貴方は貞操観念のおかしな世界にいる▼ (菊池 徳野)
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貴方は貞操観念の違いを理解している▼

初めはシリアスな方がいいってばっちゃが言ってた。


貴方は転生者である。

 

この世に生を受けて幼少期を母親と過ごし、中学生までを母の再婚相手の家族と一緒に生活した記憶がある。

しかしそれと同時に貴方には自分が違う世界で歩んできた人生の記憶がある。

 

俗に言う前世の記憶とは少し違い、貴方は自身のことを明らかに別世界の存在であると認識している。それはそれぞれの記憶における男女の扱いの違いであったり、技術的な面での発展具合であったり、歴史の流れであったりを根拠としている。

 

貴方は転生者である。

貴方は今、大きな人生の分岐点に立たされている。

 

「無差別殺人だって」「犯人自殺したんでしょう?」「背中をざっくり。致命傷だったらしい」

 

耳に届くのはそんな遠慮のない言葉ばかり。貴方は唯一の肉親であった母の遺影を抱え、ただただ麻痺した感情の行き場を探しぼんやりと弔問客を眺めることしか出来ない。

 

隣には母の再婚相手とその連れ子。貴方の義理の妹と父親が重苦しい空気を纏って立っている。

 

今日は母の葬儀の日だった。

 

 

 

 

葬儀や火葬、遺品の整理と遺産の分配が恙無く行われ、貴方は家に帰ってきた。

否。貴方は仮の宿に帰ってきた。

 

母親の遺産は法的な措置に則って貴方と義父との間で折半された。義妹が父親を誹る言葉が聞こえた気もするが、貴方はそれをどこか遠くの事のように聞いていた。

 

大切なことは二つ。

 

貴方は義父との縁組を近い将来解消される事となった。妻を愛してはいてもその連れ子までこれまでと同じように愛することは出来ないからと。貴方はこれまで通り義父の所持する家で生活を送る事が出来なくなった。

 

義父が受け取った遺産は貴方が高校を卒業するまでの生活費として使う、そう告げられた。心無いと言われても仕方がないが、私のできるあの人への最大限の譲歩はこれなのだと。貴方をすぐ様放り出してしまわないのが、私の最後の優しさであると。

貴方はあと2年と少しで社会の波に飛び込むことが決まったのである。

 

貴方は家族を喪った。

そればかりか家族と家庭、ふたつのものを唐突に失ったのである。

 

貴方は悲観しつつもその特異な生い立ちによる精神年齢の高さから、これからを生き抜く為に行動を起こさなくてはならないと決意した。

 

泣いてうじうじとしている事は、どうしても出来なかったのだ。確かな悲しみをしこりの様に感じながら、貴方は手始めに私用のものとは別に新しい携帯電話の契約をした。

 

電話帳とメールが使える程度の安いシンプルな携帯電話である。入学の祝いだと母に買ってもらった多機能なそれとは正反対の無機質なそれが貴方の新しい武器であった。

 

その他にイヤーカフや安物のネックレス。毛染め薬などを買い込んで、貴方はひとつの覚悟を決めた。

 

 

 

 

貴方はこの世界の貞操観念が自分の持つそれとあまりにもかけ離れていることを知っている。

 

「ねぇおネーサン。今俺の方見てたよね?」

 

この世界における男子高校生の価値を貴方は十全に理解し、それがどれほどの値段がつくのかを知っている。

 

「ホ別本番はなし。3万って言いたいとこだけど、お金ないなら1万でもいいよ?」

 

どうかな?と言いながら貴方は自分より少し背の低いOL風の女性に声をかけた。ここは飲み屋街を少し外れた通りの公園であり、貴方は私服である。

 

貴方は貞操観念のおかしな世界を生きるために、売春をして当座の資金を貯めることにした。

 

貴方は貞操観念の違いを理解している。




視点はこのなんとも言えない三人称視点と主人公以外の視点の交互で投稿していきます。


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はじめてのおしごと

初めてのお客さん視点となります。


その日は金曜日で、ようやく仕事が終わって1週間の疲れを癒そうと1人呑みをした帰りだった。

名前も知らない店主や客と言葉を交わし、家で誰も待っていてくれないと即席の同志と女やもめを嘆いていた。

店主からは給仕をしている旦那さんの手を経て乾き物の差し入れを貰った。実に嫌味なばばあである。

 

珍しく土曜に出社する予定もなかった為、しこたま呑んで風俗でも行ってみようかなぁと気が大きくなった私は普段は寄り付かない通りを歩いていたのだが、結局なんだか怖くなってコンビニで買った水を片手に公園のベンチで酔いを覚ましていた。

 

彼と出会ったのはそんなタイミングであった。

 

明らかに成人はしていないだろう年齢の男子がこんな夜更けにあまり治安のよろしく無さそうな公園で1人手持ち無沙汰に座っていた。

はて不良だろうかと頭を悩ませたが、どうにもそんな雰囲気はない。彼の纏うどこか落ち着いた雰囲気や流行とはどことなく違ったファッションを見て、遊んでいるタイプでは無さそうだと思ったのである。

 

もしや家出息子というやつではなかろうかと思い当たった。親と喧嘩でもしたのかはたまた特別事情があるのか。なんにしてもこんな危ない所に居させるのは良心が咎める様な存在だと脳が処理していた、そんな折。

彼と目が合った。

 

咄嗟に顔を伏せてしまった。マズイという感情が脳を支配する。別段なにかやらかした訳では無いが、おそらく10以上年齢の離れたおばさんである自分が年頃の男子を見つめていたなど事案である。少なくとも気持ち悪がられるくらいのことは覚悟せねばならない。

違うんだ私は青少年の身を案じていただけなのだと自分に言い訳するが、残念ながら私の理性は有罪判決を下していた。

 

しかも何やらその彼がこちらに歩いてくるではないか。嘘だろホント。やめてくれよ。私が何をしたって言うんだ。乙女座の私の運勢は1位なんじゃなかったのかよ。久しぶりに土日が休みになって、抱えていた案件も目処が立ってようやくマトモな休日が送れると思っていたのにこれはあんまりじゃない?

 

「ねぇおネーサン。今俺の事見てたよね?」

 

ビクッと身体が震える。恐る恐る声の方に顔を向けるとやはり先程見ていた彼がそこにいた。

何を言われるのか分からずにごにょごにょと言葉を濁しながら、視線はそれはもう綺麗なバタフライを披露していた。

 

遠目にも気づいていたけど結構な美少年だなとか、少し開いた襟元から見える鎖骨がエロイなとか、動いてる唇を見ただけでエッチだと感じたのは初めてかもしれないなとか、もはや自分を擁護できない思考がぼろぼろとこぼれ落ちていた。

 

「ホ別本番はなし。3万って言いたいとこだけど、お金ないなら1万でもいいよ?」

 

どうかな?と笑顔を向ける彼の姿を見て、私は何がなにやら分からなくなっていた。

ホベツホンバンナシ。ホ別本番ハナシ…。ほべ…ハッ!?

 

私が混乱して目を白黒とさせていると、彼は隣に座って身を寄せてきた。

 

「俺を買わない?酷いことしないなら、ある程度のリクエストなら聞いてあげるけど?」

 

にこにことした明るい笑顔と売春の誘いというアンバランスな状況に私の頭はより混乱していたが、本能は正直にYESの選択を取ろうとしていた。

元々風俗に行こうとしていたので多少なりムラムラしていたところにこの美少年である。1人の女として彼と一晩過ごすのは全然ウェルカムであったし、本番こそないものの言葉の通りであればかなりいい思いが出来そうだ。

 

「それは、嬉しいけど…君は未成年でしょう?ダメだよ、お家に帰らないと。それにここは治安も良くないし…」

 

彼から視線を外して、蚊の鳴くような声であったがそう彼に告げる。口から出た言葉を聞いて、私は自分のことを思ったよりも理性的で淑女だったんだなぁとどこか他人事のように思っていた。

現役のDK、あるいはDCとそういうことができるチャンスをむざむざ逃すのか!?女の風上にも置けねぇふてえ女郎め!!と私の中の処女が喚いていたが、公衆道徳には勝てなかった。

 

「おネーサン優しいね。」

 

そう言って隣で彼が立ち上がるのを感じて、私は安心半分残念半分の心持ちでじっと自分が手に持っていた水のボトルを見つめていた。

…嘘である。残念100%の濃縮還元具合で先程淑女ぶって彼に言葉をかけた己を呪い殺そうとしていた。

 

だって声だけでもいい子な感じするし、見た目は私の好みだし、何より隣からしていたいい匂いが離れた瞬間後悔が雪崩のごとく押し寄せてきたのだ。私だっていい思いしたいもの!

そうやって悶々としていると不意に手を取られた。ボトルが転がる音を耳にしながらも私は驚きから彼の顔を見遣る。

 

「独りの夜は寂しいから、おネーサンみたいな優しい人に温めて欲しいな。」

 

取られた左手の薬指を撫でながら、困ったように眉根を寄せる彼の姿と前かがみになったことでハッキリと視界を占領した艶っぽい鎖骨に私の中の淑女とやらは裸足で逃げ出してしまったらしい。

 

気付いた時には私は彼と2人で近くにあったラブホテルの部屋に入っていた。

 

ラブホなんて初めて来たなぁ。と呑気に口にして部屋を物色している彼を見つめて入口で立ち尽くす。

もはや言い訳はきかない。私は未成年と買春をしたのだ。

 

「おネーサンもこっちおいで。びっくりするくらいベッドふかふかだよ。」

 

先程見たしおらしさはどこへ行ったのか、割と強引に腕を引かれてベッドの方まで誘導される。男性にエスコートされる日が来るとは思わなかったので先程からの出来事も合わせて私は既に目が回りそうになっていた。

 

ぼすりと音を立ててベッドに腰掛けるが、その想像以上の柔らかさに体勢を崩してしまい部屋の天井が私の視界を埋めつくした。

私は起き上がらずにその体勢のまま暫く天井とにらめっこしたままベッドの冷たさに身を浸す。よく考えてみれば今日はかなりお酒を入れているので、このまま眠ったら気持ちいいだろうなぁと現実逃避しながら私の横に腰掛けた彼の方に視線を向けた。

 

で、半裸の彼に驚いて思わず起き上がった。

 

「おネーサンお酒飲んでるのに急に動いたら危ないよ。」

 

ほら。と言って驚いて硬直している私をもう一度ベッドに転がすと満足気に笑って、その唇を私に押し付けてきた。

 

その後の事は正直碌に覚えていないが、次の日目を覚ましたら美少年の腕の中だった事は二日酔いの頭痛を吹き飛ばす衝撃だった事をここに記す。




性的なあれこれは書いてはみたのですが、あまりぱっとしなかったので省略致しました。

誤字脱字報告、コメント指摘等お待ちしております。


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貴方の義妹は最近寝不足である▼

そら(突然朝帰りとかした血の繋がらない兄or姉がいたら)そう(いうよからぬ気持ちになる)よ。


貴方は女心というものにとんと疎かったが、女性の悦ばせ方には人一倍自信があった。

性欲よりも支配欲や満足感といったものを重視していた貴方は金を貰い女性を性的に悦ばし、けれどピロートークを強制されないこの売春というシステムに心から感謝した。

 

それでも本番行為をしなかったのは、己の身を常日頃から案じてくれていた母親の事を思っての事であった。

ピアスは母から貰った大切な身体であるから、毛染めは高校卒業までは形だけでも正しくあればと思って控えることにしたのだ。

 

それでも売春行為に身をやつし、そのうえでもはや天職かもしれないとすら考えている貴方を見て母親は良い顔をしないと気づけないのは何故だろうか。草葉の陰で母親が泣いているぞ。

 

とはいえ貴方は1度目の仕事で確かな手応えと自由にできる現金を手にして気分が高揚していた。

残念ながら相手の女性は気をヤってしまい置いていくのも偲びなかったため初めてのお仕事は朝帰りになってしまったうえ、仕方なくお泊まりに変えた影響で貰えるお金が3万円から2万5000円に目減りしてしまったが。

 

しかし貴方はへこたれなかった。今何より大事なのは一夜にして現金と女性の電話番号を手に入れられたという事実であった。

 

そして、そうして浮かれている貴方は帰りの遅い義兄を心配して起きていた義妹が、朝帰りした義兄の存在を目撃してさらには貴方から香る知らないシャンプーの香りに思春期を爆発させていた事に気づかなかった。

知らず貴方は義妹の性癖と義父と義妹の親子の関係を歪めていたが、それに気づくのはもっと先の事である。

 

普段何かと優しくしてくれる義兄が、父親の鬼畜とも言える所業の為に身体を売ることになったのではないかという疑問は年頃の少女の脳を破壊して余りある衝撃であった。

貴方が義妹に対して、貴方の中の貞操観念に基づいてそれなりに甘やかしていたせいでもある。

 

閑話休題。

 

貴方は確かに手にした現金と自信を胸に女性へ「また遊んでください。」と一方的にメールを送っておやすみ3秒。さほど柔らかくないベッドに沈んだ。

 

 

 

貴方は高校生である。

 

記憶の中に社会人経験があるものの、世間はそうは認めてくれない。貴方の取れる選択肢はバイトか売春というえらく極端なものであった。

 

貴方はリアリストである。

 

先立つものの必要性を十全に理解していたし、就職するにあたって大学に行けないにしても大卒認定位は必要だろうと思っての現金の確保であった。

貴方にとって頼れる物はもはやお金しかなかったとも言えるだろう。

 

貴方は次の日の土曜日を泥のように眠って過ごし、日曜日は軽いバイトを入れていた。

選択肢はどちらかを選ぶものでは無い事を貴方は理解していたし、働くこと自体は嫌いではなかった。貴方は確かに大人であった。

 

バイトと売春に重きを置いた貴方は部活動を辞めていた。

 

顧問は貴方を引き留めようとしてくれたし、共に部活動に励んでいた友人は突然のことに驚いたようだったが、忌引後のうわの空だった貴方の様子を知っているからと貴方の決定を尊重してくれた。

 

友人や顧問が貴方の心配をしている中、貴方は部活のウェアを売春に使えないかと思案していた。最低である。

 

 

 

 

貴方の家での扱いは腫れ物のソレと変わりなかった。

 

義妹はまだしも、義父は貴方と顔を合わせると重い空気を纏わせるのである。

 

平日、貴方は義父と顔を合わせなくても済むように食事の時間を分ける事を提案した。これは貴方と義父とが話し合って決めた事であり、お互い思うところがある以上は顔を合わせない方がお互いのためであるとした大人の話し合いの結果であった。

 

母の葬儀の後、義父は母に代わり大黒柱として働くことを選び、貴方はそのサポートとして家事を取り仕切る事を決めていた。

義妹に家事のやり方を教える事で貴方が居なくなってからも家庭が回る様にと提案し、貴方は2年間の衣食住の心配から開放されたのだ。

 

その時バイトと夜間の外出についても取り決めたが、まさか義理の息子が売春をしようとしているとは思っていなかったためその辺も恙無く取り決められた。

 

そうして義父は前職に復帰する事になり帰宅時間が遅く、貴方は部活動を辞めて家事をするため帰宅時間が早くなった。金曜日はそんな義父が唯一早く帰ってこれる日だったため、貴方は義父と義妹が話せる時間を作るべく、食事を作ったらさっさと出かけてしまうことにした。

 

このことは義妹には父親から説明があり、貴方も同意のうえだと伝えたが親子関係の軋轢はより大きくなってしまい、金曜日の食卓はかなり冷え込んでいたが貴方が知る由もなかった。

とはいえ父親との関係があまり上手くいってない事を休日なりの雰囲気で感じ取っていた貴方は、年頃の娘がお父さんを毛嫌いする時期があるのは仕方ないよね、程度に考えていた。呑気がすぎる。

 

さて、それでは貴方の生活や義妹との関係はどう変わったのか。

案外そのままである。

 

朝ご飯の用意と買い出し、夜ご飯と休みの日の家の掃除がタスクに追加された以外の変化はなかった。大きく変わったのは起きる時間と寝る時間が前にズレたことであるが、母との二人暮しの経験や前世での一人暮らしの経験のあった貴方には何も問題がなかった。

 

貴方が家事担当になってから暫くは貴方と義妹との関係はギクシャクしていたが、生活リズムが安定してきた頃。ふとお昼ご飯が購買のパンでは栄養的にどうなのかと思った貴方は義妹と貴方の分のお弁当を作る事を提案した。

前世とは違い女子高生でも食べるものは食べるのだからと夜にガッツリとご飯を食べる義妹を見て購買では足りないのではないかと思っての事だった。

 

返事もなく部屋に行ってしまった義妹に思春期かなぁと悩んでいた貴方は、戻ってきた義妹からお昼ご飯にと支給されている五百円玉を差し出されて目を丸くした。

 

「…お願いします。」

 

どこか気まずそうな様子であったが、それでも貴方はその言葉が嬉しかった。

自分の分と合わせて1000円もあればかなりいいお弁当ができると明日からの美味しいお昼ご飯に喜ぶ貴方を見て、義妹は久しぶりに笑顔を見せた。

それからの貴方たち兄妹の関係は良好である。

 

それも先週の金曜日に貴方が売春を始めて朝帰りするまでの事であったが。

 

貴方の義妹は最近睡眠不足である。




とりあえず勢いで書いたのはここまで。


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あにはそんなひとじゃない

義妹視点。
視点に若さを出せていれば幸い。


私の兄さんは真面目な人だ。

 

勉強も部活も色々頑張って結果を残しているし、あんまり遊びらしい遊びをしている所を見たことがない。

でも友達とカラオケに行ったりテレビを見て笑ったりしてるから頭が固い人ってわけじゃない。

 

母さんを見てても思うけど、どことなく育ちの良さを感じる。全体的に優しい感じがするというか、物腰が柔らかい?何かと丁寧?とかそんな感じ。

本人たちの性格は結構大雑把なところがあるけれど、それでも人に対する優しさみたいなのが透けて見える。

 

道徳心がちゃんと育ってるとでも言うのだろうか。懐の深さを感じることが多い。

 

なんの話だっけ。

 

そう。兄さんの話。

 

家事も出来て顔も良くて優しくて…絵に描いたようなお兄ちゃん。

何となく他所の家とは違うんだろうな、とは思ってる。家庭環境が変わっているからって訳ではないと思う。

 

まぁ何が言いたいのかと言うと、私は兄さんにとても懐いているし色んな意味で信頼しているということである。

ちょっと大人っぽい兄さんは私にとって憧れの男性だったし、父さんとはまた違った大人だと思っていた。

 

その印象が間違いではなかったと気づいたのは母さんが亡くなった時。

 

まず父さんが乱心した。正直今でも父の考えは理解できないしそれを納得した兄さんの気持ちも理解できない。

泣き崩れてどうしようもなくなる訳でもなく、ただ父さんは兄さんを拒絶した。

私には愛だとかはまだまだ分からないけれど、それでも父さんの行動は家族に対する裏切りだと思った。家族になってもうすぐ7年。2人とも小学生だった頃から考えても私だってもう中学生だし兄さんも高校生だ。

7年というのはとても長い時間だ。その時間を共にしてきた以上、それは家族なんじゃないだろうか。

 

私は血の繋がりは重要じゃないと思ってる。

他所に男を作って蒸発しようとした母よりも、私の家族なのは父さんと母さんと兄さん、その想いに躊躇いはないし3人の中に優劣なんてない。

でも父さんは違ったらしい。私と母さんは家族で、兄さんはそうじゃない。

 

納得出来ないし、父さんの事が少しだけ嫌いになった。

兄さんは「男はいつか婿に行くのだし、家族としての別れが少し早くなったみたいなものだから。」と無理矢理納得したみたいだったけど、私にはそんな理不尽考えられない。

 

母さんの遺産を兄さん1人に渡さなかったことも父さんへの反発に拍車を掛けた。

2人は同意の上だからと言っていたが、兄さんが父さんのわがままを聞き入れただけなんじゃないかとすら私は疑っている。兄さんを家から追い出すつもりの人が母さんの家族として振る舞うのはクズだって、そう言っても父さんも兄さんも何も言ってくれない。

 

決まったことを粛々と受け入れるだけの子供。それが私の立ち位置だった。大人の話し合いには入れて貰えない。そんな自分の無力さが嫌いだった。

 

兄さんは部活を辞めた。大会で団体だったけど1年でも結果を出せたんだと喜んでいたのに。

兄さんの部屋からは物が減った。無駄に大きいクッションも揃えてた漫画も。部屋の隅に大事そうに置かれた母さんの形見を見かけて目の奥が熱くなった。

 

家に帰ると兄さんが居るようになった。母さんに代わって仕事に出た父さんの負担が減るように家事は兄さんがするんだって。

あまり気にしていなかったけど、兄さんは父さんと同じくらい料理が上手い。「2年の間に唯華も覚えないとね。」と言う兄さんの言葉が凄く悲しくて、久しぶりに兄さんに抱きついてしまった。嫌なことがあったりすると抱きつくのは小学校で卒業したつもりだったのだが、やっぱり私はまだまだ子供のままらしい。

昔のように頭を撫でるでもなく宥めるでもなく、困ったようにごめんと言われてあぁもうどうしようもないのだなとその時ようやく理解した。

 

兄さんはとてもいい人だと思う。理不尽にも文句を言わず、でもバイトをして抗って。だからって誰かに八つ当たりしたりしない。

いつか私も兄さんみたいな大人になるんだろうか。

 

兄さんは金土日はあまり家に居ないようにしている。父さんと顔を合わせない為だって、そう言ってた。

兄さんは父さんのことを名前で呼ぶようになった。父さんは兄さんのことを名前で呼ばなくなった。

 

金曜日の父さんと二人だけの晩ご飯は少し虚しい。

思い出せないほど久しぶりの2人だけのご飯は、週末の疲れもあってあまり美味しくなかった。

兄さんは遅くなると言って出かけてしまった。遅くなると言って出かける日はバイトの日だ。特に日曜は賄いが出るからと家事を済ませたあとは家から居なくなってしまう。

 

そんな風にぎこちなくなってしまった我が家だが、それでも私と兄さんとの兄妹仲はいいと思う。

この先どうなったとしても私は兄さんの妹だし、もしも兄さんが困っていたら一も二もなく手を差し伸べるつもりだった。

 

 

 

 

兄さんが朝帰りした。

 

遅くなるといつも言いはするが深夜を回ることがないので、私はリビングで時間を潰して待っているのだが、あまりにも帰ってこないので心配になって徹夜してしまった。

深夜バイトを始めたのかもしれないと後で聞いておかねばならないとぽやぽやしだした頭で考えながら、どうしようもなくねむかったので日が上り出した頃になって自分の部屋に戻ってしまった。

 

するとベッドに潜り込んだかどうかというタイミングで玄関の鍵が開く音がした。何となく起きあがっておかえりと言うのも気恥ずかしくなったので目を瞑ったまま耳を澄ませていると、兄さんはお風呂に入らずに階段を上りそのまま自室のベッドに寝転がったらしかった。

綺麗好きな兄さんにしては珍しいなと思いつつも、何故か胸騒ぎがして寝付けなかったので、兄さんが寝付いただろうタイミングを見計らってかなり時間を置いてからそっと下に下りていった。

 

その後の衝撃はなんと言えばいいのか、私には分からない。

結局降りたところで何をすればいいか分からずに、とりあえず追い炊きすればいいからとお風呂をそのままにしてたよなぁと思って脱衣場に入った私の鼻腔をよく知らない匂いが通って行った。

はてな。新しい洗剤にするとか言ってたっけ?

先程までの眠気もどこへやら。完全に徹夜テンションでぐるぐると回転を始めた脳は早々に匂いの元を見つけてしまった。

 

兄の服から知らない匂いがしてる。兄ノ服カラ知ラナイ匂イガシテル。

よく見れば洗濯カゴの衣服が2種類ある。1つは分かる。パジャマに着替えたんだろう。ナラモウヒトツハ?

 

人は唐突に閃くと身体に電流が走るのだという事を私は初めて知った。

 

私は動揺を抑えながらゆっくりと音を立てないように兄の部屋に向かった。自分の予想が外れていればいいのにと思いながらも探究心には勝てなかった。

私は決死の覚悟でドアを音を立てないように開いて、全てを悟った。

その日から、私は寝不足に悩まされている。

ベッドに潜ったとしてもどうしても想像が止まらないのだ。今日も兄さんは誰かに抱かれてきたんじゃないか、いやまさかそんな、でもお触り程度なら有り得るんじゃないか。もしや他所に帰れる場所を作ったんじゃないだろうか。

 

私は確かに子供だった。いやそれでも私は兄さんの味方であることに変わりはない。

だから兄さん、その手元にある少し高そうな時計はなんですか?

 

「おはよう唯華。まだ眠そうだけど大丈夫?顔洗ってきた?」

 

どうしてそんな、困った表情で携帯の画面を見てるんですか?

 

「ちょっと夜更かししちゃっただけだから大丈夫だよ。」

 

部屋に置いてあるチャラチャラしたアクセサリーはなんですか?

 

「あんまり夜更かしすると背が伸びなくなるから程々にね。」

 

そう言ってにこにこと笑う兄さんはいつもの兄さんで、でも決定的にどこかが違う。

 

休日の兄からは私の知らないシャンプーの匂いがしている。




なお妄想の9割は当たっている模様。

誤字脱字報告、評価コメントありがとうございます。


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貴方はママ活を覚えた▼

みんな義妹ちゃんの脳破壊好きすぎじゃない?


貴方は最近お金に余裕が出てきてウハウハである。

 

週に1度としていた売春行為であるが初めてのお客さんである女性――日向子さんから金曜ではなく土曜では無理かと打診があり、週に2度に変更していた。

社会人には日曜日のみの休日しかない人が多いことを貴方は知っていた。週休二日と表記があっても有給休暇の申請云々と説明があっても、それが笑顔で無かったことにされる世界が存在することを貴方は正しく知っていたのである。

社会の闇を久しぶりに垣間見た貴方は、少しだけ売春の時に行うプレイの趣向を変えることにした。

かつて生きていた世界で得た知識から、貴方は『オタクに優しいギャル/優等生』になろうと決めた。社会の闇にはバブみやオギャリティといった癒しが求められるのではないかという考えから来る突飛な発想であった。

 

この世界のSNSやエロ界隈を覗いてみて、貴方は『オタクに優しいギャル/優等生』に一定以上の需要があることを確信した。

貴方はできるだけ精神的に壊れてそうな、目の淀みが酷そうで無気力なOLに声をかけるようにした。酷い話である。

 

その結果、甘やかされてバブバブしたい美優さん。体格差で組み敷かれたい衣紀さん。道具持参で好き勝手されたい舞子さんetc。といったマゾっけ溢れるヤバい奴らの見本市のような電話帳が出来上がりつつあったが、貴方は歳上女性を転がせる事実に満足感と充実感を感じており、そのような瑣末事は気にならなかった。

 

何より貴方の手によって淀みまくっていた彼女らの目が輝きを取り戻していくのが貴方は好きであった。まるで育成ゲームの様だと彼女らに微笑みながら思案するのである。

 

ただ高校卒業後は売春行為を辞めて真っ当に生きるつもりなので、今電話帳に並んでいる女性たちにストーキングやガチ恋されるのは大変困る。あくまで金銭での付き合いであることや他の客がいることは口が酸っぱくなる程に伝えていた。

それでも本番行為や交際を迫ってくる相手も居たのだが、力でベッドに押さえつけて少し強めに拒絶すればそういう相手は次第に居なくなったが。

 

なお、組み伏せた際に気をヤってしまったのが衣紀さんで、「はい、ご主人様…。」と恍惚の表情を浮かべたのが舞子さんである事は内緒である。太客の性癖は全て墓まで持っていかねばならない。

 

 

 

 

貴方は将来的に必要になるからと稼いだお金で少しだけいい時計を買った。

母の形見を使うことも考えたのだが、どうにも性差による違いと壊してしまったらという不安が形見の使用を見送らせた。

一度、風呂に入るために外しておいた時計を義妹が新しいおもちゃを見つけた猫のようにぺちぺちといじって居たのだが、その光景が面白すぎて写真を1枚撮った。貴方の可愛いものフォルダは潤ったが、義妹の心は荒んだ。

 

平日。貴方は基本的に暇を持て余している。

進学の道が絶たれた以上、貴方にとって比重を置くべきは学業ではなくお金であり、身元の確かな就職先である。

 

1度どこかの社長を捕まえて秘書にでもしてもらおうかとも思った事はあったが、自分の電話帳を眺めて現実を思い出した。

ずらりと並ぶ何処に出しても恥ずかしい性癖のお姉さま方がどこかの社長と繋がりがあるとは思えなかったし、有ったとしてもマゾっけのある社長のコネ入社など日常までそういう事に侵食されそうだと早々に諦めた。

 

高卒でも雇って貰えるようにと簿記や秘書検、宅建や船舶など取れそうな資格を取っておこうかと勉強する事が平日の暇な時間の過ごし方になりつつあった。

 

一先ずの目標は市役所勤務である。

 

貴方はお金に余裕が出たが、雑な使い方ができるほど裕福な生き方はしてきたことがなかったので、基本的に真面目であった。

 

カリカリと鉛筆を滑らせながら、貴方はどこか音の響きやすくなった部屋で伸びをした。

 

根を詰め過ぎてもいけないと思い、貴方は仕事用の携帯を取り出すと来ているお誘いのメールたちに餌やりを始めた。営業の何たるかを知っていた貴方はアフターフォローもこまめな連絡も完璧であった。

とはいえ書き込む言葉は実に事務的で、あまり媚びたものではなかったが。

 

貴方の中に『客≒手のかかる犬』という図式が成り立っている事を彼女たちは知らない。

 

事務的に変態達の言葉を流していると、不意に貴方の携帯がメールの着信を知らせてきた。長文のメール。時刻は23時、中々滑り込み気味である。

貴方は心の片隅でBadBoyとつぶやきながらメールを開いた。そして意外な内容に少し驚いた。

 

パパ活のお誘いであった。いや、この場合ママ活と言った方がいいのだろう。

送信者は日向子だった。

 

日向子は最初の客であり、貴方の持つ電話帳の中では比較的マシな性癖の女性である。歳も26とまだまだ若く、精神年齢が天元突破しつつある貴方にとっては10歳年上のお姉さんでも可愛いコーギーのようなものであった。

 

内容を確認すると、日曜日のバイトまでの間で良いのでデートして欲しいというものであった。

貴方は面倒なことになるのではないかと悩んだが、文面の各所に見られる「名誉挽回の機会をください。」という必死で大人としてのプライドの欠片も感じられない文章を見て、普段ほとんどされるがままでわがままを言わない日向子ならばと了承の返事をした。

 

授乳手コキならぬオムツでおしゃぶりやら、うつ伏せの上に全身覆いかぶさっての身動ぎ一つ出来ない状態での愛撫やら、貴方は客のわがままをよく聞いていた。この年齢で粉ミルクの作り方を熟知する事になるとは思ってなかった。

それに比べたら自分に身体を委ねてキスを強請るくらいの可愛げがある日向子のお願いなら聞いてもいいかと思ったのだ。

 

ちなみに一番楽なのがおもちゃで嬲って欲しい舞子さんである。拘束と放置プレイが特に好きなので実に少ない労力でお金を稼げるのだ。

 

貴方は新しくママ活を覚えた。




女性の名前はフィーリングです。


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ひとはみかけによらないなぁ

ランキングに載ってうきうきの作者です。
やっぱりみんな案外性癖歪んでるんやなって!


最近友人である唯華の様子がおかしい。

 

ムッツリと人の良さでクラスの男女問わずにそれなりの人気のある奴で、個人的には揶揄うと面白いので付き合っているのだがとてもピュアな奴である。

帰宅部の自分には一定以上の運動ができる人は全てすごい人で括られるのであれだが、部活でもそれなりに頑張っているらしい。

 

そんな陽の者。自分が知る中で一番の元気印が唯華なのだが、どうにも最近元気がない。

忌引で休んでいた頃は、仕方ない事だし元気づけてやるかと構い倒していたのだが、最近の元気のなさは少し度を越している。

 

目の下の隈をデフォルトに装備し、時折何か考えていると思えば萎れたピカチュウみたいな顔をしたりと見てる分には楽しいが友人としては心配である。それはそれとしてその表情が面白かったので写真に撮ったら異常に反応されたので私作の唯華診断の結果何かあったのは確定した。

 

そういえば最近は彼女特有の「ニイサンガーニイサンガー」という鳴き声を聞いていない気がするので、恐らく兄絡みで問題があるのだろう。

彼女のお兄さんには一度会ったことがあるが、いち女子中学生としてとてもエッチだと感じた。

間違えた。とてもじゃないが現実に居ていい存在じゃないと感じた。唯華と代わってほしいと真剣に思ったくらい。

 

きちんと着こなした制服のお兄さんからは優等生と大人っぽさという年下キラーなオーラを感じたし、そのくせ唯華とじゃれ合う姿は気さくな男性そのもので、何より顔が良かった。こう、全体を合わせると絶妙に手が届きそうな雰囲気が堪らない美人であった。

私のオカズフォルダに清楚系お兄さんが追加されたのは言うまでもない。

 

そんなお兄さんに何か有ったとするなら彼女ができたとかそういう系だろうと当たりをつけた私は今、そんな友人をからかう為のアイテムを探しに中古ゲームショップに来ています。

 

こういう買取系のお店は年齢確認ザルなところが多い…。否、私は健全な女子中学生。古き良き良ゲーと中古漫画を探しに来ただけですとも。ええ。

 

帰宅部の良いところは日曜日だろうがなんだろうが気にせず好きな時に好きな事ができることだと私は思うわけです。唯華は部活やら家事やらで日曜は自由に出来ないらしいので大変だなと思うけど、本人は納得してそうだから私が考えることではないのだろう。

内心ほくほくでいい買い物ができたと街に出てきた事に満足していると、私の中で今話題沸騰中の唯華のお兄さんを発見した。

 

隣に居る女性は恋人、かな?ちょっと緊張してる雰囲気があるから付き合いたて…にしてもそっかぁ。お兄さんは社会人の女性と付き合ってるのか。

確かに大人っぽいお兄さんが付き合うのなら歳上になるのかもしれない。男性であるお兄さんがリードしているように見えるのは同じ女としてなんとも情けない気持ちにはなったけれど。

 

しかしそうなると唯華用に買ったエロ本の皮を被った少女漫画は同年代の清楚系男子高校生の恋愛をテーマにしているので今回のケースとは違ってくる。ま、いいや。自分用にしよう。

唯華には私のお気に入りから一冊寝盗られ物を進呈すれば万事OK。

 

出歯亀根性半分、唯華の揶揄い材料の確保半分で遠目からお兄さん達のデートを観察する。とはいえ夕方になってきたのでそんなに長いこと見続ける事は出来ないだろうけど。

 

しかし私服のお兄さんもいいなぁ。普段の清楚な雰囲気と違ってジーンズというのも中々…。あの唯華のお兄さんなのだからスポーティな感じが似合うのも分かる。(わかる)

 

おしゃべりしたり買い物したりと割と健全なデート風景に面白くねぇなぁと内心野次を飛ばしながら尾行すること約1時間。

そろそろ帰ろうかと思っていると、あちらもあちらで解散するらしい事が聞こえてきた。

 

もしや隠れたりせずとも気付かれないのではないかと気づいた私は現在恋人達の向かいのベンチでコンビニで買ったアイスを食べている。流石に冬にアイスは寒いけど食べたくなったので仕方ない。

 

正確な会話は聞き取れないが、ところどころ単語を聞き取れるので十分だろう。英語のリスニングで身につけた能力が実生活で活きた初めての瞬間である。

お兄さんの方からは「楽しかった」「用事」「また」とか聞こえてくるので及第点を出した感じである。

女性の方はしどろもどろとしている雰囲気が伝わってくるのでちょっとデートプランに自信がなかったらしい。なんか初々しくてイヤになりますね。

 

彼氏欲しいなーともはや聞き耳を立てることをやめつつあった私は女性がお金を渡しているのを見て「電車代かな?社会人ってのはリッチウーマンしかおらんのか?お?」といちゃもんとしか思えない野次を飛ばしながら様子を伺っていると、最後に面白い光景が見えた。

 

恐縮だとでも言わんばかりの様子でお金を受け取ったお兄さんが不意に女性と唇を重ねたのである。女性の方は状況がよく分かってないのか指先まで固まっていた。いや、ていうか長いな!?

これはねっとり舌を絡めているに違いない。や!この、破廉恥だ!

 

内心最後の最後に面白い展開になったので心の中の全私がスタンディングオベーションとアンコール唱和で大興奮でした。

 

遠目からでも分かるくらい顔が真っ赤な女性と余裕そうなお兄さんの対比は私の中の新しい扉を開く鍵となるのに十分な破壊力があった。

どっちが男の子か分からないような状況の中、お兄さんは女性に何か告げると自分の着けていたマフラーを女性の首に巻いてにこにことした笑顔で手を振って去っていった。

 

残された女性は暫く呆然と立ち尽くした後、五分ほどしてからマフラーをもふもふと触りながら帰って行った。

その間私は衝撃で取り落としていたアイスの無惨な姿を見て頭を抱えていた。スタンディングオベーションの時かなぁ?

 

その後私は改めて中古ショップに寄り、唯華へのお土産に清楚系ビッチ白ギャル物を選び家路に就いた。

早速月曜日に手渡すと「ォア゛ア゛アァァァ」という発情期の猫かと思うような声を上げたので、私は満足気に頷いてサムズアップしておいた。

 

その後すごい勢いで唯華は言い訳という名の反論を続けていたが、その場で返品してこなかった時点で語るに落ちている。

 

いやしかし、人は見かけによらないなぁ。




今週の更新はここまで。平日の更新はできるかどうかヨグワガンニャイので、続きは土日の更新をお待ちください。

いつになくスラスラ書けるので、自分でも驚き。
コメントや誤字報告、ご指摘ご評価感謝します。みんなありがとう!


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貴方はガチ恋勢という存在を知らない▼

ごめん2時間で続き書けた。


貴方は最近疲れている。

 

子育てで衣服を汚されたかの如き最近の洗濯物の多さにげんなりとしつつも、若干の優越感を覚えるあなたのメンタルは鋼である。

しかしそれでも若干かぴかぴとしているスラックスをクリーニングに出すことを決意して、洗濯で痛みにくそうだからという理由だけで最近履いているジーンズを洗いに出すような生活に疲れを感じてしまうのは仕方ないことだろう。

 

家事については義妹も覚えつつあるのか、最近は日曜日の家事を義妹が基本担当している。学生なのだから遊びに行った方がいいと言ったところ、それは兄さんも同じだからと譲ることなく言い返されたので貴方は喜んで日曜日を好きに使わせて貰うことにした。

小さかった義妹の成長に感極まって抱きしめてしまった事は貴方の記憶からは既に消去されている。

 

それはさておくとしよう。

 

そんな訳で貴方は家事の負担が減り、比較的楽をさせてもらっている。では何に疲れているのかと言えば本職の方である。

学生の本分は学業という言葉は貴方のメンタルを揺るがすことは無い。資本こそ全て。

 

先も少し触れたが貴方は客が消耗品のように衣装を用意し、それを好き勝手に汚して来ることに若干の嫌気がさしていた。

その場で捨ててきても良いのだが、貧乏性の貴方にはそれが出来ず貰えるものは貰っておこうと持って帰ってきては手入れの面倒臭さに辟易とする日々を過ごしていた。

 

思えば燕尾服なる物を着てお嬢様プレイをして欲しいという要望を了承した辺りからおかしくなった気がする。

貴方は客の性癖は暴露しないと守秘義務の如く口を固くしていたにも関わらず、違う客に私もして欲しいとリクエストされたのだ。

問い質してみれば、意外なことに客同士でバラバラながらも横の繋がりがあるらしい。あなたとは知り合いじゃないけどあなたの友達と友達みたいな謎の繋がりが存在するというのだ。

 

蛇の道は蛇。変態の友達は変態。変態ネットワークなる物の存在に頭痛を覚えた貴方は日向子に無性に会いたくなった。

 

なお、変態界隈に現れた1人の天使というおぞましい噂が変態達の間でまことしやかに囁かれている事を貴方は知らない。

また貴方の顧客は貴方を盗られないようにと情報を規制しているのだが、貴方が気まぐれに声をかける相手の多くが変態なのだから救いはない。

 

この世には知らないままの方が幸せなことが多い。

 

そろそろ接客時の対応がデフォルトで執事然としそうな貴方だが、日曜にしている接客バイトでの評価は良好なので文句を言いづらい状態になっている。

貰った燕尾服が4着を超えた辺りで変態には燕尾服は貴方が持っていく事を周知するように厳命した。3日で全員に共有された。

 

お客の中には貴方の童貞が手に入らないなら服をくれという謎の理論を振りかざし私服を求める輩も存在する。何に使われるかと戦々恐々としつつも守銭奴の貴方はガチの私服を数点売っぱらった。

ブルセラってあるし、まぁええやろという精神だった。頭が痛い話である。

 

そうは言っても客たちも淑女である。変態という名の淑女ではあるが、キモがられて客として切られるのが怖いという事もありあまり問題は起こさなかった。

 

とはいえどこまですればキモがられるのかと謎のチキンレースに興奮している者たちや貴方は全てを受け入れてくれると盲信している輩もいるので、貴方の大きめの服を着て貴方に包まれている気分ですと写真を添付したメールを送ってくる猛者もいた。

微妙な気持ちではあったが言わば元の世界で言うところの彼シャツのようなものである。ある程度好みの女性を選り好みしていた貴方は大変捗ったという裏話もある。なおその女性はその後のストーカー診断に落ちて切られている。

 

他にはキワモノのブーメランパンツを渡されたので、行為の後目の前でゴミ箱に捨てた事もある。流れるように目の前で回収しようとされた時には頭を抱えたくなったが、

 

「俺よりも布切れの方がいいんですね…。」

 

と若干死んだ目で言ってやれば縋りついてきたので彼女のこれからと性癖の修正のためにでろでろに甘やかしてやった。そんな彼女は制服でのラブラブプレイが最近のお気に入りである。

頭痛がするのはどちらの方であるのかは分からない。

 

 

閑話休題。

 

 

何の話か分からなくなる前に軌道を修正しなければならない。

 

貴方は売春行為を仕事だと認識しているし、最近は謎のプロ意識も芽生え始めている。それでも貴方は高校生で、精神年齢はどうか知らないが身体はそれはそれは繊細な時期である。

心が身体に引っぱられるという言葉があるように、貴方は最近この状況にストレスを感じてきている。ストレスを打ち消せるだけの何かがなければそれはいつか破綻する。お金だけだと少し嫌になってきてしまったのだ。

 

有り体に言ってしまえば、どうせなら貴方だって楽しみたいのである。

 

この世界の女性は肉食系とはまた違うのだが、自己主張が強い。

独身女性のみにターゲットを絞っていることもあり、処女率9割を超える顧客リストのメンツは、優しくすると付け上がったり調子に乗ったりしやすいのだ。

 

それに貴方は目を光らせなければならない。

増長してきた辺りでその鼻っ柱をぽきん。気が大きくなってきた辺りでその膨らんだ風船をぱちり。

 

貴方は処女(童貞)の躾方に一家言あるほどに扱いが上手であった。

 

そうやって気を張っている間、貴方は警戒をしていることもあってやはり心からは楽しめない。顧客を増やしすぎたツケでもあるのでしょうがないが楽しみたいという気持ちはある。

 

しかしだからと言って自分から日向子の様なマトモっぽい女性にアプローチをかけるのは少し違う気もするし、何より本気で落としてしまいそうで自分から退路を絶つようなマネはできない。

 

最初のお誘い以外は飽くまでも女性からの連絡に乗っかる形を取ると貴方は決めているのだ。貴方の前世で培われたリスクマネジメント能力はこんなところで役に立っている。

 

もやもやとしつつも夜のメールチェックを行っていると舞子からのメールが届いた。

道具を使ったマゾプレイを強請る舞子は、使用する道具とプレイ内容の了承伺いにメールを送ってくる事がある。

貴方にだって受け入れ難い性癖はあるので彼女のそういう配慮にはありがたいと思っていた。何より太客ということもあり優先して確認していく。

 

中身は露出調教のお誘いだった。誰かの視線に晒される経験をしてみたいとの事である。その内容に対してリスク高いからダメだけど割と普通のプレイを要求されたなと思ってしまう貴方は確実に疲れている。

 

しかし貴方は天啓を得た。

 

貴方は舞子に内容のプレイはダメだが、こういうのはどうかと返信をし、それと同時に電話帳の日向子を筆頭とするマトモ女子フォルダから何人か当たりをつけてメールを作成する。

 

『3Pのお誘い』

 

その件名のメールを先ずは日向子に送った貴方は、返信が来るまで資格試験のテキストに向き合う事にした。

その件名を見て日向子の心がどれ程乱されてしまうかを知らず。

 

貴方はガチ恋勢という存在の厄介さを知らない。




流石に今週の更新はこれで終わり。だと思います!


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かれはほんきにさせるのがうますぎる

日刊一位達成しました。ありがとうございます。
それにしてもみんな脳破壊好きすぎじゃない?昨日はいただいたコメントと『ここ好き』一覧見て笑ってました。


「がんもとスジ肉。あと大根ください。」

 

男の子なのによく食べるなぁ。いや、高校生っていうのは燃費が悪いものだろうしこのくらい普通なのかもしれない。

そんな事を考えながら出汁の効いたはんぺんと美味しそうにおでんを食べる美少年を肴にグイッとぬる燗を呷る。

彼を挟んで座っていた日向子さんは既に潰れたのか、時おり謎の鳴き声を上げる以外は彼の腰辺りに縋り付いている。

 

日向子さんは、ホテルもプレイも私持ちだったからと晩御飯くらいは出すと意気込んでいたのだが、この感じだと最悪の場合それも私が払うことになるかもしれない。

まぁ、元々は私のプレイに巻き込んだ形なので文句はない。歳の頃も私よりは下だろうし。

 

しかし折角の晩御飯におでんの屋台を選ぶとはこの子も変わっている。

「未成年だけだと中々来れないんですよねぇ…。」とぼやく姿はとても高校生とは思えないもので、ウチの会社の後輩でももっとキャピキャピしてると不覚にも笑ってしまった。財布を出してやる気をアピールしていた日向子さんは肩透かしを食らっていたが、彼曰く彼女の空回りはいつものことらしい。

 

その流れでママ活の話を聞いた時はズルいと思ってしまったが、彼の「でも舞子さん普通のデートじゃ満足しなさそうじゃないですか。」という一言に私はあえなくダウンした。1発KOだった。

いや私だって普通の恋愛経験の一つや二つあるもの。ありますとも。そりゃあ手を繋ぐよりもリード繋がれた方が嬉しいとはいえ結婚だって考えるような年齢ですから。羨ましいという想いは嘘ではない。

 

不貞腐れている私の様子を知ってか知らずか楽しそうに店主と話をしている彼がちょっと気に入らなくて適当に注文をつける。今日は目いっぱい放置プレイを楽しんだので今くらいはかまって欲しい。

 

「舞子さんは大丈夫ですか?結構お酒召してらっしゃるみたいですけど。」

「へーきへーき。あと一升も飲んだら分からないけど、ちゃんぽんもしないしまだ大丈夫よ。」

 

くいー、と手酌で酒を注いで飲み干して見せれば困ったように笑いながらこちらの心配をしてくれる。あぁやっぱりいい子だなぁ。欲しいなぁ。でもまだ未成年だしなぁ…。

 

こちらを向いてくれたことが嬉しくて、彼が箸を置いたタイミングを見計らって彼の左手を触ってみる。擽ったそうに動く手に指を絡めてみたりしたが、嫌がられる訳でもなく適度に相手をされる。その事がどうにも愛おしくて彼への想いが積もっていく。

しかし彼の腰に纏わりついている日向子さんは彼の右腕に絡みすぎて食事の邪魔だからと、ぺいっと剥がされてしまっていたのを知っているので程々で辞めておく。

 

所詮は客と売り手、そういう関係でしかないのだから程々の距離は大切だ。

それにしては彼はちょっとばかし釣った魚に餌をやりすぎのような気もするのだが、その恩恵に与っている以上私から彼に何かを言うことは無い。

 

隣で見せるその年齢相応の優しい笑顔に、私は今日のプレイを思い出してしまう。赤くなる頬を酒のせいと誤魔化す為に私は注文したおでんをお酒で流し込むのだった。

 

 

 

 

イタズラを思いついたのだと言う彼に従い私はホテルのクローゼットに押し込められて、良いと言うまで出てくるなという言葉をキスひとつで押し通された私は視界の通ったドアから部屋の中を覗いてじっとしていた。

今日は放置プレイだと聞いていたし、もうひとり来るからと聞いていたのでその相手を驚かせるための準備なのだろうと私は大人しく自分の荷物を持って、クローゼットに隠れていたのだ。

 

この歳でドッキリに付き合わされることになるのかとか意外と子供だなぁとか考えて、待機している間に今日のプレイはどうするのかと心を弾ませていたのだが、もう1人のお相手がやってきた所で私の予想は裏切られた。

というのも隠れている私に何か合図をすることも無く、突然2人でおっ始めだしたのだ。

 

びっくりして出ていこうとした私に気づいたのか、クローゼットの隙間に向けて相手に気づかれないように人差し指を立てる彼を見て、動揺しつつも彼の言葉を思い出してその場に留まることにした。

その間も続く2人の絡みに私は目を奪われながらも、不意に足元に置いてある荷物に気づいてハッとした。今日は普段自分で使っている道具を持ってくるように言われていたのだ。

 

彼に荷物を持ってクローゼットに入って待っているように言われた真の意味を私はようやく理解した。

 

私を置き去りにして目の前で繰り広げられる情事と、時おり私に向けて視線や仕草を送ってくる彼との対比に私の興奮は最高潮に達していた。なんなら何度か達していた。

 

お相手が満足して脱力し、私が何度目か分からない絶頂を経験した頃、ようやく私は御相手と顔合わせすることになった。

開け放たれた扉の中で痴態を晒している私の姿を見て、驚きつつも引いているお相手にゾクゾクしていれば、不意に彼が相手の唇を奪いこちらに目配せをしてくるではないか。

私は最高の放置プレイに身体を震わせて、今日初めて彼に見られながら絶頂した。

 

その後少しだけ彼に相手をしてもらいお相手だった日向子さんとも挨拶して、夜の街に出かけてきたというわけである。

その間日向子さんは情事を見られていた事に興奮したのか少しばかり挙動がおかしかったが、私は新たな仲間の誕生と自分の性癖の開拓を同時にこなしてみせた彼に一人マゾ心を震わせていた。

 

久しぶりに心底満たされたという余裕もあってか、今の私は機嫌がいい。

彼が相手をしてくれる内は、この爛れた関係を楽しもうと思える程度には気分が良かった。

 

それに思わぬ繋がりでできた友人もいることだし、かつて程の退屈な人生を送ることもないだろう。

 

目の前で食事を楽しんでいる彼に私は並々ならぬ感謝の想いを抱いている。

なので老婆心として、日向子のような一途な女性を誑かすという事の危機感を持つべきだというアドバイスくらいはした方がいいかもしれない。

 

どうにも彼は女性を本気にさせるのが上手すぎる。




ちょっと描写が露骨かなぁと思いながらもR-18ではないよなぁと思って書きました。
ダメそうならコメントで教えて貰えるとありがたいです。


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貴方は色恋沙汰に疎い▼

たまには学生らしい話を挟もうと思います。
箸休め回ってやつですね。


貴方は17歳になった。

 

あまり知らない3年生を見送り、桜の雨の下先輩として新入生を迎えた。

進級の時に何時もあった母からの祝いの言葉が無いことで、貴方の胸には未だに色濃い母親の陰があるのだと一人涙を流した。春の陽気に影が指すのを感じながら、しかし貴方は誰かに弱音を吐くことだけはしなかった。

 

「進級の御祝いにどうかなって…。物が増えるのもどうかと思って。」

 

それでも晩に義妹が買ってきたというケーキを食べる頃にはいつもの調子を取り戻していた。

 

春が過ぎ新しいクラスに馴染んだ頃、梅雨の半ばが貴方の誕生日であった。

この頃になると義父と貴方との関係に暗黙の了解が形成されており、誕生日の祝いも晩の食事も義妹と二人だけで済ませ、ケーキも2人分だけで済ます事に何の遠慮も無くなっていた。

 

貴方にとって会話を交わさない同居人の存在は、ふと目で探してしまう居ないはずの母と比較して、あまりにも対照的で笑ってしまうほど希薄になりつつあった。

季節が一つ移り変わるというのはそれだけの時間が経過したという事でもあったのだ。

 

とはいえ時の流れは悪いことばかりを運ぶ訳ではなく、こつこつ稼いだお金は7桁の大台を記録していた。

来年になれば車の免許も取っておこうか、資格試験の費用は別に分けて置いておこうか、貴方の将来設計はより具体性を増していた。

 

複雑な家庭事情の貴方は、皆より早く進路相談の機会が設けられた。カウンセリングと生徒の調査を兼ねた形だけのものであったが、久しぶりに大人の優しさに触れたような気がした。

貴方は就職をする事とできれば違う土地に行きたいことを生徒指導を兼任している学年主任に相談し、3年目を最低限の単位を取る代わりに自由に行動する許可をもぎ取った。

ついでに三者面談など保護者が必要な事は無理になったと伝えておいた。

 

「相談事があれば何時でも言いなさい。私と話すことで思いつくことや教えてあげられることがあるかもしれないから。」

 

と言って心配してくれる主任の言葉を貴方は粛々と聞き入れている風を装いながら、自分のしている本業について考えて冷や汗を流すという場面もあったが概ね問題なく切り抜けることが出来た。

その他に体育祭など行事が挟まりつつも貴方は平和な日々を送っていた。

 

 

 

貴方は困惑していた。

 

夏服に袖を通してしばらくして夏休みが近づいた頃、今晩の献立を考えていた貴方の手元に一通の手紙が届いた。

机に入れられていたせいで、下校時に机の中身を確認して初めて気づいた為貴方は慌てて呼び出されていた空き教室へと足を進めた。

 

貴方は自分がモテることをあまり意識していなかった。

バレンタインに義理チョコを期待されている事など思い付きもしなかったし、貴方の隣の席がそれなりに人気になっていることを気付きもしなかった。

 

売春に手を出しているのに誰かと付き合うのは不義理だと考えていた貴方は、ラブレターを貰ったとて断る以外の選択肢を用意していなかった。

夏休みが近づき学園祭も控えたこの時期、彼氏彼女欲しさに告白が横行している事実は周知の事実であったが、自分の身に降りかかるとは思ってもみなかったのだ。

 

出会って五秒でラブレターを突き返して即お断りという恋に恋する年代の同級生の心をぽっきりとへし折りながら、貴方は学生の間に恋愛する余裕が無いと手短に伝えて早々に家路に着いた。

相手の女子はクラスでも人気のある子であったが貴方にとっては一目置くまでもない肩書きであった。はいそれまーでーよ。

 

告白というイベントのおかげで夏休みの存在を思い出した貴方は長期のバイトを探すことにした。

探してみれば飲食やサービス業は夏休みに向けて臨時バイトを募集しており、映像撮影や男子学生限定のハウスキーパーのようなちょっときな臭いバイトも見つけることができた。

そのうち来る修学旅行の旅費について義父に頼るのではなく自分で出せるなら売春で貯めた分以外から補充したかったのだ。

 

結局貴方はライブのステージ設営のバイトとチェーン店の飲食のバイトに応募し、面接と書類審査を経て無事バイトに合格した。

決め手は金額と賄い・昼食支給の言葉であったが、クラスメイトが去年は良かったというのを話していたのも後押しした。

 

そして夏休みが始まり8月の頭、ステージ設営の場で貴方は学校の不良娘とばったり出会うことになる。

 

貴方は惚れた腫れたの色恋沙汰に疎い。




同年代から見た主人公についても触れておこうという試み。


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ひとなつのであい

今回は普段よりも落ち着いた話になった…はず。
週間一位も達成しました。皆様いつもありがとうございます。


私がそいつを見た第一印象は「つまんなさそうな奴」。

真面目でお行儀がよくて、勉強でも困った様子はなくて運動もできる絵に書いたような優等生。

自分とは真逆の存在に思うところは色々とあったが、そんな満たされた奴と始めて会った印象が「つまらなさそう」だったのは私にもよく分からない。

 

世の中には顔を合わすだけで反りが合わない人間がいる。それがたまたま同じ学年の優等生様だったってだけのことなのだろうと私はそれ以上そいつの事を考えることは無かった。

そんな第一印象は一年経っても更新される事はなく――もとより話す機会もないので当たり前なのだが――逆に私は優等生とは真逆のレッテルを貼られたまま青春を謳歌していた。

 

学力に翳りが見えた私は、好きだった音楽に逃げるようになった。

バイトしてギターを買って、それなりに滑らかに弾けるようになったからと動画を上げてちょっとだけ再生される。そんな他人にとっては意味の無い青春だった。夢や将来設計なんて関係の無い、高校生の青春。

 

私がそのバイトに応募したのは欲しいCDがあったから。

それに音楽ライブの設営バイトなら音楽に触れることも出来るだろうという甘い期待もあった。教師から課せられた課題や補習を頭の片隅に追いやって一般的な動きやすい服装について調べたりして来る夏休みに心を踊らせていたのだ。

 

そんな私の考えが甘かったと分かったのは初日に集まった顔触れの厳つさを目の当たりにした時だった。

支給された作業用の手袋とスタッフ用のTシャツを着けて割り振られた作業をこなすこと4時間。早々に私は体力の限界を迎えていた。

ひーこら言って作業する私とは違い、周りは屈強なおばさんかやけに手際のいいお姉さんしかおらず場違いなところに来てしまったと呑気にバイトを決めた過去の自分に恨み言を漏らしながら、最後の方はほぼ気力だけで動いていたような気がする。

 

意地で割り振られたノルマをこなした後配られた弁当に口をつけることも出来ずぐったりとしていると、周りのおばちゃん連中から構い倒された。

デリカシーのないおばちゃん達の猛攻は疲れきった体にはボクサーのパンチよりもよく効いた。普段は若い奴が周囲に居ないからと言われても弄られる側はたまったものでは無いのだ。

 

「牧さん、倒れてた人に無茶させたらダメですよ。」

 

胃に何も入っていないのに込み上げるものを感じ始めた頃、救いの手が差し伸べられた。視線を向けると意外な事にあの優等生だった。

隣でばしばし私の背中を叩いていたおばちゃんが牧と言うらしい事を新たな知識としてインプットしながら救世主の声に耳を傾ける。

そいつは元々伝令として走り回ってきた帰りらしく会社の人間からの言葉を皆に伝えると、前に置いてあった昼飯を取りに離れていった。

 

おばちゃん連中はちょっとデレデレしながら仕事に戻って行った。私は安寧を取り戻した。

 

もしかして私が死んでた間も歩き回っていたのだろうか。意外とタフだな。と益体もないことを考えながら、助けてもらったのに優等生の名前を覚えていないことを思い出してどうしようか考えていると、

 

「お疲れ様。お昼食べないと身体もたないよ?」

 

食事を終えたおばさん連中が移動を始めたのを逆行するように隣に座ったそいつは事も無げにそう言ってひょいひょいと弁当箱の中身を平らげていく。

…やっぱこいつ苦手だ。お礼も言う必要ない。

 

食欲無い事と吐きそうになってる事を雑に告げて座っていることが堪えきれなくなり、ベンチに倒れ伏す。午後の作業を思うと憂鬱だった。

今食ったら吐くよなぁと隣の気配がなくなって、ぼんやりと滲んだ視界を眺めていると急に視界の大半を肌色が占領した。

 

「はい塩飴。あとはスポーツドリンクぐらいは飲んだ方がいいよ。現場の責任者には俺から言っておくからちょっと横になってれば?」

 

ほぼ無理矢理口に押し込まれた塩飴を舐めながら、絶妙にこちらの自尊心を煽ってくる発言を聞き流す。

本当は反論したいけど飴が邪魔すぎる。

 

もごもごとしているとそれを了承ととったのか、注意を二三個口にするとそいつはさっさと現場に戻って行った。

 

回復した後は骨組みではなくダンボールなどの細かい物資の整理に回されたのだが、時折見掛けるそいつは余裕そうな感じでおばちゃん達に混じって暑い中作業を進めていた。

気に食わなかったが、なんとなくおばさん連中が可愛がっていた理由がわかった気がした。

 

その後余りにも大変だった一日目を乗り切り、それ以降のバイトはバックれてやろうかとも思ったのだが男に負けるというのはプライドが許さず、結局その後もちゃんとバイトには出向いて行った。

 

その度に何かと縁があるのか初日の事でペアと認識されたのか、物販や巡回やと何かと一緒に居る時間が増えた。

そうなると当然話をする機会も増える訳で、私の中にあった苦手意識は次の日には無くなっていた。

 

 

 

 

「へぇ、好きなアーティストが出るんだ。」

「私も知らなかったんだが、どうも2日目のシークレットゲストで来るらしくて。物販で欲しいCDも出るから買いそびれなくなったしで万々歳だわ。」

 

スタッフに話を通して元々買うつもりでいたCDを一枚、個人的に購入する用にと取り置いて貰う約束をしたのでライブの記念として買っていくつもりだ。まぁ、結局後になって豪華版なりも買うことになるだろうが思い出というのは大切だからそこは見ないふりである。

 

苦手だ何だと言っていた割に仲良くなって、友人のように趣味の話をするというのはどうなのかと思わないでもないが、何かとうるさい年の離れたおばはん達よりは隣で素直に話を聞いてくれる優等生様である。男が近くにいるだけで清涼剤になるという事もあるが。

 

どうせバイトの間くらいしか話をする事もないだろう。不良と優等生が学校で関わる機会など碌に無いのだし今くらいはいいだろう。ひと夏の恋ならぬ5日限りの友情である。

 

熱中症喚起の看板を掲げながら二人で巡回をする。初日の反省を活かしてか新たに支給されたキャップとタオルを着けて周っているのだが、やはり暑いものは暑い。

 

「そういやバイト、初日に何人かバックれたんだってな。」

 

タオルで汗を拭いながらふとそんなことを思い出した。昼時におばちゃん達がグッズ欲しさのミーハーや根性無しの大学生が毎度何人かバックれるのだと話していた。

ミーハー連中は二日目まで頑張ればタオルとキャップも貰えたのに勿体ないことしたなぁとそんなことを思ったのを思い出したのだ。

昨日ベッドで同じことを考えていた自分のことは棚に上げまくりだった。

 

「あぁ、そういえば何人かチャラチャラしたのが居なくなってたね。仕事してる時にナンパとかされて困ってたから個人的にはありがたいけどさ。」

 

そう言って腰に提げていた水筒から水分補給をする姿を見て、その言葉に内心納得していた。

 

人好きのする顔に大人しそうな雰囲気、なるほど声の一つや二つ掛けられても仕方ないのかもしれない。実際はかなり大雑把で気の強い性格だが、そうと知っていても声を掛けたくなる女は居るだろう。

今も水を飲み下す度に上下する喉仏がやけに色っぽくて私も目を奪われる。

 

「ん、疲れた?看板持つの代わろうか?」

 

いや、やっぱり色っぽくない。生意気だこいつ。

 

初日と違い、会場を解体する最終日までの間は余程の天気でもない限りは会場のスタッフとして半日と人の多い昼時に働けば残りは好きにしてもいい。午前に頑張れば午後が、午後に頑張れば午前が丸々自由になるのである。私は聞きたいアーティストの時にフリーになりたくて大体午前に入れていたが、たまたま優等生とは時間帯が被っていた。

 

袖振り合うも何とかってことで、ライブの初日に帰ろうとしていた所を誘って午後のライブを観ていくように言ったのだが、他のバイトがあるからと断られてしまった。

優等生としてしか見てなかったが案外バイト戦士らしい。男ってのは何かと入り用になるらしいし、意外と普通の男子高生なのかもしれない。

 

ライブの二日目も一緒にバイトをした後は結局午前で帰ってしまったので、同年代が居ない中誰と話すでもなくライブを楽しんでいると不意に肩を叩かれた。

 

「バイト早上がりだったから来てみた。」

 

すわ喧嘩でも売られたのかと身構えて振り返ると、ここ数日で見慣れた顔がそこにはあった。

 

思わぬ登場に勿論驚きはしたが、特に驚いたのはイヤに大人っぽいそいつの私服姿にであった。

ファッション雑誌に載ってたページから飛び出してきたんじゃないかというアホみたいな感想しか浮かばないが、少なくともここ数日よく見かけたようなTシャツにジーンズといった動きやすそうなものではなかった。

汗を拭う時にちらりと見える腹筋よりも、どちらかと言えば露出が少なく襟元から見える鎖骨にフェチズムを感じるような服装。と言うとなんか変態っぽいので心の中だけで自重した。

 

急なことにどぎまぎとしてしまって、結局その後お目当てのアーティストが出てくるまでの間は隣が気になって碌に歌が耳に入ってこなくて単純な自分を心底アホだと思っていたが。

けれどやっぱり歌の力ってのは凄くて、腹に響く歌声が聞こえる頃には動揺なんてどこにもなかった。

 

「なんか凄かったな。俺あんまり音楽聞かないけど凄かったよ!」

 

自分が好きなものを褒められるのは嬉しい。何故か得意になりながら、頭いい奴でも歌の感想は私とあんまり変わりないんだなとどうでもいいことを考えていた。

その後は待ち合わせがあるからとそいつは帰ってしまったが、私は何と言うでもなく「また明日。」と別れを告げていた。

 

私の中の優等生のイメージという壁はその時には完全にとっぱらわれていた。

友人関係とも知り合いとも言えぬなんとも微妙な関係が、同じ苦労と音楽を通じて仲良くなった存在との関係が、これっきりになるのはちょっと残念な気さえしたのだ。

 

 

 

 

「良かったら聴いてよ。そんで、また感想聞かせて。」

 

バイトの最終日、あとは帰るだけになったタイミングで私は2枚買ったCDの片方をそいつに差し出した。

なんでもない気まぐれだと言いはしたが、同じものを好きになって欲しいというそれは確かな私のわがままだった。

 

ちょっと驚いたような顔をしたそいつは、パッと嬉しそうな表情を浮かべるとありがとう、と言い私の手からCDを受け取って「また学校で」と一言告げて帰って行った。

 

せっかく稼いだバイト代が少し減った事よりも、その一言が聞けたことの方が大きい気がして私は一人ご機嫌で家路に就いたのだった。

 

 

 

 

玄関を開けると野菜と牛乳の甘い匂いが鼻をくすぐる。今日の晩御飯はシチューだろうかと貴方は空腹をより一層強く感じながら、期待を膨らませる。

今日も義父は帰りが遅いので晩は二人で済ませる事になっていたが、待っていてくれた事が嬉しくてつい頬が綻ぶ。

 

「兄さんおかえりなさい。晩御飯できてるけど、シャワーが先の方がいい?」

「ただいま唯華。そうするよ。ありがとうな、これお土産。」

「CD?いいの?」

 

とてとてと寄ってくる義妹に感謝を述べてから、貴方は袋に入ったCDを手渡した。バイト仲間から勧められた先日直に聴いたアーティストのCDである。

 

「俺はもう1枚あるからいいんだよ。」

 

そう言って貴方はカバンにしまっていたむき身のCDを取り出して、シャワーの前に部屋に置きに行くことにした。

 

「間違って買っちゃったの?」

 

当然の疑問が投げ掛けられたが、貴方はなんと答えたものかと思案して

 

「んー、色々嬉しいことがあったんだ。」

 

結局何も答えないことに決めた。あの音楽に情熱を燃やす不良娘の話をするのは食卓に着いてからでも良いと考えての事だった。

 

貴方はひと夏の出会いを噛み締めていた。




今回はちょっと変則的な書き方にしてみました。変かな?どうかな?

若さゆえの理不尽な思考や単純なバカっぽさが書けていたら嬉しいなぁ。


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貴方は縁日を楽しんでいる▼

クラスとの交流も大事。


貴方は男子高校生である。

 

夏休みの楽しみ方がちゃんと締めたそうめんを啜りながら甲子園を観る事というおじさん臭い貴方であるが、貴方は男子高校生で貴方のスマホには学友である高校生のアドレスがいくらか入っている。

 

8月も中頃になり太陽が殺人光線をばらまく日が続いている。そんな中貴方のスマホに連絡が来た。

送り主はクラスの委員長であり、文面は色々と書いてあったが要約すると「今度の日曜にクラスの人と縁日に行きませんか。」ということであった。その内容に若干違和感を感じはしたが、貴方は些事であるとそれ以上は考えなかった。

 

縁日の日は普段なら夜のバイトが入っているのだが、店長がバカンスに行くからと貴方は暫くの暇を出されている事を思い出す。さらに義妹に声をかけてみれば、同様に友達から縁日のお誘いを貰っているとの返事があった。

少しの逡巡の結果、今週日曜の義父の夕飯は外食かインスタントに決まった。

早い話が参加することに決めたのだ。

 

連絡をくれたクラスメイトに参加の旨を伝え、貴方はガランとした部屋とは逆に物の増えたクローゼットから甚平を取り出して虫食いなどがないか確認した。

元の世界で女性が浴衣を着て縁日に出かけたように男性は甚平を着て参加することをクラスの女生徒達から望まれていることを確信していた貴方はサイズ合わせの為に袖を通して少し眉を顰めた。

 

昨年は部屋着としてしか袖を通す機会がなかったので余り気にしなかったが、17になり貴方の背が伸びたこともあってか甚平は少し丈が心もとなくなっていた。

この世界基準ではこのままだと多少センシティブな服装であることを理解していた貴方は、やはりこの甚平は部屋着として使い一着新調することに決めた。

 

リビングで溶けたように転がりながらアニメの再放送を見ている義妹に買い出しに行く事を伝えて、貴方はちょっと張り切って猛暑の中出かけて行った。

 

そうして当日、貴方は義妹と共に予定より少し早く縁日に出かけ、得意のヨーヨー吊りで5つほど水風船を吊り上げたりして軽く遊んでから、義妹と水風船を友人達に渡す。

義妹は花火を見たら帰るつもりらしいのでその頃に待ち合わせをして、貴方は義妹と別れ一人クラスメイトとの待ち合わせ場所へと足を進めることにした。

 

 

 

 

薄墨色の空と隙間から漏れる夕焼けのコントラストを背にたまに見かけたベビーカステラの屋台で衝動買いをしながら縁日の屋台の隙間をするすると抜けていると、貴方は巡回に駆り出されたであろう自身の担任とそれに捕まっている生徒の姿を見かけた。

せっかくの縁日に不憫だなぁと二つの意味でそちらを見ていると担任と目が合ったので会釈を返しておいた。その時よく見えていなかった生徒が先日バイトで仲良くなった不良娘であることに気がついた。

 

それならばと助け舟のひとつでも出そうと貴方は担任の教師に挨拶をして近寄ると、世間話の間にクラスの皆で遊びに来たことと不良娘とバイトで仲良くなったことを告げた。

今日の参加者の中に彼女の名前はなかったが、そうやって二つ一緒に言えば信じてくれないかという多少雑な『言いくるめ』であった。

 

教師は意外そうな顔をした後に色々と思案するように数秒沈黙して、「ハンコはあげるからバイトの申請届は夏休み明けにちゃんと出すように。」と他にも何か言いたそうにしながらも不良娘にそう言って、それなりの時間には帰るよう貴方達に注意をして見回り業務へと戻って行った。

それが『言いくるめ』よりも優等生という『信用』でもぎ取った温情であることを貴方はよく理解していた。

 

「災難だったな。」

「ありがと、助かったよ。せっかく遊びに来たのに岡先に捕まって説教受けるとかホント意味わかんないし。」

 

二人で並んで歩きながらそんな風に他愛ない話をする。

どうせなら本当にクラスの遊びに参加すればいいと提案して、貴方は改めてクラスメイト達が居るであろう集合場所に向かうことにした。

 

貴方は縁日を楽しみにしている。




少し長めの箸休め。
次の話が終わったらまた夜のお仕事に戻るはず。


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ベビーカステラをひとつ

難産でした。色々書いてたらいつもより長くなりましたが、前回が短かったのでごめんしてください。

いつもコメント評価誤字報告ありがとうございます。


どうしてこうなったのか、私はこの1時間程頭の中でこの11文字を踊らせていた。

 

 

 

 

明るく大人しく一定の規律を守りちょっとした愚痴を零してテストが無くなればいいと世界を呪う。私はそんなどこにでもいるような女子高生である。

放課後の時間が取りたいからとほかの委員会に参加する代わりにクラス委員になったくらいしか特徴のない女で、1番大きな悩みがなかなか背が伸びないことという実に平凡な女である。

 

その日は真夏日が続いて外に出歩かず本を読み漁って5日目であった。父から健康のために出かけたらどうかと言われること3日、母に弟と二人でオセロでもする気か?と肌の白さを笑われること2日。いい加減どこか出歩かないと夏バテしそうだと思い始めた頃であった。

なお母は弟と父からデリカシーがないと白い目で見られて晩酌の機会を減らされていた。私は気付かないふりをした。

 

普段はあまり活躍しない通話アプリが仕事をしたのはそんな時だった。

曰く、

「振られて傷心中の友人を焚きつけるのに協力して欲しい!」

ということだった。

 

送り主はクラスの変わり者で比較的活動的なグループに所属している友人からだった。本の趣味が合い、1年からの付き合いということもあって私の友人の中では珍しいタイプの相手である。

しかし慰めるでは無く焚きつけるとはどういう意図なのだろうか。具体的な内容が送られていないので何を協力するのかと問えば、どうにも委員長の名前を使ってクラスの男の子を縁日に誘って欲しいと言うことであった。

振られた相手が誘えたならベストだし、そうでないなら他の子でもいい。男が全滅なら普通に遊んで励ましてやりたいとのことであった。

 

どことなく友人自身も男子と交流を持ちたいのだろう事が透けて見える提案ではあったが、私に協力を要請する気持ちも分からないでは無い。

 

私は学校では割と品行方正な方で通っている。猫を被っている訳だが、確かに彼女達のように「遊んでいます。」というタイプから親しくない男子に声をかけると波風が立つこともあるだろう。

自分にお鉢が回ってきた理由はあまり喜べる内容ではないが、それなりの大義名分と逃げ道を作れた上で男の子と縁日で遊べるというのは天秤に掛けずとも魅力的な提案であった。

 

クラスメイトとして交流を深めるというのは悪くない提案であったし、縁日も学校にポスターが貼られていたようなものだったので誘いやすい雰囲気でもあった。そのため私は早速アプリのクラスメイトの知っているアカウントにお誘いを送って回った。

反応はまちまちであり、大体の男の子達には断られてしまった。女子も行けたら行くというような反応も多く、中には彼氏と行くからムリというなんとも性格の悪い返信があったりもした。

 

男子グループをひとつくらい誘えたらいいと楽観視していたが、下手したら男子は全滅かもしれないと若干諦めかけていると意外な人から参加の返信がきた。

噂のお相手からである。

 

私よりも余程委員長やった方がいいんじゃないかという程の優等生なので、結構お堅いタイプだと思っていただけに軽い感じの返信が来て少し肩透かしを食らった気分だった。とはいえ学校で親しくしている訳では無いので意外とノリのいいタイプなのかもしれない。

近寄り難い雰囲気がある訳では無いが、ちょっと手を伸ばすのは躊躇がいる。高嶺の花というのとは少し違うタイプの男子というのが私のイメージだった。

今回協力したのもそんな彼に勇気をだして告白した彼女に対する賞賛の気持ちがあっての事だったのは言うまでもない。5秒と待たずに振られたらしいが、そこは実行した事に拍手を送りたいところである。

 

まさかの結果に謎に上がったテンションのまま、やったぜ大金星とちょっとふざけたセリフを友人に送ると、そちらもテンションが上がっているのが分かるような文章が送られてきた。

最終的に男子は3人ほど、女子は友人のグループと私を抜いて4人ほど参加する事になった。

 

待ち合わせの場所と時間を全員に送り、私は次の日曜日の予定を夕飯の用意をしている父に告げてその間の平穏を無事確保することに成功した。

あまり話したことの無い相手とどう会話を繋げたものかと思案しては文字の海に沈む、縁日までの時間は何事もなくそうやって流れて行った。

 

 

 

 

縁日当日、私は一応主催という立場もあって空がまだ明るい間に縁日の会場へと足を運んでいた。

途中見かけた担任にクラスメイトと遊ぶ事を伝えて、何かを察したのか監視役として頑張れよとエールとたこ焼きをくれた先生にお礼を言って出店の種類を見て回った。

 

おおよそ予想通りではあったが、普段あまり見かけないケバブやタピオカの店を見つけてもし話題に困ったらこの話をしようと心のやることボードにメモを取ったりして、一頻り回った後待ち合わせ場所で待機することに決めた。

 

神社の鳥居前というのは待ち合わせには最適だろうと入口よりも奥まった場所にある鳥居の下に陣取ってぼおっと縁日の景色を眺める。祭囃子に太鼓の音、こういう非日常の景色を眺めるのは案外退屈しない。

そうしてぼんやりしているとさほど時間を置かずに友人グループがやってきた。どうやら彼女らは依頼した側として一番に来るつもりだったらしい。私の到着が早すぎると文句を言いながらも改めて感謝を述べてくる友人に私もおどけて男子の浴衣や甚平姿を見に来ただけだからと笑っておいた。

 

異性が居ないとそういった多少下世話な話の方が盛り上がるもので、その後ちらほら集まってきた女子も含めておよそ30分程私たちはひと夏の思い出というものについて熱く語った。最後の方は性癖の暴露大会の様相を呈していたが、クラスの男子が一人現れると途端に皆しゃんと背筋を伸ばして夏休みの課題が終わったかどうかという話題にシフトしてみせた。

実に分かりやすい変わり身加減に私は吹き出した。

 

男子が1人やってくるとバラバラと人が集まり始め、その後10分もすれば集合時間の前だというのに飛び入りの人も含めて殆どみんな集合していた。意外と皆楽しみにしていたのかもしれないと思っていたが、飛び入りの女子は件の彼が来るという噂を聞いて来たらしいことを友人から聞いてちょっと微妙な気分になった。

 

そうして待っていると来ていないのは噂の彼一人だけになった。

普段真面目な人だけに珍しいなと私は呑気に考えていたが、一方で振られたのだという彼女はしきりに時計を眺めてはそわそわと落ち着かない様子であった。

 

彼は集合時間の5分前にやってきた。予想外の爆弾と一緒に。

 

「ごめん、岡野先生に捕まってて遅くなった。」

 

という言葉に対して、女子の視線は彼の隣に多少気まずそうに立っている人間に向けられた。男子が大変だったねーと言っている中私の内心は色々と大変だった。

 

担任に捕まっていたところで一緒になったということはデートしていたという訳ではないのだろう。というか何かやらかして担任に絞られていた彼女を引っ張ってきたと考えて間違いなさそうだ。

しかし私の後方で顔色を赤にも青にも取れぬ色に変化させている本日の主役が不良を伴って現れた彼に対してどういう感情を向けているのか手に取るように分かるだけに私も内心穏やかでは居られない。隣にいた友人が視線でこちらに「聞いてないけど!?」と訴えかけてきているのも私の胃により負担をかけていた。

私だって知らないよ!連絡した時は行けたら行くって返ってきたから断り文句だと思ってたさ!

 

なんにせよこのままではマズいと飛び入り参加を歓迎するように言葉を並べ、縁日巡りを開始した。

 

 

 

 

突然の不良娘の登場にビビりつつも私は固まっている友人達に代わって、少しでも情報を引き出そうと果敢に彼に話しかけることにした。

 

「三島さんと仲良かったなんて知らなかったよ。」

 

歩きながらそうやって不良娘と一緒にいた理由を探るように話を聞けば、少し前にあった野外ライブフェスのバイトで仲良くなった事を告げられた。私はあまり興味がなかったが、弟がテレビで放送されているのを見て2日目に見に行っていたのを覚えていたため猛暑の中働いていたという彼らを少し尊敬した。

男の子には大変だったでしょと在り来りな労いの言葉をかけると、何故か三島さんの方が歯切れの悪そうな反応を返してきた。

 

「初日に倒れたのこいつの方だから居心地悪いみたい。」

「やっぱり熱中症?大変だったねぇ。」

 

三島さんを間に挟んで彼とキャッチボールを交わす。三島さんは「あぁ。」とか「おぉ。」とか雑な相槌を返してくるだけだが、特別不機嫌な感じになっている様子はないので私は少しほっとしながらちらりと周囲の様子を確認する。

 

もはや一部がお通夜状態なのはどうしようもなかったのでスルーするとして、他は楽しげに話に花を咲かせていたり男女ペアが出来つつあったりと概ね縁日を楽しんでいるようだ。

飛び入りの女子達は目的の彼に絡みに行こうとしながらも彼と仲良さげに話をする三島さんの壁に挑めずヤキモキしていたが、それに関しては私から何か出来る事はないので頑張って欲しい。

 

普段なら友人のグループが率先して射的なり金魚すくいなりをやろうと提案するのだろうが、そういった余裕は無いらしく実に大人しい縁日巡りとなっていた。

 

 

 

 

結局特別大きなイベントも起きることなくクラスでの縁日巡りはつい先程解散となった。正しくは耐えられなくなった彼女を気遣ったグループが抜けたので各々で縁日を楽しむことになったのだが、結果は余り変わらないのでいいだろう。

 

まぁ確かに好きな人が自分とは違う女と親しげにデートしている姿を見せつけられるというのは精神的に来るものがあるだろう。それが自分とは違う人種の人間ともなれば心が折れるのも分かる。

知ってか知らずか彼も告白した彼女に対して何か反応を返す訳でもなく、かき氷を食べて舌の色が変わったことにはしゃいでいたりして縁日を楽しんでいたのもキツかったのだろう。

 

だが何故みんな私を置いていったのか。カップルと私という3人組など誰も幸せにならないと思わないのか!

 

びっくりするくらい誰に誘われることも無く、示し合わせたように散開していくので離脱するタイミングを見失った私にも非はあるが、それでも友人は私に声をかけてくれても良かったと思う。お前は私が一人で来てたの知ってただろうに。

 

「じゃ解散するみたいだし、私も行くわ。」

「付き合ってくれてありがとな。また学校で。」

 

もうどうにでもなぁれ!と頭の中で杖を振っていると、2人も解散することにしたらしい。目の前で起きている出来事に呆気に取られている私を置き去りにして用事があるからと爆弾娘は去っていった。

必然、私と彼の二人がその場に取り残された。

 

「委員長はどうする?俺は花火終わるまでいるつもりだけど。」

 

元より予定というものなど無いのでどうする事もないのだが、一人で縁日を回るのもどうかと思ってはいたので友人のグループに合流しようかと思っていたところだった。というか二人が別れなかったらそそくさと退散するつもりだったので特別予定などあるはずもない。

 

「じゃあさ花火、一緒に見ていかない?」

 

ちらりと時計を確認すると確かにあと20分程で花火が上がる時間だった。私は悩むことなく了承した。

友人の言葉を忘れたわけでも彼との急接近を目論んだわけでもなく、ただクラスの男子からのお誘いを断れるほど私は人生経験を重ねていなかったが故の了承であった。私は考えるのをやめた。

 

取り敢えず飲み物と彼はケバブを私はクレープを買って神社の適当なところに座って花火を待つことにして、そうしてようやく落ち着いたところで、私は改めて彼の姿を観察した。

藍染めの甚平というのは夏祭りの定番だが、同年代の男子のこういった姿を隣で見る機会はこれが初めてだった。普段よりもざっくりと胸の方まで開いた襟元は、自然と彼の首から流れるように続く白い肌が強調されており、手元の団扇で少し隠れているのも相まってとても扇情的に見えた。

意外と鍛えているのかちらりと見える腹筋や二の腕は引き締まっており、何かイケナイ物でも見ている気分になってしまう。

 

「部活は辞めちゃったけど走ったりはしてるし、バイトも体力使うからなぁ。」

 

そう言いながら花火の開始の放送に耳を傾ける彼の脚は確かに引き締まっている。そういや告白したという彼女は脚フェチだと言っていたが、なるほどと思ってしまう程度には魅力的だった。踏まれたいと言い出す奴がいるのも頷ける。

 

そうこう考えている内に花火が上がる時間になる。

柳に連発、スターマインに絵柄の変わり種。ドーン!という腹に響くような爆音と空に煌めく銀の星の美しさに、私は目を奪われた。ちらりと隣を見れば彼も穏やかな表情で空を見つめており、花火の光に照らされる大人っぽい彼の姿を目に焼き付けてから私も再び空に視線を戻した。

縁日の花火なので花火大会ほど本格的なものでは無いがそれでも十分なほどであり、締めの三尺玉がぼやけて消えるまで私はじっと空を見つめていた。

 

「そろそろ帰ろうか。」

 

協賛や花火の終了のアナウンスが聞こえたところで彼の口から解散の提案がされる。もう花火は終わったはずなのにもう少しだけここに居たいと後ろ髪を引かれる思いを振り払い、そうしようかと言葉を返す。

 

「委員長あの…「兄さん!」」

「…妹さん?」

「あー…うん。ごめん委員長、俺帰らないとだから。今日はありがとう。気をつけて帰ってね。」

 

それじゃあと言って困ったように笑う彼は先程見かけたような大人の雰囲気などどこにもなく、人好きのする容姿の好青年そのものであった。

 

私も帰ろう。女子の妄想にあるひと夏の思い出とはいかなかったけれど、それでもまぁ…私にしては上等な思い出だと思う。

惚れた腫れたがあった訳でもなし、件の彼女には花火を見た事は許してもらうとしよう。

 

しかし彼の妹さんは割合過保護なようだ。今も女と二人きりになるなんてと何やら声を荒らげている。

へらりと笑って手を振ってみればなんとも言えない表情で威嚇された。彼はその頭を撫でてからこちらに手を振り返してくる。

 

こちらに背を向ける彼らを見送って、何となく屋台の方に足を伸ばす。弟に何かお土産でも買っていこう。

 

彼のことを思い出して、私はベビーカステラをひとつ買うことにした。




普通の同級生の視点ということで、透明感を意識して書いてみました。
恋慕や色眼鏡をできるだけ排除してこの世界の男性として見た貴方の姿が書けていれば嬉しいところ。

ご指摘ご意見お待ちしております。次回からはいつものノリに戻ります。


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貴方はバイトを辞められない▼

いただいた評価が遂に0~10まで埋まりました。当然評価していただいたことも嬉しいのですが、謎の達成感を感じております。


貴方はバイト戦士である。

それは本業にも日雇いにも言えた話であるが、お金をいただく以上貴方は仕事に手抜きをしたことは無かった。

 

夏休みという半休業期間を終え、心身共にリフレッシュした貴方は綺麗に焼けた日焼け跡を売り物にして、この日の為にと買っておいたユニフォームや体操着を新たなコンテンツとして売り出していた。

 

商魂逞しい貴方は初期投資がそれなりにする以上、いつもよりも口も手も回してサービス精神旺盛にちょっとアレなシチュエーションプレイにも対応してみせた。

件の部活のユニフォームもこの期間に二度と着れない程カピカピになった。元より着るつもりは無かったとはいえ惨い話である。

 

焼けた首元や腕と体幹に近づくにつれて白くなる肌のコントラストはかなりのお客様に好意的に受け入れられ、値段を変えずとも利益が上がる程に様々なリクエストが殺到した。

よく考えてみれば既にひと月以上お預けを食らっていた飢餓状態の獣達が耐えられるはずも無かったのである。貴方はそれを期間限定物に惹かれる心理と誤解していたがその事を理解することはついぞ無かった。

そして過剰な運営からの供給に狂ったオタクの様にはっちゃけた客の内何人かは切られる事にもなった。諸行無常である。

 

そうしてプレイに使ってしまい2度は着る気が起きなくなった、使い物にならないと判断された服の数々は、量販店で買った安物のチェキを使って顔の写っていない衣装を着た自撮り写真を何枚か撮って、新たな資金源として社会の闇へと流れて行った。結局諸経費は買ったチェキと労力くらいのものである。

アングラなリサイクル業の闇は深い。

 

 

 

 

夏休みが明けて数日が経ち、バイト先の店長からお店を再開するという通知を受けて貴方はいつもの様に午後の家事を義妹に任せて日曜バイトに繰り出した。

お気に入りの曲をイヤホンから聞きながら独り電車に揺られる。男性専用車両なるものもあったが、ちょっとおぞまし過ぎたので貴方は一般車両をよく利用していた。

特に日曜のバイトは昼食の時間とも帰宅の時間とも被っていなかったので、日曜であっても電車は座れる程度には空いていた。

 

元々は夜間の避難場所として始めたバイトであったが、お金に余裕が出来てなお、それ以上の価値ある場所となっていた。

 

元々学生を雇う夜間のバイト自体それほど存在しない。

それは夜間は特に何かトラブルが起きた時未成年を雇うと店側の迷惑になるうえ、そうした雇用契約は推奨されるものでは無いという事が主な理由である。その為貴方は採用してくれた雇い先に恩義を感じている。

それに美味しい賄いの出るバイトというのもある。

 

貴方にとって気の休まる場所というのは案外少ない。

 

家や学校は勿論のこと本業の最中など以ての外である。知り合いも家族も本職の客からも視線を気にせずに済む時間というのはとても稀なのだ。

前者は売春バレがあるし、後者は身バレが怖い。

 

そんな理由があって身バレの心配が少ない日曜のバイトを貴方は存外気に入っている。

 

 

 

 

「で?その女の子どうしたのよ?」

「別に何も無いですよ。話し掛けても来ないままどっか行っちゃったし。」

 

貴方は出された賄いを突きながら目の前でにやにやと笑う女性に胡乱気な視線を返して、できるだけ事実のみを口にする。話題にされて貴方の頭の中に思い出されるのは縁日で青い顔を浮かべていたクラスメイトの顔よりも人畜無害そうな委員長の顔である。

 

「そういうのって逆に意識しちゃって恋が始まったりするもんなんじゃないの?」

「そんなこと未成年に聞かないでくださいよ。それにそういうのは2回目の勇気を出せた人にだけ来るもんです。」

 

少なくとも態々自分から振った相手を自分の方から構って上げられるほど貴方は幼くなかったし、何より合理主義であった。客であれ同級生であれ、自分から夢を売るような発言はしないようにしている。変に愛想を振り撒いて問題を抱えるのはゴメンであった。

 

「えー、つまんないの。アサヒちゃんなら入れ食いじゃないの?」

「…本業の方もありますから。後仕事以外でちゃん付けやめてください。」

「そんなの気にしちゃダメでしょ!恋なんて何時でもできるものじゃないんだから!」

 

目の前で妙に熱が入っている女の姿から貴方は視線を外し、やけに良い魚の身と野菜クズというアンバランスな食材を使ったパスタを腹に収める作業に戻ることにした。聞こえてくる女の演説は右から左である。

 

貴方はカフェで給仕のバイトをしている。

カフェとは言うが日があるうちは閑古鳥が鳴き、夜は酒を出す大人の社交場という雰囲気の方が合っている名ばかりのものだ。店長曰く祖母から譲り受けた店の名前を変える気になれなかったとの事だが、学校に提出する書類に居酒屋と書かなくて済んだ貴方にとっては都合がいい以上のことは無い。

 

店長――目の前で演説を繰り広げる女のことである――は同性愛者であるらしかった。前世の記憶で考えると全くもって違和感がない可愛らしい女性であったが、来店して彼女と接する客の表情は少し苦い。

男性恐怖症という事も無いようなので働けているが、貴方は言葉にしないものの常に勿体ないなぁと彼女を見て思っていたりする。

 

ただそんなこの世界では生きづらそうな彼女だが、彼女の作る料理は絶品であり、祖母から教わったという丁寧に仕上げるコーヒーの味と相まってリピーターは多く稀にだが店には家族連れもやってくる程であるため、経済的には安定している。

 

「ミヤさん俺今からお皿洗うけど、洗い終わる前に食べれる?」

 

夏の前まで居たという彼女の話を例に恋愛のアレコレについて語る彼女を無視してそう告げると、彼女は慌てたように無言になり手元の冷めたパスタを口に運び始めた。こうした光景はもはや日曜日の締めのお約束であった。

貴方は魚の小骨が面倒だったことを思い出して、いつも通り間に合わないだろうと皿洗いを途中で止めて調味料の残りを確認したりして時間を潰す事にした。

 

貴方は全ての事情を理解した上で雇ってくれている彼女に対して、多大なる恩義を感じている。

 

「人間何かと大変だものね!」

と持ち前の明るさで言ってのけてくれた彼女に全幅の信頼を寄せていると言ってもいいだろう。彼女は女性遍歴の変遷が著しく早い事にだけ目を瞑れば貴方にとっては誰よりも信頼出来る大人であった。

 

就業中に客からのセクハラから庇ってくれる辺りもポイントが高かった。

 

貴方は自分の仕事に確かなやる気を秘めている。




日曜日にMIB見たせいか昨日書いた下書きがアメリカンな言い回し多くなってて今回はめっちゃ修正してました。


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おとなのせかい

周囲の人視点は話が盛り込める代わりに字数が増えがちになります。


最近兄さんの様子がおかしい。

 

以前と比べて服の趣味が変わった。土日に出かける時に荷物を持って出かけるようになった。

そしてちょっと怖い人と仲良くするようになった。

 

特に思い出されるのは一緒に行った夏祭りの時。女の人と仲良さげに並んで歩く兄さんの後ろ姿である。

私には恋人だと言われても納得出来てしまうような距離感に思えた。

 

兄さんが夜遅くまで勉強しているのも知っているし、母さんの誕生日に花を買ってきたのも知っている。ご飯だって美味しいし、他の家事だって頑張ってくれている。家での兄さんは相変わらず私の知る兄さんのままだ。

そうやって昔と変わらない兄さんだと感じる反面、ちょっとした変化が目に入るとなんかモヤモヤする。兄さんの世界を私が全て把握しているなんてことは無いのだからちょっとした変化くらいあって当然ということは分かっている。

でもやっぱり気になる。

 

兄さんは『おともだち』から貰った最近お気に入りのCDを聞いては優しい顔をするようになった。

この間の夏祭りでは、怖い雰囲気の女の人と仲良そうにしていたし、帰り際には違う女の人と2人きりで親しげだった。デートなんじゃないかって思ったけど、兄さんは『クラスのおともだち』と遊んでただけだって言う。

 

無意味な嘘を言うような人じゃないのは知っている。でも私の兄さんが居なくなってしまうような気がして不安になってしまうのだ。

 

兄さんが明るくなったのは嬉しい。母さんの事で泣きそうな兄さんを見てきた私からすれば兄さんが笑っていてくれるだけでも万々歳だという気持ちもある。

父さんの事もあって家だと色々難しいだろうから学校で息抜き出来るならそれでも良かった。

 

ただちょっと仲良くなる相手が予想外だった。

 

「男の子は男の子と遊ぶものじゃないの!?」

 

コップの中身を飲み干してそう喚く。

目の前の友人はキョトンと目を丸くした後得心がいったと言わんばかりの顔をして、

「なるほど。唯華は男の子は男の子と恋愛してればいいって人か。」

「ち・が・う・よ!」

 

私の鬱屈とした不安を何も分かってくれない友人につい怒鳴ってしまうが、通りがかった店員さんから睨まれたので声を落として話を続ける。

 

「別に不良みたいな人と付き合わなくてもいいじゃないって言ってるの。」

「えっ、お兄さん彼女できたの?」

「違う!」

 

さっきから分かっててからかってるのかただマイペースなだけなのか。先程貰ってきたアイスを乗せてコーラフロートを作っている友人の本心は読めない。

相談する相手を間違ったような気がしてきたが、それでも恋愛ごとに関して相談できる相手なんてそうはいないし、その中でも彼氏のいるこの友人の方が私よりも恋愛事では上手なので文句は言えない。

 

「でも私も男子から相談されたりするし、唯華だって男子と仲良く話したりしてるじゃん。」

「それはそうかもしれないけど…。」

 

友達に貴賤や優劣の差なんてものは無い。そんなことは知っている。

でも優等生で通っている兄さんが不良とつるむなんてと思ってしまう私がいるのも事実なのだ。それに誰と会うためか知らないまま、めかしこむ兄さんを見ているのはあまり精神衛生上よろしくない。

 

「男女問わず付き合いたくて構ってアピールしてくる人もいるから唯華の心配も分かるけどね。」

「せめて兄さんが何をしてるか分かればいいんだけど…。」

 

いくら悩んでも答えは出ない。兄さんに聞いてもはぐらかされるし父さんは何にも知らないし。

兄さんが夜の街で春を売ってるかもしれない疑惑もぬぐい切れていないし、なんなら疑惑は深まる一方である。そのうえ変な恋人を外に作っているかもしれないとなれば不安になるのも仕方ない。

うがー!と髪を掻いて机に顔を突っ伏す。

 

「落ち着きなよ。お兄さんなら大丈夫だって。不良ってこの間夏祭りに居た人でしょ?あの人なら平気平気。」

「なんで芳佳が大丈夫だって言えるのさ。」

 

人が頭を悩ませているのに無責任じゃないのかと私が睨むが、芳佳には聞いた様子もなく

「えー…恋愛戦闘力ぅですかねぇ。」

と遠くを見るような眼をしてよく分からない事を言い始めた。お巫山戯が入るのはいつもの事だが、出来れば真面目に答えて欲しい。

 

「真面目に答えたら唯華ちゃんたぶん死んじゃうからね?ぼかして答えてるのは戦闘力くそざこの唯華に対する私なりの優しさだから。」

「今はそんな優しさいらない!」

「…落ち着け私。今感情のままに口を滑らしたらきっと凄い面白いけど目の前にいるのは友達、友達だ。」

 

真面目に聞いてみるがどうやら本当に話してくれる気はないようだ。結局相談してもなんにも解決しないじゃない。ドリンクバー代程度ではこの程度の見返りしかなくても仕方ないけど、糸口くらいは欲しかった。文字通り私の気晴らしに付き合わせているのだからそれだけでも感謝するべきなのだが。

 

ただでさえ兄さんの疑惑と最近の変化を考えると色々と納得がいくこともある。急に変わったアクセサリーの趣味も、兄さんの服から女の人の香りがするのも。兄さんの言う『おともだち』だって、所謂せ、セフレって意味なら嘘でもないわけだし。

 

私の頭の中で兄さんを信じたい私とイケナイ事してると疑う私が、不良の男になっちゃったと言う新しい私の主張に同調を始めている中、不憫なものを見るようにしながら妙なことを口走った。

 

「そんなに気になるのならお兄さん尾行したら色々分かると思うよ。」

 

その言葉に私が目を丸くしていると、以前日曜日に兄さんを見かけた時に色々と目撃したと言うことを教えてくれた。何を見たかは言えないが、どうしても知りたいならと。

 

「私の口から言うのは憚られるけど、一応ね。私は止めておいた方がいいと思ってるからね。」

 

やはり持つべきものはアクティブな友達である。どうすればいいか分からずに手探りでいるよりもやることが定められた方が幾分か動きやすいというもの。

兄さんには悪いけど私は本気である。兄さんが心配故の行動なのだからきっと許してくれるだろう。

 

「ありがとう芳佳!」

「おう。骨は拾ってやる。」

 

私は差し出されたおかわりのドリンクを芳佳から受け取ってのどに流し込む。いやにいろんな味のするオレンジジュースだったが今の私には然程気にならなかった。

 

 

 

 

「それじゃあ行ってきます。」

「行ってらっしゃい。」

 

…よし。

兄さんが出かけたのを確かめて、急いで私も服を着替えて外に出る。

遠目に見える兄さんの背中を追いかけて一定の距離を取って付いていく。

 

私の家から駅まではほぼ一本道なので、家の周囲に日曜の朝で人通りがそれほどなくても兄さんに気づかれる様子は無い。

いつもはお昼すぎに出掛けて行くのだが、今日は数日前からお昼は要らないと聞いていたので尾行のチャンスと思って付いてきたのだ。芳佳から聞いた日も朝から出かけていた筈なので兄さんの秘密を探るなら今日がベストと思ってのことだった。

 

駅に近づくにつれ人混みができてからはさらに余裕をもって兄さんに近づきつつ尾行することができた。電車に乗ってしまえば降りる兄さんに付いていくだけなので見失いさえしなければ大丈夫である。

こういう時兄さんの買ったチケットを調べなくてもカードひとつで付いていけるのはありがたい。電子化さまさまである。

 

男性専用車両に乗らず普通車両で電車に揺られる兄さんの姿を端の方から観察し、気づかれていなさそうなことを確認してから少し休憩する。少し周囲を見る余裕ができると、兄さんの向かいにスマホを構えたお姉さんが目に入った。普通にスマホを使っているよりも明らかに兄さんの方にカメラを向けている。たぶん盗撮だ。

兄さんは気にしていないのか気づいていないのかイヤホンで音楽を聞いているし、なんなら目を瞑っているように見える。尾行している以上忠告するわけにもいかず歯がゆい気持ちでその様子を見ることしかできず、後で兄さんに注意しようと心の隅に書き留めるだけに留めた。

 

電車が止まり、また移動を始めた兄さんを追って私も移動する。

後ろから付いていくと駅の建物の入口まで移動したところで兄さんが足を止めたので慌てて私も近くに隠れる。何やら周囲を見回し始めたので何か探しているらしい。暫く様子を伺っていると、どうやら髪色の淡い人に反応しているらしく、どうにも視線がそういう人達に向いているように見える。

 

淡い髪色の人には心当たりがある。あの不良みたいな女の人だ。

もしかしてやっぱりデートだったのだろうか。今日は荷物が少ないと思っていたのだがそういうことなのかもしれない。

私の脳内に不良に肩を抱かれながらも満更そうでも無い表情の兄さんの姿が幻視される。

 

「アサヒちゃんおまたせ。」

 

ぐるぐると頭の中でギャル化した兄さんはアリかナシか論争が繰り広げられる中、兄さんの居た方から女性の声が聞こえてきた。

…知らない人だ。というかアサヒとは兄さんの事だろうか?あだ名かな?

 

「ミヤさん、ちゃんは止めてくださいって言ってるじゃないですか。今日はどこ行くんです?」

「アサヒちゃんが居るから今日はあっちの方まで行きたいな。」

 

予想外にも知らない女性が登場した事で少し出遅れてしまったが、腕を組んで移動する二人の背中を慌てて追いかける。同性のような親しさに嫌な予想が現実味を帯びてくる。

 

あまり近づくとバレてしまうので会話は殆ど聞き取れなかったが、時々「店」「足りない」「好き」「ご飯」などといった単語が耳に入ってくる。…もしかして、アサヒというのは兄さんの源氏名なのではないだろうか。

これはもしかすると芳佳から渡された本にあった「同伴出勤」というやつかもしれない!

 

気の置けない仲なのが何となく分かるほど親しげに話す二人とは逆に、私は自分の閃きに次第に指先の感覚が無くなっていくような気がする。兄さんが夜の街で働いているかもしれない。思考に目を覆われる感覚を覚えるとともに周囲の雑踏も遠のいたような気がする。

 

くらくらとする視界を無視して尾行を続けるが、正直既に泣きたくなっている。

 

あまりちゃんとは見えないが、女性の方は母さんより若い。でも兄さんより余程大人な人でとてもおしゃれな人。ちょっと身近には居ないタイプの女性だ。

兄さんが腕を組むなどという行為を許すような相手…それこそ家族の様に親しい相手なのだろう。胸にぽっかり穴が空いたような感じがして、視界が涙で滲んだ。

 

兄さんの左側はいつも私の居場所だった。そこに今は知らない女性がいる。その事が何故かとても悲しくて、どうしようもなく嫌なことに思えて私はつい立ち止まってしまう。

 

彼女さん、なのだろうか。この人が兄さんの新しい帰る場所なのだろうか。

ポロポロと零れる涙が足元に染みを作っていく。止まれ止まれと念じていても一向に涙は引いていかない。

他の人の迷惑を考えて道の端に寄ることはできるのに兄さんの背中が遠のいていくのを見ても私の足は前には進まない。

 

もう尾行をする理由もなくなった。気分が落ち着いたら家に帰ろう。父さんは心配するかもしれないけど友達と喧嘩になったって言えば深くは聞かないでくれるだろう。

ぐしぐしと涙を拭って前を見ると人の顔が目の前にあった。

 

「お嬢ちゃん大丈夫?貸してあげるからハンカチ使いなさいな。」

 

ぎょっとして距離を取ろうとするが、頬に当てられた手の感触に身動きできなくなる。綺麗な女の人、兄さんの彼女さん。

 

「唯華!?どうして泣いてるんだ、何があった?」

「アサヒちゃんの知り合い?」

「妹です。」

 

彼女さんに付いてきた兄さんにもバレた。私の頭の中では怒られるんじゃないかという考えが占め始める。

びっくりして引っ込んだ筈の涙がまた滲んでくる。もはや何がどうなっているのか分からなくなってきた。

 

「アサヒちゃん、やっぱり今日の買い出し中止してお店行こっか。妹ちゃん落ち着ける所の方がいいでしょ?」

「すみませんミヤさん。唯華、ほら。」

 

されるがまま流されるがまま、びゃあびゃあ泣きながら兄さんの左手に掴まって歩く。その隣を彼女さんが歩くペースを合わせて付き添ってくれるのが申し訳なかったが、いつもの居場所が返ってきたみたいで少しだけ嬉しかった。

 

 

 

 

「カフェの店長さん?」

「そうよ。アサヒちゃんは店員さん。お兄ちゃんから聞いてなかった?」

 

知らない。というか兄は普段のバイトの事について何も話してくれないので、賄いが出るという事しか知らなかった。

彼女さん改め店長さんの話を聞けば、どうやら兄さんは夜間のアルバイトをこの店でしているらしい。学生を雇ってくれるところが少ない中賄いまで出してくれるこの店は天国のようだと兄さんが続ける。

裏で制服に着替えてきた兄さんの姿は少し新鮮で、でもとてもよく似合っていた。

 

「お兄ちゃんを心配して付いてきたなんて良い妹さんじゃない。」

「俺には勿体ないくらい優しい子ですよ。心配かけたくなくて秘密にしてたんですけど逆効果だったかぁ。」

 

ごめんな、と言いながら頭を撫でられてされるがままになる。最近スキンシップが足りてなかったので私としては願ったりかなったりである。

 

「どうせなら今日はお兄ちゃんの仕事ぶりを見ていけばいいわ。」

「ミヤさんと話して決めたんだ。せっかくだしご飯食べていくといいよ。お代は給料から出してもらうからさ。」

 

私の頭を撫ででくれるのは優しくてお人好しで頼りになる、いつもの兄さんだった。私はそれが申し訳なくて、でもとても嬉しくて。変に疑ってしまった店長さんにも悪いことをしてしまったと、色んな思いを言葉にしようとして結局、

 

「…ごめんね兄さん。」

 

この一言がどんな意味を持ってるのか兄さんには殆ど伝わっていないだろう。店長さんにはもっと。

私は子供だから。気持ちに整理が付くまでは大人の2人に甘えさせてもらおう。

 

「しかしミヤさんを彼女だと思ってたとはなぁ。」

「綺麗な人だったし、凄く仲良さそうだったから。」

 

2人の同性のような距離感で接する姿は恋人のそれだと誤解しても仕方ないと思うんだけど、兄さん意外と鈍いのかな?

 

「あぁそういえば唯華も気をつけなよ。ミヤさんの恋愛対象女の子だから狙われかねないよ。」

「ふえ!?」

 

予想外の言葉に喉から変な声が出る。

可愛らしい雰囲気の人だと思っていたけどそういう理由だったのかと納得すると同時、まさか兄さんではなく自分の身の心配をしなければいけない事になるとは思わなかったという動揺が脳を揺さぶってくる。

 

その後食べたご飯の味は正直覚えていないし、後日兄さんと父さんとの間で今日の事について話し合いがあったらしいが、それについても私はよく知らない。

 

ただこの日、私は大人の世界は複雑だという事を学んだ。

芳佳は爆笑してた。




義妹視点再び。
「ニーサンニーサン」と書いてて思った以上に考えてて自分で驚きました。


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貴方は不注意だった▼

オリジナル月間1位・総合月間3位を達成しました。やったぜ。
ポイントの計算方法の関係上ひとえにどうこうと言える訳ではありませんが、1つの目標達成として共有させていただきます。

コメントご意見、誤字報告や評価などいつもありがとうございます。


貴方は少しずつ今の仕事に限界を感じている。

 

売春において本番行為を禁止するというのは相手を選ぶ。普通なら嫌がられそうなプレイもある程度受け入れたりコスプレしたりとサービスを充実させているが、それもマンネリを感じさせないための努力である。

 

そうした努力のおかげか最近は新たにコスプレイ好きな客も増えてきており、特に執事プレイは何人かお得意様が出来るほどであり、

「白手袋を咥えて外す様が最高」「むしろ着込んでいるのがえっちだ」「優しい目で大切にされてる感じがたまらない」「事務セしたい」「折檻されたい」

などなど。世の中の闇を煮詰めたような意見が多く寄せられていた。

サービスの拡充によるリピーターの満足度強化の成功例である。

 

また執事以外も要望はあり、中には母校の男子制服をどこかから仕入れてきて青春をやり直したいという人までいる程であった。年の差同棲学生新妻プレイというものを貴方はそこで初めて知った。

ぶっちゃけ制服以外は普段の貴方の生活とあまり変わりなかったので余力部分でイチャイチャを多めに提供しておいた。こちらはお得意様は一人減ることとなった。

 

こうしたコスプレイを拡充した裏には来年一年を乗り切るだけのサービスの提供の形を考え直すべきかもしれないという、どこかのマーケティング部門の上層部会議のようなものが貴方の脳内で開催されたという経緯がある。

貴方は努力は惜しまない質であるが、人の気持ちは移り変わるものであるし、若さという特別感が薄れてくる時期が来るであろうと予測もしていた。

 

そうして悩んだ結果貴方は夏休みの余りある時間を利用して、臨時バイトとして執事喫茶なる場所でサービスのネタになりそうな事はないかと働く事にしたのであった。

短期のバイトや飲食店での店員バイトは実入りが良くないか持続性が無いため、それなりに長期で若さを利用して稼げないかと考えた末のバイトでもあった。

 

執事喫茶でのバイトの間、一度だけ貴方の高校の生徒が罰ゲームか何かで来たというトラブルがあったが、よく知らない相手だったので1人のキャストとして接客して事なきを得た。評判はそれなりであった。

貴方は自分が普段相手にしている女性が闇の者達であることを失念しており、あまり男らしさを出すことがなかったのである。

 

そうしていつもの様に接客をしていると何故か執事喫茶であるにも関わらず貴方には若い男性客が就くようになり、それを知ったオーナーの采配により男の身でありながら系列店であるメイド喫茶に異動となってしまった。バイト採用から約1週間の出来事である。

理由は分かっていた。今までと違う執事の演技を求められていると分かっていても、きゃぴきゃぴとした演技が出来るほど貴方の心は若くなかったのである。

 

当初の目的である同性の演技を見る事は叶わなくなったが、貴方はメイドが蔓延る喫茶店で黒一点として働くことになったのであった。

 

男性に媚びを売るという苦行はあったものの、メイド喫茶というアウェーな場であったが、貴方は性別に反して誰よりも女らしく包容力があるという理由からかなりの指名をいただくことになった。培ったプレイ用の執事の演技力が役に立った瞬間である。経営者の審美眼の優秀さというものを強く感じた瞬間でもあった。

 

自分の本質は変えず、しかし受け身の客が多いメイド喫茶では自分というキャラに求められるアクションを予想するという謎の空気読みスキルを身につけることに成功した。

人間万事塞翁が馬と言うが、実体験に結びついたのはこれが初めての経験であった。

 

それにメイド喫茶ということで仕事仲間は皆歳若いメイドさんであり、苦行のストレスなどバックヤードに入れば秒で溶けていった。

メイドさんの方も歳下の執事に内心メロメロであったのでWin-Winの関係であった。

新規顧客の獲得に繋がるチャンスであったが、貴方はそれには気づかなかった。彼女達の性癖は守られた。

 

バイトにしては破格の給料(歩合制)と謎に渡されたメイド服と店長の電話番号とを手に元の生活へと帰還したのが夏休みの終わる2日前のことである。貴方はサービスとは相手によって求められるものが違うが貴方が変わる必要は無いのだと理解して、あの悲劇を産んだコスプレ衣装大放出という暴挙に出たのである。

そして多くの変態を篩にかけ、貴方の携帯のメール欄は現在カオスを極めていたが、あまり気にはならなかった。

 

 

 

 

その後学園祭を無難にこなし、ハロウィンも適当に乗り切った貴方は新学期になって異様に増えたラブレターの処遇について悩んでいた。

 

同級生は来年は受験なのだから今彼氏を作っても何も出来ないし意味ないんじゃないかという貴方の冷めた言葉に対して、不良の三島は応援してくれる人の大切さを貴方に説いた。普通の人よりも余程良識のある女である。

貴方は縁日の一件から三島のお世話係という立場を教師から押し付けられたのをいい事によく彼女に愚痴をこぼしていた。たまに委員長も巻き込んでいた。

 

結局貴方は手紙の振り分けよろしく、事務的にお断りの言葉を並べ立て大半の女生徒を切り伏せていったのだが、その切り捨てに振り分けきれなかった者たちが少なからずいた事が貴方の悩みの種であった。

 

1つ目が、受験を早々にクリアした先輩からのアプローチであった。波風立つことを嫌う貴方にとっては最大の難敵である。

立つ鳥跡を濁さないのであれば別にいいが、その先輩が濁すタイプだった時の対処に頭を抱えることになった。特に貴方に好意を持っていたのはかつて所属していた部活の先輩である事が多かった為、よりお断りに労力を割くことになったが潔い人しか居なかったため取り越し苦労であった。

 

2つ目が、どこで何を聞いたのか貴方をお兄様と慕う後輩であった。こちらは対処が簡単であったが、貴方の精神は大いに削れた。誰が好き好んで男にカマを掘られる恐怖に怯えて生きたいものか。

自分がノーマルであることや義妹のこと、遂には三島に協力を仰いでまで相手の告白を根っこから断る事に尽力した。

 

3つ目が、貴方の夜間外出や執事喫茶でのバイトを盾に関係を迫るクズである。こちらは対処こそ簡単であったが、自分が振られた事実とともに道連れのように他人にあることない事吹き込むのではないかという懸念から慎重な選択を選ばざるを得なかった。

とはいえ学校には夜間のバイトを含めて一通り説明をしてあった為、バイト許可書を見せれば大体は静かになった。それでも引き下がらない相手には、相手の普段の姿を褒める形で並べ立て、最後に一等冷めた目をして蔑んで拒絶してやればたじたじになって戦意喪失して帰って行った。筋金入りのM様の求めるSを演じた貴方にとって高校生などハナクソであった。

 

そうした怒涛の新学期の開始もあって、貴方の夏休みで回復した精神力は11月の中頃になると底を突いていた。ラブレターの増えた理由を考えられないくらいには疲れていたのだ。

学園祭の提案の中で執事喫茶がかなり票を稼いでいた事を失念する程には。

 

貴方は最近疲れている。

 

夏休みが終わり学生の夜遊びが減って巡回が緩くなったことや平常通り買いのお誘いが来るようになった事が重なったこともある。

夜の仕事を誰かに見られるようなヘマをする程度には貴方は気が抜けていたのだ。

 

貴方は確かに不注意であった。




夏休みの予定の描写薄かったな、と思ったので継ぎ足しも兼ねて。
小さな違和感というものは動機になるのです。義妹が尾行をしたように。相手は勿論お分かりですね?


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ねむれないひはつづく

この作品のジャンルは『現代/恋愛』です。


授業をサボるのは久しぶりだ。

 

屋上だったり空き教室だったり、今日みたいな雨の日は体育倉庫で時間を潰す。以前は誰かが持ち込んでいた雑誌を読んだりしていたが、今は正直そんな気にはなれないので持ってきたスマホにイヤホンを刺して音楽を流す。

お気に入りのナンバーが脳にじわりと染み込んでくると雨音や薄ら寒さなど気にならなくなっていく。音楽が私を嫌なことから切り離してくれるけど、今回ばかりはそうはいかない。でも集中する手助けにはなってくれる。

 

悩むことは嫌いだ。解決しなくてもいいのなら全部投げ出してギターでも触ってた方が性に合ってる。

 

――いや、でもなぁ…。

 

悶々として寝れなくなるくらいなら解決したいという気持ちもあるのだ。それに悩む事と悩まされることは別物だということを私は今回初めて知った。放置してもどうにもならないなら悩む他ない。

こういう時頭が悪いのは損だ。特に優等生のために頭を悩ませているとなると眉間に寄る皺も二割増になる。

 

たかが4ヶ月、されど4ヶ月。短い期間しか知らない相手のくせにどうにもインパクトが強すぎる。

 

昨日目撃したあいつと知らないおばさんが居たママ活か売春かの現場もそうだが、それ以外だって印象がありすぎる。

ついこの間まで続いた告白騒動も隣で四苦八苦してたのを見ていたが中々面白い見世物だった。最終的に私も駆り出されて恋人紛いの事までさせられて、あれは大変だった。実に楽しい女友達みたいな奴だから、私も笑ってたんだけど。

 

――金とかスリルとか足りない感じはしなかったんだけどなぁ。

 

ブランドとか気にしてる感じじゃなかったけど案外私服に金掛けてるのか、私は男物はわかんないしなぁ。それにスリルよりも平穏とかの方が好きそうだ。どっかじじ臭いとこあるし女振り回すよりも犬でも連れ歩いてる方がよっぽど似合ってる。

振り回されてる私のセリフじゃないけど、あいつだって私と同じで単純なんだ。猫かぶりだけど一皮剥いだら親しみやすさだってある。

 

私の中のあいつは悪いやつじゃない。ひょんな事から知り合ったけれどウマは合う。あまり口にはしないが友達だって認めるのも吝かじゃない。

危険な事してるなら止めてやった方がいい。

 

胸の中のモヤモヤの原因を突き止めようと授業までサボって悩んでたが、答えが出たような気がする。

 

「あ?私もしかして悩む必要ないんじゃないか?」

 

ダチが心配だからヤキモキしてるんだ。ならあいつに一言言ってやれば解決する。実に単純な話である。

…無駄に体育倉庫で時間使った。最近は授業出てたから生徒指導からも文句言われてなかったのにまたなんか言われるかもしれない。

 

「…なんか腹たってきたな。」

 

結局私は2限目の最初に間に合うように教室に戻って雨で遅れたと授業を受けることにした。あいつには放課後時間貰うように言って放課後までは特に話しもしなかった。

何て言うべきか考えてて時間が過ぎたわけじゃない。

 

 

 

 

「お前ママ活してるのか?」

 

結局変に難しい言葉を並べるよりも直接聞くに限る。他に人が居ないのは調べておいたから大丈夫の筈だ。

 

「誰かから何か言われた?」

「止せよ。私が人から何か言われたところで信じると思うか?昨日駅の裏通りで知らないおばさんとキスしてたの見たぞ。」

「…せめて言い訳の余地を残してくれ。」

 

明らかに年上のスーツ姿のおばさんだった。親子ほど離れてる感じはなかったが親子ならキスなんてしないだろう。

ああいう事をしてる奴が居るってのは知っていたがまさか優等生のこいつがしてるとは思ってもみなかった、ただそれだけなのだ。

全面的に降参だとでも言いたいのか、先程まで張り詰めていた雰囲気を普段のものに戻す。

 

「そんなに金がいるのか?」

「まぁ、そんなところ。本当は高校辞めて仕事したい気持ちもあるけど高校中退は何かと就職大変だから。効率いいんだ、こういうの。」

 

恐る恐るそう聞けば思わぬ返答にギョッとした。

学校では楽しそうにしてたように見えたがそうでもなかったのだろうか。しかしそんなに切羽詰っているとは、いつぞやのバイト戦士だという予想は割と当たっていたのかもしれない。

しかしこういう事を話してこいつは大丈夫なんだろうか。

 

「こういうのって聞いても良かったのか?」

「君本当にいい子だよね。なんで不良やってんの?」

 

ピキっときた。人が心配してやってんのになんだその言い草は!やっぱお前可愛くねー。あとやりたくて不良してるんじゃないから。

ぐっと口からついて出てきそうになる言葉を飲み込んでじっと睨みつける。

 

「ごめん。心配してくれてるのに変なこと言った。色々いっぱいいっぱいなんだ。」

 

普段はもう少し余裕があるんだけどなぁ、とそう言って溜息を吐く姿からは疲れのようなものが見えた。優等生やってバイトやって夜はおばさんの相手やって、疲れるのも仕方ないことなのかもしれない。

最近は学校でも色々と問題事に手を焼いていたし注意力が不足してたと言うが、確かに一年間やっていたというのが本当ならよく隠し通せていたと思う。

 

補導や巡回が厳しい夏休みは数を減らし、夜間のバイトが必要だと学校や親には説明を入れ、多少いかがわしい噂が立っても良いように執事喫茶でバイトをして…と。少し聞いただけでも予防線を何重にも引いていたらしい。

 

「そういう訳で俺としては学校や他の生徒にバレると困るんだけど?」

「…でも、そういう危ない事は止めた方がいい。」

 

目撃した衝撃と衝動のままに問い詰めているとはいえ、私の目的は最初から変わらない。

秘密を知ったから何かして欲しいとかそういうのは無い。それならと正義感だけで邪魔する程私だって綺麗な人間じゃない。

 

「困ったなぁ。リスクを承知でお金稼ぎしてるってのは理由にならない?」

「ダメだ。」

 

一層声のトーンを落として否定する。こいつには危ない事はして欲しくない。脅して止まるようなタイプじゃないのはこの数週間でよく知っているが、それでも私が説得できる可能性があるならやるしか無かった。

 

「なら、どうやってお金稼げって言うのさ。」

 

声を張り上げるでもなく思い詰めた風でもなく、ただただ平坦に事実を突きつけるような冷めた声。あまり聞かない攻撃的なこいつの一面。

 

「代わりが用意出来ないなら止めないでよ。俺の住まいも食事も誰も補償してくれないくせに頑張る邪魔してこないでくれ。」

 

本心なのだろう。そう思わされるだけの重みを言葉から感じる。明確な拒絶の言葉に少しだけたじろいでしまう。

それだけの覚悟を持った言葉だった。私はそれに何も応えられない。

 

「やっぱり友達なんか作るんじゃなかった。」

「…ごめん。」

「謝られるくらいなら友達にこんな事言わせないで欲しかったかな。」

 

少し涙が出そうになる。友達じゃないと言われるのはやはり堪える。

でもこう言うってことは100%の拒絶という訳では無い筈だから、退けない部分に私が踏み込みすぎたって話。今回ばかりは私の方が退くしか無いのだろう。

全く昔からデリカシーの無さだけはピカイチだ。

 

「でも、危なくないのか?無理矢理とかって話聞くし…。」

「まぁこれでも鍛えてるから。相手してるのは歳上ばっかりだし君より筋力無いよ。それに本番はお断りしてるから。」

 

危なくないとは言わない辺りがこいつの線引きなのだろう。それにまぁ、確かに私よりはこいつの方が体力も筋力も上なのは確かだ。悔しいけどバイトの時のことを思うと納得する他ない。

…でも態々引き合いに出さなくても良くねぇ?デリカシーってもんが無いんじゃないか?

 

「それに大体組み敷くのは俺の方だしね。最悪逃げる事はできるようにしてあるし、一応客の持ち物に刃物が無いかも確認してるから。」

「えっ。」

 

今組み敷くって言ったか?それは所謂騎乗位ってやつか?でも本番はしてないって言うし、好き放題されてるって訳じゃないのか?

ちょっと困惑しつつも確かにこいつなら良いようにされるよりは上から何かとしている方が想像出来る。そういや昨日見かけたのもこいつから近づいてたような気が、

 

「興味あるならしてあげようか?」

 

ひゅっと喉から空気が漏れる。そういう姿を想像をしていたのも合わさって、ちょっとどころじゃないくらいイメージが膨れ上がる。

言葉が出ずにあわあわしているとガッと腕を掴まれて壁際に追い込まれて顔が近づく。なんかいい匂いする!

 

「い、いらない。」

 

情けない声が出る。人払いしてある事実が脳裏に過ぎる。

変に色っぽい奴だと思ったことはあったが、実際目の前でやられるとドキドキしてしまう。これは毒だ。

 

「それは良かった。未成年とエッチなことは出来ないからねぇ。」

 

お前が言うのかよとか助かったとか色々と言葉が浮かぶが腰が抜けてそれどころでは無かった。腕が離されてようやく身体が自由になる。確かにこれなら無理矢理どうこうされるなんて事は無いかもしれない。

 

「…もうお嫁に行けない。」

 

男相手に完敗を喫した女のなんと惨めなことか。口でも力でも勝てないとはなんと情けない。

熱くなった顔を冷ますのも兼ねて両手で顔を覆う。雨のおかげでしっかりとは顔が見えないだろう事が救いだろうか。

 

「三島は可愛いから大丈夫だよ。」

 

ホントにこいつ嫌い!!

 

結局家に帰ってから男優位のプレイを調べてしまってより解像度の上がった妄想に悩まされることをこの時の私は知る由もなかった。




傍から見てると完全に恋する乙女なのに自覚が無いだけでみんなの玩具になるのホント可哀想。


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貴方は改めて理解した▼

お話も折り返しに差し掛かりました。
ここからは広げた風呂敷を畳めるよう頑張ります。


貴方は感傷に浸っていた。

 

冬になり雪が地面を覆う日が増えた。それは貴方に母の死を思い出させると同時に1年という時間の経過を告げていた。

母が死んで、家族を失い、身売りをして、そんな日から1年。長くもあっという間な時間だった。

 

言葉にするとなんと酷い境遇かと嘆きたくなるが、案外貴方は平気であった。それは失くしたものを振り返る余裕も無く生きてきた証左であったが、こうして感傷に浸れている今はその頃よりも救われているのかもしれなかった。

 

手袋を脱いで頭に被った雪を払ってやってから水を墓石に掛ける。手が冷たさで赤くなるのを無視して撫でるように洗っていく。

来る途中に買った花と線香を立てて、貴方はしゃがんで手を合わせ、少しだけ目を瞑る。真新しいシキビの鮮やかな緑が寂しげな墓地に映えていた。

 

10秒程度の黙祷の後、貴方はふらりと立ち上がるとそのまま近くのバス停へと歩いていく。仕事に行かねばならない。

貴方は悩み事を母の墓前に置いていき、仕事の為と気持ちを切り替えた。母の死を再確認することは貴方の気持ちを持ち直せるのに十分な刺激であった。

 

こうして気を引き締めないと先日の売春バレの様に大きな問題が起こりかねない。客相手であれば、もし少し疲れた素振りを見せると心配されてしまって提供するサービスの低下に繋がってしまう。それは金銭が絡む以上避けたい事であった。

特にバブちゃん達はパパの顔色をよく見ているのか貴方の変化に気づきやすく、ふとプレイの最中に我に返ったりする。オムツや前掛けをした理性的な目をした成人女性というのはビジュアルだけ見ると中々の地獄絵図である。

彼女らは注意力がある代わりに口に哺乳瓶を突っ込んでバブバブさせておけば誤魔化しも効くので何度か有耶無耶にした記憶もある。闇深し。

 

口寂しさを覚えながら、貴方は巻いていたマフラーで口元を隠す。こうした時未成年の己の境遇が恨めしかった。

タバコの1つでも吸って悩みやストレスを全部吐き出せたらと解決策を知っていても実行できない煩わしさに貴方は悶えていた。

 

今日はママ活の日だ。昼からデートをしてそのまま夜には別の人とホテル、よくある流れである。

バスに揺られながらスンスンと鼻を鳴らす。特別変な匂いはしない。客の趣味を意識して着てきた服だったが、線香の香りが移っていたら薬局によって匂いを誤魔化す必要があったので貴方はほっとして待ち合わせのメールを送る。

 

今日の相手は少し毛色が違う。とは言っても経験が無かった訳では無い。

別れ話の類である。ママ活など普段しない様なビビりで気弱なタイプの女性が今日の相手であった。

 

自信なさげに俯く姿が記憶に残るそんなどこにでもいる冴えない女であったが、少し胸を張って笑うようになって色んなものを溜め込みすぎない様になった。そうなると潮時である。

 

貴方は客の全てを否定しないように努めている。そうしてガス抜きの仕方を教えて自信をつけてやると、一定数の女性は貴方から離れていくのである。

濁った目に光が戻り、それが貴方を必要としなくなる程にまで輝いていくのを貴方は理性とは違う部分で心から喜んでいた。

 

きっと今日の相手もせめて最後はキチンと終わらせたいという身勝手な思いで昼間に呼び付けたのだろう。そのいじらしさが愛おしく感じてしまうのが、貴方が売春を続けていられる理由なのだろう。かつて生きた世界で男は単純だと言われていたのが何となく分かってつい笑ってしまう。

貴方以外に乗客の居ないバスはそろそろ街へと到着する。

 

昼にご飯を食べて、リストから名前を抜いて、お金を渡したらそれではいおしまい。などと相手は考えている事だろう。

本が好きだという彼女の姿を思い出す。スーツ姿のイメージしかないが、あまりセンスのある方ではなかったと貴方は彼女に似合いそうな服を考える。

 

貴方から巣立つ以上、出戻りは勘弁して欲しいと思うのは身バレのリスク回避のためである。

今日の貴方は冴えない従姉妹のマネジメントに励むアサヒ君である。デートと称してコーディネートの1つくらいしてから出荷したいという欲求が高まってくる。

 

自分がコーディネートして磨いた女性が貴方の知らないところで誰かに見初められるのだ。こんなに面白いこともないだろう。

 

減る金蔓と管理しやすくなるメールのリストの天秤をゆらゆら揺らしながら今日の予定に考えをめぐらせる。引き止めるつもりもないが、何か傷痕のひとつでも残してやろうかと脳内でそろばんを弾く貴方がボヤく。

 

1年という時間の長さを貴方は改めて理解した。




来るもの拒まず去るもの追わず。一定数は巣立っていく雛もいるんやでってお話。
なお巣立つ訳でもないのに除名される者も存在する模様。


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あたまのいたいはなし

30話程度で終わらせるつもりでいたのに終着点を意識するとじわじわ完結が予想よりも先になるのは文字書きあるあるなんだろうか。


「うぅ…アサヒ君、どうして…」

 

もはや何杯目かも分からないグラスを空にして、酒に飲まれるように飲み進める。大将から面倒臭いものを見る目を向けられるが知ったことではない。何杯飲んだか分からないがまだまだイける。

 

「日本酒の冷ちょうだい!」

「…ほれ。」

 

枡に入ったグラスに並々に注がれた冷えた液体に飛びつくように手を伸ばす。少し零れてしまうけれどそんなの気にならない。

グイッと仰れば冷えた喉越しとカーッと灼けるような熱さが…こない?

枡に残った分を嗅いでみるが酒特有のふわりと甘い香りがしてこなかった。

 

「大将!これお水でしょ!」

「いいから大人しくそれ飲んで帰りな。アル中に飲ます安酒はうちにはないねぇ。」

 

なんてふてえババアだ。常連にそんな事言うなんて信じらんないと抗議しようと立ち上がるが強くは言い返せない。だって今立ち上がろうとして足取られて座り直す羽目になったから。

呆れた風にため息までおまけして大将が会計の準備を始める。

 

「それに振られたのか知らないけど管巻いてる暇があるならさっさと帰って自分磨きでもしてる方が得だよ。」

「振られてないです…。」

「なら酒飲んでないで家で誘い文句でも考えてな。」

 

お客さんお勘定だよ!そう言われて仕方なく帰り支度を始めるとレジで待ってる旦那さんと目が合ったので、軽く会釈する。

脱いだ上着を着直してカバンを引っ掴んでよろよろと立ち上がる。足を取られてコケるような事はないが少しふわふわとした感覚があって、せっかくの日曜は頭を抱えて過ごすことになりそうだとぼんやり考える。

 

「ヒナちゃん可愛いんだから大丈夫だよ。自信もってね。」

 

お会計を済ませると旦那さんにそう言われて見送られる。暖簾を手で押しのけるのも億劫で誰もいないのに会釈したような体勢で店を出た。未成年に熱を上げていると知られたらこの態度も変わるのだろうと思うと応援の言葉も中々素直には受け止められないものである。

外気の寒さが酒に火照った身体に気持ちが良かったが、微妙な気分なのはあまり変わらなかった。酒が入ると悲観的になるのが私の悪いくせである。

 

彼と出会ってから1年。恋人同士なら記念日のひとつでも祝って仲を深める様な日だろう。残念ながら私と彼の仲はあくまでも客と売り子のままなのでそういう事は願うべくもないし、実際私は一人寂しく管を巻いていた。

 

しかしそれでもデートをして食事をして夜はしっぽりといきたいと思うことは悪いことではないと思いたい。やっていることが恋人同士と同じな辺り実に皮肉が利いているとは思うが、心が手に入らないならせめてと思う自分もいるのだ。

残念なことに今日のお誘いは断られてしまったが。

 

泥沼に沈むように、肌を重ねる度に彼に執着していく自分がいることを自覚して、良心と良識とが深入りするのを咎めるが最近はそれも気にならなくなってきた。

彼の言葉を信じるなら来年には18になる。年若く言う理由も無いだろうから、少なくとも結婚出来る年齢になるということだ。せめてそれまでは最後の一線は踏みとどまらなければいけない。

 

彼が色んな女性と関係を持っていることを聞いたり見たりしてもさほど心に波風が立つことはなくなった。3人でした事もあるのでその辺の事は無理矢理矯正されたと言ってもいいが、そこまで嫉妬をする事はなくなった。

 

そして彼に本気になってるのが私だけではない事も知っている。何かと客同士で関わりがあるせいか彼に秋波を送っている輩がいて、彼がそれを受け流している現場を見た事もある。…度を越した客がリストから消えていくのを目の前で見た事もある。

 

あれは確か彼とデートをしていた際に聞きなれない着信音がして、彼がメールを読んだと思ったらメアド変更を告げられたのだ。あとから客の1人をリストから消す為の作業だと言われた事は記憶に新しい。その後繋いだ手が違う意味で汗ばんでしまったが仕方ない事だったと思う。

 

そう、私はそうした現場を見てきたのである。そして見せられてきたという方が正しいだろうことを私は理解している。

彼なりのリスク回避なのだろうな、という事は何とはなしに気づいているのだ。強硬手段に出ても意味無いですよとあくまで客でしかないですよと、そう言っているのだ。その注意が私にも向いている事実に不満はあったが、私の状態を客観的に見ると否定の仕様が無いので特別文句を言うことは無かったが。

 

私だけ特別なんていう甘い考えはしない方がいいだろう。現に思い出せるだけでも結構な数釘を刺されているし、あくまでも客として扱われているに違いない。

 

 

 

 

酔い醒ましも兼ねて近くの公園のベンチに座って頭の中を整理して下がっていたメンタルをリセットする。

 

どうすれば一歩先の関係まで踏み込めるのだろうか。

 

今日も議題に上がるのはその事ばかりである。

未成年の間は少なくとも無理だろうという結論は出ているが、他の女にカッ攫われる様な事になるのは阻止したい。そのために何ができるかという方策は今のところ何も考えつかないが。

 

一先ずメールでデートの約束を取り付けるのがいいのだろうか。出会って一年だ!と私一人で盛り上がっていても仕方ないし、今日は無理でも近いうちにデートして、それを取っ掛りにしていけば彼の事も色々と話を聞けるかもしれない。彼はあまり自分の事を教えたがらないので、その辺の情報収集にはいつもアンテナを張り巡らせている。

 

思い立ったが吉日と早速文面を作成していく。最近ママ活依頼も少ないと言っていたし今から予約すれば問題なく約束を取り付けられるだろうと思い、会えなくて寂しいとか話したい事があるとか色々と盛り込んだメールを送る。20も後半の女が送るには少々痛々しいが不思議なことに酒の勢いなら送れてしまう。

 

Prrrrrr.

 

「お姉さん、そんな所で一人でいると風邪ひいちゃうよ?」

 

背中側から聞こえてくる機械音と声に心臓が跳ねる。

メールを打つのに夢中で周囲の様子に気づいていなかったが、どうやら彼が後ろにいたらしい。いつもとは雰囲気の違う服装の彼は新鮮というよりそういう事の後だという印象が強く感じてしまう。

 

「こんばんは日向子さん。俺と一緒に居れなかったのがそんなに寂しかった?」

 

そう言ってこちらに携帯の画面を向けてくる。そこにあるのはついさっき送ったばかりの私のメールである。

酔った勢いで作った文面ということもあって、中々芳ばしい内容のメールだったと思ったが彼にとってはそれも可愛いものだったらしく特別何か言うわけではなくベンチに腰掛けた。未だに彼と二人きりでいる状況にはドキドキとしてしまう。

 

「話したい事ってなんでした?差し支えなければ今聞きましょうか?」

 

隣に座って心配そうにこちらを見てくる姿に出会った時の事がフラッシュバックする。当時と同じく飲んで酔っていたのも相まってより鮮明に思い起こさせる。あの頃よりは仲が進展していると思いたいものだ。

それに酔った勢いで書いた事とはいえ、仲を進展させたいという気持ちが本物なのは間違いない。酒の力を借りたら酔っていたからという面目も立つし、素面の時に彼に真正面から打ち明ける事もできそうにないので彼の言葉に乗っかる形にはなるが、今ここで言うしかない。

 

「アサヒ君って彼女とか居ないんだよね?」

「えぇ、まぁ。こういう事してると流石に申し訳ないので。」

「…一緒にさえいてくれるなら我慢できるって言われたら恋人とか、欲しくならない?」

 

言った。これは流石に恋人志望だということが伝わっているだろう。

彼の判定の裁量にもよるが拒絶される可能性だってある危険な賭けだ。難色を示されたとしても酒の勢いだったというつもりではあるが、それを飛び越えて振られたときはどうなるか。

怖くて彼の顔が見えない。じっと俯いて地面を見る。情けないがこういうところもあの頃のままである。

 

「要らないです。恋人なんて」

 

しばらくの沈黙の後、彼が口を開いた。事実上の拒絶の言葉であった。振られたのだという現実が背中に重くのしかかってくる。

 

「…なんて、実は分かりません。恋人なんていたことないから。いつか結婚はするのかなぁと思いはしますけどね。」

 

冗談めかしてそう言う彼にまた揶揄われたのだと気づいて顔を上げれば意地の悪い顔が目に入ってくる。吐きそうになっていた私の数秒間を返してほしい。

 

「酔いは冷めましたか?」

 

これはたぶん全部バレているしその上でごまかされていると見てよさそうだ。

 

完敗である。ここで更に迫った時には酒のせいにはしてもらえずに私も切られるのだろう。最近歳下に翻弄されるもどかしさが喜びになりつつある自分が信じたくなくて顔を手で覆って赤くなった顔を隠す。

まだしばらく彼との関係を進展させることは難しいらしい。好感度が足りないという奴だろう。

 

「それで相談なんですけど、今日泊めてもらえません?家に帰りづらくなっちゃって。」

 

…これはどっちだ!?好感度が足りているのかはたまた新しいふるい落としか、どちらにしたってここでNoと答えるだけの気力は私にはない。あるがままを受け止める他ないと目を瞑った。

 

「狭い部屋で良ければ、どうぞ…。」

 

彼の喜ぶ声を耳にしながら私は睡眠不足を覚悟した。

今私の頭の中にあるのは中途半端に掃除された一人暮らしの我が家の事だけである。

 

日曜日は頭を抱える羽目になるという予想は違う意味で当たりそうだった。




主人公いつも誰かの睡眠時間削ってるな。


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貴方はツンデレを知っている▼

私のネタ纏めは風呂に入りながらするのですが、最近は暑くてシャワーで済ます日が多いのでちょっと執筆の方がバテ気味です。

バチくそ暑いですがみなさんもお気をつけください。


貴方の家庭は冷えきっている。

 

義父には顔を合わせる事すら拒否され、挨拶ひとつも受け取って貰えない。顔を合わせる事があるとすれば来年以降の話であったり、義妹の事であったり、何か問題が発生した時である。

 

先日顔を合わせたのもそんなタイミングだった。近所で貴方に関する噂が立っているというのである。あくまでも夜間のバイトは大変だという程度の軽いものだったが、詮索の目がなかった訳では無いという話だった。

大黒柱を失った家庭を支える長男という風に見てもらえているが、実情はそんな綺麗なものではなく、また家族仲についてもそろそろ慣れない環境に忙しくしているという言い訳も効かなくなってきた。

それに対して自業自得ではないかと思わない訳ではなかったが、貴方にはまだ欠片ばかりの情が残っていたし世間の目を気にする義父の考えも理解出来た。

 

故に貴方は朝帰りを控えて欲しいという義父の要望を叶えることにした。深夜バイトをしているのは知っているが我が家の評判も気にして欲しいという義父の言葉に貴方は背筋に冷や汗が流れたが、神妙な顔で頷いておいた。

最近の貴方を知らない義父は貴方の真面目さを疑っていなかった。悲しいすれ違いであるがバレたらただ事では済まないため貴方には義父の勘違いを修正するという選択肢は存在していなかった。

 

義父が深夜バイトをしていると勘違いしている事を知った貴方は、金銭的な問題があると主張しバイトを減らすのではなく増やすことで土曜日の午後と日曜日の夜までをまるっと家から出ていく事を提案し、それを了承させた。

勿論アルバイトを増やす訳ではなくお泊まりをして金を稼ぐ訳だが、それを悟られることは当然なかった。後になって義父からそれを知らされた義妹が全てを悟った顔をしていたが貴方の知るところではなかった。

 

さてそういった理由でママたちの間を渡り歩く羽目になった貴方であるが、それについては案外というか案の定問題はなかった。

JKならぬDKの家政夫がほぼタダで1日家に居て家事を担ってくれるのだからただでさえ一緒に居る事を望む彼女らには喉から手が出る程に受けたいサービスであった。自分の都合による休日の侵蝕を悪いと思う貴方と身近に貴方を感じたい彼女達との間に交わされた降って湧いた幸運であった。

 

なお、試験者第一号の日向子にサービスの説明をしたところ不特定多数の元に行くことは危険だと警告されたが誰か一人に肩入れしてバレた時の方がよほど危険だとしてその意見を却下した。誰か一人を特別扱いすると問題しか起きない事を貴方はよく理解していた。

結局日曜日も家事をする事になったが、材料費もメニューも考えなくてもいい料理に一人部屋の掃除と、家でのそれと手間は雲泥の差であったため苦もなくこなす事が出来た。

 

割を食ったのは貴方との交流の時間が減らされた義妹であったが貴方の「そろそろ慣れないとな。」という一言に引き下がる他なかった。常々見たくない現実ばかり突きつける男である。

 

家事代行サービスとは名ばかりの素泊まりプランであったが、貴方は残り一年この生活を続けるのは大変だと思い適当な私服を着替えとして彼女らの家に放り込んでおくことにした。貴方は荷物が減り、彼女達は貴方の帰る場所になれたという自己満足に浸れるという悪魔のような所業であり、何の気なしに素泊まりについて三島に話した際にはドン引きされることとなった。

多少なりとも増えた私服を減らして逃亡時の荷物を軽くする算段があるということは横で話を聞いていた三島にも気づかれなかったし、誰にも漏らすつもりはなかった。

 

そんな貴方の生活環境に変化をもたらした朝帰りの一件であったが、新規開拓の一助になったというのもまた事実であった。

 

「悪いわね、いつもの調子で来たからかなり歩かせちゃった。」

「平気ですよ。それにいつもと違った道で新鮮でしたから。」

「…意外と筋肉あるものね。」

 

宿を提供してもらった人の内、夜の相手しかしたことの無かった人からもママ活の誘いが来るようになったのである。

今貴方の目の前にいる衣紀さんもその一人であり、衣紀さんの場合はずっと部屋で一緒にいるとダメになりそうだという理由で外に連れ出された訳である。他にも「一緒にいる時ぐらいめいっぱいご飯食べて」「色んな世界を見せたい」「この部屋の中だけが私の世界じゃないから!」といったなかなか芳ばしい意見をいただいた。

 

こうした貴方を庇護対象と認識している様な客は比較的常識的な人が多い為、貴方は精一杯しっぽを振って返すようにしていた。後ろを付いて回る犬の様に一時限りの彼氏を演じて見せたと言えばその様子が分かるだろう。

そうすると彼女達は顔を赤くして眉をしかめながらも満足気な様子で貴方を色んな場所に連れ出してくれるのだった。

 

貴方はツンデレの扱いについても造詣が深かった。




たぶんこれで出てきたネームドキャラは文字に書いてあるかは別にして全員出したはず。


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めにどくなおとこ

お気に入り登録者が1万人を突破致しました。実にめでたい。
これも皆様の応援あっての賜でございます。これからもよろしくお願いします。


日々の予定を立てて行動する事は健やかな生活に繋がる。仕事もプライベートもある程度ノルマを決めて管理をすることが大切だと私は信じている。

余暇は趣味を楽しみ、酒などの嗜好品もそれなりに嗜む。話題性のある物は情報を仕入れ仕事先や職場での円滑なコミュニケーションに役立てる。それが正しい生き方だと信じて生きてきた。

 

近しい人は私をマニュアル人間だと言うけれど、親しくさえならなければこれ程社会で生きやすい皮もない。それに私はそういう生き方しか知らないのだから文句を言われてもどうしようもない。人の言う大きな喜びやささやかな幸せというものをあまりよく理解できずに生きてきたのだ。

 

――衣紀さん。

 

人を好きになる事がよく分からなかった。クラスの可愛い子を可愛いと認識出来ても付き合いたいと思う気持ちが湧き上がることなんてなくて、一目惚れなんて都市伝説だと思っていた。

学生の時に付き合った彼氏も相手から告白されたからという愛情などからっきしの存在だった。他人が良いと言うから肌を重ね、結局よく分からなくて一週間と経たずに別れた。

 

趣味や嗜好品の良さはあまり分からない。でもそれがいいと思い込むことは大切だ。他人とは違うという事は生きにくい。それがストレスになっていたのかは今でも分からないが、私は非日常が欲しくなった。スリル目的でした事だった。

 

――衣紀さん?

 

あの夜、やけに機嫌のいい美優から紹介されてあの子と顔合わせをした。学生と援助交際をする。その事実に気が昂っていたのは覚えている。

見た目の印象は明らかに歳下の売春なんて縁のなさそうな子だった。それが薄汚れた女の欲望を一身に受けているのだと考えると自分の知らない嗜虐志向が鎌首をもたげた。

バレるリスクの低いスリルに物足りなさを感じることはなかった。

 

「衣紀さん、どうかしましたか?」

 

彼の言葉で思考の海から引き戻される。昼ごはんを食べに行こうと2人で歩いていたのだが、寝不足のせいか思考が飛んでいたらしい。車の通りが少ないとはいえ少し不用心だった。

彼には一言なんでもないと断って少し動揺を取り繕う。

 

「悪いわね、いつもの調子で来たからかなり歩かせちゃった。」

 

雪こそ降っていないがまだまだ冬の寒さは厳しく、背の低い私の歩幅に合わせて歩く彼には少し酷だったかもしれない。それにあまり相手を歩かせない事がこういう時の鉄則だったと今にして思う。

 

「平気ですよ。それにいつもと違った道で新鮮でしたから。」

「…意外と筋肉あるものね。」

 

その言葉で思い出されるのは昨日の夜の事だった。ホテルと違って声を抑えての情事は別の方向で刺激的で、自室で身動ぎ一つ許されることなく絶頂を強要されるのは中々のものだった。

目の前のこの子は人畜無害な風をしていながら案外攻めっけが強いのだ。

 

私を子供の様にあしらうこの子に大人の怖さを教えてやろうとして返り討ちにあったのは、未だに脳内に鮮明に焼き付いている。後になって童顔低身長を揶揄ったことを謝られたが、私の頭の中には存在しなかった私を屈服させる男性の存在に心臓が張り裂けそうになっていた。

今日だって、あの時恐怖や屈辱とはまた違った知らない感情を植え付けられたものだから、少しでも同じ部屋にいる時に普通に接する事ができるようにと外に連れ出してきたのだ。

 

「看板見えるかしら、あっちなんだけど。」

 

私からは角度的に見えないが彼なら見えるだろうと店の看板の方を指さす。私が四苦八苦して遠くを見ているのに暢気な声で見えたと言われるのは面白くはないが、気を使われない関係は灰色だった青春を塗り替えてくれるようで心地が良かった。

 

いつだったか私の童顔を揶揄って先輩呼びをしてきた事がある。制服の袖を通した記憶などもはや掠れて思い出せない程であったが、その呼び方に少しばかり心が揺れたのを覚えている。

 

学生を手元に置いておきたいなどという危険思想を持つことは私には考えられなかった。それはリスクで、不合理で、それに見合った魅力を感じられなかったからだ。しかしそれがどうだ。手を伸ばさずに傍観していたら相手から転がり込んできたのだ。

 

知識とは、経験とは毒だ。一度知ってしまうと人はその水準を下げられない。タバコを吸えば口寂しさを酒を飲めばその火照りを、忘れられなくなる者はいる。私はそれが彼だったというだけの話であり、それが経験の不足によるものかの判断がつかないという事も大いに私を混乱させた。

自分よりもよほどしっかりとした腕に抱きすくめられて朝を迎える喜びを、他愛のない会話をしながら食事を囲む穏やかさを、甘えるように触れ合うだけの愛おしさを。

 

彼は私をダメにする。

 

自分がこの様な甘えたがりであったとは知らなかった。普段は熱に浮かれでもしなければ言わない様なことを素面で言ってしまえる人種などとは思わなかった。

どろりと溶け合うような関係が健全なものとは言えなかった。ましてやそれが一時の関係であれば尚更だった。

 

美味しそうに料理を口にしている姿からは魔性のそれは感じられない。見極めなければならない。私が彼を欲しているのか、彼のような存在を欲しているだけなのか。

 

――彼、一時の遊びだって割り切ったら最高のパパよ?

 

脳裏に美優に言われた言葉がフラッシュバックする。長い付き合いだったがあの頃は性癖の暴露と共にこんな沼に引きずり込んでくるような奴だとは思っていなかった。

 

私は証明しなくてはならない。

私は幼馴染の様な未成年に興奮する異常者じゃないんだ!

 

彼と目が合う。にこりと笑う彼にときめく自分が許せなくてつい眉を顰めてしまう。

それでも彼は気にした様子もなくにこにこと笑っている。

 

実に目に毒な男である。




幼年期の抑圧が多いと精神的な成長が歪んだり遅延したりするといいます。今回メインに据えた衣紀さんはそういう感受性が死んでるタイプの人だったわけです。

…嘘です。原義的な奥手なタイプのツンデレが書きたくてあれこれ描写しただけです。公衆の場でも気取ったりせずデレるようになれば主人公にベタ惚れだと判断できるのです。


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貴方の将来設計は朧げである▼

台風のやってくる季節になりました。
濡れた制服透ける肌っていうのも学生ものによくあるやつですね。


貴方は辟易していた。

 

定期的な精神面のケアという名前の進路指導についてもそうであったし、折角の義妹の進学祝いをなぁなぁで済ませた義父の態度にしてもそうであった。気を配れないという事は罪なのではないかと真剣に考えてしまうくらい、貴方の周囲は重症であった。

 

季節は春、4月の初めのことである。

 

貴方という爆弾とひとつ屋根の下であってもコツコツと努力を積み重ねる事の出来た義妹は、なんの問題もなく貴方と同じ高校に進学を果たした。さほど大変ではない難度とはいえ落ちている人間がいる以上貴方は義妹の合格を褒め殺したし、謙遜をしてはいたが義妹も喜んでいた。

それは仲の良い兄妹としてのワンシーンであった。

 

貴方は、貴方の進級に関してはともかくとして義妹の進学という大きなイベントの際には家族で祝うものだと母が生きていた頃の話を持ち出して義父の説得を試みたのだが、説得も虚しく結果的に貴方と義妹の2人で祝い事を済ませることになった。

貴方としては家族で祝うのだから貴方と2人よりも親子で祝いの場を作るべきだと言いたかったが、そこまでの関与は出来なかった。義父が精神的な回復ができておらず色々なものから逃げようとしていることは理解していたため、どうにも追い討ちをかけることが出来なかったのである。

ただ後で貴方の居ない食事の場で軽く褒められたと義妹から聞いたのでそれ以上は気にしないことにしたが、それでももやっとした気持ちは解消しなかった。

 

また三年生となり大学受験や就職が意識されるようになった事もあり、貴方は新たなクラスメイトからの質問や話題逸らしに気を使う日々を送ることになった。言葉だけでは逃げられないと判断した時には三島をスケープゴートにすることもしばしばであった。

三島は今年も貴方とセットにされていたがそれが運なのか教師の思惑なのかは分からなかった。ただ彼女が不幸であることは言うまでもない。

 

そんな中々にストレスフルな最後の高校生活の滑り出しであったが貴方はあまり疲弊していなかった。

 

その理由の一つに義妹の存在があったことは間違いないだろう。貴方と一緒に登校出来る事が嬉しいのか朝の時間を楽しげに過ごす彼女を見て、貴方は少なからず癒されていたし、行き帰りが同じなことで夕飯の買い出しなども楽になったりと義妹の存在が確実に貴方のストレスを軽減してくれていた。

貴方の居ない生活に慣れねばならないという事実は棚に上げての行動であったが、貴方は特に何も言わず義妹の天真爛漫さに甘えさせてもらう事にした。そのせいで近くにいることが増えて見たくない兄の姿を見る機会が増えた義妹の脳は犠牲になった。

 

そして義妹で解消できないストレスは三島に話し相手になってもらうことで消化させた。突発的に出来た貴方の事情を知る人間であったが、やはり気を張らずに接することが出来る相手がいることは貴方の精神的な安定に繋がった。

金銭事情を知らされた三島の顔からごっそり表情が抜け落ちた事もあったが、貴方は特に気にしなかった。

 

学内に身内がいることで目立ち易くなってしまったので貴方はより一層の被る猫の厚みを増す必要ができた。

 

 

 

 

残り一年。貴方はその間に様々な物を片付けなければならない。

 

手懐けた変態達との関係もそうであるし、私物の処分、新天地の模索、書類手続きなど諸々の準備、就職活動。ざっと挙げただけでも問題は山積みである。これにストーカー対策も混ぜるとなると一人でやるにはかなり厳しい状態である。

貴方は誰に頼るでもない生活を目指している。そのために学生のうちは誰かに借りを作ることになる可能性も理解している。義妹や三島、バイト先のミヤさんには協力を仰ぐことも吝かではない。

 

とはいえ条例違反上等のパワープレイにより金銭的な心配はあまりしなくても良くなり、予定の金額は達成出来る目処が着いている。仮にいくらか追加で出費が必要となっても問題ないだろう。

 

処遇に悩むのは地味な仕事用の携帯に連なるもの達である。最後を見越して面倒な人達は少しずつ減らして来たが、それでも未だに貴方の携帯には20件近くの『貴方目当て』の客が登録されている。

逃げ切るのであれば今の段階から行動を起こす必要があるだろう。不測の事態というものはいつも突然やってくるものである。

 

貴方の将来設計は未だ朧げであるが、確実に形をなしていた。




次回、三島始動――。
(予定は未定です。)


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せかいはそれをあいとよぶんだぜ

主人公が出てこない回って珍しい気がする。


悩む事が嫌いな私は短絡的に行動を起こす事が多々ある。ガキの頃は説明が面倒だと手が出るようなクソガキであったし、今でも取り敢えず何かしそうになると気持ちを落ち着けるために音楽に逃避する。

それでなくとも家にいる時は年がら年中ギターを触っているし、外にいる時はそれがイヤホンに変わるので音楽がストッパーになっているかは甚だ疑問だが。

 

「急に教室に連れ込んで何なんです!?」

「何なんだってのは私のセリフなんだよ…。」

 

だから廊下で暇そうにしていたあいつの妹の首根っこ捕まえて空き教室に連れ込んだのも突発的な行動だった。解決できるかは置いておいて、解決方法が目の前を通ったら手が出るのはもはや野生の獣が本能に従うのと同じくらいどうしようもない事だった。

 

何故こんなことをしたのか。当たり前のようにあいつ関連なのだが、取り敢えず時系列を追って理由を纏めよう。

 

――俺が金を稼いでるのは両親が居ないからだよ。

――だから特別進路を考えてるとかは無いかな。

 

と私が進路の参考に聞いたら何気ない表情でそんな事を口にされ、何を言うでもなく形だけの愛想笑いを返すのが精一杯だったのが約10分前。

雑談が終わったとばかりに用事があるからと帰るあいつを引き留めずに見送って、1人唸って知恵熱が出そうになったのが5分前。

そして廊下を歩いていた暇そうなあいつの妹の首根っこ捕まえて空き教室に引っ張りこんだのが今である。

 

実に分かりやすい衝動性に溢れた行動理由だと自分でも思う。実に頭が働いていない。

こいつがあれの妹なのは入学の時から知っていた。他人を避けているあいつがいきなり誰かと登下校で一緒にいるのを見かけるようになるのだから、それくらいはアホな私でも分かる。特に学校だとあいつの近くにいることが多いので自然と面識もあったしな。

ただあいつと一緒にいる時に一度ガンつけられた事があってから面倒だからと話をしたことは無い。

 

初めての会話が呼び出しよりも直接的な空き教室への連れ込みである。警戒しない方が珍しいだろう。余談だがあいつは珍しい側の人間である。

 

当然のように警戒心むき出しでこちらの出方を伺っているあいつの妹には悪いが、色々と聞きたい時に目の前をちょうどいい奴が通ったから拉致させてもらっただけなので大人しくしてもらいたい。とりあえずここは先輩としての権力を利用して話を聞き出すことにしよう。不躾だが時間を取らせるのもお互い良くない。

まずは家族構成からだよな?

 

「お前、兄貴と2人で暮らしてんのか?」

「…違いますけど。」

 

無理矢理連れ込んだにも関わらず会話をしてくれるらしいことに少し感心した。躾られてるのか兄貴に迷惑かけたくないのか知らないが私としてはありがたい。初対面の印象もあってもう少し噛み付いてくるタイプだと思っていただけに肩透かしではあるが。

 

しかし2人暮らしじゃないなら祖父母と住んでんのか。あるいは施設とかだろうか?身近に親が居ない奴が居ないからよく分からないけどそれくらいしか思いつかない。

 

「親居ねぇってあいつから聞いたんだが、おま…」

「兄さんがそう言ったんですか?」

 

話の腰を折られるのは好きじゃない。自然と眉間に皺が寄る。

余計な問答はしたくないがこのまま無視して先輩の権力を振りかざして一方的に聞いても話が進みそうにないので軽く首肯して応える。頑固そうな雰囲気はあいつと似ている気がする。何か言いたそうにしているがその辺は私の与り知らないことなのでスルーする。

 

「…家は三人家族です。父と兄と私の。」

「あ?」

 

父親健在じゃないか。数十分前の記憶にある、あっけらかんと言っていた雰囲気からして嘘ついていた感じはしないが兄妹で食い違いが起きているのはどういうことだろうか?

どうにも面倒なことになりそうな気がしてならない。ここ1年で鍛えられた私のセンサーがそう言っている。

あいつ本当に面倒事にしか関わってねぇな。

 

「失礼ですけど先輩、私達の家族構成なんか聞いて何考えてるんですか?」

 

動揺が落ち着いたのかそんなことを言ってくる妹に舌打ちが出る。ギッとこちらを睨みつけてくる視線の強さにあいつと同じ雰囲気を感じて嫌な記憶が蘇る。こちらが問い詰めているという状況も似ていて眉間の皺が深くなる。

まだまだ中学生と変わらない1年生に気圧されるつもりは無いが、あの時同様角の立たない言い方は思いつかない。夜の仕事で金を稼ぐ理由について聞ければ早いのだろうが、事情を知らない時に面倒でしかない。金に困ってる理由が家族にあるのか聞けたらそれで良かったのだが、中々面倒くさい。

 

「…あいつ夜も色々してるだろ?なんかそこまで追い込まれることがあるのかと思ってな。」

 

要領を得ないあやふやな言い方だがこれなら問題ないだろう。そこまで困窮してるんなら手助けの一つでも出来ればと思った、ただそれだけと警戒心を解きにかかる。

本人に直接聞いて事情も知らずに訳知り顔で声かけるとこの間みたいに怒ってくるかもしれないし、誰にも頼らず交友関係断ち切ってシャットアウトくらいの事はしてきそうなので慎重にいきたいという思惑もある。

 

「そういう事ですか。でも、それなら兄さんに聞いたらいいじゃないですか。()()()ですよね?」

 

目論見通り警戒は多少解かれたが返事自体はNOのままである。聞いたら答えてくれるなら後輩無理矢理連れ込んだりしないだろとは言っても無駄だろうか。私自身突発的にやったことなので説得力は欠けらも無いと思うので口にはしないが。

なんにせよ事情を聞くまで退くつもりはないので正直に言う他ないだろう。

 

「あいつよく分からないまま踏み込むとキレるから怖ぇんだよ…。」

「先輩本当に兄さんのお友達ですよね?なんで友達やってるんです?」

「成り行きだよ!!」

 

出会った当初の『なんだコイツ』という評価が、つい最近『なんなんだコイツ』にランクアップするくらいには関わってきたが、未だに連んでいる理由は私にも分からない。話しやすいとか勉強みてもらっているとか色々あるが、あいつ本人に対しての理解度自体は1年経っても変わらない気がする。好物がチーズケーキだって知ったくらいの進展である。

 

今日だって進路相談の参考になればいいと思ってなんで金稼いでるのか聞いただけだったのに、突然親がいないから金が必要になったとか言い出すし。一年の頃忌引で休んでたのは母親が死んだからとか平気で言うし。その頃私達知り合ってないだろぉ!?

 

「兄さんマイペースだから…。」

 

私の言葉に思い当たる節があるのか妹から向けられる視線が急に優しくなる。

 

同情すんな!兄妹揃って人の神経逆撫でするのやめろ!

 

後輩ということで多少なり敬意が見え隠れする分こいつの方が可愛げがあるが、根本的な部分は変わらない。天然ってやつなのかもしれないがやっぱり私にはこの兄妹は合わねぇ。

 

「で、あいつが売春してまで金稼いでる理由教えてくれよ。」

 

 

 

 

「今なんて、」

「あ?」

「今、売春って言ったんですか?」

 

やばいミスった。というかやっぱり知らなかったのかこいつ。去年まで中学生だった妹に変なところ真面目なあいつが喋ってるはず無いとは思っていたが口が滑った。

 

「お前知らなかったのか。」

 

夜の仕事について大した反応が無いから知ってるのかもしれないと思ったのが拙かった。とはいえこの状態から誤魔化す訳にもいかない。

言葉を選ぶとか難しいことは苦手なんだが元々この話に持っていくつもりだった体で話を続けるしかない。

 

「兄さん、日曜はカフェでバイトしてるって。」

「まぁ、嘘ではないな。私が見たのは土曜だったし。」

「見たんですか!?」

「全部は知らねぇよ。ただ知らねぇ女とホテルから出てきたから…。」

 

あいつも嘘をつかない範囲で誤魔化してたらしい。アルバイト自体を息抜きみたいに思っていると聞いたことはあったが、売春より効率よく稼げるバイトなんてあるはずないし、元々売春のカムフラージュだったんだろうと今思う。遅すぎたが。

青い顔して放心しているこいつには悪いが現実と向き合ってもらうしかないだろう。せめてもの情けとしてあいつが相手の女を手玉に取っていることは黙っててやるべきだろう、今のこいつに兄がスケコマシだと聞かせるのは酷だ。

 

「それは今はいい、兄貴に直接聞け。お前が衝撃受ける程にそんな事しなさそうなあいつがそういう事して金を稼ぐ理由に心当たりは無いか?」

 

あいつの事情が誰かにバレるリスク自体は元からあったのだし、ここは開き直って話を進める。後で文句言われるかもしれないがそれはその時になんとかするしか無いだろう。

なんであいつの事で私が弱み握られたみたいになってるのかはこの際気づかなかったことにしておこう。

 

「私達、血が繋がってなくて。父さんが兄さんには高校を出たら家も出て行ってもらうって言ったのがたぶん理由です。」

「は?」

 

今度はこちらが放心する側になる。ちょっと昼ドラなんて目じゃないくらい凄い事情飛び出してこなかった?両親どころか頼れる大人自体居ないとか聞いてない。

 

理解が追いつかず頭が痛むが、取り敢えず先を促す。

他人から見たら女二人が間抜け面晒して向かい合ってるのはさぞ滑稽に映ることだろうが、当事者としてはそんな事考えている余裕はない。取り敢えず情報だけでも聞き出しておきたい。

 

「血の繋がってない兄さんをずっと置いておけるだけの余裕が無いからって、私は反対してるんですけど聞いて貰えなくて。」

 

私の理解が追いつかなくても内容は頭に入っていく。完全に聞くだけの機械と化した私を気にすることなく言葉を続ける妹。こいつも溜まっていたものがあったのか動揺からか此方が内容を受け止めているかを気に掛ける余裕もないらしい。ただ私の知らない事情だけが積み上がっていく。

 

「母さんが死んでから父さんおかしくて、でも兄さんは何も言ってくれないし外でバイトしてるのだって私最近までどんなことしてるのか知らなくて、結局本当は何してるのか今まで知らなくて。それで、」

 

時系列は合っているのだろうが如何せん感情が入り過ぎていて、正直こいつの勢いに飲まれそうになる。不安や焦燥感といったものに突き動かされて喋っているのだろう。目の焦点が合ってないような気がする。

あいつも変態達の手綱を握ることよりも身近な妹のケアの方優先してやれよ可愛がってんじゃねぇのかよ、私がなんでこいつのケアまでしなきゃならねぇんだよふざけんなよ。

 

「おい、しっかりしろ。こっち見てちゃんと話せ。」

 

できるだけ冷静を装う。パニックでも起こされた日にはカツアゲ現場とでも思われて私は1発アウトだ。自分の過去の素行の悪さに別の意味で頭が痛くなるが元々痛いので気にすることでもない。

 

「…兄さんがお金を貯めているのは家を出た後生きていくのにお金がいるからだって聞きました。」

「そうか。わかった。ありがとうな。」

「いえ。」

 

要約するとそういう事らしい。過程があまりにも重いが一人暮らしの準備に金が掛かるっていうのは理解出来る。

…私ひとりで処理できない分はあいつにその都度聞いて処理していこう。

 

兎に角事情は分かったのでこいつをここに留めておく理由はもうない。何か余計なことを思いつく前に帰してやるのがお互いの為だろうと思い解放してやれば、若干ふらふらしていたがそのまま帰っていったので取り敢えずいいだろう。

私も帰り支度をして足早に家に帰って部屋まで直行する。悩むにしても明日に投げるにしても頭にあるもやもやをギターを触って少しでもスッキリさせたかったのだ。

 

あいつのせいでギターを触る時間は増えたが、あいつのおかげで勉強が多少できるようになってギターを触ってもいい時間も増えた。本当になんとも言えない奴である。

 

 

 

 

ふと、あいつが周りを避けてるのは全部捨ててどこかでやり直したいからじゃないかと思い付いた。そうなるとアサヒなんて偽名使ってるのもストーカー対策ってだけではないのかもしれない。それに気づいたからって私にどうこうなる訳では無いけれど。

 

いつか突然居なくなりそうだ、などという表現は漫画やゲームのそれだと思っていたがどうやらそういう訳ではないらしい。居なくなる未来と居なくならない未来について、ギターの音に変な想像がついてまわる。

 

世界はそれを愛と呼ぶんだぜ、と叫ぶロックは私にはまだ早かった。




『居なくなって初めて気づく大切なもの』ってのはよく使われるフレーズですが実際は『居なくなるかもしれない』っていう段階で物事が動くことの方が多い気がします。

義妹視点がないので後書きで失礼しますが、途中にあった強調とかは不良娘に対する義妹からの牽制です。兄の彼女とかいわんよなぁ?おぉん?みたいな。言われた本人気づいてないですけどね。


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貴方は売春が悪い事だと知っている▼

コメントでの三島株の暴落と特殊需要の増加が激しくて笑ってしまう。


貴方は今、最大のピンチに直面している。

 

『悪い、お前の妹に売春してるの喋っちまった。』

「軽いッ!!」

 

咄嗟の事に、貴方は己のキャラも忘れてスマホを投げ捨てた。

 

連絡先を交換してから全くと言っていいほど使っていなかった連絡アプリに三島の文字が踊っていた時点で嫌な予感はしていた。そしてその予感の通り端的に用件と謝罪の言葉が並んだそのメッセージを貴方は頭の痛い思いで読み、結果として匙を投げた。間違えた携帯を投げた。

 

ここ数ヶ月、貴方はストレスや環境の変化で気が緩んでいるかもしれないと考えており、もしかしたら三島以外の誰かにもバレるかもしれないから気を引き締めようと生活をしていた。そうでなくても何時でも義妹に売春がバレる可能性があることは常に気にしていたのだ。

 

それゆえ動揺こそしたが今更バレたところで貴方の覚悟は変わらない。突然義妹にバレたと言われても貴方のすることは決まっていた。

ただいつシミュレーションしても義妹の反応だけは予想が出来ず、受け入れてくれるのか、拒絶されるのか、はたまた義父にバレて追い出されるのが早まるのか。定まらないが故に貴方はその全ての可能性を受け入れるだけの覚悟をしていた。

 

ソファに投げたスマホを拾い上げ、いつもと変わりない行動をとって気持ちを鎮めていく。今はひとまず夕食の用意に戻るべきだろう。煮物も味噌汁もいつも通りに仕上げていく。何の因果か今日は義妹のリクエストした献立だったのはなんとも言えないが。

 

「…ただいま。」

「おかえり。もうすぐご飯できるからちょっと待っててな。」

 

お互い平静を装う。義妹の思い詰めた表情や青白い顔を見ればそれが虚勢であることはわかりきっていたが、貴方はそれに触れないように食事の用意をすすめた。義妹の方も少なからず異変のあるだろう貴方のことに触れようとはせず、配膳に盛り付けにと普段通り動いてくれる。それが染み付いたルーチンをこなしているだけである事はお互い理解していた。それでも場を整える事を優先したかった。

 

「ご飯の後で話したいことがあるんだ。」

 

義妹が席に着いたのを見計らって貴方はそう声を掛けた。食事の間に話すようなことでは無いし、それでも誤魔化すつもりはない事を伝えておくべきだと貴方は判断した故の発言だった。

何かに怯えるようにびくりと身体を動かした義妹を目で確認して、貴方はいただきますと手を合わせた。明確な返事こそ無かったが、義妹もそれに続くように手を合わせた。

 

何時になく静かな食事の時間が流れる。義父の帰宅時間との兼ね合いで長くは話し合いの時間は取れないなと考える貴方の考えを知ってか知らずか、お互いいつもよりも手早く食事を済ませる。

 

料理の味は少し濃いような薄いようなふわふわとした記憶しかなかった。

 

 

 

 

「…何から話そうか。」

 

それはあくまで前置きに過ぎなかったが、その戸惑いが貴方になかった訳ではない。売春の事実確認だけをしてはいおしまいとはいかない以上、貴方の考えを伝える必要が出てくる。それは所謂大人の話し合いというものなのだ。そしてそれが貴方と義父が義妹から極力遠ざけてきた事であったが故の躊躇であった。

 

「兄さんの口から本当の事を聞きたい。」

「…そうだな。唯華も高校生だもんな。」

 

覚悟をしているという訳では無いのだろう。ただただ全てを知りたいという意地の様なものが義妹の口調からは感じられた。それはあくまで勢いの物で、考えが纏まっているような雰囲気は感じられなかった。

しかし貴方はそれを理解しながらそれでも全てをできるだけそのまま話す事を決めた。それが家族愛だと貴方は信じていた。

 

「唯華が三島から聞いた売春の事実は嘘じゃない。日曜以外の夜間の外出は殆どがその関係だった。」

 

端的に結論を述べるのが貴方のやり方だった。具体的には衣服の買取などもあったが売春の延長にあるものだったので説明は省く事にした。

元より売春を疑う要素はあったのだからと顔を青くしたまま黙っている義妹を気にしないようにして貴方は言葉を続けた。

 

「当然父さんはこの事を知らないし、俺も自分から誰かに話したことは無い。金が必要だったと言ってしまえばそこまでだが褒められた事ではないのは理解してる。」

「なんで?」

 

義妹の口から疑問の言葉が漏れる。

一瞬貴方はその言葉の意味を計りかねたが、気にせず言葉を続ける。

 

「人が生きていくのには金がいる。特に後ろ盾の無い未成年が1人で生きていくのは日本では難しい。誰かに頼れない以上お金を使って無理をするしかないんだ。」

「そうじゃない!」

 

貴方は今後の展望を踏まえた説明を試みたが、義妹の知りたかったこととは違ったらしい。理性的に解決法を提示することがこの世界の女性には効果的だと思っていた貴方にとって、それは小さいながらも誤算であった。

 

「私は、なんで兄さんばっかり我慢しないといけないのかが知りたいの。」

 

その言葉に貴方はぐっと言葉を詰まらせる。それは義父と話し合った日に貴方が受け入れた覚悟の内容そのものであった。義妹に聞かせたくなかった大人の話し合いの根幹であったのだ。

 

数拍置いて、貴方は口を開いた。

 

「…大人の言葉に子供が反抗するというのは難しい事だというのは唯華は分かるか?」

 

努めて落ち着いて言葉を紡ぐ。小さく返事をして頷く義妹の目を見るようにして貴方は言葉を続けた。

 

「父さんを俺が説得するのはとても難しい。周りの大人を巻き込んでもいいとするなら話は別だが、俺はそれはしないと決めた。」

「どうして?」

「…父さんが弱い人だからだ。」

 

説明になっていないと思いながらもそこで一度言葉を区切る。父親を悪く娘に話すのは意外と神経を使うらしく、貴方は背筋に嫌な汗が流れるのを感じていた。

義妹は言葉が続くことを察してかじっと貴方の目を見て静かに座っている。覚悟は決めた。

 

「母さんが死んで父さんがおかしくなったのは唯華も感じているだろう?」

「…うん。」

「父さんは母さんが死んだストレスで心が限界なんだ。もうストレスに対するキャパシティが少ない。心が荒んでるっていうのが近いかもしれない。」

 

心の壊れた人間というのが厄介であることを貴方は前世の知識として持っていた。壊れかけの人間とは違い、壊れた人間というのは周りからできることが無い程に手遅れな存在になる。義父の場合であれば最悪自死や他人とのコミュニケーションをとる事への拒絶反応による社会生活を送ることが出来なくなるなど、想像に難くない。

 

「俺や唯華はある程度折り合いがついてるけど、父さんはそれに時間が掛かる。家族としてそんな父さんにストレスを押し付けるのは気が引けた。できることならストレスから離してやりたいって思ったんだ。」

 

そのストレスが貴方であると言われても、貴方にとって義父は家族で母の好いた相手であった。気弱で内向的で、でも優しいそんな父を貴方は好いていたのである。

 

「そんなの、変だよ。」

「俺も父さんもそんなこと分かってる。でも俺はそれを受け入れても良いと思ったし、父さんは泣いて謝ってくれた。折角生きてる間にできる親孝行が見つかったんだから、俺はそれでいい。」

 

貴方は世間のそれとはズレた変わった子供であった。かなり大人びていたし、感性は少しどころか妙であり、やけに達観していると思えば、感情は人一倍表現した。そんな歪な貴方でも母親の前ではただの子供であった。喜び笑い時に照れて、年相応の顔を見せた。

 

貴方の父は、そんな子供の貴方であるから許容できたのだ。

 

祈りが喜びしか知らぬモノから生まれないように、疑心暗鬼や違和感は歪なものからしか生まれないのである。近くにあるものに目を向けた時、歪な貴方が目に付いた。そんな当たり前の事であったのだ。

 

義妹は泣いている。結局彼女は終わった話に首を突っ込んだだけだったのである。全ては貴方が家族が良くあれるようにと考えた末に出した結論ありきの不幸だったのだ。

彼女がそれを聞いたところで全ては終わっていた話なのである。

 

「父さんが帰ってくる前にお風呂入っておいで。何かあったらいつでも部屋においで、気持ちの整理くらいなら手伝えると思うから。」

 

貴方はそう言って食器を片付けるために台所に向かった。貯めたお金やこれからの事については少し間を置いてから話した方が良いだろう。そして何よりこう言っておけば義妹は義父よりも貴方に相談をしてくるだろうという算段が貴方の腹にはあった。

 

義父に少しでも売春のことがバレたら貴方は終わりである。いくら綺麗事を並べたところで社会的に死ぬのは貴方であるし、下手をしなくても全員不幸に一直線である。売春に手を染めた理由は比較的楽に大金が狙えると踏んだ故である。弁明の余地などない。

 

いかなる理由があったとしても売春は悪い事だと貴方は知っていた。




主人公と義父の取り決めや内心のあれこれはもっとながーいのですが触りということで控えております。いつか書く義父視点もそうですが、主人公の内心についてはまた別のキャラとの絡みで出していこうと思います。

あと主人公は義父のことを名前で呼びますが、義妹と話す時には父さんと呼びます。義妹への配慮()ってやつです。


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おとうさんといっしょ

唯一舞子さんだけちゃんとしたお話が無かったので今回は舞子さんとのお話です。


「あ゛ー、最高だわ。」

 

荒れた喉が傷まない程度にぽつりと呟く。仕事の無理が祟って身体を壊して休みを棒に振るなどいつぶりだろうか。普段なら、一人寂しく世界を呪って過ごすのが今日はちょっと違う。

熱でぼんやりとした視界を閉ざせば、最後に使った記憶さえあやふやな包丁がリズム良く何かを切る音が耳に届く。時たま聞こえる鼻歌も安心感を与えてくれる。

 

おでこに貼られた冷却シートの感触や枕元に置かれたスポーツドリンクの入ったストロー付きの水筒など、ちょっとした人の温かみを感じられるこれらに風邪で心もやられたのか、少し涙が出そうになる。

 

「舞子さん、ご飯出来ましたよ〜。お熱上がってきたみたいですけど、大丈夫ですか?」

「ん、平気だよ。」

 

そう言って冷却シート越しに当てられた手は、料理で水を使っていたのもあって冷たくて気持ちいい。口では大丈夫と言いはするがもう少し触れ合っていたいという願望はある。離れていく手を名残惜しみながらも顔には出さない。

 

「起き上がって自分で食べられそうですか?」

「…ちょっと難しいかも。」

 

身体がダル重いというのは嘘ではないが、無理矢理体を動かすくらいの無茶は普段でもしているので出来なくはない。でもどうせなら甘えたいと思ってしまうのは悪いことではないだろう。たとえお天道様が許さなくてもアサヒ様が許してくれるのだから無罪放免、完全勝利である。

 

「でしたらお粥作ったので食べさせてあげましょうね。食欲はありますか?」

「うん、ありがと。」

 

予想通りに事が運ぶ。勿論彼も知っていて甘やかしてくれているのだろうけれど、少しだけ童心にかえったような心地になる。普段のプレイもいいけれどこういうシンプルな子供扱いもいいな…。

 

あーん、と言われるがままに口を開けてスプーンを受け入れる。出汁の味とほのかな塩気があまり無かった食欲を刺激する。とろりとするのは卵だろうか、小口ネギが少し食感を出していて包丁の音の正体はこれだったのかとボケた頭でそう考える。

惜しむらくは熱でしょぼしょぼとしている視界のせいで彼の表情がよく分からない事だろうか。枕元に置いてあるメガネをかけるだけの気力も無いのでこればかりは仕方ないが。

 

「お粥、まだありますけどおかわりしますか?」

「だいじょうぶ…。」

「じゃあお薬飲んで横になりましょうか。」

 

いくら彼の手料理とはいえ熱でグロッキーの身体では受け付けられる量は限られる。申し訳ないというこちらの気持ちをくんでくれたのか気にしていないのか、皿洗いのために離れるからと数回髪を撫でてからキッチンへと引っ込んでいく。

ここで行かないで欲しいと言えばそのまま隣に居てくれるのだろうかと益体の無いことを考えるが、考えている間にいなくなってしまった。普段「パパ、パパ」と甘えているのに弱って思考が幼児退行している方が自制が利いているというのは我がことながら笑えてしまう。

目を開けているのも辛くなってきて、少しだけ目を閉じる。それでも考えるのは彼の事だ。

 

本当は今日は夜に彼とお楽しみをする予定だったのだ。今日があるから頑張れると思って仕事で無茶をしてきたのだが結局無理が祟ってこの有様である。

前にお金が要るのだとボヤいていた姿を覚えていたのでドタキャンするのは憚られたのだが、風邪をうつすのも悪いと思い泣く泣くキャンセルをしたのが今朝の話。

意気消沈しつつもお大事にという社交辞令のメールに気を持ち直して、メールを保存して氷枕を取り出し布団を被って転がっていたのだが、「今から行きます」という彼からのメールが届き意味がわからずボケーっと携帯の画面を眺めている間にインターホンが鳴ったのが昼前の事である。

 

お見舞いに来てくれた事は素直に嬉しかったが、風邪をうつしても悪いからと追い返そうとした。しかし彼の方も何やら家に居づらい事情があるので良ければ置いて欲しいと言うし、迷惑なら帰ると寂しそうに言われたら断る度胸は私にはなかった。

実際横になっているだけであくせくと甲斐甲斐しく面倒をDKに看てもらえる環境は最高であった。私が元気なら手のひとつでも出したのに、と歯がゆく思う程度には彼は手厚く看病してくれた。

 

白衣の天使というワードが何度脳裏を過ぎったことか。次のプレイはお医者さんごっこかなぁとアホなことを考えながら、しかし顔にも声にも出さずに我慢してはよしよしされて今に至る。

 

先程から聞こえていた水の流れる音が止んだので、それに合わせて私も目を開ける。だるさや疲れとは違う、瞼の重さが心地よかったが近くに彼が居てくれることを確認する方が大事であった。

 

「洗い物終わりましたからこの後は傍に居るので何かあったら言ってくださいね。」

 

布巾で手についた水を拭いながら私の視線に気づいて寄ってきてくれる彼の姿に動悸とは違った胸の高鳴りを感じつつ、隣の椅子に腰掛ける彼を視界に収める。

風邪で頭が働かないこともあり、いつもより緩やかな時間を彼と共有している事がどこかくすぐったくて、沈黙が苦にならない時間の大切さを噛み締める。恋人、夫婦、誰かと一緒になるのもいいかもしれないと彼といると思ってしまう。結婚願望ってこういう事を言うのかもしれない。

 

「何も言わずに出ていったりしませんから、寝ちゃっても大丈夫ですよ。」

 

元から少し眠たかったこともあり、温くなってきた氷枕を取り替えて崩れていた掛け布団を直されて、優しい声で囁かれたらおやすみ3秒。私は夢の世界に沈められた。

 

 

 

 

「ん…。」

 

目を開けて彼の姿を探す…いない。

 

どれほどの間寝ていたのか辺りはうっすらと暗くなっていて、カーテンの隙間からは夜景がちらと顔を覗かせている。

もしや昼の記憶は夢だったのかもしれないと考えながら汗で張り付いた服が気持ち悪くてのそのそと身体を起こす。どうやら熱はだいぶ引いたらしくふらついたり頭痛がするような事はない。これなら明日には快復しているだろうと思える程度のだるさしか無かった。

 

喉の渇きを潤そうと枕元の水筒に手を伸ばすと1枚の紙――彼の書置きがあるのが目に止まった。

 

『お夕飯の買い物に行ってきます。』

 

以前来た時に教えてもらった場所から鍵を借りることや体調が良くなったからと動き回らないようになど、ちょこちょこと書かれていたが何より目を引いたのは

『寂しかったら電話してきてください。』

という一文である。

 

もしや彼はプレイとか無関係に私の事を幼女か何かだと勘違いしてないか?と少しだけ大人としての矜恃が鎌首をもたげたが、じゃあその心配が嬉しくなかったかと言われると脳内会議で嬉しいが大半を占めるのを私は理解していた。

結局、私はそっと書置きを裏返して現実から目を背けることにして、これからはちょっとくらい大人として接する機会を増やそうと心に決めた。

 

何にせよ彼がいない理由は分かったので当初の目的通り着替えに戻る。私が寝ている間に片付けなどもしてくれたのか小綺麗になっている部屋をうろつきながら着ていたパジャマを脱ぎ散らかして行く。後で怒られるだろうかと思いながらも、それはそれでヨシ!とポジティブに考えることにして換えの服を見繕う。

一人暮らしにパジャマなど枚数を用意しているはずもなく、Tシャツにルームウェアの下というだらしのないコーディネートをして風呂に入るべきか悩んでいると、不意に玄関のドアが開く。

 

「ただいまー…帰りました。舞子さん起きてますかー?」

 

玄関口から私のいるところは死角になっているので見えていないのだろう。まだ寝ていると思っているのか普段よりも少しだけトーンを下げた声で私に話しかけてくる。なんと返事をしたものかと思いながら思案していると電気がついた。

 

「あ、はい。おかえりなさい。」

 

マヌケな返答である。

彼と目が合ったので取り敢えず返事をする。手には近くのスーパーの袋がぶら下がっており、書置きの通り買い物に出ていたのだというのがひと目で分かった。

私がそんなことを考えて彼を見ていると、彼も私の方を見ていたのか目が合った。はて?なんで何も言ってくれないのかと頭の中をはてなで埋めていると、スーパーの袋なんてどうでもいいと言わんばかりに足元に落としてこちらに向かって突進してきた。

 

「風邪ひいてる人がなんて格好してるんですか!」

 

そう言われて今の自分の格好を思い出す。手元に抱き込むように持った着替えたちが私に着替えろと主張してくる。寝るのに邪魔だからとブラを着けなかったせいで私の姿はパンイチである。自室とはいえ高校生に見せつける格好ではない。

早く着替えてくれと言う彼に背を向けるように回れ右させられる。裸ならいつも見てるのに。

 

「えっと、下着も着替えたいから見られてると流石に恥ずかしいかなーなんて…。」

 

姿は見えないが、彼の動きが止まったのが分かった。普段のプレイからして何を恥ずかしがることがあるのかと言われると思っていたので彼のこの反応は少し意外だった。

蚊の鳴くような声で「台所にいます…。」と言うと落とした袋を手に取って素早く台所に逃げていってしまった。

 

その予想外の反応に虚をつかれて暫くボケっと台所の方を眺めて、彼が照れていたのでは無いかという結論が出た。

 

「えっ、かわいい…。」

 

プレイの間は優しいパパ。お金が絡んでないと愛想はいいけどどこか冷めた印象の大人びた子供という印象があったのでこのギャップは少々クるものがある。

これが所謂ギャップ萌えってやつなんだなぁと噛み締めてから予定通りに着替えて脱ぎ散らかして転がっていた衣服も含めて洗濯カゴまで持っていく。

 

思わぬ発見からエネルギーを得た私はもはやちょっと喉が痛い程度の不調しか感じない程度に元気になっていた。

 

「アサヒくん。」

「…刃物使ってる時に声掛けるのやめてくださいねー。」

 

台所の彼にそっと近づいて声をかける。もしかしたらもう一度可愛い姿を見られるのではないかと思っての行動だったのだが、多少の呆れと共にポイッと台所から追い出されてしまった。

つれないなぁ…。でもそんな所もいい。

 

その後は何事も無かったかのように時間は流れ、ある程度快復したからと一緒に食卓を囲んで夕食を済ませた。

ちなみにメニューは食べやすくて消化しやすいからと餡掛けうどんを作ってくれた。こういうちょっとした優しさと家庭的な姿にキュンときた事は言うまでもない。後10年若ければ猛アプローチのひとつでもしただろう。

 

元の予定通り泊まっていくと言うのでお風呂に誘ったのだがタオルで拭くだけにして朝入れとちょっと冷めた目で言われ、泣く泣く従う事になった。彼は不意打ちでしか討ち取れないという事は理解した。

 

風呂上がりの彼にちょっと興奮しながらも2人でベッドに寝ようと誘いをかける。脳裏には多少ピンクなことも浮かんでいたが、いつも通り添い寝して貰えないかという相談のつもりだった。

 

「風邪うつると嫌なのでソファでいいです。」

 

バッサリである。つれない態度も嫌いじゃないけどここまでバッサリ言われるとちょっと辛い。

およおよと泣き真似をして神は死んだ、お天道様は見てたと嘆いてベッドに転がって寝る準備を始める。こうやって冗談に付き合ってくれるだけ上等だと思いながらも人肌恋しいなー、と内心ボヤく。

 

「しょうがないなぁ。」

 

勢いのまま掛け布団を下敷きにしてしまったのを面倒だと思いながら寝る準備をしていると、コロンと転がされて布団を剥ぎ取られる。

私がギョッとして固まっている内に氷枕はのけられてどことなく冷たい枕が頭の下に差し込まれる。あれよあれよと仰向けにベッドに寝かされてふわりと布団が掛けられる。

 

「寝るまでは隣に居てあげますから、ほら。」

 

仕方がないと昼間のように隣に腰を下ろす彼に今度は別の意味で身体が固くなる。顔に血が集まってくるのは熱のせいではないだろう。

 

そういう所!そういう所だぞ!

 

彼の顔を見て寝たいと言うわがままを通すために明るいままでも寝られる!と電気を消すか押し問答するのはまた別の話。




幼児服というか赤ちゃん服着た女性のプレイを初めて知ったのは『地獄先生ぬ〜べ〜』の濡れ女の回です。今思い返してもあの漫画えっちすぎるのよ。

流石に直接の描写しすぎると赤ちゃんプレイはR-18なのでマイルドなお話にしました。が、結構勢いで書いたので荒削りな感じは否めません。


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貴方は順風満帆な現実を信じて疑わない▼

虫が元気に飛び回る季節に嫌気がさしてきた今日この頃いかがお過ごしでしょうか。
作者は暑さで死にそうになりながら夜行性の生き物と化しています。


貴方は着々と逃げ切るための準備をしている。

 

あの話し合い以降よく難しい顔をしている義妹を餌付けしながら、貴方は夏休みを目前にして大体の家事を義妹に叩き込むことに成功した。

下着の洗い方から料理の隠し味まで細かく仕込んだ貴方は義妹に免許皆伝を言い渡した。その際「ピェ」という謎の鳴き声と共に義妹は沈黙してしまい、首を傾げるという一幕もあったが大きな問題ではなかった。

 

そうした家庭でのあれこれと同時進行して、覚悟を決めておよそひと月で貴方はガチ恋勢のリストを半分程に減らす事に成功していた。時に真正面から、時に脅すように交渉を重ね、貴方は何人かの初恋をへし折って回った。

場合によっては家の都合で高校を出たら県外に行かなければならないという嘘ではないが限りなく誤解されるような言い回しも使って撃退した。

 

まるでどこかに嫁に出されるのか売られるのかとでも言わんばかりの発言であるが、その実身バレを防ぐために地元から逃げる算段がついたという話である。なお君を守る!駆け落ちしてでも一緒になりたい!と言ってきた人にはシンプルに「そこまで好きになれない」と切り捨てて帰ってきた。大の大人が泣き崩れる姿を今の貴方ならマネするくらい余裕であろう。

 

ガチ恋勢の熱量をこれ以上上げないために外泊をする時は安全な変態達に優先して声を掛けていたのだが、その結果として潜在的なガチ恋勢を生産していることを貴方は理解していない。貴方のガチ恋勢リストから人数が減ったことに満足している場合では無いのだが、こうした地雷は処理しなければならなくなってからしか分からないものである。

 

さて実際はどうであれ、表向きは仕事も家庭も順調になった貴方は次に解決しなければならない問題に向き合う事にした。

 

三島のことである。

 

致し方ない事故と言うには三島の私情が入り過ぎており、絶縁してまで拒絶するべき問題と言うには学校内での三島の存在は捨てがたいというなんとも処遇の難しい事件の沙汰についてである。

何より本人も反省しておりメール以外にも改めて謝罪を貰っている。とはいえ罰に何を与えるべきかは悩みどころであり、現在のところ『何かあれば手伝ってもらう。』というかなり曖昧な言葉で済ませてしまっている。

 

とはいえもうひと月近く宙ぶらりんにしているため、そろそろ何か形にしたいと考えていた。というのも時たま思い出したかのようにしょぼんとして気を使う三島の姿を見て貴方の罪悪感が刺激されるのだ。何故迷惑を被った側が罪悪感を覚えなければならないのかと憤慨する程若くない貴方は落とし所を探している。

 

「夏休みのバイトぉ?」

 

日常の会話をする時は普段通りな辺り、本当に反省しているのか分からない女、三島とはそういう人間である。

 

「バイト先が人員募集してるから良かったらどうかと思って。飲食の経験あるんだろ?」

 

学業を疎かにして時間があった分、三島はバイト経験が豊富である。金食い虫の音楽用品の費用を稼ぐのにバイトを入れては金を稼ぎ、貯金をせずにものを買う、そんな即物的な思考の持ち主なのである。

 

「私髪色これだしなぁ…。染めるのダルいんだけど。」

「あぁ、それは平気だと思う。ミヤさん…店長も色抜いて染めてるし個人営業の店だから。」

 

思い浮かぶのはへらりと笑った綺麗な顔に色落ちした髪の持ち主である。今はグレーだか青だかに染めてから抜いたのだとか言っていただろうか。

去年と違い恋人が居ない独り身の店長は夏休みを真面目に書き入れ時として利用しようと考えたらしく、今年はそれなりに張り切っているらしい。

 

「まぁそれならいいよ。どうせギターいじってるかバイトしてるかだったし。」

「一応三島は受験生なんだからちょっとくらい勉強しなよ。」

 

貴方が面倒を見ているおかげか三島は最近成績をそれなりに伸ばしており、共通試験を受ける意味があるレベルに達していた。それもあって少々家族からのせっつきがウザイのだとつい先日聞いたばかりだったのだが、本人のモチベーションの程はギター弄りのそれよりも低いらしい。

 

「課題燃えねぇかな。」

「別に課題をやろうがやるまいが俺は気にしないけど受験期なのに生徒指導室に入り浸る方が面倒だと思うけどな。」

 

貴方がそう言うと三島は眉間に皺を寄せて嫌そうな顔をした。ちくりと突かれたくない所を突かれた時の三島の反応はこの1年変わっていない。

 

「それに、俺としても三島が手伝ってくれると凄く助かるんだけどな。」

 

飴と鞭とはまた違うが、貴方はそれなりに面倒な友人の扱いを心得ていた。追い込み漁のような選択肢を狭めるやり方が万人に受けるとは思わないが、三島にはそれが良く効いたし貴方としても都合が良かった。

 

「…面接で落とされたら知らねぇからな。」

 

ぶっきらぼうにそう言う素直ではない所を見て、貴方はそれもまた彼女の可愛さのひとつであると貴方は最近思い始めていた。

ここだけ見ると思考回路がまるでダメンズに引っかかる大学生のような気もするが、貴方はあくまでもこの世界の貞操観念に引っ張られてはいないため、三島はある程度構われた後に何も言わずにサヨナラされる事になる。依存させるだけさせてポイする様はさながらメンヘラ製造機と呼んで差し障りないだろう。

 

「助かるよ。ありがとう三島。」

 

この年代の人間には難しい事だが、感謝や好意というのは言葉にした方が何倍も喜ばれるということを貴方は知っている。

気になる異性に頼られ他には見せないであろう笑顔を向けられた三島の心中は推して知るべしである。

 

宙に浮いていた三島の処遇も決まり、バイトでお世話になっている店長への恩返しもできる。一石二鳥な良い案が浮かんだと貴方はご満悦であった。

三島が店長とくっつけば三鳥だな、などという恐ろしい事を考えているとは貴方以外には知る由もないことである。

 

お礼に夏休みの課題の面倒を見ることを約束して、お詫びにお礼をするのはどうかと三島と議論を交わす。

 

貴方は最近物事が上手く行きすぎて怖いくらいだと気持ちが弾んでいる。




本当に上手く進んでるのかはお察しの通りです。
また夏がやってくる…。


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バイトじじょうはヒトそれぞれ

かきいれ時ってガバッと掻き込むっていう意味ではなく、『帳簿に書き込む量が増える時』って意味だったのを初めて知りました。


私の名前は高橋京(たかはしみやこ)。祖母から受け継いだ喫茶店を経営している普通の自由人だ。普通じゃないのはレズビアンでコック経験があって不動産で食べていけることくらいである。

とはいえ昔からの常連さんと祖母から教わったコーヒーと私の料理の腕で食べていける程度には充実している。立地もあまり良くないが隠れた名店と一部で言われているのだと新規のお客さんから聞くので、評判自体も悪くないらしい。

 

正直その日の気分でお休みを貰ったりしているので忙しくない生活というのはありがたかったりする。隠れた名店と言われて、隠したままでやっていけるならそれに越したことはない。

若い頃はそう思ってそれこそ自由に生きていたのだが、最近一人で店を回すのが厳しくなったので気まぐれに募集をかけ、バイトを一人入れてからちょっとだけ状況が変わってきた。

 

そのバイトというのが今世紀最大の人型爆弾男子高校生のアサヒちゃんである。人柄も仕事ぶりも接客に関しては私よりも上手いんじゃないかと思ってしまう程人材としてはアタリの彼は、バイト経験は私の店が初めてだと言う。バイトの動機が賄い目的だというのも私としては評価が高かったこともあり、彼は実に優秀なバイト君であった。

そうして新人バイトを雇って、逸材というのはどこに眠っているのか分からないものだとぼんやり考えていたのは最初の1週間までであった。

 

それなりに仲良くしていた当時の彼女と夜の街でイチャついていたらアサヒちゃんの仕事現場を目撃してしまったのである。

その時は声をかけずにいたが、確かに売春はバイトでは無いよねと接客の上手さの裏側を理解してしまった私は後日アサヒちゃんに事情を聞くことにした。もしバイト代に不満があったりバイトの日を増やす事で解決するのなら少しくらい色をつけても良いと思える程度には彼の事を気に入っていたのである。

それも地獄みたいな家庭事情を聞いたら見て見ぬふりをしてあげる以外の選択肢は消えたのだけれど。

 

私も社会から爪弾きにされた経験がある身である。それでも頼れる大人というのは居たものだ。私にとってはそれが祖母であり、逃げる場所が祖母の居る喫茶店だった。

そんな過去の自分とアサヒちゃんを重ねて、ちょっとくらい良い人になってもいいんじゃないかと考えるのは自然の流れだったのかもしれない。

 

色々と考えたが喫茶店の経営には何も問題無いからという建前の元、アサヒちゃんの気が休まるならと事情を理解した上で(偽名を名乗ることも承知の上で)協力してあげることにした。

愚痴を聞いてあげて自然体で接してあげて、私の恋愛事情も少しは話してと心を砕いていれば警戒心を解くのはそれほど時間はかからなかった。事情を知っていたというのも大きな理由かもしれないが。

 

そうして店長とバイト以上の関係として彼と接して分かった事としては、意外と彼は聞き上手なのに女らしい性格をしているという事だ。

元々は愚痴を聞いてあげる立場だった筈なのにいつの間にか私が彼に色々と聞いてもらう事の方が多くなり、気安い関係を築けたと言えば聞こえはいいが、未成年に上手いこと転がされているのだと気づくのに少し掛かったくらいには彼は人を話に乗せるのが上手かった。

それに何処と無く対応が女前で、私としてもじゃれたり愚痴ったりしても嫌な顔ひとつせずそれなりに優しくしてくれるアサヒちゃんの存在はありがたかった。学生の頃に出会っていたら私の恋愛観を破壊してくれたんじゃないかとすら思ってしまう程である。

 

後は、彼は猫かぶりが上手いというかスイッチのオンオフが上手い。リアリストなのだと彼は言っていたが、たまに話に出てくる『お客さん』達の扱いを聞くと冷た過ぎないかと思ってしまうことがあるのだ。

確かに未成年と売春しているちょっとアレな大人ばかりとはいえ、アサヒちゃんに真剣に懸想している誠実さらしきものは聞いているだけで理解出来る。それなのに「熱で浮かれてるだけ」とバッサリいくのは知らない人とはいえちょっと可哀想に思えてしまうのだ。思うだけだが。

 

彼、アサヒちゃんにとって日常は戦場なのだと気づいてからはあまり気にしないようにはしたが、それでも彼の精神的な不安定さはケアしてあげたいと思っていた。

 

そんなちょっと所では無い程色々危うい彼がいつからか友人の話をするようになった。

初めは年相応の様子が感じ取れて安心していたのだが、どうにも話を聞くうちに友達の態度から感じ取れる恋愛のあれこれが鼻につくようになった。あまり干渉しても悪いと思いつつも気になったので冗談混じりに「男女の友情は続かないとも言うよね」とか「同い歳の子を恋愛対象としてどう思う」とか聞いてみたこともあった。

 

「次の日も顔合わせるのにそういう関係になるのって気まずいじゃないですか。」

 

それが彼の反応であった。なんか入社三年目のサラリーマンみたいな反応に流石の私も気の利いた言葉は思い浮かばなかった。

恋愛というのはもっと煌びやかで素晴らしいものなんだよ?と説得するには私の経験ではちょっと説得力が無かったので強くは言えなかったし、恋する男の子になっている彼のイメージも湧かなかったのでそっとしておいくことにしたのだ。

きっとこんな感じで無意識下で何人か女の子を泣かせてきたのだろうなという謎の確信を胸にして。

 

 

 

 

さて、そんな彼にバイトの増員を打診されて私は一も二もなくOKした。勿論面接もしたし色々と確認はしたが、何より彼の話に出てくるお友達というのを見てみたかったというのが1番の理由である。そして良ければカップル誕生をこの目で見たいと思ったのである。経験的に夏の陽気に浮かれる男女(私の場合女同士だが)というのはそういう関係になりやすいのである。

 

それに夏休みというのは書き入れ時だ。

浮き足立った学生や時間の空いた家族連れなど、普段は目も向けないような場所にも客としてやってくるし、以前から目を付けていたのなら尚更だ。それに長期の休みを利用して旅行や小旅行を楽しむ観光客だってターゲットになる。

 

まぁ去年は私がそのターゲット側になっていた訳だが、残念な事に今年はそういう予定は無い。そして一人で旅行に行くほど若くも無い。そんなわけで今年の夏は喫茶店のマスター業をバリバリにこなさなければならないのだ。

 

「店長、カウンター席ナポリタンとシーフードパスタです。」

「ミヤさんアイスコーヒーあと3Lですけど追加どうします?」

「アイスコーヒーは今抽出してるやつを午後に当てるから気にしないで出しちゃって。フユちゃんはアサヒちゃんと入れ替わりでちょっと厨房手伝って。」

 

はい!という若者の元気のいい返事を聞きながら仕込んでおいたソースと野菜などの具材を用意して、フユちゃんには少しの間パスタとタイマーを見ていて貰う。

そうやって空いた時間をオムライスやグラタンといった手早く仕上げる事のできる料理や放置がきく料理の調理に使う。

 

ランチタイムは人が多いが夏休みのそれは桁違いに多い。普段は5L近く残るアイスコーヒーは増産しても品切れになるし、私は厨房から出られなくなる。それでもなんとか回していけるのは新しく雇ったバイトのフユちゃんのおかげだろう。

 

アサヒちゃんの紹介で『ちょうどいい人材』という触れ込みで雇ったのだが中々の働き者で、ウェイターと諸々の雑務を見事にこなしてくれている。元々飲食系のバイト経験もあったらしく最低限の接客マナーもできるので会ってみたかった云々の事情を差し引いても即戦力として重宝している。

 

しかしアサヒちゃんから「馬車馬のように働かせてもOKです。」という普段の彼からは出てこないような言葉を貰った時には少し警戒もしたが、今のところは通常通りに仕事をして貰っている。夏休みかつ仕事もできると言うことでバイト代に色を付けてはいるが、それにしたってありがたい人材である。

 

「パスタ後何分?」

「3分無いくらいです。」

「分かった。後やるからオーダーかサーブお願いね。」

 

フユちゃんを送り出して、加熱しておいた鉄板に卵を落とす。喫茶店と言えば鉄板ナポリタンだと口煩かった祖母の言いつけをしっかりと守っての事だ。メニューこそそれなりに増やしたが、それでもこの祖母直伝のナポリタンの売れ行きは凄い。日々精進していても祖母を見返すのはまだ難しいのだと思わされる。

90を超えて尚新しいレシピを思いついては電話してくるあの人に勝てる日が来るとも思えないのも事実ではあるが。

 

タイマー通りに麺をあげて茹で汁とソースを炒めてパスタを仕上げていく。バターで炒めた野菜とウィンナーが赤く染めあがる様子はいつ見ても食欲をそそる。少し水分が飛ぶ時間を使って隣で炒めていたシーフードを仕上げてしまう。イカにエビにブロッコリーを具材にしたレモン香るペペロンチーノ風のパスタが私の喫茶店のシーフードパスタである。加熱で香りが飛んでしまうレモンを火を止めてから絞って皮ごと入れてそこに麺を絡めて仕上げに黒胡椒で完成。ナポリタンもぷつぷつとソースが焦げないギリギリの水分量になったところで麺と絡めて粉チーズを添えて完成。

 

「カウンター席上がったよー。」

 

ウチのランチはドリンク一杯おかわり自由のため、普段であればこれと並行してコーヒーも淹れなければならないが夏はアイスコーヒーの注文がほとんどなので、新たに淹れ直す事はあまりない。代わりにミルクや砂糖の減りが早くなるが、それはバイトの2人に任せておけば大丈夫なので結局私は厨房にかかりきりである。

 

そんなこんなで常連さんと世間話に花を咲かせてゆったりするのは専ら夜の営業の時になる。やはり忙しい生活は私には合わないと2年ぶりの多忙さに少し辟易するが、売上もそれなりに増えるので文句はない。

 

厨房に来たバイト2人に指示を飛ばしながらグラタンの焼き上がりをみてサーブを頼む。裏で朝から抽出していたアイスのためのコーヒーの粗熱が取れていることを確認して冷蔵庫に移しておく。

 

世間が夏休みに入って1週間、私の生活はほぼこんな感じで固定化されている。

 

 

 

 

「お客さん居なくなったから賄い出すよ。何がいい?」

「とにかくサッパリしたものがいいですぅ…。」

「肉使ってるやつならなんでも。」

 

14時を回って立て札を準備中に変えたら休憩時間に入る。たまに常連が残っていたりもするが今日は皆帰ったので私たち3人しかいない。

カウンターで溶けているフユちゃんは忙しさにやられたのかさっぱりした物がいいらしい。アサヒちゃんは依然変わらず肉食である。リクエストが通る時は大抵肉を要求してきて、ガッツリ食べないと体力持たないからだと本人は主張している。清楚で少食みたいな雰囲気のくせに変なところは女っぽい。

 

「じゃあパスタとアイスコーヒーにするからそのまま座って待っててね。」

 

昼休みに入っても賄いを作るまで私の仕事は終わらない。夜だとアサヒちゃんと交代だったりするのだが、彼から「ミヤさんの美味いご飯が食べたい!」という要望を貰ってからはアサヒちゃんがフライパンを振るう機会はそんなに無い。

 

未成年に手を出すほど飢えてもいないし、男に苦手意識はあるがアサヒちゃんの女っぽいところには偶にキュンと来ることもある。そういう時は照れを隠さずにアサヒちゃんを褒め上手だと煽るのだが、大抵ジゴロな返しをされて笑顔で流されてしまう。そしてアサヒちゃんはヒモの才能がありそうだ等とアホなことを考えながら大人の私は彼の手のひらで転がされてあげるのだ。

 

今日の賄いはシーフードパスタにミートソース。ウチのサッパリと肉と言えばこれだろう。金曜日ならビーフカレーを出しているところだが、普段の肉担当はミートソースパスタである。

自分の分の賄いパスタには適当な野菜の残りと端材のお肉を使って味付けを工夫する。こういうThe賄いという感じの料理でレシピの研究をするのである。

 

「はいお待たせ。熱いうちに食べてねー。」

 

出来た料理を手に持って、2人の前に置いていく。自分の分を適当なテーブルに置いてアイスコーヒーを取りに裏に回る。もはや使い古されて元がなんのペットボトルだったか分からない黒々としたコーヒーが詰まったペットボトルを手にしてグラスを3つ選んで運び出す。

 

あの後ランチタイムにアイスコーヒーが出なかったため私たちの分もたっぷりと残っている。キンキンに冷えたコーヒーというのはコーヒー党の人間でも賛否が分かれるところだが私は断然アリ派である。

酸味を抑えたアイスコーヒーは体内に篭った熱を発散させる無敵のアイテムである。

 

「今日も美味いです、店長。」

「お先にいただいてます。」

 

アサヒちゃんから何を聞いていたのかバイト初日は警戒心ばりばりだったフユちゃんも今では自然体で接してくれる。今もランチに出てたのを見て実はシーフードパスタを食べたかったのだとご機嫌で話をしてくれる姿は見ていてこちらも嬉しくなる。

時折自然体すぎて高校生の甘酸っぱい恋愛模様を私の前で繰り広げる事も多く、バイトを雇った当初の裏の目的も達成されていたりする。

 

例を挙げると、重い荷物を持ってあげようとしたり休憩の時に飲み物持ってこようとしたり、アサヒちゃんの気を引こうとしているのが分かる行動を取っていたりする。ちょっとやり方が幼い感じはするが高校生の女の子なんてこんなものだろう。私京は青少年の恋愛を応援しています。

そんな甘酸っぱい雰囲気に苦いコーヒーが良く合う、ということはあんまりない。

 

というのもちょっとばかしアサヒちゃんが鉄壁過ぎるのだ。バイトの先輩なので当たり前だがアサヒちゃんはフユちゃんより手際がいい。そして本人も仕事の時はキチンとスイッチを入れて動ける人間である。

 

そうするとフユちゃんのアプローチは大体スルーされる。何事も無かったかのようにひょいと鉄板を4つ運ぶアサヒちゃんに唖然として、あまつさえ「火傷しないようにね」と心配までされる。飲み物を用意しようとして「ちょうどいいから午後用のコーヒーの出し方覚えようか」と手に持っていたまだ冷え切ってないペットボトルを取り上げられてバイトの指導が始まる。

 

分かっていたことだが、彼が口にする「恋愛なんて」という言葉はまんまその通りの意味だったという訳である。The脈ナシ。

私としても折角の即戦力のフユちゃんが気を落として辞めたりするのではないかとこそっと声を掛けてみたのだが、「は!?ただの腐れ縁ですけど!?」とフユちゃんもフユちゃんで自分の恋愛感情に気づいていないピュアっ子だった。

 

無自覚でよくバイト付き合ったなとか、このアプローチしておいて無自覚とか嘘すぎじゃないとか、思うことは色々とあったのだが見ている分には面白いので口出しはしないことにした。

今もアイスコーヒー飲んでるアサヒちゃんに目が釘付けになっているが、本人は分かっていないのだろう。

 

バイト事情は人それぞれ。私はそれを見てるだけ。

…嘘。ちょっとからかいたい。




実は店長、本作初めてのフルネームキャラだったりします。

ちなみに三島のフルネームは三島冬子。
三島と言えば三島由紀夫だよな→雪子じゃ安直かな→じゃあ冬で
という作者の雑な発想により決定しました。中々下の名前出すタイミングが分からなかったので後書きで紹介。


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貴方は夏の思い出というものを軽視している▼

夏のお話って何があったかなぁと最近はネタを出そうと頭を捻っております。海山お祭り…田舎…自由研究…?

コメント評価、誤字報告やここ好き(仮)いつもありがとうございます。特に誤字報告は本当に助かっています。普段言う機会がないのでこちらで感謝の言葉を述べさせていただきます。ありがとうございます。


貴方は夏の暑さに負けること無くバイト戦士を続けている。

 

昨年と違い信用を得た貴方は過度の肉体労働では無く京の喫茶店と以前雇われていたメイド喫茶での執事のバイトで効率よく稼ぐようにしていた。

メイド喫茶なのに執事でいいのかという疑問は未だに尽きないが、貴方はその疑問を黙殺して仕事に従事している。話題に出したら店長が喜んでメイド服での従事を提案してくるだろうことが察せられた故の無言のスルーであった。

去年の夏から使われること無く自室のクローゼットにぶら下げられたメイド服の存在は貴方のメイド好きの店長への警戒心を上げるのに一役買っているのである。

 

そんなメイド喫茶でのバイトだが、面白半分で指名されていた去年とは違い、期間限定品に飛びつくかのようなかつての貴方指名の客に接客をすることで初速の売上を伸ばすことに成功していた。中には贅沢や化粧っ気の無いという貴方の発言を覚えていたのかちょっとしたプレゼントを用意する客までいる程で、貴方は自分にキャバ嬢の才能がある事を自覚する事になった。

意識改革が遅すぎる気もするが、貴方にとっては十分な進展である。

 

さてそんな実入りの良いバイトであるが、流石の貴方もメイド喫茶まで三島を連れ回す訳にはいかず、喫茶店の定休日や店長の気まぐれ休みの日に合わせてバイトシフトを入れている。

たまに去年は同じ店員の立場であったバイトの先輩から指名を受けるということもあったが、貴方は持ち前のスルースキルを使ってそちらも笑顔で黙殺する事にした。

大学生が男あそび覚えてるんじゃねぇ!という謎の親心が入っていた気もするが、その真偽は貴方だけが知っている。

 

こうして美味い賄いと気を休められる場所を獲得し、大学生と社会人のお姉さん達に正しく可愛がられる環境に身を置いて英気を養う事に成功した貴方は、以前見かけたお屋敷での給仕のバイトに応募しても良かったかもしれないと少しばかり邪な考えが顔をのぞかせる程度には心に余裕を得ていた。

 

さて本業の方はどうかと言うと、夏の間は本業の方を控えて比較的健全なバイトでお金を貯めるという行動指針や巡回の先生の目が怖いという警戒の気持ちは変わっていなかったが、貴方は新たな選択肢に手を出し始めていた。

 

貴方は最近援交ではなく個人でのデリヘル業への移行を計画していた。

 

というのも客の家を転々としている今、客の住所バレなど今更であり、更にホテル代の浮くデリヘルの方がお互い楽なのではないかという事に気づいてしまったのである。

勿論3Pや家を汚したくないなど、ホテルでの情事を要望される場合はその限りではないし、貴方としても一日に1人しか相手出来ないというのは収入の面でマイナスであることも理解している。しかし貴方をものに出来ない事実に喘いでいる客にお金で上辺だけの関係を提供するというのは、ガチ恋勢達の不満を和らげることが出来るのではないかと思っての方針転換である。

 

勿論逆効果になるのではないかという発想はガチ恋勢駆除に成功し続けていると勘違いしている貴方の脳内にはなかった。人というのは成功体験の積み重ねで生きているのかもしれない。

 

そんなふわふわな発想で始めたデリヘル仕様だが、当然ママ活と合わせて昼からの貴方を次の日まで独り占めできる権利をぶら下げられた夏の干物達の食い付きは凄まじかった。特に普段そういった事にあまり興味を示さない舞子さんや衣紀さん達までこぞって手を挙げたのがその破壊力を物語っていた。

事ここに至って貴方は内心やっちまったかもしれないと思いながらも吐いた唾を飲む訳にもいかず、バイト終わりや休みの日に客の家に出向く生活が始まったのである。

 

救いとしては、予防線として夏の間の学校への身バレ防止用のやり方と説明していた事だろう。これをもし平時に打診していたらと考えて貴方は身を震わせた。こうしてようやく貴方は自分の価値を思い出し、目を逸らした現実を再び直視したのである。

 

そして、このデリヘル事件で割を食ったのは義妹と三島である。一方は気まずい思いをしていたとはいえまさか朝帰りが増えて夏休みなのに接する機会が減るとは思っておらず、もう一方は自分はほぼフルシフトなのに誘った本人がたまに居なくなって援交しているという事への苛立ちである。三島については罰の面もあるが、義妹についてはとばっちりもいい所である。

貴方はバレているからといって何をしてもいい訳では無いという事を知らないのかもしれない。義妹は最近貴方が帰ってこないと分かった日は貴方のベッドで寝ていたりする。この世の闇は深い。

 

そういう訳で貴方は給仕と家事という何となく似ている事を主な仕事として夏休みを過ごすことにしたのである。家の家事をマスターした義妹への貴方の信頼度は青天井である。

本業やバイトで少しずつ垢抜けた装いをするようになった貴方の姿を見る義妹の心情は推して知るべし。

 

貴方は夏の思い出というものを軽視している。




次回はメイド喫茶での一幕を挟んで夏休みイベントを書こうかと思っております。
後やり方が分かったらアンケート設置するかもです。


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メイドとはココロのショサにあり

今日で9月が終わるって本当ですか?まだ真夏日終わらないのに?

それはさておき2ヶ月も放置して申し訳ありませんでした。


バイトのシフトを眺めていると、見慣れない名前が1人追加されていた。店長から増員の話は聞いておらず夏は忙しいから厨房を増やすのだろうかと思いながらも新人なら自分の初めての後輩になるのだしと思い、先輩たちに聞いてみることにした。

 

「あぁ、ランキング荒らしちゃん今年も来るのか。」

「太客増える機会になるけど取り合い酷くなるからキッついよなー。」

 

私の質問を聞いているのかいないのか、知っている人間だけで盛り上がって、しまいには直接会って確認した方が面白いからとろくな情報を得られなかった。分かったのは、夏休みだけ入る凄腕のキャストらしいという事と結構酷いあだ名で呼ばれてるのにあまり悪く言う人が居ないということだろうか。

 

年齢も顔立ちも性格もよく分からない人ではあるが、メイド喫茶の仕事は個人でやることの方が多いので会えばわかるよな、と自分を納得させてシフトが被る日まで気にしない事にした。勤続半年、社会にでたらスルースキルが必要なのだと私は理解し始めていた。

 

 

 

 

「今年もよろしくお願いします。」

「「「よろしくー」」」

 

ぽかんと呆気に取られる私を置き去りに、夏の顔合わせは和やかな雰囲気で進行していた。

 

「驚いたみたいで何より。」

 

1人の先輩がそう言ってニヤニヤしているのを見て、ようやく私も現状を理解した。男だ。男の子が居る。

 

黒髪に健康的な肌、夏服なのにきっちりととめられた学校の制服シャツのボタンは彼の人柄の一面を表しているかのようで、真夏でまだまだ暑いはずなのに男子1人居るだけでどこか清涼感を感じさせる。DKだ。清楚系の男子高校生が居る。

 

メイド喫茶に男の子が居る事にも驚きだが、こんな所にバイトに来て大丈夫なのか?店長の親戚とか?にしたって執事喫茶の方で働けばいいのでは?

私の脳内を様々な疑問が巡っては答えを出せずにエラーを起こす。行き着く答えは全て本人に聞け、である。

 

「では諸君。本日も一日頑張っていきましょう。何かあればバックヤードか電話で呼んで欲しい。基本伝票整理してるから静かに入ってきてね。」

 

では解散。という店長の言葉を聞いて皆ゾロゾロと動き出す。例の男の子――アサヒ君は店長に連れられていき、見えなくなった途端先輩たちの空気が弛緩したのが感じ取れた。メイド服を着ていない時は割とみんな動きにキレがないが、多少カッコつけたい気持ちもあるのか今日の緩み方の落差は一段とすごい気がする。

 

しかしあの子もメイド服に着替えて接客するのだろうか。店長の趣味を考えるとありえない話ではないが、女装男子はジャンルとしてはちょっとニッチな気もする。私は別に嫌いではないけれど。

背丈がそれなりにあって筋肉質な男子が女装して恥ずかしそうにする姿はサブカル界隈では探せばそれなりにあるジャンルである。はてさてメイド喫茶にそれを求める客はいるのだろうか。

 

着替えの間にそんな益体のないことを考えつつも、いつもより気持ち丁寧にメイド服のシワを伸ばしてさっさと着替えて出ていくと、アサヒ君は執事服に着替えて既にテーブルクロスの点検やらメニュー表の確認を行っていた。着替えなんかの支度は男性の方が早く済むことを失念していた私は予想外のエンカウントに虚を突かれつつも、取り敢えず開店準備を手伝いながら自己紹介と挨拶をする事にした。

 

「よろしくお願いします。先輩。」

 

にっこりと微笑む彼のそんな当たり前の言葉に自分の口角が上がるのを無理やり抑えて作った笑顔が歪だったかどうかは彼のみぞ知るところである。

 

 

 

 

「奥様、お久しゅうございます。お身体の方は大丈夫でしたか?今年は例年よりも暑いですから。暑いのは苦手だと仰っていたでしょう?ハーブティーには身体に籠った熱を和らげてくれるものもあるんですよ。」

「お帰りなさいませお嬢様。なんなりとお申し付けください。季節の菓子からちょっと特別なお料理までなんでもございますよ。」

「あぁ先生お久しぶりです。はい、今年もこちらで厄介になってまして。ええ。ええ。またお話を聞かせてください。店内は冷房も効いていますし今日は温かい飲み物と焼き菓子をお持ちしましょうか。」

 

くるくるころころとアサヒ君が表情を変え言葉を変えて接客をしている。その様子から新規の客と面識のある客とで対応を変えているのだろう事はよく分かる。実際呼び方一つ取っても呼ばれたお客さん達は満更ではなさそうな雰囲気である。

 

とはいえこれは異常だ。

まずここはメイド喫茶であり、執事服を着た男性が接客をしていることに騒がれていないどころか当たり前のように受け入れられて指名が入ることでワンストライク。

次にメイド喫茶に普段では考えられない数の女性客が来客している事実でツーストライク。

そして今日からバイトに入った彼が常連と接するように行動していることでワンナウト、バッター交代である。

 

確かに今日は大型ルーキーが来ると話は聞いていた。それが男性だとは知らなかったが、先輩たちが去年の夏も働いていた子が来る以外の情報を出さなかった理由が性別の事と思っていたから納得もいった。

 

実際滅茶苦茶ビックリしたし、店長は何を考えているのかとあの社交的な変態の思考を改めて疑ったりもした。でもまさか二段オチとは思わなんだ。

今日から一時的とはいえ自分よりも下が出来るのだと調子こいていた自分を叱りつけたい気分だ。あとバイトが男の子だと分かって侮っていた自分も。

 

このメイド喫茶は歩合制である。基本給こそあるが、お客さんがお金を落としてくれないと稼ぐのには向いていない額に思われる。とはいえ少なくない回数指名から溢れてしまった客の相手をする事もあり、新人だから指名がないからと歩合給を貰えない事はほぼ無いのが現実である。

しかしそれだけに数字というのは明確な力関係の指標になるのだ。先輩後輩なんのその。数字が出せるやつが偉い、それがこのメイド喫茶なのである。

 

何が言いたいのかと言うと、初めてできた後輩に初日で敗北を喫した私の肩身は限りなく狭いということである!

 

「先輩、大丈夫ですか?お口に合いませんでしたか?」

「ん、いや、美味しい。お世辞抜きでかなり美味しい。」

 

彼の働きぶりを見ていたという事は私のシフトも彼と被っているということであり、当然こうして彼の昼休憩が私のそれと重なる事も予見できる話であった。

 

このバイトには賄いもついている。

なんのかんのと言えどもここはメイド喫茶。オムライスやナポリタンの材料は置いてあるので、賄いとして各自ある程度自由に使っても良い事になっており、そして料理番は気分のノった人か、1番のペーペーが作ることになっている。

 

「ナポリタンは少し自信があるんです。違うバイト先で教えてもらって。」

 

先程は初日で負けたと言ったが、売上云々が分かるのは次の日である。店長がウキウキしながら日々のランキング表を作ってはバックヤードに貼り出すのである。

つまり現時点では彼のランキングは存在しないのと変わらないである。それ即ち明らかに格下の私相手であっても彼は文句一つ言わず今日知り合ったばかりの女のために手料理を振る舞わなければならないのである。

 

正直二つの意味で美味しいイベントではあるのだが、今はそうとも言ってられない。どうにも尻の収まりが悪いのだ。肩身が狭いばかりか申し訳なさから気まずすぎて息が詰まりそうである。

くそっ、しかし美味いなこのナポリタン。

 

「元々卵は後で半熟の目玉焼きを落とす派だったんですけど、バイト先で美味しいナポリタンを食べてからはもっぱらスクランブルエッグを下に敷く方が美味しく感じるようになりまして。」

 

少し失礼かなと思うくらいジロジロと視線を向けているのに気づいていないのか彼――アサヒ君は気にした風もなくナポリタンを消費しながら雑談を続けている。それに適当な相槌をうちながら詰まりかけたナポリタンをお茶で流す。

 

息が詰まるってがっついてるって意味じゃないんだよなぁと頭の中で緊張している自分にツッコミを入れて少しだけ落ち着かせ、先輩風を吹かさずかつ年頃の男子の気に障らない話題を脳内で検索をかける。

自分とさほど歳が変わらないとはいえ正直深く接したことの無いタイプの男子なのでちょっとばかり不安なのだ。それに午前中の接客を見ている限り見たままの性格とは思わない方がいいだろう。意外と腹黒くて処女を馬鹿にするような、同性の友達を自分の引き立て役にするような、最悪そんなタイプの可能性だってあるのだ。

 

こういうのは男性慣れしてる先輩達が切り込み隊長やればいいのに…いや、去年してるから何も知らない私を面白がって同じシフトに回されたんだろうな。たぶん。

 

「去年も来てたみたいだけど、どうしてここに来たの?」

 

引き抜かれて来たということは何となく聞いているが、細かい事は先輩達が教えてくれなかったのであまり知らない。

 

「元々店長の知り合いがやってる執事喫茶でバイトしてて、なんで目に付いたのか知らないですけど接客中にいきなり『(`✧∀✧´)君にはメイド服が似合う!』と言われまして…。」

「へー。」

 

驚きは少ない。だって店長だもの。そのくらいは平気でやる人だし、なんならメイド服持って突撃かまして職質受けるくらいはしそうだ。

アサヒ君の口に付いたケチャップソースが口紅みたいでちょっとエロいなーというアホな思考を(おくび)にも出さず話を促す。

 

「俺としても前の職場はあんまり肌に合ってなかったのでバイト辞めるにしても別のところ探すつもりでして。」

「渡りに舟だったんだ。」

「まぁ、それが引き抜きだって知ったのは帰る時間にメイド服持って襲撃受けた時なんですけども。」

「まじかよ店長。」

「マジです。」

 

フェチズムここに極まれり。いつか痴女で捕まる日も近いなとバイト先消滅の可能性を胸に留め置いておく。

 

「メイド服は断りましたけど実際俺にはメイド喫茶の方が向いてたみたいです。稼がせてもらっているので店長には感謝してますし、人を見る目についても信用してます。」

「警察に通報はしなかったの?」

「いや、まぁ。驚いてする暇がなかったのもありますけど、あぁいうマニアックなタイプの知り合いも居たのでつい。」

 

どんな知り合いか気にはなったがそこまで踏み込むのは失礼だろう。いやしかし話してる限りだと普通にいい子だな。

 

「してもらってばっかも悪いし私洗い物くらいするよ。」

「…じゃあお願いしますね。ありがとうございます先輩。」

 

返ってくる反応も別に普通の域を出ない。いや、ちょっと気遣われたかな?なんにせよまともそうな新人で安心した。

アサヒ君はそのまま休むわけでもなく指名があったのかフロアに戻っていく。

それを見送って、私は皿を洗いながら今日限りになるであろう男の子の手料理の味を思い出してちょっと惜しいような気持ちになった。

 

実際は昼が被る度に賄い当番を代わってくれて先輩たちからシフト変更要求が来るようになるのだが、このときの私はまだ知らない。




ちょっとベッドに縛り付けられておりましたが私は元気です。
入院とか色々ありましたが命に別状はなく執筆の方も続けられそうです。エタったんじゃないかと心配させてしまった方には申し訳ありませんでした。今日からまた更新再開しますのでお付き合いいただけると幸いです。

ストーリーの方はリハビリ含め今回の箸休めのバイト回を挟んで次から水着回(仮)です。ひと夏の思い出といえば海かなぁと思いまして。
夏のイベントといえばこれ!みたいなところありますよね。


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