対魔忍世界へ転移したが、私は一般人枠で人生を謳歌したい+ (槍刀拳)
しおりを挟む

序章+ 『転移に至ったワケ』
Episode_Null+ 『Dead or Alive.』


 喉を焼かれ呼吸するのが辛い。

 関節の可動域を無視するように捩られた指が機械に握り潰されたように痛い。

 体中に空いた新しい穴から生暖かい赤い汁が首筋を伝って、頬を撫で頭から滴るのを感じる。

 片目に映る重度の飛蚊症のような視界には、4、5、6体の口にするにも悍ましい白くてブヨブヨのヒキガエルのような物体がギンピーギンピーの葉を巻き付けた槍を持って吐き気を催すような笑い声を上げながら、歓喜の絶叫を上げていた。

 周囲にはおもちゃのような、首を捩じ切られバスケットゴールに入った頭部や、上半身と下半身が辛うじて腸だけで繋がった醜悪なパーティの垂れ幕、鼻と耳と顔と全身の皮を毟られた仲間達の死体が部屋を赤黒くリフォームしている。

 明らかに準備が足りなかった。情報も、武装も、覚悟も。激痛に意識を失いそうになりながら、悔やむがもう何もかもが遅すぎたのだ。

 やがて、細かく震える私に奴らも気が付いたのであろう。手のような器官で、あの致死には至らない猛毒の植物を持ち、にじり寄ってくる。これから、私は蹂躙され、凌辱され、仲間達と同様に醜悪なオブジェクトにされるのだろう。

 眼球からプスプスとサーモンが炙られるような胸糞悪い臭いを嗅ぎながら、半分の視界を真っ黒に塗りつぶされつつも私が辛うじて思ったことは、自分は長くないことと、『はやくこのくるしみから、かいほうされたい』

 ……ただそれだけだった。

 

………

……

 

 次に目が覚めたときは、親の顔より見た布団の中に居た。

 周囲を見渡しても、それは私の部屋であって、

『先ほどまで体験した拷問は“ただの悪夢”だったんだ』と思うことが出来た。

 だが、胸を撫でおろし、視線を上げたのちにそれは居た。葬式業者のような、神父の格好をした、やけに浅黒い肌の男とも女とも似つかわしくない——おそらく“男”が卑しい笑顔を浮かべ私の部屋で正座する形で座っている。

 

「これは、これは 釘貫(くぎぬき) 神葬(しんそう) 様。“無事に”お目覚めになられたご様子でなによりです」

「……いろいろと聞きたいことはあるけど、無事に……と、いうことは、あれは……」

「えぇ。夢ではございません。あの時、『釘貫 神葬』様はムーンビースト……あぁ、月棲獣と言った方があなた様にはよろしいでしょうか? 彼等によってそれは、それは無様で凄惨な最期を遂げました」

 

 実感のない言葉を正面の人型実体は、まるで友人がくだらない冗句を言うように笑いながら言い放つ。……脳の整理が追いつかない。

 つまり、私は死んで死後の世界にいて、この私の家に見える空間も、私には そう見えているだけで死後の世界とかそういう場所なのだろうか? そもそもこいつは誰なんだろう? 天使か? それとも、生前に犯罪を起こした私を地獄に引きずり込みに来た鬼なのだろうか?

 

「さすが腐っても探索者ですね。まさにあなた様が推測されている内容で間違いありません。あなた様の部屋を再現したのも、突発的な白い部屋や宇宙空間で対面してパニックを引き起こされても面倒でしたから、このような形にさせて頂きました」

 

 この人型実体は私の考えていることなど、お見通しだと言わんばかりに嘲笑を浮かべる。

 気味の悪いやつ……。

 

「気味の悪いやつとは何と酷い。私は地獄の鬼などあなた様方人間が妄想される存在ではありません。わたくしは、あなた様の救世主(ヒーロー)ですよ。前世で悲惨な最期を迎えたあなた様に、来世では実に愉快で悦ばしい性活を送ってもらおうと取り計らった次第で……あぁ。申し上げ遅れました。わたくし、ナイ牧師と申します。短い間ですが、よろしくお願いしますね」

「……」

 

 まるで宇宙空間に放り出されたときのように、スゥ……と音もなく奴から左手を差し出された。

 それに釣られ、こちらも握手を交わしそうになるが……言葉なんかにしなくても、とてつもなく嫌な感じがこの男からはプンプンと漂っていて、差し出したその手を即座に引っ込める。

 

「はは、怪しまれていますね? でも、私はこれでも神ですから、あなた達人間の考えるようなことはすべてお見通しなのですよ。本題に入りましょうか、釘貫様。あなた様は実にダイスの女神(クソビッチ)によって祝福された存在でして、あなた様はなんと、クトゥルフ神話事象で死亡された100万人目の犠牲者となります!」

「はぁ……? ……ッ!?」

 

 『何もめでたくはない』……そう、あまりにも私が死んだことが素晴らしいと称賛する人型実体に思わず、たてを突いた瞬間に背筋が凍り付くのを感じた。それは私に向き直った彼の光彩の中心にある黒目が、例えるならば、そう。流動するみそ汁のように水流などあるはずもないのにドロドロと濁り出したからだ。

 

「ほう? では、あのまま月棲獣に嬲られ、復活の呪文で甦り……永久的に玩具にされる人生の方が良かったと?」

「……そうは言ってない……です、が?」

「そうでしょう? そうでしょう? ま、あなたが望めば今すぐにでも、拷問愛好家のファッションショーに戻して差し上げても私は一向にかまわないのですが……どうされますか? 希望ある来世の話より永久なる地獄に参りますか?」

 

 明らかに彼は、人間が抵抗のできない子犬を虐待するかのように私を弄びからかっているようだった。だが、その瞳の奥で鈍く光る闇は、どこかきまぐれで……気分を害せば、彼の思うがままにされるという妙な信ぴょう性を裏付けている。

 私は何も考えず黙って、首を横に振るほかなかった。

 途端に彼は口元に加え目元まで垂れた笑顔を見せ、話を始める。

 

「それでは釘貫様のご要望に従い、輝かしい悦びの性活あふれる来世のお話に移りましょう。釘貫様は異世界転生、異世界転移なるものをご存知でしょうか?」

「……多少ではありますが……小説や漫画で……読んだことはあります」

「では、話はお早いですね! 釘貫様はその異世界転生に近い状態での転移ができるわけです。ま、よくある異世界転移ものとの相違点としましては、私から補助出来ることとして、ご自身に関する説明書を2冊、同送することぐらいですね。その他、釘貫様は私から与えられる・特筆できるチート能力はございませんし、来世の世界観をお伝えすることもございません、来世では自力で生き延びて頂きます、次の人生は1度きりです」

 

 人型実体は、愉快そうに嘲笑う。

 まるで、“次”失敗したら後はないぞと言われているようだ。でも、こればかりは本来、私があの白くてブヨブヨしたムーンビーストとかいう獣に拷問される前に、踏まえて置かなければならなかった覚悟に他ならない。自分の行いを戒めるように力強く頷く。

 

「良き覚悟です。以上の点につきましてご質問は?」

「……記憶の引継ぎはどうなるのでしょうか?」

「異世界転移。ですからねぇ……もちろん引き継がれますよ。それが役に立つとは限りませんが。他には?」

「……なら、この転移に際して何か……。……最終目標のようなものはありますか? 例えば……よくあるファンタジー作品でおける異世界転生ものとして、魔王を倒さなければならないとか」

「目標……ですか? ぷっ……。……ぷくくくくっ」

 

 変なことを言っただろうか? だいたいこういう美味しい話には裏がつきものだと思ったのだが。彼は顔を背けて吹き出すと左手で顔面を覆いながらも、小ばかにしたような、珍獣をみるような目つきで眺めてくる。正直、不快だ。

 

「この転移には、目標のようなものはございません。転移後は、あなたの物語ですよ? 今まであなたが生きてきたように自由に生きてください。負け組のあなたが必死に生き足掻くその様子こそが、私にとってのちょっとした暇つぶしになるのですから」

「……」

「これはゲームですが、“人生ゲーム”です。あなた様の好きなように物語を楽しんで下さい。他に質問は?」

 

 彼の言い回しに腹が煮えくり返るような思いではあったが、わざわざ私を転生させてくれる代償として暇つぶしの駒になるのであれば、妥当であるとも思えるようになってきた。

 それに他に質問と言われても、これ以上ふと思いつくことはなかった。恐らく、異世界転生に近い転移ということは、精神だけが来世に行くことになるのだろう。肉体は現に人に見せられるような状態ではない。結果的に、その場合。私が大切にしていた持ち物などは所持できないと考えるのが妥当だ。幸い知識は持っていくことが出来る。どうしても必要なものがあるならば作るほかないだろう。……材料があれば。の話ではあるが。

 ……待てよ?

 

「他に質問はないようですね。それでは……」

「待ってください。私の想定では、元の私の肉体はズタボロ……の筈です。異世界転生では 精神だけ転移すると思っているのですがいかがでしょうか? またその場合、転移する肉体はどのようなものですか?」

「えぇ、えぇ。想定してらっしゃる通りでお間違いないですよ。あなた様が受肉される肉体ですが、14歳の少女を予定しておりました。優しく、時に厳しく。あなたを大学まで送り出せるほどの財力を持つご両親の娘様である。そう、ただの人間の14歳の少女です。もちろん、彼女にも特筆できるような特殊能力は一切ございません。ただ、あなたの介入でいくらか変容(・・)を遂げるかもしれませんがね」

 

 なるほど、肉体については大体 把握することが出来た。

 ……しかし、この質問をきっかけに、私の尽きることのない好奇心が溢れ出し、気になり質問したいことも増える。

 

「……私の元の肉体と、その転移先の少女の精神はどうなるのでしょうか?」

「……チッ。どうして探索者というのは、こうも次から次へと質問ばかり…………用心深いのは結構ですが、物語のテンポも考えて質問をしてくださいねぇ? その質問はあなた様には関係のないことでしょう? あなた様は新しい身体を手に入れて、新しい人生を歩めるのですから、それでいいじゃないですか。元の持ち主がどうなろうが、元の身体がどうなろうが関係ないことじゃないですか。ねぇ?

「……。ありがとうございます。もう十分です」

「はぁー……。では、気を取り直して……『《魂魄寿業の流転(こんぱくじゅごうのるてん)》』異世界転移……新たな物語を始めましょうか」

 

 男は正面に座る私の額に向けて掌を向ける。それから日本語交じりの、少なくとも私の知識上では聞いたこともない言語でブツブツ

 ……しかし、はっきりとした声色で何かを唱え始める。

 

混濁(こんだく)()池沼(ちしょう)()逡巡(しゅんじゅん)()浅薄愚劣(せんぱくぐれつ)()仔羊(こひつじ)祝福(しゅくふく)()いて(いて)信受祈願(しんじゅきがん)するならば(するならば)、ph'nglui mglw'nafh r'lyeh wgah'nagl fhtagn……永刻(えいこく)()彼方(かなた)より(より)神威(しんい)拝領(はいりょう)(あた)えられん(えられん)……。ツガー=ツガー シャメッシュ・シュタン シャメッシュ・ガンシャナ——」

 

 視界が、めまいのように、渦を巻くように歪んでいき……そして——

 

 




~あとがきとお知らせ~
 リメイク(文章増量)+特殊タグ減少版。展開します。

 今は【特殊タグ減量版】だの【改訂版】だのタグ付きですが
 最終的には『対魔忍世界へ転移したが、私は一般人枠で人生を謳歌したい+(ぷらす)』というタイトルで落ち着くと思います。
 前の版の相違点は、リメイクという事で文章量が一部増量、描写の変更があります。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1章+ 『占拠されたビル』
Episode1+ 『Go to Travel to another world.』


「ちょっと……! ねぇ……! ねぇったら……! ……すぅ、ねぇってば!!!

 

 次に私が意識を取り戻した時は、まぶしくなるような青い空に白い雲が流れるどこかの屋上で、本を開いてぼーっと正面の虚無空間を眺めていた。声の方に視線を向けるとかつての私よりも随分と幼い……今、着用している制服と同様の制服を着た少女が、私の肩を揺さぶっているのが見える。

 

「え、あ、うん?」

「さっきから、私が声をかけても無反応なぐらいに熱中していたみたいだけど……熱心に読んでいるその本、どんな本なの?」

 

 どうやら、私は幸先から豪運に恵まれているようだった。

 いきなり屋上で意識が戻ったことは衝撃的であり、見知らぬ娘から声を掛けられたことも焦ったが、どういうわけか私は彼女の言葉を理解することが出来ていた。彼女が話している言語は、地球上の言語でもマイナーな部類である〈日本語〉であり、私の〈母国語〉に該当する言語でもあった。いきなり言語の壁により意思疎通不可能という危機的状況を〈幸運〉にも避けられたのだ。

 彼女に促されるまま、表紙を確認する。

 

「……」

 

 前言撤回。

 表紙には明らかに日本語ではないタイトルで、開かれたページにも表紙と同じような幾重ものミミズが地面を這うような……焦点の定まらなくなってしまうような……冒涜的な文字が綴られている。

 だが私の知りうるクトゥルフ神話的な魔導書の類でもなさそうだ。文字筆かエノク語やアクロ語に少しだけ似ていることしかわからない。

 

「……ああーー……ごめんね。この本は、露店の古物商のおじさんから買ったもので、私もよくわからないんだ。表紙が面白そうだから、買ったんだけど……。中身もこんな文字ばっかりで……君は読める?」

「……んとね……ん。私にも良く分かんないや」

「だよねー……。買い物、失敗しちゃったなー」

 

 片目を瞑りながら後頭部をポリポリと書いて、ドジっ子アピールをしてごまかす。

 前世では抉られ、頭蓋骨がむき出しだった筈の頭部に頭皮と髪の毛があり、本当に転移できたという確信を得て自身に若干驚く。まぁ……頭皮が無かったら、今頃、この子は絶叫を上げて這う這うの体で逃げ出していると思うけど。

 

「でも、それ魔族語か魔獣語じゃない?」

「へっ?」

 

 想定もしていない思わぬ単語に変な上ずった声が出る。

 魔獣語なんて……聞いたことも、見たこともない。〈他の言語(クメール語)〉や、〈他の言語(ミャンマー語)〉、〈他の言語(ヘブライ語)〉などと言われるのならまだわかる。でも〈魔獣語〉はちょっと斜め上過ぎる回答で、思わず挙動不審な行動をとってしまう。

 だが幸いにも、私に話しかけてきた彼女は私が手にしている本に熱中しているようで、そんな私には気が付いていない様子だ。

 

「魔獣語と言ってもナーガ族や、アラクネ族とか種族によって言語が多岐に渡るから、この本に書かれた言語はどの種族が書いたものなのか正確にはわからないけど……なかなかレアな本を買ったんだね! ……どうしたの? そんなに目を大きく見開いて」

「え。あ、いや、あははー。物知りだって思って、ね?」

「え? こんなの基礎中の基礎、小学生で習うことじゃないの?」

 

 えっ!? この禍々しい文書って、この世界では小学校で習う内容なの!?

 ……ちょっと教育内容が高度過ぎて、既にこの世界の人についていけてない感が否めない。同じ言語を話している筈なのに他次元の異種族と交流を交わしているかのような気分だった。そんな私を、彼女は『珍しい……』というよりも、怪しいものを見るような目つきでまじまじと見つめてくる。

 ……これ以上不信感を与えると、あとでどんな仕打ちがあるかわかったものじゃない。

 

「うっ! 急にめまいが! ……もしかして長時間太陽にあたっていたから、熱中症にでもなっちゃったのかな? そうだー水分補給しないとー……。ごめんね!」

 

 急いで本をパタンと閉じ、私の傍らに寄りかかるようにして置かれていたずっしりとバカみたいに重いリュックサックをひったくるように手にし、足早に屋上の隅にある出入口の扉に手を掛ける。

 そこで初めて、街の全貌を目にすることになった。

 高層ビルから見下ろす地上は息をのむような絶景で、ここはいくつもの大型高層ビルが立ち並ぶような都心であるようだ。いずれの建物も深藍色の鋼鉄製のビルと衛星アレイがいくつも乱立されており、サイバーパンクを連想させるかのような街並みであるにも関わらず、少し視線を奥に向ければ紫色に輝く山に森林地帯が広がっている。

 もう少しこの景色を眺めていたいとは思ったが、後ろの少女に水分補給をすると言った手前もある。私は逃げるようにしてその場を去った。

 

………

……

 

 ビル内部の様相を見回したところ、ここはそれなりの資産を持っているボンボンが立派な紳士淑女になるため研修や各高校の説明会を受けるために訪れるような場所であることがわかった。廊下を徘徊していれば、他にも私と同じような制服を着た生徒を見かけるし、各部屋の入り口には研修内容の札が掲げられている。また私が移動可能な上層階に備え付けられているフロントのパンフレットから、ある程度の情報収集ができたことも大きい。

 パンフレットのおかげで、フロント嬢に決死の顔で「給水室はどこですか!」などと尋ねずとも、適切な場所で適当に水分補給を行い、だれにも邪魔されることのないトイレまでやってくることができた。

 トイレの内装もそれなりに豪華であり、洗面台の鏡には“この世界”での私が映っていた。

 ブラシで梳かして無さそうなボサボサの癖っ気のある黒髪には若干のフケと白髪が混じっている。髪の毛は結うこともなく自然におろしていて長さはロングほどだ。近頃は不健康的な生活でも送っていたのか、目の下にはくまが出来ており、心なしかジト目の瞳は寝不足により目つきが悪化……三白眼であるように見える。発達段階にあると思わしい胸部はチャームポイントだが、そのチャームポイントを美しく相手に見せつけるための制服もところどころ皺やシミがあって……。

 ……全体的に不潔……清潔感に欠けているように感じた。

 

……陰キャって感じ……

 

 素直な感想をボソリと呟いて、両手を洗面台につく。

 自身の顔をっと鏡に近づける。

 ……別段、容姿が“特徴的(ブサイク)”ってな訳ではないようだ。ただただ……基本的なことができていない。……それだけのようにも見える。ちゃんとした化粧や洗顔、化粧水や乳液で保湿などを行えば、鏡に映る自分はそれなりに可愛くなる……可愛くなれると思った。

 丁度、自分の容姿や服装を見直しているそんな時、偶然にも尿意が襲ってきたため個室の一番奥のトイレに入る。

 

………

……

 

「ほわぁぁぁ……♡♡♡」

 

 私にとって何よりも嬉しかったのは、

1.まず、この世界でも便座が『洋式』であったこと。

2.つぎに便座が『温かった』こと。

3.最後に『ウォシュレットの“勢い”が優しい』こと。

 

 ……これに尽きる。

 

 前の世界では、トイレに、友人を3人も殺されている。

 1人目は……和式便所で踏ん張りすぎて、脳血管が切れて死んだ奴が1人。

 2人目は……真冬の便座が冷たすぎて、心臓発作を引き起こして亡くなった奴が1人。

 3人目は……ウォシュレットの設定が最強で、噴射されたウォシュレットがウォーターカッター張りの激流による……肛門と直腸。そして内臓をズタズタにするデストラップによって……1人。失っている。

 

 嘘のような……本当にあった怖い話。

 トイレでは気をつけた方がいい……。油断していると……死ぬ。

 死亡カルテや墓石に『死因:トイレ』『死因:ウォシュレットによる裂肛/内臓破裂』なんて書かれたくないだろう?

 

 ……ひとまず、リュックサックの紐を解く。

 なかには、おそらく肉体の主が使用していたであろうノートパソコン。私が意識を取り戻した時、手に持っていた〈魔獣語〉が記載された本。その他は上着と雑貨、懐中電灯。スマホが2つ、あとちょっとしたお菓子と財布などが入っている。

 それから……私がこれまでの人生の中で、見たこともないB5判サイズの大型本が2冊入っているのが確認できた。1冊につき、約400頁はくだらないような分厚い本で、2冊で特大の司法辞典のような異様な分厚さを解き放っている。

 それぞれの表紙には『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG』、『新クトゥルフ神話TRPG』と文字が綴られている。

 

「……これが、私に関する説明書……。なのかな?」

 

 誰も居ないトイレで独り言をぼそりとつぶやいて、『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG』の本を開いた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode2+ 『私は便器の上に座った……ただの人型をした肉の塊。そう、つまり、これこそ肉便器』

 『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG』を読み始めて、ざっくりと2時間が経過した。

 途中、休憩終了とのアナウンス放送が入ったが、私はまだトイレ内で籠城中だ。但し、もうショーツとスカートは履いている。『あまりトイレ内の円座に尻を出したまま座りっぱなしになるのは止した方がいい。脱肛の危険性がある』——とウォシュレットで死んだ友人が話していたことがあるからだ。そしてこれは不要な新情報かもしれないが、ショーツ内に生理用ナプキンが存在していないことから、この肉体は初潮はまだのようだった。

 『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG』を読んだ感想としては、魔導書を読んでいる気分であった。付箋を購入することを考えるほどに1つの情報が様々なページに散乱しており、1つの項目について理解するにしても、索引には載っていない情報を1度読み進めた記憶の中や、自分の薬指から人差し指に掛けた左右の手の指、合計6本を器用に使って内容を確認しなければ、情報の把握に困難を極めた。

 最初こそ、これが“私に関する説明書”であるというのは信じがたいものであったが、『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG』のカバー裏に前世での私の通称名である『釘貫(くぎぬき) 神葬(しんそう)』の名と、恐らく私についてのステータス表が印刷とは異なる何か特殊なインクで記載されていることから、あの時のやり取りがタチの悪い冗談では無いと結論付けた。

 

(あれから結構時間が経ったし、そろそろ研修に戻らないとまずいかな……)

 

 そんなことを思いながら、本を閉じた時。突然、視界が暗転した。

 

「!?」

 

 別段、意識が飛んだわけではなく、文字通り室内の電気が消灯音もなく消えたのだ。

 

(あぁ……なるほど。もしかして、体動反応がないと自動的に電気が消えるタイプのトイレだったのかな? ……やはりトイレでは油断するべきではないな)

 

 この時までの私は、そんな呑気なことを考えながら、1人でカカポの求愛ダンス(ゲーミング チューチュートレイン)をトイレの個室で踊りだす。

 だが結果的には、照明はそんなことでは電気を点けないと証明するように点灯する事はなく、代わりにそんな私をあざ笑うかのような……先ほどの女性とは異なった館内放送が鳴り響く。

 

「ハァッ、ハァッハァッハー!!! この建物は東雲(しののめ)革命派が乗っ取った! 館内にいる不良のガキども良く聞けェ! パパとママに会いたいなら大人しく45階45-19講義室に今すぐ来い。抵抗して性奴隷、肉便器として奴隷商に売り払われたくねぇだろぉおぉお? 15分だけ待ってやる。それが終わったら狩りの時間だぁッ! ギャッハッハッハァッ!!」

 

 数時間前まで、この近辺では日本語という言語が主流に扱われていることに喜んでいた自分を殴りたい衝動に駆られている。

 魔獣語といい、中学生が授業中に考えるような【もし学校にテロリストが現れたら編】のような、ナチュラルにこちらの常識をぶち抜いてくるような世界に困惑と驚愕、自身に降りかかった転生直後の〈幸運〉の致命的失敗(ファンブル)な効果に胸が張り裂けそうになる。

 館内放送からは悲鳴と威嚇射撃と思わしい連射火器のような銃声が続けざまに響いており、明らかに穏やかな展開ではなかった。……穏やかじゃないわ。穏やかじゃないわね。

 

「…………」

 

 私が取った行動は、便座に座り元の肉体が所持していたパソコンを開いてCドライブの中身を閲覧することだった。そう、元の肉体に対する当て付け恥辱の墓暴きである。

 この場合、現れたテロリストに大人しく従うのが賢い選択のようにも思えるが、正直ここまでナチュラルにBADな展開が起こってしまうような世界だ。仮に彼らの言う通り動いたとして、最良の結果で開放。最悪の展開は死を迎える予想はこれまでの経験から察することが出来る。

 

 ————カルティストはみんな、自己中心的な我儘で、基本キチガイだ————

 

 ……それは身に染みて、よく知っている。

 それに一度拘束されれば、パソコンやスマホを使って悠長にこの世界について情報収集しているだけの余裕もないだろう。しかも、聞き間違いじゃなかったら今『肉便器』って言わなかった?

 今は、捕縛されて無駄な『くっ殺女騎士タイム』を味わうよりも、少しでもこのトンデモ世界について情報を集めるのが先決。それが転移して数時間経過した私が導き出した結論であった。

 

 

………

……

 

 ——8時間後————

 

 こんばんは、皆さん! 『釘貫 神葬』ですっ!

 東雲革命派というテロリストらしき集団が、私のいるビルを占拠し始めてから早8時間が経過しました。

 夜も更けてまいりましたが、現在も私は家に帰ることはできておらず……。『おべんじょぐらし!』を強いられております。つまるところ、まだテロリストからは見つかっていません。やはりトイレは、私の友人が3人死ぬほどの危険地帯ではありますが……同時に優秀な籠城地点として。非常に優秀なセーフハウスであると改めて痛感しております。

 トイレの個室は最強です。粗相しても困らないですし、緊急時の飲料水もあります。そして何より、銃撃で便器が破壊されても床で胎児のように丸く伏せていれば大体何とか助かりますし、ついでにクソみたいな粋な匠の手によって、現在 私は好きな時に便所から漏れた汚水を飲めます。はい。

 追加の情報収集結果としまして、『新クトゥルフ神話TRPG』が『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG』に比べ読みやすいこと。パソコンを探るうちにこちらが把握したこととしまして……。

 

 この世界のある程度の世界観っぽいものをあっさりと入手しました!

 はい、拍手! パチパチー。

 

1.まずこの世界では"魑魅魍魎"…つまるところ妖怪、魔物、魔獣なる怪物が蔓延っており、

 それらは私たちの目に見える存在としてすぐ近くにいること。

2.それらは"人類に不干渉"という契約が存在していたものの…

 一部の悪人によって破棄され、その妖魔と結託した組織的犯罪が横行している世界であること。

3.この世界に生まれた我々、一般人はその怪物におびえながらも

 騙されず喰われず、必死に生き抜かなければならない過酷な世界であることを把握致しました。

 

 ……おそらく屋上で出会った少女が話していた“小学生で習う内容”とは、この世界にはそのような危険生物が存在しているという基礎的なことだったのでしょうね。

 そして前世とそこまで変わらない世界観に草が生えてますよ。クソが。

 

「ツゥー……フゥー……」

 

 前世ではパソコンを触る際に眼鏡を付けていたからか、思わずため息とともに眼鏡を持ち上げるしぐさをするもその手は空を切る。

 

「……」

 

 実は……私、この世界を知っています……。

 前の肉体では、この世界に来たこともありました。かつて『目が覚めたらヨミハラの高級娼館で性奴隷として調教されかけた事件』についても、最近の出来事で巻き込まれた記憶も鮮明です。

 

 ……この世界は『対魔忍』という世界ですね? 正確には前世で、私たちの世界での一般的な知識として、LILITHソフトが販売しているハードリョナアダルトゲームにそういったシリーズの作品があったことは認知していました。

 そんな世界で、私が一般人として異世界転生したと……。

 

「Hey. 尻。凌辱確定の抜きゲーの世界に住まうことになった一般人(わたし)はどうすりゃいいですか?」

『Webでこちらが見つかりました。~抜きゲーみたいな島に住んでる貧乳(わたし)はどうすりゃいいですか?~』

 

 違う。そうじゃない。

 私が出来ることは、対魔忍が到着するまでの間……。銃撃で粉砕したトイレの便座と汚水と一緒に、泣きたくなるような世界で懐中電灯を片手に私の説明書を読み込むことだけだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode3+ 『Fight Song 【fighting spirit】』

「そうか。……そうだな。そうだよな」

 

 館内放送から響き渡るすすり泣く人質の女子生徒の声と、えづき汁による不快な粘着音、テロリストと思わしい男の愉悦に浸る薄汚い喘ぎ声をBGMに立ち上がる。

 第二の生を受けてから導き出した答えはただ一つ。投降してようが捕縛されようが、どうせこのまま肉便器エンドが私に約束された未来なら、そのクソッタレな未来をぶち壊すために自由気のまま獣のように暴れて鬱憤を晴らし、可能ならばテロリストから逃げ延びるだけだ。

 早期な決断に誰かがこの正面突破脳筋法に異論を唱えるかもしれないが、現在私は致命的な情報不足下にあり、最悪なことに望まぬ形で敵の手中にいるような状態だ。『もう少し何か考えようよ』『生きる努力をしようよ』『前世から何も学んでいない……』『お前も頭対魔忍かよ』と思うかもしれないが……。

 かれこれ12時間。12時間もトイレに籠城している。それなのに特殊部隊や警察が現れるどころか……誰か。そう、対魔忍が助けにくる様子も見られない。対魔忍の世界線なのにな。 仕事してください。国家公務員(たいまにん)

 最終的に今持っている携帯簡易食……もとい、お菓子もなくなって空腹で抵抗もままならなくなるだろう。自分の身を護れるのは……もう自分しかいない。

 

 ————この世界に 対魔忍(ヒーロー) はいるが、非情にも その対魔忍(ヒーロー) は不在だ————

 

 しかし逆に。そう。ポジティブに考えれば、今の私は何も積み上げていない状態である。

 ここで死のうが、私には失うものは何も存在しない。……であるならば、あのナイ牧師と自称した人型実体には残念な目にあってもらおう。対魔忍が一向に現れない今、丸腰の私が出来ることはただひとつ。強姦される前に派手な抵抗をして、勝ち目が無いそのときはさっさと死体となって転がることだ。

 全身を処刑槍で穴だらけにされて、頭皮を抉られ、眼球を焼かれ、ギンピーギンピーを体中に刷り込まれることと、全身の穴という穴に肉槍を差し込まれて、髪姦され、眼窩姦に至り、精液を体中に刷り込まれること、何が違うのだろうか。

 

——……カシャコン……

 

 そっと音が響かないようにと細心の注意を払いながら個室の鍵を外し、ゆっくり外に出る。トイレは紛争地帯のようにひどく荒れていた。

 実は4時間前テロリストがこのトイレにも姿を見せていた。私は当然居留守を決めたわけだが……、結果的にそいつは1マガジン分の弾丸をトイレ内で乱射していきやがった。おそらくムシャクシャしてやったか、個室から悲鳴が聞こえれば大義名分のままに、便座の上に乗った私を文字通り肉便器にするつもりだったのだろう。

 人の気配を察した瞬間、即座に〈隠密〉行動を取りながら床の上で胎児のように蹲ったのは正解だった。乱射魔である奴がいなくなるのを背中を伝う汚水を浴びながら、床に蹲って静かに我慢していた甲斐もあったものだ。早速『新クトゥルフ神話TRPG』選択ルール:123頁“完璧な遮蔽”124頁“伏せ状態”が役に立ったな。

 現状、武器になりそうなものは手元にはない。つまり武器は現地調達となり、なおかつ14歳の少女でも扱えるような軽い得物が必要だ。

 バラバラになった掃除用具入れから鉄製のモップを取り出して毛先部分を〈機械修理〉で分解する。明らかにテロリスト相手には、不十分な武器ではあったが……ないよりはマシだろう。

 

「ふふっ……」

 

 この状況に失笑してしまう。

 まさか、中学生が妄想するような【学校にテロリストが侵入してきた】ときのムーブを本当に実行する日がやってくるなんて。私も過去に妄想したことがある。“痛い”記憶だ。

 ……私はヒーローにはなれないことぐらいわかってる。前世の記憶を持っているが、この世界では今のところ“ただの少女”だ。

 だからテロリストに馬鹿な正義感を掲げて突っ込み殲滅を狙うような真似はしない。戦闘はあくまでも遭遇時。最小限が大前提だ。

 ……ありえない結果ではあるが、私が万が一にも生き残った場合のことを考え、情報の詰まった電子機器類と『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG』、『新クトゥルフ神話TRPG』の2冊は無事な状態を保たせたいと思い、念入りにリュックサックの深部に詰めこむ。

 ふとそんなことを想定している自分に『……本当は生きたいのでは?』と考えてしまうが、前世や来世でも女として、性奴隷として性的搾取されるなどまっぴら御免なのは確かであった。

 

………

……

 

 トイレの外に出る。

 窓の外では警察ヘリのサーチライトが建物内を照らし、拡張メガホンでテロリストに呼びかけを行っている。彼等も最善を尽くそうとしているのはわかるが、人質を取られている以上彼等に出来ることは少ない。

 屋上のヘリポートから突入できないことを考えるに、屋上にもそれなりの数のテロリストが展開していることが想定できる。……でなければ、今頃機動隊とテロリストのレインボーシックスシージのようなド派手な撃ち合いがこのビルで起きていたはずだ。

 

 そんな窓の外側を見つめ街を眺める。昼間にも見た街はどこか物々しい重厚な雰囲気であるが、点灯したライトがイルミネーションのように七色に輝き東京都庁の景色と重なる。そんなノスタルジーな気分に浸りかけたが、今はそんなことをしている場合ではない。

 まずは〈隠密〉状態でパンフレットを片手にエレベーターの前を通過する。停電している時点で、初めから期待をしていなかったがとても乗れるような状態ではなかった。

 何かバールのようなものがあれば、このエレベーターの扉を〈機械修理〉で抉じ開けて、垂れ下がる中央のロープを〈登攀〉で降りることも考えたものだが……。流石にそんな道具を探す時間を設けることも、逃げ場や隠れる場所もない袋小路で頭上から鉛玉の嵐を食らうリスクは避けたい。

 結果的に非常経路のとおりに脱出する場合、ルートは外の非常階段から降りるか、内部の非常階段から降りるかの2つだった。楽に飛び降り自決の行える外の非常階段が望ましかったが、出入り口に備え付けられた警報装置付きの鍵と音が響きかねない鉄製の階段は避けるべきであると判断し、内部の非常階段からの脱出を図ることにした。

 ……48階層降りるのは地獄だが……停電している今、それ以外の方法はない。

 

………

……

 

 ……やっぱり私はツイていない(不運に愛されている)

 現在、逃げ場のない非常階段の階段の中央で、四つ目の暗視装置に防弾ベストを着用したまるで軍隊のような装備の男達に挟まれてしまった。……これがテロリストならば、やけに装備がいい。恐らく恥辱の墓暴きであるCドライブ上に記録されていたような“魔物”とかと結託しているような連中なのだろう。

 どうやら彼等はビル内部に設置された監視カメラをハッキングし、こちらの位置情報を割り出した上で挟撃に乗り出したのだろう。目の前で繰り広げられるあからさまな無線機での下卑た笑み交じりの交信から分かる。

 ……なるほど、技術にも長けた相手とは非常に厄介だ。彼等はこちらに敵意を向けて、更に股間を三角形に突出させ、しっとりと濡れて微かな栗の花や塩素系漂白剤(ハイター)の匂いを充満させていた。

 

……バチバチバチッ!!!

 

 彼等の兵装はスタンロッド兵が3名。階下に2人、上階に1人。派手にスタンガンの音を鳴らす様子から、私を音で萎縮させるつもりなのだろう。耳障りな無駄に大きな音を立てこちらを威嚇してくる。その3人のテロリストのうち階下にいる1人はアサルトライフルを背負っていた。銃器に詳しいわけではないが、AKと呼ばれる種類の銃であることはわかる。

 

(なるほど。四つ目だから、東雲(しののめ)……ね)

 

 下手に刺激しないよう、恐怖で表情をこわばらせる様子を作りつつ、トイレから持ち込んだモップを構える。

 恐らく彼等には私が“ただの中学生”にしか見えないだろう。今回はそれを逆手に取ってやるつもりだ。

 

バチィッ!!!

 

 下種めいた笑い声を漏らしながら、階下の方向に展開していた男が私にスタンロッドを押し付けようと腕を突き出してくる。すかさず〈応戦〉で腕を往なし、懐に飛び込むようにして片足を前に踏み出し、階段側へと相手を引き込む。いくら体勢を崩した相手と言っても胴体には厚いケブラー製のベストがある。正面から殴っても衝撃を緩和されるのは想像に難くない。

 

……ブォンッ!!!

 

 ならば、遠心力を付け男の膝裏に狙いを定めモップを思いっきりフルスイングする。膝にはプロテクターが付いていたが、関節の可動域の観点から膝裏は基本的に無防備だ。

 バッティングセンターでバットを振りぬくようにッ! 超エキサイティング!!!

 

……ポロッ……

 

「アッ」

「ゔぐっ゙……!」

 

 得物を振りぬいた瞬間にモップが瞬間的な負荷に堪え切れず、支点からポロリと、まるでひな人形の首が落ちるように地面に転がる。だが、1人の膝裏関節に致命的な痛みを与えることに成功したようだ。テロリストAは左膝裏を抑えて蹲る。

 

「はっ! 油断してんじゃねーよっ!」

 

 しかし次に上階の1人のテロリストBはテロリストA……あるいは武器を破損させた私を嘲笑いながら駆け降りてくる。こちらの武器が折れた直後にスタンロッドから青白い火花を散らせ、剣のように大ぶりに振りかぶる。

 だが私に対する攻撃に数的不利によるボーナスダイスが付与(7版-104頁)されていようとも、相手より正確な動きでステップを踏めば何も問題はない。身を仰け反らし大ぶりな一撃を〈回避〉で振り抜かせる。その隙に〈近接格闘(格闘)〉で報復する。振り抜いて姿勢が前傾に傾いたところを脇から擦り抜けて頭部を掴み、眼球部で出っ張った暗視装置ごと地面と眼球ディープキスをさせてやる。オラッ! 好きなだけ眼窩ディープスロートを味わいなァッ!

 ……ちょっと無理をした私の膝に致命的なダメージが入るが、それは相手の眼球も同じことだった。ミュチュリ……という不快な圧迫感が腕に伝わり、テロリストBは絶叫と激痛で床にのたうちまわり、両足の足底を地面に叩きつけ始める。

 残ったテロリストCは銃を取り出しこちらに構えてくるが……。……実際には、そうなってほしくはなかった。

 

 だが知っているか?

CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG(6版)』の探索者は、銃撃を目視〈回避〉余裕なんだぜ?

 

 即座に身を屈め1発目を〈回避〉し、目の前でのたうつテロリストBを抱え遮蔽物として運用してみせる。彼の胴体に誤射ともいえる弾丸が数発撃ち込まれ、テロリストCは身をたじろかせて怯んだ。そこに眼球を潰され、味方に誤射された哀れなテロリストBを階段から突き落としてテロリストCを巻き込んで気絶に追いやる。最後に膝裏の痛みでよろめく階段の隅のテロリストAも首を手刀でトン。

 ……恐ろしく素早い手刀。『新クトゥルフ神話TRPG』選択ルール:121頁“ノックアウト打撃”123頁“遮蔽を通して対象を射撃する”を一読していなければ、勝てなかったね。

 

「なるほど。私の説明書の使い方はある程度把握できました」

 

 初戦としては上々ではあった。敵が所持している拳銃を抜き取り、リュックサックから上着を取る。腰に上着を巻き付けてから、その下に拳銃をおぼつかない〈手さばき〉で〈隠す〉。

 それにしても……。魚眼型の監視カメラは全方位を映しだす傾向があるため、これは非常に厄介だ。出来ることなら、今の光景を記録している本体の破壊を〈機械修理〉や〈電気修理〉で試みたいところであるが……まぁ、それはこの場所からは不可能だろうし、そもそも警察は基本的に無能なもの。わざわざ映像記録なんて確認もしないだろう。これは私の世界では常識だ。

 戦利品として得られたのはスタンロッド1本に、拳銃1丁、拳銃の弾倉2本、肘膝当てのプロテクター、暗視装置だった。AKなども持っていきたいのはやまやまだが、重量がかさばり先の戦闘で膝を負傷した少女には扱うには不可能な代物だ。それに倒れた相手に挟まった負い紐(スリング)を悠長に外している時間的余裕などはない。……誠に遺憾で不本意ではあるが、銃声も響かせてしまった。

 下層の非常階段入り口から、輪姦目的と思わしい敵がわらわらと集まってくる音が聞こえる。彼等のバカでかい会話から、私の肉体に開いた銃創へ、私の血液を潤滑油にチンポを突っ込むという会話が聞こえてくる。どうやらテロリストの中には変態さん(リョナラー)も混じっているようだ。

 ……私は『ジョン・ウィック』ではない。迎え撃ってからの返り討ちにしたいところだが、今の装備が潤沢ではなく、特に鍛えてもいないような身体での連戦は不可能だ。そもそも敵の数がどれほどいるかも分からない。レーザー照準器もなしに、ゼロ距離射程外のクロスファイアを行う敵を返り討ちに出来るほど私は強くはない。

 

「かつて私も昔はお前みたいな狂信者だった。だが膝に地面を受けてしまってな……。“もちろん、武器はいくらでも持ってもいい ”だが“ 拳銃に頼るときは、永久的狂気から逃れるために自分自身を撃つときぐらいなのかもしれない”……なんつって!」

 

 負傷した膝を抱えながらも自分自身の説明書に関するフレーズを呟きながら必要なものをまとめる。ついでに気絶し伸びているテロリストAの頭部にツッコむように叩いてから、足早にその場から去る。

 今更トイレに逃げ込んでも監視カメラがその姿を捉えてしまう事だろう。

 

 ……残された道は屋上だけだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode4+ 『対魔忍! 推参!』

 あれからむやみな交戦を避け、現在私はビルの屋上を活動の主軸として行動している。

 屋上にはヘリポートから警察が突入して来ないよう見張り役のアサルトライフル装備のテロリストと私を輪姦する目的だったテロリストが数名、私の破壊工作によって沈黙した監視カメラが数台ある。さらに大型の室外機やダクトなども設置されており、〈隠密〉行動できるスペースが多く、この場所は私にとって〈隠れる〉には好都合な場所であった。

 発見され、追い詰められるようなことがあったとしても肉便器として使役・酷使される前に、ビルから飛び降り、自由にこの命を散らすことが出来る。あわよくば死出の旅は道連れ世は情けだ。

 私は既にいちど、思い出したくもない拷問のさなかで死を覚悟していたのだ。投身自殺による一瞬の衝撃で死ぬぐらい、あの悪夢に比べれば大したことはないと考えていた。

 

………

……

 

 ……テロリストの占拠から約12時間後。

 それは薄青銅色に輝くビルの合間を縫うようにして飛び、隠密形態をとりながら突如として屋上へ現れた。

 闇夜に融けるような黒色に彩られた鋼鉄の飛行物体。形こそ前の世界で陸上自衛隊が保有するF-2のような形をしているが、F-2より分厚い……AKや高射砲すら寄せ受けない重厚な装甲を持ち、空気抵抗の強そうな機体では考えられないほどの速度で、重々しくも鼓膜を劈くような唸る火竜(ドラゴン)の咆哮を響かせながらビル上空に上昇していく。

 やがて上空50mぐらいの地点から、屋上を目掛けて米粒大の “何か” が落下してきた。

 

「……!」

 

 ——航空機から何かが落ちてくる。

 最初はテロリストが要求している物資かと思ったが、銃口を向け乱射する彼らの反応からどうも様子が違う。

 落下してくるそれは、3つの人型実体であった。途中でパラシュートを開くこともなく、テロリストが展開していない地点へターミネーターが登場するみたいに膝を地面につき、そのまま着地する。

 うわっ。あれは、膝に地面を受けて冒険者やめてそう……。

 そんなことを思う私を他所に、着地した彼女たちは平然と立ちあがる。あれが普通の生身の人間であれば、鉄板の地面に叩きつけられて今頃、キンメダイの開きのように潰れ、高所から落とされたトマトのように内臓や骨粉をぶちまけているはずだ。だが彼女達はそのような様子はない。

 それどころか、私は彼女達の1人に見覚えがあった。デッド(D) オア(O) アライブ(A)に登場するマリーローズのような赤いフリルの付いた黒をベースとしたスクール水着と、布地を尻に食い込ませ過度に大腿部と鼠径部、臀部を露出した引っ叩きたいプリケツ、野生児を連想させるスクール水着痕の残る褐色肌。……くりくりとした大きな瞳と膝裏まで伸びるツインテール。そしてフリントロック式の二丁拳銃。あれは——

 

——『水城(みずき) ゆきかぜ』だ。

 

 前の肉体で、私がヨミハラで巻き込まれた『拉致監禁肉便器化調教』を強いられそうになった事件で別室にてオークに激しく輪姦されて無様なアヘ顔を晒していたが……。あのDOAのマリーローズのような服で、上空から降ってくるツインテールの気の強そうな面持ちの貧乳(まな板)と言ったら彼女ぐらいだろう。

 他の2人の1人は鮮やかなオレンジ髪ショートヘアの元気がよさそうな……悪く言えばマヌケ面をした短刀を二刀流にした女性と、最後の1人は紫色に近い青髪を下ろし細目で紫色のラバースーツを纏った大人びた女性だ。

 ……対魔忍だ。

 そう直感した。『水城(みずき) ゆきかぜ』が混じっていることから、彼女等が対魔忍であることは確定的ではあったが、こんな敵地の中心部に そんな恰好(乳首ガン勃ち)の衣装で正面からカチコミを仕掛けに来るのはこの世界では対魔忍ぐらいで、敵陣でそんな身体のラインが浮き彫りになるラバースーツを着用して見せつけるなんて、対魔忍を除いて普通の感性の人間はそんな恰好をするはずもない。

 ……ところで、転移・転生前から気になっていたのですが。その乳袋はどんな構造になっているんですかね?

 私も今の身なりから、人のことを指摘する余裕はありませんが……“服装はその人を表す”って言いますけど……その服は……ですね?

 

「これが占拠中の本物のテロリストかぁ……。訓練より弱そうやっちゃなぁ」

「私たちは訓練通り、速やかに屋上を制圧して人質の脱出経路を確保すればいいのね!」

「常に状況は変わるものよ。各員油断はしないで。制圧開始!」

「「はーい!」」

 

 彼女達は、まるでピクニックに来たかのような気の抜けた会話と返事をするが、その実力は対魔忍をニッコニコ大百科でしか知らない私でもわかるほどに確かなものだった。瞬きをするほどの一瞬で一般人では手も足も出ない分厚いケブラーベストのような装備を持つテロリストを“忍法”と刀や小刀、旧式拳銃でなぎ倒していく。

 私にはこの光景を描写するだけの余裕も、状況の判断もできない。

 せめて分かったことと言えば、一番年長者らしい紫色の対魔忍がテロリストの横を通過しただけで血しぶきを上げながら倒れる。スタンロッドで動きを止めようとするテロリストに対して、オレンジ髪の対魔忍が影の中から猟犬のようなカウンターで敵を屠っていく。一方『水城(みずき) ゆきかぜ』は二丁拳銃から電撃のようなエネルギー砲を飛ばし制圧していく。……ゆきかぜのその活躍は、ヨミハラの濃度3000倍で見せてほしかったですね……。

 

 15分もしないうちに、十数人は居た銃火器武装の東雲革命派テロリストは、突然現れた対魔忍によって骸として地面に伏すことになっていた。

 

「にゃははは~。やっぱり最新鋭訓練施設のテロリストの方が手ごわかったよー」

「ふうまが装備設定したような多脚戦車も居ないしね!」

「こっちの首尾は問題ないわ。ふうま君、脱出経路の確保ができたことを、別動隊にも——」

 

 どうやら制圧は済んだようだった。

 よかった。身投げする必要はなさそうだ。彼女たちに保護してもらい、一足先に自宅へ帰らせてもらおうと一歩踏み出した時……

 

パァン!!!

 

 私の大腿部に熱い何かが貫通した。

 視線を下ろせば、じんわりと赤いシミが太ももに広がって……同時に背中にも日大タックルされたような激しい衝撃が走る。今の銃声に彼女たちも気が付いたようで、こちらに視線を向ける。

 

「動くなぁ!!! この人質(ガキ)がどうなってもいいのか!!!!!」

「い゙ぁ゙っ……」

 

 脚と背中の痛みに顔を歪めるが、テロリストはお構いなしに片腕で私の首を絞めあげ、私は宙吊りにされるような形で大型室外機の外に連れ出される。私の背後にはいつの間にかにテロリストが回り込み、のど元に鋭利なコンバットナイフを突き付けていた。

 ああああああああああ! まずい! まずいぞ! これでは、ビルから飛び降りれない! 組みつかれて宙に足が浮いた状態では飛べなぁいっ!

 対魔忍たちも、すぐに武器を構えるがその表情からは焦燥の色が伺える。

 

「武器を捨てろ! 武器を捨てないと……っ!

「ッ……」

 

 刃先が私の喉に刺さり、一筋の血が零れ始めた。痛い!

 彼女たちは、お互いにアイコンタクトを取り合いどうするか悩んでいるようだ。だが最終的な決定としては、武器をその場に落そうと指先を緩めようとしている。

 それはダメだ! 彼女達がゲームと同じように対魔忍となってしまう! 対魔忍が対魔忍になってしまう! 対魔忍のお勤めをしてしまう! それも私まで巻き込まれる形で! そ、それだけは避けなければならなぁああい!!!

 

「……っ! ……ッッッ!」

「……! 武器を捨てるから! 武器を捨てるから!! まずは、その子を離しなさい! それ以上は息ができずに死んでしまうわ!!!」

 

 私に出来ることは、この完全にキマった首絞めを行っているテロリストに向けて呼吸ができるようにと解放されている手で高速でタップすることだった。一番年長者っぽい大人の対魔忍はこちらの状況を察してくれたようだ。流石、対魔忍。……さっきは頭対魔忍とか思って、ごめんなさい。

 テロリストは体をこわばらせたまま私を地面におろす。足を射抜かれ、低酸素状態によるふらつきで立てない私は当然、床に腰を打ち付けるわけだが……。テロリストはそんなことお構いなしに、今度は私の頭に銃口を突き付けた。

 

「カヒュッ……。……ぜぇー……はぁー……ぜぇー……はぁ。ゴホッ! ゴホッゴホッ!!」

「ほら、さっさと武器を捨てろ!!! そんなに、この女の脳漿が見てぇのかッ!!!」

 

 私が解放されたところで、対魔忍の彼女たちは仕方ないと言った表情のままゆっくりと武器を地面におろし始める。

 ——だが、おかげさまでこちらは話すことはできるようになった。今が逆転の好機だった。

 

あ゙ぁッ!?このクソ野郎ッ!俺の予定がテメー等のせいで全ておじゃんだ!!!見て見てぇッ!見てみてぇなぁッ!!! ほらッ!撃てよッ! 俺は自分の脳漿を見てみてェっつってんだ!!! ビビッてんのかッ!?オラァ!!さっさと撃てッ!

 

 大きく息を吸い込み。地獄から突き出た鬼のような声で、つい先ほどまで首を絞めていたテロリストに私は絶叫に近い〈威圧〉をし始める。

 この行動に対魔忍とテロリスト双方の動きが……時間停止もののAVのように止まった。

 

「だが、よく考えろォ!? テメーはたった一人だ! この対魔忍を強請る(ゆする)交渉材料は俺しか居ねェ!!! そんなテメーは俺を本当に撃ち殺せるのか? お゙ぉ゙ッ!?

「な、なんだ……このメスガキ……」

「ほらぁ!早く撃てよ!!!タマぐらいあんだろ!?ここでテメーの発言がハッタリじゃないってことを証明して見せろッ! 撃ってみろよッ! 俺は先に、テメーを地獄で待っててやる。テメーが地獄に来たら第二ラウンドで、真っ先に爪楊枝でお前の眼球をお裁縫セットの針刺し、ハリネズミ状にトゲ山にしたら、足の裏を炭になるまでガスバーナーで焼いて、ドラム缶に括りつけた後 缶の中に熱した石を投げ込んで前面と顔面の肉を地獄の業火で焼き切ってやるからよ゙ぉ゙お゙ぉ゙お゙お゙ッ゙!゙!゙!゙

 

 テロリストは明らかに動揺している。

 まぁ、それは対魔忍たちも同じで……陰キャっぽい気が弱そうで大人しそうな一般人の少女がいきなり豹変したら、誰だってそー怯む。私だってそーなる。

 だからこそ、この好機を逃すわけにはいかなかった。素早くテロリスト側へと振り返り、頭に押し付けられている拳銃を掴み、頭蓋骨に接着させる。テロリストの手にそこまで力は入っておらず、引き寄せられるような状態で私の頭に拳銃の銃口が面する。

 

「陰茎と睾丸と直腸にギンピーギンピーを摺り込んで一年以上、死にたくなるような地獄の痛みでのたうち回らせてやる!!!便器に括り付けて脱肛させた上で、ウォシュレットで内臓をズタズタに引き裂いてやる!テメーの額に来世まで残る『死因:ウォシュレット』って刺青(いれずみ)を刻んでやるよぉぉおおお!!! 私を殺し、自身が死んだことも後悔するほどになぁあ゙あ゙あ゙あ゙ッ!」

……きょ、恐怖で頭が……おかしくなったのか……?

 

 テロリスト側が明らかに動揺して私の頭の心配をしてくる。

 ……失礼な。おかしいのは元々だ。私は本来、ここにいるはずの人間じゃないのだから。

 ここで私には2つの選択肢があった。一つは、テロリストが投降するように飴と鞭で揺さぶりをかけること。もう一つは、刺し違えても隙をつくることだった。

 

「——だが……今なら間に合う。テメーが大人しく武器を捨てて、対魔忍に投降するんだ。彼女等は正義の味方だから、大人しく投降すれば法で裁かれることになるが、これ以上の危害を加えることはねぇはずだ」

「……」

 

 情緒不安定な豹変の繰り返しで揺さぶりが効いているようだ。

 奴に対する〈魅惑〉であともうひと押しと、険しい顔を止めて優しい微笑み顔でニンマリと笑いかける。

 だが無情にも相手の警戒をほぐす為の〈魅惑〉行為は思うようにはいかなかった。

 おもちゃの火薬銃のような軽快な音、皮膚が波打つ衝撃と共に、銃口を額に押し当てていた方の腕がテロリストによって振り払われ撃ち抜かれ——

 ——うがああああ!!!クソ痛ぇ!!!!

 

う、うるせぇ!!!黙ってろッ!俺にはもう後がねぇんだ!!!ここで我等の東雲様のためにも、一矢報いなけりゃ意味がねぇんだよ!!! オラ!た、対魔忍だっけか!?対魔忍ども!このクソガキが——」

 

 交渉は決裂した。

 だが、致死となる脳から銃口をそらさられ、奴の視線が一瞬、いや。一時的にでも対魔忍側に向いただけでも十分だった。こちらも無事な腕で腰にある敵から奪取した拳銃を引き抜き、テロリストに突き付ける。腕と脚に開いた痛みに苛まれながら対魔忍プレイ(強姦)を強要されるよりも、死んでしまった方が楽だと判断したことも1つの要因だ。……出血の状況と傷の状態から、この世界の私が助かる見込みは限りなく低い。

 こちらが銃口を向けたことに相手が気が付き、こちらに向けられた銃の引き金が握られたとき、迸るアドレナリンにより周囲がスローモーションのような光景になったような気がする……。直後、お互いの胴体目掛けてゼロ距離での発砲。鉛球をぶつけ合う。向こうは分厚いケブラーベストや軍用ヘルメットを着用しているため、私の攻撃では致命傷には至らない。だが弾丸の衝突による衝撃で確実に怯ませることはできた。

 ……敵との勝敗が決したとき。血だまりの中。意識が薄れゆく中で、……背後にいた対魔忍たちが一斉に動き、怯んだ最後のテロリストにトドメをさすのが見えた。

 

(……斯くして。対魔忍を隷従させようという……テロリストの“根本的な、計画を、阻止できる、のならば、1人の、私の……、死は……、小さなことに……”、過ぎな……——)

 

 口の中が鉄さび味に満たされていくさなか、私は『新クトゥルフ神話TRPG』11頁の勝者と敗者のフレーズを思い出していた。

 ……異様に体中が熱く、心拍が通常の3倍の速さで鼓動を打つのを全身で感じる。

 

 ……大人びた対魔忍が、私を助けようと動くが……。私はそれを尻目に、自分とテロリストの返り血で……おぼれていった……。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode5+ 『目が覚めたら白い部屋~私は対魔忍から離れ、強く生きます~』

「……ッ」

「あぁっ! ひまり!! ひまりぃっ!!! 看護師さん! 看護師さんっ! 日葵(ひまり)がっ! 日葵(ひまり)が目を覚ましましたぁっ!!!

 

 次に目が覚めたとき、私は白い部屋に白いベッドにクリーム色のカーテンが掛けられた白い部屋(病院)にいた。

 私がリビングデッドのように、腹筋だけの力を用いて上半身を起こした刹那。40代ぐらいの女性が悲鳴を上げ、自身の座っていたパイプ椅子に足を取られ、足をもつれさせながらも部屋から出ていく光景を目にする。

 

あの、ナースコールかスタットコールを使えば……

 

 のちに知ることとなった1週間ぶりに出した掠れた声は、先ほどの女性を呼び止めるほどの大きさにはならず、彼女はそのままどこかに行ってしまった。ひとまずこっちからナースコールを一度押して意識が戻ったことを看護師に報告しておく。……ついでにナースコール越しに転げながら出て行った彼女の声が聞こえた。

 私の身体には幾重もの包帯が巻かれ、沢山のチューブを繋げられ、ベッドサイドモニターには心電図が写し出されている。これだけの重傷ではあったが今は麻酔か鎮痛剤が効いていることもあってか、大した痛みはない。このまま病院の売店にも遊びに行けそうなぐらいには身体は問題なく動いていた。まぁ、“入院は前世の私にとってはルーティーン(毎回あること)だった”し、怪我に関してもそのうち治るだろうからあまり気にしていなかった。

 

 ひとまず医師の話では、テロリストとの交渉が決裂し私に銃弾が撃ち込まれたあと、その場にいた特殊部隊の人たちが〈応急手当〉を行い、その甲斐があって一命をとりとめることができたらしい。

 ……おそらく、その特殊部隊の人というのはあのの事だろう。でも、そのあたりの記憶が朧げで何があったのかよく思い出すことが出来ない。脳が度重なるストレスからの自己防衛反応として健忘症でも引き起こしたのだろうか……?

 ……何がともあれ生き延びることはできたのだ。

 聞く話によると東雲革命派とかいうテロリストから性的暴行を受けた学生もそれなりに居たようで、私は私の損害が肉体の傷害事件で済んだことを心のどこかで嬉しく思っていた。

 今後の治療期間としては、全治2、3か月の見込みらしい。この2、3カ月という値は、あくまでも“特殊な”最新最先端医療を導入したときの予定であり、リハビリを合わせた普通の治療の場合はもっとかかる(・・・・・・)(約半年以上)とのことだった。だが私はこの世界についてもっと知る必要があり、時間も十分にかけて調べものをしたかったために普通の治療を選択した。

 ……まぁ、でも。今までの経験から、この程度の怪我は2カ月以内には治癒してしまいそうなものだが……。とにかく今は時間が必要なのだ。それだけは確かだった。

 そのうち警察の聞き込みも来るそうだが、しばらくの間は治癒に専念という名目で家族を除いて面会の拒否をするつもりだ。ほとぼりが冷めた頃合いにでも事情聴取を受けて“よく覚えていない”とでも言っておけば丸く収まるだろう。

 

………

……

 

——1カ月後。

 

……

 

 私の傷は、ほぼ完治と言っては過言ではないほどの回復力を見せていた。

 どうやらこの世界の普通の少女では“ありえない”回復速度らしいが、私やウォシュレットに殺された友人を含む私の友人達、面識のない警察官や専業主婦のおばちゃん、オカマバーの漢姉様(おねえさま)方などを含めた前世の住人達は、このごく一般的な治癒力を全員持っていたし……指摘されるまでは別段、特に何か思うことはなかった。

 だが主治医の反応を見る限りだと、この世界ではあまりにも異常らしいため“外傷は塞がったけど、筋肉の筋と日常生活動作に関連する……『何かすごい後遺症』がまだ後を引いている”という(てい)で病院に今も滞在している。

 ……この治癒力の早さから政府や国家権力に目を付けられ、『キミ、対魔忍の素質あるかもよ?』だの、『やっぱりキミも対魔忍だ!』だの、『やぁ!対魔忍の神葬ちゃん!』なんて絡まれても……正直困る。

 

——『対魔忍世界へ転移したが、私は一般人枠で人生を謳歌したい+(ぷらす)』何かをしたいのだから。

 

 『……またワタシ何かやっちゃいました?』的なノリを出して、自分の首を絞めるような最悪な事態は、絶ッッッ対に!!! 避けなければならない。

 またこの治癒力は、私の説明書に記述されている『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG』の64頁“治癒”に関する技法によるもの……と思われる。

 どうやら『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG(61頁)“肉体的な損傷(負傷)”基準なら、耐久値2ポイント以下になるまではかすり傷として扱えるようであり、『新クトゥルフ神話TRPG(116頁)“通常のダメージの効果”基準でも『重症化さえしなければ』やっぱり、かすり傷らしい。つまり、何度でも“生きている限り”現場復帰が望める。

 …………これは前世では普通のことだと思っていたけど……。

 でもこの世界での周囲の反応から察するにこれは異能のようだ。……可能な限り隠さなければならない。……それに、一見この世界の人間からは便利な異能に見えるのかもしれないが、普通に痛覚はあるし、殴打を加えられたり怪我をしたり拷問をされたりすれば……私が身に染みてよく知っているような永久的な地獄を強いられる。場合によっては気絶だってするし、決して万能ではない。だが隣の芝生は青く見えるものだ。

 

 ……とまぁそんな経緯で長期入院することになった私だが、入院費に関しては心配はいらない。

 なにやら()ちゃんと仕事をしなかったから、私の怪我が重度化したことになっており……。国がお詫びを兼ねて意識不明の重体の時から、私の入院 治療費を負担してくれていたようだ。

 いやぁ! たぶん、私から問題を起こしたと思うんだけど、国家公務員(たいまにん)は大変だなぁ!

 

 ——他にも……この1カ月で、ある程度分かったこともある。

 

 まず私の肉体についてだ。私が肉体の器としている少女は『青空(あおぞら) 日葵(ひまり)』というどこにでもいる普通の女子中学生らしい。学力、運動神経は共に平均以下で、個人的には一般人よりひ弱な印象。面会に来た中学教師からの話では、学校でも友達はおらず図書室で本が友達のような……私が思った通り、やはり陰キャだ。学校から千羽鶴も送られてきたが、正直いらないうえ、折り鶴の中身に『そのまま死ね』と書かれていることから、いじめにも遭っていたことがわかる。テメーが死ね。

 『青空 日葵』の両親については、ナイ牧師から説明があったように優しく模範的な良い親で……別に前世の両親に不満があったわけではないが、何かと怪我をした私を気にかけてくれる。 私が病院生活は暇であることを伝え、事件に巻き込まれたせいでちょっと記憶があいまいなため、社会勉強に使う学校の教科書を持って来てほしいと頼めば、味気ない病院食に対抗するための20種類ものふりかけと一緒にその日のうちに必要物品を持って来てくれる気の利く優しさと愛情深い人たち……と言えばわかりやすいだろうか?

 それにしても若いというのは素晴らしい。知りたいことは山のようにあるが、この記憶力と習得力であれば努力次第で私は充分この世界になじめるだろう。

 

………

……

 

——6か月後。

 

……

 

「いいか! 野郎(TRPG Player)ども! 新クトゥルフ神話TRPGを遊ぶ以前に、TRPGを主催者(GM)側として遊ぶときは、“必ず”そのゲームのルールブックを所持して遊べよ!!!

「「「押忍(おすっ)!」」」

「TRPGで裁定がわからなくなった時の為にも、常に手元に該当ルルブを置いておけ! わからないときはその都度確認だ! だがルルブには、七不思議(任意のほにゃ)があったりすることもある! そんな時は卓の仲間と相談をしてカスタム(ハウス)・ルールを用いるのも1つの選択肢だ!」

「「「押忍!」」」

「GMは公平かつ、ある程度PLの宣言とやりたいことをくみ取ることを意識しろ! テメーの考えたシナリオ通りのゲームなんて、アナログゲームやコンピューターゲームと一緒だ! ある程度の自由を利かせてやれ!」

「「「押忍!」」」

「ひまり……? あの……病院のお友達と遊んでいるところ悪いのだけど……大切な話があって……」

「よし! 私はマッマと話があるから、それまで一旦休憩! 各自、新クトゥルフ神話TRPGのクイックスタート・ルール(無料版)を参照してキャラシートを練っておくように! 困ったこと、わからないことがあれば後でKP()に相談してね!」

「「「「押忍ッ!」」」」

「マ、マッマ……?」

 

 そんな今日も今日とて、病院のヒマな時間を他の入院患者と共に内容を覚えるためにも『新クトゥルフ神話TRPG』のKPとして遊ぶ私の元へ母が申し訳なさそうな顔をしながら面会に訪れる。

 ……ん? なんか最後の返事で参加者一人増えているような気がするけど……TRPGの輪が広がるのは悪いことじゃないし、PLが3人だろうが4人だろうが捌き切れるし別にいいか。

 

………

……

 

 ひとまず落ち着いて話が出来る場所に訪れ、母親と向き合った。歯切れが悪そうな様子で今後の日程を告げられることになる。

 

「……日葵、あのね。お父さんの仕事の都合で、どうしても転勤しなきゃならなくなっちゃったの。……ごめんね」

「あぁ、転勤ってことは引っ越し? ……? ……どうしてあやまるの?」

「どうして、って……あなた、学校にいっぱいお友達が居たんでしょう? それなのに、仕事の都合で大切なお友達と引き離すことになるから……」

「あ。あぁ、あぁ……別にいいよ。お仕事なら仕方ないことだし、それにそれは新しい場所で新しいお友達を増やせるってことでしょ? それはそれで面白そうだし……。で、いつ引っ越しするの? 移住先の場所は? 近くに図書館はある? ……あと数カ月の入院予定だけど……引っ越し先に私でも行ける高校はある?」

「えっ。そ、そうね……。高校に関しては、その町にある学校の方から『ぜひ入学してほしい』ってお誘いと、日葵が入学したい気があるなら、入院が長引いたとしてもすぐに新入学対応してくれるらしいから安心して。一応、入学前に学力調査のためにテストがあるらしいけど……あくまでも学力をはかるためのテストみたいだから、入学自体に影響はないと説明を受けているわ」

 

 学校側から入学のお誘い? ……はて? 『青空 日葵』は学力や体力的な状態から考えても推薦されるような人材ではないが……。

 学校側が超少子高齢化の影響による廃校の危機とか……定員割れでもしているのか?

 ……何か、きな臭い気がする。……考えすぎだろうか?

 

「そっかぁ! それは良かった! 学校側から誘われているなら、是非とも私その学校に行きたいな! あぁ~! 楽しみ! ありがとう、お母さん!」

「……。……ねぇ、日葵?」

「……ん? どったの?」

「その……日葵は環境の変化を嫌う方だったから……。……今回の話。……絶対に怒ると思ったのに……どうか、したの……?」

「……。……あー。どうしてだろうね? 今は、そんな気分……って感じ? ……だから」

「そ、そう……」

「うん……」

 

 ……なるほど。『青空 日葵』という少女は母親には嘘の学校生活を伝えていたようだ。

 しかし、この話は逆に現在の私にとっても好都合な誘いであったため、少し大げさに話に好意的反応を返したところ、若干ギクシャクはしてしまったが……。後日、その高校や転勤先の土地についての話の詳細を聞く。

 

………

……

 

 どうやら私は五車町(ごしゃまち)という町に移住し、そして私は五車(ごしゃ)学園という学校に新入学となるようだ。

 ええやん、学“園”ライフ。フゥーッ(Hoooooooooo!!!)! GOSYA(ゴシャ) ACADEMY(アカデミー)!!!(!!!) 学校や大学には前世で行ったことがあるけど、学園には行ったことがなかったんだよなぁ。

 住所は群馬県まえさき市の隣町のようで、山間の小さな町ではあるが、今世紀に入ってから新たに建設された『ニュータウン』らしい。ニュータウン! いい響きだ。

 ……ところでまえさき市とは何処だろうか? 私の知識では群馬県には“前橋市”と“高崎市”があるのは知っているが、“まえさき市”なんて市は聞いたことがない。五車町という町も……この世界の特有の市町村なのだろうか? 少し前世に似ている反面、ちょっとした違いがどうも気になってしまう。

 ……ともかく、試される大地グンマーで『いなかぐらし!』の予定だ。ご近所付き合いや、私も変な素行をしないようにしないと、町ぐるみで嫌がらせをされそう。だけどそんなことにはならないように善処するし『ニュータウン!』らしいし! きっと大丈夫なはずだ。

 念のため入院中に一通りの『五車町 ニュータウン』について聞き込み調査と、ネット検索で情報収集はすることは確定事項である。

 対魔忍の世界に異世界転生したわけだけど、危険な都心部から離れることで、ここから始まる ほのぼの学園生活スローライフ! 正気と生皮を剥がれる殺伐ライフからバイバイしちゃうぞっ☆

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2章+ 『わくわく五車学園ライフ()!』
Episode6+ 『入学初日から、不運と踊っちまった話』


 こんにちは!

 私『青空(あおぞら) 日葵(ひまり)』! 中身は『釘貫(くぎぬき) 神葬(しんそう)』というどこにでもいる異世界転生者!

 いま私は五車学園の学園長(校長)室で、軍帽を被った全体的に美味しそうなブルーベリー色をした服装を纏うSM系一本鞭所持の女教師に拉致されたうえ、さらに校長と全身純白色の粉と泡に染まった鬼教師、それと誰か(多分前から校長室に待機していた他の教師)の4人に囲まれる形で集団圧迫生徒指導を受けています!

 私を取っ捕まえた軍帽を被った全体的に美味しそうなブルーベリー色をした服装を纏うSM系一本鞭所持の女教師が途中で退席したことは、現在発生している圧迫生徒指導の空気を緩和するかと思いましたが、決して! 断じて! そんなことはなかったです!

 ……私が引き起こしたことを考えるならば、妥当な状況なのかもしれませんが……入学初日にやらかした経緯は、不可抗力な案件だと思うのです。

 結論から話します! もう私に『わくわく! 五車学園ライフ!』はきっと訪れません! 修羅学園覇道ライフとなります!

 

 

畜生めェーーーッ(Sie ist ohne Ehre)!!!!!((栄誉などあるものかーッ!!!!!))

 

………

……

 

「それで……どうして先ほどから瞼を開けないのかしら?」

「薬液が目に入ったせいかもしれません! 病院を受診したいので、このまま救急車を呼んでもらって……もう帰っても良いですか!?」

「……どう見ても足元にしか かかっていないように見えるが???」

「……」

「……ごめんなさい。……正直なことを言うと、お三方からの圧が強烈で、このまま目を開いたら恐怖で《心臓発作》をしかねなくて……怖くて目が開けないです……」

 

 ……ことの顛末は、私が病院から早めの自主退院を済ませ、五車町(ごしゃまち)への引っ越しを行い、周り近所への挨拶をして五車学園へ1カ月遅れの新入学を果たし、入学初日の体育授業を受けたときに発生しました……。

 

………

……

 

「今日は新入生を紹介します。今日から『五車学園 高等部』へ入学することになった『青空(あおぞら) 日葵(ひまり)』さんです」

「初めまして『青空 日葵』です。特技は工、工作。趣味はゆるキャンとカラオケ。まだ引っ越してきたばかりで右も左も分からない新参者ですが、どうぞ仲良くしてください。これからよろしくお願いします」

「はい、よろしくね。それじゃあ、青空さん、そこの空いている席を使って」

「はい!」

 

 黒髪染を済ませた髪をポニーテールで束ね、好印象を得られる にこやかな笑顔で挨拶する。

 

【挿絵表示】

 

 そう。これが私。五車学園の制服を纏った『青空 日葵』もとい『釘貫 神葬』である。

 相変わらず髪は癖っ気でボサボサ感は否めず……五車町に引っ越してくる前に『青空 日葵』の地元でストレートパーマをかけたが、それでもこの髪質が直ることはなかったので、頭頂部を髪留めリボンで抑えつつ、仕方ないとあきらめることにしたのだ。

 それだけでも、以前の自分よりはかなりマシな状態ではあると思える。アレだ。詐欺広告にある別人なレベル程度にはイメチェンしている。

 まばらな拍手を背中に受け指定された席へ移動する。それから、ついに他の高校と変わらないような授業が始まるのだった。そう……。ここまでは完璧なスタートラインを切って、休み時間に女子学生と軽いトークを交わす完璧な日常だったのに……。

 

………

……

 

「あ、青空……さん、だっけ? 次は体育だぜ。更衣室の場所とかわかるか?」

 

 4限目も終わり、母親が作ってくれた美味しいお弁当を芝生で食べて教室へ戻る。

 クラスメイトである他の女子生徒が食堂から、なかなか帰って来ないことに気が付き周囲を見渡していると背後から声が掛かった。そちらに視線を向けると五車学園男子生徒の制服を纏っているものの、艶やかな栗色の腰まで伸びる長髪に羽の髪飾りを付け、緋色に紫色が混じった瞳をした少女のように見える身長約140㎝ぐらいの少年が視界に映る。

 一瞬、小中学生かと思ったが……。制服が高校の制服であること、男子用制服の着用から彼が男子高校生であることがわかった。

 その言葉遣いは、ぶっきらぼうではあったけど、どこか優しい彼なりの気遣いを感じる。

 

「あ、いえ……まだこちらには来たばかりで……わかりかねます。もしご存じでよろしければ教えて頂いてもよろしいでしょうか?」

「おう! もちろんだぜ! そうだ、俺は上原(うえはら) 鹿之助(しかのすけ)ってんだ。ここの体育は他所より、ちょっとハードかもしれないけど、これから一緒に頑張ろうな!」

 

 彼は『上原(うえはら) 鹿之助(しかのすけ)』と名乗り、更衣室までの学園案内を始めてくれる。

 学内地図を見させてもらうが、ここは一度では把握しきれないほどに広大過ぎた。更衣室に移動する間にも10代未満の子供たちともすれ違う。それにしても、小中高一貫の学園というのもなかなかに珍しい。

 

………

……

 

 私は案内中のつなぎの話として、彼と前の学校について(『釘貫 神葬』が経験した高校生活ではあるが……)を話していた。

 

「——とまぁ、前の学校ではそんな感じでした」

「へぇー……。青空さんって、勉強できる感じなのか?」

「そんなことはないですよ。平均的、ですかね。……どうしてそんなことを?」

「いや、さ。俺は工学とか物理学って内容は習ってないから、ちょっとよくわからないんだけど……青空さん、座学の時間のとき。いきなり余裕そうに授業中サボって、その本を読んでいるとき凄く楽しそうにしているし、授業をサボっているのに先生から問題を投げられたのにアッサリと解いていたからさ、どうなのかなーと思っただけ」

「……。工夫してたんですけど、見られちゃってましたか……。実はあの授業の内容は中学生時代にもう“習った”内容でして……あの本は好きなので読んでいただけです。〈工学〉と〈物理学〉の話なら、大人と比べれば齧った程度です。……それでも勉強は“平均的”ですよ。そういう、上原さんは?」

「俺か? 俺はなぁー……人よりできない感じ……だな。でも、いつかは周りのやつを見返せるだけの点数を取ってギャフンと言わせてやるんだ!」

「そうなんですか……。でも向上心があるのは、とてもいいことだと思います。……もしよかったら、ですけど……勉強のことでわからないことがあれば、お手伝いしましょうか……?」

「……いいのか?」

「はい。代わりに……この町に来たばっかりなので、五車町のことや怖い先生などいたら教えてくれると嬉しいです」

「おう! ギブアンドテイクってやつだな! もちろんだぜ! そうだ。次の授業自体はハードだけど、今日はさくら先生が担当していて、さくら先生は優しいから青空さんでも多分大丈夫だと思う! あ、ここが女子更衣室だ! 着替え終わったら、今日は基礎体力作りの日だから校庭に集合な!」

「ありがとうございます。またあとでお会いしましょうね」

 

 気が付けば、いつの間にかに更衣室の前に辿り着いている。

 上原君に頭を下げながらお礼を言って、私は更衣室に入り着替えを済ませる。室内には数人のクラスメイトが既に着替えており、なかなか来ない私を心配して待っていたと話してくれる。どうやら中々来ないことに気づいて呼びに行こうとも考えたらしいが、誰かが一緒に連れてきてくれるだろうと考えて待っていたらしい。……なるほど?

 設備から考察するに多分、私立学園(?)ということもあってか、その授業の時間帯に貸し出されるロッカーに制服を入れ、貸し出されている体操着に着替えて部屋を後にした。

 

 ……この私立学園、かなり学費高そう。両親から学費に関する支払いは問題なさそうな話は聞いていたけど……。

 ……そりゃあ、『青空 日葵』は学校側から推薦入学できるような学生じゃないが『ぜひ来てください』なんて言ってくれるよな。長期入院によって、受験勉強にも間に合わない落ちこぼれから金を搾り取れる絶好のカモだもん。

 

………

……

 

 外に出ると、グラウンドでは既にほとんどの生徒が集まりウォーミングアップをしている。

 その中に混じって、明らかに青い顔をして脂汗ダラダラの状態でうつむいている上原さんが居た。

 

「……上原さん? その……大丈夫ですか……?」

「……! 青空さん、ごめん! 俺、いきなり青空さんに嘘ついた! 本当にごめんな!」

 

 心配になって体調が優れないのかと声をかけると、突然頭を下げて謝り始める。

 

「え?」

「今日、さくら先生。用事があったみたいで不在で……! 代わりに(ムラサキ)先生が引き継ぐんだけど……」

「……もしかして?」

「うん。……怖い」

 

 『まじかぁぁぁー』と、思わず心の中で晴天を見上げる。

 でもこの時の私は『ここの教師ならいずれ顔を合わせることもあるだろうし、ある程度の把握は大事だろう。頑張れ、私。今日は家に帰って、ホームセンター 五車店に遊びに行くんだろ!』と自分自身を励ましていた。

 

「だ、大丈夫だって! 先生も今日入ったやつに厳しくしないとは思うし、運動が苦手なら俺も一緒に居てやるからさ! な! 一緒に頑張ろうぜ! な!?」

「ありがとう……。頑張りましょうね……」

 

 おしとやかなキャラ作りをしつつ、自分を鼓舞しながら開始のチャイムを待つ。チャイムが鳴った直後に明らかにクラスメイトたちの雰囲気が一変した。……よほど怖い先生のようだ。

 

 ……そして。この鬼教師こそが、私が作り上げたかった学園生活を粉砕しに来た悪魔だったのだ……。

 

………

……

 

 現れたのは藍色の髪を後頭部で束ね、地面についてしまうほどに長髪の女性だった。虹彩はLED信号機のような輝かしい赤色をしている。彼女が怖い教師という様子も表情の雰囲気から察することができる。彼女の顔は眉尻が吊り上がっており、口元はきつく引き締まっている。彼女を一言で表すならクール系な美女と言えば一番伝わりやすいかもしれない。

 

「全員そろっているようだな。……お前が『青空 日葵』……か。話は聞いている。去年、ビルを占拠した東雲革命派、もといテロリストを4名、生身で返り討ちにしたそうじゃないか。まずは、その実力と基礎能力を見させてもらう。全力でかかってこい。他の生徒は見学! 各自、彼女から学べる技術があるならば、それを習得することを目指すように!」

 

 ……。……!? ……今、なんつった……? ハァン?! 今!なんつった!?この女教師?!

 なんで! アァアッイ!ナンデ!?なんでそんなことを知ってるの!? その件は、隠し通したかったのに! ナンデナンデみんなの前でそれ言っちゃうの!?

 周りの生徒たちの反応を見ても、「え。マジで?」って反応になってんじゃん!!! バカじゃないの!?

 ……そう。終わった。終わったのだ。私の『わくわく五車学園ライフ()!』は初日で終焉を迎えました。悪魔(紫先生)の発言による、スタートダッシュに回避不能な高速足払い、衝撃の過去暴露によるきりもみスーパー大回転のせいで。今日から1人浮いた修羅学園覇道ライフに切り替わります……。

 

 クソ! せっかくアヘアヘ対魔忍ライフ!から離れて、学園生活を謳歌しようと思ったのに初日でこれだよ!!! クッソ、本当に人生はクソだ! いや、これは人生がクソなのではない。

 不運と問題(ハードラック)が、前世と同じノリで私に向かって突っ込んできているのだ。

 そんな悪態を内心で吐きながらも笑顔のまま凍り付く私を他所に、紫先生は羽織っていた上着であるジャージを脱ぎ丁寧に折りたたむと、クラスの学級委員長に持たせる。ジャージの下は、動きやすそうな深いスリットの入った白のチャイナドレスであり、巨乳を強調したソレは非常に扇情的だ。

 それから自分の背丈以上の巨大な机を背負いあげ、私の目の前に置き、更にその上に武器を乱雑に並べる。……はい?

 いろいろツッコミたいところはあるが、どこから突っ込めばいいかわからない。というより、ツッコミが絶対に追いつかない。

 

「選べ」

「え?」

「この中から、好きな武器を選べと言っている」

 

 え、何? 私なにを試されているの? 他の生徒を見ても、無言で私をガン見するだけだし、上原さんに至っては目を大きく開いて細かく頷いているし。……なんだろう。ボブルヘッドみたいで可愛い。

 紫先生は木製の戦斧を持ち始めるし……え。待って。私の知っている普通の学校はこんな武器を持たせるようなことをしないんですけど? え? これはこの世界の常識だったりします……? こっちは対魔忍世界に来てから、まだ約1年しか経っていないし。病院では基本的な座学しか学んでこなかったから、ここら辺の事情は判断に困るような案件なのですが……?

 それはともかくとして、思春期の生徒の前でそんな痴女みたいな恰好をする教師もどうかと思いますよ? 性癖が歪んじゃう!

 

「あの……質問をしても——」

「…………」

 

 あ、これ駄目だ。目が『これからお前を殺す、だが公平に戦うためにまずは体力を全回復してやろう』とか言っちゃうような、そんなカルティストの目をしている。……相手がカルティストならやるべきことがあるが、目の前にいるのは学校の先生だ。

 自分でもわかる嫌そうな顔をしながら、机に並べられた武器を見る。刀、槍、鎖鎌、斧、杖、弓、拳銃……。うん。全部、私の知る限りでは高校の授業で使うようなものじゃないな。

 前述した通り病院にいる間、ほぼ座学しかしていなかったために、そこまで武器に関して扱えるものはない。一応、『釘貫 神葬』の方で格闘術や数点の武器の扱い方はいくらか習得はしているが。あくまでもテロリストに私の格闘術が通じたのは、相手が油断していたことや、完全な戦闘のプロではなかったことが大きい。ゆえに、体育の授業で戦闘訓練を始めちゃうような教師に対して私の格闘術が役に立つとは思えないし、それこそ素手で挑もうものなら……その手に持った戦斧でコテンパン(フルボッコ)にされるのは目に見えている。

 『新クトゥルフ神話TRPG』選択ルール:121頁“ノックアウト打撃”

 ……ムリムリ。攻撃が当たらないことも1つの要因だが、このタイプは、手斧ならぬ戦斧という重量と癖のある得物を武器として使用するという観点から、それなりに持久力や体力にも長けているのが予測できる。ほぼ確定的に学生のノックアウト打撃なんかで気絶なんかしたりしない。

 

ハァァアァアア↑↑(明らかに地の利が悪すぎる)」

 

 今まで出したこともないような裏声の奇声を発しながら、震えた手で武器に触れ始める。もうこの授業だけで、アヘンをキメたようなア変ア変顔を2連続で行ったが、誰も笑わないのが逆につらい。

 てか、誰か止めて。上原さん、助けて。ちょっと一緒に頑張って。

 

……せ……。……せ、せんせぇ……

 

 やった。何度か上原さんを見たことが功を成して……1人、クラスの中でたった1人。静まり返り緊張した赴きでこちらをただ見ているだけの生徒達の中から手を上げてくれる。

 

「なんだ。上原」

あ、青空さんは…………その……

その? …… な ん だ?

「ぅ……。……ぅぅ……

 

 ……否、やっぱいい。

 ひと呼吸を置いて、私は大きく息を吸い込む。

 

ヒャァッハァーーーッ!!!

『!?』

「せっかくだから、私は黒の拳銃(チャカ)を選ぶぜェーッッッ!!!」

 

 甲高い奇声を発し、全員の意識を上原さんからこちらに集中させる。

 手に持った拳銃を映画のような手さばきでコッキングを済ませ、ズボンの背中部に挟み込む。

 

 ……上原さんは震えていた。彼も本当は紫先生が怖いのだ。

 だが、それでも誰も止めてくれないこの状況で、ただ1人……勇気を振り絞って挙手をし、先ほど顔合わせしたばかりの私を助けようとしてくれている。もう……。もう、その気持ちだけで十分だった。

 ……可愛い者は下がっていろ。この場は、やはり私が1人で何とかする。

 ……何とかするから、今の乙女をかなぐり捨てた世紀末覇者的な奇声は忘れてくれ……。

 選んだ武器は、拳銃(と言っても電動ガンだったが)、六尺棒、そして先生が脱ぎ 学級委員長に託した“長そでのジャージ”だった。

 

「ほぅ……」

 

 紫先生は眉をひそめる。それからウォーミングアップのようにその模擬戦斧を目前でぶんぶん振って見せた。あんなので殴られたら、昏倒では済まされないだろう。すなわち死である。死。

 学園長ー! 教育委員会ー! PTAー! それから児童相談所ーッ!! 仕事してぇーッ!!!

 

「よし、では……」

「何を勘違いしている? まだ私のBattle preparation(戦闘準備)は終了していねーゼ……ませんよ!」

「……なら早くしろ」

 

 そのまま先ほど学級委員長から受け取った紫先生のジャージの両腕袖先を弄り、結び目を作って、五車学園の小学生が遊ぶ砂場まで持っていき……おもむろに地中へ埋め始める。

 おそらく、この場に居る誰も予測していなかったのだろう。見学席にいた全クラスメイトの目が私に釘付け。上原君は、小刻みに震えながら利き手の指先を口の中に入れ、信じられないと言った様子。マナーモードバイブかよ。チクショウ!!! 仕草が可愛いなぁっ! あの子!

 ……紫先生は…………あっ。怒っている様子……けどなぁ————

 

——それは、クラスメイトにテロリストを4人シバいたことを暴露された私も同じ気持ちだよ。

 

「……」

 

 間違いなく今先生に効果音を付けるなら、ゴゴゴゴゴ……と付けるのが妥当だろう。顎が上に突き上げ見下すような目つきで私を睨みつけている。

 だが、これは私の戦術の一環にしか過ぎない。相手を怒らせることは予定にはなかったが、この際有意義にその感情を弄んでやる。この行為……、本来の目的としては武器をつくることだ。これで私の武器は5つになった。即席にしては上等だ。怒らせるつもりはなかったのは本当だ。目的は別にあった。

 

よくも……アサギ様から頂いた……私の大切な……大切なジャージを……

 

 ゆっくりと腕に馴染むよう近接武器を素振りする私に、紫先生は何かをボソボソとつぶやいている。

 なるほど、誰かからもらったものだったようだ。遠くてよく聞こえなかったが……それはもう大切な人からもらったジャージだったらしい。結構なことだ。

 ……家に帰ったらあのジャージをクリーニングに出そう。

 

 ……生きて帰れたら、だけど。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode7+ 『“消火栓の妖精” ~名付けの原因~』

「……先生」

「……なんだ」

「コレ……。……失明したら……責任取れないので」

 

 一触即発なこの状況で、恐れながらも机上に置かれた密閉式の実験用ゴーグルを紫先生に手渡しに行く。いくら私の過去を暴露した教員だとしても、私のゆるふわニコニコわくわく五車学園ライフをぶち壊した悪人でも、私が失明させてよい理由にはならない。

 

「……これはお前のために用意したものだ。人の心配をするぐらいなら、これからボコボコにされるお前が付けるべきだ」

 

 あっ、私これからボコボコにされることは確定なんですね。

 でもこれは最低限なモラルの問題だ。私も、はいそうですか、と二つ返事で引き下がるわけにはいかない。

 

「……」

「……」

「…………」

「……わかった」

 

 10分間の沈黙が続いたが、ようやく観念したのか先生は私の手からゴーグルを受け取り着用する。……これで先生が失明する危険性は、ほぼ無い。

 準備の出来た紫先生から距離を取りつつ、六尺棒を構え衝撃に備える。

 ……先生が攻撃を外すか、〈応戦〉が間に合えば反撃の可能性はあるが……。

 

——バキャァッ!!!

 

 それは一瞬だった。

 私が武器を構えた瞬間が、開始の合図だったのだろう。

 一瞬で間合いを詰められ、斧による薙ぎ払いを受ける。心なしか先生の目の光が墓地に揺らめく鬼火(ルーメン)のように残像を残したような気がする。

 攻撃を往なし〈応戦〉しようとするが、相手の攻撃の方が何倍にも素早く、本能による防御で武器を用いて〈受け流し〉することしかできない。

 六尺棒は教師が振るった遠心力の込められた戦斧による破壊的な威力に耐えきれず、そのまま空高く上空に打ち上げられる。衝撃で前へと突き出した腕がジーンとしびれ、一瞬で両腕が無くなったかのような感覚に恐れ故か心臓が高く、強く高鳴る、速く脈打つのを感じた。

 先生はそのまま、2連撃目に移ろうと戦斧を振りかぶっていた。こんなのは基礎能力の試験なんかじゃない! 一方的な蹂躙だよ!!! 蹂躙(じゅうりん)!!!

 私も必死の形相のまま、歯を食いしばり2撃目を〈回避〉する。今の一撃で地面が抉れ、地面が地割れをおこす……! こ、殺す気だ……! この人、私を殺す気だ!!! クソが! こっちもゴーグルなんか渡してフェアプレイなんか気取っている場合じゃなかった! でも失明させるのだけは嫌だったのも事実だ! 転生して、前よりも平和的でマシな人生を送りたいだけなのに! クソみたいな人生が向こう側からやってくる!

 

「ひぇ……!!!」

「……!」

 

 次に私が取った行動。……それは逃走だった。

 丸腰の子供が、得物を持った本気の殺意むき出しの大人に勝てるわけがないのだ。もう逃げた。それはもう全力で。でも、後ろを振り返れば無表情なのに瞳に殺意が見え隠れしている紫先生が迫っており、そのまま斬撃を叩き込まんとする様子が視界に映る。もうあれは先生なんかじゃない。鬼だ。

 振り上げられた戦斧が風を切る音に合わせて、ジャングルジムの中に滑り込み〈回避〉を試みる。

 紫電一閃。模擬戦斧がジャングルジムに直撃。そのフレームが歪む。

 即座に背中に携えてあった電動ガンを手に取り、反射的に鬼気迫る先生の顔面を狙い発砲する。ゴーグルは付けさせているのだ。容赦はいらない。こんな攻撃で動きが止まるとは思えないが……。ここで頭部に銃撃が直撃し先生が降参宣言してくれなければ、他にこの戦闘が終わる考えられるのは…………私が死ぬこと以外で他に何かあるか?

 

ペチッペチッペチッ!

 

 弾丸負傷余裕です。と言わんばかりにBB弾を顔面に受けていく。

 あの……これは模擬戦ですが……人って心臓や頭のような致命的な部位に銃を喰らったら“死ぬ”んですよ。まぁ……私のように当たりどころによっては死なないと思うんですけど。

 やっぱり目前の鬼は私を殺しに来ているようだ。鬼には不利な地形であるジャングルジムに籠城する私を引きずり出そうと腕を伸ばす。そんな鬼へ弾切れになった電動ガンを〈投擲〉し、ヤクザの三下のようなみっともない動きで逃げだす。砂だらけになりながら、そのまま砂場に埋めていた先生のジャージを転がるようにして手にする。

 そのまま砂だらけのソレを第三の武器として、∞の文字を描くように振り回し始める。

 あたりに砂が散乱し、私と鬼の視界妨害を始めるが……想定通りだ。また袖には砂が仕込まれており、遠心力によって勢いづいた塊は袖を遠慮なく引き延ばす。

 その様子は目の前の鬼に効果てきめんのようだった。……塩でも詰めてやればよかった。彼女は引き延ばされるジャージの袖を見やり、怒りと焦りが混じったよくわからない形相になっている。

 砂を詰め鈍器となったジャージ、所謂『ブラックジャック』は初心者でも扱いやすいにも拘らず、その遠心力から凄まじい威力をたたき出す。前世では、作成さえできてしまえば即席最終兵器。そんな得物だった。今回は1袖分のみならず、2袖分を武器として振り回している。鬼が模擬戦斧で振り払おうと思えば簡単であろうが、何せ素材は鬼の宝物。無暗に薙ぎ払えば、今よりひどい状態になるのは明白だ。

 

「この……っ」

「フハ……フハハハハハ!!!

 

……ブンブン……ブンブンブンブンッッッ!!!

 

「ホラ、ホラホラ、ホラホラホラホラホラァ! いいんですかぁ!? 先生がそんな馬鹿力で武器を叩きつけたら、宝物がボロボロになっちゃいますよぉ!?

くっ……!

 

 私の言葉によって、正面の鬼は女騎士が見せるような悔しそうな表情( くっころ)をする。鬼のくせに生意気だ!

 ひとまずの形勢逆転した!

 このまま、相手が昏倒するか降参するまで、ブラックジャックと化した先生のジャージ(たからもの)を遠慮なく振り回し続ける。

 セリフが既に悪役のそれだが、入学初日の生徒の秘密を暴露し、殺しに来ている教師が正義の味方かと問われれば……それは違うだろう。世間一般的には勝てば官軍……とされているが、勝ってももう私のほのぼの学園ライフは帰ってこないのだ。この鬼のせいで!!!(血涙)

 

ブンブンブンブンッ!!! ……パシパシッ……

 

「……見切ったぞ」

「……!」

 

 ……ブチチチチッ……!

 

「……!?

 

 降参する前に鬼が私のブラックジャック捌きを見破り、掴み、そのまま腕力にものを言わせて取り返そうとする。引き延ばされるジャージ。響く糸が千切れる音。素人でもわかる紫先生の絶望と驚愕と悲哀の混じった顔。

 ……私は逃げた。それは、もういろんな意味で。幸い第四の武器は目の前にある。鬼がまた後ろについていることを恐怖で震えながら確認し————近い。さっきよりずっと近い。後ろ。真後ろ。真後ろの……ゼロ距離(真後ろ)にいた。その顔に余裕はない。復讐鬼のような顔になっている。腕が伸ばされる……。捕まる……っ!

 ——間一髪。こちらの方が早かった。そのままの速度で助走をつけ、走り幅跳びの要領でサッカーゴールに向けて天井枠へぶら下がりに〈跳躍〉で飛び掛かる。勢いづいた重量あるゴールは私の体重と勢いによって倒れ……。

 

「ソイッ!」

「ほぉうッ!!!」

 

 背後にぴったり近づいてきた鬼を押しつぶした。

 ……流石、初めての授業で戦闘訓練を始めてしまうような鬼教師。持ち前の反射神経で私の不意打ち攻撃を防いでみせる。……だがこの教師。鬼のような恐ろしさではあるが、しょせん人の子。今の不意打ちは確実に効いたはずだ。なんといっても100㎏ぐらいはありそうなサッカーゴールの枠だ。そこに約60㎏の私の体重も加算されているのだ。これを受けて平然と出来るわけがない。素早く身をひねり、わずかに開いた隙間から匍匐前進でゴールから這い出る。あの鬼が私に辿りつくには、サッカーゴールを引き倒して迂回するか、元に戻して迂回するか、サッカーゴールを持ち上げて、潜って、からまる網を私のように高速匍匐ムーブで避けるしかない。

 ……決着は付かないだろうが、時間は稼げるだろう。

 こちらは体育館内部に身を隠して、“準備”をしたのちにわずかに開けた扉から様子を伺う。

 彼女が降参してくれることを心壊れる! こころ壊れちゃ~う!!! おねえさんゆるして!と、期待して。

 

「……」

 

 先生は人の子じゃないのかもしれない。

 ゴリス・レッドフィールド……否。バケモノの子だったんだ……。

 何事もなかったかのように仁王立ちをし、片手で100㎏はあろう倒れたサッカーゴールを元に戻す。それから、今の衝撃でやっとへし折れた木製の戦斧も地面へ投げ捨て、体育館の扉の隙間からひっそりと様子を伺う私へ振り返り、指の爪を突き立てるような手の形と、眼球と歯茎がむき出しになるような狂気の形相で突っ込んできた。

 

 ……もう私には最後の手段しか残されていなかった。

 素早く首を引っ込めて、体育館の鉄扉と鍵を閉める。

 鉄扉を完全に封鎖したはずだったが、鬼は建付けの悪いふすまを蹴り飛ばしたように容赦なく吹き飛ばす。……なんなんだ、あの女教師は。

 私の記憶違いでなければ、この世界は凌辱ハードポルノゲームの世界だったような……? こんなギャグみたいな展開が、目前で発生するような世界だったの?

 

 ———しかたない……!———

 

 宙を舞う鉄扉を視界の端に映しながら、遠慮なく。片っ端から。体育館に設置された非常ベルを“すべて作動させて行く”。もう助かるにはこれしかない。これしかないんだと思いながら、すべてのボタンを殴りつけ、叩き割りながら乱暴に作動させて行く。鳴り響く非常ベル。開け放たれ準備の整った屋内用消火栓とホース。更なるこちらの奇行に少し我に返った様子で戸惑う鬼教師。

 

 

 それから大きく息を吸い込んで……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「火事ですっ! 火事ですッ!! ウー→ウー↑! ウー→ウー↑!!! 火災が発生しましたぁあああ! ウー→ウー↑! ウー→ウー↑!!! 火事だー! 火事だー! 火災が発生しましたぁあああああ! 火元は体育館となりますっ! 体 育 館!!! 避難して! 至急、避難してくださぁあぁぁ゙あ゙あ゙あ゙い゙! びぃな゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ッ゙ッ゙ッ゙!゙!゙!゙!゙!゙」

 

 

 

 

 

 狂ったように叫び散らし、髪を乱しながら、荒れ狂うオウムのように頭を上下に振り散らか(ヘッドバンギング)し、非常ベルと消火栓につけられていた無線機で館内放送を呼びかける。

 最後(わたし)()決断(英断)に唖然とした鬼の顔が、見る見るうちに事態の状況の把握と共に……青く。焦燥へと切り替わっていく。

 

「わ、わかった!わかった! この勝負、お前の勝ちでいい! もう十分——」

 

 ……だがもう遅い。もう来るところまで来てしまったんだ……。

 私が体育館に逃げ込んで、ひょっこりと顔を覗かせている段階で気づくべきだったな。

 今更、理性を取り戻しても遅いのだよ。

 

 地 獄 ま で 付 き あ っ て も ら う ぜ。

 

 

「ヴゥボ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙ッ゙ッ゙!゙!゙!゙」

 

 

 消火栓に備わったホースを手に持ち、炎をイメージしたフライグロウルなデスボイスを響かせながら、ノズルから濁流のように吹き出る白い薬液は動きを止めた鬼を吹き飛ばす。これが決着を知らせるコングとなった。

 

 ……もちろん、その後には私の起こした行動により警察関係者や、救急車、大量の消防車、五車学園全校生徒が校庭に集結することとなり……。

 

 ——あれは雪のような薬液が降った日だった……。

 

 私はスノーウーマンと化した鬼教師と、騒ぎを聞きつけた軍帽を被った全体的に美味しそうなブルーベリー色の服を纏う……一本鞭を手にしたSM系女教師に捕まえられ、共に学園長(校長)室へと強制連行(拉致)となったというワケだ。

 

 




~連行中(『青空 日葵』が拘束を解き 逃走したとき)のやり取り~
蓮魔(はすま) 零子(れいこ)「隠れても無駄だ。貴様の居場所は分かっている。大人しく出て来い」ツカツカツカ……

日葵(神葬)「わ、私が悪いって言うのですか? 私は、私は悪くなんかないですよ。だって先生が……紫先生が言ったんだ……そうだ、紫先生が全力でかかってこいって!」カサカサカサ!

蓮魔 零子「……そっちか」ツカツカツカ……

日葵(神葬)「(入学初日に)こんなことになるまで追いつめられるなんて想定してなかった! (上原さんを除いて)誰も止めてくれなかったでしょうっ!?」カサカサカサ!

日葵(神葬)「私は悪くない!私は悪くない……っ!!!」ブルブル……

蓮魔 零子「……続きは、校長室で聞く」ガシッ

日葵(神葬)「うぉぁ゙……!!! バナナ…!(ワナだ…!) こ、粉バナナァァァ(これは罠だァァァ)!!!(!!!)」ズルズルズル…



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode8+ 『で、この状況が生まれたってわけ』

 ……そんなことをしたら、もう目も当てられない状況に目を開けられるはずもなかった。

 両目を両手で抑えて、縮こまりながら震えた現場猫のような状態になる。

 

「……」

「「「……」」」

 

 沈黙だけが部屋を包む。

 

「……わかったわ。では、そのままでいいから話をしてもいいかしら?」

「お、おおおお願がががいしままます……」

「……今回、聞きたいことは2つ。まずどうして、非常ベルを押して学園中に『火事だ』と放送して、大混乱を起こしかねない嘘をついたの? 次に、なぜ紫を……紫先生を消火栓の薬液で吹き飛ばしたの?」

 

 どうしてって……。命の危険を感じた上で助かる方法があれしかないと思った以外にないんだよなぁ……。

 

「そ、そそそそそれれははは……」

「大丈夫よ。ね? 落ち着いて。私は怒りたいわけじゃないの。どうして、あなたがあんなことをしたのか、ゆっくりでいいから、事情を話してほしいだけ……それだけだから。……ね?」

 

 校長先生が発する優しい声色の温かい言葉を聞きながら、私は両目を固く閉ざしつつ片手をこめかみに当てて深呼吸を行う。確かに震えたままでは何も話すことはできないだろう。

 ……なんとか、落ち着いてきた。

 

「……むら……紫先生がいきなり、体育の授業で基礎能力を図るとおっしゃったんです。そして私に武器を半強制的に選ばせた後、明確な殺意を持って攻撃をしてきたからです……。この明確な殺意に関しては、クラスメイトにも聴取していただければ事の顛末を見聞きしているはずなので、私が嘘を話していないという証明になると思います。確かに先生の大切な宝物であるジャージの上着を武器に変えたのは謝罪します。申し訳ございませんでした……。ですが、あの場には他に代用できそうなものがなくて……。だ、だいいち!ふ、普遍的な女子高生が戦えるわけないじゃないですかっ! あの時!紫先生は、いったい何を考えていたんですか!? ……ぁ。……ごめんなさい。取り乱しました……。だから、だから……そう。一番扱いやすそうな先生のジャージを選んで……紫先生からは『好きな武器を選べ』とも言われてましたし、私の質問にも答えて頂けそうにもなかったから……そのジャージを武器へと代えさせていただきました……」

「……そう、そうなのね。話してくれてどうもありがとう。上着の件はもう十分よ。でも、私は……もうちょっと非常ベルを使用するに至った経緯の方も詳しく教えて欲しいわ」

「はい。……それで非常ベルを押し、紫先生を消火栓で吹き飛ばしたのは……。もう生きてこの学校から出るには、第三者の介入が必要だと思って……思ったからです。……現に先生たちは火元の体育館に来ていただけたでしょう?」

「えぇ、そうね。蓮魔(はすま)先生が到着したときには、そこに火元はなくて……狂ったように頭を振りながら絶叫するあなたと、仰向けに昏倒した紫が真っ白に染まって、体育館と同化していたのだけどね。……なるほど、そういう経緯で、ね。……でも、わからないのだけど……それなら、どうして直接、職員室に助けを呼ばなかったの?」

「それは……。紫先生が……変な話……その、不死身の鬼? のような存在? ……に見えて。ちょっと考えすぎなのかもしれないし、たぶん錯乱していたこともあるので……変なこと言っていますよね。ごめんなさい」

「……。いえ、いいのよ。そのまま続けて?」

「……他の先生については、私はまだよく知らないし……止められるかもわからない、誰に頼ればいいかわからない、わからない。わからないことだらけだったので……ひとまず第三者の警察に介入してもらって、保護してもらうのが確実かな……と思ったからです」

「……ふむ。そういうこと。そうよね、今日 入学してきたばかりじゃ分からないことばかりで、そうなるのも無理はないわ。……ありがとう。私が聞きたいことはこれで以上よ。もう帰っても大丈夫」

 

 校長先生もなるべく私を怯えさせまいと気遣っているのか、優しい声色で私の話に相槌を打ち話しかけてくれる。だが私は知っている。人はその気になれば、声色だけで人を騙すのだと。オレオレ詐欺がまさにその典型的象徴と言っても過言ではないし、世界には人間の声真似を行える怪物がいるのだ。人間に出来ないわけがない。

 それにしても、この校長先生からは……何か、あのナイ牧師と名乗る男とは別の方向性で、とてつもなく嫌な予感を……ひしひし……と感じるような……そんな気がしていた。

 

「は、はい。それでは失礼いたします……」

 

 私は目をつぶったまま立ち上がる。そのまま3人の気配のする方にお辞儀をし、校長先生たちが見えないように振り返ってから薄目を開き、まるでゾンビのようにふらふらと、床や障害物、そして扉を確認しながら部屋を後にする。

 

「……それと、これまでのあなたの性格に関する書類も見させてもらったけど、今日の事件は、あなたが気兼ねることではないわ。だから、もし、退学に怯えていたり……“転校”を考えているようなら、難しいことかもしれないけど……“気にしないでいい”のよ。……あなたは無限の可能性に満ち溢れている。あなたのような人には、この学園を統括する校長として、ぜひこの学園に通い続けて多くのことを学んで欲しいと思っているわ」

「……」

 

 部屋を出ようとする私に、校長先生の寛大すぎる言葉が聞こえるが、当然 ガチガチにおびえていた私に振り返る余裕などはなく、怯えながら小声でお礼を告げて部屋を出ることしかできなかった。

 

………

……

 

「はぁ……」

 

 校長室を無事に退出できた安堵から大きなため息が漏れる。まだ目をうっすらとしか開けることが出来ず、どこか視界が震えているように見える。視界に映るのは目に優しい色をした廊下ばかりだ。背後を振り返っても校長室の扉は固く閉ざされている。

 

「よ、よぉ……。その、大丈夫か?」

「……っ!」

 

 突然声が掛けられ、ネコのようにその場で〈跳躍〉してしまう。あわや天井に頭をぶつけかけるが、壁に手を付いて制御することで髪を掠めるだけで済んだ。床に着地するのと同時に目を見開き、いつでも全力疾走で逃走できるような姿勢で背後を振り返った先には……上原さんが立っていた。眉を八の字にし、非常に心配しながらも驚いた様子で、教室に置きっぱなしだった私の荷物を抱えている。

 また彼以外にも、鮮やかな淡い青髪で引き締まった身体をした遊び慣れている雰囲気の右目を閉じた褐色肌の男子生徒と、薄黄緑色の髪を毛先で結った黄金のはちみつ酒色の虹彩が輝やかしい……優しそうな顔をした爆乳の女子生徒が一緒に立っていた。

 

「あ、紹介するよ! こいつらは俺の親友のふうまと蛇子(へびこ)! ふうま! 蛇子! 彼女が今日俺のクラスに編入されてきた青空 日葵さん! 今日来たばかりで、まだ五車町のことも学園の事よくわからないんだって! 二人からも色々教えてあげてよ!」

「ふうま小太郎(こたろう)だ。鹿之助から話は聞いている。まぁ、その、なんだ……。そのぐらいのガッツがあった方が、この学校では過ごしやすいとは思う……ぞ?」

「日葵ちゃんっていうんだ! 可愛い名前だね! 相州(あいしゅう) 蛇子(へびこ)だよ~。これからよろしくね♪」

「くぎぬ……あ。あお、『青空(あおぞら) 日葵(ひまり)』です……初めまして、これから……お世話になります。どうぞよろしくお願いいたします」

 

 危ない。一瞬、本名が出かかった。

 あれ? ……ふうま? あれ……今ふうまって言った?

 ……でもなんだっけ? 思い出せない。どこかで聞き覚えがあるような気がするのだけど……。

 

「おいおいおい~! なんだよ~! そんなかしこまらなくても、こいつらはそんなに怖くないって!」

「わかる。わかるよ~。まだ緊張しているんでしょ? 転校して今日が初日だもんね~。そうだ! ねぇ! 時間的にも、そんなに遅くないし、稲毛屋に寄って行かない? あそこのソフトアイスクリームすっごく美味しいんだよ~! 日葵ちゃんも来てくれるでしょ? もちろん、おごってあげるからさ~! ねぇ、行こうよ~!」

「俺、それ賛成! あそこの白玉あんみつもモチモチしててうめぇんだよな!」

「今日初めて学校に来ていろいろあって疲れているだろうし、また今度でいいだろ。でも、どうする? 青空さん」

 

 せっかく、上原さんが私のために気を使って友人を連れて誘ってくれているのだ。ここで断るのは無作法というものだろう。私の答えは決まっているようなものだった。

 

「稲毛屋ですか……興味、あります……! ……行きたいです!」

「お、ノリがいいね~! それじゃ、着替えたら行こっか!」

「はい!」

「そうだ。これ教室に置きっぱなしだったから、持ってきたんだけど……。結構重いなぁ。何が入ってるんだ?」

「嗚呼! いつまでも持たせてすみません。……大したものじゃないですよ。暇つぶしに読む本でして……『新クトゥルフ神話TRPG』という本なのですが……」

「あぁ、それ俺も読んだことがあるな。図書館にその本があって借りたことがある」

「えっ!そうなんですか!?ということは、ふうまさんもTRPGに興味がおありで?!」

 

 ま、いっか。そのうちに思い出すでしょ。

 

 




~あとがき~
 五車“学園”なのにオリ主を含めて全員が学園長ではなく校長と呼ぶ、自称するには訳があります。
 実は対魔忍RPGに登場する対魔忍達は、誰一人として学園長のことを学園長なんて呼びません。生徒はおろか、教師、学園長ですら“校長”と発言します。

 オリ主は学校にしか通ったことがないので、学園長という単語が思い浮かばずに校長という単語を用いている次第です。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode9+ 『“ただの一般人”』

「……ありがとうございます……

 

 終始、彼女は私達に怯えた様子で、目を閉じたまま部屋を後にした。

 ……校長室の扉の方を振り返えり、うっすらと目を開けて出口までの障害物を確認しているが、話す間……一度たりとも“こちら”を見ようとはしなかった。

 

………

……

 

 『青空 日葵』が退室した後 この部屋に残されたのは、私の妹であり教師……今は忍法で影の内部に身を潜め待機している『井河(いがわ) さくら』。そして、今回『青空 日葵』の動向を探らせ、結果的に消火栓の薬液まみれとなった教師『八津(やつ) (むらさき)』。そして校長である私『井河(いがわ) アサギ』の3人だけとなった。

 まずは変装を解き、私は一般人の女性の姿から本来の姿へと戻る。さくらは影の中から姿を現わした。……『青空 日葵』は終始目を閉じたまま、私の顔を見ることに怯えており、この変装をせずとも対応は可能そうであった。しかし、念には念を入れておくことに越したことはない。彼女はあのビルで私とさくら、2人の顔を見ている。私達の顔を見るや否や、状況に気が付いて取り乱す可能性もあった。

 

「さくら。あの子を見ていて何か思うことはあった?」

「ん~にゃ? 私の見る限りでは、あの子……。お姉ちゃんが考えているよりも……普通の女の子じゃない? 確かにビルでのテロリストと対峙していた時は、同一人物とは思えないぐらいに勇ましかったけどさ……。今はもう、あんなにがっちがっちに震えちゃって……見ているこっちが寄ってたかって虐めているみたいで、ちーとばかり、いやーな感じだったなぁー……」

「ん、そう思ったのね。協力してくれて、ありがとう」

 

 机上に置かれたお茶の入ったマグカップを手に取り、一口飲む。この妙に緊迫した部屋で朗らかな気分になるような香りが鼻孔を包んだ。

 

「でも、さ。……彼女、むっちゃん*1の事を『不死身の鬼』に見えたって言ってたよね? あれってさ、どういうことなんだろうね? どうして、むっちゃんの特性を知っているのかな?」

「いつも幸せそうなマヌケ(ヅラ)をしているさくらにしては、よく気が付いたな」

「それぐらいなら私にだって、わぁー!かー!りー!まー!すぅー!」

 

 そう、確かに2人のいう通りだ。……彼女は謎が多すぎる。

 だが米連や中華連合、ノマドが用意した対魔忍に対する諜報員や工作員にしては間抜けすぎる振る舞いが目につく。

 特に占拠されたビルの屋上で、彼女は私達の姿を見て躊躇なく“対魔忍”であることを看破していた。その情報は闇の住人と共謀していたあのテロリスト達ですら、私達の素性に関して知らなかった様子なのに、だ。それを一瞬にして暴いて口に出してみせた。

 普通、私達に対する潜入諜報員・工作員であるというならば、身分や本性を隠して不幸な被害者として近づいてくるものではないだろうか? あえて情報を漏らして、こちらの気を引いたという線も考えられるが……。

 このように正体を疑われる危険性を持たれるぐらいならば、主に米連で諜報員として活動している対魔忍:霧原(きりはら) 純子(じゅんこ)のように良好的な関係を築きながらも水面下で探り合いをする方がよっぽど効果的なようにも感じられる。

 

「——ふむ……」

 

 しかし既に政府関係者の筋から手に入れた情報によると、“それはありえない”という。

 また魔族だという線で考えても魔力を一切感じられないし、何かが憑依している様子もない。それでも、何か彼女からは素性と得体のしれない違和感があるのは間違いはない。

 

「紫。ずいぶんと入学の初日から無茶をした様子だけど……あなたの見立てでは、『青空 日葵』の評価はいかがかしら?」

 

 それから一呼吸を置き、口元が緩んだ紫に向き直って探らせていた情報の整理に移った。

 その探らせていた対象とは、もちろん『青空 日葵』についてだ。

 

「そうですね……。危機的状況でも忍法の発動が見られないことから、ふうまや一部の学生対魔忍のように忍法の覚醒に至っていない可能性が現状極めて高いかと。近接戦闘を試みた観点からでは、彼女の腕力や脚力、体力に関しては一般人の女子高生とさほど変わらないように思えます。ただ……——」

 

 紫は眉をひそめ、怪訝な様子でこぶしを造った右手の人差し指を口元に当てて、考えるようなそぶりを見せる。彼女も『青空 日葵』に違和感を抱いた様子だ。

 

「ただ?」

「“ただの一般人の女子高校生”にしては、……実戦慣れし過ぎているかと」

 

 まさに、その通りだった。

 学内に設置されている監視カメラの映像を振り返っても、最初の武器を紫にはじき飛ばされ、2撃目をまぐれのように避けた後の彼女の逃走の動きには迷いがない。そして瞬時に紫の武器の特性を見極め、どこに逃げ込めば安全地帯か判断しているようにも見える。

 それに初撃で武器が弾き飛ばされたとき、彼女は自分の腕を正面に突き出して、手のしびれを確認していたが……同時に紫の得物から片時も目を離していないのも印象的だ。

 “ただの一般人の女子高生”がここまで出来るはずがないのだ。本来であれば、武器を弾き飛ばされ衝撃と攻撃に対する恐れで足が思うように動かずに蹲ってそれで“おしまい”だろう。

 だが『青空 日葵』は、その2撃目を回避して見せたあと、ジャングルジムでの籠城戦へと移行した。持っていた拳銃が紫を止める手段にならないと判断したあとは、即座にブラックジャックを拾い上げに向かい防御から一転攻勢へ。紫を意図的にサッカーゴールの方へ誘導している。紫もそれを承知の上で誘導に付きあっている様子ではあるが……。

 ……そもそも、紫を煽る意味があったとしても、どういう発想をしていればあり合わせの道具でブラックジャックを造って振り回そうという思考に至るのかも理解ができない。

 

「まさか、サッカーゴールを武器としてくるなんて……」

 

 消火栓の薬液まみれになった紫が、バスタオルで薬液を拭い落としながら私の隣に立ち、映像記録に記録されている彼女の立ち振る舞いを苦笑しながら見つめている。

 ……下級魔族や一般人相手であれば話も変わってきただろうが、紫も対魔忍だ。この程度の不意打ちであれば、彼女は難なく往なすことはできる。だが、映像記録を見る分では『青空 日葵』はあくまでもサッカーゴールでの攻撃は陽動で、本命としては “体育館に逃げ込むまでの時間を稼ぐ” ことだったようにも見える。

 

「……消火栓についてはどう思うかしら?」

「はい。……そうですね……。大半の人間は、本人の意図しない非常事態の状況下で周囲に助けを求める場合、これが大人であっても 大声で“助けて”と命乞いをするものが殆どです。それは、アサギ様も十分ご存じかと思われます」

 

 紫の言葉にこれまでの経験を振り返って、深くうなずき返す。

 ……私も校長の座に就き若手を育成する前は、若き対魔忍として様々な任務に就いては魔に加担し外道の道に堕ちた科学者や悪徳会社の社長を闇に葬ってきた。時には目に余る行為が過ぎた高級娼館を営む魔族を全従業員もろとも潰したことすらある。その時、追い詰められた大抵の人間やオーク達は口を揃えて、大声で周囲や私に助けを請いて来た。

 

「……しかし実際には、そのやり方では効果が薄く……金も絡まない、ましてや自身に対して一切の利益を見い出せないような状態で、助けてくれるものが現れるのは極めて稀な例ではあります。……ですが、彼女はどのようにすれば、 “他人が自分に注目を集め 助けに来てくれるか” 、なおかつ “救助が到着するまでの間 どのように自分を護り切るか” も視野に入れて動いています。……本当に彼女を“ただの一般人”、“普遍的な女子高生”として見てもよいものでしょうか? 大人でも難しいことを命の危機に瀕している状態で、そう実行できるものでしょうか?」

 

 ……あの場で彼女は火事という手法を取った。

 『火事だ』と叫べは、それ以上の延焼を避けるために当然その周囲の人間は現場へ確実かつ即座に集まってくる。やがて騒ぎを聞きつけた野次馬も続々と現場に集まってくるだろう。そして事態の収拾をつけるため出動した警察や消防といった公的組織すら多数の味方/中立者として呼び寄せられる。

 それがのちに法で罰せられるような行為であろうとも、考え方によっては法外な仕打ちに面するよりはよっぽどマシな選択であるようにも思える。

 おまけに自身に対する追跡者に、時間稼ぎとして消火栓を起動させ武器にして時間を稼ぐ。別に逃走や相手を打ち倒す必要など不要なのだ。一定時間経てば強制的に勝利の確率は跳ね上がるのだから。

 

「さすが紫、十分すぎる情報収集をどうもありがとう」

「嗚呼♡ アサギ様☆ ありがとうございます! もっと褒めてくださいませ、紫はアサギ様に褒められればいくらでもこの命を賭して命令を遂行して見せます!」

「それは嬉しいわ。でも自分の身体は大切にしなさい。今回の情報収集のお礼で、私のお古の洋服で良ければいくらでもあげるから、……今回の件で大暴れした『青空 日葵』の事も許してあげてね?」

「アサギ様の新しいお召し物をお譲り頂けるのであれば、当然です!」

 

 はわわわわ……♡ と身をくねらせ歓喜の表情に包まれる紫はさておき。

 『青空 日葵』について政府機関に調査させたファイルを私は再び開く。

 彼女の正体をこの学園で暴き、敵対勢力に該当しない場合は、引き続き監視し、学園生活で善の立ち振る舞いが見られる場合には能力に応じて、正式な対魔忍への勧誘および教育を施す予定だ。

 ……早ければ早いほど良いだろう。学園生活 最初の期末試験が終わるまでには、彼女の素質を見極め一般人ではなく対魔忍になってもらうつもりだった。

 

 

*1
八津 紫の愛称




——知っているか? 対魔忍からは、逃げられない!

 そういえば、対魔忍RPGの7月のイベントでは新たに霧原 純子の水着キャラが登場しますね!
 SRがリリムと人外のお諒だとして、霧原さんはRがいいなーと思ったり。


――新しい情報が開示されました―――
□『青空 日葵』 New!!!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode9-EX+ 『□『青空 日葵』』

報告文書
筆者:内務省公共安全庁 調査第三部<セクション スリー>諜報部、井河アサギ

□『青空 日葵』⇦
┣□『青空 日葵[あおぞら ひまり]』
┣□『趣味・嗜好』
┣□『疾病・既往歴』
┣□『中学生時代』
┣□『両親について』
┣□『研修会場で所持していた本について』
┣□『テロリスト襲撃時の動き』
┣□『ギンピーギンピー』
┗□『気になること』




□『青空 日葵[あおぞら ひまり]』

性別:女性  年齢:15歳  誕生日:9/16

血液型:B   身長:162.3㎝  体重:57.7㎏(BMI 21.9(適正体重))

性格:大人しい、優しい、両親想い、我慢強い、消極的

趣味・嗜好:読書、オカルト

疾病・既往歴:現在は特になし。幼児初期に喘息の罹患歴あり

得意科目:世界史、英語、情報

苦手科目:数学、理科、体育

中学時代:

 友達は一人もおらず、いつも屋上の階段裏や図書館の隅で物静かに本を読んでいたとのこと。運動神経は良好ではなく、長距離走を除いて常に体育の授業では5段階評価中2と悪かった。教師の話では運動面だけで見るのであれば、評価は1にも等しいとの情報を得られている。

 また中学2年時にいじめられた経歴があり。顔に青あざが起きる程度の負傷をし、両親が学校側に指摘するまで明るみに出なかった。このいじめに関しては教師を含め学校側も黙認していたとの情報が同級生から得られている。見舞品として贈られた千羽鶴が入院中の病室のゴミ箱に破棄されており、折り鶴の内部に死を示唆する内容が記されていた。いじめはその後も陰湿な形状に変化して続いていた様子。

 

 

□『両親について』

父:『青空(あおぞら) 源太(げんた)

 警察庁に務める警察官。元軍人。陸上自衛官として従軍した経験あり。台湾危機の際には、沖縄県へ進行してきた中華連合から国民を守るために派遣されている。米連との共同作戦で、民間人に危害を加えていた中華連合との交戦経験あり。

 警察官としての現階級は警視長。これまでに表ざたになるような犯罪歴はなく、裏のつながりも特に見つからず。緊急時を除き仕事とプライベートをしっかりと分ける質で、休日はよく 家族を連れて国内旅行に出かけていたとの記録あり。

 最近の活躍は、テロリスト襲撃時には機動隊に混じって突入し、拳銃のみで6名のテロリストを無力化。また裏でノマドと内通、隠蔽工作を行っていた警察関係者を法の下で裁くなどの行動力を見せる。

 正義感と行動力のある家族思いの父親であるようだ。

 

母:『青空(あおぞら) 八雲(やくも)

 元エンジニア、現専業主婦。機械整備が得意で、自力で故障した冷蔵庫や水道を修理するほど。

 夫である『青空 源太』とは、彼が自衛隊に所属していた頃、自衛隊車両が突然のエンジンストールを引き起こす。隊に所属する整備士も修理できないトラブルではあったが、偶然 通りがかった『青空 八雲』が修理したことをきっかけに知り合う。その後、交際に発展し、結婚。

 また『青空 日葵』が事件に巻き込まれてからというもの、精神状態が不安定となり家族には秘密でメンタルクリニックに通院している。『青空 日葵』が入院中、医師との会話から、彼女には『青空 日葵』が別人であるように感じているとの発言が多数 見受けられる。家族の前では気丈に振る舞っているようだが、ノイローゼの傾向が見受けられるとの診断結果が出ている。

 

 双方の戸籍や親族を徹底的に洗い調査するも、不審な点はなし。模範的で悪に手を染めたこともない善良な一般家庭である。

 

 

□『研修会場で所持していた【本】について』

 テロリスト(東雲革命派)が占拠した際に、青空 日葵が屋上にて『魔族・魔獣言語で記載された本』を所持していたとの被害に遭った学生の1人から情報提供あり。

 本人いわく、露店の古物商から購入したそうだが、詳細不明。要調査案件。

 また話し掛けたとたん、その場から早急に立ち去ったそうだが、その後の消息はトイレに入室し、12時間 トイレ内へ籠っていた様子が監視カメラ映像に記録に残されている。

 本件は『ふうま小太郎』に調査を指示。内容の確認及び、可能であれば書物の入手予定。

 

 

□『テロリスト襲撃後の行動』

 12時間の潜伏している間、自動小銃を所持した東雲革命派のテロリストがトイレ内部に立ち入った様子があるが、特にその時には発見されていない様子。但し、現場検証結果よりテロリストはトイレ内で乱射したようであったと記録にあり(彼女は“無傷”で潜り抜けている)。

 その後、トイレから退室。非常階段でテロリスト3名を“返り討ち”にし、装備を剥ぎ取り、笑いながら屋上へ出る様子が記録として残されていた。

 屋上では監視カメラのケーブルを切断し、物陰に隠れる様子が記録されている。また当時、監視カメラをハッキングしていた東雲革命派を煽る目的として、したり顔で微笑を浮かべウィンクしながら投げキッスをしている様子が映し出されている。

 屋上に上った直後では、しきりに高層ビルから身を乗り出して地上の様子を確認する記録に残されている。(投身自殺を考えていた?)

 

 対魔忍が屋上に到着。『井河アサギ』『井河さくら』『水城ゆきかぜ』推参。

 15分ほどで展開する全テロリストを片付け、その様子を大型室外機の影から覗く様子が破壊し損ねていた監視カメラに映されていた。

 その後、潜伏していたテロリストに人質にされる。

 対魔忍が武器を捨てようとしたところで、錯乱した様子でテロリストに何かを叫ぶ。テロリストは一時的に怯むも『青空 日葵』の頭部に突き付けていた銃口を肩へ向けて一発発砲。負傷した腕とは反対の腕で、鹵獲した銃をゼロ距離で撃ち合い、昏倒。その隙に『井河さくら』が最後の東雲革命派の残党を刺殺。

 『井河アサギ』が緊急手当てを行なうも状態の安定にはならず。『相州 蛇子』の『癒しのタコ墨』を投与し一時的に症状を安定化させる。駆け付けたドクターヘリで救急搬送となる。

 

 のちの調査で『水城 ゆきかぜ』が『初対面であることは間違いないが、何処かで出会ったことがあるような気がする』と彼女について言及する様子があったと、帰還中の対魔忍同士の会話記録より確認される。

 

 

□『ギンピーギンピー』

 彼女が発言した言葉。“すり込む”と発言していたことから、何かの薬品と思われる。

 この名称を持つ物体について検索をかけるも該当する結果はゼロ。

 のちの病院での事情聴取でこの名称について本人に直接、探りを入れるも記憶が混濁しており有益な情報を得られることはかなわず。(当初、錯乱しており適当な内容を口走った可能性が高いと調査部は考えている)

 ↑それにしては、当時の事件状況をレコーダーで振り返ると 怒りに打ち震えながらも、極めて冷静に対象に恐怖を与えるような言葉を選んで恫喝していることが分析結果で判明。

 

 

□『特に気になること』 筆:井河アサギ

 彼女の一人称は『私』であるが、テロリストに人質として取られた際。彼女は自分自身のことを流暢に『俺』と呼称する様子が見られた。

 のちの学校や両親への事情聴取では、乱暴な言葉遣いはおろか、彼女が自身を『俺』と呼称したことは1度たりともないことがわかっている。

 経過観察を行った医師の診断では解離性人格障害の症状は見られていない。以前の性格から人が変わったような状況であるが、医師の判断としては一度、死に直面したことによる人間に見られる症状でもあるため、本件に魔族的要因が絡んでいるのかは不明。

 また彼女は対魔忍である私達ですら一瞬、動揺するような揺さぶりをかけたのちにテロリストへ説得を試みた。この時、彼女は私たちのことを特殊部隊ではなく“対魔忍”と呼称している。

 対魔忍は秘密組織だ。一般人の女子中学生が知り得る筈のないものだ。

 ゴースト(死霊)やスピリット形態の妖魔の類が彼女に憑依している線で一通りの調査も行ったが、彼女は依然として人のままであることしかわからなかった。

 また米連に諜報員として派遣されている霧原(きりはら) 純子(じゅんこ)による情報からも『青空 日葵』に関する情報が得られることは微塵にも存在しなかった。

 

 そして今回の『八津 紫』の特性を見抜いたこと……。

 現状。米連でも、中華連合でも、ノマドでも、魔族でも、何物にも属していないこの一般人について、私たちは早急に調査する必要がある。

 

 




~あとがき~
 前回は途中で誤投稿してしまったそうなので、リメイク版では初投稿です!

 ギンピー・ギンピーに関しましては、私たちの住む現実世界に実在するイラクサ科の被子植物となっております。ご興味をお持ちの方がいらっしゃられましたら、調べてみると情報が見つかると思います。
 また この植物は『Episode-Null』でムーンビーストも使用していましたが、使用するきっかけとしましては、ギンピーギンピーの別名には『ムーンライター』との名前を持つことからムーン繋がりで使用しました。

~+での変更点~
 霧原 純子お姉さんが情報筋に加わりました!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3章+ 『日常と違和感』
Episode10+ 『welcome to 修羅学園覇道ライフ』


 入学してから早くも約1週間が経過した。

 現状、私にとって最高に〈幸運〉で、目標としている達成できた嬉しい事柄は、『対魔忍の世界なのに対魔忍とは一切関わらず、今のところ順調に五車学園で学生生活を満喫出来ている』ことだろう。

 ま、学生生活と言っても、入学初日に起きた事件のせいで思い描くような2度目の学生生活は半分破綻してしまっているようなものだが……。

 

………

……

 

 私に直接話しかけてくるようなクラスメイトは、上原くんを除き存在しなくなってしまった。……興味は持たれている。……持たれているのだが……あくまでもこちらから直接話しかけるまでは、ずっと遠巻きから眺めている状態だ。幸いにもいじめられてはいないとは……思う。話しかければちゃんと返してくれるし、無視されているわけではない。ただ遠巻きから眺めてくる。……ただ、それだけ。

 ……それなのに、周囲は私に注目を寄せているような状況であった。ここ約1週間、授業の合間や昼休みに別のクラスの生徒はおろか、中等部の生徒や上級学年の生徒、教員までこぞって私を一目見にやってくるのだ。……窓の外を眺めたり、私の説明書である読解が難解な『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG』を読んだり、上原くんとくだらない話に話を咲かせて、聞かない、気にしない、ドラゲナイするようにはしているが……。 見物にやってくる連中が大体クラスメイトに私の名を出して尋ねていることで、ようやく慣れてきた私の名前がカクテルパーティー効果によって嫌でも聞こえてくる。

 注目を浴びている件に関しては、これは自意識過剰ではないと断言できる。

 

「…………なぁ、青空さん。難しいことかもしれないけど、あんまり気にしない方がいいぜ? その……外の野次馬とかさ」

「……人の噂も七十五日とも言いますしね。わかっています。……ですが、噂には尾ひれ羽ひれが付くものとはいえ……『校長先生を人質に取って脅迫した』とか、『サッカーゴールを片手で持ち上げて紫先生と互角に渡り合った』とか、挙句の果てには『非常ベルを拳で連打して、非常用の無線機をマイク代わりに“ヘッドバンギング”しながらグロウルシャウトの利いたデスボイスをまき散らした』なんて噂が何故 立っているのでしょうか? 最後の噂なんか妙に詳細過ぎて明らかにクラスメイトの誰かが漏らしたとしか考えられないのですが」

 

 クラス内をぐるっと見回す。半数以上がこちらを見ている。見ているが、目があったとたんに顔ごと目を背けていく。

 ……この前のアレは不可抗力だった。ああしなければ、私は今頃死んでいた。仕方なかったのに。みんななら、あの状況をどうしたと言うのだろうか……そもそも、基礎能力を測るからと言って教師が生徒に力比べを挑むとか、国体出場したことがある部活の洗礼ぐらいなものだろう。

 ……これは、この世界では普通なことなのだろうか? 建前では超科学がハッテンしています! 魔族とか異種族がいるよ! でも本音はパワーこそ力だよ! を掲げているのだとすれば、とんでもない世界へ転移・転生してしまったものだ。力こそパワー!

 絶対的な力を持つ、強者だけが世界を牛耳るような世紀末世界なんてFalloutや北斗の拳でしか知らない。……もうそんなことなら、水商売をしつつ〈日本語〉でナニニシマスカ?というヌードル生成器や聖帝の足を絶対に刺すターバンのガキになるしかない。

 

「……参考までにお聞きしたいのですが、紫先生と対峙することになった場合。上原くんなら私のような状況に陥ったら、どのように対処していましたか?」

「そうだなぁ……。俺だったら、たぶん泣きながら逃げてたと思う。だって青空さん、紫先生と対峙してどうだっ「ぶち殺されるかと思いました」

「……だろ? 俺たちがあの人を1人でなんとかするのは無理だって……。……でも、青空さんはその1人で何とかしちゃったんだよなぁ。あれは率直に言って “すげぇ” と思った」

「青空さん、居るか?」

「お、ふうま! 青空さんなら、ここにいるぜ!」

 

 そんな時、教室の入り口からふうま君がひょっこりと顔を覗かせる。今日は彼に、この五車町で最も巨大で学園に備え付けられている図書室へ連れて行ってもらう予定なのだ。ついでにそのまま授業をサボる予定である。

 

「それじゃ、上原くん。また6限目ね」

「あれ? 5限目は?」

「先生には、昼食が当たってトイレで神を握って祈ってるとでも言っておいて。紙だけに」

「わ、わかったよ」

「授業のことで、わからないことがあったら渡した資料も併用してみて。たぶん、あれがあれば教師の話も分かりやすくなると思うからね」

 

 『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG』と『新クトゥルフ神話TRPG』の入ったカバンを持ち席を立って、上原くんに手を振る。

 ふとここで気が付くことがある。私を覗きに来た女子生徒たちの大半の視線が、ふうま君へと移っていることだ。まぁ、彼は身長も高いし美男であるとは思う。私も彼の顔は好みではある。上原くんには劣るが。

 ……健康的な肌の色に引き締まった身体、澄ました顔。これは『ふうまファンクラブ』のような何かありそうな予感がする……。

 

「お待たせ」

「問題ない。図書室はこっちだ」

 

 彼に連れられて教室を出る。余程、異色な組み合わせだからだろうか。私とふうま君が他の生徒とすれ違うたびに全員が振り返っていく。……異様な光景だ。こんな光景はシンデレラの絵本でしか見たことがない。

 ……だが私には一つの懸念が浮上した。これは私の憶測にしか過ぎないが、仮に『ふうまファンクラブ』が存在・実在する場合。彼と二人で歩いているのをこれ以上見られることは、誰かしらから反感を買いかねないだろう。

 そこで私が取った行動は——

 

「……何しているんだ?」

「気にしないで。諸事情でこうする必要があるんです。気になるようなら、距離を取って頂いても構いません。しっかりと後ろからついていきます」

 

 『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG』と『新クトゥルフ神話TRPG』を両手に抱え、カバンを頭に被ったのだった。blood borne(ブラッド ボーン)の暗くトロけた脳液を欲する『アデライン』スタイルである。

 こんなこともあろうかと、カバンには穴をあけており、その隙間から周囲の様子は見渡せるように改造を施してある。

 正直、バカみたいな行動だが、人気者のふうま君と歩いていた非常ベルを連打する女として他の生徒に記憶に残るぐらいなら、人気のふうま君と歩いていた頭部がカバンの異形頭としてちょっと話題になった方がマシであるし、私の非常ベル連打事件のうわさが霞めばいいと思っていた。

 

………

……

 

——図書室————

 

……

 

「ここが図書室だ」

「ありがとうございます。おかげでゆっくりと調べものができそうです」

 

 周囲に誰も居ないことを確認してから頭部に被っていたカバンを脱ぎ、ふうま君に頭を下げる。二酸化炭素が充満したカバンに籠もっていた湿気と温度により髪が若干肌にくっついてしまったが、手櫛で整えてクリアファイルを団扇のように扇いで自然乾燥を促す。

 

「ちなみに青空さんは、この学園の図書室でどんな本を読むつもりなんだ?」

「そうですね……ひとまず、一週間前にふうまさんから聞いた新クトゥルフ神話TRPGのルルブを探して読むつもりです」

「もうその書籍を持っているのに、同じ本を読むのか?」

「はい。私の持っているルルブは、発行年が古いものなので……もしも図書館に置かれているものが、現在のものよりも新しくエラッタなどが公開されて修正されている部分があればルールを書き足そうかなーと思っています」

 

 とは、彼には伝えたものの。

 実際には、この世界にある『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG』と『新クトゥルフ神話TRPG』のルルブが、私が読んでいるものと同一のものであるか調査を行いたいのが事実だ。

 ナイ牧師は、この書籍は私の説明書だと言っていた。既存の販売物と比較することで、何か新しい発見があるかもしれない。そう思ったのだ。

 

「そうか……あの。もしよかったら、一緒に読んでもいいか「ごめんなさい。私、本を読むときは1人じゃないと落ち着かなくって……」

「……それは残念だ。本を借りるときは図書委員さんに色々聞いてみてくれ。短気だけど、きっと力になってくれると思うから」

 

 そういって彼と別れた。すまないな。この書物だけは他人に見られてはまずいのだ。

 ……『青空 日葵』の所有する書物は、いずれも他人に見られてはまずいものだけど……。

 

………

……

 

「……っ」

 

 彼を見送った後、重厚な図書室の扉を開け中に入る。

 そこは明らかに賑やかな教室からは一変して、静寂の中に本を捲る音。そして油断をしていると風邪を引きそうなほどの図書室外との“温度差”に気が付く。

 建物の構造としては、4階の吹き抜け廊下が入り口から見え、図書室という閉鎖的空間であるにも関わらず、吹き抜けを使用した部屋のつくりにすることで開放感がある。膨大な本の量から図書館と呼んでしまっても差し支えがないほどに広い。これにはもニッコリである。

 初めて訪れる場所であるため、少しでもよいイメージを残そうと、まずは受付カウンターで軽い挨拶をする。内側に座る “図書委員(このハゲ)” さんは私の事をジロリと睨むような怪訝な眼差しで見るも、こちらがこの前入学してきたばかりでシステムがわからないと伝えるとざっくりと説明してくれた。

 さっそく本を探しに行こうとする私に図書委員さんは

 

「非常ベルは、各階層の突き当りにあるが……火災時以外では押さないでくれよ……」

 

 すれ違う私へ向けて、ボソリと奴が呟いたのを私は聞き逃さなかった。思わずこの発言に眉間にしわが寄る。緩やかに視線を図書委員さんに移し、一週間前の紫先生のような視線で睨みつけるも、あちら側もジロリとした敵意のある目で一瞥した後、本を読みに戻ってしまう。

 

(このやろう……贅肉に消火器の粉を吹きかけて『ゆきだるま』にしてやろうか……ッ!)

 

 内心ではそんなことを思う。その反面、ここまで噂が広がっていることに驚愕する私が居た。やっぱ、グンマーの僻地(田舎)って怖いなと思いました。

 

 ——だが、悪夢はこれだけでは終わらない。

 ……翌日、私の噂が、頭にカバンを被り、ヘドバン(ヘッドバンギング)して、非常ベルを連打して、デスボイスで紫先生を脅した生徒へと噂が魔改造されるとは……この時の私は予想だにもしていなかった……。

 

 




~下校の最中~
日葵(神葬)「おかしい。私の親から遺伝した〈変装〉は決定的成功(ファンブル)だったはず……」

上原 鹿之助「うん……。あのな、青空さん。青空さんは知らないのかもしれないけど、持ち運ぶのも一苦労な分厚いTRPGのルルブを常日頃から2冊も持ち歩いている人って青空さん以外にいないんだよ……」

相州 蛇子「日葵ちゃんさ……他学年の生徒が覗きに来るって嘆いていたけど、その時そのTRPGルルブ読んでなかった? 多分、日葵ちゃん=TRPGルルブを読んでいる子ってイメージが定着しちゃっていると思う……」

ふうま小太郎「廊下の途中で堂々とナチュラルにカバンを頭に被ってなかったか?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode11+ 『居るはずがないモノ』

 当初の目的は達成した。

 結論から言うと。私があの男……、ナイ牧師から説明書として受け取った

CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG』と『新クトゥルフ神話TRPG』は、この世界で販売されている『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG』と『新クトゥルフ神話TRPG』は別物だ。

 説明書として譲渡された書物には魔術や選択ルールなどが記載されているが、私がこれまでに遭遇したことのある神話生物の類の情報が一切記載されていない。しかし、販売・配布されているルルブ一式には、説明書で記載されている魔術の情報が大幅に異なり、さらには神話生物らしきエネミーデータが記載されていた。

 また説明書に記載されている魔術一覧だが、その中には私が既に習得している魔術が記されている。

 このことから私の説明書に記載されている“魔術”は、【2週間から12週間の訓練を行い理解に至る】ことができれば、本当に扱えるようになるかもしれない。しかし、魔術の多用は狂気への大いなる一歩となりかねないし……何よりも対魔忍に目を付けられるきっかけになり得る。私はこの世界では対魔忍と関わらず、ごく普通の生活をしたいのだ。

 だが対魔忍に目をつけられておらずとも、時と場合によってはオカルトや呪法、禁術等に頼らずに生きていかなければならない。それくらい出来なければ一般的な生活なんて望むべくもない。……どうしても使用するというのならば慎重に運用しなくては。

 その他の情報として、この世界のクトゥルフ神話TRPGには『サプリメント』なるTRPGを楽しむうえでの拡張情報も販売しているようである。流通がなくなる前に通販で購入してみるのも悪くはないかもしれない。

 気が付けば、6限目も『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG』と『新クトゥルフ神話TRPG』の相違点の解析に時間を当ててしまっていた。

 本当にこれらのルルブは、真面目に解読を始めると時間が消し飛ぶのが早い。

 

「(6限目は古文だったっけ……上原くんに学んだ教科書の範囲を教えてもらって勉強すればいっか)……っと!ごめんなさい!」

 

 本を元の場所に戻し、出口へ向かおうと振り返った直後、誰かと“ぶつかった”ような気がして反射的に謝る。しかし、謝罪したところに誰かがいる様子はなく、図書室の出入り口から見える廊下にも人影すら見当たらない。

 今、確かに誰かとぶつかったような気がしたのだが……。首を傾げ片目を瞑り後頭部を掻く。色々と疑念は尽きないが、これ以上 特に用もなかったため図書室を後にした。

 

………

……

 

 帰りのホームルームを済ませ今日も上原くん、ふうま君、蛇子ちゃんと一緒に帰路につく。今日も昨日と変わらない他愛もない日常的な会話をしながらの下校。

 

「結局、6限目も帰ってこなかったよなー……そこまで熱中できる本だったのか?」

「はい。なんといえばいいでしょうか。読めば読むほど、物語に没入できると言いますか……賢くなれるような気がすると言いますか……とても楽しくて……」

「ふーん……。俺、あんまり漫画以外に本とか読んだことないんだけど……。青空さんが、そこまで言うなら俺も読んでみっかなー」

「おっ! 上原くんもこっちの道に来ますか!? いいですよ! その気なら勉強以上に手取り足取りお手伝いします! 世界を共通して、皆で世界を広げるゲーム。それがTRPG……TRPGはいいぞ……いいぞ……

「日葵ちゃんって、この手の話になると目がいつも以上にキラキラするよね~。こうも楽しそうにされると蛇子も気になっちゃうな~!」

「TRPGは気の合う友達といつも以上に楽しい時間を過ごせて、なおかつ年齢層関係なくみんなで遊べるゲームですからね! ついでに英語と地理、歴史、法律、1920年代のアメリ——米連に詳しくなれるっていう……。蛇子ちゃんも気になるようでしたら、是非に!是非に! ふうま君はどうです? 7版を読んだことがあるんですよね!」

「ああ。だけど読んだのは、あくまでも何気なく流し読みだったからさ……。でも鹿之助と蛇子がやるなら、俺も混ぜて欲しいな」

 

 そんな会話をしながら下校する。本当に何気ない日常。

 だが、そんな平和でほのぼのとした空気を粉砕するかのような凍てつく気配に、思わず身震いした。それは、3人ともっと会話をしたくて、ちょっとだけ遠回りしながら自宅に帰るための十字路を通過した瞬間の出来事だった。私の視界の端に……何かが映る。

 ——それは、脳裏に染み付いた忌まわしい記憶と重なる。全身の毛が逆立ち、脂汗がじんわりと染み出し、無意識に歯を力強く噛みしめてしまう。

 水死体のように白くブヨブヨとした肉の塊。

 先端にいくつもの肉を抉るための返しが付いた凶悪な槍。

 頭部はなく。

 頭部らしき場所には大量のピンク色の引き延ばされた口蓋垂(こうがいすい)*1が付属した肉叢(ししむら)が。

 それが今、視界の端に映ったような気がした。

 他の3人がTRPGについて盛り上がっている中、私だけが(きびす)を返し、そんなはずはないと十字路の先を確かめる。

 

「あれ? 日葵ちゃん?」

「おいおい青空さん。そっちは蛇子ん()とは逆だぞー?」

 

「……」

 

 2人の声が、どこか遠くでの呼び声……空気の膜を張った先に存在するかのように聞こえる。

 ……そんなはずはない。そんなはずはないのだ。

 あれは私の前世で『対魔忍』の認識が“LILITHソフトが開発したマニアックな凌辱ハードポルノゲーム”であるように、あれはこの世界では架空の神話。TRPGに登場する……ハワード・フィリップス・ラヴクラフトが生み出した、ただの“創造物”にしかすぎない……ここにいる訳がないモノなのだ。

 

「おい」

ビクッ

「……大丈夫か? 顔が真っ青だぞ?」

 

 肩に衝撃が走り我に返る。

 半ば驚きながら、肩の衝撃の方を見ればふうま君が私の肩に手を置いていた。

 

……あ、ごめん。……今、そこに……。昔の……知人が居た様な気がして」

 

 凍てつくような気配のした十字路に視線を向ける。……気のせいだったようだ。あれは白い燃えるゴミ袋と使用済みの割れた蛍光灯だ。

 そう……アレが、この世界にいるはずはないのだ。……絶対に。

 

「……もしかして、何か、面倒な知人なのか?」

「まさか、ストーカーか!? だ、大丈夫だ! 今日も、これからも俺達が付いているからな! 皆で居れば昔のストーカーなんて、怖くないぜ!」

 

 “面倒な知人”という言葉に上原くんと蛇子ちゃんも、私の元に駆け寄り十字路の先を見据える。

 ……あれは最近の学校生活による疲労が蓄積されて見えただけの幻覚。そうに違いない。

 そう言い聞かせながらも、なぜか身体の震えが止まらない。脳裏で“あの惨状”がフラッシュバックする。フラッシュバックした光景が、目の前の3人に重なる。

 ——……駄目だ。それだけは避けなければならない。

 

「……心配かけてごめんね。でも、見間違いだし、大丈夫だから……」

「ほ、本当か……? でも、お、おい! すごい震えだぞ! なぁ、ふうま。蛇子ん家 経由したら今日は家まで送ってやろうぜ。俺、このままじゃ不安だよ」

「当然だ。青空さん、歩けるか? もし震えが辛いなら俺が背負うぞ」

大丈夫。本当にごめん。大丈夫だから……」

 

 目を瞑り、掌をこめかみに添えて、大きく深呼吸を5度繰り返す。

 脳に酸素を行き渡らせ、変に高ぶってしまった神経を落ち着かせる。次に目を開いたときには震えも止まり、異様な興奮も収まっていた。

 

「日葵ちゃん……どう?」

「……うん。大丈夫。ありがとう、ごめん……皆は優しいね。アレは居るはずがないモノだから……もう大丈夫だよ。さてと。どこまで話しましたっけ?」

 

 ……あれは3人に言ったものか、それとも自分に言い聞かせたものかはわからない。

 だけど万が一を考え、このままではいけないことは理解してもいる。……脳裏で魔術の使用がちらつく。駄目だ。この世界での私はできる限り普通で居たいのだ。魔術に頼ったカルティストの末路なんて、今まで腐るほど見てきたはずだ……。

 あの後、3人と気を取りなおした何気ない会話は続いたが、頭の中は常に上の空だった。

 

 

*1
喉ちんこ



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode12+ 『筋肉は裏切らない』

 ある日の朝。普段より、かなり早めに五車学園に到着した。

 入学2日目から通学を共にしている3人には、今日だけは一足先に登校することは告げてある。

 『この前の出来事が心配だから、今日の登校時間も私に合わせてくれる』との気遣いが嬉しかったが、流石にそこまで3人に護ってもらうのは悪い。私は人生2回目なのだ。彼等を護るぐらいの心持ちでなければ、また同じことの繰り返しになるのは間違いない。

 それにアレは、私が疲労で生み出した幻覚のはず。『居るはずがないモノ』だと自分に言い聞かせる。

 

 まだ部活動に勤しんでいる生徒も朝練に来ていない時間帯だが、何人かの教師は出勤していることを事前にクラスメイトから聞いている。

 教室に荷物を置き、職員室の扉をノックをして入室する。それから目的の教師の元まで一直線で向かった。

 

………

……

 

「おはようございます。(ムラサキ)先生」

「青空か。おはよう」

 

 目的は紫先生だった。先生は貴婦人が掛けるような細いチェーン付きの眼鏡に新しいジャージを羽織って、新聞を読みながらコーヒーを啜っていた。

 私が声をかけると約2週間前、“あんなこと”があったにもかかわらず至って普通の対応で私の方に振り向き挨拶をかえしてくれた。

 

「……その、まずは改めて先生に謝りたくて。……2週間前、宝物であるジャージを使い物にならなくしてしまったことと消火栓の薬液塗れにしてしまい、申し訳ございませんでした」

「あぁ、その件か。あれはお前がどこまで出来るか確認したい意図がこちらにあった。別に謝る必要はない。お前は良く立ち回ったな。見事だった」

 

 授業中には生徒に喝を入れるばかりで、滅多に笑うこともない紫先生がニコリと微笑んで見せる。

 私はまだ『ニコニコ わくわく五車学園ライフ』をぶち壊された憤りが募っていたままであるが、今の私は見た目は子供。頭脳は大人だ。 私は許そう。だが、この笑顔がお前を許すかな!? ……なんて、某キリストのサブマシンガン乱射発言をしてみたかっただけです。はい。

 こちらはニコニコ学園ライフ(約3年)、紫先生は宝物のジャージと消火栓の薬液を浴びたということで痛み分けとしておこう。紫先生の寛大な対応に感謝をしつつ、こちらも和解の意味を込めた笑顔で返す。

 ……でも。やっぱりぃ、私の方が損害大きくなぁい?

 

「それで、今日はその謝罪以外の要件で来たんだろう?」

「はい。その……お聞きしたいこととお願いしたいことがあって……」

「何でも言ってみろ、出来ることなら手伝おう」

 

 『……ん? 今なんでもって?』と喉の奥から異臭にまみれたセリフが出てきてしまいそうになるが、今日はギャグを飛ばしに来たわけじゃないので、前世のネタ発言をぐっとこらえる。

 

「先生は、その……基礎能力を図る目的で戦闘を仕掛けましたが……普段の体育の授業でも、戦闘訓練などを行われていらっしゃるのでしょうか?」

「もし、“そうだ”と言ったら?」

「であれば、もし先生が面倒でなければ個人的に戦闘技術を授けて頂きたいです」

「……」

 

 しばらくの沈黙。紫先生は赤く燃えながらもほんのり桃色が混じった瞳で私の緑色の虹彩を捉える。その表情は実に真剣な眼差しだ。

 

「私の指導はハードだが、その覚悟はあるのか」

「はい」

 

 その問いかけに対しての答えに迷いはなかった。

 どうも昨日の幻覚がただの幻覚には思えない。拭いきれない不安があった。私は魔術を必要最低限にしか使用しないという選択をした……。そうした場合、必然的に強くなる方法はこれしかない。……そう。筋肉だ。

 最終的に落ち着いた解決策が頭対魔に……脳筋であることに残念がる者もいるかもしれないが……私にはこの五車学園の教師に助けを借りずとも科学的武器を作り出すだけの知識と技術は所有しているつもりだ。それに私がここで科学兵器を作るための知識を教えて欲しいなどと言及しても、鼻で嗤われて初歩的な知識しか教えてもらえそうにない。精々、アルコールランプを火炎瓶の替わりに使える程度の知識にしかならないだろう。火炎瓶素人め。

 しかし、この学校には入学初日の一般人の女子学生に“基礎能力を図る目的”という口実のもと、戦闘を始めてしまうような脳筋☆筋肉(八津紫)教師(先生)が存在する。戦闘や筋肉に関する訓練強化だけは信頼できると確信を得ていたことも私の中では大きかった。

 

「よし、わかった。いいだろう。特別な訓練をつけてやる」

「——! ありがとうございます!」

「だが青空。まず、お前に必要なのは基礎的な体力だ。立ち回りはこの前の基礎能力試験で、それなりに機転が利くことがわかった。並大抵の不審者であれば襲われても太刀打ちできるだろう。だが魔族には立ち回りの技術だけで勝つのはまず無理だ。当然、基礎的な体力や筋力が必要な時もある。だから、ほら……」

 

 そういって紫先生は自席から立ち上がると自身のロッカーまで歩いて行って、ロッカーからダンベルを取り出す。ダンベルにはカウンターやら様々なボタンが付いており、何回持ち上げたかわかるタイプのもののようだ。

 

「重さは……30、15㎏ぐらいでいいだろう。これを授業の合間で使用するように。今日の授業までには、お前用の筋トレメニューを考えておく」

「よろしくお願いします……っ」

 

 手渡されたダンベルはずっしりと重く、片手で受け取ろうとしたそれをすぐさま両手で持ち上げる。今の私には両手で何とか持ち上げられるレベルだ。

 

「ダンベル上げのコツは、なるべくゆっくり動かすことだ。筋肉を意識して持ち上げろ」

「心得ました……っ!」

「…………厳しいようなら、まずは両手で昇降させてもいいからな」

「はい!」

 

 こんなにダンベルは重かっただろうか。そんなことを思い返しながら教室に戻り、筋トレを始める。自分の身を自分で守るために。時が訪れたとき、新しい友人たちを護るために。

 

………

……

 

——3時間後———— 授業開始前のホームルーム直前

 

……

 

「じゃあ、またあとでな! ウォオアアアアアアア!!?!?

「え、鹿之助ちゃん何かあったの……日葵ちゃん!!!?

「青空さん!?」

「……おはよう……みんな……」

 

 今日も私の教室での注目は100%を振り切りつつあります。

 教室には騒めくクラスメイトと、不用意に弄った結果ダンベルからバーベルに進化したダンベルと自席で真っ白に燃え尽きた私が居たからであろう。

 あれから私は『新クトゥルフ神話TRPG』を読みながら、筋トレをしていたのだが……片腕への負荷が辛く、少しばかり重量を軽くしようと勝手に設定を弄ったのだ。

 結果。出来あがったのは、“重量の変わらないただ一つのバーベル”である。それ以降、15㎏のバーベルでずっと筋トレしていたのである。

 

「ど、どどどどうしたんだよ! まだ授業は始まってもいないし、今日の午後にも紫先生の体育があるんだぞ!!! そんな最初から飛ばしたら後半持たないぞ!?!」

「大丈夫。若いときは何でもできるから……コレ、マジだから……。明日か、夕方には筋肉痛がやってきて……明後日には治ってるから……」

 

……いーいーな♪ いいなー♪ 若いーって良いな♪

 

「日葵ちゃん、虚ろな目で歌い始めちゃったけど……これ大丈夫なの? この前の件もあるし……蛇子、すごく心配なんだけど」ヒソヒソ……

 

新しい世界に キラキラ未来♪ 世界の真実(ヴェールの向こう側)を 知らないんだろな♪

 

「いや……これは俺に言われたってよぉ……」ヒソヒソ……

 

今日は筋トレ♪ 明日は脳トレ♪ デンデン♪ ……デデンデンデデン♪ デンデンデン♪ ポァ♪

 

「……上原くん……?」

「な、なんだ?」

「ちょっと寝ます……。……授業になったら起こ……し……て」

「お、おう……」

「…………Zzz……」

 

 3人の友人が見守る中、私はルルブを枕に夢の中にダイブするのだった……。

 

………

……

 

——時刻は午後。体育の授業————

 

……

 

 半目に死んだ魚のような濁った目で紫先生の授業に出る。

 

「なるほど。186回か」

 

 ……完全にペース配分を見誤った。

 拷問狂いの異常嗜虐者(ムーンビースト)に身体をズタズタにされる前の身体のノリで筋トレをしたのだが、先にこの身体の方が持たなかった。私がクトゥルフ神話事件関連の事件に巻き込まれる以前よりもこの身体は貧弱であること、もしも仮に。この状態で 私が“幻覚”として見てしまった拷問狂いの異常嗜虐者と対峙しても一方的な蹂躙……最終的には拷問を受けることになるだろう。

 

「青空は、引き続きバーベルを持って校庭を5周ランニングだ」

「でも、先生……他のみんなのように……私もあっちの運動は……?」

 

 現在、私を除く他のクラスメイトは、五車学園の地下に存在する広大なバーチャルシミュレーターのような施設にてハードなアスレチックの構造の舞台上で、全力での幅跳びやロッククライミングを行っている。その中には上原くんの姿もあり、彼は最後尾でなんとか食らいついている様子だ。

 しかし “向こう側” でも “こちら側” が見ているのがわかるのか、こっちの様子に気が付くと高台に登り切った後に片腕で汗を拭って手を振ってくれる。こちらも、それに対して振り返す。

 

「……アレは青空にはまだ早い。言っただろう。お前には基礎体力が足りないと。それにそんなヘトヘトな状態で参加しても何もできないのが関の山だ」

「はぇ……」

「そして、これが今後の基礎体力向上のためのお前専用のメニューだ」

「あ……。ありがとうございます……」

「……。……相州から少しばかり事情は聞いた。近頃は、魔族が関連していると思われる不審な事件も多い。これらも必ず相州達と一緒に下校してから、このメニューを家でやるようにな」

「……! はい!」

 

 蛇子ちゃんの優しさに口元を緩ませながら、大きな返事を返す。情けない。情けないが嬉しい。

 それから一枚の金属板…タブレットが渡される。内容としては、腕立て伏せ、腹筋、スクワット、背筋上げ、ダンベルプレスをそれぞれ100回ずつと必ず開始と終了時にストレッチをやるというものだ。更にタブレットの前で筋トレをすることで、自動でカウントを入れてくれるらしい。この身体の負荷状態を考えるにはちょうど良い筋トレ内容なのかもしれない。

 ……それにしても、生徒に高価なタブレットをポイポイ渡して貸し出してしまうような小中高一貫の学校がいまだに “国立学校” であることが信じられない。そもそも、前世では国立の学校でそんな学校は見たことも聞いたこともない。完全な設備にしろ、機材にしろ、学生の幅にしろ……とっくに私立学校の域に達している。こんな学校、世間的に見たらこぞって学生が通学したくなるような学園であろうに……。

 

「おい。何をボヤボヤしている! わかったら、走り込みに行け!」

「は、はい!」

 

 ……今は、そんなことを気にする必要はないか。

 さぁ、私は私で頑張ろう! 筋肉は裏切らない! ヨシッ!!!

 

………

……

 

——放課後 下校————

 

……

 

 ……この後の帰宅時は、既に身動きが取れないほどの筋肉痛によりふうま君に背負ってもらった。上原くんに私の説明書が詰まったカバンを持ってもらい蛇子ちゃんにはバーベルを持ってもらって帰ることになるのだった。

 すごいなぁ……蛇子ちゃん。それを片手で、軽々と持ち上げちゃうの……? 私にはまだ無理だよ……。あっあっあっ……そんなペン回しみたいにくるくると……。

 ふうま君、私をしっかりと支えて安定しているのは、筋肉痛に響かなくてすごくいいのですが……そこ…………私のお尻を鷲掴みにしてます。

 上原くんは、その……がんばって。

 

 




~下校中の会話~
相州 蛇子「そういえば。朝に日葵ちゃんが歌っていたあの歌はなんて歌なの?」

日葵(神葬)「あれ……? あれですか……。『わかいっていいな』という……まぁ……とある曲の替え歌ですよ……JASRACには引っ掛からないはずです。でも……どうして?」

ふうま小太郎「青空さんはああいう民謡系を歌うタイプじゃないからな……俺も確かに気になっていた」

上原 鹿之助「それはそれとして……っ! なぁ……っ!? しばらくはTRPGルルブは家に置いて来ないか? すごい……っ重いんだけど……この鞄……! なぁっ?! これいつも持っているのか? いつも持っているのか? これぇ?!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode13+ 『休日の自宅での幸せな日常』

 吉報【昨日のような一切の筋肉痛が発生してない件について】

 

 昨日はかなりの無茶をし過ぎたはずだったのに……翌朝ベッドから起き上がれない……なんてことはなく、普通に起き上がり、今、母親の作った朝食を食べている。

 若ェっていいな!!!(2度目)

 今日の朝食のメニューは、ごはんと半熟の目玉焼きに焦げめ付きのベーコン、レタスとオニオンの混合サラダ、わかめと豆腐入りの味噌汁だった。

 なんというか……人にご飯を作ってもらえて、それを食べる、しかも美味しいというのはなんと幸せなのだろうか。昨日、今日とて頑張ってもらう筋肉たちも喜んでいるに違いないし、私の脳と舌は確実に悦んでいるのは確かだ。かつての記憶である母親の味とは、大きくかけ離れているものの……肉体のほうは日葵の母親の味を覚えているのだろう。五臓六腑にじんわりと染み渡るような奥深い……涙が出てしまいそうになるような味をしている。

 

「う~ん!!! 今日も美味しい!」

「……! ……」

「いつも美味しいご飯を作ってくれてありがとう! お母さん!」

「……え、えぇ……」

 

 幸いにも今日は休日で、学校の授業はない。

 学校自体は部活動も管轄しているため、開校しているようだが私には関係のないことだった。

 母親は専業主婦の為、今もこうして家事を生業として私たちの日常生活を支えるために動いている。

 父親は、今日は休日出勤で家をあけていた。プライベートと仕事はきっちり分けるタイプなのだが、出勤していることを鑑みるに余程重大な事件なのだろう。詳細はわからないが、何でも隣のまえさき市で事件が起こったみたいだった。

 五車町での仕事……というよりも、隣町に出張していろいろ資料の管理や対策本部の指揮、ハンコを押すだけの簡単だが面倒な仕事があるらしい。……対魔忍達と同じ分類である国家公務員の警察官というのも大変そうだ。

 私も父親と同じように仕事とプライベートはきっちり分けて、プライベートをメインに充実できるような職業に就きたいと思っている。……今回はどんな職業に就こうかまだ決めあぐねているような状態であるが……ひとまず、最初の目標は現状の財力から大学へは進学することだろう。その後は可能な限り、対魔忍なんかと関わらないような職種につきたい。となると、該当する職業は、医者、エンジニア、司書、作家、ミュージシャンぐらいだろうか。あー……でもミュージシャンはやっぱなし。デビューするために、スポンサーのおちんぽをしゃぶるのとかヤりたくないし。

 もうちょっと学校に慣れてきたらアルバイトも始めてみようと思うが……。そもそも五車町という片田舎に、そんな賃金の高い働き口があるとは思えないし……。やるとしたら手軽に趣味の範疇で稼げる株とかFXかな。株式や積立NISAなどの必勝法は、前世で〈経理〉部門に触れることで経験を培ってきたわけだし、資産に関しては過剰に持っていたとしても困ることと言えば、納税と変な奴に絡まれることが多くなるぐらいだ。あー。でも、学校の友達とも遊ぶ時間も確保したい。とにかくやりたいことが多すぎて困る。今はそんな状況だ。

 

「……日葵。ちょっといい?」

 

 そんな将来の事やアルバイトの事を考えながら、食べ終わった食器を流し台で洗い、砂糖とお湯を1:5の分量で制作した紅茶を片手に、父親が忘れて行った新聞紙を手に取って、株価を確認している私に母親が話しかけてくる。

 

「ん? どうしたのお母さん」

「今日はよく楽しそうにお話してくれる鹿之助ちゃんとか、ふうま君とか、蛇子ちゃんとかと……どこかお出かけする予定とかあるのかしら?」

「ん、ないよ。今日の日程は筋トレをしたら、グンマーの僻地ニュータウン(笑) クソしょぼホームセンター五車店へ、DIY用の工具と材料を買い物しに行こうと思っていたぐらい」

「……そっか。それじゃあ、先にちょっと手伝ってほしいことがあるのだけどお願いしてもいいかしら?」

 

 目の前の母親から、どこかよそよそしい態度に引っ掛かりを覚えるが、無理もない。

 『青空 日葵』の中身は『釘貫 神葬』という別人で、母親の実娘である『青空 日葵』ではないのだから。……それでも私はなるべく正面の女を実の母親と思って接してはいる。

 退院直後こそは『青空 日葵』の趣味・嗜好に合わせようとは努力をしたが、根本から無理な話だった。個人的には前世で顕著に見られていた摩訶不思議なオカルト系の道具とか、それがレプリカや偽物だとしても魔術的な書物は最低限・必要以上に見たくはないものだったし。『青空 日葵』の私物は処分こそしていないが、大方はダンボールの中に詰め込んで屋根裏部屋に収納、一部は庭の地中に埋めて保管している。

 結局、『青空 日葵』というよりは『釘貫 神葬』の要素があまりにも多すぎるのだろう。だから『日葵』の母親はどこか、以前の“日葵”と“私”との違いに戸惑い、娘に遠慮しているようなよそよそしさなのだ。

 

「もちろん!」

「……そ。それじゃあ、準備が出来たらガレージに来てくれる? お母さんも準備しておくから、できるだけ動きやすい服装でね」

「うん!」

 

 出来る限り威嚇な意味を持たない笑顔を母親に向ける。だが、彼女の母親の表情はどこか曇ったままだった。

 

………

……

 

 動きやすい服装の指定があったため、学校の冬用ジャージに着替え、いくつかの髪留めを手にして、ガレージに赴く。

 我が家のガレージは半分地下に埋まっているのだが、この五車町には氾濫を起こしてしまうような増水する川もなければ、土砂災害を引き起こすような山もない。内陸部ということもあり、当然 津波の心配もない。地盤も非常に安定しており、震災大国の日本では珍しい安全な居住スペースとなっている。

 防災オタクには、のどから手が出るほどに魅力的な立地だ。

 ただ……問題として挙げるならば、ニュータウンを謳っている割には魅力的なものが学校しかないのはどうかと思う。入院していた病院でこの五車町について検索しても簡易的なホームページしか出て来ないし、その肝心なホームページも全く見つからないような場所に隠れて……ほぼ隠されているような状態で見つかったし。深夜にテレビはやってないし、田舎だから虫の存在やカエルの鳴き声、自然の環境音が都会と比べて騒々しい。……緑が豊かであることの象徴でもあるが……慣れるまでが辛かった。

 小中高の学生の憩いの場もジャスコ(イオン)ではなく、まさかの稲毛屋という駄菓子屋ぐらいだ。商店街なる店が未だ最大勢力なのも珍しすぎる。時代は大正、昭和を終えて、平成、令和、その次々世代に来ているにも関わらず……だ。

 ……それにしても。入学初日の下校の際に立ち寄った稲毛屋のソフトクリームを食べられなかったのは すこし心残りであり、良き思い出である。

 蛇子ちゃんが私に1つ奢ってくれようとしたのだが、財布から小銭を取り出そうとしたとき、手が滑って地面に落ちて転がった小銭はそのまま道路の排水溝の中に吸い込まれてしまったのだ。そんな不運な出来事のあとに、全員が財布からそれぞれ小銭を出して私にソフトクリームを奢ってくれようとしたときには、流石に悪いと思って断ったのだが……。あの光景を思い出すと、全員の慌てっぷりと捕まえようとするも逃げていく小銭が器用に避けて行った様子が面白くって思い出し笑いがこみあげてしまう。

 それにしても、聞くところによると稲毛屋のソフトクリームは五車学園内で賭け事に用いられるほど、あらゆる学生達をメロメロにするほど魅了してるものという話を小耳に挟んだ。……たかがソフトクリームで そんな賭け事に用いられるソフトクリームにはより興味が湧いた半面、恐怖も覚える。稲毛屋の店主である稲毛婆さんにはこんな思考を張り巡らせていることについて悪いとは思うけど……そのソフトクリーム。中毒性の強いコカインとか混じってるヤベー食べ物じゃないよね?

 

 とまぁ、五車町と稲毛屋での事件のことはさておき、準備を整えガレージに入った。ガレージには職人用のズボンを履き、タンクトップ姿の母親が立っていた。おっさん的思考だが、将来 私の胸は大きくなる確率が高いと母親を見て思う。よい巨乳だ。祖母達には会ったことは無いが、写真からの情報として彼女等も巨乳なので隔世遺伝的な心配はいらないだろう。

 そして、そんな巨乳なんかよりも私の好奇心と探求心を刺激されるものが母親の背後に駐車されている。それは、恐らくアメリカ……この世界では米連(べいれん)と呼ばれる国家から購入したであろうHMMWV……ハンヴィーの存在だ。これも、いつ見ても良い車だ。のっぺりとしているが、角ばった武骨なデザインに、サンドベージュの単色、巨大なタイヤ、ほれぼれする装甲……。素晴らしい。これで時代遅れの超旧式の装甲車とされているのだから、よほど新型の装甲車は私のトキメキを刺激するものなのだろう。

 

「日葵には、ちょっと整備の手伝いをしてもらいたいのだけど……」

「もちろん! そのために来たんだから!」

「そ、それじゃ……取ってほしい工具とかいうから、それを取って……」

「もちろん!!! 何なら整備も手伝うよ!」

「え、えぇ……あと機材も——」

「もっちろん!!!!! 必要なものがあったら言ってね! 『初心者でもわかる自動車整備に使用される工具・機材の名称の書』のおかげで大体わかるから!!!」

 

 あぁ^~たまらねぇぜ。

 母親に指定された機材を、自分でもわかるほどに顔を蕩けさせた笑顔で渡していく。時には車体の下に潜り込んで一緒に整備したり……。こうして平和的に機械を弄ってるだけでも、幸せ過ぎてオーガズムに達せる。——アッアッアッ♡♡♡ もう、顔中幸せまみれや。こんな幸せが一生続けば私の人生はバラ色で間違いはない。

 

 

あぁ^~ こころがぴょんぴょんするんじゃ^~!!!

 

 

 んはァーッ! いいじゃない! いいじゃない! こういうのでいいんだよ。こういう日常で!

 世間の影では対魔忍が世界を護っているらしいけど、そんな荒事から離れて私は何気ない日常を謳歌したいんだ! 世界の危機なんて解決できる奴が介入すればいい。神話生物なんて存在しない世界で、一般人に転生した私がやるようなことじゃない。

 前世で私は “すごく” 頑張った。それはもう本当にすごく。だから人生の最後は散々だったけど、この人生では好きなだけ羽休めをして一般人として生活したいのだ。

 だけど、腐っても対魔忍の世界線。いざというときに火の粉が降りかかってきたとき、自分や周囲の人を護れるだけの力は必要だとは思っている。

 だから、ある程度訓練はするが、『絶対、対魔忍なんかになったりはしない!(キッ』

 ま、こんなクソザコ田舎に身を潜められている間は、対魔忍の誘いなんか来ないだろう! 私の一般人として生活するという未来は最高に輝いている! ガハハ!

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode14+ 『脅威の身内の洞察眼』

「……今日はこんなところかしらね……」

 

 アメリカ……今は米連と呼ばれる国家産の超旧式高機動多用途装輪車両ハンヴィーの整備もひと段落つき、物品を片付け始める。時刻としては10時37分を指していた。丁度、今から昼食を食べ始めて午後から、田舎らしい誠に残念なホームセンター 五車店に行けば6時間ぐらいは材料と工具の購入に時間をかなり使うことができるだろう。彼女も私の予定を踏まえた上で自動車整備を行ってくれたようだ。これは非常に嬉しい。

 ……いつかは私もこの肉体で大人になる日、18歳になる日がいずれやってくる。

 その時は、この自家用車で日本の果てまで旅行するつもりだ。それに今の友人たちとの関係が続けば、彼等も誘って旅行するのも悪くはないだろう。

 

「……ねぇ」

「ん?」

 

 そんな想像を膨らませニヤけている私へ、使用した物品を片付け終わらせた母親がガレージ奥から姿を現わした。

 屋内に続く扉の鍵を閉めてから、レンチを片手に私の事を見据える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——あなたは、一体 “誰” なの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……ん……? ん……っ!?」

 

 想定も予想もしていなかった思わぬ質問に思わずたじろぐ。たじろいでしまう。

 いつかは感づかれるだろうし、追求されるとも思っていた。でも今とは思ってはいなかったし、前世では私や特別な人間を除いた存在は、みんな鈍感で世界の真実(ヴェールをはぎ取られた世界)も知らないNPC(凡人)ばかりであったことから、こちらの想定よりもあきらかに早い段階(完全な同居をしてから、わずか約2週間程度)で私の正体に関する核心を突くこの質問には明らかな動揺を見せてしまった。

 

「……」

「……だ、誰って…。ひ、ひまりだけど……?」

 

 辛うじて、どもりながらも絞り出した言葉は、酷く怯えているかの様な、何とも無様な声色だった。

 

「嘘」

 

 秒で看破される。

 逃げることもできない。ここではぐらかして逃げてしまうのは、今後の私にとって必ず不利益が生じるし、自分が『青空 日葵』ではないことを裏付ける証拠にもなってしまう。

 

「……以前の日葵はそんな子じゃなかった。私の知っている日葵は、私のご飯を美味しいって言ったことはなかったし、食器を自分で片付けたこともない。ろくに家事や私の手伝いをしたこともない。自動車の整備の手伝いなんてもってのほか。新聞で株価を見るようなこともしない。人付き合いも下手で、学校ではうまくいっているような嘘をつく子だったけど……確かにあの子だった。……もう一度“だけ”優しく聞いてあげるわね。あなたは“誰”なの?

 

 マジかよ。新聞の下りは確かにこれからFXや株に手を出そうとしている『釘貫 神葬』の部分だけど…………マジかよ。日葵、お前……。私の転生前、お前……。そんな子だったの……? 学力と運動神経は平均以下、家では引き籠り(ヒッキー)、趣味はオカルト少女、生活力は皆無、おまけの陰キャの5属性を制覇してたのか……? マジかよ……。

 ちょっと……。ちょっとどころじゃない、かなり。かなりの衝撃を受けたが、今は衝撃を受けている場合じゃない。母さんの……日葵の母親のレンチを握る手が力強くなっている。私に向ける表情も……——

 ……あぁ、この表情はよく知っている。

 自分の理解の及ばない存在が目の前にいて、恐怖で怯えている顔だ。

 

「……だから日葵だって——」

違うっ! あなたは日葵なんかじゃないッ!!!」

 

 壁が揺れたように感じるほどの迫真極まる絶叫が地下をこだまする。

 ……ここが地下でよかった。これがリビングだったら、確実に声が外に漏れていただろう。だが、それは恐らく彼女も同じことを考えて私をここに連れてきた可能性が高い。

 片目をつぶり、もう一方の片目はレンチからは決して目を離さず後頭部をかく。どう説明してこの場を切り抜けるべきか……。

 彼女は、今すぐにでもその手に持っているレンチで殴りかかりに来そうな勢いで 私を問い詰め続けている。今の後頭部を掻く仕草も、落ち着くために起こす行動(深呼吸)も、リラックスの仕方(音楽を聴くこと)も……新品の牛乳パックの注ぎ方や、なくなったトイレットペーパーを付け替える行動さえも“以前の私”とは違うと全指摘・全否定された。

 ……戦闘になった場合。素人によるレンチでの殴打など〈応戦〉や〈回避〉は共に容易ではあるだろうが……。……〈応戦〉をすれば関係が完全に崩れるのは目に見えているし、〈回避〉を行えば今度は『日葵はそんな運動神経がいいわけがない』などと更に私が“別人である”という確信を深めてしまいかねない。……もう既に得物を向けられている時点で、家族関係は半壊しかけているとは思うが、私は完全に崩壊してしまうことは望んではいない。

 いやいやいや、今後の人間関係を冷静に分析している場合じゃない。そう。考えろ……考えるんだ……。この状況を打開する策を……。

 自己中心的な意見となってしまうが、私がせめて18歳になってこの家を出るか、株で一儲けして、この世界での年末の確定申告を1人で処理できるようになるまでは、何としてでもこの家を追い出されるわけにはいかないし、今回の一家離散の事件がきっかけで対魔忍どもに目を付けられるかもしれない。……それだけは避けなければならない。

 それに外部には対魔忍やら、魔族やらが蔓延っている世界なのに財力も知識も劣っている存在(わたし)が平和な人生を歩めるわけがない。この世界は、ただでさえ女性という時点で十分に生きにくい世の中なのだから。

 

「ま、待ってよ……落ち着いて……」

落ち着けるわけないでしょっ! 目の前にいる存在が日葵の姿をしているだけの怪物かもしれないのに!!! 私の……っ! 私のかわいい日葵をどこへやったのっ!!!」

「私は日葵だよ……? だから、まずはそのレンチを置いて話し合おうよ……。ね? 流石にそんなので殴られたら……私、一発で死んじゃうよ……」

 

 ……正直なところ、一撃は耐えられるだろう。でも次は耐えられない自信しかない。いくら私の説明書に『新クトゥルフ神話TRPG』116頁“ゼロ耐久力の効果”の記述——重症化せずに気絶するだけの効果があるとしても、気絶の状態でトドメの一撃を貰えばそれは“死”だ——

 いや。“死” を迎えられれば まだ良い死に方なのかもしれない。意識不明の状態によっては完全な意識消失とはならず『新クトゥルフ神話TRPG』の117頁( “特別な劇的瞬間まで何も)“意識不明と死”(できない状態”)まで陥らせられて……それこそ、対魔忍とか……何か魔族を研究している機関や組織に送られてしまうかもしれない。

 こんな世界だ。あり得ない話ではないだろう。

 

「ええ、そうね。日葵だったら死んじゃうわよね……っ! でも、今、私の目前にいるのは怪物よ! そうやって油断させて、いい子を演じて! 最後は仲良く親子丼ってつもりなんでしょ! この魔族!

「ん゙ん゙っ……」

 

 『親子丼』というそのサイコパス級ネーミングセンスを久方ぶりに耳にして、頭の中が大草原でサバンナでサンバ☆サンバしそうだが、今嗤ったら確実に終わるるるふっ……。……終わるため、吊り上がりそうになった口角を無理やり下に引き下げ上下の唇を噛みしめて堪えた。堪えている。それから、得物を片手に殴る気マンマンで じりじりと歩み寄ってくる母親に、焦りと恐怖が混じったかのような顔を向けてじりじりと後ずさる。

 

「ま゙っ……ン゙……まって! 本当に待って! なんでそう思うの! これ以上はお互いに引き返せなくなっちゃうよ! せめて! せめて……! 痛恨の一撃を放ってくる前に、『私が魔族だって、そう思う理由』を教えて!」

「わかってるくせに!!! これ以上、あの子の顔で! あの子の身体で!! あの子の声で喋るのを止めろォッ!!!」

「だから、本当に私は日葵だってば!!! お母さんの方こそ本当にどうしちゃったの……っ!?」

 

 “本当に私は日葵”と言葉を発した瞬間。チクリと胸を刺すような痛みが走る。改めて考えてみれば当然だ。仮に私が彼女(日葵の母親)の立場で、自分の愛する存在が存在を真似ただけの存在(ドッペルゲンガー)だとしたら、きっと……私もあの時と……彼女と同じように取り乱すだろう。

 ……私は肉体を得た側……。つまり加害者側の立場に立たされているが、被害者側の親族の気持ちも本当に凄くわかる。友人が、恋人が、家族が別人にすり替わっていく、次は自分の番かもしれないという、怪物に世界が塗り替えられていく……夜も眠れぬ恐怖が迫る気持ちは。

 

「お母さん、お願い……やめて……お願い…………理由を……せめて理由を話して……」

「じゃあ!!! お父さんは、あなたがテロリストの籠城事件の後遺症でおかしくなっただけっていうけど! “私にはわかるのよ!(・・・・・・・・・)  あなたは違う! 私の日葵じゃない! じゃあ、誰なの!!? 私の日葵を一体どうしたのよ?!」

 

 ……“私にはわかる(・・・・・・)”……か。論理的な根拠はない、直感的な感性だ。だが、その直感的な感性は時に真実を貫いていることも多い。現に、今回は的を射ている。……ゆえに……すぐには何も言い返せなかった。

 でも、それで諦める訳にもいかなかった。今、彼女が漏らした言葉と情報から打開策を編み出し、告げる文章の組み立てを始める。

 ……どうか我儘で自分勝手な“私”を赦して欲しい。今は何もできないけど、いつかは“日葵”として自慢できるような娘になるから。……本当に……申し訳ない。

 ……それと、この世界の親父。彼女を窘めていてくれて感謝する。

 

……私は……私は……っ!  ……日葵……だと思う!」

「だからっ!!!!!」

「最後まで聞いてっ!!!」

「っ!」

 

 ヒステリックには、ヒステリックな声で応戦する。

 幸い、と言ってもいいのかどうか分からないが……どうやら向こう側は、こちらを信じられないし信じたくもないが『得体のしれない怪物』のような認識をしている。これは未知への恐怖だ。ならば対処法として、その未知について理由付けや理解を得てもらえば恐怖は緩和される。

 何も私が海藻に覆われた、邪悪で、腐敗臭のする、刀のような鋭利な爪とホウライエソのような牙を持ったゲコゲコ鳴く半魚人として、自分が人類に対し人畜無害であるという証明をするわけではないのだ。

 たまに失敗するが、この手の敵意を持った相手を宥める修羅場はそれなりに潜ってきた。原因さえわかっていれば、“相手が正気を保っている限り” 解決の糸口は必ず見つかる。

 

……自分でもわからないの。私は、わたしは、多分。たぶん、日葵……。……たぶん、ね? ……あの時テロリストに撃たれて、血の海に沈んだ時に……あぁ、死ぬんだと思った時。いろいろ後悔が沸き上がってきたの。もしも“次”があるなら、もっといい子になろう。“次”ではお母さんが自慢できるような素敵な娘になろうって……。だから幸運にも目覚められたとき、過去の私と決別して 新しい私として生きようと思って……

「……」

「それでね……――」

 

 この部屋が静寂に包まれていなければ聞こえないような小声で、1時間かけて丁寧に、丁寧に、こちらの心境の変化を不安混じりの声色で綴っていく。最初は険しく得体のしれない怪物を見ていた彼女ではあったが少しずつ表情が和らぎ、私の普段の行動と発言を照らし合わせて納得しているような素振りが見受けられる。

 そしてついに、あれだけ固く握りしめこちらに危害を加えるはずだったレンチを握る手も緩みを見せ始めた! ……今なら押し切れるだろう。

 テロリストと対峙した時との〈威圧〉と〈魅惑〉を織り交ぜた〈値切り〉交渉とは違う。外見上は身内に対する時間をかけた〈説得〉だ。私の言葉は時と場合、相手によって重い言葉になることも多い。

 積み重なる罪悪感に……ジクジクと胸が痛む……。だが、もうちょっと涙もろくなるようなことを言って、それで私の変化に納得してもらうほかに……現状この状況を打開できるような選択肢は追い詰められた私には見出すことはできなかった。

 

「心配させてしまったのなら、本当にごめんなさい。自分でもわからないけど、一度“死”を経験したことで何かしらの“スイッチ”が入っちゃったんだと思う。あれから、どんどんやりたいことも出来ちゃって。前の嫌なクラスメイトをオカルトで呪ってやるよりも、新しいことに挑戦して未来を楽しもうって気になって……。ねぇ、お母さん。私、入学初日に学校の消火栓の中身、ぶちまけちゃったけど……私。……前よりも、いい子になってるかなぁ?」

 

 〈説得〉を試み始めてからは、後ずさるのはやめている。両手を広げ、少し悲しそうな顔をしながら敵意のない少し恥ずかしそうな朗らかな笑顔を見せて無害を主張した。

 大丈夫だ、『釘貫 神葬』。 これなら……この〈説得〉なら多分 行ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……カラン……カランカランカラン……。

 

 

 日葵の母親はレンチを握りしめるのを止めて地面に落とす。

 それから激しく駆け寄ってきて、私の事を力強く抱きしめた。

 

「お母さんの方こそ……っ、あぁっ、なんでっ……実娘を魔族だなんて……ごめんねっ。ごめんね……っ! 日葵のそんな心境の変化にも気づいてあげられなくて……! 怖かったでしょう! 辛かったでしょう!? あぁ、ごめんなさい!! ごめんなさいっ!」

 

 決まった。決着。

 そんなムードではないことはわかっている。わかっているが、ここで私の内に存在する率直な感情も聞いて欲しい。

 

 ッシァッ!!! オルァアアアアア!!! やったぁあぁああ!

 あぶねぇええええっ!!! 人生最大の分岐点を何とか乗り切ったぁぁあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っ゙!!!

 第Episode14部 完ンンンッ!!! コロンビアァアアア!!! ……はい。

 

「まって、お母さん苦し……っ」

「ごめんね。本当に、ごめんね……。私は……日葵、あなたが病院で入院したときから、魔族の何者かが外見だけ真似したようにしか思えなくって……」

 

 あ、うん……。えっと……そんな前から、私の事を怪しいと思ってたんだ……。その推理、魔族であることを除けば、すべて合っているんだけど。……本当に申し訳ない……。……今、その娘さんの肉体に転生しています。娘さんがどうなったのか、それは私にもわからない。聞こうとしたのだけど……脅迫されて聞けなかったし……。もっと、あの時どうせ死んでいるんだから、追求すればよかったよね……でも拷問は嫌で……怖くて。……その……肉体を貰ったこと……悪いと思っています……胸が痛い。……ごめんなさい……。

 

「……ぅん……うん……。お母さん、“私こそごめんなさい”」

「いいのよ。いいの。あなたが謝ることじゃないわ……いいのよ」

「……」

 

 強く抱きしめられ、こちらを落ち着かせるように後頭部を優しく撫でられる。互いの顔が見えない今だからこそ、やるせない表情をそのまま表情としてあらわすことができた。

 盛大に喜んだ反面、最悪で強烈な後味の悪さに反吐が出そうになる。……私はその原因である当事者なんだから、当然の報いではあるのだが、彼女の母親が真相に感づいたとき……私は彼女になんて言葉を掛ければいいのだろうか。

 

………

……

 

 あれから、30分。母親は私の胸を抱きしめながらすすり泣いている。そろそろ離して欲しいのだが、頼めば聞いてくれるだろうか?

 

「あの……お母さん? ……そろそろ……」

「えぇ。でもね、日葵」

「……ん?」

「さっき『学校の消火栓の中身、ぶちまけちゃった』って言った?」

 

 …………。

 ……あ。

 これは余計なこと言った。しっかりと抱き着いた腕が、私を離さないし、私の力では この腕から逃れられない。

 

「それって、いつの事?」

「……い、に、2週間前の出来事かなぁ……?」

「……その日って、日葵が初めて新しい学校に登校して、やけに隣市から応援が来るほどの消防車が走った日じゃなかった?」

「……たぶん」

「……」

「……」

 

 嫌な沈黙。

 どうやら母さんは、あれだけ派手にやらかし、短気でデブでハゲな図書委員にも伝わっていた話である体育館の非常ベルを片っ端から作動させて、消火栓をぶちまけ紫先生を巻き込んだことを知らなかったようだ。

 うるませていた瞳を拭ったかと思うと、今度は私のようなジト目に早変わりしていく。この目、母親の遺伝なのかもしれない。

 そんな別の要件で緊迫した地下空間で、私のスマホが鳴った。私はそんな突然の助け船にポケットに手を入れて相手を確認する。表示名は上原くんだ。一瞬緩んだ拘束を振りほどいて電話に出た。

 

「はぁーい?」

『よぉ、青空さん。俺だ』

「あ、上原くん。どうしたの? ちょっと ママン 学校の大切な“初めての”友達だからTELだから離して

「……」

『あれから筋肉痛の調子はどうだ? もう動けるようにはなったか?』

「おかげさまで。絶好調だよ! 昨日はごめんね、皆に下校を手伝ってもらっちゃって……」

『まったく……一時はどうなるかとおもったぜ? でも、気にすんなよ! 俺達、友達じゃん!』

「……ありがとう」

『それで突然なんだけどさ……明日って暇?』

「……うん! ヒマだよ!」

『じゃあ、さ! ふうまと蛇子の奴、明日 隣市のまえさき市に遊びに行くんだけど、青空さん……どうかなって、言っててさ。あ、でも、青空さんが良ければ俺も一緒に行きたいんだけど、ついていっても良いか……?』

「もちろん! 私的には、上原くんが居てくれた方がもっとより楽しいし、いろいろ教えてもらいたいから一緒に来てよ!」

やった…!!!! んじゃ、明日 五車駅に7時55分に集合な!』

「うん、わかった!」

 

 母親の腕を振りほどき、電話の間にダッシュで自室に逃げ込む。もう逃げてもいいはずだ。

 途中までぴったりと背後霊のようにくっついてきたが、あくまでも部屋の前までの話であって部屋の中には入ってくることはなかった。

 携帯電話を切り、部屋の外へ〈聞き耳〉を立てる。どうやら、階下で固定電話で何処かに電話を掛けているようだった。

 ……二度の波乱を切り抜け、テレビの雑音から聞こえるニュースで足音を消し、こっそり昼食を冷蔵庫から盗み出すと リュックサックに詰めて、自宅の窓から脱出しホームセンターへ向かうのだった。

 

 




~あとがき~
 今回のお話は、作者個人的な性癖のお話です。

 以前から、転生はともかくとして転移系のお話や漫画で中身の人物が入れ替わったにも関わらず、親や親族にあたる人物が変貌したその存在に対して、何も指摘しないことに違和感をずっと感じておりまして。「いやいやいやいや、愛する我が子が入れ替わってるんだぞ。その反応はおかしいだろ! それに“前の人物”を何も知らないのに大まかな情報だけで細かな癖(トイレットペーパーの付け替え等)をすべて“前の人物”と同じように網羅している主人公は何者だよ」と思っていたことを今回の異世界転移作品に詰め込みました。
 この性癖のお仲間が居たら、作者は嬉しいです。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode14-Tips+ 『お昼のニュース』

『お昼のニュース』

 今朝、群馬県まえさき市の誰にも使用されていない倉庫からドラム缶詰めされバラバラになった6人の人間と思われる惨殺死体が発見されました。

 被害者はいずれも1年前、都心部のビルを不法占拠し、突入した特殊部隊によって大半を殲滅された東雲革命派の残党であり、警察は倉庫に弾痕がいくつも残されていることから東雲革命派の残党と何者かがこの倉庫で衝突したのちに、東雲革命派をバラバラにしたとの見解を示しています。

 事件は昨夜深夜3時ごろ近隣の住民から、だれも使っていない筈の倉庫から銃声が聞こえるとの通報を受け、特殊部隊が調査したところ発覚したようです。

 また魔族の関与も想定されており、周辺の住民の皆様は十分にお気を付けください。

 

 

 

『警察の書類』 筆:青空 源太

 本事件にはニュース報道の直後、魔族の死体も倉庫の地下から発見されることとなる。

 魔族の死体は、東雲革命派の残党の死体の損傷よりも凄惨な状態であり、死亡するまでの間。何者かに“拷問”を受けたと思わしい傷がいくつも残されているのを科学捜査研究所の捜査員が死体の損傷具合から発見した。

 また一部は、完全な“白骨化”を遂げている魔族の死体があり、鑑識の結果ではその魔族は1週間前には存命していたことが科学検証結果で判明している。

 

 以上のデータより、本事件には高位から中位魔族の関与も推定される。

 

 さらに監視カメラの解析結果により、死亡したテロリストは6人であると報道がされているが正確にはこの現場にいたと思わしいテロリストの数は12人であり、6名はいまだ行方不明のままである。但し、行方不明となっている6名も無事で済んではいないだろう。彼等の武器や装備と思わしい備品と指紋が、6人の惨殺死体現場で同様に発見されている。

 ……しかし、この事件。何よりも奇妙で気がかりなのは、東雲革命派の残党と対峙した何者かの痕跡が一切残っていないことだ。弾痕の数や、周囲へ落ちた薬莢の数から推察するに、彼等はそれなりの銃弾を市街地付近の倉庫でもあるにも関わらず、サプレッサーも遠慮もせずに弾丸をばら撒いたことが現場検証から分かっている。

 また壁や床、天井に残された弾痕の数と床へ落下した薬莢の数が合わないことから、いくつかの弾丸は確実に直撃しているはずなのだ。だが、対峙した存在の血痕もなければ、死体一つすら上がってこないのは明らかに異常すぎる。

 

 高位、中位魔族の仕業と仮定するのであれば何も不審な点は見受けられないが、その過程を立てる場合。その高位、中位魔族は体に弾丸を食い込ませたままであることになる。例え、ゾンビのような死霊の類でも何かしら証拠が残るものなのだが……。

 

 さらにこの地域は特別な土地にも隣接しており、地元の高位官僚の話曰く 目前に“天敵がいる”ような場所で、魔都 東京に存在するヨミハラや大阪湾上のアダミハラを拠点とする魔族が表沙汰に騒ぎを引き起こしたというのは非常に考え難く、本件はその他から流れてきた魔族の流れ者の仕業であると考えているようだ。

 本捜査には、残虐性の高い魔族絡みの事件ということもあってか、『対魔忍』なる特殊部隊も出動するそうであり、ここへの選出された特殊部隊は学生のようであるが、腐っても特殊部隊の卵。今回の事件の犯人の尻尾を掴んでくれる……もしくはこの残虐な殺人鬼の抹殺を済ませてくれることを祈ろう。

 

 

 

『青空 源太のメモ書き』

 夜が明けたら日葵にメール →『まえさき市には近づかないように』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4章+ 『群馬県まえさき市』
Episode15+ 『いざ、まえさき!』


 時刻は7時40分。私はあらかじめ用意した清潔感のある私服に着替え、3人とまえさき市に遊びに行くため、自転車で五車駅に向かっていた。

 お出かけ前夜。

 『青空 日葵』が所持している服は、正直に言って私の好みには合わないどころか、まさに夜中にコンビニへ出かけるようなヒッキー THE 私服という類の服装であったためコーディネートにかなり時間が掛かった。まさか、ここまで外行の服がないとは……恐れ入ったものだ。結局、母親の私服からいくつか拝借することで、まぁ……釘貫 神葬(わたし)の好みに合わせた悪くない状態まで私服を整えることが出来ている。

 

【挿絵表示】

 

 出発前、汚れが付着していないかどうか くるりとその場でバレエのように横回転して、うっすら笑みを浮かべてみるが特に問題はなさそうだ。

 ところどころに前世の衣服傾向が出ているが、今回はグンマーの僻地『五車町』から外に出て、グンマーの中心部。そう都心に向かうのだ。少しばかり、この警戒した衣服の方が有事の際に役立つだろう。

 

………

……

 

——五車駅————

 

……

 

「日葵ちゃん、おはよう!」

「お、やっと来たな! 待ちくたびれちまったぜ!」

 

 五車駅に着くと既に蛇子ちゃんと上原くんが、鉄パイプとトタンと簡素な木材でできた『バイク月ぎめ』『自転車月ぎめ』と書かれている無人の駐輪所前のガードレールに腰を掛ける形で私を待っていた。私の到着に気が付くと大きく手を振ってくれる。

 2人は当然のことながら私服を纏っていた。2人とも……実に“かわいい”ことには間違いない。蛇子ちゃんはライトブルーを基調とし、胸元を強調したアダルティな服装のミニスカートにスパッツ衣装だ。そして上原くんは彼なりに男っぽい服をチョイスしてコーディネートしようとした形跡は見て取れるが、うん。それ全部レディース服。外見や容姿が女々しいからか普通に女の子と間違えられても仕方ないと言った様子だ。

 そして、私は初めて訪れた五車駅だが……。

 こちらは、とてもじゃないがニュータウンと謳われるような近代的な駅ではない。

 線路はすれ違い待ち用の待機所として2本しか用意されていなかったし、跨線橋(こせんきょう)は至ってはシンプルな構造でエレベーターの1つも備え付けられていない。五車駅のロータリから周囲を見渡す限り、ほぼ山と緑で構築されていた。駅の近辺には都心部では、まず見ないような『コイン精米所』にATMコーナー。駅の側面には1台の公衆電話があった。電灯には錆びた看板が吊り下げられて『ホワイトクリニック』『林歯科』などの医療機関が広告として提示されている。五車駅のテナントには、コンビニっぽい施設やその隣には立ち食いそばなどの店先が並んでいるが……。どれも古めかしい年季の入った木製の扉だった。

 これは、とんでもないド田舎である。間違いなくド田舎。何がニュータウンじゃボケェ!

 ……せめて。せめて、この五車駅が超ド田舎と呼ばせない機能があるとするならば、それは都心部ではよく目にすることのできる無線乗車を防ぐための扉付きの自動改札機が2台設置されていることだろうか。真の田舎駅ともなると、駅員が居ないどころか、下車時の切符はポストのような箱に投函式だったり電子マネーの機械が1台ぽつんと立っているだけだったりするが、五車駅はそこだけは他所の無人駅よりも一歩だけリードした駅だった。

 

「おはようございます。お二人とも、早いですねぇ…………まだ集合15分前ですよ?」

「えっへへ~♪ 早めに到着しておかないと8時の電車を乗り過ごしたが最後、次に乗れるのは2時間後ですからね~!」

 

 前言撤回。五車駅は、自分をニュータウンだと思いこんでいるオンボロ・ド田舎だ。

 

「うわぁ……。流石秘境グンマー……想像をはるかに超えてきますね。……ニュータウンとは何だったのか。ところで、ふうま君は?」

「ふうまなら、もう来てるんだけどよ。丁度、青空さんが来る2、3分前に『ううっ、トイレトイレ~』とか言って多目的トイレに入っていったぜ。ま、すぐ戻ってくると思うけどな!」

「彼は顔がいいですからね。ツナギを着た良いオトk……ナにホイホイ♂ついていってないと良いですが……」

 

 私の言葉に、二人は首をかしげて頭頂部にクエスチョンマークを浮かべる。……おっとぉ? これは10代の2人には伝わりにくいジェネレーションギャップ要素だったようだ。

 盛大に滑ったあたりで上原くんのいう通り、ふうま君も5分としないうちにトイレから携帯電話を片手に出てくる。顔の様子からすこし憂鬱そうな顔であったが、私が到着していることにも気が付くと笑顔をつくる様子が伺えた。

 

「おはようございます、ふうまさん。すっきりしましたか?」

「ああ。青空さん おはよう。無事に終わったよ」

 

 彼の私服は、五車学園の制服に似ている。青いジーンズに、薄い灰色のストライプのTシャツに長そでの黒い上着を羽織っている。

 今日も今日とて、彼の右目は閉じたままであるが、私も気にしないように振る舞いつつ、4人で切符を購入し電車を待つ。チラリと一瞬、目だけをふうま君に向けるが、ふうま君が右目を開けない理由はそれとなく突っ込んじゃいけないようなそんな気がしていたのもある。

 ほどなくして4両編成の列車が到着し、その電車に私たちは乗った。こんな辺境のグンマーへ訪れる人もおらず、列車は日曜日だというのにも関わらず4人だけの貸し切りのような状態だった。……正確には2人。他の車両に人は乗っているが、1人はノートパソコンに熱中、1人は爆睡している様子が見られる。

 

「はえー……ほぼ貸し切りだぁ……。いつもこんな感じなのですか?」

「たまにしか乗らないが、だいたいいつもこんな感じだな」

 

 全員で先頭車両に乗り込み、辺りを見渡す私に3人は慣れた様子で4人用の向き合って座ることの出来る座席に座る。窓際にふうま君と上原くん。ふうま君の隣に蛇子ちゃんが並んで座る。

 私も座ろう……と思った矢先、ふと視界にあるものが映ったことに気が付き、そっちに近寄る。

 

「青空さーん。当分まえさき市には着かないから、座っておいた方が着いたとき足が棒のようにならなくて済むぞー」

「はーい。……でも、今どうしても気になることがあって……座席を取っておいてもらってもよろしいですか? すぐに戻ります」

「おーぅ?」

 

 それだけ告げると、3人から離れて、私はその気になったことに近づき眺めに行く。

 

………

……

 

「……。なぁ、ふうま、蛇子」

「なんだ?」

「ん~?」

「あの……青空さんが気になっていることってさ……」

「……防災意識が高いだけだろ」

「き、きっと非常時のための確認のためであって、深い意味はないと思うな~」

「そっか……。そうだよな……。……あ、青空さん? 見終わったのか?」

「いえ、少しだけ他の車両にも見に行ってきます。5分ぐらいで戻ってきますね」

「お、おぅ……」

 

……

………

 

 全車両の確認を済ませ、最後尾の車両からすべての電車内を覗き見る。

 この世界でも建築法がしっかり顕在しているようだ。列車の各車両同士の連結側の壁に消火器が備え付けられている。

 私が消火器を眺めていることは そんなに珍しいことなのか……別車両で消火器と非常ベル、非常緊急停止ボタンの場所を確認する私に、パソコンに熱中していたはずの乗客が車両を仕切る扉越しに覗き込んでおり、目が合った。すぐに目を逸らされたが……。あの目は、“何をしているか?”という興味を引いている様子。というよりも、“押すなよ……! 絶対、押すなよ!? いいか、これはフリじゃないからな…?!”という謎の圧を眉間に寄った皺から察する。

 ……まさかとは思うが、私が非常ベルを連打した件が五車町近辺にも知れ渡っているのだろうか? ……いや、まさかな。そんなはずはない。田舎とはいえ、そこまで情報が知れ渡るわけがない……はずだ。たぶん。……第一、私の情報が洩れているとしても、非常ベルを連打した女として顔までは割れていない筈だ。翌日の地域新聞にも五車学園での出来事はどういうわけか記載されていなかったし。

 上原くん達が乗車している車両に戻るため、そのパソコンに熱中している乗客の目の前を通過すると彼の顔自体はパソコンを見ていたが、視線はパソコンから離れ明らかに私を注視していた。お互いに目が合うと、向こう側が慌てた様子で目を逸らす。

 ……そんな乗客に違和感を覚えながらも、3人の元へ帰ってくることができた。

 

………

……

 

 3人は何をするわけでもなく、ただそれはもう……黙って静かに座っていた。いつもの3人からは想像できないレベルでの落ち着き……否、これは大人しくしていた。

 

「戻ってきましたー」

「おかえり~」

「ただいまです。楽しくおしゃべりしているかと思ったんですけど、3人ともすごい静かですね」

「でしょ~。でもこれは前回のことがあるからかも…」

「前回の事?」

 

 蛇子ちゃんの言葉に私は首をかしげる。上原くんも、ふうま君も何も言わずにただ窓を魂の抜けたかのような表情で眺めている。一体、前回、彼等の身に何があったのだろうか……?

 

「ま、ま、ま。日葵ちゃんも座った方がいいよ。先は、すっっっご~ぉぉおおおく長いからね!」

「あ、はい。ありがとうございます……?」

 

 手を引かれ促されるまま彼女と向かい合う形で、いろいろ詰め込んだリュックサックをおなかに抱えて座席に座る。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

『……』

 

 沈黙。ただただ沈黙。誰も何もしゃべらない。思わず神妙な顔になる。なんだこれは。私はまた新しい異変に巻き込まれているのだろうか?

 

「……あの……蛇子ちゃん。……前回、何があったんですか?」

「……知りたい?」

「……差し支えなければ」

「それじゃ、教えてあげよう! あのね。これは前回と言っても、初めてまえさき市に遊びに行った中学生の時の話なんだけどね?」

「はい」

「その時の蛇子たちは、電車内でまえさき市に行くのがすっごく楽しみで、まえさき市に到着するまでいろんなことを話してたの。それはもう、とにかくいろんなこと。将来の夢とか、好きな忍法とか、まえさき市に遊びに行ったら何をするかとか、学校での出来事とか——」

 

 好きな忍法の話題をする3人に少し驚くも、ここが対魔忍の世界であることを思い出し妙な納得感を得る。あれ? でも、対魔忍の世界と言っても一般的には対魔忍は特殊部隊って扱いになっているっぽいことを1年前、医者が説明していたような……。

 となると当時、この世界で忍者の戦隊モノが流行っていたのかな? 私の世界でいうところの『ミュータントタートルズ』や『ニンジャスレイヤー』『シノビガミ』的な。

 

「——それは、もうっ、すっっっごく盛り上がってね! 大笑いしながら、楽しい道中を過ごしたの!」

「はい」

「でもね……蛇子たちは一つ見落としていたことがあるの……」

 

 蛇子ちゃんの表情が急に神妙な顔になる。

 あ、もしかして……これは乗り換える駅を見逃して迷子になった奴かな?

 

「ここで、日葵ちゃんに問題です! デデン! 蛇子達は何を見落としていたでしょうか! ちなみにヒントはね~。……これでーす!」

 

 突然の問題に目を丸くするが、彼女はお構いなしに私の目の前に指を3本立てて、ニヘラ~と笑う。

 3……? 見落とした3……? 一体のことなんだろうか……?

 3……。3……。さん……。スリー……。み……? 3番線ホーム?

 

「わからないかな? ヒント2つ目~。鹿之助ちゃんや、ふうまちゃんを見てみて! 2人はどんな様子かな?」

 

 ……2人は窓の外を見て、無言で黄昏れている。

 それはもう、何も考えていないような虚無、完全に妄想の世界に入り込んで 現世での出来事をすべて忘れ去ってしまったかのような……真っ白に燃え尽きたような魂の抜けた表情……。

 

「FXで有り金全部溶かしたかのような顔を……して、いますね……?」

「……ん? ん? ん? んっ? FX??? ……?????」

「あー……初心者でも始めやすい『株』みたいなものです」

「蕪?」

「株」

「蕪」

「株です。……それにしても、3とFX、電車の中での出来事ですか……」

「……難しいかな~? それじゃ三つ目のヒント! これは大ヒントだよ! 今日、蛇子はこんなものを持ってきました! はい! 日葵ちゃんにもあげるね!」

「飴? あ、ありがとうございます」

 

 彼女は飴玉を取り出して私に6つ渡し、2人にも受け渡す。飴玉はリンゴ味だ。封を開けて食べる。さっぱりとした甘さだ。

 窓際の2人も飴玉を真っ白な魂が抜けた状態で封を開けて頬張り、やっぱり黄昏れ始める。

 それから彼女は3冊の薄い小説を取り出した。薄さから1冊辺り200頁にも満たないノベルズ・コミック文庫の大きさものだ。それを3冊……。

 

「んんんーー……。……ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙っ゙

「の、喉に痰が絡んだみたいな声が出てるよ!」

 

 頭を抱え悩む私に蛇子ちゃんは、わたわたした様子でツッコミを入れる。

 

「……蛇子。蛇子。あれはヘヴィメタルに使用されるデスボイスの『ガラテル』だ……」

「えっ。ふうまちゃんなんでそんなこと知っているの?」

「お前が言ったんだぞ……相手の好きなものを調べて理解しておくことは、親しい“友人”関係を築く上で重要だって」

「あ、高坂先生が教えてくれた授業の……だね?」

 

 私の目の前でふうま君が蛇子ちゃんに向けて何かヒソヒソ話をしているのが見えるが、残念ながらそっちの話に頭のリソースを割いているような余裕は私にはなかった。首をひねり、腕組みをしながら出題された問題の解答に全力を注ぐ。唸れ! 私の〈アイデア・INTロール〉ッッッ!!!

 その時、PON☆ と私の脳裏に一つの答えが浮かび上がってくる。

 

「……あ」

「わ、わかったかな~?」

「もしかして……到着までにすごく時間が掛かる? ……具体的に…3時間ぐらい?

「ピンポン!ピンポン! だ~いせいか~い!!!

 

 彼女の正解の声は嬉しそうだったが、私は凄まじく長い乗車時間に思わず嬉しいような嬉しくないような顔で目をつぶって仰け反る。

 3時間の乗車時間。それは千葉県で例えると『柏から館山まで』……もっと距離感に疎い人のために説明するならば、千葉県の『最北部から最南部』……チーバくんで例えると『鼻先から足先へかけて』電車での移動する際に掛かる時間に該当するぐらいの距離である。

 しかも、ここで思い出して欲しいのは……五車町はまえさき市に隣接している距離にも関わらず、3時間だ。正気の沙汰とは思えない。

 五車町……辺境の田舎ってレベルじゃねーぞ! 未開の秘境の地 THE・グンマーさんだよぉ!

 ちなみにこれは補足となるが、西東京に存在する駅の1つ『奥多摩』から都心の『池袋』までの乗車時間ですら、乗り換えを含めても2時間10分ほどで到着ができる。ちなみに直線距離で換算した場合50㎞ぐらいだ。……これで更に五車町がどんな辺境の地か非常にわかりやすくなったかと思う。

 

「こりゃ、早めに原付か自動車免許を取らないとなぁ……ははは……」

 

 乾いた笑いとか細い独り言をつぶやきながら、後頭部をかきながら片目を瞑る。

 五車町が山間部を開拓したニュータウンにも関わらず……外部から人が集まらないことがわかったような気がする。……とにかく交通の便が悪すぎる……! 都心部に出かける私に母親が色々な田舎では手に入らないような物品の購入を依頼してきたのも頷ける。

 そりゃ、新しく新設された街だよ! 小中高校一貫の国立学園があるよ! その他に自慢できるような建物はないけど、とにかく学校は国立なのに立派だよ! 機材もすごいよ! 教育に熱心()な優秀な教師がいっぱいいるよ! あ、あと絶滅危惧種の商店街があるよ!

 

 五車町から最寄りで都心部のまえさき市まで、電車で3時間だけどねっ!!!

 

 ……もうね、アホか……と。そんなの人なんか集まるわけがない。何がニュータウンだよ。オールドタウンだよ。過疎化の未来しか見えない秘境ですよ。……。はぁ……。道理で通販プライム プレミアムつけているのに商品が翌日に届かないわけで……。海外の本なんか注文した日には、到着は半年後じゃあなかろうね?

 日葵の父親もとんでもない場所に転勤命令が出たものだ……。一体、何をしたんだか……。

 

 ……でも片道3時間も時間があるのか。これは逆に私としては、好都合だったのかもしれない。

 おもむろにリュックサックを開き、中から私が増量版化させた『新クトゥルフ神話TRPG』のルルブを取り出した。その瞬間、正面の蛇子ちゃんはもちろんの事、黄昏ふうま君の目の色も変わり、私が持つルルブにその視線が釘付けになる。

 これにはドヤ顔をせざるおえない。Good Job. 私。

 

「うぉ……マジか……ッ! 持ってきたのか!? 今日も!?」

「はい。このTRPG本、かなり重いので……筋トレのつもりで持ってきたのですが、やはり気になりますかね? 黄昏ふうまさん」

「青空さん!? それって……!」

「上原くん……そうですよ。例のアレです。一発キメたが最後……後戻りが出来なくなる悪魔的快感の坩堝……そう、ヤク(TRPG)です」

「や」

「や……?」

「やりたい! なぁ、やろうぜ! ふうま! 蛇子!」

 

 私のTRPGの声に上原くんも意識を取り戻したようでキラキラと輝いた目で食いつきを見せる。可愛い。眼福。正気度報酬。狂いそうになる。ステイッ ステイッ まだだッ まだだッ! 抑えろ……ッ! GMは常にPLへ公平に(6版(153頁)“信頼と公平さ”)接しなければならないッッッ!!!(、7版(180頁)“初めてのキーパー”記載の戒め)

 他の2人も、おずおずと頷く。よし……! いろんな意味で、心を抑えたッ! 掴みは良い感じだッ!

 

「……今回、皆さんTRPGは初めてですもんね。本当は初心者向けの簡単なシステム『ウタカゼ』や『永い後日談のネクロニカ』あたりが遊びやすいのですが……まぁ、何せまだ家にルルブが届いていませんので……。他にも初心者向けのTRPGはありますが、『永い後日談のネクロニカ』は電車でやると大体大変なことになりますし……今回は『新クトゥルフ神話TRPG』になります。各自インターネットで無料配布版『新クトゥルフ神話TRPG(7版) クイックスタート・ルール』を参照してキャラクター……自身の分身となるキャラを作ってみましょうか。わからないことがあれば、いつでも聞いてください。お手伝いします。」

 

 準備してきた白紙のキャラシートを取り出し3人に配り、彼等の分身である“探索者作成”が始まった。

 ……ここにいる全員、私の実体験を交えた“ガチであった怖い話”を残酷描写のソフト版で恐怖という快感の沼に落してやる。人は過度な恐怖を感じるとストレス緩和のために脳から麻薬分泌液が発生する。

 

 

 ヤってみな。……飛ぶぞ?

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode16+ 『茶色のケモミミフード』

「ここがまえさき市……」

 

 ——改札を抜けた先は、前世で私がよく見た都会の中心部でした。

 時刻は約11時、道行く人々は、ほとんどが楽しげに笑いながら道を往来していく。どこからともなくお腹が空く様な美味しい香りが漂って……。五車町では学校を除いて聞けなくなった賑やかな喧騒音であふれかえっている。

 近くには大規模な駐車場に大型商業施設や電化製品屋、大手飲食チェーン店、娯楽施設などなど駅前ということもあってか、様々な店舗が競い合うように立ち並んでいた。もうこの周辺だけで1日時間を潰せ……いや、1日あっても時間が足りなさそうだ。

 

「さて、と。ふうま君、今日はどこに行くのですか?」

「……なんで俺に聞くんだ? 誘ったのは鹿之助だろ?」

 

 一足遅れる形で改札口から現れたふうま君に対して、私は振り返って今回の企画者である彼へ遊覧プランを尋ねてみる。しかし彼は登下校中に見せるようなぼんやりとした様子で反応を私へ返してきた。

 ……ん? あれ、なにやら話に食い違いがありますね。

 でも昨日、確かに『ふうま君と蛇子ちゃんが、まえさき市へ遊びに行くけど……良かったら一緒に行かない?』と上原くん経由で誘いがあったような……? その後の話の流れでも、上原くんはまえさき市へのお出かけに誘われていなかったようですし……。

 

「はて? 私の認識としてはふうま君が誘ってくれて、上原くんが翌日の日程確認の電話してきたと記憶にありましたが……違いましたっけ?」

「ふうま! お前が最初に青空さんをまえさき市に連れて行こうって言いだしたんだろ! でも携帯電話番号を知らないから、俺に『電話をかけてくれ』って言ってきたじゃん!」

「……そうだっけ?」

 

 首をかしげる私に、上原くんの援護射撃が乗せられる。しかし、ふうま君としては、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしており、自身がそんなことを言ったのか思い出せない……そんなぼんやりとした顔のまま前髪を触っていた。

 おやおやおや……。これは何か裏でひと騒動ありましたね。ですがこれ以上、真相を探るのは野暮ってものです。あとで、ふうま君にも私の携帯電話番号を教えてあげましょう。

 

「はは……ま、そういうこともありますよね! それでは、この近辺でいろいろ買い物とか楽しめるような場所はどこにありますか?」

「それなら、あそこのショッピングモールがいいだろう。品ぞろえが一番いい」

「あ~! でも待って! 蛇子、お腹が減っちゃって……、買い物はご飯を食べてからじゃダメかな?」

「あー、俺も賛成。電車の中でしゃべりすぎて喉が渇いちまったしさ……食べに行くならドリンクバーの付いてる店がいいな」

 

 ちらりとふうま君がこちらを見てくる。母親にはいろいろ買ってきてほしいとは言われているが、今回、私としては “友達と遊びに” まえさき市に来ているのだ。別にご飯を食べに行くぐらい問題ないはずだ。

 

「Hey. 尻。この辺のドリンクバー付きのレストランとファミレスを教えて」

『はい、見つかったのはこちらです』

「……この辺で近いのは学生の財布に優しく、コスパ最強のサイゼリアですね。丁度ショッピングモール内にあって、今の時間であればまだ空いてますよ」

「マジで!? よっしゃー! 俺、そこがいい!」

「お二人はいかがでしょうか?」

「異論な~し!」

「構わない」

 

 道案内のため私が先頭に立って歩くことになる。その後ろにご機嫌な上原くんと蛇子ちゃん、最後尾に辺りを見渡すふうま君が付いてくる。陣形としては、さながら守るべき対象のいないインペリアクロスと言ったところか。正直、私は現在、紙装甲なので 頑丈そうなふうま君に先陣を切ってもらいたいが、これと言って誰かと戦闘しているわけでもないのでこれはこれで問題はない。

 

「あ、ねぇねぇ 鹿之助ちゃん。アレなんだろ?」

「えぇ?」

「ほら、アレだよ。アレ」

 

 後ろをついてきていた2人の足が止まり、私も歩みを止める。

 二人が指を指し、見ている方向に視線を向けると何やらケモミミのフードを被った茶色のローブ集団がショッピングモール内へ入っていく様子が見えた。……休日の昼間の駅前の光景として似つかわしくないシュールな光景だ。フードの中は影が濃く、彼等の顔を見ることはできない。

 

「獣人たちの集会かなぁ?」

「えっ? 獣……人? あれってケモミミフードを被った人間ではないのですか?」

「うーん……。蛇子もそこまでよく見えたわけじゃないから……ふうまちゃんは? どうかな?」

「あれは人間ぽかったな。手が人間の手だった」

「もしかしてたまにやるイベントか? メシを食い終わったら探してみようぜ!」

「いいね~!」

 

 わずかに見えた謎の集団について話題の花を咲かせショッピングモールに入り、飲食店を目指す。

 ……あぁ、TRPGセッション? うまく行きましたよ。上原くんはちょっと中二病が開花しました。素晴らしい。実に素晴らしい沼へ沈む大いなる第一歩です。蛇子ちゃんもじきに堕ちるとは思います。反応としては良い反応ではありました。ふうま君は……どうでしょうね。楽しそうに笑ってはいましたが……洗脳までに時間を要すると感じたのが今回の見解です。

 

………

……

 

——食後の買い物 ショッピングモール館内————

 

……

 

 今、私は上原くんと2人きりでショッピングモールをめぐっています。

 ふうま君と蛇子ちゃんの2人ですが、サイゼリアで昼食を食べた後、蛇子ちゃんは食べ過ぎでお腹を痛めトイレへお花を摘みに。ふうま君は蛇子ちゃんの付き添いで席を外しております。

 蛇子ちゃん曰く『せっかくの休日を私のせいで潰しちゃ悪いから、鹿之助ちゃんと行ってらっしゃい』とのことで今、ケモミミフードの集団のイベントを探しつつ、買い物中ですが……。

 

「見つからないですね……。茶色のケモミミフードの集団。上原くんは見えましたか?」

「青空さんの高い身長((約160㎝))で見つからないなら、俺の身長((140㎝))じゃ見えないよ……」

 

 一向に彼等が見つかることはなく、ショッピングモール内をウロウロ徘徊しています。

 これだけ探しても見つからず、インフォメーションの店員も認知していないということは、イベント用の人員などではなく、お客様であるとして考えられますが……。あんな不審な格好でよく街中を歩けたものだと、ある意味感心しているところです。

 

「そうだ! ここは、私が肩車しましょうか?」

「おいおい、いくら青空さんでも俺を持ち上げることは無理だって。紫先生のバーベル15㎏で一昨日疲れ果ててただろ?」

「上原くんって、身長140㎝ぐらいですよね? 確か身長140㎝の人の平均体重は43㎏。上原くんはどちらかと言えば、やせ型なので その点を考慮して-5~8㎏。実重量は35㎏前後だと思います。35㎏であれば、米袋1袋分の重さと変わりないですし、抱きかかえるわけでもなく、ある程度の足で支柱もある状態での肩車なので負荷としてはバーベルよりは軽いかな?と思ったのですが……。肩車。しましょうか……」

「……うん。ごめん、俺の言い方が悪かった。俺が恥ずかしいからやめて

「そうですか……。残念です。わかりました」

 

 じりじりと彼ににじり寄る私に今、彼は顔を赤らめて両手で口元を隠している。かわいい。

 ……もしや、蛇子ちゃんとの別れ際、彼女は私に対してウィンクをしていたが、もしかすると、あれは……そういう……? トイレに花を摘みに行ったのも、『私はふうま君と。日葵ちゃんは上原くんと親睦を深めてね!』という意図が……? だとすれば、蛇子ちゃんは見かけによらずできる女だろう。大学生になって合コンとかしても、雰囲気の良くなった相手をこっそりお持ち帰りできるようなタマだ。

 ここで一抹の不安が沸き上がる。私は電車内で公平にGMをできていただろうか……? 彼の可愛さに盲目になっていないだろうか? それはGMの責務として越えてはならない一線でもある。不公平なゲームはほぼ必ずと言っていいほど、全員が楽しむということにはならない。

 

「……青空さん?」

「はい?」

「今、すっごい小難しい顔をしていたけど、どうかしたのか?」

「あぁ。すみません 気にしなくても大丈夫ですよ。『自転車の鍵をかけ忘れたかも……』と心配になるぐらいの事情を思い出してしまって」

「そっか……」

 

 あぁ、その少し一緒に悩んでくれるようなしぐさが、彼の優しさが汲み取れるし、何よりもかわいい。

 あぁ^~~。かわいいなぁ。眼福。眼福……。

 彼は男の娘に分類されるような属性の持ち主であり、オカマでは無い、無さそうではあるが……。以前聞いたことのある『男は度胸、女は愛嬌、オカマは最強とは、まさに今、私の目の前にいる男の娘に置き換えても当てはまるのだろうな……。最高。

 

「な、なんだよ……。今度は俺を見ながら突然ニヨニヨ笑い出して」

「ん~? 大したことじゃないですよ。……私にも良い友達ができたなーと実感がありまして、少し嬉しくなっているだけです」

「そ、そうなのか?」

「えぇ、そうです」

「ならいいんだけど……」

 

 これ以上、邪悪な笑みをこぼさないように穏やかに笑って見せる。

 あぁ、きっと子供を連れ去ってしまう犯罪者の気持ちというのは、こんな邪悪な気持ちなのだろう。本性を隠しつつ、暗黒微笑(草)を浮かべて近づく。

 

「さてと、どうしますか? 私の買い物は殆ど終わりましたけど、上原くんはどこか行きたいところとかありますか? 今日のおでかけは荷物持ちでの筋トレも兼ねているので、もし仮に上原くんが持ちきれなくても私のほうで代わりに全ての荷物を持ちますよ」

「……。……青空さんって、そういうところが勤勉だよなぁ……」

「? 何か言いました?」

「い、いや! えっと、それじゃあ、服を見に行きたくて……」

 

 ……これはのちの道中で聞いた話ではあるが、上原くんは学校の制服2種以外に男物の服を所有していないそうだ。

 これはつまり、今日 全レディース服でコーディネートしてきたのも合点がいくし、彼の家にはもっと彼に似合うレディース服があるのだろう。……それは是非ともお宅にお邪魔する形で、拝見させて頂きたい次第ではあったが、彼の制服姿から考察するにメンズの衣装はメンズの衣装できっとベクトルは異なるが『かわゆい』に違いない。

 と言ったわけで、彼とはこの後。2人でメンズ服を取り扱う服屋に向かうことになったのだった。

 

………

……

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode17+ 『အနားယူခြင်း အနှိပ်ဆိုင်』

待って!そこ、まずいって!それ魔族の店だよ!!!駄目だってッ!!!!!そこは俺でもまずいってわかるぅぅう!

「でも、こんな大型ショッピングモールで表向きに店を開いている魔族だよ? ちゃんと警戒もしておくから……ね?」

見て!青空さん!和訳ぅ!(ここぉ!)魔族語で!リラクゼーション マッサージ店!魔族の経営する!大人の!マッサージ店ッッッ!!! ただでも胡散臭いのに!ここが例え合法的な店でも、青空さんみたいな無防備な人が入って行ったら絶対、餌食にされちゃうぅっ!

「でも、私はマッサージを受けたいんじゃなくて……中にいる魔族の方々に聞きたいことがあるだけで……。そう、入り口……。そう、先っちょ! 先っちょだけさぁ。受付の人とお話したら、すぐ戻ってくるから。ね。ね?」

 

 現在、その上原くんと押し問答中です。

 事の発端は、母親に頼まれた物品(クソ安い強力洗剤とか、芳香剤とか……)を大量購入し 次に上原くんのメンズ服の購入をも済ませたのですが……。

 入口に私が去年 目覚めたときに発見した本と同じ文字表記に似た店を見つけまして。筋トレとして説明書である2冊に加えて、例の〈他の言語(魔獣語)〉だか、〈他の言語(魔族語)〉で書かれた本も持って来ていたので何語であるか尋ねようとその店に入ろうとしているのですが、強固に引き止められています。

 『対魔忍』の世界ですし、言いたいことはわからないでもないですが……。でもここでこの機を逃したら、この店に一生足を踏み込めなくなるような、そんな気がして私は行きたい衝動に駆られています。

 やめられない。止まらない。探索者(前世の私)としての(さが)みなぎる私の好奇心。

 

「無理無理無理無理ムリムリッ! 絶対、無理だからッ! 絶ッ対に!帰って来れないから! ふうまー! 蛇子ー!!! 早く帰って来てくれーっ!!!!! 青空さん! 日葵さん! 日葵が魔族のチャームの術に引っ掛かって 危険地帯へ嬉々として突っ込もうとしてるぅー

「……だから、上原くんはこの先のフードコート付近の休憩所でカレーでも飲みながら荷物番をしててくれればそれでいいですってば。ほらお小遣いもあげます。おつりは自由に使っても良いですよ。5分ぐらいで戻ってきますから」

絶対に譲らないからなっ?!賄賂を渡されたって俺は絶対に首を縦に振らないからな!?無理だから!青空さん、魔族を舐めちゃだめだよ?!! あと、カレーは食べ物!!!

「……うーん」

 

  半分、私に引き摺られている上原くんを目前に片目をつぶって後頭部を掻く。目を丸くし眉を八の字にして、今にも逃げ出しそうな雰囲気にも関わらず必死にこちらを引き留めてくる彼からは、何か過去に魔族関連でえらい目に遭ったのではないかと推察することができる。

 しかし絶対、引こうとしない彼に根競べで押し負けて『今度の機会でもいいかな』と揺らぎかけていた。

 

「……うん……わかりました。わかりましたよ。そこまで言うんだったら——」

「あらあらあら♪ 店先がやけに賑やかだと思ったら、お嬢ちゃんたちがお話していたのね♪ でも相談事は別の場所か、私の店に入ってからやってもらえると嬉しいのだけど……どうかしら?」

 

 そんな時、不意に魔族の店の扉が開き、軽快な鈴の音が辺りに響く。

 振り返るとそこには一人の女性が顔を覗かせて、ニコニコと愛想のよい微笑みを浮かべながら 穏やかな物腰と言葉遣いで私と上原くんに声をかけてきた。

 

「……!」

「……あぁ、ごめんなさい。すぐに居なくなりま——」

 

 その言葉と声を聴くのと同時に上原くんは声の主に目を四角く強張らせ、飛びのくように私の影に隠れる。そして、そのまま身動きが取れなくなったかのように固まってしまった。

 私もその魔族の女に対して離れる趣旨を伝えようと思ったところで言葉を失った。魔族の店から出てきたのが普通の人型をした妖艶な女性……ということもあったが、それは一瞬、私たちの友人である『相州 蛇子』にそっくりでもあったからだ。

 衣服と身長に関してはシークレットシューズや別の服装に変えてしまえば いくらでもごまかせるため、なんとも言えないが……。黄金のはちみつ酒色に輝く虹彩に、若干のウェーブが掛かっているが薄黄緑色の髪色、男性であれば思わず目が釘付けになってしまうような爆乳。それは蛇子ちゃんと同一の姿であった。

 ……でも、そこはかとなく顔から美人だが《/vib:1》キツめ《/vib》な性格が滲み出ているような気がしなくもない。私の知る蛇子ちゃんは、もう少し可愛らしくて……ニヘラ~と笑いが絶えない優しい顔と認識していたが……。……化粧のノリのせいだろうか?

 

「——蛇子ちゃん?」

「……フッ。確かに私は蛇子だけど、いったいそれがどうかしたのかしらぁ?」

「えっ、相州 蛇子ちゃんなの!?」

「フフッ……。何をそんなに驚いているのよぉ。そうだって言ってるでしょ♪」

 

 思わず怪訝に目を細め少し軽蔑したようなまなざしを向けながら彼女の名前を呼んだ。だが、それを正面の彼女は否定することもなく、ただただ妖艶に、胸を突き出して爆乳を協調するかのように前かがみになって上目遣いで誘惑するような声色を出しつつ、スローペースな速度で寄ってくる。

 え? ……えっちなお店でアルバイト?

 あの時のウィンクって『あとで この店に来てね(はぁと)』ってサインだったの?

 え、でも、蛇子ちゃん。……サイゼで食い過ぎて、お花にうんこ(ビックフット)しに行ったじゃん???

 

「え、でも、蛇子ちゃん。サイゼで食い過ぎて、お花にビックフット(うんこ)しに行ったじゃん???」

「!?

 

 ちょっと衝撃が強すぎて頭に浮かんだ言葉が隠語としてではなく、そのまま口から放出される。

 それに伴って、強張った状態の上原くんの視線が私へと向けられ、空気が凍り付いた。すれ違う通行人の動きも一瞬、固まる。

 あ、いけない。トイレって付け加えるのを忘れてしまった。そっか、このままじゃ、野糞しに行ったみたいじゃん! それは皆 動揺するよね。まずい まずい。修正しないと。

 

「ま、待って! 違った! これは決して、屋外に野糞しに行ったって言いたいわけじゃなくてね?! トイレ! そう……トイレへお花を摘みにうんこ(うんこ)しに行ったよね!?

 

 セーフ。これで語弊を産み出さないし、排便をオブラートに包んで、周囲の通行人から蛇子ちゃんの尊厳を守ったはずだ。額に伝う汗を掌で拭ってやり切った顔になった。これでホッと一息つくことができる。流石、私。アフターフォローまで完備している素敵な女

 

「フ、フフフっ♪ そうね♪ その話を聞く分にだけど、人違いだわ♪ それは私じゃないわね」

「なんだぁ……人違いでしたか。ごめんなさい。友人にあまりにもそっくりだったもので……。では——」

 

 私の言葉(失言)に彼女は、一瞬自身のペースをかき乱されたように見えたが僅かな時間プルプルと震え始めたのちに、落ち着きを取り戻して別人であるようなことを口走る。

 なんだ。よかった。ただの他人の空似か。ひとまず『えっちなお店で働いている蛇子ちゃん』という疑問は私の中で解けた。

 固まって動けない様子の上原くんの手を引いてその場から離れようと一歩踏み出す。この妙な空気が流れる空間に私の方がそろそろ耐えきれないこともあったからだ。

 ……あれ? でも。……この人、さっき…——

 

「あら、店先で賑やかに相談するわけじゃなければ、そんなに急いでどこかに行こうとしなくても良いのよ?」

「……え?」

あなた。私に聞きたいことがあって、店に入店するかどうか そっちのお友達のお嬢ちゃんと揉めていたんじゃないの? せっかくこちらから出向いてあげたんだから、居なくなっちゃう前にそれを聞いてみたらどうかしら♪」

 

 彼女が現れてから、メデューサに睨まれて微動だにしない石像のようになってしまった上原くんを見る。彼はいまだ固まったままで、視点を私から蛇子ちゃんモドキに戻して……今、私が見ていることにも気が付いてすらいないようだった。

 ここら辺は人通りもそれなりに多い。さっきの私の爆弾発言(野糞発言)で多少なりとも、私を視界に入れつつ正面の彼女に注目が集まっている。……ないとは思うが、万が一。何かが起きても、対処はしやすいだろう。

 

「……では、お言葉に甘えて……。この本の文字が何の言語かわかりますか?」

「本?」

「はい。露天商のおじさんから、購入したものなんですけど……何が書いてあるのかわからなくって。面白そうなので読んでみたいとは思っているのですが、読み込むにはまずこの本の言語が何であるのか判別して翻訳の為の辞書を購入しないといけないんですよ」

「なるほどね。それぐらいなら今、確認してあげるわ。…………」

 

 上原くんとつないでいた手を離し、彼女に近づきリュックサックを開いて『魔獣・魔族の言語で書かれた本』を差し出す。

 蛇子ちゃんモドキはその本を愛想よく受け取り、ペラペラと本を捲り確認をしてくれる。その表情は終始 面白そうな微笑みを浮かべた顔をしていたが、表紙を読んだ瞬間に 一瞬わずかに下瞼が持ち上がり目を細めたのを私は見逃さなかった。

 それにしても……。良からぬ事実の暴露を掛けたのに、今のところこちらに何もせずなにも言わずに本を確認してくるあたり。上原くんが想定していた魔族よりは多少マシな部類の魔族だったのかもしれない。

 ひとまず彼女は私が渡した本に熱中した様子でペラペラと本を捲っている。少しなら目を離しても大丈夫だと思い『ね、大丈夫だったでしょ』と言わんばかりのしたり顔と微笑を浮かべ、背後にいる上原くんの方へ振り向く。だが、ここで彼の異常に 私は思わず本を読んでいる彼女側へと後ずさるような戦慄と固唾を飲み込むような経験することになる。

 ……彼は凄まじい勢いで首を横に振っていた。まるで水浴びを終えた犬が水滴を散らすような勢いで首を左右に振り抜いている。髪が乱れ、静電気の溜まった下敷きで髪が持ち上げられたように大きく膨らむ。私が後ずさった直後に、その首振り行為が一層素早くなったように見えた。

 

「うっ?!」バチッ!

「いッ!?」バサッ

 

 突発的に予測もしてない状態で、首筋に激しい痛みが走る。まるで巨大な静電気が弾けたみたいだった。

 首を抑えて痛みに振り返れば、蛇子ちゃんモドキの魔族が本を床に落として左手を抑えている。どうやら、友人の豹変に戦慄し固まる私に声を掛けようとでもしたのか、触れようとして静電気が発生したのかも。彼女は自身の手を見ながら驚いたようにも見えるが……一瞬。無害だと思っていた生物から手痛い反撃を貰ったかのように、怒りで顔をしかめたようにも見えた。

 ……やっぱり、この蛇子ちゃんは性格がキツそうだ。他人の空似で間違いなさそうではある。

 

……や、やだなぁ……もう。時季的に梅雨だっていうのに……。静電気……? ですかね? すみません驚かせちゃったみたいで」

 

 彼女が落した本を素早く拾い上げて脇に抱えた。

 上原くん側に一瞬、視線を戻すが彼は頭を振ることを止め、乱れた髪を整えながら青い顔をして、私に早く戻ってくるように高速で手招きを始めている。そんな切羽詰まった顔もかわいい。

 かわいいね。上原くん。

 

「それで……この本の言語、〈魔族語〉か〈魔獣語〉らしいんですけど何の言語かわかりました?」

「……残念だけど。……力になれなくて ごめんなさいね。私には分かりかねる言語だったわ」

「そうですか……。でも確認していただいて、ありがとうございました」

 

 一礼をしてから、鋭い痛みの走った首筋をさすりながら上原くんのそばに駆け寄る。

 そんなにこの魔族が怖いのだろうか? 私は先に上原くんに一瞬 恐怖を抱いたわけだが……いま彼は、かなり震えている。記憶に新しい紫先生の強行を目撃したとき以上に震えている……。

 確かに人は見かけによらないともいうし……悪人こそ善人のふりをして近づいてくることもある。今は無害そうに見えても、早めに離れた方がいいのかもしれない。

 

「ねぇ……♪ あ な た?」

「……なんです、か……ッ!?

 

 ここで左手を抑えていた魔族の女が再び私に声をかけてきたため振り返る。

 彼女は音もなく私の真後ろにいた。つい先ほどまで、数メートル離れていた位置に居たにも関わらずだ。あの場所から、現在の場所まで蛇子ちゃんモドキの足でも最低10歩は必要なほどの距離なのに。接近を試みるにしても走り寄りでもしない限り間髪入れずに話しかけられるような位置でもなかったのに。コンクリートの床にもかかわらず、音もなくまるで影のように真後ろに居たのだ。咄嗟に1歩左にズレて上原くんをかばうように彼女の毒牙が届かないよう遮る。

 

「あらあら、驚かせちゃったかしら?」

「は、ははは……ごめんなさい。突然だったので。びっくりしちゃいました」

「別に謝ることなんてないわ。こちらこそ驚かせてごめんなさいね♪ ……実は、その本の事で話しておきたいことがあって♪ 私にはちょっとよくわからなかったけど、私の“親友”なら読めるかもしれないわぁ♪ もしよかったら連絡先を交換……とか、どうかしら?」

「えっ……。あっ。ほんとうですか! それは、嬉しいです! あー……でも、ごめんなさい。お恥ずかしながら、ダイスロール(スマホゲーム)()使いすぎ(やりすぎ)で今 電源が落ちていて————」

「なら私の店で充電していくといいわよ♪ 充電器も貸してあげる♪ ……安心して? そっちの子が恐れているみたいに別に取って喰いやしないから♪ ……それに。お嬢ちゃん達は可愛いから特別なサービスもしてあげるわ♪」

「あぁ! もうそれは本当に素敵なお誘いですね! すっごく嬉しいんですけど、この後に他の友達との待ち合わせもあるので……!」

「そう……? なら残念だけど、仕方ないわねぇ」

 

 改めて考えれば、今度はこの女魔族が怪しく思えてくる。

 離れようとする私に対し、やけに食い下がってくることも1つの要因だが……ここは魔族の店であり、自身の店だと話していた割には人の姿でこちらに姿を見せていることも……。合法的に店を開いて特にやましいことがないのであれば、本当の姿で現れたってかまわないはずだ。既に看板でミャンマー語に似た〈魔族語〉を使っているわけだし、通行人もこの店は“魔族が営む店”であると認識しているはずでもある。……私達に“気を使って”とも考えられたが……彼女は、どうして初対面の時に友達のフリをした? ワンチャンこの人が『アイシュウ=ヘビコ=チャン』という名前の可能性もあり得なくはないが……。

 そもそも、私はなんでかわいい上原くんがこんなにも嫌がっているのにこんな店に入ろうとしたのだろうか? いくら前世の私の好奇心があったとはいえ、意地でも入ろうとしていた自分に対しても恐ろしくなってくる。

 

「はい! ご協力ありがとうございました!」

 

 一応、大人として社交辞令的な返事を返して、その場から上原くんを立ち去る方向に押し込みながら競歩のような動きでその場から離れようとする。本当は、走ってでもその場から離脱したい気持ちがあったが、どういうわけか足が震えて棒のようにしか動かなかったためだ。まるで蛇に睨まれたカエルのような……。

 振り返っても追いかけては来ていなかったが、私達が見えなくなるまで ずっと笑顔で手を振り続けていた。……否、あの手の振り方は……。こちらに手招きしているようにも見える。

 彼女から言いようのない恐怖が更に湧き上がってくる。

 それは……彼女の姿が見えなくなるまで…………ずっと。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode18+ 『高位魔族』

「あの……うん……。えっと、本当にごめんね……?」

「ごめんねじゃないよ!!?本当に危なかったんだからな!!?」

 

 上原くんが声を荒げる。

 私たちは、あの魔族のお店から逃げ去ったあと、フードコート近辺の区画に存在する休憩所の外観を眺められる窓付近のテーブルで足を休めていた。あの場から逃げるように去ったあと、途中で半分魂の抜けたようになってしまった彼の手を引いて、適当な座席に座らせ、一息をつくためにお茶を渡したところで彼は正気を取り戻したようだった。

 彼いわく、彼女が顔を覗かせたときから凄まじいと称するレベルの高位魔族的な波動(上原くん曰く『瘴気』と言うものらしい)が滲み出るように放たれており、私は平然として話していたが、彼にとっては本当に足が動かなくなって、全身の震えが止まらなくなるほどの存在だったらしい。

 

「日葵には見えていなかったのか!? あれは本当に危険だったんだって! なんであんなのがこんなショッピングモールにいるんだよぉ……! あんなのは普段は魔界にしかいないらしいし、魔界でもそうそう出会わないような存在じゃなかったのか……?!

「……本当?」

俺が嘘を言ったことがあるか!?

「ない……けど……さ……」

 

 彼が両手で頭を抱えながらも、迫真極まる声の覇気から相当危険な状況だったと再認識することが出来る。

 それにしても、上原くんが意地でも止めてくれなかったら……。蛇子ちゃんが食べ過ぎてうんこに行ってなかったら……? 間違いなく私は彼女の言葉を鵜吞みにして、好奇心のままついて行ったに違いない。引き止めてくれた上原くんの存在と、食べ過ぎた方の蛇子ちゃんと、蛇子ちゃんのうんこに感謝するばかりである。

 

「はぁ……。もうあの店に行くなよ……」

「本当にごめんね……」

「いいよ、俺は青空さんがわかってくれたならそれで……」

 

 彼は真夏の車内に放置されたアイスクリームのように、その場で椅子にもたれ掛かりながらドロドロと崩れ落ちる。余程、緊張していたのであろう。もしも彼に骨と皮がなければ、そのまま肉団子のようになって蒸発してしまいそうだ。

 

「ちなみに……『高位魔族』って……なに?」

 

 ……そんな魔族についてなんて、病院にいるときには学んでなかった。確かに『青空 日葵』のノートパソコンの中身からそれらしい情報は見つけてはいたが……。自分は対魔忍とは無縁のクソ田舎へ引っ越しするから、今後は遭遇することもない存在だと思っていたし、あの入院生活や退院後にはオカルトや魔術的なものは目に触れたくなかったし……。……まさか、こんなところで不利益に働くなんてこっちは想像すらしてない。

 

「……青空さんが入学してきたあと、つい最近にも先生が授業で教えてただろ?」

「……。……忘れちゃってぇ……」

「……青空さんってさ」

「はい……」

「俺が言うのもアレだけどよ……。一見、しゃべり方とか、立ち振る舞いから勉強できるように見えて……そこまで実はできない感じなのか?」

「ははは、何言ってるんですか上原くん。一般知識は人に教えられるぐらいには得意ですよー? 上原くんもよく知っているでしょー?」

「じゃあ、魔族知識は?」

「んー……はい

「……」

高位魔族について、教えてください……

「お、おお、おい……。な、泣くなよ……。そんな責めるつもりはなかったんだ。ご、ごめんって」

 

 彼は、筆記用具を取り出すと机に置かれていた口拭き用ペーパーで高位魔族と呼ばれる種族について解説してくれる。

 現在、人間側が認知し設定している高位魔族には、吸血鬼、淫魔族、レイス族、ナーガ族(蛇神族)、鬼族、鬼神乙女の6種類がいるらしい。その他にもはぐれものである高位魔族が魔界から現れることもあるらしいが……。ひとまず最低限、門を潜って人類に干渉してくる可能性の高い魔族と言えば、この6種類が主な種族のようだ。

 説明を聞く分に高位魔族とやらは、私の世界でいうところの『グレード・オールド・ワン』……あるいは、脅威度が若干落ちるが『伝統的な怪物』みたいなものだと理解する。これ等は『神格』とまではいかないが、人類にとって十分な脅威的で恐ろしい存在だ。おまけに人間の行動にちょっかいを仕掛けてきたり、個人的に接触を試み信奉者に変えたり、簡単に破滅的な未来を齎してくる。

 私が有している知識として、私が定めている脅威度は

 

・『夢幻の始祖と終焉 > 外なる神=旧き神 > グレート・オールド・ワン > 奉仕種族 ≧ 伝統的な怪物 ≧ 独立種族』

 

 と、なっている。

 この表の外なる神、旧き神を まとめて異形の神々と称したり、その異形の神々や奉仕種族には上級の~ 下級の~という細分化がされるのだが……。現状は細分化する必要はないだろう。だって、ここに彼等は居ないのだから。

 ……。……あれは見間違いなんだ。居るはずが……存在する筈がないモノなんだ。

 

「——とまぁ、こんな感じだな」

「なるほど……かなり面倒な連中ですね。……上原くんは、先ほど出会ったショッピングモールの高位魔族種はどの分類にあたると思いますか?」

「俺の見立てでは……そうだな。……青空さんがチャームの術に引っ掛かってる様子があったから淫魔族かなぁ……って思ったんだけど。でも淫魔族にしては、俺は魅了に掛からなかったし、もしも俺目当てだとしたらサキュバスが出てくるのは、よくわからないんだよな。青空さんが目当てだとしても、だったら猶更インキュバスが表に出てくるだろうし。あの時の動けなくなるほどの威圧と気配があって素で怒ったときの蛇子に似てたから、あれはナーガ族かも……」

「ナーガ族……ですか……。ところで蛇子ちゃんって怒るとあんな感じになるんですか? 想像が付かないのですが……」

「おう。まぁ……普段の口調にドスが入って、真顔で敬語を話す感じかな……。……一時期、ふうまの奴がいじめられていたことがあるんだけど、そのとき蛇子が虐めている奴にバケツ1杯分ぐらいの墨をぶっかけて強制的に辞めさせたことがあってさ……」

「墨をッ!?」

 

 えぇ……? いじめを止めさせるために墨汁をぶっかけるって……なかなかないよな。

 前世で親友であり幼馴染のような存在だった(ともえ)ちゃんのように(すずり)でカルティストの頭をカチ割ってないだけ、良心的な止め方なのかもしれないけど……。いつもニコニコ朗らかな蛇子ちゃんからはイメージが出来ない……。

 ……巴ちゃんは、元気かな……。

 

「虐めてたアイツ……3日間臭いが落ちなくって、逆にクラスメイトから煙たげられてたっけなぁ……」

 

 3日間臭いが落ちなかったぁ!?

 まさか、販売されている書道用墨汁液ではなく……。天然の香りを追求して硯で墨を磨りだしたのだろうか? 私も学生時代に書道溶液の墨汁ではなく、墨から錬成したことがあるが……。磨るだけなのに、すごい手間暇と労力がかかった記憶がある……。最後は飽きて、墨を粉になるまで乳鉢と乳棒で粉砕して水で溶かしたっけ……。

 そんな手間暇の掛かる貴重な液体をいじめを止めるためにバケツ1杯分貯めて……ぶっかけて…………。凄い……。

 

「すごい。……私にはとても真似できないです……」

「俺にも出来ねぇよ……」

「私なら直接、ガツンと——」

「言って止めに行くのか? それもそれで勇気があるなぁ!」

「いえ、墨でいじめっ子の頭と墨。どっちの方が固いか試しに行きます。それを蛇子ちゃんはその墨で……平和的に……」

「えっ?」

「え?」

墨の話……だよな?」

墨の話……ですね?」

「え?」

「えっ?」

 

 なんだろう? 何か私はおかしなことを言っただろうか……?

 でも、墨と言えば習字か、キャンプで火起こしか、エルフ(カルティスト)の村を全焼させる目的とか、練炭自殺に見せかけるとき以外使わないしなぁ……。キャンプで墨をぶっかけに行くなんて……そんなに、ないよなぁ……。

 でも、やはり……キャンプで? 熱した墨をぶっかけた……? ちょっと小中学生でそれはバイオレンス過ぎないかな……? 3日間臭いが落ちなかったのって……皮膚が焼けただれて? 

 ……蛇子ちゃん、外見に寄らずアグレッシブ……。

 

「……ちょっと蛇子ちゃんに詳細を聞きたくなりました」

「それじゃあ、帰りの電車で聞いてみるといいぜ! 蛇子の中で一番思い出深いと思うからな!」

「そりゃぁ……ねぇ? そんな手間暇かけたら……そうなりますよね」

「手間暇……? ……え?」

「え?」

「えっ?」

「えっ?」

 

「「え???」」

 

 今日も、こうして平和な時間(日常)は過ぎていく……。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode19+ 『最高の再開』

 蛇子ちゃんの墨汁ぶっかけ事件の話を終えた時点で、既に30分が経過していた。魔族の店の出来事や買い物巡りを含めると既に3時間が経過し、現在の時刻は15時00分だ。

 しかし……。いくら待ってもトイレに花を摘みに行った蛇子ちゃんと、付き添いのふうま君は帰ってこない。それどころか連絡の1つも寄こしてこない。お花を摘みにうんこ……大便をしに行ったとしてもあまりにも遅すぎる。今の今まで便座に座っていたとすれば、今度は蛇子ちゃんのおしりが心配になってくる。下剤と痔の薬を買っておこうかな……。

 仮にとっくの昔に花摘みを済ませ、2人だけでお出かけしているのであってもそろそろメールか何か連絡を入れてくれてもいいはずだ。だが、そのように考え始めてしまった今『蛇子ちゃんとふうま君は本当にトイレへ向かったのだろうか?』という変な勘ぐりの感情が沸き上がって来てもいた。『最初から2人だけでお出かけするつもりだったんじゃないか?』そんなふうにも考えてしまう。

 

 ——そんなわけがない。

 

 自分に言い聞かせる。きっと五車町に来たばかりの私を気遣って、ふうま君が企画してくれたに違いない。どうしてこんな風に思って(友人を疑って)しまうのか。疑心暗鬼も甚だしい。結果的には上原くんも一緒に誘うことが出来て、ちょっとしたハプニングには見舞われたが 十分に楽しめているではないか。

 スマホを確認しても迷惑メールが1件……入っている以外に何も変わったことはない。念のため、現在地と安否確認のメールを送っているが、まったくもって返信はない。

 

「ふうま君と蛇子ちゃんから、何かメールは来ましたか?」

「うーん。……特に来てないなぁ」

「……お花を摘みに行ったにしては長すぎません?」

「うん。そうなんだよなぁ……」

 

 リュックサックによって、ほぼ座面を奪われた椅子にずり落ちるかのような姿勢で天井を見上げながら取り残された相方に確認を取るが、どうやら上原くんの携帯電話にも2人からの連絡はないようだ。彼は私とは真逆に机に顎を乗せて、腕を前に突き出しながらジト目でスマホを弄っている。

 

「……よし、ちょっと俺見てくるよ」

「では、私も……」

「青空さんは、ここで待ってていいぜ。その背中に背負ってる大荷物重いだろ? 見つかったら電話するからさ、すれ違わないようにここで待っててくれよ」

「了解しました。では、よろしくお願いしますね」

「おう! 俺に任せておけ!」

 

 ぴょんぴょんと跳ねる身長140㎝の男の娘の後ろ姿には心配しかなかったが、彼の声は自信に満ち溢れており元気も有り余ってそうだったため、何も言わずに彼を見送った。

 上原くんが飲み終えた紙コップを片付けて、背中を荷物に預ける形で天井を見上げ一息つく。先ほどまでの邪推を忘れるように頭の中身を空っぽにして。

 春の日光がショッピングモール内をほのかに照らしており、日光によって照らしだされた真実()が映し出されたカスタードクリーム色の天井を眺めれば眺めるほど、前世での荒事からはオサラバして平和な隠居生活を送ることが出来ているのだなと思うことができていた。……自然に微笑みが浮かび、普遍的な人々の声が私をリラックスさせる。

 瞼を閉じて、ヘッドホンをスマホに繋げた。あとはスマホに掛かってくる上原くんの連絡を待ちつつ、声を掛けられたときに気が付ける程度の音量で激しいヘヴィメタルの音楽にリズムを刻みながら身をゆだねる。

 

………

……

 

「ここ、空いているかしら?」

「えぇ。あいていますよ」

 

 しばらくして。不意に先ほどまで上原くんが座っていた椅子の方角から、あの女魔族よりも1オクターブほど高い女性の声が聞こえてきた。

 

「失礼するわね♪」

「……ご自由にどうぞ」

 

 ……きっと休日ということもあって、他に座る席がないのだろう。そう思って仰け反った姿勢のまま右へ視線を向ける。しかし、そこには誰も座っていない座席が目に映った。

 ……。……あれ?

 違和感を覚え そのまま左側の座席も見る。右の座席と同じ状態だ。それどころか、先ほどまで休憩していた客の姿が1人も見えなくなっている。先ほどまで座っていた客が食器も片さず、不自然にも食べ残した状態で忽然と姿だけ消して……。

 ギョッとして、首だけ正面に戻す。正面には、不気味なほど妖艶な微笑みを浮かべ、こちらの反応を楽しむように頬杖を突くあの女魔族がいた。今、彼女はこちらを愉快そうに眺めながら手を振っている。

 

「アイシュウ=ヘビコ=チャァアァアアアアッ!?……アッ?!?」

 

……ゴチンッ!!!

 

 あまりの驚きにバランスを崩し、悲鳴のような絶叫を上げつつ、みっともなく腕を振り回しながら椅子にバックドロップされるような形で後頭部を強打してしまった。そのまま後転でんぐり返しをしながら、めまいのする視界でよろめきながら立ち上がる。

 周囲を見渡せば、つい先ほどまで休憩所にいた他の客が次々と出口から出ていき、出入り口には人間とは思えないような全身緑尽くめででっぷりとビル樽腹の太った肉の塊が、壁ぞいで身を潜めながらこちらを伺っているのが見える。

 おまけに窓の方では、雨戸用のシャッターが降りてきており床との重厚な接着音と共に外部から内部、内部から外部へと通じるすべての光景を遮断されてしまった。恐らく外部からこちらの様子を見られることが彼女たちにとって都合が悪いのだ。…この調子だと、頭上で休憩所を映し出している監視カメラの映像も、あの東雲革命派(テロリストども)の時と同様に、ハッキングされてこちらの異変に気が付けていないのかもしれない。

 

「あらあらあらぁ♪ 大丈夫ぅ?」

 

 椅子に座ったままケラケラと笑う正面の女の問いかけに答えず、迅速に彼女から距離を取りつつ、一緒に転がった自分の荷物を引き寄せて荷物に振り回され遠心力が掛かるのを感じながら背中に背負う。先ほどまで十分に水分を取ったはずなのに、口の中が渇いていくような感覚に苛まれる。

 視野を広げ、眼球だけを動かして別の突破口を探すが……駄目だッ! どの出口にも緑色(りょくしょく)の浮腫/苔に覆われた棘奴隷のような全身緑尽くめで背中から鋭利なトゲの生えていない でっぷりとビル樽腹の太った肉の塊……デブ腹が見える。通常の出口からの逃げ場はどこにもない……! でも消火栓と非常ベル、消火器はある!

 

「そんな怯えなくても大丈夫よ。あなたとは邪魔者なしでお話したいと思ってね♪ まずは落ち着いて席に座って?」

「…………」

 

 彼女は立ちあがると日葵用……。つまり私専用の席だと言わんばかりに、先ほどまで座っていた椅子を起こして掌を座席へと向けてきた。

 だが私にはそんなエスコート通りに従うほどの余裕はない。

 丁度この時は……他に武器になりそうなものとして、大型観葉植物と木製の大量の椅子を振り回そうと考えていたぐらいだ。他に役に立ちそうな武器は清掃員が使用していた大型掃除機が置きっぱなしになっている。武器として振り回した経験談として大型掃除機は最高の得物だが、とっさに改造するための刃物が近場にない。リュックサックの中身を漁れば見つからないことはないだろうが……。そんな悠長なあからさまな隙に正面の女魔族が動かないわけがない。

 ……出入り口に脇目も降らず椅子か消火器を片手に突っ込むか? だが、皆が想定する以上に椅子は案外脆い上に、消火器も噴射時間は14~15秒……なおかつ1度でも薬液を噴射させてしまったら中身が空になるまで止まらないのだ。小分けに温存……だなんて器用な使い方はできない。消火器は、数人の目を一時か永久的に失明ぐらいはできるかもしれないが、その特性ゆえに後ろに“控え”がいた場合には対処できない。

 

「それとも♡ 私のリクラゼーションルームで “じっくり” 大人のお話しが好みかしら♪」

 

 エスコートを無視し続け逃走経路を模索する私に、地声より更に高めの……子供がお気に入りの玩具を見つけて声を上げるような声が投げかけられる。……否。そんな無邪気と言っても、愛くるしい子供とは違う。これは母親が子供を恋人と勘違い……。……違う……。もっと背筋が凍り付く様な……まるで、母親が子供へ自分自身の兄弟姉妹に向けて発したもののような甘える声色に似ていた。余所向きの猫なで声とは違う……とにかく目も合わせたくなくなるような、鳥肌とうなじの毛が逆立っていくのが感覚的に理解できる。

 ……だが目を離すわけにもいかない。……彼女は人間じゃない。……上原くんの予測通り、ナーガ族なのかもしれない。彼女のはちみつ酒色の光彩の中にある黒目が夜行性のハブの瞳のように縦割れの蛇目へと変わっていた。

 大人しく、彼女には近づかずに最寄りの椅子を引きずって、机2個分の距離を開けた場所に椅子を置き座る。逃走案なき今は『椅子に座れ』という彼女の指示に従うしかない。

 

「そう♪ それでいいのよ♪ ごめんなさいねぇ、怖がらせちゃったかしらぁ? あなたがあんまりにも聞きわけがないものだから♪」

「……」

「そんな険しい顔しないで♪ ほらもっとこっちに 近くにいらっしゃい?」

「……」

「それじゃぁ……♡ こっちから行くわね♪」

「……っ」

「そんな逃げることないじゃない♪ でも鬼ごっこがしたいのなら、話は別ね♪ ……良いわよぉ? あなたの気が済むまで付き合って、あ げ る♪」

 

 ゆるやかに接近してくる彼女に対し。席から立ちあがって逃げるように距離を取るも、彼女は明らかにこちらの逃走速度よりも早い速度で距離を詰めてくる。それは、例えるなら……夜間。屋外外套に照らされた自分と自分自身の影…とでも表現すればいいだろうか? 現在、こちらは彼女と目を離さず以前野生のクマに出会った時のように机を盾にしながら逃げているが、背後を見せようものなら一瞬で毒牙にかけられる。そんな予感がして後ずさりでの逃亡を止めることはできなかった。

 だからと言って、このチェイスもいずれ強制的に終わらせられるかもしれない。今は彼女が楽しんでいるから付き合ってくれているようだが……飽きるか、気分を損ねれば、きっとそれだけでは済まされなくなる。それは分かっていたし、私がこのように単独になった所を狙って絡まれているのだ。……上原くんにも追手が向かって————いや、もう私と同じ状況下にいるかもしれない。この魔族の女がこちら側に来ているとはいえ、到底 彼一人で出入り口を塞いでいるような緑色の浮腫モドキに囲まれてしまったら? 店の中に潜んでいた高位魔族が他にもいたら? ……彼では手も足も出ないだろう。早く——早く、助けに行かなければ。

 彼女から逃げつつ、深呼吸を繰り返す。

 気分を落ち着けて、正面の怪物と1人で対峙し有事には殺り合う覚悟をキメる。

 それから、紫先生が私にやってのけたように適当な机を持ち上げて私と彼女の間に叩きつけるように置き、その机の端に私が座る。

 一瞬、彼女も机で攻撃を仕掛けてくるのかと残像が残るような動きで左にそれた動きを見せるが、それが机を設置する動作であること。こちらが爪で対面上に座るように無言のままこちらがノックをしてエスコートをするとニッコリと笑って座席につく。

 ……向こうが戦闘を仕掛けてくることを望んだ場合。私がこの女から逃れるには目前にある机を蹴り飛ばし胸部を強打させて、座っていた椅子で弧を描くように頭部目掛けて叩きつけるほかに不意打ちの作戦はないだろう。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode20+ 『2つ名』

 まずは下手に刺激しないよう、丁寧な日本語を使いながら穏便にこの場を脱出することを目指す。

 ここで時間を取られて “上原くんに何かが起きてから” では遅いのだ。正面の相手は人語の通じる、“今は” 中立的な立場にいる『グレート・オールド・ワンだと思って接しろ』と自分に言い聞かせる。……こちらを見下しているような態度が癪に障るが、攻撃を仕掛けるのは相手側がこちらに明確な害意を見せてからでよい。そう考えて。

 なに、不意打ちを仕掛ける準備は既にできているのだ。最初の先制攻撃は私が取る。

 

「フフっ♪ ……もう鬼ごっこはおしまいなの?」

「——はい。このまま続けても、私がジリ貧になると思いましたので。……お付き合いいただきありがとうございました。こちらも気持ちの整理が付きましたので、誠に勝手な御申出ではあると認知しておりますが、お話を始めて頂いてもかまいません」

「もちろん♪ そっちがその気なら私は合わせてあげるわ♪」

「——ありがとうございます」

「さて……と。まずは何からお話しましょうか……♪」

「……特に話題を決めていらっしゃられないようでしたら、まずこちらから話題を振らせて頂いてもよろしいでしょうか?」

「ん? もちろん、いいわよ♪ ……なぁに?」

「単刀直入にお尋ねします。あなたは……高位魔族と呼ばれるナーガ族の方ですか?」

「あら……っ! まだ中学生ぐらいなのに、ちゃんとお勉強しているのね~! 真面目な子♪ 偉いわぁ~♪」

 

 彼女はこちら側の質問を想定していなかったのか、驚いたように蛇目の状態から虹彩部分を丸くさせた後。まるで姪っ子の頭を撫でるように気安く腕を伸ばしてくる。だが、こちらも身体を仰け反らせその手を空に切らせる。

 ここで頭を撫でさせて気分を損ねないようにさせるのは重要な事ではあったが、先ほど盛大に弾けた静電気が私に対して……“彼女に身体を触れられることに関して”何か嫌な予感を警告していたようにも感じたからだ。

 

「——あらあら……♪ 頭を撫でられるのは……嫌い?」

「撫でられるのが嫌い……というよりも、初対面の相手にこちらのパーソナルスペースを侵害されたくないだけです。……えっと。それで、質問には答えては頂けない・または答えづらいような内容でしたでしょうか?」

「いいえ♪ そんなことはないわよ♪ あなたが予想している通り、私は“高位魔族のナーガ族”に属する1人で間違いないわ♪ 名前はスネークレディっていうの♪ よろしくねぇ♪」

「日本語訳で“蛇子ちゃん”ですね?」

「だから最初に出会った時から『そうだ』って言ったでしょ? ……そういうあなたはなんてお名前なの? かわいこちゃん♪」

「……ゼラト。Zealot(ゼラト) seeker(シーカー)です。またお目にかかりましたね“蛇子ちゃん”」

 

 私の回答に彼女は一瞬目を丸くし、下瞼を持ち上げて目を細める。肩を竦ませて小ばかにしたような、それか正気じゃないものを見るような目つきで鼻で嗤った。だが、どうせスネークレディも本名じゃないのでしょう? だったら、私の偽名も彼女と同じ対応に過ぎない。

 完全に彼女はこちらを見下していた。私は前世から見下してくる上位者は、それが神だろうが、人外だろうが一発嚙みついて痛い目を見せてやらなきゃ腹の虫がおさまらない質だ。だが、今日は新しい友人(上原くん)のためにも、ぐっとこらえる。この対応は、いくつか譲歩して私に関する情報を交えた偽名で対応したまでだ。

 第一、ここで『青空 日葵』という偽本名を出して五車町まで付きまとわれても困る。『鈴木(すずき) 琴音(ことね)』のような完全な偽名を出しても、私の方がこの名前を自分自身であることをインプットできていない結果として、会話の最中にいずれボロが出てしまい相手の逆鱗に触れる可能性もあるだろう。……これは幾分かマシな対応なはずだ。

 ……。いや……でも、なんだか…………厨二病っぽいネーミングセンスになっちゃったな?

 でもGod() entomb()じゃ直球過ぎるし……。噛み(くらい)つくものとして、G〇d Eaterはバンダイ〇ムコ商標登録されているし、偽名を名乗ろうとした時点で咄嗟に何も思いつかなかったのは痛いよなぁ……。Dismiss(退散)とか、Disperse(分散)とかsearcher(探索者)とかいろいろあったのになぁ……なんで、Seeker(探求者)が出ちゃったんだろうなぁ……。私、主観的にはそういうタイプじゃないと思うんだけどなぁ……。と、そんなことを思いながら心の中で片目を瞑り、後頭部を掻く。

 

「……あなたって無謀者とか、死に急ぎ野郎って呼ばれたことはないかしら?」

「癪に障ったようでしたら謝ります。申し訳ございません。……ですがそうお話される蛇子ちゃんも、その名前は本名では無いのではございませんか? ここは“お互い様”ということで矛を収めて頂けますと助かるのですが……」

「世間知らずなお嬢ちゃん。あなたはイマイチ“自分の立場”ってものをわかってないんじゃなぁい?」

 

 そういって彼女は頬杖を突いている腕とは反対の手で『パチンッ』と指を鳴らす。その音と共に出入り口側から全身緑尽くめで手には棍棒を持ったでっぷりとビル樽腹の太った肉の塊がその姿を現わした。こちらを その膿のような塊で覆われた黒目のない眼球で凝視してくる。

 ……よぉ、前世でのヨミハラぶりだな! カルティストのクソオークども……! お前等、この世界で地位を持った暁には一匹残らず屠殺工場行きにして民族浄化してやるから覚悟してろよッ!

 

「あら♪ 萎縮させるために見せたのに……そんな殺気立たないで♪ オークは嫌い?」

「えぇ。力さえあればミキサー内に放り込みたいぐらいには」

「ウフフフ♪ 素直ねぇ。じゃあ、特別に教えてあげる。スネークレディっていうのはね? 私の数あるうちの一つの名前にしか過ぎないのよ。……決して偽名なんかじゃない。それで? この話をここまで聞いたゼラトシーカーちゃん。あなたの本当の名前を教えてはくれないのかしらぁ?」

「ええ。残念ながら。どうやら、私たちは似ているようです。私も、この『ゼラトシーカー』というのは数あるうちの1つの名前でございまして、これもまた私の名前でございます」

「……この状況でそれを言う? ……度胸があるんだか、状況を理解できないお馬鹿さんなのか……。生意気ね。すべてを奪ってあげたくなるわぁ♪ ……でも、気に入ったのも事実♪ 今日のところはゼラトシーカーちゃんで満足してあげる♪」

「寛大なお言葉……恐縮でございます」

 

 許すような口ぶりだが、彼女の光彩は形を変えてより鋭利になった蛇目になった素敵な笑顔が私に向けられた。もちろん、こちらも何も気が付いていないかのような一端の小娘のような愛想笑いで迎撃する。

 ……そしてここで、ふと閃いてしまった。『ゼラトシーカー』だなんて名乗らずに、前世の親友。巴ちゃんの『(いかづち) (ともえ)』の名を借りればよかったと。だが後悔しても遅い。言い切ってしまったのだ。今更弁明しても無意味に終わる……どころか火に油を注ぐ結果になりかねない。

 

「本題に戻りましょう。私からお聞きしたいことは、あなたのお名前と種族以外に現状はございません。……ですが、そちらはまだ何かあるのではないですか?」

「そうよ♪ これをあなたに渡しておこうと思って♪」

 

 座ったままの彼女から一枚の黒を基調とした名刺が片手で差し出される。名刺には何か文字が書かれており、それは桃色の文字で……〈日本語〉で書かれている。

 名刺を受け取った瞬間に腕を掴まれないように、と細心の注意を払いながら相手に失礼に当たらないよう立ち上がり、一礼をしながら両手で名刺の端を掴み受け取ってから座った。受け取った名刺には蛇子ちゃんが店で使用している源氏名と、電話番号が書かれていることが最低限見て取れた。

 

「……」

「さっきは連絡先を交換する目的で店へ誘ったのだけど、断られちゃったからね♪ だから渡し損ねちゃった名刺を渡しに来たの♪ これが私の携帯電話番号♪ ——充電し終えているなら、登録して“今”電話して来て頂戴? あなたのその本を解読したいのなら、“親友”と予定をすり合わせないといけないからね♪」

 

 こっちのスマホの電源が切れているという嘘は見抜かれているようだった。彼女はニコニコと微笑みながら足を組んで私のポケットに指を指す。

 仕方なくポケットからスマホを取り出して、机の下で名刺に記載されている電話番号に184(非通知番号)を追加した状態で入力し、名刺とスマホ。蛇子ちゃんを忙しなく見つめながら目の前でかけて見せる。数秒もしないうちに“蛇子ちゃん”のポケットから着信音が鳴り響き、彼女はそれを手に取った。

 

「……あら? これ、非通知じゃない。これじゃあ、あなたの電話番号がわからないわよ……?」

「あれ? 故障でしょうか? こちらは普通にお掛けしたのですが……。おかしいですね。ですが、こちらとしましては電話番号の方は把握致しました。また時間が出来たときにお電話させて頂こうと思います。他にお話ししたいことはございますか? 今、友人からメールが来まして魔族が休憩所の入り口を塞いでいて入れないから別の場所に集合という連絡が入りまして……そろそろお暇させて頂きたいのですが」

「……そうなの♪ それは大変ねぇ……。だけど、私はこれっぽっちのお話じゃ物足りないのよねぇ……♪」

 

 彼女は余裕そうに前傾姿勢になりながら、両手で頬杖を突いて足を組むのを止めてニタァ……と口元を口裂け女のように笑顔で歪ませる。

 ……面倒なことになってしまった。確かにこの状況に陥ったのは、少し小生意気な反応を返した私にも要因はあるだろうが、とてもじゃないが最初から逃がしてくれる雰囲気でもなかった。仕方がない。斯くなる上は————ここは大人しく本を渡して引き下がってもらおう。

 

や、やめてください……ぼ、暴力は嫌いです……。も、もしかして……今回 もう一度会いに来たのは、連絡先の交換じゃなくて、あの本が目当てだったりしますか? ほ、欲しいのであれば、差し上げます! だ、だから暴力はやめて……!」

「今更そんな演技をしたってダメよ♪ さっきまでの威勢はどうしたの? いくら何でもその代わり身は杜撰(ずさん)すぎるんじゃないかしら? 私はさっきまでのオーク達を煌めく殺意の目で睨みつけて、脅しにも屈しない姿を魅せてくれた勇ましいゼラトシーカーちゃんを買ったのだ(が“かわいい”)から、そこのオークどもを(けしか)けなかったのに……虚勢。……なわけないわよねぇ♪♪♪」

「すみません! 虚勢張ってました! 無理です! 小娘がナーガ族に勝てるわけがないでしょう?!」

「嘘つきね♪ それにしては目の奥が闘志で燃えて揺らめいているように見えるわぁ♪ それに……そんな本はいらぁなぁい♪ それ“写本”でしょ? 私が欲しいのは、“本物”の在処と……。……そうねぇ、勇ましいけどかわいい悲鳴で鳴いてくれそうな……ゼラトシーカーちゃん♡ あなたが欲しいわぁ♡♡♡」

 

 震えた手でリュックサックから本を取り出そうとする私に、彼女は目だけが笑っていない表情ですべてを見抜いているかのような口ぶりで目的を暴露する。

 ……チッ。この本だけは転生した直前から開いていた本ということもあって、唯一『青空 日葵』のオカルト本で即座に収納をせずに残していた一部の書物だったのだが……。東雲革命派(テロリストども)に占拠されたビルで『〈魔族語〉か〈魔獣語〉の言語で記載されているのではないか?』と教えられてから、こういう面倒な(魔族)に絡まれた時用のレプリカを用意していたのにバレてしまっているようだ。

 ……結構な自信作だったんだけどなぁ……。でも、この女はどうしてこれが写本だと見抜けた? 有り余る入院生活の間に本の質も、文字体も可能な限り近づけて〈製作〉したはずだ。もしかすると“本物”の存在がどんなものかを本当は知っているんじゃないか? 写本であることをあえてバラすなんて、相手は絶対にこちらを逃がす気などないのではないか? ……色々と思うことはある。だがひとまずは、この場所から脱することが先決だ。

 それに目的が私自身というのは一番厄介なパターンでもある。……この手の邪神は追い払うなり、八尺様や姦姦蛇螺(かんかんだら)のようにテリトリー内から逃げ切らない限りはどこまでも追いかけてくるのが目に見えていた。

 でも、こんな絶世の美女に『あなたが欲しい』だなんて愛の告白をされることは、ノンケでも心臓がときめく程に嬉しい言葉であることには違いはなかった。……彼女が悪意の詰まっていないグレート・オールド・ワン級に属する高位魔族じゃなければ、私達は良い友達になれたかもしれない。

 ——だが、残念だが現実はそうはならなかった。……彼女の言葉を前世の言葉で翻訳すると『あなたが欲しいわぁ♡♡♡(汝、我を崇める司祭の素質ありき)』が妥当だろうか?

 ……そう考えると嬉しくねぇなぁ。

 まぁ、女の言う“かわいい”は男と違って、汎用性が広すぎる意味合いが詰まっているし、ここで彼女に捕まっても周囲にオークが同伴していることから、絶対碌でもない最低な未来しかみえない。

 ヨシッ! ここはひとつ大きな騒ぎを起こして、対魔忍に目を付けてもらおう。いくらか私にも彼女達から注目を浴びてしまうことになるが、ここでこの魔族の女に拉致監禁されるよりは天秤にかけても雲泥の差でマシな方は対魔忍だ。……ただ、2つ問題を上げるとするならば、私は対魔忍と接触する方法を知らないこと、対魔忍は到着が遅いことが最大級のネックだ。

 ……まぁ、結局のところ……この局面。半分ぐらい人生を詰んでいる。

 しかし、このまま大人しく捕まるのは私が癪に障るので、せめて一矢報いてから捕まってやるつもりだ。震えた様子を見せながらも……机の支柱に掛けた足へ力が入る。

 

~♪~♪♪

 

 その時。この殺伐とした空間に似つかわしくない着メロが流れ始める。

 ……この可愛い唯一無二のメロディ設定は上原くんからだ。よかった。電話を掛けて来られるというということは、まだ彼には魔の手は差し迫っていない。……あるいは正面の面倒な連中に捕まっていないようだ。あのクソオークどもが彼を捕縛してこちらを脅迫しに来る線も考えられるが、蛇子ちゃんの様子から鑑みればその確率は非常に低いだろう。

 とにかく、彼が無事ならこのショッピングモールから離れてもらって、人の目が大勢ある『まえさき駅』に逃げるよう促さなければ……。

 不意打ちによる先制攻撃を仕掛けてやろうと意気込んでいたにもかかわらず、締まらない状況の発生による恥ずかしさで唇を噛みしめつつ、正面の蛇子ちゃんに『少し待って』と人差し指を立てたジェスチャーを送って、目尻を下げて今にも泣きそうな顔でお願いをしてみる。

 ……話が分かるタイプではあるらしい。……それとも本当に気に入られてしまったのか。はたまた強者ゆえの余裕か。仮に私が助けを呼んでも、それまでには捕まえられるぐらいに思っているのだろう。……随分と舐められたものだ。

 こちらが通話に出ると、彼女はあくびのような溜息のような息をこちらに向けて吹きかけようとしてきたため、こちらとしてはひとまず露骨に嫌そうな顔をして席を立って距離を取った。くっついて電話の内容を盗み聞きをしようとして来ない分、高位魔族でも最低限のデリカシーは持ち合わせているらしい。

 

「……はいお世話になっています~。いつもイアイア這い寄る狂宴。ゼラトシーカーちゃんです~。お電話番号にお間違いはございません。ご用件をどうぞ?」

『はぁ……っ! はぁ……っ!? えっと……青空さん!?』

「あぁ! (うぇ)……アッ! アッアッアッアッアッ…………Wow(ウォウ)upper(アッパー)! マイフレンド! そっちは大丈夫!? ふう……Hulu(フールー)君と蛇子ちゃ……あぁ、えっちなお店で働いてない方のスネークレディちゃんと合流できた?」

『な、何言ってるのか分からないんだけど、い、いま、それどころじゃなくて……! 早くそこから逃げてっ! このショッピングモールは……っ!!! あの茶色のケモミミは……! ……うわっ! やめろっ! 離せっ!!! 離せよっ! 離せぇええええええっ!!!!』

「……My friend? My best friend!? Hey?! My honey!?!?」

 

 電話越しから、これからこの休憩所で発生する未来を予見しているかのような乱闘音。

 遠くの方から上原くんの必死の抵抗音と叫び声、口元を抑えられぐぐもった悲鳴、ガムテープを引きはがすような音、何かの《呪文》のようなおどろおどろしい声、その電話が掛けられている周囲からは不気味で異様なほど環境音が聞こえてこな……いや、微かに何か聞こえた。少しでも情報を集めるため、蛇子ちゃんを警戒していた脳のリソースを全てそちらに注ぎ込む。〈聞き耳〉を立て、全神経を電話の受話口へと集中させる。……この微かに聞こえてくる音は……店員呼び出しの館内放送だ。『ニトロ』の家具コーナーの呼び出し音が聞こえる。それと男子トイレの自動洗浄水の流れる音と、奥から搬入口が締まるような……。

 ここで視線の端に映る両指を組んで腕を上げながらゆっくりと伸びをしている蛇子ちゃんにも聞こえてしまうほどの音量で、スマホが思いっきり踏みつぶされる異音が鼓膜をつんざき電話が切れる音に切り替わった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode21+ 『ナーガ vs 探索者』

「……」

「……最後の通話は終わったかしら♡?」

 

 彼女はまるで恋人が急用の電話を仕方なく眺めるかのように、あれから手出しもせずに、ただ余裕そうに……これからどう弄んでやろうかと画策する強姦魔のような目でこちらを眺めていた。

 私は……私は携帯をポケットにしまい、リュックサックを背負いなおして、貰った名刺は財布に入れて、礼儀正しく彼女の正面の椅子に座る。それから彼女に向けて突き立てていた人差し指側の手を 人差し指の立てていない手でそっと中指、薬指、小指の3本をそっと立てた。

 ……私がこれから雰囲気で穏便にお開きしようと話を持ち掛けようとしたことに気が付いたのか、蛇子ちゃんが笑顔のまま無防備に前かがみになりながら両肘を机について鼻から溜息をつき、視線を私から外す。

 その瞬間を見計らって、こちらは机を渾身の力の限りに蛇子ちゃん目掛けて蹴り飛ばした。

 

「……それで? 次はどうするのかしら?」

 

 しかし不意打ちによる先制攻撃は、指を組んでいる状態からでは考えられないほどの機敏な動きで悠々と片手で受け止められ、ゆっくりと眉を持ち上げながら視線がこちらに戻される。

 ……うん! さすが、グレート・オールド・ワンに該当する高位魔族! まともに正面からじゃ勝てないわ! ……。……あー。クソッ。12ゲージ・ショットガン(2連)が欲しい。ショットガン1つでもあれば、戦術は雲泥の差で広がる。蛇子ちゃんが両手口の牙/傷口に膿を齎すもの程度のグレート・オールド・ワンなら従者もろとも一点突破撤退/強制物理退散という選択肢も取ることもできた。

 だが無い物をねだっても、そんな武器が天から落ちて来て手に入るわけでもない。……この場にあるものでやるしかなかった。一瞬でも彼女から逃げることができる隙を作り、あの包囲網を突破できればいいのだ。噛み付いてやるのは変わらない。だが最終的な目的はこの場からの離脱だ。

 

 奇襲を防がれ、彼女が私に視線を戻した時点で、こちらは座っていた椅子を正面のナーガ族の脳天に叩きこもうと椅子を掴み上げていた。

 ……しかし紫先生の戦斧を振り下ろす速度より圧倒的に素早い、その場に残像が残されるような動作で背後へ周り込まれてしまう……!

 彼女の動きを追って、振り返った時には不気味な笑顔に歪み切った顔が目と鼻の先まで接近していた。

 無論 手に持った椅子を使った防戦を試みるが、断然相手の方が素早く遠慮と情けと容赦のない顔面への攻撃(〈こぶし〉)が私に振るわれそうになる!

 こちらも顔面への攻撃は避けるために瞬時に椅子を手放し、両腕でバイオハザード8のイーサンガードを繰り出す。しかしプロボクサーの拳のように重く、蜂の毒針による一撃のように鋭利な拳が腹の中央を抉り突き上げるように……胃へのボディブロー(ストマックブロー)として突き刺さった。

 

「ミ゚ュッ!??」

 

 凄まじい衝撃に防御したものの見当違いで無防備な腹部への殴打でふわり……と浮かび上がったかと思えば、次の瞬間には身体が『くの字』になって後方に吹き飛ぶ。

 高校生の身体とはいえ、人体が約2.5m吹き飛んだのだ。外見からは想像できないほどの馬鹿力でただ唖然とし、自身が何者と対峙しているのか状況を再認識することになった。

 そして、何よりも こいつ……! 〈武道[立ち技]〉の“フェイント”を放ってきやがった!!!

 

「ゴッ……オ゙ッ゙ オ゙ェ゙ッ……。オェ゙ッ゙……オェロ゙ロ゙ロロロロロ…」

 

ビチャビチャビチャビチャビチャビチャ!!!

 

 今の一撃で胃の内容物が、激しく刺激され 上原くんと一緒に飲んだ水やらお茶が食道を遡り、鼻と口から逆流。休憩所の床を汚す。

 えっちなお店の蛇子ちゃんは、まるでプロレスラーが花道を歩くように、母親が久しぶりに再会する我が子を出迎えるように優しく腕を広げて、邪悪でサディスト的な笑顔を張り付け優雅に着実に歩み寄ってくる。立ち上がろうにも、胃液は次々に込み上げて止まらないわ、内臓へのダメージが重すぎて視界は歪むわ、やっと立てたと思えば足が生まれたての小鹿(バンビ)だわ……こちらとしては、ひどい有様だった。

 とにかく、上原くんにこの惨状を見られなかったのは最高に〈幸運〉だ。こんなゲロ女の醜態は彼だけには “絶対” に見せたくない。口から滴るゲロを袖で拭い、口腔内の残渣物を自身の足元に粘り気のある唾液と共に吐き捨てる。

 

「ほらぁ、まだ一発目よぉ? あぁ、ごめんなさいねぇ♪ 本当の予定では優しく眠らせてあげて♪ 腰が砕けちゃうほど♡気持ちよくさせて、あ げ て♡ 『カオス・アリーナ』に招待してあげようと思ったのだけど……礼儀の成っていないメス豚が目の前にいるものだから……つい軽ぅく♪ 小突いちゃった♪」

「ゴホッゴホッ! ッァッ! ……ハァッ! ハァッ!!!」

「——でも私の動きに付いて来られるなんて凄い反射神経ねぇ♪ 対魔忍でも中々できることじゃないし……お嬢ちゃんは何者なのかしら? ……そのオーラ……対魔忍、じゃないわよね?」

「……フッ……はははっ。ゼラトシーカーだッて言っているでしょ……」

「そっか~♪ まだお話したくないのね♪ それは残念だわぁ……。それじゃあ、もう少し肉体言語(コッチ)でお話合いしましょ♪」

 

 遠心力すら入っていない筈なのにゼロ距離で放たれる重い上腕二頭筋(ラリアット)が、立ち上がったばかりかつフラフラの私をはじき飛ばす。並べられていた机や椅子、食器を巻き込みながら——私は錐揉み回転して飛んでいく。背中に背負っている大荷物のおかげでだいぶ落下の衝撃は緩和出来ているが、今の大胸筋への一撃は、私を呼吸不全に陥らせるには十分だった。

 

「ガッ……ア゚ッ!……ッ!!!……ッッッ!!!!!」

 

 肺を潰されて、息が吸えない。息を吸おうと口に息を取り込もうとするが、のどの奥に何かが詰まったような感覚があり、息が吸えない。

 何も詰まっていない筈なのに……ッ! イキガ…!スえナイ…ッ!

 両手で首を抑えながら息を吸い込もうと白目になりつつ、足を痙攣させながら床に叩きつけ、左右に転がりながら悶える私を入り口で陣取っていた緑色でブヨブヨの醜悪なモノが姿を現し嘲り笑う。

 胸部圧迫による窒息で意識が朦朧とする私の胃にオーバーキルに等しい殺傷力のある心臓マッサージ(エルボー・ドロップ)が突き刺さる。吐瀉物が噴水のように吹き上がった。普通に意識が消し飛びそうになるぐらいには痛いし、加えて窒息による攻撃も私に加えられている……!

 

「ゲホッ!!!ヴェオ゙ロ゙ロ゙ロ゙ロ゙ロ゙…ッ!!!」

「今更『やめて』って言ったって止めるつもりはないからね♪ 素直になれなかった自分を恨みなさいな♪」

 

 腹部を守り、吐瀉物が気道を防がないようにするために、うつ伏せになってミノムシのように悶える私の髪を掴み上げて顔を無理やり引き上げる。ブチブチと毛が抜ける音が聞こえる。頭皮も痛いが、内臓への痛みが絶大で気にする余裕なんてなかった。

 

「ヒュッ。ヒュッ……ヒュゥーーー……。ゴホッ!ゴホゴホッ!!!! ……わ……

「……わ?」

「……笑わせるなよ……厚化粧……ババア……! ……化けの皮(ファンデーション)が剥がれていますよ?」

 

 これ以上猫を被っていても彼女はその攻撃を緩めることはないだろう。彼女等は魔族。人語が通じるとはいえ……私が彼女たちについて理解するまでに至るまでは。少なくとも今は。人間の道理など通じない畜生どもとして接するべきなのだろう。

 胸部を抑え、鈍く響く痛みを左手でかばいつつも 頭上から見下ろす高位魔族に飛び掛かろうとする猟犬のように睨みつける。

 

「♪ いいわぁ♪ やっぱり、それがあなたの本性なのね♪ その反抗的な目つき……それが屈服して、怯えた目になったとき……それは私にとっての最高のエンターテインメントで、ゾクゾクしちゃうの……っ!」

 

 だがこの行動は彼女を悦ばせる行動に他ならなかった。トロン……とした恍惚に溺れるような淫らな眼差しで舌なめずりをして見せる。その舌は小柄で綺麗なイチゴ型の桃色をしており、その仕草から淫靡で妖艶な彼女を引き立てていた。

 ……だがそんな舌は、スネークレディの名にファンキーさに欠ける(ふさわしくない)

 ——お前の身動きを一切封じた暁には、その舌を真っ二つに蛇らしく引き裂いてやる。

 彼女は掴んでいた髪を一旦放すと、今度は頭蓋骨をまるでトロフィーを掲げるように片手で掴み上げ、こちらの足が宙ぶらりんになるほど高く持ち上げる。同時に頭を握り潰されるような激しい痛みが……! あ゙あ゙あ゙あ゙ッ゙!゙!゙ お前はバイオハザードRE3のネメシスか……ッ! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いッッッ!!!割れる割れる割れる割れる割れるっ!脳漿が飛び出るぅッ!!!

 鼻頭の裂傷や顎への一撃、眼球を抉り出してやろうと腕や足を伸ばし逆転の一撃を狙うが……。相手の方の腕が長く私の手足は彼女の目の前で空を切るばかり。

 そんな状態にも拘わらず、彼女は微笑を浮かべて私がやって見せたように軽く仰け反るようなしぐさをしてみせた。

 

「えーっとぉ……。こういう時はなんていうんだったかしら……。そう! 私は“撫でられるのが嫌い……というよりも、初対面の人間にこちらのパーソナルスペースを侵害されたくないだけです”……だったわねぇ♪♪♪」

 

 まるで私の頭は砲丸だというように、大きく振りかぶったかと思えば力任せにぶん投げられる。

 ——こいつ!私の発言を皮肉返しとして……!!!

 上空で強制的に側転し荷物をクッションに着地するものの、床に叩けつけられた胴体は、まるで粘着質なスーパーボールが跳ねるかのように鈍いバウンドを発生させ、荷物からの圧迫と着地の衝撃が背骨を軋ませた。挙句の果てには、周囲の家具が吹き飛ぶ音を響かせながら床を滑っていく。反射的に頚椎を守る姿勢になるが、その分腕や肘に衝撃が走る。

 『ああああーッ!痛いーっ!痛いぃいいーッ!!!』なんて駄々をこねる子供のようにその場で、四肢を投げ出して全力で泣き出したいような気持ちと痛みに悶えそうになるが、それは正面の女を悦ばせるだけの行動にしか過ぎない。だから痛みでおかしくなりそうになりながらも、声を出さないように堪える。

 この痛みは具体的に特殊部隊 “楯の会” に装甲車で撥ねられたときや、味方だと思っていた存在から12ゲージショットガン(散弾)を約10mの距離で浴びせられたときと同じぐらいに痛い。

 

「フフフっ♪ そんな激しく距離なんか取っちゃって……♪ 私の事がそんなに怖く見えたのかしら? そんなに怯えなくても大丈夫♪ あなたが意識さえ手放してしまえば、きっとラクになれるわ♪」

 

 ……心から面白そうに嗤う彼女を見て奥歯がガチガチ鳴り始める。——これは恐怖か……? 否。4割は怒りだ……ッ!

 彼女は横転していない机上に乗せられた他客の喰いかけであるラーメンを手に持つと、私の頭からジャバジャバとラーメンの汁と麺……——

 

——カポッ…

 

 おまけに頭部に器までかぶせてきた。こっちは激しい衝撃の連続で意識を失いそうになりながらも、怒りを振るい立たせてCG版(初版)搾精病棟のアマミヤ先生の如く白目を向き、震えがピークに達させて意識を保つ。

 テメーも今まで対峙してきた異教徒同様、宇宙の彼方までぶっ飛ばしてブチコロス……ッ!

 

「フフっ♪ ……怖がらせちゃったかしらぁ? 貴方が悪いのよ? もっと下手(したて)に出てくれば……今頃、私の店で天国に上るような気持ちいい♡体験ができたのに。ここまで痛い思いをせずに簡単に()としてあげたのに……♪ ウフフフ♪」

 

 どうやら、蛇子ちゃんの声が耳元まで聞こえる。どうやら顔を近づけてこっちの怯えたご尊顔を拝見したいようだ。……見たけりゃ見せてやるよ……!!!

 

「あら~♪ すごい可愛いお顔♪ そう。その眼。その眼が見たかったのよぉ♪♪♪」

 

 あぁ、素人による〈芸術:演技〉にも気が付けない馬鹿野郎に私は今最高にキちまってるよ……! バカ女の勝ち誇ったバカみたいな笑い顔になぁッ……!!! ほうれい線(城之内スマイル)が浮かんでんぞッ! 化粧の厚さが足りてねぇみたいだなァ!!!

 

「……でも。気に食わない。気に食わないわぁ……」

「……」

「その瞳……表面上は震えていて舐め啜りたいぐらいにかわいいのだけど……。奥は全く震えていないどころか、決して消えることのない炎が燃えているような……そんな目」

「……」

「抉り出したら面白いかしら♪ いいえ、そうだわ♪ せっかく観客もいるのだから彼等にも楽しんで、もっと徹底的に自分の立場を理解して貰いましょう♪」

「……ゲヒッ」フゴッ

 

 オーク達がにじり寄ってくる。……あぁ、これは俗に言う凌辱パーティ(対魔忍タイム)か……。クソッ! 平和を謳歌していると思った矢先にこれだ! 今日は不幸がプロレス技のフルコースを仕掛けてきた!

 クソが! ジッパーチャックを下ろす音! 開園の音がする!!!

 

「でもぉ……♪ さすがにまだ中学生っぽいし……さすがに初物がレイプは可哀そうかなぁ……? ……いいことを思いついちゃった♪ 『スネークレディ様、身の程を弁えず 無礼な振る舞いお詫びいたします。私は人類以下の卑しいメスブタです! ぶひぃ! ぶひぃっ!』って() い て み せ て♪ そうしたらぁ……♪ 許してあげないこともないわ」

 

 蛇子の笑いにつられるように周囲の下種どもがゲラゲラと笑い始める。

 私もその笑い声につられそうになるが、肩をプルプル震わせる程度で堪える。いやぁ……実にこのセリフを呟く黒幕は最高だぜェ……。

 相手にそのセリフを言わせるために真っ先に自分が人以下、豚発言を自分の意志で発言するんだからなぁっ!!!!!

 私も滑稽で嗤っちまいそうだァーーーッ!!!

 

……

 

 耐えろ……! まだ嗤うな……っ! ここは屈服している感を見せて形勢逆転してやるのが、最高にッ!!! 面白い展開になる……ッッッ!

 

「ほら、言ってごらんなさい? 恥ずかしがらずに……♪ ね♪

 

 ま、私に非戦闘時のような余裕そうな笑みを浮かべるこの魔族の女(蛇子ちゃん)は結局のところ。最終的な終着地点として『許すとは言ってない』って言って、こっちが絶望に歪む顔を見たいだけなんですよね。わかります。と脳内に残された僅かな冷静な処理部分で思う。

 ……わかりますとも。私も——駆け出しの時。カルティスト(異教徒)にしてやりましたから。……相手にこの発言を強要させるのは、自己満足ですよね? どちらかと言えばそちら側の人間なのでわかります。その考えていることも。やりたいことも。……これってあれですよね? 『メスブタ』って言わせて『メスブタに人権なんてないわよねぇッ!!!』の流れですよね? わかります。やりました。やりましたとも。私もそっちの加害者側で王道を通過済みです。経験者です。同類(なかま)です。

 

「……スネー……レディ…………」

「なんですって? 聞こえないわよぉ? もっと大きな声をだして♪」

「……スネークレディさぁ……ッ!」

「もっとよ♪ もっと、大きな声で♪♪♪」

 

 彼女は私のか細い声を聞き取るために耳元まで顔を近づける。うつけめが……。

 その時を狙って、ラーメンの器ごとの改心の一撃をノックアウト攻撃の《頭突き》として、鼻頭を目掛けてぶち込んでやるッ!!!!!!

 ファー……ブルスコ……ファ……モルスァアアアア!!!!

 

フギィッ!!!

 

 割れるラーメンの器。突き刺さる私の爽快な核弾頭のような〈頭突き〉の一撃。昏迷する蛇子ちゃん!!!

 完璧なコンボにドヤ顔でこぶしを空高くつき上げる私。トバーっと祝いの鮮血として降り注ぐヤツの鼻血。どよめくオーク達……ッ! 脳内で流れ始める『英雄の証』(BGM) やったぜ。

 これにて、 閉ッ園……ッ!!!

 

ハァッハッハッハッハァーッ! フギィ! フギィだってよ!!! くっくっく……あーっはっはっはぁっ!!! 豚みてぇだなァ! 蛇子ォ! テメーは一つ過ちを犯したなァ! それは——」

 

 最高のキメ台詞を用意しながら、乱れた前髪を左手で掻き上げ、休憩所内に声が反響するほどの巨大な笑い声を大口を開けながら響かせて、半分霞んだ目で蛇子ちゃんの姿がチラリと見える方へ右手の手のひらを天井側に向けて人差し指を突き付ける。

 

「……そ れ は?♪」

「……そ……れ……わぁ……?」

 

 ……え? 蛇子ちゃん……? なんで平然と棒立ちになって微笑みを浮かべてられるんですかね? 今、確かに綺麗な一撃が……。

 ん。……鼻血を出して……鼻を抑えた……涙目の……? オー……ク……? ……なん……だと……? ……いつから私は、蛇子ちゃんに致命的な一撃を入れたと思っていた……?

 

「……お馬鹿な女の子♪ そこも"かわいい"のだけど♡」

 

 彼女がまた視界から消え、背後へ回り込んで来ようとする。奴の出現位置は分かっていたが、それよりも素早い蛇のようなしなやかな腕が私の手足を捉えリュックサックがはぎ取られる。背後から優しく抱きしめてきたかと思えば、満足に抵抗できないまま首をへし折りにかかってくるっ!

 アーッ!アーッ♀!!! 頸動脈を圧迫され、意識がはじけ飛びそうになる! まじぃっ!!!

 

「お遊びはここまで……♡ 続きは『カオス・アリーナ』で思う存分遊びましょう♪ あなたは長く♪ ずっと♪ 楽しい玩具(おもちゃ)になりそうね♪ くすくすくす……♪」

「ガァ……クゲ……ッ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode22+ 『残酷な勝利宣言』

「お遊びはここまで……♡ 続きは『カオス・アリーナ』で思う存分遊びましょう♪ あなたは長く♪ ずっと♪ 楽しい玩具(おもちゃ)になりそうね♪ くすくすくす……♪」

「ガァ……クゲ……ッ」

 

 四肢の一本も動かせないような拘束に、ただただ目の前のオークどもを誘惑し喜ばせるストリッパーのように身をくねらせることしかできない。遠のく意識で微かに聞こえる嘲笑に殺意が煽られるが……もう何もできない。

 全身が小刻みに痙攣し始め、股から生暖かいアンモニア臭のする液体が噴射していくのをズボン越しに感じる。まずい! これは、本当にまずい! もう最初からまずいけど、全部がまずい!

 

 首を絞められつつも、いまだに僅かだが自由に動かせるのは頭部だけだ。この頭部すら完全に拘束されたらガチで即堕ち2コマ肉便器(た い ま に ん)になってしまう!!!

 それだけは嫌だッ!なんで、蹂躙されて対魔忍世界に来たのに! また凌辱されなきゃいけないの?!!!

 

「対魔忍の子たちなら、もう落ちている頃合いなのだけど……。しぶといのね♪ なら♡ 搦め手はどうかしら♡♡」

 

 周囲の環境音が何も聞こえなくなっているにも拘わらず、私を背後から抱き着き、四肢を拘束し、首を締め上げているこの女の声だけが嫌に頭の中へ直接語りかけられているかのように声が響いてくる。

 えっ?! アレッ!? ちょっと待って! 今の確かに聞こえた“搦め手で”て何?! 凄まじく嫌な予感しかしない! ウォオオオオオオオ!!! こんなところで肉便器になんかなって、嫌っ!嫌ぁっ!!!

 

 ————あ゙がッ♥♥♥!

 

 あがっ、あががががががががががががぁっ♥♥!? な、なに?! 身体と身体が面している部位から……っ! 何かがっ! 何かが流し込まれてぇっ♥♥♥♥! ……痛いのに! 苦しいのにぃっ!? 気持ちぃい!?頭の中でキラキラ!きらきら!きらきらぁっ♥♥♥♥♥♥!星が輝いて 屋内のはずなのにぃ♥♥♥!?夜空が!星が!星辰が揃う♥♥!我が主よ♥♥♥!あぁっ♥♥♥!心の臓が♥♥!体の芯が♥♥♥

 すりすり…… ずりずりってぇっ♥♥ お尻の割れ目に

 脈打つ棒状のモノがコスられてッ♥♥♥!? 膣から甘酸っぱい蜜が滴るのが、ぐちょぐちょとこすれ合うショーツ伝いに……♥♥♥♥♥♥子宮入口(ポルチオ)付近が熱を持って 膣や子宮の形をはっきりと認識が♥♥♥ (メス)として、奥まで挿入れられたいって♥♥♥疼いてっ♥♥♥ あひっ♥♥♥

 

「ほら…… だんだん気持ちよく……♪ ゆっくりと夢の中へ……♥♥♥

 

 耳元で蛇子ちゃんの声だけがッ 甘く囁く毒のように脳を支配して♥♥♥! 周りにオーク達が居るはずなのに♥♥ 蛇子ちゃん以外何も見えないっ 何も聞こえないはずなのにぃぃっ♥♥♥! お星様♥♥! しゅごい! しゅごいぃぃいぃっ♥♥♥鬼塚キララぁっ♥♥♥♥

 身体が細かく激しく痙攣し始める。これは絶頂を感じて肉体が悦んでいるのか……。それとも立て続けの酸欠によって限界を迎えつつあるのか……——

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでも濁流のような快楽……否、活力の波が全身に行き渡っていくのは理解できる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

み な ぎ っ て き た ゼ ェ ッ ! ! !

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水に浸された布のように滲み広がっていく暴力的な快楽の波が、ドライヤーを押し当てられ乱暴な乾燥をしていくように意識が聡明に澄み渡って勝っていくのを感じていた。相変わらず四肢は一切動かないけど、身体に力があふれる! 目の前でお星様がきらきら! きらきらするぅっ!いあ! いあ!我が主が力を授けて下さった!素晴らしい! いあ! いあ!先ほどまで蕩けてしまいそうな熱を持ち、生命の危機に瀕して敏感になっていた性感帯が生存本能むき出しの過剰反応を引き起こして局部から全身が過敏な状態に切り替わっていく!

 

「……グピッ ……クヒッ…… グィギヒキヒキキキキキキッ…!

「……。おかしいわね。ドトメに対魔忍でもイキ狂うほどの媚薬を……蛇の神経毒(スネークポイズン)で流し込んだはずだけど……。……どうしてまだ堕ちないの?」

 

 狂いそうになる感覚に飲まれながらも無意識のまま、麻薬を過剰摂取したときに経験したサイケデリック体験と同調するように激しくオーケストラの奏者が音楽(メロディ)に合わせて首を振るようにヘッドバンギングさせる。まるでE.ツァンの譜面/狂宴の頌歌様の寵愛を授かった時の如く指揮と慰安曲を奏でるように首を振る。痙攣する指でリズムを刻む。入学初日や前世でよくやっていたアレだ。なにやら、この魔族はならをするつもりらしいが、なら使われる前ならをならして、アレをならして、私も全力で奈良をする。(おめめグルグル)

 そう、略して絶叫を上げならが、頭を振る(ヘッドバンギングだ)(おめめグルグル)

 これは私の経験論にしか過ぎないが——

 暴れまわるグレートオールドワンには、外なる神をぶつければ大体何とかなるんだよ!(暴論)

 半分意識は飛びかけていて、白目を向き、上の口からは大量の泡、下の口からは粘液がトロトロ……と垂れ流していたが、一向に問題はなかった。

 ……そう。ここには上原くんはいないのだ。……上原くんには見せられない。……絶対に見せられない。ほんっとに居なくてよかった。ありがとう制御リミッター(上原くん)。ウィーイヒヒヒッ!!! グギ、グギギギッギギッギギギギッ!!!(よだれダラダラ、おめめグルグル)

 ……覚えておいて欲しい。女ってのはな、周囲や環境に一切の(異性)が居なくなるとおっさんになるんだ。……前世の女子高の時がそうだった。異性のいる共学が一番平和で“かわいい女子(おとめ)”をふるまうことができるのだ。ありがとう上原くん。そのまま待ってて。

 ——今、助けに行くから。

 

「ッ! どこにそんな暴れられる力が……っ! ()

 

 乱れる髪、蛇子ちゃんの眼球に侵入したと思わしい私の髪!

 ——振れ!!!振り散らかせ!響かせ、震わせろッ!!!!!私の(ソウル)!臓物の芯から熱く焦がすハードなメロディ(ヘヴィメタル)!!!

 神にも認められ、退散させた私の魂からの絶叫(ソウル・サウンド)!!!!!

 そうだッ!!!肉便器(たいまにん)になったら絶対にヘヴィメタルは二度と出来ないッッッ!!!!!!

 

「ヴ゙オ゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア イ―――ッ゙ッ゙!!!」

 

——ガツンッ!!!

 

「ギッ!!!」

 

 今!ガツン!ガツンって確実に言った!イった!言った!痛ったァッ! 後頭部に蛇子ちゃんの歯がぶつかったような、私の頭頂部に激痛が走った!!!

 先ほどまで見えていた星とは別の星が見える! 薄汚い掃除の行き届いていない天井が見える! これは私の〈頭突き〉が決まった!!! そう。私の切り札! さっきは外したが、今度は確実にブチ当てることができた! これは勝った!

 〈頭突き〉によって拘束が一瞬緩んだところを狙って、水中の(うなぎ)のようにするり……とすり抜ける。

 

——『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG』の〈頭突き〉は“相手の戦意を失わせる強烈なもの”(81頁)なんだゼェーッ! よーく、覚えておきなァ!!!

 

 奴の身体から逃れた瞬間、身体全体を支配していた暴力的な性的熱が冷水に浸されたフライパンのように冷たく冷静になっていく。指先をグー・パー・グー・パーと何度か動かして、身体の調子を確認するが一切問題はない。

 こっちは『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG(63頁)“負傷のスポットルール《毒》”の効果によるものか……あるいは『新クトゥルフ神話TRPG』選択ルール:124頁“毒”によって得られる効果のおかげだろう。

 火照った身体が急激に冷えていく現象に関して 彼女は私の身体に何かをしていたのであろうが、今はのんびりとこれ以上の解説と考察を広げている時間はない。

 だが、これだけは言わせて欲しい。

 

 常に切り札ってやつは1つか2つは残しておくってものが戦いのセオリーってモンだッ!!!

 

 まずは先ほど引きはがされてしまった荷物をひったくるようにして、リュックサックの回収! そのまま負傷者とは思えないような軽やかなフットワークで机に登って、SASUKEのギミックを踏破する要領で〈跳躍〉を用いて、腕を伸ばしてこちらを捕らえようとするオークどもの包囲網を頭上から飛び越えて振り返る。

 背後を振り返って視線を向ければ、2人のオークに両脇を抱えられそうになるのを突き飛ばして振り払う……えっちなお店で働いている蛇子ちゃんの姿があった。歯がよっぽど痛むのか、身動きを取れずに口を抑えて両目に涙を浮かべてナーガ族にふさわしい顔でこちらを睨みつけていた。

 

「ギヒッ! ギヒヒヒ……“あらあらあらぁ? 怖がらせちゃったかしらぁ? そんな険しい顔しないで、ほらもっとこっちに近くにいらっしゃいな♪”」

……コ、コノッ!

 

 トリップ体験の余韻が響いているかのような素振りを見せながら、さっきのお返しとばかりに先ほどまでの彼女の仕草を真似ながら 全力の皮肉返しを彼女にぶつける。

 彼女のアイコンタクトで、彼女を取り巻くオーク達が全力で接近し捕縛を試みてくるが、私は慌てない。最大の脅威である蛇子ちゃんは私が放った〈頭突き〉の効果で1D6ラウンド(12秒から72秒)の間は(の間は)衝撃を受け、(〈頭突き〉の衝撃で)われを失ったこと(身動きを取る)による(ことが)身動きの制限が(出来ない)掛かるはずだ。(はずだ。(6版-61頁))

 これこそ、勝利を確信している強者の余裕だと見せつけるように可愛らしくウィンクを飛ばし、こぶしを振り上げ勝利宣言をする。

 ……明らかに私の方が吐瀉物(ゲロ)まみれだし、頭からは歯で抉られたことによる流血が激しく噴き出し、口端から大量の泡を吹きながらも異様に笑顔で歪めて、よだれがこぼれ落ち、上半身はラーメンの汁塗れ、下半身はいろんな体液を漏らした状態。露出している皮膚はところどころ擦り切れ打ち身だらけで……でも、こういうのはそれっぽい雰囲気を出したほうが傍から見れば勝ったように見えるものだ。それも相手が、小物っぽい発言をしているのならば、自分を輝かせるには今しかない。

 ほぼグレート・オールド・ワンと同格な存在に対して……噛みつき、一矢は報いた。精神的に。

 それから約2週間ぶりの非常ベルを叩き押し、休憩所から火の手が上がったことを大声で知らしめる。私も鬼ではない(ゲス顔)。蛇子ちゃんとそのオトモ達が放火したけど、自主的に消火活動に勤しんでいる的なマッチポンプ情報を拡散してやる。

 

 オラッ! 本件が対魔忍どもの耳に入って二度と表立ってアコギな商売ができなくなっちまえ!

 

 何。彼女たち側から勝手に窓の雨戸を閉めてしまったのだ。“中で何が起こっているかなんて”本当の事は、その場に居合わせた当事者しか知らないし、私はその場にいた当事者であり、その当事者が非常に“中での惨劇”を表すかのような姿で盛大に騒いでいるのだ。床を転がり続けた結果、衣服は床の埃によって黒ずんでまるで煤が付いているように…火災発生を裏付けるかのような状態を見せつけることが出来ている。内部事情を何も知ることの出来ない一般人は、突然鳴り響いた非常ベルの騒音と私の扇動によって、ただそれを鵜呑みにするほかない。

 こちらの予測通り即座にショッピングモールの休憩所付近の人間たちは非常ベルと火災発生宣言に驚いて我先に逃げ出し始める。私は、その光景を目にしながらほくそ笑んで、逃げ出す人々の進行方向に逆らって混じり、一目散で逃走を開始した。

 

ボゥ♪ ボゥ♪ ボゥ♪ ほらほら~♪ 早く逃げないと、みんな焼け死んじゃうど~♪」

 

 魔族のオークどもが発しているかのような低い声を意図的に発しながら、周囲の人間に恐怖を伝染させるための〈言いくるめ〉を放つ。

 魔族のオークどもでは図体がデカく、いくら一般人どもよりも腕力が勝っていようがパニックを引き起こし、出口へ殺到する人間の津波を押し退けて小柄で機敏な私を捕まえるだけのことはできない。最高の勝利宣言の如く、嘲笑うかのようなカラカラという笑い声を蛇子ちゃんにも聞こえるように高らかに響かせながらフードコートコーナー付近の出口より脱出する。

 オーク達の前から完全に姿をくらます前に最後に投げキッスをして、外に逃げたように見せかけた。オーク達も外に出てきて私の事を探し始めるが、既に私は他の建物内で〈隠密〉行動を取っている。

 

………

……

 

 ……私はこのまま逃げ帰るわけにはいかない。

 このショッピングモール内には上原くんが居るのだ。彼の身は今 危険に晒されている。助け出してから ここから脱する必要があるし、3時間もお花に肥料を撒きに行った2人にこの情報を共有しなければならない。

 スマホを開くが、トイレで農園を開くつもりのふうま君と蛇子ちゃんのどちらからもメールは来ていなかった。代わりに迷惑メールが5件追加で入っているようだ。お返事が欲しいのはお前じゃないんだが……。……開いたことはないが、どうせこのタイミングの迷惑メールだなんて日葵時代の怪しいオカルトサイトで登録したメールの名残に違いない。2人はちゃんと別個に登録しているのだ。迷惑メールには入らない。

 物陰に隠れつつ、ショッピングモールから今すぐ離れるような趣旨を書いた新規メールを頼むからメールを見て欲しいと祈りながら一斉送信する。

 

………

……

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode22-Tips+ 『スネークレディの通話記録』

 月に数度掛かる “部品” を蛇の麻痺毒(スネークポイズン)によって身動きを封じた後。人体保存用保管箱に詰め込んでカオス・アリーナ行のオークども(運送業者)に受け渡しを行う。私の行為は、すべてショッピングモールの監視カメラに記録されてしまっているが、既にショッピングモールの管理者は買収済みだ。

 私の目前で行われている映像は、その日のうちにすべて加工された映像に差し替えられる。

 哀れな部品の愛液や、私が分泌した精液で薄汚れている店内の掃除は下卑なオークどもに任せ、完全防音室となっているオフィスでソファーに背中を委ねて、私の姿が映る空のコップを片手に、忌々しい今日の出来事を振り返っていた。

 

………

……

 

 真っ先に思い出したのは、あの今思い出してもはらわたが煮えくり返るような……あの稀覯本の写本を手にした“一般人の姿をした何者か”の姿だ。彼女については後にノマドと癒着している政府関係者から横流しされる極秘資料から判明することとなるが、現在こちらが手にしている情報に彼女の情報が見当たらないことから、最近発見された部類なのだろう。

 それに彼女は魔族ではないことは断言できる。彼女からは身体を密着させ、命の危機に瀕させたときでも狂気的な笑い声は絶えず出していたが“微塵にも”瘴気を感じられることも、レイス種が肉体から分離する様子もなかった。

 私が彼女と初めて出会った時、身動きを封じるためにも触れようとしたところで発生した静電気は行動を共にしていた対魔忍:『上原 鹿之助』の忍法で間違いはない。横流しされた資料の情報に加え、遭遇した感想としては彼の放つ忍法には一切の脅威を感じられなかった。

 しかしそれでも、彼女のほうを逃がす要因に繋がったことは、今でも忌々しい存在だったと言える。

 ……奴さえいなければ、すべて上手く物事が運んでいたはずなのに。

 

 ……ピキッ……パリンッ!

 

 ……あぁ。コップを握り割ってしまうだなんて、私らしくもない。

 割れたコップで切った手を舐めながら、彼女のことを思い返す。

 ……彼女は実に惜しい存在だった。

 手加減したとはいえ、対魔忍でも3発も受ければ満足に動けなくなるような攻撃に対して耐えてみせた。その耐久度も申し分なかったが、店に仕掛けていたヨミハラのインキュバスに描かせた特別なチャームの術に掛かったということは、外見から想像できないぐらいには “心が躍るような人種” だったのだろう。邪魔立てしてきた『上原 鹿之助』によって、その術すら破られてしまったことは非常に残念だが。……確かに、遊んであげた感想として。その予想は的中させていた。

 更に彼女を逃がしてしまった死骸(オーク)の話では、彼女は愚かな群衆を焚きつけて自身が確実に逃走できるように仕向けたそうじゃない。

 そういう人材を私を含め、カオス・アリーナの連中は常に求めている。最近は “良くない噂話” ばかりが先行して質の悪い観客が増えた一方で、有能なファイターが次々に “使いものにならなく” なってしまって困っていた。

 今回は逃げられてしまったが、焦る必要はない……また捕獲するチャンスはいくらでもあるだろう。

 ……そのためにも、私は傷が完治した手で“親友”に電話を掛けるのだった。

 

………

……

 

 幸いにも友人はすぐに電話の受話器を取ってくれた。

 

「——ハァーイ♪ エドウィン、最近の調子はどう?」

「——カリヤか。こちらは可もなく不可もなくと言ったところだな。そっちは、近頃“新しい事業”は うまく行っているようだが……娯楽施設の方からは“よろしくない噂”ばかりを耳にするな」

「知ってるくせにぃ……ほんっと、意地悪な人ね♪ でも勝手に壊れちゃう“備品”が悪いのよ。それでも、いいでしょ? 代わりの“部品”は自主調達しているんだから」

「……フン。それで要件は? 俺も長々とくだらない世間話に花を咲かせているほど暇ではない」

「でしょうね♪ ……でも。この話を聞いたら、きっと♪ 食いつくわよぉ♪」

「なんだ。勿体ぶらずにさっさと話せ」

「——『アラガルノーヴの書』」

——!

「……あれがね、見つかったのよ」

「……一体、どこで?」

「フフフ……♪ それは秘密♪」

「わかっているだろう! あれは——」

 

——そう、あれは“親友”のエドウィン・ブラックですら目の色を変えてしまうほどのシロモノ♪

 

「もちろん、わかっているわ。“独り占め”しようなんて気も起きない……だから“親友”にこうして電話しているんじゃない♪」

「——問題があるということか」

「そ。すっごく簡単で単純だけど面倒な問題……。とにかく、彼女の資料をこちらである程度纏めたら送るわね」

「……アサギか(くれない)か……良いぞ。アレ等は血がた「アサギちゃんや、あなたの娘さん絡みじゃないわ。ヨミハラでも見たこともない子だし、それに対魔忍ですらない……見たところ“一般人(“中学生”)”ね」

「……」

「露骨にがっかりしないでよ『アラガルノーヴの書』絡みよ? ……とにかく『青空 日葵』ちゃんには“2人で”会うのだから、抜け駆けや独り占めは『なし』よ」

「——わかった。では、準備が整い次第、私も日本へ向かうとしよう。“その時”になったら、また連絡を寄こせ」

「えぇ……。きっと♡ 気に入るわよぉ……♪」

 

 通話を終了し、受話器を置く。

 別に私が彼に報告しなくても、あの子が対魔忍と一緒に行動しているという事はいずれ、彼の耳にも彼の配下であるフュルスト経由で耳に入るのでしょうけど……。私が見つけた獲物なのに抜け駆けされるのは、それはそれで気に食わないし……これで私は彼に貸しを1つ作ることができるもの♪ 利用しない手はないわよね♪

 

 先ほどまでの苛立ちが嘘のようだ。

 機嫌がよくなった思考回路で、鼻歌を歌いながら差し替えられる予定の監視カメラに映った彼女をトリミングし拡大して、カラー印刷する。

 丁度、私の配下から逃れる瞬間の映像のようで、毒を流し込まれていたことなど、最初から感じていなかったかのような“ケロッ”とした態度をしていた。頭から大量の血が滴り落ちているにも関わらず、気にも留めていないかのような余裕な顔で(わら)いながら、ウィンクをして投げキッスまでもを飛ばしている。

 ……どこまでも肝が据わっていそうな娘だ。

 

「フフフっ……♪ また会う時がすごく楽しみだわぁ♪

 『青空 日葵』……いいえ、ゼラト シーカーちゃん♪

 

………

……

 

 




~あとがき~
……スネークレディ版 『青空 日葵』の資料作成中。

Coming Soon …….



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode22-EX+ 『■『青空 日葵』』

報告文書
筆者:スネークレディ

■『青空 日葵』⇦
┣■『青空 日葵[あおぞら ひまり]』
┣■『忍法・“愛称”』
┣■『趣味・嗜好』
┣■『疾病・既往歴』
┣■『学校生活』
┣■『町での評判』
┣■『テロリスト襲撃時の動き』
┣■『所持していた本について』
┗■『今後の接触予定』




■『青空 日葵[あおぞら ひまり]』

性別:女性  年齢:15歳  誕生日:9/16

血液型:B+  身長:162.3㎝ 体重:58.5㎏

忍法:不明

愛称:『青空さん』『日葵ちゃん』

蔑称:『汚い対魔忍』『サッカーゴールで一騎当千した女』『入学初日にカバンを頭に被って学校集会の自己紹介でデスメタルした女』『命を値切る女』『瞳に宿る狂気』『校長(井河アサギ)を人質に取る度胸の塊』『猫を被った消火器』『素の垂直跳びで自分の身長分飛び上がる女』『自称運動音痴』『散歩で真っ先に崖を上りそう』『あいつはいつか空を飛ぶ』

評価:『手段を択ばぬ無法忍者』『“妖精”』『弱者なのを理由にやりたい放題やるやベー奴』『えげつねえが忍者らしい忍者』『暴走列車』『思考がヒャッハー』

性格:積極的、問題児、猫かぶり

趣味・嗜好:読書、ヘヴィメタル、機械弄り

疾病・既往歴:1年前の事件により、解離性同一性障害*1の疑いあり。

得意科目:とくになし。(五車学園の入学後より“常に”平均的)

苦手科目:魔界学、体育(?)(要精査)

まえさき市の監視カメラ情報:

 対魔忍である『ふうま小太郎』『相州 蛇子』『上原鹿之助』と共にまえさき駅より出て、共に行動するのを確認。評価と戦闘力が対魔忍の中でも最下層に属している『上原鹿之助』はともかくとして、対魔忍であり実地経験のある『ふうま小太郎』『相州 蛇子』と行動を共にし、親しげな様子から友人とは彼等の事であると断定。またホームセンターでの遊戯も要参照。

 事件記録(Episode19~22+)を情報添付。

 

 

■『学校生活』

 捕縛した対魔忍からの評価としては『消火器/消火栓の“妖精”(ピクシー)』。

 はっきり明確化すると入学初日から騒ぎと問題を引き起こし、校長である『井河アサギ』。教師の『井河さくら』『八津 紫』『蓮魔(はすま) 零子(れいこ)』にこってりと絞られ、入学初日に生徒指導を発生させたという問題児に分類される。

 と、言っても教師達の評価は決して悪いものではなく、授業中に関係ない書物を読んだり、授業自体を欠席することがあるらしいが、その場合でも授業には問題なく付いて行くことができ、なおかつ教師から指名された問題に詰まったクラスメイトをフォローする様子もみられる模様。ここら辺の人柄評価も不良にも優等生にも属さない平均的な評価である。

 学力は入学試験から小テストに至るまで“常に”平均的。学年順位として見ても中間……よりやや下の位置に属しているが……この試験や小テストの情報は当てにはならない。

 性格診断では有益な情報は得られず。偏った性格……というよりも、どこからが『青空 日葵』の真の性格であり、どこまでが作られた性格であるか判別が行えなかったのが大きい。

 現状の交友関係として『ふうま 小太郎』『相州 蛇子』『上原 鹿之助』と最も仲がよく、通学や放課後には常に4人で帰宅する様子が確認されている。

 

 

■『町での評判』

 入学初日に非常ベルを悪戯で使用した不良として認識されている。

 第2印象こそ、そこそこ最低な評価を貰っていたが『ふうま小太郎』『相州蛇子』『上原鹿之助』と良好な関係を持っていることや日常的な挨拶、困っていた人を見掛ければ助けるなどの行動から見られる優等生的な素行から町内の信頼は回復しつつある模様。

 またこの最低な信頼の回復は、彼女の両親が非常に好意的なふるまいを事前に挨拶回りなどで根回ししていたことが、村八分となるような事態に陥らなかったのではないかと推察されている。

 

 

■『テロリスト襲撃時の動き』

 警察関係者から提供された監視カメラの情報から、襲撃前より屋上で『アラガルノーヴの書』を読んでいたことは特筆すべき。

 また他の街中に存在する他の監視カメラ映像や過去の購入記録から、彼女が『アラガルノーヴの書』は購入したのではなく どこかで入手したものと考えるのが妥当である。

 特に屋上で『アラガルノーヴの書』を読んでいる最中、何度か痙攣反応を見せたのは興味深く。現在、五車学園へ潜入中の魔科医師である『フュルスト』による見解によれば、この痙攣は人が『幽体離脱』『魂が抜ける』『死に直面したとき』に発生するものと同一の症状であると意見を貰っている。

 更にテロリスト襲撃以降、日常的な立ち居振る舞いは以前の彼女とは思えない程変化しており、まるで別人のようだ。襲撃時、監視カメラに残されていた記録からは、テロリストを複数人相手にしながら応戦している姿が映し出されていた。その際、卓越した身のこなしや銃弾を避けるという人間離れした離れ業は、彼女がただの女子高校生ではないことを如実に物語っている。

 これらの以上の点を踏まえ、彼女が入院した先の医師が診断した解離性人格障害は、テロリストと相打ちになったときに発症した精神疾患……というよりも『アラガルノーヴの書』を読んだ事による……『別の何か』が『青空 日葵』に成りすましていると断定。

 対魔忍どもは、彼女には何か“裏”があるとして。彼女の父親を国家権力によって異動させた上で観察・身辺調査を行っているようだが、現状、彼女自身も『青空 日葵』として振る舞っており、対魔忍どもが『アラガルノーヴの書』について知り得ない限りは彼女が何者か判明させることはまず不可能であろう。

 

 彼女が、『ゼラト シーカー(Zealot(狂信的・熱心な) Seeker(探求者))』と名乗ったのも、彼女の“中身”に繋がる情報の可能性が高い。

 追記:“名は体を表す” とも言うものね♪

 

 

■『アラガルノーヴの書』

 起源不明の魔導書とされている本。

 エドウィン・ブラックの所有している古文書には以下の情報が添付されていたとされる。

 

『アラガルノーヴの書』

 とある魔術師が異界に通じる闇から掬い上げたとされる。たった1冊しかない手書きの文字で書かれた本。言語は高位魔族に該当する吸血鬼語。

 現在、その魔術師は星辰魔科医病院に永久入院を強いられているとされているが、面会しても支離滅裂な言葉しか話さず会話は成り立たない。最後にその魔術師が放った意味がありそうな言葉も『3つに分かれた燃える目!』という狂気的な笑い声と共に発せられた言葉のみである。かつて魔術師が会得したことに興味を持った高位種族レイスが憑依し脳内に存在する情報を確認したところ、そのレイスも漏れなく即座に永久的な狂気に陥ったらしい。以来『蠢く闇の触手、粘着質なよだれを垂らす黒い渦……金切り声が響く』と繰り返しずっと口にしていたとのこと。

 追記:その魔術師とレイスだけど、いかなる手法を用いたかは分からないけど精神病院を抜け出して行方知れずとなっているそうよ。こちらの調査も私たちにとって有意義なものになるかもしれないわね♪

 

研究期間:260週間(約5年)

正気度喪失:3D10 +χ

クトゥルフ神話:+10%/+20%

神話レーディング:89

魔術:《螺旋を描く蛇竜の追従》《荒野の狩猟の神との接触》《鏡面反射》《天使ディラエの命令》《蠢く森の使役》《馬龍の奇声》《ブラッドレインの加護》《焼肉》《ウロボロスの輪》《悪魔祓いの魔法陣》《淫獄》《終焉の神の名》《不老不死の宴》《輝く宇宙のたんぽぽ酒》《邪気眼》《溺愛》《死神の腕》《達磨》《ボルゲーノ・レインコート》……他。

 

 

■『今後の接触予定』

 ひとまずは本人からの連絡を待ち、電話が来ないようであればこちら側から接触を行う。

 猶予は彼女が五車町に帰宅してから5日程度を目安とする。

 接触を拒む場合、本人の拉致を予定。

 即座に潜入中のフュルストあるいは、朧忍軍をいつでも動かせるように準備しておいて頂戴。

 敢えてここでも忠告させてもらうけど、絶対に1人で勝手に接触をしないように!

 

 

*1
端的に言ってしまえば、二重人格♪



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode23+ 『“探求者”としての観察眼』

~前回までのあらすじ~
 スネークレディ(蛇子ちゃん)にボコボコにされ、彼女の必殺技であるスネークポイズンを流し込まれながらも、それでも探索者としてのポテンシャルを最大限に活かして一矢報いることができた日葵(神葬)。
 現在、スネークレディ(蛇子ちゃん)から逃れて 初めての友人である上原鹿之助くんが危機的状況下にあることをスネークレディ(蛇子ちゃん)との戦闘前に彼からの最後の電話で知る。
 彼を救出するために電話の先から聞こえてきた内容を頼りに探索を開始するのだった。
 …ちなみに、3時間前にトイレへ行ったまま帰ってこない友達の相州蛇子ちゃんとふうま小太郎くんには、情報共有を行ったがまだ合流はできていない。
 そろそろ蛇子(相州蛇子)ちゃん(ちゃん)のお尻が心配になってきた。どこで2人はウンコしているんですかね……。



 血眼になってこちらを探し出し、“スネークレディ(蛇子ちゃん)”の元に連れ戻そうとしてるオークどもの追手を巻きつつ、家具販売店『ニトロ』と食料スーパー『ナガト』を繋ぐ通路に私はいる。

 上原君の最後の電話からは、人の声や外気の環境音が聞こえないうえで、ニトロの定員呼び出しのアナウンスだけが微かに聞こえてきていた。恐らく、その通話を行っていた場所がここではないかと推測を立てながら全体的に白く塗装された通路の奥へと進んでいく。

 上原くんを拉致した人物は、最後に力強くスマホを踏みつぶしていた。〈物理学〉の観点から、あの時に聞こえてきた音、踏み下ろされた角度、威力から状況を整理すると、スマホに使用されているガラスが通常よりも多量に飛散したはずである。そのため現在、床を舐めるようにして踏みつけたであろう箇所を探してはいるものの、それらしい飛散物は残念ながら見つかってはいない。

 

 途中、お客様用トイレがあるのを発見し、念のため男女関係なく内部を確認したが上原くんの姿は見当たらなかった。ふうま君も蛇子ちゃんの姿もなかった。

 代わりに、洗面台に備え付けられた鏡の中にはひどい姿の女がいた。顔面に鮮血が流れていき、髪に麺やら鳴門巻きやら、嘔吐物がまとわりついている。白かったインナーは茶色の醤油味と赤色に染まって、ズボンの股下では、大腿部にナメクジが這ったあとのような粘液が乾燥して鈍い光を放っている。ブーツの中には大量の黄色の透明な液体が注がれていた。

 目糞鼻くそみたいな状態にしかならなかったが、様々な己の体液によって汚染したショーツを脱ぎ捨てるなり、ラーメンの汁色に染まった服を簡易的に洗うなどすることで、洗面台の鏡に向き合って凄惨な自分自身の姿を少しはマシな状態へと持ってくる。少なくとも髪の毛に付着したラーメンのカスや顔にこびりついていた流血の痕を洗い流すことはできた。

 今、思い返しても、あの蛇子ちゃん(スネークレディ)に対し〈頭突き〉による不意打ち以外に有効的な打撃を加えられなかった自分に、苛立ちと悔しさが沸き上がってくる。確かに精神的にはこちらの方が最終的に勝っていたが、それでも腹の奥底にある赤黒い臓物の煮えたぎる血流がブクブクと沸騰し、火山の火口のように真っ赤っかに染まりつつあるのを自覚していた。

 

「今に見てやがれ……。今度は私の完全勝利で、テメーのもっと情けねェ姿をオークどもに見せつけてやる……」

 

 こちらが首を絞められて意識が落ちかけていた時。たしか、あの女は『カオス・アリーナ』とかいう場所で続きを楽しもうと話していた。これはつまり、逆にあの魔族が出入りしているであろう活動拠点の1つの情報を抜くことが出来たことにもなる。上原くんを連れて帰ることができたら、そちら方面の情報を調べるのも 今後何か自分自身にとって有益に働くかもしれない。

 悪態を付きながら、苛立ちの衝動に振り回されるような形で、傍に置かれているゴミ箱を蹴り飛ばす。転がった内容物がある種の生物の内臓が飛び出たかのような光景で、鬱憤も晴れていく。

 だが通路の先の調査に向かおうとした時。転がったゴミ箱の中から見覚えのあるスマホが姿を現わしたのを見逃さなかった。

 

「——ッ! こ、このスマホっ……!」

 

 飛びつくように掴み、スマホを拾い上げる。

 ゴミ箱の中身を洗面台の上でひっくり返し、他に入っているものも確認する。

 踏み壊されたときに飛散したであろうガラス片もこの中にまとめて破棄されている。道理で通路でこれら(飛散物)が見つからないはずだ。スマホを破壊した犯人が綺麗に掃除してしまったのだから。通路で見つけられるはずがない。

 これは休憩所で見たスマホカバーや機種からみて、上原くんのもので間違いないだろう。踏みつけられたあのときに破損して、画面は蜘蛛の巣状にひび割れ、粉砕した画面の一部は欠けてなくなっている。ゴミ箱内にある破片と照らし合わせるが、おおよそ当てはまる。

 ……これがここにあるということはこの近くに彼は居るはずだ。

 あたりを忙しなく見回して掃除用具入れまで念入りに調査する。……ここに彼が居ないことは理解していたが、誰かにこのゴミ箱から他人の携帯を拾い上げるという行為を見られるのは避けたかった。

 誰も居ないことを確認し、ここで遭ったことを想像しながら、上原くんを連れ去った彼等が最終的にどこへ逃げて行ったのか思考を張り巡らせる。

 

………

……

 

 ——彼の身長は約140㎝、体重は38㎏前後。

 彼をどのような用途で連れ去ったかは皆目見当も付かないが……拉致犯がじっくり監禁してえっちなことをすると仮定して、別の場所に連れていく場合。

 ……簀巻き……それよりも体育座り状態で縛り上げれば、チェーンソーで四肢切断しなくともスーツケースに詰め込めるだけのサイズにはなる。しかし、いくら数人がかりで彼を取り押さえようとしたとしても、本気で抵抗する高校生をコンパクトにたたむことはできないだろうし、四肢切断などしようものなら後始末を事前に考えておく必要がある。そもそもこの手法は監禁後にやるべき手法であって、こんな人気の多い場所でやるべきではない。騒音問題や手間暇がかかり過ぎる。切断した時点で失血性ショックで死にかねない。焼きゴテで傷口を焼いてしまう素晴らしい方法を取れば1度で2度美味しい玩具(おもちゃ)に成り得るが……もしも彼等がこの手法を取ったのであれば、このトイレか廊下に人の焼ける……バーベキューに行きたくなってしまうような臭いが残っているはず。

 ちなみに私は上原くんを拉致するのに四肢切断だなんて、新しい反応を得られなくなった時の最後の手段であり、最高の楽しみを不意にするようなマネはしない。シンプルに睡眠薬(サーーーッ)か……私も被害者のフリをして雇った人間に一緒に拉致される方法を選ぶ。

 仮に私が犯人として彼を監禁できたら、どんなことをするだろうか……。

 まず四肢は残すだろう。それから何度も生え変わる爪を気まぐれに剥がしたり、力強く握りしめられないよう“悪いこと”をするたびに両手小指を各関節ごとと脚の指を計16回に分けて切断する。目隠しした状態で椅子に縛り付け、開口器で口をこじ開けさせて、下剤を服薬させて尊厳を打ち砕く。辱めを受けて俯いた瞬間に閉じることの出来ない口から、よだれがダラダラと滴り落ちる姿を眺めながらゆっくりとペンチで抜歯をして……。……何故そんなことをするか? かわいい反応を見たいからに違いない。なるほど。

 でも彼は、この世界での初めての友人であり、かけがえのない存在だから私が実際に彼に対してそんなえっちなことをしたりはしない。私は今、彼を助けるために動いているのであって、この想像は犯人が彼に何をするかイメージを更に膨らませるための一環にしか過ぎないと自分に言い聞かせる。

 ……私はまだ理性を保った人間だ。

 

 ……話を戻そう。私は早く彼を助け出さなければならない。

 上原くんは共に紫先生の戦闘訓練指導を受けている学生だ。生半可な抵抗ではなかったことは想定ができる。

 ……まぁ、相手に電話が行えるだけの余裕と暴れるだけの猶予を与えている時点でそこまで拉致のプロの仕業と考えにくいだろう。プロの犯行なら善人だった頃の“蛇子ちゃん”のように音もなく近づいてきて自分のテリトリーに引き込むか……。あるいは抵抗が激化する前、姿を見られる前に……私なら頭に巾着袋をかぶせて、紐で首を絞め背中にナイフを突きつけて抵抗も悲鳴も出せないようにしてしまう。

 ……彼は可愛らしい悲鳴を上げる前、“茶色のケモミミ”と言っていた。ほぼ確定的に私達がファミレスに向かう前に見たアイツ等のことだろう。そんな恰好をしたやつが駅前とはいえ周囲に空港もない場所で、休日の真昼間に物音のするスーツケーツを引きずっているのを見られれば、外にいる警察官や警備員の目を引いてしまう。だからと言って、外に駐車している自動車のトランクに重量のあるものを投げ込むには大きすぎる。……他人の目を不用意に引きかねない。

 以上の点から、彼はまだ建物内にいる確率が高いことが予想できる。

 そういえば……あの時。電話の向こう側から奥の方の扉が開く音が聞こえたような……。

 

……

………

 

 私の方針は定まった。

 トイレから出て通路の更に奥。突き当たりに『従業員以外立ち入り禁止』と書かれた両開きの搬入口に辿り着く。

 音が出ないようにそっと、室内に入って 周囲を見渡す。

 通路は非常に薄暗く電気は付けられていない。それどころか、この通路に存在する すべての通路の蛍光灯が取り外されていた。通路に留まっている台車には潰された大量の段ボールが山のように積み重なり、わずかな光源と言えば ぼんやりと照らし出された非常口を指し示す非常灯がバチバチと点滅している。

 

………

……

 

 気配と足音を殺し、慎重に周囲の探索を始める。

 現在いる通路は従業員専用通路のような場所であり、手前に倉庫のような部屋。更にその奥には従業員専用の休憩所があるようだった。

 こういう探索は手前側から無人そうな部屋に〈目星〉を付けてしらみつぶしに調査するに限る。今、私は情報を何も持っていないような状態だ。最低限であっても、この施設で何が起こっているか、何が行われているのか調査する必要がある。

 従業員専用通路には、ざっくりと〈目星〉を付けて調査を済ませたが……特に気になるようなものはなかった。潰されたダンボールの詰まれた荷台は長年使い込まれているようで、移動させようとすると1つキャスターが地面に面しながらくるくると回転してしまい非常に取り回しづらい。ダンボールも一通り組み立ててみるが、このぐらいの大きさでは人を隠せるほどの大きさのものは僅かではあり、一時的に隠せたとしてどう使うか用途不明のものばかりだ。

 ……それ以外に気になるものと言えば、一定の間隔で消火器がいくつか並べられていること、非常ベルの配線が何者かによって切断されていることぐらいか。

 

………

……

 

 ひとまず、倉庫のような部屋に入り捜索を始める。懐中電灯のような光を発して、こちらの位置情報を発信するようなものは使用せず〈聞き耳〉と雑多な道具が立ち並んでいる工具置き場に〈目星〉を付けて、上原君の姿や目撃されたら面倒な存在の索敵を行う。

 

………

……

 

 ……事態は常に悪化している。業務用ダストシュート付近のゴミ箱から、上原くんが私と別れたときに着用していた新品のメンズ服を発見する。それだけではない。ダストシュートを開けた瞬間、生ごみが密封されて腐っていくような甘くも胸糞悪くなるような悪臭。手で薙ぎ払えるほどのハエが噴出してきた。近場に置かれていた殺虫剤で即殺するも、私がある程度の免疫のある光景でなければ、今頃 顔面に20ゲージショットガンの散弾のようにぶつかってきたハエの集合体に対し、悲鳴を上げていたに違いない。

 ……彼の衣服は鋭利な刃物で断裁されていた。この断切り方は、本人の目の前で『お前は逃げることはできない』あるいは『家畜に服など要らない』と見せつけた意図があったようにも捉えられる。パンツも丁寧に……おほっ! ……こ、これはパンツではない。ショーツだ。ショーツ!しかも女児もののショーツだァ!!! 女児もののショーツであるが、鹿之助くんの……におい においがすることから、彼のもので間違いはないことは、私の五感に通ずる〈聞き耳(6版判定,77頁)〉と〈目星(7版判定,198頁“知覚ロール”)〉で今、証明、確定された正気度が回復する。ひゃっほぃ!

 

 高鳴る鼓動を抑えつつ、倉庫のような部屋の調査を終える。

 他に見つかった〈目星〉いものと言えば、食料スーパー『ナガト』の従業員用作業服。その隣に、私達がこのショッピングモールへ入るときに見た、あのケモミミフード付きのローブだった。ひとまず、バラバラで着用には使い道のない上原くんのショーツと衣服は、口惜しいが誰の手にも渡らぬようにゴミ箱の中に放り込みつつ、他の2種の衣服を手にして部屋を後にした。

 

………

……

 

 




~A.Hの弁明 記者会見編~
H(S)「えー… この時、私はみ…いいえ、嗅覚。あの時は嗅覚のみで彼のにおいを感じ取っていますが、これは決して、やややましい気持ちがあったわけではなく、彼である裏付けとして行ったことであって…決して、決っして…! そんな 説明できないようなことではありません。皆さまだってあるでしょう? 学生時代に同級生の物品を嗅覚で判断して、持ち主を言い当てる技。私はアレを行っただけであって、べつに持ち帰ったりしてませんし。必要最低限の情報収集をしたまでです。えぇ。あれは情報収集でした。はい。そう、あの行為はあの女魔族(スネークレディ)のせいでもあるのです。あの魔族が私に流し込んだのは自分の身体ですから、よくわかっています。あの行為を行ってしまったのも、あの魔族が私の身体によからぬ邪気を送り込んだわけです。まぁ、もういいじゃないですか! 上原くんが見つかるような切っ掛けの情報となったわけですから、私のこの行動は十分に正当化されますよね? それに私は まだ15歳です。少年法って知ってますか? まだ私は実名報道されないわけですよ。大丈夫です。大丈夫ですね? 待って!? 私をイニシャルにするとA.H アヘなんですか!? こっちの方が問題でしょう!? 私はまだ未成年ですよ! 未成年! 未成年なのにアヘはまずいですって! ね! ここは少女Aぐらいの表記にしておきましょうよ! そうです。そうしましょう!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode24+ 『殺る気 スイッチ』

「~~~~グア」

「……!」

 

 倉庫での探索と調査を終え、ダストシュートに人の死骸を放り込む程度には異常事態が発生しているこのショッピングモール内で次の部屋を目指す。

 次は、従業員通路の突き当りに存在する従業員用休憩室だ。扉の前に立った時、室内からは何者かのくぐもった声が聞こえ、言い知れぬ違和感を覚え瞬間的に身構える。

 この部屋の扉の前に来た瞬間に、倉庫とは異なる身震いしてしまうようなチリチリと皮膚が炎で炙られた火傷のような違和感があった。何かこの部屋からは嫌な気配を感じたのと同時に、念仏のようだが念仏より早まきしている念仏が その違和感を煽り立ててくる。おどろおどろしい声。何か《呪文》のようなもの。携帯電話越しに微かに聞こえてきたあの声のようだった。

 〈聞き耳〉を立て、更に細部の部屋の様子を探る。

 【ウガァ、クトゥン、ユフ】の大合唱の中、さらにその奥。最深部にあたる位置から、聞き取れないようなモゴモゴとした発語だが、いつ息継ぎを行っているかもわからないような声で永い詠唱を続けている大合唱とは別の言葉を呟く男の声が聞こえた。

 それに、その詠唱呪文のそばから上原くんが身をよじって拘束を解こうとする音、うめき声が聞こえてくる。

 間違いない。彼はここに居て、何か良からぬことに巻き込まれている……!

 

 扉を乱暴に蹴り破って押し入りたい気持ちや、『開けろ!デトロイト市警だ!』宣言を行って扉を吹き飛ばしたい気持ちを飲み込んで、そっとわずかに扉を開けて内部の様子と、室内の空間の大きさを測る。

 ……室内は異様だった。

 窓一つのない異様な部屋には電気が灯っておらず、蠟燭使用のランタン光だけがぼんやりと足元を照らしている。室内には家具らしい家具はすべて撤去されており、代わりにペンキにしては赤黒くてところどころ塗料が足りなかったかのようにかすれた線を引き出すような塗装液を用いて円型の魔法陣が描かれている。円型の魔法陣の内部にはまえさき駅前で見たケモミミフード付きのローブを纏った人間が16人。円陣を組んで「ウガァ・クトゥン・ユフ」と合唱しながら詠唱に合わせて左右にユラユラとメトロノームがリズムを刻むように一定の感覚で揺らめき、左右に上半身を動かしている。

 ……えらいぞ私。ここでゴールドシップ式デトロイト市警(ドロップキック)をしていたら、間違いなくいろいろ終わっていた。

 

ダ ズマ エルマエ ウガァ=クトゥン=ユフ クトゥア トゥルグブ ルフブ=グスグ ルフ トクグル=ヤ ウガァ=クトゥン=ユフ クトゥルグブ ルフブ=グスグ トゥルグブ ルフブ=グル=ヤ ダズマエ イルゴス ダルヴァ……——

ぅんむぅ……むぅふっ……!

 

 その奥。台座のような白く塗装されたコンクリートの上、鉄棒での姿勢の1つである豚の丸焼きのような姿勢で、ガムテープを用いて手足指先までミトン状に拘束された……両目にいっぱいの涙を浮かべ、口には猿轡をされた全裸の状態の上原くんを発見する。あの男子高校生、すけべ過ぎないだろうか……?!

 ——違う。今はそんなことを考えている場合ではない。

 その白い塗装が施されたコンクリートの台座の周囲には装飾品として肉片がこびりついた頭蓋骨が数個並べられ、台座は次亜塩素酸ナトリウム臭のするフレンチドレッシングのような白い粘性の液体と黄色の液体が振りかけられていた。やはり、スケベだ……!

 そしてその台座の奥で、このカルト教団の教祖らしき男が両手に波状の刃を持つナイフを片手に本を読み上げている。ナイフの位置から、直下にあたるのは……上原くんのへそ付近。つまり腹部。詠唱終了と共にそこに突き立てられるのだろう。あの場所なら、犠牲者を即死させることなく何度も突き刺して反応を弄ぶことが出来る。最高のショーになるのは間違いない。えっちだっ!

 

「イア イア グノス=ユタッガ=ハ イア イア……!」

 

 だが詠唱を繰り返す彼等は焦点が定まらないような虚ろな目をしていて……。……あれはとても正気の人間の目ではなかった。典型的な邪神崇拝しているカルティストの瞳だ。私が殺してよい人種の目をしている。そうだ。カルティストだ。殺さなければ。殺して良い連中(異教徒ども)だ。よし、殺そう。殺す。

 

………

……

 

 リュックサックを下ろし、何か武器(得物)になりそうなものを探す。まともな武器として見つかったのは、工具店で購入したポケットナイフとホームセンター五車店には販売されていないDIY・近代工具セット一式、ブーツの下に着用しているストッキングをブラックジャックに転換させるぐらいだが……。これを二刀流の武器として、女子高校生が17匹の人間大の人型物体を相手にするのは骨が折れる。

 ……骨が折れるどころの騒ぎではない。理論上では可能だが、無理だ。現実的には、皆殺しに出来ない。それにこんなカルティストどもだ。ある程度 殺しにも慣れているだろう。テロリストの人間と同じように人質も取ってくるだろう。頭数もあるのだから、応援を呼ぶために逃げるものもいるだろう。

 ————カルティストは逃がしてはいけない。その場で1匹残らず殲滅(くじょ)しなければならない。それも相手に気づかれる前に確実に。

 もっと別の方法を考えなくては……。

 

 次に考えたことは、塩素系漂白剤と酸性タイプの洗浄剤を混ぜ合わせて塩素ガスでゴキブリの如く一毛打尽にする方法だ。奴らをガス室送りにして、出口に殺到し ドアストッパーと私の工具セットを使って固定した、強固なチェーンで開かない扉を爪が剥がれるまで必死に叩き引き剥がそうとする獲物の姿を扉の前で椅子に座って紅茶を啜りながら優雅に眺める。

 ……自身の崇める邪神を投げ出して必死に生に縋るカルティスト(破戒者)どもの姿は、実に滑稽で最高の光景かもしれないが……これは絶対に駄目だ。上原くんも確実に巻き込んでしまう。

 

 他には……室内には蝋燭と火を使ったランタンがあった。

 幸いにも近くには食品スーパー『ナガト』がある。

 安易な火炎瓶……は素人(トーシロ)な発想だ。火炎瓶ガチ勢としての意見は、消火設備の行き届いた施設でそんな武器を振り回すのは向こう見ずとしか言いようがない。20~25%以上のアルコールなら火が付かないことは無いが……火力が弱すぎるし、相手に致命傷を負わせられない。サラダ油を利用すれば……まぁ——即席としての代用は可能だが、これも却下。

 愚直でその後のことを何も考えてないプランだ。仮に上原くんをこのプランで助け出すことができたとする。逃走ルートには、まだ14匹の元気なカルティストが残る。彼を連れて急ぎ足で逃走するも、焦っている状態で足元が疎かになって滑る。私が燃えるだけなら、展開としてまだ可愛いものだが……。上原くんが燃え上がるのは本末転倒だ。

 第一、現代の瓶は多少の衝撃では割れにく過ぎる。即席の火炎瓶の効果など、せいぜい一瞬の隙を作ることができる程度の効果しかない。

 それに非常ベルの配線を切っているような連中だ。炎が燃え上がったとして……第三者の注目を集めるための火災報知器が正常に作動する保証なんてどこにある? 何本も一気に投げつけるとしても限度がある。殲滅しようと投げまくったとして、カルティストどもが保身のため上原くんを人質に取る未来は容易に想像ができてしまう。そんな展開を迎えてしまえば……私は恐らくカルティストを燃やすことができない。

 もっと広範囲かつ、しっかり確実に焼き殺したい(ローストしたい)のなら、もっと別の本格的な材料がいる。祖母は品が無いと嫌ってはいたが団塊世代(戦後生まれ)の祖父から習った……薬局に出向くような本格的な材料が。

 それに要救助対象の上原くんに火傷でも負わせたら、それこそ見境なく人を襲う獣同一のカルティストと変わらない。

 あぁ……♡ でも、手足をガムテープで拘束されて炎に追い詰められて、泣きべそをかきながら炎に巻かれてやけどで悶え苦しむ上原くんも、皮膚が焼け焦げる臭いも……きっと官能的な絶頂が出来るほどにかわいいのだろうな……。

 ——違う。彼は友達だ。可愛いからって燃やしてはいけない。燃やしていいのは、私や友人に危害を加えるような奴と神話生物とカルティスト、カルティストの居住地。カルティストの家族、ンカイの森、それと異教徒と邪神の信奉者(カルティスト)だけだ。

 ……もっと落ち着いて冷静に、正気になるべきだ。

 奴等はカルティスト(異教徒)異教徒(カルティスト)なら何をしても構わないが、一般人を巻き込んではならない。やむを得ない犠牲(コラテラル・ダメージ)を除いて一般人を巻き込むことは私の戒律に反する。

 

 ……殺してよいのはカルティストだけ。 殺してよいのはカルティスト(異教徒)だけだ。

 

 よし。他に使えそうなものと言えば……茶色のケモミミフードローブぐらいなものだが……これは使えない。……やっぱりだめだ。

 これは衣服を喪失した上原くんにそっと着せてあげるんだ 全裸に、ローブ、最高にえっちじゃん。ドスケベじゃん♥♥ あぁ、今 最高に煩悩が…… 子宮入口(ポルチオ)きゅんきゅん♥する。だが、これはあの女に〈組みつき〉されて何かされたことが私の煩悩炸裂・誘発させているに違いない。スネークレディ(蛇子ちゃん)めぇ……!(歓喜) 姑息な呪法を使いやがってぇ……っ!(大歓喜)

 今は救助に集中しなければいけないのに、祭壇の上の彼が私の煩悩を刺激する。“蛇子ちゃん”に砲丸投げをされたときに強打したせいか、鼻から遅延性の鼻血が噴き出す。えっちじゃん

 やめろ、私の悪魔。今、ここで彼の命が(つい)えるのを鑑賞した方が一生分のオカズになるとかいうな。——ん? なんだって? 私の良心(天使)? ……ふむふむ。……今、見殺しにするよりもここで救助して、“また なにかあった方が”……もっと?!?

 ……いいだろう。完璧で平和的な天使の停戦協定に私と私の悪魔が同意した。行ける。

 カルティスト(異教徒)を殺そう。すぐ殺そう。お前らの敗因は上原くんに手を出したのが、運の尽きだ。

 カルティスト殺すべし。慈悲は不要だ。

 

 これ以上、煩悩が暴走しないように自身に暗示をかける。

 殺してよいのはカルティストだけ。

 ……上原くんが炎に巻かれて、窒息して、腹を裂かれて、はらわたを引きずり出されて、はらわたで首を絞められて、艶めかしい手足が細かく震えて、悶え苦しむ姿を妄想することは帰宅中でもできる。そう。口に出さず妄想するだけならセーフだ。これは誰もがヤること。私以外だってヤること。だから、これはセーフ。だから、今はカルティストだけを殺す方法を考えなければ。そうだ。殺す方法。カルティスト(異教徒信者)を殺す方法。

 

 《呪文》の詠唱のフレーズもまだ中盤が終わった所だ。

 上原くんを処刑する方法やカルティスト(邪悪な異教徒)が口走る呪文列から、私が有する《クトゥルフ神話》知識から何をしようとしているのか分かったことがある。カルティスト(邪悪な異教徒)は上原くんを太古の夜の父/偉大な旧き這うものに生贄として捧げたいようだ。獲物のモツ抜きは非常に重要だ。人体最大級の毒素である便をまずは取り除かねばならない。そう考えると腹部を刺して獲物を弄ぶあの行為は非常に合理的であるとも捉えられる。

 観察して気が付いたことがある。詠唱がなかなか終わらない理由の1つの要因として、先ほどからカルティスト達(邪悪な異教徒ども)が静電気でバチバチいっている。……それなりの衝撃と痛みなのか、目玉の親玉は詠唱中に術書を落とすわ、信者たちは演舞に乱れが発生しているわで……今は5月下旬に入りかけの時期。もう梅雨なのに……。……何かが変だ。そういえば、私が“蛇子ちゃん”と初遭遇したときも静電気が発生していたような……?

 もしや、あいつ等……失敗しようが何があろうとも鉄の意志で太古の夜の父/偉大な旧き這うものを招来しようとしている……?

 でも、この世界では……クトゥルフ神話はラヴクラフトの“創造物”で……。でも決めつけはまずい。私だって元居た場所(前世)で世界の真実が剥がされるまで世界の本当の姿を見ようとだってしなかった。現実の確率論に100%など “ないにも等しい” のだ。よくわかっている。……だから、私は為すべきことをここで為さねばならない。

 

 上原くんがえっちな目に遭うとかの騒ぎじゃない。捕食はえっちだが、丸呑みがえっちなだけで、とある寺の僧たちに降りかかった惨劇を目撃した上で言えることは、咀嚼はそこまでえっちじゃない。

 口の中で肉団子のようにこねられて、歯の隙間から見える 皮膚から突き出た砕けた骨と、裂けた皮膚から飛び出た内臓が、滲み出る薄汚い白濁した涎と混ぜ合わされてイチゴシュークリームのような色になった人間の成れの果ては顔をそむけたくなる程度には悲惨で身震いするような光景だった。

 

 ……少し上原くんを傷つけてしまうリスキーな手ではあるが、現状 自分の周囲にあるもので構築した作戦は1つしかなかった。

 彼には無傷のままで居て欲しいと心の奥底から願うことだが、私にはこれ以上の17匹の異教徒を1人で殲滅する方法だなんて “あの作戦” しか思いつかない。……彼もまた同じ紫先生から戦闘訓練を学んでいる。この作戦を遂行するにあたって、ブリーフィングができない以上——こればかりは彼の反射神経に賭けるしかない。

 

 即座に真顔のまま鼻孔内へ詰まった巨大ナメクジのようにも見える血の塊を、鼻をかむ要領で除去し滴る血液を拭う。それから先ほど回収した従業員用の服装に着替え、マスクを付けて鼻から下が真っ赤に染まった顔を隠した。筆記用具とまえさき市に向かう道中に使用した新クトゥルフ神話TRPGの白紙のキャラシートを取り出し、その裏面を使って計算式を立て始める。

 計算式を使用する場面なんぞ、私がクトゥルフ神話TRPG(6版)を布教した病院メンバーにしかわからないだろう。『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG(62頁)“負傷のスポット・ルール《爆発》”の項目だ。

 上原くんをまとめて吹き飛ばさないためにも、爆発物の威力は慎重に計算しなくてはならない。彼はあんなに小柄でひ弱な体つきなのだ。直撃すれば十中八九、若くてツヤツヤしたハリのある四肢と健康的な内臓が千切れ飛んで死ぬ。でも、まったりと安全な火力計算をしている余裕はない。

 最悪のグレード・オールド・ワン(太古の夜の父/偉大な旧き這うもの)の復活……もとい招来は目前なのだ。

 復活すれば、上原くんは真っ先に死んでしまう。蛇子ちゃんやふうま君だって例外じゃない。みんな死ぬ。グンマーが終焉を迎える。あの下級の野良グレート・オールド・ワン(蛇子ちゃん(スネークレディちゃん))なんて目じゃない。

 

 あぁ……クソ!クソクソクソッ!!!クソがっ!この短時間で煩悩に花を咲かせたり、殺意を沸かせたり、怒りを露わにするだなんて、情緒不安定か私は!

 ……クソがッ!ふざけんな!目頭に熱いものが溜ってくる。駄目だ!今は我慢しろ…!それは世界終焉してからでもできる!まずは邪悪な異教徒どもを殺すんだろ!クソッタレ!

 私はもっと平和的に生きたいだけなのに。そのために対魔忍の世界に転生したって言うのに!人の人生と肉体を奪ってまで転移してきたのにッ!どうしてだ!?私は平穏に一般人として暮らしたいだけなのにッ! 本当にふざけた人生(シナリオ)だ!

 ……だから、生きているかぎり平穏を打ち砕こうって(人生の邪魔立てしようって)んなら何度だってぶっ殺してやる……!

 ……何度だって日本を。平穏を。友人を守ってやるッ! やることは前世とそう変わりない。

 一定の確率で訪れる最悪な未来から世界を護るためにまたやってやるッ!

 

………

……

 

「……できた。奥行約8m×幅約6m×高さ約2.5m=約120㎥の空間の適切な爆発物(影響範囲1m)の計算式。爆弾の必要数は6つ。6つなら調達できるし……36秒……40秒……。 『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG153頁“当然の推論”も併用すれば……。起爆まで-8秒、宣言3秒、設置2秒、即死範囲起爆地点から半径3m圏内……退避時間3秒……調合もできる。大丈夫。遮蔽物さえうまく機能すれば、きっとうまく行く」

 

 不安定な精神を宥めながら目尻から零れ落ちたものをぬぐい、扉の先の祭壇に掲げられた邪神への供物(上原くん)を見据える。

 それから計算式を片手に。短時間で必要材料を集めるため、従業員休憩室の連中から気づかれないよう足早にその場を去った。

 

………

……

 

 




~あとがき~
 『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG』の爆発物はやべぇぞ。
 使ってみな。(人が)飛ぶぞ。(2番煎じ)
 7版では下方修正されていましたね。6版の爆発影響範囲が広がるのは、簡易爆薬でも使い方によって市町村が滅ぶ。

 作者はC4を推してますが、古典(1920s)に振り返るとダイナマイトがやっぱりナンバーワン!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode25+ 『妖精 来りて脳を衝く』

 やってきたのは、食品スーパー『ナガト』だ。ここに私の目的物である爆発物の材料はそろっている。所沢の中学3年生の男子指導でもできたのだ。〈爆破〉知識を有する私が製作できない筈がない。

 まず、縁の低いカートをいくつか入手し、その中から新品の……もといキャスターの動作が安定しているものを手にする。

 カートを手に入れたら、真っ先に雑貨コーナーで漏斗6つとバンテージテープ、レインコート、ゴム手袋、分量カップ、千枚通しを数本手に入れる。……本来であれば、ホームセンターへ向かってゴムツナギを入手した方がこれから行う作業はスムーズに事が進むのだが……。それはあくまでも準備期間の時間が無限で、急いでいない時の方法だ。今は限られた時間の中でという事を前提に、スーパーにある安価のレインコートで代用するしかない。

 そのまま流れるようにサービスカウンターへ従業員を装ってドライアイスを大量に入手。途中、客に捕まりそうになるが、そんなのは無視だ! 無視!

 外では私を取り逃がしたオークどもが血眼になって必死に探し回っているが、従業員の制服にマスクまで完全に着用しているこの格好の私を見つけることはできないだろう。それにしても、あのオーク共の慌てっぷり……滑稽であるのと同時に、彼等はえっちなお店を開いている方の蛇子ちゃんに対して相当な畏怖を抱いていることが推察できる。やはり、初対面で感じた“キツめの性格が滲み出ている”と言った感性は過ちではなかったのかもしれない。

 そんな彼等に課せられた私とは別のタイムミリット付きの捜索はさておき、そのまま酒売りコーナーへ直行する。4Lペットボトルの焼酎を6個カートに乗せ、従業員専用通路へ向けて走り出す。

 これで必要なものはそろった。家具販売店『ニトロ』と食品スーパー『ナガト』を繋ぐ全体的に白く塗装された通路にあった消火器も2本奪う。100%OFFの週末(終末)セールだ。

 

♪♪♪~

 

「……!」

 

 私が準備を整え、上原くんが拉致にあったと思わしい通路でカートを押していた時のこと。私のスマホへ不意に着信が入る。

 ……相手は、トイレで約3時間もお花を摘んでいた方の蛇子ちゃんだ。

 

「もしもし……!? 蛇子ちゃん?!」

「日葵ちゃんっ! 今どこにいるの?!!!」

 

 突然の怒声に耳がキーンと耳鳴りを引き起こすが、正直怒鳴りたいのはこっちのセリフだ。3時間もこの終日が近づく世界で、どこのトイレで週日ウンコをしていたのか問いただしたい。

 

「それはこっちのセリフですよ?!? 蛇子ちゃんこそ、3時間もどこのトイレでうんこしていたんですかっ!!?!?

「うん……っ!?」

「言わなくていいですから黙って聞いてください! ケツからどんなぶっといデカブツが出たかの話は生きて帰れたら聞きます!!! 柔らかくする下剤や痔の薬もあげます! まえさき市で3時間もうんこしてたって、学校中に言いふらしてやります!!! ふうま君もそこに一緒にいますね!? 群馬県から鳥類が一斉に逃げ出す光景が見えたら、それは合図です! 何も言わずにそのまま群馬県から離れてください! 日本の地形なら越後山脈か関東山地が盾に出来ます! しばらく時間が稼げます! 新潟か山梨へ! 急いで!!! 上原くんはこっちでなんとか助け出します!」

 

 言葉に詰まる蛇子ちゃんに避難指示を送る。指示を送ったところで携帯を切り、カートを押そうとするが今度はふうま君からの連絡だ。

 こいつら……人が、世界の命運をかけて決死の準備をしているのに悠長だなぁ!? おい?!

 

「はい!? ふうま君?! 蛇子ちゃんから、話は聞きましたか!?」

「青空さん! 今 俺達は、お前の父親と共に行動しているんだ! 今、ショッピングモールの何処だ?! そこは危険なんだ! すぐに迎えに行く、場所を教えてくれ!」

「えぇ!? なんで私のお父さんと??? 今は家具販売店『ニトロ』と食料スーパー『ナガト』を繋ぐ通路にいますが、ここが危険なことぐらい知ってますよぉ! こちとら上位だか高位だか知りませんけど、蛇子ちゃんモドキにプロレス技5回ぐらい決められて、おまけの日本滅亡事件に巻き込まれているんですからね!?」

「わかった! そこを動くなよ! 青空のお父さん、青空さんはショッピングモールの家具販売店『ニトロ』と食料スーパー『ナガト』を繋ぐ通路だ!」

「テメェ! 何もわかってねーだろ! この(ひる)(ブチッ)アンッ! ……チッ」

 

 ここで通話が切れる。私は通話終了ボタンを押してはいない。向こうが切ってしまったようだ。舌打ちをしてスマホをしまう。

 理解してもらえてない友人に苛立ちを覚えながらも、その苛立ちを押し殺す。これから大事な奇襲作戦なのだ。奇襲直前に電話を掛けられて、全てが台無しにならないようにとスマホの電源を落とす。私は、こんなことをしている場合ではないのだ。従業員専用の搬入口から内部に侵入し、カートの走行音が聞こえないように注意を払いながら先に進む。

 

………

……

 

 定位置で消火器を下ろし、内部の様子を伺う。

 内部ではまだ詠唱が続けられている。静電気も相変わらずだが、弱弱しくなっている。

 ……少し様子がおかしい。経験上、招来が近づけば近づくほどこう言った超自然的な現象はより強く大きくなるものだが……。何か《呪文》の詠唱に致命的なミスがあったのだろうか……? それとも、この静寂は……嵐の前触れか…………。

 いずれにしろ……上原くんは…………まだ生きている。だが泣きつかれた子供のように虚ろな瞳で涙を流しながら、ピクンッ……ピクンッ……と細かく痙攣をしていた。あの姿と表情なら事後ですと言われても納得してしまうような顔だ。

 

 ——チャンスは1度。

 

 私が失敗すれば、私が肉塊になって終わる。カートや上原くんが失敗すれば上原くんが肉塊になる。だが、やらなければ世界が滅ぶ。やるしかない。

 まず、この後の爆発物起爆時に身軽に動けるよう通路にリュックサックを置く。

 ゴム手袋を付けてから、レインコートを上下とも着用しフードを深く被る。複数存在する千枚通しの全てにバンテージテープを巻き付けて滑り止め加工を施す。6つ用意した全焼酎の中身の破棄分を分量カップで計測しつつ、不要な分は清めの意味を込めて自身の周りに撒く。蓋の開いた焼酎に漏斗を6つ挿入し、それらを全てカートの上にのせて、髪留めのリボンを使い焼酎がカート上で転がって重心の移動や、途中落下しないように縛り上げた。カートの下の荷台にはプラスチック製の買い物かご(バスケット)を入れ、その中に消火器を1本入れる。床の置物や多少の段差でカートごと転倒しないよう重石として運用するためだ。また途中で横から勝手に転がり落ちないように腰に巻いていたベルトで買い物カゴも固定する。

 左腕に着けていた4つのブレスレットでキャスターの角度を固定し……準備は整った。

 ひと呼吸を置いてから、漏斗の突っ込まれた4L焼酎ペットボトル内にドライアイスを流し込んでいく。

 ——そう、消防でもYoutubeでも消防庁が注意喚起を行っている絶対に真似をしてはならない〈物理学〉反応を用いた大人の簡易爆薬だ。ドライアイスを注ぎ終えてから、すべての焼酎の蓋を閉める……! 膨れ上がり始める4Lのペットボトル焼酎。

 ここまでの所要時間は……36.5秒……!

 

「鹿之助ちゃん!奥の壁側に飛んで!!!

 

 上原くんが自分に対して指示しているのだと認識しやすいように。普段 蛇子ちゃんが彼を呼称している呼び方で、出入り口を開け放ちながらマスクを外して大声で怒鳴りつけた。

 集中している連中を除いたカルティスト(邪悪な異教徒)どもの注意がこちらに向く。私を見るや否や、最奥の教祖が狂気的な笑みを浮かべていたが、いつものこと。親の顔より見たカルティストが勝ち誇ったような顔だ。

 ——勝手に嘲笑(わら)ってろ。二度と(わら)えねぇようにしてやる。

 ……現時間は39秒。カートの上で膨れ上がるドライアイス入りペットボトルを17匹のカルティスト達へ向けて押し出す。

 上原くんは、私の声が聞こえた瞬間に眼を見開いて、指示通りに波状のナイフを持っているカルト教祖の方へ転がり落ちた。

 私も扉を閉めコンクリートの壁を盾にする。それから消火器とバンテージで滑り止め処置の済ませた千枚通しを手に携える。僅か数秒後、激しい破裂音が室内に轟き、内部から十数人の断末魔が響いた。破裂音と断末魔をスタートダッシュの合図として踵を返し、まるで特殊部隊が突入するかのように。PCゲーム『青鬼』でUターンドアバグをキメるひろしのようにマスクを着け直して突入する。

 

 ……従業員休憩室は酷い有様になった。破裂したペットボトルの破片やプラスチック片が、室内のコンクリートを抉り、周囲のカルティストをズタズタに引き裂いている。辛うじて生きているものも、喉から湧き水のようにあふれ出る血を必死に止めようとする形相で止血しようとしているが……ま。無理だろうな。抵抗をされても困る。千枚通しで、気絶している奴も含めて入念にトドメをさしておく。

 

 ピツリ——ブツブツブツ……ギュルングルングルン。ブツッ——ズゾゾゾッ……グリュグリュグリュ……。

 

 タコ焼きをタコ焼き機の上で回転させるような工程を人間の脳に対して行う。

 ……頭数が多いのだ。時間をかけるわけには行かないし、叫ばれても困る。祭壇を隔てた向こう側に純粋無垢な上原くんもいるのだ。

 まずはうつ伏せに転す。無防備になった首の後ろから、頚椎の繋がる大後頭孔に千枚通しを突き刺してクランクを回す要領で柄を回転させ、なかみ(・・・)をほぐして確殺(かくさつ)を目指した。

 ……身動きの取れない仲間がうつ伏されにされて、首筋に針のようなものを刺されて殺されているのだ。頭の回転の速いやつはひっくり返されないように踏ん張ってみせるが……殆ど無駄な抵抗に過ぎない。うつ伏せに出来ないのなら、エジプトでミイラを作っていた古代人のように鼻孔から千枚通しを突き刺して白くて皺のあるプルプルとした内臓をかき混ぜる。引き抜くのと同時に赤色と半透明の粘液が私のレインコートにまとわりつく。私と古代人と異なるのは、彼等は熱した棒を鼻から突っ込んでいるが、私は……カルティストどもが己が起こした罪の意識から寒気を感じることができるようにと異質な冷たさを放つ鉄の棒をねじり込んでいることぐらいだろうか。

 獣共がうつ伏せにも鼻を隠すようであれば、瞼越しから視神経の穴をねらって、体重を掛けながら千枚通しを深く差し込む。熊に対する防御姿勢を取ってしまった、すべての千枚通しが途中でひしゃげ折れてしまったのであれば、もう片手に携えた消火器の底面を奴等の額に叩きつけ頭蓋骨を陥没させて殺す。とにかく脳に傷害を与えて殺す。抵抗される前に殺す。邪悪な異教徒どもは全員殺す。倒れている次の獲物めがけて、踊るように軽やかなステップを踏みながら。円舞曲(ワルツ)を舞いながら、笑顔を添えて手短に一人残らず、殺す。殺す。殺す。殺す。

 こちらに掛かった薄汚い体液は、ゴム手袋とレインコートを脱いでしまえば始末が付く。どうせ今着ている制服も私のものではない。ポリエステルはよく燃える。燃やしてしまえ。私がこよなく愛する死体の遺棄方法は海中派だが……代用が利くものとしてマンホールもある。ダストシュートもある。今までのように、これまでのように、すべて破棄してしまおう。人間を運ぶのには、道具と根気、コツさえあればいい。

 前世と同じように、どうせ警察は私を捕まえることはできない。

 それに……万が一死体の処理が間に合わず、彼等が生きながらえたとしても……私としては問題ない。彼等は脳に障害を負ってしまったのだ。脳に障害を負ってしまった人間が、まともに今後の生活を送れるとは思わない。……逆に生き永らえて罪の清算をしてくれた方がカルティスト(奴等)を養わなければならないカルティストの家族にも、いくらかの一時的な保険金が入るとはいえ彼等の治療による経済的な打撃や、殺せない……先が見通せない介護による精神的苦痛を与えることができるだろう。まぁ、私の代わりに彼等(家族等)が殺したとしても、破滅に追い(社会的な抹殺や)やることができる(心的ショックを与えられる)ため私には嬉しい結果であることは変わりないが。

 ……どのみち私はもっと彼等から、不幸という名の甘い蜜を啜ることができる。

 

………

……

 

 最深部で倒れている親玉を除く、全ての害獣どもを無力化したのち……不気味な表情を曝け出している死体をうつ伏せに転がして、この部屋を出るとき鼻から脳が飛び出て……こちらとしても思わず鼻で嗤ってしまうような面白い死体が上原くんの視界に入らないように配慮を行う。

 私によって邪神への供物返しとなった贄が慈悲を乞うためにしがみつき、血の手形が付着したレインコートを速やかに脱ぎ捨て、血液の付着したマスクとゴム手袋もビニール袋に丸め入れる。それから彼が良く知る『青空 日葵』がやってきたとわかる格好で彼が捧げられた祭壇の裏に回り込み、彼の状態を確認する。

 

「上原くん!」

「んんっ……!」

 

 ……あぁ、よかった。

 彼は小柄ということもあってか、祭壇を丁度 (装甲)とすることができたようだ。露出している綺麗な皮膚のどこにもプラスチック片による怪我を負ってはいない。

 

「今、ほどくから……! もう大丈夫だからね……っ!」

 

 可愛らしい声で心配する声を放ちながら新品のポケットナイフを取り出し、しゃがみ込んで視線を合わせながら……彼の手足、指先までもをえっちなミトン状で拘束しているガムテープを痛くないように丁寧に優しくゆっくりとはがす。彼は今も震えて、両目から大玉の仄かにしょっぱいが甘そうな蜜を零している。……かわいい。

 生唾を飲み込みつつ安心できるように、こちらとしては聖母のように微笑んで安全であることを示す。最後に口についているガムテープも剥がして、裸のままでは寒いだろうからケモミミフードのローブをかけてあげる。胸開きのローブから見える裸体が、全裸の時よりも扇情的だ。

 ……とにかく無事でよかった。今はそれだけで十分だ。

 

「……あ、青空さん……て……てて…………」

「?」

 

 手? ……まさか、カルティスト(害獣)にトドメをさした時の薄汚い返り脳脊髄液や血液がまだついていたというのか!? くっ! 怖がらせないように、いつもとは違って入念に準備をして、カルティストを屠殺できたと思ったのに…! ……って……あれ? 別に汚らわしい奴等の脳漿など付着しているわけではない。

 では……。彼は、何にそんなに怯えている? 何を見ている? 何が言いたいのだ?

 

「大丈夫ですよ。危険なあのヒトたちは無力化しました。もう大丈夫。私が居ます。ゆっくり落ち着いてください」

「ち……ちが…………て……て……てて……て……に、にげ……逃げて……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode26+ 『大喰らいの泥濘/赤黒き花弁』

~前回までのあらすじ【筆:日葵(神葬)】~
 デレッデレッデデッデデッデッ~♪
 上原くんを拉致した連中を見つけ出した日葵(神葬)(わたし)は、対魔忍世界初めての親愛なる友人である上原くんを救助するため、邪神の招来を阻止するため、カルティストをぶっ殺したいがゆえに身近なもので爆弾を錬成し、爆弾を用いてテロリストを一網打尽にぶち殺す計画を立てた。
 爆弾の必要素材を集めた後に、ショッピングモール内で約3時間もデカ太ウンコしにいっていた蛇子ちゃんと付き添いのふうま君から連絡が掛かってくる。なにやら、『青空 日葵の父親』と行動を共にしているらしいが、こちとら平穏な世間話をしている場合じゃない。これからカルティストをぶち殺して、上原くんを助けるってのに。
 だから一喝 入れてやろうと思ったのに、ふうまの野郎! アイツ先に電話を切りやがった!
 まぁ、いいや。まずはカルティストをぶち殺すことが先決だ。
 ただ上原くんが怪我しないようにと、丁寧に計算した思いやりと殺意を乗せた手心爆弾による《爆破》であったため、半数以上のカルティストは半殺し状態になってしまったが…。やっぱりカルティストなので、カルティストの脳みそを千枚通しでかき混ぜて、脳に障害を与えてぶち殺しておいた。
 何か上原くんがガタガタ震えているけどカルティストはぶち殺したし。カルティストをぶち殺した現場も見られてないし!((猫かぶりの最重要事項)) カルティストの教祖も上原くんに分からないようにぶっ殺したら、あとはショッピング脱出するだけですね!
 脱出したら外で徘徊しているオーク戦も待っていますし、その先にはホテルINも…。クックックッ…。




「大丈夫ですよ。危険なあのヒトたちは無力化しました。もう大丈夫。私が居ます。ゆっくり落ち着いてください」

「ち……ちが…………て……て……てて……て……に、にげ……逃げて……」

「——

 

 わなわなと震える彼の視線は、微笑む私の背後。震えながら突き出した指先も天井を指している。その意味を理解した瞬間……冷汗が背筋を伝う。

 背後を振り返らなきゃいけないのに……怖い。でも、後ろにいる。でも振り替えなければ、見えなければ〈回避〉すら許されない。

 ……だから、それでも、彼を護るために意を決して背後の天井を見上げた。

 

 それは恐らく、私が最初にこの部屋を覗いていた時からいたのだろう。あの時、私が感じ取った“身震いしてしまうようなチリチリと皮膚が炎で炙られた火傷のような違和感”はコイツが存在していることを直感していたことによる不快感であったようだ。

 この部屋は非常に薄暗く、光源と言えば床に置かれた蝋燭仕様のランタンばかり。足元しかほのかに照らされない部屋にそのインクのように黒くて透明なゼリー状で無形物の物体が天井に隠れることは実に容易であったのだ。

 ソレは常に天井に張り付きながら様々な形状を造りながらも、天井に走った巨大な亀裂から……書道半紙に注がれた墨汁のように想像を絶する漆黒のインク塊が滴る雫のように具現化していた。

 バラのような多歯症、二重歯列の口の中のように幾対もの歯を持っていたが、 ループするGif画像のように生えては消失しの繰り返しを行っている。 無形胴体がうねるたびにごぽんごぽんと粘性の液体から空気が爆ぜるような音を響かせていて、 爆ぜた空気からは人間の死体が炎天下の中……腐り落ちていくおぞましい悪臭を噴出していた。 その不定形な塊には、“目”という器官は存在しない筈なのに、 こちらの様子を観察するかのような動きで触手を左右に振るのだ。

 私はこれを知っていた。太古の夜の父/偉大な旧き這うものよりは、多少“マシ”かもしれないが出会いたくはなかったし、これがいるということは……対魔忍世界の世界にも関わらず、その他のラヴクラフトの“創造物”は、存在することの裏付けにもなってしまったのだ。

 

「大喰らいの泥濘……。赤黒き花弁……」

 

 引きつった顔でそれを見上げる。コレと出会うぐらいなら、まだ“蛇子ちゃん(スネークレディ)”の方がマシだ。あれはまだ人の形を保っているから。これは……見たくはなかった。知りたくもなかった。

 大喰らいの泥濘はこちらの様子を伺いつつも、私がとどめを刺したカルティストや血の付着した道具を舐めとり、分解していく。シェフに切り分けられた肉を、頬張る客のように。その取り留めない食欲で、片っ端から飲み込んで“吸収”して……。取り込まれた肉の外皮が溶けて、半透明の肉体の中で、まるでアメーバーが爆ぜるように分解されていく。眼球が……内臓が……骨が……何一つ残さずに。

 が混ざって……赤黒い花のように……。

 体外に吐き出されたのは肉が付着していない無い道具だけ。排便するように地面へ、べちゃり……という痰が地面に吐き捨てられるような不快な音と共に落ちていく。

 

——っ。……上原くん……動け……ますか?」

 

 天井の泥のような塊を可能な限り視線に入れながら、震える呼吸で静かに大きく深呼吸をする。ガチガチとなる歯を抑えて彼を大喰らいの泥濘からが見えないよう庇いながら、一瞬ちらりと振り返った。

 ……駄目そうだ。彼は激しく震えながら、細かく首を振っている。当然だ。人生の初めてでこれを見て……世界の真実を目の当たりにして、正気を保っていられるほうが異常なのだ。

 ……できることなら、こんな世界の真実(ヴェールの裏側)……彼には……彼には知ってほしくはなかった……。

 

「……そうですか……」

 

 詰まるところ。この場で何とかできるのは、また私しかいないようだ。

 今度はチラリとペットボトル爆弾で気絶している邪教の親玉に視点を移す。あの雄は、まだ波状のナイフと魔導書を手にした指が痙攣し、胸部が上下に動いている。

 泥濘を刺激しないよう取り計らいながら、上原くんを完全に祭壇の真後ろに移動させて泥濘からの射線を切らせる。それから私は、ゆっくりとナメクジより遅い速度で邪教の親玉に近寄り、手にしていた波状のナイフと魔導書を奪う。

 恐らく……この書物に目の前の泥濘消散させる方法があるはずだ。現にあの吸収されていった邪悪な異教徒(栄養分)どもは、私が爆散させていないときはずっと泥濘と居場所を共にしていたはずなのだ。

 だが目の前で悠長に読んでいる暇などあるわけもない。

 ……だから私が……この場で行ったことは……。

 

「——上原くん」

「……な……な……な……に……?」

 

 魔導書は背中にナイフはハンカチでくるんでポケットにしまい、またゆっくりと動いて、上原くんに近づき意識をこちらに集中させる。

 ガチガチに震えて動けない鹿之助くんに向けて、頑張って“慣れている”ように作り笑いを浮かべながら、彼の手や肩を卵黄を掴むよりも優しく握って、早口になるのを抑えながら ゆっくりとした口調で穏やかに声をかけ始める。

 

「怖いのは分かります。……ですが、大丈夫です。——今度は私が居ます。私がついています。——私が“必ず”貴方を無事に安全な場所まで送り届けます。約束です。——これから、この消火器で一時的な壁を作り出します。そうしたら大人しく私に担がれてー——私が『大丈夫』というまで私のお気に入りの曲でも聞きながら、耳を塞ぎ 目を瞑っていてください。……お願いしても、良いですか?」

 

 短く言葉を区切ってわかりやすい言葉にしながら、彼にしてほしいことを指示するのだった。

 

……うん……。……うん……

「すぐに終わりますからね……任せて」

 

 震えながらも私の励ましによって力強く頷いたのを確認してから、彼にヘッドホンを装着させ鼓膜が破けない程度のヘビィメタル……ではなく、彼が引いてしまわないような気分の上がるハードロックを流し始める。祭壇を隔てた向こう側から二日酔いをしたときのような胸焼けした感覚に苛まれるような啜り咀嚼する音が聞こえてきているが、これで彼はこの音に心を蝕まれることはなくなった。

 それから手に持っていた消火器を作動させられるよう静かに安全ピンとホースを抜き取る。いつでも発射可能な消火器のホースを真上に向け我が主への祈りを済ませた。

 大丈夫だ。いままでと同じ。慣れてきた作業にしか過ぎない。……そうだ。……恐れる必要なんかない。……この俺に何度も汚ねぇツラ見せやがって、そう“何度も同じ姿で襲ってきたって陳腐にしかならねぇんだよ”クソ神話生物(邪神の奉仕種)

 ギラついた笑顔で大喰いの泥濘を睨みつける。心の中で中指を立ててやる。私は何をビビってやがる? 何度も見てきた“陳腐な怪物”なんぞ、恐いことなんて何もねぇだろ? 自分を鼓舞する。……自然と口角がアガって来た。気分もノってきた。俺は、いつも通り殺るだけだ。……やってやる。

 ……鹿之助くんには何食わぬ澄ました顔でアイコンタクトを送り、向こうも震えを抑えながらも私のヘッドホンを両手で固定し頷き返してくれる。かわいいし、その健気な様子に勇気づけられる。

 それから一気に消火器の薬液を天井に浴びせた。吹き出た薬液は、何もいない天井にぶち当たり、一時的ではあるが大喰らいの泥濘と不可視の壁をつくる。

 もちろん、生きた獲物が本格的に動いたのだ。満腹を知覚できぬ憐れなヤツも黙ってはいなかった。一本鞭のようなしなやかな触肢が、消火器で遮られた煙を避けながら私を狙う。だがこちらは『新クトゥルフ神話TRPG』の選択ルール:『完璧な遮蔽』123頁が発動しているのだ。加えて『新クトゥルフ神話TRPG』の数的不利(104頁)が発動していようとも、初撃の2回攻撃は当たらない。こちらも外した攻撃に対して わざわざ居場所を教えてしまうような〈応戦〉行為は行わない。反撃したって、現状 コイツには“効果がない”のだ。

 腰が抜け、立ち上がって逃げ出すことの出来ない上原くんを火事場の馬鹿力で首に抱える。徒手搬送法のファイアーマンズキャリー(消防士搬送)で背負い込んで、消火薬液煙の中を突き抜けた。

 私の説明書には、前世のヨミハラで遭遇した対魔忍『秋山(あきやま) 凜子(りんこ)』に対して やってのけたように、彼の重量を無視するような荒業は存在するが……。彼にそんな非道な仕打ちをするわけにはいかない。鹿之助くんは護るべき対象なのだから。

 また現在、鹿之助くんを抑える反対の片手には異教徒を統べるもの(カルティスト)が、胸倉を掴まれるように背中の衣服を掴まれ引きずられている。ヤツはカルティスト。運搬方法など気にする必要はない。ここでどうせ死ぬし、私が確実に殺す。

 

 大喰らいの泥濘による またもや2連撃の攻撃。だがこちらも抜かりはない。そのための異教徒を統べるもの(肉壁)だ。遠慮なく飛んできた鞭のような一撃を、寄生獣でパラサイトが逃走する際に市役所の人間を散弾の雨から身を護る術として盾として流用した時のように、淡々とこちら側への衝撃を淡々と緩和させる。

 荒業、そのイチぃッ! 『クトゥルフ神話TRPG系統』では装甲は重量に含まれない!

 初撃で肉壁の胸が引き裂かれ、鮮血が周囲へと車に撥ねられた泥水のようにまき散らされる。激痛ではね起きたときの絶叫が響くが私には関係ない。お前はここで死ぬべき存在(存在してはいけない生き物)なのだから。2撃目では、『うるさい』と言われ、まるでゴルフで頭部を殴られたかのように殴打された首が千切れて鮮血を撒き散らせながら、跳ね飛ぶ。だがまだ肉壁(コレ)は使える。腹の中の内臓詰まっていれば、十分な衝撃緩和剤として継続運用は可能だ。

 生暖かい血が私達に降り注ぎ、上原くんの身体が一層強張るが、こちらとして一切の問題はない。何か固いものが頬にあたっているが、そのスティック♥ペロペロキャンディをもっと押し当てたって私は一向にかまわん! 子孫を残すという本能がきっと刺激されているのだろう。生理的現象だ。これは仕方がない。不可抗力だ。そう、仕方がないんだ!!! 合法だッ!!!

 今度は扉から逃げようとする私達に大きな人の歯が生えた口で噛みつこうと襲い掛かってくるが、まだ肉装甲は使える。その怪物の口の中に新鮮な人肉(フレッシュ・ミート)を〈応戦〉で押し込んでそのまま部屋を後にした。もちろん、入り口に残されたリュックサックの回収は忘れない。

 肉壁装甲をなくした私達を、大喰らいの泥濘はまだ追いかけてきている。しかし、ヤツが口の中に放り込まれている人肉に興味を引かれ、動きが鈍っていることはその緩やかに伸びていく触肢の動きを見れば火を見るより明らかだ。まぁ、あれくらいの図体のでかさともなると、触手の射程も30mぐらい伸びたっておかしくはない。

 目前の視界は薄暗く、足元は見にくい。だが転んでしまえば……ヤツに追いつかれることは間違いなかったし、上原くんに不要な怪我をさせてしまう。だからこそ、転ばないよう足元に注意を払いながら可能な限り最速を保ちながら通路を走り抜ける。

 

 その間にこの薄暗い通路の出口は目の前だった。残り僅か数mの位置に明るい蛍光灯に照らされた従業員専用の搬入口がある……!

 

「あともう少し——ッ!!!

 

 しかし、私達が通路の外に出るのよりも先にリュックサックと胸部に鋭い衝撃と、背中にじんわりとした生暖かい感覚。テロリストに撃たれたときのような熱が襲ってくる。

 

「ッッッッッ?!」

 

 視線を下ろせば、黒い鋭利でしなるようなタケノコのようなものが胸から肺を貫通して生えていて、熱されたアイロンを内蔵から押し当てられて、内側から溶かされているような激痛が胸部に奔った。

 

——グ……ゥゥゥゥッ! ——(アイツ! 槍のように突き刺して……ッ!!!)」

 

 ……ファイアーマンズキャリー(消防士搬送)方法で鹿之助くんを運搬していてよかった。抱きかかえてでもしたら、今頃 彼も貫かれていたに違いない……。

 絶叫を上げて意識が暗転しそうになるが『鹿之助くんを“怖がらせずに”安全地帯へ絶対に送り届けるのが私の使命だ』と自身を鼓舞し、歯が欠けてしまうほどに食いしばり声を抑える。自分を奮い立たせて、前進し続ける。槍が引き抜かれ、開いた穴からボタボタと血が床に落ちるのを感じる。引き抜かれるときに槍が蛇のようにしなって、内臓を抉っていく。私の鮮血が飛び散る。足が止まり、膝が笑いはじめる。息をするのが苦しい。膝をつきそうになる。痛い。苦しい。熱い。息が出来ない。

 ——それでも。私の〈幸運〉を使い切ったとしても。

 ——鹿之助くん“だけ”は助けるという固い決意だけは変わることはない。

 

(あのクソ牧師……! 一般人枠希望の私にどれだけ無茶させるつもりなんだ…! 私は、私は……! 対魔忍じゃねえんだぞ……ッ!

 

 心の中で悪態を付いて 痛みと窒息による狂いそうなストレスを発散させる。

 ギリギリ、ビキビキと嚙みしめる歯音を立て。口から一含み分の血が零れ落ちながらも、従業員以外立ち入り禁止の搬入口の扉も越える。光が私を包み、それでも大喰らい泥濘の触肢は執拗な追撃してこようとするが……不意にそれは止まった。光に一瞬怯んだかと思ったが……アレは違う。突然、触肢が毒物でも浴びたかのように、のたうちまわり、通路の壁を破壊して、従業員休憩室の方へと引っ込めていく。

 そう……だった……アイツには、火や化学製品が効くんだったっけ……。

 ……へっ……サンキューマッマ……。クソ安い洗剤があいつには致命的だったみたいだ……。

 

………

……

 

 私が最後の意識として覚えているのは……途中にあったトイレ付近の通路で、鹿之助くんをゆっくり下ろして……。リュックサックを抱え傷口を隠してから……ヘッドホンをはずさせて『大丈夫』であることを伝えて……。白い壁に背中を預けながら“少しだけ休む”私に彼が、何かを必死に叫びながら……泣いている顔だった。あぁ……そんな顔もかわいい……。

 

 ……あぁ。

 

 

 良かった……無事で……。

 

 

 ほんとうに……よかっ……た……。

 

 




~あとがき〜
 …『秋山 凜子』に対して行なった荒業にについては、まだ知らない方がいいですよ。でも現状言えることは、神葬は『荒業その1』は『秋山 凜子』に対して行っていません。重量(STRとSIZの対抗判定)を無視できる『荒業 その2』での運用はしました。
 また とんでもねぇことをやらかしたんだろうなぁと思った閲覧者兄貴姉貴達へ。
 少なくとも“探索者ムーブ”の中では、クトゥルフ神話TRPG(6版)のルールに基づいた普遍的な平常運転なので安心してください。

~今回 解説なしで使用したルール~
 『新クトゥルフ神話TRPG選択ルール:『幸運を消費して意識を保つ』121頁

~追記~
 評価の際に必要な文字数を定めていましたが、今回を期にまた0に戻しました。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4章+ 『群馬県まえさき市』(裏)
Episode-Inside4-1+ 『ふうまと蛇子のお花摘み』


~お知らせ~
 しばらくの間ですが、本編で日葵(神葬)と鹿之助くんがちょくちょく話していたふうま君と蛇子ちゃんが、何処でどんなお花摘みをしていたのかについての話の風呂敷を広げたいと思います。
 Episode-Insideでは、『青空 日葵(釘貫 神葬)』視点ではなく『ふうま小太郎』視点で物語が進んでいきます。(Episode9(井河アサギ編)Episode22-Tips(スネークレディ編)で、他のキャラクターが主軸となった時と同じです)




「さてと……事件のあった倉庫は駅前から少し離れた郊外だったな。駅のロータリに送迎の車両が来ているらしいが……」

「確か五車町に在住している警察官の人が蛇子達を現場に連れて行ってくれるんだよね?」

「あぁ。確実に魔族の息のかかっていない安心できる相手だとはアサギ先生からは聞いている」

 

 サイゼリアでの昼食を済ませた後。

 俺達は鹿之助と青空さんと別れ、2人からは見つからないようにショッピングモールを出て、別件での集合地点であるまえさき駅前のロータリへ足を運んでいた。

 

「それにしても、ふうまちゃん。蛇子が『お腹が痛くて動けない』なんて、嘘を咄嗟に思いつかなかったら……どうする気だったの?」

「その発想に至るまで……思案を重ねていたな。……元は人込みに紛れて、行方を眩ます予定だったんだ。それで分かれてメールで『バラバラになってしまったし、帰宅するまでの間。今回はお互いにそれぞれの休日を謳歌しよう』って提案するつもりだったんだが……」

 

 俺は青空さんが困ったときに見せる後頭部を掻く仕草をする。

 そう。本来であれば、もっと早い段階で人ごみに紛れる方法を用いて鹿之助達とは別れて別行動を取るつもりだったのだ。しかし意外にも青空さんが目敏く、人ごみに紛れていつものようにぼんやり考え事をしながら離脱しようとすると即座にこちらを発見し、鹿之助の腕を引いて近づいてくるものだから中々離脱することができずに困っていたのである。

 そこで、俺の様子を見かねた蛇子がお腹を抑え『食べすぎたみたいでお腹がいたい……。ふうまちゃん、トイレまで連れて(運んで)行って』と言ってくれたおかげで何とか2人と離れることができた。

 別れ際に何やら蛇子と青空さんが、お互いにウィンクで何か合図を送り合っていたし……俺と鹿之助には分かり合えない女性同士として通じ合える“何か”があったんだろうが……。……あれはいったい何の合図だったのだろうか?

 

「蛇子に感謝してよね!」

「あぁ、助かったと思っているよ。あとでみたらし団子を奢ってやるさ」

「えー? それぐらいなら稲毛屋でも食べられるんだけどー?」

「わかった。わかった。それじゃ、あとでパフェと苺豆大福もおごってやる」

「ほんと!? やったぁ!」

 

 元はと言えば、蛇子が青空さんと共にショッピングモールで休日を謳歌してもらっている間に、俺だけが途中離脱して昨日のニュースで報道されていた例の倉庫へと向かって魔族絡みの事件捜査の協力をする予定だった。

 しかし、直前に鹿之助がまえさき市に付いてくるという話を聞きつけ、蛇子が俺へ同伴の提案をしたことで予定が変わり、最終的に俺と蛇子で東雲革命派というテロリストが惨殺されたという例の倉庫に向かうことになったのである。

 また五車町では、現在 青空さんが外出中のうちにアサギ先生の指揮のもと青空さんの母親に協力してもらって。俺がアサギ先生から、任務として課せられている青空さんが1年前所持していたという魔族語で書かれた本の捜索を3年の秋山(あきやま) 凜子(りんこ)先輩が家宅調査する手筈になっていたわけだが……。あちらの方はうまくいっているだろうか……?

 俺は更にアサギ先生から、2週間前に五車学園へ入学し対魔忍になりたての青空さんに不審な動きがないか監視して欲しいとの指示を受けている。そこで戦闘能力は持たないが、危機察知能力や青空さんと最も仲の良い鹿之助を同伴させたのだった。

 ただ……俺もアサギ先生がどうしてそんなことを俺に言ってきたのかは分からない。彼女が手にしている魔族語で書かれた本というのは、魔族に繋がるような危険なものなのだろうか?

 また今回の監視の件や詳細については鹿之助に教えてはいない。『監視』などという言葉を使ってしまえばアイツは動揺してしまうだろうし、監視として見張らせるよりも“初めてまえさき市に遊びに来た青空さんが、迷子にならないように一緒に居てやってくれ”と言った方が鹿之助も変に緊張せずに済むのに違いないからだ。……蛇子曰く『あの様子なら二人は別行動を取ることはない』と話していたし、大丈夫だろう。

 だが武闘派ではないアイツを同伴させることは、少し心もとなくは思う。……それでも鹿之助はやるときはやるやつだし、時に将来の夢である正義の対魔忍として悪からは一歩も退かないことから、友人として信頼できるやつであるのは間違いない。

 まぁ、鹿之助と青空さんどちらが武闘派かと言われば……紫先生に対して情け容赦なく消火栓を吹きかける青空さんではあるが…………アサギ先生から事の顛末を聞いた身としては、青空さんも追い詰められて致し方なくあの手に出ただけであって、自分から周囲へ喧嘩をふっかけるような好戦的なタイプではないことが分かったし、きっと問題は起こらないだろう。

 表側に立地しているまえさき市のショッピングモールへの買い出しとはいえ、万が一都合が悪い事態が発生したとしても鹿之助のことだ。何かが起こる前(・・・・・・・)に彼女を危険から遠ざけて、2人だけで対処できるようには立ち回るはずに違いない。

 

「……えーっと? それで送迎してくれる人の車種は……銀のクラウンだっけ! ——アレかな?! ……あれ? でも、あの人って……」

 

 みたらし団子とパフェ、苺豆大福を奢ってもらえると聞いた蛇子は、子供のように跳ねながらご機嫌な様子で、今回俺達がお世話になる送迎の人物を探し始めていた。

 5分もしないうちにその車を見つけて指をさしたかと思えば、今度は途中で歩みを止める。俺もその指に釣られるようにして指した方向へと視線を移した。

 そこには俺の身長((177㎝))なんかよりも遥かに高い190㎝以上はありそうな大男が、汗をかきながら炎天下の中……スーツ姿で、銀のクラウンの傍で誰かを待っているように立ちつくしていた。彼の外見として髪はわずかな白髪が混じって くすんだ黒色をしており、刈り上げアップバングの髪型で整えている。左頬の中央から首元にかけて刀創と火傷の傷跡が走っており、その眼は細目であったが 彼の目の動きから熟練の兵士を連想させる鋭利な眼差しと何処か眉間にしわが寄った顔からは威厳のある風貌が漂っていた。おまけにスーツ越しからでもわかるほどの盛り上がった筋肉が特徴的である。

 蛇子が呟いたように俺もあの人については知っていた。……以前、帰宅する際に友人の家の中で見たことがある。

 

「蛇子——」

 

 それゆえに俺の言葉で少し浮足立った蛇子へ、事前に伝えておかなければならないことがあったのだが……。俺の静止よりも早く、彼女は彼へ向けて大手を振って走り寄って行ってしまった。

 

………

……

 

「日葵ちゃんのお父さーん!」

「……ん?」

「青空 日葵ちゃんのお父さんですよね?!」

「あ、あぁ……? そうだが……。君は?」

「初めまして! 相州 蛇子って言います! 日葵ちゃんとは学校で普段から仲良くしてもらっている友達です! 蛇子達を現場に送ってくれる人は、先生が信頼できる人って言っていたので、どんな怖い人とか厳格な人かと不安だったのですけど日葵ちゃんのお父さんだったんですね! あぁー。蛇子、変に緊張してたけど……日葵ちゃんのお父さんで安心したぁ」

「というと……もしかして君が——」

「はい! 今日はお世話になります! あと、今回は蛇子だけじゃなくて……ふうまちゃん!」

 

 輝くような笑顔をこちらに向けて、蛇子は俺を手招きする。これに関しては俺も片手を口元に当てて苦笑を隠して笑うしかなかった。

 ……今、俺達は『お腹を壊して』トイレへ行っているという(てい)で鹿之助と青空さんとは別行動をとっている。そこに青空さんの友人が、青空さんの父親と車で何処かに出かけたという話が本人の耳に入ってしまう事態は避けたかったのだが……蛇子がすべて言ってしまったのだ。もう逃げられそうにもないし、この場合はできる限り この話を青空さんには伏せさせるような流れに話を持っていく必要が出てきてしまっていた。

 

「……初めまして。青空さんのお父さん。ふうま小太郎と申します。今回はよろしくお願いします」

「なるほど。君達があの日葵が学校の出来事で楽しそうに話してくれる……『ふうま君』と『蛇子ちゃん』か。私は青空 源太だ。2人とも、こちらこそよろしくお願い致します。まぁ、暑い中での立ち話もなんだ。詳しい話は車の中でしよう」

 

 俺も近づき、蛇子の隣に立って頭を下げながら挨拶をする。そんな俺に対して、彼はまじまじと見つめた後に、まるで対等な立場のように頭を下げて挨拶を返してくれた。

 軽い挨拶のあと、青空さんの父親は素早く後部座席の扉を開けて車に乗るように誘導する。開け放たれた扉からは、冷やされた風が俺達を包み込み……蛇子はよほど扉を開けられて乗り込むように促されたことが新鮮な体験だったのか、さらにキラキラと笑顔を輝かせながら俺に対して「まるでお嬢様にでもなったみたい」と小声で話しながら車両に乗り込んだ。俺も蛇子の言葉に相槌を打ちつつも、また彼に促されるようにして爽やかなミント臭のする車に乗り込んでシートベルトを着用する。

 

「よし。乗ったな。寒かったら、こっちで冷房の調整をするから遠慮なく言ってくれ」

「ありがとうございます」

「ありがとうございまーす!」

 

 俺達がシートベルトを着けたのを確認すると車は発進する。その走り出しは動いていることを感じさせないようなスムーズな動きだった。

 世間は休日であり、道はそれなりに混んでいる。しかしカーナビを器用に操作すると、比較的 道の空いているルートを通って送迎をしてくれているようだった。

 

………

……

 

「……それにしても、意外と世界は狭いのだな。まさか日葵の友達が“対魔忍”だったなんて」

「ええ、俺もまさか今回の送迎の方が、青空さんのお父さんだとは想定していませんでした」

「となると、アレかな? 対魔忍というのは学校の中で優等生だけが成れるものなのかい?」

「えっと——「はい。今回の任務内容は他の学生には伏せられています。ですので、今回の事は青空さんのお父さんも青空さんには俺達を送迎したことは御内密にして頂けますでしょうか?」

「もちろんだとも。私も組織で働いている人間だ。家族と言えども守秘義務は守るさ」

 

 ここで蛇子が余計なことを口走る前に俺の方から、蛇子の言葉を遮る形で押しつぶす。言葉を遮られたことに対して、不服そうな顔でこちらを見ていたが……こっちは気づいていないような顔で、彼との会話の主導権を握って話をする。

 男同士で和気藹々と話していると次第に蛇子も、自分たちが『トイレに行く』という建前で離脱したことを思い出したのか、その後の世間話には割って入って来たが納得した素振りで3人での五車学園での出来事を会話のネタとして楽しみ始めた。

 しかし……『対魔忍というのは学校の中で優等生だけが成れるものなのかい?』というのはどういうことなのだろうか。青空さんが五車学園に通っているということは、彼女も対魔忍としての素質があるから、俺達と同じ学校に通っているわけであって……。アサギ先生も彼女が対魔忍になりたてとも言っていた。遅れて入ってきた新入生とはいえ、入学時には対魔忍を目指す学校である趣旨の説明を受けているはずだ。だがこれでは、彼女……自分の娘がまるで一般人のような口ぶりだった。……となると、青空さんの母親が対魔忍の家系で、父親はそのことを知らないのだろうか? この理論であれば、現在秋山 凜子が行っている筈の家宅捜査に母親のみが協力しているという情報にも合点がいく。

 確かに対魔忍の秘密を知ることは、すなわち必要以上に命を危険にさらす危険性も上昇する——

 こればかりは五車学園に帰って、アサギ先生に尋ねてみなければ分からないことだが、ここでは余計なことを言わず 彼がそのように思って、それを否定しない方が後ほどの青空さんとの話のこじれに繋がらなくて済むのには間違いはない。

 だから俺は、ここでは彼の話に合わせた。幸いにも俺達が対魔忍であり、青空さんには伏せていて欲しいという言葉に彼は疑いや気にする様子もなく、豪快に笑いながら秘密を承諾してくれる。

 

「ところで本題になるのですが……これから向かう現場で何が起こったんですか?」

「……詳しいことはEpisode14-Tips(“そこの資料”)を読んで欲しい。既にニュースで耳にしていると思うが、口頭で簡単に説明すると、まえさき市の郊外にある倉庫から人間の遺体が見つかった。遺体の数は6体だが、どれも陰惨な死に方でな……。人間だけならまだしも、倉庫の地下から先週までは生きていたはずの魔族の死体まで発見された次第で……本件はどうやら魔族絡みの事件であるようなのだが、対魔忍として経験を積んでいる君たちには関与していると思わしい魔族についての調査の手伝いをしてほしいというのが上層部の考えだ」

 

 ある程度の世間話が盛り上がり、一区切りついたところで今度は事件について口を開く。途端に先ほどまでの蛇子との世間話とは一転して彼は重々しい口調となった。俺はバックミラー越しに映った彼を見る。彼の目元は、こちらを一瞬チラリと見た後に、正面へ目線を戻したが更に目を細め考え込むような形相となっていた。

 

「——6人がバラバラになって死亡、6人は衣服と装備だけを残して失踪。魔族の死体に至っては拷問を受けた上で、完全な白骨化を遂げていた……ですか」

「……そうだ。ここは俺達が住む五車町に近い場所にある。そんな場所で致命的な脅威がすぐそこまで迫っている状況だ」

「遺体の方は何とも言えないけど……その6人が失踪している方の遺体は、羅刹オークとか、パーピーとかの仕業じゃなさそうなのは確かだよね」

「ああ、現状の情報では、サラマンダーや知性を持たないスライムが関与している可能性は十分に考えられるが……更に詳しい判断をするには現場をみて状況整理をしてみないとわからないな」

 

 そんなことを話して約1時間……建物が少なくなり、工場地帯を抜けた先に 未だに事件現場であった倉庫を取り囲むような人だかりのできている古びた廃屋にも見える施設に俺達は接近するのであった。

 

………

……

 

 




~あとがき~
 小説からはズレたお話になっちゃうのですが、今日は8月20日…。
 つまり「ハワード・フィリップス・ラヴクラフト」先生のお誕生日です。

 いあいあしていますか?

 今年も、いあいあしましょうね?

 いあ! いあ! いあ! いあ!!!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode-Inside4-2+ 『倉庫調査』

 俺達を乗せた車両(クラウン)は、立ち入り禁止と印刷された黄色のビニールテープを潜り抜ける。そのまま水色のブルーシートで覆われ内部の様子が一切分からない倉庫手前の搬入口まで進んでいく。

 車両に搭乗したまま立ち入り禁止線より内部へと入って行ったのは、おそらく彼は現場周囲の状況を見てからの判断した行動だったのだろう。

 現在、俺たちが乗っている車両のガラス窓には黒のフィルムと、後部座席の窓にはカーテンが取り付けられており、外部から内部の様子は見えないものだったが、内部からはひそかに外部の様子が見ることができた。

 ……立ち入り禁止線の周囲には、現場の情報を発信しようとするマスコミの姿があった。他にニュースもなく、話題として取り上げられるような内容も無いのだろう。そんな報道陣が集まる場所へ、俺達のような無関係そうな若い学生が、事件現場に入って行けば彼等は確実にそれを映し報道するに違いない。マスコミに関しては、俺たち対魔忍と通じている政府関係者によって情報統制させることで、いくらか俺たちがこの場所に立ち入ったことをもみ消せるとしても……ゴシップ記事や週刊誌、興味本位でこの場に訪れている野次馬達の写真はそう簡単には制限することはできない。それにきっとあの野次馬の中には、人間の姿の魔族が混じって情報収集をしている可能性だって考えられる。

 ……彼の判断は、そういうことを見通したうえでの措置だと思われる。

 車はブルーシートで囲われ 上空で飛び回るヘリからも俺達を映さない場所。倉庫の搬入口前で停止する。

 

「よし。ここならフラッシュを浴びせられることもないだろう。もう降りても大丈夫だ」

「ありがとうございます」

「ありがとうござ——うっ!?

 

 それは、青空さんの父親が素早く降りて蛇子側の扉を開けたときの出来事だった。唐突に蛇子が眉を潜めて、口を抑え今にも吐き出してしまいそうな苦しそうな表情をする。

 

「っ! 大丈夫か?! 俺の運転が荒いせいで乗り物酔いをさせてしまっただろうか……? そうだとすれば申し訳ない!」

「すみません……のりものよいとかじゃなくて……ちょっと気分が……」

「そう……か? ……もしよければ、これを使うといい」

「ありがとうございます……でも大丈夫です……うっぷ

 

 彼女の反応に青空さんの父親も、一瞬だがやってしまったか……? というような反省するような失敗に悔やむような表情を見せたが、即座に車のダッシュボード内から未使用のタオルを取り出して蛇子に差し出す。しかし蛇子は苦い顔のまま やんわりと受け取ることを拒否して、代わりに自分のハンカチを小物入れから取り出して口に当ててから車外へ出て来て俺を待った。

 俺も警戒しながら車外には出たが、蛇子のように気分が悪くなった……ということはなく今のところは至って平然を保つことができている。流石につい先ほどまで、青空さんの父親と世間話でケラケラと笑っていた蛇子が突発的に様子がおかしくなったことに対して、俺は彼女が心配で声をかけた。

 

「どうしたんだ? 唐突に気持ち悪そうな顔をして……」

ぅぅ……。……ここ、すごい死臭がしたの」

「死臭……か?」

……うぅん……正確には死臭じゃない…………のかも。炎天下に人が腐るような臭いに混じって……。いままでに嗅いだことのないような……初めてのにおいなんだけど……腐ったヘドロと苔が混ざったような……嗅いだ瞬間に全身の毛穴が膨れあがっちゃうようなトリハダになっちゃって……今すぐここから逃げなきゃいけないって思っちゃうような猛烈なひどい匂い」

 

 蛇子は今にも吐きそうな顔をしながら、その身体の全体を振るわせるかのようなしゃっくりのようにヒックヒックと軽くえずいている。

 俺も深く呼吸するように鼻をひくつかせて、この倉庫から漂うにおいを察知しようとするが……蛇子の言うような特筆できるにおいを感じ取ることはできなかった。確かに人が死んでいるため、少し鉄錆っぽい匂いはしているが……蛇子が話してくれた『炎天下の中、人が腐るようなにおい』は一切感じ取ることはできない。

 しかし今回の嗅覚に関する情報で、なおかつ蛇子が言うからには彼女の勘違いではないと俺は確信し断言できる。

 蛇子は、獣遁の術使いである“獣化忍”で身体に獣の力を宿す能力を有している対魔忍だ。彼女の獣化のタイプはDevilfish……。つまりタコ()化することができる。蛇子……という名にも関わらず、どうしてタコに変化するんだ?という疑問については、誰もが通る道だ。まぁ、俺が蛇子自身から聞いた話では、蛇子の母親が蛇子を妊娠している際……無性にすっぱいものが食べたくなって、大量のタコの刺身やタコ酢和えを出産するまでずっと食べたことが蛇子が蛸化する原因になったんじゃないかと話してくれた。……余談として故人ではあるが、蛇子の曾祖母は大蛇へと変貌できたらしい。

 ……それはそれとして、ゆえに蛇子はタコっぽいこと……。口から墨を履いたり、下半身をタコの足のように変化させたり、足に付いた吸盤で壁に張り付くことやその足を伸ばして強力な巻き付きと吸盤で相手を拘束したり、その吸盤が高性能センサーになっており人間では感じることのできない微かな異臭や気配を察知することなどができるのだ。

 入り口でこの状態……。倉庫の中身は、どのような惨状なのか……彼女の様子から俺もやや恐怖に飲まれ気味になる。

 

 しかし蛇子の姿は普段の人間の姿と変わっていない。変わっていないが……。つまり、彼女がその悪臭を察知できたということは、スカートの下でいくつか短いタコ足を生やし高性能センサーを用いて周囲の異常の察知に努めていたということだ。その結果、扉をあけられた瞬間にその異臭を察知してしまったということが推察できる。

 ——きっと気配りのできる蛇子のことだ。俺たち対魔忍は彼女が変身した姿は見慣れた光景かもしれないが、そんなに魔獣や魔族を見慣れていない一般人である青空さんの父親や捜査員達からしてみたら動揺することは間違いない。だからそのような対応をしたのだろう。

 

「そうか……辛かったら無理しなくていいからな。この場には俺もいることだし。蛇子は本来ここに来る予定じゃなかったんだ。アサギ先生には話を通して同伴の了承は得ているが、引いたとしても事情を説明すれば退却理由を分かってくれるさ」

「……心配かけさせちゃって、ごめんね。でも、蛇子は大丈夫だから気にしないで。この現場はふうまちゃんだけじゃ荷が重すぎるから……ちゃんと調査に付きあうよ」

「すまない。俺も蛇子たちのように力が覚醒してさえいれば……無理をさせることなんかなかったのに……」

「気にしないでよ。私達、幼馴染でしょ? もっと気にせずに頼って」

「ありがとな。……行こう」

 

 蛇子の肩を支えながら、俺達は外気と隔てられているブルーシートを更に潜って倉庫に入る。

 ……俺は蛇子や鹿之助、他の対魔忍と違って“忍法”の開花はしていない。この閉じた右目さえ開けばふうま家の忍法である“邪眼”が扱えるのだが……いつまで経ってもこの目が開くことはなかった。それどころか他の忍法すら開花することもない。……俺は他のふうま一門の者達が言うように『当主失格の目抜け』だ。今まで他の分家の奴等が俺に対してそのように言及することに関して、あまり気にしてはいなかったのだが……。流石にこの時ばかりは忍法が開花していない自分を恨んだ。

 蛇子は俺を気遣って気丈に振る舞っているが、結果的にそれは蛇子に無理をさせてしまっていたのだから——

 

………

……

 

「うッ゙」

 

 それは倉庫に入った瞬間の出来事だった。

 突然、蛇子は俺から飛びのいて両手で自分の口を抑える。彼女の喉元からゴキュンという異音が聞こえて、目だけがまるで高性能センサーで感じ取った異臭を探すように上下左右満遍なくギョロギョロと蠢き、目を見開いて顔は真っ青になった。頬がハムスターのようにむくむくと膨らんでいき、今にも口を開けば食べたものを全て吐き出してしまいそうな勢いだ。見かねた青空さんの父親も、無言で即座に黒スーツの内側からエチケット袋を取り出して蛇子に差し出し、蛇子も遠慮することなく受け取ると踵を返して俺達の入ってきたブルーシートの向こう側に消えていった。

 ……ブルーシートの向こう側で何やらマーライオンが初めて口から水を噴き出すような初期排水のような音が聞こえてきたが、本排水されエチケット袋内に着弾する前に、そっと青空さんの父親が俺の背後に立って俺の両耳を塞いだ。見上げる俺に『それ以上は何も考えるな』といった表情で、口と目を固く閉ざして首を横に振っている。

 

 俺は彼に両耳を塞がれながらも、室内を見渡し状況の確認を開始する。

 倉庫は今にも倒壊しそうなほどにボロボロだった。俺達は車内で資料を目に通してはいたが、想像していた光景よりも5倍は酷い。

 資料にあった通り、壁から床、天井や柱までも 視界をどこに移したとしても、そこには弾痕の形跡が残されており、この場で乱射事件が起こったのは明白だった。床に落ちた薬莢は証拠品として紛失しないよう、すべて回収されていたが——俺がもっともこの状況で不審に思ったのは、残された血痕の位置だ。

 資料によれば、テロリストと対峙した高位中位魔族の存在に関する血痕は見当たらなかったそうだが……天井や壁、床には乾燥した血液が……まるでみずみずしい絵具が付いた筆を勢いよく画材に叩きつけた様な状態で残され、天井を支える骨組みには内臓が干されたタオルのようにこびりついている。

 俺はこの事件を多少の銃弾ではものともしない外甲殻を持つサラマンダーや、貫通するような物理的攻撃は殆ど意味を為さないスライムの仕業だと考えていたのだが……考えを改めなければならない。ここで大暴れした怪物は、ただ目前の獲物を惨殺するのみならず、抵抗する相手を壁や天井に叩きつけて弄ぶことのできる“何か”らしい。

 このような芸当が出来る魔族は限られてくる。まず人間よりも知能の低い魔獣や魔族、獣人は犯人の枠から取り除かれる。その上でここで暴れまわった奴は、図体が天井まで伸びるようなとてつもなく大きな奴か、人間でフリスビーが行えるような筋力に特化し、更に相手を残虐に弄ぶだけの知能を有する魔族に違いなかった。

 だが俺は、親父の秘書だった災禍(さいか)が管理する俺の自宅の蔵書庫の中に存在する古書で読んだことのある資料の、どの魔族の古書情報とも一致どころか該当すらしないことに気が付いた。

 第一、そのような魔族だとしてどのようにして人目を(はばか)って、この場を去ることができたというのだ? 図体が天井まで伸びるような巨大な奴なら、倉庫に野次馬などの人が取り囲んでいたのであれば誰かの視界には捉えられてしまう程に目立ってしまうし……。人間だけでフリスビーが行える奴が、外に集まった人間の特殊部隊程度の相手に対して恐れて逃げるなどの行動は到底考えられない。

 現時点の情報で暴れまわった魔族について、辛うじて類似している存在を上げるなら……レイス種か、やはりスライムが妥当なのだが……。いくらスライムでも、弾丸を浴びせられ、銃床で殴打されたのであれば、弾丸によって千切れた破片や証拠品にそのような痕跡が残るはずだ。でも、それは残っていない。それどころかスライムは食欲に忠実かつ貪欲で、獲物をいたぶるよりもそのジェル状の巨躯で相手を取り込んだら即座に獲物を溶かすはずだ。となると、天井や壁に叩きつけられた血痕や、残された6人の死体と装備の説明が付かなくなってしまう。

 レイス種は死霊の類で、幽霊や悪霊のタイプなら本人の自由自在に透過することができる。ゆえに弾丸では多くの場合傷をつけることが叶わない。しかしいくら魔族知識がない一般人であっても、弾丸が彼等に当たらないなら、そのことに気が付いて固まって逃げるなり他の手法を取ったはずだ。でも、テロリストはそれをせずに持てるだけの弾丸を使って応戦に打って出た。それはつまり、対峙した相手には実体があったか、逃げられない状態まで追い詰められていたということになる。俺の知る限りでは……レイス種は敵の一部装備だけを残して、人だけを……それも複数人だけを都合よく行方不明にしてしまう力などは持ってはいない。

 

……ぅぇっ……。……どう……? ふうまちゃん。何か思い当たる魔族は居たかな……?」

「……残念だが……」

「そっか……」

 

 と、ここで青白い顔をした蛇子がブルーシートの向こう側から帰って来る。

 青空さんの父親は音もなく俺から離れ、蛇子が背中に隠し持っているエチケット袋をさりげなく受け取るとまたスーツ内側……今度は腰付近から新しいエチケット袋を渡し、使用済みのパンパンに膨れ上がったエチケット袋は自身の身体で現場の捜査員や俺に見えないように隠しながら、そっとゴミ箱の中に捨てていた。

 俺はそんな彼を視界に収めながらも、見当も付かない相手に対して、ただ力なく首を横に振るほかなかった。

 一応、現場に残されていた12挺のアサルトライフルや弾倉、膨大な量の廃薬莢も見せてもらったが……これと言って銃で受け流した時に付けられる防御創もまったく見られず……。この場にいた捜査員・警察関係者と共に首をかしげるほかなかった。

 進展と言えば、蛇子は証拠品を保管していたジップロック式のビニール袋から取り出して、実際に見せてもらったところで……再びブルーシートの向こう側に消えたことぐらいか。

 どうやら猛烈な腐臭は倉庫内部のみならず、装備品にも付着しなおかつ装備品の方が濃厚な香りが残っているようだが……俺達にはやはり、その臭いは感知することはできなかった。

 

………

……

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode-Inside4-3+ 『深淵の監視者』

 地上の倉庫ではどんな存在があの場で暴れ回ったのか、少なくとも『蛇子がこの場から逃げ出したくなるような危険な悪臭を放つ魔族』ということ以外で何も進展を得られないまま、俺達は地下室に足を踏み込み拷問された魔族についての調査を始める。

 こちらもこちらで酷い有様だ。天井からは首を吊るためのような輪っかがつけられたワイヤー製のロープがいくつも垂れ下がっており、ロープには拷問された魔族の血液が染み込んで、ロープの一定の位置から先が元の色よりも変色していた。床はボールを転がさなければ、分からないほどの緩やかな斜面が形成されており、一番低い位置には排水溝が常に沼っぽい臭気をただよわせている。おまけに部屋の中央の床には全長1ⅿ50㎝もの巨大な亀裂が走っており、その深さは光源の少ない地下ではその穴がどこまで続いているのかわからないほどの闇が広がっていた。人が落下してしまうほどの幅ではないが、捜査員が躓かないようにロードコーンと警告色のコーンバーで注意喚起はされている。

 俺がその深淵を覗き込むと、目の錯覚からか深淵もまたこちらを覗き込んでいるような視覚的歪みがみられた。

 ここでの蛇子は、完全に表情を曇らせて亀裂には近寄ろうともしなかった。他にも、意を決したような表情になると、青空さんの父親から3枚目のエチケット袋を受け取って準備を整え、またスカートがわずかに持ち上がった。再びわずかに獣化して状況の把握を始めたのだろう。露出している足が人のままであること、2回もエチケット袋を使用したこともあって足首の毛がぞわぞわと逆立ち、表情は曇り、青いままだが3枚目のエチケット袋を使用することはなかった。

 

「……ここで死んでいた魔族はオークっぽい……ですね。それも、1体や2体じゃない……えっと……少なくとも7、8体? 資料だと拷問されて死んでいたんですよね?」

「その通りだ。こちらから詳細を伝えずとも現場の状況からそこまで判断できるとは……流石は対魔忍というべきか。……発見された遺骨や肉片を採取してDNA鑑定にかけた結果。8体のオークがこの場で亡くなったことがわかっている。いずれも顔面の器官や指、表皮がそぎ落とされたあとに白骨化されたような状態でね。だがいずれの遺体も、1週間前には存命して 町中の監視カメラの映像記録にその姿が残されていた」

「ありがとうございます。……ふうまちゃん。上では嗅いだことのない酷いにおいだったけど……こっちは別のにおいがする……。この匂いは色々混じっているけど……多分、蛙っぽい? ……でも……ちょっと油がすえたような……栗の花とラズベリーも混じった甘いのに憂鬱なにおい……かな。ふうまちゃんの知識で思い当たることはない?」

「……そうだな。残虐的なのは魔族全般に言えることだが……4種類のにおいが混じるような魔族……」

 

 再び考え込む俺の顔を青空さんの父親が緊迫した表情で見つめてくるが……。これだけの情報では1種しか思い当たらない。だが仮に俺の推測が当たっているとするならば、それは厄介な状況でもあった。……油っぽい臭気と言えば、蛇の魔族……。それも栗の花ということから両性具有者のナーガ族が連想できるが……。そんな都合の良い、骨だけ残すような毒を投与できるものだろうか? そもそも、拷問には何かしらの見せしめや情報の入手などの意図があったのではないかと推測できるが……。役目の終えた相手の骨だけ残す意図が掴めない。出来ることなら、遺体が見つからない方がその魔族にとって足が付くこともなく好都合だった筈だ。

 

「考え得るのは、高位魔族のナーガ族がやったのではないかと俺は睨んでいます」

「ナーガ族?」

「はい。高位魔族の一種で『妖魔』とも呼ばれる存在です。消してしまえば足は付かなかったのに、遺骨を敢えて残すなどのいくつか不審な点は残りますが——」

 

 自信の疑問点を織り交ぜながら、青空さんの父親に説明を行う。

 他の捜査員が俺達のことを場違いな存在としての目を向けていたが、彼だけは話を真剣な目で見据えて頷き聞いていた。事前に対魔忍であることを伝えてあるから……という前提もあるだろうが、それだけが理由ではなく俺達が日葵の友人で、自宅で常日頃から聞かされていた俺達の話題から信用するに値すると思われているようである。

 

「さらなる詳しいことや今後の事は一旦、学校に戻って上席に報告して指示を仰がなければなりません。ですが、ここまで詳細に警察の皆様が調べて頂いて対魔忍との共同捜査を始めたのですから即座に。とはいきませんが……足早には事件が収束するとは思います。……そういえば先ほど『1週間前には彼等は存命しており町中の監視カメラの映像記録にその姿が残されていた』とおっしゃられていましたが、具体的にどこの監視カメラに記録されていたのか? などは判明していますでしょうか?」

「あぁ。それなら、君達を拾ったまえさき駅の近辺のショッピングモール内であったことがわかっている。……近頃の出来事だと魔族が経営する新店舗がオープンしていたはずだ。被害者たちは、その店の従業員だったことも判別はついているが、現状は差し当たりのない事情聴取のみを行っている。あの店が一枚噛んでいた場合、下手に勘ぐらせて対策を練られても厄介だからな」

 

 彼の言葉に一筋の汗が俺のこめかみを通って頬を撫で首下に流れて行ったが……心配する必要はない。と自分に言い聞かせる。

 青空さんは現在、鹿之助と行動を共にしているはずなのだ。学園内でたまに……。いいや、ときどき。時々、突発的に始める突拍子もない行動をしない限り、鹿之助の方から危険を遠ざけてくれるはずだ。

 いくら何でも、嬉々として魔族の店に入ろうとはしないはずだ。それは鹿之助が止めるだろうし、青空さんもそこまで魔族に関する知識がないわけじゃない。魔族が危険だということは、義務教育の段階で学んで知っているはずなんだ。君子危うきに近寄らず……彼女が、そんなことをするはずがない。

 

「そ、そうですか……ではそのショッピングモールの『魔族の店』についても少し対魔忍側でも調査するようにと伝達させて頂きますね」

「……先ほどから、油汗がにじんでいるが大丈夫かい? 相州さんも倉庫に入ったとたんにお……お体調を崩してしまったようだし……君たちはまだ日葵と変わらない学生なんだ。無理は禁物だぞ。調査は早めに切り上げて、あとで君達の気づいたことを私に教えくれたってかまわないんだからな。君達の内容を纏めて、こちらも君達の上層部に情報を上げることだってできるから——」

「心配おかけしまして、申し訳ございません。ですが、大丈夫です」

「蛇子も、だいじょーぶ。……です」

 

 ……でも青空さんならやりかねない。そんな言葉が脳裏を()ぎる。

 オークを発見し『抹茶アイスクリームだ!』と叫んで、オークのハゲ頭に齧りついたり……。オークに絡まれたからと言って、頭部を緑色のボールと見間違えたと棒読み発言して、死んだ目を向けながら消火器をバットの代わりにオークの後頭部へフルスイングするような光景が思い浮かぶ。

 でもそういった行動を予め抑制するためにも、鹿之助がいるのだから、そんなことが起こり得るはずがないんだ……と、何度も自分に言い聞かせる。蛇子も『日葵ちゃんは鹿之助ちゃんと一緒なら大丈夫。蛇子と一緒にいるより安心』だと後押し推薦するほどの組み合わせなのだから……。

 

「あの……それよりも、日葵ちゃんのお父さん」

 

 そんなオークの姿が確認されたショッピングモールで、暴れまわる 息抜きをしている青空さんと振り回される鹿之助を思い浮かべていた時だった。

 蛇子が何か疑問や不審点に気が付いた顔で、身体をぺったりと一辺の壁に押し付けながら声を上げた。

 

「どうかしたか?」

「ここのトタン板の向こう側に通路があるようなのですが、この先は調べられましたか?」

「……! いや。調べたのはこの部屋だけだ。先に通路があるのか? 今、別の捜査員を呼んでここをこじ開けさせるから少しここで待っててくれ」

 

 それだけ告げると青空さんの父親は、駆け足で階段を昇って行ってしまう。

 地下に取り残された俺と蛇子だったが、蛇子は手で口元を隠しながら少し意地悪そうな半目と笑みを浮かべて近づいてきた。

 

「蛇子が吐いちゃったこともあるのかもしれないけど……。日葵ちゃんのお父さん以外、ここの警察の人たちって蛇子達のこと邪魔者か完全な部外者を見るような目だったよね。でもこれでこの先に何か重大な情報を見つけられた場合、私達も立派な捜査員として見てもらえるに違いないね!」

「それに違いないな。でかしたぞ、蛇子」

「えっ、へへー……♪ でしょ? それじゃあ、稲毛屋でソフトクリームもおごってね?」

「はいはい……」

 

 にへらぁ~とだらしなく笑う蛇子を見ているうちに、先ほどまでの膨れ上がっていく不安に押しつぶされそうになっていた気持ちがほぐれていく。そうだ鹿之助と青空さんなら大丈夫だ。こんな要らぬ心配などしなくても、今ごろ何も気が付くことなく2人で仲良くおやつを食べているに違いない。

 そんな会話をしているうちにバールのようなものを手にした捜査員を引き連れて青空さんの父親が戻ってくる。彼の指示の下、トタンの隙間にバールの先端を突き入れてバリバリと音を響かせながら俺たちの目前で剥がしていった。

 その先には蛇子が感知した通路があり、その最深部には焦げ茶色の木製の扉が一枚つけられていた。

 捜査員が緊張した赴きで索敵の為、拳銃を取り出すも……。蛇子が真っ先に捜査員たちをすり抜けて、彼等には分からないように配慮をしながら先頭で吸盤によるセンサーで索敵を済ませる。それから最深部の部屋に罠が仕掛けられていないことや、誰かが潜んですらも居ないことを告げてみせた。

 ……捜査員達は已然俺達を信用していない様子ではあったが、青空さんの父親が彼女がこの隠し部屋を見つけたことを他の捜査員に告げ、堂々と無防備に先陣を切って歩いて行ったことにより、他の捜査員たちも黙って続いた。

 

………

……

 

 隠されていた奥の小部屋は、こじんまりとした作戦会議室のような一室だった。両サイドには未使用の銃火器が飾られ保管されており、正面の壁には紙媒体の資料が詰まった資料棚が並べられている。部屋の隅には大型のプリンターとプリンターに接続されたスリープ中のノートパソコンが備えられていた。中央には1m四方の机が置かれ、その上にはテロリストが関わったであろう様々な作戦資料が乗せられていた。捜査員たちは現場の様子を写真へと収めると、ジップロックの袋に証拠品として資料を詰め込んでいく。

 どうやら俺達の出る幕は終わったようだ。忙しなく出入りする彼等を邪魔しないようにと、蛇子と相談をして先ほどの拷問があった地下室で、指示を出している青空さんの父親を待とうとした時だった。

 

「青空警視長! これを!」

 

 不意に1人の捜査員が直接資料を渡して、渡された彼は唇を固く閉ざし顔色が悪くなり始めた。俺はこの場から去るつもりだったが、青空さんの父親と打ち解けていた蛇子は俺から離れ青空さんの父親と一緒に、背伸びをしながらその資料を覗き込む。

 

「ふうまちゃん!!!」

 

 資料に釘付けとなった蛇子が悲鳴のような声と、素早い手招きで俺を呼び寄せてくる。他の捜査員が蛇子や青空さんの父親を凝視している場所には近づきたくはなかった。しかし、彼女のスカートの下で動いている触手が見る見るうちに大きくなりスカートのすそからはみ出しつつある。俺が接近しなくても、その触肢で巻き付いてでも引き寄せるほどの情報かもしれないと思い俺も覗き込みに向かう。

 

「なんだ?」

「こ、これ……——」

 

 俺が近づくと青空さんの父親も、俺に対して資料を見やすいように少しだけ資料を俺側にズラして見せてくれる。

 資料には紙に印刷された2枚の写真と『作戦事項』について記述されているようだった。だがその資料に添付されている写真を見たとき、俺も目を釘付けにせざる負えなかった。

 1枚目の写真には、俺も初任務のサポートとして任務に就いた事件。アサギ先生とさくら先生、ゆきかぜが事件を解決した……例の殲滅されたテロリストと思わしい男性が2人ほど地面に転がり、その転がる中心で 1人の少女が、装備を剥ぎ取りながら そのテロリスト1人の禿げた後頭部を叩きながら笑っている様子だった。俺達は彼女についてよく知っている。……俺達の友人『青空 日葵』その人だった。

 2枚目の写真には、休憩所のような場所で、巨大なリュックサックを椅子に預け、今朝別れる直前まで着用していたものと同じ衣服を纏った青空さんと、五車学園の制服やアイツの対魔忍スーツとは異なる新品の男物の服を着た鹿之助が椅子に座って何か……真剣な様子で机上の紙を見て、熱心に青空さんと鹿之助が勉強のようなことをしている様子が盗撮されていた。

 

「……君達、この子は知っているかい?」

「はい。こいつは、俺達の友人の鹿之助です……。でもどうしてこんな写真の印刷物がここに……?」

「ん? 彼……いや、これは彼女が、鹿之助くん……ちゃん? か?」

「あ、えっと。日葵ちゃんのお父さん。鹿之助ちゃんは男の子です」

「ん? ん。ん? ん? ……ん? 男の娘……? つまり、これは彼の……しゅ……み?」

「……鹿之助ちゃん()には特定の年齢まで女の子として育てる風習があって……その名残で鹿之助ちゃんは普段から女の子の姿をしているんです。ほら、でもこの写真での服装は男の子の服ですよ!」

「あ、ぉ、あ、あぁ……そ、そ、そうなのか……」

 

 俺達でもわかりやすいほどの動揺を見せながらも、写真の確認を終えると彼は付属している作戦資料を俺達にも見やすいように机上に広げてくれる。俺達は鹿之助も撮影された写真もあってか食い入るようにその資料を見つめた。

 

 

『作戦資料:土星の主様への生贄選定』

 諸君等は1年前のあの日。祈願を達成できなかったことに憤りを覚えているだろう。

 我々の祝福された聖槍で、256人の高潔かつ純情な乙女の処女を散らし処女の鮮血を我が主へと捧げるのに失敗したのは、すべて1枚目の写真に写る悪魔の女による企てだったのだ。

 この女があの時、黙って我らに犯されてさえいれば我らの神は大いに満足し、我等に更なる祝福を与えたであろう。だが、この女が姑息な手で抵抗した結果。我々の祈願は叶うことなく、空から落ちてきた3人の汚らわしい痴女どもによって仲間の大多数を失い。今日。今、この日まで日陰者のまま裏でコソコソと這いまわるドブネズミのように過ごさなければならなくなった。だが思い出して欲しい、その環境を作り出したのは、誰か! そう、この女なのだと! この女こそが元凶であり、我々を破滅に導いた悪魔の女。我々の宿敵なのだ!

 本来であれば、いつものよう居場所の特定後、拉致を行い 嬲る手筈ではあったのだが……私は神託を受けた。こいつに神の裁きを受けさせるには、決して一筋縄ではいかないと。

 そこで、2枚目の写真に添付された悪魔の女と行動を共にするメスガキをエサとして使用する。このメスガキはどうやら、この女のそれは、それは、とても大切な情婦らしい。こちらが観察した上では、常に自身の視界から外そうとしない様子を確認することができた。

 そのような存在を奪われれば、奴もきっと我々が奪われた痛みを知り、冷静に判断できぬまま取り戻そうと躍起になり、こちらの罠であることも察知できず獣のように向かってくるだろう、そこがチャンスだ。女子高生がどのようにして加護を受けし29人の結束した我らに勝てる道理などあるのだろうか? 最終的に奴の処女と臓物を供物として捧げることが出来るであろう。さすれば我々への祝福と土星の主様の招来は目前だ。

 現在、こちらの隠れ家で待機中の神の子等は私を含め17名。分隊のお前たちさえ、この拠点に隠している銃器の回収……及び、土星の主の使者を君達の分隊長が扱うことがさえ叶えば、我等29人と使者2体でこの悪魔の女を嬲り葬り去ることができるのだ。人質を取られた女の処女を奪うことなど、容易な蹂躙であることは神託を受けし私が保証しよう。

 

 

「……私はこれから本部に連絡を入れる。しばらくの間は娘と鹿之助くんには警護を付けさせるが……娘は大丈夫なはずだ。ひとまずは今朝の段階で、まえさき市に遊びに行かないようメールを打っているし、返信は来ないが……あの子のことだ。きっと今日も家で筋トレをしているはずだからな。……2人とも鹿之助くんには連絡を取れるかい? もし彼もこの場に来ているようであれば、今すぐ人通りの多いところで待機するように告げて欲しい。居場所も分かれば、現地の警察官に保護するように今から連絡を入れ…………2人ともどうした?」

 

 彼の言葉に俺達は氷漬けになるかのように固まるほかなかった。冷汗がポタポタと衣服に染み込んでいく。

 ……数時間まで俺達は青空さんと鹿之助と例のショッピングモールで別れているのだ。でも、この最新の写真が添付されているということは……既に青空さんと鹿之助は、既に奴等から補足されているわけであって……。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode-Inside4-4+ 『Episode25の裏側』

「青空さん……! 俺達も連れて、今すぐショッピングモールに向かってください……!」

「……何——」

「青空さんは、鹿之助と一緒にまえさき市のショッピングモールに居るんです! 今すぐ、駅前のショッピングモールに車を回してください!」

 

 そこからは事態が目まぐるしく動き始めた。

 即座に青空さんの父親が、地上に停めている車両に備え付けられた無線機でショッピングモール付近の警察官に連絡を取る。2人を緊急保護するように連絡を入れている間に、俺と蛇子は鹿之助に連絡を入れようとスマホを取り出して電話を掛けていた。だがしかし、スマホの電波はそもそも圏外を指し示しており繋がることはなかった。

 俺達も彼に続くようにして階段を駆け上がり、倉庫を飛び出して少しでも電波が届くようになったブルーシートに囲われた一室で鹿之助へ電話を入れる。

 

「鹿之助ちゃん……早く出て……ッ!」

『プチ——』

「もしもし、鹿之助ちゃん!?」

『お掛けになった電話番号は現在電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためお繋ぎすることはできませんでした』

 

 俺達の願いを裏切るように、どういうわけか鹿之助には連絡が入らない。

 何度、電話を掛け直しても『電源が入っていないか、電波の届かない場所にいる』というアナウンスが入り、鹿之助に繋がることはなかった。

 青空さんの父親も同じ状態のようだ。青空さんのスマホに連絡を入れているが、数コールなって電話が取られたかと思えば通話中であるとアナウンスが流れているような状態らしい。5分おきに掛けなおしたとしても同じ状態で繋がらないというのだ。一応、安否確認のメールを4件入れているそうだが……まだ返事は返って来ていないと言っている。

 どのようにしても2人と繋がらないことに対して焦り戸惑う俺達だったが、スマホに電波が入ったところで今から約30分前に2人からのメールが入ってきていたことに気が付ける。

 内容としては2人とも共通で『ショッピングモール内の(『ショッピングモール内の)どこの(どこに)トイレ(お花を摘み)に行ったんだ?(へ行ったの??) 現在、(今ね、)フードコート付近の(フードコート近辺の)休憩所で(休憩所で)待機中だよ。(休憩してるんだけど。)15時30分には(15:30には)帰るんだろ(帰るんでしょ)。』(?』)という内容だった。

 更に追い打ちをかけるかの如く、追加の悪い情報までもが入ってくる。

 現地の警察官に鹿之助と青空さんの保護を頼んだそうだが、ショッピングモール内で発生した非常ベルが作動したことによる客の避難誘導やパニック対応、魔族が暴れまわっているという事態の収拾のために動ける署員が全出動してしまっていて、2人の保護や捜索に回せるような人員や状況ではないという返答が帰ってきたらしい。

 さらに数分遅れて俺達の2人のスマホには、青空さんから『2人ともショッピングモールから離れて! 上原くんを見つけたら、また連絡するからまえさき駅で私達の分の電車の乗車キップを買って待ってて! Ps:あなた達を厠籠城罪と友人放置罪で訴えます! 理由はもちろんお分かりですね? あなた方が私達にお花を摘みに行くと伝え、ショッピングモールの便所を独占したからです! 覚悟の準備をしておいて下さい。ちかいうちに聴取します。快便の秘訣を教えます。消化器科にも問答無用できてもらいます。受診料の準備もしておいて下さい! 貴方達は友人です! (ケツ)から内視鏡をぶち込まれる楽しみにしておいて下さい! いいですね!?』……とのことだった。

 ……なんといえばいいか。青空さんの父親のいる手前、下手に口には出せないが……彼女が何を考えているのかわからない……その余裕の長文はどこの知恵から絞り出した長文なのかは俺には予測できない。

 すぐさま乗ってきた車両に搭乗し、この現場から俺達は離れることになった。

 緊急事態ということもあり、俺たち以外にも倉庫の現場から青空さんの直属の部下である捜査員が1人助手席に座り同伴する。クラウンに予め備え付けられていた反転灯を屋根に付けての出発。なるべく最短ルートでショッピングモールを目指したが……。

 

………

……

 

「クソッ! なんだこの渋滞は……!」

 

 こればかりは不運としか言いようがなかった。

 ショッピングモールへ迅速に消防隊が駆け付けるためのの交通整備による渋滞に巻き込まれ、サイレンを鳴らしているにも関わらず渋滞から抜けられるようなスペースのない致命的な状況に晒される。既に背後には別の自動車が張り付いており、自動車だけを置いて抜け出すわけにもいかない状態で、時間だけが刻々と過ぎ去っていく。

 やっと道が開けられ渋滞を抜け出せたときには、時刻は15時を大幅に回っていた。その間、何度も俺達の方で鹿之助や青空さんのスマホに連絡を入れはしたものの、鹿之助は相変わらず電源が入っていないとアナウンスが流れ……青空さんの方は通話中ではないものの電話に出ることはなかった。

 

「もしもし……!? 蛇子ちゃん?!」

「……! 日葵ちゃんっ! 今どこにいるの?!!!」

 

 もう2人は倉庫を根城としていたテロリストに捕まっているのかもしれない……と半分諦めかけたとき、何度も電話を掛けなおす蛇子のスマホから青空さんの声が聞こえた。即座に蛇子はスピーカーに切り替えて、車内にいる全員に聞こえるように設定を変更させる。

 蛇子の隣に座った俺もスマホに聞き耳をそばだてて、聞こえてくる物音から彼女が今どこにいるのか情報収集を行う。

 どうやら彼女は人気の少ない場所にいることがわかる。ショッピングモール内で非常ベルが作動したと話を聞いたとき、真っ先に青空さんの顔が浮かんだのだが……今回ばかりはどうやら無関係そうだ。

 そうだよな。いくら何でも対魔忍が何度も非常ベルを連打するような事件を引き起こすわけがないよな。普通に考えればわかるよな。そんな目立つことを彼女がするわけがない。

 

「それはこっちのセリフですよ?!? 蛇子ちゃんこそ、3時間もどこのトイレでうんこしていたんですかっ!!?!?

「うん……っ!?」

「……」

「オフッ……ゴホッゴホゴホッォォオッ」

「…………」

「……ンンッ」

 

 蛇子にどこにいるのか続けて聞き出そうと促したとき、蛇子の声を大きく上回る怒声が電話越しから響き渡った。俺の鼓膜を震わせ耳鳴りを加え、その声は相当なものだったのだろう。唯一、渋滞を逃れられるバイクが正面の赤信号でこちらを振り返って二度見するほどだ。

 まさか自分の娘が開口一番にうんこ宣言をするとは思っていなかったのだろう。

 バックミラーに映る青空さんの父親は真顔に近い仏頂面をしていたが、隣の捜査員は一瞬吹き出した。咳で誤魔化すような素振りをしているが、誤魔化せていない。

 見る見るうちに隣の蛇子も目が点になったまま、その身を凍りつかせながらも顔を赤く染め上げていく。ついでに捜査員の顔面は、青空さんの父親の真顔を向けられたことで顔が真っ青に染まり、そこでやっと笑うのを止めた。

 俺がスマホを受け取り、氷漬けになった蛇子の代わりに話を続けようとするも相当ヒートアップしているようでこちらが話す暇も与えられない。

 

「言わなくていいですから黙って聞いてください! ケツからどんなぶっといデカブツが出たかの話は生きて帰れたら聞きます!!! 柔らかくする下剤や痔の薬もあげます! まえさき市で3時間もうんこしてたって、学校中に言いふらしてやります!!! ふうま君もそこに一緒にいますね!? 群馬県から鳥類が一斉に逃げ出す光景が見えたら、それは合図です! 何も言わずにそのまま群馬県から離れてください! 日本の地形なら越後山脈か関東山地が盾に出来ます! しばらく時間が稼げます! 新潟か山梨へ! 急いで!!! 上原くんはこっちでなんとか助け出します!」

 

——ブチッ……ツー……ツー……

 

 彼女は激昂したまま言いたいことを言い終えたのか、そのまま電話を切ってしまった。

 蛇子のスマホのスピーカーからは通話が切れた音のみが響いており、言葉の暴力で打ちのめされた蛇子はまだ動けそうにない。だが、今の彼女の言葉から分かったこともある。既に鹿之助は倉庫の資料にあった通り奴等に捕まり、そして青空さんは奴らが計画している術中に何も気づかずに突っ込もうとしているらしい。

 だが不可解な言葉に引っ掛かりを覚えていた。彼女の声色は、鹿之助を救助すること以外の発言に関して何かに非常におびえているようだった。

 群馬県から鳥類が一斉に逃げ出すのが合図? 越後山脈か関東山地が盾にできる? 新潟か山梨へ向かえとは、彼女は一体何をそんなに怯えているのだろうか?

 テロリストと対峙していることに感づいているのだとしても、それは明らかに俺たちに対する大げさな避難指示だ。……いろいろ勘ぐることはできるが、彼女をこれ以上危険地帯に1人で赴かせるわけには行かない。それは、彼女が対魔忍だとしても頭に血が上った状態ではあまりにも無謀な試みだ。少しでもこちらに注意を引いてその歩みを止めさせるために、今度は俺のスマホから彼女に連絡を入れる。

 

「はい!? ふうま君?! 蛇子ちゃんから、話は聞きましたか!?」

 

 蛇子の連絡の直後だからか、彼女は即座に電話を取ってはくれる。

 先ほどの怯えているような発言からはうってかわって強気な口調で怒鳴り散らす。スピーカーモードにしていないのに車内に響き渡る青空さんの声。これはモードを切り替える必要はなさそうだ。だが、このまま普遍的な返事をしたのではまた通話を一方的に言葉をぶつけられた後、即座に切られて先に向かってしまうことだろう。

 少しでもいいから、彼女をその気にさせるような言葉かけをしなくてはならない。今、ついに俺達の目前にショッピングモールへの看板が見えてきたのだ。このまま俺が時間を稼いで合流ができれば……。

 

「青空さん! 今、俺達は、お前の父親と共に行動しているんだ! 今、ショッピングモールの何処だ?! そこは危険なんだ! すぐに迎えに行く、場所を教えてくれ!」

「えぇ!? なんで私のお父さんと??? 今は家具販売店『ニトロ』と食料スーパー『ナガト』を繋ぐ通路にいますが、ここが危険なことぐらい知ってますよぉ! こちとら上位だか高位だか知りませんけど、蛇子ちゃんモドキにプロレス技5回ぐらい決められて、おまけの日本滅亡事件に巻き込まれているんですからね!?」

 

 ……? 今、なんて言った? 高位? 高位と言ったのか? 蛇子ちゃんモドキにプロレス技を5回とは? ……まさか……やはり? 魔族と殴り合っ……?

 彼女の発言に俺も思わず固まってしまう。

 …………いや、いやいやいやいや。

 鹿之助がテロリストの残党に捕まる前までは同伴していたはずだ。はずなのだ。

 そんな高位魔族だなんて……。危険な奴に目前で突っ込ませて逃げ出すようなことをアイツはするような奴じゃないし……。

 鹿之助には、青空さんが五車駅に到着する前の段階で俺が五車駅前のトイレに籠って凜子先輩と今日の打ち合わせを始める以前に、彼女を危険な魔族とかに近づけないようにと釘を刺しておいたんだ。五車学園での彼女の振る舞いから察するに大惨事になるような予感しか感じられないし、俺の神妙なお願いに鹿之助も真面目な趣で話を聞いてくれたし。……接触する前に瘴気を感じ取って避けるはずだ。

 あともう少し。あともう少しで、ショッピングモール内の駐車場に入ることができるのだ。ここで彼女にペースを乱されるわけには行かないと頭を振って気持ちを整える。

 

「わかった! そこを動くなよ! 青空のお父さん、青空さんはショッピングモールの家具販売店『ニトロ』と食料スーパー『ナガト』を繋ぐ通路だ! そ——」

「分かった!」

「ッ……と!」

「テメェ! 何もわかってねーだろ! この昼(ブチッ)」

 

 青空さんの父親も相当焦っているのだろう。俺達を現場まで送迎した時の運転からは考えられないような勢いで、曲がり角をサイドブレーキを使った非常に荒々しい急カーブで乗り切った。

 ショッピングモール内の駐車場に入るには、待機列に並ぶ必要があったのだが……それを無視して交差点から反対側車線へと車線を変更して大きく割り込むように駐車場内へと乗り込んだのだ。駐車券を取る際に警備員が慌ただしく近づいてきたが、車両の屋根に付けられた赤い反転灯と警察手帳を見せられると、後方で割り込まれたことに対して怒り狂う客の対応に奔走し始めた。

 シートベルトを着けていたこともあってか、荒々しい運転によって俺達が車内の壁に体をぶつけて怪我をすることはなかったが咄嗟の出来事で手から滑り落ちる形でスマホを床に落としてしまう。すぐさま拾い上げ、画面を確認したが……。通話は切断されており、掛けなおしても再び繋がることはなかった。

 

 




~あとがき~
 今回は裏側のお話と言いつつも、表のお話で何をしていたのかの解決編も兼ねています。
 そういえば、携帯会社に依存するみたいですが…着信拒否されると、通話中になるみたいですよ。

 次回(2021/09/01)は表編-4章 最終話 Episode26を投稿します。
 よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode-Inside4-5+ 『意識不明の重体』

 乱暴に駐車場へと到着したため、縁石に乗り上げるがその振動によって放心状態だった蛇子も正気を取り戻す。

 俺はその後も、電話越しで甲子園のサイレンのような怒声と絶叫を上げていた青空さんへ電話を掛けなおしていたが……それでも彼女に繋がることはなかった。

 

「駄目だ! また切れた! 青空さんのお父さん! あと、どれくらいで着きそうですか!」

「5分あれば……チッ! こっちは急いでいるってのによ! 人が多すぎる! 15分は掛かる! 緊急事態だっていうのに!」

 

『えー緊急車両、緊急車両が通ります。道を空けてください。

 緊急事態、緊急車両です。立ち止まってください。至急、道を空けて下さい』

 

 フロントガラスからは休日を謳歌しショッピングモールでの事件を眺めに訪れた野次馬のの姿が見える。

 今、覆面警察車両(クラウン)に備え付けられた警察用拡張期とサイレン音、反転灯、クラクション……すべてを併用して退くように人々を促しているが、彼等はこちらを少し尻目に確認するばかりで、『きっと誰かが止まるだろう(・・・・・・・・・)から、自分達は別に立ち止まらなくても大丈夫だ』と言いたげに、その蛇のような列を途切らせることはなかった。それどころか、ポケットからスマホを取り出して、今度 速度違反で捕まらないようにと車種とナンバープレートを写真に収める通行人すら現れる。

 おそらく公務員の警察官が、自分たちを轢き殺してまで押し通ったり、通行の邪魔をしたからと言ってそんな些細な事(・・・・・・・)で自分たちを逮捕すると思ってはいないのだ。それどころか緊急車両が目前にいたとしても、集団心理が働いて歩行者優先ぐらいに思っている可能性すら考えられる。

 

「こんな状態なら蛇子達は走った方が早いかも……!」

「ああ! 青空さん! 俺達とは、あとで合流しましょう! 先に家具販売店『ニトロ』と食料スーパー『ナガト』を繋ぐ通路に向かいます!」

「分かった! 俺達もすぐに到着はするが、無茶はするなよ!」

 

 後部座席の扉を開け、俺達は途切れない人々の波を掻き分けながら最短ルートを通って一直線に現地へ走り抜ける。更に走りながら上着のボタンを外して、いつでも対魔忍スーツへと着替えられるように準備を済ませて、だ。

 ショッピングモール内に潜伏するテロリストと対峙し、青空さんや鹿之助を助けられるようにとお互いに武器を抜刀できるよう最大限の準備を整えた状態で——

 

………

……

 

ふうまぁ!蛇子ぉ! 青空さんが!青空さんがっ!!!」 

——う……そ。……日葵……ちゃん?」

「俺を助けて!どうしよう!止血しているのに……!血が!血が止まらないんだ!!!」

「あおぞら、さん?」

「——————」

 

 ——俺達が現場に辿り着いたときには、全てが終わったあとだった。

 

 ……間に合わなかった。

 

 家具販売店『ニトロ』と食料スーパー『ナガト』を繋ぐ全体的に白い通路のお客様用トイレ付近の壁に2人は固まっていた。

 通路の最深部(突き当り)にあたる従業員専用通路へ続く扉付近の通路は、倉庫での惨状を連想するかのような……壁や床……。いたるところに、生ひき肉片入りのペイントボールをぶつけてそのまま放置したかのような赤黒い塗料が視点をどこに持っていったとしても写っている。

 ……今。この通路の床には、仰向けで寝転がり首だけが鹿之助の方を向いて口と目が半開いたまま口端からトクトクと流血させている青空さんと、その傍らには茶色のケモミミフードだけを羽織い、青空さんが愛用していた赤いヘッドホンを首にかけた泣きじゃくる鹿之助がいた。タグのついたままの清潔な洋服で止血しようと号泣しながら奮闘していたが……それでも血が止まらず、洋服と白い床には不気味なほどの赤黒い水溜まりがじわりじわりとその範囲を広げていて……。

 

「日葵ちゃん! 日葵ちゃんっ! ッ!酷い……!これ、胸から背中にかけて一突きされて——」

「青空さんっ!」

 

 俺達も駆け寄って彼女の容態を確認する。

 近づいても濁った瞳が動くことや、まばたきをすることはなく意識は完全に消失しているようだった。俺は彼女の首元に指を当て脈があるかどうか確認を取る。

 

「……!」

 

——彼女は辛うじて生きている! まだ生きていた!

 

 彼女が息絶えていないことに対して安堵の感情が沸き上がるが、彼女の容態は極めて悪い状態にある。今もなお生死の狭間を綱渡りしているような状態……いいや、これは死の沼へと完全に沈みかけているような状態だ。このまま何もしなければ死んでしまうことには間違いはなかった。

 即座に蛇子に彼女が生きていることを告げると蛇子は完全な獣化……と言っても上半身は人のままで下半身が完全なタコ化する程度ものだが変身を済ませる。

 それから両手を真っ赤に染め上げた鹿之助と入れ替わり、青空さんの傷口に対して口から真っ黒で生魚臭のする墨を吹きかけた。

 この行為にも、当然意味は存在する。蛇子のタコ墨には、相手の視界を遮断する目晦ましという役割の他にもタコの再生能力や治癒力を含んだ効果を墨に織り交ぜて、他人に吹きかけ治療するという効果があるのだ。

 

「俺……おれ……っ。 対魔忍なのに……拉致された時も……脱出の時も何もできなくて……。でも、青空さん……ひまり……。日葵だけが……! 俺を……っ!

 

 蛇子と入れ替わった鹿之助は、その場にへたり込み真っ赤な両手を見つめながら後悔の念を泣きながらぶつぶつと小声で事情の説明をしていた。恐らく鹿之助の心情(なか)で自身の将来の夢と、目の前で起きてしまった現実、それによって生じた自責の念によって混乱してしまっているのだろう。

 

「鹿之助! しっかりしろ! 彼女は “まだ” 生きている!

 

 だが俺はそれをぴしゃりと混乱する鹿之助を正気に戻すために宥める言葉を発する。

 鹿之助も肩をビクリと震わせながら俺の顔を見つめてきた。

 

「お前がここで取り乱しても何も変わらない! それどころか助かるかもしれない青空さんが本当に死ぬぞ! ……“対魔忍”として彼女を助けるんだろう!? だから今は懺悔は後にして彼女の救命活動を手伝ってくれ! お前はここで俺の携帯を使って、救急車と着信履歴にある青空さんの父親を急いで呼べ! 俺は隣の施設で緊急治療キットやAEDを借りてくる!」

「わ、わ……わかった!」

 

 俺の言葉に鹿之助は泣くのを止めた。八の字にしていた眉と下がった目尻を持ち上げて、抜けていた魂が戻ったかのように俺の指示のもと、蛇子と協力しながら青空さんの救命活動にあたり始める。

 

………

……

 

——対魔忍は常に死別の連続だ。

 

 里の外で任務に就いていた対魔忍が行方不明になり死亡判定されたという話はいつも聞かされていたし、里の誰かが侵入者を排除しようとして死ぬだなんてことは……俺達にとっては、よくある日常的な出来事だ。

 

 俺も身内なら10年以上前にはなるが、親父との死に別れを経験している。

 まぁ、あのクソ親父の死は、古きしがらみに囚われ五車を根城とするアサギ先生より前世代の井河一門に対して反旗を翻した結果、敗死した……今となっては自業自得とも考えられる部類の死に別れではあったのだが……。

 

 ——だからこそ。

 心のどこかで『死別なんて対魔忍である以上、日常茶飯事だ』という諦めがあったし、同じような連絡や一報を受け取っても平常心を保つことができていた。しかし、それは俺の思い込みに過ぎないことを思い知らされる。

 確かに直前の会話内容が楽しい内容ではなかったとはいえ、つい約10分前まで会話をしていた新しい友人が、数時間前まで元気で別れた友人が……。訃報で知るのとは異なる、重なる俺の幼少期における家来の死に別れの記憶。今、仲間が目前で死にそうになっているというのは、過去の記憶が隆起されて動揺するものがあった。

 それに彼女は、いくら2週間前に五車学園へ入学し対魔忍になったとは言えども、対魔忍になった定めだからと言ってこんな場所で死ぬべきじゃないことは はっきりと分かっていた。

 食料スーパー『ナガト』のサービスカウンターでドライアイスがごっそり無くなったとざわつく店員に事情を話して緊急治療キットとAEDを片手に、彼女の元までひた走る。

 そのころには青空さんの父親も到着しており、あの覆面警察車両のトランクには緊急医療用具も詰めているのか、それを用いて止血をしているところだった。俺が持ってきたキットも受け渡し、更に頑丈で強固な止血治療を開始する。

 現在、彼女の唇や指先は紫色に染まってチアノーゼを引き起こしていた。血中酸素飽和濃度が低下しているのは明らかだ。青空さんの父親と捜査員が協力しながら止血を続け、四肢を高い位置へと挙上し血を心臓の方へと更に送り込む。鹿之助が青空さんが意識を戻せるように声掛けを、蛇子は癒しのタコ墨を傷口に投与しながらも鹿之助と一緒に意識が戻るよう声掛けをする。俺は外に出て救急隊員の案内役を務める。

 やがて担架を持った救急隊が到着し、俺が誘導して彼女に酸素マスクを取り付けられた。

 そのころには浅い呼吸であったものの彼女の呼吸は復活していた。更に機械から酸素が吹き込まれたことで、容態は先ほどよりは幾分かマシな状況にあるように見えた。事前に準備されていたんじゃないかと思ってしまうほどに素早く一時的な入院と手術が行える病院が決まって……。

 青空さんの父親は俺達と別れ際、心肺蘇生と捜査の協力をしたことの労いと感謝の言葉を送ってから、救急車に乗り込み青空さんと共に最寄りの病院へ搬送されて行った。悠長な状況でもないのに彼は俺達に一言告げてから消えた。

 

 現場に取り残された俺達は——

 

………

……

 

 青空さんの父親と一緒についてきた捜査員に、まえさき市と五車町を繋ぐ市町村境まで送迎される形で五車町に帰ってきたのだった。

 ひとまず事情をアサギ先生に報告をして、時子に迎えに来てもらって……。

 

 ——その日は、俺達は何も言葉を交わすこともできず波乱の休日を経て解散となった。

 

………

……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日、鹿之助に対して当時の状況を改めて聴いたときは俺達は驚くほかなかった。

 青空さんが “1人で” 17人のテロリストと “巨大な怪物” を相手に大立ち回りしたと話したからだ。

 鹿之助も彼女が“怪物”との対峙を除いて、テロリストとの対峙した実際の状況を見ていたわけではないそうだが……。

 青空さんが鹿之助に祭壇の後ろへ隠れるように叫び、指示通りに転がり落ちたあと、強烈な破裂音が響いて、3分もしないうちに鹿之助の元へ消火器片手に食料スーパー『ナガト』の制服を纏った対魔忍に相応しい(ヒーローのような)彼女が現れたと。

 またその時、鹿之助が拉致監禁された部屋の天井には “強大な黒い花弁の怪物” がいたと話していたが……。鹿之助を診てくれた五車町で医者をしている対魔忍の話では、極度のストレスに晒されて錯乱したことによる一時的な幻覚を見た可能性が高いと先生達には説明していたそうだ。

 調査第三部(セクション スリー)としても鹿之助の話が何処まで本当のことなのか協議しているそうだが、やはり何者かに突然有無を言わさず拉致監禁されたことによってストレスで幻覚を見たのではないかと結論付けられそうになっているらしい。

 俺も鹿之助に、どんな外見だったとか、特徴的な鳴き声とか、攻撃方法などを一通り聞いてはみたが……やはり災禍の管理する蔵書庫にあったどの古書にも鹿之助が話した特徴一致する魔族・魔獣・獣人は存在しなかった。

 

 ……でも本当に鹿之助の話した出来事は“ストレス”として処理してもよいものなのだろうか?

 

 ……鹿之助が怪物と対面したというならば、その場に駆け付けた青空さんも当然、その怪物を見ているはずだ。この件に関しては、今度時間のある時に彼女に聞いてみることにする。

 

 更に、その鹿之助が拉致された現場に他の対魔忍……上原(うえはら) (りん)先生(鹿之助の従姉)が調査を向かったそうだ。事件のあった問題の場所には空になった消火器と綺麗な千枚通し、破裂した形跡の残る4ℓペットボトルの一部、横転したカートと買い物かご、空になった消火器とは別の破裂した消火器、燃え尽きた蝋燭使用のランタン、鹿之助の話にあった祭壇と天井にはダクトまで伸びる巨大な亀裂しかなかったそうだ。

 いくつかの奇妙な引っ掛かりはあったが、それでも心のどこかでは調査第三部や医師達の話も誤った診断判断ではないのではないだろうか?と思うところはあった。

 

 そもそもの話として……。

 

 ……どこの世界に17人のテロリスト相手に、たった1人で 3分以内にテロリストを殲滅できる “女子高校生” がいる? どこの世界に俺達が到着する約10分間のあいだに、17人のテロリストを薙ぎ払い。鹿之助を救出し。怪物を出し抜き。逃走の最中で生命に関わるような致命的な負傷したにも関わらず、あの通路まで鹿之助を抱えて逃げ出せる……つい最近まで一般人だった、対魔忍の任務にも就いたことのない五車学園1年生がいる?

 ……そんな芸当を成し遂げられるのは、空想世界のゲームやアニメだけの存在にしかでき得ないことだ。

 ……確かに対魔忍なら、不可能ではない芸当なのかもしれない……。

 だが俺はアサギ先生から聞かされた今回の事件に一枚噛んでいるテロリストが引き起こした事件(ビル立てこもり事件)での出来事や、追加の情報でアサギ先生から “特別機密情報” を聞いた上で『青空さんは、対魔忍では “ない” 』と認識を改めている。

 

 これは別談ではあるが、今回のまえさき市郊外の倉庫の地下で隠し部屋の大発見や、鹿之助や青空さんの救助に対する的確な指示や判断による功績、凜子先輩と協力した書物の捜索判断により、アサギ先生の指示のもと独立遊撃隊が結成となった。隊長は俺だ。

 ……隠し部屋の発見は蛇子の手柄なのだが、いつの間にかに俺の手柄になっていた。こっちは、どうやら蛇子の仕業らしい。

 また俺の数少ないお小遣いが減ってしまうな……。

 

 さて。現在、確定している独立遊撃隊のメンバーは『俺』と『蛇子』、『鹿之助』の3人だが……。

 鹿之助は青空さんが無事に目が覚めたら、独立遊撃隊に組み入れたいと俺に相談をしてきた。気持ちはわかるが……。その “刻” が来た時……。

 ……俺は、アイツにはなんて説明するべきだろうか……。

 

 ——未だに悩んでいる。

 

 




~あとがき~
 最近。マイページの中に、活動報告なる執筆欄を見つけまして…。
 今回、この機能を使用しての
 本編でふうま君が『~後日談~』で話していた

 >>そもそもの話として…。……どこの世界に17人のテロリスト相手に、たった1人で 3分以内にテロリストを殲滅できる女子高校生がいる? どこの世界に俺達が到着する約10分間のあいだに、17人のテロリストを薙ぎ払い。鹿之助を救出し。怪物を出し抜き。逃走の最中で生命に関わるような致命的な負傷したにも関わらず、あの通路まで鹿之助を抱えて逃げ出せる…。つい最近まで一般人だった、対魔忍の任務にも就いたことのない五車学園1年生がいる?

 という内容の解説編を過去の『活動報告』にて公開しております。
 こちらは、閲覧者兄貴姉貴達によって、ここら辺の裏事情の設定の公開に好き嫌いが分かれると思いますので、任意での閲覧をお願いします。

~追加~
 しばらく、やる気が出ない状況だったのですが 今回から流れる登校時間ペースが確立します。
 3日ごと+1時間を目安にお待ちください。

 あと最近、ちょっとイイコトが起きました!
 オリジナル版でのご報告は間に合いそうにないのでこっちでお知らせします!

 よろしくお願いします。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5章+ 『Bad End.』
Episode27+ 『Bad End.』


「……ッ!」

 

 目覚めたときには、やっぱり薄暗い白い部屋でした。

 はい。

 またですよ。

 はいはい。ルーティーン(毎回あること)ルーティーン(いつものこと)。親の顔より見た白い部屋からのスタート。

 上原くんは近くに居ませんし、恐らくここはホテル(Hotel)じゃなくて、ホスピタル(Hospital)です。HはHで、名詞の最初と最後の文字が同じでも中身が違ったら別の施設ですよ。わぁお! びっくりしちゃいますね! まじでクソ

 しかも、今度は両親の見守りもないと来ました。

 服もパジャマから手術衣です。当たり前のように私が直前まで所持していた私物はありません。これも親の顔より見たいつもの流れですね。クソ of クソ

 

「ハハァ」

 

 現在時刻が夜とはいえ、メモ書き1つすら何も残されてないとなると……いよいよ本格的に嫌われちゃいましたかね? サバンナ サンバ☆サンバ。オーウ、イェア。

 ……あれから何週間経過したんでしょうか? 体は動きます。痛みもありません。でも、なんか体中が生魚臭いです……。東北に存在する蔭洲升(インスマス)へ足を運んで滞在した直後と同じ悪臭がする……。

 ひとまずナースコールで意識が戻ったことを伝えます。はい。

 そのうち看護師さんが巡視に来るだろうけど、善は急げっていうしね?

 

………

……

 

「……」

 

——おかしい。

 

 鳴らし始めてから30分以上が経過している

 ……誰も来ない。ナースコールの反応は正確だ。点滅して呼び出し中となっている。

 もしかすると認知症患者が点滴を腕からぶっこ抜いて、血まみれ大暴れの大脱走の壁やベッドに糞を塗りたくる弄便行為をして、夜勤の看護師の看護助手が手を焼いているのかもしれない。

 

「しかたないにゃぁ……」

 

 もうしばらく待ってよう。

 

………

……

 

「ツゥー……」

 

 1時間30分が経過した誰も来ない

 

——おかしい。これは、明らかにおかしい。

 

 我、意識不明の重体だったと思うけど……誰も看護師が迎えにも様子を見にも来ないのって、どうなの? 巡視は? ねぇ、巡視はどうしたの? ちゃんと巡視しないと翌朝、冷たくなってるかもよ? 警察の事情聴取が入って しばらくの間おうちに帰れないよ?

 ざんぎょうだいは でないよ! 私が、巡視をサボってたことを警察官に(チク)っちゃうからね!

 

………

……

 

「フゥー……」

 

 おい。3時間30分経過したぞ

 巡視に誰も来ねえし、ナースコールは鳴りっぱなし。1時間前にムカついて、心電図のパルスモニターを0にしたのに誰も来やしねえ! この病院の体制はどうなってるんだ! 体制は!!!

 コノヤロウ……。

 こうなったら、直接 ナースステーションに乗り込んでビビリ散らかさせてやる。

 

「冷たっ! ……うぅ……

 

 ……やれやれと肩を落として、ベッドから足を下ろして凍てつく床を素足で歩く。

 居室を出た私のペタペタという足音だけがこだまする。

 どうやら廊下から各病室の小窓から内部を覗いた感じでは、他の病室の患者はカーテンを閉め切ってちゃんと寝ているようだ。

 

「主治医の先生の見立てでは何カ月間入院かなぁ……。今回は肺に一突き程度だったし、前世での入院経験では2~3週間ぐらいかなぁ……。欲を言えば2週間ぐらいで学校に行きたいけど……。この世界ではどうなんだろ……長く入院生活を強いられたら夏休みにも入っちゃうし……。……上原くんの安否確認や紫先生に筋トレの成果報告もしたいし……。——あぁ。そうだ。邪悪な異教徒(カルティスト)から奪った……たぶん、あの魔導書も読みたい」

 

 非常灯だけが光源となっている暗闇を勇気付けるように小声でぶつぶつと独り言を呟きながら歩く。聞こえるのは私の独り言と、素足の足音だけで他は何も聞こえない。そもそもナースコールを鳴らして来ているはずなのに、ナースコールの反応音すらも聞こえない。

 

「ははぁ……さては、消しやがったな……? ……とっちめてやる」

 

 その後は長い廊下を黙々と歩いていく。

 道中に外の景色を眺めることのできるはめ込み式の窓があり、そこから外の景色を覗く。外は木々が鬱蒼と生え伸び、遠くまでは見ることが出来ない。月は出ておらず……新月なのか、はたまた分厚い雲が空を覆っているだけなのかすら、目を凝らしても星すら見えない闇が広がっていた。

 遠方に市街地の光すら見えないことから、グンマーの僻地こと五車町付近にいることは確かだった。すくなくとも『都心部』と謳われているまえさき市市街近辺の光景ではなさそうだ。

 適当なところで外の景色を眺めるのを止め、そこら辺にあったベンチに腰をかけて温かい掌で素足の裏を温めながら再びナースステーションを目指す。

 途中、自動販売機を見つけた。

 

 ……そういえば、喉が渇いたような気がする。

 

 意識が戻らない間は、ソリタ-T3輸液で水分補給はされていたとは思うが……今は乾いた口の中に刺激の強い炭酸を含みたくなっていた。ポケットから硬貨を取り出そうとするが、今着用している衣類は手術衣で小銭など持っているはずもない。

 今から病室に戻って室内を物色するのも面倒で、ひとまず小銭返却機に拳を突っ込んで前の客の取り残しがないかチェックする。

 日本国の〈法律〉に照らし合わせれば、それは横領罪だが判明しなければ罪にはならない。

 

「……うん。……うん?」

 

 無かった。

 しかし、代わりに自動販売機の下でキラリと何かが光るのに気が付くことが出来た。

 しめしめと笑いながら、自動販売機の下を覗く。

 やった! 100円玉を見つけた! やった! やった!

 が……ダメだ。炭酸水を買うにはあと30円足りない。仕方ないので、紙パックタイプのジュース(バナナ味)を購入する。刺激は無いが、それでもきっとこれなら、口の中に甘い味と香りを楽しめるに違いないと思ったからだ。

 お金を入れて。ボタンを押して。反応音が響いて。商品が落ちてくる音が聞こえた。

 取り出し口のカバーを開いて、ジュースを取ろうと手を入れたとき——

 

「……ッ!?」

 

 自動販売機の取り出し口の中で 何者かに腕を掴まれた。この中に人なんか入ることができるようなスペースなんかない。

 でもそれは5、6本の指があって、ふにゃりとした指先の肉の感覚があった。不自然な格好のまま、腕が自動販売機の内部に引きずり込まれて行く……ッ! 腕が何者かに捕まれて折られそうになっている……!

 嫌だッ!自動販売機に喰われて死ぬなんて!肘と肩の関節が外れて、鎖骨、胸骨、顎、頭蓋骨の順でベキベキと不快な音を立てながらじわじわと圧縮死を堪能するなんてッ!! まっぴらごめんだ!あんな凄惨な死に方なんてしたくない!

 即座に片足を地面にもう片足を自動販売機に当て、人々を取り込んだまま地割れの口が閉じていく現象を目前に、地面に押しすりつぶされる寸前のところで友人を助け出した時と同じ姿勢になりながら全身の力を使って腕を引き上げる。

 

ガリッ……!!! ……スポッ!

 

 腕が抜けそうだと思った瞬間、手の甲に夢とは思えない凄まじい強烈な痛みが走る……ッ!

 顔を歪ませて引っこ抜いた反動で転がりながら、ジュキジュキと痛む手の甲を見る。そこには——

 

「」

 

 手の甲が……私の手の甲が……。

 大工道具の(カンナ)で力強く引き裂かれた様に……。いや、人間の歯で噛み剥かれたように皮が捲れあがっている。骨と血管が浮き彫りになっていて、ポタポタと熱した墨汁のような汁が傷口から床に滴り始めた。

 取り出し口に視線を移す。……2つの人間の目玉がこちらを覗いていた。

 

「」

 

 全身の毛が逆立っていくのを感じる。血の気が引いていく。

 

 鼻のない人間の歯にホワイトニングをかけたような……。

 不気味な白さで闇に輝く怪物が、大口を開けてこちらを嗤っている。

 鼻のない目と口だけの怪物の歯には、テラテラとお歯黒のように私の血肉で赤く染めていて……。

 まるで『けものフレンズ.exe』に登場するあの顔だ。

 尻もちをつきながら後ずさりする私に、怪物が追撃するが如く20㎝もない自動販売機の取り出し口から人間のような四肢を生やす。大柄な人間ほどの図体を持ち、影のようなのに質量があるように見えて……輪郭がザトウグモの集団ような動きでうねっている。ヒトがブリッジしたような姿勢で……まるで私が過去にへし折ったことのあるカルティストの首のように座らない頭部をブラブラと左右に揺らしながら、カシャカシャと四肢だけは機械のような小刻みでぎこちない動きでこちらへ向かってきた。

 身をひる返して手の甲に受けた患部を抑え、脱兎のごとくその場から走り去る。抉られた手の甲を止血のため、震えを抑えるため、固く握って逃げ出す。

 ……あれは影だ。あの光のある場所に逃げ込むことが出来れば、きっと “あいつ” は入って来れない。

 

——何故だかわからないが、これまでの経験からそれが対策になることを願って。

 

 手術衣を手の隙間から溢れ出る自分の血液で赤黒く染めながら、痛みに耐えつつ恐怖にのまれないようにほくそ笑んで逃げる。

 

………

……

 

 やがて何とかカウンターより差し込む光の下に辿り着いた。

 出入り口にあたる頭上には『ナースステーション』の文字が目に移る。

 口にするのもおぞましい()()()()()があった後では、巡視や様子を見に来ない看護師や看護助手のことなんて、もうどうだってよかった。

 ヒトの出来損ないのような影に『ざまぁみろ』と悪態をつきながら安堵して中に入る。

 中には様々な患者に繋いでいるであろうモニターが映し出されている。画面が3面もある大きなデスクトップパソコンの前に白衣を着た薄黄緑色の髪をした女性が、顔の見えないような後ろ姿でキーボードを打っている音だけが聞こえていた。

 

あの……

「……」

「あのっ!」

「ン?♪」

「お、お忙しい中、すみません……。手を……怪我しちゃって……手当してもらえますか?」

「えぇ♪ いいわよ。そこに座って?」

「ありがとうございます」

 

 パソコンの前に座った女性は、こちらに振り返ることもなく彼女の傍に置かれた円座の椅子を指さす。綺麗でしなやかな手。あの影とは大違いだ。

 指示された通りに椅子へ座り、抑えて止血していた腕からゆっくりと反対の手を放す。

 ベリベリベリッというガムテープを剥がす音と鈍い痛み。……手から骨が出て見えているのが、とにかく気持ち悪かった。自分の傷だが……痛々しくて顔を背けるほど、目すら開けていられない。けがをした手が正面の女性によって添えられる。すべすべとしていて柔らかい。

 

「あらあらあらぁ? ずいぶんと派手な怪我ねぇ……この傷はどうしたの?」

「変な話ですけど、自動販売機の取り出し口から商品を拾おうとしたら何かに噛まれたんです。……あんな自動販売機の内部にヒトが隠れるスペースなんかないのに……

「ふぅん? それは確かに変な話ねぇ……」

 

 正面の女医は私の話を流すような口調で聞き取りしながらも、患部を支えながら処置が始まる。

 消毒液に浸された脱脂綿をピンセットで摘みながら、丁寧に傷口の消毒がされる。骨にあたる度に響く様な痛みが、腕全体を支配する。

 

「……ぃぅっ」

 

 痛みで声が漏れる。目から涙が零れる。

 

「女の子でしょう? そんな怯えた顔しないで♪ その顔、すごく……♪ 私好みだから♡ はい、終わったわよ。神葬(しんそう)ちゃん♪」

 

 ……。

 ……え?

 ——今、なんていった?

 この女医。

 なんで前世での私の……この女は——

 

「え? 今……。なんて——」

 

 顔を向け、目を見開く。固まるほかなかった。

 ……あの女だ。あの女魔族(スネークレディ)が私の目の前にいる。私の怪我した手を持って……。真っ赤な鮮血が付着した白衣を着用して……。享楽的で加虐を楽しむような笑みを浮かべて……。

 ……動けない。彼女が添える手は、振り払えれば簡単に解けるほどに優しく掴まれているのに。筋弛緩剤を盛られたみたいに。両足へ力が入らない。今は戦える状態でも状況でもない。

 

——逃げなきゃ、逃げなきゃいけないのに——

 

「処置が終わったって言ったの♪ 神葬ちゃん♪ ゼラト シーカーちゃんと呼ばれたほうが嬉しかったかしらぁ? 釘貫(くぎぬき) 神葬(しんそう)ちゃん♪」

 

 なんで。なんで、この女が、病院に……。どうして私の前世での名を……この世界では、まだ誰にも話していない名前を……だって、だってあいつは。あの時。〈頭突き〉で——

 

「神葬ちゃんの世界では大喰らいの泥濘っていうんだっけ? あれねぇ……。私が従順な家来を使って使役させていたの♪ まさか、その家来たちを蹴散らして囚われの『上原 鹿之助』ちゃんまでも、助け出すことなんて想定はしてなかったけど♪ でも……残念ねぇ……♪ ちゃんとあの怪物から逃げ切ったのに、その魔術師の支配人に捕まっちゃうなんて♪」

 

 そうだ……。あの時、私は……。

 ——上原くん。上原くんは!?

 

「あぁ、“彼”ね♪ そんなに焦らないで♪ 会いたかったら会わせてあげるわ♪」

 

 指をパチンと鳴らす。天井の一部が、マンホールの蓋が開けられるように穴が開いて……暗闇の中から2つの物品がゆっくりと降りて姿を現わす。

 1つは、様々な機械に繋がれて半透明色のホルマリンにつけられた脳みそが詰められた水槽。

 もう1つは、上原くんの髪と顔面、頭部の皮だけになったフィメールマスクだった。内部には瘡蓋(かさぶた)のような紫黒い乾燥した肉が付着している。

 彼女は、上原くんのフィメールマスクを掴み、クシャリと音を立てながら……輪切りにされた首の皮を被れるように引き延ばして着用(・・)する。

 それから、脳に繋がれた機械の電源を入れて……マスクの口をパクパクさせて——

 

あぁ……あぁぁ……

『よぉ日葵! どうしてあの時にあんなところで倒れたんだ? お前のせい(・・・・・)俺はスネークレディに捕まって生きたまま皮を剥がれちまった! 見ろよこのからだ! 脳みそだけになっちまった!!!……痛い。痛いよ日葵。痛い 電流が! 助けて! 痛いッ! やめてくれ! やめて。神葬。たすけて! いたい。いたいいたいいたいいたいいたいいたい——』

ああぁあああぁぁぁぁ!!?! やめてッ!鹿之助ちゃんにひどいことしないで!謝ります!あやまりますから!だからっ、お願いっ!やめてっ!あぁ、ごめんなさい!ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!ごめんなさいッッッ!!!!」

 

 今度は。

 今度こそは。

 助けられたと思ったのに。

 あの時。

 ——あの時。自分があの場で倒れたりしなかったら……。

 ……結局、何も学べてなんかいなかった。

 ……私は経験からも学べぬ愚者だ。

 

「……ほんっと、馬鹿な子。……でもね? もう何もかも遅いのよ」

 

 涙が留めなく溢れ返り、叫びながら地面に崩れるよう丸くなりながら、地面に額を付けて必死に許しを請う私の髪の毛を彼女は掴み乱暴に引き上げる。ブチブチと毛の抜ける音がする。喉仏を押しつぶされるように首が掴まれる。

 にじみ震える視界に、光彩の色だけが蜂蜜色に鈍く輝いた鹿之助くんの顔が映る。

 

「最後に良いこと教えて、あ げ る♪ 蛇ってね、執念深いのよ♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——次に意識を取り戻した時、病院のベッドの上で寝転がっていた。

 周囲は真っ暗でベッド以外何も見えず、スポットライトのような明かりだけが私の寝ているベッドを照らしている。

 四肢はすべて堅牢な鎖のようなもので固定されていて、身体でXの字を描くように拘束されていた。

 衣服は何も纏っておらず、なだらかな胸部と整えられた陰毛の森林が見える。

 こんな状態でも、私も1人の観客であるかのように首だけは自由に動かすことを許されていた。

 

——ベッドの正面。

——私の足側の先でスポットライトが点灯する。

 

 上原くんの頭部の皮(フィメールマスク)を被った彼女(スネークレディ)が上原くんの声でオペラのように声高らかに言葉を発し始める。

 

「さぁ! 皆さん、今宵は人体解体ショーにご参加いただき 誠にありがとうございます! 今回の生贄は口が達者な小娘です。この娘、ただの人間の小娘ではございません。なんと中身には、今回ご来場である皆様が仇が! とある憎き精神体が憑依しております。皆様が今回のショーに楽しんでいただけるよう、既に彼女の感度を3000倍にしております。心行くまで凌辱をお楽しみくださいませ」

 

 スポットライトが切り替わり、再びベッドの周囲のみが大きく写し出される。

 そこには説明できないほど、大量の……目がらんらんと輝く前世の怪物やカルティストの残党たちが私を取り囲んでいた。

 思わず震え尿道から零れるように尿が弧を描きながら漏れ出す違和感を大腿部のみで感じながら、迫ってくる手に持った刃物やかぎ爪から逃れるように身をくねらせて、本当の小娘のように……ただただみっともない悲鳴を上げながら全身をゆすることしかできなかった。

 

 




~あとがき~
 四肢拘束されて、人間解体ショーってえっちですよね。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6章+ 『入院生活』
Episode28+ 『ホイッスルシャウト』


「キェェェェェェエエエァアァアアアアアアアアアッ!!!!!」

 

 絶叫を上げながら、上半身を跳ね起こし、自分に掛かっている布団を跳ねのけ、体中に突き刺し立てられていた治療器具や拘束具がブチブチと皮膚から引き抜ける感覚を覚えながらベッドの端から転がり落ちる!!!

 そのまま不規則な高速前転回転を連続でかましながら壁に激しく衝突する!

 普段のジト目をがっつり見開いて、ぶつかった壁を背に手にはカーテンの裾を引き千切らんばかりに握りしめながら、過呼吸と息切れでめまいに悩まされながらも、これから襲い来る脅威に対して反撃するつもりで周囲を見渡して……ッ!!!

 

 ……?

 

 この部屋には窓が備え付けられていて、窓の外からは日光のような人工的な光が差し込んでいた。

 そこで私は半そでのパジャマを着て……いてぇ? 一言では名状しがたい異形の怪物どもに、ズダズタに引き裂かれたはずの腹部も綺麗でぇ……?

 

 自身の視界の左側には、今の出来事に対して目を丸くした『青空 日葵』の両親が。

 部屋の出入口である右の扉が慌ただしく開かれ、その先から青空日葵の父親に劣らない屈強な体つきで紺スーツを纏った男性が1人。

 癖っ気のある藍色の長髪をポニーテール状にまとめ、毛先だけが赤い髪の女性。二重の瞼と栗色の光彩……日本人(?)にしては珍しい綺麗に整った三角形の鼻と、肉厚な唇。ロケット型のおっぱいと呼称されるような胸に、服が魔乳によってはち切れんばかりの五車学園の教師が1人。

 黒髪の長髪、目は碧色で女性用パッツンスカート系のスーツを着用してる……よく授業をサボっているふうま君に世話を焼いている尻の大きな五車学園の女性教師が1人。

 細身で長身の糸目で白衣を纏った男性が1人。……こちらの集団も私の病室へ、また驚愕の形相で雪崩のように乗り込んでくる。

 

「……」

 

 今までの光景と体験が夢であったこと、やっと現実に戻って来れたことを理解することができる。

 ……だが、私が引き起こしたこの惨状で私に『ハッハッ! 生きてるぅー! ハッハァッ! あー生きてるよ!!!』などと言っている余裕などなく……せめて出来たことは……。

 

「……オ」

「……」

オ、オハヨウゴザイマス……。こ、これこそが……寝起きドッキリぃ……。な、なんちゃってー……いぇい……」

「「……」」

「い……いぇい……」

「「「「……」」」」

「……。……ぁはぁ……

 

 引きつってはいるが……なんとなしにおどけたような表情を作る。

 凍りついたままの両親に対して左手の親指を立てて、右の扉から乗り込んできた個性的で濃厚なメンバーにも機械のような上半身の動かし方で両手の親指を立てた。それからやっとの思いで、顔面に滴る冷や汗を手のひらで拭ってから……上半身を正面に戻して 魂が抜けたように安楽な姿勢で背中を壁に預ける。

 ……無理やり引き抜き余計に広がった点滴の穴から血が滲み出る。しかしそんな些細な問題など私にとっては大したことではなく、糸の切れたマリオネットのような俯いた姿勢で呆然と高速の瞬きをすることだけだった。

 

………

……

 

 ……のちに聞いた話では、私が“危険な状態”にあって先生方同士で、どうするべきか壁1枚隔てた場所で話し合いを行っていたらしい。

 

——危険な状態。

 

 この言葉から考察するに、つまり私は危篤な状態にあったのか。

 ……でも言われてみれば、あの拷問が夢の中で永遠に行われていたとしたら……?

 きっとあれだけでは済まない狂気的奇行に及んでいたはずだ。

 

 現状、どこから説明すればいいかわからないが、ひとまず今、この病室にいる人物紹介ぐらいならできる。

 まず紺スーツを纏った男性。こちらが『相州 蛇子ちゃん』のお父さん。頭がつるっぱ——……タコ坊主みたいですね!

 次に艶やかな藍色の長髪に毛先が赤い魔乳の五車学園の女性教師。こちらが『上原 鹿之助くん』のいとこにあたるお姉さんである『上原(うえはら) (りん)』先生。上原くんを窮地の状況から身を挺して助け出したことについて、まだ状況の整理が完全に済んでいない私の両手を包み込むように握り、振りながらすごくお礼を言われた。……上原くんも無事だったと聞いて、こちらとしても先ほどまで見ていた夢もただの悪夢だったと確信を更に得ることができた。お礼を言いたいのはこちらの方だ。

 最後に女性陣で残ったのが……。五車学園で教師もしている『ふうま 時子(ときこ)』先生。時子先生だけは私が消火栓をぶちまけた後に1回……。避難誘導する姿を見たことがあります。あの時は、なんか痴女みたいな恰好してませんでしたっけ? 今は降ろしているその髪を後頭部でポニーテール状に結って、黒の革製品のSMボンテージみたいな服で……私の記憶違いではなかったと思うのですが……。

 あとこっちの白衣を纏った糸目の男性が……五車学園の校医も務めている……退院するまで私の主治医として怪我の治療してくれる『室井(むろい) 光彦(みつひこ)』先生。私の事を苦笑いしながら【噂通りの子】と言ってました。どんな噂か、あとで “誰に” 聞かされたか詳しく話してもらってもいいですか? 噂によっては吹き込んだ奴を処す。

 私の噂の事はさておき。……彼女等が飛び込んできた理由は、主に……。主にというより確実に、この五車学園の地下に設立されている病院中に響き渡ったとされる私の咆哮のせいである。

 病院までも備え付けている五車学園は一体なんなんだ……。

 …………そんなツッコミはひとまず置いといて。

 

………

……

 

「日葵ちゃん……ものすっごい絶叫だったけど、大丈夫?」

「……すみません。驚かせてしまったようで……あの時はちょっとした悪夢を見ていたみたいでして。今は体に穴が増えてしまいましたが問題はないです」

 

 放課後にあたる時間、私が入院している病室へ、学校で配布された私の私物によって大荷物のふうま君と蛇子ちゃんがお見舞いに来てくれる。

 ひとまず、病院に置かれている丸椅子(スツール)に座った蛇子ちゃんの尻を凝視するが、座った直後の様子から痔になったような様子は見られない。3時間も便座に座っていたのに脱肛もしていないようだ。あれだけ長時間 便座に座っておきながら痔にもならないというのはある意味才能だと思う。その様子なら消化器科で(ケツ)から内視鏡をぶち込む必要性はないな?

 一方、私は無理やり点滴を引き抜いたことによって、体中が先ほどよりもひどい状態で……あと数巻きしたらマミー(包帯女)にはなれそうなぐらいに包帯を巻かれていた。ハロウィンで名誉仮装に選ばれそうなぐらいだ。おまけに、おむつまで履かされて今度 勝手にベッドを抜けて飛び出そうものなら、警報が鳴り響く機能付きの拘束具までも付けられている。布団が無かったら、いろいろ尊厳を失っていた。ありがとう布団。ファッキュー室井。

 

「まさか、地下に通じるエレベーター内まで響き渡るなんてな……。あれがデスボイスで使用されるホイッスルシャウトってやつか? ……こうして、また青空さんの伝説が増えるんだな……。なかなかにビブラートが効いていたと思う」

「ふうま君。素敵で能天気なフォローは結構ですが、今日の件を学校で話そうものなら——翌日には素敵なサプライズがあなたをお出迎えすることになりますよ……。あの咆哮を耳にした時子先生にも口を酸っぱくして話しておいてくださいね……?」

「わかってるよ。他言無用だってことも時子——時子先生にも伝えておく」

「よし……。……それはさておき、今日は二人ともお見舞いに来てくれてありがとうございます。……あと、先ほどから上原くんの姿が見えないのですが、彼はどうしてますか……? 上原くんの従姉(いとこ)である上原 燐先生から聞いたのですが……無事だったんですよね?」

 

 私の言葉に2人は顔を見合わせる。

 なんだ。

 何があった。

 

「うん……。鹿之助ちゃんは……日葵ちゃんのおかげで、無事だったんだけど……」

「ああ。鹿之助は青空さんのおかげで問題は何もなかったが……」

 

 二人とも少し俯きながら、とても歯切れの悪そうな様子で私に伝える言葉を選んでいるように見える。

 ……彼はアレを見てしまった。……まさか。それで狂ってしまったというのだろうか?

 ……そんなはずはない! 私は精神科ではないし、メンタルに関する知識は疎い。しかしそれでも彼と対面したとき彼は腰が抜けて動けないようだったが、それ以外に何か致命的な症状は見られなかったはずだ。

 ……でも、やはり絶対とは言えない。一見、症状には出ていないが潜伏機関を経てまた再発したという患者の話を聞いたことがある……もしや彼も……?

 

「ま、まさか……精神に重篤な障害が!? 良い精神科知ってますよ!!? 『スナック漢姉(オネエ)』っていうんですけどね!!!!? あそこの鬼塚先生なら鹿之助くんの場合喜んでタダで喜んで診てくれます! 今、アポイント取りますね! アッ!携帯がない!? なら番号!!! 番号は03(東京)-2021(に、おにい)-4746-10(シーメールと)——

「待って待って待って! 落ち着いて?! 鹿之助ちゃんは無事だよ! ローブの下は全裸だったけど、祭壇から転がり落ちたときに付いたって本人が言っていた擦り傷以外に大きな怪我はどこにもなかったし! 私達が現場に到着したとき 虫の息だった日葵ちゃんを介抱してくれていたのも鹿之助ちゃんで!!!」

「蛇子も一旦落ち着け。……——青空さん聞いてくれ。鹿之助から事情は粗方聞いたが、本当になんともないんだ。あいつは大怪我もしてないし、気もおかしくなったりもしていない。無事だったんだ」

 

 慌てた様子でポケットや床頭台の引き出しを漁る私に対し、ふうま君が両肩を抑えて片目で私の目を見据える。その気迫から、彼が私を一時的に落ち着けるための嘘を言っているようには見えず、その言葉によって落ち着きを取り戻すことができた。

 

「……。じゃあ、どうして2人とも そんな意味ありげな含みのある言い方をしたんですか。……率直な意見として、ものすごく驚いたんですけど」

「「…………」」

 

 ……またこいつらは顔を見合わせて……。

 3時間電車に乗って、3時間もまえさき市でウンコしていたこと言いふらしてやろうか。

 

「その、だな……。ショックを受けないで欲しいんだが……」

ショックぅ!? ショックって何ですか!?」

「「…………」」

「……わかりました。なるべく耐えます。……よし。……どうぞ?」

「鹿之助ちゃんは……日葵ちゃんに“会いたくない”って、言ってるの……」

「」

 

 クリティカルの音(弱点補正4倍ダメージ)が、私の頭に響き渡った。

 

「「!」」

 

 こちらのあんぐりと開いた口と心情を察したであろう2人が即座に自分自身の両耳を塞ぐ。なんだ。お前等、また私が咆哮(ホイッスルシャウト)でもあげるとでも思っているのか。……そうだよ。今、出かかってるよ。二人の手前、出ないように堪えているだけでな。

 

「……ショックを受けない方が変だよね。日葵ちゃんはさ、私達とも入学初日の付きあいだけど、同じクラスメイトとして鹿之助ちゃんとはすっごく仲がよさそうだったもんね……」

「」

「ちょちょちょっ! ちょっと、日葵ちゃん!?」

 

——遠くなる意識。

 

 蛇子ちゃんとふうまくんがとっさに肩と背中を支えてくれたおかげで、後頭部をベッド柵へ強打せずに済む。

 

 散った。

 いろいろ散った。

 何もかもが散った。

 

……終わった。

 

 果たして何がいけなかったのだろうか? 私は上原くんの前では普通にふるまっていたはずだ。えっちな妄想を本人の目前ではそんなにしていないし、なるべく怯えさせないように、おしとやかにも見せたはずだ。あのカルティストの殲滅の時だって感づかれないように丁寧に素早く害獣処理をしたはずだ。……私の何がいけなかったんだ。

 さくっと爆弾を作った事? 大喰らいの泥濘に対して挑戦的な笑みを浮かべたこと? カルティストを防御壁にしたことかな……? それともゲロとアンモニア臭のする女に担がれたことだったりする……? ちょっと心当たりが多すぎて何が原因だったのかわからない。非常事態とはいえ、冷静になれなかった自分を悔やむ。

 ……無事だったのは本当に嬉しい。……嬉しいけど。それに見合う代償ではないことは明白だ。

 

 

「……。……でも、上原くんは無事だったんですよね?」

「うん……」

「……なら。……なら、よかったです。彼に何事もなかったなら……それで

 

 喉まで出かかった悲鳴を押し殺して、蚊の鳴く様な声で彼が無事だったことを安堵するような声を作り出す。

 気分を落ち着けるような大きく息を吐いて 少し苦虫を嚙み潰したような顔かもしれないが、笑ってみせる。でも視線だけは……2人には合わせられなくて、左下に視線を向けて顔だけを2人に向けての発言となった。

 

「……そうか」

「上原くんとは、もっと いろいろお話がしたかったんですけど、仕方……ないですね! それじゃあ、せめて『伝言』をお願いできますか?」

「……なにかな?」

「……言いたいことはいっぱいありますが……そうですね……。悩むなぁ……」

「今、思いつかないんだったら……また今度だって良いんだぞ?」

「そうそう! また蛇子たちはお見舞いにくるつもりだからね!?」

 

 どうやら、私の友達は1人減ってしまったようだが、あの場の事情を知らない正面の2人は私と友達を続けてくれるようだ。これは実に喜ばしいことには違いなく、こっちの心情を察してもいるのか、そっと更に近づいてきた蛇子ちゃんが私の手をぎゅっと握ってくれる。

 すごく温かい掌。私と同じ…私なんかより女性らしい、モチモチとした柔和な手が私を包んだ。

 

「いえ……ここで決めないと、次はどんな言葉が出てしまうかわからないので……少しだけ待ってください」

「……」

 

 目をつぶり走馬灯のような思い出から、彼に送る言葉を選ぶ。クラスメイトなんだから、学校では会えるだろうが……。……きっと向こうは極力接触を避けたがるようになるだろう。頭の片隅に恨み言のような言葉もふつふつと湧いてくるが、それは2人に任せなくても、この先 いつでも本人にぶちまけられる機会はある。もっと、今 彼の親友から経由して伝えられる言葉を伝えるべきだ。

 

「……ぁ」

「なんだ?」

 

 ……ここでふと、今まで伝えられなかった言葉を思い出した。

 

「……『入学した初日から、今まで困っていた私を助けてくれてありがとう。特に初日から紫先生に戦闘を強いられたとき、1人だけ助けようとしてくれたのは正義のヒーローみたいで嬉しかった。もう二度と会わないようにするので……最後に怖がらせちゃったのなら、ごめんなさい』……。これでよろしく、お願い……します……」

 

 怖いはずなんてないのに、また校長室へ連行されたときのように目が開けられなかった。

 目頭が……。

 瞼の全体が……。

 ホットアイマスクを当てられたようにじんわりと熱い。

 今、目を開けたらきっとどちらにしろ2人の顔は見えないし、情けない姿にしか映らない。だから目を固く強く閉ざしてやり過ごす。うつむいて下唇を少し噛みしめて表情を出してしまわないように努める。蛇子ちゃんに握られていないほうの手で、掛け布団を力強く握りしめる。

 でも2人は『伝言』を真剣な様子で聞いているのが瞼越しからでもわかった。私の手を重ねるように握る蛇子ちゃんの手と肩を支えてくれているふうま君の両手は、そのまま擦り抜けて行ってしまそうな私を現世に繋ぎとめているようで、どこかに消えてしまいそうになっている私の意識はそこだけはっきりしている。

 

「……鹿之助ちゃんに伝えておくね」

「……お願いします」

 

 ここでやっと瞼に乗った重しが消えたかのように瞼が開けるようになった。よし、笑える。感情の山は越えた。仕方ないさ。こういうことだってある。私はどちらかと言えば、友達は多いと思うけど人に好かれることなんて多くないんだから。……これは今までと同じ。これからも変わらない私の個性のようなもの。それに弱点は少ない方がきっと生きやすいに違いない。

 ……よし、切り替えていこう。宇宙には、たくさんの星があるように次の新しい友達を見つければいいし、二人は私のためにお見舞いに来てくれたんだから。これ以上、過度な心配や気遣いをさせてはいけない。……難しいことじゃないだろ。

 

「……すみません。お二人とも、せっかく見舞いに来てくれたのに……」

「大丈夫だよ! 蛇子もふうまちゃんも日葵ちゃんのこと分かっているから! あっ……そうだ! 日葵ちゃんに渡さなきゃいけないものがあるんだった!」

「お? なんですか? 蘇生祝いのTRPGルルブですか? 個人的にはシナリオ集の『黄昏の天使』が欲しいのですが」

「……それは探しておくね……。えっと……これ、なんだけど……」

 

 よし。大丈夫だと思い、目を開けて2人に謝罪をしてから、受け渡されたのは大量のプリントの山と『追試試験』と書かれた案内のプリント…………は?

 蛇子ちゃんの顔と追試試験案内のプリントを交互に見る。彼女は、凄く気まずそうな顔で私の顔を見ている。

 

「中間テスト……追試の……お知らせ……?」

「日葵ちゃん、ずっと入院していたから……ね。……退院したら頑張って……ね?」

 

 ペラペラと捲って出題範囲を調べるが……問題はなさそうだ。

 一通り“昔の授業”で習った内容であることもそうだが、ポイントさえ押さえていれば五車学園で配布される教科書のいくつかのページを読書する感覚で読み込めば問題なく解けるような範囲だ。高校3年間の授業から出題される大学の一般入試試験の範囲に比べれば大したことはない。それに別に満点を取る必要はないのだ。適当に最低限、点数を稼げれば良い。一般教養問題に関しては何とかなりそうだと思い 頷く。

 そんなことよりも……私にはもう一つ気になることがあって、そっちの方が気が気ではなかった。

 

「ありがとうございます。これくらいの出題範囲なら赤点を取らなければいいので何とかできます。……そんなことより、上原くんは大丈夫でしたか? 彼には事前にテストで出題されるであろうポイントと予想される出題範囲をまとめた資料を渡しておいたのですが」

「えっ」

 

 蛇子ちゃんの表情が、驚愕したように目が見開かれ口が三角形の(栗みたいな)形を作り出す。

 ……確かに私は上原くんには嫌われて“会いたくない”とは言われてしまい、私も2人へ別れの『伝言』を頼んでしまっているが、それはそれ、これはコレである。

 追試の案内に記載されている出題範囲のプリントを見る限り、私が上原くんに指定した出題予測範囲はおおよそ的確な範囲であったことが見て分かる。教師たちの授業の進行具合と、ふうま君たちのクラスでの授業の進行度をすり合わせして……おおよその出題範囲を予測し抽出したものではあったが……。

 それに私はビックイベント中間試験をおもクソ逃したことの方も衝撃がデカい。中間試験と言えば、ちょっといい点数を取っておいて、後日の結果発表の際に友達同士で点数を競い合ったり、次回の勉強会を開くきっかけにもなるクラスメイトとの親睦を深めるためのメインイベントだ。これを逃したのは人生一般人枠エンジョイ希望勢としての意見として凄まじく痛い。まぁ、卒業するまでに残り約8回の中間テストと9回の期末テストがあるわけだが……。こういうのは出だしが肝心なのだ。

 クソ! あの大喰らいの泥濘! やりやがったな!!! 退院して次遭遇した際には殺す…! 弱点も分かった事だし物理的に強制退散させて(ブチ殺して)やる……ッ!

 ……これ。『入院は私のルーティーン(キリッ』 とか言っている場合ではなさそうだ……。

 このまま入退院を繰り返していたら、勉強にはついていけても学校のあらゆるイベント(行事)に乗り遅れてしまうことは間違いがない。今後の方針が、入退院を繰り返さないように立ち振る舞いながら、一般人ムーブで立ちはだかる障害から逃れる方針でいかなければ。特に修学旅行や社会科見学、体育祭、音楽祭、学園祭、スポーツ祭ここら辺の高校時代5つのビッグウェーブは逃せない。

 入院生活なら入院生活なりに、株やら魔導書の研究やら資格試験勉強などなど……できることは多いが……。それは大人になってからでもできることだ。

 

「えっと……。青空さん。鹿之助は大丈夫だった」

「ホッ……。なら、よかった」

「……でも……アレは……青空さんが作ったのか……」

「えぇ。上原くんとは、五車学園の事や町のことを教えてもらう代わりに勉強を教えるという約束でしたからね」

 

 『マジかよ』と言いたげな顔をふうま君がしている。蛇子ちゃんに至っては先ほどと目の開き具合は変わらないが、私から視線を逸らし次になんて言葉かけをしたらいいのか分からないと言った様子で口を梅干しでも食べたようにすぼめている。

 あれ? ……もしかして、これ『また私なにかやっちゃいました?』案件であったのだろうか? 否、それはないはずだ。それを “避けるため” に、あの資料はクソ分かりづらい五車学園の教科書のやり方を敢えて採用する形で作成している。もっと簡単な方程式や覚え方、問題の解き方は、いくらでもあったが……わざと小難しい方法を流用しつつ、それを基盤に上原くんの理解度に合わせてわかりやすくしたものだ。簡略化させたほうがきっと呑み込みも早くなるだろうが、もしかすると『授業や教科書で教えていないやり方で問題を解いたから、答えは合っているけど不正解』みたいな採点をされる可能性があり、それを避けるためでもあった。他には……多少の暗記術も記載してあるものの……。それも『体育の授業などで運動しながら方程式を口に出す』という初歩的なものだし……。それだけで、ましてや一般人の彼等が、そのことに気が付けるはずもない。

 

「……お二人は試験どうでした? 無事に抜けられました? 赤点は避けられましたか?」

「俺も今度、追試を受ける予定なんだ……。まぁ、その……頑張ろうな。あの資料を作れる青空さんなら大丈夫だろうけどさ……

「へ、蛇子は、そ、それなりだったよ~……。そ、そっか~。アレは日葵ちゃんが……

 

 ……おかしい。話を逸らしたはずなのに、私の資料を作った話から逃れられない。

 なんで? そんな変なモノ作ってないよ? 君達、一般高校生だよね? なんでそんなに私の参考資料に突っ込むの? 細かいことを気にしていたら、余計なことに気が付いて長生きできないよ。

 ……でも、よき観察眼でもある。時として見落としても人は死ぬ。私は一度死んだ。

 

………

……

 

 ……どうやら上原くんは2人の話によると、中間テストで好成績を取ることができたらしい。それはとてもいいことだと思う。私も資料を作って、以前渡した((episode10))甲斐があったというものだ。

 ……だが問題はここじゃない。好成績過ぎたのだ。具体的に、全科目 赤点以上。70点前後を取ったらしい。最初は『ほーん、ええんとちゃう? 100点満点中、半分以上取れたんだし』と軽く流していたのだが、小中等部と五車学園で勉強のできなかった……小テストで悪い成績ばかりだった彼が、いきなり好成績を収めたことがまずかったらしい。

 で。ふうま君と蛇子ちゃんが、それとなくどんな勉強をしたのかと聞いたら入院して昏睡中だった私の資料が出てきたと。なるほど。おまけに今、私の口から資料を作った張本人だと確認を取れたと。なるほど。

 ……なるほど? ま、ままままままぁ? あの資料はただの普遍的な資料だし? まだ焦る段階じゃないって。勉強の資料で私の中身が別人だなんて見抜けるわけがない。適当に本屋で見つけた参考資料を基に五車学園の教科書も併用して作ったとか適当な説明をしておこう。私がその資料を作った事よりも『引用元や参考文献を掲載しなかったことが法に触れるのでは?』と心配している素振りをしていれば、きっと大丈夫だ。

 彼等は世界の真実(ヴェールの裏側)を知らない日常を平穏に過ごす一般人なんだし。そう、大丈夫だ。問題ない。

 そう思いながら“会いたくない”とは言いつつ、渡した資料をちゃんと有効活用している彼の姿を思い浮かべて、微笑まないように私も蛇子ちゃん同様。上がっていく口角をすぼめて誤魔化した。

 

 




~あとがき~
 終わったかと思ったか? 残念。トリックだよ。
 そしていつもより、文章量が増しております。

 少しばかり閲覧者兄貴姉貴達に、えっ!? もうここで終わっちゃうの!? いつもの3日目にも定時投稿されないやん! どうしてくれんの、これ…。
 なんてドギマギして欲しかったの7割、幕間中にオリ主を絶望に突き落としたいのが2割、その日のテンションとノリが1割で書き上げました。優しさなんてないです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode29+ 『偵察者』

「先生、もう退院しても良いですか!?」

「こらこら、これは何度目のやり取りなのか……もう数えることすら止めましたが、君は何者かに背中から貫かれるようにして肺に穴が開いているのですよ? いくら桐生(きりゅう)先生の魔科医療(まかいりょう)で治療されて、人様の顔面に飛び蹴りを入れられるほど元気になったから……と、いっても。まだ少し退院は早すぎるのではないですか?」

 

 入院から1週間。蛇子ちゃんとふうま君が、お見舞いに来た翌々日の朝の出来事。

 まだ私は入院生活を余儀なくされている。もう傷は十分に治っていると思うのだが、この病院と五車学園で校医を兼任している室井先生が自主退院を認めてくれなくて困っているところだ。

 それどころか、病室の出入り口には監視のような男女を2人も付けられる始末。一昨日までは誰も居なかったのに……。

 ちょっと気分転換がてらに散歩へ行こうと病室を抜け出すため、昨日から私の服に付けられた警報装置が作動しないよう〈電気修理〉で小細工を施し無事に取り外して……扉を開けて出ようとしたところで2人を見て初めて存在を知った。

 事前に何も知らされていなかったし……。『お疲れ様です』とだけ笑顔で友好的に告げて目の前を通り過ぎようとしたら、特に理由を告げられる訳でもなく2人はこっちを取り押さえようとしてくるしで……。看護師でもなかった服装だったため、顔面への飛び蹴り(〈キック〉)を男の方にかましてしまったのだ。しかし多勢に無勢。それに手練れでもあったため、女の方に取り押さえられて、彼女の方から出入り口で『とある事情』のもと私を監視しているとの説明を受けたのだが……。

 まぁ『とある事情』などと内容を伏せられていようとも、薄々察する事はできる。室井先生による、私をこの病室から とことん逃がさんという固い決意のような信念に違いない。クソが。

 だから、こうして経過観察の度に自主退院の直談判を穏やかに毎回を行ってはいるのだが、まぁこの通り……。のんびりとした口調で入院継続のお達しを告げられる。現状そんな状態。

 室井よぉ……。自主退院を認めず、ガッチガチの警報装置が鳴り響く拘束具を付けて、病室に閉じ込める行為の事をなんつーか教えてやろうか?

 監禁っていうんですよ。監禁。処すぞ? お?

 

「あの方の顔面を蹴り飛ばしたことは申し訳なく思います。……ですが先生。去年こそ私は鉛玉を至近距離から十数発ブチ込まれ、あの時は脳と心臓を除いて全身の内臓と腱をやられ、適度なリハビリが必要な程度には追い込まれましたが、なんとかなっています。大丈夫です。退院しても激しい運動はしませんし、体育の授業は見学します。私は自宅療養(通常登校)に切り替えたいだけです」

「そうは言ってもですね……魔科医療を応用しているからと言っても、最低2週間は本来入院するような大怪我だということを理解していますか? ……それを1週間と3日で退院というのは……あと4日なのですからもう少し我慢してください」

 

 とまぁ、こんな感じで一昨日の夕方から平行線上で退院の目途は立っていない。

 以前入院した際には私の説明書の『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG』の64頁“治癒”に関する技法を使っていたが、今回はそれに加え『新クトゥルフ神話TRPG(117頁)“通常のダメージの回復”を併用している。

 しかし、魔科医療(まかいりょう)魔科医学(まかいがく)なる特殊療法で超回復している体で療養生活を行っているゆえ、この治癒力の早さに関して周囲を驚かせることはないだろう。いいから早く退院して学校に行きたい。上原くんとは接触しにくいが追試を受けたいこともある。他の学校行事だって何かしらあるはずだ。

 これは社会人になってからの理解ではあるが、何と言ったって学生生活が一番楽で楽しい。家に帰れば、温かいご飯や、清潔な洗濯物が準備されている。学校で勉強するだけで良いというのは本当に大きい。過去に戻れるなら、私は間違いなく事件にも巻き込まれたことが無く、ただ“純粋”で楽しかったモンキーだった頃の学生時代に戻ることだろう。

 

「おい、ここに“目抜け”の友人がいると聞いたが、それはお前か?」

 

 そんな退院の交渉をしていると乱暴に扉が開かれた。

 私の病室に五車学園の制服を着崩した6人ばかりの男生徒達がズカズカと入ってくる。ちょっとまって、取り込み中! 室井先生と大切な話をしていたところなの!

 集団の中央先頭には“メヌケ”と発言した熟れたザクロの果肉色をした赤髪に、右目には自分だけはカッコイイと思っていそうな厨二病真っ盛りの時期によく見られる……ふざけた黒色の眼帯を付けた身長180㎝ぐらいの細身でやや筋肉質な男が現れた。左目は翡翠色の光彩がキラキラと輝いていてまるで白目に浮かぶ星のようで見惚れるものではあったが、人を睨みつけるような三白眼が些か彼の人相に圧を作り出してしまっていた。

 残念だが、私は彼との面識はない。だが、彼にくっついて歩いている取り巻きの数人は顔を見たことがある。私が消火栓片手に正当防衛を行った翌日から、私の顔を一目見ようとクラスに訪れた他のクラスの生徒や上級生だ。

 またこのグループのリーダー格をしていそうな黒眼帯を付けた男からは、私に対する僅かな殺意のような感情がくみ取れる。

 はて……? 何か恨まれるようなことを……五車学園ではした覚えがない。……消火栓事件関連だとしても…………あれから少なくとも約3週間は経過しているはずだ。何をいったい今更、私に何の用だろうか?

 それに彼は『メヌケの友人』とも言っていた。メヌケとは、マヌケ的な罵倒の類の秘境グンマー五車町の方言か何かだろうか?

 

 メヌケな友人……。

 

 マヌケな友人……。

 

 間抜けな友人……。

 

思考が能天気な友人(ふうま小太郎)

顔が能天気な友人(相州蛇子)

学力が能天気な元友人(上原鹿之助)

 

 3人の顔が思い浮かぶ……。

 

 ……いったい誰の事を指しているのだろうか?

 

「ああ、はい。それはたぶん……私ですけど……?」

 

 ベッド上で布団によって下半身を隠しながら、長座位を取る私の元までその男と取り巻き達は歩み寄り、ベッド脇に佇む室井先生を押し退けた。

 そしてベッドから逃げられないようにぐるりと取り囲んだのちに、取り巻きどもはニヤニヤとした様子を見下ろしながら こちらを眺めてくる。

 なんだろう、この光景。まるで私がカルティストに生贄に捧げられる光景を連想してしまう。

 

 カルティストなら殺さなければ。

 

 不幸にも私がいるこの場所は地下だが……いくらでも武器はある。腕に刺さっている点滴針を引き抜いて眼球に突き立て、血液感染と激痛で怯ませたところに そいつを窓に頭から突っ込ませて割れたガラスで首を撫で切りにすれば1人は殺せるし……違う。彼等は同じ学校に通う五車学園の学生だ。でも、ワンチャン 学生の服を纏ったカルティストという可能性もあるし……?

 カルティストなら殺していいよね!

 

二車(にしゃ)くん。彼女は先週まで肺に穴の開いていた重傷者ですよ。ここで彼女に何かしようとするなら、私が許さない」

 

 押し退けられたとはいえ、室井先生が仲裁に入ってくれる。流石先生。女1に男6は分が悪すぎますよ。……対魔忍の世界線ですし、今回の来訪がレイプが目的だとしても眼球に2人、口に1人(ボーリング玉挿入)()肛門に1人、膣に1人(二穴挿入)で……1人余ってしまいます。……あ、そっか。肺の穴(内臓姦)がありましたね。……ちょうど、これで6人を慰められる。やべーな対魔忍世界。強姦(レイプ)()規格(レベル)()やばい。(やっぱ高けえ。)

 だが彼等は、室井先生の仲裁で引いてくれる様子は見えない。……これは先生も買収されたら、口か尻にもう一本……二本刺しになるのだろうか? だが校医に止められているのに引かないのは、やはりカルティストなのかも。よし、殺すか。殺そう!

 このまま一般人枠で人生を謳歌するなら、目撃者が残らないように皆殺しにしなければならない。そうだ。室井先生がどちらに付くか見当も付かないが……彼等を殺す必要性が出たときには全員を気絶させて、床とベッドの間に頭を挟んでベッドを降下させて頭蓋骨を砕いてしまおう。これなら全員事故として殺すことができる。

 完璧だな。さすが私。

 

「そうですよ。喧嘩が目的なら後日にお願いします。先生の忠告を聞くことは、手負いの獣を追い詰めず。平穏な生活を送ることができる“人生の分岐点”になるかもしれませんよ?」

 

 自ら手負いの獣と称したのが彼等にはよほど滑稽だったのか、ゲラゲラと取り巻きが笑う。

 私は優しい。にっこりと優しく嗤って、うっすら目を開けて脅迫混じりの警告はしてやる。

 今は笑ってればいい。不用意に手を出した瞬間が、血液感染の開始のゴングだ。感染症への将来の不安と失明、激痛のコンボ……最悪脳挫傷で二度と親族もろとも乾いた笑い以外で笑えなくしてやる。

 

「お前等は黙れ!」

 

 だが彼の一喝で周りのモブが水を打ったように黙った。

 それから二車(にしゃ)と呼ばれた男がこちらを見下ろす形でさらに一歩 歩み寄ってきた。だが、その程度の身長で私を見下せると思うなよ。小童。

 おもむろに私はベッド柵に掛けられているベッドリモコンを操作し始める。

 

「……怪我人と喧嘩する気なんかねぇよ。今回はお前に警告をしに来た」

「はぁ……。警告です、か?」ウィィィィィン……

「3週間前、非常ベルを起動させて大暴れしやがって。おかげで俺達の計画がおじゃんだ。次、邪魔をしてみろ。お前も“目抜け”と同じようにタダじゃ済まされなくなるぞ」

「それ警告じゃなくて、脅迫って言うんですよ。警告なら『邪魔するなよ』で止めないと。でもそれでいいと思います。わかりました。次は気を付けますね?」

 

 ほう。1週間と3日ぶりのカルティスト殲滅戦になるかと思ったが……その線はなさそうだ。

 しかし揚げ足を取られたこと、こちらがベッドの高さを調整して逆に見下すことができるの高さまで持ってきた事に関して苛立ちが増したのか、その眼付きが更に鋭いものと化しジロリと見上げながら睨みつけてくる。だがこちらはニタリと見下しながら微笑みで嗤い返してやる。同じ一般人同士の争い事なら、相手を殺す目的が無い場合に限り、先に手を出したほうの負けだ。

 あとは法廷で会うなり、示談に持っていくなり……そのまま相手が気絶するまで自由にタコ殴りにしたって良い。こっちには点滴針だけじゃない。ベッド柵だってあるのだ。ボッコボコにしてやる。……だが、ひとまずは正当防衛を成立させる必要がある。

 血液が付着した点滴針で相手()滅多刺しにする(28か所の刺し傷を与える)ことは過剰防衛になりうる可能性も十分に存在するが、先に訴えた方が勝つ。私の知りうる日本の《法律》はそうなっている。それに性別が女性という時点で暴力に関する優劣はついているようなものだったが、それは法廷に立った時も同じだ。次の法廷では性差で私側が優位に立つことができる。男6人に対し、女1人の暴行(レイプ)事件であれば世間も私に味方してくれるだろう。

 

 




~あとがき~
 ほのぼのしてますね~。
 やっと日常が帰ってきた感があります。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode30+ 『正義のヒーロー』

 しばらくの間、室内が沈黙で包まれる。

 二車は私のベッドリモコン操作によって高く持ち上げられたベット上の私を見上げながら睨みつけ、一方私は内心あくどい顔の……外面状はニタリとした不敵な笑みで彼を見下ろしながら開戦のゴングが鳴り響く瞬間を待つ。

 

「お、お前等!あ、青空に何してんだよぉ!!!

 

 まさに一触即発な空気が漂い始めてはいたものの、その僅か十数秒後。その沈黙は1人の男の乱入で終結を迎えることになった。

 

 一週間と3日ぶりの声。

 

 もう二度と彼から会いに来ることはないと思っていたはずの女の子のように甲高い声。

 

 視線が自然と出口に向けられる。

 

「……お前は、目抜けとよくつるんでいる……」

「『正義の(たいm)——』あっ。『正義の対魔忍(ヒーロー)』の上原 鹿之助だ!」

 

 間違いない。上原くんだった。

 彼はどこか泣きそうで、へっぴり腰ではあったが……ファイティングポーズを取りながら、たった1人でこの正面の二車(にしゃ)と呼ばれた男と取り巻きの5人に対峙している。

 ……うーん。なんかいろいろ言葉がいろいろ出てくるけど……。ひとまずその容姿、仕草、巨悪に立ち向かう姿勢……全てが かわいい。猛獣の群れの中に迷い込んだウサギみたい。食べちゃいたい。うーん、私の正気度が回復する。

 よーし、今うかつにも私に背中を向けたこの男に私の身体から引き抜く予定の点滴の針をテメーの喉仏と鼻頭に二度突き刺すのは止めてやる。あくまでも今の私は乙女で居なければ。

 テメー等、(きみたち、)上原くんに(上原くんに)感謝しやがれッ!(感謝してよねっ!)

 ついでに最大限の高さまで持ち上がるようにリモコンで調節したベッドを、上原くんがベッド傍へと来たときに私を見下ろせるような最低床状態までへと持ってくる。

 

「正義の対魔忍(ヒーロー)ォ? バッカじゃねーの?」

 

 上原くんの言葉に二車(にしゃ)周囲の腰巾着どもがゲラゲラと笑い始める。さっき二車から『黙れ』って言われたこともう忘れたのか。

 よし、前言撤回。

 お前等は上原くんが気絶しようものなら刺していいな? 青空 日葵がどんな病気を持っているか知らないけど、睾丸と陰茎の損傷。子作りファーム終了のお知らせ。血液感染から発症まで検査室でガタガタ震える準備は良いか?

 

「……。……ほら、彼女に次のお見舞い客が来たようですよ。二車(にしゃ)くん達は もう出なさい。これ以上の滞在は校医として認めることはできません。君達。……主に青空さん、ここは病室なのですから大声は控えてくださいね」

 

 病室の出入口でファイティングポーズを取る上原くん。私のベッドの隣で上原くんを睨みつける二車(にしゃ)。ベッドの周りで嗤う腰巾着。そして点滴針を皮膚からいつでも抜去して突き刺せる準備を整えた私という一触即発なこの現場で、先ほどまで空気を決め込んでいた室井先生が静止の一手を打ってくれる。

 流血沙汰になる前に止めるなんて流石、先生! よっ! ナイスミドル! ……でも、それは(にしゃ)が私に脅迫している時点で止めて欲しかったですね。……若干ストップのタイミングが遅いと思いました。

 それに外で見張っている2人は何をしているんですかね……? 今から完全な大乱闘が始まる雰囲気にも関わらず、存在感を一切感じられなかったのですが。やはり、私を取り押さえるだけの要員だってハッキリわかんだね?

 

「チッ……。お前ら行くぞ」

「えっ。あ、はい!」

 

 素直に部屋から退室する二車(にしゃ)に、腰巾着どもはぶつくさ文句を言いながらも二車(にしゃ)と室井先生に連れていかれる形で部屋を去っていく。

 途中、出入り口で構えたままの上原くんと小競り合いが発生しそうではあったものの、流石 校医である。上原くんの正面に立ち、病室外にいる2人に指示して速やかに二車のグループを追い出す。私もベッドから飛び降りて参戦しかねない大乱闘に発展してしまうような本格的な喧嘩にならないよう事前制御に務めていた。

 

「それでは青空さん、私もこれで失礼します。それと……あなたがそんなにも退院したいというのであれば、4日後に再検査して異常がなければ退院と致しましょう。これ以上の談判は受け付けません。私も他の生徒たちの手当てがありますのでわかって頂けますね?」

「……はい」

 

 それから退室間際に絶対に退院を認めない趣旨を告げてから先生はそのまま扉を閉めて出て行ってしまう。あの糸目の瞼が若干、開いてこちらを見つめていたことから“本気”の発言だったのだろう。

 やはり無茶を言い過ぎたかなと思いつつ、上原くんしか居なくなった室内で諦めの返事を返しておく。

 

………

……

 

「「……」」

 

 しばらくの沈黙。

 部屋には2人いるはずなのだが、私一人だけになってしまったようだ。

 

「……もう “二度と会いたくない” んじゃなかったの?」

 

 お見舞いに来てくれたのは嬉しかった。でも口から出たのは意地悪な言葉だった。

 せっかく、彼は“私”を知らないのだから 来てくれたことを喜べばいいのに。素直に喜べない自分が恨めしい。

 

「……! ……違う! 違うんだ! あれはそういった意味で蛇子に伝えたわけじゃなくて!」

「……」

「あの“会いたくない”って伝えたのは、蛇子の伝言で聞いた“二度と会いたくない”って意味じゃないんだ! おれ……俺っ! 正義の対魔忍(ヒーロー)を目指しているのに……。あの天井の見たこともない生き物を見た時、身体が石みたいになって。動けなくって……! それなのに日葵は、俺をあのローブ連中から1人で助けてくれただけじゃなくて、あの天井に張り付いていた見たこともない怪物を直視しても余裕そうに笑って、あの怪物からも俺を守ってくれて……っ! だから、俺……正義の対魔忍(ヒーロー)を目指しているのに何もできなかった自分が情けなくってっ……! 日葵が目覚めたって聞いた時、どんな顔で会えばいいかわからなかっただけなんだ……!!!」

 

 彼は走り寄ってきて、私のベッドのそばでそっぽを向く私の顔側へ回り込んで“会いたくない”と言った裏事情を赤裸々に話してくれる。

 その顔は……ア゚ッ! その今にも泣きだしそうな、子供が母親にご機嫌を取ろうとする顔はずるい。そんな涙目で庇護欲をそそる、そのえっちな顔はずるい。いろんな意味で私のハートに突き刺さる。Twinterなら今頃、リプ欄に『てぇてぇ』の画像が大量に貼られているに違いない。私の天使が悪魔とハイタッチしながら助けて良かったろ?ってそそのかしてくる。このクソ天使め! ありがとう!

 耐えろ……ッ! 私のポーカーフェイスと心臓! 尊死(てぇてぇ)を迎えるのは《/b》心《/b》だけで十分だ!

 

「だから……! だから……っ! “二度と会わないようにする”だなんて言わないでくれよぉ……」

「……。……ふっ」

 

 ——アッ。

 

 むり。まぢむり。

 

 反射的にポーカーフェイスを決めたけど決壊しそう。

 

 不意打ちによる急激な鹿之ニュウム(シカノニュウム)の過剰摂取で尊死感情オーバーフローからデーモン・コアが臨界突破。蒼き閃光マンハッタン計画……ごまかさねば。

 

ふふっ……くっくっくっ……。見事に私の話術に見事かかりましたね? 上原くん……」

「……え?」

ハァッ!!!……あ。大声は、まずい(蘇る現実の悪夢(仏の顔も三度まで))……コホン。……ハァッハッッハッハッハッハーッ! そう。蛇子ちゃんに伝えたあの最後のフレーズは君をおびき寄せるためのだったのですよ! いやー、ここまで素早く効果が表れるとは、迫真な様子で蛇子ちゃんも伝えてくれたんでしょうねぇ! ……。……でも、意地悪言ってごめんね。こうでもしないと上原くんの真意が読めませんでしたから」

 

 彼はキョトンとしている。いまいち状況を飲み込むことが出来ていないと言った様子だ。

 こちらも嬉しさのあまりこみ上げてくる感情を押し殺そうと片手を口に、もう片腕を腹に当てながら笑って、どうあがいても喜びの感情で崩壊するポーカーフェイスをごまかす。

 

「あ、あぁ……もし、かしてぇ……?」

「そうですよぉ? やっと気が付きましたか? なるほど、なるほど。上原くんの将来の夢は『正義の味方(ヒーロー)』ですか。いいですねぇ……。でしたらイザって時の為に、もっとTRPGで遊んで(をキメて)カッコイイ決め台詞や立ち振る舞いを勉強しなくてはいけませんねぇ?」

 

 こちらがお腹を押さえながらケラケラと笑っていると向こうも次第に私が何を言っているのか理解した様子で、袖で涙目をぬぐったかと思えば 見る見るうちに怒った形相へと変わっていく。

 

「青空さん!」

「別に鹿之助くんなら『青空』と呼び捨てにしてもいいですよ。もちろん『日葵』でもOKです。……土壇場で、何度か呼び捨てにしていたのを私はしっかりと覚えていますからぬぇぇぇ? それと病院ではお静かに。既に3回 悪夢のせいで咆哮を放って怒らせましたけど、室井先生は怖いですからね」

……。『病院では静かにしろ』なんて、それだけは日葵には言われたくなかったぜ」

「……ヌッフッフ。ヌフフッフフフフゥ」

 

 腹を抱えて笑っている私がそんなに不服なのか、頬を膨らませてふてくされた様子でそっぽを向きながら、隅に置かれた面会用の椅子に座って私と視線を合わせてくれる。あぁ……嬉しいなぁ。

 

「なんだよ。気色悪い笑い声なんか上げてさ」

「……いえ、ね。正義の味方(ヒーロー)になりたい——ですか」

「ひ、日葵まで俺の夢をバカにするのか!?」

「違いますよ。……蛇子ちゃんの伝言で聞きませんでしたか? 鹿之助くんは私の中では、最初から十分に正義の味方(ヒーロー)だったんですよ」

「…………」

「……ですがヒーローにだって、できないことぐらい1つや2つはあります。でも、それでいいんです。“1人 1人に足りないところがあっても、みんなで補い合えればよい” のですからね。それに……1人でなんでもできてしまうようになると、最後に残るのは “虚しさ” や “寂しさ” だけですし……。時として、それが自惚れや高慢にもつながることすらあります。鹿之助くんはまだ学生なんですから、じっくりと……できることを増やしていけばいいんです」

「……ボソボソ」

「え? 何か言いました?」

「……なんでも! それよりも、日葵ってさ。……周りから大人びてるって言われたことない?」

「そんなことないですよー。至って普遍的な何処にでもいる女子高生です。うぇーい。お稲荷様ウィッシュ」( ‘ω’ 乂)

 

 両手の指先を狐状にして彼に見せつけるように、胸の前で腕をクロスしておどけた様子でふざける私に対し。彼は半目状態で『どうしようもない』と言った顔つきで見つめてくる。でも、しばらく顔を見合っているうちにクスクス、ケラケラと互いに笑い合ってしまい始めた。

 ……あぁ、良かった。二車と呼ばれた男に囲まれたときには、また波乱の一日が始まりそうな予感がしていたが……上原くんが仲裁とお見舞いと誤解を解きに来てくれた。

 これだけで私は十分、幸せものに違いなかった。

 

 




~閑話(小話)-『鹿之助、お見舞いの経緯』~
――朝の登校時間―――

上原 鹿之助「二度と……会わないようにするって……どういうことだよ……。俺……おれ……っ! そんなつもりで言ったんじゃなかったのに……! ……今日、青空さんのところにお見舞いに行ってくる。……今からでも行って誤解を解いてくる!」

ふうま小太郎「…… 待て! 鹿之助!」

上原 鹿之助「なんだよ! 俺は青空さんにどうしても言わないといけないことがあるんだ!」

ふうま小太郎「それは構わないが、青空さんには『正義の“対魔忍(たいまにん)”』を目指していることだけはいうなよ!」

上原 鹿之助「将来の目標を言っちゃいけないって……またどうして?! なんでだ!?

ふうま小太郎「……。……それは……」

上原 鹿之助「『それは』……なんだよ?!」

ふうま小太郎「実は…。青空さんは……『一般人』なんだ……!」

相州 蛇子 「エッ?!」
上原 鹿之助「えっ!?」

ふうま 小太郎「……俺も一時期は、五車学園に入学してきたってことは、何かしらの対魔忍の素質があるから入学してきたんだと思ったんだが…。アサギ先生から、直接『本当のところ彼女は対魔忍ではないからその話題は伏せるよう』に話されてだな……」

相州 蛇子 「日葵ちゃん 対魔忍じゃないの!?」
上原 鹿之助「 青空さん 対魔忍じゃないのか!?」

ふうま小太郎「まぁそんな反応になるよな。……俺達がまえさき市から帰ってきたあと。アサギ校長先生から独立遊撃隊結成の知らせがあったよな? その時、鹿之助からの推薦で青空さんも組み込みたいって話を隊長である俺が話したんだが『彼女は一般人。一般人である以上、対魔忍は秘密組織だから知られてはいけないし、一般人を巻き込むことは許可できない』って説明されてさ……」

上原 鹿之助「え、えぇ……マジか? 嘘だろ……? 一般人? 一般人なのか……? 青空さん……」

相州 蛇子「鹿之助ちゃん、それは私も同じ気持ちだよ……」

ふうま小太郎「……それは、あんな一般人が居てたまるかって意味だよな?」

上原 鹿之助「……それなのに……青空さんは……。じゃ、じゃあ。誤解を解くのに俺の夢のことはなんていえばいいんだよ!」

ふうま小太郎「そうだな……。『正義の対魔忍(ヒーロー)』とでもいえばいいんじゃないか?」

上原 鹿之助「『正義の対魔忍(ヒーロー)』『正義の対魔忍(ヒーロー)』『正義の対魔忍(ヒーロー)』……よし、行ってくる!」

………
……


相州 蛇子「……行っちゃったね」

ふうま小太郎「あぁ。それにしても……蛇子。一昨日、青空さんが“二度と”会わないようにするって言った時、どうして修正しなかったんだ?」

相州 蛇子「ふふっ♪ それは、蛇子のおかげで結果的に鹿之助ちゃんを病院へお見舞いに向かわせてあげられたでしょ?」

ふうま小太郎「それは確かに……そうだが……」

相州 蛇子「ふうまちゃんだって、口が上手いじゃない。日葵ちゃんが“対魔忍じゃない”って言って、力を持たない一般人を護る正義の対魔忍に憧れる鹿之助ちゃんを焚きつけちゃうなんて♪」

ふうま小太郎「……いや……それは……

相州 蛇子「……えっ?」

ふうま 小太郎「……」

相州 蛇子「え? 本当に一般人……?」

ふうま 小太郎「……他言無用で頼む」

相州 蛇子「えぇえぇえええええええっ!?!?」



~あとがき~
・生還報酬
 正気度報酬 1D10+2
 新クトゥルフ神話TRPG 選択ルール:幸運ポイントの回復(95頁)
 成功した技能の成長ロール

・特記
 上原 鹿之助くんに、《クトゥルフ神話》技能を+5% 贈呈。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode31+ 『病院での平和な日常』

 お見舞い品として、いつの間にかに置かれていた果物盛り合わせセットを手に取る。その中から無造作に手で掴み上げたもの……。リンゴが手に入った。

 添えられたカードによると差出人は……接点のあるクラスメイト一同からだ。裏面を見ても自殺を示唆する内容は書かれてはいない。それどころか、早く元気になって欲しいという励ましの言葉が綴られていた。

 ……あんなことを入学初日からやらかした私ではあるが、今のところクラスメイト達からは嫌われてはなさそうだとわかる。

 

「はい、どうぞ」

「お。ありがと……」

 

 ひとまず手に取ったリンゴを食べるためにも、裁縫セットに入っている断切りばさみを〈機械修理〉で分解したのちに、医療用アルコール消毒液で綺麗に消毒する。その分解したハサミでリンゴに切れ込みを入れて適当に半分に割った。ひとまず育ち盛りの鹿之助くんには、リンゴの皮がウサギ耳状になるように剥いてから食べるように差し出す。

 残った半分のリンゴは、いつものように私が皮ごとバリムシャとかみ砕こうとするが、皮ごと齧りつこうとする私を目をまんまるにした上原くんがこっちを見ているのに気が付いたので、冗談のように笑ってからきちんと皮を剥いて頬張る。ちょっと面倒だ。

 

それで?(ほへへ?)

「……なんだよ」

正義の(へいひほ)味方さん。(ヒーホーはん。)今日の(ほふほ)学校は(はっほうは)どうした(ほうひは)んですか?(んでふか?) もう(もう)とっくに(ほっふひ)朝の(ははほ)ホームルームが(ほーふふーむは)終わって(おわっへ)2時間目に(ひひかんへひ)突入(ほふふぅ)しちゃって(ひひゃっへ)ますけど?(まふへほ?)

 

 それから意地悪な口調で口内にいっぱいリンゴを詰め込んで、おそらく学校をサボったであろう彼に病室でたむろしていることについて尋ねた。

 

「何言ってるかわからねぇよ……そんなことより、食べ終わってから喋れよ。汚いぞ」

「おっほぉ……これは(ほへは)辛辣ぅ……(ひふはふぅ……)。もぐもぐ……。……ゴックン……それで、学校は?」

「……今日はサボった」

「おやおやぁ? 正義の味方(ヒーロー)が勉学をサボるのは感心できませんなぁ? ちゃんとある程度の一般教養を身に着けませんと、大人になったとき大変ですぞよ???」

「んもう! さっきから正義の対魔忍(ヒーロー)、正義の対魔忍(ヒーロー)って連呼してやっぱり俺の夢のことをバカにしてるだろ!!!

「ハッハッハ。まっさかぁ~。是非とも、そのまま夢を追いかけて正義を貫き通して欲しいですし、私はその夢を応援しますよ!」

 

 リンゴを食べながら学校の休み時間に会話しているような会話をここでも行っている。

 まるで、この時だけ学園内の日常生活に戻っているみたいだった。

 

「本当かぁ~?」

「もちろん本当に決まっています。将来、正義の味方(ヒーロー)になった鹿之助くんが、資金調達で困ったことがあったら私に言ってくださいね。私がパトロンになって金銭に関する補助は支えます。……私はいつまでもあなたの味方で居ますよ。……ま、有り金が全部 溶けてしまわない限りですけどね!」

「パ、パト……?」

 

 あぁ。パトロンの意味が分からず、彼の困惑する顔がたまらなくかわいい。脳がトロける。

 頭わるわる~わ~るわる^~になってしまいそうだ。

 

あぁ^~……パトロンというのは『出資者』とか『支援者』って意味合いですよ。何しろ正義の味方(ヒーロー)には金が常に入用ですから……。とにかく、私も私で夢が叶えることが出来たら、将来ヒーロー活動で頑張るあなたを支援するので覚えておいてくださいね」

「わかった……。……ありがとうな!」

 

 はうあ。

 その、納得してないような……けど、味方で居てくれるということだけは分かって向けてくれる笑顔は輝いているように見える。

 正気度がまるまるもりもり確定で回復していくのがわかる。心に平穏が訪れる。素晴らしい。хорошо(ハラショー).

 

「では今度は、学校をサボったこと以外の話で質問したいことがあるのですが……」

「ん? なんだ? 何か困りごとか?」

「さっきの扉から出て行った赤髪で半面を黒の眼帯で覆った三白眼の男……あの人ってどなたかご存知ですか? 随分と上からの物言いで、元気になったら正式なぶっ飛ばし(アイサツをし)に行こうと思っているのですが……」

「アイツ? ……あいつは……。日葵は関わらない方がいいよ」

 

 おや、ここで先ほどまで笑っていた鹿之助くんの顔が曇る。

 なんだ? やっぱりなにかと面倒な奴なのだろうか?

 五車学園では男女問わず学生はネクタイを着用することが義務付けられている。たまに着用していない生徒もいるが、それは大体制服を着崩しているタイプの生徒だったり、不良や素行の悪い生徒なことが多い。まぁ、ふうま君もその一人だったりするのだが。一旦その話は置いといて、兎に角にも五車学園ではネクタイの色で、1年、2年、3年と判別が可能になっている。おかげで瞬時に相手が何処の学年から私に会いに来ているのかわかるようになっているのだが……。

 あの男は私と同じ青色(1年)だった。しかし、その取り巻きのネクタイの色の中には赤色(3年)……つまりあの中には先輩方も混じっていた。1年が2年や3年の取り巻きと従えている理由なんてわずかしかない。3年を従えるような喧嘩番長を気取っているか、親が権力を持っているか、よほど金持ちかのいずれかでしかない。

 まぁ、まだ5月の下旬であることもそうだが……あいつが喧嘩番長であり五車学園で頭を張っているとは思えない。カリカリ梅ばりに殺伐としている彼から滲み出る頭としての器もそうだが……。ここの普遍的な学生たちが “鬼のような” 強者(つわもの)揃いの教師陣に対し、イキリ黙れドン太郎(二車と呼ばれた男)を慕って束になって襲い掛かっても……まず真っ向勝負では勝てないだろう。きっと私も得意とする奇襲攻撃や不意打ち攻撃で、やっと出し抜ける程度だ。

 そうなると、親が名の知れた権力者であるか。金を持っているか…。おおよそはそのどちらかのパターンだと考えていい。

 どちらに転んでも私的には美味しい。

 なにも物理的にシバいて捏ねくりまわして態度をわきまえさせるよりも、周囲からじわじわと毒沼に突き落とすかのように没落させた方が楽しみは大きいからだ。

 鹿之助くんにはこの邪推を察知されないよう、零れ出るほくそ笑みをリンゴを頬に詰め込みながら隠す。

 

分かり(わはひ)……ゴックン——ました。正式なぶっ飛ばし(アイサツをし)に行くのは止めます。でも、彼が何者であって、どういった経緯でかかわらない方がいいのか知りたいので……もう少し詳しく教えてはもらえませんか?」

「……。そこまで言うなら教えるけど……。あいつは二車(にしゃ) 骸佐(がいざ)だよ。俺達と同じ同級生で、ふうまの幼馴染。……ふうま家 一門に存在する二車家 頭目で、ふうま宗家の当主が、ふうまだからふうまの家来みたいなやつだ」

「えっ????? うっわ。人のこと言えねぇと思うけど、すっげぇキラキラネーム。SNS、特にインヌタとかで実名登録していたら簡単に即特定できそう。炎上祭りとか超楽しい奴じゃん。やっべぇ

「あ、そっか。日葵は外から来たからな……。……えっと難しいよな! えっとぉ……今から分かりやすく嚙み砕いて説明するからな? うまく説明できるかわかんないけど……」

 

 本音が口から漏れ出ないように努めていただけなのだが、余程まったく理解していないという顔を私がしていたのであろう。クエスチョンマークを大量に浮かべた私に彼なりに嚙み砕いて説明をし始めてくれた。……その気遣いは凄く助かる。

 そして、その小さな口に少しずつリンゴウサギを食べる姿は……やはり可愛いな。

 

………

……

 

 ……鹿之助くん曰く。

 先ほどの『二車骸佐はふうま一門』とは……つまり、一族みたいな、同じ家系のふうま君の親戚みたいな存在で、ふうま君の幼馴染であるらしい? ここでの一門がどのような意味を持っているかによって、意味合いが異なってくるが、ここでの一門は仏教での同じ宗派という意味や、武道・芸能などで、同じ師匠を持つ人である意味では少し考え難い。

 彼の話をややこしくしないために、親戚という意味合いで分かったふりをする。

 で、そのふうま君の親戚間には『二車家』という苗字の家柄があって、骸佐は頭目(とうもく)……つまり、あの若さで二車家の当主。二車家のまとめ役であることまでは理解できた。没落させたら最高のエンターテイメントになるじゃん!と思っていた。ここまでは。

 それで……ふうま君は、そのふうま宗家……。本家にあたる人物で、現当主(一族で一番偉い人物)だから、骸佐は……家来という流れになるらしい。

 ……まるで武家の習慣のようだ。時は1400~1600s(14~16世紀 戦国時代の日本)じゃない。既に2000s~(21世紀の現代日本)に入っているのにも関わらず、古臭い習慣に草が生えてしまいそうだ。

 ……私の親友である雷 巴ちゃんが好きそうな話だが、私は言いたいことがあるぞ。

 

「これでわかったか?」

「うん……。うん……。ここってニュータウンだよね?」

「うん。そう聞いたことがあるけど……?」

「……うん……」

 

 カッっと大きく目を見開き絶叫を上げそうになるが、正面に鹿之助くんがいるのだ。表情を一切変えることなく、心の中で大声を放つ。

 なーにが、ニュータウンじゃ! このクソボケ広報ホームページめがぁぁぁぁあああ!!!

 ここは古い習慣に囚われ過ぎた江戸時代に鎖国を続けた日本みたいな僻地じゃねーか!!!

 理解した。大体を理解した。これまでのバラバラだった情報の欠片(ピース)が繋がってきた感じがする。

 ここは市街地なんかじゃない。市街地になりかけの土地でもない。本当に田舎の僻地僻地限界集落。もう先が見える、若者は都心部に移住し 地元の有権者以外はこの地に残らない限界集落の未来が見える。恐らく、あのホームページの内容も“人を呼び込む”ための嘘八百だけが並べられたクソホームページだったに過ぎない。まぁ、見つけにくいところにある=ホームページを作ったアホは素人だったということだろう!

 ……少し気がかりなのは やはりこんな地盤が安定したクソ秘境に国立学園が建てられていることぐらいか。

 もっと建てるならいい場所もあったはずだ。かなり備え付けの設備もいいのに……。これでは馬の耳に念仏。豚に真珠、ネコに小判という言葉が否めない。それに……いくら国立とはいえ、資金繰りは一体どうなっているのだろうか? 私のいた日本では超最先端と言われた技術が、この世界の五車学園では至るところで “普通に” 見ることができるし、それを一端の学生……。それも機材の価値を理解できないような子供が触れて扱うことが出来てしまっている。退院したら、“探索”してみるのも学校の面白い裏の顔が何か見えるかもしれない。

 私がここにやってきたことで良い出来事は、対魔忍の目を欺けられそうな僻地だということと、辺境の秘境で彼という存在(上原 鹿之助くん)に出会えたこと以外に考えられない。

 だがしかし危なかった。二車 骸佐という男。五者町の権力者のようだが、まさかふうま君の親戚であるとは予測外だった。ヤツを没落させることは、ふうま君を地獄に突き落とすことと同意義だ。

 チッ……。黙れドン太郎(二車 骸佐)め……ふうま君に感謝するんだな。

 

「……心の整理が付きました。なるほど……。なるほど?」

「……さては、何もわかってないだろ」

「分かっていますとも~。……あと、彼は私に対して、メヌケの友人……とも言っていました。たしか鹿之助くんにもメヌケとつるんでいるって……。”メヌケ“ってどういう意味ですか?」

「えっと、それはふうまに対する蔑称で……あ……ぅうん……」

 

 彼は側頭部を掻いて、私から顔ごと目を逸らした。

 なるほど、ふうま君に対する蔑称でしたか。

 となると、彼の開けない右目に何かしらの関係があるのか……それとも、能天気そうな友人から取られてそう呼ばれているのか……。黙れドン太郎について話してくれた時と違って、彼はとっさに言葉が出て来ない様子だ。

 

「えっと、この話は他言しません。あくまでも、どういう意味なのかなーと知りたくて……」

「うん……うーん…………」

 

 頭を抱えてじっくりと言葉を選んでいる様子から察するに、説明しづらい内容……というよりも、話しづらい内容なのが〈心理学〉の観点から推測できる。これまでのふうま君と黙れドン太郎の関係性について話すときの彼の喋り出しは非常に流暢であった。これでふうま君の右目が失明しているだとか、能天気だからと言ったような理由であれば……これまで行動を共にし、見てきた彼の性格で言えることとして、鹿之助くんはポロリと言ってしまうような怖いもの知らずである(少しデリカシーに欠けている)ところがある。……そんな彼が言葉を濁している。

 

「能天気なふうま君の事ですし……マヌケって意味だったりします? ほら五車町特有の方言みたいな。丁度、同じマ行ですし、方言で訛ってメヌケになったとか、あるいは右目を失明しているから人の障碍を嘲笑った健常者の愚かで傲慢な蔑称ですか?」

「——! そう! マヌケって方の意味。たぶん、方言だと思う! なんて表現すればいいかわからなくて困ってたんだ! サンキューな! 日葵!」

 

 なるほど。

 マヌケという意味ではないらしい。

 人の痛みが理解できない愚かな健常者の残酷な蔑称というわけでもなさそうだ。

 しかし、今はこれで十分だろう。友人にだって話したくないことの1つや2つぐらいある。追求するのは野暮だ。

 ……私も、彼に話せない秘密を抱えている。

 

「そういうことでしたか! なるほど、なるほど。納得しました」

な、なぁ。わかっていると思うけど——」

「もちろん分かっていますよ。今 聞いたことは他の人には言いませんし、友人のふうま君に “メヌケ” なんて暴言なんか吐く訳ないじゃないですか」

「そっか、だよな……!」

(この前、まえさき市で『この昼行燈(ひるあんどん)』とは言いかけましたけど……)

 

 鹿之助くんの表情が、まるで雲が晴れていくような笑顔を取り戻す。こちらもつられるようにして優しく笑いかける。

 

「それで話題をまた変えるのですが……」

「今日はとことん付きあうつもりで来てるからな! どんな話でもいいぜ!」

「——では、このあとの授業は?」

「……。……うん。その話題は意地悪だなぁ」

 

 うん、そのコロコロと変化する感情豊かな顔。すごく かわいい。とても弄り甲斐がある。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode32+ 『真実は時として毒となる』

 彼がお見舞いに来てから早数時間。

 何気ない楽しい時間は、綿あめが水中で溶けるように消えていく。ふと時計を見上げれば時刻は昼間の14時過ぎを指していた。

 ずっと喋りっぱなしではあったものの、お見舞い品のフルーツバスケットの中の果物を二人で分け合って食べていたこともあってか、別段小腹が空いたり喉が渇くと言ったことは無かった。

 

「……ところで鹿之助くん、嫌な記憶を呼び起こさせてしまうかもしれませんが……。あれから体調の方はいかがですか? 悪夢を見るとか、何処か身体が痛むということはありませんか?」

 

 ここでふと、彼の様子を聞くために適度なタイミング、ふうまくんや蛇子ちゃん達がまだお見舞いに来ない段階で『あれからの事』を尋ねる。デリケートで、彼のトラウマを刺激しかねてしまうかもしれない出来事のため、ゆっくりとした口調で彼に何か異変や怯えが無いか観察をする。

 冷静に考えれば前世に腕の立つ精神科医がこの世界にもいるとは限らないが、それでも世界の真実(ヴェールの裏側)を知らない精神科医でも多少なりとも腕のいい精神科医の存在を把握しているつもりで、異常があれば彼の治療に役立てられるように彼の状態を聞き出すことが目的だった。

 

「あれから……? あっ! おう! 別に特になんともないから、もう安心しろよな!」

 

 こちらが心配する必要がないほどに、鹿之助くんは笑いながら気にしてない様子で笑う。彼のその笑顔が私のために無理して笑った作り笑いだったのか、それとも本当に自然な笑顔だったのか……これまで私が事件や探索で培ってきた〈心理学〉で推し量ることはできなかったが……それでも私の目には、現状は問題なさそうに見えた。

 

「そうですか。それならよかったです」

「ああ! ……そうだ。忘れちゃいけないことを言い忘れていたんだけどさ。……笑わずに聞いてくれるか?」

「……? もちろんですよ。どうかしましたか?」

「日葵。……あの時、危険を顧みず俺を助けに来てくれてありがとうな。俺、きっと日葵が来てくれなかったら今頃——」

 

 彼は、私に泣きそうだが嬉しそうな照れるような顔で礼を告げてきた。

 『今頃』と呟いたところで幼子が初めて激辛のキツめのメンソールガム(黒色)を噛んだような表情をしてしまったが……きっと今、鹿之助くんの中では私が助けに来なかったときの最悪な想定を連想しているのだろう。

 あの邪悪なカルティストに(モツ)をいじくり回されながら、下手をすると大喰いの泥濘に生きたまま溶かされるという身の毛がよだつような最悪の事態を。

 

「気にしないでください。私達、友達じゃないですか。それにあれは私の入学初日の紫先生との仲裁に入ってくれた私からのお礼も含んでいるんですよ。鹿之助くんは、なーんにも気にすることなんかありません」

「でもよ。あの時は結局止められなかったし……。今回の事は、俺がドジ踏まなきゃ……こんなことには……

 

 鹿之助くんは更に辛そうな顔をする。今にも泣きだしてしまいそうな顔だ。……この話題を振ったのは彼だが、こうまで辛そうな顔をされるとこちらまで辛くなってくる。

 

「見捨てないで、私を助けようとする——その気持ちだけで充分救われましたよ。……何をそんなに物悲しそうな顔をしているんですか! べつに私が死んだ訳じゃないでしょう? その顔は私の葬儀まで取っておいてください。死ななきゃ、こんな傷はすべて “かすり傷” です。この傷は、今回を期にとある意味での戒めにもなりましたし……良い経験ができたと思っています。だから気にしないでください。私は大丈夫ですから」

「…………」

「今はベッドの上でくすぶっていますけど、実は即退院できるほどには超元気なんですよ? 外すと忌々しいサイレンが鳴り響く警報装置さえ付けられていなければ、今にもベッドから飛び出して登校できるぐらいなんです」

 

 それゆえ数秒ごとに気分が落ち込む様子が目に見てわかる彼を明るい声色と笑顔で励ました。励まし続ける私に上目遣いでこっちの様子を見て、少しだけ彼もその申し訳なさそうな辛そうな表情を緩和させて上目遣いでこちらを見つめてくる。

 

「とにかく私としては、鹿之助くんが無事ならそれで満足です。別に今回は身体の一部が欠損してしまったわけじゃないですし! たかが肺に穴が開いた程度で、日常生活には一切の支障をきたすこともないですしね!」

「…………肺に穴が開いているのに()()()の3文字で済ませる一般人(ヤツ)は初めてだよ。……どこまでも励ましてくれて、本当に。ありがとうな」

「いえいえ、こちらこそ。無事でいて下さってありがとうございます」

 

 よし、数時間前は鹿之ニュウムの枯渇と過剰摂取現象よって取り乱して、ポーカーフェイスから蒼き閃光マンハッタン計画臨界突破事故してしまったが今回はなんとか感情の制御がうまく行きそうだ。私のデーモン・コアは正常作動している。

 

「まぁ、それはそれとして、他にも少しお伺いしたいこともあるのですが……」

「ん?」

「“あの時の出来事” って誰かに話したりしました?」

 

 鹿之助くんの情緒が安定したところを見計らって、ふうまくんと蛇子ちゃん、他の誰かが病室に来る前に尋ねたかった話題を振ってみる。

 それは割と私の今後の日常生活に関係してくる大切な話題であり、鹿之助くんにとっても今後の人生を左右するかもしれない内容でもあるからだ。

 

「えーっと……話したな」

 

 鹿之助くんは、利き手を胸元に当てて、顔を正面より少し上側に持ち上げて、その視線は天井に向ける。そんな彼には分からないように、私は口端の内側の肉を軽く嚙んだ。

 ……そうか。…………話してしまったか。

 

「誰に? 誰に話しましたか?」

「事情を聴いてきた警察の人と、学校の先生と……校長先生と……上原 燐(ねえちゃん)と母ちゃんと父ちゃんと……」

 

 指を折って、誰に話してしまったのか数えていく。

 ……つらつらと話していく様子から、結構な人数にあの時の事を話してしまっているようだ。これには私も漢方薬を水なしで口に含んだような何とも言えない苦い顔になる。

 ……これは……まずいかもしれない。私の計画的な日常生活が脅かされることもそうだが、今この状況で一番、危ないのは鹿之助くん自身だ。

 

「ふうま。ふうまにも話したな!」

 

 ン゙ッン゙ー゙ッ゙!゙

 相当、結構な人数に話している。結構な人数に話してしまっていた。

 これはどうするべきか。彼が何処まで話したのかにもよるが、事件の被害者である彼が事件を鮮明に語っていた場合、今回は健忘症や記憶障害のフリはできないぞ。

 まぁいい。対策は今日のお見舞い客が帰った後で練るものとして、今は鹿之助くんに迫る危機を片付ける必要がある。厄介な問題を目前に頭を抱えたくもなったが……彼に余計な心配をさせるわけにもいかないため、片目を瞑って後頭部を掻きながら彼と話を続ける。

 

「えっと……。その人たちに、一体どんなことを話しました?」

「どんなことって……あの時、あったこと全てだな」

「もうちょっと具体的に話してもらっても良いでしょうか?」

「……日葵も、ねーちゃんや先生達みたいなこと言うなぁ……」

「別に。私の場合は、先生方のように特別な事情はないんですよ? ……ただ、あの時の出来事を鹿之助くんに事情を聴いた……ということは、つまり私にも事情聴取をしてくるでしょうから。どんなことを聞かれて、どんなことを話せばいいのか……事前に知っておきたいのです。事前情報収集ってやつですよ」

「そういうことなら……さぁ」

 

 メモは取らずに、傾聴するように彼が多数の人間に何を話してしまったのか確認を取る。

 結論から。彼が見た本当に “全て” を話してしまったようだ。

 テロリストとの対決。怪物の存在。怪物とのチェイス。私が血溜まりに沈む瞬間。その後の救護活動に至るまで。すべてだ。

 不幸中の幸いとも呼べるのは、彼は祭壇の反対側に隠れていたため。私がカルティストに行ったペットボトル爆弾による直接的な爆殺の瞬間と、爆殺し損ねたゴミ共への処分用処理・加工(脳へのダイレクトアタック)を直視していなかったようだ。カルティストの教祖(鹿之助くん曰く、主犯格)を衝撃緩和剤へと代用した事実も目撃していなかったらしい。よかった。

 でも、まずいな……。

 

 まずい。

 

 まずいことには変わりない。

 よりによって『大喰いの泥濘』のことを他者や彼の身内に話したことが一番まずい。

 今後、私に対して行われるであろう事情聴取で話さなければならないカルティストが消化されて存在が無くなった件についても、どんな言い訳をするべきか悩む案件ではあるが……。

 それよりも今は彼が話してしまった『大喰いの泥濘』の存在についての隠蔽が最重要だ。

 本当に鹿之助くんが今一番、危ない。

 

「……なるほど、なるほど。ありがとうございます」

「今の話で日葵の役に立ったのなら何よりだよ」

「……その上で、鹿之助くん……。私からも少……かなり重要なお話があるのですが、ちょっと顔を近づけてもらっても良いですか? あまり大きな声では話せないような内容なんです……」

「ん、ん?」

 

 彼は異性とあまり顔を近づけ合って話すような機会はあまりないのだろう。私が背中に付けられた警報装置が引っこ抜けないように細心の注意を払いながら、鹿之助くんのいる方に顔を近づけると、彼もまた顔を少し赤らめながら恥ずかしそうにガチ恋距離へとその顔を持ってくる。

 それは初心(うぶ)な反応だなぁ! 私はそれについては気にしてもいなかったよ! ちょっと待って?! 私の口臭大丈夫かな!? 毎日3食後にはちゃんと歯磨きはしているけど、今 果物を食べたばっかりだし。話を始める前に床頭台の中に入っている買ってきてもらったブレスケアを一錠食べておこう!

 

「……えっとですね……。これは他の人には秘密にしてほしいこと……今後、鹿之助くんが再び事情聴取されたときに思い出して欲しいことになるのですが……」

「な、なんだよ……」

「私達が共にあの場所で見た “天井のインクの塊(アレ)” については、これ以上誰にも話さず。話してしまった相手にも、アレについての言及は必要最小限にしてください」

「え……? えっ?」

 

 困惑する鹿之助くんに私は声のトーンを抑えながら、ガチ恋距離で周囲を警戒しつつ万が一に部屋に盗聴器を取り付けられていたとしても、扉の外側からの集音機でも聞き取れない声で彼に忠告を続ける。

 

「考えてもみてください。見たこともない魔族・魔獣が天井に居て……仮にそれらが未発見の存在だった場合、他の一般の人はどんな反応をすると思いますか?」

「え、えっと……」

「——大体はその証言を真面目に聴いているような様子を見せながらも、嘘だと思うか……または幻覚を見たのだと結論付けるでしょう。では、その幻覚を見続けているような発言をする人物に対して、ヴェールの裏側を知らぬ者達(真実や事情を知らない人達)はどうするか……。良くて一時的な幻覚を見ただけと処理される。悪くて “正気に戻すため”と 精神病院への入院手続きをしてくるでしょうね」

「——!」

 

 やけに神妙な顔で想定できる事態について話す私に、鹿之助くんの表情が恐怖で強張る。

 これは怖がらせることは目的ではないが、周囲の人間に “アレ” について言及し続けるということは、そういう危険性を秘めているということを理解・認識して欲しかったからだ。

 ヴェールの裏側を知らぬ者共(健常者を気取っている異常者)は、アレについて理解しようともしないだろう。これまでの私の経験談としては、きっとアレを説明したところで『極度のストレスに晒されて錯乱したことによる一時的な幻覚を見た』と処理されるはずだ。

 もしこれが魔を払う対魔忍ならば……。少しは別の見解を示すかもしれないが……。それでも対魔忍がいままで遭遇してきた、どの魔族や魔獣とも一致しない存在だとしたら? その存在の確認が今回が初めてだとしたら……? 私、個人の……推測にしか過ぎないが、初回こそ彼等も同じ判断をするに違いない。これが何度も目撃情報を得られれば話は変わってくるのだろうが……。彼等も少し特殊能力を持っただけの人間だ。本質的にはヒトと変わらない。

 

「ですから……。あの時に見た天井のシミは、他の人には話さないようにしてください。一度、精神疾患を患ったことになってしまった場合、現代日本では今後就職活動に難が出る可能性だって考えられます。将来のためにも……わかりますね?」

 

 そう。

 

 彼は未来ある若者なのだ。

 

 そんな彼が “真の真実” を語り続けた結果、精神疾患診断をされて社会に出られなくなってしまうのはあまりにもお粗末で、残酷だ。

 世間は個性のある若者を……なんて耳の良い言葉を使ってはいるが、本心としては機械化された一般テンプレと化した愚かで無知なこれまでに異常のなかった若者を欲しがる雇用主の方が多い。だからこそ、ここで “ズレ” のレッテルを張られて欲しくはないのだ。

 

「ぅ、ぉぅ……」

 

 鹿之助くんは納得していないような顔で視線を逸らしながらではあったものの、返事は返してくれる。

 ……彼の気持ちは痛いほどに、よくわかる。

 ……かつて私も同じ経験をしたから。

 ……真実を知りながら死んでいった友達や、同じような事件に巻き込まれたことのある知人たちにしか、その世界の真実(ヴェールの裏側)を理解してもらえないこの葛藤を。

 ……私と彼とで違うことは、私には精神異常者(頭のおかしいやつ)認定される前に ヴェールの裏側について言及することを止めてくれる親しい友人に出会えなかったことぐらいか。

 

「……。……今、他の人には話してはいけないとは言いましたが。私には話しても大丈夫ですよ。私もアレを見ました。鹿之助くんが嘘をついていないことは、私は知っています。だから辛くなったら、いつでも私を頼ってくださいね」

 

 だから、それでも、少しでも……あの時や、今後そういうもの(・・・・・・)に遭遇した時の痛みを分かち合えるようにはする。

 アレを……一人で抱え込むのはあまりにも辛いから。

 ……発散できず、ため込んだ狂気が(蓄積された狂気で)爆発してしまった(永久発狂してしまった)友人を何人も見てきたから。

 そうならないようにこっち側の先輩として、できる限りの事はするつもりだ。

 それに新規探索者(ルーキー)をサポートするのは継続探索者(ベテラン)の役目には違いない。

 

「……」

 

 彼は何も言わなかったが、視線を戻して小さく頷いてくれた。……私も少しやるせない顔だったかもしれないが、微笑んでは頷き返してみせた。

 

「ごめんね。重い話で」

 

 顔を離して小声で話すことを止める。

 彼は大丈夫というジェスチャーを送ってくれた。

 

コンコンコン——

 

 そんな時、病室の出入り口の扉がノックされる。

 いいタイミングだ。病室に掛けられた時計を見れば、時間は6限目が終了した15時を回っていた。……となると、この場所に来てくれる相手は大体想像がつく。

 

「はぁーい?」

「だれだー?」

 

 先ほどまでの真面目な口調から一変した、爽快で軽快な声色で扉の向こう側の相手に返事を返す。鹿之助くんにはウィンクで合図を送った。彼もまた頷くと出入り口である扉に首だけを振振り返らせる。

 

「日葵ちゃん! お見舞いに来たよ!」

「よ。鹿之助、今日は一日中。青空さんと一緒にいたのか?」

 

 扉が開かれ、見慣れた友人二人が入ってくる。

 今日も今日とて、まえさき市で3時間もウンコしていた2人組は幸せそうで能天気な顔をしている。

 だが、非日常を知らない彼等がいるからこそ、私は日常を謳歌できていると実感を得ることができるのだ。これはこれで1つの幸せなのかもしれない…。不謹慎だが、あんな話の後ではそんなことを思ってしまった。

 

 それから面会終了時間の17時になるまでの間。今度は “4人で” 雑談を楽しむのだった。

 

 




〜あとがき〜
 ひさびさにオリ主(青空 日葵(釘貫 神葬))視点の対魔忍の夢を見ました。それは現在書いているプロットの内容からは離れているのですが、忘れてしまう前に供養としてここに書かせていただきます。

-夢の内容-
 対魔忍の五車学園卒業生同窓会、会場は壁や内装が木製のような部屋の飲み会に誘われる。そこでふうまくんに連れられて井河アサギと鉢合わせるオリ主とオリ主視点の作者。
 オリ主としてのアサギを見た感想は「なんかどっかで見た顔だな…」ぐらいの記憶で、作者は「その人、対魔忍のリーダー!その人は対魔忍のリーダー!テロリストに占拠されたビルの出来事を思い出して!」とかオリ主に対して内心で語りかけてました。心が(オリ主)心臓(作者)で2つありました。
 ひとまずビールをガブガブ飲みながら、酔いが回ったところで井河アサギ先生から「お前も対魔忍にならないか?」と言われて労働賃金条件契約書と就労規則書を見せられるという…。上弦の鬼の勧誘じゃねえんだからよ。もっとマシな言い方あっただろ。害悪
 大学在学中に面接と試験なしで内定を貰ったけど、同窓会と飲み会の席でやることじゃねぇことを夢で見ました。
 ビールを片手に、差し出された資料を膝立てながら見てそこで就労条件にオリ主と作者が色々ツッコミと質問責めと待遇改善を入れまくって、左隣に座っていたふうまくん笑顔を引きつらせてドン引き、正面のアサギ先生がしどろもどろに、影から見ていた山本 信繫((アサギの上司))がクッソ苦愛想笑いしているところで目が覚めました。
 オリ主としての結論は決まっているのに、オリ主がここだけは心の作者と相談、連携して労働賃金条件契約書を引っ掻き回すの楽しかったです。こっちも害悪

 ちなみに真っ先にオリ主は夢中で上原鹿之助くんを探してましたが会えなかったです。
 会えた(覚えている)のは、ふうま小太郎くんと、井河アサギ先生と、お酒を注いでくれた神村舞華ちゃん(本作未登場)と、久しぶりに出会ってキャッキャし合った七瀬舞ちゃん(本作未登場)がいた事は覚えてます。
 オリ主は落胆してましたけど、作者はトキメキの衝動がはちきれんばかりでした。
 みんな大学生ぐらいの顔つきになってました。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode33+ 『日程調整』

 入院生活(監禁生活)を強いられて、1週間と6日目。

 私の身体は完治して以前と同様に問題なく動くことができている。……と言っても負傷した状態であろうが、さほど身動きにかんしては負傷程度では変化しないのだが。

 ついに病室内であれば、自由に歩いていいという許可も無事に下り……。ついに今朝。やっと忌々しい警報が鳴り響く拘束具を取り外してもらった。

 

 実は入院生活5日目。

 どうしても紫先生のバーベルでベンチプレスをしたかったのだが…。肺に開いた穴が再び開くとのことで青空日葵の母親に持って来てもらうことは叶わず、仕方なく家へ取りに帰るために私の病室出入り口で門番が昼食休憩とトイレが重なった瞬間を見計らって抜けようとしたのだが。この前のように警報装置の停止を〈電気修理〉で試みたところまではよかった……。

 まぁ、必要以上に盛大に警報を鳴らして室井先生に叱られたのだ。

 その日は最終的に四肢に加え胴体までも拘束ベルトでベッドに括り付けられ、猿轡を嚙まされた挙句、食事と水分はすべて点滴、24時間監視カメラで室内を監視されたときには、新しい性癖に目覚……お見舞いに来た鹿之助くんや蛇子ちゃん、ふうま君にこの姿を見られるんじゃないかと……かなり焦った。しかし〈幸運〉にも彼等が訪れることはなく、このまま無事に明日には退院できそうな状態までこじつけることができている。

 

「青空さん、あなたのお友達からお電話が入っていますよ」

 

 ダンベルの代わりに床頭台を用いた筋トレで汗を流していると、室井先生が病室に入ってくる。用件だけ伝えながら頭を抱えてしまったが、今更なにか問題があるわけでもあるまい。

 

 にしても……友達からの電話?

 

 首から下げたお風呂用の手拭いで汗を拭ってから、肌着に前開きのパジャマを羽織る。この病院は五車学園の地下に存在する。地上で勉学に励む3人の友人たちの顔が思い浮かぶが、彼等の事ならばこれまでのように、直接ここまで足を運んでお見舞いに来ればいいだけの話だ。

 ……何か3人同時に風邪を引いたのだとか、何かお見舞いに来れないような事情が発生したのだろうか?

 首をかしげながらも、ひとまず病室の外で待機している室井先生について行く。

 

………

……

 

 連れて来られた部屋は、誰も居ない一室だった。

 内装は数個の内線電話が乗せられた台座と椅子、銀行やコンビニに備え付けられているATMコーナーで見られる仕切りが並べられた電話室のようだ。

 つい先ほどまで清掃員が掃除していたのか、床は少し生乾きで塵1つないほどに清潔に保たれている。

 

「3番の受話器を使用してください」

「はぁ……。ありがとうございます。……誰だろ? 鹿之助くんかな?」

 

 先生が部屋を出ていくのを手を振りながら見送ってから、眉と視線を上に持ち上げて独り言を呟きながら受話器を取り耳へと当てる。

 

「はぁーい♪ 日葵ちゃん、元気かしら?」

……

 

 受話器から聞こえてきたのは、すごい軽快でご機嫌そうな女性の声。

 私を『日葵ちゃん』と呼ぶ友達は現状1人しかいないが……この声はまえさき市で3時間ウンコしにいった方の蛇子ちゃんではない。されどつい最近、耳にした聞き覚えのある声だった。

 思わず耳から受話器の受話口を離して、そこから響いてくる声を凝視してしまう。

 

「あらぁ? 繋がっているわよねぇ? もしもしー? もしもーし。そこにいるのでしょう? 青空 日葵ちゃん♪ いえ、『ゼラトシーカー』ちゃん♪の方が良いのかしら?」

 

 ……間違いない。えっちなお店で働いている方の蛇子ちゃんの声だ。彼女は可愛らしい方の猫なで声を出しながら楽しそうに私の返事を待っている。受話器の先に生唾を飲み込む音が聞こえないように配慮しながら、喉元に手を当てた。

 

「ああ。どうもどうも、お久しぶりですー。少しの間、どちら様と悩んじゃいまして。元気ですよー♪」

 

 声を弾ませて、口角を上げられるように努めながら、そのまま内線電話の正面に置かれている椅子に腰を掛ける。

 

「それなら良かった♪ まえさき市に来たその日に病院へ入院したって聞いて、私……夜しか眠れないぐらいに心配したのよ?」

「それはどーも、どーも。ご心配をおかけしてすみません。私も1日3食とオヤツしか食べられないぐらいには、別れ際。寂しそうに。メソメソみっともなく泣かされていたほうの蛇子ちゃんを心配していたんですよー? まぁ、どっかの高位魔族が私の事をサンドバッグにしなきゃ入院生活なんかしなくて済んだのですけどねー?」

「あらあら♪ それは大変ねー? でも聞いた話によると、サンドバッグになったことは入院の大きな理由じゃなくて鋭利な槍のようなものが肺に突き刺さったことが原因で入院しているって噂話を聞いたのだけど?」

 

 彼女の言葉に眉をひそめる。

 一体、彼女はどこまでこちらの情報を握っているのだろうか? 少なくとも現状を整理してわかることは、私の偽本名、入院先、入院理由は割れているようだ。しかし、学校の地下に存在する入院先が割れているということは、彼女の事だ。口には出さないだけ通学している五車学園のことも割り出しているに違いない。

 

「やだなぁ……それは、リラクゼーションマッサージ店を開いている とあるおまえ(ナーガ種)が私で砲丸投げプレイしたとき、着弾時に机の脚に突き刺さったのが原因ですよ。あー思い出したら痛くなってきた。あいた、あいたたたた……」

「まったく、面白い冗談ばかり言って♪ こちらとしても、もうあなたの心臓に毛が生えているって聞いても驚かないわ♪」

 

 私の言葉に電話越しでクスクスと彼女の愉快そうな笑い声が聞こえてくる。

 私としては全く笑えない内容であり、悪夢での彼女の発言や振る舞いが脳裏を過ぎったが、幸いにも相手にこちらの表情は分からない。愛想笑いとしてケラケラと笑い返してやった。

 

「……それで? 日葵ちゃんのこと。私は、どちらで呼べばいいのかしら?」

「そうですね……どちらでもいいですよ。私はスネークレディちゃんの事は、敬愛を込めて蛇子ちゃん。って呼びますけど。私達、 “お友達” なんですよね?」

「えぇ、あなたもそう望んでくれるのなら♪ そうね……それじゃあ、私も日葵ちゃん……じゃなくて、敬愛を込めた上で あなたの本名に近そうな “ゼラトシーカー” ちゃんって呼んであげるわね?」

 

 彼女の言葉にした瞼が持ち上がり、目を細める。閉じていた口がわずかに開く。受話器を握りしめる手の力が強くなる。

 思わず反射的に座っていた椅子から立ち上がってしまう。

 

「図星——って感じかしら♪」

「——と、思うじゃん? 目の前にクモが居たんですよ。あぁ……朝蜘は殺しちゃいけないんでしたっけー?」

「それは変な話ね? 先ほど、その部屋は私の良く知る清掃員が虫一匹立ち入ることができないように入念に掃除させたはずなのだけど」

「フッ……」

「友達の言葉が信じられないのかしら? そう思うなら電話の裏を見てごらんなさい♪ きっと、証明品があるはずよ」

 

 鼻で嗤うように失笑つつ「まさかな」と思いつつも、受話器を肩と頭で挟みつつ言われたとおりに内線電話をひっくり返してみる。

 

 …………。

 

 ……そこにはあの時、蛇子ちゃんが私に渡してきた名刺と同じものが挟まっていた。引きはがして手に取り、名刺の裏を確認する。そこにはやはり蛇子ちゃんの名前と電話番号が記載されていて——

 

「どうだったかしら? それは私からのプレゼント♪ もしかするとゼラトシーカーちゃんの財布の中に入っている名刺が悪い虫……そう。対魔忍(悪い虫)(である)教師(紙魚)に食べられちゃったかもしれないからね♪」

「——」

 

 結果的に彼女から軽いジャブのような拳が顎に叩きこまれたような気分になる。息と言葉がつまり、目だけが左右にギョロギョロと泳いでしまう。前髪を掻き上げながら、大きなため息が送話口に入らないよう配慮しつつ、内線電話自体を膝に乗せ、置かれていた台座に腰を掛ける。それから足を組んで、先ほどまで腰を掛けていた椅子に足を乗せた。

 

「……魔族(害虫)ってものは、隙間()があればどこからでも入ってくるものですからね。あいつ等、本当に網戸の隙間でも平気で潜り抜けて入ってくるので……。あーあ……これからの時期まいっちゃいます。……残念ですが、内線電話の裏には何もありませんでしたよ」

「フフっ♪ そう? それは残念♪」

 

 自分でもわかるほどに彼女に自分のペースを乱されているのがわかる。早口になって、膝に乗せた内線電話を支えている手の指でリズムを取っていた。

 

「……えーっと。……それで、蛇子ちゃんが私に電話してきたのって、安否確認だけですかね?」

「いいえ? どちらかと言えば本命はあの本についてかしらね。こちらとしては親友への連絡と話が着いたから、あとはゼラトシーカーちゃんの予定次第なの」

「あー……。……そんな話もありましたね」

「そうなのよ♪ ゼラトシーカーちゃんは病院暮らししていたから、時間の感覚が狂っているのかもしれないけど。世間では2週間、時間が経過しているのよ? 心配して様子を見に行ったのだけど、残念ながら面会拒否されちゃって……♪ あーぁ、私も見たかったわぁ♪ 寝返りも打てない程に意識不明時(大人しいとき)のゼラトシーカーちゃんの可愛い寝顔。四肢拘束で猿轡を噛まされている時も、十分に可愛かったけどね♪」

 

 動悸がする。クソッ。学校の監視カメラまでハッキングしやがったのか、この魔族(アマ)……!

 ……待てよ? 私の寝顔を見たかった? 見に行った? 面会拒否された……? もしかして……。私が絶叫で目覚めたとき、教師たちが話して居た危篤ではなく“危険な状態”というのは……。外に2人も私の監視役が付いていたというのも……? あれは私の監視ではなく——

 入院中に身の回りで起きていた不可解な状況に対し、合点が行ったのと同時に背中に伝う汗が異様に身体を凍えさせる。だが、この女に察されてはいけない。まばたきの回数が異常増加するが、平常心を取り繕え。送話口を手元で抑え目を閉じて深呼吸。4つ数えながら息を吸い、4つ数えながら息を吐く。

 ……早く電話を切ろう。強制的に通話を終了させてもいいが、そんなことをしようものなら次にコイツが何をしてくるか何もつかめない。……だから、今はなんとか丸く収めて この場から逃げよう。逃げて電話を切ろう。そうしよう。

 

「……。……ご丁寧にありがとうございます。あ、でも、細かい約束事は日程表を確認してからまた折り返しお電話でもいいですか?」

「えぇ。今も真っ青な顔をしてそうだし、病み上がりで体調も優れなさそうだからここ等辺で……と、言いたいところだけど……。“逃げ上手” のゼラトシーカーちゃんのことだから、きっと♪ そういうと思ったわ♪ もう予め色々準備してあるの♪ そのまま見上げてみて♪」

 

 私が取ったのはひとまずは話を持ち帰って、社内検討するという社会人が得意とする建前的な逃走戦法だ。されど彼女は逃がしてくれるほど甘くはなかった。

 

「そんな苦い顔してないで、ほら早く♪」

「……」

 

 どこまで見抜いてくるんだこの(アマ)は。

 嫌々ながらにも彼女の指示通り視界を上へと上げる。私のジト目が大きく見開いていく。

 そこにはカレンダーが貼り付けられていた。何よりも気味が悪いのは、こちらの様子はすべてお見通しな彼女の千里眼発言より、その天井に張り付けられたカレンダーの存在に他ならなかった。カレンダーには予定が書き込めるようになっており、その空白の部分には 私の学校行事の日程や、私が……私しか知り得ないプライベートな予定までもが既に書き込まれていたことにあった。

 まるで『お前の事は何もかもがお見通しだ』とでも言いたげに。

 

「すぅぅうぅ……ふぅぅうぅぅぅぅ…………」

 

 もう電話越しの蛇子ちゃんを警戒した振る舞いすらできなくなってしまった。今にも嘔吐しそうな苦い顔をして、震えたような大きな深呼吸をしてしまう。

 

「……大きな溜息ねぇ? もう感情を隠し通すのはやめたのかしら?」

「えぇ。……ひとまず蛇子ちゃん。次の日程のすり合わせを行いましょう。ひとまず、こちらも予定調整というものがございますので、おそらくご存じの通り、現状は予定が詰まっていますので……そうですね。8月中旬。お盆に入る前の週……平日にお会いしたいのですが、そちらの日程はいかがでしょうか?」

「あら、もっと悩むかと思ったのだけど。案外あっさりと決めて、決めた割にはかなり先の日程になるのね?」

「あれぇ、言ってませんでしたっけ? 私、事前準備(予定調整)に時間をかけるタイプの人間だって。予定には書かれていませんがTwinterの友人を誘ってのTRPGのコンべションとかも企画していますし、どこかの自分の店を気軽に休業にできる魔族の女ほどこっちも暇じゃないんですよ

「短命で脆い割に忙しい人間さんは大変ね♪ でも、ちゃんと調整してくれるのなら すごくこちらとしても楽しみだわ♪ 問題ないわよ♪ 親友にも連絡しておくから、何処で何時に会うかの詳細はメールでやり取りをしましょう♪」

「かしこまりました。では、お会いできる日を楽しみに……」

「そうそう……」

「……」

「約束だけど『すっぽかしたら、お盆に直々に迎えに行くから』……忘れないようにね♪」

「もう……本当に蛇のように執念深いんだから。…………肝に銘じておきますよ

「それじゃ、2カ月後ね?」

「え? 何言っているんですか? 私が大学を卒業したら(約86カ月後(7年と2カ月後))に決まっているじゃないですか、フフフっ♪ 長寿種っぽいのに() () () ()なんですか——」

「おちょくるのもいい加減にしなさいね?」( 2 カ 月 後 ね ? )

「はい。2カ月後」

 

 この言葉と共に受話器が切られた音へと切り替わった。

 受話器を戻して、体内で張りつめていた空気が抜けるように大きく深いため息が口から漏れ出て、壁に背中を預けるが…………。

 

 私としてはこれで終わりではない。

 

 手に持っていた内線電話を元の位置に戻して、天井を見上げる。

 何度か目頭を指で押し込み、まばたきをするが……。やはり天井には私の日程表が赤裸々に綴られているままであり、今。私の目前の状況は幻覚ではないようだ。

 ご丁寧に>>>青空 日葵ちゃんの日程♡<<<と大々的に書かれており、日程には筋トレ、筋トレ、筋トレ、試験勉強、追試、買い出し、ヘヴィメタル、筋トレ、DIY、DIY、筋トレ、筋トレ、筋トレ、ヘヴィメタル、筋トレ、筋トレ、ヘヴィメタル、筋トレ、DIY、筋トレ、筋トレ、筋トレ、7月中旬に期末試験! ……ざっくりこんな内容だ。

 両足を椅子に乗せて太ももに肘を突き、うなだれるように頭を垂れて両手で顔を抱える。

 

「……蛇子ちゃん。……あんな天井に、私の予定表なんか貼り付けちゃって……。……あんな場所のカレンダーどうやって剥がせばいいんですか? ……。貼り付けるところ少しは考えてくださいよ……。高位魔族だからって、世の中にはやっていいことと悪いことがあるんですよ……?」

 

 こんな予定表、誰かにでも見つかりでもしたら碌なあだ名ランダム生成表に使用される筈に違いなかった。

 こちらとちら学園では半壊しながらもまだ平穏な猫被った生活を送ってんだからよぉ……。ヘヴィメタル女はまだしも、日程表☆筋トレ女なんてあだ名は嫌なんですよ……。

 台座から降りてもう一度、部屋全体をぐるりと見まわす。

 天井までの高さは約3.5~4mといったところだ。

 この部屋にあるものを再確認する。並べられた複数の内線電話と、内線電話が置かれた台座、その前に椅子があって、内線電話は仕切りによって遮られている。

 ……五車学園の廊下ように天井が3mぐらいの高さであれば、垂直飛びの〈跳躍〉で手が届くのだが、4mもの高さになってしまうと私の身長では、どんなに背伸びをして飛び跳ねても手が掠りもしない。脚立を借りてきて剥がす方法も考えたが、脚立を探している間に誰かが入ってきて、私の予定表を見てしまうかもしれない。それは避けねばならない事態だった。

 ……で、あれば。自力で取るほかないだろう。大きく息を吸い込んで呼吸を整える。……覚えてやがれ、えっちなお店で働いている方の蛇子ちゃん。次に会った時こそ、お前にまた吠え面をかかせてやる。

 上着を脱ぎ、ズボンの裾を捲り、半ズボンのような状態で、壁をボルダリングの要領で走り抜く準備を整える。病み上がりだとか言っている場合じゃない。これは私の今後の学生生活が懸かっているのだ。これは、そのための努力だ。出し惜しみしている場合じゃない。

 

 …………いつやるか? 今でしょ。

 

………

……

 

「とぅ~るぅるぅる~♪ るるるるる~♪ るるるるるぅ~♪ るるる~♪」

 

 5分後。そこには完全勝利した私が、機動戦士ガンダムユニコーンのテーマソング(サビ)のメロディを口ずさみながら、破れたカレンダーを両手に興奮を促すような真っ赤な視界で自分の病室へ向けて歩いていた。

 そう、蛇子ちゃんから突き付けられた悪意に。自分の将来を脅かす予定表に。立ちはだかる壁に。私は “また” 勝った。勝ったのだ。腕を頭上に突き上げ、最大級の喜びを表現する。

 この調子なら蛇子ちゃんの親友がどんな存在だろうが、私に敵意を向けてこようが、この破けたカレンダーのように粉になるまで刻んで、頭からゴミ箱にぶち込めるだけの自信が湧いてきた。だが、慢心は死だ。全力で対策を練らせてもらおう。

 さぁ、明日には、この忌々しい白い部屋から私は脱出する。脱出できるだけの力を持っているのだ。楽しみで仕方がない。

 

………

……

 

『蛇子ちゃんとのメール』

RE:RE:RE:RE:RE:RE:RE:頭から流血して入院が伸びたって聞いたわよ? 今度は何をしたの?

 

日時:『“今年の”』8月中旬 第2週 19:00~

場所:魔都 東京(東京キングダムZ街Y丁目X番地)

補足:使いにはこちらから話を付けておくから、渡してある名刺があれば問題なく私の元に来れるはず。名刺を無くしちゃったのなら……自力で何とかしてみせてね♡ また会える二カ月後を楽しみにしているわ♪

 そうそう、ゼラトシーカーちゃんの愉快なお友達の……上原 鹿之助くんを紹介してくれてもいいからね♪

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7章+ 『我が名はヒマリ!クラスの果てより会いに来た!そなたは私の同性同名と聞くヒマリか!』
Episode34+ 『光の陽葵/闇の日葵/Wひまり』


~まえがき~
 対魔忍RPG 4周年、おめでとうございます。




 あれから何事もなく無事に白い部屋(病院)から脱出(退院)した私ですが、身体は相も変わらず絶好調な状態を保っています。

 無事にすごくつまらない中間テストをふうま君とササッと適当に終わらせてから、まえさき市での出来事に関する事情聴取も適当に鹿之助くんの証言に合わせる形で説明をしました。あの場にはカルティスト(誘拐犯)しかおらず、消防局が注意喚起をしている動画で見たペットボトル爆弾で不意を突いて助けた趣旨の説明だけサクッと済ませて。

 6月上旬には楽しい日常を鹿之助くん、ふうま君、蛇子ちゃんと過ごそうと考えていたわけですが……現在トラブルが発生してしまいました。

 3人が揃いも揃って“課外授業”とやらに出かけてしまっているようで、普段つるんでいる友人が誰も居ない日常を一人寂しく送っています。たまに3人はフラッと数日に1回は帰ってくるのですが、どこかその顔は疲れていて声をかける余裕もないほどに疲れきっていて……いまの私にできることは、3人を余分に疲れさせてしまわないよう疲労に効く紅茶やホットアイマスクを通販で取り寄せて3人に配って回ることぐらいです。

 

はぁ……」

 

 時期も梅雨となり、ふと窓の外に視線を移せば雲は鉛空で、雨のにおいを充満させながらしとしととまるで私の心の中のように泣いています。

 ……なんて、ポエムを刻んでみたものの、要はすることが無くて暇だった。……家に帰ってからであれば、8月(対蛇子ちゃん)へ向けての時間が足りなくなるほどにやることだらけなんですけどね……。

 私の説明書(基本ルルブ)である2種はひとまず斜め読みの形で全部読むことは済んでしまっている。あの大喰らいの泥濘に背中を一突き刺されたわけだが、〈幸運〉にも説明書は血と洗剤で汚染してしまうようなことはなく、私が使い込んだ程度には劣化していたそうだが本自体そのものは無事だったようだ。

 また、私があの魔術師から回収した魔導書は『クトゥルフ2010』『クトゥルフコデックス』という『クトゥルフ神話TRPGのサプリメント』だったようだが、一介の魔術師が、TRPGのサプリを魔導書として運用しているとは到底考えにくく、つまるところ。これ等は私の説明書の拡張セットではないかと仮定している。どういう経緯でこれが、あのカルティストの手に渡ったのか。これ等の魔導書を入手する規則性については掴めていないが、現状としては使えるものは使っていく。そのつもりだった。

 ひとまずはコデックスから読書を始めていく予定だ。

 『クトゥルフ2010』と『クトゥルフ コデックス』は160頁からなる小冊子であり、『コデックス』から読み進めることを決めたのはこっちの方が面白そうなゾンビに関するシナリオが同封されていたことが大きな要因であった。

 

「ねぇ! キミが『青空 日葵』ちゃん?!」

「っうぉあッ!?」

 

 窓を眺めて、暇な日常をどう過ごすか考えていたところだったが、バンッと音が響き渡るほどの勢いで自分の机を叩かれ、名前を呼ばれたことによって微睡んでいた意識が現実に引き戻される。

 窓の外から叩かれた机の方向へと視線を戻すと、1人の一目で元気っ娘系女子とわかるような少女が目をキラキラと輝かせているのが視界に入ってきた。その姿は暖かな太陽のようなオレンジ色の光彩に、二つの豊満な乳。その髪型は梅雨のシーズンであるというにも拘らず私以上の癖っ気で、彼女の髪型を一言で簡潔に言えば、モンハンライズに登場するベリオロス女性頭装備のような髪型と言えばいいだろう。その肌はこんがりと小麦色に焼けていたが、私が前世で唯一知っている対魔忍の片割れ『水城 ゆきかぜ』よりは薄い……鮮やかな小麦色をしていた。

 

「ごめんね! びっくりさせちゃったかな?」

「えぇ、まぁ……少しだけ。確かに私は『青空 日葵』ですが……。……えっとあなたは?」

「私も“ひまり”! 日ノ出(ひので) 陽葵(ひまり)っていうの! 私と同じ性別で、同じ名前で似たような苗字と同名の子が5月から新入学したって聞いて会いに来たんだ!」

 

 ニコニコと笑う彼女は、その名にふさわしく後光が差すかのような太陽のように輝かしいオーラが放たれていた。御馴染みの3人が“課外授業”に出かけてしまい気力が喪失し、ジメっとした梅雨に気が滅入っている私とは対となる存在のように感じられる。

 

「あー……そうでしたか。えっと日ノ出さんは……」

陽葵(ひまり)ちゃんって呼んで良いよ! 私、同じ名前を持つ日葵(ひまり)ちゃんともっと仲良くなりたいと思っているの!」

「ひまり、ちゃん……?」

「うん! いいね! すっごくいい! 私ね、日葵ちゃんのこと噂で聞いていて、どんな子なんだろうって思っていたんだけど、会いに来た感じだとすっごい普通の子だね!」

 

 思わずこれには苦い顔をする。

 自分がやらかした行いとは言え、やはりやらかし案件を面と向かって言われるものは若干堪えるものがある。

 ……いえね? 私は普通にニコニコ五車学園ライフを送りたかったんですけどね? あまりにも命の危機に瀕したから、消火栓という得物に手に出ただけであって私は悪くないんですよ。紫先生も『全力でかかってこい』って言っていたような気がしますし。私はその言葉に応じただけです。

 

「いやぁ……。あはは……そういう陽葵ちゃんは、すごい元気っ娘ですね。かなり体力が有り余ってそうで疲れ知らずって感じがします」

うん! よく友達からそう言われるね! それで日葵ちゃんはさ、音楽は『地獄デスメタル』が好きだって聞いたんだけど、楽器とか弾けるの?」

 

 彼女は私の目の前で、ギターを弾く様なエアギターを始める。

 ……うん。……うん? また彼女の言葉から、まだ私の噂が非常に錯綜していることをなんとなく察することができる。

 それにしても、私の噂は『地獄デスメタル』とはまたコアなヘビィメタルのサブジャンルを突いてきているようで……。私は細かく分類されたサブジャンル系統の話なら、地獄デスメタルはあまり好みではない。ジャンル的にはシンフォニック・パワーメタルやクルーヴメタル、シンプルなヘビィメタル派なのだけど……。

 でもきっとここら辺の会話は、初心者には分かってもらえないし……。無益な好みの違いで戦争が始まりかねない話題だから、そっと修正する程度に留めて質問には答えることにした。

 

「うん……楽器に関しては、大体できますよ。ベース、ギター、ドラム、キーボード……いずれのポジションでも、バンドで欠員が出ても即参戦できるよう一通りは扱えるように練習はしています。陽葵ちゃんはどうですか? 楽器とか嗜みますか?」

「んー。私はどちらかというと身体を動かす方が好きだから、……あまりそういうのはやらないかな? ごめんねっ

「そうですか……気にすることはありませんよ。でも、1点だけ修正しても良いですかね……?」

 

 これはやはり初心者。ヘビィメタルのサブジャンルというもの自体をわかって無さそうだ。ひとまず 私が地獄デスメタルを好きだという噂を聞いて興味本位で聞いてみたと言った様子であって、この話は膨らみそうにはない。だが、私も修正したいことはある。それだけは告げなければならない。

 

「どうしたの?」

「私は地獄デスメタル好きというよりも、ヘビィメタル自体が好きな感じです」

「ぅん……? 地獄デスメタルとヘビィメタルは何が違うの?」

 

 こればかりは『聞いてみれば、わかる』と一蹴したような返答になりかけるが……。まぁ、興味本位で聞いている以上、自ら進んで音楽を調べて違いを視聴する……なんてことはしないだろう。だからどういう違い程度の説明だけは行おうと試みる。

 

「地獄デスメタルというのは、ヘビィメタルに分類されるサブジャンルの事を指していますね。私たち学生の身近なものに例えるなら、そう……。五車学園に所属する各クラスの雰囲気をイメージしてください。ほら、クラスによって、そのクラスごとの特色や雰囲気があるじゃないですか、そのようなジャンル分けとなっている様式です」

「……んぅ?」

 

 いまいち理解していないような顔をしている。まるでこれがアニメなら、吹き出しに黒い竜巻のようなぐじゅぐじゅの線が出ているかのような素振りと表情だ。

 私も彼女になんとたとえ話をすればいいか、顎に片手を当てて左側に視線を移した。写した先にはクラスメイトの机があって、次の授業で使用される『数学I』の教科書が私の目に留まった。

 

「今の説明でピンとこなければ、高校で習う数学で例えてみましょうか。数学と言っても、高校で習う数学には5種類。数学 I、数学 A、数学 II、数学 B、数学 IIIとあるようにヘビィメタルにも様々な種類があるわけです。地獄デスメタルはそんな大きなヘビィメタルというジャンルの1つでしかないわけですよ」

「……」

 

 私のジェスチャー入りの説明に今度は、彼女は目を丸くして聞いている。この様子だと、私の話を真面目に聞いているうえで わからないこともあるけど少しは納得していると言った表情が散見される。

 

「……すみません。……今の説明で理解していただけましたか?」

「なるほど……ヘビィメタルにも色々種類があって……うん! わかりやすい説明だったよ。ありがとね!

「だと、いいのですが……」

 

 梅雨の時期かつ、雨が降っており気圧などによって気が滅入っている私に対して彼女は太陽のような態度は変わらない。なんというか、彼女が光の陽葵だとすれば、さながら私は闇の日葵だろう。クラスメイトには私達のことがどのように見えているのか……? 少しばかり気になった。

 

あとね!  あとね! 今日は私、日葵ちゃんに見て欲しいものがあって、持ってきたものがあるんだ!

「見て欲しいもの?」

「じゃじゃ、じゃじゃっ~ん!」

 

 そういって彼女が取り出したのは、オレンジ色で前開きのライダースジャケットだった。右肩には太陽の紋章が刻まれており、過度な総丈詰めによって 胸部周囲しか衣服として機能しなさそうだ。まるで子供用の服を着ているかのようなサイズ感の合っていないジャケットにも見える。

 

「このジャケット、どう思うかな? 私の対魔忍スーツ(勝負服)の上着なんだけどね?」

「これは……なんというか——」

 

 しかし、広げて彼女がその勝負服とやらを纏った瞬間、そのサイズの合っていない服という第一印象は払拭された。

 思わず私の目もキラキラと輝いて、瞼が普段よりも自然と大きく開いていくのを感じることができる。私も着てみたくなるような……。思わず、席を立ちあがって、貴重な芸術品に触れるかのように、そっとライダースジャケットに手を置く。艶やかな触感とほんのりと温かい感触が指先に伝わった。

 

「カッコいいですね……! その幅の広く立った襟もさることながら、オレンジをベースとしたライダースジャケットに黒のライン。右肩についている太陽の紋章も陽葵ちゃんにマッチしていると思います! 最初こそ総丈が短く子供服のようなイメージでしたが、あえて総丈を詰めることによって自身のくびれとへそを強調し、なおかつライダースジャケットの重量を無視したデザイン。キマってますね……!?」

「でしょー!!? ヘビィメタル好きの日葵ちゃんなら、この感性っ! 絶対にわかってくれると思ったよ! いいでしょ?! いいでしょ!!?」

「え、なんですか?! その勝負服!? なんですか!? 最高にロックだと思います! いいですね! 好きです! 好きッ!!!」

「なんなら、日葵ちゃんも着てみる!? 着て見ちゃう!? 絶対に似合うと思うよ!

「え、いいんですか!? いいんですかっ?!! 着ていいなら、着ちゃいますよ!? 着ちゃいますよ!?」

 

 クラスメイトがうるさいのが2人に増えたという眼差しをこちらに向けてきているが、そんなことは今の私には知った事ではない。さらば、過去の私。闇の日葵として認識されるよりも……そんなことより今はジャケットだ。

 彼女が脱いだライダースジャケットを受け取って袖を通して纏う。短時間にも関わらず彼女の衣服はポカポカと太陽に照らされているような温かさがあった。恐らくこれは、彼女の体温が他の人に比べて高いためだろう。まくり上げられ、袖上げされた袖が上腕の中ほどに来ており手首付近が非常に快適であった。窓に反射した私に対して、ファイティングポーズを取ってみる。ジャブを2~3発放ってみる。彼女がやっていたようにエアギターの動きをしてみる。

 ……すごい動きやすいし、総丈を詰めているとはいえそれ以上に素材が羽のように軽い!

 良い! この服、良い!(語彙力崩壊の音)

 

「似合ってる! 似合ってるよ!」

 

 背後からの同名の新しい友人のあいの手も入ったことにより、こちらのテンションが梅雨の憂鬱をブチ飛ばすような勢いで跳ね上がってく。『ちょろい』と言われたらそれまでだが、この服でテンションがブチ上がらない方が私にとってはおかしいのだ。

 しかもこのファッションは今だからできるし、今じゃないと“できない”ファッションだからいいのだ。考えても見て欲しい。20代までならまだしも、三十路後半を越えた大人の女性が、こんなファッションで街中を闊歩してみたら……周囲から痛い目で見られるのは間違いない。これは学生だからできる、許される年相応のファッションなのだ。

 

………

……

 

 授業開始のチャイムの音が鳴り響き、ここでやっと我に返る。

 テンションが振り切ってしまった結果、時間を忘れてまで陽葵ちゃんの あいの手に乗っていたようだ。

 少し記憶を振り返ってみるが、途中からあいの手がボディビル大会の掛け声(\ヘビィメタルの伝道者!!!/)に変わっていたような気がしなくもないが……楽しかったことには違いない。

 

「ご、ごめん! 熱中しすぎちゃったみたいで……えっと、返しますね!」

 

 丁寧に脱衣をして、綺麗に服を折り畳む。授業開始のチャイムがなったのにも関わらず、椅子に座りニコニコと満面の笑顔で手を叩き、こちらにあいの手を入れ続ける彼女に謝罪と一緒に勝負服を返却した。

 

「いいの! いいの! 日葵ちゃんが楽しそうにしてくれていたみたいだし、私はなによりだよ! ねぇ! 今度の放課後は暇? 暇なら一緒に帰ろうよ! 私、もっと日葵ちゃんのことが知りたいな!」

「もちろん空いていますよ……! 放課後ですね! よろしくお願いします!」

「そんな『よろしくお願いします』だなんて、気にしないでいいよ! 日葵ちゃん、最近憂鬱そうだって聞いてたからね! 元気になってくれたのであればよかった! それじゃあまたね!

 

 先生と入れ替わるようにして彼女は、大手を振って私のクラスから退室していく。その笑顔は本当に心の底から笑っているようで、星の瞬きとは違う 太陽のようなキラキラとした笑顔で、その温かさでこちらも自然と笑顔になるのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode35+ 『噂の根源』

 時刻は夕方。

 今日も1人っきりのでの帰宅……ではなく。久方ぶりに友達と2人で共に帰路についている。その友人とは以前、学校から一緒に帰る約束をした日ノ出(ひので) 陽葵(ひまり)ちゃんだった。

 空はどんよりと鉛色で、傘をさす必要があるぐらいには雨が降っていたが、不思議と彼女のそばにいるとカラッと乾燥したような空気と不思議な雨であった。

 

「それでね、その時 心寧(ここね)ちゃんが日葵ちゃんの存在とクラスを教えてくれたんだっ!」

「なるほど、その方が 陽葵ちゃんに私が『入学1週間で突然 頭にカバンを被って廊下で地獄デスメタルをゲリラライブ放送した印象派ファンキーフレンズ』と…… “現場を見た上で” 教えてくれたんですね?」

「そそっ! 今度、日葵ちゃんも私のクラスに遊びに来てよ! その話を教えてくれた時に心寧(ここね)ちゃんがね、日葵ちゃんとは『一度でいいから、ゆっくりお話ししたい』って言ってたんだけど……ほらっ! 日葵ちゃんって学校中の人気者だから、会いに行く勇気が出なくてずっとクラスで嘆いていたんだ!」

「ほうほうほう……。そうですか、そうですか……。いやぁー……奇遇ですね? 今のお話を聞かせてもらって、私もその速水(はやみ) 心寧(ここね)ちゃんに、すっごぉぉおく会いたくなってしまいました」

 

 そして判明する私の魔改造された噂の発生源。

 現在、帰宅路の道に二つの笑顔が通り過ぎていく。

 1つは言わずもがな、陽葵ちゃんの私と楽しくお喋りをしながら、自分の友達を紹介して心の底から自然と沸き上がった溢れる感情を見せている楽しそうな笑顔。

 もう1つは、どういう経緯で噂を流そうと思い立ったかは知らないが、日に日に悪化していく魔改造した噂を垂れ流していた本人に対し、怒りの衝動に駆られ 張り付いたような口角を上に吊り上げた私の威嚇的な笑顔だ。

 なるほどぉ……。その速水(はやみ) 心寧(ここね)ちゃんという方が、陽葵ちゃんに『入学1週間で突然 頭にカバンを被って廊下で地獄デスメタルをゲリラライブ放送した印象派ファンキーフレンズ』と吹き込んだわけですか……。

 入学から約2週間後のふうま君に連れられて図書館へと向かうあの現場((〈変装〉ファンブル))を見た上で? へぇー? なるほどぉー? 良い度胸しているじゃねぇか……。そしてお前だったかぁ、私の噂に背びれ尾ひれ付けて拡張しているやっこさんはよぉ……?

 

 そうかそうか、つまりきみはそんなやつなんだな?

 

「日葵ちゃん! すごい良い笑顔だねっ! 心寧(ここね)ちゃんはね。いつも大人しくて、あまり笑わない方だけど……そんな笑顔で人気者の日葵ちゃんとお話できたら、きっと喜んで日葵ちゃんにも、笑ってくれると思うんだ!」

「えぇ、きっと飽きさせることのない巧みな話術で彼女も笑顔にして見せますよ。見せてやりますとも……今から既に凄まじく……実に次お会いできる日が楽しみです」

 

 ニコニコとした笑顔でお互いの顔を見合わせる。彼女の顔は一切の陰りも見られなかった。それどころか自身が濡れるのも気にする様子もなく、傘を閉じたかと思えば爽快に飛び跳ねて、心の奥底から嬉しそうに大きく万歳の姿勢を取る様子が見受けられる。彼女の髪に当たった雨のしずくは、吸収されるわけでもなく撥水性のレインコートのように弾け跳ねのけていた。まるで太陽の化身のようだ。

 だが、こちらの笑顔だけなら負けてはいない。一切の曇りのないジトジトとした闇の籠った笑顔で、傘を差したまま彼女の後を追いかける。

 

「ほんとに!? それじゃあ、日葵ちゃんのことを心寧(ここね)ちゃんに伝えて——」

「いえ、陽葵ちゃん。その必要はありません」

「? どうして?」

「なぁに……ちょっとしたサプライズですよ……。考えてもみてください。陽葵ちゃんの気になる人が、中々会いにくい学校中の人気者で、そんな人気者が突然目の前に現れて、自身に会いに来たことがわかったら……その時、陽葵ちゃんはどんな気持ちになりますか?」

「……! そっか! すっごく嬉しいよねっ!」

「そうでしょう。そうでしょう……? きっと……ッ! 心寧(ここね)ちゃんも喜ぶに間違いありません……だからこのことは秘密♪ ですよ♪

「わかったよ! 日葵ちゃんってさ! 人を喜ばせる天才って言われたことない? 私は全然思いつかなかったよー」

「わぁはっはっは。そんなことはございませんよ。姑息で狡猾、小賢しいクソアマ(おんな)と(前世で)卑下されたことは何度かありましたけど」

 

 その純粋な笑顔を向ける彼女の肩に手を置いて、余計な事(ネタバレ)しようとする彼女を止める。それからこちらも笑顔のまま人差し指を自身の口元に添えて、とっておきのサプライズ計画をしていることをウィンクしながら話す。そんな私に彼女は更に目を輝かせながら褒めちぎった。

 ……純粋・素直な彼女を見ていると心なしか、将来が心配になってくる。私はどちらかと言えば、これまでの会話の殆どは殺意と悪意が籠められた発言であるのに対し、彼女はそんな様子を気づく様子もなく前向きにとらえて私と言葉を交わしていたからだ。

 ……忠告すべきだろうか? でも。彼女とはこの前の授業の合間の出来事で仲良くなったとはいえ、出会ったばかり相手だ。まだそんなに交友関係も深いわけじゃない。そんなことを言うのは野暮か……。でも、それでも心配だ。……悩む。

 ……彼女は出会ってから早数日で性格が大体理解できてしまうほどの元気っ娘で、素直なその性格と仕草の1つ1つや言動が男好みな可愛さを持ち合わせ、私と同じ高校1年生にも関わらずスタイルが良く胸が大きい。……(ダブル)蛇子ちゃんよりは、小ぶりだが……それでもD~Eカップはあるだろうか。大きい。……ゆえに、よってたかってくるような男や魔族がいるのが容易に想像できてしまう。

 

「こ、姑息で狡猾!? 今こうして話した感じだと日葵ちゃんにそんな感じはないよ!?」

「そうですか? ふふっ、ありがとうございます」

「あ、今の! そんなふうにも笑うんだね! 照れて笑う日葵ちゃんも素敵だと思うな!」

 

 とまぁ、ごらんのとおり、私の言うこと話すこと。今の握りこぶしを作ってクスリと本心からの笑い方から仕草まで、ずっと全肯定である。

 私なんかより、お前の方が何十倍もかわいいぞ。

 勿論。すべて好意的な意味合いでの可愛さのことだ。

 ……そんな彼女がモテないわけがない。仮に彼女の魅力に気が付けない男がいるのであれば、そいつは確実に女を見るセンスがない。はっきり言ってカスだ。

 この底抜けのポジティブ思考を伴侶にすることができた場合、自分が辛いときや苦難に直面したとき、一緒に絶望的な現状を打破する案をくれるような素晴らしい女神のような存在にもなり得るだろう。

 

「そういう陽葵ちゃんは全身全霊で(底抜けに)ポジティブな(明るい)性格って言われたことはありませんか?」

「うん! クラスメイトからよく言われるよ!」

「ですよねー。その性格、すごく……いえ、『すごく』なんて単語で語ることができるようなものではないですね。類稀なる良き個性ですので、これからもその性格を大切にしてくださいね」

ありがとうっ! 日葵ちゃんも、その色々と機転が利く性格を大切にしてほしいな。日葵ちゃんなら、学校を卒業した後ももっと多くの人を笑顔にできるに違いないと思うからねっ」

 

 お互いに顔を見合わせながら、ケラケラと笑い合う。いま私が今見せている笑顔には他意は含まれておらず、心の底から晴れ晴れとした談笑の笑みだった。

 ……でも、『もっと多くの人を笑顔にできるに違いない』か……。

 だが、そんなことを私は成し遂げられるのだろうか? 私は学校を卒業した後は大学に通って、医師か、エンジニアか、作家か、司書になるつもりだ。株の資金繰りがうまく行ったら、仕事を趣味活動にして、鹿之助くんの正義の味方(ヒーロー)の支援者となる予定で……極力、対魔忍とは関わらないようにひっそりと世界の真実を知らない一般人として過ごす……。そんな私が……。

 人の身体を奪ってまで転生した私が……? もっと…多くの人を……? 笑顔に……?

 

「……あれ……? ……日葵ちゃん? 日葵ちゃん?」

「え。あ。ん、ごめん。ぼーっとしてた……ごめんね、何?」

「すごく難しい顔していたけど、大丈夫?」

 

 気が付けば、陽葵ちゃんが眉を八の字にしながら、不安そうに こちらの顔を覗き込んでいた。

 ……いけない。悪いスイッチが入った。自分を咎めるのなんて、これは自宅に帰って布団の中でもできるはずだ。

 

「……うん。……雨がね。これで傘をささないで楽しくおしゃべり出来たらなぁーって思っちゃって」

 

 傘を少しずらして、曇天を見上げる。天より降り注ぐ水滴のいくつかを眼球にわざと直撃させて、ずぶ濡れになった犬のように頭を振りながら目をこすって、落ち込む気持ちを整える。

 

「あうっ」

「あはは! 日葵ちゃんってば、おっちょこちょいだね! こんな雨なのにお空なんか見上げたらそうなっちゃうよ! だけど今度日葵ちゃんと帰るときには、確実に良いお天気の時に帰れるように晴れ乞いしといてあげるねっ。私の晴れ乞いは効果てきめんなんだから!」

「うん……ありがとね」

「気にしないで! 私達、友達でしょ?」

 

 彼女は私の隣で童話の『あめふり』のような歌を口ずさみ始める。ここで『あめふり』のような歌と称したのは、途中で口に出していた歌詞の内容が雨が降ることを願うような内容物ではなく、それどころか晴天を願うような歌詞であったためだ。これがこの世界の特有のものなのか、それともただの替え歌なのか、私には分かりかねる内容ではあったが それでも楽しそうに歌う彼女を見ていると、どこか心が落ち着いていき……それに先ほどまで降っていた雨の強さも、小雨に変わっていっているようなそんな気がした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode36+ 『五車学園の森の怖い話』

「あっ! そういえばっ! ねぇ! 日葵ちゃんは怖い話って好き? こんな雨の日にぴったりな怖い話を知ってるんだけど、1つどうかな?!」

 

 ハミングを口ずさみながら私の隣を歩いていた陽葵ちゃんが、唐突に何かを思い出したかのような閃いた顔でこちらの顔を覗き込んできた。しかし……とてもじゃないが、彼女の顔は面白い話をするときの顔つきで怖い話をするようには見えない。

 だが、怖い話と聞いた瞬間、私の中でふと興味が湧きあがる。これは、前世でもよく見られた感情だ。怖い話には常に裏の歴史や隠された真実に絡んだ気になる事情が1枚か2枚絡んでいる。私はある時を境に、この裏の事情や謎を解き明かしたいという好奇心があふれるようになっていた。

 それに今回は裏の事情を探ることや謎の解明のみならず、もしも彼女の話がシナリオフックとして流用できそうなものであれば、クトゥルフ神話TRPGのネタにして鹿之助くんや、ふうま君、蛇子ちゃんにTRPGシナリオとして回したって良い。

 陽葵ちゃんから告げられた“怖い話”という単語に今回も片眉がスッと持ち上がり、自然に顎へと手の親指と人差し指が張り付く。

 

おぉ~っ!? 興味があるって顔だね!」

「えぇ、かなり気になります。是非とも聞かせてもらっても良いですか?」

「もっちろん! そのためにも話題を振ってみたんだから!」

 

 先ほどの、少し落ち込んだような状態から一変して、わかりやすい興味のある仕草に対して彼女も気が付いたのだろう。傘を差し直して、ゆっくりと歩幅を小さくして私の横に並んできた。

 

「これは卒業した先輩が、先輩の友達の友達の恋人から聞いた話なんだけどねっ? 五車学園の北に位置する深い森の中に雨の日の夜になると、洋館が浮かび上がるそうだよ!」

「ふむふむ……。少しメモを取りながら話を聞きますね」

「いいよ! それでね。そこには、本来その場所には草木も一本も生えない朽ちた瓦礫の山が転がるばかりで何もないはずなんだけど、学校の先生達は口を揃えてその場所には行ってはいけないっていうの。日葵ちゃんはまだ学校集会には出たことないから分からないとは思うけど、生徒指導部の蓮魔(はすま)先生がお話する時にそのことはしてくれるから、今度注意深く聞いてみるといいよ! それでねっ! 理由は分からないけど、とにかくその場所は行っちゃいけない場所で、夏休みに入ると学校側がアルバイトとして卒業生を何人か呼んで森に入ろうとする生徒を捕まえる程でね! 私も実際には行ったことはないんだけど……。確かに私が物心ついたときあたりから、その場所には近づいちゃ駄目ってお母さんやご近所さんから聞いたことがあるんだ」

「その雨の降る日だけに現れる洋館なんだけどね! その先輩の話では名前の通り雨が降ったその日だけは完全に復元されていて、正面には木製の大きな両開き扉があって建物内に入ることが出来たんだって! 外は視界が悪くなっちゃうほどの雨で、晴れた日には何もないはずなのに建物内は雨漏りをするどころか完璧な洋館って作りだったんだって! それで、その先輩が友達と洋館を探索していたら、突然首のない赤と黒、白を基調とした中世のドレスを纏った首のない女の亡霊が出て、洋館に入った侵入者を地獄に導きに襲い掛かって来てね!!! もうブワーって!ブワーって!!! こうやってヒグマが立ち上がって襲い掛かるみたいにブワーって!脚も動かさないで、足がないのにその先輩たちが洋館から出ていくまでずっと休む暇がないぐらいに散々ブワーって!追いかけまわしてね! こうやって腕を振り上げて、抱きしめるように捕まえて動けなくなった無防備な先輩をガブーっ! って噛みついてね!

 

 彼女の発言を忘れてしまわないように、スマホを取り出してメモ帳機能を使ってメモを取る。更地に雨の日の夜だけに現れる突然の洋館。襲い来る首のない赤と黒、白を基調としたドレスを纏った首のない女の亡霊。先生方も入るな。遊びに行くなというほどの禁足地……。

 陽葵ちゃんの話し方も少しはあるだろうが、怖い話としてはインパクトとして欠けていた。というよりも、そんなニッコニコの笑顔で怖い話をされても……。こちらを怖がらせようとヒグマの下りから、傘を放り投げて威嚇するレッサーパンダの姿勢を取りながら私に抱き付かれても……傍から見れば面白い話をしている女子高生が感極まってじゃれついているようにしか見えない。

 ……あっ♥ 威嚇するレッサーパンダの姿勢から、メモを取る私に抱き着いてきた陽葵ちゃんから良い匂いがする。まるで、快晴の日に干した布団のような……お日様のにおい……。怖いどころか和んでしまう。

 

 一旦、陽葵ちゃんから和やかな香りがすることは置いといて、TRPGのシナリオフックとしての情報としては十分だった。

 舞台は雨の日の夜だけ姿を現わす洋館。なぜ亡霊は洋館と共に姿を現わすのか……謎を解き明かすための重要NPC……首のない女の亡霊。シナリオ傾向としては、シティ、クローズド……どちらでも行けそうだ。シティなら、どうやって雨の日の夜だけに姿を現わす洋館を見つけるか調査をしての洋館への調査、暴れる亡霊の鎮魂。クローズドなら、ハイキングに遊びに来ていた探索者が突然の雷雨に見舞われ追われるように向かった先が、雨の日の夜にしか現れない洋館、しかしそこはシリアルキラーの屠殺場だった。

 ……どちらの線でも面白いシナリオが書けそうだ。

 

「でね!? なんとかその先輩の恋人は逃げられたんだけど、他の人はみんな首のない亡霊に捕まって……行方不明になっちゃったんだって! この話、怖かった!?」

「そうですね、その先輩の恋人を除いた全員が行方不明になってしまった下りは怖かったです」

「ほんと!? やったぁ! 怖がってもらえた! この話で怖がってくれたのは日葵ちゃんで2人目だよー! クラスのみんなにも一通り、今と同じように話してみたんだけど、みんな『怖くない』って言いうんだよ!? 私はすっごく怖かったのに!」

「……同じように話したんですか? ……男子生徒にも、今のように?」

「うん!」

 

 うん。……うんじゃないが。そりゃ、怖くないだろうよ。話の最後で、こんな女から見ても顔つきがかわいい。仕草もかわいい。スタイルは羨ましくなるぐらいにムッチリとした……お日様の香りのする異性からハグしてもらえるとか、その男子生徒共は最初どんなご褒美かと思っただろうよ。

 話の題材としてはTRPGの素材として用いれるぐらいには良い題材だとは思うのですがね。語り手がね……。語り手の口調とボディランゲージと、ボディタッチと満面の笑顔がね……うん。どう見ても怖い話をするソレじゃないんだ。抱き着かれて、陽葵ちゃんからお日様のにおいがしてきたときは、私も抱きしめ返したくなるぐらいにかなり和んだ。

 

「ちなみに他に誰が、その話を怖がったのですか?」

「それがさっきお話した日葵ちゃんに会いたがっている人……心寧ちゃんだよっ!」

 

 うん。……これは友達として怖がってあげたのだろうな。私には分かる。

 

「そうですか……。……でも、首が無いのにどうやって亡霊は噛みついたのでしょうか? 疑問が残りますね」

「あ、やっぱり日葵ちゃんも気になるでしょ!? でしょっ?! それでね! 今度、話をしてみて興味を持ってくれた3年生の先輩2人と、私と、心寧ちゃんと、同じ学年の神村ちゃんと一緒に週末の大雨の日。その洋館へ行って首なし亡霊の正体と、本当に洋館が出現するのか真相を掴んでみようと思うんだけど……。日葵ちゃんもどうかなっ!?」

 

 いつもの私なら、現地調査。……ということであれば喜んで食いついていただろう。

 しかし、でも……そんな視界の通らないような雨の降る夜に人工的な光が1つもない森の中に入っていくのは……。少……いや、かなりリスクが高すぎやしないだろうか?

 

「あー……。そのお誘いは嬉しいけど……陽葵ちゃん?」

「ん?」

「その調査は……やめておいた方がいいと思いますよ? いえ、盛り上がっているところ恐縮かつ白けてしまう発言ではありますが……。いったん一緒に調査へ向かう人たちと話し合って、今すぐその調査を取りやめた方がいいです。雨の日の夜に森の中に入るだなんて、急な段差からの滑落の危険性があるかもしれないですし……。遭難した日には、いくら初夏とはいえ雨風に晒されて低体温症で凍死の危険性だってあります。危ないですよ」

 

 ニコニコとして、どこか危機感が足りていない彼女を咎めるぐらいの強い口調で静止を入れる。

 流石にそんな場所に学生だけで行くというのは、危険だと少し考えればわかることだ。私も先ほどのメモを取っていた時のような笑顔を止めて、危機感のない彼女をしっかりと見つめた。

 森の中は、空や地上共に障害物が多く、捜索ヘリや携帯会社によっては電波が届かない可能性だって出てくる。特にここは秘境の町、グンマーなのだ。関東なのに他県より警戒するに越したことはない。

 

「あれー? 日葵ちゃんなら神村ちゃんと同じように『幽霊なんて、私がぶっ飛ばしてやるぜー!』ぐらいの勢いで『首がないのに噛みつける亡霊の構造を解明してみせます!』って乗ってくれると思ったのに……。もしかして、日葵ちゃんって噂で聞くよりも幽霊とかは苦手な感じ?」

違います。私が危険で恐ろしいと言いたいのは、そんな視界の悪い雨の日に視界の悪い森の中で、雨の日の夜にしか現れない洋館を探しに行くこと自体が危険だって言っているんです。陽葵ちゃんその調査……考え直していただけませんか?」

「あはは! 大丈夫だよー! そのために光源役の私と神村ちゃんがいるんだし! いっぱいライトをもっていく予定だから道中は昼間みたいに明るいよ! それに舗装はされていないけど、ちゃんとした道は通るし! 道中に関しては何も恐いことなんてないよ!」

 

 あ、駄目だ。彼女は自分たちが、まさか遭難するなんて思っていないような……ちょっとした近所にピクニックしに行くぐらいの遠足に行く前の小学生のような顔をしている。私が真面目な顔をして話をしているけど、危険性をまったく理解していない。

 彼女はまず異性や魔族に襲われてしまうような心配をするよりも、その底抜けのポジティブ思考で危険な場所に自ら突っ込んでいってしまうような習性を心配すべきだったか……。くっ……前世で大体、事件を持ち込んでくる数多くの友人達の顔と重なって、ちょっと頭が痛くなってきた。

 

「……わかりました。ですが、私が一緒に付いて行くかどうかは ひとまず保留でもいいですか? 私も色々事前の“情報収集(事前準備)”をしたいので……」

「もちろん! その洋館調査は来週の土曜日の18時30分に五車学園裏門に集まって向かう予定だから、それまでには気持ちと準備を整えておいてねっ!」

「かしこまりました。来週の土曜日、18時30分に学校の裏門に集合ですね? ……予定を予め空けておきます」

 

 この場で押し問答しても仕方ないだろう。彼女には聞こえないような小さな溜息を吐いて、先ほどまで彼女の怖い話をメモしていたスマホを弄りスケジュールに洋館探検の項目と、その前日までの期間に事前準備期間の設定を加える。

 どうやら、彼女は彼女を含めた5人でその洋館に向かう予定だったようだし、彼女がダメなら 主催者を見つけ出して全体解散を促すか、陽葵ちゃん以外に直談判をしていって 多数決で諦めさせるほかない。

 流石に1人になれば、そんな危険な場所に向かったりしないだろう。……向かわないよな?

 

 




~閑話~
青空 日葵「それと、陽葵ちゃん?」

日ノ出 陽葵「なにかな?」

青空 日葵「これは持論ですが……幽霊は悪霊を覗いてそこまで恐ろしいものではないですよ。真に恐れるべきは禁忌に触れたカルティストです」

日ノ出 陽葵「??? そうなの?」

青空 日葵「そうなんですよ。いいですか? カルティストを見つけたら、どんなにいい人でも近づいちゃだめ! ですからね!」

日ノ出 陽葵「んぁ……わかったよ」


~あとがき~
 日葵(神葬)は、五車学園の生徒を対魔忍の世界線だから戦える系の一般人認識していますが、五車学園の生徒は自身対魔忍だと自覚し。なおかつ日葵のことも一部の対魔忍を除いて対魔忍だと認識しているので……執筆の際、発言の温度差で笑っちゃうんですよねぇ……。

・日葵(神葬)の認識
 雨で視界が悪い森に足を踏み込み、噂と言えど失踪者が出ているような場所に向かうだなんて危ない。止めないと。こういう場所の調査は、晴れた日とか、もっと他の安全な場所を探検するべきだ。そもそも対魔忍でもない一般人が不用意に近づくべき場所じゃない。
 …ところでちゃんと事前の情報収集は済んでいるのだろうか? 探索者としての経験論として、情報不足は死を招くぞ。

・日ノ出 陽葵の認識
 噂話で聞いたことのある突拍子もない行動とか聞いている話よりも、日葵ちゃんって意外と真面目で心配性なんだなぁ……。(日葵ちゃんも含め)私達、全員対魔忍だし、3年生が2人も居て仮に魔族と遭遇とかあってもそれくらいへっちゃらだ(怖くない)し、何か突然のハプニングが起きても自分たちで対処できる年頃だと思うのに……。
 ……この前まで入院してたらしいし、まだ対魔忍として色々な経験回数が少ないのかな?

 今回の話は、ここら辺のすれ違いにも着眼点を置いて閲覧すると物語を一層深く楽しめるかもしれません。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8章+ 『五車学園の生徒指導は超過激!』
Episode37+ 『思考がヒャッハー、学内ヒャッハーする』


 陽葵ちゃんと一緒に帰った翌日以降の出来事。

 昼休み。

 私はアコギギターを首から下げ、頭には例のカバン((Episode10で使用))を被り、穴の開いた部分から陽葵ちゃんのクラスを出入り口から覗き込んでいた。

 現在、陽葵ちゃんは薄紫が混じった黒色に蛍光灯の光が反射するほどの艶やかなロングヘアに、長い髪の一部をサイドテールとして黄色のリボンで結っている少女と話している姿が見える。顔はこちら側からは分からないが、手ぶり身振りのボディランゲージが激しく出る陽葵ちゃんと違って、反応は薄い……控えめの子らしい。今からすごく楽しみになってきたぜェ……ッ!!!

 ところで、私の持っているギターが何故エレキーギターではなく、アコギギターなのかは突っ込まないで欲しい。……青空家にはこれしかなかったんですぅッ!!!

 オタマトーンやココナッツカリンバを持ってくるよりマシでしょっ!?

 陽葵ちゃんがこちらに気が付いてアイコンタクトを送ったところで、私は突入する。陽葵ちゃんの異変に彼女もこちらに気が付いたようだ。足先を器用に使って片開きのドアを蹴り開けるッ!

 

「やぁ! やぁっ! やぁッ!!! 我こそはァッ! 『入学1週間で突然 頭にカバンを被って廊下で地獄デスメタルをゲリラライブ放送した印象派ファンキーフレンズ』様だァーッ!!! ヒャッハァー!!!!」

 

 入場と共に激しく弦をはじきまくってカチコミを仕掛ける。

 陽葵ちゃんだけが、こちらを見ながら拍手で私の登場を歓迎してくれた。クラス内外が私に釘付けになる。だからどうしたァ!

 この程度暴れたぐらいで、対魔忍なんかに! 対魔忍なんかに目を付けられるわけがねェッ!!!

 鹿之助くん(制御リミッター)も課外授業で居ねェ! 新しい噂を立てられても鹿之助くん(制御リミッター)なら『また変な噂が立ってる……きっと噂へ更に背びれ尾ひれが付いちゃったんだろうなぁ……』程度で気にせず流してくれるはずだ!

 今日は絶好の演奏日和だぜェ!? これは青春と私の復讐の一撃だ! 噂のとおり、最高にゲリラライブを開く女として楽器を奏でてやるぜェ! キェエエエエエイッ!

 

「オォォク……ファァァァクラァァァァイ……ユァ…デェット……シュァアァァァァァ……」

 

 陽葵ちゃんの手拍子に合わせてアコギギターで曲を即席の地獄デスメタルを作曲しながら、ゴキゲンなインコのように頭を上下に緩やかに動かし、フラフラと足元の覚束ないゾンビのような挙動だが、まっすぐ私と『ゆっくりお話しをしたい女』の元へ、カバンの下では狂気的な笑みを浮かべたまま接近していく。

 なるほど、なるほどぉ! 彼女が速水(はやみ) 心寧(ここね)ちゃんかぁ! 一言で言って彼女の容姿は、大人しそうな女の子のような風貌をしている。垂れ下がった1本線の眉に、タレ目をしたジト目、小さな鼻に小さな口ィ! 赤子のような愛くるしさを持つ、かわいい子じゃねえか!!! 人って本当に見かけによらねぇなぁッ!!!!

 

——アッ!アッアッアッ——」

 

 ……だが、私はここで致命的なミスをしでかしていることに気が付かなかった。

 この鞄を被った異形頭『アデライン』スタイル……。正面の視界は確保できているのだが、足元が全く見えないのだ。地面が平坦のように見えていた私は彼女に走り寄ろうとするも、机の脚に躓き、よろけて……それでも姿勢を立て直そうとして……。

 

——ガッシャァアアアアアン!!!!!

 

 ……入場した時の勢いを殺すことなく、そのまま出入り口とは対面上にあった窓ガラスに頭から突っ込んだ。

 度胆を抜かれ 呆気に取られていたこのクラスの女子生徒の悲鳴と、男子生徒のどよめき。どよめき。めどよき。みんなメドヨキ。

 ……パラパラとガラスの破片が制服を伝って地面に落ちていくのを感じる。視界に銀色の虫が映る。シェーラー現象だ。

 だが、ここで倒れる私ではない。一度は止まってしまった『地獄デスメタル即興曲』だが、これは曲の前座でしかない。エラー反応を連打表示するパソコンのように激しく弦をはじきまくって、突っ込んだ勢いを殺すことなく窓ガラスから頭を引き抜く。

 はじけ飛ぶ窓ガラス。カバンの外でガラスが飛散で太陽の光でミラーボール。私の視界もミラーボール! ヘルメット(例のカバン)が無ければ即死だった。

 

「センキュゥゥウウウウーッ!!!」

 

 キメの一撃は共にカバンを掴んで勢いのまま地面に叩きつけるように脱ぎ捨て、片手で荒ぶるアコギギターを抑えながら、もう一方の片手で人差し指を天井に高らかに突き上げてセリフも忘れない。最後が良ければすべてヨシッだ。現場猫もそういっている。

 陽葵ちゃんだけが満面の笑みを浮かべて、頭上での盛大な1人拍手で教室を包む。

 

はぁ……はぁ……はぁ……

「」

 

 呼吸制御しているような状態で激しい動きをしたため、まるで犬が全力疾走したときのような吐息が口から漏れ出る。

 だが第一印象としては最高だ。彼女は言葉を失っている。言わば絶句という奴だ。やはりサプライズはこれぐらいしなくては。

 

「これが地獄デスメタルです。いかがでしょうか? 頭にカバンを被って教室でゲリラライブ放送した印象派ファンキーフレンズの生演奏を聴いた感想は?」

「」

「感動に言葉も出ませんか……陽葵ちゃんは?」

「これが地獄デスメタル……! 今朝、日葵ちゃんに聞かせてもらった激しい即興ヘヴィメタルと違って、地獄から魔族がはい出てくるようなおぞましさがあって……! それを表現できる日葵ちゃんって本当にすごいねっ!」

「ふっ……そうでしょう? そうでしょう」

 

 勝ち誇ったように鼻で笑い、歯を見せてニカっと微笑む。

 それからアコギギターを教卓の上にのせて、教室後方に備え付けられている掃除用具入れのロッカーからバケツ1個と塵取りとホウキを取り出して、飛散させたガラスを綺麗に履き取ってはバケツの中に捨てていく。

 

「さてと。学校中の人気者が直々に会いに来ましたよ。『一度でいいから、ゆっくりお話ししたい』んでしたよね? 私も心寧(ここね)ちゃんとお話ししたくて、今日はこんなSurprrrrrrrrriseをしたわけです」

「……それは……えっと……ありがとう、ございま……す?」

 

 彼女はこれからまるで説教をされる子供のように身体を小さく縮こませながら、こちらを上目遣いでおどおどとした様子で見てくるが……私の敵意が籠った笑顔と愛用しているダクトテープで割れた窓を封鎖している私の方が何よりも、今のところは勝っている。実物としての第一印象は完璧だ。

 

「陽葵ちゃん、お願いがあるんですけど頼まれてくれませんか?」

「何かな!?」

「多分、今の騒ぎを聞きつけて『(ムラサキ)先生』か『蓮魔(はすま)先生』が飛んでやってくると思うのですが、彼女と“じっくり”お話したいので先生が来た時に教えて頂いてもよろしいですか?」

「いいよ!」

 

 陽葵ちゃんに向けて、神社での動作である柏手(かしわで)のように1回手を合わせた音を高らかに鳴らし、両手を祈るように合わせる。 このクラス全体が私に注目を浴びている中で唯一、顔見知りかつ素面で冷静に見張り行動の移せるのは彼女しかいないからだ。頼む。頼んだ。

 本当であればここまで大事になる予定はなかったのだが……。最後の予期せぬフィニッシュムーブは流石に教師が集まってくるだろう。

 だが、これは好都合だ。使えるものは全力で使って情報を引き抜くのが私の特技でもある。彼女から、どうして『入学1週間で突然 頭にカバンを被って廊下で地獄デスメタルをゲリラライブ放送した印象派ファンキーフレンズ』という噂を流したのか。『一度でいいからゆっくりとお話してみたい』内容について、と『雨の降る夜に出現する洋館には立ち入らないように』促さなければ。

 

「さて……と。もう猫は被らなくても結構です。クラスメイト達は、今の衝撃で こちらに近づいては来ないでしょう。時間はあまり残されていないかもしれませんが、二人っきりなら『学校中の人気者』と『ゆっくりとお話して』みることができますが?」

 

 じっくりと彼女を観察する。大人しそうな小動物のような彼女だが、私の言葉に少し目つきが変わったような気がする。具体的に先ほどまでは怯えた様な目ではあったが、陽葵ちゃんが離れた今。彼女はしっかりとこちらの目を見据え、対話ができるような眼になっていた。

 なんだ。やればできんじゃん。こちらもうっすらと微笑みを浮かべる。

 

「あの、それでは単刀直入に聞かせていただきますが……あなたはふうま君とどういった関係なのですか?」

「……。……へぁっ? ふうま君?」

「……」

 

 予想から大きくかけ離れた質問に、思わず再び窓ガラスへ側頭部から突っ込みそうになるが、これ以上、無意味な窓ガラスの殺生は生徒指導部の教師たちが総動員で駆け付けかねなくなるため、背筋を使って堪えた。

 

「(あぁ、そういう(・・・・)心配ですか……)……ふうま君とは、5月に入学して以来の友達ですよ。それ以上の関係ではないですし、ふうま君は私に一切の興味はないですし、逆もしかりです。彼の反応を見る分に……多分、私のことは珍獣か何かだと思っているとおもいます」

「本当にそれだけですか? ……彼、あなたと一緒に歩いていた時、すごく楽しそうに笑っていましたけど——本当にそれだけの関係ですか?

「はい。きっとそれは愛想笑いだと思いますよ。……逆にそれ以上の関係に見えますか? それは困っちゃいますね。……まぁ、もしかすると私は先々月あたりに引っ越し。先月入学したばかりなので。あの日は……皆さんご存知の通りちょっとした事件もあって、友達も鹿之助くんしか居なかったですし。こちらを気遣って、友達になってくれたのかもしれませんね。ちなみに接点は、私のクラスメイトの鹿之助くんが紹介してくれました」

「……それで、一緒に図書館まで廊下を歩いていたり、一緒にまえさき市にお出かけしたり、入院のお見舞いに行っていたんですね。……ふうま君は本当に優しいんだから……」

 

 うん。彼女は彼に恋をしていますね。彼女は私から視線を外し恋する乙女のように両手を頬に当てて、顔を赤らめながら首を横に振っている。そんな私は彼女を真顔かつ、普段よりも一層ジト目で見下ろすばかりだった。 

 『だって彼には相州蛇子ちゃんという幼馴染がいるんですよ……? 私たち(・・・)のような部外者(・・・)が入れるようなスペースがあるわけないじゃないですか』と。渾身の火の玉ストレートをぶつけてやってもよいが、それは彼女が噂を拡大風潮している情報を確実に掴んでからでも遅くはないし、怒りに任せて敵を増やすのは得策とはいえないだろう。

 『CALL of CTHULHU クトゥルフ神話TRPG(32頁) “情報の収集” 第4段落目にも『親しくなるように努力』する趣旨が掲載され、仲間をつくることを推奨されている。

 やっぱり私が予想していたとおり『㊙ふうまファンクラブ』は存在していたようで、あの時の危機察知予測回避直感能力は間違っていなかったと。……彼女にそのカバンを頭に被ることさえ見られていなければ。

 それにしても心寧ちゃん、だったか? どうして、私がふうま君と図書館に行ったことや、まえさき市に彼と出かけた事。彼が入院のお見舞いに来た事を知っているのだろうか?

 この女……。ストーカ——いや、単独行動する崇拝系のカルティストと同じにおいがする……。この世界は対魔忍の世界だし、一般市民が魔術に触れることは限りなく低いだろうが……殺すとしてもまだ判断を下すには早いか。

 それにしても……重いな。重い。お前の愛がヘビィメタル。地獄デスメタル。

 

「誤解が解けたのであればよかった。……それで? 私がふうま君と一緒に歩いているときに現場を見た上で『入学1週間で突然 頭にカバンを被って廊下で地獄デスメタルをゲリラライブ放送した印象派ファンキーフレンズ』とお話されていたそうですが……? それに関して、何かそちらから弁明はありますか?」

 

 誤解は解けたようで、パァ……と陽葵ちゃんのように明るくなった彼女の顔がこちらに向けられるが、視点が合ったときその笑顔のまま凍り付いた。

 ……それもそのはず。こちらは教卓の上に乗せられたアコギギターを手に取って肩たたきのように自分の首にトントンと当てながら、笑みを浮かべるのを止めて真顔で見下ろしているのだ。この〈威圧〉でビビらないやつはまず居ない。

 真顔のまま元よりジト目の目を一層細める。……私が演奏したのはデスメタルだが。……ロックバンドが持った楽器は最後どうなるか知っているか? まだ私の演奏は終了してないんだぜ? これから私は、お前の脳天に巴の雷(サンダー ショック)

 ……『親しくなるように努力』? 実行犯に慈悲はいらない。事情と状況、正面の女がカルティストなら遠慮もしない。それが私だ。

 

「え、えっと。それは……私が実際に見たわけじゃなくてですね……他の学生から聞いたのを……陽葵ちゃんに話して……」

「あぁん?」

 

 彼女は俯いてしまったため、表情がよく見えない。よく見えないが、私が目を見開いて側面からまばたきもせずに彼女の顔を覗き込めば、今 彼女がどんな表情をしているのかよくわかるので一切問題はない。

 

「ひぅっ」

「……」

 

 手で私が覗き込んでいる方向の隙間をシャットアウトしてしまった。

 だが一切の問題はない。反対側から同じように覗き込む。

 

「ホォ゙ン゙ン゙ドォ゙ニ゙ィ゙ィ゙ィ゙?」デデデデン♪ デデデデン♪

「本当! 本当です! 確かに、陽葵ちゃんには噂の信憑性を持ってもらうために、私が見たとは言いましたけど、噂自体は1週間前に他の学生が話して居るのを聞きまして……!」

 

 呪怨のような声色で、容赦なく彼女を尋問する。彼女は両目を両手で抑えてしまった。

 アコギギターを構え、可能な限り低い音色を用いて『世にも奇妙な物語』のテーマソングを不協和音風にアレンジしながら流し始める。

 私はヴェールを剥ぎ取るもの/多次元に(ひず)む金属集合体か何かかと思われているらしい。それで心寧ちゃんが自分自身の眼球をくり抜きだしたら——完璧だな?

 ……ふむ。ここまで彼女を〈威圧〉観察した様子から、嘘を言っているようには見えない。まぁ、このくらいでいいだろう。この尋問はあくまでも次のステップへ移るための仕込みでしかない。いわゆる飴と鞭だ。

 

パチパチパチパチパチッ!

 

 次の話題に移ろうとしたとき、廊下側から拍手が響いた。……案の定、陽葵ちゃんだった。地獄デスメタル以上の拍手をただ1人。私に送ってくれている。……本当にいい子だなぁ。

 親指だけをぐっと突き出してファンサービスを送り付けた。

 きっと陽葵ちゃんの目には、友達と友達がふざけてじゃれ合っているように目に映っているのかもしれない。あの曇りなき笑顔がそう語っている。

 

「そうでしたか! はっはっはっは。いやぁ、誰が私の事を『入学1週間で突然 頭にカバンを被って廊下で地獄デスメタルをゲリラライブ放送した印象派ファンキーフレンズ』と噂を流していたのかすごく気になっていまして! 他の学生から聞いたのでは、誰が話して居たかなんて、わからないですよねぇ! これは良からぬ疑いをかけてしまい、失礼いたしました。わぁはっはっはっはっはぁー」

 

 傍から見れば私の行動は情緒不安定者のそれだが、これぐらい感情に温冷感を付けなければ、1人で飴と鞭の効果を通用させる場合 加減が難しくなってしまう。

 私はできる限り、明るい声を出してシンバルモンキーのように手を叩き豪快に笑う。……その陽気な様子に彼女もそっと指をわずかに開いてこちらを見ている。

 

「それじゃぁ、もう2点。今度『雨の降る夜にのみ出現する洋館』へ遊びに行くそうじゃないですか。メンバーは、あなたと陽葵ちゃんと、神村さんと3年生の先輩だとか。その神村さんのクラスと3年生の先輩 2人のお名前を教えて頂いてもよろしいでしょうか?」

「神村さんでしたらお隣のクラスにいらっしゃられます……。……3年生の先輩のお名前は『穂稀(ほまれ) なお』先輩と『コロ先輩』。……あ、『死々村(ししむら) 孤路(ころ)』先輩と言います……」

「なるほど、なるほど。隣のクラスに神村さんが居て、3年生の先輩のお名前は『穂稀 なお』『死々村 コロ』先輩ですね?」

 

 対馬でパンジャンドラムしてそうな叔父上が好きそうな名前だなと思いながら、スマホを取り出して、3人の情報をメモをした。

 ——よし、こちらの聞きたいこととしてはこれでおしまいだ。あとは、雨の降る夜に森の中に入っていく行動自体を止めることができれば……。

 

 




~あとがき~
 前回のあとがきで、日葵と対魔忍達で認識のすれ違いがあると書きましたが、おさらいを兼ねた作者と閲覧者兄貴姉貴の認識をすり合わせたいと思います。

青空 日葵(釘貫 神葬)が知っている“対魔忍たち”。
 『井河 アサギ』『井河 さくら』『水城 ゆきかぜ』『秋山 凜子』の4人のみが対魔忍だと知っている。それ以外のクラスメイトや五車学園の生徒は、世界の真実(ヴェールの裏側)を知らない“一般人”だと認識している。
 ただし『上原 鹿之助』だけは世界の真実を認知した一般人寄りの仲間認識がある。

・『青空 日葵』を“一般人”だと知っている対魔忍
 『井河アサギ』『井河さくら』『八津 紫』『ふうま小太郎』『相州 蛇子』『上原 鹿之助』の現在6名のみ。
 それ以外のクラスメイトや五車学園の生徒は、『青空 日葵』を最近、素質に目覚めた“対魔忍”だと認識している。

・『青空 日葵』の違和感(釘貫 神葬)に気が付いている存在。
 『井河 アサギ(疑い)』『八津 紫(疑い)』『ふうま小太郎(薄々)』
 『スネークレディ(確定)』『フュルスト(確定)』『エドウィン・ブラック(確信)』となっています。

・特筆事項
 『スネークレディ』のみ、殴り合った結果『青空 日葵』がただ一般人でも対魔忍でもないことは見抜いています。更に『釘貫 神葬(なかみ)』についても、フュルスト経緯で異なることに真っ先に気が付いています。つまり彼女が対魔忍世界の中で一番の理解者だったりします。
 ……フュルストとは、誰か? ですか? 対魔忍RPGを遊ぶとわかります。メインストーリーの最序盤に遭遇できるので探すのはきっと難しくはないですよ。やっぱりキミもだ!
 確認面倒な兄貴姉貴用の情報としまして、実は既にフュルストは本小説へ登場しております。
 さぁ、探してくるのだ! フハハハハハっ!


~宣伝&報告~
 Episode34のあとがきにて小文字で、新作の投稿について言及していましたが こちら投稿に目途が付きましたので適宜投稿していきたいと思います。
 ジャンルは本作と同じ『対魔忍』です。
 本作は(新)クトゥルフ神話TRPGとのクロスオーバー作品ですが、新作はシンプルな対魔忍となります。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode38+ 『地獄の生徒指導』

~まえがき~
 今回から本格的に時間軸が前回とは異なってきます。




「日葵ちゃんっ!」

 

 そんな時、廊下で善意の元。見張りをしてくれていた陽葵ちゃんが教室に飛び込んでくる。

 あともう少しだったんだが……残念、時間切れのようだ。だが、問題はない。まだ別日に時間はある。

 しかし、ここである違和感にも気が付いた。普段から笑顔の陽葵ちゃんが、その笑顔を今まで見たことのない迫真の慌ただしい表情に変化させながら両掌をこちらに突き出して抱き着かんばかりの勢いで走り寄ってきたからだ。

 

「ありがとうございます。陽葵ちゃん、そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。来たのはどっちですか? 紫先生ですか? 蓮魔先生ですか?」

「両方! でもね!でもねっ! 蓮魔先生が大好きな黒田(くろだ)先輩と戦闘狂で有名な眞田(さなだ)先輩、それと氷室(ひむろ)先輩も一緒で、かなりすごい物騒で険悪な雰囲気だったよ?!」

「えっ!? 両方+αぁ!?」

 

 ちょ。陽葵ちゃんの言葉にこのクラスの学生たちが騒めきだした。

 え、ちょっと、待ってくださいよ……。皆さん、何なんですか? なんなんですか!? そのどよめきは……!? 成り行きとはいえ、他のクラスの窓ガラスを1枚、叩き割ったぐらいじゃないですか。な、な、なん、なんでそんな総動員なんですか!? たかが窓ガラスを1枚、割ったぐらいですよ?! 成り行きで!!!?

 

「でも、氷室先輩は紫先生に野次馬を近づけないように指示されていて、直接はこの教室には来ないみたい!」

 

 陽葵ちゃんの発言で、凄まじい速度で我先へと教室から外へ逃げ出していく生徒たち。生徒の中には、そのまま帰宅するようなノリで鞄を抱えて出ていく生徒の姿すら見える。

 なんだろう!? その氷室先輩という方が、こっちに向かうのを止めたっていう報告は喜んでも良いものなのかな!?! でも素直に喜んでいる場合でもないんだろうな! だって、みんな蜘蛛の子を散らすように脱兎のごとく散っていくじゃん!!!

 ……私の手が震えはじめた。

 非常ベルを作動させて消火栓をバラ撒き、校長室に呼び出されただけでもあんな恐ろしい殺気だったのだ。前回の2.5倍の数の殺気に当てられたら、私がどうなってしまうかわかったものではない。ひとまず、震える手でチョークを手に持って黒板に、謝罪の一文『窓ガラスを割って、ごめんなさい』と大きく文字を書き残す。

 それから、出口に向けてダッシュ——

 

「また貴様か……青空 日葵」

「ヒァッ……」

 

 扉が開く音共に、ドスの効いた地獄デスメタル以上の恐ろしい女性の声と、ベルトを二つに折り畳んで勢いよく引き延ばしたかのような強烈な彼女が手にする鞭のしなる音。

 ……緊張で身体が強張っていくのを感じる。

 振り向いた先には軍帽を被って、全身が美味しそうなブルーベリー色の服を纏い、眼鏡を掛けた一本鞭を手にした……女教論蓮魔(はすま) 零子(れいこ)先生。

 ……その背後に、赤色(3年)のネクタイに五車学園の制服を着用し、日本刀の鍔に親指を掛けた……(これからお前を殺すという宣告の)……あぁ……。磨き上げた鋼のような髪色をした、毛先を少しロールを加えた これまたロングヘアの美女が現れた。私と同じようなタイプの白色をした髪留めカチューシャ……いや、あれはハチマキ?を着用したペールブルーの光彩をした女子生徒だ。キリッとしたその顔はどこか、蓮魔先生と同類……他人や自分に厳格な性格が滲み出ているような気がする。……彼女が、蓮魔先生大好きっ娘。黒田先輩だろう。蓮魔先生と彼女をよく見比べるとペアルックな白色の髪留めと鍔の背後に伸びる刀の鞘の色が蓮魔先生の服と同じ青に近いブルーベリー色をしているのに気が付ける。

 そしてこれは余談だが……彼女、私の前世での友人『(いかづち) (ともえ)』ちゃんに似ているような、そんな気がする。……なんていうか、特に雰囲気が。私と同じように中身が巴ちゃんだったりしないよね?

 

「貴様はどうして……こうも、問題ばかり引き起こすのか……」

「いえ、待ってください! 私はまだこの学校では1回しか問題を起こしてないですよ!?」

1回しか(・・・・)じゃない。1回も(・・・)だ。……今回で2回も問題を起こした。それも入学してから2カ月も経っていないにも関わらずだ。わかっているのか?

「待って! なんだか、私が主原因みたいな言いぐさですけど! あれは紫先生が——」

 

 教室、前方側の出入り口を封鎖する蓮魔先生。

 そして蓮魔先生を潜り抜け、鍔に手を掛けたまま居合の要領でにじり寄ってくる黒田先輩。

 片手にチョークを持ったまま窓際に追い詰められる私。

 その時。教室後方側の扉からインテリっぽいメガネを掛けた紫先生と、赤を基調とした私服に金属の槍を持った完全なブリーチ色(白色)の髪、自然に下ろした長髪にギラついた笑顔。プラチナブロンドの光彩をした勝気の強そうな女性が入ってくる。……となるとあの人が、眞田先輩か。

 ……姿は見えないけど廊下には氷室先輩も居るんでしょう? 既に完全な包囲網を敷かれている。

 

「青空……」

「あぁ! 噂をすれば紫先生! どうもお世話になっています! その眼鏡似合ってますね! それと先生のおかげで、鹿之助くんを持ち上げられるだけの筋力が身に付きました! ありがとうございます!」

「ふむ、ありがとう。そして、上原を抱えられるようになったこともとてもいいことだな。いいことだ、が……。……そうだな。お前以外に居ないよな……他のクラスで頭にカバンを被りながら、その頭で窓を叩き割って絶叫LIVEを開く女子生徒だなんて」

「ちょ、ちょっと? む、紫先生……? その失望の仕方は私の心へナチュラルにダメージが入るのでやめてもらっていいですか?」

 

 じわりじわりと近づいてくる黒田先輩を視野内に収めながら、紫先生には明るい挨拶をしておく。先生の筋トレのおかげで(翌日で筋力が付くとは思えないが……)まえさき市での事件では、鹿之助くんを護ることができたのだ。本当であれば、授業の際に伝えるつもりだったのだが……まぁ、こんな形で会えたのも何かの縁に違いない。それにお礼は早いことに限る。

 ……でも、そんなに大きなため息をつきながら、残念そうな声色で目を伏せられると私だって心に傷がつく。

 

「それで、そちらの女性が眞田先輩ぃー……ですか、ね! お初にお目にかかります。『青空 日葵』です。だからっ……その……眞田先輩も黒田先輩のようににじり寄ってくるのをやめてもらっていいですか!?」

「ああ、紫から話は聞いてるぜ? 教師(ムラサキ)をぶっ飛ばして、病院で何度もお祭り騒ぎを開くだけの骨と度胸がある問題児(ヤツ)だってな? おい、私と勝負しろよ。私に勝ったら窓ガラスを叩き割ったことはチャラにしてやるって蓮魔と紫に話をつけてやったからさ。いい条件だろ?」

「ま、負けたら……?」

「お前を殺す」

「……ぁぁはっはっはっははぁ……ほんとにすみません。この前、胸ってか、肺に穴が開いて退院したばかりなんですよ……。まだちょっと本調子じゃないっていうか……肺活量もやばいっていうか、激しい運動をしちゃうと穴が開いちゃうってか……。ノーマルなぁ方の……生徒指導でお願いしたいのですが……」

 

 両手を前に突き出して、ジュラシック・ワールドに登場するプラット・キーピング(ラプトルを静止するポーズ)で止まってくれるようにお願いをする。……まぁ。止まってくれるような人たちではないことは分かっていたが……やらないよりはマシだ。

 

「何言ってやがる……?」

「…………」

「これがお前用のノーマルな生徒指導だぜ!!!」

「ッ!」

「……ッ!」

 

 眞田先輩が、血に飢えた獣のように大きく目と口を開いて、頭上で槍を大旋回させる。その大きな動きに私が釣られた瞬間に、黒田先輩の抜刀術による一閃がこちらの右上腕に飛んでくる。

 彼女の居合術の有効範囲がどれだけ広いか何も情報を握っていない。この攻撃はノックバックして逃げるよりも屈む形で一撃を〈回避〉した。

 

バァン!!!! ————ガシャン!

 

 ま、窓枠ぅうううううっ!?

 嘘だろ!?今の一撃で、私がダクトテープで補強した窓枠が拉げて吹き飛んで外に落ちたぞ!?

 クソッ! なんだあの抜刀術! 刃先がまったく見えないどころの話じゃなかった!!! そもそも人に振るって良い技じゃない! クソッ! クソッ! 身体で完全に刀身と鞘を隠してやがる! あれじゃあ、刀の長さ(有効攻撃範囲)をすら測れないッ!!!

 

「オラオラァ! よそ見してる場合じゃねーぞ!!!」

 

 今度は槍撃が飛んでくる。彼女は階段を駆け上がるように軽やかに容赦なく机の上に登ると、高台から槍を振り下ろしてこちらの腹部を突き刺すかのように突っ込んでくる。すかさずこちらも着弾地点から走る形で〈回避〉する。〈応戦〉なんて余裕はない! あの攻撃は、槍+腕力だけの攻撃じゃない。槍+彼女の全身の重量の乗った攻撃だ。捨て身の技だが開幕からそんな技を放ってくるということは、よほど腕に自信があるのだろう。こちらがカウンターとして〈応戦〉に成功すれば会心の一撃を叩き込めるかもしれないが、失敗したときを考えて〈受け流し〉て〈応戦〉するだなんてリスクは冒せない!

 ちょっとまって!? 確かにこれは私が撒いた種だけど、私は窓ガラス割っただけなのになんでこんな目に遭わなきゃいけないの!? おかしくない!?ねぇ、おかしくない?!

 

「あー! わかりました! わかりましたよ! 今回の私の生徒指導が暴力で解決されることはよくわかりました! ですけどね! 他の一般生徒を巻き込むのは間違っていると私は思うんですよ!? 私にだってそれくらいの良識はありますぅ!!! そこで、この場で一番まともそうな紫先生ェ! せめて心寧ちゃんが退避してから生徒指導の方をですねぇ——」

 

 気合と自分に喝を入れるため、首を上に向けて声を張り上げる。わずかな隙を作るためだけに速水 心寧ちゃんを出汁にするのは忍びないとは思うが、これも私の作戦のためだ。陽葵ちゃんに噂を吹き込んだツケとして付き合って……——

 

「青空。速水なら既にここにいるぞ?」

「……」

「えっ……?」

 

 ……この企みは早急に瓦解を告げることになる。

 彼女は何食わぬ顔で紫先生よりも奥の廊下で佇んでいた。こちらにあの表情の変わらないタレ目で悲しげな目を向けている。そのまましばらくの間はこちらの様子を眺めていたが……黒田先輩と眞田先輩の初撃の攻撃を避けた私を、紫先生の隣であしらう紫先生に対して健気に話しかけながら褒めちぎっている陽葵ちゃんの手を引っ張って連れていく形で見えなくなっていく。

 え? つい眞田先輩の攻撃が床に着弾したとき(さっき)まで、そこの椅子に座っていたよね……? 逃げ足早すぎない……? 瞬足シューズでも履いているの?

 

「オラァッ!!!!!」

 

 こちらの僅かな思考停止を読んで、付け込むかのような激しい槍による怒涛の連続突き。

 即座に紫先生のときと同じように、私も机の立ち並ぶ長物を振り回しにくい地形に逃げ込み防御姿勢を取る。私の注意力を目の前の眞田先輩ばかりに向けていてはいけないことは理解していた。背後を取られないように黒田先輩からも逃げ回る。

 

「そんなもので私の槍撃が止められるとでも? 随分ナメた真似してくれるじゃねぇか!」

「ぐ……っ」

 

 しかし、私の読みは甘かった。彼女の槍は容赦なく。教科書が詰め込まれ、それなりに重量があるはずの机をまるでホウキで埃を撒き散らすかのように薙ぎ払って、こちらに対する砲撃の玉として飛ばしてくる。ぶつかればそれなりのダメージは確実。飛んでくる机の軌道を読んで直撃を避けるが……それでも机の中に入っていた教科書などが私と衝突し、僅かに痛みでひるんでしまう。

 鍵のかかった防火扉を蹴り飛ばして抉じ開ける紫先生といい、完璧な〈隠密〉にも関わらず 正確にこちらの居場所を突き止めてくる蓮魔先生といい、机を羽毛のように跳ね飛ばす眞田先輩といい、窓枠を吹き飛ばす黒田先輩といい……なんなんだ!? 一体なんなんだ! この国立学園は!? 登場人物、全員バケモノか!!!

 もう、お前等が対魔忍に勧誘されて対魔忍になればいいと思うよ!

 神話生物どもの方がまだかわいく見えてきた! あいつ等はカルティストに招来されるか、闘技場にでも現れない限りこうやって事前情報も無しに真正面から殴り合う必要なんてほとんどないからな!!

 

「……私から視線を外すなんて、“噂通り”度胸はありますね————ですが、蓮魔先生の手を煩わせる必要もありません」

「——あ゙ぐッ!」

 

 眞田先輩と眞田先輩の槍撃へ気を取られている間に、黒田先輩による刀による突きが背中に刺さる。彼女なりの手心として、こちらが背骨を損傷して下半身不随にはならないようには骨の無い内臓を突いてはくれているものの……それでも身体が弓なりに仰け反って、耐えがたい痛みと共にその場でチョークを握りしめ粉にしながら転がった。

 

「蓮魔先生に鍛えられたこの剣技——素晴らしいでしょう?」

 

 背後から真剣であれば付着していた血液を振り払うかのような風を切る音と、凛とした勝ち誇ったかのような声が聞こえてはくるが……。残念ながら、彼女の言葉は私の右耳を通ってそのまま左耳に抜けていく。

 ……どうやら、大喰らいの泥濘の時のように貫通していないことから 彼女の鞘の中身は鉄の棒か何からしい。それでも痛い……激痛であることには変わりはない。先端が鋭利な槍のようになっていなかったから、貫通はしなかっただけで……。

 ……これが生徒指導で良かった。

 

 




~あとがき~
 Episode37の感想にてsnodra兄貴姉貴にこの小説でどれぐらいクリティカル、ファンブルしているの? という質問があったので回数を数えました。

・episode38時点
 クリティカル(通常時)…0回
 クリティカル(戦闘時)…2回
 ファンブル(通常時)……4回
 ファンブル(戦闘時)……3回
 前世のノリで突っ込んできた不運(ハードラック)の数…15回
 狂人の洞察力…1回

 完全に記録しているわけではないのですが、印象的で記憶した出目(スネークレディ戦-毒物対抗1クリ)だったり、文章から察せる結果は以上の通りとなります。……うん。多いなぁ。ファンブル(致命的失敗)の数。
ダイスの女神「3倍に勝てるわけないだろ!」
釘貫 神葬((青空 日葵))「馬鹿野郎お前私は勝つぞお前!」

 ※ファンブル処理について、クトゥルフ神話TRPGの6版、7版のダブル処理をしているので、通常時のファンブルの値が100のみから、釘貫 神葬の所有技能%の成功率によってファンブル率が96~100へと増えたりしています。
 ※狂人の洞察力とは:発狂した際に特定の技能に失敗することで、特定の原因や状況、存在を見抜けるという技能です。『6版-91頁(選択ルール)、7版-165頁(選択ルール)』



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode39+ 『追加条件提示』

「おいおい、もう終わりかよ?」

「蓮魔先生。いかがでしたでしょうか? ……それと……私の太刀のことで♥ また“個人指導”をお願いできますか?♥♥♥」

 

 黒田先輩による背後からの牙突(ガトツ)攻撃によって痛みに悶え苦しむ私に対し、眞田先輩は子供のような無邪気な笑みを浮かべながら槍の鉾先を用いてまるで芋虫でもつつくように突き刺しながらこちらを見下ろしていた。眞田先輩の槍も鉄製ではあったが、刃が付いていないことはこの近距離でやっと理解できる。だが、彼女がこちらをつつく威力に生ぬるさはなく、一刺し一刺しに悶えてしまうような激痛が走るほどの一刺しであった。

 一方で黒田先輩は先ほどまで私に見せていた殺意を完全に解いて、まるで子供が母親に走り寄って自慢できる作品を見せつけるかのように蓮魔先生へと寄り添いに行っている。

 

 ……ちっきしょう。

 そりゃ、2対1逃げ場なしのチームデスマッチならそうなるよな!

 ……でも言い訳をするべきではない。これが神話生物との “実戦” なら私はまた死んでいたはずだ。こればかりは私の読みが甘く、また同時に弱いのが悪い。もっと、もっと強くならねば。この世界(対魔忍世界)でもまた食い物として、いつかは生涯を閉じてしまうことになるだろう。だから、私はここで生徒指導でボコボコにされておしまい……ではダメなのだ。

 この状況から2人を打ち負かすような逆転方法を考えつかねばならない。

 周囲の状況を見渡して、情報を整理する。

 ……黒田先輩の方は眼中から完全に外れているが、眞田先輩はまだやる気みたいだ。……このままでは、本当には殺されずとも必ずと言ってもいいほど病院送りにされてしまうことは違いはない。ここは学校だから病院送りで済まされるが……なんとしてでも今はこの生徒指導に打ち勝たねば、死を迎える代わりの代償として……愉快な学校生活のイベントを片っ端から逃してしまう。それどころか『雨の降る中、出現する洋館』に遊びに行く陽葵ちゃんを止めることすらできなくなってしまう。

 ……ときどき悪さをすること以外は、普遍的な女子高生として振る舞って居たかったものの、もう今はそんな悠長なことを言っている場合では無い。それに暴れたところで、この場の目撃者はこの青空 日葵より年上の4人しかいないのだ。これを逆手に取ってやる。

 

 教室にあるものを思いだす。

 現在この教室にあるものは、眞田先輩に幾つかは吹き飛ばされて並びは乱れているものの7個×5列の35個の机と。天井には蛍光灯とエアコン。教室前側部には教卓。教室の前方部分には取り外し不可能な黒板、黒板の真下には教室の床より1段(15㎝)高い教壇がある。あと役に立ちそうなものと言えば、掲示物を止めている画鋲と花瓶、チョークの粉が塗された黒板消しだ。教室後方部は生徒の私物を入れるための鍵付きのロッカー、手洗いうがいのための流し台。掃除用具入れのロッカー……掃除用具入れには確か、もう1つ分バケツが入っていてその中にホースがあったはず。

 窓側は……私が片付けたガラスの入ったバケツに、黒田先輩が破壊して永遠に開きっぱなしになった窓。窓の外にはバルコニーは存在せず、直下には地面が広がっている。ここは4Fだ。地上までの高さは12mぐらい……。屋上の排水用雨どいパイプが壁伝いに1階まで伸びていたか……。それ以外には、たしか1階の(へり)には用務員のおじさんこと沼津(ぬまづ) 彦四郎(ひこしろう)さんが管理・手入れしている花壇や茂みがあったと思うが……その花壇はレンガで囲われていた記憶がある。

 ……消火器や消火栓は残念ながら、この教室に設置されてはいない。それらを取りに行くには蓮魔先生と紫先生を突破する必要があるが……まぁ。まず無理だ。狭い出入り口を完全に封鎖している2人を突破する算段は、目前の2人を打倒する以上に作戦が何も思いつかない上に、教室の外には氷室先輩なる存在もいる。どう考えたって消火器を取りに行く方が難易度インフェルノだ。

 ……普遍的に嫌がらせ目的なら、流し台の水道を教室にぶちまけたり、エアコンによじ登ってエアコンを叩き落したり、窓ガラスを片っ端から叩き割っていく方が効果的なんだろうが……。それだと、学校への嫌がらせとなるだけで、『眞田先生と黒田先輩』には致命的な嫌がらせにはつながらない。……窓から2人(眞田先輩と黒田先輩)を放り投げるのも……まずいだろう。そんなことをすれば、学内だけの出来事として処理されようとしている生徒指導が、私の親を巻き込んだ3者4者面談ならまだしも警察沙汰に発展しかねない。

 ……この現状の情報から状況を切り抜ける方法は……。

 

————一つだけ残されている。

 

「さ……眞田先輩…」

「お。まだ喋れるだけの気力があるなら、続行できるよな? 立てよ。もっと紫が話していたようなガッツを見せてみろよ!」

 

 ズンズンと響く様な痛みに耐えながら、横転した机に背中を預け彼女の顔を見据える。息絶え絶えになった私の正面で眞田先輩は蹲踞座りでしゃがみ込みながら、ペットを呼び寄せるための手のひらを上へ向けて指先を動かす手招きで挑発的な態度を取る。だが、私は戦闘狂ではない故、そんな安い挑発などには乗らない。

 まずは彼女達に勝つ土台を組み立てることだけを考えていた。

 

「……黒田先輩と眞田先輩。2対1なんですから、私に勝利条件を1つ増やして頂いても……よろしいでしょうか? それで……フェアな生徒指導にしては、いかがでしょうか……?」

「はぁ……?」

「それとも……。たかが15歳の(年下の)1人の(ソロ)一般学生(パンピー)()生徒指導する(いじめる)のに2人掛かりじゃなきゃ勝てないんですか? 最っっッ高に! ダサい(シャバい)ですね。しかも今のダウンは黒田先輩の一撃でダウンしただけですし、それは眞田先輩の力じゃないですよねぇ?」

「……面白いこというじゃねえか」

 

 幸いにも私は……戦闘狂い(せんとうぐるい)の煽り方はよく知っている。鼻で笑って、吐き捨てるように相手が自分よりも格下であるように嘲り笑ってやるのだ。

 そして今のダウンは、特に彼女の闘争心を煽るには絶好のシチュエーションでもある。自分は、彼女(眞田先輩) “には” 負けてはいないと煽り立てることができるのは最大の強みだ。幸いにも眞田先輩はまだ続行する気なのだから、今の決着では満足していないのだろう。更にそこの不満部分を煽れば……あとはこちらの予想通り食いついてきた。

 彼女はどちらかと言えば、鹿之助くんから聞いた二車 骸佐(黙れドン太郎)のようにチームで群れるようなタイプではないのは明白だ。最初(ハナ)から腰巾着を連れていない様子や、誰よりも素早く殺意を放ってくる立ち振る舞い。開幕に頭上で敵の注目を引き寄せるかのような槍を大旋回させる動き、周囲に配慮しない障害物を遠慮なく投げつける遠慮のない範囲攻撃から推測できる。

 ……兎にも角にも。1人目(眞田先輩)()釣れた。(その気にさせることは成功した。)

 だが私が大義名分の元。彼女に追加条件を飲ませるためには、もう一人の黒田先輩も釣り上げる必要がある。彼女は今、蓮魔先生に私がダウン状態から復活しつつあることを聞いて、再びその武者のような殺気を向けてきている。あの様子ならまた2対1での戦闘続行するのは容易ではありそうだが……確実性を固め、攻撃の正確性、連携も乱したほうが私はより戦いやすくなるだろう。彼女をその気にさせる適切な煽り方は……。

 

「はんっ……黒田先輩もツメが甘いですね。私はまだ動けますよ。眞田先輩が作った隙……あぁ、これは漁夫の利とも言えますね。それをついておいて、私を完全な気絶まで持っていけないとは……蓮魔先生に鍛え上げられた剣技も……蓮魔先生の個人指導も……——それを教えた蓮魔先生自体も(・・・・・・・)大したことないんじゃないですか?」

「——はぁっ——?!」

 

 目を細めてあきれた様な表情……進撃の巨人でサシャ・ブラウスが入団式の際、教官に芋を差し出した時のような哀れみに満ちた表情をしながら、こちらも鼻から吹き出す溜息とともに嘲笑ってやる。

 このタイプに効く煽りは、彼女自身を貶すよりも……自分の大好きな存在を本人のいる前で面と向かって貶してやることだ。

 今の私の発言で、彼女は明らかな動揺と声の震え、右目の瞼と眉がピクピクと痙攣している。先ほどよりも鋭利に砥がれたナイフのような殺気が私に向けられる。……とてもいい傾向だ。そうだ。怒れ。狂え。冷静さを失え。

 

「あーぁ、失望しました。これは今さっき聞いた話でしかないのですが、お二人は私より先輩なんですよね? ということは、私以上に蓮魔先生や紫先生からあんな過酷な訓練を受けている経験者。にもかかわらず……今月、入学して半分以上の日々を病院で過ごしている……か弱い凡人に、気絶の1本すら取れないなんて…………さぞヌルい学校生活だったんですね。そんなんじゃ、後輩に簡単に追い抜かれますよ」

「……」

「撤回しなさい! 今の発言、直ちに撤回しなさい!」

 

 彼女が鞘から抜刀して、首……元に突き付けてくる。良い感じに燃え上がっているようだ。こちらは両腕を中途半端に広げて、おどけた表情で肩を竦めておちょくる。

 突き付けられた刀は模擬刀の為、刃先はついていない。ゆえに私は、タイミングを見計らいそれを掴んで握りしめてやった。

 ……おかげさま(・・・・・)で、こちらも情報が抜けた。黒田先輩が振るっている得物だが、これは日本刀じゃない。彼女が私に背中を見せたことによって、やっと見ることのできた納刀している鞘の曲線向きや、抜き身の刃渡りを計算して……これは太刀だ。大太刀か、まで判別する知識は私にはなかった。だが、そもそも大太刀ほどの長さの得物は、彼女の腕の長さと納刀している腰の位置を考慮すると居合術には適さない。どのように初撃を放つとしても、太刀という刀の構造上、横に振り払った一閃の刃、あるいは切り上げるような刀の抜き方となる。

 ……掴んだ彼女の抜き身の太刀の長さと、私の握りこぶしを比較して……おおよそ刃渡り95㎝前後。柄の長さも考慮すれば、全長1m15㎝(鹿之助くんより-25㎝短い)ぐらいか。これである程度の彼女の攻撃範囲を把握することができた。上等だ。

 

「えぇ、撤回してあげても(・・・・)いいですよ? ま、私の提示する条件を飲んだうえで、フェアに戦って、勝てたら(・・・・)ですけど」

 

 私の言葉で眞田先輩の殺意が風船のように更に強まった気配がし、黒田先輩の歯を噛みしめる音がここまで聞こえてくる。

 よし。狙い通り怒りが激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームだ。

 

それで? その条件ってンだよ?」

「簡単です。現在の生徒指導の勝利条件は私が2人を倒すこと。この勝利条件に この場……。あぁぁぁ……あぁ、生徒指導(・・・・)から逃げ出すことができたら私の勝ちという条件を付け加えてください。出入り口には蓮魔先生と紫先生もいましたね。おっと、ははぁー。廊下には氷室先輩ですかぁ。実質5対1。いかがでしょう? どう考えても……そちらにとって悪い条件ではないと思うのですが」

 

 ニヤニヤとした完全に馬鹿にしたような笑顔を2人に向ける。もう十分すぎるくらいの煽りだ。私の〈値切り〉交渉の〈言いくるめ〉は確実にうまく行った兆しを見せている。

 だが私は倍プッシュをここでは止めない。更に黒田先輩の太刀を手すりのように掴まって立ち上がった。彼女たちが私でも鼻をそぎ落としてやりたいくらいにクソ生意気な私に対して、瞬時に攻撃を加えてきていないところを見る分に、生徒指導は一時中断していることを察せる。

 ……だからこそ、あえて脅威でもないように2人から視線を外し。無防備にも教室の床で悶えたときに付着した汚れや砂埃を確認しながらスカートやブラウスからゴミを振り払ってみせた。

 それに対して2人の顔はほぼ真顔だ。それなりのプライドが新人でなおかつ2人よりも低身長(チビ)の私によって踏みにじられればそんな顔にもなるだろう。

 

「……上等だよ。だがテメーがそこまで辿り着けるなんて思ってんのか?」

「……骨が10本折れることは覚悟しておいてくださいね?」

「人間には215本も骨があるのですから、10本ぐらい……なんですか? 私はその高慢なお二人のお鼻をへし折ってやるつもりですから。あとで負けて鳥の雛みたいにピーピー泣かないでくださいよ」

「「…………」」

 

 動きやすさを重視するため、彼女等の目の前で横倒しになった机を元に戻して、あまつさえその机に腰を掛けて余裕そうな様子を見せつける。この時、視線は上目遣いにして三日月のように口は歪めたままにする。その場でストッキングを脱いで片手に巻き付け、靴、靴下すらも脱ぎ捨てて逃走経路の1つである廊下側に投げ捨てた。その場で軽く飛び跳ねて、身体が動くのを確認。動作には申し分ない。あとは、こちらを睨みつけ武器を構える2人からまた視線を外して離れ……先の戦闘で吹き飛んでいったアコギギターも回収して、持って帰れるように負い紐で背中に回す。

 そのまま近くの椅子に片足を乗せ、もう片足を机に乗せて、大きく息を吸い込んで……。

 

「黙ってさっさと、かかって来いやァ! この一般人(凡人)どもッ!!」

 

 力強く吼えて身構えた。

 

 




〜あとがき〜
 さぁ! 第二開戦の開幕だドン!
 作戦を練ることはできたようです! あとは行動に移すだけですね。

 ですが、ここでお知らせです。
 『対魔忍世界へ転移したが、私は一般人枠で人生を謳歌したい+』は次回をもちまして休載とさせていただきます。
 休載の理由としては2点。
 1点目が『対魔忍世界へ転移したが、私は一般人枠で人生を謳歌したい。』の執筆に再度熱が掛かり集中して書き続けたいから。
 2点目が『対魔忍世界へ転移したが、私は一般人枠で人生を謳歌したい+』の執筆を経て学べることが多くできたから。

 再開の目途は不明ですが、仮に私が忘れたとしても数年後には自動投稿されるように設定しておきます。
 約半年間のご愛読ありがとうございました。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode40+ 『逃走経路』

 ……こうして昼休み、生徒指導・激戦の火ぶたは切られた。

 2人同時にこちらに突っ込んでくる。だが、改めてよく観察してみれば……えっちなお店で働いている高位魔族の蛇子ちゃんなんかとは比べものにならないほどに動き自体はノロマだ。

 それに予め冷静さを欠かせるように仕向けた作戦が効いているのか、先ほどまでのような連携行動がとれていない。それどころか、どちらが先に私を泣かすかに競い合っているような素振りすらみえる。……今のところは計画通りに事が運んでいるようだ。

 

「死ねェ! オラァッ!!!!」

「ぜぇぇぇぃっ!!!!」

「ほっ、ほっ、ほっ、ほっ、ほいっと」

 

 目では捉えられないほどの速さで振り回される、剣先と槍先。それをマヌケな掛け声を出しながら、ゲームで綱渡りするように机上を軽々と逃げていく。靴下を脱いで、蒸れた足裏が、見事に机上での滑り止めとしての役割を果たし、蛇子ちゃんから痛い目に遭わされた初撃経験を生かして繰り出されるフェイントも細かいステップを織りなして避けることが出来ている。

 具体的に眞田先輩の攻撃は、得物を持っている腕の動きと持ち手の角度から攻撃を予測して〈回避〉し、居合の抜刀術で腕の動きも得物すらも見えない黒田先輩の攻撃は、先ほど測定した太刀の長さと繰り出される風圧、黒板に溜まっている砕いたチョークの粉を空気中にばらまいての影響範囲の確認、及び眞田先輩が飛散させた教科書をちぎっては投げ、ちぎっては投げの要領で〈投擲〉することによる〈回避〉が間に合わない場合の攻撃のキャンセルとして扱っていた。

 

 ……まぁ、ここまで、メンチを切って、煽りまくった私なんですけど。普通に戦って勝てるなんて相手だなんて思ってないです。はい。

 

 黒田先輩は、あまり実戦経験はないのだろう。頭に血が上っている彼女は、その真面目な騎士。あるいは誉を重んじる武士のような立ち振る舞いで、正々堂々と言った小細工なしの攻撃が顕著に見られている。太刀筋が素直……というわけではないのだが、これまで殴り合ってきた神話生物の関節可動域を無視するような予測不能な攻撃や、前世で一発でも槍撃がかすってしまった時点で負け確定の巴ちゃんとの模擬戦に比べれば〈回避〉を試みるには簡単な部類の剣撃だった。

 だが一方で、眞田先輩が私と同等……。否……私以上に実戦慣れしている様子が顕著にみられる。

 それに様々な対魔忍と同じように “魔族” ども戦った経験すらあるのだろう。一見、私に対して怒り狂ったような攻撃を連続して繰り出しているが……。常に冷静(?)で変則的な攻撃が単調な剣撃である黒田先輩より厄介この上ない。握りしめて砕いたチョークの粉を使った不意打ちの目つぶし攻撃すら躱されてしまった。

 やりすぎると紫先生や蓮魔先生に咎められるからか、彼女は最低限ではあるものの天井の蛍光灯をいくつか叩き割って裸足の私の動きを止めるためのマキビシとして活用している。それに私が次に足場とする机を“自然”(怒られないよう)に槍撃で薙ぎ倒して逃走経路を寸断。黒田先輩がこちらの動きを完全に止められるようサポートしているが……。……肝心の黒田先輩が私の計略に嵌まっている以上、すぐには思い通りにはいかないだろう。

 それに足場が崩されているとしても問題はない。机がひっくり返っていようが、机が安定した状態で転がっている限り、青空 日葵(彼女)DEX(器用さ)釘貫 神葬(わたし)経験(知識)を活かしてそれをいくらでも足場として活用してみせる。むしろひっくり返してくれた方が、飛散したガラス片によるマキビシが振り払われ安全にその新設された逃走経路を猿のように跳ねまわることが出来た。

 紫先生と蓮魔先生は……現状、私の様子の観察は行っているが手出しはしてこないと見てほぼ間違いはない。私が彼女たちも警戒し3m圏内に入らないことも1つの要因だろうが……。

 少なくとも蓮魔先生は鞭をいつでもしならせ、初日のように捕縛できる体制にはなっている。だが、そのような状態になるよりも先に『黒田先輩と眞田先輩の2人だけで決着が付く』と考えているようだ。……それでもこちらを警戒した様子は変わらない。

 紫先生は身構えることもなく、何かを話すこともなく、身動き一つ取ることなく、ただ淡々と眼鏡越しに視線をこちらに向けながら何か考えているような様子がみられる。

 ともかく。勝利条件を増やせた以上、私の逃走経路は決まっていた。あとは相手(4人+1人)に悟られないように振る舞いつつ、眞田先輩側が黒田先輩の攻撃に合わせることに気づく前にさっさと逃げるだけなので……。

 

「————ッ! 眞田! 黒田! 攻撃を中止しろ!」

 

 不敵な笑みを浮かべながら片手の5指を床に面するスパイダーマッの着地ポーズでバランスを取り眞田先輩と黒田先輩を見据える。それから頃合いを見定め、割れたガラスを詰め込んだバケツ付近の机へ飛び乗ったとき、紫先生による静止の一声が入った。

 その眼は何かに気が付いたように驚愕で見開かれており『確証はないし、信じられないが、でも青空 日葵(釘貫 神葬(私))ならやりかねない……』そんな不安と焦りに板挟みにされたかのような顔をしている……。

 ……まさか、な。……私がこれから何をするのか見抜いたのか?

 

「止めるんじゃねえ! 紫! このクソガキは殺さねぇ程度に、一回ぶっ殺す必要がある!!!」

「……」ギリィッッッ

「ほっ。ほっ。ほっ。……ほっ?」

「眞田落ち着け。もう十分だ。怒りが収まらないなら青空の代わりに私が特訓の代役を務める。……青空。この勝負。お前の勝ちでいい。だから、そのまま。大人しく、机から降りて、こっちに来い」

 

 あ。これは気づいている。彼女は私が何をしようとしているのか。

 紫先生の絞り出された声は細かく区切られて、まるで家族を人質に取られて どのように犯人をなだめるようか交渉を試みる警察のような……。私を心底、心配しているような素振りすら見える。じりじりとこちらへの接近もして来ていたが、私が離れるため僅かな動作を見せた瞬間に接近することすら止めた。これには紫先生の観察力と判断力に驚いて、思わずギョッとした顔をしてしまう。しかし、すぐにその顔を挑発的な笑みに戻すことはできた。幸いにもその顔を見られたのは眞田先輩を除く、怪訝な顔をした蓮魔先生、歯軋りがここまで聞こえてくる黒田先輩、そして紫先生だけで済んだが……。

 

「いいんですか? まだ私は2人を倒しても居ないですし、そっちの逃走経路まで約、あぁー……約8mもありますけど……?」

「構わない。この勝負は『こちらの棄権負け』ということで良い。生徒指導は終了とする」

 

 おちゃらけながらも負い紐を外し、背面に背負ったアコギギターを弾くふりをする。もちろん、この行為は挑発だけではない。

 紫先生の言葉に先ほどまで、怪訝な顔をして紫先生の棄権に信じられないという顔をしていた蓮魔先生の気配が変わったのだ。具体的に出る幕のない傍観者から、新たな挑戦者としての目つきに変わった。

 アコギギターが鞭による一閃で破壊されてしまう事は……きっと青空 日葵の父親に叱られることは違いないが、それでもそんな高威力の一本鞭を身体に受けるぐらいならアコギギターの粉砕など、コラテラル・ダメージにしか過ぎない。例え鞭で〈巻き付き〉捕えようと試みようが、私はこのアコギギターを生贄に捧げるつもりだ。

 これから私がしでかそうとしていることなど悟られぬような声を出して、無警戒な女子高校生っぽくヘラヘラと笑いながら机上でくるりくるりと回りアコギギターを軽く奏でるも、紫先生は真面目な顔をして片腕を突き出し手のひらを下に向けながら指先で穏やかに手招きをする。

 

「ムラサキィッ!」

 

 当然だが、眞田先輩と黒田先輩は納得していないらしい。相手が教師であろうが、関係なさそうな怒声が教室を反響しているし、それに……どうやら、あの槍はどうやら仕込み槍だったようだ。具体的に鉾先とは真反対の石突の部分から爆発音と炎が激しく吹き始める。

 ……切り札は残しておくべきだもんな。私も蛇子ちゃんを嘲るときに思った気がする。

 

「眞田ッ!!!」

……チッ。……今のは悪かったよ」

 

 恐らく紫先生を威圧する目的で眞田先輩が切り札を見せたところで、更に紫先生が烈火の如く叱りつけた。それはナイス叱責です紫先生。……忘れては困りますが私は素手ですよ? 正確には脱ぎ立てのストッキングとアコギギターを手にはしていますが……。

 それ以前に年上2人が年下を得物片手に追い回している絵図も中々香ばしいものがありますが、火薬入りの武器を振り回そうとしてそれを止めるのは本当にナイス叱責。そんな槍撃を受けようものなら流石に本当に死んでしまいかねない。

 そんなことよりも学校に爆弾を持ち込むのはまずくないです? あれれぇ? もしかして、これは私は眞田先輩の弱みを握ることができたのでは? えっと、確か爆発物の所持は〈法律〉で……。刑法何条だったかな? ……思い出せない。

 まぁ、ひとまずスマホを出して脅迫でも……あぁ。スマホは私の教室だった。ちぇっ。

 

「……」ズズズッ……

「……お。ほーっ、と」

 

 〈法律〉で一歩リードしてやろうと画策するも、うまく行かずに内心悔しがる私に対して黒田先輩の方は、眞田先輩の火吹き矛に気を取られている隙を狙ってきた。私がショッピングモールのカルティストから儀式用ナイフと魔導書を奪い取ったときのようにじりじりと近づいてきている。私はアコギギターを盾に、更に紫先生が待機している入り口から更に離れた窓枠が花壇に落下していった付近の机に飛び乗り距離を取った。

 

「蓮魔!」

「……。……聞いただろう。そこまでだ」

「ですが……ッ!!!」

「聞こえなかったのか?」

「……いいえ。……わかりました」

 

 怪訝な表情をする蓮魔先生は紫先生の方を一瞥したのちに黒田先輩を静止させる。教師陣によるあのアイコンタクトには、どんな意味が込められているのか私には分からないが……蓮魔先生の不意打ちも防御されている今、紫先生には私を止められる自信がないのかもしれない。だが慢心はしない。私の警戒を解いた瞬間に捕縛……という流れも頭に詰めて作戦を続行する。

 ここで蓮魔先生の静止の声が入り黒田先輩が私への接近を止めた。

 居合術の姿勢である前傾姿勢を解き、鍔に親指を掛けるのを止め、小刻みに震えながらも吊り上がった目尻と鬼の形相でこちらを睨みつけ、下唇を血が流れるほどに噛みしめている。

 ……これには下手な独立種族や奉仕種族の神話生物と対峙するよりも肝が冷えた。私も探索者として様々な異形の神々や超自然を相手に立ち回ってきたが、今の彼女の怒り狂う顔はソレに匹敵するぐらいの恐ろしい形相だ。

 

「……青空。約束する。決して不意打ちをしたりはしない。……だから早く机から降りろ。……また上原を悲しませるつもりか? お前が五車町に帰ってきてから意識不明の重体だった時、アイツはな——」

 

 なかなか警戒状態を解かない私に対して、今度は紫先生がまえさき市で私が大喰いの泥濘に胸部を貫かれた後の昏睡状態の際。鹿之助くんが『毎日』私の見舞いに来ていたこと、見舞いに来たあとその日、学校であったことを昏睡中の私が病院で1人寂しくないようにと色々聞かせていたことを真剣な様子で話してきた。

 あぁぁぁ……あぁぁぁぁ……ず、ずるい。そ、それは、ずるい。ちょっと待って。反則技ってレベルじゃない。崩壊する。こわれる。語彙力がぐしゃってなる。すごい精神攻撃に私もた、た、たじろぐ。やめて。嬉しさと恥ずかしさ、甲斐甲斐しい鹿之助くんの行動で私が尊死する。ば、〈爆破〉しちゃう。事情を知らない3人に、そんな私が昏睡して意識が無いときに鹿之助くんの見舞いでの行動について永遠と詳細に赤裸々と語らないで。動揺する。

 ど、どどどどど、ど、動揺する。ほんっと、ずっるい。あぁ^~ダメダメダメ。ダメだって。やめて。ダメだってば。

 鹿之助くんの裏話を暴露されたまま、こんな教室に居座るなんて頭がフットーしそうだよおっっ!!!

 ……でも、こちらの身体が痙攣するほどの明らかな動揺を見せて、ペースが乱されているのを他の3人は見ているが一向に攻撃を仕掛けてはこない。今、攻撃されたら確実に反応が遅れてノックアウトされていたことに間違いないのにだ。これは紫先生の言葉を信用しても良いかもしれない。

 ……早く、はやく、ここで予定していた作戦を強行するか、指示に従うかしないと『試合には勝ったが勝負に負けた』みたいな状態になっちゃう。

 

「……ぁ、ぁぅ。はぁ、はぁぁぁぁぁぁ……むらさき先生ェ。ここで上原くんの名前を出すのは反則ですよ。は、反則ぅ。わかりました。わーかりましたよ。降りますよ。降りればいいんでしょ。あ、上履きを、と、取ってもらえます?」

 

 鹿之助くんについては私にとって最大の弱点であることを考えながら、深い溜息を吐き力なく首を横に振り机から降りる。……床に足を着いたペタリという足音が教室で響く。この行動で少し紫先生の表情が和らいだが、それでもまだ緊張したような顔をしている。

 大丈夫ですって。もうやりませんよ。だからそれ以上、他人や周囲に惚気話を広めるのをやめて。こっちは先輩2人から研ぎ澄まされたナイフより鋭利な殺意を向けられてシリアスしているのに、今そのタイミングでその惚気話をされると変な色恋沙汰な空気が入り混じって混沌の神が招来した結果みたいな状況になっちゃうから。やめろお前。まじで。

 

………

……

 

 投げ渡された靴を受け取り、対蓮魔先生の鞭対策で取り出していたアコギギターを背負い直して、踏みつぶされパキパキと音の鳴る蛍光灯のガラス片と机と教室が散乱した教室を歩く。

 ……だが私が勝利を勝ち取って、紫先生が私の弱点を暴露して、これでおしまい……ではない。この空気が混沌と化した状況で、私のしなきゃならないことは残されている。

 ……紫先生のせいで、風邪引きそうな温度差なんですけど。

 

「……黒田先輩」

「……」

「……先ほど発言した蓮魔先生への暴言は撤回させて頂きます。大変失礼な発言や嘲る態度、申し訳ございませんでした」

 

 こちらを睨んで動かない下唇からボタボタと血が滴り、制服を自らの血で汚していることすら気づいて無さそうな黒田先輩の正面に立つ。その恐ろしい眼光だけで、あの校長室の2人の殺意をはるかに凌駕するほどの殺気が私に突き付けられたが、引く訳にはいかない。これは私に非があり、絶対に私がしなくてはならないことだ。目前で彼女がその気になればいとも簡単に首を()ねることもできるような距離で深々と頭を下げて謝罪をする。

 

ッ~~!!! どういう……風の吹き回しですか……ッ!身の安全を……ッ! 確保できたから、謝罪を私に……?! 人をバカにするのも大概に……ッ」

 

 彼女の言葉が詰まりながらも吐き出される激しい感情の爆発ももっともだ。私がそうなるように仕向けたのだ。そう考えるのは至って普通の事だった。

 でも彼女はそう思い発言した言葉は、こちらの真意から大きくかけ離れている。誤解は解けないかもしれないが、勝ち誇って何も告げずに去るよりはよっぽどいい。

 

「違います。これは本心からの謝罪です。私が貴方に蓮魔先生の目前で悪口を直接告げ、煽ったのは、あなたが蓮魔先生を敬愛しているという情報を踏まえた上で、貴方を怒らせ眞田先輩との連携を断ち切らせる目的がありました。流石に息の合った先輩2人を相手に新入生が勝てるはずもないですし。……姑息な手ですが、それ以外に作戦が思いつかなかったもので……。この謝罪は私が勝利しようが敗北しようが最初からする予定だったものです。現に黒田先輩の剣撃は蓮魔先生の鞭先のように先端が見えず、刀の鞘が身体に隠れており、これらの技は非常に熟達と精錬された居合術であるとお見受けいたしました」

「……」

「…………」

「……蓮魔先生も、窓ガラスを割り。先生自身や先生を敬う生徒をバカにするような態度を取ってしまい申し訳ございませんでした」

「……ああ」

 

 鬼のような形相である黒田先輩から一旦、目を逸らし今度は同じように教室の出入り口で佇み、こちらを眺めている蓮魔先生に対しても同様に頭を下げる。先生の方は、声が聞こえて頭を上げたとき 冷たい眼差しではあったが、最終的には視線を逸らし掌を左右に振って気にしていないと言った様子で手を振っていた。

 

「……わかりました。ですが、次 蓮魔先生を貶してみなさい。その時は『確実に』骨の100本をバラバラに砕きますからね

「寛大なありがたきお言葉。感謝いたします」

 

 黒田先輩はそれを見て、青筋の浮かび上がった地獄のミサワのような顔のパーツが中央に寄せたような怒りで歪む顔を緩め、蓮魔先生が許すなら……と納得したようだ。

 ……今のを許されなかったら、本当に殺されるかと思った。

 

「……おい、クソガキ……」

 

 頭を上げて 2人の様子を確認した後、背後からもう一人の謝罪すべき対象から声が掛かる。相変わらず真顔で怒って……。違う。……少しだけ口角が上がって笑っている? 矛先を天井に向けながら槍を肩に担ぎ、こちらを見下ろしている。まるで先ほどまでの心寧ちゃんと私の構図のようだ。

 

「眞田先輩。眞田先輩にも、身の程をわきまえない無礼な物言い、申し訳ございませんでした。あの時こそ、あのようには言いましたが、黒田先輩が私に会心の一撃を叩き込めたのは、眞田先輩の陽動があってこその結果でしたし——」

 

 私の胸倉が掴まれ、激しく引き寄せられる。その衝撃は、頭頂部ががくんと眞田先輩に突き刺さりそうになるぐらいの勢いだった。脳が震えて、めまいを覚える。

 

黙れ。私はテメェの作戦や称賛の言葉なんてどうだって良いんだよ……! 今度は紫に “頼まれて” じゃねぇ。私の “意思” でテメェをキッタギタにしてやるためにここに居るんだからさ。今度は邪魔の入らねぇ地下のシュミレーションルームで第二ラウンドだ」

 

 彼女の何処か甘い吐息が掛かるほど、鼻頭同士でキスしあうほどのゼロ距離まで顔を引き寄せられる。それから他の3人には見えないような状態で、彼女は出会い頭に見せていたような狂気的な笑みを浮かべて笑っていた。まるで面白い獲物を見つけた狩人のように……ああ……。紫先生はどう仲裁に入ろうか悩んでいる様子だが……まぁ、こりゃ……仲裁に入ったとしても駄目そうだ。……きっと逃げられない。

 しかし “頼まれて” とはどういうことだろうか? 開戦する直前までの会話では確か眞田先輩が主体となって生徒指導の内容を変更したような話をしていたはずだが……。

 

「……眞田先輩。まずはこの荒らした教室を片付けて、その後でも……」

「3度目は言わねぇ。黙れ。今すぐに(・・・・)だ」

「……わかりました。もう余計なことは言いません。……ですが、えっと……その時には私にも武器を使わせて欲しいのと……大事な予定が差し控えていますので、その…………骨は折らないでくださいね?」

「ハッ! まだその減らず口を叩ける度胸と余裕は認めてやるよ! ——そんなに折られたくねぇなら、必死にあがいてみせろ」

 

 私の胸倉を捩じるように掴んだまま、ギラつく笑顔で荒らした教室を退室する眞田先輩。

 廊下には水色髪で、毛先を緋色のビーズ球のような髪留めで髪の毛を結っている……雪国で使用される雪ん子(藁合羽)のような髪型をした女子生徒が人だかりの出来た野次馬の整理をしていた。恐らく彼女が氷室先輩だろう。……そして、ネクタイの色から彼女もまた黒田先輩と同じ赤色(3年生)だ。

 眞田先輩に胸倉を掴まれ、野次馬に対して天皇陛下のように優しく手を振りながらずるずると引きずられて行く私。

 眞田先輩に引きずられていく私を見物する『またアイツか』とでも言いたげな目をして見つめてくる生徒たち。

 そしてそんな状態の私に、内心嫌そうな顔をしている心寧ちゃんの手首を無理矢理引っ張りながら、目を輝かせ興味津々で犬のようについてくる陽葵ちゃんの姿。

 ……なに? 陽葵ちゃんも眞田先輩と一緒に戦ってくれるの? コンビ名『(ダブル)ひまり』として。

 

………

……

 

 斯くして、この日から……避けることのできなかった運命によって、私は学校の病院で4日間も夜を過ごすハメになった。

 そんな顔しないで。私もできることなら会いたくはなかったよ。室井先生。

 

 ……二度と、頭に、カバンを被って、絶叫ライブを開く様な真似はしないとここに誓います。

 

 




~あとがき~
 以上をもちまして、『対魔忍世界へ転移したが、私は一般人枠で人生を謳歌したい+』を休載とさせていただきます。

 再開の目途は不明ですが、仮に私が忘れたとしても数年後には自動投稿されるように設定しておきます。

 約半年間のご愛読ありがとうございました。

 +化前でもいいから続きを見たい方は、↓こちらまで。
https://syosetu.org/novel/260791/51.html



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。