異世界音楽成り上がり ーその世界の人は『一切の例外なく全員』、音楽を聴くだけで俺のことを好きになったー (大野原幸雄)
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アレンディルにようこそ

-第一章 音楽にようこそ-

 

 

 俺は今、走馬灯を見ている最中です。

 そして、その走馬灯のあまりの平坦さに……人生に改めて落胆している最中です。

 

「…」

 

 飛び降り自殺。

 俺がこの方法を選んだ理由はたった一つ。

 

 今まさに、俺の腕の中で共に落下しているクラシック・ギター。

 この世界で、唯一優しかった爺ちゃんの形見。

 

 これと一緒に、この世界から消えてなくなりたかったから。

 たったそれだけ。

 

 俺の名はサクライ・ミナト。20歳。

 ギターの名は77年製ヘルマン・ハウザー2世。

 

 今、爺ちゃんのいる世界へいくよ。

 ハウザー2世と一緒に。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 しかし……

 

「……ッは!」

 

 信じられないほど早くなった鼓動と共に、俺は目を覚ます。

 目にはたくさんの涙が溢れている。

 

 足にはまだ飛び降りた最後の感覚が残っていて、体中の力が抜けていた。

 

……生きている。

 

 その実感が身体を駆け抜けていくのを感じ、視界を塞ぐ大粒の涙を拭う。

 これは今の状況を改めて確認しようと、脳が勝手に行った行動だった。

 

「……え」

 

 病院か、あの世。

 そう想像していた俺の目の前にあったのは、そのどちらでもない予想外の光景だった。

 

「う……うぅ」

 

 泣いている少女。

 

 ふわふわの金髪、真っ白な肌、吸い込まれそうになるほど大きな瞳。

 俺が人生で一度も出会ったことがない程の美少女が、涙で顔をぐしゃぐしゃにしてこちらを見ている。

 

「うわあああッ」

「……うッ!」

 

 そしてその少女は、俺に思い切り抱きつく。

 体中の力が抜けていたので、軽い衝撃に身体が驚く。

 

 俺は少女のぬくもりをさほど感じない違和感で、その時まだハウザー2世を抱きしめたままでいることに気づいた。

 

「うううう……うううう」

 

 ボロボロのクラシック・ギターを抱きしめる俺を、少女は力強く抱きしめた。

 

「……」

 

 突然の出来事。謎の場所。

 しかしギター越しに感じるそのぬくもりは、俺の身体と脳みそに充満するあらゆる絶望を取り除くような暖かさで……

 

 生きていた実感からか、今までの絶望から救われたような安心感からか。

 なぜだか自然に涙が溢れていた。

 

 息がつまる。

 せっかく拭った瞳がまた……

 

「……うぅ」

 

 と、つい情けない声を出してしまう。

 しかし人間、一端泣くと不思議と冷静になるもの。

 

 泣きながら周囲を確認すると、自分のいる場所がどこかの部屋だということを理解しはじめる。

 部屋には少女の他に、目の覚めるような赤髪の若い男性がいた。

 

 赤髪の男は少女に抱きつかれる俺の涙を見て、焦ったように彼女に言った。

 

「……お、おい!レナ!異世界人なんか泣いてるぞ!」

「えっ!」

 

 それを聞くと、少女も焦ったように俺の顔を覗き込む。

 うわ……本当に可愛いなこの子。

 

「大丈夫ですか?どこかお怪我でも……?」

「い、いや……それより、えっと…ここは…?」

 

 少女のぬくもりに若干の名残惜しさを感じつつ、俺は涙を拭いながら質問した。

 部屋の装飾や彼らの服装を見る限り、明らかに俺のいた世界のものじゃない。

 

 そして自分が今座っているのが、部屋の床に描かれた巨大な魔法陣の上であることにも気づく。

 すると、だんだんと色んな疑問が頭の中に沸いてくる。

 

「ここは、アレンディル王宮の一室ですよ」

 

 少女が俺の質問に答える。

 その返答は俺の質問に対する的確な解なんだろう。

 

 しかし、俺にはその返答が頭に入ってこなかった。

 

 もちろん理解できない固有名詞だからというのもある。

 けどそれ以上に、その少女の声があまりにも美しかったからだ。

 

 綺麗な声。

 

 そんな言葉じゃ言い表せられないほど、透明感があり、優しい声だった。

 しかし決して弱々しいわけではなく、むしろ芯の通った力強ささえ感じる。

 

「え……アレン…?」

「アレンディル王宮です。聞きたいこと、いっぱいありますよね……。ちょっと待っててください」

 

 そういうと、金髪の少女は微笑み、なぜか焦ったように赤髪の男を引き連れて隣の部屋へ飛び込んだ。

 

 

 ――バタンッ――

 

 

 扉を閉めると、何やらしゃべり声が聞こえてくる。

 

「チャドさん!とりあえず何かおもてなしできるものをッ!」

「おもてなしって!……異世界人って何飲むんだッ!?ハーブティーとか!?あっ!酒の方がいいのか!?茶菓子は!?クッキーとか貧乏くさいと思われるか!?」

「それより椅子です!地べたに座らせたままなんてッ!」

「どどどどどどんな椅子だッ!?低いのがいいのか高いのがいいのか!?かか、硬さは!?」

 

 と、とにかく慌ただしい。

 

 異世界人……って言ったのか?今。

 もしかして、ここ異世界…?じゃあこれって異世界転生…?

 

 いや…生まれてないし転移……異世界転移か。

 

 ――ベーン……――

 

 現状を飲み込もうとぼーっと部屋を眺めると……

 まるで「正気になれ」と言わんばかりにハウザー2世の弦が鳴る。

 どうやら袖のボタンに引っかかって音が出たようだ。

 

 その聴き慣れた音は、理解不能な現状に妙な“現実感”をくれて……つい背筋がしゃんとする。

 

「異世界……」

 

 すると再び扉が開き、先ほどの少女が入ってくる。

 明らかに焦っているが、平静を装うように俺に言う。

 

 ……その優しい笑顔と、透き通るような声で。

 

「言い忘れてました」

「…え?」

「異世界へようこそ…えへへ」

 

 



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音楽の無い世界へようこそ

 用意されたのは、まるで王様が座るのかと思うくらい大きな椅子だった。

 

「ミナトさん、ここにどうぞ!」

 

 自分と不釣り合いな椅子にちょこんと腰かけて、彼らから話を聞く体制をとる。

 

 俺たちはまず、互いの名前を交換する簡単な挨拶から話を始めることにした。

 聞けば俺を異世界に召喚した二人は、俺と同じ20歳らしい。

 

「私はレナ・キーディスと言います。ミナトさん、よろしくお願いします。……えへへ」

「俺の名前はチャド・ボーナム!よろしくな、ミナト!」

 

 照れくさそうに自己紹介をする、声の綺麗な金髪の美少女レナ。

 快活かつ豪快、そしてなによりフランクな赤髪の男チャド。

 

 彼らの話す異世界の話は、俺が想像してたものとは少しだけ違っていた。

 

「ここはアレンディル王国の首都フロリア。私たちは王の元で知の探究を生業にしている王宮学者なんです」

「王宮……学者?」

 

 二人とも軽装で高級そうなローブを羽織っているし……

 なんとなく外で仕事するような人じゃないとは思ってた。

 

 しかし異世界に来たら最初に出会うのって、だいたい神様とか、古き良きRPGなら王様とか相場は決まっている。

 

 学者か。

 ……学者?

 

 ふとチャドを見ると、チャドは眉を少し上げて俺の心の声に返答した。

 

「なんだよミナト、俺は学者に見えないってか?」

「え……いや」

「ちゃんと学者だって。たしかにレナとは専門が違うけど……。俺の専門は異文化とか考古学とか……そっち方面だし」

 

 考古学者……。

 確かに洋画とかで唯一肉体系をイメージする学者だ。

 

「ちなみにレナは魔法学者な。しかも一番わけわからん重力魔法の研究者」

 

 レナはそう言われると、少し不服そうに眉をひそめる。

 不謹慎だが、いちいち表情がかわいい。

 

「わけわからなくありませんッ!面白いんですよ!」

 

 それにしても魔法か……。やっぱりあるよな、異世界だもの。

 少しだけワクワクしている自分に気づく。

 

 レナは話を本筋に戻そうと、順序だてて俺を召喚した理由を話し始めた。

 

「私たちの世界は、およそ100年間続いた“とある厄災"を乗り越え、ようやく復興を果たしつつあります」

「厄災……?」

「はい。世界中が少しづつ寒冷化していく厄災です。まるで世界の命が少しづつ弱っていくような……私たちはそれを”終焉の冬霜(とうそう)”と呼んでいました」

 

 氷河期……みたいなものか?

 この国だけじゃなく、世界中でってことか。

 

「しかし10年前、ある日を境に突然その寒冷化が終わり、世界中が復興の道を歩み始めました。我がアレンディル王国も、厄災によって失われた文化や歴史の新しい礎を築くため、あらゆる分野の研究に力を注ぐようになったのです」

 

 なるほど……ようやく話が見えてきた。

 レナはだんだんの解説に熱が入ってきたようで、徐々に俺に顔が近づいてくる。

 

「その一つが異世界研究ッ!別の世界からの知識を得ることで、国のさらなる発展を助力し、果ては現存するあらゆる問題の解決策を見出そうという、とても重要な研究なのですッ!!」

 

 最終的には息があたるような距離にまで顔を近づけたところで……

 レナはのけぞる俺を見て自分を取り戻した。

 そして照れくさそうに髪を直し、元の位置に戻る。

 

 壁に寄りかかって話を聞いていたチャドが呆れたように話に入る。

 

「ごめんなミナト、そいつ勉強しかやってこなかったせいで……その……なんていうか、少しやばい」

「や、やばいってのは失礼ですっ!」

「……まぁそれで、俺たちは交流できる異世界人の召喚をずっと研究してきのさ。元の世界に影響を与えないように死が確定した健康的なヤツで、なおかつ俺たちに新しい知識を与えてくれる存在」

 

 死が確定……。

 こっちの世界に迷惑をかけないようにってことか。

 

 話を聞く限りかなり重要そうな研究だけど、この部屋は随分狭いし暗い。

 頭の中が疑問で一杯だったせいか、新しい疑問が頭に入りきらず、まるで口から洩れ出すように俺は質問していた。

 

「……でも、それだけ期待されてる研究なのに、ずいぶんこじんまりした部屋でやってるんだね」

 

 そう言うと、今度は二人で顔を見合わせ、気まずそうに笑う。

 そしてレナがしょぼんと答えた。

 

「実は……私たちの研究班はもう3年近く全く成果を挙げられていなくて……えへへ……どんどん縮小されてしまいまして……」

 

 快活そうなチャドも見るからに肩を落とす。

 

「20人いた学者も気づいたら2人になっちまって……研究費は自分たちの給料以下にまで減っちまうし……次の研究発表会で成果を挙げられなかったら完全に無くなるところだったんだ」

 

 二人の元気が明らかに無くなってしまったので、人見知りの俺もさすがに気を遣う。

 

「で……でも、俺を召喚できたってことは、一応成功したんでしょ……?」

「そうなんですッ!!」

 

 すると元気を取り戻したのか、今度は二人で顔を近づけ俺に問いかける。

 

「それで本題なんですがッ!ミナトさんの持っている異世界の知識や技術を私たちに教えてほしいのです!」

「ミナトは何が専門なんだ!?農業の知識とかすごいありがたいんだが……ッ!ぶっそうだが武器とか兵器とか魔法でもいいぞ!」

 

 自分たちに無い知識や技術を俺に求めている。

 二人の焦っているような表情とすがるような問いで、俺に期待されているものがわかってきた。

 

 しかし……

 その期待を理解するほど、俺は自分と言う人間の空っぽさに向き合うことになった。

 

 だって、何もないんだ。

 学校にも行ってなかったし、社会に出たこともない。

 

 ただ部屋で、爺ちゃんと音楽の話をしながらギターを弾いていただけだ。

 膨大な時間を役に立たない音楽という逃げ道に消費してきた。

 

 その音楽ですら、プロギタリストだった爺ちゃんの影響。

 自分で探究したことはない……俺には、自分がない。

 

「……ごめん」

 

 弱々しい声でそう言う。

 しかし、二人のキラキラする期待のまなざしは光を失わなかった。

 

「じゃ、じゃあさ、ミナトが持ってきたあの木製細工はなんだ!?見たことねぇぞあんなの!」

 

 空っぽの自分に落胆する俺に、チャドがそう言った。

 チャドは壁に掛けてある爺ちゃんの形見、77年製ヘルマン・ハウザー2世を指さしている。

 

「ハウザー2世……のこと?」

 

 何もかも違うこの世界で、爺ちゃんのハウザー2世は何も変わらずそこにいた。

 爺ちゃんの部屋に立てかけてあったあの時の姿のまま。

 

「ハウザー2世!?人みてぇな名前だなッ!」

「作った人の名前なんだよ。……あれはギターだよ、クラシックギター」

「ぎ……ぎたー……なんかこう…あれだな!平べったい名前だなッ!」

 

 ちょっと何言ってるかわからなかったけど、二人が凄く興味深々なのはわかった。

 ……というか、ギター知らないのかこの二人。

 

(この世界にはギターが無いのか)

 

 RPGとかに出てくる吟遊詩人は、小さいリュートギターとか持ってるイメージあるけど。

 

「ちょっと、ちょっとだけ触ってみていいか!?」

「え……うん」

 

 そういうと、チャドがハウザー2世に近づいて恐る恐るつつく。

 レナも我慢できず、チャドの後ろから覗くように隅々を観察しはじめた。

 

 なんとなく、ハウザー2世が不機嫌そうな気がする。

 

「見ろよレナ、薄っぺらい板がこんなに綺麗に湾曲してるぜ!……あとこの穴なんだ!?」

「それよりもこの部品見てください……小さいのに凄い丁寧な作りで装飾まで……なんだか可愛い……」

 

 爺ちゃんがいつも言っていたな。

 ハウザーのギターは、見た目も音もとても美しいって。

 

 作者のヘルマン・ハウザー2世は、最も偉大なギタークラフターと言われたヘルマン・ハウザー1世の息子だ。

 1世は50年代に死去してしまっていて、現存しているハウザーギターのほとんどは2世の作品。

 

 彼と同じ名前をつけられたギターはどれも力強く引き締まった音色で、それでいて重厚な芯を持ってる。

 何より、見た目が美しい。

 

 そういう感覚ってのは、どの世界でも共通なんだな。

 

 つつかれて不機嫌そうなハウザー2世を見ながらそんなことを考えていると、チャドが振り返り聞いてきた。

 

「なぁミナト、これ、何するものなんだ!?」

「何って楽器だよ……弦楽器」

「ガッキってなんだ……?今度は堅そうな名前だな」

 

 ガッキ……ってなんだ?

 ……ん?

 

「え?いまなんて…?」

「だから……ガッキってなんだ?」

 

 え……?

 

 今、「楽器ってなんだ?」って聞かれたのか?

 楽器って……あれ?こっちの世界じゃ違う言葉で言うのか?

 

 たしかに、普通に会話が出来ているけど……

 固有名詞が違うってことはあり得るか。

 

「楽器は、ほら、音を出すものだよ……こっちの世界にもあるでしょ?」

「音!?……それだけ?こんなたいそうな形してるのにか?」

「いや……演奏に使うんだよ。音楽に使うんだ」

 

 いや……うそでしょ。

 言葉じゃなくて……本当に楽器を知らないのか?

 

 だって、楽器を知らないってことはつまり……

 

「……オンガクってなんだ?」

「……」

「……ん?」

 

 この世界には、音楽が存在しない。

 俺にとってそれは結構な衝撃だった。

 

「……まじ……で?」

 

 元の世界では、言葉より先に音楽が生まれた国もある。

 何より俺にとっての全てと言っていいそれが、全く存在しないなんて信じられなかった。

 

 そして、俺は突然向き合うことになる。

 音楽を知らない人に、言葉で音楽を説明することの異常な難解さに。

 

「音楽ってのは……えっとつまり、音を出して組み合わせて……メロディ…えっと……つまり音を楽しむために色々工夫するんだけど」

 

 しかしチャドの反応は……

 

「……ふーん」

 

 という、ひどく淡泊なものだった。

 音楽を知っている人なら「じゃあ弾いて見せてよ」と言うだろう。

 

 それを言わないのは、楽器というものの先にある音楽、そしてそれを聴いた時の自分の感情を想像できていないからだろう。

 全貌をなんとなく理解したところで、自分たちの想像の中でそれを完結させてしまい、興味すら抱かない。

 

 しまいにはこんなことを言う始末。

 

「ミナトの世界では、オンガクで何をするんだ?」

 

 音楽というものが、それだけで完結した価値があることすらわかってない。

 いや、この世界の誰一人理解できない感覚なのだろう。

 

 ちなみに、自分から「演奏してみせようか?」と提案しないのには理由があった。

 ずっとギターを見ていたレナが、今まさにその理由を俺に言う。

 

「ミナトさん、この糸が一本切れちゃってますけど……平気なんですか?」

 

 そう……。

 弦が一本切れていたんだ。2番目に細い第2弦。

 

 演奏できないわけではない。

 しかしなんだかこれは、ハウザー2世からの『やりたくねーよ』というメッセージにも思えて。

 俺は自分から演奏するという提案を飲み込んだ。

 

 切れてうなだれた弦を見て何も言えなくなった俺に、レナがあの綺麗な声で優しく語りかける。

 

「ミナトさん…時間はあります。焦らず、ゆっくり異世界のことを教えてくださいね」

 

 チャドもそれを聞くと、ニイッと歯を出して笑う。

 

「研究発表会も3日後だしな。こっちの世界での生活は俺らが保証するから安心しろよ!どーせ死ぬところだったんだし、いいだろ?」

 

 まぁ……うん、確かに。

 どーせ異世界。楽しんだ方がいい。

 

 音楽がないことは確かにショックではあったけど……

 自殺するほどの俺の絶望は、気づけば異世界への好奇心に変わってた。

 

 異世界転移か。

 

 魔法とか技能(スキル)とか、アニメみたいに俺にも使えるのだろうか。

 そう考えるだけで、俺の心が今までにないくらい高揚しているのがわかった。

 

 

 



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非情な現実にようこそ

 

 王宮は、とてつもなく大きい場所だった。

 

 俺が召喚された研究室(倉庫)は、特別質素な場所だったようで……

 部屋を出て二つ目の廊下を曲がると、もうそこは荘厳な柱が何本も並ぶ大きな大聖堂だった。

 

 講壇の置かれた台の前には、ベンチタイプの椅子が凄い数並んでいる。

 それでもなお解放感のある巨大な空間に、さらにたくさんの人達が歩いていた。

 

「王宮の一階は大聖堂になっているんです。休日はここでお祈りとかするんですよ」

 

 青の装飾が入った甲冑の兵士、頭が爬虫類の亜人、レナ達と同じくローブ姿の学者達。

 そこにいる人のほとんどが、俺に今いる場所が異世界だと強く意識させてくれる。

 

 しかし、唯一大聖堂の内装は、なぜか既視感のあるものだった。

 

(どこかで見たことあるな、こういう内装の建築……)

「ミナトさん、どうかされました」

 

 立ち止まり天井を見上げる俺に気づいて、レナが声をかけてくる。

 

「この建築……どこかで見たことあるなって思ってさ」

「すごい!ミナトさんは建築に詳しいんですか?」

「いや、そんなことないんだけど……。……てっ!」

 

 二人で雑談をしているように見えたのか、チャドが俺とレナの頭を小突く。

 

「ほら、さっさといこうぜ!ミナトの生活に必要なもん揃えなきゃならねぇし!街にいくぞ!街!」

 

 レナは随分と体幹が弱いようで、ちょっと小突かれただけなのにふらふらとしていた。

 そして不機嫌そうに自分の頭をなでながら、チャドに抗議する。

 

「ミナトさんはこっち来たばかりで色んな場所に目移りするのは仕方ないです。チャドさんは本当せっかちなんだから……」

「いやいや、レナ!俺たちの今の状況わかってんのか?マジでやばいんだって!3日後だぞ!?研究発表会!」

 

 そうえば、チャドがさっき「次の研究発表会で成果を挙げられなかったら研究班が解散させられる」みたいなこと言ってたな。

 言い争いながら歩き出す二人についていき、そのことについて疑問をぶつけてみる

 

「研究発表会って、具体的にどんなことするの?」

 

 すると2人はさっきまでの喧嘩なんてなかったかのように、元気な回答をくれた。

 

「ミナトさんからお話を聞いて、異世界にはこんな素晴らしい技術や知識があります!って紹介するんです!」

「アレンディルの研究発表会は凄いんだぜ!音の通信魔法陣を使って発表会の音声は国中に届くんだ!」

「音の通信魔法……?」

 

 よくわからないけど、ラジオとか携帯電話みたいなものだろうか。

 

「送信と受信用の魔法陣があって、二つをつなぐ事で音だけ転送させるんです」

「ミナトの召喚魔法陣にも転送魔法の技術が使われてるんだぜ?王宮が定期的に放送とかするから、どの家にもだいたい受信用の魔法陣があるんだよ」

「へー」

 

 思ったよりここの暮らしは便利なんじゃないだろうか?

 さすがにネットは無理だろうけど。

 

「ミナトさんにも生活に必要な魔法陣お教えしますね。それに『技能(スキル)』の習得もしてもらわないと」

「あ、確かにな。よーし、先に冒険者ギルドでミナトの技能(スキル)習得を済ませておくか」

 

 冒険者ギルド!?それに技能(スキル)!?

 魔法だけじゃなく……やっぱりあるのか!

 

 だんだん俺が知ってる異世界転生モノのファンタジーに近づいてきた気がする!

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 ……と、興奮したのが嘘のように。

 冒険者ギルドの受付嬢から貰った紙に書かれていたのはこんな文言だった。

 

【サクライミナトが現在習得できる技能(スキル)はありません】

 

「だはははははっ!どーやらミナトには冒険者の才能はないみたいだなーっ!」

 

 チャドが俺の紙の文字を見て大声で笑う。

 ギルドのロビーにいる大勢の大男たちも、俺を見て笑っている気がする。

 

 ショックで落ち込んでいる俺に気を使い、レナが言う。

 

「ミ、ミナトさん……技能(スキル)は冒険の経験を積めば、後天的に発現することもありますから……」

「……」

「それに私も技能(スキル)持ってないんです……。冒険とか戦いとか、全然ダメで……えへへ……だからそんなに気を落とさず」

 

 いや、少しだけ期待していたんだ。

 

 一見弱そうに見えて、使い方次第でめちゃくちゃ強い……みたいなのとか!

 戦闘向きじゃないけど、違う分野で凄く有用……みたいなのとか!

 

 まさか習得すら叶わぬとは。

 全国異世界転移&転生主人公適正テストがあったら、ぶっちぎりの最下位なのではないだろうか。

 

 あまりに落ち込む俺の姿を見て、レナが提案してくれる。

 

「ミナトさん!魔法はいかがです!?技能(スキル)と違って、努力すれば誰でも使えますし、やり方によってはオリジナルの魔法なんかも作れるんですよ!」

「魔法か!たしかにやってみたい!」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 ……と、期待したのが嘘のように。

 

「む……むずい……」

 

 まず見せられたのは分厚い2冊の魔導書だった。

 そこには魔法の知識が書かれているのだけれど、それがまぁ難しい。

 

 しかも中に書かれてるのはほぼ計算式で、適当なページをなんとなく開いただけで拒否反応が起こるほどだ。 

 レナが色々補足してくれてるけど…

 

「魔法陣の中には法門と呼ばれる円がいくつか描かれてあって、ここに指示を書き込むんです。それに対応するノードで指示を繋いで効果を発揮します……あ、ここが指示を書き込む部分ですね。例えば火を起こす魔法を使いたい場合、周囲の酸素と燃焼する媒介の物質をここに書き込みます。気体でも大丈夫ですが、気体燃焼による炎は得たい酸化反応の結果をちゃんと計算しておかないといけませんから気を付けてください。……えへへ。それで、こっちの法門内には空気の調整を行うための……」

 

 ……わからん!全然わからん!

 イメージしてた魔法と全然違う!

 

 すると、そんな俺を見てチャドがクスクス笑いながら茶化す。

 

「ミナト、もう限界か?」

「う…うん……魔法ってこう、呪文を唱えればズバッて出るものなのかと……」

「そういう魔法使い達は頭ん中で魔法陣を描いてるのさ。……魔法の勉強なんてやめとけやめとけ。俺にもさっぱりわからん」

 

 ……いや、嘘だろ。

 異世界に来て魔法も技能(スキル)も使えないのか……俺?

 

 身体に何か変化が起きているわけじゃないし、武器が振るえる筋肉がついたとも思えない。

 ……マジで俺、異世界向いてない。

 

「まぁ気を落とすなって。生活に使う魔法とかは、魔法陣が描かれた石板が売ってるし、全然問題なし!」

 

 そういうんじゃないじゃん!

 自分で使いたいんじゃん!

 

 再び気を落とす俺を見て、今度はレナも落ち込んだように俺に謝罪する。

 

「ミナトさんごめんなさい……私教えるのがうまくなくて」

「いや、いいんだ……。俺が勝手に想像してたものと違ったから驚いてるだけだよ」

 

 ついでに自分の才能の無さにも驚いてる。

 しかし、レナが落ち込む姿は見てられず、折れそうな心を無理やり立て直して彼女に言った。

 

「レナは魔法陣づくりが上手なんだね……たしか重力魔法の専門家って言っていたっけ?」

「はい!転送魔法とか、攻撃魔法の調整とか……重力魔法って色んな魔法を組み立てる基礎が詰まってるんです」

 

 それってどんなの……?

 と、聞こうと思ったけど、その質問をしたらまた膨大な計算式を含んだ回答が返ってきそうでやめた。

 

 するとチャドがレナに向かって言う。

 

「レナ、お前が王宮から勲章もらった時の論文のタイトル、ミナトに教えてやれよ」

「え?でも……でも難しくて、めちゃくちゃ長いですよ?」

「いいから」

「えっと……『マーリン式六芒星(ヘキサグラム)型64法門魔法陣を使った重力魔法の多重反応適合性が与える影響と法門ノード曲線の規定要因に関する研究』です」

 

 あー…。

 ……うんうん。

 

 あれでしょ?

 マーリン式へきさ……なんとかに関する研究……ね。

 ……知ってる知ってる。

 

 それを聞いたチャドがはぁあっと深い溜息をつき、俺の肩を叩いて言う。

 

「……な?」

 

 まぁ、言いたいことはなんとなくわかった。

 

「つまり、魔法ってのはこういう頭の中計算式がびっしりつまった勉強バカがちまちまやることなんだって!俺たちとは住む世界が違うわけよ」

 

 そう言われるとレナが不満そうにチャドに返した。

 

「ちょっと!誰が勉強バカなんですか!ミナトさんを召喚した魔法陣だって私が……あ!」

 

 するとレナの表情が何か閃いたようにぱっと明るくなる。

 

「ミナトさん!召喚魔法なんていかがです!?意外にシンプルなんですよ!契約の手順と転送魔法の基礎があれば使えます!」

 

 召喚魔法……ね。

 俺にできるのかな。

 

「うん、ありがとうレナ。2人の研究を手伝う以外にやることなんてないし、勉強してみるよ」

 

 運動神経のない俺は剣士にはなれない。

 頭の悪い俺は魔法使いにもなれない。

 どうやら専門的な役職も無理そうだ。

 

 俺って……この世界で、やっていけるのだろうか。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 その後、街で生活に必要そうなものをそそくさと買い込む。

 

 いかにも異世界ファンタジーな街並みは俺の興味を強く引いたが……

 2人があまりにテキパキと買い物を済ませるのでじっくり見る時間はなかった。

 

 レナは「研究発表が終わったらゆっくり来ましょうね」と、例の綺麗な顔と声で俺に言ってくれる。

 発表会は2人にとって大事な行事らしいし、やることが山積みなんだろう。

 ……あと3日って言ってたし。

 

 買い物が終わり、俺はレナの家に泊めてもらうことになった。

 チャドが別れ際、ニヤニヤしながら「変な気おこすなよ」と茶化してきたので「しないよ」と軽くあしらう。

 

 とは言いつつ……

 女の子の家なんて元の世界でも行ったことがない。

 

 少しの期待を寄せて、二人で居住区と思われる路地を歩きながら彼女の家の前にやってくる。

 

「ここです。どーぞ!」

 

 ――ガチャ…――

 

 しかし、レナの家の中は、家と言うより物置だった。

 

「ご、ごめんなさいっ!最近研究室にこもりっぱなしで……」

 

 膨大な数の本が所せましと並んでおり、キッチンと思われる台や窯の中にも本が積み上がり頭をだしてる。

 レナは慌ただしく一番奥の部屋に入り、中の本を片付け始めた。

 

 部屋が一通り片付くと、レナは例の綺麗な声で微笑み、俺に言う。

 

「私は今日のことを書類にまとめなければいけません。ミナトさんは部屋でゆっくり休んでください……えへへ」

「うん……ありがとう」

 

 扉が閉まり、部屋が閉鎖された空間になると……

 身体の力が自然にぬけ、俺は「ふぅ……」と息をついた。

 

 買い出しにいってる間、質素な研究室に置き去りになっていたハウザー2世は随分と不機嫌そうで。

 切れた弦がそっぽ向くように、壁に向かってうなだれている。

 

 心の中で彼に謝罪をしつつ部屋の隅に立てかけて、俺は質素なベッドに腰を落とした。

 

「なんだか……すごい疲れた」

 

 たくさんの情報を脳が一気に咀嚼したからだろうか。

 身体はまだまだ元気なのに、瞼が勝手に閉じる。

 

 終焉の冬霜(とうそう)……だったか。寒冷化する厄災から復興する世界。

 そして異世界を研究し、復興した国に新しい文化を芽吹かせようとする学者。

 

 想像したものとは全然違う異世界。

 

(どうやら、この世界にチート能力を使う異世界転移主人公は必要ないらしい……)

 

 まぁ少なくとも、この物語の主人公は俺ではなさそうだ。

 

「はぁ……」

 

 でも、正直そっちの方が気楽。

 

 世界を救う大冒険はないにしろ、こんな俺でも役に立てることがある。 

 それだけでも少しは救われる。

 

 大きく息を吸い込むと、部屋に充満した本の香りが妙に気持ちを落ち着かせてくれた。

 一度死を経験したからだろうか。イレギュラーばかりのこんな状況なのにめちゃくちゃリラックスしてる。

 

 吸った息を雑に吐いて立ち上がり、俺はハウザー2世を手にとった。

 そしてもう一度ベッドに腰を落とし、頭を空っぽにして適当にギターを弾く。

 

「……」

 

 楽器を演奏する人ならわかると思うが……

 その日、初めて演奏する曲ってのはだいたい決まってる。

 

 いや、曲というよりほぼ手癖と言っていいだろう。

 チューニングも兼ねた聞き心地のいいフレーズとか、運指(うんし)の練習とかで弾く雑なリフ。

 

 なにも考えずに癖のまま弾くと、切れた弦を弾くときに指がスカる。

 

 その違和感がなんだか少し楽しくもあり、ハウザー2世の音のノリも良かったので……

 そのままベッドに頭も落として目も閉じて……爺ちゃんが好きだった古臭いブルースを弾いてみる。

 

 

 音楽のない世界で、ハウザー2世が歌う。

 どこでもこいつは変わらない。……まぁ、緊張とか無縁そうなヤツだし。

 

(もしかしたら今弾いてるこの曲が、この世界で初めて演奏される音楽なのかもな)

 

 そんなことを考えながら俺は、ハウザー2世との時間を楽しんでいた。

 すると…

 

 ――ガタガタガタンッ――バタッ――パリィンッ――

 

 と、ただ事じゃない音が扉の前で鳴った。

 

「……え?」

 

 色んな物が落ち、堅いものが割れ、重いものがたくさん落ちた音。

 これって……人が倒れた音?

 

「レナ?」

 

 俺はハウザー2世をベッドに寝かせ、慌てて立ち上がる。

 最悪の場合レナが扉の前で倒れていることも考え、扉をゆっくり開きながら廊下を確認すると……

 

「レナッ!」

 

 レナが膝をつき、手で顔を覆うようにうつむいていた。

 まるで何者かに襲われたかのように怖がっているのか、体を小さくし小刻みに震えてる。

 

 床には積み上げてあった本が散乱して、暖かい飲み物の入ったカップが割れ中身が床を濡らしてた。

 

 俺は膝をつき、彼女の安否を確認するため肩に触れる。

 身体の震えが手のひらに伝わってくる……。いったい何があった!?

 

 俺はもう一度彼女に声をかけた。

 

「レナ?……レナ?……何があったの…?大丈……」

「ミナトさん……ッ!」

 

 その時、俺を見上げた彼女の顔は真っ赤で、大粒の涙を流していた。

 

 その表情があまりにも美しすぎて……

 涙できらきらと輝く大きな瞳は、まるで宝石のようにすら見えた。

 

「いまの……い…はっ…今の音……うっ……うぅ…」

 

 しかし、何か伝えようとしている彼女は、上手く呼吸すらできていないようだった。

 

「落ち着いて?……レナ。大丈夫?…ゆっくり呼吸するんだ」

「はいっ……うぐ…はい…」

「いったい何があったの?」

 

 彼女の背中をさすると、レナは涙をこらえながらゆっくり話はじめた。

 

「わかりません……ミナトさんの部屋から聴こえてきた音を聴いたら…うぐ……」

「……?」

「胸の奥がいっぱいになって……」

 

……ん?

 

「どうしようもなく感動して……しまいました……」

 

 感動……?

 弦の切れたギターで弾いた、曲とも言えない古いブルースのリフだぞ……?

 

 しかし彼女の肩に触れた俺の手には、熱くなる彼女の体温が確かに伝わってきていた。

 あんなに俺に気を遣ってた彼女が、まるで感情の落としどころが見つからない子供のように、わんわん泣いている。

 

「……これは」

 

 この時、俺はその片りんを垣間見ていたんだ。

 この世界の人達にとって、音楽が一体どんな意味を持つのか。

 

 魔法とか技能のように、まったく種も仕掛けもないただの『感動』という感情が……

 一切の例外なく世界中のあらゆる人を圧倒する、絶対防御不可の兵器にすらなりえる力であることの片りんを。

 

 



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首都フロリアへようこそ

 昨日の一件から、レナの態度は急変した。

 朝起きると、到底本だらけのキッチンでは作れないような立派な食事が机の上に並べられている。

 

「えっと……昨日は……大丈夫だった…?」

「心配してくれてありがとうございます。けど、私の心配なんかしないでください」

 

 肉、野菜、パン……豪華というよりも凄くバランスが良さそうな健康的な食事。

 レナは俺がそれを食べるのを真剣に見ている。

 

「そんなこと言われても……昨日のあれは少し驚いたよ」

「平気です。それよりしっかり食べてください。ミナトさんを病気になんかしたら……私……」

 

 なにかよくわからなったけれど。

 レナの目には何か決意めいたものを感じた。

 

「ミナトさん……ハウザー2世のゲン……でしたっけ?あれは直せないんですか?」

「弦?そうだね。ふつうは切れたら交換するんだけど、この世界じゃ弦ないだろうしね」

「……」

 

 レナは俺が残さず食事するのを見届けると、荷物をまとめて言う。

 

「ミナトさん、私、ちょっと出かけてきます」

「……え?うん。でも、研究発表会だっけ?もう時間あんまりないんでしょ?」

 

 2人の話を聞く限り、研究発表会はかなり重要な行事らしい。

 そこで成果がでなければレナとチャドの研究班は解散になるとも言っていた。

 

「ミナトさんは、心配しなくて平気です」

「……そう?」

「はい……。今日なんですが、帰るのは夜になるかもしれません。お暇でしょうから、街にでてもいいですが……絶対にこの紙に書いた場所へはいかないでください」

 

 そういうと、何かが箇条書きにされたメモを俺に渡す。

 そこに書かれた”行ってはいけない場所”は、かなり多かった。

 

「ここは、最近人通りが多くて危ないです。こっちは人通りが少なくて逆に危ないです。この通りは冒険者ギルドがあるので、血気盛んな人たちが多くて危ないです。こっちは…」

 

 どれくらい危ないのか想像もできないけれど……

 商店街みたいなところもあるし、昨日は普通に出歩いてた通りの名前も入ってる。

 

 明らかに過保護すぎるリストアップな気がする。

 

「そんなこと言ったら、どこも危ないんじゃ……?」

「ほ……本当はずっと家にいてほしいくらいなんです……ッ」

「ちょっとくらい大通りの方行っちゃだめかな?……異種族のお店とか、少し興味あるんだけど……」

 

 そう言うと、レナは顔をグッと近づけて俺の手を握り力強く言う。

 

「研究発表会までの数日だけです。……どうか、どうかお願いします」

 

 眩しくて目を伏せたくなるほど整った顔と、寒気がするほどの美しい声。

 その圧に押され、俺は情けなく「わ、わかった」と返事をする。

 

 するとレナは少しだけ安心したような表情で微笑み、家のドアに触れた。

 出ていくのかと思いきや、何かを思い立ったように振り返り俺に言う。

 

「ミナトさん……切れたゲン……あれ、お借りしてもよろしいでしょうか」

「いいけど……」

 

 俺が切れた弦をハウザー2世から取り除き、彼女に渡すと……

 レナはそそくさと家を出てしまった。

 

 昨日は気楽にお散歩しようみたいなこと言っていたのに。

 一晩で小学生の母親みたいに過保護になったレナ。

 

 一体なにがどうしたって言うのだ。

 

「街にでてみようかな」

 

 俺はやることも無いので、街にでようと思い立つ。

 しかし、街の地図とリストアップされた場所の名前を改めて見て絶望する。

 

「これ……実質ここしかいけないじゃん」

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 その場所は、街のこじんまりした工房区だった。

 商店はほとんどなく、カンカンと鉄を叩く音や木材を切る音がする通りだ。

 

 ちょっとしたお店もあったが、どうやら工房の余った材料を並べてるだけの”業務用”っぽい雰囲気の店ばかり。

 道を歩く人たちも仕事中の職人ばかりで、作業着や作業道具を身に着けている。

 

 少なくとも、観光地ではなさそうだ。

 

「俺が入れるお店とかあるのかな……」

 

 路地を挟んだ向こう側の市場はたくさんの人で賑わっている。

 なにやら活気があるし、正直あっちに行きたい。

 

 しかしレナの表情を思い出しグッとこらえると……

 俺はとりあえず自分でも入れる店はないかなと作業音のする工房区を進みはじめた。

 

「……たしかに、この場所に危険はなさそうだ。」

 

 工房区の人々は何かしらの作業に夢中で、道のど真ん中を歩いてる俺に見向きもしない。

 道も広くて子供や老人とかも一人で歩いてる。

 

 街の風景を眺めながら歩いていると……

 こじんまりした木造の建物に『ヴァルム工房&材料店』と書かれた店が目に入る。

 

 他の工房と違って、なんというか店構えがちゃんと“お店っぽく”開かれており、中に入りやすい。

 

 レナから少しおこづかいを貰っていた俺は、何か異世界のモノを買ってみたいという衝動に駆られていた。

 開かれた扉から中を少し確認して、ふらふらと中に入る。

 

 すると…

 

「わッ!」

「!」

 

 中から出てきた女の子とぶつかりそうになる。

 お互い見合わせると、女の子は少し不機嫌そうに俺に言う。

 

「びっくりした……え!?なに、あんた客?」

「……えっと…そうで…す」

 

 かなり強気な態度だったので、同じくらいの年齢の少女につい敬語になる。

 

 少女は目が覚めるような鮮やかなオレンジ色のポニーテールを揺らす美少女だった。

 上半身は胸にサラシを巻いただけのような……なんというかかなり防御力の低そうな恰好だ。

 

 どうしても目に入る大きな胸に対して、そのあまりに無防備な恰好に一瞬戸惑ったが……

 下半身が作業着だったのと手にトンカチのような物を持っていることで、この工房で働く作業員なんだなと理解する。

 

 そんなことを考えていると、少女が振り返って工房の中に大きな声で言う。

 

「ヴァルム爺ーッ!客-ッ!」

 

 すると店の奥から弱々しいかすれた声で「あいよー」と返答があった。

 それを聞くと少女は俺に向き直る。

 

「いらっしゃい、私リリー。店番のヴァルム爺は耳遠いから、支払いの時は大きい声でお願いね!」

「あぁ、うん……わかったよ」

「あたし外で作業してるから、大きい物買う時は声かけて!オススメはアルフヘイム産の木材!じゃ、ごゆっくり!」

 

 えらく流暢な話口と愛嬌のある笑顔で軽い営業を掛けると……

 リリーはオレンジのポニーテールを揺らし、店前で何やら木材の採寸を始めた。

 

 俺はとりあえず店の中に入り、まずは一通り中を見てみる。

 

 その店は小さかったが、所せましと木材や鉄材が置かれてた。

 店の奥には鉄製の機材のようなものが少し見えていて、作業場のようなものが併設してある。

 

 視線を隅に移すと、凄く身長の小さい亜人のお爺ちゃんが椅子に腰かけてた。

 昨日買い物する時に似たような見た目の亜人さんは見かけていて、確かノームと呼ばれる小人だったはず。

 

(あれがヴァルム爺さんだろうか…?)

 

 キセルのようなものでポッポッポッと煙を口から出している。

 店に充満するタバコのような香りは、どうやら彼の仕業のようだ。

 

 俺は店に視線を戻し、箱に大量に詰められたピンポン玉ほどの木材のかけらを手に取った。

 

(家に帰っても暇だしな……木材でピックでも作るか)

 

 ピックとは、ギターを演奏するための小さくて薄い板である。

 

 と、レナとチャドに説明する時の文言を頭の中で考えながら……

 堅そうな木片と商品であろうヤスリを数種類手に取ってヴァルム爺さんに持って行った。

 

「これください」

 

 少し大きな声でお爺さんに言う。

 しかし、返事がない。

 

(声が小さかったか……?もう一度)

 

「これ!くだ……ッ」

「何か作るのかい?」

 

 すると、年季の入った良い声でノームのお爺さんが俺に問いかける。

 予想外の反応に少し戸惑いつつ……

 

「えっと……はい」

 

 と答えると、ヴァルム爺さんは嬉しそうにポッポと煙を吐いた。

 

「ものづくりは楽しいからなぁ……」

「え?……はぁ」

 

 混乱した返事を返すと、お爺さんはまた嬉しそうに煙を吐き「2ゴールドだよ」と金額を言う。

 俺がお金を渡すと……

 

「おい、リリー」

 

 と、外で作業するリリーを呼んだ。

 するとリリーがポニーテールを揺らしながら店に入ってくる。

 

「なに?ヴァルム爺」

「そこに立てかけてあるヤスリ、この子にあげなさい」

「ヤスリ……?あぁ、はいはい」

 

 リリーは作業を中断し、店の壁に置かれた数種類のヤスリを手に取ると俺に手渡す。

 そして俺の買った小さい木材を見て言った。

 

「何作るの?」

「……まぁ、趣味で使うものかな」

「ふーん。じゃあコレも上げる。樹脂で作った油性の溶剤」

 

(樹脂と溶剤……?あぁ、ニスか)

 

 そういって彼女は棚の上に置いてあった瓶詰めの液体を俺に手渡した。

 

「……いいの?」

「えぇ。ヴァルム爺の作る樹脂製品は、王宮にも納品してるくらいの逸品よ。……だから、これからもごひいきに。お・きゃ・く・さ・ま」

 

 そう言って二ヒヒっと爽やかな笑顔を向けると、彼女はまた作業に戻っていった。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 『ヴァルム工房&材料店』でのちょっとした出会いを終え、俺はレナの家に帰る。

 紙を敷いた机の上で黙々と木材を削りながらレナの帰りを待つ。

 

 しかし、結局その日は俺が寝るまでレナは帰ってこなかった。

 レナとチャドは俺から異世界の話を聞いて、研究発表で使うと言ってたけど……

 

 大丈夫なのだろうか。

 

 



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研究発表会にようこそ

 次の日。

 目が覚めて部屋を出ると、レナが慌ただしく荷物をまとめて家をでるところだった。

 

「おはようレナ。今日も早いね」

「おはようございますミナトさん!すいません、今日もお留守番お願いしていいですか?」

「いいけど……研究発表は大丈夫なの?明日だよね?」

 

 詳しい事情を知らないながら、俺は俺なりに彼らが心配になっていた。

 だって失敗したら解散だって言うし。

 

「まだわかりません……今、チャドさんと頑張っていますので……もう行きますね」

「……うん。気を付けてね」

 

 頑張ってる……?

 

 研究成果をまとめた原稿でも作ってるのだろうか。

 俺、ほとんど研究の役にたちそうな話してないけど。

 

 しかしよく考えれば、今まで成功しなかった異世界召喚には成功しているわけだし。

 異世界の話をしなくても色々発表できるものはあるのかもしれない。……例の難しい計算だらけの魔法陣とか。

 

(レナに召喚魔法を教えてもらうのも、どうやら研究発表が終わった後だろうな……)

 

 軽く部屋の掃除をして、俺はまた昨日の工房区に足を運ぶことにした。

 また『ヴァルム工房&材料店』で適当な材料でも買って、暇でもつぶそうかと思ったのだ。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 『ヴァルム工房&材料店』に入ると、またあの木材とタバコの香りが俺を迎え入れる。

 

「いらっしゃ……あ」

「どーも」

「二日連続とは……もう立派な常連さんですね、お客様……二ヒヒ」

 

 昨日ヴァルム爺が座っていた椅子に、今日はリリーが腰かけていた。

 

 俺を見ると悪戯っぽい笑顔を向けて接客してくれる。

 今日は例の防御力が低そうな作業着を着てないのか。残念だ。

 

「今日は店番なんだ?」

「うん。昨日、アンタが帰ってすぐ王宮の学者から急なお仕事がきちゃってね。なんだかとっても大事な仕事みたいで……ヴァルム爺は朝から工房に籠りっぱなし」

「ふーん」

 

 奥の部屋を見るとで、ヴァルム爺が何やら作業しているのようだった。

 後ろ姿から察するに、何やら細かい作業のようだ。

 

「でも修理とかはできるよ。私、一応ヴァルム爺の弟子だし」

「いや、また材料を買いに来ただけなんだ」

 

 昨日の材料で作ったピックは……失敗した。

 しかし幸い、俺は暇つぶしの天才。繰り返しの美学。

 

 適当な木片をいくつか手に取って彼女に手渡す。

 そして会計を終えると、リリーが俺に聞く。

 

「そうえばアンタ名前は?」

「ミナトだよ」

「ミナト?変わった名前ね。何してる人なの?」

 

 何してる人……なんだろう。

 良く考えたらこの世界の俺は一体何者なんだろうか。

 

 異世界人以上の的確な言葉はないように思えるし……レナ達の研究発表前にそれ言っていいのか?

 よくわからないけど、国中の人がラジオみたいな魔法で聞くって言ってたし。

 

 俺は買った木片を手の中でクルクル回しながら、適当に返答する。

 

「……何者でもない…と思う。今は」

「はは、なによそれ……冒険者とか?」

「ちがうよ……。そっちの才能が無いのは痛いくらい身に染みてる」

「まぁなんにせよ、冒険者はやめときな?終焉の冬霜(とうそう)が過ぎてから、国内のダンジョンはあらかた探索され尽くしちゃったみたいだしねぇ……今じゃギルドの多くが冒険者抱えきれなくなってるらしいし」

 

 終焉の冬霜……

 確か10年前に終わった氷河期をみたいな厄災だっけか。

 

 しかし、やめときなと言われると、余計に冒険者に憧れてしまう。

 そっちの世界の才能が無いとわかると、むしろ興味がわくものだ。

 

 そんな話をしていると、リリーの視線が入り口を向いた。

 

「あ、アリスさん!いらっしゃい!」

 

 なんとなく振り返ると、店に入って来たその人に俺は驚愕する。

 

「……」

 

 そこに立っていたのは鎧姿の女性だった。

 高い身長、長い髪と、氷のように冷たい目。腰には長い剣を差している。

 

 しかし、俺は武器に驚いたわけではない。

 彼女の姿そのものが、一度見たら忘れられないほど異質だった。

 

 真っ白なのだ。ブルーの瞳以外の全部。

 髪も、肌も、唇も、まつ毛、彼女の装備も全て。

 

 端正な顔立ちは一見どこか儚げな王女にも見える。

 しかし芯の通った蒼い瞳を見ると、歴戦の戦士にも見える。

 

 真っ白な鎧には一切の汚れはなく、ピカピカと輝いていた。

 

 アリスと呼ばれた女性は凛とした態度でこう言った。

 

「すまない。接客中でしたか……。ヴァルムさんはいますか?」

 

 リリーはチラっとヴァルム爺の方を見てアリスに返す。

 

「今、王宮からの依頼で作業中なんですよ。何かあれば私達が対応しますけど、呼んできましょうか?」

「いや、少し礼がしたかっただけなので、日を改めます。よければ先月の御刃油の急な発注……申し訳なかったとヴァルムさんにお伝えください」

「わかりました」

 

 そう言ってアリスは去っていった。

 嵐のように去っていく……なんて言葉があるけれど、むしろ静かな緊張感だけがそこに残されていた。

 

「今の人は……兵士さん?」

「えッ!?アリスさん知らないの?……ミナトもしかして外国人?」

 

 まぁ半分……正解だな。

 

「まぁ……そうだね」

「アリスさんは王直属の『蒼の騎士団』総長よ。”拒絶のアリス”……本当に知らないの?」

 

 蒼の騎士団……

 王宮にいた蒼い甲冑を着た兵士達のボスみたい感じか?

 

 その本人は全身真っ白……ややこしい。

 

 リリーはアリスさんの後ろ姿を見ながら俺に言う。

 

「明日の研究発表会の準備とかあるだろうに……わざわざお礼を言いに来てくれるなんて、やっぱり素敵な人だなぁ」

「あのさ……研究発表会ってどんなことするの?」

「王宮の学者たちが国民に向けて自分たちの成果を発表するのよ。王宮前に出店とかも出て、お祭りみたいになるのよ?」

 

 お祭りなんてあるのか。

 それはちょっと楽しみかもしれない。

 

 こうして、俺の異世界での二日間は終わろうとしていた。

 今だ研究発表会ってのがどういうものか想像できないけど、レナとチャドにも頑張ってほしい。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 結局その日もレナは帰ってこなかった。

 そして俺はまた一人で夜を過ごし、眠りにつく。

 

 そして次の日の朝、つまりは研究発表の当日。

 俺の眠りを覚ましたのは、なにやら部屋の外で聞こえるレナとチャドの言い争いだった。

 

「レナッ!言われたものは用意したんだ!そろそろ説明してくれよ!」

「ミナトさんが起きてきてからです。大丈夫、信じてください」

 

 ベッドから体を起こしハウザー2世を見ると、『朝からうるせぇ』と言わんばかりに不機嫌そうだった。

 ただのクラシック・ギターの癖に、ハウザー2世は妙に感情豊かだ。

 

 おそるおそる扉を開けると、二人が俺の顔を見る。

 

 二日ぶりに合うチャドの顔も、ハウザー2世に負けずひどく不機嫌そうだった。

 赤い短髪が一際逆立っているようにも見える。

 

「二人とも……おはよう」

「おはようございます!ミナトさん!」

「おはようミナト」

 

 席に着くと、チャドはイラだちを隠せないようにレナに言う。

 

「いい加減怒るぞレナ。この二日間、ミナトから全然異世界の話聞けなかったじゃないか。今から数時間後には、俺たちの研究成果を発表しなくちゃいけないのに」

「ごめんなさいチャドさん。でも、大丈夫です。チャドさんのおかげで、ちゃんと出来上がりましたから」

 

 てっきり二人で研究成果をまとめてるのだと思ってた……

 しかしどうやら違うようだ。

 

 2人の間に入るように、俺は会話に参加する。

 

「えっと大丈夫……?研究、うまくいかなかったの?」

「さぁなっ!レナに聞けよ。俺なんかレナに言われてずっと走り回ってたんだ。こんなよくわからんちっこい部品作れる職人を探すために!」

 

 ちっこい部品……?

 

「ミナトさん……これ」

 

 すると、レナが何かを取り出してテーブルの上に置く。

 机の上に置かれたのは……

 

「これ……弦?」

「はい……私とチャドさんで頑張って、切れたゲンと同じものを作れる人を探したんです」

 

 本当に……弦だ。

 しかも先には、弦の返し部品までついている。

 

 本来この部品はナイロン弦にはついてない。

 ボディ側の弦をいちいち巻く必要がないので、爺ちゃんが既製品のナイロン弦にスティール弦の返しを自分でくっつけていたものだった。

 ……こんなものまで。

 

 もともとの返しは鉄だったが、この返しは木で出来ている。

 チャドが言ってたちっこい部品はこれか。

 

 ……でも、作れる人を探したって?

 クラシックギターの弦ってナイロンだぞ?合成樹脂だ。

 

 そんなもの異世界にあるわけ……

 

(……樹脂?)

 

 その時、俺は『ヴァルム工房&材料店』でリリーが言っていたことを思い出す。

 

『ヴァルム爺の作る樹脂製品は、王宮にも納品してるくらいの逸品なのよ』

『アンタが帰ってすぐ王宮の学者から急なお仕事がきちゃってね。なんだかとっても大事な仕事みたいで……ヴァルム爺は朝から工房に籠りっぱなし』

 

「王宮の学者からの急な……依頼」

 

 レナとチャドは王宮の学者。

 ヴァルム爺さんに依頼したのは、レナだったのか。

 

「ミナトさん、落ち込んでいたから。ギターの弦を用意すれば、元気でるかなって……えへへ」

 

 レナは、俺がこの世界に最初に来た時と同じ笑顔で笑う。

 

 俺は改めて机の上に置かれた弦を見る。

 音楽のない世界で作られた、クラシックギター用の弦。

 

 この世界にないものをたった二日で作るのが、どれだけ大変なことなのだろう。

 ヴァルム爺の後ろ姿が頭をよぎる。

 

 俺が弦に感動していると、チャドが言う。

 ギルドのロビーの時みたいな、ふざけた感じはなくなっていた。

 

「すまないミナト……ミナトへのプレゼントにケチをつけるつもりはないんだ」

「……」

「でもよ、レナわかってるのか?俺たちゲンを作るために時間を割かれて、まともな発表原稿も作れてないんだ。どうやって王宮のデカいステージの上で研究成果の発表なんてできるんだよ」

 

 そう言うと、レナが芯の通った声でチャドに言う。

 

「私達はステージには上がりません」

「はぁ!?ちょっとまて……俺たち今日の発表会で結果出せなかった解散させられるんだぞ!? 通信魔法で国中の人が俺たちの研究を聞くんだ!お前自分が何を言ってるのか……」

「ステージに上がるのは、ミナトさんです」

 

(え……?)

 

 すると、レナが俺の手をギュッと握る。

 

「私に聴かせてくれたあの音……。あれを今度はステージの上でやってください……それだけで、私たちはきっと大丈夫です」

 

 その瞳には重厚な信頼と期待が詰まっている。

 たった一人の少女から放たれているとは思えない、強大な期待。

 

「ちょッ!ちょっと待て!わけわかんねぇーよ!なんだよあの音って!」

 

 そこにチャドが混乱するのは当然だ。いや、俺だって混乱している。

 だって俺は、そもそも爺ちゃんにしかギターをちゃんと聴かせたことがないんだぞ。

 

 なのに国中の人に向けてギターを演奏するなんて出来るはずない。

 それに、俺がミスすれば、二人の研究班が……

 

「ミナトさん……」

「……」

 

 この世界に来たばかりの時、俺の絶望を全て包み込むような優しいあの笑顔と声が。

 もう一度、俺の混乱や不安を飲み込んだ。

 

 それくらいレナの瞳は、力強く俺を見ていた。

 

「あなたが、この世界で初めての音楽を演奏するんです」

 

 

 



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音楽にようこそ

 王宮の門を開け階段を下りれば、そこは国内で最も広い王宮前広場。

 学者達の研究発表会はそこで行われる。

 

 広場の王宮側にはバカでかい特設ステージが設けられ……

 研究発表に参加する学者達はここに登壇し、自分たちの成果を国民に伝える。

 

 相当な広さの敷地にはたくさんの露店と人。隣にある市場も一杯だ。

 俺達はクラクラするほどの人だかりを見ながら、ステージ横の簡易テントで研究発表の準備をしていた。

 

 すでに何組かの研究班が発表を終えており、俺達の順番は次の次。

 

「ミナトさん……ゲンは平気そうですか?」

「うん、大丈夫そうだ」

 

 俺がハウザー2世に弦を張る姿を、レナは心配そうにずっと見ていた。

 

 一方、チャドはレナから説明を受け一応納得したものの、ずっと不服そうな顔をしていた。

 しかしグチグチと嫌味を言うことはなく、黙って俺がステージに上がるのを送り出そうとしている。

 

 不安だろうけど、なんだかんだレナを信頼しているのだろう。

 

「……ミナトさん、何をしているんです?」

「弦を伸ばしてるんだ……張りたての弦は演奏中に伸びてチューニングが狂うから……。こうしてあらかじめ弦を伸ばしておくんだよ」

 

 本来なら、1本弦が切れたら全て張り替えるのが普通。

 じゃないと弦の伸び方がバラバラになり、チューニングがズレた弦の音が余計に目立つ。

 

 しかも合成樹脂であるナイロンと違って、この弦は妙に柔らかい。

 それだけ切れにくいのだろうが、チューニングが狂いやすいということでもあった。

 

「よし……これで大丈夫」

 

 あらためてハウザー2世に張られた弦を見る。

 色の違う弦は少し違和感があるけれど、2人が俺のために一生懸命作ってくれた弦。

 少なくとも今の俺にとって、これ以上心強いものはない。

 

 弦の張られたハウザー2世は3割増しでカッコよかった。

 やっぱこの姿が一番似合う。

 

 俺の準備が整ったところで、何も言わず窓を眺めていたチャドが俺に言う。

 

「ミナト……俺、フロリアの南にある小さい村の出なんだ」

「……?」

「漁師だった父ちゃんが、終焉の冬霜(とうそう)で死んじまってさ。……病気の母ちゃん養うために、俺は王宮学者になったんだよ」

「……そうだったんだ」

「母ちゃん、凄い喜んでたんだ。俺バカだったからいっぱい勉強したんだ。……本当に頑張ったんだよ」

 

 チャドの震えた声にレナも気づいていたからこそ……

 慰める言葉を投げるのではなく、黙って今の気持ちを吐き出させることを選んだようにも思えた。

 

 そして俺の目を見て、彼は続ける。

 

「今日の研究成果によっては、俺たちの班は解散だ。もしかしたら、王宮を去ることになるかもしれない。……言ってる意味わかるよな」

「……あぁ」

「ミナト……突然の事でお前が一番混乱してるのはわかるよ……でも……わかるけど…」

 

 チャドはその不安な気持ちを全て飲み込み……

 すがるように、しかし決意をしっかり乗せて言葉を放つ。

 

「本当に……本当に頼む」

 

 出会って1週間程度の赤の他人。

 しかも別の世界で育った異世界人。

 

 そんな人に自分たちの運命を委ねる決断をすることはどれだけ恐ろしいことか。

 

 異世界で出会った人々はクエストをくれるNPCではなく……

 物語を盛り上げる、ただのオブジェクトでもなかった。

 

 レナ、チャド、リリーにヴァルムさん。

 この世界で出会った誰もが、ちゃんと人だった。

 

 世界を救う冒険者にはなれなかったけれど。

 助けてくれた彼らにくらい、恩返しをしたい。

 

 これから行う演奏は……そんな演奏でなくてはならない。

 そう思うと、数日前までただの自殺志願者だった俺の心に勇気が湧いてくる。

 

「わかってる。任せて」

 

 その時……テントに王宮の役人が入ってきて、俺にこう言う。

 

「2つ前の研究者が発表を終えました。『異世界研究班』の登壇者の方は、ステージの横に移動してください」

「わかりました」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 ステージ横に移動すると、見覚えのある人がそこにはいた。

 

「おや……貴方は……」

 

 『ヴァルム工房&材料店』で会った真っ白な女性騎士。

 確か騎士団の偉い人、拒絶のマリアさん……だったっけ。

 

 マリアさんは俺の顔と手に持ったハウザー2世を見ると……

 何やら納得したような表情をして、俺に話しかけてくる。

 

「なるほど……見慣れない顔立ちだったので、この国の者ではないと思っていましたが。……貴方が噂の異世界人でしたか」

「噂……?」

「えぇ……他の学者達の間で。『異世界研究班』が異世界人召喚に初めて成功したらしい……異世界人は我らにどんな知識を与えてくれるんだ……とね」

「そうなんですね……知りませんでした。」

 

 噂になってるのか。

 こっち来てからずっとレナの家にいたから知らなかった。

 

 俺はハウザー2世を壁に立てかけ、ステージ上を覗く。

 どうやら俺のひとつ前の研究班の発表が始まったようだ。

 

「我々の班は、魔法を使った種子の長期的な保管方法を長年探ってまいりました。終焉の冬霜(とうそう)で得た教訓は、主に農業で扱う魔法をさらに発展させ……」

 

 学者はステージ中央に置かれた木製のマイクスタンド……の、ような物に向かって話かけている。

 スタンドの先には手の平程の石板がくっついていて、魔法陣が描かれている。

 

(あれが音声を伝える魔法陣ってヤツか)

 

「あの通信魔法を使って、貴方の発表の音声も国中に届けられます……がんばってくださいね」

 

 不思議そうに魔法マイクを見る俺に、アリスさんが教えてくれる。

 励ましてくれたのだろうが、普通にプレッシャーかかります。それ。

 

「そうえば、ちゃんと自己紹介していませんね。私は王宮直属『蒼の騎士団』総長アリス・ヒルドル。ステージ上の護衛をしております」

「サクライミナトです。異世界人です」

「ふふ……変わった自己紹介ですね」

 

 アリスさんは壁に立てかけてあるハウザー2世が気になっているようだった。

 

 しかし、これから俺が発表することに関係してるのは明らかだったからか……

 それには触れずに話してくれる。

 

「広場には王はもちろん、領主や近隣国の宰相等も来ています。我らがしっかりお守りしますので、安心して発表をしてください」

「……はい、頑張ります」

 

 そこから10分程度で、前の研究者の発表は終わる。

 次はついに、俺の番。

 

「……以上で、第7魔法陣研究班の研究発表を終えたいと思います。ご清聴、感謝いたします」

 

 外から聞こえてくる溢れんばかりの拍手。

 その音は、そこに沢山の人がいることを改めて俺の鼓膜に教えてくれる。

 

 ステージ上で資料をまとめてこちらに歩いてくる学者を横目に……

 立てかけられたハウザー2世を俺が手に取ると……アリスさんが優しい笑顔で微笑んだ。

 

「成功を祈っていますよ、異世界人さん」

「はい……」

 

 そして俺は、ステージ横に繋がる階段を上る。

 

「続いては『異世界研究班』による研究発表になります。ご登壇お願いします」

 

 階段の一段目に片足を乗せ、俺はハウザー2世に語り掛ける。

 

(よし……頑張ろう。ハウザー2世)

 

 かかとからつま先へ、階段に身体の重心をかける。

 ステージがかすかに揺れているのがわかる。

 

 これから行う演奏は、人生の中で最高の演奏でなくてはならない。

 ありがとうという気持ちが伝わるほどの演奏でなくてはならない。

 

「ふぅ……」

 

 ステージ上は、横で見ているよりもずっと広く感じた。

 広場を見るとめまいがするほどの人がいる。

 

 俺の姿を見ると、沢山の拍手と注目が向けられるのをひしひしと感じた。

 音の大きさと人の多さに足がかすかに震えてる。

 

 緊張感というモノは、受け入れると不思議な心地よさに変わる。

 まるでフワフワ身体が浮き上がるような感覚。

 

 ステージの中央には木製と椅子と机……そして魔法のマイクが置かれてた。

 俺が椅子に腰かけてマイクの高さを調節すると、石板の魔法陣がふわっと青い光を放つ。

 

(……演奏始める前に、なんか言った方がいいのかな?)

 

 と、ふと思い立ち……マイクのテストも兼ねて軽い挨拶だけすることにした。

 

「は……はじめまして。異世界人の…サクライ・ミナトです」

 

 そういうと、ざわめいていた観客の声が少し収まる。

 

「……え…えっと」

 

 ここで何か気の利いた事でも言おうとしたが……

 

「ぎ…ギターを弾きます」

 

 そんな言葉のレパートリーは持ち合わせていなかった。

 

 ――ぱちぱちぱちぱち……――

 

「ぎたー……?あの木製細工のことか?」

「なんだろう……あれ?」

 

 満杯の広場から申し訳程度の拍手と、ハウザー2世への疑問が投げかけられる。

 軽く弦を弾いて音を確認すると、またざわめきが大きくなる。

 

「なんだありゃ……聞いたことのない音だな」

「……綺麗な音ねぇ」

 

 首都フロリアの人々は、ハウザー2世にかなり興味深々なご様子。

 ハウザー2世が主役だと考えると、緊張も少し和らぐ。

 

「すぅ……」

 

 よし……始めようか。

 ヘルマン・ハウザー2世。

 

 俺の深呼吸に、何かが始まるのを感じたのだろう。

 物凄くたくさんの人達が、ふっと無音になった。

 

 皆が演奏を聞こうと集中しているのが俺にも伝わる。

 

 曲の第一音を鳴らすと、俺の瞼は勝手に閉じて……

 演奏を始めた。

 

 

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 

 

『春を踏み、夏を駆け抜け、秋に溶け、冬にかたちづく』

 

 自分で考えたのか……誰かの受け売りか……

 楽器を弾くことをプロギタリストだった爺ちゃんはこう言っていた。

 

 練習によって得られる技術は、自信となり、それが自然と音に鳴る。と。

 

 目を閉じていても自由に動く左指を感じると……

 俺もその言葉の意味が少しだけわかるようになっていた。

 

 何も見えなければ、このステージも爺ちゃんの部屋と同じ。

 きっとどんな異世界に行っても、ハウザー2世の歌声は普遍的。

 

 今、左人差し指は5弦の1フレッド。スライドを加えた2拍(はく)3連(れん)。

 出したい音がなんの装飾もしないまま出てくる気持ち良さ。

 

 自分の奏でる音色に、自分で惚れ惚れさせてくれる。

 小さいころから何度も聞いた美しい歌声。

 

 いまだ慣れない2弦に指を取られ、少しテンポがもたつくも……

 そんな少しのミスさえ肯定してくれる、圧倒的な音楽の懐。

 

 まだ完璧に弾けない。

 練習をすればまだまだ上手くなれる。

 

 俺の手はもっと上手に歌うことができる。

 まだまだ……この遊びは終わらない。

 

 ……ハウザー2世が、そう言ってくれてるような。

 そんな感覚。

 

「……」

 

 レナとチャドには感謝してる。

 やっぱり俺は、ギターを弾くのがたまらなく好きなんだ。

 

 音を出せば目をつむってても、視界が鮮やかに染まる。

 俺にとってこの音色こそが何よりも異世界転移だったんだろう。

 

 逃げ出したい現実も、思い出したくもないあらゆる過去も。

 ここに来れば全部が洗い流される。

 

 6本の弦で奏でられる音楽は……

 『あなたはそのままでいい』って言ってくれてるようで。

 

 俺は、何の気負いも不安も感じずに……

 まっすぐな演奏ができるんだ。

 

 

 曲名は『初音(はつね)』。

 

 

 初めて自分で作った……ベタなコード進行と手癖になったアルペジオ。

 今は少し幼稚に感じる爺ちゃんの曲を真似して作った音楽。

 

 お願い『初音(はつね)』。

 この世界の恩人に、俺の想いを伝えておくれ。

 

 そして俺を、どうかこの世界の日常の一部にしてください。

 

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 

 ――ポーン……――

 

「……」

 

 5分程度の『初音』は、気づいたらあっと言う間に終わる。

 気分が高揚して曲のテンポが少し早くなってしまった。もっとゆったり弾いた方が良かったな。

 

 演奏が終わると、得も言えぬ満足感が自分を満たしているのがわかる。

 とてもリラックスできた。途中でステージ上であることすら忘れてた。

 

 やっぱり音楽っていいな。

 

「……」

 

 少し冷静になると、自分が演奏中目をつむっていたことを思い出した。

 皆はどんな顔をして俺の演奏を聴いてくれていたのだろう。

 

「……」

 

(……ん?)

 

 その時だ。

 目を開こうと思った瞬間、俺はあることに気づいた。

 

(……あれ?)

 

 何の音も聴こえない。

 人の声や街の音、風や鳥の鳴き声。その全てが聴こえない。

 

 聴覚を失ってしまったのかと不安になるほどの『無音』。

 一瞬、まるで宇宙に放り出されたのではないかという感覚にすらなった。

 

 目をつむる前には確かにいた何百人という人々。

 

 誰ひとりそこから居なくなってしまったのではないか。

 俺の時間だけ置き去りにでもされてしまったのか。

 

 演奏中、満たされるような安心感の中にいたからか……

 突然襲われるその不安に、なんだか鼓動が早くなる。

 

(……ッ!?)

 

 しかし、次の瞬間。

 今度は、また違う不安が俺を襲うことになる。

 

 地震とか、何か強大な自然現象に巻き込まれる直前のような……耳の奥が揺れる独特の絶望感。

 

 何か人間では抗えない、圧倒的な力が迫ってくる。

 そんな危機感にも似た感覚が俺を襲う。

 

 

 ――ゴオオオオオォォォォッッッッ!!!!!!!!!――

 

 

 そして……

 無音の世界から俺の目を開かせたのは、巨大な地響きのような音だった。

 身体がびくっと震える。

 

 内臓に響く重低音。

 鼓動と共鳴するように、俺の不安を煽ってく。

 

 目を開けたのは、俺の防衛本能に過ぎない。

 だってまるで巨大な何かが襲って来たのかと思ったんだ。

 

 

 ――ゴオオオオオォォォォッッッッ!!!!!!!!!――

 

 

 それは俺が生まれて初めて聞く音だった。

 

「……え……?」

 

 その正体は……

 

 人の声。

 自分の耳の中に鼓膜があることを思い出させるほどの空気の揺れ。

 

 すなわち……

 アレンディル国内全土の大喝采であった。

 

 

 

 



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楽しい握手会へようこそ

 

 大声で何かを叫ぶ男の人、蹲って大粒の涙を流す女の人……

 両の腕をめいいっぱい振って飛び跳ねて笑う子ども達、手を合わせて拝むような老人。

 

 壊れた人形のように手を叩いている人や、口をぽかんとあけて俺を見ている人。

 まるでダムが決壊したように目の前の人々は笑顔や涙、多くの感情を隠さずに俺に向けている。

 

 人々の声の集合体が王宮前広場に地鳴りのように響く。

 

(一体……何が起こったんだ)

 

 国中の人達の感情……理性の蓋が一斉に吹き飛んだのか?

 皆が俺を見て何かを叫んでいるが、うるさくて一人一人の声はまるで聴こえない。

 

 何かやらかした……本当にそう思った。

 

 その時……

 

「ミナトさん、こちらへ」

「……えっ!?」

 

 俺の手を強く引いたのは、袖で見ていたはずのアリスさんだった。

 成す術もないまま、ステージの裏に連れていかれる。

 

 そこには次の研究発表を控えた亜人の学者がスタンバイしていた。

 しかし大切な研究成果であろう沢山の書類を床に落とし、彼もまた膝をついて大声で泣いている。

 

「あああああッ!!ああああッ!」

 

 アリスさんは何も言わないまま俺の手を引き彼を通り過ぎて……

 人気のない倉庫のような場所に俺を押し入れると、振り向いてこう言った。

 

「ミナト様、少しこちらで待っていていただけますか……?」

「えっと……」

 

 その時、俺は何が起こったのか尋ねようとした。

 しかしアリスさんの顔を見て、それを飲み込む。

 

 なぜなら、アリスさんも泣いていたからだ。

 大粒の綺麗な涙をこぼし、陶器のように真っ白だった頬が赤らむほど。

 

「いえ……わかりました」

 

 アリスさんも俺の視線で自分の涙に気づいたのか、手のひらで拭いながら部屋を後にする。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 待たされること10分ほど、広場の地鳴りのような声はまだ響いていた。

 

「ミナト様、お待たせしました」

 

 再び部屋に入ってきたアリスさんの顔に涙はなかったものの、まだ頬は赤いままだった。

 

 アリスさんは座る俺に視線を合わせるため跪いて言う。

 

「ミナト様、よくお聞きください」

「……はい」

「現在広場は国民が押し寄せ非常に危険な状態です。ほとんど暴動化していると言っていい」

 

 アリスさんの真剣な表情に、俺は黙ったまま話を聞く。

 

「これは、あなたの出したあの音によるものです。できれば、貴方に協力していただきたい」

「俺の音?……協力するのはかまいませんけど……」

「急なことで混乱していられると思いますが、どうか今は指示に従ってください」

 

 俺が頷くと、アリスさんも僅かに微笑んで立ち上がる。

 そして壁に立てかけられてあるハウザー2世を見てこう言った。

 

「その……『ぎたあ』は、この部屋に置いておいてください。ミナト様ここを離れている間、騎士団がお守りします」

「わかりました」

「それでは移動するとしましょう。ミナト様、移動中は私の身体のどこでもかまいません。手で触れて、決して離れないようお願いします」

 

(アリスさんに触れる……?)

 

 意味は分からなかったが、俺は立ち上がり、言われた通り彼女の真っ白な甲冑に右手で触れた。

 すると何か不思議な暖かさで包まれた気がして、妙な安心感があった。

 

 俺達がそのまま扉を開け部屋を出ると……

 蒼い甲冑の着た兵士たちがびっしりと廊下で待機していた。

 

 俺とアリスさんの姿を確認すると、力強い敬礼をする。

 

 しかし、その兵士達の顔も泣いた後のように顔が腫れている人がほとんどだった。

 そんな彼らに向かってアリスさんが指示をだす。

 

「私はミナト様を連れて王宮の騎士団控え室に向かう。ミナト様は私の技能(スキル)で保護しているが、ぎたあ の護衛は君たちが頼りだ……。任せたぞ」

 

 その言葉に、兵士たちは声をそろえて「はッ!」と腹から声をだす。

 

「それではミナト様、参りましょう」

「はい」

 

 アリスさんの甲冑からは決して手を放さず、歩きだした彼女について行く。

 すると進む廊下の先から、だんだんと地鳴りのような声が大きくなるのがわかった。

 

 扉を開けると、そこは広場だった。

 

 ――ゴオオオオオォォォォッッッッ!!!!!!!!!――

 

「……わっ」

 

 視界は全て人。

 

 扉から俺が出てきたのを視界にとらえると、塊のとなった人々の声が一際大きくなった。

 

 たくさんの兵士達が溢れんばかりの人々を必死で止めている。

 何人かが止める兵士の上や下から俺に触れようと手を伸ばしてくる。

 

 秩序の無くなったその光景に恐怖すら覚える。

 

「アリスさん……!どうやって王宮にいくんですか……?」

 

 声をかき消されないように大きな声でアリスさんに言う。

 王宮はステージ後ろの階段を上がった先。こんな状態じゃろくに歩くこともできない。

 

 するとアリスさんが、大衆のど真ん中を指さした。

 

「問題ありません……。まっすぐ進みます」

 

 すると、彼女の身体がふわっと光を放つ。

 そしてそのまま歩き出し、人々の中へ入って行った。

 

「……え」

 

 アリスさんから離れないよう、彼女の甲冑に触れる手に力を入れたが……

 人々はまるで見えない何かに押し出されるようにアリスさんの前で道を開ける。

 

 しかしよく見ると、アリスさんの周りだけ透明なバリアでもあるかのように人が押し出されていた。

 アリスさんは表情を変えず、俺が手を離さないようにゆっくりと……けれども凛とした態度で大衆の中を歩いていく。

 

「これは……?」

「私の技能(スキル)……『白皙の拒絶(ホワイトヴェール)』と言います。誰も私達に触れることはできません」

 

 俺達は大衆のど真ん中を突き進み、王宮への階段を上る。

 

 そこにもビッシリの人がいたが、誰も俺達に触れることは出来ないようだった。

 アリスさんは俺が手を離していないか、何度も確認するように振り返る。

 

 よく見ると蒼い甲冑の兵士が人々を制そうとあちこちで奮闘しているようだった。

 しかしそのほとんどが群衆に飲み込まれ、ほとんど機能していない。

 

「こちらの部屋です」

 

 階段を上がると、十数人の兵士たちが大門横にある小さな扉を守っていた。

 アリスさんは技能(スキル)を解除して今度は俺の後ろに回り、押し込むように俺を中へ入れた。

 

 その部屋は剣や盾などが立てかけられている倉庫のような場所だった。

 数人の兵士達が入って来た俺とアリスさんの姿を見て敬礼をする。

 

 部屋には椅子と長机が用意されていて、促されるまま俺はそこに腰かける。

 

「ミナトさんはここでお待ちを」

「あの……レナとチャドに会いたいんですが……」

「申し訳ありませんが今は無理です。事情は説明してあるので、これが落ち着いたらゆっくりお話しされると良いでしょう」

「……あの、俺はこの部屋で一体何を協力すればよいのでしょうか?

 

 暴動化している人々。

 俺は状況を一切わかってない。

 

 協力しろと言われても、何をすればいいのかすらわからない。

 そんな俺にアリスさんは、こんなことを言い出した。

 

「ミナトさんは特に何も…………あ、いや……そうですね、手でも握ってあげて、彼らの話を聞いてあげてください」

「……彼らの……手?」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 そこから始まったのは、某アイドルグループもびっくりの異世界人握手会だった。

 

「本当に感動しましたッ……!今も涙が……。本当に…本当に凄かったです!」

「ミナトさん、あなたの披露した音……本当に美しかった…ッ!」

 

 それはもう、目まぐるしい数の人が順番に部屋に案内されては、俺と握手しながら色々な言葉を言う。

 人見知りなんてする余裕はなく、俺は彼らの言葉を聞くのに必死だった。

 

 そして、彼らからもらう沢山の賛辞によって、俺もゆっくりと現状を理解してはじめていた。

 どうやら俺の演奏は、この世界の人たちにとても強く響いたらしい。

 

「お願いします……うちの娘の頭をなでていただけませんか?」

「あああっ!ううううっ!」

 

 中には涙で何を言ってるのかよくわからない人もいた。

 とても慌ただしかったが、俺はできるだけ彼らの言葉を聞き逃さないように握手した。

 

 だって彼らの感情を理解したとたん、無秩序に見えた人々の表情がとても優しいものであることに気づいたから。

 

 そして、その言葉ひとつひとつが……

 まるで「この世界へようこそ」と言っていくれているような、とても満たされる時間だった。

 

 しかし……

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 それから……なんと約7時間。

 俺はその部屋に拘束されたまま、ひたすら人々と握手し続けた。

 

「大好きです……ッ!私はあなたと出会うためにここに来たのかもしれない……ッ!」

「あなたがこの世界に来てくれたことを神シエル様に感謝いたします……ッ。私、この時代に生まれてきて本当によかった……ッ!」

「お願いします……母の手を握っていただけませんか……?ありがとうございます。私もとても、とても感動して……」

 

 数時間以上握手しているのにも関わらず、外から聞こえてくる音も、案内されてくる人も全然減らない。

 

 兵士達も人を捌くのに慣れてきたのか、決まった時間が過ぎると強引に俺と握る手を剥がして次の人をいれる。

 

 その振る舞いはまさにアイドル握手会のハガシさんそのもので……

 おそらく死線をいくつもくぐって来たであろう屈強な兵士さん達が疲労でふらふらしている。

 

「どうか一列にお並びくださいッ!非常に危険ですッ!」

「順番にご案内いたしますッ!押さないでくださいッ!押さッ……!押すなッ!!」

 

 小さな部屋の中であらゆる感情が飛び交い、目まぐるしく人々が移り変わる。

 手の感覚はとっくに無くなり、表情も作れなくなってきた

 

 当然、ほとんどの人が顔を覚える間もなく過ぎ去っていったが…

 そんな中でも印象的な人もいた。

 

 一人は高級そうなドレスを着た貴族の少女。

 おそらく年齢は俺より低く、紫の髪がとてもきれいな可愛い女の子だった。

 

 彼女は目にいっぱい涙を浮かべ、口にハンカチを当てた状態で部屋に入り……

 俺の手を強く握って、他の人と同様とても興奮していた。

 

「私、ティナと申します。生まれてから私……あぁ、今まであんな音、聞いたことありませんでしたッ…!素晴らしかった……。ミナト様の音は、まるで失っていたとても大切なものが、私の中に戻ってきたような……とても暖かい感動だった……」

「あ……ありがとう」

 

 とても上品な印象がある子だったが、凄い熱量に押される。

 俺の目をまっすぐ見ながら、とても強く手を握る。

 

 そして突然こんなことを言い出した。

 

「私、貴方に恋を致しました。驚かれると思いますが……私と結婚をしていただけないでしょうか」

「は!?え!?……結婚ですか?それは…えっと……」

 

 俺が返答できずにいると、兵士が彼女の手を引き「時間です」と声をかける。

 すると、彼女の表情は俺に向けていた柔らかなものから一変し、手を振り払って大きな声で兵士に訴える。

 

「触らないでッ!私を誰だと思っているの!?バルザリー家のティナ・バルザリーよ!?」

 

 彼女の一変した態度に俺は驚いていたが、兵士はそれをわかっていたようで……

 決して動揺せず凛とした態度で応対した。

 

「存じております。しかし三名家のご令嬢と言えど、この状況では特別扱いは出来かねます。ですからどうか、民衆の見本たる貴族の振る舞いをお願いいたします」

「……ふん、わかっておりますわッ!」

 

 そう言って部屋を出る去り際、彼女は俺にこう言った。

 

「ミナトさん、絶対……絶対に私はあなたと結婚致します。ではまた……ふふ」

 

 その時の彼女の表情は、寒気がするほどの冷酷さを感じさせた。

 慌ただしい場でなかったら凍り付いてしまいそうなほどだ。

 

 他にも印象に残った人がいる。

 ティナ譲からさらに1時間後、部屋に入ってき15歳前後の少年だ。

 

 彼は俺の前でも深くフードを被り、ティナ譲とは似ても似つかぬボロボロの装いだった。

 手を握ると小刻みに震えていて、彼もまたとても興奮して目に涙をいっぱい浮かべていた。

 

 しかし、彼は他の人と明らかに違う空気を持っていた。

 

 灰色の髪と、まるで鮮血で染めたのではないかという真っ赤な瞳。

 顔立ちが妙に整っていて……ティナ譲とは違う冷たさを感じる少年だった。

 

「ぼぼ、僕……ヴラドって言います。み、ミナトさん……すごかった……本当に凄かったです!」

「……ありがとう」

「僕、あなたのようになりたいんです……あの木製細工……僕にも作ることはできるのでしょうか?僕もあなたのようにあんな音を奏でてみたいのです」

「作るのはどうだろう……不可能ではないとおもうけど。奏でること自体は練習すれば、きっとどんな人でも出来ると思うよ?」

「どんな人……でも?」

 

 そう言うと、ヴラド少年の真っ赤な瞳が、少しだけ光を失って濁った気がした。

 彼はその瞳で俺を見ながら言う。

 

「やっぱり……人でないと、ダメ……ですか?」

「え……?」

 

 ここで、兵士によって彼は連れていかれた。

 亜人の子だろうか。

 

 彼が言った言葉はもちろんだが、少なくとも普通の人間ではない何かを感じた。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 そして、今に至る。

 俺は握手のし過ぎで震える手を見ながら、ポツリとつぶやく。

 

「指紋って意外に無くならないものだな……」

 

 自分でも何を言ってるのかよくわからなかったが、気持ちだけ理解してくれれば幸いだ。

 

 心の中で現実逃避にも似た意味不明な自分語りをしていると…

 アリスさんがローブ姿の男性と中に入ってきて俺に言う。

 

「お疲れ様です。平気ですか?」

「はい……あ、あとどれくらいいるんでしょう……?」

「それが、通信魔法でミナトさんのギターを聴いた国民が、どんどん広場に集まっているようで……」

 

 その先を聞くのが怖くて何も言えなくなる俺を、アリスさんは心配そうに覗き込む。

 しかし、しっかりと絶望的な数字は言った。

 

「もともと広場だけで数万人規模の式典です。市場の方まで人が溢れていることを考えると……最低でも2~30万人以上かと」

 

 その数に圧倒され、ゴクリと唾を飲む。

 アイドルの握手会だって数千とか数万とかそんなレベルなのでは?

 

 ポール・マッカートニーのライブでも最高で20万ちょいくらいの動員数じゃなかったっけ。

 

「王宮にミナト様の部屋をご用意いたしました。『ぎたあ』もそこに。……交流はこれくらいにして、本日はそこでお休みください」

「……わかりました」

「それと、王宮の魔導士を連れてまいりました。本来は禁止されていますが、緊急ですので転送魔法で部屋の前までお送りいたします」

 

 すると、アリスさんは一緒に入ってきたローブ姿の男性に「頼む」と声をかける。

 男性は俺の手を掴むと、身体がふっと暖かくなる。

 

 その姿を見ながら、アリスさんが少しだけ微笑んで……

 

「ゆっくりお休みください……お疲れ様でした」

 

 と言って軽く頭を下げた。

 

 ――ひゅん……――

 

 そして気付くと、俺は一瞬で大きな廊下の真ん中に立っていた。

 荘厳な柱の装飾を見ると、おそらく王宮の廊下だろう。

 

 目の前には大きな扉があり、そこには二人の兵士達が立っている。

 彼らは俺を待っていたようで、姿を見ると敬礼し、その大きな扉を開いた。

 

 体力的にもかなり疲れていた俺は、ふらふらとその部屋に入る。

 そこはかなり大きな部屋で、立派な天蓋ベッドと一人で使うには持て余す大きなダイニングテーブルが置かれていた。

 

 そしてそこには……

 あの2人がいた。

 

「ミナトさんッ!」

「ミナト!」

「レナ…チャド……う”ッ!!」

 

 レナとチャド。

 

 レナは俺の姿を見るな否や、飛びつくように抱きついてきた。

 疲労により俺の筋肉は大きな衝撃を受け流すほどの余裕はなかったようで、情けなくバランスを崩す。

 

「あっ!ご、ごめんない……私、嬉しくて……」

「大丈夫だよ……少し座っていいかな」

 

 そう言って俺がベッドの上に腰かけると、チャドが目の前にきて、俺の手をとり強く握った。

 

「ミナト……」

「……?」

「凄かった……本ッ当に凄かったッ!」

 

 そして、チャドは涙をこらえるようにうつむいて……

 

「ありがとう」

 

 と、心の底から温度を込めた感謝を言ってくれた。

 

「ははっ……うん」

 

 そんな二人の嬉しそうな顔が、なぜかとても嬉しくて。

 ここで初めて自分のやり遂げたことに実感が湧く。

 

 気付けば、俺の胸の中には一生分の感謝で満たされていた。

 

 この時俺は思ったんだ。

 

 俺はこの異世界で、生きていける。

 いや、生きていきたいって。

 

 

 



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自分の城にようこそ

 

 後から聞いた話だと……

 研究発表は後日に延期。

 

 握手会が中断された後も、俺に会いたいという人はどんどん増えていき……

 結局それが落ち着いたのは次の日の昼すぎだったという。

 

 俺は広場が落ち着いたあとも数日間、王宮から出ることを禁止された。

 

(……なんかこっち来てから、ずっとどこかに隠れるように住んでるな、俺。)

 

 王宮としても今回の事は想定外だったようで……

 レナとチャドは連日王宮から呼び出しを食らっていた。

 

 どうやら俺の今後について、色々と話し合いを進めているらしい。

 

 与えられた部屋は豪華であるものの、暇つぶしできそうなものは本くらいしかなかった。

 ハウザー2世は豪華な装飾が施された天蓋ベッドが気に入ったのか、ボディに艶がでている気がする。

 

「……一体どうなるんだろう」

 

 つまらない部屋で過ごす4日目の朝。

 窓から外を眺めていると、レナとチャドが部屋に入ってきた。

 

「ミナトさん!ごめんなさい……ずっとこの部屋に閉じ込めているようで」

「平気だよ。それで状況は?」

 

 解答はすぐにチャドから返ってくる。

 

「ミナトの演奏を聞いて、王宮のほとんどの人が俺たち研究班の成果を称えてくれてるよ」

「じゃあレナとチャドの研究班も解散せずに済んだんだね。よかった」

「あぁ、それでさ……急なんだけど、王がミナトと話がしたいって言ってるんだ」

 

 王様が……!?

 

 漠然と偉い人が怖い俺。

 だけど、今の状況で悪いようにはされないだろう。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 俺達はすぐ王と謁見することになった。

 

 RPGとかでは、玉座の間みたいな所で王から大切な話を聞くものだけど……

 王からの指示で、王宮の入り口にある例の大聖堂での謁見になった。

 

 王の到着が遅れているとのことで、俺達は大聖堂で数分待たされることになる。

 蒼の騎士団が慌ただしくしているところを見ると、そんなに遅くはならないだろう。

 

 俺は椅子に腰かけて、ぼーっと大聖堂の天井を眺める。

 するとレナが俺と同じく天井に視線を送り、尋ねるように聞いてきた。

 

「何見てるんです?」

「え……いや」

 

 俺が答えに困っていると、レナが続ける。

 

「そうえば、ミナトさん初めてここに来た時に言ってましたよね。『この建築どこかで見たことある』って」

「そうだったね」

 

 何度もここを通るうちに、その感覚は無くなりつつあったけど。

 未だに知らない異世界の大聖堂の建築に見覚えがあるのか、その謎は解けない。

 

「ミナトさん、もうここに来てから1週間なんですよ」

「そっか。まだ全然実感ないけど……」

「王宮がミナトさんを国民として認める正式な認可もおりたし、改めてこれからもよろしくお願いします。……えへへ」

 

 レナが照れくさそうに笑う。

 

 この笑顔とその綺麗な声を初めて聞いた時は衝撃だったな。

 もう……1週間経つのか。

 

 そんな話をしていると、たくさんの人を引き連れて王が大聖堂に現れた。

 後ろには交流会で俺を守ってくれていたアリスさんもいる。

 

「ファブリス王、こちらです」

 

 王は姿は、俺がイメージしている王様像とはかけ離れた人だった。

 

 爽やかな短髪に、ガッチリとした体格。

 とても見事な金の装飾つけた甲冑を身にまとい、明らかに他の人との身分の差がわかる。

 

 しかし、その風貌は王様というより兵士に近い。

 それくらい逞しく、何より若い男性だった。

 

 俺とレナ、チャドは王を視界にとらえ、立ち上がる。

 すると王は俺達に向かって言った。

 

「そのままでいいよ。敬礼もいらない」

 

 そう言うと、そのまま俺たちの向かいの席に着座し、大股を開いて俺の顔を見る。

 王との謁見というより、バイトの面接みたいな雰囲気だ。

 

「はじめましてミナト。私がこの国の王、ファブリス・アス・アレンディールだ」

「はじめまして……サクライ・ミナトです」

 

 王と謁見する時の作法なんて知らないので、何か失礼がないかヒヤヒヤしていたが。

 どうやらこの人は、そういう作法とかはあまり気にしない人な気がする。なんとなく。

 

「君を閉じ込めたみたいな形になってすまないな。君を迎えるにあたり、色々準備があったんだ」

「そうなんですね。ありがとうございます」

 

 話し方も妙にフランク……と言えば軽すぎるけど、変に緊張しない感じだ。

 王はそのまま話をつづけた。

 

「今後のことについて話したいんだが……その前に君と行かなければならない場所がある」

「……行かなければならない場所?」

「まぁ……国のしきたりというか、形式的な儀式というか……そんな感じだ。でもすぐに終わる。他の者はここで待っててくれ」

 

 そう言うと王は立ち上がり、そそくさと歩きだす。

 俺が慌てて王について行くと、後から数人の兵士もついてきた。

 

 王はズンズン王宮の奥へ進んでいき、歩きながら俺に言う。

 

「すまんね。王政の爺さん方がうるさいんだ……さっさと終わせて戻ろう」

「あの、どこへ行くんですか?」

「神様のところだよ」

 

 神様?

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 連れてこられたのは、大聖堂の裏にある大きな廊下の先。

 大きな扉を開けると、地下へ続く階段があった。

 

 王に続いて俺も階段を降りると、兵士達は同行せず、階段の上で待っていた。

 階段の下にはまた大きな扉があり、どうやらこの先は王と二人だけで部屋に入るらしい。

 

「うい……しょ」

 

 王は重そうな扉を押して開く。

 俺も手伝おうと思ったが、さも王が当たり前のようにやるのでその隙がなかった。

 

「…よし。入っていいよ」

 

 そうして王に言われるまま中にはいると、そこは巨大な円形のホールのような場所だった。

 中心には立派な装飾が施された大きな台座があったが、それよりもその上に置かれた”それ”の存在感に目を奪われる。

 

「我らアレンディル王国の神……聖シエルの黒像だ」

 

 それは黒い石像だった。

 美しい少女の姿をしていたが、近くに行かないとその形が理解できなかった。

 

 理由は簡単で、異様なまでに黒いのだ。

 部屋はたくさんの松明で照らされているのに、石像は一切の光を反射していない。

 

 そもそも……石ではないのか?

 明らかに俺が異世界で見た何よりも異質なオーラを放っている。

 

「ここに」

 

 そう言って王は彼女の前に来ると、深く頭を下げた。

 俺もそれを真似して頭を下げる。

 

 数秒ほどで頭を上げると、王が言う。

 

「私たちはこの黒像を……何百年も神として崇めてきた」

「神として……?」

「あぁ。神を象った像ではなく、これ自体が我らの神なんだよ」

 

 神の像ではなく……神が像……ってことか?

 すると王は俺の方をみて、少しだけ微笑みこう言った。

 

「わけわかんないよな」

「……え?」

「さぁ、戻ろう」

 

 そう言うと、王はそそくさと部屋を出る。

 

「え?もういいんですか?」

「あぁ、誰も見てないし……別にかまわんだろう」

 

 彼についていくと、部屋から出る直前……

 聞こえるか聞こえないかのような小さい声で。

 

 王はこうつぶやいた。

 

「何かを成すのは、神ではなく結局は人間だからな」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 その後、場所を王宮の大きな会議室に場所を移し、今後のことについて語ることになった。

 俺はレナとチャドと王の向かいの席につく。

 

 部屋には護衛なのか、アリスさんを含めて数人の『蒼の騎士団』もいた。

 

 あの真っ黒な石像を見た後だからだろうか。

 アリスさんの白い甲冑がヤケに眩しく感じる。

 

 そして王は微笑み、俺達に言った。

 

「さて、シエル様への謁見も済んだことで、ミナトも勲章を受け取る権利を得た」

「勲章?」

 

 レナとチャドを見ると、嬉しそうに視線を返す。

 

「あぁ、君はこれで我がアレンディル国民になっただけでなく、国の英雄として後世に語り継がれることになるだろう」

「え……英雄……」

「あぁ、終焉の冬霜(とうそう)以降、この国には暗いニュースしかなかったからな。それほど君の音には多くの人が熱狂し、同時に希望を見出した。改めて感謝するよ」

 

 そんな……大事な儀式だったのか。

 さっきの黒像への謁見。

 

 さらに王はレナとチャドを見て続ける。

 

「そして君たち二人も、長年誰にも成し遂げられなかった異世界召喚を成功させただけでなく、間接的に新たな文化をこの世界にもたらした功績は大きい。君たちにも相応しい称号を与えることになるだろう」

「ありがとうございます!」

 

 そう言うと、王は俺たちの見ている前で高級そうな紙に高級そうな印を押し……

 俺たちの前に一枚づつ置いた。

 

「それは君たち各々の功績を認める証書だ。まぁ、記念品程度に思っておいてくれ」

 

 レナとチャドはとても嬉しそうに自分の前に置かれた証書を見ていた。

 俺にはその紙の凄さはよくわからなかったが、2人が嬉しそうにしてると、こっちも嬉しくなる」

 

 王は話をさらに続ける。

 

「それで、今後の研究の計画についてはどのように考えているんだい?」

 

 レナが緊張した顔で、王に返答する。

 

「ミナトさんが教えてくれた音楽は、我々が終焉の冬霜(とうそう)以降、ずっと求めてきた新たな文化の礎になり得る財産です。未だこの世界にあるどの芸術も、あれほど人を熱狂させるものは存在しません」

「あぁ、それには同意せざるを得ない」

「私たち『異世界研究班』は、ミナトさんから音楽に関する知識を学び、それをこの国と人々に伝える義務があります。ミナトさんがよければ……ですが」

 

 レナのこの言葉が、俺には凄く嬉しかった。

 俺はすぐに了承する旨を王にも伝える。

 

「俺も、もちろんその研究に協力していきたいです」

 

 その言葉を聞いて、王が言う。

 

「今まで異世界研究という分野が、我々に一体何をもたらすのか誰も想像もしてなかった。しかし君たちは最高の形で、国民にその必要性を証明できただろう」

「はい!」

「しかし、水を差すわけじゃないんだが……。研究の主題を異世界のさらに音楽という分野に絞れば、これまで君たちの研究はこれまでと異なる方向に進んでいくだろう。チャド君の専門は異文化研究だったね?」

「その通りです」

「音楽は異文化研究の延長線上にある気もするが……。レナ君の専門は魔術だろう?異世界召喚の魔法陣が成功し、音楽と言う新しい研究目標ができた今、すでに君の専門分野とは逸脱し始めている気がするが……」

 

 確かに……レナは魔術専門の学者だ。

 音楽を普及させるための研究に魔術は必要ないようにも思う。

 

「誰も成し遂げられなかった異世界召喚という功績は非常に大きい。今なら君が望む魔術専門の研究班に移動させることもできる。それでもいいのかい?」

 

 王のこの問いに、レナはハッキリ言った。

 

「魔術以外で、こんなにワクワクするの初めてなんです。ミナトさんがこの世界に持ってきてくれた音楽が、私たちにどんな未来を作ってくれるのか……見届けたいんです」

 

 王はこの言葉を聞くと優しく微笑み、俺達に言った。

 

「いいだろう。これより君たちの班は新たに『異世界音楽研究班』と命名し、この国に音楽の普及することを目的とした王宮研究班として正式に認可する」

 

 『異世界音楽研究班』……。

 

「研究班の班長は、引き続き君がやるといい。レナ・キーディス」

「はい!ありがとうございます!」

 

 俺は今までにないほどワクワクしていた。

 この世界に来てから、自分が何者なのか……ずっと考えていたから。

 

 これで俺は、この世界に音楽を普及させるためにやってきた。

 そう胸を張って思える。

 

 すると今度は、王が俺に向かって話をする。

 

「それでミナト君、君も重々理解していると思うが……君は今や『異世界音楽研究班』だけではない、国中で最も注目されている重要な存在だ」

「……そうみたいですね。少しづつ実感してきました」

「君の命を守ることは、この国の未来を守ることと直結していると思ってる。そこで、彼女を君につけることにした」

「……彼女?」

 

 すると、王の後ろに立っていたアリスさんが一歩前にでた。

 

「ミナト様……私、王宮直下『蒼の騎士団』総長改め、ミナト様の個人警護の任を任されました”拒絶”のマリア・ヒルドルです。これからこの身を、永遠に貴方に捧げます」

「え!?」

 

 これにはレナ達も驚いたようで、それがすぐに言葉にでる。

 

「マリアさんは王宮を守る『蒼の騎士団』の総長ですよね!?王様を守るための重要な役目があるんじゃ……」

 

 すると、王はそれを聞かれるのを待っていたように返答した。

 

「側近達にも同じことを言われたよ。確かにマリアはこの国最高の騎士だ……。しかし『蒼の騎士団』は彼女だけではない。最強の騎士がずっと頂点に鎮座していては、下の兵士は育たないのさ」

 

 そう王が微笑むと、アリスさんは俺に深く頭を下げる。

 そしてさらに王は続けた。

 

「それと、もうひとつ。君たちは王宮内でも注目の的だ。ここじゃ集中して研究もできないだろう」

「……?」

「ミナトもずっと王宮暮らしという訳にもいかない……そこでミナト名義で、勝手ながら君たちの新しい拠点を用意させてもらったよ」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 そう言ってアリスさんに案内された拠点は……デカい城だった。

 

「もともとは領主ベルン家の小城です。ベルン様が『終焉の冬霜(とうそう)』時代に亡くなってから暫く誰も住んでいませんでしたが、王の計らいでミナト様が新しいオーナーとなります」

 

 首都フロリアからほど近い山の中。

 来る途中からでもその巨大さがわかった。

 

 小城……小さいのかこれで。

 

 確かに王宮よりかは小さいのだろうけど、全体のサイズ感が視認できるからか、むしろ巨大に感じる

 アリスさんが小城について色々と説明してくれたが、ほとんど頭に入ってこない。

 

「『終焉の冬霜(とうそう)』が終わったのって10年くらい前なんですよね?それにしては随分綺麗ですね……」

「もともと王家の別荘のようなものでしたし、ミナト様が王宮にいる間、メイド達が総出で掃除しておりました」

「メ……メイドさんもいるんですか……?」

「えぇ、12人ほど。彼女たちも私と同じく王宮から給与が支払われます。24時間体制の住み込みでミナト様のお世話をさせていただきます」

 

 たった数時間でメイドさん12名を抱える小城の主になってしまった。

 怒涛の展開に立派な小城の前で立ち尽くしていると、レナが俺にいう。

 

「ミナトさん……あの……」

「え?」

「えっと……わ、私もここに住んじゃダメでしょうか……その、お部屋はたくさんあるみたいですし……少しでもミナトさんのお役にたてたら嬉しいなって思って……その」

 

 レナが恥ずかしそうにうつむく。

 

 いや、うん。

 どう考えても俺一人じゃ持て余すし。

 そもそも研究所の拠点として使えって言ってたし。

 

「どうせ俺一人じゃ、城の半分も使いきれないよ。一緒に住もう」

「あ、ありがとうございます!」

 

 そしてアリスさんにも俺が言う。

 

「アリスさんもここに住んでくれるんですか?」

「えぇ、ミナト様の警護が私の役目ですから」

 

 すると、その話の輪にチャドが強引に入って来た。

 

「おいおい!まさか女子だけとは言わねぇよな!ミナト!」

「……もちろん、チャドも一緒に住もうよ」

「っしゃあ!!!」

 

 こうして『異世界音楽研究班』は城を拠点とし……

 この世界に音楽を広める研究を行うことになった。

 

「ミナトさん……まずは何からはじめましょうか」

「そんなの、決まってるよ」

 

 音楽を普及させるために最初に必要なもの……それは。

 

「ギター制作……俺達で、この世界初の楽器を作ろう」

 

 

 

 



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ギタークラフトの世界にようこそ

 

 王に与えられた城は、大きく3つの建物で構成されており、それぞれが城壁で繋がっている。

 

 俺達は3つそれぞれの建物を工房棟(こうぼうとう)、研究棟(けんきゅうとう)、生活棟(せいかつとう)と役割ごとに名づけた。

 まぁ、今は皆が暮らす生活棟以外、ほとんど空き部屋なんだけど。

 

 だが音楽を普及させるためには、作った楽器の大量生産を行う体制を作らなければならない。

 俺達はいつか工房棟を多くの職人が集まって作業できるような場所にしたいと考えていた。

 

 チャドとレナは、研究棟を音楽の学校のような施設にできないか画策している。

 今はガラガラの城だけど、いつか音楽を愛するたくさんの人で溢れることになれば、それはきっととても素敵なことだと思う。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 小城を与えられてからの数日間。

 俺達は連日、メイドさん達の作る美味しいご飯を食べながらそんな計画を話してた。

 

 王に名を与えられた俺達『異世界音楽研究班』の目的は、この世界に音楽を普及させること。

 

 それはつまり、俺が一方的に音楽を演奏するだけではない。

 この世界にいる誰もが平等に楽器を持ち、音楽を作り、演奏し、楽しむことができるようにするということだ。

 その為に必要な第一歩は決まっていた。

 

 楽器の制作と、正しい知識のテキスト化。

 

 すなわち異世界から持ってきたハウザー2世ではない、この世界初、アレンディル王国産の楽器制作と量産体制の確保。

 そして音楽の正しい知識を、誰でも読めるテキストにするということ。

 

 それがどれほど大変なのか俺にはわかっていなかったけど……

 その第一歩を進めるため、俺はアリスさんと共に『ヴァルム工房&材料店』に向かっていた。

 

 革材で作ったギターケースに、ハウザー2世を入れて。

 

「ミナト様、前は見えにくくないですか?」

「うん、大丈夫だよ」

 

 と、言っても俺もアリスさんも有名人。

 深くフードを被って工房区を歩く姿は、怪しい。

 

 店の前につくとリリーが店の前で小さなノコギリで木材を小さく分けていた。

 あいかわらずリリーの恰好は胸に布を巻いただけのような出で立ちで、木を切るたびにオレンジのポニーテールと大きな胸がふわふわ揺れている。

 

 俺達は彼女にこそこそと近づき、小さい声で話しかけた。

 

「リリー……」

「!?」

 

 俺の顔を見ると、リリーは一瞬固まる。

 そして……

 

「ミナト……ッ!」

「え……ッ!?」

 

 リリーは雑に道具を置いて俺に近づき、強引に手を取った。

 

「わ、私っ!ミナトの演奏聴いてたっ!通信魔法陣で……ッ!すごい……すごい感動した!」

「あぁ……うん、ありがとう!」

「聴こえてきた音……私、私本当に驚いて……」

 

 リリーは一生懸命俺にその感動を伝えてくれる。

 あんなに饒舌に売り込みをしてた彼女が、興奮して上手く話せないのは愛らしくも見えた。

 

 握手会で国中の人から賛辞を貰ったけれど、知ってる人からの言葉は素直に嬉しい。

 

「ヴァルム爺さんに会いたいんだ。中にいる?」

「うん!店番してるよ!」

 

 リリーに連れられ店内に入ると、ヴァルム爺さんは前と同じく隅の椅子に腰かけていた。

 ポッポッポとキセルの煙を吐き、俺の顔を見ると嬉しそうにニコッと笑う。

 

「こんにちわ、ヴァルム爺さん」

「ほっほ……」

 

 俺はヴァルム爺さんに目線を合わせるようにしゃがみ、まずは感謝を伝える。

 そう……俺が研究発表会で演奏できたのは、この人のおかげだと知っていたから。

 

「俺の弦……レナに頼まれて作ってくれたのはヴァルム爺さんだったんですね」

「……ほほ」

「本当に、ありがとうございます」

 

 ヴァルム爺さんは特に返答するわけではなかった。

 しかし彼が微笑むだけで、なぜかとても安心した。

 

「あの……今日はお願いがあって来たんです」

 

 ヴァルム爺さんは黙って煙をふかす。

 

「今、王宮の研究班でギターを作ろうと思ってるんです。ギターっていうのは……」

「音を出す木製細工じゃろ?お前さんが手に持ってるそれかい?」

「え?……はい」

 

 俺はケースからハウザー2世を取り出して、ヴァルム爺さんに手渡す。

 ギターを受け取ると、ヴァルム爺さんはじっと全体を眺め、ひっくり返して先端を見たりしていた。

 

 ギターってのは高級品だ。

 楽器の知識の無い人に手渡すと、扱いに慣れてなくてドキドキしたりするもんなんだけど……

 ヴァルム爺さんの職人の手は妙に安心できる。

 

「ふむ……つまり、ワシにこれを作って欲しいと……?」

「可能であれば……なんですが。正直、俺は演奏するだけでギター制作なんてしたことなくて」

 

 ヴァルム爺がギターを眺めている間、リリーも初めて見るギターに興味深々だった。

 

 正直ギター制作がこの世界でどれほど難しいものか俺にはわからない。

 本格的な制作を行うためには、かならず木材に精通した専門家の力が必要だ。

 

 俺はレナが持ってきたあの弦に驚いた。

 見本として切れた弦を渡してたにせよ、この世界に存在しない弦をたった二日で作ったんだ。

 アリスさんから勧められたのもあるけど、ヴァルム爺の技術は俺が身に染みて実感していた。

 

 木材を見ながら、ヴァルム爺は俺に言う。

 

「この……ゲンを巻き付けてる機構はなんだい?」

 

 ハウザー2世は、俺の爺ちゃんが30年以上前から愛用していたギター。

 細かな部品はオリジナルの物ではなく、色々とカスタマイズされている。

 

 ヴァルム爺さんが気になった糸巻(ギヤ)と呼ばれる部分は、クラシックギターの調律をする上で最も重要な部品だった。

 

「これはギヤと言って、ペグと言う部分で弦の巻きを強くしたり弱めて、音を整える時に使うんです」

「ほう……この部分はなんの素材だ?……歯か?」

「象牙……ゾウという俺のいた世界にいる動物の牙です。他の動物のそれに比べて適度な弾力があって、手のひらの温度をそのまま吸収するんで手に良く馴染むんです」

 

 ヴァルム爺は俺の説明を受けながらハウザー2世を凝視する。

 そして今度はボディを顔に近づけてじっと表面を見つめた。

 

 そして……

 

「ワシがもう少し若けりゃのう……」

 

 ヴァルム爺さんは、少しさびしそうにそうこぼした。

 そしてギターを丁寧に俺に渡すと、リリーに向かってこう言った。

 

「リリー、ミナトさんを手伝っておやり」

「……え?」

 

 それを聞くと、リリーはとても驚いた表情を見せた。

 ヴァルム爺さんが俺に言う。

 

「ミナトさん、リリーはワシの一番弟子だ……こんな老いぼれよりもずっと役に立つ。いかがかな?」

 

 その言葉を聞くと、リリーがヴァルム爺さんに尋ねる。

 

「ヴァルムさん……それってつまり……私に任せてくれるってこと?」

「あぁ……」

 

 するとリリーは俺にも聞く。

 

「ミナトは、それでいいの?」

「ヴァルム爺のススメなら、断る理由はないよ」

 

 するとリリーは顔を赤らめ、涙をこらえるように言った。

 

「ありがとう……」

 

 嬉しそうなリリーを見て、ヴァルム爺は満足そうにタバコをふかす。

 そして俺にこう続けた。

 

「弦は、これからもワシが作りましょう」

「そうですか、消耗品なんで助かります」

「ミナトさん……」

「……?」

「リリーを、よろしくお願いいたします」

 

 そしてホッホと笑い、ヴァルム爺は一番弟子の門出を祝う。

 こうして、俺たち『異世界音楽研究班』のギター制作に、リリーが加わってくれることになった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 音楽を普及させるために必要なもう一つのこと。

 つまり音楽知識のテキスト化。こちらは研究者であるレナとチャドの仕事だ。

 

 本来であれば、実際に楽器を手に取って理解しながら進めていくものだ。

 実際に音に触れず蓄える知識はただの勉強で退屈だし。

 

 しかし、そこは研究者だけあって2人は非常に好奇心が強く、心配いらなかった。

 

「曲には調(キー)って呼ばれるものがある。わかりやすく言えば、その曲がどんな音階を使って構成されているかを示すものなんだ」

「えっとつまり、曲によってキーは違い、使われているキーによってそれぞれ構成音も違うということですか?」

 

 レナはとにかく理解が速かった。

 しかも机上の説明のみで音の理論を具体化し、理解した先の質問も活発。

 

 チャドは一つ一つ覚えるのは苦手だったようだが、実際に音を出しながら解説すると早かった。

 言葉だけの説明をするたびに、こんな感じでふてくされていたが……

 

「まじかよ!一つ一つ覚えなきゃいけないのか!?」

「規則性があるんだ。例えば音楽の基礎で習うC(ド)D(レ)E(ミ)F(ファ)G(ソ)A(ラ)B(シ)……。これはCメジャーキーというキーの構成音なんだ」

 

 説明をしながら、順番に音を出す。

 チャドは音で理解する、典型的な実践型プレーヤーだった。

 

「CメジャーキーにおいてはC(ド)という音を1として考えるとわかりやすい。そこから数えて他の音が何番目に配置されるのかを覚えておくと、キーが変わっても同じ順番の音を配置するだけで別のメジャーキーになる。これにはいくつか種類があって、決まった音階の集合体をスケールと呼ぶんだ」

 

 音の知識を解説する時にずっと思っていたのは、とにかくピアノが欲しい……と言うことだ。

 

 ピアノの鍵盤は白鍵がそのままCメジャーキーの構成音になっている。

 だから元の世界では、Cメジャーキーの構成音であるドレミファソラシドを音楽の最初の授業で習う。

 

 ある意味、元の世界の音楽学習は鍵盤楽器を使うことを前提に最適化されている気さえする。

 

 その点、鍵盤楽器に比べてギターは教育に使いづらい。

 ギターのフレッドは半音づつ順番になっているため、隣あうフレッド同士を同時に鳴らすと必ず不協和音になる。

 一つでもポジションを間違えると曲のキーから外れる場合も多く、ミスが目立つのはそのためだ。

 

 フレットを抑える指の形さえ覚えればピアノに比べて簡単に和音を弾ける分……

 音を解説する上で前提的な知識を持っていないと、本筋とは関係のない疑問を生み出しかねない。

 

(今後絶対に必要になるな……ピアノ)

 

 それに音楽は音階だけじゃない、リズムにも相当な量の知識がある。

 そこまでいったら、いよいよ言葉だけで解説するのが困難な領域に入っていくぞ……。

 

「大変そうだな……」

 

 しかい俺の感情は人生で一番高揚していた。

 人の力になれることがこんなに嬉しいことなんて想像もしていなかったから。

 

 そして俺達はついに本格的な異世界産ギター制作に入ることになる。

 俺らのこの活動が……国を超えた新しい物語の始まりになることも知らずに。

 



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続・ギタークラフトの世界にようこそ

 

 リリーが小城の工房で作業を始めてから数週間が経過していた。

 まずリリーが始めたのは、俺から可能な限りギター制作に必要な知識を引き出すことだった。

 

「俺のいた世界では、ギターに使われる木材は密度が高くて加工しやすいものが使われていたはずだよ」

「だとすると……まぁ、やっぱり広葉樹よね。ハウザー2世を見る限りそうだとは思ってたんだけど……。ちなみに、硬さとかは音に関係あるの?」

「……あると思う。ネックとボディで違う木材を使ったりするし」

 

 ギターの主な材料である木材には特に慎重で……

 彼女は何度もヴァルム爺の店を往復して俺に意見を聞いてきた。

 

 元の世界ではマホガニーやアルダーという木材が一般的だが、この世界にはそんな名前の木材はないらしい。

 

 木材ほどではないにせよ、象牙の代用品に関してもそうだ。

 ドラゴンや魔獣の歯、怪鳥のクチバシとか、加工できそうなものを手当たり次第持ってきては、俺の意見を聞いて材料選びの参考にしていた。

 

 そして城に来てからわずか5日ほどで制作に入り、現在はギター制作の佳境。

 工房の中にはすでにギターの形をした木材がいくつも壁に掛けてあった。

 

「うわぁ……リリーさん、やっぱり凄いです」

「へへへ、ありがとうレナ」

 

 俺とレナはその途中経過を見せてもらうため、工房でいくつかの試作品を見せてもらう。

 

 リリーは相変らず胸にサラシを巻いただけの露出度の高い恰好で作業している。

 ギターの方はどれも本当によくできていて、見た目だけならハウザー2世と何ら変わりは無かった。

 

 レナとリリーはこの一か月で仲がかなり深まっていた。

 もともとあまり人見知りをしない二人だし、分野は違えど専門家同士だ。気が合う部分も多いのだろう。

 

 ギターの試作品はどれも良くできていたが、一つ一つ使ってある木材が違っていた。

 俺はそれをリリーに尋ねてみる。

 

「どれも木材が違うね」

「うん。念のため色んな木材で加工の感じを確かめてるの。どの木材でもちゃんとした形にできるようにね」

「どの木材でも……?」

「だって、実際に演奏してみなきゃ良し悪しなんてわからないじゃない。原因が木材だった時、すぐ対応できるようにしたいのよ」

 

 それを聞いて俺は、改めてリリーって凄いと感心する。

 

 だって実際に作ったギターの品質が悪かった場合、考えられる原因をすでに想定し対策しているということだ。

 ものづくりの分野はよく知らなかったが、これがプロというものなのだろうか。

 

「ヴァルム爺もたくさん弦を作ってくれてるし、明日には実際に演奏できる試作品を渡せると思うわ」

「そっか。楽しみにしてるよ」

 

 壁に掛けられたギターのボディを一つ一つを見ながら、俺は横にいるレナに言う。

 

「リリー、本当にすごいよ。彼女に頼んでよかった」

「……そうですね。リリーさん、本当にすごいです」

「……?」

 

 この時、なぜか俺にはレナがあまり元気がないように見えた。

 

 ギターを見るたびに、何か悲しそうというか。

 ……寂しそうというか。

 

 そんなレナに気づいているのかいないのか、ギターを見る彼女にリリーが話かける。

 

「レナも凄いって。ミナト召喚したのも、レナの魔法陣なんでしょ?」

「……いえ、私なんかは全然ですよ……えへへ」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 そんなレナが気になりつつ、俺達は研究棟に戻る

 

 研究室に入ると、チャドが集中して何やら資料をまとめていた。

 俺は椅子に座りながら、彼の邪魔をしないように尋ねる。

 

「チャドがんばってるね。……何やってるの?」

「あぁ、おかえり。いや……ミナトが教えてくれた楽譜の読み方をまとめてたんだけど、面白いなぁって思ってさ」

 

 すると、チャドは自分が書いている資料を見せながら言う。

 

「ほら、楽譜の五線譜ってあるだろ?これって縦が音階、横が時間を示してるわけじゃん?これって古代ドワーフの作った建築用のインフォグラフィックと凄くよく似てるんだ」

「いんふぉ……?」

「わかりやすく言えば、建築で使う計算を一目でわかる図で表したもんだよ。今のアレンディル建築にも応用されたもんが使われてるんだ」

「へー……」

 

 チャドは普段ふざけているものの、さすがは異文化・歴史の専門家。

 自分から率先して知識をひけらかすことはしなかったが、たまにでるこういう知識は素直に感心する。

 

 そしてチャドはこう続けた

 

「ミナト。それで思ったんだけどさ、この五線譜の基本的な形式は残して……テキスト化する時には音符の表記を少し変えちゃダメかな?」

「音符の表記を変える?」

 

 音符はオタマジャクシなんて形容される、玉部分と旗部分で構成された♪(アレ)だ。

 この♪を構成する部分にはそれぞれ名称があり、旗部分を『符旗(ふはた)』、玉部分を『符頭(ふたま)』、そしてそれらを繋ぐ線を『符幹』と呼んでいた。

 

 学校でも音楽を習う文化のある元の世界の人にとって、この♪の形は、音楽を示す馴染み深いシンボルでもある。

 

「音符の表記を変えるって……具体的には?」

「例えば、2分音符の時はこう……4分音符は……こんな感じ。この表記はドワーフのインフォグラフィックでも使われていて、2の倍数を表しているんだ。この世界ではこっちの方が馴染み深いし、わかりやすく音符の種類を伝えられると思うんだよ」

 

 チャドの提案した記号は、『符頭』部分を丸ではなく、少し湾曲した別の形に変化させるというものだった。

 本来は全音符を〇、4分音符を●……みたいに表記するところを、ドワーフの図式を使って倍数ごとに形を変える。

 それはこの世界の文化的な知識のない俺には出てこないアイデアだった。

 

「2分音符から16分音符はいいとして、全音符はどうするの?」

「全音符はミナトの世界の楽譜表記にする。そうすれば休符に使う形も、本来の楽譜の意味を変えずに使えるだろ?」

 

 面白いアイデアだ。

 この世界の人にわかりやすく伝えながらも、『符頭』部分を変えるだけだから元の楽譜にさほど影響もない。

 何より倍数ごとに決まった形があるから、音符だけでなく休符にも使うことができる。

 

 ……もとの休符の形って2と4と8分でそれぞれ違う形だから、成り立ちを知らない人にとっては覚えにくいって聞くし。

 

「うん。いいアイデアかも。採用するかまだわからないけど、一度作ってみてもらえるかな?」

「おう!まかせとけ!」

 

 もし実際に使ってみて違和感がなければ、五線譜の良いところは残しつつ、こちらの世界の人にもわかりやすいテキストになるかもしれない。

 チャド、すごいや。

 

「レナ、チャド凄いね、こんなこと思いつくなん……て……」

 

 俺がチャドのアイデアに驚き、レナを振り返ると……

 そこにレナの姿は無くなっていた。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「……」

 

 レナは城庭のベンチでぼーっと空を眺めていた。

 工房でのことといい、明らかに変だ。なぜか元気がない。

 

 俺は彼女が心配になり、彼女の横に腰かけて話しかけることにした。

 

「レナ、大丈夫?元気ないみたいだけど……」

「ミナトさん……。あ、いえ……」

 

 するとレナはシュンと肩を落とす。

 この娘は本当に思ってることがわかりやすい。

 

「くだらないことなんです。本当に」

「……言ってみてよ」

 

 するとレナは、もじもじと話始めた。

 

「本格的に私たちの活動が始まってから……リリーさんもチャドさんも凄いなって思って」

「……?」

「自分の専門分野の知識を、ちゃんと音楽で活用している。私は音楽に関して……いっつも、ミナトさんに頼るばっかりなので」

 

 ……なるほどな。

 

 確かにレナの専門は魔術。

 ギター制作にもテキスト制作にも、それが活用できるところは少ない。

 

 王もそれを懸念してたし、本人もできると思ってたけど……

 他の2人が上手くやってるのを見て、不安になってるわけか。

 

「そんなことないよ。ここまでレナが頑張ってくれたから、俺も演奏ができるし……」

「わかっては……いるんですけどね、けど……」

「……?」

「リリーさんとチャドさんみたいに、ミナトさんのお役にたてないことが……なんだか歯がゆいんです」

 

 そう言ってうつむく彼女の顔は、相変わらずとても美しい。

 綺麗な声から放たれる言葉は、例えネガティブなものであっても……こんなに気持ち良い。

 

 俺は、この世界に来た時。

 彼女のこの声に救われたのに。

 

「俺達には、レナが必要だよ」

「……」

「自分の得意分野が、自分のやるべきことと同じ人なんて……きっと本当に少ないと思うんだ」

 

 レナが俺を見る。

 

「でも、自分のできることを積み重ねていけば……いつかその二つが交わる瞬間が訪れる。俺がそうだったから」

 

 何の役にもたたない、俺の音楽知識。

 それがこんな形で異世界で評価されるなんて夢にまで思わなかった。

 

 けれどそれは、レナがあの時俺にこう言ってくれたから。

 

『あなたが、この世界で初めての音楽を演奏するんです』

 

 アレが俺にとって、得意なことがやるべきことと”交わる瞬間”だった。

 本当に、本当に感謝しているんだよ。レナ。

 

 そんな俺の想いが伝わったのか……

 レナはニコっと微笑んで俺に言う。

 

「そうですね。確かにそうかもしれません……」

「レナ……?」

「今は自分にできること、やるしかありません……」

 

 そして、俺がこの世界に初めて来たときと同じ笑顔と声で……こう言った。

 

「ミナトさん、この世界に来てくれて……本当にありがとうございます……えへへ」

 

 



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オクターブチューニングにようこそ

 

 次の日。

 昨日の言葉を有言実行し、リリーがギターの試作品を完成させた。

 自分の部屋で朝食をとっていると、俺はメイドさんからその報告を受けてすぐに準備し部屋を出る。

 

「ミナト様、おはようございます」

 

 すると部屋の前で待っていたアリスさんが、例の真っ白な甲冑姿で俺に頭を下げる。

 

「おはよう、アリスさん。毎日こんな早くから護衛してくれなくてもいいんだよ?」

「いえ、これが私の使命ですから」

 

 この城に住み始めてから、どこに行くにもアリスさんは俺の近くについてきてくれる。

 

(アリスさん、休憩とかとってるのかな)

 

 レナもだけど、やはり一緒に住むとなると想像もしなかった心配事が増えていく。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 そんなことを思いながら工房に入ると、リリーがいつもの防御力低めの恰好で出迎えてくれた。

 そして自信満々に、机の上に置かれたそれを指さして言う。

 

「おはようミナト!できたわよ!」

「おおっ!」

 

 そこには、ちゃんと弦の張られたクラシック・ギターが横たわっていた。

 俺の知識からリリーさん、ヴァルム爺さんの技術協力を得て完成した、この世界初の楽器。

 

 異世界ギターの試作品1号。

 

「綺麗にできてるね。やっぱりギターは弦が張られた姿が一番だ」

「早速弾いてみてよ!感想を聞かせて」

 

 俺はギターを手に取って椅子に腰かける。

 そしてまじまじとネックの手触りや重さを噛みしめる。

 

 本当に凄いよ。

 なんだか感動している自分がいた。

 

 ――ボーン……――

 

 俺はさっそく音を鳴らしながらチューニングを始める。

 何度も弦を弾いて音を鳴らし、正確な音になるようにペグを回す。

 

 当たり前だけど、ちゃんと弦が巻き取られて調律できる。

 音にも張りがあるし、良い感じだ。

 

 そして開放弦を鳴らしてチューニングが合っていることを確認し……

 まずは全ての弦を使うような簡単なコードで、そのギターを堪能することにした。

 

 俺の演奏を鳴らすと、リリーも満足そうにギターを見る。

 

「わぁ…本当に鳴ってる」

 

 リリーは音が鳴ること自体に感動していた。

 まぁ、彼女はギターを弾けないわけで、ちゃんと演奏されている自分の作品を見るのは初めて。

 

 凄く嬉しそうに、俺の演奏に耳を傾けていた。

 

 しかし、俺はいくつかパターンを変えて演奏するほど、妙な違和感を感じ始めていた。

 

「あれ……?」

「どう?ミナト」

「……。うんと……もう少し弾かせて?」

 

 その違和感の正体を確かめるように、俺は色々な演奏を試みる。

 

 弦高は少し高いけど悪くない。

 ハウザー2世を真似て作っただけあり、ネックの長さも弾き慣れた感じだ。

 

 塗装が無い分”鳴り”も素直。

 サウンドホールから反復する音の立ち上がりも早い。

 じゃあ……一体なんだ……?

 

 和音としてしっかり鳴らしているはずなのに、なんか気持ち良くない。

 

「ミナト……?どうなの?」

「うん……」

 

 リリーも俺の表情が曇ったことで、不安になっているようだ。

 けれど原因がわからないと上手く説明もできない。

 

 俺はさらに高音のポジションで演奏を続ける。

 

(なんて言えばいいんだろう……倍音(ばいおん)に濁りがある)

 

「倍音……?もしかして……」

 

 ここで俺は思い当たることがあり……

 

 フレッドを抑えず、ギターの弦にそっと軽く触れるように弦を弾いた。

 するとコーン……という高くて心地よい音が鳴る。

 

「うわぁ……そんな音もだせるのねギターって。なんだか神秘的な音……」

 

 この音色はフラジオレット……またはハーモニクスと呼ばれる音だ。

 

 音色というのは、複数の音の成分で構成される。

 基本となる音の周波数以外に、その整数倍の周波数が一緒に鳴ることで、より深みのある音になる。

 これを音楽家たちは『倍音が豊かである』なんて表現した。

 

 弦楽器では決まったポジションで弦に軽く触れ、鳴らす瞬間に指を離すと……

 弦を直接弾いて鳴らすよりも柔らかな倍音を鳴らすことができる。

 

 俺は同じことを別のポジションで何度も行う。

 

 ――コーン……――コーン……――コーン…――

 

 ハーモニクスの音はとても柔らかで綺麗だ。

 リリーはギターから聴こえる、神秘的な音色に感動していたが……

 

 その横で俺は、この世界に来て初と言っていい絶望を感じていた。

 

「ピッチが……ズレて……る……」

「え……?」

 

 そう。

 ハーモニクスを鳴らすことでわかるのは、ピッチのズレ。

 

 音は空気の振動だ。

 その振動は1秒間で何Hz(ヘルツ)という単位で表され、大きければ音は高く、小さければ低い音になる。

 ピッチとはこの周波数の高さのことを言う。

 

 本来、ギターは5弦の開放弦の音であるラ(A)の音を440Hz、あるいは442Hzになるよう調律(チューニング)される。

 これがズレていると何が起こるのか……というと…

 

「リリー、ちょっと二つの音を鳴らすから聞いてて……」

「うん……」

 

 俺は何も抑えず5弦の開放弦を弾き、次に同じ弦の12フレッドを鳴らした。

 

 ――ボーン……――――ボーン……――

 

「この音がなんなの?」

「……違う音でしょ?本来、同じ弦の開放と12フレッドの音は”高さの違う同じ音階の音”が鳴るんだ」

「え……?」

「このままだと、高いフレッドを弾くほど、音がズレていく……」

 

 つまり開放弦でチューニングをしっかり合わせたとしても、高い音を弾くフレッドほど、本来鳴らすべき音階からズレていく。

 それは実質、楽器としては使えないという事と同義だった。

 

 いわゆる『オクターブチューニングのズレ』。

 これはペグによる弦の巻きでチューニングができない。

 

(これ……かなりヤバい)

 

 オクターブチューニングがズレる原因はいくつかある。

 

 まずは弦に直接触れるフレッドやナッドが正確な形状になっていない可能性。

 ただこれらは交換が可能なので、そこまで深刻な話じゃない。

 

 問題はネックの反り。

 ギターのフレッドはネックがまっすぐであることを前提にした縮尺で設計されてる。

 ネックが曲がっていると、フレットを抑えた時の弦とブリッジの接触する縮尺がずれ、正しい音が出ない。

 

 そしてこの異世界において、このネック反りはかなり重大な問題だった。

 

 この説明をすると、リリーが俺に言う。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!私、縮尺は正確に図ったし……加工も間違ってなかったはずよ?設計だってちゃんと……」

「いや……違うんだ。これは制作時ではなく、制作後に調整する工程なんだよ」

 

 エレキギターや一部のアコースティックギターのネックには、後から反りを調節するためにトラスロッドと呼ばれる鉄製の棒が仕込まれている。

 これはレンチを差し込んで回すことで反りを調節する仕掛けだ。

 

 しかしクラシックギターのネックは、基本的にトラスロッドが入っていない。

 

 近代クラシックギターの中にはトラスロッドを採用しているケースは確かに存在はする。

 しかし昔ながらの製法で作られた、ほとんどアンティークみたいなオールドギターであるハウザー2世……

 そしてそれを元に作られた試作品ギターも、当然トラスロッドなんて入っていなかった。

 

「調整するためには……熱を加えた上で圧力を一定の間隔均等に、そして精密に掛けられる専用の機械がいる」

「機械……?まってよ、それじゃあ……」

 

(現状、この世界にクラシックギターのオクターブチューニングを整える方法はない)

 

 しかもこれは試作品だけの問題ではない。

 

 ネックの反りは経年変化などによって変化していく。

 つまりハウザー2世にだっていつか訪れる、クラシックギターの病のようなものだった。

 

 本来は定期的なメンテナンスは必須。

 なおかつ本来は専門家が一般では手に入らない専門の器具を使って行うような工程。

 

 道具すらないこの世界では、俺にもどうすることもできない。

 

 どうしてここまで気が付かなかった……?

 いや、気づいたところで……何ができた?

 

 俺は試作品ギターを持って頭を抱える。

 それはリリーも同じで……

 

「正確で均等な圧力……正確で均等な圧力……」

 

 ぶつぶつと何か言いながら考えているようだった。

 

 ネックの反りを調整する方法が他に無いわけではない。

 しかしそれらの方法は、最初にしっかりオクターブチューニングを整えたギターであることが前提。

 

(機械を一から作る……?)

 

 当然、元の世界でも現代的な機械に進化する過程で使われていた、もっと原始的な代替品があったはずだ。

 仕組みはわからないけど、それがわかればいけるのか?

 

 いや、そもそもこの世界にあるもので作れるのかもわからないし……間違いなく時間は相当かかる。

 

 なにしろ、その都度ピッチを修正しながら手直しをするんだ。

 下手なものを作れば、ネックが破損する可能性もあり得る。

 

(この世界にあるもので、何か代用できないのか……)

 

 俺はふと閃く。

 

「魔法とかはどうだろう?……木材を加工する時、リリーも使ってたよね?」

「簡単な魔法はいくつか使えるけど……さすがに木材の微妙な湾曲を整える魔法なんて、私にはとても……」

 

(……だめか)

 

「そういう魔法って正確な計算と術式が必要なのよ。当然それなろの時間はかかるし、そもそも、そんな複雑でニッチな魔法陣を創れる魔術師なんて、この国にだっているか疑問だわ」

「正確な計算と術式……」

 

 あぁ……なんてことだ。

 

「いや、いる」

 

 めちゃくちゃ身近にいるじゃないか。

 

 正確な計算と術式が必要な魔法を使える、優秀な魔術師。

 同じ研究班メンバーがため息をつくほどの魔法オタク。

 

 代表作は『マーリン式六芒星(ヘキサグラム)型64法門魔法陣を使った重力魔法の多重反応適合性が与える影響と法門ノード曲線の規定要因に関する研究』……

 ……だったっけ?

 

 重力魔法の専門家。

 そして何より真剣にこれに取り組んでくれそうな逸材。

 

「それって……もしかして」

「我らが『異世界音楽研究班』班長……レナ・キーディス」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 俺達はその足で、レナの居る研究室へ彼女を呼びにいく。

 今の現状を可能な限り伝えると、レナは真剣な表情でギターを見つめていた。

 

 俺はネックにまっすぐな定規を当てて、ネックがどのように反っているのか……

 そして正確な反りをどのように計るのかを説明した。

 

「ギターのネックに、直線の定規を当てる……場所を変えて……ほら、横から見てごらん、微妙にネックが向こう側に反ってるのがわかるだろ?」

「こんな微妙な反りで、音が変わってしまうんですね……」

 

 レナは一通りの説明を聞くと、唇に手を当てて何かを考えていた。

 おそらくその頭の中には、俺達が想像もできない膨大な計算式で埋め尽くされているのだろう。

 

 数分考えこむと、レナは噛みしめるように言葉を発した。

 

「やります……1か月……いや、2週間で、ネックの反りを直す重力魔法の魔法陣を作ります」

 

 力強い彼女の言葉を聞くと、俺とリリーは顔を見合わせて息をついた。

 レナは俺に真剣な表情で言う。

 

「ミナトさん。城の、窓のない部屋をひとつ貸していただけませんか?」

「どうせ使い切れないくらい余っているんだ。好きに使っていいよ」

「リリーさん、ネックに使われている木材はどれくらいの強度に耐えられるんでしょうか?」

「木を曲げる加工って木材の含水率が高い状態で行うんだよ。このネックはもう乾燥を終えているから、あまり丈夫とは言えないわね」

 

 レナはすぐにリリーと専門的な話合いを始める。

 昨日まで悩んでいたのが嘘みたいに、レナは楽しそうに重力魔法の計算式を語っていた。

 

 どうやら、ここから先は俺の出番はないようだ。

 

 でも、レナとリリーの希望に湧いた表情を見ていると……

 例え完成できなくても、俺達はきっと満足できる結末を迎えられると確信できた。

 

 大丈夫。

 必ずできるさ。

 

 最低でも2週間後、この世界初のギターは、必ずその音色を聴かせてくれる。

 



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拒絶にようこそ

 

 アレンディル国内で最も強いのは誰か。

 それを聞くと、間違いなく皆が同じ名前を挙げるらしい。

 

「おはようございます。ミナト様」

「おはよう……アリスさん」

 

 国内最強の白騎士……

 アリス・ヒルドル、通称”拒絶のアリス”。

 

 彼女を国内最強と推す人々は、その類まれなる戦闘の才……

 そしてなにより彼女の持つ技能(スキル)『白皙の拒絶(ホワイトヴェール)』を理由に挙げる。

 

 一度発動すると、悪意あるあらゆる現象を全て拒絶し、彼女に一切接触することができない。

 

 物質的な攻撃はもちろんのこと、その影響は他者の技能(スキル)や魔法にまで及ぶため……

 発動されたらどんな攻撃も彼女には効かず、そもそも到達すらしない。

 

 それは文字通り"どんな攻撃も"だ。

 

 そんなチート級の力を持つ自他共に認める最強の彼女だが……

 今は毎日、目覚まし代わりに俺を起こしにやってくる。

 

「本日は研究室で勉強会の予定でしたね。……それでは参りましょう」

「アリスさん……その……一人でもいけるよ?たまにはアリスさんもゆっくり休……」

「必要ありません。参りましょう」

 

 これ以上ないくらい頼もしいボディガード”拒絶のアリス”。

 しかし、ここ最近の俺は、ずっと城内を行ったりきたりの生活だ。

 

 そんな生活に国内最強騎士の出番はあまりない。

 

「直接研究棟に参られますか?」

「うん……そうするよ」

 

 彼女は俺がいく場所に、いつもついてくる。

 工房や研究室の中には入らず、俺の仕事が終わるまでずっと待つ。

 

 そして少しでも部屋をでると、何も言わずまたついてくる。

 さすがにトイレや風呂の中にまでは一緒にこないが。

 

 休みの無い彼女を心配してもいたけれど……

 正直、まったく一人になれない城生活に気疲れしてしまっている自分もがいた。

 

 俺は生活棟から研究棟に向かう途中……

 メイドさんが庭の掃除をしている横を通り過ぎながら、アリスさんにこう言ってみた。

 

「アリスさん、毎日守ってくれることは嬉しいんだけど……少しは休んでくれていいんだよ?」

「本来であれば雇い主であるミナト様の命令には絶対服従する立場です。しかし、それはできません」

「な……なんで……?」

「それが私の使命だからです」

 

 こんな感じで、彼女の行動と言動はずっと一貫していた。

 

 本人は「雑用のように使ってくれていい……」なんて言うけど、国内最強の騎士様だし。

 罰があたりそうで、そんなこと頼めるはずがなかった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 研究室に入ると、レナが笑顔で俺を待っていた。

 今日は、ずっと前に約束をしていた召喚魔法を彼女に教えてもらう約束をしていたからだ。

 

「昨日はぐっすり眠れた?」

「はい!もうばっちりです!えへへ……」

 

 ギター制作の佳境である今、なぜこんなことをしているのか。

 

 レナがギターの調整に加わってもう10日間。

 彼女はほとんど休まずオクターブチューニングに使う重力魔法の難しい計算と、音楽知識のテキスト化という二つ作業を行っていた。

 

 まだどちらの作業も終わってはいなかったけど……

 レナは作業のために睡眠すら削っていたようなので、皆で休暇を取る様、レナに提案したのだ。

 

 休暇は二日間とることになり、レナはその一日目である昨日を身体を休めることに使っていた。

 そして昨日の食事の時、俺が『明日はレナのやりたいことをやりなよ』と伝えてみると……

 

『じゃあ!ミナトさんに召喚魔法教えます!約束しましたよね!』

 

 と、休日まで魔法の勉強会をすると言い出した。

 まぁ本人がいいなら俺はかまわないけれど……改めてチャドがレナを『魔法オタク』と言う理由がわかった気がする。

 

 俺が席に着くと、レナは嬉しそうに魔法の教科書を開きながら言う。

 

「それにしてもよく忘れなかったね。この世界にきたばっかりのとき、召喚魔法を教えてくれるって約束……」

「もちろんです!だって私から提案したんですから」

 

 確か冒険者ギルドで、俺に技能(スキル)の才能が無いとわかった時だったか……

 

『ミナトさん!召喚魔法なんていかがです!?意外にシンプルなんですよ!契約の手順と転送魔法の基礎があれば使えます!』

 

 あれからもう2か月か……。

 あの時はまさかこんな立派な城でギター作ってるとは思いもしなかったな。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 勉強は順調に進み、基礎を学び終えるとレナは満足そうに一息ついた。

 

 最近疲れていたレナが元気そうなのを見て、俺は安心していた。

 重力魔法のオクターブチューニングは大変な作業だと思うけど、上手くいくといいな。

 

「ミナトさん、ここまでで何か質問ありますか?なんでも聞いてください!」

 

 レナは教えるのが上手かったので、召喚魔法については特に疑問はなかった。

 しかし良いタイミングだったので、ちょっとした悩みを相談してみることにする。

 

「ねぇ、レナ。召喚魔法には関係ないことなんだけど、いい?」

「え?全然いいですけど……」

「実は、アリスさんのことなんだけど……」

 

 ちょっとした悩みは毎日俺の護衛をする、国内最強騎士様についてだった。

 

「その……レナからも何か言ってくれないかな?最近は俺が寝るまで、ずっとベッドの横にいたりするんだ」

 

 すると、レナはいつもの綺麗な声で俺に言う。

 

「ミナトさんが心配なんですよ。研究発表の後はほぼ暴動みたいになってましたし……ミナトさんはそれだけこの国にとって重要な存在なんです」

 

 そう言うとレナはニコっと笑った。

 そんな顔で言われると、なんだか自分がワガママを言っている気分になってくる。

 

 少しだけ憂鬱な気分になっていると、部屋の隅でテキスト化の作業をしていたチャドが大きな声をだした。

 

「おわったーっ!取り合えずこれまで聞いた音楽知識は全部まとめてやったぜ!楽譜も完璧だ!」

 

 そう言って「んーっ」と背伸びをすると……

 チャドは自分のまとめた資料を惚れ惚れ眺めながら、俺に言う。

 

「しっかしミナト、音楽って本当にすげーんだな。特にこのドラムとか、ティンパニーって楽器?やってみたいなぁ!」

「また俺が描いた楽器の絵見てるの?」

 

 ここで研究を始めてから、チャドが一番興奮していたのは俺の拙い楽器のイラストだった。

 特に楽器の造形や機構の説明は、いつも少年のように目をキラキラさせて聞いてくれるので、話している方も楽しい。

 

(チャドはドラムとティンパニーが好きなのか。……打楽器ばっかりだな)

 

「チャドはリズム楽器が好きなの?」

「好き好き!いつか俺も演奏してみたいよ。こう、どん!どん!って感じでさ!」

 

 腕をぐるぐる回してるチャドがどんなリズム楽器を想像しているのかは到底理解不能だったが……

 俺の教えた知識に興奮してくれると、素直に嬉しい。

 

「リズム楽器か……」

 

 ギター制作が終わったら、リリーに頼んでみようかな。

 

「……あ」

 

 その時、俺はあることを思いつく。

 

「ん?どうしたミナト?」

「いや、ごめん二人とも、ちょっと待ってて。工房に行ってくる」

「いいけど……」

 

 そう言って、俺は部屋をでる。

 思いついたそれをすぐに実行したかったからだ。

 

 すると、部屋の前で待っていたアリスさんが何も言わず俺についてこようとしていた。

 そんな彼女に、俺はつい……

 

「アリスさんはそこにいて!一人で平気だから!」

 

 とつい強い口調で言ってしまった。

 

「……わかりまし……た」

 

 別に悪気があったわけではないんだけど、そんな俺を見てアリスさんが少し寂しそうな顔をする。

 そんな彼女の表情に、少しだけの罪悪感抱きながら……俺は工房に戻った。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 20分後、俺はあるものを持って研究室に戻ってきた。

 部屋の前にアリスさんの表情は、いつもの凛としたものに戻っていた。

 

 なんとなく気まずくて、何も言わずに研究室に入ると……

 工房から持ってきたそれをレナ達の前に置いた。

 

「……なんだこれ!?」

「箱?」

 

 それは、四角い作業椅子に5枚の板を張り付けただけの箱だった。

 板は側面に4つと足の下に張り付けられており、側面の板の一面には丸い穴があけてある。

 

 板は全てネジで固定されていて、リリーが作業する横で、余った素材で作ったものだ。

 彼らにその箱が何なのかを説明する。

 

「これ、カホンって呼ばれる打楽器なんだ。チャドの話を聞いて思い出したんだよ」

「楽器なんですか!?これ!」

「……うん、チャドの好きなリズム楽器」

「すげぇ!どうやって演奏するんだ?」

 

 カホンはスペイン語で「箱」という意味を持つ、とてもシンプルな打楽器だった。

 

 演奏するにはカホン自体に腰かけて、穴の開けてある板の反対側の面を叩く。

 すると、打音が中で反復され外に出てくる。

 

 打面の板のネジを少しだけ緩めると、端を叩いた時にバチンという高くて硬い音が出る。

 板の中心は少しこもった低い音が出るので、それを使い分けて音色を変える。

 

「こうやってカホンに座って……こんな感じ」

 

 そう言って簡単な16分音符のリズムを叩くと、二人がまるで子供のように喜んだ。

 

 本当であれば鈴や響弦(スナッピー)と呼ばれるものを内側に取り付けて、響き伸び(サスティーン)を調節できるようにするんだけど……

 まぁ、原始的なペルー式カホンはマジで『ただの木箱』だったらしいし、こんなものだろう。

 

「おおーっ!すごい!俺にもやらせてくれ!」

「ミナトさん、わ、私も良いですか……!?」

「うん。楽器はやっぱり実際に触ってみるのが一番だしね」

 

 そう言うと二人はカホンに順番に腰かけ、少し不細工で愛嬌のあるリズムを奏で始めた。

 二人が本当に楽しそうなので、俺まで自然と笑顔になる。

 

 そういや、最近ハウザー2世をちゃんと弾いてやれてないな。

 今日は久しぶりに、たっぷり相手してやろうかな。

 

 そんなことを考えてふと扉を見ると、カホンの音が気になったのか……

 アリスさんが扉を少しだけ開けて、中を確認するように覗き込んでいた。

 

 しかし俺と目が合うと、アリスさんは申し訳なさそうに扉を閉める。

 

「……アリスさん」

 

 真っ白な甲冑を身にまとう、国内最強の騎士。

 きっと俺を守ることを誇りに思ってくれているのだろう。

 

 しかし正直、彼女は俺なんかより国のために戦う方が向いてるとは思う。

 せめて俺の護衛してる時は、ちゃんと休んでもらいたい。

 

 さっき強く言ってしまったことに罪悪感のあった俺は、ちゃんと今の気持ちを彼女に伝えようと決心した。

 部屋をでて、彼女に話しかける。

 

 ――ガチャ……――

 

「アリスさん……?アリスさんも一緒にやる?」

「あ、いえ……申し訳ありません。急に音が鳴りだしたので、気になってしまい……」

「いや、いいよ……。余った木材で作ったわりには、結構良い音するでしょ?」

 

 扉越しに聞こえる不細工なリズムを聞きながら、アリスさんが微笑む。

 

「えぇ……そうですね」

 

 そんなアリスさんに、俺は自分の想いを伝えた。

 

「アリスさん、貴方に守られていること、とても光栄に思ってます」

「ミナト様……」

「だけど正直……俺はアリスさんが心配なんだよ。俺なんかのために毎日ずっと気を張って……。正直、そっちの心配で気が滅入ってた」

 

 アリスさんは真剣に俺の話を聞く。

 

「アリスさんも、レナみたいに休むときはしっかり休んでほしい。これは命令じゃなくて、お願いだよ」

 

 すると、アリスさんは少し考えこむようにうつむと……

 芯の通ったその声で俺に言った。

 

「確かに……ミナト様の気持ちを、私は全く考えてなかったような気がします」

「……」

「ここは安全ですし……私も考えを改めなければいけないのかもしれません」

「うん……。仮にも一緒に暮らしてるのに、俺は甲冑姿のアリスさんしか知らない。もっとなんていうか、普通にしてほしいだけなんだ」

 

 アリスさんが食事をしているところを、俺は一度も見たことがない。

 

 彼女は食事も風呂もトイレも全部、俺が眠ったのを確認してから一人で済ます。

 しかも夜には庭で訓練をしてるところも見たことがあった。

 

 こんな俺に、自分の時間のほとんどを割かれているんだ。

 いつ来るかわからない、役目を全うするためだけに。

 

「アリスさん、俺はあなたを信頼してる。けど、だからこそ自分のためにも生きてほしいんだ……」

 

 俺が真剣な顔でそう伝えると、表情を変えず肩で溜息をもらす。

 そして数秒考えたあと、つぶやくようにこう言った。

 

「わかりました。これからは私も適度に休憩を頂きながら、貴方をおささえ致しましょう……」

 

 その言葉を聞いて、俺は少しだけホッとしたが……

 

「ただし、条件があります」

「条件……?」

「えぇ……」

 

 この後出された条件は、俺には特に重大なものには思えなかった。

 こちらが特に何かするわけでもなかったので、俺はその条件を飲む。

 

 しかし、アリスさんのその言葉をには本当にたくさんの意味があったこと……

 後から俺はしっかり噛みしめることになる。

 

 



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フラメンコにようこそ

 

 予定の無い日の朝は好きだ。

 何も考えず、自然に目が覚めたまま起きるのは気持ちが良い。

 

「……」

 

 ベッドの上で目をこすりながら、部屋を見渡す。

 すると、毎朝見慣れたアリスさんの姿がそこにはなかった。

 

「ちゃんと、休暇とってくれてるんだな」

 

 彼女から出された”あの条件”を飲んでよかった。

 とりあえずゆっくりしてほしい。

 

 アリスさんの件から数日が経過し、もうギター調整も大詰めを迎えようとしていた。

 しかし、それはレナとリリーが集中して作業するという意味で、職人でも魔術師でもない俺の出番はそこになかった。

 

 レナに言われ、今日は俺とチャドが1日休み。

 怠惰な朝を漫喫できるのはやっぱりいいものだ。

 

「2人は今頃最後のネック調整を頑張ってる頃だろうか……」

 

 部屋でメイドさんの持ってきた朝食をとり、部屋をでると……

 チャドが今まさに俺の部屋に入ろうとしているところだった。

 

「あ!おはようミナト!」

「おはよう、チャド」

 

 その姿はいつものローブ姿ではなく、普通の町民という感じだ。

 チャドも休みを漫喫しようとしてるのだろう。

 

「何か用だった?」

「あぁ!ミナト、今日何するか決めたか?」

 

 一応軽い予定があったので、あくびをしながら彼に返答する。

 

「うん……ヴァルム爺さんの店に行こうと思ってたんだ」

「え!?アリスさん休みなんだろ?外でていいのか?」

「うん……行くなって言われてる場所はあるけどね」

 

 以前、レナからも『ここには行くな!リスト』を貰ったことがある。

 しかしアリスさんのリストはそれよりは大分良心的なもので、休日ついでに少し見て回ろうと思ってた。

 

「へー、アリスさんがそれを許可するとはなぁ……」

「でも、行けるところは王宮の兵士が巡回してるルートらしいからね。過保護なのは相変らずだよ」

 

 そんな話の流れで、俺達2人は街に出ることになる。

 俺が部屋からケースに入れたハウザー2世を持ってくると、チャドは不思議そうに眺めてた。

 

「おいおい!街にでるのにハウザー2世も持ってくのか?」

「うん……ヴァルム爺さんが一度じっくり見てみたいって言ってたから……弦のお礼も兼ねて持っていこうと思って」

 

 こうして、男二人のむさくるしい異世界街探訪がはじまった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 まずは予定を終わらせようと、俺達は『ヴァルム工房&材料店』に足を運んだ。

 ヴァルム爺はいつものようにポッポッポとタバコをふかしてる。

 

「こんにちわ」

「どーもー」

 

 するとヴァルム爺はちいさく「ほっほ」と笑ってくれる。

 そして棚から紙袋を取り出して、それを俺に渡した。

 

 チャドが袋をのぞき込む。

 

「うわ、これ弦か!?凄く長くね!?」

「消耗品だからね、多めに作ってもらったんだ。張り替える時に適度な長さに切って使おうと思って」

 

 中にはクラシックギターの弦が、輪っかのようにクルクル巻かれて入れられていた。

 長さ的に数mはあるだろうという弦が、しっかり6本分入ってる。

 

「いつもありがとうございます」

「ほほ……」

「あとこれ……ヴァルム爺、一度ギターをじっくり見せて欲しいって言ってたから持ってきたんです」

 

 そう言ってハウザー2世を渡そうとすると、ヴァルム爺は首を横に振った。

 そして俺にこう返す。

 

「リリーが作るモンを、楽しみに待つことにするよ……ほっほっほ」

 

 なるほど。

 どうやらヴァルム爺も、俺達と同じくリリーの作るギターを楽しみにしているようだ。

 ……どうやら今回の気遣いは無粋なことだったらしい。

 

「楽しみですね。ギター」

 

 そう言うとヴァルム爺はまた笑い、俺達にこう言った。

 

「今日はまだ市場に人も少ない。せっかく街にきたんだ……二人で見てきたらどうだい?」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 ヴァルム爺のススメで、俺達は市場にやってきた。

 

「おおっ!」

 

 首都フロリア王宮から続く、通称フロリア・セントラル・アーケード。

 まだ明るい時間帯なのに、たくさんの人が買い物で訪れる、この国で一番活気ある市場らしい。

 

 その活気に見惚れていると、周囲が俺に気づいて、指を差したり手を振ったりしてくる。

 何人か近づいて来ようとした人もいたが、前みたいに強引に触れてこようとする人はいなかった。

 

「なんか、もっと騒がれると思ったけど……意外に平気だね」

「ファブリス王が国民に何度も警告してたからなぁ。……街でミナトを見かけても、彼を邪魔してはいけない!って」

 

 あの王様、そんなことしてくれてたのか。

 しかし警告のおかげか、人々は俺に注目はするものの、一定の距離を保ってくれている。

 

 多くの視線は落ち着かなかったけれど……思ったより悪くない気分だった。

 

「それにしてもハウザー2世重くないのか?ただでさえ目立つのに」

「重くはないんだけど、恥ずかしいかな……少し」

 

 そんな感じで俺達は市場の出店を一通り見て回り、買い物を楽しんだ。

 元気に接客するノーム族やリザード族が大声の売り込みしていたり、ずっと飽きずに見てられる市場だ。

 

「ミナト様ー!研究発表素敵でした!」

「また演奏してください!今度は絶対みにいきます!」

「ママ見て!ミナト様ー!」

 

 握手会の時は人々に恐怖すら感じていたけれど。

 こっちの生活に慣れてきたのか、今は人々からの歓声が素直に嬉しい。

 

 何人かに握手を求められたが、彼らはちゃんと俺の歩みを止めないように気を使ってくれた。

 そんな人々を見て、俺も素直に彼らに返すことができる。

 

「ミナト様と握手できるなんて……あぁ、なんて幸せな日なのかしら」

「こちらこそ、ありがとうございます」

 

 市場をさらに進むと、複数のアーケード市場がぶつかる広場があった。

 そこはベンチなどが置かれていて、市場で買ったものを食べてる家族などもいた。

 

 広場の中心には、巨大な剣を持った石像が置かれてあり……

 俺がぼーっとそのその像を眺めているとチャドが簡単な解説をくれる。

 

「先代王、ゼオン様の像だ」

「先代の王様……ってことは、ファブリス王のお父さん?」

「あぁ。”終焉の冬霜(とうそう)”が終わる直前に亡くなっちまったんだ。……この国史上、一番偉大な王と言われた人だよ」

 

 確かにこれほど立派な石像が作られる人だ。

 その生き様もさぞ立派だったのだろう。

 

 しかしなんか、あまりファブリス王と似てないな。

 ゼオン像の姿はなんというか……英雄感と重厚感がすごい。

 

 ファブリス王はどちらかと言うと、もう少し接しやすい感じだったし。

 

「病気で亡くなったの?」

「たしか心臓発作だったかな。俺まだガキだったしあんまり覚えてないけど……”終焉の冬霜”って終わる間際が一番酷い時期だったから、国民の絶望も凄かったらしい」

 

 例の氷河期、”終焉の冬霜”が終わったのは10年前だって言ってたっけ。

 ファブリス王は結構若いと思ってたけど……王位を継いでから結構経っているのか。

 

 そんなことを考えていると……

 俺の服がひょいひょいと何かに引っ張られる。

 

「ん……?」

 

 下を見ると、歩くのもまだおぼつかないような少女が俺の服の裾を必死に引っ張っていた。

 ……なにこのかわいい子。

 

 すると少女は俺に言う。

 

「みなとさま……?」

 

 俺は彼女に目線を合わせるようにしゃがみ込む。

 すると、少女は嬉しそうに笑った。

 

「お名前は?」

「リコ!5さい!」

 

 5歳であるはずの少女の指は4つしか伸びていなかったが……

 まぁ、5歳なのであろう。

 

「5歳か……お母さんは?」

「あっこ」

 

 少女はそう言って、4つの指が開いたまま広場の端を指さすと……

 母親と思われる若い女性が慌ててこちらに近づいてくるところだった。

 

「ご、ごめんなさいっ!リコなにしてるの!?」

「みなとさま!」

「すいません、この子……研究発表でミナト様のギターを弾いてから、ずっと大好きで……」

 

 リコはそう言ってお母さんに抱えられると、キラキラした眼差しで俺を見る。

 

 こんな小さい少女まで……俺の音楽に……

 そう思うと、次の言葉は凄く自然にでてきた。

 

「よかったら……聴く?ギター」

 

 すると、リコはさらに瞳をキラキラさせて元気に言った。

 

「きく!」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 広場の中心、ゼウス像の下の段差に腰かけ……俺はハウザー2世をケースから取り出した。

 リコは特等席で体育座りをして、申し訳なさそうにする母親の手をぎゅっと掴んでる。

 

 すると、広場にいた人が自然と少女の後ろに集まりだした。

 チャドはそんな景色を見ながら、俺の横であぐらをかく。

 

 俺が体制を整えて弦に触れると、自然に音が無くなって……

 リコやたくさんの視線が集まる。

 

 ……たぶん、みんな発表会で演奏した『初音』を期待してるんだろうな。

 『初音』はかなりコテコテのクラシックバラードって感じの曲だったし。

 

 よし……すこし驚かせてみよう。

 

 

 

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 

 

 

「……え?」

「!?」

 

 ハウザー2世のボディを叩いて、リズムを刻む。

 そしてリズムに合わせ、俺は情熱的なリフを弾き始めた。

 

「わぁ……」

 

 突如、『初音』とはまったく違う曲に混乱している人達だったが……

 聴こえてくるリズムに自然に反応して体が揺れる。

 

 元気な市場には『初音』よりこっちの方があってると思うんだ。

 フラメンコギターの名奏者、パコ・デ・ルシアの名曲『Entre dos aguas(エントレ・ドス・アグアス)』。

 

 情熱的でリズミカル、楽しいんだけど、どこか大人の艶っぽさも漂うフラメンコを代表する名曲。

 

 

「素敵……なんだか気持ちがどんどん高ぶってくる」

「研究発表会の時とは違って、なんだかドキドキする曲ね」

 

 

 原曲は複数のギターを使って演奏するものだけど、俺はこれをジャカジャカ弦を弾きながらソロで弾くのが好きだった。

 よく爺ちゃんに叱られたものだ。「クラシックギターはそうやって弾くものじゃない!弦を痛めるだけだ!」って。

 

 だけど悪ノリの好きなハウザー2世は、こういう曲にも柔軟に対応する。

 小さいころ、なんだかハウザー2世と楽しい悪戯をしているような……そんな曲だった。

 

 広場には、自然と手拍子が鳴り響く。

 ハウザー2世は調子づいて、さらに良い”鳴り”で歌う。

 

 あぁ。

 楽しい。

 

 ――おおおおおおっ!!――

 

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 

 

 ジャッ!と、歯切れのよいカッティングの音で曲を終えると……

 一拍置いて広場が歓声と拍手で埋め尽くされた。

 

 大人たちに負けないくらい大きな音を出そうと、リコも小さい腕を精一杯振って拍手をしてくれる。

 

 俺はリコに優しく微笑むと、彼女が無邪気な笑顔を返してくれた。

 

 チャドも楽しそうにしていたが、周囲に人が集まりだしたのを気にして俺に言う。

 

「ミナト、これ以上人が集まるとまたやばそうだぜ……」

「うん、わかってる……行こう」

 

 たくさんの拍手と歓声に見送られながら、俺は満足げなハウザー2世をケースに入れる。

 そして軽い会釈を交えながら、広場を後にするのだった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 握手会の後から、俺は少し人だかりに臆病になっていた。

 けれどさっきの広場は拍手と幸せそうな笑顔で溢れてた。

 

 やっぱり、音楽は素晴らしい。

 本当にそれを実感させてくれる場所だった。

 

 広場を抜けても市場はさらに続く。

 俺とチャドは少し早歩きで進み、人通りの少ない裏道に入って息をついた。

 

 チャドが周囲を確認し、興奮した様子で俺に言う。

 

「さっきの演奏凄かったな!前のヤツとは全然違う感じでさ!」

「フラメンコっていうジャンルの音楽だよ」

「フラメンコかぁ……俺、知らないうちに身体が動いちまったよ」

 

 この世界の人は、本当に感性が豊かで驚くばかりだ。

 これほど音楽が好きな人ばかりの世界に、音楽が存在しないなんて未だ信じられないよ。

 

 少し呼吸を整えると、チャドが立ち上がって俺に言う。

 

「ミナト、そろそろ移動するか。一応大通りを確認してくる。ちょっと待っててくれ」

「うん……ありがとう、チャド」

 

 そう言ってチャドは来た道を戻り、裏路地から大通りを確認する。

 念のため俺から離れないようにしているのか、姿の見える場所で覗くように道を見ていた。

 

 俺はケースに入ったハウザー2世に軽く触れて、「おつかれ」と心の中でねぎらう。

 

 その時だ。

 

「ッ!?」

 

 ――タッ!――

 

 本当に突然の出来事だった。

 何か黒くて大きいものが目の前に落下した。

 

「え……?」

 

 しかし、その大きさと反比例して落下音が異様に小さい。

 

「……!?」

 

 落下してきたのは、スーツ姿の男性だった。

 

 しかしそれを頭で理解する間もなく……

 その男は見事な着地から立ち上がり、俺にこう囁いた。

 

「はじめましてサクライ・ミナト様」

「……は……?」

「お迎えにあがりました。では失礼……『転移(ワープ)』」

 

 すると、俺の足元に大きな魔法陣が現れ、怪しく光り……

 俺をフロリアの裏路地から、別の場所に移動させたのであった。



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バルザリー家にようこそ

 そこは、高級そうな装飾や家具に彩られた華やかな部屋だった。

 

「……え」

 

 ――カッチカッチカッチ……――

 

 目の前には扉。

 その横に置かれた柱時計の振り子が、規則正しい音で時を刻む。

 

「ここは……」

 

 その部屋は、王宮にも引けを取らない煌びやかな場所だった。

 しかし至るところに場違いな熊のぬいぐるみが置かれていて、チグハグな印象を受ける部屋でもあった。

 

 俺はその部屋の中心で、これまた高そうな椅子に腰かけている。

 

「俺、さっきまでフロリアの路地裏にいたのに……」

 

 すると、持っていたハズのハウザー2世が無いことに気づく。

 理解の追いつかない現状に茫然としていると、後ろから低い声が聞こえた。

 

「お目覚めでございますか?ミナト様」

「……?」

 

 座ったまま振り返ると、そこにはスーツ姿の男性が立ってこちらを見ていた。

 彼はゆっくり俺の前まで来て跪き、丁寧な話口調で自己紹介を始めた。

 

「私、バルザリー家に仕える執事。ジャンと申します」

「バル……ザリー家?」

 

 バルザリー家……?

 ……あれ?どこかで聞いた名だ。

 けど、一体どこで?

 

 執事ジャンは頭だけ上げて俺の顔を品定めするようにまじまじと見る。

 その間、カッチカッチと重厚感のある柱時計の振り子の音が、この部屋に充満する妙な緊張感を煽って来た。

 

 俺はたまらず……

 

「えっと……あの……ここは?」

 

 と彼に問いただそうとするが……

 

 ――ダンダンダンダンッ!――

 

 と、急いで廊下を走り抜けてくるような音が、目の前の扉の奥から聴こえてきた。

 そしてガチャ!ガチャ!という扉の音が2回鳴り、扉が開く。

 

「……ッ!」

 

 そして、そこから現れた紫の長い髪をなびかせる少女を見た時。

 俺はバルザリー家という名前をどこで聞いたのか、正確に思い出した。

 

「ミナト様!」

 

 紫色の髪の少女は、そのまま俺に抱きついてぎゅうっと力を込めた。

 このぬくもり、俺は研究発表後の握手会で知っている。

 

 そしてそのぬくもりと共に、彼女が言った言葉も思い出した。

 

『私、ティナと申します。生まれてから今まで……あんな音、聞いたことありませんでしたッ…!』

『貴方に恋を致しました。……驚かれると思いますが……私と結婚をしていただけないでしょうか』

『触らないでッ!私を誰だと思っているの!?バルザリー家のティナ・バルザリーよ!?』

『ミナトさん、絶対……絶対に私はあなたと結婚致します。ではまた…』

 

 握手会でひと際印象に残ったご令嬢。

 美しい紫色の髪を持つ貴族の少女。

 

「ティ……ティナ・バルザリー……さん?」

 

 その名を呼ぶと、彼女はうっとりするような表情で俺を見る。

 

「光栄ですわ……覚えていてくださったのですね」

 

 ティナ譲は小さい体で、俺の身体をさらに力強く抱きしめた。

 すると、彼女は優しい声でこう続ける。

 

「ごめんなさい。貴方をこんな形で誘拐して……」

「ゆ……う…かい……?……誘拐ッ!?」

「でもでも、きっとミナト様もここの生活を気に入ると思うのです。ふふふ」

 

 何を言ってるんだ、この女の子。

 何を言われたんだ?俺は今。

 

 俺が口を開いて何か話そうとするのに気づいたのか、ティナ譲は俺の唇に人差し指をそっと触れた。

 

「……ぁん。ミナト様、今は何もおっしゃらないで?私はこれから、くっだらない社交場に行かなければなりませんの。お話は今夜、ゆっくりといたしましょう?」

 

 そこから、急な焦りで鼓動が早まるのを感じる。

 誘拐と言うあまりにショッキングなワードを突然聞いたことで、さらに頭が混乱する。 

 

 あまりにも唐突なこの状況に理解が追い付いていなかったが……

 この娘がかなりヤバいことだけは、体がひしひしと感じてた。

 

「それでは……また夜に。ふふ」

 

 そう言ってティナ譲は立ち上がると、扉の方へ振り向いた。

 彼女を視線で追うと、ここでさらに俺は今置かれている状況を再認識することになる。

 

 彼女が今まさに出ていこうとしている扉が、二重扉になっているのだ。

 

(……これ、マジで監禁されてる奴だ)

 

 そもままティナ譲は部屋を出ていくのかと思ったが……

 彼女は扉の前で立ち止まり、執事ジャンに目線も合わせず小さい声で言った。

 

「ジャン……この時計……」

「はい……。言われた通り、街の家具屋に行って修理しておき……」

 

 ――バンッ!――

 

 その瞬間、ティナ譲は執事ジャンの胸倉を掴み転ばせた。

 そして、そのまま執拗なまでに何度も蹴りを加えながら叫ぶ。

 

「どこが直ってるのよッ!不快ッ!なんなのこの音ッ!」

「もッ!申し訳ありませんッ!ティナ様ッ!」

「私はこの時計の音、小さいころからずっとずっとずっと聴いているのッ!こんなクソみたいな修理でだまして、この私を侮辱するというのッ!?」

 

 執事ジャンはかなり体格のよい中年男性だったが、抵抗するそぶりも見せず。

 ただティナ譲からの執拗な蹴りを謝りながら受け止めていた。

 

「申し訳ありませんッ!……お帰りになる前にッ!必ず修理しておきますッ!」

 

 ジャンがそう言うと、ティナ譲は思い出したかのように蹴るのをやめた。

 そしてまた艶っぽい表情で俺の方を振り返り、こう言う。

 

「今夜……?今夜はダメよ。だってミナト様との大切な時間があるのですもの……」

 

 そして鼻で「ふふ」と笑い、二つの扉を閉めて部屋から出て行った。

 

 ――バタン……――ガチャ……バタン――

 

 俺は無残にも足跡のついた執事ジャンを見る。

 

 するとジャンは何事なかったかのように立ち上がり……

 ティナ譲が出て言った扉に頭をさげて「いってらっしゃいませ」と言った。

 

 そして振り返り、こう発する。

 

「……と、いうことでございます。ミナト様。……ご理解いただけましたか?」

「……」 

 

(……いや、どういうこと!?めちゃめちゃ怖いんですけどッ!?あまりの衝撃で声もでないんですけどッ!?)

 

 メンヘラ令嬢に誘拐・監禁され、目の前であんなバイオレンスな現場を見せられたあと……

 その一部始終を何の抵抗もなくご理解いただけるミナト様がいるならば、少なくともそいつと俺は友達にはなれない!

 

 執事は何事もなかったかのように続ける。

 

「ミナト様、今晩の食事は最高のものでなくてはなりません。何か好物などありますか?」

「いや、好物……って」

 

 そして執事ジャン、こいつもまたティナ譲と同じくらいヤバい。

 それがハッキリとわかったことで、むしろ腹がくくれた。

 

 俺は執事ジャンにしっかり意思を伝える。

 

「いりません。帰らせてください」

「なりません。……それでは、夕食はティナ様の好物に致します。お二人で夜のひと時を過ごすにはピッタリのメニューかと」

「……いや、結構です。俺はもう彼女に会うつもりはありません」

 

 しかし執事ジャンは何も聞こえてないように……

 

「あーなるほど、確かにまだ昼前でしたね。まずはランチのご用意をしなくては。すぐに準備いたします」

 

 そう言うと執事ジャンは、飾ってあった熊のぬいぐるみを手に取った。

 

「……なんですか?そのぬいぐるみ」

 

 俺の問いには返答せず。

 ジャンはゆっくりと俺に近づき……俺の膝にそのぬいぐるみを置いた。

 

 俺はその行動の意味が分からなかったが、ジャンはそれを気にせず、暗い瞳で俺を見た。

 

「『赤い13号室(ループ・ルール・ルーム)』……」

 

 そう言われた途端、視界がキラキラと光った気がした。

 

「え……?」

「それでは、ミナト様……失礼いたします」

 

 そして執事ジャンは、二枚の扉を開き部屋から出ていく。

 俺はそのままとり残され、膝に置かれたぬいぐるみと目を合わせた。

 

「……」

 

 あまりの出来事の連続に茫然とする。

 逃げなきゃと思ったのは、執事が部屋から出ていった数秒後のことだった。

 

「なんでこんなことに……」

 

 俺は膝に置かれたぬいぐるみを床に置き、すぐに立ち上がる。

 そして扉の前に行き、聞き耳を立てる。

 

「カギを締めたような音はしなかったはず……」

 

 扉の先からは、執事の足音が遠ざかる音が聞こえた。

 

 音が完全に無くなるのを確認し、俺はゆっくりと一枚目の扉を開く。

 続いて音を立てず、慎重にもう一枚の扉の取手に触れた。

 

 ……その時。

 

 

 ~ ☆ー☆ ~ ☆ー☆ ~ ☆ー☆ ~

 

 

 さらに理解不能な事態が俺を襲う。

 

「えッ!?」

 

 なぜか座っているのだ。

 いまさっき立ち上がったはずのフカフカの椅子に。

 

 さっき間違いなく立ち上がり、扉を開けたハズなのに。

 膝の上には床に置いたハズのぬいぐるみも腰かけている。

 

 まるで時間が戻ったのかと錯覚するほど、俺が立ち上がる直前の状態になっていた。

 

「……」

 

 もう一度。

 

 今度はぬいぐるみを投げるように床に捨て、一枚目の扉を開く。

 そしてもう一度二枚目の扉をあけようとすると……

 

 

 ~ ☆ー☆ ~ ☆ー☆ ~ ☆ー☆ ~

 

 

「……ッ!?」

 

 また、俺はフカフカの椅子の上で膝にぬいぐるみを置き座っていた。

 扉もそれが当然のように閉まってる。

 

「これ……」

 

 おかしな現象が連続して起こったことで、むしろ俺の頭は冷静に働いた。

 どう考えても魔法か技能(スキル)による現象。

 

 2枚目の扉を開くと、まるで俺と部屋の状態がリセットされたかのように戻る。

 

 数々の異能力バトル漫画を見てきた俺だ。

 まず最初にこう言った発想にたどり着く。

 

「まさか時間を……」

 

 扉の横にある柱時計を確認し、時間が戻っているのかを確認。

 いや、さっきよりもしっかり先の時間だ。ちゃんと正確に動いてる。

 

 ということは戻ったのは時間じゃなくて、俺と部屋の状態のみ。

 

 残念ながら俺は自分が戦闘方面がからっきしだと言うことは嫌と言うほど自覚していた。

 だとすれば倒したりできなくても、せめて逃げる方法を探らなくちゃいけない。

 

 俺はぬいぐるみを置いて立ち上がる。

 そして1枚目の扉を開いて、2枚目の扉を凝視する。

 

(どう考えても、この扉に仕掛けがあるんだよな……)

 

 1回目に戻った時も2回目に戻った時も、どちらも2枚目の扉を開いた瞬間にリセットが発生した。

 正確に言えば2枚目の扉を開けようと動かした瞬間。

 

 つまり……

 この2枚目の扉を開かずに外に出ることができれば、脱出できるんじゃないか。

 

「別の出口を探さないと……」

 

 俺は部屋を見る。

 すると扉の反対側に窓があることに気づく。

 

 中から外を確認すると……

 

(うそでしょ……)

 

 見えた景色は林と、その先の街並みだった。

 林は木々のてっぺんが良く見える……つまり、死ぬほど高いのだ。

 

 まるで塔のような場所に幽閉されてる事実に今気づく。

 古き良きRPGのお姫様のように。

 

(ここからは……さすがに出れない……)

 

 ゲーム中でお姫様を救った経験はあるにしろ、実際に閉じ込められる経験は当然はじめて。

 それどころかあまりの高さに少しクラクラするぐらい貧弱さ。

 

 強さは確かにお姫様レベルだ。

 

 俺は一応外に出られるスペースがないか確認しようと、窓を開けて周囲を見てみることにした。

 

 しかし……

 

 

 ~ ☆ー☆ ~ ☆ー☆ ~ ☆ー☆ ~

 

 

「……え?」

 

 窓を開けた瞬間、また例のリセットが発生する。

 膝の上のぬいぐるみが、俺の目をずっと見つめてる。

 

「なんで……?2枚目の扉には触れてすらいないのに……」

 

 考えろ。

 改めて自分の行動を確認するんだ。

 

 一度目と二度目のリセットの時、俺がとった行動は3つ。

 ①ぬいぐるみを取り、②1枚目の扉を開け、③2枚目の扉を開いた。

 

 今さっきは2枚目の扉を開いていないため、③だけが『窓を開く』に置き換わる。

 2枚目の扉が部屋をリセットするスイッチではない……ということは。

 

「もしかして……」

 

 俺はある仮説立てる。

 そしてすぐにそれを検証するため、部屋の中で色んなことを試し始めた。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 結果から言うと、俺の仮説は正しかった。

 

 「間違いない。……物を動かした回数だ」

 

 どうやら部屋のリセットには扉や窓は関係なく、『この部屋にあるものを3回動かした時』に発生することがわかった。

 部屋にある色々な物で試したけど、どれも3回目に物を動かした時に同じ現象が起こった。

 

 つまり、この部屋を脱出するまでに2回までしか物を動かせないということになる。

 

 しかし……

 

「そういうことか……このぬいぐるみ」

 

 技能(スキル)の正体がわかったことで、あの執事が俺の膝になぜぬいぐるみを置いていったのかの理由もわかった。

 

 俺は部屋がリセットされた時点で、必ずぬいぐるみを動かして立ち上がないといけない。

 つまり、たった2回しかない物を動かすチャンスが、ぬいぐるみで1回削られるというわけだ。

 

 そして出口である扉は2枚。

 当然それらは1回づつカウントされるため、扉からの脱出は不可能ということになる。

 

 だとすれば、脱出経路は窓のみ。

 

(性格わるッ!)

 

 俺はぬいぐるみを床において立ち上がる。

 

 次に、何か使えるものはないかと自分のポケットを漁った。

 しかし、そこには今朝ヴァルム爺から貰った長いギター弦しかない。

 

(……これを命綱に、窓から降りる?)

 

 いやいやいやいや。

 

 この高さ、どう上手く着地したって全身骨折からの内臓破裂必至コース。

 そもそもちゃんとしたロープがあったところで降りれるか怪しい。

 

 正攻法で出るのは不可能。

 じゃあ一体どうすればいい……?

 

 ――ガチャ……バタン……――ガチャ……――

 

 その時。

 

 二枚の扉が開き、執事ジャンが食事を持って入ってきた。

 

 丁寧に二つの扉を閉めながら…… 

 開いた窓から外を眺める俺を見て言う。

 

「おっとミナト様……まさかとは思いますが、そこから飛び降りようなどと考えないでくださいね」

 

 飛びおりる……?

 飛び降りる……か。

 

「ランチをお持ちしました。」

 

 執事ジャンはそう言うと、食事を部屋の隅にあるテーブルにゆっくり置いていく。

 俺はとある作戦を思いつき、少しでも時間を稼ごうと彼に話しかけてみることにした。

 

「あなたが部屋の物を動かしても、リセットは発生しないんですね」

 

 すると執事はなんの躊躇もなくこう返す。

 

「えぇ……私の技能(スキル)『赤の13号室(ループ・ルール・ルーム)』がカウントするのは、ミナト様がこの部屋の物を動かした回数のみでございますから」

 

 自分の技能(スキル)に相当自信があるのだろう。種明かしするには早すぎる。

 どうやら、すでに俺がその結論に達しているのは予想通りらしい。

 

 ジャンは続けた。

 

「色々と試行錯誤していただいたみたいですね……答えは導きだせましたか?」

「いえ……まだです……」

 

 そう言うと、執事ジャンはテーブル前に椅子を移動させる。

 そして椅子の向きこちらに変えて、俺に座るよう手で促した。

 

「では、謎解きの前にランチと致しましょう。どうぞ、こちらに」

 

 あれを……やるしかないのか。

 正直マジでこわいけど。

 

 俺は極力冷静を装いながら、窓の外を見つめ……

 つぶやくように彼に言った。

 

「いえ……俺にはもう無理です」

 

 すると異様な気配を感じ取ったのか、ジャンは俺に強い視線を向けた。

 

「何か企んでいらっしゃるようですが、おやめになった方がよろしいかと」

「そうかも……しれません」

「……おや、諦めるのがお早いのですね。結構なことです」

「なので、死にます」

 

 俺がそう言うと、執事から表情が無くなった。

 

「…………は?」

 

 そして俺の方をじっと見つめ、聞き返す。

 

「……死ぬ?……今、死ぬとおっしゃったのですか?」

「はい。……それでは、さようなら」

 

 そして……

 俺は開いた窓からポーンと身体を投げ捨てて……人生二度目の飛び降りを決行した。

 

 

 ――ガタガタッ!――

 

 

 しかし、その瞬間……

 

 さっきまで余裕そうだった執事ジャンの表情が一変し、まっすぐに飛び降りる俺の方に向かって走ってくる。

 そして体ごと自分も身を外へ放り出し、俺の腕を強引につかんだ。

 

 しかし……

 

「ッ!!」

 

 ジャンはバランスを崩し、落下しそうになる。

 

 しかし、そこは俺とは違って鍛えているんだろう。

 窓のふちを片手でだけつかみ、映画さながら、見事にもう片方の腕で俺の手を握った。

 

「なッ!」

「……」

「何を考えているんだッ!?ミナト様!まさか本当に飛び降りるなどッ!」

 

 さっきまでヤバいヤツと思っていた人に、まっすぐな正論をぶつけられる。

 俺は自信満々に、敗者の勝利宣言をぶちかましてやることにした。

 

「俺……自殺はじめてじゃないんで……」

 

 混乱する執事ジャンの表情は完全に混乱していたが……

 

 俺が”手に持っている、ある物”に気づく。

 そして俺が何をしようとしているのかをすぐに理解し、さらに表情が曇った。

 

「ミナト様……ま、まさか……」

「気づきましたか?」

 

 俺が握っていたのは、ヴァルム爺さんから貰った長いギター弦だった。

 それは二人分の体重を支えるには余りにもか細い命綱だったが、この勝負においては俺に決定的な勝利をもたらすもの。

 

 ギター弦は俺の手から、部屋の中に伸びている。

 そしてその先は、窓際のサイドテーブルに置かれたティーカップに引っかかっていた。

 

「俺がこのまま落ちれば……弦が引っ張られて、そのティーカップも床に落ちます」

「ッ!」

「そうなれば、部屋の状態がリセットされ……窓は閉まり、俺だけ部屋の中に戻る」

 

 そう……ジャンのスキルは、俺が物を動かした回数をカウントしている。

 そして当然もとに戻るのは、部屋の状態と俺。

 

「ジャンさん……俺の勝ちです」

 

 俺を助けてくれるのは、やはりいつも音楽に関するものだ。



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愛にようこそ

 高い塔の窓から、二人の男がぶら下がっている。

 一人はバルザリー家執事ジャン、そしてもう一人は異世界人ミナト。……つまりは俺だ。

 

 執事ジャンは片腕で二人分の体重を支えており……

 どうやら長時間耐えるのは無理そうだ。

 

「俺の勝ちです」

 

 部屋の物を3回動かすと、俺と部屋の状態が全てリセットされる技能(スキル)『赤い13号室(ループ・ルール・ルーム)』。

 今、俺はそのリセットを押すスイッチを握ったまま、執事ジャンに手を握られている。

 

 そのリセットの対象に技能(スキル)保持者であるジャン自信は含まれていない。

 

「俺が落下すれば……当然ギター弦が引っ張られてティーカップが落ちます。それはすなわち、部屋のリセットが発生するスイッチとなり……俺だけが部屋に戻る」

 

 仮にジャンが俺の手を放して自分だけ部屋に上ろうとしたとしても……

 部屋のリセットにより窓も閉まり、結果ジャンは助からないだろう。

 

 逆にジャンが俺を引き上げて二人で登ろうとしたとしたら……

 俺は弦を少し引っ張ってリセットを発生させ、やはりジャンは助からない。

 

 この状況でジャンが選択できる手段はたった一つ。

 

 それは俺がこの部屋を脱出するために必ず成し遂げなければならない条件でもある。

 すなわち、技能(スキル)『赤い13号室(ループ・ルール・ルーム)』の解除である。

 

「さぁ、解除してください。貴方の技能(スキル)」

「はぁッ!はっ!……まさか、ミナト様がこんな策を思いつき、実行なさるとは……驚きました……ッ!」

 

 ジャンは必死に俺を落とすまいと、何度も力を込めて握りなおす。

 

 おそらくティナ譲から俺を傷つけず、逃がしてはならないと言われているんだろう。

 ある意味、執事ジャンのその行動が俺にチャンスをもたらした。

 

 俺は言う。

 

「このままじゃ、あなただけ落下しますよ?……はやく解除してください」

 

 しかし、俺の勝利はほぼ決定的ではあったものの、確定にまでは至っていなかった。

 もっと言えばジャンの敗北は決定しているが、俺の勝利は確定していない。

 

 なぜなら技能(スキル)の解除は勝利の最低条件に過ぎず……

 その場合、俺の落下を助けてくれるリセットも発生しなくなるため、直接ジャンに引き上げてもらう必要がある。

 

 執事ジャンのティナ譲への忠誠心から見て、俺を見殺しにすることはないだろうが……

 むしろ勝負が長引くことで、ジャンに俺を引き上げる腕力が無くなることの方が問題だった。

 

「ジャンさん、貴方の負けです。はやく技能(スキル)を解除してください。二人で落ちたくはないでしょう」

「ミナト様……私は……」

 

 しかし、ジャンから放たれた言葉は驚愕の一言だった。

 

「私は、ここから落下するのは怖くありません。……大怪我はするでしょう。しかし、今までここから何度落とされても命に別状はなかった」

「……え?」

 

 今まで……何度も落とされた?

 何を言い出したこの人。

 

「落とされ……た?」

「ティナ譲のお仕置きで……3度ほどここから落とされました」

 

(……うそだろ)

 

「しかし、私はティナ譲から『技能(スキル)を解除するな』と言われいる……。落ちることよりも、私にとってはその命令に背くことの方がよっぽど問題なのですッ!」

 

 ……絶句する。

 マジで言ってるのかこの人。

 

「ッ!」

 

 その時、執事の姿が徐々に変化しているのに気づいた。

 手や顔中から毛が伸びて、体も徐々に大きくなっていく。

 

 彼の端正な顔立ちも、鼻が前に伸びて毛むくじゃらの獣のようになった。

 変貌する彼に俺が言う。

 

「あなた、亜人だったんですか……」

「えぇ……キツネの獣人。人間様よりも大分丈夫な肉体を持っておりますが……。……ッ!」

 

 しかしその丈夫な肉体でも、長時間指先だけで二人分の体重を支えるのは難しいらしい。

 もう、手すりに掛ける指が激しく揺れていた。

 

「この勝負、ミナト様の勝利でございますッ!しかし、私の勝負はまだ終わっていないッ!」

「!?」

「私は、ティナ様から命令を受けている以上……絶対に技能(スキル)を解除しないッ!」

 

 つまり、技能(スキル)を解除するくらいなら自分だけ落下する。

 そう言ってるのか!?

 

「結局落下したら、気を失って技能(スキル)は解除されちゃうんじゃないんですか!?だとしたら、今解除して二人で助かった方が良いに言い決まってるじゃないですか!?」

 

 俺がそう言っても、キツネ獣人の執事ジャンは聞く耳を持たない。

 

「だとしてもッ!それはティナ様の命令を破ったことになるッ……!私は絶対に自分から技能を解除しないッ!」

 

 そう言って執事ジャンは……

 

「なッ!」

 

 俺の手を放した。

 

 

 ~ ☆ー☆ ~ ☆ー☆ ~ ☆ー☆ ~

 

 

 俺が落下したことで握っていたギター弦が引っ張られ……

 その先に引っ掛けられたティーカップが床に落下する。

 

 すると部屋がリセットされて、俺は例のフカフカの椅子の上でぬいぐるみと見つめあっていた。

 

 ――ドンッ!――

 

 そして、窓の外か聞こえる鈍い落下音。

 俺はすぐ立ち上がって窓から下を確認すると……

 

「ティナさ……ま……」

 

 と、か細い声で呟きながら、執事ジャンが気絶した瞬間だった。

 

 こんな高さから落下して死なない肉体の強さに関心はするが……

 何度もこんなことを繰り返すあのお嬢様は、思った通りやはり異常。

 

 俺はすぐに振り返り、扉から脱出を試みる。

 さっきまで開くことすら叶わなかった二枚目の扉がすんなり開き、技能(スキル)が解除されていることを確認する。

 

 俺はそのまま廊下を出て、階段へ走った。

 

 すると……

 

「あ……」

 

 廊下の先に、壁に立てかけてあるハウザー2世のケースが目に入る。

 やっぱり一緒に飛ばされてきたのか。

 

「ハウザー2世……よかった」

 

 俺はハウザー2世を回収しようと、廊下を走り抜ける。

 もう手を伸ばせばケースに触れられる、そんな距離。

 

 しかし……

 俺はそのケースに触れることが出来なかった。

 

「え!?」

 

 突然、体が重くなったのだ。

 足と手が上がらなくなり、次の一歩がでない。

 

 これは何の比喩表現でもない。

 まるで体の細胞一つ一つが全て鉛(なまり)にでもなってしまったかのように、身体がどんどん重くなっていく。

 

「なん……だ……!?」

 

 そしてそのまま、俺は自分の体重を支えきれなくなり……

 ドンッ!という音を立ててその場に倒れる。

 

 倒れた床からミシミシ……という音が聞こえてくる。

 ハウザー2世まで残り数mというところで、俺の身体は情けなく地に臥した。

 

「一体……こ……れは!?」

 

 しかし、その謎はすぐに解決する。

 廊下の先を曲がったさらに向こうから聴こえてくる足音。

 

 そしてそこから現れた少女の言葉によって。

 

「ミナト様……重い体を引きずって、なんて愛くるしい姿なのでしょう」

「ティナ……バルザリー……」

 

 先ほど出て行ったはずの、この塔の主ティナ・バルザリー。

 身体が自由に動かないのも、明らかになんらかの技能(スキル)か魔法。

 

 おそらくは、今ゆっくりと俺に近づく彼女の力。

 

「私の技能(スキル)『甘くて重い想い(シュガー・ヘヴィ)』の原動力は、どこにもいかないで欲しいという純粋な気持ちなのです……気持ちが強くなるほど体が重くなり、私から離れたくても離れられませんの」

「……シュガー……ヘヴィ……やっぱり、君の技能か……」

「胸騒ぎがして帰って来たのは正解でした。やはりミナト様を一人で待たせるなんて、私最低の女ですね」

 

 そう言って、体を引きずる俺をうっとりした表情で見る美少女。

 俺にとってその瞳は狂気でしかない。

 

「……ッ!」

 

 俺は必死にハウザー2世に手を伸ばす。

 するとそんな姿を見て、ティナ譲が頬に手を添えて言った。

 

「まぁっ!こんな状況でもギターを最初に心配するなんて……ミナト様……あなたは本当になんて素敵なんでしょう」

 

 俺が好きという言葉は、その表情からして嘘ではないのだろう。

 しかし無様に這いつくばる姿を見て『素敵』と表現する感性には共感できそうにない。

 

 ティナ譲は這いつくばる俺の身体に、まるで愛撫でもするかのように体を重ねた。

 そして艶っぽい声で語り掛ける。

 

「心配しないでミナト様。私、貴方のことを本当に大切に思っているのです。逞しい指先……つぶらな瞳……そして奏でる音」

 

 自分の体重が今どれくらいなのか見当もつかなかったけれど。

 軽いはずの少女の身体が乗っかっただけで、全然前に進まなくなる。

 

 ハウザー2世は、もうすぐそこなのに。

 

「ずっとここで暮らしましょ?美味しい食事と美しい妻……きっと素敵な生活になるわ。美しい音楽を奏でながら、ただ幸福と快楽しかない生活を送るの」

「……ッ!」

「もし逃げるつもりなら、このまま閉じ込めることになるけれど。……ふふ、それでも平気です。その時は私がトイレやお風呂……なんなら夜のお世話まで全部いたします。あなたが満足なさるまで……何度でもずっと……ずっとです」

 

 ――ガッ!――

 

 その時……

 俺はやっとの思いでハウザー2世のケースに触れた。

 

 ゆっくり横に倒して、革のケースの蓋部分に手をずらす。

 そして彼女に、俺はこう切り出した。

 

「あの部屋の時計……」

「……?」

 

 すると、俺を撫でるように身体を這わせていた手の平が、ピタッと止まった。

 

「あの部屋にあった柱時計……最初は気づかなかったけど、君の言うとおりだったよ」

「……」

「確かに、秒針の間隔が少しおかしかった。時計、壊れてるみたいだね」

 

 先ほどの部屋で、カッチカッチと規則正しく時を刻んでいた柱時計。

 彼女が部屋から出ていく直前、ティナは執事ジャンにこう言っていた。

 

『この時計の音は、小さいころからずっとずっとずっと聴いているのッ!こんなクソみたいな修理で、私を侮辱するというのッ!?』

 

 執事ジャンの技能(スキル)がどんなものなのか検証している間、俺はずっとあの部屋で時計の音を聴いていた。

 すると、たまに不規則になるリズムが少し気になっていた。

 

 俺は彼女にこう続ける。

 

「俺は時計には詳しくないけど、君が言った通り修理が必要なんだろう」

「……」

「たぶん君は凄くリズムの記憶力がいい。それは演奏家にとってとても重要な要素なんだ。……君はきっと、演奏家に向いてる」

 

 ティナ譲はその言葉があまりに予想外だったのか、あっけにとられているようだった。

 愛撫するように動かしていた手は完全に動きを止めていて、今度は語り掛けるように俺に言う。

 

「あの時計は、亡きお婆様から貰ったものです」

「……」

「私が一番、あの時計の音を知っています」

 

 正確なテンポを刻むメトロノームは、時計で使われる振り子運動の応用で生まれたものだ。

 

 リズム感は後天的に培われるもの……

 幼い頃からずっと正確なメトロノームに慣れ親しんでいる彼女は、きっと頭の中に正確なリズム感覚を持っているのだろう。

 

(だからこそ……とても残念だ)

 

 ティナ譲はまた腕の当たりを撫でるように触れながら俺に言う。

 

「こんなことをされても私を褒めてくださるのね……。ミナト様、やっぱり素敵なお方」

「……ティナ……」

「やはり私とミナト様は一緒になるべきです……!だから……どうか、一生ここで……」

 

 しかし俺は、その言葉を聞き終わる前にこう返答した。

 

「ごめん」

 

 ――バッ!――

 

 そして俺は、ようやく辿り着いたギターケースを一気に開く。

 

 中にはハウザー2世が不満そうに俺を見ていた。

 しかしティナ譲の視線はハウザー2世ではなく、開かれたケースの内側に描かれる”それ”を見ていた。

 

「……ッ!」

 

 円形の陣に、複雑な術式がいくつも描かれた図形。

 

「ミナト様……そ、それ……魔法……陣?」

 

 そう。

 リリーとレナが作ってくれた革のギターケースには、特性の魔法陣が描かれていた。

 

「その魔法陣は一体……なんの魔法陣ですの!?」

「俺はまだ……レナに一つしか魔法を教わってないんだ」

「まさかそれ…………召喚……」

 

 

 ――カッ!――

 

 

 レナの言葉が、俺の頭をよぎる。

 

『つまり特定の契約を結んでおけば、誰でも目の前に召喚できるんです』

 

 覚えておいた方がいいと、レナが言ってくれなければ……

 俺は本当に危なかったかもしれない。

 

 そして、俺達の後ろに彼女が”召喚”される。

 

「あ……あなたは……」

 

 俺は知っていた。

 その人は強く気高いだけじゃなく、心の底から優しい人だと。

 

 一瞬、女神と見間違うほど真っ白な甲冑。

 一切の悪意に染まらず、何者にも汚されない彼女のことを、この国の人々はこう呼んだ。

 

 

「”拒絶のアリス”……ミナト様をお守りするため、ただ今見参いたしました」

 

 

 国内最強の白騎士と。

 

 



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リズムにようこそ

「まさか……誘拐犯が国内三名家の一つ、バルザリー家のご令嬢とは……驚きました」

 

 国内最強の部外者”拒絶のアリス”の登場は……

 いくら国内有数の名家バルザリー家の御息女と言えど、その驚きの表情を取り繕うことさえできていないようだった。

 

「なぜ……あなたが……。”蒼の騎士団”総長の座を降りたって……」

「えぇ。今は貴方がお尻に敷いていらっしゃるその方を、命がけでお守りしている身分です」

 

 それを言われるとティナ譲は俺から離れて立ち上がり、ゆっくりと後ずさる。

 アリスさんは強い視線をティナ譲に向けながら、なんの警戒もなく俺に近づき軽く触れた。

 

 すると身体がふっと軽くる。

 

「お怪我はありませんか?ミナト様」

「……ありがとう、大丈夫」

 

 アリスさんはそれを聞くと安心したように俺に微笑む。

 俺はアリスさんから出された、”あの条件”の話を思い出していた。

 

 

『わかりました。私も適度に休憩を頂きながら、貴方をお支え致しましょう……ただし、条件があります』

『条件……?』

『もしミナトさんが危険に迫られた時、私を召喚する契約を結んでいただきたいのです』

 

 

 彼女から出されたこの条件。

 同時にこの契約が何を意味しているのかも、レナから聞いて理解していた。

 

 

『ミナトさん、召喚魔法を使う前に、覚えておいてほしいことがあります』

『覚えておいて欲しいこと?』

『はい。……まず契約によって召喚される人は召喚されてから一定時間、召喚した人の命令に背くことができません』

『……』

『また、契約を必要としない異世界召喚とは違って召喚の拒否すらできない。それは奴隷契約にも似たとても高い強制力をだという事です』

『奴隷契約にも似た……強制力』

『だからこそ、召喚される側の契約者は……心の底から信頼できる人としか契約することはありません』

 

 

 他人に人生を掛けて仕えることが、どれだけ凄い決断なのだろう。

 どんな人でもできるようなことじゃない。少なくとも俺にはできないだろう。

 

「ミナト様。少々おまちください」

 

 アリスさんは俺の安否を確認して立ち上がると、また視線をティナ譲に向ける。

 

 俺からアリスさんの表情はわからなかった。

 しかし彼女を見るティナ譲の表情は恐怖で歪んでいて……

 アリスさんがどれだけ恐ろしい威圧感でティナ譲を睨んでいるのか想像に難くなかった。

 

 ティナ譲は後ずさりながら、大きな声を挙げる

 

「ち、近づかないでッ!」

 

 ティナ譲はアリスさんに向けて手を伸ばし、何度も技能(スキル)の発動を試しているようだ。

 しかしアリスさんの『白皙の拒絶(ホワイトヴェール)』は、魔法も技能(スキル)も関係なく、悪意ある全ての事象を拒絶する無類の絶対防御。

 

 おそらくティナ譲も”拒絶のアリス”の力は知っていたはずだったが……

 いざ自分の前に立ちはだかると冷静な判断ができず、情けなく無意味な技能の発動を繰り返すだけになっていた。

 

 アリスさんはゆっくりと近づいてティナ譲の腕を掴む。

 

「は、離してッ!わ……私はッ!」

「バルザリー家のご令嬢、ティナ・バルザリー様ですよね。もちろん存じております。……その上で、恐れ多くも一つだけご忠告させていただきたい」

「……!?」

 

 この時のアリスさんの目を見て、ティナ譲の身体がガタガタと震えだす。

 

「おてんば娘のわがままは、名家の力の及ぶ範囲で楽しまれるのがよろしいかと」

 

 そして、そのまま腰を抜かしたようにカクンと膝を落とし……

 

「ご……ごめんなさい」

 

 と涙を流した。

 

 その涙は俺達の勝利を象徴するものであり……

 今回も何者にも汚されず、”拒絶のアリス”は役目を果たしたのだった。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 閉じ込められていた塔は、めちゃくちゃデカい敷地内の一部だったらしい。

 バルザリー家の敷地は山二つ先まで広がっているそうで、本邸宅は俺達のいる場所からは見えない。

 

 しかし、塔にはティナ譲と執事ジャンだけしかおらず……

 アリスさんはすぐに彼らを塔の一階にある応接間にロープで拘束すると、通信魔法陣で”蒼の騎士団”を呼んだ。

 

 騎士団は転移魔法ですぐに到着し、主犯であるティナ譲と執事ジャンに話を聞いていた。

 取り調べが終わると、離れて顛末を見ていた俺にアリスさんが近づいてこう言った。

 

「ご無事で、本当に安心いたしました」

「アリスさん、せっかく休暇だったのに……ごめんね」

「いえ、役目を全うする機会を与えて頂き、ありがたく思っています」

 

 そう言って俺に敬礼し、深く頭を下げる。

 俺はアリスさんに聞いた。

 

「アリスさんは、なんでそんなに俺を大事にしてくれるの?……ファブリス王に命令されたから?」

 

 すると、”拒絶のアリス”は一切の迷いなく答える。

 

「私が、そうしたいからです」

「……」

「初めてミナト様の演奏を聴いた時……深い喪失感を全て埋め尽くすような温かさを感じた。私はこう思いました。”あぁ、私の力は、この人を守るために授けられたのだ”……と」

 

 アリスさんは座る俺に視線を合わせるように跪く。

 そして俺の手を強く握る。

 

「私の身と心は、全て貴方のモノです」

 

 絶対服従とも言える召喚契約を結んだ程だ。

 彼女の発したその言葉は、その言葉以上に多くの意味を持っている。

 

 俺にはそれがよくわかっていた。

 

 そんな話をしていると……

 騎士団が俺達の方にやってきて、アリスさんに報告する。

 

「アリス様、事情聴取が終わりました」

「”様”なんてつけないでくれ。私はもう君達の上官ではない……ティナ譲とジャンから話は聞けたか?」

「えぇ……二人とも素直なものです。これから二人の身柄を王宮に送ります……しかしその前に……」

「……なんだ?」

「執事ジャンが、ミナト様とお話をしたいと言っています」

 

 それを聞いた俺は、ジャンが拘束されている馬車に乗り込んだ。

 

 彼は本来の姿であるキツネ獣人の見た目のまま手錠を掛けられている。

 椅子に座ってうつむく彼の横には二人の騎士が座っており、俺は向かい側の椅子に腰かけた。

 

 狭いのに人口密度が妙に高い馬車の中で……

 執事ジャンはこぼれるように俺に言った。

 

「ミナト様……どうかティナ譲を責めないであげてください」

 

 俺は、彼の言葉に耳を傾ける。

 

「バルザリー家は金融という生業で国を支えた名家。家はティナ様の兄が継ぐため、夫妻は兄だけに愛情をそそがれました。ティナ様は幼少期から追いやられるようにあの塔で過ごしたのです」

 

 キツネの獣人から語られたのは、創作された物話でよく聞く”ご令嬢の悲しい話”。

 塔に閉じ込められたお姫様の話も、なんか見たことがある。

 

 たしかにあの部屋には、高級そうな家具とは不釣り合いなぬいぐるみがたくさん置かれてた。

 その話から彼女の悲劇を想像するのは、決して難しいことじゃない。

 

「金と時間と場所だけを与えられ、お嬢様はずっと私達使用人と暮らしました……。ちゃんとした友人もできず、満たされない幼少期を過ごしたのです」

 

 しかし例えよくある物語だとしても……

 実際に聞く悲劇には心に来るものもあった。

 

 色々なことを想像させられるし、なにより馬車の窓から見える塔はあまりに巨大で、無機質なものだったから。

 

「小さい頃は祖母のバーバラ様が心配して、よく塔に来ていらっしゃいました。しかし、そんなバーバラ様もお嬢様が10歳になるときにお亡くなりになり……その後6年間、お嬢様はその寂しさを所有欲や独占欲を満たすことで埋めていたのです」

「……」

「お嬢様が交流会であなたのギターを聴いたとき、本当に幸せそうだった。いくら望むものを手に入れても満たされなかったお嬢様の心を、ミナト様はただの音だけで満たしたのです」

 

 あの時計もお婆さんの形見だと言っていた。

 生活は全然違うけど、境遇は俺と凄くよく似てる。

 

 ハウザー2世という形見を残し、この世を去った爺ちゃん。

 今俺が楽しく生活できているのは、この世界にいる沢山の人が、俺を必要としてくれたからだった。

 

 彼女には……

 彼女を必要とする人がいない。

 

「あの……家族は今どこにいるんですか?」

「旦那様と奥様はとてもお忙しい方です。今も世界の大都市を飛び回っておいでかと。ティナ様を、私にまかせてね」

 

 すると、それを聞いていたアリスさんが話に入る。

 

「だとしても、誘拐なんていう犯罪を肯定する材料にはならない」

「……」

「むしろ彼女のわがままを叱り、正しい道を提示するのが貴方の本来のあるべき姿では?」

 

 キツネの執事ジャンは、長く伸びた耳をシュンと下ろした。

 

「そうかもしれませぬ。しかし……」

 

 ジャンは、何かを思い出したようにふっと笑った。

 

『ジャン……私、知らなかった。ただの音が……こんな美しいなんて』

『こんなに……世界は美しかったんだ』

 

「ミナト様のギターの話を……あんなに無邪気なお顔で語られるお嬢様を見ていると……私にはできませんでした」

「……」

「だって何の色も無かったお嬢様の世界を彩ったのは……ミナト様、貴方が初めてだったのだから」

 

 

 こうして……

 名家ご令嬢による異世界人誘拐事件は幕を下ろしたのだった。

 馬車から降りた俺は、アリスさんに言う。

 

「なんだか少し、かわいそうな話だったね」

「ミナト様……」

 

 ティナ・バルザリー。

 彼女は確かに暴挙には出たが、悪い子では……

 

『ティナ譲のお仕置きで……3度ほどここから落とされました』

 

 ……いや、悪い子ではあるんだけど。

 同乗の余地がないわけじゃない。

 

 何より、彼女には彼女を必要とする誰かが必要な気がしてた。

 俺は淡い期待をよせ、アリスさんにこんなことを提案してみる。

 

「俺は無事だし、結局傷一つない……俺が許せば、ティナを解放してあげられたりするのかな」

「バルザリー家は王宮とも縁が深い。事態は思っているより複雑です」

「……」

「彼女はしばらく王宮が身柄を拘束するでしょう……しかし、それは彼女が招いたことでもあります。ミナト様はあまり考えすぎないようにしてください」

「うん……」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 次の日。

 俺とアリスさんは王宮に呼び出されていた。

 

 誘拐事件の情報は一般に公開されず、人々はそんなことがあったことさえ知らずに過ごしてる。

 これは、彼女の特殊な家庭環境を踏まえた王宮の臨時処置だったらしい。

 

 バルザリー家は金融事業で王宮にも影響力のある名家。

 遠方で仕事をする当主に連絡も取れず、騎士団はもちろん、王宮ですら彼女の扱いに困っていたようだ。

 

 そのため当主が帰ってくるまでの間は事件の公表を避け、この事態に結論を出すのを引き延ばしたということらしい。

 

 俺達は王宮の長い廊下を進み、指定された部屋に向かっていた。

 

 事件については前日全て話をしていたため、王宮に呼ばれた理由は聞かされなかったが……

 なにやらファブリス王直々の呼び出しらしく、俺達は素直にその招集に応じることになった。

 

 今度こそ玉座の間が見れると期待したが、案内されたのはまたも小さな会議室だった。

 そこには数人の騎士団員と、ファブリス王が俺達を待っていた。

 

「座ってくれ……大変な目にあったなミナト。ケガもないようで安心した」

「俺の命をとるつもりはなかったみたいですし……ご心配をおかけしました」

 

 俺とアリスさんが着座すると……

 ファブリス王はいつもの爽やかな笑顔を向け、軽やかな口調でアリスさんに言う。

 

「アリスもよく大任を果たした。君の願いを受け入れて、元老院を説得したかいがあったよ」

「恐縮の至りです」

 

 部屋にいる騎士の一人が、俺達のためにテーブルに置かれたカップに水瓶で水を注ごうとする。

 すると王は彼から水瓶をとり、騎士を含めたそこにいる全員分のカップに水を注ぎはじめた。

 

 オロオロする騎士を横目に、水を継いだカップを全員の目の前に置きながら、王は続ける。

 

「バルザリー家にはしっかりと責任を取らせるつもりだ。元老院は及び腰だが、今回の件の重大さは重々承知しているはずだしな」

 

 元老院というのは、所謂王政へ助言をする組織らしいが……

 政治に興味の無い俺は、そこらへんにあまり詳しくはない。

 

 それには王も気づいているようで、俺に詳しく説明する気もないようだった。

 王は全員分のカップに水を注いで配膳を終えると、パンッと手を叩いてこう言った。

 

「よし!じゃあみんな、水を一口のみなさい」

 

 俺とアリスさんは顔を見合わせ、とりあえず水を飲んだ。

 王の護衛である騎士たちも、とりあえず王の言う通りカップに口をつかる。

 

 全員が空気を読み水を飲んだのを確認すると、王が言った。

 

「よし!みんな気持ちは切り替わったな。話を変えよう」

「……?」

 

 すると、王は俺の顔をじっと見て言った。

 

「実はなミナト、本当はこんなタイミングで言うつもりはなかったんだが……君に頼みたいことがあって呼び出した」

「頼み事……ですか?」

 

 王もクッと水を飲み、口を潤して具体的な話をし始める。

 

「実は数か月後……この国にとって非常に大切な『とある交流会』がある。そこで君にギターの演奏をしてもらいたい」

「とある交流会?」

「詳しいことは後で話すが、この国の未来に関わる重要な交流会だ」

 

 交流会……と言うからには相手がいるのだろう。

 俺は詳しい話を聞こうと座りなおす。

 

「一体、誰との交流会なんです?」

「アレンディル王国南東にある、アルフヘイムの森に住まう民……エルフだよ」

 

(エルフ……!)

 

「王国とエルフは昔から交換貿易の関係にあってな。今まで深く干渉してこなかったんだが、訳あって早急に彼らとの交流の場を設けなければならなくなった。文化の違う種族とお近づきになるには、それなりのもてなしが必要になる」

「それで、俺に演奏会をやれと……?」

「そうだ……。できれば発表会で演奏したような、感動する音楽がいい。そしてなんていうか、もっとこう、規模がデカい感じの」

 

 規模がデカくて感動する音楽……?

 おそらく、王宮には何か明確な目的がありそうだな。

 

 それを今説明しないのは意図的なものだろうし、俺は今ある情報から聞きたいことを王に進言する。

 

「例えば……アンサンブルのようなこと、でしょうか?」

「アンサンブル……?」

「合奏……つまり、複数の奏者が複数の楽器を演奏して、一つの音楽を奏でる……ということです。」

 

 それを聞いて、王や騎士たちが互いを見合う。

 

「なんだそれは……?想像もつかないが、そんなことできるのか?」

「はい……ギター1本では表現できる音楽に限界があります。……楽器が増えれば、その分表現の幅も……」

 

(あ……)

 

 その時、俺の中にとあるアイデアが思い浮かぶ。

 それは今後、この世界に音楽を発展させるために必ず踏まなければならない、次の段階でもあった。

 

 しかしそれ以上に”あの少女”を助ける大義名分として上手く機能するのではないかという……

 淡い期待を俺に抱かせる。

 

「当然、内容も全て君に任せる。そんなことができるなら、私も是非期待したいところだしな」

 

 王や騎士たちはそれを聞いて、まだ見ぬ音楽の可能性に目が輝いた。

 そこで俺はチャンスと思い、さらに続けてこう言った。

 

「しかし、そのためには……当然俺以外の奏者と、新しい楽器の製作が必要不可欠です」

「楽器は君たちが作っているのだろう?演奏できる者は他にいるのか?」

 

 きた。

 

「今はいませんが、数か月真剣に練習を重ねれば可能でしょう。しかし、それなりに完成度の高い演奏をするためには、最低限の才能も必要になります」

「最低限の才能……?」

「それは、リズム感です」

 

 元の世界では、ひと際リズム感が良いとされる人種の人たちがいる。

 

 それはアフリカをルーツに持つ黒人だ。

 彼らは他の人種に比べ肉体的に恵まれており、打楽器を中心にしたリズム演奏に非常に長けていた。

 

 一方でそのリズム感は天性のものではないとも言われている。

 正しく、何より楽しいリズム感を幼いころから文化の中で嗜んだことで、ある意味リズムの英才教育を小さい時から受けているからこそだ。

 

 つまり、リズム感は後天的な影響……つまりは経験と反復によって培われる。

 

「この世界にそんな才能を持っている人間がいるとは思えないが……」

「幼いころから、狂いのない一定のリズムを聞いていた人なら可能性はあります」

「一定のリズムを鳴らす楽器なんて、我々の世界にはないだろう……」

「いや……楽器ではないですがあります。時計です。」

「時計……?」

「時計のリズムは、BPM60というテンポで表すことができます」

 

 BPM60は一般的に演奏される音楽の中でも、かなり遅い部類に入るテンポ。

 

 音楽と言うのは早いより遅いテンポで正確に弾く方が難しい。

 理由は色々あるが、単純にテンポが下がると頭の中で取るリズムの間隔が離れて、実際にはその間隔の中に存在する細かいリズムを感じづらいということ。

 8ビートで最も簡単と言われるBPMが120~190と言われていることを考えると、その難しさがわかりやすい。

 

「BPM60という遅いリズムを正確に記憶、判別できるというのは……かなり正しいリズム感覚を持っているはずです」

 

 と、半分創作にも近い弁論で”リズム感の大切さ”を強調し、俺は王に伝える。

 

「それは一体誰のことを……」

「亡くなったお婆様の時計の音を、小さいころから毎日聞き続けてきた少女……ティナ・バルザリーです」

 

 

 



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メンバーにようこそ

 

 バルザリー家。

 終焉の冬霜(とうそう)の以前から金融業で財を成し……

 現在ではアレンディル王宮にまで影響力を持つ、国内三大名家の一つ。

 

 王からの依頼を遂行するため、俺とアリスさんはティナ・バルザリーが拘束されている王宮の一室に向かっていた。

 その最中、アリスさんがバルザリー家について俺に説明をしてくれる。

 

「元老院がティナ・バルザリーの処分に踏み切れないのは、政治的な事情を多分に含んでいるからです」

「……バルザリー家は王宮にも影響力があるって言っていたね」

「現当主のタイラー様は、諸外国にまでビジネスの規模を広げようとしています。そのため、この国にいることの方が少ないくらいです」

「気になったんだけど、バルザリー家の当主は通信魔法を使っても連絡がとれない場所で仕事してるんだよね?」

「えぇ、通信魔法は送信先の座標が必要になるものですから。……しかし連絡がつきづらいのは、どちらかと言えば個人的な理由もあるのかと」

「俺にはよくわからないな。……まともに連絡もつかない人が、王宮にまで影響力があるってどういうことなのか」

 

 ここで俺達はティナの部屋の前についた。

 アリスさんは扉を開ける前に、まるで忠告するように言った。

 

「その理由を私は知っています……ミナト様に事情を語るのは容易いこと。しかし、それを聞くのはオススメしません」

「……どういうこと?」

「組織というのは枝葉を伸ばすほどあらゆる闇が隠れやすくなります。……かつて剣と魔法で解決できた問題の多くはより複雑化し、多角的な視点から見なければ全貌を理解するのも難しい」

 

 一見何の問題もなさそうなアレンディル王国。

 しかし俺の見えないところで、あらゆる問題を抱えているのだろう。

 

(演奏を頼まれたエルフとの交流会も、何かありそうな感じだったし……)

 

 アリスさんの表現がいつもより抽象的なのは、おそらく俺に関与して欲しくない気持ちの表れ。

 それをなんとなく察した俺は、黙って彼女の話を聞いた。

 

「ファブリス王のようにそんな問題に立ち向かう人はいますが……。我々がミナト様に抱いているのは、それとは全く別の希望なのです」

「……全く違う希望?」

「えぇ……剣も魔法も、人も血も使わない……貴方以外、誰にも果たせない希望です」

 

 アリスさんは優しい笑顔でこう言うと、ティナのいる部屋をノックして……

 扉を開き、俺を中に入れた。

 

 

 ――ガチャ……――

 

 

 その部屋は、名家の令嬢が過ごすには余りにも質素な部屋だった。

 ティナは壁を向いて座っており、俺達が入っても振り向こうとしない。

 

 壁にはたくさんの魔法陣が描かれており、この部屋が王宮によってなんらかの魔法が掛けられているのは明らかだった。

 アリスさんが俺に言う。

 

「部屋を隔離するための魔法と、ティナ様の技能(スキル)を封じる魔法陣です」

「……」

 

 俺は椅子に座るティナ・バルザリーの後ろ姿を見る。

 

 幼いころから、追いやられるように塔に住んでいた……まだ16歳の少女。

 あらゆる欲望を満たした先で、また追いやられるように魔法陣だらけの部屋に拘束されている。

 

 俺達が近づくと、彼女はゆっくりこちらをみた。

 その表情に光はなく、あんなに華やかに彩られていた化粧や髪も何もしていない。

 

 そしてティナは俺の姿を見た途端……ポロポロと涙を流し始める。

 

「ミナト様……」

 

 自分の行った行為をひどく後悔してる。

 それは、彼女から流れる涙と小刻みに震える唇から明らかだった。

 

「……やっと、同じ目線で話ができるね」

 

 俺がそう言うと、彼女はうつむいて体をさらに震わせた。

 彼女の前にあった椅子に腰かけて、俺はのぞき込むように言う。

 

「元気……なわけ……ないよね」

 

 ティナ譲は、あんなに誇らしげにしていた顔をうつむいて……

 何度も小さく、こうつぶやいていた。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 アリスさんを見ると、彼女は溜息をついてコクリと頷く。

 俺は一呼吸おいて、できるだけ優しい声で彼女に言った。

 

「許すよ」

 

 この言葉を言うと、彼女の身体がびくっと震える。

 

 何か責められると思ったのか、それともすでに酷く怒られたあとか。

 彼女は俺の言葉に凄く警戒し、かつ敏感に反応した。

 

 だからこそ俺は、今の気持ちをなんの装飾もせず……

 絶対に聞き間違えたりしないよう、ひたすらまっすぐに彼女にぶつけた。

 

「全て許す。君が俺にしたことのすべてだ。俺は一切、君を責めたりしないよ」

 

 それを聞くと、彼女はゆっくりと顔を上げ、ぐしゃぐしゃになった顔を俺に向けた。

 塗れた瞳から流れる綺麗な涙は、罪も地位も関係ない。

 

 ただ驚いた表情で、16歳の少女が俺を見る。

 

「だから、涙を拭いて……?俺は君にお願いをしにきただけなんだ」

 

 そう言うと、アリスさんがハンカチを取り出し、彼女に渡した。

 

 彼女は弱々しい力でそれを受け取ると、震える手で涙をふく。

 その仕草はとても上品で、彼女の持つ品格の良さを表していた。

 

「王様からの依頼で、複数人の演奏者で合奏することになった」

「……」

「そのメンバーに、俺は君を指名した」

 

 その突然の言葉に、彼女はハンカチを落とす。

 そして震えた声で俺に返した。

 

「な……何をおっしゃって……いるのです……か」

「君の力が必要だ。一緒に、演奏してほしい」

「わたしを……本当にゆるすと……言って下さるのですか?」

 

 ポロポロと流れる綺麗な涙が、拭かれた肌をまた濡らす。

 俺はもう一度、力強く彼女に言う。

 

「うん。何度でも言うよ。……君を許す」

 

 そう言うと、彼女は声をだして泣き始めた。

 けれど俺もアリスさんも、その涙が後悔と悲しみから来るものではなく、安心したからこそのものだとわかっていた。

 

 彼女が落ち着くのを待って、涙が止まったのを確認すると……

 改めて彼女が置かれている現状と、お願いを言う。

 

「君の罪は俺が王に掛け合って取り消してもらった。君は今この瞬間から、元に生活に戻ったんだ」

「……すん」

「そこで、改めて名家のご令嬢であるティナ・バルザリーに頼みたい。俺と一緒に交流会の演奏をして欲しい」

 

 すると自分が発言するのがおこがましいと思ったのか……

 どこかしおらしげに彼女は俺に聞く。

 

「どうして……私なのですか?」

「……?」

「私……音楽なんてしたこともありません……習い事も、いつも途中で投げ出してしまって……」

 

 あれほど自信満々な彼女の姿は見る影も無くなっていた。

 俺はなぜ彼女を指名したのか、そしてその判断の正当性を本人に説明する。

 

 それは、彼女がこれから行う判断の材料に『才能の無さ』を使って欲しくなかったからだ。

 やりたいことをしない言い訳に使う言葉として、生まれ持った才能を出すなどくだらない。

 

 音楽には、天賦の才を持った人なんて存在しない。

 求めた人が求める音を表現しつづけたからこそ、音楽は音楽であり続けられた。

 

 音楽が天才しか作れないのなら、それを楽しめるのも一部の天才だけになる。

 音楽の懐は、そんなちっぽけじゃないんだ。

 

 王に説明したティナ・バルザリーのリズム感とその記憶力。

 俺は彼女にもそれを丁寧に説明し、もう一度彼女に質問をする。

 

「… ……というわけで、君を指名したんだ。もう一度お願いするよ。俺たちと一緒に、演奏会に参加してほしい」

「……」

「もちろん練習は必要になる……時間も多くない」

 

 すると、彼女は少しだけ考えるようにうつむくと……胸に手をあてて、俺にこう返した。

 

「やります。いえ……私にやらせてください。やりたいのです」

 

 ティナ・バルザリーの涙はすでに乾いていた。

 力強いその言葉を聞いてふっと肩をなでおろす。

 

「ありがとう。詳しい話は明日、俺の城でしようと思う。今日は家に帰ってゆっくりしていいよ」

「……はい」

「ちなみに楽器なんだけど、合奏の編成はカホンっていうリズム楽器とギター。それにベースギターって呼ばれる4弦楽器でやろうと思ってるんだ……見たことないから難しいと思うけど何か希望はあるかな?」

 

 この質問をすると、さっきまで落ち込んでいた彼女の顔がパッと明るくなる。

 そしてぐっと俺に顔を近づけてこう言った。

 

「ぎ、ぎたー!ぎたーがいいです」

 

 突然テンションが上がったことが恥ずかしかったようで、ティナはまた顔を伏せる。

 でもやっと嬉しそうな表情が見れたので、俺も嬉しくなり……うつむく彼女に優しく尋ねた。

 

「いいよ。クラシックギター?それともベースギター?……ベースはコードを弾かないし4弦だから、イメージしてるギターとは少し違うかもしれないけど」

「ミ、ミナト様には……あのクラシックギターを弾いている姿が良くお似合いでした……ですから私は……」

「ベースギターだね?」

 

 そう言うと、彼女はコクリと頷く。

 しおらしい彼女は、年相応のかわいらしさがあって少し安心する。

 

「私、ミナト様がぎたーを演奏する姿を見て……憧れていたのです。私もいつか、アレを演奏してみたいと」

「……わかったよ。それじゃまた明日。気を付けて帰ってね」

「は……はい……」

 

 そう言って立ち上がり部屋をでようとすると……

 彼女が俺を呼び止める。

 

「ミナト様!」

「……?」

「本当に……本当にありがとうございます」

 

 



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希望にようこそ

 ティナの誘拐から解放されてから数日。

 

 自分の目の前で誘拐された俺をとても心配してくれていたのに……

 事情を把握してもらうのが一番遅くなってしまったチャド。

 

 その日は、まずチャドに事情を全て説明するところから始まった。

 

「ちょ!ちょっとまて!一つ一つゆっくり理解させてくれ」

「…うん」

「王からの依頼でミナトはエルフとの交流会で演奏を頼まれた。それは複数の人数で行う合奏……ここまではいいな?」

「…うん」

「それで……」

「……」

「メンバーが……俺!?」

 

 そう、今回の合奏のメンバーは楽器制作の都合上3人で行うことになった。

 俺のギター、ティナのベースギター、そしてチャドのカホン。

 

 まだベースはおろかギターの調整すら終わっていないが、幸いハウザー2世とカホンはある。

 

 そしてこの世界で一番カホンを叩いているのは……

 毎日暇つぶしにカホンで遊んでいるチャドだった。

 

「…で!…で、だ!……もう一人のメンバーがミナトを誘拐したティナ・バルザリーだと!?正気か!?」

「彼女のリズム感は信用していいと思う。ベースは音階のあるリズム楽器みたいなものだから」

 

 4弦のベース楽器というのはいくつか種類が存在する。

 今現在、ギター制作と並行してリリーが作っているのは、少しマイナーなアコースティックベースと呼ばれる種類のものだった。

 

 理由は色々あるが、決め手となったのはクラシックギターのボディと同じ形状のため、ギター制作のノウハウが活かるということ。

 本当はコントラバス……つまりはウッドベースと呼ばれる楽器が理想だったのだが、こちらは形状も大きさもまるで違う。

 

 アコースティックベース唯一の問題は、それ単体では音量が異様に小さいという部分だった。

 それに研究発表会の時と同じく魔法陣のマイクを使って演奏するのであれば、合奏になったことで全体のバランスをとる方法も必要になる。

 

 二人は当然練習も必要だし、問題は山積みだったが……

 まずは最初の課題だった、アレを成功させなければ前には進めない。

 

 つまりは、この世界で作られる最初の楽器。

 レナが重力魔法で調節している、ギターだ。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 そして俺達はまさにその調節が終わったギターの最終確認を、これから行う。

 

 俺とチャドが工房に入ると、リリーとレナが緊張した面持ちで俺の顔を見る。

 机の上には調整が済んだギターが置かれていた。

 

「おはようございます。ミナトさん、チャドさん」

「おはよう!」

 

 俺が机の前でギターを見ると、リリーが説明してくれる。

 

「ミナトに言われた通りレナの重力魔法陣を使ってネックの反りを修正したわ。私のわかる範囲で12フレットの音も確認した」

 

 よく見ると、ギターのフレット部分に小さな魔法陣が並んでいた。

 俺がそれについて聞くと、レナが回答をくれる。

 

「小型化した重力魔法陣です。左右表裏の偶数フレットに描いてあり……ネックの反りに合わせて修正箇所の陣を発動することで、いちいち複雑なネジレなどを計算せずに調整できるようにしてあります」

「レナと相談してこの形に落ち着いたの。これだったら、魔法陣を発動して誰でもネックの調整ができるでしょ?」

 

 なるほど、レンチで調節するトラスロッドの代わりってことか。

 ロッド……ではないけど。

 

 奏者が魔法によって自分で調整できる。

 ……元の世界じゃ絶対できない方法だ。

 

 俺はギターを手に取って椅子に座る。

 その様子をレナ、リリー、チャドがじっと見つめていた。

 

「……弾いてみるね」

 

 俺は……適当に思いついたフレーズを弾く。

 その場にいる全員がまるで呼吸すら忘れたように、その音色に聴いていた。

 

 

「……」

 

 そして一通り弾き終えると、全員が息をのんで俺の第一声を待つ。

 その緊張をすぐに説いてあげようと、俺は異世界ギター第一号の感想を率直に述べた。

 

「倍音の豊かさと中音域はハウザー2世に劣るけど、低音と高音の鳴りはしっかりしてる。コードを鳴らした時のマッチング感もいいし、なんだかフレッシュな音色だ」

「ミナトさん、それって……」

「完璧だよ。ちゃんとギターだ」

 

 それを聞いたとたん、そこにいる全員が安堵の溜息をもらしたのと同時に……

 この世界初の楽器の誕生に、心のそこから声を挙げて喜んだ。

 

「やった!やったな!」

「本当によかった!レナの重力魔法のおかげよ!やったぁっ!」

「リリーさんの丁寧な加工があってこそです!本当によかった!」

 

 やっと、完成したんだ。

 音楽を普及させるための第一歩。

 

 なんとも言えない満足感。

 

(あぁ!!マジで嬉しいッ!!!!!)

 

 俺はギターを丁寧に置いて、リリーに言う。

 

「あとはこれを量産する体制を整えるだけだね」

「すでにいくつかの工房が手を上げてくれてるわ。1か月で、この工房に人が溢れることになる」

 

 これからこのギターの音色は、この国中で一般的に聴ける音になる。

 考えただけで、俺も本当に興奮していた。

 

「リリー、それでアコースティックベースの方なんだけど……」

「ギターの調整は最後レナの重力魔法に頼りっきりだったから……すでに制作は始めてるわ」

「ありがとう。本当に助かるよ」

 

 すると、ガチャっと扉を開けてアリスさんが入ってくる。

 アリスさんは大きな木箱を抱えており、それを机に置きながら俺達が喜んでいる顔を見てこう言った。

 

「ギターの調整は上手くいったのですね」

「うん。ハウザー2世とは違うけどいい音だったよ。……それよりアリスさん、わざわざ運んでくれてありがとう」

「いえ、私にできるのは力仕事くらいですから」

 

 すると、チャドは木箱の中身が気になったようで、すぐに覗きにやってきた。

 箱の中には鉄の棒がたくさん入っており、その一つを取って俺に聴く。

 

「ミナト、これなんだ?」

「音叉(おんさ)だよ。ヴァルム爺に頼んであったんだ」

「おんさ……?」

 

 その鉄の棒は、ほんの10cmほどの小さいものだった。

 しかし、途中が二又に割れている。

 

「これで硬いものを叩くと、コーンってA(ラ)の音が鳴るんだ。レナやリリーがギター調整の時にも使ってたチューニングの道具だよ」

「へー!こんな棒でギターのチューニングができるのか!?」

「うん、今後ギターを普及させるには、正しいチューニングができるチューナーは必須だしね」

 

 元の世界では弦一本一本の調律ができる電子チューナーが一般的。

 音叉は一つの音しか鳴らない原始的なチューナーだけど、そこから音を辿れば別の音階のチューニングもできる。

 

「あ、そうだ」

 

 俺は木箱の中から音叉を2本とって、チャドとアリスさんにそれぞれ手渡した。

 

「はいこれ。レナとリリーにはもうあげてるから……二人の分」

「えぇ!?いいのかミナト!やったぁ!」

 

 チャドは素直に喜んだが、アリスさんはキョトンとした顔で俺を見た。

 

「ミナト様……よろしいのですか?わ、私は音楽なんてできないのに……」

「うん。バルザリー家で助けてくれたお礼。それに、いつも守ってくれてるから。……こんなものが礼になるか、わからないけど」

「い、いえ……嬉しいです。ネックレスにします」

 

 いつも冷たそうな国内最強騎士が、少し照れくさそうに音叉を両手で握りしめた。

 表情を出さないように喜ぶ姿が、なんだか愛くるしい。

 

 このギターが完成したのは、ここにいるみんなのおかげだよ。

 本当に、本当にありがとう。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

(よし……)

 

 ギター制作が終わった。

 途中誘拐されるという、想像もできないイレギュラーな事態もあったけど。

 

 ここまでの道のりは本当に大変なものだった。

 だからこそ、今回一番の功労者に改めてちゃんとお礼を言わなきゃいけないと思っていた。

 

 それはレナだ。

 

 彼女の重力魔法がなければギターの完成はなかったし……。

 思えばこの世界で改めて音楽のすばらしさに気づかせてくれたのも、弦を作れる人を一所懸命に頑張ってくれた彼女だ。

 

 俺は皆が簡単なパーティでギター完成を祝っている中、レナを庭に呼び出した。

 2人で庭を歩き、木製のベンチに腰かける。

 

「ミナトさん。急にどうしたんですか?」

 

 ここに来たばかりの俺は、女の子とろくに話したこともなかった。

 けれど、多くの人から貰った「ありがとう」という感謝や賛辞が、俺と言う人間をとても強く肯定し、自信をつけてくれていた。

 

 人間ってまったくもって自己中心的な生き物だ。

 満たされていない時はあらゆるものを不快に思うけど……

 満たされている時は、なぜか目に映る全てのものが美しく見える。

 

 気づけば俺は、ちゃんと言葉にして人に想いが伝えられる人間になっていた。

 

「レナ……改めて君に言いたいと思ってさ」

「……?」

「ここまで何度も俺を勇気づけてくれたこと。そしてたくさん協力してくれたこと。本当に、ありがとう」

「ミナトさん……」

 

 するとレナは少し沈黙したあと……

 嬉しいのか恥ずかしいのか、クスっと笑って俺に返す。

 

「突然なんですか?えへへ……」

「笑わないでよ。……この世界に召喚されて初めて君の顔を見た時、まさかこんなことになるなんて思ってもみなかった」

「……」

「本当に、感謝してるんだよ」

 

 そういうと、レナは俺から視線をそらして言う。

 

「こちらこそですよ。ミナトさん」

「……?」

「私たちの研究班が解散しなくて済んだってことじゃありません。ミナトさんは本当に大切なものを私たちにもたらしてくれたんです」

「音楽のこと?」

 

 レナはそう言うと……

 鼻からスン……と息を吸って俺の目を見た。

 

「希望です」

 

 アリスさんからも似たようなことを言われていた俺は、その言葉の意味をちゃんと理解して噛みしめていた。

 人々が俺に好意を抱く、その正体を理解できると他人の優しさは怖くなくなる。

 

 それに気づけたのも、おそらくはひた向きに俺を元気づけてくれたレナのおかげだって思ってる。

 

「ミナトさんが来るよりずっと前……。そうですね、10年前に終焉の冬霜(とうそう)が終わったくらいから……なぜか私の心にはずっと霧がかかったような喪失感がありました」

「喪失感……?」

「何か大切なものを無くした後のような、不快感とも不安感とも言えない……漠然とした悲しい気持ちです」

 

 俺は彼女の話を黙って聞く。

 

「でも、これって私だけじゃないんですよ?この国には同じような人がたくさんいて、人によっては終焉の冬霜の後遺症だとか言うという人もいるくらいです」

「大変な厄災だったらしいからね」

 

 100年以上をかけて、ゆっくり世界から温度が無くなっていく。

 考えただけでも恐ろしい。

 

 抗えない運命の中で実際に経験した人たちの恐怖は、俺の非ではないはずだ。

 

「年々作物も取れなくなって、寒さが酷い地域の国からどんどん難民がアレンディルに亡命してきました。……飢餓に苦しむ人々を、私は小さいころからよく見ていた」

「……」

「冬霜の時って夜は特に寒いから……お母さんが暖炉に火をくべながら、いつもお話を聞かせてくれるんです。そのお母さんも、厄災が終わる1年前に死んじゃったんですけど」

 

 終焉の冬霜が突然終わって、世界が暖かくなり始めたのが10年前。

 つまり、レナは9歳の時に母親を亡くしたのか。

 

「お母さんは、どんな話をしてくれてたの?」

「えへへ……まだ子供の時だったから、詳しい話は覚えてないんですけど。私はお母さんの話を聞くたびに安心して、寒い夜もぐっすり眠れたんです」

 

 そして、レナは遠い目をしながらこうつぶやいた。

 

「お母さんはあの時……どんな話をしてくれてたんだろな」

 

 その時の彼女の横顔は、どこか儚げで。

 悲しい話の時に不謹慎かもしれないが、その美しさに俺は一瞬目を奪われた。

 

 俺は黄昏る彼女の視線の先を見てこう言う。

 

「アリシアは魔法が好きだし、暖かくなる魔法の話とか……なのかな」

「えへへ……そうかもしれませんね」

 

 少し照れくさそうに笑うと、レナはそう言ってまた俺の顔を見る。

 

「未だこの世界の人々は、そんな気持ちから完全に立ち直れていないんです。厄災から復興した後は、失くした物を数える膨大な時間ばかりありましたから」

「……」

「そんな時、ミナトさんがやってきたんです」

 

 彼女の言葉に、少しづつ温度がこもる。

 

「私達の知らない音、今までに感じたことのない高揚感。ミナトさんの音楽を初めて聴いた時……この世界から失われた希望が、まるで目の前に顕現したのかとおもいました」

「レナ……」

「だからミナトさんは、私たちの希望なんです。何よりも、この世界の誰よりも特別なんです」

 

 俺は彼女の綺麗な声を聞きながら確信した。

 

 自殺をするほど、生きることに絶望していた俺が……

 この世界にきてから、ひたすら前向きにやってこれた理由。

 

 レナから放たれる美しい声そのものが、言葉以上に俺の全てを肯定してくれるような心地よさに溢れていたんだ。

 だからこそ俺も、この世界には希望しかないと思えた。

 

 爺ちゃんと音楽しか向かなかった俺の視界が、一気に世界へ広がった。

 俺の方こそ、君に感謝をしなくちゃいけないんだ。

 

 改めて、本当にありがとう。

 

「でも!……バンドメンバーに私を入れてくれなかったのは少し不満ですけどね!」

「え!?いや、それは……」

「えへへ、冗談ですよ」

 

 そう悪戯っぽい笑顔をむけると、レナは立ち上がって息を大きく吸った。

 

(レナをバンドメンバーに誘わなかったのは、楽器だけで演奏するつもりだったから……)

 

 だってレナをバンドメンバーに入れるなら……

 こんな美しい声を持つ彼女が担当するパートは……楽器じゃないだろう。

 

「えへへ……」

 

 異世界転移したはずなのに、俺の前には神様もチート能力も現れなかった。

 

 だけどこの世界を救うくらいなら……

 俺にだってできるのかもしれない。

 

 俺はこの時から、そう思い始めていた。



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王の呼びかけにようこそ

 

「もっとわかりやすく説明してくれないと理解できませんわ!」

「うるせーなぁ!何度も説明してるだろ!」

 

 ティナが城に出入りするようになると、驚くほど2人はすぐ打ち解けていた。

 まぁ、くだらない喧嘩はよくしていたが。

 

 ティナはアコースティックベースが完成するまでの間、音楽の勉強をすることになり……

 文句を言いながらも毎日研究室に足を運んでた。

 

「私はミナト様に教えていただきたいんです!」

「ミナトはこれから王宮に行くんだよ!いいから聞けよバカ金持ち!」

「ばっ!!バカ金持ちですって!?……もうこんなポンコツの授業聞いてられません!先生をレナに変えてください!!」

「レナもミナトと一緒に行くんだよ!いいから聞け!」

 

 勉強中はこんな感じなんだけど……

 

 それが終わると何事もなかったかのように振舞える。

 なんというか、細かいところを気にしない図太さは似ているところがあるようだ。

 

 そんな二人の喧嘩を聞きながら、俺とレナは研究室で支度を済ます。

 

「ミナトさん、それじゃ王宮へ行きましょうか」

「うん。行こう」

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 『異世界音楽研究室』が合奏を披露する”エルフとの交流会”。

 俺達が王に呼び出された理由は、本日やっとその詳細を聞けるからだった。

 

 アリスさん付き添いのもと王宮に到着すると、そのまま大聖堂を抜けて広い廊下を歩いていく。

 その間レナから少しだけエルフという存在について聞いた。

 

「アルフヘイムの森に住むエルフは、終焉の冬霜(とうそう)以前から王国と交換貿易の関係にありました」

「ふーん……その森って一応アレンディル王国の国内にあるんだよね?エルフはこの国の国民ってことになるの?」

「どちらかと言うより国内に『別の法が適用される国』がある……と考えた方が正しいでしょうか。アレンディルは広い国ですから……」

 

 国の中に別の国。

 イメージ湧かないけどイタリアにあるバチカンみたいな……そんな感じか……?

 

 そういうことに全くもって疎い俺が無駄な考えを巡らせて歩いていると……

 王に呼び出された会議室前で、たくさんの学者達がそこにはいた。

 

「彼らも交流会に参加するのかな?」

「そうみたいですね」

 

 会議室の扉には蒼の騎士団の騎士がいる。

 俺達を見つけると、こう話しかけてくる。

 

「お待ちしておりました。ミナト様とレナ様は中へお入りください。アリス様は廊下でお待ちいただけますか?」

 

 そこは巨大な円卓が置かれた部屋だった。

 

 学者と思われる人達が、すでに何人か席についている。

 その中には役人の男性と話す、ファブリス王の姿もあった。

 

 俺達は案内された席に着き、円卓が埋まるのを待つ。

 しばらくするとゾロゾロ人が増え、大きな円卓がローブを着た人々で埋め尽くされた。

 

「集まってくれてありがとう。格式ばった挨拶はしない。さっそく本題に移ろうと思う」

 

 俺たちと同じく、学者の中には全く事情を知らない人も多いようだった。

 円卓のざわめきが落ち着いたのを見て、ファブリス王が話を始める。

 

「アルフヘイムの森で……エルフ達との交流会の日取りが決まった」

 

 王がそう言うと、学者たちが「おお」っと息をもらした。

 彼らの喜ぶ顔を見る限り、エルフ達との交流会は相当ハードルが高いものであったらしい。

 

「知っての通り、アルフヘイムの森はかつて国土の4分の1を占めるほどの大森林だった。我々は長い間、そこに住むエルフ達と互いに深く干渉しないことで友好な貿易関係を築けていた」

 

 おそらく俺に気を使って、事情を詳しく説明してくれているのだろう。

 王は交流会に至る過程と、国が抱えている問題点を解説するようにつづけた。

 

「しかし“終焉の冬霜”の影響もあって、現在アルフヘイムの森の規模は当時の半分以下に縮小した。……衰退の速度は少しづつ増していて、環境学者の見立てでは10年以内に森とは呼べない規模になるらしい」

 

 10年で……森がなくなる?

 衰退しても相当広い森だろうに。

 

「その原因は色々な憶測を呼んでいるが……“終焉の冬霜”後、なぜかエルフ達がかつて持っていた力を失ったことが大きいと言われている」

 

 また終焉の冬霜か。

 俺はこっそり、説明の補足を貰うためレナに都度話しかけていた。

 

「レナ……エルフがかつて持っていた力っていうのは?」

「私も詳しく知りませんが……たしか『森の声を聞き、生命を正しい形に保つ力』とエルフ達は言っていたと思います」

 

 森の声を聞き、生命を正しい形に保つ力……。

 ……なるほどなるほど。

 

(抽象的過ぎて全然わからん)

 

 王の説明は続く。

 

「エルフ達はその力によって森の声を聞き、アルフヘイムの森を守ってきた種族だ。知ってのとおり……アルフヘイムの森の恩恵は我々も大きく受けており、無くなれば国のあらゆる産業に大きな影響がでるのは明らかである。その規模は計り知れん」

 

 なんか大事になってきた。

 たしかに日常に使う製品を見てみても木材とか多い。

 

「そして一番の問題は、森の衰退をエルフ達が自然の摂理として受け入れてるということだ。……我々の再三の説得にも応じず、死にゆく運命に納得してしまい……特に何かを講じるつもりもないらしい」

 

 せめて置いて行かれないように話を聞いていると……

 何人かの学者が王の説明に割って入り、質問をし始めた。

 

「エルフは我々と全く違う信仰と文化の中で生きています。……彼らの歴史に、我々の神『シエルの黒像』は存在しない。隣の文化を理解できないのは向こうも同じでしょう」

「あぁ。しかしアレンディルがアルフヘイムとの交換貿易関係で成り立ってきたのは事実だ……資源だけでなく、魔術や加工技術の多くはエルフをルーツに持つものも多い」

 

(森と共に……エルフが死のうとしてる)

 

 なかなかに重い話だが、学者たちは特に驚くそぶりを見せない。

 俺がその反応からアルフヘイムとエルフという存在の特殊性に少しづつ気づき始めると……学者の一人が王に尋ねる。

 

「それで、私たちが交流会に参加する理由はその原因の詳しい調査と打開策の解明、そしてエルフとの交渉……と考えて良いのでしょうか?」

「交渉はしない。すでに何度も行ってきたが無意味だったしな。表向きは本当にただの『交流会』なのさ」

「なるほど……」

「つまり君たちの目的は異文化交流会という名目でアルフヘイムの森に入り、エルフが力を失った原因と解決策を調べること。……エルフと我々はこれまで貿易関係以上の交流をほとんど取らなかった。仕事は慎重に行う必要がある」

 

 ファンタジー作品に当然のように出てくるエルフ達。

 

 元の世界では人間と近しい関係で描かれることが多い彼らだけど……

 この世界ではつかず離れず、悪くはないが深くもないという感じのようだ。

 

 そうえば王宮や街でエルフ見かけたことない。あんま外でないけど。

 

 別の学者が王に尋ねる。

 

「交流会の期間は?」

「残念ながら今回は2日間だけだ。今回の交流会で次の機会を得られるよう交渉するつもりではあるが。その鍵は、ミナト……君達の演奏にかかっていると私たちは感じている」

 

 そう言って王は俺に笑顔を向けた。

 

「案外ミナトの演奏を聴けば、エルフも簡単に心を開いてしまうかもしれないしな……ははは」

 

 なんてプレッシャーをかけられつつ……

 俺は違うことを考えていた。

 

(そっか……この世界に音楽がないってことは、この世界のエルフ達もまた音楽を知らないのか)

 

 エルフと言えば打楽器とハープ。神秘的な北欧の音楽。

 それが聞けないのは、なんだか少し残念だ。

 

 その後、しばらく学者たちと交流会についての詳細をやり取りした後、話をまとめるように王が言った。

 

「我々とエルフは長い間良い貿易相手としての関係を築いてきた。終焉の冬霜がもたらした長きにわたる食料不足は、彼らの協力なくては乗り切ることは出来なかっただろう……」

 

 そこにいる全員が声を発さず、王の言葉に頷いた。

 

「例え彼らが望んでいなくても……私たちは彼らを見殺しにするつもりはない。皆、全力で取り組んでほしい」

 

 全てを受け入れて、森と共に死ぬ。

 死ぬ決断をするのではなく、死が決定づけられた運命の流れに、だた全てを委ねる。

 

 自殺経験者の俺から言わせれば、その決断は死を決断よりもずっと恐ろしい気がしてた。

 だっていつ死ぬかわからないあらゆる不安と、その間ずっと対峙し続けなければならない。

 

 エルフ達は一体どんな気持ちで、死にゆく森の中にいるのだろう。

 

 その後、円卓の学者達はそれぞれが持つエルフやアルフヘイムの僅かな情報を交換しあった。

 商業関連の研究者はこれまでの貿易データを参考にした見解、歴史学者も数少ないエルフとの交流で得た森の成り立ちなど。

 

 しかし、全ての情報をかき集めても、箇条書きにした知識は紙一枚を埋めるのがやっとだった。

 



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バンドにようこそ

 

 エルフとの交流会は3か月後。

 具体的な日程がわかったことで、『異世界音楽研究班』としても今後の具体的なスケジュールが組めることになった。

 俺達は交流会の準備と並行して、ガリガリと作業を進めていた。

 

 音楽知識のテキスト化に関しては、レナとチャドの尽力もありほぼ全体の構成が完成。

 今は量産できる楽器がギターしかないので、ギター奏者に向けた音楽知識にフォーカスしてテキストは最適化された。

 

「ミナトさん、とりあえずコード進行に関することは全部テキスト化できたと思います。……一応、アベイラブル・ノート・スケールの項目だけもう一度確認してもらってもいいですか」

「ありがとうレナ。見ておくよ」

「こっちも順調だぜ!できればシンコペの項目に具体例を入れて解説したいんだけど……テキストのどこに配置すればいいかな?」

「シンコぺーションか……。楽譜だけじゃ音をイメージするのは難しいし……できればテンポの項目とは切り離して解説してほしいかな」

 

 レナとチャドの音楽知識も、かなり俺に近づきつつあった。

 2人は学者だけあり、言語から文章に直すのがとても上手で、想定していた半分の時間でギター奏者用のテキストが完成した。

 

 一方、工房では俺とリリーが毎日のように職人の面談を行っていた。

 本格的なギターの量産体制が整うのは少し先になるが、それでもかなり順調と言っていい滑り出しだった。

 

「明日も100人近く面談希望者が来てるわ……フロリアってこんなに職人いたのね。びっくり」

「面談は俺に任せて、リリーは製作を進めてていいよ」

 

 そんな最中でもリリーは自身のアイデアを含めた新しい楽器制作も行っていた。

 交流会でティナの使うアコースティックベースも完成し、それを受け取ったティナは、それからずっと楽しそうに練習を始めていた。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 研究と工房作業を終えると、今度は交流会のアンサンブル練習を開始する。

 人に楽器を初めて教えた俺は、好奇心が強い人間はこうも成長が早いのかと二人を見て関心していた。

 

「なぁミナト、ここのパートなんだけど……もっとドカドカって感じにしていいか?」

「どかどか?」

「ほら、なんていうか!こう!どか!どかどかって!」

 

 好奇心は最大の師である。

 

 それを特に感じさせてくれるチャドは、言葉のバリエーションが著しく乏しかったものの……

 俺が渡した楽譜の演奏じゃ飽き足らず、もっとハイレベルな演奏がしたいと提案するほどにまで成長していた。

 

「うん。やってみてよ。でもちゃんとメトロノームを使った練習もしてね」

「ははっ!やったぜ!」

 

 対極にティナはとても丁寧な反復練習をくりかえしていた。

 その集中力はすさまじいもので、瞬きすら忘れているんじゃないかと思ったほどだ。

 

「ティナ、がんばってるね……」

「ミナト!……うん。でも、まだ上手く弾けないの……頭の中には正確なリズムが鳴ってるのに、なんだか上手くあっていない気がして」

 

 音感やリズム感のいい人ほど、思ったように演奏できないのはストレスになる。

 

 ティナはそれでもひた向きに努力を続けていた。

 俺に「様」付けするお嬢様のしゃべりも大分柔らかくなり、心の距離も近づいていったと思う。

 

 何より嬉しかったのが……

 

「ミナト……でもね」

「……?」

「凄く楽しい……音楽って、本当に楽しい」

 

 毎日音楽の楽しさを噛みしめる二人の姿。

 

(この二人は絶対上手くなる)

 

 ……そう、俺に確信させてくる。

 決して長いとは言えない練習期間だったが、それでもできることは全部やったと胸を張ることができる。

 

 こうして交流会の準備期間はあっという間に過ぎて……

 俺達はエルフとの交流会当日を迎えることになった。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「いってらっしゃいミナト!」

「うん、いってきます。工房は任せたよ、リリー」

 

 リリーが見送る中、俺、レナ、チャド、ティナ、アリスさんで王宮に向かう。

 交流会が行われるアルフヘイムの森は首都フロリアから馬車で3日ほどかかるらしい。

 

 人を転送する魔法があるのだから、ワープしていけないの?と、レナに尋ねると……

 

「王宮からの許可を得ないと使えないんですよ?ワープ魔法って」

「え!?……そうなの?」

 

 交流会の時と誘拐された時、すでに二回も転送魔法の経験があった俺はその返答が意外だった。

 

「転送魔法陣の術式を公開してしまえば犯罪に使われる可能性もありますし、転送魔法が一般に普及したら馬車で生計を立ててる人が困るじゃないですか」

 

 まぁ、言われてみればそうなのだろうけど。

 なんか既得権益で無駄な店舗構える○×ショップみたいな話だ。

 

 まぁ、音の通信魔法が使えるだけで十分と言えば十分か。

 

 よく考えたら、最初の転送魔法はアリスさん指示の元、専門の魔術師っぽい人が使ってたし……

 誘拐と言うゴリゴリ犯罪で使ってた執事ジャンの例もあったので妙に納得した。

 

 研究発表会の人々の興奮を見るに、誰でも転送魔法が使えるならすでに2~30回は誘拐されてたかもしれない。

 改めて魔法怖いと実感する。

 

 王宮につくと、豪華な装飾が施された馬車が10台ほど並んでいた。

 周りには一緒に交流会に参加する学者達もいて、それぞれの班が様々な物品を馬車に積んでいる。

 

 彼らの目的は滅びゆくアルフヘイムの森の調査。しかし表向きは異文化交流会だ。

 俺達も試作品のギターを1本、交流会でエルフに渡せたらと用意してきた。

 

 馬車乗り場に到着すると、チャドが俺達に言う。

 

「じゃあ俺は違う馬車だからまたな!」

「うん、チャド行ってらっしゃい」

 

 チャドはそう言って別の研究班の馬車に乗り込む。

 

 忘れかけていたが……チャドの専門分野は異文化や歴史。

 つまり今回の交流会の調査において、非常に適した人材だった。

 

 音楽を研究の題材にしてる『異世界音楽研究班』は現地での専門的な調査がないので……

 人手を欲しがっていたいくつかの班が、チャドに手伝ってほしいと要請してきたのだ。

 

「チャドって、実は結構優秀なんだよね」

「私たちの班、多くのメンバーがキャリアに傷がつくと去っていきましたけど……チャドさんは、ずっと残ってくれてたんです」

 

 チャドは、一見何も考えていないようで凄く周りをよく見てる。

 しかも本人はそれを自覚していなくて、なんていうか凄く自然なんだ。

 

 それが俺が彼の好きなところでもあった。

 チャドを見送ると、アリスさんが俺達に話しかける。

 

「ミナト様、レナさん、ティナさん、そろそろ出発するそうです」

「わかった、今行くよ」

 

 俺達は馬車に乗り込む。

 

 学者達を乗せた馬車の一団は首都を出て、次第に雄大な自然溢れる平原を走る。

 途中何度か小さな農村によって補給し、約2日の短い旅を終えると……

 

 目的地であるエルフの地、アルフヘイムの森に到着した。

 

 

 



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アルフヘイムの森にようこそ

 その森の木々は、数十mはあろう巨大樹で埋め尽くされていた。

 うねる様に伸びる枝葉は、今にも動き出しそうなほど強い生命力に溢れている。

 

 揺れる馬車から見えるアルフヘイムの森は、学者達でさえ驚いている様子だった。

 

「こんなに近くまで来たの初めてです。すごいですね……ミナトさん」

「うん……本当にすごい」

 

 陽もほとんど入らない森なのに、大小さまざまな花々が咲いているのがわかる。

 

 深い影の中でそれがよく見えるのは、その花々の花弁や実が様々な色で発光していたからだった。

 まるで古いファンタジーに登場する魔女の森みたいだ。

 

 未知の自然の集合体というものは、得体のしれない恐怖を感じるもの。

 しかしその森は不思議な優しさで包まれていて、美しく神秘的な様相は近づくほどに俺をワクワクさせた。

 

 この森が無くなるかもしれないなんて、俺には想像もできない

 

「ミナトさん、あそこがアルフヘイムの入り口ですよ!」

 

 レナの指さす方を見る。

 そこは大きな2本の巨大樹が重なって、まるで門のように大きな口を開けていた。

 

 下にはエルフの建造物と思われる木製の建物がいくつか並んでる。

 やはり首都フロリアの木造家屋とは全く異なる雰囲気だ。

 

 そしてそこには、俺達の到着を待つたくさんの彼らがいた。

 

 

「……エルフ」

 

 

 エルフは俺のイメージよりも、はるかに美しい人々だった。

 

 自然の物から作ったであろう衣服、男女問わず整った顔立ちと白い肌、柔らかな発色の金髪。

 人間の貴族とは種類の違う清潔感と気品。

 

 王宮の一団は馬車から降りて、王を先頭に彼らの元に歩いていく。

 すると、特に美しい女性のエルフがこちらに近づいて、表情を変えずファブリス王に相対した。

 

「ファブリス王……ようこそいらっしゃいました」

「お目にかかれて光栄です、ララノア殿下。我々と交流する機会を頂き、改めて感謝申し上げます」

 

 ファブリス王にはいつものような軽さがなく、殿下と呼ばれた女性と非情に丁重な話口調で会話する。

 一団も王に習って頭を下げ、そのままエルフの案内で森の奥深くに入って行くことになった。

 

「人間のみなさん……どうぞこちらへ」

 

 しかし、エルフ達はララノア殿下同様、誰も俺達に笑顔をむけなかった。

 王とララノア殿下は歩きながら会話をしていたが、他のエルフ達はただ無表情で、雑談すらしていない。

 

 そんな彼らに少しの違和感を覚えつつ、森の奥に入ると……

 そこは巨大樹の下で神秘的な花々に囲まれる、美しい都があった。

 

「エルフの都ユグドアルタです」

 

 その都の美しさは学者たちも息をのむほどで、なにより巨大だった。

 

 大きな木々を利用した沢山の建造物を、発光する花々とキラキラと浮かぶ魔法の光が彩っている。

 複雑で柔らかな光は影の輪郭をぼやかして、太陽の光とは全く別の安心感で都全体を満たしていた。

 

 建造物も相当な数。植物の形をそのまま利用した家屋なんかもある。

 木で出来た道は歩くたびにコッコッコッと心地よい音が跳ね返り、ただ歩くだけでもなんだか楽しい。

 

 しかし都に入り、目に入るエルフの数が増えるほど……

 おそらく王宮から来た誰もが、同じ違和感を感じ始めていた。

 

「足音……」

 

 それは、その森の異様な静けさだった。

 

 風や葉の音も、動物の鳴き声すら聞こえない。

 ただ俺達の歩く音だけが、都全体に響いていた。

 

 都のエルフ達もそうだ。

 たくさんのエルフ達が生活しているようだが、誰一人としてやはり会話していない。

 

 視界はとても多彩で鮮やかなのに……

 耳から得られる情報が異様に乏しく、森全体がとても静かだった。

 

 逆にこちらの雑談は妙に目立つので、レナがこそこそと俺に言う。

 

「昔読んだ本の物語では、エルフはとてもおしゃべりだって書かれてたんですが……誰も会話すらしていませんね」

「……うん」

「それに妖精もいません」

「妖精……?」

 

 レナいわく……

 

 王国の童話に登場するエルフ達はとてもお喋りで、森の妖精と遊ぶのが大好きな種族らしい。

 音を出すことを禁止されたようなこの静けさとは、まるで正反対。

 

 ……妖精らしき姿は見る影もない。

 

「……」

 

 音もそうだけど、俺はエルフ達の表情も気になっていた。

 彼らには表情と呼べるものが無く、案内をしてくれているララノア殿下も含めて、俺達に全く関心がないように感じた。

 

 するとララノア殿下は王宮の一団へ振り返り、こう言った。

 

「人間の皆さん……まずは我々の主たる大樹ユグドラシルにご挨拶をお願いできますか?森のしきたりなのです」

 

 丁寧な話口調だったが、やはり何の表情もない。

 殿下の言葉に王が爽やかな笑顔で答える。

 

「我々はお邪魔している身です。むしろ森の文化に触れることができて光栄です」

 

 一団はそのまま都を抜けて、さらに深い森の奥へ入っていく。

 しばらくすると、まるで木々が避けてるかようにひらけた場所にでた。

 

 そこは沢山の光る花々が揺れていて、近くに水源があるのか川が流れてる。

 

 しかし、その美しい光景は中心にそびえるモノを彩る装飾に過ぎない。

 その空間の中心にその大樹はあった。

 

「あれが、アルフヘイムと我らエルフの主……生命の大樹ユグドラシルです」

 

 その巨大さは、一つの場所から全貌を知ることは到底できないだろう。

 近づくほど視界が全てその木の幹になるほどの規模。

 

 地中から顔をのぞかせる根っこすら、他の巨大樹の数倍はある。

 あまりに壮大な生命の力に、そこにいる誰もが息をのむ。

 

 ユグドラシルの根元につくと、巨大な門のような物が俺達の前に立ちふさがった。

 

 しかし門と言うには、余りに非人工的な木製の扉で……

 門に刻まれている巨大な紋様が無ければ、ただの自然物にしか見えない。

 

 ララノア殿下は門の前で手を広げて祈ると、そのまま頭を下げて一礼した。

 王や学者や俺達も、見たまま殿下の真似をする。

 

 そして学者達が門に刻まれた紋様に注目すると、ララノア殿下が説明をくれた。

 

「この門の先に……ユグドラシルの精霊様がいらっしゃいます」

「精霊様……ですか?」

 

 ファブリス王がそう尋ねると、ララノア殿下は返答する。

 

「はい。終焉の冬霜(とうそう)が終わった時……この大門が開かなくなり、誰も精霊様に近づくことすらできなくなりました」

「……」

「精霊様からの言葉を伝えるたくさんの妖精も大樹へ還り、もう10年が経ちます。……それから我々エルフは、誰も大樹の言葉を聞くことができなくなりました」

 

 ララノア殿下は、ここで初めて表情を変えた。

 その表情は、とても深い悲しみに溢れてた。

 

 一方で、学者たちの顔は真剣だった。

 なぜなら彼らの目的は『森の滅びゆく原因と、その解決策の調査』。

 

 ララノア殿下から発せられる悲しみの言葉は、まさに求めている答えそのものだった。

 彼女はさらにつづける。

 

「我々エルフとこの森は……おそらく生命の大樹ユグドラシルに捨てられたのです」

「……捨てられた?」

「大樹ユグドラシルは常に正しい存在。……だからこそ我々はこの滅びを受け入れることにしたのです」

 

 鮮やかで神秘的な場所とは違い、その話は重く暗い。

 

 それを聞く他のエルフ達の顔も曇っていくようだった。

 空気を変えようとしたのか、ファブリス王がララノア殿下に尋ねる。

 

「この門に描かれている紋様は、何を意味しているのですか?」

 

 しかしララノア殿下は首を横に振る。

 

「古代エルフが書いた文字ですが……現代を生きるエルフには読めません。唯一わかるのは……」

 

 そう言うと、ララノア殿下は紋様の一部を指さした。

 

 紋様は太い線で大きな円が描かれており、その中に円、その中にさらに円と、4重の円で構成されてる。

 円を形作る線には、重なる様に葉の模様が沢山散りばめられている。

 

 葉が描かれている場所はバラバラで、全体で見ると左右で全く違う形にすら見えた。

 

 ララノア殿下が指さしたのは、そんな紋様の上に書かれた見慣れない文字だった。

 

「『月の下、4つの森と3つの時』……そう書かれています」

「どういう意味なのですか?」

 

 ララノア殿下は、また首を振った。

 

「時すらも森の中の一部……という意味の言葉です。しかし今を生きるエルフである我々には、それ以上の意味は何もわかりません」

「そうですか」

「きっと、森の滅びはユグドラシルは怒りなのでしょう。……古のエルフの言葉さえ忘れた、我々に対する罰なのです」

 

 殿下はさらにこう続ける。

 

「そして今回、人間の皆さんと交流したのは……これが理由なのです」

「……?」

「エルフが死ねば……この森の存在を語り継ぐ人がいなくなる。……だからこそ、この森の文化を誰かに伝えなければならないと思ったのです」

 

 そう言ったララノア殿下の表情はとても辛そうだった。

 

 その後、俺達はその門の場所で解散になる。

 ララノア殿下の好意で、交流中の二日間、森を自由に散策して良いらしい。

 

 今日と明日の夜には食事会が予定されており、決まった予定はそれくらい。

 

 俺達の演奏は二日目の夜の食事会の予定なので……

 調査の必要がない俺達3人は、それまで1日半の休暇のようなものだった。

 

 とりあえず俺達はこの後どうするか話し合うため、エルフが用意してくれていた都の宿に戻ることにした。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 都に戻り、宿まで歩いていると……

 エルフ達がこれから狩りにでも出るのか、弓の手入れをしていた。

 

 そんな彼らを見ていると、レナは俺が弓を知らないと思ったのか、こう話してくれる。

 

「あれは、弓ですよ。狩猟や戦闘に使う、矢を飛ばす道具です」

「え……?あぁ、うん。そうだよね」

「すいません、ご存じでした?」

「うん」

 

 弓。

 エルフの武器と言えば、誰もがまず連想する武器だ。

 俺が思い描いたファンタジーのエルフそのもの。

 

 でもだからこそ、彼らに音楽という文化がないのが寂しく感じていた。

 

 エルフの楽器といえばハープだ。

 昔、爺ちゃんになぜ物語に現れるエルフ達は皆ハープを演奏するのか聞いたことがある。

 

『なぜって……。そりゃあエルフは弓を使うからだろう』

『……そうなの?』

『ハープってのは色んな国にルーツを持つ楽器だが……そのどれもが狩猟で使う弓が原型になってるからな』

 

 弓はあるけど……ハープはない。

 

 音楽が無いこの世界の弓は……

 最も優しい弦楽器とも呼ばれるハープに進化することはなかった。

 

 そう考えると……

 

「どうしたんです?」

「いや、なんでもないよ」

 

 こうして、エルフとの2日間の交流が始まった。

 

 

 



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終末の森へようこそ

 

 森という場所は、そもそも音が響かない。

 それは空気の振動が、木の幹や葉によって吸収されるからだそうだ。

 

 しかしそれを差し置いても、エルフの都ユグドアルタはとても静かで……

 滅びゆく未来を待つだけの場所として見ると、美しい外観がとても悲しげに見えてきた。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 宿として案内してもらったのは普通の民家だった。

 ユグドアルタには宿屋が無く、学者達は研究班ごとに別の民家に泊まることになっていた。

 

 俺達の班は、シルビアというエルフが一人で暮らす家にお世話になる。

 

「はじめまして『異世界音楽研究班』のみなさん……シルビア・フルシアンテと申します」

「はじめましてレナです!よろしくお願いします!」

「ミナトです」

「ティナ・バルザリーと申しますわ。由緒正しきバルザリー家の……」

「護衛のマリア・ヒルドルと申します。今日から1泊、お世話になります」

 

 シルビアは少女と言っても差し支えないほど若いエルフだった。

 他のエルフ同様、白みがかった金色のショートカットで、尖がった耳がちょこんと愛らしい。

 

 しかしエルフは人よりも寿命が長いと聞く。

 おそらく見た目より年齢は高いのだろう。

 

 彼女も他のエルフ同様、表情をあまり変えず……端的に用件だけを話した。

 

「部屋は空いてますので……お好きにお使いください。私は仕事がありますので……」

 

 そしてシルビアは挨拶もそこそこに、部屋の中を簡単に案内し、すぐ家を出ていってしまった。

 

「シルビアさん、行っちゃいましたね……」

「ご予定がおありのようでしたし、とりあえずゆっくりさせて頂きましょう」

 

 部屋が8つもある大きな家だったが、無駄なものが全くと言っていいほどない。

 俺達は荷物を置いてリビングに集まると、この後どのように過ごすか考える。

 

 レナが都を見て回ろうと提案したのだが、ティナはこう言って宿に残ることになった。

 

「ごめんなさい、私ギリギリまで練習したいんですの」

「平気ですよ。ティナさん、がんばってくださいね!」

 

 こうして俺とレナ、そしてアリスさんの3人で都を見て回ることになる。

 

 都ユグドアルタは本当に美しい場所ばかりで……

 レナはもちろん、あのアリスさんでさえ、その光景に目を輝かせていた。

 

「ミナトさん、あの建物みてください!木じゃなくて巨大な実をくり抜いてつくってますよ!」

「本当だ……けどすごい丈夫そうだね」

「レナさん、ミナト様……あまりハシャぐと、エルフの皆さんに迷惑ですよ」

 

 まるで母親のように俺とレナの付き添いをしてるアリスさんだったが……

 俺達が指さした方向が気になるのか、チラチラ気にしてるのは可愛い。

 

(……いつも気を張ってる人だし、アリスさんも少しでもリラックスできたらいいな)

 

 都ユグドアルタを歩いていると、別の研究班もちょくちょく見かけた。

 

 エルフ達に話を聞いたり、巨大樹の前で何やらメモを取ったり。

 それぞれの班が自分の役目を果たそうと、しっかり仕事をこなしてる。

 

 しかし、エルフ達はそんな学者達を気に留めず、普段と同じであろう生活を送ってた。

 エルフの方はあまり異文化に興味があるわけではないようだ。

 

 レナはそんな学者を見て、自らの本分を思い出したのか……

 俺とアリスさんにこう宣言した。

 

「エルフの人と会話したいです!」

 

 他の学者たちの目的は、あくまで交流と言う名目の調査。

 しかしレナは、心の底からエルフと仲良くなりたいようだった。

 

 街の散策も一通りできたので、俺とアリスさんはレナに付き合うことにする。

 

 それからすれ違うエルフに何度も声を話しかけていたレナだったが……

 彼らの反応はやはり良いものとは言えなかった。

 

「あの……何を作っていらっしゃるんですか?」

「家族の食事です」

「美味しそうですね。でもあまり量はないみたい」

「……未来のない我々には、与えられた時を過ごす以上のものは必要ありません」

 

 何人にも話かけたが、例外なくとても淡泊な返答ばかり。

 全員ゴリゴリの塩対応。

 

 そこに満ちているのは死と言う絶望ではなく、ほとんど虚無に近い感情だった。

 

 好奇心とかそういう感情を彼らは一切持ってないように感じる。

 まぁ、王宮から交流をお願いしてるから、文句が言える立場でもないけれど……

 

 その時、エルフと話終えたレナが言う。

 

「なにか、とても寂しいですね」

「……」

「避けられない破滅と長い間向き合い続けると……人もこうなるのでしょうか」

 

 俺はその問いに対する返答を持っていなかった。

 

 しかし、この都全体に漂うもの悲しさは感じとれる。

 ……レナの寂しいという感情も。

 

 ただ滅びゆく森と都。それを受け入れたエルフ。

 厄災以前から続く人生と言う膨大な風呂敷を、ただ畳んでいくだけの10年間。

 

 そこから逃げ出さないことが、勇気という賞賛で称えられるものなのか。

 新しい道を探そうとしない愚か者として片づけられるのか。

 

 俺にはよくわからなかった。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 一通り散策して、シルビアさんの家に帰ると……

 家の外で何やら食事を作っているシルビアさんに、ティナが熱烈な視線を送っている異様な光景だった。

 

「……じー」

 

 部屋で練習していたハズのティナ。

 しかしシルビアと会話してるような感じもせず、なぜか調理している手元をずっと見てる。

 

 レナがそんなティナに向かって話しかける。

 

「ティナさん、何してらっしゃるのですか?」

「あら、おかえり。いや、この子が何か作っているので、見学させてもらってたんです」

 

 見ると、シルビアは黙々と木で出来たボールの中で何かをこねている。

 それをじっと見つめるティナに、俺は言った。

 

「もしかしてティナ……お腹すいたの?」

「え!?い、いや!そんなことはありません!私は由緒正しきバルザリー家の娘ですし!おなかが空いたからと、調理してる姿を覗くなんてはしたないまね……」

 

 ……図星のようだ。

 まぁティナだってまだ16歳の女の子。

 若い女は男よりもよく食べるみたいな話も聞いたことあるし。

 

 レナが微笑みながらシルビアに話しかける。

 

「なにつくってるんです?」

「これは……お菓子です」

 

 お菓子か。

 確かに甘い香りがする。

 

「へー、美味しそう!」

「皆さんの分も一応用意しています……私も、今日は甘い物食べたい気分だったので……」

 

 シルビアはそう言うと、少し照れくさそうに調理に戻る。

 

 その時シルビアは、じっと生地を見つめるティナと目が合い……

 こねた生地を一口サイズにちぎって丸めると、それをティナに「はい」と渡した。

 

「え!?く、くれるんですの?」

「どうぞ。さっきからずっと……お腹鳴ってましたから」

「鳴ッ!?そそそそ、そんなはずありません!私は貴族ですし!お腹の音がなるなんて……ッ!」

 

 ティナが言い訳をしている最中も、シルビアは特に何も言わず……

 「いいから早く食えよ」と言わんばかりの視線をティナに送る。

 

 ようやく真っ赤な顔が収まり始めると、ティナは彼女からそれを受けった。

 

「これ、なんですの?」

「クッキーです」

「クッキー?……焼いてないのに?」

「エルフは火を使わないので」

 

 しかしティナはそれを一口食べると、たいそう気に入ったようで……

 

「わ、私の家で出てくるものにはかないませんが、これもとてもおいしいですわね!」

 

 と、またも顔を真っ赤にして言った。

 俺とレナはもちろん、きっとシルビアでさえ「素直になるのが苦手な人なんだな」と思ったと思う。

 

 俺達も彼女からエルフ特性焼かないクッキーを貰って食べる。

 うん、サクサク感はないけど……木の実の香りが良い美味しいクッキーだ。

 

 レナは今度こそエルフと交流できると思ったのか、力強い視線を彼女に向けた。

 しかし、余りに気合が入っていたのか、声も大きくなる。

 

「美味しかったです!ありがとうございます!」

 

 その熱心な視線に圧を感じたのか、シルビアは困ったように視線を外した。

 レナはそんな彼女にお構いなしに、こう聞いた。

 

「あの!シルビアちゃんは、何か私に聞きたいことありませんか?なんでも答えますよ」

「え?……あ、いえ……」

 

 なるほど。

 レナのエルフ仲良し大作戦は、どうやら相手から質問させる方向に舵を切ったらしい。

 しかしシルビアは、レナにこう答えた。

 

「私達エルフに知りたいことはありません」

「……え?」

「だって長く生きないエルフには、新しい知識も教育も……必要ありませんから」

 

 その言葉に、俺とレナはドキっとした。

 見た目はティナと変わらない少女であるシルビア。

 

 こんな子まで、自分の死を受けれている。

 その事実にレナがつい言葉をつまらせていると……

 

「なにいってるのよ。必要に決まってるじゃない」

「……え?」

 

 もうすでに10個目の焼かないクッキーに手を伸ばすティナがこう言った。

 

「やりたいことがあるなら、子供でも大人でも学ぶのはあったりまえじゃない」

「……やりたいこと……?私には、そんな……」

「さっき甘いもの食べたい気分って言ってたじゃない。それだって立派なやりたいことよ?……勉強すれば、もっと美味しいお菓子だって一杯知ることができるわ……むぐもぐ」

 

 そう言ってクッキーを頬張るティナに、ぽかんと口を開けてシルビアは言う。

 

「焼かないクッキーより……?」

「当然よ!まぁ、これもなかなか美味しいけど!勉強すれば、色んな物を作れるのよ!私は作ったことないけど!……もぐもぐ」

 

 頬一杯にクッキーを詰め込むティナに貴族の威厳的なものは一切なかったが……

 それを聞いたシルビアはこうつぶやいた。

 

「……食べてみたいな」

「でしょ?だったら頑張って勉強しなさい!長生きするとかしないとか関係ないわ!もぐもぐ……」

 

 それは、我儘ばかり言って育ったティナにとって当たり前の結論で……

 やりたいことをやり続けてきた人にしか言えない言葉だった。

 

 ある意味、すっごい短絡的なんだけど。

 エルフ達との交流に悩んでいた俺達に、その言葉は妙に響いていた。

 

 そんなことを考えながらティナを見てると……

 

「ミ、ミナト……なによそんなジッと私を見て……。も、もしかして……ついにミナトも私と結婚したく……」

「なってないけど……。ティナをメンバーにしてよかったなって思ったよ」

「えぇ!?」

 

 そうだ。

 ティナの言う通りじゃないか。

 

 例え死ぬ運命だとしても、死ぬまで何もせず待つ理由なんてない。

 何かやりたいとか、楽しいとか……膨大な時間をつぶす手段なんていくらでもあるじゃないか。

 

 問題の調査は、必ず研究者たちが明らかにする。

 

 だったら俺も、俺にしかできないことをしよう。

 

「アリスさん、交流品のギター……持ってきてくれる?」

 

 俺がそう言うと、アリスさんが文化交流でエルフに渡すギターを持ってきた。

 

 本当は二日目の演奏の後にララノア殿下に差し上げようと思ってたけど……

 エルフとの交流のために使えば、誰にあげたっていいじゃないか。

 

 シルビアにギターを渡すと、彼女はキョトンと俺を見た。

 

「……これは?」

「楽器っていう……音を出す道具だよ。迷惑じゃなければもらってくれる?」

 

 楽器を”音を出す道具”と言って紹介するのは、いまだに少しの抵抗がある。

 この言葉の奥には本当にたくさんの感動があると伝えるには、いつも会話というコミュニケーションの速度が歯がゆく感じていた。

 

 シルビアはギターの大きさに戸惑ってはいたが……

 見たことのない造形の木材細工に興味深々で、弦をベーン……と鳴らしたりする。

 

 俺はそんな彼女にこう言った。

 

「俺はこの世界のことをあまり知らないんだけど、ただ死を待つ時間の辛さはなんとなくわかる」

「……?」

「このギターに君の運命を変えてる力はない。だけど……その運命の中を華やかに彩ることが出来るのは保証する」

 

 やりたいことをやるために学ぶ。

 人間とエルフはまだ互いを知らなすぎる。

 

 ついに、明日は交流演奏会。

 どうなるかわからないけど、ティナの言葉で俺にも勇気が湧いていた。

 

 



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交流演奏会にようこそ

 

 次の日も学者達はエルフとの交流に奮闘していた。

 

 しかし良好な関係を築いた人はかなり少ないようで……

 ほとんどの学者はエルフと会話が終わると、頭を掻きながら眉をひそめたりしていた。

 

 『異世界音楽研究班』である俺達にとっての本番は今日の夕食。

 昼過ぎになると、アリスさんが指揮をとって手の空いてる騎士達を集め、夕食の会場である宮殿広間に木製の簡単なステージを組み立て始める。

 

「ミナト様、リハーサルはすぐにはじめられます……しかし、ステージの床に描かれた魔法陣は一体なんなのです?」

「あれはレナ特性の、”返しモニター用”の魔法陣だよ」

「返しモニター……?」

 

 客に聞かせる音は当然のこと、奏者が聴くステージ上の音の調整もライブではとても重要だ。

 

 ステージ上で複数の楽器が合奏する場合……

 周囲の環境や奏者の位置によって、楽器の音量やミックスバランスはかなりシビアになる。

 

 そのため別の奏者や自分が弾いている楽器の音を、マイクを使ってそれぞれの奏者に返す”モニター用”のスピーカーが必須だった。

 

 しかし魔法陣は通音、音量が変えられる程度の簡易なものばかり。

 決して完璧とは言えないステージ環境だったが、少なくとも今の俺達にできる全力ではあった。

 

「ありがとうアリスさん。俺はチャドを呼んでくるよ」

「えぇ。私もいきましょうか?」

「一人で平気だよ。アリスさんはステージをお願い」

「かしこまりました」

 

 今日もチャドは他の研究班に加わって作業をしている。

 今はどうやら大樹ユグドラシルの根元にある、例の大門前で調査をしているようだった。

 

 俺はチャドを呼びに行くため、宮殿を抜けてユグドラシルのある森の奥へ向かった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 大樹ユグドラシルの存在感は、やはり凄まじいものがあった。

 

 近づくほどに感じる膨大な生命エネルギー。

 まるでこの世の全てを受け入れるような、とてつもない懐の深さを感じる。

 

 大樹を見上げながら、根元にある大門に向かうと……

 そこには沢山の学者達がエルフを交え、門に描かれた紋様について談義しているところだった。

 

 その中にはチャドもいて、俺を見かけると話を切り上げてすぐこちらに方にやってくる。

 

「ようミナト!リハーサルの時間か?」

「うん。ステージも立派だったよ」

「おお!楽しみだな!」

 

 俺は目の前にそびえる大門を見上げる。

 

「何か紋様についてわかったの?」

「ん?……いや、エルフから色々文献とか見せてもらったんだけど、全然だな」

「……そっか」

 

 たしかララノア殿下が、あの紋様は古代エルフの文字だって言っていたっけ。

 冬霜(とうそう)が終わった時に大門が開かなくなり、精霊の声を伝える妖精も大樹に還ったとか。

 

 ……そして、そのせいで森が滅びようとしているとも。

 

(妖精か……見てみたかったな)

 

 大樹にそんな想いを馳せていると、チャドが俺にこんなことをぼやき始めた。

 

「……てかさ、エルフ達の本って歴史書とか全然ないんだぜ?……絶対おかしいよな」

「歴史書?」

「そう、文化の成り立ちとか日常品の加工の仕方とか……文字があるなら普通残すだろ?数は少ないけど、小説とかはあるのにさ」

 

 聞くと、これは歴史の専門家に言わせるとかなり異様なことらしい。

 チャド含めここの研究班は、それによって調査が進まずにいたようだ。

 

「エルフは、”教え”みたいなもんを文献に残す文化がないらしいんだ」

「必要な知識は言葉で残してる……ってこと?」

「いいや、口承もかなり少ないんだよ。ここ10年の記録はいくつか見つけたけど、終焉の冬霜(とうそう)以前の歴史なんか、びっくりするほどスッカスカなんだ」

 

 冬霜の時期とそれ以前の歴史的資料がほとんどない……ということか。

 確かに厄災後の知識が少しでも残っているのなら、それ以前の知識が全く残ってないのは、よりおかしく感じるな。

 

「エルフの人達が隠してる……とか?」

「可能性はあるけど……だぶん違うと思うぜ?嘘つくような種族じゃないし」

「そうなんだ」

「あぁ。そもそもエルフが今回の交流に応じた理由って、外の人達にここの存在を忘れないようにしたかったからだしな。そんなこと言う人達が自分たちの歴史書を隠すなんておかしいだろ」

 

 確かに。

 

 でも歴史的資料がないと、そっち方向からアプローチする調査もできないし。

 ……学者達は大変だろうな。

 

「知識をちゃんと残しておけば……現代のエルフだってあの言葉の意味を知ってたかもしれないのになぁ」

 

 そう言って、チャドは改めて大樹の大門を見る。

 

 四重の線で描かれた円、その線と重なるたくさん葉っぱ。

 ……そしてその上に描かれている古代エルフの言葉。

 

(確か『月の下、4つの森に3つの刻』だったっけ)

 

 俺はララノア殿下の言葉を思い出していた。

 

 

『我々エルフとこの森は……おそらく生命の大樹ユグドラシルに捨てられたのです』

『古のエルフの言葉さえ忘れた、我々に対する罰なのでしょう』

 

 

 終焉の冬霜で森の規模も大きく縮小したらしいし……

 本当に生命の大樹ユグドラシルは、森とエルフを捨ててしまったのだろうか。

 

 大樹からは、まだこんなに膨大な生命力を感じるのに。

 

「ミナト、リハーサル行こうぜ。紋様の写しも取って、俺の仕事はとりあえず終わったし……。早くカホン叩きたいしな!」

「そうだね」

 

 その後、俺とチャドは宮殿に戻り、ティナを加えて簡単なリハーサルを行った。

 

 準備は万端。

 大樹のことは確かに気になるけれど……それは他の学者達が頑張るはずさ。

 

 俺達『異世界音楽研究班』には、俺達にしかできないことがある。

 それを、ただ誠心誠意やるだけだ。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 夜になると、アルフヘイムの森は優しい光の粒で満たされる。

 エルフ達は基本的に火を使わないので、その光は魔法によるもの。

 

 この瞬間この場所は、まるで子供が重い描く夢の中のような幻想的な空気だった。

 

 

「エルフの皆さん……この二日間、我々は本当に多くのエルフ文化に触れさせていただきました」

 

 

 演奏の準備を終えると、ファブリス王がステージに上がり視界に入る全てのエルフ達に向けた演説をはじめた。

 エルフに拍手の文化はないようで随分静かだったが、楽器を持つ俺達の姿を見て興味は持ってくれてるようだった。

 

 二日間で良い関係を築けたグループもいたようで、同じ席を囲むエルフと学者達も何組かあった。

 アリスさんとレナも、俺達を泊めてくれたシルビアと一緒に宴席でステージを見上げてる。

 

「この森と貴方方エルフの文化は我々の心を強く打ちました。そこで今回は我々から感謝を込めて、彼らの演奏を送りたい」

 

 そう言って王は俺に微笑み、ステージを下りる。

 俺は王の着座を確認し、チャドに合図を送った。

 

 そして、チャドの声のカウントで……俺達は演奏を始めた。

 

「1,2,3,4……」

 

 

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 

 俺らが同時に楽器を鳴らすと、まるで森全体がそれに聴き入るように楽器以外の全ての音は無くなった。

 

 曲名は『継鳴(つぐなり)』。

 俺が作った合奏曲で唯一爺ちゃんに褒められた曲だ。

 

 『継鳴』は短いながら、ドラマ性のある構成を持った曲だった。

 イントロからアウトロまでで計9段ものセクションがあり、かつコードは4つしか使っていない。

 

 主にリズムの変化によってセクションに色をつけているため、ヴァース(サビ前まで)も演奏するのが楽しく、かつ複雑でもない。

 向上心のあるチャドと、初心者であるティナにちょうどいいと思った。

 

 また曲に段階的なテンションの変化があることで、一体感のあるグルーヴが演出しやすくもある。

 簡単に言えばノリが良く、誰もが盛り上がって欲しい時に、期待通りの展開がやってくる。

 

 奏者と観客のテンションが一体化できることで、短調(マイナーキー)でありながらステージの高揚感をしっかりと煽ることができる曲だった。

 

「ははっ!なんだか楽しくなる曲だ」

「こういう曲もいいなぁ!」

 

 曲が始まると、学者達はすぐ『継鳴』がどんな音楽なのかを理解する。

 これは涙を流すような音楽ではなく、心の底から自分を楽しませてくれる音なんだと。

 

 一方でエルフ達は、黙って演奏に聴き入っている。

 表情の変化は少なかったが、とても驚いているのがよくわかる。

 中には……わずかにリズムを取っているようなエルフもいる。

 

 今この場に流れる音楽は、俺の想像よりもずっと軽やかな広がりがあった。

 

「……?」

 

 ふとティナとチャドの顔を見ると……

 二人は自分の手元が狂わないよう、ひどく顔がこわばっていた。

 

 初めての演奏だし大分緊張しているらしい。

 

(……よし)

 

 俺はそんな二人の姿がなんだか愛くるしくて、悪戯心から少しフレーズをアレンジしてみた。

 

「!?」

「!」

 

 すると、2人が驚いたようにこちらを見る。

 俺が何事もなかったかのように客席を見てとぼけると、2人は自分たちが悪戯されたとわかったようで……

 

「へへ……」

 

 互いを見合って、カホンとベースのアタック音が重なる瞬間を、より強調するような演奏を始めた。

 すると、互いに意識した部分がピッタリ合ったのが気持ち良いらしく、少しづつリラックスし始めていた。

 

 合奏って良いもんだ。

 

 生きたアンサンブルは、互いの感情を素直に届けてくれる。

 それは言葉のような装飾もされず、ひたすらにまっすぐなもの。

 

 確かに通じ合ってるって実感できる。

 本当に、本当に気持ちのよい瞬間。

 

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 

 ――ジャーン……――

 ――おおおおッ!!!――

 

 演奏を終えると、そこにいる人たちが俺達にたくさんの声援と拍手をくれた。

 

 王や学者達はもちろん、エルフ達は驚きを隠せないような表情で……

 学者達の姿を真似て、ぎこちない拍手を俺達に向けてくれた。

 

 それぞれがそれぞれの一番気持ちのこもった賛辞をくれている。

 

 ステージ下で見ていたレナやアリスさんも嬉しそうだ。

 レナは何度も転びそうになりながら、ぴょんぴょん跳ねるように俺達に向かって手を叩いてる。

 

 ティナとチャドは、自分たちに向けられたそんな歓声にとても感動しているようだった。

 そんな声援を浴びながら、俺達三人が互いを見合うと……

 

「……ふふ」

「ははっ!」

「……」

 

 そんな無償の賛辞が嬉しく、そして照れくさくて……

 つい吹き出すように笑いあった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 演奏会を終えると、ティナとチャドは客以上に興奮していた。

 普段喧嘩ばかりしている二人なのに、達成感からか互いを称えあっていた。

 

「いやぁ、ティナすげーよ!ブリッジでアタック音がピッタリハマった時、俺鳥肌たったもん!」

「わ、私も!あそこ本当に楽しかった……!あとアウトロのところ!」

「二つ目のコードのところだろ!あそこ気持ちよかったなぁッ!」

 

 ティナは興奮すると普通の少女のようなしゃべり方になる。

 いつもだったらチャドはそんな彼女の口調をイジったりするけれど、今回はそれ以上に互いへのリスペクトが上回ったようだった。

 

 ベースの低音パートとカホンのリズムパートは、言わばアンサンブルの土台。

 3ピース編成の小規模バンドから大規模なオケバンドまで、その二者はどんな編成でも最も親密な相互関係になる。

 

 練習から何度も聴いている曲なのに、まるで初めてその曲を聴いたかのように互いを称えあっている二人を見ていると……

 今回の演奏をバンド編成の合奏にしたことが、本当に良かったと思えた。

 

「ミナト!本当に楽しかったッ!また絶対やろうな!」

「ミナト……私も本当に……あぁ、また早く違う曲をやりたい」

「うん。今度はもっと難しい曲にも挑戦しよう」

 

 そんな話をしながら俺達は宴席に参加して、しばらくエルフ達との交流を楽しんだ。

 

 学者達は素直に俺達に気持ちを言葉で伝えてくれたが、エルフ達はまだ驚きの方が勝っているようで……

 何か俺達に言いたいようだったが、上手く言い表せてないようだった。

 

 ララノア殿下ですら、こんな調子だ。

 

「素晴らしかったです。なんと言ってこの感動を伝えたらよいのか。本当に……あぁなんてこと……最高の言葉を送りたいのに……私まだドキドキしていて」

「ありがとうございます。ララノア殿下、お気持ちは伝わってます」

 

 その後も学者やエルフ達は、代わる代わる俺達の席に来て賛辞を贈ってくれた。

 すると自然に彼らの宴席の会話も弾むようになり、楽し気な笑い声も少しづつ聞こえ始めた。

 

 少なくとも……俺に出来ることはやり遂げたハズ。

 ここから先は学者達とエルフ達が努力していく段階なのだろう。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 そして……

 

 二日間の交流会は終わりを迎える。

 学者達は馬車に荷物を積み込みながら、それぞれが交流したエルフ達との別れを惜しんでいた。

 

 俺達の班は大がかりな荷物も無かったので、馬車の中で他の班の積み込みを待っていた。

 すると、馬車の扉をコンコン……と誰かがノックする。

 

 扉を開けると、そこにいたのはエルフの少女、シルビアだった。

 

「……すいません。お帰りの準備をしている最中でしたか?」

 

 同乗していたレナが……

 

「大丈夫ですよ!どうかしましたか?」

 

 と彼女に声をかける。

 すると、シルビアが俺にこんな言葉をくれた。

 

「演奏……本当に素晴らしかったです」

 

 シルビアの顔も大分穏やかになった気がする。

 最初は本当になんの表情も無かったけど……

 

「ありがとうシルビア」

「……私達エルフは、これまでずっと目の前にある死を眺めているだけでした」

「……」

「けれど、あなたの演奏を聴いて思ったんです。死は必ず訪れるけれど……だからこそそれまでの間、生きる喜びを噛みしめて生きていけるって」

 

(死は必ず訪れる……か)

 

 確かに演奏は彼らの心を打った。

 しかし……今回ばかりは、音楽に彼らの結末を変える程の力はなかった。

 

 演奏は最高のものだったけれど……

 この問題を解決するのは学者達の仕事。

 

 俺はそれが少しだけ歯がゆく感じていた。

 

「ミナト様……あの、これを」

 

 するとシルビアが、俺にあるものを手渡す。

 それは、俺が彼女にあげたギターだった。

 

「これは……君にあげたものだよ?返さなくたって……」

「ちがうんです」

「……?」

「あなた方の演奏を聴いてわかったんです。この楽器というものの偉大さを」

 

 そう言って、シルビアはまるで宝物を渡すように俺の膝にギターを置いた。

 

「これは……きっと沢山の未来への希望なんです。だからこそ、未来のない私達エルフが持っていてはいけない……」

「……シルビア」

「それにこれを持っていると……」

「……」

「まるで、私にも未来があるんじゃないかって、またあの音楽が聴けるんじゃないかって……錯覚してしまいますから……」

 

 シルビアはそう言うと……

 走って都に帰っていった。

 

「シルビア……」

 

 その後ろ姿があまりにも切なくて、そこにいる誰もが言葉を失った。

 

「……」

 

 エルフ達は、自分の運命を受け入れている。

 そんな運命の中を彩るようことは……俺達にもきっと出来たのだろう。

 

 しかし、運命事態を変えることができるのは……

 やっぱり……神か英雄のみ。

 

 そこにいる誰もがエルフの少女から返されたギターを見て、それを思い知らされた。

 黙り込んだ車内で、レナが明るく声を取り繕い俺達に言う。

 

「……帰りましょう。王宮に」

「うん」

 

 しばらくすると……

 

 少しの悲しさを残したまま、馬車は王宮に向かって走り出す。

 俺はこの時、もうアルフヘイムの森に戻ることはないのだろうと思ってた。

 

「……」

 

 しかし俺達はすぐにまたここに戻ることになる。

 神か英雄にしか変えられないと思っていたエルフの運命を変える、誰も想像できなかった真実の発覚によって。

 

 そしてキーになるのは……

 いつものように、やはり音楽だった。

 



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失ったものにようこそ

 

 数日の馬車の旅を終え、俺達は王宮に戻る。

 

 王宮に戻ると、王は交流会に参加した全ての学者達を円卓に集め、すぐに情報の共有をはじめた。

 

 今回の交流会でわかったのは、森が滅びゆく原因。

 つまり大樹ユグドラシルの大門の先にいる精霊が、エルフに言葉を授けなくなった……というものだ。

 

 しかし、それを解決する決定的な手立ては見つからず……

 具体的な解決策は、今後歴史研究の専門家や、古代遺跡などに詳しい冒険者達を集めて考えていく結論に至った。

 

 今後の方針が決定したところで、交流会の参加メンバーは解散となったが……

 帰り際に王が、俺に近づいてきて小声でこう言った。

 

「ミナト、今日の夜は空いているか?」

「夜ですか?大丈夫ですよ」

「疲れているところすまないが、王宮に来てくれないか?」

「……?いいですけど……」

「君達の演奏を聞いて……私も覚悟が決まったよ」

 

 覚悟……?

 その真意はわからなかったが、王は満足げに俺に微笑むと……王宮の役人と共に去って行った。

 

 その後。

 チャドは他の研究班に呼ばれ、そそくさとどこかに行ってしまった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 俺達は、リリーが馬車で迎えに来てくれることになっており……

 それまで大聖堂で待つことになる。

 

 大聖堂の前まで来ると、ひときわ豪華な装飾の馬車が泊まっていた。

 そこの前にいたのは、ティナの執事ジャンだった。

 

 ジャンは俺をみてニヤリと笑い、頭を下げながら俺に言う。

 

「お久しぶりですミナト様。ティナ様を『ばんど』に誘っていただき、改めて感謝申し上げます」

「は……はい。体はもう平気なんですか?……その、塔から落ちた時のケガは」

「獣人の身体は人間様よりずっと丈夫なのです。それよりミナト様、今度はちゃんと客人として邸宅にお越しください……今度こそ美味しい料理を用意しておりますので」

 

 そう言って執事ジャンはペロリと唇を舐める。

 

(いや……怖えぇって)

 

 誘拐&幽閉した張本人の舌なめずりは、とにかく……怖い。

 するとジャンの後ろからティナが俺に言う。

 

「ミナト……また近いうちにお城に行くわ!早く次の演奏の練習がしたいの!」

「うん。課題曲を考えておくよ」

「えへへ」

 

 そう言ってティナは嬉しそうに馬車に乗り込んだ。

 そんなティナを見送ると、アリスさんが俺とレナに言う。

 

「お二人は大聖堂の中でお待ちください。リリーが迎えに来たら知らせに参ります」

「そっか……じゃあ中で待とうか。レナ」

「はい!そうですね」

 

 俺とレナは、大聖堂の入り口に近い椅子に腰かける。

 ふうっと一息つき、俺が大聖堂の天井を見上げると、レナが隣に座りながら俺の視線の先を見て言う。

 

「また見てるんですか?」

「え?あぁ、うん」

 

 この世界にきたばかりのころ、どこかで見覚えがあると思ってたこの大聖堂。

 そんな既視感はすでに新しい記憶で上塗りされ、気のせいじゃないかと思い始めてた。

 

(こうやって新しい記憶が積み重なるうちに、エルフも古代の言葉を忘れてしまったのだろうか)

 

 そんなことを考えながらアルフヘイムの森に想いを馳せていると……

 

「おかえりー!」

 

 というめちゃくちゃデカい声が響き渡る。

 

「あ……」

 

 振り返ると、オレンジのポニーテールを揺らすリリーと、アリスさんがそこにいた。

 俺達を驚かそうとしたようだが、思ったよりも声が響くので自分で驚いているらしい。

 

 アリスさんがそんな彼女を見ながら、ふふっと笑った。

 

 リリーが恥ずかしそうに俺達に近づいてくる。

 

「あ……あははは……こんな声が響くのねここって。びっくりしちゃった」

「天井が高い建物は、音がよく響くんだよ」

 

 リリーは顔を絡めながらレナの横に腰かける。

 そしてキョロキョロを辺りを見渡して、俺達に尋ねてきた。

 

「あれ?チャドとティナは?」

「チャドはまだ他の研究班手伝ってるみたい。ティナは屋敷の執事が迎えにきたよ」

「ふーん……そっか。……それでどうだったのよ。アルフヘイムの森は」

 

 するとレナが彼女に答える。

 

「凄い綺麗な場所でしたよ!エルフの皆さんも言葉数は少なかったけど、悪い人じゃなさそうでしたし」

「へー!アルフヘイムは木材の宝庫って言われてるし、私も一度行ってみたいわ……演奏とか調査もうまくいったの?」

 

 演奏はうまく言ったけど……

 調査は色々な疑問が残ったまま。

 

 俺とレナが顔を見合わせると、気を使ってアリスさんが口をひらく。

 

「解決策は見つからなかったみたいです。どの研究班も努力したのですが……」

「あら、そうなんだ」

 

 俺がアリスさんの言葉に続ける。

 

「大きな神木があってさ、その根元に古代の紋様が描かれた大きな扉があったんだ。扉の先にいる精霊がエルフに何も語らなくなったのが色々な原因らしいんだけど……」

「だけど?」

「扉に書かれた紋様の意味は、エルフ達にもわからないらしいんだ。……チャド達の班が解読しようとしてたけど、エルフ達はあまり文献を残さない人達みたいでさ」

「その手がかりも見つからなかったと……」

「うん……そもそも終焉の冬霜(とうそう)以前の歴史がほとんど残ってなくて、調べようもないんだってさ」

 

 それを聞いいたリリーは、鼻で「ふーん」と漏らす。

 

「後世に何も残さないなんて、技術者である私からしたら信じられないわね。……まぁ、珍しくもない話だけど」

「……そうなの?」

「うん。……例えば、私達がいるこの大聖堂だって謎だらけみたいよ?」

「どういうこと……?」

「この大聖堂を作ったのってフロリアの有名な建築家なのよ。だけどその設計図どころか、建築の記録自体がほとんど残されてないらしいわ」

 

 それを聞いた俺とレナとアリスさんは、それぞれを互いに見合う。

 どうやらレナとアリスさんも知らないことみたいだ。

 

 レナがリリーに聞く。

 

「知りませんでした。この大聖堂にそんな話があるの」

「まぁ、何度も改修されてるし……建築家とか技術者じゃないと興味ない話だしね。でも、その建築家のことをよく知る人に言わせると、この大聖堂はかなり異質な設計らしいわ」

「異質……?」

「えぇ……その建築家が作ったどの建築物にも似てないのよ。この異様に高い天井とか……使われている石材も当時あまり使われてなかったものだったりとかさ」

「……異様に……高い天井……」

 

 その時……

 

 俺の頭の中に、ある風景がフラッシュバックした。

 

(……この大聖堂)

 

 それは、俺がこの大聖堂に見覚えがあった理由を全て解説する記憶。

 元の世界で、まだ爺ちゃんが生きていた頃、2人で一緒に行った旅行の記憶だった。

 

「……思い出した」

「……え?」

「エチミアジン大聖堂……」

 

 ずっと見覚えがあった理由。

 それは、俺がいた世界で最も古いと言われる大聖堂……エチミアジン大聖堂とよく似ているからだった。

 

 俺は決して建築や大聖堂に詳しくはない、宗教に関してもさっぱりだ。

 しかし、エチミアジン大聖堂だけは俺や爺ちゃんにとって……いや、音楽家にとっては特別な場所でもあった。

 

「……」

 

 それと同時に、俺の頭には多くの疑問符が浮かんだ。

 なぜなら明確に思い出したことで、目の前にある異世界の大聖堂の存在があまりにおかしかったからだ。

 

 この建築が、この世界に存在するはずがない。

 

 そう結論づけたと同時に、俺の頭には一つの答えが浮かんでいた。

 

(確認しなくてはならない……この答えを知っている人に)

 

「ファブリス王……」

 

 そして俺は夜、王との約束の時間。

 再び王宮に来ることになった。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 一度帰宅し、風呂に入って考えをまとめた。

 王に聞かなくてはいけない真実。

 

 陽が落ちて暗くなった大聖堂で待っていると……

 王は護衛もつけず、たった一人で俺を迎えてくれた。

 

「すまないな……お忍びだ」

「……俺も一人です。アリスさんもいません」

 

 王の姿はいつもの甲冑ではなく、いかにも普段着と言った装いだった。

 片手には何やら液体の入った瓶と、二つのカップを持っている。

 

 酒の臭いがするので、どうやら少し酔っぱらっているようだった。

 

「……ぅぷ。飲まなくては……やってられなくてな。……こっちだよ」

 

 少し様子のおかしい王に案内されたのは……

 以前も二人で来た例の黒い石像のある地下の巨大な部屋だった。

 

 この世界の神シエル……だったか。

 たしか王は以前、この石像を『神を模した石像』ではなく『この石像こそが我らの神』と形容した。

 

 しかし、酔っぱらった王の姿は、神の前とは思えないほどフラフラ。

 

 ファブリス王は神シエルの黒像の前でドカッとあぐらを書く。

 俺がとなりであぐらを書くと……王が酒臭い声で言う。

 

「ミナト、酒は?……いや、飲め」

「……えぇ」

 

 あきらかに普段と様子が違う王。

 

 俺はそれに気づいていたが、聞きたいこともあったので……

 何も言わず酒の注がれたカップを受け取った。

 

「ミナト……呼び出してすまなかったな。交流会の演奏……本当に素晴らしかったよ」

「ありがとうございます」

 

 王は小さく何度も「……ぅぷ」と、声を漏らす。

 

「君に話さなきゃいけないことがあってな……」

「俺も……王にどうしても聞きたいことがあってきました」

「……」

 

 王は俺の言葉が意外でもないようだった。

 そして、なぜか睨むように黒像を一度見て、俺にこう言った。

 

「いいよ、君から話してくれ……ぅ……」

 

 俺は慣れない酒で唇を濡らし……あの大聖堂の謎を聞く。

 

「王宮にある大聖堂……あれって、建築の資料がないらしいですね?」

「大聖堂……?あぁ、設計図はもともと王宮に保管されていたはずだし、持ち出しもできないハズなんだが……なぜか見当たらないらしいな」

 

 変に長引かせるのも良くないと思い、俺は単刀直入に王に本題を話始めた。

 

「あの大聖堂の建築は……俺の世界にあるエチミアジン大聖堂という建築物と非常によく似ています。俺の世界にある教会の中で、最古と呼ばれているものです」

「……ほぅ」

 

 王はクッと酒を煽る。

 

「君が建築にも造詣が深いのは驚きだな……。異世界の建築物がこっちの建築物によく似ているのも面白い話だ」

「……いえ、俺は詳しいわけではありません。しかし、あの建築がこの世界では”あり得ない”ことは……わかるんです」

「あり得ない?」

 

 そう、あり得ない。

 それはエチミアジン大聖堂が、どんな理由であの造形の建築になったか。

 

 それを爺ちゃんから教わっていたからだった。

 

「俺の世界には世界中に信徒のいる大きな宗教があります。その宗教は建築や芸術を効果的に使って、信仰を強固にしました」

「……ほう」

「エチミアジン大聖堂も、二つの”ある効果”を効率的に使うため、あの造形になったという歴史があります……」

「二つの効果?」

「……一つは、神です」

 

 俺の世界で最も信仰者の多い”あの”宗教は、神が天にいると考えていた。

 そのため神に祈る場所である大聖堂は、より天井が高く設計されていると言われている。

 

 しかし……この世界の神は……

 俺達のいるこの地下の薄暗い部屋でたたずむ黒い石像だ。

 

「確かに……私たちの世界では神は大地に宿ると言われている。だからこそ、この黒像は地下であるこの部屋に置かれている」

 

 王の言葉に、俺も返す。

 

「はい、つまり王宮の大聖堂の天井が高い理由は、おそらく神ではありません」

「……?」

「しかし、エチミアジン大聖堂の天井が高い理由は、それだけではないんです」

「……というと?」

 

 そう。

 エチミアジン大聖堂をはじめ、元の世界の大聖堂のどれもが天井が高い理由。

 それは神とは違う、もう一つ実用的な効果があるからだった。

 

「それは……音です」

 

 天井が高い建物は、当然空間も大きくなる。

 

 複雑に跳ね返りを起こす広い空間は、空気の振動である音をより大きく反響させる。

 場合によっては、元の音よりも反響された音の方が大きく聞こえることもある。

 

 これはマイクの無かった時代、神父が自分の声を大きく反響させるのに大いに役立った。

 

 これを王に説明すると、当然のようにこの質問が返ってくる。

 

「それはおかしい……仮に誰かの声を響かせて沢山の人に聞かせることが目的であれば……私たちの世界では魔法陣を使う」

「はい……つまり、声を響かせることを目的にした建築でもないのでしょう」

「ハッキリ言って欲しいな。ミナトはどう思っているんだい?……大聖堂が音を響かせる建築になった理由を」

 

 王がたまらず聞いてくる。

 

「俺は……きっと声以外で、特殊な音響効果を必要としたからだと思うんです」

「声以外のおんきょう効果?」

「結論から言えば……」

 

 その結論は……

 初めてこの世界に来たとき否定されたものだった。

 この世界にそれは存在しないと。

 

 ただ思い返してみると、その痕跡は至る所で見ることが出来た。

 

 加工技術。柱時計。エルフの弓。

 そしてなにより、この国の人たちの感性。

 

 まるで”その存在だけ”乱雑に抜き取ったような違和感。

 仮にこの結論がただしければ、色々なことが腑に落ちる。

 

 大聖堂の天井は、神を称えるための効果をより強く演出するためのモノ。

 俺の世界では賛美歌をより効果的に演出し、反響を利用したパイプオルガンの荘厳なエフェクターとして機能する。

 

 神が地下にいて、マイク代わりの魔法陣があるこの世界の大聖堂が……

 なぜ俺のいた世界の大聖堂と酷似しているのか。

 

 

 

「この世界には、かつて音楽が存在していた」

 

 



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真実へようこそ

 

「この世界には……

 

 これを言った瞬間。

 王の表情は、俺のどの予想とも違っていた。

 

……かつて音楽が存在していた」

 

 驚くわけでもなく……焦っているわけでもなく……

 全てを知っているような、それでいて何も知らないような不思議な表情。

 

 俺はさらに続ける。

 

「この世界に音楽があったと考えると、いくつか腑に落ちることがあります」

「……」

「一番は……ここにいる人達の感性です」

 

 首都フロリアの人たちは、元いた世界の人々より感性が非常に豊かだ。

 元の世界の人々は感動する音楽を聞いても、暴動になったり、理性を失くして泣き叫んだりしない。

 

 つまり『音楽の良さ』を理解でき、それを強く享受できる感性を持ちながら……

 この世界での音楽は一切発展せず、数千年経過しているのは明らかにおかしい。

 

「まるで世界から音楽に関する物や知識だけ、ごっそり抜き取ったような違和感。……ファブリス王……俺が聞きたかったのはそれです」

「……」

「仮に音楽がこの世界に存在していたとして……なぜ音楽に関連するものが無くなり、人々はその記憶さえ失ったのでしょうか」

 

 明らかに何かを知っている、王の表情。

 しばらく手に持ったカップで揺れる酒を眺めて……王は口を開いた。

 

「その答えを説明するには……まず、私が今日君を呼んだ理由を話さなければならないな」

 

 王は座り直し酒に口をつけ……

 こう続けた。

 

「勘違いしないで欲しいが……私は君のその仮説に対し明確な答えを持っているわけじゃない」

「……?」

「私はあくまで別の考えのもと、君と同じ仮説にたどり着いたに過ぎない」

 

 王はゆっくり語り始めた。

 

「君の音楽を初めて聴い時、私は確信した。……君の演奏した音楽は、この世界にもかつて存在し、そして奪われたのだとな」

「奪われた……?」

 

 この表現を使うからには、当然その理由もあるはずだ。

 俺は黙って王の話を聞く。

 

「順を追って説明させてくれ……」

 

 そう言うと……

 王はゆっくりと腕を伸ばし、目の前にある神シエルの黒像を指さした。

 

「ミナト……目の前にあるアレはなんだと思う?」

 

 神を”アレ”と表現する王に少し戸惑いつつも、俺は改めてその指の先にある黒像を見る。

 たしかに、初めてあの黒像を見た時、何かとてつもない威圧感のようなものを感じたのを覚えてる。

 

「この世界の神……ですよね?」

「……違う」

 

 そう言うと、王は憎しみにも似た表情で黒像をにらみ、それをこらえるように言葉をつづけた。

 

「あれは神なんかじゃない……。この国に掛けられた、決して解けることのない”呪い”だ」

「……呪い?」

「あぁ……」

 

 そう言うと、王は酒を注いで一気に飲み干すと……

 またすぐにカップに酒を継いだ。

 

「王家に伝わる伝承では、この黒像は全ての願いを叶える力があると言われている」

「全ての……願い?」

「そうだ。国民は一切知らないがな。……だから王家はこれを悪用する者が現れないように、ここで神として崇めてきた」

 

 全くベクトルの違う話題に驚きはしたものの……

 なぜだか俺はこの話があらゆる問題の答えになっていると確信できた。

 

 そして初めてこの部屋へ来た時の、王が言ってたあの言葉……

 

『何かを成すのは、神ではなく結局は人間だからな』

 

 その意味も含めて、納得できる答えがあると。

 

「この黒像が叶える願いには最限がない。富や栄光……自然現象……おそらく人の生死すら、この黒像に願えば叶うのだろう」

「……」

「しかし、願いを叶えてもらうためには二つのものが必要になる」

「必要なもの……?」

「それは”願った人の命”と”願いと同価値の対価”だ」

 

(願いと同価値の……対価)

 

「ミナトは俺の父上の話は知ってるか?先代王ゼオンのこと」

「えぇ、確か……終焉の冬霜(とうそう)の終わり際、急病で亡くなったと……」

 

 ティナに誘拐される直前、チャドから聞いた言葉を思い出す。

 

『”終焉の冬霜(とうそう)”が終わる直前に亡くなっちまったんだ。……この国史上、一番偉大な王と言われた人だよ』

『”終焉の冬霜”って終わる間際が一番酷い時期だったから、国民の絶望も凄かったらしい』

 

「とても偉大な王だったと……終焉の冬霜の終わる間近、心臓発作で亡くなったと聞きました」

 

 そう言うと、王は少し寂しそうに視線を下げた。

 

「国民にはそう伝えていたが……本当は違う。……父はこの部屋で死んでいたんだ」

「それって……」

「あぁ……父は10年前、ここで黒像に何かを願ったのさ。自らの命と『願いと同価値の代償』を捧げてな。……何を願ったのかは、ミナトでも想像できるだろう?」

 

 そんなの、決まっている。

 

「……終焉の冬霜ですね?」

 

 そう……

 

 つまり、先代王は世界中で100年続いた終焉の冬霜という厄災を、この黒像によって解決したということだ。

 自らの命を捧げ世界を救った英雄譚は、後世に語り継がれるべき功績と言っていいだろう。

 

 しかし、当然気になるのはその代償。

 王自身の命と、願いと同価値の対価。

 

 世界規模の厄災を解決するための代償として、自らの命と一緒に一体何を捧げたのか。

 

 そしてそれこそが、俺が持っていたこの世界の違和感の正体だった。

 

「まさか、その時支払った……厄災の解決と同価値の対価って……」

「あぁ……それがきっと音楽なのだろう」

 

 俺にとって、その事実はあまりにも無慈悲に感じられた。

 ほんの10年前まで存在した、人々の笑顔を支えた膨大な音楽。

 

 この世界にも、俺の世界と同じような音楽の歴史があったとして……

 楽器、知識、技術、教訓……音楽に関する全てがこの世界から失われた。

 

 そういうこと。

 

「あれほどの厄災の対価になるほどだ。……我々の世界にとって音楽がどれほどの価値のあるものだったのか想像に難くない」

「……」

「だからこそ、ミナトの音楽は我々の心に、本当に……本当に強く刺さったのだろう」

 

 ファブリス王も当然、音楽の記憶を失っている。

 俺達のこの結論は、あくまで仮説にすぎないのも理解している。

 

 しかし……

 俺はこの仮説が真実である確証を持っていた。

 

 それは俺の音楽を聴いた人たちが、俺の音楽を表現した言葉。

 

『ミナトさんの音楽を初めて聴いた時……この世界から失われた希望が、まるで目の前に顕現したのかとおもいました』

『ミナト様の音は、まるで失っていたとても大切なものが私の中に戻ってきたような……とても暖かい感動だった……』

『初めてミナト様の演奏を聴いた時……深い喪失感を全て埋め尽くすような温かさを感じた』

 

 レナ、ティナ、アリスさん……

 俺のギターを聴いた人は皆、表現は違えど音楽を『失ってしまった大切なもの』と比喩していた。

 

『何か大切なものを無くした後のような、不快感とも不安感とも言えない……漠然とした悲しい気持ちです』

『この国には同じような人がたくさんいて、人によっては終焉の冬霜の後遺症だとか言うという人もいるくらいです』

 

 おそらくそれは比喩でもなんでもなくって。

 本当に多くの人にとって、かつて音楽は大切なものだったんだ。

 ……そして、失われた。

 

 だからこそ皆が俺の音楽に惹かれ、熱狂した。

 そう考えると、人々が音楽に寄せる期待の理由に納得がいく。

 

 その途方もない真実を語った後、王はさらに続けた。

 

「父は、この黒石が嫌いだった……」

「……ゼオン王が……ですか?」

「あぁ。記憶が無くなっちまってるから憶測でしかないが……おそらくこの国は、先代の王達によって何度もこの石で願いを叶えて発展したんだ」

「……」

「それには、当然多くの代償が支払われてきたのだろう。それを考えると、先人達の偉業すら血塗られた歴史に思えて誇りにすることもできない。父は王家に伝わるこの石の真実を私に伝え……『これに頼らない王になれ、私がそうしたように』と言った」

 

 しかし……先代王は頼ってしまった。

 終焉の冬霜という世界中を巻き込んだ未曽有の厄災を目の前にして。

 

「それほど終焉の冬霜の末期は、各国悲惨な状況にあった。……父は死ぬ間際、本当に悔しかったと思う」

 

 ファブリス王がこの石を睨む理由はこれか。

 

「この石を破壊したりしようとは思わなかったんですか?」

「思ったさ。しかし伝承では『この黒石を破壊せし時、願いによって消し去ったあらゆる過去が全て訪れる』とも言われてる」

「願いによって消し去った過去……」

 

(つまりは、願いによって支払われた代償のことか)

 

「願いによって消し去ったものなんて、厄災とかロクでもないものがほとんどだ。仮にそれによって音楽が戻ってきたとしても、考えられるリスクの規模はおそらく相当なもの……しかも記憶を失っているせいで想像すらできん」

「……」

「この石は、つまり願った物の欲望をそのまま自分の盾にしているのさ。だからこそ、これは我々の”呪い”なのだ」

 

 世界の真実。

 その全てを聞いて、俺は王に聞く。

 

「どうして、俺なんかにこの話をしたんですか?」

「……」

「この真実を……国民すら知らないんですよね?それなのに、どうして……」

「そんなの、決まってるだろう」

 

 そう言うと王は酒を飲みほした。

 

「我々王家は何百年という歴史の中で、きっと何度も黒石の前で自らの欲望に敗北してきたんだ。多くの代償とその記憶さえ失ってな」

「……」

「しかし、君がこの世界に音楽をもたらしたことで……我々は歴史上はじめて黒石に奪われたものを奪い返したんだ……これは、その礼なんだよ」

 

 そして王は立ち上がって、今度は自分の話を語る。

 それは彼の覚悟そのものだった。

 

「私は……この真実を全ての国民に伝えようと思うんだ」

「え……」

「エルフとの交流会で君の演奏を聴いて、私自身決心が固まった」

「黒像の事も……音楽のこともですか?しかしそんなことをしたら……」

「真実を隠し続けた王家への信頼も、多少揺らぐことになるかもしれんな……。しかし、いつかの時代の王が必ずやらなければならないことだ」

「……」

「もう行こう。全て語って、すっきりしたよ……ずっとこの部屋にはいたくない」

 

 王は、とてもすっきりした顔で立ち上がる。

 そしてフラフラと最後の酒をつぎ、一気に飲み干して、部屋の出口に向かった。

 

 俺はそんな王から、黒像に視線を移す。

 黒像は、なんとも無機質な色で俺と王を見ているようだった。

 

 俺は黒像を見ながら、王を呼び止めて言った。

 

「ファブリス王……待ってください」

「……?なんだ?まだなにか話があるのか?」

「はい……もう一つ、仮説があるんです」

 

 この世界に音楽が存在した。

 そうなれば、もう失ったものを数えている場合じゃない。

 

 存在しないものは想定の範囲外。

 一つ真実が明らかになれば、その先にある別の道への扉が開かれることもある。

 

 そして今回の場合。

 開くべき扉はたった一つ。

 

 すなわち……

 アルフヘイムの森にある、大樹ユグドラシルの大門。

 

「エルフについての話です。ユグドラシルの大門にあったあの紋様、俺の世界にある"あるもの"に似ているんです」

「あるもの……?」

「はい。今の話を聞いて確信しました……音楽がこの世界にあったのだとすれば、あの紋様の正体も」

 

 四重の線で描かれた円。

 そしてその線上に乱雑に置かれた葉。

 

『月の下、4つの森に3つの刻』

 

 エルフ達があの意味を理解できなかったのは……

 音楽に関連する知識として、その記憶を消されてしまったのではないだろうか。

 

『古代エルフが書いた文字ですが……現代を生きるエルフには読めません』

 

 この世界に音楽が存在するのだとしたら……

 俺にはもう……あの紋様は、アレにしか見えない。

 

「あの紋様の正体は……おそらく楽譜です」

 

 

 



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再びアルフヘイムの森へようこそ

 次の日。

 ファブリス王は黒像と、この世界から音楽が奪われたという真実を国民に語った。

 通信魔法によって国中が知ることになったこの真実に、多くの人々が混乱した。

 

 当然、城にいる『異世界音楽研究班』の面々も、驚いてはいた。

 

 しかし、俺達にはやるべきことがある。

 そのためには、ただ混乱の渦中にいるだけでは何も変えることはできない。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 王が魔法陣で国民に真実を伝えた後……

 

 俺は研究室にレナとチャドを呼びだし、ユグドラシルの大門に描かれた紋様の仮説について話した。

 王から世界の真実を聞いた直後だ。2人が戸惑っているのはよくわかった。

 

 しかし、俺の仮説を聞くと……

 二人は強く関心してくれた。

 

「つまり、あの紋様は楽譜なんだ。円になっているから分かりづらいけど、五線譜とよく似てるだろう?」

 

 俺が紋様の写しを見ながら言うと、チャドが当然の疑問を投げかける。

 

「線に重なる葉っぱが音符だとして……五線譜って線が5本だろ?この紋様には線が4つしかないんだぜ?」

「これは1オクターブ内の音階しか使わない四線譜の楽譜になってるんだ」

 

 五線譜は、17世紀になって浸透した楽譜の様式だ。

 五線譜が普及した理由は、楽器の多様化や複数のオクターブに跨る広い音域をもった演奏が一般化したからだと言われている。

 

 それ以前は楽譜が必要な機会がそもそも限られていた。

 

 例えば教会の聖歌隊。

 彼らの歌は音域が1オクターブ内で収まるため、4本の線に四角い音符を描く四線譜が主流だった。

 

 大門の文様は、そんな四線譜を円で表したもの。

 使われている音階の種類からキーも判別できる。

 

 音符の並べ方は元の世界の四線譜と逆になっていて一瞬読みづらいが……

 それは譜面が円状に理由と結びついている。

 

「円状の楽譜は読む場所によって線の上下左右が変わるだろ?だから音階が数えやすいように、一番外側の円が最も低い音になってるんだ」

「……でも拍子もテンポも書いてませんよね?何より楽譜が円になってるから、どこから始めればいいのか……」

 

 レナの言い分ももっともだ。

 五線譜には音符の他に拍子、テンポ、小節数が記載されてるもの。

 

 しかし拍子とテンポに関してはこれしかないという結論がでていた。

 それは、紋様の上に描かれていたあの文字。

 

「『月の下、4つの森に3つの刻』おそらくコレが拍子とテンポを表している」

「どういうことだ?」

「ララノア殿下の言葉、覚えてない……?」

 

『時すらも森の中の一部……という意味の言葉です』

 

「4つの森は葉で記された音符の種類。3つの刻は拍数。……つまり4分の3拍子ってことじゃないかな」

「……じゃあテンポは?月の下ってどれくらいのスピードのことなんだよ」

「BPM58.02か……BPM116だと思う」

 

 24時間という1日の時間を秒針で数えたとき、その速度はBPM60。

 メトロノームの振り子運動で数える場合、左右でそれぞれ1回カウントされるので、BPMは倍の120となる。

 これは太陽の上り下りを24時間として図る『太陽のテンポ』。

 

 この計算で考えると……

 月の1日は24.8時間であるため、秒針で数えるとBPM58.02、または倍のBPM116になる。

 

 このBPM116というテンポは、『絶対のテンポ』『人間のテンポ』などと呼ばれる有名なもの。

 このテンポで作られた曲を聞くと、自律神経を整えてリラックスさせる……とか、不思議な力があると言われてる。

 ……そこはまぁ、詳しくは知らないが。

 

 俺が月から連想できるテンポなんて、正直これくらいしかない。

 

「じゃあ、曲のスタート部分は?」

「可能性が高いのはこことか……ここ。だけど、正直どこから始めてもいいんだと思う」

「どこから始めてもいい?」

「うん。小節が描かれてないし、楽譜が円になってるからね……この曲はやろうと思えば永遠にリフレインできる曲なんだよ」

 

 この説明を全て終えると……チャドが俺に言う。

 

「マジかよ……じゃあ、ミナト本当に……?」

 

 レナとチャドが、俺に視線を送る。

 その視線は、大きな期待を寄せるあの目。

 

 正直、その目で見られることにも慣れてきてる自分がいた。

 

「……うん。この楽譜は演奏できる」

 

 それを聞いた瞬間、2人の顔がパッと明るくなった。

 

 いつものように「凄い凄い」と感動を伝えてくれる二人だったが……

 演奏できると確信に変わった時……レナがある疑問を俺に言う。

 

「でも、黒像によって、音楽に関するものは全てこの世界から無くなったんですよね?なぜこの紋様は、残ることができたのでしょうか」

 

 それに関しては、俺も同様の疑問を持っていたが……

 この世界に残されたものを見る限り、ある傾向は見えていた。

 

「おそらく黒像は、その存在自体ではなく……それによってもたらされる影響で選別していたんじゃないかな」

「影響……ですか?」

 

 例えば王宮の大聖堂。

 

 リリーと王は、あの大聖堂の設計図はどこにも存在しないと言っていた。

 設計図とその記憶は、おそらく願いの代償によって『音楽に関連するもの』という判別を受け、世界から消されたのだろう。

 

 ただ無秩序に音楽に関するものを全て奪ったのだとしたら、設計図よりも大聖堂の方が消えてなくなりそうなものだ。

 しかし、実際はそうはならなかった。

 

 ではなぜ大聖堂が残り、設計図だけ存在を消されたのか。

 ……こう考えるとつじつまがあう。

 

 大聖堂は、意図的に音楽に利用しようとしない限りはただの建物に過ぎない。

 つまり残っていたとしても、音楽の知らない人がそこから音楽を連想することはまずできない。

 

 しかし設計図は、あの大聖堂の音響効果を意識して設計されていた場合、その意図が書かれていた可能性は高い。

 音楽の知識を奪われた人でも、それを読めばまず『音楽とは何か?』という疑問を持つだろう。

 

 つまり物の存在ではなく、それが与える影響によって『音楽に関連するもの』を判別している。

 誰も失われた『音楽』という歴史を思い出せないように。

 

「そう考えると、ユグドラシルの大門が残された意味も理解できる。音楽知識の無いエルフが紋様を見ても、その意味が理解できないからね」

 

 それを聞くと、チャドが俺の肩を力強く叩いた。

 

「なんにせよ、やるべきことは決まったな!もちろん、あの大門の前でその曲を演奏するんだろ?」

「うん……きっと何か起こるはずだよ」

 

 そう。

 

 大門に描かれている楽譜だ。

 これを演奏しないまま『調査が終わった…』はないだろう。

 

 幸い、1オクターブ内の音域に限られるこの曲は演奏も難しくない。

 

「でも……」

 

 しかし、まだ不安は残る。

 

 例えば楽器だ。

 俺はハウザー2世で演奏するつもりだが、本当にそれで良いのだろうか。

 かつて音楽が存在したのなら、当然この楽譜を演奏した楽器も過去存在していたはず。

 

 なら、特定の楽器で演奏しなければ意味が無いという可能性も当然ありえるわけだ。

 

 そう考えると他にも色々と不安な部分が出てくる。

 間違いがないように、もう一度楽譜の検証はしておかなきゃ……。

 

 そもそもエルフが大門の前で演奏させてくれるのだろうか。

 

「……」

 

 俺が黙り込むと、そんな不安な気持ちを感じ取ったのか……

 レナが俺の手を握って、いつもの美しい声で言ってくれる。

 

「ミナトさん」

「……?」

「大丈夫。ミナトさんは、いつだって私たちを感動させてくれたじゃないですか」

「……レナ」

「もし何も起こらなくても、誰もミナトさんを責めたりしません。……それに、奇跡って予想だにしないところから来るものなんです」

 

 その言葉は、俺に勇気をくれる。

 

「ミナトさんなら、きっと大丈夫です」

 

 あぁ、まったく。

 この世界は、チート能力もくれないし、俺を最強にしてもくれない。

 魔法は勉強しなきゃ使えないし、ネットも電気も、音楽すら無いし。

 

 だけどレナやチャドの顔を見るたび、俺は本当にこの世界が好きになっていたんだ。

 世界に必要とされている満足感は、こんなにも心を穏やかにしてくれるのか。

 

「ありがとう、レナ。できる限りのことやるよ」

「はいっ!……えへへ」

 

 よし、吹っ切れた。

 やってやろう。

 

 俺は幸いにも、ファブリス王という覚悟を決めた男の姿を間近で見ていた。

 やるべきことを、今持ちうる最大の力でやりきってやる。

 

 そして俺達は2日後、またあのアルフヘイムの森に向かうことになった。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 数日後……

 2台の馬車が、アルフヘイムの森に到着する。

 

 それは俺達『異世界音楽研究班』の面々と、事情を説明するために来てくれたファブリス王とその側近。

 

 ファブリス王は例の発表で酷く忙しいようだったが……

 事前の連絡も無しに突然やってきて、その身で信頼を得られる人物は彼くらいしかいない。

 

 森の入り口につくと、そこには何人かのエルフ達が見張りをしていた。

 その中には、俺達を泊めてくれた少女のエルフ、シルビア・フルシアンテもいた。

 

 シルビアは突然現れた俺達に驚いてはいるようだったが、あまり表情に出さずに言った。

 

「ファブリス王……それに、ミナトさん達も……一体どうされたのですか?」

 

 するとファブリス王が彼女にララノア殿下との謁見を申し出る。

 シルビアはその言葉に戸惑っていた。

 

「しかし……そう簡単に森へ入れるわけにはいきません。交流会のように、事前に殿下の許可を得ていただけないと……」

「シルビア……」

 

 俺はしゃしゃり出るような性格ではないが。

 この時、なぜかその一歩を踏み出して、彼女の顔を見て言葉がでていた。

 

「お願いだ」

「……ミナトさん」

 

 シルビアは俺の目をしっかり見た後、溜息まじりにこう言った。

 

「わかりました。少々お待ちください」

 

 その後、王の力もあってか……

 俺達はすぐに大樹ユグドラシルの大門の前に案内されることになる。

 

 大門前にはシルビアをはじめ、たくさんのエルフが集まっていた。

 その中にはララノア殿下の姿もある。

 

 王はいつもの爽やかな笑顔と、饒舌な口調で殿下に事情を説明してくれる。

 しかしララノア殿下は酷く悩んでいるようだった。

 

「ファブリス王……我らエルフはあなたの事も、ミナトさんのことも信頼しているつもりです……ですが……古のしきたりも……」

 

 突然の来訪者がエルフの聖域とも言えるこの場所でいきなり『演奏させてくれ!』と願い出る。

 交流会で関係と深めてはいるものの、殿下が渋るのは仕方ない。

 

 しかし王は、彼女に熱心に交渉する。

 

「殿下……我々人間とエルフは、今まで貿易という表面だけの関係しかありませんでした」

「……」

「しかし、私達は新たな一歩を踏み出すことが出来たのです」

 

 王のその言葉には、きっと黒像の真実を公表したことも含まれているのだろう。

 王国もアルフヘイムの森も、今まさに次の段階へ行こうとしている。

 

 ファブリス王は、殿下から一切目を離さずに申し出る。

 

「私たちがこれから交わすべき言葉は、過去の後悔や嘆きではありません。それぞれの新たな未来の話なのです」

「……」

「……」

 

 そして、ララノア殿下はこう言った。

 

「……わかりました。貴方を……そしてミナトさんを信じましょう」

 

 

 



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エルフの音楽へようこそ

 ドイツのマルク紙幣にも描かれる歴史的な女性ピアニスト、クララ・シェーマンはこういった。

 

『書いてある通りに弾きなさい。優れた洞察力を持つ人にとって必要なもの全てが、その楽譜には書かれています』

 

 当時、作曲をかじり始めたばかりの俺は……

 この言葉の意味を『正しく演奏することが、音楽にとって正しいことである』という風に解釈した。

 

 だけど、この頃の俺は一端に作曲家のプライド持ってしまっていて。

 この言葉はアーティストからオリジナリティを殺す言葉のように感じてしまっていた。

 

 しかし、今の俺にはクララ・シェーマンのこの言葉がこう聞こえる。

 

『勝手にアレンジするのは、もったいないですよ』

 

 一つの曲が完成するまで、作曲家は本当に多くの案をテーブルに乗せ熟考する。

 そして選ばれたフレーズやコード進行は、前後との関係やリズム、楽器やボイシングの選択、休符や全体の長さやバランスの中で、その作曲家が最も良いと思う形で譜面に書き出される。

 

 それは長い冒険の果てに手に入れた宝石を、さらに研磨したようなアンサンブル。

 楽譜通りに演奏しなければ、その作曲家が磨き上げた宝石の輝きを見ることは永遠にない。

 

 大門に描かれた紋様を見て俺は思う。

 この曲の作曲家は、いったいどんな気持ちでこの曲を作ったのだろうかと。

 

 

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 

 

 大樹ユグドラシルの大門。

 

 ファブリス王とララノア殿下、『異世界音楽研究班』の面々……

 そしてたくさんのエルフ達が見守る中、ハウザー2世が独唱をはじめた。

 

「……」

「……これは」

 

 その音楽は、あまりにも素朴な音から始まった。

 

 使われてる音階はメジャースケールの第2音から始まる、『ドリア旋法』と言われるモード。

 頑なにD(レ)ドリアのコードワークで動き続ける旋律は……ファンタジックで北欧の哀愁漂う、不屈なる調べ。

 

 正しく演奏できているという自信をくれる、圧倒的なメロディ。

 

 そこにいる全ての人が呼吸すら忘れるほど静かで……

 絶望や悲しみすら肯定するほどの優しさに溢れ……

 

 俺の指がハウザー2世と歌う音楽は、その瞬間、きっとこの世界の何よりも美しかった。

 

 ララノア殿下はその旋律を聴くと……

 

「この音……なるほど……そうだったのですね……」

「……」

「我らエルフはかつて………この曲の中に生きていた」

 

 ハウザー2世の奏でる曲を聞きながら、エルフ達の多くは膝を落とし……

 ただ茫然と涙を流し続けていた。

 

 きっとこの曲は、彼らにとって本当に大切なものだったのだろう。

 

 だからこそ丁寧に、自信を持って何より謙虚に。

 俺はその旋律に向き合った。

 

 涙を流すエルフの中には、声が漏れぬように自分の手で口を押える人もいた。

 その震える手が守っているのは、この曲が作り出す森の響きそのものなのだろう。

 

 

 大門の奥にいる精霊さん。もう……十分じゃなかろうか。

 

 

 元引きこもりの俺が言うのもなんだけど……

 その扉を開いた先は、本当に美しい物で溢れているよ。

 

 だから早く。

 その門を開けてください。

 

 

 演奏は、楽譜の半分に差し掛かる。

 テンポはそこまで遅くない曲。

 

 1周だけなら、この曲は本当に短い。

 

 そして1周目の演奏を終えて、二週目に突入しようとした……

 その時。

 

「……あれは……」

「大門が……」

 

 エルフ達の視線が、大樹の大門に注がれる。

 

 大門に描かれる紋様が、旋律に合わせて光りはじめる。

 

(……開く)

 

 俺はテンポがズレないよう……

 ひた向きにその音色に向き合い続ける。

 

 そして演奏を続けていると……

 

 ――ゴゴ……――ゴゴゴゴゴゴ……――

 

 ゆっくりと、大門が動き始めて……

 人一人入れるくらいの隙間が空いた。

 

「……ッ!?」

 

 いざ、精霊にご対面。

 かと思ったが……

 

(……光……?)

 

 その先から沢山の光の粒が、まるで踊る様に扉の奥から現れる。

 その光をよく見ると……光を放つ小さな小さな少女たちだった。

 

「妖精……だ」

「妖精様……」

 

 妖精たちは、俺の周囲を楽しげに飛び回る。

 

 何匹かは演奏するハウザー2世のヘッドや俺の肩に座り込んで……

 俺が奏でる演奏に、楽しく体を揺らしてた。

 

 その姿がなんとも愛らしく、俺も次第に笑顔になる。

 

 俺はそのまま演奏を続けていると……

 

 

 

「……ー…ー…ー…」

 

 

 

 門の先から、何か低くて響きが聞こえてきた。

 

「……ッ!」

「なにこの音」

「もしかして……精霊様の……?」

 

 

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 

 

 その響きに、俺は演奏をやめる。

 すると、ハウザー2世の弦がビリビリと振動した。

 

 特定の音階で響く音は、それと同じ音階を鳴らす弦を空気で振動させる。

 いわゆる共鳴。

 

「……ー…ー…ー…」

 

 それは大門の先から聴こえる音が、まるでハウザー2世を介して話かけてるようだった。

 

(精霊が……何か伝えようとしてるのか?でも……一体……)

 

 共鳴する弦を見て……

 俺の肩やギターに腰かける妖精たちが楽しそうにしている。

 

「…ー…ー…ー………ー…ー…ー…」

 

 そしてしばらくすると、その低い響きは聞こえなくなった。

 

(あぁ、そういうことか)

 

 ……この時、俺はエルフの真実に気づいた。

 

 そして俺は、その真実を確認するため、ハウザー2世の弦を適当に一本鳴らしてみる。

 すると……

 

「あー!うー!」

 

 妖精たちも、その音階に合わせた音階で楽しそうに声を発した。

 あぁ、なるほど。……やっぱりそうだ。

 

「ミナトさん……」

 

 すると、妖精に囲まれる俺にララノア殿下が近づいてくる。

 殿下は俺の手を優しく、そして力強く握って俺にこう言った。

 

「あなたは……我らの英雄です。長い間閉ざされていた門が……」

 

 目には、美しい涙で濡れている。

 そんな殿下に、俺は全ての真実を語ることにした。

 

「殿下……精霊は、エルフを見捨ててなんていないんです。忘れてしまっただけなんです。言葉を伝える方法を……」

「……え?」

「そして……エルフの里の歴史や伝説が、口承や文献で残っていない理由もわかりました」

 

 妖精や精霊は、声の音階を使って俺に何かを伝えようとした。

 しかし、彼らは『言葉』を発さない。

 

「あー!あー!」

 

 音で何かを伝達するためには……

 音階だけではなく、意味を伝達する『言葉』がなければならない。

 

 妖精も精霊も声を発して他者に何かを伝達する以上……

 そこには意味を持った『言葉』が必ず存在したはずだ。

 

 しかし、今の彼らの声に『言葉』はない。

 彼らはおそらくは厄災の代償として失ったんだ。

 

 つまり、おそらく彼らの言葉は……

 

「歌です」

「……うた?」

「きっと、音楽が奪われる前……精霊や妖精、そしてエルフ達は……大切な思い出や歴史を歌で伝えていたのではないでしょうか」

 

 かつてエルフに精霊の言葉を伝えていた妖精たちが「あー」とか「うー」しか言えないのは……

 世界から音楽が奪われ、伝達という役割を持った『言葉』を含む歌を忘れてしまったから。

 

 だからエルフの里の歴史は、まるでポッカリと空いていた。

 残されたのは、歌とは呼べない断片的な音階しか発せられなくなった妖精や精霊と……

 音楽を失い、楽譜としての存在理由を奪われた紋様。

 

 これを説明すると、ララノア殿下は涙をぬぐいもせずに俺に漏らす。

 

「歌……」

「歌は何度忘れたって作りなおせます」

 

 音楽は何千年も人を魅了し続けた最古の芸術。

 

 戦争や災害で文化ごと消されたとしても、音楽というのはどこでも残り続けた。

 その理由は、音楽という存在が多くの人に求められ、愛されてきたからだ。

 

 その記憶が失われたとしても。

 きっかけさえあれば、必ず芽吹く。

 

『エルフに、音楽が無いのは残念だ……』

 

 あの時の俺に言ってやりたい……無いはずないじゃないかと。

 

 この森には、かつてエルフと妖精の歌で溢れていたんだ。

 ハープだって……いや、もっとたくさんの種類の楽器があったかもしれない。

 

 だってこんな神秘的な森には、ふさわしい音楽がなきゃおかしいだろう。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 その後、俺はエルフからの沢山の賛辞を浴びた。

 

 大門が開き、精霊と妖精がこの森に帰ってきたのだ。

 あんなに無表情だったエルフ達が嬉しそうに笑っている姿に、俺もつい笑顔がこぼれる。

 

 ただ褒めたたえられるだけの時間ってのは、照れくさいし、あまり得意でもなかった。

 俺達がフロリアへ戻ると伝えると王が改まって感謝を伝えてくれた。

 

「エルフにも、黒像の真実をちゃんと話しておこうと思う。ミナト、本当によくやってくれた」

「いえ……皆のおかげです」

 

 用事を済ませた俺達が帰り支度をしている間、俺の身体にはずっとたくさんの妖精たちが引っ付いていた。

 

「あーあー」

「きゃっきゃっ!」

 

 ずいぶん楽しそうなので、申し訳なかったが……

 ハウザー2世をケースにしまいながら、一匹一匹つまんで片づけを進める。

 

 しかし、つままれるさえ楽しいのか……

 妖精は手を離すと「もっかい!」と言わんばかりに俺の手にしがみついてきた。

 

 俺が妖精に悪戦苦闘していると、エルフのシルビアが俺に近づいて話しかけてくる。

 

「ミナトさん……あの……」

「シルビア……」

 

 シルビアは何かもじもじと照れくさそうにしていた。

 きっと感謝を伝えたいと思ってくれてるんだろう。

 

 しかし俺は、もう十分過ぎるほどエルフ達から感謝を貰っていたので……

 馬車に積んであったもう一本のギターを手に取り、彼女に渡した。

 

 それは交流会の後この森を出る時、シルビアから返されたあのギターだった。

 

 シルビアはギターを受け取ると俺に言う。

 

「ミナトさん、これ……」

「やっぱり、君が持っていた方がいいよ」

「……」

「今度こそ貰ってくれる?」

 

 するとシルビアは、綺麗な涙とポツリとこぼして……

 何よりうれしそうに、こう言った。

 

「ミナトさん……ありがとうございます」

 

 はじめて見たシルビアの笑顔は、俺の周りで飛び跳ねる妖精と同じくらい……

 無邪気で、少女らしいものだった。



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結末へようこそ

 エルフの森の一件から、もう3か月近く経過していた。

 その間、俺の周りでは本当に目まぐるしく色々なことが起きた。

 

 まず大きなことは、王宮からいくつもの勲章と称号を貰ったことだ。

 

 あまりに多すぎて覚えていないが。

 大樹の大門に描かれていた楽譜を解読したことで、考古学の勲章……

 エルフとアレンディルとの関係を取り持ったことで、外交とか平和に関する勲章……

 

 あと音楽のヤツとか、英雄がどーのってヤツとか。

 びっくりする金額の章品、記念品と一緒に……とにかく一杯。

 

 研究者が貰うような勲章も多かったので、チャドが偉く羨ましがっていた。

 自分もいくつか貰ってたくせに。

 

 しかしそれは、同時に多くの書類と対峙しなければいけないということでもあった。

 記念品の中には国宝級の逸品とかもあって、受け取るだけで簡単な儀礼にいくつも参加させられたりもした。

 

「……終わった」

 

 そして今、俺は王国の役人に手伝って貰い……

 王宮の一室で最後の書類にサインを済ませたところだった。

 

 中年の男性役人は、サインを見ると満足そうに微笑んだ。

 

「お疲れ様です。それにしても……こんな短い期間でこれほどの勲章を受け取った人はかつておりません……。ミナト様は本当に英雄ですな」

「俺の知ってる英雄は書類整理だけでこんなに疲労しないハズなのですが……」

「はははは、謙虚な英雄様だ」

 

 そう言うと、役人はまた沢山の書類の束を取り出した。

 俺が「またサインか……」という絶望の眼差しを向けると、役人はまた微笑みながら言う。

 

「これは控えの束ですよ。サインは必要ありません」

「よかった……」

「その中には、貴方の功績であるエルフ楽譜の論文認可証書も入っております。一応目を通しておいてくださいね。ははははは」

 

 エルフ楽譜の論文と言うのは、ざっくりと言えば俺が解読した楽譜の詳細をまとめた資料だ。

 

 勲章を受け取るためには、解読の経緯とか詳細をまとめた論文が必要で……

 さらにその論文が正しいかどうか、考古学や言語学を専門にした複数の学者達による検証と認可が必要だった。

 

 当然俺は正しい論文の書き方などわからなかったので、専門分野でもあるチャドにお願いすると……

 

 『異世界楽譜様式で見るエルフ言語とエルフ楽譜に関する論文』

 

 ……という、たいそう格式ばった論文を作ってくれた。

 つまり、俺は中身を見てもよくわからん。

 

「わかりました。理解できれば、見ておきます……」

 

 こうしてやっと会議室から解放され、俺がふらふらと王宮を出ると……

 外で待っていたアリスさんが俺の持つ書類の束を見て声をかけてくる。

 

「お疲れ様です。その証書の束を見ると……改めてミナト様の成された事の意味を実感いたしますね」

「そういうものかな。チャドが書いた論文もあるみたい」

 

 アリスさんは疲労困憊の俺を見ると、優しく微笑み……

 そのまま馬車で帰路につくことになった。

 

 しばらく走ると、アリスさんが馬車の窓から外を眺め、俺にこう言ってくる。

 

「ミナト様、本日は昼から月が良く見えますよ」

「月……?」

 

 俺も窓の外を見ると、月がアレンディル王国を見下ろしていた。

 元の世界に比べると、こちらの月は少し小さい。

 

 アリスさんはそんな月を見ながら俺に言った。

 

「しかし、音楽とは不思議なものですね」

「え……?」

「エルフの音楽は、月から計測したテンポで演奏されるのでしょう?」

「あぁ、そうだね。……BPM116」

「全く違う世界なのに、同じ月を持ち、そこから同じ着想を得て音楽に反映する……何か運命のようなものを感じますね」

 

 言われてみれば……確かにそうだな。

 俺も月を見ながら改めて感心する。

 

 どの世界でも、結局月は月。

 人間は人間なんだな。

 

(……って、あれ?)

 

「月……」

「どうかされました?ミナト様」

 

 俺は、目の前に見える小さな月を見てふと気づく。

 この世界の月の大きさが違うなら、そこから計測するテンポも変わらないだろうか?

 

 BPM116という月のテンポは、24.8時間で地球を周回する月の速度から計測している。

 この世界の時計が60秒で1分なのは確認済み。つまり太陽の周期は同じ。

 

 太陽が24時間周期で1分間60カウント。

 月の周期は24.8時間なので太陽の0.967倍、つまり60×0.967=58.02カウントとなる。

 

 メトロノームは1秒間を2カウントで数え、小数点以下を切り捨てるため58×2=116というわけだ。

 

 しかし、明らかにこの世界の月は元の世界よりも小さい。

 

(サイズが小さいのか、遠いかはわからないけど……周回速度も全然違うんじゃないだろうか)

 

 俺はふと気になって、チャドがまとめた楽譜の論文をペラペラとめくる。

 そしてそこに書かれていた事実を見て、つい……

 

「ふふ……」

 

 っと、可笑しくなり笑ってしまった。

 そんな俺を見てアリスさんが言う。

 

「どうされたんですか?」

「いや、楽譜の解読をしてる時……レナが言ってたことを思い出しちゃって」

 

 俺が、楽譜の解読に不安を持っていた時。

 レナが元気づけるために言ってくれたあの言葉。

 

『……奇跡って予想だにしないところから来るものなんです』

 

「予想だにしない奇跡か……」

 

 論文には、月のテンポの計測方法が記されていた。

 俺の世界と全く同じ計算式。

 

 しかし、月の速度は49.6時間。

 つまり……俺の世界の月と約倍の周期で動いていた。

 

 そうなると。 

 24時間÷49.6時間=0.4838709677419355

 60×0.4838709677419355=29(小数点を切り捨て)

 29×2=58

 

「この世界の月のテンポ……BPM58だったんだ」

「え……?それは……違うテンポという意味ですか?」

「いや、BPM116はBPM58のダブルタイム・フィールになってるんだよ」

 

 BPMとは分の拍数の事を差す。

 つまり1分間に何回クリックが鳴ったかの回数。

 

 ダブルタイム・フィールは読んで字のごとくそれが倍になった数。

 つまり元の世界の月とこの世界の月のテンポが、膨大な数の中で同じ整数倍の倍数であったという奇跡が起こっていた。

 

「BPM116は、BPM58の16分音符と同じになるんだ」

 

 そう、BPM58とダブルタイム・フィールになっているBPM116は、同じテンポでピッタシ倍の速度……ということ。

 

 しかし、俺はそれに気づかず演奏したのにも関わらず大門は開いた。

 

 つまり、精霊にとってみればテンポなんてどうでもよく……

 音階さえ合っていれば、おそらく門は開いたのではないだろう。

 

 可能性は低いが、あの『月の下』という言葉自体が、まったく意味の無い言葉だった可能性すらある。

 

 信じられない確率の奇跡が起こったのに、それを全く生かせない俺が英雄と呼ばれていること……

 精霊様が『テンポなんてどうでもいい!それより早く聴かせろ!』という、大味の音楽好きだったといういい加減さ……

 そして、そんなバカな英雄と精霊を称える証書の束があまりにも立派過ぎて……

 

 滑稽な自分の姿に、つい可笑しくなってしまう。

 

「なるほど……」

「ドヤ顔で月のテンポは116だって言ってた俺が恥ずかしいよ……」

「しかし、例え間違っていたとしても、大門を開きエルフと我が国との関係を取り持ったのは……貴方です」

「はは……それもレナの言ってた『予想だにしない奇跡』ってやつだね」

「えぇ、間違いなくミナト様が起こした奇跡ですよ」

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 この3か月間……

 色々なことがあったけど。

 

 やはり一番大きかったのはギターの本格的な量産体制が整ったことだ。

 城の工房棟にフロリア中の優秀な職人たちが毎日集まって、活気よく木材を削る様はいつ見ても飽きない。

 

 小売り業者とも契約を済ませ、ギターの流通も始まっていた。

 正直俺は王宮からもお金をもらっているので、無償であげてもよかったのだが……

 

「ばっかじゃないの!?ビッグビジネスのチャンスじゃない!」

「う……うん……」

「いい!?お金は大事よ!?それに工房員達にも給料を払わないといけないんだから、しっかりビジネスにするからね!」

 

 と、リリー工房長に叱られて今に至る。

 リリーは優秀な職人でもあったのだが、同時に商売人でもあった。

 

 城の工房で作られたギターは俺の名字であるサクライからとって、『サクラギター』と名付けられ……

 チューナーである音叉、ギター用テキストとセット販売となり、フロリア中に流通している。

 

 そして、工房に多くの職人が集まったことで、新たな楽器制作の目途も立ち始めていた。

 

 1週間前……

 俺が次に作る楽器の設計図を工房長リリーに伝えると、彼女は眉をひそめて聞いてきた。

 

「え!?こんな細かい部品を……こんなにたくさん!?」

 

 しかし、その楽器は細かい部品がたくさん必要で、なおかつ複雑な構造だった。

 

「しかも、ベースより太い弦が必要じゃない!サイズもかなり大きいし、全部スチール弦だし」

「弦はヴァルム爺に交渉しておいたよ……やってくれるってさ」

「同じ弦楽器のはずなのに完成図もギターとは全然ちがう……一体なんて楽器なの?」

 

 それは、元いた世界ではこう呼ばれていた。

 

 現存する楽器の中で、もっとも完成された楽器。

 それひとつでオーケストラ演奏ができる楽器とも。

 

 ギターの数倍制作も難しいだろうが、音楽普及のためには絶対に必要になる。

 その名は……

 

「楽器の王様……ピアノだよ」

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 こんな調子で、エルフの件から俺達の作業は順調に進んでいた。

 そして、もう一つ大切な計画が始まろうとしていた。

 

 俺はある日、レナを街に呼び出して……

 その計画について彼女に相談することにする。

 

 レナとの待ち合わせ場所は、フロリアの中心から少し外れた高台の広場だった。

 広場にはレナ一人しかおらず、塀のようなところから首都フロリアを眺めてた。

 

 その光景をみてアリスさんも気を使い、公園の外で待っててくれる。

 俺は塀から街を眺めるレナに近づいた。

 

「レナ」

「あ、ミナトさん!お待ちしてました」

 

 レナの横で、俺も街を眺める。

 首都フロリアは改めて見ると本当に広く、美しい街。

 

 もうこの世界に来てから、半年以上たったのか。

 

「急にどうしたんですか?ミナトさん今忙しいのに……」

「楽器制作はリリーに任せてるし……まぁ、王宮から依頼は来てるけどね」

 

 数日前、王宮から定期的に演奏会を開いてくれないかと依頼が来ていた。

 その話を聞いて、楽器を弾きたくてうずうずしてたチャドとティナはとても喜んでいた。

 

 大切な計画とは、まさにそれのこと。

 

「今回呼び出したのは……レナにお願いがあってさ」

「……え?」

「今後、バンドも演奏の機会が増えるし……レナもメンバーに入ってくれないかなって」

 

 それを聞くと、レナは瞳をまん丸にして俺を見つめる。

 

「え!?でも、私楽器はなんにも……」

「いや……楽器じゃないよ。実は、ずっと考えていたんだ」

 

 この世界で初めて出会ったレナ。

 彼女の声を初めて聞いた時、いや、その後もずっと。

 

 その美しい声に、俺は何度も勇気づけられてきた。

 

「ボーカル……つまり、歌を歌って欲しいんだ」

「歌……」

 

 レナは、真剣な表情で考える。

 ギターのオクターブチューニングを直すときもそうだった。

 

 自分にできるか、覚悟があるのか。

 彼女はすぐに答えを出さず、真剣に考えてくれる。

 

 本当にいい子だ。

 

「それと……もう一つ君に伝えなきゃいけないことがあって」

「伝えなきゃいけないこと……?」

 

 考え込んでいたレナが、きょとんと俺に視線を向ける。

 

「前にさ、レナが俺にお母さんの話してくれたこと覚えてる?」

「はい……」

 

『冬霜の時って夜は特に寒いから……お母さんが暖炉に火をくべながら、いつもお話を聞かせてくれるんです』

『まだ子供の時だったから、詳しい話は覚えてないんですけど。私はお母さんの話を聞くたびに安心して、寒い夜もぐっすり眠れたんです』

 

 100年の厄災で苦しみ続けた国。

 その厄災を、音楽という代償で退けた王。

 

 エルフ達の一件からしばらくたって、俺はレナの言葉を思い出したんだ。

 

 

『お母さんはあの時……どんな話をしてくれてたんだろな』

 

 

 音楽がない世界では、思いもしなかったけれど。

 

 この世界にも音楽が存在したことがわかった今……

 寒い夜……愛する娘を安心して眠らせるために母親がすることなんて一つしかない。

 

「レナのお母さんは……話じゃなくて、子守歌を歌ってくれてたんじゃないかな」

「……」

「寒くて不安な夜、俺の世界では子供に歌を聴かせてあげるんだ……それが子守歌」

「こもり……うた……」

 

 子守歌って不思議だ。

 世界中歌の文化はまるで違うのに、どこにでも当然のように存在する。

 

 どの国、どんな世界の母親も……子供を想う気持ちが歌になる。

 それはきっと自然なこと。

 

 人が音楽で安心するのは、きっととても自然な理なのだろう。

 

 だからこそ、音楽の世界には歌が必要なんだ。

 歌は音楽が創造する世界を、さらに広大にする可能性を秘めている。

 

 そしてこの世界初の歌姫は、俺が一番好きな声を持つこの子しかいないだろう。

 

 と、ふとレナを見ると……

 

「……レナ?」

「……」

「って……え!?」

 

 レナは表情を失ったまま、ポロポロと綺麗な涙を流し始めた。

 やばい!……と思ったが、俺はそれが悲しみから来るものでないとすぐにわかる。

 

 だから俺は、彼女の涙には触れず……

 自分がレナを誘う理由をちゃんと言葉にすることにした。

 

「レナの声は綺麗だし、きっとお母さんの歌も、そうだったのかなって思ってさ」

「ミナトさん……」

「ずっと決めてたんだ。バンドにボーカルを入れるなら、レナがいいって」

「……」

「だから交流会で他に演奏者が必要だった時も……。なんだか……レナだけは楽器を弾いてるイメージがわかなくってさ」

 

 するとレナは涙を拭いて俺に言う。

 

「ミナトさん、貴方がこの世界に来てくれて……本当によかった」

「おおげさだな……」

「大げさなんかじゃありません!本当にそう思ってるんです」

 

 そして決心したようにレナは言う。

 

「お母さんの子守歌はもう聴こえないけど……私が歌うことはできる」

「……」

「だってミナトさんが、この世界に『音楽はこんなに素晴らしい』って教えてくれたから」

 

 真面目な顔で言われると……やっぱり少しは照れるもので。

 俺が恥ずかしさで視線を外すと、レナも顔を赤くして街を見下ろした。

 

 クソ真面目で、頑張り屋なレナ・キーディス。

 好奇心旺盛で快活なチャド・ボーナム。

 ひねくれてるけど、誰よりひたむきなティナ・バルザリー。

 

 うん、最高のバンドになるよ。

 大丈夫。

 

 そして俺はレナに感謝の意味を込めてこう言った。

 

「レナ。俺が最初にこの世界に来た時……こういってくれたよね?『異世界にようこそ』って」

「え?はい……」

「じゃあ俺にも言わせて」

 

 まだまだ全ては始まりに過ぎないのだろう。

 そう、だからこそ改めて言葉にする必要もあるってものだ。

 

 これまで俺は自分から何かを始めることなんてしたことなかった。

 だけど今は、目の前にあることがやりたいことだらけでウズウズしてる。

 

 それは、きっとレナがあの時……

 「ようこそ」って言ってくれたからだと思うんだ。

 

 

 

「音楽へようこそ」

 

 

 

 

ー第一章 音楽へようこそ 終章ー




 はじめまして、大野原幸雄です。
 ここまで読んでいただきありがとうございます。

 『異世界音楽成り上がり』を思い立ってから、このあとがきの投稿までピッタリ2か月。
 思い立ってから本当にすぐ書いてここまで来てしまいました。

 私は今まで異世界転移&転生モノを書いたことがなく、誰かに読んでもらうことを意識して小説を書いたのも初めての経験でした。
 誤字脱字も多く、決して上手くない文章をここまで読んで頂いただき、読者の方には感謝しかありません。


■今後の『異世界音楽成り上がり』について■

 最初から30話前後で完結させることを考えていました。
 しかし今は投稿を続けながら続きを妄想していて、今では必ず書きたいと思うようになりました。

 プライベートの都合上、執筆と投稿を並行して続けるのは難しく、投稿するのであればまた時間を空けてということになります。
 
 粗削りな部分が多かったので、もしかしたら改め1から書き直したものを投稿する形になるかもしれません。
 物語の流れは極力変えず不必要な部分を削る方向で、より読みやすく多くの方に楽しんで頂ける内容にしたいと考えています。

 改めて読んで頂きありがとうございました。

■ハーメルンでの掲載について

 初めてちゃんと書いた小説だったので、30件ほどのブクマは非常に励みになりました。
 サイトの使い方もちゃんと理解しておらず、本当に思い付きで始めてしまったので見苦しい点などもあったかと思います。

 今後『異世界音楽成り上がり』の再投稿をするようになりましたら、改めてよろしくお願いいたします。


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