腐った上層部にキレたので、第三勢力を立ち上げました (しらたま大福)
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第一章 第三勢力の立ち上げ
はじまり


「長い物には巻かれなさい」

 

 幼い頃から私にそう言い聞かせていた母は、私が7歳の時に死刑判決が下され、執行された。死刑の理由は表向きには術式の暴走、一般人の大量虐殺とされたが……母が自分の術式を制御出来ない訳がないと私は知っていた。母が殺された本当の理由は――上層部による策略だった。

 

 母が殺された理由はたった一つ。それは強力な力を持ちすぎた為だ。

 

 私の生まれた神無月家は、かの日本三大怨霊の1人である平将門の血筋の家である。惜しくも御三家にこそ数えられないが実力はあるし、正直頑張れば御三家に張り合える程の力を持つ。我が家に伝わる相伝の術式『怨霊操術』は、怨霊を自ら召喚し、使役する術式だ。一部の家からは怨霊を使役するなどと言われているが、呪霊を操る術式を持つ者もいるのもまた事実。怨霊も呪霊もさして変わらないだろうと言うのは持論である。

 けれど、この身に刻まれた術式と、使役する怨霊の暴走を恐れ、縁の下の力持ちとして徹していた。世の中の為に、決して表舞台には出ず細々とその血を繋ぐ。それが私たち一族の願いだったのだ。

 しかし、こうして細々と生きている中で、時に強力な力を持って生まれる子供がいる。

 

 それが、私の母だったのだ。

 

 母は数百年に一度生まれる、生れつきの怨霊憑きだったのだ。母を守るのは平将門の娘、滝夜叉姫こと五月姫の怨霊。史実では尼寺に入り、尼となったと記されているが母が使役するソレは妖術にも長けている伝説に則った怨霊だった。史実と伝説、混ざりあった性質を持つ彼女は、きっと怨霊と仮想怨霊が混ざりあった物だろうと推測されていた。そんな滝夜叉姫は怨霊という身ではあるが、一部の特級呪霊のように意思疎通も取れる。もちろん滝夜叉姫を通して使役する妖術は、申し分の無い程の強力な力。呪術師として活躍するには十分利用できる力なのだ。

 

 しかし、上層部はそんな母の能力に恐れ――排除する事を決定した。

 

 

 あれは、冬の寒い日だった。「今年のサンタさんは何をくれるのかな?」なんて数日前に母とコソコソ話し合ったばかりだった。

 家に訪れた黒服の人達。泣き崩れる私のお世話係のばあやや、何かの間違いだと必死に抗議する父、どこか諦めたように笑みを浮かべた母の姿に、幼い私は首を傾げるばかりだった。父の抗議は受け入れられず、黒服の男達は母を拘束しようとした。しかし、黒服の男達に連れて行かれる間際、母は私を抱きしめた。

 

「澪花」

「……母様?」

 

 いつもと変わらない母の優しい匂い。私を抱きしめた母の体は――震えていた。どうして母が震えているのか私は分からなかった。そして、母は私の耳元でいつものように言い聞かせたのだ、あの言葉を。

 

「長いものには巻かれなさい」

 

 いつもはそこで終わるその言葉。しかし今日ばかりは、その言葉に込められた本当の意味を告げる。

 

「そうすればきっと――あなたは、長生き出来るはずだから」

 

 母は誰よりも私が生きる事を望んでいた。生きて、生きて、生き抜いて、その生涯を老衰で迎える事を強く望んでいたのだ。

 

「愛してるわ、澪花。幸せになってね」

 

 そう言った母は黒服の男達に連れて行かれ、もう二度と帰ってくることはなかった。――遺体すらも帰ってこなかった。

 父は中身のない空っぽの棺桶で葬式を行なった。幼い私は、その葬式を見ても母が死んだ事を理解できなかった。そして、いつまで経っても大好きな母が帰ってこないことに癇癪を起こし、ついには術式を暴走させた。手当たり次第に怨霊を召喚する私、統率が取れていないその怨霊達は手当たり次第に家の物を破壊した。使用人の悲鳴、物が破壊される大きな音、全てが自分のせいなのに手に負えない力に泣くだけの私。それは、誰が見ても最悪の事態だった。

 その時、私の周りを守るように張られていた結界を突き破って父はボロボロの状態で飛び込んできた。そして、私をきつく抱きしめた父は泣いていた。

 

「頼む、これ以上その選ばれた力を使わないでくれ。お前まで連れて行かれてしまったら、わたしは――」

 

 私の暴走で傷ついた父。その泣きながら強く抱きしめた腕の中で、私自身もまた”選ばれた”存在になってしまったと言うことに気がついた。術式の暴走で召喚された怨霊達、その中に一際存在感を放つ存在がいた。

 凛とした佇まいに、美しい着物。私と同じで赤く染まった長く美しい髪の毛は一つに結ばれており、その美しい顔かんばせが一層、彼女が人外である事を主張していた。

 

『我が主、改めまして滝夜叉姫でございます』

 

 そう私に口上を述べたのは、今は亡き母の側にいたはずの滝夜叉姫だった。滝夜叉姫は優雅に私の前で一礼をした。そんな滝夜叉姫と父を見比べていれば、父は大きく息をはいた。

 

「……やはり、か」

「父様?」

「澪花、名乗りをあげなさい」

「でも……」

「いいから」

 

 困惑する私に、父は名を名乗れと言い聞かせた。名を名乗ると言うことは、すなわち契約を結ぶと言うこと。それは幼い私でも知っていた。名を名乗って滝夜叉姫と契約を結ぶと言うことは、母が死んだと言うことを認めると言うこと。父は幼い私にそれを強いたのだ。

 首を振ってそれを拒否しようとしたが――困ったように眉を下げる父の姿を前にしてしまえば、そんな事はできなかったのだ。

 

「……神無月(かんなづき)澪花(れいか)です」

 

 私の名を名乗れば、私の中の何かが結ばれたような感触がした。それは世間一般的には縁と呼ばれる物だ、ただし私と滝夜叉姫を結ぶ縁は魂へと繋がる。この契約は私の一存で切れる物ではない。

 

『これにて契約は完了しました』

 

 そう述べた滝夜叉姫は、あっという間に彼女以外の怨霊の動きを止め、それらを消した。後に残ったのは、悲惨な惨状になってしまった神無月家の屋敷のみだった。

 

『わたくしはこれより貴方様の手足となりましょう』

 

 こうして、滝夜叉姫は私と契約した怨霊となったのだ。本来、生まれつきの怨霊付きでなければ滝夜叉姫は召喚できない。でも、私の元に滝夜叉姫は現れたのだ。きっとこれは母からの愛の呪い。私が生き残るための最後の手札として、母は滝夜叉姫を託してくれたのだ。

 

「長い物には巻かれろ」

 

 それから私は、母の遺言通りに必死に“いい子“を続けた。呪霊を祓うために己の技術を磨き、決して術式に頼りっきりにならないように体術も磨いた。一心不乱に稽古する私を父や、ばあやや、滝夜叉姫はとても心配した。それでも私は修行を辞める事はなかった。

 

 そして、呪術高専に入学して本格的に任務を受けるようになってからは、上から課せられるどんな命令にも従った。唯一のクラスメイトから、流石に詰め込みすぎだろうと注意されたとしても、止めることはなかった。(そんな私を見て彼は頭を掻き毟りながら勝手に任務についてきたこともあったっけ……懐かしいなぁ)

 

「長い物には巻かれろ」

 

 私はこの言葉を自分に言い聞かせた。上からの命令に反論せず、言われた通りどんな任務でも泣き言を言わずに呪霊を祓う。西に行けと言われれば西に行ったし、東に行けと言われたらすぐに東に向かい、どんなに惨たらしい命令を下されたとしてもそれに従った。呪霊を祓って、祓って、祓い尽くした。

 

 そんな日々を過ごしていれば――高専を卒業する頃には、気づけば私は特級呪術師へとなっていた。

 

 でも、この世の中は本当に理不尽だらけ。私がどんなに身を粉にして呪霊を祓ったとしても上は決してそれを認めない。そして、挙げ句の果てには力をつけた私を厄介者扱いしたのだ。

 

「特級呪術師、神無月 澪花」

 

 呪術高専の地下。暗い部屋の中には、オレンジ色の明かりがぼうっと照らしていた。部屋を埋め尽くす呪符、私の体に巻かれた呪術師用の鎖のせいで呪力を使うことすらできず、契約している滝夜叉姫すら呼び出すことが出来なかった。

 

「お前を――秘匿死刑とする」

 

 父が任務で亡くなった翌月。特級呪霊を祓う任務を立て続けに三件入れられた。それらを無事に祓いはしたが……流石に疲労も溜まった。呪力もかなり使い果たし、呪力の節約のために滝夜叉姫の顕現を解いたその瞬間ーー私は黒服の呪術師達に襲われた。

 意識を飛ばした後、目を覚ませば高専の地下。この部屋を見れば私の身にこの後何が起こるかなんて簡単に想像がつくだろう。私はここで殺される、それも惨たらしく。

 

「無関係の非術師の大量虐殺、呪詛師への密告。これにより呪術規定9条に基づき神無月澪花を『呪詛師』に指定する」

 

 目の前の男が述べた罪状。それは全て私に身に覚えのないものばかり。あぁ、こうして母は殺されたのかと漠然と思う。母の遺言通り、「長い物には巻かれてきた」つもりである。でも、その結果がこれだ。

 

「これは決定事項、覆ることの無い判決」

 

 薄々分かっていた。呪術師界は腐っていると。上層部は保身ばっかり、新しい戦力もリスクがあれば採用しないし、上に楯突く厄介な人間はどんなに素質があっても処分する。汚い人間の欲望を凝り固めたような人間ばっかり。これでは世の中から呪霊がいなくなる未来なんて訪れる訳がない。

 

『――娘よ、お前はこれでいいのか?』

 

 私の頭の奥から響くように聞こえてくる声。その声は幼い頃からずっと聞こえていた物。それは、恨み、辛み、呪いが籠った男性の声。

 

『このまま母親の無念を晴らさずに死ぬのか?』

 

 きっとこの声に応えたら、私の力は大きく変わる。私の中の第六感がずっとそう囁いている。

 

『お前は未来を望まないのか?』

 

 でも、この声に応えたらきっと私の人生は長い物に巻かれて生きていくという母の遺言を破ると思い、今まで無視してきた。

 

『答えろ、小娘』

 

 あぁ、分かっている。私はついにこの力に向き合わなければならないと言う事を。

 

『俺が見初めたお前の魂は――こんな場所で終わるわけがない』

 

 私はこんな場所で終われない。だって、今まで抑制された人生の中で諦めてきた事だっていっぱいあるのだ。だから、私は自分の心に素直になる。

 小さく息を吸い込み、私に問いかけてくる“彼“の名前を呼ぶ。

 

「――将門公」

「……っ、将門公!?」

 

 私の口から出た言葉に、男は驚愕の表情を浮かべ距離を取った。それもそうだろう、私の口から出た将門公と言うのは、あの日本三大怨霊の一人である平将門なのだ。そんな怨霊が今召喚されたとしたら――きっと彼は終わる。彼の中の警鐘が音を鳴らしているのだろう。

 

「私、やっぱり生きていたい。だから、力が欲しい」

 

 何者にも負けない強力な力。彼はそれを持っている。

 

「私はやがてこの腐った世界を変えたい――だから、私に賭けて欲しい」

 

 こんな腐った呪術師界は一度壊さなければならない。だから、私は上層部が望んだ通り反逆者となろう。

 

『……っ、はははははははっ!それでこそ、俺が認めた魂の器だ。その願い、叶えようーー』

 

 私の足元に黒い闇が現れる。私が座らせられた場所から半径3メートル程の大きな闇。その闇からはおどろおどろしい重圧のような冷気が立ち上がる。

 ブチリ、ブチリと体に巻かれた鎖が音を立てて引きちぎられる。一応言っておくが、これは決して私がゴリラ並みの腕力だからとか言うわけではない。フィジカルゴリラのクラスメイトじゃないんだから、私の腕力ではそんな事不可能だ。

 

「ひっ」

 

 私は自らの力で立ち上がる。闇の中から黒いモヤがゆっくりと人形を作っていく。それは、私よりも大きな形となった。彼の黄金色の瞳が私を真っ直ぐ射貫く。

 

「私の名前は、神無月澪花」

『我が名は平将門』

 

 魂との縁が結ばれ、今ここに契約は結ばれた。

 

「殺しはしないでね」

『あぁ、“殺し”はしない』

 

 足元に広がる闇から、ゆらりと立ち上がってくる影達。不定形の物から、人型のものまで、様々な形の怨霊が召喚される。その中には、私の髪によく似た美しい女――滝夜叉姫の姿もあった。

 

『我が娘よ、ひと暴れするか』

『はい、父上』

 

 ここにあるは――怨霊の百鬼夜行。そこら彼処から高専内にいた呪術師の悲鳴が聞こえる。それでも、私はこの歩みを止めることなど出来ない。

 

 これが私の選んだ道だから。



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再会

 

 鏡の前で念入りに髪型をチェックする。目立つ地毛の赤毛を真っ黒に染めあげ、長かった髪の毛を短く切った。今までと全く違う自分の姿は妙に見慣れない。

 

「……うわ、ぴょんぴょん跳ねてる」

 

 おまけに今までずっとロングだった為気付かなかったが、どうやら私は癖毛のようだった。どんなに櫛を入れたり、整髪剤で整えたとしても、しつこくこの髪はぴょんぴょんと跳ねるのだ。

 

『それもまた個性です、愛らしいですよ』

「そうは言っても……まるで寝癖みたいじゃん」

『何、気にすることでもないだろう。誰もお前の髪など見ていないのだから』

「それはそれで酷い!」

 

 私の死刑認定から三ヶ月が経った。怨霊百鬼夜行で盛大に高専から逃げ出した私はとりあえず東京から逃れ、地方へとやってきた。そんな私はとりあえず身を潜めることにしたのである。呪術師界を変えると言っても、ちょっとやそっとですぐ変わる訳がない。どうせ一思いに上を殺したとしても、全ての膿を取り出せる訳がないし、一人だとただの反逆者で終わる。独裁政治というものは長続きしないと相場が決まっているし。とりあえず、革命を起こすためには仲間が必要だという結論に落ち着いた。急いては事を仕損じると言うし、今はゆっくりと仲間を増やしていこうと言う方針にしたのだ。

 

 まぁ案の定、将門公はすぐに戦わないことにつまらなさそうにしてはいたが、滝夜叉姫が何かと言いくるめていたので良いとしよう。いつの時代でも、父親は娘に甘いんだなーと場違いな事を思ったものだ。

 こうして、私と愉快な(?)怨霊二人で新生活をスタートさせたのだ。

 

『それにしても、貴女の父君はよく新たな戸籍なるものを用意していましたね』

「多分、何となく私も母様と同じ運命になるんじゃないかと思ってたんじゃないかな……」

 

 地方に逃れてきてまず最初にしたことといえば、新たな戸籍をゲットすることだった。戸籍がなければ仕事も探せないし、住むところも借りれない。そんな行き詰まりの中、私は父の形見を思い出した。「困った時に開けなさい」と言われたカラクリ箱、それを開ければ中に入っていたのは新たな戸籍と新たな戸籍の名前名義の通帳だった。

 

 ちなみに私の新しい名前は、伏黒花である。真っ新な戸籍に、新しい通帳に入っていた沢山のお金。父様……本当にありがとう、娘はこの2つで当分は穏やかに生活していくことが出来そうです。

 そんな訳で無事に戸籍問題を解決した後は、学生時代に疎かになってしまっていた勉強に励んでいた。組織を再建するためには、給料のなんちゃらや、組織の運営のなんちゃらは必要不可欠。そこら辺の物は通信教育で補なおうと、せっせと勉強を始めたのだった。

 そんな感じで分からないことをじっくり学びながら新たな土地で過ごす日々は中々楽しい。(一応、時々腕が鈍らないように呪霊を祓ったりもしているのでそこら辺は大丈夫!)

 

 新しい生活をそれなりにエンジョイしている私だが、今日は久しぶりに少しおめかしをして買い物へと出かけることにしたのだ。いつも引きこもって勉強ばっかりしていては、気が滅入るのだ。高専時代だってそんなに遊びに行くなんてことは無かったから、たまにはいいだろう。

 お供はいつも通り滝夜叉姫、将門公はお留守番である。(お留守番と言っても私が呼び掛ければ直ぐに召喚できるので、あまりお留守番感は無いが……まあいいでしょう)

 

「じゃあ行ってきます〜」

 

 声をかければ、霊体化した将門公はテレビから目を離さないままひらひらと手を振ってくれた。こうして行ってきますといえば返してくれるので、将門公は意外といい怨霊である。(怨霊の時点でいい奴が適用されるかは知らないけど)

 そして私の護衛役である滝夜叉姫は、玄関から一歩踏み出した私の影の中にすっと潜り込んだ。

 

 今日は大きなお店がいっぱいある大きな駅前へと向かう。最寄りの駅から、電車に揺られながらボーとしていれば、段々とウトウトし出す。そういえば、こうして電車でウトウトするなんて高専以来だなぁ……。高専に通っていた頃は意外と楽しかった。20年ちょっと生きてきたが、ああして同い年と話したり、一緒に任務に行ったのなんて初めてだったし。

 高専時代、唯一のクラスメイトだった彼は、天与呪縛のせいで呪力が一切無かった。でも、天与呪縛で極限まで研ぎ澄まされた五感、恵まれた体格を使って呪霊を倒す姿はいつ見ても圧巻だった。それなりに体術をこなせる私でも、さすがにあのフィジカルゴリラにはいつも勝てなかったなぁ……。

 私を綺麗に投げ飛ばした後、簡単に投げられた私を馬鹿にしながらも、彼はいつも私に手を差し伸べてくれた。彼の大きくて硬いくて優しい手が大好きだった。

 

 そして私はいつの間にか……彼に恋していたのだ。あぁ、初恋は叶わないとはよく言ったものだ。確かにそうだったのだから。私は高専を卒業する時、彼に告白をするつもりだった。この先悔いのないように、と。でもーーどうしても出来なかった。この心地よい関係が壊れることが嫌だったし、彼にこの思いを拒絶させるのが怖かったからだ。

 結果、私たちは笑って「またね」と言い合った。「またね」と言ってのは、呪術師として活動していくのであるならば、いつか高専で再び顔を合わせると思ったからだ。

 でも結局、卒業した後に再び彼と会うことはなかった。そして、私は呪詛師認定されーー死刑を言い渡された。

 

「……もう一度くらい、最後に会いたかったなぁ」

 

 私の小さな独り言が、静かな電車内に消えていった。すると、電車のアナウンスは次に目的地である駅に着くと告げた。しんみりしてしまった気持ちを切り替えるように、私は鞄を背負い直し席を立った。

 

 

 改札を抜け、駅構内から出た。東京ほどではないが、それなりに大きなビルが立ち並ぶ駅前に思わず心が踊った。

 まずは一番近いお店から見に行こうと足を踏み出したその瞬間――。

 

「よぉ」

 

 こんな場所で聞くはずのない声が聞こえた。その声に反射的に振り返れば、そこいたのはここにいるはずのない人物。そして、その私の大きな優しい手が私の手首を掴んだのだ。

 

「久しぶりだな」

 

 私の目の前には、サラサラした黒髪に口元の傷、誰よりもガッシリとした体格の男性が居た。彼が私の手首を掴む力は、痛いほどではないが決して離さないと言っていた。

 

「ーーな、なん、で……?」

 

 私の手首を掴んだ人物、それは私の初恋相手である――禪院甚爾だった。ここで見るはずのない甚爾の姿。一目見れて嬉しい気持ちと、ここから今すぐ逃げなければならないと言う生存本能がぶつかり合う。何か喋らなければと思うほど、口の中が乾いてうまく喋れない。

 

「イメチェンか?」

 

 甚爾の手が、私の短くなって元気に跳ねる髪の毛に触れる。その手は悔しいほど変わらず優しかった。泣きたいけど、泣けない。そんな複雑な感情を飲み込んで私は口を開いた。

 

「……私を、殺しに来たの?」

 

 私がそう言えば、彼は不思議そうにぽっかりとその口を開いた。

 

「あ? なんで俺がお前を殺さねぇといけねぇんだよ」

「……私は、秘匿死刑を受けた身だから」

「らしいな」

 

 あっけらかんに言う甚爾。私の死刑判決を知らないわけじゃないのに――どうしてそんな風に言えるの? 沢山の非術師を殺し、今ものうのうと生きている呪詛師。それが世間一般的に見た今の私の状況であるのに。

 

「なぁ、澪花。お前、本当にやったのか?」

「……やっていないよ」

 

 「信じて貰えないと思うけど」と続ければ、甚爾は真面目な顔をして私を抱きしめた。私と全く違う男の人の腕、父とも全く違うその力強さに私は固まった。

 

「俺はお前を信じる――何があっても」

「……っ、」

 

 甚爾のその声に、私の瞳からは思わずポロリと涙がこぼれ落ちた。一度こぼれてしまえば、あとはせき止める物など存在しない。ぽろろ、ぽろりと流れ落ちた涙は、甚爾の服へと吸い込まれていく。

 

「あーあ、泣くんじゃねぇよ。ブサイクになるぞ」

「だ、誰が泣かせてると……思って!!」

「俺だな」

 

 嬉しそうにクックっと笑う甚爾の背中をバシバシと叩く。しかし、その強靭な体には全然ダメージが全く入ってないようでちょっと悔しい。くぅと唸る私に、甚爾は私の耳元で「まあ俺の話を聞け」と囁いた。妙に言い声にぞわりと背中が粟立った。

 

「澪花、好きだ」

 

 彼が私の耳元で囁いたのは、愛の言葉だった。その言葉はずっと、学生の頃に聞きたかった言葉。

 

「わ、わたしっ……命を、狙われる身だよ?」

「んな事どうだって言うんだよ。俺が何処の馬の骨とも分からねぇやつに愛してる女を殺させる奴だと思ってんのかよ?」

「……ううん」

 

 甚爾はとても強い。それこそ、家の邪魔が無ければ特級呪術師になれるほどの実力だ。だから、きっと彼がそこら辺の呪術師に負けることなんて無いだろう。

 

「俺はそう言う言葉が聞きたいんじゃねぇ、お前の気持ちが聞きてぇ」

 

 じっと真っ直ぐ私の事を見つめる甚爾に、私は完全に白旗を上げた。そして、長年ずっと喉元で堰き止めていた言葉をようやく紡ぐ。

 

「……あのね、私も甚爾のことが好き」

「あぁ、知ってる」

 

 「ちょっと人の告白にそれは酷くない!」と声を上げようとすれば、私の唇はそのまま彼の唇と重なった。突然の口づけに私は固まってしまい、ファーストキスはレモンの味がするなんていうジンクスが本当かなんて確認出来なかったのである。

 

 

 

 その後、諸々の買い物を済ませた後。

 

「おい、お前ん家何処だよ」

「ここから電車で30分の所」

「今日から邪魔すっから」

「え、何で?」

「あ? んなの家飛び出してきたからに決まってんだろ?」

「……家飛び出してきたの?? え、なんで??」

「あんな家に拘る価値もねぇ」

 

「……おーう、さっすが甚爾君」

「という訳で邪魔すっから」

 

 そんな訳で家に甚爾を連れて帰ったら、将門公は「ほう、良い拾い物をしたな」と爆笑した。(ちなみにずっと陰から見ていた滝夜叉姫は、私の学生時代の片思いを知っていたためとってもいい笑顔でした)



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恵まれた子供

 

 私の死刑が確定し、甚爾が私の家に転がり込んでから五年が経った。甚爾が転がり込んで一年後、私達は結婚した。彼は「禪院は嫌だ」と言い張ったため、婿養子となり伏黒甚爾へと名前を変えた。結婚して二年後、私は甚爾との子供を出産した。名前は恵、こんな名前でも男の子である。ツンツンした髪質だけは私に似たが、それ以外が甚爾そっくりである。親子ってこんなにも似るんだなぁと、甚爾の遺伝子の強さにビックリした。

 そして、さらに一年後。呪霊に両親を殺された女の子を保護した。彼女の名前は津美紀ちゃんという、恵よりも一歳年上の子だ。私達は津美紀ちゃんを養子として迎え入れた。現在は私達家族四人と、かつて私の家に仕えてくれていたばあやと共に暮らしている。ばあやは、私の死刑が確定された後、跡取りのいない神無月家は解体された。その後、私の無事を願ってくれていたようで全国で家政婦をしながら私を探してくれていたのだ。あの時の感動は今でも忘れられない、初めての子育てに四苦八苦していた私に救いの手が差し伸べられた瞬間なのだから!

 こうして、私は自分が死刑が確定している人間だと言うことを忘れてしまうほど平和な日常を送っていた。だがしかし、そんな平和は長く続くわけがない。

 

『この子は、"持って生まれた”子供ですね』

 

 津美紀は三歳、恵が二歳になった頃。スヤスヤと昼寝をしている恵を見て、滝夜叉姫はそう言った。彼女が持っていると言ったのは、もちろん術式の事だろう。

 普通能力が開花するのは四歳から六歳の間。けれど怨霊である彼女ならば、もっと早くに見えるのだろう。

 

「……ちなみに、術式は?」

『まだ完全に発現してはいないので確実とは言えませんが――禪院家の相伝でしょう』

「……そっか」

 

 どこか覚悟はしていた。禪院家の生まれであるが天与呪縛によって呪力を一切持たない甚爾、神無月家の術式を持って生まれた私。血筋だけで言えば、そこら辺の呪術師よりはよっぽど強い血筋だ。だから、恵も”持って生まれる”可能性は高かった。

 

『娘、そろそろ覚悟を決める時が来たようだな』

「分かってる……」

 

 恵が相伝の術式を持って生まれてきたと言うことは、いずれ呪術師界に嫌でも足を踏み入れることとなる。しかも恵の術式は、御三家の一つである禪院家の相伝『十種影法術』だろう。甚爾から聞いている禪院家の情報が正しければ……禪院家は喉から手が出るほど恵を欲しがるに決まっている。

 

 私は恵の母として――やらなければならない。例えそれが世間一般的に見て、正しくない選択だったとしても。

 

「将門公、滝夜叉姫――改めて、私に力を貸してください」

『ええ、わたくしは澪花の為に』

『――ようやくか』

 

「私は、この呪術師界を変えます」

 

 この腐った呪術師界を変える。その為だったら――どんなに辛い道のりでも進むしかない。

 

「ごめんね、皆」

 

 

 ――数日後、一件の交通事故が起こった。被害者の名前は伏黒花。一人買い物に行く途中に、運転をミスしガードレールを突き破って海へと落ちた。見つかった車は運転席の扉が空いており、遺体を発見する事は出来なかった。警察は事故として処理をした。



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本来の姿

 女子トイレの鏡の前。鏡に映るのはセミロングの赤髪に、金色の瞳の女。その姿は先日まで伏黒花として生きていた女の姿ではなく、神無月澪花としての本来の姿だった。

『よくお似合いですよ、我が主』

「滝夜叉姫、ありがとう」

 生まれ持った髪色、瞳の色を隠して五年の時を過ごした。初めは見慣れなかったあの伏黒花としての姿。しかし、五年という月日が経つにつれてあちらの姿にすっかり慣れてしまったため、本来の姿は何だか不思議な気分だ。

『では、そろそろ参りましょう』

 滝夜叉姫からの言葉に、私は念の為に用意している呪具が入ったバックを担ぎ直し、トイレから出た。そして、私達が向かうのは呪霊が出現してると噂の廃ビルだ。私たちは今から〝呪術師〟として、呪霊を祓いにいく。

 さてさて、どうして私が神無月澪花の姿に戻り呪霊を祓いに行くかというと――全ては将門公からの指示である。

 

◇ ◇ ◇

 

『この腐った世界を変えたいのであるならば、まずお前は本来の姿に戻れ』

 突然出た将門公からの言葉に、私は彼の言葉の真意を読み取れず首を傾げた。

「将門公、どうしてですか? 私はこんな見た目ですから、直ぐに他の呪術師に見つかりますよ?」

 正直、私の見た目はかなりド派手だ。瞳の色はカラコンなどですぐに変えられるからまだいい。だが、一番問題なのはこの見事な赤毛である。別に染めた訳でもないこの地毛は、知っている人物が遠くから見れば直ぐに私だとバレてしまうほど特徴的であった。

 だから伏黒花時代は髪を染め、カラコンをつけて過ごしていたのに……一体どうして突然元に戻せというんだろうか?

『なに〝見つかるだけ〟だろ。お前は殺されるわけがないと確信している、違うか?』

 将門公の言う通りだ。

「……そうですね、今の私は誰にもこの首をあげるつもりはないです」

 今の私は恵の未来のため、母の復讐のために東京(ここ)に舞い戻ってきたのだ。一応これでも特級呪術師へとのし上がった身である。そんじゃそこらの呪術師に負けるわけがないと自負できる。

「私を殺すんだったら、必要最低限特級呪術師でも連れてきてもらわないと」

『それもそうだ』

 一級の呪術師でも私には叶わない。まぁ、さすがに百人程一級呪術師連れてこられたらまた話は変わるけど。

『お前がこの先も己の善性を失わないと言うのであるならば、ありのままの姿で成すべきことをすれば良い』

「ありのままの姿?」

 ありのままの姿……それはきっと神無月澪花としての姿のことだろう。

『呪詛師である神無月澪花が……非呪術師を助ける為に呪霊と戦っている。これは本来ならば可笑しいことだ。呪詛師は人を傷つける害虫、人を助けるわけが無い。では、何故呪詛師であるはずの神無月澪花が呪霊と戦い、人を助けているのか?』

「……」

『それは――神無月澪花が、呪詛師ではないからだ』

 ……確かに将門公の言う通りだ。私は決して呪詛師などではなく、この心は今でも呪術師だ。それは向こうに裏切られた今でも変わることの無い事実。

 つまり、私は何も変わっていないということを証明し続ければいいということなのだろう。

「あえて人前に出て、呪霊を祓ったりして良い行いをし、私の無実を証明するって事ですか。でも、……そんなに上手く行きますかね?」

『さてな、無実の証明まで行くかは分からん。だが――今回の真の目的は別のところにある』

「真の目的?」

 首を傾げた私に、将門公はニヤリとその口角を上げた。

『それは――あの腐った上層部に不信感を覚える者を増やすことだ。小さな一つの亀裂が積み重なれば、それはいつか大きなヒビとなる。組織を率いるにおいて、一番大切はことは臣下を信頼させることだ。己の寝首をかかれぬよう権力を示し、現代的に言うとカリスマ性なるもので信用させる。世の天下人はそうして家臣の信頼を掴み取ってきた』

『一度でも疑えば後は簡単です。信頼を得るには時間がかかりますが、失うのは一瞬ですからね』

『呪術師の一部で、お前が受けた判決に対する疑問の声が上がれば、上はそれに対処しなければならない。対処をしなければ、それだけ信頼度も下がり、不満は広がる。最終的な対処の結果が、呪詛師判決の取り消しまでいったらそれは儲けもの』

 将門公の言いたいことは何となく伝わった。私が無罪かもしれないと人々が思えば、上層部に対する不信感が上がっていくという訳なのだろう。

「でも元の姿に戻ったぐらいで、皆私の事分かるんですかね? 高専所属時代から結構たってますし、私ってそんなに特徴的な顔はしてないんですけど……」

 そんな私の言葉に、将門公は馬鹿にしたように鼻で笑った。

『何のためにその髪を授けたと思っている? 大将首は目立つ方がいいに決まっているだろ』

「も、もしかしてこの髪色って……将門公チョイスとかだったりします?」

『あぁ、派手で血のように美しい色だろ?』

『父上は本当にこの色がお好きですね』

 通りで、神無月家でこの髪色を持って生まれたのは私だけだった訳だよ……! 父も母も普通の髪色だったのに、生まれた私は滝夜叉姫と同じ髪色の赤ん坊……。母が怨霊憑きだったから、何かの影響で滝夜叉姫と同じ髪色になったのかもと言われていたのに……。これが、まさかの将門公からの贈り物だったとは……もしかして、意外とこの髪色重要だったりする感じ?

「……大丈夫かなぁ」

『なに、難しいことではない。お前はお前のまま変わらず、なすべき事を行っていれば、自ずと結果は伴う』

 にっと笑った将門公。そのどこか悪役じみた表情に一抹の不安は感じるが、私は将門公の言葉を信用することにした。

 

 



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相棒

◇ ◇ ◇

 

 そして、将門公からのアドバイス通りに私は神無月澪花として出来ることを続けた。すると、最初は敵意を向けてきたかつての後輩や、同職が困惑したように私を見る機会が増えた。

 敵意が少なくなったことによって、私の気持ち的にもだいぶ楽になった。いくら私でもかつての知人たちにずっと敵意を向けられるのは堪えるものがある。

 そして、片手で数えられるぐらいの人数であるが、裏表のない心で私と接触してみようと試みてくれる人も現れた。

 まず真っ先に連絡してきてくれたのは、後輩の九十九由基だった。彼女は私と同じ特級呪術師であり、現在は海外でこの世界から呪いを消す方法を探しているようだった。可愛がっていた後輩は、そうやって自らの信じた道を進んでくれているようで先輩は嬉しくなった。由基はあっさりと私の無実を信じてくれ、私の野望を決して笑いはしなかった。ついでに「先輩だったらやれると思いますよ」なんて言ってくれた。

 私たちは互いに何かあった際に、協力することとなった。

 由基と協力関係を結んだ後、調子に乗った私は数人の人物とコンタクトを取ることにした。自分で言うのもなんだけど、割と私の人を見る目は信用できる方だと思う。私の第六感に従い、この人は大丈夫そうだと判断した人物とコンタクトをとってみれば、今の現状に疑問を抱いている者、かつての私と同じように上層部の圧力に押されている者、様々なしがらみを持つ人達ばかり。そんな人物達と腹を割って話し合い、彼らの信用を勝ち取る事ができた。

 そして、私にできる事を初めて一年が過ぎた。伏黒花の一回忌、この日を境についに私はこの腐った呪術師界を変えるための大きな一歩を踏み出すことにした。

 ――それは、従来の高専を中心とした呪術師界とはまた違う新組織の設立だ。

 ついに、その時が来たのだ。こちらの組織に所属する呪術師の人材確保、医療班の人員確保、資金源、様々な問題があった。でも私はそれらの問題を全て解決し、ついにその計画を実行に移す算段まで来た。

 ただ一つの問題を残して。

『新組織の頭領として、一人己の背中を預ける相棒を見つけろ』

 これは将門公からの言葉だ。ただ、私は……未だにこの背中を預けられる人物を見つけていなかったのだ。

 私は将門公に「信頼は一朝一夕で得られるものではないので、とりあえず今は無理です」と言った。しかし、将門公はこの問題が解決するまでは組織の立ち上げは許可しないとまで言い切ったのだ。そこまで言われてしまえば、無理に計画を押し進めることなど出来るわけがなかった。

 一応仕事上での仲間は出来たし、もちろん仲間になる彼らの事は信頼している。でも、彼らは私の仲間であるが、唯一無二の相棒にはなれない。彼らに私の背中を安心して預けられるかと問われれば――答えは「いいえ」なのだ。

 相棒というのは互いの命を預け合う関係。

 私は呪術師界から、死刑判決を受けた人間。そして、この腐った世の中を変えるために反逆を起こそうと躍起になっている反逆者であるため、敵は沢山いる。そんな私の相棒になる人物だって、きっと命を狙われるだろう。

 私の背中を預けるという事は、この首を預けることと同意義。やはり、自分自身の首を預けられる人物は……今も昔も一人しかいない。

「……甚爾」

 目を閉じた時、真っ先に思い浮かぶのは甚爾だった。

 私がこの先、相棒として選ぶとしたら……きっとそれは甚爾だけなのだろう。甚爾と共に戦った学生時代、京都校との交流戦では安心して自分の背中を預けられたものだ。私はその時の高揚を、安心感を、未だに未練がましく恋しく思っている。

 甚爾に、津美紀、恵、ばあや。自分の意思で全てを捨ててきたのに……こうして勝手に彼らが恋しくなってしまう。悪いのは自分だし、捨ててきたのも私の選択。なのに、勝手に被害者ぶって感傷に浸る自分に嫌気がさす。私には彼らを恋しく思う資格なんてないのに……。

「……はぁ」

 全ての感情を押し込むようにコーヒーを流し込む。苦いコーヒーの味が、私の意識を覚醒させる。空になったマグカップを弄んでいると、滝夜叉姫が私に声をかけてきた。

『我が主、少し外の空気を吸ってきてはいかがでしょうか? きっといい事が起こるかもしれませんよ』

 悪戯っぽく笑う彼女は、私が思い悩んでるのに気づいたんだろう。

「……ありがとう。じゃあお言葉に甘えてちょっと出てくるね」

『はい、行ってらっしゃいませ』

 滝夜叉姫からの見送りを受けながら外へと出る。現在協力関係にあるオカルト系探偵事務所が入っているビルから外に出れば、東京の喧騒が鼓膜を震わす。その煩さが自己嫌悪に陥る私の気を紛らわすにはちょうど良かった。

 息抜きの散歩に出るため、1歩踏み出した時。足元にひとつの影が落ちた。

「つかの間の逃避行はどうだった?」

 突然聞こえた、聞き覚えのありすぎる声。

「――っ⁉」

 その声に振り返れば――そこにはここに居ないはずの甚爾の姿があった。信じられない光景に何度か目を擦る。しかし、何度も瞬きしても目の前にいる彼は決して居なくならない。

 そこに居たのは、本物の伏黒甚爾だったのだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「え、と……甚爾っ、どうして⁉」

「んなもん、お転婆な嫁さん見つけに来たに決まってんだろ?」

「見つけに来たって……ど、どうして? だって、伏(わ)黒(た)花(し)ちゃんと死んだことになってたよね⁉」

 死亡偽装は作戦は完璧だったはずだ。警察はあれを事故として処理し、伏黒花は死んだのだ。それは、私もちゃんと確認した。なのに、どうして……。

「あんなの俺には嘘だってバレバレだ。というか、あんなヘッタクソな嘘で俺を騙せると思ってたのかよ?」

 交通事故で海に突っ込んだならば、遺体見つからなくても平気かなって思ったのに……どうして嘘だとバレたのだろう。

 というか、家からほとんど何も持ち出してないからバレるわけないと高をくくったいたのに……これでは計算が狂ってしまう。

 私が甚爾達と縁を切ることによって、上層部に私達が本当は家族であることを隠そうとしてたのに……。きっとあの腐った老害達は、私がこのまま逆らい続ければ家族を人質に取ろうとするだろう。

 だから、もしものことがあっても彼らを守れる甚爾を残して来たのに……。

「……ねぇ、津美紀と恵は?」

「ばあさんに任せてる」

「それなら、よかった……」

 ばあやに任せているのであるならば、ある程度は大丈夫だろう。彼女は結界術が得意な家出身だ、簡単にはやられはしないだろう。

「あー……まぁ安心しろよ。お前の遺言通りガキ共には、お前らの母さんは死んだと言い聞かせてやったから」

「……ありがとう、私の意思を尊重してくれて」

「ガキ共、お前が死んだって聞いて泣きまくってたぞ」

「本当、薄情な母親だよね」

 子供たちの中の母親の記憶は、綺麗なままでいたかった。家族を危険にさらしてまで、自分の野望を実現させようとしている薄情な母親という姿を見せたくはなかった。

「そうだな、まぁそれがお前の愛なんだろ」

「うん」

 これが私に出来る最大の愛情表現。甚爾はそれを分かっていたんだ。

 ……あれ、ちょっと待って。子供たちに母親が死んだと言い聞かせたのに……どうして私を探しに来たのだ?

「あれ待って、何で私を探しに来たの? 伏黒花が死んだということは、私は用済みじゃあ……」

「んなもん、お前の番犬をしに来てやったんだよ」

「え、番犬??」

 番犬ってなんの話し? 別に犬が飼いたいなんて言ったことないと思うんだけど……。

 困惑する私を他所に、甚爾は言葉を続ける。

「この腐った世界を変えるんだろ? 世界を変える前に寝首をかかれたら意味ねーだろ」

「確かに、それはそうだけど……」

「だから、俺はお前を守るために来た」

「え、確かに寝首はかかれたくないけど……何で」

 子供たちを残してまで私の元に来た意味がわからない。仕事探し⁇ いや、もっと安全な場所で働いてほしい。こんな命がけの仕事はやめたほうが絶対にいいと思う。

「あ、俺はお前の旦那だろうが。嫁を守るのは当たり前だろ?」

「その気持ちはすっごく有難いけど……津美紀と恵は? あの子達は一体どうするの!」

「あいつらなら大丈夫だろ、ばあさんもいるし」

 甚爾のその言葉に、私は思わず彼に掴みかかった。

「そういう事じゃない、子供には親が必要でしょ! 私はあの子達のそばにいる事は出来ない、だから甚爾に頼んだのに……貴方がこっちにきたらダメだよ」

 母親が側にいることができないのであるならば、せめて父親だけは子供たちと一緒にいて欲しい。そう思って誰にも言わずに失踪したのに……。

「あのなぁ、お前は過保護すぎなんだよ」

 甚爾は私のその考えに、呆れ果てたように言葉にした。そして言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。

「子供なんてもんはな、ちょっとぐらい親がいなくても勝手に育つもんだろ」

「いや、そんな訳が――」

 「ある訳が無い」と口にしようとした瞬間、彼は私の言葉を遮るように口にした。

「少なくとも、俺はそうだった」

 甚爾の無機質な声に、私は思わず黙ってしまった。

 あぁ、そう言えばそうだった。私は恵まれた家に生まれたけど……甚爾はそうじゃない。

 御三家の一つである禪院家は、呪力や術式がなければ人扱いされない家。「禪院家に非ずんば呪術師に非ず 呪術師に非ずんば人に非ず」とある平安貴族の言葉を風刺した格言が示すとおりの家だ。甚爾は決して長期休みなったとしても家に帰ろうとしなかった。いつの日か、何も知らない私は「どうして帰らないのか?」という酷い質問をしたこともあった。そこで聞かされた、禪院家での甚爾の扱い。甚爾ほどの天与呪縛の恩恵を受けたとしても、あの家での彼の扱いは人ではなかったのだ。

「……ごめん」

「いや、俺は別に気にしてねぇがな。今の俺にはお前やガキ共も居る」

 甚爾と再会して、なし崩しに同棲状態になってしばらく経った頃。珍しくアルコールに酔った彼は小さな声で「本物の家族が欲しい」と言った。その時は深く意味を考えず答えたが……そういう事なのだろう。

「なぁ、澪花」

 甚爾はいつかの日のように、私を抱きしめた。暖かいその腕は、やっぱりとても安心できてしまった。

「俺の側にはやっぱりお前がいないとダメなんだわ」

 こうして触れ合ってしまえば、もう自分の心に嘘なんてつけなかった。

「……っ、私も、やっぱり甚爾にしかこの首を預けられないや」

 私の相棒になれるのは、やっぱり甚爾ただ一人だけなのだ。何度も、他の人を選ばなければならないと思った。でも、どうしても……甚爾以外の他の誰かを選ぶというビジョンが思い浮かばなかった。

「……自分勝手な女でごめん」

「上等だ。それでこそこの腐った世界を変える王サマじゃねぇか」

「……ありがとう」

「ガキ共の事は考えがある、二人で足掻けば何とかなんだろ」

 まだまだ解決しなければならない事は沢山ある。でも、きっと甚爾と二人だったら何とかなるのだろう。

 

 二人で、久しぶりに手を繋いで歩いてみる。甚爾の大きな手は、私の手をいとも容易く包み込む。

「ねぇ、甚爾。どうしてまた私を見つけられたの?」

「んなもん決まってんだろ」

 絡まった指が、決してこの手を離さないように握られる。

「お前に呪いをかけてるからだ」

「そっか」

 愛というものは、強く歪んだ呪いである。彼に呪いをかけられていたのであるならば、私が負けたのもしょうがない話であろう。

「お前は俺の事を呪わないのか?」

「そんなの、聞かなくても分かるでしょ」

「そうだな」

 今更改めて言葉にするのは、ちょっぴり恥ずかしい。でも、この気持ちだけはきっとこの先も変わることがないだろう。

「改めてよろしくね、旦那様(あいぼう)」

「おうよ、嫁さん(あいぼう)」

 私の相棒は、この世で甚爾ただ一人だ。

 

「ところで、俺に禁欲させたツケは今夜払ってもらうからな」

「え」

 次の日、私の足腰は死んだ。ベッドで死んでる私の世話を楽しそうにする甚爾に殺意が湧いたのはここだけの話である。

 

 

 



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第三勢力

◇ ◇ ◇

 

 2005年、神無月澪花が率いる非公式の呪術師新組織はついに本格的に運営を始めた。

 代表の神無月澪花、そのボディーガードの伏黒甚爾。そして彼女が集めた五人の変態(オタク)達を中心にした、五つの部署を中心に組織は回る。組織と言っても、大手の高専のような形態を取ることなど不可能だ。なので、彼女は高専の形態と会社の形態を足して二で割ったような独自のシステムを生み出した。

 呪具師と呪符師を組織で雇用し、フリーの呪術師や、高専に所属していない御三家などの家からは秘密裏に制作依頼を受ける。窓口を一括にすることによってスケジュール管理を行い、双方の間で滞りない契約を結ぶのだ。

 呪術師にとってもこれは結構利点が多かった。呪具師などの職人となる人間は、良い腕を持ってる事に比例して変人度が上がる傾向にある。天才と馬鹿は紙一重という言葉が良く似合うのだ。そして、呪術師は欲しい呪具のイメージがあるのだが、職人達と話が通じず作れないなんてことがざらにあった。しかし、この新組織を通すことによってイメージ通りの物を作ってもらえることが増えたのだ。これに呪術師は大歓喜、リピーターが続出した。

 そして、職人達は今まで依頼のない期間は金銭が発生しない事が多かった。しかし、この組織に雇用されている間は安定して給料を貰うことができた。指名の依頼があれば追加金額も貰え、ついでに各々の制作してみたい物も作れる。組織のトップである澪花に、作ってみたいイメージを話し興味を持ってもらえば助成金も出る。

 おまけに、制作陣から裏で密かにフィジカルゴリラと呼ばれる伏黒甚爾がいる。彼の手にかかれば、どんなに重く使いにくい呪具でも簡単に使いこなしてしまうのもポイントが高く、理想的な職場環境だった。

 こうして、初めは手探り状態でスタートした組織は、少しずつその人数を増やしながら大きくなっていった。

 彼女達の活躍に、高専に所属している呪術師達は自分達の仕事の負担が減っていることに気づいていた。その事に喜ぶ者もいれば、彼らの謎の行動に困惑する者もいた。

 だが、確実に言えることが一つある。それは、今まで全く革命の起こらなかった呪術師界に新たなる風が吹いてきていることを。

 

 

 翌年の2006年。

 澪花が裏で糸を引いているオカルト専門の探偵事務所に、一人の女がやってきた。その女は、明らかに呪術師界(こちら)側の人間だった。探偵事務所の所長は、澪花に会わせるか迷ったが――結局澪花本人に判断を委ねることにした。監視カメラ越しに女を見た澪花は、一目見て直ぐに決断した。

「彼女と面会します」

 澪花が応接室の扉を開け中に入れば、相談者である女はパッと澪花の方を見た。「あっ」と小さく声を上げた女の態度を気にせず、彼女は反対側にあるソファーへと腰を下ろした。

「初めまして、ようこそおいでくださいました」

「は、初めまして……」

 あまりにも普通の態度で話されるもので、女は困惑する。それもその筈、女からすれば澪花は死刑判決を受けている呪詛師である。ここ一年程でその判決に疑問を抱く者が増えてはいるが、いまだにあの判決は覆っていなかった。

 そんな中、澪花のもとに来るのはかなりの勇気が必要だったのだ。

「ここは……高専とは違う呪術師の組織の窓口と聞いて来たのですが……」

「はい、合ってますよ」

「そう、ですか」

 そこまで言ったところで、女は黙り込んでしまった。一向に本題に入らない女の姿に、澪花はかなりの訳ありだなと思いながら話を促した。澪花からしてみれば、彼女が本題に入ってくれなければそちらの情報はわからないのだ。

「所で、一体私達に何の御用ですか?」

「……頼みたいことが、あるんです」

「高専ではダメな事ですか?」

  女性は、覚悟を決めたように顔をあげた。

「はい、……ダメな事なんです」

 見定めるように真っ直ぐな瞳で彼女を見る赤髪の女に、自らのたった一つの願いを口にした。

「お嬢様を――理子お嬢様をっ! 救って欲しいのです」

「……詳しくお話をお伺いしても?」

 物語は、ついに本格的に動き出した。

 



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第二章 星漿体
依頼


 とある探偵事務所の応接室。そこには私ともう1人の女性が向かい合って座っていた。私の向かい側に座る私服の女性、彼女は自らの名前を黒井美里と名乗った。彼女の職業は星漿体のお世話係、そんな彼女は今回私たちに依頼を持ってきたのである。

 

 『星漿体』それは高専の結界を維持している、天元様が数百年に一度"同化"を行うために選ばれた特別な人間だ。"特別な人間"と言えば聞こえはいいが、実際の所ただの人柱である。時代は既に2000年代に入っているのにも関わらず、未だに人柱を差し出して世の中の平和を祈るだなんて、何という時代錯誤なのだろうか。こういう所が今の上層部の特に悪いところ。時代は進んだ、人柱なんて方法を選ぶのはもう時代遅れなのに。

 

「それでは、理子お嬢様というのが、今回星漿体に選ばれたお嬢さんという事でいいですかね?」

「はい……そうです」

 

 今回の依頼人、黒井さんは星漿体のお世話係の女性だ。元々一族が星漿体の世話係を務める家系らしく、本当は家業を継ぐつもりは無かったらしいが、幼い頃に両親を亡くしてしまった彼女に惹かれ戻ってきたらしい。それからずっと傍にいてきたようだ。

 彼女が理子お嬢様の話をする表情から、彼女が本当に理子お嬢様を大切にしている事が伝わってくる。

 

「黒井さんにとって、理子お嬢様はとても大切な人なのですね」

「……はい、こんな私を家族のように慕ってくれている、優しい人です」

「そうなのですね。すみません、ここで一つ確認させて頂いても良いですか?」

 

 私の問いに、彼女は「はい」と返事をした。そして姿勢を改めて正し、真っ直ぐと私の目を見た。そんな彼女に、私は問掛ける。

 

「理子さんは、生きたいと願っているのですか?」

「……っ」

 

 彼女の目が見開かれる。そして、何かを言おうとしてハッと言葉を飲み込んだ。彼女のその態度に、この依頼は彼女自身が勝手に頼んだものだと察した。

 

「黒井さん。厳しい事を言うようですが、我々は生きたいと望んでいない子供をただ"他者の自己満足で生かす"という事は出来ません」

 

 天元様と星漿体の同化。これは呪術師界において一大イベントと呼んでも差支えのない程の大きな話。もし、この世に一人しかいない星漿体が同化を拒否し、逃げるとどうなるか――。上層部は何としてでも"星漿体"を捕まえ、その身を天元様に捧げるのだろう。そこに彼女の意思なんて関係ない、一個人の願望よりも多くの人間の命を優先する。それはしょうがないことである。

 

「生きるということは、大変なことです。我々が命をかけてその命を救ったとして、本人に生きる気力が無ければ――我々が命を掛けた意味が無くなる」

 

 呪術師界を欺き、生きることはとても大変なことである。それを、私は身をもって体験している。いつ何処で彼らに見つかるか分からない生活というのは、無辛く険しい道だ。私の場合は頼もしい旦那様が居たから、少しは心を休めることが出来たが……普通はそうはいかない。ましてや14歳という若さであるならば、胸を張って太陽の下を歩きたいだろう。

 

「私は組織の代表者として、軽はずみな気持ちでは依頼は受けません。彼女自身に"生きたい"という気持ちがなければ動くことはできません」

 

 私の言葉に、黒井さんは黙って下を向いてしまった。数分間の沈黙、そして彼女は――顔を上げた。

 

「……お嬢様は、絶対に生きたいと思っております。これは、私がお嬢様の家族として過ごしてきた日々を掛けて断言出来ます。お嬢様は“未来を”望んでいます」

 

 彼女は、真っ直ぐ堂々と声を張って答えてくれた。その表情は、迷ってはいなかった。

 ――これで彼女の覚悟は確認できた。

 

「そうですか、私には貴女の覚悟が伝わりました。その依頼、――引き受けましょう」

「っ、いいの……ですか?」

「ええ、私は頭領としてその依頼を引き受けます。この言葉に嘘偽りはありません」

「頼んだ身ですけど……呪術師界を、敵に回すかもしれないんですよ?」

「元より私はあちらに"捨てられた"側。今更そんなこと何も怖くありません」

 

 先に私達を捨て、処分しようとしたのは向こうだ。

 

「逆に"ちょうど良い"とさえ思っていますよ」

「……ちょうど良い?」

「そろそろ、呪術師界(あちら)に喧嘩を売ろうかと思ってたんです」

 

 こちらはあの腐った上層部に虎視眈々と噛み付く機会を窺っていたのだ。今回の依頼はある意味チャンスだ、あの腐った老害に一泡吹かせるためのチャンス。

 

「は、はぁ……」

「まぁ、こちらにもこちらの事情があるのです」

 

 多分今の私は、中々人様にお見せできるような顔をしていない気がする。そう、超絶ヴィラン顔をしていような……あ、なんかちょっと黒井さんが後ろに下がった気がする。

 まぁ、彼女にこちらの私情など関係のない事なので、是非とも私のこの顔のことは気にしないでおいてもらいたい。

 

「黒井さん、少々手伝っていただきたい事があります。よろしいですか?」

「は、はい……」

「ではまずは――」

 

 

 こうして黒井さんと軽く打ち合わせをし、本格的に作戦が決まったら再び集まることを約束してから今回は解散となった。彼女は私に何度も頭を下げた後、静かに事務所を後にしていった。

 彼女が出て行った後、甚爾がドアを開けて応接室に入って来た。隣の部屋で監視カメラ越しに話を聞いていた彼は、大変愉快そうにニヤニヤしながらの入室してきたのだった。そして、私が座っているソファの肘掛けに腰掛け、その腕を私の肩へと回してくる。彼のずっしりとした筋肉質な腕が肩に乗って地味に重い。

 

「甚爾、重い」

「随分愉快なことになったなぁ」

「全く人の話を聞いてないな、この筋肉ダルマ」

 

 甚爾のこのテンション、きっと老害達に喧嘩を売るって聞いてテンション上がってるんだろうなと思った。久しぶりにこんなにテンションが高い甚爾を見た気がする。

 

「甚爾、これから忙しくなるよ」

「上等だ」

 

 クツクツと笑う甚爾をそのままに、私は懐から和紙を一枚取り出す。それを床に落とし、術式を発動させる。

 

「――怨霊操術、ゲッカビジン」

 

 すると、私の足元に闇が広がる。闇の中から小さな怨霊達がゆっくりと這い出てくる。

 私の術式、怨霊操術は怨霊を召喚し使役する術だ。怨霊とは、死後呪いに転じた人間の魂である。人間の魂を元とする怨霊は、現代において呪霊よりも発生する頻度は高くない。ましてや術師自体が死後呪いに転ずる可能性が高いため、術師を殺す際は呪力を使って殺すことが一般的だ。そんな現代社会において、私の術はちょっと使い勝手が悪い。そんな現状を打破するためにアレンジが加わったのが、今私たちが使う怨霊操術である。

 

 陣が描かれた和紙を使い、現代に蔓延する小さな怨霊のカケラを集めてから、私の呪力で新たな怨霊としての形を作る。すると4級相当の怨霊の擬似怨霊を生み出す事が可能である。だが所詮は寄せ合わせのものは、本来の人間の魂が基となった純正のものに比べると力は落ちてしまう。なので、私たちはさらに上級の怨霊を生み出すためにそれらの怨霊を再び掛け合わせるのだ。

 こうして私達は独自に怨霊を作り上げ、等級の低いものから順に、『ゲッカビジン』『アネモネ』『ヒガンバナ』『クロユリ』と名付け保管している。

 等級が低ければ力は少ないが、偵察などの役割を果たしてくれるために役立つので結構重宝している。

 

「皆さん、お仕事です」

 

 今回喚んだのは、『ゲッカビジン』。等級は4級にも満たない怨霊達である。

 

「1班は高専の動向を、2班は呪詛師達の動向を、3班は盤星教の動向を、4班は"彼ら"を招集してください」

 

 私がそう指示を出せば、怨霊達はその黒い影のような手をひらひらと振ったのちに、闇に溶けるように消えていった。

 

「始まるか」

「うん」

 

 ――さぁ、あの老害達に一泡吹かせるための準備を始めよう。



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幹部会議


話の都合上、今回は特にオリキャラ乱舞です……。本当に誰得か分からない、できるだけ出さないようにはしたいのですが設定上どうしても必要なオリキャラなのです……。

本当にすみせん……。




 私の一声で、そこまで広くない会議室に人が集まった。

 

「皆さん、お久しぶりです」

 

 私がそう挨拶をすれば、机に座った四人の人物と一つの液晶は挨拶を返した。そう、彼らこそが、私が設立した組織に所属してくれた仲間達であり、現在それぞれの課のトップを任せている人物だ。

 ちなみに、メンバーは親しみを込めてあだ名で呼び合うのが決まりらしい。いつの間にか勝手に決まったルールなので、私は基準がよく分かっていないが皆が楽しそうなのでそっとしておいてる。

 

「殿、集合って一体なんでーすーかー」

「わたし達も暇ではないんですが」

「私は推し様からの招集でしたら何時でも応じますよ」

『……あの、マッドさん。ドリルキュインキュインするのやめてください……』

「ヒッキーさん、所であなたの目ってとても興味深いですよね? 取り出して複製してみても良いですか?」

『ひぇぇ!! む、む、む、む、むりぃぃ~い!?』

「ハイハイ、戯れは他所でやんなさいよ」

 

 はい、まさにこの場はカオス。

 

「相変わらずコイツらは変なやつらだよな」

「まあまあ、個性豊かという事で……」

 

 この人たちはこういう人達なんですよ……。まぁ軽くではあるが、そんな愉快な仲間達を紹介させていただこう。

 

 医療課トップのマッド、呪具課トップのニチアサの民、呪符課トップの貴腐人、監察課トップのヒッキー、管理・支援課トップのおネエ様である。

 はい、あだ名から察せられるように、皆さんとても素晴らしい才能を持っているのではあるが、キャラが濃すぎるのが少しだけ難点である人物たちだ。ちなみに甚爾のあだ名は、番犬ガオガオ君だ。初回でガオガオ君って呼ばれた甚爾の反応はとても面白かったとだけ伝えておこう。

 

「はい、皆さん注目」

 

 パンパンと手を叩き、カオスな現場を打ち破るように大きな声を出せば、彼らはスッと黙った。一斉にこちらを向いたその顔が、早く要件を言えよと言っている気がする。

 

「皆さんに朗報です。ついにあの老害(おじいちゃん)たちに喧嘩を売る時が来ました」

 

 私がそう告げれば、彼らはそれぞれ異なる反応を示した。

 

「そうですか」

「うげぇ……」

「攻めましたね」

『……つ、ついに、来ちゃった感じ?』

 

 ある者は興味をなさそうに、またある者はマジかぁ……みたいな表情を、またある者はついにと覚悟を決めた表情だ。

 

「ボス、随分急ね」

「前々から喧嘩は売ろうと思ってたんだけど、今回ちょうど良い依頼が回ってきたの」

 

 甚爾に「資料を配って」といえば、彼は「あいよ」と気の抜けた返事をしながら皆に今回の資料を配った。ほうほうと言いながら資料に目を通す彼らに向かって説明する。

 

「では、今から説明します。今回の依頼は、天元様の適合者――星漿体の保護です」

「星漿体って天元様と同化する人間でしたっけ?」

「そうです、500年に一度星漿体と同化し、肉体の情報を書き換えるための人柱。その同化の儀式が数ヶ月後行われます」

「興味無いですね」

「マッド、アナタねぇ……」

「星漿体の保護って、そんなに向こうに大ダメージ喰らわせられるんですか?」

「もちろん。天元様と星漿体の同化は、高専の一大イベント。天元様の暴走によって呪術界の転覆を狙う呪詛師集団「Q」から、天元様を崇拝している盤星教"時の器の会"まで、みーんなそのイベントを阻止したがっている」

 

 星漿体と天元様の同化は、様々な人間がぶち壊したいと思っているイベント。こんなに大規模なイベントであるならば、私達が呪術師界(むこう)に喧嘩を売るのに最適な舞台だろう。

 

「まぁ私も、その一大イベントぶち壊してやりたい一派だけど」

「ひゅー、さっすが殿~」

「思いっきりが素晴らしいわ」

「ありがとう」

 

 今回は全員が協力してくれなければ、無事に成し遂げられないだろう。

 

「さて、私達がやらなければならない事は3つあります」

「はーい」

「一つ、星漿体の護衛。

二つ、高専側の星漿体護衛の術師の制圧。

三つ、星漿体の代わりになる身代わりの作成」

 

 ただ単に星漿体を誘拐するだけではダメなのだ。今回星漿体を奪っただけでは、今度はまた違う星漿体が同じ運命を辿ってしまう。これでは本質的な解決には至らない。私は、星漿体問題の本質的な解決をしたいのだ。

 

「これらを全てこなさなければなりません。では、皆さんの役割を割り当てます」

 

 まず最初に、甚爾に目線を送る。彼は私の視線にニッと笑った。

 

「甚爾には、一番重要な仕事を頼みます。――星漿体の護衛と、高専からの護衛の術師の制圧を」

「分かった」

 

 次に、私の後輩だった呪具課のニチアサ君へと視線を送る。

 

「ニチアサ君には、甚爾の呪具作成を頼みます」

「はいはいはーい! プリ〇ュア仕様にしていいですか!!」

「そこは甚爾とご相談ください」

「おいふざけんじゃねぇぞ」

 

 プリ○ュア仕様の呪具を持って戦う甚爾をちょっと見てみたいと思ったのはここだけの話にしておこう。

 

「ごほん」

 

 咳払いをして気持ちを切り替える。次に呪符課の貴腐人さんへと視線を送る。

 

「貴腐人さんには、私が高専の結界に入れるように呪力遮断の呪符の作成をお願いします」

「はい、かしこまりました! あ、ついでにガオガオ君との甘いひと時のために媚薬効果が期待できる香を通販で買わせたんですけど……、お一つどうですか?」

「え、遠慮します……」

「貰うわ」

「では、後で感想聞かせて下さいね」

「おう」

「やめてください……」

 

 貴腐人さん、貴女が余計な物を甚爾に押し付けるせいで私たまに散々な目に遭うんですけど……。一体どこからそんな変なアイテム見つけてくるんですか!! そんな気持ちを込めてキッと睨めば、とてもいい笑顔で親指をグッとされた。絶対これ、私の言いたいこと1ミリも伝わってない……。

 小さくため息をつき、視線を液晶へと向けた。液晶の向こうに写っている猫のイラストに癒されながら、ヒッキーさんに声をかける。

 

「ヒッキーさんには、盤星教と、呪詛師集団「Q」の動向のチェックを」

『わ、分かりましたァ……』

 

 ヒッキーさんの安定の震え声。失礼だけどとても安心してしまった。ほっこりしながら、今度は一番の問題児であるドリルをキュインキュインさせるマッドさんへと視線を向けた。

 

「マッドさんには、身代わり作成を」

「嫌です、興味ありません」

 

 キッパリと嫌だと言ったマッドさん。彼は世にいう自分の興味の持ったことにしか全力を発揮したくないタイプの天才である。

 

「出た~、マッドさんのワガママ」

「少しはその我儘なんかならないの?」

「興味のないことはしたくないです」

 

 まぁそんなマッドさんではあるが、今回はすでに対策を練ってあるので大丈夫だ。

 

「マッドさん」

「なんですか、マスター?」

「これは以前から貴方が興味を持っていた、ホムンクルスの研究の一貫ですよ」

「!!」

「今回は呪符課で作った特製のヒトガタを使いますが、貴方にはそれに星漿体の情報を書き込んでもらいたいのです」

「……ヒトガタでありながら、その情報量は人間のソレということですか??」

 

 ぶつぶつと様々な憶測を述べるマッドさん。そんな彼の背景にはなんだか宇宙が見えてる気がする。これが世に居う宇宙マッド……。

 

「そうです、すなわち簡易版ホムンクルスという訳です」

「やります」

「手のひら返しはえーな」

 

 一本釣り完了の瞬間である。私は内心コロンビアポーズを決めた。

 

「では最後に、おネエ様達の管理・支援課の方々にはいつも通り皆さんのサポートをお願いします」

「えぇ、請け負ったわ」

「一応作戦は考えますが、様々なトラブルが予想されます」

「完璧に対応してみせるわ」

「頼もしいです」

 

 おネエ様は本当におネエ様である。

 

「何かその他に指示が必要なことはありますか?」

「ちょっといいかしら」

「おネエ様、どうぞ」

「星漿体の子、体質改造をした方がいいと思うわ。もし今回の作戦が成功して、星漿体の役割から解放されたとしても――このままだと、ろくな生涯を送れないわよ」

 

 星漿体、それは天元様の適合者である。天元様の力は未だ未知数なところが多数ある。天元様は高専の結界に守られているために、手出しはできない。もしも上手くいって用済みになった星漿体が解放されれば――彼女は一部のよくない輩から狙われる羽目になるだろう。それでは、今後の彼女の人生に大きな影を落とすことになるだろう。

 

「……確かにそうですね。では、マッドさん追加でそちらの方もお願いします」

「あれが、そうで、こうすると――」

「聞いてねえな」

「後で助手さんに伝えておくっスわ」

「お願いします」

 

 天才と変人って紙一重だなと思った。

 

「ではもしも、今後それぞれ必要なことや、欲しいものがありましたら、いつも通り申請してください」

「はーい!!」

 

 ニチアサ君の返事に頷いた後、私は椅子に座ったみんなの顔を再び見回した。

 

「皆さん、これは呪術師界に"捨てられた"私達が呪術師界(あちら)に喧嘩を売るチャンスです」

 

 これは一世一代の大勝負。

 

「腐った伝統に縛られ、未来を見ようとしない老害(ほしん)には未来は訪れない」

 

 価値のない物と捨てられた私達、それは決して価値のない物ではなかったと証明するために――。

 

「そして、私達は証明するのです――私達を怒らせると怖いと言うことを」

 

 私達は戦うのだ。

 

「イエス、マスター」

「了解しました、殿」

「かしこまりました、推し様」

『おけです、御館様』

「ええ、ボス」

 

「……あのさ、皆せめて私の呼び方ぐらいは揃えない? 大事なところなのに締まらないんだけど??」

「「「「「嫌」」」」」

「えぇ……こういう時だけ息ピッタリなのどうかと思うんだけど」

 

 今とってもカッコよく決まったと思ったのに……最後のバラバラの返事で台無しになったんだけど……。とほほと声を漏らす私の肩に、甚爾の手がぽんと手が置かれる。

 

「諦めるんだな」

 

 味方などいなかった。



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贈り物

 

 時間というのは有限である。呪術師界に喧嘩を売るために始めた「星漿体奪還計画」。おおよその計画は立て、着々と準備を行なってきた。研究チームは、時には発狂、時には机に沈む仲間達を励ましながら日々を過ごしてきた。そして――ついに四日後が天元様の同化の日となった。

 

 明日からは、私達の計画も本格的にスタートする。

 

 そんな私たちではあるが、困った事が二つある。一つ目は星漿体の存在が、盤星教や呪詛師集団「Q」に漏れてしまったことだ。言っておくがこれは別に私たちが漏らしたわけではない、高専側から漏れたのだ。だからあんな時代遅れなパソコンを使うなとヒッキーが発狂していた。

 二つ目は、星漿体の身代わりがまだ完成していない事だ。同化の日までに出来上がるかは五分五分だそうだ。イった目をしながらマッドさんは「必ず間に合わせますからね、ふふふふふふぅ」なんて言いながらキュインキュインしてた彼はホラーだった。……彼の助手の目は死んでたし、同じ医療課の人達は関わらないように5メートルほど離れて仕事をしていた。医療課は現在混沌の極みである。

 

 そんな訳で割と前途多難な状況ではあるが、今の私にできることといったら彼らを信じることしかない。きっと彼らは大丈夫、ボスである私が信じなければ誰が信じるというのだ。

 

「ボス」

 

 そんなことを思いながら、進捗情報のメールに返信を返していると声を掛けられた。

 

「ちょっといいかしら?」

 

 私に声をかけてきたのは、おネエ様であった。部屋に入ってきた彼女は、何か小脇に包装された箱を抱えている。顔女達が所属する管理・情報課は所謂高専で言うところの"補助監督"にあたる役職だ。彼女達は明日からの任務が本番なので、今日は早めに解散した筈だ。……なのに、どうして一体こんな時間にやって来たのだろうか?

 

「いいけど……もしかして、何か不測の事態?」

「違うけど」

「あ、なんだ良かった……」

 

 ほっと胸を撫で下ろした瞬間、彼女は私の前にその箱をずいっと差し出してきた。                                                                                     

 

「はい、ボス」

 

 黒地の包装紙に、金色のリボン。いかにも高級ですといったラッピングがされた箱に、私は首を傾げた。

 

「……これは?」

「アタシ達からの贈り物よ」

「――え」

 

 差し出された箱と、おネエ様の顔を何度も行ったり来たりする。そんな私の行動にクスクスと笑いながら、彼女は続けた。

 

「呪術師界に捨てられたアタシ達をすくい上げ、居場所を作ってくれたのはボス――アナタよ。絶対口では言わないけど、皆アナタに感謝してるの、これはその気持ち」

 

 おネエ様が私に箱を開けるように指示をする。手触りの良いベルベットのリボン、それを解いてゆっくりと包装紙を開けてから箱を開ければ――そこには、一着のスーツがあった。

 

「これはボスの勝負服。あのスカしたクソジジイ共に舐められないように、最高級のブランド店でオーダーしたんだから」

 

 おネエ様の笑顔に、私の胸には温かい何かが流れ込んだ。シワにならないように、丁寧にそれを抱きしめる。

 

「――っ、ありがとう」

「お礼はクソジジイの「ギャフン」がいいわ」

「オッケー、任せておいて」

 

 この作戦、絶対に成功しなければならないなぁ。明日からは、しっかり気を張らないと。

 

「あ」

「え、何?」

「ガオガオ君が、勝負下着は俺が用意するって言ってたから今夜にでもくれるんじゃないかしら?」

「……甚爾のチョイス、絶対違う勝負下着じゃん!!」

「ボス達、本当に仲良いわねぇ。貴腐人じゃないから、そろそろアタシ火傷しそうだわ」

「私は尽く行われる甚爾の牽制にいつか発火しそう……」

 

 今夜はちょっかいかけられないうちに、明日に備えてさっさと寝ようと心に決めた私であった。

 

 

 

 時は来た。神無月澪花率いる第三勢力は、ついにこの日から呪術師界に喧嘩を売る。

 

 上に立つものとして相応しい顔をした澪花は、部下から贈られたスーツに身を包み車へと乗り込んだ。

 ――そんな姿を建物の上から見つめる男女がいた。彼らの雰囲気は決して常人のそれとは違う。だって彼らは人ではないのだから。

 

『父上』

『五月か』

『はい、わたくしでございます』

 

 彼らは、澪花と契約を交わした怨霊達である。あの日本三大怨霊の一人である平将門、そしてその娘である滝夜叉姫こと五月姫。

 

『何用か?』

『いえ、父上がとても楽しそうにしていらっしゃったので』

『そうか、この俺が楽しそうに見えると』

『はい』

『――あぁ、愉快、愉快。とても愉快だ』

 

 堪えきれないといった笑みが、将門公の顔に浮かんでいた。

 

『見ろ、我が娘。アレが俺の選んだ珠玉だ』

 

 彼が指差すその先、そこには数年前に権力に巻かれるようにひっそりと生きていた時の姿とは全く違う、上に立つべき人間として命を張る女の姿があった。

 

『さすが父上でございます、素晴らしい目利きです』

『アレこそが、新たにこの世を総べる新皇。俺の意志を継ぐ者。始まるぞ、この世をひっくり返す下剋上が――』

 

 そう話す彼の口からは、くつり、くつり、押し殺すような嘲笑の声が漏れていた。

 

『嗚呼、楽しみだ』

 



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幕間「今日の伏黒さんち」

 

 

 伏黒甚爾が、嫁を探しに出て数年が経った。今まで以上に帰ってこなくなった父親の職業に「マグロ漁師」と答えたことによって、子供達は父親のことを無理に聞かなくなった。

 テレビで大間のマグロの特集をやれば、子供達はもしかしたらお父さん写ってないかな!!とソワソワしながらテレビの前に待機する位にはとても平和だった。

 

 そんな平和な日常に、またしても子供達の無垢な疑問からカオスが投下されることとなる――。

 

「ねぇねぇ、ばあや! お母さんってどんな人だったの?」

「ぼくもきになる!」

 

 子供達の口から出たのは、「お母さんってどんな人だったの?」である。そう問う子供たちが覚えていないのも無理はない。だって彼女が失踪したのは、津美紀が3歳、恵は2歳の頃だった。頼りになる母親との写真は、何かがあったら大変という事で澪花は処分している。そのため、子供たちは母親の顔さえ見れないのだ。(なお、このばあやはとても優秀なばあやなのできっちり個人でネガフィルムを管理していたので、子供達が大きくなったら若い頃の母を見せてあげようと思って厳重に隠してある)

 

 そんな訳ではあるが、さすがに今母親の写真を見せるためにネガフィルムをもって写真屋さんに行く訳にも行かないので、口頭で説明することにした。

 

「そうね、津美紀と恵のお母さんは――」

 

 この時、ふとばあやはなんて説明しようかと迷ってしまった。できれば誰か有名な人や、アニメのキャラクターの方が子供達には分かりやすいのかもしれない、なんて思ったのだ。

 そして、彼女は考えた。お嬢様って誰に似ているのかな……と。

 

 そして一つの結論に辿り着いた――。

 

「あなた達のお母さんは――ル〇ンの峰不〇子みたいな人よ」

「みね?」

「ふ〇こ?」

 

 子供達はこてんと首を傾げた。今まで思い描いていた彼らのお母さんのビジョンは、サ〇エさんかちび〇る子ちゃんのお母さんだったのだ。それをいきなり系統が180度違う峰不〇子に変えろと言われても難しいものだ。

 頭にハテナを浮かべる子供たちに、ばあやはさらに畳み掛ける。

 

「そう、日本中の(人)財を保護して、悪い大人(腐ったミカン)をやっつける人ですよ」

 

 このばあや、嘘は言っていないのである。あともう大人向けに少し補足するとしたら、(呪術師界から)指名手配されている、ドライビングテクニックもやばいも追加できるだろう。まぁ、概ねピックアップしてみると峰不〇子と似たところもあるのもまた事実ではあるが……。

 

 だが、流石に子供にあなたの死んだお母さんは峰不〇子だと言い聞かせるのはどうかと思う。

 

「えぇー、そうなの!?」

「おかあさん、かっこいい!」

 

 しかし、この場には伏黒甚爾(ツッコミ役)は不在。今頃東京の地で妻の峰不〇子である澪花と、呪霊を祓ったり、濃すぎる仲間たちのツッコミをしている。なんなら自分が子供達の中でマグロ漁師になっていることすらもまだ知らない。

 こうして、何も知らない無垢な子供達は、ばあやの言葉を真に受けてしまったのである。いつかの日のように、瞳をキラキラさせて死んだ()母親に思いを馳せる子供達。その健気な姿にばあやはそっと心の中で涙した。

 ――いつか、この子達とお嬢様が再び一緒に暮らせますように。そう願わずにはいられなかったのだ。

 

「ばあや、お母さんみたい!」

「ぼくも!」

「えぇ、えぇ、いいでしょう! さぁ、レンタルビデオ屋さんに行ってル〇ン三世借りましょうね」

「わーい!」

「たのしみー!」

 

 こうして、父親はマグロ漁師、母親は峰不〇子というトンチキな家族構成な設定が出来たのであった。

 

 



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作戦開始

 

「概ね作戦は順調……かぁ」

 

 偵察用に出している怨霊の視界から星漿体の姿を視認する。(ちなみに現在将門公と滝夜叉姫は等級が高すぎて、下手に出しておくと向こうに気取られるため今回はお留守番だ。やろうと思えばすぐに召喚できるからあんまりお留守番という言葉も当てはまらないけど)

 怨霊の視界越しから見る彼女は友達と笑い合っており、とても楽しそうだ。そんな彼女の姿は、誰が見ても学校生活をエンジョイしているように思えた。

 

 早朝に呪詛師集団「Q」が真っ先に彼女たちに仕掛けた時は今後どうなるかと思ったが……今回高専から派遣された1級呪術師である五条の坊ちゃんと、同じく1級呪術師の子が彼女を助けたようなので我々の出番は無かった。特に最高戦力と呼ばれるバイエルなる人物が呆気なく五条の坊ちゃんにやられていたのは失礼ながらも笑ってしまった。あんなに弱いのに最高戦力だなんて笑うに決まっている。そして、最高戦力を失った呪詛師集団「Q」は呆気なく瓦解してしまった。

 ちなみにライバルが減った事によしよしと思いながら、そう言えば甚爾は何をしているかと思って視界を移すと、呑気に欠伸をしてたので後でシバこうかと思った。

 

 とりあえず、現在の布陣としてはこんな感じだ。おネエ様と私が車待機で全体の指揮を執る。甚爾は星漿体の近くで待機、ヒッキーさんは自宅で何かあった際のネットでの情報収集、マッドさんと貴腐人さんは引き続き身代わりの作成、ニチアサ君は雑用、その他数名の所属呪術師は待機という形だ。

 今朝のQの一件以来、他は目立った動きはない。なので偵察用に放ってある怨霊の視界を代わる代わるジャックし、全体の動きを掴むことに集中していた。

 

「ボス」

 

 すると、おネエ様が静かな声で私を呼んだ。彼女の手には小さなノートパソコン、その画面がこちらに向けられる。

 

「懸賞金、掛かったわよ」

 

 パソコンの画面に映る呪詛師が使う裏サイトには、天内理子の姿と3000万という数字が記されていた。その数字を見て私は小さく頷いた。

 

「甚爾の予想通りだね」

「流石ガオガオ君」

「甚爾のこういう所、本当にすごいと思う」

 

 甚爾は星漿体に懸賞金が掛かることを予測していた。彼は「盤星教の連中は非術師の集団だ。自分達でどうにも出来ねえから、呪詛師や術師殺しを雇うに決まってる。まぁ、俺だったら手っ取り早く裏掲示板にそれなりの額で写真を貼ってバカどもに処理させるな」などと言っていたのだ。その言葉を信じ、ヒッキーさんに張り込んでもらってた所……見事にその予言はヒット。こうして、星漿体は無事に賞金首となった訳だ。

 

「本当、孔さんを買収しておいて良かった」

「きっちりこっちの指定通りの11時ね」

「甚爾の作戦通りいけるといいな」

 

 甚爾の作戦を採用するために、恐らく仲介役で雇用されるであろう孔時雨を買収しておいたのだ。そのお陰で、向こうは自分達で設定したと思っていると思うが、実際はこちらの為にやっていることになるだろう。

 

「さて、賞金首の場所は割れ、一般人が沢山いるこの学校に呪詛師がいっぱい来る訳だけど……」

「確実に面倒な事になりそうね」

「皆さんの動きはいかほどに――」

 

 再び視界を怨霊の方に切り替える。すると、数名のいかにもと言った人間達が続々と集合していた。しかし、高専チームもそれに気づいたのだろう、素早く対処に当たっている。

 

「うん、多分私たちはまだ出なくても大丈夫そう。五条の坊ちゃんとその友達が応戦してる。しかも、圧倒的実力差」

 

 流石学生の内に1級にまで昇格した子供達である。この分だとあまり護衛の件は心配しなくても良さそうだ。

 

「でも一応待機組の呪術師、何人か処理に回してあげて」

「えぇ、分かったわ」

 

 流石に私たちも少しは働かなければ、ずっと子供たちに任せっきりというのも体裁が悪いし。うんうんと言いながら何体かの怨霊の視点を切り替えていると、あることに気づいた。

 

「……あれ、黒井さんの姿が見えない」

「なんだか……嫌な予感がするわ」

「私も嫌な予感がする……」

 

 二人で顔を見合わせていると――ピリリとおネエ様の携帯が鳴った。

 

「……はい、アタシよ」

 

 神妙な表情で電話口に向かうおネエ様。その顔は確実にトラブル発生したぜとありありと書かれていた。……正直、めちゃくちゃ聞きたくない。

 

「そう、分かったわ」

 

 携帯を顔から離し、彼女は私をスっと見据えた。

 

「ボス――黒井さんが攫われた」

「っ!」

「ヒッキーから連絡が来たわ、攫ったのは盤星教が雇った呪術師殺しと信者らしい。相手方は星漿体との交換を求めて、高専側と取引を持ちかけたみたい」

「交換、ねぇ……。向こうが大人しく交換に応じてくれると思わないけど」

 

 高専側が応じるかも分からない、盤星教が黒井さんに害をなさないとも限らない。まぁきっと盤星教は追い詰められてるから……。

 

「このままだと黒井さん、殺されるよね」

「きっとそうでしょうね」

 

 人質の安全保障もない、高専側も取引に応じてくれるかも分からないこの現状。私がやらなければならないことは、1つに決まっている。

 

「分かりました――私が行きましょう」

「そっちにも応援回す?」

「要りません、私一人で十分です」

「了解、程々にしてあげなさいよ」

「えぇ、任せてくださいよ。あと、ついでにヒッキーさんに盤星教に引導を渡してあげてくださいと伝えてもらっても良いですか?」

「ボス、怒ってるわね」

「それはそうですよ、まさかうちの依頼主にまで手を出すんですから」

 

 私たちの大切な依頼主に手を出すなんていい度胸だ。彼女が死んでしまったら、星漿体の子を助けても意味が無い。

 

 星漿体の子――天内理子ちゃんの家族は、黒井さんだけなのだから。家族を離すのはとても大きな罪である。一緒に暮らせるのであるならば、共にある方が幸せなのだから。

 

「この借りは――きっちり返させてもらいます」

 



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誘拐事件

 

 ここは、いかにも拉致監禁場所のために用意しました! と言いたげな倉庫。所々に乱雑に積まれた荷物、埃っぽい空気に思わず眉を潜めながら私は体を捻り攻撃を避けた。

 

「怨霊操術――「ヒガンバナ」」

 

 胸元から取り出した和紙を床に放る。床に張り付いた紙から黒い影が生まれる。闇の中から漠と人間のハーフのような形をした怨霊がぬるりと現れ、目の前に退治していた術師殺しへと向かっていく。

 

『ねんねんころりよ、おころりよ』

「っ!」

 

 怨霊が紡ぐのは子守唄。その優しい声に呪師殺しは一瞬動くのが遅れてしまった。大きな口を開けてぱくり。怨霊が術師殺しを頭から一瞬にして丸呑みする。

 

「――長い悪夢(ゆめ)へと誘いましょう」

 

 術師殺しを丸呑みした怨霊が、そのまま術師殺しの体の中へと滑り込みパッと消えた。ぐらり、術師殺しの男の体がゆっくりと崩れ落ちた。

 

「さて、これで制圧完了と」

 

 私の周りに倒れる男達。その光景は死屍累々という言葉が似合うような地獄絵図ではあるが、もちろん命までは奪っていない。非術師の信者達は昏倒させ、術師殺しは幻覚系と夢を見せる怨霊を掛け合わせたものを使う怨霊によって悪夢を見せられ続けている。

 さて、この犯罪者たちは後で根回しをして警察や高専へと突き出すことにしよう。

 

「黒井さん、お待たせしました」

 

 体の自由を奪われ、床に放り捨てられていた黒井さんの元に駆け寄る。猿轡を外し、手足を縛っていたロープを外せば、彼女はポカンとした表情をしていた。はてさて、何か変なことをしたっけ?

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 彼女の目の前でヒラヒラと何度か手を振ってみると、ようやく彼女はハッとしたように正気に戻った。

 

「す、すみません……わざわざお手数をお掛けしてしまって。まさか非術師達に捕まるとは思わず……」

「大丈夫ですよ、失敗はよくある話です」

 

 うんうんと一人頷いていると、黒井さんは私のことをじっと見てきた。その表情に首を傾げていると、彼女はマジマジと確認するかのように呟いた。

 

「それにしても……澪花さん、凄く強いんですね」

「一応それなりには」

「バッタンバッタン倒す姿、とても素敵でした……。こう、親分感が凄い感じで!」

「お、おやぶん……」

 

 親分って一体なんだ。私、親分って柄じゃないんだけど!? 第一、私はあんまり人の上に立つような柄じゃないんだよなぁ……。今ボスやってるのも、流れでやってるだけだし……。駄目だ、そんな事を口に出した瞬間将門公に叱られる!

 そんなことを思っていると、胸元の携帯から着信を告げるバイブの振動を感じた。確認するために携帯のディスプレイを見れば「相棒」と言う文字。甚爾からの連絡に黒井さんに一言断りを入れてからボタンを押した。

 

「はい、もしもし」

『作戦変更』

「どんな風に?」

『世話係を連れて遠くに行け』

「遠く? 遠くか……じゃあ沖縄にでも連れていけばいい?」

『沖縄か……、いいんじゃねえか』

「りょーかい、じゃあ沖縄で会いましょう」

「おう」

 

 端的に用件だけを伝え電源を切る。外で待機しているおネエ様へと視線を送った後、パッと黒井さんに向き合って私は言った。

 

「じゃあ、沖縄行きましょうか!」

「……え?? 何で沖縄に??」

 

 黒井さんの頭には?という文字が浮かんでいるようだった。まぁ、突然今から沖縄に行きますよって言われたらそうなりますよね。

 

「甚爾が沖縄に行けと言ったから行くんですよ」

「その、理由とか……聞かないんですか?」

「わざわざ聞きませんよ」

「どうしてですか?」

「私は、彼を誰よりも信用しているからです」

 

 甚爾が私達にとって不利益や不利になる行動は決して取らない。これは私達の相棒という関係で成り立っている信頼なのだ。甚爾は私を裏切らないし、私も甚爾を裏切らない。理由なんてそんなものだけでいい。

 

「……なるほど」

「それに、こういった荒事の作戦を考えるのは甚爾の方が向いてるんです。私は私の得意なことを、彼には彼の得意なことを。何事も役割分担が大事なんです」

 

 そう言って私が笑えば、彼女は「お互い分かりあってるからこそ、できる技なんですね」と言った。そんな世間話をしている所に、声が掛る。

 

「ボス、そろそろ準備して」

「……えっと、この方は?」

 

 黒井さんは初めて見るおネエ様の姿と、私の姿を交互に見た。うちの仲間達は少々個性豊かだか、ちょっと驚いたのだろう。

 

「彼女はおネエ様、高専で言ったところの補助監督の人です」

「お、おネエ……様?」

「そう、まぁその『おネエ様』はあだ名みたなものよ。よろしくね」

「よ、よろしくお願いします……」

 

 おネエ様の差し出した手に、そっと自らの手を重ねる黒井さん。軽く握手を交わしたのち、おネエ様は私に向かってバシッと声をかけた。

 

「沖縄行きのチケット、取れたわよ」

「ありがとうございます」

「いいのよ、アタシが優秀だから」

「流石でございます!」

「じゃあ、裏ルート使ってるから一旦変装してちょうだいね」

「了解です」

 

 さて、沖縄へのチケットは準備万端。時刻は既に夕方になっているため、このまま私たちは今夜は沖縄で一夜を過ごすことになるだろう。彼女を無事に星漿体の合流させるためには色々考えないとな……。

 

「さぁ、黒井さん。行きますよ」

「は、はい!」

 



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思い出話

 そんな訳で私達は沖縄へとやってきた。一晩寝て考えた結果、黒井さんが向こうのチームと合流するために、彼女には一芝居打ってもらう事となった。その名も「黒井美里最強伝説」である。沖縄まで連れてこられた彼女は、一瞬の隙を付いて敵をバッタ、バッタ、と切り捨て自力で脱出したという作戦である。

 ……うん、かなり無理が厳しい話だと思ったが、無事に星漿体の子や五条の坊ちゃん達と海水浴を楽しんでいる姿を見れば、何とかなったようだ。沖縄まで来れば、気軽にお小遣い稼ぎでやってくる呪詛師の数もぐっと減り、私達は完全にお役御免となった。

 楽しそうに砂浜を駆ける若者達の姿を遠くから眺めながら、私は隣に座っていた甚爾に問いかけた。

 

「所で相棒」

「あ、何だ?」

「どうしてこんな遠くまで彼女を連れてこいなんて言ったの?」

「んなもん、アイツらの油断を誘うために決まってんだろ」

「やっぱりかー」

 

 なんとなくそんな気はしていたんだ。遠く離れた地、攫われた人質、仮初の制限時間。きっと彼らは、高専の結界内に入ったら安心して警戒が緩むはずだ。特に五条家の坊ちゃんは無下限術式の使い手、常に無下限を張り続けているのが現状であろう。

 無下限を張ったままでもいけると思うが、少しでも障害は少ない方がいいに決まっている。だから彼はこうしてまどろっこしい事を考えたのだろう。

 

「大方、無事に人質を助けられ、懸賞金の時間も過ぎ、高専の結界内部に入って安心したところを襲撃するつもりでしょ?」

「流石だな」

「なんたって相棒ですからね」

「フン、そうだったな」

 

 そして、きっと彼は否定すると思うけど――星漿体の子の思い出づくりをさせてあげたいと思う気持ちもあるのだろう。

 『星漿体』それは普通の人と違う特別な人間。きっと彼女は、こうして今まで友達や黒井(かぞく)と共に旅行に行くなんていうことはなかったと思う。甚爾は、甚爾なりに彼女のことも考えつつこの作戦にしてくれたのだと思う。

 そんな優しい甚爾ではあるが、一つだけ釘を刺しておかなければならない。

 

「でも、くれぐれも"保険"をかける時にやりすぎるのは辞めてね?」

「あー……善処はする」

 

 そう言う彼は、不自然に視線をそっとズラしていた。この男、さてはあまり自信がないな。

 

「甚爾の善処は当てにならないんだよなぁ」

「相棒を信じられないのかよ」

「7割は信じてるよ」

「この野郎」

 

 ムッとした甚爾は、私の頭へと手を伸ばしそのまま突いてきた。

 

「いたっ、ちょっと小突かないでよ!」

 

 フィジカルゴリラの力は強い。彼にとってはちょっと構う程度のつもりなのだろうが、私にとっては地味な痛さである。そんなフィジカルゴリラに物申そうとすれば、彼はニヤニヤしながら人のつむじを押し始めた。

 

「こら、つむじも押すな!」

「ちょうどいい所に頭があったんでな」

「チビと言いたいのか⁉︎」

「女はこれぐらいの身長の方が可愛いぜ」

「そうやって雑に機嫌を取ろうとするな!」

「ほら、これ食って機嫌直せ」

「むぐっ!?」

 

 口に突っ込まれたクッキーみたいな何かをもそもそと咀嚼する。

 

「……おいしい」

「ちんすこうだとよ」

「ちんすこう……」

「沖縄の菓子らしい」

「変わった名前」

 

 優しい甘さのお菓子を咀嚼していれば、いつの間にかさっきまでのムスッとした気持ちはなりを潜めてしまった。……というか私、チョロすぎなのでは??

 流石にこれでは良くない、そう思って再び抗議しようとしたその瞬間。

 

「ほら、もっと食えよ」

「ちょ、!」

 

 再び甚爾は私の口にちんすこうを突っ込んできた。楽しそうに人の口にちんすこうを突っ込んでくる甚爾の腕をバシバシと叩く。無駄にムキムキでムチムチな太い彼の腕には、全くダメージが入っていない。う、己の非力さが悲しい……。

 もそもそと与えられたお菓子を食べていると、ふと高専時代も二人でこうしていたことを思い出した。

 

「こうしてると、何だか昔を思い出すね」

「そうだな」

「あの時は確か、夜蛾先生が買ってきてくれたお土産を甚爾がひたすら私の口に突っ込んできたよね」

 

 私達の恩師である夜蛾正道先生、多分今も高専で教鞭を取っているはずだ。ちなみに、明日は交渉のために彼に会いに行くつもりだ。

 

「お前が飯も碌に食わねえまま任務に行ってんのが悪いだろ」

「だってあの頃は上に逆らわず、言われるままに生きてたから……」

「俺はそれが気に食わなかったんだよ」

「本当に甚爾には感謝してるよ、多分あのまま言われるままに任務を受け続けていたら――きっと死んでたもの」

 

 今なら分かる。学生にしては妙に多い任務、早く上がる等級。その頃の上層部は手っ取り早く任務で私を殉職させたかったのだろう。殉職まで行かなくても、等級の高い呪霊を祓いまくってもらう事によって向こうは得していたのだろうし。

 

「お前を上層部(あいつら)に殺させはしない」

「ありがとう」

 

 久しぶりに穏やかな時間がゆっくりと流れていったように感じた。

 

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少女の意思

 沖縄2日目。大きな水槽が自慢の水族館で、天内理子は魚を眺めていた。大きな魚達は水槽を泳ぎ回り、小魚達は群れになって泳いでいた。妙にうるさい男子高生二人は呪詛師狩りの為に離席し、世話係の黒井も飲み物を買うために席を外した。

 

 一人でゆっくりと魚を見ているところに、赤い髪が特徴の女がそっと姿を表した。一人で魚を見ていた彼女がどうしてか気になった。ちらり、ちらりと視線を向けていたところ、彼女がハンカチを落とした瞬間を目撃した。

 理子はすぐ様そのハンカチを拾い、赤髪の女へと声をかけた。

 

「すみません、これ落としましたよ!」

「あら、ありがとう」

 

 振り向いた女性は、理子の手からハンカチを受け取った。理子は女性が動いた瞬間に香る花のような匂いに、これが大人の女……なんていう感想を抱いた。

 そんな理子を優しく見つめる女性は問いかけた。

 

「貴女――観光に来た子?」

「はい」

「どう、沖縄楽しい?」

「……はい、とっても楽しいです」

 

 理子の頭の中には、この数日皆で過ごした思い出がいっぱい詰まっていた。特に沖縄に来てからというもの、皆で海水浴をしたり、ボートに乗ったり、美味しいものを食べたり、普通の子供として沢山の思い出を作ることが出来た。

 これが、最期の思い出だなんてとても幸せな事だろうと彼女は思っていた。

 

 でも――本当はこれで"最期"になんてしたくなかった。もっといっぱい長生きしたい、楽しい思い出や、恋だってしたい。沢山の思い残すことがある。でも、 自分は選ばれた人間。この身が天元様と同化することは、自分が生まれた時から決まっていたこと。

 彼女は、今更拒んだってどうにもならないことだっていうことを知っていたのだ。

 

 そんな理子の葛藤を読むように、女は言葉を口にした。

 

「貴女、とても悩んでいる顔をしているわね」

「……そんな、ことは」

「悩むことは悪いことではないわ」

 

 女はそう言って理子の頬を撫でた。その優しい手の感触に、彼女は覚えていないはずの"母"という存在を感じた。

 

「もしよかったら、これをどうぞ」

「……これって」

「お守り」

 

 理子の手の中に握らされたのは、1つのペンダント。ランタンの形の中に、彼女の髪色によく似た赤い石が嵌め込まれたペンダント。オシャレなそのペンダントは、不思議なことに何だか暖炉の炎のような暖かいものを感じた。

 

「――貴女が生きたいと願うのであるならば、私たちは全力で"貴女を守ります"」

 

 "貴女を守ります"という言葉に、弾かれたように視線をあげた。金色に光る瞳が、優しく理子の姿を捉えていた。

 

「あ、あなたは――!」

「私は、ただ子供の明るい未来を守りたい一人の親です」

 

 彼女の慈母のような笑顔に、理子の心はキュッと締め付けられるような思いだった。もしかして、彼女は自分の未来を――そう思わずには居られなかった。

 

「さぁ、お戻りなさい。この地で遊べるのも限りがありますから」

「……っはい!」

「よろしい、とてもいい返事ですね」

 

 そう言った女は、最後にぽんぽんと理子の頭を撫でてから再び歩み始めた。遠ざかっていくその背中を、理子はいつまでも、いつまでも見つめていた。

 

 

 コツリ、コツリ、靴音を響かせながら赤髪の女は水族館から出た。その緩やかな足取りに近づく一人の男、その男に彼女は声をかけた。

 

「最後の仕込みは終わったよ」

「おう」

「じゃあ、私は一足先に本土に帰るから」

 

 彼女の携帯には一通のメールが届いていた。

 

「もしも、例の時間より私が遅くなってしまう時は――手筈通りに"殺して"」

「あぁ、分かった」

 

 その男――甚爾はニヤリとヴィランという名が相応しいかのように嗤う。

 

「嫌われ役は慣れてる」

「私はそんな貴方が好きだけどね」

「――ハッ、んな事何年も前から知ってるわ」

 



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薨星宮参道

 

 ――星漿体護衛任務、三日目の夕方。高専最下層、薨星宮参道にて。

 

 夏油傑は激昂していた。

 

 彼の目の前で、必死に「生きたい」と願っていた一人の少女は頭部を撃たれた。彼女は、自分の心に素直になって未来を望んだのに――。彼の脳裏には、二人で最強だと言っていた親友、星漿体に選ばれた以外は普通の女の子だった天内理子の笑顔、彼女を本当の家族のように愛していた世話係の姿が浮かんでいた。そして、彼は何も出来なかった自分に腹を立てた。

 

 せめて、せめて天内理子と、親友のために――目の前に立ちはだかる男を殺さなければならないと決意した。

 

 数々の呪霊を出しながら、夏油は甚爾との距離を縮めた。彼が使う[[rb:格納呪霊 > ぶきこ]]さえ押さえてしまえば勝てる、後は物量でなんとかすればいけると思っていた。

 

「終わりだな」

「オマエがな」

 

 だがしかし、ここで夏油にとって予想外の出来事が襲った。それは――甚爾と格納呪霊の間に主従関係がなりたっていたのだ。格納呪霊を取り込もうとした夏油は、逆に甚爾からの反撃を喰らい床へと倒れた。

 

「……思ったより張り合いがなかったな」

 

 呆気なく終わった戦闘に、甚爾はポリポリと頭を掻いた。天逆鉾を格納呪霊の中へ戻してから声を張り上げた。

 

「おい、もう来ていいぞ」

 

 そう言って物陰に隠れている人物へと声を掛けた。その声に、物陰の人物――黒井美里はチラリと首を出した。そして、目の前の光景に言葉を失った。

 

「……っり、理子様‼︎」

 

 まず最初に目に入ったのは、頭を撃ち抜かれ、絶命している大事な自分の主であった。縺れる足を叱咤くし、ノロノロと彼女の元へと駆け寄る。何度も転び、その身に小さな擦り傷を作ったとしても――彼女はその腕に、大事な家族を抱きしめた。まだ暖かい少女の体。流れる赤い液体が黒井の衣服を汚した。

 

「どうしてっ、……どうして!!」

「あー……そういえば、最悪プランになったこと言ってなかったな」

 

 泣き叫ぶ黒井。その姿に彼は自分がやらかしたことを悟った。後で澪花にシバかれるななどと思いながら、彼女へと今の現状を軽く説明した。

 

「星漿体はまだ死んでねえ、今は仮死状態だ」

「……か、仮死状態?」

 

 当時からの言葉と、天内理子の姿を見比べる。彼女の目に映る天内理子の姿は、全く仮死状態という言葉が信用できるような容体ではなかった。

 

「で、でもこの傷はどう考えても致命傷で!!」

「アイツを信用できないのか?」

「っ!」

 

 甚爾からそう問われてしまえば、黒井は何も返すことが出来なかった。彼女の中には、確かに神無月澪花という人間に対する"信頼"があったのだ。はくはくと口を動かし、何か言葉を出そうとして辞めた。

 神無月澪花という人物が信用する相棒がそういうのであるならば、きっとそうなのだろうと。彼女はそう自分に言い聞かせた。

 

「……分かりました」

「分かればいいんだよ」

 

 軽く腕輪回してから、甚爾は黒井へと声をかけた。

 

「……時間がねえな。おい、とりあえず今すぐこの場を離れる。お前はその小娘を抱えろ」

「わ、わかりました!」

 

 甚爾からの指示に、彼女はハッとしたように腕の中にいた少女を抱き抱えた。理子の血で汚れることも構わず、黒井はしっかりとその体を抱きしめた。決して二度と離すものかと誓いながら。

 

「外には俺が放った蠅頭がわんさかいる、上が混乱している今のうちに脱出するぞ」

 

 彼女は小さく頷いてから、そっと視線を床に倒れ込む夏油へと向けた。

 

「あ、あの……」

「なんだ?」

「五条様と、夏油様は……」

 

 理子が仮死状態と仮定し、次に来なることと言えば彼らの安否の結果だった。血を流し、力なく倒れ込む姿は誰がどう見ても大丈夫じゃなさそうだった。

 

「あぁ、コイツらか。生きてるよ」

「そうですか……よかった」

 

 生きているという言葉に、黒井は胸を撫で下ろした。黒井にとって、五条と夏油は信用出来る人間だったのだ。それを自分が雇った組織によって殺された時には――きっと彼女は深く後悔していたことであろう。

 

「おい、早く行くぞ」

 

 甚爾はそう言ってエレベーターの方へと向かっていった。そして、黒井もまた彼の背を追いかけ薨星宮参道を後にする。エレベーターに乗り込む間際、黒井は小さく呟いた。

 

「……ごめんなさい、皆様」

 

 ガシャリとエレベーターの扉は閉じられた。

 



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最強

 

 黒井美里はあの後高専の裏口に待機していたおネエ様が運転する車で、とある場所へと向かっていた。車で目的地へと向かう道すがら、今までの話と今後の話について聞いた。

 

 まずは、組織のボスである神無月澪花についてた。彼女は星漿体の身代わりとなるモノの完成を持ち、高専へと取引に赴く予定なのだそうだ。だから彼女はこの場には現れず、ようやく出来たそれを持って高専へと向かったらしいとおネエは言っていた。

 

 甚爾が天内理子へと撃ったのは、体質改造の弾丸。星漿体という役割からの解放の為、彼らはそのアイテムを開発した。そして今黒井の腕の中でぐったりしている天内理子は、一旦死んだ。そして澪花が渡したペンダントに施された仕掛けによって、彼女は仮死状態で今止まっている。今彼女達が向かっている場所に、理子を蘇生させるために医療課の人々が待っているという。

 

 そして、薨星宮参道でわざと夏油傑の前で理子を撃った理由は保険だった。半殺しにした生徒たちが、目の前で天内理子は死んだと証言すれば、高専からの追手の数は減るだろうという理由だ。ちなみに甚爾が生徒を半殺しにした理由は、半分は戦闘狂の側面が出たこと、もう半分は彼らがなんかよく分からないけど癪に触ったからだと言うことを言っておこう。

 

 彼らからの説明を全て受けた頃、車はとある建物の前で止まった。甚爾と黒井と理子は車から降りる、まだ仕事があるというおネエはそのまま車を発進させ、その場には三人だけが残された。

 黒井は大きな建物を見上げながら、問いかけた。

 

「ここは?」

「盤星教「時の器の会」の本部〝だった"場所だ」

「だった?」

「盤星教は一昨日俺の相棒の怒りを買って社会的に殺された」

「しゃかいてきに」

「非術師が多い団体は、そうやって社会的に殺すのが1番効果的だからな」

 

 何ともないように言っているが、社会的に殺すのも容易くないのではと黒井は思ったがそっと黙った。彼女は裏の事情にツッコむのは良くないよなと思っての行動だった。

 

「さっさと小娘を連れて中に入れ、中でウチの奴らが待機してる」

「ガオガオさんは……」

「…………」

 

 甚爾は、ごく真面目な表情で『ガオガオさん』なんて呼ぶ黒井に一瞬固まった。黒井は黒井で甚爾の名前を知らなかった、車に乗る間際におネエが彼のことをガオガオ君と呼んでいたので、それが彼の名前だと思ったからだ。

 そして、その行動によって今まで全てシリアス風に来ていたのに一気に台無しになった瞬間でもある。しかし、甚爾は空気の読めるいい男なのでスルーすることにした。

 

「俺は多分まだ仕事がある」

「仕事?」

「五条の坊と、呪霊操術を使うガキを半殺しにしたんでな。仕返しに来る確率が高ぇ」

「じゃあ、私もここに残って彼らに説明した方が――」

「要らねえ」

 

 黒井の申し出に、甚爾ははっきりと拒否した。「どうしてですか!」と声を荒げる彼女に、甚爾は面倒臭そうにこういった。

 

「星漿体は、お前の家族なんだろ」

「っ!」

「こいつは頭ぶち抜かれて一回死んでんだ。起きた時に"家族"が傍にいた方がいいだろ」

 

 これは彼なりの気遣いだったのだ。

 

「……分かり、ました」

「ほら、さっさと行け」

 

 甚爾からの言葉に黒井は頭を下げ、理子を抱え直し建物の中へと急いで入っていった。彼女が建物の中へと消えたのを確認してから振り返る。

 

 

 

 ――遠くに、人影が見えた。

 

 

 

「よぉ、久しぶり」

「……やっぱりな」

 

 彼の前にふらりと現れのは――五条悟だった。

 

「だが、復活すんの早くねえか?――あぁ、反転術式か」

「正っ解っ‼︎」

 

 甚爾の予想よりも早い復活に、彼が反転術式を取得した事を悟った。

 

「今まで論理だけは頭で理解してるつもりだった、でも今までできたことねーけどな」

 

 反転術式を取得した彼は、一周回ってとてもハイになっていた。

 

「だけど、今回ボコボコにされて掴んだ――呪力の核心‼︎」

 

 聞いてもいない事を一人でペラペラと喋る五条に甚爾は厄介なことになったなと確信してしまった。

 

「オマエの敗因は俺を首チョンパしなかったことと、しっかり俺にトドメを刺さなかったこと」

「……敗因、か」

 

 元々殺すつもりもなかったけどな、という言葉を彼は飲み込んだ。彼は愛しい妻の考えた作戦の為に憎まれることを選んだ。そのことに後悔も、悔いもないのだから。今更言い訳をするなんてらしくねえと吐き捨てた。

 

「五条の坊、新しい力が手に入ってテンションが上がってんなら――俺が相手してやるよ」

「あ――やってもらおうじゃねえか!」

 

 甚爾は、格納呪霊の中から先ほども使っていた特級呪具「天逆鉾」を取り出した。大きく踏み込み、あっという間に五条悟との距離を詰める。甚爾の流れるような剣裁きを退けながら、五条悟は指で印を組んだ。

 

「術式反転――「赫」」

 

 五条悟の指先から、衝撃波のような力が真っ直ぐ甚爾を射抜く。凄まじい衝撃音と共に、彼は吹き飛ばされ建物に激突する。

 

「ハッ、化け物が」

 

 その瓦礫から立ち上がった甚爾は、多少の怪我はあるものの骨すら折れていなかった。

 

 引き寄せる力である順転術式「蒼」、弾く力である反転術式「赫」。その二つの性質を理解してしまえば、その対処方を編み出すことなど甚爾には簡単だった。その二つの力に対処するために、甚爾は呪具『万里ノ鎖』を取り出し、天逆鉾へと取り付けた。リーチを得た逆鉾さえあれば、自分の負けなどあり得はしないと――確信していた。

 

 うっすらと脳裏によぎり始めた"違和感"と言う言葉。

 

「……いや、これでいい」

 

 ――澪花(あいつ)はきっと、一人で戦っている。だから俺も、こんなガキ相手に逃げるわけにはいかねえ。好きな女の目に映る俺の姿は、いつでもかっこいい姿を見せたいからな。

 

 ジャラリと万里ノ鎖が音を立ててしなる。

 

「捻り潰してやるよ」

 

 逆鉾を振り回す伏黒甚爾。その脳裏に今も色濃くよぎる〝違和感”を見ないふりをした。

 

 五条悟は無下限を使い空へと浮かび上がる。彼にとって自分の新しい力が、この高揚が、この世界がただただ心地よかった。目の前に立ちはだかる確かな強敵。その敵を打ち倒してこそ、自分は最強へとなれると――そう確信していた。

 

「――天上天下、唯我独尊」

 

 ――五条家の中でも、ごく一部の人間にしか伝わっていない無下限術式最終奥義。"順転"と"反転"、それぞれの無限を衝突させることで生成される仮想の質量。それを押し出す術、それが――。

 

「虚式――「茈」」

「――……っ!」

 

 辺り一体に、耳をつん裂くような破壊音が響いた。



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幕間「マグロ漁師の帰宅」

 甚爾は久方ぶりに子供達とばあやが待つ家へと帰還した。ガラガラと玄関を開け、家の中に入ればちょうどトイレに行ってきた津美紀が甚爾の姿を捉えた。

 

「あ、お父さんだ!」

 

 津美紀のその声に茶の間から恵も顔を出す。久しぶりにみる父親の顔にパッと笑顔になって駆け寄っていった。

 

「おかえりなさーい!」

「おいガキ共、人の体によじ登るんじゃねぇ」

 

 わーい、わーいとテンションの上がった子供達は、まるで遊具のように甚爾の体へとよじ登り始めた。ちょろちょろと体をよじ登る子供達に元気だなぁと、そのまま子供を引っ付けたまま茶の間へと入っていった。

 

「わー!!」

「たのしー!!」

「……ったく、人で遊びやがって。誰に似たんやら」

「確実にお嬢様でしょうね」

 

 茶の間へと入れば、こたつに入りながら編み物をするばあやの変わらない姿があった。

 

「よぉ、ばあさん」

「お帰りなさいませ、甚爾さん」

 

 お茶でもいかがです?というばあやの問いに、じゃあ貰うわと返してから自らもこたつへと座った。人の体を遊具のようにして遊んでいた津美紀は、甚爾の膝へと寝転んだ。津美紀の柔らかい髪を梳いてあげていると、彼女はキョトンとした顔で問いかけた。

 

「ねぇねぇ、お父さん!」

「あ?」

「マグロどこ??」

「…………は?」

 

 甚爾は津美紀からの問いかけに固まった。どうして突然マグロの行方を聞かれなきゃならないんだ? というか、なんでマグロなんだと。甚爾はそう声に出したかった。でも、津美紀のキラキラした瞳の前ではそんなことは言えなかった。

 

「ねえ、お父さんマグロとりにいってたんだよね!」

「おふねでどんぶらこ!」

「…………おい、ばあさん」

 

 子供達の言葉に、なんとなく事態を察知した甚爾。すぐに事態の戦犯であるばあやへと視線を向ければ、ニコニコと私何も知らないですよ〜と言いたげな表情でお茶を持ってきた。

 

「お父さんは、マグロ全部売ってきちゃったから持ってないんですよ」

「え〜! つみきマグロ見たかった!」

「なんでもってきてくれなかったの!」

 

 甚爾は迷った。子供達の夢をぶち壊していいのか、と。――そして彼は決意した。

 

「あー……今度、な?」

 

 不本意ではあるが、マグロ漁師設定に乗ることを。

 

「わーい!マグロ!」

「たのしみ!」

 

 甚爾は、果たしてこの決断が正しかったかなんて分からない。でも、ひとまず子供達の笑顔が見れたことに安堵すればいいのかと思いながら茶を飲んだ。

 

 

 

 この後、子供達がル○ン三世の峰不○子を見ながら、「おかあさん!」といい笑顔で言っているのを聞いて爆笑する甚爾であった。余談ではあるが、澪花の元に帰った甚爾は暫く澪花のことを不○子と呼んで一人爆笑したし、呼ばれた本人はさっぱり意味がわからず首を傾げていたそうだ。

 



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第六感

 ようやく、星漿体の身代わりのヒトガタが完成した。時刻は夕方、ちょうど保険代わりに甚爾が理子ちゃんを射殺する作戦を実行する時間だった。

 マッドさんと貴腐人さんからヒトガタを受け取り、感謝の気持ちを伝えていたその時――。

 

「……ッ!」

 

 尾てい骨辺りから首元までをゾワゾワとした感覚が駆け巡った。このなんとも言えない嫌な予感は、何か……取り返しのつかない大変な事が起こりそうな予感だった。

 この何とも断言できない第六感のような感覚に思わず腕を摩っていると、貴腐人さんは私の変な様子に声をかけてきた。

 

「推し様?」

「……あぁ、ごめんなさい。ちょっとボーとしちゃって」

「大丈夫ですか?」

「大丈夫、こらからが私の仕事だから」

 

 そうだ、私はこれから"これ"を持って宣戦布告をしに行かなければならないのだ。そんな大事な役割が待っているのに、こうしてボーッとしているだなんて彼らのボスとして相応しくない。

 

「でも、私達には1番あなた様の健康が――」

 

「バッハー!! フゥー!!」

 

 突然の発狂マッドさん。人って寝不足になるとこんな風に訳の分からないテンションになるんですね。私、学びました。

 

「……」

「……」

「マッドさん、寝かしつけてきますね」

「はい、お願いします……」

 

 とりあえず、彼にはしばらくゆっくりと休んでもらおう。私はそう心に誓って、彼の研究所を後にした。

 

 そして、高専へと向かうために、駐車場に止めてあった車に乗りこみシートベルトを締めた。未だ胸の中を燻る"嫌な予感"は消えることなく蝕んでいる。

 

「私は……彼らの頭領。ここで確認のために甚爾の元に行くことは……出来ない」

 

 きっとこの胸を蝕む嫌な予感は、私の唯一無二の相棒の事だろう。きっと彼は、彼に託した任務を全うして星漿体を連れ出してくれるだろう。でも――その後はどうだ?

 もしかしたら、軽くボコボコに五条の坊ちゃんや、そのお友達の子が仕返しに来るかもしれない。彼らが昨日までに見た実力のままだったら、きっと甚爾は勝てる。でも、"もしも"逆行を乗り越え、新しい力を手に入れていたら――。果たして甚爾は勝てるのだろうか?

 

「……信じ、ないと」

 

 甚爾の事はもちろん信頼している。それでも、この胸に消えない炎のようにジワジワと不安を煽る気持ちに蓋ができない。

 

 私は、一体どうしたらいいのだろうか?

 

 そう自問自答しても、答えは出ない。彼に対する信頼のために、私はこの第六感を無視するように頭を振ったその瞬間。

 

『本当に後悔しないですか?』

 

 ふわりと、滝夜叉姫が姿を現した。

 

「……滝夜叉姫」

『主様が後悔しないなら、わたくしは引き止めはしません。ですが、自らの予感を信じるのもまた実力』

 

 彼女はそっと私の手にその手を重ねた。

 

『わたくしはもう二度と、あなたの大事な物を亡くしたくはありません』

 

 脳裏に思い浮かぶのは、あの日の母の姿。

 

「長い物には巻かれなさい」

 

 そう言って私の未来を案じてくれた母。自らの死期が近い事を悟りながらも、子供のために立派にその道を示してくれた大好きな母様。

 

 私はもう、二度と大切な人を失いたくない。

 

「――行ってくる」

 

 私は覚悟を決めて車のアクセルを踏んだ。

 



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最強と最強夫婦

 五条家の中でも、ごく一部の人間にしか伝わっていない無下限術式最終奥義「虚式――「茈」」。"順転"と"反転"、それぞれの無限を衝突させることで生成される仮想の質量を押し出す術。

 

 それは、禪院家に生まれた禪院甚爾さえも知らない技。

 

 五条悟はそれを"分かっていた"。甚爾は禪院家の生まれであり、どうして今までこんなに実力があったとしても表舞台に出てこなかったのか。それはきっと彼は呪力を全く持たない天与呪縛を受けた者であり、呪力や術式を持たない者は、"才能が大好きな"禪院家では人権が無いものだという事も想像がついた。

 でも、五条にとってそんな事はどうでも良かった。この最終奥義を持って目の前に立ちはだかる伏黒甚爾(強力な敵)を倒すことにしか目がいってなかったからだ。

 

「虚式――「茈」」

 

 甚爾が反応するよりも早く、それは彼の左腕あたりに向かって真っ直ぐ突き進む。彼がそれを天逆鉾で打ち消すよりも早く、彼の目の前に躍り出た赤が一つ。

 

「怨霊操術――『クロユリ』」

 

 彼女の足元の影から勢いよく飛び出し、彼らを守るように立ちはだかったのは特級怨霊。

 

 その特級怨霊は茈を受け止めはしたが、その勢いに負け相打ちという形でその姿を消した。はらはらと怨霊だったものが消えおちる中、ここにいるはずのない赤髪の女に――甚爾は問いかけた。

 

「っ澪花、どうしてここに」

「なんとなく、嫌な予感を感じてね」

 

 彼に向かって振り返る女、神無月澪花は間に合ったのだ。己の相棒を失う運命の局面に――。

 

「……馬鹿だなぁ」

 

 甚爾は、そんな彼女の姿になんとなく安心感を覚えた。彼にとって最初で最後の相棒であり、愛しいく、共に在るべき存在。まるで自分の半身のような彼女と共にあるならば、彼はきっとこの覚醒した呪術師にも負けはしないだろうなと漠然と感じた。

 

 甚爾の中に巣食っていた"違和感"はなりを潜めた。

 

「この背は頼んだよ、相棒」

「わかってるわ」

 

 彼らは二人で並び立つ。だって、正真正銘彼らは相棒同士なのだから。

 

「チッ、邪魔」

 

 五条は、確実に甚爾にトドメを刺すために茈を放った。

 しかし、予想外の乱入者に眉を顰めた。彼の茈を止めるために放たれた特級レベルの怨霊の召喚。特級怨霊を操る女、それは確実に彼女が自分と同等のレベルの術者という事実を実感させられた。

 

 五条は反転術式を取得したことによって最強になったという自負はある。しかし、自分と同等レベルの術者二人と闘うには、少々骨が折れるなぁと五条は相変わらず空に浮かびながら思っていた。

 

 そんな五条に、彼女は問いかけた。

 

「君は、五条君だよね?」

「そうだけど何、おばさん」

「お、おばさん……」

 

 五条からの「おばさん」という言葉に、澪花はショックを受けた。彼女は自分はまだお姉さんの枠組みだと思っていたのに、年下の高校生からのおばさんという評価に現実を突きつけられたのだった。まぁ実際のところ、邪魔が入ってイライラした五条が嫌がらせのつもりでおばさん呼ばわりしただけではあるが……。まぁ、彼女はそんな事を知るわけも無い。

 

「おいおい、うちの峰不〇子に何言ってるんだよ」

「……ハ?」

「こら! そのネタはもういいでしょ!!」

「あぁ?」

「ガンもつけない!」

 

 今までのシリアスな展開をぶち破り、突然始まった夫婦漫才。そんな場違いな雰囲気に、五条はボーッと新顔の女の顔を見てみる。なんだか、その顔に見覚えがあるような無いような気がしてきた。

 

「……オマエ、どっかで見た事ある顔だな」

 

 澪花は、五条悟と会った記憶はない。神無月家は御三家のどの派閥にも所属しない中立的な立場。あえて言うなら、学生時代甚爾の同級生だった為か、何度か禪院家にはお邪魔したことはあるが、五条家には行ったことがなかった。

 

「いや、私は初めてあったけど……」

 

 甚爾は、クソガキが人の嫁をナンパしてるななんて場違いなことを思っていた。彼は正妻の余裕で、全くもって五条悟(クソガキ)に嫁を取られるなんて思ってはいなかったが。

 澪花からそう返された五条は、興味がなさそうに「ふーん」なんて返す。、向こうから聞いてきたのに、もう興味がないですと言った態度に、ちょっと澪花はカチンときたがいい大人なので水に流すことにしてあげた。

 

「で、所でオマエ何者?」

「私は、神無月澪花だって言えば分かるかな?」

「あぁ、例の上に呪詛師認定された特級怨霊憑き?」

「そうそう、その怨霊憑きだよ」

 

 澪花は呪詛師に認定される前から特級呪術師&怨霊憑きだったこともあり、その名は有名だった。大体の人間、特に御三家の人間であるならば彼女の名前は知らないわけはなかったのだ。

 

「で、その呪詛師が何の用だよ? オマエも「Q」みたいにアイツの命狙ってたのかよ」

「いいえ、私達は違う。むしろ逆、彼女を助けたいと思ってた人間だよ」

 

 澪花からのその言葉に、五条は米神をヒクりと動かした。一体どの面さげてそんな事を言うんだ、とすら思っていた。彼女とその隣に立つ甚爾の様子から、彼らは仲間であることは確かだ。

 五条の親友である夏油は言った「あの男が、理子ちゃんの脳天を撃ち抜いて……彼女は死んだ。私は……何もできなかった」そう悔しそうに。親友が嘘を言うわけがないし、あの場には大量の血痕が残され、天内理子の遺体は消えていた。

 

「ハッ、んなもん言い訳じゃねえか。実際にアンタの隣にいるおっさんは、天内の事殺したじゃねえか」

「彼女は死んでなんか居ないよ」

 

 彼女の嘘に、五条の中から忘れかけていた怒りという感情が沸々と湧き上がる。

 

「――寝言は寝て言えよ」

「寝言なんかじゃない。例え怒っていたとしても、君はもっと周りに目を向けた方がいいよ」

「はァ?」

 

 五条はもう一度その手を構えた。確実に目の前にいる二人を殺すために。

 

「――死ねよ」

 

 五条は、もう一度茈を打つために指を彼らへと向けた。

 

「甚爾」

「おう」

 

 甚爾と澪花もそれに対処するために身構える。

 

「順転術式――「蒼」」

 

「蒼」の引き寄せる力が彼女達を襲うが、甚爾はその力を天逆鉾を使い打ち消す。

 

「反転術式――「赫」」

「――ヒガンバナ」

 

 「赫」の弾く力は、澪花が使役する怨霊を盾に使うことにより甚爾の天逆鉾を防御に回すことなく防ぐ。彼女達は、互いの長所と短所を分かり尽くしていた。言葉を伝え合わなくても、自分が動くべき行動が手にとるようにわかっている。澪花は甚爾を信頼し、甚爾もまた澪花を信用する。彼女達はそうしてずっと学生時代の頃から共に戦ってきた。

 

 五条からの止むことない攻撃ラッシュ。その最中、彼女は甚爾の力を借りて大空へと飛び上がった。そして、その体は空中に浮かび上がる五条の前へと現れる。

 

「私達は、彼女を助けるためにあの場所にきた。――その言葉に嘘偽りはない」

 

 ご丁寧に目の前に飛び上がってきた澪花に、五条はニヤリと笑った。空中では、彼女が影から怨霊を呼びその身を盾にする速さよりも、彼の術が彼女の体を貫く方が先だろうと。

 

「――ハッ、嘘つきは死ねよ」

 

 絶体絶命的な状況に、彼女は笑った。そんな彼女の唇が「おかえり」と動いた。その謎の行動に五条は眉を顰めたが、己のやるべきことを遂行するためにそのまま指で印を組んだ――その瞬間。

 

「もうやめてッ――!!」

「――は?」

 

 この場で聞くことのないはずの声が、五条の耳に確かに届いた。その声にゆっくりと下に視線を向ければ、そこにいたのは――死んだはずの天内理子とその世話係の黒井美里だった。

 もう二度と生きて会うことがないと思っていた人物との再会。その予想外の出来事に五条はその目を見開いた。

 

「――っ、あま、ない……」

「ね、あの通り無事でしょ?」

 

 地面に降り立った五条と澪花。信じられないものを見た五条は、「どうして」と震える声で尋ねた。その声を受けて黒井はそっと前へと歩み出し、その頭を五条に向かって深々と下げた。

 

「五条様、大変申し訳ございません……。全ては、私がお嬢様を助けるために、この方達にお願いしたことなんです」

 

 その言葉に、五条は頭をぶん殴られたかのような衝撃に襲われた。

 

「私達は黒井さんに頼まれた通り、星漿体である天内理子ちゃんを助けるためにこの数ヶ月ずっと準備してきました」

「……傑が、確かに天内は脳天ぶち抜かれて死んだって」

 

 目の前の光景と、親友の証言。その意見の食い違いは、彼の中で大きな齟齬を生み、目の前の現実を受け入れられずにいた。そんな彼に、澪花はこう続けた。

 

「甚爾が理子ちゃんの脳天を撃ち抜いたのは本当です」

「俺が撃った銃弾は、体質だか遺伝子情報か忘れたがとりあえず星漿体を使い物にできなくする弾だ。そのガキはもう星漿体としての役割は果たせねえよ」

 

 甚爾からのその言葉に、理子は小さく頷いた。そして、申し訳なさそうに五条の前へと立った。

 

「……役目を果たせなくてごめんなさい。でも、――星漿体(とくべつ)じゃなくなった事に、後悔だけはしてないんだ」

「……」

 

 彼女のその目は、もう悩んでいた星漿体(天内理子)の姿ではなかった。

 

「……はぁーあ、俺達の頑張り損じゃねえか」

 

 彼女のそんな顔に、五条はやってられねーと言ったようにその頭を掻いた。癪に触る点もあるが、天内理子は生きているし、黒井美里も無事だ。この事実は五条にとって最悪の事態にはなっていない証拠だった。

 今までハイになったテンションが、スッと元の値まで戻った。冷静に物事を判断できるようになってきた頭の中で、彼は澪花へと問いかけた。

 

「つーか、なんでオマエらが天内の為にそこまでしたんだよ」

 

 五条にとっての疑問。それは、こんな面倒臭い事を、どうして他人とも言える彼女たちの為に行ったかと言う事だった。星漿体として活動できなくさせるための銃弾、高専(自分たち)の護衛を振り切って天内理子を奪還する手腕。これらは並大抵のもので取得できるものではない。そんな五条に、澪花は答えた。

 

「そんなの――腐ったミカン(上層部)に嫌がらせしたいからに決まってるでしょ」

 

 その顔は、ヴィランと呼ぶにふさわしいものだった。

 

「……――プッ、っぁははははははは‼︎ アンタ最高じゃん、人助けって言われるよりよっぽど信用できるわ」

 

 そんな澪花の態度に、五条は爆笑した。いかにも呪術師らしい理由に、よっぽど人間らしさを感じたからだ。肩を震わせヒィヒィいと笑い転げる五条に、澪花は自分と近い何かを感じた。そんな五条に向かって、今度は澪花が問いかけた。

 

「ねぇ、老害(おじいちゃん)って好きかな?」

「もちろん――大っ嫌いに決まってんじゃん」

「奇遇だね、私も大っ嫌いなんだ」

「へー、おっさんの連れにしては中々趣味悪くねぇじゃん」

 

 二人の間には、シンパシーのような何が芽生えた気がした。この分だったら、彼にあの取引のことを持ちかけてもいいのではないかと彼女は思い、そして決断した。

 

「ねぇ、五条君。私と協力関係を結ばない?」

「あぁ、協力関係?」

「そう」

 

 彼女は、高専側にいる人物で協力関係を結べる者を探していた。それも普通の立場ではなく、できるだけ御三家に近く、それなりに発言力のある人物の協力者だ。

 五条悟は、彼女が求める理想の人物である。御三家の人間であり、数百年ぶりに生まれた"無下限術式"と"六眼"の抱き合わせ。そして、先程の戦闘ではその実力を痛いほど実感した。きっと彼は本当に近い将来特級呪術師へとなるだろう。

 

「君はこのままでいいと思ってるの?」

「思わねえよ」

「でしょ? 私も同じ考えなの」

「……同じ考え同士なら、協力した方が効率的って事か」

「その通り」

 

 澪花からの提案に、五条は考え込んだ。この神無月澪花という人物が信頼するに値するか、それともうまい事言って自分をたぶらかそうとしているのか――。

 そして、彼は自分の目を信じて決断した。

 

「その提案――乗ってやっても良いぜ」

 

 この神無月澪花という女の提案に乗ることを。

 

「よろしくね、五条君」

「おう」

 

 ここに、彼らの間で協力関係という名の縛りが成立した。

 

「ところで、無理を承知というか、ちょっと面倒臭い事を一つだけお願いしたいんだけど――」

「あ? 何だよ」

「私と甚爾の子供のことをお願いしてもいいかな?」

 

 彼女の口から出た、突然の子供の話。

 

「は?」

「えぇー夫婦!?」

「こ、子どももいるんですかぁ!?」

 

 その子供の話題に、彼らは三者一様の反応を見せた。五条は会ったばかりの学生に、自分たちの子供を預けるなんて可笑しい奴らだと思ったし、こいつら出来てんのかよと思っての反応だった。しかし、一番最初に彼女達に接触しているはずの黒井さえも五条と同じように二人が夫婦で、子供もいるという事実に驚いていた。

 

「おい、五条の坊に頼んでもいいのかよ」

「だって、現状一番信頼できそうなのは彼でしょ?」

「だからってよりによってコイツかよ」

「しょうがないでしょ、彼が絶対一番最適解な気がするもん」

 

 「もんじゃねえよ、もっとよく考えろ」なんて言いながら嫁を小突く甚爾と、「ちょっと、これ以上少ない脳細胞死滅させないでよ!」と言いながらムスッとする、そんな二人の突然のイチャイチャタイムに五条は「オエー、バカップルじゃねえか」とえずいた。この夫婦、直ぐにイチャイチャする万年新婚夫婦であった。

 

「あ、あの……」

「どうしました、黒井さん?」

「お、お二人って……夫婦だったんですか?」

「うーんと、元というか……何というか」

 

 偽戸籍の際に結婚してました。なんて、複雑すぎる状況説明をしていいのか彼女は迷ったので、曖昧な表現方法となった。

 

「今は厳密にいうと戸籍は一緒じゃねえ、でも精神的には今でもこいつは嫁だよ」

「精神的には嫁って……、このおっさん頭イカれてんじゃん」

「あぁ? 何だと」

「こら、甚爾やめなさい! こちらにも色々と事情がある訳で……」

「ねぇねぇ、私子供の写真みたい!」

「私もぜひお二人の子供の写真みたいです!」

「えぇっ! ちょっと、無いけど……」

「あ? 俺の携帯の中にあるぞ」

「本当! 見る!」

 

 この場はカオスな空間へと早変わり。ほんの数分まできっちりシリアスな雰囲気を纏っていた筈なのに、あっという間にシリアルな雰囲気へと変わってしまったのだ。

 

 その数分後。

 

「ちょっとアンタ達! いつまでそんな所でブラブラやってんのよ!!」

 

 そう言ってヒールを鳴らしながらやってきたおネエ様により、一行は茶でも飲むかと元盤星教の本部へと入っていったのであった。



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ぎゃふん

星漿体事件編はこれにて終了!





 夜の呪術高専の校舎の中に、私と甚爾の影がゆらりと揺らめいたいた。甚爾は元より呪力を持たない人間なので、高専の結界に弾かれることも気づかれることも無い。呪力を持つ私も、貴腐人さんが作ってくれた呪力を封印する呪符のお陰で透明人間のように侵入することが出来た。

 

 そんな私達は、久しぶりに高専時代の恩師の元へと宣戦布告をする為にやってきた。本当は私一人で来るはずだったのだが、甚爾に「俺も久しぶりにセンセイの顔を見てやる」と押し切られてしまった。

 協力関係となった五条君から、夜蛾先生は春から学長になる事が決定しているらしいと話を聞いたので、今回我ながら話し相手にナイスチョイスをしたものだと自分を褒めたものだ。

 

 そんな事を思っていれば、あっという間に職員室へと来た。扉のガラスの部分を覗いてみれば、そこには頭を抱えた夜蛾先生の姿のみがあった。その姿にグッと親指を立てれば、甚爾も同じようにグッと親指を立てた。

 そして、私達はガラリと扉を開け中に入る。

 

「……お前達は」

 

 扉の音に気付き、こちらを振り返る夜蛾先輩。その目が驚きに見開かれる。

 

「よぉ、センセイ」

「夜蛾先生、お疲れ様です」

「……神無月と禪院か」

「はい、神無月澪花です。こうしてお会いするのも随分久しぶりですね」

「俺はもう禪院じゃねえけどな」

 

 卒業して以来なので、少なくても6年以上は経っている。久しぶりに見る先輩の顔は、昔と変わらず強面のままだった。

 

「そうだな……神無月、お前は本当に呪詛師になったのか?」

 

 夜蛾先生の問いかけに、私はゆっくりと首を横に振った。私はこの人生、一度だって一般人を手にかけたこともないし、呪詛師になんて協力した覚えもない。

 

「なるわけないじゃないですか」

「確かに、お前はそういう奴だ」

「さっすが俺らのセンセイだなぁ」

「ねー」

「……はぁ、お前達のその舐めた態度も随分久しぶりだな。で、お前達はどうして今日ここまで来たんだ?」

 

 夜蛾先生の態度が、ガラッと変わる。今まで私達の知っている夜蛾先生だったが、今は高専の教師であり、呪術師である夜蛾正道という男のものに。

 その態度に、私はスッと背筋を伸ばしてこう答えた。

 

「今日は、私が立ち上げた組織の代表者として――高専(そちら)とお話に来ました」

「組織、だと?」

「私達は高専とも違う独自の組織を立ち上げました。そちらの上層部は頭が硬い、今時星漿体(いけにえ)制度なんて、現在の倫理的にも時代遅れです」

「――まさか、お前達!」

 

 私が言おうとしたことを察して、彼はこちらに吠えるように声を荒げた。

 

「えぇ、貴方達が死んだと思っている星漿体、天内理子は私達の研究した体質変更薬によって体質が変わりました」

「――っ!」

「よって、天元様との同化は不可能となりました」

「……何を、やってるんだ」

「おいおい、センセイ。人の話は最後まで聞いてやれよ」

「そうですよ、学生時代散々私達に言ってたじゃないですか」

 

 「……はぁ」とため息をついてお腹を摩り出した夜蛾先生。その様子に首を傾げつつも、私は胸とからそっと一つの人形を取り出した。

 

「星漿体の体質変更の薬とともに、発明したのがこちらのヒトガタです」

 

たたらたったら〜と某猫型ロボットが秘密な道具を紹介するかのように掲げれば、「真面目にやれ」と甚爾に突っ込まれてしまった。ごめん、ついついネタを挟まないと死んでしまう病が出てしまって。

 

「これには、限りなく天内理子とほぼ同じなデータが詰まっています。本人が同化するより多少は落ちますが、人間を抹消するよりはマシだと思いますよ?」

 

 人間の星漿体がどうかすれば、数百年は持つだろう。だが、我々の開発したヒトガタでは精々百年ちょっとが限界だろう。だが、倫理的に考えてどっちがマシかなんて月とスッポンだろう。

 

「信用出来ない気持ちは分かります。でも星漿体を失った高専(あなたたち)に選択肢は残されていると思いますか?」

「……」

「まぁ不安がある気持ちは分かります。だって、私は呪詛師と言われた女ですからね」

 

 呪詛師として死刑判決を受けて、今まで逃げてきたのもまた事実。そんなやつから貰った物を信用できる訳がないのも分かっている。

 

「だから、今回はこちらを差し上げます。そちらで好きに調べて頂いて構いませんし、捨ててもらっても構いません。まぁ、星漿体を失ったそちらに"その覚悟がある"ならの話になりますが」

「……何が望みだ?」

「私が望むのはこの呪術界(せかい)の革命、それだけです」

 

 別に大金が欲しいとか、地位が欲しいとか、そういった事のために動いている訳ではない。今回私達が立ち上がったのは、全てはあの腐った上層部にギャフンと泣きっ面をかかせてやりたかったからだ。

 

「これは私達からの挑戦状。呪術界から切り捨てられたゴミである私達が、この世界を変えるためのはじめの一歩。夜蛾先生、どうか上によろしくお伝えくださいね」

 

 ニコッと笑ってから、夜蛾先生へとヒトガタを投げる。先生は私の投げたそれをしっかりと受け取った。

 

「という訳で、今日は宣戦布告でした! お付き合い頂きありがとうございました」

「……はぁ、お前も随分自分の気持ちに素直になったな」

「はい」

「これは私個人的な意見だが……良かったと思う」

 

 そういった先輩は、昔のように呆れたような表情だったが、その表情から本当に私を心配してくれていることがわかった。

 

「さっすが俺らのセンセイだな」

「ふふ、やっぱり先生は優しいですね」

 

 くすくすと甚爾と笑い合っているところで、そういえばもう一つ先生にやってもらいたいことがあったことを思い出した。

 

「あ、ところでおじいちゃん達の代わりに「ぎゃふん」って言ってもらってもいいですか?」

「は??」

 

 何で??と言いたいばかりに顔を歪めた先生に、私たちはしつこくギャフンコールをしたのであった。(最終的に私達のしつこさに負けてものすごく小さい声で「ぎゃふん」と言ってくれた)(ありがとう先生、大好きです)

 

 

 東京から離れた地に、一人の目立つ青年が立っていた。それに対するのは、小さなくせっ毛の黒髪のショタであった。

 

「伏黒恵君だよね?」

「お兄ちゃんだれ? どうしてそんなすごい顔してるの?」

 

 黒髪のショタ、伏黒恵の前に立ちはだかる長身の青年――五条悟はその端正な顔を歪ませ、まるですごい物を見たような顔をしていた。

 

「いや、あのおっさんにソックリだなと」

 

 五条は、想像の1000倍おっさんこと伏黒甚爾にソックリすぎる子供の顔を見て、峰不○子の遺伝子どこに行ったと思っていた。

 

「もしかして、お父さんの知り合い! じゃあお兄ちゃんもマグロ漁師なの?」

 

 こうして、伏黒ピュア恵からの突然の腹筋へ「伏黒甚爾、職業マグロ漁師」攻撃に――五条悟の腹筋は死んだのであった。

 



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幕間「ばあや仕込みの声援」

 伏黒甚爾は、フィジカルギフテッドにより身体能力が強化された男である。呪力がない彼の武器は己の肉体。彼は守るべき存在を守るために日々の鍛錬を怠らない。

 それは、子供達とばあやが待っている実家に帰っても変わることの無い日課であった。

 

 そんな訳で、彼は子守りのついでと称して重石替わりに息子の恵をその背に乗せ腕立てをしていた。

 一回、二回、三回、彼が腕立てをする度キャッキャと楽しそうにその背の上で声を上げる恵。そんな恵の姿を見ていた津美紀は、ふと思い出したかのように声を上げた。

 

「めぐみ、練習したあれやるよ!」

「うん!」

 

 甚爾は「何の事だ?」と思いながら、そのまま腕立て伏せを続けた。すると子供達は――。

 

「しあがってるよー!」

「しあがってるよー!」

 

 謎の掛け声をかけ始めた。

 

「ふっきん、いたちょこー!」

「ばれんたいん!」

 

 甚爾が腕を曲げ、地面スレスレまでその大きな大胸筋を近づけ、そして腕を伸ばし地面から大胸筋が離れていく。

 

「だいきょうきんが歩いてる!」

「せなかにはねがはえてるよー!」

 

 そして、続く子供達の謎の声援。

 

「とれたてしんせんかたメロン!」

「しんじんるい!」

 

 もはやこれは声援と言うより、1周回っていじめではないかと甚爾は思いだした。しかし、彼の視界から見える津美紀の表情はどう考えても無邪気な子供のそれ。

 

「さんかくチョコパイ!」

「ないすぷりけつ!」

 

 恵なんかは、ついに甚爾のケツをペシペシと叩きながら言い始めた。甚爾は、子供にケツを褒められる父親ってどうなのかと自分に問いかけたが……ちゃんと親をやれてる自信はないのでそっと黙った。

 

 そして、子供たちの謎の声援を受けながら甚爾は日課の筋トレを全て終わらせた。恵を下ろし、床に胡座をかいた甚爾は子供達へと問いかけた。

 

「……おいガキ共、なんだその変な掛け声は」

「ばあやが教えてくれた!」

「むきむきおうえん!」

「いや、なんだよムキムキ応援って……」

 

 ムキムキ応援の意味は甚爾には分からなかった。いや、普通ムキムキ応援と言われて分かる人物は居ないだろう。

 

「ムキムキ〜!」

「むきむき〜!」

 

 でも、子供達は甚爾のそのムキムキボディーが大好きなのだ。甚爾の立派なムキムキな上腕二頭筋に子供達は触ろうと、その小さなを伸ばしてきた。

 

「……ほらよ」

 

 そんな賢明な姿に、甚爾はむず痒い気持ちになりながらその手を広げた。

 

「えい!」

「わぁっ!」

 

 キャッキャしながら甚爾の腕にぶら下がる子供達。そんなほのぼのした姿をこっそりと眺め、いそいそとカメラに収める老婆が一人いた。

 

「……ほのぼのしい姿ですね。あぁ、たくさん撮っていつの日かお嬢様に見せて差し上げなくては……!!」

 

 このばあや、写真の腕がめちゃくちゃ良いので秘蔵のお嬢様に捧げるアルバムがどんどん分厚くなるのであった。

 

 

 ちなみに、ばあやが子供達に仕込んだ声援は、ボディービルの大会で使われるやつであったとさ。伏黒甚爾の筋肉は実践向きの筋肉であるのだが……まぁそんな事は些細なことだろう。

 



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第三章 後輩達
後輩


 個人携帯からダース〇イダーのテーマこと、帝〇のマーチが流れた。この音楽を設定している相手はただ一人、そう伏黒甚爾その人である。

 私は、一体何の用だろうと思いながら通話ボタンを押した。

 

『なぁ、死にかけの後輩拾ったがどうする?』

 

 電話でお決まりの「もしもし」を言うことなく、甚爾は率直に要件を告げた。しかもその内容は普通の内容じゃなく、気でも狂ったのかと聞きたくなるような内容だったのでぶっちゃけ電話を切りたくなった。だがあくまでも私は真摯な大人なのでグッとこらたので本当に偉いと思う。

 

「ちょっと、何言ってるか分からないですね……」

『おいおい、現実逃避すんな』

 

 いや、思わず現実逃避をしようと思ったのはしょうがない話だと思う。後輩拾ったでファーストインパクト、死にかけでセカンドインパクト、どうするでサードインパクト。はい、スリーアウトバッターチェンジで3回表終了です。ご清聴ありがとうございました! うん、気分はそんな感じ。

 というか、犬猫じゃないんだから拾ったという表現はどうかと思うのですが??

 

 思わずこめかみの辺りがズキズキと傷んできたような気がする中、私は甚爾に問いかけた。

 

「……甚爾って今回は産土神信仰の土地神案件の任務に行ったんだよね?」

『あぁ』

「どうして後輩拾ったの??」

『落ちてたから』

 

 んな訳ねーよ!! まぁ、怪我人だったら拾うのはいい事だけどさ!!

 

「後輩は落ちてる物じゃありません」

『まぁ、落ちたのは比喩表現だ。俺が行った先で、呪霊相手に死にそうになってんのを助けたんだよ』

 

 なるほど、高専の任務とバッティングしたか。それも、うちの方が到着が遅れたパターンか……。

 

『多分コイツらは2級呪術師って所だろう。大方、高専側で等級の判断ミスって1級案件に放り込まれたって所だな』

「あちゃー……出たよ高専の悪い所」

 

 高専は良くも悪くも、私達よりは遥かに人手が多い。そのため、同じ窓でもその能力は時に雲泥の差になる事がある。複数人で確認すればいい保険の作業も、1人でも多くの呪術師を現場に送るためにカットされることもある。

 多分きっと今回もそんな所だろう。近頃災害が多かったせいで、例年よりも呪霊の発生件数も多かった。高専もてんやわんやだったのだろう。

 

「……というか、死にかけって言ってたよね!! その子達大丈夫なの!?」

『応急処置はした。今、田中(管理・サポート課所属)がマッドの所に向かってる』

「そっか、じゃあ後はマッドさんに任せるしかないね……」

『まぁ、マッドだから何とかするんじゃねえか』

「それもそうだね」

 

 これは、また一波乱あるかもしれないな。そんな事を思いながら、私はマッドさん達に連絡するためにパソコンのメール画面を開き、メールを送った。

 

 

 その数時間後、マッドさんから彼らの容態について報告が来た。1人は命に別状は無く意識もある。だが、もう一人重症の子の方は――命は助かったが術式が死んだ。

 術式の死は、即ち呪術師としての活動に制限が掛かるということ。彼はもう――今までと同じように過ごすことは出来ないだろう。



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電話

 甚爾が拾った高専の生徒2名は、数日前に目を覚ましたらしい。私の仕事がひと段落着いた所で、私は甚爾と二人でマッドさんの研究室兼、治療施設へとやってきた。マッドさんの助手からの報告では、「あの人の心がないマッドサイエンティストは、起きたばっかりの怪我人に「キミ、術式死んじゃったね~。どんまい~」なんて軽率に話してて、本当に人の心がないやつだと思いました」などという報告が上がっている。

 ……これは、本当にその子のメンタルのことを考えると申し訳ない気持ちになる。これは確実に上司として、頭を下げなければならない案件だ。部下の責任は上司が取る……これはいつの時代になっても変わらない常識だ。いくら相手が年下の未成年の子供だとしても、彼は立派な呪術師だ。……本当に申し訳ないことになってしまった。

 

「……はぁ」

「ため息つくと幸せが逃げるぞ」

「……分かってるよ」

 

 重い足を必死に動かし、彼らが入院している病室の扉を開けた。ガラガラと病室の扉が開けば、中にいる青年達は一斉にこちらの方へと振り向いた。

 

「あ、こんにちはー!」

「……こんにちは」

 

 黒髪の青年は元気よさげに、金髪の青年は落ち着いた態度で私達に対応した。どちらの子が例の灰原君なのかは分からないが、思ったよりもそこまで落ち込んでなさそうで少しだけ安心した。

 

「こんにちは――」

「あーっ!! その髪色――もしかして、あなたが例のマスターさんですか!!」

「……えっと、はい。マッドさんにマスターと呼ばれているのは私ですけど」

「やっぱり!! そうだと思いました!! なんかオーラが凄いので直ぐに分かりましたよ!! ところで――」

 

 回る、回る黒髪の青年の口。ポンポン出てくる言葉と、わやわやと楽しそうに話す黒髪の子のテンションに私はついていけなかった。こ、これが若さというものなのか……。そっと助けを求めるように甚爾へと視線を向ければ……甚爾はそっと目を逸らした。ははぁーん、さては私を助ける気は無いな。後で覚えておきなさい!!

 

「あ、僕の名前は灰原雄っていいます! あ、こっちは同級生の七海です!」

「……七海建人です」

 

 彼らの自己紹介に思わず目を見開いてしまった。だって、この元気の良さそうな黒髪の子が――灰原君だなんて、予想外だったのだ。

 

「えっと、神無月澪花です。そしてこっちが、伏黒甚爾です」

 

 ツンツンと甚爾を突っつけば、彼はひらりと手を挙げ挨拶する。そんな私達に対して灰原君は「よろしくお願いしまーす!!」なんて元気よく挨拶した。……包帯ぐるぐるなのにとっても元気だなぁ、もしかして……これが若さと言う奴なのか。

 

 

「本当、ここ秘密組織みたいでかっこいいですね!」

「灰原」

「マスター? 澪花さん? ボス? 親分? 大将? 一体どれで呼んだらいいですか!!」

 

 灰原君、勢いが凄すぎておばさんついて行けないよ……。こ、これが若さと言う奴か……。(二回目)

 

「えっと、その……」

「おい、そこら辺でやめてやれよ。ウチの相棒が困ってんだろ」

 

 私が若さについて行けず、しどろもどろしていると、ようやく甚爾からの天の助けが入った。甚爾ならきっと助けてくれると信じていたよ……!!

 

「そうですよ、こちらは助けて貰った身。そうやって迫るのはやめてください」

「七海のケチ〜!」

「ケチではありません、教育です」

「俺と七海、同い年なのに?」

「同い年もクソも関係ありません」

「え~~」

 

 ギャーギャーと言い合う灰原君と七海君。あまりにも普段(?)と変わらない態度に、本当に彼らはマッドさんからあの話を聞いたのだろうか……。この態度ではどう考えても聞いてないと言われた方が納得出来る。

 ……うじうじ考えていてもしょうがない。ここは覚悟を決めて彼に伝えなければ。

 

「あの……灰原君、本当にマッドさんから例の話聞いたの?」

「あぁ、術式が死んだって言う話ですか? もちろん聞きました!」

「その……気になったりとかしないの?」

 

 術式と言うものは、呪術師にとって大事なもの。甚爾のように呪具で戦う人間もいるが、術式を持っているのであるならば普通は術式メインの戦闘スタイルになる。

 "初めから持っていたもの"と"初めから無かったもの"では、全然訳が違う。持っていないのであるならば、無いなりに自分の力で生きるという覚悟が自然とできるものだ。しかし、最初から持っていたものを亡くすというのは、メンタルが復帰するのにも時間はかかってしまう。

 もしも、私が自分の術式を使えなくなってしまったとしたら――かなり凹むと思う。私にはやるべき事があるから、決して折れることはないと思うが……落ち込まない訳では無い。

 

「まぁ、術式が使えなくなったのは正直痛いなーって思いますけど――でも、生きてれば何とかなります」

 

 灰原君はにっと笑った。その笑顔は、もうすっかり自分の中での折り合いを付けている人の顔だった。

 

「――灰原は、こういう奴なんです」

「いえーい! 切り替えが早い灰原君です!」

 

 ……なんだ、私の心配損か。それなら良かった。

 

「あ、甚爾さん!俺達を助けてくださってありがとうございます」

「おう」

「灰原君は強いね」

「人を見る目と、メンタルの強さは誰にも負けませんよ!」

 

 灰原君は本当に呪術師なのだろうか……。良い子すぎると言う意味で。せめて、高専に帰るまではここでしっかり休んでいって貰いたい。

 

「二人ともお疲れ様、ここにいる間はゆっくり療養していってね」

 

 ポンポンと彼らの頭を撫でる。

 

「……っ」

「……ぅ」

 

 このぐらいの年になると、人に頭を撫でられるという事は少なくなる。そのため、彼らの顔はじわじわと赤くなってしまった。うん、初で可愛らしい。

 

「事案」

「失礼な、私は可愛い後輩に手は出しません」

 

 幼気な後輩に決して手は出しませんよ。というか、私貴方との間に恵という可愛い息子と、津美紀という可愛らしい娘がいるんですから!

 さすがにそう言う訳にもいかないので、違う言い訳を述べようとした瞬間――。

 

 ポケットに入れていた携帯からバイブの振動が伝わってきた。ポケットに手を突っ込み、携帯のディスプレイの部分を見れば「由基ちゃん」という文字が表示されていた。

 

 

「ごめんね、ちょっと電話に出てくる」

「はーい」

 

 彼らに断りを入れてから病室を出る。後ろから大きなお荷物(とうじ)が付いてきている気がするが、そっとスルーすることにした。

 

「はい、もしもし」

『先輩ー久しぶり!』

 

 電話口の向こうから聞こえてくるのは、元気そうな由基ちゃんの声だった。ガヤガヤとうるさい環境音に、相変わらず外国で色々飛び回っているんだなぁなんて思った。

 

「久しぶりだね、どうしたの?」

『実はあって欲しい子がいるんですよ』

「会って欲しい子?」

『いい男ですよ? 先輩きっと好みです』

「本当、それは気になるなぁ」

「おい、堂々と浮気宣言か?」

 

 由基ちゃんの軽口に乗った瞬間、私の頭にドスという音と共に甚爾の顎が刺さった。何か気に食わないことがあった時に、人の頭に顎を突き刺すのは辞めて欲しい。それ、地味に痛いんだけど。

 

「甚爾、人の頭に顎を刺さないで」

「お前の頭がちょうど良い高さにあるのが悪い」

「横暴……」

『禪院先輩は相変わらずだね』

 

 カラカラと電話口の向こうから、由基ちゃんの笑い声が聞こえる。おおよそ学生時代の頃の事を思い出しているのだろう。甚爾は割と昔からこんな感じだったし。

 

「まあね」

『じゃあ、馬に蹴られたくないのでそろそろお暇しますよ。詳しい詳細は後で送るんで~』

「了解」

 

 電話を切った後、直ぐにメールが届いたという通知が届いた。さてされ、可愛い後輩からのお願いは叶えてあげますか。

 

 



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お悩み相談

 

 由基ちゃんから指定された日時にその場所に向かえば、そこにはお団子頭の体格の良い高専の制服に身を包んだ生徒が1人居た。私は彼に見覚えがあった。

 

「こんにちは、夏油君」

 

 彼の名前は夏油傑君。私の協力者であり、共犯でもある五条悟君の親友だ。私と彼の直接的な絡みはほぼないが、五条君からよく話は聞いている。一般家庭出身ながらも呪霊操術を巧みに操り、特級呪術師として活躍していると。

 私の声に彼は振り向いた。そして、どこか暗い声でポツリと声を出した。

 

「……あぁ、不二子さんですか」

 

 本名は不二子じゃないけど、という言葉はそっと飲み込んだ。まぁ彼のお友達である五条君が私の事を「不二子ちゃーん♡」とふざけて呼ぶから、それに感化されてそう呼んでるんだと思うけど。いい加減に不二子呼びは辞めて欲しいな。

 

「九十九さんが言っていたのは、あなたの事だったんですね」

「由基ちゃんは私の高専時代の後輩だったの」

 

 私がそう答えれば、「なるほど」と言って黙ってしまった。確実に何かあった様子に私は先輩として色々助言できるかなと不安になりながらも彼の隣に座った。

 

「で、夏油君は一体どうしたのかな?」

「……呪術師は、非術師を守るために身を粉にして呪霊を祓っていますよね」

「そうだね」

 

 非術師は呪霊が見えないし、祓えない。だから、[[rb:呪術師 > わたし]]達は代わりに呪霊を祓う。当たり前のように行なわれている社会のサイクルだ。

 

「私は……非術師を守る為に呪術はあると考えていました。でも、最近色々なことが起こりすぎて私の中で非術師の……価値のような物が揺らいでいます」

 

 価値観の揺らぎ。それは一般家庭出身の呪術師であれば、一度は体験するかもしれない出来事だ。私は生憎根っからの呪術師の家系のため、そこまで悩むことはなかったけど。

 

「――先日、私の後輩二人が殉職しました。二人の遺体は見つからない、残穢からは後輩二人分の呪力が感じ取れた……、きっと彼らは自分たちの命と引き換えに呪霊を祓ったのだと思います。でも……私は弱者故の尊さ、弱者故の醜さ。その分別と受容が出来なくなってしまっている」

 

 夏油君は頭を抱える。

 

「もう……何が自分にとっての本音かが分からない。」

 

 彼は迷っているのだ。呪術師として命を掛けて戦っているのに、非術師は持っていないばかりに時に傲慢だ。

 

「この事を九十九さんに相談したら、「非術師を見下す自分、それを否定する自分。どちらを本音にするかは――君がこれから選択するだよ」……と言われました」

「そっか、由基ちゃんらしいね」

 

 由基ちゃんは、良くも悪くも大きな世界を見据えている。私が身近な問題からこの世の中を変えようとしているのに対して、彼女は世界という大きな枠組みで物事を図っている。

 あぁ――だから、彼女は夏油君と私を会わせたのか。

 

「民間の組織を運営している不二子さんは……非術師について、どう思っているんですか」

「非術師かぁ……。そうだね、私は彼らの事を別にそこまで庇護しなければならない存在だとは思ってないよ。彼らだって人間だ、"良い人間"もいれば"悪い人間"もいる。これは術師だって同じこと。だから私は呪術師か、非術師か、なんて些細な問題だと思ってる」

「……じゃあ、不二子さんは何を基準にしてるんですか」

 

 私が一番大切にしていること、それは――。

 

「私が一番大事だと思ってるのは――その人間が善性か否か」

 

 人間は皆等しく尊い部分もアリ、醜い部分もある。その内なる醜い部分をいかに内面に隠し、他者のために優しくなれるかが大事だ。

 

「私は自分の権力や、地位のために弱者を貶める人間が大嫌いだ。それは呪術師であっても、非術師であっても変わらない」

 

 私の心には、いつまでも上層部に対する復讐の炎が燻っている。でも、今はまだその時ではない。一人で上層部を殺すことはきっと可能だ。でも、それでは駄目なんだ。

 独裁政権はやがて破滅を引き起こし、本当の意味での革命なんて出来ないんだから。

 

「夏油君、少し私の母の話をしてもいいかな?」

「……不二子さんの、お母さんですか?」

「そう、私の大好きだった母様の話」

 

 夏油君は今、非術師に対する不満で一杯だ。だから、極論ではあるが呪術師の悪い部分も知ってもらう。

 

「私の母は、"選ばれた人間"だった。母はとても優秀で、優しい人だった。でもある日――私の母は謂われのない罪に問われ、処刑された」

「――っ!」

「その処刑の判断を下したのは誰だと思う?」

「……上層部、ですか」

「そうだよ。きっと上層部は母が受け継いだ力が恐ろしかったんだ。だってあの老害達は革命を恐れる。「いつかこの女が反逆するんじゃないか、呪詛師に寝返るんじゃないか」おじいちゃん達は怖くて、怖くてしょうがないんだ。だから――」

「……"言うことを聞くうちに処刑してしまおう"と」

「そういうこと」

 

 幼い頃は、そんな事なんて考えも付いていなかった。母様の言うとおり、"長い物に巻かれていれば"なんとかなる、そう信じて生きてきた時もあった。でも、それは大きな間違いだったのだ。

 私は、少しだけ母様の気持ちも分かる。母様と同じで"選ばれた存在"になり、母親になってみて、子供の幸せを一番に望む母性という感情がよく理解できるようになったから。

 

「夏油君。選ばれた人間にも、選ばれた人間なりの苦悩や孤独がある。君にはそれを分かってて貰いたいんだ、君の親友がその"選ばれた人間"なのだから」

 

 五条悟は、間違いなく選ばれた人間だ。でも、彼は"最強"だと言われたとしても一人の人間なのだ。最強だとしても、一人は寂しい。

 だから――ただの五条悟の親友として、夏油君には立っていて欲しい。

 

「もちろん、夏油君も選ばれた人間だよ。普通特級呪術師になるのは、並大抵の実力ではなれない。だけど、君はなれた。しかも、一般家庭出身で」

「……そうは、言っても」

「夏油君は、この悩みを五条君に相談した?」

「……してないです」

「やっぱりね」

 

 まぁ、非術師が憎く感じるようになってきた。なんて相談できるわけないよね。

 

「君たちはもう少しお互いに腹を割って話し合うべきだと思う。青春時代は、喧嘩してなんぼだよ」

 

 青春、それは青い春と書くもの。人生で一度しかない青春は、一生の思い出で尊い物だ。私が高専で甚爾と出会ったように、彼らにもきっとこの出会いは特別な物だと思うから――。

 

「私だって、学生時代唯一のクラスメイトとたまに殴り合いの喧嘩をしたよ?」

 

 主に私が一方的に殴り掛かって、甚爾は私のことをぶん投げる程度の喧嘩だったけど。何回か校庭をボッコボコのめちゃくちゃにして、夜蛾先生に怒られたけど。

 

「……ふふっ、女性なのに殴り合いの喧嘩したんですか?」

「そうだよ、フィジカルゴリラの同級生にはポイって沢山投げられたなぁ……」

「フィジカルゴリラ」

「お陰様で、受け身は大得意になった」

 

 指でVサインを作れば、夏油君はクスクスと笑ってくれた。ようやく少し彼の表情が晴れたような気がする。

 

「不二子さん、ありがとうございます。今度、悟に会ったら殴り合いの喧嘩やってみます」

「殴り合いの喧嘩やってみますって結構パワーワードだね」

「進めたのは不二子さんですよ」

「確かに。あ、夜峨先生の胃は穴を開けない程度にしてあげてね」

「善処します」

 

 これは絶対に答えは「いいえ」ってやつだね。頑張って夜峨先生~! 応援だけはしておくから!

 

「夏油君。もしも君が何か困ったことがあったら遠慮なく私達を頼って。可愛い後輩のために必ず力になるから」

「ありがとうございます」

 

 さて、そろそろ日が落ちてきた。今日はここら辺で解散にしないと、また甚爾に事案なんて言われてしまう。

 

「夏油君、この後任務はあったりする?」

「いえ、今日はもう終わりです」

「そっか、じゃあ良ければウチに泊まっていきなよ」

「……え?」

 

 夏油君はぽかーんとした顔で私を見ていた。

 

「最近そっちは特に忙しかったんでしょ? 高専って本当に人使い荒いよね。呪霊大量発生して大変なのは分かるけど、祓う側にも休息を与えないと倒れちゃうからね」

「…………いや、あの、それはそうですけど……流石にお邪魔するのは悪いかと」

「いいから、いいから! ウチで出るご飯は結構美味しいし、お風呂も広めだよ?」

 

 マッドさんの所には、腕の良い料理人さんを雇ってるし、お風呂も豪勢にポケットマネーを叩いて檜風呂なんか作ったりしちゃったし。たまにお邪魔しにいくととても良い感じなんだよね。

 

「あと、君の後輩二人も絶賛療養中だよ?」

「後輩」

 

 夏油君が何か怖い顔しながら「後輩、二人」なんて言いながらブツブツしている。確か年齢的に一個下だと思ったんだけど……。もしかして京都校と東京校で違うパターンとか?

 

「あれ、七海君と灰原君って夏油君の後輩じゃないの?」

「……七海と灰原、生きてるんですか?」

「え、元気だけど……」

「……すみません、今頭が混乱してます」

 

 夏油君が再び頭に手を当てて私に待ったを掛けた。その行動に、ようやく私の中でバラバラだったピースが嵌まった。

 

「……あの、もしかして夏油君が言ってた死んだ後輩って」

「……七海と灰原ですね」

「あー……察し」

 

 七海君と灰原君。高専に連絡を入れるのを忘れていたパターンだね……。

 

「すみません、今夜そちらにお邪魔します」

「了解、連絡入れておくね……」

 

 その夜、後輩二人は夏油君にこってり絞られたらしい。まぁ、そうなるよね……ご愁傷様。

 

 

 

 

 

 

 部屋で書類を片付けていると、携帯が小さく音を立てて着信を告げた。ディスプレイ覗けば、そこには「夏油君」の文字。

 最近番号を交換した後輩からの着信に、私は特に何も深く考えずに通話ボタンを押した。

 

「はい、もしもし。どうしたの夏油君?」

「不二子さんですか?」

 

 電話口の向こうから、夏油君のすまなさそうな静かな声が聞こえてくる。うっすら電話の向こうに聞こえる鈴虫の声に、どこかの田舎か、森にでも呪霊を祓う任務にでも行ってるのかと呑気に思った。

 田舎は嫌いではない。雲隠れ期間の間だけ地方に住んでいたが、中々あの時の穏やかな暮らしは悪くはなかった。可能であるならば、いつか呪術師界の膿出しが終わって引退した後、また地方でゆっくりするのもいいかもしれない。

 

「うん、そうだけど」

「すみません、お忙しいところ電話をかけてしまって」

「大丈夫だよ、私の仕事は最近書類整理ばっかりだから暇してたの」

「それなら良かったです」

「で、一体私に何のご用かな?」

 

 五条君とは違い、夏油君は真面目な子だ。そんな真面目な彼がなんの要件もないのに電話を掛けるはずがない。

 

「少し証拠を揉み消すのを手伝ってもらってもいいですか?」

「……はい?」

 

 いや、もみ消すって何を??

 

「あと、出来ればしばらくそちらでお世話になりたいです。子供も二人一緒になるんですけど……」

「まぁ、大丈夫だけど……」

 

 もしかして、何かまた厄介な案件に巻き込まれそうな感じのやつですよね??

 

 



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幕間「彼と彼女の出会い」

 カーテンの隙間から溢れる光に目を細めながら、己の腕の中で小さく寝息をたてる愛しい女の体温に安堵を覚えた。

 視界に入る髪色は、甚爾の記憶の中に今でも色濃く残る紅色とは違うが――確かに彼の腕の中にいる彼女は、あの日甚爾が恋い焦がれた少女であった。頭を撫でるように髪の毛へと手を通せば、記憶よりも短くなった髪の毛が重力に従い掌からこぼれ落ちた。

 

 

 神無月澪花は、禪院甚爾との初めての出会いは呪術高専でだと思って居るが――本当は違う。初めての出会いは、彼らが12歳の頃にまで遡る。

 

 

 禪院甚爾は天与呪縛で呪力が一切無い体質の人間である。呪力が無い代わりに強化された五感によって、呪霊を視認することはできるが――禪院家の人間にとってはそんなことどうでもよかった。「禪院家に非ずんば呪術師に非ず 呪術師に非ずんば人に非ず」と呼ばれるほど封建的な家であり、甚爾はそんな禪院家での扱いは散々だった。

 せっかくのフィジカルギフテッドは、鬱憤を晴らすためのサンドバック扱い。そんな環境に身を置いていた甚爾の自尊心は、底辺にまで落ちたのは想像に難くない。

 

 彼らは、本当の意味での甚爾の価値なんて理解していなかった。

 

 そして、12歳を迎えたある日――。甚爾は禪院家の嫌がらせによって、呪具も何も持たない状態のまま呪霊の群れへと放り込まれた。口では「何も期待していない。命なんていらない」と言ったとしても、いざ目の前に呪霊が現れれば生存本能が警鐘を鳴らし、自然と体は動いた。

 何度も、何度も呪霊を殴り吹き飛ばす。だがしかし、うじゃうじゃと沸いてくる呪霊の群れ、呪力でしか傷を付ける事の出来ない呪霊達を祓うことは不可能だった。今まで満足に鍛錬を積むことが出来なかった甚爾の実力では――この群れを突破することなど不可能だった。

 

「――っそ!」

 

 口元が切り裂かれた。傷口から溢れる血液によって、視界が真っ赤に染まる。いっそのこと倒れてしまえば楽になるのに、どうしても甚爾はその手を止めることなど出来なかった。

 

「……クッソ」

 

 もうダメかと思った、その瞬間――。

 

「受け取ってー!!」

「……は?」

 

 聞こえるはずのない、少女の声が響いた。燃えるような紅い髪がひらりと視界に映る。

 そして、甚爾の元に銀色に光る何かが投げ寄こされた。

 

「1級だけど! 使って!!」

 

 パシリと掴んだそれは――彼女の言うとおり、1級相当の呪具だった。武器が手に入ってしまえば、後は簡単だった。

 

 *

 

 呪霊の返り血と、自らの血を浴びながら甚爾は立っていた。足下には呪霊だったものが転がっており、じゅわじゅわとその体は段々と消えていっていた。初めて呪霊を祓った高揚感、自分の実力を遺憾なく発揮できた充実感に甚爾は呆然としていた。

 そんな甚爾に向かって声を掛けてきた少女が一人。

 

「ねえねえ!」

 

 紅髪の少女は、キラキラとした黄金の瞳でじっと甚爾の姿を見ていたのだ。

 

「貴方、とっても強いのね!」

 

 しかも、少女の口から出たのは甚爾を絶賛する言葉だ。今まで蔑むような言葉しか向けられたことない甚爾は、その発言に戸惑った。

 

「……何言ってんだ、お前」

「え? 私変なこと言った?」

「変なことしか言ってねえよ」

「そ、そんなに変なこと言った?」

「変だ」

 

 甚爾の「変」という言葉に、少女は露骨にショックを受けたようにその目を見開いた。そんな今まであったこのないタイプの人間に、甚爾はタジタジになってしまった。そして、バツが悪そうにそっと目をそらしたのだ。

 

「……俺は呪力がねえから、人じゃねえ」

「私の目には貴方は人にしか見えないけど……もしかして、呪霊?」

「ちげえよ」

「だよね! 良かった」

 

「呪力がないなんてどうでもいいんじゃない。だって、「呪力をまったく持たない」という天与呪縛によって、驚異的な身体能力と頑強な肉体を持ってるんでしょ? それは凄いことだし、貴方は選ばれた人間だよ」

「……俺は、そんなものじゃ」

 

 うつむく甚爾の手を、少女が自らの手で包み込んだ。血で汚れ、お世辞にも綺麗とは言えない状態だとしても――少女は何も気にせずにその手をぎゅっと握った。

 初めてとも言える他人の体温に、幼い甚爾の心臓がぎゅっと掴まれたような気がした。

 

「私は何度でも貴方を肯定するよ」

「……っ」

 

 甚爾のくしゃくしゃに丸めて捨てたはずの自尊心が――拾い上げられた気がした。

 

「それ、あげる」

「……は??」

「父様から万が一があった時用に預けられたけど、私には必要ないから貰って」

 

 甚爾はその言葉に、まじまじと己の手の中にある呪具を見比べた。パッと見たところ特級までこそはいかないものの、ソレは完全に1級相当に分類される呪具だった。

 もしも、これを買うとしたら――ざっと1000万はくだらない。つまり、クッソ高い代物だと言うことだ。

 

「大丈夫、一応お家の人にバレないように呪力を封じる札も付けておくから!」

 

 甚爾は、そういう問題じゃねえと言いたかった。でも、無邪気にニコニコと善意100%で言ってくる少女を前にすれば、そんなことは言えなかった。

 

「澪花様、そろそろお時間が――」

「はーい!」

 

 甚爾とわちゃわちゃしている少女へ、補助監督らしき女性が声を掛けた。澪花と呼ばれた少女は、甚爾に向き合った。

 

「じゃあ、私そろそろいかないといけないから」

「……名前」

「あ、私の名前は神無月澪花だよ。多分同い年くらいだから、もしかしたら高専で一緒になるかも知れないね」

「……高専」

「私は多分東京校に通うと思うから、もしもご縁があったらよろしくね!」

 

 

 *

 

 その日、確かに甚爾は赤髪の少女――神無月澪花に初恋のような感情を抱いた。そして、甚爾は彼女と再び再会することを目標に、呪術高専へと入学した。そこで再開した初恋の相手。これは確かに運命と呼べる物だったと彼は言う。

 

 一度手を取ることを諦めた手を――今度は決して離さないように。今度はきっちりと握りしめ、その小さな体を抱き寄せた。

 

 

「……っ」

 

 ふるりと彼女の睫毛が動き、そっとその目が開かれた。未だ朝のまどろみの中、寝ぼけ眼を緩めながらも彼女の瞳には甚爾の姿が映る。

 

「とう、じ?」

「何だ?」

「――ふふ、だいすき」

「知ってる」

 

 彼女は寝ぼけているときと、お酒に酔ったときによく本音を口に出す。可愛らしい癖だと甚爾は内心笑っていた。

 

「とーじは?」

「――ばーか」

「ひ、ひどい……」

 

 口を尖らせる妻のおでこに口づけを一つ落とせば、彼女は嬉しそうにクスクスと笑った。

 

「まだ早いから寝てろ」

「はーい」

 

 ゆるゆると瞼が下がれば、程なくして再び彼女の小さな寝息が聞こえ始める。完全に夢の世界に旅立った事を確認した後、甚爾はそっと呪いの言葉を呟いた。

 

「愛してる」

 

 決してこの先、一生変わることないこの思いを――。



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