辺地域

 

 トラヴィス・E・ロードブラインド元大統領は自らの軍勢を止めた。

『Stooooooppppp!』

「うむ。ご苦労」

 労いのために止めたのではない。

 突如として、軍勢の先端が揺らいだ。先鋒の兵士たちが喉を押さえながら、次々と倒れ伏していく。傍にいた兵士が声を上げた。

『ご報告!呼吸器への攻撃を確認!』

「ほほ、毒ガスか。なんとかの条約でああいうのは禁止じゃあなかったかね?なぁ?」

 ここにそんな近代的な代物はない、とよく知っている大統領どのは、すぐに手を伸ばした。勝手知ったる兵士はガスマスクを付け、大統領にも手渡した。

「さて、それをやったのは……あぁ、案の定<エンブリオ>か」

 大統領は目を細めた。

「あの女だな」

 視線の先にいたのは、パラソルを差した女だった。柑橘系をあしらった可愛らしいワンピースを風になびかせ、砂漠の熱風に汗ばんでいる。チョコレートらしきものを口に放り込むと、女は大統領に手を振った。

「あんたがこれの親玉ァ?」

「いかにも!私はトラヴィス・E・ロードブラインド!これらは私のレギオンだ!それで、この毒ガスは君のせいかね!」

「“いかにも”ォーッ!キャハハ!」

 

 女は楽しそうにパラソルをくるくると回した。そのもう一方の手に、重厚で粗雑な鉄パイプが握られていることに大統領は気付いた。今にも誰か撲殺しそうだ。

「おい」

『はッ!』

 副官が敬礼する。大統領は短く命じた。

「焼夷弾だ」

『Sir, yes sir!』

 その指令から、10秒もかからなかった。

 空からひゅるひゅると嫌らしい響きを上げて、なにか黒いものが落ちてくる。ひとつやふたつではないそれらが、一斉に空気を割いて近づいてくる。

 それは狙いあやまたず女の足元で炸裂した。粘りつくような炎が上がる。紅蓮のそれに甜められて、人の身が無事であるはずもない。

 だが、女は平気の平左だった。

「火。火ね。よりにもよってって感じィ。キャハハ」

 その光景はどこかおかしかった。まるで炎が存在しないかのように、熱されも焼け付きもしない。普通、多少なりともダメージが目に見えるものだが。それがないのはENDが極めて高いのか、あるいは……大統領は目を細めた。女は暑そうに手で顔を扇いだ。

「これでも()()()()()()に特化した上級職だしぃ、アクセも付けてるし。でもォ、あんたの<エンブリオ>って、火属性って感じじゃないわよね。どっちかと言えば物理攻撃がお得意?」

 女は楽しそうに笑ったが、その目に冷たい目的意識があることに大統領は気がついていた。これでも、人を見る目はあるつもりだ。この女は、目に映るすべてに情などかける気がない。

 

「名乗りって大事よね?アタシは……クソダサい名前のォ、“ペルヌ三人衆”のひとり。“中毒死(トキソデス)”」

 女は言った。大統領は頷いた。

「ペルヌの傭兵か」

「【高位消防士(ハイ・ファイアファイター)】カロライナ・カロライナ。どうぞ、CCって呼んでね。中毒死するまでの、短い間」

 

 ◆

 

 ■【賢者】カストル/【賢者】ポルックス

 

 AFXは油断なく双子を眺めていた。別に味方ではないのだ。敵の敵は、残らず全員敵同士なのが今のペルヌ周辺域だった。

 だが、双子は明らかに侮るような視線を二人に向けたあと、ため息をついた。

「まぁ……やはりはじめはペルヌのイヌだな。あの二人は後回しだ」

 双子はそう言って、ことばを紡ぎ始めた。

「《紅蓮術(パイロマンシー)》!」

 そう唱えた瞬間、火属性魔法がその頭上で膨れ上がった。

 

「《蒼海術(ハイドロマンシー)》」

「《翠風術(エアロマンシー)》!」

「《反射術(ミラーマンシー)》」

 産み出された水が炎熱とぶつかり合い、即座に蒸気に変わる。間髪入れず放たれた風属性魔法と反射術がそれを閉じ込めて圧縮し始めた。見た目には、真っ白なボールのようになって宙に浮いている。

 

「これは僕らのオリジナル」

「《ブーム・ブーム・スチーム・ザ・ドゥーム》」 

 そして、そのボールにひとつの穴が空いた。

 高圧水蒸気が弾丸のように射出される。砂漠を切り裂いたそれは、人間の視覚など越えたスピードで再々死の頭をも吹き飛ばした。男の叫び声みたいな独特の空気を裂く音がした。

 

 再々死はふらふらと立っていた。白い冷気を吐きながら、頭部が再構築されていく。双子は首を傾げた。

「致命傷でもだめか?なら、全身を焼き尽くすか」

 水蒸気爆発のボールが中身を吐き出して消滅した。代わって、双子が朗々と謳い出す。

「《紅蓮術(パイロマンシー)》」

「《障壁術(ウォールマンシー)》」

「《黒土術(ランドマンシー)》」

「最後にぃ、《魔法多重発動》《魔法発動加速》」

 再々死は口の中の冷たい血を吐き出し、双子を睨みつけた。 

 砂が舞い上がり、それを円形の障壁が囲む。まるで石窯のような格好になったところで、粉塵の舞うそこで炎が灯った。

「《バーニング・ダウン・ザ・ハース》」

 次の瞬間、閉鎖空間で逃げ場のない爆炎が荒れ狂った。

 再々死の肉体が<エンブリオ>たるニライカナイだけを残して真っ黒な炭と化す。

「駄目押しだ」

 障壁が一部消滅する。チカッと火種が光って、もう一度同じぐらいの炎が噴き上がった。少し離れたところにいたメアリーの顔の産毛が焦げたような気がするくらい。

 

「水蒸気爆発に、今のはテルミット反応とバックドラフトか」

 AFXはメアリーに癒やしてもらいながら呟いた。

(オリジナル魔法って……桁違いの魔法制御。どっちかの<エンブリオ>か?それに、いくつ属性を持ってるんだよ)

 【賢者】は万能性が売りだが、実際にそこまでの札を持てる人間は多くない。扱いきれないし取得に手間もかかる。

「【結界術師】【反射術師】はちょっと難しかったよねえ。重力属性もまだ取ってないしさ」

「あぁ、だがなぜ驚くのかは分からないね。万能性が売りなのだから、理論値に達するまで強化しなければ損だろうにな」

「制御はねぇ、最初は暴発してばっかりだったねえ。まだ()()()が少なかったから」

 AFXの驚きを見透かしたように双子は言った。

 

「で……まだ死なないのかね?」

悲言(ざんねんながら)

 再々死(サイサイシ)は再生したばかりの肩を竦めた。真っ黒な炭クズがボロボロと落ちて、純白の肌が顕になる。

汝等不可能我害(今みたいのじゃおれは死なないね)。“魔法泥棒(スキルラドロン)双閣下(のおふたりさん)?』

 

「侮辱だよねえ。“魔法泥棒(スキルラドロン)”なんて。僕ら正当な勝負で()()()()()()()()()だけなのに」

「<DIN>はすぐ二つ名を作りたがる。順番が逆だろうにな。結局呼ばれていないあざなのなんと多いことか」

「でもさぁ、センスのいい人は二つ名付けで儲けてる人もいるらしいよねえ。やっぱりそこは広告としてのメディアと利害関係が……」

既勝利(余裕のつもり)?』

 再々死はうろたえもしない彼ら二人に苛立ちを隠そうともせず、歩を進めた。その足跡は凍りついていた。

 【賢者】の肉体は脆弱だ。【凍結】すれば終わりだろう。

屈。前我乃不死(屈しろ、我がニライカナイの前に)

「あぁ、それはもういい」

 

 だが、カストルは首を振った。

「もう大体アタリはついたからな」

「そっちの二人にも感謝かなぁ?実はちょっと観察タイムを取ってたんだよ、有難うね、馬鹿みたいに闘っててくれて」

「貴様が今、我々に近づこうとしていることこそが傍証だ。怖いのだろう?【賢者(ワイズマン)】には、()()()()があるからな」

 二人は愉しげに手を叩いた。

 

「《翠風術(エアロマンシー)》」

「《紫煙術(カプノマンシー)》!」

「《蒼海術(ハイドロマンシー)》」

 水が二人の掌から湧き出し、空へ続く風の渦がそれを巻き取り、どこからともなく現れた濃霧をも吸い込んで、砂漠には似つかわしくない雲の竜巻として再々死へと迫った。

「そんでさぁ、《白氷術(ヘイルマンシー)》」

 

 竜巻が冷気に凍りついた。

 再々死もまた凍りついたように顔を歪めた。双子はメアリーとAFXに向かって手を振りながら言った。

「教えたげようか?弱そうなお二人さん」

「発想の転換だな」

「不死はありえない。そこはいい線いってる。でも、コイツはいくらでも復活する。じゃあ答えは簡単。常時発動型のスキルを使ってるってだけ〜!」

「MPが消費されていないのなら、別の形でエネルギーを賄っているはずだ」

 カストルはそう言うと、AFXの察しの悪さを咎めるようにしばし口を噤んだ。あるいは魔法の構築時間を稼ぐためのお喋りなのかもしれなかった。

 

「まぁ……“熱”だよ」

 再々死は今度こそ舌打ちした。手の内を見透かされたことも許せぬほどプライドの高い性格を窺わせる。

「熱エネルギーを吸い取って再生力に変えている、だから発想の転換だと言った。氷結攻撃はいわば、副作用だ。半ば無制御で、それ無しに再生することはないし、再生無しに氷結攻撃も出来ん」

 AFXは顔をしかめた。気づいて当然の理屈だ。あいつが妙に攻撃を誘っているふうだったのも、傷の再生に伴ってその敵から熱エネルギーを奪い取るためだったのだ。

「熱を持つ手段の攻撃では奴を再生させるだけ。火なんぞ最悪だな。それにここはカルディナだ、砂漠気候の昼間なら熱など腐るほどあろうさ。辺りの全てから熱を奪って回復する」

「だから……攻撃した手が凍ったのか」

 AFXは呟いた。カストルは首をひねりながら続けた。

「ステータス補正は対して高くないな。それにスキル出力から言って、も少しリソースが足らん。

 まだデメリットがあるのだろう、たとえば……武装を使わないのは、装備スロットが埋まっているからか?自らの能力以外での回復は可能なのか?回復魔法を使わなかったな。パッシブ展開の限界時間はどうだ?

 まぁ、それらを差し置いても氷属性に弱すぎる。だが、氷使いに氷を使う気にはなかなかならんよなぁ」

 

 氷風の竜巻はぐるぐると迫る。再々死は逃げることをも躊躇うように少しだけ後ずさった。カストルは蔑んで笑った。

「今更隠しても遅いだろう。無様に、素直に逃げたまえよ。まぁ、【死騎】ではなぁ、速度にもMPを注いだからね。あぁ、我々を殺そうとしても無駄だよ。防御の魔法には結構気を使ってるのでね」

「【ブローチ】はあるのかな?全然、もう一発くらい撃てるけどね。なんなら氷の【ジェム】もあるよ〜」

「こいつが死んだら次は君等だな。どうする?二面打ちでもこっちは構わないが」

 AFXとメアリーに魔法を向けながら、カストルは言った。

 

「まぁ、先に終わらせるか」

「《コールド・ハード・ハザード・ビッチ》」

 そして、氷の竜巻が【死騎】再々死の身体へと食らいついた。

 凍てつかせながら、風の奔流がその肉体を破壊していく。HPが即座に削れ、そしてゼロになっていく。アームズは破壊できず、【死騎】ゆえに少しの間は生存するが、この竜巻は持続型だ。再生しようとする肉体をすりおろし続ける。

「勝ったな」

 双子は次いで、メアリーたちへと矛先を向けようとした。

 

 だが、AFXは目を合わせようともしなかった。つられて二人も再々死(サイサイシ)のほうを見る。

 次の瞬間、巨大な樹木が竜巻を貫いて霧散させた。砂漠の真ん中だというのに!

 

 ◆

 

 凍った木片が飛び散った。

 吹っ飛んだニライカナイから、薄っすらと肉片が発生する。

 

「《ファイアボール》」 

 どこからか最下級の、子どもの小遣いでも買えるような【ジェム】が飛んだ。熱を与えられた《いのちシステム(ニライカナイ)》がそれをコストに再生を開始する。《ラスト・コマンド》が終了すると同時に、ぎりぎり再生が終わった再々死(サイサイシ)が砂漠に落ちた。

「あまり見栄えのいい格好ではありませんね」

何者(おまえは)?』

 再々死は顔を上げた。メアリーとAFX、カストルとポルックス、そして第3の方角に、ひとりの男が立っている。

 

 身体中に厚布を巻き付けた男だ。ターバンの奥から目が爛々と輝いているのが見える。身体つきは分かりづらい。その全身には色濃く、みどりの匂いが纏わりついていた。

 男は会釈して、丁寧に名乗った。

「これは失礼。僕はニッケル・ブラス……ペルヌ市長からの依頼でこの都市の護衛任務を受注しました。乗合馬車が時間に遅れてしまって、如何せん周りも荒れていたもので。市長さんはいらっしゃいますか?」

獄中(市内だ)

「そうですか。しかし、これからは同僚になるわけですから、このお手伝いを片付けてからにしたほうが良さそうですね。僕の名前はもうご存知ですよね?顔も、通知が行っていると思うのですが。あぁ、肝心のジョブを忘れていた」

 ブラスは頭を下げた。

「そして【華将軍(フロラ・ジェネラル)】です」

 

「超級職……!」

 一同が揺れる。再々死は吐き捨てるように言った。

(なら)……我言監獄都市第四衛士到来。(ペルヌ三人衆、幻の四人目ってわけだ。)我求汝殲滅状況此処由汝怠慢(遅れてきた分の仕事をしてもらおうか)

「そうですね……では《喚起(コール)》」

 【華将軍】ブラスはさっと右手を振った。

 

 次の瞬間、多層障壁を全て貫通して太い木の枝がポルックスをぶっ飛ばした。

 嫌な量の出血が砂に落ちる。太った身体をいとも容易く殴り飛ばしたその枝は、ほの赤い新芽を付けていた。

「な、ァ……!」

「貴様!《ダーク・ウェイヴ》!」

 カストルが放った中級程度の闇属性魔法が、荒波になってブラスに襲いかかった。樹木の葉を散らしながら、その波濤の先がブラスに触れんとして……弾かれた。

「《固化原理(オズボーン)》」

 ブラスの周囲を、黒い障壁が包んでいた。あらゆる防御をすり抜けるはずの闇属性が、そこで遮られている。

「闇か。僕の<エンブリオ>は……ダイラタンシーは防御特化のテリトリーですからね。そういうのは無駄だし好きじゃないんですよ。そういう、熱くて攻撃的な人って」

 ブラスはそう言うと、トントンと砂を叩いた。

「やれ」

 そのとき、全員の足元から樹木が湧き上がった。それは即座に変形しながらAFX、メアリー、双子をも縛りながら木々に取り込んでいく。

「アシュヴィン!」

「人の心配してる場合か!」

 枝が手足を挟んで伸び上がる。首を無理やり持ち上げられて、メアリーが苦しそうなうめき声を上げた。背中側に引かれた手足の骨が外れそうだ。その格好はどうも十字架への磔刑に似ていた。

「さて、すぐに息の根を止めて差し上げますが、その前に一つ問答よろしいですか」

『何?何汝要(何を言ってる)

 憤る再々死を宥めるように、ブラスは首を振った。

 

「そうだ、どうせなら貴方にも聞きたいですね。質問です」

 ブラスは少し言葉を切って続けた。

「皆さんは“愛”の定義ってなんだと思いますか?」

 

 To be continued



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