アーネンエルベの兎 (二ベル)
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番外
番外:聖夜祭のはなし


アルフィアがクリスマスの歌を歌っているのを想像してしまったので。


 

 

 

ふぅ、と白い吐息を漏らして雪景色に染まるストリートを歩く。

義母の形見のストールを巻き、コートの中に手を入れて、石畳に積もっては踏み固められて少し汚くなっている雪を蹴り飛ばす。

 

周囲に視線を巡らせれば、建物伝いにかけられているロープには怪物祭の時のように種類様々な『旗』が飾られていたり、小さな、ただ光るだけの『魔石灯』が飾られて都市内をいつもとは違う様式で静かに照らしている。神様達が言うには、『いるみねーしょん』というものらしい。

 

 

季節は、冬。

オラリオが雪景色に染まる頃、街並みが煌びやかに飾り立てられ、全ての方々が楽しみ、騒ぎ、歌う、年に一度の祝祭――『聖夜祭』が行われる。

 

大きな広場では、巨大な『クリスマスツリー』が設置されていて、『玉』『箱』『星』『リボン』『靴下』といった飾りがつけられ、これでもかと『いるみねーしょん』を巻きつけては照らし、ツリーの下には、大き目の箱が置かれている。ツリーは聖夜祭の象徴で、毎年ギルドが力を上げて飾り付けをしているのだと、アーディさんに教えられた。なお、箱は飾りなので中身は入っていない。中身を確認してガッカリする子供たちは必ず現れるのは恒例だし、男女のペアが夜になるとどこかへと消えていくのも……恒例だ。曰く、『聖夜祭』にして『性夜祭』だとか『聖なる夜』にして『性なる夜』だとか言われているらしい。

 

僕はそんないつもとは違う街の雰囲気を肌に感じながら、再び歩く。

【ファミリア】に入って初めての『聖夜祭』のことを思いだしながら。

 

 

 

 

×   ×   ×

【アストレア・ファミリア】加入当時

 

 

 

「ベルにプレゼントを贈るわ!」

 

「「「「…………はい?」」」」

 

 

外でしんしんと雪が降り注ぐ中、『星屑の庭』の団欒室では少女達が集っていた。

その中で薄い胸を大きく張って開口一番に思い付きで喋っているような提案をするアリーゼに対して、団員達は間を開けて首を傾げた。突拍子もないし、事前にそんな相談もないし、別に物を贈るのは悪いことではないけれど……と少女達は「急にどうしたの?」といった顔を隠しもせずアリーゼに向ける。するとアリーゼは、大きな溜息をついてから人差し指をピンっと顔の横に立てる。

 

「いい? ベルが【ファミリア】に入って初めての『聖夜祭』よ?」

 

「それが……何か?」

 

「リオン、あの子の歳はいくつ?」

 

「確か6歳かと」

 

「そう! 甘えたい盛りの可愛い私達の癒し! あのクリっとした赤い瞳に見つめられたら私達は一撃で撃ち落とされるわ! 胸を抑えたくなるのよ!」

 

「病気ですか? いい治療師を紹介しますよ、マリュー・レア―ジュと言うのですが」

 

病気はあんたの反応の悪さよ、とリューに対して若干の青筋を立てるアリーゼ。

マリュー当人は「あらあら、ちょっと見てあげましょうか?」なんてのんびりとした声音で言うが、そういうことではないし私は元気よ? とアリーゼは口元をひくつかせながら返す。マリューは【星灯りの聖母(デミ・ウィルゴ)】という二つ名に相応しく派閥内では唯一の治療師だ。治療師としての腕は語るまでもなく、広範囲回復魔法も使える彼女はまさしく派閥の生命線であり彼女さえ無事ならばどんな状況だろうが立て直せると言わせることができるほどだ。そんなマリューはニットワンピースを着用し深々と長椅子(ソファ)に座ってココアの入ったマグカップに口付けをしてからアリーゼに顔を向けて口を開く。

 

「アリーゼちゃんがいきなり突拍子もないことを言うのはいつものことだけれど、ベル君が6歳なのと『聖夜祭』に何か関係があるの?」

 

「そうそう、イマイチよくわからないんだけど……ほら、私達って今まで女所帯だったわけだし」

 

「そりゃあ、あの子は【ファミリア】の愛玩兎(マスコット)だけどさ? 異性のことなんて私達、碌に知らないよ?」

 

「股間に槍がぶら下がってるかどうかの違いでしょうに」

 

「「「「輝夜は黙ってよっか」」」」

 

「あいつにカツラをかぶせてワンピースでも着せてみたらどうです? よくお似合いかと思いますが」

 

「「「「やっぱ輝夜もっと喋っていいよ」」」」

 

マリュー、ネーゼ、リャーナときて、下ネタをぶち込む輝夜に仲間達は「ぶっほぉ!?」と吹き出しかけながら輝夜から発言の一切を禁じようとして、可愛い弟分を可愛い妹分に……なんて妄想をさせられて全てを許す。親が親だからか、素材はいいのだ。素材は。ましてや少女達の中でも一番化粧が上手く、雄よりもお洒落好きな女戦士(アマゾネス)は「あれは原石だよ」と言うのだ。少女達が、ならば女装させてみたいと思ってしまうのは仕方のないこと。

 

話が何度も脱線してしまうために小人族(パルゥム)のライラがやれやれ、と首を横に振ってから「で、アリーゼは何がしてえんだ?」と彼女の真意を問うた。

 

「昨日の晩なんだけど、お風呂上りのアストレア様とベルが話をしているのを聞いたのよ」

 

長椅子(ソファ)でアストレアに髪を拭いてもらっているベルは気持ちよさそうな声を漏らしながら、外がキラキラしているのはどうして? とか、大きな木にいっぱい物が……ゴミですか? などと「どうしてどうして? なんでなんで?」と聞いてはアストレアにそれは『聖夜祭』という行事なのだと教えられているのをアリーゼは聞いたのだ。あろうことか飾りをゴミと認識してしまったのにはズッコケそうになったが、まあ木にいろんな物がぶら下げられていれば不法投棄を連想してしまうのも無理はない……のだろうか?と自分に無理矢理納得をさせた。その後、改めてその会話の内容を思い出してアリーゼは思い至ったのだという。

 

「ベルは『聖夜祭』を知らないのよ! 別にオラリオじゃなくたって神様はいるんだから、似たような催しはあるはず! でも、ベルの世界って今まで滅茶苦茶狭かったわけでしょ?」

 

「まぁ……『大神』と【静寂】と【暴食】くらいしかコミュニティなかったわけだしねえ」

 

少女達にとって『聖夜祭』とは割と重要度が低いイベントでしかない。

何せ恋愛には無縁だし、いい男!と思えるような出会いもない。

ダンジョンに出会いを求めてみたところで、大概の問題は自分達で対処できてしまうので危機的状況を颯爽と助けられて「トゥンク!」なんてことも起こり得ない。起こり得たところで、「やあ君達、こんなところで会うなんて奇遇だね」と爽やかに髪を揺らす小人族(フィン)とか「何じゃ小娘共、こんなところで行き詰っておるのか? ハッハハハハ! まだまだじゃのう!」とドワーフ(ガレス)といった知己が出てくるだけだ。そんなの全然嬉しくない。なお、【フレイヤ・ファミリア】だとどうだろうか、と一度妄想してみたこともあったが、少女達はただイラッ☆とするだけだった。だってあの派閥、助けるどころか自分で解決できないくらいなら潜ってんじゃねえなどと暴言を吐きかねない人間がいるからだ。そもそも助けてくれるということがあったのなら、それそのものが異常事態だ。

 

兎にも角にも、カップルがハッスルだけのイベントなんて少女達からしてみればどうでも良いもので「どうしてこんな時にまで治安維持しなきゃなんねーんだコラ」とか「てめえらの股間の秩序も守ってやろうか」「オラァ、風紀が乱れてるぞぉ!」とか恋人たちに向けてパイを投げつけたい衝動にかられるくらいには、関心度が低いしできれば外出したくないイベントなのだ。なんなら魔石製品(マイク)を使って「今年のクリスマスは中止です!」と言ってやりたいし「今年のクリスマスはドドバス一色に染めてやる!ノーモアチキン!!チキンの代わりにドドバスを食べろ~!!」と言ってやりたくなるのだ。

 

そんなことをしてしまえば、少女達はいよいよ喪女に進む一方だが。

 

 

「それにベルってば、オラリオでの生活にようやく馴染んできたって感じだけど、環境の変化でよく体調崩したりしてたでしょ? だから喜ばせてあげたいのよ」

 

「なるほど、団長様の言いたいことはわかりました」

 

「なるほどな、確かにあれくらいのガキンチョからしてみれば環境の変化ってのはつれえ……つれえか?」

 

「辛いんじゃない?」

 

「私んときはそれほどでも…………だって天井からわけわかんねえ滴啜って、バレねえようにこそこそ生きて……悪い やっぱ辛えわ……」

 

輝夜がなるほど、と頷き、ライラが体調を崩すことが辛いのかとよくわからなさそうに首を傾げ、自分の境遇を思い出し、頭を抱え込む。仲間達は何かを察し、隣に座っているセルティやアスタがライラの背中を摩った。

 

「そりゃ 辛えでしょ」

 

「ちゃんと言えたじゃないですか」

 

「聞けて良かった」

 

「ネーゼ、セルティ、アスタ…… どうもな。私、おまえらのこと好きだわ」

 

「「「「ライラがデレた」」」」

 

やめろよ馬鹿野郎恥ずかしいだろ、とライラが頭をガシガシ搔きむしり、何度目とも知らぬ脱線を軌道修正。それで、考えはあるのか?というライラにアリーゼはニッコリと白い歯を見せてハッキリと言った。

 

 

「ないわ!」

 

「はい、解散」

 

 

 

正直に()()()()()()()()()ことをぶちまけたアリーゼに、全員が白け、ライラが解散を促し、わぁあああ、待ってお願い待ってくださいとアリーゼが絶叫した。私も男の子の喜ばせ方なんてわからないから皆で考えようと思ったのよ!と喚き散らす。

 

 

「殿方の悦ばせ方……と言われましても」

 

「輝夜、字が違う」

 

「リオン、お前脱いでリボンでも巻いてあいつのベッドで待っていたらどうだ? あいつ、金髪のエルフを見て瞳をキラキラさせていたぞ? クソが」

 

「今……クソが、と言ったか?」

 

「いいえ、なーんにも言っておりません☆」

 

「輝夜ちゃんにリオンちゃんも落ち着いて! 第一、ベル君はまだ()()()()()はわからないし早すぎるでしょう? ここはまず、『聖夜祭』で何をするのかを改めてリサーチするべきじゃない?」

 

「と言ってもなあ……カップルがやたら目につく日って認識が強いしなあ」

 

 

うーん、と頭を悩ませる少女達。

ここにきて、そもそも『聖夜祭』って何するの? という疑問へと至っていた。

結果、少女達は外出の準備をすると各々がそれぞれ顔の知れている【ファミリア】――知己やその主神へと助言(アドバイス)を貰いに行った。団欒室、その隅の方で一人読書をするベルの保護者(アルフィア)がいることに目もくれずに。

 

「騒がしい小娘共だ」

 

そういうアルフィアの口元は、わずかに笑みを浮かべていたことは誰も知らない。

2時間後、少女達は本拠に帰還する。

寒い寒いと手を摩り、暖炉の前で固まる少女達は互いの頬や首に冷え切った手を当てては悲鳴を上げて、暖を取り合う。そして、再び『聖夜祭』についての会議が始まった。

 

「ちなみに、ベルとアストレア様は?」

 

「【デメテル・ファミリア】の本拠にいたわ~。アストレア様とデメテル様がお茶してる横でアストレア様に寄りかかってうたた寝してたわ」

 

「じゃあ、まだしばらくは帰ってこないわね。それじゃあ各々、情報を交換しましょうか!」

 

「たぶん、ダブる可能性あるよ?」

 

「それはそれでいいのよ、ノイン。 要は、『聖夜祭』の時は何をすればいいのかって話で、ベルに……ちびっ子に何をしてあげるかって話なんだから!」

 

「同じ情報があれば確信も持ちやすい……では、言い出しっぺの団長からお願いいたします」

 

 

~アリーゼ・ローヴェル~

 

「私は【フレイヤ・ファミリア】に行って来たわ! とは言っても、お目当てはザルドなんだけどね」

 

アリーゼはベルにとっての叔父的存在―血の繋がりはない―であるザルドの元へと訪れていた。当初は【ロキ・ファミリア】にいるかと思っていたが、どうやらこの日も【猛者】をしごいていたらしい。突然、付与魔法《アガリス・アルヴェンシス》を纏って戦いの野(フォールクヴァング)に現れたアリーゼに誰もが唖然呆然。なんだこいつ、いきなり戦争でもはじめようってのか?と訝し気に武器まで構えられたがアリーゼはどこ吹く風。伊達にアルフィアを前に騒がしいだけのことはある、とザルドは内心関心を寄せた。

 

「ねえザルド、『聖夜祭』って何するのか知ってる?」

 

「………何?」

 

事情説明中(カクカクシカジカ)

 

「―――クッククク」

 

「な、何よ」

 

「いや、すまん……そうか、『聖夜祭』か。もうそんな時期か!」

 

「え、忘れるってこと……ある!?」

 

「忘れるも何も、俺達はオラリオに戻るまで4人で生活をしていたんだ、イベントがあろうが生活に変化が起こるわけでもない。ベルの誕生日を祝いこそすれ、だいたいゼウスが騒いでアルフィアが吹っ飛ばして台無しに終わる! ベルは気絶する! だから忘れても仕方がない!」

 

ハハハハハ! と笑う大男にアリーゼは「誕生日ぐらい気絶で終わらせないであげてよ」とベルに対して憐憫を感じた。一通りの事情を理解したザルドは『聖夜祭』といえば、といった感じでアドバイスを始める。

 

 

仲間達で情報を持ち得るのなら、俺は『食事』をアドバイスさせてもらおう。

『食事』は重要だ。

お前達は『聖夜祭』には何を食べる? いつも通り? 生きてて楽しいのか、お前達は。

……言い方を変えよう。『冬』といえば何を食べる? シチュー? ああ、それもいいな。 シチューやグラタン、極東なんかでは『なべ』というのをやるらしい。調理器具の鍋のことかだと? まあ、そうだな。それでいいだろう。そこに出汁を入れ、肉やら野菜やらいろいろ入れるらしい。最後には『米』か『麺』を入れて綺麗さっぱり食べきるのだそうだ。しかし『聖夜祭』ならば、シチューかグラタンのほうがいいだろう。

待て待て待て、「じゃあシチューを作ればいいのね!」で終わらせるな。

それだとただの『冬』の定番で終わる。

お前達が求めているのは『聖夜祭』にちなんだことなのだろう? ならば、シチューと別に一品くらいは追加しろ。そうだな……鳥肉だな。骨付きのもも肉でガブリとかぶりつく。こういうのがあると、『特別』感が生まれて記憶にも残り、季節が巡る度に思い出しやすいはずだ。

 

 

「なるほど……骨付きのもも肉ね……他には何かある? 要は、ちょっと豪華にすればいいのね!」

 

「あとは……そうだな、あいつは甘いものが苦手だから大して食わんだろうが、『ケーキ』だ」

 

「ケ、ケーキ!? い、いいの!? 食べても!?」

 

「逆にいつ、食べるというんだ……」

 

「ロ、ロロロ、ローソクはいくつつけていいの!?」

 

「いらんわ!」

 

 

~終~

 

 

 

「というわけで、マリューには骨付きのもも肉をガブッといけるように料理してほしいのよ!」

 

「ケーキは私も聞いたよ」

 

「私もです」

 

「同じく」

 

アリーゼの説明を聞き終え、マリューが「デメテル様のところで似たような話を聞いたような~」と何となく料理のイメージを思い浮かべ、ノイン、セルティ、アスタが同じことを別の所で聞いていたと手を上げた。

 

「私は普通の……イチゴが乗ってるのがいいんだけど皆は何がいい?」

 

「チョコレートがいいなあ」

 

「私はモンブラン」

 

「チーズケーキかなあ」

 

「皆バラバラね……じゃあ、カットされたやつを買うってことでいい?」

 

「アリーゼ、ケーキは『ぶっしゅどのえる』というのでは駄目なのでしょうか」

 

「ぶっしゅ………なにそれ、ケーキなの?」

 

「ええ、切り株の形をしたケーキで―――」

 

 

ベルの好み以前に自分達の好みを優先し始めた少女達。

リューがおずおずと手を上げてケーキの名称をあげると数人が首を傾げたため、リューは聞いてきた情報を皆に話すことにした。

 

 

~リュー・リオン~

 

 

「というわけでしてアンドロメダ、どうにかなりませんか?」

 

「なにがというわけでなのか小一時間ほど聞きたいくらいですが……何なんですか、貴方達は。私を困った時のお助け道具だと思っていませんか?」

 

「貴方の派閥は外で広く活動している。ならば知っていることも多いと考えました」

 

「もっともらしいことを」

 

 

カフェテラスでティーカップに口をつけてから白い息を吐くアスフィにリューは申し訳なさなど微塵も表に出さずに問うていた。場所は『豊穣の女主人』。どうしたものかとストリートを歩いていると偶然にも知己のアスフィを見つけたリューは、彼女を捕まえて尋問もとい、相談をしていた。『聖夜祭』とは何をすればいいのか、と。

 

「そもそも、何がしたいのです? 今まで貴方達にはそういった話はなかったはず……【ファミリア】の中で、めでたく男性と出会えた方が?」

 

それはおめでとうございます。と世間話をするような感じで言うアスフィにリューは首を傾げて「ええ、まあ、男性と出会いましたね。全員が」と返すとアスフィは口から紅茶を吹き出した。リューの顔はビチャビチャに。アスフィは変なところにでも入ったか何度も咳き込んで眼鏡がズレ落ちてしまっている。

 

「……アンドロメダ」

 

「い、いえ、すいません……いや本当に。え、というか、え、え……え? リオン、貴方もですか? その、男性と……?」

 

「? 何故そんなあり得ないものを見る顔をするのかわからない」

 

「あ、貴方に触れることのできる男性が……?」

 

「ええ、今朝も(頬を)撫でてきました」

 

「な、撫でッ!?」

 

若干、何か馬鹿にされているような気がしたリューは剣呑な眼差しを向けながら馬鹿にしないでほしい。こちらは恥を忍んで聞いているのだからちゃんと真面目に答えて欲しい。と言うとアスフィはごくりと生唾を飲みこみ、あの【疾風】のリオンに色恋が……いえ、しかし確かに彼女の言う通り、馬鹿にしていい話題ではない。ええ、ここは私の知りうる全てを出し尽くして彼女の力にならなくては。と真剣モードに切り替えた。彼女達のやり取りを遠目から見て、聞いていた女主人は彼女達が立ち去った後にこう言った。

 

「あのバカ娘共はどうしてああもすれ違いながら会話ができるんだい?」

 

と。

 

 

 

リオン、私がおすすめするのは『ケーキ』です。

それもただのケーキではなく『聖夜祭』では定番と言うべきかもしれないケーキ、そう、『ブッシュドノエル』。

どのようなケーキかと言われれば、切り株を模したものだとイメージしてもらえれば。こら、その木刀で木を伐採しに行こうとしない。

何故切り株なのかって? 所説ありますが……『聖夜祭』に燃やした薪の灰が厄除けになったから、樫の薪を暖炉で燃やすと無病息災になるという言い伝えがあったから、などと考えられているそうです。また、()()()()()()()()()が買えなかった貧しい青年が薪をプレゼントしたからなんて説もあるそうです。

まあどうせ、この辺りも神々が広めたものでしょうから本当かどうかはなんとも言えませんが……ほら、このお店にも『聖夜祭』限定メニューとして売りに出しているでしょう?

作れるのであれば作ればいいでしょうが、まあそこは人それぞれですね。

私は面倒なので買いますが。

では、そのリオン……お幸せに。

 

 

 

~終~

 

 

「というわけでして、定番らしいのでそれが良いのではないかと。シルにも『ノエル』っていいよね~と言われました」

 

 

ふふん、どうです私だって聞き込みくらいできるんですよ? と無表情に近いドヤ顔をかますリューに、誰もが思った。「めっちゃ勘違いされてねえか?」と。これ後日、アスフィに「おめでとう!」とか言われるんじゃね?と。

 

「確かにその手のお店でもその……のえる? っていうのを是非買って!って感じを出してたな。あれ、切り株だったんだ」

 

「ではケーキと料理は決定でよろしいのでは? 他の皆もだいたい似たような情報でしょう?」

 

ネーゼが腕を組んでうんうん唸り、だいたい全員が似たような話を聞いてきたのならもう良いのではと輝夜が言う。アリーゼは何か重要なことを忘れている気がする……としたところで、離れた位置から声がかかった。

 

 

「小娘共、そもそも『贈り物』と言っていなかったか?」

 

ピクッと肩を跳ねさせ振り返った先にいたのは、読書をしていたアルフィアだ。

彼女の座る長椅子(ソファ)、その横には既に5冊を超える分厚い本が置かれていた。

 

 

((((何時間読んでたのこの人))))

 

 

「アルフィアは……その、ベルに何かしてあげたことってあるの?」

 

「…………」

 

ぷいっと顔を反らすアルフィア。

ああ、ないんだなと全員が口にせず察する。

特訓というものをしたことがないから、勝手がわからんなんて言うくらいだ、贈り物をするとなってもそもそも何を贈ればいいのかわからないのだろう。才禍の怪物と言われど母親としてはまだまだレベルが低いようだった。

 

「りょ、料理とかしてあげたことh―――」

 

「ザルドにやらせていた」

 

「あ、遊んであげたりとk―――」

 

「ザルドにやらせていた」

 

「『聖夜祭』っぽいことh―――」

 

「やけに髭に飾りをつけたゼウスが鬱陶しかったからザルドごと吹っ飛ばしていた」

 

 

嗚呼っ、なんてことだ!

大神ゼウスはベルに『聖夜祭』っぽいことをしようとしていたんだ! だって聞いたもん! 『聖夜祭』の夜は長いお髭を蓄えたお爺様だか赤とか緑の帽子をかぶった配管工が煙突から不法侵入して枕元に靴下とか箱を置いて立ち去るって! 【アストレア・ファミリア】としては見逃してはいけない事案だから見回り強化しようかとか考えていたんだ! でも偶然出会ったミアハ様が「これこれ、それは実は身内だったりするものだ……ふむ、これは夢が壊れてしまうな。今のは聞かなかったことにしておいてくれ」とか言ってたもん! じゃあゼウス様がゼウス様なりにベル君に一年に一度のイベンドを決行しようとしていたってことじゃん! アルフィアお義母さん何してんの!?

 

皆の心の声が口から漏れそうなほどのあれこれがそこにはあった。

言ってもどうせ魔法的に黙らせられるから言わないけど!!

 

 

「じゃ、じゃあアルフィアも一緒にやりましょうよ! 【ファミリア】なんだし……そう、パーティ!」

 

「お前達だけでやれ。私は騒がしいのは好かん」

 

「いやいや、お前がいなかったら兎が気にするだろうがよー」

 

「……私はいつ死ぬかわからん身だ。私がいては思い出すたびに悲しむだろう。ならば、私は遠慮しておくべきだ」

 

「いつ死ぬかわからんのであれば、せめて最後の瞬間まで息子との思い出を作れ阿呆」

 

「そうよー、お義母さんのいない思い出のほうが寂しいわ」

 

「………」

 

 

少女達に言い含められていくアルフィア。

普段ならば【福音(ゴスペル)】と一言(ワンワード)で黙らせるところだが、ベルを出されてはどうしようもない。アルフィアは溜息をついて、ああ、わかったいればいいのだろう? と言うと少女達は笑みを浮かべた。

 

「じゃあ、あとは皆でそれぞれプレゼントってことでいい?」

 

「全員があれこれあげると邪魔にならねーか?」

 

「全員で予算決めて何か一つあげるってこと?」

 

「武器の方がいいでしょうか?」

 

「あの子はまだ『恩恵』を刻んでいないぞ、馬鹿リオン」

 

「ですが、男の子は『刀』などを好むと……」

 

「怪我したらどうするのよ」

 

「む………」

 

「そういえば、派閥内で『プレゼント交換』っていうのをするらしいけど?」

 

「うーん、魅力的だけど今回はナシ! 今回はあの子のためにするの! でもそうね、寝込みにやるのがいいのよね?」

 

「なんか違くねーか? いや、言いたいことはわかるけどよ」

 

「枕元に置いておくんだっけ? 靴下」

 

「誰のをあげる?」

 

「「「「誰の?」」」」

 

どうして靴下なのかわかっていないのは全員だった。

なんかそうらしいと聞いてきただけで、その理由は不明。

だからだろうか、アリーゼが「脱ぎたてでもあげるの?」と首を傾げ、アルフィアの機嫌がわずかに悪くなった。

 

「ま、まあ……そうね、買物行った時にひょっとしたらわかるかもしれないわ! だからそうね……うん! アルフィアはアルフィアで、私達は私達【ファミリア】からってことでプレゼントを用意しましょう!」

 

「「「「了解」」」」

 

 

結局のところ、何を贈ればいいのやらと買出しに出た少女達は『トナカイ』を模したらしい着ぐるみのパジャマを見つけ「これだ!」と即購入。店員に事情を説明するとアリーゼ達にもわかるように説明してくれて、大き目の箱に梱包、ラッピングをして渡してくれた。主神のアストレアにも事情を説明するとベルが寝静まったら教えてくれると言ってくれたため少女達はその日、『さんたくろうす』なる髭を蓄えた老人が着ている戦闘衣装(バトルクロス)―女性用にデザイン変更されたもの―を着用し、【アストレア・ファミリア】の『聖夜祭』が行われた。

 

 

「くーりすますが、今年も、やってくる」

 

「待て待て待て待て!?」

 

「怖い怖い怖い怖い!?」

 

「楽しかったっ」

 

「あれ……走馬灯が……」

 

「出来事をっ」

 

「ア、アルフィア、落ち着いて欲しい……! 貴方のサンタ衣装を用意したのはアリーゼだ! 何故貴方のスリーサイズを知っているのかはわからないが、私達は悪くない!」

 

ジェノスアンジェラス(消し去るように)

 

「ごめんごめんごめんごめん!! でもお風呂でばったり裸のアルフィアを見た時、うおっ、えっろい身体とか思っちゃったんだから仕方ないじゃない!」

 

 

女神アストレアからは、手編みの手袋が。

少女達からは『トナカイ』のきぐるみパジャマを。

そして、アルフィアからは。

 

 

「おかあさんにプレゼント」

 

とベルがアストレアと共に買って来たらしい『ストール』を渡され、結局何を上げればいいのかわからなかったアルフィアは自分が使っていたストールをベルに交換する形で贈ったのだった。お古ではあるが、ベルは非常に喜んだ。なお、ザルドはガチでつけ髭をつけ、窓から侵入しようとして、はしゃぎすぎて疲れて眠ってしまったベルの寝顔を見に来たアルフィアに見つかり迎撃された。

ザルドからのプレゼントは『恩恵』のない子供でも持てる模造剣だった。

翌朝、枕元にあった模造剣ときぐるみパジャマの入った箱を抱えて団欒室にやってきたベルを見て少女達とアルフィア、そして女神はほっこりした顔をするのだった。

 

 

 

×   ×   ×

 

 

 

白く染まったストリートを進んでしばらく。

僕は冒険者墓地に足を運んでいた。

正確に言えば、冒険者墓地から奥に進んだ場所で、木に隠れているような知っている人しか知らないようなそんな場所。

 

「久しぶり、お義母さん」

 

廃教会を大切な場所だと言っていたお義母さん。

だからそこをアストレア様は土地ごと買ったけれど結局お義母さんはそこを墓場にすることを良しとはしなかった。曰く、「大切な場所だからとそこを墓場にしてほしいわけではない」らしくて良く分からないけれど、僕が来るたびに悲しむんじゃないかとお義母さんなりに気を遣っていたのではとアストレア様は言っていた。けれど、やっぱりお義母さんはお義母さんで天に還っても騒がしいのは嫌だというのだから、沢山のお墓があるこの場所でそれでも離れた位置にお墓をというのはきっと妥協なのだろう。

 

膝を曲げて今年も来たよ、とずっと大切に持っているストールに手を触れて初めての『聖夜祭』のことを思いだす。着ぐるみ姿の僕を見て、アリーゼさん達は「きゃーきゃー」言っていたし遊びに来たアーディさんには「持って帰るね!」と言われて抱きかかえられたっけ。珍しくお義母さんも怒らなくて優し気に微笑んでたのを覚えている。

 

 

「ベル、ここにいたの?」

 

「……アストレア様」

 

声がして、振り返ると麗しの女神様。

白の衣の上からコートを羽織る彼女もまた白い吐息をして、どうしたんだろうと首を傾げる僕に貴方が帰ってこないから迎えに来たのと僕の隣に腰を下ろす。お義母さんのお墓を見つめて、何かを想っている。でも、神様にとってはこういった行為は真似事でしかなくて意味はきっとない。

 

「意味ならあるわ」

 

「?」

 

「ここに来れば、アルフィアにベルが来年も元気でやっていけるように見守っていてとお願いできるでしょう?」

 

それに、貴方がランクアップする度に私は報告するのだから、お墓がなかったらそれすらできないわ。とそういうアストレア様に確かに、と僕は頷く。冷えた手を僕の襟に入れて僕に悲鳴をあげさせて悪戯な笑みを浮かべた彼女は立ち上がると僕に手を差し伸べてくる。

 

「さ、帰りましょう? アリーゼ達が待っているわ」

 

「はい、アストレア様」

 

手を取って、立ち上がって墓場を後にする。

最後に振り返って一言。

 

 

「お義母さん、メリークリスマス」



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番外:新年の話

番外なら過去話としても出せるしギャグ時空にもできる。やったね



死ぬ気で羽子板をやれ。
負けたら太腿に『正』を刻む。


 

 

 

「はぁああああああああああ!!」

 

正義の使徒が繰り出す数多の弾丸、それを金魚を掬うが如く拾い、されど鉄槌のごとき打撃をもって反撃となす。全てを薙ぎ払う福音さえ轟いているのではと勘違いさせるほどの打撃音が、響き渡っている。

 

『英雄』だった。

その力は。

その強さは。

その御姿は。

『死の病』に侵されてなお―――誰よりも、『英雄』だった。

 

「羽根! 打ちまくれ! 火力を途切れさせるんじゃねえ!!」

 

「攻めろ! 守るな! 真裸(まはだか)の打ち合いだ!! 怯めば死ぬぞ、逃げるは恥ぞ!!」

 

ライラが叫び、輝夜が吠える。

その体を墨と傷で汚し、なおも猛りながら、眼差しの先で轟音轟かせる魔女を見据える。

 

「今日という今日こそは、勝利をもぎ取り、あのクソババアに恥をかかせてやる!」

 

輝夜の決意に、正義の使徒達はもう投げやりな咆哮をもって呼応した。

 

「背を見せてはならない……! この相手だけは!!」

 

疾る。

妖精が二振りの()()()を持ち、緑光とともに駆け抜ける。

唇を小さく開けて欠伸をする『英雄』から目を逸らさず、背を向けず、正面から立ち向かう。

 

「この新年最初の日に勝てば……きっといい滑り出しになるに違いないのだから!!」

 

加速する。

全ての景色が。

羽子板も、羽根も、羽子板も、羽根も。

閃光も、衝撃も、轟音も、咆哮も。

意志さえも。

新年一発目に全身全霊をもって、正義の使徒は、『英雄』に向って加速する。

 

 

「おかあさん、がんばれー!」

 

「み、皆、頑張って!」

 

全てが加速し、白熱するその光景は、流星の輝きにも似ていた。

立ち塞がる『英雄』に対して気炎をまき散らす『小娘共』のきらめき。

光の尾を曳いて駆け抜ける、星の軌跡。

 

「アリーゼ……みんな……」

 

兎と幼女と女神は安全地帯よりその光景を見守った。

 

 

「どうした? いつになったら私から『一点』を掴み取るつもりだ、小娘共?」

 

「く、くそがぁ……!」

 

愛息子の「がんばれ」が聞こえたか、口角をわずかに上に上げた『英雄』が文字通り目にも止まらぬ挙動をもってして羽根を打ち返す。

 

ドゴォッ!!

 

「ぐはっ!?」

 

「ラ、ライラァーーーーー!?」

 

小人族(パルゥム)の頬に文字通りめり込んだ羽根が、彼女をそのまま吹っ飛ばし仲間達は一番最初に脱落した参謀に悲鳴を上げた。

 

「余所見とはずいぶん余裕があるな?」

 

「ヒッ!?」

 

ドゴォッ、ドゴォッッ!!

 

次にやられたのは人間(ヒューマン)のノインと狼人(ウェアウルフ)のネーゼだった。

右肩に直撃し、そのまま吹っ飛ばされ。

ライラから振り返ったところに額に当たり仰け反ったように吹っ飛んでいく。

ほぼ同時、二人脱落(ツーダウン)

意識さえも刈り取られている。

 

「な、何が起きてるの? お義母さん動いてないのに、お姉ちゃん達が吹っ飛んでく……!?」

 

「あの人……強い……お父さんみたい……ごくり」

 

「【剣姫】には見えているの?」

 

こくり、と頷くは金髪金眼の幼女。

頑固頭+勉強強制+母親面女王族妖精(リヴェリア・リヨス・アールヴ)から逃げおおせた彼女はこの日、「白兎(あのこ)のところに行ってみよう」とベルのいる【アストレア・ファミリア】の本拠に足を運んでいた。するとどうだろうか、とんでもねえことが起こっていたのだ。

 

 

「いやぁあああああああああああ!?」

 

「打たないでぇえええええええええ!?」

 

はっとなって戦場に視線を戻すと、ライラ、ノイン、ネーゼと来て既にアスタとリャーナ、セルティが倒れ伏しイスカとマリューが小さく丸くなって防御態勢。が、そんなもの魔女には関係なかった。

 

「貴様らが始めたことだろう。108回、【サタナス・ヴェーリオン】を撃ち込み煩悩を祓うか?」

 

「「「普通に死ぬから!!」」」

 

そう言った直後、ドゴォッ!!と轟音が鳴り響くと彼女達はポトリ、と実った果実が地面に落ちるように崩れ落ちた。アストレアは決して口にはしないが、打ち取られた少女達の亡骸――生存しているが亡骸にしか見えない――はどう足掻いても「ヤムチャしやがって……」と神々だからこそ言いたくなるような体勢だった。残ったのは、アリーゼ、輝夜、リューの三人。

 

「輝夜、無事……?」

 

「これが無事に見えたら、団長の目は大概節穴だな……」

 

「なんだかわからないんだけど、もう私、お嫁に行ける気がしないわ……! もうどんだけ書かれたと思ってるの、この『正』って落書き。意味はわからないけど、ルールとはいえ、何か大切なものを失った気がするわ!」

 

「ア、アリーゼ、輝夜……」

 

「もう終わりか、小娘共。まだ……()()ももっていないぞ?」

 

「化物め……!」

 

「持久戦に持ち込めば勝てると思ったというのに……!」

 

 

もうだめだ、お終いだ。

そう思った時だった。

魔女が口を覆って咳き込んだのは。

 

「がはっ、かはっ……! ぐふっ―――!!」

 

「お、おかあさん!」

 

持病の発作とでもいうべきか、咳き込むアルフィアのもとへ反射するように「あぶないよ」と止めようとするアイズそっちのけでベルが駆け寄って背中を摩る。生き残りの少女(アリーゼ)達は、時間切れを感じ取り連打の最中、まだ自分達の元へ向かって飛んでくる羽根から意識を反らさず、アルフィアに、真摯に、訴えた。

 

「アルフィア……降参して。私達が1()1()()()()()()()()()()()()()()という大人げないことをしたことは申し訳ないとは思うけれど、新しい年を迎えていいスタートを切るにはこれしかないって思ったの。だから……降参して。()()()()()()()

 

アストレアは頭が痛くなった。

どんだけ勝ちたかったのよ、と。日々辛酸をなめさせられているとはいえ、どうしてそうなったのと改めて問いたいくらいには。というか、もう、なんていうか、『正義』の眷族としてどうなのかという根本的なところである。

 

「降参……降参か」

 

咳が収まったか口を拭って、耳打ちしてキョトンとするベルに「危ないから離れていろ」と頭を優しく撫でると魔女は再び立ち上がった。三つの羽根は、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――貴様等『雑音』は、どこまで私を『失望』させれば気が済むのだ!」

 

次には多大な『魔力』とともに、怒りを発露させた。

 

「がっ!?」

 

「舐めるな、つけ上がるな、いくらこの身が痛苦に喘ごうとも、貴様等を葬るなぞわけないぞ!」

 

打ち返された羽根がリューの胸を直撃し、沈める。

 

「それに何を勘違いしている? 貴様等が何をしてでも私に勝つと言うからそれに付き合ってやっているに他ならん! 遊びの時だけ本気になるな! 普段から本気を出せ! ―――今も『息子(ベル)』が、期待の眼差しで私を見守っているだろうに!!」

 

二つの羽根を連続して打ち返す。

魔力をたっぷり込めた渾身の一撃。

それらがアリーゼの鳩尾に、輝夜の腹にめり込み、吹っ飛び、痛苦の喘ぎ声を上げさせる。脂汗を滲ませる二人は、なんとか意識だけは手放してなるものかと魔女を見上げ文句あり気に睨む。

 

「「こんの…………親バカがぁ……!!」」

 

団長と副団長の二人だけがなんとか意識を残すことだけに成功。

しかし、もう動けなかった。

試合終了だとアストレアとアイズがやってきたが、辺り一面は窪地(クレーター)だらけであり、まるで流星群がそのまま落ちてきたのではと言いたくなるほどだ。アストレアは「庭の芝生が全て無くなってしまったわ……」と悲し気に瞼を閉じ首を横に振る。アイズがアリーゼをつんつんと突きながら「大丈夫?」と問うもアリーゼは無理っと口を動かすこともままならずにぷるぷると震えている。そして、輝夜は吐いた。

 

 

「――――おぇっ」

 

「やぁああああ!?」

 

「か、輝夜!?」

 

腹にぶち当たった羽根がそのまま体内に衝撃を巡らせ、今朝の朝食をリバースさせてしまっていた。口から吐き出されるのは溶けてはいるがまだわずかに残っていた白く、丸いモノ。餅だ。悲鳴をあげるベルはしかし、その白い物体を見た瞬間、意識が過去へといざなわれた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よいかベルよ、七つの不思議ボールを集めると、どんな願いでも叶えられるんじゃ」

 

「どんなお願いも?」

 

「どんな願いも……なっ!」

 

それはまだアルフィア達の生活が始まったばかりの頃。

ゼウスに聞かされたその話は、ベルが読んだ御伽噺の中には出てこない話であり、ベルはすぐに喰いついた。ベルがアルフィアにベッタリでじいちゃん寂しい!というゼウスなりのアルフィアへの抵抗であった。

 

「まず、女子(おなご)は確定……ロキはないな、うんな板に乗ったレーズンみたいなもんだしなあ……ん? ああ、なんでもないぞい。とにかく、女子(おなご)は確定で二つは持っておる」

 

「じゃあ女の子はお願いを叶えてくれる凄い人なんだ!」

 

「うむ! もちっとして、むにっとして、すんっごいぞぉ!」

 

「へぇえええ!!」

 

「昔からな? 儂らの間では、つっかもうぜ! っちゅーフレーズが熱いんじゃ。よいかベルよ、どんな願いでもベル、お前自身が掴み取らねばならんのだ」

 

女子(おなご)の乳房もやさしーっく掴まねばならん……そんな小さな呟きはキラキラ瞳を輝かせる純粋な白兎には聞こえていない。

 

「へぇー! でも僕、何をお願いすればいいのかわからないよ? お願いってどんなお願いをすればいいの?」

 

「ふむ……いいか、ベル」

 

大きな手を小さな頭の上に乗せてゼウスは言う。

 

「他人に意志を委ねるな。精霊だろうが神々であろうが同じだ。ましてや儂は何も言わん」

 

「おじいちゃん?」

 

「誰の指図でもない、自分で決めろ。 これは、お前の物語(みち)だ」

 

「!!」

 

顎髭を揉むゼウスは一拍置いて、でもアドバイスくらいはしてやるぞ、と願いの一つをニカッと笑いながら言った。

そして吹っ飛んでいった。

 

 

「ギャルのパンティをおk――――」

 

「【福音(ゴスペル)】」

 

 

そこでベルの記憶の再生は止まった。

そして意識は現在へと戻る。

 

 

 

「アストレア様!」

 

「ど、どうしたのベル?」

 

「ぼく、『正義』が何かわかったかもしれません!」

 

「えっ……?」

 

今までの攻防(やりとり)の中に何か気付きを得るような要素があったのかしら? 一応病人の貴方のお義母さんに集団リンチして返り討ちにあうシーンしかなかったと思うのだけれど。と心の声が言っているが、相手は七歳の少年だ。大人には見えない何かがあっても不思議ではないのだろう。そう思ってアストレアは眷族達に回復薬(ポーション)をかけてやると、ベルへと振り返って「じゃあ、教えてもらえるかしら?」と同じ視線の高さになって問うた。

 

 

「『正義』とは」

 

「せ、『正義』とは?」

 

 

深紅の瞳をキラキラさせて、テストの問題が解けたようにニコニコした可愛らしい笑顔。

そんな七歳少年の姿を女神と魔女と幼女が静かに見守り、解答を待つ。

 

「―――『掴み取る』ことです!」

 

「ちょっとまって、本当に今までの一連の流れでどうしてそこに至れたの!?」

 

アストレアは困惑するばかりだった。

 

「―――私は何か育て方を間違ったの……か?」

 

アルフィアもまた、困惑した。

ドヤ顔をする可愛らしい白兎に何も言い返せない女神と魔女。幼女はいつの間にか現れた翡翠色の王族妖精様に「アイズ! 逃げるな!」などと言われながら引きずられ、消えていった。五分ほど経ったころだろうか、いや、正確にはさほど時間も経ってはいないが、それくらい経ったように感じるほどの間が空いた後、ひゅうぅ~と風が吹き、「くしゅんっ!」とくしゃみをしたベルに二人がハッとなって現実に引き戻された。

 

「さ、さあベル? 風邪を引いてはいけないから中に入りましょうか」

 

「え、でも、おねえちゃん達が……」

 

「気にするなベル、冒険者というのは黒き生命体(G)並みに生命力が高いからな、伊達に『抗争』を乗り越えてはいない」

 

「今まさに私達の本拠は『抗争』が起こったんじゃないかというほどに荒れ果てているのだけれどね? 一体誰に頼めば失われた芝生を直してくれるのかしら」

 

「小娘共の芝でも植えれば良いのではないか?」

 

「………貴方でもそういうこと、言うのね」

 

 

アストレアがすっかり冷えてしまったベルの手を握り、アルフィアと共に本拠の中へ引っ込んで行った。『正義』の眷族達は一人、また一人と蘇生……というよりも、まるで墓地から出てくるゾンビの如く起き上がり、死んだ目をしながら互いを見合い、深い溜息を吐いて怒りを爆発させた。

 

 

「「「「誰よ、新年だから『羽子板』でアルフィアを負かすって言ったのわ!!」」」」

 

視線が一点に集められるその場所には、珍しくいつもの緋色の振袖を無残に汚す輝夜。

 

「……『極東』の、異国のものならさすがのあいつも知識がないと踏んだまでだ」

 

「「「「私達も知らないんだけど!?」」」」

 

「ちゃんと教えただろう……ダンジョンで」

 

「「「「そもそも、この『羽子板』と『羽根』、おかしくない!? 木材から鳴っていい音じゃないんだけど!?」」」」

 

「……魔力伝導率の良いミスリルを素材にしている」

 

「「「「馬鹿ァァ!!」」」」

 

 

☆『羽子板』

 ・ミスリルを素材に製作。

 ・木材に見えるように職人拘りの徹底加工。

 ・任意で殺傷能力を増幅させる特殊玩具(スペリオルズ)。使い手の魔力を注入することでショット時の威力が上がる玩具と言い張っているだけの武器。

 

☆『羽根』

 ・ミスリル、歌人鳥(セイレーン)を素材に作成。

 ・ミスリルを玉状に加工した後、黒に染色したゴムで覆うことで極東の『羽根』っぽく作成。

 ・『羽子板』から『羽根』へと魔力が伝わることでショットの瞬間、爆発的に、というか爆発して飛ぶ。

 ・風切り音はまるで歌人鳥(セイレーン)の断末魔のよう。

 

【ゴブニュ・ファミリア】作。68000000ヴァリス×12

製作者より一言「遊びで使うんだよなあ!? これもう、大砲の玉を小さく加工しただけじゃねえのか!? 【アストレア・ファミリア】は馬鹿なのか!?」

 

 

 

「まさかのアーディの剣と同じ価格であることに驚きを隠せない私がいる!!」

 

「待ってリオン、驚くのはまだ早いわ! それが12人分よ!? いったいいくらなのよ!? 破産するわよ!? 私の全財産6000ヴァリスなんだけど!?」

 

「いいやアリーゼ、『打倒アルフィア貯金』はみんなでコツコツ貯めてきたんだ。今回で全部蒸発したのは確定だ!」

 

「ち、ちなみに輝夜ちゃん……このお値段って羽根と羽子板セットでの価格よね? そうよね!?」

 

「…………羽根は、198000ヴァリス×12」

 

「「「「まさかの羽根の方が安い!?」」」」

 

「くそ、ふざけやがって……もうこれ、玩具じゃなくて武器じゃねえかよ……余裕でモンスター殺せるぞ……! 『抗争』の時にこれがありゃあ……!」

 

「いえライラ、落ち着いてください。それだとシリアスがシリアルになってしまいます。想像してみてください、闇派閥相手に羽子板片手に羽根を打ち込む冒険者を」

 

「………くそ、駄目だ、笑えて来た」

 

 

『打倒アルフィア貯金』。

アルフィアに勝つためにあらゆる手段を講じる少女達は、派閥としての運営資金とは別に貯金を貯めていた。上位経験値であるアルフィアに、一本も取れずにいる少女達は例え実戦であろうとも遊びであろうとも、本気だったのだ。しかし、今回の新年一発目の戦いでその貯金は既に蒸発していた。

 

 

「皆にはちゃんと相談して許可は得たはずだろう」

 

「そりゃあ……いきなりお風呂上がりの恰好で、「皆、次の戦は何にするか決まったぞ!」とか言われたらねえ」

 

「よっぽど自信あったんでしょうねえ……おっぱいぷるぷるさせて、水滴らせて、びっくりしちゃった」

 

「リャーナさんに髪を拭いてもらってたベルも鳩が豆鉄砲を食ったみたいに固まってましたからね」

 

まるで天啓を得たかのように、身体もろくに拭かずに素っ裸で皆がいる団欒室に駆け込んできた輝夜に皆が凍り付いた。身体から湯気を上げ、たわわに実った乳房を揺らし、水滴を飛ばし、羞恥心などどこかに捨ててきた!と言わんばかりの輝夜に誰もが言葉を失った。これは勝てる!とドヤ顔すらしていた。下着姿でうろつくことは日常的にあるものだから誰も何も言わないが、風呂上りに全裸で走って来るとはさすがに思わなかったのだ。少女達も子兎もぽかーんとした。あれよあれよろプレゼンテーションまでされ、「いいな!?」と皆の承認も得ていたが、誰もそんなのは覚えていない。だって、輝夜がドヤ顔でずぶ濡れで全裸だったのだから。

 

「リオンですら服を着ろとはあの時言わなかったもんな」

 

「いや、あの、急すぎて」

 

「「「わかる」」」

 

でも負けたんだよな。というネーゼの言葉に全員が項垂れた。

どうすればラスボス(あいつ)に勝てるんだよ、とばかりに項垂れた。輝夜以外の少女達ですら『羽子板』の扱いに数日を要したというのに、アルフィアはたった()()打ち合っただけでマスターしてしまったのだ。アルフィアには見られないように、情報を与えないように、初見殺ししてやる意気込みで徹底していたというのに……だ。羽根を落せば、太腿に一本ずつ線を引き『正』という文字にしていくという嘘ルールまで使ってアルフィアに恥をかかせてやろうと画策したというのに、返り討ちである。もう既に全員が全員、『正』が複数あった。その意味を輝夜から聞かされた彼女達は顔を真っ赤にして地面を乱打。大慌で消した。

 

「私まだ男性経験ないのに、これじゃあ」

 

「ただのアバズレじゃん!!」

 

「【イシュタル・ファミリア】のアマゾネス達に見られたら絶対、「へぇ、アンタラ都市の秩序を維持しているわりには股間の風紀は守れていないんだねえ」とか言われるに決まってる!!」

 

「「「いやだぁあああ!!」」」

 

「悔しい……悔しいよぉ……」

 

「貯金溶かしたのに……」

 

「なあアリーゼ、今回、何か成果は……あったのかなあ」

 

「ネーゼ……成果、成果ね……」

 

ふふっ、おかしなこと、言うのね! そういうアリーゼは皆の方へと向き直って土下座のポーズをとって叫んだ。

 

「何の成果も、得られませんでしたァアアアアアアアッ!!」

 

 

 

 

×   ×   ×

 

 

「賑やかね、あの子達……あれが若さというものなのかしら?」

 

「お義母さん、寒くない? 大丈夫?」

 

「ああ、大丈夫だ。ほら、お前も手がこんなに冷えて……また体調を崩すぞ?」

 

「うーん」

 

パチパチと心地よい音を鳴らす暖炉から温もりを得ながら、一柱と二人はココアをこくこくと飲んでふぅ、と息を吐く。庭に積もっていた雪でベルと遊ぼうと思っていたアストレアはすっかり雪が消えてしまったと改めて窓から映る景色を視界に映すと口角を引き攣らせた。

 

「私は謝らん」

 

「あの子達が提案したことだし、貴方もそれを受けた。両者が納得してのことなら私も文句は言わないけれど……お願いだから【ファミリア】で命のやり取りはやめてくれると助かるわ」

 

「善処する」

 

「ぜ、善処……」

 

「命を賭さねば、ランクアップなど夢のまた夢だ」

 

「そうかもしれないけれど……はぁ……あら、ベル、どうしたの?」

 

このままではいずれ本気の殺し合いになるのでは、と一抹の不安を胸に抱くアストレアは「まあしないだろうけど」としつつも長椅子(ソファ)を飛び降りて窓のほうへ走り外を眺めるベルに意識が向いた。それはアルフィアもまた、同じだった。

 

 

「アリーゼさん達、いなくなっちゃった」

 

 

 

「―――何だと?」

「―――何ですって?」

 

 

 

数時間後。

ベル、アストレア、アルフィアは『円形闘技場(アンフィテアトルム)』にいた。

 

 

 

『あー、あー、テステス! 会場の皆ー! 聞こえるかなぁーーーーーーー!?』

 

「「「うぉおおおおおおおおおおおおお!!」」」

 

熱気と絶叫が闘技場全体を越え、都市内を震わせる。

『抗争』の後始末もあってか、まともにイベントというイベントもなかった神々も市民も冒険者も突如行われることになったビッグイベントに興奮を隠せないでいる。魔石製品(マイク)片手に大声をあげる薄青色の髪のアーディが実況を務めていた。

 

 

『では改めまして皆さん、こんにちわ! 今回の『新春!【ゼウス】と【ヘラ】どっちが強いの!?』対決の実況を務めさせて頂く【ガネーシャ・ファミリア】所属、品行方正で人懐っこくてシャクティお姉ちゃんの妹でイベントの発起人【アストレア・ファミリア】の親友のアーディ・ヴァルマだよ! じゃじゃーん! あ、二つ名は【象神の詩(ヴィヤーサ)】、知らない人は覚えていってね!』

 

オラリオに悲しい爪痕を残した『抗争』はしかし、まったく強力してくれないどころか戦ってもくれないLv.7の二人によって陰ながら調整されていた。『覇者』と『魔女』が率先して戦いに参加しなかったのは、いずれ二人がこの世を去ることはわかり切っていることでその時、自分達の力で守り抜けるのか? まさか死者に助けを求めるようなことはしないだろうな? という理由からである。しかし、【勇者】のように頭のキレる者や神々には二人が誰にも気づかれずに暗躍し、絶妙に戦力バランスをとっていたことは知られており、そういった限られた者達にはこの『抗争』を「バランス調整されたゲーム」とまで評されている。それでも何も知らない者達からすれば二人のことを「どうして助けてくれないの」とよく思っていない者がいるのも当然で、そして娯楽に飢えてしまっていた彼等彼女等は乾いた喉を潤すようにこのような催しに喰らいついていた。

 

「………くそ、なぜこうなった」

 

「あの小娘共……溶かした金を私達を見世物にすることで取り戻そうとしているな?」

 

「アルフィア、何があった」

 

「なにもかもだ」

 

「…………」

 

とはいえ本人達にとっては、いい迷惑でしかないのだが。

友でもなく同じ派閥の人間ですらなく、無理矢理言うのならば『叔父』と『姪』のような、年齢が二回以上も離れた腐れ縁の二人。その二人が、闘技場の中心に用意されたコートに立たされ完全な見世物にされていた。青筋を立てて苛立ちを隠さないアルフィアと深い溜息を吐くザルド。ザルドはここに来るまでの一連の流れをおおよそ知っている。というか、リヴェリアに引きずられて戻って来たアイズに「あのおばさんまじやば」と命が惜しくないのかと言いたくなるような言葉を聞くわ、その後にやってきた【アストレア・ファミリア】の少女達が「ザルド叔父様~たすけて~」などとゴマすりをしてきたのだから嫌でも知っている。そして、運が悪いことに悪ノリしたロキに、任せろとばかりにすべての準備を整えられた。ジェバンニが一晩でやってくれましたどころのスピードではなかった。ロキからフレイヤ、フレイヤからガネーシャ及びギルドへと情報が伝達され、あれよあれよと今に至る。

 

 

「これ、木材ではないな?」

 

「…………」

 

「ミスリル製……お前、これでやりあっていたのか、小娘共と」

 

「年若い小娘共に猫なで声されて鼻を伸ばすな、気色悪い」

 

「待て待て待て、俺は鼻なんて伸ばしていない。第一、歳が離れすぎだ。さすがに「これが新手のおやじ狩りか」と思ったほどだ」

 

 

縦8m、横4mのコート。その中央にはネットまで張られている。所謂、テニスと同じものが用意されていた。

漆黒のロングドレスを纏うアルフィアと恐らくは若輩達に手ほどき、或いは特訓に付き合っていただろうせいか全身鎧を着たままのザルドの、二人の手にはそれぞれアリーゼ達が使っていた『羽子板』が握られていた。

 

 

『さあ、二人が羽子板を持つとどうしてかあれだけで階層主を倒せそうな気さえしてきたよ! アリーゼ達【アストレア・ファミリア】では落としたら負けというルールだったみたいだけど、LV.7相手にそれは通用しないと思うんだ! というわけでガネーシャ様達による協議の結果決められたルールは【先に10点取った方が勝ち】というシンプルなもの! Lv.7の二人の試合なんてそうそう見れない! そうだよね、みんな!』 

 

興奮するアーディに観客達もまた興奮を隠さず呼応する。

そしてアーディに「ガネーシャ様、何か一言!」と言われて闘技場最上部の賓客席にいるガネーシャが立ち上がり叫ぶ。

 

「俺が! ガネーシャ、ダァッ!!」

 

『はいありがーございましたー!』

 

 

会式の言葉もそこそこに、観客達は勝手に飲食類まで持ち込み、賭けまで始めて会場の興奮度は最高潮に。そしてもうこれは逃げようがないと諦めたザルドのサーブから始まった。

 

「加減は……しないぞ、アルフィア!」

 

羽根を宙へと投げ、叩きつけるように撃ち出されたサーブ。

大砲でも撃ったのではないかというほどの爆音が轟き、衝撃が闘技場を揺らした。

それをアルフィアは「やかましい」とばかりに舌打ち、下から掬うようにザルドのいない位置へと打ち返した。Lv.7同士の激戦はここに開幕した。

 

 

 

「叔父さんとお義母さん、どっちが勝つんだろう」

 

「ベルはどっちに勝ってほしいの?」

 

「お義母さん!」

 

「じゃあアルフィアを応援しましょう」

 

「はい!」

 

主催者だからなのか、その関係者だからなのか、賓客席にはガネーシャの他に、ロキ、フレイヤ、アストレア……そしてベルがいた。ベルまでこの場にいるのは、アストレア以外に見ててくれる人間がいないためだ。アリーゼを中心とする【アストレア・ファミリア】の女傑達は今、会場内で発生する迷子や窃盗などに目を光らせ常に動き回っており、とてもベルの相手をする余裕などない。

 

「ふふ、ベル、ポップコーンはいらないかしら?」

 

「えっ」

 

「コーラもあるわよ?」

 

アストレアにくっつくように座って見えもしない『覇者』と『魔女』の戦争(おあそび)に瞳をキラキラさせるベルに煽情的な衣を纏うフレイヤがニンマリと微笑みを浮かべて近寄る。アルフィアの教えからか美の女神に警戒するベルはぎゅっとアストレアの身体に抱き着いた。

 

「……私、何かしたかしら?」

 

「自分がほいほい手出そうとするん、純粋なチビッ子達にはわかるんちゃうか? ほら、小さい子って幽霊とか見えへんもんが見えるっていうやろ?」

 

「失礼ね……大丈夫よベル、なにもとって食べたりなんてしないわ」

 

今は。最後の方だけなぜか聞こえなかったが、女神と男神にはしっかり聞こえていた。「おもいっきり狙ってるじゃん」である。しかし聞こえていないベルは、おずおずと手を伸ばし、小さな手でポップコーンを摘まむと自らの口に放り込み「美味しい」と表情に浮かべた。

 

「「「「くっ………!!」」」」

 

そんな純粋無垢な笑顔に、大人達は胸を貫かれるような衝撃を受けた。

フレイヤは謝った「淫らでごめんなさい」と。

ロキは悔い改めた「眷族(こども)使って一儲けしようとか考える汚い大人でごめんなさい」と。

ガネーシャは頷いた「アーディが欲しがるのも分かる……!」と。

アストレアは胸元をぎゅっと握りしめながら「これが……男の子……ッ!」と。

胸の内は様々だが、アンデッドが浄化される感覚をここに4柱の神々は共有することとなった。

 

「アストレア様、あーん」

 

「へ!? あ、あーん」

 

さらにここへ「あーん」攻撃。

アストレアはもう駄目だった。

フレイヤもダメだった。

ロキもダメだった。帰ったらアイズにやってもらおうとすら思うほどに。

ガネーシャもダメだった。あとでアーディにやってもらおうと思うほどに。

 

 

「おいこらザルド、何もう4点とられとんねん! お前にいくら賭けとる思ってんねん! 花京院の魂もかかってんねんぞ!?」

 

「知るか!?」

 

余所見をしている内に得点がついていたようで、既に『4-0』。

ザルドは一度もアルフィアからポイントを取れていなかった。

ロキは罵倒する。その筋肉は見せかけなのかと。

 

「お前、アルフィアを負かして抱いてやろうぐへへとか思わんのか! おおん!?」

 

「誰が抱くか!? ふざ、おい、ちょ、待て、なんか玉増えてないかぁああああ!?」

 

「ベルたん、ザルドがベルたんのママに魅力なんか感じんって言うてるで!? ほれ、なんか言うたり!」

 

「叔父さん、お義母さんは世界で一番綺麗なんです! 謝って!」

 

「お、俺に味方はいないのか!?」

 

一方的集中攻撃。

派閥の仲間の息子にしてアルフィアの妹の息子には母親が魅力的でないなんて嘘だとキレられる始末。歳の差的に『姪』のような存在であるアルフィアにはロキの「アルフィアを抱く」という言葉に殺意を増し増しに向けられ、ザルド叔父さんは泣きそうだった。

 

 

「ふぅん……それにしても随分頑丈なのね、あの羽子板。Lv.7の力に耐えられるなんて」

 

「アホぬかせフレイヤ。あれでも加減しとるわ。でないと下手して流れ弾作って死人でたらどないすんねん」

 

「……それもそうね」

 

「けれど既に5分が経過している。ラリーの時間も伸びている……でも妙ね」

 

「どうして神様達は見えるんですか?」

 

「「「「神だから」」」」

 

「そっかぁ」

 

 

超越存在だからこそなのか、ベルには決して見えないのに解説までしてくれる女神達。

そしてふいにフレイヤが口を開く。

 

「そういえば、アストレアの眷族(こども)達はあくまで裏方なのね……やらせておいてどうなのかと思うのだけれど」

 

「何言うてんねんフレイヤ。うちがそんなん許すかいな。ザルドに助っ人を頼んできたから、事情聴いておもしろそうやからウチも乗る!つってここまでこぎつけたけど、あの子らが何もせんのはさすがにおかしい。せやからアルフィアに負けたんやから罰ゲームを受けなあかん、せやないとウチは協力せん!って言うたら素直に受けてくれたわ」

 

「……内容は?」

 

「ん? 恥ずかしい恰好して会場で警備係すること」

 

アリーゼ達がいる場所を指さしながらロキが言う。

アストレアはもう何も言いたくなくなってベルを抱き寄せもふもふの髪に顔を埋めた。

 

「【疾風】が顔を真っ赤にしながらバニーガールですって……!? ロキ、正気なの!?」

 

「ふふ、それだけやない! セルティたんにはスク水! アリーゼたんにはビキニ! 他にもメイドさんとかヒューマンの子にあえてアマゾネスの恰好させたりとかさせとる!」

 

「他派閥の眷族だろうが容赦しないロキ……恐ろしいゾウ!?」

 

「あれ、でも【大和竜胆】だけまともじゃないかしら?」

 

一人、興奮して腕が当たったか喧嘩になりかけていた男達を止めに入る輝夜の姿を見つけたフレイヤが疑問を浮かべた。赤と白の花柄の浴衣を着ているのは輝夜ただ一人。彼女だけは露出がないのだ。そこがおかしいとフレイヤは言う。しかしロキは「ちっちっちっ」と舌を鳴らしてフレイヤに耳打ち。ロキから聞かされたフレイヤは雷に打たれたような衝撃を受け思わず立ち上がった。

 

「そ、そんな……まさか()()()()()()ですって!?」

 

「ふふ、なにも露出だけが恥ずかしいとは限らへん。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()っちゅースリルを味合わせられるっちゅー寸法や!」

 

「外は確かに着ているのに、その内側は何も身に付けてはいない……着ていると着ていないの同居、まさに矛盾。それに浴衣ならハプニングが起きて脱げてしまうこともあるかもしれない。これなら下界の子供達は露出よりも倍の羞恥を味わうことになる……ロキ、私は今、改めて貴方の恐ろしさを感じたわ」

 

「ふふ、この天界のトリックスターを舐めてもらっちゃー困るで」

 

「アストレア様、僕あの女神様達が怖いです」

 

「あとで逮捕しちゃいましょうねーね、ガネーシャ?」

 

「お、おう……がんばるぞぅ」

 

他派閥の眷族になにしてんだ、なんてことアストレアはもう言わなかった。というかもう言いたくなかった。頭が痛すぎて。なので全てが終わったら【九魔姫】に全部投げようと決意した。これは語られることはないが、この日の晩、アストレアからすべてを聞いたリヴェリアはゴミを見るような目でロキを反省室に閉じ込めたという。

視線を戻して再び戦場へ。

左右に走らされるザルドに、一歩も動いていないアルフィアに自然とガネーシャとアストレアは違和感を抱いていく。

そしてその違和感は更なる衝撃へと辿り着いた。

 

「おかしい、何かがおかしい!」

 

「どうしてアルフィアは一歩も動かないの!?」

 

「いや、アルフィアの足元を見ろアストレア! 弧を描くような足跡が出来ている! 恐らく片足を軸に動いているのだ!」

 

その二柱の驚きの声にロキとフレイヤも意識を戻して見てみれば、彼女達は目を見開いて有り得ないものを見たような感覚を共有する。

 

「そ、そんな、あれは……!?」

 

「「「知っているのか、らいで、ロキ!?」」」

 

「これも『才禍の怪物』の所以なんか!? くそ、やられた……! あれは、『アルフィア・ゾーン』や!」

 

ロキ曰く、相手が打ち返しても勝手に帰ってくるように回転をかけて球を打ち返すことにより、その場を殆ど動く事無く、相手の球を打ち返し続ける技なのだという。体力の消耗を避けるためにアルフィアは短い時間の中で編み出したのではないかと解説してみせる。それに戦慄するのは会場中にいる神々だ。

 

「完成させてしまうなんて、【静寂】のアルフィア……どこまで才能に愛されているというの……!?」

 

「ザルドぉおおおおおおおお!! 勝てぇえええええええええええ!! お前も、やるんや! 『ゾーン』には『ファントム』しかない!!」

 

無茶言うな! と罵倒が帰って来るが、もう後はなかった。

なにせあっという間に得点は『8-0』。

ザルドの惨敗が目前となっていた。

 

 

 

「ザルド、私が勝ったらベルに『落とし(だま)』を寄越せ」

 

ドゴォッ!

 

「『たま』って何か間違っていないか!?」

 

ドゴォーン!

 

「極東の文化で正月とやらには子供に血涙を流して得たものから『落とし(だま)』をくれてやるそうだ。私はまだあの子を見守ってやりたいからな、お前が適任だ」

 

ゴォーンッ!

 

「絶対何か間違えているだろうお前!」

 

バチコーンッ!

 

「私が負けたら、ベルと私に『お前が料理を振舞う権利』をくれてやる」

 

ドッ、ゴォーン!

 

「どっちもお前が得をするだけだろう!?」

 

 

 

勝負はザルドの敗北に終わった。

ザルドは久しぶりにガレスと自棄酒をしにいった。

今回のイベントで得た金銭は全て都市の復興に賄われた。

『お年玉』のことなど知らないベルは後日、輝夜から正しい知識を教えられた()()()()()()()()()()をされ、リヴェリアの元へと訪れた。

 

 

「あけましておめでとうございます!」

 

「ああ、あけましておめでとう。今年もよろしく頼む」

 

優しく微笑む王族妖精。

ベルの背後では見守るアルフィアもどこか穏やかな顔をしていた。

そしてベルは両手をリヴェリアへと差し出し、リヴェリアもまた知識としては知っていたのか「ああ、あれか」と用意しようとしたところでベルの口から出た言葉に凍り付く。

 

最強の魔女(おかーさん)の席が空いて、そこに座り込んで最強って言っちゃう癇癪持ちの年増妖精さん、お年玉を寄越しやがりください」

 

「―――――――」

 

「ぶふっ」

 

「? お義母さん、リヴェリアさん動かなくなった」

 

「ふふっ、いやっ、ぶふっ、気にするな」

 

 

リヴェリアはその日一日寝込んだ。

ベルは死んだ魚のような目をしたリヴェリアから確かに『お年玉』を受け取った。なんと10万ヴァリス―後ほど『正義』のエルフ二人が謝罪に行き畏れ多すぎてこの額は受け取れないと返還済み―であり、寝込むリヴェリアの看病をするアリシアが「リヴェリア様、金銭感覚がバグってますぅううう!?」という悲鳴が『黄昏の館』に響き渡った。



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前日譚
はじまり①


胎内記憶


 

 

よく、夢を見る。

会ったこともない人達が、心底嬉しそうに話すそんな夢を。

 

 

 

「これで私達は救われる。」

「これで私達は報われる。」

 

 

誰かが、膨らんだお腹を柔らかな笑みを浮かべて優しく撫でて、そんなことを言う。

 

 

「どうか私達の分まで健やかに育ちますように。悪い神様に見つかりませんように。」

 

 

先のない未来を託すように、或いは、自分達の分まで生きてくれと誰かが言う。

 

 

―――さぁ、早く。早く。早く。早く。

早く産まれていらっしゃい。貴方をこの腕に抱かせてちょうだい―――早く、貴方に逢いたい。

 

 

愛し合う2人の間から産まれる子供に誰かが、待ち遠しそうにそう言う。

 

 

「きっと私達は貴方の傍にはいてあげられない。けれど、私達は貴方のすべてを信じています。

貴方のすべてを、私達は愛しています。今は何もない(から)の揺り籠に貴方を乗せて、宝石のように美しく、かけがえなく産まれてきた『幸運』を祝わせてください。」

 

少し時間が経って、待ちに待った子供が産まれた。

 

 

「こんな幸運はめったにないぞ■■■■■。頑張ったなぁ、偉い、偉いぞぉ」

 

「この子はきっと『最後の■■』に違いない!」

 

「やめろ、私達の業を引き継がせるようなことを言うな」

 

「でも、ちゃんと産まれてきてくれた。それだけでも十分俺達にとっては■■さ」

 

「■■はいる?」

 

「いや、いない・・・というか、お前が孕んでいたこと自体知らんだろう。知っていたら今頃・・・」

 

「ああ、聞きたくない、聞きたくないわ姉さん。そもそも、あの(ひと)がどこにいるのかすら知らないのだから」

 

 

産まれてきた子を優しく抱いて、嬉しそうな顔をする誰かが子を揺り籠へと乗せてもらって寝顔を眺めながら、微笑む。

 

 

「素敵な人に出逢いなさい」

 

「好きなものを見つけなさい」

 

「愛せる誰かに尽くしなさい」

 

「誰かの涙を拭ってあげなさい」

 

 

それはよくある、産まれた子供が将来こんな人になってくれたらいいな。というものなんだろうと思う。周りにいる人達も、嬉しそうに、或いは少し悲しそうに微笑んでいた。

 

 

「『家族(ファミリア)』が健在だったら・・・アルフィア()あたりが厳しく、丁寧に鍛えてくれるんでしょうけれど。許してね、■■。それはきっと叶えられそうにない。」

 

 

ぽろぽろ、と涙を零す誰か。

ごめんなさい、ごめんなさいと小さく零す。

 

『家族』を教えてあげられなくてごめんなさい。

『親』を教えてあげられなくてごめんなさい。

『愛』を教えてあげられなくてごめんなさい。

『親』として何もしてあげられなくてごめんなさい。

 

 

「・・・だから、多くは望みません。■■■■になりなさい。」

 

 

ふわり、と風が入り込んでカーテンが揺れてそこでいつも夢が終わる。

優しくて、細い指で撫でられながら「忘れないで、私達はいつだって貴方と共にある」なんて言葉を送って夢は消えていく。

 

 

 

×  ×  ×

 

 

 

 

夕暮れの帰り道。

周囲にはのどかな街の風景が広がっていた。

西の彼方に沈もうとする日の光によって、灰色に近い石畳から、建造物は茜色に染められていく。昼の喧騒とは違って、これから夜の街へと切り替わっていくのだろう。剣や弓、槌や槍、杖や盾などを装備している人間達、或いは土埃や油で汚れた衣類を着用している人間達は1日の終わりをどこで過ごそうかと賑やかに通りを歩いている。

 

辺りをぼんやりと眺めていたベルは、そこでふと、自分を背負っている人物に目を向ける。

 

 

目が覚めるような美しい女性だ。

髪は灰色で、長い。

彼女は薄汚いと嫌っているようだが、ベルは好きだった。

瞼は常に閉じられている。

目を開けずどうして生活できるのだろうといつも不思議に思っているが、彼女が言うには「瞼を開けることですら疲れる」のだそうだ。

身に纏う漆黒のドレスはこんな街中にあって、酷く異彩を放っている。

何せ、この街の中でドレスを普段から着用している人物なんて女神達を除けば彼女くらいだと思うからだ。

 

見れば見るほど美しい女性だった。

彼女は、ベルが起きたことに気が付いて視線を後ろに向けるように首を回す。

夕日に照らされた彼女の横顔は、やはり美しい。

 

 

「ようやく、起きたか」

 

「ん・・・おはよ、ございます」

 

「ああ、おはよう」

 

 

治療院の帰り道だった。

アルフィアと、ベルの父親と同じ派閥(ファミリア)の団員―――つまりは、叔父の薬を貰うついでと、ベルの診察の帰りだった。とはいっても、アルフィア達はベルの方が主目的であり自分達はもののついでなのだが。

 

 

「あの【ディアンケヒト・ファミリア】の娘・・・診察中に眠っているお前を見て唖然としていたぞ?」

 

「ペタペタ冷たいし、くすぐったかったから・・・ううん、朝も早かったし」

 

「まあ、オラリオに来てまだ2ヶ月ほどなのだから疲れがたまっていても仕方ないか」

 

しかし、とアルフィアは笑みを浮かべる。

何せ、診察をしてくれた治療院の少女は11歳でとても小柄で、現在世話になっている派閥(ファミリア)の娘は「お人形さんみたいな子がいる」と言っていたくらいには、まさにその通りだった。道化の眷族にも1人、人形のような娘がいるがあれは違うだろう。あれは殺人人形(キリングドール)だと愛息子に悪影響がないことを心の隅っこで微かに祈った。

 

何より、珍妙だったのがいくら『恩恵』を持ったからと言って、その小柄な少女が6歳の少年の胸に聴診器を当てたりしているのだから、これを笑うなというほうが無理があった。珍妙すぎる光景だ。所謂、『お医者さんごっこ』状態だった。

 

 

「お前の診察だというのに、本人が寝てどうする」

 

「うぅ・・・」

 

「まあいい、帰ったらちゃんと薬を飲んでおけ」

 

「はぁい」

 

 

ベルはよく体調を崩す。

ベルが5歳の頃にアルフィア達は出会ったが、2人の命がベルが大人になるまでもたないことや、ベル自身が見る『夢』のことで精神的に追い詰められてしまったが故に、よく体調を崩すようになってしまったのだ。2人がいついなくなってしまうか分からない、だから良い子でいなきゃいけない、2人を困らせたくない、そんなことを思っては不思議な夢を見て「英雄にならなきゃいけない」となぜかそう思うようになって、けれど才能も素質もなくて、勝手に追い詰められた。アルフィア達はそんなベルを心配して、さすがに放置はできないとオラリオに行くことを決めて現在、オラリオにいる。もしかしたら、自分と同じく不治の病を患っているのではないか、という懸念もあったのだがそれをアルフィアが口にすることはなかった。そんなことを言ってベルを余計に追い詰めたらそれこそアルフィアは自分がどうにかなってしまいそうだったからだ。

 

 

「良かったな、病気ではなくて」

 

「・・・・うん」

 

「まったく・・・お前はそもそも良い子なんだから、気にするな」

 

子供は親に迷惑をかけるものだ、10もいってない子供に気を遣われるなんてたまったもんじゃない。愚痴を零すアルフィアは、けれど、ベルには自分と妹に宿った病魔が現れてはいなかったことに安堵でいっぱいだった。勿論、「100%」という言葉は、不完全たる下界の住人である治療師の少女の口から出ることはなかったから、後天的に病を患うという可能性もあるにはあるのだが。それでも、健康な体であることほど嬉しいことはなかった。ベルが病弱になってしまったのは精神的なものであり、やがては解決するだろう・・・というのが結論だった。

 

 

「しかし、早めに出たのにすっかり夕方だ」

 

「僕が寝ちゃったせい?」

 

「いや、朝早かったのもある・・・何より、まだ6歳のお前には長時間の拘束は身体に堪えたのだろう」

 

 

治療院はいついっても人が多かった。

怪我人もいれば、定期健診で来る者もいる。

別段急ぎでもないから待ってはいたが、1時間以上も待たされた。

同じ場所にずっといるのは、大人でも飽きてくるし余計に疲れるのだから子供が眠ってしまうのは仕方がないことだ。泣き出してしまうよりはマシ、と思うしかなかった。

アルフィアは一度ベルを跳ねさせて持ち直すと、話題を変える。

 

「何か、夢でも見ていたのか?」

 

「・・・・うん」

 

 

ベルはよく、おかしな夢を見るのだという。

別段、怖いと感じたわけではない。

どちらかといえば、のどかだ。

顔はよく見えないし、自分よりも大きい人間が自分を見下ろしてきて何かを語りかけてくるのだ。アルフィアはその話を聞いた時、妹の腹の中にいるころの話と、出産後の話であると気づいた。この子が知っているはずがない、私達の会話を、この子はおぼろげながら覚えている・・・と戦慄したくらいだ。

 

 

「早く、早く、早く、って」

 

「・・・・・そうか」

 

「何か・・・しなさいって」

 

「・・・・・そうか」

 

「ごめんなさい・・・って」

 

「・・・・・そうか」

 

 

おぼろげだから、ベルは曖昧にしかわからない。

それが実母からの言葉なのかも、わからないのだ。

ただ、それらがベルを焦らせてしまっていた。

アルフィア達の命がいつ終わるかわからないということも相まって、焦らせてしまうのだ。

2人が生きている間にベルは大人になれるのだろうか、とか。

独りぼっちになってしまったら、自分はどうなってしまうのだろうか、とか。

 

 

残された時間がわからないから、早く英雄にならなきゃいけない。

英雄になって、2人を喜ばせなきゃいけない。

もういない家族に、誇りに思われるように生きなきゃいけない。

 

そう、思うようになってしまっていた。

だから、アルフィアもザルドも、もっと言えば一緒に暮らしていたゼウスも悲しんだ。

 

 

「お姉ちゃんたち、帰ってるかな?」

 

「さぁ・・・どうだろうな。小娘共は毎日ご苦労な事だ、都市中を駆け回って秩序を守って」

 

「やっぱり痛いのかな」

 

「神経があるのだから、痛いに決まっているだろう?」

 

「そっか・・・痛いんだ。痛いのは、やだなぁ」

 

「痛いのが嫌なら、せいぜい平穏に暮らせ。冒険者なんぞにならずにな」

 

「・・・・・・」

 

 

アルフィアは、ベルが冒険者になるのを反対している。

どうせなるのだろうが、平穏に暮らしてほしいというのが本音というもの。

消えない傷でもついてしまったら、妹になんて言われるかわかったもんじゃないし。

 

 

「ねぇ、おかあさん?」

 

「ん?」

 

「ぼくの、ほんとうのお母さんって、どんな人だったの?」

 

 

これも何度も聞かれたことだ。

ベルは母親のことを何も知らない。

物心ついた時は、側にいたのは祖父だけだった。

悲しい、と思ったかはわからない。だが、寂しい、と思ったことはある。

でも、今はもう大丈夫だ。

ベルにはアルフィア達がいるから。

オラリオに来て、新しい『家族』もできたから。

でも、でも・・・・アルフィア達がいなくなったら、と思うとどうしようもないくらい怖くなる。

 

純粋な疑問だ。

実母のことが、何でもいいから、知りたかった。

ベルの母親のことを一番よく知っている彼女に、聞いてみたかった。

彼女はベルを下ろすと小さな手を握ってゆっくりと歩き出す。

 

 

「・・・・」

 

 

何度もしたのに、何度も聞くのか。

とは、言わなかったし言えなかった。

くどい、と言えばきっとベルはもう母親のことを聞こうとはしないのだろう。

言いたくない、と言えばきっとベルはアルフィアに気を遣って口を開くことはしないだろう。

だけど、アルフィアはゆっくりと唇を開く。

顔も声も知らずとも、覚えていて欲しかったから。

 

 

「優しいやつだった」

 

「やさしい?」

 

「ああ。いつも笑みを浮かべ、ただいるだけで他者の心を解きほぐした。病弱で、しかし儚さを感じさせず、普通のことを言っているだけなのに、あぁそうかと間違いを気付かせてくれる。不思議と誰からも愛される、とても白い女だった」

 

「しろい・・・僕の髪と、一緒?」

 

「ああ、一緒だ・・・お前の髪も表情も、母親譲りだ」

 

アルフィアの声音は穏やかで、いつになく口数が多く、その口元には笑みの気配すらある。

そこには確かな愛があった。

 

「誰かの手を借りなければ生きられなかったからこそ、お前の母親は『生きる』ことの尊さを忘れなかった。己を卑下せず、感謝を忘れず、地獄のような苦痛にも屈せず……笑みを浮かべながら、今を生きることを誰よりも噛みしめていた」

 

だからこそ、お前の母親は誰よりも優しかった、と。

結局お前が私と同じ病を持たずにいられたのは、他でもない母親のおかげなのだと、アルフィアは言った。

 

いずれ、ベルは母親の出てくる夢を見ることもなくなって、忘れてしまうだろう。

そもそも、赤子の頃のことを覚えているほうがおかしいと言ってもいいくらいだ。

だから、忘れること自体は悪いことではないのだと、アルフィアはベルのいう夢の話をそう片付ける。

 

 

「お義母さんとそっくり?」

 

「私とか? さて、どうだったかな」

 

「叔父さんが、アルフィアお義母さんは双子だって」

 

「・・・・・」

 

「お義母さんが黒色だから、お母さんはきっと白色だね」

 

なんの話だ、と言おうと思ったがそれはすぐに分かった。

ドレスだ。

ドレスの色だ。

漆黒のドレスがアルフィアなら、純白のドレスはメーテリア。

 

 

「ふふ、もしあいつが生きていたら、すごい光景だろうな」

 

2人の双子の女と手を繋いで歩く、白髪の男の子。

そんな光景が、アルフィアの中で思い浮かぶ。

でもやっぱりそんなあり得ない光景は珍妙というか、おかしいというか、つい笑みが零れてしまう。

 

 

視線の先にいよいよ本拠が見えてきた。

 

 

「お前が望まずとも、別れは必ず訪れる。ベル・・・何度も言うが、決してそれを忘れるな」

 

「・・・・」

 

「お前が永遠を願っても、神ならざる我々では叶えられない。私たちは不変ではないからだ。ずっと一緒にいることは、できない」

 

「・・・・」

 

 

いずれ、『お別れ』はくるのだろう。

ベルはそう思った。

 

だって、アルフィアの咳の数は増えていた。

誰もいない場所で彼女がよく咳き込んでいることを、ベルは知っていた。

その中に赤い血が交ざっていることも、知っている。

 

いつ終わりがくるか分からないから、アルフィア達がこうして『お別れ』がくることを忘れるなと言ってくる。でもベルは、そんなことを言ってほしくはなかった。

アルフィアがいて、ザルドがいて、ゼウスは・・・何やら女神達のお風呂を覗いたとかでオラリオには行けないと言っていたけれど、それでも『家族』とずっと一緒にいてほしいと思ってしまう。

 

「ほら、また泣く・・・まったく、男だろう、簡単に泣くな」

 

「だ、て・・・」

 

必死に涙を零すのを堪える。

でも視界が滲んでしまっていて、きっとベルは今にも喚いてしまうだろう。

アルフィアがそんなベルが、まだ『死別』なんて理解できないベルが、いたたまれなくて、目線を合わせるようにしゃがみ込んで抱き上げた。震えるベルの背中をぽんぽんと叩いて、あやす。壊れないように。

 

 

ベルは今年で6歳になる。

アルフィア達と出会って2年。

いつかもわからない別れの時が迫っている。

だから、ベルは2人に誇りに思ってもらいたくて、安心してもらいたくて、必死だった。

どうすればいいのか幼いなりに考えて、一番わかりやすかったのが、『英雄』だった。

だから、ベルは英雄にならなきゃいけないと思うようになった。

アルフィア達が成し遂げることができなかった黒竜討伐を成し遂げれば、きっと、彼女達は救われるとそう思ってしまった。

 

 

会話が途絶える。

視界の全てが黄昏に染まっていく。

泣き虫なベルは結局また抱き上げられて、抱いてくれている彼女にしがみついて涙を止めることもできず静かに泣いてしまう。張り裂けそうな胸の痛みに耐える方法さえわからず、縋るように、遠くへ行ってしまわないようにアルフィアにしがみついていた。

 

 

遠い所から、時刻を教えるための鐘の音が聞こえる。

ベルの大好きな音だ。

アルフィアはよく魔法でゼウスを吹っ飛ばして家を破壊してしまうが、それでも大好きな音であることに違いはなかった。

 

すぐ近くから、最近お世話になっている新しい『家族』の声もする。

どうやら、先に帰って来ていたらしい。

 

 

「夢のような日々はいつかきっと終わる。お前はきっと悲しむだろう、苦しむだろう・・・・けれど、どれほど辛い別れでも、輝くものはきっとある」

 

「・・・・っ」

 

「だから、もう少しだけ、一緒にいよう」

 

「・・・うんっ」

 

 

ベルは止まらない涙をどう止めたらいいのかもわからず、アルフィアの顔を真っ直ぐ見つめた。

そこには瞼が開かれ、美しいアルフィアの双眸がベルのことを見つめ、微笑を贈られて細指で涙を拭われた。

 

 

「さて、今日の夕食はなんだろうな」

 

「叔父さん、来てる?」

 

「小娘共が頼んでいたから、作ってはいるんじゃないか?」

 

「一緒に食べればいいのに」

 

「若い娘と一緒にいると、大の男は肩身が狭いんだよ。分かってやれ」

 

「うーん」

 

 

「ベェエエルゥゥゥゥ、ただいま! おかえり! 癒して!!」

 

 

「むぎゅっ!?」

 

「喧しい」

 

 

本拠がもうあと数歩のところで、待っていただろう少女達の1人が赤い髪を揺らして猛進。

アルフィアに抱きかかえられているベルを背後から抱きしめた。

それをアルフィアが、肌に止まった蚊でもはたき落すかのように手刀を繰り出した。

高威力的中(クリティカルヒット)した手刀が赤髪の少女を襲う。

少女は顔を抑えて地面に倒れ込み悲鳴を上げて悶え苦しんだ。

 

「ア、アリーゼさぁん!?」

 

「痛い痛い痛い痛い!?」

 

「はぁ、Lv.3は貧弱だな・・・将来が心配だ」

 

「だ、大丈夫よ!? 日々ザルドの美味しいご飯を食べて育っているからネ!」

 

「・・・・・少し太ったか?」

 

「ぐふぅっ!?」

 

 

冷たい眼差しを贈られたアリーゼはお腹を押さえた。

違うの、ちゃんと動いてるから!?

火は通ってるから、実質カロリーオフって誰かが言ってたから!?

むしろ食べておかないと冒険者は身が付かないっていうか!?

必死に言い訳する。

心なしか後ろにいた団員達も似たり寄ったりだ。

 

 

「ちゃんと食べて、ちゃんと動いてるから問題ないわ! ええ、ないわ! おっぱいが育ってきてるっていう嬉しいことはあるけど!」

 

「それは全体的に大きくなっているのではないか?」

 

「ち、違うわよ・・・ベルだって大きいのが好きでしょ?」

 

「?」

 

「やめろ、この子に下世話な話をするな。穢れる」

 

「け、穢れ!? そこまで!? 将来的には私達の・・・」

 

「歳の差を考えろ、阿呆」

 

「だ、だって!? ベルより可愛い子いないでしょ!?」

 

「・・・・・それは認める」

 

「お義母さん、何の話をしているの?」

 

「ベルには関係ない」

「ベルには関係ないわ」

 

アルフィアの腕から降ろされたベルは、わけわかめになって悲しかったことも忘れて首を傾げて本拠の中に入って行ってしまう。息子が可愛くて仕方がないアルフィアと、アルフィアが連れてきた男の子が可愛くて仕方がないのと出会いに恵まれなくて「いっそこの機会だから自分好みに男の子を育てればいいのでは」などと思い始めた残念な少女達。疲れて帰ってくればもふもふとした白髪の少年という癒しが待っているのだから、即落ちだった。

 

「はぁ、ベルが欲しければ強くなってみせろ」

 

「・・・・・も、もちろんよ」

 

「私がいなくなった後、お前達があの子の『家族』なんだ。あの子を置いて死んでみろ、殺すからな」

 

「ひぇっ」

 

死んだら殺す。

その言葉のもと、今の『家族』である【アストレア・ファミリア】はことあるごとにアルフィアによって徹底的に苛め抜かれていた。死んだ魚の目をして帰ってきて、ベルを撫で繰り回して精神回復して、また死んだ魚の目をして帰ってくるのだ。まさか、街中で親子で【ファミリア】探しをしているアルフィア達に声をかけて「まぁこいつらならいいか?」と勧誘に成功してみれば、まさかのLv.7である。上位経験値とはいえ、最凶さんがやってきて女神も眷族も驚いたものだ。

 

言うだけ言ってアルフィアも本拠に入って行き団員達も中に入って、アリーゼも入って行った。

本拠の中では、また泣いていたと見抜かれたベルが顔を真っ赤にして女神から逃げようとして捕まって膝の上で丸い頬をぷにぷにと突かれたり、摘ままれたり。今日一日の仕事を終えた少女達に頭を撫で繰り回されていた。

 

アルフィア達の死後、ベルが独りぼっちになってしまうと心配したアルフィア達は治療院にベルを診てもらうのと同時に【ファミリア】探しをした。

 

ただ・・・

 

 

「【フレイヤ・ファミリア】」

 

「論外、搾りかすにされるし性格が悪くなったらどうする」

 

「まぁ論外だな・・・【ロキ・ファミリア】はどうだ? 団員数もいるぞ」

 

「あそこにはベルより年上だが幼女がいるらしい」

 

「ほう・・・ならそっちにするのか」

 

「いいや。なんだか気に入らなかったからダメだ」

 

「幼女関係なくないか?」

 

「・・・・そもそもあいつらは私達を追放した側だろう。誰が好き好んでベルを託す?」

 

「はぁ、やれやれ」

 

 

そんなやり取りをしていたことがあった。

結局どこもかしこもアルフィアが「ここなら」と思えるところはなく、なんなら知らない派閥もあったから悩んだものだった。そんなときに声をかけてきたのが、【アストレア・ファミリア】だった。結局はベルが彼女達に懐いてしまったものだから、2人の保護者はもうここでいいか、と。都市の秩序に貢献している『正義』を司る眷族達なら、託してもいいか、とそう思ったのだ。

 

 

 

 

 

ベル・クラネル6歳

恩恵は、まだない。

 

 



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はじまり②。

 

抗争。

それは1柱の神を首領とした、『悪』と『正義』の大規模な戦い。冒険者もそうでない者も少なからず命を天に還した悲しい戦いでもある。

 

とはいえ、オラリオ側にLv.7が2人いることなど知る由もない闇派閥は大慌て。1柱の邪神は「見つからないと思ったら・・・」と肩を竦めて、2人を非難するでもなく笑みを零し、迷宮の中で少女達が神獣の触手(デルピュネ)を討伐している最中にしれっと姿を消した。

 

 

「難易度でいえば、ノーマル寄りのイージー・・・まぁ、それはそれで良い。結果としてアストレアの眷族達はアルフィアという先達がいたおかげで経験値を獲得し、器を昇華させたわけだし、神獣の触手(デルピュネ)という異常事態モンスターは確かに良い経験値になったようだ」

 

 

そんな呟きを知る者はいない。

彼がどこに姿を消したのか、それは誰も知らず戦いの最中に眷族達から目を離せなかった優しい女神は邪神を見失ってしまったことにひどく責任を感じていたし、アルフィアもザルドも何か知った風ではあるものの語られることはなかった。

 

とは言え、2人が積極的に戦ったのかと言われればそうではない。

2人が介入してしまえば、後のオラリオを背負う冒険者が育たないからだ。

協力を求められこそすれ、それは手に負えない場合の最終手段でありアルフィアは基本的に『星屑の庭』でベルと一緒に引きこもっていたしザルドは後続の冒険者達を「弱い」と言って叩いて伸ばしていた。叩いて伸ばして、肉も叩いて、焼いて、料理を作っていた。

 

そうこうしているうちに抗争は終了を迎えて、平和が訪れた。

 

 

「久しぶりのシャバ!」

 

「・・・どこで覚えた、その言葉」

 

「アリーゼさん!」

 

「はぁ・・・」

 

「だいじょうぶ?」

 

「ん? ああ、大丈夫だ・・・お前こそ、この間また熱を出して寝込んでいたんだ。体調はいいのか?」

 

「うん、へいき!」

 

「そうか」

 

 

戦闘の爪痕が未だ残る都市の中をぴょこぴょこと白髪を跳ねさせてアルフィアの前を小走りするベルに、その口から出た言葉の出どころを知ってアルフィアは溜息を吐き捨てる。ベルは抗争時、外で何が起きていたのかを把握しているわけではない。というのも、アルフィア達が見せたくなかったがために外に出さないようにしていたのだ。神の送還という異常事態を本拠の中から見たり、リューが家出したり、少なからず怖かったり悲しいことがあったけれどもトラウマが刻まれることはなかった。なお、リューの家出については後々帰還した際に、友人のアーディを助けるためとはいえ、爆弾を抱えた女児を蹴り飛ばしてしまう咄嗟の行動から『女児蹴りのリオン』という不名誉極まりないあだ名で徹底的に苛められた。

 

「クラネルさん、アリーゼ達がいじめる・・・! 邪神にまで苛められたのに・・・!」

 

「よ、よしよーし?」

 

「邪神に言いように弄ばれたからと言って家出を許容できるか、馬鹿者」

 

「そうよリオン、家出は良くないわ」

 

「うぐぅ・・・!」

 

「そんなことで家出してたら、アストレア様なんて部屋の隅っこで膝抱えて小さくなってるわ! なんて言ったって邪神がどっかに逃げちゃったんですもの!」

 

 

そんなやり取りがあったものの、彼女達は抗争が終わっても忙しかった。

復興の手伝いやら、治安維持のために出張っているのだ。

 

 

「ザルド叔父さん、くださいっ」

 

「ん? ああ、ベルか・・・なんだか久しぶりだな」

 

「お前・・・老けたか?」

 

「45にもなればな・・・いや、違う、違うぞ。俺はそんなに老けてないはずだ!?」

 

「男が歳を気にしてどうする」

 

「お前が言い出したんだろうアルフィア・・・ロキの酒飲みに付き合わせれるわ、こうして外で飯を作れと言われるわ・・・お前達でやれと言ってやりたい」

 

 

天幕を張った場所で配給される食事などを作っているのはギルドを中心とした料理のできる面子。その中にザルドも入れられていた。胸元のハートが刺繍された白のエプロンがチャーミングさを発揮しているが、如何せん身に着けているのが大のおじさんであるため威力は半減している。巨大な、それこそ子供1人入れそうな鍋をかき混ぜ、器にスープを入れてやりベルに手渡しながらザルドはやれやれと雑用係のようなことをされている現状に溜息をついた。

 

 

「【フレイヤ・ファミリア】にいっていると思ったが?」

 

「・・・オッタルのクソガキの相手はしてやっているが、美神の派閥にはいるつもりはない。」

 

 

2人はベルが瓦礫の上にちょこんと座り込んでスープを口に運んでいるのを尻目に近況報告をする。アルフィアは【アストレア・ファミリア】を、ザルドは【ロキ・ファミリア】を。それぞれ後続となる冒険者達を可能な限り強い派閥にする。Lv.7が現状いないとなると三大冒険者依頼とダンジョン最下層への攻略など不可能だからだ。なによりアルフィアとしては自分の死後、ベルを任せるのに【アストレア・ファミリア】が弱いというのは納得できない。尤も、彼女達が決して弱いわけではないのは確かではあるが、もう一段階くらい器を昇華してほしいというのが心情だ。ちなみにオッタルに関しては本人からザルドの元にやって来たため殺す勢いで叩きのめしているのだが。

 

 

「ベルぅ~~外に出てきたの??」

 

「むぐむぐ・・・」

 

「アリーゼ、食事中に抱き着いてはいけない。彼が苦しそうだ」

 

「そういうリオンだって、ベルの頭を撫でてるじゃない・・・初めて触れられる異性だからって、我慢が効かなかったのかしら? もう、このむっつりさんめ☆」

 

「ム、ムッツリ!?」

 

「むぐむぐ・・・むっつりって何?」

 

「それはね、えっちなことを頭の中でいっぱい考えちゃう人のことよ!」

 

「じゃあリューさんが家出してたのは・・・・」

 

「我慢できなくなっちゃったのよ、困った子よねぇ」

 

「ア、アリーゼぇ!!」

 

 

アリーゼとリューがベルを見つけたのか話しかけては、むっつりだとか揶揄われたリューが顔を真っ赤に叫びあがる。そんな光景を、何をやっているんだ小娘共は・・・と若干ベルに余計な知識を植え付けている件について物申したいところではあったが、アルフィアは手提げバックに入れていた羊皮紙をザルドへと渡した。ザルドは「叔父さん、お腹すいた。じゃが丸君も入れて」とか言ってきた金髪幼女に「入れていいのか?」と言いながらもじゃが丸君をスープの中に入れた物を渡して、片手で羊皮紙を受け取り目を向けた。

 

 

×  ×  ×

ベル・クラネル

Lv.1

力:I 0

耐久:I 0

器用:I 0

敏捷:I 0

魔力:I 0

 

■スキル

雷冠血統(ユピテル・クレス)

・早熟する。

・効果は持続する。

・追慕の丈に応じ効果は向上する。

 

 

 

 

 

×  ×  ×

 

 

ザルドは羊皮紙を見つめるのをやめて、「見せて!」とジャンプしている金髪幼女の頭を押さえてアルフィアに目を向ける。

 

「おい」

 

「・・・・」

 

「稀有なスキルだな。」

 

「・・・・」

 

「見せて!」

 

「五月蠅い」

「喧しい」

 

「ひぐぅっ!?」

 

しつこくぴょんぴょん飛び跳ねて誰か(ベル)のステイタスが記載されている羊皮紙を見ようとするアイズにザルドがチョップ、アルフィアが拳骨をかます。頭頂部を貫通して全身に響き渡る衝撃に金髪幼女は呻き声のような悲鳴をあげて、体をぐわんぐわん揺らした。超短文詠唱よりも早い、されど加減された打撃が金髪幼女を襲ったのだ。

 

 

「神々に知られれば間違いなく取り合いになるぞ」

 

「知っているのは私達を除けば主神のアストレアだけだ。問題ないだろう」

 

 

アルフィアはザルドの持つ羊皮紙を回収し、視線の先で、姉貴分にちやほやされているベルを納めながら心配するように溜息を吐く。

 

「成長補正・・・俺達の時代にあればどうなっていたものか」

 

「たらればなんぞ、言うだけ無駄だろうに。それにあの子が『冒険者』になるかは別の話だ。」

 

「・・・平穏に生きてほしい、だったかお前の望みは」

 

「・・・・」

 

「ベルはスキルを知っているのか?」

 

そもそもベルに『恩恵』を与えるのを許可したことがザルドとしては意外だった。

度々「英雄にならないといけない」と焦るようなことを言うベルをアルフィアが心配していたのは知っていたし、だからこそ、『冒険者』にはしないと思っていたからだ。

 

しかし、アルフィアは抗争中、仕方がないとはいえ碌に外出ができなかった――我慢させていたこと、7歳になったことも含めて何か欲しいものでも与えるかとベルに希望を聞いたところ「お義母さんと同じのが欲しい」と言われてしまったのだから、がっくりと折れるしかなかった。背中に刻んだ『恩恵』を嬉しそうに見せてくるベルを見て複雑なものを感じながらも妹譲りの笑みを浮かべる甥を見れたのは嬉しくはあった。

 

「いや、あの子にはただ『恩恵』を刻んだだけでスキルについてはそもそも知識がないから知らない。鏡越しに『恩恵』を見て満足しているらしい」

 

「ほう」

 

「だが念のため、見られてもいいように文字を潰したものを羊皮紙に写してらった」

 

「アストレアにも、小娘共にもベルをダンジョンに入れるなとは言っている。私達の存在があの子を焦らせる要因となって無茶をされては堪ったものではないからな」

 

「まだ10にもなっていないガキをダンジョンに入れるか?」

 

「それをいつの間にかベルの横に座って食事をしている娘にも言ってみろ」

 

「・・・・・」

 

 

いつの間にかベルの隣に座り込んでスープを口に運ぶ涙目の金髪幼女。

その頭頂部に出来上がった立派なたんこぶにアリーゼが「ぶふぉwww」と吹き出し、たんこぶをちょんちょんと突くたび睨まれていた。

 

 

「まぁお前自身、若くしてLv.7に至っているのだから他人のことは言えんか」

 

「私はあの子には剣を握らなくていい人生を歩んでほしい」

 

「だからと言って縛るつもりはないのだろう?」

 

「当然だ。これはあくまでも私の希望、あの子を縛っていい理由にはならない。だからこそ、私達がいなくなった後―――あの子を任せられる者達をより強くしなくてはならない」

 

「【アストレア・ファミリア】はお前のお眼鏡に適ったのか?」

 

「さぁ・・・どうだろうな」

 

 

食事を終えたベルを、隣に座っている金髪幼女が「じぃー・・・」と見つめ、ベルが困ったようにアルフィアに視線を送ったりアリーゼやリューの顔を見やったりキョロキョロ。

 

「・・・・体の方はどうだ」

 

「あの子は、問題ない。体が弱いのは今だけだろうと言われた・・・この後も治療院に寄っていくつもりだ」

 

「お前の方は」

 

「・・・・薬は貰っているがいつまで効果を得られるかわからん」

 

「お互い似たようなものか」

 

 

互いに、治療院から処方された薬を服用している。

少しでも長く、ベルといるために。

それでも治療の効果が出ているわけではなく、進行を遅らせている程度。

改宗した際に新しいスキルが発現することもなく、タイムリミットは少しずつ迫ってきているのを日々、2人は身を以て感じている。残りの時間で何ができるか、何をしてあげられるのか、あいつはきっと泣くんだろうな。そんなことを言いながら金髪幼女に強引に頭をモフられはじめたベルをそろそろ救出してやるか、とアルフィアは一歩前進。

 

「あいつと思い出作りでもするか? そうだな・・・ゼウスと同じように『神聖浴場』でも・・・待て待て待て、冗談だ、やめろ!? ゴミを見る目で目潰しをしようとするな!? 必殺の一撃みたいにピースから繰り出そうとするな!?」

 

俺はそんなことする気はない!! 断じてだ! 冗談で言ったザルドに対しアルフィアは「でもお前は【ゼウス】だろう」と極寒の眼差しで人差し指と中指で目潰しを繰り出す。それを首を右に、左にと動かして躱すザルドは必死に弁明。Lv.7の謎の攻防に周囲の冒険者は「おぉー」と感嘆の意を零している。「そもそもベルの奴は、お前や『正義』の眷族共に入れられているんだろう!? 覗きなんてする必要ないだrrrrってやめろ!?」と焦る焦る。アルフィアは断じて、ベルの父親のような醜聞塗れの男に育てるのは断固拒否なのである。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・」

 

「・・・・」

 

「いい加減、あそこで困っているベルを何とかしてやれ」

 

「・・・女神に小娘共に、ゼウスがいたら嫉妬しそうだ」

 

「まぁ糞爺(ゼウス)でさえ敬意を表していた女神だからな」

 

「はぁ、やれやれ」

 

 

アルフィアは金髪幼女に「君、どこの子?」なんて言われてまじまじと見つめられ困惑しているベルを救出しに向かう。

 

「ベル、そろそろ行こう」

 

「あ、お義母さん・・・うんっ」

 

「・・・おばさん、この子d―――ふぎゅっ!?」

 

 

つい先ほど拳骨を喰らった幼女の頭に福音拳骨(ゴスペルパンチ)が見舞われた。

ドゴッッ!! と。

金髪幼女の頭からヤバイ音が鳴った。

瞬きの間とかそんな次元じゃない神速の拳は『殴られた』という結果だけを残し、ベルは肩を揺らしてビビり、金髪幼女はぐわんぐわんと頭を揺らす。「わぁ、お星さまがいっぱぁい」なんて言ってすらいる。

 

「誰がおばさんだ? ん?」

 

「お、お義母さん、殴って大丈夫なの?」

 

「ああ、この小娘は頑丈に・・・いや、特殊な訓練を受けているから問題ないんだ」

 

「きゅぅぅ・・・」

 

「きゅぅぅって言ってるよ?」

 

「小娘共、こいつを連れていけ」

 

「え、えぇー・・・」

 

「アルフィア、さすがに私達はもう小娘と言われる年齢ではありません」

 

「どこぞの王族(ハイエルフ)と比べれば貴様なんぞ小娘であることに変わりなかろう?【疾風】」

 

「リ、リヴェリア様を侮辱するようなことを言うなぁ!?」

 

「私はまだ一言も【九魔姫】とは言っていないが?」

 

「うぐぅっ!?」

 

「リオン、貴女の後ろに【九魔姫】がすごい顔して見てるわよ?」

 

「ひぃっ、ち、違うんですリヴェリア様っ!? こ、これはッッ―――っていない!?」

 

「ぶふぉwww」

 

「ア、アリーゼぇ!?」

 

 

目を回す金髪幼女を背負ったアリーゼはリューを連れて彼女の保護者の元に向かい、アルフィアはベルの手を握ってその場を去る。ベルは久しぶりの外出が嬉しかったのか、周囲をキョロキョロ見渡していた。

 

 

「この間まで、戦ってたんだよね?」

 

「・・・ああ」

 

「みんな、なおる?」

 

「オラリオにいる連中は存外しぶとい。その内、都市の復興も終わるだろう」

 

 

それでも、天に還った者達が帰ってくることはないだろうけれど。

その辺り、ベルが理解できるかと言われればきっと難しいだろうとアルフィアはどういう言葉を使うべきか迷って結局何も言えずに終わる。

 

 

 

×  ×  ×

【ディアンケヒト・ファミリア】治療院

 

 

「はい口を開けてください」

 

「あー」

 

「・・・はい、もういいですよ」

 

 

都市を一通り見た後、アルフィアはベルを連れて治療院に足を運んでいた。

自分の持つ不治の病のこともそうだが、血を引いているベルもまた同じように病を患ってしまう可能性があるのでは?という懸念から定期的に来るようになっているのだ。ベル自身、暮らしていた田舎から都市に来たことで環境の変化についていけなかったり、「英雄にならなきゃいけない」と焦ったりと幼いくせにストレスを抱えてしまうせいで病弱とは言わないが体が弱く、つい先日も熱を出してしまっていた。これではアルフィアも安心できなかったのだ。

 

精緻な人形という言葉が真っ先に思い浮かぶ小柄な少女が、ベルと対面する形で椅子に腰かけ健診する。ベルも華奢だが、アミッドと呼ばれる少女はベルと年上であるにもかかわらず小柄でその彼女の仕事ぶりは文句なしなのだが、やっぱり『お医者さんごっこ』している感がすごかった。アルフィアは思わず変化のない表情でありながら笑みを堪えるように唇をぴくぴくと痙攣させてしまう。

 

 

「あの・・・私は真面目にやっていますので、笑われるのは」

 

「・・・いや、すまん」

 

「先日、ベルさんが熱を出されたそうですが?」

 

「ん? ああ、ただの風邪だった」

 

「そうですか・・・念のため、薬を出しておきましょうか?」

 

「ああ、頼む」

 

「アミッドちゃん、もう服着てもいい?」

 

「『ちゃん』じゃありません、私、貴女より年上なんですよ?」

 

「えっ」

 

 

だって、僕とそんなに変わらないじゃないですか。なんて言おうとした兎に反応して、アミッドはデコピンで黙らせた。「ふぎゅっ!?」という呻き声が聞こえた気がしたが知らない。知らないったら知らない。仲良くしてくれるのは嬉しいけれど、大人しく診察を受けてくれるのは大変ありがたいことだけれど、それとこれとは別なのだ。女性はいつだって若く見られたい、けれど、子ども扱いされるのは嫌。非常にデリケートなところに兎が片足つっこみかけたのが悪いのだ。

 

アミッドはベルに上着を着るように促すと、そそくさとベルのカルテに心音から血圧から何から「異常なし」と描き備考欄に「ちょっと生意気」と書き記した。診察室を出て、たまに咳をするらしいベルに念のため、そしてアルフィアの持病のため2人の薬を用意する。真面目に仕事をこなしているだけなのに、容姿のせいか、どうしても背伸びしているお子様感が出てしまうアミッドに・・・なんならお立ち台まで使っているところに、やっぱりアルフィアは堪えきれないものを感じてぷるぷると肩を震わせてしまう。

 

 

「手伝おうか?」

 

「ムッ・・・結構です。お客様に仕事を手伝わせるなんて、あってはいけないことですので。ええ、どうぞどうぞそこでお座りください?」

 

「アミッドちゃん、足ぷるぷるしてるよ?」

 

「へっ、きゃっ、なんで入ってくるんですか!?」

 

 

いつの間にかカウンターへと入ってきたベルがアミッドのお立ち台を抑えていた。

お立ち台の上でつま先立ちになって、ぷるぷるしていたアミッドは動揺のあまりバランスを崩しベルを押し倒す形で倒れてしまう。「むぐぅ!?」と潰れた兎の悲鳴がアミッドの胸元で聞こえた気がしたが、アミッドは転んでしまったことが何より恥ずかしかった。

 

 

「ああ、ベルさん!? 大丈夫ですか!?」

 

「きゅぅぅ・・・」

 

「入って来てはダメなんです! 関係者以外立ち入り禁止なんです! 守ってください!」

 

「ばぁい・・・」

 

顔を抑えるベルの手を退け怪我をしていないか慌てて確認するアミッドはしかし、貴方が悪いんですよと注意は忘れない。懐いてくれるのは嬉しいが、ダメなものはダメなのだ。

 

 

「・・・大丈夫か、2人とも?」

 

「らいじょうぶぅ・・・」

 

「だ、大丈夫です・・・アルフィアさんも、ベルさんが勝手に入ってこないようにしてください。久しぶりに顔が見れたのは嬉しいですが、入ってはいけない場所に入られては困ります」

 

「ああ、気を付ける。 ほらベル、もう用も済んだ、帰るぞ」

 

「もうおしまい?」

 

「なんだ、行きたい場所でもあるのか?」

 

「・・・・ない」

 

「なら、帰ろう」

 

「はぁい」

 

 

ブンブン、と手を振るベルにアミッドは軽く手を振って返した。

 

 

 

×  ×  ×

夜『星屑の庭』

 

 

眷族達は帰還し食卓を囲っていた。

1日の報告、雑談も混ざった賑やかな食事だ。

田舎で暮らしていた頃を思い出せばアルフィアによってまるでお通夜のように美味しいザルドの料理も味を感じないレベルには静かだったのに、オラリオに来てからは賑やかでアルフィアもあまりそれをとやかく言うことはなかった。

といっても、アルフィアは特段話を振られない限り会話に混じることはなかったが。

 

 

「【九魔姫】に怒られたわ!」

 

「お前達、アイズに何をした!? と言われました」

 

「他人のステイタスを覗き見ようとしたあの小娘が悪い」

 

「おこちゃまに責任を負わせるのはいかがなものかと」

 

「個人情報だろうに。今度あの年増が文句を言うようなら【ロキ・ファミリア】では個人情報を盗み見るように教育しているのかと言ってやる」

 

「頼むから抗争の原因にだけはしないでくれよ」

 

 

案の定、アリーゼが金髪幼女を連れ帰った際保護者である【九魔姫】――リヴェリア・リヨス・アールヴには「何事だ!?」と詰め寄られた。ベルとの会話(可愛がり)に夢中になっていたアリーゼ達は説明しようにもできず、「えっとアルフィアが、えいやってやりました!」と雑な回答。これには保護者ご立腹。リューが「違うんです、ちゃんと見ていなかった私達も悪いんですが、彼女がベルになぜか詰め寄っていたがために!?」と補足するが、結局わからないものはわからない。「何をした!?」とやっぱり言うしかなったのだ。何せ、たんこぶを作って目を回している幼女を運ばれては抗争が終わったとはいえ心配せざるを得ない。なぜか幼女に喧嘩を売ってくるどこぞの美神のヒキガエルがいたりするのだ、保護者は神経質にもなる。

 

しかし、そんなアリーゼ達の報告をアルフィアは一蹴。

ああ、だめだこの人、たぶん謝ったりしないんだろうな。「私悪くないもん」でグーパンで黙らせるんだろうな。そう【アストレア・ファミリア】の少女達は『大魔導士対戦(ママ・バトルロワイヤル)』に発展しないことを切に願うしかなかった。いやまぁ仲間同士酒を呑みながら「実際【静寂】と【九魔姫】はどっちが強いの?」という話題にならないわけではないが、エルフ2名が苦しそうに「リヴェリア様に決まってる」とか言うが、2人が戦っているところを見たことがない彼女達はほんのちょっぴり気になってしまう。気になってしまうが実際に戦われたら被害がどうなるかわかったもんじゃないし、管理機関(ギルド)からのペナルティを受けるのは嫌だから、勘弁してほしい。

 

 

「はいベル、あーん」

 

 

しかしその心配を余所に、女神の平和そうな顔が目に映る。

ナイフで切り分けた肉をベルの小さな口元へ運んでいた。

それはもう、ニッコニコで。

 

「お、おかあさん・・・」

 

ベルはそんな女神の仕草に、嬉しいような恥ずかしいような、いや、お姉さんたちが見てるからすっごく恥ずかしいんだけどアルフィアにどうしたらいいのかと、というかアルフィアに一番見られたくなかった。女神に甘えている姿なんて。

お前、甘えるのか・・・私以外の女に・・・とか、若干冷たい視線を送られたら立ち直れる気がしないのだ。黙々と食事をとるアルフィアにどうしたらいいのかと助けを求めるもアルフィアは特に表情を変えるでもなく

 

 

「ちゃんと食べろ」

 

 

そう返すだけだった。

ぐいぐいとアストレアが唇に肉を押し当ててくる。

ベルは恥ずかしそうに呻いて、ニヤニヤしているお姉さん達に顔を赤く染めてぱくり、と食べた。

 

「むぐむぐぅ・・・」

 

「ふふ、ベルがいるだけで癒されるわ」

 

「むぐぅ・・・」

 

「戦いの最中とはいえ、エレボスが消えていることに気づけなくてやいやい言われると思っていたのに「え? 別にアストレア様悪くなくね?」みたいに言われたけれど、私はわりとショックだったわ。でもいいの、ベルがいてくれるだけで私の心は回復したわ」

 

「むむぅ・・・」

 

 

まるでひな鳥に餌をやる親鳥のように、料理を次から次へと運んでいく。

アストレアはそれはもう落ち込んでいたのだ。

闇派閥側の邪神達、その1柱がすぐ近くにいたのに逃がしてしまったのだからそれはもう落ち込んだ。なんというかこう、眷族にちょっかい出され、良い様にセクハラするだけして消えていったみたいで気分も悪い。部屋の隅で膝を抱え込んでいる姿に眷族達はそれはもう「嗚呼、おいたわしやアストレア様・・・」と悲しみ、癒し飼兎(ベル)を投入。ラビットセラピーに踏み込んだのだ。部屋に投入された数分後、アストレアに抱き枕にそうするように抱きしめられ、なんならスーハ―スーハ―されているベルの姿がそこにはあった。女神様、復活の瞬間である。これにはアルフィアも「うわぁ」と言わざるを得なかった。

 

そして現在、アストレアはニッコニコしながらベルに餌付けしていた。

 

「はいベル、スープも」

 

「んっぐ、んぐっ」

 

「あとで一緒にお風呂、入りましょうね?」

 

「んぐぅ・・・」

 

「よかったわねぇベル~」

 

「アリーゼさんからかわないでぇ!?」

 

「いいじゃない別に、役得よ役得。湯船に浮くアストレア様のお胸をちゃぷちゃぷ突いたり撫でたり揉みしだいたり・・・うん、私も入るわ!」

 

「イスカ達がベルの寝間着を買ってきてくれたし・・・ふふ、着せ替えるのが楽しみ」

 

「ほう・・・詳しく聞かせろ」

 

「お義母さん!?」

 

 

会話に混じってきたアルフィアにベルが驚く。

ベルの新しい寝間着がよほど気になるらしい。というのも、度々少女達が「これ、あの子に似合うと思うの!」と買ってくることがあった。中には明らかに女性ものがあったが、なんなら白髪のウィッグもあったりしてアルフィアはひそかに親指を立てたりもしたが、うっすら涙をためるベルの姿に(メーテリア)を見た気がしたが、なにかこうアルフィアの中で定期的にベルにその手の恰好をさせようかと思うほどには刺さっていた。

 

 

「今回はね、市場(バザール)でアルミラージの着ぐるみパジャマがあったらしいのよ。もこもこしていたわ」

 

「ほぉ」

 

「ぼく、おもちゃにされてる」

 

「仕方ないわベル! 末っ子はね、そういう運命を辿るのよ! リオンだってベルが来るまで末っ子でみんなの玩具だったんだから! メイド服着せて見たり、恥ずかしい恰好とかいっぱいさせたわ!」

 

「リューさんがメイドさん・・・メイドさんってなに?」

 

「なんでもしてくれる人のことよ」

 

「リューさんなんでもしてくれるんですか!?」

 

「言い方ァ!?」

 

「あれ、でも待って・・・ベルは末っ子だけど・・・アルフィアも後輩みたいなものよね? うん、そうよ。末っ子が2人みたいなもの。つまり、アルフィアに何をしても許されるんじゃ―――」

 

「【福音(ゴスペル)】」

 

 

冒険者としては大先輩だとしても、派閥内でいえばアルフィアは後輩。

ならば、先輩の言うことは絶対では?

それなら、いつものドレス以外の恰好をさせてもいいわよね?

そんなアリーゼの思惑は、3秒も満たない刹那の音の暴力でかき消された。

『星屑の庭』には風穴が空き、アリーゼは庭で瓦礫の中に埋まって静かになった。団員達は哀れな団長に黙祷を捧げながら、「明日【ゴブニュ・ファミリア】行ってくるわ。修理頼まねえと・・・」というライラによろしくと頭を下げる。アストレアはびっくり仰天ベルを抱きしめているし、ベルは視界から消え失せたアリーゼに故郷での暮らしを思い出してフリーズした。

 

 

「懲りないな貴様も・・・・・」

 

 

瓦礫の中で親指を立てながら静かになった団長に涙を禁じ得ない団員達。

涼しい顔するアルフィアは何事もなかったかのようにフリーズしているベルの頭を撫でる。

 

 

「ベル、私達もお前で遊んでしまっているが・・・そうだな、欲しいものがあるなら、言ってみろ」

 

「・・・・欲しいもの?」

 

「ああ、なんでもいいぞ? 金ならそれなりにあるからな」

 

 

派閥の金じゃねえだろうな、と言いたくなったが抗争の間碌に外も出ずに本拠で留守番してくれていたのだから少しくらいはいいだろうと黙り込む。ベルは少し考えるようにして、アルフィアを見つめながら口を開く。

 

 

「叔父さんとお義母さんが元気になるお薬が欲しい!」

 

「―――っ」

 

 

良い子!!

まっすぐなベルの願いに、姉達は浄化されるアンデッドの気持ちを理解した。

それが叶うことがないことを知るアルフィアは嬉しい反面、苦虫を嚙み潰したように申し訳なくなってベルのことを抱きしめた。ベルに気づかれないようにしていても、子供というのは大人が思う以上に時折勘が鋭い。2人がいなくなるまで、そう長くはない。



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はじまり③。

前日譚みたいにしたいのに上手くできない。


アストレア・レコード書籍化に狂喜乱舞しています。
かかげ先生が挿絵担当だそうで、なお嬉しいです。
でもアストレア・レコードと原作14巻が読み返せません(つらい)。


 

 

活気が満ちる迷宮都市オラリオ。

今日も多くの亜人で賑わい、旅人が、商人が、そして冒険者が喧騒を織りなしていく。

そんな都市の南方、繁華街の一角で、周囲と異なった喧騒を広げる場所があった。

 

戦いの野(フォールグヴァング)』。

 

四方を壁で覆われた、都市最大派閥【フレイヤ・ファミリア】の本拠である。

 

 

「――ぉおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

 

 

白や黄の小輪が揺れる美しい原野が広がり、敷地の中央の丘には『神殿』あるいは『宮殿』と見紛う巨大な屋敷が建っている。都市の中にあって世俗から切り離された雄大な光景は一枚の絵画のようですらある。そこで繰り広げられているのは、激しい『殺し合い』だ。

 

 

ガツン、ガツン、と鉄のぶつかる音なのかと疑問に思うほどには重たい音が響き火花が散り、血潮が飛び散っては足元を赤く染め、衝撃波が空気を揺らがし、はた迷惑なことに近隣の建物にまで被害を及ぼしていた。そして、初めて見る叔父の本気(ガチ)

大剣と大剣がぶつかっただけで都市が揺れるとまで言われるほどで、そんな衝撃に安全圏で見ていたとはいえ、幼い兎は後ろにひっくり返ってしまい無様な悲鳴が響いた。

 

 

「・・・大丈夫、ベル?」

 

「・・・うぅぅ」

 

「あんまり近づいてはダメよ、ベルは軽いんだから」

 

 

原野での戦いが見える距離で巻き込まれることがない場所でお茶でもしながら観戦していたのはベルとアストレアとフレイヤ。アストレアとしては【フレイヤ・ファミリア】の所に行くのは嫌だったし、アルフィアもまた女神フレイヤにベルを会わせるのは「喰われる」という意味で反対していたのだが、色々あって行かざるをえなかったのだ。

 

 

「ふふふ、兎さんったらよっぽどザルドに構って欲しかったのね」

 

「むっ」

 

 

フレイヤが頬杖をつきながら微笑を浮かべ、ベルは不満そうな顔を表に出した。

ベルとアストレアが『戦いの野(フォールグヴァング)』に来たのは、言ってしまえばオラリオに来てからというものザルドが碌に相手してくれないから―――なのだ。

【ロキ・ファミリア】で給食のおばさんならぬ叔父さんでもしていると聞いていたのに、若輩の育成に協力しているとか聞いたのに女神と一緒に会いに行ってみればロキに「ん-・・・あいつ最近、フレイヤんとこの猪育てとるからなぁ・・・そっちにおるんちゃう?」と言われたのだ。これにベルは珍しくご立腹。ただでさえ現在ベルを除く【アストレア・ファミリア】の眷族達は『地獄の合宿(しょうえんせい)』に出てしまっているというのに。

 

 

×   ×   ×

『星屑の庭』少し前のこと。

 

 

「・・・・というわけでベル、悪いが数日ほど留守にする」

 

 

何が「というわけで」なのかとベルは思った。

アリーゼ達もまた顔を真っ青にして、「ベル、貴方に会えて私幸せだったわ・・・」「私この『小遠征』が終わったら・・・ベル君と結婚するの」「ああ、アストレア様、今日もお美しい・・・ちょっと谷間に顔を失礼させてくださいお願いします後生です」「最後のガラスをぶち破ってこの場を脱したい・・・」とか言っているし、ベルはわけわかめだった。事の発端は、【アストレア・ファミリア】が敵対していた派閥の罠に嵌って全員が死にかけたことにあった。ダンジョンが大爆発して階層間が崩落、生き埋めにされるも何とか生還。けれどその直後、異音が響いたと思ったら謎の初見殺しモンスターが出現。1人の団員が犠牲になる寸前、いや、もう走馬灯を見ていた刹那の時間、そのモンスターの姿を誰よりも早く視認したアルフィアが庇ったのだ。結果としては全員が何とか生きて帰ってきた。しかし、アルフィアもそのモンスターと遭遇したことはなかったようで「魔法が効かないのはずるくないか?」「貴方が言わないで・・・」「ぐすっ、ひっく・・・うぇっうぇっ」「リオン、いい加減泣き止めよ」「漏らしたか小娘」「漏らしてない・・・ぐすっ」なんて言って帰ってきたが全員火傷やら裂傷やらしていることに変わりはないし、アルフィアに至っては初撃を防いだ時に左腕を肘から下を切断されたらしく右手で取れた左手と握手した形で帰ってくるものだからベルは悲鳴を上げて倒れた。無理もない、大好きなお義母さんが血まみれで、取れた左手と握手していて、「ただいま」と言っているのだから。アストレアとてこれにはドン引き。

 

「貴方達まず治療院に行きなさい!」

 

「で、でも!?」

 

「でもじゃない!」

 

「アルフィアがまず本拠に帰るべきじゃないかって」

 

「団長は貴方でしょうアリーゼ!? アルフィアもアルフィアよ!?」

 

「これくらい綺麗な断面ならくっつくだろう?」

 

「そういうことじゃないの! 蜥蜴(とかげ)じゃないのよ!? なにより、愛息子(ベル)が気絶しちゃったじゃない!! また「お義母さん達がいなくなるまえに黒竜倒さなきゃ!」って言って本拠を飛び出したらどうするの!?」

 

アストレア様、大☆激☆怒。

ぷらんぷらん左腕を振って切断面からビチビチ血を振りまくアルフィアに「貴方・・・痛覚って知ってる?」と言えば「ああ、産まれてこの方長い付き合いだ」と肩を竦めて言い返されて痛む頭を押さえてフラフラ。気絶したベルを抱きかかえて神室に引きこもることにした。というか、その際に「治療院でちゃんと治してくるまで全員帰ってこないで」とあろうことか自分の眷族を出禁にした。それからしばらくして、どうやら治療院で某聖女様が顔を真っ青にして「なんで涼しい顔しているんですか!?」なんて言わせて、治療が終わって、次の日には帰ってきて、アルフィアが【アストレア・ファミリア】に課す訓練の度合いがヒートアップ。さらには地獄の小遠征をすることを独断で決定したのだ。アリーゼ達が「え、ちょっと待ってアルフィア様?」なんて口を挟むと「黙れ、喋るな、お前達に発言権はない。生まれてきたことを後悔させてやる」と言わんばかりに圧力で黙らせられた。

 

そして。

 

「・・・・というわけでベル、悪いが数日ほど留守にする」

 

である。

まったくもってわからない。

アルフィア閣下、言葉が一言も二言も足りない。

アルフィアの真意はこうだ。

 

 

「私が死んだらベルにはお前達しか頼れる相手がいないのに、まんまと罠に嵌って・・・私がいなかったら全滅か1人が生き残って復讐ENDだ。馬鹿なのか? それであの子の「嫁になりゅ!」だと? 言語道断だろうに!! よし決めた、お前達が全員Lv.6になるまで殺す、殺し続ける。殺して殺して殺して間引いてやる。安心しろ、生きていれば帰れる。 私が安心してあの子を任せられるくらいにはなってもらはなくては!」

 

 

罠だとわかっていても向かって行ったことはまだ良い。

ただ、死にかけたことだけが許せなかったらしいのだ。

 

 

「アストレア様と仲良くね」

 

「新妻アストレア様に、裸エプロンとかしてもらうといいよ」

 

「いやほんと、アストレア様が新妻とかそこはかとない背徳感が・・・はぁ、はぁ」

 

「アストレア様も・・・ベルを私達だと思って可愛がってあげてください」

 

 

遺言のようなことを言い残して、少女達は出て行った。

まるで重力魔法でもくらったかのように足取りは重たかったけれど。

 

 

 

 

×   ×   ×

戦いの野(フォールグヴァング)

 

 

ベルはアルフィアが大怪我して帰ってきたことや、その日以降アルフィアが一緒にいてくれない日が増えてきたこと、ましてや長期間留守にするとあって、ふつふつと不満が胸の中をチクチクしていた。忙しいのはわかるけど、僕だってお義母さん達と出かけたり遊んだり・・・と子供ながらの欲求が叶わず封じられる。アストレアと2人きりで数日過ごした頃にあまりにも居た堪れないベルに何か行きたいところとかはないかとアストレアが聞いてみれば「叔父さんのところ」というのだから、【ロキ・ファミリア】に行ってみれば案の定、ザルドは【フレイヤ・ファミリア】で猪を育てていると来たもんだから、ロキにザルドの居場所を聞いた際ベルは不満が爆発した。

 

「ザルド叔父さん、僕が剣教えてってお願いしたのに、なんで猪育ててるの!?」

 

「ベ、ベル!?」

 

「お義母さんも最近、全然一緒にいてくれない!」

 

「お、おう・・・大丈夫か自分? アイズたんに会ってくか?」

 

「おかしい・・・おかしいよ・・・おかしいですよね!? 僕、英雄にならなきゃいけないのに、何も教えてもらえない! 叔父さんはそんなに筋肉がいいの!? お義母さんは・・・その、えと、何が良いの!?」

 

「思いつかないなら無理に言わなくていいのよベル・・・寂しいですって言えばいいのよ・・・?」

 

「アストレア様、ぼくっ寂しい!」

 

「よしよし、そうよね、寂しいわよね・・・はぁ、行ってみましょうか【フレイヤ・ファミリア】」

 

 

そんなこんなで致し方なく、なぜかあっさり『戦いの野(フォールグヴァング)』に入れてしまって、なんならフレイヤが「お茶でもどう?」とベルのことをまじまじと見つめながら誘ってきて観戦することになった。Lv.7とLv.6の殺し合いを。都市を揺らすほどの衝撃に、何度か立って観戦していたベルがひっくり返って結局アストレアに抱き着くに至っている。

 

 

 

 

「むぐむぐ・・・叔父さんもお義母さんも最近変だよ・・・」

 

「そうね、2人ともあんまりよね」

 

「ここに来ればザルドに毎日会えるわよ?」

 

「あの庭、血の匂いがして()()から嫌です」

 

「・・・・く、臭っ!?」

 

 

絶賛、大剣と大剣がぶつかり合い、拳が筋肉を叩き合いオラオラと叫び合う。そんなおっさん同士の戦いをチラチラとやっぱり興味があるのか、けれどアストレアからは離れず彼女の腕に抱き着いてアストレアにお菓子を口に放り込まれるベルと最近あの2人焦ってないかしらと思うアストレア。2人とも体調面の話を全くしてくれないからアストレアとて2人が何を考えているのかわからないのだ。アルフィアがアリーゼ達がまんまと死にかけたことに激怒していることは仕方ないにせよ、少し急ぎ過ぎではないかと疑問がどうしても浮かんでしまう。そして子供ながらの率直かつ鋭い言葉の斬撃が、「臭い」と言われたことがフレイヤの微笑を引き攣らせてしまう。

 

 

「フレイヤ様みたいな女神様のこと、『やりさぁのひめ』って言うんですよね?」

 

 

どこで覚えてきたのかその言葉。

まだ7つの少年が口から放っていい言葉ではないというのに。

可愛い顔から出てきた言葉に、アストレアとフレイヤは飲み込もうとした紅茶が変なところに入って揃って咳き込んだ。殺し合いをしている、おっさん2人でさえその第一級の聴覚から内容を拾ったのか足を滑らせてしまうほどだ。確かにフレイヤは気に入った相手なら男だろうが女だろうが喰うだろうが、欲しいものを手に入れるためなら「今日一日私の体を好きにしていいわよ」なんて言っちゃうけれど、いくら何でもそれはないだろう・・・・とアストレアは擁護しようとして、「あれ、擁護する要素がわからない」とやっぱり頭を痛めた。

 

 

「こほんっ・・・ねぇベル知ってる? 幼い頃に女神のお乳を飲むと体が丈夫になるのよ?」

 

「・・・そうなんですか?」

 

「そうなの。 あそこで戦っている猪人(オッタル)を見て頂戴? どう思う?」

 

「すごく・・・・大きいです」

 

 

だからその言葉遣いはどこで覚えてきたのか。

 

 

「立派でしょ? 昔、あの子を拾ったときはいつ死んでもおかしくないくらいだったのに、大切に育ててあそこまでなったのよ? ・・・・すごく、大きくなったのよ?」

 

「あの顔でフレイヤ様のおっぱい吸ってたんですか?」

 

「「ぶふっ」」

 

 

幼いオッタルが、今のオッタルの顔なわけがないのに何を想像したのこの子は・・・とアストレアとフレイヤはまたまた思わず吹き出した。オッタルは自分が話のネタにされてしまっている、間接的というか近くて遠い場所からフレイヤに苛められていると感じ取り、また足を滑らせ片膝をつき背を反らし、いわゆるズッコケ体勢でそこに大剣を叩きつけてきたザルドの攻撃を腰と背中に悲鳴を上げさせながら必死に耐えていた。「その程度かクソガキぃいいい!」とか「う、うおぉおおおおおお!?」とかオッサンが叫びあがっているが、女神と少年の会話はなおも途切れない。まだお昼過ぎだというのに、話のネタが酷いのだ。

 

 

「ベルはよく体調を崩すってザルドから聞いたわ・・・アストレア、ダメじゃない」

 

「何が・・・かしら」

 

「お気に入りの子なら、ちゃんとお乳を吸わせてあげないと」

 

「出るわけがないでしょう!?」

 

「そこは【戦場の聖女(デアセイント)】に母乳のでる薬でも作ってもらえばいいじゃない『神秘』持ちならできるでしょう?やらないだけで。・・・それに吸うくらいなら出る出ないは関係ないでしょう? ねえ、ベル? 大好きな女神様の胸、好きにしたいわよね?」

 

「・・・?」

 

「フレイヤ、ベルにはそういうのはまだ早いわ。変なことを教えないでくれないかしら」

 

「あら、早いに越したことはないでしょう? なんだったら私が相手してあげてもいいのよ?」

 

「相手ってなんのですか?」

 

「ダメよベル。そんなのダメ。他所の女神はダメ、浮気よ浮気」

 

「ぼく、アストレア様がいい!」

 

「ヨシヨシ」

 

 

女神の乳を吸うと体が丈夫になる。

まったくもって真偽が定かではない、フレイヤの言。

現在ザルドと戦っているオッタルは確かにフレイヤが拾ったらしいのだが、衣食住と環境が整っていれば後は本人の努力次第なのではないかとアストレアは思うし、やっぱり女神の乳は関係ないだろうと思う。もし本当に女神の乳を飲めば体が丈夫になるのなら、今頃、デメテル牧場が出来上がってデメテルは日々、絞られまくっているに違いないのだ。何せあの破壊力抜群の乳房(ぶき)をお持ちだからネ!

 

 

「・・・・はっ!」

 

「「どうしたのベル?」」

 

何か、思いついたのか。

或いは、何か閃いたのか。

いや、やっぱり、私の胸に興味が・・・? 男の子だものね・・・? 2人きりの時になら・・・いやいやでもやっぱりまだ早いような?と思うアストレア。

 

ベルは目を見開いてザルド達の方を見つめ、けれど先程よりもフレイヤに連れて行かれないようになのかアストレアに密着しているベルは口を開いた。

 

 

「叔父さんは・・・だから、フレイヤ様のところに来たんだ!」

 

「「・・・・ん?」」

 

「ロキ様は・・・男神・・・様・・・だから?」

 

 

×   ×   ×

『黄昏の館』

 

 

「誰が無乳やねん、ぶっ殺すぞ!!」

 

 

神室で己の机を思いっきり殴り飛ばしてロキは叫び散らした。

部屋中には酒の瓶が、空のものも含めて散乱しておりとても女神が過ごしている部屋とは思えないほどには汚い。

 

偶然にもそこを通りかかった眷族は、ビクゥッと肩を揺らして「すんませんっしたー!」と走り去って行った。

 

 

×   ×   ×

戦いの野(フォールグヴァング)

 

 

「ベル、ロキは女神よ」

 

「あう、えと」

 

「「内緒にしてあげるわ」」

 

「えへへ」

 

「「はぁ・・・尊い、可愛さの暴力っっ」」

 

「?」

 

「「つづけて?」」

 

「あ、はい! それでそれで、ザルド叔父さんはフレイヤ様のおっぱいを求めてここに来たってことですよね!?」

 

 

まさかのベルからの物言いにザルドはグサッと槍で突きさされるようにショックを受けてすっころんだ。そこへオッタルが「仕返しだザルド、死ね」と大剣をギロチンのように振り下ろしそれをザルドが「舐めるな、乳離れもできんクソガキが」と打ち返した。なおオッタルはザルドに対して「あそこで女神に抱き着いている兎にも同じことを言ってみろ」などと言い返し、「10歳もいっていないガキとお前を一緒にするな!」とやはり言い返された。

 

 

「叔父さんって『ふだんし?』だから」

 

 

グサグサッ。

事実だけど言い方をどうにかしてくれないか、ベル。

誰にその言葉を教わったんだ?

良くない教育をしている奴がいるな。

 

ザルドは精神にダメージを負っていた。

戦いはまず精神攻撃は基本とはいうが、まさか直接戦っている相手ではなく観戦している側からだとは誰が思うか。

 

 

「えっと・・・ザルド叔父さんとあの猪人の人がフレイヤ様のおっぱいを仲良く分け合ってるんでしょう?」

 

「えー・・・・っと・・・アストレア?」

 

「私は知らないわ・・・貴方が始めた会話でしょう?」

 

「だから、つまり、ザルド叔父さんと猪人の人は、きっと『あなきょうだい』ってやつなんですよね? よかった・・・叔父さんにも家族はいたんだ」

 

 

なにがつまりなんだよ。

よかったじゃねーよ。

俺にも家族(ファミリア)はいたけど、こいつはちげーよ。

 

ザルドもオッタルもだいたい似たようなツッコミを心の中で叫びながら2人して精神ダメージを負って滑りこけた。

 

 

「ねぇベル、誰に教わったのかしらその言葉」

 

「それを言っちゃうと私が食べた男達はみんな兄弟ね・・・ベルもなってみる?」

 

「いーやーでーすー」

 

「やめて、ベルを汚さないで頂戴! 汚れを知らないこの子は私が大切にするって決めているのよ!? でもベルに変な言葉を教えている人にはお礼をしなきゃいけないわよね?」

 

 

誰が教えたの?

女神2柱が。

おっさん2人が。

ベルへと視線を送っていた。

ベルはうーんうーん、と脳みそを回転させて「ロキ様とー」「ヘルメス様とー」「眠れなくて本を読んでくれた輝夜さんに本の中にあった『嬲』って字をなんて読むの?って聞いたら教えてくれました」とニコニコとゲロった。その瞬間、2柱の神と1人の美姫が寒気でも感じたかぶるっと体を震わせたことは誰も知らない。

 

 

「・・・・コホン、とにかく・・・とにかく、よ。ベル、女の味を知りたかったら私の所に来なさい? アストレアを悦ばせる方法も教えてあげるから」

 

「アストレア様を喜ばせる・・・アストレア様はどうしたら喜んでくれるんですか?」

 

「う、うーん・・・・ベル、そろそろ帰りましょうか? 夕飯の支度しないと・・・。もうこれ以上、変な話は嫌だし・・・うん、帰りましょうか。デメテルのところで卵を分けてもらったしオムライスでも・・・」

 

 

フレイヤの言っていることがわかっていないベルは、大好きな女神様を喜ばせるにはどうしたらいいのかと頭を唸らせる。アストレアに手を引かれて去り際にフレイヤと原野で余計に疲れているおっさん2人にも手を振り『戦いの野(フォールグヴァング)』を後にする。なお、オッタルの前で一度しゃがみ込んだベルは、じぃーとオッタルのことを上から下へと視線を泳がせた後に「叔父さんより筋肉ないね」と言って子供故に正直に言葉の刃をぶっ刺していき、「あ、お義母さんはどうやったら喜んでくれるかフレイヤ様に聞けば教えて・・・」などと口にしてしまい「いろいろアウトだからやめなさい」と強めの口調でアストレアに注意された。

 

 

 

 

×   ×   ×

数日後、『星屑の庭』

 

 

【アストレア・ファミリア】の眷族達が『地獄の合宿(しょうえんせい)』から帰ってきた頃。

迷宮都市オラリオに、1つの大きなビッグニュースが出来上がっていた。

それは、ここ数日、ほんっとうに迷惑なほどに都市を揺るがしていた元凶である【猛者】と【暴喰】の殺し合いが終了し【猛者】オッタルがLv.7に至ったのだ。

 

 

「『【猛者】オッタル、Lv.7に昇華(ランクアップ)。オラリオが誇る冒険者から3人目のLv.7が生まれた』ですって」

 

「3人って言っても・・・ザルドは出て行ったんでしょ?」

 

「ええ、出て行かれたようでございます。【ロキ・ファミリア】にも確認はとりましたので確かかと」

 

 

 

迷宮都市オラリオに、3人目のLv.7が誕生し【暴喰】のザルドはオラリオを出て行った。

元々ザルドは一番可能性のある【猛者】をLv.7にすることを目的としていたらしく、その目的も達成したために旅立つことにしたのだ。

 

情報誌をテーブルで広げ、囲うようにして読んでいる少女達は少し離れたソファで女神に抱き着いて泣き啜っているベルに視線を向ける。

 

 

「ぐすっ・・・ひっく・・・」

 

「よしよし・・・」

 

抱き着いているというか、本人は意図してやっているというのはなさそうだけれど絵面は女神の乳房に顔を突っ込んでいるようにしか見えなかった。アストレア自身大して気にしていないようで、困ったような微笑でベルの頭を撫でて宥めている。少女達もまた、ここ最近というか――ダンジョンで全滅しかけ、アルフィアから『地獄の合宿(しょうえんせい)』へと連行されてようやく帰ってきたりと、とにかくベルを構ってやれなかったこととベルから義母を奪ってしまっていて申し訳なさでいっぱいだった。

 

「そうよね、ザルドは酷いわよね・・・「一緒に神聖浴場でも覗きにいくか! なに、ゼウスがやったんだ、孫のお前にもできるさ!」とか言っていたのに結局やることやったら出て行くんですもの」

 

「ひっく・・・うえぇぇぇぇ」

 

 

7歳児になんで覗きの英才教育しようとしてるんだよ【ゼウス・ファミリア】はと少女達は心の中で抗議した。

 

「覗くくらいなら一緒に入れば良いのではありませんか? 私、ベルならいつまでも一緒に入りますが」

 

「うん、そうね、でも覗きって世間一般的というか常識的にアウトだからそれはファミリア内だけにしてね。もちろん私もベルのことは好きだから一緒に入りたいわ!」

 

「ていうかあいつの祖父、碌でもねぇな・・・アルフィアが言ってたぜ? 昔、胸に手を突っ込もうとしてきたって」

 

「よく生きてたわねゼウス様」

 

「兎の実父と一緒に女湯を覗いたりしてたとかザルドが言ってたような」

 

「禄でもないわね【ゼウス・ファミリア】。良い皆、ベルにそんなことは教えない事。私達ならまだ良いとしても、他派閥に迷惑がかかるようなことは決してダメなんだから」

 

 

ベルの顔も知らぬ父親や大神ゼウスの醜聞を少しだけ聞きかじっていた少女達はベルの教育方針を改めて話し合った。勿論ザルドはきっと冗談で言ったのだろうが、何もすぐに出て行くことないだろうに・・・とは思う。おかげさまでベルはすっかり泣きじゃくっている。女神の乳房は涙でビチャビチャだ。

 

しかし、ベルは知らぬことではあるが。

オッタルをLv.7にした時点で、ザルドの肉体は限界を迎えていた。

つまり、もう永くないのだ。

内側から腐っていく故に、死んだ後の姿をベルが見るのはトラウマになるのではと思ったザルドは「最期くらい主神と酒でも呑むか」とそう言って出て行ったのだ。

 

 

『剣も女も、人生すらも、思い立ったときこそ至宝』

 

 

 そんな大神(ゼウス)の教えを行かないでと喚くベルに残して。

幼いベルにはまだ理解なんてできない。

永遠に一緒にいられないと常言われてきたことではあるが、それでも「今日がその日だ」なんて思うはずもない。だからベルはすっかり落ち込んで泣き出してしまっていたのだ。

 

 

「もっと一緒にいたかったんだろうねぇ」

 

「やりたいこととか?」

 

「剣を教えてほしいって言ってたらしいですよ」

 

「でもアルフィアはベルが『冒険者』になるのあんまりよく思ってないんでしょ?」

 

「本人の意志を尊重するとは言ってましたが、英雄にならなきゃいけないと生き急いでいるところをたまに見るそうで・・・まぁ、母親としては危険なことはせず平穏に暮らしてほしいということでしょう」

 

「ゼウスとヘラが残した子・・・かぁ。プレッシャーでも感じてるのかしら?」

 

「かもしれねぇなぁ」

 

 

すっかり静まり返る【アストレア・ファミリア】。

ザルドとの交流はそこまでなく、料理の腕が女子力を軽く凌駕していて「ベルは舌が肥えているかもしれないから女の子は苦労するんだろうな」と思ったくらいのことがあった程度だ。むしろ彼が居候していた【ロキ・ファミリア】のほうが大打撃だろう。何せ、もうザルドの料理が食べられないのだから。

 

 

どうしたものか・・・と悩む。

こういう場合の対処法を少女達は知らない。

何せ男の子の眷族は今までいなかったのだから猶更だ。

 

 

「ていうか、こんな時にアルフィアはどこに行ったのよ」

 

「・・・まさかアルフィアまで出て行ったんじゃ」

 

「ちょっとネーゼ、余計な事言わないでっ!? ベルがこっち見てる!?」

 

「へっ!? ・・・・あ、や、ちがっ!? ベルっ!?」

 

 

現在、本拠にいないアルフィアに毒づくアリーゼ。

そして口を滑らせるネーゼ。

ネーゼの言葉が耳に入って肩をビクッと震わせて、姉達の方を見て、ぷるぷると震えて大粒の涙を溜めて「わぁぁぁぁん」と再びアストレアに抱き着いて泣きわめく。ネーゼが「違うんだよ!?」と慌てて言うも、アルフィア本人がいないのだからどうしようもない。

 

 

というか。

 

 

「というか、アルフィアと顔を合わせづらい」

 

「「「わかる」」」

 

「こっちから強くなりたいってお願いしている手前・・・ううん、ベルを任されているのに全滅しかけて、アルフィアは間違っていないってのはわかってるのよ?」

 

「「「わかる」」」

 

「でも、小遠征中、常に走馬灯を見ていた記憶しかないのよ」

 

「「「わかる」」」

 

「宿場街の人達が「いい加減やめてくれぇ!!」って言ってくるくらいだし」

 

「「「それな」」」

 

 

18階層の東端で(おこな)っていた実戦形式の『地獄の合宿(しょうえんせい)』。

11人が揃いも揃ってLv.7を囲って剣やら弓矢やら魔法やらをぶち込んで叩きのめそうとして返り討ちにあっていたのだが、あまりにもその戦闘が激しかったのか宿場街の頭目がやって来て。

 

 

「もうやめましょうよこんなこと!! 命が!! もっだいな゛い゛!!」

 

 

と鼻水垂らして抗議してきたのだ。へっぴり腰で。

なお、これは少女達すら知らない事ではあるが、というか誰も知らない事ではあるが、東端には某闇派閥の隠し通路があり、内部では大混乱が起きていた。

 

 

「まさかここがバレたのか!?」

 

と内部で慌てふためくほどであった。

無論、誰も知らぬことではあるが。

 

 

場所を変えるにも27階層に行くと少女達は揃いも揃ってトラウマが蘇って気分を悪くするものだからいっそ更に下層――いやいっそ深層にでも行くべきかと悩んだアルフィア。結局は再び18階層で行ったわけだが、あまりにも苛烈で、ジェノられそうで、走馬灯ばかり見て、こっちから頼んでいることとはいえアリーゼ達は限界も限界。「いい加減にして! みんな死んでしまう!」とキレてしまったのだ。そこで『地獄の合宿(しょうえんせい)』は終了。謝るに謝れず、アルフィアはどこかに行ってしまうしで本拠に戻っても顔を合わせようともしてくれないしで何とも言えない気まずさが生まれていたのだ。これが世に言う『嫁姑問題』なのではないかと思ってしまう少女達ではあるが、せめてベルには気づかれないようにしよう・・・彼の前では仲が良い感じをとりつくろう。

 

しかし、せめてこういう時くらいは傍にいてやれよと少女達は心の声を揃えた。

そんな時、本拠の玄関扉が開きアルフィアその人が帰ってきた。

 

 

「アルフィア、どこに行っていたの?」

 

「・・・・これを」

 

何か小さな物をアストレアへと投げ渡したアルフィアはベルの隣に座り背中を摩りだす。そしてアルフィアが帰ってきてくれたことに安心したベルは「どこにも行かないで」などと言ってアルフィアへと抱き着く。アストレアは受け取った物を確認するとそれは鍵で、首を傾げて「これは何?」と問いただした。

 

 

「別荘を買った」

 

「「「ん?」」」

 

「メレンに」

 

「「「んん?」」」

 

「小さいがプライベートビーチというやつだ」

 

「「「んんん!?」」」

 

 

何の脈絡もなく、アルフィアはあれやこれや言う。

アルフィアが帰ってきたことで泣き疲れて眠ってしまったベルの目元を拭ってやるとソファから立ち上がり少女達に向かって指示を飛ばした。

 

 

「小娘共、明日はメレンだ。支度しろ」

 

 

本当は今から行きたかったがベルが眠ってしまったのだから仕方がない。といきなりなことを言うアルフィアに、それこそ少女たちは言葉を失った。私達の知らないところで何してたの?と言いたくもあるし、すっかり失望されてしまったと思っていたのになんなの?というのもある。なんならこっちから頼んでおいたのに喧嘩したみたいになってしまったことにどうしようもない気まずさすらある。しかしさっさと行動を開始しろと圧をかけてくるものだからどうしようもない。少女達は一斉に立ち上がり準備を開始した。

 

 

「いきなりすぎて困るんだけど!?」

 

「み、水着、水着は!?」

 

「メレンにもレンタルとかあったわよね!?」

 

「ベル君って水着持ってるの!?」

 

「アストレア様は!?」

 

「服飾系の店舗を見に行きませんか!?」

 

「「「行く!!」」」

 

 

ドタバタドタバタ、先程までの静けさはどこへやら。

ベルは泣き疲れて眠りについているし、少女達は慌てて買い物に。

アストレアは引き攣った微笑を浮かべてアルフィアの背中を見つめた。

 

 

「ど、どうしたのかしら?」

 

「・・・・私も、もう永くはないからな。残りの時間をベルに使ってやろうと思っただけだ」

 

 

どこか寂しそうに言うアルフィアに、アストレアは冷や水をかけられたように固まった。




ヘルメス「ああ、ザルドって腐男子だぜ? 物理的に」

ロキ「ザルドやったらどうせフレイヤのとこやろ。あいつどうせオッタルと穴兄弟しとんねん。かーっ、そんなにおっぱいがええんか!?」

輝夜「『あんあん、あんあん、お代官様やめてー』『よいではないかよいではないか。ここがこんなにも濡れて・・・もう準備万端ではないかぐへへ』『んあぁぁぁっ、そんな、上も下もだなんてぇええ』『すんなり飲み込みおって・・・嬲りがいのあるやつよのう』・・・・なに、『嬲』とはなんと読むのかだと? これはだな、あー・・・えと、2人の男が1人の女をサンドイッチしているのだ」


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はじまり④。

水着の名称やらまったくわからねぇ・・・意外とあるんだなあ


 

 

 メレンはオラリオの南西に位置する港街だ。

彼我(ひが)の距離は3Kと言ったほどで目と鼻の先と言っていい。巨大汽水湖――ロログ湖の湾岸沿いに栄える街は事実上、オラリオの海の玄関口である。

 

海と通じる汽水湖には、連日数え切れない異邦の船が入港し、多くの積荷を下ろしていく。その多くがオラリオの輸入品だ。都市内の交易所に入る前の貿易品がこのメレンには集まる。大量の品を運び出せるのが海路の特徴であり、それはオラリオ側の輸出品も例に洩れない。

オラリオが世界に誇る魔石製品も、外国の品々と入れ替わるようにメレンから海洋へ繰り出していくのだ。

 

オラリオにとっての、海洋進出の要所である。

 

 

 

「本当に別荘を買ったのね・・・『【アストレア・ファミリア】、砂浜の庭』って書いているわ・・・・砂浜は果たして庭になるのかしら」

 

「人が歩けば道になるのですから私達が庭だと言い張ればそれは庭なのではございませんか?」

 

「輝夜、それは暴論では?」

 

 

そんなメレンの街から少し離れた先、背の高い木々、そして岸壁を人の手で削ってできたであろうトンネルをくぐった場所に、それはあった。

視界に広がるのは白い砂浜と、そこから少し離れた位置に建っているのはいかにも『南国』に建っていそうなコテージだ。砂浜にはビーチパラソルが突き刺さっており、サマーチェアまで設置されている。それらを囲うようにして木々と大きな岩が存在し、それでなお周囲は十分広く穴場というよりもプライベートビーチだった。

 

『正義』を司る女神の眷族達は、急に「でかけるぞ」などと言われて大急ぎで買い物に行きその翌日に言われるがままここまで来たが、やはり唖然であった。

少し離れた、いや、もうさざ波が静かな音を立てて砂浜に寄せてくる位置で初めて見たのだろう景色に瞳をキラキラとさせているベルと、手を繋いでそれをニコニコと見守るアストレアがいた。

 

「これって飲めるんですか?」

 

「飲んではだめよ? お腹壊しちゃうわ」

 

「はぁい」

 

最早、ザルドがオラリオを去ったことなど忘れたかのように瞳を輝かせていた。

「この子、チョロくない?」とは少女達の心の声だ。

そして、ガチャリと鍵を開けたアルフィアに若干ドン引きしている少女達を代表してアリーゼが口を開いた。

 

 

「・・・ねぇアルフィア、このコテージってどうしたの?」

 

「買った」

 

「うん、知ってる、ていうか聞いた」

 

「ほう、聞いていたのか」

 

派閥(ファミリア)のお金じゃないわよね? 私達オラリオに帰ったら素寒貧ってことはないわよね?」

 

「私の自費だ」

 

「安い買い物じゃないでしょ? ローン組んだの?」

 

「一括だ」

 

「……Lv.7になると金銭感覚がバグるのかしら」

 

 

なんとこの女王様、一括で別荘を買っちゃったのだ。

ただ単にベルと遊ぶためだけに。

そそくさと中に入って行ってしまったアルフィアは、いつまでも固まっている少女達に「貴様等は普段の恰好で泳ぐのか? それとも全裸か? 私達以外に誰もいないとはいえそれはどうかと思うが」などと言われて「裸で泳ぐのは輝夜くらいよ!?」とありもしない風評を吐き散らして少女達はコテージの中に入って行った。輝夜はシレっと失礼なことを言った仲間達にキレた。

コテージの中はさすがにベルと主神そしてアルフィアを除いて11人の団員1人1人に部屋を宛がわれるほど大きく建てられているわけではなく、数名で一部屋という形になっておりそれぞれがそれぞれ部屋で着替えていた。扉を開け放ち、アルフィアにあれこれ聞きたいことを聞く。

 

 

「アルフィア、私達【アストレア・ファミリア】全員が外出しているわけだけれど、管理機関(ギルド)からはどう許可を取ったの?」

 

「・・・・ああ、二つ返事で許可をしてくれた。殊勝なエルフで助かる」

 

「明らかに含みのある言い方な気がしたのだが」

 

アリーゼが聞き、アルフィアの返答にリューが訝しんだ。

 

 

×   ×   ×

3日前、ギルド本部

 

 

「な、ななな、許可できるわけなかろう!?」

 

 

ギルド長ロイマンはテーブルを両手で叩いて叫びあがった。

「主神含めて全員で外出だと!? 正気か!?」である。当然だ。

オラリオとしては戦力の流出をよしとしないのだから、安易に外出を許すわけにはいかない。

『来る者拒まず、去る者許さず』である。入る分には簡単だが、出るのは難しいのだ。

対面しているアルフィアは悪びれもせず足を組み、あたかも女王のような風体でロイマンの言葉を右から左に流す。

 

 

「【アストレア・ファミリア】は都市の秩序を守っているのだぞ!? その派閥が都市外に出れば治安はどうなると思っている!?」

 

「【ガネーシャ・ファミリア】がいるだろうに」

 

「ひとつの派閥にすべてを任せるのか!?」

 

「小娘共が死に絶えれば必然的に【ガネーシャ・ファミリア】が都市を守るしかないだろう。11人の小娘と都市の憲兵を同一視するな」

 

「し、しかしだな!? 秩序の象徴とも言っていい女神と眷族達をだな・・・!」

 

「ならば【アストレア・ファミリア】が滅べばオラリオは滅ぶのだな」

 

「そこまでは言っておらんだろうが!?」

 

「なら問題ないだろう? ほら、その書類に判子を押せ。それでこの話は終わる」

 

何を躊躇う必要がある? お前はただただ無心で判子を押していればいい、それがお前の仕事だろう? ロイマンの物言いをまったく相手にしないアルフィアに、何なら魔力で圧までかけてくるアルフィアに、ロイマンは胃痛で脂汗を滲ませた。

許可できるわけがない、できるわけがないのだ。主神含めて全員がオラリオを留守にするなど、まったくもって許可できるわけがないのだ。だというのにこの女、まったく話を聞こうとしない。首を縦に振る以外許さないとまでくるほどだ。

 

「・・・・第一、留守中の本拠はどうすr―――」

 

「女神フレイヤが度々外出しているそうだな、一体どんな方法d―――」

 

「ええい、行ってこいっっ!!」

 

 

弱い所を突かれたロイマンは結局折れた。

女神フレイヤが外出する度に「あら、魅了されたってことにしておけばいいじゃない」をアルフィアにチラつかされてロイマンは折れた。おのれ【最凶(ヘラ)】め・・・!と言わんばかりに悔しそうに歯を食い縛って判を押す。そんなロイマンを見てアルフィアは「なんだ、できるではないか」と鼻を鳴らした。ロイマンはアルフィアが出て行った後に大量の胃薬と頭痛薬を飲んだという。

 

 

「・・・・おっかねぇ」

 

 

とは、こっそり覗き見をしていた黒衣の魔術師の言である。

 

 

 

×   ×   ×

【アストレア・ファミリア】別荘

 

 

「私達、ギルドにペナルティとか課されないわよね・・・」

 

「アーディがニコニコしながら留守は任せてと言っていました・・・」

 

「『遠征』で無理難題を課されないか、今から不安だ」

 

迷宮進行(ダンジョンアタック)で大赤字を出してベルとアストレア様に野草と塩のひっどい汁を七日七晩飲ませる羽目にならないか怖いわ」

 

「「「黒歴史を掘り返すな」」」

 

 

着替え中の少女達は帰った後に顔をギルドから何かしらの意趣返しがあるのではと身震い。

かつて『迷宮進行(ダンジョンアタック)』で大赤字を喫して、野草と塩のひっどい汁を『いいのよ』と微笑む主神に七日七晩飲ませた黒歴史を掘り返してしまうほどだ。

 

 古来、下界に降臨を果たした神々は、様々な文化や発明を人類にもたらしてきた。

その発明の中でも、俗に『三種の神器』と呼ばれるものが存在する。三種、と言っても数えられるものは種族や文化圏によって様々だ。獣人じゃないのに獣人になれる獣耳カチューシャ、伸縮性に富み冒険者の界隈でも普及しているスパッツ、他にもブルマ、ストッキング、セーラー服・・・概念にも及ぶ神々の発明は、往々にしてどれが『神器』があるかという議論を呼び、時には血を流す争いにさえ発展した。神に犯されて目覚めてしまった一部の求道者達の熱い論争はとどまることを知らない。が、どんな者も認める普遍の神器が1つ、存在する。

それこそが現在、少女達が着替えている『水着』である。種類こそ様々で、基本的に胸と臀部などを除いて美しい女体は外界に暴かれる。

 

 

「・・・ベルはそんなところで何をしているの?」

 

ふとアリーゼが会話の最中に視線を感じて開け放たれている扉の方を見てみればそこには、チラッと顔を覗かせるベル。ほぼ生まれたままの姿となっている少女達は「まぁ今更だし」と恥じらうことこそないが、ベルが何をしているのか理解に苦しんだ。

 

「ベル、覗くくらいなら入って来たらどうだ?」

 

「おじいちゃんがオラリオに来る前に、覗きは男の浪漫だって・・・でもよくわからない」

 

良くない教育を受けていたらしいベルは、覗きとやらを実践してみたらしい。

が、効果はいま一つよくわからなかったという。

アリーゼはわざとらしく両膝に手を置いて前かがみになってみればベルの目線の高さで成長途上の乳房がゆさゆさと揺れる。輝夜もまたわざとらしく、なんなら誘惑するように自らの豊満な乳房を下から上へと持ち上げて揺らしてみせた。彼女達の行動に唖然として顔をほんのり赤くするのは2人の後ろで着替えていたリューだ。

 

「ア、アリーゼ、輝夜!? い、いつまでそんな恰好でいるつもりだ!? は、裸で・・・」

 

「何かしらリオン、よく一緒にお風呂に入っている仲よ? それに将来的にはベルは私達『派閥』の旦那様になるのよ? 裸を見られるなんて今更でしょう?」

 

「それに、見られて恥ずかしい体はしていない」

 

「恥じらいを持て恥じらいをぉ!?」

 

「あらあら、クソザコ妖精様は乳房も碌に育っておらず私達の体を見て羞恥に悶えて・・・だとしたら、ええ、申し訳ございません。気が利かなくて」

 

「私は・・・ペタではなぁい!! ・・・て待ちなさいアリーゼ、待ちなさい。貴方、クラネルさんに何を渡している・・・!?」

 

よくよく見ればアリーゼも輝夜もあるほうだ。なんなら輝夜の方は暴力的だ。

アリーゼなんて最近「育ってきたわ!」とか言っているし。

自分の体を見てみれば、「やはり私は貧相・・・」と目を伏せてしまうリュー。輝夜に変な謝罪までされて、腕で乳房を隠しながら猛抗議するもアリーゼが何やらベルに手渡しているのを目に見えて瞳が泳いだ。

 ベルの小さな両の掌には、アリーゼのものでも輝夜のものでもないブラがあった。それを手渡したアリーゼはベルの頭を優しく撫でて良い仕事したみたいな顔さえしている。

 

「私知ってるのよ、ベルは金髪エルフに憧れてるって。だからこれ、あげるわ!」

 

「?」

 

「な、ななななっ!?」

 

「脱ぎたての・・・リオンの下着。大切に使いなさい」

 

慈愛の眼差しで「貴方の憧れのエルフの使用済みをプレゼントフォー・ユーよ」とするアリーゼに、ベルは両手で開いて渡されたものを確認して困惑。そこにさらに輝夜が自分が着けていたものを投げ渡す。

 

「しっかり私達の匂いを覚えておけ。他派閥の女になびかれても困るからな」

 

「そう、それよ! アーディや【戦場の聖女(デアセイント)】はまぁいいとして、私達がいるのに他派閥の女がいいとか言われたらすっごく悔しいもの! 「アリーゼさん達しゅきしゅき大しゅきー」くらいにしておかないと。今のウチに」

 

「7歳の子になんてことをしているんだ2人は!?」

 

「ベル、今のウチにそれをしまっておけ。凶暴なエルフに襲われるぞ」

 

「えっ、えっ?」

 

「クラネルさん良い子だから返しなさい!」

 

「ベル、試しに匂い、嗅いでみなさい」

 

「嗅ぐなぁ!?」

 

「すんすん・・・良い匂いがする」

 

「んぁあああっ!?」

 

 

悪いお姉さんに良くない教育を施されるベルに、悲鳴を上げるリュー。隣の部屋からは仲間達の「どうしたの!?」「何事!?」という声まで聞こえてきて、いつの間にかベルが立ち去ってしまっていて別室で着替えていただろうネーゼの「これ私に渡されても困るんだけど!? え、仕舞っておいて? 返すなって言われた? お義母さんに怒られる? なんで私っ!?」という傍迷惑な声がリューの耳朶を震わせた。ぷるぷると涙を溜めて2人を睨みつけようとして、2人がリューをみてニヤニヤしているのだから完全に玩具にされたとリューはやっぱり涙目になった。

 

「『運命』って素敵な言葉よね」

 

「『唯一』って素敵な言葉にございますねぇ」

 

「ク、クラネルさんはまだ7歳でその・・・いや、そもそもっ、彼が私が唯一触れられる異性だから何だと言うんだっ!?」

 

「いのち短し 恋せよ少女」

 

「黒髪の色 褪せぬ間に」

 

「心のほのお 消えぬ間に」

 

「「今日はふたたび 来ぬものを」」

 

「何なんだ貴方達はっ!? あと私は金髪だぁ!?」

 

 

だいたい何なんだその詩は!? また神々か!? リューの叫び声がコテージに響き渡るのだった。

 

 

 

「ベル、どこに行っていたの?」

 

着替えを済ませてベッドに腰掛けていたアストレアが部屋に戻ってきたベルを見て首を傾げた。

ベルはとことこと歩いてアストレアの隣に座り込んで建物の中を見てきたと答える。

 

「そう、探検していたのね。リューの叫び声まで聞こえていたけれど・・・」

 

「喧しい限りだ」

 

「ベルも着替えましょうか」

 

「ぼ、僕はいいですっ」

 

「・・・・どうして? 今更、恥ずかしがることないでしょう? ねぇアルフィア?」

 

「・・・・ああ、何を恥ずかしがっている?」

 

「・・・僕泳げないよ」

 

「・・・・・」

 

「別に気にする必要はないわ、せっかく来たんですもの・・・・えいっ」

 

「ほわっ!?」

 

隙ありとばかりに押し倒され間抜けな声を漏らしたベルはそのまま女神の手で膝ほどまである水着に着替えさせられた。

 

 

 

×   ×   ×

別荘外。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

アリーゼ達は何とも言えない顔をしていた。

皆、それぞれ自分で選んだだろう水着を着ている。

アリーゼは普段着用している戦闘衣装(バトルクロス)と同じ色合いの、輝夜は黒い髪の色とは逆の白の、それぞれ上下一組(ツーピース)のタイサイドビキニ。リューはヒラヒラとしたレースのついた黒のオフショルダーを。

 

「ア、アストレア様・・・なんて艶めかしい・・・!」

 

一部の眷族達がごくり、と生唾を呑み込む音がしたがその視線の先には普段着用している衣装と同じ色合いのクロスホルタービキニにパレオを身に纏い麦わら帽子をかぶったアストレア。超越存在(デウスデア)たる彼女の肢体に眷族達はドギマギ。手を繋がれているベルもまた普段とは違う格好のせいか顔が赤い。なんというかこう、『親戚の男の子と遊びに来ました』感さえ感じられるほどにはそこはかとない背徳感がそこにはあった。数名ほどが「きっと木陰に連れて行ってあんなことやこんなことを・・・」というシチュエーションを口にするほどだ。なぜかベルは自分の水着をぎゅっと掴んでいるがまさか女神に脱がされて女神に着替えさせられたなどということがあったなんてお姉さん達は知る由もない。ベルは膝ほどまである丈の海パンに薄手のラッシュガードを羽織っていてジッパーを閉じていないため風で薄布がめくれる度に年頃のお姉さん達の視線には幼い少年の肢体が、筋肉も碌についていないお子様ボディが映る。そんな視線を一身に浴びているなど気づきもせず「きっとアストレア様のことを見ているんだろう」と思っているベルはシレっとネーゼに対して「いつもと変わらないね?」などと失礼をこいてデコピンを喰らっていたが、モフ要因お姉さんは先ほど渡された生暖かい温もりの残った誰かさんの下着をあとで本人達に返しておこうと密かに決意していた。渡されても困るものは困るのだ。

 

しかし、何よりアリーゼ達がこの中で何とも言えない顔をしていたのは今回の外出における言い出しっぺに対してだ。それは思わずアリーゼが輝夜に、輝夜がアリーゼの肩に寄りかかってしまうほどで。

 

 

すでに水着姿になっていたアルフィアが美しい砂浜の白いビーチパラソルの下、優雅にサマーチェアに寝そべっていた。マイペースかとツッコミたくなるくらいに。

白いビーチパラソルの下、優雅にサマーチェアに寝そべっていた。マイペースかとツッコミたくなるくらいに。

 

「おい息子の面倒みてやれよ」

 

とは誰の言葉か。

しかし、2人が何とも言えない顔をしている理由は、彼女が着ている水着にあった。普段から身に纏っているドレスと同じ漆黒の際どいワンショルダービキニだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「クソッタレがぁ・・・! 逃げるぞ? 逃げるからな? アタシは意地でもあのコテージに逃げるからな輝夜ぁ!! くそっ、どいつもこいつも小人族(パルゥム)をバカにしてんのか!!」

 

「大丈夫よライラ、貴女のワンピース型の水着もとってもキュートよ! もっと自信もって!」

 

「アレを見て自分を卑下しているのならば猶更、背を見せて逃げるな・・・! 隙を見てあの水着をはぎ取り恥をかかせるしかあるまい手を貸せ、ライラ!」

 

「あれがLv.7ですって・・・!? 冗談じゃないわ・・・!」

 

「あれで一児の母? 何の冗談なの!?」

 

「歳を考えろクソババァ・・・ッ!」

 

「輝夜、いくらなんでも妙齢の女性に失礼だ! 鍛錬のたびに瀕死に追い込まれ恨みつらみがあろうが、それを言うのは失礼だ!」

 

「ならばリオン、貴様アルフィアの隣に立ってみろ! そして自分の体とを見比べてみろ!」

 

「ぐぅ・・・・っ!!」

 

 

別に、着るなとも泳ぐなとも言わない。言わないが、露骨に若者と張り合おうとしている感を、或いは勝ち誇ってマウントをとろうとしてきている感がして嫌だったのだ。2人にあてられてか『正義』の眷族達が皆、先にくつろいでいたアルフィアの姿を見て戦慄する。勝てない、勝てるわけがないと敗北感を察するほどには。普段からドレスを着ているところからして「自分に自信でもあるのかしら?」と思わないでもないが、実際アルフィアは美女だ。目が覚めるほどの美女。17歳の頃に『おばさん』になってしまった彼女の精神的ストレスは考えもつかないが、現在24歳の彼女は女神さえ裸足で逃げ出すのではないかというくらいには、美女だった。なんなら風呂に入った際にベルの頭を洗っているアルフィアに出くわした時に思わず、「あら、お美しい方。ここって公衆浴場だったかしら?」と現実逃避してしまったことさえある。

 

 アルフィアは存外に良い体をしているのだ。

 

 

「・・・着替えに随分、時間がかかったな小娘共」

 

「ア、アルフィアお義母様~オイルでもお塗いたりましょうか~?」

 

「不要だ、気色の悪いことを言って近づくな。ゼウスの顔がチラつく」

 

「おいクソババァ、その水着はなんだ、ふざけているのか!?」

 

「どうした小娘? 勝ち目がないのであればいっそ全裸で遊んでいたらどうだ? 敗北者にはお似合いだろう?」

 

「「ハァ、ハァ・・・敗北者・・・・・? 取り消せ、今の言葉・・・!」」

 

「アリーゼ、輝夜、抑えて!! ベルが見てい・・・ない!?」

 

「そうよアリーゼちゃん! 輝夜っ、モメごとはご法度だからぁ!! 余計に面倒だからぁ!?」

 

「おいベルのやつ、あっちでアストレア様にオイル塗り始めたぞ!?」

 

「「「「うらやましい!!!」」」」

 

「・・・お前達は相変わらず喧しい」

 

 

せっかく連れて来てやったんだ、時間を無駄にするなとばかりにシッシッと手を掃うアルフィアに、少女達はぐぬぬ。乳房の大きさでいえばアルフィアよりも輝夜の方が軍配は上がっている。あがっているが如何せん、相手はLv.7。『恩恵』によって老化が遅れるという副次効果は器を昇華させることでより顕著になる。【勇者】が良い例であのいかにも少年風な顔立ちで40近いのだ。気に恐ろしや神の恩恵。

 

少女達がアルフィアにぎゃーぎゃー言っている間にアストレアはベルの手をひいて「あっちにもパラソルはあるみたいだし、オイル塗ってもらってもいいかしら?」と離れた位置に行ってしまっている。大方、これから殺し合いでも始まるんじゃないかと察して安全なところに避難したのだろう。サマーチェアでうつ伏せになったアストレアはベルにオイルを手渡し、それをベルが塗り始める。水着の紐はアストレア自身の手によってほどかれきめの細かい美しく瑞々しい肌がベルの視界には広がっていた。

 

「これを塗るんですか?」

 

「そう、自分では背中とか届かないから・・・ベルも後で日焼け止めを塗っておきましょうね」

 

「はーい」

 

ボトルの蓋を開け、背中にボトボトと垂らせば冷たかったのかアストレアから生娘のような悲鳴が漏れ、少女達はぐりんっ!!と反応。「ぽろり!? アストレア様のぽろり!?」「覗きは!?」「いない!!」「ならヨシ!」「指さし確認した!?」「ヨシ!」などと大慌て。麗しの女神様の乳房やら秘部やらが仮にも他所の有象無象に見られて脳内メモリに保存されるなんて決して許されることではない。『正義』の天秤をぶっ壊してでも私怨で襲い掛かり記憶が破壊されるまで追い回す所存ですらあった。

 

「んぅ・・・ベル、冷たいわ」

 

「これ、ぬるぬるします」

 

「・・・満遍なくね?」

 

「はーい」

 

不変の神々には、日焼けというものは勿論ない。

美容に対するアレコレも正直言えば不要だ。

けれどそれをしているのは、一種の『娯楽』という面が強い。

要は、ベルにオイルを塗ってもらうという行為を女神アストレアは楽しんでいるのだろう。

 

 

「ベルが大きくなったら・・・楽しみねぇ」

 

「?」

 

「・・・何でもないわ」

 

「僕、頑張って叔父さんみたいになります!」

 

「それはダメ」

 

「えっ」

 

 

オイルを全身に塗られていく女神は心地いいのか、尻の上にベルが跨っているにも関わらずうっとりと気持ちよさそうにベルが大きくなったらなんて言っている。いったい何が楽しみなのか。ベルはベルで目標だったのか少女達にも女神にもわからぬことではあるが、「男ならば筋肉。筋肉が全てを解決する」と言われたことでもあったのか、ザルドのようになりたいと言い出して秒で拒否されて鳩が豆鉄砲を食ったような顔になっていた。小さな掌が女神の体の上を踊る。アストレアにとってベルはまだ7歳だからこそ庇護対象ではあるもののお気に入りの眷族であるし、唯一の男の子ということと日中一緒にいることが多いせいもあってそれはもう可愛がっていた。なんなら「僕、大きくなったらアストレア様と結婚する!」なんて言われてしばらく気を失ったくらいには。成長が楽しみで仕方がないのだ。しかし決して筋肉ゴリラにはしないと確固たる決意もまた胸に抱いている。ベルにオイルを塗ってもらいベルに日焼け止めを塗る『ザ・お姉さん女神』アストレアは「ベルは泳げるの?」「じゃあ練習しましょうか?」ともう2人の世界に入り込んでしまっているが、少女達は気にしない。あの2人が仲が良いのはもう見慣れた光景であるしアルフィアが目くじらを立てないのだからセーフなのだろう。何がセーフなのかわからないが、麗しのアストレア様はベルを構っていると「はぁ・・・癒されるってこういうことよね」などと言っている時があるしそんなアストレア様も可愛いと少女達は思うのだからそれを邪魔する者はいない。というかできない。

 

いつまでも2人のイチャイチャ?を見ているわけにもいかず、少女達は各々遊ぶことにした。せっかくのバカンスなのだ。ロイマンが胃を痛めてくれたおかげで都市のために尽力している少女達は少女らしく遊ぶことを許されたのだ。ありがとうロイマン、さらばロイマン。あなたの犠牲は忘れない。できれば来世は『ギルドの豚』とか言われない容姿になってから私達の前に現れてね!と密かな思いを胸に秘めながら、少女達は泳ぎ出す者、そういえば食べる物がないなということで「この色香でニョルズ様からおまけしてもらう」と出かける者、そして―――。

 

 

「アルフィアお義母様~」

 

「・・・・・誰がお義母様だ」

 

 

アリーゼがくねくねと腰をくねらせてアルフィアに言い寄る。

あからさまに何か企んでいる少女を前にアルフィアはしかめっ面。

せっかく息子が女神と楽しそうにしているのを眺めて「連れてきてよかった」と和んでいたのに、どうしてお前は風景に溶け込めないんだと若干の殺気さえ込めた。というか、「お義母様」と言ってくるのが何よりアルフィアは気に入らなかった。歳の差を言い出せば神々が恋愛ができないからそれはあえて言わないが。他派閥との恋愛はご法度なのだから、仕方のないことかもしれないが。なんだかこう・・・腹が立つのだ。なおアルフィアは「これは更年期というやつか・・・? いや、まさかな」と密かに都市最高の治療師に相談して困らせていることを自覚していない。

 

とかく、アリーゼが何を言い出すのやらと待っていればニコニコと微笑んで、若干「なんとしてでも一矢報いてやる」感を感じるが口を開いて言った。

 

 

「『びぃーちふらっぐ』しましょ!」

 

「・・・・何?」

 

「青い海(汽水湖)、白い砂浜、水も滴る良い乙女! あと可愛い兎! これらが揃ってやることと言ったら、ビーチを走るやつでしょ! ほら、神々が言ってたわ! 「もぉー待ってよぉー」「あはは、こっちまでおいでハニ~!」ってやつ!」

 

「・・・・・・」

 

それは何か違わないか? 神々が言うことは何かと理解不能ではあるが、何か違う気がしてならないアルフィア。しかしそれを指摘する間はなくアリーゼはなおも喋る。

 

「せっかく遊びに来たのに、見ているだけだなんてつまらないわ! というか遊びならきっと貴方に勝てる気がするのよね! ランクアップ間違いなしよ!」

 

「・・・・・はぁ」

 

それでランクアップができるのなら、苦労はしないだろうに。

完全にアルフィアを負かす気しかないアリーゼ。その背後には食い込んだ水着を直す輝夜と、いかにも巻き込まれたような表情のリューと巻き込まれてキレかけているライラ。

 

「どうしてそんなことに付き合わなくてはならないんだ」

 

「え、なに、怖いの? 年若い美少女に遊びでさえ負けるのが怖いの!?」

 

「・・・・」

 

「年甲斐もなくそんな際どい水着を着ちゃって・・・ベルに「お義母さんきれい!」って言われて舞い上がっちゃったの?」

 

「・・・・・覚悟は、できているんだろうな?」

 

「フッフーン! アルフィア、貴方こそ覚悟しなさい! 長年舐めさせられた辛酸! 今こそ返すわ!」

 

「クソババァ、今に見ていろ。その水着を剝ぎ取って衆目に晒してくれる」

 

「・・・・」

 

「おいリオン、泣くなよ。アタシだって無理矢理付き合わされているんだからよ」

 

「そんなの、この後の展開など容易に想像できる・・・きっと私達は返り討ちにあって敗北者は水着を剥ぎ取られて生まれたままの姿でBBQを楽しむことになるんだ」

 

「具体的過ぎて気味が悪いって・・・やめろよそういうの。邪神に苛められてた時みたいな顔してんじゃねえよ」

 

 

 

『びぃーちふらっぐ』

それは神々が「海での遊びといえばこれ」と広めたモノの1つだ。他にも『びぃーちばれー』だとか『(スイカ)割り』だとかあるが、アリーゼが独断と偏見で決めたのが、この競技であった。

 

選手はフラッグから20m離れた位置で背を向け、うつ伏せになり、合図とともにフラッグへ一斉に走る。 フラッグは選手の数より1本少なく設置されており、フラッグを掴めなかった選手から退場していく。

 

「でもフラッグは1本しか用意できなかったから、フラッグに辿り着くまでに倒れた順位=敗者ってことにしたわ!」

 

「ほらライラ、一番最初に転んだ者が恥ずかしい目にあうって今アリーゼの口から」

 

「いや言ってはいねえよ・・・アーディが爆発に巻き込まれそうになった時みたいな顔してんじゃねえよ」

 

「時々、クラネルさんの頭を撫でる度に思い出す・・・あの幼い闇派閥の女児を蹴り飛ばしてしまった時の感覚を」

 

「お前はよくやったよ・・・お前が足を延ばさなかったら、アーディはきっと崩壊した建物で亡骸ごとぺしゃんこだったろうさ」

 

「知っているか? 危うくリオンの二つ名が【女児蹴り(アウトレイジ)】となりかけてアストレア様が全力で止めたという話があったそうだぞ?」

 

「嗚呼、アストレア様……!」

 

 

アルフィアはどうせやると言うまでしつこく付きまとうんだろうなと諦めて付き合ってやることにした。ビーチにはアルフィア、アリーゼ、輝夜、ライラ、リューの計5名の美女美少女がうつ伏せになって合図を待っていた。合図をするのは「なにしてるの?」とトコトコやってきたベルとアストレアだ。少し離れた位置にはフラッグが1本突き刺さっており、それは誰がどう見ても間違いなく【アストレア・ファミリア】のエンブレムが記されている。アリーゼ・ローヴェル、時間がなかったくせに夜鍋でフラッグを作って来ていたのだ。

 

「おい小娘、距離は20Mもあるようには見えないが?」

 

「約20Mだからいいのよ」

 

「はぁ……ベル、アストレア、あまり近づきすぎるなよ」

 

「え? あ、ええ……ん? 近づきすぎるなとは?」

 

 

『恩恵』持ち……それもライラを抜けば全員がLV.4。アルフィアに至ってはLv.7。それが一斉に砂浜を蹴りつけ走り出せば、その被害は直近のアストレアとベルに。それをすまいとアルフィアは警告しているのだ。全員が「いつでもどうぞ」と目を向けてくるので、アストレアはベルに指示を出す。

 

 

「い、いちについてー」

 

 

位置には既についているが。

 

 

「よーい・・・ドン!」

 

「【アガリス・アルヴェシンス】ッッ!!」

 

「はぁああああああああああっっ!!」

 

「ぉらあああああああっ、死ね、クソババァ!」

 

「オラァ!! (ポチッ」

 

「小娘共、貴様等っっ!」

 

「ふぎゃっ!?」

 

「ベ、ベルぅううううううううっ!?」

 

 

合図と共に、5名の女達は大爆走!!

アリーゼが付与魔法(エンチャント)で砂を巻き上げて爆走。

リューがスキルもあってかまさしく【疾風】の如く走る。

輝夜はリューに並んで疾走しながら、あらかじめ砂浜に埋めておいた小太刀をつま先で蹴り飛ばした。それは弓兵が放つ矢よりも凶悪な高威力の弾丸となって前方を走るアルフィアへ目掛けて飛んでいく。

ライラがあらかじめ埋め込んでいただろう『貝殻』『マキビシ』『兎のぬいぐるみ』をスイッチで起爆。

 

この時点で1位アリーゼ、涼しい顔をして2位をアルフィア、3位同列がリューと輝夜で4位がライラだ。

 

こいつら本気(ガチ)すぎるのでは? アルフィアはいきなりのことに呆気にとられた。勿論、彼女達に遅れをとることはない。ただ、進路方向が突如爆発して『兎のぬいぐるみ』が宙を舞い思わずそれを救出。なんならスタートの瞬間の少女達の暴挙にベルがやっぱり巻き込まれて吹っ飛ばされてアストレアが悲鳴をあげているのが聞こえてアルフィアはちょっとイラっとしたので最凶最悪特殊兵器(スペリオルズ)を使用することにした。吹き飛ばされたベルをマリューがキャッチしてイスカが怪我をしていないかチェックしてアストレアが抱きかかえて、若干眉間に皺が寄っているが、律儀にスタート地点に戻ってきたのを確認してアルフィアは声をあげた。

 

 

「ベル」

 

「きゅぅぅぅ・・・?」

 

「『愛嬌』」

 

「「「え?」」」

 

「おいおいおい、嘘だろ!?」

 

ライラは察した。

弟分としては可愛がってはいるが、彼女はアリーゼ達ほどではない。「ライラさんこれなに?」「あん? ああ水晶飴か。いるなら持って行っていいぞ」「アストレア様にあげてくる!」「おー」くらいのものだ。しかし、故に、客観視しているからこそ、兎の恐ろしさを知っていた。

 

アリーゼ、輝夜、リューはアルフィアがなぜベルのことを呼んだのが不思議で、というか「『愛嬌』」などというものだから何事かと振り返った。ほぼ同時に彼女達の視線がアストレアに抱きかかえられているベルへと向けられた。

 

 

「にこっ」

 

「「「ぐはぁっ!?」」」

 

少女達は見た。

小首を傾げ、満面の笑みで、白い歯を見せる幼い白兎の顔を!!

知ってるか、これ、魔法じゃないんだぜ!

アルフィアがこれを仕込んだわけではない、仕込んだのはアストレアである。常日頃一緒にいることの多いアストレアは「どうしてベルは可愛いの?」とベルを愛でながら思った。アルフィア曰く、笑みが妹そっくりだそうで、「ベル、にこってしてもらえる?」などとやりとりしている内に「『愛嬌』」というだけでやってくれるまでになったのだ。これを「お義母さんお義母さん!」と帰ってきたアルフィアに近寄ってゼロ距離で繰り出してきたベルの必殺にアルフィアは川の向こうで手を振る妹を見たという。それをアルフィアは利用したのだ。

 

 

「くっ・・・無念っ!」

 

最初に倒れたのはリューだった。

アストレアに頭を撫でられながら花咲く少女のような笑みを見せてくるベルにリューの庇護欲と言うか母性というか、本人ですら経験したことのない何かを刺激され、足をもつれさせ転倒。

 

「あ、あぁ・・・・魔法(アガリス・アルヴェシンス)が・・・っ!?」

 

次に脱落したのが、砂浜を爆砕して走るアリーゼだった。

ベルの顔を見ただけで魔法を維持できず魔力が切れた。まるで精神枯渇(マインドダウン)でも起こったのではないかというくらいに魔法が切れてしまい、運悪いことにライラが爆発で巻き上げた『貝殻』を踏んでしまって「あびゃー」と悲鳴をあげて脱落。

 

「くっ・・・卑怯だぞクソババァ!」

 

「威勢だけはいいな小娘、だがその言葉は訂正しろ・・・私はまだ24だ」

 

「そうか、そうか! しかし私は16だ。どうだ婆、羨ましかろう!」

 

「挑発ならばもっと上手くやれ。お前のそれは雑だ。何より、あの子の顔を見てニヤケすぎだショタコンめ」

 

「んなっ!?」

 

「別に年下好きを指摘するつもりはない。そうなっては神々は恋愛すらできんからな。・・・さて確か・・・こうだったか?」

 

 

あれやこれや罵倒の応酬の果てにアルフィアは後ろ向きに走りながら追いつこうと、なんならアルフィアの水着を引っ張ってでも剥ぎ取ろうとしていた輝夜へと構えを取った。それは、輝夜の得意とする『技』でもあった。

 

「ふむ・・・『居合の太刀』・・・『一閃』」

 

「んぐ・・・ぁああああああああっ!?」

 

アルフィアの見様見真似、いや才禍の怪物と言われる所以か。再現された輝夜の『居合の太刀』を手刀で食らい輝夜の水着は見事にただの布切れとなり瞬きの間に輝夜は生まれたままの姿に変身。「きゃぁぁ!?」という前に「ババァと言ったな?オマケだ」とばかりに回し蹴りをくらい輝夜はここで脱落した。

 

 

「ア、アストレア様っ輝夜さんが急に裸に!?」

 

「す、すごいわ! 何が起きたのか私達にはまったく見えない!! でも年頃の乙女がしていい姿じゃないわ! 誰か、タオル持ってきて!?」

 

 

そして。

 

 

「くそ、ふざっけんな! 私が一番弱いんだぞ・・・!!」

 

「兎を使うとは頭を使ったな小人族(パルゥム)。だがまだ足りない。これが【勇者】であればもう一ひねりあっただろうに」

 

「ひっ・・・あ、あぁああああああああっ!?」

 

ライラは砂に埋められて脱落。

アルフィアは涼しい顔をしてフラッグを獲得、勝敗は決した。

 

 

 

 

×   ×   ×

晩、【アストレア・ファミリア】別荘。

 

 

バチバチ、と焚火が音を奏でる。

太陽は沈み、海の向こうから少しだけ顔を見せてはいるがもう既に闇が広がりつつあった。買出し組が「ここの別荘BBQのセットまであるんだね、至れり尽くせりじゃん」と魚介を中心にBBQ用の食材を購入してきていて少女達は食事を楽しんでいた。

 

 

「見ていたかベル」

 

「んー?」

 

「あれが今巷を震え上がらせている『嫁姑問題』というやつだ」

 

「よめ、しゅーとめ?」

 

「ああ、揃いも揃って・・・お前は知らないと思うが、私はいつも小娘共に集団で襲われているんだ」

 

焼けた肉を口に運びながら、アルフィアは言い出した。

少女達は「あ、洗脳教育はじまったな」と思った。

 

「お義母さん、いじめられてるの?」

 

「この間も、11人に囲まれて・・・魔法を撃たれたり、剣で斬りつけられたり、殴られたり、酷いと思わないか?」

 

「お義母さんかわいそう」

 

ううん、11人で確かに囲ったけれど。輝夜あたりが頭に血を上らせて「全員でリンチだ! ボコす! 泣かす!」とか言ってけれど、もれなく返り討ちだよ? 少女達は心の中で抗議する。第一この女に魔法を撃っても涼しい顔で無効化されるので精神力の無駄遣いでしかない。

 

「私は不治の病を患っているというのに・・・集団リンチ。 よくないよな?」

 

「もきゅもきゅ・・・うん!」

 

「ベル、お口が汚れているわ」

 

「アストレア様、ありがとうございますっ」

 

「いいのよ」

 

「この小娘共は毎回、ベルを寄越せと言って私を襲うのだ。 どう思う? お前はそんな暴力女を嫁に欲しいと思うか?」

 

「うーん・・・」

 

「尻に敷かれて終わるぞ?」

 

 

貴方も大概暴力振るっているわよ? とは言わない。

言ったところで見えない速度で串が眉間に飛んでくるだろうから。

 

「・・・ベルはどんな女の子が好きなの?」

 

ベルの口元を拭ってやったアストレアがふとそんなことを言いだす。ベルは「うーんうーん」と唸ってから。

 

「やさしくてー」

 

「うんうん」

 

「かっこよくてー」

 

「「私合格、よし」」

 

「「「ちょっと黙ってよっか」」」

 

「きれいでー」

 

「「「「あ、全員OKね良かったー」」」」

 

「おかあさんみたいな人!」

 

「残念だったな小娘共」

 

「「「「チィッ!!」」」」

 

「?」

 

「ベル、私はアルフィアみたいなことはできないわよ?」

 

「アストレア様は、優しくて綺麗で可愛いくて女神様だから合格なんです!」

 

「あらあらそれは嬉しいわ」

 

 

少女達は「アルフィアがモンペすぎて勝てない」とドンよりしていた。

何より、一番居た堪れないのは一番最初に『びぃーちふらっぐ』で脱落したリューである。バスタオルを巻いているだけなのだ。そう、バスタオルを巻いているだけ。しかし、中は何も着ていない。輝夜もまた水着を切り裂かれてしまったために生まれたままの姿だが本拠でもだいたい裸みたいな恰好でうろつくので少女達は輝夜が裸だろうが何とも思わなかった。

 

 

「ごめんなさいリオン・・・まさかあんなことになるとは思わなったの。でもルールは守らなきゃ駄目よね、『正義』を掲げる私達が負けたからって規律を破るのはよくないもの」

 

「う、うぅぅ・・・」

 

「今更、裸の一つや二つ・・・何を恥じらう必要がある? 私を見てみろ水着なんてズタズタに切り裂かれて水着としての機能を有していないぞ」

 

「何故裸で涼しい顔をしている!? むしろ見ろみたいな素振りをするな! 誰か来たらどうする!?」

 

「来たら全員で八つ裂きにしてやる」

 

「お願いだから暴力沙汰はやめてね?」

 

「ええ、わかっております。(おのこ)女子(おなご)になるだけですので」

 

「あら、不思議な魔法があるのね」

 

「はい、不思議なことが起きる。それが、物理攻撃(まほう)でございます」

 

「うぅぅ・・・はやく着替えたい」

 

「リオン、私のでよければ・・・パレオ、使う?」

 

「い、いえ、アストレア様のお召し物を奪うなんて恐れ多い・・・それに、余計に煽情的になってしまいます・・・クラネルさん、申し訳ないがあまり私を見ないでほしい」

 

「リューさん、あーん」

 

「あ、あーん・・・んふふふふ、純粋な少年から餌付けされる・・・この味、おいひい・・・」

 

「リオンはもう駄目かもしれねぇな・・・」

 

「かわいそうに」

 

「惜しい奴を失くした」

 

 

憐みの眼を向けられるエルフはベルに「あーん」されはじめた。それがもう彼女の唯一の救いだったのだろう。アルフィアはやれやれと溜息をついたが、しかしベルは楽しそうなので「私がいなくなっても大丈夫そうだな」と密かに安堵する。

 

 

「・・・ベル」

 

「んー?」

 

 

少し腹も膨れたところで、アルフィアもベルにザルドのようなことを言っておくことにした。自分もいつ死ぬかわからないからだ。

 

 

「人生を楽しめ・・・」

 

「?」

 

「それが、格好よく生きるということだ」

 

「かっこうよく・・・?」

 

「ああ・・・・・楽しんでいる者は輝いて見えるというくらいだからな」

 

 

『人生を楽しめ、それが格好良く生きるということ』

それはきっとベルに限った話ではない。限りある命であるからこそ、という実感のこもったアルフィアの言葉に少女達でさえ黙り込む。普段自分達には決して見せないような優しい表情でベルの頬に手を添えてそれを言ってからアルフィアは夜空を見上げた。

 

 

「・・・・私は、楽しかった」

 

「お義母さん、どこか行っちゃうの?」

 

 

子供は時々、勘が鋭い。

何か嫌な予感がして、不安そうにアルフィアの手を握りしめる。「いかないで」「ひとりにしないで」そんな感情をふつふつと感じさせるほどにはベルは震えていた。けれどすぐにアルフィアはベルに視線を向けて頭を優しく撫でた。返答はなく、余計に不安にさせてしまう。少女達にはまだ、わからない。というより、アルフィアがいずれ死ぬことを未だに信じられずにいる。何せ自分達をまとめて相手しているし、苦しそうなところなんて一度も見たことがないのだから。そんな怪物が死ぬだなんて信じられないのだ。こんな時に何を言えばいいのか、言葉に困る。ひょっとしてここに来たのも・・・と勘繰り始めて、結局黙り込んで。

 

 

「・・・一発芸をするわ!」

 

「「「は?」」」

 

アリーゼが空気を読まずに立ち上がった。

両手にはまだ焼けていない串肉が納められており、皆が見える位置で1人立つ。

ザザー、ザザーと波音が耳朶を震わせる中。

やがてアリーゼはドヤッとした表情でやらかす。

 

 

「【瞬間肉焼き機(アガリス・アルヴェシンス)】!!」

 

 

焚火とBBQコンロ以外の灯りが今、1人の少女によって灯された。というより少女そのものが燃えていた。全身を巡る付与魔法(エンチャント)で両手に納められていた串肉は瞬時に焼けた。いや―――灼けた。

 

 

「おいアリーゼふざけんな!」

 

「食材を無駄にするな!」

 

豊穣の女神(デメテル)様に失礼よ!?」

 

「いやこの肉って【デメテル・ファミリア】のなの?」

 

「いや違うけど」

 

「違うの!?」

 

「その辺のお店で買ったものだし・・・でも豊穣の女神に失礼なことすると大地は枯れるらしいし」

 

「まぁそうだけど」

 

 

アリーゼの炎によって、肉は一瞬で焼けた。そして炭になって崩れ落ちた。少女の手に納められているのは最早串のみだ。両足を開いて腰を少し落として両手で1本ずつ串を持つ。なんとも格好いいとは言えない恰好に少女達は揃って「勿体ないことしないで」と非難した。けれど重たい空気はそこにはない。

 

 

「火力を間違えてしまったわ・・・ま、料理に失敗はつきもの。失敗は反省して次に活かせばいいの! さ、もう一本!」

 

「「「させるかぁ!!」」」

 

【アストレア・ファミリア】団長、アリーゼ・ローヴェル。

彼女はやたらめったら料理を赤くさせてしまう謎の呪いを持っているのか、台所には立たせてもらえない。

 

「ほらベル、あんたもなんかしなさい!」

 

「・・・え」

 

「クラネルさんが芸・・・何かあるのですか?」

 

「リオンは歌がうまいよな。『風に揺らいでゆく~鈍色の光照らす世界で~今 選ぼう その正義を~』って」

 

「やめろぉ!?」

 

「いいからいいから、ベル、なんでもいいわよ」

 

 

急に無茶ぶりをされ、お姉さん達に視線を向けられどうしようとあからさまに困るベル。ややあって、立ち上がると全員に背を向けてゴソゴソと準備しだす。両サイドに座っているアルフィアとアストレアが若干見えているのか、笑みを堪えてプルプルしているが何がしたいのかはわかっていないらしい。

 

 

やゆよ(やるよ)

 

 

準備ができたのかそう言ってベルは振り返った。

それだけでもう年頃の少女達はダメだった。

ベルはシャツをまくり上げて口で加えて落ちるのを止めていたのだ。人目でそういったことをするのは初めてだからか、頬は赤く染まっていてモジモジ恥ずかしそう。

 

さらに。

両の人差し指でお腹を指示してモゴモゴと言葉を紡ぐ。

 

 

「『九腹筋(にゃいんへる)』」

 

 

生まれるのは沈黙。

 

「え、なに、腹筋て九つもできるの?」

 

「奇数? 奇数なの腹筋は」

 

「シックスパックとかいうのは聞いたことあるけど」

 

「筋肉なんて碌についてないのにプルプル震えながら強調してるベル君可愛い・・・」

 

「お子様ボディ、半端ねぇ」

 

 

誰も反応してくれない。

やれと言ったのに。

ぷるぷると涙を溜めて女神と義母を交互に見やるベルに、最終的にアリーゼが「ぶっふぉww」と吹き出した。どこがおもしろいのかは謎だが、刺さるものがあったらしい。なお、【九魔姫(ナインヘル)】ご本人は芸にされているとは知らずに『黄昏の館』でクシャミをした。



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はじまり⑤。

ダンまち・・・新巻・・・・『店舗特典』・・・『とらのあな』・・・住んでるところにねぇ!!


唐突ですまないがアルフィアママはもう退場


 

 

 メレンでの休暇より、季節は秋を跨いで冬に差し掛かり肌寒くなるそんなとある日。

特段、これと言って大きなイベントは発生してはいない。

夏の終わりごろには、『挽歌祭(エレジア)』が行われたり、秋となれば『女神祭』が行われたりだ。英雄や冒険者を哀悼し、過去を想った後、豊穣を祝って明るい未来を信じる。オラリオにおいて『二大祭』と呼ばれる催しがあったくらいだろう。

 アルフィアはメレンでの休暇以降、【アストレア・ファミリア】に手ほどきの一切はしなくなり、それについてアリーゼ達は『地獄の合宿(しょうえんせい)』でちょっともめてしまって、そのせいで失望されてしまったのかと勘違いしてしまったが、これはアルフィアの言葉足らずが原因であった。

実のところは、アルフィアは自分に残された時間をベルのために使っていただけであった。親子2人で『挽歌祭(エレジア)』にいっては顔も知らないベルの実母に祈りを捧げて見たり、『女神祭』では収穫物を一緒に食べてはベルが迷子になってしまったりだ。

 

そんな、もう少しで1年が終わるという頃。

アルフィアの命の灯火は終わりを告げた。

 

 

享年24歳である。

 

 

 

「はぁ・・・・皆、ちゃんと休んだ?」

 

「団長こそ・・・顔が汚いぞ」

 

「輝夜こそ、目元が真っ赤よ」

 

「私の眼の色はいつものことだ」

 

 

 窓から見える空を見上げれば、ぽつりぽつりと白い雪が降っているのが見えた。

都市内でも「そろそろ初雪かも」と言われ『聖夜祭』もいよいよかと賑わっているほどだ。

けれど【アストレア・ファミリア】は今日この時に限っては、どんよりと気落ちしていた。アルフィアが持病であることは勿論知ってはいたが、11人の眷族達を相手に涼しい顔をして戦う彼女の化物性にとても不治の病を患っている女だとは思えず、「死ぬわけがない」とさえ誰もが思っていたくらいだ。

 

 

「・・・クラネルさんは?」

 

「ベル君は泣き疲れてアストレア様の部屋で眠ってる」

 

 

 

 

×   ×   ×

今朝のこと。

 

 

 最初に気づいたのは、勿論アストレアだ。

目が覚めた時、『恩恵』が1つ減っていることに気づいたのだ。「嗚呼、この時が来てしまったのか」と思った彼女はベルとアルフィアの部屋に行くと藻掻くように呻くベルとそんなベルを抱きしめて幸せそうな顔で眠るアルフィアがいたのだ。文字通り、永遠の眠りについたというやつだ。

 

「ベル、大丈夫?」

 

「ア、アストレア様ぁ・・・お義母さん、くるしい・・・」

 

「あらあら・・・」

 

アルフィアより先に目が覚めていたベルが、「一度お義母さんに捕まるとね、二度と逃げられないんだよ」というほどでLv.7の拘束力は確からしい―――とベルはそんなことを思っているようで今抱きしめている義母が既に亡くなっていることなど知りもしない。部屋に入ってきたアストレアの顔を見てパァァと表情を明るくして手を伸ばしてくるほどだ。アストレアは努めて微笑を浮かべてベルの頭を撫でるとアルフィアの腕の中からベルを救出し彼女の手を胸の前で組ませた。

 

「・・・・ベル?」

 

「んぅー・・・?」

 

「アルフィアは・・・その・・・」

 

「今日はお義母さんと【ゴブニュ・ファミリア】の工房を見に行くんです!」

 

「・・・へ?」

 

「昨日寝るときに、明日はそこへ行ってみようって」

 

「・・・そう」

 

「でもお義母さん、今日は起きるの遅くて・・・疲れてるのかな」

 

「・・・・」

 

 メレンでの休暇以降は、よくベルと都市内を散策してまわっていた彼女。

どうやら昨晩、眠る前に明日の予定を話していたらしい。それでも持病を持っていることは知っていたベルは最近あちこち行ってたから疲れて寝坊しているんだと思い込んでしまっている。今日の予定を楽しそうに言うベルに、「お義母さんはもう起きないわ」とはアストレアは言えなかった。口を引き結んで、深呼吸をした後にアストレアはベルと目線を合わせるようにすると頬を撫でながら微笑みを浮かべて口を開く。

 

「アリーゼ達を呼んできてくれる?」

 

「アリーゼさん?」

 

「そう・・・もう起きて朝食を用意しているだろうから」

 

「くあぁ・・・わかりましたっ」

 

一度大きな欠伸をしてアストレアの手にくすぐったそうな仕草をするベルに、また笑みを浮かべてベルに先に朝食を食べていなさいと言って送り出す。ベルが部屋から出て行って少しするとアリーゼ達――ベルとアルフィアを除いた眷族11人が部屋にやってくる。全員が入るにはさすがに狭く、中に入っているのは数名だ。綺麗な寝顔を晒すアルフィアに「へぇアルフィアってやっぱり美人ね」という反応を見せる眷族達に、アストレアは再び深呼吸をしてからその口から告げた。

 

 

「―――目が覚めたら、『恩恵』が減っていました。この意味が、わかりますね?」

 

 

しん、と少女達が静まり返る。

「誰の?」と言うようにあたりを見渡して、全員いることを確認する者さえいるほどだ。なるほど、やはりアルフィアの強さからしてとても死ぬようには思えなかったか『病を克服するスキル』が発現したとでも思っていたのだろう。団長のアリーゼがアストレアの瞳をじっと見て冗談で言っているわけじゃないのだと理解すると、それでも信じたくないのか恐る恐るアルフィアの首元に触れて、手首に触れて最後に胸に耳を当てて心音がないことを確認する。そして、事実アルフィアがその生を終わらせていることがわかってその緑の瞳から涙を零し始めた。集まった眷族達もそれを理解したのだろう、わなわなと小刻みに体を震わせていたり、拳を強く握っていたり、それぞれの反応を見せた。

 

「私、まだ貴方に勝ててないわ・・・勝ち逃げされたみたいじゃない、やめてよ・・・!」

 

「おい起きろクソババァ、まだ私は貴様に一本も取れていないぞッ!」

 

「輝夜、『クソババァ』はいくらなんでも失礼だ・・・いくらなんでも、かの、じょ、が・・・ッ」

 

「怒って目覚めてくれれば万々歳だ、なぁクソババァ!」

 

「・・・ぽっくり逝ってんじゃねぇよ」

 

 

 

三者三様。

悔しいと言っていたり、怒らせようと挑発したり、それを止めようとして言葉に詰まらせたり、とても死人には見えないアルフィアの姿に「冗談はやめてくれ」とばかりに首を振っていたり。部屋にはいつしか少女達のすすり泣く音が響いていて、アストレアは思う。

 

 

彼女は不器用だし我が儘だけれど、なんだかんだで眷族(アリーゼ)達に好かれてはいたらしい――と。

 

 やがて場の空気にあてられて泣き始めたベルが部屋の外にいて、皆が振り返る。朝食を食べ終えても誰も戻ってこず気になってやって来てしまったようだった。そしてアストレアに抱きしめられ泣き疲れて眠ってしまうまで、もう母親(アルフィア)はいないのだと少なからず察して泣きわめいていた。

 

 

これが今朝の出来事だ。

 

 

 

 

×   ×   ×

現在。

 

 

ずっとあのままアルフィアの周りにいるわけにもいかず、けれど何かをする気にもならなかった彼女達はリビングで静まり返っていた。あるいは、顔を突っ伏して無の境地に至っていた。

 

 

「団長、『管理機関(ギルド)』はどうだった・・・?」

 

「ん-・・・・とりあえず『遠征』の日程は改めてってことになったわ。良かったぁー社会貢献してて」

 

「アリーゼ、いやな言い方をしないでください・・・まるで私達が見返りを求めて都市の秩序を守っていたみたいではないですか」

 

「・・・・・てへぺろ。で、輝夜そっちは?」

 

「【ガネーシャ・ファミリア】も快く今日の活動は私達抜きでやってくれるそうだ。気にせず数日休めと言われたが、そもそも私達は連携しているだけだからな・・・」

 

「かと言って何日も休んでたら癖になっちゃうからねぇ・・・みんながニートになったら仲良く『野草と塩のひっどい汁』を飲み続けるしかなくなってくるわ!」

 

「「「おい馬鹿やめろ」」」

 

今朝から現在は昼をすぎている頃。

団長であるアリーゼは『管理機関(ギルド)』に『遠征』の延期の報告を、副団長の輝夜は治安維持の活動をする上で連携を取っている【ガネーシャ・ファミリア】に今日1日活動を休むことをアルフィアの死去も合わせて伝えに行っていた。今は蒸しタオルを目元に置いて天井を見上げている。

 

そう、彼女達は今現在―――何もする気にもならない状態にあった。

 

何よりアリーゼ達は悩んでいた。何にと言われれば、それはベルについて。

こういった肉親を亡くした場合の対処法がわからないのだ。勿論自分達にだって肉親はいたが、アリーゼやリューは故郷を飛び出しているし、ライラや輝夜については語れないハードな人生を歩んでいたともいうから全員が全員、状況が違うのだ。

ただでさえ相手は『派閥(ファミリア)』内で初めての異性で、何より年が離れている。可愛がってはいるが、どうしたらいいのかわからない時もある。かといって女神に任せっぱなしというのもどうかと思い彼女達なりに思考を巡らせるもやはり考えは出てこない。

 

「攻略本が欲しいわ」

 

「『兎の慰め方』でございますか? あったら苦労いたしませんねぇ」

 

「よくクラネルさんには言って聞かせているのを私も聞いたことはあるが、実際に血の繋がった家族の死など・・・いえ、恐らく彼は人の死というものすら経験がないのでしょうが」

 

「はぁー・・・ま、『冒険者』やってるあたし等からしたら、あんなふうに眠って死ぬってのは幸せなことなんだろうなって思うぜ?」

 

「・・・ライラ、やめてください」

 

「事実だろリオン。あたし達『冒険者』は、下手すりゃ今日死ぬかもしれないんだ。一緒に笑って飯食ってた奴が、数時間後には化物共に食われていたりな・・・生きていたって手足がなくなってたり、それこそ取り返しのつかねぇ傷を負っていたりもする。死体を地上に持って帰るなんて稀なことだ。」

 

 天井を見上げながら言うライラの言葉は確かなことだ。

実際、『冒険者墓地』に存在する冒険者達の墓の下に遺体はないのがほとんどで、あくまでも『墓』という『形』をとっているだけだ。ましてや神々が墓参りをするのは下界の風習に倣っているからというのが強い。神々にとって死は終わりではなく、いずれまた再会できるものであるというその死生観が下界の住人とは少しばかり異なっている。だからライラが言うように、アルフィアのように眠って天に昇るというのは、『冒険者』にとっては一番幸せな死に方なのかもしれない。

 

 

 少女達は考える。

数日はベルは落ち込むはずだ。そんなベルをいかにして元気になってもらうかを。

 

「輝夜、男の子を元気にする方法とか知らないの?」

 

「・・・・・答えにくい質問をしないでいただけますか? 状況が状況だけにボケている余裕はないのですが」

 

「ん? 輝夜・・・何故、答えにくいと?」

 

「おーよちよち、生娘(おぼこ)は黙っていてくださいませ」

 

「・・・・・貴方だって生娘だろうに」

 

「・・・・チッ」

 

「こういう時は温かくて美味しいご飯とかじゃないかしら?」

 

「イスカ・・・そう、そうよ! 温かくて美味しいご飯! よし、私、作るわ!!」

 

「「「座ってろ」」」

 

「・・・・はい」

 

 

【アストレア・ファミリア】団長、アリーゼ・ローヴェル。

彼女は派閥内で『台所に立ってはいけない女』の1人である。作る料理全てが赤くなってしまうのだ。

彼女曰く「え、どうして赤いのかですって? 情熱の赤って大切よね! バーニングよ!」であり、食べた少女達は総じて倒れ、味覚を粉砕爆砕大爆砕され、辛うじて感想を口にした者は「辛いを通り越して痛い・・・痔になるわ」と言葉を残している。

 

「・・・・なら、私が」

 

「「「卵焼きを炭に錬金するエルフも座ってて」」」

 

「くっ・・・・」

 

【アストレア・ファミリア】、リュー・リオン。

彼女も同じく料理の腕はからっきし。

「サンドイッチを作ってみました」と言った彼女がベルの前に差し出したのは、辛うじて四角い形をしているだけの炭だった。好敵手の輝夜に「試しに卵焼きを作ってみろ」と言われた彼女は「舐めるな、それくらいできる」とやってみたところレンガのような炭が出来上がっていた。

毒味をした輝夜は腹を下し、リューに拳を叩き込んでいた。この時、リュー・リオンもまた『台所に立ってはいけない女』の称号を授与されたのだ。

 

「じゃあ・・・輝夜が作る?」

 

「何故私が作る前提なんだ・・・食べに行けばいいでしょうに。そうしょっちゅう外食するわけでもないのだから構わないでしょう?」

 

「じゃあ皆で食べに行くとしてー・・・・」

 

「申し訳ないけど、日中はアストレア様に見ててもらうしかないわ。その分、本拠ではあの子を可愛がってあげる。でも・・・うん、たぶんこういう時はいつも通りがいいのよきっと」

 

「というと?」

 

「変に気を遣うんじゃなくて、ベルの中で整理がつくのを待ってあげるってこと。うまく言えないけど・・・・・・とりあえず」

 

「・・・とりあえず?」

 

「気が付けばもう外が暗いので夕飯にしない? 私、『管理機関(ギルド)』に行ったりしていたからお腹空いちゃって・・・」

 

 

平常運転でいくアリーゼに、全員が溜息をついた。

全員が全員暗くなっているわけにもいかないからあえてそうしているのだろうことは、彼女の目元を見れば明らかではあったが、なんともしまらない残念な団長に、仲間達は苦笑と共にやはり溜息をついた。

 

 

×   ×   ×

『星屑の庭』、神室。

 

「あの子達・・・もう少し静かにはできないのかしら」

 

五月蠅いと言うほどではないが、会話の内容が気になってしまう。

彼女たちなりに考えているのだろうが・・・と、アストレアはベッドで眠るベルの目元を拭って溜息をつく。

 

「少し・・・寂しくなるわね」

 

アストレアはふと、思い出す。

アルフィアがいきなりメレンに別荘を購入してまで休暇に連れ出した時のことを。もっと言えばメレンへ行く前だ。敵対派閥の罠に嵌った時に遭遇した『抹殺の使徒(ジャガーノート)』なるモンスターの一件が彼女の体を蝕んだのだろう。全員が大怪我こそすれ帰還していたが、その一件の後アルフィアはアリーゼ達に『地獄の合宿(しょうえんせい)』で少女達を徹底的に痛めつけて根を上げてしまって以降、面倒を見なくなった。

 

 

 

「アルフィア、何を焦っているの?」

 

「・・・・そう見えるのか?」

 

「ええ、すごく。死んでは元も子もないのよ? あの子達を育ててくれるのは助かるけれど、壊してしまうのは違うでしょう? 時間は有限とは言うけれど、だからといって詰め込めばいいという話でもないわ」

 

「・・・・そうか、そうだな。だが、私が小娘共の面倒を見るのはもう終わりだ」

 

「どうして? 失望してしまったの?」

 

 

違う、違うんだと彼女は首を振る。

どこかその表情は悲し気で、影があった。彼女は言う、もう以前のように戦うことが難しいのだと。【ディアンケヒト・ファミリア】の少女から貰っている薬がいよいよ効果を感じなくなってきたことを。

 

「だから、残りの時間をベルのために使うと決めた。」

 

「どうにも、ならないの?」

 

「ああ、どうにもならない・・・ステイタスを更新してもスキルが発現していないことが何よりの証拠だろう?」

 

「・・・・・・」

 

「小娘共は、あの27階層に怯えてしまっている・・・だが、大丈夫だ、きっとすぐに乗り越える。なんのきっかけもなしにな」

 

「理由は?」

 

「『理不尽(ジャガーノート)』をその身を以て知った。あの日、あの時、あの場所で、小娘たちは一度死んだ。私がいたから生きていただけだ。ならば、あの時、小娘たちは恐怖に飲まれて死んだんだ。あれほどまでの理不尽を・・・未知を知ったあの娘達は誰よりも強くあれるはずだ。私は言うぞ、あんなもの黒竜よりマシだと・・・『未知』は既に『既知』に変わっている。対処法もわかっているはずだ・・・まぁもっとも、あんなものに日常的に遭遇することはないだろうが。」

 

「認めてはくれているのね、アリーゼ達のことを」

 

「・・・・ベルを託したんだ、認めるしかないだろう。それに、あんなことがあったというのに私を倒す気だけは一丁前にあるのだからな」

 

「そう・・・では、残りの時間を貴方はベルとの思い出を作るのね?」

 

「私は母親らしいことが何かを知らん。だから、思い出になるかはわからないが・・・・・・そうだな、あの子が【ゼウス】と【ヘラ】の遺産だからとプレッシャーを感じても私といたことを思い出して知ったことかと立ち上がってくれるようであれば私も救われる」

 

ベルはたまに「英雄にならなきゃいけない」と言う。

それは自分が2つの派閥の最後だと自覚しているからなのか、変な夢を見たからなのか、本人が言わないからアストレアにはわからないけれど母親のアルフィアからしてみれば義務感のように言われるのは嫌なのだろう。何より、アルフィアはベルに平穏に生きてほしいと願っている。

 

「・・・・・・・・」

 

「・・・・アルフィア?」

 

いきなり無言になるものだから、アストレアは怖くなって彼女の肩に触れて声をかけた。

すると彼女は居眠りしていたかのようにピクリと肩を跳ねさせて「すまない」と唇を動かした。

 

「あの一件以降・・・『明日は来ないかもしれない』『ベルを抱きしめるのはこれで最後かもしれない』と・・・それがとても怖いと思うようになった」

 

珍しく彼女は、弱音を吐きだした。

そこには決して、元【ヘラ・ファミリア】の【静寂】はおらず、ただのたった1人の血の繋がった子供を置いていってしまう親の顔をするアルフィアがいた。唇を引き結んで、額に手を当てて吐露する。

 

「朝、目が覚めた時に何度・・・これが奇跡だと思ったことか。眠ることが怖いとさえ思うほど、私は弱っていたらしい。さっさと役割を終えて(メーテリア)の元へ行くはずだったのに・・・・とんだ寄り道だ」

 

「・・・・ベルにはまだ、貴方が必要でしょう? 私もなんとかできないかディアンケヒトと・・・ミアハに掛け合うわ」

 

「・・・・いい、不要だ。『大聖樹の枝』を煎じた物以上に上等な薬など存在しない。これ以上、私の時間を遅らせることはできない」

 

「・・・・・ベルには、伝えるの?」

 

「口酸っぱく言っている。私達は永遠に一緒にいてやることはできないと・・・・」

 

彼女はそれ以上は何も語らず深い深呼吸をした後に立ち上がり、部屋を後にする。

去り際、振り返って苦笑するような表情でアルフィアは言う。

 

「・・・ベルが幸せなら、もう相手は女神でも構わん。あの子を、よろしく頼む」

 

 

 

 

 

深く息を吐いて、アストレアは窓の外の景色を見た。

いつの間にか夜になっていて、ノックの音がしたので返事をすると眷族が「夕食はどうされますか?」と言うので「用意してくれたのにごめんなさい、今日はいいわ」と断る。ベルのことを心配そうに見つめていたけれど、彼女はペコリと首を垂れるとそのまま部屋を離れていった。彼女達は彼女達で『派閥』としての活動があるため、恐らく明日からは通常通りに戻るだろうし、いつまでも泣いていたらそれこそアルフィアに蹴り飛ばされかねない。

 

「ベル・・・寂しいけれど、頑張りましょうね」

 

「・・・・・ぐすっ」

 

 小さい体を丸くするようにもぞもぞと動くベルの目元はまた濡れていて、それをアストレアは拭う。

初めての男の眷族で扱いに悩みもするが、懐いてくれているし何よりアルフィアに託されたのだ安易に手放しはしない。

 

「・・・・ステイタス、更新してみようかしら」

 

ふと、思うそんなことを。

眷族(アリーゼ)達と違ってベルは『恩恵』を授かっているだけで特別訓練をしているわけでもない。せいぜい走り回っているくらいだから敏捷は上がっているだろうが、それも微々たるものだろう。けれど神としての勘だろうか、或いはアルフィアの魂がそう告げたのかおもむろにアストレアはベルのステイタスを更新してみることにした。

 

 

 

ベル・クラネル

所属【アストレア・ファミリア】

Lv.1

力:I 0

耐久:I 0

器用:I 1

敏捷:I 10

魔力:I 0

 

■スキル

雷冠血統(ユピテル・クレス)

・早熟する。

・効果は持続する。

・追慕の丈に応じ効果は向上する。

 

■魔法

【アーネンエルベ】

 【我等に残されし、栄華の残滓。 暴君と雷霆の末路に産まれし落とし(愛し)子よ。】

 【示せ、晒せ、轟かせ、我等の輝きを見せつけろ。】

 【お前こそ、我等が唯一の希望なり】

 【愛せ、出逢え、見つけ、尽くせ、拭え、我等が悲願を成し遂げろ。】

 【喪いし理想を背負い、駆け抜けろ、雷霆の欠片、暴君の血筋、その身を以て我等が全てを証明しろ】

 【忘れるな、我等はお前と共にあることを】

 

・雷属性

自律(オート)による魔法行使者の守護

他律(コマンド)による支援




「素敵な人に出逢いなさい」
「好きなものを見つけなさい」
「愛せる誰かに尽くしなさい」
「誰かの涙を拭ってあげなさい」
「忘れないで、私達はいつだって貴方と共にある」


アーネンエルベ:意味=「祖先の遺産」


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アルフィアはもういない①

カオスです。


アイズもフィンもリヴェリアもこんなこと言わねぇよだったらごめんなさい。


 

 

 

 アルフィアの死去より早3日。

【アストレア・ファミリア】は1日間を開けて、本日より活動を再開させた。太陽は既に昇り、『星屑の庭』に彼女達の姿はない。昨日までいた人間がある日を境にいなくなると、ぽっかり穴が空いたような感覚に陥るがそれはアルフィアでも同じだったらしい。彼女がいたころはあまりにも五月蠅くすると「喧しい」と言って本拠内をその二つ名同様に静寂に包みこんでいたというのに、今やその静けさは不気味なほどだ。

 

 ベルはと言えば、死去した翌日もアルフィアが「実は昨日のあれは悪い夢だったのでは」と本拠内を走り回って義母を探し回って、本当に死去して(いなくなって)しまったと理解してポロポロと涙を零して眷族(アリーゼ)達に「ど、どうやって励ませば…」とオロオロさせた。そして3日目の今日、前日よりも多少明るさを取り戻してはいるように見えたが、どう見ても無理をしているようにしか見えないし、時々聞こえてくる時刻を知らせる鐘楼にベルは勘違いをしてしまうものだから少女達は言葉を詰まらせた。

 

 本拠にアストレアとベルだけになり、アストレアは【ディアンケヒト・ファミリア】の治療院にベルの定期健診に行った。これはアルフィアの遺言でもあったからだ。彼女とベルの実母は生まれつき不治の病を患っていた。ベルにその兆候はなかったとはいえ、心配だったのだろう。治療院で働く治療師の少女にアストレアが知らないところで頼み込んでいたようで顔を見るなり彼女はそれはもうベルのことを気遣ってくれたのだ。

 

「食事はちゃんと取られていますか?」

 

「昨日は夕飯を少しだけ。一昨日は眠ってしまって食べていないわ」

 

「『恩恵』があるので多少大丈夫でしょうが・・・食べない状態をそのままにすることだけは避けてください。アルフィアさんと同じ病を患っていないとはいえ、健康的な生活を送れなければ誰でも病気になりますので」

 

「ええ、わかっているわ・・・それで、健診の結果は?」

 

「いつも通り、問題はありませんよ。健康そのものです」

 

「そう・・・ありがとう」

 

 

 そんなやり取りを終えて昼頃に再び本拠に戻って昼食をとり、本拠内を掃除する。

ベルはそんなアストレアの後ろにくっつくように、トコトコ、トコトコと付いてきてアストレアが立ち止まれば彼女のスカートを小さな手で握りしめてくる。ベルに目を向けて見れば、いかにも寂しそうな目で見返してくるのでアストレアはいろいろやばかった。胸のあたりがキュゥゥンと音が鳴っているような気さえしたほどだ。

 

「どうしたの? ソファでくつろいでくれていていいのよ?」

 

「・・・・アストレア様もいなくなっちゃったら、いやだ・・・だから、捕まえてる」

 

「・・・そ、そう。でも、私はいなくなったりしないわよ?」

 

「・・・・・・うん」

 

なんならスカート越しに足に抱き着いてくるのだから、庇護欲をくすぐられてアストレアはいろいろもう危なかった。一通りやれることも終えて、ソファでくつろいでいると気持ちのいい風が吹いて『膝枕してもらいながらヨシヨシしてもらいたい女神No.1』のアストレアの膝を当然のように枕にして横になるベル。アストレアは欠伸を零してから、ベルの柔らかい髪を梳くように撫でてから部屋で昼寝でもしましょうか。と言って神室のベッドで昼寝をすることにした。

 

 

 

 

「・・・・どうしましょう」

 

 

―――というのが、先程までのことだ。

アストレアは非常に焦っていた。抱きしめて眠っていたはずが、起床して体を起こすと、なんとベルがいなかったのだ。眠っていたのはせいぜい1時間程度で、きっと本拠内にいるはずだ、1人で出かけたこともないのだからと眷族達の部屋も含めて探し回ってみるも見つからずアストレアは嫌な汗を頬から滴らせた。嫌な予感がして、身支度を整えて、本拠を飛び出す。しばらくして彼女が見つけた時にはベルは治療院のベッドの上にいた。

 

 

 

×   ×   ×

【ディアンケヒト・ファミリア】治療院

 

 

「―――と言うのが、私が聞いた大まかなことの経緯です」

 

 額に青筋立てる人形のような少女――アミッドが「おかしいですね、定期健診は今朝したはずですが」と若干皮肉交じりに対面するアストレアに説明してくれる。

 

 何があったのかと言えば、こうだ。

ストリートを北上するベルを偶然にも見つけたダンジョン帰りの金髪金眼の幼女――アイズ・ヴァレンシュタイン(9歳)は、「ベル・・・1人でどこ行くんだろう」と尾行を開始。それから少しして、『派閥』の用事をすませただろう2人の男女――アナキティ・オータムとラウル・ノールドが『男児を尾行する幼女』というこれまた意味の分からない光景を見かけ、首を傾げ、尾行を開始。『全自動怪物爆散マシーン(キリングドール)』は問題児だ、それが何かやらかすのでは・・・と若干、頭を痛めるリヴェリアの姿が脳裏をチラついたが故だ。

 

 トコトコ、トコトコ、と小さな体を北に向けて進めるベルの真後ろまで追いついたアイズは「ベル、何してるの?」と声をかけたところでベルは体を大きく揺らして足を止めアイズのことを認識する。【アストレア・ファミリア】と【ロキ・ファミリア】は決して敵対しているわけでもなくむしろ協力的な関係をもっているため、以前よりアイズはベルのことを認知していた・・・というか保護者達によって紹介されていた。「良い友人関係にでもなれば」と。アルフィアなりに自分がいなくなった後のことを考えて歳の近い子供を会わせてみただけではあったが、とにかくアイズはベルとは初対面と言うわけではなかったしいつもアストレアか『派閥』のお姉さん、或いはアルフィアと一緒にいるのを見ていたために「1人で何しているの?」と思ったのだ。特段2人は長い会話をしたわけではない。けれど、言葉足らずなせいで事件は起きてしまった。

 

 

「・・・・おかあさん」

 

「?」

 

「夢だって思ったけど・・・死んじゃったんだ・・・」

 

「・・・・」

 

「僕のことぎゅっとして、眠っちゃって、もう・・・」

 

「・・・・・・そっか・・・・・・・・・・()()()()()

 

 

ちゃんと見送れてよかったね。悲しいけど、お別れできてよかったね。アイズは自分とは違ってちゃんと看取ることができたことや、『冒険者』にしては幸福な死を迎えられて良かった――とこれが16歳のアイズであればそんな風にもう少しうまく言うことができただろうことを、言葉足らずが災いして、ベルを勘違いさせた。帰ってきたのは、拳だったのだ。ベルよりも器を昇華させているアイズには何のダメージもない、けれどその拳には悲しみだとか怒りが確かに籠っていた。頬に拳が食い込んだままベルのことを見たアイズは「どうしてそんなことするの」とモヤモヤと形容しがたい黒いものが浮上して、ベルが泣いていることにも気が付かず、考えるよりも先にアイズはやり返していた。

 

Lv.4間近の幼女が、『恩恵』を授かっただけのベルを殴ったのだ。

離れた距離で尾行していたアナキティとラウルはその光景を見て血の気が引き、大慌てでアイズを止めベルを救出に向かった。馬乗りになってなぜか涙を零して意識を失っているベルに拳を落すアイズを次の瞬間、一陣の突風が吹き飛ばす。

 

 

「【戦姫】・・・・貴様ぁああああ!!」

 

「【疾風】!?」

 

「え、ちょ、えぇ!? アイズさんが吹っ飛ん・・・蹴ったんすか!?」

 

 

どうやらリューは都市民が「あそこで白髪の男の子が!?」という悲鳴を聞きつけ駆け付けたらしい。視界に入った光景を見て怒り心頭になった彼女はベルの上にいたアイズを蹴り飛ばした。暗黒期以来の『女児蹴り』にラウル達はさらに血の気が引いた。彼女はラウル達の声を聞くと復讐者にでもなったかのようなきっつい視線で睨みつけ「これは【ロキ・ファミリア】からの宣戦布告か?」と木刀を向けてくる。必死に「違うわよ!?」と弁解していたところにさらに悲鳴を聞きつけたアリーゼがやってくる。

 

 

「ちょっとリオン!? また『女児蹴りのリオン』って言われるわよ!?」

 

「クラネルさんが殺されかけた! 彼を助けるためなら恥などいくらでもかく!」

 

「状況がわからないからちょっと落ち着きなさい! 【超凡夫】がチビってるじゃない!」

 

「チビってないっすよ!?」

 

「ちょっとそれよりも早く2人を治療院に!? ってアイズは普通に立ち上がってるから・・・回復薬(ポーション)で大丈夫・・・かしら・・・?」

 

「そ、そうよ・・・うん! ベルを治療院に! 【貴猫(アルシャー)】は保護者に報告してきて! 治療費ふんだくってやるわ!」

 

「いや、報告はするけど・・・最後の方は隠しなさいよ!?」

 

「【疾風】、とにかく落ち着いて!? 余計状況が悪化するっす!?」

 

 

 そうしてアリーゼがベルを抱えて治療院に、アイズは気が動転して「ふぅーっ、ふぅーっ!」とまるで威嚇する猫のように、アナキティは『黄昏の館』に大急ぎで走り、目まぐるしく変わる状況に狼狽えまくるラウルは魔力さえ迸っているように見える金髪のエルフを必死に落ち着かせようとして、つい、うっかり肩に指が触れてしまい「触るな!」と投げ飛ばされた。「厄日っすー!?」とは彼の悲鳴だ。そうして『黄昏の館』に急行するアナキティがベルを探し回るアストレアを見かけて治療院にやって来たのだ。アミッドから一連の流れを聞いたアストレアは頭が痛くなった。既に目が覚めたらしいベルはアミッドにくどくどと「勝手に1人で外出してはダメでしょう」と注意され2人して何やら作業をしている。アミッド曰く、気分転換らしい。

 

「ベルさん、もう少しノズルを奥へ」

 

「入口、せまくてはいらないよ」

 

「いいえ、広すぎると溢れてしまうので・・・こう、ぐいっと奥までいってください」

 

アミッドはやたら長い布袋を両手で持ち、ベルが『魔石製品(そうじき)』の極細ノズルのようなものを切り込みに差し込んでいた。アストレアはふぅーととりあえずベルが無事・・・いやまぁアミッドのおかげで回復したけれど、とにかく誘拐とかじゃなくて良かったと努めてポジティブに受け止めて夕日の混じった空を見上げて天で【ジェノス・アンジェラス】しかけていたかもしれないアルフィアに「貴方の義息子は無事よ』と心の中でそんな言葉を送り、紅茶で喉を潤した。

 

「あ、すごい・・・いっぱいはいってく」

 

「ええ、もっといっぱいください・・・角度を変えるといいですよ」

 

「・・・こ、う?」

 

「はい・・・お上手です。中にいっぱい・・・ぱんぱんにしてください」

 

 

――会話の内容だけ聞くと、なんだかなぁ・・・と思ってしまうわね。

 

 

幼い男児と少女のやり取りに視線を戻してアストレアはそう思った。

なんなら廊下から【ディアンケヒト・ファミリア】の眷族達だろうか―――ひそひそとした会話まで聞こえてくるほどだ。

 

 

「ほ、ほらやっぱり・・・・アミッド様とベル君は許嫁なんですよ!」

 

「そ、そんな・・・まだ子供なのに・・・もう子作りを・・・ッ!?」

 

「生前、アルフィア様は言っておられました・・・「息子をよろしく頼む」と・・・つまりそういうことなんですよ!」

 

「先ほどから、「もっと奥に」とか「ぱんぱん」とか・・・嗚呼、俺達のアミッドさんが!?」

 

「ですがあの【静寂】のアルフィア様が「よろしく」と頼んだのですから・・・アミッド様もまんざらでもなさそうですし、私達にできるのか2人の関係をよりよい方向に舵を取ってあげる事・・・! それが年上としての務め!!」

 

えいえいおー! などと言う男女それぞれの声にアストレアは溜息を吐いた。

「息子をよろしく頼む」とはアルフィア自身を蝕む持病も相まってベルの身を案じたがための「ベルの体をこれからも診て欲しい」という意味合いだ。なにより未だ未熟とはいえ将来有望であろうアミッド以上に信頼のおける治療師をアルフィアは知らない。同じ人間にこれからも診てもらえるなら診てもらいたいというのが親としての気持ちだったのだろう。ましてやベルはまだ10歳にもなっていない身、そこで恋愛云々についてアルフィアはそこまで考えてはいなかった。「こいつは金髪妖精に憧れてたのか・・・? でも大和撫子もいける口・・・か・・・? おのれゼウスめ、余計な洗脳(きょういく)を・・・」とか「女神好きすぎでは?」とか思ってはいただろうが。兎にも角にも【ディアンケヒト・ファミリア】の団員達は盛大な勘違いをしているようであった。

 

 

「貴方達2人は・・・何をしているの?」

 

「・・・いえその、以前新薬の調合をしている間に3日目の朝を迎えた際に」

 

「3日目の朝を迎えた・・・・?」

 

何をしれっとこの少女は徹夜してました宣言をしているのだろうとアストレアは思った。ディアンケヒトは何も言わないのか、とも。

 

「ふと・・・クッションに顔を埋めた際に全身をこれに包まれたら体力回復が見込めるのではないか、と思いましてより細かい粒を・・・・あ、ベルさんズレてます零れてます」

 

「わわわっ」

 

サイズにして大の大人が飛び込んでも問題なさそうな180C(セルチ)の円柱型のクッション。差し込まれたノズルからサラサラと細かな粒が流れ込んでいる。それがパンパンになるとアミッドはノズルを抜き取り、ジッパーを閉めた。

 

「ふふ・・・試作品を廊下に置いておいたのですが・・・ディアンケヒト様がダメになるほどでした・・・ベルさんもこれでぐっすりですよ」

 

「・・・・くれるんですか?」

 

「ええ、あげましょう・・・ですので元気を出してください」

 

 

アミッド命名、『Amigo(アミーゴ)』。

神をダメにするソファである。

ベルは自分の体よりも大きなそれに深々と顔を埋めてアストレアのことをチラリと見てくる。勝手に本拠を飛び出したことについて申し訳なく思っているらしい。アストレアがベルに苦笑しながら見つめ返すとベルはクッションの陰に隠れるのでアストレアは回り込む。時計回りでくるりくるりと1本の柱――ではなくクッションではあるがちょっとした追いかけっこになっている光景にアミッドは苦笑し、やがて反時計回りに動いたアストレアに両脇を掴まれたベルは小さく悲鳴を上げて持ち上げられた。ニッコリとした笑みを浮かべるアストレアに対してベルはもにょもにょと口元を動かしてから小さく「ごめんなさい」と謝った。

 

 

「目が覚めたらいなくなっているものだから驚いたわ。探し回っていたら治療院に運ばれているし・・・どうして出て行っちゃったの?」

 

「・・・・鐘が」

 

「鐘?」

 

「ごーんって鐘の音が聞こえて・・・もしかしたらって思って、それで・・・ごめんなさい」

 

 

恐らくは時刻を知らせる鐘楼の音が耳に入り寝ぼけた頭がそれをアルフィアの魔法(もの)だと勘違いしてしまったのだろう。降ろされたベルは涙で潤んだ瞳で上目遣いに女神を見るものだからアストレアは強く叱ることもできず「黙って出て行くのはやめましょう」と厳重注意するしかなくなってしまった。

 

眷族(アリーゼ)達が心配しているでしょうし・・・帰りましょうか。【戦場の聖女】、治療ありがとう」

 

「はい。ベルさん、もう体は治っていますが、お大事に。あまりアストレア様を心配させてはいけませんよ」

 

「・・・・はぁい」

 

 

 

×   ×   ×

『星屑の庭』

 

 アストレアが治療を終えたベルと共に帰宅すると、本拠内ではまさしく『裁判』が行われていた。普段食事をする際に皆で囲っているテーブルに対面する形で【ロキ・ファミリア】からリヴェリア、フィン、ロキが。【アストレア・ファミリア】からアリーゼ、輝夜、ライラが。部屋の隅っこではリューがなぜか正座させられており首からは『私は幼女を蹴り飛ばしました』という立札がぶら下げられていて、「ついカッとなってしまったとはいえ私はなんということを・・・」とエルフの尖った耳をへにょっと垂れさせていた。その隣には金髪金眼の幼女――アイズ・ヴァレンシュタインが自分が何をしたのかを冷静になって理解したのか、或いは保護者に言われて理解したのか顔を真っ青に染め上げて正座をしていてリューと同じく『私は格下で年下の男の子を殴打(てんぺすと)して殺しかけました』と立札をぶら下げていた。というか何をどうしたらそうなるのかアイズの頭には三段にトッピングされたアイスの如くたんこぶが出来上がっていた。

 

「ええっと・・・・」

 

「・・・・・」

 

 ベルはアミッドから貰った『ダメになるソファ(アミーゴ)』を抱きしめて運んでいたため前など碌に見えておらず本拠内の光景など当然、見えてはいない。アストレアは玄関を開けて見えたその光景に「ああ、そういえばそうだった」と何がどうしてベルが治療院に運ばれたのかを思い出して微笑みを引き攣らせた。

 

 

「そちらでは肉親が亡くなった子供に「よかったね」とか言って追い打ちかけちゃう教えをしているんですか!?」

 

「そんなことを教えるはずがないだろう!? 大慌てでやってきたアキに話を聞かされてみれば・・・・くそ、なんて言葉足らずなッ」

 

「ま、まぁまぁ・・・アイズたんも悪気はなかったんやし・・・」

 

「「なお質が悪いわ!!」」

 

「ひぃ!? リヴェリアママとアリーゼたんがめっちゃ怖い!?」

 

 

 恐らく、アイズの頭に見事なたんこぶがある時点でどういう意味で「よかったね」などと言ったのかは理解し、そのうえで「言葉が足らなさすぎる、自分が言われたと思って考え直してみろ!」といったやり取りがあったのだろう。アストレアはベルの背を押してそろりそろりと『ダメになるソファ(アミーゴ)』の陰に隠れるようにして別室に移動するようにした。数名がそんなアストレア達に気づいて「おかえりさないアストレア様、ベル君」と手を振ってくれるが保護者達は話し合いに集中しているのか見向きもしない。というか眷族達が怖くてアストレアは反応に困った。何せ「【ロキ・ファミリア】が私達に宣戦布告してきた」とばかりに彼女達は何やら作業をしていたのだ。なんというかそう、瓶に火薬でも詰めているかのように。

 

 

「ンー・・・これが同じ階位(レベル)だったならまだ『子供通しの喧嘩』って話にできたんだろうけど・・・」

 

「そもそも『恩恵』持ちの喧嘩は喧嘩じゃねえからな。ましてや相手はガキンチョだ、加減なんてできるわけがねぇ。まだ最近派閥と喧嘩別れして酒場で暴れまわってるっていう灰狼(フェンリス)だってギリ加減してるだろうぜ」

 

「そうだね・・・アイズは加減ができるような子とは言い難い」

 

「モンスターを爆散させるほどですしねぇ・・・見てくださいませ、あそこで顔を真っ青にしている【剣姫】様を。なんとまぁ可愛らしいこと」

 

「まったく・・・・頭が痛い・・・アルフィアとザルド、そしてベルが3人で歩いているのを羨ましそうにしていたと思えば・・・これは、嫉妬なのか?」

 

「そんで? 【ロキ・ファミリア(そっち)】はどう責任とるんだよ。いくら先に手を出したのがこっちだって言っても、そもそもの原因はそっちのお姫様だろ?」

 

「あの子の治療にかかった料金はこっちが持つで」

 

「まあ当然でございますねぇ」

 

「ンー・・・・そういえば君達、『遠征』はどうしたんだい?」

 

「延期よ? 管理機関(ギルド)からは次の日程が決まり次第報告に来るようにってこっちの都合を組んでくれているし」

 

「なるほど・・・じゃあ、そちらの『遠征』の費用のいくらかをこちらが負担するというのはどうだい?」

 

「ちょ、フィンええんか!? うちらも『遠征』では赤字になることやってあるんやで!?」

 

「それくらいしないとね・・・団員の数で言えば僕達の方が多いわけだし彼女達より負担は少ないはずだよ」

 

 

 どうやら保護者同士でなんとか話を丸く収めようとしているようだった。

ダメになるソファ(アミーゴ)』を部屋の隅に置くと、ベルが「お風呂に入りたい」と言うのでアストレアは着替えを用意しておくからと言ってベルを浴室に送り届ける。

 

 

「なんなら僕達の『遠征』に同行するかい?」

 

「『遠征』はあくまでも自分達の【ファミリア】で行うことがルールよ【勇者】? 勿論、他派閥の冒険者を雇うっていうのは有りだけど・・・・他派閥の『遠征』についていくだけっていうのは認められていないわ」

 

「まぁそれもそうか」

 

「まぁなんだ? 兎も無事に帰ってきたっぽいし・・・今後気を付けてくれりゃぁいいぜ? そっちから『遠征』の費用を出してもらえるってんなら万々歳だ。アストレア様に貧しい飯食わせずにすむ」

 

 

そう言ってライラは「とりあえず書面に残しておこうぜ?」と言って穏便に事を片付けるように1枚の羊皮紙を【ロキ・ファミリア】側に差し出した。それをフィンも「今回はすまなかったね」と苦笑交じりに穏便に問題が片付くことに内心安堵しながら自らの元に引き寄せて・・・引き寄せて・・・

 

 

「・・・ンンンンン?」

 

 

凍り付いていた。

 

 

「どないしたんフィン?」

 

「どうした、フィン。何かあったのか? 何やら共通語(コイネー)ではないようだが・・・」

 

「・・・・ライラ、これはどういう冗談だい? 今僕たちは真面目な話をしていたはずだが」

 

「ああ、もちろん真面目な話をしていたんだぜあたし達はな。けどよ、こういう解決方法もないわけじゃないだろ?」

 

 フィンの手元の羊皮紙には、小人族(パルゥム)の言語で文字が記されていて内容を理解したフィンは苦笑どころか引き攣っていた。

 

「・・・・本気(ガチ)かい?」

 

「あたしは本気(ガチ)だ。そして真剣(マヂ)だ」

 

 アリーゼ達でもライラが何を考えているのかよくわからなかったのか首を傾げている。

治療費に『遠征』の費用まで負担してくれる。もうこれでいいんじゃね?と思っているくらいには、とりあえず文句も言っているしリューが咄嗟とはいえ幼女を蹴り飛ばしてしまっているのもあってそれ以上を求めるのもどうかと思われた。リヴェリアはアイズを蹴ったリューに対して特に責めることもなく「同じ立場だったら私も同じことをしていたに違いない」とやんわりと言っていたし。

 

 

「ロキ・・・・リヴェリア・・・よく聞いてくれ」

 

鬼気迫るような口調で、フィンが言う。

ロキは「ごくり・・・」と唾を呑み込み、リヴェリアは「取り返しのつかないことになるよりマシか・・・甘んじて受けるとしよう」と覚悟を決めた。そしてフィンが重苦しく口を開く。

 

 

「・・・・『婚姻届』だ」

 

「「「「ぶっふぉwww」」」」

 

フィンのその言葉に、ロキが、リヴェリアが、アリーゼが、輝夜が、吹き出した。そしてライラがしてやったりとばかりにニヤリとあくどい笑みを浮かべていた。

 

「待て、待ってくれライラ、君は確かに将来有望な小人族(パルゥム)なんだろう、君の勇気も勿論僕は認めている! だが、しかし・・・これはダメだろう!?」

 

「【勇者】さんよぉ・・・・あんたに、『誠意』を問おう」

 

「おうフィン、持ちネタをパクられとるで」

 

「フィン・・・祝いの品は何が良い? できる限り手に入る物にしてくれると助かるんだが」

 

「君達は何故僕を助けない!?」

 

「なんやっけ『政略結婚』っていうんやっけ? それでまぁ平和になるなら・・・・ぶっちゃけ優秀な小人族(パルゥム)であることに違いないし」

 

「・・・・まぁ、なんだ、これで穏便に片付くなら」

 

「リヴェリア、君が僕の立場だったらどうするんだい!?」

 

「・・・王族(わたし)とお前とでは立場がそもそも違うが?」

 

「くっ・・・!」

 

「そう嫌がるなって【勇者】様、私は別に重婚だって認めるぜ? 男だったらハーレムを目指さないとな。あたし達の派閥は男はあの兎しかいねぇからよ、なんだかんだ皆色恋には飢えてんだ。誰かが先陣きっとかねぇと・・・行き遅れちまう。な、そうだよな【九魔姫】」

 

「おい何故私にふった!?」

 

「あら、私達はもうベルがいるから気にしていないわよ?」

 

「歳の差を考えたことはあるのか!?」

 

「あら、それを言いだしたら【九魔姫】なんてもう相手いないじゃない・・・それこそ神々しか・・・いえ、貴方の年齢は知らないけど、だいぶいっているだろうってくらいは想像できるわ! ね、ロキ様!」

 

「ウチを巻き込まんといてぇ!?」

 

「まぁこれで両派閥が『仲が良い』と大衆に知らしめることができれば・・・・【剣姫】様のやらかしも、リオンのやらかしももみ消せ・・・・ん? おいリオン、【剣姫】はどうした」

 

 

ぎゃーぎゃー言う保護者達の状況は混沌と化していた。もうなんでもいいから話を終わらせろと面倒くさそうにしていた輝夜が口を開き、言い終わる前に問題児(アイズ)の姿が無くなっていることに気づきリューに問いただすもリューはどうやら不慣れな正座で限界を迎えていたようで、てんで役に立たなかった。すると風呂のある方から、ベルの悲鳴らしきものとアストレアの「え、えぇぇぇ!?」という叫びが響いてくる。大慌てで悲鳴の鳴る方へドタバタと向かった保護者達は次に見た光景に記憶を吹っ飛ばしかけた。

 

「うきゅぅ~~~~」

 

「ごめんなさい・・・ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいッッ!!」

 

「あ、あぁ、ベ、ベル・・・そんな・・・!?」

 

浴室で仰向けに倒れる生まれたままの姿のベルの上に、同じく生まれたままの姿のアイズが乗っかり背を丸くしながら謝罪の連呼。それをわなわなと出入口にへたり込んでしまっているアストレア。

 

「そ、そんな・・・私達のベルの操が!?」

 

「いくら何でも早すぎる!?」

 

「これが新進気鋭の(エアリエル)職人の早業・・・!?」

 

「ていうかなんで脱いでるの!?」

 

「アストレア様、お気を確かにッ!?」

 

「ライラ、火薬ってまだ詰めた方がいい!?」

 

「いや、唐辛子もつめとけッ!!」

 

【アストレア・ファミリア】のお姉さん達は大混乱。

やっぱり【ロキ・ファミリア】は私達に恨みでもあるんだ!とばかりに瓶にいろいろ詰め込む作業までする始末。リヴェリアは悪い夢を見たようにひっくり返った。フィンは幼女とはいえ女性の裸を見るわけにはいかないと背を向けて痛む頭を押さえた。アリーゼと輝夜は笑顔のまま凍り付いた。それでもロキに「しっかりせぇ!」と体を揺さぶられたリヴェリアは意識を覚醒させ、アイズを引っぺがしベルにタオルをかけベルのプライバシーを保護した。

 

「何をしているんだお前は!? 問題を起こさないと気が済まないのか!?」

 

「ち、ちがっ!? 違うのリヴェリア! ベルが帰って来てたから謝ろうと思って!?」

 

「そうか、偉いな! でも偉くないぞ!」

 

「なんで!?」

 

「どうしてお前が裸で風呂にいるんだ!?」

 

「だ、だって・・・ロキが私がお風呂に入ってくる時に入ってきて、何で入ってくるの?って聞いたら―――」

 

「あ、ちょっとウチ・・・おトイレ行ってくるn―――」

 

「ロキ様は大人しくしててください」

 

「アッハイ」

 

「ロキが、「一緒に入った方が身も心も解れて仲良くなれるんやで」って言ってたから・・・背中を洗ってあげたらベルも許してくれるかなって」

 

「・・・・・・ロキィィィィ」

 

「ひ、ひぃぃぃいいい!? 堪忍やリヴェリア!? うちもこんなん想定してないって!? っていうかこれくらいの歳の子同士ならセーフやろ!?」

 

 

リヴェリアがアイズに着替えるように言うとアイズは「また私、やっちゃった・・・?」と俯きながら着替えを開始し、ロキは必死に言い訳をする。仕舞には悟りを開いたような笑みを浮かべるフィンにさすがのライラも同情し「悪かったよ、悪ふざけが過ぎたって・・・元気だせよ」と励ます。後方では【アストレア・ファミリア】の少女達が「ベルの童貞が・・・」「こんな・・・ああ、目を回して・・・」「初体験はこんな感じなの?」ともうベルが大人にされてしまったと盛大に勘違い。さらには「アルフィア・・・ごめん、ベルを守れなかった・・・!」と言うほどだ。一難去ってまた一難である。

 

 

 

×   ×   ×

『星屑の庭』、夜。

 

 

「ほらベル・・・あーん」

 

「あ、あーん・・・・僕、自分で食べれるのに・・・」

 

「今日は疲れたでしょう? あとでステイタス、更新しておきましょうか」

 

「「「ひょっとしたらランクアップしているかもしれない」」」

 

「らんくあっぷ?」

 

 

夕食をとる【アストレア・ファミリア】。

たった1日であれやこれやありすぎたアストレアはすっかり疲れ切って、それでもベルの世話をやめない。風呂に入っていたはずだというのにその記憶がすっかり抜け落ちているベルは姉達が心配そうに見てくるものだから「どうしたの?」と言うも少女達は口を揃えて「悲しい事件だったね」としか言わない。狼人(ネーゼ)に至っては、ベルの首元や腹に顔を埋めて匂いを確認している。

 

 

「すぅー・・・はぁー・・・」

 

「どうネーゼ、ベルはまだ綺麗なまま?」

 

「すんすん・・・ああ、大丈夫そう・・・いつもの匂い」

 

「「「よかった」」」

 

「????」

 

「兎、お前もお前だよ・・・目が覚めた途端、リオンにビビッて部屋に引きこもるんじゃねぇよ」

 

「うっ・・・」

 

 

 

 

 

あの後、両派閥ともすっかり疲れてしまって

 

「別に険悪な関係になりたいわけじゃないから・・・その、最初に出してくれたそちらの提案でいいから今回はそれで納めない? 別に【剣姫】を派閥から追放したってこっちからしたら後味悪いだけだし」

 

「そっちがそれでいいなら・・・・こちらとしては助かるよ・・・・」

 

「ほらアイズたん、ちゃんと謝っとこうな・・・たんこぶ増えたくないやろ?」

 

「・・・・ごめん、なさい」

 

「ああはいはい、もういいわ。今後暴力沙汰はやめて頂戴おチビちゃん。ベルは私達の大切な家族なんだから」

 

「・・・・はい」

 

そんなやり取りの後、退散したのだ。

アイズはリヴェリア達に何度も謝罪し、リヴェリアも「もういい、大丈夫だ」とそれを受け入れていたが彼女達の背中は小さかった。

 

その後少しして目が覚めたベルは、「大丈夫ですか?」と覗き込んできたリューに「ひぃっ!? 金髪っ!?」と怯え、バヒューンと神室に飛び込み鍵を閉め、引きこもってしまったのだ。これにリューはフリーズ。アストレア共々、神室の前に行き扉をノックするも返事はなく困り果てた。

 

「くっ・・・この手は使いたくなかったけど・・・ライラ」

 

「あ?」

 

「ここは、貴方の出番よ! 『ピッキングマスターらいらちゃん』の名を欲しいままに暴れまわっていた頃を思い出して!」

 

「おい変な過去を作り出してんじゃねぇよ!?」

 

「発展アビリティ『開錠』の出番よ!」

 

「んなもんはねぇ! ・・・・ったく、仕方ねぇなぁ・・・」

 

「リオンは・・・そうね、ベルの金髪恐怖症をなんとかするためにも、猫の恰好でもしてるのがいいんじゃないかしら! 服脱いで大事なところをニップレスで隠して尻尾つけて猫耳カチューシャつけて」

 

「わ、私にこれ以上の恥辱を味合わせようと!?」

 

パタパタと自室に戻ったライラは専用の工具を持ち出し扉の前に片膝をついて作業にのりだす。

「おお、出るぞ、これが『ピッキングマスターらいらちゃん』なのね!?」という仲間達を他所に舌なめずり。

 

「アストレア様、部屋の鍵が壊れても文句言わないでくださいよ」

 

「ええ、言わないわ・・・それより、できそう?」

 

「まぁこういう家の中の個人部屋の鍵ってコインで開けれたりするんだ・・・けど・・・よし、開いた」

 

「「「開いた!?」」」

 

「すごい、30秒もかかってないわ!」

 

「ライラに開けられない扉はない・・・いずれ【勇者】の扉も・・・いや、もう秒読みか?」

 

「輝夜、馬鹿言うんじゃねぇよ・・・あたしでも【勇者】様には敵わねえよ」

 

開錠され、扉を開けるとベッドで所謂『ごめん寝』しているベルの姿が。布団カバーに上半身だけが隠れていて、ぷるぷると小さな体を震わせている。

 

「あらあら、これが『頭隠して尻隠さず』というやつですねぇ」

 

「ほらベル、ご飯するから・・・っていうかリオンの顔見て逃げるのはさすがに可哀そうよ、リオンは恩人なんだからそういうのダメよ」

 

「・・・・うぅぅぅ」

 

 

 

 今回のドタバタに、ベルはアルフィアを亡くした悲しみに沈む暇もなく翌日からよく笑うようになった。

夕食の後、ダメになるソファ(アミーゴ)に体を沈めて眠りについたベルのステイタスを更新したアストレアは「た、耐久が100を越えている・・・」と固まった。




描写してないけど【ロキ・ファミリア】との面識はあります。

ベル→【ロキ・ファミリア】

アイズ:お義母さん曰く「クソザコ妖精」の義娘。いつも血塗れでちょっと怖い

フィン:ライラさんの旦那らしい。

リヴェリア:お義母さん曰く「クソザコ妖精」。リューとセルティに「あの方を怒らせてはダメ」と教えられてる。

ロキ:断崖絶壁

ガレス:アリーゼが「おじさま」と言ってるので「おじさま」と真似して呼んでる。

アキ:綺麗、優しい、ラウルの嫁ってみんなが言ってる。

ラウル:優しい。


おまけ

ベート:ネーゼさん取られたらどうしよう


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アルフィアはもういない②

 

 

しんしんと、雪が降り積もる季節。

年を越して数週間経った頃。

【アストレア・ファミリア】は延期していた『遠征』へと出立していた。

 

 

「・・・・くしゅんっ」

 

「あらあら、風邪かしら?」

 

 

 迷宮都市オラリオにおいて、【ファミリア】の種類は多岐にわたる。【デメテル・ファミリア】や【ニョルズ・ファミリア】のような食料生産を担う商業系、【ヘファイストス・ファミリア】や【ゴブニュ・ファミリア】のような武器の生産や建築を担う製作系、【ディアンケヒト・ファミリア】や【ミアハ・ファミリア】のような医療系。そして【ロキ・ファミリア】や【フレイヤ・ファミリア】のようなダンジョン探索をメインとした探索系だ。【ファミリア】はI~Sの等級(ランク)があり、一定の等級(ランク)に辿り着くと必ず一定周期で『遠征』に向かうことを義務付けられている。そして、そこで成果を上げてこなければならない。『遠征』の義務が発生するのは『D』以上で、【アストレア・ファミリア】の等級はBだ。

 成果とは『到達階層の更新』や『未確認の採取物や採掘物の発見』、『未開拓領域』の地図作成(マッピング)』と『階層主の討伐』などがある。もし成果を上げられなかった場合には、失敗扱いとなって罰則(ペナルティ)を課せられる。ここで言う罰則(ペナルティ)とは主に上納金だ。【アストレア・ファミリア】の到達階層は41階層、階層主を21回撃破している。なお多くはゴライアスであり、他派閥との協力によってウダイオスを一度討伐している。

 

「アリーゼさん達帰ってこない・・・」

 

「うーん・・・予定ではそろそろなはずだけど・・・」

 

「・・・・ぐすん」

 

 『遠征』は義務――つまりは強制任務(ミッション)であり基本拒否権はない。これを回避できるのは自派閥の戦力に重大な損害が発生したとギルド側が判断した時と長期間かつ重要な冒険者依頼(クエスト)や別の強制任務(ミッション)を受託している時。つまり、【アストレア・ファミリア】の『遠征』の延期が認められたのは、Lv.7の【静寂】のアルフィアの死去こそが、『自派閥の戦力に重大な損害が発生した』として認められたからだ。管理機関(ギルド)からは延期は延期であるため、そう遅くないうちに次の予定日をと言われていたため、年を越してからの『遠征』へと『正義』の女神の眷族達はダンジョン深くへと潜っていた。

 

 

 そのため、『星屑の庭』では現在女神1柱と、少年が1人という状況にあった。

少女達の遠征帰還は二週間を予定している。ベルはしょんぼりとした顔をしながら、苦笑するアストレアに背後から抱きしめられながら暖炉の熱で冷えた体を温めていた。アストレアは眷族達が買ってくれた少し大きめのオフショルダーニット・セーターを着用していてベルに至ってはまさしく着ぐるみを着ていた。正確には着ぐるみパジャマなのだが、肌寒い冬を乗り越えるため少しでも温かいものを――と買い物をしていた少女達は見つけてしまったのだという。アストレアが着ているセーターとは別に、いかにもベルが着るために用意されたものが。素材はもこもこのふかふかとしていて肌触りがよく、フードを被ればまさしく白兎。そう、少女達はアルミラージの着ぐるみパジャマを買っていたのだ。それを初めて着たベルを見た時の女神を含めた少女達の興奮具合は言うまでもない。

 

 アストレアはふと思う。

少女達が出立するその当日は、まさに階層主戦が行われていたというくらいには騒がしかったというのにすっかり静まり返った本拠は意外と寂しいものだと。

 

 

 

×   ×   ×

【アストレア・ファミリア】―『遠征』決行日―

 

 

 

「いーーーーやーーーー!」

 

「い、嫌じゃないわよ!? 行かなきゃダメなの!」

 

 

 その日、ベルは駄々をこねていた。

今にも泣きそうな顔で、玄関の前で両手両足を開き、極東文字『大』を思わせる立ち姿をして少女達の行く手を阻んでいた。ベルが駄々をこねたことは今までなく、少女達はそれはもう困ってしまっていた。理由は勿論、少女達が『遠征』へと出て行ってしまうため。独りぼっちにされると思い込んでのことだった。

 

 

「いかないで!」

 

「『遠征』をしないとギルドに怒られちゃうの! 「おいいつまで『延期』にしているつもりだ!」って。ひょっとしたら罰則(ペナルティ)だってあるかも・・・そうなったらベルとアストレア様も含めて皆で『野草と塩のひっどい汁』を飲むことになるのよ!? ベルはアストレア様のお乳を飲ませてもらえるかもしれないけど、私達は無理なの!」

 

「おい今こいつしれっとなんて言った?」

 

「しれっと不敬なことを言ったような」

 

「ひっどい汁とアストレア様のお乳を天秤にかけるなんて・・・」

 

「ベル君、もうそんなプレイしているの? 7歳なのに?」

 

「ん-?」

 

「クラネルさん、意味がわかっていないみたいですが」

 

「というかちびっ子が大の字で行く手を阻んでくるの・・・なんだろう・・・可愛い」

 

「「「「わかる」」」」

 

 

 着ぐるみパジャマを着て、ぷるぷると体を震わせるベルに少女達は胸の内を刺激されていた。

そんな眷族達のやりとりを、アストレアは困ったように見守っていた。なんだか団長のアリーゼが代表としてベルを説得してはいるが、しれっとベルが主神に授乳させてもらっているだとか聞こえた気がしたが面倒なので聞かなかったことにした。

 

 

「いつまでも本拠でだらだらしているわけにはいかないのよ。だから、行かせて? ね?」

 

「だめぇ!」

 

「いーいー子だーかーらーぁ!」

 

「いーやーだーぁ!」

 

 

 まだ早朝だというのに、子供って元気だなぁとアストレアは欠伸交じりにそんなことを思った。ベルにはまだ『強制任務』だとか『冒険者』のあれこれといった事情なんてわかるはずもなく、アルフィアを失ったこともあってか余計に一人になるのを嫌がるようになった。きっとそれも原因なのだろう。アリーゼは荒げた息を整えようと一度深呼吸をして頭を冷やすもベルが通せんぼするものだからいつまでたっても出発できない。

 

 

――いっそ兎様が寝ている間に出発すればよかったのでは?

 

――それだとクラネルさんに余計な心傷(トラウマ)が出来てしまうのでは、と。

 

――それにちゃんと行ってきますって言いたいし・・・お見送りしてほしいし・・・。

 

――おいあの兎、もう階層主みたいなもんだろ。いつまでたっても『遠征』に行けねぇぞ?

 

――ドロップアイテム何かしら。

 

――子種だろ

 

――まだ出ないでしょ

 

 

 ひそひそ、とアリーゼを除いた眷族達が会話しているがアリーゼ本人は既に「ぶっちゃけもう遠征やめたい」レベルで疲弊していた。

 

 

「・・・そ、そうだ! 輝夜!」

 

「・・・・はい?」

 

「脱いで!」

 

「は・・・・は?」

 

 

 アリーゼの閃きに、輝夜が珍しく素っ頓狂な声が漏れた。

理解不能、意味不明。

 

「ベル輝夜のこと好きでしょ! 聞いたことがあるわ、男の子は女の子の下着を欲しがるって!」

 

「ああ、なるほど・・・」

 

 よいしょ、と着物を捲り上げると傷一つ見受けられない色白の生足が晒され、輝夜は体を曲げて下着(パンツ)を脱ぎ始めた。ギョッとする仲間達とアストレア。ベルでさえ「え、え・・・え?」と大困惑。輝夜のことは勿論、好きだ。しかし、それは他の姉達も同様だ。さも当然の如く下着(パンツ)を脱ごうとする輝夜に一瞬フリーズした少女達は顔を赤くして止めた。

 

「「「脱ぐなぁ!?」」」

 

 既に片方の紐を解いていたのか輝夜は「どっちなんだ」と溜息。リャーナが顔を赤くしながらその解けた紐を結びなおし着物を元に戻す。イスカは両手で「さー良い子には何もみえなーい」と遮りマリューが「良い子には何も聞こえなーい」と耳を塞いだ。そんな中ベルは、「これが『やまとなでしこ』・・・お祖父ちゃんが夢中になるわけだ・・・」とこれまた意味の分からないことを口にしていた。

 

「どうして脱ぐの!?」

 

「下着の一枚や二枚・・・紛失したところで死なないでしょうに」

 

「女の子! 貴方は女の子なの! 都合よく着物だけを吹き飛ばす一陣の風が吹いたらどうするの!? 貴方の肌色が衆目に晒されちゃうわ!?」

 

「風通しがよくなっていいだろう!?」

 

「風通しが良すぎるって言ってるの!!」

 

「安易に脱ぐな! ぽんぽん冷やすぞ!?」

 

「ベルに見られて恥ずかしい体はしていない! 皆も散々見られているだろう!? 風呂で!!」

 

「それとこれとは別だから!?」

 

「私はこいつが望むなら、乳だって吸わせる所存だ!」

 

「所存じゃなぁい!! まだ早ぁい!!」

 

「え、輝夜、何・・・貴方7歳の男の子に何するつもりなの・・・!? 精通すらまだのはずなのに・・・怖っ!!」

 

「「「「そもそもはお前が原因だろうが!!」」」」

 

「ひぃ!? みんなが怖いわ! ベル、お姉ちゃんを助けて!?」

 

視界と耳を2人の姉に塞がれたベルには何も見えず、かすかに聞こえたアリーゼの助けを求める声に反応し。

 

「じゃあ一緒にいてくれる?」

 

と言った。

 

「あ、ごめんそれは無理」

 

「・・・・ぐすっ・・・ひぐっ」

 

 アストレアは頭を痛めた。その言い方はダメだと。

案の定ベルは「もう一緒にいられない」のだと勘違いしてぐずり始めた。視界を遮っていたリャーナが「お、男の子が簡単に泣いちゃだめだよー?」と言いながら涙を拭いベルは必死に涙を押しとどめる。ベルは背後から耳を塞いでいたイスカの方に向いて何かゴソゴソとしだし、その動作にイスカは頬を染めてピクピクとニヤケた顔をひくつかせ始めた。

 

「あ、じゃあリオン! 脱いで!」

 

「・・・・はい?」

 

「ベルの金髪恐怖症克服のためにも! リオンが脱いで、ベルにプレゼントフォー・ユーするのよ!」

 

「・・・アリーゼ、貴方が脱げばいいのでは?」

 

「え、嫌よ恥ずかしいじゃない。私、意味もなく脱ぎたくないわ! 脱ぐのはお風呂か水浴びかベッドの上だけでいいの!」

 

「・・・・・イラッ」

 

「まあいいじゃねえかリオン。リオンの一枚や二枚・・・安いもんだろ?」

 

「私の一枚や二枚が安いとはどういうことだぁ!? 第一、何故ッ、私がッ! 悪いみたいな!? 私に対するアタリが強すぎる!!」

 

「いやだって、囁くんだよ・・・私の前世(ゴースト)が。リオンはコキ使っていいって」

 

「意味合いが滅茶苦茶だが!?」

 

「滅茶苦茶なのが私達・・・・『冒険者』だぜ☆」

 

「良い顔で親指を立てるなぁ!」

 

 

次なる犠牲者に選ばれたリューは「良いではないか良いではないか」と脱がされそうになって必死に抵抗。そこに意を決したベルがアリーゼの名を呼び勢いよく振り返った。

 

 

「『愛嬌(ニコッ)』」

 

「「「「ぐはぁっ!?」」」」

 

「おいこいつらほんと馬鹿じゃねえのか!?」

 

 

 それはアストレアが遊び半分で覚えさせたベルの『必殺』。振り返り際に両の人差し指で頬を押し当てての『ハニカミ』。その威力はあの【静寂】のアルフィアでさえ、強制停止(リストレイト)させ川の向こうで手を振る妹を見たほどだ。可愛がっている少年のそのメレン依頼の『最凶最悪特殊兵器(スペリオルズ)』に少女達は揃ったように胸を抑えたり鼻血を押さえるように顔を覆ったり、仰け反ったりと漫才(コント)のような光景を作り出した。離れたところで眷族達のやり取りを見ていたアストレアでさえ口にしていた紅茶を吹き出しそうになったほどである。可愛い弟程度にしか思っていないライラのみがダメージを負っておらず、揃いも揃って何やってんだと怒気を飛ばした。

 

「フーッ、フーッ!」

 

「やばい、ネーゼが獣化しかけてる!」

 

「んなわけねえだろ!?」

 

「く、くらねるさぁん・・・あなたは、わりゅいひゅーまんだぁ・・・」

 

「リオンが壊れたぁ!?」

 

「馬鹿リオン、まじで脱がすぞ!?」

 

「くそ、これが・・・【最凶(ヘラ)】の血筋・・・完全に油断していた」

 

「おいお前等揃いも揃ってボケやってんじゃねえよ! 渋滞してんだよ! ツッコミをあたし一人に任せんじゃねえぞ!?」

 

「「「ツッコミの申し子頑張って」」」

 

「ハッ倒すぞ!!」

 

「くっ・・・ベル・・・貴方がそんなにも私達のことを思ってくれてるなんて・・・」

 

 顔を真っ赤にしてアリーゼが、それでもなお抗うようにベルの両脇に腕を通して抱きしめると、ベルはわかってもらえたのだと思ってほっとしたような顔を晒す。「よかった、独りぼっちにされなくて済む」そんな顔だ。しかし、彼女達はベルよりも約7年人生を歩んでいる先輩であり、『冒険者』。あらゆる壁を乗り越えてこそ、その器を昇華させるのだ。故に、アリーゼに抱きしめられた時点でベルの敗北は決まってしまっていた。そうとは気づかず、アリーゼにぬいぐるみのように抱き上げられると、今度はそれをバケツリレーのようにイスカ、マリュー、ネーゼ、リャーナ、アスタ、ノイン、セルティと続き、リュー、輝夜、ライラ・・・へと行こうとして拒否され、ゴール地点のアストレアへとパスされる。抱き上げられ、撫でまわされ、頬に接吻をされたり、頬ずりされたり、これでもかと愛でられたベルはムフーッと満足そうに嬉しそうな恥ずかしそうな表情へと変わってアストレアに抱き着くと「あれ?」と首を傾げた。

 

 

「「「「「じゃ、いってきまーす!!」」」」」

 

パタン、と扉の閉まる音が鳴る。

 

「あ」

 

そう。

いつの間にか、ベルは玄関から距離を離れさせられていたのだ。

【アストレア・ファミリア】『星屑の庭』にて、階層主(ベル)との戦いはこうして幕を閉じたのだ。自分よりも人生積んでる彼女達にまんまとしてやられた哀れなベルは一瞬ぽかんとした後、アストレアの顔を見つめながらじわじわと涙で瞳を潤ませその豊満な乳房に顔を突っ込んで「わーん」と泣いた。これが『遠征』初日の早朝の出来事だ。

 

 

 

×   ×   ×

『星屑の庭』―現在、夕方―

 

 

 あの初日の階層主(ベル)戦の後、ひとしきり泣いたベルは着ぐるみパジャマのまま玄関マットの上でちょこんと座り込んで、朝早かったのもあってか土下座の姿勢で眠ってしまったり、アストレアが「風邪をひいてしまうわよ」と起こすと「おかえり!」と抱き着いてきて、勘違いとわかってしょんぼり顔をしてアストレアに運ばれる形で神室のベッドで眠ったりといったことがあった。他にも少女達が遠征に出ている間、それはもうお腹いっぱいになるくらいの出来事がベルを襲いまくった。 例えば、都市内を散策している最中に最近多額の借金を背負い眷族達が1人を残して去ってしまったという自称『顔がいいだけの男神』ことミアハに頼まれ、とある『卵』を採取しに行ったところ護衛でついてきたアイズが夢中になり過ぎベルから離れすぎてベルがアストレアに言われるまま魔法の詠唱を復唱し、完成したところで「ぱくっ」「ごくん」「げぷっ」と一飲みされ、次の瞬間には『卵』の生産者の腹から雷が上がり中から意識を失ったベルが出てきて新たなトラウマができてしまったり。

 

 他には女神ヘファイストスに「暇してるなら、一緒に神聖浴場にでも行かない?」と誘われて行ったところ待合室で待っていたベルがフレイヤに「一緒に入ってもよくってよ?」と迫られ、身の危険を感じて半泣きでアストレアに助けを求めて浴場に入り込んでしまい数多の生まれたままの姿の肢体を晒す女神達に歓喜に近い悲鳴をあげられ囲まれ、「やーん、かーわーいーいー!」とか「ぼくー、どこから来たの?」とか「ふふ、食べちゃいたいっ」とか「よし、むいちゃえ☆」とかあれやこれや言われ「ひぃぃぃ!?」と悲鳴を上げたところでアストレアとヘファイストスに救出されるということがあった。なお、この一件については「おもにフレイヤのせい」として話は片付いたし、ベルの年齢もあって特別問題にはならなかったものの、『刺激』に飢えた暇神達は、決してそのネタを逃すことはなかった。翌日の朝刊には『神聖浴場にかの大神を越える白兎(アルミラージ)迷い込む!! 女神は見た! 美神の企てか!?』という文字群が描かれていた。ちなみに、その神聖浴場での悲劇の後、神ロキに出くわした際、彼女の胸部装甲を見たベルは「あ、なんか安心する・・・」と言ってしまい拳骨を喰らって泣かされた。

 

 アストレアは思った。「ひょっとしてベルは不幸体質なのではないか」と。

 

 

「ネーゼさん・・・ブラッシングの時間・・・」

 

「ベ、ベル・・・ネーゼはいないから・・・」

 

「はぅ・・・」

 

「うぅ・・・ん」

 

 ベルの数少ない仕事の一つ。

それはネーゼのブラッシングだ。何せ彼女は『狼人(ウェアウルフ)』であり、ベルの貴重な癒し(モフ)なのだ。尻尾に抱き着いて顔を埋めていたり付け根の辺りを撫でまわしている内に、見かねたアリーゼによって「今日からネーゼの毛繕いはベルの仕事!」と決定されたのだ。ネーゼ本人としては別に本人が楽しそうならいいし痛くしないからまぁ好きにさせるけど・・・危ない気持ちになるのでほどほどにしてほしい・・・と、ブラッシングの度に理性と戦う羽目になっていた。なお、ブラッシングの際に「ネーゼさん、お座り!」とソファをペシペシ叩きながら言うベルに若干の屈辱感を覚えていたのは内緒だ。まるで『飼い主の帰りを待つ飼兎(ペット)』のようにしょんぼりとし、時たま玄関の方をチラッと見るベルに、アストレアは苦笑と可愛いものを見る眼差しを何度も送ってしまう。

 

「アーディは眠っているの?」

 

「・・・うん、すやすや」

 

 カーペットの上に座り、テーブルの上で羊皮紙に絵を描いているらしいベルのそんなしょぼくれた顔を見て、彼のお尻の辺りに頭をやって眠っている少女にも目をやる。彼女――アーディは、アリーゼ達の遠征の見送りに行った際に「泊っていいからベルのこと見てやって欲しい」と頼まれたとかで、こうして泊まり込みで遊びに来てくれているのだ。とは言っても、派閥の活動もあるため四六時中一緒というわけではないが。帰る家が少しの間だけ『星屑の庭』になっているという感じだ。

 

 

「それでベルはさっきから何を描いているの?」

 

「・・・・『ぼくのかんがえた最強の黒竜』」

 

「う、うーん・・・・」

 

 

 子供ながらの絵ではあるものの、それはもうどえらい巨大な生物だということはわかった。何せ雲で顔のあたりが隠れているのだから。全身が黒く、眼球のような赤い丸いパーツがあり、禍々しい。

 

「この丸いのは何?」

 

「ここから、びぃむって言うのが出るんです」

 

「そ、そう・・・ねぇ、ベル、『黒竜』についてゼウス――お祖父ちゃんから何か聞いているの?」

 

「うーん」

 

 ベルはクレヨンを置き、うーんうーんと小さな頭から記憶を絞り出す。そう時間がかからないうちに、「ああ、そうだ」と思い出してアストレアに向かって言った。

 

「お爺ちゃんと一緒だった時に、『黒竜』ってどんなのー?って聞いたら、『じょうのうち』君と一緒にいるって」

 

「・・・・・・」

 

アストレアは絶句した。教えたくないなら教えたくないで、もっと別の誤魔化し方があっただろうに、と。

 

「ベ、ベル・・・そろそろ夕飯の準備をするから手を洗ってらっしゃい」

 

「はーい・・・アリーゼさん達帰ってくるかな?」

 

「うーん・・・どうかしら・・・帰って来てもいいとは思うけれど・・・あくまで予定だし・・・」

 

「『遠征』って何してるんだろう・・・」

 

「寂しい?」

 

「・・・・うん。アーディさんが泊りに来てくれて嬉しいし、アストレア様と二人きりも楽しいけど、やっぱり皆がいないと寂しい・・・・」

 

 

 しゅんっと落ち込んだような顔で立ち上がったベルはトコトコと手を洗いに洗面所へ。ベルが動いたことで眠っていたアーディもゆっくりと瞼を開け体を起こし大きな欠伸をする。

 

 

「おはようアーディ」

 

「ふわぁ・・・あ、アストレア様・・・私結構眠っちゃってました?」

 

「お昼寝には丁度いいんじゃないかしら?」

 

「あ、あはは・・・・あれ、ベル君は? おーいベルくーん、私のベル君やーい、アーディお姉さんがお目覚めだよー?」

 

「ベルなら手を洗いに行っているだけよ? それより申し訳ないのだけれどテーブルを片付けてもらえるかしら?」

 

「は、はーい!」

 

 

 アーディがテーブルの上に置かれている物を片付け綺麗にするとそこにベルがやってくる。手を洗い終え、アストレアにちゃんと洗ったと示すように見せていた。「よろしい」と言われスプーンやコップといったベルでも運べる食器類を受け取るとベルはそれをテーブルに並べ、アーディとアストレアが料理を並べて席に着いた。この日の夕飯は『オムライス』と『オニオンスープ』だ。

 

 

「「「いただきます」」」

 

 

 

翌日、ようやく『遠征』を終えてクタクタで帰ってきた少女達にベルの受難を知られ、追いかけまわされることになるのを今はまだ、知らない。

 

 

「アーディさん、あとで髪の毛ブラッシングしてあげるね」

 

「ん-、ベル君にできるかなー?」

 

「できる! アストレア様にだってしてあげてる!」

 

「ほー、じゃあお手並み拝見といこうじゃないか」

 

「ふふ、仲が良いのね」



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アルフィアはもういない③

次から正史時間軸にしたい。


 

 

 

「ベル、待ちなさぁああああいっ!」

 

「いいぃぃぃいぃやぁあああぁぁですぅぅうううっ!」

 

 

 バタバタ、バタバタ、と赤髪の少女と白髪の少年が追いかけっこをしていた。これが屋外であればアリーゼの圧勝で当然のように捕まっていたことだろうが、追いかけっこの舞台は『星屑の庭』内であった。アリーゼは全力疾走などできるはずもなく、かと言ってベルは子供故に加減など考えもせず時に体を滑らせてテーブルの下をくぐったり、お茶を飲みのんびりと『遠征』の疲れをとる姉達の足元を滑りぬけたり、はたまた台所にいた姉の背後にぴったりとくっついて隠れたりと小さな体でできることを遺憾なく発揮していた。アリーゼは「ダンジョンよりも疲れる・・・」とぜぇぜぇ。

 

 先日、アリーゼ率いる【アストレア・ファミリア】は『遠征』から帰還していた。帰還したその日はそれはもうベルは歓び庭駆け回り、満面の笑みで一緒に留守番をしていたアーディ、アストレアと「おかえりなさい、ご飯にする? お風呂にする?」をしたのだ。姉たちは疲れてへとへとになっていても帰りを待ってくれていたベルにほっこり。その日はさすがにベルの相手をしてやることはできず皆、入浴を済ませ簡単な食事を取るとすぐに就寝してしまった。なお、全員の部屋に見回りに行こうとしたベルはアストレアに「ダメよ?」と神室に連行された。

 

 

「アリーゼちゃんはどうしてベル君を追いかけているの?」

 

「うーん・・・情報誌に載っていたのを見てからはじまったから・・・うん」

 

 

 そして現在。

アリーゼ達の知らぬ間に、ベルがしれっとオラリオの歴史に名を刻んだ?―――刻んだ一件について、壮絶な追いかけっこへと発展してしまっていたのだ。アリーゼの手にはぎゅっと握られた情報誌。そこには『神聖浴場にかの大神を越える白兎(アルミラージ)迷い込む!! 女神は見た! 美神の企てか!?』という見出しが。たまたま「紅茶でも飲みながら留守中に変わったことでもあったかしら?」と情報誌に視線を泳がせてすぐにアリーゼは紅茶を吹き出した。なにせ、『美神』とか『白兎』とか『大神』とか、どうあがいても思い当たる節がありすぎてしまったのだから。アリーゼはニッコリと笑みを浮かべながら「ベル、こっちに来なさい」と呼び出し「何?」と疑うこともなく近くにやって来てシャツをきゅっと掴んできたベルにキュンッとしつつも、団長らしく、あるいは姉らしく「これ、ベルよね?」とこれまたニッコリしたところでベルが逃げ出したのだからアリーゼは追いかけた。追いかけっこが始まってしまったのだ。

 

「こら、待ちなさいってば!」

 

「ぴぃいいいいいっ!?」

 

「こ、このっ、すばしっこい! 小さい体が羨ましい! ライラ、手伝って!」

 

「あ? 小さい体を今馬鹿にしたか? したよな!? 小人族(パルゥム)を馬鹿にしやがったな!?」

 

「してないわよ!?」

 

「ていうか本拠の中で走り回ってんじゃねえよ!? 危ねぇだろ!」

 

「し、仕方ないじゃない、ベルが逃げるんだから!」

 

 巻き込むんじゃねえとばかりにライラが怒声を飛ばし、それにビビったアリーゼは弁明し、その隙を逃さずベルは「うるさいぞ・・・何事だ・・・」と寝起きの頭を掻きながらリビングにやってきた輝夜の着物の裾を捲り上げそのまま中に入り込んで隠れた。そのあまりの出来事に、近くにいた少女達含めて輝夜は虚を突かれたようにフリーズ。「お、おい・・・」と自らの着物の膨らみに手を当てるも中ではベルがぷるぷると震えていて、輝夜は思わずその何とも言えないこそばゆさに変な声を漏らした。

 

「んっ・・・な、なん・・・なん、だ!?」

 

「・・・・・・・・・」

 

「か、輝夜・・・無事?」

 

「あ、ああ・・・大丈夫だ、問題な・・・んんっ、動く、なっ!?」

 

 そんな若干頬を桜色に染める輝夜へとぐりんっと首を回したアリーゼはいそいそと迫る。そして、勢いよくまるでスカート捲りのように着物の裾を開いた。御開帳である。

 

 

「!?」

 

「!?」

 

「膨らみでバレッバレなんですけど!」

 

「ひぃぃぃぃぃぃぃいいいっ!?」

 

 

 開かれた着物の中からは、輝夜の色白の肌に、黒の下着が露わになり、そしてかがんで隠れたつもりになっていたベルが住穴に天敵が現れた小動物のように涙目でぷるぷると震えていた。伸びてくる手に体をびくっと揺らし輝夜の背後へ行くようにアリーゼに背を向けて脱出。しかし捕まえる動きの方が早く輝夜の股の間でベルを捕まえるために伸ばされるアリーゼの腕。寝起きであれやこれやと目まぐるしく変わる状況についていけない輝夜は微笑を引き攣らせ固まる。

 

「ほら、観念しなさい」

 

「びゃーーーーっ!?」

 

「びゃーじゃないわよ!? 事情聴取するだけだから! 外で「さすが【最凶】の派閥に母親がいるだけのことはあるぜ・・・まさか大神の偉業をあの歳で越えるなんてよ・・・」って男神様達が言ってたから何のことかと思ったら・・・」

 

「僕悪くない!」

 

「だから、ちゃんと話を聞かせなさいって言って――――ぎゃふんっ!?」

 

「いつまで人の股座で顔を見合わせて会話をしている!? 一番恥ずかしいのは私なんだが!?」

 

 御開帳され下着を晒され、自らの股座で攻防するなと輝夜はアリーゼに拳骨を落した。ドゴォ!とでも音が鳴ったかのようなその一撃にアリーゼは一瞬意識を飛ばし、その隙にベルは「ありがとう輝夜さん! 大好きー!」と逃走。今度は「貴方達・・・本拠の中で走り回っては危ないわよ」とさすがに騒ぎを聞きつけたのかアストレアのもとへ。イスカ、マリューがアストレアのもとへ駆け寄るベルを見て「勝ったな・・・」「ああ・・・」などと良い声で言っているが、もういっぱいいっぱいで涙目なベルは両手を広げて待ち受けるアストレアの床につきそうなほど丈のあるロングスカートの中へと滑り込んだ。これには少女達も絶句。さすがにアストレアに怒られるのでは?と。しかし仕方がない、アリーゼが叫びあがって追いかけまわすのが悪いのだ。

 

「うぅぅ・・・痛い・・・ひどいわ輝夜」

 

「大人げないぞ団長」

 

「で、でも・・・神聖浴場よ!? 女神様達のすっぽんぽんを見たってことでしょ!? もうあの子の目に私達の裸なんてその辺の石ころレベルにしか映ってないはずよ!?」

 

「いやそれはないだろう・・・第一、ベル本人の意志ではないと書かれていただろうに。どこぞの美神に迫られて身の危険を感じたのだろう」

 

「でも・・・でもぉ・・・とにかく詳しい話を聞きたいだけなのよ?」

 

「それならそうと言えばいいでしょうに・・・大声で追いかけまわして・・・しようもない」

 

「うぐっ・・・ってあれ、ベルは?」

 

「さぁ? 団長様が怖くてアーディのところにでも逃げたのではございませんか?」

 

「え・・・どうしよ、私ベルを探しに行ってくるわ・・・」

 

 

「うぅ、違うのよベル・・・話を聞きたかっただけなの・・・デメテル様の重力無視おっぱいについてとか・・・」とブツブツ言ってアリーゼは本拠の外に出て行った。それを見届けた輝夜は、頬を桜色に染めて時折ピクッと体を跳ねさせモジモジするアストレアのロングスカートに向かって口を開いた。「はぁ」と溜息をついて。

 

 

「ベル、アストレア様に失礼だ。いい加減出てこい・・・というか、どこでそんな破廉恥極まりない技を覚えた」

 

「・・・怒らない?」

 

「そんなことでアストレア様がお怒りになると? ・・・・そもそもアストレア様がお前に怒っているところ見たことがないんだが」

 

正直お前の髪質が良くて筆で愛撫されているかのようだぞ。と悶えさせられた件について恨み言を吐く輝夜。

 

「・・・」

 

「・・・・えいっ」

 

「むぎゅっ!?」

 

フリーズしていたアストレアは、足を内側に力を入れそれによってベルの顔は挟まれ潰れたような無様な悲鳴がスカートの中から漏れ出る。「女神のスカートの中に入る子はどこの誰かしら―?」と怒ってはいないがちょっとはやり返しているつもりのアストレア。やがて「ギ、ギブゥ」とペチペチ足を叩いて、もぞもぞとスカートの中から四つん這いで出てきたベルはアストレアに「ごめんなさい」と謝罪。アストレアは胸に手を当て大きく深呼吸をした後ベルの額に軽くデコピンをしてから「いいのよ」と微笑んだ。ベルの顔も真っ赤でへとへとなのが目に見えて分かっていて、これ以上追いかけまわすようなことをしても疲れるだけだと追及するのはやめにしたのだ。 条件反射のように逃げたベルもベルだが、大声を上げて追いかけまわすアリーゼもアリーゼなのだ。マリューから水を受け取ると、それをくぴくぴ喉を鳴らせて飲み干してそのまま『ダメになるソファ』へとダイブした。どうやらお疲れらしい。

 

 

「大丈夫、ベル?」

 

「・・・・ぶべいじゃじゃばがばぶいんら(フレイヤさまがわるいんだ)。」

 

「ごめんなさいベル、うつ伏せのまま喋られると何を言っているのかわからないわ」

 

アミッドお手製でたんまりとビーズの詰まったクッションにうつ伏せになって沈み、その品名の如く『ダメになる』子兎。アストレアに言われ顔を横に向けたベルの表情は、それはもう不満たらたらだ。ムスッとしていて、再び「フレイヤ様が悪いんだ」と言って続ける。やれ「あらアストレアと一緒に来たの? 待っていてもつまらないでしょう?」だの「私もたまにはと思ってきたのだけれど・・・ふふ、こういうこともあるのなら・・・ええ、せっかくだし一緒に入ってみたらいいんじゃないかしら?」だの「大丈夫よ、私が()()()すれば貴方が怒られることはないもの」だのと、立派で如何にもお高そうな―――ベルの目線では『偉い人が座っていそうな椅子』に深々と体を沈めていたベルの頬をぷにぷにしてきたり、なぜか密着して同席してきたり、撫でまわされたり。ベルはもう恥ずかしいやらベタベタされるのがなんだか嫌だったり、ベルにはまだよくわからない『大人の色気』を漂わせてくる美の女神に一種の恐怖を感じたのだ。

 

豊穣の女神(デメテル)様のおっぱい、怖かったですっっ!!」

 

「「「あれ、今までフレイヤ様が悪いって言ってなかったっけ!?」」」

 

 なんでも、フレイヤから逃げ出したベルは出入口がわからなくなり、入った場所には生まれたままの姿の女神達。「子兎が紛れ込んでおるぞ」とどこかの女神が気付いたとたんに、他の女神達も瞳を輝かせ、気が付けば取り囲まれていた。その際ベルの目の前に現れ、膝に手を乗せ前かがみになっていたのが、デメテルその神である。蜂蜜色の髪に、「おい重力仕事しろよ」と言いたくなるような豊満すぎる凶器。それでいてキュッと絞られた腰のくびれ。「やーん、アストレアの子兎()、かーわーいーいー!」と神々曰く『萌え』に刺さったらしい彼女は右に左に体を揺する。するとベルの目の前では、彼女の持つ豊満な凶器が右に左にバインバイン揺れたのだ。ただでさえ【デメテル・ファミリア】にアストレアと一緒に『畑仕事(おてつだい)』に行くたびに『ぬいぐるみ』のようにその凶器に殺されそうになるというのに。怖い、女神の乳房、怖い。そうベルは思った。あれにはねられたらひとたまりもないと。これはベルの与り知らぬことではあるが、ベルが女神達の性癖に刺さってしまうのは『あの【静寂】のアルフィアの息子』というのが、『傍若無人、傲岸不遜なアルフィアが可愛がっていた』というギャップのような何かが非常にクルのだという。

 

 

「僕の頭より大きかった・・・リューさんが可哀そう」

 

「クラネルさん、表に出なさい」

 

「泣くなよリオン、大丈夫だって。お前にはマシュマロみてえに柔らかい尻があるじゃねえか」

 

「ひっ!? わ、私の尻に触れるな、ライラ!?」

 

「デ、デメテルだって苦労しているのよ、ベル?」

 

「・・・・・僕、アストレア様のがいい」

 

「そ、そう・・・ありがとう・・・ありがとう?」

 

 

お礼を言うことなのだろうか、と首を傾げるアストレア。なんともいえない空気が『星屑の庭』に漂っていた。1時間後、ジト目をしたアリーゼが「アーディのところにベルいなかったんだけど」と言いながら帰ってきて「嘘に決まっているでしょう?」と涼しい顔をした輝夜に言われてガクリと項垂れた。

 

 

 

 

×   ×   ×

数日後のこと。

冬の厳しい寒さも和らぎ、温かな春へと移り変わりつつも油断すると寒さに襲われるそんな中間地点な季節。

 

「ベル、貴方は8歳になったわ」

 

「ん」

 

 『星屑の庭』ではその夜、ちょっとしたパーティが催された。『誕生日パーティ』というやつだ。

普段より少し豪華な食事をテーブルに並べて、女神の隣で『本日の主役』と共通語(コイネー)で書かれたタスキをかけさせられ、なんなら冠まで頭に乗っけられて恥ずかしそうにもじもじとしている。オラリオに来て2回目の誕生日となる。

 

「で、ベルは何か欲しい物とかあるかしら?」

 

「欲しい物?」

 

「そ。何かプレゼントをって思ったんだけど・・・ベルくらいの歳の子に何をあげたらいいんだろうって思って」

 

 【アストレア・ファミリア】はベルを除いて女性のみで構成されている。別に男子禁制というルールがあるわけでもないが、恐らくは今更男性団員が入ることはないだろう。『女の園』に足を踏み入れられるほど、オラリオ男子の心は大きくはない。そうとは知らず女所帯で可愛がられているのがベルだ。少女達を代表してアリーゼが口を開いて『欲しい物』を聞く。理由は簡単、女所帯だからこそベルの歳の子が何を欲しがるのかイマイチわからないのだ。同性であればまだどうにかなったろう。可愛い洋服が欲しいとか、気になるアクセサリーがあるとか、欲しいけど自分の小遣いでは手が届きそうにない玩具があるとか。しかし今相手にしているのは異性であるからして、少女達は選ぶに選べなかったのだ。きっとベルは少女達が何を渡そうが「ありがとう」と喜んでくれるだろうが、どうせなら本人が本当に欲しいものを与えたいというのが彼女達の想いだ。

 

「うーん・・・」

 

 ベルは唸る。アストレアの顔や姉達の顔をチラっと見るも彼女達は頬杖をついたりしながらニコニコ。

 

「富」

 

「名声」

 

「力」

 

「この世の全て」

 

「―――を与えることは流石にできないけれど」

 

ライラ、ネーゼ、輝夜、アリーゼ、そしてアストレアがまるで打ち合わせたかのように言い、「え、え?」という反応をするベルを見てクスクス。

 

「ベル君は欲しい物ないの?」

 

「う、うーん」

 

「無欲な男はつまんねーぞ?」

 

「お金ならあるわ! 底なしではないけど!」

 

既に酒が入ったか火照ったように頬を染める少女達は意外なことに無欲だったベルに「バッチコイ」と要求を待つもベルは唸りまくる。そしてクピクピ、クピクピ、クピクピと乾いた喉を潤すように()()()()()()()()()に手を伸ばし、自然と右隣にいるアストレアに寄りかかって中身を飲み干す。

 

「うーん・・・ベルって意外と無欲だったのね・・・それとも今が幸せすぎてこれ以上欲しいものがわからないパターン?」

 

「これでは私達はただクラネルさんの空腹を満たしただけだ・・・」

 

「まぁアリーゼちゃんとリオンも何もしてないけどね」

 

「「くっ・・・!」」

 

「・・・・」

 

「どうしたよ輝夜、手元が寂しそうに泳いでるぜ?」

 

「いや・・・酒を飲もうとしたらグラスがなく・・・な・・・って・・・」

 

「あん?」

 

 料理禁止令が出ているアリーゼとリューは悔しそうに呻き、グラスを取ろうとしたが空を取っただけの輝夜の手にライラが訝しげな顔をして。「まさか」と引き攣った笑みをした輝夜が自らの右隣に座っているベルを見て絶句。ベルはぽや~と顔を赤くさせ、夢心地のようなトロンとした目をしてアストレアに寄りかかって頬ずりするかのように身を捩っていた。

 

「ふふ、ベル、くすぐったいわ」

 

「んぅうぅ・・・」

 

体を捻って隣にいるアストレアに抱き着いてその豊満な乳房に耳を当てて「けぷっ」と可愛らしいゲップ音。それを見た輝夜、ライラが「あ、こいつ飲みやがったな」と察し、それは徐々に仲間達も気づき始めて「大丈夫なの?」と心配しはじめる。

 

「貴方達、どうしたの?」

 

「い、いえ・・・アストレアの胸に頬ずりなんて、なんて羨ましいとか思ってませんよ決して」

 

「ネーゼ、本音がダダ漏れだ」

 

「あー・・・・兎って酒飲んだことは?」

 

「知らん、少なくとも私は見たことがない」

 

「大丈夫でしょうか・・・クラネルさん、クラネルさん?」

 

「んぅ・・・」

 

「・・・滅茶苦茶アストレア様に甘えている・・・羨ましい・・・!」

 

「恩恵持ちは成人扱いされるから大丈夫でしょうけれど・・・輝夜、このお酒は?」

 

「ええっと・・・割とキツイものにございます。果実水と混ぜて割っていたので飲みやすくはなっているでしょうが・・・」

 

「あ、あらら・・・・半分以上も飲んでしまって・・・ベル、平気?」

 

「ん・・・ふふ、アストレア様あったかぁい・・・おかあさんみたい・・・」

 

「え、えーっと・・・どうしましょう」

 

 苦笑と共に小さな背中をぽんぽんとリズムよく子供を寝かしつけるように叩くアストレア。もう食事も終えているしいい加減お開きにしてベルだけでも寝かせてあげましょうか・・・とベルの細い人差し指で唇をなぞられながらそんなことを考える。深紅(ルベライト)の瞳はすっかり潤んでいるし、ぽやぽやしているし、火照っているしそんなベルにアストレアと少女達は「ごくり」と喉を鳴らし「いやいや初飲酒大丈夫かしら」と首を横にブンブン振って理性を取り戻す。

 

「べ、ベル~~~欲しいものとか、あるかなー?」

 

「ア、アリーゼ何故いまっ!?」

 

「いやほら、酔った時は本音が出るって聞いたことがあるし・・・眠っちゃう前に・・・ね?」

 

「んーー・・・・・あすとれあ、様」

 

「「「「ん?」」」」

 

 

 今この子なんて言った? そう思った少女達だったが時すでに遅し。理性を酒で吹き飛ばされ夢と現実を彷徨う子兎は次の瞬間には女神の唇を奪っていた。触れ合う唇に誰もが絶句。カチコチカチコチ、ゴーン・・・ゴーン・・・という時計の音色だけがやけに喧しく耳朶を叩く。アストレアは自らの唇にベルの小さな唇があることに、まさかこんな不意打ちがくるとは思わなかったからこそ、いやまぁ? ベルが眠っている時に何度かベルの唇をぷにぴにと突いたりしていたこともあったが、眷族達が見ている時にされるとは完全に思わっておらずフリーズ。

 

「や、やりやがった・・・・」

 

「ベ、ベルの初めてはアストレア様・・・」

 

「舌は? 舌は!?」

 

「マリュー落ち着いて!?」

 

「こいつらこの後交尾するんだ!」

 

「「「交尾言うなぁ!?」」」

 

「ア、アストレア様・・・ご無事ですか!?」

 

「無事なもんか! 見ろ、完全に沈黙してる!」

 

 キャーキャーする少女達は「アストレア様、キスってどんな味がするんですか!?」と騒ぎ出すもアストレアはただただ沈黙。抱き着いて接吻してきたベルが後ろに転倒しないように背中に腕を回しているだけで動きもしない。やがて「ぷはっ」と唇を離したベルはそのままアストレアの乳房を枕に寝息をたててしまう。じわじわと自分の身に起きたことを理解したアストレアは酒が入っている体をさらに赤く染めさせベルを抱きかかえたまま神室に行こうと立ち上がった。

 

「ア、アストレア様ッ!?」

 

「だ、ダメですアストレア様、ベルはまだ・・・ッ!?」

 

「いくらなんでも早すぎます、手を出すのはまだ駄目ですよ!?」

 

「せめて出る物が出てからでも―――ッッ!?」

 

「で、出る物・・・・・」

 

「おこちゃまリオンは大人しくケーキでも食ってろよ。ほら、兎は甘いの苦手だろ? 『べるきゅん、しゅきしゅきだいしゅき』って書かれた板チョコやるから」

 

「な、ば、馬鹿にするな! 第一、なぜこんなデコレーションにした!?」

 

「おもしろいからに決まってるだろ。現に今、あいつは女神の唇を奪うって偉業を果たしちまったんだ。大神越えるぜ?」

 

「やめろぉ!?」

 

「あ、貴方達も・・・その、ほどほどにして・・・明日も早いのだし・・・お、おやすみなさい・・・おほほ」

 

「「「おほほ!?」」」

 

 明らかにぶっ壊れたアストレアは、どこか艶めかしかったと後に眷族達はベルに語って悶絶させたという。なお、ベルを抱きかかえて神室に向かったアストレアはベルの火照った小さな体を綺麗に拭いてやり着替えさせてやり、自分自身も寝間着に着替えてドッドッドッと暴れまわる心の臓を必死に抑え、自身の唇に一度触れてから、ベルの腹に顔を埋めて眠りについた。翌朝、初めて感じる体の異変に声にならない悲鳴を上げるベルに気づいて一日中付きっきりで世話を焼く。

 

 

「ベル、大丈夫?」

 

「あい・・・ごめんなざい・・・僕、アストレア様に・・・うぅ」

 

「お、覚えているの・・・?」

 

「・・・・きゅぅぅ」

 

 酔っている間の出来事を、朧気ながらに覚えているベルは頭を撫でてくれるアストレアの手を握って悶絶。そんな仕草にクスリと笑みを零して「いいのよ」とだけ言う。

 

「コ、コホン・・・まぁ誕生日プレゼントということにしておきましょう。――――ね?」

 

「・・・・ん」

 

「そ、それより・・・ベル、7歳になった時にも聞いたと思うけれど・・・今、いいかしら?」

 

「?」

 

互いに顔を赤くしつつも、なんとか話題を変えようとするアストレアにベルは首を傾げる。それは、7歳の誕生日にアルフィアがした問いかけ。まだ聞くには早いかもしれない人生の岐路(ルート分岐)について。

 

 

「ベルは、何かなりたいものやしたいことはある?」

 

 

 それは『大きくなったら何になりたい?』といった大人から子供にする質問だ。ベルはアストレアの手に触れながら何度も瞬きを繰り返して口を開いたり、閉じたり。やがて、外からゴーンという鐘楼の音が聞こえてきてようやくベルは口を開く。

 

 

「ぼ、くは――――――」



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白い兎は14歳①

いつまでも前日譚みたいなのしてても進まないのでね。回想でちょいちょい出せたら。


 

 

 

世界には『穴』があった。

大陸の片隅にひっそりと口を開けた大穴。遥か昔、人類がその目で確認する以前から在り続けたその『穴』の起源は知る由もない。『穴』は無限の怪物を産む、魔窟だった。

 

 

「右頭から『紅の霧(ミスト)』くるよ!」

 

「『魔法』の威力落ちるから下がって! 魔剣は水面に向かって足場を作る! 水の中には潜らせないで! あと輝夜、早く頭を切り落として、どーぞッ!」

 

「「「輝夜さん早くしてくださいっ!」」」

 

「ふっざ、けっ、るぅ・・・・なぁッッ!!」

 

「リオンは魔法で『紅の霧(ミスト)』を吹っ飛ばして!」

 

「割に合わないんだが!?」

 

 

 大穴より溢れ出る異類異形のモンスターは地上にのさばり、森を山を谷を海を空を、この世界のありとあらゆる領域を席巻した。一時なす術なく蹂躙された人類は、地上の支配者であった尊厳を取り戻すため、同胞の復讐を遂げるため、種族の垣根を越えて協力し合い反撃に打って出る。後世にて『英雄』と称えられる者達の活躍より、モンスターと一進一退の攻防を繰り広げた人類は――やがてモンスターの根源である『穴』のもとへ到達する。

 

 

「――――らぁあああああッッ!!」

 

「【ルミノス・ウィンド】ッッ!!」

 

「アリーゼ、階層主(アンフィスバエナ)の右頭、落ちたぞ!」

 

「リオンの魔法で『紅の霧(ミスト)』も吹き飛んだわ! ついでとばかりに輝夜も!」

 

「がぼぼぼっ、ごぼっ、くそっ、エルフゥッ!!」

 

「イスカとリャーナは輝夜を釣り上げて! 着物が水吸って多分、重いから!」

 

「「了解」」

 

「重い・・・言うなぁ!」

 

『――ォオオオオオオオオオオオオオオオッッ!?』

 

「「「「「うるせぇ!!」」」」」

 

 

 『穴』の奥には、地上とは異なる別世界があった。数多の階層に分かれる『地下迷宮』。日の光がなくとも不可思議な光源に満たされ、目にしたことのない草花が隆盛し、ここでしか採取不可能な鉱物が存在した。貴重な資源といい、『魔石』が生じるモンスターといい、この地下迷宮――ダンジョンには、確かな『未知』が横たわっていたのである。そして、『穴』の上に『蓋』という名目で塔と要塞が築かれ始め、モンスターの地上進出を防ごうとする者達が有志を募るその一方で。人類の中から、『穴』の向こう側の世界、地底に広がる未開の地を切り開かんとする酔狂な探索者達が現れるようになった。それはいつしか、『未知』という誘惑に抗えなかった者達を――『冒険者』と呼ぶようになった。

 

 

「盾が息吹(ブレス)で溶けた! はやくトドメ刺して!」

 

燃え上がれ(アルガ)! 燃え上がれ(アルガ)! 燃え上がれ(アルガ)ッ!」

 

 

 そこから時は流れて『神々』が降臨し、『神時代』が幕を開けた。

曰く、『天界』にて悠久の時を過ごすことに退屈していた彼等は、様々な文化を育み、モンスターと凌ぎを削り合う下界の者達の姿に、娯楽を見出したのだという。神々の降臨を境に、世界の有りようは変わった。下界の者に無限の可能性をもたらす神々の『恩恵』によって、人類は急速に力をつけ、発展の道筋を辿るようになる。地底にモンスターの巣窟が存在する、かの地も例外ではなく。

 

 迷宮都市オラリオ。

かつて人類が大反攻作戦へと繰り出し、その前線基地として『穴』の上に建てられた要塞は盛衰を繰り返し、やがてそれは大陸屈指の大都市へと変貌した。富が、名声が、何より『未知』が依然として眠る、魅惑の地。欲に取りつかれた無法者達が、『未知』に焦がれる冒険者達が、そして娯楽を追い求める神々が集う、この世の中心。多くの者達の思惑と、そして物語がこの場所で交錯する。なお、現在に至るまでにどれだけの犠牲を支払ったのかは言うまでもない。

 

 

「【アストレア・ファミリア(わたしたち)】だけで階層主(アンフィスバエナ)の討伐、ご苦労様! いえい!」

 

「今回は・・・はぁ、無茶が、はぁ、あったのでは、ないか団長様・・・げほっ」

 

「はーい燃えてる子は並んでねー消火剤(アイテム)渡すからー。アリーゼちゃんも絶賛燃えてるわよー」

 

「【紅の正花(スカーレットハーネル)】の二つ名を持つ私に、爆炎なんて笑止ね! 清く正しい私に、(モンスター)の炎なんて効かないんだから! フフン!」

 

「アリーゼ、お前服燃えてんぞ!! 笑止じゃなくて焼死すんぞ!?」

 

「!?」

 

 

 祈りを捧げ、神に救済を願う古の時代は終わり今や人は神にちっぽけな一助を乞い、その一欠片の施しを手に、己が望みを叶える時代だ。そんな時代の中、ベル・クラネルは冒険者の道を選べずにただ平穏を過ごす日々を繰り返している。

 

 

 

×   ×   ×

地上、某所

 

 

「アミッド、久しぶりー・・・ってベルじゃん、何してるの? 今日はこっちでバイト?」

 

「いらっしゃいティオナさんと他三名。 ちなみにバイトじゃなくて定期健診の後にちょっとお手伝いしているだけですよ」

 

「他三名って雑じゃないですか、ベル? ――それで、アミッドさんは?」

 

「アミッドさんは今・・・奥で仮眠中ですよ」

 

「また徹夜?」

 

「ん-・・・というより、休日なのに新薬の調合して【ファミリア】の人達に「結局休んでないじゃないですか」って怒られて・・・というかどうしてか僕が怒られてアミッドさんを寝かしつけたというか」

 

「【アストレア・ファミリア】にお泊り?」

 

「えーっと、今回はアリーゼさん達は『遠征』じゃなくて階層主倒しに行っただけだから・・・泊ってないですよ?」

 

 

 清潔な白一色の石材で造られた建物には、光玉と薬草のエンブレムが飾られている。【ディアンケヒト・ファミリア】の治療院だ。ベルはアルフィアが存命だった頃から変わらず定期的に治療師の女性――アミッドに体を診てもらっている。ベル自身は健康そのものなのだから、必要ないんじゃないかと思ったがアミッドやアストレアは「貴方のお義母さんの遺言だから」と言って定期的に通わせられている。なんでもアルフィアは後天的にベルが自分と同じような病を患う可能性もあるのではないかと心配だったらしい。今日もそんな定期健診の終わった頃で、治療院の人達に「アミッド様がまたお休みの日に仕事を・・・!」「ワーカーホリックすぎて私達が休めません!」「どうかベルさん、アミッドさんを連れて帰ってください! もしくは無理やりにでも寝かせてください!」「アミッド様と・・・そういう関係ですよね!?」と言われてアミッドの部屋に彼女を連れて行き仮眠を取っている間にカウンターで応対を頼まれて現在は【ロキ・ファミリア】のティオナ達を出迎えていた。『そういう関係』とはどういう関係なのか、非常に気になる案件だけれど彼女達の目が怖いのでベルは聞くのをやめている。

 

 

「ベル、元気?」

 

「・・・・元気デスヨ?」

 

「ア、アイズさん・・・元気だしてください! 大丈夫です、アイズさんを避ける人類なんてこの世にいません! ベルもその内、「アイズしゃああああん!」って言うに違いありません! いやでもなんというかそれはそれでむかつくような」

 

「レフィーヤ、あんたはベルにどうして欲しいのよ・・・まぁいいわ、ベル、アミッドから私達が来ることは聞いてる?」

 

「えっと・・・近々、『遠征』が終わって冒険者依頼(クエスト)の件でくるかもって」

 

「そうそれよ。でもアミッドが仮眠中じゃ・・・無理よね? いつから寝ているの?」

 

「・・・ちょうど一時間前からです。起こしてきますね」

 

「ごめんなさいね、よろしく頼むわ」

 

「気にしないでください、僕じゃ報酬の話とかできないですから」

 

 

 適当な雑談の後、ベルは奥の部屋で眠っているアミッドを起こしに行く。カウンターで待つ【ロキ・ファミリア】の女性陣とは昔からの顔馴染みだ。

 

 

×   ×   ×

人物紹介

 

 

アイズ・ヴァレンシュタイン:6歳の頃からそれなりに関わりはあった。が、アルフィア死去後に色々あって現在は苦手な対象。ベル曰く「全自動怪物爆砕機」

 

ティオナ・ヒリュテ:『闘国(テルスキュラ)』から来た女戦士(アマゾネス)姉妹の片割れ。ベルが9歳の頃にオラリオにやって来て【ロキ・ファミリア】に入団。当時自分達を倒した派閥に入ると言って冒険者達をぶっ飛ばしていた姉妹をアリーゼに「血の気の多い幼女がいるらしいから見に行きましょ!」と言ってフィンとガレスにぶっ飛ばされる光景を目にする。ベル曰く「胸部装甲は姉に吸い取られたらしい」

 

ティオネ・ヒリュテ:ティオナの姉で恐るべき胸部装甲を持っている。出会った頃の気性は荒かったが何故か自分をぶっ飛ばしたフィンにベタ惚れしていた。ベル曰く「やべぇ方のアマゾネス」

 

レフィーヤ・ウィリディス:ベルが11歳の頃に【ロキ・ファミリア】に入団。学区から来たという魔力馬鹿。アイズから逃げるベルを見て「なんて失礼な! アイズさんの素晴らしさを教育してあげます!」と言って丸一日追いかけまわされる。この一件でなぜか敏捷が上がってしまいアストレア困惑。ベル曰く「エルフの皮を被ったやべぇエルフ」

 

 

アミッド・テアサナーレ:アルフィア存命時から定期的に体を診てもらっている。アルフィアがアミッドに言った「あの子のことをよろしく頼む」という「今後も息子の体を診てやって欲しい」という意味合いの言葉が、一言二言足りなかったせいで【ディアンケヒト・ファミリア】の団員には盛大に「あの【静寂】のアルフィアが・・・!? アミッド様を許嫁に・・・!?」などと勝手に勘違いされて外堀を埋められようとしている。なお、本人達は周りの謎の気遣いが理解できない模様。ベル曰く「怒るとグーで治しかねない聖女様」アミッド曰く「ベルさんは大人しく診察を受けてくれるので優良な患者」団員達曰く「くそじれったいな・・・私ちょっとヤラシイ雰囲気にしてきます!」

 

 

×   ×   ×

【ディアンケヒト・ファミリア】治療院

 

 

「寝てるとこ悪いわねアミッド。それでこれが、冒険者依頼(クエスト)で注文された泉水。容量も満たしている筈よ、確認してちょうだい」

 

 

 カウンターへとやってきたアミッドの表情は無表情と言ってもいいような感じで、決して「眠たそう」とは悟られないでいる。起こしに来たベルの前で盛大に欠伸をしていたなどと知られれば、きっと顔を真っ赤にすることだろう。彼女の容姿は精緻な人形という言葉がふさわしく、150C(セルチ)に届かない小柄な体がその印象に拍車をかけていた。下げられた頭からさらりと零れる細い長髪は白銀の色で、大き目な双眸には儚げな長い睫毛がかかっている。服装は白を基調とした、どこか治療師を思わせる【ファミリア】の制服。そんなアミッドはティオネが泉水の詰まった瓶をカウンターに置くと手に取り、一通り確認してから頷いた。

 

「確かに・・・。依頼の遂行、ありがとうございました。【ファミリア】を代表してお礼申し上げます。つきましては、こちらが報酬になります。お受け取りください」

 

 用意されたのは20もの万能薬(エリクサー)。【ディアンケヒト・ファミリア】が販売するものの中で最も高品質のそれらは単価50万ヴァリスはくだらない。報酬の品に対しティオネがほーと口を丸く開け、ベルはアミッドの邪魔にならないようにカウンターから出て適当に空いている椅子に腰を下ろしてアイズ達を会話をする。

 

「アミッド、実は深層で珍しいドロップアイテムが取れたの。ついでに鑑定してもらってもいいかしら? いい値を出してくれるなら、ここで換金するわ」

 

「わかりました。善処しましょう」

 

 そこから始まる彼女達の熾烈な戦いなど、ベルは知らん顔だ。まるでオークションのように買値が次々と変わる、熱く静かな商談だ。そこに一匹の白兎が介入する隙間などありはしないのだ。無暗に足を踏み入れたが最後、『惚れた男に良い仕事をした顔』をしたいアマゾネスに刈り取られかねない。ベルは知っている。恋に恋するアマゾネスはやばいのだ。

 

 

「それで、今回の【ロキ・ファミリア】の『遠征』はどこまで行ったんですか?」

 

「それが聞いてよベル! 50階層まで行ったのにさ新種に襲われて」

 

「武器や道具が使い物にならなくなったりして『遠征』は中止です」

 

「芋虫みたいなのがうじゃうじゃ出てきてさー、変な女体型っていうの?」

 

「いや僕に聞かれても」

 

「それをアイズが、ドカーンって倒してさぁー」

 

 

 彼女達の口から語られる話をベルは興味あり気に耳を立てる。ベルは冒険者ではないけれど、冒険の話自体は好きだった。彼女達の『遠征』での出来事などベルからしてみれば非日常すぎて聞いていて飽きないのだ。ティオナの下手な説明に時々レフィーヤが困ったように補足を入れてアイズは只、コクコクと頷いては視界の端で商談という名の戦いを繰り広げる友人を時々気にするように瞳を泳がせている。

 

 

「で、帰りに【アストレア・ファミリア】とすれ違って帰ってきたんですけど・・・【アストレア・ファミリア】って今日が『遠征』でしたっけ?」

 

「さっきも言いましたけど、階層主・・・えっと、『あんふぃす・ばえな』って言うんでしたっけ? あれの次産間隔(インターバル)が今日くらいじゃないかって前から準備してて・・・アリーゼさんが「私、そろそろ階位昇華(ランクアップ)してもいいと思うのよ!」って言ってましたし」

 

「【アストレア・ファミリア】だけで大丈夫なんですか?」

 

「さぁ・・・僕、アリーゼさん達がどれくらい強いのかって知らないですし。でもアリーゼさんが単騎で行こうとしてるのをみんなで止めてたから、大丈夫じゃないですか?」

 

「階層主を単騎でって・・・」

 

「「私の炎と階層主の炎! どっちが強いか白黒つける時が来たのよ!」って言ってました」

 

 脳裏に背面に炎を燃え盛らせドヤ顔を決める赤髪の女性が思い浮かぶレフィーヤは「【アストレア・ファミリア】も大概やばいんでしょうか?」と疑問と共に首を横に振った。そもそもベルを除けば団員は十一人いるのだ、弱いはずがない。

 

「まぁきっと今頃・・・輝夜さんが水浸しになってたりアリーゼさんが炎上してたり、リューさんが巻き添えを食らいかけた輝夜さんにボコられてたりしてるんじゃないですか?」

 

「仲・・・良いんですよね?」

 

「いいですよ? いつもニコニコ、24時間、365日、三食おやつに昼寝付きのアットホームな【ファミリア】ですよ?」

 

「「何そのブラック臭・・・」」

 

「それで、【ロキ・ファミリア】はその後どうしたんですか?」

 

「ああえっと、その後は・・・その、18階層を出たところでミノタウロスの怪物の宴(モンスターパーティ)―――えっと沢山出現しちゃって、一斉に逃げちゃって・・・やばかったです」

 

「急に語彙力が死にましたねレフィーヤさん」

 

「あの逃げ出していくミノタウロスとそれを追うベートさん達を見た瞬間、私の脳裏には放牧されている家畜を追い回すアレな光景が浮かんでいましたよ」

 

「解決したんですか?」

 

「え、ええ、まぁ、解決しましたよ? 別にもう少しで死にそうな駆け出し冒険者が間一髪、金髪金眼の女剣士に助けられて変な奇声を上げて逃げてしまうような、そんなことは起きませんでしたよ?」

 

「・・・具体的すぎませんか?」

 

 

 やけに具体的なことを言うレフィーヤに半目で返すベル。そんな出来事は決して起きてはいないし、ましてそんなことで恋に落ちるなんてナイナイ。ベルはふと、少女達の会話ではなくアミッドの方に視線を向けると「・・・850」「1350!」と未だに商談(たたかい)は続いていて、アミッドが主神と相談するのでお待ちくださいと言えば、じゃあここでの換金はやめる。時間もないし勿体ないけど、他で引き取ってもらうわとティオネがにこやかに微笑む。アミッドはぴたりと動きを止めて、視線だけでベルに「助けてくれませんか?」と訴えてきたがベルはぷいっと視線を切った。ベルに商談の才はない。ライラに『値切りの極意』は教えてもらったが、今行われているそれとはまた別だろう。アミッドには悪いが、ベルが出てたところで、怖い蛇に睨まれた兎が出来上がるだけなのだ。

 

 

「女の人って怖いですね」

 

「貴方それ自分の【ファミリア】にも言えるんですか?」

 

「やだなレフィーヤさん、僕が何年・・・女所帯で暮らしてきたと思ってるんですか?」

 

「滲み出てるねぇ・・・お姉さん達の玩具にされている苦労というか」

 

「ふふ・・・この間なんてアリーゼさんに真っ黒なドレスを着せられてお義母さんみたいな恰好をさせられましたよ。わかりますかレフィーヤさん、相手が女の子だろうが年上かつレベル差で無理矢理服を脱がされて着替えさせらえる僕の気持ちが」

 

 光を失った深紅(ルベライト)に見つめられた少女達の脳内には押し倒され、無理矢理あんなことやこんなことをされ、服がビリビリになって涙を浮かべるか弱い白兎が思い浮かんだ。これには思わず、「ごくり」と生唾を飲む音が三つ重なった。「え、お義母さんドレス着てたんですか?」とか聞きたいところだが、闇が深いベルの瞳の奥に「聞くな」と言う圧力を感じたレフィーヤは黙った。

 

「僕が、もうやめてっ、許してっ・・・って言ったらアリーゼさんが「姉の言うことは絶対なの知らないの? 6歳の頃から教えてるでしょ? 末っ子は姉の言うことには服従する、それはこの世の摂理なのよ?」って言いくるめてくるんです。嘘だって言ったらその昔リューさんの戦闘衣装(バトルクロス)がホットパンツからブルマに変わったのもソレが原因とかで・・・」

 

「「【アストレア・ファミリア】、闇が深くないですか?」」

 

 なお、その一件で帰宅したアストレアが女装させられたベルを見て言った言葉は「わぉ」である。

 

「1200・・・・それで買い取らせてもらいます」

 

「ありがとう、アミッド。持つべきものは友人ね」

 

 そこでようやく商談は成立したらしい台詞が聞こえてきた。アミッドは他の団員を呼び、買い取り額分の金を用意させた。大量のヴァリス金貨が麻袋の中でじゃらじゃらと音を鳴らす。もう用事は終わりだねーとティオナは椅子から立ち上がり、アイズ達もそれに続く。受け取ったヴァリス金貨を大事そうに抱えて彼女達は個人的な買い物をした後、そのまま治療院を後にした。ベルはカウンター越しに無言で見つめてくる――いや、睨みつけてくるアミッドに小首を傾げて親指を立ててサムズアップ。

 

 

「おつかれさまです?」

 

「・・・・はぁ」

 

「じゃあ、僕もそろそろ帰りますね」

 

「ええ・・・・ああ、ベルさん」

 

「?」

 

 立ち去ろうとするベルを引き留めるアミッドに振り返るベル。

 

「商談中、ベルさん達の会話は聞いていましたが・・・興味があるなら、なればよいのでは? 『冒険者』に」

 

「・・・・」

 

「今のように宙ぶらりんとして、あちこちでバイトをするより良いと思いますが」

 

「ん-・・・でも、お義母さんは平穏に生きて欲しいって言ってたし」

 

「アルフィアさんは貴方の意志を尊重してくれると思いますが。『英雄』にも、ならなくてはならないのでしょう?」

 

「うーん・・・でも・・・うーん・・・」

 

「・・・まぁ貴方の人生ですので、私は強要できる立場ではありませんが。いつでも相談にはのりますので」

 

「はーい」

 

「では、また」

 

「ではでは」

 

 

 ベルは結局のところ、『冒険者』にはなっていない。例年の誕生日にアストレアに「どうしたい?」と聞かれるが、その問いかけを14歳になるまでずっと「このままでいい」と言ったようなことを解答している。それはアルフィアがベルに平穏を望んでいたからこそ、ベルはもういない義母の唯一の望みを守ろうとしているのだ。無論、『英雄』にならないといけないと言った義務感のようなものもないわけではないが、結果としてベルは現在、知り合いの仕事を手伝うといった日々を過ごしている。

 

 

×   ×   ×

 

 

「『冒険者』・・・かぁ」

 

 

 今頃、姉達は強力な怪物と戦っているんだろうか、もしくは討伐を終わらせて地上を目指しているのだろうかと茜色に染まりつつある空を見上げて思う。結局、自分はどうしたいのだろうか・・・と。『英雄』になるのは、もう存在しない二つの派閥の末裔だから自分には成し遂げなくてはならない責務があるとか、血の繋がった家族が海に巣くっていた怪物を倒したのだから、自分もそれに続くのは当然なはずとか、アルフィア達にはできなかった悲願を達成させなくてはいけないのではないかと、それこそが自分の産まれた意味なのではないかと思えてならない。だからこそ、英雄にならなければいけないと思ってしまう。それをアストレアも含めて周りは心配していたし、アルフィアは気にしなくていいと言ってくれていたし、何より平穏に生きることを望んでいたからベルはその望みを守り続けている。けれど時々思うのだ、このままでいいのだろうか――と。

 

 

「おーい、そこの君、その男を捕まえてくれぇッ! 盗人だぁ!」

 

 物憂げに考え事をしていると、ストリートのど真ん中を人をかき分けて走る中年の男性がベルがいる方へ向かって走ってくる。姿は見えないが、その男を捕まえてくれと若い声がベルの耳朶を叩いた。

 

「ど、どけぇっ!?」

 

「俺の444ヴァリスがぁぁぁぁぁぁぁ! そこの少年、取り返してくれぇぇぇぇ! 今朝小指を箪笥の角にぶつけて、とてもじゃないが走れそうにないんだぁぁぁぁぁぁ!」

 

 泣きわめく男の声と金を盗んだらしい男にストリートは騒めき危険を感じたか道を開けるように離れ、男の進路上にいるのはベルのみとなった。キョトンとした顔のベルはしかし、銀色の刃が見えたことで目つきを変える。

 

「ガキィ、怪我したくなかったr――――!」

 

 言い終わる前に、男の視界は前ではなく真上へと変わり、次には背中に衝撃が走り肺から空気が漏れた。次いで男の顔の横にナイフが突き刺さり、ツーと血が滴る。何が起きたのか理解できない男は震える体でベルの方を見てみれば、ベルの右足は打ち上げたように斜め上に向けられていた。そこでようやく男はベルに蹴り飛ばされたのだと理解した。

 

「く、くそ・・・『恩恵』持ちかよ! 邪魔すんじゃねぇ!」

 

 男はナイフを握って再び立ち上がり、ベルへと斬りかかった。周囲からは悲鳴と被害者の男の喚き声が鳴り響く。男は右手で握ったナイフを左から右へと振りぬき、それをベルが腕に手を添えて往なし背後へと回る。

 

「な・・・く、くそっ」

 

「護身くらいは習ってるからね・・・・僕で対処できるってことはLv.1中位か少し下くらいかな」

 

 目を血走らせた男は何度もナイフを振り回すも、その悉くをベルは素手で打ち払い往なし回避する。攻撃がまったく当たらず息を上げ始めた男は破れかぶれ、突進とともにナイフによる突きを繰り出した。徒手空拳で対するベルは男の懐へと潜り込み、掌底打ちを顎に叩き込んだ。バキッと鈍い音が鳴り、男は宙に浮きそのまま仰向けになったまま地面へと倒れピクリとも動かなくなった。その光景に周囲は歓声を上げ、その中から被害者らしい男が頭を掻きながらベルの元へと駆け寄ってきた。

 

「いやぁ、急に後ろからタックルされてさぁ~。びっくりしちゃったよ」

 

「え、神・・・様?」

 

目の前に現れた被害者男性は、男神だった。黒髪に前髪の一部が灰がかっていて糸目なその面持ちは善良そうな神に見える。財布の中身があまりにも寂しすぎる気がしないでもないが、『派閥』によっては事情は様々。ベルは特にその点は触れないように財布を差し出し、男神はそれを受け取った。

 

「財布を取り戻してくれて、ありがとね可愛らしい兎さん。 いやぁでも短い攻防だったけど良いものを見れたよ・・・君が【アストレア・ファミリア】の白兎君なんだねぇ」

 

「はぁ・・・」

 

「ああ、そうだ、名前を聞いておいても?」

 

「・・・ベル・クラネルです」

 

「ベル・クラネル、ベル・クラネル・・・よし、覚えた。この恩はいずれ君が天に還るまでには返そう。神に誓ってね」

 

「縁起でもない事言わないでくださいよ」

 

「はは、それもそうだ! ハハハハハッ!」

 

 男神はベルの名を聞くだけ聞いて、やがて群衆の中へと姿を消した。そういえばあの神様の名前はなんだろう・・・見たことない神様だったけど、と自分が倒した男に回復薬(ポーション)をかけてやりながらそんなことを思っていると騒ぎを聞きつけたのか、都市の憲兵たる【ガネーシャ・ファミリア】の冒険者が到着した。

 

「あ、あれ!? ベル君!? 何してるの?」

 

「あ・・・アーディさん。こんにちは」

 

「はい、こんにちは。品行方正で人懐こくてシャクティお姉ちゃんの妹で最近Lv.4になった可愛いベル君が好きなアーディ・ヴァルマだよ! じゃじゃーん!・・・今日も可愛いし良い匂いだね、抱きしめてもいい? って違う、違うよ!? 何があったの? その男の人は?」

 

「えっと・・・カクカクシカジカ」

 

「ふむふむ・・・コレコレウマウマっと。殺してはいないよね?」

 

「間違っても僕がそんなことするわけないじゃないですかぁ!」

 

「あはは、ごめんごめん・・・治療はしてくれたんだね。さすが【ディアンケヒト・ファミリア】製の回復薬(ポーション)。事情を聞くにしてもとりあえずこっちで身柄は預かるけどいいよね?」

 

「はい、僕じゃどうしようもないですから」

 

「・・・・どうして敬語なの? お姉ちゃんとの間に敬語はナシだって約束したよね?」

 

「・・・・つい」

 

「まあいいけど・・・アリーゼ達は帰ってきた?」

 

「まだ」

 

「オーケー、じゃあ後は・・・被害者の男神様は? どこ?」

 

「それがさっさと消えちゃって」

 

「名前は?」

 

「・・・・・・444ヴァリスの男神様」

 

「おいコラ、ベル君や」

 

「・・・ごめんなさい」

 

「ダメだよー、片側だけの事情聴いても仕方ないんだから・・・スンスン、というかこの人、お酒臭いね。酔っ払い?」

 

 

 ドスドスと横腹を突かれるベルは「ごめんなさい」を連呼。男は一緒に来ていた【ガネーシャ・ファミリア】の団員が運んでいき、アーディに小言を言われながらベルはそのまま『星屑の庭』へと連れ帰られた。

 

「そういえばベル君、近いうち『怪物祭(モンスターフィリア)』あるけど・・・やっぱり例年通りアストレア様と?」

 

「・・・えへへー」

 

「私も君とデートしたいんですけど?」

 

「でも、【ガネーシャ・ファミリア】も【アストレア・ファミリア】も警備で無理でしょ?」

 

「ぐふっ!? 痛い所を・・・そこは、そのぉ・・・うまくサボるんだよ・・・」

 

「シャクティさんにまた怒られるよ?」

 

「・・・・助けてくださいベル君」

 

 

 『星屑の庭』その玄関のドアノブに手をかけたベルは玄関扉を開け、ベルはにこやかな微笑みを浮かべて中に足を踏み入れアーディに振り返り言う「あの人怖いから無理です」と。そんなぁと嘆くアーディを無視して扉を閉めて帰ってきたベルに気が付いて出迎えに来た胡桃色の髪を揺らす女神に言った。

 

「ただいま、アストレア様! 今度『怪物祭(モンスターフィリア)』があるらしいです! 『でぇと』してください!」

 

「おかえりなさいベル。ええ、せっかくベルが誘ってくれたのだし・・・そうね今のところ予定はないから・・・逢瀬(デート)、しましょうか」

 

 

×   ×   ×

迷宮都市、どこか。

 

 

「ふむ・・・じゃが丸君の味・・・またクオリティを上げたな? さすがはヘスティアだ。伊達にマスコットをしてはいないな」

 

 薄暗い場所で、髪を整えるように頭を振る男神はゆっくりと瞼を開ける。444ヴァリスという寂しい財布事情から30ヴァリスを捻出して購入したオラリオのソウルフード、『じゃが丸君』を齧って笑みを浮かべる。

 

「ふむ・・・あれがアルフィアの息子・・・正確には義理だが、まぁいい。 なるほど、優しい子に育ったじゃないか、よかったなぁアルフィア。よかったなぁザルド。迷いながら平穏を味わっているようだぞ?」

 

 其は原初の幽冥にして、地下世界の神――エレボス。

 

「7年前の抗争時、アストレアの眷族()達が神獣の触手(デルピュネ)と戦っている最中、しれっと逃げおおせてみたが・・・それは正解だったな」

 

 結果として、その神が行方知れずとなったことでアストレアは大いに責任を感じて落ち込んでいた時期があったが、この男神には知ったことではない。探しても見つからなかったアルフィア達が当時、そもそもオラリオにいたと言うのだから彼としてはそれが意外だった。その理由もまた、彼を驚かすと同時に二人の『英雄』が汚名を被らずにすんだことに内心喜んでもいた。ただ一人の義息子のためにオラリオにやってきて残り僅かな時間をそんな義息子のために使う。

 

「なんともまぁ・・・微笑ましいことじゃないか。それに・・・そんなことを聞かされれば、俺だって【ゼウス】と【ヘラ】の遺産がどのような(ルート)を辿るのか、見てみたくもなる・・・・格好は悪いが、逃げてよかったよ。」

 

 むしゃむしゃとじゃが丸君を頬張り、包み紙を丸めて放り投げる。ゴミ箱に綺麗に収まり、一人「ナイスシュート」と零す。

 

「悪いなぁたった一人の我が眷族よ・・・お前は俺より先に天に還るという(ルート)を辿ってしまったが、何、少し待っていろ。俺も見たいものが見れたらそちらに行くさ」

 

 唯一の眷族は既にこの世にはいない。エレボスがしれっと逃げた時にはすでに恩恵を感じなかったのだ。恐らくは、少女達が戦っている最中にでも力尽きてしまったのだろう。こうしてエレボスが下界に留まっているのは、ただ単に『娯楽』のためだ。

 

「近いうちに、また会おう・・・ベルよ」



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白い兎は14歳②

 

 

 

 

「ヘファイストス様いますかー?」

 

 

覗き込むようにして、ベルは鍛冶神の名を呼ぶ。

場所は、北西のメインストリートにある【ヘファイストス・ファミリア】の支店。その三階にあたる執務室。ひょこっと特徴的な白髪を揺らして顔を見せたベルに、書類仕事をしていただろう女神は握っていた羽ペンの動きを止めてドアの方を見てきょとんとした顔をして返事する。

 

「あらベルじゃない、どうかした?」

 

 その前に、一応他派閥なんだからノックくらいしなさいと注意を付け加えたヘファイストスであったが、ベルはすぐに「5回くらいしました」と返してきたので彼女はそんなに集中していたのかと目を丸くした。持っていた羽ペンを机の隅に置き、サイン待ちの書類をほどほどに残して事務を投げ出し「入っていいわよ」と手招きをしてソファに座るよう促した。ぱぁっと表情を明るくしたベルは部屋に入るなりソファに身を沈ませて座り、机の上に革が張られたアンティークなトランクケースを置いて「どうぞ」とヘファイストス自らが居れたコーヒーに砂糖とミルクを入れて口付けた。机の上に置かれたトランクケースを見て「ああ、お遣いか」と女神も女神でベルが6歳の頃から知っているからこそなのか、何の目的で来たのかを察してにこやかに微笑んで対面のソファに腰を下ろした。

 

「珍しいじゃない、ベルが私の所に来るなんて。言っておくけど、弟子入りはダメよ? あんた、昔椿の工房で熱中症になって倒れたんだから」

 

「うぐっ・・・・・・わ、わかってますよ? 大丈夫ですよ、ヴェルフに簡単な手入れの仕方くらいは教えてもらいましたし?」

 

「あら、自分の武器を持っていないベルが武器の整備を覚えたの?」

 

「? 汚れを落としたりは・・・・」

 

「へぇ・・・・。切れ味の落ちた『包丁』を研げるようになりました、だなんて言わないでしょうね」

 

「・・・・」

 

「・・・・図星、ね」

 

「うぅ・・・他のは危ないからダメだって触らせてくれないんですよぉ」

 

「あんたの所の姉達は過保護なのかしら?」

 

 ヘファイストスとベルの交流については、アルフィアが存命していた頃からだ。『冒険者』でなくとも選択肢はあるということを教えるために何度か連れられてきていた『派閥』の一つだ。アルフィア死去後もアストレアと度々遊びに来たりしていたのだが、年齢が10を越えてからは一人でやってくることも増えてきた。最も8歳になった頃に『はじめてのおつかい』をアリーゼの指示でした際、開始早々とあるショタ好き黒猫に連れ去られる事件があったのだが。ヘファイストスはベルに弟子入りはさせないとしている。その理由は彼女が語った通り、過去に椿の工房で倒れてしまったことが原因だ。作業に集中してしまっている職人の後ろで「暑かったら外に出ていい」と言われていたにも関わらず、変に気を遣ってというか、出にくくなって最終的に様子を見に来たヘファイストスが茹蛸のようになってしまっているベルを見て大慌て――ということがあったのだ。勿論この件はベルの主治医ともいえる治療師の少女に怒られた。

 

「コホン。脱線したわね・・・それで、用事は―――って言うまでもなくトランクケース(これ)よね?」

 

「はいっ! アリーゼさん達が昨日の晩帰ってきて、「明日でいいからお遣い頼まれてくれる?」って頼まれたんです!」

 

「開けてみてもいいかしら?」

 

「はいっ」

 

 【アストレア・ファミリア】が『階層主(アンフィスバエナ)』の討伐に出向いたことは知っている。というか、【ヘファイストス・ファミリア】にはドロップアイテムを譲るという条件で『魔剣』をいくつか融通してほしいと小人族(パルゥム)のライラが交渉に来ていた。ベルは中身については「危ないから触っちゃダメよ」と言われていたためか知らないようだった。ロックを外してトランクケースを開けてみれば、衝撃から守るように詰め物がぎっしりと詰め込まれていて、中央には『アンフィスバエナの竜肝』が眠っていた。

 

「本当に倒したのね・・・本人たちは?」

 

「流石に疲れたから動きたくなーいって本拠でゴロゴロしてます」

 

「・・・そう。『アンフィスバエナの竜肝』の他には・・・『ブルークラブの甲殻』に・・・うん、下層でっていうか道中で取れたドロップアイテムが多くはないけど入っているわね。『階層主』だけでよかったのに、まあありがたく頂くけれど。ベルは欲しいの、ある?」

 

 まるで宝箱を開けて中身を物色するように一柱の女神と一人の少年がドロップアイテムをまじまじと見つめ、時折興味あり気にベルが触る。ヘファイストスが好きなの持って行っていいわよとばかりに言うが怪物の亡骸(ドロップアイテム)などベルが貰ったところでどうしようもないのだ。触るだけ触って首を横に振って断った。そんなベルの反応を見て「そ。じゃあこれは私の所で大切に使わせてもらうわ」と言って入っていたモノを一通り別の入れ物に入れ替え空になったトランクケースをベルに返した。

 

「そういえば・・・ヴェルフのところには行ってないの? あんたのことだからヴェルフのところに真っ先に持って行くとばかり思っていたのだけれど」

 

「あー・・・んー・・・」

 

「?」

 

 ヘファイストスの元に真っ直ぐ持ってきて、しっかりと『おつかい』もこなしてくれるベルではあるが、ラキアを出奔してきたとある鍛冶貴族の出の青年と仲のいいベルのことだ、『血の因縁』とは言わないが通ずるものもあるだろうし、ヴェルフにとってもいい影響になるかもしれないと思っていたヘファイストスは彼の元にドロップアイテムは持って行かなくてよかったの?という意味で聞く。まあLv.1で未だ売れない鍛冶師をしている彼に中層や下層、ましてや階層主のドロップアイテムなんて宝の持ち腐れもいいところなのだが。ベルは短く唸ると、頬をぽりぽりと掻いてから言った。

 

「前にそれをしたら、工房に行く途中で椿さんに出くわして、「おう兎よ、その中身をヴェル吉に渡しても宝の持ち腐れになるしお前に何の得もないから大人しく主神殿に渡して小遣いでももらった方が良いぞ?」って言われました」

 

「ぶふっ」

 

 どうやらヘファイストスが言うまでもなく、最上級鍛冶師(マスタースミス)に言われてしまっていたらしいとベルの口から聞いてコーヒーを吹き出しかけた。まあ実際ヴェルフ本人に渡したところで「いや・・・嬉しいけど今の俺じゃあ・・・」と申し訳なさそうにされるだけなのだろう。ヘファイストスは自分の眷族達と目の前にいる少年のやり取りを想像して苦笑し、「おつかい、ご苦労様」と労ってやることにした。

 

「ヴェルフの造った作品は売れてる?」

 

「相変わらずですねー。良い物だと思うんですけど、名前が・・・」

 

「そう・・・」

 

「ヴェルフに『魔剣』鍛えてって言っても断られるし・・・一気に大金が入ると思うんだけどなぁ・・・」

 

「その辺はヴェルフ次第でしょ? それに、売るにしても簡単には手が出せない額になると思うわ。安過ぎたらそれこそ、妖精達が過去に受けた事件が再発しかねないもの」

 

「ですよねー・・・ヘスティア様も言ってました」

 

「あ。あの子、サボってなかった?」

 

「「ベル君、ちょっとだけ、チェンジしてくれないかい!? なに、バレやしないさ! あと改宗する気になったらいつでも言ってくれよ! 僕はいつだって待ってるぜ!」って言ってました」

 

「あの子はほんと・・・派閥(ファミリア)を作るかちゃんと働くかどっちかにすればいいのに・・・第一、ベルがアストレアの元を離れる訳ないでしょうに」

 

 「許してくれ、出来心なんだヘファイストスぅぅぅぅ」と泣きわめくロリ巨乳ツインテールの幼女神が脳裏をチラつくが、ヘファイストスはこれをデコピンで排除した。「ふぎゃー!?」と脳内のヘスティアがどこかへと吹っ飛んでいったが、知ったことではない。養う気はさらさらないのだ。もう用事は済んだのだし、いつまでも引き留めていては仕事も進まない、とヘファイストスはベルに「そろそろ帰る?」と言ってベルもこれに頷く。

 

「武器が欲しくなったらいつでも言いなさい。サービスしてあげるから」

 

「ヘファイストス様が作ってくれるんですか?」

 

「私でも椿でも・・・それこそ、ヴェルフでもいいわよ? ベルがそれでいいならね」

 

「・・・・タダですか?」

 

「馬鹿。 んなわけないでしょう?借金(ローン)借金(ローン)。時々手伝ってもらってるから、いくらかまけてあげるって言ってるのよ」

 

「なぁんだ・・・でも僕、『冒険者』じゃないから持ってても勿体ないですよ」

 

「あら、今後もなる予定はないのかしら? ヴェルフが言ってたわよ? 「あいつ、あの馬鹿みたいな鍛錬してるくせに何でダンジョン行かねぇんだ・・・。あいつが俺とパーティを組んでくれれば・・・」って」

 

「う、うーん・・・でもぉ・・・お義母さんは僕にそういうの望んでなかったし・・・うーん」

 

「まぁあんたの人生だから、好きにすればいいけど。でも護身用に短剣くらい持った方がいいわよ。【アストレア・ファミリア】で男なんてベルしかいないんだから、知らない人なんていないでしょうし―――ってほら、そろそろ帰らないとアストレアが出て行っちゃうわよ」

 

「・・・え、何かあるんですか?」

 

「『怪物祭』。それのまぁ・・・毎年のことだけど、ガネーシャの所で神の宴があるのよ」

 

「お邪魔しました! 失礼します! おかえりなさい!」

 

 気が付けば日が傾きかけていたことに気が付いたヘファイストスは話を切り上げ、ベルは大慌てで帰った。懸想する女神が夜にはおめかししていなくなってしまうのだ。何か言葉がおかしかった気がしたがヘファイストスも外出の準備をしなくてはいけないためにツッコむのをやめ、ギリギリまで残っていた書類仕事に手を付ける。相変わらずくすぶっているベルにやれやれと苦笑した。

 

「そういえば・・・」

 

 ヴェルフが言っていた「馬鹿みたいな鍛錬」とは何だったのかとヘファイストスはふと疑問に思う。自衛のために何かしら教わっているのだろうということくらいは想像できるが、一緒に鍛錬に付き合ったことがあるヴェルフは鍛冶なんてやってられるかと言うくらいにはヘトヘトで帰ってきたことがあったのだ。

 

「―――まぁ、今度聞けばいいわよね」

 

 まさか下半身を地面に埋め木彫りの短刀と盾を持ち八方から攻撃を仕掛ける数人のLV.3から身を守ったり、自分の背とほぼ同じ高さの姉達を馬飛びしたり、馬飛びの体勢をさせられている姉達を潜り抜けたり、膝と同じ高さまで身を屈めて、階段を上り下りさせられたり、市壁をぐるっと3周全速力で駆け抜けたり、本拠の屋根から飛び降りるなどというメニューを10歳からさせられているだなんてヘファイストスは本人達の口から聞くまで、知る由もない。なお、これはアルフィアとベルが過ごしていた部屋の掃除をしているときに「もしもあの子が『冒険者』になるとしたら」と書き記されたものから、ライラが難易度を限りなく下げたものであり、『ライラちゃんブートキャンプ』とファミリアでは称されている。

 

 

×   ×   ×

『星屑の庭』

 

 

「ただいま!」

 

 バタバタと走って帰ってきたベルを、休暇のためにゆったりのんびりしていた『正義』の眷族達――姉達が口を揃えて「おかえり」と言って出迎える。来客があった時に対応できるように普段通り戦闘衣装(バトルクロス)を着ている者もいれば、輝夜は「知ったことか」と下着姿で冷蔵庫を開けて茶を飲んでいたり、キャミソールと短パンというようなラフな格好をしている者もいた。ベルの帰宅を迎えた彼女達はベルがちゃんと『おつかい』をこなしてくれたことに礼を言って、慌てて帰ってきたベルに「どうしたの?」と問いかける。

 

「アストレア様いなくなる!?」

 

「いやぁ、いなくなりはしないよぉ?」

 

 何がどうしてそうなったの?と言いたげにマリューが「ベル君大丈夫?」と冷えた水をグラスに入れて手渡す。それをぐびぐびと喉を鳴らして飲み干して、カクカクシカジカと今夜『怪物祭』のための神の宴があるということをベルから聞き出し、「アストレア様ならまだ部屋にいるよ?」と頭をわしゃわしゃと撫でた。

 

「それにアストレア様がベル君に黙って出て行くわけないでしょ? また昔みたいに会場に突撃されても困るし」

 

「うっ」

 

「あの時のベルは可愛かったなー・・・「アストレア様ぁ!」って泣きじゃくってたらしいじゃん」

 

「やーめーてーくーだーさーい!」

 

 話に混じるように、過去の神の宴での一騒動にネーゼが口を挟む。送迎もかねてネーゼが一緒に会場前まで行っていたが、その時はベルがアストレアが留守にするという珍しい事態にまるで捨てられる兎のような顔をするものだからネーゼと一緒に会場前で待たせていたのだが、まだまだおこちゃまだった当時のベルは次第に待ちきれなくなり、小さい体を駆使して会場に入り込んでしまったことがあったのだ。周囲には知らない人や神どころか、自分よりも背の高い者達が多く、いつもアストレアが傍にいるのが当然になっていたベルはそんな慣れない状況に涙を浮かべはじめ、見つけたアストレアの足に抱き着いてしまい「えぇぇ!? どうしているの!?」と騒ぎになってしまったのだ。なお、その時、一緒に外で待っていたネーゼはいつの間にかベルが消えていることに割とかなりマジで焦った。

 

「女神様達に「え、何この要保護対象兎は」って言われてたらしいって聞いた」

 

「うぐっ」

 

「寂しんぼさんめ」

 

「はぅっ」

 

「毎日アストレア様と同衾している羨ま兎め」

 

「ひぅっ・・・ぼ、僕、アストレア様のところに行ってくる!」

 

「「「あ、逃げた」」」

 

 チクチクドスドスと過去の黒歴史やら現在のことを指摘されたベルは顔を青くしたり赤くしたり。仕方がない、仕方がないのだ。だってアルフィアと過ごした部屋に入るとすごく悲しくて寂しい気持ちになって涙がでそうになってしまうし、アストレアはアストレアで「抱き枕(ベル)がいないとベッドが広くて寝つきが悪いのよ」と言うし、そう仕方がないのだ。時々、目が覚めるとアリーゼや輝夜や他の姉の部屋で眠っていることがあるが基本的にはベルはアルフィアを失ってから、そういった事情もあってアストレアの部屋で過ごしている。姉達から逃げるようにして階段を駆け上がり、神室をノックして「ただいま」と言うと「おかえりなさい、入ってもいいわよ」と言うのでベルはドアを開けて中に入った。そこには、丁度パーティ用のドレスに着替え終わっただろうアストレアが。首にはネックレスを着け、谷間を大胆に露出したようなセクシーで桃色のロングドレスを身に着けた彼女はドレスの中に入った髪を腕を使って外に出してにこやかに微笑んでベルを迎え入れた。

 

「慌てて・・・どうしたの?」

 

「へ、ヘファイストス様が・・・その、早く帰らないとアストレア様が行っちゃうわよって」

 

「あらあら・・・大丈夫よ、ベルのことちゃんと待つつもりだったし」

 

 持ち帰っていたトランクケースを邪魔にならないように部屋の隅に置いてベルはベッドに腰を下ろすと、その隣にアストレアも腰掛け優しく頬を撫でてくる。「不安になったの?」「大丈夫、勝手にいなくなったりしないから」と言って安心させてくる彼女にベルは頬を緩めて彼女の手の感触に瞼を細める。

 

「送迎はアリーゼが・・・ええっとLv.5にランクアップしたから送迎は私がしますって立候補しちゃって」

 

「む・・・」

 

「多分、ベルが寝てる頃に帰ってくると思うから・・・あまり夜更かしせずに寝ていていいわ」

 

「・・・・・・」

 

「突撃しちゃだめよ?」

 

「し、しないです! 僕もう14なんですよ! 大人なんです!」

 

「ふふっ・・・そうね、ベルは大人だものね・・・よしよし」

 

「ふ、くぅ・・・」

 

「じゃあ、お留守番をしてくれるベルには、これを渡しておくわ。シワになっても困るからほどほどにね?」

 

 アストレアは一度立ち上がると、椅子に掛けてあった普段着用している衣装をベルに渡す。ほんのりとさっきまで着ていたことがわかるようにアストレアの温もりと、匂いがそこにはあった。思わず頬を染めたベルは「ぼく、変態みたいじゃないですか」と半目になって抗議するも彼女はクスクスと笑うだけ。無理もない、何せベルはアストレアの衣装を抱きしめているのだから説得力が感じられなかったのだ。

 

「その・・・これから出かけるから、匂いがつくとまずいし相手はしてあげられないけれど・・・衣装(それ)は汚さないようにね?」

 

「なんの話ですかぁ!?」

 

「だって男の子は・・・その・・・ね?」

 

「ね? って何ですか!?」

 

「いえその・・・嫌じゃないのよ? 嫌じゃないのだけれど、一三歳の頃に私が・・・その、させちゃって・・・抱きしめて眠った次の日の朝、何か硬い物が・・・」

 

「わぁぁああぁぁぁぁあっ!? 微妙にもじもじしながら言わないでくださぁい!!」

 

「本当に、嫌ではないのよ? 本当よ?」

 

「わ、わかりました! わかりましたから!」

 

接吻(キス)・・・くらいなら、出かける前にしてあげられるけれど、してあげましょうか?」

 

「・・・・・・・・・・」

 

 覗き込むようにして言うアストレアの頬は桜色に染まっていた。ベルは耳まで真っ赤な彼女を見て、そして自分も真っ赤になっているんだろうなと熱くなっているのに気が付いて、口をもにょもにょさせて、コクリと頷いた。するとアストレアはベルの首に両腕を回して抱き着く形になって、そのままベッドへと倒れこむ。ベルを下敷きにして豊満な乳房は形を歪め、彼女の柔らかな唇はベルの唇としっかりくっついている。短いのか長いのか判断つかないほどには静かに女神の接吻がベルの頭を蕩かし、そのままベルは脱力していく。ゆっくりと唇が離れ、忘れていた呼吸を少し荒くして酸素を取り込む。

 

「アストレア様、おっぱい、見えちゃいそう・・・ですよ」

 

「・・・あら、ベルは昔から見ているでしょう?」

 

「そう、じゃなくて・・・他の神様に」

 

「・・・・やきもち?」

 

「ち、違いますけど・・・なんていえばいいのか・・・うーん・・・」

 

「私が他の男に、変な目をむけられるのは嫌――とか?」

 

「・・・・・・はい」

 

「・・・ふふ、大丈夫よ。だって私はベルが貰ってくれるんでしょう? 6歳の頃に言ってくれたこと忘れていないわよ? 「ぼく、大きくなったら、アストレア様と結婚する!」って」

 

「・・・・うぅ、恥ずかしいのでやめてください」

 

 ベルの顔を隠すように胡桃色の髪がカーテンのように包み込む。額と額がくっつきそうなほどの距離で揶揄うようなアストレアの言葉にベルは羞恥に悶え、アストレアのドレスを少しだけきゅっと摘まむ。もう一度くらいは接吻はできそう――とアストレアが唇を近づけようという時。コンコンとノック音が鳴り、次にはギィ・・・と音と共に扉が開かれた。

 

「アストレア様ー、そろそろ出発したほうがいい・・・ん・・・じゃ・・・・すいません、お邪魔しましたーごゆっくりー」

 

そっ閉じ。

その言葉が似合いそうなほどに、まるで何事もなかったかのように何も見なかったかのように、扉を開けたアリーゼは扉を開けて見えた光景に「やっべ」とばかりに扉をゆっくりと閉めた。第三者の介入によって接吻どころではなくなったアストレアは「違うのよ!?」と何が違うのかと慌ててベッドから飛び降り、ベッドで仰向けになったまま唖然とするベルに「行ってくるわね」と額に唇を落として出て行く。

 

「ま、まぁアストレア様とベルがそういう・・・まぁ知ってるんですけどね? ベルもアストレア様が好きって昔から言ってましたし? でもまさか、まさかこれから神の宴があるのに・・・え、ヤるんだ・・・って思いました」

 

「しないわよ!? 勘違いよ!?」

 

「いえ別に私達も? 大好きな女神様と大好きなベルがそういうことをするのはダメとは思わないです。私達もいずれはって思ってますし? ベルとキスくらいしたことありますし? でもまさか・・・女神様による『ふでおろし』を目撃することになるとは思いもしませんでした」

 

「おろしてないわよ!?」

 

「えー、ほんとうにござるかぁ?」

 

「・・・・誰に教わったの、それ」

 

 

 なになに、どうしたの?と出て行くあたふたする主神とからかうような団長のやり取りを見ていた眷族達は終始置いてけぼり。扉が開いたままになっている神室の前を欠伸をかきながら通りかかった輝夜とあたふたする主神を見て「何があったんだろう」と確認しに来たネーゼは部屋の前で立ち止まり、中を覗くとそこにはアストレアが着ていた衣装をぎゅっと抱きしめて丸くなって耳を真っ赤にしているベルの姿が。丸くなった背中で顔は見えないが、二人の姉は一三歳になってから余計に自分達を異性として意識してからかいがいが出てきたベルにニヤニヤ。

 

「「したのか・・・・アストレア様と」」

 

「・・・・・し、してない」

 

「「私達とはしてくれないのか・・・ベルは」」

 

「・・・・・・今日はダメ」

 

「どうして」

 

「アストレア様が取れちゃう」

 

「アイドルと手を繋いだファンかお前は」



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怪物祭
アーネンエルベ①


 

 

 

 『怪物祭(モンスターフィリア)』。

年に一回開かれる【ガネーシャ・ファミリア】主催の催し。闘技場を一日中占領し、ダンジョンから引き揚げてきたモンスターを観衆の前で格闘し大人しくさせるまでの流れ――調教(テイム)を、見世物(ショー)としている。

 怪物祭(モンスターフィリア)は神々は神々の酔狂から始まった催しではない。協力を約束している【ガネーシャ・ファミリア】が主だって進行こそさせているものの、企画そのものの発端は管理機関(ギルド)なのだと、毎年のように見物に行っているベルにアストレアはこっそりと教えた。ダンジョンからモンスターを地上に引き上げる行為そのものは危険だし、モンスターとは怖いものというのが常識であり、娯楽を追求するあまり危険の中へ片足を突っ込むのは本末転倒。

 

「聞こえはいいけれど、冒険者というのは荒くれ者、無法者達が大半を占めるの。彼等のマナーの悪さが時折一般市民との軋轢を生んで、治安への不満を募らせるのも事実」

 

「ダンジョンから生まれる魔石(りえき)を効率よく回収したいギルドとしては、迷宮探索に繰り出す冒険者達は養護しないといけなくて、だからフィリア祭は『モンスターとの友好』というより、市民へのガス抜き・・・・でしたっけ?」

 

「あら、よく覚えたわね。偉い偉い」

 

「毎年聞いてたら嫌でも覚えますよ?」

 

「ふふ、それもそうね。 こほん・・・だから、この時期だけはギルド職員も警備にあたってるアリーゼ達も少し神経質になるの。問題が起きませんようにって」

 

「・・・今朝、すごい悔しがってましたもんね」

 

 

 アストレアが神の宴へと出向いて四日後の今日、ベルとアストレアは二人で『怪物祭(モンスターフィリア)』へと出向いていた。神の宴が行われていたその晩は、ギリギリまでアストレアが帰ってくるのを待っていたベルではあったが、睡魔には敵わずソファで眠り落ちてしまいアリーゼに抱えられて神室のベッドへと運ばれた。翌朝目が覚めると、目の前にあったのは大きな乳房で、薄布越しとはいえ呼吸と共に動くソレに思わずぎゅっと抱き着いて顔を埋めて、アストレアが帰ってきたのだと喜んで何度もベルは頬ずりをした。するとベルが起きたことに気が付いたアストレアは抱き着いてきたベルを抱きしめ返して頭を何度も撫でまわし「ただいま」と優しく微笑み、眷族の一人が起こしにくるまで、神の宴はどうだったとか、帰ってくるまで待ってたけど眠ってしまったとか、そんな会話をして時間を潰していたのだった。そして現在、ベル以外の眷族達は全員が警備に駆り出され二人はこうして逢瀬(デート)を楽しんでいる。昔は小さかったベルの手を握って、或いは抱いていたが今は背丈もほぼ追いつき肩を並べている。そんなベルの体の成長を改めて感じたのかアストレアはふふっと笑みを零した。

 

「?」

 

 どうかしたのかと小首を傾げるベルに、アストレアは手で口元を隠して軽く謝罪してから改めてベルの手を握った。指を絡めて、恋人のように。

 

「身長がすっかり追いついてきたと思っただけ。あっという間に子供は大きくなるのね」

 

「小さいほうが、アストレア様は好きですか?」

 

「そんなことはないわ。昔のベルも可愛かったけれど、今のベルも可愛いもの。最近は私達を異性として意識している時もあるし・・・ほら、こうして指を絡めて手を握ってるだけでベルがドキドキしているのがわかるわ。それがとても嬉しい」

 

「ぼ、僕ももう、子供じゃない、ですからっ」

 

「あらあら・・・ごめんなさいね? まさか私も私の手でベルが大人の階段を一歩昇るとは思わなかったの・・・力加減って大事だということを改めて学んだわ」

 

「そ、その話はもういいですから!」

 

「でもベルったら意識してくれるのは嬉しいけれど、寝ぼけて私に抱き着いて胸に頬ずりしてくるし・・・。慣れかしら?」

 

「・・・いやでした?」

 

「いやではないわ。むしろ甘えてくれるのは嬉しいと思う。 それに、ベルが自分の部屋で眠れないのは仕方のないことだし、今更、ベルなしで眠れる気がしないわ・・・だってベルったらすごく抱き心地がいいし、髪の毛の触り心地もいいし、寝顔がいくつになっても可愛いし・・・つまり安眠効果があるのよ」

 

「ア、アストレア様も寝顔が可愛いですよ?」

 

「あら、見られちゃってたのね」

 

「はい、見ちゃいました・・・綺麗だなって思って、唇とかほっぺとか触っちゃうくらいには」

 

「あらあら・・・今度から私も眠っているベルに悪戯、してみようかしら」

 

 

 イチャイチャ、イチャイチャと周囲の喧騒お構いなしに二人で楽しそうに笑いながら賑々しい雑踏の中を歩いていく。大通りに並ぶ出店の活気は一向に衰えない。売り出される品物は歩きながら手軽に食べられる料理などが目立つ中、怪物祭(モンスターフィリア)にちなんだ小物やアクセサリーなどもある。本物の武器を並べた屋台まで出揃っているのは迷宮都市(オラリオ)だからこそと言っていいだろう。遠方で打ち上げられる花火が、大きくも小気味良い音を抜けるような青空にばらまいていく。

 

「ベル、クレープを買ってもいいかしら?」

 

「? いいですよ?」

 

「ベルは甘いものが苦手みたいだから・・・そうね、一緒に食べましょうか」

 

 屋台までいくとアストレアはクレープを一つ店主から購入し、繋いでいた手を離して両手持ち、ベルの口元に白いクリームの詰まった焼き菓子を持ってくる。

 

「あーん」

 

「・・・ふぁっ」

 

「「ふぁっ」じゃないわ。あーん、よ。あーん。()()()()()()()()()でしょう?」

 

「・・・!?」

 

 アストレアの言葉が聞こえたか、屋台の店主と周囲の男性陣からものすごい嫉妬の籠った殺気を向けられ、ベルは肩を揺らして顔を青くした。祭りの空気に当てられたのか、アストレアはニコニコとしていて浮かれまくっている。

 

「どうしたの? そんなに甘いものが嫌だったの・・・?」

 

「そ、そういうわけじゃなくて・・・何もここじゃなくっても・・・」

 

「出来立ての方が美味しいでしょう?」

 

「うっ・・・」

 

 いつもと反応が違うベルに、小首を傾げて「これが反抗期なのかしら・・・」と若干暗い表情になるアストレアにベルは言葉を詰まらせる。周囲の目線など気にしていないか気が付いていないアストレアを待たせるわけにもいかず意を決して彼女の持つクレープへと口をつける。ぱくり、と噛みついて千切る。口の中に甘味が広がって、けれど「女神様のあーん」を堪能するベルを見る周囲の男たちの「おい何処かに壁殴り代行はいねーか」「砂糖吐きそう」「あの兎、殺したらダメなのか」「ダメに決まってるだろ、【静寂】が化けて出るぞ」などなどと言った言葉が聞こえてくるせいで味わえるものも碌に味わえない。ごくり、と飲み込んで閉じていた目を開けたベルは目の前でニコニコしているアストレアからクレープを受け取ると、お返しをした。

 

「はい、アストレア様」

 

「ふふっ」

 

「・・・あ、あーん」

 

「あー・・・ん」

 

 目を閉じたアストレアは小さく唇を開き、そこへゆっくりとクレープを近づけていくと、ぱくりっと可愛らしい唇が、口付けをするように焼き菓子を小さく食べた。瞼を開けた彼女は満足そうに、眷族達に自慢できることができたとばかりに笑い、もう一度、クレープをぱくっと口にする。柔らかそうな頬っぺたが美味しそうに動く。

 

「あ・・・」

 

「むぐむぐ・・・?」

 

「アストレア様、ほっぺにクリームが」

 

 生地から溢れ出てしまった中身がアストレアの頬に付いてしまったのを見て、ベルは反射的にその白い塊を取ってあげようと指を伸ばし、掬い取る。そして掬い取ったソレを、自らの口に入れた。ぱくり、ぺろりと。

 

「・・・・っ!」

 

 さすがにそんなことをするとは思わなかったアストレアはここで初めて顔を赤くした。目を丸くして、びくりと。そんなアストレアにベルはしてやったりと笑みを返した。耳を真っ赤にしながら。

 

「ベ、ベル・・・・どこでそんな高等テクニックを・・・これが『技』と『駆け引き』だというの・・・?」

 

「・・・アーディさんが女の子はこうしてあげると喜ぶよって」

 

「アーディに今度金一封ね」

 

「?」

 

 さすがにいつまでも屋台前にいるわけにもいかず、再び手を取って歩き出す。自然と二人の指は絡んで恥ずかしながらも、るんるんとしながら。口は自然と笑みを浮かべていて、幼い時から姉達よりも一緒にいることが多い女神と少年は人通りの間を縫っては一緒にメインストリートを駆け回る。

 

 

「・・・・アストレア」

 

 闘技場の外周部に当たる場所まで来たところで、ある男神がアストレアに声をかけてきた。ボソボソとした聞きなれない神の声に小首を傾げたアストレアとベルは振り返ると、そこには確かに男神が。祭りに参加するにしてはあまりにも似つかわしくない恰好で、如何にも作業中に抜け出してきたかのよう。表情は長い前髪のせいでよく見えず、白色の作業衣に茶色の手袋という姿にほのかに香るのは酒の匂い。彼の名はソーマ。【ソーマ・ファミリア】の主神にして、趣味神と言われている神物だ。ただ、振り返ったところにぼんやりと立っている彼は、ベルでさえ不敬とわかっていても『幽霊』と思ってしまうほどで、アストレアは思わず肩を揺らしてしまう。

 

「ソ、ソーマ? あ、貴方がフィリア祭に来るなんて珍しいわね」

 

 内心、いきなり背後から声をかけられたことに驚いているアストレアは無意識にベルの手を握っている手に力を入れる。例えどんなに温厚で慈悲深く優しい女神であろうと、振り向いたら幽霊のように誰かが立っていれば悲鳴もあげたくもなる。悲鳴を上げないだけ、凄いのだ。ソーマはアストレアの言葉を聞いているのか聞いていないのか、やっぱりとどこかぼんやりとしたような雰囲気で、疑問を頭に浮かべながらベルとアストレアが小首を傾げるとようやく口を開いた。

 

「・・・・俺の眷族達も、屋台を出している」

 

「・・・あら、そうなの? 『神酒(ソーマ)』は売っていないでしょうね?」

 

「ああ・・・お前の眷族にもきつく睨まれている・・・あの娘はおっかない」

 

「輝夜は別に悪くないでしょう? 元はと言えば、貴方が派閥の管理をしっかりとしないからであって―――こほん、この話はやめておきましょうか」

 

「・・・・アストレア様、この神様は?」

 

「彼はソーマ。お酒を造るのが趣味で・・・どういえばいいのかしら、趣味神と言われるものよ。それよりソーマ、何か用があるのでしょう? あんまり屋台を留守にしていると眷族に怒られるのではなくて?」

 

「・・・・「貴方がいると客がむしろ寄ってこない」と言われた」

 

「・・・・・」

 

 ベルは思わず、アストレアの横顔を見つめた。「この神様、大丈夫ですか?」という感じで。アストレアは微笑みを引き攣らせているし、周囲は「なんだなんだ?」「またソーマ君がやらかすか?」「昔、【大和竜胆】に『神酒(ソーマ)』捨てられて枕を濡らしたって聞いたんだけど?」などと若干ざわざわとし始めて、というかベルの耳に一人の極東のお姫様な姉の顔がチラついて、ブンブンと頭を横に振って聞かなかったことにした。あのお酒好きなお姉さんが酒を捨てるだなんて、あるわけナイナイと。

 

 【ソーマ・ファミリア】はソーマが酒造りの資金集めのために設立されたものだった。がしかし、ソーマ自身にファミリア運営に意識を割かず当時の団長、ザニス・ルストラに丸投げしていたことで私物化されていたことで多方面に問題を起こしていた。ソーマ自身は「眷族達の起爆剤になれば」と褒美に『神酒』を与えたものの酒の力に簡単に溺れ挙句躍起になってお互いを蹴落とそうとする醜い争いまで始めた眷族達に失望していき、次第に関心をなくしていった。抗争が起こっている時期にも犯罪紛いの活動をしていたが、闇派閥と言われるまでの活動はしていないために「闇派閥の起こす凶行と比べると優先度が低い犯罪」と判断され、問題解決が後回しになっていた。

 ベルが9歳の頃に、ギルドの換金所でも彼の派閥の団員がもめていたり、他派閥の冒険者達などに中毒症状のようなものを持つ者が現れていたため、改めて【アストレア・ファミリア】――ゴジョウノ・輝夜によって取り調べが行われ、『団長による派閥の私物化』が露見され主神のソーマも派閥運営がずさんだったために一度派閥の活動を強制停止させられる措置となったのだ。無論、完成品の『神酒』の製造は派閥の活動が再開された今現在でも禁止されている。

 

「眷族を・・・探している」

 

「眷族?」

 

「ああ・・・・いつの間にか、いなくなっていた」

 

「い、いなくなっていたって・・・」

 

「これくらいの・・・小さな子だ・・・ずっと、探している」

 

 ソーマは眷族達に自分がたいして敬れていないことをたいして気にしていないのか、迷子を捜すかのようにアストレアに問い詰める。自分の腰辺りに手を持ってきて何もない空間を不器用な手つきで撫でる。

 

「俺の部屋で、『じゃが丸君』を食べて眠っていた子だ・・・・・・団長(チャンドラ)と団員の身辺整理をしていたら、指摘された。「なぜ食べもしないのにじゃが丸君を置いているのか」と」

 

「・・・貴方、そこまで眷族のことを気にしていなかったの?」

 

「・・・・・・」

 

「はぁ・・・まったく・・・それで、いつからいないの? 申し訳ないのだけれど、行方不明者は決してゼロではないのよ? 私達やガネーシャにだって手の届かないところは必ず存在するわ」

 

「・・・・恐らく、お前の眷族が介入した頃には」

 

 

 数年前の話を突然言われても・・・と流石にベルでも思った。ベルの知る神は変態(ロキ)痴女(フレイヤ)優男(ヘルメス)乳神(デメテル)などなど個性豊かな神々がいるが、どの神も形はそれぞれ違えど愛しているのだとは思える。だからソーマのような神は初めてでイマイチ理解できないでいた。アストレアは困ったように眉間を摘まんで唸るも御用となった眷族もいるのだから、そこにいなければわからないとしか言いようがない。ソーマにそれを聞いてみれば、もう既に【ガネーシャ・ファミリア】には行っていると答えるし、探すにしてももっと早く言って欲しいと抗議したくなってまた溜息。眷族探しを――いや、眷族のことを気にするようになっただけマシと思うべきだと結論付けて、自分の眷族達にもそれらしい子がいないか聞いてみると伝えた。

 

 

「・・・すまない、邪魔をした。栗色の髪の子を見かけたら・・・」

 

「わかったわ。 貴方も、お酒造りに夢中になり過ぎてはダメよ? ちゃんと眷族達のことを見てあげないと何も変わらないのだから」

 

「・・・・ああ」

 

 

 そのまま、ソーマはゆらゆらと根暗という言葉が似合うほどに沈んだ空気を纏って姿を消していった。消えていく背中を見届けて再び溜息をついたアストレアは隣で静かに話を聞いていたベルの頭を撫でてニコリと微笑んだ。

 

「ごめんなさいね、少し長話をしてしまって」

 

「いえ・・・でも、探せるんですか?」

 

「うーん・・・・探しているということは、『恩恵』はあるということなのよね・・・。ただ、行方不明者って決してゼロではないし・・・うーん・・・栗色の髪の子で身長が腰くらい・・・」

 

「あの、数年前からってことなら今は身長が同じとは限らないんじゃ・・・」

 

「・・・・」

 

 

 ベルの指摘に、再び「はぁぁぁぁぁ」と長く、重たい溜息をつくアストレアであった。若干落ち込むアストレアを宥めながら闘技場の外周を歩くようにしていると道中、数名の【アストレア・ファミリア】の団員と目が合って手を振り合ったり女神との逢瀬をからかわれることもあったが、楽しい時間であることに違いはない。あとは闘技場の中にでも入って祭の顔と言ってもいい調教(テイム)を見に行こうかというところで。

 

 

「――――?」

 

「・・・どうかしたの、ベル?」

 

 前触れなく足を止めたベルを、一歩前に出たアストレアはキョトンとした表情で振り返る。ベルはアストレアへの返答も忘れ、引き寄せられるように周囲を見回した。何か、勘とでも言うべき何かが引っかかったような気がして。

 

「・・・悲鳴?」

 

 まだ冷め切らない祭のざわめきとは別の、何か切迫じみた、鋭い声が、呟きが口から零れ落ちた瞬間。次にはさらに大音声となって響き渡った。

 

「モ、モンスターだぁああああああああああっ!?」

 

 凍り付いたかのように、平和な喧騒に満ちていた大通りは一瞬言葉を無くす。

そして、ベルは、アストレアは見た。

闘技場方面から伸びる通りの奥。

石畳を激しく蹴る音を従わせながら、純白の毛並みを持つ一匹のモンスターが、荒々しく突き進んでくるのを。

 

 

×   ×   ×

ベルとアストレアが騒動に巻き込まれる少し前。

 

 

 光源が心もとない、暗く湿った場所だった。

天井から吊るされている魔石灯は一つを除いて沈黙し、部屋の至るところに影を作り出している。一M(メドル)四方の木箱が辺りに散乱しており、周囲はどこか雑然とした印象。壁には武器を始めとした様々な道具が立てかけてあった。一見して倉庫のように見える薄暗い空間には、いくつもの『檻』があった。鎖に繋がれた多数のモンスターが閉じ込められており、金属の擦れる音が頻りに鳴る。鉄格子の隙間に鼻づらを突っ込む犬型のモンスターが、牙を剥きながら唸り声を上げていた。地下部に設けられた大部屋。闘技場の舞台裏、言うなればモンスターの控え室だ。モンスター達はここから担当の者によってアリーナへ檻ごと運ばれる手筈になっている。地上に上げられた際に束縛を解かれ、中央フィールドにいる調教師(テイマー)と相まみえるのだ。

 

 

「ごめんなさいね」

 

 

 そんなモンスター達の控え室に似つかわしくない存在が――彼女がいた。周囲には四名の運搬係と、彼等がいつまでたってもモンスターを上げないことに急いで様子を見に来た一人の女性が倒れている。外傷なし、呼吸あり。ただ糸の切れた人形のように、力という力が全身から抜けていた。それは女神(かのじょ)によって自由を奪われた結果だった。

 

 

――動かないで?

 

 

そっと後ろから、恐ろしく滑らかな肌触りのする細い手が、目隠しをした。

次には、鼻腔を舐める甘い香りが、密着してくる肉の柔らかさが、肌を通じて感じる温もりが、彼女の感覚という感覚を麻痺させ、底知れぬ『美』が覆いかぶさった。

 

信じられない『魅了』。

視界外からの『魅了』。

下界の住人では到底抵抗できない『美』に頭は真っ白になり思考などできなくなり意識が断線した。

檻の鍵を求められ、条件反射のように従い、そして今【ガネーシャ・ファミリア】の眷族達は倒れ伏しているのだ。

 

 彼女には――フレイヤには戦う力は皆無だ。下界にいる限り彼女は無力な神の一人でしかない。だが、彼女には異常なまでの『美』があった。いや彼女自身が『美』そのものだった。理性では制御しきれない力。ヒューマンや亜人は勿論、神々にさえ及ぶその支配力は圧倒的だ。彼女がその気になれば何人たりとも忘我の淵に叩き落すことができる。彼女はこの場所に訪れるに至って、文字通り立っていられなくなるほど、男女問わず相手を骨抜きにしてきた。『魅了』してみせた。不意打ちまがいのことをすれば、彼女でもこのような芸当は可能だった。

 

フレイヤは崩れ落ちた女性を置いて大部屋の中心で足を止めていた。

周囲にはモンスターを閉じ込めた大小の檻がいくつも並んでいた。捕らえられているモンスター達は興奮しているのか、フレイヤに四方八方から吼え声を浴びせかける。しかし、彼女が被っているフードを手にかけた瞬間、けたたましい声はぴたりと止んだ。

 

『・・・!』

 

 絶世の美貌が晒され、雪のような白皙の柔肌がモンスター達の視覚を打ち、溢れ出たぞっとするような芳香が彼等の動きを縛った。輝かしい銀の瞳と銀の髪に、獣達は釘付けとなる。凶悪なモンスター達でさえ、彼女の美の対象外にはなりえなかった。やがて彼女は吟味するようにモンスター達の顔をなぞって、ある一点で視線を止める。そのモンスターは真っ白な体毛を全身に生やしていた。ごつい体つきの中で両肩と両腕の筋肉が特に隆起しており、フレイヤと同じ銀色の頭髪が背を流れて尻尾のように伸びている。野猿のモンスター『シルバーバック』は、その瞳をぎりぎりと見開き呼吸を荒くしながら、女神の眼差しを受け止める。

 

「・・・貴方がいいわ、出てきなさい」

 

 手に入れた鍵を使って檻の錠を解くとシルバーバックはフレイヤに従うように鉄格子から一歩歩み出た。繋がれっぱなしの鎖がジャラリと鳴る。モンスターを解き放つ、ともすれば危険な行為。自由奔放な女神の傍迷惑すぎる気まぐれ。目的は、たった一つ。

 

 

――あの子ももう、14歳。

 

 フレイヤは想う。少年、ベル・クラネルのことを。

 

――今のまま平穏を享受しているあの子もいいけれど・・・くすぶったままだなんて勿体ない。

 

 フレイヤの眼には見えていた。ベルがダンジョンに行っていないにも関わらず、凄まじい速度で成長しているのを。だがしかし、義母(だれか)の言いつけを守るように、一歩踏み出すことができずくすぶっていることも見抜いていた。だから、ちょっかいを出したくなってしまった。

 

 

「炉にくべた鉄が剣になれずにいるみたい・・・・そんなの勿体ないわ」

 

 お気に入りの子供に、悪戯をする。まるでそれは子供のようだとフレイヤは笑う。けれど、止まらない。ベルの泣く顔も、困った顔も、笑った顔も彼が6歳の頃から知っている。けれど未だ一度も見たことがない顔がある。彼の―――『勇姿』を。

 

「『英雄』にならなくてはならないのでしょう? 」

 

次の瞬間、フレイヤはモンスターの額に唇を落す。

咆哮が、轟く。

 

 

 

――――さぁ、頑張ってね?

 

 

 

 

×   ×   ×

東と南東メインストリート間。

 

 

 日の光がきらめき、飾り付けられた何枚もの旗が陽気にはためく大通りに、異色な存在が一つ、場違いのように紛れ込んでいる。辺りから悲鳴が木霊する中、ベルとアストレアは走っていた。

 

 

「アストレア様、あれってなんだか、アストレア様を狙ってません!? 知り合いですか!?」

 

「初対面よ! 私にモンスターの知人はいないわ!」

 

 

 辺りから悲鳴が木霊し一人の少年と一柱の女神は逃走していた。

後ろからは尻尾と見間違える長い銀の髪を持つモンスターが唸り声を上げている。両手首には無理矢理引きちぎられた跡のある鎖がぶらりと垂れ下がり、地面の上でとぐろを巻いていた。

 

 そのモンスターの名は、シルバーバック。出現階層は十一。

 

 モンスターは迷いなくベル達へと直進し、何度も襲い掛かってくる。ベルはその襲撃を何度となくアストレアを攻撃がくる方とは別の方向へと追いやるもシルバーバックが進行方向を修正したことで狙いはアストレアだとわかり無駄に終わった。アストレアの手を細い手を握り締めながら悲鳴じみた声で「浮気ですか!?」「そんな趣味はないわ!」などと言い合い、互いに不安を押し殺すように手を握り返す。手当たり次第に人を襲うモンスターらしからぬ、まるで()()()()()()()()()()()()明確な意志で動くシルバーバックに答えが見つからない疑問を抱えながら、ベルはアストレアを連れ逃げ回る。

 

『フゥーッ、フゥーッ・・・!』

 

「っ・・・凄いわベル、貴方・・・意外と成長していたのね」

 

 手を握り、走るのに決して適しているとは言えないロングスカートを摘まみ上げて走るアストレアは汗を滴らせ、息を切らす。自らの眷族が何度もシルバーバックの襲撃を躱せていることに驚きを孕みつつか弱い体に必死に鞭を打ち走る。

 

「アストレア様・・・・ごめんなさいっ」

 

「へ? ――――きゃぁっ!?」

 

 路地裏に入り込み右に左に角を曲がる中、ベルがアストレアが限界なことに気が付いて謝罪の後すぐに横抱きに抱え、あらん限りの速度をもって路地裏から外へ――メインストリートへと再び飛び出した。横抱き――御伽噺の中で英雄達がよくやっているお姫様抱っこをされるアストレアは、ベルの胸の中で顔を真っ赤にしながら両手で口元を覆いながら、唸った。

 

「あ、あんな・・・私やアリーゼ達に抱きかかえられていた小さかったベルが・・・私を・・・!?」

 

「アストレア様?」

 

「「アストレア様だっこ!」って言っていたあの小さなベルが!? 私を!?」

 

「アストレア様っ?」

 

「ごめんなさいベルっ。私はこんな状況だというのに、心から幸せを感じてしまっているわっ・・・・!」

 

「どうしたんですかアストレア様ぁ!?」

 

「だって・・・今のベル、十割増しくらいには格好よく見えるんですもの・・・! いつもの可愛いベルが、こうも・・・ああ、貴方の主神でよかった・・・!」

 

「帰ってきてくださいアストレア様ぁ!?」

 

「貴方は私の誇りよ!」

 

お姫様抱っこ(こんなこと)で!?」

 

 

 少女のように頬を染め、ひしっ、と抱き着いてくるアストレアを、がしっ、と掴まえ、思う存分に脚力を発揮する。咄嗟とはいえ女神を抱きかかえることができていることに内心驚いているベルだが日々の『ライラちゃんブートキャンプ』なる無茶ぶりをこなしているためか彼女よりも体力の問題はなかった。問題なのは、いつまで逃げればいいのかということだけだった。

 

「アリーゼさん達・・・・早く来ないかな」

 

「ベル・・・?」

 

「ぼ、僕・・・モンスターと戦ったこと、ないです。ライラさんは「お前は足だけは良い」って言ってたし実際、あのモンスターと距離を保ててますけど、でも・・・」

 

「・・・」

 

 

 護身なら覚えさせられた。でもそれは人間相手であってモンスターと実際に戦ったことがあるわけではなかった。ベルの身長よりも遥かに大きな巨体を誇る野猿のモンスターとの距離はベルの足が速いせいかまだ余裕はある。アストレアはベルが何故メインストリートに戻ったのかを理解して、自分の眷族達が追い付くのとシルバーバックが自分達に追いつくのはどちらが早いかを考えて口を開く。

 

「コホン・・・現実的な話をしましょう。さっきの悲鳴からして、逃げ出したモンスターは決してあのシルバーバックだけではないでしょうね。だとしたらガネーシャのことだから他派閥の冒険者にも協力を頼むはず・・・闘技場でのイベントそのものは余計な混乱を起こさせないために続行。アリーゼ達はそれぞれ闘技場の中と外を警備していると聞いてはいるけれど、この状況では配置場所はあまり意味はないでしょうね」

 

「闘技場の方に戻りますか?」

 

「ダメよ。今走っているストリートを路地裏を利用して迂回したらそれこそ、あのモンスターが建物を破壊して追いかけてきてしまう。そうなると被害が増えてしまうわ。ガネーシャのお財布が悲鳴をあげちゃう」

 

 よく見て。あのモンスターに取りついている鎖のせいでメインストリートに並ぶ屋台は被害を受けてしまっているでしょう? と後方を指さすアストレアにならってベルも一瞥する。モンスターが追ってくる間にも屋台から近くの建物には破壊という爪痕が確かに残されていた。じゃあどうするんですか?と助けの見込みがないことにベルが不安げにアストレアを見つめるとアストレアはベルの鼻っ柱に人差し指を添えて言った。

 

「ベル。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「・・・・本気(ガチ)ですか」

 

本気(ガチ)よ・・・貴方のステイタスを考えれば、決して不可能ではない相手ではあるの」

 

「でも・・・・」

 

「モンスターの弱点は知っているでしょう?」

 

 胸の中にある『魔石』が砕かれれば、モンスターは絶命する。この常識を教えられているベルはこくりと頷く。不安げに瞳を泳がせるベルの頬を無理もないを優しく撫でてアストレアは「怖い思いをさせてごめんなさい」と謝罪をし、さらに告げる。

 

「『魔法』も使いましょうか」

 

「・・・・はい?」

 

「だから、『魔法』よ」

 

「・・・・」

 

「ベルの、ベルだけの、『魔法』」

 

 発現したのはアルフィアの死後。

まだ幼いベルに『魔法』があることを教えて好奇心で詠唱してしまったために大事故になってしまう可能性を危惧してアストレアがベルにも眷族達にも教えなかった唯一の武器。頬を引き攣らせたベルがアストレアへと目線を寄越すとアストレアは「好奇心で気が付いたら私も貴方も天にいました。なんてシャレにならないもの」と目を逸らして言う。

 

「アルフィアが亡くなった後に発現していたの。でも、攻撃魔法みたいだったから教えるわけにはいかなかったのよ」

 

「詠唱は!? 僕、それも知らないのに・・・っ!?」

 

「なら、私の後に復唱して頂戴。ちゃんと持ってきているから」

 

「・・・・その顔はずるいです」

 

「やって・・・くれる?」

 

「うぅ・・・わかりました、わかりましたよ! 英雄にならなきゃいけないんです、あれくらいどうってことありません!」

 

 しゅるり、とポーチから取り出した一枚の羊皮紙を口元に持ってきて上目遣い。隠し事をしていたことに対する謝罪を含んだ上目遣いだ。ずるい女神の『技』だった。ベルに自分を降ろさせ、二、三歩下がったところで詠唱を読み上げベルはそれを復唱する。

 

 

「【我等に残されし、栄華の残滓。 暴君と雷霆の末路に産まれし落とし(愛し)子よ。】」

 

「・・・我等、に残されし―――」

 

『――グルァアアアアアアアッ!』

 

 路地裏に入り込んだと思えば今度はメインストリートに出てきたベルとアストレアに視界をぐるぐると巡らせて真っ直ぐメインストリートを直進するシルバーバック。『魔法』の存在も知らなかったベルは直進してくる巨体に汗を一筋頬に垂らす。アストレアは自分でも割と無茶ぶりを彼にしてしまっていると自覚しながら声音はいつものように穏やかに、優しく、歌を一節、二節、三節と先行して歌う。

 

「「【喪いし理想を背負い、駆け抜けろ、雷霆の欠片、暴君の血筋、その身を以て我等が全てを証明しろ】」」

 

 直進してくるシルバーバックとの距離十五M。腕の動きと共に鎖が周囲を巻き込んで破片が飛び散る。獣の吼え声が、人の悲鳴が耳朶を叩く。瞼を閉じて必死に歌う。

 

『ガァアアアアアアアアアッ!』

 

「【忘れるな、我等はお前と共にあることを】」

 

 シルバーバックとの距離五M。腕を薙ごうと腰を右に捻り鞭のように鎖を振るう。

破壊される建物、木霊する悲鳴。ベルはアストレアに促されるように瞼を開いて完成した魔法を解き放つ。

 

 

「【アーネンエルベ】」

 

 

一条の雷電が地に落ちる。

 

 

野猿のモンスターが、頭を仰け反らせて後方へわずかに吹っ飛んだ。

 

×   ×   ×

闘技場周辺

 

 一本に結わえた赤髪を揺らす緑の瞳の美女が声をあげて、ギルド職員から【ガネーシャ・ファミリア】の冒険者、そして自らが率いる派閥の団員達と状況確認と指示を出していた。

 

「団長、モンスターを監視してた奴・・・と、そこに行くまでの道中にいた連中は息はあるけど意識なし!」

 

「負傷者は?」

 

「それもない! なんていうかこう・・・骨抜きっていうのかな? アストレア様に膝枕してもらいながら耳掃除をしてもらって気持ちよく寝落ちしたベル君みたいになってた!」

 

「・・・・・・・怪我がないならいいわ、もう既に運んだんでしょ?」

 

「ギルドと【ガネーシャ・ファミリア】がやってくれてる!」

 

「ならそっちはいいわ! 他、怪我人の有無! 闘技場から混乱して飛び出した人とか、いる?」

 

「ガネーシャ様が市民が騒ぎに気付かないように祭自体は続行させてる。 怪我人は・・・外にいた人達は少なからずいるけど重傷者はなし! というか偶然、闘技場の前まで来てた【剣姫】が軒並み倒しまくってくれてるから大丈夫そう!」

 

「OK! ギルドの人は住民の皆さんを避難・・・闘技場の中はダメね、中に入って話が広まっちゃうし・・・・うん、とりあえず安全なところに避難させてください。 脱走したモンスターは既に【剣姫】が全滅させたってことでいいのかしら?」

 

「んや、リオンと輝夜、あとセルティとイスカ達も自分達の所に来たモンスターは倒してる。ただ、あと一体がまだ見つかってないみたい」

 

 凛とした姿勢で状況を整理しつつ派閥外の者であろうが指示を出すアリーゼにギルド職員と都市の憲兵は従う。【アストレア・ファミリア】の全団員がその場に集っているわけではないが、彼女達は闘技場の内外を囲むようにその日は警備の眼を光らせていた。モンスターの調教(テイム)とはいえ、都市民のガス抜きなどと言われるイベントで都市の内外から人が押し寄せる催しだ。軽犯罪であろうと問題が起こる可能性は十分にあり得るために各々が配置された場所にいたわけだが、モンスターの脱走などという異常事態に彼女達とて内心驚きを隠せないでいる。それでも迅速に動けたのは、団長がアリーゼだからこそ、と言えるだろう。加えて、【ロキ・ファミリア】の【剣姫】、アイズ・ヴァレンシュタインが偶然にも主神と逢瀬しているところにトラブルを耳にし、風を纏って誰よりも早く討伐に当たっているのだ。討伐に当たっているのは、自分達のいる場所にモンスターが現れた輝夜達も同様で、人々にはモンスターを圧倒する女性冒険者とモンスターの討伐劇さえ、一種の見世物だと思う者さえいるはずだ。

 

「拍子抜けと言えば拍子抜けね。どこも大事にはなっていない・・・・誰がしたか、というよりも、何のためにしたのかが重要な気もするけれど・・・たぶん、下界の住人(わたしたち)じゃないわよね」

 

 アリーゼは唇に指を押し当てながら思考するも、それは今することではないとすぐに放棄する。モンスターの脱走という異常事態から市民の被害を防ごうと奔走するものの、蓋を開けてみれば、モンスターは誰にも危害を加えていない。アリーゼ自身がその目で見たが、まるで()()を探すかのように、闘技場の周辺を少々乱暴に徘徊していただけだ。何から何まで、何者かの手で踊らされているような感覚がしてならない。

 

「アリーゼ、脱走したモンスターは全部で九匹だが、あと一体、シルバーバックが見つかってねぇ・・・どうする?」

 

「市民の安全が最優先。でも・・・・八体がただの陽動? ううん、違う・・・・・・どのモンスターも何かを探していた・・・そして一体が、シルバーバックが・・・・見つけた?」

 

 小人族(パルゥム)のライラが、アリーゼに指示を仰ぐもアリーゼは悶々と思考を回していた。そして、ハッとしたように周囲を見渡して見知った顔が二つないことに気が付いた。

 

「ライラ、リャーナ、ネーゼ、ベルとアストレア様って今日見た?」

 

「『本拠』を出るとき、アリーゼが寝てる兎の頬に接吻してるのなら見た」

 

「やだライラったら、私とベルのお楽しみを覗いちゃ駄目じゃない―――って違う、違うわよ」

 

「『本拠』でアストレア様に抱き枕にされて寝ているベル君がアストレア様のお胸に頬ずりしているのなら見たけど?」

 

「羨ましいわよねリャーナ。ベルったら意外とやきもち焼きなのよね・・・アストレア様と孤児院に行った時は不機嫌になるし、私がアストレア様のお胸をお借りしたら、すっごいシャツを引っ張ってくるんですもの。そこがまた可愛いんだけどね? ―――ってそれでもないわよ」

 

「『本拠』を出る前にリオンが神室の前を行ったり来たりしながら「やはり彼に挨拶していくべきでしょうか・・・いや、アストレア様も眠っているというのに起こすのは可哀想だ・・・いやしかし、黙って出て行くのもそれはそれで・・・」とかなんかアホやってたのは見たけど」

 

「ネーゼ、その話あとで詳しく。今度リオンを可愛がるのに使うから。あと、それでもないわ。なんなの、三人ボケなきゃダメなの?」

 

 的確にボケを入れてくる三人に一つ一つツッコむアリーゼ。

悪かった悪かったとライラが平謝りして、少なくとも私は見ていないと答えそれにリャーナも同じと答えた。

 

「東のメインストリートの辺りで見た」

 

「ネーゼ、そういうのもっと早く言って。後で尻尾踏むわね」

 

「やめろぉ!? 笑顔で言うなぁ!?」

 

「じゃあネーゼ、ここは貴方に任せるから!」

 

「あーもう、わかったわかったよ」

 

「ライラ、ベルとアストレア様がこの騒ぎに巻き込まれてる前提で聞いていいかしら?」

 

「あん?」

 

 主にベルの鍛錬はライラが指導している。アリーゼ、輝夜、リューでは階位がそもそも違いすぎて大怪我させかねないからだ。実際、アリーゼは一度だけベルの額を割っている。教官役のライラは「なんだよ」とアリーゼの言葉を待ち、アリーゼは頷いて聞く。互いに東のメインストリートへ向けて歩を進めながら。

 

「ベルはモンスターと戦ったことはないでしょう? だから、対応できるのかって」

 

「ステイタスは見てるんだろ?」

 

「そりゃあ少なからず・・・」

 

「何か『偉業』を成し遂げればランクアップ可能だろうなってくらいには上がってる。10歳からの4年間で馬鹿みたいに伸びてるし・・・・正直、あのスキル(チート)が羨ましい限りだし冒険者やってねえのが勿体ねえって思えるくらいだ。」

 

「戦えると思う?」

 

 10歳からベルは護身も兼ねて、虐め抜かれている。多少やり過ぎて何度か脱走したこともあったが、4年間の間にランクアップが可能なほどには数値は伸びていた。それはアリーゼも知ってはいたが、交戦していたのは人間だし、モンスターと戦うのとはまた別。器は良くても心はどうなのかと心配していた。ライラは少し考えてから、大丈夫だろ、と軽く答えた。

 

「あいつ、元々足はいいからな・・・最悪、アストレア様と逃げるだろうよ」

 

「モンスターに対する知識は? 私、ライラにあえて任せっきりだったんだけど・・・」

 

「任せっきりなのはまぁ・・・他の連中があれこれ口挟んだら混乱するからだろ? ちゃんと教えてるよ、皮膚を貫けるのなら、『魔石』さえ突いてしまえば理論上、冒険者はあらゆるモンスターを殺すことができるってな」

 

「・・・・ベル、巻き込まれてなきゃいいんだけど」

 

 

 心配を胸に、東のメインストリートから逃げてきただろう市民達が「アストレア様がやべぇ」だの「あの白髪の子とアストレア様が追いかけられてる!」だの『グルァアアアアアアア』だのそれっぽい言葉が聞こえてやがて速度を上げて走り始めた。それとほぼ同時に、雷が落ちる音がアリーゼ達の耳朶を震わせ、思わず身を竦ませてしまう。

 

 

「・・・・雷、落ちた?」

 

「いえ・・・快晴よ?」

 

「魔力・・・感じるわ」

 

「魔力・・・だな」

 

 

 冷や汗がツーっとアリーゼとライラの頬を伝う。知らないぞ、あの兎に『魔法』があったなんて。いや、なんか魔力がちょびっとだけ上がってたのは知ってたけど、ステイタスに表記されてなかったし。アストレア様が隠し事?いやいやまさかまさか・・・と頬を引き攣らせる。やがて見えた景色は、シルバーバックを倒し、()()()()()()()()に吹っ飛ばされるベルの姿だった。

 

 

×   ×   ×

とある人家の屋上。

 

 

「やっぱり・・・『魔法』を隠し持っていたのね」

 

 ベルのいる付近一帯を一望できる高所で、フレイヤは呟いた。

銀瞳の視線の先には、護身用のナイフをぎゅっと握りしめて初めて使用する『魔法』に驚きを禁じ得ないベルの姿がある。何せベルとシルバーバックの間には雷電を走らせ、下着も同然の恰好をした髪の長い美女が片足を上げた姿勢で固まっているのだから。青空に囲まれながら、お気に入りの子供の姿に頬を染めるフレイヤは少年の小さな背中をうっとりとしながら見つめて笑みを浮かべた。

 

 

「さぁ、ベル・・・・『英雄』を始めましょう?」

 

 

 フレイヤに視線に気づいたのか、ほんの一瞬、びくりと反射するようにベルが振り返ったがシルバーバックの吼え声によってすぐに視線は元に戻る。

 

 

×   ×   ×

東メインストリート。

 

 

 落雷が起きた。

 雷が、落ちた。

それが、ベルの唯一の『魔法』なのだと言うように。

天の怒りが地に突き刺さるように、ストリートの石畳は焼け焦げ、小さなクレーターを生み出した。それだけでなく衝撃に巻き込まれたか人家や屋台のガラスは砕け、火さえついている。しかし、それよりも、それ以前に、ベルが驚いたのは目の前にいる存在だった。背後にゆらりと佇む集団(まぼろし)だった。

 

 

―――『  』になりなさい。

 

 夢の中で見た実母(だれか)が、赤子のベルを抱きながら言ったその光景が一瞬、フラッシュバックする。それと同じくして、銀と金の二つの視線をベルの背後の集団に感じ取り、びくりと体を揺らして振り返る。

 

 

「・・・・?」

 

『―――ゴァアアアアアアアッ!』

 

「っ!」

 

 前方からシルバーバックの吼え声が木霊し、視線をすぐに戻す。背後に謎の恐怖心を抱きながら、『魔法』に恐怖しながら、前方にいる存在を視界に収める。落雷が落ちた場所、シルバーバックとベルの間に立つ一人の女性。下着も同然の恰好で、その全身は白に近い青、そしてバチバチと雷電を走らせ蹴り上げた片足をやがてゆっくりと地に下ろし、ベルへと振り向くようにしてすぅーっと消えていった。シルバーバックは、彼女に蹴り飛ばされたのだ。

 

女戦士(アマゾネス)・・・・?」

 

 ベルから少し距離を開けて見守っていたアストレアは神生二度目のベルの『魔法』に、やはり驚愕に染まる。ステイタスには事細かく詳細は記されてはいないし、初めて使った際は幼かったベルは精神枯渇(マインドダウン)で意識を失っていたから。シルバーバックの吼え声を聞いてアストレアは肩を揺らし、ベルに声をかけた。

 

「ベル、胸の中心を狙いなさい! たった一撃。たった一撃でいい! そのナイフが相手の皮膚を貫けるなら、貴方はそのモンスターを打ち倒せる!」

 

「はぁ・・・はぁ・・・・っ!」

 

「貴方ならできる。 だって貴方は私、女神アストレアの眷族なんですもの。ベル、貴方は―――」

 

『ガァアアアアアアアアッ!』

 

 何やら震えているベルの背にアストレアは言葉を投げる。大丈夫、貴方には私がついている。貴方ならできる、と。

目指すべき場所は、相手の胸部その一点。ぐんぐんとシルバーバックが迫ってくる。凝縮されたかのような時間の中、中途半端に腕を振り上げた格好の敵は、その瞳に怒りを宿しながら硬直していた。

 

「貴方は――私の、アルフィア(かのじょ)達の誇りよ」

 

 トン、と背中を押されるようにベルが一歩前に足を動かす。バチ、と雷電が走る。ナイフが青白く発光する。白髪の前髪で隠れた深紅(ルベライト)の瞳が輝いた。ぎゅっと握る手に力を込めて、背後にナイフを溜める。渾身の刺突。全霊全身を賭けた、一撃必殺。胸部一点だけを見て、自身を一条の雷に見立て、ベルは敵の胸目掛けて突貫した。

 

「―――ぁあああああああああああああああああああああああッッ!!」

 

突撃槍(ペネトレイション)

 

『ガァッッ!?』

 

 青白く雷電を迸らせるナイフが、モンスターの胸部中央に突き刺さる。

肉を穿つ感触に次いで、硬質な何かを砕いた手応えと、肉が焼け焦げる匂い。

次にナイフから雷が体を完全に貫通して地面を再び焼いた。シルバーバックは両眼を限界まで剥き、煙を吹きながら背中から地面に倒れ込む。

 

「――!?」

 

――おち、る・・・()()、しなきゃ・・・!?

 

 突貫の勢いを殺しきれなかったベルは空中に舞い、吹っ飛んだ。

速度の制御も取るべき受け身も意識になく、最後まで目の前の敵に全力で貫くことしか考えていなかった少年の体は、実物大の人間砲弾(レールガン)と化し、空中に綺麗な放物線を描く。間もなく、墜落し地面に派手に叩きつけられると瞼をぎゅっと閉じると落下速度が急激に緩和した。

 

「・・・?」

 

 ふわり、と小脇に抱えられるようにしてベルは地面にゆっくりと降ろされた。ゆっくりと瞼を開けてみればそこには猫のような耳をした青年の姿。しかし、目元は見えず表情は伺えない。全身が最初にシルバーバックを蹴り飛ばした女性のように青白く雷電を走らせていた。そしてベルを着地させるとすぐに霧散するように姿を消した。

 

「これが・・・」

 

 僕の『魔法』・・・。と自分の全身を見るようにキョロキョロとするもさっきのように幽霊のような何かは出てこない。ただベルの体は付与魔法(エンチャント)のように雷が迸っているだけだった。そして、通路の真ん中で大の字に転がったシルバーバックへと目を向けると、ナイフを突き刺した場所はぽっかり穴が空いており、魔石を破砕された肉体は灰へと還り、風に乗ってその姿を跡形もなく消滅させた。

 自分の握っている手を見てみれば、青白く発光していたナイフは炭化してボロボロと崩れ去った。

 

 

『―――――ッッ!!』

 

 

歓喜の声が、迸った。

路地裏に隠れ、あるいは建物の中へと隠れてベルとシルバーバックの一瞬の戦いの行方を見守っていた住民達が興奮を爆発させた。そこでようやく、自分がやったのだと実感がじわじわと湧き出してベルはアストレアへと振り返って笑みを浮かべた。

 

 

「アストレア様、僕――――ッ!!」

 

 

『―――ォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 

 

 自身を称える周囲の喝采に包まれ、笑みを浮かべてアストレアに「やりました!」と見守ってくれていたアストレアに笑いかけようとして、突如、世界を揺らすような咆哮によって周囲の喝采は恐ろしいほどの静寂へと包まれる。誰もが驚愕を、恐怖を、禁じ得ない。誰もが「あの少年が終わらせた」のだと思っていた。それは、人家の屋上で見守っていたフレイヤでさえ目をあらん限りに開くほどで、近くで待機していた眷族が危険を感じて主神のフレイヤの元まで駆け付ける。

 

 

 

×   ×   ×

フレイヤよりも後方、高台屋上。

 

ベルとシルバーバックの戦いを見守っていた神は笑う。

 

「いやいや、まさかフレイヤがアルフィアの子を見初めているとは知らなかったな。だとすればこれは余計だったかもしれないが・・・まあいい」

 

 後方よりフレイヤの背中を見つめて瞳を細くするエレボスは風に揺れる髪をそのままに、たった今始まった『本番』に妖しく微笑を浮かべた。ダイダロス通り付近にいたベルとアストレアは丁度よかった。二人が――ベルがダイダロス通りまで来なければ、メインストリートまでわざわざ誘導する必要があり、それは姿を眩ませている闇派閥としてもリスクがあった。だからこれから起こることは、エレボスにとって『幸運』だった。

 

「愛しているぜ、運の女神よ。そしてすまない、ザルド。悪いな、アルフィア」

 

 抗争の際に出逢った探し人であった二人の元『英雄』の姿を脳裏に浮かばせる。探し回っていたのに、まさか迷宮都市にいるとは思ってもいなかったが、そんな二人が大層大切にしていた子供の存在によって抗争の難易度は確かに変化していた。

 

「二人が『絶対悪(こちらがわ)』だったらもっと痛めつけてやることもできたんだがな・・・だが、いい」

 

 二人が『悪』に堕ちなくて良かったのなら、それはそれでエレボスとしても嬉しい。

だがアルフィアの口から子供の存在を聞いた時、興味が湧いてしまった。アストレアの元から逃走までして見てみたいと思えるほどの興味が。『刺激』を求めて下界に降り立った神らしい興味が。

 

「【最強(ゼウス)】と【最凶(ヘラ)】の混血(サラブレッド)がどのような偉業を成し得るのか――――くっくく、ああ、本当に悪いな、二人とも・・・・・・・こうなった!!」

 

『―――ォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 

 邪悪が笑う。

それは、英雄譚にはありものの『ミノタウロス』というモンスターの吼え声だった。シルバーバックなぞただの前座。とある怪人に育てさせた赤い肌のミノタウロスは少年へと進撃していく。美の女神が用意した舞台をエレボスが笑みと共にひっくり返し、勝手に塗り替える。

 

「さぁ少年――――モンスターをぶっ殺して『英雄』になろうぜ」

 

 

▽   ▲   ▽

ベル・クラネル

所属【アストレア・ファミリア】

Lv.1

力:D 589

耐久:C 666

器用:C 692

敏捷:S 900

魔力:H 101

 

■スキル

雷冠血統(ユピテル・クレス)

・早熟する。

・効果は持続する。

・追慕の丈に応じ効果は向上する。

 

■魔法

【アーネンエルベ】

 【我等に残されし、栄華の残滓。 暴君と雷霆の末路に産まれし落とし(愛し)子よ。】

 【示せ、晒せ、轟かせ、我等の輝きを見せつけろ。】

 【お前こそ、我等が唯一の希望なり】

 【愛せ、出逢え、見つけ、尽くせ、拭え、我等が悲願を成し遂げろ。】

 【喪いし理想を背負い、駆け抜けろ、雷霆の欠片、暴君の血筋、その身を以て我等が全てを証明しろ】

 【忘れるな、我等はお前と共にあることを】

 

・雷属性

自律(オート)による魔法行使者の守護

他律(コマンド)による支援



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アーネンエルベ②

 

 

 

 

 天候は快晴、轟くは雷鳴、そして鳴り響くは勝者を称える歓声。

しかし歓声は、歓喜は、すぐさま悲鳴に塗り替えられた。

 

 

一瞬。

一瞬の出来事だった。

破壊、破砕、粉砕。

笑みを浮かべ、女神の元へと戻ろうとしたベルは、ソレの進路上にいた。女神を愕然とさせ、『正義』の眷族の介入の時を奪い、民衆の驚倒をさらいながら、美神が用意した舞台に笑いながらジョーカーを叩きつけ台無しにする。住民達が悲鳴を上げる暇さえない瞬間の狭間。赤髪を揺らす『冒険者』の避難を促す声など委細構わず、体中に無数の傷を刻んだ暴力の塊は猛進をもって、ベルを、ベルだけを狙って。

 

「―――ッッ!?」

 

『ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 

血塗れの威容、何者かに痛めつけられた体皮。

瞳が映す戦慄の塊を前にベルは本能にしたがって、急迫するソレから繰り出される死の一撃から逃れんと、腕を交差させ後方へ跳んだ。そのベルの動きに合わせるように、視界に一瞬、稲光が映るとベルを庇うようにして()()()()()()()()()()()が現れる。

 

『ンヴゥッ』

 

「―――」

 

風を無理矢理に引き裂くような音が鳴り、アーチを描く岩のような拳は、ベルの腹に吸い込まれるようにして収まった。青白く稲妻を発する老人などお構いなしに切り裂き、ベルの華奢な体さえもその拳で握りしめている禍々しい大剣が傷付けた瞬間。

衝撃が爆ぜた。

 

「がっっ!?」

 

視界の振動。

体の中の空気が引きずり出され、そのまま後方へ吹っ飛ばされる。

咄嗟に後ろへ跳んだことで、大剣による斬撃の威力が半減しベルの腹を掠めるに終わった。勿論衝撃の全ては殺しきれない。あのまま凍り付いたままでいれば間違いなく上半身と下半身がお別れをしていた。

ベルは決河の勢いで吹き飛んで、まっすぐ人家の壁を突き破り侵入した。

 

「~~~~~~っ!? ・・・・ぁ、つ!?」

 

防具など着けていなかった体が猛烈で、けれど声にもならない悲鳴を上げる。壁の一部が音を立てて崩れ、ベルに石片や木片、ガラス片が雨あられと降り注ぐ。

刃が掠めた腹に手が触れると、ぬちゃりと夥しい量の血液が手を赤く染め上げた。同時に傷口から感じるのは焼けるような熱さ。

 

『フゥウウウウウウッ・・・・!』

 

「・・・・・!」

 

ようやく認識できたソレを見てベルはある御伽噺を思い出した。

【不相応な望みを持ち、幾多の思惑に翻弄され、それでも愚者を貫いた、一人の道化の物語】。

そこに現れる、二本の角を持つ敵。

その名を、『ミノタウロス』。

 

 

「・・・なんで」

 

なんで、こんなところにいるんだ。

どうして、僕なんだ。

そんな動揺と本能的な死を直感して体を震わせるベルを見据え、生々しい傷を体中に刻んだミノタウロスは天を仰いで喉を震わせる。

 

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』

 

 

ミノタウロスは吼え声を都市中に轟かせる。

見つけた獲物に歓喜するように。

赤い髪の女に刻み込まれた恐怖心を叫ぶことで忘れるように。

どこかで見ているだろう黒い髪に金の瞳の神に教えられた『白』に怒りをぶつけるように。

 

 

 

×   ×   ×

東メインストリート付近、高台屋上。

 

 

「レヴィス・・・・仕事をしすぎだろう」

 

 

エレボスは風に髪を揺らしながら、くつくつと笑った。

まだ『冒険者』達が見つけることができていない()()()()にいる胸の中に極彩色の魔石を埋め込んだ怪人の顔を思い出して地上で出来上がった破壊の爪痕を見つめて回想する。

 

――おいレヴィス、暇だろ? 抱いてやるから牛を一匹育ててくれ。

 

――死にたいのならそう言え。

 

――おいおい俺は真面目だ。それにお前、中身はアレだが容姿は抜群だろ。抱き心地の良さそうな体をしやがって。そんな体になっても抱いてくれる男がいたら女としてはどうなんだ?

 

――・・・・死ね。

 

――まぁ待て待て、真面目な話だ。Lv.2かLv.3上位に相当するミノタウロスだ。それが欲しい。あとは白髪を狙うように教育しておいてくれ。

 

――何のためにだ。

 

――何・・・・観賞用だ。武器を持たせるも持たせないも、やり方はお前のセンスに任せる。

 

 

センスに任せた結果が、禍々しい大剣という呪道具(カースウェポン)を持たせるに至っていることにエレボスは若干「おっかねぇ」と思うものの起こってしまったことは仕方がないとばかりに嘆息する。あのミノタウロスに出来上がった生々しい傷は、レヴィスによるものなのだろう。いったいどこで何をしていたのか知る由も術もないが、徹底的に恐怖を刻まれたらしい。その証拠に体中の傷からは今もなお少量とはいえ出血を伴っていた。

 

 

「弱った獣ほど厄介な相手はいないぞ・・・・さあ少年、どうする?」

 

 

美の女神が用意した舞台をお構いなしに台無しにしてみせた悪神は笑う。ミノタウロスの姿が土煙で見えない以上、下手に動けば民衆を危険に晒す。主神たるアストレアを守らねば、最悪送還という事態に至り『正義』はオラリオから失われる。そして『恩恵』を失った憐れな眷族達は猛牛に貪り殺される。ならば彼女達の最優先事項はベルの救出ではなく、第一に主神、第二に咆哮(ハウル)で動けなくなってしまった民衆なのだ。ましてやこの場所に【アストレア・ファミリア】二人以外の冒険者はいない。『闘技場』付近で発生したモンスターの脱走に対処しているか、祭に興味がないと本拠で休暇をとっているか、ダンジョンに潜っているか、闘技場でトラブルが起きていることなど知らずに観戦を楽しんでいるか、だ。

 

もしも。

 

 

「もしも・・・・()()()()()()()()()()()、ここで出て行けばお前が何かをしたんじゃないかと怪しまれるぞ? 何せ最初のシルバーバックは明らかにアストレアを狙っていたんだからな」

 

 

フレイヤの背中を瞳に映しながら、エレボスはわざとらしくそんなことを言った。

 

 

×   ×   ×

とある人家の屋根。

 

美の女神フレイヤはギリッと親指の爪を噛んだ。

アストレアの眷族とはいえ、お気に入りの子供が自分が用意した舞台で花を飾ったというのに、一瞬にして台無しにされたどころか塗り替えられた。ましてや突如現れたミノタウロスは全身に生々しい傷があるとはいえ、ベルを圧倒できるほどの力で吹っ飛ばしてみせたのだ。本能的恐怖と、弱った獣だからこその『生存本能』による強化が成されたミノタウロスは、さらに呪道具(カースウェポン)まで持っている。それに加えてベルは武器を損失している。

 

「まったくもって不公平(アンフェア)で勝負にすらならないわ・・・・どこの誰だか知らないけれど、やってくれたわね」

 

不快感を表に出すフレイヤに傍にいたオッタルが声をかける。

 

「・・・止めに入りますか?」

 

「そうね・・・そうしたいところなのだけれど・・・」

 

ここで【フレイヤ・ファミリア】の団長が介入するのはできれば避けたい。そもそも最初に事を起こしたのはフレイヤだ。ベルを溺愛しているアストレアやその眷族達ならば、ここで介入したオッタルから『モンスターの脱走』ということと、『アストレアが狙われた』ということから怪しむのは間違いない。【勇者】ほどでないにしろ、【紅の正花(スカーレットハーネル)】は勘が良いのだ。『ミノタウロス』をけしかけたのも【フレイヤ・ファミリア】だと思われれば余計に面倒なことになりかねない。

 

「やられた・・・と言うべきかしら」

 

「フレイヤ様?」

 

「・・・・さっき」

 

「?」

 

「さっき、ベルが吹き飛ばされる寸前、()()()()()()姿()の老人があの子の前に現れたの」

 

恐らく、それがベルの魔法の効果なのだろうとフレイヤはほんの僅かな時間の中で見たものから推測する。雷属性の付与魔法かと思ったが、それはきっと効果の一つでしかないのだと。

 

「なら、あの子の魔法が消えていないことを願うしかないわ」

 

どちらにせよ、私達にできることはないもの。そう言ってフレイヤは銀の瞳を輝かせて一瞬、背後を睨んだ。

 

 

 

 

×   ×   ×

 

 

 

 

お祖父ちゃんの顔を。

叔父さんの顔を。

お義母さんの顔を、見たくなった。

 

両親を知らなかった僕の前に現れた二人の『英雄』。その中の一人は本当に血の繋がった『家族』にして名実ともに育ての母。

 

お祖父ちゃんが『美女美少女を侍らすのは浪漫だよなー』と言えばお義母さんは「福音(ゴスペル)」と呟いてすべてを吹き飛ばし。

 

お祖父ちゃんと僕が『男だったらハーレムだー!』とはしゃいでいたら、読んでいた本をぱたりと閉じて「福音(ゴスペル)」。

 

お義母さんとお風呂に入っている時に『儂も一緒に入る☆』とお祖父ちゃんが飛んできて、一秒後には家から強制排除される。侵入を禁止すべく畑の真ん中に首から下を生き埋めにする徹底ぶり。

 

お義母さんが僕と一緒に寝ようとすると『儂もベルと一緒に寝るゾイ!』とベッドに入り込もうとしてきたが、「福音(ゴスペル)」で全てが終了した。

 

壁と屋根どころか、家が消えて綺麗な星空が見えてガタガタ震えてお義母さんの抱き枕になったのを時々思い出す。何より、家を建て直すのも巻き添えを食らって瓦礫の海に沈むのも叔父さんで、ひょっとしたら叔父さんが一番可哀想なのではないかと幼児だった僕でも同情するほどだったけれど、叔父さんは「気にするな」といつも頭を撫でてくれた。

 

四人だけの家だったけれど、とても楽しかったのを覚えている。

お祖父ちゃんがくれた絵本をお義母さんに読んでもらって、「ぼくも おかあさんたち みたいになりたい!」と言って「私達みたいにはならなくていい」と言われたこともあった。

 

お義母さんに不思議な夢の話をしたことがある。

その時は初めて見るほどに、お義母さんは瞼を開いて驚いたような顔をしていたけれど、僕がじっと見つめていると溜息をついてから、それは僕が本当のお母さんのお腹の中にいるころの記憶と生まれたばかりの頃の記憶なのだと教えてくれた。

 

 

――僕の本当のお母さんは、僕が『英雄』になったら嬉しい?

 

――かもしれないな。

 

――じゃ、じゃあ僕!

 

――だが、メーテリアはお前に『優しい人』になってほしいと願っていた。

 

――でも僕・・・ゼウスとヘラの最後なんでしょ? なら、ならなきゃ・・・

 

――どうして、ならなきゃいけないんだ?

 

――・・・わかんない。 僕が『英雄』になれば、きっと、誇りに思ってくれる気がしたから。

 

――大丈夫だ、お前は十分私達の誇りだよ。こうして元気にいてくれるだけで、私は嬉しい。メーテリアもきっとそう言うはずだ。

 

 

アルフィアお義母さんは、黒いドレスを着ていた。綺麗なお義母さんで、自慢のお義母さん。本当のお母さんは双子の妹で、もしかしたらお義母さんとは逆で真っ白なドレスなんじゃないかと子供みたいに妄想したことだってある。

 

結局、三人でオラリオに来てから四人での生活は終わってしまったけれど。

大切なことをいっぱい教えてもらった。

 

 

『剣も女も、人生さえも、思い立った時こそ至宝』

と叔父さんが教えてくれた。正確には叔父さんはお祖父ちゃんから教わった言葉らしいけれど。

 

『死にそうだったら助けを求めろ』

とお祖父ちゃんが教えてくれた。とにかくやばかったら逃げろ、怒った女の人にはすぐに謝れとも。

 

『人生を楽しめ、それが格好良く生きるということだ』

とアルフィアお義母さんが教えてくれた。

誰かの手を借りなければ生きられなかったからこそ、僕の本当のお母さんは『生きる』ことの尊さを忘れなかった。己を卑下せず、感謝を忘れず、地獄のような苦痛にも屈せず・・・・・笑みを浮かべながら、今を生きることを誰よりも噛みしめていた。そんな自分の妹のことが、きっとあの人は格好いいと思ったんだろう。

 

 

今の僕には、もう三人はいない。

どこかへと旅立ってしまった叔父さん。

幸せそうに永遠の眠りについたお義母さん。

そして、世界のどこかへ行ったお祖父ちゃん。

 

三人の顔が、見たくなった。

 

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 

 

お義母さん。

僕は、あなたのいない世界でどうやって歩けばいいんだろう。

 

 

×   ×   ×

人家の中。

 

 

「・・・・ぅ、ぁ」

 

 

 腹の傷を押さえるベルは、呻き声と共にほんの一瞬飛ばしていた意識を覚醒させる。掠めただけなのに、血は一向に止まろうとはしてくれず、黒色のシャツに赤い染みを作り上げていく。遥か視線の先にいるミノタウロスは、破壊によって生まれた土煙のせいで姿こそ見えないが、自分という存在を誇示するかのように大剣を携え、吼え声を上げているのが殺気という圧力からビリビリと感じ取れる。

吹き飛ばされる刹那の時間にベルの瞳に映ったミノタウロスはそれ自体が重鎧のような体躯で、体中に痛めつけられたかのような生々しい傷が幾つも見受けられた。それこそあの赤い体皮はその傷から流れた血によって染まったのではないかと思えるほどに。

ベルの頭に勝てない、という言葉が頭の裏を何度も反響する。

姉達の口から聞いたことがあっても、自分の目で見るも対峙するのも初めて。『咆哮』による強制停止(リストレイト)を受けていないのは直後に吹っ飛ばされたせいなのか、ベル自身が唱えた魔法の効果なのか。それを知覚する余裕すらない。ましてやベルは呪術(カース)の存在すら知らず自分の腹の浅い傷から流れる血が止まらない理由を推測することもできずにいった。

 

 

――力が、入らない。 アストレア様達は・・・巻き込まれて・・・ない、よね?

 

 

なんとか立ち上がった膝が、今にも折れてしまいそうだった。

もくもくと互いの間を遮るようにしていた土煙が徐々に晴れて、光の向こうに立つ巨大な影がベルの瞳に映る。

 

 

『フゥゥ・・・・!』

 

「・・・・っ!?」

 

差し向けられた視線の切っ先が、全身に悪寒を走らせる。

誘発された冷たい電流が、初めて対峙するモンスターに対する恐怖を呼びさまし、その代わりに、こみ上げていた脱力感を一斉に追い払う。ベルの意志とは別に、本能が死から遠ざかろうと藻掻いていた。

 

 

――このまま突っ立っていたら、殺される。 動かなきゃ・・・でも。

 

ベルは左手で腹を押さえて逃げ道を探した。探したけれど。

 

 

『ゥウウウウウウウウウウウウウウウウウッ!』

 

そこは人家の中。

自分の家ですらないのなら、最早そこは密室も同然で、急な場面転換と状況についていききれていない脳が混乱するせいで思わず呼吸が止まる。ベルが激突した壁を背にしていればあの巨体によってあっという間に逃げ道を塞がれてしまうだろう。ベルはもうヤケクソとばかりに自分が吹っ飛んできたことで人家に出来上がった穴。ミノタウロスが立つ場所から外に出るしかないと決断する。ベルの決断と同時にベル目掛けてまっしぐらに進んで接近してくるミノタウロスに向かってベルも全力で走る。

ドゴンッドゴンッドゴンッ、と地面を踏み潰しながら迫りくるミノタウロスは壁のよう。

正面からの急迫。

震える瞳の中で、凶悪な牛面が大きくなり―――。

 

 

『ヴムゥンッ!』

 

「と・・・・っべぇっっ!?」

 

迫りくるミノタウロスが振り下ろした大剣の一撃を、ベルもまた地を蹴り込んで宙に身を投げる。正面からの攻撃に対し、刃を躱すように体を捻り頭から飛び込む形で跳躍、回転。バチバチ、とベルの体に雷電が迸らせ、ミノタウロスを飛び越えると、間を置かず飛び越えた後ろで爆砕音が鳴り響き、戦慄しながらも地面の上をごろっと前転してすぐ立ち上がり走る。

 

『ヴゥァアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』

 

「っ!!」

 

人家の中に突撃したミノタウロスは自分の真上を飛び越えたベルへと振り向くと強靭な下腿が床に踏み込んだ瞬間、ベルとの間合いを一気に零にした。瞳を見開くベルの前で、両手に持った呪いの塊がフルスイングされる。

 

 

――誰かッ!?

 

 

泣きそうな顔になりながら、風の悲鳴に促されるままベルは全力で膝をたたんで間一髪、その必殺をやり過ごそうとして・・・・()()()によって後方へ引っ張られながら運ばれていることに気が付く。すると次の瞬間にはベルの上半身があったところを大剣が凄まじい勢いで通過し、衝撃波が再びベルを吹っ飛ばし後方へと転がった。

轟音が鳴り響くが、なおも濁流のような猛攻は終わらない。大力をもって振り回される禍々しい大剣が大気を唸らせ、抉りとる。長いリーチを誇る剣撃はベルをどこまでも追跡し逃さない。時折おり交ぜられる拳打や蹴りが体のすぐ側を舐める度に、ベルは寿命が削り落とされていく思いをした。呼吸は荒く、動悸はうるさい。けれど、そのすべてのミノタウロスからの猛攻は、常にギリギリでの回避を何者かにさせられていた。剣が振り下ろされる、襟を引っ張られて後ろに飛ばされる。拳打がくる、拳とは逆の方向へと引っ張られる。蹴りがくれば、それも同様に。強要される際どい回避の連続、一歩間違えればすかさず死に繋がる状況がベルに、自分の身に何が起きているのか考えることを許してくれない。頭は鼓膜が壊れてしまうのではないかというほどに、警鐘が収まらない。

 

気が付けばベルは擦り傷だらけになっていた。ミノタウロスの攻撃を避け続け、床を転げまわった結果だ。腹の出血よりマシではあるが余裕などなく、満身創痍に一歩踏み込んですらいる。

武器もなく、唯一できる抵抗はただ逃走するだけ。常に一歩間違えれば死ぬという綱渡り。

 

 

『ヴゥンッ!!』

 

「・・・ガッ!?」

 

 

何度も攻撃を避ける白兎に苛立ちでも募らせたか、ミノタウロスは地面へと大剣を叩きつる。轟音が鳴り響き、石畳は破壊され硬質な散弾として逃げるベルの背中を打ち付けた。短い悲鳴と、コヒュッという肺から空気が強制的に吐き出される音が鳴り無様にベルは前へ前へと跳ね転がり、それが一、二、三、四と転がったところで停止する。

 

 

「ぅ・・・ぁ・・・」

 

 

ずるずると這いつくばるように、そして体を起こそうとして座り込むような体勢で、がくりと首を折る。ズシン、ズシンとミノタウロスが近づいてくる音が耳朶を震わせる。

 

「アストレア様・・・・ごめんなさい。お義母さん・・・・ごめ、なさい」

 

――そういえば、シルバーバックと戦った時から僕の体に纏わりついてる(これ)は、結局なんだったんだろう。

 

諦めたように、悲しませるだろう女神に対して心の中で謝罪する。

あまりにも早く、そちらに行くことを申し訳なさそうに心の中で謝罪する。

そして、今もなお体を覆っている雷電に瞳を照らされて関係のないことを思考して。

 

 

『ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 

「・・・・・・()()()()()()

 

振り下ろされる大剣が目前に迫り、諦めたように笑みを浮かべて口にする。

瞬間。

 

 

『オオオオオ・・・・オオオ、オオオオ・・・!?』

 

「?」

 

振り下ろされる寸前だった大剣が止まり、ミノタウロスの困惑の声が上がった。

次いで。

ガシャァン、というガラスの割れる音が鳴った。ベルの背後にあった建造物のものだった。それはまるで高所から雷でも落ちたかのように煙を上げ、無残にも砕け散ったガラス片が地面へと降り注ぎ、跳ねる。それを瞼をぎゅっと閉じて必死に腕で体を庇おうとするもガラス片がベルを傷付けることはなかった。いつまでたっても自分を寸断しない大剣と降り注ぐガラス片の音と痛みの走らない体に困惑し、ゆっくりと瞼を開けると。

 

 

「・・・・・・え?」

 

『フウッ・・・・ヴゥゥッ、ウウウッ!』

 

ベルの瞳には、複数の男女がいた。誰も彼も生者ではないのだと断言できるほどに、青白く、表情はわからず、バチバチと全身が雷でできているかのよう。二人の男女が自分の体と同じく雷でできたかのような旗を槍のようにしてミノタウロスへと穂先を向けていて、後ろから抱きしめるように()()()()()()()()()がベルの腹の傷に触れている。それだけではない。パリン、パリン、と石畳の上に敷かれたガラスの道を踏みしめて()()()()()()が、これまた雷でできたような大剣をミノタウロスへと向ける。まるで、「これ以上近づくな」と言うかのように。

最後に。

見開かれるベルの瞳に映ったのは、ミノタウロスの背後から悠然と歩いてくる人物だった。

 

 

「ぅ・・・・あ・・・っく・・・!」

 

 

本物であるはずがない。

その人物さえも雷が人の形をしているとしかいいようがなかった。けれど、それでも瞳を潤ませ歪ませるには十分だった。何せその人物は、ウェーブのかかった灰色の長髪に、漆黒のドレスを身に纏ったベルの知る大好きな『英雄』にして『母親』だったのだ。彼女はミノタウロスの横を通り過ぎるとベルの横さえも通り過ぎて、涙をぽろぽろと流し出して口を歪めるベルに振り返るように立ち止まる。

 

 

――『頑張ったな』

 

 

そう彼女の横顔が微笑んだように瞳に映る。瞬きをすればそれは当然気のせいで、彼女達の表情は幽霊のようにわからない。思い出の中のアルフィアがそう言っているのだとベルの中で錯覚しているだけだ。だけど、それだけで、瞼が熱くなった。彼女達に憧れていたことを思いだした。ほんの少しだけ悔しいと思って歯を食い縛って笑みを零した。頬を伝う涙を拭って、鼻を啜って、ベルの置かれている状況なんて誰も知らないかのように晴れわたる空を見上げて思い出の中のアルフィアのことを思う。

 

 

――英雄(かのじょ)達はいつだって諦めない・・・・だから・・・!

 

 

「もう少しだけ・・・・頑張ってみるね・・・叔父さん、お義母さん。だから・・・・ちょっとだけ、()()()

 

 

ゆっくりと支えられるようにして立ち上がる。

いつの間にか腹の傷から流れていた血は止まっていて、ベルは自分を支えるようにして寄り添うアルフィアによく似た女性を見て。昔、心の中で描いた本当の母親の姿を見て唇を曲げた。戸惑い、動けないでいるミノタウロスをベルは睨みつけ拳に力を込めて眦を吊り上げる。

 

「そっちの攻撃は終わり?」

 

『!?』

 

「なら、今度はこっちの番・・・」

 

『・・・・ヴォ?』

 

「文句ある?」

 

 

ベルを包む雷電が強く奔り、深紅(ルベライト)の瞳を輝かせ、大地を蹴り、防ごうと動き始めたその大剣が届くよりも速く、小柄な体はまさに稲妻の如き勢いでミノタウロスへと躍りかかり―――。

 

 

「おおおおおおおおおぉぉぁぁあああああああああ!」

 

『フウッ・・・・ヴォオオオオオオオオオオオオオオッ!?』

 

 

 

その威容の怪物の鼻柱に、思い切り飛び膝蹴りを叩き込んだ。

 

 



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アーネンエルベ③

レゾナンス・バースト


東メインストリート付近、高台屋上

 

 

「・・・・どういうことだ、これは」

 

 

黒髪を揺らすエレボスは、金の瞳に映る光景に瞠目してそう零した。ミノタウロスがベルへと襲いかかり、ベルがどうこれを乗り越えるのかと微笑を浮かべて見守っていたところ、突如として雷が落ちたかと思えば次の瞬間には稲妻が地面を奔ったではないか。

 

「ただの付与魔法(エンチャント)じゃなかったのか?」

 

天から落ちる雷ではなく、横を奔る雷。

雷の色は、青白く。

それは舞台の幕が上がった東メインストリートへと戻る形で現れた。そう、舞台役者たるベルとミノタウロスが。エレボスは見誤っていた。シルバーバックとの戦闘でベルが魔法を所持しているということを確認した。そして、その魔法は雷属性の付与魔法(エンチャント)だと確信していた。しかし、メインストリートへと舞い戻って激しい戦いを繰り広げるベルの姿を見てその確信は崩れ落ちた。

 

「・・・・」

 

思わず言葉さえも失う。

エレボスの瞳に映るベルの体には、おおよそ『傷』と呼ばれるものが見当たらなかった。

 

――有り得ない。

 

黒いシャツにはベルのものであろう血液が染み付いて赤くなっているし、ベルは武器がないのに対してミノタウロスは禍々しい大剣の呪道具(カースウェポン)を装備している。だというのに、外傷と呼べるモノが見当たらないのだ。

 

「あの大剣は、()()()()()()()という呪いが付いているんだぞ? だというのに、無傷? いや・・・呪術(カース)を無効化するのか? あの雷は」

 

背後に吹き飛ばされる形でメインストリートへと躍り出たミノタウロスはその重量に相応しく地面を破壊しながら着地する。が、その足を、いつの間にか背後に出現した()()()()()姿()()()()()()がミノタウロスを払いのけた。

 

『ヴゥッ・・・!?』

 

ビキ、ビキ、と肉と骨が軋む音が響き、ミノタウロスの全身に衝撃を走らせる。

それだけでは終わらない。

そのまま、ベルは武器を持たぬ徒手空拳による連撃を繰り出し、ミノタウロスに大剣を振るわせる暇を与えずに打撃を加え続けた。時々、大剣を振るえても、そのどれもをベルが、青白い人の姿が器用に大剣の腹を殴って身を傷付けないように軌道を反らしている。

 

「まさか・・・ただの付与魔法(エンチャント)ではない・・・!?」

 

恐らく初めて戦うだろうアラだらけのベルの戦い方。

それを補助するかのように、或いは補うように、一人が現れては消え、また一人が現れて攻撃、或いは防御、回避する。そのどれもが、雷を人の形にしたかのように青白く、バチバチと形を揺らめかせる。その人物達の中に、エレボスは知った姿を見た。7年前の大抗争の際、勧誘するもフラれてしまった『英雄』の一人。全身鎧の大男、ザルドの姿を。

 

 

――そうか、そういうことか・・・・。

 

そこでようやく、納得したように嘆息して、笑みを零した。これだから下界は捨てたもんじゃない、とばかりに。

 

「死してなお、そこに在るのか・・・かつての最強の冒険者達よ。汝らが家族を守らんがため、その想いを生まれ来る子へと託して、魔法にまで昇華させたのか」

 

未来を共に歩めないことを分かっていただろうに。

先立つことを知っていただろうに。

顔さえ覚えてはもらえぬことを理解していただろうに。

子を独りにしてしまうことなどわかりきっていただろうに。

ベルの『家族』達は例え顔さえ知らぬとも、想いを残していったのだろう。

『忘れないで、私達はいつだって貴方と共にある』そんな言葉を残したのだろう。

 

 

「謂わば―――」

 

 

×   ×   ×

とある人家の屋根

 

 

「謂わば、これは『もう語られぬ眷族達の物語』・・・と言ったところかしら?」

 

「・・・・奴のことですか?」

 

「ええ、そうよ。ベルこそが【最強(ゼウス)】と【最凶(ヘラ)】の総集。勿論、アルフィア達は自分達の存在が重圧になると、きっと危惧していたのでしょうけれど」

 

でも見て御覧なさいなオッタル。そう言ってフレイヤはストリートで戦うベルとミノタウロスを指す。雷を纏い、大剣に襲われようとも、初めて相対する怪物であろうとも、知ったことかと反撃し倒れてもすぐに反撃に切り替える。ベルを覆う雷が強く稲光を起こしたかと思えば、青白い人の姿をした何かが現れて、拳を叩きつけて消え、蹴りを放って消える。人間が、猫人が、犬人が、ドワーフが、妖精が・・・と一つの行動を果たすと消えてはランダムに現れるそれらは、まるで誰かが共に戦っているかの様ですらある。

 

「嗚呼、素敵・・・」

 

眼下のメインストリートにいたアストレア含めた群衆は、吹っ飛ばされたはずのベルがミノタウロスと死闘を繰り広げていることに啞然として言葉を失っているし、ミノタウロスの咆哮に応えるようにベルが吼えると、纏っている雷が石畳を焦がし、また今度は別の光景を生み出した。それはフレイヤですら見惚れてしまうほどで、己の用意した舞台を乗っ取られたことなど最早些事であるとばかりに頬を染め上げるものであった。

 

 

――おい、屋台にあった武器、どこいった!?

 

――知るか! 勝手に動くのかよ!?

 

――ねぇ、私の【ファミリア】の回復薬(ポーション)とかが無くなってるんだけど!? 屋台で売り出してたのに!

 

――こっちはバックパックがねぇぞ!?

 

 

ストリートで展開されている屋台から、動揺する声がフレイヤの耳に届き、オッタルの耳をピコっと震わせる。この騒ぎに乗じて盗みでも起きたか、とも思ったがフレイヤが恍惚とした笑みを浮かべて自らを抱きしめるようにしているのを見てその考えを否定する。女神の笑みはベルへと向けられている。ならば、今しがた聞こえてきたものさえも、ベルに関連する出来事なのだろうと。

 

「素敵、素敵よベル・・・もっと、もっと輝いてみせて頂戴」

 

いつの間にか眼下に広がる光景には、無数の人の姿があった。

それらがいつからいたのか、ずっとそこにいたのか、或いは瞬きの間に現れたのかはわからないが、ベルとミノタウロスの戦いを邪魔しないように、群衆が巻き込まれないように、女神を巻き込まないように、いつの間にかストリートにいる人々の前には壁のようにして立ち並ぶ青白い人の姿をした英傑達がいた。

 

 

 

何度目かの衝突音が鳴り響く。

ベルはその華奢な体に相応しく、建物の中へと突っ込んで姿を消した。それを追いかけようとするミノタウロスを、建物の中からの飛来物が拒絶する。

木製の円形テーブルに、椅子に、食器に。そのどれもをミノタウロスは鬱陶しそうに破壊すると、次に飛んできた飛来物に全身を湿らせた。漂うのは酒気。飛んできたのは、酒樽。酒付けとなってびしょ濡れになったミノタウロスは目を見開いて嗅いだこともない『未知』に一瞬行動を停止させると次には液体を伝って稲妻が体を貫いていた。

 

『ヴゥ・・・ォオオオオオオオオオオオオッッ!?』

 

 

×   ×   ×

東メインストリート

 

 

「うっくぉ・・・ぁあああああああああああッ!」

 

『ヴフゥッ・・・ォオオオオオオオオオオッッ!?』

 

 

吹き飛ばされたベルが、酒場から椅子やテーブル、皿などの食器類をミノタウロスへと投げつけ、ミノタウロスがそれらを破壊する。破片が視界を邪魔しているその最中に、酒がどっぷり入った酒樽が一つ二つ投げつけられミノタウロスの体に、角にぶち当たり壊れ、酒の雨が降り注いだ。酒気が漂い、ミノタウロスがほんの一瞬行動を停止してしまうその時、まだ宙に浮いたままの水滴達が繋がっていくかのように稲妻が猛牛の体を貫く。更にミノタウロスが絶叫を上げるのと同時、猛スピードで酒場から飛び出してきたベルがミノタウロスの背後に回ると、飛び乗り、二本の角を掴み雄叫びを上げる。

 

 

――何が起きているの?

 

女神アストレアは眷族達に守られるようにしながら、その光景に釘付けとなってそんなことを思った。否、アストレアだけではなく、それはアリーゼやライラ、落雷の音を聞いて駆けつけた他の冒険者達に逃げる事を忘れてその光景を見ている群衆も同じことを思っていただろう。ただの付与魔法(エンチャント)だと思っていたら、無数に幽霊の如き青白い人の姿が現れベルと共に戦っている。それだけではない、戦いの最中、ベルの瞳がほんの一瞬アストレアを確認すると「見てて」と呟いたかと思えば稲光が起き、アストレアの前に、冒険者達の前に、群衆の前に、無数の人の姿が現れたのだ。まるで『この戦いの邪魔をするな』と言っているかのようで、冒険者達は最早、割り込むことさえ許されない。

 

目の前では突如、ミノタウロスへと乗っかったベルがロデオのように振り回され、雄叫びを上げた次の瞬間には、稲妻が大樹のように頭上に広がって放電(スパーク)する。

 

『ヴ・・・ォ・・・』

 

酒に濡れた全身から煙を噴き上げ、天を剥いて目を白くするミノタウロスは呻き声を上げ、その口からも黒い煙を吐き出す。ベルはというと放電(スパーク)の際に吹き飛ばされたか石畳を無様に転がり、よろよろと四つん這いの恰好で立ち上がろうとしていた。精神枯渇(マインドダウン)でも起こしそうになっているのか、その肌からは珠のような汗が浮かび、誰が見ても苦しそうな表情を浮かべている。

 

そこに。

トットットット、と足音を立てるようにメインストリートのど真ん中で死闘を演じる一人と一体の元へと接近してくる青年の姿が現れる。人が一人二人入っているのではないかと思われるほどの大きさのバックパックを片腕で担ぐその青年は線の細い体をしていて、その姿は少しばかり頼りなさそうに見える。意識を白くしていたミノタウロスがよろけた際に意識を取り戻し、後ろから近づく気配へと大剣で薙ぎ払おうとするとバックパックがミノタウロスの真上で中にあった武器を撒き散らせ、青年がミノタウロスの真下を滑るようにしてすれ違い、再びバックパックをキャッチするとベルの元まで走り、役目は終わりとばかりにベルとすれ違う形でバックパックを置いて姿を霧のように霧散させた。その青年は、()()()()()()()()()でベルより少し背の高い青年だった。

 

「・・・・っ」

 

『フゥーッ・・・フゥーッ・・・!』

 

それが誰なのか、ベルにはわからない。

小さい頃、「ひょっとしたらこんな感じなのかな?」と妄想をしたことがあるくらいだった。ザルドやゼウスから、どんな人だったのか聞いたことがあるくらいだった。逃げ足自慢で醜聞しかないサポーター、それがベルの父親であると。

 

 

「ふぅー・・・ふぅー・・・」

 

『フゥーッ・・・フゥーッ・・・』

 

 

短く、けれど、長く感じられる静寂の時。

ミノタウロスの赤い瞳が、ベルの深紅の瞳が交差する。全力疾走をしたような疲労感が全身を駆け巡るのを無視して、手元に転がっていた二本の短剣を取り、必死に足に力を入れて立ち上がる。

ベルの背後に現れた二人のドレスを身に纏う女性がベルの小さな背中を押し、眦を吊り上げてベルは再び駆け出した。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!』

 

「ぉぉおおおおぉぉぁああああああああッ!」

 

繰り出される左ストレートを短剣で横に叩く。右手を衝撃で痺れさせながら、向かってくる大剣を回避。誰もが見守る中、大剣を振り回すミノタウロスと、短剣を閃かすベルがお互い一歩も引かずに、凄まじい剣戟を繰り広げる。

 

 

 

 

×   ×   ×

 

 

 

「ひぇっ」

 

「どうしたのよアイズ」

 

「アイズが「ひぇっ」って言うことあるんだね」

 

 

アイズ、ティオネ、ティオナ達三人の【ロキ・ファミリア】の少女達は屋根伝いに東メインストリートに現れたミノタウロスを探して、今はベルの死闘に目を見開いて観戦していた。と言っても、助力しようにも目の前に現れた青白いドワーフと、同じく青白いエルフが背を向けて立っているため、これ以上近づくことができないでいた。

 

怪物祭(モンスターフィリア)でモンスターが脱走。そのモンスターをいち早く討伐に乗り出したのがアイズだったが、通りの一角で、石畳を押しのけて地中から花のような蛇のようなモンスターが出現。凄まじい硬度を誇る滑らかな体皮に打撃は通じず、一緒にいた山吹色の妖精の少女は魔法を詠唱している際に『魔力』に反応したモンスターが、彼女の腕ほどもある触手によって腹部を貫き、現在は治療施設へと運ばれている。その時、民間人の悲鳴を聞きつけた【疾風】と【大和竜胆】によって、というか【疾風】の魔法によってモンスターは跡形もなく消し飛んだのだが、少女達は振り返り際、若干ドヤ顔を決めたあの金髪エルフにイラっとした。

 

――魔力に反応する? 並行詠唱すれば良いことでしょう。

 

とでも言うかのように。

兎にも角にも、その後すぐに「ミノタウロスがでたぞぉ!?」という声が聞こえたり、快晴だというのに落雷の音が聞こえたり、ワケワカメな状況の中で【大和竜胆】は屋台に隠れていた親とはぐれてしまった幼女を連れて行ってしまうし、【疾風】は他にも隠れていないか地下に潜って行ってしまうしで、少女達は東メインストリートを真っ直ぐ進んで現在の光景を見せつけられていた。モンスターと碌に戦ったことがないベルの必死な戦いに、ただ固唾を飲んで。

 

「・・・・ひぇっ」

 

そして再び、アイズは変な声をあげた。アマゾネスの姉妹は「どうしたの」とばかりにアイズの顔を見てみれば、彼女の顔は青く、ガチガチと歯を鳴らして怯えていた。二人は与り知らぬことではあるが、アイズは『幽霊』の類が苦手である。とはいえ目の前の人物達が『幽霊』でないことはわかる。何せ、『魔力』を感じるからだ。いや、その青白い人物達が『魔力』の塊と言ってもいいだろう。しかし怯えるアイズの視線の先にいるのは、灰色の髪を揺らめかす漆黒のドレスを着た女性。何故、一部の人物にだけ色があるのかはわからないが、その人物がベルにとって特別な存在なのだろうというくらいは察することはできる。つまるところ、アイズは、アイズ・ヴァレンシュタインは過去にやらかした黒歴史の件で「殺される」と震えているのだ。

 

 

――たぶん、目があった。

 

それはベルがアルフィアを喪って直ぐのこと。幼かった自分が言葉足らずとはいえ、ベルを傷付け殴りかかってきた際に痛くもないのに、殴り返してボッコボコにして治療師の知己に「殺す気ですか?」と極寒の眼差しを向けられたことがあった。更には、リヴェリアに連れられて『星屑の庭』に謝罪に行った時には、お風呂に入っていたベルの元へと行き、ロキに教わった『一緒に入ることで身も心も解れて仲良くなれる』という言葉を信じて実行した結果、互いに生まれたままの姿で、気絶するベルの腰の上に跨るアイズという、これまた酷い絵面が出来上がってしまい『正義』の眷族達には「ダンジョンでは気をつけろ」とまで言われるほどには怒りを向けられていた時期があったし、その時のことを今のアイズは過去に戻れるのなら、当時の自分をリル・ラファーガしてやりたいと思うくらいには反省しているし、未だに若干、彼と距離があるのもどうにかせねばと思うほどだ。

とにかく、当時のことをアイズは未だに反省していた。反省しすぎて、一時期じゃが丸君を食べなくなるくらいには、反省していた。

 

『アルフィアが生きていたら・・・・考えるだけで恐ろしい』

 

そう、リヴェリアが当時言っていた。

だが今、眼下にいた人物を見てアイズはその時のことを走馬灯のように思い出し震え上がった。というか、ベルが駆け出す瞬間にチラッとこちらを見た気さえした。

 

『ムスコ  世話ニ ナッタナ 覚悟 シテイロ』

 

と言っているような気さえした。

 

ティオナとティオネが「モンスターと戦ったことないのによくやるわね」「行け、ベル―!」と応援しているが、それどころではない。

アイズ・ヴァレンシュタイン16歳。

 

 

 

彼女は、幽霊が・・・・・苦手だ。

 

 

 

×   ×   ×

 

 

苛烈な剣舞の音が鳴り響く。

あらゆる物を破壊する力の轟音と、どんな物も切り裂く速度の清音。過激な曲調が周囲の鼓膜に届き、ストリート全体に染み渡っていく。交わされるのは黒赤色の鈍い光と銀の短剣に奔る青白い稲妻の応酬だった。赤黒い大剣が振るわれたかと思えば、稲妻が円弧を作り上げる。そこには既に、開始早々にあった蹂躙(ワンサイドゲーム)はなかった。あるのは、互いの命を平等な条件のもとで賭けた、確かな死闘だ。

 

一際甲高い音響が炸裂する。

大剣を短剣で弾いてみせたベルの手から、限界だと悲鳴を上げて二本の短剣が破壊される。

そこにミノタウロスが大剣でベルの華奢な体を切り裂いて終わる景色を誰もが夢想する。しかし、ミノタウロスは既にそれが叶わないことを学習している。振り下ろされる大剣を蹴りで弾き、先程、サポーターらしき青年が撒き散らした武器を手に収める。

 

 

 

戦いが続く。

ベルとミノタウロスは頻りに互いの立ち位置を入れ替えた。

四本の足が石畳を踏みしめ、駆け上げ、蹴り貫き、何度も何度も交錯していく。絡み合う二つの動きは止まらない。例えベルが武器を失おうとも戦場にバラまかれた武器がすぐその手に収まるのだ。時には大槌を両手でぎゅっと握りしめ、全身を使って振り回す。けれど華奢な体では扱いきれないのか、スイングと共に不格好に武器に振り回され、思わずぶん投げてしまう。

 

「お・・・りゃぁっ!」

 

『ッッ!?』

 

目の前に飛んでくる鉄の塊を間一髪避けるミノタウロス。その背後にあった建物へと大槌が飛んでいくと、破壊の轟音が鳴り響いた。武器を放棄したベルは、すぐに違うものを手にする。時には槍で突き、時には弓で矢を飛ばし石畳を砕き、時には盾を使って突進し、時にはナイフで大剣の側面を狙って打ち払う。腕利きの冒険者達ならば、もっと上手くやるだろう。そう思うくらいにはベルの戦いは拙く、軽い体は簡単に転がり、危なかっしかった。誰もが見守る中、ベルはもらえば一溜まりもない呪剣を地面を転がって躱す。すかさずミノタウロスが蹄で踏み潰そうとしてくるが、何者かに引っ張られる形で緊急脱出し新たに手にした直剣に雷を奔らせ一閃。咄嗟に大剣で防がれる。鋭い金属音。

 

「・・・・!」

 

『魔法』の効果が終わろうとしているのか、ベルを覆っている稲妻が徐々に、徐々に弱まっていく。それと同じくしてアストレア達の前で佇んでいた青白い人の姿達も一人、また一人と姿を消していく。消えそうになる意識を必死に呼び起こし、咆哮する。

 

 

――あの英雄(ひと)達のほうが、ずっと強い!

 

 

思い出の中。

光の向こうで背中を見せる二人の英雄に届くように、咆哮し、手を伸ばす。

限界の先へ己の体をねじ込み、白き世界へと加速する。

白の平原を駆け抜け、視界に映るありとあらゆるものを白熱させ、視界の先で待ち構える紅蓮の猛牛へと地に突き刺さった大剣を手に疾走する。

 

 

×   ×   ×

 

私は、思わず見惚れてしまっていた。

可愛い眷族の一人だと、皆で手塩にかけて可愛がっていた男の子だと過保護かもしれないくらいには可愛がっていた、そんな子が目の前で殺されると思っていたというのに。

 

『いけぇ!』

 

『腰に力入れろ兎ぃ!』

 

地上の住人(こども)達は、ちょっとしたきっかけで、驚くほどに成長を見せ神々を驚かせてくれる。だからこそ、私達は惹かれるのだ。と改めて自覚する。あの子が殺されれば、美神があの子の魂を奪うかもしれないと他の眷族達に罪悪感を感じながら後を追う覚悟さえしていたというのに、その心配は杞憂だと言えるほどの光景が私達の目の前で出来上がっている。

 

――アルフィア、貴方はそこにいるの?

 

魂がそこにはないことは当然わかっている。あの魔法は、降霊を行う魔法などではない。『幼い子供』が『親』に『我が儘』を聞いてもらう、そういう魔法なのだ。親が子を守るのは当然といえる行為で、子が親に救いを求めるのは自然な事であるように。

 

――私は、あの子に何をしてやれるのだろう。

 

見ていることしかできない事実が胸をきゅっと締め付ける。

 

「―――っ!」

 

目と目が合った。

瑠璃色の瞳と深紅の瞳が、刹那ともいえる一瞬交じり、あの子の口が動く。『見てて』とそう言っている気がした。胸に手を当てて、今この一瞬に全てを賭けているかのような命を燃やしているような死闘にあの子は初めて舞台に上がったのだと理解した。

 

『がんばれ!』

 

『頑張れッ!』

 

『頑張りやがれぇ!』

 

頬に何かが伝っていく。

汗か涙か、わからない。

けれど、光の先へと駆け抜けていくあの子の、ベルの背を見て周囲に呼応するように自然と言葉が口に出た。

 

 

「頑張りなさいッ、ベルッ!」

 

 

ベルは、初めて『男』の顔をしたような気がした。

 

 

 

×   ×   ×

 

 

 

『頑張りなさいッ、ベルッ!』

 

「――――頑張るッッ!!」

 

『ッ!?』

 

周囲の、女神の声援を背に、応えて吼えたベルは霞むほどの勢いで踏み込まれた左足とともに大剣を振り抜いた。限界を食い千切った加速、遅れる敵の反応。断ちにくいとされるミノタウロスの肉体へと乱打の嵐を見舞う。

 

『ッッ―――ヴォオォ!!』

 

それ以上許すものかと、繰り上げられた黒赤色の大剣がベルの持つ大剣を上空に弾き飛ばす。群衆から悲鳴が上がる中、ベルは器用にミノタウロスへと掴みかかり大剣と一緒に握っていたナイフへと雷を奔らせ薙ぐように左に振り抜く。

 

「ぁ・・ぁああ・・・・ああああああッッ!」

 

『ヴッグゥォオオオオオオオオッッ!?』

 

放電(スパーク)するナイフが、分厚いミノタウロスの右の二の腕へと食い込んで()()()()()。肉が焼ける音とバチバチと稲妻の奔る音、そしてボロボロと崩れ落ちるナイフにミノタウロスが握っていた大剣が地に落ちる音が響く。ミノタウロスを蹴って後方へと飛んだベルは、着地と同時に疾駆する。頭上から回転しながら降ってくる大剣を右手で掴み取り、ミノタウロスの苦悶の鳴き声が散る最中、渾身の斬撃を見舞う。

 

「あああああああああああああああああああああああああああッッ!」

 

大上段から振り下ろされた、渾身の一撃。

 

『ヴグゥッッ!?』

 

鋼を彷彿される強靭な肉体に、太い赤線が走る。

斜に刻み込まれた傷痕から血が飛び散り石畳を斑模様に彩る。群衆の口から歓声が漏れ、ミノタウロスはぐらりと後方によろめいた。ここで、ようやく形勢が逆転する。武器のなかった少年の手には大剣が。武器を手にしていたミノタウロスは大剣ごと片腕を失った。更にベルはこの好機を逃さんとばかりに、立て続けに強撃を迸らせる。大規格の得物が休むことなく駆け続ける。お世辞にも恰好が良いとは言えない大剣捌き。振るうどころか振り回されているような絵。細い体が大重量の銀塊に外見負けしてしまっている。しかし、怒涛のごとき勢いはミノタウロスを圧倒した。散り散りと血の欠片が飛ぶ光景の中、生々しい傷を刻んでいたミノタウロスの体は真新しい裂傷が上書きされていく。

 

『ゥ―――ォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!?』

 

ミノタウロスが調子に乗るなと全身を怒らせ獣の本能を取り戻す。

地面に打ち込んだ踵が後退を許さず、負けじとばかりにベルを残った左腕で押し返した。

 

「―――――――ッッ!!」

『―――――――ッッ!!』

 

決戦する。

モンスターの剛拳に応えるようにヒューマンが大剣を振るった。

人の剣技に真っ向から対決するように怪力がつくされた。

不格好に放たれた前蹴りを大剣が打ち落とす。

防御に構えられた剣の上から殴撃が敵の顔を割る。

振り上げられた斬撃が相手の骨を砕き、肉を裂く。

妥協を彼方に放り投げたぶつかり合い。凄烈な一進一退は決して手を休めることを許さない。

そして振り上げられた左腕によって押し返されたベルの足は地面を離れ、羽根のように軽々と後方へ吹き飛ばされ石畳に背中から落ちた瞬間、後転し、瞬時に視界の中央へミノタウロスを収める。

 

『フゥーッ、フゥーッ・・・・!? ンヴゥウウウウウオオオオオオオオオオッ!』

 

離れた彼我の間合い、およそ5M。

ミノタウロスは目を真っ赤に染め、左手を地面に振り下ろした。それは追い込まれたミノタウロスに度々見られる突撃体勢。己の最大の武器を用いるいわば切り札。進行上の障害物を全て粉砕してのける強力無比なラッシュ。ただし、この距離では助走が足りない。短い間隔では威力も半減する。なりふり構っていられないほどミノタウロスが瀬戸際まで追い詰められた、何よりの証左。既にミノタウロスの脳裏に刻まれた赤髪の怪人からの調教という仕打ちも、何故、白髪の存在を狙わなければならなかったのか、恐怖も怒りも彼方へと飛び散っていた。

 

『―――』

 

ベルは大剣を握り締め、深く深呼吸をする。ベルの体が今頃思い出したかのように少しずつ裂傷が生まれ、血が流れ始める。魔法によって強制的に閉じていた傷が開き始めたのだ。

 

「・・・・行くよ」

 

その声に応じるように、ベルの前には全身鎧の大男が。ベルの右横には黒いドレスを身に纏う美女が現れる。眼球に映るのは敵の(ぶき)。交わされる無言の疎通。溶け合う意志と意志。呼吸を止めたかのように、一瞬、周囲の空気が限界まで張り詰めた。

ベルの眼差しと、ミノタウロスの眼光がかち合う。

そして。

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」

 

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』

 

真っ向からの突撃。

冒険者であってもまずしないだろう愚行。

けれど、それは一人だったらの話だ。

 

雷でできたような全身鎧の大男は、足で直剣を弾き、握ると渾身の斬撃を打ち放つ。

雷でできたような漆黒のドレスを揺らめかす美女は、その細腕から魔力の弾丸を打ち放つ。

それを追うようにベルが駆け抜ける。纏っている雷電の色はいつしか血のように赤くなっていた。

 

美の女神が見惚れ、正義の女神が驚愕し、悪神が邪悪に微笑む。

斬撃が石畳を砕きながら走る。

弾丸がそれに重なるように。

 

一気に縮まる間合い。瞳の中で大きくなる互いの姿。肌を打つ猛々しい覇気。

ミノタウロスの瞳に映るのは、いっそ卑怯だと言ってもいいかのような三人分の攻撃。けれど関係ない、この最後の時まで時折現れる雷の塊達とさえ戦っていたのだ。関係ないとばかりに押し寄せる荒波を突破するように、ミノタウロスは駆け抜ける。

 

直後。

腹部に横一閃、食い込んでいく大剣。

真下から砕けた石畳を散弾にしながら打ち上がってくる斬撃。

殴りつけるかのような魔力の弾丸。

どこかから大きく鳴り響く、大鐘楼の鐘の音。

それに応えるようにベルは吼える。

 

「―――あああああああああああああああああああッッ!!」

 

 

都合三つの攻撃がミノタウロスを飲み、爆発を起こした。

大きな土煙を打ち上げ、石畳を爆砕させ、近隣の建物にさえ被害をもたらす。

煙が徐々に晴れていくとそこには、すれ違うようにして固まっている両者。サラサラ・・・とその体を灰に変えるミノタウロス。ベルは魔法の効果が完全に終了したのか、そのまま前へと倒れこむ。精神枯渇(マインドダウン)と魔法の効果で無理矢理塞いでいた傷が開いたことでダメージが一気に噴き出したことによる気絶だった。小さな少年は、己の血液でできた水溜まりへと沈んでいく。

 

歓声とベルを心配する悲鳴とが交差していく中。

灰の上に、ゴトリとミノタウロスの角が転がっていた。



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アーネンエルベ④

東メインストリート付近、高台屋上

 

 

 

パチパチ、パチパチ、パチパチ。

死闘の結末。

舞台の幕引き。

それを見届けて、一人の男神は微笑みながら拍手の音を流れる風に乗せる。

 

 

見事素敵最高(コングラチュレーションズ)、ベル・クラネル。俺はお前の偉業を確かに讃えよう。俺とてまさか、()()()()()と走り抜ける子供がいるとは流石に思わなかった」

 

 

既にこの下界には存在しない、【ゼウス・ファミリア】の傑物達。

既にこの下界から去って行った【ヘラ・ファミリア】の英傑達。

過去のオラリオにおいて最強と謳われた眷族達の物語は、確かにベルの背中に受け継がれていたらしい。今日この日、たった一人のちっぽけな少年の『物語』の一ページを目撃者達は忘れることはないだろう。彼等彼女等は、酒場できっと語り継ぐだろう。「確かに、あの場には最強(ゼウス)最凶(ヘラ)がいたのだ」と。

 

「これで・・・戻れなくなったな、少年」

 

一人の少年の『平穏』はこの日を境に豹変していくことだろう。

迷宮都市にいる限り、否応なく時代のうねりに巻き込まれていく。ここは、そういう場所なのだ。

 

 

エレボスの金の瞳に、血濡れになることもお構いなしにベルを抱きかかえて名を叫ぶアストレアの震える背中が映り込む。慈悲深く、優しいあの女神は可愛がっていた少年が弱っていく様を見て涙していることだろう。戦わせてしまったことに強く責任を感じていることだろう。

それほどまでに、ベルは瀕死の重傷だった。

体中から絶えず流れる血は、アストレアが押さえても止まらず。

眷族達が()()()()()()()()()()が運んできたバックパックの中にあった回復薬(ポーション)万能薬(エリクサー)を使っても、傷はすぐに開いて血溜まりを作ってしまう。

 

呪道具(それ)はお前達にくれてやろう。せめてもの餞別だ」

 

エレボスは黒髪を揺らし、メインストリートに背を向け姿を消していく。

これ以上、見るべきものはないとばかりに再び笑みを浮かべて。

 

 

「そう遠くないうちに・・・・また会おう、少年」

 

今度はどのような形で俺を驚かせてくれるのか、楽しみにしているよ。そう呟いたエレボスの言葉を聞く者は誰もいない。

 

 

×   ×   ×

闘技場(アンフィテアトルム)

 

茜色に染まっていく空。

怪物祭で一騒動起こっていたものの、他派閥との協力を得ることによって一件落着となった頃。群衆の主たるガネーシャは暗くなっていく空を眺めながら、後ろからやって来た団長のシャクティへと声をかけた。

 

「シャクティよ」

 

「・・・何だガネーシャ」

 

像の仮面の中で一体どのような表情をしているのか。

それはわからないが、シャクティは主神の口が動くのを待つ。恐らく考えていることは自分と同じなのだろう。友好、いや、同盟とも言っていいような関係の【アストレア・ファミリア】に身を置く一人の少年についてのことを、きっとガネーシャは思っているのだろう。シャクティとて妹のアーディから話を聞いた時には、にわかには信じられなかったのだから。あの如何にも『冒険者』に向いていなさそうな少年が、シルバーバックを倒したとか、その後に出てきたというミノタウロスと死闘したとか・・・もうワケワカメだ。

 

「俺も・・・・・・・・見たかった」

 

「・・・・・は?」

 

現在、件の少年は【ディアンケヒト・ファミリア】で治療中らしい。なんでも、ミノタウロスが装備していたという大剣は『呪道具(カースウェポン)』であり背後に呪術師(ヘクサー)調教師(テイマー)が絡んでいるのではないか、というのがシャクティの見解だ。オラリオ最高の治療師たるアミッドの手で呪術に侵された体は癒しをもたらされることだろうが解呪薬を作るのも一苦労だろう。何より、血塗れで意識を失っている瀕死の少年を抱きかかえていたという慈悲深く心優しい女神は、すっかりその衣装に血を吸わせてしまい『血濡れのアストレア』などと早々に広まりつつある。揶揄われるネタにはならないだろうが、あまり聞いて面白い話でもない。女神のことも、少年のことも【アストレア・ファミリア】の団員達にとっては、しばらく神経質になるかもしれないな、とシャクティはガネーシャもきっと同じような心配をしてくれているはずだ。これでも娯楽への優先度が低い神だからな。と思っていたところに、思わず聞き直したくなるような言葉が聞こえてしまった。

 

「今・・・何と言った?」

 

「・・・・・だ、だって、あのベルだぞぉ!?」

 

「・・・・・・・・・」

 

「アルフィアが天に還って泣き虫になってしまったあのベルが・・・ッ!! 男子三日会わざれば刮目して見よと言うがまさしくその通りだったな! アーディだってはしゃいでさっき出て行ったゾウ!」

 

「・・・・・」

 

シャクティは眩暈がした。

いや、確かに泣き虫だったけども。【アストレア・ファミリア】が遠征で留守にしている時、アーディが遠征に同行しないときはだいたい『星屑の庭』に泊りに行っていたり、【ガネーシャ・ファミリア】の本拠に連れ込んでいたりしたし。ベルがシャクティの年齢を聞いて「おばっ!?」と言った瞬間拳骨を喰らわせて大泣きさせてしまったこともあるが。はしゃぐほどか? いや確かに、アーディの姿がどこにもないなとはシャクティは思っていたのだ。まさかあいつ、見に行っていたのか? 仕事サボって? 嘘だろ? それでガネーシャに報告して? 心配になって治療院に行った? そりゃぁどこにもいないわけだ。きっと後で「ごめんお姉ちゃん! でもベル君がピンチだったの! テヘッ☆」とかされるに決まっている。そこまで考えたシャクティは痛む頭を右に左に振って深い溜息をついた。

 

「うぅぅうぅおおおおおおおおおおおおおお!! 止まるな、進め、ベルよぉおおおおおおおおお! アルフィアが天に還って悲しいのはわかる! 俺も悲しい! でも進め、進むのだぁああああああああああああああああああ!! というかお前戦えたのかぁあああああああああ!? ガネーシャ超見たかったぞぉおおおおおおおおおおおおお!! うぉおおおおおおおおおおおおお!!」

 

「・・・・・叫ぶのをやめてもらえないか? みんなが不安になる 」

 

「・・・・ごめん」

 

ガネーシャもやはり神か・・・と眉間を摘まむシャクティ。しゅんっと縮こまるガネーシャ。

こちとらいい迷惑で、しばらく風当たりがきつくなるというのに・・・何はしゃいでんだと口端がピクピク。そう、別にいいのだ。知己が頑張ってたというのを見たいと思うのは、シャクティとて理解できる。だが、今回の件ではいい迷惑でしかない。騒ぎを起こすだけ起こしておいて犯人がわからず仕舞い。ベルの件を除けば、一般人と冒険者で死傷者はいなかったのは何よりの幸い。しかし、『怪物祭』の主催は【ガネーシャ・ファミリア】であり、どんな理由があれ、モンスターの脱走を許したという事実はなかったことにはできない。東メインストリートで被害に巻き込まれた建物などは建築系の派閥が協力して建て直してくれるだろうが、賠償云々に関しては【ガネーシャ・ファミリア】持ちになる可能性があるだろう。ギルドの()()()の意向で企画された催しなのだし、知らん顔はしない筈だが、それでもやはり、いい迷惑なのだ。

 

 

――更にはミノタウロスだ・・・・

 

シャクティはもう一度、溜息をついてから口を開いた。

そんな溜息から何を察したのか、ガネーシャは振り返り真面目そうな雰囲気を纏う。

 

「ガネーシャ」

 

「シャクティ」

 

「聞きたいことがある」

「聞きたいことがある」

 

ほぼ同時。

まるで熟練の夫婦とも言えるような、言わなくても相手の言わんとしていることがわかるような雰囲気がそこにはあった。二人は見つめ合うようにして、言葉の応酬を繰り広げた。

 

「今回の催しで」

 

「調教に用いるモンスターにミノタウロスは」

 

「起用していなかったはずだ」

 

「だというのに」

 

「ガネーシャ、貴方が追加したのか?」

 

「シャクティ追加するなら予め伝えてくれ」

 

「私がそんなことをすると思っているのか?」

 

「ガネーシャがそんなことをすると思っているのか!?」

 

 

一人と一柱の言い合いを見守るように、一番星がキラッ☆と輝いていた。

 

 

 

 

×   ×   ×

夕暮れの空間

 

 

 

 

夢を見た。

金色に輝く一面の平原を、灰色の髪に漆黒のドレスを風に揺らす目も覚めるような美女に繋いでいる手を引っ張られる形で歩く小さい子供(じぶん)

そんな過去の背中を、思い出を噛み締めるように眺める、そんな夢。

 

「お義母さん、僕、ミノタウロスと戦ったんだ」

 

必死になって、夢中になって、ミノタウロスと死闘を繰り広げた。

小さい子供(じぶん)と歩いていく義母の背中に、申し訳なく報告をする。

彼女は決して振り返ってはくれないけれど、どうしても言いたくなった。

 

 

「頑張ったんだよ。すごく・・・・頑張ったんだ」

 

『人生を楽しめ。それが格好良く生きるということだ』って貴方は言っていたけれど。

僕は貴方のようになりたかったんです。

貴方の背中を追いかけていたかったんです。

貴方のような強い英雄になりたくて、ゼウスとヘラが遺した者として、英雄にならなきゃいけないって思ってたんです。

でも貴方はそんなの望んでいなくて、『平穏』に生きて欲しいって望んでいて。

なら、そうすれば、貴方の望み通りに生きていれば、貴方は僕のことを好きでいてくれますか。

 

「お義母さん達と戦ってたらこうなのかなって思ったけど、必死だったから、よく見てないんだ。でも・・・・すっごく、頑張ったよ。見せてあげたかった」

 

遠ざかっていく背中に、置いていかれないように歩いて、苦しくなる胸をぎゅっと掴んで震えるように言葉を吐く。

 

「・・・・どうしたらいいのかわからないんです」

 

貴方達ができなかった黒龍討伐をしなければいけないと思い込んで、貴方が寝込んでしまったその日に小さな体に鞭打って出て行って。だけど小さい体じゃ迷宮都市から出る前に体力の限界がきて、心細くなっちゃって。黒龍の元にさえ行けなくて。

 

「僕が貴方達の代わりに黒龍を倒せば」

 

貴方は、僕のことを誇りに思ってくれますか。

貴方達は、喜んでくれますか?

 

「アストレア様達がいてくれる。だけど、お義母さんがいなくなってしまってから、どうすればいいのか決められないんです」

 

『冒険者』になればいいのか。

『村人A』になればいいのか。

何をどうすれば、『人生を楽しむ』に繋がるのかわからないんです。

『格好よく生きる』とはいったい何なのか、わからないんです。

 

「ぼく、僕は・・・どうしたらいい?」

 

答えなんて返ってくるわけがないのに、縋ってしまう。せめて初めての功績に対して、褒めて欲しいと願ってしまう。

こんなんじゃ、愛想を尽かされることくらいわかっているだろうに、心細くて、どうしても求めてしまう。それくらいに彼女は絶対的で、僕の中では存在が大きかったらしい。遠ざかっていく背中は、越えることさえ叶わない憧憬の存在は、潤む視界の中でピタリと立ち止まり、完全に振り返ることはないけれど、ゆっくりと腕を伸ばして僕の後ろに指を差し示す。

 

 

『頑張ったな』

 

彼女の唇が、そんなことを言ったように動いた気がした。

僕の悩みには何一つ答えてはくれないのに、それでも、幻聴だったとしても、嬉しかった。

こみ上げてくるものを必死に抑え込んで、頬を伝うモノを無視して笑みを浮かべる。

 

「・・・っ。うん、うんっ・・・僕、頑張ったんだよ」

 

そう言って、彼女が指さす場所に振り返る。

そこには一柱の女神が、胡桃色の髪と長いスカートを風に揺らしながら、まるで僕のことを待つように佇んで微笑んでいた。自然と、義母に背中を向けて女神の元へと足を運び出すと、背後からまた何か聞こえた気がした。

 

 

『忘れるな、私達はお前と共にあることを』

 

 

 

×   ×   ×

治療院

 

 

「何の夢を見ているの、ベル・・・・」

 

頬を伝う涙滴に、アストレアは短く尋ねた。

ミノタウロスとの決着の後、ベルは直ちに【ディアンケヒト・ファミリア】へと搬送された。いくら回復魔法をかけようが、回復薬(ポーション)類の道具(アイテム)を使っても傷口はすぐに開いて出血が止まらず、これは【戦場の聖女(アミッド)】にしか治せないと判断されたからだ。搬送された先で、聖女の怒声やら悲鳴やらで治療院は騒然としたが、それは無理からぬことだろう。何せ見知った顔の、なんなら相手が6歳の頃から付き合いのある少年が全身呪詛(カース)塗れの出血多量で運ばれてくるのだから。

 

アミッドは激怒した。

必ず邪知暴虐の呪術師(ヘクサー)を除かねばならぬと決意した。

以下略。

 

治療が終わったのは、その日の晩遅い時間帯である。

急ピッチで解呪薬を作ってくれたアミッドは、やることはやったと疲れ果てて休息を取っている。

 

部屋に一柱、一日でも早く目覚めてくれるようにと眠れる白兎(ベル)の手を握っていると、ぎゅっと弱々しく握り返してきて、思わず顔を見てみれば涙が伝って、口元は少し嬉しそうに歪めているではないか。目覚めてこそいないが、彼にとって幸せな夢であることを願いながら、閉じられた瞼からこぼれた一筋の涙を、アストレアはそっと指ですくう。

 

 

「やっぱり・・・不幸体質なのかしら・・・・ミノタウロスがいきなり襲い掛かってくるなんて、流石に思わないもの」

 

 

ベルをいきなり戦わせてしまったことに罪悪感が胸をチクリ。

でも、シルバーバックだけなら問題ないと、あの状況ではベルに討伐させるのが一番だと思ったのは確かだ。とはいえ、まさかミノタウロスまでやって来るとは流石に思わないだろう。ダンジョンなら可能性はあるが、騒動が起きたのは地上なのだ。今頃はガネーシャが絶叫しながら事後処理をしているのだろうと、「ガネーシャもいい迷惑よねぇ」とベルの頭を優しく撫でる。

 

 

「頑張ったわね・・・・ベル」

 

 

部屋には眠れるベルと自分しかいないにも関わらず、辺りを静かに見回した後、アストレアはベルの前髪を優しくかき上げ、その額へと唇を落す。頬を淡く染める女神は、いつもとは違う顔をしていた少年の『冒険』を思い出して、瞳を細めた。

 

 

「・・・・あら? 熱が上がって来てるわ・・・も、もしかして嫌だったのかしら・・・」

 

自分の唇に指を当てて、勝手にしょんぼりしながら女神は立ち上がり、治療師の少女を呼びに部屋を出て行った。

 

 

 

×   ×   ×

『星屑の庭』

 

 

【アストレア・ファミリア】の本拠、その一軒家の中。

広間にある複数の長椅子(ソファ)に腰掛ける、様々な種族の女性達。

「アストレアの眷族でしょ? もっと淑女しようよぉ」と言われるくらいには実力行使にでる場合もあれば、口の悪い者もいる。【アルテミス・ファミリア】と比べられることもしばしば。決してこの派閥は男子禁制というわけではないが、入団を希望するような心の強い者はいないだろう。唯一の男性団員であるベルでさえ、アルフィアと一緒だったから主神のアストレアの庇護を授かれただけであり、もし一人だったのなら、門を叩く勇気などなかっただろう。「あのお姉さん達とお話しできたらなぁ」と心の中で呟く程度に終わっただろう。

 

そんな女傑達で構成されている【アストレア・ファミリア】の冒険者達は、沈痛な、或いはお通夜のような表情をしていて空気までドンヨリと重くなっていた。

理由は簡単。

6歳の頃にやってきたアルフィアの愛息子であり弟分であり、『他派閥間の恋愛はタブー』とされる故に「じゃあベルを全員で囲っちゃいましょ!」とアルフィアがまだ生きていた頃からドン引きするレベルで可愛がっていた白髪に深紅(ルベライト)の瞳の少年が、ベルが、絶賛死にかけで治療院に入院中だからだ。

 

「ベル君がミノタウロスと戦ったって?」

 

「その前にシルバーバックを倒したらしい」

 

「ガネーシャ様、今年は随分攻めましたね・・・まさかミノタウロスとは。サプライズでしょうか」

 

「なんのだよバカリオン」

 

「バッ!?」

 

「ミノタウロスが呪道具(カースウェポン)を使ってたってホント?」

 

「ああ、本当だぜ? ぶっ倒れた兎に回復薬(ポーション)やら万能薬(エリクサー)やら使いまくったけど、塞いだそばから傷口が開いて、あっという間にトマト野郎になっちまった」

 

「アストレア様もお構いなしにベルを抱くものだから、すっかり血濡れだ」

 

「「「「ガネーシャ様、攻めたなぁ」」」」

 

 

無論、今回の騒動の全てが【ガネーシャ・ファミリア】にないことは彼女達は理解している。というか、「いい迷惑だよね。ガネーシャ様、可哀想」とさえ思っている。冗談でも言ってなきゃやってられないのだ。

 

きっと今頃。

 

『いかん、雨が降ってきたな』

 

『雨なんて降って・・・』

 

『いや、雨だよ』

 

なんてやりとりをしているに違いない、と彼女達は瞼の裏に映った群衆の主とその眷族達を同情した。

 

 

「にしても・・・・」

 

「どうしました、ライラ」

 

「いや・・・・アストレア様が兎が実は『魔法』を持ってたってのを隠してたことがなぁ」

 

「いつ発現したのかはわからないけど・・・きっと悪気があって隠してたわけではないでしょう?」

 

「ええ、アストレア様も恐らく考えがあってのこと」

 

「まぁ・・・ベル君って私達みたいにダンジョンに行ったりしてるわけじゃないし、うっかり教えたりして好奇心で本拠の中で詠唱しちゃってたりする可能性があったわけで・・・・」

 

「下手したら本拠に雷が落ちてアストレア様が送還される・・・って可能性は十分ありえたね」

 

 

彼女達は未だ戻ってこない主神と団長を待ち続け、ベルの治療がどうなったのかもわからないため、食事するという気にもならず会話こそすれ空気だけは重い。『魔法』の件も気にはなるが、おおよそ今、仲間達の口から出たことこそが理由だろうというのは付き合いの長さから察することができた。なお、後日『魔法』のことを問いただしたところ、その通りであり眷族達の口からうっかり漏れるということも回避したかったために隠すしかなかったと謝罪されることになる。

 

と、そこに。

ガチャリ、と玄関の開く音がして全員がそちらへと目線を向ける。

 

 

「うっわ、暗っ!? っていうか、怖っ!? 何、皆どうしたのよ!?」

 

団長のアリーゼが帰ってきたのだ。

彼女は玄関から見た仲間達を見て、怯えるように一歩後退していた。

無理もない。

何せ、既に夜であり。

()()()()()()()()()()のだから。

色とりどりの女傑達の瞳が、アリーゼが開けた玄関から差し込んだ光によって一斉にアリーゼの方を向く。怯えるなと言う方が無理があるだろう。

 

「もー皆、夜なんだからちゃんと灯りをつけなさいよ。アストレア様がいたら腰抜かすわよ? ベルがいたら漏らしてるわよ?」

 

仲間達に小言を零しながら室内の灯りを付ける。

仲間達はいつも通りのアリーゼの雰囲気を訝しむように、彼女の一挙手一投足から目を離さない。

 

「いい、皆。こういう時こそ、いつも通りにするの! じゃなきゃアルフィアにゴミを見る目を向けられるわ! ちゃんとお風呂に入って、ちゃんとご飯を食べる。あの子が帰ってきたときに私達がやつれていたりしたら、それこそあの子は責任を感じてしまうでしょう?」

 

「・・・・・・その通りでございますね」

 

「アリーゼ、治療院にいたのでしょう? ぜひ、聞かせて欲しい」

 

「戻ってきたってことは、ベル君はもう大丈夫ってことだよね?」

 

アリーゼは台所に設置している冷蔵庫に入っている水で喉を潤すと、仲間達へと対面するように長椅子(ソファ)に腰を下ろし、両膝の上で肘をついて顔の前で両手を組み、沈黙する。

カチコチ、カチコチと振り子時計の振り子が右に左に動く音が耳朶を叩く。短いような長いような沈黙に『正義』の女神の眷族達は「ま、まさか・・・」と最悪を思い浮かべてしまう。

 

――どうしよう、アルフィアに殺される。

 

――『ベルより先に死んだら殺す。ベルを先に死なせても殺す。来世をハエになるように神々に言っておいてやる』とか昔言ってたもんね。

 

――い、いやだ・・・・ハエは嫌・・・! せめて可愛らしい猫とか犬にしてッ!

 

脳裏に思い浮かぶ、息子溺愛義母(モンスターペアレント)の姿にゾッと鳥肌が走る。

縋るようにアリーゼを見つめ、「早く」と輝夜が急かすことでようやく彼女は口を開いた。

 

 

「実は・・・・」

 

「「「ごくり」」」

 

 

アリーゼも、ごくりっと喉を鳴らし、沈痛そうな表情を浮かべて、今にも泣きそうになりながら重々しく口を動かす。

 

「・・・・・出禁になったわ」

 

「「「「は?」」」」

 

「摘まみ出されたわ」

 

「「「「は?」」」」

 

「うるさい、邪魔って言われて・・・・ベルに「死なないでベル、今貴方が倒れたら誰がリオンのおっぱいを育てるの!?」って声をかけてただけなのに・・・・」

 

団長が何やら、醜態を晒したらしいことを察した彼女達は一斉にその顔を凍り付かせた。

アリーゼが閉じていた瞼を開いた時には、鼻と鼻がくっつくんじゃないかというほどの距離で顔を近づけて見つめてきている恐ろしい『正義』の女傑達がそこにはいた。アリーゼは見た。彼女達の瞳が、まるで神々の言う『深淵』を覗いたかのように光の一切灯っていない瞳になっていることに。

 

 

「・・・・ひえっ」

 

 

乾いた悲鳴が、喉から零れ落ちた。



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アーネンエルベ⑤

 

 

 

「・・・・・」

 

弱々しく覚醒する意識と共に睫毛が震える。

長らく閉じていたらしい瞼は重く、瞼の向こうから光を感じるというのに、閉じたままもう一度微睡みの中に落ちていこうとしてしまう。二度寝の誘惑に反旗を翻し、差し込む光にしかめっ面をかましながら徐々に徐々に瞳に外界の景色を映した。

 

 

「・・・・よおベル、やっと起きたk―――」

 

「( ˘ω˘)スヤァ」

 

 

ダメだった。

これはダメだ。

ベルは仮称、『二度寝の女神』という居もしない邪悪な女神の誘いに抗えず瞼を閉じた。

綺麗な顔してるだろ? 嘘みたいだろ? 狸寝入りなんだぜ。

ベルは思い出の中にいる祖父の言葉を思い出していた。

 

『よいかベルよ・・・・目が覚めたらそこに男がおったら寝ろ』

 

『どうして?』

 

『そんなもん・・・・あれよ、起きた時に、くっっっそ美人の女子がおったら嬉しいじゃろ?』

 

『?』

 

おっさん(ザルド)美女(アルフィア)・・・起きた時に居て嬉しいのはどっちじゃ』

 

『おかーさん!』

 

『そういうことじゃ』

 

『どーいうこと?』

 

 

寝起きの視界に映るのが男なのは、非常によろしくないという祖父の教えがベルの中で急速に蘇り、反射の域で行動を起こしていた。なんだか燃え上がる炎のように赤い髪の、良く知る鍛冶師の兄貴分がいた気がしたけれど、嫌いではないんだけど、どうせなら、願うことなら、目が覚めるとそこには可愛らしい寝顔を晒すアストレア様がいてほしかったと、そう思うベルなのであった。

 

 

 

 

 

完。

 

 

 

 

 

 

 

「ふざけろ、ベルッ! こっちは心配して来てやってんだぞ!?」

 

抗議が聞こえるが、ベルは寝ているので知らない。

心配させてしまったことは申し訳ないが、今、ベルは、『二度寝の女神』という非常に恐ろしい、質の悪い、布団の中においでおいでしてくる権能をお持ちの女神の神威に囚われてしまっているので、どうしようもない。嗚呼、ほんと、申し訳ないなぁ・・・とベルは思った。

 

 

「はぁ・・・まったく」

 

 

そこに。

鍛冶師の青年とは別の、女性の声が反対方向から聞こえてくる。その声の持ち主は、溜息をついてから、ツンツン、ツンツンっと指でベルの頬を何度も突く。

その指が頬に沈む感触は優しく、『二度寝の女神』という非常に恐ろしい邪悪な女神から、ベルを救い出す偉業を成し遂げる。悔しそうな邪悪な女神から離別するように、力強く瞼を開け、ベルは意識を完全覚醒させた。

 

「おはようございます、ベルさん」

 

「・・・・アミッドさんだ」

 

「はい、アミッド・テアサナーレです」

 

瞳に映るのは、白だった。

白を基調とした、ザ・清潔を固めたような部屋で、きつくはないが鼻にくるような消毒の匂いが鼻孔をくすぐり、真っ白なシーツの敷かれたベッドで仰向けになって眠っていたことをベルは理解する。左を剥けば、紫の瞳に普段あまり変えない無表情ともいえる顔に微笑を浮かばせてベルの前髪を分けるように撫でてくるアミッドがいた。頭がまだ若干ぼんやりとするベルは、アミッドの瞳を見つめてから何度か瞬きをしてから、視線を泳がせる。彼女の恰好は治療院の制服でスカートの丈は膝より上。ベルの瞳には、薄暗いスカートという名の洞窟の先に、聖女様の聖域が微かに映る。

 

「・・・・ベルさん、どこを見ているのですか怒りますよ」

 

「アミッドさんの未到達領域(バミューダトライアングル)が」

 

「・・・・怒りますよ」

 

「ごめんなさい」

 

「おいお前等、俺を置き去りにしてイチャつくのを止めてもらっていいか?」

 

「「イチャついているのではありません、仲良くしているんです」」

 

「何なんだお前等、いつ打ち合わせしてたんだ・・・」

 

 

もじもじと座りなおすアミッドは、何事もなかったかのように咳払いして、とりあえず恥をかかされたのでベルの鼻っ柱にデコピンを喰らわした。ふぎゅっ!?と短い悲鳴がベルの口から零れ落ち、鼻を押さえながら今度はヴェルフの方へと顔を向けた。見舞いに来てくれたらしい青年は頭をガシガシと掻いてから、仕切り直すように「よう」と快活そうに笑みを浮かべる。

 

「ミノタウロスと戦ったらしいな」

 

「ヴェルフ・・・」

 

「まぁ俺は生憎、怪物祭には行かなかったんだけどな。面倒だし」

 

「・・・・」

 

「生きてて何よりだ・・・お前の派閥の姉貴共が心配してたぞ?」

 

 

心配・・・心配・・・。

思い浮かぶ、優しい姉達の顔と女神の顔。

ベルはもう一度アミッドへと顔を向けると、アミッドはベルが何を聞こうとしているのか察したかのように口を開いた。

 

 

「出禁です」

 

「えっ」

 

呪詛(カース)まみれでベルさんが運ばれてくるわ、アリーゼさんがなかなか離れてくれなくて、せっかく他の冒険者の方が魔法で傷口を凍らせてくれていたというのに溶けそうになるわ、それを注意したら「私の情熱の炎が!!」とか言うわ・・・・とにかくうるさいのと邪魔だったので、申し訳ありませんが出禁にさせていただきました。」

 

「【紅の正華(スカーレットハーネル)】と【疾風】が治療院の外で毎朝、儀式みたいに踊ってたんだぞ? 【疾風】なんてもう・・・くそ、思い出しただけで・・・くっ」

 

「リューさんの身に何が!?」

 

「涙目で顔を真っ赤にして、バニーガールの恰好をさせられていましたね。迷惑なのでやめてくださいと追い返しました」

 

「リューさぁん・・・」

 

 

大方、見舞いに行く代表者を決めるためにゲームでもして、ひっどい負け方をしたんだろうなぁと予想を立てるベル。まさか【ヘルメス・ファミリア】が作り出した暗黒期の大抗争を題材にした『てーぶるとーくげーむ』なるもので、致命的失敗を叩きだして開始早々に主神が送還されたり、Lv.7の元英雄二人を相手どったり、友人が自爆テロに巻き込まれたり、平和を取り戻したはずなのにどうしてか復讐者になっていたりといった結末を叩きだして仲間達に「あんた呪われてるよ・・・さすがにこれはない」とお祓いというかお清めというか、そんな理由でバニーガールの恰好をさせられていたとは思いもしないし、「ダークなのは意外と売れる」という理由で販売しようとしていたヘルメスとて、まさかこんな結末を叩きだす人間がいるとは思いもせず、「ごめん・・・リューちゃん・・・さすがにこの商品はお蔵入りにするよ・・・だから、元気出してくれ」と憐憫を抱かざるを得なかった。

 

兎にも角にも、普段はベルの前では凛々しくて格好いいエルフのお姉さんも、ベルとアルフィアがいなければ末っ子。お姉さん達の玩具でしかないのだ。なお、アルフィアがまだ生きていた頃に、「アルフィアは末っ子2号よ! さあ、お姉ちゃんの言うことを聞いてもらえるかしら! ばちこん☆」などと言ったアリーゼは首から下を土に埋められ、「ベル、今日からこの植物(ゴミ)に朝、昼、晩と水をかけて観察日誌を書け」とアルフィアがベルに命じる一幕があった。

 

 

 

×   ×   ×

『星屑の庭』

 

 

「――――くしゅんっ」

 

突如可愛らしく、くしゃみをしたリューにアリーゼが「風邪でもひいた?」と反応する。それに対しリューは問題ないと返してから、けれど今現在自分がしている恰好が原因なのではないかとケープを羽織った。

 

「あのアリーゼ、まだこのような格好をしなくてはならないのですか?」

 

「そうよ」

 

「・・・・そもそも、こんな格好が何故、お祓いだとかお清めになるのでしょうか・・・」

 

「それはね・・・思ったのよ、私」

 

優し気に微笑むアリーゼ。

体を隠すようにケープを羽織って自分の体を抱くようにするリュー。あまりにも恥ずかしすぎる恰好で外出してしまったことに、エルフの特徴的な尖った耳は赤く染まり、へにゃりと垂れてしまっている。『てーぶるとーくげーむ』なる神々が流行らせようとした遊戯に、一番ひどい結果を出してしまったどころか何なら心傷(トラウマ)になりそうになったほどだが、恥ずかしすぎる恰好のせいで最早それは吹き飛んでいた。

 

「占いとかで、これから良くないことが起きるっていうのなら」

 

「いうのなら?」

 

「今、ここで、起こしてしまえば、もう悪いことは起きないんじゃないかって」

 

「・・・・その理屈はおかしいのでは」

 

「でも私は、リオンのバニーガール姿が見れて嬉しいわ。だって、リオンの掌に収まる丁度いいサイズのお胸が、かがむ度にチラチラ見えるんですもの」

 

「・・・・・・・・っ」

 

リューは頭から煙が出ているのではないかというほど、一瞬にしてリューは顔を赤くした。

 

 

×   ×   ×

治療院

 

 

「アストレア様は?」

 

「アストレア様なら、そちらの仕切りの向こうで眠っておられます」

 

「・・・・どこか、悪い?」

 

「いえ、大分お疲れだったようなので」

 

ベルはミノタウロスとの死闘から三日ほど眠り続けていた。その間、アミッドは定期的にベルの様子を見に来ていたのだが、アストレアは「いつベルが目覚めても良い様に」と、泊りがけで傍に居続けていたのだ。結果、疲れが溜まって現在は眠りについてしまっている。

 

「三日も僕、眠っていた・・・?」

 

「おう、三日間眠りっぱなしだ。体、動けそうか?」

 

「やめておいたほうが・・・」

 

ヴェルフが眠りっぱなしで体が硬くなっているんじゃないかと冗談めかして言った後、アミッドの静止も聞かずに起き上がろうとしたベルは、次の瞬間には体中に電気ショックでも走ったかのような痛みに苦しみ、悶えた。

 

「痛いッ」

 

「まったく・・・急に体を動かすからです」

 

涙を浮かべ、起き上がることも碌にできず倒れこむベルに呆れて溜息をつくアミッド。

 

「魔法については専門というわけではありませんので、推測でしかありませんが・・・・魔法によって体そのものが強化状態となり、その際、痛覚が強制的にシャットアウトされているのではないでしょうか」

 

「じゃあ効果が切れて、蓄積されたダメージが一気に押し寄せてきたってことか?」

 

「おそらくは。ベルさんの体に刻まれた呪詛(カース)が魔法の効果が切れた後に発生したとライラさんが仰っていましたので。ですが・・・目覚めた今も痛みがあるとは・・・大分体を酷使しましたね」

 

ベルの記憶上、初めて使った魔法ではあるが。戦闘中は必死だったし夢中だったし、そういえば魔法を解放したときに妙な視線を感じたりしたし、普段よりも体が早く動いていた気もするし、思えば幽霊みたいなのがいっぱい出てきたし・・・と思い起こされることがチラホラ脳裏を駆け巡り、顔を青ざめさせたり、痛みに悶えたり、ベルはアミッドの手をぎゅっと握りながらヴェルフの方に顔を向けて微笑みを向けて口を開いた。

 

「・・・・ヴェルフ、僕はもうダメかもしれない」

 

「おいベル、そんなこと言うなよ」

 

「体中の筋肉がサヨナラしてるみたいに痛いんだ・・・これはもう、ダメなやつだよ。僕に、僕にもしものことがあったら・・・男神様達が言ってたのを聞いたんだけど・・・僕にもしものことがあった時は、僕のベッドの下を綺麗にしておいて欲しいんだ」

 

「馬鹿、ベル、早まるんじゃねぇ! 諦めるなんてお前らしくねぇじゃねえか! 俺はまだお前と『冒険』だってしてねえんだぞ!?」

 

「こんなこと・・・・ヴェルフにしか頼めないよ」

 

「・・・・くそっ、分かった。ダチの頼みだ、俺が何があっても引き受けてやる・・・ッッ!」

 

まるで今際の際のようなやり取りをするベルとヴェルフ。

そしてそれを、ベルの手を握りながら冷めた目で見つめるアミッド。アミッドとヴェルフも知らぬことではあるが、ベルは街を歩いている時、偶然にもこれから派閥の金で歓楽街へと女遊びしに行く、どうしようもない男神達の会話を聞いていたのだ。「俺にもしものことがあったら・・・」などというそれこそ、しょうもない会話を。アミッドは深い溜息をつき、握っている手に力を籠め、ベルから悲鳴を上げさせると表情を消し去って口を開いた。

 

「ベルさんのベッド? 私は一度も見たことがありませんが。ベルさんは幼少の頃からアストレア様と()()()()()()()のではありませんでしたか?」

 

その言葉に、ヴェルフの顔が凍り付いた。

ラキアを出奔しヘファイストスと出会い、ヘファイストスの紹介でベルと知り合ったが今、彼の耳に入ってきた最新情報が付き合いの長さがそれなりな彼を凍り付かせるには十分足り得た。

 

「ベッドの下にいかがわしいものがあるとすれば・・・それはアストレア様もご存知ということになりますが。私も何度か『星屑の庭』には遊びに・・・いえ、私の派閥の皆さんが「ここは任せてアミッド様は行ってください!」と無理矢理ベルさんに連れて行かれたこともありますが、見目麗しい年上の女性との生活で、一体何に困るというのでしょうか」

 

「ベル、お前、ふざけんな! アストレア様と・・・女神様と同衾、だと!?」

 

「ヴェルフにはヘファイストス様がいるでしょ?」

 

「「え、何がおかしいの?」みたいな顔して言うんじゃねえよ!」

 

「いくらヴェルフでもアストレア様はあげないよ?」

 

「ヘファイストス様の眷族の俺がアストレア様に手を出したら、それこそお前の姉共にぶっ殺されるわ!」

 

「ヴェルフも売れる鍛冶師になれば、きっとヘファイストス様も微笑んでくれるよ」

 

「憐みの目で俺を見るんじゃねえ・・・!」

 

 

男として一歩先を行かれてしまったと勝手に思い込んでいるヴェルフは勝手に悔しがり拳を握り締めた。ベルは祈る。この青年があの鍛冶の女神様といい感じになれることを。

そして三人の会話をしているところに、女神の声が。

 

「・・・貴方達は一体何の話をしているのかしら?」

 

シャッ、と仕切りが開け放たれたことで女神の姿がベルの瞳に映る。

胡桃色の長い髪、藍色の瞳、大きく実った果実。

欠伸をし、目元を擦る仕草は少女のようで、ベルと目が合えば、優し気に微笑んで見せてくれる女神の中の女神。

 

「ヴェルフが僕がアストレア様と寝てるのがずるいって」

 

「そうは言ってねぇよ!?」

 

「あらあら・・・ヘファイストスに相談しておきましょうか? 大丈夫よ、貴方達は神々(わたしたち)からしたら何歳であれ可愛い子供ですもの」

 

「結構です、結構ですからよしてください! 俺がヘファイストス様に睨まれてしまいます!」

 

「そう? まぁ何というか・・・・頑張りなさい」

 

「ヴェルフさん・・・頑張ってください」

 

「ヴェルフ、頑張れ」

 

「あ・り・が・と・う・な! じゃあ俺は派閥の仕事があるんで帰ります!」

 

 

畜生、見舞いに来たのに何で俺が励まされてんだ! そう言ってヴェルフは悔しそうにベルの元を後にした。そんな鍛冶師の青年の悔しさを滲ませた背中を見送ると、アストレアはベルのベッドへと腰掛けると髪を梳くように頭を撫でて、いつものように微笑んだ。

 

「おはよう、ベル」

 

「おはようございます、アストレア様」



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アーネンエルベ⑥

書いておいて内容を良く忘れます


ベル・クラネル

所属【アストレア・ファミリア】

Lv.1

力:B 712

耐久:A 833

器用:B 721

敏捷:SS 1049

魔力:G 202

 

■スキル

雷冠血統(ユピテル・クレス)

・早熟する。

・効果は持続する。

・追慕の丈に応じ効果は向上する。

 

■魔法

【アーネンエルベ】

 【我等に残されし、栄華の残滓。 暴君と雷霆の末路に産まれし落とし(愛し)子よ。】

 【示せ、晒せ、轟かせ、我等の輝きを見せつけろ。】

 【お前こそ、我等が唯一の希望なり】

 【愛せ、出逢え、見つけ、尽くせ、拭え、我等が悲願を成し遂げろ。】

 【喪いし理想を背負い、駆け抜けろ、雷霆の欠片、暴君の血筋、その身を以て我等が全てを証明しろ】

 【忘れるな、我等はお前と共にあることを】

 

・雷属性

自律(オート)による魔法行使者の守護

他律(コマンド)による支援

 

 

『星屑の庭』。

普段、皆が集まって食事をする円卓を囲んで一枚の羊皮紙を、女性冒険者達が眺めていた。

主神たるアストレアがベルのステイタスを更新したそのついでに、隠していた『魔法』について知りたいがためだった。見目麗しい『正義』のお姉さん達は、ベルのアビリティの数値を見て「いやいやいやいや」と有り得ないものを見る目をして、表情を引き攣らせている。

 

「こんな時・・・どんな顔をすればいいのかしら?」

 

「笑えば・・・いいのではございませんか?」

 

「「「ハハッ♪」」」

 

『恩恵』を受けて約7年目にして、ランクアップ可能となったベル。

しかし、護身を覚えさせるための鍛錬こそすれ、モンスターと戦ったことなど碌にないし、まさかベルがミノタウロスとあそこまで死闘を演じることができるとは誰一人として思いもしなかった。というか、『SS』とか意味が分からなさ過ぎて「アストレア様、手元が狂ってますよ? ほら、SSって。誤字か何かですか? やっぱりまだお疲れなんじゃ・・・」と誰かが言ったくらいには皆、自分の眼を疑った。

 

 

「えーっと・・・まぁランクアップ可能なのはいいとして、どうしてランクアップさせていないんですか?」

 

団長のアリーゼは、笑おうとして笑えていない引き攣った顔でアストレアに向けて疑問を投げかける。主神のアストレアといえば、『魔法』を隠していたことについて罪悪感でもあるのか、脚を内側に力を入れ、その間に両手を挟み込みモジモジ。「アストレア様が可愛い・・・くっ」と眷族が悶えさせるそんな主神は、若干上目遣いになりながら「まだ伸びるから」と小さく呟いた。

 

「まだ・・・伸びる・・・?」

 

「そう・・・だから、どうせなら全アビリティ、オールSにしたいなぁっと思って」

 

「「「伸びしろですねぇ!」」」

 

「やめろイスカ、マリュー、セルティ! 神々の真似事をするな。あと、古い!」

 

 

×   ×   ×

『星屑の庭』リビング

 

 

「ハァハァ・・・手こずらせてイケない子だねえ・・・」

 

「う・・・うう・・・ぐずっ・・・」

 

 

姉達がベルのステイタスを眺めながら戦慄したような顔をしている中、長椅子(ソファ)の上では激しい攻防でもあったか、アーディとベルが息を荒くしていた。うつ伏せになり、手に手錠を嵌められているのはベルで、その上に跨るようにして座っているのはアーディだ。

アーディはベルの頭側に背を向け、華奢な体同様に細いベルの足へと手を伸ばすと、ぐいぐいっと細指を何度も喰い込ませ始めた。

 

「ふふっ、ベル君がまともに動けないって本当だったんだ・・・・・・良い玩具だよ・・・ぐへへ」

 

ぐへへとか言っちゃうアーディは男神や女神が、所謂『ショタ』や『ロリ』に心を掴まれ魅了される意味がわかった気がした。

 

「ひぎっ!?」

 

「大丈夫、安心して・・・じきに良くなってくるから・・・ふふっ、お姉ちゃんで練習しておいて良かった」

 

ベルの体は今、まともに動ける状態になかった。

理由は『魔法』の反動だ。Lv.1に似合わない戦闘行為を可能にした『魔法』は効果が解除されると共に負荷が襲い掛かってくることになるのだ。意識が回復し退院を許された今でこそ、その負荷は既に無くなっているに等しいがそれでも動くたびに体中が悲鳴を上げてしまうため悲しいことに往来を女神におんぶされる形で治療院から『星屑の庭』に帰還することとなった。初めての激しい戦闘行為にベルの華奢な体には今、筋肉痛と呼ばれるものが襲い掛かっていた。

 

「神様達が言ってたよぉ・・・ベル君の魔法のこと・・・幽波紋(すたんど)とかなんとかって」

 

ぐっ、ぐっ、と細指がベルのふくらはぎ、腿、足裏を刺激する。

痛みに悶え涙を浮かべていたベルは徐々に頬を桜色に染め、気持ちの良さそうな吐息を漏らす。

 

「ふっ・・・んっ・・・ううっ!」

 

「ふふ、痛いのは最初だけってホントだね・・・」

 

「ど、どこでこんな・・・技、を覚えて・・・?」

 

「ん-・・・・書店にあったよ?」

 

じゃあちょっと強めにするよーと軽い調子で言うと、アーディは指にさらに力を入れた。

 

「うっ、に゛!?」

 

「ベル君もランクアップできるっぽいし一緒にダンジョン探索できるかもって思うと私、楽しみだなー」

 

「いっ・・・・痛っ!? いたたたたた!? や、やめっ!?」

 

「ふひっ・・・痛いのは最初だけだから! ね! ツボが痛いのは疲労が溜まってる証拠って書いてあったから! 大丈夫! お姉ちゃんも「気持ちいい」って言ってくれたから!」

 

「壊れるぅ!?」

 

「壊れない! お姉ちゃんも「いい・・・」って言ってたから!」

 

悶えるベルが逃げないように、両足の内側に力を入れてホールド。

足裏をぐいぐいぐいぐいと刺激し、ベルの口から悲鳴と嬌声をあげさせる。

年下の少年の悶えように、アーディは嗜虐心でも刺激されたか、むふーっと満足気だ。

 

「う゛う゛う゛う゛~~~~・・・・! きっ・・・気持ちいいっ! 気持ちいいからぁっ・・・!」

 

「おっ! よしじゃあもうちょっと強めにやっても大丈夫だね」

 

「・・・・へっ・・・!? やっあっ・・・・あああああああ~~~~~~~~っ!?」

 

 

ベルはこの日、祖父の口から聞いた「美女にマッサージされるとマジ極楽」という言葉を理解した。「気持ちいいと痛いは表裏一体」も理解した。

 

 

――お祖父ちゃん・・・女の人ってしゅごい・・・

 

「ベル君のお尻柔らかーいっ」

 

「ふぇあっ!? 待って、何で揉むんですか!?」

 

「そこにお尻があるからだよ」

 

「意味が分からない!?」

 

「君だってお姉さん達の胸触り放題でしょ・・・ってあれ、ベル君大変!」

 

「ひいいいぃぃぃ!?」

 

「ベル君の股の間に何か硬いものが!? ダメだよズボンの中に刃物を入れたりしたら! 怪我したらどうするの!?」

 

「ぎゃ~~~~~~っ!? 触らないで、ダメ、ダメェ!?」

 

 

×   ×   ×

『星屑の庭』円卓

 

 

ベルの「いやぁぁぁぁ!?」という悲鳴を聞かなかったことにして、アリーゼ達はアストレアから『魔法』についての話を聞いていた。

 

「『魔法』を発現したのはいつですか、アストレア様」

 

【アストレア・ファミリア】は非常にアットホームな派閥である。

 

 

「アルフィアが亡くなって少ししたくらい」

 

円卓に集う眷族達の視線は女神ただ一柱にのみ注がれる。

彼女の前には小型のスタンドライトが設置され、優し気な光が、彼女の前面を照らす。

 

「どうして黙っていたんですか?」

 

そう。

事情聴取である。

両の肘を突き、指を顔の前で交差させるアリーゼ。

申し訳なさそうに、もじもじとしながら上目遣いをするアストレア。

両者ともにノリノリであった。

 

「まず一つ。『魔法』が発現したとき、ベルはまだ幼かったから教えるわけにはいかなかった。治癒や支援系の『魔法』ならまだしも、この『魔法』は攻撃。分かっていても好奇心が幼い子供心を刺激した結果どうなると思う?」

 

「場所も考えずに詠唱しちゃったりして」

 

「解放しちゃったりして」

 

「本拠が吹っ飛んで」

 

「本拠にアストレア様がいたらアストレア様送還されてましたでしょうねえ」

 

「・・・・だから教えられなかったのよ」

 

アストレアの発言は眷族達も予想していたことであった。

ベルのことだ、きっと「ダメよ」と言われていても、「こっそりやれば大丈夫」と子供ながらの思考で詠唱し、『怪物祭』であったように落雷が『星屑の庭』を『塵屑の庭』に変えていたことだろう。もしその時、アストレアがいれば最悪気が付いたら天界にいましたなんてことにもなりかねない。

 

「そしてもう一つ。今言ったことと大して変わらないのだけれど、貴方達の口から漏れてベルに知られる可能性があった」

 

「「「漏れないとは言い切れない・・・」」」

 

 

誰の口が柔らかいだとか疑うようなことはしないが。

 

「団長、気を付けてくださいませ」

 

「えっ、私!?」

 

誰の口が堅いとかいう話ではないが。

ふとした拍子にバレる可能性は十分にある。

例えば、ベルとアストレアが寝た後に真夜中に乙女達だけで夜更かししていたところに、寝ぼけたベルがやって来てしまった場合だとか。

例えば、湯船に浸かりながらベルの『魔法』の話をしていたところにベルが入ってきてしまったりとか。可能性は考えれば考えるだけあるのだ。

 

「だから・・・」

 

アストレアは、ふとベルの方に目線を向ける。

長椅子(ソファ)の上で仰向けにされたベルが腰の上で馬乗りになったアーディに、シャツの中に指を入れられて擽られて「もうやめてアーディさん! 壊れるぅ!?」などと乳繰り合っているのが見えて、ほんの少しアストレアは唇を尖らせた。

 

――ずるい。

 

「アストレア様?」

 

「っ! な、なんでもないわ・・・だから、ベルが冒険者にならないのなら教えない方がいいと思ったのよ。でもあの子、不幸体質かもしれなくて・・・『二属性回復薬(デュアルポーション)』って皆も知っているでしょう?」

 

「ええ、まぁ・・・数年前から【ディアンケヒト・ファミリア】で販売されているやつですよね?」

 

「あれ、ベルが関わってるの」

 

 

×   ×   ×

時は数年ほど遡り、セオロの密林

 

 

オラリオから真っ直ぐ東に進んだ先に連なったアルブ山脈、その麓に広がる大森林。

森を構成する樹木は総じて樹高が凄まじく、幹も太い。野花や苔を始めとした植物の隆盛も顕著で、緑の王国などという言葉が相応しいと言える。

 

 

「ねぇ、ミアハ・・・聞きたいことがあるのだけれど」

 

「お、落ち着くのだアストレアよ」

 

 

そんな場所に。

二柱の女神と三人の『恩恵』持ちがいた。

 

「ねぇ、医神の忠犬(ミーヤル・ハウンド)・・・少しいいかしら?」

 

「せ、【戦姫】ッ、何してるのっ!? それは蝶々じゃない・・・!」

 

「そうね・・・ここが花畑で、あの子が追いかけているのが蝶々だったなら、どれほど素敵だったことか・・・」

 

物陰に隠れ、森の中で起きている惨状を藍色の瞳に映して頬に汗を垂らし、ミアハとその眷族ナァーザに冷ややかな圧力をかける。【ミアハ・ファミリア】の主神と眷族はアストレアを直視できずにいる。

 

「私達・・・・『卵』の採取に来たのよね? 確かこう言っていたわよね? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って」

 

「ち、違うのだアストレア・・・どうか神威を抑えて欲しい・・・・ナァーザが怯える・・・っ」

 

「違うんですアストレア様・・・だってまだ寒いし、雪も残ってるし、まだ冬眠していると思ってたのは本当なんです・・・! まさか元気な上に思ってたより多いだなんて予想外なんです」

 

 

冬も終わりが近いかという頃。

それでもまだ雪は都市内でもチラホラ残っており、冬眠に入っている生物もきっと大人しいはずだと判断した【ミアハ・ファミリア】はベルと都市内を散歩していたアストレアに声をかけた。採取を手伝っては貰えないだろうか、と。無論、護衛にアストレアの眷族が来てくれれば心強いという考えもあったが、ミアハ達の話を聞いてアルフィアを喪って元気のなかったベルを「たまには外の世界を見せてあげるのも良い刺激になるかもしれない」と判断したアストレアは危険はないと判断して承諾した。そこに偶然にもアイズ・ヴァレンシュタインと出会い彼女に護衛を依頼。保護者にも了承を得た。

 

しかしこの時、アイズは護衛の役割を一切果たしてはいなかった。

 

「フーッ、フーッ!!」

 

『オギャアアアアアアアアアアッ!?』

 

『ジュピィイイイイイイイイイイイッ!?』

 

金髪金眼の少女は、どうあがいても高揚状態(ハイ)になっていた。

風を纏った彼女は竜種のモンスターをバッサバッサと斬り捌くという惨劇の舞台を作り上げ、緑色の森に赤い絨毯を敷いていく。

 

「私もそこまで考えていなかったのも悪いとは思うのだけれど・・・そもそもブラッドサウルスは冬眠するものなの!? モンスターよ!?」

 

「爬虫類は冬眠するんです! ブラッドサウルスは恐竜ですし・・・きっと冬眠します!」

 

「きっと!? そんな願掛けみたいな理由で私達に声をかけたの!? ミアハ、貴方の眷族、大丈夫なの!?」

 

「大丈夫なものか・・・いつだって私の派閥は火の車・・・ッ! 毎日必死なのだ・・・ッ!」

 

「暖炉の火を眺めながら毛布に包まって眠りにつきたい・・・ッ!」

 

「・・・・もうっ!」

 

 

【ミアハ・ファミリア】が落ちぶれてしまった件をアストレアは知らないわけではない。眷族に見限られて今や主神と眷族一人の派閥というのはあまりにも寂しいとは思うし、自分も同じ立場になった時どうなってしまうのかなんて想像もできない。今回の採取についても、借金がやばいとか支払期限がやばいとか、ここらで一発新薬を作れば金の亡者(ディアンケヒト)に「ぎゃふん!」と言わせられるかもしれないという深い、ふかーい理由があったらしいが、アストレアは思ってたのとは違う現状に嘆いた。

 

「私はもっとこう・・・花を摘むみたいな、のほほんとしたのをイメージしていたのだけれど?」

 

「理想と現実とはいつもかけ離れているものだぞ、アストレアよ」

 

「そう、そうね・・・いい勉強になったわミアハ。神々(わたしたち)もまだまだ学ぶことはたくさんあるのね」

 

「うむ、そうであるな・・・・」

 

「悪いと思っているの?」

 

「「ごめんなさい」」

 

返り血で金の髪を赤く汚してしまっている【幼女(せんき)】はまったくもって頼りにならない。

少し離れたところでは、器用に木の上に登ったらしいベルは泣きじゃくって助けを求めている。今は亡きアルフィアに。アストレアだってアルフィアに助けを求めた。でもいないのだ、彼女はもう。

 

「この件が片付いたら、話があります」

 

「ど、どうかミアハ様を送還するのだけは・・・!」

 

顔面蒼白させるナァーザにアストレアはなんだか胸がチクチクした。

ポーチから念のために、もしもの時のために持ってきていたベルのステイタスを記した羊皮紙を広げベルへと声をかけたアストレアは自分が言ったことを復唱しなさいと命じ、ベルに『詠唱』させた。

 

「「【アーネンエルベ】」」

 

これが、ベルが初めて魔法を使った時の出来事の詳細である。

魔法の完成と共に足を滑らせたベルはブラッドサウルスに丸のみ。次いで落雷がベルを飲み込んだブラッドサウルスに落ちると、その死体から体液塗れで気絶しているベルが人の形をとった雷に引きずり出されるような形で地に寝かされた。

 

その後は酷いの一言で片づけた方が早いだろう。

ベルを守るようにして佇む人の形をした雷は、「うちの子を可愛がってくれおったな?」「おおん? 覚悟しとんのかワレェ?」「やんのかごるぁ!?」とメンチを切っているかのようで、ブラッドサウルス達に襲い掛かったのだ。体を貫く雷にブラッドサウルス達は悲鳴を上げ、一体、また一体と討伐されていき、最後には「ついでだ」とばかりにアイズの脳天に拳骨(らくらい)。アルフィアの姿であった。

 

 

×   ×   ×

現在、星屑の庭

 

 

「ということがあって、ベルの『魔法』のお陰でブラッドサウルスは撃退。素材を集めることが出来たわ」

 

「一歩間違えたらベル死んでたじゃないですかアストレア様ぁ!?」

 

「ライラ、火薬の量はこれくらいで?」

 

「いや、どうせなら火薬は少量にして粉末状にした辛子とかいれようぜ?」

 

「それでいいのですか?」

 

「むしろキツイからこれでいいんだ」

 

「ちょっとリオン、ライラ、やめなさい。数年前のことで【ミアハ・ファミリア】を強襲する準備しないで」

 

 

今更ながらの報告に眷族達は頭を抱えた。

そういえば過去の抗争で神獣の触手(デルピュネ)と呼ばれる怪物を相手にした時も、【剣姫】が暴走したことがあったなと思い出したが「一体彼女に何があったのだろう」と思うよりも「あの子がベルと仲良くなろうとすると必ずトラブルになるのは何故だろう」という言葉が【アストレア・ファミリア】の眷族達の心の声である。

 

「そ、それで・・・どう解決したんですか?」

 

「私達ですらその話を知らない・・・いや、たぶん本人達には直接謝罪というか、青の薬舗に行くと何故か割引されるのなんでだろうなーって思ってましたけど・・・アストレア様からの報告はなかった気がするってことは大事にはならなかったってことですよね?」

 

アリーゼと、リャーナが問う。

アストレアは、アーディに遊ばれていたベルが疲れ果てて眠っているのを見てから眷族達に向き直り口を開く。

 

「私もどうしようか迷ったのよ? 送還はさすがに・・・って思うし、かといって金銭による賠償となると【ミアハ・ファミリア】が支払えるとは到底思えない。だから、ベルにどうする?って聞いてみたのよ」

 

その時のアストレアは一番の被害者であるベルに、どうして欲しいかと聞くことにした。ベルは『青の薬舗』の商品棚をじぃーっと見つめていて興味津々でアストレアに聞かれてから、うーんうーんと唸ってから、もじもじと恥ずかしそうにしてから言ったのだ。

 

「『ぽーしょん』、飲んでみたいです」

 

と。

『冒険者』ではない以上、ジュース感覚で飲めるようなものでもない。ベルは、アリーゼ達が準備している時に見かけて気にはなっていたが「飲みたい!」とは言えなかったのだろう。まさかの要求にミアハもナァーザも「それでいいの!?」という反応。

 

 

「というわけでベルは数本の『回復薬(ポーション)』と魔法を使っちゃったから『精神回復薬(マジックポーション)』・・・それと新薬の『二属性回復薬(デュアルポーション)』を貰って、もう満足そうにしていたから私もいいかなって・・・なんだか怒る気も失っちゃって」

 

 

ちなみに。

護衛の役割を果たせなかったどころか、竜種のモンスターの蹂躙に夢中になっていたアイズは帰還後にリヴェリアに雷を落されたり、夢の中で灰色の髪の美女に追いかけまわされる夢を見たのだという。

 

 

 

 



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18階層
シルバリオ・ゴスペル①


 

 

 

迷宮都市オラリオ。

都市南西部に存在する一軒家。

それが【アストレア・ファミリア】の本拠、『星屑の庭』である。

かつてはLv.7の元【ヘラ・ファミリア】の幹部、【静寂】のアルフィアが所属し、今は彼女の息子が女神アストレアの庇護下にある。

 

 

「う―――ぉおおおおおおおあああああああああッッ!!」

 

「おらおらァ!」

 

「喰らえ喰らえっ!」

 

「えいっ、えいっ!」

 

 

そんなアルフィアの息子、ベル・クラネルは体が回復したのを機に洗礼を浴びていた。

下半身を地面に埋められ、木彫りの剣と盾を持ち八方から浴びせられる攻撃から身を守る。『星屑の庭』にて、そんなベルの必死の叫び声が木霊する。

 

「おいベル!? やっぱコレおかしいだろ!? お前がダンジョン行くって聞いたから誘いに来たのに・・・こんな、あんまりだろッ!? おいベル聞いてんのかッ!?」

 

「はい鍛冶師君、私語は謹んで。舌噛んで死ぬよ?」

 

「う、うぉおおおおおおおおおああああああああああああああッッ!!」

 

「ベ、ベルゥウウウウウッ!?」

 

「おらおら兎ぃ! もっと行くぞぉ!」

 

「あ、ちょっ、ライラさっ、激しッ、激しいッ!? 前々から言おうと思ってたけど・・・・鬼畜って言葉知ってます!?」

 

「知らねえ。少なくともアタシの辞書にそんな言葉はねえ。後で教えてくれよ、気が向いたら覚えておいてやる」

 

 

【アストレア・ファミリア】の姉達による洗礼は、【フレイヤ・ファミリア】よりはマシでしょ?基準で執り行われていた。曰く、アルフィアが密かに作っていたメニューではモンスターが登場してしまうため、ライラが改良したもので「まぁ殺し合いよりはいっか」と自分達もアルフィアに徹底的に苛め抜かれたことから感覚が麻痺している団員達が首を縦に振ったものである。

憐れなことに、ベルが回復しきったことからギルドにダンジョンに行く旨を伝えたという話を聞きつけ、長らくパーティを組んで欲しいという願望を叶えられる時が来たと朝早くから誘いに来たヴェルフは既に、満身創痍であり息も絶え絶えだった。まだツッコむだけの余裕があるのは、彼もまたベルと友人関係になった時から何度か受けたことがあるからだった。

 

「おいクロッゾ! 文句言うくらいだったら『魔剣』打ってこい! 『遠征』の時にセルティとリオンに使わせるからよ!」

 

「「ライラ、私達に何か恨みでもあるのか!?」」

 

「家名で俺を呼ぶんじゃn――――あだ、アダダダダッ!? 痛ッ、おいッ、レベル差ぁッッ!?」

 

「え、君、前にやった時より腕・・・・落ちてない!? ねぇ、何してたの君。それでベルの友達のつもり!? 喧嘩売ってる!? その赤髪、黒く塗りつぶすよ?」

 

「怖いこと言うんじゃねぇよ!? 俺はそもそも鍛冶師だぞ!?」

 

「「「それ、椿・コルブランド見て同じこと言えんの?」」」

 

「あれはあいつがおかしいだけだッッ!!」

 

椿・コルブランド。

Lv.5にして、【ヘファイストス・ファミリア】団長にして最上級鍛冶師(マスタースミス)である。

そして、「試し切りをしていたらLv.5になっていた」などというヤバイ奴である。

 

「だ、第一ベルのダチであるのに条件いるかぁ!?」

 

「引き抜かれたら嫌だし」

 

「悪い遊びを覚えたら嫌だし」

 

「『ふざけろっ』とか汚い言葉覚えてきたことあるし」

 

「引き抜かれたら嫌だし」

 

「引き抜かねえよ!?」

 

そんな理由で俺まで付き合わされてたのかよ! とヴェルフは今更ながらのことを心の中で叫びあげた。

 

「ゼェ、ゼェ・・・前から思ってたけどよ。このメニューは一体何なんだ!?」

 

「下半身を地面に埋められ、木彫りの剣と盾を持ち八方から攻撃を仕掛ける冒険者達から身を守って少しでも武器が皮膚を掠めれば、三日間女の子の恰好をしてもらいます。下着込みで」

 

「なんだソレはァ!? 百歩譲って八方からの攻撃はいいとして、なぜ下半身を地面に埋める!?」

 

「囁くんだよ・・・アタシのゴーストが。それくらいヤレって」

 

「狂ってるんじゃないのか、お前のゴーストはぁッッ!?」

 

「ヴェルフうるさいっ! やる気がないなら帰って!」

 

「体育会系みたいなこと言うなよッ!?」

 

お前のせいで付き合わされてるんだよッ! と叫びたい気持ちをグッと抑えた。何せヴェルフよりもベルの方が何年もこんな狂ったようなことをしているのだ。ミノタウロスを倒せたのも、もしかしたらこの狂った洗礼のおかげかもしれないからだ。

 

 

「よし、お前ら兎と鍛冶師を掘り返(しゅうかく)してやれ」

 

「収穫言うなぁ!?」

 

「はいはい今掘り返すから大人しくしててねー」

 

地面からようやく解放された下半身は土塗れ。パンパンと叩いて掃い、冷たい水を貰い二人してぐびぐび音を鳴らして飲み下す。ふぅ・・・と汗を拭って吹く風に肌を撫でられる二人の顔つきはまるで一仕事終えた感すらあった。

 

「ほらほらちゃんと水分補給してねー」

 

「輝夜がおにぎり作ってくれたけど食べる?」

 

「たべりゅ」

 

「ちゃんと水分取らせて食べる物食べさせないと、最近うるさいらしいからねぇ・・・『恩恵』持ちだろうが虐待だ!って叫びあがってくる人達とかいるから・・・はい、鍛冶師君も」

 

「ああ、どうも」

 

「あ・・・一個だけ『ワザビ』っていうの入っているらしいよ。よくわからないけど・・・・『あたり』らしいよ」

 

「むぐむ・・・ぐ・・・・ングハァッ!?」

 

「ヴェ、ヴェルフゥウウウウウウウウウッ!?」

 

今はどこかへ出かけている極東の姫君。

彼女が作ってくれた『おにぎり』の一つによって、ヴェルフ・クロッゾが大地に沈んだ。

ベルは彼の口から吐き出された白米の中に混じっていた緑色の謎の物体に恐怖したと同時に、きっと輝夜さんのことだから「リオンが食べてくれたら面白いだろうな」くらいに思ってやったに違いないと察し憐れな兄貴分に両手を合わせ、【アストレア・ファミリア】一同は合掌した。

 

数分後。

 

「ぐほぁっ!?」

 

「「「あ、生き返った」」」

 

「殺すなァッ!? 光の向こうでシャワー浴びてるヘファイストス様が見えたわ!」

 

「それきっと椿さんの間違いだよヴェルフ」

 

「ふ、ふざっけんなベルッ! 褐色で塗り替えるんじゃねぇ!!」

 

生き返ったヴェルフは口の中を洗い流すべく、何度も水を飲み干した。

後で【大和竜胆】には文句を言ってやる! と強く決意しながら、ぐびぐび、ぐびぐびと水を飲み干した。

 

「よく・・・ベルは・・・こんなの長年できたな」

 

「いや何度か逃げてるぜ」

 

「逃げたことあんのかよ!?」

 

「それがよ、全裸で女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)を追い回されて、三つ編みだらけにされた髪の一束でも解けたら即失格、というメニューも考えたんだが・・・」

 

「さすがにベル君が可哀想って・・・アストレア様の抗議を受けて廃止。まぁ私達もそれを聞いた時、さすがにダメだよって思ったけどね? そのメニュー内容を見たベル君が泣きながら本拠を飛び出した時は探すのに苦労したよ・・・」

 

当時のアストレアは「ベルが搾りカスになるどころの話じゃないわ・・・・・・絨毯みたいになっちゃうからダメよ」と凍り付いた微笑みでライラを止めたのだという。ライラもその時冷静になり、「つい、楽しくなってました」と謝罪している。している・・・のだが、メニューの内容を見てしまったベルは「みんな僕が嫌いだから虐めるんだ!」と泣きじゃくり本拠を飛び出したのだ。

 

都市内を走り回るバニーガール姿の『ミニ・アルフィア』を偶然にも目にしたリヴェリア・リヨス・アールヴは何か良くない物でも食べたのではないか? もしや、またアイズがやらかしたか!? とストレスから幻覚を見たと錯覚。強めのお薬を貰いに行った。【アストレア・ファミリア】総出で見つけ出した時には、ベルは女神デメテルに捕獲されており、「やーん、かーわーいーいー」と抱きしめられ、その豊満すぎる乳房によって意識を刈り取られていたのだという。

 

 

「・・・・そういえば、ヴェルフは何しに来たの?」

 

「・・・・・・ベル、一発殴っていいか?」

 

爽やかな笑顔をベルに向けて。

「ダンジョン行こうぜ!」と誘いに来たのに、「まぁまぁ長話もなんだから」と言われて地面に埋められて狂った洗礼に付き合わされたことも含めて、一発ガツンとキツイのやっとかねぇと・・・と拳に力を込めてヴェルフは言う。ベルはキョトン、とした顔をしてから立ち上がりヴェルフを見下ろしてニコッと笑った。

 

「・・・闘う(やる)?」

 

「・・・・やってやろうじゃねえか」

 

女傑達が見守る中、ベルとヴェルフは木剣を構え見つめ合う。

ライラが右手を上げ、「一本勝負な・・・・はじめ!」と合図し、二人は模擬戦を開始した。

 

 

「「―――勝負だ!」」

 

 

 

×   ×   ×

ダンジョン3層

 

 

 

 

「畜生・・・・負けた」

 

「フフッ・・・勝った」

 

 

悔しそうに落ち込むヴェルフと勝利の笑みを浮かべるベルは、ダンジョンの中を歩いていた。

ベルの初めてのダンジョン探索。

ステイタスだけを見れば、一気に先の階層へ行くこともできたが、ベル以外の【アストレア・ファミリア】の眷族達による話し合いの結果。スキップするのではなく、確実にダンジョンというものを学ばせることが大切だということになり上層から順に攻略を開始していた。

 

 

「にしても・・・『掃除当番(スイーパー)』作業か・・・」

 

「輝夜さん、実際どういうことをすればいいの?」

 

「正規ルート以外のモンスターの間引きだ。そもそも『掃除当番(スイーパー)』作業はLv.3かLv.4の第二級冒険者が行うものだが・・・まあ、12階層までならお前達に任せても問題ないだろう。あくまで、第二級冒険者(わたしたち)の同伴が前提だが・・・お前の育成のついでだ。数日かけて行う予定だ」

 

「魔法を使うんだよね?」

 

「ああ。だが、モンスターの特性も覚えさせろと団長に言われているから、魔法無しで何度か戦闘させてからだ。それと7階層あたりまでは魔法はいらん」

 

「そっか・・・。ところで、輝夜さん」

 

「ん?」

 

「ヴェルフが言いたいことがあるんだって」

 

「あらあら、何でございましょう?」

 

「『おにぎり』・・・旨かったぞ。『わざび』・・・ありがとうな!」

 

「ぷっwwwwお前がwww食べたのかwwwwリオンじゃなくてwwww」

 

「くそっ、笑うんじゃねぇっ!」

 

『わさび』入りのおにぎりを食べたヴェルフを見たリューは、「私じゃなくて良かった」と心底安心したことだろう。もし彼女が食べていれば、とある街娘の手料理を食べて寝込んでしまうくらいにはダメージを負っていたかもしれないからだ。派閥にベルが加入したことで末っ子を脱したリューではあるが、それでもなお玩具にされてしまうのだった。

 

「正規ルートではない場所。故に、モンスターの数は多いぞ・・・雑魚だからと侮っていては痛い目を見ることになる。・・・・ほら、行ってこい」

 

「はい!」

 

通路の奥に見えたモンスターの姿。

それを視認すると輝夜はベルの背を押し、戦闘開始を促した。

右手に直剣、左手に円形盾を持ったベルは六体のコボルトの群れへと突っ込んでいく。

 

 

「で、ベルに負けたようですねえ」

 

「・・・・」

 

「別に? 何も恥ずかしいことではございません。何せ、私たちの兎様は八歳の頃から私達を相手にしていたのですから・・・ええ、対人であれば同レベルの相手に勝てて当然だと思いますので」

 

「・・・・」

 

「精神攻撃は基本」

 

「やめろ」

 

「まあ昔あいつも、乳のない女のことをなんて言うか知っているか? とライラに聞かれて「お前の前面フィアナゴーズウェイ?」と言ったらぶっ飛ばされたわけでございますが・・・ええ、確かに精神攻撃は基本でございます」

 

「やめろって」

 

「さてさて、私が本拠に戻った時には芝生の上で大の字になっていた貴方様がいたわけでございますが・・・一体何を言われたのやら。是非、お聞かせくださいませ?」

 

クスクスと悪戯に笑う輝夜にヴェルフは嫌そうな顔を隠さない。

なお、大きな乳房のことを「アルヴ山脈」と言ったらエルフ二人が何故かベルに恐ろしいほどの微笑みを向けたことがあるわけだが・・・そのどれもこれもが、旅行帽を被ったとある男神から「ベル君、最近こういう言葉が裏で流行っているんだが・・・・知ってるかい?」などと教えられたとか教えられなかったとか。

 

「う、うぉおおおおおおおああああああッッ!」

 

ヴェルフは前方でコボルトと戦うベルの姿を見る。隣から寒気がするほどの『本日の揶揄いネタ』を手に入れたことに心底嬉しそうな微笑みを浮かべて見つめてくる輝夜の圧を感じ、ヴェルフの全身に嫌な汗が流れた。

 

『グッ!?』

 

「せやっ!」

 

『ダキュッ!?』

 

「らぁっ!」

 

『ブヘァッ!?』

 

 

「き、器用だなベルの奴・・・」

 

「^^」

 

「盾で受けて、ちゃんと斬り返す。それでいて盾を投げて視界を塞いで急所を一刺し・・・背後から襲い掛かろうとした奴に予備の短剣で斬り返してる・・・モンスターと戦ってるところなんて初めて見るが、やるもんだな」

 

「^^」

 

「これはもう・・・11階層まで行ってもいいんじゃないか? なぁ、【大和竜胆】?」

 

「おいベル、こいつに何をして勝ったか教えろ。教えてくれた今夜、風呂で好きなだけ乳を触らせてやる」

 

「おいっ!?」

 

「えっ!? えっと・・・」

 

 

▲   ▽   ▲

 

「うぉおおおおおおおおおおおっ!」

 

「はぁあああああああああああっ!」

 

カツンカツン、と木製の剣がぶつかり合う気持ちのいい音が響く。

立ち位置を何度も入れ替え、何度もぶつかり合う。

体格ではヴェルフに有利だが、足はベルの方が上だった。

何度も模擬戦を行ったことのある二人は、故に、互いの攻撃ならぬ口撃を繰り広げるに至る。

 

「バニーガールの恰好をしたアストレア様!」

 

「っ!?」

 

「が、膝枕しながら頭を耳掃除をしてくれる!」

 

「あ、それ退院したときにしてもらったよ!」

 

「くそっ、ふざけんなお前っ!!」

 

 

治療院から退院した後。

女神アストレアはアリーゼ達に「ベルが喜びますよ」と悪魔の囁きのようなことをして、バニーガールの恰好をさせたり、メイドの恰好をさせたりしていた。アストレアは恥ずかしそうにしながらも、満更でもないような顔で、まだ体の痛むベルの世話をしていたのだった。『正義』の女神の眷族全員が心を一つに「恥じらうアストレア様まじ可愛い」と言わしめるほどの光景があったのだ。

 

「ヘファイストス様が!」

 

「っ!?」

 

鍔迫り合い。

ヴェルフが上から押しつぶすように力を込め、ベルがそれに抗いながら口撃をぶち上げた。

 

「水着を着てる!」

 

「そ、そらくらいどうしたぁ!?」

 

「その上からッ!」

 

「!?」

 

「エプロンを付けて、朝、起こしに来てくれる!」

 

「な・・・そ、そんなマニアックなシチュエーションがあっていいのか、ベルッ!?」

 

気が付けば、ヴェルフが地に膝を付き、仰け反り、ベルが上から押しつぶす形で剣に力を込めていた。

 

▲   ▽   ▲

 

「で、力が緩んだところをデュクシデュクシっと叩き込んで勝ったよ」

 

「あらあら・・・(おのこ)であれば、女神にそのようなシチュエーションを望んでしまうのも致しかたのないこと・・・それで、叶ったのですかあ?」

 

「叶うわけ・・・ないだろッ!?」

 

 

剣を鞘に納めて戻ってきたベルへと輝夜がタオルを渡し、汗を拭わせる。ミノタウロスと戦ったからか、やはりコボルトやゴブリンといった初心者が相手するモンスターでは物足りなさを輝夜はベルの様子から感じ取り、どうしたものかと唇に指を当てながら考える。

 

「・・・輝夜さん、どうかした?」

 

「ん・・・いや、なんでもない。『掃除当番(スイーパー)』作業をすることに変わりはないし・・・手早く済ませて、次の階層に行くか」

 

「そもそも、なんでそんな面倒なことをするんだ?」

 

「はいベル、何故だ?」

 

「え・・・えっと・・・確か、『冒険者』が使っている道が正規ルートだよね」

 

「そうだ」

 

「『正規ルート』って言うからには、正規じゃないルートもあるわけで・・・ダンジョンである以上、モンスターはそこでも生まれる。冒険者が通る正規ルートならモンスターは討伐されるから数は少ないけど」

 

「ああ、成る程。『冒険者』が通らない場所ではモンスターの数が多いのか」

 

「そう、討伐されないと溢れる・・・から、安全な冒険をするためにも定期的に間引きが必要・・・らしいよ」

 

「では三人でとっとと済ませて下の階層に進むと致しましょう」



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シルバリオ・ゴスペル②

 

 

「―――フッ!」

 

『ギシャアアッ!?』

 

 

ダンジョン7階層。

薄緑色の壁面が広がるそこで、ベルはキラーアントやニードルラビットを始めとした複数のモンスターを相手に戦闘を行っていた。無論、正規ルートではない場所でだ。

 

「ベル、魔法のことは私の専門外だ。とにかく使ってお前自身で理解しろ・・・つまり、好きにやれ」

 

「はいっ!」

 

「ベルッ、キラーアントは瀕死の状態になると仲間を呼び寄せるらしいから気をつけろよ!」

 

「わかった!」

 

ヴェルフ、輝夜の二人の前で、雷を覆うベルは間断なく押し寄せてくるモンスターの群れに一人で立ちまわっていた。

繰り出された大薙ぎの一撃が、キラーアントの細い胴を捉え真っ二つにする。

 

『ジギギギギギギッ!』

 

「バンッ!」

 

『ビュギ!?』

 

上空から降下してきた『パープル・モス』を往なし、そのまま直剣で真っ二つにする。

 

「シッ!」

 

ベルが向かう場所には再びキラーアント。それも二匹。

昆虫系特有の口腔を大きく開けて威嚇してくるモンスターに対し、次には、一挙に加速。

二匹のキラーアントを同時に相手取ると見せかけ、右の一体に狙いを絞り込む。

 

『―――ガッ!?』

 

「もういっちょ!」

 

突撃にものを言わせた刃の刺突がキラーアントの胴体中央を串刺しにする。硬殻を砕き肉を焼き切った直剣の威力に、モンスターは断末魔を上げることさえままならない。内側から煙を上げ、キラーアントは沈黙した。すぐさまベルはもう一匹のキラーアントを対処しようと体を捻ったところで、ベルと背中合わせになるようにして人の形をした雷が現れ、ベルの左腕に装備された円形盾を掴み、そのままキラーアントへと殴りつけた。

 

『―――ギッ!?』

 

同胞を殺されて怒り狂うモンスターは大きく回り込み、その鋭い爪をベル目掛けて振り下ろそうとして、バチバチと音を奏でた盾によって殴られ放電を喰らう。ピクピクと体を痺れさせ、まともに動けないキラーアントの胴体にベルはそのまま刃を収め止めを刺した。人の形をした雷は、キラーアントを殴ったところで役目を終えたのかその姿を消していた。

 

 

「「ベル様お強い~!」」

 

「・・・・急にどうしたの?」

 

ベルがモンスターを蹴散らす光景に、ヴェルフと輝夜が魔石を拾いながらそんなことを言った。思わず、ベルは何事かと振り返るも「悪い悪い、言いたくなっただけだ」とあしらわれた。ベルは首を傾げて、再びモンスターとの戦闘を再開させ、そんな姿を二人は眺めながら会話を続ける。

 

「あれがヘファイストス様が言っていた『すたんど』とか言うやつか」

 

「やめてやれ、世界観が違う。そうだな・・・・便宜上、『分身』と言うのが正しいだろう」

 

「結局のところ、アレはなんなんだ?」

 

「知らん、わからん、なぁんもわからん。専門外なのもそうだが、見るのが初めてだからな」

 

「・・・・聞いた話じゃ、『怪物祭』の時は沢山でてきたらしいが・・・あれか、一人で数の暴力ってのができるのか?」

 

「ベルを泣かすとリンチにされかねませんわ、今のウチに媚びを売っておいた方が良いのではございませんか元魔剣貴族様? ほら、その立派な右手でシコシコと『魔剣(イチモツ)』を鍛えてくださいませ♡ 頼るつもりはございませんが、あれば窮地を脱するのに十分役立ちますので」

 

「家のこと持ちだすのやめろよ!? シコシコって言うんじゃねえよ!? ・・・・・・イチモツって言うんじゃねえよ!? ベルが聞いてたらどうするんだ!?」

 

「何をおっしゃるかと思えば・・・女所帯で可愛らしい顔をした男が一人、暮らしているのですよ? 何も起きないはずが・・・」

 

「・・・・・起きてんのか、何かが!?」

 

ゴクリッ。

ヴェルフ・クロッゾ17歳。

彼は今、弟分のようなベルが【アストレア・ファミリア(おとめのはなぞの)】でどのような生活を送っているのか。生唾を飲み込む勢いで気になってしまった。ダンジョン探索どころじゃねえ。『掃除当番(スイーパー)』? んなもん、どっかのやらかした第二級冒険者のエルフにでもやらせておけ! とばかりにそもそも何をしに来たのかさえ忘れる勢いで目を見開き、輝夜へ叫ぶように問い返した。無理もない。彼も彼でお年頃。それを輝夜は「ぶふっ」と袖で口元を隠して笑った。

 

「おい・・・何で笑ってんだよ」

 

「そんなに目を血走らせないでくださいませwwww 一体何を想像したのやらwww 良い機会です、是非、ヘファイストス様との関係に進捗があったのかも合わせてお聞かせ願えますか? 酒の一杯くらいは奢ってさしあげますので」

 

ニッコリ。

ニンマリ。

緋色の瞳を細め、口を三日月のように歪めて怪しい笑みを浮かべる大和撫子にヴェルフは「嵌められた」と口をパクパクさせた。

 

「・・・ちくしょう、勘弁してくれ」

 

クスクス笑いかけてくる彼女はきっと、ヴェルフを酒の席に連れまわせば「敬愛するヘファイストス様とどこまで行ったのか」とか「は? まだ逢瀬の一つも誘えていないのか? クソザコか?」とか酒のつまみにすることだろう。ヴェルフももう【アストレア・ファミリア】とは長い付き合い。嫌と言うほど、思い知っているのだ。

 

そこに。

 

「・・・・二人とも、何の話をしているの?」

 

二人の前方で戦闘を行っていたベルがムッとした顔で振り返る。二人が何を話していたのかはわからないが、仲間外れにされているような気がしたのだ。

 

「ヴェルフ、輝夜さんとイチャイチャ?」

 

「してねぇよ!?」

 

「どうしたベル、嫉妬か?」

 

「・・・・・・・」

 

『―――グシュ・・・・・ッ! シャアアアアアアアアアアア!!』

 

何とも言えないモヤモヤを抱いたベル。

その背後の壁面が破れ、キラーアントが禍々しい産声を上げた。ベルは意識を切り替え、残っているモンスターを片付けると、壁から這い出ようとしているキラーアントへ疾走。

 

「うおりゃあッッ!!」

 

『グヴュ!?』

 

左足を踏み切って、飛び蹴りを炸裂させた。

ズンッと壁に鈍い音が響き渡り、首の折れ曲がったモンスターはぐったりと力を失った。

 

「お、おうベル・・・なんだ、機嫌が悪そうじゃねえか」

 

「・・・・・別に、僕は気にしてないよ?」

 

「ベル、そろそろ帰るか?」

 

「・・・・うーん、もうちょっとだけ」

 

「ほどほどにな」

 

「うん」

 

まるで穴にはまり抜け出せなくなったような間抜けな格好で壁面から垂れ下がるキラーアントを見上げるベルの元に見守っていた二人が近寄ってくる。

 

「届きそうにないなら、俺が処理してやろうか?」

 

「ん-・・・・・」

 

ヴェルフがベルの代わりに埋まっているキラーアントの処理をしようかと提案するも、ベルは何か考えるようにしてから「()()()()()」と呟く。

すると、ベルの両脇に腕が通され全身鎧の何者かに持ち上げられたではないか。

 

「・・・・」

 

見守っていた二人はその光景に何も言わなかった。

父親に抱き上げられる子供のようなワンシーンを彷彿とさせる。そんな光景を指摘すれば、きっとベルは光の消えた深紅の瞳で睨んでくるに違いないからだ。ベルもベルで、まさかできるとは思わなかったのか、かなり気まずそうに、黙々とキラーアントの上半身と下半身を繋げている胴を切断していった。

 

 

「・・・・・・帰るか」

 

「だな」

 

「・・・・・うん」

 

 

×   ×   ×

夜、『星屑の庭』

 

 

「それで、なんで初めてのダンジョンで18階層まで行ってるのかしら? バカなの、死ぬの?」

 

少し遅い夕食を全員で囲って食べるそんな一時。

ベルのダンジョンデビューの成果を聞いたファミリアを代表して、団長のアリーゼが微笑みながら青筋を立て、そんなことを言った。アストレアに至ってはニコニコ微笑んで何も聞かなかったことにして眠そうにしているベルに「はい、あーん」している始末。輝夜は静かに怒るアリーゼに「待て待て」と言ってから弁明した。

 

「7階層で蟻の駆除をしたら帰る予定でございました」

 

「そうよね、なのに何で18階層まで行ってるの? 夕方・・・ううん、遅くても夕飯時には帰ってくると思ってたんだけれど二人が帰ってきたのは22時よ!? 良い子はとっくに寝てるの! 見て、ベルのあの眠そうな顔ッ! アストレア様にされるがままよ!? 羨ましいッッ!」

 

「アリーゼ、欲望が出てます。押さえてください」

 

「ハッ!? しまったわ、私ったらつい、アストレア様に「あーん」してもらいたい衝動とか、逆にしたい衝動が出てしまったわ・・・ッッ!」

 

「まぁその欲望はどうでもいいとして・・・別に就寝時間などどうでも良いことでしょうに。あいつも今や14歳だ、夜更かしの一回や二回・・・徹夜の一回や二回、夜這いの一回や二回、したくもなるでしょう? 気にするほどのことでございますか?」

 

「待ちなさい、しれっとベルが夜這いをしたみたいに言うのをやめなさい」

 

「何を言っているのやら、お年頃で、異性に囲まれて、女神と同衾をしているのですから」

 

「何も起きていない方がおかしいわよ」

 

「!?」

 

「「まあ各々、たまに眠っているベルを自室に連れ込んでいるんですけど」」

 

「!?」

 

「おいアリーゼ、輝夜。リオンの顔見てみろ、エルフが魔剣喰らったみたいな顔になってんぞ」

 

「「うける」」

 

「ウケるなぁ!!」

 

「コホン・・・・別に夜更かしするなとは言わないわ、他人のこと言えないし。でも徹夜はダメ、アンドロメダみたいになっちゃう」

 

 

×   ×   ×

【ヘルメス・ファミリア】本拠『旅人の宿』

 

 

「ぶぇっくしょいっ!!」

 

月明りが都市を照らす頃。

とある優男を主神とした派閥の団長はくしゃみで山積みになった書類をぶっ飛ばした。

 

「おいおいアスフィ、風邪か? 淑女(レディ)が体調管理をおろそかにするなんて主神としては見過ごせないぞ」

 

「・・・・・」

 

「あれだ、規則正しい生活をした方がいい。俺はそう思うぜ、じゃなきゃその瞼の深い深ーい隈、いつまでたっても消えないぜ?」

 

「・・・・・」

 

ズレた眼鏡をクイッと元の位置に戻して、床に散らばってしまった書類を拾い上げ再び椅子に深く座り紅茶で喉を潤し、ペンを手に取り作業を再開するアスフィ。彼女の目の下にはそれはもう深い隈が出来上がっており、机には空になったいくつもの小瓶が並んでおり、眠気やら疲れを誤魔化しているのは明らかだった。美女が台無しである。そんな己の眷族の有様を長椅子(ソファ)にどっしりと座って寛ぐヘルメスは怪訝な顔をして注意した。アスフィはガン無視である。

 

「まったく・・・・誰だ、派閥(ファミリア)の団長一人に仕事を押し付けているのは。よし、ここは主神としてガツンと言ってやらないとな!」

 

「犯人は、お前じゃああああああああああああいッッ!!」

 

「ぐっほぁあああああああああああああああッッ!?」

 

 

横でやいやい言っているヘルメスに堪忍袋の緒が切れたのか、アスフィは近くにあった分厚い本をヘルメスの顔面目掛けてぶん投げた。それが一体どれほどの威力だったのか。ヘルメスは顔の形を歪め、窓ガラスを割り、悲鳴と共に夜空へと消えていった。

 

 

×   ×   ×

『星屑の庭』

 

「とにかく、徹夜はダメよ。体の成長によろしくないし・・・そりゃぁ、一睡もせずにアストレア様の寝姿を眺めていたい気持ちはわかるけど、ダメなものはダメ」

 

「・・・なあアリーゼ、そもそも兎の徹夜云々の話じゃなかったはずだろ? なんで初ダンジョンで18階層まで行ってんだって話だったよな?」

 

「・・・・そうだったわ、ごめんなさいライラ。うっかりしてたわ」

 

「で、輝夜。なんでなんだよ」

 

視界の端でアストレアの肩に頭を乗せて寝落ちを決め込んでしまったベルを眺めながら、ライラに問われた輝夜は改めて事情を説明する。曰く、帰ろうとしたところ、【ロキ・ファミリア】のとある山吹色のエルフがしょんぼり顔で歩いているのに遭遇。事情を聞くと彼女はダンジョン探索中にちょっとしたミスをしてしまったとかで、その罰として『掃除当番(スイーパー)』を任されたのだという。しかし、行けども行けどもモンスターはおらず、かと言って「モンスターはいませんでした!」なんて報告などできるはずもなく、下へ下へと潜っていたところ輝夜達三人のパーティに出くわしたのだとか。単独(ソロ)で潜っているそんなレフィーヤのはるか背後に隠れて見守っているらしいリヴェリアを確認した輝夜達は仕方なく、レフィーヤの手伝いをしてやることにしたのだ。

 

「それでもベルを連れて18階層まで行くってのはどうなのかしら」

 

「「リヴェリア様がいらっしゃるのなら、問題ないでしょう。はい、解決」」

 

「エルフは黙ってて」

 

「【九魔姫】は監督役でこっそり見守っていたらしい。【千の妖精】が何をやらかしたのかはしらんが・・・奴は神々が言うところの豆腐メンタル。詠唱中にモンスターにでも迫られて詠唱をやめてしまったとかでしょう」

 

「なんで【九魔姫】はこっそり見守ってたのよ。一緒に行動してあげたらいいじゃない」

 

「「尊きお方の威光に下々の者が耐えられるはずがない、リヴェリア様はあえて気を遣ってくださったのでしょう」」

 

「・・・・エルフって面倒くさくない?」

 

「そりゃ面倒くせぇだろ。いつだったか【フレイヤ・ファミリア】の小人×4が【九魔姫】を殺しかけたとかいう話があったじゃねーか。あんとき、ここの妖精(バカ)二人もブチキレて襲撃に行ってたくらいだしな」

 

「とりあえずセルティとリオンは正座しておいたら?」

 

「「えっ」」

 

過去にとある美の女神が眷族を連れずに一人で都市内を徘徊したせいで彼女の眷族はあちらこちらを走り回った主神を捜索。何かやらかすんじゃないかと怪しんだ【ロキ・ファミリア】と抗争直前まで行くわ、【九魔姫】を殺しかけて【ロキ・ファミリア】以外のエルフ達からも怒りを買って返り討ちにされた小人達がいたり、いろいろあったのだ。当時のことを思いだしたアリーゼは、王族万歳するエルフ二人になんとなく正座を命じた。律儀に正座したエルフ二人は数分後、産まれた小鹿のようにプルプルと足を震えさせていた。

 

「フーッ、あの時ほど・・・アルフィアがいないとこんなにも私達は力不足なんだって思い知ったことは無いわ。とりあえず事情はわかったから許すけど、あんまり無茶なことさせないでよ?」

 

「当然でございましょう。変に傷をつけたらそれこそ、あの世にいるアルフィアに何をされるかわかったものではございませんので」

 

「じゃあ皆、食べる物食べて、お風呂入って、寝ましょ。明日もあるんだし」

 

最後に「解散!」と言うとアリーゼは自分の食器を片付けてから自室へと姿を消していく。それに続くように、【アストレア・ファミリア】の女傑達は各々行動を起こし、『星屑の庭』は静かに寝静まっていった。

 

 

 

 

×   ×   ×

別日 『星屑の庭』

 

 

『魔力』を上げるために『掃除当番(スイーパー)』作業というていで、多くのモンスターとの戦闘を終えて、ベルは本拠に帰って来ていた。日は既に落ちて、大空には微かに星が輝いていた。

 

 

「あの、リューさん。『へいこーえいしょう』?ってなんですか?」

 

「・・・・誰かに聞いたのですか?」

 

「今日、ダンジョンに行ったときにレフィーヤさんが言ってました」

 

「・・・・・その時に聞けばよかったのでは?」

 

「うーん、よくわからないんですけどレフィーヤさんが「はぁ? 貴方にはまだ早すぎます! あと10年待ちなさい! ダンジョンデビューしたばかりの貴方に並行詠唱を覚えられたら、追い抜かれたみたいになるじゃないですか!」って言われて。それなら、リューさんなら教えてくれるかなぁって」

 

「そ、そうですか。し、仕方ないですね私で良ければ、教えてあげましょう」

 

 

風呂上りでソファに寛いでいるリューの元に、ベルがやって来る。

『魔法』といえば、エルフだよねという考えからリューに教えを乞うたのだ。

リューは肩にかけていたタオルをベルに手渡し、それを受け取ったベルはリューの後ろに回ると濡れた髪を拭き始め、リューは頼られているという心地よさにニヤけ、頭を触れる感触に時折うっとりとしたような顔をしながらベルが聞いたことに対して返答する。

 

「『並行詠唱』とは、本来発動の失敗や魔力の暴発を防ぐため停止して行われる詠唱を高速移動しながら展開する離れ技です。私もできます」

 

「離れ技ってことは難しいんですか?」

 

「ええ、多くの者達に守られなければ戦闘もままならない魔導士が、この詠唱技術を習得すれば、高火力の移動砲台と化すでしょう。しかし、『魔力』というどんな武器よりも難物(じゃじゃうま)な得物を扱いこなさなければならないこの技術を有する者は、上級冒険者の中でも圧倒的に少ないとされます。ちなみに、私もできます」

 

「僕もできるようになりますか?」

 

「火薬の大樽を片手に火の海の中を走るに等しいほどに高度な技術なため・・・教えたらすぐできるものではありませんよ? まぁ、私はできますが」

 

ちょいちょい「私、できるんですよ?」アピールは忘れないリュー・リオン。

後ろにいるベルには見えていないが、彼女の表情はドヤ顔に染まっていた。この時点で、帰還していた仲間達はリューのその顔を見て、いつおちょくってやろうかとぷるぷると震えていてた。

無理もない、あの普段はあまり表情を変えないリュー・リオンが、異性に髪を拭いてもらいながら、気持ちよさそうな顔をしていたかと思えば、ドヤ顔をしているのだから。

 

――『並行詠唱』、習得しておいてよかった。 この子に「リューさん格好いい!」と思ってもらえるかもしれない。何せ、彼は金髪のエルフに憧れがあると、かつてアルフィアも言っていましたし。

 

などと考えていることくらい、【アストレア・ファミリア】の女傑達にはまるっとお見通しであった。なにせ、アルフィアとベルが来る前までは彼女こそが末っ子だったのだから。

 

「うーん・・・じゃあ実際に火薬の大樽を片手に火の海の中を走ってくれば・・・・」

 

「待ちなさい」

 

「あ、そうだ。『戦いの野(フォールクヴァング)』にいけば・・・・」

 

「いけない、やめなさい、行ってはいけない! ほら、貴方のすぐ近くに頼れる人がいるでしょう!?」

 

なぜ【フレイヤ・ファミリア】のところに行こうとするんですか!? 

なぜ危険を冒せば習得できるという思考にいくのですか!?

頭、アルフィアですか!?

私、『並行詠唱』できるんですよ!? 頼って!?

 

と、考えていることなど【アストレア・ファミリア】の女傑達にはまるっとお見通しであった。なにせ、彼女の目はすごい泳いでいたから。席に座って果実酒に口をつけていたアストレアがベルの言葉に「ぶふぉっ!?」と吹き出していたが、リューは何とかベルに頼られようと必死だった。

 

「すぐ近く・・・・」

 

「え、ええ! 貴方の知己をよく思い出しなさい!」

 

髪を拭くのをやめ、櫛で金の髪を梳いていく。

すー、すー、と櫛が通っていくたびに「ぅうん・・・いい・・・」と気持ちよさそうに身を捩るリューに、見ていた女傑達は「私もお風呂上りにやってもらおう」と心に決めた。頼めばベルはやってくれる、そういうヒューマンなのだ。ベルはリューの髪でシニヨンを作り、三つ編みを作り、シニヨンを囲っていきながら頭の中で魔法が使える知己を思い浮かべた。

 

 

 レフィーヤさんはまだ訓練中って言ってたよね。アイズさんは・・・泣かされたら嫌だしなあ。ヴェルフは・・・たぶん習得してない。ティオネさんも魔法は持ってるって言ってたけど使ってるとこ見たことないからたぶん習得してない。フィンさんもたぶん同じ。【フレイヤ・ファミリア】はダメっぽいし・・・豊穣の女主人にいるクロエさんは多分、「じゃあ報酬として尻を出すニャ!」って言いそうだしなぁ。

 

 

「ク、クラネルさん? あの・・・」

 

「あ」

 

「!」

 

よし、ようやく私を思い浮かべてくれましたね!?

そんな顔をするリューを他所に、ベルの口からはある妖精(じんぶつ)の名が出る。

 

「リヴェリアさん?」

 

「・・・・・・っ」

 

何故、私じゃない!? と叫びたい衝動をぐっと抑え込む。

何せ相手は王族だ。

頭を垂れるべき相手だ。

「ふざけるなぁ!」なんて言えるわけがない。

 

「た、確かに・・・あのお方も『並行詠唱』はできますが、た、他派閥に教えを乞うのは、その、情報漏洩とか、技術流出とか、あの、その」

 

リューが頼めば、「まぁ同胞のよしみだ、手ほどきくらいはしてやろう」と言ってくれるかもしれないが。自分が頼られていないと思い込んでいるリューはもう、ぼろっぼろだった。二人きりで修行して独占しようという打算なんて浮かぶ前に沈んでしまっていた。もう駄目だ、おしまいだぁ。ベルはリヴェリア様に取られてしまうんだぁ。そう思ったその時。

 

「でもお義母さんが「よく覚えておけ、こいつは空いた席に座って最強の魔導士とか言ってるだけのクソザコだ」って言ってたしなあ」

 

「は?」

 

聞いてはいけない言葉が聞こえた気がした。

思い起こされるのは、過去の出来事の一つ。【静寂】のアルフィアと【九魔姫】のリヴェリア・リヨス・アールヴの戦い。「『ウィン・フィンブルヴェトル』でも当ててみたらどうだ? 当てられるんならな」という見え見えの挑発に顔を真っ赤にしたリヴェリアは「望み通り氷漬けにしてやろう!」と詠唱を開始。そこに、一瞬にして近づいたアルフィアが往復ビンタを繰り出し、「は?」というような顔をしているリヴェリアにさらに、おまけと言わんばかりに胸倉を掴み、投げ飛ばしたのだ。芝生に倒れたリヴェリアのその身姿にロキは思わず「ヤムチャしやがって・・・ちゅうか容赦なさすぎやろ」などと言っていたがアルフィアは「お義母さんすごい!」とキラキラした瞳を向けるベルを抱きかかえ、リヴェリアに指を差して言った。

 

「いいかベル、これが―――『惨め』というんだ」

 

「わぁ・・・・!」

 

眷族達のやりとりをそれとなく聞きながら、アストレアは当時の出来事を回想して「嗚呼、たぶんあのあたりからベルの中でアルフィアを基準にするようになったのかもしれないわね」と溜息を吐いた。

 

 

「「()()()()()()()()」って言ってたしなあ」

 

「は?」

 

また聞こえてはいけない言葉が聞こえた気がした。

この時点で、同胞のセルティの瞳から光が消え失せた。

女傑達がざわつきはじめ、アリーゼやライラが「おいやめろ、兎ぃ!」「それ以上言ったらだめぇ! 世間知らずはあんたも一緒!」と小さな声で叫んでいるのがリューの耳に届いた。

 

「「ベル、更年期の女には気をつけろ? ()()()()()()()()ほど手に負えないものはないからな」って言ってたしなあ・・・リヴェリアさん、綺麗だけど、()()()()()()()()()()

 

「クラネルさん・・・・いいえ、()()

 

「! リューさんが僕のこと『ベル』って呼んでくれた・・・どうしたんですか、リューさ―――ひぃっ!?」

 

キリキリと壊れた人形のように振り返ったリューの目つきは、それはもう泣く子さえ黙るほどの恐ろしさを秘めていた。まるでファミリアを壊滅させられて復讐に燃える堕ちたエルフのそれである。さらには、いつの間にやらベルの背後に陣取っていた妖精(セルティ)が、ベルの両肩に手を置いて振り返ったベルに、ニッコリと微笑んだ。絶対零度の微笑みである。

 

「ど、どうしたんですか二人とも?」

 

「セルティ、彼の上半身を。私は下半身を持ちます」

 

「任せて」

 

「えっ、えっ!?」

 

「「ベル(君)には、リヴェリア様がどれほど素晴らしく、高貴であるかを教育する必要性があります。任せなさい、明日の夕方には解放してあげます」」

 

「もう既に夜なんですけど!?」

 

セルティに両脇に腕を通され、リューに両の腿を、二人がかりで持ち上げられた形となったベルは大混乱。アリーゼは喪に服し、輝夜は痛む頭を押さえて溜息を吐き、ライラは「終わったな」と零し、ネーゼ達は「アルフィア、助けて」などと言い、アストレアは「ふ、二人とも許してあげて、ね?」と救おうとして「いくらアストレア様でも譲れません」と首を横に振られてしょげた。

 

「こんな・・・・リヴェリア様の素晴らしさを理解できない子が近くにいたなんて。外に出たらと思うと・・・嗚呼、恥ずかしい!」

 

「で、でもお義母さん言ってたもん! 大したことないって言ってたもん!」

 

「高貴なお方に対する侮辱は許せない、安心しなさい、明日の夕方には貴方も立派なリヴェリア様信者になるでしょう」

 

「こ、怖い! は、離してください! 許して!? ぼ、僕っ、眠っているアストレア様によしよししてあげる役目が」

 

「「そういうのいらないから」」

 

「あっ、あああああああああああああああああああッ!?」

 

エルフ二人によって、ベルはリューの部屋に連行された。

これからじっくり、時間をかけて教育的指導(せんのう)が行われるのだ。女傑達は可愛い弟が、明日にはエルフに転生してるんじゃないかという心配を抱きながら、アストレアの方を向いて「いつもよしよししてもらっているんですか!?」と話題を強引に反らした。アストレアの顔は真っ赤だった。

 

 

 

 

×   ×   ×

 

 

 

ベル・クラネル

所属【アストレア・ファミリア】

Lv.2

力:I 0

耐久:I 0

器用:I 0

敏捷:I 0

魔力:I 0

幸運:I

 

■スキル

雷冠血統(ユピテル・クレス)

・早熟する。

・効果は持続する。

・追慕の丈に応じ効果は向上する。

 

灰鐘福音(シルバリオ・ゴスペル)

戦闘時、発展アビリティ『魔導』の一時発現。

戦闘時、発展アビリティ『精癒』の一時発現。

戦闘時、修得発展アビリティの全強化。

 

■魔法

【アーネンエルベ】

 【我等に残されし、栄華の残滓。 暴君と雷霆の末路に産まれし落とし(愛し)子よ。】

 【示せ、晒せ、轟かせ、我等の輝きを見せつけろ。】

 【お前こそ、我等が唯一の希望なり】

 【愛せ、出逢え、見つけ、尽くせ、拭え、我等が悲願を成し遂げろ。】

 【喪いし理想を背負い、駆け抜けろ、雷霆の欠片、暴君の血筋、その身を以て我等が全てを証明しろ】

 【忘れるな、我等はお前と共にあることを】

 

・雷属性

自律(オート)による魔法行使者の守護。

他律(コマンド)による支援。

 

 

 



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シルバリオ・ゴスペル③

もう一つの方の話が思いつかず、進まない。
最終的なものは決まっているのに、その道中が考え付かない。リリルカどうしよう。


 

 

 

広大で、長大な、大広間。

 

「本当に、俺達でやるのか・・・!?」

 

「18階層に行くなら、アレを処理するしかないんだけど・・・たぶん、宿場街(リヴィラ)の冒険者達は【ロキ・ファミリア】に任せようって腹だろうから応援は来ないと思うよ!」

 

形状がでたらめだった中層の広間とは違い、整った直方体となっている。冒険者達の立つ円形の入り口から広間の奥まで二〇〇M(メドル)に届くか届かないか。壁も、天井も、ごつごつとした岩石の塊で形成される大広間は、その左側の壁面だけ、作りが異なっていた。

 

「腹括れ大男」

 

「嗚呼ッ! こんな時・・・『魔剣』があれば・・・! どうして誰も持っていないのか・・・ッ!!」

 

「おいベル、お前なんでこんな胡散臭いサポーターを雇いやがった!? あと『魔剣』はねぇ!」

 

「雇ったわけじゃないし・・・だって仲間に置いて行かれたって・・・・・可哀想だなあって。ちなみに『魔剣』は一振りあるよ、ほら」

 

「純粋か!? って待て待て待て!? それ俺がヘファイストス様に言われて鍛えたやつじゃねえか!? 何で持ってんだ!?」

 

「ヘファイストス様が持って行っとけって」

 

「よくここに来るまで俺に気付かれずにいられたなあ!?」

 

何者かの手によって磨き抜かれたのかと目を疑うほど、その表面は凹凸一つない。まるで大勢の石工達が手掛けたように継ぎ目が存在しない壁面は、広間の端から端まで伸びて視界一杯を打つ。美しくすらある、けれど何よりも不自然で異様なその壁からは巨大な亀裂が、上から下にかけて、雷のように走り、壁が罅割れる音は次第に喘ぎ、苦しみ、嘆くような重々しい声音へと姿を変え、大広間全体を震わした。雪崩れ込むかのような音の津波に、鼓膜が悲鳴を上げる。

 

「ほら、18階層行くなら倒すしかないよ! ヴェルフ君と桜花君は前衛をお願い。 サポーターのナントカさんは下がってて」

 

「ベルは魔法を」

 

増していく嘆きの叫喚。より大きく、より深くなる何条もの亀裂。鳴動する17階層。

『嘆きの大壁』は臨界が近付き、一層強い衝撃が内側から壁を殴りつけた――次の瞬間。

巨大な破砕音が、爆発した。

思わず息を止める、未熟な冒険者達。

後に続いていく、岩の塊が弾け飛んで崩れ落ち、地に横転していく轟音。背後で破れた巨大壁の破片が散乱していく。

そして、ズンッ、と。

巨大な何かが大地に降り立ったような、一際大きな、着地音。

 

「【アーネンエルベ】」

 

「おお・・・あれが『怪物祭』で見せたという『ブンシンノジュツ』というやつか」

 

響く轟音に混じって雷鳴が鳴り響き、雷を纏うベル。

それを離れた位置で見物しているのは、()()()()()()()。細身で黒と一部灰色の入ったボサボサの髪型に、瓶底眼鏡を付けている。

 

立ちこもる土煙の奥に、生まれ落ちた怪物はいた。

大き過ぎる輪郭。太い首、太い肩、太い腕、太い脚。人の体格に酷似したその形。薄闇の中で一瞬捉えた体皮は、灰褐色。後頭部に位置する場所からは、脂を塗ったように照り輝くごわごわとした黒い髪が、首もとを過ぎる位置まで大量に伸びている。

 

 

「階層主・・・迷宮の孤王(モンスターレックス)、『ゴライアス』。いくよ!」

 

「「応ッッ!」」

 

 

総身七M(メドル)にも届こうかという、巨人。

次第に晴れていく煙の向こうで、人の頭ほどもある真っ赤な眼球が、動く。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』

 

けたたましい咆哮を上げるゴライアスへと、アーディとネーゼを筆頭に冒険者達は駆け出していった。

 

 

×   ×   ×

少し前、地上

 

 

日が輝く。

東の空より現れる陽光が市壁を越え、オラリオの街並みを照らし出す。都市中央から伸びる白亜の巨塔が、冒険者の集う荘厳な万神殿が、広大な円形闘技場が、温かな朝の色に染められていく。

 

「おはよう、ベル君!」

 

開口一番、鈍色の髪を揺らして挨拶と共にベルへと抱き着くアーディ。

噴水のある場所を集合場所として、一人、また一人と集まりつつあった。

 

 

■ パーティメンバー ■

 

【アストレア・ファミリア】

・ネーゼ

・ベル

 

【ガネーシャ・ファミリア】

・アーディ

 

【ヘファイストス・ファミリア】

ヴェルフ

 

【タケミカヅチ・ファミリア】

・桜花

・命

・チグサ

 

■    ■    ■

 

目的地は18階層。

ベルとヴェルフは少しずつ到達階層を更新し、今日18階層を目指すのだ。

それはゴジョウノ・輝夜を師としている【タケミカヅチ・ファミリア】も同様である。

しかし、その一団の中に見慣れない人影が一つあった。

 

「ベル君、その人は?」

 

「えと・・・」

 

「いやぁ、申し訳ない! 仲間に置いていかれてしまってね。困っている所に丁度18階層に行くと小耳に挟んだものだからお願いしてみたんだ」

 

「無理にダンジョン行く必要ないんじゃないかって思うんだけどさ、冒険者依頼(クエスト)があるからっていうし」

 

「うーん・・・」

 

「・・・勝手なことしてごめんなさい。でも、困ってたから」

 

「うーん・・・」

 

アーディは胸に顔を埋めて、ほんの少し申し訳なさそうにこちらを見つめているベルへとデコピンをしてから男の身姿をじっと見つめる。

 

「どこの派閥か聞いても?」

 

「原初の神の一柱たるカオス様を主神とした、【カオス・ファミリア】さ!」

 

「あなたのお名前は?」

 

「ヴェルンシュタイン・オブ・ザ・ヴァイス・ノルデン!」

 

「ヴぇ、ヴぇるんしゅた・・・?」

 

「ヴェルンシュタイン・オブ・ザ・ヴァイス・ノルデンさんだよ、アーディさん」

 

「なんで言えるの・・・?」

 

アーディは朝っぱらから頭が痛むなぁ、と眉間を摘まみネーゼへと目を合わせた。

怪しい、どうあがいても怪しい。

聞いたこともない派閥だし、こんな長ったらしい名前ならどこかで聞いたことくらいはあったはずだがそういった覚えはない。

黒髪に前髪の一部が灰色で決して不潔としうわけではないが、ボサボサの髪型。ぐるぐるとした瓶底眼鏡のせいで表情もイマイチわかりづらい。

 

「ネーゼ、アリーゼは? 輝夜とリオンは【ロキ・ファミリア】の遠征に付いて行ったのは知ってるけど。アリーゼ、来る予定だったでしょ?」

 

「あー・・・今日はその、()()()で調子悪そうだったからベルが休んでてって寝かせてた」

 

「あの日なら仕方ないかあ・・・どうする? 如何にも怪しいんだけど」

 

「私も怪しいと思う。それに、輝夜の舎弟達とベル達は18階層に行くの初めてだから何かあった時怖いんだよなあ」

 

「でもベル君がOKしちゃったしなあ・・・私達が目を光らせておけばいいだけの話なんだけど」

 

「とりあえずそれでいこう。アーディが前衛、私が後衛でOK?」

 

「OK!」

 

二人の保護者による打ち合わせが終わり、これから18階層へと向かう旨をネーゼから改めて後輩達に伝えられる。その間に、アーディは一度、サポーターの男の『恩恵』を確認する。

 

「いやあ、こんな可愛らしい美少女に俺の裸を魅せるなんて照れるなあ!」

 

「あんまりそういうこと言わないで欲しいなあ・・・」

 

「先ほどの愛の抱擁を見るに、彼がフィアンセなのかい? 今噂に熱い、ゼウスとヘラの末裔の彼!」

 

「フィ、フィアンセだなんてそんな・・・もうっ!」

 

ドゴォッ!!

照れから出た平手打ちが、男の背中を赤く染め上げた。

「ひぎぃっ!?」と悲鳴を上げた男の背中には、がっつり掌の形が。

 

「『恩恵』は確かに刻まれてる・・・ベル君が受けちゃったから仕方ないですけど、仲間内との問題であまり他派閥の子を巻き込むのはやめてよね。何かあってからじゃ遅いんだから」

 

「はいはい、気を付けます」

 

「あと怪しい動きしたら即拘束するから」

 

「はーい! バリバリ働きまぁっす!」

 

 

結果から言えば、男はサポーターとしての仕事をしっかりとこなしていた。

胡散臭いことこの上ないが、彼の派閥のことに関して調べるのは地上に戻ってからだとアーディもネーゼも己の胸の内に仕舞い込んだ。

 

 

×   ×   ×

ダンジョン17階層、『嘆きの大壁』

 

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 

ひた走る。ひた走る。ひた走る。

猛然と迫りくる巨大な圧力と殺気。

モンスターがその巨碗を頭上へと振り上げるだけで大きく風が動く。

全てを粉砕する一撃が来る。

ギルドの推定ではLv.4とされている巨人の一撃。

 

それを躱し、大剣で、矢で、刀で斬りつける中、雷を纏うベルがLv.2とは思えない速度でゴライアスへと接近していく。神聖文字(ヒエログリフ)の刻まれた鏡のように美しい直剣を握り締め、ベルは正面で拳を再び振り下ろそうとするゴライアスを確認して言の葉を紡ぐ。

 

「『ぶん投げて(スイング・バイ)』」

 

トンっと地面を蹴り、軽く跳躍。

近付く巨大な拳。

ベルが纏う雷が弾け、人の姿を形作る。

青白い雷が人の姿をしているような存在がベルの襟首を掴んで回転し、投げ飛ばす。

 

 

 

「ほう・・・さらに速度が上がった。Lv.2上位・・・いや、3でも追いつけるか怪しいぞ。しかし、その速度を制御しきれていない」

 

 

振り下ろされた大鉄槌を交差してゴライアスへと一撃見舞うベルを比較的安全な場所でサポーターの男は眼鏡をずらして関心するように観戦する。

 

「全身を覆っていることから付与魔法なんだろうが・・・『分身』が出てくるのは面白い。たった一人で『多対多』を可能にできるんじゃないか?」

 

速過ぎるベルは、まさしく天から降り落ちる雷のよう。

巨人の皮膚を焦がし、肉を裂き、そのままベル自身がゴライアスを通り過ぎて壁へぶつかる。それを大急ぎで回収するのは、先達のネーゼであり攻撃を大盾で凌ぐのは桜花だ。

 

「あの母親にしてこの子有り・・・嗚呼、実に素晴らしい」

 

激しい戦闘音が鳴り響く中、その男、その神、エレボスの声は誰の耳にも届かない。

やがてゴライアスの咆哮と戦闘音を聞きつけた見目麗しい黒髪の美姫が、金髪を揺らす妖精が、人形の如き少女が姿を現して参戦していく中。彼はそっと姿を消していく。

 

「・・・・そう遠くない内に、また会おうじゃないか」

 

 

×   ×   ×

 

ベル・クラネル

所属【アストレア・ファミリア】

 

Lv.2

力:F 345

耐久:G 291

器用:F 366

敏捷:E 489

魔力:G 270

幸運:I

 

■スキル

雷冠血統(ユピテル・クレス)

・早熟する。

・効果は持続する。

・追慕の丈に応じ効果は向上する。

 

灰鐘福音(シルバリオ・ゴスペル)

戦闘時、発展アビリティ『魔導』の一時発現。

戦闘時、発展アビリティ『精癒』の一時発現。

戦闘時、修得発展アビリティの全強化。

 

■魔法

【アーネンエルベ】

 【我等に残されし、栄華の残滓。 暴君と雷霆の末路に産まれし落とし(愛し)子よ。】

 【示せ、晒せ、轟かせ、我等の輝きを見せつけろ。】

 【お前こそ、我等が唯一の希望なり】

 【愛せ、出逢え、見つけ、尽くせ、拭え、我等が悲願を成し遂げろ。】

 【喪いし理想を背負い、駆け抜けろ、雷霆の欠片、暴君の血筋、その身を以て我等が全てを証明しろ】

 【忘れるな、我等はお前と共にあることを】

 

・雷属性

自律(オート)による魔法行使者の守護。

他律(コマンド)による支援。

 

二つ名

探索者(ボイジャー)

※命名した神はアストレア

 

装備

・探求者の剣(直剣、ヘファイストス製)

・兎鎧

・サラマンダーウール  

 

 

×   ×   ×

ゴライアスを討伐後、振り返るとサポーターの青年が姿を消してしまっていたことにベルが責任を感じて落ち込んでいる頃。

 

 

「よお、やってるか?」

 

カランコロン、と耳障りの良い音と共に扉が開かれる。

薄暗く、どこか埃っぽく、通ってきた場所は金属によっておおわれている。

そのどことも知らぬ場所にある一室は、まさしくバーと言ってもいい内装をしていた。

 

「やってるっていうかさぁ・・・ほぼほぼここにいるっていうかさぁ」

 

頭から真っ黒かつボロボロの外套を纏い、不気味さを醸し出すロングヘア―の神物はげんなりしたような顔でエレボスに手を振る。

 

【Bar-タナトス―】

 

迷える子羊達の進路相談に乗ってあげる優しい場所である。

絶賛信者募集中である。

彼は言う、下界の住人は多すぎるから子供達はちょっと死んでもいいと。

司る『死』という事物をそのまま人の形にしたかのように彼は優しく、愛する者と別れた彼等彼女等に諭してあげるのだ。

 

「うっ、うっ・・・ダナドズじゃまあああああ、リキューがああああああ!」

 

「わかる、わかるよ? 辛いよね、俺だってつらいさ。確率詐欺してるんじゃないかって勢いで憤ることもある。でも、いいじゃない。皆死んだら何も残らないんだから」

 

「ぉおおおおおんおおおおおんっ!!」

 

「よく考えてごらん? 当たっても、手に入っても・・・あんなに欲しいなあって思っていたのに、実際は使わないなんてこと、よくあるだろう? 碌に育成しないなんてザラだよ」

 

「ひっぐ、うっぐ・・・」

 

「許す、赦す。お前の嘆きを私は許そう・・・お前がどこの誰で煩悩を発散させようが、すべては些事。下界を離れ天に還った時には全てが漂白される。『死』を司る神である私、タナトスがお前の全てを許そう・・・さあ、火炎石(これ)を持って持ち場に戻りなさい」

 

「あ、あああ、ありがとうございますタナトス様あああああ! 私、精一杯頑張りますうううう! このキンッキンに冷やされた火炎石で冒険者達を解き放って見せますううううう!」

 

 

涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔をした信者は顔を拭い、立ち去っていく。

その後ろ姿が消え、閉じられた扉へと優しく手を振ったタナトスは、スンっと表情を落してカウンター席に座ってニヤニヤしているエレボスに向き直った。

 

「ちいママ、酒」

 

「誰がちいママだよ」

 

背後の棚からそそくさと酒を取り出し、グラスへと注ぎ、エレボスの前に置く。

 

「くれるんじゃねえか」

 

「なんでさあ俺がこんなことしてんのか聞きたいんだけど」

 

「ひひっ、そりゃあタナトス・・・お前がここの責任者だからだろ?」

 

「「・・・・いたんだ、イケロス」」

 

「おいおい酷いこと言うなよ、こんな埃くせえところ貸してやってるのどこの誰だと思ってんだよ」

 

「少なくともお前ではないな、イケロス」

 

「少なくとも貴方じゃないから、イケロス」

 

「俺の眷族の所有だろう? ってことは俺のでもあるわけよ」

 

「バルカちゃんは俺の眷族だけどね」

 

 

『人造迷宮―クノッソス』。

その一区画に作られたその場所は、いわば、暇すぎて死にそうになったので作り出された場所であった。『養殖場(プラント)』作るなら娯楽施設も作ったっていいじゃない。そんな理由で作られた場所だった。店主をさせられているタナトスに、いつからいたのか分からないイケロス。そして瓶底眼鏡を置いて髪型を整えるエレボスによって店は貸切られている。

 

「聞いてくれよ、タナちゃん」

 

「なになに、エレちゃん」

 

「【最強(ゼウス)】と【最凶(ヘラ)】の混成(ハイブリット)と友達になってきたんだよ」

 

「一方的な奴だとただの片思いじゃない?」

 

「あー・・・・大丈夫だろ、あの少年は人を見る目はあるからな。ほら、俺みたいなクソイケメンお兄さんに悪い奴はいないだろう?」

 

「鏡、いる?」

 

「へへ、たぶんお前のせいで今、滅茶苦茶疑われてるだろうけどな」

 

「なんでだよ、世界に記録を残した声してそうなんだから誰だって信用してしまうだろう?」

 

「メタなこと言うと嫌われるよ」

 

「言うな言うな、まあとにかくあの二派閥の残り滓がこのオラリオにいるんだ。放っておくのは惜しい」

 

「ここに招き入れる?」

 

「おい馬鹿、ここは子供には刺激が強すぎるんだよ。というか俺が手を出すからお前等は手を出すなよマジで」

 

「「ええ~~、気になるう」」

 

「顎の前に両手を持ってきて可愛い子ぶるな、気持ち悪い。歳いくつだよ」

 

「「歳の話とか神々(おれたち)に言うなよ」」

 

ゲラゲラ、ゲラゲラ、ゲラゲラ。

男神達はしょうもない話は酒と共に進んで行く。

 

「ああ・・・そうだ、明日くらいに18階層で神威ぶち込もうと思うんだけど、いいよな?」

 

「別にいいんじゃなあい?」

 

「何するつもりだよ、エレボス」

 

「何、英雄になるためのステップアップだ」

 

 

×   ×   ×

18階層 『ヴィリーの宿屋』

 

洞窟をそのまま宿として利用している宿屋で、ベルは項垂れていた。

ゴライアスとの戦闘で壁に激突したダメージは既に回復薬で治療していたが、戦闘終了と共に振り返った際にサポーターの男が荷物を置いて消えていることに「ひょっとして階層主に夢中になりすぎてモンスターに襲われたのでは」と18階層まで一緒に行くと約束した手前、責任を感じているのだ。

 

 

「ベル、いつまでも落ち込むな」

 

「・・・・むむぅ(でもぉ)

 

「くすぐったいから喋るなら顔を埋めるのをやめろ」

 

ベッドに腰かけている輝夜の膝にうつ伏せになってもごもごと喋るベルに身を捩る輝夜。隣ではリューがアーディに抱き着かれながら、事の経緯を聞かされていた。

 

「なんでしょう・・・聞くからに怪しい。名前・・・なんでしたっけ」

 

「ヴェルンシュタイン・オブ・ザ・ヴァイス・ノルデンさんだよ、リューさん。襲われちゃったのかなあヴェルンシュタイン・オブ・ザ・ヴァイス・ノルデンさん。ごめんなさい、ヴェルンシュタイン・オブ・ザ・ヴァイス・ノルデンさん。優しいお兄さんって感じで世界に何かしらの記録を残してそうな声をしていたヴェルンシュタイン・オブ・ザ・ヴァイス・ノルデンさん・・・・あなたのことは忘れない」

 

「ごめんなさい・・・とても一度聞いただけで覚えられるとは思えない」

 

「・・・・ダンジョンに潜ってたから冒険者だとは思うんだよねえ『恩恵』も確認したし」

 

「数年前、リオンも似たような人物に絡まれたと聞いたことがあるが?」

 

「うーん・・・似てたような、似てないような? でも消えたサポーターの人は眼鏡付けてたし・・・いやでもあの眼鏡、ギャグじゃないのってくらい怪しかったしなあ・・・なんでぐるぐるした瓶底眼鏡なの?」

 

「まあわざわざ荷物を置いて消えたのだ、大方、戦闘に夢中になっている間にそそくさと18階層に行ったのだろう。一々気にするな、ベル」

 

「・・・・ぁい」

 

宿は貸切られていて、それぞれの部屋に行動を共にしていた面子にリューと輝夜が加わり9名だけが洞窟内で寛いでいた。

 

「にしても、ここの店主・・・随分、景気よく貸切らせてくれたね? 二人はてっきり【ロキ・ファミリア】のキャンプ地で休むと思ってたけど」

 

「いえ、そのつもりでしたが・・・まさか今日ベルが18階層に来るとは思っていなかったからな」

 

「それとアーディ、貴方は一つ忘れていることがある?」

 

「ん?」

 

「この宿屋では以前、貴方の派閥の冒険者が殺害されるという事件が起きている。格安なのは客足がさっぱり来ないからだ」

 

「あー・・・・まあ命を賭ける冒険者だから縁起が悪いのは避けたいよねえ」

 

 

悲しい事件だったらしい。

豊満な体をした美女と一緒にやってきた男が、ヤられたらしいのだ。

部屋中が赤く染まり、いろんなものが散らばっていたらしい。

悲しい・・・事件だったらしいのだ。

 

 

「ガネーシャ様は腹上死って言ってたけど・・・どうだったんだろう。私、その現場知らないんだけど」

 

「あとで【勇者】にでも聞いてみてください。恐らく違うと思いますが」

 

わしゃわしゃ、わしゃわしゃ。

アーディが、輝夜が、リューがベルの髪を撫でまわす。

くすぐったそうにするベルが手の届くところにあったネーゼの尻尾をむぎゅっと掴んで撫でまわし、びっくりしたネーゼが一度、背筋をピンっと正した。仕切りの向こうでは、少女達の「どうしよう命・・・人が死んだ宿だよぉ」とか「だ、だだだ、大丈夫です千草殿! ここには自分達よりも強い先輩方がいるのですから!」とかいう声が聞こえてきたり、男達の「腹上死か・・・・」とか「腹上死・・・・種は、残せたのか?」とか「出し過ぎて爆発したのか?」「おいおい大男。それだと股間が魔力暴発したみたいじゃねえか、冗談じゃねえぞ」とかしょうもない会話をしていた。

 

「あの子達の料金は・・・・【アストレア・ファミリア】持ちでいいの?」

 

「大した額じゃありませんでしたし、鍛冶師の彼にはベルが世話になっている・・・野宿しろとはとても言えない」

 

「ベル、夕食の前にシャワー浴びに行くぞ」

 

「・・・・行ってらっしゃい?」

 

「たまにはつきあえ」

 

「えー」

 

「・・・・私達の冒険の話を聞かせてやるぞ」

 

「行く!」

 

「「チョロいなあ・・・ベル」」




タケミカヅチ・ファミリアとベル君達は正史通りの18階層到達ではなく何度も中層を行ったり来たりしてからの18階層行きです。


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シルバリオ・ゴスペル④

かかげ先生の描くダンまち・・・楽しみすぎる。


朝。

 

 

ベルが最初に感じたのは、重さだった。

苦しいだとかいう不快な重さではないが、身動きは取れない。

次に感じたのは、柔らかくなめらかで温もりのある、感触。

更に、口の中で何かがチロチロと動くような感触。

まだ半分微睡みの中にあるうちに、とろけそうなくらい、柔らかく、甘い。味わうように何かが優しくベルの舌の表面をなぞってきていた。

 

 

「ん・・・ふふっ・・・」

 

 

その口の中の感触が、意識を急速に浮上させる。

ぼやけた視界が開けていく。

 

心の中で祖父が「今はまだ、目覚める時ではないぞい」と言っている気がしたが、もう手遅れだ。

 

頭が空っぽの時間を置き。

 

「あ、起きた?」

 

瞬きを二度三度と行った辺りで、しっかりと像を結んだ。

黒髪の美女と、鈍色の美女がベルのことを見下ろしている。

 

「あらあら、起きてしまわれましたか。残念残念、生娘(おぼこ)妖精様まで周りませんでしたねえ」

 

仰向けに寝ているのを認めながら、洞窟をそのまま利用した宿屋の天井を眺め続ける。

思考がはっきりとし出し、周囲を確認する余裕も生まれ始めた頃で――ベルは目を見開いた。

 

 

「ぷぁっ!? 何してるの、アーディさん!?」

 

「わっ、ちょっ、待って、もうちょっとだけ! すぐ終わるから!?」

 

「むむぅっ!?」

 

「アーディ、諦めろ。こいつが起きたのなら試合終了だ」

 

「まだ私、諦めてないよ!?」

 

ベルの頭の下には、輝夜の膝があった。

というか、膝枕だった。

仰向けなため自然と見上げる形となっていて、緋色の着物ではなく、襦袢姿の輝夜の豊満な乳房がベルの瞳に映ってはいるが、やはり暴力的だった。彼女は「うふふ」などと微笑んではいるが、チロリと唇を舐める仕草は捕食者のそれであり、ベルの頬を右手で撫でつつも肩に添えられた左手はしっかりとベルが飛び上がらないように力が込められている。

 

「というわけで今日の昼食代はアーディ持ちということで」

 

「そんなぁ・・・ていうかリオンはいつまで寝たふりをしているのかな?」

 

「ギクッ!?」

 

「ア、アーディさん降りてくださいぃぃ!?」

 

「ベル君、シッ! まだ他の子達が寝てるかもしれないでしょ?」

 

とは言うが。

仕切りの向こうでは、ヴェルフや桜花、チグサに命がそれぞれ耳朶を震わせる音やら息継ぎやら艶めかしいあれこれで朝っぱらから悶々とさせられていた。なんなら、「ゴクリ・・・」と生唾を飲み込みさえしていた。

 

 

「降りてくださいとは、どういうことだ・・・」

 

「馬鹿野郎、あの仕切りの向こうではベルが良い思いしているってことだろうが」

 

「すごいな、【アストレア・ファミリア】」

 

「朝の処理も疎かにしない。男として尊敬の念すら抱いてしまうな・・・正直羨ましいぞ、ベル」

 

「あの仕切りの向こうでは・・・ベル・クラネルと【象神の詩(ヴィヤーサ)】が・・・」

 

「言うな、ここは兄貴分らしく知らないフリをしてやるのが優しさってもんだ」

 

「ふむ・・・しかし、夜這いか」

 

「・・・・夜這いでいいのか?」

 

 

ごくり。

生唾を飲む、年頃の男達。

別室、少女組もまた似たようなもので。

 

 

「み、命ぉ・・・ベルさんはいったい何をしているの!?」

 

「ち、チグサ殿、逆です! ベル殿がされているのです! これは・・・そう! 夜這い!」

 

「もう朝だよお!?」

 

「自分もタケミカヅチ様にしてさしあげれば・・・ゴクリ。いえ、しかし、未だ未熟な自分では・・・・喜んでは、もらえない・・・ッ!!」

 

「どうして落ち込むの、命ぉぉおおおおッ!?」

 

「きっと「コラ、命、風邪を引いたらどうする!?」などと言ってパサリと優しく上着を羽織らせるだけに終わるのです! あの天然ジゴロは!!」

 

「しっかりして、命ぉ!!」

 

 

ベル達のいる部屋に聞こえない程度の声量で、何かわちゃわちゃとしていた。

思いっきり聞かれていることなど知る由もないベルと、そんなこと知ったことじゃないとする姉貴分達。朝から、宿屋の中で混沌としていた。

 

「あ、あのアーディさん、僕もう起きたから降りてください。というか、何してたの!?」

 

「ベル君が」

 

「起きるまでに」

 

「何回」

 

「接吻」

 

「できるか」

 

「ゲーム」

 

「じゃじゃーん!」

 

「僕を玩具にしないでッ!?」

 

腰の上に乗っているアーディがベルのお腹を摩りながら、膝枕をする輝夜は頭を撫でながら言う。ネーゼは眠りが深いのか隅っこのほうで体を丸くし、尻尾を内側に入れるようにして眠っていて、リューは寝たふりが通用しないとわかってすました顔をしながら体を起こした。耳は真っ赤だが。

 

「・・・そんなに嫌だった?」

 

「え、あの」

 

「御伽噺にだって、あるよ? 『接吻で起こしてもらうのサイコー』って」

 

「そ、それは毒林檎を食べた女の子の話であって僕は関係ないんじゃ・・・」

 

「嫌・・・だった?」

 

「ぐすっ・・・喜んでもらえると思って・・・私達は朝早くからしていたというのに・・・ぐすっ」

 

「え、えぇっ? いや、でも、その・・・せめて場所を考えて欲しいというか」

 

「「なら本拠でなら、いいんだ」」

 

「っ!?」

 

「男の子は・・・ぐすっ・・・朝になると、体の一部が石化の呪いを受けたみたいになるっていうから・・・ぐすっ、解呪してあげようと思ったのに・・・ひっく。昔は自分から膝枕してもらいに来てたのに・・・ぐすっ、これが・・・反抗期・・・?」

 

「せ、石化・・・!?」

 

「ベル、いつの間に呪詛(カース)を・・・!? 診せなさい、手遅れにならないうちに。私の魔法では解呪はできませんが・・・進行を遅らせられるかもしれない」

 

「え、ちょ、リューさん!?」

 

「ぐすっ、ぶふっ・・・・リオン、アーディの後ろ・・・そう、ベルの太ももの辺りで四つん這いに・・・ぷぷっ・・・なれ。そして、そのままアーディの股の下辺りにあるベルの下半身を見てやってやれ。そこに答えはあr・・・ぶふぉwwwぐすっwww」

 

「アーディの下・・・? つまり、アーディがちょうど座っている辺りにある、と・・・? 輝夜? 何故、笑う? ベルの体にもしものことがあったらどうする? 空の上にいるだろうアルフィアに殺されかねないようなことを言うな」

 

「ババアが怖くて白兎(ベル)が喰えるか」

 

シーツの擦れる音が静かに響く。

そして暗いのか、顔を近づける金髪の残念すぎる妖精。

ドキンドキン暴れまわるベルの心臓。

流れる一筋の焦りの汗。

もしも、誰かが仕切りを勢いよく開けたならそこに広がるのは、膝枕をしている女、男の上に跨る女、男の下半身に顔を近づける女という「いくら払えばいいんだ、クソが」と言いたくなるようなそんな光景だろう。

 

「アーディ、あまり動かないで欲しい。見づらい」

 

「ご、ごめんリオン」

 

「どこですか?」

 

「ここ・・・ほら」

 

「ア、アーディさん、やめっ!?」

 

アーディに手を取られ、導かれる。

リューの細指がサワサワと誘導され、撫で、そして次の瞬間、リューは顔が真っ赤に染まっていった。

そして揶揄われていたのだと瞬時に理解する。

 

「アーディ、輝夜ぁああああああ!!」

 

「キャー、リオンが怒ったぁああああ! ベル君のベル君をナデナデしてリオンが怒ったあぁあああ!」

 

「あらあらこのエルフ様は・・・どこまで純粋(ピュア)なのでしょう!! そうです今度、私達の兎様に夜這いさせてみましょうか」

 

「か、輝夜・・・貴方という人はっ!!」

 

 

お姉さん達は、目が覚めるようなその叫び声と共に外へ駆け出して行った。

アーディと輝夜は悪戯が成功した悪ガキのような笑みを浮かべリューに追いかけられながら森の中へ。ベルの「輝夜さん、襦袢で外に出ないでぇえええっ!?」という声が届くことはなかった。

 

「「やーい、むっつりエルフー」」

 

「ンァアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

静まり返った洞窟。

開け放たれた仕切り。

目と目が合う、男女。

漂うのは、気まずい雰囲気。

 

「あー・・・なんだ、その」

 

「・・・・何も言わないで、ヴェルフ」

 

「お前も、その・・・苦労しているんだな、ベル・クラネル」

 

「桜花さん、言わないで」

 

「女所帯で暮らす(おのこ)は・・・このような苦労を」

 

「だからもう何も言わないでって命さん」

 

「・・・・あの、朝ごはん食べに行きませんか、クラネルさん」

 

「そうですね・・・チブサさん」

 

「チグサです」

 

ベル達は、何もなかったことにして・・・というか。

もうドッと疲れたので触れない方向で身支度を整えて空腹を満たしに行くことにした。唯一残ってくれていた寝坊助狼人お姉さんがいることだし、宿場街の案内をお願いすることを前提に。

 

「ネーゼさん、起きてくださーい」

 

ベルに体を揺さぶられ起床したネーゼは、何故か疲れた顔をする後輩達を見て、部屋を見て、仲間が三人消えていることに気付いて。

 

「・・・・ご飯、行こっか」

 

何を察したか、触れないことにした。

 

 

×   ×   ×

18階層 東端

 

 

ふんふんふーん♪

鼻歌交じりに森の中を歩く黒髪に前髪の一部が灰がかった美青年と護衛の白装束が数人、森の中を歩いていた。

 

「お前等よお・・・俺は今から宿場町(リヴィラ)に行くんだぞ? 白装束(その恰好)で出歩いたら馬鹿みたいじゃねえか。「僕達、闇派閥でぇーす」って言ってるようなもんじゃねえか。レヴィスがいりゃあ、あいつに護衛を頼んだのに」

 

「エレボス様、しかし護衛もなしに出歩かれては困ります。御身に何かあっては・・・」

 

「ばぁーか。だから恰好を何とかしろって言ってるんだよ。身元バラすような恰好をするな」

 

「申し訳ございません・・・」

 

「あと俺の偽名は『ヴェルンシュタイン・オブ・ザ・ヴァイス・ノルデン』だ。イカした名だろう? 覚えておけ」

 

「ヴェ、ヴェルン・・・?」

 

「エレボス様、長すぎて言えません」

 

「おいおい人様の名前にケチつけるのか? 酷い奴だな、それでも闇派閥か? 闇派閥の仲間はみんな、お互いの名前をフルネームで言えるようにするのが心情のはずだろう?」

 

「し、しかし!!」

 

「しかしもヘチマもねえんだよ。次の中間テストに出すからな・・・間違えたら・・・そうだな、ヴァレッタに夜這いをしかけさせるぞ」

 

「!?」

 

数人の護衛達は、目を見開き、歯をガチガチ鳴らし、震えた。

冗談じゃない。

いくら何でも横暴だ。

神か。

いや、これが理不尽(かみ)か。

酷すぎる。

そんな思いを口にすることも許されず、ブツブツブツブツと念仏を唱え始めた。タナトスの知らないところで、今日もまた闇派閥信者の胃が潰されている瞬間であった。

 

「しかし、良い所だな、ダンジョンは」

 

神々がダンジョンに入ることは禁じられている。

そんなことなどお構いなしに、神威を抑えてはいるものの18階層の景色に瞳を輝かせ、観光客気分で森の中を歩くエレボス。

 

視界一杯に広がるのは、神秘的で幻想的な光景。

それは神と言えども驚嘆せずにはいられないほどに。

透明な蒼い輝きを宿す、美しいクリスタル。

足元に生える小さなものもあれば、まるで巨人の短剣のような、人間を丸々吞み込むほどの大きいものまである。形状も様々な青水晶が、森の至る所に点在していた。

静寂を帯びた森の中で、多くの水晶の塊が細い日差しを乱反射させ、森全体を淡い藍色に染めている。地面を割る大木の根にも、苔と一緒に青の欠片がこびりついていた。

 

「耳を澄ませば聞こえてくるのはせせらぎの音・・・こんな場所は下界をひっくり返してもダンジョンだけだろうよ」

 

瞼を閉じ、森の中を流れる川の流れに耳を澄ませるエレボスを習うように護衛達も同じようにする。すると。

 

 

 

 

「待てえええええええええええええええええッ!!」

 

「ちょ、リオン、いい加減落ち着いてよ!! 年下の男の子のアレをナデナデしたからってそこまで動揺する!?」

 

「あいつの脱ぎたてのシャツを「クラネルさん、リャーナが洗濯するというので持って行きますね」と扉越しに言っておいて、「スンスン・・・これがあの子の匂い・・・ごくり」とか言って内股になってモジモジしているムッツリエルフが、あいつのナニに触れたからって動揺しすぎだ!!」

 

「な、何故そのことを知っている!?」

 

 

何か、聞こえてきた。

この森の静けさに、まったくもって似合わない騒ぎ声だ。

エレボスの危機察知能力(センサー)が、ビビッと働き彼等はそそくさと姿を隠した。

 

「エ、エレボス様!?」

 

「ばっか、ありゃあ【アストレア・ファミリア】だ! 見つかったら数年前の大抗争で俺が逃げたせいでアストレアに恥をかかせたと殺されかねん! とりあえず隠れてやりすごすぞ!」

 

「し、しかし!!」

 

「馬鹿野郎! 命を大切にしろ!! ここで死んだら、お前達の悲願はどうなる!」

 

「っ!」

 

「諦めたら・・・試合終了なんだぞ・・・!」

 

「くっ・・・!」

 

「会いたい奴がいるんだろう!? なら、こんな道半ばで倒れるなんて馬鹿みたいじゃねえか! 見返してやろうぜ、俺達だって主役を張れるんだって!!」

 

「エ、エレボス様・・・!!」

 

「とにかく・・・この辺には確か落とし穴があったはずだ。 あわよくばドロドロになって恥ずかしい思いをしてもらおうじゃないか。それまであいつらに気付かれないように離れて、やり過ごす! いいな!」

 

「ハハァッ!」

 

割と抗争終盤でゼウスとヘラの末裔というか、ベルの存在を聞いちゃったエレボスはしれっと逃亡しアストレアに「え、アストレアたまエレボスを逃がしちゃったの? まじで?」などと恥をかかせたことを気にしていた。もしも今度会うことがあれば抱擁してやろうと思うくらいには。信者達を説得し、必死になって音を消し、気配を殺し、彼等は何故か怒り狂っているエルフに追いかけまわされる美女二人が落とし穴に面白いくらいストンっと落ちていくのを確認するまで隠れてやり過ごした。

 

 

「【今は遠き森の空。無窮の夜天に(ちりば)む無限の星々】」

 

「待ってリオン、落ちついてよ!? ごめんってばぁ!!」

 

「馬鹿リオン、それをやったらお前のトラウマにしかならんぞ! いいからやめろ! あいつの裸くらいもう見慣れているだろうに!!」

 

「そうだよ、一緒に入ったことくらいあるでしょ!?」

 

「アルフィアが生きていた頃からの付き合いなんだぞ!? 今更過ぎるだろう!? お前が雄の匂い(スメル)で発情しようが別に罪ではないだろう!? 大切なオカズだったのだろう!? 何を恥じらう!? 私はあいつが幼い頃から、官能小説を読み聞かせていたんだぞ!!」

 

「ちょっと待って、輝夜、待ってぇええええええええ!?」

 

「愚かな我が声n――――っ!? か、輝夜貴様ぁあああああッ、なんて教育をしているうううう!?」

 

 

土煙を上げ、森の中を走る美女三人。

モンスターは怯えて姿を消し、水晶は破壊され、森林までもが巻き込まれて破壊された。

ついうっかり詠唱しちゃったばかりに魔力が迸り、それに闇派閥とエレボスがチビった。そして。

 

 

「「「キャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」」」

 

 

三人は宙で止まり、そして落ちた。

それはもう、面白いくらいに。

ストン、と。

 

 

×   ×   ×

18階層 宿場町(リヴィラ)

 

 

朝食兼昼食をとったベル達一行は、ネーゼを先頭に『街』の中を散策していた。

湖に浮かぶ『島』の最上部。その断崖の上に地面から生える白水晶と青水晶に彩られた美しい集落系の『街』が存在する。

湖面の上には大木が島に橋渡しをしていて、『街』の外から訪れた者達はここを通る。

 

「あの、ネーゼ殿・・・特に言われなかったのですが食事代は出さなくてよかったのでしょうか?」

 

「ああ、いいよ気にしないで。というか、駆けだしじゃ大赤字だと思うし」

 

「・・・というと?」

 

宿代から食事代は、【アストレア・ファミリア】に後から請求される。

リヴィラの街では、買物は全て物々交換、もしくは証書で行われる。迷宮探索の際、荷物がかさばる金貨を持ち運ぶことはまずありえないため、相手の名に加え、【ファミリア】のエンブレムから印影を取っておくのだ。そして後日、迷宮から帰還した店の者が証文を以て所属派閥へ料金請求に向かう。

 

「宿はまあ・・・曰く付き物件になってしまって店主が泊ってくれるなら格安にするって言ってくれたけど、本来は泊まらない。【ロキ・ファミリア】の人だって探せばこの街の中にいるだろうけど宿泊はしないで森の中で野営をしているよ。いるとしたら補給のためだろうね」

 

「どうして野営をするんだ? 【ロキ・ファミリア】はオラリオでも一、二を争う巨大派閥だろう?」

 

「ぼったくられるから」

 

命に続いて、桜花の疑問に短く、それだけ言うとまずネーゼは『街』の入り口にある木の柱で造られたアーチ門の前で足を止めた。ゆっくりと上部に指さし、それに続くようにベル達後輩が見上げるとそこには共通語(コイネー)で『ようこそ同業者、リヴィラの街へ!』と書かれている。

 

「こうは書いているけど、この街で店を運営しているのは『冒険者』。そして彼等の合言葉(モットー)は『安く仕入れて高く売る』・・・歓迎してますって空気を出して相手の気分を良くして、懐を暖めようってこと」

 

じゃあ次行くよ。

そう言って再び歩き出す。

 

リヴィラの街は、商店のほとんどが即席の小屋で設けられている。

武器屋や道具屋、手狭な宿屋に数少ない酒場など、全てが冒険者を客にして成り立っている。街中を行く者は、冒険者と、後は少数のサポーターしかいない。上級冒険者である彼等の武装はどれも重厚かつ一級品とも呼べるもので、緊急時に備え即刻戦闘に臨めるよう誰もが完全装備している者がそこら中に出歩いている。

 

「地上の『冒険者通り』と比べると異様に物々しいな」

 

「ここはダンジョンだから。 元々、この街はギルドが迷宮に拠点を設けようとして頓挫した計画を、冒険者達が勝手に引き継いで造り上げられたんだけど・・・・何度もモンスターに襲われて壊滅しかけてる。その度に、修復して。また壊れて・・・それを繰り返しているんだよ。確か今で三百三十四代目だったかな? ちなみに、この街の名前『リヴィラの街』の由来は初めて街を築いた女性冒険者『リヴィラ・サンティリーニ』を称えてつけられたんだってさ」

 

 

街中を歩きながら、ちょっとしたお勉強。

壊滅しては造られて、そしてそれは三百を越えているという話にベル以外が顔を引き攣らせる。

 

「さて、話が脱線したけど・・・ぼったくられるからっていう意味はこの辺りの商品を見ればわかるよ」

 

立ち止まったネーゼの視線の先にある商店。

それぞれの店頭が示す武器や道具の価格は、地上で売買される同種の品と比較しても、桁が一つ二つ異なっている。ダンジョンという閉鎖された地下迷宮では水や食料を始めとした物資の補給が困難である。そこでリヴィラの人間は、手持品(ストック)以上の道具を所持できない冒険者の足元を見て商売をしているのだ。

 

「地上で三十ヴァリスで買える『じゃが丸君』も、ここでなら三百か三千ヴァリスで売られててもおかしくないんじゃないかなあ・・・・」

 

「ネーゼさん、そんなにふっかけたら商売にならないんじゃ?」

 

「・・・今この場に、大怪我した人がいたとして」

 

「うん」

 

「ベルは回復薬を持っていないとして」

 

「うん」

 

「すぐ目の前に、回復薬が売っているとする。でも、価格は通常よりも遥かに高い。今日頑張ってダンジョン探索して稼いだお金が水の泡になるくらい、高い。でも、回復薬がないと大怪我した人は死んでしまう。どうする?」

 

「・・・・・買う」

 

「まあそういうこと。大金をはたいて命綱の道具(アイテム)を確保するか、出費を惜しんで死を選ぶか。リヴィラの人間が突き付けるのはその二者択一」

 

「・・・あ、だから『遠征』をしているアイズさん達がここの宿をとらないのは」

 

「【ロキ・ファミリア】ほどの大人数が泊ったら、とんでもない額を請求されるからってことか。『遠征』で手に入った素材を換金したりして得た収入も宿代でゼロになりかねない・・・と」

 

地上の価値観をもって買物をすると、痛い目に遭う。

それこそ、18階層に初めて来たベルや、ヴェルフ、桜花達は良いカモだろう。

唖然とする命と千草の目の前では、買取所で怒鳴り散らす冒険者と店主のやりとりが行われていた。大型級のモンスターのものと思われる巨大な牙が取引されていて、品を運んできた売り手は店の買い手に「不服なら他所に行け」とばかりにふんぞり返られ、結局売り手の冒険者はその店で買い取りを済ませると顔を真っ赤にして店を後にした。

 

「あ、あのお・・・今のは?」

 

「地上の半額以下の金額で魔石やドロップアイテムを買い取って、それをギルドに持ち帰った時にもとの値段で換金するって商売(システム)。売る側が怒っても許されると思うんだけど、まだダンジョン探索するなら、所持しきれない物は邪魔なだけだから、ここらで一旦売り払ってしまうしかないんだよ」

 

「・・・・・・やりたい放題だな」

 

「この街を経営するのは、他ならない冒険者達だから・・・細かい規則や領主なんて存在しなくて、各々が好き勝手に商売をしている。さっき皆で昼食を取った時、私が【ファミリア】の証文で・・・まあ、【アストレア・ファミリア】が奢ったってのは、駆け出しで、輝夜が可愛がっている?弟分、妹分が地上に帰った後、ひもじい思いをさせないため・・・ってのもあるから、気にしないで」

 

「ん? なんで今、疑問形だったんだ? 同郷のよしみで可愛がられているんだろう?」

 

「あ、いや、まぁ・・・」

 

「手ほどきはしていただいていますが・・・」

 

「・・・・輝夜さん、容赦ないから」

 

「・・・・おいベル、何か知ってるか?」

 

ヴェルフの問いに、【タケミカヅチ・ファミリア】の三人は、サッと顔を反らす。

それに首を傾げて、次に聞いてみたベルの口からは驚きの言葉が出る。

 

「・・・・昔、桜花さんが輝夜さんを怒らせて、丸一日、『褌』姿に『ツインテール』をさせられてたことが」

 

「ベル・クラネル、その話はやめてくれ!!」

 

「おいベルどういうことだ!? 褌!? ツインテール!? この顔で!? ツインテール!? この髪で!? どうやって!?」

 

「・・・・思いっきり髪の毛引っ張ってた・・・ツインテールって言っていいのかわからないけど、とにかくそうなってた。引っ張られ過ぎて桜花さんの目が糸目になってた」

 

「マジか・・・何やらかしたんだ、大男」

 

「・・・・・わからん、女心は複雑というが、ほんとうにわからん。急に舌打ちしたかと思えば、背負い投げで風呂場に投げ込まれたしな」

 

「あ、そうそう輝夜さんが「お前・・・この、ニブチンが・・・主神が主神なら、眷族も眷族か!? 何故、すぐ近くに、好意を・・・千草に謝れ!!」とか言ってたような」

 

「わぁあああああああああああクラネルさん、やめてえええええええええええ!!」

 

当時のことを思いだしながらぽつりぽつり喋るベルに、顔を真っ赤にした千草が悲鳴を上げた。

千草は千草で当時、「あの輝夜さん・・・クラネルさんとは将来夫婦になるって言ってましたけど・・・どんなことを・・・?」などと聞いた結果、自分が桜花を好いていることを知られてしまうわ、「いっそ盛って既成事実を作ればいいだろうに」などと言われるわ、挙句の果てにはそれとなく桜花が千草をどう思っているのか聞いた輝夜が「妹? 後輩? はぁ?」とイライラした結果、千草が風呂に入っているのにも関わらず背負い投げでぶち込んだのだ。

 

「ぶわぁああああああああかめ!! 一緒に風呂にでも入れば嫌でも関係は進展するわ! とか言ってたような」

 

「も、もうやめてくださいクラネルさん死んでしまいますぅう」

 

「女の子の恰好くらい、ベルもしょっちゅうだから・・・元気だしなって」

 

「・・・それは励ましになっているのか?」

 

 

×   ×   ×

18階層 東端

 

体を襲う浮遊感。

足場が消え、落下。

叫喚を重ねて三人の女冒険者は穴の底へ。

 

 

「まさかこんなところに落とし穴があったとは・・・」

 

「チッ、落とし穴どころの話か? 見ろリオン、私達三人、溶けかけているぞ」

 

「・・・・・」

 

ともに落ちたのは草と泥と葉。急落下を続けながら咄嗟に頭上を振り仰いだリューの視界、開口していた蓋が、音を立てて勢いよく閉じた。森の光景と地下の夜空が完璧に遮断された彼女達は、次に穴底の薄い紫がかった液体につかっていた。脛ほどある液体溜まりは、たちまちジュウッという音とともに煙を立ち上がらせ、高熱の油に浸されたような感触に見舞われ、戦闘衣(バトル・クロス)の上から足の肌を焼いていく。否、溶かされていく。三人はほんのわずか、その体を焼くような感触に表情を歪ませた後、周囲に視線を巡らせた。

 

「深さは一〇M、直径は七Mといったところか?」

 

「穴全体は・・・何でしょうか、肉のような色ですね」

 

「モンスターに飲まれたって可能性は?」

 

「だとしたら死後、私はリオンの枕元に化けてやる」

 

「ふふっ、輝夜・・・可笑しなことを言う。この状況で貴方が死ぬということは、私も死ぬ可能性があるということだ。化けても私も天に還っているかもしれない」

 

「ちょっとそういうのやめてよ、輝夜、登れそう?」

 

「凹凸がない・・・難しいだろうな。何より、私の方が重症だ。見ろ、私は戦闘衣(バトル・クロス)ですらない・・・・襦袢(したぎ)だ」

 

「どうしよっか・・・このままだと輝夜、例え脱出できても全裸で地上に帰ることになっちゃうよ?」

 

「・・・・・・ベルに隠してもらうとしよう」

 

「「無茶を言わないで欲しい」」

 

会話の中に僅かばかりの余裕を滲ませてはいるが、縦穴全体にこもった生温かい熱気と異臭が、三人に汗を誘発させた。さらに穴底を満たす溶解液の中には、無数の骸骨が転がっていた。考えるまでもなく、この溶解液によって溶かされた者の末路である。既に皮と肉、臓器を失い、後は骨を残すのみ。側に転がっているのは胸当てをはじめとした防具。よく見れば、周囲には剣や杖など様々な武器が突き立つか、あるいは溶解液の底に沈んでいた。

 

「行方知れずとなる冒険者の捜索願も出ることはありますが・・・恐らく、その中にはここで命尽きた者達もいるのでしょう」

 

「私達のように、どこかのエルフに追いかけまわされてしまったというわけではないのがせめてもの救いか?」

 

「・・・・・輝夜、そこに良い胸当てがある。とりあえずそれで身を守ってみては?」

 

「あらあらこのエルフ様は何をおっしゃいますのやら・・・・溶解液で私の乳房が溶けたら、可愛い可愛い兎様を満足させてあげられなくなってしまうではありませんか」

 

「・・・・溶けてしまえばいいのに」

 

「自分で言っておいて乳房の大きさで敗北したような顔をするなリオン」

 

「二人ともいつまで喧嘩してるの? まったく・・・。ドロップアイテムも浮いてるってことは、モンスターも巻き込まれた可能性もあるよね。未確認のダンジョンギミックかな?」

 

「いえ、恐らくそれは」

 

「ないだろう・・・アーディ、上だ」

 

「えっ?」

 

一通りの状況確認を済ませた彼女達は、頭上に目を向けた。

そこには張り付いていた肉壁からゆっくりと身を引き剥がし、上体を持ち上げる巨大な影があった。今は閉ざされた蓋の根もと。人型の上半身を象る怪物が、上下逆様の体勢で、アーディ達を見下ろす。

 

「極彩色のモンスター・・・」

 

「怪物祭に出現したというモンスターとは別種でしょうか?」

 

「さあ・・・どうだろうな。『魔石』を確認しないかぎり何とも言えないが、私達の知らない『新種』であることには違いない」

 

両腕部分は長く太い二本の触腕が垂れ下がりながら揺らめき、腰から先の長い下半身は肉壁と完璧に一体化し、今は蛇のように蠢いている。頭部には巨大な目玉と中空の冠のような器官。一つしかない単眼は首と直接繋がっており、その周囲を獅子の鬣のように冠が覆っている。

 

「蓋と繋がっているってことは・・・・この穴そのものがモンスターってことだよね」

 

「何も知らない冒険者達がこいつの犠牲になった、ということでしょう」

 

『―――』

 

ぎょろぎょろと蠢く巨大な単眼が、武器を構える女冒険者達を捉える。

次の瞬間、モンスターは彼女達目がけてその触腕を振り下ろした。

 

「「「遅い!!」」」

 

三人が同時に地を蹴る。

放たれた巨大な鞭が、溶解液ごと穴底の中央に炸裂する。

凄まじい衝撃とともに、穴に溜まっていた溶解液が周囲へ飛び散った。

 

 

 

×   ×   ×

18階層 宿場町(リヴィラ)

 

 

「アーディさんに輝夜さん達・・・どこまで行ったんだろう」

 

「輝夜の着物があったってことは・・・裸で出て行った?」

 

「うーん・・・襦袢って下着だって聞いたから・・・似たようなものだと思う」

 

一通りの案内の終わった一行は、未だ姿の見えない三人の女冒険者の行方を捜していた。

仮にもLv.4なのだから、そうそう何か問題が発生するとは思えないがダンジョンは下へ行けば行くほど広くなっていくため下手に捜しに行くわけにもいかなかった。

 

「迷子になってるって可能性はないのか?」

 

「いや、高い場所にでも上ればある程度方角を割り出せるだろうから・・・流石にそれはないと思う」

 

「うーん・・・・あ、アイズさんだ」

 

「ん? 【剣姫】?」

 

 

街の中でアーディ達の姿がないかと視線を巡らせながら歩いていると、ベルがネーゼの手をくいくいと引っ張りながらアイズ達のいる方を示した。それは向こうも同じようで、アイズやレフィーヤといったいつもの仲良し組がこちらに気が付いて手を振ってくる。

 

 

「ベル、こんなところで何しているの?」

 

「・・・」

 

「え、何でアイズさんに気が付いて手を振っておいて、お姉さんの背後に隠れるんですか!? アイズさんのこと怖がり過ぎでしょ!?」

 

「ベ、ベル・・・私、君のこと虐めたりしない、よ?」

 

「ご、ごめんなさい・・・つい、条件反射というか・・・は、ははは」

 

 

悲し気にショゲるアイズを慰めるのは、アマゾネスの姉妹。

過去になにかしらやらかしているらしいアイズの話は何度か聞いている手前、詳しくはなくとも、ベルに対して「失礼だ」などと怒鳴ることはできなかった。というか、ベルに盾にされている狼人のお姉さんが、微妙に困った顔をしながら、微妙に嬉しそうにしているから余計に何も言えなかった。よく見れば、尻尾をベルの腰にくるりと巻き付けているくらいだ。自分達の方が冒険者として強くても、彼女はベルを全力で守る気がした。

 

「何か・・・あったの?」

 

「えと、アーディさんと輝夜さんとリューさんが行方不明で」

 

「そっちの野営地には来てない?」

 

「え? 私達もさっきリヴィラに来たからなんとも言えないけど・・・いなかったよね?」

 

「ええ、団長達にここに来ることを伝えたけど、見かけなかったし聞かなかったわ」

 

「大丈夫かなぁ」

 

「何ですベル。貴方よりも遥かに強いお姉さん達のことが心配なんですか?」

 

「強くても三人とも、女の子ですよレフィーヤさん」

 

 

まさか。

まさか、自分達の知らないところで、変なイベントを裸同然の恰好で処理しているだなんて誰が思うだろうか。ベルが彼女達と再会を果たしたのは、1時間とちょっとを過ぎた頃である。




アーディや輝夜達はLv.4(アリーゼがLv.5だったかな)。
どこかに書いてたかなあ


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シルバリオ・ゴスペル⑤

アストレア・ファミリアのビジュアル・・・嬉しいけど、どうなるか知ってるから辛い。あとなんかアニメのキャラデザが丸っぽく見える? 太く見える?のはなんでだろう。

輝夜さんの表情差分が良き。


 

 

「ベル君、ベル君っ!」

 

 

宿場町(リヴィラ)をネーゼやヴェルフ、【タケミカヅチ・ファミリア】、さらには、立ち寄っていたアイズにティオナ、ティオネ、レフィーヤの四人組で探索しつつ絶賛行方不明となっていた残念なお姉さん三人を探していたところ、路地裏からひょこっと顔を出し手招きしながらベルを呼ぶアーディの姿が。

 

「なんだ、いたじゃない。良かったわね」

 

「あ、そうですベル。【疾風】と【大和竜胆】のお二人は私達の派閥の遠征に同行している状態なので、団長が18階層(ここ)からは別で帰るのか一緒に帰るのか聞いておいてくれって言われているんです。お願いしてもいいですか?」

 

「わかりましたレフィーヤさん。ネーゼさんちょっと行ってくるね!」

 

「オッケー、私達はここにいるから何かあったら教えて」

 

 

ベルを呼ぶアーディの元へ、ベルは駆け寄って行く。

どうして物陰に隠れるようなことをしているのか、とかヴェルフ達は疑問に思うが無事見つかったのだしまあ気にするほどでもないか。きっと、いい年こいてダンジョンの中で追いかけっこをして恥ずかしいんだろう・・・。

 

 

ベルはアーディのいるところまで行くと、「ちょっとそこでストップ!」と制止される。

疑問符を浮かべて首を傾げるベル。

頬をほのかに赤く染めるアーディ。

建物の陰に身を隠してはいるが、わずかに見えたアーディの姿はベルの知るそれとは少し違っていた。

 

いつもの『黒』と『青』を基調とした戦闘衣装(バトルクロス)

露出の少ないモノであるはずだというのに、わずかに見えたのはアーディの肩と二の腕。普段隠れているところが、隠れていないのだ。アーディは言いにくそうにしながら、苦笑を浮かべて口を開いた。

 

「実はその・・・」

 

「?」

 

「ベル君、替えの服とかって持ってない・・・よね?」

 

「え?」

 

「いや、その、別に君に裸を見られるとかは良いんだけどね? 流石に他の冒険者に見られるのは嫌だなぁって・・・」

 

「えっと・・・火精霊の護布(サラマンダー・ウール)なら今、着てるけど・・・」

 

「ごめん、それを借りてもいいかな!?」

 

「え、あ、うん・・・はい」

 

何なんだろう、こんなに恥ずかしそうにしているの珍しいなあ。

いつもなら服を捲り上げたり、襟を引っ張って胸元をチラつかせて誘惑してきたりして揶揄ってくるのに。そう思いつつも、上から着用していた火精霊の護布(サラマンダー・ウール)をアーディへと手渡した。アーディは腕を建物の陰から腕を伸ばして受け取った。その時、わずかに下着が見えた気がした。白の。

 

 

「アーディさん、輝夜さんとリューさんは?」

 

「二人は今、水浴び中だよ」

 

「えっと・・・?」

 

「ついてきてくれるかな?」

 

「え、うん」

 

火精霊の護布(サラマンダー・ウール)を羽織って体を隠したアーディはようやく姿を晒す。ぽりぽりと頬を掻いてから、申し訳なさそうにベルの腕に抱き着いて、水浴びしているだろう輝夜達のもとへと連れて行こうとする。その前にベルはネーゼに二人が水浴びしているらしいということと、輝夜の着物やタオルが入っているバッグを受け取り、アーディがアイズ達に二人は遠征隊とは別で帰る旨を伝えた。

 

 

「アーディさん、リューさんに追いかけられてから何があったの?」

 

「い、いやぁ・・・そのお・・・何ともお恥ずかしいことがあってだねえ・・・」

 

 

腕に抱き着くアーディに連れられるまま歩みを進めるベルが問いかけるも、彼女はとても言いづらそうに濁す。既に森のかなり奥へ進んでいて、人の気配はすっかり途絶えている。

 

 

「・・・・この辺かな」

 

とある木の前で足を止めるアーディ。

幹が太く、丈夫そうな大樹。

そこから少し奥の方から、せせらぎとは違う、水をすくっては落とすような自然なものではまずない音が二人の耳が拾った。何故かアーディは口元に人差し指をくっつけて「静かに」とジェスチャー。こくりと頷いて身を屈めて、草木に身を隠すようにして前進。

地面に倒れて折り重なっている大木の群れを上っては、穴のような隙間をくぐる。纏わりついている緑の苔にずるっと足を取られてアーディに支えられることで踏みとどまり、ひやっとしながら水の音源へ近づいていく。ギャァ、ギャァ、と鳥のようなモンスターの鳴き声がどこからか聞こえてくる。

誘導されて道ならぬ道を進むんでいくと、やがて森が開け、泉が現れた。

そしてベルは、泉の中心にいるものを捉え、発する言葉をどこかに置き忘れてしまう。

 

 

「――――」

 

妖精が、いた。

お姫様が、いた。

どちらも一糸纏わない姿で、雪のような白い素肌、瑞々しい傷という傷なんて見当たらない素肌――ほっそりとした背中、男受けの良さそうな体で水浴をしている。両手で水をすくっては、零さないようにゆっくりと、自分の髪へ塗り込むようにして洗っていた。濡れそぼった肌がやけに艶めかしく、ベルは本拠ではなく野外での水浴びという初めて見る彼女達のその姿と光景に思わず、「ごくり」と喉を鳴らす。

 

「・・・・アーディ、さん?」

 

水浴びしているから着替えを持ってきてほしい。そういう意味で自分を連れてきたのなら、わざわざ隠れる必要はあるのか? 声をかければ彼女達は姿が見えずとも「来て良い」「来てはいけない」と教えてくれるはずなのに。そんな思いを込めて、隣で身を屈めているアーディに顔を向けると、彼女はサムズアップして言った。まるで教育するように。

 

「覗きは男の浪漫だぜ、ベル君」

 

「・・・・・」

 

一瞬。

ほんの一瞬、旅行帽を被った優男風の男神を見た気がした。

 

 

 

×   ×   ×

 

水をすくっては髪を洗うリューは、ジロリと輝夜の方を見た。

 

 

大きい・・・。

 

 

異性を喜ばせるに特化したような体。

母性の塊(物理)と言ってもいいような体。

着物の中で大人しくしている豊かに実った乳房。

その先端から、水滴が落ちた。もったいぶるように、ぴちょん、と。

 

「・・・・くっ」

 

「人の体を見て勝手に敗北感に打ちひしがれるな、気色悪い」

 

胸を張って堂々とする輝夜の姿が、リューは恨めしいと思ってしまった。

乳房が大きいと足元が見えにくいと聞いたことがあるが、リューは自分の乳房を見て「ふっ・・・」と鼻で笑い、そしてまた落ち込んだ。

 

 

私はなんて貧相な体を・・・。だからベルに避けられてしまうのか。

 

 

リューが避けられてしまう理由の一つは、単にとある【剣姫】と同じように金髪だからというだけなのだが、過去のトラウマやらで思わず避けてしまっているだけなのだが、リューにとってはショック足り得た。無視されるわけではないし、風呂上り、暇そうにしているベルにタオルを渡してお願いすると髪を拭いてくれるから嫌われているわけではないのはわかるが、仲間達と比べると距離があると感じてしまうこともあるのだ。

 

 

あの子は金髪妖精(わたし)が好みだと皆が言っていたのに・・・。

 

 

「輝夜、あからさまに体を見せつけるのをやめろ」

 

「あらあら、どうされましたエルフ様? まさか、種族柄育ちにくいと思っていたら王族は意外と良いモノを持っていたり、最近の妖精は豊満な体をしていると自分に劣等感を感じているので?」

 

「う、うるさい・・・! あとリヴェリア様は関係ない! 失礼なことを言うな!」

 

 

リューの目の前で髪を、体を洗う輝夜。

その体つきは同性であるリューが見ても「男受けのする体」なのだとハッキリとわかる。いくつもの視線を向けられることも多いことだろうことは口にするまでもない。と自分もそこそこ男性冒険者達に、主に下半身に熱い視線を向けられていることを忘れてしまっているリューは輝夜の体を何度も見て、悔しそうに目元を歪めた。

 

 

「そう落ち込まないでくださいませ、貴方様にも需要はありますので」

 

「何故、自分の胸を持ち上げて揺らす? 私に対する当てつけか? だ、第一、大きければ良いというモノではない。なにより、戦闘の邪魔になってしまう」

 

「大は小を兼ねると言うでしょう? 貴方様のように小さな乳房で、いったい何が挟めると?」

 

「は、挟む・・・? なぜ、挟む必要が? いえ、何を挟むと?」

 

「ナニを」

 

「何?」

 

「ナニ」

 

「・・・・輝夜、貴方は自分の胸を何だと思っている?」

 

「ベルを発情させるための武器」

 

「正直か!」

 

「貴様のような面倒くさいエルフは一生生娘だ。安心しろ、感想くらいは聞かせてやるし、なんならお前が眠っている部屋で交わって大声で喘いでやってもいい。ああ、それとも見学がいいか?」

 

「や、やめろぉ!? これ以上あの子を歪めるようなことをするなぁ!!」

 

そうだ。

ゴジョウノ・輝夜という女は、見てくれはともかく、化けの皮が剥がれたらというか、とにかく品がないのだ。本拠の中では暑いからという理由だけで下着姿になって歩き回るし、ベルがいてもお構いなしだし、ソファで寛いでいるところを押し倒しているところを見たことだってある。なんなら眠っているベルをひん剥いて起きる前に女ものの服を着せて遊んでいたことさえある。まぁそれは輝夜だけに限った話ではないし、女装姿のベルを見たアルフィアは「妹に本当に、ほんっとうに、似ている・・・また頼む」とか言ってお小遣いくれたけれど。悪影響を及ぼしかねないことばかりするのだ。

 

目の前で自分の乳房を持ち上げて、勝ち誇ったような顔をする輝夜に「くっ」と歯噛みすることしかできないリューは実に無力だった。

 

「あ、あの子が女装趣味に目覚めたらどうする・・・!」

 

「勃つモノが勃つなら、なんの問題もないだろう?」

 

「わ、私達の派閥の印象まで悪くなってしまう!」

 

「既に巷では【アストレア・ファミリア】はいつからイロモノ枠になったんだ、と言われているぞ?」

 

「もう既に手遅れ・・・!?」

 

「ましてやアストレア様が直々に服を買いに行った際に女物を見繕っている時さえあるのだ、ベルの気持ちを尊重はするが「本拠の中だけだから」「アルフィアが喜ぶから」「アストレア様が喜ぶから」「接吻してあげるから」などと色々言ってやれば、ちょっとモジモジしてから「いいよ」と言うに決まっている。あいつは頼まれたら断れない質だ」

 

「嗚呼・・・!」

 

小さい頃から何かと可愛がられているベル。

姉達に囲まれ、女神に愛でられて来た。

彼女達に訓練されてきたベルが、その手のお願いに断る手段が既にないことくらい明白だった。

 

 

 

×   ×   ×

 

「きっと君のお姉さん達・・・特に輝夜あたりは、覗くくらいなら一緒に入れとか言うよね。でもやっぱ、覗いとくものだよ。他の派閥の子ならボッコボコにされかねないけど、君なら許されるよね」

 

「・・・・」

 

妖精の水浴び。

黒髪のお姫様の水浴び。

二人の髪は長く、腰ほどまである。

それが水面に触れて揺れている。

森の中をさまよった先で偶然に巡り会う、泉の美しい乙女。

御伽噺の中に迷い込んだのかと思うような、光景がそこにはある。

 

「ちょっとだけ見ていようよ、ベル君」

 

そんな悪魔の囁きがベルの耳朶を震わせる。

 

「ゆけい、ベルよぉ」

 

そんな大神の囁きが心の中で響き渡る。

 

ちゃぷ、ちゃぷ、と音を鳴らし水面に波紋を生む彼女達。

妖精は長く尖った耳を持ち、肉付きの薄い細身の体をしていた。

人間は美しい黒髪を持ち、肉付きの良い煽情的な体をしていた。

彼女達は何か会話をしているようだが、ベルには聞こえなかった。別に今更、彼女達の裸を見たことがないというわけではない。それでも、覗き(イケナイコト)をしているこの状況に、野外で裸になっている彼女達に、どうしても生唾を飲み込まずにはいられなかった。ベルの横にくっつくようにしているアーディは耳元で囁く。

 

「輝夜お姉ちゃん、またおっぱい大きくなった?」

 

「・・・ごくり」

 

「リューお姉ちゃん、やっぱ綺麗だなぁ」

 

「ごくり・・・って僕もう『お姉ちゃん』呼びしませんからぁ!? あと僕の心の中を見抜いたみたいなこと言わないでぇ!?」

 

「シッ! 静かに!」

 

イケないことをしている。

アストレアも言っていた、『覗き』はいけないことだと。

心の中のアルフィアも言っている。中指を立てて言っている。

 

地獄に堕ちろ(ゴー・トゥー・ヘル)

 

と。

無意識に、ベルの体は震え、思わずアーディにしがみついた。

すると、アーディはバランスを崩して、「きゃんっ!?」と変な悲鳴を上げてベルに押し倒されたような構図となって、倒れ込んだ。

 

「ベ、ベル君・・・? ま、まさか、我慢できなくなっちゃった・・・? でも、その・・・流石に初めてが外ってのは・・・・心の準備が・・・」

 

「・・・・アーディさん」

 

「な、何かな? お姉さんにできる事なら、うん。私、頑張るよ」

 

「どうして・・・」

 

アーディの上でベルが喉を震わせる。

覆いかぶさったような形で、目と目が合う。

覗きなんてさせておいて、怖気づくアーディは何度も「ごくり」と喉を鳴らして、ベルの熱い視線、思わず見てしまった唇に、ぎゅっと瞼を閉じてその時を待つ。

 

「もう君も14歳だよ・・・私達、もう七年近い付き合いだよ? そろそろお姉さん達に手を出したっていいんじゃないかな?って思って。 だから、いいキッカケになればって・・・」

 

草木の向こう側では水浴びしている美女二人。

土の上で仰向けに倒れている美女に、覆いかぶさっている少年。

もしここに、他の冒険者が来れば「え、何事」と言われること間違いないだろう。

 

「アーディさん・・・」

 

「泣かないでベル君、男でしょう?」

 

「だって・・・アーディさん・・・」

 

影のせいでよくわからないが、顔が赤くなっているようなベルの瞳は潤んで見えた。

彼の頬を撫でるアーディ。

そして、ベルは意を決したかのように声を上げた。

 

「服がッッ!」

 

仰向けになっていたアーディは火精霊の護符(サラマンダーウール)に包まれていたが、それは倒れてしまった際にめくれてしまっている。今、ベルの瞳に映っていたのは、その中身であり、どういうわけかボロボロになってしまっている戦闘衣装(バトルクロス)だ。暴漢にでも襲われたんじゃないかと思うほどにボロボロで、下着まで辛うじて彼女の見えてはいけない部分を隠しきる役目を果たしているだけで引っ張れば簡単に破れてしまうほどにはボロボロだった。

 

 

「一体何があったんですk――――」

 

 

言い終わる前に、二人の覗きタイムは終了がもたらされた。

 

「「―――何者(だれ)だ!」」

 

瞬間、二人の上を光が走った。

鋭い一声とともに白刃が投擲され、木に小太刀が突き刺さり、その内一本がそのまま通り過ぎていく。ドグシャッ、と耳の側で悲鳴を上げた幹に、ひゅっ、と二人の喉が凍る。そして通り過ぎていったもう一本の小太刀の方だろうか・・・。「あびゃー!?」となんとも情けない悲鳴がベルの耳に届いた気がした。

 

空色の瞳を吊り上げる妖精、リューと緋色の瞳を吊り上げる人間、輝夜は。

片腕で乳房を隠し、小太刀を放った手を伸ばしたままの体勢でベル達のいるほうを睨みつけ・・・覗きをしていた人物がアーディとベルだとわかると、「なんだお前か」と吐息を吐いた。

 

 

「どうしてアーディは押し倒されているのですか?」

 

「まさか、ここで? 私達が水浴びしているというのに? おっぱじめようと?」

 

見ていた人物が誰かわかると輝夜はすぐに隠すのをやめた。むしろ、美しい顔を歪めた。怒りで。私達よりも他派閥の女がいいのか、とでもいうような顔で。未だ体を隠したままのリューもそれは同じでアーディは友人ではあるし、ベルを痛く気に入っていることも知っているし何なら「ベル君ちょうだい!」とか過去に何度も言っているのを知っているから別にどうこう言うつもりはないし言っても無駄だが・・・面白くはない。

 

 

「「初体験は【アストレア・ファミリア(わたしたち)】よりも、他派閥(アーディ)がいい、ということですか? あん?」」

 

「ち、違う! 違うんです二人とも!?」

 

「やーん! ベル君に種付けされちゃうううううう!! お腹パンパンにされちゃうううううう!! ガネーシャ様、お姉ちゃん、ごめん! 私、ベル君に染められちゃうね! わーい!!」

 

「アーディさぁん!?」

 

「ベル! 貴方を強姦魔になるよう育てた覚えはない! そんなに胸がいいのか!」

 

「ち、違う! リューさんの掌に丁度収まるサイズも僕は好きです!」

 

「そうだ! 好いている女を襲えずして何が男か! 同意がないなら去勢ものだが、同意があるのなら襲うくらいしてみせろ! それでも男か!?」

 

「言ってることが滅茶苦茶だよ、輝夜さぁん!?」

 

「思ったことは口にしなさいとアリーゼやマリュー達が教えていたが、そういうことではなぁい!! ・・・・ありがとうございます」

 

「何故、小さい声で言うのだこの馬鹿エルフは!! おいベル、見ろ! こいつの乳を!」

 

怒れる輝夜はリューを羽交い絞めにした。

隠していた腕は取っ払われ、ベルの瞳に、リューの控えめな果実が姿を現す。

18階層に、生娘妖精の悲鳴が響き渡った。

 

 

×   ×   ×

18階層 森の中

 

 

エレボス率いる白装束もとい闇派閥の信者達は森の中を進んでいた。

宿場町に向かい、【最強(ゼウス)】と【最凶(ヘラ)】の末裔であるベル・クラネルに接触をするためだ。住処(アジト)を出たあたりで【アストレア・ファミリア(やべー女たち)】が奇声を上げて走り出し、悲鳴を上げて落ちていったが、まあ彼女達のことだから当然生還することだろう。だから、エレボスは気にしないことにした。既にあれから数十分は経過しているし、何やらものすごい爆音が聞こえたし、今頃ドロドロの体を洗うべく水場を探していることだろう。

 

「いやしかし、ダンジョンは広いな。若干道に迷ってしまっている・・・」

 

「エレボス様、宿場町はあちらです」

 

「ああ、わかっている」

 

「何故、違う場所へ行こうとされるので?」

 

「そんなこと・・・決まってんだろう?」

 

訝し気にエレボスのことを見る信者達に、エレボスは天井から照らす巨大な水晶を見上げながら言う。少し歩けば、あちらこちらに泉がある。なら、男してやるべきことがある・・・と。

 

「やるべき事・・・?」

 

「それは一体・・・?」

 

「ハッ!? もしやエレボス様・・・!」

 

首を傾げる信者。

察した信者。

闇落ちしてこの方、冒険者共をヒャッハーして下界をヒャッハーさせることしか考えてこなかった信者達。それ以外のことを考える余裕などなかった。だが、だがしかし、暗黒期の大抗争で秩序と正義を司る女神から逃げおおせた生きぎたない悪神エレボスは余裕の笑みを以て彼等を見据える。

 

 

この神・・・まさか。

 

そんなことを、信者達は心の中で思った。

エレボスは言う。

 

「水場があるってことはよ・・・・それはつまり、覗けってことだろう?」

 

「ゴクリ・・・まさかエレボス様、あられもない冒険者(女)を」

 

「一糸纏わない姿でいる冒険者(女)を・・・身を守れないという無様を晒す彼女達を・・・」

 

「裸体の冒険者達を・・・殺すと!?」

 

「「「なんて恐ろしい・・・!!」」」

 

男として、覗きは責務である。

覗きをすることで女は恥じらい、そしてより一層彼女達の美貌には磨きがかかるのだ。であるならば、男としては見目麗しい美女美少女の水浴を覗かねばならない。覗かぬは男の恥。抜かねば無作法・・・というやつだ。しかし、何を思ったか信者達は、水浴びしている無防備な彼女達をスプラッタに殺すことしか考えていなかった。というかそれをエレボスが企んでいると思い込んでいた。

 

 

「は? んな失礼な事するわけがないだろう。裸の女神がいたのなら、覗く。股を開いたら犯す。これが常識だ。言っておくが変身シーンや無防備な姿を晒す状態の者達を殺すことはルール違反だ。恥を知れ」

 

これから覗きをします! そんな宣言をしたエレボスこそ恥を知れと常識人なら言うだろう。だが、ここにはそんな常識人はいない。全員が頭のネジが外れてしまった者達なのだから。信者達はエレボスによって意味の分からない神々の中でのルールを懇切丁寧に説明された。

 

「愛する者を失って、不能になってしまったお前達のためにも・・・立ち上がる力をくれてやろうという俺なりの施しだ」

 

「エレボス様・・・なんて慈悲深い・・・」

 

「確かに・・・妻を、恋人を失って、勃たなくなってしまった者達は多い・・・!」

 

「しかし、それでは天にて待つ彼女達を裏切ってしまうのでは!?」

 

「馬鹿野郎・・・」

 

涙を拭うように目元を摘まむエレボス。

ごくりと生唾を飲み込む信者達。

 

「そんなもの・・・天で待つお前達の愛する者が許してくれるに決まっている。なぜなら・・・死んだ口じゃ何も言えないからな、ハハッ!」

 

 

さあいざ行かん! 乙女の花園!

今こそ、ヴィーナスの誕生を拝みに行くぞ!

そう言って行進を始めたエレボス達。

 

しかし、その進行はエレボスの鼻を掠めた光によって終わることとなる。

遥か遠くから、白刃が飛んできたのだ。

鼻を掠め、木に突き刺さった小太刀は、そのまま幹に悲鳴を上げさせ、信者達も凍り付き、そしてエレボスは嫌な汗を流しつつ。

 

 

「あびゃーっ!?」

 

 

と情けない悲鳴を上げた。

そして、それが更なる悲劇を生むように。

小便をチビってしまったように、エレボスの神威が数分後ダンジョンを揺らした。

 

 

あ、やべ。

 

 

そんなエレボスの心の声を、誰が聞くこともなかった。

 

 

×   ×   ×

18階層 森の中の泉

 

 

「ひっく・・・ぐすっ・・・僕、三人のこと、心配してたのに・・・! 知らないところで、イベント消化してるし・・・!」

 

「ご、ごめんってばベル君、許して? ね?」

 

「悪かった悪かった、後で『水晶飴』を買ってやるから機嫌を直せ。というか、妖精の乳房(いいもの)が見れたんだからむしろ元気になれ」

 

「み、見られた・・・は、はは・・・今まで気を遣って見られないようにしてきたというのに・・・」

 

「いやいやリオン・・・むしろ、7年近く一緒に暮らしてきて見られたことがないことが驚きなんだけど? せめてお風呂入ろうとしたらバッタリってことはあったでしょ?」

 

「・・・・アリーゼに引きずられて入れられたことはある。しかし、うまく隠していたから・・・・」

 

「その隠していた努力がすごいよ」

 

 

リューと輝夜は水浴をやめ、岸に上がっていた。

とはいえ、溶解液のせいで戦闘衣装(バトルクロス)は使い物にならなくなっており、リューは体をベルが持ってきていたバッグの中に入っていたタオルで包み隠し、輝夜は体を隠すのではなくベルに髪を拭いてもらっていた。

 

「輝夜、隠さなくていいの?」

 

「私達に隠し事はなしだ」

 

「いや、それ、意味合い違くない? 物理的な話じゃなくて精神的な隠し事でしょ?」

 

「見られて恥ずかしい体はしていない」

 

「むしろ見て、みたいなポーズとらないでくれる? 負けた気分になるから」

 

「ぐすっ・・・輝夜さん、着物・・・バッグの中に入ってるから」

 

「ああ、ありがとう。体もついでに拭いてくれると嬉しいんだが?」

 

「いや、でも・・・」

 

「今更躊躇うな、一思いにやってくれ」

 

「一思いに殺してくれみたいな言い方をするな輝夜」

 

「あとリオンも拭いてやれ、特に乳首を徹底的に、な。立てなくなるまで拭いてやるのが好ましい」

 

「か、輝夜!?」

 

わしゃわしゃ、わしゃわしゃ、わしゃわしゃ。

美しい黒髪が、タオルによって水分を拭き取られていく。

体が揺れるせいで、豊かに実った果実もまた揺れ、それを隠そうともしない輝夜にアーディとリューは何とも言えない気分になった。女として負けたような、だけど恥じらいがなさすぎるせいで私達の方が勝ってるような。そんな、なんとも言えない気分。ベルは輝夜の要望に拒否したところで無駄だと理解しているのか、ちょっとだけ躊躇ってから顔を拭き、首、腕・・・と順番に拭いていった。それが終わってバッグから彼女の着物を取り出して、着せていく。

 

「着物の着せ方・・・教えたの、輝夜?」

 

「いや、多分見て覚えたんだろう」

 

「こう・・・であってる、輝夜さん?」

 

「ああ、大丈夫だ、あとは自分でやる」

 

「ん」

 

ぽんぽん、と頭を撫でられて少し嬉しそうにするベル。

次にリューの方を見た。

 

「リューさんの着替えって・・・あったっけ?」

 

「え」

 

「え」

 

「え」

 

荷物がないわけではない。しかし、今この場にはない。

せいぜいが武器だけだ。

バッグの中には、輝夜の着物とタオルしかなかった。

タオルはベルとネーゼが使う用に用意していたもので、輝夜の着物は宿屋で脱いだままだったから持ってきたまでだ。リューの着替えのことは・・・そもそも、戦闘衣装(バトルクロス)が溶けてほぼ全裸で森を徘徊していたなんてベルが知るはずがないから仕方がない。アーディが辛うじて無事ではあったが、彼女も何とか隠せるところが隠せているだけで、火精霊の護符(サラマンダーウール)がなければ宿場町の荒くれ者達に「ぐへへ」されていたかもしれない。

 

「どうしよう・・・」

 

「とりあえず、ベル、お前の上着でも着せておけばどうだ? 下にインナーは着ているだろう?」

 

「まぁ・・・裸よりはいっか。でも・・・リューさんはそれでいい?」

 

「え、ええ・・・裸でダンジョンを歩かされるより断然良い、助かります」

 

「・・・・良かったねリオン。彼シャツってやつだよ」

 

「ぶふっ!? アーディ、い、言わなくていい!」

 

「しかし下着もないのは困るな・・・ベル、パンツを貸してくれ」

 

「僕にノーパンでいろと!?」

 

「男のノーパンと女のノーパンは違うだろう?」

 

「いーやーでーすー!」

 

「・・・チッ。仕方ない、命にサラシでも借りるか」

 

 

隠せる部分はとりあえず隠す。

宿場町で衣類を買えるなら、買う。ぼったくられるだろうけれど、今回はもう仕方がない。そう行動方針を決めた時。

 

 

ドンッ、とダンジョンが揺れた。



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シルバリオ・ゴスペル⑥

アストレア様の次に【アストレア・ファミリア】で胸が大きいのは輝夜さんだと思っていたら、マリューさんだった・・・。そしてヒーラーのお姉さん・・・ごくり。アストレア・ファミリアのR18が欲しい


 

 

階層全体が揺らめく。

 

「な、なに、地震!?」

 

多くの冒険者達が足元を見下ろしながら狼狽える。

その間にも揺れは大きくなり、周囲の木々を左右に振りざぁっざぁっと葉々を斉唱させる。

 

「これは・・・()()()()()

 

「昔にも似たようなことがあった気がするが・・・まさかな」

 

リューと輝夜が異常事態(イレギュラー)が起きる前触れであると、足元を睨みつけながら呟く。

そこから階層の揺れは続いたまま、次の瞬間――ふっ、と。

頭上からそそぐ光に影が混ざり、周囲が薄暗くなった。

 

「・・・・・・ねえ二人とも、あれ、何?」

 

空を見上げたアーディが、唖然と呟いた。

天井一面に生え渡り、18階層を照らす数多の水晶。その内の太陽の役割を果たす、中央部の白水晶の中で。巨大な何かが蠢いていた。

 

「輝夜さん、ダンジョンではこういうことも起こるの?」

 

「ノーとは言えないのが痛いところだな。むしろ、ダンジョンの中では何が起こるかわからん」

 

「輝夜、ネーゼ達と合流しましょう」

 

「そうだね! リオンったらベル君のシャツしか着てない状態で下半身がチラ見えしちゃうけど、もう仕方ないよね! 緊急事態だもんね!」

 

「訂正します、宿場町(リヴィラ)に向かいましょう」

 

「「却下」」

 

「なっ!?」

 

「緊急事態なんだぞ、異常事態なんだぞ。貴様の下半身の風通しの良さよりも人命が優先だ阿保」

 

「緊急事態なんだよ、異常事態なんだよ!? リオンの股チラ(幸せパンチ)よりもこの異常事態を何とかするのが先だよ!」

 

まるで万華鏡を覗いているかのように、巨大な影が水晶内を反射し黒い鏡像――薄気味悪い模様を彩る。あの水晶の奥にいる何かが階層を照らす光を犯し、周囲へ影を落としているのだ。アーディ達が言い合っているのを他所に天井を仰ぐベルが固まっていると、そこへ一際大きな震動が起こる。18階層全体を震わす威力に、誰もが周囲にある幹へ手を伸ばし、或いは「キャー」などと言ってベルに抱き着いて転倒するのを堪えた。

 

「こ、こんな格好で戦えと!? 下着すらないのに!?」

 

「例えノーパンであろうとも!」

 

「例えノーブラであろうとも!」 

 

「そこが例えベッドの上でなかったとしても!」

 

「「戦わなくてはならないのなら、戦わなくては何も守れないっ!」」

 

「何ですか、いつ打ち合わせしたんですか、何故二人とも口を揃えて言うんですか!? というか二人とも、どさくさに紛れてベルを押し倒したまま言わないで欲しい! 早くそこを退きなさい! ベ、ベル! 貴方も何とか言ってください!」

 

そして――バキリッ、と。

走った。

未だ巨大な何かが蠢く白水晶に、深く歪な線が。

 

「ごめんなさいリューさん・・・僕がブルマのスペアを持ってこなかったばかりに・・・」

 

生じた亀裂から水晶の破片が煌めきながら、儚く落下していく。

 

「そんな反省はいらない、いらないんです! そもそもは私達が勝手に罠に嵌っただけのことなのだから! だから泣きそうな顔をしないでください、貴方は決して悪くない!」

 

「三人は一体全体どうしてダンジョンの中でほぼ裸になるみたいなことになってたんですか?」

 

「リオンに追いかけられて」

 

地中の門番(トラップモンスター)の穴に落ちて」

 

「都合よく服だけを溶かす溶解液に浸けられた」

 

「「そして倒した!! 何が溶解液だ、アルフィアに日々虐められて来た私達の敵ではない! ざまぁみろ、女の敵め!!」」

 

「・・・・・・」

 

「え、なんでベル君ドン引きしてるの・・・?」

 

「アーディさん、ちゃんと隠して・・・見えてるから」

 

「あ・・・やん♡ ベル君の助平」

 

「僕悪くないよね、むしろ僕の防御力下がってるよ!? だって火精霊の護符(サラマンダーウール)はアーディさん、シャツはリューさんに貸してるんだから! 僕インナーだけなんだよ!?」

 

「などと馬鹿(コント)をやっている場合ではない、行くぞお前達!」

 

「ネーゼ達と合流だね!」

 

「まずは宿場町(リヴィラ)で装備を!」

 

意見の一致しない美女達は頭上の異音に負けず劣らずの言い合いをはじめながら、妖精はシャツをこれでもかと引っ張りながら下半身を隠し、大和撫子は着物が擦れるのか体を抱くようにしながら走り、鈍色の髪の美女は火精霊の護符(サラマンダーウール)が捲れないように押さえながら森の中を走って行く。

 

 

×   ×   ×

18階層 東端付近

 

黒い何かは水晶の内部をかきわけるように、その身を徐々に大きくしていく。

 

「あー・・・くそ、恥ずかしい・・・しかし、これっぽっちの神威で・・・冗談だろう? この小太刀の持ち主は・・・ひょっとしてアストレアの眷族か? まさか、バレた? いやいや、まさかな。しかし危ない所だった。下手をしたら脳天直撃(ヘッドショット)だぞ」

 

エレボスは膝を抱えて土を弄っていた。

土をガリガリと削っているのは、先程、突如として跳んできた白刃だ。

闇派閥の信者達は、そんな、エレボス曰く『しょんべんチビッたレベルの神威』で異常事態が起きてしまったといじけているエレボスの小さな背中を、なんともいえない顔をして見つめていた。

 

非常に気まずい空気が漂う。

信者達の視線を浴びながら、天井へ視線を向ける。

眼下のものを上から押し潰すような巨大な亀裂音が放たれ、エレボスは哀愁を漂わせて瞼を細めた。

 

「・・・・ダンジョンは()()()()()。こんな地下(こんなところ)に閉じ込めている、神々(オレたち)をな」

 

信者達が何が起きているのか聞く前に、それを察したかエレボスは語る。

水晶の破砕音に連なるように、階層内にいるモンスターの遠吠えもまた、四方から重なり合いながら木霊してくる。

 

「はぁー・・・こうなっては仕方ない狙われる前に逃げおおせるか。お前達、覗きはまた今度だ。住処(クノッソス)に帰るぞ、俺を無事に送り届けろ」

 

「は?・・・ハッ、畏まりました!」

 

止まらない亀裂。

降りしきる水晶の雨。

開花した菊の花を彷彿させるクリスタルの中央から、それは音を立てて顔を出す。

エレボスはその光景を見て、予定とは少し違ってしまったことに困り果てたように、眉を下げて笑った。

 

「『神獣の触手(デルピュネ)』ほどではないだろうが・・・気張れよ、少年」

 

これから起こることを観戦できないことを残念に思いながら、エレボスは姿を消していった。

 

 

×   ×   ×

18階層 宿場町(リヴィラ)

 

水晶を突き破ったそのモンスターは、まず頭部から姿を晒した。

まるで18階層の天井から生首が生えたように現れ、ぎょろり、とその巨大な眼球を動かし、天地逆転している眼下を睥睨する。すぐに肩と腕も出現させたモンスターは、上半身を半ばまで剝き出しにしたところで、その口を開いた。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』

 

階層全土をわななかせる凄烈な産声を上げ、巨人のモンスター『ゴライアス』は、17階層という定められた領域を飛び越え、この安全階層(セーフティポイント)に産まれ落ちた。ゴライアスは水晶を割りながら腰まで姿を現すと、後は重力に従うように天井から落下した。

まるで黒い隕石。

輝く細かな水晶の破片、あるいは人を容易に呑み込むほどの大塊を周囲に引き連れて、地面に向かって墜落する。巨人は空中で一回転し、次いで爆音とともに、直下にあった中央樹をその二本の大足で踏み潰した。全ての者の耳を聾する巨大樹の悲鳴。根もとの樹洞は完璧に押し潰され、むしろ樹そのものが半分まで地中に埋まり、太い幹もひしゃげる。更にその後を追って、結晶の雨が潰れ果てた中央樹付近の大草原に突き刺さっていく。

 

「一体、何が起きているんだ・・・!?」

 

「おいおいおい、【ロキ・ファミリア】はさっき出て行ったばかりだぞ!?」

 

桜花が驚愕を浮かべ、ヴェルフが頬に汗を垂らして天井を見上げる。

それは他の冒険者達も同様に、唖然、驚愕、茫然。

何が起きているのかはわからない、しかしあれが()()()というのだけはわかる。そんな顔をしている。

 

「ネーゼ殿、ベル殿達は!?」

 

「・・・戻ってない。脱出しようにも、上に繋がっている道は崩落で潰されてる。下に行くのも、無理」

 

「ということは・・・?」

 

「アレを倒さないと・・・どうしようもない」

 

 

青空は既に消えていた。

ゴライアスが突き破ってきたことで光を恵んでいた筈の白水晶は完全粉砕され、階層からは明るさが消え失せている。罅割れた青水晶だけが天井に残された18階層は、一転して、まるで月夜の晩のような蒼然とした薄暗さに包まれた。やがて、異常事態(イレギュラー)の塊、階層中心地に君臨した『迷宮の孤王(モンスターレックス)』はゆっくりと顔を上げ、潰れた大樹から飛び降りる。

 

「なんじゃあ、ありゃあ・・・・」

 

西部の湖沼、島の上に位置する『リヴィラの街』からも、その光景ははっきりと確認できた。南端の方角へ振り返り退路が断たれていることを認めるネーゼ達は、すぐ近く、換金所から出てきた眼帯の店主の姿を見た。彼も、いや、彼等冒険者達もまたこの異常事態を呆然と眺めている。安全階層に階層主が産まれ落ちたという特級の異常事態に、保身の術に長けている筈の(リヴィラ)の冒険者達は、一向に行動を起こせずにいた。

 

本来の体皮を薄い灰褐色を忘れ、全身を黒く染め上げた黒いゴライアスは、鮮血の色をした目玉をぎょろり、と動かし近くを逃げ惑う冒険者達に照準した。冒険者達の悲鳴が木霊する。

 

「ボールス・エルダー・・・・」

 

「あん? おめぇ・・・【アストレア・ファミリア】か!? へへ、助かったz――」

 

「悪い話と悪い話、どっちから聞く?」

 

ボールスが言い終わる前に、ジトリとした目つきをしたネーゼが口を開いた。

彼等リヴィラの住人が何を考えているのかは予想をつけていたのだろう。「【アストレア・ファミリア】がいる! ラッキー! よし、あいつらに倒してもらおう!」などと言おうとしたのだろう。きっと。それを遮ったのだ。

 

「・・・・・そうだな、悩むところだが、悪い話から聞かせろ」

 

「まず、今回【アストレア・ファミリア(わたしたち)】は団員が全員ここにはいない。いるのは、リオン、輝夜と・・・新人(ルーキー)だけどベル」

 

「ベル・・・ベル・クラネルか。確か【静寂】のガキだったか。んで、そいつらは今、どこにいやがるんだ?」

 

「さあ? まだ戻ってきていないからわからない。あと、【ガネーシャ・ファミリア】のアーディも輝夜達と一緒にいる」

 

「・・・・・・お前の後ろにいる奴らは?」

 

「この子達は駆け出し」

 

「チッ、使えねえ」

 

「おいアイツ今、わざと聞こえるように舌打ちしやがったぞ」

 

「落ち着け鍛冶師。駆け出しの俺達が戦力で数えられなかったとしてもそれは仕方のないことだ。実際、俺達だけでは行動一つ起こせない」

 

 

パーティを率いる代表としてネーゼがリヴィラの頭目であるボールスと会話をする。【アストレア・ファミリア】が全員いないと聞こえた時点で肩を落とし、ネーゼの後ろにいる年若い冒険者達が駆け出しだと知ると更に悪態をついてヴェルフをキレさせる。それを宥めたのは、桜花だ。

 

「で、もう一つの悪い話はなんだ」

 

「退路が断たれた。南の洞窟は崩れて、私達は事実上この階層から脱出することができない。つまり、あれをどうにしかして討伐するしかない」

 

「と、討伐ぅ!? 馬鹿いってんじゃねえぞ!? じ、時間を稼いで洞窟をさっさと掘り返しゃあ、トンズラすることだってできるはずだろうが!?」

 

「笑えない冗談だよ。ここからでもわかるくらい盛大に崩落している洞窟を、再開通させるまでどれくらいの時間がかかるんだ? 半日、それとも丸一日? あんたの言う時間を稼ぐ奴等が階層主に蹴散らされる方が早い」

 

「・・・・オ、オレ等が全員出しゃばらなくても、ゴライアスの一匹くらい、精鋭を連れて行けば・・・」

 

「ついさっき言ったけど、【アストレア・ファミリア(わたしたち)】は全団員がここにいるわけじゃない。タイミング的に【ロキ・ファミリア】とすれ違う形で階層主が産まれたから、ひょっとしたら援軍も・・・なんて考えてしまうけど、それは洞窟を開通させない限り難しい」

 

協力な魔導士が岩石を魔法でぶち抜いてくれれば、ワンチャンあるかもしれないけれど・・・。最後は濁すように言うネーゼは、どちらにせよあの階層主を討伐しない限り、脱出は不可能だし救援を期待するのもやめた方がいいと付け足して口を閉じた。

 

「・・・・ちくしょうめ」

 

ネーゼの説明に、観念したようにボールスは項垂れた。

間を置かずその凶暴な人相を振り上げ、腕の動きとともに大声を張る。

 

「話は聞いてたな、てめえ等ぁ!? あの化物と一戦やるぞぉ! 今から逃げ出しやがった奴は二度とこの街の立ち入りは許さねえ!」

 

号令が下され、他の者も腹をくくったようだ。

街に宿泊していた冒険者達も走り出し、武器を持って続々と大草原へと向かっていく。

にわかに準備で忙しくなる周囲を見渡した後、ネーゼはヴェルフや桜花、命に千草に振り返った。

 

「ごめん、せっかく18階層まで来れたのに危険な目に遭わせることになって」

 

「気になさらないでください、これも良い経験です!」

 

「ま、ダンジョンは何が起こるかわからないからな・・・」

 

「戦わなくてはならないのなら、戦うしかない」

 

18階層に足を初めて踏み入れた後輩達に危険な目に遭わせてしまう。

それが自分のせいでないにしても、謝罪する狼人の先達に気にしないで欲しいと笑ってみせる桜花達。彼等に「ありがとう」とだけ言って、ネーゼはゴライアスを見据える。

 

「ベル殿達は無事でしょうか」

 

「・・・・わからない。でも、輝夜達がいるなら、無事だと思うし・・・多分、階層主(アレ)と戦うと思う。何より、あるもの全部出し切らないと、倒せない」

 

「あるもの全部・・・?」

 

「そう、あるもの全部。あれはただの階層主とは違うと思う。 だから、君が毛嫌いしている『魔剣』だって使わなきゃ勝てるかわからない」

 

「・・・・っ」

 

背に背負う魔剣。

それは飾りか、と厳しい目つきになって言うネーゼに返す言葉がないヴェルフは拳を握り締める。ベルならどうだろう、あいつには【ゼウス】と【ヘラ】の血が神血でないにしても、流れている。それを忌避したことはないんだろうか。俺と同じように血を呪いだと思ったことはないんだろうか。そんなことをふと疑問に思って歯を食い縛り両頬を叩いた。

 

「・・・悪い、何とかする」

 

――多分、あいつはそんなこと、考えたこともねえだろうな。じゃなきゃ、俺に魔剣を鍛てなんて茶化して言ってこねえ。

 

「・・・そう。じゃあ、皆、行こう!」

 

全員が、巨人を見据えた後、駆け出した。

向かうのは、悲鳴と爆音が起こる階層中心地帯。

雄叫びと共に巨人が猛る戦場へと、冒険者達は身を投じるのだった。

 

 

×   ×   ×

18階層 大草原 

 

 

戦場である大草原では地獄絵図が広がっていた。

ゴライアスの標的となった冒険者達は悲鳴を上げ、逃げ遅れた者からその太腕に殴り飛ばされ宙を舞う。直撃を避けたところで結果は同じで、人の体が紙屑のように吹き飛んでいった。

 

「ち、ちくしょう! なんだってゴライアスが産まれるんだぁっ!?」

 

「モルド、やべぇ、逃げきれねえ・・・っ!」

 

「は、はひゃああああああああああああっ!?」

 

絶叫が次々に打ち上がるが、我先にと逃走する彼等に他者を顧みる余裕はない。全ての者が巨人に背中を向けて、一心不乱に距離を取ろうとする。敗兵達の潰走(ついそう)もかくやという(てい)で彼等はばらばらに遁走していった。

 

『・・・・・ォォ』

 

方々に散らばる冒険者達に顔を歪めるゴライアス。

巨人のモンスターの体格は豚頭人体(オーク)のそれに近い。足は短く、たくましい上半身の規模が総身の六割ほどを占める。常に前屈みになっている背には長い頭髪がかかっていた。散り散りとなっていく無数の小さな影に、ゴライアスは追いかけるのを止めた。血のように赤いその眼球を凶悪にぎらつかせ、背を軽く反る。

 

そして次の行動で、巨人のモンスターは口内を爆発させた。

 

『―――――――アァッ!!』

 

大音声とともに放たれたのは、衝撃波だった。

最も遠く離れていた一人の冒険者のもとに着弾し、草原が爆ぜ、彼は声も上げられないまま吹き飛んでいく。糸の切れた人形のように地をごろごろと転げまわって行くその姿に、逃げ惑う冒険者は荒肝を拉がれた。

 

咆哮(ハウル)

『恐怖』を喚起し束縛する通常の威嚇ではなく、魔力を込め純粋な衝撃として放出される巨人の飛び道具。その効果範囲は魔犬(ヘルハウンド)の比ではなく、威力そのものも馬鹿馬鹿しいほどだ。距離を稼ごうが狙い撃ちされる悪夢の展開に、冒険者達は例外なく青ざめた。

 

『オオオオオオオオオオオオオッ!』

 

立て続けに、ゴライアスは天を仰いで雄叫びを上げる。

階層の隅々にまで届く階層主の叫び声が呼んだのは、モンスター達。

森から、草原から、湿地帯から。

18階層に棲息している大量のモンスターが、ゴライアスのもとに召喚される。集まってくる様々な種類の怪物の群れに、冒険者達はとうとう凍り付く。モンスターの波は哮り声を上げながら、四方から襲い掛かってきた。

 

「ひ、ひぃいいいいいいいいいいっ!?」

 

武器を抜き応戦せざるをえない冒険者達へ、ゴライアスは冷酷に進行を再開させる。『咆哮(ハウル)』を撒き散らしながら呼び出した尖兵(モンスター)ごと獲物を弾き飛ばし、そして冒険者の一人に肉薄した。自身を優に呑み込む巨大な影。赤い両眼に見下ろされ、立ち竦む獣人の冒険者。背に溜められた巨拳――もらえば冒険者だろうがモンスターだろうが即死させる大鉄槌を、ゴライアスは吼声とともに振り下ろす。

 

「――【アーネンエルベ】!」

 

しかしそこへ、陣風のごとく疾走してきた冒険者達がいた。

金髪のエルフに、黒髪の大和撫子の二人がゴライアスの死角、真横から突撃し、速度を上乗せした渾身の一撃で振り抜いた木刀を、刀をほぼ同じタイミングで敵の左膝へ叩き込む。鼓膜を滑り抜ける快音が響き渡り、支柱である足を強打されたゴライアスの攻撃は、獣人の冒険者から大きく逸れ、地面を粉砕した余波で冒険者が吹き飛ぶ。

 

さらに、別の場所でゴライアスの膝と同じ高さから雷が地に落ちると、その落下地点にいた冒険者達へと襲い掛かっていたモンスター達が爆砕した。続いて雷が人の形をしたような存在が次々と劣勢に立たされている冒険者へと急接近し、モンスター達をその体ごと自爆という形で雷で撃ち抜いていった。それはベルの魔法によるものだ。

 

「ベル君、無茶したら怒るからね!」

 

「は、はい!」

 

ベルが詠唱している間、庇ってくれていたアーディは言うと輝夜達のいる場所へと駆け出して行った。

その後ろ姿をぽかん、とした顔で数秒呆けていたのは他ならない冒険者達である。

 

「あ、あいつが【静寂】のガキか・・・!?」

 

「一瞬でモンスター共がぶっ殺されやがった」

 

「本当にLv.2か!?」

 

そんな動揺を孕んだ言葉に、返って来るものはない。

モンスターの吼声を聞いてすぐさま、ベルが戦闘を再開させたからだ。

 

 

 

×   ×   ×

18階層 大草原

 

 

「おおおおおおおおお!」

 

「ハァアアアアアア!」

 

斧と刀、それぞれの得物で同じ左膝を攻撃した桜花と命。

二人は輝夜達の姿を見て恐れを激しい表情の奥に封じ込め、後に続いていた。

しかし次には瞠目する。

手首を撃ち抜く硬質な手応え。桜花の戦斧は刃が欠け、命の刀にいたっては刀身が折れた。強固な金属鎧をも上回る階層主の体皮に、かすり傷しか残せない。

 

「何を呆けている馬鹿者、さっさと離脱しろ!」

 

輝夜の鋭い呼びかけが驚愕が抜けきらない二人の耳を射抜く。

はっと体を揺らす桜花と命が振り向くと、己の左手から右手に抜けていく桜花達をゴライアスの視線は追尾し、目端を裂いた怒りの形相で睨みつけていた。巨人はぐっと腰をひねり、その極腕を大薙ぎに振るう。

 

「ぐ、おおおおおおっ!?」

 

「~~~~~~~~っ!?」

 

巻くように放たれた右腕の攻撃(スイング)

ゴライアスの周囲を半回転した拳の旋風に、間一髪逃れることに成功した桜花達は、それでもめくり上がる地盤とともに弾き飛ばされた。追い打ちとばかりに、草原へ転がった桜花と命にゴライアスは開いた口を照準ささえる。

 

「【燃えつきろ、外法の業】――【ウィル・オ・ウィスプ】!」

 

瞬間、『咆哮(ハウル)』を放とうとしたモンスターを大爆発が襲った。

くぐもったような叫び声が爆ぜる顔面の周囲、陽炎の残滓が火の粉と共に霧散していく。黒煙を吐くゴライアスへ腕を突き出しているのは、対魔力魔法(アンチ・マジック・ファイア)を発動させたヴェルフだ。

魔力の塊が装填された『咆哮(ハウル)』の強制中断。

大草原の一角から、彼は緊迫した眼差しで立ち込める煙の奥を見つめていると・・・ギロリ、と。

血走った瞳で既に砲撃体勢に移行しているゴライアスが、ヴェルフの見開かれた目の中に飛び込んだ。焼かれた顔と口内を全く意に介さず、巨人の『咆哮(ハウル)』が繰り出される。

 

「ふっ!!」

 

『グッ!?』

 

ヴェルフへの『咆哮(ハウル)』は外された。「うおおっ!?」と叫ぶ彼を救ったのはリューである。

七Mにも及ぶ体躯の背中を瞬く間に蹴上がり、巨人の後頭部を強襲、『咆哮(ハウル)』の射撃角度をずらしたのだ。彼女は木刀を振り切った反動を利用してゴライアスの頬を蹴りつけ、すぐに地上へと退避する。

 

「リオン!」

 

「アーディ!? ベルと・・・他の冒険者達は?」

 

「ベル君が魔法使ったから大丈夫! んでもって他のモンスター達と戦ってる! あとリオン、これ」

 

合流を果たしたアーディ。

アーディがリューへと、腰布(パレオ)を差し出した。道中、戦っている女戦士(アマゾネス)に譲ってもらったものだ。

 

「・・・た、助かります」

 

「お腹冷やすの、良くないからね」

 

「・・・・」

 

キュッとシャツを引っ張るリュー。

それをギョッとした目をした桜花とヴェルフへと命、ネーゼがそれぞれ「見るな!」とばかりに殴打し二人は「うぐぅっ!?」と苦悶の声を上げた。ササッと手早く腰布を巻いたリューは、澄ました顔をしてゴライアスを見据える。しかし金髪からはみ出るようにして生えている尖った耳は赤かった。

 

「どう、リオン? あれ倒せそう?」

 

「倒せる倒せないではなく、倒すしかないでしょう。 しかし固い・・・それに、動作が速い。やはり通常の階層主(ゴライアス)とは違う」

 

「過去に戦った黒いモンスターと同様の存在だとすれば、あいつは『自己再生』を持っていると考えた方が良い。その証拠に斬っても斬っても、すぐに修復されている」

 

アーディの問いにリューが答え、輝夜が付け加える。

17階層に出現する標準のゴライアスはLv.4相当。過去に【アストレア・ファミリア】だけで何度も撃破した経験のある二人にとって、現在相対している個体は訳が違った。彼女達の手さえも痺れさせる防御力に、本来持ち得ない飛び道具の『咆哮(ハウル)』、何より超大型級のモンスターに似合わぬ反応と初動の速さ。

 

「「敵の潜在能力(ポテンシャル)はLv.5に届く」」

 

二人はそう判断する。伴って彼女達は、この状況下でただ一人、撃破の糸口を探し出そうとした。

 

「逃亡は無意味、この巨人に背を見せた者から、戦意に少しでもほころびが生じた瞬間から取って食われる」

 

Lv.4の二人は攪乱を主体にしつつ、敵の脚を幾度となく狙った。

二人の攻撃はゴライアスが唯一『痛撃』と見なす威力を備えていた。更に彼女達を筆頭とすることなく周囲を動き回る小さな影達。目障りだと激昂するように、ゴライアスは両腕を振るい怒声を上げた。

 

『ゥゥ―――オオオオオオオオオオオァアアアアアアアアアッ!!』

 

 

「他の冒険者達も周囲のモンスターを殲滅する者、戦っている者達の元へ急行する者、階層主へと直進する者もいるが・・・火力が足りん。ネーゼ、頭目(ボールス)はどうした!?」

 

「戦うしかないって腹括ってくれた。多分、魔導士を固めてぶつけてくると思う」

 

「こういう時ばかりは頼もしい限りだな。ならば・・・リオン、私と貴様で、敵の意識を分散させるぞ」

 

「わかりました、やりましょう」

 

「アーディ、悪いが武器の補充とボールスの元へ行って魔法を外したら許さんと言っておいてくれ・・・桜花、命、千草、お前もついていけ。獲物を失ったお前達はただのお荷物だ」

 

「「お、お荷物っ!?」」

 

「輝夜、私はベルを呼んでくるよ。あの子の魔法があった方がいいでしょ?」

 

「わかった・・・あいつが無茶しない程度に連れて来てくれ、ネーゼ」

 

指示を出した輝夜はリューと共にゴライアスの周囲を動き回る。

巨人の攻撃の矛先は、速度自慢の彼女達に暫時固定された。

 

 

×   ×   ×

輝夜達とゴライアスが交戦している地帯から、約一〇〇M南東。

 

モンスターの群れに襲われる冒険者達は敵味方入り乱れての戦闘を繰り広げていた。

モンスターの啼き声と冒険者達の悲鳴が交錯する中、大甲虫(マッドビートル)熊獣(バグベアー)狙撃蜻蛉(ガン・リベルラ)猛牛(ミノタウロス)・・・あらゆる種類の中層のモンスターが周囲から途切れることなく押し寄せ、ベルはそれらと相対していた。

 

『ガアアアアアアア!!』

 

「ふっ・・・はぁっ!」

 

振るわれた爪を、分身が盾で弾きベルの持つ直剣が胸を魔石ごと貫く。次いで背後から噛みつこうとしてきたモンスターの顎を女戦士(アマゾネス)を彷彿とさせる姿の分身が蹴り上げ、ベルが回転を利用して斬り捨てた。前後左右、四方を問わず飛び掛かってくるモンスター達に、ベルは単独でありながら集団での戦いを行っていた。

 

目と鼻の先で大型のモンスターの胸が貫かれ、命を落とす寸前であった冒険者達の恐怖によって老婆のように歪んだ顔は、ベルによって安堵と唖然に塗り替えられる。

 

彼等がベルの名を聞く間もなく、すかさず別のモンスターが迫りくる。

バグベアーが放つ横殴りの爪を咄嗟に身を屈んで回避し、剣を斬り上げ、撃破した。それを呆けた顔で見ていた冒険者の襟首を、何者かが、がしっ、と掴んで雑に運ぶ。

 

「『脱出(おかあさん)』」

 

「いっ、ででででででででぇっ!? だ、誰だっ、尻がぁ!? ――――ひぃっ!?」

 

視界が揺れた瞬間、冒険者は倒れた姿勢のまま引きずられていく。

ドレスを揺らす美しい女性――アルフィアを彷彿とさせる分身が彼の体を容赦なく運搬していたのだ。草原のあちこちに生えている水晶によって、彼の口から悲鳴があがる。たちまち乱戦地帯から抜け出しモンスターのいない草原で、分身は彼を投げ捨てる形で開放し姿を霧散させた。自分を運んでいたのが誰なのか確認しようとした彼は、幽霊を見たように悲鳴を上げた。霧散し、消えていく彼女の表情はわからないが、どうしてだか「こんなことに使われた」とばかりに不満たらたらな雰囲気を纏っていたと後に彼は語る。

 

 

×   ×   ×

ゴライアスから距離を置いた小高い丘

 

潰れた中央樹と洞窟を結んだ真南の地点で、(リヴィラ)冒険者(じゅうにん)達が即席の拠点を設けている。

 

「てわけで、輝夜とリオンが囮をするから大きいのを当てて欲しいんだ!」

 

「よおおしっ、てめー等、そういうことだ! 心置きなく詠唱を始めろぉ!」

 

アーディから指示を聞くと、ボールスの号令によってエルフをはじめとした魔導士達が数ヵ所に塊、『魔法』の詠唱を開始する。限られた者の足もとに咲き誇る多種多様の魔法円(マジックサークル)。魔法の威力や効果範囲を増加させる強化装置であり、発展アビリティ『魔導』を習得した者のみに与えられる、いわば上位魔導士の証だ。長文詠唱による強力な砲撃の準備が着々と進められていく。美しい呪文を紡ぐ間無防備になるそんな彼等を庇うのは、大盾を持ったドワーフ達だ。

 

「武器はいくらでもあるからなぁ、畜生! 獲物が潰れたらさっさと交換に来い!」

 

「よし、千草ちゃん貰って行こう! 君達も使えるのがあったら持って行っていいよ」

 

「は、はいっ!?」

 

剣や槍をはじめとした武器を片っ端から地面に突き刺し、盾を並べ、予備の装備品を提供していく。筋骨隆々のドワーフや獣人達が大剣や大盾を遠慮なく持ち去って行くのを見たアーディが、千草へと言うと輝夜達の元へと運べるだけの武器、或いは戦闘中に武器が使い物にならなくなるのを前提に予備を手に取って行く。桜花と命は自分達が使っている得物と似通った、使いやすいものを手にしていく。ふと、巨人のいる方角を見ると【ファミリア】の垣根を越えて総勢百名に達する冒険者達が、巨人のモンスターを包囲しつつあるのがわかり、千草は思わず「すごい」と零す。

 

「れ、連携なんて取れるんですか!?」

 

「馬鹿言ってんじゃねえ、仲間でもない奴等と連携なんざ不可能だ」

 

移動を続ける冒険者達がゴライアスを取り巻いていく。勝手知ったる仲間でもない彼等は緻密な連携はもとより捨て、互いの邪魔にならない間合いを確保した上で各々の行動に走っているのだ。

 

「前衛も仕掛けろ! 何だったら一発かまして、名を上げてきやがれ!」

 

不穏な空気に気付いたゴライアスが『咆哮(ハウル)』を撃つが、前衛壁役として機能するドワーフ達の盾が受け止める。後衛である魔導士達に余波さえ微塵も届かせない。『咆哮(ハウル)』の威力は巨人の直接攻撃に比べればまだ低い。振り回される手足に捕まらなければ、盾を構えた彼等なら十二分に防御することができる。Lv.3の者もまざる大勢の前衛壁役は、ゴライアスの巨碗だけは防ぎ切れないと判断し、最前線の攻撃は輝夜とリューに一任し、魔導士達の防衛に徹した。

魔導士達と前衛壁役を脇目に、命知らずの前衛攻役(アタッカー)も動き出す。発破をかける声に上等だと息巻き、四、五人の小隊を組んで果敢に突っ込んだ。輝夜とリューがゴライアスの注意を奪った瞬間を突き、二本の大脚へ打ち込まれる大剣、破壊槌、斧。下半身を揺らす複数の衝撃に巨人は両眼を吊り上げる。モンスターの怒りの声が上がるのを脇に、都合六つ結成された小隊は断続的に斬りかかっていった。




や・や・こ・し・い

エレボス→ごめん、帰るわ
輝夜、リュー→ネーゼ達と合流→ゴライアス
ネーゼ→ベルを呼びに
ベル→アーディに守られて魔法行使+アーディ、輝夜、リュー離脱後、冒険者達とモンスターの討伐。一人で集団戦闘するベルに冒険者達ぽかーん。
アーディ→桜花達を連れて輝夜達から離脱→ボールスの元へ→武器の補充

ロキ・ファミリア→18階層を出た後にすれ違うようなタイミングで地震発生(黒ゴライアス)→18階層に続く穴が崩落していると後続の部隊に報告を受ける


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シルバリオ・ゴスペル⑦

 

 

【アストレア・ファミリア】本拠『星屑の庭』

 

 

決して大きくない、けれど瀟洒(しょうしゃ)な白い館。

そんな館の中でも広い、幾つもの長椅子(ソファー)が揃えられた団欒室で、普段着用している赤を基調とした戦闘衣装(バトルクロス)ではなくキャミソールに短パンというラフな格好をしたアリーゼがしなやかな足を延ばし寛いでいた。一本に束ねられていた赤い髪は流され、長椅子(ソファ)の上で左右に広がっている。

 

 

「・・・・・・暇」

 

いつもの活発な団長は、ベルと18階層に行くはずだったというのに都合悪く『女の子の日』が到来。どこか調子悪そうにしているのをベルに見抜かれ留守番をさせられていた。アリーゼとしては別に、女として生きている以上はついてまわるものだし、それでダンジョンに行けないほどかと言われれば、「いや、別に」といった具合だったがあの深紅の瞳でじぃーっと見つめられれば「ぐぬぬ」と従うしかなかった。

 

長椅子(ソファ)の上で仰向けになって寝転がり、膝を何度も交差させる。

他の団員達は日々の活動に出ている者もいれば、食品類の買出しに出ている者もいるし、本拠内の清掃だとか洗濯をしている者もいて話し相手は碌におらず、腕を伸ばせば届く距離にあるテーブルの上には読み終えたであろう小説と、つまんでいたお菓子に紅茶が置かれている。つまるところ、アリーゼは死にそうなくらい暇なのだ。

 

「そりゃあ、あの子は6歳の頃から女所帯で暮らしているわけだし? アルフィアも女のあれこれを何一つ教えていないわけではないだろうし? 気を遣ってくれるのは嬉しいんだけど・・・大丈夫って言ってるんだからちょぉーっとくらい信じて欲しいものよねえ」

 

そりゃあ? 冗談で?

「ベルがベッドまでお姫様抱っこで運んでくれたら大人しくしているわ! お腹痛くて歩けないの♡」とか言ってみたんだけど? まさか「わかった」って言って本当にするとはアリーゼも流石に思わなかった。というかそれを言う前に「大丈夫だから! 一緒にダンジョン行くから!」と説得しようとしたら、「お義母さんは大丈夫って言いながら血を吐いたからダメ」なんて言って圧をかけられた。アルフィアと私を一緒にしないで欲しいと思うけれど、小さかった頃のベルからしてみれば大好きな母親が口から血を「コフッ」と吐くのはトラウマもので、ちょっとばかり神経質になってしまうのかもしれない。

 

過去。

 

「あまり私の手を煩わせるな、死人が出るぞ」

 

「・・・・へえ、誰が死ぬって?」

 

「私だ」

 

「お前かよ!!」

 

そんな、アルフィアがたまにするふざけたやり取りもあったが、彼女はいつも真顔というかあの涼しい顔でしてくるものだから冗談が冗談になってこない。なんなら夕飯のオムライスにベルがケチャップをかけようとすると、どういうわけか既にかかっていたことすらあった。アルフィアの口元も不思議なことに赤かった。

 

 

閑話休題。

 

つまりは、その手の出来事が何かしらベルに影響を与えてしまっているのかもしれないとアリーゼは考えた。

 

「ていうか・・・あれよねきっと。27階層で出てきたあの化物の一件・・・あれでアルフィアの寿命縮めちゃったようなものだし、アルフィアは片手切断されてんのにぷらんぷらんさせて「ほら、私は元気だ」とかベルの前でやったのが原因よね、うん、きっとそれだわ。まだ10歳にもなってない子にすることではないわ! いや10歳になっていたとしてもトラウマものだけど」

 

瞼を閉じてアルフィアのことを思い浮かべ、過去に起こった自分達にとってのトラウマを思い出して、ぶるりと震え上がる。アルフィアがいなかったら本気(ガチ)で全滅か一人だけを生存させる結末に至っていただろう・・・そして生き残った一人は闇落ちしてしまうのだ。とアリーゼの可憐な脳みそが答えを導きだす。そんなところに、女神がやってくる。

 

「さっきからブツブツと・・・貴方は何をしているの?」

 

「あ・・・・アストレア様」

 

長椅子(ソファ)を一人で占領して・・・動けないわけではないのなら、少しは働いたら? だらしないわ」

 

「うぐ・・・」

 

「そんなだらしないところ、ベルに見せてはダメよ?」

 

「だ、大丈夫ですよ! あの子、意外と女の子のだらしない所見てますし! 外では猫被ってる輝夜が本拠の中では裸みたいな恰好してうろついていたり、部屋に下着やら服やら散らかってたりするのあの子知ってますし! 憧れの金髪エルフのお姉さんのくせに、リオンは暗黒物質(ダークマター)しか料理できないのも身をもって知ってますし! 私が作ったご飯も、どうしてだか赤く染まっちゃって汗めっちゃかくのもあの子は身をもって経験してますし! 女の子のダメなところ、結構知ってますから! 今更ですよ! 胸チラ、尻チラ、どんとこい!」

 

「・・・・はぁ」

 

アストレアは溜息を吐いた。それはもう、おもったいのを。

長椅子(ソファ)に座ったアストレアはアリーゼの前髪を分けるように撫でると「だからと言ってそれを開き直るのはどうかと思うの」と首を横に振った。女性らしい、なだらかな線を描きながら、けれどしなやかな肢体を包む穢れを知らない純白の衣。そこに納められた深い谷間を作る乳房がわずかに揺れ動き、ほぼ真下から見るアリーゼは、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 

「あの、アストレア様」

 

「ダメよ」

 

「お願いします、アストレア様」

 

「だーめーよ」

 

「ていうかまだ何も言っていないのに、どうして断るんですか!? 悲しいです!」

 

「貴方の視線が、邪というか・・・あまりよろしくない感じがするからよ」

 

「ベルにはしてあげるのに、ですか?」

 

「・・・・あの子は自分からぐいぐい来ないもの。わざと無防備なところとか、際どい所を見せて誘惑してみても、あの子ったら悶々とするだけで触ってきたりしないんですもの。抱き枕にして密着してみても・・・・よく我慢していると思わない?」

 

「男の子って定期的に出してないと爆発するんですよね、大丈夫でしょうか」

 

「・・・・・貴方、嘘でしょう? 本気で言っているの?」

 

「え」

 

「え」

 

 

たまに仲間内で「アストレア様とベルはどこまで言っているのか」について話し合ったことはあるが、どうやらあまり驚くべき進展はないらしい。その証拠に、アストレアは自身の胡桃色の長髪を人差し指でくるくると弄り、星海のごとき深い藍色の双眸は悲し気である。

 

 

――ただ膝枕してほしかっただけなんだけどなあ。

 

髪を弄るアストレアの膝にシレっと頭を乗せると、それに気が付いたアストレアが「えいっ」とデコピン。けれど退かせようとはしないので、アリーゼはそのままアストレアに甘えておくことにした。真下から見える女神の乳房は、やっぱり立派で、自分のと比べると絶望的な戦力差だった。

 

「・・・・接吻(キス)ってしたことあります?」

 

「黙秘するわ」

 

逢瀬(デート)は?」

 

「そうね・・・最近のイベントだと『怪物祭』の時かしら? 他には、一緒にデメテルの所にお手伝いに行ったり、一緒に買出しに行ったり、孤児院に行ったり・・・あ、そういえば、ベルったら孤児院に行くと顔には出さないけど嫉妬(やきもち)しているみたいなの。それがもう可愛くて可愛くて・・・ふふふっ」

 

「・・・・待ってくださいアストレア様」

 

「え?」

 

アリーゼは思わず体を起こした。

え、何この女神様。

え、嘘でしょあの兎さん。

お祭りとかはともかくとして、『一緒にお買い物』とか『一緒に他派閥のお手伝い』とか『一緒に孤児院のお手伝い』とか、ほぼほぼ女神が日課というか趣味とかでやっていることを一緒にするのが、逢瀬(デート)!? 嘘でしょ!? アリーゼはそんな顔で、アストレアの美しい顔を見つめた。もうなんというか、真下から見えるおっぱいサイコー!!とか、ベルったらいっつもこの景色をみているのね!?とか、このおっぱいがいつも眠っているときに密着しているとか羨まし過ぎる、男の子ってアッチがイライラするんじゃないの!?もしかして女所帯で暮らしているせいで、アッチが反応しないの!?そんなことないわよね!?とかいろいろと邪なことを考えていたが、それはもうぶっ飛んだ。アストレアが「小さかった頃は、ほっぺを膨らませてやきもちしてますってアピールしていたのに、ふふふ」なんて幸せそうな顔をしているが、そんなの知ったこっちゃなかった。

 

「・・・・アストレア様、逢瀬(デート)ってそういうのなんですか!?」

 

「え・・・え?」

 

「冗談ですよね、嘘・・・ですよね!? 逢瀬(デート)っていうのはもっとこう・・・こう、あるじゃないですか!」

 

「こう、と言われても・・・」

 

『女神』という言葉は彼女のためにある。そう宣言してもいいほど、清廉で、潔白で、美しいアストレアはアリーゼが言わんとしていることがわからず、首を傾げるばかり。どうしてアリーゼが戦慄した顔をしているのか、まったくもって理解できていなかった。

 

「こう、待ち合わせをして」

 

「どうして一緒に暮らしているのに、わざわざ待ち合わせをする必要があるの?」

 

「ちょっと値は張るけど、美味しいレストランなんか行ったりしちゃって」

 

「美味しければ私は気にしないし、お値段が高い所だと変に気が張って味がわからないなんてこともあるでしょう?」

 

「ちょっとしたアクセサリーというか、お揃いの物を見つけて買ってみたり」

 

「・・・それはいいかもしれないわね」

 

「それで、夜は素敵な夜景の見える場所で『愛』を語り合ったり」

 

「夜は冷えるでしょう? 風邪をひかせては可哀想。 何も『愛』を語り合うのに場所は関係ないわ、寝る前にだって話せるもの」

 

「本拠に帰ってきてどうするんですか!? そこは、「今日は帰りたくないわ・・・」とか言って、防音がしっかりしていて、広いお風呂があって、大きくてフカフカのベッドがある、お金を払うことでご休憩のできるホテルに行く! これが定番じゃないんですか!? あ、それとも私達が留守にして、「今日は家に誰もいないの・・・」とかにします!?」

 

「う、うーん?」

 

鼻と鼻がくっつくのではないかというほどに顔を近づけ熱弁してくるアリーゼに、言い返しはするがアストレアはその圧力に仰け反って行く。ついにはバランスを崩し、短く「きゃっ」と悲鳴を上げて倒れこむ。アリーゼがアストレアを覆うような形になってしまうが、押し倒したように見られても仕方のない光景になっているが、アリーゼは気にしていられなかった。この女神様、普通に出かけて普通に帰って来るのを逢瀬(デート)だと思い込んでいた。いやひょっとしたらあの兎も同じことを思っている可能性すらある。それだと毎日逢瀬(デート)じゃないですか、と自分でももう何が言いたいんだかわからなくなるアリーゼ。しかし、二人の間に中々進展がないのはそこが原因なのではないかと思ってならない。

 

「ふ、普通に出かけて帰ってきてどうするんですかアストレア様。それは逢瀬(デート)って言うんですか!?」

 

「む・・・失礼ね。逢瀬(デート)というのは二人が楽しめてこそでしょう? 私もベルも十二分に楽しんでいるわ、ならそれはもう立派な逢瀬(デート)でしょう?」

 

「い、いや、そうかもしれないですけど・・・じゃ、じゃあ! 本拠の中で、一緒に掃除とか料理とかするのは何なんですか!?」

 

「・・・・家事、炊事?」

 

「そこはせめて、お家デートと言いきって欲しかったです!!」

 

「・・・・アリーゼ、貴方は何が言いたいの?」

 

「アストレア様、お二人の関係って何なんですか!? 主神(おや)眷族()ですか!? それとも、伴侶(こいびと)ですか!?」

 

「は、伴侶だなんて・・・貴方ったら・・・あの子はまだ14よ? 気が早すぎるわ」

 

「何、顔を赤らめてモジモジしているんですか!?」

 

ちょっと可愛いなって思っちゃったじゃないですか。

襲っちゃうぞ☆って思っちゃったじゃないですか。

普段から綺麗で可愛くて『お姉さん』属性強い女神様なのに、何なんですか!?

頬に手を当てて目を逸らすアストレアに、アリーゼは口をパクパクさせてそんなことを思った。乙女だ。目の前にいるのは乙女だ。いやまあ、星乙女とか言われているし、間違いじゃないんだろうけれども。まだアルフィアが天に旅立つ前に「僕、大きくなったらアストレア様と結婚する!」とか言われてハートを撃ち抜かれたアストレアが、「まだ早すぎる」とか言っているのがアリーゼとしては、痒いところに手が届かないような苛立ちを覚えてしまう。

 

「早いも何も、同衾しているじゃないですか!?」

 

「いやだって、アルフィアが天に還ってからあの子、アルフィアと過ごしていた部屋に行くと泣くのよ? そんな子を