マキマと友達になろう! (鹿手袋こはぜ)
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誘い

 マキマとは同期だった。銃の悪魔が世界をめちゃくちゃにしたあの日、私は公安に拾われデビルハンターとして生きるようになった。経緯は憶えていない。あの日以前のことも覚えていない。ただ確かなのは、マキマと私は公安での研修を共にした同期だということだ。

 

 ~ 一ノ瀬ヨツナの遺書より一部抜粋 ~

 

 

「チェンソーん悪魔ぁ?」

 

 張り巡らされたバリケードテープを踏み抜け、緊急事態に溢れ返った雑踏で鬱陶しげに返事をした。周囲の騒がしさから語勢を強めたが、自然と携帯電話を握る手にも力がこもった。すると隣に並んでいた後輩が警告をするような目つきでこちらを睨んだ。これで何度か携帯電話を壊したことがあるから、あまり良い顔をしないのだろう。

 私は立ち止まると、周囲を憚るように口を小さくすぼめて「ほんで?」と尋ねた。すると平坦な言葉遣いで電話の向こうの彼女はこう言った。

 

『回収に行くんだけれど、ヨツナの力が借りたくって。どう?』

「どうって、そない簡単に言われてもなあ……」

 

 口から出るのは自然とため息だった。遠慮がちに視線を揺らめかせると、横目に映るのは悪魔の死体だ。

 

「うちも仕事や、それも京都。そっちは関東やろ? すぐには行けん」

『京都か……』

 

 彼女は残念そうな声色で呟いた。あんまり見ない反応だったから、少し意外で言葉を続けた。

 

「そっちでどないかならんの?」

『うーん』

 

 電話の向こうで数秒考えてから、『できないわけじゃない』と一言、彼女は告げた。

 聞いて私は安堵したようにこう返した。

 

「ほなええやん。うちいらんやろ」

『……あまり人員が割けないから少数精鋭の方が助かるんだけどね。それに機密事項だから身内じゃないと』

「機密事項? 変なん巻き込まんといてや」

 

 私が冗談っぽく言うと、マキマは相変わらず大人しい反応を見せて、それから電話の向こうで数秒考え込んでから『最近ゾンビの悪魔を確保したから、それを使うことにする』と言い、『また飲みに行こう』とだけ言って電話を切った。ほんま自由なやつ。

 

 こうして度々電話はかかってくるが、今となっては空にしたビールジョッキの数より「飲みに行こう」と言った回数が多くなってしまった気がする。マキマは中間管理職だし、私は使いっ走りだし。お互い良い人生じゃないなと口角が上がった。

 

 右手だけ使って器用に携帯電話をポケットへ収納し、空いた方の手でタバコの煙を吸った。再び歩き出して、フワリと前に煙を吐き出した。

 

「……にしても、チェンソーん悪魔なあ」

 

 彼女が度々意味ありげに話す悪魔の名前。その正体、能力、未だ解らぬものばかりであり、聞いたことすらない名前だったから存在さえ疑っていたが……発見したうえ回収ときた。悪魔に対する一般的な処置の“討伐”ではないことからして、なにやら妙案であるらしい。それなら私が戦力として呼ばれるのにも納得できる。

 そいつが悪魔退治に有用な悪魔なのか、知性があって協力できるのか、それとも別の理由があるのか。……近頃本部の方では悪魔や魔人を編成した部隊が実験的にではあるが動いていると聞く。もしかすればチェンソーの悪魔とやらは知性の高い悪魔なのかもしれない。交渉は彼女の得意分野だろう。となれば私が負わされることになりそうだった役目というのはあくまで護衛、あるいは保険ということか。

 

(せやったら少数精鋭っちゅうんも納得いくなあ……大人数で行っても、警戒させてまうだけやし)

 

 そんなことをおぼろげに思いながら、煌々と灯るタバコの火を指で消し潰した。

 

「……まぁ、今は仕事や」

 

 考えることは多いが、彼女がこれから仕事だというのなら私もこれから仕事だ。もっとも、既に半分は終えたと言ってよいのだが。

 眼前に広がる光景にため息をこぼしながらも、その血溜まりに踏み込んだ。

 

「あぁ~なんやこれ? 広島風お好み焼きの悪魔とちゃうか」

「ちゃいますよ。……広島風とか言うてたら怒られますって」

 

 交通規制の掛けられた道路の上には、焼きそばのようにちぢれたハラワタが大量の血と共に散乱していた。随分な惨状だ。これが人の血なら大事件だが、しかしそうではない。

 私はロングコートと携帯電話を部下に預け、靴が汚れるのを気にすることなく血だまりの奥へぐんぐん進んでいく。腕まくりをすると傷一つない真白な細腕が太陽光を反射した。それからぐっぱーぐっぱーと大袈裟に指を動かし、身体の調子を確かめる。

 そうしてやっと、慣れた手つきでナイフを取り出し握れば、華奢な腕を深々と怪物に突っ込んでやった。

 

「うぇ、ようやりますわ」

「あほ。こんぐらいできやんで、なにがデビルハンターや」

 

 軽口を叩きながら数度ナイフを動かす。堅い膜を切ると、熱く粘性のある血液が噴き出した。さらに奥に手を伸ばすと、強い反応を手の内に感じた。肉塊ごともぎとり、それを胸の前までぶっこ抜いた上で検分する。ぐにゅぐにゅとして妙に弾性があるのが気持ち悪い。なるほど、今回はそれなりにあるようだった。ぐちゅぐちゅと指先を回すと堅いものに触れる。

 

「ほれ、銃の悪魔の肉片や」

 

 小指の先ほどしかないそれを摘出し放り投げると、後輩が慌てたように身を乗り出して宙を舞う肉片を掴んだ。

 それを見て大きな声で笑ってみせる。この程度なんてことはないのだと主張するように。

 

「クロやんナイスキャッチ!」

「ちょっ、真面目にやってください!」

「すまんすまん」

 

 血溜まりのなかを歩きながら全体の安否を確認しつつ、それぞれに命令を出していく。今回の仕事は『銃の悪魔の肉片の回収』に他ならない。いま公安が最も欲しているものを集める。私は肉片の回収を専門とした内閣府直属のデビルハンターだった。




 主人公の容姿
 髪型はローポニーテール(ポニテを下の方で結んだ形)。髪色は黒。目つきが悪く、慢性的な睡眠不足から目の下に隈ができている。銀縁の丸眼鏡をかけている。
 体格は小柄で、スーツの上からロングコートを羽織っているが、服に着られているという印象が強い。ポケットにはライターとタバコを常備している。

 黙ってると、めっさ暗そうで怖そうな人……。
 続きはでき次第アップロードします。


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うどん

 一番古い記憶は、十数年ほど前に見た暗い空だった。銃の悪魔が人を虐殺したあの日以前の記憶が私にはない。ただ胸の中に空いた空洞と虚無とが急速に私の心から熱を奪っていったのを覚えている。それからの記憶も、あまり確かじゃない。

 ただ悪夢のようだった。夢の中では声が聞こえた。私は生きることを強く望んで、そのなにかに縋った気がする。次に目覚めたのは病院だった。

 

 ~ 一ノ瀬ヨツナの遺書より一部抜粋 ~

 

 

「ほな前のあれはカルパッチョの悪魔か。けったいなもん*1やな」

「そーですね」

 

 前にマキマから連絡があって一週間が経っていた。チェンソーの悪魔とやらを確保するためにゾンビの悪魔をけしかけることにしたらしいが、首尾はまだ聞いていない。失敗こそないだろうが、チェンソーの悪魔という単語にどこか耳障りを感じる私はそれをただの些事と切って捨てるのが難しかった。

 

「次は東京ですか」

「せやな。まあ今度は悪魔退治とちご()うて、肉片の移送やけど」

 

 肉片は肉片同士くっつく性質があり、大きければ大きいほどその性質は高まる。それは銃の悪魔の再生能力が働いているからなのだという。だからとにかくたくさんの肉片を集めて、大きくして、本体に引き寄せられるのを待とうというのが、今のところ銃の悪魔に対して講じられている作戦であった。

 そのため、月に一度、私が集めた銃の悪魔の肉片は東京の本部に送られる。どれくらいの肉片があれば銃本体に反応するのかが分かっていないため、できるだけ一箇所に集めて大きくする必要があるのだ。

 

「今月はぼちぼちやったなあ」

「まあ死人が出やんかったんで良かったです」

 

 四人乗りの軽自動車。運転席には京都公安の天童が。助手席には同じく京都公安の黒瀬が。そして後部座席にはジュラルミンケースに入れられた銃の悪魔の肉片いくらと、私。

 ひと月の仕事を終えた私達は、京都公安で保管していた肉片を抱えて山の中を走っていた。全く取れない月というのはほとんどないので(一欠片だけ、みたいなのはよくあるが)、実務報告も兼ねて毎月本部に出向いている。

 郵送でもいいのに、と思わなくはないが、お上の言うにはそれじゃダメらしい。

 

「しっかし、うちらが行く必要あるんかいな」

「こういうんは形式が大事なんです」

「はあ~お役人さんは大変やね」

 

 気まぐれに窓の外を眺める。少し前からずっと山が続いていた。ここを越えるとすぐ都心に出るのだが、それまでが少し退屈だ。

 京都公安の二人は私の直属の部下ということになっていた。形式上は異なるが、車が使えてある程度実戦ができて、それで面識があったので研修という名目で共に仕事をしている。前任は一年ほど前に私とは関係のない案件で死んでしまったので、実はここ最近新しくできたチームである。

 銃の悪魔の肉片を集めるために、日本各地を回る。車でのこうした会話も、既に何度も繰り返したやり取りだった。

 

「この先にパーキングエリアがあるので、そこ寄ってお昼食べましょか」

「ええな。タバコも吸いたいし、グッドアイデアや」

 

 しばらく走らせると見慣れた人工物が見えた。月に一度、東京へ向かう際は必ず寄っていたパーキングエリアだ。

 

「うどん食いたいな、うどん」

「うちもそれで」

「じゃあ、俺は……」

 

 経費でアイスも食べちゃおうかな。そんなことを考えながら奥の駐車場に進むと、なにやら騒ぎが聞こえた。見慣れた格好の人影も見える。あれは……。

 

「デビルハンター? なんでこんな山奥に。……回線来とったか?」

「いえ、連絡はなんも」

 

 直接話を聞いた方が良さそうだと、駐車場の手前で車を降りて彼らの方に急ぎ足で向かった。すると、思いがけず見知った顔に出会った。

 

「おお、マキマやん。なにしてるん?」

「……奇遇だね」

 

 こちらを振り返った彼女は、少し驚いたように眉を上げたが、それ以上の反応は見せずに落ち着いた雰囲気で受け答えをした。だが、少し表情に陰りがあるように見えた。

 私は気になって、マキマに尋ねた。

 

「どないしたんや」

「うーん……チェンソーの悪魔って言えば分かるかな」

 

 あまりものを語りたくなさそうに首を傾げて言った。

 

「前()うとったやつか。どうなったん」

「それがね……」

 

 マキマは思案顔で答える。

 

「見たほうが早いかも。最悪ってわけじゃない」

「ほーん」

 

 彼女の視線の先を追うと、派手に破れたフェンスが見えた。一見取り逃がしたようにも見えるが、そういうわけでもないだろう。なぜなら誰かを追走に出したような様子も見えないからだ。

 

「応援いりますか」

 

 と、あとからやってきた黒瀬がマキマに訊いた。

 

「いや、大丈夫だよ黒瀬くん。怪我人がいるけど救急車はもう呼んだし。……あ、どうも」

 

 屋台の店員からフランクフルトを受け取ると、マキマはそれを物寂し気な表情で見つめている。訳アリといった様子だ。

 

「……ま、ひと段落するまでうちらもここおるから。おっちゃん! うどん三つ!」

 

 あいよ、と元気な声が聞こえた。緊急事態というわけでもないらしいし、仮になにかが起こった場合でも万全の対応がとれるよう、腰を落ち着けて休んだ方がよさそうだった。

 不安げな顔をして後輩二人が私の顔を覗いてくる。「ええよええよ」とつぶやくように言いながら、近くの席に座った。そんな折である。

 フェンスの向こう側に人影が見えた。胸元からは奇妙にもコードのようなものが垂れ下がっていて、チンピラみたいな金髪をしている上裸の青年。背中には幼い少女を背負っていて、彼は今にも倒れそうなくらいおぼつかない足取りで歩いていた。マキマは彼と数度会話を交わしたあと、タイミング良くやってきた救急車に女の子とそのお父さんを乗せ、彼を連れてこちらにやってきた。

 

「紹介するよ。こちら一ノ瀬ヨツナさん。彼女もデビルハンターやってる」

「どーも」

「ん」

 

 うどんをすすっているところだったので、勢いよくすすり切って彼の顔を見た。不安と嬉しさが交った、おかしな顔だった。

 

「マキマとは同期や。よろしゅう」

「こっちはデンジ君。わけあって公安で働くことになった」

「うっす、デンジっす」

「デンジくんか。腹減ったら言いや、ようさん食わしたるさかい」

 

 そう言って、再びうどんをすすり上げる。ずるずるという音が魅力的だったのか、彼は顔を明るくしてこう言った。

 

「うどん! うどん食います……!」

「元気やなあ」

 

 見ると、机の上に一杯のうどんが置いてあった。私たちが食事を始めるよりも前から置いてあったうどんだ。すっかり伸びきっているのではないかと思われた。

 

「マキマ、それやるん?」

「伸びちゃってるけど、どうする? デンジ君」

「食べまアす!」

「健気なやっちゃ」

 

 その後いくらかやり取りをして、デンジくんはマキマにうどんを食べさせてもらっていた。あまりにも嬉しそうに彼が食事をするので、幼い顔つきの彼がさらに幼く見えた。

 

「で、話の続きやけど」

 

 デンジくんを一瞥してから、言葉を継いだ。

 

「魔人にしちゃあ頭は普通やな。ほな悪魔か? それにしては知能が高いようには見えんけど」

「彼はチェンソーの悪魔になれるんだよ」

「はあ?」

 

 彼女の発言に、つい怒気をはらんだようなうなり声が出た。怒っているわけではない。ただ「どういう意味?」と訊いているだけなのだ。

 長い付き合いだからか、彼女もそれは理解しているらしく、デンジくんにうどんを与えながら丁寧な言葉づかいで説明してくれた。

 

「デンジ君はチェンソーの悪魔と混じってる……。たぶん契約したんじゃないかな。彼からは匂いがするから」

「ふーん……」

 

 訝し気に彼を見つめる。何度か目が合って、そのたび彼は気まずそうに汗をかきながら視線を反らした。

 

「処分は?」

「うちで働くことになったよ。彼のような例は珍しいからね。特別措置」

「安全面は大丈夫なんか?」

「なにかあったら、しかるべき措置をとるよ」

「ほーん……」

 

 空を見上げる。彼のような状態は、前例がないわけじゃないが、珍しい。危険因子として切って捨てることもできなくはないが、マキマが面倒をみるというのなら余計な手出しは無用と言える。

 一つ離れた席でそば耳立てていた後輩二人が緊張した顔つきでいたので、私が余裕な態度をとりつくろうためにタバコに火をつけた。

 

「これからどうするん? 本部行くん?」

 

 マキマは私の言葉に頷いた。

 

「うちらもや。ま、キミみたいな例はないわけやない。せいぜい気張りや」

 

 私は席を立つと、デンジくんの背中を叩きに行った。肌が見えていたのでポンポンと叩く程度だったか、彼はうどんでむせていた。

 

「ほな先行くわ」

「ヨツナは、しばらく東京にいるの?」

 

 後ろでマキマが訊いた。

 私は首を横に振ってから彼女のほうを向いた。

 

「や。東北のほうで仕事や」

「そう。残念」

 

 おそらく飲みにでも行きたかったのだろう。酒好きは相変わらずかと、近くまで寄せてきた車に乗り込んだ。

*1
「変なやつ、おかしなやつ」という意味



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ナス科

 銃の悪魔の肉片回収。お題目は立派だが、要は体のいい口減らしというのが職務の実情だった。多数の死者が予想される案件に扱いづらい人間を向かわせて、あわよくば悪魔に始末してもらおうという人とは思えない思惑がそこには秘められている。まったく、敵か味方か分からない。もっとも私は十数年間死に損なってきた。

 

~ 一ノ瀬ヨツナの遺書より一部抜粋 ~

 

 

 マキマと別れ、本部に肉片を届けたあと、息つく暇もなく私たち三人は東北地方に車で向かった。飛行機くらい使わせてくれてもいいのにと思う。福利厚生がしっかりしているとはいえ、私のような厄介者に与えるものはないということか。

 

 内閣府直属とはいえ、悪魔退治の総本山が公安である以上私に対する指揮権は公安にあった。だから西から東へ東から西へと、私に対してあれこれ出されている指令は公安の意志である。

 全国各地を巡り、公安の手を焼く悪魔を退治するのが私の仕事だが、それにしたって人使いが荒い。悪魔の発生は不定期なので比較的暇な時期もあるが、少なくともここ数週間は働きづめだった。

 

「今度は宮城ですか」

 

 カーナビの設定をしながら天童が言う。私は小さく頷いてからため息を吐いた。

 

「これ終わったら、どっか遊びに行こか。有給余っとるやろ」

ええ(良い)ですね」

「ほなウチが申請出しときますね」

 

 彼らとは休日も共に過ごすことが多かった。急務が多いからだ。二人の時間を拘束しているようで申し訳ないと思うが、彼ら以外に私の世話を見てくれる人間がいないのですっかり頼り切りだった。

 私に良いうわさがないから人がつかないというのはある。私の面倒を見てきた人間は、私のいないところで死んでいった。デビルハンターという職がそうさせたのだろう。

 

 私は後輩に対する庇護欲が強い。彼らが戦場に立たなくてもいいように一人で戦い、結果として彼らは実戦経験が減り、私のいないところで悪魔と戦って死んだ。デビルハンターはもとから短命な職種だが、私の後輩は悪魔を倒すこともままならず死んでいくことが多かった。

 そして、銃の悪魔の討伐を志す公安のデビルハンターは犬死を嫌う。だから誰も、私の元につこうとはしない。

 だが黒瀬と天童はそこが少し違った。彼らは復讐だとかでデビルハンターを選んだわけではないようなのだ。安全なら、それが一番だと。彼らは私に守られることを選んでくれた。だからこうして一年以上も付き合いが続いている。悪い気はしなかったが、それでもできるだけ先のことは想像しないようにしていた。

 

 揺れる車の中で少し眠った。夢は見なかった。少しして、肩を揺すられる感覚と共に私を呼ぶ声が聞こえた。

 

「ヨツナさん、着きましたよ」

「お、そうかあ」

 

 あたりはすっかり夜だった。天童は車の運転が続いていたので先にホテルで休むように言った。基本的に戦うのは私だけなので、保険で黒瀬がいれば十分なのだ。

 今度は宮城公安の車に乗せられて、私は悪魔がいるという場所に向かっていた。

 

「んで、情報は?」

「建物ん中におるんが二体、屋上に一体やゆう(言っ)てはりました」

「なんや多いな」

「徒党組んではるらしいです。前々から追っとったらしいんですけど、ええとこで他の二体から邪魔くらうゆうて愚痴ってはりました」

 

 ふーん……チームを組んでいる悪魔は少ないものの存在する。大抵は思想だったり力のシナジーが合うだとかで意気投合しているのだが……しかし三体とはなおのこと珍しい。それも連携が取れているということは、個々が知性を有しているようだった。

 

「屋内におるんがピーマンの悪魔、しし唐の悪魔。屋上はトウガラシの悪魔やそうです」

「全部ナス科やないかい」

 

 呆れた声が自然と口から漏れた。聞く限り、強そうな名前は聞こえてこない……強いて言うなら苦かったりからかったりするので恐れられてるのかな……という苦し紛れの稚拙な想像が限界だった。

 

「一応、応援は来てくれはるらしいんですけど。どないします?」

「建物の中入るんはうち一人で十分や。クロやんは外で待っとき」

「そーですか。ほんなら外で待機してますんで、なんかあったら連絡ください」

 

 そうこうしている間に着いたらしく、ツタまみれの鉄柵の向こうに、やけに雰囲気のある工場が見えた。人の出入りは長いことなかったのだろう。草木は伸びきっていて、人工物は全て朽ちていた。

 

「ほな行ってくるわ。一時間経っても帰ってこんかったら……そん時は……うちの代わりにみっちゃんをよろしゅうな」

「はいはい、分かったんで、はよう行ってください」

「冷たいやっちゃな!」

 

 言葉を吐き捨てると、私は車の扉を強く閉めて柵の向こう側に足を踏み入れた。まあ、死ぬつもりなんて毛頭ない。一時間というのも大げさにに言ったつもりだった。だったのだが……。

 

「おらんなあ……どっか遠いとこ行ってもうたんちゃうんか」

 

 問題は始まってすぐ起こった。工場の奥に進むと開けた土地があり、そこに悪魔が三体群れをなしているのを発見した。先手必勝と考え、大振りで艶のある明るい色をしたやつに私は飛びついた。しゃくしゃくとしたみずみずしい音と共におそらくはピーマンの悪魔と思しきものを解体したところまではよかったのだが……どうにも、他の二体が逃げ出してしまったらしいと気づいてから雲行きが怪しくなった。

 

「どないしよ……一旦戻るか? クロやんのほうに悪魔が向かってる可能性もないわけやないし……」

 

 ぶつくさと物を考えながら、ピーマンの悪魔を細かく解体する。野菜だというのに血液がでるので、違和感が拭えない。臓物のようにとろけ出た種子が傷口から漏れ出るのを見て、「ここまで忠実にある必要ないのに」と、ため息をついた。

 

「……お、あった」

 

 私が肉片集めに駆り出されているのはただ強いからではない。別の理由が他にあった。

 手のひらのなかにある強い感触に、つい笑みがこぼれる。単純な握力で肉を引き抜いて、そうして目当てのものを摘出した。

 そう、銃の悪魔の肉片だ。

 

 生来私は肉片の位置をかなり正確に把握できた。具体的には、強い磁石が鉄に吸い寄せられるような、そんな反応を感じることができるのであった。

 この特異な体質と人並外れた身体能力から、私は肉片集めの任を受けた。今回はほんの小さな指先以下のかけらだったが、こんなかけらですら容易に発見できるのが私の強みなのだ。

 

「あと二体。ま、ぼちぼち探すか」

 

 屋上もまだ見に行っていないのだ。報告では、トウガラシの悪魔が屋上にいるのだという。さっきいた三体のうちの一体がそれだろうが、屋上が悪魔の根城である可能性も高いと踏み──また高いところからなら工場全体が見渡せるだろうから、取り逃した悪魔の捜索を兼ね──一度屋上に向かうことにした。

 

 雨風に晒されてすっかり錆びついた外階段を上っていく。屋内を進むのはほこり臭くってかなわないから外に出たが、一歩一歩踏み出すごとにボトルやらなんやらの跳ね飛ぶ音が聞こえてくるので、非常にスリリングな心持だった。それに外階段は外階段で錆びた鉄の匂いが鼻につくので、環境の悪さで言えば内も外も変わらなかった。

 

「はよ終わらせて寝よ。これ終わったら当分休みや」

 

 せっかく東北に来たのだから、このまま北海道まで行って海鮮料理に舌鼓でも打とうかと考えていたところで、ようやく屋上にたどり着いた。

 

「……ダウト」

 

 私の小さなつぶやきに、真っ赤なボディが振り向いた。おそらくはトウガラシの悪魔だろう。血のように真っ赤なそれは、怪しげな照りで闇夜に映えていた。

 私は階段の中頃に立ち、半身を覗かせてやつの様子をうかがう。

 するとトウガラシは憎しみで相貌を歪め、ドスの効いた声でこう尋ねてきた。

 

「……仲間をやったのはお前か」

 

 答える義理はない。階段を上がる勢いそのままに、体を上へ引き上げる腕力とバネのような脚力で飛び上がり、一気に距離を詰める。無意識に取り出したナイフを構え、タイミングを計った。しかし。

 

「ぬオン」

 

 断末魔か──しかしてそれは、合図であった。

 一直線に飛んだ私の下から、コンクリートを突き破って別の悪魔が現れたのだ。

 

「──ッ、きっしょいやつ!」

 

 間の悪いことに横っ腹に向けて頭突きをするように現れたので、とっさに身をかがめて胴体へのダメージを最小限に抑えた。

 ピーマンは下で倒した。トウガラシは目の前。つまりこいつはしし唐か。

 逆手に持ち替えたナイフをしし唐の頭部に深く突き刺す。こうすることでトウガラシの悪魔に向かっていた勢いを殺した。

 

「ほんま、きっしょいわあ」

 

 四肢の感覚があるのを確認しながら落下と共にしし唐へ膝蹴りを入れる。骨格がぐしゃりとゆがむのを感じて、良い手ごたえを感じる。

 

「生やからええ音するわ! 野菜はやっぱ茹でななァ!」

 

 しし唐にはかなりの致命傷を与えたはずだ。なら残るはトウガラシのみ、手だしをされる前にサクッと──

 

 そう思い、足に力を込めるが、思いがけずぐらりとよろめいた。

 

「……あ?」

 

 思うように力が入らない。見れば、右足が膝の先からなくなっていた。

 

「ああ~~?」

 

 ハッとなって、しし唐が空けた地面の穴を見やる。

 そこにはもう一体、倒したはずのピーマンの悪魔が何かをもさぼり食っていた。

 そんな馬鹿な、ピーマンの悪魔はさっき倒したはずじゃ……。

 

「よくやったな、パプリカ」

「はああ~~~~!? パプリカァ? そんなんありぃ?」

 

 

 

 〇〇〇

 

 

 

 遅い……遅すぎる。

 一時間で帰ってくると冗談交じりに笑っていた先輩が、柵の向こうに行ってから既に二時間が経過していた。

 あの人に限って、まさか……変な笑みがこぼれるくらいには、いま自分が想像していることはありえないことだと分かっていた。けれどつい考えてしまう。

 

「……どうします、応援に行った方がよさそうですかね」

 

 運転を務めていた宮城公安の職員が冷や汗をかいて尋ねてきた。どうにもうまく喉から空気が出ない。しばらくの沈黙のあとに、ようやく口が動いた。

 

「あの人が無理なら、俺ら二人じゃ絶対に勝てないです。一旦戻って、応援を呼ぶしか……」

 

 しかし、それだと先輩の生存は絶望的だろう。今から公安に戻って応援を呼んで……どれだけ早くても二時間は必要だ。つまり合計四時間もこの工場に放置することになる。

 それだと、まず助からない。

 

「……ち、ちょっと俺、行ってきますんで、応援呼んでください。先見てきます」

「無理ですって黒瀬さん! さっき二人でも無理って言ったの、黒瀬さんじゃないですか!」

 

 それはそうだが、しかし言葉で片付けられないものがある。あの人が死んでいるとは思えないが、だが、だが……。

 

「なに辛気くさい顔しとるん。誰かの葬式でもやっとるんか」

 

 聞き馴染みのある声。振り返って、つい大きな声で叫んでしまった。

 

「ヨ、ヨツナさん……! 遅かったやないですかっ」

「ん。ちょい手間取ってな。四体おったんや」

 

 ほれ、と血みどろになった手を出してくる。手のひらには小さな肉片が一つあった。

 それにしてもひどい格好だ。シャツは白いところがないくらいに真っ赤で、ズボンも右足のところが丸々ちぎれて裸になっていた。靴すら履いてない。

 

「ケガないですか?」

「ないよ。そんな失敗(そないなへま)しやんよ」

「そーですか。それは良かったです」

 

 ほっと安堵の息が漏れた。そんな俺の様子を見て、「あほらし」と彼女は笑っていた。

 そうして、用意しておいた濡れタオルで顔の血を拭いながら、先輩は人好きのする笑顔でぶいサインをした。



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先輩と写真と

前半は天童ミチコの視点。
後半から一ノ瀬ヨツナの視点となります。

一応説明ですが、黒瀬と天童は原作にも登場した京都組の男女です。


 ~ 天童ミチコ視点 ~

 

 

 

「in 北海道ぉ〜!」

「写真なんで、声出さんでええですよ」

 

 パシャリ。

 

 ヨツナさんが常日頃から持ち歩くものといえばタバコとライターとそれからカメラを加えた三つなのだと即答できるくらいには、彼女は写真が好きだった。ただ、風景を撮る趣味はないらしく、そういった意味では彼女の趣味が写真だとは言えないのかもしれない。というのも、カメラに収められた写真のうち、そのすべてが彼女を被写体としたものだったからだ。そしてその多くは、彼女の後輩と共に肩を並べて撮られたものだった。

 

 任務と称したお使いで現像した写真を彼女に渡したとき、一度だけアルバムを見せてもらう機会があった。男、女。みんな年若く、笑顔で、けれど私は彼らの名前も顔も知らなかった。とっくの昔に死んでしまった先輩たちの写真が、まるで遺影のようにアルバムに収められていた。

 ヨツナさんはアルバムの写真を懐かし気に見つめながら、写真に写る人物の顔を優しく指先でなぞっていた。私は彼女の意外な一面を垣間見たような気分になれた。

 彼女の心はひどく冷え切っているのだと思うことがある。よく笑うのは、彼女のそんな一面を隠すためだとさえ思う。けれど写真を見ているときの彼女は、その時だけは慈愛に満ちたようなほほえみを浮かべているのだ。

 

 そのうち、私と黒瀬の写真が見開き一ページを埋めるようになった。彼女はそれを見て、「こんなんはじめてやわ」と驚いたように笑っていた。笑う彼女の目は、アルバムの写真でない何か別の物事を見つめているようにも見えた。

 

「みっちゃん、もうちょい近う寄って」

 

 クラークの像の前で私たちは写真を撮っていた。ヨツナさんはいつも誰かと写真を撮りたがるので、こうして私が隣に立っていた。

 腰に回された手が、グイっと私の体を抱き寄せる。私の方が背も高いのに、彼女の腕は非常に力強く体を引き寄せた。

 

「俺とのツーショットはいりませんか?」

 

 カメラを構えた黒瀬が冗談めかして言う。

 するとヨツナさんがわざと偉そうな口ぶりで言葉を返した。

 

「しゃあない、あとで野郎とも撮ったるわ」

「嫌ならええですわ」

「いじけんなや。ほら、みっちゃん頼むわ」

 

 ムスッ。パシャッ。

 不満げに口元を歪めた黒瀬とのツーショット。

 彼がどうも嫌がるので、ヨツナさんが得意の腕力で彼を抱き寄せてのものだった。

 

「ほれ見てみい。クロちゃん半目やで」

 

 にやりと笑い、カメラに収められた写真を私に見せようとしてきた。すると黒瀬の眉根がひどく寄った。

 それを見て私は呆れたように「黒瀬のやつ嫌がってはりますよ」と返した。それでもヨツナさんは嬉しそうに笑って、カメラをポケットにしまい、「飯でも行こか」と駐車場の方に歩いて行った。

 

 有給で、これから先一週間は休みになった。私たち対銃課(公式な名前はない特殊な少数部隊であるが、今のところ銃の悪魔に対する具体的な対抗部隊がないため、肉片の回収に特化しているというだけでこう呼ばれてる)は言ってしまえばいくらでも替えが効く部隊であった。

 肉片の影響を受けて強くなった悪魔を撃退できるだけの力を有し、また肉片を素早く摘出できる人材が一人いるというだけで、それらは人材と時間をかければどうとでもなるものだからだ。

 

 あくまでもこの部署の存在意義は、一ノ瀬ヨツナという人物の保護・観察という面が強い。肉片の位置を感じ取れるという特異性や、最前線に身を置きながらも十数年間傷一つなく生き残れるような優れた戦闘能力をみすみす手放すほど政府はバカではなかったのだ。人員の入れ替わりが激しい公安で、一定の戦力がいる(あるいは人員の消耗を防げる)という点で彼女は有用だった。

 

 なので、悪魔退治という点で言えばそれなりの人員を割きさえすれば休みは安易に取れる。だがこのところずっと仕事が続いていたのは、ひとえにヨツナさんの仕事熱心な性質にある。彼女はとにかく働いていた。まるで食事をするみたいに悪魔を殺して、口元を拭うような軽い動きで肉片を奪い取った。それはあまりに洗練された動きで、それでいて彼女の非人間的な要素をありありと表現していた。

 

 だからそう、私は怖くなる。彼女のような人でさえ倒せない銃の悪魔は、いったいどれほど強いのか。

 彼女が死んだとき、その代わりを誰かが務めたとしても、私はそれに従ったところで未来がないような気がした。

 

「……どうしたん? 辛気くさい顔して。苦手なもんでも入っとったか」

 

 ヨツナさんの顔がふいに私の視界に入った。心配そうな表情で覗き込んでくる。

 

「なんでも食えますよ。ただ、めったに食えるもんでもないんで、じっと見てたんです」

「そーか。金あっても使える機会はほとんどないしなあ」

 

 私たちは海鮮料理が売りの食堂で昼食を済ませることにした。北海道に来たなら食べねばと、ヨツナさんが強く推したのでそうした。

 彼女はその小柄な体格からすれば意外なほどの健啖家で、普段から日本中を駆け回っているからだろうか、どこに行ってもおいしいお店や料理に連れて行ってくれた。この店も、誰かと来たことがあるのだろうか。

 

「ヨツナさん、その……」

 

 聞いてみようと思って、けれどすぐにやめた。彼女ならきっと不機嫌になることなく昔の後輩について語ってくれるだろうという直感はあったが、それはよしたほうがいいと同時に感じたから。

 

「なんや、どないした」

「いえ……あの、醤油、とってもらえませんか」

「おおええよ、そんなんで気い使わんでええよって」

 

 醤油瓶を受け取る。どうも、と言って自分のどんぶりにかけた。

 

「美味いわ。ようさん食いや」

 

 促されて、どんぶりに手を付ける。こうして三人で何かを食べるのは何度目だろうか。いつものことだから、もはや振り返って数えることもできない。

 ならあと、何度こうして食べられるのか?

 数えるような気にはならなかった。数えてしまえるのなら、それは悲しいことだろうから。

 

 

 

 ~ 一ノ瀬ヨツナ視点 ~

 

 

「ごっそさん」

 

 ぱちんと手を合わせた。食べ終わってしまったのが少し悲しいが、まあいい。名残惜しい気持ちを抑えて、私は箸を机に置いた。

 見ると天童がまだ食事の途中だったが、黒瀬はとっくに食べ終わっていたので、食後の茶ついでに今後のことを話すことにした。とはいえ、大したことはないのだけれど。

 

「これからのことやけど、一週間近く休みあるし──」

 

 言いながら、二人の目を見比べた。目が合ったのを確認してから続ける。

 

「どないする? うちは一回家帰ろう思っとるんやけど、二人もそれでええか?」

「一人で帰れます?」

「あほか。電車くらい乗れるわ」

「でも前、梅田駅で散々迷ってはったやないですの」

 

 ぎく。それを言われると何も言い返せない……。

 

「……悪いけど、家の前まで送ってもらえるか?」

「ええですよ」

「ほんまええ後輩持ったわあ」

 

 食事を済ませていっぱいになったお腹をさすりながら言った。あまり家には帰らないからか、私は電車(特に駅での乗り換え)が苦手だった。

 すると会話を聞いていた天童が水を一杯飲みほしてからこう言った。

 

「帰りは黒瀬が運転しいや」

「はぁ~えらい遠いな。ヨツナさんは免許持ってないんでしたっけ」

「もっとったけど、仕事しとったら免許更新行くの忘れて失効した」

「こわー、仕事熱心は今も昔も相変わらずですね」

 

 冗談めかして黒瀬が言った。仕方ない。そもそも車は誰かが運転してくれるし、緊急事態に陥って私が運転するしかない状況になってもそのような緊急事態で交通安全を取り締まる警察はいないのだから。身分証明だって公安の手帳でこと足りるのだ。

 

「せや、帰りは東京寄って、観光しませんか?」

 

 と天童が提案した。

 帰りは黒瀬と天童の二人が交代で運転するのだし、特に予定もないので私は彼女の提案にゆったりと首を縦に振って「ええよ」と返した。

 

「でもその前に」

 

 私は席を立ち、二人よりも高い目線から見下ろしこう告げた。

 

「今夜は蟹や! 蟹食って、旅館泊まって、ほんで帰ろか!」

 

 蟹は良い。めったにお目にかかれない代物であるし、どうせ本場にいるのだから、食べないという選択肢はない。

 若者の休日らしく、私たち三人は店の迷惑にならぬように静かにこぶしを掲げた。



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夜と女

 夜の東京は騒がしい。不夜城と呼ばれるのも良くわかる。ネオンの光がぼんやりと網膜に焼け付くこの感覚が、私はどうにも好きだった。

 

「田舎か都会か。ウチは断然都会のほうが好っきゃな」

「そうなんだ」

「……なんや素っ気ない返事やな。都会は嫌いか? 美味いもんようさんあるし、人が賑やかで、ええやんか」

 

 隣を歩くマキマは顎に手をやって考えるそぶりを見せた。なにか返事をしたようにも見えたが、喧騒にかき消されて私の耳には届かなかった。

 

 聞き返すのも面倒に思われたので、私はそのまま話し続けた。

 

「ウチは田舎はよう知らんから、都会の良さだけ目に入っとるいうだけなんかも知らんけど……マキマもそれは変わらんやろ」

「かもね。でも私は田舎がいいかな」

「ほーん」

 

 マキマの方を見やると目が合った。怪しげな光が夜のネオンを反射していた。

 マキマは前を見やると、つかつかと足早に進んでいった。私が隣まで早足で追いつくと、それを認めてこう言った。

 

「都会にはヨツナがいるから。だったら私は田舎にいるよ」

「……なんやそれ。ウチのこと嫌いなんか? えらい遠回しな言い方するなあ」

「そういうことじゃない」

 

 マキマはきっぱりとした口調で私の言葉を否定した。でも、だったらどういう意味なのか? 私はそれが気になって、再び尋ねた。

 

「ほんならどういう意味なん」

「都会はヨツナに任せるってことだよ」

「はあ?」

「悪魔はどこにでも現れるからね。別れた方が効率的でしょ」

「はあ~……」

 

 呆れた。ため息だかなんだか分からないが、大きな声が出したくなるような残念さが胸の中にあった。

 

「そういう意味やないゆうねん。どっちが好きか、の話やのに」

 

 不満げな目でマキマを見ると、また目線が合った。彼女のなんとも悪びれていない無垢っぽい目を見て、毒気が抜かれてまたため息が出た。

 

 なぜ私が夜の東京をマキマと二人で歩いているのか。そのわけを説明するのには今日の昼までさかのぼる必要があった。

 

 昼、北海道旅行の帰りに各地を観光しつつ、ついには東京観光に私たちはやってきた。東京の名を関しつつも千葉にあるテーマパークに行ったり、銀座で買い物をしたりと散財をすることで日ごろの鬱憤を晴らしていたのだ。

 

普段の堅苦しいスーツは取っ払い、おしゃれな恰好に身を包んで浮かれていると、ちょうど昼食を食べ終わったころになってマキマの方から連絡をよこしてきたのだった。

 内容を要約すると、夜に街で会えないかとのことだった。どこかで私達を見かけたのか、あるいは監視していたのか……なぜ東京にいることが分かったのかまでは私には分かりえないことだったが、しかしせっかくの誘いなのだからと、夜は自由行動ということにして一旦天童黒瀬の二人とは解散することにした(黒瀬は東京に彼女がいるらしいから、折角だし会いに行けとも言った)。

 

 そうして私は一人でマキマと夜の街で話をしているのだった。

 

 こうしてくだらない話をするのが嬉しくないと言えば嘘になる。

誘いの文句は話をするだけ、みたいな言い方だったが、どうせ飲みにも行くのだろう。東京は美味しいものがいっぱいあるし、マキマはこう見えて美味しいものを食べるのが好きだから、きっといいお店を知っているに違いない。

 

 それに、こうして飲みにいくのは久しぶりだ。研修時代はよく飲んだが、私が関西の方に行ってからは会う機会も少なくなってしまったから。

 

「しっかし、こうして歩くんも久しいなあ」

「ここら辺も随分変わったね。前はあんな店あったっけ」

「憶えてへん」

 

 マキマは仕事終わりにそのまま待ち合わせ場所までくるとのことだったので、彼女に合わせて私もスーツに着替えていた。まるで仕事帰りのサラリーマンみたいだが、私に限って言えば今の服装はすこしぎこちないものだった。

 

 そんな私のぎこちなさを察してか、あるいは偶然か。心地よい沈黙の最中、マキマはこんなことを訊いてきた。

 

「そうだ、仕事の話なんだけど」

 

 露骨に嫌な顔をした私の意に介さずマキマは続けた。

 

「最近、デンジ君が悪魔に襲われて……忙しいのは分かってるけど、応援頼めないかな」

「……デンジくんってーと、あのデンノコ少年か」

 

 私が反応すると、「そう」とマキマは言葉を継いだ。

 彼は確か、前に山奥のパーキングエリアで出会った半裸の少年だ。あれから公安に所属することになったと聞いていたが、首尾はどうだろうか。

 

「彼の心臓がなぜだか悪魔に狙われている。それはなにかしら悪魔側に有利な事柄なんだろうと思う」

「……ふーん」

「だから彼の護衛を頼めないかな。面識もあるし」

 

 私は少し悩んだ。彼とは確かに面識があった。あのチンピラ風な少年と少しながら会話もした。完全な悪ではない、少し教養が足りないだけの至って普通の好青年という感じだ。

 だが、だからこそ疑問が残る。

 

「デンジくんは公安で上手くやれとるんか?」

「問題行動は多いけれど、それ以上に成果を上げている。だから上も簡単には手を出せない」

 

 …………。

 

「デンジくんの心臓が狙われとるんは、その心臓がチェンソーのもんやからやろ。ほな、さっさと彼を殺して、心臓回収したらええんとちゃうんか」

「それはできない」

「なんでや? しょーもない情なんかもったらあかんで。ウチがやろか」

「大丈夫。もしそのときが来たら、ちゃんと私がやるから」

 

 意外な一側面を見たような気がした。

 マキマが誰かに情を持つなんて。そう見えるだけなのかもしれないが、デンジを生かすことにメリットよりデメリットの方が大きいと感じる私は、彼女を訝しむほかなかった。

 

 だから訊こうと思った。妙に肩入れしている気がしたので、そのわけを暴こうと思った。そのために、なんて訊こうか言葉を考えあぐねていると、マキマは早足で歩きながらこう断言した。

 

「彼はチェンソーの悪魔になれる」

「……なんて?」

「今はまだ何もかも未完成だけど、けど私に任せて。ヨツナもきっと、私のしようとしていることが分かる日が来るよ」

 

 釈然としない説明だった。理解もできない。

 ただ、そう言うのならそうなのかと、諦めのような気持ちがこれ以上疑問を追求するのを妨げた。なにより、同期が珍しく熱心になっている事柄に、好奇心をもってしまったのかもしれない。

それにもともと彼は彼女の下に所属している。私がとやかく口出しすることでも、ましてや殺処分などと手を出していい事柄ではなさそうだった。

 下手なことをすれば、こちらがやけどしてしまう。そう思って、ふざけたように手のひらを頭のあたりで揺らめかしながらこう返事をした。

 

「ほなデンジくんに関しては任せるわ。……あと、応援の件やけど、私やのうて上の人に言うて。それから部下もいるから、黒瀬と天童の分も自分で申請出してな」

「……やっぱりそうだよね。やだなあ、京都。お偉いさん、怖い人ばっかりだから」

「ウチもついてったるやん。これでも顔は広いで」

 

 物憂げな表情をするマキマの背中をパシンパシンと二度叩く。

 そうしてやると、珍しくマキマは微笑んだ。

 

「中間管理職は辛いなあ。愚痴聞くで」

 

 ……しかし、さっきからそうだが、なんだかマキマの歩くスピードがいつになく速い気がする。

 

「なんや急いどるんか? 飯は逃げへんぞ」

「いや、そうじゃなくって。このあと約束があって」

「はあ?」

 

 思わず立ち止まって、マキマに訊いた。

 

「ダブルブッキングかいな。ウチの晩飯どうなるん? 飲みは?」

「? お酒飲みたいなら、来る?」

「あ?」

「着いたよ」

 

 言ってマキマは立ち止まった。彼女の前には居酒屋があり、扉を開いて中に入っていった。

 私もつられて中に入る。

 

 すると、一段と賑やかな集団が手前の席で宴会をしていて、こんな会話が聞こえてきた。

 

「今日……俺……ファーストキスしちゃうんだ……!」

「キス?」

「キスぅ?」

「え⁉」

 

 驚いた顔をして振り返ったのは件のデンジくん。なるほど、予定というのは飲み会のことだったらしい。

 



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飲み会

「生もういっこ!」

 

 ジョッキの半分ばかりを満たすビールを一息に飲み干し、そうして私は周りを見渡した。みんな酔いが回り始めているのか、酒を飲む者たちの頬は赤らんでいた。

 

 食器やらなんやらで混沌とした机上の様子からして大酒飲みの多い飲み会だが、その中でも群を抜いたペースで飲み進めているのはマキマだった。彼女は相変わらずの酒の強さをもって、どんどん空のジョッキを増やしていく。まるで水でも流すように酒を飲み続けるので(その上、顔色ひとつ変わらない)、飲み比べなんて仕掛けた日にはあっという間にペースを乱され酔い潰されてしまうだろう。

 現に、飲み比べで勝負を仕掛けたと見える若い女と男は、酔いで苦しいのか腹の膨らみで苦しいのか分からないような、今にも胃を反芻させてしまいかねない赤く青い顔をしているのだから。

 そろそろ吐きそうだな、なんて思いながら酒を煽った。私の頬もまた、遅ればせながら赤らみを持ち始めていた。

 

 しかしこうして東京の退魔課と飲むのは久しい。顔ぶれはほとんど変わってしまったが、久しぶりの再会であることに違いはないのだから、嬉しい気持ちになって酒が進んだ。普段から酒は飲むのだが、今夜は格別な味であったことなど言うまでもない。

 

 美味いものを食べながら美味い酒を飲み、若い子を横に侍らせてああだのこうだのと組織や上司に対する不満愚痴を聞く。ああ、上司冥利につきるというものだ。

 特に、私のことなんてなにも知らないのだろう新人の子たちは、見知らぬ関西の先輩に怯えながらもハキハキと受け答えをしてくれるのでなんとも可愛らしかった。

 

「ええーっと、トモカズくんやっけ」

「荒井ヒロカズてす!」

「おー……間違えそやからカズくんって呼ぶわ」

 

 飛び込みで参加したのもあり、私が座れそうな席はなかったので、適当なスペースに居座ってはみんなに声をかけていた(色々つまみを食べたいから、との理由もあるが)。

 デンジくんを除いて新人らしき子が二人。それと前に会った退魔課の後輩らしき人物が数名……手早く彼らの顔と名前を憶えると、親しみやすい笑顔で気軽に声をかけた。彼らもお酒を飲んでいるからか、曖昧ながらも良い返事をしてくれて、上下関係の堅苦しさはほとんどなかった。

 

「コベニちゃんは偉いなあ、かわええなあ。お小遣いあげよか」

「えっあっそんな……もらいます……」

 

 初めて後輩ができた、公安に入ってすぐの頃。まだ先輩らしい人たちが生きていた時代。こうして小遣いを配っているとジジババくさいとよく言われたのを思い出した。

 しかし、そんな飲みに行くような先輩はみんな死んでしまったから、今となってはそんな指摘をされることもなくなった。

 

 私にとって後輩と部下だけが常から周りにいる人たちであった。だからか、他人は庇護するもの、可愛がるものというなんとも上から目線な思想が自然と身についていた。けれどその程度の関係性が、公安という人の出入りが激しい職業では適切な気がした。

 

「デンジくぅん、君はぁお酒飲まへんのん?」

「俺十六だからよ〜」

 

 歳の話は彼にとって訊かれ慣れた質問だったらしく、唐揚げをつまみながら自然と自分の齢を告げた。

 私はその歳若さに驚く。だって十六なんてまだまだ子供だ。

 

「十六?!」

「お〜そうだぜ」

 

 いかつい容姿や肉付きの良い体から二十歳そこそこかと思っていたが……言動に幼さはあるから、それくらいの歳だと言われれば違和感はなかった。

 私も十六のときはこれくらい育ってた気がするし……とはいえ男子だから、まだまだ背も伸びるのだろうか。私はそれなりに背が高い方であると自負しているが、それでもいつか追い抜かされるかもしれないと思うと、子を思う母のような気持ちになる。

 

「そぉかあ、かわええなあ。十六かあデンジくんは」

 

 そう言うと、角の生えた魔人が「こやつがカワイイじゃと〜?」と口元を歪めているのが見えた。確か血の魔人といったか。その力は未知数だが、どうやらマキマは上手く手綱を握れているようではしゃぎ過ぎることはなかった。なにより彼女はマキマの目線を恐れているようでもあったから、おそらく力関係はマキマのほうが上なのだろうと思われた。

 

 マキマが熱心になって取り組んでいる「魔人」やら「悪魔」やらを編成した部隊に属するのが彼女だが、こうして飲み会の場を見渡してみても人でないのがデンジくんやパワーちゃんだけと、思いのほか少ない。そのうえデンジくんが加入したのはここ最近だ。

 おそらく飲み会に来ていない悪魔・魔人が少なからずはいるのだろうが、人と仲良くやれる悪魔が少なく、それほどの知性があるもの(特に人型で、普通の人のような見た目に擬態できるタイプ)もまた少ないから、悪魔や魔人の収集に大変難儀しているのだろうと思われた。

 計画の困難さは目に見えていたから、先日チェンソーの悪魔確保の件で呼ばれたこともあり、今日はそういう悪魔を融通するよう頼まれでもするのかと思っていたのだが……そういった話は一度も出ず、結局は「デンジくんの護衛」を依頼されるだけで終わった。

 

 マキマはマキマで奮闘しているようだが、あんまりにも一人で背負いすぎな気がしてならない。そんな気が私はする。

 波打つビールのグラス越しにマキマを見ても、その赤い髪が虚に歪むばかりでなんとも言えなかった。

 

「ほんで、その十六のデンジくんとキスするんか」

 

 気まぐれにそんなことを言って、デンジの隣に座る姫野の肩に手を置いた。

 姫野はもう酒に呑まれてしまったらしく、気だるげに身体をデンジの方へ向けると、「チウしないの……?」と人をからかうような男好きのする仕草で言った。こうして人をからかうのが好きなのだろう、物欲しげな目をしているが口は笑っていた。

 それを見ていたマキマが、気になったように(あるいは関心なんてないように)「キスするの?」とデンジくんに尋ねた。昔からそうだが、マキマは直球に物事を言う癖がある。

 

「あ、う、あ……」

 

 デンジくんはそれぞれに「しまァす!」「しません!」と、二人の方を交互に見ては返事をしていた。だが二つの発言の矛盾に気づく理性と、しかしてキスしたい感情とが混ぜこぜになったのか、彼の能天気そうな顔つきは日ごろと打って変わり苦悶の表情に移り変わっていた。

 ついぞ、その視線はどちらかに定まることなく……なぜか彼は私に助けを求めるみたく視線を送ってきた。知らんがな!

 

「デンジくん、二兎追うものは一兎も得ず、やで」

「……どういう意味っすか」

「姫野とマキマ、両方とキスしよ欲張ったら、なんやかんやあってどっちともキスできひんようなるっちゅうこっちゃ!」

「ええ〜!? 俺キスできねえのォ〜!」

 

 悔しそうに大声を上げるデンジくん。若いって良いなと思いながら、けれどここは年長者として場を収めねばと義務を感じて、デンジくんの肩にもたれかかる姫野に話しかけた。

 

「まあまあ、姫野もいい加減からかうんやめたり?」

「チウしよ……したいいい……」

「え……ほんまに言うてる? 倫理観ヤバない?」

 

 すっと酔いが覚めた様な気もしたが、しかし、未成年淫行はいけない。やや危険を感じつつあったので、つまみを取るふりをしてデンジくんと姫野の間に割り込んだ。

 すまんデンジくん! 未成年淫行はどんな理由があろうと一発アウトや! 貴重な人材、失うわけにはいかへんからな。

 

「チウチウ……」

「デンジくんようさん食いやァ!」

「腹ァいっぱいっす」

 

 デンジくんの前に置かれている小皿に唐揚げやらイカの刺身やらを盛り付けていく。本当に彼は腹が一杯だったのか、少し気まずそうな顔をしたが、食べ物を出されて食べないという選択肢はないらしくガツガツと食べ始めた。

 

「腹ぁいっぱいで食えねええ……けどもったいねええ……」

「若いもんは食うとる姿が一番ええわ! 成長期やしな!」

 

 やけになったみたく言って、それから酒を一杯飲み干す。

 姫野は姫野で、もう一滴も酒が飲めなくなったのか、ジョッキが敷き詰められた机に顔を伏せていた。

 こうも酔い切ってしまえばそうそう起き上がることもないだろう。私は安心して、そのほっとした気持ちからか、不意に催したので席を立った。

 その直後、聞こえてきたのは大きな悲鳴と騒ぎ声だった。



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飲み会の後

 ゲロキスを経て居酒屋を出ると、酒で火照った肌に外気が当たり、その熱を奪われるような心地が大変気持ち良かった。だが、デンジくんは気持ち悪そうに白目を剥いて青ざめていた。ぼんやり開いた口が、気だるげに曲げられた背と相まって、彼の元気のなさをありありと示していた。

 

 デンジくんは私が席を立った隙に、姫野からキスをもらったらしい。だが彼のファーストキスは口腔内にゲロを吐かれる悲惨な顛末を迎え、その後処理やらなんやらでさめざめとした飲みの場は自然とそのまま解散になった。

 

 そうして飲みが早く終わってしまったことよりも、私はデンジくんに対する心配の気持ちが大きかった。あまり想像したくはないが、彼はゲロを飲み込んでしまったのだというから。カズくんがよく介抱していたと聞くが、その努力も彼の様子を見る限り芳しくはないようだった。

 私がいない間に起きてしまった事故であり、未然に防げなかった責任感もあって、はて具合はどうだろうかと彼に言葉をかけて背中をさすっていたのだが、この介抱もまた良い成果は未だ見られない。ふと前方を見ると、未成年淫行(ゲロは淫行に入るのか?)の姫野がエチケット袋を片手に上機嫌になってふらりふらり千鳥足で歩いているのだから呆れる。

 

「デンジくん……大丈夫? 飴ちゃんいる?」

「うええ……おええ……!」

 

 やはり気分は優れないようだ。キスだのなんだのでウキウキしていた彼はどこへやら。二兎を追うものは一兎をも得ずどころか、これだと大怪我じゃないか。背中をさするのがかえって逆効果かもしれないと気づいて、トントンと彼の肩を叩いてやった。デンジくんは疲れ果てた表情だったが「すンません……」と言葉を発するだけの元気はまだ残っているようで、ぐったりとした手をフラフラ振った。

 飲み会が終わる少し前くらいに、マキマと二人で店を抜け出して酔い止めももらっていたようだし、ちょっとは気が楽になっていたのかもしれない。私の出る幕ではなかったかなと思いながらも、とはいえ心配なので彼のそばに付き添った。

 

 ま、これも一つの思い出かと写真でも撮りたい気分だったが、タイミングの悪いことにカメラは天童に預けているのを思い出し、歯痒く感じる。

 

 そうして店の前で彼の様子を見ていると、一人の青年が私に声をかけてきた。早川アキ、だったか。懐かしい顔だ。彼とは面識がないわけではなかったが、飲みの場でなくこうして個人で話をしようと持ちかけてくるあたり、なにやら訳ありといった様子だった。

 彼は酒で赤くなった顔を神妙そうに引き締めて、外聞を憚るように……けれど不自然さは見せないよう、酔った口調でこう言った。

 

「お久しぶりです、ヨツナさん。挨拶が遅れてすみません」

「んおお、ア゛ギぐん゛。随分見いひん間に、えらい男前になったなあ。飲みの場ぁはなんや真剣に酒飲んどったから話かけへんかったけど……」

 

 デンジくんの肩を抱き寄せながら、今度はアキくんの背中をビシバシ叩いた。

 

「髪型とかイカしとるやん」

「そうですか? 評判は良くないんですけれど」

 

 言いながら彼は頭のちょんまげをさすった。奇抜なヘアスタイルだが、それを補って余りある面をしているので、何度か会っていればそのうち慣れて気になることもないだろう。

 にしたって彼は良い顔をしているし、姫野あたりとは良い感じの雰囲気を感じたからその後の進展を期待しているのだが、今はどういう関係なのだろうか? アキくんもゲロキスは経験済みか?

 

「いつぶりやっけ?」

 

 訊ねると、彼は苦笑いを浮かべて答えた。

 

「新人の頃に、指導をつけてもらったきりです」

「ああ懐かしいなあ。あの頃はようさん人がおったから、人手不足とかで、わざわざ東京まで来て指導したん覚えとるわ。……岸辺さんは息災で?」

「ええはい。生きてますよ」

「そーか、相変わらずやなあ」

 

 アキくんはいわゆる銃の悪魔世代だった。十数年前に起きた例の災害に巻き込まれ、銃の悪魔に対し恐怖と憎しみを刻み込まれた少年少女らの一人で……彼のように銃の悪魔へ恨みを抱えた討伐志願者は多く、一時期デビルハンターを志望する者が増えた時期があったくらいだ。

 とはいえなにぶんデビルハンターはすぐに死ぬので指導役はいつも人員不足であり、そんなブラックな環境に第一次デビルハンターブームがやったきたのだから(第二次はまだ来ていない)公安や民間はてんやわんやの事態となった。そんなとき、肉片集めに執心していた私は単に歴が長いのと仕事していてとしていなくても変わらないとのことで、悪魔退治のついでに全国各地で行われている新人教育へと駆り出されることになったのだ。

 そのとき出会った新人の一人が彼だ。初めの頃はあまりに殺伐とした雰囲気を纏う剥き出しの刃物みたいな男だったが、こうして久しぶりに会ってみるとガキ臭さはだいぶなくなっていた。

 

 ひとしきり世間話を交わすと、彼の方から合図をするように眼光を煌めかせた。それを見逃すほどウブでもないから、私は肩を組むふりをして、そっと彼の口元に耳を寄せた。急な距離の詰め方に驚いたようだったが、彼はあくまで冷静だった。

 

「で、なんの話や?」

「……ヨツナさんは、銃の悪魔の肉片を集めていると聞きました。最近、なにか変わったことはありませんか?」

 

 意味ありげに目線を揺らめかせて彼は訊いてきた。その視線の先はデンジくんにあった。その目線の意味を考えてみれば、彼の質問の意図も読めてくる。最近変わったことはなかったかと訊ねるのは、つまり彼にとって大きな変化がここ数週間の間で起きたに違いない。

 そしてその大きな変化とは、もちろんデンジくんのことだろう。悪魔でなければ、魔人でもない。その不思議な出立ちと風貌に、彼はなんらかの疑問を抱いているらしかった。

 無理はない。誰だって不思議に思うだろう。特に、アキくんはデンジくんと非常に近い位置で仕事をしているらしいから、命に関わり得ることを知っておきたいと思うのは当然だ。

 だが、なんでもかんでも素直に話すわけにはいかない。なにより、この質問はマキマもされていた。そして彼女は答えなかったのだから、私はその意向を尊重すべきだろう。

 

「あんま考えすぎやん方がええで」

「どういう意味です」

 

 アキくんは不満げに口を曲げた。そこで私はパッと彼の肩を離すと、トントンとデンジくんを抱えたまま彼から離れてこう言った。

 

「デンジくんと銃の悪魔はなんも関係ないっちゅうこっちゃ。そもそもデンジくんは、チェンソーなんやろ?」

「っ、そうですけど」

「ほな銃でもなんでもないやん。……デンジくんが特異な存在やから、せやから狙われるんやろ。ただそれだけの話」

 

 自分の話がされているとうっすら気付いたのか、デンジくんが不安げな表情でこちらを見てきた。私は誤魔化すように彼の頭をワシワシと掻き回してから、アキくんの口を突いて出る言葉を潰すように、ふと思い出した風を装ってこう言った。

 

「せや、今度からアキくんところの部隊と一緒に行動することになったからよろしくな。早くて明後日くらいからかな?」

「はあ? どうしてです」

「デンジくん護衛のため」

「……本当に、銃の悪魔は関係ないんですか」

「あらへんよ。ま、もしあったらうちが殺すだけや」

 

 なあ、とデンジくんに声をかけた。そうすると彼はやや明るい表情で「明後日から一緒なんすか?」と訊いてきた。私はそれに軽く頷いた。

 

「大阪っつ〜場所は美味いもんがいっぱいあるって聞いたんですけど、食わせてくださいよ……」

「おおええよ、デンジくんはようさん食べるからなあ〜! 色々持って来たるわ!」

「ぃヤッタァ……!」

 

 そんな会話をしていると、アキくんも呆れたのか、消化不良気味ではあるがそれ以上言葉を続けることはなかった。そしてデンジくんの元気そうな声を聞きつけてか、血の魔人とそれに付き添っていたマキマがこちらにやって来た。

 騒がしさが増したが、こういった賑やかしさがなにより好きだったので、私は上機嫌になって彼らを囃し立てるのだった。



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待ち合わせ

 悪魔は夢を見るのか、考えたことはあるか。

 私は見ないだろうと思ってる。悪魔は夢を見たりしないはずだと強く念じて、そうして私は眠りにつく。それから朝起きて、心地の良い夢を見れたのだから、だから私は悪魔なんかじゃないと、そう自分に言い聞かせている。

 

 

 〜 一ノ瀬ヨツナの遺書より一部抜粋 〜

 

 

 暖かな布団の中で目が覚める。不意に起き上がると、ホテルの薄暗い一室に私はいた。

 はて、見覚えがない。こんなところで眠っただろうか。昨夜の記憶が朦朧としている中、つたない足取りで部屋の電気をつけに行く。無機質なスイッチの音とともにパッと室内が明るくなると、そこで私が眠っていたベッドとはまた別に、ベッドがもう一つあるのに気が付いた。そこでは天童がすやすやと眠っていた。黒瀬の姿は見えなかったが、まあ彼は男なわけで、別の部屋に泊まっているのだろうと思われた。

 

「うう、あたまいったぁ……そないに飲んだっけ」

 

 霧がかかったかのように曖昧な昨夜の出来事を、私はうんと悩んで思い返そうとした。デンジくんとアキくんをマキマに預け、居酒屋の前で解散したところまでは覚えているのだが……そこからどこに行って何をして、その結果どのようにこのホテルに辿り着いたのか、どうも判然としないのだ。

 天童が一緒にいるのだから迎えに来てもらったのかもしれないな……昨夜解散したのが夜中の零時近くだったので、迷惑なことをしてしまったと申し訳ない気持ちで彼女の横顔を眺める。健やかな寝顔だったが、同時にどこか悪夢にうなされでもしたように眉間が皺を寄せているので、私生活でなにか悩みごとでもあるのだろうかと能天気に物事を考えていた。

 

 どうにも二日酔いが重く頭痛が激しいので、水をよく飲んで少し休めば痛みも治るかと、部屋に備え付けの冷蔵庫から水を持って来て近くの椅子に座ろうとした。そしてようやく、そこで気付いた。

 机の上で無造作に散らばった缶ビールとつまみ、それから酒瓶。よくよく見れば、床に倒れ伏している男が一人。おや黒瀬ではないか。

 なにごとかと一瞬叫び声をあげそうになったが、やっと昨夜のことを思い出した。

 

 どことなく飲み足りないなと感じていた私は、迎えに来た黒瀬と一緒に店で酒を買い足し、そうしてホテルに帰ったあとひたすら飲みに飲んだのだ。

 もともと私と天童のために取っておいた部屋で飲んでいたので、酔い潰れた天童はベッドまで運んで寝かしたのだが、黒瀬は別に部屋があるのだからと放置していた。

 そしてその結果、床で寝ていたと……。

 

 死んではいないだろうかと心配になって彼の肩をゆすると、うんうん唸りながら片目を開いた。

 

「うぉああ……ヨツナさん……、なにしてはるんです?」

「早よ起きや」

 

 寝ぼけた顔していたので、洗面所に行って濡れタオルを用意してやり、それを彼のアホヅラに乗せてやった。唐突の冷たさに驚いたようで、びくりと身動いだが、特に大きな声を上げることなくノソノソとタオルで顔を拭いだした。

 

「しっかし、ようさん飲んだなぁ……ごめんな? 付き合わせてもうて」

「ええですよ。天童のやつは三時なる前には寝よりましたし、言うて僕らそんな飲んでませんし。それ、ほとんどヨツナさんが飲みはったんですよ」

 

 渡してやったペットボトルの水を飲みながら黒瀬が言った。

 どうりでこんなに頭が痛いわけだ……飲み会ではほどほどにしておいたはずが、いつの間にか上機嫌のまま酔い潰れてしまったらしい。

 

「まあ、飲みに付きおうてくれたんは事実やろ。ありがとな」

 

 そうやって軽く例の言葉を述べると、黒瀬は気軽そうに頷いた。

 

 ……しかし、どうにも違和感がある。どうして私は黒瀬に対し、早く起きるよう促したのだろうか? この胸の違和感はなんだ? なにか大切な用事があったはず……。

 

「今日ってなんか予定あったっけ?」

 

 テーブルの上に置かれた時計を見ると、ちょうどを十時を回った頃合いだった。昨日は夜遅くまで飲んでいたのだなと、我がことながら呆れて、溜息が漏れた。

 

「今日ですか……今日はぁ京都行かなあかんので、九時半にマキマさんと東京駅で集合ですわ」

「ほーん、いま十時前やわ」

「十時……まだ夜ですか?」

「っ、遅刻や遅刻! っちゅうか、間に合わんのとちゃうっ?!」

 

 新幹線の出発が十時十分。スーツ姿のまま眠っていたのが功を奏した。シワは寄ってしまったが、向こうで変えを用意してもらえばいいと考え、ハンガーラックにかけてあったロングコートをひったくるように着て、一人部屋の扉に手をかけた。

 

「君らァ二人は、最悪おらんくても書類上のあれこれはマキマにやってもらうから、ゆっくり次の新幹線乗ってきぃや! 向こうにはこっちから連絡しとくわ!」

「っはい! 天童遅刻や遅刻! はよ起きろ!」

 

 

 

 

(黒瀬くん視点)

 

 

 ヨツナさんが大急ぎで部屋を飛び出したあと、俺ら二人も同じくらい急いで外出の準備をした。最低限身だしなみを整えて、それから私服のままだったのでスーツに着替える。しばらく東京に滞在する予定で一週間ほど部屋は取ってあったので、部屋の中にある空き缶などはそのままに、駆け足でホテルを出てタクシーに乗った。

 

 寝起きだったこともあり、ヨツナさんの言っていたことはうろ覚えだったので、天童と互いに聞いたことを擦り合わせながら車内での不安な時間を潰した。

 そうして東京駅に着くと、ちょうどタクシー降り場のところでヨツナさんが不貞腐れたように立ち尽くしていた。

 

「結局、間に合わんかったんですか」

「目の前で扉閉じよったわ」

 

 不満げに彼女は言った。寝不足もあるのだろうが、整えられていない分、彼女の髪はいつにも増してボサボサだ。それを見かねてか、タクシーを降りてすぐに天童がヨツナさんの元に行き、櫛やらなんやらで淡々と身だしなみを整えていった。

 それに軽く礼を述べたのち、ヨツナさんはまた話を続けた。

 

「マキマには連絡入れたから、ゆっくり行こか。言うて書類申請だけやし、それもマキマが会食終わった後や」

「そーなんですか? ほな、なんで早よ行こう思いはったんですの。別に僕ら後からでも良かったんとちゃいます?」

「京都の偉い人らと話するんが、一人やと心細うてたまらんゆうふうにマキマが言うもんやから……」

「ほんまですか〜?」

「疑うことあるかいな」

 

 マキマさんはヨツナさんが東京で活動するための許可をもらいに行くのだという話があったから、心細いというよりも、単に交渉の材料として連れて行きたかったのだろうとは思うが。しかし新幹線に間に合わなかったのだから、マキマさんには一人で頑張ってもらうしかないだろう。

 顔が見えない彼女に向かってナムナムと祈りつつ、ピンと姿勢を正して意識を入れ替えようとしたその瞬間である。

 どこか遠くの方から乾いた破裂音が鳴った。近くで鳴ったわけでないからそれがなんなのかよく分からなかったが、けれど不穏な雰囲気を感じる。天童にもその破裂音は聞こえてたのか、不思議そうに首を傾げていたが……一人ヨツナさんだけは神妙な面持ちでシンと静まり黙ってしまった。

 

「銃や」

 

 一言、ヨツナさんは言った。

 

「? なんです」

「……マキマはこっちに戻ってくるやろうから、二人は東京駅の構内に行って待機。マキマの指示を受けること。──うちは調査に行ってくる」

「は……なに言うて」

「ほな行ってくるから、ちゃんと言われたこと守るんやでー! なんかあったら連絡!」

 

 そう言って、ヨツナさんはまるで弾丸のようなスピードで道路を飛び抜け、街角を曲がっていった。

 俺たちはそれをただ見ていることしかできず、二人で顔を見合わせた。こういうとき、言われたこと以外に余計なことをすると、むしろ足手まといとなってしまう場合が多い。だからヨツナさんが言うことをきちんと守るのが正しいと言えた。だがそう分かってはいても、不安は感じざるを得なかった。

 ……ただ、言われたことを守らず行動して、それで俺たち二人が彼女に不安を与えてはならないのだ。言われたことを守るため、二人で駅の構内に向かった。



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銃は強し

(姫野視点)

 

 銃声と共に始まった戦闘は、打開策も見つからぬまま一方的なものになりつつあった。不意を突かれてしまったのもそうだが、なにより万全の戦闘体制を整えたところで今の実力じゃどうしようもないと痛く理解してしまっていた。

 

 アキくんの狐でも死なず、カースも効かず、何度死んでも生き返るあの悪魔のような様は私たちの心に絶望を与えるのには十分すぎるほどだった。そのうえ、あの居合切りの速度。まともに斬り合うことすら許されず、アキくんの胸は一文字に刻まれてしまった。

 血飛沫が舞う中で、己の無力さを憎む。胸は痛み、血が流れるにつれ体が青ざめていった。

 だが、失血により冷ややかな体と相反して、思考は苛烈に熱せられた。

 

 銃の存在。異様な出立ちの悪魔でも魔人でもないなにか。それらいくつもの予想外な出来事に、何もできないでいた自分に腹が立つ。朦朧とした意識の中で戦況を見守ることしかできないでいた私は、悔しさで拳を強く握りしめることすらできないほど既に死に体であった。けれどそれ以上に重症なはずなのに懸命に戦おうとするアキくんの姿を見て、熱い感情が心の底から染み出してきた。

 

 負けられない。けれど、どうしよう。

 だったら覚悟を決めなきゃ。じゃないと私のような弱者は守りたいものも守れない。

 そう思って、私は血まみれの手のひらをゆっくり前に伸ばす。

 

 言葉にすらしていないのに、幽霊の悪魔の気配がぞわりと背筋を撫でた。

 

 ……契約だ。代償に、私の全てを──

 

 そんな言葉を吐き出そうとしたその瞬間、視界外から謎の黒い影が敵を襲った。コンクリートをも破壊する勢いで飛来したそれは、大きな土煙の中で大仰に咳き込んだ。

 

 飾り気のないポニーテール。丸い眼鏡。その奥に潜む、鋭くなにかを突き刺す眼光。

 角張ったリュックサックを肩に下げ、彼女は悪魔を踏みつけながら、こちらを気遣うように何かを言った。

 

 ああ、良かった。助けが来た。

 そこで私はホッとして、そのまま気を失ってしまった。

 

 

 〜〜〜

 

 

 

「──ッ、かったァ……」

 

 殺すつもりで蹴り抜いたのだが、それでもこの武器人間は生き長らえた。抵抗のつもりか、足元でもがくので、動く右手を踏みつけると、あっけなくその刃は砕けて折れた。

 様子を見てようやく異変であるのに気付いたのか、そばにいた金髪の女がなにやらこちらに手をかざす。

 

「ヘビ、丸飲み……!」

 

 おそらくは悪魔の類だろうと身構える。直後現れた大型の悪魔の攻撃は目で捉えられる程度にはゆっくりだったので、素早く跳躍し避けた。

 味方である武器人間が私の近くにいたので、巻き込むことを恐れてゆっくりとした攻撃になったのだろう。しかし距離を取ったため、次もそう緩慢な動きであるとは限らないなと、私は彼らの様子を伺いながら対策を練っていた。

 

 武器人間は血が足りなければ回復できないのだとよく知っていたので、ヘビの悪魔の攻撃から逃れる際、時間稼ぎのためにヤツの首や脇下、内腿といった太い血管の走る部分にナイフで深手の傷をつけておいた。

 その影響もあるのか、なかなか蘇生には難儀しているらしい。

 

 拾った銃で牽制しながら後輩たちの元に駆け寄った。

 

「君ぃ、血の魔人か。……二人の状態はどうや」

 

 そう言って私は姫野ちゃんとアキくんの方を見遣った。

 血の魔人は自分の役割をよく理解しているのか、その力を用いて止血だけは済ませてあるようだった。

 致命傷に近い傷だが、それでもまだ息があるのはこの魔人の功績だろう。

 

「……ぅ、ぐぅ、医者に見せんと死ぬ」

「ほな……せやな。デンジくん起こしてくるから、この携帯電話つこうて救急車二台呼んだって」

 

 そう告げると、血の魔人は焦るように何度も頷いた。逃げたい意志はあるようだったが、それ以上に与えられた責務を守る気概はあるらしい。

 不安がる魔人の背中を笑いかけるようにして強く叩いてやると、私は再び武器人間の方に向き直った。そちらにデンジくんの体があるからだ。

 

 察するに、彼らはデンジくんの心臓を狙っているらしい。マキマが私を彼の護衛として付けたがる理由が分からなくもない。……こうもひっきりなしに襲われているのならば、心が落ち着かないだろうから。

 

(うちがやることは三つ……)

 

 一つは、後輩たちの命を守ること。すなわち、いま背中を向けている姫野ちゃんアキくんの方に、敵の攻撃を向けさせないこと。

 

(それからもう一つは、デンジくんをあいつらに渡さんこと)

 

 あいつらの目的はデンジくんの心臓だ。どんな理由があるのかはさておき、彼らが銃を用いてまで叶えたいなにかがそこにはある。それは必ず、阻止すべきことだろう。

 

(ほんで、最後に──)

 

 遠巻きにやつらを観察しながら、私は背負ったリュックサックの中に手を突っ込んだ。そうして取り出したのは、一丁の拳銃であった。

 

「威嚇射撃はさっきので終わり! こっからはドアタマ狙うから、気いつけや」

 

 向こう側へ話しかけながら、銃のトリガーを引いた。フラフラと立ち上がった武器人間の頭に弾丸が直撃し、小さな火花と共に鈍い呻き声が聞こえた。

 

「なんや、けったいなやつやな。頭のそれ鉄なんか」

「う、ヴァアああ! 喋りながら撃つな……!」

 

 頭を狙って放った弾丸のいくつかは喉や肺を貫いたらしく、苦しそうな表情でやつは口から血を吐いていた。

 接近戦はできなくもないが、こちらも大きな損害を負うのは明らかだったので、あえての遠距離戦に挑んだ。

 

 とはいえ向こう側にも銃を持つ手下がいるらしく、車を遮蔽にしながら度々銃声を鳴らしていた。私にだけ照準を向けられているのが唯一の救いか。

 後ろに流れ弾が行かぬよう、アキくんから貰った(盗んだ)釘の形の剣を用いて銃弾を跳ね返す。

 

 いま優先されるべきなのは武器人間の撃破でなく、デンジくんの回収と後輩たちを守ることだ。時間はかかりそうだが、じりじりと距離を詰めることには成功している。今のところ大きな問題の兆候はない。

 

「っ……あの銃、もしや」

 

 と、金髪の女が車の影からこちらを見つつなにやらつぶやいていた。よく知らない悪魔の力を行使されても面倒だったので、そちらもまた牽制程度に銃弾を飛ばす。

 銃声と共に車のサイドミラーが割れる。相手方の狼狽える様子が手に取るように分かった。

 

 ……銃弾が切れるということはない。というのも、さきほど街中にいた無数の暴漢からたくさんの拳銃を奪い取ったばかりなので、リュックサック一杯に弾と銃があるのだ。

 この拳銃の数だけ公安のデビルハンターが死んだのだと考えるとやるせない気持ちになる。その一方で、まだ救える命があるのだと考えると、その気持ちが今の私の活力に変わった。

 

「なぁ、話しやんか?」

 

 言って、飛び出てきた頭に照準を合わせる。

 そうすると人間というのは簡単に死んでしまった。

 

「銃を撃つのを止めろっ……!」

「止めろ言われてもなあ。人数不利っちゅうんがあるやろ?」

「クソっ……おい! お前らはさっさとデンジを車に載せろ! 俺はあのクソ女を殺す!」

「待て、勝手に行くな!」

 

 車の影から現れた奴は、手足に鉛玉を撃ち込まれても動きを止めない程度には気概のあるやつだった。あるいは、痛みなんてもう感じないほどに興奮しているのかもしれない。

 

「ええやん。若いってそーゆーことやろうしなあ、付き合ったるわ」

 

 言って、アキくんの剣を右手に、懐から取り出したナイフを左手に構えた。右手の剣は、形からしてレイピアと呼んだ方が良いかもしれない。不慣れな武器だが、妙な自信が私を後押しした。

 

 武器人間……と呼ぶのも堅苦しいので、あえてここは私の持つレイピアと対照してサムライソードなどと呼んでみる。

 サムライソードは深く姿勢を保つと、バネが跳ねるときみたく大きな跳躍と目にも止まらぬ速さで私の方に前進してきた。おそらく、触れるだけで致命傷になるほどの攻撃だろう。

 

「フフッ──」

 

 とはいえ、それは不意打ちならばの話だ。

 今は真っ昼間で視界も良好。そのうえ、進む道筋も明らかときた。

 つまるところ、タイミングを合わせさえすれば見ずとも殺せる。

 

「──死に急ぎすぎやぞ!」

 

 横一文字に薙ぎ払われた太刀筋を、後ろに倒れ込むようにして避ける。すると空振りとなったサムライソードの攻撃は、そのまま私の上を通過していった。

 ここが好機だと言わんばかりに私は右手のレイピアを脳天に突き刺し、そのまま挟み込むように喉の部分をナイフでえぐった。

 

 あとは簡単だ。攻撃の勢いで胴体だけは前へ前へと進もうとするので、単なる串刺しは頭部の欠損に繋がった。

 

「……! 馬鹿!」

 

 血飛沫が散った腕を振りながら、私はサムライソードの頭を金髪の女へ放り投げる。

 ギョッとした顔でそれを見た後、女は神妙な面持ちでこちらを見ていた。手の形から察するにヘビの悪魔を行使しようと考えていたらしいが、何のアクションも起こさないあたりヘビじゃ力不足だとでも判断したのだろうか。

 

「……ふぅ。ま、こんなもんかな」

 

 私は少し曲がってしまったレイピアを見て(アキくんに怒られるな……)などと思いつつ、もう片方のナイフでデンジくんの方を示した。

 デンジくんの体は車の近くにあり、回収するためには近づかなければならず、そうなれば必然彼女らとの戦闘に入るだろう。それ自体わけもないが、()()()()()()()()()()()気がするのだ。

 この一連の出来事、マキマが予想していないとは思えない。その上で放置していたのなら、マキマなりの思惑があるはずなのだ。

 であれば、過干渉は彼女としてもいただけないだろう。

 

 私としても今ここで彼らを殺す理由はなかったので、交渉を持ちかけることにした。

 

「そいつと、こいつ」

 

 デンジくんとサムライソードを交互に示す。

 

「交換っちゅうんはどうや?」

 

 あくまで笑顔で話す。交渉するとき、余裕はあった方が良いのだ。

 

「……代償は?」

「特になしやな。うちは管轄外やから、そこら辺はマキマに任せるわ」

「……ヘビ」

 

 言葉に反応して、ヘビの悪魔がそろりそろりとデンジの首根っこをくわえ、こちらまで持ってきた。そのまま似たようにサムライソードの体を回収すると、素早く車に乗せて走り去ってしまった。

 

 車がすっかり遠くまで行ったのを確認してから、私はようやく彼の方に目線を向けた。

 

「デンジくん起きや」

 

 頬を叩いても反応はない。死んでいるのだろう。

 

 周りを見ると、もう一人生き残りがいたらしく、新人のコベニちゃんが血の魔人とあくせく苦労しながら姫野ちゃんとアキくんの体を端の方に寄せていた。

 救急車もようやく来たらしく、遠くの方から二台のサイレンが聞こえてくる。おそらくコベニちゃんが呼んだのだろう、血の魔人は携帯電話の使い方がよく分からなかったのか、コベニちゃんが私の電話を持っていた。

 

 私は死んでしまった彼を生き返らせるべく、彼の胸元にあるスターターを強く引いた。

 ブルルンと鳴るエンジン音と共にデンジくんは跳ね起きる。

 彼はハッと目を見開くと、あたりを見渡して、不安げに私の方を見つめるのだった。



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タバコの煙

 夜になる頃にはある程度の落ち着きを見せ、公安自体の被害状況もそのおおよそが明らかになっていた。結果判明したのは目を閉じたくなるような惨状としか形容することができず、特異課は壊滅状態でありほとんどの人員が人の手によって殺された。

 人員不足を補う策として一課、二課、三課を四課と合併し即席の部隊を組み上げ指揮系統を統一することでかろうじて戦力を保とうと試みているようだが、それも悪魔や魔人だらけの異例部隊のためまともに機能するとは思われない。

 

 そんな通夜のような(実際葬式がのちに控えている)憂いが公安のそこかしこに満ちていた。襲撃が特異課だけであったのが幸いか、他の課に被害はなかったため、彼らの助けを借りながらも後処理に追われ、ひとまずの着地点にたどり着いた頃にはすでに夜である。本部に構えられた緊急対策室で、私と岸辺さんはタバコの煙を長々と立ち上らせて長話をしていた。

 

 話題は戦いのあった白昼の出来事である。

 

「それでその……サムライソードとかいうふざけたやつを取り逃したわけだ」

「ちゃうちゃう。見逃したったんですよ」

 

 岸辺さんからの問いかけにタバコの煙をくゆらせて返すと、彼は低い声で相槌を打った。感情が表に現れづらい性質の人だから、こうして理不尽な物言いをするのは珍しいことだった。表情は読めないが、今回の件に対し彼なりに苛立ちを抱えているらしい。

 

「フゥー……市中の奴らを迅速に制圧したのは見事の一言だ。腕は落ちてないようだな、だが……。いや、八つ当たりか、これは」

「岸辺さんの気持ちも分からんことないですよ。うちかて助けられるんなら特異課のみんな助けたりたかったですし」

 

 それに、と続ける。

 

「もしうちの部下が同じような目ぇ遭ったら、似たようなこと言ってますよって」

「…………、そう言ってもらえると助かる」

 

 岸辺さんはタバコの先が赤くなるまで強く煙を吸って、それを吐き出してから落ち着いたように言った。

 特異一課の隊長である岸辺さんは、年長者ということもありただ実戦に出るだけでなく教育係も担っている。事実私も過去、岸辺さんに指導を仰いだ経験があるのだ……だからこそ今回の事件でほとんどの人が死んでしまったことに、彼が怒りを覚えるのも無理はない。

 少なからず彼の指導した人間が被害者の中にはいるのだから。彼の気持ちは痛いほどわかる。

 

 私だって、天童や黒瀬が誰かに殺されるようなことがあれば怒るだろうから。

 

「弔い合戦や。奴らには落とし前つけさせましょ」

 

 私がそう言うと、また岸辺さんは掠れた低い声で相槌を打った。

 私たちにできることなんて殺しくらいなのだ。それを岸辺さんは何十年と続けてきた……造作もないこととはいえ、それでも少しばかりナイフを持つ手にも力が入る。

 

「サムライソード、か。変な名前だな……俺は直接見たわけじゃないが、本当にそんなやつがいるのか」

「ええはい。悪魔と人間を混ぜたような──っちゅうても魔人とはまた違う、不思議なやつらです」

 

 そこまで言って、ちょうど良い例が特異課にいるのを思い出した。

 

「デンジくんとはもう会いましたか?」

「例の新人か。いや、噂に聞く程度だ」

「ほな想像も難しいか……ともかく人のまま悪魔になるんですわ、あいつら」

 

 サムライソードは頭と腕から刀が飛び出た奇天烈な格好をしていたが、それはデンジくんも同じだ。……だが、似たようなタイプとはいえ、しかしサムライソードの持つ傑出したスピードはデンジくんにはない特徴のように思える。

 

「とにかく速くて、とにかく切れ味が鋭い。プロのデビルハンターでも、油断しとったら首もってかれるんちゃうかな」

「速いってのは、お前よりもか」

「あはは、変なこと言いはりますね。うちの方が速いに決まっとるやないですか」

 

 ともかく、と話を続ける。

 

「サムライソードは強い。これは間違いない。……今の特異四課じゃあ、まともに太刀打ちできやんのとちゃいます?」

「ほう」

「それに向こう側には悪魔と契約しとる女がおって、そいつもなかなかの手練れですわ。連携とってくるんで、一人で相手するんは厳しいんとちゃいますか」

「なんてやつだ?」

「蛇の悪魔です。デカいやつ」

「フム……それは厄介だな。前にやったときは、妙なものを吐き出していた」

「まだうちが未熟やったとき、一緒にやったん覚えてますわ。図体デカくて、見た目によらずすばしっこく、その上搦手までつこうてくる」

 

 蛇の悪魔に関しては過去に戦ったことがあるので要領は得ているが、使役する人間がいる以上知性を伴った攻撃が繰り出されるものとして認識せねばならず、こちらも油断はならない。……もっとも、その使役する人間を片づけてしまえばいいだけの弱点付きな悪魔なので、考えようによってはどうにでもなるのだが。

 

「今んとこ居場所はハッキリしとらんのでマキマが調査中らしいんですけど……」

「マキマか」

「ええはい、あいつもよう働いとりますわ。人がぎょうさん減ったんで、合併なんかの異動等々書類作業もあるなか実地調査ですよ」

 

 呼称:サムライソードは現在逃亡中であり、所在地は不明であるため対魔課の立て直しと並行して調査中。この件に関して簡潔に述べるならば、我々はあの武器人間に対して後手に回ってしまったというわけだ。

 その上人員を大きく削られる事態に陥ってしまい、なんとか巻き返しを図るためにマキマ手ずから現場に赴いているのだという。

 

 そのうえマキマは四課の指揮権を得ている。魔人だらけの特別部隊を編成したのはマキマ当人ではあるが、それでも彼女に降りかかる心労は想像を絶するだろう。

 

「んで、今んとこ生き残っとるんが数えるほどしかおらんゆーんで、特異課はぜぇんぶ四課に合併」

 

 タバコを灰皿にぐりぐりと押し付け火を消した。

 

「うちは元々四課と合流して仕事するようマキマから頼まれとったんで、しばらくは戦力の一つとして数えられるんでしょうね」

「お前、こっちに来るのか」

「ええはい、しばらく世話なります」

「そうか……ま、せいぜいやれるだけやれ」

 

 そう言って岸辺さんもタバコの火を消し、立ち上がった。

 

「お、飯でも行きます?」

「酒はもう飲んでる」

「つれへんなあ。せっかく久しぶりに会うんですから、後輩に飯の一つ奢ってくださいよ」

 

 私が嘆くように言うと、岸辺さんは至極冷静な面持ちでこう返してきた。

 

「俺はこれから用事があるから、悪いが飯はまた今度だ」

「ほーん……用事ってなんですの?」

 

 尋ねると、岸辺さんは少し考え込んだ後、ふと閃いたように言った。

 

「お前も来た方がいいな」

「は? だから、なんですのん」

「ひたすら悪魔を殺すんだよ」

「…………」

 

 一瞬言葉に詰まるが、私は即座にこう返答した。

 

「ええですね、それ」




デンジ、パワー、死確定──☆


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修行

チェンソーマン今週休みなことに気付いて悲しかったので投稿です。


「おはようさん。パワーちゃん起きとるー?」

 

 アキくんが療養している間、私はデンジくんとパワーちゃんの世話係を任されていた。天童や黒瀬はマキマのもとで書類作業やら人事やらでてんやわんやのようなので、比較的手の空いていてデンジ・パワーの二人組と面識のある私が自然とその役割を負わされていたのであった。

 

 人の面倒を見るのはいつものことだったので、雑用に近い役割ではあるもののこの仕事を任されたことに悪い気はしなかった。それに彼らはよく食べるので、それもポイントが高い。体は大きいのに、その生活ぶりは子供のようで、面倒見がいがあるのだ。

 

 とはいえなにかわざわざ作ってやれるほど時間の余裕があるわけでもないので、日に三度、朝昼晩になると適当な飯を買って家に行き、それを与えてやるのだった。

 彼らが飯を食っている間に洗濯やらなんやらを済ませ、しばらくして仕事場に帰る。初日こそ食べ物の好き嫌いで衝突したが、三日もすれば上手な扱い方が分かってくる。

 

「うぇ〜今日の朝はなんすか〜?」

 

 ポロシャツ姿のデンジくんが、寝癖の強い髪を触りながら扉を開けた。

 

「商店街でメンチカツ売っとったからそれ。あと豆腐」

「トーフ? なんじゃそれ!」

 

 すっかり私は“食べ物を持ってきてくれる人”として認識されてしまっているらしいが、懐かれる分には悪くない。

 

 食べ物が入った袋を机の上に置くと、それをパワーちゃんがはしたなくガサゴソと漁っていた。咎めようかとも思ったが、(まあ、魔人のすることやしなあ)と言葉を引っ込める。

 

「……んー、なんすか? そのクーラーボックス」

「! ああ、これ?」

 

 食べ物の入った袋を机の上に置いたのには理由があった。それはパワーちゃんから注意を逸らす目的によるものなのだが、デンジくんには簡単に気付かれてしまった。

 

「ま、後で分かるよ。飯入っとるとか、そういうんやないで」

「ふぅん」

 

 それはそうと、パワーちゃんはメンチカツの入った紙袋を脇に抱えながら、パックに入った豆腐を取り出していた。

 

「真っ白じゃなあ。美味いのか?」

「なんだパワー、おまえ食ったことねえのか」

「ある! この四角いやつにトーフと名付けたのはワシじゃからなあ!」

 

 彼女は虚言癖があるので息をするように嘘が出る。デンジくんもそれはよく分かってるらしく、彼女の発言を疑うように眉根を寄せていた。

 

「ま、なんでもいいけどよお。飯が食えるなら」

「デンジくんはいっつも腹ぺこやしね」

「はぁい! 俺腹ぁ減ってます!」

 

 パワーちゃんは豆腐パックの開け方がわからないのか、ブヨブヨとするその表面をつつきながらこう尋ねてきた。

 

「ブヨブヨしとるのー……なんじゃこれ?」

「んー、畑の肉?」

「肉!」

 

 聞くや否や、パワーちゃんは血から作り出したナイフでパックの表面を十字に切り、豆腐を手づかみし口に放り込んだ。

 豆腐は柔らかいから、ボロボロと手からこぼれて机を汚している。漏れ出た水で服もビシャビシャだ。……どうせ昨夜も風呂には入っていないのだろうし、後でシャワーでも浴びせてやったほうがいいだろうか。

 

「うぇええ〜……味がしにゃい……」

「栄養はあんねんけどなあ……醤油とかネギとかと一緒に食うと美味いんやけど」

「ネギは野菜じゃぁ……食わん……」

 

 豆腐は味噌汁用にもう一つ買ってあったので、デンジくんにはそれを出してやろうと思いながらキッチンの方に向かった。

 料理はしないといったが、気が乗るとこうしてキッチンに立つこともある。

 

「メンチカツでも食うとき。デンジくんは掃除しとってな」

「げぇ……パワーお前自分でやれよ」

「ワシは汚しとらん……!」

「お前なぁ……」

 

 ここ数日、いつものように聞いている会話。耳を傾けて微笑みつつ、私はその笑顔を絶やさずこう言った。

 

「せや、デンジくんにパワーちゃん。今日は飯食ったら一緒に外行くから、お出かけの準備しときや」

「? 外っすか」

「せや。うちが一緒におったら危ないこともないやろいうことでな、外出の許可出たから、ちょっと仕事や」

 

 

 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

 

「……お前達100点だ」

 

 岸辺さんは振り返ってそう言った。

 反して、デンジくんとパワーちゃんは不可思議そうに彼の方を見ていた。

 

 先の襲撃を受け四課の強化を試みようとしたマキマは、古くから公安に所属している岸辺さんに“指導”の依頼をしたのだった。

 つまり私はそういった依頼を受けていない門外漢なワケだが、昨日話をした折に誘われ(またデンジ・パワー二人と顔見知りなこともあり)こうして指導に合流することになった。

 

 今朝家に行き飯を食わせ、そのまま待ち合わせの墓地までやってきた。人気のないところを選んだのだろうが、修行に適した場所かと言われると首を縦に振れない。

 

「俺は最強のデビルハンターだ。でもって」

 

 岸辺さんはスキットルを持った手で私を指差した。

 

「こいつは俺の次に強いデビルハンターだ。最強の俺達を倒せる悪魔は最強なワケだから……お前達が俺達を倒せるようになるまで、お前達を狩り続ける」

「コイツ頭が終わっておる!」

「な〜。こいつヤベーっすよヨツナさん」

「じゃ、構えろ」

 

 そう言って岸辺さんは懐に手を入れ、特に表情を変えることなくデンジくんらの方に歩みを進めた。

 デンジくんらは状況を上手く把握できていないのか面倒くさげだが、良くも悪くも倫理観がないからか一応の臨戦体制を気だるく整える。

 

(あ、デンジくん死ぬな……)

 

 認識の甘さがあるようなので、少し声をかけてやろうとしたところでデンジくんの胴体から脳天にかけてナイフの応酬が繰り出される。

 

 そこで動揺することなくパワーちゃんがトンカチを振りかぶるが、一閃、喉元を切り裂かれた。

 

「ああ〜、早すぎません?」

「まずは二だ。一ノ瀬、俺より多く殺せば晩飯奢ってやる」

「うーん、カウント今からにしましょーよ。ずっこいですって」

 

 持ってきたクーラーボックスの中に敷き詰められた血液パックを開き、地に倒れ伏せた二人の口に注いでやりながら返事をした。

 

「うげぇ……鉄ん味がするぅ」

 

 すっかり傷の治ったデンジくんは上体を起こした。パワーちゃんは死んだふりをしていたので、私は無理に彼女の背中を押し上げる。

 

「早く立て。こっちは待たないぞ」

 

 かなりスパルタな指導に、私は呆れたように息を吐いた。

 

「はぁ……ええ店連れてってくださいよ」

 

 そう言いながらナイフを取り出す。二人には悪いが、これが彼らに対する指導なのだから仕方がない。

 

 まあ時間もあまりないようだし、それに彼らは直感に頼る戦いが得意なようだから、基礎を鍛えるよりはひたすら経験を積む方がいいのかも知れなかった。

 

(ただ岸辺さんが殺したいだけかもしれんけど……)

 

 そこのところは……考えないようにする。



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刺され切られ

「どこ狙われとるんかは、なんとなく分かるようなってきたんとちゃう」

「うげッ」

 

 まるで蛙でも踏み潰したみたいな情けない悲鳴が墓地に響いた。デンジくんの鳩尾に刃物が刺さった音である。

 

「かはッ……なん、でぇ……? 手で防いで……」

「そら腕力がはなからちゃうんやから」

 

 まるで豆鉄砲を食らった鳩のような顔が苦悶の汗を流していた。デンジくんが驚いた顔である。

 

 何度目か分からない絶命の予兆に彼は顔を真っ青にする。たらたらと腹から流れる一筋の血は、足を伝って乾いた地面に吸い込まれていった。

 

「うーん……まあ、ナイフに反応して防御できるようにはなってきたみたいやな」

 

 朝方から始まった指導は一方的なもので、デンジ・パワーの二人は私たちに傷はおろか触ることすらできないでいた。死んでは生き返り、生き返っては死ぬの繰り返しがうんざりするほど続いている。

 昼を過ぎてからはこちらの動きを防御するような反応を見せ始めたが、それでもやはり彼らは死んでいった。

 

「こっちはナイフ持っとるんやから、手のひらで防いでも貫かれてまうで。受け止めきられへん攻撃は、無理に防がんと避けた方がええよ」

 

 デンジくんの手のひらを貫通し、さらには腹部へと深く突き刺さったナイフを力強く抜いて言う。すると、それを隙と見てかパワーちゃんが後ろから襲いかかってきたので、私は振り向き様に首筋へと刃を滑り込ませた。

 

「!」

「避けられへん攻撃は、最小のダメージで受け流しや」

「言っとることが、めちゃくちゃじゃあ……!」

 

 どさっ、とパワーちゃんが地面に倒れた。

 あちゃあ死んじゃったかな? と心配になって彼女の肩を叩くが、特に目立った反応は見られなかった。

 ただの切り傷と、死に至る切り傷とでは消費する血液の量が違う。傷をふさぐ工程に加え、さらに蘇生のために血を要するらしいのだ。

 

「輸血パックももうだいぶ消費してもうたしな……」

 

 何度も開け閉めを繰り返したからか、クーラーボックスは既に保温の効果を失っていて、生ぬるくなってしまった輸血パックを手で数えながらあとどれくらい訓練ができるかを考えていた。

 

「デンジくん、あと十回くらいやるけどええかな?」

「じ、じゅうぅ……ぎゃあっ、おぎゃあおぎゃあ」

「聞こえとらんやん……」

 

 どういう原理か分からないが、時々こうして幼児退化してしまうので、その度に頭を何度か叩いてやる必要があった。

 

 パワーちゃんは自分で止血できるからか死ぬことはないが、デンジくんにはそういった特殊な力はないのでよく死にかける。おそらく幼児化するのは死の兆候だったりするのだろう。

 走馬灯でも頭によぎっているのだろうか。

 

「帰ってこ〜い」

 

 ビシバシ頭を叩くと、デンジくんはハッとしたように目を覚ました。その隙に口へ血を流してやると、不味そうに目端を歪めながら喉を鳴らして飲み込んでいた。

 

 パワーちゃんにも同じように血を与える。なんだか哺乳瓶で栄養を与えているような感じがして(そのうえデンジくんもパワーちゃんも中身が幼いので)、親鳥のような心持ちになるが、だからとはいえ手加減しようという気にはならなかった。

 

「うーん……」

 

 とはいえ、心の隅にある微かな良心がキリキリと痛む感じがする。

 時間がないから急拵えしなきゃいけないという理由は分かる。そうなると基礎を鍛えている暇がないというのも。だから私たちは二人の優れた身体能力や直感を最大限活用できるようひたすら経験を積ませるやり方を選んだ。

 

 しかし、今やっているのは一方的な蹂躙とすら評することができるだろう。指導というにはあまりに一方的な気がしてならない。

 

「ほんまにこれでええんですか? うち、こういうやり方やったことないんで合っとるんか分からんのですけど」

 

 そう岸辺さんに尋ねると、彼は煙草を吸いながら少し言葉を考えているようだった。

 

 最初は岸辺さんと二人で指導を行っていたのだがあまりに抵抗なく殺してしまい、そのため初日くらいは一体二でやったほうがいいだろうとのことで彼は煙草を吸いながら私たちの攻防戦を眺めていた。

 

 返答を待ちつつ輸血パックを片付けていると、作業が終わった頃合いを見計らって岸辺さんはこう言った。

 

「こいつらは馬鹿だから、なにか教えたところで素直に学ぶとは思えない。……なら、自分で見つけさせる方がいい」

「なるほど……?」

 

 見つけさせる……。てっきり「何度でも死ねるんだから死の恐怖をなくしたほうがいい」みたいな言葉が返ってくるかと思っていたが、彼なりに考えはあったらしい。(最初、何度殺しても壊れないおもちゃ、なんて言ってたので少し意外だった)

 

「殺すんはええですけど、輸血パックあとちょっとしかありませんよ」

 

 そう言うと、懐から取り出した時計を見て彼はこう言った。

 

「……そろそろ晩飯時か。一ノ瀬、どれだけ殺したか覚えてるか?」

「いえ……二十超えたあたりから数えるんやめました」

「ま、初日にしては上出来だろう」

 

 言って彼は歩き出した。どうやら帰るらしい。

 自由な人だなと思うが、これくらいめちゃくちゃな人でないとデビルハンターとして長くは生きていられないのだろう。

 

 私もすっかり帰る気分になって、クーラーボックスを担ぎ彼の背中を追った。

 

「晩飯どないします? 勝負は途中で辞めなってまいましたし」

「久しぶりに会うんだ。今日くらいは奢ってやる」

「いやったぁ……!」

 

 焼肉行きましょ、焼肉!

 

 上機嫌でクーラーボックスを振り回していると、墓地の方からリビングデッドが如く呻き声を上げて立ち上がる二人の影。

 

「ヨ、ヨツナさん……俺らン飯は……」

「冷蔵庫に豚汁ようさん作って入れといたから、あっためて食い! ほなまた朝な」

「豚汁! 肉か?!」

「俺も焼肉食いてぇよ……!」

「悪いがお前らに食わせてやれるほど金は持ってきてない」

 

 すまんなデンジくん、また今度ようさん食わしたるから……。

 

 

 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

 

「行っちまった……」

 

 夜が近いのか、段々と辺りは暗くなっていた。時間感覚が無くなっちまうくれえに殺されたんだと思うと、力の差ってのが嫌ほど理解できてしまう。

 

「ぐうぅ……あのジジイ強すぎじゃ……」

「ヨツナさんもマジ強えぇ……なんで死んだのか覚えてねえよ」

 

 とにかく速え。ナイフも動きも普通なのに、とにかく速くて攻撃が見えねえ。避けようにもタイミングが分からねえし、運良く避けてもどこかに傷がつく。

 手で掴もうとしたこともあるが、それだって手ごとナイフで貫かれた。

 

「分かんねえ……勝てる気がしねえ……」

 

 俺はチェンソーになれるけど、そうなったってなにも出来ず殺されるに違いない。勝ち負け以前に、俺は勝負の土俵にすら上がれてないんだろう。

 

 なにかが足りない。けど、その何かがこの足りない頭じゃ分からない。

 

「ちくしょう……教育テレビじゃこんなこと教えてくれなかったよ〜!」

 

 俺がそんなことを叫ぶと、それよりも大きな声でパワーが「分かった!」と叫んだ。

 

「分かった! アヤツラを倒す方法!」

「あ……?」

「あのジジイは超強い! じゃが酒で頭がダメになっておる! ワシらは頭を使えばいいんじゃ……!」

 

 頭、頭……頭?!

 

「なっるほどな〜! 頭を使う……! 漫画のキャラみてぇに闘えたらいいなって最近思ってたんだぜ……!」

「頭脳でアイツぶっ殺すか!」

「おう! そういや今日は頭全然使ってなかったぜぇ〜! 頭使えば強えに決まってるよなあ!」

 

 良い案じゃねえか! なんだか勝てる気がしてきたし、頭もぐんぐん良くなってきた気がする!

 

「……でもよぉ、ヨツナさんにゃどう勝つんだ? あの人は頭良いぞ?」

「あ……」

 

 そこで俺たちは黙っちまった。過去一番に冴え渡る頭でも、それ以上に頭の良さそうな相手に勝てる案が思いつかねえ。

 

「うぐうう、こ、か、勝てん!」

「……とりあえず帰って飯食おうぜ。腹減った頭で考えてもなにも思い浮かばねーよ」

 

 この時間帯は肌寒い。痛みもすっかり抜けて寒くなってきた。最近コンロの使い方を覚えたし、だから早く帰って豚汁温めて食いたい気分だった。

 

 しっかし、頭使えばジジイの方は倒せるだろうから、良い線いってると思うんだがなあ。




今週はチェンソーマンあります!明日の夜24:00!


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作戦会議

(デンジくん視点)

 

「うめえ、うめえ」

「あちゅい〜……!」

 

 家に帰るとホッとしたからか、玄関のあたりでぐっと身体が重くなって、そこから身体中についた血をシャワー浴びて洗い流すだけで体力が限界だった。だから食べ物が用意されてあったのはすげーありがたかったし、ぐつぐつになるまで火をかけりゃ良かったから余計な頭を使わないで済んだ。

 

 そうしてなんとか用意した豚汁を食べていると、欲張って豆腐を口いっぱいに頬張ったパワーが熱そうに口をあんぐり開けていた。ぐつぐつ沸騰するまで火を通していたから、豆腐はめちゃくちゃに熱い。それを冷ますことなく大量に食べようとしたのだから、ああやって湯気で前が見えなくなるほど口の中が熱々になるのは仕方ないといえばそうだった。

 

「はふはふ、……冷ませっつったろ?」

「うええ〜! とうふとってぇ」

 

 口を開けたまま喋っているので何を言っているのかよく分からなかったが、嫌そうに涙を流してるあたり豆腐をどうにかしてほしいらしかった。

 ったく、しょうがねえやつ……。

 アキがいない分、いつもの二倍こいつの面倒見てやらなきゃならねえ……。魔人ってのはどいつもこいつもこうなのかね? 俺も人のことは言えねえが、それでもちっとは俺の方がまともな気がした。

 

「吐けばいいだろ、吐けば。ほら台所」

 

 捨てるのはもったいなかったが、つっても他人のゲロを食うほど落ちぶれちゃいねえ。……うっぷ、嫌なこと思い出しちった。今じゃあの夜のことは思い出したくもない悪夢だ。頭ん中が泥みてえに最低になるから、さっさと気分を切り替えねえと。

 

 いま頑張って考えなきゃならねえのは、明日のことだ。明日、また俺たち二人は殺され続ける。けどそうなるのは嫌だ。でも嫌って言ったってどうにかなるわけじゃねえ……。自由に生きるには自分達の力でどうにかしなくちゃならねえんだ。

 

「しかしよぉ、明日はどうする? 相手はあのジジイとヨツナさんだぜ?」

 

 まだ口の中に熱さが残るのか、パワーはコップの水をガブ飲みしてからこう言った。

 

「男の方はワシに策がある! ワシの頭脳を使って考えたが、あやつは老いとるから動きがまだ遅い! 奇襲する!」

「奇襲だあ? あの平地で?」

「アホか! わざわざ相手の陣地に行くバカがおるか! ここで待ち伏せる!」

 

 ここっつうと、このアパートか……。まあ確かに、隠れるところはあるし、連携だって練習を何回かすりゃあ取れそうだ。

 

「いいな、それ!」

「じゃろう? もっと褒めてもよいぞ!」

 

 なんか行ける気がしてきた……! やっぱ俺たち頭が良くなってんだよなあ。今まで頭脳戦してこなかったのが不思議なくれえによお。

 ま、できるようになったんならこれからすりゃいーや。

 

 しっかし奇襲、奇襲ねえ……。

 

「俺たち二人いるんだからよ、前と後ろで挟んだらなんとかなるんじゃねーか? 同時に行きゃあ傷くらいつくだろ」

「名案じゃなあ……! ワシもそう言おうと思っとったところじゃ!」

「ホントかぁ?」

 

 ずるずると豚汁を啜る。肉が入ってるから美味え。なにより汁物だから身体があったまる……。

 今頃ヨツナさんは焼肉食ってんのかなあ……。マキマさんも、どっかで美味いもん食ってんのかもしんね……。

 

「問題はヨツナさんだよ、あの人は頭使っても勝てる気しねえぜ」

「ウーム……」

 

 すっかり豚汁も食い終わって、腹も一杯になったけど、それでもヨツナさんに対してどうするべきかがどうしても思いつかなかった。

 それに最近気付いたことだが、飯は腹一杯になるまで食うとなんだか眠くなる。朝っぱらから気絶しては殺され気絶しては殺されの連続で疲れてるのもあってか、すげえ眠くなってきた。

 パワーのやつも必死に考えてるようで、いつの間にか寝てた。

 

「……あ!」

 

 だが、そこで俺は足りない頭で考えた!

 頭のいいやつに勝てねえなら、同じくらい頭のいいやつに聞いてみればいいってことに!

 っつうわけで、俺はヨツナさんに電話をかけることにした。

 

『……はぁ、なるほど? それでうちに電話してきたんか』

「そっす」

 

 時間は九時過ぎでまだ寝る時間でもないからか、まだどこかで飲み食いしているのだろう。前に行った飲み屋みてえにガヤガヤした音が電話越しに聞こえてきた。

 

『ふうん……なあデンジくん。一つ聞きたいことあるんやけど』

「なんすか?」

『うちから見て、デンジくんってどういう立場やと思う?』

 

 不思議な質問だ。ヨツナさんから見た、俺……?

 いっつも俺、食う飯もらって、家事洗濯教えてもらって、たまに料理教えてもらって……。パワーに限っては風呂入れてもらって服着せてもらって、飯食わせてもらってた……。

 

「うーん……子供?」

『ちゃうわアホ! 敵や、敵! 今日散々殺し合ったやろ! 殺し合う親子がどこにおんねん!』

「あーなるほどなあ」

『ホンマに分かっとるんか? ……ま、ともかくうちらは敵や。つまり、うちがデンジくんに戦い方教えるゆうんは、敵に「自分はこうやったら倒せますよ〜」って教えるんとおんなじやっちゅうこっちゃ』

 

 んー、まあ確かに、今日は散々殺されまくったしなあ。

 ほとんど気絶してたから記憶も飛び飛びだが、確かに考えてみりゃ敵なのか。

 

 眠気がだいぶ強くなってきたので、ぽやぽやと重くなってきたまぶたを擦りながら考えてると、少し声を小さくして秘密話みたいにヨツナさんはこんなことを言ってくれた。

 

『……っちゅうてもや。うちも今回の指導に関してはどうかと思うところもある。せやから、ちょっとだけやけれど助言したるさかい、よう聞いときや』

「いいんすか?」

『分からんけど、まあええやろ。もともとうちは指導に来たわけやしな。……せやけど、なにもかも教えるゆうわけやないで? ヒントやるだけやから、ちゃあんと自分で考えや』

 

 よう聞きや、と念を押してヨツナさんは話した。

 

『デンジくんの身体は特殊や。他の人と違う。……その違うところは必ず君の武器になる。せやから、そこをどれだけ有用に、突飛に活用できるかが勝敗の分かれ目言うても過言やない』

「なるほど……俺ん身体……」

『せや。……これ以上はなし!」

 

 ほなな、と、それだけ言ってヨツナさんは電話を切った。

 

 俺ん身体、他のやつとは違うところ。

 ああ! 閃いた! これならいける!

 やっぱ頭使わねえとダメだよな〜!

 

 

(ヨツナ視点)

 

 

 呆れ、ため息をついて、私は暖簾をくぐり店の中に戻った。

 カウンター席に目を向けると大きく酒を煽る岸辺さんの姿が。焼肉屋は一度出て、本格的に飲もうと居酒屋へ場所を移したのだ。

 

 携帯電話を懐にしまって席に着くと、「なんて言ってた」とこちらに目を合わせることなく彼は尋ねてきた。

 

「どうやったら勝てるか、教えてほしい言うてましたわ」

 

 そう私は丁寧に答えた。そして彼を倣うように大きくジョッキを傾けた。話の内容は近況報告や上の動向など、仕事の話ばかりである。まあ仕事しかしていないのだから世間話のような話の種は少ない。せいぜい美味い食い物の店の話をするくらいで、こんなの酒を飲みながらでないとやってられない。

 こうして酔っていないとオンオフの切り替えが難しいのだ。

 

「なにか助言してやったのか」

 

 気になるのだろうか、咎める様子はないが重ねて訊いてきた。

 私は一瞬答えるか迷ったが、まあ知られたところでデンジくんらに有利不利のある話でもなさそうだったし、なにより岸辺さんならある程度想定はつけてあるだろうから話すことにした。

 

「ま、遠回しにですけど、君らん身体は特異やねんからその特異さ活かして戦え言いました」

「そうか。まあ九十点ってところか」

「……あとの十点は?」

「あいつらに遠回しな言い方をして素直に伝わるとは思えねえ」

「あ……」

 

 確かに、と言葉が小さく口から漏れた。

 デンジくんら、ちゃんと理解してくれてたらええんやけど……。




アニメ良かったですね!


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実践、のち反省会

 翌朝、飲み過ぎで頭痛のする頭を抱えながら待ち合わせの墓地に出向いたが、約束の時間が過ぎてもデンジくんらが現れることはなかった。岸辺さんと二人して顔を見合わせ、「逃げたんですかね」「寝坊か?」などと言葉を交わし、しばらく待ったあとデンジくんらの住む家へと足を運ぶことにした。

 

 念のため電話もかけたが応答の気配はなかったので、実際に見に行くことにしたのだ。

 

「あいつら、俺の指導サボりやがったな……」

「まあ昨日は朝から晩までずっとやっとったわけですし、疲れて寝とるだけかもしれませんよ」

「だといいんだが。……反発するようなら、できなくなるまで殺すまでだ」

 

 階段を登り切ると、風に乗ってつんと鼻をつく血の匂いがした。それは朝の涼やかな風には不似合いな生温い手触りであった。昨日はたくさん殺し合ったので、そのとき彼らの身体についた血が床に付着して残っているのかもしれない。あとで掃除するよう言っておくべきかと思いながら血痕を探すが、それらしいものはどこにも見当たらず、不思議さから首を傾げた。

 

「どうかしたか」

「いえいえ、なんも」

 

 キョロキョロ周りを見ていたから不審に思われたらしい。岸辺さんは眉根を寄せて訝しげにこちらを一瞥した。

 ま、今はデンジくんたちの指導が最優先だ。昨日電話したときは元気そうだったけれど、今朝のこの消極的な態度からしてなにも思いつかなかったのだろうか。……もっと分かりやすく言った方が良かったかと思いながら、指導をサボっているのならそれ相応の対処はしなければならないなと、物憂げに頭髪をかいた。

 

「ここです」

 

 いくらかある番号を見比べて、そこがデンジくんらの住む部屋だということが分かった。表札にはご丁寧に早川と書かれてある。

 

「…………」

 

 部屋の前はやけに静かだった。バタバタ忙しく朝の支度をしているわけでも、また寝息が聞こえてくるわけでもない。まるで誰もいないみたいに──それこそ、そこにいる何かが息を殺して今か今かとチャンスを待ち構えているかのような、獰猛な静けさであった。

 

 なるほど、これが彼らなりの作戦なのか。

 となると血の匂いの出どころもある程度察しはつく。デンジくんとパワーちゃんの二人で、彼らなりに頭を絞って考えたのだろう……私にバレてしまっている時点でダメと評価するのはさすがに可哀想であるし、なによりひとまず引っかかってみないことにはなにも判断できないと考え、既に彼らの罠の中にいると分かっていながらも呑気な声で名を呼んだ。

 

「デンジくーん? パワーちゃん?」

 

 言いながらインターホンを押した。岸辺さんはそれを後ろで見ている。だが呼び鈴の余韻が消え去っても特別変化がないので、どうしたものかと肩をすくめて岸辺さんの方を振り返った。

 

 その時である。

 まるでタイミングを見計らったかのように廊下を駆ける足音が聞こえたのだ。咄嗟に構えをとったその瞬間、扉がメリメリと裂かれ、そこから突き抜けるように槍が飛び出してきた。

 

「!」

 

 飛び出してきた槍を避けようとしたが、後ろに岸辺さんがいるのをすんでのところで思い出し、的確に頭を狙って振り抜いたのだろう槍を左手で掴み叩き折った。

 勢いそのまま返しの力で槍を投げ返そうとしたが、間髪おかずに上から複数の槍が降ってきた。

 否、降ってきたというより生えてきたと言った方がいいのだろうか。一人の人間では補きれない数の槍が同時に現れたのだから。

 

 おそらくこれはパワーちゃんの力を使ったものだろう。タイミングはズレてしまっているが、一人じゃ対応しきれないように同時に攻撃することで、なんとか傷をつけようという意思が感じ取れる。

 だが生憎、こちらは二人いるので、岸辺さんがなんの驚きもなしに天井から降り注いだ槍を殴り折った。

 

「よう考えたな」

「タイミングが合ってないな」

 

 折られた槍がバラバラと形を崩して地面に散った。色から察するに、血からできているらしい。さっき匂いがしたと言ったが、おそらくこれが匂いの元だったのだろう。

 

 しかし気になる。今のところ使われているのはパワーちゃんの力だけだ。となると、デンジくんはどこにいるのだろうか。

 

 横から来て、上から来て、となると次は下だろうか?

 そう考えていると、突如横からブゥゥンとエンジンをかけるときに鳴る独特の音がした。通路でも、扉でもなく。その音の発生源は“外”だった。

 

「死ねぇ!」

 

 デンジくんはチェンソーの悪魔になれる……。上の階から外を伝って現れた彼は、“頭だけ”チェンソーの姿にして強烈な頭突きを行うのだった。

 

 

 

 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

 

 

「奇襲作戦はまあええやろ。頭よう使った方や思うわ。せやけど……」

 

 あれから何度か死んで馬鹿になったデンジくんを伏し目がちに見る。

 

「頭使うってそういうこととちゃうやろ?」

 

 奇襲作戦までは(容易に防がれたとはいえ)成長の兆しがあるものだった。今まで使ってこなかった頭を頑張って使ったんだろうなと、ある程度の推察ができる。

 ただ、だからって“そういう頭の使い方”は得点をあげられるものではない。

 

「頭だけチェンソーになるゆうんは、失血する量を減らす策なんやろうけど……」

 

 チェンソーの悪魔になれるのならなった方がいい。ただの人間であった頃に比べて明らかに身体能力が上昇するし、なによりチェンソーという複雑な傷跡を残す武器は血を用いて回復する悪魔相手に非常に有用だ。

 一文字に肉を切られただけなら傷跡は綺麗なのでただ繋ぎ合わせるだけで十分に動かせる場合が多い。ただ傷跡がぐちゃぐちゃになっているとそうはいかない。欠損した肉片の再生、失った血の補填、なにより複雑に混じり合った肉や骨を再構成する必要が生まれる。

 

 正直言って彼の刃は厄介だ。もっともそれも、攻撃を喰らうようなことがあればの話だが。

 

「せめて頭の他に一つくらいチェンソーにしとかな利点ないやろ? 頭突きしかできやんとかむしろデメリットやで」

「う〜ん。難しいんすよね、これが」

「アホ言っとらんと練習し! 昼までにできやんかったらご飯抜きやからな」

「昼飯あるんすか!」

「用意しとる!」

 

 お昼ご飯の話をするとデンジくんは嬉しそうに表情を明るくした。どうやら昨日用意しておいた豚汁は夜のうちにすっかり食べきってしまったらしく、どこからともなくお腹の鳴る音が聞こえてきた。

 

「パワーちゃんは……さっき岸辺さんに言われとったな。血の使い方、量考えてやりや」

 

 彼女に関してはとにかく多量に、とにかく派手にという特徴がある。それは威力こそあるがそれだけで失血からすぐに倒れてしまうのが難点であった。そこさえ改善できれば、継戦能力も十分なものになるだろう。

 

「しっかし……」

 

 そうして叱責をする私を、岸辺さんはタバコを吸いながら遠目から見ていた。昨日もそうだが、指導にあまり深く関わってこようとしていないように感じる。

 

「岸辺さん、ええんですか? ……うちが言うのも変ですけど」

 

 普段なら率先して組手(という名の殺し合い)に参加してきそうなものの、岸辺さんは改善点を少し述べるくらいで遠目から俯瞰しているのだった。

 

 私はあんまり殺し合うのに乗り気でなかったからそれで良くはあるのだが、岸辺さんがこうも大人しいと不気味に感じてしまうのだ。

 

 不信感もあって尋ねると、岸辺さんはタバコの煙をくゆらせながらこう答えた。

 

「技術を教える気はなかったが、お前のやり方も悪くはないと思った。だから、しばらく任せることにした」

「はあ?」

「悪魔との闘い方は俺が秀でてるが、悪魔としての闘い方は分からない。こういうのは、お前の方が秀でてる」

「はあ……」

 

 信頼されているのか単に放任されているのか……。

 

 ふと気になってデンジくんの方を見ると、片手だけ片足だけチェンソーというのは難しいらしく、感覚もうまく掴めていないのか両手の指をわきわきと開いたり閉じたりしている。

 うーん……これ上手くいけてるのかな?

 

「しかし、昨日の夜の電話だが……」

 

 ものぐさに岸辺さんは話し出した。

 

「お前、元はどういう目的でアドバイスしたんだ?」

 

 確認の意味もあるのだろう。岸辺さんならよく分かっていることだろうが、私にこうして確認を取ったのはなにかしら指摘をしようと考えているからかもしれない。

 助言をいただけるのならありがたいと、私は素直に胸の内を話した。

 

「元々うちが言おうとしとったんは、怪我することを怖れんなっちゅうことですわ」

 

 拳と手のひらをパシンと叩き合わせ、まっすぐな目で前を見た。

 その目線の先ではデンジくんとパワーちゃんがあれこれ自分の身体で試行錯誤をしている。

 

「欠損したとしても、血を飲めば元に戻る。……今の彼らは強敵を相手に無傷で勝利するなんて不可能や。泥臭い戦いしかできひん。せやから、肉を切らせて骨を断つ、骨を断たせて臓を突く……それくらいの気概がないと勝ち目ない言いたかったんです」

 

 そのために私は“彼らの半不死性”について言及した。悪魔、魔人としての特異性。傷だって欠損だって血さえあればすぐに治ってしまうその立ち姿は化け物と形容して違いない。

 

「刺し違えてでも殺すゆう気持ちがあれば、格上にも勝ち得る……!」

 

 拳を強く握って、私はそう語った。

 すると岸辺さんはこともなさげにこう返してきた。

 

「それに関しちゃ、心配はいらないだろう」

「? どういうことです」

「あいつらは立派に狂ってるよ」

 

 薄く笑って、彼はタバコの火を消した。

 私も同じように笑っていた気がする。



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人情

 デンジくんたちの飲み込みは早く、アドバイスを曲解する癖はあるものの一週間もしないうちに以前とは見違えるほどの成果を見せ始めた。

 二対二ではさすがに分が悪いとのことで、二日目からは岸辺さんと私とで交代交代に組み手の相手を務めていたのだが、それでもやはり私たちがデンジくんらよりも強いことに変わりはなく、彼らは一方的に嬲られ続ける苦戦を強いられていた。

 だが彼らも負けてはいない。繰り出す打撃、斬撃の中には次第に際どい攻撃が増え始め、連携も徐々に重みのあるものへと変化し、フェイントであったり自傷を顧みないカウンターが織り交ぜられるようになったりと、デンジくんらの攻め手は時間と共に複雑さを増していった。

 

 そこでようやく気付いたのだが、彼らは戦いの中で頭を使おうと努力していた。それも自然とそうできるようになったというわけではなく、意識的に行っているようなのだ。的確に弱点を狙うようになったし、足を引っ掛けようとしてきたりなどの搦手もおぼえ始めた。

 きっと戦闘における才覚はあるのだろう。素の身体能力が優れているのもそうだが、なによりこの危険を顧みないメチャクチャな訓練が彼らには非常に効果的なようだった。

 

「どうです、二人は」

「まずまずだな。想像よりは良い」

 

 痛みをバネに。恐怖を力に。

 私自身、彼らの成長は実感している。危ない瞬間は何度かあったし、私のナイフも数度躱されることがあった。急所をずらされ殺し損ねることもあった。

 成長は著しい。どんどん良いところを伸ばして、どんどん強くなっている。

 

 数日経つと、デンジくんは片手だけをチェンソーにする術を身につけ、その翌日には片足だけをチェンソーに変えていた。瞬間的にチェンソーを繰り出すことで間合いを伸ばしたり、あるいは高速で移動したりと、力の応用まで見せるようになった。

 

 パワーちゃんも血を多くは使いすぎぬよう、自分のもの以外の血を操作する方法を編み出した。元々止血をするために血を固めたりするようなことはやっていたらしく、その応用として相手を切り付けたときに流れ出た血を用いてより傷口を広げたり、血溜まりから槍を生み出したりと、その力は多岐にわたる。

 たくさん血を飲み悪魔としての力を強めれば出血させずとも内側から刃を出すなどの芸当が可能らしいが、現状それを許すことはできないのでその応用ということだろう。

 

 そんなこんなで彼らは自分達の持ち味を生かしつつ戦闘の経験を高めていった。

 

「っ!」

 

 ある日、ようやく彼らは岸辺さんの頬に一筋の切り傷をつけることに成功した。

 岸辺さんは息一つ乱しちゃいなかったが、頬から伝わる鋭い痛みと彼らが倒れ伏せている様子とを味わうように眺めてから、「よし」と一言呟いたのだった。

 

 ひとまずは合格らしい。彼の持つ基準をデンジくんらは満たせたようだ。

 そこから今の組み手を評価し、珍しくアドバイスも付け加えて、そして岸辺さんはこう言った。

 

「指導を踏まえて明日に実戦だ」

「実戦?」

「特異課の連中をぶっ殺したサムライソードとヘビ女を俺達全員で捕まえに行く。新四課のお披露目式だ」

「早いとこ言うと、成功したら美味い飯、失敗したらうちらとマジバトルっちゅうこっちゃ」

 

 デンジくんたちはよく分かってなさそうな顔をしていたので、理解のしやすいように言葉を付け加える。

 ふーん、とデンジくんは興味なさげだった。自分のことがどうでもいいというか、あまり頭が働いていないのかもしれなかった。だって、こんなことを言ったりするのだから。

 

「そん時ゃ俺は先生たちを殺さないで見逃してやるよ」

「は?」

「俺を強くしてくれたからな。これでもっと、悪魔を殺せる。……そうなりゃマキマさんとランデブーよ!」

 

 アホらし。目の前にいる人たちが敵になるかもしれないというのに。デンジくんは相変わらず明るく元気で、なにも分かっていないんじゃないかと心配になるほどだった。

 けどその明るさや能天気な態度が、彼らの良いところでもある。

 

「アホなこと言っとらんでな。明日は朝早いんやから、さっさ家帰って寝ぇや」

 

 晩飯はレンジでチンするだけでいいグラタンを作っておいたので、メモ書き通りチンして食べるよう伝えた。

 私はまだ用事が残っていたので、家まで見送ることはしなかった。

 

 さて、指導がひと段落ついたことをマキマに報告しなくては。

 支給された携帯電話を用いて彼女にメールを送ると、すぐに返信があった。岸辺さんのところにも届いたようで、その内容は要約すると『お礼がしたいのでどこそこまで』というもので、二人で顔を見合わせて、待ち合わせ場所まで向かうことにした。

 

 それなりに遠い場所だったので、移動しているうちに夕暮れになっていた。岸辺さんとは特に会話などない。先日飲みに行った際あらかた話したので、話の種はとうに尽きていた。

 お互い気まずいさを感じるような性格でもなかったので黙ったままでいたのだが、突然なんだか疲れたような声で岸辺さんは私の名前を呼んだ。

 思いもよらなかったので、驚きながら私は聞き返した。

 

「なあ、一ノ瀬」

「? なんですか」

「俺はもうアイツラが嫌になってきちゃったな」

 

 嫌になった。その言葉の意味を考える。

 そのままの意味ではないだろう。ましてや、頬に傷をつけられた負け惜しみなんかでもないはずだ。

 

 となると、情でも湧いたのだろうか。

 長生きなデビルハンターは人間としてなにか欠陥を抱えているものだが、岸辺さんはギリギリのところで僅かながら情を抱く部分があるのかもしれない。

 それを酒で誤魔化して、頭がダメになるまで誤魔化して、そうしてやっと生きていられるのかもしれない。

 

「育てた犬が死ぬと酒の量も増える。老いてくるとくだらねえもんに情を持っちまう。……お前はどうだ? いるんだろ、部下が」

 

 言われてさまざまな人の顔が現れては消えていく。最後に二人の顔が脳裏に浮かび、またモヤのように消えていく。

 

「うちは……部下が死ぬといっつも悲しなります。いま一緒におる奴らは一番付き合い長いですし、たぶん泣いてまうかもしれません」

 

 でも、と続ける。

 

「でもデビルハンターは死ぬんが仕事でしょ」

 

 覚悟はできているのだ。大切なものを失う覚悟を持って、それでたっぷりと情を注いでいるのだ。

 いつか落ちてしまう線香花火に消えないでと祈ることはあっても、本当に永遠にそのあかりを灯し続けていられるとは思っていない。

 

「悲しさを感じるところとはまた別に、心には冷たいところがある。うちはその冷たさに頼って生きていきますよ」

「……そうあれるなら、どれだけいいか。俺はお前が羨ましいよ」

 

 岸辺さんはタバコを吸おうとして、切らしているのに気付いたのか潰してポケットに戻した。

 

「マキマのやつは俺に指導を頼んだが、お前の方が適任だ。今後のことは頼んでもいいか?」

「……やですよ。うちも仕事あるんですから」

「先輩の言うことくらい聞いておけ。お前にとってもタメになる」

 

 ほんとうだろうか……? 単に仕事を押し付けられているだけのように思えてならない。

 

「しばらくデンジくんらとは一緒におるんで、その間なら別に構いませんけど。けど、たまには様子見に来てくださいね」

「ああ」

 

 酒焼けしてしゃがれた声。私にはそのただの相打ちが、ひどく悲しいもののように聞こえてしまった。




今週はチェンソーマン二部連載あります!


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料亭にて

「ごっそさんでした」

 

 手を合わせて言う。するとマキマが満足したように「美味しかった?」と訊ねてきたので、「うん、うまかった」と素直に返事をした。

 机の上から料理がなくなっても岸辺さんは熱燗をちびちびと飲んでいたが、マキマと私は食事もそこそこに仕事の話をし始めた。とはいってもそこまで固いものじゃない。元々この食事はデンジくんらの指導の礼という名目があり、マキマを交えた三人で行われる気安い食事会なのだから、ちょっとした愚痴や仕事の不安などを吐露するような場所であった。

 

 ただ飲むだけなら居酒屋でも良かったのだが、なにぶんお互い身分も偉くなったので、たくさん人のいるような場所ではできない話ばかりすることになるだろうと思われた。そのためマキマが気を遣って、こういう人気のない店を選んでくれたようだ。

 

「私は美味しい食べ物が好き。美味しいお酒が好き」

 

 既に空になった器の数々──陶器や漆喰の茶碗やら、高そうなものが並ぶ──を眺めながらマキマは言う。

 

「今やってる事案が終わって、休みができたら、どこか繁華街にでも行って食べ歩きでもしない?」

「ええなあ。大阪は美味いもん多いで。来いや」

「いいね、大阪」

 

 マキマは根っからの酒好きだが、この後の仕事に差し支えるとのことで飲酒は控えていた。すっかり夜も更けてきたというのに、まだ仕事があるとは大変だ。

 私も明日に響くからと飲酒はそこそこ終え、二人してただの茶を飲みながら話をしているのだった。

 

「大阪は前から行きたいと思ってたんだけどね。管理職になると、なかなか東京から離れられなくって」

「あー……京都とかは仕事で行くこともあるみたいやけど、大阪はそうでもないんか?」

「大阪はほら、たこ焼きとかお好み焼きとかが美味しそうだなって思ってるけど……接待で出される料理じゃないから」

「せやなあ、高い食いもんとちゃうしな」

 

 となると、店で買って食べたりというのはしたことがないのだろうか。駅で探せばたこ焼き屋くらいありそうなものだが……会食を食べる前や後にはあまり適していないのか。

 

 あんまりそういう上の人と話をしたりする経験がなかったので、それはそれで大変だなと思いつつふと思ったことを口にした。

 

「それやったら、うちが作ったるやん」

「いいの?」

 

 とマキマは意外そうにこちらを見た。

 私は少し笑いながら「ええよ」と返事をする。

 

「家からたこ焼き器持ってきとるし、お好み焼きもホットプレートあれば作ったる」

「……いいね、楽しみだな、ヨツナのたこ焼き……懐かしいね。前に食べたのいつだろう」

「うーん、言うても時々食うとったやろ?」

「そうだけど、でも」

 

 とマキマ。

 

「研修時代によく食べてたから、思い出の味だよね」

「そないにええもんでもないわ」

 

 謙遜混じりに鼻を擦る。未熟な頃の自分を思い出すと少し照れくさくなるのだ。

 あの頃はまだ料理も覚えたてだったから、たこ焼き一つ綺麗にひっくり返すだけでも苦労したものだ。

 

「そういえば、デンジ君とパワーちゃんはどう? 元気にしてる?」

「あーもう元気元気。朝昼晩、飯食わせに家行ったってるんやけど、もう嫌になるくらい元気やわ」

「へえ、ご飯って手作り? 大変だね」

「言うてそんな凝ったもんでもないけどな。汁物作ったったり、肉焼いたるくらいで」

 

 パワーちゃんは野菜嫌いらしいから気をつけた方がいい、とか。野菜は嫌いだけど大豆からできた豆腐は食べてた、とか。あとはデンジくんは最近よく教育テレビを観ているだなんて、そんなくだらない話を繰り返した。

 

 しばらく話し込んで、そろそろ帰ろうかという話になったところで、不意に岸辺さんが空になった酒瓶をお盆に戻しながらこんなことをマキマに尋ねた。

 

「……明日の作戦、お前はどうするんだ? 忙しいとはいえ、ある程度書類作業もかたはついてるんだろう」

 

 明日、デンジくんとパワーちゃんが属している特異四課は、サムライソードとヘビ女のいる雑居ビルに乗り込み派手に戦闘をすることになっていた。

 アキくんは戦闘が出来るようになるまで回復したと天童黒瀬から聞いているので、きっと彼も参加するのだろう。

 

 そんな中で、彼らの上司とも言えるマキマはその時どうするのか、岸辺さんは気になっているらしかった。

 

 マキマは岸辺さんの方を真っ直ぐに見つめて、すぐにこう答えるのだった。

 

「私は今回の事件の主犯格である人物に関与があると思われる組織にあたりをつけましたので、実際に話を聞きに行こうかと」

「居場所はわかってるのにか?」

「彼らは銃を使っていました。その入手ルートを探らなければなりません」

 

 銃、か。

 確かに彼らはどのようにして銃を入手したのだろうか?

 事件が起こった日、町中を走り回って片っ端から銃を集めたが、かなりの量の銃と弾丸を回収するハメになった。今のこの社会において、ああまで下っ端までにも流通させることができたということは、なんらかの取引ルートがあると考えて良さそうなものだ。

 

「そうか……ま、お前が現場に参加するとなれば、新四課のお披露目もあまり意味ないだろうしな。……となると一ノ瀬、お前も来はしないのか」

「うちですか? うちは、うーん……観にいこかなとはとは思いますけど、戦いはしないでしょうね」

「? あれ、ヨツナって明日暇なの?」

「えぁ? うん」

 

 曖昧に返事をした。一応、特異四課は悪魔や魔人だらけだと聞くので、もしものために控えていると考えれば暇というわけじゃないが……ただ自由に動けるという点では間違いなく暇だ。

 

 マキマは少し考えるそぶりをした後、こんなふうなことを提案してきた。

 

「ヨツナも明日一緒に行こうよ」

「は? 行くって……ヤクザのとこ?」

「そう」

「嫌や」

 

 ヤクザとか明らかに厄ネタだ。そもそもマキマが行おうとしているのは情報戦というか、交渉になると思うのだが、なぜそこにデビルハンターの私が必要となるのだろうか?

 

「うち、交渉とか苦手やし。……っちゅうか、護衛としていくにしても、もうそういう人ら用意しとるんとちゃうん?」

 

 嫌そうな顔をして話すと、こんな返事が返ってきた。

 

「そうだね、あんまり大勢で行くと警戒されちゃうかもしれないから、一人で行くつもりだったよ。……ううん、警戒はされてると思うんだけど」

「はあ……なるほど? ほなうち一人増えたとこで、そんなに差はないんか」

「そう。それに……一人じゃ不安だから」

 

 不安、なんて言葉がマキマから出てくるとは驚いたが、まあ方便というやつだろう。

 

 正直、マキマ一人でなんとかなりそうな事案ではある。今でこそ書類作業に追われてすっかり中間管理職の面をしているが、ああ見えて今でも現場に赴き悪魔退治を行うことがある。内閣府直属のデビルハンターという看板に嘘偽りはなく、彼女の実力は遥かに高いのだから。

 

 もちろんその実力は人に対しても有効だろう。今でこそ彼女は人を遣い仕事をするが、研修時代はその実力を遺憾なく発揮していた。

 

「ねえ、お願い」

「いや、いやあ……」

 

 しかし、いくら同期からのお願いとはいえ、ヤクザのところに行くのは気が引ける……勝てないわけじゃないが、あの手の輩はシンプルに面倒なのだ。

 それに私にだって守らなければならない部下がいる。なるべく厄ネタに首を突っ込みたくはない。

 

 ただ、人から頼られると強く断り切れないのが私の悪いところでもあった。悩みに悩んだ末、苦しく息をするように答えを出した。

 

「ううん、まあ、ええけど」

「いいの? やったね」

 

 嬉しそうにマキマは顔を綻ばせた。

 正直言って気は重かったが、マキマが喜ぶならそれでいいかと、半ば諦めた表情で茶をあおる。

 そんな私の苦しんだ様子を、岸辺さんは珍しいものを見るかのような好奇に満ちた目で見つめていた。見てないで、助けてください……!



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レッツゴー・ドライブ

 翌朝。気は進まないもののマキマに連れられ、車に乗って海辺の別荘地に向かっていた。自動車運転の免許は失効していたため車はマキマの運転であった。

 朝方に公安の駐車場にて待ち合わせていたのだが、普段から仕事で用いられている車だからか斧やらナイフやらの物騒なものがトランクの中に積んであり、相手方に見られれば厄介なことになりそうだとそれらをシートの下に隠してからの出発である。

 

 武器を隠している途中、後部座席に小さな紙袋が置いてあったのでこれがなにか訊ねたところ、「ああそれね。手土産かな」と適当にはぐらかされた。

 まあ、私のものでもないのでそれ以上触れることはしなかった。

 

 車はいつも黒瀬か天童のどちらかに運転してもらっているのだが、今回の案件は悪魔とはまた別種の危険性があるので今日ばかりは別行動を取ることにした。というわけで、免許を持たない私は論外として、残ったマキマが車を運転していた。

 私はともかくマキマも部下一人乗せないのかと疑問に思ったが、襲撃事件により急な人手不足を抱えた特異課がいま現在別の場所で作戦遂行中であるのを鑑みるに、こうして一人で動かなければならない事情も察せられた。

 

 というわけで車中は二人きり。どれだけ周りを見渡してもマキマの部下が後ろからついてきているというわけでもないようなので、今回の仕事は完全に私とマキマの二人で行われるらしい。

 

「…………」

「音楽でもかけようか」

 

 慣れた手つきでCDプレイヤーを操作する。チープな電子音とともに、画面に表示された曲のトラックが移り変わっていくのが見えた。

 

「うーん……」

 

 連日仕事続きであったろうから車の運転くらい変わってやりたいものだが、いかんせん免許がないので助手席に座りながら歯がゆい思いをしていた。

 なにかしてやれないものたろうか。こうして黙っている私に気を遣ってくれさえする。なにも役に立てていないようで気まずい。

 

「水飲ませたろか? お腹減ってない? 飴ちゃんでも舐める?」

「なんだか親切だね。どうかした?」

「いや、どうもしやんけど」

 

 来る途中でコンビニに寄って買った飴玉の袋を開け、ドリンクホルダーのところに挿し入れた。そうして、そこから一つ飴玉を取ると、包装用紙を剥がして自らの口に放り込んだ。

 

 気紛れに飴玉を転がすとコロコロと音が鳴る。甘味を感じたからか、少し気が紛れた。そんな私の様子を見て興味が湧いたのか、「一つもらおうかな」とマキマが言ったので、また一つ飴玉を取り個包装を剥がし、口元まで運んでやった。

 マキマもコロコロと口の中で飴玉を転がしているのが音で分かった。

 

「今日の仕事はヤクザとの話し合いやろ? 素直に教えてくれるやろか」

 

 ちょっとだけ心配に思っていることを呟いた。

 正直、むくつけき漢どもが皆揃って銃を構えていたとしても傷ひとつつかない自信がある。肉弾戦でも結果は同じだ。

 ただどうも私は話し合いというのが苦手だ。戦いに使う頭はあっても、政治だの謀略だのに振り分けるステータスがゼロなのだ。

 

「ヨツナはこういうの苦手だっけ」

「苦手も苦手。うちは根っから拳で語り合うタイプの人間やから」

 

 言って、確かめるように拳を開いたり閉じたりした。

 

「昔バディ組んどったときもそうやろ? マキマは悪魔使うてあれこれやっとったけど、うちはひたすら殴って切って蹴ってやった。上司とも折り合い悪うて、結局まともに昇進できやんかったしな」

 

 そう考えると、マキマはとても上手くやっている。私は窓際部署のようなところで働いているのに対し、今や彼女は特異課を管理下に置いているのだから。

 

「きっと得意不得意があるんだよ」

 

 とマキマは言うのだった。

 

「それに私は、ヨツナの思うほど器用でもない。京都のお偉いさんは怖いし、デンジ君のことだって……正直なところ上手くいってるかどうか自信ないかな」

 

 珍しく呟かれた弱音に、私は意外さとともに親しみやすさを感じた。

 

「デンジくんのことは、マキマがそんなんするんやって、うち意外やったわ。慣れへんことしとるんやったら人に頼りや。うちもせやけど、岸辺さんとかおるんやから」

「……そうだね。そうする」

 

 しばらく車を走らせていると、海岸線のあたりを走るようになった。窓を少し開けてみると湿気の含まれた風が額を擦っていく心地が大変よかった。

 

 近頃は何度かマキマと顔を合わせていたので、話すような話題もとうに尽きてしまい、車内は物静かだった。気まずさはなく、むしろ心地よささえあったが、こうして二人でいるのはとても貴重な気がしてもったいないような気持ちが沸々と湧いてきた。

 

 気を紛らわすために頬杖をついて、窓の外に広がる海を覗いた。ただずっとソッポを向いているのもつれないので、時たま前を向いたり、マキマの顔をチラリと見たりした。マキマは顔色一つ変えないで運転をしている。海岸沿いのS字カーブを難なくクリアし、潮風を切って目的地に進んでいる。

 

「黒瀬くんと天童ちゃんは、今どうしてるんだっけ」

「ん? ああ、あの二人?」

 

 気を利かせてくれたのだろうか、私の不審な様子を見てマキマは気安く尋ねてきた。

 

「二人は今、岸辺さんとこ行っとるわ。指導やのうて、例の作戦に加わっとる」

「なるほどね。今こっちは人手不足だから、助かるよ」

「ええんよ。うちらの部隊は困っとるとこ手助けするんが仕事やから」

 

 しかしここ数週間、悪魔を倒していないなと、久し仕事をしていないような感覚に陥った。もちろんデンジくんやパワーちゃんと殺し合いはしたが、それでも本当の意味で敵として相対する悪魔とは出会っていない。

 ひと段落すればデンジくんの護衛につくことになるのだろうが、そうなってしまうとますます悪魔との戦闘は減るのではないのだろうか?

 ここ十数年はずっと悪魔との殺し合いだったから、こういうちょっとした平和がどうにもむず痒いのだ。

 

「ヨツナは行かなくてよかったの?」

「お前がそれ聞くか? 一緒に来てほしい言うから着いてきたったのに」

「あー……そうだったね」

 

 マキマは誤魔化すように笑った。

 それから取り繕うように、仕事の話を続けるのだった。

 

「今回の件、ヨツナはどう思ってるの?」

「どうって、銃のことか?」

 

 冷たい鉄の感触が思い起こされた。銃、今となっては誰もが恐る悪魔の名前。

 

「きな臭い話や思うけどな。銃っちゅうことは、どっかで秘密裏に作っとるやつが流したんか、あるいは……」

「銃の悪魔との契約か、だよね」

「……そう。ま、銃の悪魔と接触したことあるやつが確認できとらん以上、そんな契約できるんかどうかすら不明やけど」

 

 居場所すら掴めていないのだ。チンピラが関与できたというのなら、是が非にでもそこから手がかりを掴みたい。

 それほどに銃の悪魔との接触は困難で、公安ですら手がかりを集めるので手一杯なのだ。

 

「契約って線は私も薄いと思う。一介の人間が、現在消息不明の悪魔と契約できるとは思えない……」

 

 それに、とマキマ。

 

「もし仮に契約できていたとして、ヨツナはそれに気づくことってできたりする?」

「は? なんでうち?」

「だって、肉片の場所がなんとなく分かるんでしょ」

「……気い張っとったら分かったかもしれへん。それもまあ、近くおったらの話やけど」

 

 とはいえ、肉片の反応がなんとなく分かるのと、契約したかどうかが分かるというのはかなり違う気もする。そもそも経験したことのないことだったから、なんとも言いづらかった。

 

「聞いたよ。例の襲撃があった日、ヨツナは銃を回収しながら勢力を鎮圧していったんだって……あれもその特別な力?」

「せや。あんときは銃声したんもあるけど、ようさん人が怖がっとったから、なんとなく分かった」

 

 私自身、私の持つ不思議な力について詳しくは知らない。なにができるのかも、その出自も。全てが曖昧で、過去のことだったから。

 

「なんか関係あるんやろか。うちが子供んころの記憶がないんと」

「さあ……けど、ヨツナはヨツナだよ」

 

 ガリっ、と口の中で音がした。飴玉を噛み砕いた音だった。

 マキマは気付いているのだろうか。私の秘密について。

 気付いていたとしたら、こうして黙ってくれているのは、優しさだろうか。それとも、他意があるのか……。

 

 袋から飴玉を取り出し、口に放った。甘みを感じると、気持ちは少し落ち着いた。

 

 

 

 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

 

 

「公安のお客さんだ。高い茶、用意しろ」

 

 とのことで用意された茶は、雰囲気が良くないのと単純に淹れ方が悪いのとで美味しいものではなかった。こちとら京都で鍛えられてる、この程度のもてなしでは傷一つつかない。

 

「えらい美味い茶ぁで。組長さん直々に入れはったんですか?」

「ご協力ありがとうございます」

 

 二人掛けのソファに並んで座り、相対する。

 話し合いというのがどうにも苦手なので、京都で教わった通り笑顔の奥に睨みを効かせた。

 

 話の内容としては、概ね以下の通りである。

 沢渡という女(写真を見るに、ヘビの悪魔と契約していた女だ)が黒幕らしく、彼女を通して銃の悪魔との契約が行われたのだという。

 契約の内容は「二万円を払って銃と弾」がもらえるというものらしい。

 

 そこまで話を聞いて、マキマが銃の悪魔との契約した組員の名前を──現在、話し合っている相手の組員のみならず、他の組に至るまで──訊ねたところで、空気は一変した。

 相手方としても守るべき一線があるのだろう、こちらを小馬鹿にしつつ「教えられない」と言うのだった。

 

 そこで、マキマが一つ紙袋を取り出した。

 ああ、今朝見た後部座席に置いていたやつ。

 すごく雰囲気が悪いのに、今更手土産を出したところで意味はあるのだろうか……?

 逆上させるだけだろうからやめた方が良いと言おうとしたが、マキマが不敵に笑みを浮かべていたので手が止まる。

 

 相手方も不審に感じてか、おそるおそる紙袋を開くと、とんでもなく恐ろしいものを見たような表情で悲鳴を上げた。

 

「ここにいる皆さんの……ご親族や、大切な方の、目です」

「目ぇ?!」

 

 見ると確かに紙袋の中には眼球が入ってる。パーティグッズかなにかかと思ったが……え、ホンモノやん、これ。

 

「ヨツナ、立って」

「うぇ?!」

「これは彼女がやりました」

「ウワーッ!」

「私がやった、と言いなさい」

「ぃやっとらんわ!」

 

 組員らの私たちを見る目は、恐ろしさ半分別の意味の恐ろしさ半分で、ダラダラと嫌な汗が頬を伝った。

 これをどうにかできる人がいるって言ってたけど、いたっけ……?




安定してきたので、毎週月・水・金の昼から夕方の間に投稿しますね。週三です。


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祝勝会

「祝勝会やー! 新・特異四課の勝利を祝して、乾杯!」

「乾杯!」

 

 コップを互いに力強く打ちつけ、そうして一息に飲み干した。特別大きな仕事をしたわけではないのだが、マキマの面前で大いに冷や汗をかくことになったので、気分転換も兼ねて私は酒を飲みたい気分だったのだ。

 飲みっぷりの良さに釣られてか、アキくんも喉を鳴らして酒を煽るが、そのペースで飲んでいてはすぐに酔い潰れてしまうだろう。私の酒を飲むスピードの速さをよく知っている黒瀬が彼の肩を叩き、「調子合わせて飲みよったら、死んでまいますよ」と気を遣っている様子が見られた。

 

 良い子に育ったな……誰が育てたんだろう……私か!

 

「クロやんは気遣いできて偉いなあ……!」

「子供やないんですから、けったいな褒め方しやんといてください!」

「いやあ、黒瀬、アンタようやっとるわ」

「やかましいわ! ……ったく」

 

 照れ恥ずかしいのか、単に鬱陶しいのか、黒瀬はやけに大きな声で話を終わらせた。今回の仕事では完全に別行動をとっていたため嫌なことがなかったか心配だったのだが、別段そういった気配はないので言葉には出さないまでも元気そうで安堵した。

 

 部下と別々に動くことは度々ある。だがどれも短期的なもので、こうして数週間に渡り全く別のことをしていたというのは珍しい経験だった。

 襲撃が起きてから突発的に別れたので、完全に指揮系統が異なっていたのもなかなかない経験だ。ときどき連絡は取り合っていたが、今日久しぶりに会って少し泣きそうなくらいだった。

 

 黒瀬はいじられたくないのだろう。それとも単に気になっていたのか、話題を変えるように咳払いをしてからこんなことをアキくんに訊ねた。

 

「話変わりますけど、アキくん、新しく契約した悪魔はどうですか? 力上手く使えてます?」

 

 突然話題を向けられてか、アキくんは言葉を詰まらせたが、すぐに自然な口調で話し出した。

 

「え、ええ。はい。……こんなに凄い力、あんな少しの対価じゃ見合ってなくて、ちょっと怖いくらいです」

「ん? なんやアキくん、新しい悪魔と契約したんか?」

 

 天童によって注がれたビールを飲みながら尋ねた。

 アキくんは「はい」と首肯し、彼の代わりに黒瀬が情報を付け加えた。

 

「襲撃んとき、無茶な使い方してもうて狐の悪魔に愛想尽かされたんですわ。そういうわけで代わりに未来の悪魔を」

「未来の悪魔……? あの趣味の悪いやつ?」

「知っとるんですか?」

 

 言われて、いくつかの記憶が思い起こされた。

 アイツは珍しく協力的な悪魔で、奇怪なダンスを踊りながら未来がああだのこうだのと語っていたのを覚えている。未来予測ができるからか危機管理能力に長けていて、公安でも奴と契約している人が何人かいるはずだ。

 

 私が関与したのは、奴が公安に捕らえられてから数日したある夜のことである。その時点では未来の悪魔に対する評価は定まっておらず、協力的ではあるが敵意の有無は分からないというのが全体の意見であった。

 そのうえ先に述べた未来予知の影響もあり、大抵の攻撃は通用せず、反抗された際に対抗する手段がないことを上層部が恐れており、そこで私の速さでも避けられてしまうのかと試験的に殴ったことがある。

 結果は言わずもがな。分かっていても避けようのない未来はあるのだ。

 

「契約なあ……アキくんなんも取られとらへんように見えるけど」

「取られなかったというか……他と違って、だいぶ軽かったんです。右目と両の耳だけで」

「ん?」

「ああ、今は普通に聞こえているし、見えてもいるんです」

 

 私が不思議そうに眉根を寄せていたのに気付いて、アキくんは慌てたように言葉を付け足した。

 

「時々、未来の光景や音が、無理矢理見えたり聞こえたりするようになるみたいで……契約したときも、鼓膜が破れてしまいそうなくらいに大きな音がして」

「ふーん……」

 

 未来の悪魔といえば、寿命半分や両目味覚嗅覚といった半身を削がれるほどの大きな対価を要求されると聞く。だというのに、彼がそれほど軽いもので契約を結ぶことができたのには、いったいどのような理由が……。

 

 もう少し深く聞いてみようとビールで唇を濡らしたのを天童が察してか、嫌そうな顔をしてこう突っ込んだ。

 

「ヨツナさん、祝いの場なんですから、あんまし仕事の話しやんとってください」

「すまんすまん。ごめんなアキくん、元気そうでなによりやわ」

「いいんです。俺としても話しておきたいことでしたし」

 

 アキくんは真っ直ぐな目でこちらを見つめる。

 なにか吹っ切れたことでもあったのだろうか。頼もしい目だった。

 

「しっかし今更ですけど、俺らおって良かったんですか? 仲間内での祝勝会でしょう?」

「ヨツナさんにはこいつらが世話になったって聞いてますから。むしろこの程度のもてなししかできなくって……」

「ええんよええんよ! 机囲んで美味しいもん食うんが一番ええんやから」

 

 というのも、今回の祝勝会はどこか店に行ってというわけではなく、早川家に集まって開かれたものだった。

 元々はデンジくんらが行きたがっていた焼肉屋に私のポケットマネーで連れて行ってあげようかと考えていたのだが、仕事で疲れているのとわざわざそこまでしなくてもというアキくんの強い謙遜から、家でワイワイ騒ぐことになった。

 とはいえ肉は食べる。ホットプレートはあると聞いていたので、精肉店で多種多様の肉を買い、酒も用意して私たちは彼らの家へお邪魔したのだった。

 

 デンジくんとパワーちゃんは美味しそうに肉を食べ、その傍ら残りの者たちは酒を飲みながら話をしていた。肉は食べたいのだが、二人がすぐに食べてしまうのでアキくんが時々大きな声を出して怒っているのが賑やかで良かった。

 

 二時間もすればデンジくんもお腹がいっぱいになったらしく眠ってしまい、そこに重なるようにしてパワーちゃんも仰向けにいびきをかいていた。

 

 とはいえ、肉はまだまだ残ってる。

 ようやくそこから私たちは自分らで食べる肉を焼き、それを食べながら仕事の話やプライベートの話を交わし合うのだった。

 

「そういえばアキくん、姫野ちゃんの容体聞いとるんか?」

「姫野先輩ですか……? 昏睡状態としか」

 

 彼はピタリと箸を止めて私の言葉を待った。

 あんまり焦らすのも良くないので、私は簡潔に話した。

 

「山場は越えたらしいで。内臓の損傷は激しいけど、パワーちゃんがしっかり止血してくれたおかげで大事には至っとらんらしい」

 

 言うと、アキくんは赤らんだ頬を緩めた。今の今まで張り詰めていた緊張の糸が、そこでぷつりと切れた感じだった。

 

「そうですか。姫野先輩、助かったんですね……」

 

 パワーちゃんのおかげ、という言葉が印象として残っているのだろう。眠っているだらしない彼女の顔を見て少し目を見開いたが、すぐにそれは安堵した安らかさを取り戻した。

 

「襲撃のとき、ヨツナさんが助けに来てくれたって聞きました。改めて礼をさせてください」

「そんな、礼なんてええねん」

 

 照れ臭そうに答える。酒が入っていたので、ちょっとだけテンションが高かった。

 

「みんな元気なんがええんよ。人助けるんがデビルハンターやからな」

 

 

 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

 

 すっかりみんな眠ってしまって、私は一人瓶ビールを傾けて、頭がダメになるまで酒を飲んでいた。どれだけ頭がぼうっとしていても、それでも考えてしまうことがあった。

 

 酒を飲みながら、マキマへ連れ立って出向いた上層部への報告の内容を思い出す。

 元民間のデビルハンターであったという沢渡アカネ。ヤクザからの情報をもとに推理すると、彼女が銃の悪魔と契約し銃を流通させたという筋書きが確からしいと思われた。

 はっきり言って、信じ難い事柄ではある。あの銃の悪魔が一般人相手に契約するなど、よっぽど弱っているとしか思えない。それに悪魔が金を求めて契約などするものだろうか?

 私自身、さまざまな証言があるとはいえ、最終的に出された結論に対して懐疑的であった。

 

 だが沢渡が契約を行う対価として示されたものは金だけではない。そう、“チェンソーの悪魔の心臓”。そのフレーズに驚きは隠せない。最近デンジくんがよく悪魔に狙われている事例から鑑みてみるに、そこに関連性を見出してしまうのは自然なことだろう。

 

 となれば、銃の悪魔は心臓欲しさに悪魔や人を問わず無差別な契約を起こしていると考えることができる。実際、そう考える方が状況証拠からしてみれば正しいだろうとマキマは言っていた。

 武器人間はそれぞれ悪魔の心臓を身に宿す。彼が持つ奇妙な縁は、どういうわけか銃の悪魔の関心を引くものらしい。

 

 その憶測や推理にどのような意味があるのか、私には依然として分からない。

 

 それから、公安で集めていた銃の悪魔の肉片は規定量に達したらしく、ついに動きを見せ始めたのだという。

 それが一体どの方角を向いて進み始めたのか私には預かり知れぬ事柄だが……その時点をもって、私は長年続いた肉片集めの任を解かれ、正式にデンジくんの警護を務めることになるのだった。

 

 だから今回の祝勝会は私たち三人組の歓迎会でもある。

 アキくんはそこら辺を気にして、あえて家を選んだのだろう。

 

 しばらく飲んでいると、デンジくんが不意に目を覚ました。

 つられてパワーちゃんも目を覚ます。

 

 二人は何度かやり取りした後、寝ぼけた眼を擦りながらこんなことを言った。

 

「……ああ? パワー、お前そんなツノデカかったっけ」

「ん?」

 

 言われて気付く。確かに……デカい。

 初対面である黒瀬や天童ならともかく、何度も顔を見合わせていたアキくんや私が今の今までどうして気付かなかったのかというくらいに形に変化が起こっている。

 

「あー……ホンマやな、気いつかへんかった」

 

 これは、ええっと、なんだっけか……。

 デンジくんの護衛をするにあたり、マキマからあれこれ教えられたのだが……酒でダメになった頭じゃなにも思い出せない。

 

「うーん……明日、マキマに聞くかあ」

 

 時計を見れば、零時を回っていた。みんな眠っていることだし、私も眠ってしまおう。じゃないともっと酒が進んで、明日はまともに動けなくなってしまう。後輩がしているように、布団も何も敷かれていない床に寝ころび、眠気のままにまぶたを閉じた。




特異課襲撃編はひとまずこれにて終了!


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書類作業

 デンジくんに言って、ツノが大きくなってしまったパワーちゃんをマキマの元まで送ってもらったあと。私は私で今回起きた一連の出来事について報告書を書かされていた。

 

 なにぶん襲撃事件の後から今まで本部に立ち入ることがほとんどなかったので、溜まりに溜まった始末書も含めて苦手な書類作業を黒瀬や天童の手を借りながら一つ一つ処理していった。

 

 事件の起こった経緯だとか、今回確認された悪魔とも魔人とも言いえぬサムライソードについて自分なりの意見を書いたりだとか。

 基本的に感覚で物事を判断することが多いので、フィーリングで得たものを文章に起こすという作業はどうも苦手で上手く進まない。

 

「うーん……サムライソードなぁ。いうてそんな長いことやり合ったわけでもないから、えらい早い動きするなあくらいしか印象ないんやけど」

「なんか……口上言うたりしとらんかったんですか? 悪魔と契約しとる様子とか」

 

 と黒瀬。

 確かに、人からあの姿へ移り変わる直前に悪魔となにかしら取引を行なっていたのならば、それらしい言葉を口にしていてもおかしくはないはずだ。

 だが、気にかかる言葉が聞こえた覚えはないし、彼がなんらかの代償を支払っている様子もなかった。

 そのため、あれは都度悪魔と契約しているのではなく、既にその身に与えられた一種の権能なのではないかと推測がついた。

 

「直前で契約しとる様子はなかった。ま、デンジくんと同じやな……ほんまなにからなにまで、そっくりや。風体、体質……」

 

 そうして思い出すのは彼のことである。

 おそらく根本的なところは同じなのだろう。彼はチェンソーの悪魔の心臓を持っていると聞くから、あのサムライソードも似た境遇なのかもしれない。

 

 悪魔の心臓……それを人に移植するだけで(単純な外科的技術とは限らないが)あのような力を手に入れられるとなると、それを知った上層部はどのような対応をとるのだろうか。

 

 日本ではどうか分からないが、その知識が公に広まると他の国で人体実験が行われる可能性は高い。そうでなくても裏の社会には手を出す輩が少なからずいるだろう。血を飲むだけで回復し、死んでも生き返り、その上悪魔のような身体能力を人間の知性を保ったままで得られる……人の姿をして内部に潜入し、大暴れさせるなんて作戦もとれる。

 

 それに気がつかない政府でもない。おそらく情報は秘匿されるだろうが、既に同じことに気がついている国があってもおかしくはないのが恐ろしい。

 

「人が悪魔と契約するいうんはよう聞く話やけど、人が悪魔になってまうとはな……」

 

 となると、悪魔だけでなく人に対しても非常に強い警戒心を持って挑まなければならないのか。特に私はデンジくんの護衛を頼まれていたから、責任は重く感じられた。

 

「悪魔の力で姿変えられてまうみたいな話は聞きますけどね。でもデンジくんらはそこら辺、自分の意思でオンオフできとる感じですし」

「せやなあ……」

 

 人から悪魔へ、悪魔から人へ。片手だけ片足だけ、そういった力のコントロールも自在にできる。

 正直、謎だ。

 

「今んところ、対応できとるだけマシか……大勢で来よるわけでもなし」

 

 それこそ軍団で来られたら、正直なところ対応できる自信がない。それぞれ特別な力を持っている奴らが、人を超えたスピードと人を超えた膂力で襲いかかってくるのだから、常識を超えた数と力の暴力にはきっと何者であれ敵わないだろう。

 私としても、デビルハンターとして何年も生き残っている人でなしの自覚はあるが、人の域を出ない以上はひとりの人間なのだ。

 

「まあサムライソードの一件に関しては、デンジくんがようさん頑張った聞くし、そっちで詳しく報告してくれるやろ」

 

 しばらく作業を続け、ようやく折り返し地点を迎えたといったとこで昼を過ぎていたので、そこで休憩を挟むことにした。朝からこの会議室に居て気が滅入っていたのもある。

 ただ時間はないので外に出て空気を吸ったり煙草を吸ったりして気分転換をするだけだ。

 

「昼飯は出前とりましょか」

「ピザ食べよか、ピザ」

 

 ということで宅配ピザを頼み(届くまでまた書類作業)、公安本部の玄関口まで黒瀬がピザを受け取りに行き、さあ食べようといったところで、

 

「……なんで君おるん?」

 

 と不満そうな表情をして天童がつぶやいた。

 

「いい匂いがしたからよー。腹減ってたし」

「うおっ、デンジくん……」

 

 会議室の扉を開けて現れた黒瀬は、その背後に制服姿のデンジくんと半裸の魔人を引き連れていた。

 私もこれには少し驚き、目を見開いて彼に訊ねた。

 

「ま、魔人もおるし……知り合い?」

「パワーのやつがしばらく休みだって聞いて、マキマさんが代わりにコイツを」

 

 デンジくんの指差す先には、サメのような特徴を持つ頭をした半裸の魔人が。彼は時々壁やら地面やらに潜るが、嬉しそうに飛び出てはデンジくんの周りを跳ねていた。

 

「えらい元気なやっちゃな……」

「なんか俺ん言うこと聞いてくれるらしいです」

「チェンソー様! 言う事! 絶対!」

「おおうるせえ!」

 

 鬱陶しげに眉間に皺を寄せ、デンジくんはサメの魔人を手で払っていた。

 とはいえ、彼の表情はどこか浮ついていて、なにか良いことでもあったのだろうかと傍目から見ても明らかであった。

 

「どうします……? 追い返しますか」

 

 と、天童が声をひそめて私に言う。

 

 天童の表情や声色から察するに、昨夜一緒に騒いだ影響もあって迷惑とまでは思ってないらしいが、仕事に支障が出るのではないかと心配はしているようだった。

 

 ただでさえ時間がなく、外へ食べにいく時間も惜しむほどであったから、彼らの気遣いは妥当なものである。

 

 とはいえ、デンジくんの世話係を任されている以上、彼との関係を蔑ろにするのもどうかと思われる。……それに、デンジくんが上機嫌に見える理由を知りたいという気持ちもあった。

 甘やかすのは良くないが、これくらいならまあいいかと、黒瀬天童の二人に目配せをして話した。

 

「ま、ええやろ。デンジくんと……そこの君。飯食うたらさっさと仕事行きや」

「はぁい!」

 

 元気そうにデンジくんが返事をした。それに釣られて、サメの魔人も奇怪な声をあげる。

 

 ピザは片手でも食べられるのが利点だろう。利き手でペンを動かしながら腹を満たした。

 デンジくんはサメの魔人とあれこれ話したりしながら、楽しそうにピザを食べていた。

 

「なんや嬉しそうやな、デンジくんは。ええことあったんか?」

 

 とそれとなく聞いてみた。

 

「実は明日、マキマさんとデート行くんですよ」

「……デート?! 未成年淫行は一発アウトやぞマキマァ!」

 

 思わず立ち上がる。

 姫野に続いて、あんたまで……特異課にはまともなやつがいない……!

 

「え……! 映画館ってそういうことできるんですか……! 俺行ったことねえから知らなかった!」

「あー……映画?」

 

 と、デンジくんの言葉で振りかざした拳を下ろす。

 映画館、デート……うーん、心配してたことは起きそうにない。

 

「デンジくん、早とちりさせてもてすまんな」

「えー!? できないんすかあ……」

 

 落ち込む彼をよそにいそいそと書類作業に戻る。

 ショックを受けていたようだが、それでも楽しみであることに違いはないのかデンジくんは美味しそうにピザを食べていた。

 人数が増え、買ってきた分のピザで足りるかどうか懸念していたが、私は良く食べる人間だから六枚ほど頼んでいたのが正解だった。この人数で腹一杯食べても十分な量だったので、食欲を満たしたデンジくんらが午後の巡回に行くのを「いってらっしゃい」と見送ってから、私はその日中書類作業に没頭していた。



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電話ボックス

 翌日からデンジくんの身辺警護が始まった。朝の始業から夕方定時までの間、彼が業務の一環として街の巡回を行っているところをこっそり尾けて怪しい人影がないか監視するのが私の役目であった。

 身辺警護とはいえ、そこまでガチガチに周りを固めて何者も近づけさせないとまではいかない。そこまで外敵を恐れるのなら、そもそも外に出させなければいい話なのだから。ただそうでないということは、つまりこの身辺警護という仕事にはただデンジくんの身を守る他にある重要な目的が存在する。

 

「うーん……今んところ不審な影はなし、っと」

 

 昼前になったので報告書につらつらと現状を書き連ねる。なにもかも事細かに書き記すわけではないが、例えばデンジくんに対して道を訪ねた人がいたり誰かが肩をぶつけたり、そういう会話などの接触、物理的な接触を行った人物がいれば事細かに記載していった。

 

「っちゅうても、デンジくん歳のわりに派手な格好してるし。今んところそういう人はおらんか……」

 

 強いて言うなら募金していたときくらいか、とペンを走らせる。もっとも募金の彼らはいつもああしてあそこにいるし、なにより話しかけたのはデンジくんの方からなので、そこまで大きな危険はないように思える。

 まあ、なにがどう関係してくるか分からない。なんせ未来の悪魔だなんていうやつもいるくらいだ。こちらの予想を覆す手で関与してくることは間違いない。

 

「しっかしあのサメの魔人はどこいったんや。バディはどこやバディは……一人でほっつき歩いて……あとでちゃんと言っとかなあかんな……」

 

 パワーちゃんの代わりにサメの魔人が彼には付いていたはずだが……。

 昼前とはいえ気を抜かぬよう深呼吸をして、先ほどまでペンを走らせていた書類から意識を離してデンジくんの方へと目線を戻した。監視もいいが、それはデンジくんの保護ばかりが目的ではないのだから、他の目的も忘れぬよう気をつけねばと気を張る。

 

 というのも現状、我々が敵に対して得ている情報は少ない。

 デンジくんがなぜ狙われているのか、誰によって狙われているのか。この二つの事柄について把握している情報は少なく、なにも分かっていないと言っても過言ではない。

 そこで我々は具体的な敵やその目標を知るために、あえてデンジくんを外出させることで敵を誘い出そうという作戦を行うことにした。

 そのために私は彼を監視しているのだった。デンジくんにはもちろんのこと敵に対しても私の存在によって警戒心を抱かせるわけにはいかない。だから私は部下一人とチームを組み、基本は巡回中のデビルハンターという体をとる予定だったのだが……。

 

『え〜!! 明日おらんのん?!』

『すんません、今から京都に戻って書類提出せないかんので』

『東京はようさんタクシーあるんで、それ使うてください』

『ヨヨヨ〜……』

 

 銃の悪魔の肉片が十分集まったことで私は肉片集めの任務を解かれ、新たにデンジくん警護の職務に就くことになった。私の場合は内閣府直属のためややこしい手続きはほとんどないのだが、 部下である黒瀬と天童は京都公安所属のデビルハンターであるため属する場所やらなんやらややこしい部分に変更があるらしく、手続きが必要で、そのために書類の提出が必須とのことなのだが、そのためにわざわざ京都まで行って書類を提出せねばならないらしいのだ。

 

 新幹線で行き来するので今夜中には帰って来れるとのことだが、それでも今日一日は私一人での仕事である。昨日はずっと一緒にいたからか、こうしてまた一人になるとなんだか寂しい。

 

「いうて今の公安は人手不足やし、うち一人でどうにかなる仕事ではあるし。しゃあないっちゃ、しゃあないか」

 

 と独りごちていると、不意にぽつりぽつりと肩へ雨粒が落ちてきた。大粒の雨はやがて勢いを増し、どこかで雨宿りをしようと考えに至った頃にはザザ降りの大雨になっていた。

 

「天気予報見とったら良かった!」

 

 急いで近くにあった公衆電話に駆け込む。携帯電話を支給されてからは使う機会も減ったが、こうして狭いボックスの中にいると黒瀬や天童に電話をかけてみたくなる。

 通り雨だろうと適当にボタンを押したりしていると、見知った顔が急いだ様子で電話ボックスの中に入ってきた。

 

「うおおデンジくん、奇遇やな」

「おあーっ、ヨツナさん! 急に雨ぇ降っちゃって」

 

 濡れて肌に張り付いたシャツを気持ち悪そうに触りながらデンジくんは言った。

 外ではサメの魔人が水を得た魚のようにはしゃいでいる。バディを連れてきていないというわけではなかったらしいと安堵する。

 

 しかし失敗したな。もっとコソコソ監視してなきゃいけないのに、ついうっかり顔を合わせてしまった。

 初日から思いやられるが、まあ緊急事態といえば緊急事態なのだしと(折り畳み傘くらい持って歩こうと決意しつつ)自分の中で許容することにした。

 

「通り雨やろうし、もうじき止むやろ。本部帰ってシャワーでも浴びるか? ついでに昼飯でも──」

 

 そのとき、遠くの方から雨音に混じって足音が聞こえてきた。タッタッタッと柔軟ながらも迷いのある足取りで、その人もまた傘を忘れどこか雨宿りする場所を探しているようだった。

 

 足音が聞こえているのは私だけのようらしい。デンジくんはたまたま私と会ったからかテンションが上がっていて、辺りを警戒できていないようだ。

 

 その足音は私たちのいる電話ボックスの前までくると、申し訳なさそうな顔をして中へ入ってきた。

 

「ひー!」

 

 慌てた様子で中に入ると、彼女は後ろ手で扉を閉めた。

 

「わあどうもどうも。いやいや、スゴイ雨ですね。天気予報は確か……あはははは!」

 

 少女はずぶ濡れになった前髪の合間から私とデンジくんの顔を比べるように見上げた。そうして、どうしてだか笑いだしたのだった。

 

「あははは! いやっ、ごめんなさいっ! 笑っちゃって!」

 

 アナタの顔、死んだウチの犬に似てるから。

 少女はそんなことを言って、また大きな声で笑い出した。けれどどうしてだろう、雨だか涙だか分からないが、少女は一度拭った目元を何度も拭っていた。

 

「いやいやすいません……すいません……」

「ああ〜! オレァ犬かよぉ!」

「まあ合っとるな」

 

 不服そうにデンジくんは目を細めたが、それでも泣いている少女が気掛かりであるらしい。

 なにやら腹案があるのか、少し口角を上げて何やら演技を始めた。

 

「うぅ、うぇっ……うぇえええっ!」

「え?! ああ! ハンカチハンカチ、待って待って!」

「うえぇ……っ、タララ〜ン」

 

 吐くような真似をしながら、デンジくんは口の奥から一輪の花を取り出した。あれは確か……募金のときに貰っていた花?

 

「タネも仕掛けもないんだな、これが」

 

 ニヤリと笑って、デンジくんは花を少女に与えた。

 少女はそれを受け取ると、真っ直ぐな瞳でデンジくんを見上げて、頬を赤らめ「ありがとう……」と非常に嬉しそうな声色で呟くのだった。

 デンジくんは彼女の目を見たまま動かない。それどころか、まるで雷にでも打たれたみたいに熱く彼女の瞳を見つめていた。

 

 青春やん……。

 ……ん?

 なんやこれ。うちここおってええんやろか。なんや気まずいな……。はよ帰りたいんやけど……ほんま。

 

 気まずさから私はずるずると壁伝いにしゃがんだ。彼らの視界から外れるので精一杯だった。外はまだ雨が降っていたし、なにより扉から出ていこうにも最初にここにいた私は電話ボックスの一番奥にいたので、それは難しいことだった。




 電話ボックス・若い男女二人・何もないわけがなく──気まずい!!


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喫茶店

「私この先の二道ってカフェでバイトしてるの。来てくれたらお礼しますよ」

 

 電話ボックスの中で三人押し詰めになりながら雨をやり過ごす。次第に晴れ間が見え雨が止んだタイミングで彼女はスッとこの密閉空間の中から抜け出した。

 

「絶対来てね!」

 

 愛嬌のある笑顔で言うと、彼女は指差していた方向へと軽快なステップで走り出した。電話ボックスの中でなにやら考え事をしているらしいデンジくんを放って私も外に出た。

 しかし彼女の身体。長袖長ズボンで隠れてはいるが、しなやかな肢体はとても鍛えられているように見える。体育会系か? いやでも、あの髪型で運動部は無理そうな気も……。

 

 と走り去っていく彼女の後ろ姿が角を曲がっていくまで考えていた。

 そう深く考えても仕方のない話だとデンジくんに視線を戻すが、彼は妙に真面目な表情でどこかを見ていた。心ここにあらず、といった感じだ。

 

「……デンジくん? おーい?」

「っおあっ! ……俺ぁ、さっきまで息してました?」

「脈は不安定やったけど……」

 

 言って彼の身体を確かめる。気をやったのではないかというほど挙動不審だったので、さっきの少女がなにかしたのではないかと咄嗟に思い至ったが、脈やら心臓やら、触診で彼の身体を調べても特別変に思われる点は見当たらなかった。

 強いていうなら脈の勢いが静まることなく打ち鳴らされているくらいだろうか。まだ許容範囲というか、生きていて普通に起こりうる範囲であるから報告書に書き留めることはしないでおく。

 

「……ヨツナさん」

「うおっ……なんや」

「なんかぁ、よく分かんないんすけど……」

 

 言いながらデンジくんも電話ボックスから出てきた。言っていることは不可解だが、見慣れぬ表情をしている。困惑、とも違う。……無表情? 外見を取り繕うように彼の表情筋は固まっていた。

 

「俺、行ってきます」

「っちょ、デンジくーん!」

 

 彼は一言告げると、さきほど走っていった彼女を追い抜きかねないスピードで向こうのほうへと走って行った。突然のことにサメの魔人も追いつけていないくらいだ。

 

「なんやなんやっ」

 

 いつもは表情や態度で分かりやすいデンジくんだからこそ、こう分かりにくい行動を取られると追いつけなくなる。元気や行動力があるのは大変結構だが、こうして近くで付き合ってみるとその突飛のなさに驚かされる。

 

 前までバディをしていたのはパワーちゃんだったか。彼女も負けず劣らず自由な子だから、案外馬が合ったのかもしれない。

 

 

 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

 

「……デンジくん、きみ思ったより足速いな」

 

 店に着いて席へ案内されてからすぐ、例の彼女は店にやってきた。どうやら途中で追い越していたらしい。……なにせ全力疾走に近かった。なにがそう彼を駆り立てるのだろうかと途中考えてしまったほどだ。

 

 とはいえカフェ自体はなんの変哲もない様子で、店内を見回してみても至って普遍的である。間違っても悪魔の気配だなんて感じられない。彼の突然の行動に不可思議を感じながらも隣の彼へ向き直る。彼は太々しくソファに深く腰掛けつつ、興味深そうに店内へあちこち視線を巡らせていた。

 きっとこういうところには始めて来たのだろう。メニュー表があれば良いのだが、どうやらウェイトレスが水と一緒に持ってくる仕組みらしい。

 

「ま、昼は一緒に食おう思っとったし。デンジくん好きなん頼みや。今日は奢ったる」

 

 と言いつつ彼の目の前で手を振ったりして意識がしっかりしているか確認していると、「早〜!?」とこちらに気付いた彼女が驚きで目を見開いていた。

 働いているというのは本当らしく、ウェイトレスらしくエプロンを身につけお盆を手に水とメニューを持ってきた。

 

「お礼をもらいに来ただけだぜ」

 

 とデンジくんが言った。と同時に一つの考えが私の中で思い浮かぶ。

 ……うーん、あり得る。デンジくんなら、お礼のために全力疾走をするくらいはあるかもしれない。それも同い年くらいの女の子に言われた言葉なら。

 

「じゃあ一緒にコーヒー飲みますか〜! マスター! 私と彼らにコーヒーを!」

「ふ〜ん、コーヒー?」

 

 あくまで平静を取り繕っているのは、格好をつけようとしているからなのだろうか……?

 これは思春期……ううっ、私着いてこなかった方がいいんじゃ……!

 さっきから彼の脈が早いのは、興奮していることもそうだが、私という大人の面前で欲を露にすることへ恥を感じているからではないのか……?

 

 うーむ。今までどれだけ若くっても成人済みの人たちとしか触れ合ったことがなかったから、分からない……! 思春期の子の気持ちが……!

 

 あくまで私も平静を取り繕いつつ、「きみ店員とちゃうん? ええのん?」と尋ねた。

 すると女の子が答えるのではなく、この店のマスターが困ったような表情で「良くないですよ」と答えた。

 

「いいじゃないですか〜、モーニングにしかお客さんなんてこないんだし」

「もお〜……」

 

 と言いつつ、マスターは慣れた手つきでコーヒーを注ぎ始める。うーむ、デンジくんもそうだが、私も少し落ち着きがない気がする。コーヒーを飲んでゆっくりするべきか。

 

「デンジくん、なんか好きなんあったら頼みや」

 

 と言いメニュー表を開いて渡した。食べ物だけでもケーキやサンドイッチ、日替わりランチなんてのもある。彼の苦手そうな食べ物はなかったので、ひとまず安心しつつ私もなにか食べようとメニューに目を通した。

 

 するとウェイトレスの彼女は私の会話を聞いていたのか、出来上がったコーヒーをこちらまで持ってくると、デンジくんの隣に座ってこう言った。

 

「デンジ君っていうんだ」

 

 どこか熱のある目。可愛らしい口で明るく笑顔を作って言った。

 

「私の名前はレゼ。あなたたちは?」

「うちはヨツナ」

「俺はデンジ」

「ヨツナさんに、デンジくん……」

 

 確かめるように言うのを聞きながらコーヒーを口に含む。デンジくんも私の動きにつられてマグカップに口をつけた。

 歳のわりにコーヒー飲めるんだな、だなんて思っていると、「うげぇ」なんて擬音が出て来そうなくらいに表情を歪め、次いで舌を洗うように水をごくごくと飲み干した。

 

「う、ぐぅ」

「あっはは! なにその顔〜! 絶対強がってる!」

「これぁドブ味だよ! ドブ味! マズイ!」

「あはは! 子供だ子供! 子供舌!」

 

 彼女はともかく、デンジくんが失礼なことを言っているなと思いながらも叱るに叱れない自分がいて、申し訳ないようにマスターへ会釈した。マスターはレゼの賑やかしい言動に慣れてるのか、困ったような表情ではあるが微笑みをたたえて会釈を返してくれた。

 

「あはははは! あははっ、はは!」

 

 ひとしきり笑ったあと、レゼは涙さえ浮かんだ目でデンジくんと目線を合わせた。そのまま上目遣いで「デンジ君みたいな面白い人、はじめて」と言うのだった。

 

「ふう〜ん」

 

 と、デンジくんが不思議な唸り声。

 

 うっおお……。

 うちがおってええ気が一つもしやん……。

 いくらコーヒー飲んでも甘味しか感じひん。ラブコメの匂いしかしやん。

 

(しっかしなんやこのレゼっちゅう子……やたらデンジくんに触っとるな……。最近の子はこうなんやろか……?)

 

 コーヒーを飲みながら考える。頭がまったくまともに動いていないが、なんとか機能を働かせる。

 今の時期、敵が接触してくる可能性は高い。そんな中でのこの出会いだ。……通り雨による偶然のものではあるが、だからとはいえ全ての可能性を消し切ることはできない。

 

 仮にレゼが敵であれば近づく前に排除すべきだし、敵でなくても今のこの危険な時期に近づけさせるわけにはいかない。

 デンジくんは戦争の火種と言ってもいい。そんな彼に近づけば間違いなく火傷する。その火傷が単なる傷でなく、一生残るもの、あるいは死であればなおさら危険だ。

 一般人を巻き込んではいけない。

 

 と、私が気難しいことを考えている間も、デンジくんはなにやら平気そうな顔をしてレゼちゃんと接していた。だがいつも以上に強く拍動を打っているため、彼がどのようなことを考え感じているのかは大体分かった。

 

 なるほど、デンジくんにも春が来たということか……。

 なるべく早く立ち去りたかった私は適当にサンドイッチでもつまんで仕事を理由に途中で抜けようかと思い、サンドイッチとそれからデンジくんが好きそうな食べ物をいくらかマスターに注文した。すると、レゼが、

 

「ヨツナさんは、デンジ君の……お姉さん?」

「! ちゃうよ、ちゃうちゃう。上司みたいなもんや」

 

 突然会話のパスが回って来たので戸惑いつつもそう返すと、レゼは私にしっかり目を合わせて、まるで夢を見る子供のようにこんなことを言った。

 

「へえ。でも、デンジ君が羨ましいなあ。私お姉さんとかいないから」

「ふう〜ん」

 

 マスター、追加で日替わりランチを!

 うーん、もうちょっとだけ話をしていていいかもしれない。



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勉強会

「デンジくんは最近割り算できるようになったんやで」

「おぉ〜できるぜ。割り算」

「ええ〜! スゴイ!」

 

 机に広げられた算数のドリルに向かい、デンジくんは手に持った鉛筆を動かした。話しながら問題を解くのは難しいのか、辿々しくはあるが、しかし確実に問題を解いている。

 そうして得意げである彼を見て、レゼちゃんが大変喜ばしそうに笑顔で手を叩いた。

 

 習熟度は未だ十分ではないので筆算を用いての計算だったが、しかしながら目まぐるしい学習スピードである。足し算引き算はもちろん、掛け算も一桁のものであれば今の彼なら難なくできる。

 

「ここのページ終わらせられたら飯にしよか。答え合わせで大きいミスなかったら追加でアイス注文してええよ」

「ぃやったぁ〜……」

 

 店についてから三十分はこうして机に向かっていたのではないだろうか。そろそろ集中力も切れる頃だろうから、終わりにしたほうがよさそうだった。

 そんなことを考えながらいま彼が取り組んでいるドリルに目をむける。デンジくんならこのレベルは問題はないだろうと目を離し、それからレゼの方に視線を移した。

 

「レゼちゃんは勉強どう?」

「ん〜バッチシです!」

 

 そうやって彼女は机の上に広がる参考書やルーズリーフを見せてくれた。内容は年相応の難しさがある。

 特別困っている様子もなかったので、「ようやっとるな」と一言褒めた。するとレゼはとても嬉しそうに笑顔を返してくれた。

 

 どうやら彼女は夏休み中の学生らしい。こうしてアルバイトをしながら休憩時間には課題をコツコツ進めているのだという。

 彼女のノートを横目で見てみると、綺麗な文字でよくよくまとめてある。私はそれを横目で見ながらスゴイなあと言葉を漏らした。

 

 普段は休みの日にアキくんの家でデンジくんに算数や国語の勉強を教えているのだが、ここ一週間は仕事のある日でも昼食時にはこの喫茶店に集まりレゼも加えて勉強会を開いていた。

 

 私自身、そこまで学のある人間ではないが、人にものを教えることは得意であったので義務教育程度なら教えてやれるだろうと思ってのことだ。

 マキマにもデンジくんの世話は頼まれていたし、彼自身学びに対して強い好奇心を抱いているようだから、教えていて悪い気がしない。なにより彼は覚えが早い。

 

「できた!」

 

 とデンジくんが言うので、早速答え合わせを始める。

 必死に頭を動かしたからかデンジくんはややオーバーヒート気味で、氷の入った水を飲みながら疲れたようにぐったり背もたれに身を預けていた。

 

「お疲れさまデンジ君」

 

 とレゼが一旦ペンを置き、彼と目を合わせて話し出した。

 彼女は勉強するときとそうでないときとを見極め、メリハリをつけられる良い子だ。デンジくんが集中して物事に取り組んでいるときはあまり邪魔しないように……けれど、ときどき助言もしながら、彼女は彼の学びを手助けしていた。

 

 年頃の二人に挟まるわけにもいかないので机の向かい側に席を用意して座っていた私は、デンジくんから受け取ったドリルを赤ペンで採点する。

 丸、丸、三角。

 あまりバツはつけたくないから、考えることを放棄していなければ三角をつけるようにしていた。

 

「スゴイなあデンジくん。ほとんどマルや」

「アイス食っていいんすか?」

「ええよ。……しっかし、飲み込み早いなあ。掛け算は暗記やから覚えてもうたらええけど、割り算はそうもいかん。詰まりやすい子多いんやから」

「いやぁ〜余裕余裕!」

 

 照れたように頭髪を掻いてデンジくんは微笑んだ。

 

 彼は最近漢字も読めるようになってきた。居酒屋に行ったとき字が読めなかった思い出が彼の中であるらしく、普段読む漢字(料理の名前に使われるものや、仕事の書類に載ってるようなもの)から簡単なものを教えていった。

 

 カフェのメニューはカタカナが多く簡単だからか、今では難なく注文できている。それに外回りの際に知らない漢字を見つけると、彼はそれを紙に写してどう読むのか尋ねてきたりもした。

 

 読みはそこそこできるようになってきたが、書きはまだまだなので、書道を教えようかと悩んでいたりもする。

 

「デンジくんは書道とか興味ないん?」

「書道?」

 

 知らないのか、興味なさげに答えていた。

 

「んー、なんで言うたらええんやろ……キレイな字ぃ書くねん。好きな子に手紙書くときとか、汚い字のままなんは嫌やろ。それに学校でも書道やるみたいやし、なんかええんとちゃう?」

「う〜ん」

 

 彼は今なにを考えているのだろうか。彼のことだから、女の人のことでも考えているのかな。

 

「やってみよっかな……書道……」

「ええやん。ほな今度道具用意したるから」

 

 と言うと、レゼが少し神妙な顔つきでいた。笑顔ではあるのだが、少し悲しげに眉を下げているのだ。

 デンジくんが学校に行っていない話題が出ると、いつも彼女はそうした顔つきになる。

 

「キミはさあ、学校行かないの?」

「学校?」

 

 手を止めてデンジくんは聞き返した。

 レゼは手持ち無沙汰にペンを回している。

 

「デンジ君、十六歳でしょ〜? 学校行かないでデビルハンターやってるなんて変。珍種だよ」

「そうか? 学校なあ……俺は行ったことねえから分からねえけど。でもデビルハンターも良いぜ? 飯三回食えるし、寝るとこあるし、金もらえるし」

「そんなの普通だよ。みんなそうだよ」

 

 ぐいっとレゼはデンジくんに顔を近づけた。

 そうしてじっと目を合わせていた。

 

 どちらもなにかを喋ろうとはしない。私も、彼らの思春期特有の距離感を侵そうという気にはなれなかった。

 

「……学校なあ、行ってみてえけどなあ……」

 

 気まずそうに先に目線を外したデンジくんが、ちらりとレゼを一瞥して言った。

 

「じゃあ行こうよ、学校!」

「でも仕事があるんだよなぁ、これが。ただでさえ割り算で苦労してんのに、両立はキチィぜ」

「じゃあさ、じゃあさ……」

 

 そんな会話を聞きながら、私はマスターのところまで料理を取りに行った。客に運ばせて申し訳ないと彼は言うのだが、ウェイトレスのレゼを勉強会で拘束してしまっているのはこちらなのだし、好きでやっていることだから良いのだと笑顔で返す。

 

 そうしてお盆にカレーやアイス、チャーハンやらを乗せて席に戻ると、なにやら二人でこそこそ話をしていた。

 

 レゼはなにかを企むような嬉々とした笑顔で、デンジくんは反して驚きの表情をしていた。

 

「ん〜? なに話しとったんや?」

「えぇ〜? ヨツナさんには内緒!」

 

 レゼはなんだか嬉しそうに笑顔で答えた。こういうデンジくんとレゼ二人だけの秘密、というのも歳の差ゆえのものかもしれない。同年代の二人が仲良しでなによりだと、机に昼食を並べて「飯にしよか」と合図をとった。



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尾行

 夜もまたデンジくんの護衛にあたっていた。護衛とは、なにも朝から夕にかけてのことではないのである。

 

 経験則から言うと、こうした闇夜に紛れて悪魔が襲ってくる可能性は決して低くない。悪魔のモチーフとなった概念が夜行性であるならば──例えばコウモリであったりフクロウなど、そういう奴らならば──夜になって初めて動きを見せる。

 それに人にも夜になってようやく動きを見せる輩はいる。海外まで情報が出回っているとは考えられにくいが、今回の特異課襲撃でピンポイントにデンジくんが狙われたことを鑑みるに可能性は捨てきれない。

 

 つまるところ昼間も危険だが夜もまた同様に危険であるのだ。

 それを考慮すると、彼から一時たりとも目を離すわけにはいかない。

 

「つっても限界っちゅうもんがあるゆうねん」

 

 眠気から大きなあくびをすると、それに釣られて隣にいた天童もまた「くぁ」とあくびをした。

 

 今の特異課が甚大な人手不足であることは言うまでもない。そのために全く別の管轄にいた私が引き抜かれ、それでもなおこうして重労働を課せられているのだから、その問題は深刻と見える。

 デンジくんという存在を抱えているので外から人を入れたくないのかもしれないが、そう考えるとこの人手不足は慢性的なものなのだなとうんざりした気分になった。

 

「マキマのやつも過保護やなあ……アキくんとパワーちゃんがおるんやから、夜中はそこまで心配いらんやろうに」

 

 言いながら私は望遠鏡を覗いた。

 私たちはデンジくんらの住む家がよく見える場所に拠点を構え、異変がないか常に見張っているのだ。

 

 朝昼夕は歩き回って彼の後をつけるのだが、夜になれば定位置から眺めているだけだ。そのため最低一人が起きて見張っていればいいので、緊急事態でもなければ夜は実質的な休憩時間となっていた。

 とはいえ、あくまでも仮眠だ。しっかり八時間、心の底から安心して睡眠を取れるわけではない──過酷な仕事であることは言うまでもない。

 終わりの見えない仕事というのもある。それに敵が勘のいいやつであれば、私たちが先に襲われる可能性もなくはない。部下の二人は多く不安も抱えていることだろう。

 

 上司として不甲斐ないと思う気持ちが強く、またそれ以上にここまで自分についてきてくれる二人の部下へ感動にも似た感情を得ていた。

 

 しばらく望遠鏡を覗いていると、階段を上る足音がした。天童はそばでうとうとしているし、黒瀬のやつは奥のベッドで眠っている。となると第三者が現れたのか……。

 デンジくんをどうこうする前に、護衛である私たちに手出しをするというのはあり得る話だ……。望遠鏡から目は離さず、ただ神経だけを扉へ集中させた。

 

 重々しい足跡は扉の前で止まると、その扉を鍵を使って開いた。鍵を持っているということは……。

 

「どうだ調子は。……夜食、買ってきてやったぞ」

「ああ岸辺さん、ありがとうございます」

 

 カップ麺やら酒やらが入ってごちゃごちゃしたビニール袋を机に置くと、岸辺さんは大きくあくびをして近くのソファに深く腰掛けた。

 どうやら飲酒しているらしい。袋を漁り、適当な酒を手に取っていた。

 

「ったく、人使いが荒いな。もっと歳を考えてくれ」

「岸辺さんも歳考えて酒の量減らしてください」

「良いんだよ。どうせ俺の身体はなにも残っちゃいない……」

 

 彼は取り出した日本酒の瓶を傾け、並々とコップに注いだ。

 そうしてそれを私の方に向けて、ぐいっと前に突き出した。

 どうやら飲めと言っているらしい。

 

「任務中なもんで」

「つれないヤツ」

「仕事中なんで、また今度飲みましょ」

 

 そんなふうに軽い言葉を交わしていると、静かに早川家の扉が開いた……。

 

「ああ……?」

「なにか見えたか?」

「んー、はい。なんや……扉が開いたような」

 

 再び注意深く目を凝らして望遠鏡を覗く。

 

 そろり、音を消すように扉の影から現れたのは、薄着のままでいる私服姿のデンジくんであった。彼は周りを数度見て、後ろを確認すると、音を立てぬよう扉を閉めそのまま外廊下の奥への走っていった。

 

「っ! ちょちょっ、デンジくんやデンジくん……! えーっと、クロやんは寝とるから……みっちゃんがウチに着いてきぃ。岸辺さんは念のため早川家の監視お願いしてもええですか? なんかのときは黒瀬のやつ叩き起こしてもろてええんで」

「ん」

 

 岸辺さんは人差し指と中指を立てた。これは決してVサインではない。酒二本という意味である。

 

「ほなまた今度! 行くでみっちゃん」

 

 

 

 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

 

 

(天童視点)

 

 

 

 最近、仕事の内容が変わった。変わったというより、一度終わってまた別の仕事についたと言ったほうがいいかもしれない。

 これまでとは性質の違った仕事で慣れないことは多いが、上司が変わらなかったのは不幸中の幸いである。

 

 例の襲撃事件があった後、ヨツナさんとはしばらく顔を合わせていなかったので、肉片回収の任を解かれたと聞き、このまま挨拶もなく別れることになるのだろうかと黒瀬と共に言い知れぬ不安に感じていた。

 だがなんの気もなしに私たちの前に現れた彼女へ、私たちはある種の安堵すら抱いた。

 

 その安堵とはなんだろう。どういう気持ちだろう。

 食い扶持がなくならないで済んだ、とは違う。知人と久しぶりに会って元気そうでよかった、とも違う。

 このちょっとしたニュアンスの違いが私の頭の片隅でいつも蠢いていた。

 

 ヨツナさんの手にかかっても困難な仕事というのがある。それは一対複数の戦闘であったり、とても強大な悪魔との闘いである。

 だがいつでも彼女は数時間もすれば私たちの目の前に現れ、安堵を与えてくれた。彼女の存在は、この言葉で表現するのが難しい不安をいつも溶かしていた。

 

 だからこそ、こうして数週間も離れ離れというのは──これまでの数年ずっと一緒に行動してきたので──一層寂しく、心細く感じられた。

 やはりこの気持ちはなにかに似ている──

 

「ヨツナさん」

 

 突如家を飛び出した監視対象のあとを追い、ヨツナさんと私は人影の少ない夜の街を歩いていた。公安のスーツを着て夜の街を歩くのはあまりに不自然なので、事前にウォーキングウェアに着替えた上で運動しているフリをしながら彼のあとをつけていた。

 

「ヨツナさんは監視対象のことを──ええっと、デンジ君、のこと。どう思っとるんですか」

 

 前方にいる彼には聞こえないような小さな声で尋ねた。

 軽快な歩幅で進むヨツナさんは、私の質問に戸惑う素振りを見せたがすぐに答えた。

 

「デンジくんは、なんやろなあ……不思議な子やわ。せやけど、話しとって嫌な気はしやん。面倒見がいがあって、うちはすっきゃで」

 

 と彼女は楽しそうに笑顔を見せるのだった。

 その笑顔を見ると、その楽しそうな声色を聞くと、私はあまり良くない感情を抱いているのではと冷静なところが囁いた。

 

 嫉妬。

 その言葉が、なんだか今の私には適している。

 適していて、しっくりきて、そうして私がヨツナさんに抱く感情の正体も、濃い靄が晴れるように明らかになっていく気がした。

 

 父、あるいは母に抱く感情。

 そんな感じ。

 

 ヨツナさんが持つあの暖かさは、かつて感じていた母の温もりに似ている。

 だから母親を取られたようで、私はあまりデンジという人間が好きではないのかもしれない。

 

 子供のような理由だけれど、自分の中ではすごく大切な気持ちだった。

 

「着いたで」

 

 着いた先は学校であった。

 彼は校門の前でとある少女と待ち合わせているらしかった……あれは確か、カフェの。

 

「レゼちゃん……なんでこないなとこに」

 

 レゼ。その名前も、あまり良い気分がしない。

 いつも遠くから眺めているあの二人。

 二人はそのまま柵を越えて中に入っていった。

 

「……追いかけますか」

 

 そう耳打ちする。するとヨツナさんは一瞬思案し、「いや……うち一人で中入るわ。少数の方がバレにくい」と言うのだった。

 

 彼女はあまり私を任務に連れていってくれない。現場まで行っても、戦闘はいつも彼女だ。

 

 それが良いとは私自身よく分かっている。分かっていながら、私はいつまでも子供扱いされているみたいで、その優しさに甘えるのは胸が複雑だった。



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雨の日の学校

 校内は静寂で占められていた。息遣う音すら響いてしまいそうな長い廊下を歩くと、遠く上の階から若い男女の笑い声が聞こえた。それは不穏さなんて感じさせない聞き馴染みのある笑い声で、こうして辺りを警戒しているのが馬鹿らしくなってしまうほど愉快な音だった。

 音源の位置をおおよそ確認すると、足音を立てぬよう抜き足差し足で近くの教室まで向かう。彼らに干渉するつもりはない。今宵の出来事が彼らだけの秘密で終わるのなら、それで良いのだから。

 

 廊下の窓から外を確認すると、草木に隠れた天童と目があった。外は彼女が監視しており、異変が起こればすぐに連絡するようことづけてある。

 外に現れれば連絡を受けて私が討伐に向かい、校舎内に現れれば私が察知し討伐する。悪魔がよっぽど強大で大多数でない限り、デンジくんの安全は保証できるはずだ。

 

 仮に銃の悪魔の肉片を持った強化個体が現れたとしても、それなら出現した時点でおおよその位置が把握できるので私が難なく対処できる。

 問題はなんの変化もない悪魔の場合だが──私が気付けないほど小さく矮小な悪魔ならば、一瞬で彼を連れ去ってしまうなんてことはないだろう。声や音から異変を察知した時点で乗り込めば良い。

 

「しっかし……レゼちゃん自身はなんの悪気もなかったんやろうけど……ちとお灸据えた方がええんやろか」

 

 空き教室の手近な椅子に座り、彼らの処遇を考えた。

 

 そもそも学校へ忍び込むのは不法侵入だ……それに、在校生が忘れ物をとりに来たなどであればレゼちゃんはまだしも、デンジくんに限ればそうでない。

 夜遊び自体は今日が初めてだが、もし何度も続くようなら注意すべきかと頭を悩ませる。過干渉はなるべく避けたいのだが……。

 

 悩みごとをしながらも耳の感覚だけは鋭敏に澄ませていた。遠くの教室からはなにやら黒板にカツカツと文字を書いているような音が聞こえた。それに連なり、人の楽しげな会話が聞こえてくる。

 

「……デンジくんは、学校行っとらんのやったっけ」

 

 学校で勉強をする。日本ではあまりに普遍的すぎてそこらで溢れかえっている概念だ。皆、まるで湯水を使うが如く教育を享受している。

 

 それに比べデンジくんの境遇を考えると、私は先ほどまで抱いていた怒りがだんだん鎮まっていくのを感じた。彼の身を案ずる気持ちは、私の中で二律背反の形を成していくのだった。

 

 

 

 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

 

 

 しばらくして、二人はプールまで泳ぎに行った。

 生まれたままの姿で、今まで得られなかったなにかを取り戻すように懸命に四肢を動かして水の中で踊っていた。

 

 私はそれを近くの校舎から見張っている。楽しそうだな、とか今年はまだプール行ってないな、とか。去年は三人で海に行ったっけ……今となっては懐かしい思い出である。

 

 こうして二人が楽しんでいるのを見ていると、不思議な感覚に襲われる。混じりたい気持ちはない。ただ見ているだけで充足した気持ちになるのだ。

 この不思議な気持ちはなんだろう。ただ、今のこのひとときが、大変穏やかなものであるのに変わりはなかった。

 

 ぼうっと見ていると雨が降り出し、しばらくして二人は校舎の中に戻ってきた。

 雨が降るなんて予報はあっただろうか。前に傘を持ち忘れていたのを教訓に、忘れぬよう努めていたのだが……。ま、初夏であれば雨が降ることもあるかと、もうじきやってくる彼らにバレぬよう離れた教室まで移動した。

 

「しっかし台風みたいな大雨やな……これやとみっちゃん、外からなんも見えへんやろ」

 

 窓を叩きつける大粒の雨。風も強いのか、校庭を挟んで向こうにあるはずの建物が雨風に隠れて見えなくなるほどだった。

 

「……電話も繋がらへん」

 

 電話をかけるが応答はない。この大雨で電波も不安定になってしまったらしい。

 この天候じゃあ外で出張っているのは大変だろうから、先に帰るよう伝えようと思ったのだが……さすがに自己判断で帰っているだろうか。どこかのタイミングで送信されればいいと、簡潔な文章をメールで送信しておいた。

 

「うーん……この雨やと、音もよう聞こえへんしなあ」

 

 音を頼りに二人の様子を窺っていたが、こうも雨が降っているとそれも難しい。

 どうしたものかと首を傾ける。もう少し、近づくべきだろうか? でもそうすると、確かに音はよく聞こえるようになるだろうが、私の存在が発覚する可能性も高まる。

 

 しばらくどうしようか迷っていたが、バレそうになったらなったで窓から飛び出してしまえばこの雨の中誰がいたのかまでは分からないだろうから、近付いた方がいいだろうと廊下に出た。

 足音を消して二人のいる教室まで近付くと、誰かが教室から出る音がした。

 咄嗟に身を隠す。

 この足音は……おそらくレゼちゃんのものだろう。一つ上の階にあるトイレへ向かっているらしい。

 

(帰ってくるまでここで待っとこかな)

 

 そんなことを考えていると、不意に下の階から水の滴る嫌な音がした。

 なにか人でも引きずっているようなザラザラした音を引き連れ、何者かが階下からこちらへ向かっているのが感じられた。

 

(……なんの音や。警備員? いや、それにしてはおかしい……音が変や……)

 

 学校と聞くと、七不思議だの怪談だの、おどろおどろしい話が多い。私自身それを一つも知らないというわけではない。

 一瞬、そういった魑魅魍魎の類が脳裏をよぎったが、そんな夢物語のような可能性は即座に切り捨て、何某かの刺客がやってきたのではないかと身構えた。

 

 天童の可能性も考えたが、彼女には「うち一人で入る」と理由もつけて言ってあるのだから、緊急事態でもない限りやって来るとは思えない。

 

 つまるところ、この音の発生源は部外者である可能性が高い。警備員ならともかく、敵であるなら即座に対処する必要がある。

 

 ……息を殺す。いつでも飛び出せるように物陰で脚をかがめた。

 

 階段を上がる足音は段々と近づく。

 そうして、月明かりの差さぬ暗闇から、ヌッと一人の男が現れた。風貌が光で露わになっていくにつれ、キラリと手元に光るなにかが見えた……一振りのナイフは、雨水に濡れてあやしげな照りを返す。

 その男はなにやら言葉をつぶやいているようだったが、それが耳に入るよりも早く私は動き始めていた。相手がナイフを持っていたからでも、風貌が怪しいからでもない。

 

 なにかものを引きずるような音がした、と先ほど言ったが──その“なにか”がついに露わになったからだ。

 

 男はナイフを持つ手とは反対の方の手で、人を抱えていたのだ。

 その柔い首元にナイフを当て、動けばすぐに殺すとでも言わんばかりに、人を抱えていたのだ。

 

 その人は──天童は、まるで夢でも見るみたいに気絶しているらしかったが、行動に移る理由はそれだけで十分だった。

 

「────!」

 

 飛び出すと共に男の頬に右肘を当て、間髪入れずにナイフを持つ手を左手で捻り上げた。まるで社交ダンスでも踊るような格好で目を合わせる。男は突然の出来事に困惑していたらしいが、反撃の隙を与える間もなくガラ空きになった鳩尾に膝蹴りを加えた。

 

 空中に飛び出てからの蹴りであったので威力は十分でなかったが、それでも抱えている人間を放り出す程度にはダメージを与えることに成功した。男は受け身を取ることも叶わず階段を転げ落ちていった。

 

「大丈夫か、みっちゃん……!」

 

 彼女の頬を叩くが返事はない。

 ただ息はあって、脈も確かだったので、死んでいるわけではないのを確認しホッと息をついた。

 

「……あぁあ……畜生……」

 

 階段の下から呻き声が聞こえてきた。随分とタフな奴だ。

 

「さっさと殺しちまえば良かった……くだらねえこと考えちまった……クソッタレが……」

 

 ナイフにまで気が回らず、それが男と一緒に階段の下まで落ちていったことに今更意識が及んだ。

 私はやつがどのような悪魔と契約しているのか分からなかったため、距離を取りつつ天童の身体を遠ざけた。

 

「ああ、クソ……デビルハンターめが……」

 

 フラフラした足取りで男は立ち上がる。ナイフを手に取り、気を確かめるように強い力で握りしめていた。

 

 本当ならすぐに階段の下まで飛んでいって殺したいのだが、後処理が面倒なので室内で血を流すわけにはいかなかった。そのうえ、階段の下はいま男が来た道である。なにかしらの罠があってもおかしくはない……。

 

「クソッタレが……殺す……」

 

 男は恨み言を呟きながら階段を登ってきた。こうして正面から突っ切ってきたということは、やつの手持ちに罠はないのだろう。

 私はやつが仕掛けるのに合わせて出迎えようと考え、懐のナイフに手をかけていた。ところが、

 

「…………!」

 

 男はなにかを察知したのか、急に身体の方向を変えて、上の階へとつながる階段を登り始めたのだ。

 一瞬混乱した。なにせ私も、天童も、デンジくんも。みな上の階にはいないのだから。

 

「いや、ちゃう……あいつの狙いは……!」

 

 気付いて私も階段を駆け上がった。天童を置いていくわけにはいかなかったので担いでの跳躍だった。

 くぅ……最近また肥えよって……! ようさん飯食わせとるからやろうけど……!

 

 証拠はなかったが、男の狙いはレゼだろうという確信めいた直感が私を動かした。

 

 見れば、トイレから出たばかりのレゼを男が追いかけているのが見えた。追いかけようとするも、すぐに廊下の角を曲がり、姿を消す。足音は上の方へと続いていったので、ちょうど屋上に出るところらしい。

 

 気絶してしまった天童に障りがないようスピードを落として──けれどそれでも出しうる限りの速さで男の後を追った。

 

 屋上に辿り着くと、そこでは今まさにレゼへと手をかけようとしている男の姿があった。レゼはなす術もなく、それを受け入れようとしている。

 

 有無を言わず、私は扉のそばに天童を寝かせ、大雨の降る屋上に飛び込んだ。

 

「触んなッ!」

「……グゥ!」

 

 助走をつけず飛び込み、男の腰に横から蹴りを入れる。すると、まるでカスタネットのように男の体は上半身と下半身とで二つ折りになり斜め前方へと吹っ飛んでいった。

 前にはレゼがいたので角度を調整したのだが、上手いこと当たらずに済んだ。

 

 私は雨で滑るのをどうにか抑えて着陸すると、平静を装ったように汗を拭いながらレゼに話しかけた。すっかり顔を見られたので、今更隠すのはかえって不自然だと思ったからだ。

 

「……ふぅ。レゼちゃん、だ、大丈夫……?」

「な、ど、どうしてヨツナさんが……」

「その、なんや。仕事の一環? 言うんかな。街の巡回しとったら、変なやつおったから……」

 

 上手い言葉が見つからず、怪しい挙動で彼女の言葉に答える。

 だが長居するわけにもいかない。彼女は前からデンジくんの境遇に対して不満を抱いているようだったから、彼を監視をしている……なんて、彼女には知られたくなかった。

 大きなボロが出る前に立ち去るため、私は屋上の奥で倒れた男の身体を担ぎ、帰る素振りを見せた。

 

「ほなうちはこいつ連れて帰らなあかんから……帰りはよう気いつけて帰りや」

 

 たまたま街角で会ったときに見せるような笑顔で私は屋内に入った。

 やっぱりこれだと不自然だろうか。こういったときは「夜は危ないから」と帰りも送るべきだろうか。

 そう考え、また不審者に襲われ心傷を負った可能性もあるのだからメンタルケアを図るべきかと振り向いたが、レゼは大雨の中地面の方を向いてなにやら呟いているようだった。

 非常に落ち着いた表情で、私が見ているのに気付いた途端、笑顔で返してくれるくらいには余裕そうな態度をとっていた。

 

 無理していそうだと思い声をかけようとしたが、レゼが「デンジくんなら家まで送りますから」と明るく言うので、言葉が出せず頷くしかできなかった。



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夜店

 次の日は夜から夏祭りが開かれていた。

 普段は二人組で行動するのだが、昨夜デンジくんのところへ刺客が現れた一件を鑑みて人数を増やすことになった。そのため、私たちは三人共に巡回と称して夜店を巡っていた。

 

 というのはまあ建前で、祭りなのだし少しくらいは楽しもうと気楽な一面はないわけではなかった。なのだが……。

 

「焼きそばか。買ってやろうか、お前好きだったろ」

「いや、ええです……うちかていつまでも子供やないんで。部下の前でやめてください」

 

 部下二人と三人で仲良く……と洒落込もうとしたのだが、どういうわけか岸辺さんも着いてきた。

 健全な青少年が楽しむ祭りに傷だらけで酒臭いおじさんはそぐわないですよ、とは言えなかった。

 

 それに、岸辺さんが言うには警戒を強めたほうがいいだろうとのこと。確かに心強くはあるのだが、一緒に行動する理由はないに等しい。

 

「祭りなんざ久しく来たことがない。こうも明るいと眩暈がしそうだが、たまには良いもんだな」

「はいはい、花火見たら帰りましょーねー」

 

 人混みの中で立ち止まる岸辺さんの背中を押しながら前に進んだ。

 

 まあ、分からないでもない。私自身祭りなんて何年ぶりだろうか……屋台は美味しいものがいっぱいだし、楽しい出し物もたくさんある。

 こうしたときに思うのはデンジくんのことだ。いま彼は一緒にはいないが、レゼと一緒に楽しめていたらいいのだけれど……。

 

 そうしてずんずん人混みの中を進みながら、時々屋台で食べ物を買っては食べていた。

 

「お、たこ焼きやん」

「さっき向こうの店で買うたばっかりやないですか。……そないようさん、おんなじもん食えませんって」

「あほう、食べ比べするんや。おっちゃん! たこ焼き一つ!」

 

 半分ほど食べていたたこ焼きを片手に叫ぶと、呆れたように黒瀬はため息をついていた。

 先輩に振り回されているのは私だけじゃないらしい。

 

「家で食うたこ焼きと、店で食うんとではまたちゃうな……家のはこうもしっとりしとらんから。どっちも好っきゃな」

「そーですか。ほな良かったです」

「ん」

 

 食わないのか、と口をつけていない爪楊枝を使い一つ黒瀬の口元まで寄せてやった。

 

 彼は眉を寄せながらも大きな口を開けて食べる。

 

「まあ……普通に美味いですね」

「美味いもん食うとるときの表情とちゃうで。自分鏡見てきてみ?」

 

 とおちゃらけたように言うと、黒瀬は一層不満げになった。

 なにがそう嫌なのか?

 

 不思議に思いながらも夜店を巡る。

 ヨーヨー釣りをしたり、金魚すくいをしたり。

 天童はよく楽しんでいるようだったが、黒瀬はそうでもなかった。

 

 やがれ彼は不満を打ち明けるようにこう言った。

 

「……ヨツナさん。昨日、刺客が来よったん、分かっとりますよね?」

「? うん」

「せやったらもうちょい警戒しとったほうがええんとちゃいます? 祭りやからって浮かれとらんと……そらまあ、気持ち分からんでもないですけど」

 

 昨日の一件があった時間帯、黒瀬は何も知らされずにただ眠っていた。そのことに対しての疎外感もあるのかもしれないが、なにより天童のやつが危険に晒されていたことを負担に感じているらしい。

 おそらく、自分が起きていれば防げた危険なのではないか、とでも考えているのだろう。

 

 だからこそ彼としてはより気を引き締めて警戒に当たっているのに、上司はそれに反して祭りに浮かれている──そのギャップが、彼の自らを律する気持ちと合わさって怒りに似た感情を生み出しているようだった。

 

「まぁ黒瀬、考えてみぃや」

 

 ちょうど近くに射的屋台があったので、お金を払って銃を受け取った。

 

 あんまりシリアスな表情をすると叱っているような気持ちになってしまうので、嗜めるように笑顔で話した。

 

「そない準備万端で身構えとるやつに、敵は襲ってこやん。油断で隙だらけのやつにこそ、敵は好機と捉えて襲いかかってくる」

 

 せやろ? と黒瀬に確認をとる。

 彼は渋々といった表情で頷いた。

 

「せやから、気楽に行こや。そら警戒は忘れとらんけど、ずっと気い張っとった疲かれてまうし、なにより来るもんも来よらんよって」

「……詭弁ですよ、それ」

「そうかもしれんな。せやけど、うちはそういうスタンスでやっとるから。それに岸辺さんも……いや、岸辺さんはただの飲んだくれ……うん? 計算してやっとるんやろか? どっちやろ……」

 

 ともかく。

 そこまで言って、射的のライフルを構えた。

 コルクの弾は六つあったので、それを使って適当なお菓子でも取ろうと考えた。射的は得意なのだ。

 

「せやかて理由にはなりませんよ。いまこの瞬間来よったらどないするんです……」

「うーん……」

 

 ようは常から準備しておき素早く切り替えられるのが重要なのだと、そういったところに話の着地点を持って行こうとしたのだが、それでも黒瀬は納得できない様子であった。

 

 このままじゃ話も平行線だろうし、なにより祭りでするような話でもない。

 射的で手に入れたお菓子を六つ黒瀬に押し付けると、私はそのまま人ごみをかき分けて坂の上の方に向かった。

 

「心配しやんでも仕事は忘れとらんよ。ま、他にも何人か監視付いとるとはいえ、なんかあったら遅いしそろそろ行こか。ようさん食うたし」

 

 と、空になったたこ焼きの容器をゴミ箱に捨てる。

 

「なんか動きあるとしたらこうやろなっていう予想はあるんや。デンジくんらが人混み抜けたあと……特に花火のとき、人の視線が空に向かっとるときがいっちゃん危ないから。誰もデンジくんのこと見とらんし、花火の音でなんも聞こえんし」

 

 逆に、それ以外のときなら安全だろうと考えていた。

 それ以外ならば、人の叫び声や人混みの流れの変化で異変を察知できるだろうから。

 

「デンジくんらは上の方に移動しとるから、おおよそ花火でも見るつもりなんやろ。横道逸れて、花火見やすいとことか行ってまうかもしれへんから、早いとこ尾けよか」

 

 

 

 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

 

 

「しっかし……岸辺さんどこ行きはったんやろ……」

 

 途中彼とははぐれてしまい、三人だけで草むらの中に忍びデンジくんの監視をしていた。

 

(あ、花火や……)

 

 ようやく花火が始まったようだ。

 大きな音の中、花火に照らされたデンジくんとレゼは甘酸っぱい青春のひとときを送っているように見えた。

 見えたというか、見ていいものなのかどうか迷いながらだったが、警戒だけは薄れぬようにしていた。

 

 ところが、だ。

 

 動揺したように転げたデンジくんに近づくレゼ、そうしてその間を邪魔するようにサメの魔人であるビームが飛び込んできた。

 

「っなんでや! なんで邪魔するん!」

 

 と思ったのも束の間。

 

 花火を打ち上げる音と共に、レゼのいたあたりが大きな爆発に見舞われたのだ。そうして一瞬立ち上がった硝煙の中から現れたのは、異質な頭を持つ武器人間そのものである。

 

(え?! ちょ、ちょっと待って!)

 

 後輩の手前、準備がどうのこうのと偉そうなことを言ったが、まずい!

 心の準備ができてない!

 

「いっ行くで!」

 

 ひとまず駆け出しデンジくんと、それに追い縋るレゼを追うが、心の中は未だ整理がつかず、ひどく困惑しながら斜面を下っていった。

 

 は、恥ずかしい! 偉そうなことを言っていた自分が!




身構えているときには、死神は来ないものだ(`・ω・´)


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爆発

 山の斜面を駆け降りたところで民間のデビルハンターがレゼと相対している様子を確認できた。本来民間が発見した悪魔に公安が横槍を入れるのはご法度なのだが、事態が事態のためそうも言ってられない。

 崖によって生まれたおよそ十メートルの高低差を利用し飛び上がると、私は自由落下に身を任せ上空から奇襲を仕掛けた。

 

 手に持つ獲物は一振りの日本刀。

 天童黒瀬にそれぞれ一振りずつ持たせてあるそれは、皮を裂き肉を断ち、骨を砕くことに最適化された特注の代物であった。見た目からは想像できないほどの重量ゆえに使用できる者は少ないが、非常に丈夫で刃こぼれをおこさない。

 

 大型の悪魔を討伐するのに用いる武器で、分厚い肉を切り裂き硬い外骨格を砕くのに便利だ。もっともそのオーバースペックゆえに持ち運びは面倒で、こういう特別なときにしか使わないのだが……。

 なにぶん、仮に今日敵が現れるとすれば大型の悪魔ではないかと推測を立てていたので、こうして持ってきていたのだ。

 

 だが予想は外れ、人型の彼女が現れた。

 ハッキリ言って対人戦では無用の長物である。使いこなせているとはいえ、コンマ一秒の隙が命取りとなる肉弾戦において、振りが大きい上に掴まれやすい長物は不適切であった。

 

(まあ……奇襲には向いとるか)

 

 独りごちて柄を握る。

 左手にある鉄鞘で上手くバランスを取り、空中を滑るようにして構えた。

 

 そのまま音を立てず背後から右肩に刀を滑らせる。あまりにもこの刀は重いから、力なんて込める必要はない──けれど、親愛なる殺意をもってして、刀が唸りを上げるほど力を入れた。

 

 刃はまず空気を裂いた。そうして肌を破り、鎖骨を折り、背骨を断ち、肋骨を砕いた。そのまま血一つ纏うことなく銀色の刀身は振り下ろされ静止する──あまりに乱暴な袈裟斬りだが、荒々しくも人体は真二つに分たれたのだった。

 

「!」

 

 心臓の薄皮一枚を削ってまさしく致命傷となりうる一閃であったが、私は彼女を殺そうという意志を持たなかった。

 

 無論、甘えはもう捨てた。今だって右肩から下半身にかけてを削ぎ落とすような暇があれば、直接命を狙えた。心臓をくり抜き、頭を確保し、再生ができぬようにしてしまえた。

 

 けれどそうしなかった理由がある。

 彼女はなんらかの情報を握っている可能性が高い──再び現れた武器人間を、みすみす殺してしまうのは良くないことだ。

 もとより、デンジくん監視の目的はそこにある──刺客が現れたのなら、生かして捉えなければならなかった。

 

「なっ──!」

 

 声にならない悲鳴がレゼの口から漏れる。状況が上手く把握できていないのか、いまだに残った左腕は目的なく垂れ下がっているだけだった。

 

(次は──左腕!)

 

 地面に着地すると同時に一歩踏み込み、刀を切り返した。

 いや、切り返そうとしたのだ。

 

 しかし誤算があった。武器人間ならばなにかしらの特殊能力があり、それを危惧してはいたが、“なにかされる前になにもできないようにしてやればいい”と考えていたのが彼女相手には甘さだったのだ。

 

「────ッ!」

 

 面前で起こった爆発。そう、切り落とした下半身が煌々とした光をたたえて炸裂したのだ。

 

「マズイっ!」

 

 咄嗟に方向を切り替えようとしたが、二度目の切り込みを行おうと一歩踏み込んだのが災いした。慣性の法則に従い、意に反して身体は前に吸い込まれる。

 

 一瞬の判断がまさに生死を分ける。

 コマ送りのようにスロウな動きで光を放つレゼの下半身を面前に、私は“あえて前進”した。刀の峰で爆発するそれを後ろへ弾き飛ばし、なるべく被害を抑えるために鉄鞘を盾のように構え、ほとんどコントロールの効かない直線の身投げである。

 

「ヨツナさんッ!」

 

 派手な爆発のあと、さっき私が飛び降りた崖の上から声が聞こえた。黒瀬の声だ。

 身体に痛みはない。爆発とはいえ金属が炸裂したわけでもなかったから、致命傷は避けられたらしい。

 

 緊急回避の勢いが止まらず数メートル先にある車にぶつかった。追撃を恐れ飛び上がるが、あたりを見渡したもののレゼの姿は見えない。

 

 あの一瞬の爆風に乗って逃げた……のか?

 

「だいじょーぶ! 屁でもないわ! それより、あいつは?」

「下行きました! ガードレールんとこから……!」

「下……?」

 

 見れば血痕がある。それも二つだ。

 おそらくはデンジくんを逃した魔人のものと、レゼのものだろう。

 

「ここの下ずうっと行ったところに、対魔二課の訓練施設があります! ひょっとしたらあのサメの魔人、そこ逃げよったんかもしれません!」

 

 聞きながら手元の武装の様子を確認した。刀は刃こぼれひとつないが、鞘の方はややひしゃげている。

 

「分かったぁ……! 行ってくるわ! 刀もう一本ちょうだい!」

 

 崖の上から放り投げられた刀を受け取ると、私は改めてレゼの戦闘力を認識し直すことにつとめ、坂道を下って行った。

 

 レゼはデンジくんと違って、力を十分に使いこなせている様子だ──まだ本格的に殴り合ったわけではないが、あの一瞬で切り捨てられた半身を爆発させ逃げるだなんて芸当はよほど死地に慣れていないとできない。

 

 となると、彼女はおそらく訓練された兵士なのだろう。

 ただの少女ではない。裏のある、敵なのだ。

 

「騙されとったんやろか……」

 

 山を降りながらくだらないことを考えた。

 考えるだけつまらないことだと分かっていながらも、あの昼食のひと時を忘れずにはいられなかった。

 

 彼女に対して情はあるのだろう。今だって信じられないし、彼女があんな風に咄嗟の判断ができたことに驚いてすらいる。

 

 けれど、それとはまた別のところが──暗くて冷たい心の底が、どうすれば上手く彼女の四肢を削ぎ落として無抵抗のまま生捕りにできるのかを考えていた。

 

「ほんま……嫌なるわ、自分が」

 

 自由落下に近いスピードで山を降った。

 だからか、呟きは遠く後ろに流れていくだけで、誰にも聞かれやしなかった。

 

 

 

 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

 

 

 対魔二課の訓練施設。その正面玄関にて、公安とレゼとが対峙していた。レゼはまだ中に侵入していないようで、駐車場の方から余裕を持った足取りで玄関口まで向かっている。

 

「助けてくださ〜い! 悪魔に襲われてま〜す!」

「誰が悪魔や!」

 

 駐車場のように平面で広々とした場所では奇襲は難しいので(それに二度目が通用するとは思えない)、私は堂々とメンチを切って彼女の前に現れた。

 

 静かに一歩一歩踏み出しながら、彼女との距離を詰めている。

 半身丸ごと切り落としてやったのだから、再生するのにそれなりの血を消費しているはずだ……と思いたかったのだが、思いの外彼女の表情は余裕そうだった。

 

「……ヨツナ、さん」

 

 とはいえ、大きな痛手であったのに違いはないようで、私の声に反応して一瞬身構える様子があった。

 

 それを認めて、私は肩を使った深呼吸をした後、改めて彼女を見つめる。

 

「レゼちゃん、夜遊びはあかんで」

 

 言うと、レゼは完全に視線をこちらに向けて拳を構えた。

 彼女は対魔二課の彼らには荷が重い。私は彼らを無言のまま制止すると、レゼに倣って拳でファイティンポーズをとった。

 

 ようやく身体が暖まってきたところなのだ。

 そうでないと困る。

 

「ラウンドトゥーと行こか」




 レゼって接近したら爆発するし距離取っても指パッチンで爆発するので、インチキみたいに強いですね……そりゃみんな死にますよ……。


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喧嘩、喧嘩、喧嘩

 時間が経つにつれて、戦闘は激しさを増していた。

 蹴り、殴り、肘、膝。身体を酷使したありとあらゆる格闘技の他に、懐に忍ばせたナイフや刀を用いた斬撃も交え、およそ五分間に渡り戦闘が続いていた。

 

 レゼ自身、度重なる出血や爆発により体力を失いつつあるようで、次第に動きは鈍りつつあった。だが、それでも決定打を与えられない理由が二つあった。

 

 一つは先にも述べたように、私の目的はレゼを殺すことではなく生捕りにすることだからだ。デンジくんを護衛している理由にも繋がるのだが、刺客の狙いを把握するため彼女から情報を引き出す必要がある。だから奇襲のときもあえて心臓は狙わなかったし、今だって彼女を殺して終わりとはいかない。

 

 そして二つ目の理由は、武器人間という特性にある。

 

 武器人間を無力化するにはスターターとなる部分(レゼちゃんの場合首元のピン)が引けなくなるよう四肢を切り落とすか、あるいは再生できなくなるまで出血させるかのどちらかが必要なのだが……彼女の場合、例え体の大部分を失っても爆発はできるようであったから、四肢を切り落としたところで真の意味での無力化とはならない。

 

 だから私は持久戦を強いられていた。

 彼女が傷を負っても再生できなくなるくらいに、血を失わさせる必要があるから。

 

(せやから、レゼちゃんが人間の姿んときに腕切り落とすんが最善策やったんやけど……)

 

 だけど、私はそれができなかった。

 決して情が湧いたからではない。私は彼女と正面からぶつかりたいと思ってしまったのだ。

 

(あとでマキマに怒られるやろか……せやけど、後悔はしとらん)

 

 レゼが繰り出す殴打を避けつつ、爆発の範囲から逃れるように距離を取った。彼女が指を鳴らすことで遠隔でも攻撃できることは確認済みだが、それに関しては“見てから避ける”ことにした。

 

 目下の目的は、レゼの持つ血を消費させること。その上で、爆発というインチキじみた攻撃を至近距離で食らわぬよう攻めすぎないこと。

 それが無理でも、デンジくんが安全なところに逃げるまで粘るとか、援軍が来るのを待つとかだろうか。私は公安の悪魔とは契約していないから、いい加減肉弾戦だけでは無理が生じてきたように感じる。

 

(そろそろ疲れた様子見せてくれてもええんやで)

 

 思いながら、私は先ほどから考えていた不意打ちを実行した。不意打ちなので一度しかできない切り札めいた作戦なのだが、状況が状況なのでこのカードを切るしかない。

 覚悟を決め、ヘマをしないように正面を見据える。そうして爆発に巻き込まれるギリギリまで距離を詰めて、至近距離からナイフを複数本投擲した。

 

「!?」

 

 突然投げつけられた──それも、弾丸のように力強く素早く真っ直ぐに飛んできたナイフに、レゼは焦りを感じさせる猛烈な爆発で対処した。

 投擲されたナイフは爆発によってひしゃげるが、それでは対応が不十分だ。力強く投げられたそれは爆風に負けることなく彼女の体に傷をつける。またどうしてもレゼの意識はナイフに向かうため、消えかかった爆炎に隠れた私の姿はどうしても見えないでいた。

 

「……!」

 

 生じた一瞬の隙をつき、無骨な刀で切り上げる。

 レゼからすれば何が起こったのかも分からなかったのではないだろうか。煙幕から刀の刃だけがにゅっと突き出し、それが右腕を断ったのだから。

 

(よし! もうちょっと……!)

 

 だが、ここで欲張ったのが失敗だった。焦る気持ちが、行動を急かした。

 

 レゼも腕を切られただけで無抵抗にはならない──彼女は反射的に、私がいた場所に目がけて複数爆発を起こしたのだ。

 返す刀でもう一撃を狙っていた私は、危うさを咄嗟に感じ、致命傷を避けるように身を屈めた。

 

 けれど、それでも直撃は避けられない。

 素早く体を翻したが、途中反動に耐えきれず右肩から鈍い痛みを感じた。そこで気がつく、右腕が動かない。見れば、肩の筋肉がごっそり持っていかれていた。

 

(しもた……片腕持ってかれた……!)

 

 レゼも腕を切り落とされた驚きからか、私と同じように距離を離した。そのまま二人して合図のように構えをとった。あまりにも開きすぎた間合いから滑稽とも見て取れるものであったが、レゼの表情にいわゆる余裕と呼ばれるものはなかった。

 にわかに湧き出た冷や汗が頬を伝う。それを拭う暇もないほどに、神経を張り詰めさせている。

 

 レゼが緊張した面持ちで一歩後ずさるのにに合わせて、私も一歩前に出た。ここで引けば、弱気に出ていると思われる。あまり相手に調子付かせるのは、深傷を負った身としては不都合だからだ。

 互いに距離を変えぬまま、大きな変化は訪れない。ただ時間だけが過ぎていくように思われた。

 

「……時間稼ぎ、だけじゃないですよね」

 

 と不意にレゼが訊ねてきた。

 切り落とされた右腕を再生するには左腕で首元のピンを抜かねばならず、そのために生じる隙をレゼは恐れているようで、所在なさげに腕を構えるだけであった。

 

「まだやりますか。片腕が動かないのに」

「うちかて悪魔退治だけが能やない。それに、まだ終わっとらんからな」

 

 言葉の裏には彼女の生捕りが含まれているのだが、それが伝わっているだろうか……。素直に投降するよう伝えるのも手かと思われた。

 かなり辛い状況ではあるものの、彼女との戦闘はどこか心が満たされる──だが、手遅れになってしまうといけない。なにかの拍子で、どうしようもない結末を迎えるのだけは避けたかった。

 だから私は、戦いたいという気持ちをグッと抑えて、こんなことを問いかけた。

 

「レゼちゃん、公安に来やんか」

「……え?」

 

 レゼは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。そんな勧誘が今ここで出るのかと驚いているような、虚を突かれた声だった。

 だが、

 

「……私は。私に。そんな道はない」

 

 そう言って、彼女は決心したように左手を首に遣った。けれどその指先は震えているようにも見えた。

 

「あなたを倒して、デンジ君の心臓を奪う」

「……悲しいわ。レゼちゃんとは、仲良くなれた思ったんやけど」

「うるさい!」

 

 放たれた慟哭と共に、彼女は勢いよくピンを抜いた。

 あまりにも非日常な爆発と共に、その煙幕の中から禍々しい悪魔の姿が現れる。爆弾の悪魔そのものの力を宿す武器人間。レゼの感情の昂りを表すほどに高温な、肌を焼く熱波に堪えながら、私は彼女に向かって突き進んだ。

 

 レゼは足を爆発させることで加速し、瞬間的に間合いを詰めてきた。なるほどこれだけ早ければ、あの一瞬で逃げ切れたのも頷ける。

 なにより、爆発という不安定な力を己の推進力に変換できる素晴らしい体重移動が目を見張った。

 

「──ッ!?」

 

 彼女が突き出す拳に合わせ、カウンターを決める形で足蹴りを繰り出したのだが、彼女は上手く体の一部を爆発させることで体勢を変え、私の蹴りを同じく蹴りで受け止めた。

 それがまるで鉄でも相手にしているかのような心地であった。様子を見るため多少力を抑えていたとはいえ、それでも手加減しているつもりはなかった。並の悪魔なら殺せるような、そんな蹴りであったのに……こう動揺もなく受け止められると、ちょっと困る。

 さっきの二の舞にはならぬよう、深追いはせずに離れた。

 

 するとレゼは無理に楽しそうな声で話した。

 

「あ〜あ。もっと早く起爆させればよかった」

「えらい余裕やな」

 

 彼女の体は人であったときと比べて大変頑丈だ。その上、格闘能力や身体操作の力にも長けているようだと思われた。

 

(やっぱ、近づかなあかんのがネックやなあ……。腕はまあええとして)

 

 懐に潜りこんで、致命傷を与え、去る。例え一連の洞察を手早く終えたとしても、その間に必ず爆発がやってくる。

 いくら素早く動けるとはいえ、私は生身の人間なのだ。爆発に巻き込まれれば間違いなく死ぬ。先ほど奇襲したときだって、不意をついたというのにかなり危なかった……。

 

 それに、さっきの爆発で肩の筋肉が持っていかれた。お陰で右腕は上手く動かない……。追い詰められているのは私の方だと改めて認識する。

 

「ま、やってみな分からんわな」

 

 一度引くのが正解かもしれないが、いま逃げるとデンジくんにすぐ追い付かれてしまうのではないかという恐れがあった。

 覚悟を決めたように背筋を伸ばす。そうして私は腰に差した刀を二振り抜いて、二刀流の構えを取ろうとしたのだが──

 

 その時だ。轟音が山から響いたのは。

 

 見上げるわけにはいかなかった。レゼを前にして隙を見せるのはあまりに危険だった。

 けれど、山からそれ以上の異変が近づいているのは間違いなかった。腹の奥まで揺らす地響きは尋常ではない。

 

 私は一瞬、横目で山を見上げる。

 そこではあまりにも大きな──それこそ、災害と呼称しても構わない、何もかもを薙ぎ倒すような“悪魔”が、こちらに向かってやってきていた。

 

「──あれは、台風の悪魔か……!」

 

 突然の登場に、レゼは驚いたそぶりを見せない。

 ひょっとしてあれが味方だというのか。

 

 台風の悪魔単体なら対処できただろう。だが、今は目前にレゼがいる。彼女を差し置いて悪魔退治は無理に等しい。今のコンディションで両方を相手にするのは、正直不可能だ。

 私は諦めたように刀を鞘に収め、それでもなるべく会話だけで時間稼ぎを試みた。

 

「……今は一旦引く。せやけど、デンジくんに手出しは──」

 

 と、その場を去ろうとしたとき、なにやらまた豪快な音が遠くから聞こえてきたのだった。

 なんだ、この音は……前によく聞いたような……。

 

「俺が知り合う女がさあ!! 全員オレん事、殺そうとしてんだけど!!」

「デンジくん?! アホンダラ!」

「みんなチェンソーの心臓ばっか欲しがっちゃって! デンジーの心臓は欲しくねえのかぁ〜?!」

 

 サメの悪魔に乗った奇怪な様相で、デンジくんは台風の悪魔とは相対するようにチェンソーの轟音を響かせて現れた。彼の元気な様子に、私は今まで誰のために何をしていたのかと腹立たしさすら覚える。

 

「私がデンジ君を好きなのは本当だよ」

「えっマジ……?」

「アホンダラ!!」

 

 ドアホ……!

 右肩の痛みなど忘れ、戦闘の続行を決意した。



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夜更けの決戦

「いけません……! あないなとこ突っ込んだら死んでまいますよって!」

 

 台風の悪魔の影響は凄まじく、その暴風はまるでカーテンのように私たち人間と彼ら悪魔とを隔てていた。

 山の斜面を巻き込んだからか土砂や木々が混じっており、そこに身を投じればミキサーにかけられたように肉が削がれることは折り合いだろう。中の様子が見れないこともあって、私は大変もどかしい思いを強いられていた。

 

「サメの魔人の……ビームくんが着いとるとはいえ、あまりにも力量の差がありすぎる……! せめて台風の悪魔だけでも削ったらな、話にならん!」

 

 そう言って飛び出そうとする私の腰に天童と黒瀬が抱きつき抑えた。離れているとはいえ、台風の影響もあり彼らは低い姿勢をとっていた。

 というのも、この問答はまだ大きく被害の出ていない対魔二課訓練施設の玄関口で行われていた。

 

「右腕もやられとるんですし……動かんのやったら、大人しゅうするんが一番です!」

「そうです! さすがに怪我しとる状態で行くんは、危険です!」

「せやけど、うち以外に行けるやつおらんやろ! 確かにレゼ相手に勝てはせんかったけど、台風の悪魔くらいやったら殺せる! なんなら数年前に一回倒しとる!」

「それは台風の悪魔単騎やったからでしょう! 今はあの爆弾もいよるんですよ?!」

 

 それはもっともな意見だ。確かに私一人で──それも手負いの今、あの二体の悪魔を相手にできるはずがない。

 

 それに彼らの私を心配する気持ちは痛いほどわかる。だってその気持ちは、いま私がデンジくんに抱いているものときっと一緒だろうから……。

 

「せやけど! やらなあかんことがある! うちはあのアホどもを叱ったらなアカン!」

 

 逃げなかったデンジくんを。

 そして、自分の気持ちに素直になれていないレゼを。

 

 きっと彼女はデンジのことが好きなのだ。彼女の生い立ちや境遇は知らない、どのような使命や任務を負っているのかも未だ明らかでない。

 それでも彼女の気持ちは蔑ろにされてはいけないはずなのだ。もし私の行為がお節介だとしても、それでも今この場で動かなければ必ず私は後悔する。だって、彼女の持つ気持ちは、あの昼食を食べた時間は、嘘ではない。きっと尊いものだろうから。

 

「……天童、あかんわ」

 

 黒瀬は呆れたように言った。それに対して、天童が焦るように聞き返す。

 

「なにがや?!」

「こうなったらもう止まりよらへんのはよう分かっとるやろ?」

「……! 分かっとるわ、せやけど! 目の前で指咥えて見とるわけにもいかんやろ!」

「せやったら手伝うんが一番とちゃうんか! 俺らができるんはサポートや!」

「…………っ」

 

 天童は苦々しい表情で俯いた。そのまま、何か言いたげに口を動かしたが、やがて私の腰に回した腕の力をスッと抜いて、顔を上げた。

 

「……ああもう! 分かりましたよ! やりゃいいんでしょやれば!」

 

 言葉は吹っ切れたように見えるが、彼女の顔にはまだ迷いが見てとれた。

 

「……ありがとう。いっつも、迷惑かけてもうて」

「柄にもないこと言わんとってください……! その代わり、帰ってきたら、ヨツナさんの金で飲み連れてってくださいよ……!」

「! ……もちろんや。ほな、頼むで」

 

 手伝う、ということは、つまり彼女らの悪魔を使うということだろう。

 私は動かない右腕が邪魔にならないよう身体に縛り付けて彼らの準備が整うのを待った。

 

「今から、罰の悪魔で台風の悪魔に一瞬攻撃します。そんとき腕が伸びて来ると思うんで、それを土台にして行ってください……!」

「分かった!」

 

 その言葉を合図に、二人は息を合わせて悪魔の力を行使した。普段滅多に使うことのない罰の悪魔──力の強さから、代償も大きく、それゆえにここ一番というところでしか使われることはない。

 

 どこからか現れた一本の腕は、的確に台風の悪魔を狙って嵐の上部へとその指を伸ばした。

 私はそれを防風壁として背を向け、吹き荒ぶ嵐の中へと身を投じる。罰の悪魔の腕を伝い、主戦場となる上空へ。

 

 私が中に入るのを見届けたとともに罰の悪魔は消えた。いい、これでいい。

 中はまるで台風の目のように穏やかであった。いや、決して風はないわけではないのだが、外と比べればないのと同じ。

 

 罰の悪魔が消えるとともに私は掴むものがなくなり自由落下を始めたが、それでよかった。ちょうど真下のところで台風の悪魔が見えたからだ。

 

 腰に差した刀を抜く。レゼとの戦いのときは上手く活用できなかったが、今を考えると持ってきておいてよかった──

 

「もいっぺん死ねぇ!」

 

 昂っているからか、柄にもない大声をあげて台風の悪魔の脳天に刀を突き刺す。そのまま左、右、上、下、さまざまな方向に刀を滑らせ、その血を浴びた。

 

「……よし! やっぱ爆発しやんのは楽やわ……!」

 

 だが台風の悪魔もただではやられない。

 最後の力を振り絞り、デタラメな風力をその場に生み出した。横殴りの風、上から押さえつけるような風、なにもかもを吸い上げる竜巻のような風。それは私たちを吹き飛ばすという意味もそうだが、レゼを逃す目的もあるのだろう。だが、

 

「逃すかよぉ〜!」

 

 乱暴にチェーンを飛ばしたデンジくんは、それをレゼの足に巻きつけた。レゼは一瞬足を切り落とすことを考えたようなそぶりを見せたが、もう回復する余裕もないのか後の対決を決意したように見えた。

 

「……! デンジくん、うちも!」

 

 風によって、その叫び声が彼に届くことはなかっただろう。だが私はなんとか残った方の腕でビームくんの尾鰭にしがみつき、そのまま風に乗ってどこか遠くの方まで飛ばされていくのだった。

 

 

 

 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

 

(レゼ視点)

 

 風に飛ばされ着地したのは山の麓にある海際の建物の屋上だった。上や横に飛ばされたせいで、デタラメな場所に飛ばされちゃったけど、それでもデンジ君は私の足にしがみついて離そうとはしなかった。

 おかげでこんなところにまで来て戦う羽目になっちゃった。

 

「……デンジ君。いい加減しつこいよ」

 

 戦闘が長引く焦りよりも、もっと強く、他の感情が“早く終わらせたい”と訴えていた。その感情はこの任務には邪魔なものに違いない。だから早く、自分が自分の気持ちに気づく前に、終わらせてしまいたかった。

 

「あ〜しつこいぜ、俺は」

 

 空中でしがみつく彼に何度か爆撃を与えたのだが、それでも彼は諦めなかった。おかげで彼に同伴していたサメの魔人はすっかりボロボロだ。デンジ君もすっかり血を消費して、もう再生はままならないのではないだろうか。

 

 だが、ピンチなのは私も変わらない。台風はいなくなるし、私も私でかなり貧血なので、次で決めなければ後はない。

 

「じゃあ、これでさよならだね」

「俺が勝つ!」

 

 噛み合っているようで噛み合わない会話。けれど、それでいい。

 そのメチャクチャさが、今の私たちにはピッタリなように思えたから。

 

 爆発とチェンソーが混じり合う。私が出す派手な音と、彼が出す派手な音が、広い海に響いた。

 

 危うい場面は何度もあった。身体は徐々に力が入らなくなって来る。私はぼうっとした頭でつまらないことを考え始めた。

 

(ああ……お腹減ったなあ……)

 

 ほとんど無意識で殴り合う。

 デンジ君もすっかり疲れてしまったのか、動きが鈍い。だからあとは意地の張り合いだ。どれだけ意識を保てるか、意地を張って動けるかなのだ。

 その中で決定打を与えたのは私だった。無意識に繰り出した爆裂が彼の腕を吹き飛ばしたのだ。

 

(これが終わったら……カフェに行って、デンジ君と、ヨツナさんと、三人で……)

 

 そこまで言って、気付く。

 ああ、もうあの時間には、帰れないのだと。

 

 その瞬間、鋭い痛みが生じた。ズキンとして、それから両の腕の感覚がなくなった。

 

「不意打ちばっかでゴメンな」

 

 夜の闇に紛れて、潮風に揺られる髪を血に染めながら、ヨツナさんは私に言った。いつのまにかやってきたらしい。それすら上手く私は認識できないほどに疲労していた。

 

 ああ、なんだろう。よく分からない。

 血を失いすぎた。頭が回らない。切り落とされた両腕はもう再生できない。

 そのまま、なにか窮屈なもので身体を縛られて、突き動かされるように建物から落下した。冷たい水の感触が、私の意識を奪った。




☆罰の悪魔の能力について。

 よく考察で上がっているのは、公安襲撃のときにマキマさんが使った例の圧死です。しかしあのように人の命を代償とする高コストな悪魔を一端のデビルハンターが扱えるのかという疑問があります(狐や釘と比べてあまりに高コスト)。
 それに仮にあれが罰の悪魔の能力なら、天童黒瀬の二人が察していてもおかしくはないはず。
 なので、あのシーンの能力と罰の悪魔は関係がないのでは?といった考えの上で、対銃の悪魔でマキマさんが使用していた罰の悪魔が実態を伴っていることから、そういった物理攻撃メインなのかな……? と考えを広げました。
 あとは妄想なのですが、悪魔が起こした被害に比例した規模の“罰”を与える(目には目を、歯には歯を)のハンムラビ法典システムなのかな……?とか思ったり。ただそれだと強すぎるので、多分それなりの代償も必要なのでしょう。


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路地裏

 戦いの後、海に飛び込んだデンジくんらの救助をビームくんに頼んだのち、私は肩の傷の手術を受けに病院まで歩いて行った。手術が終わったのは明け方で、しばらくは安静にとのことだったので、私はすぐに病院を出てレゼとデンジくんの捜索に向かった。

 

「ちょちょっ! 絶対安静や言われとったやないですか!」

 

 後輩二人には休むようにと止められたが、いま機を逃せばきっと後悔するという気持ちが強く私を突き動かしたのだ。

 

 痛む肩に無理を押して病院を出ると、出てすぐのところに車が一つ停めてあった。そこからマキマが顔を出して、私のそばにつけた。

 

「今から例の武器人間を捕まえに行くんだけれど、着いてきてくれる?」

「もちろん」

 

 後から追いついてきた後輩二人にはこれが終わればしばらくは休むからと言って聞かせるが、それでも食い下がるので、後部座席に乗せることでなんとか折り合いをつけた。

 この頑固さは誰に似たのか。

 

 まあ、確かに、この怪我で武器人間を捕まえに行くというのは危険かもしれない。だが私はそうは感じていなかった。昨夜のような本格バトルはもう起きないだろうと、そう感じていたのだ。

 根拠は、強いていうなら信頼だろうか。あのカフェでの昼食のひとときを忘れたくないという、なんとも湿っぽい思い出が私の心を縛りつけた。

 

「今回の件だけど……手酷くやられたみたいだね」

「右手一本で人命救えるんなら安いもんや。……人的被害、ほとんどなかったんやろ?」

「うん。爆発の破片に巻き込まれた人はいたけれど、いずれも軽傷。襲われた対魔二課の訓練施設にいた人たちも、幸い無傷で済んだ。ヨツナのおかげだよ」

「そぉか……どや。なにわの底力や」

 

 私が得意げな表情をVサインしたのを見て、マキマはなにやら複雑そうな表情で「そうだね」と返した。

 それから、私の右肩を気にかけるように目線を遣って話した。

 

「……治るの? それ」

「んー……分からん。ま、飯食うて寝たら治るやろ」

「頭痛やないんやから! お医者さん言うてはったやないですか、後遺症は残るって……!」

「やそうやわ。んまあ、ひと段落ついたらしばらく休むわ」

 

 両腕を頭の後ろまでもってきて背もたれにもたれかけようとしたが、右腕はまだ上がらない。それもそうだろう、なんたって肉ごと持っていかれたのだから。動かすための筋肉がなければどうしようもないのだ。

 

「無理したんだね。あれほどダメだって言ったのに」

「後悔はしとらんよ」

 

 それは本音だった。私はあの戦いで傷を負ったことに不満はない。脆弱な生身で爆弾の悪魔に挑むのは相性が悪いといえたが、あそこまで善戦したのだから、むしろこの程度の怪我で済んだことに驚きすらある。

 ひょっとして、レゼは私に攻撃するのを躊躇っていたのではないか──そんな邪推をついしてしまうくらいだ。

 

「その傷、治さないの?」

「治さないの? って……治せるんやったら治したいわ。でもまあ、しばらくはな」

 

 三角巾で吊るされた腕を触りながら言った。

 

 そこから私は、事の顛末についてマキマに話した。あとで書類にまとめたものを報告するが、ひとまず今は情報を共有する目的を兼ねて、行きすがら、車の中で彼女に話をした。

 

 しばらくそうしてマキマは私の話に聞き入っていた。敵であるレゼとは、戦闘前から知り合っていたということ。デンジくんと三人で食事をしたり、勉強したり、短い間ながらも非常に親しい関係を築いていたということ。

 それから、昨日の夜のことも。

 

「レゼに……公安に来やんかって誘ったとき。あの子、自分にはそんな道はない言うてた。せやけど、うちはそうは思わへん」

「…………」

「今、来いって言ったら必ず来よると思う。デンジや、前に戦ったサムライソードと同じ……味方になったらええ戦力になる思うんやけど」

「ふう……そうだね。確かに、彼女は経験があって、そのうえ特殊な力もある。人手不足の公安にはぜひ欲しい」

「せやろ?」

「けど」

 

 と、マキマは厳しい言葉遣いで言った。

 

「調べによると彼女はソ連の刺客みたい。悪魔にそそのかされたのならまだしも、国が上にいるのは厄介だよ」

 

 ソ連、ああ、なるほど。

 懐かしい名前に、私は不思議と納得を得た。

 それならあの高い戦闘能力も頷ける。同時に、レゼの悲惨な生い立ちにも考えが及んだ。なら一層、私は諦められない。

 

「殺すんか?」

「うん」

「尋問もせずに?」

「うん」

「…………」

 

 マキマの意志は頑ななようだった。外にデンジくんの情報が漏れる前に殺す。仲間にしたところで裏切りの可能性があるのなら、脅威となる前に殺す。それはあまりにも正しい考えで、私はちょっと言葉に困った。

 

「彼女には……経験がある。少なくとも新人よりは動けるし、この上ない即戦力っちゅうふうに言えるやろう」

「それで、ヨツナの本音は?」

「……見殺しにはできん」

「情は持っちゃダメだって、最初に言ったのはヨツナだよ」

 

 彼女の言葉が私の胸に痛く突き刺さる。そう、私はデンジくんとまだ知りあって間もない頃、なにやら厄介なことに手を出しているように思われたマキマに「なにかあれば殺せ。情は持つな」という趣旨(もう少し柔らかい表現ではあったが)の言葉をかけたのだ。

 

 うう、分かってはいる。分かってはいるのだ。

 レゼはここで殺すべきなのだ。でないと、後々反乱分子になったとき内部で大きな混乱が起きる。

 今回の一件で死傷者数が少ないのはあくまでレゼが私以外の誰とも本格的にバトルしていないからなのだ。もし私がいないときに公安で暴れられれば、戦闘員非戦闘員含めて壊滅的な被害が発生することは容易に考えられる。

 

 そんな危険因子を──まさしく爆弾を、公安に迎え入れるわけにはいかない。

 

 分かっているのだ。頭では、その論理的なところを理解しているのだ。現に、私の心の冷たいところはレゼを殺せと判断を下している。

 

「せやけど、可哀想やわ。あの子」

「可哀想?」

「きっとあの子は親を知らん。友達も知らん。学校に行ったことなんてもちろんない。デンジくんと、一緒や」

「…………」

「うちが面倒見るから、なんとかならんやろか? 衣食住管理して、行動も共にする。朝起きるときも仕事のときも、夜寝るときも一緒におる。そこでちょっとでも変な素振りしたら……有無を言わさず殺す」

「…………」

 

 長い沈黙。私はしっかりとした眼差しをマキマに向けた。

 マキマはそれに驚いたようで目を丸くし、そこから考えるように真っ直ぐ前を見て車を運転した。

 

 しばらくして、いつも通っていたカフェ近くの道路に止まると、マキマは降りる前にこう言った。

 

「……分かった。これは貸しね」

「ええんか?!」

「良いわけないけど、言っても諦めないだろうから」

「いやぁ〜ほんま神様仏様マキマ様やで!」

 

 マキマ様、という言葉に一瞬ピクンとマキマが反応したように見えたが、それよりも今は許可が降りたが喜ばしい。

 

「今度、久しぶりにディナーでも食べに行こっか。それで貸し借りなしね」

「? そんなんでええんか?」

「もちろん。だってヨツナの奢りだから」

「…………、お手柔らかにな? ……マキマ?」

 

 

 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

 

「私は田舎のネズミが好き……」

(変な演出……管理職も大変やな。格見せつけなあかんから気張っとるわ)

 

 路地裏を進むレゼの後ろから声をかけ、群れを成して集うネズミの中からマキマが現れる。その様子はまさしくホラーそのものだが、こうして上から見ている分には──それも、気の知れた相手がやっていることならなおさらおかしく見えた。

 というか、田舎のネズミ都会のネズミって、前に飲みに行ったときに話した内容と同じではないだろうか? 案外あれが印象に残っていたらしい。

 

 とあれこれ思索していると、レゼが首にあるピンに手をかけようとしているのが見えた。てっきり穏便に話を進めてくれるのではないかと考え気を抜いていたので、急な事態に動転するが、なんとか場を収めようと上から声をかけた。

 

「レゼちゃん! ちょい待ち!」

「…………!」

 

 建物の上から飛び降りると、見事二人の間に着地した。

 まあまあとレゼを嗜めつつ、レゼの側に立って話した。

 ちなみに黒瀬と天童はなにかあったときのために路地裏を出たところで待機している。

 

「いやな、別に敵対するわけやないんや。レゼちゃんが良ければ、公安入らんかなって勧誘しに来ただけで……」

「でもヨツナはあなたのこと殺すって言ってたよ」

「物騒なこと言うなや! 誤解生まれるやろが誤解が! ……なんか変なことしたら殺すゆうだけや」

 

 口をとんがらせて言う。さっきまでの雰囲気との温度差に、レゼは目を白黒とさせていた。気は確かだろうかと目の前で手を振ったりしながら話す。

 

「なあレゼちゃん。うちがマキマのこと説得して、レゼちゃんが変なことしやん限りはうちの下で保護できるよう取り付けてあるから……せやからもし良かったら、一緒に働かんか」

 

 回りくどい言い方は嫌いだったので、率直な言葉遣いで誘った。これで彼女を公安に誘うのは二度目だ。一度目は、あえなく断られてしまった。

 だから私は、きっと来るだろうと思いながらも、僅かばかり不安を残していた。

 

「……迷惑は、かけられません」

「迷惑やなんて、そないなことない。うちが一緒にいたい思ったから誘ったんや

「私、裏切るかもしれません」

「そんときはそんときや。きっちり落とし前つけるさかい……まさか昨日のあれがうちの本気や思っとる? あれはレゼちゃん殺さんように手加減しとったんやから」

「でも、私は……」

 

 そうして見上げるレゼの目には、私を試すような悲しみがあった。自分の存在意義や、価値が、与えられるものに見合わない──本当に私で良いのかと、まるで自問するように私に確かめてくる。

 

 そのまるで幼い子供のような仕草がなんとも愛くるしく、私は左腕でレゼを抱きしめた。

 

「なんだってええんや。うちは一緒に昼飯食うたこと忘れてへん。戦うたことも忘れてへん。その上で、レゼちゃんと一緒に働きたい」

 

 ご飯を食べて、喧嘩をして。まるで親子のような彼女との関係に、私は既に強い絆を感じていた。

 それは、レゼも同じらしかった。

 

 彼女はなにも言わず、私が抱擁するのと同じくらいの強さで抱き返してくれたのだから。

 人の暖かさがした。幼い子供の、熱っぽい体温だった。

 

「……水をさすようで悪いんだけれど」

 

 とマキマが私の肩をたたいた。

 おお、と思いレゼを離す。

 彼女は目端に溢れた涙を拭いながら「はい」と力強く返事をした。

 

「あなたは敵国の刺客であったことに違いありません。許可を出したとはいえ、その最低条件として洗いざらい情報は吐いてもらいます。……抵抗する意思がなければ付いてきて。もし敵対したいというなら、私が今ここで相手をします」

 

 マキマは強い言葉を使ってそう説明した。変に優しくされるよりも、それはレゼにとって良かったらしい。気持ちを切り替えるようにまた「分かりました」と返した。

 

「ふう〜」

 

 そこでようやく緊張の糸が途切れた。緊張が抜けると、途端にお腹も空いてくる。

 

「その前に、朝飯でも食わんか? 昨日の夜から何も食っとらへんから、腹減ってもうてな」

 

 ちょうど今ならあそこのカフェでモーニングをやっている頃合いだろう。さあ行こうと、陰で潜んでいた天童黒瀬も呼び寄せて、暗い路地裏から出た。




来週少し閑話を挟んでからクリスマス編に突入しようかなと思います。
とはいえ、何を書くかまだ未定……。


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病室にて

 あれから数日経って、レゼの尋問は終わりひとまずの目処がついた。

 

 サメの魔人ビームくんが呟いた「銃の悪魔の仲間」という文言の意味については未だ詳細が明らかになっていないが、多少は有益な情報を上層部は手に入れられたらしいのだ。

 中でも、既にデンジくんの特異性について様々な場所へ情報が流れたというのが上を騒がせている大きな要因のようで、緊急で情報規制を敷くなどしているとのことなのだが、世界全体となるとそれも厳しいようだ。

 そのため、おそらく今後海外から多くの刺客がやってくるだろうと予想されており、それに対抗するべく厳重な警戒を持ってデンジくんを保護する方針を立てたのだという。

 

 ……なのだが。私は右肩の怪我を理由にしばらく彼の護衛を外されていた。レゼというソ連からの刺客に気付けなかったのも要因としてあるのではないだろうか。あくまで私の主観だが、私の二の舞を踏まぬように、今はヒソヒソとした護衛はやめにしたようで他県にも多くの応援要請を出しているようだった。

 まあ、以前のサムライソード同様に新たな武器人間が現れたことへの焦りもあるのだろう。

 それにプラス思考で考えてみよう。人的被害を最小まで抑えた私に対して貴重な戦力であるという高い評価を与えるがゆえに、なにかあったときに備え万全の状態まで整えるための療養期間を設けたと捉えれば悪いことじゃない。

 

「いや、そないに甘い組織でもないか。……ま、状況は過酷やけど、楽観的でいた方が気も楽やわ」

 

 三角巾で吊るされた右腕の具合を確かめながら呟いた。今回の怪我で一ヶ月程度の暇が出されている。その程度の期間で治る傷とは思えないが、視覚や聴覚を失っても働いているデビルハンターはいるのだ。文句は言っていられない。

 

 あとそれと重要なのはレゼの処遇である。会議でも、やはり殺すべきではないかという意見は多く見られたらしい。戦力として見るよりも、その危険性ばかりが目立ったのだろう。

 ただそこはマキマが頑張ってくれたようで、結果からしてレゼの所属先は私の抱える旧・肉片回収班に選ばれた。彼女を公安に引き入れることを提案した私の責任でもあるし、なによりレゼと十分に差し合うことができ──また仕留め得る存在は一ノ瀬ヨツナなのだと、そうマキマが言広めてくれたおかげで、自然と彼女の配置は私の元にあてがわれた。

 

 もともと私が言い出したことなのだから文句なんてあるはずもないし、むしろこうも理想的な状況になったことへ驚きすらあった。

 人体実験などありそうなものだが、軽い身体検査と事情聴取で済ませると見舞いにきたマキマから聞いた。

 ということらしいので、あと数日もすればレゼとはまた会えることになるのだろう。

 

「ヨツナさん、ちょいと飲みに行きませんかー?」

「アホ言うなや。病院やぞ」

 

 と、同室にて数ヶ月にわたり入院中の姫野が言った。

 パワーちゃんによる応急処置により失血死は免れたとはいえかなり危険な状態だったらしく、また胸に負った傷が心臓をかすめていたり、日頃の不摂生が祟って体の各所に問題があったりと、想像以上に長期の入院を強いられているようだった。

 そのためか、酒や煙草といった欲求を長い間に渡って満たせず、こうしてよく酒やら煙草やらに誘う文句を言ってくるのだ。

 

「言うとくけど、天童や黒瀬に酒やらタバコやら持ってこさせるこたぁない。期待するだけ無駄やで」

「ちぇえっ。アキくんもお酒持ってきてくれないし、後輩みんなフルーツばっかりで……この傷だらけの身体にはアルコールの消毒が必要なんですうぅ!」

「君ぃ傷治っとる言うとったやろ。……来週退院なんやったら、大人しゅうしとるんが一番とちゃうん?」

 

 口が開けば酒。閉じたら口寂しげに煙草の話をし始める。

 すっかり中毒者だが、そういったものに依存しなければならないほど彼女の心は病んでいたのだろうかとも思われた。

 

「それに、退院したからっていくらでも酒飲んでええわけやないんやから。内臓の機能弱っとるんやったら控えや」

「でもお、お酒おいちーですから」

「酔っとるんか? 言動危ういぞ」

 

 訝しみつつ彼女の近くに置かれたペットボトルに視線を向けるが、病院の売店で売っているただのお茶だ。

 怪我で頭もやられたのかと(実際あり得る)精密検査をするべきではないのか疑問に思いつつ話した。

 

「まあ、飲み会くらいは連れてったるさかい。あんときの祝勝会は参加しとらんやろ? まだ意識なかったやろうし。……人死んどるし、大怪我もしとるから祝勝会いうんが適切か分からんけど」

「奢りですか?」

「せや」

「行きます。ヨツナさんもやっぱり飲みたいんじゃないですか」

「ちゃうわ。一緒に行って、君の酒飲む量管理するねん」

 

 えー、と不満げな声が聞こえてきたが、私は無視を貫き通す。

 退院したとはいえ後遺症はあるのだ。内臓の機能が弱った状態で以前のように酒を飲んでは危険極まりない。

 

「店行ったら無限に頼まれてまいそうやから、宅飲みやな。うちが料理作ったるから、それ食うて酒飲みぃ」

「ヨツナさんの手料理食べたことないんですよね」

「変なもんは出さへんよ。自分で言うんもなんやけど、評判ええんやで? たこ焼き、お好み焼きはもちろん、よう分からん郷土料理やなかったら基本なんでもいけるわ」

「へえ〜、意外ですね」

「あんなんレシピ通り作ったらええだけやで。一人暮らし長かったから自分で料理ようさん作っとったんが良かったんかもしれへんけど。それに仕事でいろんなとこ行くから、美味いもんもようさん食えるしな」

「ふう〜ん。私も安い飲み屋と不味いラーメン屋ならよく知ってるんですけど」

「……若いからってそんなんばっか食うとったら、ほんま死ぬで? っていうか君ぃ死にかけやん」

「いいんですぅ、デビルハンターは短命ですから」

「不摂生で死ぬデビルハンターなんて聞いたことないわ」

 

 呆れ顔でため息をついた。

 それから、こう訊ねた。

 

「デビルハンター続けるんか?」

 

 私の問いかけに姫野は答える。

 その言葉には迷いが見られた。きっと、受け止め難く、それでもこの数ヶ月の入院生活でじっくり受け入れてきたことなのだろう。

 

「続けられるならそうしたいです。けど、怪我の後遺症で身体は満足に動かないし、悪魔と契約しようにも私の身体に払える代償なんてとてもじゃないけど残ってない。私はこれ以上働けません」

「そうか」

「けど、ダメなんです。それじゃ、ダメなんです」

 

 姫野は悲壮な顔つきをして、ベッドから身を乗り出して言った。

 

「お願いします。アキくんを、どうか、アキくんに辞めるように言ってもらえませんか……!」

「それは無理や」

「どうして」

「アイツはなにかに取り憑かれたみたいに仕事しとるで。あれは差し違えてでも殺すゆう、そういう目ぇしとる」

 

 うちなんかが言って聞かせられるようなもんやない。

 そんな意図を鋭く視線に込めた。するとそれを受けて、姫野は力が抜けたように乗り出した上体を背もたれに預けた。

 

「……アキくんは、銃の悪魔に家族をみんな殺されたんだそうです」

「家族をな……」

「だから銃の悪魔を自分の手で殺すんだ、って……でも、きっと無理です。アキくんは普通の人だから。ちゃんとした人だから、きっと死んじゃいます」

「…………」

「お願いします。死なせたく、ないんです」

 

 彼女の言葉には真に迫るものがあった。さっきまでの酒に酔ったような発言とは違い、心のこもった言葉であった。

 けれどそれと同じくらい、いやそれ以上に早川アキが抱く意志は強いものである。

 

「無理なもんは無理や。ひょっとしたらアイツは、銃の悪魔に殺されるならそれでええとすら思っとるんとちゃうか。家族と同じように死ねるなら、それでええって……バディやっとったお前に止められへんのやったら、うちが出来るはずないわ」

 

 せやけど、と付け加える。

 

「うちを誰やと思っとんねん。今回の一件で死傷者数ゼロに抑え込んだ立役者やぞ。死人なんて出すかいな」

 

 話しながら三角巾で吊るされた右腕に触れた。この痛みが、人命を救ったのだと考えると、心が洗われる。

 

「部下には死なれとうないし、アキくんの実力が銃の悪魔討伐に不十分や思ったら、参加できやんように提言する。それくらいのかとができる権利はある」

「! ……ほんとうですか?」

「アキくんが実力不足やったらの話や。彼がちゃんと力付けてきたら、そんときは一緒に討伐に行くことなるやろな。──せやけど、それでも死なせはしやんよ」

 

 安請け合い。こんな確証もない約束を、姫野は驚きの混じった笑顔で受け取った。

 

「じゃあ、また飲みに行きましょうね。みんなで。銃の悪魔が倒せたら」

「……ああ、せやな。銃の悪魔倒したら、そんときは飲みにいこか」

 

 銃の悪魔を倒す。

 その目標へ定めた狙いに、狂いはないはずだ。



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退院

 退院を出迎えてくれたのは部下二人とそれに新しく加わることになるレゼを含めた三人であった。

 姫野はあと数日すれば退院とのことなので、「お先に」と挨拶をして病室を出た。今後どうするのかは聞いていなかったが、デビルハンターを続けていくのは難しいと彼女自身言っていたし、おそらく実家に帰るのではないだろうかと思われる。アキくんとの関係性を密かに押していた身としては残念でならないが、生きているのならこの先なにが起こってもおかしくはないだろうから彼女の幸せを願って別れを告げた。

 

「どぉも。外はええなあ」

「元気そうでよかったです。もう退院してもうて良かったんですか?」

「ええんよ。いうて大した怪我やないし。内蔵も無事、骨も折れとらん。心配いらんよ」

 

 失われた筋肉の治療には長い期間がかかるようで、リハビリなど定期的に通う必要があるらしかった。まあ片腕でも仕事に支障はないのだし、せっかくもらったしばらくの療養期間で、ある程度この身体に慣れねばならないだろうなと、左腕を元気よく振り回しながら三人の姿を順に見た。

 

 天童黒瀬の二人は既にレゼとの対面を済ませていたらしい。ぎこちなさはあるものの、三人で選んだのだと言う退院祝いの花束を渡してくれた。笑顔でそれを受け取ると、反して暗い表情をしたレゼがこう言った。

 

「ごめんなさい……私のせいで、そんな怪我を」

 

 申し訳なさそうに言うので、私はあえて元気付けるような明るい声色で返した。

 

「ええんよええんよ。うちが欲かいて突っ込んでったんが悪いんやし。それにレゼちゃん大したもんやで。うちに傷つけるやなんて、なあ?」

「ええはい。そのままぶっ殺してくれはったら、こん人も反省して大人しゅうなったんですけど」

「誰が死ぬかいな! ……ま、誰も気にしとらんから。むしろそんなに強いレゼちゃんが味方になってくれるなんて、百人力や思わへん?」

 

「ま、今日はぱあっと遊ぼうや」

 

 

 

 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

 

 

 テーマパークに行ったり、服を買いに行ったり、晩御飯をお店で食べたり。そうして一日中遊び回った疲れからか、レゼちゃんは車の後部座席でぐっすり眠ってしまっていた。

 今、車は公安近くのマンションに向かっていた。しばらく東京で暮らすことになるからと、公安が所持している部屋を借りて住むことにしたのだ。

 もちろん黒瀬天童も同じマンションで、レゼちゃんは監視する者が必要とのことなので私と同じ部屋に住むことになっている。

 

 一応はこれで東京にも帰る家ができたわけで、しばらくの間はそこを拠点にして活動することになるのだろうと思われた。

 

「今日は思っきし遊びましたねえ」

 

 車を運転する天童が言った。

 すっかりレゼは眠ってしまっていて、黒瀬も荷物持ちやらなんやらさせられていてややうとうとしていたので、私は彼らを起こすことがないよう抑えた声で返した。

 

「せやな。この頃は任務続きで、一緒におることはあっても遊べとらんかったから、年甲斐もなくはしゃいでもたわ」

 

 東京なんて公安に行って報告書を提出するか、飲みに行くかくらいの記憶しかなかったので、久方ぶりの観光に楽しんでしまった。

 特にレゼが心からはしゃいでいるのが嬉しかったからというのも理由としてはあるのかもしれない。

 

「レゼも楽しんどったようですし、良かったです」

「……ふうん、呼び捨てなんや」

「不満でもありますか? 仲悪いより仲ええ方がヨツナさんもやりやすいでしょ」

「いやな、それはそうなんやけどな」

 

 煙草を吸おうかと懐に手をやったが、隣で子供が眠っているのだし吸わないでおこうとやめにした。

 

「それはそうなんやけど、反発あるもんや思っとったからな」

「拍子抜けしたと?」

「そうゆうこと」

「はあ〜……」

 

 呆れたように天童はため息をついた。

 

「私らかて大人ですよ。私も黒瀬も、折り合いくらいつけれます……確かに疑う気持ちが一つもないとまでは言いませんけど」

 

 最後に付けられた「疑う気持ちが一つもないとまでは言わない」という一言は、後部座席に座るレゼをバックミラーで確認してから言っていた。あまり聞かれたくはない一言なのかも知れなかった。

 ただそうして知られたくないと思う程度には、彼女はレゼとの関係性を重要視しているとも捉えられた。

 

「疑いはしますけど、それを表に出すほど子供やないんで。小さい子が困っとるんなら、それ助けたいゆうヨツナさんの気持ちは長年連れ添ってきた私らにはよう分かります。せやけど、言っときたいんは、無理しよったらあきませんよってことです」

「無理? しとらんよ」

「でしょうね。やって、それがヨツナさんにとっては普通なんやから。……せやけどうちらから見たら十分無理しとります。怪我しとるうちは大人しゅう休みよったらええんですわ」

 

 特に今回の戦いにおいて。

 渋々私を死地へ送り出した彼らの心境を、私はあの場で慮ってやることはできなかった。私を心配する人たちよりも、私の信念を優先してしまった。

 そのことに悔いはないが、しかし周囲の人に──天童や黒瀬に迷惑をかけてしまったことに間違いはない。

 

「特に、私らほったらかして、一人で無理せんといてください。……その、なんです。うちらかて子供やないんです。戦場でも足引っ張りませんよってことです。困ったら頼ってください、一人でなんでもやろうとせんといてください。……一緒におるんですから」

「そうか。そらありがたいわ」

「……ああ、なんや気恥ずかしい。もうじき着くんで、黒瀬のやつ起こしてください」

 

 とは言っても、後部座席の私からじゃ手が届かなかったので、天童が無理矢理叩いて起こした。

 

 それから、そうだそうだと思い出したように天童が言った。

 

「しばらくこっち住むいう話ですから、いろいろ物持って来よう思って京都の方一回戻ろう思うんですけど、ヨツナさんも来はります? レゼも、京都観光させたらええですわ」

「うーん、せやな。それもええかもな」

 

 たこ焼き器やホットプレートは車に積んであるのだが、他にも色々と車に積めていない武器やらなんやらが家にあるので、それを取りに帰るのもいいかも知れないと思った。

 それに、私たちの仕事は多くの場合車で全国を巡っている。

 レゼにもそういった体験をさせてやりたい、大阪の美味いものを食べさせてやりたいという気持ちが強かった。

 

「ほな行くか、京都大阪ぁ」




 次に京都・大阪の話を挟んで本編に戻ります!


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京都と大阪

 車に乗って七時間。朝方に出発した私たちは、ときどき休憩を挟みつつ昼過ぎには京都へ辿り着いていた。かの都は相変わらずの古めかしさで私たちを出迎えるのだが、一人レゼはその古めかしさを興味深そうに車窓から眺めていた。

 数ヶ月前から東京の方で仕事詰めだったので、こうして間を空けて訪れると懐かしさを感じる。一応住まいは大阪にあるのだけれど、懐かしさを感じるほどに京都という街に入れ込んでいる節があるのだろう。

 

 県境を越えた後、家へ帰る前に一度京都公安の方に立ち寄り、東京への部署替えのときにできていなかった挨拶をお偉いさん方に済ませた。そうすると、たったそれだけで辺りはすっかり暗くなってしまった。

 

「晩飯どないしよか」

「四条行きますか?」

「せやな、今から家帰ろう思たらだいぶ遅なってまうし」

 

 なら適当な飲み屋でも、と思ったが、そこでレゼが未成年であることに気がついた。それに車を運転する人間が一人は必要なのだから、二人だけで飲むというのも味気ない。

 

「あー……レゼちゃんお酒飲まれへんし、飲み屋やのうて、どっかファミレスでも行こか」

「そーですね。お酒は家に帰ってから飲めばええですし」

「ほなそういうことで」

 

 そういえば、マキマとのディナーは結局行けずじまいだったなと以前に交わした約束を思い出す。私の予定はかなり空いているのだが、マキマの方がそうはいかないようだった。

 今、特異課は他の部署も巻き込んで大きな騒ぎを起こしているらしい。私自身病室のテレビでニュースを見て驚いたが、先の戦いを経てデンジくんの情報が外へ漏れ出したらしく、それによって予想される外国からの刺客に対応するべく他県の公安や民間を巻き込んで強固な護衛を作っているのだとか。

 

 そこまでするのならデンジくんを公安の一室に閉じ込めるだとかして身の安全を守ればいいのに、どういうわけか連日外へ連れ出しているというのだから不思議だった。

 このちょっとした休暇が終われば私もその護衛に加わる予定ではあるが、マキマのその意図が読めない行動は私の頭を悩ませた。そこいらもご飯を食べながら話ができれば良かったのだが、一体いつになることやら……。

 

「そういや、そこの角曲がったらファミリーバーガーあるわ」

「ほなそこにしましょか」

 

 ドライブスルーでも良かったのだが、腰を落ち着かせて食事をしたかったので店内に入ることにした。夜だからか少し疲れの見えるいつもの歓待を受けると、適当なものを頼んで席についた。

 

「レゼちゃんはこういう店来たことある?」

 

 訊ねると、レゼは大きく首を横に振った。

 

「そぉか、ほな良かったわ。カフェのサンドイッチには劣るかもしれへんけど、ジャンクフード言うて体に悪そうな美味しさやから、若いレゼちゃんは好きちゃうかな思ってな」

 

 しばらくすると、出来上がったものが運ばれてきた。

 ハンバーガーやらポテトやら、飲み物に加えてサイドメニューもいくらか頼んであったので、それが四人前ということで机の上は盛りだくさんだった。

 

 今日は移動続きだったのでよく食べるだろうかと思いたくさん頼んだのだが、さすがに無理があるだろうか……。黒瀬や天童は驚いたような顔をしていた。

 

「まだまだこんなもんやないで。こっちおる間にようさん美味いもん食わしたるから、期待しとったらええわ」

 

 レゼは少し遠慮しがちにハンバーガーに口をつけたが、よっぽどお腹が減っていたのか、一つ二つ三つと平らげ、ポテトやナゲットも余すことなく食い尽くした。

 食欲の旺盛さでは年頃の彼女に軍配があがる。そうしてよく食べているのを側で見ていると、見られていることに気付いてか、すんと大人しい表情になってレゼは口を小さくして食べ出した。

 

 家に帰るといっても、私たち三人の住まいはそれぞれバラバラの場所にある。天童黒瀬は京都だが、私に限っては大阪と県境すら跨いでいた。ここで私が車を運転できれば良かったのだが、生憎仕事の多忙さから失効していたので今夜家に帰ることは諦めた。

 

 黒瀬を一度家まで送ったあと、そこから運転手を交代して天童の家まで向かった。そこで部下の家に泊まるほど親切に甘えることもできなかったので、その日はレゼと二人で近くのビジネスホテルに泊まることにした。

 

 翌日は京都の名所を回った。一日ではとても巡れないので、二日に分けて伏見稲荷やら清水寺を歩いて回った。ときどき見られる修学旅行中の学生にレゼは目を向けていて、それが羨ましさからくるものなのだろうかと思ったりした。

 またその次の日は大阪に行ってご飯を食べつつ買い物などして過ごした。

 

 大阪では屋台のたこ焼きを食べたり、新喜劇でお笑いを楽しんだりした。あんまりこうした劇は見たことがないのか、初めは戸惑い気味だったが、レゼは次第に大きな声で笑うようになっていた。

 

「あっはっは! あははっ! 変なの……!」

 

 先の戦いで、レゼと私は大いに戦った。デンジくんとも、命の奪い合いをしていた。そのことを気にしているのか、退院後に再会したレゼの表情には陰りがあるように見えた。

 けれど、こうしてテーマパークや観光地を巡り、美味しいものを食べているうちに、年頃の女の子がするような笑みを見せるようになっていった。

 

「あっははは! ねえヨツナさん! おっかしいね……!」

「せやなぁ、はっはは!」

 

 昼には串カツを食べ、その日は帰路に着いた。

 あれほどバチバチにやり合った仲ではあるが、ああして互いにぶつかり合った分、相手に対する理解度というのが高まった気がする。

 

 家路に着く頃にはすっかり日も暮れて、夜になっていた。夏も終わりを告げていて、この時間帯になると嫌でも寒さが感じられる。

 

「私、変だって思うんです」

 

 帰りの車の中でレゼが呟いた。

 その後に続く言葉を、私だけでなく天童や黒瀬も静かに待っていた。

 

「こうして、天童さんや黒瀬さん、ヨツナさんと一緒に、遊びに行ったり、ご飯を食べたりできるのは変だって思うんです。間違ってるって思うんです」

 

 レゼは一呼吸すら憚るように、勢いのまま続けた。

 苦しさの中で、言葉を出した。

 

「けど、すごく楽しくって、みなさんといるのが嬉しくって……私、このままでいいのかなって」

 

 胸の内から吐き出されたような、そんな声。深刻に思い詰めていたようだが、なんだ、そんなことを悩んでいたのかと、今更ながら聞こえた彼女の本音に意外性を抱いた。

 なら、と私が言葉を返そうとしたところ別の声が入ったので、私はすっと口を閉じた。

 

「ええんですよ」

 

 と言ったのは黒瀬だった。

 

「幸い、君が背負わなあかん罪はない。そら物壊したりしはったけど、取り返しつかんようなことしたわけとちゃう」

 

 そう、例の一件で人は死んでいないのだ。

 軽傷を負った者はいたが、あれだって大半は台風の悪魔によるものだし、レゼの爆風で怪我をした人物なんて私を除いてもごく少数だ。

 

「せやから誰も君のこと恨んどらへん。……俺らやって、君のことは心強い味方や思っとる」

「黒瀬の言う通りや。私らは君のこと悪う思っとらへんよ」

 

 と付け加えたのは天童だ。

 彼らの発言に、私は一種の安堵を覚えた。レゼを私の管理下に置くというのは完全に独断で、彼らに不満があるのではないかと危惧していたからだ。

 いや、もちろん多少の不満はあるのだろう。けれどそれを表に出すことはなく、快くレゼを歓迎してくれたことに、彼らの人の良さを感じていた。

 

「……ありがとう、ございます。ほんとうに」

 

「ね、レゼって呼んでもええかな」

「もちろん、ええはい」

 

 レゼの啜り泣くような返事が静寂に響いた。

 それもやがて車のエンジン音にかき消されて、沈黙ばかりが車内に満ちた。

 

「なんや湿っぽいな……、あ! そこのスーパー寄ろ。今晩はたこ焼き作るんやから」

「……ええ雰囲気なんですから、もうちょい我慢できませんか? はあ……スーパーですね、はいはい」

 

 呆れる天童。

 苦笑いをしながら横を見ると、そのやりとりを聞いていたレゼがほのかに笑っていた。




来週から世界の刺客編です!


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バック・トゥ・ザ・トーキョー

 しばらくは関西で休暇を過ごした。近畿圏内のみならず、四国や中国、九州の方まで足を伸ばし、様々な美食やアトラクションに興じたのだが、その最中に本部から帰還するよう命令が届いたのでゆったりした足取りでこれまで来た旅路を戻っていた。

 黒瀬と天童の二人が交代で車を運転しているので、ときどき休みながらの旅路であった。

 そんな旅路も、二日もすればあっという間に東京近郊へ近づいており、隣の県にある山際の道路にまで辿り着いた。

 

「ふう〜……しっかし、デンジくんらも大変そうやなあ」

「? なんか話聞いとるんですか?」

「なんかって、ほら、刺客を誘き寄せる餌代わりにされとるいう話あったやろ。あの子ら自由奔放やから、相当鬱憤溜まっとるんとちゃうんかな思ってな?」

 

 昼過ぎになって、天童黒瀬に食後の眠気と旅の疲れが見えたので、一度気分を入れ替えるために山中の空き地で煙草を吸っていた。

 レゼはまだ未成年で煙草が吸えないので、代わりにキャラメルを与えておいた。コロコロと、彼女は車のボンネットに腰掛けて口の中でキャラメルを転がしている。

 

「ようさん護衛おるいうことは、悪魔退治もやっとらんやろうし……自由縛られて、そのうえ不満晴らす先もないんやから、相当神経に来とるんちゃうやろか」

 

 私たちが日本各地様々な場所を巡って観光していたのに対し、その期間ずっと彼は周りが人で囲まれた生活を送っていたのだ。私が以前行っていた遠巻きの監視とは違い、まさしくボディガードのように張り付いた護衛である。

 

「うちが前にヘマしたせいでもあるから、ちょっぴり責任感もあるし」

 

 前に、というのはレゼのときの話だ。あのときは近くにいたのにも関わらず気付けていなかったので、護衛の形態云々の話ですらない。

 

「せやからまあ、賑やかしゅうしたらなあかんよってことや。向こうの人らは固い人らばっかしやろうしなあ」

 

 前に訪れた宮城公安なども良い例だ。もちろん、ああした業務的な態度が仕事を行う上で非常に最適化されたものであることは理解している。私自身、彼らとやる仕事はとてもスムーズでやりやすいと感じていたりする。

 ただ、時々そのマニュアルに沿ったやり方が適切でなくなる場合もあるだろう。今回の場合で言えば、感情を持つ生きた人と長い間連れ添って過ごすというのは、悪魔退治とはまるで領分が異なるものなのだから。

 

 彼らの正義感溢れるあまりに正確なやり方は、デンジくんのような奔放な人間には合わないだろうと感じていた。

 

「うちかてリハビリせないかんやろうし、久しぶりにデンジくんらと組み手でもしてみよかな」

「私も久しぶりに手合わせ願うてええですかね」

「もちろんええよ。向こう着いたらやろか」

 

 左の肩を回しながら言った。

 右腕は相変わらずうんともすんとも言わないが、それなりに今の身体にも慣れてきた。腕がずっと胸部にあるので体の重心がやや偏っているのだが、それも気にならないくらいにはなってきた。

 

 それに、いい加減デンジくんらも外へ連れ回されるのに飽き飽きしているだろう。まともに悪魔退治もしておらずまた彼らの身体も鈍っているだろうから、そろそろやってくるだろう刺客に対抗するべくレゼ共々に鍛えてやろうとの腹積りであった。

 

「ねえー、いつまでタバコ吸ってるんですかあ」

 

 車のボンネットに座りながらそう言ったのはレゼであった。

 

「なんや、キャラメルは?」

「もう全部食べちゃいました」

「食いしん坊め……!」

 

 量を考えて食べるよう言ったのに……。

 煙草の火を消して、「はな行こか。休憩終わり」と天童黒瀬の二人に言った。

 

 

 

 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

 

 

 山際を走っていると、デンジくんと初めて会ったときのことを思い出した。あのときも、こうして山の中を走って東京に向かっているところだったからだろうか。

 

 しばらく走っていると、突然車が大きな揺れを起こした。

 シートにもたれかけていた上体をバッと起こし前を確認すると、車は道を大きく外れて山林の方へ今まさに突っ込まんとするところであった。

 私は後部座席から身を乗り出し、重たくなったハンドルを切ってどうにか衝突を避ける。タイヤがパンクしたのか上手いこと走らない。天童は咄嗟の出来事に、強くブレーキを踏んでいた。

 

「……っ! 痛っつぁ……」

 

 急ブレーキにより強い衝撃を受けることになった私たちは、前方に放り出されるような姿勢になりつつもどうにか周りを確認した。黒瀬は頭を打ったらしく、頭部を押さえながら起き上がった。

 その時である。

 

 外を見ると、木立の中からなにやら人影が見えた。

 人がいたのかと助けを求めようとしたが、彼らが携えてある拳銃が目に入ると、そんな考えも消え失せた。

 

「君らは車ん中におり。……いや、レゼは一緒にきぃ」

「? 分かりました」

 

 私が車を降りるのにつれてレゼもまた車を降りた。

 彼女にとっては公安としての初陣になるのだろうが、いかんせん休暇中のため私服だったので、あまり締まらないなあなんて思いながら私は笑顔を作った。

 

「いやあ、すんません。なんや事故ってまいまして……地元の方ですか? うちら携帯電話持っとらんので、よければ公衆電話の場所教えてもらえると嬉しいんですけど」

 

 私がそう訊ねると、彼らは一斉にその拳銃の銃口をこちらに向けて、発砲した。

 

(! ……海外の連中はえらい好戦的やな)

 

 彼らが銃を構えるのに合わせて車の影に隠れる。レゼもまた反射的に隠れ、お互いに目を見合わせた。

 

 レゼは銃声でようやく襲われていたことに気がついたのか、首元にあるピンを抜こうと構えつつこちらを見ている。

 彼女と目線を合わせながら、私は静止するように首を振った。

 

「身体鈍っとるから、練習がてら素手でやろう。……あいつら人殺しには慣れとるが、うちらの敵やない」

「良いですけど、なにかご褒美とかないんですか?」

「アホウ、仕事やで。なに言っとんねん」

 

 ちらちらと車の影から敵の姿を確認する。彼らは三人は今か今かと私たちが飛び出る姿を銃を構えて待っていた。

 

「しゃあない。東京着いたらお菓子買うたるわ」

「やった! じゃ、せーので行きましょ」

「ん、せーのっ」

 

 こうして連携をとって行動するのは初めてのことだったが、殺し合いをして相互理解を深めたからか、お互い息ピッタリの動きで車の影から同時に飛び出した。

 相手もそれは予想していたのだろう、冷静に銃を撃ったが、彼らの狙いを逸らすように素早く動く私たちを銃弾が掠めることはなかった。

 

「よっ」

 

 まず一人、一番背の高い男の顔面に目がけて飛び上がり、頭を掴んで膝蹴りを飛ばす。男は致命傷を防ごうと顔の前に急いで両腕を構えたが、それごと蹴り抜く勢いで足を振り抜き、意識を奪ったと確信できるクリーンヒットの良い音を生じさせた。

 

「よいしょっ」

 

 見ると、レゼもまた類い稀なく身体能力を用いて人の姿のまま一人を仕留めていた。足を掬われ体制を崩したちょび髭の男は、首をラリアットするように掴まれ、そのまま後頭部からコンクリートの地面に倒れ伏した。

 

「ほあちゃっ!」

 

 それから、全く同時のタイミングで顔に傷のある男へと立ち向かう。

 私の左拳による捻りを加えたアッパーカットと、レゼの延髄斬りが同時に炸裂し、最後の男は抵抗する間もなく倒れ伏した。

 

 こうして三人は気絶したわけだが、彼らの顔を見てみるとどこか見覚えがある。

 

「んー……あ! こいつらアメリカのデビルハンターとちゃうか。殺し屋まがいのことしとる聞くけど……」

 

 人の身なりを真似る皮の悪魔と契約しているなんて話も聞く。私たちが襲われる原因もよく分からないし、ひょっとすると私たちを殺して入れ替わろうとでも企んでいたのだろうか。

 

「はあ〜……初っ端から大変やで」

 

 ぐったりした刺客三人を眺めながら、私は天童と黒瀬を呼びつけた。

 はてさてどうしようか。まだ東京に着いてすらないのに、さっそく巻き込まれてしまった。

 

 二人を呼び寄せ、レゼも交えてこれからのことを話し合う予定だったが、ひとまずこの気絶した奴らを縛り上げて、車に轢かれぬよう道沿いまで引っ張らねばならない。

 ……はあ。車のタイヤはパンクしたし、捕まえた刺客三人をどうにか東京まで連れて行かねばならないし……。気が重くなりつつあるのをひしひしと感じた。



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合流

「あれ〜? コベニちゃんやん」

「ひぇいっ?! あっ、はぁっ……ぃよっ、ヨツナさん……」

「あはは、びっくりさせてごめんな。……ってあれ? コベニちゃんは、デンジくんらと同じやないん?」

「えっ、ええっと、その……」

 

 通りがかり見つけた驚きから突然声をかけたからか、コベニちゃんはいつものようにオドオドと言い淀んでしまっていた。

 もう少し話しかけ方を工夫するべきだったかなどと考えていると、隣に立っているペストマスクを被った男が代わりに話した。見たことのない背格好だが、顔を隠している点やコベニちゃんと同じ特異課という特徴からおそらく魔人なのだろうと思われた。

 

「まぁーいつだって悪魔はいますし、全員彼の護衛に付けるわけにもいかないって話なんで、自分らは巡回するよう言われてんですよ」

「そうかあ。うちらはこれからデンジくんらんとこ行くから、一緒に仕事するんかなぁ思ったんやけど……ま、今度また飲みに行こな」

 

 私の声掛けに、二人は嬉しそうに返事をした。

 特別緊張を持っているわけでもないようだったので、まだこちらの方ではなにかしら異変は起きていないらしい。

 

 ほなまた、と巡回中の彼女らに別れを告げて一旦はその場を離れる。

 

 いま私たちは二つの車に分かれて行動していた。刺客三人を含めた七人で一つの車に乗るのはさすがに厳しく、スペース的な問題もそうだが、タイヤがパンクしているのでもしものことが起きたときあまりにも危険だろうと思われたためである。

 

 とはいえ、山の中でもう一台車を用意するというのは不可能に近い。

 そこで私たちは考えた。こんな山の中に現れた刺客三人は、どうやってここまで来たのだろうかと。

 

 その考えのもと辺りを散策すると、思いの外すぐにもう一台の車が見つかったのだ。どうやらレンタカーらしく、それなりにスペースもあったので、私たちは元々乗っていた車と新たに発見した車に分かれて乗車し東京公安を目指していた。

 

「生捕りにしてもたけど、この場合殺しといた方が良かったんやろか。海外の人間やと色々ややこしならへんか?」

「殺したら殺したでややこしなる気もしますけど」

 

 それもそうかと相槌を打った。

 まあ、マキマは外の情報を欲しがっていたようでもあるし、生捕りにできたのならそれで良いのかもしれない。

 

「……まあ外交関係は私たちの仕事やないんで、ええんとちゃいます?」

「そういうもんか……? そういうもんか……」

 

 しかし、私たちのような間接的にしか関わりのない人間にまで刺客の手が及ぶとは……。ある程度想像できていたことではあるのだが、それもデンジくんの護衛が始まってからのことだと思っていたので、正直気が抜けていた。

 

 今こうして車を運転している最中にも何者かが襲ってくるのではと思うと、今回の仕事の大変さが嫌でも分かった。公安に就いたばかりのレゼをこうした仕事へ連れ出すことに抵抗がないとは言えないが、それ以上に彼女に対しては強い頼もしさを感じている。天童黒瀬と同様に十分に働いてくれるだろうとも。

 

 そのまま公安まで何事もなく辿り着き三人の身柄を受け渡すと、車を換えてからデンジくんらの元に向かった。

 

 この任務についているという宮城公安の日下部くんからおおよその巡回ルートは教えられていたため、ゆったりとした道順で街の中を走っていると、異様に目立つ一行の姿が確認できた。

 スーツ姿の大人や魔人がずらずらと塊を作って歩いているのだから、目立たないわけがない。

 

 薄々勘づいてはいたが、デンジくんの護衛というよりはむしろ世界からの刺客に対して積極的に迎え撃とうというマキマの好戦的な姿勢が見てとれた。

 

「あ、デンジくん! おーい!」

 

 レゼが車の窓を開けて声をかけた。

 声に反応して振り返った彼は、とても明るく嬉しそうな顔して手を振りかえしてきた。ただどうにも表情に疲れが見える。ずっと歩き回っていたせいだろうが、そんな疲れすらも吹き飛ばすくらいに彼はレゼの登場に喜んでいた。

 

 ふらふらとこちらに歩いてくる様子が見えたが、護衛の陣から外れぬよう誰かに引き戻されていた。

 私たちは道端に車を停めると、彼ら護衛班に合流した。

 

「君ら久しぶりやな。みんな元気そうでよかったわ」

「ヨツナさんも、お変わりないですか」

「あぁ〜あらへんよ。右腕怪我したくらいで他はなんも」

 

 宮城公安の日下部、玉置とは仕事の際に何度か顔を合わせた経験があった。銃の悪魔の肉片回収で良かった点といえば、美味しい食べ物の店に詳しくなったことと、こうしてさまざまな地域の同業者と顔見知りになれたことだろう。

 

「うちらもこれから護衛に加わるから、よろしゅう」

「どうも初めまして。民間の吉田ヒロフミです」

「ん、君ぃえらい男前やな。よろしゅう」

 

 初めて会う民間のデビルハンターとも挨拶をし、軽く現状を教えてもらうことになった。

 

 今のところ変化はなく、特別大きな異変もないのだという。

 またそれとは関係なくデンジくんやパワーちゃんの扱いに困っているなどの話もあり、真面目な性格の彼には確かにデンジくんらは合わないだろうなとも思われた。

 

 それから次は、私たちが遭遇したアメリカからの三人の刺客について話をした。デンジくんらはまだ刺客と遭遇していないものの、既に日本にそういった奴らはやってきているのだというのを強調する目的があった。

 

「……っちゅうわけやから、今後とも気ぃつけるように」

「なるほど。もうそんなことが……お怪我などは?」

「あらへんよ。せやけど、運よかっただけやわ。休んどった分、気い引き締めて働かんとなぁ……」

 

 言いながらレゼたちの様子を見た。

 ここへ来る前にスーパーで菓子類を購入しておいたので、それを三人で分けて食べているところらしかった。

 

「ちゃんと三人で分けや」

「うぅ〜なんじゃこれは、にんじんか?! 野菜は嫌いじゃ!」

「ねえねえパワーちゃん、これポン菓子だよ」

「ガムうめぇ〜永遠に噛んでられるよぉ」

 

 こうしてお菓子を無邪気に食べているところを見ると、まるで子供みたいだ。かわいい。

 

「ほんで、えぇーっと……移動しながら護衛するんやっけか?」

「ええはい。助言などいただけるようでしたら……」

「いやいや、そういうんちゃうよ。それに対人警護に関しては君らの方が上手やろうし……」

 

 腕時計を確認するそぶりをしながら続けた。

 

「単に、うちらのせいでずいぶん引き留めてもうたみたいやから、そろそろ進もか思ってな」

「! それもそうですね。すみません、気を遣わせてしまって」

「いや、それはこっちのセリフやわ。まあ今後ともよろしゅうな」

 

 車は置いておくわけにも行かなかったが、途中またここを通ることになるらしいのでその時にでも乗って帰ることにした。

 しかし護衛か。前の時もそうだが、天童黒瀬には慣れない仕事ばかりさせて申し訳ない。そのうえ今じゃデンジくんらの子守りみたいなこともしているのだから、上司として不甲斐なさを感じつつあった、

 

「ほな行くでぇ君ら」

 

 お菓子で餌付けされているからか、パワーちゃんはやけに素直だった。明日も買ってこようか、けどそれだと栄養バランスがなあ……。そんなことを考えながら、あたりに警戒の視線を巡らせた。



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ボウリング

「ぃよっしゃあ! すまんなあデンジくん!」

「ぐううう……おぉいパワー!」

 

 ピンがボールによって弾かれ、バラバラと軽い音が鳴る。明るい電飾が長いレーンを照らし出した。街はすっかり暗くなり、いよいよ夜かという時間帯である。

 定時を過ぎて職務から解放された私たちはいわゆるボウリング場に訪れていた。

 

 というのも理由がある。それを説明するのにはおよそ数時間前まで遡る必要があった。

 

 東京へ来る途中に山中で襲撃に遭うというトラブルはあったものの、その日起きた事件といえばそれっきりで、以降対処しなければならない異変などは起こらなかった。

 悪魔はいつも通り出現するので現れ次第倒すなどしたのだが、そうしたときに気を抜いてデンジくんへの護衛が疎かになってはならないということでいつまでも彼の身辺は守りが固められていた。

 まあ要するに、悪魔の到来という一種のイベントですら、デンジくんはぼうっと眺めていることしかできないでいたのだ。

 

 彼は自由奔放な気質であったから、こうして行動が制限されるのは耐え難い苦痛であるのかもしれない。ここ一週間近く続いていただろうこの規則正しい生活が彼にそうさせるのか、レゼと話をして多少和らいだとはいっても、時々彼の眉間に皺が寄っていた。

 

 外を出歩くというのは彼を部屋に閉じ込めておくよりかは幾分健全であるものの、鬱憤の溜まり具合を見るにそろそろ限界な気もする。むしろ、よくここまで耐えてくれたとさえ思うのだ。

 

「どう? デンジくんは」

「あんまり元気じゃなかったです。楽しそうにはしてくれるんですけど」

 

 私の問いかけに答えたのはレゼであった。

 彼女はデンジくんと仲が良いので、話をしたりして暇を潰していたようだった。彼のそばにいる彼女から見ても、やはり良い状態ではないらしいと思うと、監督者としては気が重く感じられる。

 

「なんかええ案ないやろか。河原行ってキャッチボールとかあかんのか?」

「デンジくんの周りを護衛で固めてですか?」

「……つまんなそうやなあ」

「ですねえ」

 

 元々楽しむためにやっていることではないのでデンジくんが楽しくないのは当然といえば当然なのだが、はたしてこのままで良いのだろうかと心のうちではモヤモヤとした感情があった。

 

 昼食はもう済ませてあるという話だったので、そのあと日が沈むまでは外を歩いていた。

 時折公園に立ち寄るなどして休憩するのだが、それで彼の抑圧された元気が発散されるようなことはない。むしろ沸々と溜まりゆくのみであった。

 

 歩いているだけで、その若さからくる元気を目一杯放つための場所がない。パワーちゃんもすっかりげんなりしてしまっている。

 

「せや」

「?」

 

 腹が減ったというので、間食を摂るためにデパートに入ったところで一つ思いついた。

 デンジくんらがパフェを食べている後ろで、宮城公安の日下部と相談しつつ、どうにかこの考えがカタチにならないだろうかと話し合った。

 

 

 

 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

 

 

 というわけで冒頭に戻る。

 夕方になり、私たちはボウリング場にやってきた。

 私たちが務める職務はデンジくんの護衛であり、その裏には世界からの刺客を誘き寄せる目的がある。そのため外を出歩き人目につきやすいようにしていたのだが、定時を過ぎればそれも関係ない。

 なんせ私たちの仕事は終わりなのだから。

 

「本当にいいのでしょうか……? 私としては、間違っている気がしてならないのですが」

 

 不安の混じった低い声で日下部が訊ねた。懐疑的でありながらも、ちゃっかりレンタルシューズやらボウルやらを着用して上着も脱ぎやる気満々のようだったから、私の提案したことに反対しているようではないらしい。

 

 仕事に対しては非常に真摯な態度の彼だが、それと同時にデンジくんに対する情もまた持ち合わせていたのではないかと思われた。

 

「ええんよええんよ。たんに場所が外から中に変わったっちゅうだけで、うちらの仕事は変わらん……デンジくんらのレーンをうちの班と君らの班で挟む。監視しとることに変わらへんのやから」

「それなら、まあ」

 

 渋々、といった形で日下部はポジション(レーン)に戻った。……おやおや。なんだかんだいって、向こうは日下部が一番ハイスコアじゃないか。次いで玉置、中……。

 

「ヨツナさぁん、ヨツナさんの番ですよ!」

「おおすまんすまん」

 

 というわけで、中央のレーンにはデンジ、パワー、アキ、ビームの四人が。その隣のレーンには天童黒瀬レゼ、それから私の四人で遊んでいた。

 

「なあデンジくん、勝負しやんか?」

「勝負〜?」

「そ。君ら四人とうちら四人で、総スコア高かった方の勝ち」

「勝ったらなにか貰えるんですか」

 

 と訊いてきたのはアキくんだ。

 

「そらもちろん! デンジくん行きたがっとった焼肉連れてったるわ」

「ああ! 焼肉!」

「でもいいんですか? こいつらに焼肉なんてもったいないですよ」

「おいアキ! 変なこと言うんじゃねーよ!」

 

 言って、デンジくんは喝を入れるように近くにいたサメの魔人に声をかけた。

 

「ビーム! 負けんじゃねえぞ!」

 

 というわけで、各チーム三ラウンドのスコア合計を競い合う対決が始まった。

 

 アキくんは経験者らしくそつなく得点を重ねるが、パワーちゃんやデンジくん、それからビームくんにレゼは未経験であるのが仇となったか最初のうちはガターがよく見られた。

 とはいえ、彼らは覚えがとても早い。二ラウンド目からはストライクなども頻発し、最終的な総スコアは平均よりも高いくらいにはなっていたのだ。

 

「特異課もなかなかやるやないですか」

 

 と言って黒瀬がボールを放った。それは綺麗なカーブを描き、力強く十あるピンに突き刺さる。

 

 おおよそ一ラウンド目が終わったあたりで既に、私たちと彼らとの間に生まれたスコアの差が明確に表れていた。

 

「ああ? んで負けてんだよ……」

「すまんな。うちの部隊、基本暇しとったからずっと遊んどったんや」

「……っああくそ! ビーム! もっと球磨くぞ!」

「ギャッ、ギャッ!」

「アキぃ! なんか、ガター塞げる柵みてぇのがあるぜ」

「勝手に触るな!」

「パワー。踊って気ぃ逸らしに行こうぜ」

 

 などなど、さまざまな過程を経て、およそ二時間ほどで全てのラウンドを終えることができた。

 

「ふう。すまんなデンジくん、うちらの勝ちや」

 

 スコアはおおよそ二百ほど離してこちらの勝利となった。

 途中パワーちゃんが球を盗んだり、デンジくんが球を二個投げるなどの妨害・不正はあったが、店に被害の出そうなことは叱って未然に防いだのでよしとする。

 

「ふっふーん。ほな、今晩は近くの牛丼屋でも……」

 

 などと呟きながら、気まぐれに二つ向こうのレーンで遊んでいた日下部くんらのスコアを見た。

 ふむふむ。私たちよりも、百上……百も上?!

 

「あえ? 日下部くん、君らんとこスコア高過ぎん……?」

「仕事は真面目に。遊びも真面目に。それが宮城公安のモットーです」

 

 と眼鏡の位置を直しながら日下部くん言った。

 ううん? どうなるんだ、これ。

 

 何度かスコアを見比べていると、日下部くんがこんなことを言った。

 

「焼肉、行きたいですね」

「げえっ」

 

 と、いうわけで。結局私は彼らに焼肉を奢ることになるのだった。まあ彼らが笑顔ならそれで良いのだ。



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車、ときどき人形

 翌日も同じくデンジくんの護衛に勤めていた。彼の周囲を固めるために組まれていた陣形の他に、私たち一班はいわゆる斥候の役割を担うことになった。

 

 斥候というのが具体的にどのような仕事なのかといえば、それはデンジくんの向かう先に危険があるかないかをチェックする役割である。

 

 もっとも、現状における敵というのがどいつもこいつもわかりやすい図体をしているわけでないのはレゼ然りアメリカからの刺客然りそうである。

 やつらは人の形をしてやってくるだろうから、ひと目見てそれが悪魔であると判断できる要素は限りなくゼロに近い。

 

 ならばなぜ私たちが斥候を務めているのか──実際、この任務をそこまで意味のあるものとして捉え、行なっているわけではなかった。

 ただ考慮すべき問題として、日下部の契約悪魔である石の悪魔しかり、台風の悪魔しかり、なにかしら強い力を持つ悪魔や場を引っ掻き回す純粋な暴力というのは、魔法陣を書くなどして舞台を整えるような手間が必要であったり、力に比例して図体がデカかったりする。

 そういった特徴から、“まだ対応できる人型の悪魔”あるいは刺客はさておき、“対応が難しい大柄な悪魔、あるいは前準備が必要なほど強力な悪魔”にデンジくんを引き連れて対峙するのを恐れていた。

 

 単純な一個体の敵──レゼなどがそうだが──であればまだ対応可能なのだが、ゾンビの悪魔などの力によって周囲が雑兵で囲まれてしまえばさすがに数の不利というのが生まれてくる。そうした場面に遭遇したとき、必ずデンジくんを守り切れるとは断言できないのだ。

 

 そのため、相手の罠に陥ることのないよう辺りを探る斥候が必要となってくるのだった。

 

『こっちは異常なし。どーぞ』

「うちんとこもなんもないわ。どーぞ」

『ではそちらに向かいます』

 

 部下からの連絡を受け、日下部に伝えると、こちらに向かうとの連絡をトランシーバーで受けとった。

 そのタイミングで私は班のみんなに集合するよう号令をかけた。一度集まって次の現場に向かうためだ。

 

 集合場所は道端にある公衆電話のそば。信号機を渡ると、ラフな恰好をした三人が集っていた。

 必然、斥候というわけだから相手を警戒させるような格好・立ち振る舞いはするわけにもいかず、私、天童、黒瀬、レゼともに私服を着た上での業務となっていた。

 そのため仕事の場では滅多に見られない私服で揃っており、今朝デンジくんらの今日の予定を共有した際、その物珍しい格好に驚きの声をいくつかいただくなどした。

 

 それはともかくだ。現状について細かな話し合いを行うため場を設けたのだが……。

 

「現状は異常なし、か」

「まぁ、ここ一週間護衛しとって怪しいことは起きとらへん言うてはりましたし、こんなもんとちゃいますか」

「せやなあ……そら分かっとるんやけど、ちゅうても、なんの前触れもない言うんも怖ないか? ちょっかい出す機会待っとる言うたらそうなんかもしらへんけど」

 

 煙草を吸うほど長い時間話し合う予定はなかったので、手持ち無沙汰にポッケへ手を突っ込む。

 動きやすい恰好をとのことなので、チェック柄のショートパンツにゴツいベルトを巻き、よく分からない英字の入ったブラウンのシャツをインして着ていた。普段はスーツで過ごすので、こうしてラフな恰好でいるのはなかなかに珍しい。前に大阪へ帰ったときも似たような恰好をしていたのだが、デンジくんやらアキくんに見られることはほとんどない格好でもなかったので、少々驚かれているようであった。なにも仕事人間は私生活もスーツだけ着て生きているわけではないのだ。

 

「気長に待とか。昼飯なったら一旦向こうの連中と合流やから、それまで気張ってやろな」

 

 既に刺客が国内へやってきていることを鑑みて、今日はコベニちゃんや暴力の魔人も護衛に加わっているので戦力としては申し分ないだろう。

 ただこうして準備を重ねるにつれ、それを上回る脅威がやってくるのではないかという恐怖が密かに私の胸の中に生まれつつあった。

 

 とはいえその後も大きな変化はなく、一度昼食を挟もうかという話になり私たち四人は再度集まった。そこで事は起こった。

 

 昼食時もデンジくんらとは離れた場所にいるようにしてあるのだが、さてこれから近くの店に入ろうかといったところで強く何者かに肩をつかまれた。

 

 知り合いにしては掴む力が強かったので、一体何事かと振り返ると、そこにはホラー映画さながらまるで無表情で奇怪な顔つきの男が一人立っていた。

 反射的に危険を感じた私は手を払い除け、そこでようやく気がついた。

 

「! こんのっ」

 

 振り向き様に回し蹴りの要領で相手の頭目がけ踵を叩き込む。そのあまりに乱暴な対応に天童や黒瀬は驚いていたようだが、次第に周囲の様子がおかしくなるのに気が付いてか驚きは神妙な雰囲気へと変わっていった。

 

 周囲で鳴る不規則な足音が、段々と不気味なほどに揃ってゆく。明らかに生気が失われた顔。その特徴に覚えがあった。

 

「人形の悪魔や……」

「人形の、悪魔?」

「厄介やな……うちらのことバレとったみたいや。異常ないか見て回って去ったあと、そのあとにやってきたデンジくんらに合わせて人形を展開しよった……!」

 

 悔しさから独り言を呟く。

 私たちが見て回ったとき、そのときは確かに“異常なし”であったのだ。だがしかし、見回りを終えて次の現場に向かうその瞬間を狙って悪魔の力を行使されたのだ。

 つまるところ、してやられたというわけだ。私たちは敵の気配に気がつくことができなかった。

 

「しっかし、この量はなんや……契約なら限度っちゅうもんがあるやろ」

 

 悪魔との契約には代償が必要だ。そのため、ある程度の規模というのは想像がつく……だがこの規模の大きさは一体なんだ。ほぼ全域にわたって展開しているといっても過言ではない。

 そのため傀儡によって妨げられデンジくんらのところに向かう事は非常に難しく、私一人やレゼならまだしも、触られたらアウトという状況に四方を囲まれて黒瀬や天童が無事でいられる自信はない。

 

 なにか案はないのか……。続々と周囲では足音が揃い、規則的なものに成りつつあった。どれも表情は虚で、身体の動きはマリオネットのように意志を感じられない。

 

 一刻を争う中、ふと視線を向けた道路に一筋の光があった。

 あれは、コベニちゃんの車……!

 

「あれ乗ろか! 早よ来ぃっ」

 

 車までの人形を片付け道を作り、三人を車に押し込んだ。

 ドアの鍵は空いていた。車内に鍵が置いてあったのでそれでエンジンをかける。

 

「安全意識ひっく……ままええわ!」

 

 運転席に乗り込み不具合がないかを確かめる。

 傀儡に囲まれる前に走り出さなければと思った矢先、後部座席からこんな声が飛んできた。

 

「ヨツナさん! 運転免許ないんじゃ──」

「天気良好! 行くで!」

 

 思いっきりアクセルを踏む。道路にわらわらと漏れ出した人形どもを轢き飛ばし、デンジくんらがいるだろう建物に向かって車を走らせた。




【補足】
 原作でも勝手にパワーが車に乗って勝手に運転できてたので、多分鍵開けっぱ車内に鍵置きっぱの安全意識やべー女だと思うんですよね。コベニちゃんは。


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デパート

 けたたましいエンジンの音が豪快に鳴ったかと思うと、ただでさえメチャクチャになっていたデパートの入り口を突っ切って一台の車がホール内で侵入した。その車は勢いを緩めることなくホール内で駆動し、人形どもは跳ね飛び、そして車のフロントバンパーはみるみる湾曲していった。

 人を跳ね飛ばすことに慣れているのか、はたまた慌てて意識が定かでないのか、車はアクセルベタ踏みの速度で縦横無尽に人形を轢き殺していた。

 階段に押し寄せられていた公安の者たちは突如現れ人形を轢き倒しながら暴走するコベニカーに呆然とした様子であったが、やがてその暴走車が自らの方に向かって来ているのだと察すると一斉に上の階まで足を進めた。

 

「なんだあれ、コベニか?」

「前からやばいやつだと思ってたけど!」

 

 階段に向けて車は走り出す。しかし流石に登ることはできないと判断したのか、ドリフトでピッタリ階段の出入り口に車をつけると、右側の扉から幾人かの人が出てきた。

 彼らは見知った顔で、後部座席の者たちは命も危うそな真っ青な顔をしており、運転席から現れた彼女は一仕事終えたような爽快感ある表情で現れた。

 

「いやぁ、久しぶりに車運転したけど、乗り心地ええやん」

「! 右腕動かへんのにっ、運転せんといてくださいよっ!」

「あはは、すまんすまん」

 

 なんともダイナミックな登場を遂げた彼女──一ノ瀬ヨツナは、軽く笑いながら我々と合流することになった。

 

 

 

 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

 

 

 時は遡ると数十秒前。車を確保した私たちはデンジくんらがいると思しきデパートまでやってきたのだが、その前には明らか異様な量の人形どもが集っており、到底中に入ることは不可能に思われた。

 こちらへの反応は薄く、厚い肉のカーテンが敷かれているような状況だ。なにか変化は起きないだろうかとデパート前に押し寄せる人形どもに向けて大仰にクラクションを鳴らしたりライトを付けたり消したりしたが、彼らは反応というものを示さなかった。私たちを襲おうとする個体もあるのだが、それとは別の指示を受けている個体──つまりは、デンジくんの命を狙う人形どもがこの場の大半を占めているらしく、こちらに興味関心がないらしい。

 

 もちろん、仲間を増やそうとする意識はあるようで、度々窓を叩かれるなどするのだが、それ以上の行動はないのでやはりデンジくんらの方が状況的に危険のように思えた。

 

「ヨツナさん! 運転変わってください! 右腕っ、動かないんですからっ」

「困ったなあ……どないして入ろ」

「ヨツナさんっ!」

 

 後部座席に座る天童と黒瀬が肩を叩いてくるが、残念ながら席を代わるつもりはない。レゼに関してはあまり危機感を持っていないのか、二人の態度を不思議なもののように見ていた。

 

「とりあえず突っ込むから、怪我せえへんように姿勢低くしときや」

「……っ!」

 

 一度後ろの方まで下がり助走をつけ、アクセルを踏み込む。すると車はぐんと前に進んで、何かにぶつかるような音や物の上に乗り上げるような振動が伝わってきた。障害物は多いが、そのまま突っ走り勢いに乗せて出入り口の金枠に捩じ込むような形で中に入った。

 

 そのまま中にいる人形も轢いていき、デンジくんらがどの辺りにいるかを探りながらホールをぐるぐると何周か駆けた。

 

 そこでようやく階段あたりにスーツ姿がいくつか固まっているのが見えたので、そちらに向けて一直線に車を走らせたわけだ。

 

 荒ぶる運転を前に行った遊園地のジェットコースターのようなものだと捉えていたのか、レゼは上機嫌だったが、後部座席の二人は今にも死にそうな表情でふらふらと車から降りて出た。

 

「あれ? コベニちゃんは」

 

 車から降りて、詫びを入れようと彼女の姿を探すが見つけられなかった。

 ドン引きしている公安の彼らに視線を向けると、アキくんが恐る恐るこう言った。

 

「コベニなら、暴力の魔人と一緒に岸辺さんのところにいます」

「そうかぁ……まええか。で、現状はどうや? デンジくんは元気か?」

「え、ええはい。今のところ欠員はゼロ……先ほど本部に連絡したので、近くにいるデビルハンターが外の人形の処理をしてくれる手筈です」

「ほぉん、せやから岸辺さんとこにコベニちゃんら行ったんかな? 外にも戦力いるやろし」

 

 だったら自分も外で人形の掃討に参加していれば良かったななどと思ったが、一度こうして中に入ってしまった以上再び外に出る手段というのがなかった。

 コベニちゃんの車も、大胆に階段付近に停めてしまったので、今では一種の柵のようになって動かそうにも動かせないし。

 

「うちらは君らと合流するわ。いくら君らが優秀でも、この数を相手にしとったら物量でやられてまうやろ。せやったら戦うやつ多い方がええ」

「助かります。……今の運転でいくらか人形の数も減りましたし、だいぶ窮地からは抜け出しました」

「よし! ほな決まりやな。現場の指揮権は日下部くんにあるから、基本こっちも指示通りに動くわ」

「なら、我々はデンジくんを連れて安全な場所まで連れて行きます。それまで時間稼ぎを──」

 

 その瞬間、やけに明確な殺意を感じた。

 恐ろしく鋭敏で冷たい風が我々の間を吹き抜けるような感覚と共に、人形の海が波でも起こったかのように隆起する。

 否、それは波ではない。ただなにかの波長のように首が跳ね飛ぶので、そう感じただけなのだ。

 

「! まずい!」

「構えろ! 死ぬぞ!」

 

 咄嗟になって、天童ら三人の身体を無理矢理車の影に伏せさせる。

 その上を通り過ぎていったのは一つの刃で、煌めく残光が先程まで私たちの首があった位置を掠めていった。

 

 そうして、なにか人が、通り過ぎていくのが見えた。

 

 そのままそれはデンジくんらの方に向かっていき、唐突な敵の到来に反応できないでいた誰かが死んでいった。

 

「……! アカン!」

 

 階段を一息に飛び上がり、状況を確認する。

 デンジくんのすぐそばにいるラフな格好をした女は、彼の顎を蹴り抜くと、そのまま周りの護衛に対しても暴力を向けようとしていた。

 

 私は飛び上がった勢いのまま壁を蹴り、身体の向きを調整して跳ねる。

 

 宮城公安の日下部、玉置がやられた直後、民間の吉田が悪魔の力を行使しつつ対抗しているところに横槍を入れる。

 

 具体的にいうと、隙だらけの頭に蹴りを入れたのだ。

 しかし何事も思い通りにはいかない。それは上手く防がれてしまい、空中で姿勢を保つことのできなかった私はそのまま奥にある店の戸棚に突っ込むことになった。

 

「くっそぉ……」

 

 追撃に備えて跳ね起きる。

 右腕が動かなくなって初めてのまともな戦闘だった。体の一部が重りになるだけでこんなにも思うように動かせないのかと、歯を強く食いしばった。

 

「クァンシ」

 

 と、聞こえてきたのは岸辺さんの声だ。

 どこからやってきたのか、彼は二人の魔人を引っ捕らえ、その両脇に抱え込んでいた。

 

「久しぶりだな」

「…………」

 

 クァンシと呼ばれた女はピタリと動きを止めた。

 そうしてそのまま、私は動き出そうにも動き出せない緊迫した空気感の中に閉じ込められてしまった。



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再開、そして決裂

「デンジ、パワー。この二人を拘束。暴れたら殺せ」

 

 クァンシの急襲により倒れ伏していた二人は、のっそり身体を起こすと岸辺の言う通りに魔人二人の自由をそれぞれのやり方で抑えた。

 本来、彼らの身柄を抑えるべきなのは私なのだろうが、こういったときに右腕が不自由なのを呪う。

 

 私はというと、店の戸棚に身体を突っ込んだとはいえ、特別クァンシから攻撃をもらったわけではなく──お恥ずかしながら、攻撃を上手くいなされた後、そのまま自分の勢いにブレーキをかけることができず奥へと突っ込んでいった自滅だったので──意識もはっきりしており、身体に不調を訴える部位はなかった。

 

 そのため、今からでも彼らの戦況に首を突っ込もうとすれば不可能ではなかったのだが、岸辺さんがこれからなにをしようとしているのか彼の企みを図りかねていたため、動こうにも動きづらい現状があった。

 これなら、戦闘が再び始まった際に死んだふりから奇襲をかけた方がいいんじゃないかとすら思う。

 

(なんやここ最近、奇襲ばっかやな……)

 

 ここ最近、まともに殴り合って勝ち星を得た記憶が少ない。

 レゼとのときも、デンジくんと戦って意識が朦朧としていた彼女の不意を斬りつけたわけだし。

 いいところないなあなんてぼやきつつ、私は異動が悟られぬよう店の影から這って階段の方まで向かった。道中、クァンシと闘い気絶した者たちが倒れていたが、どれも命に別状はないようだったので目的の地まで急いだ。

 

「……おーい」

「? あ、ヨツナさん」

「静かにな。いま上の方で岸辺さんが敵と話しとる」

 

 階段では人形の侵入を防ぐべく、天童黒瀬レゼの三人が車を壁にして攻防を繰り広げていた。人間は人形に触れると人形にされてしまうので、レゼを前衛とし後ろから二人が悪魔で援護をしている形だった。

 

「だいぶ数減ったな」

「さっき急に来たやつがほとんどやってしもうたんで、さっきからこんな感じです」

 

 見るに、車の付近で死体の山が連なっているのではない。デパートのホールから外の道路に至るまで、満遍なく死体の山が連なっている。

 

「なにはともあれ、ようやったな」

 

 階段を降りながら上の状況について話した。

 おおよそ全滅に近い状態でありながらも、刺客の人質をとることで均衡状態が保たれていること。またデンジくんは無事であることをだ。

 

 話し終えるのにそれほど時間は掛からなかったため、一度ここで作戦会議を行うことにした。とはいえ緊急事態の真っ只中にいるわけだから、本当にごくごく簡単な、方針を決めるだけのものである。

 

「そのクァンシっちゅうやつだけが刺客やとは思われへん。明らかに人形は、そいつの力とは別のところにあるように思える……おそらくサンタクロースっちゅうやつやろうな」

「なるほど……じゃあ、そいつを先に片付けちゃえばいいんじゃないですか?」

「せやねんなあ、それがいっちゃん楽なんやけど……」

 

 思案して、レゼの問いに答える。

 

「サンタクロースのやつ近くにおるとは思うんやけど、問題なんは力の強さや。普通こんな規模の影響、ただの契約やと起こされへん。向こうも相当用意しとるやろうから、うちらだけでどうこうできるか分からんねんなあ」

「そうですねえ……ただ人形はもうほとんど壊滅状態ですし、向こうの戦力は明らかに減っとるんで、そこまで危険視しなくてもええかもしれませんね」

 

 うーん。あまりにも楽観的といえばそうなのだが、現状向こう側からなにかしらのアクションが見られないので万策尽きたのではないかと思わなくもない。

 実際、あの量の人形はそれだけで盤面を決することができるような切り札だろう。ただ今回の場合はイレギュラーがあったというだけで、事実私たちは危うい一歩手前まで追い詰められはしたのだから。

 

「サンタクロースの方は、一応討伐隊というか……本部に連絡したとき、公安のデビルハンターが派遣されたらしいから、彼らに任せるゆうんもありかもしれへんな。うちらが変に動いてもうたら向こうの連携乱してまうだけやろうし」

「それもそう、ですね。下手に戦力を分散するよりも、まずはこっちの安全を確保してからの方がええでしょう」

 

 となると、すべきことはデパート内の安全確保ということになる。それに外から人形が現れたからといって、デパートの中にサンタクロースがいない理由にはならない。デンジくんの安全確保のためにもまずは安全確保だ。

 

「ほなうちはデパート見回るわ。君らは、せやなあ……レゼちゃんは人形の掃討、天童黒瀬はそのサポート。外出てええけど、なるべくデパートの出入り口付近からは離れんように。上の階には誰かしら人おるから、異変あったら走って知らせに来ぃ」

「了解!」

「あのう……」

 

 意気揚々と動き出そうとしたところで、レゼが遠慮がちに声を上げた。

 

「その、いいですかね?」

 

 レゼは物言いたげに首元にあるリングに触れた。それを引き抜くような素振りも加えてだ。

 

「緊急事態や。許可」

「ぃやったぁ!」

 

 嬉しそうに飛び跳ねると、レゼはそのままホップステップジャンプで人形の群れに飛び込んだ。そうして、彼女の姿が見えなくなったかと思うと、一際大きな爆発を伴って例の姿が現れた。

 一つ違うのは、彼女が身にまとう衣装だろうか。公安から支給されたスーツからは異様な頭部と腕部が見えていた。

 

「ぅおお……味方やいうんは分かっとりますけど、なんや身震いしますわ」

「俺らん仕事ないかもなあ」

「あんま血ぃ使いすぎやんようセーブしたりや」

 

 言って三人を残し、爆発の音に紛れて上の階に登った。

 こっそり階段を登り、頭だけ出して岸辺さんの方を見ると、なにやらまだ話をしているようだった。

 このままバレないように元の位置まで戻ろうとしたが、あのクァンシという女の勘は想像していたよりもずっと鋭かったようで、気配を消していたというのに一瞬目があった。

 

 クァンシが私の方へ視線を向けたことに岸辺さんも気付いたのか、二人してこちらを見る。……気まずいからやめてほしい。

 来い、と岸辺さんが手招きをするので、私は姿を隠すのをやめてのっそり身体を揺らしながら向こうまで歩いて行った。

 

「なんや邪魔してもうたみたいで。お話の途中でしょう、菓子でも持ってきましょうか」

「いやいい。それより座れ」

「……ええんですか?」

 

 右腕が不自由な私を気にしてか、岸辺さんは一脚椅子を引いて指し示した。あんまり良い雰囲気じゃないから遠慮したいのだが……。

 

「彼女も仲間か?」

 

 と脈略もなくクァンシが言った。

 岸辺は少し思案したあと、「お前が抜けたあとに入ってきた後輩だ。部下じゃない」とだけ言った。

 

 その言葉のやりとりに、一種の違和感を感じたのは気のせいではないだろう。二人の言葉選びはどこかぎこちなく、なにかを気にしているようであったから。

 

 クァンシの容姿は私より少し上くらいに見えたが、こうして岸辺さんと対等な言葉遣いをしているのだから、私には空知らぬ特別な関係がそこにはあるのだろうかと思った。だが、それをわざわざ口に出して尋ねるほど私は野暮な人間でもない。

 

 なにがなんだか分からないが、岸辺さんが私をここに座らせたのにはなにか目的があるのだろうと思われたので、その役割を必死に考えた。

 

「えーっと……一ノ瀬ヨツナいいます。十何年くらい前から公安で働いてまして、ちょっと前まで銃の悪魔の肉片回収してました」

「誰が自己紹介しろって言った」

 

 岸辺さんの冷たい視線が私を突き刺す。彼は呆れたように息を吐いて、手に持っていたメモ帳を机に置いた。

 

「まぁ、こんなやつだ。今じゃ部下もいるが、根っこのところは変わらず馬鹿だよ」

「そう……」

 

 クァンシはじっと私の方を見て、それからこう言うのだった。

 

「お嬢さん、こいつに言ってやってくれないか。酒とタバコは辞めろって」

「……お父さん、やっぱ酒臭いんとちゃうん……?」

「お前の父になった覚えはない」

 

 なんてちょっと笑いが取れそうな小ボケをかまして、雰囲気も和んだかな……? なんて思ったのも束の間であった。

 

「あああっアアッ! ダメですぅっ、逃げましょうクァンシ様!」

 

 突然の叫び声にびっくりして肩を震わせる。声の発生源はパワーちゃんの方からで、パワーちゃんに後ろからしがみつかれた特徴的なポニーテールの魔人が、なにやらそのポニーテールやら指やらで私の方を覗き見ながら叫んでいた。

 

「……っ、ゃぁっ、ヤバいんですっ、ク、クァンシ、様……ヤバいですゥ! その女の身体、半分くらい悪魔の肉でできてる……!」

「はぁ?」

「それに、さっきから臭いがするんですっ。あいっ、あいつのっ──」

 

 急に取り乱した魔人にドン引きしたのか、パワーちゃんが怖いものから手を離すように震えながら拘束の手を緩めた。

 その隙を見逃すほどクァンシも馬鹿じゃないらしい。

 

 彼女は私に向かって──それも、使えない腕の方に目掛けて──ほとんど予備動作のない強烈な蹴りを繰り出してきた。ただの蹴りじゃない、それは尋常じゃないほどの速さと質量を持っており、左腕を使って辛うじて受け流し反撃に椅子を蹴り飛ばした。もっともそれも易々と避けられてしまったわけだが。

 

 後ろを見ると、デンジくんを無理やり引き剥がしてもう一人の魔人が自由になるのが見えた。ああもう、めちゃくちゃだ。

 こうして、肉と肉がぶつかり合う殴り合いの鈍い音が、戦闘再開の合図となった。



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ガラス窓へダイブ

 戦況は乱れていたが、大きな視点で捉えるとおおよその勢力図に変わりはなかった。

 

 デパート内ではデンジくんの護衛を務める公安(プラス民間)のデビルハンターが多数おり、そんな私たちと対峙するようにクァンシと呼ばれる女と二人の魔人がデパート内で暴れていた。その二つの対立構造をぐるりと囲み、今か今かと漁夫の利を狙おうとしているサンタクロースの傀儡どもが外で跋扈しているわけだが、デパートの玄関口で他の侵入を阻んでいた天童らの報告によるとクァンシの影響で人形のほとんどが壊滅状態だという。

 

 観察していて思ったことだが、人形を作るにはおそらく元手となる人が必要である。ただ人というのはそう無尽蔵に湧いて出るものではない。証拠に、一度減った人形の山はそのまま増えることがなかった。

 クァンシによって大幅に数を削られ無策の物量戦が難しくなった以上、サンタクロースはここぞという場面のために人形を温存する必要があった。

 

 以上のことからメチャクチャに人形が押し寄せるといったことは起こりづらいと考えられる。そのため数少ない人形を階段の辺りでせき止めさえすれば中にいる我々は外を気にする必要がなくなる。これによりデパート内の戦力をクァンシに向けることができた。

 もっともこちら側の戦力がほとんどワンパンでノックダウンされた事情を鑑みると、人数有利というのもほとんどないに等しいのだが。

 

「合わせろッ」

 

 叫ぶと、岸辺さんは右手に持ったナイフでクァンシに飛びかかった。姿勢を低くして行われたそれはタックルに近しいが、急所を狙われぬよう腕で防ぎながらもナイフを振り抜くことができるように工夫された無駄のない動きであった。

 

 それに合わせ、私は反対側からクァンシに迫った。

 私もまたナイフを武器として構えている。元々の戦闘スタイルは彼に習ったのだから、自然と似たような闘い方になっていた。もっとも私も彼と同じ構えでは芸がないと考え、ナイフを至近距離から投擲し、それに合わせる形で全体重をかけた上段蹴りをクァンシの右側頭部目掛けて打ち込んだ。

 

(バケモンが……)

 

 全力で投擲したナイフは一直線に心臓を狙っていたというのに、まるで造作もないように拳で払い落とされた。楽観的に考えていたわけではないが、こうも簡単に防がれると正直落ち込む。

 

 ただ負けてはいられない。ナイフが払い除けられるのとほぼ同時のタイミングで右側頭部を狙った蹴りがクァンシに直撃した。

 だが悔しいかな、相手は強敵だ。クリーンヒットとはならず、腕で十文字を作るように受け止められてしまった。ただいなすのでなく防いだのには、ほとんど同時に彼女へナイフを振り翳した岸辺さんの存在があるだろう。防ぐのといなすのとでは必要な技術量が違う──私に集中して岸辺さんへの対応を疎かにしないため、また十分に蹴りの威力を外に受け流す自信がなかったからかも知れない。

 そのため、私からの攻撃に対しては完全な防御の姿勢をとっていたのだが、それが仇となった。

 

 私の蹴りは、クァンシの防御姿勢をそのまま貫き、彼女の側頭部に到達したのだ。なんせ全力の蹴りなのだ。そう簡単に受け止められては困る。

 

「ッ……! 頑丈なやつ!」

 

 姿勢は揺らぐが、それで倒れることはなかった。私の蹴りはほとんど防御を無視したものだったので大きな隙が生まれてしまったが、そこへ追撃が加わる前に岸辺さんのタックルが加わる。

 これには危険と判断したのか、どうにか踏ん張った様子のクァンシは崩れた姿勢から粘りを見せアッパーのように下から拳を飛ばして岸辺さんに殴りかかった。

 

 私の蹴りがだいぶ効いているのか、バランスだとか姿勢なんかがメチャクチャな、化け物じみた体幹による力任せの振りかぶりだった。

 

 一撃、彼の胸に拳が入るもののそれで止まるほど柔ではない。どうにか腕で防いだと見え、衝撃でナイフは取りこぼしはしたもののそのままクァンシの無防備な腹部に突撃したのだった。

 

「ぐっ……!」

 

 一瞬クァンシの身体が宙に浮き壁際まで押し寄せたが、それ以上の動きは見られなかった。

 

(マズイ……!)

 

 一瞬クァンシの身体が浮いたものの、すぐさま体勢を整え、彼女は岸辺さんの腰に指をかけた。あの体重移動、足への力の掛け方──外へ投げ出す気だ!

 

 私は懐から予備のナイフを取り出し攻めにかかる。

 いま岸辺さんが抑えている間がチャンスなのだから。

 

 だが何事もそう上手くはいかない。クァンシの手下である魔人が大振りの火をこちらに向けて吹いてきたのだ。岸辺さんがクァンシをタックルで押し出したことにより、ちょうど私はその二人から孤立した場所に立っていた。およそ遠慮なくあの魔人は火を吹くことができただろう。

 

「──!」

 

 考える時間はそれほどない。

 私は避けることと岸辺さんを助けること、その二つをどうにか両立すべく跳躍した。

 

(うおっ……)

 

 岸辺さんの腰に両の手をかけていたクァンシの無防備な顔に膝蹴りを入れる。一瞬、またぐらつくが、彼女は力一杯に岸辺さんをガラス窓の外に放り投げた。

 

「やばいやばい!」

 

 バリン、とガラスが割れた。下にはクッションも何もない。それにこうも力強く放り出されれば、なにかに掴まることもできない。

 思い切って、私も彼の後を追い砕け行くガラスの中へ身を投げ込んだ。岸辺さんはおじいちゃんだから受け身をとっても骨が折れそうだし、私がどうにかするしかないと感じた。

 

 幸いビームくんがやってきているのを目端で捉えていたので、私たちがクァンシの注意を引きつけている間に彼らはしっかり逃げおおせたはずだ──。

 

「──レゼ!」

 

 下方に彼女の姿を認めると、名を力強く呼んだ。いつぞや戦った例の姿で人形の残党を砕いており、声に反応して上を見上げた彼女はすっかり驚いたようにアタフタとしていた。

 

「レゼ! 受け止めて!」

「ええ?! なんで空から?!」

 

 足を爆発させ飛び上がったレゼは、空中で私たち二人を受け止めると持ち前の頑丈さでそのまま大地に脚を下ろした。

 岸辺さんは腰を痛そうにしながら立ち上がると、感慨深そうにレゼの方を見た後、視線をクァンシらがいる階層に向けた。

 

「歳はとるもんじゃないな……アイツ相変わらずバケモンだ」

「気になっとったんですけど、お知り合いなんですか?」

 

 訪ねると、岸辺さんは答えづらそうに言った。

 

「昔、あいつも公安にいたんだよ。……お前が入った頃にはもういなかったか」

「ええまあ……しっかし、うちよりも前にですか? うちとそんな歳変わらんような見た目しとりますけど」

「お前だって、見た目変わらねえだろ? 今いくつだ?」

「…………よし! レゼ! 今からデパートん中戻って、デンジくんが逃げるサポート!」

「露骨に話逸らしやがって」

 

 岸辺さんは不愉快そうに懐から取り出した煙草を吸った。

 どうやらまたもう一度デパートの中に入って闘うということはしないらしい。なら私もそれにならって煙草でも吸っていようか。

 

「デンジ君どこにいるんですか?」

「下の階降りてったん見えてるから、下の奥やと思う。ビームくんもおるからよろしゅう」

「はい!」

 

 と言って、元気にレゼはデパートの中へと入っていった。

 そうして彼女を見送った以上、今まで彼女がしていた人形退治は私の役目というわけだ(レゼがしっかり働いていたので今はもうほとんどいないが)。天童黒瀬は岸辺さんと一緒にいてもらったほうが安全だろうと思われたので、彼らもまたこちらに呼び寄せることにした。

 

 

 

 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

 

 

「やっぱチェンソーなっといた方がいいかなあ?」

「チェンソー様! 血! 節約!」

 

 一人の走る足音ががらんとしたデパートの通路に響いていた。その横ではジャプジャプと場にそぐわない水の音が……ビームは彼に連れ従って逃げ道を確保している。

 

(あの女バケモンだ……! 先生とヨツナさんに任せて、さっさと逃げよう)

 

 そうして走っている矢先、彼の後方から物の爆発する音が聞こえ始めた。それが段々と大きくなって、こちらに近付いているように思われたので、デンジとビームはつい立ち止まり後ろを振り返った。

 以前の戦いですっかり聞き馴染んでしまったこの音……デンジは振り返る前から嬉しそうに頬を緩めていた。

 

「デンジ君ー! 大丈夫?!」

「うおお! レゼ!」

 

 喜びの声を上げて彼はレゼの方に歩みを進めた。

 レゼは巧みに爆発を操り自然な動きで地面に着陸すると、そのまま駆け足で彼の元まで寄って行った。

 

「よし! デンジ君逃げよう! 外で岸辺さんとヨツナさんがいるから、向こうに合流しよう」

「外……? 上で闘ってるんじゃねえのか?」

「上? ああ、なんかね、落ちてきたんだ」

「落ちてきた……?」

 

 一瞬怪訝そうな表情をしたデンジだが、「ま、細えこたあいいか!」とレゼの言葉に従い、ひとまずは外に向かうことにした。

 

「ってもよぉ、ここどこだよ? めちゃくちゃに走ってたから分からねえ……っ! 痛っ! ……ひぃ〜クギ踏んじゃった!」

「え?! デンジ君大丈夫?!」

「おお〜だいじょう……うわっ、え、あ? なんか……あれ、掴まれてる!」

「浮いてる……す、すげえ……」

「ああーっ!? あれぇ! デンジ君浮いちゃってる! なんでえ?!」

「動けねえー!」

 

 徐々に徐々に浮かび上がるデンジ。

 それを見上げる二人。ビームはそれをある種神聖なものとして捉えているようで、対してレゼはあたふたとどうしたらいいのか分からない様子であった。

 

「あ、なっ! 体がハリツケになってくよオ〜!?」

「あっ、ヤバいやつだこれ! デンジ君!」

 

 レゼはギリギリになって気付いたようだが、時すでに遅し。

 空中へ浮かび上がったデンジは、そのまま呪いの悪魔によって命を奪われたのだった……。

 

「デンジくぅーん!!」



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 静寂なデパートの通路には一人の少女の困惑する声が響いていた。あんまりにも周りが静かなものだから、そうして反響する声がより事態の深刻さを物語っているようにも聞こえた。

 

「デ、デンジ君……死んじゃった! どどど、どうしよう! デンジ君が! えっ胸にあるんだっけ? スターター」

「ウギャッ!」

 

 デンジの身体について詳しくは知らない上に困惑しているのもあいまって、彼女はデンジの首元を探ったりして生き返らせようと四苦八苦していたわけだが、そんな様子をよそにサメの悪魔であるビームが何者かの手によって倒れた。

 彼の敬愛するチェンソーマンが死んでしまったショックからではなく、それは刺客の手によるものだった。

 

(! 誰?! ……柄にもなく混乱して、気付かなかった……!)

 

 生き返らせることは一度諦め、レゼは咄嗟にデンジを担ぎ上げた。そうして一度距離を取り、ファイティングポーズで謎の闖入者との間合いを図る。

 

(素手……武器は持ってない……? でも、だからって油断はできない……)

 

 レゼの脳裏には先程デンジが空中へと浮かび上がって行ったあの光景が焼き付いていた。ああして無抵抗のまま目の前で大切な人が死んでしまったのだ、嫌でも記憶に残る。

 

 ……おそらくは悪魔の力。あれほど強力ならなんらかの縛りはありそうだが、いま目の前にいる男は大した武器や道具も持たずに力を行使できたらしい。

 だとしたら、代償が大きいのだろうか? そう頻発できるようなものでもないだろうが、レゼは決して警戒を怠らなかった。

 

 そんな中、目の前にいる男もまたレゼの存在に意外性を感じていたらしい。驚いたようにレゼを観察している。

 

「魔人か? にしては頭が随分と異形だ」

「そういうあなたは、なんの変哲もない人みたい。……どうやって殺したの?」

「マズイな……武器がない」

「ねぇ、話聞いてます?」

 

 その男から怪しい雰囲気を感じ取ったレゼは、なにかされる前に逃げ出すべきだと迅速に判断し、振り落とすことのないようデンジを担ぎ直した。

 サメの魔人は見捨てるようで悪いが、相手の目的がデンジである以上酷いことはされないだろう。なによりいま重要なのはデンジの命を守ることなのだと彼女はよく理解できていた。

 

「……よく分かんないけどっ。じゃあねっ、ばいばい!」

 

 左指を飛ばし爆発させる。戦闘でなく逃げることが目的だったので、殺傷性を落とし煙幕としての役割を持たせた。狭い通路だったので、それだけで十分視界を遮ることができた。

 

 そうしてレゼはデパートの奥の方へ逃げようとしたのだが……。

 

「十分です、トーリカ」

「!」

 

 逃げるレゼの行手を阻むように、一人の女性が通路の真ん中に立ち、こちらに向かって歩いてきた。

 そのまま自らの足を爆発させて突っ切ってしまえばよかったのに、なぜかレゼは立ち止まった。……勘と言うべきか、守るべきものを抱えた今の自分では到底敵わない相手であると直感的に悟っていたのだ。

 

「これには私も予想外でした。まさか貴女のような存在があるとは……」

「誰!?」

「師匠……」

「トーリカ、あなたは私の課した仕事を果たしました。もう立派はデビルハンターです。……ですから下がっていなさい、ここからは師匠である私の仕事です」

 

 物々しい雰囲気を携えて、女は距離を詰める。ジワジワと、まるで獲物を袋小路へ追い込むように……。

 レゼは冷や汗をかきながら、無防備な背を見せぬよう交互に二人を見て戦闘の始まりを決心した。

 

 

 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

 

 

「へえ、吉田くんの契約悪魔って“タコ”なんやなあ……ふうん、“タコ”なあ……」

「……食べる気ですか?」

「いやいや、そないなわけあらへんよ。なぁ?」

 

 と私に同調を求められた黒瀬は、面倒臭そうに「そーですねえ」と応えた。素気ない態度に「なんやお前」とつい愚痴を漏らしそうになったが、会ったばかりの人にだる絡みをするのは辞めろと暗に言っているように聞こえて、すんとそこで口を閉じた。

 

 そうしていま座っている蛸の触手に、つつと指を這わせた。ビクビクと何事かを恐れるようにタコが震えるので、すっかり怯えてしまったようだと、クスリと笑った。

 

「かわいらしいタコやわ。しゃあない、今夜はお好み焼きで勘弁したろ」

 

 しかし、こうして外で待って少し経つが、大きな変化が見られない。度々デパートの奥の方から大きな爆発の音が聞こえるので、レゼが奮闘しているのだなと思われるのだが、それっきりで他に物音はなく、こうして外で待機しているのが随分とつまらなく感じられた。

 

(加勢したい気持ちはあるけど……)

 

 私たちがデパートの中に入らないで外にいて待機している理由は二つある。

 

 一つは、デパート内部の勢力図が混乱を極め、これ以上人が増えると同士討ちなどの危険性があることだ。特にデパートのように狭い場所だと、角を曲がったところでレゼの爆発に巻き込まれ大怪我を負う……なんてことになりかねない。そういった事態は避けたかったし、それにレゼは強い。

 クァンシ相手にどこまでやれるか分からないが、再起不能の攻撃さえくらわなければ至近距離からの攻撃で多少は戦えるだろう──それに、いま彼女に課せられている任務はデンジくんを連れて逃げることで、戦うことではない。並大抵の者には彼女の爆発による移動には追いつけまい。

 

 そしてもう一つある我々がデパートに入らない理由だが……これがあまり、私としては考えたくないことでもあった。

 

 それは今回の任務の裏でマキマによるなんらかの思惑があるのではないかという話だ。つまるところ、マキマはデンジくんを守ることにそれほど重点は置いておらず、他のことに大きな目標を据えているのではないかという考えだった。

 外国からやってくる刺客をマキマ自らの手でやっつけることにより、外国への牽制を図ろうとしているのではないのか、というのが岸辺さんや吉田くんから話を聞くに考えた私の持論だった。

 

(あんま考えたくないことやけどなあ……。そんな、裏でああだのこうだのするようなやつか……? マキマは)

 

 うーん、するなあ……やりかねないなあ……。

 

 意味もなく空を見上げながら煙草をふかした。さてはて、私はどう立ち回るべきなのか。

 同期としてマキマの行動を咎めるべきか……。とはいえ、今となっては彼女と私は立場も責任も異なるのだから大きなことは言えない。

 

 ふうむ、なにを企んでいるのか……良からぬことでなければ良いのだが。

 

 なんて考えてながらぼうっとしばらく空を眺めていると、突然それはやってきた。

 

「あ……? なんやアレ」

 

 巨大な手。そう形容するのが正しいが、それは目を疑いたくなるほどあまりにも奇怪であった。

 あんまりにもおかしなものだから、ただ呆然と、それを眺めているだけで、なにかしようという気すらも起こらない圧倒的な存在感を備えていた。

 

「んだアレ……」

「…………!」

 

 悪魔によるものか? ようやくその考えに至って、斬りに行くかと天童黒瀬から刀を受け取ったところで、その手はすっかり姿を消してしまった。



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詰問

「マキマさんの目的は、やっぱし護衛なんかじゃないですよ」

 

 と呟いたのは吉田ヒロフミという民間のデビルハンターだった。外部の者であるという立場から、これまで強い意見を発する機会のない彼であったが、戦況が乱れこうして少人数で情報共有をする場において己の持論を──おそらく、確証を得たのだろうことを──慎重な顔つきで語った。

 組織の内状を知らないからこそ得られるそうした客観的視点からの指摘は珍しかった。

 

「護衛にしては人数が多くて目立ちすぎるし、なによりマキマさんが依頼したの全員三流のやつですよ。俺含めてね」

「なら俺は四流になっちまうぞ」

「一流も老いには勝てないでしょ」

 

 冗談めかして発せられた岸辺さんの言葉に、彼は難なく返事をした。こうしたやりとりは既に二人の間では慣れたものらしい。……ここのところ岸辺さんは様々な立場の人間とコネクションを作っているようだったから、確かにマキマは怪しいもののそれと同じくらいに岸辺さんの立ち回りも怪しく見えはするのだった。

 

 しかしまあ、今は一触即発みたいな雰囲気でもなさそうだし、今後仕事を共にする可能性もあるかと吉田くんと岸辺さんの問答に口を割って入ってみることにした。

 

「三流って、それうちも入っとるんか?」

「ええはい。右腕が怪我で動かないと聞きましたよ。そんなんじゃ全力で戦えないでしょ」

「それもそうやな」

 

 三流と呼ばれることに不満はなかった。現に、クァンシを相手に明確な有効打を与えられなかった現状では、その立場に甘んじておくのがかえって気が楽でもある。

 それにまあ、吉田くんも冗談を交えて話をしている節はあるのだから──世界からやってくる刺客に対して十分とは言い難い護衛の質であると認識しているのは嘘でないにしても。

 

「となると、マキマの目的はなんやろか」

 

 私なりの持論はあるが、ひとまずは彼らに問うてみることにした。

 吉田くんは悩んだそぶりをした後に「分かりません」と両の手のひらを挙げて答えた。

 

「あんまり関わりたくないですね。厄ネタの匂いがしますから」

「ま、それが一番賢明やろなあ。所属しとる組織も民間公安っちゅう風に違うんやから、学生で無関係の立場におる君は深う首突っ込まん方がええで」

「でしょうね。……期末テストも近いですし、しばらく事が落ち着くまではデビルハンターも休業した方が良さそうです」

 

 疲れた身体を解きほぐすように、吉田くんは目一杯その場で伸びをした。

 

「俺に分かるのは、マキマさんもサンタさんも、なにか俺達の知らない目的で動いているってことですよ」

 

 彼にとってそれはさして興味のある事柄ではないのだろう──意識して一歩踏み出さずにいられているのなら、危機管理能力の高い少年だなと自然に思わされた。そうした中で、一言岸辺さんが「だろうな」と相槌を打った。

 

 私はそれが気になって、岸辺さんの方に身体を向けて訊ねた。

 

「マキマについてなんか知っとるんですか?」

「詳しくは分からない。だが、マキマは怪しい」

 

 彼はそう断言してみせた。食事会などでマキマを交え三人で食事をすることは幾度かあったが、そういったときには影にもみせない冷たさが含まれた声色であった。

 だから私はつい身構えてしまう。こうした冷たさが、彼のデビルハンターとして長く生きてきた刃であるだろうから。そうしてその刃がヒヤリと首筋を撫でるようでもあった。

 

「マキマの目的……俺なりに持論はある。だがな、ヨツナ」

 

 彼はしっかりとこちらを見つめて話した。

 度々、重要なことを話すとき、彼はこうして目を合わせて話す。どうにも真剣な様子だったので姿勢を正したが、なんとも予想していない言葉が次に飛び出した。

 

「お前には話せない」

「……理由聞いてもええですか?」

 

 予想外の返答に反射的に訊ねた。

 岸辺さんは煙草をふかしながら言った。横目で私の方を見ながらである。

 

「さっき、クァンシが侍らせている魔人の言っていたことが気にかかる。悪魔の肉って、どういう意味だ? お前、身体の半分がそうだっていうじゃねえか」

 

 吐き出された煙が空に消える。その言葉は私に対して問いかけるのと同じくらいに、不満を吐き出す息であった。

 私と彼とはそれなりに長い付き合いであった。だからこそ、仮にそうした“一ノ瀬ヨツナは純粋な人間でない”ような事実があるのであれば、それに気がつくことのなかった岸辺さん自身に対する馬鹿馬鹿しさというのが彼の心にはあるだろうし、なによりなにも話していなかった私への不満も含まれているのだろう。

 

 ちょっと困ったな、と私は少し口角を上げて返事をした。

 

「相手の魔人が苦し紛れに言いよった言葉やないですか?」

 

 その返答に、即座に岸辺さんは斬り返す。

 

「その可能性は薄い。なぜって、急を要する場面で話すようなことじゃない。……それにあの魔人は確かにそういった概念的なものを見抜けるらしい。俺が契約している悪魔もバレた」

 

 まだ大きく岸辺さんは煙草の煙を口から吐きだした。

 私は部下の方に視線をやった。あの現場にいなかった天童黒瀬は、私たちがなんの話をしているのかあまりよく把握していないようで、動揺したように縋る目つきでこちらを見ている。

 

 私は虚勢を張るように胸を張って、あくまでも堂々とした態度で話した。

 

「うちはこれまで、公安に楯突くようなことはしたことありませんよ」

「だからこそだ。マキマの目的もよく分からないが、お前の目的も俺には分からねえ」

 

 よりいっそう視線の厳しさを強めて彼は言った。

 

「お前は敵か? 味方か?」

「…………」

 

 その問いに易々と答えることが私にはできなかった。「はあ」と大きなため息をついて、気だるげに両頬を手で包んだ。

 

「なんちゅうか……うちもよう、分からんのですけど……」

 

 なんと説明すればいいのか……。

 といったところで、現実逃避のために視線を泳がせていたデパートの方で異変があることに気がついた。さっきまで物音ひとつ聞こえてこなかったので、それだっておかしいといえばおかしいのだが、今になってワラワラと少数の人形が外で集まっているのに気がついた。

 

「……なにかいますね」

 

 そう呟いたのは吉田くんだった。彼は良くも悪くも中立的な立ち位置で、そうした雰囲気を壊す発言に躊躇いがなかった。

 岸辺さんはそれに大きな溜息を。私は助けられたような気持ちで、屋上の柵越しに地上の様子を眺めた。

 

 わらわらと集う人形ども。それはやがて山となり、大きな形を象っていった。そうして出来上がったのは、まさしく異形と呼ぶに相応しい悪魔の姿。

 

「……ッ、なんや動きあったみたいなんで、うちちょっと行ってきますわ」

「その怪我でか?」

 

 呼び止める岸辺さんの声が聞こえたが、私は部下から刀を二本受け取り具合を確かめた。両手で持つことはできないので、一本は抜き身で、もう一本は紐で鞘ごと肩に掛けた。

 

「ええ、この怪我でです。うちの本業は悪魔退治なもんで、たまには仕事しなボーナス減らされてまうんで」

 

 そう言って私はビルの屋上から飛び降りた。ちょうど下に悪魔がいるのが幸いした──抜き身になった刀を左腕で支え、重力に引かれるままに大型の悪魔の頭をてっぺんから真っ二つに切り裂いた。



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地獄からの生還者

 突如現れた悪魔を頭から斬り裂き見事二分割にはしたものの、相手の命を確実に奪い取ったという手応えはまるでなかった。ただ無機物を斬っているような──そんな、生命を感じさせない一方的な命のやり取りを私はあの刹那に経験した。

 

 故に、私は驚きから目を見開きつつ──敵の厄介さ加減にため息をついた。

 こういった敵に出くわすのは初めてではなかったが、しかしそう頻繁に遭遇するタイプの敵でもない。言ってしまえば珍しいやつなわけで、経験則上こういう斬り応えのやつは決まって面倒なのである。

 

(身体が異形っちゅうことは、その在り方も異形っちゅうことか……)

 

 振るった刀の様子を見ながら周囲へ注意を払う。随分と硬い様子だったが、叩けば壊れる陶器のような脆さがあるようにも思えた──刀の刃で斬るよりも、峰で叩くなり鞘で殴りつけるのが一番だろうかと冷静な思考で判断する。

 

 しかしあいつは……あの姿形から見るに、サンタクロースと呼べば良いのだろうか。手下の数を多く減らされてからというものの大きな反応は見せていなかったが、先ほどデパートの上空に現れた巨大な手であったり、静かになったデパート内部の状況、またこのタイミングで姿を現したことなど……そういった情報から鑑みるに、およそ一連の出来事はあの悪魔の仕業であると思われる。

 もっとも人形の悪魔という概念にできることの範疇を超えた事象もいくつか見られる。どこまでがやつの起こしたことで、なにがそうでないのかといった考察は一度保留にし、ただ相手を倒すことだけに思考を専念させた。

 

(しっかし……人形の見た目しとるからって、弱点まで人と同じなわけやないか。心臓の辺り斬ったけど、そう簡単にはやられてくれへんみたいやしな……)

 

 仮に相手が武器人間であれば、確実に心臓を真っ二つにして再起不能にしているところだった。だが苦しみこそすれ死んでいないあたり、命に直結するような弱点は他のところにあるらしい。

 

 私が着地に手間取りよろついている隙を見計らって、二分割になった悪魔は──人形の悪魔と契約しているということは、サンタクロースと呼べば良いのだろう、人の心の根底にある恐怖心をくすぐるような見た目をした女は──分たれた半身を抱えて咄嗟の大ジャンプを披露した。

 

「ん」

 

 だがそう易々と取り逃すわけにもいかない。私は不安定な姿勢ではあったが力強くコンクリートを踏み抜き、今まさに跳び立とうと脚を曲げ溜めている悪魔の右脚を薙ぎ払うように打ち砕いた。

 

「小癪な……!」

「なんや君、喋れるんか」

 

 それでもヤツは跳びあがる。ただ片脚がないぶん中途半端な跳躍となった。それでもなんとか姿勢を維持することでデパートの外壁にまるで蜘蛛のように張り付いたのだった。

 そうして複数ある腕で壁にしがみつき、屋上を目指してゆらゆらと左右に振れながら動き出した。ただ半身が別れているのはやはり不便なのか途中立ち止まり、安全な高さまでいったところで回復に専念している様子が見られた。

 

「チッ……面倒やな」

 

 さすがにここからあの高さまで跳び上がると人の域を越えなければならない。あいにく今の私は人間だ。そのため刀は腰に差して、デパートの屋上まで階段を使って上がることにした。

 とはいえ一段一段上がっている暇はない。二段飛ばし、三段飛ばし、四段飛ばし……なるべく早く、決して取り逃すことのないよう急いだ。

 

「……! どないしたんや!」

 

 唐突に視界に入った異様な光景に目を見開く。

 長い長い階段を駆け上がると、そこで血みどろになったデンジくんとマキマが重なって倒れているのを見つけた。デンジくんはまるで死んでしまったかのようにぐったりとしていて、マキマに至っては右腕が複雑に折れ曲がった重傷である。

 

「なんや、なにがあった?!」

「? ああヨツナ。下の方が騒がしいと思ったら……そういうことか」

「そういうことかって……どないしたんその怪我」

「そういえばヨツナは巻き込まれてなかったんだっけ……。私たち、地獄に行ってたんだよ。今はちょうど帰ってきたところ」

「あ〜? ようわからへんねんけどっ」

 

 まるで旅行に行って帰ってきたみたいな、そんな気軽さで彼女は言う。謎の余裕と事態の深刻さとの間に生まれたギャップは私の眉間に不快混じりの皺を作った。

 

 しかしいくらマキマが斜に構えたような態度をとっていたとしても、事態はあいも変わらず深刻なのだ。サンタクロースは単に私から逃れることを目的として屋上を目指していたわけではないようだ。……おそらくは、この屋上で死に瀕したデンジくんの心臓を狙っているに違いない。

 

 そう考え、手前ここに取り出したるは一つの輸血パック。デンジくんに飲ませるようにアイコンタクトをしてマキマの元へ放った。

 

 そうして私はようやく辺りの様子に目を向けるのだった。受け止め難い現実を、しかと見つめる覚悟ができた。

 

「しっかし……えらいやられてもうたな」

 

 バタバタと、両腕のない人間が屋上に倒れている。そのほとんどはスーツを着ており、およそ戦闘には参加できまいといった様子だった。

 こっぴどくやられたのか無傷の人間なんていなかった。なにがそうさせたのか、決して生きてはいないだろうと一目見てわかるほどの者もいた。誰も彼も顔は暗く染まっていて、安らかな死に顔なんてのはどこにもなかった。

 みんな何かに抗ったのだろう。抗って、戦って、そして負けたのだ。

 

「はぁ〜……、やってもた……」

 

 意識のある者と、ない者がいた。息をする者と、しない者がいた。どうしようもなく死んでしまった者と、どうしようもなく生き残ってしまった者とが、このデパートの屋上で共に添い寝をしているのだ。

 

「…………」

 

 地獄とやらで懸命に戦ったのだろう。レゼの身体は三分の二が失われ、もはや息などなかった。幸いにも彼女は武器人間であり、重要なところが損なわれていない。おそらく首のピンを抜けば生き返るだろう──

 

(誰も彼もそうなら、こないにセンチな気持ちになることもないっちゅうのに)

 

 硬いコンクリートの床に膝をついて、甲斐甲斐しく介抱をするようにレゼの上体を胸元に寄せた。その冷たさに唇を噛ましめながら懐から輸血パックを取り出そうとしたとき──

 

「素晴らしいです……見てください、私の身体を……」

 

 地面が強く揺れたかと思うと、コンクリートを突き破ってサンタクロースが姿を現した。人形の悪魔はその四肢を惜しげもなく稼働させ、まるでプレゼントをもらった子供のように手足を見せびらかした。

 

「闇の中で、あなたにつけられた傷が瞬時に回復しました。あと半年で死を迎えるハズだった身体が、こんなにも再生するのですね……」

「あ……? 闇ん中ぁ?」

 

 なるほど。一度側面からデパート内部に入り込み、暗闇に身を投じることで回復したということか……。だからこうして中から突き破って現れたと。

 

 はたしてその再生能力が人形となんの関係があるのか……。おそらくは異なる悪魔の力もこいつは所有しているのだろう。そう考えると、ますます厄介だ。

 そのうえ、私は今の出来事ですっかり気分が悪くなってしまった。ただでさえ仲間がやられて鬱憤が溜まっていたというのに、こうも乱されると我慢ならない。

 

「……ええ雰囲気んとこ邪魔すんな!」

 

 怒りから腰に差した刀を投げつけた。弾丸のような空を裂く音と共に、それはサンタクロースの腹部に大きな穴を開ける。

 

「チッ……いま起こしたるからな」

 

 輸血パックを口で破り、その切り口をレゼの口元へ当て、血を無理矢理喉奥に流し込む。

 これだけ飲ませれば十分だろうと判断した私はレゼを抱えながら人形の悪魔まで駆けて寄った。

 

「これがうちらの力やぁ!」

 

 サンタクロースの胸元に潜り込むと、そのタイミングでレゼの首にあるピンを引き抜いた。私の行動は絶大な爆発とともにヤツの身体を砕き飛ばし、轟音と共にレゼの復活を訪れさせるのだった。



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ダークパワー

(デンジ視点)

 

 デンジは目を覚ますと、夕方が近づいた灰色の空の下でマキマの胸の中にいた。気絶してばかりで記憶は飛び飛びのため、どうしてこうなったのかという経緯は曖昧だ。デパートの中を走っていたら痛い思いをして、次に、よく分からない場所で痛みに悶えていた気もする。けれど今こうしてマキマの胸の中で抱かれていることに、デンジはぼうっとした頭のまま身を預けているのだった。

 

 近くで大きな爆発の音が聞こえた。ああ、まだ何かが起こっているのかと、遠いところでなにかを考えていた。あんまりにも記憶が朧げなものだから、彼は闘志を正しく持てていなかった。

 だからそう、マキマの囁くような一言と、胸いっぱいに注がれた血液が彼の心臓を震わせる。

 

「デンジ君、助けてくれる?」

 

 胸のスターターが引かれた。脳天を突くような痛みと、無理に起動した内臓とで、臓物がひっくり返るような気持ち悪さを抱える。死んで生き返るといつもこうだ、気持ちが悪い。

 

(だがよぉ、この気持ち悪さの原因はどいつだ? ここ最近イライラして、俺ぁ落とし前つけてやんねえと気が済まねえ)

 

 涎が垂れるように、口端から血が漏れた。それを啜るように肺で息をすると、デンジは勢いよくマキマの胸元から起き上がり、そうしてあたりを見定める。

 どこか開けた場所のようだ。空が近いので、すごく高いところなのかもしれない。建物の下の方ではなにかものが爆発する音が聞こえる──よし! 行くか!

 

 そんな気になって、彼は一言「ワン!」と叫ぶと、屋上の地面に空いた暗い暗い穴の中へ身を投じるのであった。

 

 暗い穴の中では、時折轟音と共に灯りが見えた。建物そのものが崩れてしまいそうな地響きに、デンジは強敵の気配を感じつつあった。

 

「よっと」

 

 チェンソーのチェーンを建物にひっかけ、上手に地面へ着地する。ちょうどその時、タイミングを見計らったかのようにデパートの出入り口が崩落し、なにか大きな生き物のような──それでこそ、人型に近い、気味の悪い悪魔がデパートの側面を突き破って落っこちてきた。

 その後ろに追従するのはレゼの姿だ。傷はないのか血に塗れた様子はなく、いつか戦ったあの恐ろしい爆発の規模とスピードで悪魔を追いやっていた。

 

「おぉ、レゼェ!」

「あ、デンジ君!」

 

 一瞬気を取られた様子であったが、レゼは勢いを緩めることなくそのままサンタクロースの足を吹き飛ばした。レゼが優勢にあるようだが、なぜか彼女は焦ったようにその力を奮っていた。

 

 連続して空気が爆ぜる。

 一種の爆撃機が街を襲ったかのように、かつてのアパートはすっかり廃墟と化し、道路にはガラスの破片が散らばっていた。

 

「こいつ、暗いところだとすぐ再生する! やっと外に出せた!」

「ああ? 再生?!」

「そう! 闇の悪魔!」

 

 地獄では意識が曖昧であったデンジにとっては意味のわからない文言であったが、後を詰めるようにレゼが突っ込むのを見て、それをただ見ているわけにもいかずデンジも手を出そうとした。だが……。

 

「ちくしょう! 人形がいるんだった!」

 

 押し寄せる人形の群れ。地上は多数の敵が存在する地獄であり、そんなことをすっかり忘れて降りてしまった以上、レゼのように空を飛ぶことはできないデンジはそのチェンソーを振り翳し一体一体乱雑に処理していった。

 しかし悲しいかな。いくら人とは違う力を持っていても、同時に襲ってくる多数の敵はデンジにとって不得手であった。

 やがて周囲を囲まれ、身動きが取れなくなって……万事休すかと思われたその瞬間、空を切る弓矢のような音が聞こえるのだった。

 

「あ!?」

「ノコギリ男。アイツをぶっ殺すまで手を貸せ」

「あ……? 誰だよお前」

「アイツ、私の女達を殺しやがった……」

「誰だってんだよ!」

 

 人形に囲まれていたところを助けられたのは事実だったのと、あの変な悪魔を倒すという目的は一致していたので、デンジはよくわからないまま首を縦に振って立ち上がった。

 

 しかし、周りを見渡すと倒したはずの人形がまた動き出していた。首だってないのに、健気なものだ。

 

「強化されてるな……本体を倒さないと意味はないようだ」

「アイツなら今レゼが戦ってるぜ。任せてりゃいいんじゃねえのか?」

 

 視線を一瞬、空で戦うレゼに向けてデンジは言った。

 弓の様相を呈した女もまた空を見上げる。ただその視線の先は一度レゼに向かうと、すぐに空そのものに移された。

 

「駄目だ。あのバクハツ娘、もうじき血が足りなくなって倒れる」

「あ……?」

「血を使いすぎだ。……この戦いはタイムリミットがある。夜が来たら終わりだ、だから急いでるんだ」

 

 

 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

 

 事実、レゼは急いでいた。

 爆発という力は人形という脆い特性に対し有効性が強いものであったが、もっとも相手もただ攻撃されるだけではなかった。

 レゼには一度、こうして悪魔のような形姿になる前のサンタクロースとサシでやりあった経験がある(デンジが呪いの悪魔に倒されたのち、彼の心臓を守るために闘った)。そのため、一度敗れていた彼女は相手の力量の高さをよく知っていた。なんせサンタクロースは日中であってもその闇の悪魔の利点を生かすべくデパート内部の闇の中で非常に粘り強くレゼの体力を削ったのだから。

 こうして外に出て、日の下に晒されても、サンタクロースは夜が近付いているのを把握して時間稼ぎをするように立ち回っている。正直いまのところ、レゼには決定力が欠けていた。

 

「ハァ、ハァ、……まずい、夜が来る」

 

 爆発、身体の再生には体力を使う。日が没するのがタイムリミットだと決めたレゼは、それまでに全ての力を出し切るつもりであった。だからこそこうして夕方になり、刻々と街に影が差すようになり始めると、レゼは夜が近づく焦りと共に身体が鈍り始めた焦りを持ち始めた。

 

(まずい……これ以上派手なことはできない。まさかここまでとは、失敗した……!)

 

 壁に張り付きながらサンタクロースとの距離を離した。いくら爆発させても急所につながりそうな場所は外され(そもそも頭やら胸やら爆発して飛ばしているのに動きの鈍る様子がないところから、明確な急所はないのかもしれない)、複数ある腕で波状攻撃を仕掛けられる。

 段々とレゼは不利な状況に追い込まれていた。

 

(う〜ん、きっついなぁ……)

 

 建物の壁を利用した空中戦に挑んだのは、地上にいる人形の群れを避ける目的と、サンタクロースが建物の中の闇に隠れるのを避ける目的があった。けれどそれが仇となっていたことに気付く。

 

(ヨツナさんもデンジ君も、私みたいに空に浮けない。……一人でやれるって言っちゃったし、困ったなあ、ほんと)

 

 調子に乗っちゃったかな、とレゼは自嘲気味に笑うと、ヒラヒラと手を振って壁から手を離し、自重落下で地上に降りた。

 

「降参〜! 私じゃダメ!」

 

 デンジのいるところに降りると、そこには弓のような姿をした武器人間が一人と、それからヨツナさんがいた。彼女は両手に刀を握って立っている。

 

「お、レゼ。どうやった? あいつ」

「ダメです! 無尽蔵に回復するのもそうですけど、なにより致命的な弱点が見当たらない! そのうえ厄介なことに、相当の手練れですよ」

「うーん、逃げたほうがええか?」

「逃げても意味はない。どのみち、いま決着をつけるしかないんだ……」

 

 皆共々に、道の向こう側を見つめた。その先には徐々に輪郭を変化させていく敵の姿がある。

 

 街には帷が下ろされた。電飾は壊され、黒洞々たる夜がサンタクロースの気配を更に不気味に変化させた。



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シャイニング パワー

「だいぶ気持ち悪くなってねえか〜?」

 

 軽い調子でぼそりとデンジくんが呟いた。彼の視線の先には闇の中で蠢く二足歩行のなにかがいて、それは人形と呼ぶには既に手遅れなほど人の形を大きく逸脱してしまっていた。

 

 複数の節を持ったいくつもの腕、だるま落としのように顔が重なった脚、胴は少し長くなって女性的な膨らみを奇怪に増やしている。美しかった黒髪は自由に伸びて艶やかさを失っていた。開き切った瞳孔は死者を思わせるものでありながら、ギラギラと光るその様はまさしくガラス玉のようでもある。

 

「フフ……この素晴らしさを理解できないとは」

 

 誇らしげに彼女はこちらを見据えた。微笑みすらも、その裂けた口では不気味に見えた。

 サンタクロースは球体関節を滑らかに駆動させ手足の具合を確かめる。複数ある腕を操るのは至難の業かと思われたが、昔からそうであったかのように彼女は一種芸術的な構えで我々の前に立ち塞がった。

 素早くかつ繊細に動く彼女の手や腕は、先ほどまでとは違った闇の色とでも言うべきものに染まり始める。それが何を意味するのか察しがつかないほど愚かな私たちじゃない。

 

「マズイな……本格的にヤバなってきた」

 

 時は既に夜。希望の日は没し、長い長い夜がやってきたのだ。

 

 闇の中で即座に再生するサンタクロースは、もはやこの暗幕に閉ざされた街においては無敵と呼称して余りある存在だ。そんな存在と対峙して逃げ出す者は誰一人としていなかったが、同時に明確な勝利のビジュアルを描けている者もいなかった。

 

「話の通じる相手でもなし……どうしたもんか」

 

 相手の目的はおそらくデンジくんの心臓なのだろうが、だとしたら先程彼らが地獄に落ちていたのだというときになぜ襲わなかったのかが疑問に残る。サンタクロースの目的はもっと別のところにあるように思われた。

 となると、条件次第なら交渉もありうるだろうか……いいや、そうなら相手から話があると条件を持ちかけられるだろう。そうなっていないのだから、つまりそれは違うのだ。くだらない希望は捨てて、私はまた敵の様子を探るために視線を巡らせた。

 

 見るに、闇の悪魔の力は絶大だ。建物の影でさえあの再生速度を誇るのだから、夜になってしまった以上打破することは不可能に近い。ライトかなにかを照射して……などと考えたが、ライトだのなんだのが用意された自分にとって不利な戦場にサンタクロースがそう易々とやってくるとは思えない。

 やはり簡単にはいかなそうだと唇を噛む。

 

(うちのできることなんて壊すか切るかだけや……闇の悪魔ん力がある以上、時間稼ぎになるかどうかすら分からへん)

 

 相手の力量を測るためにクァンシが豪速で矢を数本弾いた。唸るようにしなり目標目掛けて一直線に向かっていったのだが、日のある頃は相手を蜂の巣にしていた矢は複数ある手で容易く掴み取られてしまった。

 それを見てクァンシは冷静に言った。

 

「明らかに速くなったな」

「せやな。夜の恩恵受けとる」

「んー、あれはダメですね。私じゃ無理です」

 

 輸血パックに入った血をまるで紙パックのジュースでも飲むみたいにちゅうちゅうと飲み下しながらレゼは事の趨勢を見守っていた。彼女の爆発を用いれば爆炎で光を生み出すこともできなくはないだろうが、なんにせよ爆発であれば一瞬に近い煌めきだ。その一瞬でケリをつけなければどうあがいても相手は再生してしまう……。

 

「ヨツナさんはどうにかならないんですか?」

「無理や。斬れんことはないけど、どこ斬っても死なんやつは殺されへん」

「ふむ……」

 

 再生できないくらい粉々にしてしまえばいいのか……?

 だとしてもどうやって? レゼの爆発であればと考えたが、それができたなら日のあるうちにヤツは死んでいる。

 サンタクロースはただ力にばかりかまかけているのではなく、技量も非常に高いと思われた。レゼも接近して爆発することは幾度もあったのだろうが、腕いくつかを犠牲に離脱するなどして影に入り即座に回復したのだろう。そんな状況から、今はさらにもっと不利に追い込まれている。

 

 どうしたものかと考えあぐねていると、そこでクァンシがこんなことを話した。

 

「コスモが要る」

「あ? 小宇宙?」

「私の女だ。……魔人なんだが、アイツがいればなんとかなるかもしれない。だがさっきから姿が見えない……」

 

 言われて周りを見渡すが、ぱっと見てまともな女性というのは見当たらない気がした。一般人は既に人形だし、レゼは爆弾、クァンシは弓矢のような姿形に変貌してしまっている。

 もっともそのコスモと呼ばれる少女は魔人であるというから私たちと同様におかしな格好をしているのだろうが……少なくとも魔人である以上人形になってしまったということはないだろう。

 

「うーむ。デパートで岸辺さんらと話しとったときにおった子ですか?」

「それはまた別の子だ」

 

 そう言うクァンシの目には悲しさが混じっていた。

 

「コスモは溢れた目玉が特徴的な愛らしいお嬢さんだ。一目見れば分かるんだが、それが見当たらない」

「迷子かいな……」

 

 どういうわけでその魔人が必要になるのかがはっきりとしない。教えてくれ無いだろうとクァンシに視線を送ったが、人の形をしていない頭は無愛想にも何の変化も起こさなかった。

 

「じゃあクァンシとうちとでそのコスモっちゅう子探すわ。レゼちゃんはさっきまでサンタクロースと闘っとったし、ある程度戦い方分かってきたんちゃうかな思うからそっち任せる。デンジくんはレゼと闘うたことあるから、レゼのやり方分かるやろ。合わせたってな」

「うし! よく分かんねえけどよお、闇だってんなら光ン力見せつけてやるぜ! なぁレゼえ! 江ノ島行きてぇしよぉ!」

「え、江ノ島? なにいきなり?」

 

 変にヤル気のあるデンジくんは待ちきれないといった調子で両腕のチェンソーを勢いよく奮い立たせてサンタクロースに向かって走り出した。それを見かねたレゼはデンジくんの背を追いかけながらこちらを振り向いて話す。

 

「時間稼ぎってことですか?!」

「せやな。倒すことは考えんでええから、なるべく血ぃ温存して闘いや!」

 

 と役割分担をし、私は彼らに激励の言葉をかけた。

 さてここからは私のできることをしよう。変にでしゃばるよりは若い力に任せたほうがいいだろうし、あの二人が人探しに向いているとは思えない。

 

 さあ、クァンシに例のコスモが居そうな場所を訊ねよう。そう考え声をかけたところで、背後から一際大きな爆発の音が聞こえてきた。レゼには血を温存するようにと伝えたばかりだし、こんなに大きな爆発があるものかとつい驚いてレゼらの方を振り返る。

 

 すると、ガソリンスタンドが大いに燃え盛り爆炎をあげているではないか。その炎の中からはデンジくんが空になった一斗缶を投げ捨て、全身で火を燃やしながら確かな足取りで歩いて出てくる……。

 

「オレが燃え尽きンのとオマエが死ぬの、どっちが早ェかなァ! 教育テレビの理科でやってたけど忘れちまったから、こうなりゃ実験だよな実験!」

(しもた! デンジくんには時間稼ぎするよう言うとらんかった……!)

「前からやってみたかったんだよなあ……! 実験! 光ン力で頭が段々良くなってくよぉ〜!!」

(やばぁ……うわ、やっばぁ……)

 

 全身が炎で包まれたデンジくんは、レゼの援護を待たずして人形の悪魔に突っ込んでいった……。



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魔人探し

「おい、聞いてるのか?」

 

 遠くなりつつあった私の意識を呼び覚ます声が聞こえた。こちらを心配しているような素振りがちっとも見られない。クァンシの声だ。

 私は彼女の問いかけに「おう」と動揺の混じった声で返す。このようにぼうっとしてしまうことはかなり稀なのだが、原因を考えるとそれも仕方がない。

 

 頭では分かっているつもりなのだが……それでもあの明かりから目を離すことが難しかった。道路の向こう側にあるガソリンスタンドの付近でメラメラとその身体を燃やす一人の男が、あまりにも見知った人物であったから、その奇行に思わず目を塞ぎたくなったのだ。

 

「はあ〜〜……あないな風に育てた覚えはないんやけど」

 

 ともすると元からああなのだろう。永遠の悪魔と戦ったときの報告書を読んだときはまさかそのようなことがあるものかと疑ったものだ。

 しかしこうして彼の奇行を……その不死性を活かした頭のネジの外れたような行動は、事前に彼の戦い方を聞き及んでいたとは言え面食らうものであった。

 

(マキマはああいうんが趣味なんか……? 意外やな)

 

 やや暴走気味なデンジくんの面倒をレゼ一人に押し付けてしまったのを心の中で謝りつつ、私は例の魔人を探すためにクァンシの話に耳を傾けた。

 

「……話していいか?」

「ん、かまへん」

 

 デンジくんの方には背を向ける。彼につられて変なことをしなければいいのだけれどと、なぜだか私の脳裏にはレゼの顔も浮かんだ……。そしてその直後に、爆発音やらチェンソーの駆動音などがギリギリ聞こえてくるものだから、無理に頭のスイッチを切り替えた。

 ああ、頭が痛い。

 

「ええ〜っと特徴はどないなんや? 魔人っちゅうからには頭んところが色々ちゃうんやろ」

「ああ。とくに右側が特徴的なんだが……」

 

 説明を聞きながら対象の特徴を頭に叩き込む。こうして情報共有をするのはだいぶ手慣れているらしく、どうやらクァンシが公安の先輩らしいという話が真実味を帯びてきた。

 岸辺さんとクァンシが交わしていた会話や、過去岸辺さんと飲みにいった際に聞いていた断片的な話題からなんとなくそう推測していた。だが実際そうだとしてもあえて敬語を使うようなことはしなかった。

 彼女はいま既に公安の一員ではないのだし、なにより一時的な利害の一致による協力関係にあるだけで基本は敵なのだから、そこに上下関係を作ってしまえば後々不利になると感じたからだ。

 

 そうした考えがこちらにあるのをよくクァンシは理解しているのだろうし、なにより彼女自身あってないような上下関係などを気にするような性質でもないらしかったので、互いになにか文句を言うわけでもなく情報を共有しあった。

 

(なるほどな……目ん玉と脳みそが飛び出しとると。人目を気にして隠すようなことはしとらん言うとったし、どっか騒ぎ起きとる場所行ったら簡単に見つかりそうやけどなあ)

 

 考えながら、ひとまずは戦場周りの店の中を探すことにした。はぐれたのがちょうど戦いの始まった直後だろうとのはなしだったので近場にいる可能性が高いらしい。

 

 ひとまず、それぞれ手分けして捜索し、いなければまた集まって別の場所に移ろうという指針で合意した。

 そうして幾度か場所を変えるが、なかなか見つからない。

 

「ここもいないか。そこまで遠くには行っていないはずなんだが……」

 

 相変わらず無表情のままクァンシは話した。

 今は戦場を離れ人の多い場所を探していたので、クァンシは武器人間の姿から通常の人の姿に戻っていた。ついさきほどまでその姿と殴り合っていたので、私としては少しどきりと思わされるものだった。

 ただ今は身体のコンディションが大変よろしいので、次があったもしても決して遅れを取ることもないだろうと互いの力量を測りながら考えていた。

 

「次は駅に行こう。ひょっとしたら電車を使って遠くまで行ってしまったのかもしれない」

 

 ひとしきりあたりを見渡してもそれらしい姿は見られなかったため場所を切り替える。クァンシはこちらの地理に詳しくないらしいので、私が道案内をしていた。

 

「ほな先導するわ」

 

 言って走り出す。車を使うことも考えたが、走った方が小回りが効くしなにより使える道が増えるので車よりも早く目的地に着くことができた。

 

(しっかし足速いなあ……。これでも速う走っとんのに、ちゃんと追いついてきよる。……公安一くらいには足速いつもりやったけど、自信なくすわ)

 

 強いというのは確かだ。右腕が動かなかったとは言え、岸辺さんとの息のあった連携と互角に渡り合っていたのだから。それも武器を持たない徒手空拳でだ。

 ……正直なところ敵としての実力は計り知れない。万が一今この場で後ろから斬りかかられたら、私としても避け切れるとは言い切れない。

 

 世の中には強いやつがいくらでもいるものだなと、ため息をつきながら足を動かした。

 そんな私の様子を見てか(公安としては私は彼女の後輩にあたることもあったのだろうか)、クァンシは目は冷たいままにこんなことを訊ねてきた。

 

「今の公安はどうなんだ」

「へ? 公安?」

「ああ」

 

 一瞬質問の意図が読み取れず、こちらの事情でも探っているのではないかと疑ったのはご愛嬌だろう。それが世間話であると気付いたのは数百メートル走ってからだった。

 

「昔の公安っちゅうのを知らんもんやからなんとも言われへんねんけど、せやけど強いていうなら賑やかになったなとは思うわ」

「賑やか?」

「せや。んまあ、それも最近の話やけど」

 

 思えばそうだ。今年の上半期からさまざまなことが起こっていた。武器人間という新しいタイプの敵、さまざまなところから身内を付け狙う悪魔ども……。どれもこれもデンジくんがやってきてからのことだった。

 

「人死ぬんは変わらへんけど。せやけど賑やかっちゅうのは悪うない。美味いもん食って酒飲んで、後輩に慕われて。先輩にはええようにしてもろて。うちとしては居心地ええ」

「そうか」

 

 素気ない返答だ。もとより、ちょっとした気まぐれみたいなものだったのだろう。道すがら適当にラジオでもつけるみたいな、そんな気持ちだったに違いない。

 だからこそ私も、それほど気負わず気になったことを訊ねてみた。

 

「クァンシは……公安には戻ろうとか、そういう気ぃはないんか?」

「……ない」

 

 彼女はキッパリした口調で告げた。どうやら日本という土地に未練なんてのはないのだと直感的に思わされるくらいには、迷いのない返事だった。

 

「語るような理由もない。ただ、私には私の生き方があるってだけだ。詮索しても無駄なだけだから、変に考えない方がいい」

「んー、一応先輩らしいし、その言葉は素直に受け取っとくわ」

 

 駅に着くと、そこにはなにやらおかしな騒ぎがあった。ハロウィンハロウィンと、季節外れの奇怪な単語を呟く男がそこいらを走っていたのだ。

 

 それを目の当たりにするとクァンシは目の色を変え、そうして「ここだ」と呟いた。

 私としてはあまり望ましくない場所で魔人の痕跡を見つけてしまった……。

 

「厄介やな……電車乗っていかれたらほんまに面倒やわ」

 

 そう思い、本部に連絡して捜査網を広げてもらおうかと懐から携帯電話を取り出したところ、人影の中にやたら目立つ髪色をした少女が歩いているのを見つけた。

 私がなにか目にしたのをクァンシを察してか、そちらに視線を移す。

 

「ん、いた」

「あれか!」

 

 確かに、なにか帽子をかぶっているなと思ったら、あれはよく見れば脳……なようにも気がする。最近変な頭をした奴らばかりみ続けていたせいで違和感がうまく働いていなかった。

 

「コスモ……あいつ、一人で東京観光してたな……」

 

 どういった感情かは分からないが、皺のよった眉間に珍しさを覚えながらも私は人並みをかき分けコスモと呼ばれる魔人の確保に向かった。



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決着と決断

 コスモと呼ばれる奇天烈な格好をした魔人を捕まえた後のことである。いくらクァンシといえども魔人一人を抱えて走るわけにもいかないようで、移動手段として近くに放置されていた車を少々拝借することにした。

 街を破壊する規模の悪魔が現れることなどそう珍しいことではないのだが、とはいえ頻繁に起こる台風のようなものなので、車を置いて逃げ出したり地下に逃げ込むような人がいくらかいる。そうなると、たまにテンパった人が鍵を差したまま車を出ることがあるので、そうしたものをめざとく見つけると私は運転席に乗り込んだ。

 

「車か」

「バイクの方がええか? せやけどバイク三人乗りとかようやらんわ」

「いや、別に文句があるわけじゃない」

「ほなはよ乗りぃな」

 

 車に乗って具合を確かめる。しっかし、今日は何かと車に乗る機会が多い。日頃運転していないせいかとても楽しくはあるのだけれど、あとで書かされる始末書の山が脳裏にチラつくようで少しだけ辟易とした気分になった。

 

 コスモは車に乗り慣れていないのか突然車内で立ち上がり頭を打つなどしていたが、まあ大きな問題はないだろうとアクセルベタ踏みで車を走らせる。駅付近には騒ぎから逃げてきた人々が乗り捨てた車がたくさんあるので、そうした障害物の隙間を縫うように進んでいった。

 

「そういや聞いとらへんかったけど」

 

 車のハンドルを鋭く切って障害物を避けた。速度を落とすわけにもいかずほとんどドリフトしながら走っており車の中は錐揉み状態だったが、クァンシは平静を保ったまま私の話を聞いていた。

 

「そのコスモっちゅう子、どんな力があるんや? ハロウィン、ハロウィンって……よう分からん言葉が関係しとるんは分かったけど」

 

 それ以外はサッパリだと、左手を肩付近まで上げる“分からないポーズ”を取って見せた。すると思ってもみなかったのだが、クァンシは静かな語り口調で話してくれた。多少は仲間意識を持ってくれているのだろうかと感じたが、単に協力関係にあるのだから情報共有を目的としているのだろうとも思われた。

 

「……コスモは宇宙の魔人だ。宇宙に広がる膨大な知識を、無理矢理相手に叩き込む」

「? そんだけ?」

「宇宙の規模はきっとお前が想像しているよりも遥かに大きい。……サンタクロースを倒すのに物理的な手段が通用しないなら、精神攻撃で攻めるしかないだろう」

「はあ……」

 

 少し考えてみる。

 知識を与えることが精神攻撃につながるものなのだろうか? かえって敵に塩を送る結果になりやしないだろうか、と。

 

「安心していい」

 

 そんな私の不安を見抜いたのか、クァンシは変わらず平坦な声色で話した。

 

「相手はハロウィン以外なにも考えられなくなる」

「はあ……? アホらし」

 

 真面目な顔で言うものだから妙に真実味があって、それにクァンシの言う方法以外にあの悪魔を倒す手段というのが具体的に思いつかなかったので、私は無理やり自分を納得させるために疑問の言葉を全て飲み込んだ。

 

 道なき道を無理やり進んでいったので車はひどくボロボロになってしまったが、おかげで一分と経たずに目的地まで着くことができた。

 

 デンジくん、レゼの二人と別れてからも更に大きな戦いが繰り広げられていたのだろう。離れていた時間は十分もしないほどだが、それにしたって建物や道路への被害が甚大なものとなっている。

 

 戦い自体はまだ続いているようで、遠くの方で一際大きな炎が一つ動いていた。その対面にはサンタクロースの姿もある。だが、一悶着あったようで、より炎が大きく広がったかと思うとサンタクロースの体がデンジくんに貫かれ大きく瓦解していった。

 

「向こうやな。準備はできとるんか?」

「ああ。コスモ、問題ないな?」

「ハロウィン!」

「ほんまに大丈夫なんか……?」

 

 クァンシの部下(?)も不安要素ではあるが、私の部下も不安の種ではある。

 デンジくんとレゼ……一体向こうでなにをしているんだ?

 

 なにか頭の痛くなるような事態に遭遇しそうな予感がしたが、既に全て終わった後のようだったので深くは追求しないことにした。

 

「仕事だ、コスモ」

 

 クァンシの命令に従い、魔人が構える。それがこれまでの戦いのあっけない終わりを示していた。

 

 

 

 ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

 

 

「お疲れさん、二人とも」

 

 すっかり服が燃え尽きてしまった二人に、近くの呉服店から拝借してきた服を着させながら労いの言葉をかけた。ボロボロになりながらも時間稼ぎを果たした彼らは非常に優秀な働きをしたと言っていいだろう。私は少し誇らしい気持ちになって、いつもより寛容な気持ちで彼らの背中を叩いた。

 

「これでひとまず今回の件は終わり。しばらく休みもらえるやろうから、上から話くるまでゆっくりしとき」

 

 二人は戦いでハイになっているのか、疲れ切った両腕をぶらぶらと振りながら絞り出したような声で揃って喜んでいた。こうして無邪気に喜んでいる姿を見ると、ほんとうに子供だなと微笑ましい気持ちになる。

 

「ほら、君らきったないからさっさ家帰るで。家まで送ったるから車乗りぃ」

 

 言って二人を車の後部座席に乗せた。そうして二人で車に乗るのが楽しいのか、シートの上で跳ねたりしながら二人してなにか話をしていた。

 

(楽しそうでなによりやわ。……しっかし、なんやあの宇宙の魔人ってやつは。ほんまにサンタクロースのやつ倒してしもうた……)

 

 サンタクロースの身体自体は残っているので正確には無力化したと言うのが正しいのだけれど、先ほどからあの化け物の残骸はハロウィンハロウィンと呟くばかりで拘束されているわけでもないのに動くことをやめていた。

 

 壊すことしか能のない私は、そういった戦い方があるのかと驚いたくらいだった。多少溜める必要はあるようだけれど、ああいう殺しても死なない不死身系には“精神面でなにもできなくさせる”という手法が非常に有効的なのだなと思ったのだ。

 

(にしたって恐ろしい……これが今後敵になるのか……)

 

 そんなことを思いながらクァンシを方をチラ見すると、視線に気がついたのかクァンシもこちらの方を見返してきた。自然目と目が合う。

 

(うわっ、気まず!)

 

 とはいえ面子もあるので視線を逸らすわけにもいかず、じっと目を合わせていると、クァンシの背後から見知った顔が現れた。

 

「ん、あれ? 岸辺さんや。生きとったんですか」

「…………」

 

 クァンシは身体をそちらへ向き直ると、どこからか取り出した刀を構えた。

 よく見れば岸辺さんの隣には民間の吉田もいる。まあ、公安から見ればクァンシは敵なのだ。だからまだこうして人間間での戦いが始まるのだなと、私は外から静観を決め込もうと一歩後ろに下がったところでまた見知った顔が目に入った。

 

(……マキマ?)

 

 またおかしなことに、岸辺さんと吉田は目隠しをつけ始めた。

 ああ、あれは知っている。あれは、マキマが契約悪魔の力を行使するときに周囲の人間にさせる目隠しだ。

 

「降参する」

 

 そう言ってクァンシは刀を落とした。

 その背後ではコスモと見知らぬもう一人の魔人が隠れている。魔人探しには向いていないから、こちらで待機させていたのだろう。

 

「私が逃げると思うなら四肢を切ってもいい。だから私の女達は殺すな」

 

 マキマは変わらぬ歩幅で、落ち着いた息遣いで、間の距離を詰めた。

 

 そしてマキマの目にも私が映ったのだろう、一瞬こちらに目線をやると、口を開いてこんなことを問いかけてきた。

 

「ヨツナ……。どう思う?」

「どう思うって……」

 

 訊かれても困る。質問の意図は、おそらくクァンシについての印象だろう。なんせ私は先ほどまで彼女と協力関係にあったのだ、終始敵であった岸辺さんやマキマとは立場が少し異なる。

 そんな私に、クァンシの命が公安にとって価値あるものかそうでないかを問うのだから世話がない。

 

(敵なら殺すのが一番や。せやけど、そういうんを聞いとるんとちゃうんやろな……)

 

 少しだけ考えた。その間、クァンシがこちらを振り返ることはなかった。魔人だけがちらちらと不安げにこちらを覗いてくる。

 

「話のできんやつやない。従えとる魔人も強力で、今回のサンタクロース退治には不可欠な存在やったと言うてかまへん。……それに、魔人は人質になる。求めるもん与えたら言うことも聞くやろう」

 

 そこまで言って、大きく息を吸った。

 

「せやけどうちら公安は、今回の騒動に見合うだけの戦果を挙げなあかん。……敵が仲間になる前例はあるものの、今回もそうとは限らん」

「つまり?」

「……その前に」

 

 結論をそう急ぐなと私は右手を振った。マキマは、ほう、と私の右腕を見つめていた。

 

「マキマ、今回の騒動でどれだけ死んだ? どこまでが予想の範囲やった?」

「全部予想の範囲内かな。コベニちゃんが生き残ったのは、ちょっと驚いたけど」

「こんなに戦力減って、銃の悪魔倒せるんか?」

「部隊は特異四課だけじゃないからね。それに、ヨツナがいるなら大丈夫だよ」

「……はぁ」

 

 全部分かっていて言っているんだろうなと、私は同期に恐れにも似た感情を抱く。ただそれは、呆れにもよく似ていた。

 

「戦力としてはええけど、レゼちゃんのときと比べて事情が複雑や。それに戦力は事足りてる。殺すんが一番や」

「そうだね。私もそう思う」

 

 言って、スッパリと。見事な手腕でマキマは三つの首を斬り飛ばした。

 私はそれを見届けて、相変わらず腕が衰えていないなと腕を組んで壁にもたれかかった。




 年末年始の12/30(金)と1/2(月)はお休みします。
 良いお年を〜。


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地下よりもっと暗いところ

 秘密裏に閉ざされた公安の奥底に、物でも運ぶような大きなエレベーターがある。それに乗って、私は地下へと続く長い長い道を下っていった。季節もあってか、はたまたこの先に収容されている悪魔の生き血がそうさせるのか、じめじめとした風が額を拭っていった。

 

 エレベーターを降り切ると、いくつかある厳重な扉の奥に配管だらけでろくに清掃されていない通路がある。左右には悪魔を収監した部屋があり、公安に所属する者は必ず一度この場所を訪れる。

 

(悪魔との契約……字面だけ見ると、正義の味方の公安がやったらあかんようなことやけど……)

 

 公安所属のデビルハンターはそのほとんどが悪魔と契約をしている。デンジくんなんかはここに来たことがないかもしれない。せれどアキくんや姫野はこの場所で契約を済ませているはずだ。

 

 つまるところ、ここは悪魔の収容施設なわけだが……そんな場所にどんな用があるのかというと、それはマキマにも秘密のことだった。

 

(悪魔との契約なんて、いまさら必要ないしな。さっさ行こ)

 

 通路の左右から聞こえて来る奇怪な呻き声を無視し、早足で目的地へと向かった。奥の奥、地下の地下。日の目を浴びぬ独房が最奥にある。

 

 ひとしきり歩くと一層厳重な扉があった。その奥にはまともな明かりのない急な斜面の階段がある。手すりもないので転げ落ちぬよう慎重に階段を降りると、やがて段々と小さな灯りが見えてきた。またカツンカツンと、階段を下っていく。

 

「……やっと着いた」

 

 ホッと息をついて階段を降り切ると、ちょっと広い空間に出た。そこはパノプティコンのように円形で、一箇所から全ての独房が見渡せるようになっているのだ。

 

 私は少し気になって、その一部屋一部屋の扉に書かれてある文字に目を通した。どれもこれも心当たりのない単語ばかりだが──(ナイフだの火炎放射器だの物騒なものばかりだが、戦ったことがない)──二つほど、私は興味引かれるものを見つけた。

 

 一つは刀だ。独房の扉からは部屋の中の様子が見えないが、“刀”は戦ったことがある。

 そしてもう一つは“弓矢”だ。今回の私の目的はここにあった。

 

(刀……それに弓矢。ここにおるやつ、全部同じっちゅうことか)

 

 そう考えると圧巻の光景だ。いくつか名前が書かれていない扉もあるが、それにしたって十分脅威足り得る数がここには揃えられている。

 

 恐れというよりかは、呆れ。そうした感情が私の中にはあった。いつのまにこんな蒐集癖を持ったのかと不思議にも感じた。

 

「はあ……ようやるわ」

 

 試しに独房の扉へ手をかけると、鍵はかかっていなかった。中のものは逃げ出さないという自信があるのだろう。ここへ行くようにとマキマに言われたので来てみたが、罠というか、無理矢理共謀者にさせられているのではないかという気持ちすら湧いて来る。

 とはいえ今更引き返すこともできないかと、私は一歩前に進んだ。

 

 扉を開くと、質素な部屋がそこにはあった。四畳半ほどの空間に、人一人が眠れるようなベッドが一つ。それから机と椅子が一つに、卓上照明がついてある。それからある程度の生きていくのに必要な設備。

 およそ人が住める空間とは思えないが、同時にここに人はいないのだろうとも感じられた。

 

 壁際にあった電源に手をかけると、独房の中は白く眩しく輝いた。そうして奥に人の姿があるのを見つけた。

 

「…………」

 

 奥にいる人物は──クァンシは、病院で着せられる患者衣のようなものを身に纏い、ベッドの上に座っていた。好きでそうしているわけではないらしく、手足には枷が着いているのを見てとれた。だが手足に傷がないあたり無理な抵抗はしていないようだった。

 

 私に関心を寄せてか、言葉は発しないでいたが目線だけはじっとこちらに向けている。気まずさはなく、この静寂さがかえって私の心を落ち着かせた。

 

「ん……座ってもええか?」

 

 返事はなかった。

 椅子に座ると、机の上に二つパンが置いてあることに気がついた。手をつけていないのだろう、食べた様子はない。

 だが、クァンシに栄養失調などの様子は見られない。おそらく死んでも生き返らされているからだろう、真っ白な肌は不健康そうであったが彼女の力強さは衰えていなかった。

 

 右の眼帯はそのままで、左眼が鋭い視線を飛ばす。

 私はそこから逃げることなく目を合わせ続けた。そうした時間がどれほど続いたのだろうか──地下は外の様子がわからない上に、部屋には時計もなかったので正確な時間は分からなかったが、いい加減無駄だろうと私は目を逸らし口を開いた。

 

「やめやめ。うちもアレの事後処理で忙しいねん。話だけしてサッサ帰るわ」

 

 いらんのやったらもらうで、と相手の了承を得る前に机上のパンをひとつ手に取った。

 

「まさかクァンシがおるとは思わんかったわ。いやな、うちもマキマにここ来い言われただけで何がおるんかは──誰がおるんかは知らんかったもんやから」

「…………」

「まさか生きとるとはな……武器人間は死んでも生き返るいうんは知っとったけど、書類やとキチンと殺したいうことなっとったから、そこらへんなんとかしたんかな思っとって」

 

 ……正直、「どのツラ下げてきた」程度のことは言われても仕方がないかなと思っていたので、こうも反応がないと調子が狂う。

 私は煙草を吸って気を紛らわせたい気持ちを抑えながら、手に取ったパンを齧った。そんなに時間は経っていないのだろう、柔らかく味がした。

 

「今回、こうやってうちが会いにきたんはマキマがセッティングしたからや。せやからなんか目的があると思うんやけど、なんか聞いとらへんか?」

「…………」

「せやったら質問変えるわ」

 

 パンをもうひと齧りする。

 

「自分がどうやって武器人間なったかとか、覚えとるか?」

 

 弓矢の悪魔。それ自体は今まで会敵してきたこともない──だが、あのとき見た立ち姿はどこか見覚えのあるものでもあった。

 

 デンジくんは悪魔と契約したのだと誰かとの会話で聞いたことがある。レゼにはまだ訊けていない

 となると、今生きていて似たような境遇にあるクァンシに訊いてみたくなった。それくらいしか、私には話題がなかった。

 

 これにも反応はないかとまたパンを齧ろうとしたところで、クァンシは首を少し動かした。サラリと肩から髪がこぼれ落ちる。

 初めての動きに私は目を留める。開いた口を一度閉じてクァンシの言葉に耳を傾けた。

 

「……その、右腕」

「腕?」

「また怪我したのか?」

「? ああ」

 

 言って三角巾が巻かれた右腕を掲げた。レゼとの戦いのときに肩の肉をごっそり持っていかれたので、皆んなの前では動かないということにしている。事実、サンタクロースとの戦いがあった時まで一切動かなかった。

 

「怪我は前からや」

「だろうな」

 

 と分かりきっていたことを話すようにクァンシは言った。

 

「最初、デパートでやり合ったとき、その右腕は確かに動かなかった」

「デパート……? ああ、岸部さんもおったときか」

「あのときは本当に動いていなかった。体重移動もままならないようだったからな」

 

 だからこそ、とクァンシは強調して言った。

 

「今そうして動いているのが不思議だ。あれから何日経った?」

「まだ一週間ちょいや」

「その程度で治る傷でもないはずだ。……そもそも、サンタクロースとの戦いの最中でお前は右腕を動かしていた。あれを私に見せていた時点で、私たちを生かす気はなかったんだろう?」

「……ノーコメント」

 

 私の言葉を受けて、クァンシは壁に背をもたれさせた。呆れているようだった。

 

「──魔人たちの件に関してはすまんかった思うわ。せやけどデビルハンターに連れ添っとる魔人や──宇宙の魔人の力然り、あんな強力な奴らを公安の中に入れて、ほんで暴れられたら大変や。はっきり言うて今の公安やとそこまで対応しきられへん。倒せるときに倒したかった」

「……怒りは今でもある」

「その方が助かるわ」

 

 私も息を吐くように椅子の背もたれにもたれかかった。そうしてパンをひとつ、丸々食べきった。

 

「この先、公安に協力する気は?」

「ない」

「ほな敵同士か」

 

 言って、私は立ち上がった。

 殺したはずのクァンシをこうして生かしているマキマの目的、この場所へ私を送ったマキマの狙い──それは不明であったが、私としてはクァンシと話しておきたいことはこれきりであった。

 

 ここにもう用はない。はやく外に出ないと、私までこの場所に閉じ込められてしまいそうだ。

 

 そんな私の後ろ髪を引くようにクァンシが訊ねてきた。

 

「……マキマはなにを考えているんだ?」

「? なんて?」

「マキマの目的は? 私にはそれが恐ろしいことなのだという以外分からない」

 

 クァンシはきっぱりそう言い切った。

 私は少し迷って、おそらくこうではないかという答えを言ってみた。けれどそれにクァンシが納得することはなかった。

 

「銃の悪魔の討伐やないん?」

「だとしても、この場所に彼らをこうも集める必要があるのか。どう利用するのか。……ここにいるのはみんな武器人間だ。私含めて」

「さあ……マキマの考えとることは昔からよう分からんもんでな。そんな密接な関係でもないし」

「? お前は友達なんだろう。マキマと」

「ちゃうよ。知り合いや知り合い。ただの同期」

「……ハハ」

 

 珍しく、クァンシは枯れたような笑い声を漏らした。なにがおかしいのか私には分からなかったが、すぐにいつもの表情に戻ったので訊くこともなかった。

 

 ようやくそれで全ての問答は終わった。お互い疑問や不満はあったが、やりたいことは全てやりきったという感じだった。

 

 私は外に出るために扉へ手をかけた。あと一つ残ったパンをクァンシの方に放り投げて。

 クァンシはじっと黙って、それに齧り付いた。

 

「ほなまた」

 

 言って私は外に出た。それから前を見て、あの長い長い階段を登って、そのあとまたエスカレーターで上まで行かなければならないことを考えると、少し憂鬱な気分になった。



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懐事情

 先日起きたサンタクロースとの交戦により特異課のみならず応戦に来ていた退魔課も多くの犠牲者を出した。デンジくんらの所属する特異課に限っては壊滅的といっていいほど魔人はほとんど死に、生きている者も半分近くは満身創痍の状態で救出されたほどだった。

 そんなこともあって退職者も幾人かは出た。こうした大型の悪魔との戦いがあると、そうして志半ばに辞めていく者は多い。

 

 要は戦いが終わっても公安は大変ということだ。人員が減った分、他の都市から人材を融通してもらうしかない。パトロールに出られる者が足りない場合は民間に頼ることもある。

 そんなわけで、足りない分を補うようにここ数日は市街地でのパトロールに私たちは専念していた。

 

(デンジくんらはしばらく休みか……。ま、しゃあない。あんなことあった後やしな)

 

 デンジくんらが所属する退魔課は戦いの渦中にいたこともあり、先に記していたように悲惨な状態になっていた。そのため上の判断により、じき迫る銃の悪魔との対戦に備えて退魔課のメンバーには一時の暇が与えられたようだった。

 

「ねーねーヨツナさん。私たちにも休みってないの?」

 

 と仕事の合間に訪ねてきたのはレゼだ。レゼは黒瀬や天童と同じく私の直轄の部下ということになっているので、特異課とはちょっと待遇が違う。

 なので、特に怪我を負った様子もないデンジくんやパワーちゃんが遊び呆けているのを横目に、真面目に彼女は働いていた。

 だが……やはり年頃の女子としては我慢できないものがあるらしい。膨れっ面で、溜め込んでいた不満を放出するように話した。

 

「あれからずっと、外に出ても悪魔退治ばっかりで……たまに呼ばれて本部に行っても書類書かされて……」

「よう仕事やっとるやん」

「違うぅ!」

 

 レゼは机に突っ伏して叫んだ。

 ちょうど今は彼女が言うところの「書類書かされて……」の時間で、黒瀬天童の指示を受けながらペンを走らせハンコを押している。

 

「私も遊びたい……! またアレ、ないんですか? 護衛の仕事!」

「あんなん何回もあったら公安潰れるわ……」

 

 人員の損失もそうだが、主に始末書の面で。

 

「働くってこういうことやしなぁ。んまあ、休み取れば遊べんこともないけど……」

「じゃあ休みましょうよ……!」

「せやけど、仕事は後回しにしても消えやんで……?」

 

 つんつん、と私は今レゼが書いている書類を指差した。

 

 レゼは爆発という特異性があるため、他と比べて周囲への被害が尋常でない。飛び上がればそれだけで道はボコボコだし、屋内戦闘などしようものなら壁天井床全てが壊れる。

 

 特にあの日はデパート内部での戦闘が多々あったらしく、(もちろんレゼだけが全ての損害を引き起こしたわけではないが)ガラスは全て割れ、道は道でなくなってしまった。

 結果、廃墟と化したデパートに関する書類プラスサンタクロースとの戦闘における事情聴取とで、てんやわんやの状態であった。

 

「ヨツナさんも書かなあきませんよ。車、盗んでぶっ壊したんですから」

「ひぇ……」

「緊急時とはいえ、無免許運転しよったんですから。今回の功績と併せて給料プラマイマイですわ」

「プラマイマイ?」

「プラス、マイナス、マイナス」

「えぐいことしよるわ!」

 

 これだとボーナスは期待できなさそうだなとガックリ肩を落とす。

 

(実際……今回うちがなんかええことしたか言うたら、大したことはしとらへんねんな……)

 

 したことといえばクァンシと戦って、サンタクロースちょっとだけ斬って、あとは魔人を探していたくらいだ。

 戦闘は主にデンジくんやレゼが行っていたし、決め手になったのもデンジくんの光のパワーと宇宙の魔人のハロウィンなのだから、この程度のマイナスで済んだことを喜ぶべきだろうか。

 

(一番喜ぶべきなんは、こいつらが無事やったっちゅうことか)

 

 その点に関しては、本当に良かったと思う。あれほどの激戦の中で傷一つつかなかったというのは奇跡に近いだろう。

 

「っちゅうか、君ら途中からなにしとったん?」

 

 戦いに夢中になって頭から抜けていたけれど、そういえば二人はどうしていたのだろうかと疑問になって訊ねた。途中、というのは岸辺さんや吉田くんと合流してからのことだ。

 

「岸辺さんらと一緒におりました。サンタクロース出てきたん見てヨツナさん突っ込んでったんは見とったんで応戦には行こう思ったんですけど、足引っ張るだけか思うて……」

「ふーん。まま、君らが元気ならそれでええんやけど」

 

 実際あの戦いで罰の悪魔の力が有用に働いたかどうかは分からない。呪いの悪魔のように明確な死を与えるタイプではないから、闇の悪魔とやらの力を手に入れていたアイツにダメージこそ与えても明確な致命傷は難しかっただろうと考える。

 死なれるくらいなら、生きていてくれた方が良い。

 

「話戻しますけど」

 

 とレゼ。

 

「休み取れないんですかあ? なにかこう、夏休みみたいな」

「夏はもう終わったわ」

「じゃあ、今は秋だから……秋休み」

「んなもん世間一般にはない。あるとしたら冬休みやな」

 

 はぁ、とため息をついたレゼと目を合わせる。連日の仕事続きで、いくら若いとはいえ疲れがあるように思えた。

 

 元気ではあるのだろうが、その元気を放出する先が悪魔退治というのもいかがなものだろうかとふと思う。

 

「うーん……」

 

 一日くらい休みは取れそうなものだが、なにしろ今、私たちが担当している仕事は銃の悪魔の肉片回収を行っていた時代とそう変わっていない。パトロールしつつ強い敵が出てきたら倒しに行く、みたいな仕事なので、一日に二、三度都内のどこかに呼ばれるのだ。となると休みを取ったとしても休日出勤を余儀なくされる。

 

(レゼ一人だけ休ませるわけにもいかんからな……。レゼは、うちの監視下に置くっちゅう条件で公安におるわけやし)

 

 というわけで、ただでさえ人が足りていない公安で強い悪魔の相手が可能な便利屋扱いされている私たちに休みなんてものはないのだ。それはレゼも変わりない。

 

「悪魔はいつでも出てくるしなあ……」

「えぇー」

 

 それに今は銃の悪魔討伐に向けて実力のある者たちが召集されていると聞く。事実、私たちの元にも参加を求める連絡があった。

 そうなるとやはり実力を持った人物が一部に集中し出すし、準備やら何やらで忙しいようなので、私たちの仕事はこの時期まさしくピークを迎えていた。

 

「ぐむむむ……」

「ほらレゼ、さっさと手ぇ動かしぃ」

 

 黒瀬に言われてレゼは渋々とまた作業に戻った。

 

「ぐむむむ……」

 

 しかしあまりにも可哀想だ。なにかしてやれることはないのだろうか。

 

「せや」

 

 考えていると、一つのひらめきが生まれた。

 そういえばこのあと予定があるんだ。そのときにでも訊ねてみよう。

 

「なあレゼちゃん。今日の夜マキマと飯行くから、そんとき休めるよう頼んどくわ」

「? 夕飯は、食べに行くんですか?」

「せや。前に貸し作ってもうたからそれ返すためにな。高級レストランや。うちの奢りで」

「へえ……高級レストラン?」

「そそ。前、服買いに行った場所あるやろ、あっこの近く」

 

 言うと、天童が神妙な面持ちでこう話した。

 

「……あそこのレストラン、前から気になっとったんで調べたことあるんですけど、ヨツナさんが思っとる三倍は高い思った方がええですよ」

「ええ?! さ、三倍?」

 

 三倍……。ただでさえ最近は出費が多いのに、誰も私の懐事情は鑑みてくれない……。

 

「……とっ、ともかく、ダメ元で聞いとくわ。飯食うて相手も上機嫌やろうし……」

 

 緩慢な動きでタンッとハンコを押す。力のない笑みがより部下からの同情を誘った。



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夜会にて

「……こないな場所、そない来たことないんやけど」

 

 と、私は緊張と恐れの混じった声で話した。普段の私と比べてもあんまりらしくない反応だったが、そうなってしまうのにも訳がある。

 

 このレストラン。事前に天童から聞いていた情報によるとかなり身分の高い人が集まる場所らしいことは分かったのだが、拙い想像力ではせいぜい映画であるような情景ばかりを想像していた。

 しかし、画面で見るのと実際に体感するのとでは肌で感じるものが異なる。

 折り目正しく折られた紙のように正確かつ礼儀正しい給仕の立ち振る舞い。店内を占める荘厳で静謐な雰囲気。ともかくその全てが私という存在を“場違いである”と否定しているのではないかと錯覚してしまうくらいには想像を何段も上回る現実があった。

 

 おまけに夜景である。

 マキマが予約を取っていたので事前にそうしていたのだろうが、夜景が見れる窓際の席であるうえに個室であった。

 夜景のうえ個室とは恐ろしい。主に値段の方で。

 

「私は会食で何度かこういう店に来たことがあるよ」

 

 と、マキマは手慣れた様子で口の汚れを拭った。

 実際慣れているのだろう。落ち着き払った彼女の態度を見ていると、実は私たちはちょっと小洒落た居酒屋にいるだけなんじゃなかろうかとすら思えてくるのだから。そう思えてくるくらいには彼女の態度はいつも通りで、反して私はどことなく浮ついていた。

 

「そーか……」

「ふふ、もしかして緊張してるの?」

「んなわけあるかいぃ……」

 

 マキマに恥をかかせるわけにはいかないので外面だけは平静を保っていたつもりなのだが……どうやら彼女にはお見通しらしい。

 どうしたものかな、と小さく息を吐く。ため息をつきたい気分だったが、この素晴らしい空間へため息を落とす気にはならなかった。

 

 渋々、私は自分を誤魔化すことなく話した。

 

「慣れてへんのは事実や。こないなところ、部下と来たら気ぃ遣わせてまうし」

「だね。私も部下とは来れないかな」

「……相手がマキマで良かったわ。部下もせやけど、お偉いさん相手やとこっちが気ぃ遣う」

「なんだか分かる気がする。そういうの苦手だもんね、ヨツナは」

 

 言いながらマキマはグラスに注がれたワインを口に含んだ。

 

「だからこそ行ったことがないと思って。経験しておくのは大切だよ」

「ふぅん。まあええ経験やわ」

 

 笑いながら私もワインに口をつけた。

 こうして話をしていると心が落ち着く。相手がマキマだからだろうか? 気の知れた相手だと、こんなに慣れない場所でも自然と心が解きほぐされていくのを感じた。

 

「私もそんなに得意じゃないんだけれどね」

「よう言うわ。……テーブルマナーっちゅうん? 手の運びに迷いがない。うちなんかと比べてようできとる」

「細かいところまで見てるね。身体の動かし方はヨツナの方が上手だと思ってたけど、こういう指先だと私の方に軍配が上がるのかな」

 

 マキマは手に持った銀色のカトラリーを机に置くと、その西洋人形のように長く白い指を動かして見せた。

 私も彼女を真似て同じように動かしてみたが、なにをしているのか途中でよく分からなくなって、二人してカラカラと笑ってしまった。

 

 部屋の中は適度に明るく、料理の色味を損なわない程度には適度に暗かったので、夜景の光がグラスに反射してルビーの光を机に映し出した。

 

 しかし絵になる。マキマの普段のスーツとは違うよそ行きの格好がこの高級感溢れる空間にマッチしているのだ。

 私も天童に手伝ってもらいそれなりにオシャレしてきたつもりではあるが、慣れない自分の格好に違和感があってかあまり様にはなっていない気がする。

 

 それに比べてマキマは、その怪しげな光を持つ瞳と赤い髪が夕闇のようなドレスによく似合っている。夜景にも劣らぬ美貌は昔からで、相変わらず綺麗なものだと口を開けば褒め言葉ばかりが出てきてしまいそうだった。

 

(口説いとるんちゃうんやから……)

 

 頭の中に浮かんでくる美辞麗句を払い除け、食べ物を口に含んだ。

 美味しい。やはり値段相応の味はする。

 

「ヨツナは珍しい格好をしてるね」

「さすがにスーツで来るんは気ぃ引けてな……スカートは苦手やからズボン履いてきたけど。こう、身体のラインがどうだの、色の組み合わせがなんだの、大変やった」

 

 この点に関しては天童に最大級の感謝を述べなければならない。本当に、彼女がいなければこうも着やすい服を着ることはできなかっただろうと思うから。

 

「珍しいけれど、良いと思う。そういう格好も見れて良かった」

「今日限りや。しばらくこういう店に来ることもないやろうしな」

 

 個室とはいえあんまり大きな声で話すことでもないので、呟くような声の大きさで話した。けれどそんな声の大きさでも相手によく聞こえるくらいには、とても静かで親密な空間だった。

 

 しばらくは互いのことについて話した。次に、前にあったサンタクロースのことについて話した。こう深く話すことは久しくなかったので、ついついいつものようにおちゃらけた調子で話してしまった。

 個室でよかったと思う。大衆の前ではここまでリラックスして話すこともできなかっただろうから。……もちろん、大衆の前であれ話はできた。けれどここまで深い話を、気軽にできるのは、ひとえにこうした空間があってこそだと感じられた。

 

「レゼちゃん、だっけ。どう?」

「レゼ? ……報告書通りや。素行は悪ないし仕事もきっちりしとる。せや、そのことで話あったんやけど、一日休みやったってくれへんか? デンジくんと遊びたがっとってやな」

「デンジくんと? あんなことがあったのに、仲良いんだね」

 

 話題は次第と部下の話になっていた。

 

 あんなこと、というのはもちろんレゼがデンジくんの命を狙って襲った夏の日のことだろう。マキマはあのとき現場にはいなかったし、レゼの素性も詳しくは知っていないようだから、その辺りに関しては私に任されている部分が多かった。

 

「同年代やしな、気ぃ合うんやろ。……二人とも生まれも育ちも一般とはちょっとちゃうかったから、ああして仲良うしとる姿見ると嬉しいわ」

「それは……親心みたいな?」

「アホ言うなや。そないな歳やない。……強いて言うなら姉心? 似たようなもんではあるけどな」

 

 グイッとワインを煽る。もはや味もなにもない。

 

「休みの件は、そうだな。銃の悪魔の討伐後、落ち着いた頃合いなら人員も過不足なくなるだろうしいいんじゃないかな」

「ほーん。ほなもうじきってことか。……だいぶ進んどるんやろ? 計画の方は」

「まあね」

 

 マキマもグイッとワインを飲んだ。それなりに自信はあるのか、とはいえ作戦の規模の大きさから不安もあるのか、自分を勇気づけるような飲み方だった。

 

「そういえば、ヨツナの方にも手紙が来てたでしょう。ヨツナはどうするの?」

「ん、どうするって?」

「銃の悪魔の討伐」

 

 ふと、そこでナイフを進める手が止まった。私自身自らのその動きの停止に気付かなかった。

 

「どうするもなにも、まあなるようになれって感じやな。……これまでにもようさん肉片集めてきたし、その成果がようやく見られるんかって思うと嬉しいようなちょっと悲しいような」

 

 このことに関しては複雑な気持ちがあった。これまでの人生の大半を肉片回収に捧げてきた身としては、全てに終止符を打つことになる悪魔討伐隊の話は前から覚悟ができていたとはいえあまり考えてもいないことだったから。

 考えていないというより、あえて考えないようにしていたというのが正しいのかもしれない。私はあえてそこには触れないようにして、あの部下との日々を楽しんでいたのだから。

 

「うちは、銃の悪魔ってヤツをよう知らんから。昔のことはなんも憶えとらへんって話したやろ?」

 

 マキマは頷いた。この辺りの話は私と同じくらいマキマが一番よく知っている。なんせ公安に入ってすぐに知り合ったのが彼女で、同期だったから。

 

「うちに親がおったんかもよう分からんから。十数年前のあのときに死んでもたんかもしれへんけど、不思議と怒りはないねん」

「…………」

「せやけどまぁ、そいつがようさん人殺したみたいやし、倒さなあかんのは事実よな……」

 

 この時、私の心には残念がる気持ちが少しだけ含まれていたように、後になってふと気付いた。けれどこのとき私の理性は、「仕方がないことなのだから」ということにばかり執心していた気がする。

 

「……ねえ」

 

 場の静寂を打ち破るようにマキマは口を開いた。

 

「隠し事はなしにしよう」

「……隠し事?」

 

 本当になんのことだから分からなくって、私は訊ね返した。するとマキマはなんのこともないようにこう言った。

 

「私、知ってるよ。ヨツナのことなら全部」

 

 グイッと机の上から身を乗り出して、マキマはじっとこちらを見て話した。その螺旋状に奥まっていく瞳が、ただ一点こちらを見つめていた。熱く熱く、熱を持った視線があった。

 

「一緒に逃げちゃおう」

 

 ぐっと手を握られる。

 

「一緒にチェンソーマンを倒そう」



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お酒に酔って

 マキマとの食事を終えて家に帰るとレゼら部下三人が卓を囲んで談笑に興じていた。彼らが囲む机の上には寿司桶が並べられていて、どうやら晩は出前を取って寿司を食べたらしいと思われた。

 

 マキマと二人高級レストランに行くことになり、私一人良いものを食べるのは忍びなかったので三人にはいくらかのお札を渡してあったのだが、それで美味しく腹を満たしたのだろう。

 美味しいものを食べ、親しい仲同士楽しく話し合っていたので、彼らのその緩やかな表情を見て私は不思議とホッと落ち着いた心持ちになった。壁越しでも聞こえてくるような笑い声を聞く限り、彼らはご機嫌な様子だった。

 

「なんや君ら、寿司食っとったんかいな」

「ええ……あ」

「……被ってしもた。ま、どうせ君ら食うやろ」

 

 手土産がないのも寂しいので寿司を買ってきたのだが、夕飯で同じものを食べていたらしい彼らにはタイミングが悪かっただろうか。とはいえ買ってきたのだから食べないわけにはいかない。包みを開けてそれをつまみつつ、私は安酒の入った缶を開けた。

 

 天童黒瀬には私が家を留守にしている間、レゼの監視(という名目のお留守番)を頼んであった。あくまで彼女は私の保護下にあるので、仕事中のみならず私生活においても監視の目を置かなければならないのだ。

 仕事などで外に出るときは必ず私が随行しなければならないのだが、こうして家から出ない状況であれば多少は規制が緩んだ。天童黒瀬の二人もそれなりに実力はあるのだし、私の元で戦いに参加していた実績もある。それに家という特定の位置は公安としても外から監視がしやすいとのことなので、例外的に家にいる場合は私がレゼから離れることが認められていた。

 

 もし仮にだ。レゼが家から出ようとして無理に抵抗をすると、この家を監視している公安の職員がそれを抑えるために攻撃することになるだろう。そうなると天童黒瀬を巻き込むことになるので、レゼにとってはその危険性が拘束具となっている。言ってしまえば彼ら二人を人質のように使っているみたいであまり気分は良くないが、それでレゼが自由に暮らせるのならと考えるとまったく不自由な話である。

 

「留守番ご苦労さん。君ら明日も仕事やろ、酒はほどほどにしときや」

 

 言って彼らから少し離れた位置にある椅子に座る。居間から少し離れたキッチンにある椅子で、居間にはこたつ用の卓しかないのでこうして椅子に座ると部下三人の姿が俯瞰的に見ることができた。

 彼らが幸せそうな様子を眺められる幸せ空間だ。そこに座って、少し物思いに耽りたい気分だった。

 

 物思いというのはマキマのことだ。あのときマキマが話したことは色々あった。結論こそあの場では出せなかったが、「返事、待ってるから」と言われたのでいつかは答えを出さなければならないのだろう。それが私にとっては悩みの種であったのだ。

 

 そんな私の悩みを、浮かない雰囲気を、長年付き添ってきた部下たちは表情を見ただけで察したのか、遠慮なくこんなことを訊ねてきた。

 

「マキマさんとの夕食、どないでした?」

「どないって……美味かったわ。そらあんだけの値段するわな思た」

「ええー、いいなあ。私も食べてみたいな」

 

 と言ったのはレゼだ。風呂は済ませてあるのか既に寝巻き姿で、まるで幼い子供のようにナイトキャップをかぶっている。いつもの長い前髪がないので珍しく額が露わになっており、いつもより幼い顔つきだった。

 

「アホ言うな。そない頻繁には行かれへん。自分で稼いで行きぃ」

「ケチ!」

「まあまあレゼちゃん。で、なんの話したんです?」

「なんの話って……」

 

 ふと思い返されるのはあの台詞だ。思い返してみても、どうしてそんなことをマキマが言ったのか、私には分からない。

 心当たりがないのもそうだが、マキマがなぜあんなことを言ったのかが──それら言葉の意図が私には掴みかねた。

 

『私、知ってるよ。ヨツナのことなら全部』

『一緒に逃げちゃおう』

『一緒にチェンソーマンを倒そう』

 

 肝心なことを話しているようで、その実、一方的に放たれた言葉の数々。マキマは私を信頼して話してくれたのかもしれないが、その信頼に見合うほどの価値を私は私自身に見出せていなかった。

 

 なにを知っているのだろうか。なんのために逃げるのか。倒すって、なにを目的に?

 

(なに言うとるか分からへんゆうねん……うちに何を求めとるんや?)

 

 チェンソーマン、というのはデンジくんのことか?

 倒す、というのはどういうことか?

 

 なにより、マキマはどうしてそんな重要そうな話を私なんかに?

 

 疑問ばかりが連なる。考えれば考えるほど、分からないことが増えていく。

 

 ただ強いて言うのならば、チェンソーマンという単語には聞き覚えがあった。昔マキマが話していた気がするが、酔った席の場だったので記憶が曖昧だ。

 

(すまんマキマ……多分前から大事なことは伝えてくれとったんかもしれへんけど、そんとき酔っとったせいでなに言うとるかホンマ分からへん……)

 

 酔ったら思い出すかと思い、食事の帰りの道すがら酒を買い込んで飲みながら帰ってきたわけだが、頭が段々ダメになるばっかりでよりますます謎が深まっていった。

 

「マキマと……なに話したかは、よう覚えとらへんわ。せやけど雑談ってそうゆうもんやろ?」

 

 黒瀬の「なにを話したのか?」という質問にはそう答えた。

 それから思い出したように、天童に服装や化粧のことで世話になったと礼を言った。

 

「レゼちゃんのことはちゃんと話しはりました?」

「レゼ?」

「休暇のことですよ。デンジくんらと遊べるように」

 

 と天童がついでのように話す。実際、彼女らにとって重要なのはそこだった。レゼが十分に遊べないのはかわいそうだという意見は私も同じだったので、そこのところは私もよく理解していた。

 

「ああ、あれなら、銃の悪魔の討伐終わって落ち着いたら、休み取れるよう手配する言うとったわ」

「だって、レゼちゃん。よかったな」

 

 なんて話がまた居間にいる三人の間で話される。

 

「せやけど、銃の悪魔の討伐ってだいぶ先やなかったでしたっけ? 九月とかでしょ?」

「それまでの辛抱ってこっちゃな」

 

 今はまだ年末年始。半年以上は休みがないと考えると、いつになく過酷だ。

 

「まぁデンジくんらは大した怪我しとらんらしいし、早いとこ仕事場にも復帰しよるやろ。それで我慢しとき」

 

 作戦があるのは九月か。なら、返答の期限はそれまでだろう。

 悩ましいとはいえ、長いのも考えものだなと、私はぼんやり熱を持った頭で思った。

 けれど貫かなければならない芯はあるだろうと、半年後に答えることになる返事の言葉を私は考えていた。




原作読んでで気付かなかったんですけれど、世界の刺客編から終盤のあの展開まで半年以上の時間が空いてるんですね……。ビックリしました。
とはいえ半年分幕間を書くわけにも行かないので、多少時間をスキップして書きますね。


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寒空の方へ

 冬が終わり、春が過ぎ、夏もまた過ぎ去っていった九月の中旬。

 アキくんがいよいよ仕事を再開すると聞いたので復職祝いのパーティを催した数日後、私は単独秋田県まで向かっていた。

 

 目的はただ一つ、マキマに会うためである。

 マキマには大事な仕事が差し控えているこの時期に、なんの理由があって東京からうんと離れた東北にまで足を運んだのか私には分かりかねたが、ともあれ会わねばならぬのだから仕方がない。

 急を要するような状況ではなく、先延ばしにしていた課題にやっと取り組むような心持ちであったので、駅弁を食べつつゆったり外の景色を眺めながらいつもの何倍も遅いスピードで考え事をしていた。

 

 しかしこうして車以外の交通手段を使うのは久しぶりだなと感じる。部下たちには用があって外に出ると言い残し、東京へ置いてきてしまったけれど、今になって、もう少しかけてやる言葉があったのではないかなどと後ろ髪引かれる思いをした。

 大した用ではないと言ってあったので、駅まで送ってもらったきりだ。

 

 というわけで新幹線に乗ること一、二時間。秋田県中央部の大きな駅に着いてそこから乗り換え、違う電車に乗って目的地まで向かおうとしたところで、駅のホームに見慣れた影を二つ見つけた。

 

 人影の少ないホームで公安のスーツ姿を身に纏っているというだけで目立つのだが、ちょんまげ頭の男と一人の悪魔というツーマンセルは特に目立った。特に悪魔の方は頭の上に浮かんでいる光輪や背中から生えた豊かな翼が目立っている。去年の騒ぎで失われた腕が私の記憶の中にある彼らのイメージ像と合致した。

 

「なんや君ら、どないしたん? 復職はもうちょい先とちゃうんか」

 

 どうやら同じ電車に乗る予定らしかったので、私はそうして彼らに声をかけた。田舎はなかなか電車が来ない。電車が来るまでの間、少しくらいは話をしても悪くは思われないだろう。

 声に反応して振り向いたアキくんはこちらを見て驚いた様子だったが、いつもの冷静な顔つきで「おはようございます」と話した。

 

「ん、おはよう。もう仕事始まっとったん?」

「いえ、まだ実践的なことはなにも……。ただマキマさんに話がありまして」

「マキマ?」

「話がしたいと言ったら、秋田の方にいると連絡をもらったので。……ヨツナさんこそどうしてここに?」

「うちも似たような理由やわ」

 

 言って腕時計で時間を確認した。この腕時計は半年以上前にレゼが初任給で買ってくれたものだった。

 時間を見るとまだ昼前。電車の時刻表と見比べてみると、一度食事をするくらいの余裕は十分ありそうだった。

 

「君ら昼はもう食うた?」

「いえ、まだ」

「そかそか……よし! 電車来るまで時間あるし、どっか飯食い行こや」

「いいですね。……お前も行くだろ?」

 

 アキくんは天使の悪魔の方を見て言った。

 

「君も遠慮せんと来い。いっつも部下三人に奢らされとるからそんな変わらへんわ」

 

 ほな行こか、と無理矢理彼らの背中に腕を回して強引に駅のホームを出た。

 

 大きな駅がある場所だからか、地方とはいえ飲食店が立ち並んでいた。秋田には何度か来たことがあるし、ここで食事をするのも初めてではなかったので、前に食べた美味しい料理屋に二人を連れて行くことにした。

 

 道すがら近況などを訊ねた。デンジくんらとは仕事でよく会うのでそれほど心配なことはないのだが、あの二人の世話をしていると気苦労も多いだろうと思えて、ついつい話をしてしまう。

 

「──前に北海道に行ったときも、めちゃくちゃでした」

 

 そう語るアキくんの横顔はとても楽しそうなものだった。彼とは久しぶりに会って話をするが、こんなにも気持ちのいい笑顔をしただろうかとふと不思議に思った。

 

(人は変わるな……。いや、デンジくんらが変えたんやろか)

 

 繁華街の方に入っていくと、地方特有の色濃い土産物店や飲食店が目に入った。アキくんらはそれらを興味深そうに見ていたが、迷いなく進んでいく私を見てこう尋ねてきた。

 

「詳しいんですか?」

「いーや。来たことあるから知っとるだけ」

 

 時々そうやってアキくんとは話をしていたが、天使の悪魔はずっと黙ったままだった。そもそも交流がほとんどないので、それも仕方がないのかもしれない。天使の悪魔は気難しいやつだと昔誰かが言っていた気がする。

 

「秋田寒いからなあ。あったかいもん食わな」

 

 そう言って、昔ながらの食堂といった出立ちの店に入って行った。適当な席に座り、注文する。せっかくなので、私はきりたんぽやらかまぼこやら、他にも魚の切り身などが入ったうどんを頼んだ。

 アキくんらも順当に注文をし、やや肌寒い店内で私たちは机を境に向かい合う。

 

 行きすがら話してもよかったのだが、こうして腰を落ち着けた状態で話したいことがあった。

 冷えた水で喉を潤してから訊ねた。

 

「で、アキくんはマキマに何の用なん?」

「! それは……」

 

 アキくんは一瞬言い淀んだが、覚悟はもう決めてあるのか、すぐに前を向いてまっすぐな瞳でこう話した。

 

「……未来の悪魔と話して、俺の死期が近いことが分かりました」

 

 アキくんが契約していた悪魔はなんだったか。確か呪いの悪魔だ。あれは寿命を削るものだった──彼の様子から見るに、あと一年程度の命なのではないかと思われた。

 

「どうか……デンジとパワーだけは、生きて幸せになってほしいんです。だからマキマさんになにか手がないか、相談しようと思って」

「ほーん……」

 

 目を細めて彼らを見る。そういう事情なら、ますます天使の悪魔が連れ添っている理由というのが分からない。きっと彼らの間で交わされた話というのがあるのだろうが、およそ彼もアキくんの意見に──つまりはマキマに相談しようという考えには賛成なのだろう。

 あるいは天使の側からアキくんにそう提言したのかもしれない。

 

 私はうんと考え込んだ。最近はよく考えることが多い。酒でも飲んでなにも考えないようにしたかったが、考えなければならないのでそうはいかなかった。

 

 しばらくそうやって腕組みをしているとうどんがやってきた。その間、誰も一言も喋らなかった。

 

 いただきます、その一言をぼそっと呟いた後に、うどんをひと啜りして、私も彼らの覚悟に見合うように覚悟が含まれた言葉を告げた。

 

「悪いこと言わんから今日は帰り。マキマにはうちからなんとか言うとくわ」

「っ、いえ、それには及びま──」

「ええから。年長者の言うことは聞いとくもんやで。……特にデビルハンターなんちゅう、ようけ人死ぬ職業やったらな」

 

 ずるずるとうどんをすする。

 私の言葉に思うところがあったのか、アキくんはなかなか食べようとはしなかったが、それでも小さく頷いてうどんを食らい始めた。

 

「そんな顔せんといてや。ちゃあんとデンジくんらのことはうちからマキマに頼んどく。デンジくんらおらんでも、うちおったら十分やろし……」

「……それは、確かに俺なんかが言うよりヨツナさんが言った方がマキマさんも聞いてくれるとは思うので、ありがたいですけど……」

「……なんや? ハッキリ物言いや」

「これから先、公安は他国と戦争のようなものをするんです。ヨツナさんは、命が惜しくないんですか」

「そら……難しいこと訊くなぁ、君」

 

 天ぷらを食べながら話した。

 

「命は惜しい。せやけど、君らの命も同じくらい惜しい」

 

 そこから先は言うのが恥ずかしくなって、少し迷ったが、目線をずっと天ぷらに寄せて話した。

 

「アキくんがデンジくんらのこと想っとるように、うちも君らンこと想っとるんやから。せやからおとなしゅう想われとったらええねん」

 

 その言葉が出てからは、またしんと静かになってしまった。

 ずるずると麺を啜る音。具を熱がる息遣い。どれもこれもが生きている者の証なように思えた。

 

 すっかり食べ終えて、勘定を済ませる。そうしてアキくんら二人を東京へ帰らせるために駅まで送ったところで、ちょうど駅のホームに立ったとき私は思い出したように懐から一通の封筒を取り出した。

 

「それとあと、これ」

 

 それは思いつきから新幹線の中で書きしたためた手紙だった。

 

「みっちゃんらに渡しといて。……あー、分かる? 黒瀬と天童」

「ええ、はい……でもなんですか? この手紙」

「んー、電車乗って窓眺めとったらセンチな気分になったから、ちょっと書いてみただけや」

 

 そうですか、と言って、アキくんは新幹線に乗り込んだ。私はそれを見送って、一人海を目指した。

 

 

 

────────

 

 

『時が来てしまったようだ。

 今……マキマを殺さなければ、人類に最悪の平和が訪れてしまう。

 自由を背負う国の者として、ただで屈するわけにはいかないのだ……。

 ()()()()()

 アメリカ国民の寿命を一年与える。代わりにどうかマキマを……いや、支配の悪魔を殺してほしい──』

「英語分からんっちゅうねん」

 

 長くなにかを喋っているようだったが、あいにく英語は話せない。ひとまず最後まで聞き届けはしたものの要領は掴めないのでプツリと通話を切った。 

 

 そうして私は堤防の階段を駆け降りた。

 後ろでまとめてある髪を冷たい潮風で靡かせながら、海のさざなみが響く砂浜に足跡をつけた。サクサクと、一歩一歩相手に近づいていく。

 

「すまんすまん、遅れてもた」

 

 飾り気の黒のワンピースを着たマキマは、海の向こうをぼんやり眺めていた。けれど私の声に応じてこちらを振り返ると、風で流れる長髪を触りながら少し笑って「なんの電話だった?」と訊いてくるのだ。

 

「分からん。英語で話しとった」

「英語?」

「英語かどうかも怪しいわ。とにかく日本語やない」

 

 おかしいね。とマキマは笑った。

 

 私も、同感だと、同じように笑いながら、海を見つつ、彼女の隣に並ぶ。

 

「それじゃ、歩こっか」

「ん」

 

 言って私たちは、海沿いに砂浜を歩き出した。



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9.12

 砂浜を歩いていると童心に帰ったような気持ちになる。まだなにも知らず、大した意志もなく、素足で歩いていた冬のことを思い出す。

 そんなおぼろげな過去を振り返って、ふと思い至り、今も似たようなものかと自分に問いかけてみた。なるほど、これがよく似ている。マキマがしたいと思っていることの詳しい事情は知らないし、決意こそ得たものの無知ゆえに未だ意志を持ちかねている。今でこそ革靴を履いているが、ただ履いているだけのように感じられた。

 

「海はいいね」

 

 とマキマがさざなみの中で言った。

 

「たまに仕事が嫌になるとこうして海を見たくなるんだ。けれどいつも行けずじまいだったから、見に来れて良かった」

「そらええこっちゃ。うちも海は好きやで、今年も泳ぎに行ったし」

「誘ってくれたら良かったのに」

 

 マキマは残念そうにつぶやいた。

 私はそれに理由を説明するような口調で返した。

 

「仕事の途中にこっそり行ってん。せやから上には内緒……言うたらあかんで?」

 

 泳ぎに行ったといっても大層なものではない。海辺での悪魔退治があったので、ついでにちょっと遊んでいっただけなのだ。だけどそのひとときがとても魅力的なものに感じたらしくマキマはこんなことを言った。

 

「そうだね……来年は私も連れていってくれるって約束するならいいよ」

「ほな来年はマキマも一緒やな。デンジくんも喜ぶわ」

 

 ははは、と私が笑うと、マキマは少し表情に翳りを見せた。

 夏の終わりを感じさせる冷たい風が私たち二人の間を吹き抜けていく。談話をするのにはあまりにも寒かった。

 

「考えてくれた?」

 

 と唐突にマキマは切り出した。

 

「おお」

 

 と私は肯定した。

 

 マキマが話しているのは、半年以上前に交わした会話のこと──半年、返事を待ってもらった勧誘のことだった。

 

 未だになにが正しいのかが分からなくって、自分の意志というのをどうすればいいのか決めかねていたけれど、けれど彼女に誘われたときから私の心は一つの答えに決していたと思う。

 彼女の勧誘に返す言葉は決め切っていた。

 

「私と一緒に遠くまで逃げよう。それからチェンソーマンを倒して、幸せな世界を作ろう」

「すっごく魅力的な提案やけど、やめとくわ」

 

 あっけらかんと、こともなさげな様子を装って答えた。この一問一答は今後の行く末を大きく別つものだろう。今まで経験してきた人生の中で、最も重要な問答に思えた。

 だからこそ、一番私らしく、一番悔いの残らない答えを述べた。

 

 そんな私の答えに、マキマは眉をかすかに動かした。どうやら気にそぐわなかったらしい。

 マキマは表情を変えることなく継いで訊ねてきた。

 

「……理由は?」

「半年の間にふと気ぃついたんやけど、うちはマキマのことがよう分からへんねん。半年間めちゃくちゃ考えたんやけど、それでもやっぱり分からへん」

 

 マキマが喋る気配がなかったので、私は続けて話した。

 

「目的、意志、夢、その他もろもろ……長い付き合いやから分かってるつもりやったけど、うちはそんなにマキマのことを知らんのやな。──ただの知り合い、みたいな関係性やから仕方ないんかもしれへんけど」

「────」

 

 マキマは目を見張ったようにして、それからそっぽを向いた。

 私の言葉に引っかかるところがあったのか、まるでとても大きな衝撃を受けたようなすごく悲しそうな顔をしたのが見えて、見間違えかとすら思った。

 

「そっか……知り合い、か」

 

 その言葉に感じるものがあったのか、私の言葉をなぞるようにつぶやいた。そして、こうも言った。

 

「それもそうだね、ヨツナが言うならきっとそうなんだと思う」

 

 立ち止まると、マキマは体ごと正面から私の方を向いた。私もそれに釣られてつい立ち止まる。

 彼女の方を見てみれば、深く深呼吸をして覚悟を決めたらしかった。双眸は伏し目がちに開かれているが、その奥に潜む明るい光からは強い執着にも似た意志が感じ取れた。

 

「それじゃあ、私たちは戦わなくっちゃ」

「……今まで通りっちゅうのは無理なんか?」

「無理だよ。私は公安として、銃の悪魔を討伐しなきゃいけない。……それにヨツナも他人事じゃないと思うよ。ヨツナが倒れたあと、私が殺すのはデンジくんなんだから」

「! デンジくんが、なんでっ?」

 

 私が疑問を飛ばすと、マキマはすらすらと言葉を並べた。まるでそれが彼女にとっての常識であるかのように、疑う余地すらないのだと思えるほどに、真剣な目で語り始めた。

 

「この世界には、なくなったほうが幸せになれるものがたくさんある。たとえば死、戦争、飢餓。どれもこれもない方がいい……ヨツナはそう思わない?」

「……確かに、人が苦しまんで済むならそれがええ。せやけど、どないするっちゅうねん」

「チェンソーマンの力を使う」

 

 チェンソーマン。その名前は、たびたびマキマの口から聞いていた。

 けれどそれについて知っていることはあまりにも少ない。おそらくチェンソーの悪魔のことを話しているのだろうと、勝手に脳内で変換していたくらいだ。

 

 デンジくん……とはまた違う存在。

 おそらくは、彼の中にいるなにか──

 

「でも私一人の力じゃチェンソーマンには勝てない。だからヨツナの力が借りたかった。ヨツナとならなんとかなると思った。ヨツナとなら、たとえ目的通りに行かなくってもそれはそれで良いと思った。けど……そうじゃないなら、仕方ない。私の力でどうにかする」

 

 そう言ってマキマはくるりと体を翻し、海の方へと歩いていった。波が打ち寄せる際のところまで歩くと、またこちらを向き直った。彼女と私との間につけられた足跡がそのまま、今の彼女と私との心の距離のようでもある。

 

「はじめよっか」

「戦うって、本気で言うとるんか?」

「うん」

 

 マキマは口元だけで笑った。今までに見たことのない表情だったので、どうやら本気らしいと身構える。

 そうしてマキマは右腕をやおら胸の高さまで掲げると、じっとこちらを見据えていたが、その構えのまま動きを見せなかった。

 

「……優しいね。私はもう、構えてるのに」

「そら、うちは戦うつもりなんて──」

 

 くいっ、と手首を回し、マキマは右手の指先を天に向けた。

 私は彼女がなにをしたのか直感的に悟って、素早く横へと跳び上がる。

 

 わずかレイコンマの差でさっきまで私がいたところに大きな口が食らいついた。あれは前に戦った“蛇の悪魔”だ……!

 

「くっ……!」

 

 マキマの手の動きに従い、蛇は複雑な挙動で私に食らいつかんとした。どれもこれも手加減のない際どい攻撃ばかり……。どうやらマキマは本気らしいと、私は認識を改める。

 

「ああもうッ、説明もなしに話ばっか進めて……! ええやろ、キツいの一発行くで……!」

 

 やたら滅多に逃げ回るからか、あまりにも不安定な姿勢だったが、私は息をするようにマキマの額に視線を集中させる。

 それから両手で拳銃の形を作り、じっと熱を集めるように指先に力を込めた。

 

「ばん!」



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撃鉄

「ばん!」

 

 

【一九九七年、九月十二日、午後四時九分八秒】

【秋田県にかほ市浜辺より銃の悪魔出現。以下銃の悪魔とマキマの交戦記録】

【出現直後、能力発動】

【マキマ観測上、二十九度目の死亡】

 

 

 放たれた弾丸は的確にマキマの額を貫いた。直径三センチほどの大きな穴を彼女の頭に空けたが、しかしマキマという女がその程度で死ぬようなやつじゃないことを私はよく知っていた。

 

(頭に穴空いたっちゅうのに、動じひんのか……!)

 

 彼女は頭に穴が空いているのにも関わらず平然とした様子で蛇の悪魔を使役する。まるで人間じゃないみたいだ──人間離れしたやつだとは思っていたけれど、ここまで来ると恐ろしさすら感じる。

 

 けれどそれと同じくらいに私も化け物なのだということは理解していたから、ちょうどいいくらいだと独り心の中で軽口を叩いた。

 

(ものは試し……)

 

 マキマの力量というのを私は知らない。最後に一緒になって仕事をしたのはどれほど前のことだろうか──あれから彼女はさまざまな経験を経て、悪魔との契約も果たし、私の知らない奥の手とやらも手に入れたのだろう。

 

 となれば最初から手の内を全て晒すわけにはいかない。ただそれは相手も同じことだろうから、マキマが様子見をしているうちになんとかケリをつけたい……!

 

「セット!」

 

 蛇の悪魔による乱撃を避けつつ、私は右腕を目線に合わせるようにして掲げた。

 ピンと伸ばされた腕はそのまま銃身としての機能を果たす──指先という小さな部位での射撃よりも、こうした身体の大きな部分を使う銃撃の方がより強い威力が出るのだ。

 

 言ってしまえば、超近距離からのライフル射撃。さっきはマキマの身体の一部分に穴を開ける程度のものだったが、今度は身体の大半を削り取るような攻撃だ──これでも、対応してくるものなのか……?

 

(やるっきゃない!)

 

 指先で作った輪っかの中にマキマの姿が入り込む。その瞬間を逃さぬように、私は銃撃を放った。

 

「ばん!」

 

 空気の爆ぜる音共に、さっきとは比べ物にならないような熱い爆風があたりに吹き荒んだ。

 けれどマキマはすんでのところで避けたようで、蛇の悪魔を盾代わりに用いることで銃弾の軌道をずらしたらしかった。おかげでマキマは肩に大きな傷を負っただけで──その傷もすぐに埋まり──蛇の頭は吹き飛び、ピクリともしなくなった。

 

「とんでもない威力だね」

 

 先ほどから場所を変えることなくこちらを見据えていたマキマが感心したように言った。

 私はそれに対して呆れや苛立ちの混じった軽口で返した。

 

「せやろ。せやからそうやって平気そうにされとるんがなかなかにショックやわ」

「そう」

 

 そっけなくマキマは返す。

 

「それじゃあ今度は私から」

 

 言ってマキマは両腕を振るう。

 瞬間、彼女の腕の動きに合わせていくつものナイフが私目がけて飛び出してきた。

 おそらくはナイフの悪魔……!

 

「なんちゅう数!」

 

 バースト! と叫び、かき払うように全てのナイフを散弾で撃ち落とした。一つの漏れもなく撃ち落とすのにはかなりの神経を使った。

 そもそもこうして銃の悪魔としての力を行使することはなかなかないことなのだ──私としては普段使わない筋肉を使ったみたいな感じで、身体のどこかが引き攣るように痛んだ。

 

 しかし攻撃を凌いだからといっていつまでも安堵してはいられない。二の次三の次と、多量のナイフによる波状攻撃が幾度となく押し寄せた。

 

(暴力的な数……!)

 

 かつてない集中力で撃ち尽くすが、それでもやはりマキマの勢いは止まらない。

 状況は停滞していたが、だが私はじきこの攻防も終わりがあるだろうと思われた。

 

(えげつない数やけど……だからこそ、必ず終わりはある。だってこないな力の行使、あんまりにも代償がデカすぎる……!)

 

 おそらくすぐにこの攻撃にも終わりが来るだろう。なんであれ、悪魔との契約には代償が必要なのだ。こんなメチャクチャな能力の使い方をしていれば、すぐにでも支払える代償がなくなるはず……!

 

 襲い掛かるナイフを払い落とし、私は隙間からマキマを狙い撃った。けれどやはり、それは手応えのないものだった。

 殺しはした。心肺停止が死というのなら、確かにマキマは死んだ。けれど、それでも彼女はそこに立って生きている──正直なところ私は良からぬ予想と共に徐々に不安を感じ始めていた。

 

「しつこい!」

 

 バラバラとナイフが砕けていく。私はそれに紛れるようにして前に進んだ。懐の中で、使い慣れた刃物を握りしめる。

 

(撃ってもどうにもならんのなら、切る……!)

 

 ぐんと足を踏ん張り、私は前に飛び上がった。ナイフの嵐は銃弾のカーテンで跳ね除け、マキマの懐に入る。

 そこで一筋ナイフを切り込んだが、やはり手応えはない……!

 

「はぁっ、分からん……! どういうこっちゃ」

 

 至近距離に立ち止まったままでいるのは良くないと考えすぐに距離をとる。

 良からぬ予想、不安というものが決定的になったのは次の瞬間だった。

 

「ハァ……なんやこれ?」

 

 距離離したことで、今まで見えていなかったものが嫌でも目に入ってしまった。おそらく私が接近している間に用意したのだろう──文句すら出てこない光景だ。悪夢というのなら、この光景がそうなのだろう。

 大海のように波打つ武器の数々──針、爪、ナイフ、弓矢、刀、火炎放射器、その他諸々──まるで鉄の嵐だと、そんな感想すら出てくるくらいだった。

 

「なにを代償にこないな契約……!」

「知りたい?」

 

 私の声に反応し、マキマは変わらず静かな声色で話した。

 

「私はね、内閣総理大臣と契約をした──私に対する攻撃は適当な日本国民の病気や事故に変換されるの」

「……! ちゅうことは……」

「そう。契約の代償もそこから」

「! やってええことと、あかんことがあるやろ……!」

 

 なるほど、合点がいった。無尽蔵にも思われる契約の代償は、まさしくマキマにとってはなんのデメリットもない限りないものだったのだ。

 ただ私としては、他人の命を軽く扱う彼女の行為が許せなかった。そんなやつだったのかと、失望と共に怒りの感情が沸々と湧き上がってくるのだ。

 

「これが私の力。……“支配”は、こういうこと」

「支配……」

 

 おそらくは、それがマキマの力の原動力。全ての根幹を担っているところ。

 

 単純なようで、だからこそ強力。なるほど、まだマキマを殺すことに躊躇いのある今の私じゃ太刀打ちできない。

 人の身体じゃあ、どうしようもない。

 

「迷っている暇はないよ」

「……! 言われんでもッ、分かっとるわッ!」

 

 マキマはそれらの武器を私に目がけて飛ばした。刃物の突風が体を刻んでいく。めちゃくちゃな攻撃で、いくつかは私の肩や脚に突き刺さるが、痛みが気にならないくらいに私は自分の中の覚悟というものを固めるのに必死だった。

 

 これでなんとかなるという自信はない。

 ただなにもしないで死ぬのは、残してきた部下たちに申し訳がないと思った。

 

 覚悟は決めた。だから私は、後ろで結んである髪を解いて、その奥にある“トリガー”に指をかけた──

 

 ──弾丸のように内側から飛び出す黒鉄。

 はじけ出た弾倉が体に巻きつく。

 そうして、撃鉄の落ちる音がした。



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ジリリン、ジリリン

場面が変わりデンジくん視点です。時間が少し飛びますが、前回の続きです。


 今日は家で留守番だった。珍しくアキがスーツを着て出かけるって言うもんだから、仕事なのか聞いてみたけれど、そうじゃないって言ってた。違うならきっと違うんだろうと俺は「ふうん」って納得して、パワーはなにも分かってないのかニャーコと遊んでばかりいた。

 

 おおかた、だいぶ前に公安を辞めたバディにでもアキは会いに行ってるんじゃないかと俺は推測してる。ときどきアキは仕事でもないのに綺麗な服をビシッと着て外に出かけることがあったから、きっと今日もそういう日に違いない。

 

「おぉいパワー! 脱いだ服は洗濯カゴに入れろっつったよなあ!」

「ううう! 今から着るんじゃ……!」

「嘘つけっ、洗濯ものが溜まるんだよ!」

 

 言いながら俺は脇に抱えている洗濯カゴにドサドサ服を突っ込んでいった。こうやって脱ぎ散らかされるだけならまだしもなにか口論があったときはすぐに服を投げてくるので、面倒だけれどわざわざ服を集めていった。

 

 しっかりしてるアキがいないってんなら、俺がちゃんと家のことを見なくちゃならねえ。なんせパワーは馬鹿だし、ニャーコはなんもしねーんだもん。

 こういう留守番の日には仕事終わりにレゼが来てくれたり、天童やら黒瀬やらの“センパイ”ってやつが来てくれる。──そういえば、いつもは仕事の合間を縫って必ず飯やらなんやらやって作ったりしてくれるヨツナさんが今日はいねえなと、誰もいない台所を見てふと思った。

 

(まあ、晩飯前には誰か来るかなあ)

 

 ゴウンゴウンと鳴る洗濯機。使い方は最近覚えた。

 よく考えてみりゃ、今から洗濯して乾燥させようにもその頃には夜になっちまうだろうから、もっと早くに済ませりゃ良かったなだなんて賢そうなことを考えたりしながら俺は居間の机と睨めっこして宿題をやっていた。

 学校には通えないけど、勉強はしたほうが良いって言われたし。なによりレゼも一緒にやるっていうんだからやる気が起きないわけがねえ。俺自身、前からこういう頭使うことはしてみたかったから、時々嫌になることもあるけど一年くらいは続けていた。

 

「計算分かんねえ〜……答え見るか? いや、見たらパワーにチクられるしなあ」

 

 前にチクられたときは「パワーてめぇ嘘つくなよ!」って嘘ついたけれど、なぜかすぐにバレたのでそういうのはやめにした。

 

(人生、正直なのが一番だよなぁ……)

 

 夕方になる前、洗濯が終わる頃には宿題もあらかた片付いた。洗濯物を取り出して、適当にベランダに干して、それから俺は習字をすることにした。

 

 習字っていっても、墨を使うやつじゃなくって俺はペンで書いている。初めの頃はちゃんと墨汁ってのを使っていたけれど、パワーが暴れるとそこらじゅうに飛び散ってシミが取れないからってんで辞めにした。この話をヨツナさんにしたところ、申し訳なさそうにしていた。

 

 つってもまあ、俺アどっちでもいいんだけど。字は書けば書くほど綺麗になってくって言われたし、最近はよく褒められるし。楽しくやれてるんだからそんな心配しなくっても良いのになと思いながら、何枚か書いた字を見比べて良い感じの出来を探す。

 

「よし!」

 

 これだ! アキが帰ってきたらこれを見せて褒めてもらおう。ヨツナさんも、きっと褒めて──

 

 ピンポーン。

 

 不意にチャイムが鳴った。アキはいつも通りだと夜まで帰って来ないだろうから、ならばと立ち上がった。

 

「ヨツナさんか……? 来るなら電話くらいしてくれりゃいいのに」

 

 言って立ち上がる。そうだ、いま書いたこの字を見てもらおう。せっかくこんなに綺麗に字が書けたんだ。褒めてもらいたい。

 

 ピンポーン。

 

 また一つチャイムが鳴った。

 いま行くよ、と答えて玄関まで歩いていったのだが、ドアノブに手をかけたところでジリリンとそばに置いてある黒電話が鳴った。

 

 ジリリン、ジリリン。

 ジリリン、ジリリン。

 

 どうしてだか、俺はドアノブにかけた手の動きが止まった。理由は分からない。ただ、これ以上進んじゃいけない気がした。

 

「うるさいのぉ……」

 

 のっそりと奥の居間からパワーが顔を覗かせる。ふと我に帰って、俺はドアノブから手を離して受話器を手に取ろうとした。

 

「チャイムもなっとるぞ。開けんのか?」

「あ……チャイム……うん、開けるけど、電話もあるし」

 

 自分でも自分がなにをしているのかが分からない。ただそんな不安も、受話器の向こう側から聞こえてきた声で一瞬にして消えた。

 

『デンジくん、ニュースは見てた?』

(マキマさんだ)

 

 一体なんの用で……。微かに疑問に思いながらも、マキマさんが電話してきてくれたことが嬉しくって、俺は素直に答えた。

 

「いやぁ……宿題やってて……」

『そう、じゃあ手短に言うね』

 

 マキマさんはこう続けた。

 

『銃の悪魔が突然現れて、私達は倒し損ねてしまったの。その銃の悪魔がキミの家のチャイムを鳴らしてる』

 

 チャイム……? 銃の悪魔が……?

 

「は……ナニ冗談いってんすか……。銃野郎がオレん家の前に来るわきゃないっすよ……」

「────」

「マキマさん……?」

 

 問いかけに返事はない。

 

 いつの間にかチャイムの音は止んでいた。だからよりいっそう、次に聞こえてきたマキマさんの声が俺の耳に響いた。

 

『今回は何も考えずに戦って』

 

 そのまま電話は切れた。

 

「なあ! 扉開けんのか?」

「おお……えあ、なんかマキマさんがさ、ドアの向こういんの銃の悪魔なんだって……」

「はぁ? なに寝ぼけたこといっとんじゃ!」

 

 パワーはやたら強い口調で言う。アイツは鼻がいいから、もしかしたら扉の向こうにいるのが誰か分かっているのかもしれない。

 

「そろそろ晩飯の時間じゃというのに、アイツがまだ来とらんじゃろ」

「晩飯……?」

「なあ! ヨツナじゃろ!?」

 

 パワーは確信したように言った。

 

「なあニャーコ! 今日は美味いの食えるぞ……!」

「おお、だよな……」

 

 自分に言い聞かせる。

 

「は、んなわけねえよ……」

 

 マキマさんが冗談言ったに違いない。だって、そんなわけがない。

 いま頭の中にある妄想は全部間違いで、扉を開けたらきっといつも通りビニール袋に食いもんいっぱい詰めたヨツナさんが扉の前にいて、俺とパワーの話を楽しそうに聞きながら晩飯作ってくれるんだから……。

 

「ヨツナさんが、銃野郎なんざに負けるわけ……」

 

 扉を開けると、赤い赤い血が目に映った。

 血溜まりの中で、今にも崩れてしまいそうな格好で、ヨツナさんが壁にもたれかかっている。

 え……? 血溜まり? なんで?

 

「えあ……え? ヨツナさん?」

「ああ、デンジくん……そうかあ、うちが騙されとっただけか……無事でよかった」

 

 ヨツナさんは倒れ込むように玄関から中に入った。歩くこともままならないのか、壁に手を伝ってよろよろと歩く。よく見てみれば足の筋肉がほとんど削がれていた。左腕ももうほとんど動かないのか、ピクリともしない。

 目だってどこを見ているのか分からないし、なんなら片方は瞼が閉じたままだ。

 

 口元だけが、常に優しい笑みをたたえている。

 

「デンジくん……もうすぐ岸辺さん来よるから、一緒に逃げて、そんで……」

 

 血塗れになって、片足を引きずって、腹なんてぐちゃぐちゃになっているのに。なのにどうしてそんなに動けるのだろうか。ヨツナさんは心配するような表情で俺たちをベランダへと誘導した。

 

 ただそんな怪我なんかよりも、なによりも不安になったのは、いつもは元気で大きな声が今にも消えてしまいそうな蝋燭みたいにか細い声だったからだ。

 

「外へ……うちは、時間稼がなあかんから」

 

 時間を稼ぐってことは、追ってきている敵がいるのだろうか。それが銃の悪魔か?

 分からない。分かんないけど、俺はあんまりにも今の状況が怖かったから無理に元気を出して言った。

 

「な、なぁに言ってんすか! 敵がいるんすよね? だったら俺ぁ戦うぜ! なんたって最近数学できるようになったんすよ! 頭使える今の俺にできないことなんて……!」

「は、はは、そらあええこっちゃ。デンジくんは、賢うてええ子やから……」

「……っ!」

 

 ヨツナさんは喋りながら俺の胸に倒れ込んだ。ドサリと、意識がプツンと途切れたように健やかな顔つきで崩れ落ちたのだ。

 

 口元が歪む。心が引き裂かれそうな気持ちになる。そしてかつてないほどに、怖くなる。

 なにがそんなに怖いのか。銃の悪魔が怖いんじゃない。死ぬ事が怖いんじゃない。目の前で、ヨツナさんが死にそうになっていて、それが自分にはどうしようもないと分かってしまって、だから信じたくなくって……。

 

「っ、マジか……ドッキリとかじゃあ、ねえのか……」

 

 心の中がめちゃくちゃになる。

 

 ただ、だからこそ。今の自分は逃げるべきじゃないって強く思うのだ。

 

「パワー! ヨツナさん連れてベランダから……!」

 

 俺がそう叫んで胸のスターターを引こうとしたその瞬間、玄関口が派手な音を立ててぶっ壊れた。いや、正確には俺の体ごとなにかがそこらをぶっ壊した。

 

 一瞬にしてあたりが瓦礫の山になる。

 

 見れば、煙の奥から数人の人影が見えた。ほとんどのやつは見覚えのないものだが、一つ共通して言えるのは、どいつもこいつも頭と腕が変だってことだ。

 

「あいつは……」

 

 一年くらい前、サンタクロースとかいうやつを倒したときにいた、やけに刺々しい格好をしたやつが混じっている。

 アイツも確か、俺みたいに人から悪魔みてえな姿になって──

 

「こいつら全員……! 俺と一緒かよっ……!」

 

 強くスターターを引き抜く。

 痛みは走るが、アイツらがヨツナさんをあそこまでボロボロにしたのかと思うと怒りの感情が上回った。

 

「めちゃくちゃにしやがって……!」

 

 ブウウン、とエンジンを音をかき鳴らし、未だに砂埃が舞う中へと突っ込んでいった。さっさと倒して、病院に連れて行って……!

 

 なんとかなるはずだ、なんとかなるはずだと心に言い聞かせて、忙しなく脈打つ拍動と同じくらいに激しくチェンソーの刃を回転させた。

 

 

──────────────

 

 

 

「はぁ、はぁ、終わった……!」

 

 なにがなんだかよく分からなかったが、しばらく戦っていると敵は皆散り散りにどこかへいってしまった。あんまりにも歯応えのないものだから不信感こそあったが、今はなにより優先するべきことがあった。

 

「そうだ、怪我……病院、救急車っ……」

 

 思い返して、ヨツナさんの方を振り返る。確かパワーが血を止めてくれていたはずだ。だからきっと、まだ間に合う!

 

「……で、デンジぃ……」

「はぁ、はぁ……え?」

 

 パワーの目からはいつもの傲慢さが欠けていた。こういう目は珍しい。ほんとうに弱りきっている時……前に闇の悪魔と戦って異常に怖がりになったときと、すごく似ている。

 

(そんな目するなよ……っ! まるで、まるで……!)

 

 そばに寄って、そして気付いた。

 ヨツナさんの体はどこも動いていない。

 てっきりパワーが止血しているのかと思っていたけれど、パワーの様子を見るとそれも違う──止まっているように見えたのは、流れるような血は全部流れ切っていたからだ。

 

「あ、うわああ、ああ……っ!」

 

 さっきまで確かに生きてた。

 確かに笑ってた。

 けれど今はどうだ。血だらけの服でボロボロの身体を包んで、静かに、まるで眠っているように、死んでいる。

 

「ああ、あああ……」

 

 何かもっと良い方法があったんじゃないのか。

 アキならもっと上手くやれた?

 分からない。何も思い浮かばない。

 

 俺のせいだ。

 俺がヨツナさんを、死なせたんだ。



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誰かの夢の中で

 目を覚ますと薄暗い部屋の中にいた。かなり長い間眠っていたようで、身体は泥のように重たくって言うことを聞かない。一体いつからこうして眠っているのだろう。深層から引き出された意識は未だにハッキリとせず、ぼんやり天井を眺めるだけで数時間の時が過ぎたように思えた。

 

 身体が上手く動かないので唯一動く首だけを使ってあたりを見渡してみるのだが、家具や内装からして病院というわけではなく──またホテルとも違った、どこか生活感のある寝室にいるようであったが、ここから見える調度品は私の記憶において思い当たる節がなかった。

 

 いったい私はどこにいるんだ……?

 

 頭が上手く働かない。記憶もどこか曖昧だ。最後の記憶はなんだったかと頭を悩ませるが、それすらもままならない。どれだけ頭を悩ませても思い出せないのだ。

 

(うち、なにしとったんやっけ……)

 

 ぼんやり呟く。喉の機能は十分に働いた。

 

 しばらくすると四肢の感覚が戻ってきたのでそれぞれを動かしてみる。手足の先から、身体の付け根まで。

 痛みなどはない。大した怪我があるようには思えなかったのでなにか大事故に巻き込まれて意識を失っていたわけでもなさそうだった。

 

(ますます分からへん)

 

 特に拘束されているわけでもない。とにかく不思議だ。

 

 そうして身体の様子を確かめているうちに気付いたことだが、私は見慣れぬ寝巻きに着替えてあった。あんまりにも自然に着ているものだから違和感がなかったけれど、非常に心地よい肌触りが妙に歯の浮いたような気持ちにさせた。

 ベッドもそうだ。暖かで、柔らかく、深みのあるマットレスに軽く保温性の高い布団を被っていたのでなかなかそこからは抜け出しづらい。

 

 思えば季節もいつ頃だろうかと不思議なことを考えた。窓らしきところには分厚いカーテンがかけられていて光が差し込まない。部屋は適温で保たれているため具体的な季節は分からなかったのだ。

 

(待つか出るか)

 

 そのままそこでじっとしていても良かったのだけれど、不可解な出来事に受け身でいるのは良くないだろうと考えて──なにより目が覚めたなら起きるべきだという考えがあったので、私は布団から這い出して部屋の扉を開いた。まだ手足は動かしづらかったが、動いていればそのうち慣れるだろうと思った。

 

 薄暗い寝室を出ると廊下に出た。フローリングが敷かれていて、奥にはリビングと思われる場所もある。廊下といえどたいへん広い空間であったので一般家庭とは異なる高級感があったが、やはり病院だとか公安といった公的施設ではないのだなという確信を得た。

 

 誰かの家だとしたら、誰の……?

 少なくとも私の記憶の中にこのような場所は存在していない。

 

 寝室とは違いリビングには光があった。陽の光ではなく電飾で、声や音は聞こえてこないが、おそらくは誰かいるのではないかと思われた。

 

 そろりそろり、忍び足で光に近づく。光と影の境界線を一歩越えたところで、奥の方からどたどたと軽い足音がいくつかし、角から飛び出してきたそれらの生き物は勢いよく私の胸元を目がけて飛びかかってきた。

 

「うわっ、犬……!」

「あっこら!」

 

 数え切れないほどの大型犬に襲われて、あっという間に私の姿は犬で隠れた。犬とはいえこのサイズになるとそこそこの重量だ。それが何体も……!

 犬で窒息しそうになり両手足をバタつかせるも、抵抗は虚しく大した意味はなかった。これが一匹ならなんとも愛くるしいのだろうが、やはり数は暴力だ。

 

「タンマ、タンマ……!」

 

 犬は飼ったことがなかったのでどうすればいいのかも分からず、ただされるがままに彼らの忙しない動きを身に受け続けた。すると光のあるリビングの方から一つの人影が現れた。

 その人影は私から一匹一匹犬を剥がしつつこんなことを言った。

 

「夜なのにみんな元気なんだから〜。でもヨツナは寝起きで困ってるみたいだから、またあとで遊んでもらおうね」

 

 どこか聞き慣れた声。

 未だに顔を舐めようとしてくる犬を撫でて宥めながら、上半身を起こし、ようやく相手の顔を見た。

 

「おはようヨツナ。やっと起きたんだ」

「……おおう」

 

 逆光になっていて表情はよく見えなかったけれど、声からしてマキマのようだった。

 

「ひどい顔してるよ? そこ、左に曲がったら洗面台があるから、顔洗ってきたら?」

「ん……その前に、犬っころなんとかせんと……」

「あはは。すっかり懐かれてるね」

「…………」

 

 私としても寝起きで顔や口をすすぎたかったのでありがたい。寝起きだからか足元がまだおぼつかないが、なんとか洗面台まで向かって顔やらを水ですすぎにいった。

 洗面台にまで着いて来たマキマは、私の腰に手を回してそのままリビングの方まで連れて行ってくれた。どうやら顔色から私の体調が良くないのを察してくれたらしい。

 

 リビングに行くとたくさんの犬が寝そべったり跳ねたり走っていたりして、大変騒がしい様子だった。ただ彼らはご主人様の命令をよく聞いているようで、さっきのように襲いかかってくるようなことはない。私はよく躾けられているなあだなんて思いつつ、ぼんやりした頭で近くのソファに腰を沈めた。

 

「な、なあマキマ」

「なに?」

 

 ソファに座ったタイミングで私は疑問に感じていたことを訊ねた。

 

「ここって、どこ?」

「どこって……私たちの家だよ」

 

 あんまりにも自然に答えるものだから、ああそうかと納得しかけたが、私にはその言葉にどうしても違和感を覚えてしまうのだった。

 

「はぁ? 私たちの、家……?」

 

 と素っ頓狂な声をあげると、マキマは呆れたように応えた。

 

「まだ寝ぼけてるの? 私たち、同棲してるでしょ。シェアハウス」

「……そうやっけ」

「そうだよ、忘れたの?」

「忘れたっちゅうか……」

 

 話しながら、解かれた頭髪を掻く。普段は後ろでまとめてあるので、こうして流したままの髪型を見られるのはなんだか珍しいと思った。

 

「まあまあ、寝起きはそんなものだよ。さ、ご飯でも食べよう。寝起きだから軽いものがいいよね」

 

 言ってマキマはリビングの方に行った。私はどうこう言うこともできず、ソファに背をもたれさせる。

 

 ダメだ。頭がぼうっとしている。記憶がぐちゃぐちゃで、ところどころ大きく欠落していて──どこが欠落しているのかもよく分からない。

 

 例えるなら本のページだ。私はもともと昔の記憶がなかったから、最初の五十ページは元からない。ただそこから二百ページくらいあるはずなのに、今じゃそのほとんどがどこかに行ってしまった気がする。

 

「できたよ」

 

 マキマが用意してくれたのは温かいスープだった。寝起きであることを考慮してか、具は柔らかく煮込まれていた。

 温かい食べ物を食べるのは思ったよりも心に沁みる。空っぽになっていた胃に食べ物が流れ込んで、そこでようやく自分はお腹が減っていたことに気がついた。

 

「どう? おいしい?」

「ん……」

 

 顔を覗き込むようにしてマキマが聞いてきた。

 私はそれに小さく頷く。

 それを受けて、よかった、とマキマが言った。

 

 食事を終えた頃には九時を過ぎていた。

 湯を沸かしてあると言われたので、食後にはお風呂に入った。

 風呂から上がると着替えが用意されていて、どれもこれも見覚えのない下着や寝巻きだったが、私のサイズにピッタリ合ったので同棲しているという話は本当らしい。

 

 風呂から上がり、ドライヤーで髪を乾かして、そうして寝床につくまでの緩慢な時間をリビングのソファで二人して過ごす。

 そんな一連の流れが私にとってはとても久しぶりにしたことのように思えた。

 

「もう何年前やろか……研修時代、こんな感じやったな」

「そうだね。でも今だってそうでしょ?」

「それもそうか……なんで懐かしいって思ったんやろか」

 

 ぼうっと遠くを眺める。窓はカーテンがかけられていて外の様子が見えない。けれど、遠く遠くを見つめていた。

 

「なあマキマ……」

「? どうかした?」

 

 ソファの隣に座ったマキマは、温かな紅茶を飲みながら私の方をチラリと見た。私はそれに構うことなく続けた。

 

「なんや……長い夢見とったような気ぃするわ……」

「夢?」

「そ。一生懸命、色々しとった夢……何しとったんかは憶えとらへんけど、それでも楽しい夢やったわ……」

 

 私がそう言うと、マキマは私の言葉を咀嚼するように少し考えてから、こんなことを言った。

 

「なにしてたか分からないのに、楽しかったことだけ憶えてるなんて、変なこと言うんだね」

「そら夢ってそういうもんやろ?」

 

 ぼんやりした言葉で返事をする。マキマは「そうだね」とだけ言った。

 

 それからはただただ緩やかに時間が流れ、やがて寝床についた。夢は夢なのだ。こんな生活も悪くないと思った。

 布団の中に潜りこんで、あれこれ考えたけれど、眠りにつく頃になると私は考えるのをやめていた。



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日々、日常

 外に出ない生活が何日か続いた。身体が上手く動かず、強い倦怠感があるというのも理由の一つではあるのだが、なによりそうして自堕落な生活を送っている大きな原因となっているのは、今の自分には目的もやりたいこともないからだろうと思った。

 

 大志だとか、夢だとか。そういったものはどれだけ探しても今の自分の中にはなく、見つけることができなかった。正確には、酷く頭が痛むので、あまり考えないようにしていた。

 とはいえそうしたものが見つからなくても、人は生きていける。少なくとも私はそうだった。

 

 目を覚ましてから一週間ほどは不規則な日々を過ごした。目を覚ます時間も、眠りにつく時間もてんでバラバラだ。

 朝になるとカーテンが開かれて光が差し込むのでそれでおおよその時間帯は分かるのだが、一度日が昇り始め窓の外がやや明るくなってきた頃に眠って、次、目を覚ましたときに外がすっかり暗くなっていたのを見たときにはいったいどれほど眠っていたのか恐ろしく感じるほどだった。

 

 そんな不規則な健康習慣も、一週間ほどでなんとか元の調子に戻った。夜に眠り朝起きるという生活サイクルの中になんとか戻ることができた。

 

 となると、必然マキマと起きるタイミングが同じになり、食事の時間も共にすることが増えてきたので、彼女にばかり作らせるのも悪いと思って手ずから料理をするようになった。

 

「うちも飯作るわ。マキマにばっか負担かけたら申し訳ないし」

「身体は大丈夫なの?」

「ん。まあ料理くらいできるやろ」

 

 料理は昔からできたので、目を覚まして飯時であれば重たい身体を引きずってキッチンに向かった。食材はどれもマキマが買ってきてくれたものだったから、なにからなにまで世話になって申し訳ないなと思いつつ、役に立てることといえばこれくらいなのだからと料理や洗い物には精を出した。

 

 食事をして、空いた時間はリビングで暮らし、本を読んだりして日を過ごした。

 

 そうした生活がいくらか続いてしばらくすると、私はマキマに連れられて夜間外を出歩くようになった。

 いつも私が苦しげに歩いているのを見かねてか、体力の回復を目的とした夜間の運動だった。今は時期的に夏らしく、昼間は直射日光でバテてしまうから涼しい夜の方がいいとマキマが言っていたので夜に出歩いた。

 

 久しぶりに外へ出ると、室内とは違った動きのある外気が私の肌を摩っていく。発展した見慣れぬ街並みに戸惑いつつも、私はマキマと肩を並べて道や公園を歩いた。

 

 一週間もすれば十分な効力があった。もう少し時間がかかるものと思っていたので少し嬉しい。おかげで私の身体からは気怠さというのがすっかり抜けた。筋肉量が衰えていたわけではなかったので、(およそ身体の使い方を忘れていたのではないかと思う)身体が自由に動くようになるまでそう苦労はしなかった。

 

「どう? 身体は」

「ばっちしや! ええもん食って、運動して。頭もなんやスッキリしたような気ぃする」

「そう。ならよかった」

 

 頭もスッキリした、というのは嘘だった。この欠落した記憶に、今でもどこか違和感を覚えてしまう。寝起きや平時にあったあの感覚──泥から意識を引き摺り出すような重たく陰鬱な気持ちは未だにあって、私にとってそれは苦痛であった。

 

 それからも、夜になれば度々外を出歩くようになった。家にいてばかりでは娯楽もないので、映画館に行くなどした。

 

 気付けば夏もいよいよ本番といった時期に、マキマは珍しく外出の支度をしながらこんなことを言った。

 

「それじゃあ私、出かけるから」

「? おう、行ってらっしゃい。……どこいくん?」

「んー、仕事?」

「仕事?」

「そう。留守番よろしくね」

 

 と言って、その日のマキマは珍しく家を空けた。

 仕事……仕事?

 

 そういえば私はなんの仕事をしていたんだっけか、とつい思ってしまった。マキマとは同期だったから、きっと彼女と同じ仕事をしていたはずなのだけれど……。そこいらの記憶がどうにも曖昧で、やはりぼうっと考える時間だけが私の生活の大半を占めていた。

 

 次第に留守番を頼まれる日が増えるようになった。頼まれはしたものの、外出が禁じられていたわけではなかったので合鍵を用いて外に出ることも多々あった。

 というのもだ。以前、私が昼間に外出をしたいと言ったとき、マキマはあまり良い顔をしなかった。外は危険であるからとかなんとか、その言い分が分からないわけではなかったが、私としては昼のうちに買い物を済ませておきたい気持ちだったので意見を強く押すと、どうにか条件付きで意見を通すことができた。

 

 条件というのが、必ず出かけるときはマキマに直接伝えるというものだ。マキマに外出すると言うと、彼女は必ず“おまじない”だといって私の顔の辺りに手をかざす。

 どういったおまじないなのか、鏡を見ても私の顔に変化はないので分からなかったが、少なくともそうすることでマキマは安心できるらしかったので素直にまじないを受けた。

 

「しっかし、寝とった間にだいぶモノ高なってしもたなあ……」

 

 野菜やら肉やらがやけに高く感じてしまうので、私は運動がてらいくつかのスーパーを巡って買い物をしていた。これでも他と比べて一番安いお店なのだけれど、これくらいの物価が普通なのかなと無理矢理自分に言い聞かせた。

 

「今日は肉とサラダでええやろ」

 

 幸い同居人に好き嫌いはない。美味しければそれで十分なのだとでも言いたげによくよく食べるので、それが嬉しかった。

 

 必要なものは買ったし、洗剤とかの生活必需品は別に切らしてはいなかったはずなので、さてこれで会計を済ませようとレジへ向かったところ、後ろから誰かに強い声で呼びかけられた。

 

「おお! ███じゃ! ███のにおいがする!」

「あァ〜?」

 

 おそらくは女の子が、私の買い物カゴを覗いては「今日の晩飯は野菜か?! 野菜は嫌いじゃ!」などと叫んでいる。やがて後ろの方から男の子がやってきて、こちらの様子を見ては申し訳なさそうな表情で話しかけてきた。

 

 女の子、男の子と、曖昧に話しているのは相手の容姿がよく分からないからだ。というのも、頭がどうにもぼうっとしているからか、まるでモザイクでもかかっているみたいに相手の顔や特徴がわからない。同居人の顔はハッキリと分かるのだけれど、それ以外の人はみんな同じように見えるのだ。

 それこそそう、あまり詳しくない動物を見ていても一個体一個体の区別がつかないのと同じように。

 

「バカ言ってんじゃねえよ███。すンません、先並んでください」

「あー、かまへんよ。元気なんはええこっちゃ」

 

 笑いながら、相手の好意を無碍にすることもできないで、私は彼の言うように先に並んだ。後ろに並ぶ女の子がしきりに名前を呼ぶのだけれど、なんていう名前を呼んでいるのかもよく分からない。私は彼女たちと面識がないのできっと人違いだろう。

 

 ただなんだか、とても懐かしいにおいがした気がする。

 

 それにしても、頭が痛い。あんまりにも頭痛がひどいので、その日は寄り道もせずそのまま家に帰って眠ってしまった。



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スーパーマーケット

 その日の買い物を終わらせて家に帰ると、ちょうどいま仕事から帰ったと見えるスーツ服のマキマが珍しく仕事のときにするような顔でこう言った。

 

「明日、お客さんが来るから。それでヨツナにも会わせようと思うんだけれど」

「お客さん?」

「そ。一年くらい前に大きな仕事があってね。個人的な約束をしていたからそれを聞いてあげようと思って──あとはまあ、お礼も兼ねて」

 

 ほーん、と返事と取れるかやや怪しい言葉で返す。私の返事は大きく否定することがなければ大抵は肯定の意味なので、マキマもそれを了承して、「よろしくね」だなんてことを私に言った。

 

 まあマキマは割と人付き合いの上手な人間だし、家に呼べるような部下がいるというのも信じられない話ではない。なるほどそうなのかと、大きな疑念を持つこともなく私は彼女の話を飲み込んだ。

 

 しかしそうなってくると、私は邪魔になるのではなかろうか?

 明日の夜は外食でもして席を外そうかと思いはしたものの、それならそうとハッキリ言うだろうと思って、一度このように訊ねた。

 

「料理でも作れっちゅうんか? そらまあ人来るんやったら大人しゅうしとくけど……わざわざ念入りに言うたっちゅうことは、そうゆうことやろ?」

「んー、いいね。料理。彼、家庭的なものが好きだろうから、得意料理があれば出してあげてほしいな」

「よっしゃ任せとけ! そーなったら明日は忙しいでぇ」

 

 腕を捲る動作をして意気込む。それを見て、マキマは複雑そうな表情で笑ってみせた。

 

(しっかし……)

 

 引き受けたはいいものの、いま冷蔵庫の中に何が入っていただろうかと思い返すが、どうにも有り合わせのものしか作れなさそうで、お客様に出すような代物を作ることは難しそうだった。

 

「その〜……お客さんはいつ頃来るんや?」

「そうだね……夜、かな」

「ほな夕方には買いもん行っとかななぁ……しっかし、何作ろうか悩むわ」

 

 うんうんと私は悩む素振りをする。そうやって物事を悩んでいるのがマキマには楽しいことに思えたのか、その日は夜まで「明日はどんな夕食にしようか」と話し合った。

 

 そして迎えた翌日。いつものおまじないをしてもらって私は家を出た。

 時刻は日が落ちる少し前。夕方の頃合い。スーパーの辺りは夕飯のための買い物をしている主婦でいっぱいだった。

 なにを買うかは昨日のうちから決めてあったので、手早く買い物を済ませては早々に家に帰る支度を始めた。自転車は家になかったので、今日も今日とて歩きだ。

 

 食べ物の詰まった袋を、よいしょ、っと小さく掛け声をかけて背負い込む。育ち盛りの男の子だと聞いていたのでいっぱい食べるだろうとたくさん買ってしまった……。

 この重さじゃあちょっとしたことで落っことしてしまいそうだったから、卵が割れちゃたまらないと素早く帰路に身体を向けた。その時である。

 

 到底人のものとは思えない奇声が大気を震わした。同時に耳を塞ぎたくなるような物の壊れる大きな音がし、やたら鼻につく異臭とが不快感を誘う。

 音の発生源は、ちょうどスーパーの方からだった。振り返るまでもなく私はそこになにがいるのかを直感から理解していたように思う。

 

「悪魔だ……!」

 

 と誰かが叫んだ。その叫び声を皮切りに、名も知らぬ誰かが悲鳴をあげる。もう誰も彼も他人になんて構っちゃいられない。

 路上で立ち止まっていた私の隣を、恐怖で足が竦んだのか覚束ない足取りで多くの人が逃げ去っていった。肩がぶつかっていることも分からないくらいに恐怖に染まった感情に突き動かされ、彼らは声のする方とは反対に向かって走り出す。

 

「あんたも早く逃げろ!」

 

 そんな声が聞こえて、それも次第に遠くに流れていった。

 

 私も逃げれば良かったのに。なのになぜだか彼らと同じ方へ走り出すことができなかった。

 

 怖くて足が動かないのか?

 

 いや違う。そうじゃないのだ。

 

 私の心はなにごとにも怯えることなく確かな足で地に立っている。震えすらない。ただただ冷静に、悪魔の姿を見据えて、どう立ち回れば被害を最小に抑えられるだろうかだなんていう“倒せることを前提とした”考えばかりが頭の中に巡っていた。

 

 不意に胸元のポケットをまさぐった。そこに獲物はない。

 

 遅れて驚く。……一体私はなにを探しているんだと、自問する。私は硬く、冷たく、鋭利な感触を求めていて──いったいそれはなんだ?

 

「……ああッ、もう! バカや! 頭がどないかしてもた! うちのアホウ、アホ!」

 

 考えの整理がつかないうちに、激情に駆られるようにしてスタートダッシュを決める。食べ物が入った袋は背負ったまま、スーパーの方まで一直線に走っていった。

 

 スーパーではタコだかイカだかよく分からない沢山の触手を携えた異形が人を食い散らかしながら周りを破壊し暴力のかぎりを尽くしている。建物を破壊するほどの大きさに、力。到底人の身で叶うはずもなく、逃げ遅れた店員や客はその餌食となっていた。

 

「バカバカ……! 早よさっさ終わらせてっ、家っ、帰るッ!」

 

 悪魔はまだこちらに気付いていない。だがそれがアドバンテージになるほどの勝機なんて、今の私にはない。

 なにかないのか……。必死に頭を働かせると、一つ閃きがあった。

 

「せや!」

 

 思い至り、地面に落ちていたガラスの破片を拾いながら走った。無論このようなものであの悪魔を倒せるとは思っていない。あくまで繋ぎとして必要としただけだ。

 

(来た!)

 

 走り寄る私に気がついたのか、悪魔はその長く太い触手を大きく振るった。鞭のように素早く繰り出されたそれは的確に私の足元を攫おうとしていたが、咄嗟の跳躍でそれを避ける。

 ただ悪魔の触手は一つだけではない。跳躍で宙に浮き身動きが取れなくなった私に、いくつもの鞭が飛ばされた。

 

「遅いッ」

 

 はじめにやってきた触手を掴み、それを乗り越えるようなかたちでより前に出る。手が触れる表面はぬるぬるとするので、ガラスの破片を刺すことでより確かに掴めるようにした。

 

 その調子で悪魔の連撃をやり過ごしたあと、私はスーパーの精肉店の奥にある作業場に身を投げ込んだ。

 

「刃物、刃物……あった!」

 

 見つけたのは、肉を切るような長く鋭利な包丁。これであれば十分な戦いができる……!

 

「……よし!」

 

 と、私が包丁を手に取ったタイミングで悪魔が壁を破って作業室にまでやってきた。完全に舐めきった、隙だらけの動きだ。

 

 触手を切る。こちらに向けられた攻撃に合わせて、それを弾くように切る。相手の動きに合わせて切る。刃こぼれしないように、暴力的な力の流れに添わせて切る。ただひたすらに無駄なく切る。相手の弱点にのみ焦点を合わせ、無駄な動きはせず、ただ一点のみを見つめて殺す。

 

 完成された殺しは、あっという間に一つの命を終わらせる。一寸の狂いもなく迷いもない動きとその結果から、心臓を抉り出された悪魔は一切の生命活動を停止した。

 

「……ああっ、もう……」

 

 息すら乱れない。自分でもびっくりするくらいに、落ち着いている。

 

 重たい肉が地面で歪んだ。まるでタコみたいに死んでもなお触手が動くので、私はすぐにそばを離れた。なにより、いま自分のしたことが信じられなくって、恐ろしくなって逃げるように店を出た。

 

 店を出て道を歩いていると、向かい側からサイレンを鳴らす車がスーパーの方に向かって走っていた。本来、この悪魔を倒すべきであった者たちがやってきたらしい。

 

 いま体験したことを誰かに話せるわけもなく、家に帰って殻の割れてしまった卵を見ながら、その蕩けた黄身に今の自分の心を重ねた。



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串カツ

「おかえり。どうかした?」

「いや、まあ……卵割ってしもてな」

 

 家へ着く頃にはもう日が暮れていた。時計を見ると予定していた時刻をいくらか過ぎていたのであまり時間的な猶予はない。先ほど起こった出来事に動揺の色を見せつつも、スーパーで買った食材を手に私はキッチンの方に向かった。

 

 けれど、私がキッチンであれこれ準備をしている間、マキマが私の不自然な様子を見て疑問に感じたのか心配の声を重ねるのだった。

 

「今日は具合が悪そうだし、やめとこうか。明日でも構わないから」

「いや、向こうにも事情っちゅうもんがあるやろ? 部外者のうちを理由に中断させるわけにはいかへん」

 

 実際、体調はそこまで悪くないのだ。むしろ絶好調とすら言える。

 ただ気になるのは、いつもより長く続く頭痛だろう。普段から頭が痛むことはあるのだけれど、どれも一時的なもので今日のように長い間苦しむのは初めてのことだった。

 

 なにかを思い出そうとしているのか、それとも思い出しかけた記憶を押さえつけようとして生じた痛みなのか──どちらにせよ、スーパーで起こった不思議な出来事が原因で今の私はこんなにも苦しめられているらしい。

 

(ちゅうても、頭痛いなんて話、マキマにしたところで困らせてまうだけやろうし……はよやることやって、寝た方がええか)

 

 といったわけで私は手早く手を動かした。

 それを見て、マキマも観念したのか、今日開かれる夕食会に前向きな姿勢を見せるようになった。

 

「熱がないかだけ確かめさせて」

 

 言ってマキマが、作業中の私の額に手を当てる。自分の体のことだから分かるが、熱はない。マキマもそれを認めて、「大丈夫そうだね。偏頭痛かな?」なんてことを言っている。

 

「言うたやろ? 問題ないって。心配なんは時間までに料理できるかどうかやわ……暇なんやったら、そこの鶏肉切るとかしといてや」

「ん。今日はなに作るの?」

 

 言いながらマキマは近くにかけてあったエプロンを手に取った。度々こうして隣に並んで料理をするのがこの家での日常だった。

 

「年頃の男の子で、ようさん食うんやろ? せやったら揚げもんがええな思って、唐揚げとかトンカツとか、とにかくようさん揚げて串カツみたいにしよ思ってな」

 

 まな板のそばに置いてあるたくさんの串を示しながら言った。

 

「ソースもこだわりたかったけど、まあしゃあない。また今度大阪帰ったときにでも買うてくるわ」

「ふーん、串カツか……」

 

 興味深そうにマキマが頷いた。

 

「楽しみだね」

「マキマが食う気なってどないするん。あくまでお客さんもてなすための料理なんやから……まあ、もてなすっちゅうてもそんな高尚な料理やないけど、腹減っとる男子ならこれでええやろ」

「ふうん」

「前も似たようなやつ世話しとったんやから──まあ、この話はええか」

 

 ともかく、と話に区切りをつける。

 

「揚げるのに必要な衣とか、マキマはよう分からへんやろうから、ひとまず串に刺せるくらいの大きさにその肉切って……ああ、もうちょい小さく。それやと大きい──」

 

 そんな問答を繰り返しつつも、十数分ほどはそうして二人で料理を作っていた。

 

 しばらくそのやりとりをして、マキマはまるで満足したように息を吐くと、ふと時計を見上げてハッと気付いたようなそぶりでこう言った。

 

「そろそろ時間だ」

「ん、そうか。あとやっとくから行ってきいや」

「分かった。じゃあ私、迎えに行ってくるから──」

 

 エプロンを脱いで、マキマは部屋着から少し外向けの服に着替えた。そうして外に出ようと玄関口の方まで向かう途中、思い返したようにキッチンまで引き返してきた。

 

「そうだそうだ。おまじないはもう、いらないね」

「? おまじない?」

「うん」

 

 言ってマキマは私の顔に手をかざす。いつもやるおまじないやらと比べて、とても軽い感触だった。

 

「じゃ、今度こそ行ってくるから。……三十分もすれば戻ってくるかな?」

「ん、分かった。ほなそれに合うように揚げとくわ」

 

 扉の閉まる音がする。時間帯的にそろそろどの家も夕飯を食べる時間帯だ。……こうして我が子のためを思うような気持ちで料理を作るのは久しぶりな気がした。

 

──────

 

(デンジくん視点)

 

「二階と三階が私の家なの」

「はあ……」

 

 春頃にアキが寿命で死んで、そっからはレゼやら黒瀬やら天童って人に手伝ってもらいながらパワーと二人で暮らしていた。

 葬式ってやつは二度目だった。あんな嫌な気持ちは二度とごめんだって思ってたのに、また同じような気持ちになったからますます葬式が嫌いになった。

 

 しばらくして夏になってからも、ヨツナさんの部下だっていう人らに教わりながら勉強をして、そんで同じような日々を暮らしてきたけど、ずっと頭の中がゴチャゴチャしてる。

 

 きっと脳ミソがクソになったんだ。なに考えても同じような気持ちになる。

 

「あっそうだ。キミ、犬大丈夫?」

 

 マキマさんからの質問に、俺は小さく首を縦に振った。

 

 そうして扉をくぐる。一瞬、油物の美味そうな匂いがしたけれど、すぐにやってきた沢山の犬の群れに襲われてすぐに犬の匂いでいっぱいになった。

 

「知らない人きたね〜よかったね〜」

 

 マキマさんは慣れた手つきで犬を落ち着かせている。きっといつものことなんだろうなって思いながら、俺もマキマさんが言ってるような挨拶をしてみた。

 

 犬に囲まれながら動くのは一苦労で、居間の方まで向かうのにも時間がかかった。けれどこうして暖かい生き物に囲まれているのは、不思議と安心感のあるものでもあった。

 

「今日はご飯用意してあるから、楽しみにしててね」

「ご飯……?」

「そう。揚げ物だよ」

「へえ……」

 

 さっきから良い匂いがしてるのはそういうわけなのか。マキマさんの手料理かあ。

 

 人懐っこいのか、犬はよく俺に顔を擦り付ける。それが嬉しいのか、それとも隣にマキマさんがいるのが嬉しいのか、よく分からないけれど久しぶりに心が温まるような心地がした。

 

「ねえデンジ君……約束、覚えてる?」

「約束?」

「私はキミにたくさん助けられたから、そのお礼をしたいんだ」

 

 犬の山から顔を出すと、じっとこちらを見つめるマキマさんの目と視線がかち合った。

 

「私に叶えてほしいことがあったら、言ってみて」

「────」

 

 心休まるところがあるとするなら、それはこの家な気がした。なにも考えないで、こうしてマキマさんといられるならどれほどいいのか。

 

「犬に、なりたい。マキマさんの……」

「……犬? それってどういう──」

「でけたで!」

 

 ふと懐かしい声が聞こえてきた。独特の方言に、聞き慣れた声色。頭を後ろからガンと殴りつけられたような気持ちになって、見なきゃいいのに声がした後ろの方を振り返った。

 

「君がお客さんか! 最近の若い子、そない食わへん聞くから怖かったんやけど、君はようさん食いそうやから安心したわ!」

 

 まだまだあるからようさん食べや、と、見たことのある顔が見たことのある満面の笑顔で俺の前の机に料理を置いた。

 この料理も、一度食べたことがある。どれも記憶に残っている。

 

「え、あ、はあ……? どう、どういうこと……」

「……話の途中だけれど、紹介するね。彼女は一ノ瀬ヨツナ。私の同居人で、古くからの“友達”」

 

 よろしゅう、とヨツナさんは言う。

 

「で、こっちがデンジ君。私の部下で、前に役に立ってくれたから今日はそのお礼にね」

「ふうん、デンジくん言うんか。ええ名前やな」

 

 と言われ、ますます俺は混乱する。

 死んだはずの人が、まるで他人みたいに接してくる。

 いや、そりゃ死んだんだから、いま目の前にいるのは別人なわけで──でも、こんなことってあるのか?

 名前もおんなじ、顔もおんなじ。話し方も、声も、なんなら笑顔だって同じ。

 

「ほなうち、追加で揚げてこなあかんから──あっ、二度漬け禁止やで!」

 

 と元気なそぶりで言って、ヨツナさんはキッチンがある奥に行く。

 俺はなにがなんだか分からなくって、マキマさんの方を見るけれど、マキマさんはなにを考えているのかよく分からない笑みを返した。



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夕食

「デンジ君、食べないの? 美味しいよ。ヨツナの作ったご飯」

「いやっ、食います……っ」

 

 一心不乱に料理を口に突っ込む。熱さと旨さで口の中が溢れるが、それでもゴチャついた頭がどうにかなることはなかった。

 マキマさんもヨツナさんも、あんまりにも自然な顔をして過ごしているものだから、俺ん頭がおかしくなっちまったんじゃねえかとすら思った。きっとそうだ。いつの間にか狂ってたんだ。そうだったならなにもかも楽でいられるのにと口いっぱいに含んだ鶏肉を咀嚼した。

 

「たくさん食べるね」

「んぐっ、うっ……」

 

 マキマさんは水を飲みながら話した。俺は話を聞いているのかどうかも分からないくらいに、なにもかも忘れるように食べる。

 

「最初はね……パワーちゃんも家に呼んで私が殺そうかと思ってたんだ。けれど家にはヨツナがいるから大きな騒ぎはできないし、さっき使いを送っておいたの」

「──んっ、なに、えっ、なんの話ですか……?」

「パワーちゃんの話だよ」

 

 言ってマキマさんは机の上に布を敷くと、傍にあった紙袋をその布の上に置いた。ペチャリと、紙袋に似合わない湿った音がした。

 そこでハッと気がついた。底の方が濡れているんだ。よく見れば少し赤かった。

 

 マキマさんはその紙袋をスッと俺の目の前まで寄せてきて、「どうぞ」とでも言わんばかりにその中身を見るよう仕草で促す。

 あんまりにも不穏な考えが浮かんでくるものだから、つい食べる手と口を止めてそのままの姿勢で硬直してしまった。

 

 ただマキマさんだけは相変わらず、さも自然なことのように振る舞う。

 

「これ、パワーちゃん」

「はっ……?」

「中、見てもいいよ」

 

 言われて、視線が紙袋に注がれる。言われるがままに触れて中を見ようとしたけれど、心が強く拒絶して、手が震えて、紙袋に触ることすらできない。

 

 ギュッと箸を持つ手が固まる。さっきまで食べてたものを全部吐き出してしまいそうなくらいに、身体の中の内臓がぐるぐる動いているのが分かった。

 なにがそんなに怖いんだ。頭がおかしいのは俺なんだから、なにも怖がることはねえのに。

 

「あはは、は、なんの話っすか……飯食ってるときに」

「…………」

「うっ」

 

 一向に中身を見ようとしない俺の様子を見かねてか、マキマさんは紙袋の中に手を突っ込んで、中から真っ赤な角を取り出した。

 角は二本。いっつも風呂入るときに洗ってやってるからよく分かる。根元にこびりついた金髪が、なにより一番気持ち悪かった。

 

「うっ、ぐぷ……おえええっ……!」

 

 口に入ってたものも、さっき突っ込んだものも、なにもかもを身体が拒絶して、胃が激しく上下した。キュウキュウと喉の閉まる感じがする。胃酸で口の中が辛い。なにより、頭ん中が腐り始めてる。

 

「あーあ……吐いちゃった」

「! ────?!」

「ごめん。体調が悪いみたいで、吐いちゃったんだけれど……」

 

 遠くの方で会話が聞こえる。俺のことを心配している誰かの声と、それと会話しているマキマさんの声だ。

 しばらくすると片方の声は遠ざかって、嘔吐物のツンとした臭いも消えた。多分、片付けてくれたんだろうと思った。

 

「はっあっ、これっ夢っ?」

「え?」

「えっ? これ、ユメ?」

 

 朦朧とした頭で隣にいる誰かに話しかける。帰ってきたのは、いままで聞いたことのない噛み殺すようなマキマさんの小さな小さな笑い声だった。

 

「……ふふ、くふっ」

「え……?」

 

 マキマさんは笑いを堪えると、目元の涙を拭いながらこう話した。

 

「私はね、キミとポチタが交わした契約を破棄させたいんだよ」

「契、約……?」

「そう、契約。キミが普通の生活を送る代わりに、ポチタはキミに心臓をあげる……そういう契約」

 

 マキマさんは話す。知りたくもないことを、とめどなく話す。

 

「私はね、どうすればその契約が破棄できるか考えたの。どうすればデンジ君が普通の生活を送れなくなるくらいに──一生立ち直れなくなるくらい、傷つくのかって。でもそれって難しいよね。だってデンジ君はポチタと二人で貧しい生活を送っていてもそれで満足だったんだから──だからまずは、デンジ君をうんと幸せにすることにしたの」

 

 すっかり冷たくなった掌に、マキマさんの暖かな手が重なった。けれど今はその暖かさすら俺の頭から肺まで全てを緩やかに腐らせていった。

 

「仕事用意して、お金をあげて、おいしいものをたくさん食べさせて。早川君は良いお兄ちゃんになってくれたし、パワーちゃんは世話の焼ける妹になってくれた。ヨツナは面倒見のいいお姉ちゃんかな?」

 

 独り言のようにマキマさんはつぶやいた。

 

「計画とは少し違ったけれど仕方ないよね。でも上手くいきそう。むしろこっちの方が良かった気がする」

 

 ともかく、と話に区切りをつけて、マキマさんは俺の顔を上げさせて、目と目を合わせて話した。

 

「そういう幸せをデンジ君の普通にして、それから全部壊すの」

 

 その目はいつも通りのマキマさんだった。いつものマキマさんとなにも変わらない……だから、これが嘘でもなんでもなく、夢でもなんでもなく、“元からそうだった”んだって思わされた。

 

「明日は早いし、今日はもう休もうか。──ねえ、──」

 

 声がだんだん遠のいていく。

 いつの間にか部屋は暗くなっていた。

 夏だっていうのに身体はうんと寒くて、だから知らず掛けられていた毛布から誰かの優しさを感じて、より一層内臓が上下して吐き気が俺を襲った。



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朝を迎えて

(ヨツナ視点)

 

 夜明けごろになると一部の犬達が目を覚ましだすので、それに合わせて私も目を覚ますようになっていた。家で飼っている犬の数があまりにも多いので、朝夜と時間を分けて散歩をしなければ道を歩くのも困難なくらいだったからだ。

 小型犬ならまだしもうちにいるのは大型犬だ。散歩の大変さは想像に難くないだろう。

 

「彼、まだ気分悪そうやなあ。難儀なこっちゃ」

 

 起きて出るとキッチンの方で目玉焼きを作るマキマがいたので、朝の挨拶を交わしてからそんなことを話した。

 

 昨日やって来た少年の顔色は随分と悪い。家に帰って休めば良いと提言したのだが、時間が時間だったので結局こちらで一夜を過ごすことになっていた。

 ご飯自体はモリモリとよく食べていたようなのだけれど、突然気分を悪くして吐いてしまったらしい。食べ物が腐っていたのか心配になったのだけれどそういうわけでもなし。アレルギーだろうかと思ったけれど、目に見えるような肌の発疹もなかったのでなんとも言えなかった。

 

「寝顔もなんや気分悪そうやし、悪夢でも見とるんやろか」

「どうだろう。それなら起こした方がいいのかな」

「う〜ん……ま、魘されとるわけでもないし、そっとしといたろか」

 

 ただあんまりにもその表情が可哀想だったので、背中を少しだけさすってやる。こんなことで彼の苦しみが和らぐとは思わないが、不思議とそうしてやりたいと思ったのだ。

 

 すると、そうして私が彼の頭を撫でているのを見たのか、いつの間にやらキッチンからリビングにやって来ていたマキマがこんなことを訊ねてきた。

 

「彼のこと、そんなに気になるの?」

「まあ、せやな……気になる」

 

 返答には少し迷った。私自身、彼をこうも心配する気持ちがどこから湧いて出ているのかが分からなかったからだ。

 ただ理由は分からなくても、心配する気持ちは本物だと感じたから、曖昧ながらも答えた。

 

 するとマキマは「そっか」とだけ言って、ソファで眠る彼と私との間に割り入るようにして机の前に座り、それから「朝食を食べよう」と私にも座るよう促した。

 断る理由もなかったので促されるままに着席する。

 

 いったいなんだったのだろうかと疑問に思いつつも、彼女が用意してくれたパンや目玉焼き、サラダといった朝食に手をつけた。

 

(実際、うちはなんでデンジくんのことがこんなに心配なんやろか……そら体調悪そうな人おったら誰が相手でも心配にはなるけど、こうも心苦しなることがあるんか)

 

 昨日彼が体調を崩し始めたときから抱いていた違和感を、このとき初めて具体的に捉えられた気がした。

 

 心配は誰にだってする。

 けれどこの心苦しさは赤の他人へ向けるには珍しい感情だと思う。マキマにだって、そう簡単には向けることのない気持ちだ。

 

 そんなことを食べながら考えていたものだから、食事の最中は会話もなかった。食べ終わると二人で食器を運び、そこからは私が洗い物をした。

 

 マキマはマキマで、今日は用事があるらしい。

 

「そうだ」

 

 とスーツに着替えていたマキマがキッチンに顔を出して言った。

 

「今日は仕事があるから、デンジ君と一緒に外行ってくるね」

「ん、分かった。ほなうちは犬っころの散歩行ってくるわ」

 

 と返すと、マキマは考えるように顎に手を当てて、「いつくらいに散歩は終わりそう?」と訊ねてきた。

 

 どうしてそんなことを訊くのか疑問に思ったけれど、それをわざわざ話の合間に挟むのもわずらわしかったので、「今が五時ちょっとやから、洗いもん終えてからってなると……七時前には帰れるんちゃうかな」と答えた。

 

「そっか……じゃあ悪いんだけど、今朝の散歩はナシにしよう」

「ナシ? ええんか? 犬の健康とか」

「仕方がないよ。今日はそういう日だから」

 

 それより、とマキマが話した。

 

「今日は外が騒がしくなるけれど、絶対に外には出ないようにしてね」

「……? なんの話や? 祭?」

「そんなものかな」

「はっ、真っ昼間から祭なんてあるわけないやん」

「…………」

 

 マキマはネクタイを結びを終えると、真っ直ぐな目でこちらを見た。「外に出ないで」という言葉を念押しをするように。

 

「……別に構わへんけど、いつまでなん?」

「夜には終わるかな」

「ほな夜まで自宅待機っちゅうことか。ほら犬っころども、今日の散歩はないからさっさ飯食うて寝えや。あーほら、遊んだるやん」

 

 散歩がないと分かるや否や(犬に人の言葉が分かるとは思わないけれど)、目を覚ましていた犬たちはその有り余る元気をじゃれつくというやり方でぶつけてくる。

 一体相手ならまだしも、大型犬複数体とじゃれつくと立ってもいられない。

 

 床に倒れ伏してああだのこうだの言っている私の方を見て、マキマは笑った。

 

「じゃあ行ってくるね」

 

 いつの間にか目を覚ましていたデンジくんを連れて、マキマは玄関から外に出た。私はそれを見送って、少しの間の平穏を犬達と過ごすのだった。



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外へ

 散歩は止めて家にいるよう言われたのでしばらくの間は犬とじゃれあい過ごしていたのだが、マキマが家を出てからそう時間も経たないうちに大きな物音が家の外から聞こえ始めた。

 

「なんやこの音……」

 

 普段家の中はとても静かだ。車通りの多い場所に家が面しているとはいえ、遮音性の高い壁やカーテンなどがそうした雑音を取り払ってくれるおかげで普段は静寂が家の中に満ちている。

 

 だからこそ、こうして耳に障るような物音が聞こえるのは驚きでもあり、同時に眉を顰めるような出来事でもあった。

 

(っちゅうても、家から出るな言われたしな)

 

 物音に怯えてか、その大きな体に似合わず犬があたりを走り回ったり隅の方で縮こまったりしている。どうやら私だけに聞こえている幻聴ではないらしいとそこで気付けたが、どうするべきかはいまだはっきりとしていない。

 

 マキマが家から出るなと忠告したのは、こうした出来事があると予め知っていたからなのだろうか? だとすれば、いま外はかなり危険な状態にあるのではないのか?

 

(こうして家おる方がええんやろうけど、せやけど……)

 

 それはなんだか、むずむずする。抽象的な言葉しか出てこないけれど、こうしてなにも行動せず閉じこもっているだけというのは性に合わない気がした。ましてや同居人がいま危険な目に遭っているかも知れないというのに、なにもしないのはどうなのかと思ってしまうのだ。

 

「あかんなあ……外に出る理由ばっか探してまう」

 

 どうしたらいいんだろうね、と抱きかかえていた犬に語りかけてみるが、犬はなにも理解していなさそうな顔でこちらを見返すばかりだった。

 

 大きな物音は最初だけで、あとは特別なんの音もしなくなっていたので部屋はまた静かになっていた。ときどき照明が点滅するくらいであとは異常も何もない。

 

 ただそんな静寂を打ち破るように、甲高いチャイムの音が鼓膜を震わした。ピンポンと、よく考えれば今の今まで聞いたことのなかった家のチャイム音を聞いた。

 

(……うるさいやつ)

 

 チャイムを鳴らす人は随分乱暴なようで、扉をドンドンと叩いたりして私を急かす。

 

 あんまりそう、うるさくしないで欲しいのに。もっと静かに生きればいいのにと思いながら、私は扉の上部についている覗き穴から誰がチャイムを鳴らしているのか確認してみた。

 

 するとどうだろう。魚眼レンズのように湾曲したガラスの覗き穴の向こうには明らかにカタギではなさそうな傷だらけの男が立っていた。白髪混じりの髪からして歳は随分と重ねているようだったけれど、物々しい口元の傷や耳に付けられたいくつかのイヤリングが異質な雰囲気を纏っている。

 

 だというのにスーツ姿とやけに堅苦しい格好だったので、何事だろうかと私は身構えた。明らかに怪しいのだ。

 

 どうしたものかと考えた私は居留守を試みたが、されどもずっと扉を叩く音がするものだから痺れを切らして扉越しに応答した。

 

「すんませぇん、いま部屋主留守しとって新聞とか保険とか受信料とか分かりませぇん」

「あ……? いるのかよ。だったらさっさと開けろよ」

(お〜こわ。ヤクザやこれ。話通じやん)

 

 居留守していれば良かったと思いつつも、声を出してしまった以上今更不可能だ。

 はてどうしたものか。家の中にいるたくさんの大型犬を見れば少しはビビって帰るだろうか。

 

 そんなことを扉の前でああだのこうだの長考していると扉の向こうの相手は痺れを切らしたのか、いよいよ本格的に扉を蹴り始めた。具体的に言うと蹴破ろうとしていた。

 

 扉が軋み始めたのを見てさすがにヤバいと感じ、私は慌てて扉を開けた。もちろん扉のチェーンロックは忘れずにかけた上でだ。

 

「人ん家の扉蹴んなや!」

 

 と、少しだけ空いた扉の隙間から顔を出して、不満タラタラに文句を言う。舐められたら終わりだ。出来る限り睨みと凄みを効かせて叫ぶ。

 すると扉の向こう側にいた男は私の顔を見るや否や、随分と不服そうな表情でこんなことを言うのだった。

 

「……チッ、どいつもこいつもバケモンかよ」

「あ……?」

「あーいや、関係ねえ。むしろ安心したってことだ」

 

 男はすぐに無表情に戻って話した。

 

「お前生きてたんだな。ほら、行くぞ」

「は? 行くって、どこに?」

「どこってそら、本部だ。お前はまだ家には帰れねえな。事情聴取しなきゃならねえ。だからまずは公安本部だ」

 

 不思議なことを言う。公安って、つまりこの男は政府の人間なのか?

 

「うちがなにしたっちゅうねん……ただ家おっただけやし。ちゅうか、うちの家はここやから。他にどこに家があるいうん? おっさん」

「オッサン?」

「ほなうち今から冬に向けてマフラー編まなあかんから、さいなら」

 

 と言い残し扉を閉めようとしたところで、がつんとなにか物に当たる。見れば扉の隙間にオッサンが足を挟んでいて閉められない。

 

「んっ……なにしとんねんオッサン!」

「あー待て、話しかけるな。……じゃあなんだ、お前自分の名前は言えるのか?」

「……一ノ瀬ヨツナやけど」

「じゃあ、出身は?」

「大阪?」

「歳はいくつ?」

「……なんでそんな言わなあかんねん! 警察呼ぶで」

 

 ますます怪しい。今のところ、この男に良い印象というのが一つもない。ただただ怪しく、ただただ不気味なだけだ。

 

 いっそ男の足が潰れてしまっても構わないから扉を閉めてしまおうと思って、扉を強く引く。けれど男は今度は腕を間に差し込んで、よりいっそう力強く扉の間を空けようとしていた。

 

「お前、自分の職業は憶えているのか?」

「職業? ……強いていうなら家政婦? 金もらってへんけど」

「じゃあ、部下のことは?」

「部下? ……なんのこと言っとるんや? さっきからオッサン変やで」

「…………」

 

 男はそれきりしばらく黙って考え事を始めた。いい加減帰って欲しかったが、扉を蹴破られては困るのでしぶしぶ彼の長考に付き合った。

 

 こうして静かになると、遠くの方で空が爆ぜる音が聞こえてきた。やけに騒がしい。こんな昼間なのに花火でもしているのだろうか。

 

「ああそういうことか。忘却の悪魔か……いたな、そんなやつ」

「はあ?」

「確か対処法は……」

 

 言って男は懐から取り出した一つの封筒を扉の間から差し込んできた。不審極まりなかったが、中を見ろというので私はその封を開けて中身を見た。

 

 中に書かれてあるのは誰かの遺書のようだった。遺書なんて読んだことがないからこう言うのも変だが、とても違和感のある遺書だ。

 文字の感じも、文章の作り方も、どこか見覚えがある。けれどここに書かれてあることはなにもかも知らない出来事だ。そう、まるで他人の人生を覗いているようでいて、けれど私にとってそれはとても違和感のあることだった。

 

「う……ッ!」

 

 途端にひどい頭痛が襲い掛かる。頭がキリキリと痛んで、なにかが暴れているような感じさえした。

 

「その痛みを拒絶するな。お前は今、記憶を取り戻そうとしている」

「記憶ゥ……?」

「そうだ。俺について来れば記憶を取り戻す手助けをしてやる。……良いから来い」

「ッ……」

 

 マキマに言われたことを思い出す。家から出てはいけない、と。

 けれど今となってはその言葉に疑惑の気持ちさえあった。あの遺書を読んでから頭がとても痛むのだけれど、それ以上に私は様々な感情で心が乱されているのだった。

 

(マキマは、うちにとってなんなんや……。なんでそないなことをいまさら疑問に感じとるんや……)

 

 失った記憶とやらを取り戻せば、それも解決できるのだろうか。私は扉のチェーンロックを外して外に出た。

 男はそれを認めると、こう名乗った。

 

「俺の名前は岸辺だ。さん付けで呼べ」

「ふうん……ほな岸辺さん。よろしゅう」

「……さっさと行くぞ」

 

 言って歩き出したので、私も彼の後を追って歩き始めた。外気に触れると少しは頭の痛みも治ったような気がした。



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車に乗って

 車は家から少し離れたところに停められてあった。近くに停めていなかったのにはきっと理由があるのだろう。段々と現状を理解し始めた私はその理由とやらもおおよそのあたりをつけることができた。

 きっと戦いで巻き込まれないようにするためだ。彼らは移動手段が潰されてはかなわないといった様子だった。

 

 男に促され道端の車の扉を開ける。車に乗り込もうとして、ふと空を見上げた。いつもと変わらぬ空だが、大きな音が響いてどこかどんよりとした雰囲気がある。現にいまだに遠くからは騒がしい音が聞こえてくる。金属と金属がぶつかり合いどちらかが折れる音。炎の立ち上がる光。建物の崩落する地響き。

 家を出たときに見られた廊下の惨状はきっと戦いの跡で、遠くから聞こえてくる音は今まさに行われている争いの音なのだろうと思われた。建物の崩壊はかなり大規模なものであったから、仮に建物のそばに車を置いていたならばその崩壊に巻き込まれていたに違いない。

 どうして戦いが始まってしまったのかについてはよく知らない。マキマにとって彼らが味方なのか敵なのかすらもハッキリとしたことは説明されなかった。

 

「やけに素直に着いてくるな」

「素直が一番やないですの。あかんのですか」

 

 車に乗り込むなりバックミラー越しで岸辺さんがそのように話した。嫌味やら皮肉の気持ちが混じっているわけではなさそうだったが、私はムッとした表情で応えた。無意識に出た癖だった。

 

 すると岸辺さんは呆れたふうにこう言った。

 

「そら結構だが、さっきまでの態度を見れば少しは反抗されるもんだと考えるのが普通だろう」

「さっきのは……岸辺さんがよう知らん人やったからです。せやけどこの遺書を読む限り、無碍にしてええような人やなさそうやったんで」

「……お前、本当は記憶戻ってるんじゃないか?」

 

 その問いかけと共にエンジンのかかる音がした。私は不貞腐れたように窓際で頬杖をついて返す。

 

「せやったらええんですけどね」

 

 ムッと膨れっ面をしたり素気ない態度をとったりするのは私にしては珍しいことで妙な心地になる。

 マキマに対してこういうことをする機会はほとんどないからだろうか。ならどうして私はこの男に対してそういう態度を取ることができるのだろうかと疑問に感じられる。

 

 身体は正面に向けながら横目で車内を見渡した。公安というからには仕事などで使う武器やら道具が後部座席に散らばっていて、よくよく思い返してみれば車の外装もところどころ傷ついていたように思える。

 

 少々荒っぽい運転に気を取られつつも私は岸辺さんと会話をしていた。会話の内容は主に記憶についてだった。

 

「遺書を読んだ感想はどうだ。あんまり良い気はしなかったか」

「良い気せえへん思うなら読ませんといてください。……いやまあ、助かりましたけど」

「で、どうなんだ?」

 

 しきりに尋ねてくるので正直に答えた。

 

「記憶はまだぜんぜん戻ってませんよ。うちはアンタが……岸辺さんが何者なんかもよう分かっとらへん。なんせ記憶がないんやから。せやけど、うちが何者かやった過去があったらしいっちゅうことはなんとなく分かりました」

「あ……? なに言ってんだ」

「うちの記憶に穴空いたぁることがよぉ分かったっちゅうことです」

「なら上々だな」

 

 ドリンクホルダーに差してあったペットボトルの中の液体を飲みながら岸辺さんは話した。

 

「で、記憶がないって感覚が俺にはよく分からないんだが、お前自身そのことについて自覚はあるのか?」

「ええもちろん」

「じゃあ記憶を取り戻そうとはしなかったのか」

「そら……」

 

 訊かれて答えに詰まった。

 昔のことを思い返そうとすると頭痛がするので考えないようにしていた。けれど、だとしてもそれに抗ってでも記憶を取り戻そうとするのが普通なのではないかとふと今思ったのだ。

 

 本当はなにが理由で私は記憶を閉じ込めたままにしていたのか。未だに記憶のほとんどが戻っていない今じゃ、推測すらもつけられない謎だった。

 

「まあいい、単に気になったから聞いてみただけだ。それにいま聞いたことが解決したって目の前にある問題はどうにもなりゃしないだろうしな」

「どうにもならない?」

「だってそうだろ。最終的にお前の記憶が元に戻ればこの話は終わりだ」

 

 グイッとペットボトルを煽って岸辺さんは話す。

 私はそれがなんだか納得いかなかったが、どこがどう納得いかないのか分からなかったのでそれ以上疑問を追求するのはやめた。

 

「っちゅうか、今どこ向かっとるんです? 公安?」

「なんだ、公安は知ってるのか?」

「ええまあ、なんとなく」

「公安に用があるならまた今度にしておけ。あそこはマキマの目や耳が多いからな」

 

 幾度目かの信号で止まる。

 

「今はセーフハウスに向かってる。つってもまあ、マキマにバレないってだけのただの地下室だ。ひとまずマキマに狙われているやつはあそこに避難させる……」

 

 と言ったところで、岸辺さんは思い出したようにダッシュボードを開けて中にあるものを私に渡した。

 

「そうだ。これを見せろって言われてた」

 

 ほれ、と手渡されたのは一冊のアルバムであった。相当に年季の入ったもので、いくつもの写真が収められているのか膨れ上がったように分厚くなっていた。

 

 中を開けようとして、岸辺さんに止められた。

 

「中を見るのは向こうについてからにしろ。……それより、そのアルバムについて聞きたいこととかはないのか?」

「……誰のです?」

「お前のアルバムだ」

 

 私のアルバム。

 どうりで胸が痛むわけだ。

 

「どうだ。なにか思い出すことはないか」

「そないすぐ思い出せるんなら苦労しませんよ。せやけど……」

 

 そっとアルバムの表紙をなぞる。ああ、カメラがあれば、誰かと写真が撮れるのに。

 

「その、記憶がまだゴチャゴチャしとって、よう分からんのですけど……うちはなんでこんな気持ち今の今まで忘れとったんやろうって、思いました」

 

 そうか、と岸辺さんは頷いた。

 

 それからしばらくは黙って車に乗っていた。私からすれば岸辺さんは初対面同然なので、共通の話題や盛り上がれる話なんてのは当然のようになかった。

 

 なによりアルバムが私の心を引きつけた。ここには私の大切なものがたくさん詰まっているように感じたから。

 

 大切にアルバムを抱えて、背もたれにもたれかかる。そうして少し首を傾けて、岸辺さんの方を見た。

 

「うちからも質問ええですか」

「ああ」

「どういうワケで、うちのこと助けてくれるいうんですか」

「そりゃ……」

 

 出かかった言葉を岸辺さんは飲み込んだ。一体なにを言おうとしたのだろうか。

 けれどすぐに彼はこう答えた。

 

「お前は何年経っても世話の焼けるやつだからな」

「…………!」

 

 その言葉には自然と感じ入るものがあった。私はあんまりにも衝撃を受けてしまったからか、言葉すら出ないほどだった。

 

 存外それなりに車に乗っていたようで、いつの間にやらセーフハウスとやらに着いていた。私は地下へと降る階段を降りながら先導する岸辺さんにこう尋ねた。

 

「あともう一つ」

「なんだ? 次はデンジの回収に行かなきゃならねえ。簡単に済ませてくれ」

 

 グイっと岸辺さんはペットボトルの中の水を飲み切る。すっかり空だ。

 

「それ、いま飲んでるの……ほんまに水ですか?」

「あ? 酒だよ。素面じゃやってられねえ」

「……まぁええわ」

 

 この扉の奥がそうだ。俺は次の場所に行く。と岸部さんが言うので、呆れ顔で私は岸辺さんが出て行くのを見送った。



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理想とは

 アルバムに収められていた写真を見終えた頃になって、階段を降りる誰かの足音が聞こえてきた。おそらく岸辺さんだ。聞き覚えのある固い革靴の足音だった。

 

 それと同じくして二つの足音が後から付いてきていた。これは誰のものか分からない。ただ片方はなんとも気だるげで、もう片方は頼りなさげな足音だったから敵意を持った第三者ではないだろうと直感的に思われた。

 

 古びた扉が開くとまるで疲れた様子を見せない岸辺さんが後ろにいる二人を室内へと案内した。二人のうち一人、影から現れた彼はこちらを見て驚いた表情で、もう一人の女の子は大きなものに怯えるようにして背を曲げて縮こまっていた。

 

「もう声を出しても大丈夫だ」

 

 彼らが部屋へ入るなり、私は奥の二人に向かって挨拶をした。

 

「ん、岸辺さん。それにデンジ君とコベニちゃん。お久しゅう」

「え、あ……お久しぶりですう」

「なんだお前。記憶戻ったのか?」

 

 私は少し照れくさそうに頬をかきながら応えた。

 

「ええまあ……アルバム読んだときに、ビビッと……」

「は……都合の良い頭してやがる」

「迷惑かけてもうてすんません……まぁ記憶戻ったっちゅうても、まだ全部が全部思い出せたわけやないんですけど」

 

 はぁ、と岸辺さんはため息をついてこんなことを話してくれた。

 

「アルバムがお前にとって大切なもんだってことは知ってた。忘却の悪魔への対処法は過去をなるべく思い出すことだ──遺書はなにより死ぬ間際のお前の気持ちが強く現れている。写真はお前が強く執着していたものだったから、良い材料になった」

「……助かります、ほんま」

「礼ならお前の部下に言ってやれ。アイツらはお前の遺書とアルバムをきちんと保管してくれてたんだからな……確証が足りなかったんでお前が生きていることはまだ伝えてねえが、それでもアイツらにとっちゃ遺品であるもんを貸してくれたんだから」

「それは……悪いことしたわぁ、ほんま」

 

 天童と黒瀬、二人の顔を思い出す。どうして今の今まで私は部下たちの顔を忘れてしまっていたのだろうか……アルバムを捲るたびに様々な顔が思い起こされて、そのたびに罪悪感が私の心を押さえつけていった。

 けれど、私の人生というのはそのほとんどが銃の悪魔の肉片回収にのみあてがわれていたから、そんな任務を共にこなしていった彼らの顔を見るたびに私の失われた記憶というのはジグソーパズルの穴を埋めるみたく取り戻されていったのだった。

 

 彼らのおかげだ。死んでいった部下たち、そしてまだ生きているという天童黒瀬二人のおかげ。感謝しても、し足りない。

 

「身体も鈍っとりませんし、明日からは任務に参加するんで」

「そうか。今はとにかく人が足りない……まあ死なねえ程度にやってくれ」

 

 記憶が戻ったというのを聞いて、デンジ君は「そいつぁ良かった」と少しだけ口角を上げて話した。元気がないのはコベニと同じだったが、その理由はどうにも違うように見えた。なにかに怯えている様子はなかったからだ。

 

「とりあえず腹に何か入れておけ」

 

 言われて差し出されたのはコンビニのパンやらおにぎりやらだ。

 どうやら全体の雰囲気が落ち込んでいるように見えたので、こういうときほど暖かな食べ物が食べたいものだけれど、そうしようにもここには調理器具がないので難しそうだった。

 

 あんまり静かなのも苦手だったので適当にテレビをつける。時刻はまだ夕方前だったのでドラマや時代劇しか流れていなかった。

 

「死ぬ……酷い目ばっかで、しっ、怖い……死ぬのが……」

 

 デンジ君は良いよね、とコベニちゃんは言った。

 生き返れるから、と。

 

 すると彼はこう語った。

 

「こう見えてもなあ、いま俺ん心の中は糞詰まったトイレん底に落ちてる感じなんだぜ。俺は最高にバカだからバカみてえな暮らししてたんだけど、気付いてみりゃあバカなせいで全部ダメになってたんだ」

 

 彼の言葉はとても胸に染み入ってくるものがあった。彼なりの叫びというものが聞こえてきた気がしたのだ。

 

「俺はな〜んも自分で決めてこなかったからな。これから生き延びれてもきっと……犬みてえに誰かの言いなりになって暮らしてくんだろうな」

 

 デンジ君が呟くと、しばしの間の後コベニちゃんがこう言った。

 

「それが普通でしょ?」

「え?」

「ヤな事がない人生なんて……夢の中だけでしょ……」

 

 ぐっとうずくまる。なんとも夢がなくって、希望のない。言ってしまえばそれが彼らの日常で、世間一般にある価値観なのかもしれなかった。

 けれどそういう姿勢を目の当たりにして、私は一つ言ってみたいことができた。

 

「……君ら、暗いことばっか話すなあ。もっと夢とかないん」

「夢……?」

「寝とる時に見るやつやのうて、希望やとか理想とか」

「それは分かりますけど、でもそんなの……ないです」

「ないわけあらへん。仕事したないっちゅう気持ちは仕事休んでどっか遊びに行きたいっちゅう理想やろ。家族から離れたいっちゅう気持ちも、自由になりたいっていう夢があるやん」

 

 自分自身、夢なんてものは長らく持っていなかった。人生を振り返ってみると彼らに偉そうなことを言えるような真っ当な生き方はしてきていない──けれど少しくらい虚勢を張って後ろ姿を見せてやらないと、彼らの未来まで私のようになってしまう。

 

「嫌なことばっかあるんが普通の人生かもしれんけど、そこで終わっとらんとアレコレ夢見たり理想追いかけるんがええんとちゃうん」

「…………考えたこともなかったです」

「これから考えればええよ。コベニちゃんが死なんように、うち頑張るから」

 

 

────────

 

 

 夜になって皆が寝静まった頃。私はまだ起きてマキマのことを考えていた。記憶をはっきりと取り戻した今、しなければならないことは一つである。

 

 マキマは取り返しのつかないことをしてしまった。アメリカという国がマキマの討伐を求め、岸辺さん自身マキマの殺害を目的としている以上、地球上でマキマの味方なんてのはそういないはずなのだ。

 

 感情論抜きに考えて、マキマが行おうとしている非道を食い止めるには殺すしかないのだろう。私としてもそれに異議を唱えるつもりはなかった。

 

 ただ私にマキマは殺せるのだろうか? 実力の面でも、精神的な面でも──私は一度マキマに負けている。完膚なきまでに叩き潰された。

 

 どうすれば倒せるのか。……そんな、どこか私自身心のどこかで納得のいかない思考回路が巡る。

 

「はあああー……明日どないしよ」

「……まだ起きてたんすか」

「ん……デンジ君」

 

 向かい側に座っていたデンジ君がむくりと顔を上げて話しかけてきた。私は悩んだ顔つきで話した。

 

「せや。明日のこと考えとった。……デンジ君は、マキマのことどう思っとる?」

「マキマさんすか……? マキマさんは、そりゃあ……ああ、最悪だなオレ」

 

 少し考え込んだ後、デンジ君は自虐的に笑って見せた。

 

「笑ってくださいよ、ヨツナさん。俺ぁマキマさんにあんなことされて、でもそれでもまだ、マキマさんのことが好きなんです」

「ふうん……」

「さっき夢の話してましたけど、俺にとっちゃあマキマさんが夢くらいおっきな存在なんですよ……」

 

 デンジ君にとってマキマは大きな存在らしい。

 同期として昔からの付き合いがあるのだから、私も同じような気がするのだけれど──彼のその恋心とはまた違った感情が私にはあった。

 

 それはなんだろうか──上手く言語化できない。

 

「ヨツナさんもなにか夢とかってあるんですか……?」

 

 ふと訊ねられた言葉に、私は深く悩み込んだ。

 

「夢? せやなあ、夢かぁ……」

 

 明日きっと私はマキマを殺しにいく。

 それは揺るぎない。こうしてデンジ君と会話している間にも、正義心に駆られて生まれたその決意は高まっていった。

 

 けれど、それとは別に。

 彼女のことを考えれば考えるほどに、なにも知らなかった自分を恥じて、そして彼女のことをもっとよく知りたくなった。

 

「うちの夢は」

 

 マキマという一人の人間を。

 今までろくに見てこなかった彼女のことを、もっとよくよく知りたい。見ていたい。

 

「友達一人、作ることやな」

 

 マキマと友達になれたなら。今更だけれどそんな理想が、私の心のモヤモヤを取り払った。



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友達

「マキマさん。アンタの作る最高に超良い世界にゃあ、糞映画はあるかい?」

「……どうしてデンジ君に戻ってるのかな」

 

 見渡す限りの墓。植物の影もない不毛の土地。焼け野原を連想させるその場所はかつて起きた災害の名残であった。

 

 十数年前に起きた銃の悪魔の襲撃。あの日、日本だけでもおよそ五万人強の被害者が出た。私もその一人だった気がする。

 気がする、というのはあくまでも記憶が曖昧だからだ──けれどふと思い出された一番古い記憶が曇天の中でなにかに願っていた場面であったから、それが今の自分に直結しているのだろうと思われた。

 とても冷たくて、とても痛くって、すごく悲しかったあの日の出来事。願うばかりで無力だった自分を思い出す。

 

「私は……面白くない映画はなくなった方がいいと思いますが」

「……しょうもない映画でも、それ観て文句言うたり笑ったりするんがええと思うんやけどな」

「……ヨツナ?」

 

 言って私は物陰から姿を表す。私の姿を見てマキマは面食らったようだったが、眉間に皺を寄せるだけで冷たい面持ちのままだった。

 今の私を見て、記憶が戻っていることを彼女は理解したのだろう。一年前に海岸で行った戦いのときと同じ雰囲気が私の頬を擦っていった。

 

 はぁ、とマキマはため息をつく。

 

「残念です」

 

 ジリジリと彼女は間合いを詰めてくる。彼女の後ろには沢山の武器人間がいて、他にもおそらく支配されたのだろう公安の職員が立ち並んでいた。

 

(武器人間は厄介やな……前に一回、ボコボコにされたし)

 

 前回、海岸線で戦った際はナイフの嵐や火炎放射の竜巻に加えて大勢の武器人間に襲われた。あのときは一人であったが、今回はチェンソーマンという味方がいるので、私は心強さを感じていた。

 部下たちと共に戦ったときのことを思い出す。先輩たちに教わりながら悪魔退治に参加した研修時代の古き記憶を思い起こす。

 この感覚は懐かしい──いつの間にか、私は全部一人で済ませてしまうようになっていた。仲間の死が怖くって、危険に晒さぬよう率先して死地に飛び込むようになっていた。

 

 私は皆を大切に思うあまり、皆を蔑ろにしていたのではないかと思う。

 それはマキマだって同じだ。

 

「!」

 

 いっせいにカラスが飛び立つ。同時に辺りの地面が隆起した。

 ボコボコと音を鳴らして現れたのは生きた死体ども──いつの間にやらゾンビの悪魔がマキマの後方に顕現している。なるほど考えたな、墓地という場所ならば死体は無尽蔵に用意できる──!

 

「チッ、場所ミスった!」

 

 後ろ髪を纏めてある髪を外して、トリガーに指をかける。最初からそうなっておけば良かったのだけれど、あまり彼女に対して敵意を向けるような真似はしたくなかった。

 最後の最後まで、ひょっとすればマキマは考えを改めているのではないかだなんてあり得ない奇跡を頭の片隅で想像していた。

 

 空気の破裂する音ともに臨戦体制を整える。両腕に備え付けられたアサルトライフル、全身を包み込むドレスのような弾倉──無駄のない機動性に優れたフォルムは私の戦闘スタイルに合致していた。

 

「! 今や!」

 

 合図を送る。するとチェンソーマンは地面に両腕を突き刺し、チェンソーのチェーンを地中から伸ばすことによって地面の一部を隆起させ、複数のゾンビごと空中へ放り投げた。

 そして私はマキマからは死角になるよう空中に撥ね上げられた土塊の後ろに飛び上がり、そこから狙いをつける。

 

「ばん!」

 

 とてつもない轟音と共に土塊ごと貫いて弾丸の雨がゾンビの悪魔に降り注いだ。銃弾を発射した腕が熱で赤く燃えた。キリキリと骨も痛むが、後ろのトリガーを引けばすぐに再生した。

 リソースの節約はなしだ。私はこの決着に命さえ賭けていた。

 

「よし……! ひとまずこれで、地中を心配する必要はなくなった!」

 

 そのまま空中から飛びかかるようにして武器人間の集団のところへ向かう。既に一部はチェンソーマンと交戦中であり、なるべく彼の方に戦力が集中せぬよう気を払いつつ戦った。

 

 前回の敗因は躊躇いがあったからだ。あのとき、私はまだ死ぬことを恐れていた。けれど今は違う──目的さえ成し遂げられるのならばこの場で死んでもいいとすら思えていた。

 

「うっさい……!」

 

 襲いかかってくる武器人間の土手っ腹に穴を開ける。ただその程度で止まるようなヤツはほとんどいない。敵は痛みを感じているのかすら疑問に思える勢いで私の肩に噛み付いた。

 

「ぐうっ」

 

 右腕の形を即座に変え、ショットガンとして運用する。相手を力強く殴りつければ、広範囲で肉を削り取ることができた。

 

 敵の拘束からなんとか脱するも、なにも敵は武器人間だけではない。支配の力によって使役されている公安の人間──彼らが契約している“悪魔の力”もまた私たちに襲い掛かる。

 

(なにがなんやら分からへん……! ともかく、全員ぶっ殺す……!)

 

 飛んできた弓矢に弾丸を飛ばし、空中で対消滅させる。

 今日はいつも以上に頭が冴えていて、目もよく見えた。

 

 身体がいつもより何倍も上手く動かせる。昔の記憶が戻った分、より昔の自分に近付いているのかも知れなかった。

 

「よし! 次ぃ!」

 

 自分がやったのか、はたまた敵の攻撃か。平原のようだった墓場はいつのまにか穴ぼこだらけの荒地と化しており、そこらで火が立ち上がる始末だ。

 土埃と硝煙と血とが混ざり合って地獄のような臭いがする。身体はもう血を浴びていないところがないくらいに血塗れだ。

 

「はぁ、はあっ!」

 

 襲い掛かる人の群れ。ゾンビはもう死んだ。おそらく生きた人が操られているのだろう。

 心が苦しむ暇なんてない。私はよく分からない激情に駆り動かされて彼らの頭に照準を合わせる。

 

 パララッ、と軽い音と共に彼らは倒れ伏した。まるで戦争だ。本当にここは地獄なのだろう。

 

「! 命を代償に、悪魔と……!」

 

 強烈な重力の負荷が身体にかかる。されども目の前に映る敵を撃ち倒し、撃ち殺し、撃ち尽くした。

 

「マキマぁ……!」

 

 有象無象を跳ね除けマキマに飛びかかる。眉間を銃で撃ち抜くものの、ものともせずにマキマは反撃する。現れたナイフは直線を描いて私の方へと向かって来た。

 

「こんなんッ」

 

 拳でナイフを撃ち落とす。それでも何本かは身体に突き刺さったが、痛みなんてとうの昔に感じなくなっていた。

 

 勢いを緩めることなく突っ込んで行ったからか、マキマは驚いたように少し目を見開いた。

 私はその隙を突くように土手っ腹を貫く。

 

「……いいよ。ヨツナは私の手で殺してあげるから」

 

 だから一緒に殴り合おうと、マキマはファイティングポーズをとった。

 

「っ……! 後悔すんなやっ」

 

 私も同じ構えをとる。共に研修時代を過ごした仲だ──互いの基礎的な部分における手の内は知り尽くしていた。こういう近接格闘は言うまでもない。

 

 マキマの右ストレートが私の顔に直撃する。連戦に次ぐ連戦によってもはや意識が朦朧としており、避ける意思がほとんど残っていなかった。

 

 返しに右足で上段蹴りを食らわした。マキマも避けなかった。頭にクリーンヒットしたが、その傷はすぐになくなった。

 

「うちの方が成績良かったん、おぼえとらんのかッ!」

 

 威勢よく放った言葉と共に繰り出した裏拳が空を切った。同時にマキマの姿が消える。

 気付けば私は上を向いていた──潜られて、顎を下から殴られたんだ。グラグラと揺れるスローモーションの視界の中でようやく気が付いた。

 

「成績良かったのは全体での話でしょ。単純な私とヨツナとでの試合は、私の方が強かった」

「せやっけ……」

 

 曲がった背骨を無理やり治す。鼻の奥に詰まった血を勢いよく噴出させた。

 

「っちゅうても死ぬまでやったことはないやろ。……ラウンドツーと行こや」

「……良いよ。とことんやろう」

 

 懐かしい合図で殴り合いを再開する。

 もはやお互い、なにがどうなれば勝ちなのかすら、考えないようになっていた。

 

 ただ殴り合って、蹴り合って、血を出し合って。相手の肌へ触れるたびに混じり合う血の熱さから互いを深く理解していくのだ。

 

(ああ……こんなにも、マキマの血は熱いのに。私はそれを意識したこともなかった)

 

 殴れば殴るほど互いを理解できた気がした。そんな気のせいが、私たちを突き動かした。

 

 けれど必ず終わりは来る。

 先に地に膝をつけたのは私だっと。マキマと殴り合う以前から既に血を大きく消耗し続けていた私は既に意識が朦朧としていた。

 

「……これで私の勝ち越しだね」

 

 もはや息をしているのか血を吐いているのか分からないくらいにぐちゃぐちゃになった私は、肺を懸命に動かしながらマキマの言葉を聞いた。

 

「ねえヨツナ。私は本当は、誰かに理解して欲しかったのかもしれない。そうして褒めて欲しかったのかもしれない」

 

 マキマは血塗れになった私を抱きかかえ、視線を合わせて話した。

 

「……どこで間違えちゃったんだろうね」

 

 彼女の細い指が私の首に伝う。最後は首を絞めて終わらせるつもりなのだろう。

 ギリギリと首が絞まっていくのを感じる。ドクドクと脈の音が頭に響く。

 

 そんな死の間際に、ふと音が聞こえた。

 エンジンを蒸すヴヴヴンという音がだ。

 

「え……?」

 

 熱い血潮が顔にかかる。作戦通り、デンジくんがやってくれたんだ……!

 

「っ……!」

「ぐうっ……! デンジぐん! よおやっだ……! あとは任せときぃっ!」

 

 なけなしの力を振り絞って立ち上がる。驚きから身体が動かせないマキマを強く抱きしめて、遠く遠くへと飛び上がった。飛ぶといっても私にもマキマにも飛行能力はない──弾丸のようにまっすぐ何処かへと跳ねていくだけだ。

 

 咄嗟の出来事でマキマは抵抗できていなかったが、やがて状況が把握できたのか、腕やら脚やらをめちゃくちゃに動かしてもがき始めた。

 ただ空中だと動きづらいのか、彼女もほとんど力が残っていなかったのか、やがて大人しくなった。しばらくすると海が見えて来て、その海岸線へと墜落した。砂浜に接地すると同時に互いにバラバラに転げてしまった。

 

 私はもう血がほとんど残っていなかったからか、銃の姿を保つことができずただの人となっていた。

 

 マキマは着地の衝撃で足が折れたのか、立ち上がることすら困難なようだった。だから私が彼女のそばまでふらふらと歩いて行って、そばに寄った。

 

「一体、はぁ、何が目的で……わざわざこんなところまで」

「マキマとちょっと、話したい思ってな」

 

 互いに息が荒い。血が流れているからか足元もおぼつかなかった。

 マキマは契約により再生能力があるもののパワーちゃんの血が中で暴れているので再生しにくいとデンジくんが話していた。

 私は私で、一年近くサボっていたブランクと血が足りないのとで再生力が衰えていた。

 

 だから互いに意志の強さだけで生きている。

 

「なあマキマ。他に道はないんか? 目的っちゅうのが何なんかよう知らんけど──こんなやり方でしか叶わん夢なんか」

「……私はより良い世界を目指すから」

「より良い世界って、今のままで十分ええ世界やと思うけど」

「ヨツナは、分かってない。この世にはなくなった方が幸せになれるものがたくさんあるのに──ヨツナにも理解してほしかった」

「…………理解、か」

 

 その言葉が痛く心に染み渡る。

 結局私は最後までマキマのことをなに一つ知らなかったから。

 

 彼女は確かな意志のこもった瞳で私を見つめた。

 私も同じくらい強く彼女を見つめ返した。

 

「マキマ──あんたのやったことは許されへんことや。人ようさん巻き込んで殺して──償いきられへんことしてもうた。ごめんで謝って許してもらえるほど、簡単な話やない。せやから──」

 

 私の行動に、マキマは面食らったのか目を見張った。

 私はそっと添えた手で、彼女の額にパチンとデコピンをしたのだ。

 

「うちがこうやって叱ったらなあかんな。なんせ()()なんやから」

「──とも、だち」

「……美味いもん一緒に食うて、映画見て感想言い合って、お互いのこと話し合って──今まで気付かへんかってんけど、うちはマキマとそういうことたくさんしたかったんやな」

 

 もう遅いかな、と呟いた。

 マキマは一瞬、目を逸らした。

 

 私たちはもう、どうしようもなく行き違ってしまった。

 取り戻しようがないくらいに、互いを理解せぬまま時を過ごしてしまった。

 

 ああ、もっと早く、この気持ちに気づいていれば良かったのに。

 もう少し素直であれたら良かったのに。

 

 ギュッと彼女の肩を抱く。

 マキマは溢れ出る血を抑えていた手を離して、そっと私の頬に手を重ねた。そうして、こくりと頷いた。

 

 相変わらず硬い表情だ。けれど、フッと一瞬、頬が緩んだ。私もきっと同じような顔をしていたと思う。

 

「マキマ。もう終いや」

 

 もはや彼女に抵抗の意志はなかった。私は優しく彼女の額に指を添わせて、そうしてこの広い海原に一つの銃声が鳴り響いた。



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愛・ラブ・ガン

「おい、さっさと目ぇさませ」

 

 ガタゴトと荒い振動が体を揺らす。ごうごうというエンジンの音が聞こえるのでおそらく私は車の中にいるのだろう。

 掛け声に反応して薄ら目を開けると私は車の助手席にいた。窓から見える外の景色は見慣れぬ街並みで、また記憶を失ってしまったのかと錯覚するほどであったが、恐ろしいほどに冷たく冴えた頭がなんら異常のないことを知らせていた。

 

「ん……」

 

 早朝の寒さが背筋を撫で、眠気でぼんやりとした記憶の形を整える。おかげで気を失う前の記憶が徐々に思い出せた。

 

 私はこの手でマキマを殺した。今でもその感触が手に残っている。外の寒さと反対に、彼女の血潮の熱さが肌身に焼き付いている。だからこそ今になって寂しくなって、ギュッと自分の身体を抱きしめた。

 

 ようやく私は彼女と分かり合えた気がした。心を通じ合わせることができた気がした。だというのに私たちはもうとっくに手遅れで、半身を失ったかのような喪失感に私は独りで息を吐いた。

 

「目が覚めたか」

 

 ぼんやり彼女のことを考えていると、隣から聞こえてきた一言で不意に現実へと引き戻された。ふと運転席を見てみると、そこには岸辺さんが座って運転していた。珍しく酒は飲んでいないようで酒の臭いがしなかった。

 

 後部座席にも目をやるが人影はない。どうやら、全て終わったあとらしい。

 

「マキマは内閣総理大臣との契約で死なない。ただどういうわけかお前はその盲点を突いた──結果、あいつはお前の手で殺されることを良しとした。それは間違いない事実だ」

 

 岸辺さんは、よくやったとは言わなかった。褒めるような言葉遣いはせず、ただ私の知らないその後の話を淡々と語るのみであった。

 私にはその気遣いが優しさに感じられた。なぜって、今の私は誰からも褒められて良いような人間ではない気がしたからだ。間違いだらけの関係性に償いをしようとしただけなのだから。

 

 だからこそ、岸辺さんの淡々とした説明は私の心を刺激することなくすんなりと理解できた。

 

「──で、だ。死体を処理する工程が“攻撃”と捉えられ、アイツが蘇生する可能性もなくはない。だからその後始末はデンジのやつに任せることにした」

「……デンジくんが? どうやって?」

 

 思いもよらぬ名前が出てきたので、私はつい聞き返した。すると岸辺さんは呆れたように目を細めて答えた。

 

「……なんでも食うそうだ」

「食う?!」

「やっぱりアイツは今まで出会ってきた中で一番デビルハンターに向いてる。頭のネジがぶっ飛んでるからな」

 

 あんまりにも驚きたものだから笑いすら起きなかったが、けれどデンジくんの顔を思い浮かべるとそういうこともあるのかと思えなくもない。ただ、食べるという発想はなかった。食べて一緒になる、というのが彼なりの愛の形なのだろうか。

 それなら私も食べたい。一緒になって、彼女への理解を深めたい。

 

 そんなことを考えていると岸辺さんは続けてこう言った。

 

「俺だって止めはしたんだ。アイツが蘇る可能性はゼロに近い──なんせ、“次の支配の悪魔”はもう現れているんだからな」

「……は? 次の?」

「ああ。悪魔は死んだら地獄に行って、地獄で死んだらまたこっちの世界にやってくるらしい。……支配の悪魔がまた現れたってことはつまり、アイツは確実に死んだってことだ」

「…………」

 

 淡々と岸辺さんは語る。そんなことが起きているのなら、そしてその情報を把握できているということは、あれから随分と時間が経っているのではないだろうか……?

 

「……うち、どんくらい眠っとったんですか?」

「ざっと一ヶ月そこらか? そろそろ目覚めるかと思って、病院から攫ってきた」

「まあ、まあ……うん、ええです。慣れっこなんで。で、その理由はなんとなく察し付いとりますけど……」

「そうだ。お前は理解が早くて助かる。……いま俺たちは中国にいる。病院から無理やりお前を連れてきたのは“次の支配の悪魔”を怪しい奴らから盗む手伝いをさせるためだ」

「うち、病み上がりですよ?」

「お前がこれしきでへたばる奴じゃないってのは良く知ってる」

「ああ……これやから先輩っちゅうのは嫌なんです。無茶ばっか言いよって、ホンマ」

 

 ヤケになって煙草でも吸おうかとポケットをまさぐったが、そもそもいま着ているのがパジャマだったので煙草の葉ひとつすらなかった。

 どうやら入院しているところを攫ってきたというのは本当らしい。

 

「着替えは用意してある。後部座席にあるから、後で着替えとけ」

 

 確かに後部座席にはスーツやら革靴やら、果ては私がよく使う型番のナイフまでも用意されてあった。

 

「ひとまず飯にするか。目的地までまだ少しあるし──なにより腹が減っただろ」

「うち中国の金持っとらへんので、岸辺さんの奢りで」

「……まあいいか。その分働いてもらうからな」

 

 

──────

 

 

 夜も更けた頃になって作戦は始まった。

 

 ターゲットは地下の地下、厳重な場所で守られていると考えられた。そのため、相手の拠点に乗り込んでいくというのはかなり無謀な作戦に考えられた。

 しかし岸辺さんもそこは織り込み済みのようで事前に下調べを行なっていたらしい。これならなんとかなるという作戦が一つあるらしく、さながらハリウッド映画の一幕みたいな活躍を繰り広げ、施設を爆破し、どうにかこうにか新生した支配の悪魔を盗み出すことに成功した。

 

「ふう……大丈夫ですか?」

「なんとかな……あ〜くそ、腰が痛え……」

 

 逃亡劇を繰り広げ、港から出港した私たちはようやく船の上で一息つくことができた。

 椅子に座りたかったので背負っていた彼女を下ろしてやろうとするがこれがなかなか降りない。ギュッと服を掴んで離さないのだ。

 

 どうしたものかと困っている私を見て、茶々を入れるように岸辺さんが話した。

 

「懐かれたな」

「そんな、動物やないんですから」

 

 しかしどうしたものか。離そうとすればするほどに力が強まる。あんまり無理に引き剥がすのも躊躇われたので、私としてはどうしようもなかった。

 

 困ったふうに首を傾げつつ、背中にしがみつく彼女に向かって話しかけた。

 

「うちはヨツナ。君はなんちゅうねん」

「ナユタ」

「そうかナユタか。ほなナユタ、うちは君の顔がよぉく見たいから早よ降りてえな。……心配せんでもおんぶなら何度でもしたるから」

 

 と話すと、少し躊躇った様子こそあったがナユタは素直に手を離した。

 

「ん、素直でよろしい」

 

 背から下ろしてやると、彼女の背の小ささがよく分かった。まだ幼い子供じゃないか。こんなにも小さな存在を、政府はどうこうしようというのか。

 

「かわええ顔しとるわ、ほんま……」

 

 私は憂う気持ちになって、そっと彼女の輪郭に指をそわせた。夜の海は明かりが少ないが、それでも船の小さな電灯の下で彼女の顔はとても丸っこく映った。

 添わせた指でぐにぐにと頬を摘んだり、髪を触ってみたりしていると、不意にナユタと目があった。

 

「あ!」

 

 いいや、不意に目があったというのは違う。私は彼女の瞳から目線を逸らしていただけなのだ──まだ私は彼女と目を合わせることを無意識のうちに避けていたのだ。けれどナユタはずっと、その美しい瞳で私を見ていたのだ。

 

 この瞳を私は知っている。鮮烈に記憶している。

 

(マキマの目ぇや……!)

 

 ナユタはマキマの生まれ変わりだ。けれど、支配の悪魔という特質以外全てが異なる──記憶もなにもない、全くの別人のはずなのに。

 なのに私はこの幼い姿にマキマの影を重ねてしまっていた。なによりも大切な彼女の輪郭を、朧げながらに感じてしまう。

 

「……ああ、ホンマ。ええ顔やわ……」

 

 静かに彼女の頭を撫でる。それから彼女の目線に合うようしゃがんで、強く抱きしめてやった。したいと思ったからそうした。それ以外に理由なんてなかった。

 するとナユタもまた同じように、年相応の力で抱き返してくれた。

 

 波のさざなみが聞こえる。夜の海は音だけが聞こえた。

 しばらく抱きしめて、物足りない気持ちはありつつも私は彼女を離した。そうしてまたおんぶしてやった。夜の海は寒いのだ、こうして人肌に触れると、ナユタはすぐにこくこくと眠そうに首を傾け始めた。

 

 しばらくすると煙草を吸いに行っていた岸辺さんが帰ってきてこんなことを言った。

 

「ヨツナ。お前は早く部下どもに顔見せてやらねえとな。アイツらまだお前が死んだと思ったまんまだぞ」

「うっ……うちが死んだってなってからどんくらい経ってます?」

「そうだな……一年くらいか?」

 

 一年、一年……。

 心配かけたなぁとか、文句を言われるだろうなぁとか……彼らの反応が想像できないので、あまり良くないことばかりが頭を巡る。死ぬのは覚悟のいることだったけれど、生き返るのも同じくらいに力が必要なことだと初めて知った。

 

「……はあ。帰ろか、ナユタ」

 

 溜息混じりに背中のナユタに語りかける。なにもかも解決したはずなのに、気が重かった。

 そんな私の気も知らず、ナユタは不思議そうに「帰る?」と訊いてきた。

 

「せや。家に帰ったら、美味いもん一緒によぉさん食うて、一緒に映画見て感想言い合って──お互いのこといろいろ話し合えるように、色んなことしよな」

 

 料理をしたり、水族館に行ったり、温泉に浸かったり、海で泳いだり、バーベキューをしたり──やりたいことはいくらでもある。そう、いくらだってあるのだ。

 

 ふと海を見れば夜明けであった。暗闇の水平線から光が漏れ出す。やがてそれは光の筋となって、私たちの顔を照らした。

 

 

 

 完



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