結婚したくないので異世界移住 (鴨鶴嘴)
しおりを挟む

プロローグ

 日本人は現状維持志向が強いらしい。何かを妥協すれば飢えることは無いし、月額500円から上質な娯楽が消費を上回るほどに溢れている世の中だ。銀行口座の預金が楽に100万を越えてからは心に余裕も生まれ、世間が円安ガー石油価格ガーと嘆こうとも、現代の若者が腑抜けてしまうのは仕方ないことだろう。

 

 そして、多分に洩れず俺の人生も安定期に入り、この素晴らしきオタクライフを今日も満喫しているのだった──

 

「見合い話を組んだから、荷物持って金曜の夜から家に泊まりに来い」

 

「はぁ!?」

 

 久し振りな父親からの電話は、まさに青天の霹靂だった。

 

 人生を一つの紙コップに例えると、仕事・睡眠の二つの石がまずコップの中に入り、風呂・食事等の砂が石の隙間を埋め、余地にオタク趣味という水が占めているのが俺だ。彼女なんて勿論いないし、結婚なんてしようものならたちまち俺の人生は降り注ぐ隕石によってキャパの破綻、破壊と創造の終末世界を迎え、新たに生まれ変わったナニカはもはや俺とは呼べない別人になるだろう。

 

 型にタラタラ流し込まれて焼かれるたい焼き君だって、明日から鉄板の型をすげ替えてサバ焼き君になれと言われたら抵抗する、これは不当な侵略なのだから。故に正義はこちらにある。命短し、趣味せよオタク。

 

「冗談で誤魔化そうとしているみたいだが、バックレたらタダじゃあ済まさないからな?そのつもりでいろよ。あと、身嗜みにお金かけて準備しておくように。そんなワケだから、元気でな」

 

「アハハハハ……」

 

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 

 お互いのプライベートな時間を割いて女の子を相手に会話をしたのなんて、一年前に一度あったきりで、さらに遡ると学生時代という筋金入りの喪男が俺だ。その一回だって姉の職場の後輩を受動的に紹介され、二人きりだと怖いと姉と一緒に三人で鰻を食べて奢り、公園で入れ食いな鯉に餌をやって、送りの会話は美肌美容トークで盛り上がり、結局LINEの一つも聞けなかったヘタレっぷりだ。

 

 しかし、逃げて父親を本気で怒らせるのは後が怖い。家の倉庫を借りて保管しているタイヤを雨ざらしにされるぐらいの嫌がらせは覚悟しないといけない。そしてなにより、貴重な土曜日の時間をわざわざ割いてまで、新たに始まる恋の予感にちょっぴりの期待で頬を染めるまだ見ぬ黒髪の乙女を相手に、不誠実な態度をとるほど俺は見下げ果てたヤツじゃあないと自分を信じている。

 

 結局のところ、お見合いなんてうまくいくワケが無いのだから、オタクライフが脅かされるのは杞憂に終わることだろう。

 

 だから俺が今、真に考えるべきなのは父親が用意するであろう第二第三のお見合いへの対策なのだ。

 

 昨日から何かいい手は無いかと、ウンウン、夢見に唸るほど悩み続けて、時間潰しのホットコーヒーを買いに入ったコンビニの朝刊の傍を通り過ぎかけ──新聞の大きな見出しに視線を奪われた。

 

「こ、これだ……。すみません、会計お願いします」

 

 

『外務省、第3期異世界移住者募集』

 

 

 新聞を力強く握り締めた俺は駐車場の車内へ急いで戻り、出勤のギリギリまで携帯でより深く調べて、不可能ではないと結論を出すと、ぐへへ、とゲスな笑みを浮かべずにはいられなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。