曇天と金剛石 (塩草)
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第一章
曇天


K8135年(2)月1日。その日、ダイヤモンドは生まれて初めて愛という感情に触れた────。

 

「眩しい」

 

 緒の浜に生まれ落ちた黒褐色の鉱石をひと目見てダイヤが呟く。波打ち際に広がる無数の白砂を攫っては引き返す荒い波音が、今度はその小さな声をも攫っていく。白波に引かれ跡形もなく消えたその言葉は、前頭前野を介して発せられたものではなく、内包物(インクルージョン)ともまた違う、胸の奥底で静かに眠るダイヤの核となる部分から滲み出た混じり気のない言葉であった。

 

 緒の浜で生まれた鉱石達は金剛の手によって、かつて 地球(その星)に存在していた"にんげん"の形に(なぞら)えて丁寧に整えられる。彼等の内で眠る本質がよく見えるように、と。温みの無い無骨な両手で、見せかけの外面を剥がされた身体は、没個性ともとれる画一化されたものだったが、個性は霞むどころか、より一層光って見えた。

 

 朽ちた世界の片隅を爛々と照らす眩い身体を持つ宝石達の中で一際美しいとされたのがダイヤモンドであった。彼が生まれた日、あまりの美しさにその場にいた誰もが一様に息を呑み、ありもしない胸が高鳴り、美麗な体を震わせた。

 

『綺麗だね』

 

『ダイヤはいいよなぁ』

 

 虹色に艶めくその身を焦がすほどに、皆から羨望の眼差しを受けたダイヤと、金剛によって整えられるのを待つひとつの原石。ざらめく濁った外皮は燦然と輝くダイヤと比べれば到底綺麗とは言えぬ代物であったが、そんなダイヤが初めて心奪われた存在であるという事実は覆ることもなくそこで輝いていた。

 

 ダイヤが溢した"眩しい"には彼の奥底で湧き上がる言語化不可能な未知の感情が込められていた。

 

「カーボンから成る元素鉱物だ。ボルツと呼ばれる」

 

「ボルツ……」

 

 金剛が口にした鉱石(兄弟)の名前を重ねて呟きその音を噛みしめる。ダイヤの柔らかい眼差しがそれから外れることは無い。

 

「多結晶というささやかな違いこそあれどおまえと同じダイヤモンド属だ。仲良くしてやりなさい」

 

 金剛の言葉にダイヤは笑顔で答えると、不格好なボルツを抱えて学校までの草原を進む。足裏に感じる生命の息吹を感じながらゆっくりと速くを不規則に繰り返す。溢れてしまわぬようにと必要以上に強く抱き抱えた結果、ボルツの外殻がダイヤの腕に食い込み、美しく堅牢な身体に傷を付ける。傷付いた事実とは裏腹に、綻んだ表情と軽い足取りが彼に訪れた幸福を世界に知らせていた。

 

「皆を」

 

 共に学校へと戻ったダイヤに金剛が他の宝石達の招集するよう命令を下す。時は昼を回り、午後の当番達が見回りへ出た為、彼らを除いた午前の見回り組の宝石たちへダイヤが声をかけて回る。

 

 少しの時を置いて金剛がいる間に繋がる長く高い廊下にいくつかの足音が昇る。集まった四つの宝石達が残りの宝石を待っていると、ひたひたと孤独な足音を廊下に沈ませながら一人の宝石がやってくる。憂いを纏ったその宝石が、四人の端にいたダイヤから大股四歩離れた場所へと加わると、これまでに無い緊張感が刹那に走る。肩口から床へと垂れた彼の足取りを示した銀色の足跡は、自分が帰る場所を見失わぬ為にあえて残しているようにも見えた。

 

「シン───」

 

 銀の毒液を吐き散らす真朱色の宝石(シンシャ)を気遣い声をかけたダイヤを押し退け、シンシャの方へと歩みを進める黄色の宝石(イエローダイヤモンド)

 

「あっ、待っ───」

 

 言葉を挟むダイヤをよそに、イエローは呆れた顔で孤独な宝石の隣に立ちその腕を振り上げる。身体を強張らせ怯えるシンシャの予想に反し、イエローはただ彼の肩に腕を回しただけだった。背中に回した腕を皆の方へと押し込んでいく。

 

「イエロー……毒が………」

 

「なーに。そんなものに臆するお兄様ではないさ。そもそも今だって毒液を抑えられただろ?」

 

 イエローがシンシャに触れる直前に表皮を覆っていた毒液は彼の体内へと戻っていたが、イエローはそれを確認したから腕を回したわけではなかった。シンシャにとってその優しさはあまりに痛く、吐き出すことのできない感情が一滴の毒液となって溢れる。涙が流れるという現象が何を意味しているのかを知っているのはシンシャを含めて誰一人としていない。唯一、金剛だけは言葉と原理を理解こそしていたが、その本質が記録された情報は彼のメモリからは消失していた。

 

「尤も俺のエスコートが嫌ってことなら遠慮無く言ってくれよ?」

 

「いや、そんなことは……」

 

「なら何も問題は無いな」

 

 イエローがシンシャを押し込んだことで揃った五つの石影(せきえい)が教卓の前に並ぶ。そこへ新たな(最後の)影が加わる。

 

「遅れてすまない。ペリドの所へ行ってきたんだが、"紙漉き中で手が離せないから行けないと伝えてくれ"と言っていた。スフェンもそれに付き合わされてるから来れないだろうな」

 

 床に立てた身の丈程の大刀に手を掛け、床を擦りそうなほど伸びた長い髪を揺らめかせながら遅れてきた宝石がその理由を告げる。宝石の名はパパラチア。蓮の花を煮詰めた様な桃色が金剛の背後の窓から差した陽の光を反射させ辺りを暖色に染めあげる。胸に空いた七つの穴を通った光が、髪で散らばりつつもパパラチアの背後の(廊下)へと伸び、禍々しく孤独な銀色の水溜りに寄り添った。

 

「二人には私から伝えておこう。ダイヤモンド、今回の成果を述べよ」

 

 金剛の言葉を受けたダイヤが集まった宝石たちに一連の出来事を伝える。喜ぶ者。表情を変えぬ者。寂しげな表情の者。報告に対する反応は十人十色であったが新たな仲間の誕生を祝福していることは間違いなかった。

 

「ということで僕の(・・)可愛い弟をよろしくね」

 

 "徳の高い人間は己が犯した過ちを認めすぐに改める"という意味を持つ"君子豹変"という熟語が、いつしか"徳の高い人間ですら時として自らの都合の良い方に態度や考えを急変させる"という誤った意味合いで使われだしたように、言葉に付与された意味は時代の移ろいに応じて変化していくものである。ボルツとの関係を示した"僕の"という言葉もボルツの所有権を誇示する本来の強い言葉では無く、無尽蔵に込み上げる幾多の感情を言葉()の中になんとか押し込んだ柔らかい意味として使われた。

 

 ダイヤによる説明が一通り終わり各々が自由に口を開く。

 

「俺やダイヤと同じダイヤモンド族か。よーし、特別可愛がってやろう」

 

「………」

 

「今よりもっと仲間が増えていくなら議長なんかも必要になるわね……。そうなったら僕は秘書でもやろうかな」

 

「最上位の硬度持ちだし例に漏れず見回り組だろうなー……ってそんなことより!今度こそ必ずアレキちゃん呼びを浸透させなければっ!!」

 

「ボルツか。戦闘の素質があるならいっぺん組んでみるのも悪くないな」

 

「なっ……」

 

 愛する我が子が戦地へ送られるのを必死に拒む母の面持ちで、緩やかな決議によってじんわりと決まりゆくボルツの処遇にダイヤが異を唱える。

 

「そんなの絶対にだめっ!それにルチルに預けたら粗暴な子に育ってしまうかもしれないわ」

 

 名指しで批判されたルチルは何を返すこともなく冷めた目でダイヤを見つめていた。ダイヤはそれにも気付かず嬉々とした表情で言葉を付け加える。

 

「それにボルツにはもっと向いてる仕事があると思うの」

 

「はーん……で、例えば?」

 

 粗暴と称されたことにやはり若干の苛立ちを覚えていたルチルが、ダイヤが何も考えていないことを理解した上で意地悪く問いかける。

 

「例えば……よね?えーと……そうねぇ……植物やクラゲの観察なんてどうかしら?」

 

 辺りを一瞬の静寂が包んだ後に失笑の渦が巻き上がる。その渦の中心にはあっけらかんとした顔のダイヤが立っていた。

 

「ダイヤ族がそれを言うか。やっぱりダイヤモンドは面白いやつだな」

 

「高硬度が言う冗談は低硬度の俺には理解できん」

 

 イエローが笑い、ルチルが呆れる横でパパラチアはいつも通り静かに微笑む。嘲笑の的となったダイヤは味方を探そうと順にパパラチアから順に視線を移していく。列の端に立ち、普段滅多に笑顔を見せることがないシンシャでさえもその発言に顔を反らし肩を震わせていた。染まることのない頬を赤く染め、沈黙を守る金剛へ助けを求めるダイヤ。

 

「少し、考える」

 

 ダイヤの困窮した視線に気付いた金剛は、短い言葉を教卓の上に残し教卓から離れ廊下へと進む。窓の光が影に移る境辺りで『それと』と呟き振り向くと、ダイヤが期待を膨らませて振り返る。

 

「本堂にいる。何かあったらすぐに知らせるように」

 

 その言葉は浮足立ったダイヤの足首をがっちりと掴み地面へと戻した。金剛はそれだけ付け加えると影の深い方へと去っていった。

 

「否決されちゃったね」

 

「先生も匙投げたな」

 

「まぁそんなに気を落とすな。お兄様がついてるさ」

 

 沈むダイヤに追い打ちをかけるように皆が言葉を重ねてから廊下の方へ散っていく。その後を一人追うダイヤの足取りは重かった。学校前にある池の淵まで来たところで気の重さに耐えきれなくなりその場に座り込むと意味も無く水面を眺めはじめた。

 

「大丈夫か」

 

 背中にかけられた声に深呼吸をしてから振り向く。そこにいたのはシンシャだった。相変わらず表情は固い。ユークレースのように優しい笑顔を見せることもなければ、アレキサンドライトのように安直な感情表現を見せるわけでもない。しかし、ダイヤにとって見えている事柄は重要ではなかった。短い言葉に込められた無数の意味をダイヤは他の宝石の誰よりも深く理解していた。

 

「あら、シンシャ。もう帰っちゃったかと思ってた。うん……僕は大丈夫だよ」

 

「そうか」

 

 シンシャはダイヤの作られた笑顔を確認すると、特に励ましの言葉を掛けるでもなく虚の岬へと帰っていった。ぶっきらぼうにも感じられるシンシャの言葉が傷心気味のダイヤに沁みる。

 

「ああーーっ、無くした刀どこにやったか思い出したよ!昼間に月人を追っ払って白の丘にそのまま置きっぱだ!うーん……雲行きは怪しいけど……降り出す前にちょっと行ってくる」

 

「今から取りに行くのか?スフェン、一人は危ない。私も付いて行こう」

 

 遠くで交わされるスフェンとペリドットの会話はダイヤの耳に届いてはいたが、傷心中の脳が言葉の意味を考えることを放棄したため理解されることのないまま反対側の耳から抜け落ちた。ダイヤはシンシャに話しかけられる前へと時を戻されたかのように、意味も無く水面の揺蕩いを眺めている。晴れ空を暗雲が侵し、一枚また一枚と塗り重なっていく。

 

 宝石達は皆体内に内包物(インクルージョン)と呼ばれる微細生物を宿している。それらが取り込んだ光はエネルギーへと変換され宝石達を動かしている。したがって、夜や冬など太陽が隠れている間は思考能力や身体機能が鈍るため、それらに類同する曇りの日を好む者は誰一人としていなかった。

  

「ボルツ?」

 

 見下ろす先、灰色の鏡に映る長髪の宝石に気付き振り向くがそこには誰もいない。不思議に思いつつ再び水面に視線を戻すがそこからも彼の姿は消えていた。見ず知らずの黒褐色の宝石。ボルツの原石は金剛の元で"にんげん"の形に整えられるのを待っているため、その時点で整えられた真の姿を知るものは誰一人として存在しない、はずだった。

 

「ふふっ、あなたがそうなのね。僕に会いたくて顔を見せに来るなんて凛々しい顔に似合わず可愛いところあるのね。ボルツ」

 

 ダイヤは水面に揺蕩んだ見ず知らずの影がボルツだと確信していた。論理的な根拠などは何ひとつ無かったが、自身を納得させるには胸を揺らしたその感覚だけで十分だと理解していた。降り出した雨が浮草をたちたちと鳴らす。空は依然として灰色に染まっている。しかし、皆に忌み嫌われる白濁したまどろみが輝いて見えるほどダイヤの胸中は照り輝いていた。

 

 

 



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第二章
金剛石


 ボルツとの出会いから数百年の月日が流れた。物憂げな表情を携えたダイヤが教卓の前に立っている。あの日とは違い、その場にいるのは金剛とダイヤの二人のみ。

 

「ダイヤモンド。それで私に内密な話とは」

 

 金剛の無機質な問いに、伏していた視線を合わせ意を決し口を開く。

 

「最近ボルツと一緒にいて……いいえ、出会ったあの日から感じていたことね。胸に込み上げる感情の名前が分からないんです。あの子と毎日を過ごすことがとても幸せで、でもたまに苦しくなって距離を離してみたりするの。でもやっぱり側にいたくて……。先生が前に教えてくれた"同族意識"や"友愛"とも少し違う気がして。ボルツが生まれる前にシンシャにも感じていたことなんですが……例えるなら冬眠直前のふわふわした感覚みたいな……うーん、やっぱりうまく言えないわ」

 

 究明不可能な難題を前に眉をひそめるダイヤの懇願に金剛は深く瞼を閉じると、何かを起動するように瞳を開き答えを渡す。

 

「その感覚を理解出来ぬまま先に意味を知り、そのせいでおまえたちが混乱するのを避けるため今まで教えてこなかったがそれは()という感情だ」

 

 与えられた答えにダイヤの目が丸まる。理解しているのか定かではないその表情を認識しつつも金剛は続ける。

 

「我々を突き動かす原動力は陽の光だけではない。愛こそがその内の一つである。原動力と成る感情は他にもいくつかの存在するが、最も重要な一つと言って差し支えは無いだろう。おまえにも分かりやすく言うならば昇華した友愛の精神、と言ったところか」

 

 丸まったダイヤの瞳が再度地に伏す。金剛の言葉を疑っているわけではなかったが、自分の中で用意していた想定解との剥離に納得が出来ずその解答に異を唱える。

 

「先生、さっき僕は少し嘘をつきました。ボルツが僕と組んでから日に日に表情が険しくなってる気がして……。理由は分かっているんです。きっと僕がうまく戦えないから。毎回あの子の足手まといになっては助けられて……」

 

「だが……」

 

 金剛の言葉が聞こえていないのか、独り言にも似た相談をダイヤは吐き続ける。

 

「もちろん嫌いなわけじゃないの!ボルツのことはとても大事に思っているんです。いつまでもあの子の隣にいられたらどれだけ幸せなんだろうって。でも時々その幸せが割れて治らなくなるのが怖くなって、どうか僕の目の届かない何処か遠くへ消えてくれたら……なんて思うんです。今はまだ僕の側にいてくれるけど、いつか僕じゃない誰かを選ぶ日が来るのだとしたら……緒の浜でボルツを抱き上げたあの日と同じ気持ちでボルツが大切だと言えなくなるような気がしてとても苦しくなるんです……こんな気持ちになるならいっそ───、」

 

「ダイヤ」

 

「あの日出会わなければ───」

 

「ダイヤモンド」

 

 制御を失い暗翳に溺れてなお底を目指し加速するダイヤを金剛が引き上げる。

 

「おまえを切り出す際に仲間を思う優しさまで削った記憶は無いが、それは私の記憶違いか?」

 

 金剛なりのユーモアを混ぜた言葉で、実体を持ち始めた独りよがりなダイヤの幻想を元の世界へ還すと言葉を続ける。

 

「表情だけで相手のすべてを推し量ろうとするのはあまりにも愚かな行為である。摘むほどに美しい花に毒があるように、色の無い風に匂いがあるように。目に見えぬ隠された部分にこそ本質は宿る。見えぬ内側を見るために我々はこうして言葉を交わし相手を知ろうとするのだ」

 

 金剛は懐から取り出した破片を教卓の上に優しく置くと、()を覆う草原を思わせる若草色の破片が周囲の光を飲み辺りを照らす。ダイヤはそれがイエローダイヤモンドから話に聞いていた、かつて月人に攫われたイエローの相棒、グリーンダイヤモンドであることを瞬時に理解した。金剛は慈愛に満ちた瞳でそれを撫でると更に続ける。

 

「グリーンダイヤモンドが月人に攫われた日、イエローにも話したことなのだが過度な思い込みというものは時に毒に成り得る。ダイヤモンド、孤独とは何だ」

 

「孤独……ですか?えーっと確か……精神的なよりどころとなる人や心の通じあう人などがいなくてさびしい状態のことだと以前先生が……」

 

「よろしい。理解はしている、か。おまえは今その病にかかった状態にある。病とはかつてこの星に存在した人間が内側に目に見えぬ傷を負った状態を指す。病の厄介なところは時間の経過では治癒しないという点だ。我々が欠けた際にインクルージョンがそれらを繋ぎ止めるように、病もまた時間の経過によって治る。しかしそれは外見に限ったことで根本的にはひび割れたまま。その傷を癒やすことが可能なものこそが"愛"である」

 

 金剛の言葉にダイヤの胸に掛かっていた枷がぱちんと外れる。一人で抱えるには有り余る行き場を失った言葉達を含んで黒く変色し、沈み込んだ球の外皮が弾け飛び、その中から現れた色彩豊かな鈴生りの風船がダイヤの身体を軽くする。

 

「どの感情が愛にあたるのかは慎重に時間をかけて判断しなければならない」

 

「それなら……先生へ抱いているこの感情も愛かしら」

 

「いや、それは違うな」

 

 ダイヤの純粋な言葉に苦悩の唸りを上げる金剛。

 

「今日の見回りは確か───」

 

「ペリドとスフェンです」

 

「……ヤ」

 

「うむ、長くなるが話すとしよう。そもそも愛にもいくつか種類が───」

 

「ダイヤ!」

 

 海岸線沿いの彼方に朧気に映る緒の浜が視界に入ったことによって遠い過去の夢に浸っていたダイヤをボルツが現実へと引き上げる。空はあの日と同じように白濁したまどろみが覆っていた。眉を釣り上げるボルツに『ごめんね』と返すダイヤは、いつもと同じ笑顔が描かれた偽りの仮面を被っていた。

 

「おまえはまたそうやってボーッとして!ただでさえ太陽が隠れて活動が鈍ってるっていうのに。こんな時に月人が現れたら───」

 

「そうね、僕もちゃんとしなくちゃ」

 

 



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第三章
曇天と金剛石


「そうね、僕もちゃんとしなくちゃ」

 

 ボルツの背後、ダイヤの瞳に映る月人の来襲の知らせである予兆黒点。刃が収められた鞘が宙を舞う。刀を構えた二人を嘲笑うようにその背後と直上に二つの新たな黒点が生まれる。しかし最初に発露した通常時より一回り小さな黒点に意識が向き、新たに生まれた黒点にダイヤは疎かボルツでさえ気付いていなかった。

 

「あっ」

 

 背後から射出された真珠色の矢がダイヤモンドとボルツの左脚と右足を打ち砕く。未だ予兆状態の最初の黒点とは違い後から発現した黒点は完全に開き、微笑を浮かべる月人が二人を見下ろしていた。脚が散ると同時に空へ飛び込んだボルツを矢の雨が襲う。迫りくる矢を旋回させた地面を擦るほどの長い髪で跳ね飛ばす。頂点まで達すると、核である月人を髪で手繰り寄せ手にした刀を深く差し込む。霧散するのを待たずに次の標的へと攻撃を移すボルツ。真正面かつ近距離から放たれた無数の矢を鉄壁の旋回が防ぐ。

 

「ボルツっ!」

 

敵の首を掻き切る寸前、ダイヤの叫びに続いて空にクラック音が響き渡る。

 

「クソっ、何処までもふざけた奴らだ」

 

 空から降るのは黒色の手脚。右腕一本を残したボルツがその手に残した刀で敵を打ち消し、そのまま霧の中を通って失った手足を追いかけるように地面へと落下していく。ボルツを砕いたのは最初に発現した黒点から現れた月人だった。二基を相手にするボルツに対し、一基すら仕留められない挙げ句、足手まといとなった事実がダイヤの心を削る。

 

 刀を支えになんとか立っているダイヤの視線の先には、砕け散った四肢をなんとか動かして欠け落ちた手足を繋げようと藻掻くボルツがいた。空からの攻撃を髪で払いながら左腕を繋げたが損傷が大きく、癒着までには相当な時間がかかることが見て取れた。乱舞する髪の隙間を掻い潜った一本の矢が痛々しい継ぎ目が走る癒着しかけた左腕を再度欠片に戻す。自分がなんとかしなければという焦りから雑になった攻撃を待っていたと言わんばかりに一斉掃射された矢がボルツを仰向けに押し付ける。

 

 ボルツを回収しようと、舟から降ろされた紐を伝い月人が地面へと降り立つ。ボルツの前まで来た月人の欲にまみれた白碗が伸びたと同時に空間を劈く風切り音が走り、その直後腕を伸ばした人影は霧散し元いた世界へと還される。四肢を失い、半ば諦めかけていたボルツの瞳に映ったのは視界の左端から放たれたダイヤの刀が月人の頭部を打ち砕く瞬間であった。

 

「そんなこと……させないんだから」

 

 大地を踏み抜いたダイヤの鋭利に削られた左足がボルツを奪おうと蠢く月人を霧に還す。仲間の死を意に介さぬ微笑を浮かべた敵が止めどなく押し寄せる。投げ放った刀を拾い上げ、勢いそのままに降りてくる月人たちを左足と刀で交互に打ち払い刈り取っていく。空へ向かって駆け上がる虹色の軌跡。敵の頭上まで昇ったダイヤが核となる一人へ向け刃を押し込む。しかし、左右から割り込んできた月人が身を挺してそれを防ぐ。空中に浮かぶ虹色の宝石。追撃を仕掛けようにも足掛かりとなる物がなくそれも叶わない。

 

「ボルツ、やっぱり僕は上手く戦えないや」

 

 届くことのない懺悔を空に残し落ち行くダイヤの顔を霧が覆う。見下ろした先には唯一残った右腕で刀を振り抜いた状態のボルツがいた。落下したダイヤは片足で跳ねながらボルツの隣まで行くとそこへ寝転び、濁って青が見えなくなった空を見上げた。ダイヤがボルツの顔を見るのと同時にボルツもダイヤの顔を覗く。するとボルツは気まずそうに視線を空へと戻した。それを見たダイヤは偽りの仮面を外し本当の笑顔を見せる。

 

 過ぎてゆく時間が永遠に感じられた。すっかり水気を失った小枝を踏みつけたときのような乾いた音は、千切れた手足が癒着していることを知らせている。微動する秒針が時の進みを知らせるように。しかし規則正しく音を刻む秒針とは違い、癒着音は不規則に鳴り続く。内包物(インクルージョン)が奏でる小気味良いメロディーに合わせて歌い出すかのように、ダイヤが口を開くと言葉を紡いでいく。

 

「"ボルツが割れると僕まで割れるの"……前に僕がそう言ったとき、ボルツは分からないって顔をしてた。"ダイヤ族が共鳴如きで割れるわけ無いだろ"って。割れるっていうのはね、僕のこころ(・・・)の話。にんげんが持っていたと言われるそれは、とても柔らかくて、とても傷付きやすいものだと先生が言っていたわ。それでね、それは僕達にも備わっているみたいなの。少し不思議じゃない?殆ど傷付くことなんてない僕達の身体のどこにそんなものがあるのか……」

 

「だからあるんじゃないのか」

 

「えっ」

 

「素手で触れ合うことさえ出来ない僕等を哀れに思って、こころ(そこ)だけは触れ合うことが出来るように。僕らを作り出した存在がそう作ったんだろ」

 

 ボルツの言葉に一瞬言葉を失うも思わず笑い出すダイヤ。

 

「何だ」

 

「フフッ、ボルツったら珍しく可愛いこと言うのね。頭でも打ったのかしら?」

 

「いや、手脚は砕けたが頭部の損傷は無い。それより早く僕をくっつけてくれ。先生の所へ報告しにいかなければ」

 

 ダイヤの冗談に対し真面目に答えを返すボルツ。

 

「おーい二人共ー、大丈夫かー?」

 

 遠くから響くベニトアイトの声が会話に割って入る。

 

「その必要は無いみたいね。だから……だからもう少しだけこうしていましょ」

 

 曇天を見上げたダイヤの提案に言葉を返すこともなく賛成する。ダイヤは再度ボルツを見やると幸せそうに語り始めた。

 

「近くで見るボルツは特別綺麗ね。あのね、あなたを緒の浜で見つけた日もこんな曇り空だったのよ?さっきボルツに怒られたときもその日のことを思い出してたの」

 

「何度も聞いた」

 

 無愛想な返事にまた小さく笑い、視線を空へと戻す。

 

「ボルツ。いつまでも愛してるわ」

 

 ダイヤの言葉に今度はボルツが横に寝転ぶダイヤを見る。

 

「僕もだよ、兄さん」

 

 儚い言葉に不器用な感情を込めて返す。二人の視線は合うことはなかったが、目を合わせなくとも心が繋がったことはその二人が誰よりも理解していた────。

 

 

 それから数え切れぬ程の季節を重ねた未来()、草原の片隅でダイヤモンドはひとり思う。あのとき交わした愛してるという言葉がいつの日か中身を持たぬ虚像に変わってしまうのではないかと。いつしか拗れた愛情によって生み出された思い込みに呑まれ、見えない何かに怯えながら日々を過ごすようになっていた。

 

「やっぱり無いわねぇ」

 

 命煌めく宝石の国でダイヤは今日も探していた。かつてその星に生きた"にんげん"が見つけることが出来なかった拗れた愛情に与える名前を。

 

『ダイヤモンド』

 

 それは漆黒の炭素のみから成る元素鉱物。打ち砕くことはおろか、傷付けることさえ困難な堅牢さ。際限なく光を飲み込む美しい光沢を持つその身体は、積もり積もった歪な愛を詰め込むにはあまりに狭く、脆く、そして淡い。

 



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