【完結】勇者の旅の裏側で (八月森)
しおりを挟む

プロローグ
最期の笑顔


 子供のころ、好きだった絵本がある。

 題名はもう思い出せないけれど、内容は、勇者が仲間と共に旅をして魔王を倒しに行く、というありふれたものだった。

 

 強くて優しい勇者は、弱い人や困っている人の味方。

 神さまが造ったというすごい剣を手にし、仲間と一緒に旅をしながら、立ち寄った村や街の困りごとを解決していく。

 みんなを襲う魔物を。人に似た姿の魔族を。城を護る魔将を。最後には、一番悪い魔王も倒して、たくさんの人を助ける勇者。

 

 そんな、どこにでもあるようなそのお話が、わたしは好きだった。

 うちに一冊だけあったその絵本を、何度も、何度も、擦り切れるくらい読み返した。時には、夢の中でその続きを見ることさえあった。

 ずっと、ずっと、勇者に憧れていた。

 

 ――あの日、本物の勇者に会う、その時までは。

 

 

  ――――

 

 

 そんな昔のことが脳裏を過ったのは、目の前にしている相手が、その絵本に出てくるおとぎ話の住人だったからかもしれない。

 かつて初代勇者と死闘を繰り広げたとも伝えられ、最も有名な魔族として知られている風の魔将、〈暴風〉のイフ。

 その伝承の存在に戦いを挑んだわたしは今――……空に、投げ出されていた。

 

「――――」

 

 全身に、痛みを感じる。軽装の鎧は露出した手足までは護ってくれず、体中に裂傷が刻まれていた。

 少し遅れて、意識を追いやっていた間の記憶が脳内を駆け巡る。それで現状は把握した。わたしが見え見えの罠にかかった間抜けだってことも。

 

「貴様との戦は、実に有意義だった」

 

 心なしか満足そうに息をつき、風の魔将は剣先を真っ直ぐこちらに突き付ける。逃げ場を失った獲物に今度こそ『槍』を突き立て、仕留めるために。

 

「貴様は我が知る限り最も優れた剣士だ。この目に捉えた技の冴え。この身で受けた傷の鋭さ。全てが我が血肉となり、この先も生き続けるだろう」

 

 眼下から魔将が声を届かせる。それは、戦いの終わりを惜しむかのような声色で……

 

「(……冗談じゃない)」

 

 体は、動く。痛みはあるが、動かせる。でも……

 いくら考えても、状況を打開する手立てが思いつけない……!

 

「さらばだ。――よ」

 

 まだ、死ねない。諦めたくない。

 けれど、そんなわたしの想いを置き去りに、荒れ狂う螺旋の大槍と、簡素な別離の言葉が、空に張り付けられた獲物に突き付けられ……それが、とうとう撃ち出された瞬間、悟った。

 

「(あ――……死ん、だ?)」

 

 わたしはあれを、避けることも、防ぐことも、できない。

 数秒と経たず『槍』は到達し、足掻(あが)くわたしの両腕ごと、胴を貫き、五体を引き裂き、空に血肉の花を咲かせる。

 その未来を――間もなく訪れる現実を。なにより体が先に、理解してしまった。

 

「(……そっか。わたし、ここまでなんだ……)」

 

 一度理解してしまうと、ついさっきまでは確かにあった抗う気持ちも、もう湧いてきてくれなかった。

 時間が泥のように重くなり、周囲の光景が緩慢(かんまん)に流れていく。

 手足も鉛のようなのに、意識だけはそれらに逆行するように働いている。

 (いびつ)な感覚の中、わたしは――……わたしの生が終わりを迎えることを、静かに受け入れ、諦め……力なく、微笑んでいた。

 

 ――ごめんね、とーさん。気をつけるって言ったのに、約束、破っちゃった……

 ――ごめんね、かーさん。わたし、最後まで笑えてたかな……?

 ――それから……

 

 まだ出会って間もない、彼女を想う。

 真面目で、素直で、世間知らずで、他の人ばかり助けようとする神官さん。

 できればもう少し一緒にいたかったけど……ここで、お別れみたいだ。

 

「(一人にしてごめんね。……じゃあね、リュ――)」

 

「――――アレニエさんっっっっ!!!」

 

 それまで乖離(かいり)していた感覚は、不意に聞こえた叫び声で現実に引き戻された。

 声の先に視線を向け、見えたのは……今まさに思い描いていた、少女の姿。

 

「(リュイスちゃん――?)」

 

 そして彼女は、こちらに差しだすように手を掲げ、叫んだ。

 

「《プロテクトバンカーっっっ――!》」




はじめまして。女剣士アレニエと神官の少女リュイスが勇者を陰から助けつつ、旅を通じて交流を深めていく話になっています。
また、RPGのお約束(勇者だけが魔王討伐に向かったり、弱い順に敵が出てきたり)に作中で理由をつけてみるのを裏のテーマに据えてみました。よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1章
1節 神官の少女


 その扉を、私は早鐘を打つ心臓を押さえながら、意を決して開いた。

 ギイィィッ……と、錆びた蝶番(ちょうつがい)がきしむ音と共に、来客を告げる鐘がガラン、ガラン、と鳴り響く。

 夜の暗さに慣れかかっていた目に屋内の光が浴びせられ、目の前が白く染まる。反射的に目を細め……わずかな間を置いて回復した視界に、店内の様子が少しづつ映し出されてきた。

 

 入り口から正面には受け付けカウンター。寡黙そうな男性が奥に立ち、木製の杯にお酒らしきものを注いでは、カウンター席の客に振る舞っている。

 奥の厨房では何人かの女性が忙しそうに調理し、盛り付け、カウンターに並べ、出来上がったそれを、普段着にエプロン姿のウエイトレスさんが客席に運ぶ。

 

 簡素な木製のテーブルが並ぶ客席には、全身に鋼鉄の鎧を纏った戦士が杯を握ったまま酔いつぶれ。

 聖印と聖服を身に着けた神官が心配そうに介抱し。

 ローブに身を包んだ魔術師は呆れたような様子を見せながら料理に口をつけ。

 耳が長く痩身(そうしん)のエルフは素知らぬ顔でちびちびと。背は低いがガッシリした体躯のドワーフは笑いながら豪快に。

 他にも大勢の客が、思い思いに宴を楽しみ、隣席の人との語り合いに花を咲かせていた。

 

「(……この人たちが……)」

 

 この場にいるのは皆、報酬と引き換えに体一つで様々な依頼を請け負う人たち。〝危険を(おか)す者〟――冒険者。

 ここは、〈剣の継承亭〉。彼ら冒険者に依頼を振り分け、食事や宿を提供する、『冒険者の宿』と呼ばれる施設の一つだった。

 

 居を構えているのは、この国、パルティール王国王都で最も治安が悪いと言われる、下層と呼ばれる街。

 住民の大多数が貧困層や難民、逃亡犯で占められており、冒険者もその延長上にいるという。

 上層や中層の住人たちは、

 

「報酬次第で〝本当に〟〝なんでも〟する」

 

「ほとんどが犯罪者」

 

「出会って五秒で行為に及ぶ」

 

 といった彼らの噂に、少なくない恐れを抱いていた。

 

 耳にした私も例に漏れず、相当に覚悟して足を踏み入れたのだけど……

 思想の相容れない神官や魔術師、不仲と言われる他種族同士ですらも、陽気に同じ卓を囲んでいる眼前の光景からは、噂に聞いた恐ろしげな様子はあまり感じられない。

 予想と現実のギャップを、私は(しば)し、茫然と眺めていた。

 

「客か」

 

 自分にかけられたと思われるその一言で、我に返る。

 声の主は、カウンターの奥に立つ、あの寡黙そうな男性だった。

 細身だが引き締まった体。物静かで無表情ながら、どこか威圧感を感じる細面。

 年齢は二十代後半ほどに見えるが、先ほどかけられた声の響きや落ち着いた物腰からは、もっとずっと成熟した印象を受けた。彼が、このお店のマスターだろうか。

 

「あ……は、はい。こんばんは!」

 

 ここまで一言も発していなかったことに気づき、慌てて頭を下げつつ挨拶を返す。

 よく見れば、視線を向けているのはマスターだけではなかった。カウンター席に座っている冒険者たちも、振り向いて物珍しそうにこちらを見ている。

 そしてそのうちの何人かは、実際に話しかけてもきた。

 

「その服……ひょっとして総本山の神官か?」

 

「『上』からわざわざ寄進でも集めに来たのか、嬢ちゃん」

 

「お前さんみたいのが下手にうろついてたら、身ぐるみ全部剥がれちまうぞ」

 

 口々に言われ、改めて自分の姿を思い返す。

 

 年齢は今年で十六を迎えるが、身長は同年代と比べるとわずかに足りない。

 肩まで伸びた栗色の髪はベールで覆われ、身体はゆったりとした白のローブに包まれている。

 首から提げているネックレスは、()を模した羽の中心に剣を頂く聖印。世界を創造したという女神、アスタリアに仕える神官の証。

 両腕には手甲を備え付けたグローブ。足元は頑丈なブーツ。背中には荷物を詰め込んだ大きなナップザックを背負っている。

 

 一般的な一神官の旅装、だと思う。店内を見渡せば、似た風体の人を幾人か見つけることもできる。

 なのに注目されるのは、私が着ている聖服が原因だ。

 通常より上等な生地で仕立てられ、各所に精緻(せいち)な意匠も施されたそれは、〈アスタリア神殿教会正殿〉――通称『総本山』に所属していることを示す証。上層に暮らす貴族を中心とする、特別な神官しか着用を許されていない、最上級の聖服だった。

 

 付け加えるなら、それを纏う者が下層に降りるのは非常に(まれ)な事態でもあるため、今現在こうして好奇の視線に晒されている。

 正直いたたまれないけれど、予想していたことでもある。それに、そもそも私は――

 

「――あの……オルフラン・オルディネールさん、ですか? ここの、マスターの」

 

「ああ」

 

 物思いを半ばで打ち切り、目の前の推定マスターに尋ねると、簡潔な肯定の返事をもらえる。

 

「……はじめまして。私は、〈アスタリア神殿教会正殿〉に所属する、リュイス・フェルムといいます。クラルテ司祭の代理として、依頼を預かって参りました」

 

 カウンターまで歩みより、私は師事している司祭さまからの手紙を渡す。オルフランさんとは、古くからの知り合いらしい。

 

「リュイス……あいつの言っていた弟子か。…………フェルム……」

 

「……? どうか、しましたか?」

 

 口ぶりからも面識があるのは窺えたが、私の名を耳にした彼は、不意に怪訝な表情を浮かべる。

 

「……いや、どこかで聞いた気がしただけだ。すまない」

 

 謝罪し、手紙を受け取ると、彼は無言で目を通し始める。

 

 手紙の内容は依頼の概要と、神殿からの紹介状だ。

 紹介状が無いものは、正式な依頼として認められない場合があるという。依頼を隠れ蓑に犯罪の片棒を担がされる事例もあるため、防ぐには必要な措置なのだろう。

 下層の中には、犯罪だと承知で斡旋する場所もあるらしいが。

 

「…………」

 

 手早くそれらを読み終えたマスターは、目を細め、なにかを考え込む様子で動きを止めていた。手紙に目を通す前より、かすかだが眉間にしわが寄っているように感じる。

 

「シスター」

 

 黙考を終え、彼は短くこちらに呼び掛ける。

 

「内容に不備がなければ、この依頼は相当に危険なものだ。……当てはあるのか?」

 

 問われ、再び心臓が早鐘を打ち始める。

 徐々に激しくなっていく鼓動を抑え付けるように手を押し当て、私は言葉を絞り出した。

 

「……はい。ここに、〈剣帝(けんてい)〉さまはいらっしゃいますか?」

 

 わずかに、周囲がザワついた気がした。

 

 

  ――――

 

 

 それは、今から十年前の魔王討伐に、護衛として同行した剣士の二つ名だった。

 

 その剣に断てぬもの無く。その剣に触れる事叶わず。

 苛烈にして精妙の剣を振るう、並ぶ者なき剣の帝王。

 

 何処からか現れた無名の剣士は、各地を渡り武勲を立て、いつしか先の二つ名で呼ばれるようになり、果てにその実力を買われ、勇者の護衛――守護者となった。

 無事使命を果たせば莫大な富と名声、そして新たな貴族に迎えられると約束された、最高の栄誉であり善行の一つ。それを、なんの後ろ盾も無い流れ者の剣士が、自らの腕と一振りの剣のみで掴み取った。

 

 しかし……〈剣帝〉は、魔王討伐の旅半ばでその全てを捨て去り、忽然(こつぜん)と姿を消してしまう。そしてそれ以降、二度と人々の前に姿を現すことはなかった。

 

 仲間の一人を欠いたまま、それでも勇者は魔王に挑み、使命を全うするが、その際の負傷が元で帰らぬ人となる。

 

〈剣帝〉の失踪は勇者の死の遠因とされ、英雄は罪人に、称賛は罵声に転じる。反面、その武勇の確かさも広く語り継がれており、評価は定まっていない。

 今でも噂を好む者たちの間では、失踪の真相や、その後の足跡が話題に上る。

 

「人知れず命を落とした」「仲間との確執で分かれた」「戦いに疲れて|隠遁(いんとん)している」

「○○の国に投獄されているらしい」「素性を隠し冒険者に紛れているそうだ」「いや、●●国に匿われてると聞いたぞ」――……

 

 

――――

 

 

「嬢ちゃん、気は確かか? 十年も前に消えた人間だぞ」

 

 しかし、私の問いに周囲の客は、顔を見合わせ口々に言う。

 

「ひょっとして、『隠れて冒険者やってる』って噂か? ガセだろ、あれ」

 

「仮に本当だとしても、なんの伝手(つて)もなしに依頼受けちゃくれねえだろ」

 

 彼らの指摘は、私自身重々承知していた。

 十年もの間消息が掴めず、噂だけが独り歩きしている人物なのだ。剣を捨てたという噂はおろか、死亡説も少なくない。

 捜し当てられる見込みが薄いことも、依頼を受けてくれるとは限らないことも、理解している。

 それでも私は、(すが)るようにマスターを見るが……

 

「……」

 

 彼は、無言で首を横に振る。

 

「そう、ですか……」  

 

 やっぱり、と思う気持ちもあったが、それ以上にショックが大きかった。私は、自分で思う以上に期待していたらしい。

 

「〈剣帝〉は紹介できんが、依頼をこなせそうな奴をこっちで見繕うことはできる。異存がなければ、だが」

 

「……え、と……」

 

「あくまで自分で選ぶなら、この中から探してもいい。一応、うちは腕利きが揃っている」

 

「一応ってなんだよマスター」

 

 カウンターに座っていた剣士から不満が飛ぶが、当の本人は素知らぬ顔だった。

 

「(……どうしよう)」

 

 実際、いつまでも落ち込んではいられない。司祭さまがここを紹介してくださったのはおそらく、見つからなかった場合に備えてでもあるのだ。

 が、正直なところ、どうやって依頼に適した人を探せばいいのか、分からない。

 

 私には、他者の力量を測れるほどの観察眼がない。経験がない。

 この場にいるのは、誰もが私より腕の立つ人ばかりに思える。

 初めて訪れた場所、初めて接する人々に気圧され、冷静に見定めることも難しい。

 誰に話しかければいいのか。誰なら依頼を成功させてくれるのか。そもそも引き受けてくれるのか。

 それともやはり、見識のない私などが選ぶより、素直にマスターの厚意に甘えるべきだろうか。

 

 と――

 

「……?」

 

 途方に暮れながら周囲を見回していた私の目に飛び込んできたのは、自身の腕を枕にして眠る、一人の女性の姿だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2節 アレニエ・リエスという女

 広間の奥。窓際に置かれた少人数用の丸テーブル。そこに、自身の腕を枕にして眠っている、一人の女性の姿があった。

 

 年齢は、おそらく私より少し上くらい。十八、十九というところだろうか。

 ショートカットの黒髪は癖っ毛なのか、あちこちが跳ねている。目を(つむ)っているため表情は分かりづらいが、それでも整った顔立ちが見て取れた。

 

 体を包む鎧と、腰の後ろに提げた剣からすると、おそらくは剣士なのだろう。二の腕や足が露出した動きやすそうな軽装の鎧は、全体が白く塗られている。ただ、なぜか左篭手の色だけは、黒だった。

 

 綺麗な人だと思った。

 しかしそれだけならおそらく、ただの酒場の風景の一つでしかなかったように思う。目を引いたのは、むしろその周りだった。

 

 ほぼ満席のこの店内で、彼女の周囲だけが、ぽっかりと空いている。

 同じテーブルだけではなく周辺の席も、彼女の手が届く範囲には誰も座っていなかった。穏やかに眠る彼女を、遠巻きに警戒しているように。

 

「――……」

 

 視界に広がる奇妙な光景に、私はなぜか、無性に目を奪われた。

 その原因と思われる彼女について、マスターに尋ねようとしたところで……

 乱暴に入口の扉を開ける音――同時に、けたたましい来客ベルの音――が、店内に響き渡る。

 

 振り向いた私の目に映ったのは……一言で言えば、筋肉の塊だった。

 こちらの倍はあろうかという長身を、こちらは倍では済みそうにないほど鍛え抜かれた肉体が支えている。丸太のような腕は、私など簡単に(くび)り殺せそうだ。

 

 身の丈同様に巨大な剣を背負ったその塊、いや、そびえ立つような大男が、少し窮屈そうに、品定めするように、中の様子をじろじろと覗き込む。その視線が、私のところでピタリと止まる。脳裏を過ぎるあの噂。出会って五秒で――

 

「この辺じゃ珍しい格好のがいるじゃねえか。迷子か、嬢ちゃん?」

 

「い、いえ、その……」

 

「ハっハ! そんなに怯えんなよ。取って食おうってわけじゃ――」

 

「宿か? それとも依頼か?」

 

 不意に、マスターが声を差し挟む。おかげで男の意識はそっちに移ったようだ。た、助かった……

 

「いや、どっちでもねえ。ちょいと聞きてえことがあるんだが……この店に、〈剣帝〉はいるか?」

 

「(!?)」

 

 この人も、〈剣帝〉を――?

 

 大男はマスターと二、三言葉を交わしてすぐ、落胆のため息をつく。私と同様、望んだ答えは得られなかったようだ。

 

「……なんだよ、ここにもいねえのか」

 

 肩を落とし嘆息するその姿は、よく見れば私の倍というほど大きくはなかった。初遭遇の衝撃から、実際とは異なって見えていただけかもしれない。

 

「〈剣帝〉を探してどうするつもりだ?」

 

 そう質問したのはマスターだ。日に二人も同じ質問をする人間が現れて、興味を引かれたのかもしれない。

 

「決まってんだろ。――こいつで勝負すんだよ」

 

 問いに対し、男は背の大剣に軽く触れ、獰猛(どうもう)な笑みを浮かべながら言い放つ。探す理由は全然同じじゃなかった。

 

「別に〈剣帝〉じゃなくてもいいんだぜ。お前らの中の誰かが相手してくれてもよ。この店にゃ、さぞかし腕利きが揃ってんだろ?」

 

「「「あ?」」」

 

 大男は周りの客に向けても声を上げてみせる。その表情は不敵で、わざと挑発しているのが見て取れた。客側も数人が反応し、男を睨みつけるように視線を返す。

 店内で乱闘になるのだろうか、と一瞬ひやりとしたが……

 

「……! ……いや、なしだ。ここじゃそういうのは厳禁だからな」

 

 挑発に乗りかけていた客は、カウンターをちらりと見た途端急におとなしくなる。

 ……なんだろう。実はマスターが、ものすごく怖い、とか?

 大男も僅かに怪訝な顔をするものの、それには気づかなかったようで、すぐに気を取り直して挑発を続ける。

 

「なんだよ、びびってんのか? 誰でもいいんだぜ。店の評判下げたくねえなら、俺を倒して――」

 

「興味ねえ」「よそでやれ」「マスターにしばかれんぞ」

 

 彼らは一様に大男の相手をしようとはせず、各々目の前の料理や、連れ合いとの談笑に戻ってしまう。それ以外の客は、そもそも興味も示していない。毒気を抜かれたように当惑する大男だけが、その場に残される。

 

 ……正直に言えば、意外だった。冒険者というのは、もっと血の気が多いものと思っていたから。

 

 男はその後も喧嘩を売る相手を探すが、成果は(かんば)しくない。それでもなお諦めずに店内を見回していたその動きが、不意に止まる。

 

「……なんだ?」

 

 男の視線は、今も静かに寝息を立てて眠っている、例の女性に向けられていた。

 そういえば、彼女について尋ねようとしたところで、目の前の闖入者(ちんにゅうしゃ)が来たことを思い出す。

 

「なんで周りに誰も座ってねえんだ……? しかし結構な上玉じゃねえか」

 

 好色そうな表情を浮かべながら、大男は女性の目の前まで近づいていく。

 例の噂がピタリと当てはまってしまいそうなその姿。万が一を考えれば、すぐに助けに入るべきだ。

 そう、思いはするものの……私の体は、緊張と恐怖で咄嗟に動いてくれない。言葉で制止しようにも、上手く声が出てくれない……

 

「ぁ……」

 

「おい」

 

 声を上げたのは、それまで静観していたマスターだった。自身の不甲斐なさに打ちのめされつつも、事態の好転に安堵する。

 

「そいつには手を出さんほうがいい」

 

 しかし彼の口から出た言葉に、私は違和感を覚えた。どちらかというと、襲われようとしている女性より、襲おうとしている男の身を案じているような……?

 当の本人は、その違和感には気づかなかったらしい。制止するマスターに対して、(あざけ)るように言葉を返す。

 

「ハっ、手を出すとどうなるってんだ?」

 

「ろくな目に合わん」

 

「……あ?」

 

 その言葉は予想外だったのか、男は怪訝な声をあげる。

 見れば、周りの冒険者もマスターの言葉に同調するように頷いている。中にはあからさまに哀れみの目を向ける者さえいた。

 

 周囲の反応に困惑し、しかし次にはそれを振り切るように嘲笑を返しながら、男はなおも女性に手を伸ばす。

 

「つくづく情けねえ連中だぜ。眠ってる女一人にビビりやがっ」

 

 ゴキンっ

 

「ゴキン?」

 

 ……なんの音?

 

 音の発生源は、襲われそうになっている女性……に向かって伸ばされた、大男の右手だった。その人差し指が、あらぬ方向を向いている。

 

「……あああああぁぁぁあ!?」

 

 驚きのためか、痛みのためか、大男が叫ぶ。

 気づけば男の手には(くだん)の女性の腕が伸びており、その指の関節を外していた。

 いつの間に起きていたのかと驚き、慌てて女性のほうに視線を向け、さらに驚く。信じられないことに彼女は、その状態でもまだ眠っていた。

 

「ぐあああ!? てめえぇえ! 放せっ!?」

 

 男は指の痛みに耐えられず、絡みついたその腕を強引に引きはがした。そこまでされてからようやく、女性が目を覚ましたようだ。

 

「――ん…んん……?」

 

 小さく声をあげ、彼女はゆっくりとまぶたを開けた。

 眠たげに開かれた瞳は髪と同じ黒色。目尻の下がった優しそうなその目は、まだ焦点が合っておらず、ぼーっとした様子で辺りを見ている。のんびりとした印象の表情からは、正直、剣を扱う戦士のようにはあまり見えない。

 

「ふあ……ん……んん~~」

 

 彼女は一度大きくあくびをしてから、両腕を上げて体を伸ばす。先刻まで眠っていた体は、あちこちからパキパキと音が鳴っていた。

 

「てめえぇ……」

 

「ん?」

 

 思い切り伸びをしていた女性の前に、右手を押さえた大男が立ちはだかる。自力で()め直したのか、指はひとまず通常の角度に戻っていた。

 

「ふざけた真似しやがって……ただじゃおかねえぞ」

 

「…………あー……」

 

 彼女からすれば、『寝起きに見知らぬ男が片手を押さえながら怒りを露わにしている』、という訳の分からない状況のはずだが、なにがあったのか、なんとなく察したような顔をしている。

 

「……もしかして、また?」

 

 心当たりがあるのか、周囲に問いかける女性に、一斉に肯定の返事が返ってくる。

 また、ということは、今回のような事態は珍しくないのだろうか。マスターが「ろくな目にあわない」と言っていたのはひょっとして……

 

「えーと、ごめんね。わたし、寝相悪いみたいで」

 

「ふざけんな!? どんな寝相だてめえっ!?」

 

 若干私もそう思います。

 

「この……どいつもこいつも虚仮(こけ)にしやがって……」

 

 それまで誰にも相手にされなかった鬱憤(うっぷん)も溜まっていたのだろう。男はとうとう背負っていた大剣に手をかける。

 まだ痛むはずの右手で柄を掴んでいるが、怒りが痛みを忘れさせているのか(あるいは堪えているのか)、男はそのまま力を込めていく。

 

 ――って、こんな人が大勢いる場所で、あんな武器を振り回されたら……!

 

「あのー、指折っちゃったのは悪かったと思うけど、店の中で武器振り回すのはやめてくれないかな?」

 

 制止の声は、場違いに穏やかだった。怪我をさせた負い目からか、単に彼女の性格か。

 しかし怒りで我を忘れた男が、その程度で止まるはずもない。

 

「あぁ!? こんなちんけな店、どうなろうと知ったことか!」

 

「――――」

 

 ――瞬間。女性の瞳に、剣呑(けんのん)な光が宿った気がした。

 が、また一瞬後には、先刻までの柔らかい印象に戻っている。……気のせいだったのだろうか。

 

「……まぁ、その……この際やるのは構わないんだけど、とりあえず外に出ない? 中で暴れると怒られるし。ね?」

 

 女性はなおも諭そうとするが、男は聞く耳を持たない。武器にかけた手を下ろそうともしない。

 

「知らねぇっつってんだろうが! なんならこんな店ぶち壊してやらぁ!」

 

「…………」

 

 女性の表情が笑顔のまま、けれどかすかに強張った状態で固まった(ように見えた)。周囲の誰かが、「やべぇ」と呟くのが聞こえた。

 

 小さくため息をついた女性は、テーブルを支えにゆっくり立ち上がるのと同時にいつの間にか伸ばされた右手の掌底が、気づけば男の(あご)を捉えていた。

 

「(……!?)」

 

「……あ?」

 

 滑らかな緩から急の動きに反応できず顎を撃ち抜かれた男は、脳を揺らされたせいだろう、足元をふらつかせる。

 女性はさらに男の膝裏を蹴り踏み、無理やり両膝を地面に触れさせる。

 

 一時的に身長が縮んだ相手に、今度は高く振り上げた女性の右ひざがめり込んだ――と思った時には、大男の巨躯は既に隣の席まで吹き飛ばされていた。

 

 同時に、轟音。巻き込まれたイスやテーブルの破砕音。

 

 筋骨隆々の巨体の重量と、それを吹き飛ばした蹴りの勢いとで、衝突箇所は大変な惨状になっていた。

 残骸に埋もれ、完全に意識を失った男を、その原因である彼女はどこか満足そうに眺めている。

 

 これが、私――リュイス・フェルムと、彼女――アレニエ・リエスとの、出会いだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3節 光明

 私は遠目に大男の様子を窺う。完全に気絶しているが、一応生きてはいるようだ。

 下手をすると首から上が飛んでいったのではないか、と思うほどの衝撃だったので、無事(ではないかもしれないが)だったことにホっとする。

 

 ちなみに、その一撃を放った当の本人は……どことなく一仕事終えたような表情で、爽やかに微笑んでいた。

 

「はふぅ……すっきりした」

 

「『すっきりした』……じゃねーよ! なに盛大にブッ飛ばしてんだ!」

 

「オレらが我慢してたのが台なしじゃねーか!」

 

 結局巻き込まれた周囲の客が、口々に女性に文句をぶつける。中には料理の皿や中身の入った杯を持ったまま抗議している人もいた。

 そういえば、壊れたテーブルの付近に料理や食器は落ちていなかった気がする。いつの間にかそれらを手に各自避難していたらしい。さすが腕利きの冒険者、と変な所で感心する。

 

「いやー、うちを壊すとか言うから、ついカっとなって」

 

「だからってお前が壊してどうする!?」

 

「店は壊してないよ。テーブルとイスだけだよ」

 

「店の備品だろうが!?」

 

 彼女は次々浴びせられる指摘にも大して動じず、柔らかく笑って弁明(?)するだけだった。

 そんなやり取りを見ながら、けれど私の頭に浮かんでいたのは、数秒前の彼女の躍動だ。

 

 相手に気取らせない自然な動き。

 一撃で的確に急所を打つ技術。

 そして目で追えない(少なくとも私には)ほど素早く、あの巨体を軽々と吹き飛ばしてしまう、凄まじい威力の足技。

 

 私でも、この一部始終を見ただけで分かる。

 あの女性が、並みの戦士とは比較にならない、卓越した技量の持ち主だということを。

 あるいはそれは、この場に居合わせる冒険者たちの誰よりも――

 

「(――彼女なら……!)」

 

 目の前で繰り広げられた一連の鮮烈さは、迷い悩む私に対して差し出された、一筋の光明(こうみょう)のようにさえ思えた。

 倒された大男のほうは、ちょっと気の毒な気がしたけれど……

 

「ろくな目に合わなかったろう」

 

「わっ!?」

 

 背後から急に聞こえたその声に、小さく飛び上がる。

 声の主は、それまで静観していたお店のマスターだった。

 

「腕はいいが揉め事が絶えなくてな。大抵一人で仕事をしている」

 

 マスターの簡潔な紹介は、私から彼女への熱視線を察してだろうか。

 揉め事が絶えないというのは気になるが、今はそれを越える興味に惹かれている。それに誰とも組まずに行動してるのなら、私にとってはむしろ好都合だ。

 

 説明は今ので終わりらしい。彼は次いで、彼女に向かって声をかける。

 

「修理代はお前の稼ぎから引かせてもらう」

 

「えー……わたし、一応うちを守ったつもりなんだけど。最初に暴れようとしてた人から貰えばいいでしょ?」

 

「そのうえで払えと言ってる」

 

 どうやら、倒れた大男からもしっかり徴収するつもりだったようだ。

 

「がめつい」

 

「誰のせいだ?」

 

 お互いに、少し呆れたように文句を言い合う二人。

 けれど、なぜだろう。それでも、仲が悪いようには見えなかった。

 

「まあいいや。なんか疲れたし、もう寝る」

 

「さっきまで寝てただろう」

 

「途中で起こされて消化不良。だから寝直してくるね。おやすみ、とーさん」

 

 とーさん…………お父さん? ――親子?

 ああ、だからお互いに遠慮がなくて、仲が良いように見えたのかな……でも、親子にしては年齢が……?

 

 そんなことをぼんやり考えているうちに、女性は既に広間の奥にある階段を昇り、上階へ姿を消してしまう寸前だった。

 

「! 待ってください!」

 

 私は半ば反射的に駆けだしていた。

 あれだけの実力を持ち、一人で行動していて、しかも同性(異性と旅を共にするのはまだ抵抗があった)。少なくとも現状、彼女以上の適任はいないように思える。

 先刻の衝撃に突き動かされた私は、その勢いに押されるように彼女を追いかけ、階段を駆け上がった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4節 リュイスの依頼

「すみません! 待ってください!」

 

 二階に上がり周囲を見回すと、女性は廊下の一番奥の部屋、その扉に手を触れさせるところだった。慌てて呼び止めつつ、そちらに走り寄る。

 

「? ……総本山の、神官?」

 

 かろうじて声は届いたらしく、彼女はこちらに向き直り、立ち止まってくれる。

 

「はぁ……はぁ……少し……はぁ……お話、が……」

 

「……大丈夫?」

 

 すぐに事情を説明したかったが、荷物を背負ったまま急に階段を駆け上がったものだから、息……が……

 しばしの間、俯いて荒い呼吸を繰り返す。

 彼女は私が落ち着くのを、黙って待っていてくれた。

 

「……失礼、しました。私は、〈アスタリア神殿教会正殿〉に所属する、リュイス・フェルムといいます」

 

 顔を上げ、彼女と目を合わせ、できるだけ丁寧に名乗る。ようやく、きちんと挨拶できた――

 

「――……かわ…………」

 

「……川?」

 

「や、ごめん、なんでもない」

 

 彼女の発した短い呟きは、よく聞き取れなかった。

 

「とりあえず。ここわたしの部屋だから、中に入る? 荷物、重いでしょ?」

 

 そう言うと、彼女は部屋の扉を開け、中に入って手招きする。

 確かに、ちゃんと説明するなら立ち話では済まないし、他の誰かに聞かれるおそれもある。落ち着いて話ができる場所は必要だった。荷物も重いし。

 

「……はい。お言葉に甘えて、お邪魔します」

 

 

  ――――

 

 

「ぅわあ……」

 

 ランプの炎に照らされた室内を目にし、思わず声が漏れてしまった。

 

 広さからすると、元はおそらく二人用の部屋なのだろう。あまり飾り気のない簡素なベッドが二つと、机や椅子、クローゼット等の備え付けの家具が配置されている。

 そしてそれらのすき間を縫うように、元々は無かったであろう品々が、そこかしこに積まれていた。

 

 無造作に木箱に入れられた金貨(!)や銀貨、銅貨の山。小型の調理器具や食器類。作業用のナイフやロープ、火口箱(ほくちばこ)。マントに防寒具。その他、正体も判然としないあれやこれ――

 

 おそらく、冒険に必要と思われる大半のものが、そしてその冒険の結果得たであろうものが、この一室に押し込められていた。

 ある程度用途ごとに分けているようにも見えるが、その後は大雑把に積み上げただけ、という印象だった。日々の生活動線以外は、足の踏み場もほとんどない。

 

「……ここ、宿の一室ですよね……?」

 

 あまり詳しくはないが、少なくとも一般的な宿でこんなに私物を溢れさせていたら、お店側から怒られるんじゃないだろうか。

 

「最初に無理言ってこの部屋もらったんだ。とーさんにはよく片付けろって言われる」

 

 そういえば、推定マスターの娘さんだった。ある程度の融通は利くのだろう。

 

 彼女は机の前にあった椅子をこちらに向け、座るよう促すと、自身は入り口から手前のベッドに腰を降ろす。私も荷物を置き、礼を述べてから、差し出された椅子に座らせてもらう。

 

「そうだ、まだ名乗ってなかったよね。わたしはアレニエ・リエス。この店で冒険者をしてます」

 

 簡単な自己紹介と共に、彼女――アレニエ・リエスは、ぺこりと頭を下げる。

 丁寧、というよりは、私の緊張を(ほぐ)すためにおどけてくれているように感じる。

 ただ、そのせいだろうか。

 彼女が自然に浮かべた優しげな表情。とても柔らかい印象のその笑顔は、けれどなぜか少し、ほんの少しだけ、ぎこちないようにも見えた。

 

「アレニエさん、ですね。よろしくお願いします」

 

 アレニエ・リエス……変わった名前だと思う。

 この国の言葉(言語は各国交流のため共通語が用いられているが、人名や地名はその土地ごとの言葉で名付けられていた)で蜘蛛を意味する『アレニエ』もそうだが、『リエス』という姓に至っては聞いたこともない。他国のものだろうか。

 

「好きなように呼んでいいよ? 上の名前でも下の名前でも。なんならおねーちゃんとかでも」

 

「おね…………と、とりあえず、アレニエさん、で」

 

 出会ったばかりでそんな呼び方をする勇気は、人見知りの私にはなかった。

 

「うん。あ。わたしは、リュイスちゃんて呼ばせてもらうね」

 

「リュイスちゃん……は、はい」

 

 経験のない呼ばれ方に照れを感じるも、嫌な気はしない。

 そうして頬に熱を灯している私の様子に、彼女がぽつりと呟く。

 

「なんかリュイスちゃんて、『上』の神官ぽくないね」

 

「……そ、そうですか?」

 

 もしかして、偽物の神官だと疑われているのだろうか。

 注目を覚悟で聖服を着ているのは、身元を明かすためだったのだけど……それを纏う私自身が、所属するには不足だと見られて――

 

「あぁ、ごめん。悪い意味じゃないんだ。神官が嘘を言うとも思わないし。ただ、珍しいなと思って。『上』の人って、大体みんな偉そうで感じ悪いからさ」

 

 杞憂(きゆう)に安堵するものの、その後の発言には口を(つぐ)む。正直、否定も肯定もしづらい。

 

「それで、なにかわたしに話があるんだよね? うちみたいな『下』の店にわざわざ来るってことは、あんまり大きな声で言えない依頼なのかな」

 

 彼女の言葉にハっとし、頭を切り替える。ここまで押し掛けた理由を、まずは話さなければ。

 

「……はい。私は――」

 

 師であるクラルテ司祭の代理として、とある依頼を預かって来たこと。

〈ラヤの森〉と呼ばれる場所まで共に旅をすること。

 かなりの危険が予想されること。

 機密のため、できれば少数が望ましいこと。

 

 等を説明し、次いで、報酬額(支度金と成功報酬)を提示する。

 

「クラルテ……あぁ、あの人か」

 

「ご存知なんですか?」

 

「一応ね。たまーにだけど、うちに来るから。弟子なんて取れたんだねぇ、あの人」

 

 そうか、司祭さまとマスターが顔見知りなら、娘である彼女とも面識があっておかしくないんだ。……後半はとりあえず聞き流しておこう。

 

「リュイスちゃんも一緒ってことは、依頼人の護衛も兼ねてるのかな。……護衛かぁ。ちょっと、苦手なんだよね」

 

「え――」

 

 しまった、相手の得手不得手までは全く考えていなかった。慌てて口を開く。

 

「その……私の身の安全等は気にしないで下さい。訓練は受けているので、ある程度の心得はありますし……」

 

「そう? じゃあ護衛対象じゃなくて、今回だけのパートナーって感じかな。同行するのは、穢れを処理するため?」

 

「……はい。魔物と遭遇するのは、おそらく避けられませんから」

 

 死体は穢れを生む。

 人であれ、動物であれ、生物は死と共に否応なく穢れを生むようになってしまう。

 見た目には黒い霧のようなそれは、触れたものに様々な悪影響をもたらす。大地を荒廃させ、樹木を枯らし、生物の命を蝕む。

 そして魔物――邪神の眷属であり、穢れが寄り集まったものとも言われる彼らが死体に変わる時、その場にさらに多くの穢れを発生させる。

 

 そのため遭遇が予想される場合、訓練を受けた神官を帯同させるよう推奨されていた。人の身で穢れを浄化できるのは、基本的には神官だけだからだ。

 

「ふむ。ちなみにだけど、リュイスちゃんはどのくらいの神官さん?」

 

「ぅ……。……。……その、先ほども言ったように訓練は受けているんですが……術のほうはどれも、三節で止まっていて……」

 

 教義を守り信仰を培うことで、神官は祈りを捧げる神の力の一端を、『法術』という形で借り受けられる。

 術だけが信仰の全てではないが、各章を何節まで修得しているかは、その神官の実力を測る、ある程度の目安になる。

 

「浄化は、《火の章》の二節からだっけ?」

 

「……はい」

 

 神殿では、それを授かって初めて魔物と対峙することを許される。

 つまり私は、最低条件をわずかに満たした下級神官でしかなく、彼女のような手練れの冒険者にとっては、ただのお荷物でしかない。

 依頼の判断材料としてはどう考えてもマイナスの情報だけれど……虚偽を否定する神官の端くれとして。彼女に対する誠意として。嘘は、つかない。つきたくない。

 

「うん。三節まで使えるなら、旅に出るのに問題はないかな。で、目的地が……ラヤの森……? ここって確か、人間と魔物の領土の境界線、だよね。そこまで危ないのは住んでないらしいし、もう活動期も過ぎてるから、討伐依頼には時期外れ……あぁ、調査なら不思議でもないのか」

 

 彼女の指摘通り、入り口である『森』にそこまで危険な種は確認されておらず、気温が暖かさを増してきた今の季節は、目立った被害も聞こえていない(魔物の活動性が増し、寒さだけでも命を奪う『冬』という季節も、邪神が生み出したものだと言われている)。

 

「でもここ、結構遠いよ? 馬の足でも大分かかる。そもそも、この森に関する依頼ならもっと近くの国から出てたと思うんだけど……なんでわざわざうちに?」

 

「……それは……」

 

「それに、どの程度の危険があるか、最初から分かってるみたいな口振りだったけど……なにを想定してるのかは、依頼を受けるまで教えてもらえない?」

 

「……すみません。それ自体が機密にあたるので、受諾してもらうまでは明かせないんです」

 

「そこを秘密にするってどういう依頼なのか、興味はあるんだけど……全部聞いちゃうと、多分断れないよね。さすがに報酬はいいけど……んー……」

 

 あぁ……警戒されている。

 内容。報酬。危険度。そして自身の腕。

 それらと命を天秤にかけ、釣り合うかどうか判断するのだから、不明瞭な依頼に慎重になるのは当然だ。

 

 報酬次第でなんでも――という噂もあったが、実際の判断基準は人によって違う。少なくとも目の前の彼女は、金銭だけで動くタイプではないのだろう。

 けれど、私は……

 

「……今、私が話せることはお話しします」

 

 私は、どうしても彼女に、この依頼を受けてほしい。先刻のあの興奮を、自身の直感を、信じたい。

 

「それを聞いたうえで、断っていただいてもかまいません。知ってしまったからと、強制するような真似はしないと約束します。ですから……判断は、その後でお願いできないでしょうか」

 

 そのために今できるのは、彼女が警戒している原因――こちらが意図的に隠している情報を、可能な限り開示することだけだ。

 

「いいの?」

 

 その問いに、少し決心が揺らぐ。

 これは、私の独断だ。

 全てを話したうえで断られれば、当然その責は私が負わねばならないし、もし彼女が誰かに情報を漏らせば、罪はさらに膨れ上がる。

 それでも――

 

「――はい。……けれど、できるなら……」

 

「他言無用、だね。分かってる。神殿を敵に回すのは、面倒だしね」

 

 罰も甘んじて受けるつもりだったけど……良かった、話の分かる人で。

 改めて彼女に向き直り、説明する。今回の依頼の詳細……その目的を。

 

「『森』に向かう目的は、要人の救出です」

 

「要人?」

 

「はい。そこで――」

 

 私は一度言葉を切り、彼女の瞳を強く見つめた後……その視線を勢いよく下げながら、懇願する。

 

「――私と一緒に……勇者さまを助けてください!」

 

「………………はい?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5節 流視

「勇者〝を〟……助ける? ……普通は、勇者〝が〟助けるものだよね?」

 

「本来ならそうなんですが……順を追って説明します」

 

 発端は、新しい勇者が選ばれたことだった。

 

 

  ◆◇◆◇◆

 

 

 この世界は、〈白の女神〉アスタリアによって創り出された。

 

 初めに天の星々が。次いで、大地と水が。植物と動物が。そして、人と火が生み出された。

 

 しかし、アスタリアと対立する〈黒の邪神〉アスティマが何処からか現れ、生み出された世界を奪うべく、攻撃を始めた。

 星の光を飲み込み夜をもたらし、北方の大地を荒廃させ、水の大部分を塩水に変えた。植物を枯らし、動物と人に死と衰退を覚えさせ、火を攻撃し煙で穢した。全ての創造物が物質的に損なわれた。

 

 アスタリアはその全てに不断の努力で対抗する。損なわれたものを癒し、増やし、むしろ以前より多くを世界に満ち溢れさせた。

 

 業を煮やしたアスティマは、ついには女神自身を打ち倒さんと実力行使に訴える。

 

 二神の力は拮抗し、互いの体を破壊し合いながらも決着がつかない。

 砕けた女神の体からは新たな神々が、邪神の体からは悪魔たちが産み出され、それらもまた相争い、滅ぼし合った。

 

 やがて全ての神と魔が、長い戦の果てに肉体を失い、姿を消してしまう。

 戦の発端となった二神も例外ではなかったが――

 

 アスティマは、自身の代行者となる魔王を。

 アスタリアは、魔王に対抗するための神剣を。

 自らの力の結晶を最後に残し、両者は共にその身を隠した。

 

 

  ――――

 

 

 女神と邪神の争いは、やがて人類と魔物の戦に移り変わる。

 史上初めて神剣を手にした初代勇者は、世界を奪わんとする魔王を見事討ち果たし凱旋(がいせん)

 彼は人々に王として祭り上げられ、アスタリアが眠るとされる霊峰オーブ山の麓に、パルティール王国を興した。

 

 しかし、王国の成立から百年を迎え、人々が生活圏を外に広げ始めた頃。

 滅ぼされたはずの魔王は蘇り、世界を手中に収めるべく、再び侵略を開始した。

 

 魔王は、神剣の力でも完全には滅ぼすことのできない、不滅の存在だった。

 たとえ一時死を迎えようと、おおよそ百年の眠りの後に、魔物の王は幾度でも蘇る。

 

 神剣もまた討伐の際に力を使い果たし、同様に眠りにつくが、仇敵の目覚めに呼応して再び顕現(けんげん)し、新たな使い手を求める。

 両者は世代交代と復活を繰り返しながら、現在に至るまで争いを続けていた。

 

 

  ◆◇◆◇◆

 

 

 先日、十年という、本来の十分の一の年月で、神剣の顕現が確認された。

 次の百年までの平和を享受(きょうじゅ)し始めていた人々は、前例のない事態に騒然とする。神剣の目覚めはすなわち、魔王も時を同じくして蘇った証に他ならない。

 王国は〈選定の儀〉と呼ばれるしきたりに(のっと)り、神剣の主となる新たな勇者と、勇者を護衛する守護者を選び出した。

 

 そして、問題はそこで発生した。

 守護者と共に旅立ち、その手で世界を救うはずの勇者は……魔王の討伐どころかその居城にも辿りつけず、旅の最中に訪れたラヤの森で命を落とす、と判明したのだ。

 

「判明……って、どうやって? ……というか、まだ旅立ってもいない、よね?」

 

 彼女の言う通り、先頃選ばれたばかりの今代の勇者は、今も王都に留まっている。

 その問いに答える前に、私はあえて、質問を返した。

 

「……アレニエさんは、〈流視(りゅうし)〉という名を聞いたことはありますか?」

 

 彼女は無言で首を横に振る。

 

「〈流視〉は、『物事の流れを視認できる』という、特殊な力を持つ瞳の名称です。その目に映る光景が川の流れのように感じられることから、河川の女神の加護とも言われています」

 

「あぁ、『神の加護』ってやつか。信徒の祈りに気をよくした神さまが、気紛れに力を貸してくれるんだよね」

 

(おおむ)ね間違ってませんが……気紛れ…………コホン。とにかく、今言った〈流視〉もその一つとされていて……現在、その持ち主が一人だけ、総本山に在籍しているんです」

 

 例えば、人が体を動かす際の動きや力の流れ。

 例えば、肉眼では視認できない魔力の流れ。

 通常なら見えづらいもの、あるいは目には映らないものでも、〝流れるもの〟でさえあれば、視覚として捉えられる。

 物事の一連の流れを把握できれば、その先を――未来をも、疑似的に予見することさえ可能になる。それが、〈流視〉という瞳の力だった。

 

「それは……結構、とんでもない力じゃない? 一応、相手の動きを予測ってだけなら、鍛錬や経験次第である程度できるようになるけど――」

 

「はい。〈流視〉は、その鍛え上げられた観察眼と同等か、それ以上のことを、たった一目見るだけで、鮮明に可能にしてしまいます」

 

「……ほんとに、とんでもないね」

 

 実際、使い方次第では(例えば目の前の相手に注力できる一対一の戦闘などでは)、その瞳は多大な効果を発揮してくれるだろう。

 

「とはいえ、見えるのはあくまで持ち主の目に映る範囲だけ。予測できるのも、数秒先が精々です。有用ではあってもそれだけなら、過度に隠すほどでは無いはずでした」

 

「はず、ってことは――」

 

 察した様子の彼女に、無言で頷く。

 

〈流視〉は稀に持ち主の意志を離れ、ひとりでに開くことがあった。

 

 戦の趨勢(すうせい)。大規模な災害。人の一生。

 映し出されるのは全て、普段は見ることのできない大きな流れ。

 瞳はそれを気紛れに、一方的に見せつけてくる。いつ見せるかは分からず、意図して見ることも叶わない。

 

 そんな不確かな瞳が再び開いたのが、先日の〈選定の儀〉だった。

 持ち主が儀式の結果を、神剣に選ばれた者を遠目に見た瞬間――……突如〈流視〉は目を覚まし、新たな勇者の短い生涯を……命が奪われる様を、映し出した。

 

「……魔王が〝居る〟だけで、魔物が湧いて出るんじゃなかった?」

 

「はい……そう伝わっています」

 

「勇者が死んだら……まずいよね?」

 

「とってもまずいです」

 

 今回の依頼の目的地であるラヤの森。そこから先の地は人類ではなく、魔物たちの支配領土だ。

 領民たる魔物は日々自分たち以外の生物を襲い、奪い、殺そうと、牙を研いでいる。

 言葉が通じるものは少なく、通じたとしても意思の疎通は難しい。他者を攻撃するのはその身に刻まれた本能とも言われる。

 

 彼らは魔王の目覚めを契機に増殖・活発化し、領土をさらに広げるべく、侵攻を開始する。

 対処を怠れば、増え続ける魔物の軍勢に各地は飲み込まれ、被害はいずれこの国にまで……

 

「……事態を防ぐ最善の策はもちろん、増殖の原因である魔王を討ち倒すこと。そして伝承通りなら、それができるのは女神から授けられた神剣のみです。けれど……」

 

「その神剣を振るう肝心の勇者さまが、旅立つ前から最期を予言されてる。で、その現場が依頼の目的地、ってことか。……魔王殺しの神剣持ってても、勝てなかったんだ?」

 

「私が偉そうに言える立場ではありませんが……此度(こたび)の勇者さまはまだ年若く、実戦経験も浅いそうです。神剣を使いこなす前に襲撃されたのだとしたら……」

 

「魔王以外に負けても仕方ないと。なるほどねー……その、〈流視〉っていう目に映ったことは、これから確実に起こるの?」

 

「……放っておけば、ほぼ確実に。ですが――」

 

 正にそれが、今回の依頼の主眼だった。

 

「見えるのはあくまで、〝今〟がそのまま進んだ場合の流れでしかないそうです。例えば――」

 

 例えば、私が街を歩き十字路に差し掛かった際。

 

 → 直進する → 横合いから飛び出してきた馬車に()かれる

 

 という流れが見えたとする。

 なにも知らず歩き続ければ、私は流れのままに轢かれてしまい、打ちどころによっては命を落とすかもしれない。

 けれど事前に把握していれば、

 

   直進する

   馬車が通り過ぎるのを待つ

 → 最初から別の道を行く → → → 事故を回避

 

 というように、その後の行動によって本来とは違う流れを生み出せる。川の流れで言えば、付け替えや灌漑(かんがい)工事のようなものだ。

 勇者が命を落とす未来も、現状のまま進んだ場合の流れ、その一つでしかない。それなら、流れ自体を変えてしまえばいい。

 

「……そういう力技ありなんだ」

 

 力技と言われると否定できませんが。

 

「事情を聞いた司祭さまは、流れの元凶を取り除くのが最も効果的、と判断されました。それによって、勇者さまの死も覆せるはずだと」

 

「元凶っていうとこの場合、勇者を殺した――じゃない、これから殺しに来る相手、ってことだよね。やっぱり、魔物? それとも人型――魔族とか、半魔、とか?」

 

「いいえ……あ、いえ、間違ってはいないんですが……」

 

 人型の魔物を魔族。魔族と人間の交わり(多くの場合、一方的に襲われた結果だが)で(まれ)に生まれるものを半魔と呼ぶが、どちらも私は曖昧に否定する。

 

「……襲ってきたのは、一体だけ。見た目は、ほとんど人間と変わりません。というより、漆黒の鎧で全身を覆っていたため、その奥の姿までは分からなかったそうです。ただ、その身から穢れを放ち、強力な風の魔術を詠唱もせず操っていた、と……」

 

「全身真っ黒鎧に風の魔術、ね。人型で詠唱なしなら、やっぱり魔族かな。……なんだろ、ちょっと、特徴に聞き覚えが……子供の頃読んだ絵本に、そんな感じの魔族がいたような……いや、魔族の、将軍、だったっけ? 確か、名前は……」

 

「……私も以前、物語で聞いたことがあります。……おそらく、〈暴風〉です」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6節 疑問、あれこれ

「そっか……風の魔将――〈暴風〉のイフ!」

 

 こちらの言葉に、彼女は得心がいったというように大きく頷く。

 

「どうりで聞いたことあるわけだ。初代勇者と戦った伝説も残ってる、多分、魔王を除けば一番有名な魔族だよね。だからそのせいだったかな。物語で城を護る魔将の役には、イフの名前が一番使われてるとかちょっと待って」

 

 疑問が解消され晴れやかに口を開いていたその動きが、ピタリと止まる。

 

「……〈暴風〉の、イフ?」

 

「はい」

 

「……一息で千の軍勢を薙ぎ払う、なんて噂もある、あの?」

 

「……そうです」

 

「………………なんで?」

 

「えぇと……」

 

 あまりに端的な疑問だったので、どう返答したものか困ってしまう。

 

「や、ごめん。さすがにおねーさんもちょっとびっくりだったので。うん。一旦落ち着いてまとめたいと思います」

 

 居住まいを正し、それまでよりわずかに真剣な表情で、彼女は口を開く。

 

「目的地は、人と魔物の領土の境界線、ラヤの森。さっきも言ったけど、そんなに強い魔物は住みついてないし、魔族も滅多に見かけないっていうこの森に……なぜか普通の魔族を通り越して魔将が、しかも〈暴風〉なんていうとびきり危ないのが一人でやって来て、それに、勇者が殺される未来が見えちゃった。だからそうなる前に、問題の魔将を倒しに行かなきゃいけない……」

 

 私が無言で肯定の意を示すと、彼女はにわかに困惑しながら問いかける。

 

「その……本気で言ってる? リュイスちゃんが、じゃなくて、総本山が」

 

「……残念ながら、本気です。それが、実際に起こってしまうと、そして、猶予もないと判断したからこそ、総本山は事実の調査を後回しにしてまで、この依頼の打診を決定したのですから」

 

「んん…………まぁ……そっか。そうだよね。少なくとも、それを理由に神殿が動くくらいには、その『目』は信用できるってことなんだね」

 

 今さっき〈流視〉を知ったばかりの彼女は、まだ半信半疑という様子ではあったが……

 それでも彼女は、国内外に強い影響を持つ世界最大の神殿が、実際にその重い腰を上げたことから、ある程度の理解を得てくれたようだった。

 

「分かった。でもそれが全部本当だっていうなら、聞きたいこと、いっぱいあるんだけど」

 

「もちろん、私で答えられることなら、全てお話しするつもりです」

 

「ありがと。じゃあ……えーと、なにから聞いたものかな。……そうだね。そもそも、イフって今でも生きてるの? それこそ、おとぎ話でしか聞かないような大昔の魔族だった気がするんだけど。もう何代も前の勇者に倒された、って話も」

 

 それは当然の疑問だと思うし、私も初めは同じ疑問を抱いた。

 

「討伐された、という伝承は確かにあります。けれど、その後に目撃されたという記述や証言も、何件も残っていて……」

 

「……ほんとは、倒せてなかった?」

 

「分かりません……過去の記録の多くは口頭伝承ですし、資料が残されるようになってからも情報が錯綜(さくそう)していて……中には、『魔王と同じく不死である』という噂までありました。少なくとも先代の勇者さまは、〈暴風〉とは遭遇しなかったそうですが……」

 

「……生きてたとしても、おかしくない、ってことかな」

 

 納得できたわけではなさそうだったが、彼女はあまり思い悩まず話を進める。

 

「じゃあ、次。魔将って、魔王を護るのが最優先だからあまり城から離れないし、離れたとしても姿を見せるのは、例の終わらない『戦場』くらい、って聞いてたんだけど……」

 

 魔王の居城へ向かう進路の一つに、〈無窮(むきゅう)の戦場〉、あるいはただ『戦場』とだけ呼ばれる荒野がある。

 そこは、地形としては平坦な平地で、城までの距離も短い、行軍する進路としては最も適した道だった。ただし……

 その道には、行く手を遮る者が存在していた。地を埋め尽くす魔物の軍勢が。

 

 この地は両者にとって重要な係争地であり、およそ数百年に渡って互いに戦力を投入し続けている生きた戦地だ。その争いはこの先も終わらないと言われている。

 そしてその終わらない戦場に、他では目にすることも(まれ)な魔将の姿も、散見されている。

 

「それが……『戦場』も飛び越えて、一人で『森』に?」

 

「それについては、魔王討伐の進路として、最も多く選ばれてきたのが『森』だから、かもしれません」

 

「たくさん、選ばれてきたから?」

 

「居城へ向かう中で、比較的危険の少ない道が、ラヤの森を抜ける進路だと言われています。少なくとも、『戦場』を突き進むより安全なのは間違いありません。だからこそ、新たな勇者さまもこれから向かうのかもしれませんし……だからこそ、魔物側も網を張っているのかもしれません。あくまで、見えた結果からの推測でしかありませんが……」

 

 余談だが、先代の勇者は『森』ではなく『戦場』から魔王の城に向かい、無数の魔物を(ほふ)りながら正面から踏破したと伝わっているが、理由は分かっていない。

 

「偶然出くわしたんじゃなくて、勇者が通りそうな場所を狙って待ち構えてた、ってこと? ……そう言われると、無くはないか、な――……?」

 

 腑に落ちないながらも否定できないという様子の彼女だったが……不意に動きを止め、こちらに視線を向ける。

 

「……あのさ。最初に聞いた条件だと、リュイスちゃんも同行するって話だったよね。でも、一緒に『森』に行くってことは……」

 

「……困難な任だというのは、重々承知しています」

 

〈流視〉の予見が真実なら。彼女と共に目的地に向かえば。いずれ魔将と相対することになる。当然、理解している。

 半人前の私にとって、それが、極めて危険な旅だということも――

 

「……」

 

 ふと気づけば、アレニエさんがわずかに目を細めながら、こちらを注視していた。

 

「……? あ、あの……?」

 

「……や、なんでもない」

 

 しかしそれもわずかな間で、その目に(にじ)んでいたかすかな感情も、すぐに元の柔らかい笑顔に塗り替えられる。……なんだったんだろう?

 

「そっか。本気で、魔将と戦いに行くつもりなんだね。……魔将、ね。なるほど、魔族ではあるけど、ただの魔族とも言えない。違うけど間違いじゃない」

 

 気持ちを切り替えるように目を閉じ、彼女は小さく嘆息する。

 

「つまりそれが、隠さなきゃいけなかった理由なんだね」

 

「……はい。魔将の接近。勇者さまの死。どちらも、軽々しく公にはできません。知れば人々は怯え、混乱し、悪魔の囁きに耳を傾けてしまうでしょう」

 

 人に負の心が芽生えるのは、悪魔や悪霊が耳元で囁いているから――と、神殿では教えられている。それらが入り込む隙間を残さぬよう、神々への信仰で心を満たさなければならない、とも。

 

「神殿の教義はともかく、言いたいことは分かるよ。ただでさえ人間は力で魔物に負けてるのに、余計な不安が広がって統率が取れなくなれば、なおさら勝てなくなる。噂が広がれば、暴動とか起きるかもね」

 

 彼女は一拍置いて言葉を続ける。

 

「でもさ。相手が魔将だろうと、結局、倒さなきゃいけないのは変わらないんだよね? 勇者の護衛を増やすとか、騎士団大勢連れてくとかして正面から討伐すれば、わざわざ隠さなくていい気がするんだけど」

 

 実はその案は、神殿でも議題に上ったのだけれど……

 

「それにはいくつか問題があって……まず、今回の相手は、先程アレニエさんも口にした通り、千の軍勢を一息で薙ぎ払うとも言われる『暴風』です。ある程度以上の実力者を集めなければ、いたずらに被害を増やすだけになりかねません」

 

「それはまあ、そっか」

 

「次に、護衛――守護者を増やすのは、おそらく王都の貴族たちが納得しません」

 

「へ? なんで貴族?」

 

「勇者や守護者にはほとんどの場合、貴族の後ろ盾がありますから……」

 

「あー……報酬の、おこぼれ目当てだっけ」

 

「その……言い方はともかく、その通りです。討伐が首尾よく成功すれば、それを支援した者にも報奨の一部が与えられます。ですが……」

 

「人数が増えると、そのぶん自分たちの分け前が減っちゃう。だから反対、ってわけだ。……こんな時でも?」

 

「反対するでしょうね……こんな時でも。それに、時間も足りません」

 

「時間?」

 

「勇者さまは、近日中に王都を発つ予定です。その前に、魔将と戦える程の腕の持ち主を、大勢探すような余裕は……」

 

「……そんなに、差し迫ってたんだ?」

 

 頷き、続ける。

 

「足りないのは、討伐予算もです。本来なら先の戦で使い果たしても、次の百年までに貯えれば問題はないはずでしたが……」

 

「そっか……前の討伐からまだ十年しか経ってないし、その十年でもう魔王が起きてくるなんて誰も予想してないもんね。貴族の事情は正直どうでもいいけど、国の予算は無視できないか」

 

〈選定の儀〉の備え。守護者の報奨。人員への物資(これは『戦場』へのものも含む)。

 とかく戦にはお金が要るし、国庫にも限りがある。

 

「騎士団に関しても、(おおむ)ね同様です。今から編成するのは時間も資金もかかるうえ、大勢での行軍は敵に発見される危険も高まります。それに、今はまだ安全ですが、魔物の侵攻が規模を増せば、この国も今後どうなるか分かりません。守りの要である騎士団を王都から動かすのは、貴族に限らず、多くの人々の反感を買うでしょう」

 

「じゃあ、勇者だけに事情を説明して、どこかに(かくま)うとかは?」

 

「その……前提として、勇者さまを留めておくことができないんです。魔王を放置したままでは、魔物が増えていく一方ですから……」

 

「……そうでした」

 

 その勇者を正当な理由なく引き留める者は、極端な話、魔物に与する背反者と見做されるおそれさえある。今回で言えば、理由自体はあるのだけど……

 

「それに公にできないのは、〈流視〉も同様です。〈流視〉は、今回の件を抜きにしても機密扱いで、神殿でも知っている人間は限られているんです」

 

「ふーん……?」

 

 理由――不安定ながら未来予知さえ可能なその瞳は、下手に知られれば誰に、どのように利用されるか分からない。

 

 悪用を避け、持ち主を守るため、総本山はその身柄を預かり秘匿(ひとく)している。軟禁(なんきん)、とまではいかないが、必要時以外は外出も制限されている。

 

 私がこの依頼を預かる際も、情報を明かす相手はできるだけ少なく(知る者が少ないほど秘密も漏れにくい)、その相手も慎重に見定めるよう厳命されていた。

 

「まぁ……めんどくさい状況だってのは、なんとなく分かったよ」

 

 ここまでの話が一言で済まされてしまった。

 

「それじゃ、最後にもう一つだけ。代理って言ってたけど、あの人が自分で出ないのは、どうして? リュイスちゃんには悪いけど、弟子に任せるよりはそっちのほうが確実だよね?」

 

「……そう、ですね。実力に関しては、仰る通りです」

 

 実際、同行者が司祭さまなら、私などよりよほどアレニエさんの助けになる。

 

「ただ、今回は目標の討伐と同時に、秘匿性が重視されます。司祭位の者が直接動くのは、それだけ事態の重さを喧伝(けんでん)していることになりかねません。その点で言えば私は、駆け出しを脱したばかりの、一神官にすぎませんから」

 

「変装させてコッソリとかじゃダメだったんだ?」

 

「それも含めて、周りに止められました。隠し通すのはおそらく無……いえ、その……司祭位というのを差し引いても、あの方は……少々、人目を引くといいますか……」

 

「あぁ……あの人、目立つもんね」

 

 口は濁したが、同様に司祭さまを知るらしい彼女には、言わんとしていることが伝わったのだろう。何とも言えない表情をしている。

 

「それに、普段のお勤めに次の司教選挙も重なって業務が山積みですし、昔と違い、今は責任のある立場ですから。あまり危険に身を置かないように、とも」

 

「なるほどねー……でも、その危険な任務に、よく自分の弟子を送り出したね」

 

 わずかに、体を強張らせる。

 

「……その……今回の任務は、私から志願したんです」

 

「……そうなの?」

 

「はい……先ほど言ったように私は未熟で、あの場所には不相応ですが……この任を、勇者さまを救うという善行を為せれば、周囲の人々にも、認めてもらえるかもしれな――」

 

 ――不意に、我に返る。

 口を滑らせすぎたかもしれない。私の事情など、初対面の彼女は興味ないだろうに。

 

「……ひとまず、私ができる説明はしたつもりです」

 

 心を落ち着かせるように、小さく息を吐いた。

 

「説明したうえで、それでもなお疑わしい依頼だというのは、口にした私自身理解しています。全てが誤りであった時は、どうぞ、下級神官の愚かな妄言と笑ってください。ですが、これが全て真実だった場合……」

 

「その場合、人類は新しい勇者が見つかるまで、魔王に対抗する手段を失う。『パルティールの惨劇』の再来、ってわけだ」

 

 頷き、顔を上げる。

 

「先ほどの騒動で、実力は拝見させていただきました。貴女は普段、一人で行動しているとも聞いています」

 

 私は再び彼女の瞳を正面から見つめ、懇願する。

 

「アレニエさん。改めてお願いします。……一緒に、勇者さまを助けてください」

 

 少数で秘密裏に、迅速に目的地に向かい、神剣の助けなしに魔将を討伐する。

 それはある意味、守護者として魔王に挑むより困難かもしれず、達成できる者が容易に見つからないのは探す前から明白だった。

 

 だからなのだろう。条件を満たす人物として真っ先に思い浮かんだのが、行方不明の剣の帝王と、先の噂だったのは。

 結果は、知っての通りだけれど……

 

 しかし、その後目の当たりにした彼女の衝撃は、失意の私を立ち直らせるには十分過ぎた。

 実力は申し分なく、単身での活動もこの依頼に適している。なにより……

 

 これは、ただの勘、というより願望のようなものかもしれないけど……私は、彼女ならこの依頼を達成し勇者を救うことも、不可能ではないように思える。

 だから後の問題は……当の本人が、引き受けてくれるかどうか、だ。

 

 彼女は目線を下げ、一言も発さず黙考していたが……しばらくして、その口を開いた。




「RPG等で旅立ったばかりの勇者が、ゲームバランスも無視していきなり四天王的なものに狙われていたとしたら」をテーマに書いた話です。
裏で四天王を倒してくれる誰かがいたから、勇者は弱い順に現れてくる敵を倒してレベルアップすることができていた、とかだったら面白いかな、と。
勇者一行だけが魔王討伐に赴く理由、アレニエたちがそれを助けに行く理由、それぞれの整合性をつけるのに苦労しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間1 ある大男の怒髪天

「クソっ!」

 

 怒りを抑えきれず、飲み干した杯を叩きつける。

 安く、頑丈なはずの木の杯は衝撃で砕け、辺りに破片を撒き散らした。が、今はどうでもいい。

 

 あの後、気が付いたら俺は〈剣の継承亭〉から離れた路上に寝かされていた。

 全身が、特に側頭部がひどく痛んだ。なにがあったかを思い出したのはしばらく経ってからだった。

 怒りと羞恥で頭が沸騰しそうだったが、その度に蹴られた部分がズキズキと痛み、(さいな)んでくる。それがまた、怒りを倍増させていた。

 

 馴染みの冒険者の宿、〈赤錆びた短剣亭〉に辿りついたのは深夜のこと。とりあえずは飲んで鬱憤(うっぷん)を晴らすつもりだった。

 だが()さを晴らすために飲んでいるはずなのに、飲めば飲むほど苛立ちが増していく。それもこれも……

 

「どうした、えらく荒れてるな」

 

 顔馴染みの冒険者が声を掛けてくる。

 フードを目深に被った痩せぎすの男で、俺と同じ裏家業を主にこなす類だ。下層には(特に今いる北地区には)こういうのが多い。

 

「今日は例の店に行くと息巻いていたはずだが……返り討ちにでもあったか?」

 

 そのものずばり言い当てられ、さらにイライラは増していく。

 

「……まさか、図星か? クっクっ……あんなに自信満々だったというのにな」

 

「ぅるせぇ! あんなもんは負けたうちに入らねえ!」

 

 クソっ、どいつもこいつも(かん)(さわ)りやがる。

 

「まともにやってりゃ俺が負けるわけねえんだ! それをあの女ぁ……狸寝入りで騙し討ちなんぞしやがって……!」

 

「……女? 狸寝入り? ……まさか、白い鎧に、黒い左篭手の女か?」

 

「あ? あぁ……言われてみりゃそんな格好だったかもしれねぇが……知ってんのか?」

 

「……ああ。そいつはおそらく〈黒腕(こくわん)〉だ」

 

〈黒腕〉の二つ名で呼ばれる女剣士、アレニエ・リエス。その腕前と悪評は下層に留まらず、中層の一部にまで広まっているらしい。

 聞いた覚えもなくはないのだが、〈剣帝〉の捜索に躍起になっていたため、それ以上の情報は知らず終いだった。……そもそも、情報収集自体が苦手だ。

 基本的にはあの店に腰を落ち着けているが、気まぐれに他所に現れては騒ぎを起こしているとか、迂闊に近づくと折られるとか、ろくな話が出てこない。

 

「ちなみにあの女、本当に寝たままで折ってくるらしい」

 

「んなもんどっちでもいいんだよ!」

 

 とにかく俺はあの女が気に入らない。なんならすぐにでも報復に……!

 

「……ふむ。なら、他の連中にも声をかけてみるか?〈黒腕〉に恨みを持つヤツは少なくない。探せばすぐに集まるだろう」

 

「……お前が、わざわざ他の奴まで集めて、ただ働きするってのか? 明日は星でも落ちるんじゃねえか?」

 

「なに。噂の〈黒腕〉がどの程度のものか、以前から興味があったからな。首尾よく討てれば、名も売れる。それに先刻、急ぎの依頼が入って人数を集めるつもりだったのでな。ちょうど良かったのさ」

 

「要は、ついでにその依頼を手伝えってことか?」

 

 わずかな間、考える。

 普段なら、徒党を組んで女を襲いに行くなんて話は、おそらく断っていた。

 だが今は、如何せん頭に血が昇っていたし酒も入っていた。正直このイライラを解消できればなんでもよかった。

 

「ふん、いいだろ。乗ったぜ」

 

 これであの女を叩きのめせば溜飲も下がるだろう。

 わずかにだが気分も回復し、支払いを済ませて帰ろうと懐から財布(ただの布袋だが)を取りだした俺は――

 

「…………クソがぁっ!?」

 

 ――ご丁寧にも、中身だけが綺麗に抜かれていたそれを、地面に叩きつけた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7節 一夜過ぎて ―リュイスの場合―

 目が覚めた。

 窓から入る陽の光が、否応なく朝であることを告げてくる。

 しばらくまぶたと格闘し、なんとか目を開くものの、そこに映る部屋の光景は見知ったものではなかった。

 

「……? ……??」

 

 ひとしきり混乱してから、ようやく思い出す。

 

「そうだ……アレニエさんの部屋に泊まったんだった……」

 私はまだぼんやりとする頭で、昨夜のやり取りを振り返る。

 

 結論から先に言えば、アレニエさんは私の依頼を(こころよ)く引き受けてくれた。

 

 

  ***

 

 

「――そう、だね。いいよ。引き受けても」

 

「! 本当、ですか……!?」

 

「うん。仮にここまでの話が全部つくり話とか勘違いとかだとしても、報酬貰えたうえでリュイスちゃんと旅することになるだけだしね。今は他に仕事もないし。ただ……」

 

「……ただ?」

 

「これだけは最初に断っておきたいんだけど……実際に魔将まで辿り着いても、わたしの手には負えないと思ったら、その時は迷わず逃げるよ。顔も知らない他人とか。世界とか。そんなもののために命まで懸けたくないからね」

 

「はい、それで構いません。私も、無為に死者を出したくはありませんから」

 

「よかった。それと、報酬のことなんだけど」

 

「……なんでしょう?」

 

 にわかに、嫌な予感がする。

 

「相手がほんとに魔将だっていうなら……報酬のほうも、もう一声欲しいなぁ」

「う……」

 

 彼女は笑顔でこちらを覗き込むように視線を向けてくる。

 こういった要求を、事前に予想しないわけではなかった。だから司祭さまには十分な金額を用意して頂いたのだけど……

 

 依頼に臨む冒険者が、実際にそれで納得するとは限らない。特に今回は、相手が相手だ。

 生きて帰れるかも分からない仕事なら、より多くの対価を望む気持ちは、理解できる。命の値段だ。

 

 が、残念ながら預かったのは先刻提示した額で全て。神殿にさらに要求するのも難しい。これ以上を捻出(ねんしゅつ)するなら、あとは私の給金ぐらいしか渡せるものがない。

 いや、彼女がそれで引き受けてくれるなら、私が身を切るくらい――

 

「……すみません。今は、これ以上用意できなくて……けれど私に払える範囲でなら、後でなんでも支払いますから……!」

 

「え、ほんと?」

 

 こちらの台詞が終わるか終わらないかのうちに、アレニエさんが嬉しそうに確認を取ってくる。……あれ? 私、もしかして迂闊(うかつ)なこと言った……?

 

「そっか、なんでもかぁ。なにがいいかなー」

 

「……あの……できれば、加減していただけると……」

 

「そんなに怯えなくても、そこまで無茶なお願いはしないよ。というか、お金は別にいいんだ」

 

「……お金は、いい?」

 

 報酬が足りないという話では……?

 

「うん。だからその代わりに…………――――リュイスちゃんが、欲しいな」

 

 …………

 …………

 

「…………はい?」

 

 今、なんと?

 

「追加の報酬として、リュイスちゃんが欲しいな」

 

「……。……。……? ……――~~……私!?」

 

 私が報酬!?

 

「そそそそそ、それっ、て、ど、ど、どう、いう……!? こ……こ……」

 

 恋人的な? それとも、肉欲的な……か、体目当て? 出会って五秒の噂は、女性も――……!?

 

「んー、つまり――」

 

 彼女は静かに立ち上がり、私が戸惑っている間にするりと体を引き寄せると、流れるように奥のベッドに押し倒した。

 二人分の体重を受け止めた木製の寝台(少し固かった)が(きし)み、ギシリと音を鳴らす。

 

「――こういう、感じ?」

 

 何をされたかも分からず、為すすべなく寝かされた私に、アレニエさんが覆い被さってくる。

 引き締まった、けれど少し丸みを残した彼女の下半身が、私の体を上から抑えつける。

 

 仰ぎ見る私と、見下ろす彼女の視線が交わり、そのまま無言で見つめ合う。

 間近で見る彼女の黒瞳に。笑みを形作る(つやや)やかな唇に。灯りを反射する黒髪に。吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥る。

 

「……わたしは、悪ーい下層の冒険者だよ? こういう目に遭うかもって、ちょっとも考えてなかった?」

 

 優しくも妖しい彼女の笑顔と、触れた個所からほのかに感じる体温が、思考を鈍らせてゆく。

 経験のない事態に動悸が収まらない。汗が衣服を張りつかせるのを感じた。ああ……きっと今、私の顔は真っ赤だ……

 

「……私を、抱くのが……報酬、って、ことですか……?」

 

 同性でも肌を重ねる場合があるのは知っている。神殿で、〝そういう〟関係の同僚を目にしたこともある。

 

 けれど私たちは出会ったばかりで、お互いを全く知らない。

 思慕も情愛もなく、ただの代価として体を差し出す行為は、仮にも神官である身としては避けるべきだ。そう、思いつつも……

 

 圧し掛かられ、動けないのを差し引いても、無理矢理振り払おうという気には、なぜかなれない。少なくとも、先刻大男に迫られた時のような恐怖は感じない。

 それに、要求が私というのは想定外だが、身を切る覚悟自体は先刻固めたばかりだ。〝私の体くらい〟で追加の報酬になるのなら、むしろありがたいのでは、という気さえしている。

 

 そもそも私は……この状況を、嫌だと思っているのだろうか……?

 

「いや、せっかく知り合えたから、友達になって欲しいな、って思ったんだけど」

 

 …………

 

「…………とも、だち?」

 

「ともだち」

 

 目を瞬かせる私の耳元に顔を寄せ、彼女は少し楽しそうな声音で(ささや)く。

 

「……なにを想像してたのかな、リュイスちゃん」

 

 彼女の言葉に、今度は羞恥で、かぁぁぁっ、と頬が熱くなっていく。

 顔を離し、こちらを見下ろすアレニエさんは変わらず笑顔だったが……そこに、先刻まではなかった悪戯っぽさが、わずかに混じっている気がした。

 

「(……もしかして……からかわれた、だけ……?)」

 

 耳まで赤くする私を、彼女は楽しそうに眺めている。

 

「ごめんごめん。反応が可愛かったから、つい」

 

「ぅう……」

 

 少し恨みがましい視線を向けてみるものの、当の本人に(こた)えた様子は全くない。

 彼女は上体を起こし、私の体を解放すると、そのまま隣に腰を下ろす。

 

「ちなみにリュイスちゃん、今日の宿って取ってる?」

 

「へ?」

 

 頬の熱も冷めぬ間に、予想外の質問が飛んできた。

 体を起こし、思考を苦労して切り替えつつ、慌てて返答する。

 

「え、あ、えと……依頼を受けてくれる冒険者を探し出せたら、その宿で一泊しようと思っていたんです、が…………あっ」

 

 依頼の手続きも報酬を預けることもせず、勢いのままに彼女を追いかけて来たのを思い出す。当然、宿など取っていない。

 彼女は私の様子から、大体のところを察したらしい。

 

「じゃあ、ちょうどいいからここに泊まっていってよ。宿代も浮くし」

 

「そんな、そこまでお世話になるわけには……あ、いえ、それより依頼は……」

 

「心配しなくても、ちゃんと引き受けるよ。追加の報酬、くれるんだよね?」

 

 彼女は言いながら、片手を差し出してくる。

 先刻の勘違いを思い出し、再び顔が赤らむのを感じる一方で――

 

「(友達……私に……?)」

 

 馴染みのない響きを噛みしめる。羞恥とは別の理由で、頬が紅潮していた。

 わずかに逡巡した後、赤みが増した顔を隠すように俯きながら、私は控えめに彼女の手を握った。

 

「……その……私なんかで、良ければ……よろしくお願いします」

 

「うん。交渉成立だね」

 

 私の手を握り返し頷くアレニエさんの表情は、心なしか満足そうに見える。

 この申し出で彼女になんの得があるのか、正直疑問に思うが……それで引き受けてくれるというなら、むしろ素直に感謝するべきなのだろう。

 あるいはここまでの一連の言動自体、こちらと打ち解けるための話術だったのかもしれない。

 

「それじゃ、このベッドそのまま使って。とーさんがたまに掃除してるから、綺麗なはずだよ」

 

 寝台をポンポンと叩き、こちらに勧めるアレニエさん。始めからそうするつもりで、ここに押し倒したのだろうか。

 

「あ。それとも、こっちで一緒に寝る?」

 

「いっ……!?」

 

 一緒、って……また、からかわれてる? それとも……

 

「……アレニエさんは、女性が好きなんですか?」

 

「わたし? わたしはどっちもいけるだけだよ?」

 

 直接的に訊ねてはみたが、変わらず向けられる笑顔からは、本気とも冗談とも判別できない。というかどっちもって。

 と、判断をつける前にふと脳裏に浮かんだのは、彼女が先刻、眠りながら大男の指をへし折っていた光景だった。

 

「すみません、遠慮しておきます」

 

「そっか。残念」

 

 言葉の割にはそこまで残念でもなさそうに、彼女はあっさり引き下がる。……警戒しすぎだっただろうか。

 

「……あの、やっぱり代金も払わず泊めていただくのは申し訳ないですし、今からでも部屋を取りに……」

 

「いいからいいから。なんなら報酬の前金ってことで、今夜一晩付き合ってよ」

 

「……そういう、ことなら……分かりました。一晩、お世話になります。……ですが、その……」

 

 依然、私は報酬扱いらしい。

 それも含めて引き受けてくれたのなら、あまり申し出を断るわけにもいかないだろう。

 けれど私が報酬だというなら、個人的に一つだけ、納得できないことがあった。

 

「……払う側の私が、払わずに泊めてもらうっておかしくないですか?」

 

「……わたしが言うのもなんだけど、気になるのはそこなの?」

 

 

  ***

 

 

 聖服を脱ぎ、下着姿になった私は、薦められたベッドで横になっていた。

 隣では、アレニエさんが既にすやすやと穏やかな寝息を立てている。

 鎧や衣服を脱ぎ、私と同じように薄着姿になっている彼女だったが……なぜか、左手の黒い篭手だけは、外す様子がなかった。

 

「(魔具(まぐ)……かな)」

 

 魔具は、条件を満たすことで疑似的に魔術を扱う、あるいはその行使を補佐する道具の総称だ。

 効果や価値は制作者の腕で上下し、質の高い品は他者から狙われる例もあるらしいけれど……

 身につけたまま就寝するという人は、少なくとも私は知らない。(いぶか)しく思い、訊ねてみたが……

 

「内緒です」

 

 と、笑顔で、しかしはっきりと拒絶の意志を示され、それ以上聞くのは(はばか)られた。

 気にはなるが、誰だって人に言えない、言いたくないことぐらいあるだろう。

 そして今はそれ以上に、ベッドに入る前に目にした、彼女の下着姿が脳裏に焼き付いていた。

 

 細身でありながら程よく出るところは出ている、均整のとれた肢体。

 くびれた腰や、すらりと伸びる手足は、しなやかな肉食獣を想起させた。

 仕事の際に負ったのか、その身にはいくつか目立つ傷跡もあったが、それらを全て含めて綺麗だと思った。押し倒された際の胸の鼓動が、にわかに蘇る。

 

「(……私のほうが、女の人を好きだったのかな……)」

 

 神殿では、男女の交際を制限していない。

 私たちが信奉するアスタリアは、この世界の全ての善いものを創造し、またそれらを享受(きょうじゅ)することを私たちに許している。

 

 端的に言えば、女神が創り出したこの世界で人々が生を謳歌すること。それ自体が、彼女の目に適う善行になる。苦痛や害意は対立する邪神の産物(だと言われている)なのだから、それを抱きながら生きるのは望ましくない。

 

 婚姻を結び夫婦生活を営むのも、生を楽しむ方法の一つだ。性交における悦びは、神に与えられた権利とも言える。

 結果、子を授かるなら、それは新たに神を信仰する信徒が、魔物と戦う戦士が増えるのにも繋がる。婚姻は善行と見做(みな)され、神殿で推奨されているほどだった。もちろん、節度は保たなければいけないが。

 

 そして、その本分を忘れない限りにおいて……女性同士での交遊も、ある程度黙認されていた。

 

 創設者が女性だったこと(〈白き星の乙女〉と呼ばれた神官だった)。

 性差における神との親和性(女神であるからか、アスタリアの法術は女性のほうが適性が高い)。

 過去には、男性神官が不貞を働いた事件等もあったらしい(大きな声では言えないが)。

 

 様々な要因の結果、現在の総本山は女性の比率が非常に高く、異性と出会う機会には恵まれない場所となっている。

 

 また、分類としては上層に位置しているが、実際に建てられた場所は〈神眠る〉オーブ山の中腹。俗世とは隔絶された生活に、郷愁(きょうしゅう)を呼び起こされる者も少なくない。(このあたり、結婚の奨励とは相反しているようにも思うが、そもそもがアスタリアへの祭事を起源とする場所であるため、一般の神殿とは違うのだろう)

 そうした環境から女性同士の関係が深まるのは、ある意味で自然な流れと言える……かもしれない。

 

 ただ、私はそういったものにあまり興味がなく、縁もなく、余裕もなかった。

 各人に個室が割り当てられているため、他人の素肌を見る機会も少ない。誰かと共に眠るのも幼少の頃以来だ。

 

 だから……分からなかった。

 この鼓動が、慣れない状況に戸惑っているだけなのか、それとも……今まで、気付かなかっただけ、なのかは。

 とはいえ、そんなことを考えていたのも最初だけで、やがて訪れた睡魔によって、いつの間にか私は眠りについていた――

 

 

  ***

 

 

 隣を見れば、アレニエさんの姿は既になかった。もう起きて部屋を出たらしい。私も、いい加減きちんと起きなければ。

 着替えを済ませ、ベッドを整えた私は、彼女と合流すべく部屋を後にした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8節 一夜過ぎて ―アレニエの場合―

 目が覚めた。

 時刻は太陽が顔を出してまだ間もないぐらい。薄暗さの残る窓の外を、朝焼けがゆっくり染め上げようとしている。

 

 冒険者稼業で生活していると旅が多い。こうしてうちで眠れる時間は貴重だ。

 だから普段はもっと睡眠を満喫しているんだけど……なんでこんな時間に起きたんだろ。

 仕方なく目を開け、わたしは体を起こした。

 

「ふぁ……」

 

 口を開けてあくびを一つ。自分の部屋だし、手で隠す必要も……おっと。今はお客さんもいるんだった。

 といってもそのお客さんは、まだ隣のベッドで小さな寝息を立てていたけれど。

 

「(そっか……人の気配があったから、いつもみたいに寝れなかったのかな)」

 

 自分でこの部屋に招いたくせに我ながら勝手な言い分だな。

 

 スー、スー、と、規則正しく呼吸を繰り返す寝顔を眺める。彼女はこちらに体を傾けながら、その身を丸めるようにして眠っていた。

 

 明るい栗色の髪が枕の上に広がり、かすかな陽光を受けて輝いている。

 目を伏せていても分かる可愛らしい顔立ち。すべすべで柔らかそうな肌。

 身長はわたしより低いが、胸は彼女のほうが大きかった。いや、そもそもわたしの胸がそんなにないんだけど。

 

 別段体型を気にしてるわけでもないが、目の前に比較対象があるとなんとなく比べてしまう。重力と寝具に挟まれたその双丘に、なんとはなしに指を伸ばし――

 さすがに悪いかなと思い直し、途中で向きを変え、頬を突く。つんつん。ふにふに。

 

「……ん……んう……?」

 

 かわいい。

 かすかな反応はあるものの、起きる気配は全くない。

 昨日はずいぶん気を張っていたみたいだし、疲れているのだろう。もうしばらく寝かせておこう。

 

 

  ***

 

 

 少し悩んだ末に、わたしはリュイスちゃんの依頼を引き受けることにした。

 

 理由の一つは、新しい勇者に会ってみたかったから。

 ……同じ街にいるなら直接会いに行け?

 出来るならそうしたいけど、残念ながら下層民は、許可なく中層以上に上がることができない。出入口は騎士団が封鎖している。

 

 名目は犯罪者や難民の流入を防ぐためだけれど、裏には大昔に国が行った棄民(きみん)政策の影響が残っているらしい。病や飢えで税を取り立てられなくなった人を、下層に押し込め切り捨てたとか。

 

 だから下層の人間は今でも国に不信感を抱いているし、国も差別か罪悪感か――あるいは報復への恐怖か――、下層を必要以上に刺激しないよう隔離している。たとえ罪人が下層に逃げ込んでも、騎士団はそれ以上追おうとしない。

 

 公的な交流はほぼ断絶しているし、『上』では棄民について隠蔽(いんぺい)しているとかで、もはや互いの事情を知らない人も少なくなかった。

 

 ちなみにリュイスちゃんのように『上』から『下』に降りる分には、特に制限がない。「なにかあっても自分で身を守るように」というありがたいお言葉が貰えるくらいだ。 

 

 仮に正式に許可を得て昇れたとしても、下層民の行動範囲は制限される。要人に会う、どころか近づくことさえ許されない。

 ……と、言いながら、実は噂を聞いてからこっそり顔だけは拝んできたんだけど。

 

 でも、そこまでだった。それ以上を望めば、万が一侵入が発覚すれば……最悪うちに、とーさんに迷惑がかかってしまう。それは避けたい。

 

 少なくとも王都で暮らしている限り、わたしが堂々と勇者に接する機会は、ほぼないと言っていい。

 けれど彼女の依頼を引き受ければ、旅先でなら、その機会があるかもしれない。

 

 それに、『世界を救う勇者を助ける』という言葉遊びのような依頼に、ちょっとおかしさを、面白みも感じていた。少なくとも、付随(ふずい)する危険を上回る程度には。

 

 

  ――――

 

 

 もう一つの理由は、リュイスちゃん自身だ。

 

 一目姿を見たときから、その顔に、真っ直ぐな瞳に、(まと)う空気に、すぐに惹かれるのを感じた。端的に言えば好みだった。

 依頼人が彼女以外だったら、それこそ断っていたかもしれな……いや待って。わたしにとっては結構大事なことなんです。気に入らない相手と一緒に旅するのって難しいでしょ?

 

 なにせ今回の依頼主は、神官至上主義を掲げる世界最大最古の神殿だ。

 所属する神官の大半が貴族出身で、そのほとんどが選民思想と既得権益まみれと噂される場所が相手だ。わたしじゃなくても渋ると思う。

 

 

  ――――

 

 

 パルティールは、アスタリアから神剣を(たまわ)った初代勇者が建国した、いわば神から王権を授けられた国だ。

 だから、神官――神と人との橋渡しをする官吏(かんり)――は重要な役目で、神殿は王族に次ぐ権力を与えられていた。昔は、神官=貴族だったらしい。

 

 最善の女神に供物を振る舞うのは、信仰に篤く、血筋に秀でた者こそ相応しい。客人に乞食の粗末な食事など差し出せない。そんな言い分だった気がする。

 

 今は、多くの国で平民出の神官が大勢(たいせい)を占めている。魔物の対処に必要な神官の数が足りず、貴族だけなどと言ってられなくなったし、領土や国が増えると共に神殿も増えた。

 総本山も部分的にそれを受け入れたけど、貴族こそが神官に相応しいという根っこは変わらない。それに裕福な貴族は、それだけ多くの寄進を納めてくれる。寄進の量=善行の証だ。

 

 それが多いほど現世での地位に結びつき、そうして得た地位が高い者ほど優先されて、死後アスタリアの元へ導かれ、幸福に暮らせる資格を手に入れられる。らしい。

 

 けれどそんなのは当然、元から裕福な者だけが優遇される、不平等極まりない資格だ。

 彼女らは金品で善行を積み上げ、最高峰の神殿に招かれ、死後の心配すら必要ない。

 

 ――下層民は生活苦で寄進をする余裕がない? 知ったことじゃない。富める者、貴い者のみに後の幸福はもたらされるのだ。あぁ、私たちに恵みをもたらす慈悲深きアスタリアに栄光を――……!

 

 かくて彼女らは自らを選ばれた者と(おご)り高ぶり、それ以外を見下し軽んずる。

 初めに聖服だけ見た時は、リュイスちゃんもその一人かと警戒したけれど……

 

 彼女がそういった神官と異なるのは、接してみてすぐに分かった。

 口調や物腰から感じる内面もだが、所作や身だしなみといった目で見て分かる部分でも、貴族らしさを微塵も感じない。……微塵も、は失礼か。

 なら、外部から招聘(しょうへい)(『部分的に受け入れた』要素だ)された優秀な神官なのかといえば――

 

 観察した限り、身のこなしは一定以上だと思う。握手の感触からすれば、肉体的な戦闘訓練も受けているんだろう。少なくとも、貴族出身のお嬢さまとは比較にならない。

 とはいえ、招聘されるほど特筆すべきものも、今のところは感じられない。

 

 術に関しては、わたしは魔覚(注:魔力を感じる感覚器官)が鈍いし知識も無いので、目の前で使ってくれないと腕前の良し悪しも分からない。ただ、「使える法術は三節まで」という発言からすれば、こちらの線も薄いように思う。

 

 彼女はどういう経緯で総本山に所属しているのか。

 危険と機密だらけの今回の任務に、どうして自ら志願し、そして実際任されたのか。

 周囲に認められるためと言うが、その動機は、命と釣り合うものだろうか――

 

 

  ***

 

 

 隣で眠る当の本人を起こさないよう、足音を殺して部屋を出たわたしは、階段を下り、一階の広間に向かった。

 

 ギシ……キシ……

 

 他の物音がない早朝。年季の入った木製の階段が、普段より大きく足音を響かせる。

 辿り着いた広間は、昨夜の騒ぎが嘘だったかのように静まり返っていた。満杯だった人の姿は微塵もなく、散らかっていた調度品も綺麗に片づけられている。

 ただ、わたしが壊したテーブルの位置だけはぽっかりと空いていた。予備が無かったらしい。

 

「起きたか」

 

 死角から突然声をかけられるが、特に驚きはなかった。毎回こうだからだ。

 わたしも、いつもと同じように挨拶を返す。

 

「おはよう、とーさん」

 

「ああ」

 

 とーさんは昨夜と同じくカウンターの奥にいた。今からもう開店の準備をしているのだろう。

 長年一緒に暮らしているが、わたしより遅く起きる姿を見たことがない。たまにあそこから動いてないんじゃないか、と思う時さえある(そんなはずはないが)。

 

「……引き受けるんだな」

 

「うん」

 

 とーさんの話はいつも唐突で簡潔だ。

 会話が不得手なので言葉数が少ないけれど、裏腹に察しはいいので、口を開くと大体こうなる。

 

 内容を聞けば、わたしが依頼に興味を抱くのは予想がついていたのだろう。

 あの後リュイスちゃんが降りて来なかったのも、推測する材料の一つかもしれない。

 それはわたしが彼女を追い返さず、話に耳を傾けた、という証だから。

 

「なにを相手にするか、理解したうえでか?」

 

 わたしがカウンターに歩み寄る間にも、とーさんは言葉を続ける。

 

「理解したうえで、だよ。滅多に会える相手じゃないし、最悪、顔を拝むだけでもね。それに、リュイスちゃんがかわいかったから」

 

 見た目に惹かれて話を聞く気になったのは確かだが、真面目で素直な言動にも好感が持てた。昨夜もいい反応を見せてくれたし。 

 それに、依頼の機密を明かしたうえで選択権をくれたのは、多分、彼女の独断だろう。あんなに真っ直ぐ誠意を伝えてくれる相手は珍しい。久しぶりに当たりかもしれない。

 

「というか、とーさんでしょ。わたしが普段一人だって教えたの」

 

「……不本意だが、お前が最も適任だった」

 

 ほとんど表情の変わらない鉄面皮(てつめんぴ)が、わずかにしかめられる。

 

「相変わらずだね、とーさんは。そうだ、今更だけど、やっぱり本物の総本山からだった?」

 

 その名を(かた)る向こう見ずもあまりいないだろうが、念のため確かめておこうと問いかける。

 無言で突き出されたのは、数枚の手紙。リュイスちゃんの持ち込んだ依頼書だろう。受け取り、簡単に目を通す。

 

 書かれていた概要は、昨夜彼女に聞いたものと同じ。加えて、とーさんに対しての略式の挨拶。そして最後に短い一文。『――貴方の娘によろしく』。

 

「うわ」

 

 紛れもなく、あの人からだ。

 総本山からの依頼であること、リュイスちゃんの言葉に嘘はないことも確信できたが……

 

「……これ、最初からわたし狙い?」

 

「うちで条件を満たすのはお前だけだと、始めから見越していたんだろう。……それにこちらも、あいつの弟子を簡単に死なせるわけには、な」

 

「あー……」

 

 わたしをリュイスちゃんに紹介したのは、店主としての責務と……あの人への、義理だろうか。

 信頼してくれてるんだろうし、引き受けるかどうかも一応こっちに一任してくれたようだけど……あの人絡みと思うと、ちょっともやもやする。

 この感覚は、あまり好きじゃない。振り払うように、わたしは話題を変えた。

 

「そういえば、よくうちまで来れたね、リュイスちゃん。あの人に紹介されたんだとしても、『上』で暮らしてる子が実際に『下』に降りるってなったら、二の足踏みそうなものだけど」

 

 いかにも世慣れてなさそうな彼女なら、なおさら。

 

「〈剣帝〉を探しに来たらしい」

 

「へえ?」

 

 思わず声が上ずってしまった。

 

「……嬉しそうだな」

 

「そりゃね。わざわざ探しに来たってことは、少なくとも頭から嫌ってはいないんでしょ? そんなの、今じゃ剣士の中でも物好きなのしかいないんだよ? 嬉しくもなるよ」

 

「……オレには、理解できん」

 

「とーさんはそうだろうね」

 

 苦笑する。

 

「依頼、引き受けて正解だったかもね。報酬はいいし、内容も面白そう。依頼人はかわいい。それに……」

 

 その先は、口には出さなかった。

 けれどなにを言おうとしていたか、とーさんには筒抜けだったのかもしれない。短く、本当に短く、忠告してくる。

 

「……あまり、抱え込むな」

 

 想定とは違う言葉に、しばし眉根を寄せる。

 

「抱え込む、って……なにを?」

 

「……いや、いい。忘れろ」

 

「そう? まあ……うん。大丈夫だよ。別に無理をする気はないし、危ないと思ったらすぐ逃げる。まだ死にたくないからね」

 

「ああ、それでいい。……いつも通り、気を付けて行け」

 

 これも、毎回のことだった。

 

 今回の依頼のような明確な脅威はもちろん、もっと簡単な依頼だとしても、冒険者稼業は常に命の危険がついて回る。場合によっては、今こうして話しているのが最後になるかもしれない。

 

 だから、気を付けろ。油断せず、目を配り、危険の兆候を見逃すな。生きる手段を模索しろ、と。

 

 わたしがうちを出る際には毎回言うし、さっきの『不本意』も理由は同じだ。要は心配性なのだ(本人は認めたがらないが)。

 それが分かっているから、わたしもいつも通りに言葉を返す。

 

「うん。気を付けて行ってくる」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9節 露天商の少女

「えーと、そのスローイングダガー十本と、あとは……え、銀の短剣、一本しかないの?」

 

「贅沢言うな。あるだけマシと思え」

 

『月の光を封じ込めた』と言われる銀の輝きは、暗闇を裂き、魔を払う力を宿しており、実際に魔物討伐などで重宝(ちょうほう)されている。これから戦う魔将への備えだろう。一本しかないのは残念だったが。

 

「しょうがないなぁ。じゃあ、今言ったの全部まとめて買うから、おまけよろしくね」

 

「一本分だけ、まけといてやる。毎度あり」

 

 顔馴染みらしいドワーフの主人に代金を渡し、品物を受け取ったアレニエさんは、腰のポーチや鎧の裏などに手早くそれらをしまい込んだ。傍目には買う前と変わらないように見える。

 

 

  ――――

 

 

 私たちは下層南地区の商店街へ、これからの旅に備えて買い物に来ていた。

 正式に引き受けてくれたアレニエさんに報酬の前金を渡すと、彼女は早速とばかりに宿を出てしまったため、私も慌てて付き添うことになったのだ。

 

 こうして明るいうちに出歩くと、昨夜は気づかなかった下層の姿が見えてくる。

 上の二層からは、「劣悪で人が住める環境ではない」とも言われるが、実際には噂に聞いた程ではないように思う。

 建物は古いがしっかりと補修されているし、路面の土も綺麗に(なら)されている。早朝から活気のある商店街の様子からは、伝えられていた治安の悪さもあまり感じない。

 

 とはいえアレニエさんによれば、今いるこの南地区(〈剣の継承亭〉が建てられているのもここだった)は、下層の中では比較的安全な地域とのことだ。

 少し場所を移せば、私が聞いた噂通りの下層の様子が見られるという。できれば近づくのは遠慮したい。

 

「よう、アレニエ」

 

 不意に掛けられた気安い、けれど淡泊な呼びかけは、若い女性のものだった。

 声のした方に顔を向ければ、木箱に布を敷いた簡素な陳列棚で露店を開いている、一人の少女の姿がある。

 

 私と同じくらいか、あるいはもっと若いかもしれない。

 綺麗な水色の長髪を大きな帽子で覆い、上半身は動きやすそうな薄着、下半身は膝丈ぐらいのダボっとしたズボンを穿いている。

 彼女は大きな瞳を少し眠そうに(というよりほとんど半眼にしながら)細め、こちらに視線を向けていた。名前を呼んでいたし、アレニエさんの知り合いだろうか。

 

「ユティル。帰ってたんだ?」

 

「ああ。少し前にな」

 

 ユティルというのが、少女の名前らしい。やはり既知(きち)の間柄のようだ。

 

「……珍しいな。あんたが誰かと連れ歩いてるなんて。しかもその聖服、総本山のだよな。『上』のヤツと一緒だなんて、ますます珍しい」

 

「その総本山から依頼を受けたから、旅に備えて買い出しに来たの。この子はその依頼人」

 

「へぇ……」

 

 彼女――ユティルさんが、私を値踏みするような目で見る。

 あまり人との交流に慣れていない私は、視線にさらに身を固くするが、それに押し負けないよう一歩前に出る。何事も、まずは挨拶からだ。

 

「は、はじめまして。リュイス・フェルムといいます」

 

 半ば睨みつけるようにこちらを見ていた少女は、挨拶と共に頭を下げる私に、細めていた目を丸くする。……そんなに変な挨拶はしてないつもりだけど。

 

「……あんた、本当に総本山の神官か?」

 

「え? はい、一応……あの、どこか、疑わしいところがありましたか……?」

 

「いや、疑わしいというか……あそこの連中が、あたしらに頭下げるわけないだろ」

 

「……えーと……」

 

 そう言われましても。

 

「頭だけじゃない。口調も態度も、そこらの神官より丁寧なくらいだ。あんた、本当に『上』の人間か?」

 

 普通に挨拶しただけで驚かれる現状に、上層の人間の素行を垣間見てしまう。

 

「ね。変わってるでしょ、リュイスちゃん」

 

 なぜかアレニエさんが得意気だった。

 

「正直わたしも最初は疑ったけど、本物みたいだよ。ちゃんと紹介状もあるし、そもそもあの人の弟子らしいしね」

 

「あぁ、あの司祭さんの…………弟子とか取れたのかあの人」

 

「やー、びっくりだよね」

 

 おそらく私が眠っている間に確認などを済ませていたのだろう。それはともかく外でどう見られてるんでしょうか司祭さま。

 ひとしきり驚いた後、険しかった目つきを和らげる彼女を、アレニエさんがこちらに紹介する。

 

「この子はユティル。ふらっと旅に出ては変な物仕入れて、こうやって露店開いてるの」

 

「その〝変な物〟を主に買ってるのはあんただろ」

 

 文句を言いつつ、彼女は改めて私に向き直った。

 

「ユティル・フルニールだ。さっきは悪かった。『上』の連中にはあんまりいい印象がないから、つい警戒しちまって」

 

「いえ、気にしないでください」

 

 上層には下層を見下す人間が多い。彼女の反応はもっともだ。

 

「ありがと。やっぱあんた、『上』の人っぽくないな」

 

 彼女は先刻までの警戒心を詫びるように、快活に笑いながら礼を言う。さっぱりとした性格みたいだ。

 

「そうだ、アレニエ。あんたを呼び止めたのは、それこそ新しいのを仕入れたからなんだ。見ていけよ」

 

 言いながら彼女は、自身の露店に並べた品(日常的に使う調味料。この辺りではあまり見ない香辛料。様々な農作物の種。水薬や膏薬(こうやく)、包帯。用途の分からない謎の球体等々――)を手振りで指し示す。続いて私に向き直り。

 

「そっちの神官さんも。さっきのお詫びに、少しまけとくよ?」

 

「え、ほんと?」

 

 即座に返答したのは私――ではなく、アレニエさん。

 

「あんたは普通に買え。依頼で稼いでるだろ」

 

「えー」

 

「えー、じゃない。まあ、とりあえず、アレニエにはこの煙を吹き出す魔具とかどうだ?」

 

 ユティルさんは露天に並べた品の中から謎の球体(手の平ほどの大きさだった)を掴み、アレニエさんの目の前に掲げる。

 

「通常の魔具は持ち主が自分の魔力を込めなきゃいけないが、こいつは強い衝撃を与えるとそこらに漂ってる魔力で勝手に起動してくれる。〝持ってない〟あんたでも気軽に使えるよ。あと、同じ仕組みで普通に爆発するやつ」

 

 普通に爆発。

 

「あ、いいね。便利そう。まけてくれるんだよね?」

 

「普通に買えって言ってんだろ」

 

 目の前で交わされるその遠慮のないやり取りに、思わず笑みがこぼれてしまう。

 私は彼女の厚意に素直に甘え、アレニエさんと一緒に露店を覗かせてもらうことにした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10節 笑顔の仮面

 ユティルさんのお店で買い物を済ませ、私たちは〈剣の継承亭〉への帰路についていた。

 

 私が買ったのは、主に傷薬や包帯などの医療品。

 神官が行使できる法術には他者の傷を癒すものもあるので、必要ないといえばないのだけど……

 

 法術の行使には神への供物として、信仰を込めた祈りと共に、魔力を捧げる必要がある。身体に蓄えた魔力を使うという点では、魔術と同様だ。

 尽きれば当然術は使えないし、過度な魔力の消耗は精神の衰弱、意識の喪失などを招く。そうなれば、他人の傷を癒すどころではない。

 

 それに私は、高位の法術を使えない。

 仮にアレニエさんが重傷を負うようなことがあれば(そんな事態に陥った時点で私も無事ではないと思うが)、私の術では手に余るかもしれない。もしもの備えは、一つでも多い方がいい。

 

 ……なんで露店で医療品まで入荷してるんだろう。と、一瞬疑問には思ったものの、彼女の薦め通り、ありがたく安値で買わせてもらった。

 アレニエさんも、先刻薦められた品を中心にいくつか購入していた。ちなみにまけてはもらえなかった。

 

「――……それじゃあ、アレニエさんはお店のマスターに剣を教わったんですね」

 

 宿へ帰りつくまでの短い時間ではあるが、私は彼女との会話を試みていた。

 昨夜は半ば勢いで依頼を頼んだ結果……なぜか友達という形に落ち着いたが、まだお互いなにも知らないに等しい状態だ。

 これから旅を共にするからには、少しでも距離を縮めておきたい。正直、世間話は不慣れだけど。

 

「うん。ああ見えてとーさん、元冒険者だからね」

 

「えーと……どちらかというと、見たままな気がしますけど」

 

「そう?」

 

 マスターの、見た目の年齢にそぐわない落ち着きや威圧感を思い出す。元冒険者と聞いて、むしろ得心がいったくらいだ。

 

「わたしは、ああやってお店に立ってる姿、もう見慣れてるからかな。今のほうがしっくりくるんだよね」

 

 そういうものかもしれない。

 

「この街は、もう長いんですか?」

 

「住み始めたのは、十年くらい前かな。まあ、それだけ住んでれば地元かもしれないけど」

 

「じゃあ、元々は別の国の出身なんですね」

 

 初めて彼女の名を聞いた際に思った通り、他国からの移住者のようだ。

 

「実は、アレニエさんのリエスという姓、この国ではあまり聞かないな、と思って気になっていて……」

 

「あー……そうだね。かーさんがずっと北のほうの出身で、その辺りの姓らしいから、この国で聞く機会はないと思うよ」

 

 覚えがないはずだ。私は国外に出たことがないし、接した経験があるのも近隣国の人ばかりだった。

 

「上の名前も気になる?」

 

 少し控えめに、コクリと首肯する。

 

「別にたいした由来はないんだけどね。うちのかーさん、蜘蛛が好きだったんだって」

 

「それは……その、珍しい方ですね」

 

「ね」

 

 一般的には苦手な人のほうが多いと思う。とはいえ、感性は人それぞれだろう。

 

「蜘蛛の呼び方色々調べて、この国の『アレニエ』が一番響きが良かったから、これに決めたんだって」

 

「本当に好きなんですね……そのお母さんも、お店で一緒に住んでいるんですか?」

 

 こちらの(つたな)い会話に乗ってくれたのが嬉しくて、私は話題をさらに膨らませようと話を続けた。そういえば昨夜は見かけなかった――

 

「ん? いないよ? わたしの両親もう死んでるから」

 

「――」

 

 ――そして膨らませた話題とわずかな嬉しさは、彼女の言葉で即座に(しぼ)んでしまう。

 

 もう、亡くなって、る……?

 でも、両親、どちらも、って……? お店の、マスターは……?

 

「とーさん――本当のとーさんは、わたしが物心つく前に。かーさんは、わたしが子供の頃に。そのあと、今のとーさんに拾われて、この街に来たんだ」

 

「……そう、だったん、ですか……、……」

 

 ……やってしまった……他人に簡単に触れられたくないだろう部分に、不用意に……魔物に家族を奪われる人も少なくないと、分かっていたはずなのに……

 

「ぁ……っ……」

 

 ……こういう時、私は、相手にどんな言葉をかければいいのかが分からない。簡単に謝るのも、わざとらしく話題を逸らすのも、どこか違うように感じてしまう。

 かといって、咄嗟(とっさ)に気が利く言葉が思い浮かぶわけでもない。沈黙し、(うつむ)いたまま、私は……

 

「……リュイスちゃん?」

 

 彼女の呼び掛けに、ふと我に返る。

 

 何をしてるんだ私は……不躾(ぶしつけ)な質問をしておいて、結局何も言えないまま黙り込むなんて……!

 

「う、あ……すみません! 不快に思われたなら……!」

 

「いや、そんなことないけど。それより、こっちこそごめんね。昔の話だし、あんまり気にしないで」

 

 彼女は微笑みながら、こちらを気遣ってすらくれる。

 けれど浮かべた笑顔は、ぎこちないと感じた昨夜と同じ……いや、昨夜よりも一層作り物めいた、仮面、のように見えて……

 

「…………私は……私も……両親はもう、いないんです。私が幼い頃に死別して、その後、司祭さまに拾っていただいて……」

 

 彼女が被るその仮面に、無性に胸の奥が締めつけられるように感じて、知らず私は口を開いていた。

 

 私の事情を知っている人の多くは、家族に関する話題自体を必要以上に避ける。

 知らなかった人も、それを告げた途端ひどく申し訳なさそうに謝罪し、慰めようとする。

 どちらにしても、私は罪悪感を感じてしまう。

 そして同時に、そっとしておいてほしい、とも思ってしまう。

 

 私の現状はただの事実で、謝罪も、慰めも、同情も欲していない。与えられても、なにも返せない。

 だから、彼女へ掛ける言葉が思いつかなかった。なにを言えばいいのか、分からなかったから。

 ……いや、それは言い訳だ。彼女が私と同じように感じるとは限らないのに。

 

「――……だからリュイスちゃん、『上』の人っぽくなかったんだね。そっか……うん。そっか……」

 

 納得したように呟き、柔らかく微笑むアレニエさん。

 だけど今度のそれは、先刻までの仮初めのものとは、かすかに違うように感じられて――

 

 その笑顔に、また胸を締め付けられるような……けれど、先ほどとは確かに違う気持ちが湧き上がる。

 内から溢れる衝動に押され、なにを言うべきか分からないまま口を開きかけ……ちゃんとした言葉になる前に、彼女に遮られる。

 

「ごめん、ちょっと待ってね。あ、後ろ振り向かないで歩き続けて」

 

「……?」

 

「さっきから、誰かに見られてるみたい」

 

 彼女が言うには、少し前から誰かが後をつけてくる気配、監視されているような視線を感じていたというのだけれど……

 

「私たちを監視なんて、一体誰が……」

 

「えーと……多分わたし目当てだから、先に謝っとくね」

 

「……はい?」

 

「ほら、わたしあちこちで色々やらかしてるから……昨日みたいな」

 

 そう言われ、つい納得しかけてしまう。

 マスターが彼女について、「揉め事が絶えない」と言っていたのも思い出した。

 

「たまにあるんだよね、こういうの。ちょっと久しぶり」

 

 いつ襲撃されるかも分からないのに、アレニエさんは気楽に言う。さっきまでの気まずい空気は、もうどこかに霧散してしまっていた。

 

「さすがに街中で仕掛けてはこない、かな。とりあえず、一旦うちに戻ろっか」

 

「はい……」

 

 本当にこの人で良かったのだろうか、と、今になって若干の不安を覚えつつ、私たちは宿までの帰路についた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11節 背中合わせに手を合わせ

 城壁に囲まれた王都には、三か所に城門が設けられている。

 一つは中層から直接出入国できる北門。あとの二つは東門と南門で、共に下層の出入り口として活用されている。

 

 手早く朝食と旅支度を終えた私たちは、その日のうちに東門から王都を出た。

 出がけに聞いた噂では、勇者一行はすでに北門から出立したらしい。

 王都を出た彼らは、各国を経由しながら『森』を目指し、そこで……その命を落とす。

 私たちは、なんとしてもそれより前に辿りつかなければならない。

 

 慌ただしい出発になってしまったが、目的を果たすためには一日でも早いほうがいい。それに出発が遅れれば、例の賊による襲撃でお店にも迷惑がかかるかもしれない。

 

「うちにいる間は、多分襲ってこないけどね」

 

 お店の娘さんが呑気(のんき)に言う。確かに、腕利きが揃うという店に喧嘩は売りづらいだろうけど。

 

 無法と言われる下層だが、ここにはここの法があり、法を破れば罰を受ける。中でも私欲による殺人は大罪だ(これはどの国や街でも大抵そうだが)。

 

 死は、生物にとって最も普遍的な不幸だ。

 それまでこの手に伝わっていた温もりも、響いていた鼓動も遠ざかり、そして……二度と、動かなくなる。

 

 それは、〈黒の邪神〉が生み出した最悪のもの。

 女神が創り上げた完全な世界は、邪神のもたらした死という悪によって不完全に(おとし)められ、あらゆる命はいずれ滅びることが決定づけられた。神すらも。

 

 殺人が大罪とされるのは、そのためだ。他者に不幸を強制させる罪であり、邪神の悪に荷担する行為であり、さらに女神から授与されし生の権利の侵害でもあるそれを、私たちは忌避する。それに、穢れという物質的な問題もある。

 

 強い穢れは病毒になり、他者に蔓延(まんえん)させる恐れさえある。正当な理由なく街中で発生させるのは下層でも重罪で、発覚すれば即座に騎士団に連行される(彼らがこちらに降りることはないが、こちらから罪人を引き渡すことは可能だった)。

 

 襲撃者がどこまで踏み込む気かは分からないが、仮にアレニエさんの命まで狙うとするなら、仕掛けてくるのはおそらく街を離れてから、というのが、彼女の見解だった。

 

「だとしても、なるべくお店に迷惑はかけたくないですから」

 

 ただしその見解は、相手がまともに襲撃してきた場合の話だ。

 昨夜の大男のように怒りで我を忘れた類なら、街中だとしても何をしてくるか分からない。下手をすれば、お店や隣家にまで被害が及ぶかもしれない。

 

 アレニエさんが、マスターや〈剣の継承亭〉を大切にしているのはなんとなく感じていたので、私もできる限り、被害を出さないよう動きたいと思っていた。

 私が思いつく程度の心配は、彼女も承知の上かもしれないけれど。

 

「……ありがと」

 

 ほんの少し驚いたような顔を見せた後、彼女はふわりと微笑んでみせる。……その不意討ちはずるいと思いますアレニエさん。

 

 

 

 私たちは門を出発し、次の街までの街道を歩いてゆく。

 徒歩なのは、襲撃者を警戒してのことだ。

 彼女によれば、今も監視は続いているという。人気が無くなれば、すぐにでも姿を現すと。

 

 当初は馬を使うつもりだったが、被害が出る可能性を考慮して断念した。

 育成、維持に多大な労力が必要な馬は、持ち主にとっても国にとっても貴重な財産になる。失う可能性が高い状況では使いづらい。

 

 まだ昼間なのもあり、始めは私たちと同じように王都を出る人、逆に王都に向かう人等がちらほらいたのだが、旅人の多くはそれこそ馬や馬車で移動しており、徒歩の私たちは取り残されていく。

 やがて王都から離れ、他の旅人も見えなくなったところで、アレニエさんと二人、背中合わせで警戒する。

 

 程なくして、細身の男がどこからか気配もなく現れた。旅用と思われるフードを目深に被っており、表情はよく見えない。

 そしてなんらかの合図があったのか、王国側から次々と、馬に乗った人影がこちらに向かってくる。一人、二人、三人、四人……

 

「……あれ、思ったより多い?」

 

 アレニエさんのそんな呟きが聞こえた。その間にも人数は増えていく。

 次々と現れた襲撃者は、総勢で八人。馬から降りて付近の木に停め、各々得物を手にし始める。

 

 配置は、私たちの後方に六人、前方に二人。これは王国側に逃がさないようにするためだろう。距離を空け、こちらをグルリと囲んでいる。

 

 全員が、少なくとも私より腕の立ちそうな、冒険者だった。

 そしてそのうちの一人は、昨日〈剣の継承亭〉にやって来た、あの大男だった。

 

「……誰だっけ?」

 

 えぇっ!?

 

「ほら、昨日来たあの人ですよ! アレニエさんが蹴り飛ばした!」

 

「え? …………ああ~うん、憶えてる憶えてる。なんとなく」

 

 昨日の今日なのに、アレニエさんはほとんど憶えてなかったらしい。……あぁ、ほら。あの人見るからに怒ってるし。

 

「てめぇ……よくもそこまでおちょくれるもんだな……!」

 

「いやー、寝起きでまだぼんやりしてたから、顔まではちゃんと憶えてなくて」

 

 むしろ寝起きでどうしてあんな動きできるんですかアレニエさん……

 

 当たり前だが、男は(はた)から見てわかるほどに激昂している。報復に来たのに当の相手が憶えていないなんて、むしろ怒る以外の選択肢がないだろう。私が同じ立場でも多分怒る。

 

「少し落ち着け。お前の悪い癖だ」

 

 今にも跳びかかってきそうな大男だったが、仲間の一人、最初に現れたフードを被った細身の男が、それを制止する。

 

「今回は腕試しじゃない。なんのために人数を集めたと思ってる。包囲して確実に叩くためだろう。一人だけ先走るな」

 

「……ああ……ああ、そうだな」

 

 諭され、大男はいくらか冷静になったようだった。他の襲撃者から数歩下がった位置まで下がり、待機する。背の大剣で仲間を巻き込まぬようにするためだろうか。

 

「まあそういうわけだ。こいつらは君を倒すために集めた。恨みを持つのが半分、分け前狙いが半分というところか」

 

 既に勝利を確信しているからか、男はご丁寧に狙う理由を説明してくれる。

 

「神官のお嬢さんもいるとは思わなかったが、運が無かったと諦めて…………君は……もしや、リュイス・フェルム、か?」

 

「え?」

 

 どうして、私の名前を……

 

「これは僥倖(ぎょうこう)だ。まさか標的が二人揃って行動しているとはな。柄にもなく、巡り合わせに感謝したくなる」

 

 標的は……二人? アレニエさんだけじゃなく、私も……?

 

「〈黒腕〉を討ち取ったとなれば、それだけで名が売れる。神官のお嬢さんも、生死は問わずに連れて来いという話だ。それに生け捕りにできれば、別の楽しみもある。幸い、君らは共に器量がいい」

 

 フードの男は平然とそんな台詞を口にし、周りの男たちも好色そうな笑みを浮かべている。

 それは、正しく噂で聞いた通りの、下層の冒険者の姿だった。

 

 狙われる恐怖も、下劣さに対する憤りもある。が、今は私なんかを狙う理由がなにより気にかかっていた。フードの男を問い詰めようと――

 

「一応聞いておきたいんだけど」

 

 ――する前に、アレニエさんが言葉を挟む。

 

「ここで引く気はないかな」

 

「……まさかとは思うが、命乞いか?」

 

「ううん、その逆。死にたくない人は、今すぐここで回れ右してほしいな、って」

 

 アレニエさん……?

 

「……驚いたな。この状況でそんな台詞が吐けることもそうだが……悪名高い〈黒腕〉が、まさか他人の命を気に掛けるとは」

 

「いや、あなたたちの命には欠片も興味ないんだけど」

 

 さらりとひどいことを言うその表情を、ちらりと覗き見る。

 彼女はいつもの笑顔に少し困ったような色を(にじ)ませていたが……不意に、その表情が消える。――背筋が粟立(あわだ)つ。

 

「わたしさ、一応、必要ない時はなるべく殺さないようにしてるんだよね。けど、それでも襲ってくる相手も結構いるから、そういうのには遠慮しないことにもしてる。〝斬る〟って決めたら、ほんとに斬るよ。だからそれが嫌なひとは……こんなところで『橋』を渡るなんて馬鹿らしい、って少しでも思うなら。このまま、なにもしないで帰ってくれないかな」

 

 それは、普段と変わらない、穏やかな口調。

 けれど、普段とは違う、底冷えするような声音。

 男たちもなにかを感じたのか、先刻まで浮かべていた笑みが消えていた。しかしいち早く気を取り直したフードの男が、仲間に声を掛ける。

 

「……いくら腕に覚えがあっても、この人数差だ。しかも向こうには、経験の乏しい神官のお嬢さんもいる。臆することはない」

 

 私の経験の浅さを見抜かれている。事実、実戦はこれが初めてだった。

 武器を持った相手と向かい合うのは、想像以上に恐怖が伴う。異性に性的な目で見られるのも初めてだ。

 神殿で訓練は積んできたけれど、その成果をきちんと出せるかも分からない。今も、足がすくんでいる。

 

「……やっぱり、引かないか」

 

 アレニエさんは諦めたように小さくため息をつく。

 先刻の発言は、無事にこの場を切り抜けるための、ただの駆け引きだったのだろうか。

 けれどあの時の彼女からは、口先だけに収まらない冷たさ、酷薄さが感じられた。殺人という禁忌を、本当に躊躇(ためら)っていないような――

 

 いや、それよりも。仮にアレニエさんが全力で戦ったとして、それでこの人数差がなんとかなるのだろうか。確かに彼女は腕利きの冒険者だが、相手もそうなのだ。

 しかもこちらには、私というお荷物までついている。フードの男が言う通り、勝ち目自体が薄いように思える。

 思わず足を引いてしまう。アレニエさんの背が近くなる――

 

「リュイスちゃん」

 

 先刻より近づいた背中越しに、彼女の声が耳に届く。

 

「突破口作るから、そこから逃げて。思ったより数が多いし、わたし、守りながら戦うの苦手で」

 

 そうだ……昨晩そう聞いたばかりだった。

 確かに、包囲を突破して私一人が逃げることは可能かもしれない。

 けれど、その後は? 彼女だけが取り囲まれて、(なぶ)り殺しにされるのでは?

 

 それにその場合、彼女も相手も、お互いに殺すことを(いと)わないのだろう。……こんな状況で何を言っていると思われるだろうが、私はできるならどちらにも、死者を出してほしくない。

 

 なら、どうすればいいか。自分の中ではとっくに答えが出ている。

 それをすぐ口に出せないのは、初めて触れる実戦の空気に萎縮(いしゅく)しているせいだ。けれど、もうそんな場合じゃない。怯える自分を心の中で殴り倒し、背後のアレニエさんに返答する。

 

「……後ろの二人は、私が相手をします。すぐに倒して、アレニエさんに加勢します。それなら、相手を殺さずに、無力化できませんか?」

 

 言いながら、しかし私の手は震えていた。

 

「あぁ、神官だもんね。目の前で穢れが生まれるのは避けたいか」

 

「……それも、確かにあるんですが……。……」

 

「でも、この状況で誰も殺さないのは難しいかなぁ。下手するとこっちが死んじゃうし」

 

「それも、分かっています……だとしても、私は…………」

 

 言った通りにできるかは分からない。下手をすれば彼らの慰み者に、あるいは物言わぬ死体になってしまうかもしれない。神官が無益な闘争で穢れに満ちた(むくろ)を晒すなど、醜聞(しゅうぶん)どころの話ではない。

 それでも、他人が……彼女が死ぬことに比べれば、断然マシだ。

 

「私が、止めます。止めてみせます。少なくとも、アレニエさんのところには死んでも通しません。だから……」

 

 しばしの沈黙。

 そして不意に、震える私の手を、温かいなにかが包み込んだ。

 

「……!」

 

 ほのかな温もりを感じるそれが――アレニエさんの手が。私の恐怖を解きほぐすように、指を絡めてくる。

 

「意気込みは嬉しいけど、『死んでも』は無し。……いい?」

 

 絡めた指にほんの少し力を込めながら、彼女はこちらに振り向き、いつものように微笑む。

 

「それだけ約束してくれるなら、ちょっと頑張ってみるよ。……後ろ、任せていいかな」

 

「…………はい!」

 

 返答に満足気に頷き、彼女は指を解く。震えは、いつの間にか治まっていた。

 命も危うい状況だというのに、私は彼女に背中を任されたことに、自分でも不思議に思うほどの嬉しさを感じていた。

 

 寄りかかっていた身体を離し、弱気を追いやるように息を吐き出す。

 すくんでいた足に力を込め、私は自分から一歩を踏み込んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12節 初陣

 私の相手は二人。

 向かって右に、全身に鎧を着込み斧槍(ハルバード)を持つ戦士。左には、短剣を握った盗賊風の男。

 どちらもニヤニヤと笑みを浮かべながらこちらを見ている。彼らをここから先に通さないのが私の役目だ。

 

「なんだ? 俺らの相手は神官の姉ちゃんか?」

 

「〈黒腕〉に泣きつかなくて大丈夫か、お嬢ちゃん」

 

 予想はしていたが、相当に侮られている。が、私はそれらをあえて聞き流し、彼らに問いかけた。

 

「アレニエさんも言っていましたが、ここで引く気はありませんか?」

 

「ないな」

 

「〈黒腕〉を討ち取れるうえに、お前さんみたいな上玉までおまけについてくるんだ。見逃すわけないだろ」

 

「……そうですか」

 

 やはり、聞く耳は持たないみたいだ。

 改めて覚悟を決め、私は両の手を組み、祈りを捧げる。

 

「《……どうか私に与えてください、アスタリアよ。天則を通して星の導きを……諸悪を打倒する正心を。攻の章、第――》」

 

「させるかよ!」

 

 法術を唱え始めた私に、そうはさせじと男たちが向かってくる。

 

 詠唱を始めれば、相手が阻止しようとしてくるのは予想出来ていた。

 私を非力な神官だと侮っているのも、彼らの態度から容易に察せられる。

 だから、隙をつくなら今しかない。

 

 即座に詠唱を破棄し、構えを取る。

 右拳を腰の高さに、左手を顔の前に掲げ、両足を軽く前後に開き、腰を落とす。

 掴みかかってくる戦士風の男(よほど油断しているのか武器を使おうともしていない)の手をかい潜り、軸足を捻り生み出した『気』を拳まで伝え、男の顔面に叩きつける!

 

 

  ――――

 

 

 力で劣る人間が魔物に対抗する方法は、主に三つ。

 一つは、術式。法術や魔術などの、魔力を用いるもの。

 一つは、技術。創意工夫を凝らした、武器や道具の数々。

 

 そして最後の一つが、武術。身体を動かす際に発生する力、『気』を行使し、戦う技法。

 その原型は、戦の勝利を司る神、〈戦神〉スリアンヴォスから、彼に仕える神官の一人に直接伝えられたとされる(彼は後に〈戦神の剣〉と呼ばれ、修得した技を人々に伝えることに残りの生涯を費やしたという)。

 

 人々は伝えられた技の鍛錬と研究に励み、その過程で新たな知見を得る。

 本来は多くが体の外に逃げ無駄になってしまう、身体を動かす際に発生する力。それを逃がさず集め、一気に解放すれば、瞬間的により大きな力に変えることができる――と。

 

 いつしかその技術、あるいはそれによって運用される力自体のことを、『気』と呼ぶようになる。

 神が授けた武の基礎。人が見出した『気』の技術。二つが組み合わさり、武術という、人類独自の武器が生み出された。

 

 修めた各人の研鑽(けんさん)、後の世代への伝承によって、さらに発展し、派生したそれらは、中には剣で鋼鉄を斬る技や、他者の『気』を操る術まで生まれたとされている。……未熟な私は、そんな境地にはとても届いていないが。

 それでもこの技術は、男女の筋力差を、現状の実力差を、一時的にでも埋めるのに十分な力を発揮してくれる!

 

 

  ――――

 

 

「がっ!?」

 

 当たった――が、浅い。わずかにだが、咄嗟(とっさ)に反応して打点をずらされたようだ。

 男は仰け反り、たたらを踏む。鼻からは赤い飛沫が噴き出るが、意識を刈り取るには至らない。……できれば、ここで一人減らしておきたかったのだけど。

 

「このガキっ!」

 

 獲物が噛みついたことに逆上し、盗賊風の男が手にした短剣を突き出してくる。

 初撃を当てたほうも、しばらくすれば態勢を立て直し、反撃してくるはずだ。

 私は左手を突き出し、心中で祈りを――同時に魔力を――捧げ、最も使い慣れた法術を唱える。

 

「《守の章、第一節。護りの盾……プロテクション!》」

 

 その名を唱えると共に、掲げた手の先に光で編まれた盾が顕現(けんげん)する。

 

 バチィっ!

 

 男が前進しながら繰り出した短剣は、弾かれたような音を響かせながら、光の盾にその切っ先を阻まれた。

 即座に、左手を後方に払う。その手を起点に生み出された盾も同期し、同じ動きを見せる。

 

 受け止めた短剣を、それを握ったままの男の右手を受け流し、身体を開かせ懐に潜り込み……

 無防備なその体に、すかさず盾を解除した両の拳を押し当て、体重を乗せ、思い切り踏み込む!

 

「ぐぼぁっ……!?」

 

 ダンっ!という強く地面を踏みしめる音と共に、目の前の襲撃者が吹き飛んでいく。

 苦悶の声を上げ、手にした短剣を放り出した男は、仰向けに倒れ、そのまま動かなくなった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13節 プロテクション・アーツ

 クラルテ司祭が編み出した神殿式格闘術、《プロテクション・アーツ》。

《護りの盾》で攻撃を防ぎ、『気』を練った体術で敵を制する、神官のための武術。

《盾》と『気』。その二つさえ修得できれば、私のように低位の法術しか扱えなくとも、戦う(すべ)を得ることができる。

「神官を非力と侮っている相手を成敗するための技」、というのは、司祭さまの談だが。

 

 

  ――――

 

 

 これで一人。とりあえずは倒せたことに胸を撫で下ろす。

 が、それもつかの間。予想以上に早く回復したもう一人の襲撃者、その振り上げた斧槍が、視界に入り込んできた。

 受けるかかわすか一瞬迷う。が、すぐに思い直す。この質量と勢いは受けきれない!

 

 咄嗟に急所を守りながら横に跳ぶ。

 目の前を、数秒前まで自分がいた空間を、大上段から振り下ろされた鋼鉄の塊が通過していく。

 

 耳に響く轟音。肌で感じる風圧。――もし、受け止めていたら。

 あり得たかもしれない未来、明確な殺意に、体を強張らせる。

 

 初撃がかわされても、相手は手を緩めなかった。斬撃から刺突に切り替え、攻撃を継続してくる。

 再び光の盾を生み出し、切っ先の側面に当て受け流す。が。

 男が柄の中ほどを支点に、右手で握った石突きをかき回すように動かすと、斧槍の先端も連動して回転し、受け流したはずの切っ先が私の顔を薙ぎ払うように襲い来る。

 

「っ!」

 

 背を反らしながらなんとか腕を引き戻し、盾を前方に掲げてそれを弾き返す。

 しかし私が防ぐのも計算ずくだったのか、男は弾かれた武器の勢いまでも利用し振りかぶり、力を、体重を込め、再び全力の一撃を繰り出す!

 

「っ――《プロテクション!》」

 

 少しでも威力を減殺(げんさい)させるべく、眼前の空間にもう一枚盾を張る。その後は、全身を投げ出すようにしてその場を飛び退くことしかできなかった。

 

 一瞬だけ、光の盾が斧槍を受け止め……しかし次には易々と破壊され、光の粒子になって散っていく。刃先が地面を(えぐ)り、爆発したように土砂が飛散する。逃げるのが遅れていれば、私の血肉がそこに加わっていただろう。

 

 いくら重量のある武器とはいえ、神の盾は容易に破れるものじゃない。それをこうまで簡単に為してしまえるのは、相手も攻撃に『気』を込めているからだ。

 当たり前だ。武術は私だけのものじゃない。ある程度以上の実力の持ち主なら、それを使えることは予想して(しか)るべきだった。

 

 受け身を取り、片膝立ちの姿勢で男に向き直るが、すぐには立ち上がれなかった。

 繰り返される死の恐怖に、足が震えている。心臓が早鐘を打ち続けている。

 

 それは相手にしてみれば止めを刺すのに十分な隙だったはずだが、追撃はなかった。

 各下への余裕か(あるいは全力で打ち込みすぎたのか)、男の姿勢は斧槍を地面にめり込ませた状態から動いておらず、今になってようやくゆっくりと引き抜くところだった。

 

「フンっ、やるじゃねえか姉ちゃん」

 

 男は武器を担ぎ直し、鼻から血を流したまま笑みを浮かべる。しかし笑っているのは口元だけだった。

 額には青筋が浮かび、見開いた瞳が、先刻までの攻撃が、雄弁に殺気を訴えかけてくる。

 

 私の人生で初めて、私一人にだけ向けられる、純粋な殺意。

 怖い――怖い――正直に言えば、逃げ出したい程に……

 だけど、そんなことできない。

 私はアレニエさんと約束したのだ。彼女の元へは通さない、と。

 男の視線を受け止め、震える足を力尽くで立ち上がらせる。

 

「格闘術を使う神官とは珍しい。〈聖拳〉の真似事か? だがまだ未熟だな。俺を一撃で落とせなかったのがいい証拠だ」

 

 そんなことは言われずとも分かっている。

 男への初撃が浅かったのは相手の反応以前に、おそらく私の動きが固かったせいだ。

 アレニエさんに励まされ覚悟を決めたつもりでも、まだ足りなかった。実戦への恐怖や迷いが、体に現れていた。

 克服するには、おそらく経験を積むしかない。そしてそれは、すぐにどうこうできるものじゃない。

 

 だから今からでも私が思うべきは、目の前の相手を倒すこと。そして彼女に言われたように、死なないことだけだ。

 余計な思考は邪魔にしかならない。覚悟が足りないなら改めて固めろ。再び拳を握り、私は飛び出した。

 

「懐に潜り込むつもりか!? バカがっ! その前に真っ二つよ!」

 

 男は担いだ武器を瞬時に構え直し、迎撃のために振りかぶる。

 相手の言葉通り、このまま近づこうとしても間に合わず、盾を出したとしても再び砕かれてしまうだろう。だが。

 

「《プロテクション!》」

 

 駆けながら祈りを捧げ、前方に盾を生み出す。振り下ろされる斧槍の刃先……その下の、柄の部分に。

 

「――んなっ!?」

 

 力も早さも乗りきっていないタイミング。しかも、切っ先を当てることもできない斧槍は、盾を砕くどころか、反動で後方に弾かれる。

 

 駆け抜け、懐に潜り込む。

 ここは相手の武器の内側。そしてこちらの拳が届く距離。長物での迎撃は間に合わない。

 

 だが男は、あろうことか即座に武器を手放し両腕を交差させ、首から上を守る姿勢を取る。

 

「こうしちまえば打つ手がねえだろ! 一撃防げば俺の勝ちだ!」

 

 一瞬で判断し武器を手放せるのは、それこそ経験の賜物だろう。篭手(こて)()めた両腕に遮られては、顔を狙うのは難しい。

 しかしこちらも、初撃が入った頭部を反射的に守ろうとするのは、予測していた。

 だから私の狙いは最初からその下方。鎧に包まれた胴体部分だ。

 

「《プロ! テク! ションっ!》」

 

 再三、光の盾を。今度は範囲を狭め、硬度を凝縮させたものを三つ、重ねて発現させる。

 指定箇所は右手前方。輝き連なる神の盾が、右拳を光で包み込む。

 同時に全身の『気』を集め、引き絞り、解放。力の全てを拳に、その先の盾に乗せ、男の腹部に撃ち放つ!

 

 ズドンンンっ!

 

「ガっ…………!!??」

 

 それは、男にとって予想外の衝撃だったはずだ。疑問と苦悶の声が喉から漏れる。

 光の拳は金属製の鎧を陥没させ、その奥の胴体にまで衝撃を届かせた。

 手を止めず、さらに向こうまで打ち抜くように力を込め、叫ぶ。

 

「《プロテクトバンカー!》」

 

 掛け声と共に、『気』を乗せた光の盾が零距離から射出され、陥没した鎧を殴打する。そして――

 

 三 ――連なる三枚の盾が、男の体を後方に吹き飛ばし。

 

 二 ――先端の二枚が、最後尾の盾を踏み台にさらに加速し、追撃。

 

 一 ――そして撃ち出された最後の一枚が、宙を滑るように吹き飛ぶ男を、さらに越える勢いで、打撃を叩き込む。

 

 ここまでが、右の拳を打ち込んでから一瞬で行われた。

 男は後方に吹き飛び、思ったより長い滞空の末、墜落。地面をゴロゴロと転がり、やがて勢いを失い、ようやく仰向けに倒れて動きを止めた。

 

 以前アレニエさんに話した通り、私はあまり高位の法術は使えない。けれど、術の制御や操作には、少しだけ自信がある。

 これは、そんな私のために司祭さまが考案してくださった、《プロテクトバンカー》。同一箇所に加速する連撃を叩きこみ、威力を倍加させる、私が持ちうる最大の技。ちなみに命名も司祭さま。

 

「はぁ……! はぁ……!」

 

 呼吸が乱れる。

 考えないようにしていた緊張と恐怖が、少しづつ戻ってくる。

 

 本来は体から逃げてしまう力を――体を守るために逃がしている力までもを――無理やり集める『気』の運用は、それゆえ体に強い負担を強いる。魔術が魔力を消費するように、武術は体力を消耗させる。

 それを、極度の緊張下で続けざまに使った反動も混ざっているんだろう。体が、重い。

 

 疲労を感じながら、男の様子を窺う。

 手足はピクリとも動かないが、胸は浅く上下している。穢れも発生していない。おそらくは、気絶しているだけだ。

 手加減など考える余裕もなく、とにかく全力で撃ち込んだのだけど……あまりに勢いよく飛んで行ったので、ちょっと不安になってしまったのだ。

 

「はぁぁぁ~………」

 

 どちらの襲撃者もすぐには起き上がらないと判断し、ようやく私は大きく息を吐き出しながら、へなへなとその場に座り込んだ。

 

 時間にしてみれば、ほんのわずか。人数も、たった二人の相手をしたに過ぎない。

 それでも、心身はこんなにも疲弊(ひへい)している。経験不足を身に染みて実感すると共に、互いの命を取り合う戦というものが、日常とかけ離れた異質な空間であることを思い知る。

 

 ともあれ初めての実戦を、自分も相手も死なせずに済ませることができた。私にとっては大きな一歩だ。

 正直、相手の油断に不意討ちでようやくなんとかなったようなものだが。

 

「(……いや、まだだ)」

 

 安堵で緩みかけた心を奮い立たせ、立ち上がる。

 まだ二人倒しただけなのだ。残りの六人は今も、アレニエさんが単身で相手取っているはず。放ってはおけない。

 一刻も早く彼女の加勢をするべく振り向いた私の目に映ったのは――

 

「…………え?」

 

 当のアレニエさんと(くだん)の大男以外、すでに全員が地面に倒れ伏している光景だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14節 黒腕

 リュイスちゃんが背後の敵に向かっていくのを確認してから、わたしも自分の相手に向き直る。

 

 左端には、先刻得意げに喋っていたフードの男。

 そこから順に、剣士っぽいの、盗賊っぽいの、重戦士っぽいの、魔術師っぽいのが並び、最奥に昨日の大男が陣取っている。

 リュイスちゃんが背後の二人を引き受けてくれたおかげで、前方だけに集中できる。この人数なら、なんとかなりそうだ。

 

「どうやら背後は神官のお嬢さんに任せる気らしいが、いいのか? 死ぬかもしれんぞ」

 

 あくまで余裕を崩さない声を上げたのは、フードの男。

 それは、おそらくわたしを動揺させるための、そして彼女を非力な神官だと侮っているがゆえの発言だ。

 

 魔物との戦闘、穢れの浄化を担う一般の神殿と違い、総本山の主要業務は神への祭儀と、その際必要となる炎の維持だ。前線で戦うなどありえない、と自他共に認識している。同じく総本山に所属するリュイスちゃんが戦力になるとは、(はな)から考えていないのだろう。

 

 しかし彼女と一夜を共にした(誇張あり)わたしは知っている。

 彼女の華奢(きゃしゃ)な外見の奥に隠された引き締まった体と、刻まれた無数の生傷を。

 

 そもそもあの人の弟子と聞いた時点で、ある程度戦えるのは予想できていたし、昨夜の握手で直接触れて、力量もおおよそ量れていた。

 

 あるいはそれでも、この状況で怯え震えるだけの子なら、相手を殺してでも逃がすしかなかったかもしれない。

 けれど彼女は、恐怖を押し殺しながら戦いを決意し、なおかつ自身の信条を通そうとすらしている。

 

 そういう子は嫌いじゃない。というかむしろ好感が持てる。

 訓練の成果をどれだけ出せるかは分からないが、しばらく足止めしてくれれば十分だ。こちらをすぐに片付けて、救援に向かえばいいのだから。

 

「そう簡単にはいかないと思うよ。それより、あなたは自分の心配したほうがいいんじゃない?」

 

「ほう? 二人抑えた程度で、もう勝てると?」

 

「うん。これから全員叩きのめすよ」

 

 あっさりと言い放つわたしから目を離さないまま、くつくつとフードの男が笑う。

 

「不敵だな、〈黒腕〉。噂も馬鹿にできんか」

 

「……さっきも悪名高いとか言ってたけど、わたし、どんな噂されてるの?」

 

 言いながら、意識はこれからの手順に傾けつつ、体は弛緩(しかん)させておく。

 フードの男はこちらの動きを警戒しているようだったが、元から饒舌(じょうぜつ)なのか、問うと存外素直に答えてくれる。

 

「自分の評判はあまり聞こえてこないか? 君は中々の有名人だ。その容姿に、鎧とちぐはぐな黒い篭手は目立つからな。腕前や素行もだ。オレが聞いたものだけでも……『腕はあるが常識がない』『気紛れで気分屋』『笑顔の斬殺魔』『魔物のほうが可愛く見える』『眠り折り姫』『自動腕部へし折り機』――」

 

「うんわかった、もういい」

 

 半分くらいはうちの店でも聞いた噂(わざわざ教えに来るのとかがいるので)だったんだけど……なんか色々尾ひれがついてるし後半変なの混ざってるし。

 

 多少意気を削がれたものの、気を取り直して手順を確認。必要な道具をどこにしまっているか意識する。その間も、相手に悟られないように会話は止めない。

 

「えぇ……そんな風に言われてるの? なんかへこむなぁ」

 

「君の行動の結果だろう。次からは気をつけることだな。次があればだが」

 

 余計なお世話すぎる。

 

「そうだねー。これから気を付けるよ」

 

 笑顔で心にもないことを言いながら、わたしは無造作に腰のポーチから取り出したものを放り投げた。

 

 フードの男は武器による投擲(とうてき)を警戒していたようだけど、わたしが投げたのはただの水袋だ。しかも彼らにではなく、空へ向けて適当に放っただけの。

 しかし止まっているものより動いているものを目で追ってしまうのは、生物の習性だろうか。襲撃者たちは、ゆっくりと放物線を描く水袋に反射的に視線を釣られ、頭上を見上げていた。

 

 相手が目を奪われている間に、今度はスローイングダガーを取り出し即座に投擲。狙いは奥にいる大男の右腕。そして、もう一つ。

 大男とフードの男はいち早く水袋から目を離し、こちらに視線を戻すが、次は直線的に飛来する刃への対処を迫られる。

 

「ぬぁっ!?」

 

 ギインっ!

 

 大男は寸前で反応し、ダガーを手甲で弾く。金属同士が衝突する甲高い音が辺りに響き渡り、全員が大男のほうに視線を、意識を奪われるが。

 

「――な…にぃ…!?」

 

 今度の声は、その場でガクリと膝をつくフードの男。その右足の太腿には、今の金属音の隙にわたしが投げたもう一本の刃が、深々と突き刺さっていた。

 

 この辺りで、最初に投げた水袋が地面に落ち、バシャっと音を立て、中身を撒き散らす。

 再び予期せぬ音に意識を妨げられる男たち。わたしはその間に、こっそり魔術の詠唱をしていた右端の魔術師っぽいのの元まで走り寄り、移動の勢いを乗せて顔面を蹴り飛ばす。

 

「げぶっ!?」

 

 魔術師っぽい見た目通り、接近戦は得意でないのだろう。避けるそぶりもなく後方に吹き飛ぶ。

 これで面倒そうなフードの男を封じ、奥の大男を牽制したうえで、包囲を崩すことができた。この位置なら、全員を視界内に収められる。

 

 その場で、左足を軸に旋回する。

 足元で生み出した『気』を全身に伝え、練り上げ、同時に周囲の空気を――風の『気』を、右足に纏わせていく。

 

 

  ――――

 

 

『気』を扱う際に必要な体の動き、体内を巡る力は、体力や生命力と言い換えることもできる。

 そしてそれは人間だけでなく、動物や植物、大地や水、あるいは自然現象など。アスタリアが生み出した全ての創造物に宿っているのだという。エルフなどの一部の種族は、その力を『精霊』と呼んでいるらしい。

 

 呼び名に関してはなんでもいいし、本当にそんなあちこちに精霊とやらが宿っているのかも分からない。

 が、実際に一部の自然物の『気』を借りられることは事実として。体感として、知っていた。

 

 

  ――――

 

 

 十分に風の『気』が集まったところで回転を急停止。行き場のなくなった力を足先に誘導し、解放――蹴り放つ。

 

 襲撃者たちに向かって真っすぐ突き出された右足を中心に、纏わせた風が渦を巻き、螺旋を描き、直進する。

 横倒しの竜巻は軌道上にいた全てを飲み込み、薙ぎ倒し、吹き飛ばしていく。膝をつくフードの男も、立ち呆けている有象無象も、等しく暴風に(さら)われていった。

 

 やがて風が凪いだ後に残っていたのは、わたしの足元から男たちに向かって放射状に(えぐ)れた地面と……背負っていた大剣を盾にして防いだらしい、あの大男のみだった。

 

「……ふぅ」

 

 なんとかなったので良かったが、内心は結構ひやひやしていた。

 もし一つ間違えれば、これ以上人数が多かったら、ここまで上手くはいかなかった。それこそ、どちらかに死人が出ていたかもしれない。

 

 わたしは博愛主義者じゃないし、彼らの生死には実際興味がない。

 他に手がないなら躊躇(ちゅうちょ)もしないし、黙って殺されるくらいなら相手を殺してでも生き延びる。

 けれど……別に、好んで命を奪いたいわけじゃない。抵抗を感じないわけじゃない。

 

「(それに、頼まれちゃったからね。危なっかしい依頼人さんに)」

 

 出会ってからここまでの感触に過ぎないけれど、どうも彼女は、死者が出ることを極端に恐れているように見える。

 まあ、穢れを嫌う神官なら当たり前とも言えるし、亡くした家族を思い出してしまうからかもしれない。

 

 その反面……いや、他人の死を恐れるからこそ、だろうか。自分が犠牲になることに関しては、受け入れているような節がある。

 こちらとしては、本当に護衛対象に死なれても困るし、自身を顧みないかのようなその態度も、あまり好ましく感じない。先刻の覚悟とは裏腹に。

 

 それに、他にもなにかこう、自分の中で引っかかる部分があるというか……上手く言えないけど、もやもやする。

 

 なんにしろ、一度引き受けた以上なるべく依頼人の意向に沿うべきではあるし、殺さずに済むならそのほうがいい。穢れの処理も面倒だし。

 

 ともあれ、こっちは粗方片付いた。

 彼女のほうはどうかと視線を遣ると……相手をしていた男たちは、付近に一人、なぜかやたら離れた場所にもう一人倒れており、彼女自身はこちらを見てポカンとしている。

 急いで片付けて加勢に向かうつもりだったけど、どうやらその必要はなかったみたいでなによりだ。

 

 残るは一人。

 降伏に応じてくれればいいが、そうでなかった場合を考え、わたしは気を引き締め直した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15節 必要のない決闘

 振り向いた私の目に映ったのは、地面に刻まれた(えぐ)られたような跡と、一気にその数を減らした襲撃者たち。そして、それを一人で為したであろう、彼女の姿だった。

 

 こちらがかろうじて――本当にかろうじて二人相手にしていた間に、向こうはほとんど無傷で五人を制圧していたらしい。……いや、ほとんどどころじゃない。本当に、傷一つ負っていない……

 

「(とん、でもない……)」

 

 その実力に惚れこんで依頼をお願いしたわけだけど、正直ここまでとは思っていなかった。

 

「……マジかよ……」

 

 呟きは、唯一残っていた大男のものだった。

 大剣を地面に突き刺し、なにかに耐えるような姿勢を取っていた彼は、辺りの惨状に目を丸くしている。

 

「リュイスちゃん」

 

 アレニエさんはこちらを一瞥し、なぜかしばらく視線をさまよわせ……あ、向こうで倒れてる斧槍使いを探してたのか。

 

「無事みたいだね。良かった」

 

 私の相手が二人共に倒れているのを確認し、彼女は心なしかホっとした様子で声を掛けてくれる。こちらを気遣うその様子は、いつもと変わりない。息すら切らしていない。

 こちらの倍以上の人数に囲まれていたのになんでそんな平然としてるんですかアレニエさん……それこそ、無事で良かったけれど。

 と――

 

「お前……」

 

 不意に大男が、アレニエさんに声を向ける。

 

「……お前……本当に強えんだな……正直、昨日やられたのは不意を突かれたせいだと思ってたんだが……」

 

「いや、今も不意を突いただけだけどね」

 

 なんで戦果を弁解してるんですかアレニエさん。

 

 今もまだ茫然とした様子の大男は、彼女の言葉を聞いているのかいないのか判然としない。が、反面興奮したように見開かれたその瞳は、確実にアレニエさんを捉えている。

 

「今度こそ退かない? 仲間もみんなのびてるし、これ以上やってもしょうがないでしょ?」

 

「バカ言え」

 

 彼女の言葉を、男はなぜか笑いながら一蹴する。

 

「お前みてぇな強ぇ奴とサシでやり合えるんだ。むしろ俄然(がぜん)やる気が湧いてきたぜ」

 

「……わたし、男の人のそういう気持ち、よく分かんないんだけど」

 

「そいつはすまねぇと思うが、付き合ってもらうぜ。なんせ昨日の指と財布の礼があるからな」

 

 ……指はともかく、財布?

 

 台詞は冗談めかしているが、男の目は真剣だった。地面に刺していた大剣を引き抜き、右肩当てで担ぐような形で構える。

 

「幸い神官の嬢ちゃんがいるからな。どっちかが死体になってもすぐに浄化してくれるさ。本気でやり合うにはおあつらえ向きだ」

 

「わたしにその気がなくても?」

 

「ああ、やる。殺す気で行けば、お前は相手してくれんだろ?」

 

 ニヤリと笑う男をしばらく見つめ……彼女は諦めたように小さくため息をついた。そして腰の後ろに差した剣の柄を右手で、通常の使い方とは逆の、逆手(さかて)で握る。

 彼女が応じたことに大男は笑みを深め、担いだ大剣を握る手に力を込めていく――

 

「待って……待ってください!」

 

 私はたまらず二人の間に割って入った。

 

「どうしてまだ戦う流れになってるんですか! 報復も、依頼も、仲間が全員倒れてる状態では続けられないでしょう!? これ以上無理に争う意味なんて――」

 

「悪ぃな、嬢ちゃん。別にあいつらに対して仲間意識なんてもんはねぇし、嬢ちゃんをどうこうするって依頼も興味はねぇ。報復も、今はどうでもいい」

 

「だったらなおさら……!」

 

「ああ、そうだ。ここから先は言ってみりゃ必要のない勝負で、俺のただのわがままだ。だから俺一人しか残ってねえってのは、俺が退く理由にはならねぇ。それに、必要がなくても意味はあるのさ。俺にとってはな」

 

 ……あ、ダメだ。この人、本当に退く気が全くない。それを、肌で感じた。

 ならば、と、今度は反対側に向き直る。

 

「~~アレニエさんも! どうして貴女までやる気になってるんですか!?」

 

「いや、ほら。わたしだけが剣を置いても、向こうにその気がないからさ」

 

「だからって……!」

 

「それにね、リュイスちゃん。こういう類は一度火が付いちゃうと、それが消えるまでもうどうにもならないんだよ。たとえ、頭で分かっていてもね。多分ここで逃げても、ちゃんとやり合うまで解放してくれないよ、この人。なら、この先急ぐためにも、早めに済ましちゃったほうがいいでしょ?」

 

「そういうこった。だからどいてくれ、嬢ちゃん。俺はこの女とやり合えればそれでいい。嬢ちゃんに怪我させるつもりはねぇ」

 

「……そんな……」

 

 どちらも私の言葉では止まらない――止まるつもりがないのを悟り、一瞬、諦観(ていかん)(よぎ)ってしまう。

 

 私たちは死を忌避する。

 それは邪神がもたらす『死』に抵抗する意志であり、生物として生まれ持った本能でもある。

 しかし、時にそれ以上の渇望を抱え、命を懸け合う人種が存在していることも、知識の上でだけは、知っていた。

 

 ここは街の外で、穢れを払える神官(私だ)もいる。アレニエさんが負傷する可能性は依頼人として看過できないが、その依頼のために厄介事を片付けるという理屈も、分からなくはない。

 そして当事者同士が了承している以上、私が止める権利など、どこにもないのかもしれない。

 

 けれどそれは……それこそ、感情が納得するのとは、全く別の問題だ。

 私は、目の前で誰かが死ぬかもしれない状況で、引き下がることが、できない。

 

「……そんなの、おかしいです。納得できません……! これ以上争う理由なんてやっぱりないし、今度は本当に死んでしまうかもしれないんですよ!? それでもまだ続けると言うなら、私は――!」

 

「すまねぇな」

 

 簡素な謝罪と共に突き出された男の拳が、向き直った私の腹部に吸い込まれた。

 

「っぁ……!」

 

 苦痛に体をくの字に折り、堪らず膝から崩れ落ちる。

 力が入らない。腕も、足も、恐怖とは違う震えに包まれている。

 腹部の痛みだけじゃない。先の戦いの疲労が、男の一撃を契機に、全身にどっと押し寄せてきていた。

 

 そうして私が動けないでいる間に、二人は距離を取り、死合う準備を始めてしまう。

 心はこの状況をなんとかしようと暴れているが、体は言うことを聞いてくれない。

 いや、そもそも万全だとしても、私は二人を止める程の力を持ち合わせていないのだ。未熟な自分は結局、こうして黙って見ているしかできないのかもしれない……

 

 私は一度、目を閉じる。

 気を抜くとそのまま失いそうな意識を無理矢理保ち、肘を支えに体を起こし、前を向く。

 そして、二人の戦いをこの目に収めるため、瞳を開いた。

 

 

  ――――

 

 

 アレニエさんは鞘に納めていた剣の柄を逆手に握り、静かに引き抜く。

 細身で片刃の、綺麗な片手剣。剣身には緩やかな反りが入っており、柄にはわずかだが装飾も施されていた。

 

 彼女は後ろに置いた右足に重心を傾け、軽く腰を沈め、手にした剣を体で隠すように構える。普段よりわずかに細められた瞳が、男を捉える。

 

「本当に死んでも、恨みっこなしね」

 

「言われるまでもねえ」

 

 男は獰猛(どうもう)に、それでいて満足そうな笑みを浮かべながら、短く応じる。――そして。

 

「おらぁ!」

 

 様子見も無く、大男がいきなり仕掛けた。

 猛然と突進し、巨大な剣を袈裟がけに振り下ろす。圧倒的な膂力(りょりょく)で振り下ろされる鋼の塊は、風圧だけでも人を倒せそうだった。

 

 対するアレニエさんは、姿勢をさらに低くし、一歩左に踏み出しただけで、大剣の一撃を潜り抜ける。

 簡単にやっているようにすら見えるその動作は、私からすれば驚嘆すべきものだった。

 たとえ事前に見切り、〝当たらない〟という確信を抱けたとしても、あの巨体から振るわれる鉄塊の圧力には、少なからず恐怖を覚えるはずだ。しかもそれを、前に出ながらかわすなど。

 

 一方で、長大な武器は威力と間合いで優位に立てる反面、その巨大さから来る重量と重心が、次撃への足枷にもなってしまう。

 初撃をかわした彼女は、正にその攻撃と攻撃の継ぎ目を狙い反撃しようとしていたが――

 

「せあっ!」

 

「!」

 

 大男は振り下ろした大剣を即座に斬り返し、次の攻撃に繋げてきた。

 斬撃は(おそらくアレニエさんにとっても)予想以上に鋭く、早く、わずかにかわすタイミングが遅れたその頬に、赤い線を一筋引いていく。

 後ろに跳び退り態勢を立て直し、彼女は再び男に接近しようとするが……

 

 あんな巨大な武器を振るっているにも関わらず、大男の剣は総じて鋭かった。

 見た目から推し量れる腕力だけではない。一種丁寧とさえ思える技術は、実直に積み重ねた鍛錬の成果を感じさせる。

 

 全身を連動させ、武器の重心も利用する、素早く、正確な剣捌き。生半(なまなか)な防具なら楽に両断してしまいそうな攻撃が、間断なく襲い来る。

 さすがの彼女も攻めあぐねているように見えたが……

 

「……ふっ!」

 

 男が剣を逆袈裟に振り上げたタイミングに合わせて、アレニエさんは投擲(とうてき)用のダガーを呼気と共に投射。二本の刃が、それぞれ男の顔と右腕に向かって飛来する。

 そして投げた刃を追うように、彼女自身も姿勢を低くしながら駆け出した。

 

「効くかよこんなもんっ!」

 

 攻撃後の崩れかけた態勢だが、男は大剣を斬り返し、一振りで二本同時に叩き落とす。続けて、向かい来る彼女を迎撃しようと身構え――

 

「――!?」

 

 目の前に誰の姿もないことに気づき、その動きがわずかに止まる。

 

 アレニエさんの先刻の投擲は攻撃であると同時に、相手の動きを誘導し、狙い通りに剣を振らせるためのものだった。

 男が飛来物を防いだ――つまり自身の剣で一瞬視界を遮った瞬間、彼女は大男の死角に跳躍した。男からすれば、突然消えたように見えるだろう。

 

 直後、左側面から鈍色(にびいろ)の刃が襲い来る。

 

「ぐっ!?」

 

 首を狙っての一撃を、男は身を反らしてかろうじて防ぐ。奇襲を察知したというより、対峙していた敵を見失うという異常事態に、反射的に後退した結果に見えた。しかし完全には避けきれず、左肩の表面を切り裂かれてしまう。

 

 仕留めきれなかったのを気にするでもなく、彼女は機敏に反転。再び跳躍し、さらなる斬撃を浴びせていく。一手で攻守が逆転した。

 

 態勢を崩された大男は、次々繰り出される彼女の攻撃に対応するので精一杯だった。

 一撃一撃に込められた殺気は大剣の防御を超え、鎧の表面を、あるいは露出した肌の部分を削り続ける。致命傷だけは避けているが、男の体には少しづつ傷が増えていく。

 失血が増えれば動きは鈍り、やがて生死にも繋がる。現状が続けば、遠からずこの勝負は決するだろう。

 

 幾度目かの交錯の後、アレニエさんは正面から、再び男の首を狙って剣を放った。

 が、今度はそれを待っていたかのように男が動いた。

 首を一文字に切り裂こうとするアレニエさんの動きに対して、男は縦に、彼女の剣に交差させるように自身の武器を振り下ろす。おそらくは、彼女の剣を破壊する目論見で。

 

「へし折ってやるぜっ!」

 

 実際、正面から衝突すれば重量のあるほうが勝り、男の言葉通りの結果になるだろう。

 けれど、ここから傍観していた私は、確信してしまった。

 

 ――このままでは、男は死んでしまう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16節 わがまま

 勝負の行方を悟ると同時に、目の前の光景が緩やかになる。周囲を流れる時間すら遅く感じる。

 顔から血の気が引くのを自覚する。胸の奥に穴が空き、こぼれていく。感情が、こぼれ落ちていく。

 穴の奥には空虚な空洞だけが残り、頭も、心も、活動を鈍らせていく――

 

「(嫌、だ……)」

 

 私は、この感覚を知っている。

 

「(ダメだ……嫌だ……!)」

 

 そして、もう二度と味わいたくない。

 

「(止めなきゃ……助けなきゃ……!)」

 

 ――どうやって?

 

 見た目はゆっくりでも、現実の時間は容赦なく進んでいく。二人の剣は引かれ合い、男は死に近づいていく。

 思いつけた方法は一つだけ。どのみち、今の自分にできることは多くない。喉に、肺に、私はなけなしの力を込めていく――

 

 

  ――――

  

 

 剣と剣が衝突する寸前、アレニエさんは自身の右手首を、外側に〝寝かせた〟。

 その手が握る剣も角度を変え、剣の背が彼女の右ひじに触れる形になり、結果――……彼女の剣は、大剣の側面をすり抜ける。

 

「――!?」

 

 予想された衝撃はなく、大男はガクンと態勢を崩す。

 大剣の腹を刃先が走り、火花を散らせ、そのまま滑るように獲物に吸い込まれる。喉元に喰らいついた刃は、無慈悲にその骨肉を引き裂き、首と胴とを上下に分かつ――

 

「……ァレニエさんっ――!!」

 

「!」

 

 ――寸前で、私の(かす)れた叫び声が、辺りに響き渡った。

 

「「――――……」」

 

 今の叫びで時間まで止まってしまったかのように、二人もその動きを止めていた。響き渡っていた剣戟は嘘のように鳴り止み、静寂が訪れる。

 

 彼女の剣は、男の首、その側面に食い込んだ状態で、かろうじて静止していた。私の声を耳にして、咄嗟に止めてくれたのだろう。

 それでも……即死を免れたというだけで、重傷には変わらない。

 

「…………あぁ、くそ……ここまで、かよ……」

 

 大男の口から小さな呟きが漏れた。それを受けてアレニエさんが刃を引く。赤黒い液体が傷口から吹き出し、だくだくと流れ落ちる。

 流れる血と共に力も抜け落ちたように、男の上体が揺らいだ。興奮も治まり、もう体力も限界だったのだろう。空振り、その先の地面を打ち据えていた大剣から手を離し、前のめりにゆっくり倒れ込んだ。

 

 首の傷だけじゃない。ここに至るまでにも、男は体中から血を流している。うつ伏せに力なく体を横たえる様は、放っておけばすぐにでも息絶えてしまいそうだ。

 私はいまだ痛む腹部を押さえながら、なんとかその身に駆け寄る。

 

「ふ、んくっ……!」

 

 苦労して仰向けに寝かせ、水袋の水で血と汚れを洗い流す。すぐに治療を始めようとするが……

 

「……や、めろ、嬢ちゃん……俺、は……」

 

 返ってきたのは、怪我をしている当の本人からの、思いもよらぬ拒絶の言葉。

 どうして? 勝負に負けたから? 互いに命を懸けていたから? その結果を尊重しろ、と? …………冗談じゃない。

 

「黙っててください!」

 

 男の言葉を遮って包帯を取り出し、傷口を止血。そして祈り、唱える。

 

「《……これを、第三の賜物として、テリオス、そしてアサナトよ。御身らに私は乞い願います。死を遠ざける双神よ。光り輝く癒し手よ。……治癒の章、第三節。癒しの波紋……ヒーリング……!》」

 

 私が使える最も治癒力の高い法術。即座に完治させるような真似はできないが、これでなんとか持ち直してくれれば……

 

「――どうして止めたの、リュイスちゃん」

 

 背後から静かに、アレニエさんが問いかけてくる。戦いの余韻が残っているのか、その声は酷く冷たい。

 が、その冷たさに反発するかのように、私の心は熱で沸騰した。

 

「どうしてってなんですか! 止めますよ! 目の前で人が死にそうなのに、黙って見てられるわけ、ないでしょう!?」

 

 むしろ、こんな傷を負わせる前にこそ止めたかったのに。

 胸に湧き上がる憤りを抑えきれず、彼女にそのままぶつけてしまうが……

 

「「……あー……」」

 

 二人は揃って顔を見合わせ、同時になにかに納得したような声を上げるだけだった。なにその反応!?

 

「なんですか二人して!?」

 

「なんかこう、初々しい反応がまぶしくて」

 

「ハ、ハハ……嬢ちゃん、ほんとに、ぺーぺーなんだな……」

 

 アレニエさんだけでなく、重傷の大男まで生暖かい視線を送ってくる。

 

「神官のリュイスちゃんからしたら考えられないだろうけど、街の外だとこういう、人間同士で殺したり殺されたりっていうの、珍しくないからさ。この人たちも含めて、冒険者は一応みんな覚悟してるはずだしね」

 

 街の外が危険なのは、私だって……知識の上では、知っている。彼らが街を出てから襲ってきたのは、つまりそういうことだ。

 

「それに勝負を引き受けたのは、厄介事は早く済ませたいっていう、ただのわたしのわがままだよ。死ぬつもりは欠片もなかったけど、そうなったとしてもそれはわたしの責任。リュイスちゃんがそこまで気にする必要ないよ」

 

「そうだぜ、嬢ちゃん……こうなることも、覚悟して挑んだのは、俺も、同じ……俺にとっちゃ、命が懸かっていなけりゃ、意味が、なかった……これは、それこそ俺の、わがままの、結果だ……」

 

 二人はそれぞれ、子供にものを教えるように私を諭す。

 彼女らが言う通り、こんなことは『外』では日常茶飯事なのかもしれない。

 二人はお互いに死ぬことも覚悟していたし、私がしているのはその覚悟を汚す行為なのかもしれない。

 

 ――でも、そんなの、私の知ったことじゃない。

 

「だからって、必ず殺さなきゃいけないわけでも、黙って受け入れなきゃいけないわけでも、ないでしょう!? それに、さっきの殺し合いがお二人のわがままだというなら、それを止めたいのは……目の前で誰かに死んでほしくないのは、私のわがままです! 聞く耳持ちません!」

 

 私は、私の目の前で命が失われることに、耐えられない。

 神官の責務や矜持じゃない。理性的な理由もない。

 死を間近にした際の虚無感、胸に穴が空くようなあの感覚を、できるなら二度と味わいたくない。それだけの、勝手な理由だ。

 

 冒険者の常識。剣士の誇り。そういったものは私には分からない。

 けれど、私には私の譲れないものがある。この穴を塞げるなら引く気はないし、それが無粋だと言うならそれでも構わない。

 

 湧きあがる怒りを吐き出す(神官としては全く褒められた行為ではないが)ように、私は口を開いていた。正直、後のことなど考えていなかった。

 一方的な素人の意見に怒りを覚えるだろうか、と頭の片隅で思ったが――

 

「「…………プっ」」

 

 耳に届いたのは、堪え切れずに吹き出す音だった。

 

「あっはははは、あは、あっはっはっは……!」

 

「フ、ハ、ハハ、ハ……! げほ…げふ……!」

 

 気づけばなぜか、二人とも口を開けて大笑いしていた。男に至っては笑いすぎて咳き込んですらいる。

 

「な、なんで笑うんですか! 私、怒ってるんですけど!?」

 

「あっはは……! ごめんごめん。リュイスちゃん、面白いなぁと思って」

 

「なんですか面白いって!?」

 

「うん、リュイスちゃんの言うことももっともだなぁ。相手が命懸けで来たからって、こっちも必ず応えなきゃいけないわけじゃないよね。いつの間にか毒されてたかも」

 

「ハハ、ハ……! 確かに、どっちもただの、わがまま、だ。別に、黙って聞く義理は、ねぇな」

 

 褒められているんだろうか。(けな)されているんだろうか。

 二人は納得しているようだが、こちらは納得がいかない。なんで笑われたんだろう。

 

「とにかく、あなたが嫌がっても私は勝手に治療しますからね! 諦めてください!」

 

「……ああ、わかった。この様じゃ、抵抗もできないからな……おとなしく、してるさ」

 

 男は、その後はなぜか黙って治療を受け入れ、アレニエさんも制止することなく成り行きを見守っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17節 経験と実戦

 街道を少し外れ、まばらに生えた木の陰に大男を寝かせた私は、そこで彼の治療を続けていた。

 

 怪我の影響もあるのだろうが、男は目を閉じて静かに手当を受け入れている。

 おかげで治療は順調に進み、容体も安定してきた。とりあえずは一安心か。

 

 アレニエさんは、「あっちで寝てる人たち縛ってくる」と言い残してこの場を去ったため、ここには私と大男の二人だけが残されていた。

 

「……出血は止まったみたいです。激しく体を動かさなければ、傷も開かないと思います」

 

「……ああ、ありがとよ」

 

「……」

 

「……」

 

 始めのうちはただただ助かるようにと集中していたが、状況が落ち着いてくれば、さっきまで敵対していた相手と二人きり、という事実に意識が向いてしまう。

 気まずい沈黙。……いや、居心地の悪さを感じているのは私だけなのかもしれないが。

 静寂に耐えかね、私はなんでもいいからと話の種を探し、ふと思いつく。

 

「あの……少し、聞いてもいいですか?」

 

「ん? なんだ、嬢ちゃん」

 

 閉じていた(まぶた)を開き、男は視線をこちらに向ける。

 

「さっき……どうして、あんなに剣での勝負にこだわっていたんですか?」

 

 先刻の決闘から感じていた疑問。

 彼は、渋っていたアレニエさんに強引に剣を抜かせてまで、命懸けの勝負を挑んでいた。それが、私には理解できなかった。

 こちらの疑問に、男は傍に置いていた大剣を軽く叩きながら応じる。

 

「あん? そんなもん、こいつで強くなるために決まってんだろ」

 

 答えは簡潔だった。簡潔すぎて納得できない。

 

「強く、って……それなら、命を懸ける必要はないじゃないですか……〈選別者の橋〉に迎えられたら――死んでしまったら、それだって全部……」

 

 

 死を迎えた者は生前の善行によって、〈選別者の橋〉と呼ばれる橋を渡れるか否か、試されるという。

 十分に善行を蓄えていれば無事に橋を渡り、アスタリアの元へ導かれ幸福な暮らしを。足りなければ橋を渡り切れず、アスティマの元へ引きずり落とされ責め苦を味わう。その後、それぞれの被造物として生まれ変わる。

 

 ただし現在の神殿の教義では、神殿に多額の寄進を納めるか、または誰の目にも明らかな偉業――例えば守護者の任を全うするといったような――を成すことでしか、必要な善行の量には届かないとされた(この取り決めで多くの貧しい人が信仰から離れたとも)。

 

 あるいは橋を渡りアスタリアの元に導かれたとしても、その際には肉体も記憶も新しい、次なる生を迎えることになる。

 どちらにしろそれは、生前とは全く別の生に他ならない。

 ならばいくら強さを求めても、どれだけ鍛えたとしても、今ある命が終われば全て無駄になってしまう。なのにどうしてそれを粗末に――

 

 

「あのなぁ、嬢ちゃん」

 

 その声音には少しの呆れと同時に、教え諭すような響きが含まれていた。

 

「実戦で強くなりてえなら、実戦を重ねるしかねぇんだよ」

 

「――……!」

 

「普段の鍛錬や模擬戦なんかも確かに重要だがな。その成果を実戦でそのまま出せるって奴は滅多にいねぇ」

 

「……そう、ですね……」

 

 それはつい先刻、身をもって味わった。アレニエさんの励ましがなければおそらくまともに動くこともできず、それこそ私が『橋』に送られていただろう。

 

「武器を使っての勝負ならなおさらだ。分かりやすい命の危険だからな。いくら才能があって稽古で負けなしだろうと関係ねえ。慣れるまではどうしたって身がすくんじまう。慣れたいなら、そこに繰り返し飛び込むしかねえ。経験ってのはそうやって飛び込んで、自分の中に刻み込んだものを言うんだ。雑魚とばかりやり合ってもなんの経験にもならねえんだよ」

 

「……だから……アレニエさんが強かったから、勝負を……?」

 

「そういうこった。あれだけの奴と本気でやり合える機会は逃せねえ。街中じゃ、命まで懸けるのは難しいしな」

 

「…………」

 

 男の言葉には奇妙な説得力と、なにより実感があった。

 それは正に彼が、自身に刻み付けた経験から来る重み、なのだろう。少なくとも彼にとっては、それは揺るぎない事実であるのだ。

 

 しかしだからといって、自ら命を捨てるような生き方を素直に肯定する気には、私はどうしてもなれなかった。いや、そもそもどうして……

 

「……どうして、そこまでして強くなりたいんですか?」

 

 気づけば、抱いた疑問をそのまま口に出していた。

 大男は虚を突かれたような表情を見せた後……なぜか少し顔を赤くしながら、逆に尋ねてくる。

 

「……笑わねえか?」

 

「? はい」

 

 よく分からないが頷く。

 

「……〈剣帝〉みてぇになりてぇんだよ」

 

「……え?」

 

 思わぬ答えだったため、つい聞き返してしまった。

 その反応をどう受け取ったのか、男はさらに顔を赤くしながらまくしたてる。

 

「~~ああそうだよ、悪いかよ。ガキの頃からずっと目指してんだよ。くそっ、こう言うとどいつもこいつもバカにしてきやが――」

 

「?」

 

「――らないな。……笑わねぇのか、嬢ちゃん」

 

「? どうしてですか?」

 

『勇者を間接的に殺した』として、〈剣帝〉に批判を向ける人が多いのは承知している。

 しかし未だその武勇に憧れ、剣を志す人々が存在しているのもまた事実だ。彼がそうした人間の一人だとしても、おかしいとは思わない。

 

 かく言う私自身は剣士ではないが、時折司祭さまが話してくださるその冒険譚に、密かな憧れを抱いていた。

 行方を探していたのは、もちろん任務のためでもあったのだけど……正直に言えば、少し私情も混じっていました。

 

「……俺がこう言うと大概の連中は、『無理』『ガキか』『現実見ろ』とかなんとか好き勝手言ってきやがる。ムカつくから、最近じゃほとんど口にもしてなかったんだが……やっぱ変わってるな、嬢ちゃん」

 

 あまり面と向かって言われたことはないが、変わってるんだろうか、私(アレニエさんやユティルさんにも言われはしたが、あれは『総本山の神官としては』という意味合いだろう)。

 

「……まぁ、つまりそれが理由だ。いつか〈剣帝〉ぐらいに……いや、〈剣帝〉よりも強くなるために、俺は剣の腕を鍛えてる。途中で死ぬならそれまで、ってやつだ」

 

「〈剣帝〉さまより、強く……」

 

 憧れの剣士に近づき、並び、追い越したい……その気持ちは、私でも理解できる気がする。

 しかしそのための手段については、依然として納得できない。神官としては教義と穢れを見過ごせず、個人としては目の前で死なれるのに耐えられない。

 

 とはいえ、それはあくまで私の価値観であり、それこそただのわがままにすぎないことも、自覚している。だけど――……でも――……

 

「……あー、だが、まあ」

 

 思考がループしていた私に、どことなく遠慮がちな様子で男が口を開いた。

 

「死んじまったら結局意味がねぇってのは、嬢ちゃんの言うとおりだ。ただのわがままだ、ってのもな。……だから、もう少しくらいは、慎重にやっていくさ」

 

 それは単に、目の前で難しい顔をしていた私を(おもんばか)っての台詞だったのかもしれない。いや、たとえそうだとしても――

 

「――はい……ありがとうございます」

 

 不器用なその気遣いを嬉しく感じて、私は彼に礼を述べていた。

 

「話終わったー?」

 

「わぁっ!?」

 

「うぉっ!?」

 

 突然背後から聞こえたその声に、二人揃って飛び上がりそうなほど驚く。

 振り返れば、男を寝かせていた木陰の裏から、先刻までは確かにこの場にいなかったはずの彼女が、顔を覗かせていた。

 

「ア、アレニエさん……もう、終わったんですか?」

 

「縛って一か所に纏めるだけだしね。それで戻ってみたら二人して話し込んでるから、ここで待ってたんだよ」

 

 ……全然気づかなかった。……ん? 待ってた……?

 

「……あの、アレニエさん。いつからそこに……?」

 

「ん? 結構前から」

 

 ……ということはひょっとして……

 

「てめ……てめえ……まさか、聞いて……!?」

 

「うん。聞いてたけど」

 

 彼女は至極あっさりと頷く。つまり(くだん)の強くなりたい理由もしっかりと聞いていたらしく。

 ……かぁぁぁっ、と、怒りか、羞恥か、男の顔が再三真っ赤に染まる。

 

「あ、あの、体に障りますから、抑えて!」

 

「うるせぇ! バカにしたけりゃしろや!」

 

 なんとか落ち着かせようとするが、男は興奮しながらなぜかこちらを怒鳴りつける。ああもう、もはや誰に怒ってるのか……

 

「なんで? かわいい理由だなぁとは思ったけど、別にバカにする気はないよ?」

 

 男の動きがピタリと止まる。

 

「……う、嘘つけ。油断させてから、こき下ろすんだろ」

 

「しないってば」

 

 警戒する男の様子に、彼女が苦笑する。

 

「なにか始める動機なんて、人それぞれでしょ? いちいちからかったりしないよ」

 

 彼はなおもアレニエさんをジト目で見ていたが……しばらくして目を閉じ、長い息を吐いた。

 

「………どうも調子が狂うな、お前らは」

 

「あなたの周りにひねくれた人が多かっただけじゃない?」

 

「うるせぇ。……まあ、実際そうなのかもな」

 

 傷口が開かないかとハラハラしていたが、とりあえずは沈静化したようでホっとする。

 

「さてと。さっきも言ったけど、とりあえず全員縛ってきたし、そっち行こっか。歩ける?」

 

「ああ、問題ねえ」

 

 最後の問いは男に向けてだった。歩くのはまだ難しいかと思ったが、男はゆっくり体を起こし、少しふらつきながらも自力で立ち上がる。

 ちらりとその様子を確認すると、アレニエさんはそのまま先に歩いてゆく。あっ、と声を上げ、私はそれを慌てて追いかけた。

 

「すみません、あの人にかかりきりになってしまいましたけど、アレニエさんも傷を負ってましたよね。手当するので見せてください」

 

「え? あー……いいよ、わたしは。かすり傷だし。すぐに塞がるから」

 

「駄目です。傷口から穢れが入り込むこと(注:この世界での破傷風)もあるんですから。いいから見せてくださ――」

 

 彼女の顔に目を向けながらそこまで口にしたところで、気づく。

 

「――え……?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18節 消えた傷跡

 私はそこで言葉を失う。先刻の勝負で刻まれていたはずの頬の傷が、彼女の言葉通り塞がっていたからだ。処置するまでもなく血は止まっており、すでにその痕も薄っすらとしか残っていない。

 

「ほら、大丈夫でしょ」

 

「……そんな、はず……」

 

「昔から、人より傷の治り早いんだ」

 

 そう言うと、詮索を避けるためだろうか、彼女は足早に歩き去ってしまった。

 私は、呆然としたままその場に取り残される。

 

 アレニエさんが言うように、治癒力にも個人差はある。ある、けど……いくらなんでも、早すぎるのではないか。出血が治まったとしても、傷自体が塞がるにはまだしばらくかかるはずだ。

 と、ふと思い至る。

 

「(……もしかして……左手の篭手の、力? 傷を癒す魔具……?)」

 

 だとすれば、すでに傷が塞がっているのにも、一応の納得がいく。

 けれど、もしそうなら今度は、何故それを今みたいに隠すのかが、分からない。

 

 確かに珍しい効果ではあるし、アレニエさんのように単独で旅をするなら重宝するかもしれない。他者に狙われるおそれも否定はできないし、金品を見せびらかすような行為を避けているとも取れる。

 が、そもそも彼女のように個人で活動する冒険者自体が、ほとんどいない。

 

 多くの冒険者は、穢れへの対策に一人は神官を同行させる。浄化が使える神官は大抵治癒も修得している。

 怪我の治療を神官が(まかな)えるなら、傷を癒す魔具にあまり需要はない。需要がなければ値もつかない。欲しがるのは物好きな好事家ぐらいだろう。あんな風に隠す理由は――

 

「……ん? どうした、嬢ちゃん」

 

「……いえ、なんでもありません」

 

 そうして私が立ち尽くしている間に、ゆっくり歩を進めていた男が、こちらに追いついてきていた。怪我人を一人で歩かせていたのに気づき、胸中で反省する。

 気を取り直し、なにかあれば支えられるようにと、彼に歩調を合わせて隣を歩く。……私の体格では、支えきれずに潰されそうな気もするが。

 

 と、大男は急に、なにかに気づいたように声を上げ、こちらに首を向ける。

 

「俺は、ジャイールだ。嬢ちゃんは、なんてんだ? そういや、やり合う前にヴィドの野郎が呼んでた気もするが」

 

 ヴィドとは、おそらくフードの男の名だろう。

 

「え? あ、えと……リュイス、です。リュイス・フェルム」

 

 大男――ジャイールさんは、私の名前を聞くと満足げに頷く。

 

「仮にも命の恩人なのに、ちゃんと名前聞いてなかったと思ってよ。まあ、『嬢ちゃん』のほうが呼びやすいんだがな」

 

 そう言って笑うと、彼は再び前を向き、歩き出す。本当に、名前が知りたかっただけ、らしい。

 二人でしばし無言で足を運んでいたが――

 

「……なあ、嬢ちゃん。あいつは……なんだ?」

 

 先を行くアレニエさんの背を見ながら、ジャイールさんがふと口にした疑問は、あまりに漠然としていた。

 

「……? それは、どういう……?」

 

 質問の意図が分からず、言葉に詰まる。

 初めから答えを求めていたわけではないのか、彼はこちらの返答を待たずに言葉を続けた。

 

「嬢ちゃんには格好悪ぃとこしか見せてねえが、俺はこれでも腕には覚えがある。あの店の連中にも勝てる自信はあるし、〈剣帝〉を探し出せたら本気でやり合う気でいた」

 

〈剣の継承亭〉での話だろうか。……あれ、本気だったんだ。

 

「だがさっきの勝負……俺はあいつに、まるで歯が立たなかった。ある程度通じたのは始めのうちだけで、そいつにしたってほとんど見切られていた。後は嬢ちゃんが目にした通りだな。認めるのは(しゃく)(さわ)るが、完敗だ」

 

 彼が素直に敗北を認めていることに、少なからず驚く。昨夜の様子では、そういう性格には見えなかったから。

 

「俺は嬢ちゃんに、実戦を重ねなきゃ――命を懸けなきゃ、強くなれねえと言った。そいつで言えばあの女は……嬢ちゃんとそう変わらねえ歳で、あそこまでの腕を身につけるのに、どれだけ命を懸けてきたんだ?」

 

「…………」

 

 問いに沈黙しか返せなかったのは、私自身薄々疑問に思っていたからかもしれない。

 想像以上の異質な実力。あっという間に塞がった傷。私は彼女についてなにも知らない。

 続くジャイールさんの言葉が。これまでの彼女とのやり取りが。私の中で、疑問として膨らんでいった。

 

「あいつは、あのアレニエ・リエスって女は……一体何者なんだろうな」

 

 

  ***

 

 

「《……これを、第一の賜物として、テリオス、そしてアサナトよ。御身らに私は乞い願います。死を遠ざける双神よ。この身の治療を。……治癒の章、第一節。癒しの雫、ファーストエイド》」

 

 ジャイールさんに付き添いながら合流地点に到着する頃には、気絶していた男たちも全員目を覚ましていた。

 

 当然と言えば当然だが、アレニエさんは彼らの装備を(フードの男は魔具と思しき指輪も填めていたため、それも)取り上げ、拘束して一か所に集めただけであり、全員が大なり小なり傷を負ったままで放置されている。

 見過ごすこともできず、簡素ではあるが彼らの治療も施す(その間、アレニエさんは投げたダガーを回収していた)。

 

 縛られた男たちは、皆一様に意気消沈している。

 徒党を組んで襲ったのに女二人に返り討ち、というのはショックが大きかったのかもしれない。それに今後の処遇を考えれば、自ずと項垂(うなだ)れるのも頷ける。

 そんな中、フードの男だけが変わりなかった。

 

「やれやれ。まさかこれだけ人数を集めて全滅とはな。恐れ入る」

 

 叩きのめされ縛られているのに、どことなく上からな口調はそのまま、顔には皮肉気な笑みまで浮かべている。

 今までのは自身が優位だったがゆえの態度と思っていたが、おそらく普段からこうなのだろう。もう気にしないことにした。

 それに今は、別の気懸かりがある。

 

「それで、どうする? 我々を騎士団に引き渡すか?」

 

「……その前に、聞きたいことがあります。戦う前に言っていましたよね。『標的は二人』、と。あれは……どういう意味ですか?」

 

 彼は、「何をつまらないことを」と言いたげな態度を隠さず返答する。

 

「どうもなにも、言葉通りの意味だ、リュイス・フェルム。オレは君を捕縛、もしくは始末する依頼を受け、動いていた。本来は〈黒腕〉を討ち取ってから取り掛かるつもりだったが、幸か不幸か、君たちは行動を共にしていた。手間が省けたと思えば、結果はこの様だ」

 

「それは……あなたの依頼者が、私を名指しで狙った、ということですよね。でも、私は……」

 

「狙われる覚えがない、か? だがリュイス・フェルム。日常の些細なきっかけで恨みを抱く者も、実際に行動に移す輩も、残念ながら珍しくはないだろう」

 

 そんなことはない――とは言い切れない。実際多くの人は、ふとした拍子に悪魔の声を聞いてしまうのだから。けれど……

 

「……自慢ではありませんが、私は誰かに明確に恨みを買うほど、他人と交流がありません。普段、神殿を出ることはほとんどなく、その神殿内でも接する人間は限られています。誰かと会話すること自体が(まれ)で――」

 

 説明が進むごとに、何故か男たちは憐れむような気まずそうな表情を浮かべていくが、とりあえず無視して話を続ける。

 

「その(とぼ)しい接点の中で、私などに狙いを定めるような人物は、本当に限られています。……もしかして、私を狙うよう指示したのは――」

 

「――悪いが、これ以上は答えられん」

 

 男はこちらの言葉を遮り、はっきりと拒絶を示す。

 

「一応は雇われだからな。ただで依頼人の素性は明かせんよ。場合によっては、こちらの身が危うい」

 

 ……言われてみれば当然の返答だ。私だって、アレニエさんに機密を口外しないようお願いしている。

 それに、聞き出すことで彼らの命が脅かされるとしたら、これ以上無理に追及するのは――……

 

「それならさ」

 

 ダガーを回収し終え、静かにやり取りを見ていたアレニエさんが、唐突に口を開いた。

 

「あなたたち、わたしに雇われない?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19節 信仰の在り方①

「信仰の在り方」を①と②に分割しました(字数が多かったので)。


「……我々を雇う、だと?」

 

 アレニエさんの突然の提案に、私だけではなく男たちも驚いている。それはそうだ。さっきまでお互い命の取り合いをしていたのだから。

 

「〝ただ〟で情報提供するのがダメなら、〝ただ〟じゃなければいいでしょ? 情報料、というか依頼ってことにすれば、教えるのもありじゃない?」

 

 それは……あり、なんだろうか。倫理とか、規約とか。

 それに、依頼となれば必然、報酬も発生するわけで、今払えるお金というと……

 

「……いいんですか? それは、アレニエさんへの支度金で……」

 

「だって気になるでしょ?」

 

 ……はい。正直ものすごく。

 

「それに上手くすれば、犯人まで辿り着くかもしれないよ」

 

「フっ……見くびってもらっては困るな、〈黒腕〉。少々のはした金で動かされるとでも――」

 

「ちなみにこれが依頼料」

 

 彼女は言葉と共に、金貨を惜しげもなくフードの男の前にちらつかせた。ちなみに、金貨一枚で下層なら一年は楽に暮らせるそうな。

 

「――受けよう」

 

 えぇ……

 

「正直なところ、好感の持てん類の依頼人だったからな。神官のお嬢さんの肩を持つ、ちょうどいい言い訳になる」

 

 なる、かなぁ……?

 

 表情に疑問符を浮かべる私に、アレニエさんが補足する。

 

「冒険者なんて、危険を買って報酬を貰う仕事だからね。報酬さえちゃんと払えば、少しくらいの危険は買ってくれるよ。特に下層のは」

 

 冒険者って……

 いや、ちょっと引いてる場合じゃない。ともかくも情報を入手する好機なのだ。

 

「……本当に、いいんですね?」

 

 情報漏洩が身の危険に繋がるとも言っていたので、念のためもう一度確認しておく。

 

「ああ。どのみち依頼は失敗し、契約は終了だ。ならば新たな依頼を受けても構わんだろう。そもそも、先刻はああ言ったものの、実際は口外しない義理もない。向こうも下層の人間など、使い捨て程度にしか信用していないさ」

 

「……分かりました」

 

 まだ少し懸念は残るが、彼がいいと言うならその厚意に甘えることにしよう。先刻は遮られた問いを、今度は最後まで口にする。

 

「聞きたいのは、一つだけです。私を狙うよう依頼した人物は……総本山の、神官ではありませんでしたか?」

 

「リュイスちゃん、心当たりでもあるの?」

 

 問いかけるアレニエさんに、私は晴れない顔を向けつつ質問で返す。

 

「……アレニエさん。今回の任務で、司祭さまが動けない理由を覚えていますか?」

 

「え? ……目立つから?」

 

「いえ、その少し後の」

 

「少し後……えーと、毎日忙しいって言ってたね。司教の選挙も重なってるから仕事が山積みとかなんとかちょっと待って。……忙しいってもしかして、出る側として?」

 

 コクリと、首肯する。

 

「次の司教選挙の候補は、二人います。一人は、今言ったクラルテ司祭。もう一人は、〈六大家〉の一つ、アレイシア家出身の、ヴィオレ・アレイシアという――」

 

 

  ――――

 

 

 貴族の発祥は、初代勇者の供をした、三人の人間だと言われている。

 

 世界を救った英雄たちは人々から感謝と返礼で迎えられ、不自由なく暮らせるよう厚遇された。

 まだ人という種の数自体が少なかった時代。魔物と戦える戦士や、神の力を借り受けられる神官は、さらに貴重な存在だった。手厚い歓迎は、その血が途切れぬようにと守る意味(巡り巡っていざという時に守ってもらうため)もあったらしい。

 

 そうして守り継がれた貴重な血族は、いつしか高貴な血族に変わり、貴族と呼ばれるようになる。

 

 初代の供をした三人に、二代目の供をした三人を加えた、六つの家系。

 彼らは、アスタリアから特に強い権能を受け継いだ六柱の神々、〈六大神〉の名を冠した家名を与えられ、後に王家と共に国の中枢を担う〈六大家〉として成立する。

 その一つが、アレイシア家。ヴィオレ・アレイシア司祭の生家だ。

 

 

  ――――

 

 

「――今でこそ、貴族以外も総本山に所属できていますが、ヴィオレ司祭が支は……纏めている保守派は、『貴き神を(まつ)るのに相応しいのは貴き血の持ち主のみ』として、貴族以外の神官を全て排斥(はいせき)しようとしています。対立するのは他の――つまり市井(しせい)や他国出身の神官たち。『信仰に貴賤(きせん)は無い』とする改革派で、その代表として祭り上げられているのが、私の師でもあるクラルテ司祭です。というのも、彼女は平民出身ながら守護者に選ばれ、十年前の魔王討伐で使命を果たし、無事に帰還。その功績から貴族に封じられ、総本山に招かれた、現存する英雄の一人だからです」

 

 信仰する神に最上の供物を、という考えは、理解できなくもない。

 同時に、誰にでも自由に祈りを捧げる権利がある、というのも同様だ。少なくとも事実として、私みたいな孤児の祈りも神は聞き入れ、法術を授けて下さっている。

 

 どちらが正しいか、人の身では判断できない。その答えを知るのはアスタリアだけであり……当の彼女は、他の神々のようには、その声を届けて下さらない。

 と、そこでフードの男が珍しく大きな声を上げた。

 

「あの〈聖拳〉クラルテ・ウィスタリアか……! なるほど、君は彼女に師事していたのだな。奴の陥没した鎧に得心がいったよ」

 

 私が戦った斧槍使い、そのひしゃげた鎧を指して、男は納得したように頷いている。……なんだか、改めて指摘されるとちょっと……恥ずかしい……

 頬の熱を感じつつ、気を取り直して説明を続ける。

 

「……改革派は今言ったように、主に平民出身者で構成されていますが、一部の貴族もそれを支持しています。多くは、クラルテ司祭の名声や才覚、〝平民でありながら貴族でもある〟という特異な立場によるものですが……別の理由として、彼女が改革の主軸に『聖典の再解釈』を挙げていることが大きいと思われます。具体的には、寄進による善行蓄積の撤廃。生涯を通じての三徳の追及。『選別者の橋』の資格の改訂、等を――」

 

「「「……???」」」

 

 周囲の男たちが、頭に疑問符を浮かべ始めた。

 

「え、と……簡単に言えば、今までは寄進を納めれば地位も名誉も、それどころか死後の安寧さえも保証されていましたが、それを廃止して……今後は、純粋に善悪の量だけで資格を判別し、善行が上回れば誰でも『橋』を渡り切れる、という新しい取り決めに改訂する、と約束したんです」

 

「資格を廃止して、誰でも……?」

 

 にわかに、襲撃者たちがざわつき始める。

 

「な、なぁ……そいつはひょっとして……オレらみたいな下層の奴でも、『橋』を渡れる、ってことか……?」

 

「そうです。加えて、今までどれだけ寄進を納めていようと優れた血筋であろうと、悪行のほうが多ければ例外なくアスティマの元に引き落とされる、という一文がつきます。これは、信仰から離れていた人たちに死後の希望を、善行を怠っていた者には努力を促すためのもので――」

 

 初めはなんらかの期待を浮かべていた彼らの表情は、説明が進むごとに段々と沈んだものになっていく。……あれ?

 

「仮にそれが施行されたとして、悪行を重ねて生きてきた我々には縁遠い話だからな」

 

 フードの男の補足で、その理由を理解する。とはいえそれは、これからの努力次第でなんとかなる、と思うのは……私が世間知らずだから、だろうか。

 

「その、再解釈? っていうのが正しいかも分かんないし、あんまり気にしてもしょうがないと思うけどね」

 

 次に聞こえた声はアレニエさんだった。こちらは割り切りすぎだと思う。

 

「でさ、リュイスちゃん。さっき言ってた、一部の貴族っていうのは?」

 

「主に、金銭的に余裕のない層です。寄進額で善行を積み上げる今の取り決めでは、裕福な貴族しか資格を得られませんが……そこから弾き出された家も、少なくありませんでしたから」

 

 年々要求額が上がっている寄進による資格。六大家のような大貴族はともかく、血筋の末席に当たる家(しかも割合で言えばこちらのほうが遥かに多い)などは、その条件を満たせない例も増えている。

 

 クラルテ司祭の改革が成功すれば、そうした金品で閉ざされていたアスタリアへの道が、大きく開けることになる。彼女に希望を見出した人々は多く、さらにそれは、現教主さまも同様だった。

 

 最善の女神の神官でありながら、多くの者が徳ではなく金品ばかりを積み上げる現状を、以前から教主さまは憂えていたという。だからこそ、改革の助力と自身の後任を期待し、クラルテ司祭を招いたのだと。

 

 虚偽を嫌い、公正さを旨とする最高峰の神殿。その責任者が一方に肩入れしているなど公表できないため、あくまで陰からのわずかな支援に止まっているが。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20節 信仰の在り方②

「しかし……本気か? リュイス・フェルム。今さら教義の改訂など、可能なのか?」

 

 フードの男の問いはもっともなものだ。長い伝統から何かを変えるのはそれだけで難しい。

 

「もちろん簡単ではありませんが……神学研究者の間では、元々の教義に寄進の取り決めなど無かった、という主張もあるんです。当時の聖典は書物ではなく、それを記憶した神官が口頭で伝えていました。ですが過去に王都が戦火に晒された際、伝承する神官が幾人も犠牲になり、聖典が部分的に途絶えてしまったそうです。後世の神官が生き残った者から収集・編纂(へんさん)し、書物に残るよう努力を重ねましたが……」

 

「その際、欲深い何者かが悪魔の囁きを耳にし、自身に都合のいい一節を挿入した、か。なるほど、面白い説だ。それが正しいなら、歪められた教義を修正するという名目で、改革を推進できるわけか。なにしろアスタリア教徒は虚偽を嫌う。そしてそれを主導するのは、かの勇名高きクラルテ・ウィスタリア……。……リュイス・フェルム。いや、リュイス嬢。依頼者は、総本山の神官かと聞いたな?」

 

「……はい」

 

「君はつまり、君を狙った何者かは、(くだん)の保守派だと疑っているのだな。さらに言えば、中心にそのヴィオレという司祭がいると」

 

「……正直、そこまではっきりとしたものじゃないんです。けれど、改革の成功で最も打撃を受けるのは、対立候補で、貴族で、神官至上主義の……。それに彼女とは、クラルテ司祭を通して幾度か面識があります。平民嫌いで有名なあの方が記憶に留めているかは分かりませんが、私のことを認識していたとすれば……」

 

「顔も名前も知っていて、動機もある。少なくとも、リュイスちゃんが思いつくのはその人だけ、ってわけだね」

 

 沈んだ表情のまま、アレニエさんに頷く。

 

 現状のまま当日を迎え、真っ当に選挙に臨めば、おそらくクラルテ司祭が勝利する。それほどに彼女は、周囲からの支持を得ている。

 正面から覆すのはもはや難しい。それでもヴィオレ司祭が勝利を望むなら、これまで以上の無理を通すか、もしくは……

 

 とはいえ、今この時期にクラルテ司祭本人に何かあれば、真っ先に疑われるのは対立候補である彼女だろう。その手は使えない。そもそも、〈聖拳〉と(うた)われる英雄に刺客が通じるかも怪しい。

 

 ならば周りは? 見渡せば都合のいいことに、彼女の弟子を名乗る、未熟で、容易に始末できそうな平民がいる。……そう、私だ。

 

 クラルテ司祭に庇護され師事する私は、おそらく望むと望まざるとに関わらず、彼女に最も近い者と見られている。

 その私に不幸があれば、師である彼女も冷静ではいられなくなる。そう考え、私が神殿を離れたのを好機とみて、こんな依頼を画策したのかもしれない。

 

「対立候補の動揺を誘うための切り崩しか。苦し紛れだとしても下策だな」

 

「けどよ、いくら貴族が腐りきってたとしても、仮にも神官が、自分で穢れを生むような悪事に手を染めるもんか?」

 

 襲撃者の一人から疑問が投げかけられる。それは私自身気になっていた点でもあるし、できればそうあって欲しくはないけれど……

 

「この場合、自分の手で直接生み出さなければ罪じゃない、とか、帳消しになるくらい寄進を納めればいい、とでも思ってるんじゃない? それに下手すると、本人は悪事とすら思ってないかもしれないよ。自分は正しいことをしてるんだ、って。なにせ『上』の上の人間だからね」

 

 答えたのはアレニエさんだった。彼女の言葉にゾっとする。

 考え方に、ではない。むしろ貴族以外を過剰に見下すあそこの神官なら、実際にそうした考えで動いてもおかしくない。その可能性を、内心で否定できないことが、恐ろしい。

 

「そうだな。そのアレイシア家の司祭に関して、噂だけであればオレも聞いたことがある。今回の依頼に関与していても驚きはしないし、ここまでの話と合わせれば大方間違いないだろう」

 

「それじゃあ……」

 

「だが」

 

 結論を急ぐ私を一度押し止めてから、男は続きを口にする。

 

「実際にこちらに接触してきた依頼人は、中層の冒険者だった。そいつも今回の依頼を中継するためだけに雇われたらしく、君の名と容貌、そして依頼の概要程度しか知らされていなかった。それが件の司祭と繋がっているかまでは、正直なところ不明だ」

 

「……」

 

 私自身、ヴィオレ司祭が――仮に首謀者だとしても――直接赴いたとは思っておらず、指示を受けた神官からかと睨んでいたのだけど……私が思う程度の、簡単な話ではないらしい。

 

「……依頼の出処は、気にならなかったんですか?」

 

「気にならんと言えば嘘になるが、基本的に深追いはしない」

 

 ……どうして?

 

「というのも、我々が拠点にしているのは主に汚れ仕事を請け負う店でな。持ち込まれる依頼はそのほとんどが〝こういう〟ものばかりで、我々のほうも報酬さえ貰えれば詳細は問わない。そしてそれが必要とされるからこそ、絶えることなく存続し続けている。まあ、逆に言えばウチに持ち込まれた時点で、素性を隠したい〝誰か〟の差し金になるわけだが……それを探ろうとすれば、決して面白い結果は招かないのは、君でも想像はつくだろう」

 

「…………」

 

 噂で耳にした、『犯罪だと承知で斡旋する店』の実例が、彼らの拠点だったらしい。

 神官の身としてはその言い分に納得しかねるものもあるが、今は置いておこう。

 

 彼の話は推論の補強にはなったものの、根本の解決には至らない。私を狙う理由か、せめて依頼主だけでも聞き出せれば、と思っていたけど……

 

 ここまでの情報だけでも伝えれば、クラルテ司祭が対処してくださるだろうか?

 けれどこれはあくまで推測に過ぎず、確証がない。それに、今から総本山まで戻るような時間の余裕もない。これ以上出発が遅れれば、勇者さまのほうは本当に手遅れになるかもしれない……

 

「聞きたいことは、聞けた?」

 

 考え込む私を、気づけばアレニエさんが覗き込んでいた。

 結局、今の私にできることは思いつけそうにない。

 後ろ髪は引かれるが、これ以上こちらの事情で彼女に迷惑をかけたくなかった。

 

「……はい。ありがとうございました」

 

「それじゃあ、次はわたしの番だね」

 

「……次?」

 

「雇う、って言ったでしょ? 依頼料は今のリュイスちゃんへの情報提供と、これからしてもらう仕事の分を合わせて、だよ。金貨まで出したんだから」

「ほう。それで、我々になにをさせようというんだ?」

 

 アレニエさんはフードの男の問いに、一言だけ答える。

 

「勇者の旅の妨害」

 

 ………………

 ………………

 

「「「はぁっ!?」」」

 

 この一瞬だけ、アレニエさんを除くこの場の全員の気持ちが、奇跡的に一致した。




ファンタジーで宗教改革とかしたら面白いかなぁと思って書きました。説明くどかったらすみません・・・


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21節 アレニエの依頼①

「アレニエの依頼」を①と②に分割しました(ここも長かったので)。


「アレニエさん!? なに考えてるんですか!?」

 

 勇者の旅を妨害するなんて、そんなことをすればどれだけの罪に問われるか……!

 

「いや、妨害って言っても足止めくらいのつもりだよ? 急いでるのにこの人たちのせいで出発遅れたんだし、ちょっとくらい時間稼いでもらおうかと思って。あんまり遅れるとマズいでしょ?」

 

「それは……そうなんですが……」

 

 彼女の言い分も分からなくないが、さすがに方法が乱暴すぎる気が……

 そして当然ながら、男たちからも非難の声が上がる。

 

「ふざけんな!? できるかそんなこと!」

 

「よりにもよって勇者の旅を妨害しろだと!?」

 

「下手すりゃ極刑だぞ!」

 

 彼らの反駁(はんばく)はもっともだと思う。

 改めて言うが、勇者が魔王を討ち取れなければ、増え続ける魔物にいずれ世界中が呑み込まれてしまう。

 魔王討伐の旅は世界中の人々の希望であり、それを妨害するというのは極端な話、人類全体への背信行為と取られる可能性さえある。

 

「ふむ……意図を聞かせてもらえるか?」

 

 突拍子もない提案を冷静に問い質してきたのは、フードの男だった。

 アレニエさんはそれに一つ頷き、説明を始める。

 

「実は……勇者の命が狙われてる――……かもしれない、って情報があってね」

 

「――!?」

 

 アレニエさん、その話は……!

 焦る私に、彼女はわずかに目配せしてから説明を続ける。

 

「犯人は、勇者がやって来るのを待ち伏せして襲うつもりだとかなんとか。わたしたちは実際その現場に向かって真偽を確認、本当に犯人がいたら撃退。っていう依頼を受けて、現地に向かうところだったんだけど……」

 

 情報が真実だった場合の最悪は、もちろん勇者の死だ。

 それを阻止する依頼を受けた私たちが、勇者一行に先んじるため足早に王都を出立……した直後、目の前の彼らに襲撃され、足を止められた。

 だから責任を取れ。遅れをカバーするために今度は貴方たちが勇者の足止めをしろ。具体的には騒ぎを起こして注目を引け。要約すると、そういう話だった。

 

 待ち伏せしているのが魔族だと明かさないのは、「なにを根拠に?」、と追及されないためだろう。情報源を求められれば〈流視〉についても話さざるを得なくなる。一応、肝心な所はぼかしてくれている。

 それでも私はハラハラしながら成り行きを見守っていた。怪しまれて踏み込んだ質問をされた場合、どう答えれば――

 

「勇者の命を狙う者か。無い話ではないな」

 

 無い話ではないんですか。

 

「〈選定の儀〉の結果に不満を抱き、守護者、あるいは勇者本人に刺客を差し向ける貴族などもいるらしい。大方その類だろう。勇者は半ば政争の道具にされているそうだからな」

 

「多分そんなとこ。まあ、実際行って確かめてみないとなんだけど」

 

 当代の勇者が死した場合、神剣が次の使い手を選び出す……という話は、ごく少数ではあるが(もちろん少ないに越したことはないのだが)、記録に残されていた。

 

 ただしそれが見つかるまでの間、人々は神剣を欠いた状態で魔物の侵略に耐えなければならない。前回――と言っても数百年前だが――勇者を失った際には、先述の通りこの国の王都も戦火に飲まれ、生きた聖典である神官にまで犠牲が出ている。

 にもかかわらず、目先の欲望で自らの息のかかった勇者を擁立(ようりつ)しようとする者も、少なくないのだと。

 

「なるほど。急いでいるのはそういう訳か」

 

「そ。少なくとも、勇者よりは先に現場に行かなきゃいけないからね」

 

 特に怪しまれる様子もなく自然に受け答えするアレニエさん。なんですかその演技力。

 

「勇者の滞在場所付近で騒ぎを起こす……つまり、困っている民草を見過ごせないだろう良心を逆手にとるわけだな?」

 

「そうそう。誰かが困ってるって噂を聞けば、多分事態を解決するために動くと思うんだよね。〝善良な勇者さま〟なら」

 

 つまり、「助けなければ善良ではない」と言っているのだ、彼女らは(そしてそれは、最善の女神の剣としては由々しき評価になってしまう)。

 

「フっ……なかなか悪知恵が働くな」

 

「ふふ、あくまで依頼の、人助けのためだよ?」

 

「ほう、人助け。そうだな。ああ。なにも間違っていない」

 

「そうだよー。なんにもやましいことなんてないよ」

 

「クックック……」

 

「ふふふふ」

 

 ……あの、アレニエさん。演技、ですよね? なんだかいつもの笑顔にものすごい裏があるように見えてきたんですが……

 しかし今の説明だけでは納得がいかなかったのか、他の男たちはなおも彼女に不満をぶつける。

 

「そんなあやふやな情報だけで危ねぇ橋渡らせようってのか!?」

 

「そもそもどこから聞いた話だよ!」

 

「出処なんて知らないよ? わたしたち、依頼を受けただけだし」

 

「裏ぐらい取っとけ!」

 

 それ、私も貴方たちに対して思いましたが。

 とはいえ、発言自体は正論だと思う。確証もなしに危険を(おか)すのは難しい。確証があっても難しい。

 が……

 

「やってくれるならさっきの報酬に加えて、一人金貨一枚あげるよ。こっちは成功報酬ね」

 

「「「……!?」」」

 

 彼女が提示した追加の報酬額に、男たちの目の色が変わる。

 

「わたしたちが無事に依頼を達成できたら、あなたたちにも今言った金額を払うよ。あ、口止め料も込みってことで、よろしく。勇者が先に来ちゃった場合は、依頼は失敗ってことで、報酬は無しね」

 

「ほほう、内容の割には破格だな」

 

「前金だけでも結構貰ったからね。あと、それだけ急いでるって思ってくれていいよ」

 

 実際、捕まれば極刑の可能性もあるとはいえ、別に勇者自身を襲えというわけではない。騒ぎを起こして足止めできればいいのだし、その後は勇者が現れる前に逃げてしまえばいい。確かに、難度に比べれば報酬は破格だ。

 

「あー……」

 

「えーと……」

 

 途端に語調に迷いが生じる男たち。分かりやすいほど現金だ。

 

「ほ、本当に、足止めするだけでそんなに貰えるのか?」

 

「うん。まあ成功報酬に関しては、わたしたちが無事に帰れたら、だけどね。もし帰って来れなかったら、そっちは諦めてもらうしかないかな」

 

「「「…………」」」

 

 男たちは黙考している。報酬と、それに付随するリスクとの間で揺れているのだろう。

 

「よし、受けよう」

 

 真っ先に声を上げたのは、当初から興味を示していたフードの男だった。

 

「オレはどのみち受けるつもりだったのでな。そのうえ追加の報酬まであるなら、断る理由も特にない」

 

「俺もやるぜ。この怪我が治るまでは退屈だからな」

 

 続いて賛同の意を示したのはジャイールさんだった。これには私が堪らず抗議する。

 

「なに言ってるんですか! 激しく体を動かさないようにって言ったでしょう!」

 

「心配すんなよ嬢ちゃん。無理はしねえさ。仮に戦うことになっても、冒険出たてのひよっこの相手なんざ、激しい運動のうちに入らねえよ」

 

「戦い自体控えてください!」

 

 たしなめてはみたものの、それを素直に聞く気は欠片もなさそうだった。さっきは少し関心させられたけど、この人ただ戦うのが好きなだけなんじゃ……

 

 迷っていた他の面々にとって、彼らの言葉は渡りに船だ。

 結局、全員がアレニエさんの依頼を受諾し、縄を解かれて自由の身となる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22節 アレニエの依頼②

「……あの、アレニエさん。本当に、大丈夫なんでしょうか……?」

 

 声を潜めつつ、再度確認を取る。

 もし彼らが捕まって洗いざらい白状してしまえば、私たちも罪に問われてしまうのでは……

 いや、そもそも……実際に、言った通りに動いてくれるのだろうか。

 

 契約は神聖なもの。この世界の多くは人同士の、または共同体との契約・約束事で成り立っている。法や規則はもちろん、結婚、あるいは友情などもある種の契約であり、侵してはならない神聖なものだ。契約を司る神まで存在している。

 

 今回のような口約束であっても、約束は約束だ。破れば他者からの信用を失い、場合によっては社会での居場所も失う。行きつく先は下層のような訳ありの住処か。街を追われ穢れた骸を晒すか。

 

 とはいえ、罰などなんら構わず破る人々もまた存在するし、下層の住人は特にそうした噂に事欠かない。彼らは既に社会を追われた身であり、現状の取り決めでは死後の希望すら抱けないのだから。

 

「多分、大丈夫だよ。依頼って形にしておけば、その分はちゃんと働いてくれる。他に行く当てがない下層の冒険者にとっては、引き受けた依頼をこなすのが最後の一線だからね。それに、騎士団に引き渡すような暇、わたしたちにはないんじゃない? ここから街に戻ってまた出発するって、結構時間かかるよ?」

 

 ……言われてみれば、捕縛には成功したものの、その後をなにも考えていなかったことに、今さら気が付く。

 

「随分簡単に解放するものだな。我々が報復する可能性は考えなかったのか?」

 

 縄の(あと)の残る腕をさすり、返却された指輪を填めながら、フードの男が呟く。……そういえばその可能性もあった。

 

「考えないでもなかったけど、その怪我ですぐには襲ってこないと思って。それに………………――――――もう、同じことはしない……でしょ?」

 

 彼女の笑顔と声音に、男たちが背筋を震わせる。しっかりと釘は刺していた。

 

「フっ、そうだな。君たちを敵に回すリスクはこの身で思い知った。なにより前金とはいえ報酬を受け取ったからな。その分は働くさ」

 

 他の男たちも後ろのほうでコクコク頷いている。約束を違えた際の報復を想像したのかもしれない。加えて発揮されたのは彼女が言った通り、冒険者の矜持(きょうじ)、だろうか。

 

「なあ、そういや肝心の勇者は今どこにいんだ?」

 

「知らないけど」

 

「なんでだよ!? てめぇが依頼したんだろ!?」

 

「さっき思いついたのに居場所知ってるわけないでしょ? 道々噂拾って自分たちで探してね」

 

「情報料の払いは?」

 

「さっきの金貨から」

 

「てめ」

 

 口々に文句は言うものの、存外彼らもやる気になっているようだ。この分なら、心配ないだろうか?

 

「あっ、と、そうだ」

 

 不意に、アレニエさんがなにかを思い出したように声を上げる。

 

「誰か一人には、ちょっとうちに行ってきてほしいんだけど。えーと……そこの盗賊っぽいあなた」

 

「……俺のことか?」

 

 私が戦った盗賊風の男を指すアレニエさん。うちというのは、〈剣の継承亭〉のことだろう。

 

「うちのとーさんに、事情説明してきてくれないかな。とーさんに言えば、多分あの司祭さんにも伝わるから」

 

 そうか、マスターと司祭さまに繋がりがあるなら、間接的に事態を知らせることができる。情報が伝われば、後は司祭さまが対処してくださるかもしれない。

 

「……俺たち、お前らを襲ってた張本人なんだが……説明しに行ったら、その場でお縄じゃねえか?」

 

「わたしがあなたたちに襲われたのはわたしの責任。それに失敗してこういう状況になったのはあなたたちの責任。責任はちゃんと取ってね」

 

「結局捕まるのかよ」

 

「まあ、上手くぼかして説明してみて。バレたとしても、多分、騎士団に突き出されるよりはマシな扱いだと思うよ。それに、伝えた情報で首尾よく首謀者が捕まれば、あなたたちもこの先安心でしょ?」

 

「それは……まぁ、そうか」

 

 次いで彼女は、懐から使い込まれた短剣を取り出し、男に手渡す。

 

「これ持ってって。これを見せれば多分わたしからだって分かるし、話聞いてくれるから」

 

「ああ。分かった」

 

「ちなみに大切なものだから失くしたりしたら絶対に絶対にユルサナイから気をつけてね?」

 

「分かったよおっかねーな!」

 

 そうして、襲撃者たちのうち七人は勇者の足止めに、一人は王都下層へと、それぞれ旅立ったのだった。

 

 

  ***

 

 

 私たちは、彼らが乗っていた馬を〝譲り受けて〟次の街までの道のりを急いでいた。

 当たり前だが、馬の足は徒歩に比べれば段違いに速い。これなら、目的地まで思った以上に早く着けるかもしれない。

 

 雲もまばらな陽の光の下を、馬上で風を受けながら疾走する。

 しかし穏やかな天候とは裏腹に、私の胸の内は暗い雲に覆われていた。

 

 彼らと別れ、落ち着いて冷静になると、今さらのように、自身が明確に命を狙われていたという恐怖が湧き上がってくる。

 街の外に出る危険性も、生きて帰れない可能性も、理解しているつもりだった。

 けれど、『命を落とすかもしれない』のと、『命を狙われる』のとでは、意味するところが全く違う。

 

 しかもそれは――推測ではあるけれど――、私と同じ人間が。善を為し、悪を否定するべき神官が、画策した可能性が高い。

 つい先刻の実戦で味わった、眼前に迫りくる死とは全く違う。地の底から立ち昇る冷たい悪意が、静かに臓腑に触れてくるような心地。それが、胸の内から消えてくれない。

 

「…………」

 

「――スちゃん。リュイスちゃん」

 

「っ――。あ……」

 

 並走するアレニエさんの呼びかけで、正気に返る。彼女は併走しながら、こちらを窺うように視線を向けていた。

 

「大丈夫? あとから怖さが来ちゃった?」

 

 ……どうして分かったんだろう。ひょっとして表情に出やすいのだろうか、私。

 

「そう、みたいです……なにしろ、色んなことが初めてでしたから……」

 

 あまり心配をかけたくなくて笑顔で繕うも、結局は力ないものにしかならなかった。手綱を握る手も、かすかに震えている。

 

「無理ないよ。命を狙われる経験なんてそうそうあるもんじゃないし。普通に暮らしてれば、慣れる必要もないものだしね」

 

 彼女の言う通りだ。人が人を謀り殺すなど本来あるべきではないし、この恐ろしさに慣れるなんて想像もできない。

 ……けれど、そうだ。彼女だって、同じように命を狙われていたのだ。私ばかりが不安がっていられない。

 標的にされたと怯えるだけの私でも、人のためなら――彼女のためと思えば、耐えられる。

 

「まあ、とーさんに事情伝えたから、そんなに心配しなくてもいいと思うよ。帰る頃には、犯人見つけて捕まえてるかも」

 

 彼女は言いながら柔らかく微笑む。それはここまで感じていた恐怖を、わずかではあれど和らげてくれるような、そんな笑顔だった。

 

「ほら、まずは次の街まで急がないと。ね」

 

「……はい!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間2 ある盗賊の受難

 下層へトンボ返りした俺は、まずは借りた馬を馬屋に返した(無事に生かして返却したので賃料だけで済んだ)。

 そしてあまり人目は引かないよう静かに、しかし急ぎ足で、〈剣の継承亭〉へ真っ直ぐ向かう。

 

〈黒腕〉を尾行した際に場所は突き止めていた(そもそもいろんな意味で有名だったが)ため、迷うことはなかった。店まで辿り着き、多少乱暴に扉を開けると、来客を告げる鐘が大きく鳴り響く。

 

 まだ夕刻前なのもあり、客の入りはまばらだった。幾人か入り口に目を向けるのもいたが、構わず正面のカウンターに向かい、そこに立つ店主と思しき男に声を掛ける。

 

「あんたが、ここのマスターか」

 

「ああ」

 

「あんたに話がある。俺は――」

 

 以前あんたの娘に痛い目に合わされたので報復しようとしたが返り討ちに遭った男だ――とは言い辛いので、通りすがりに言伝(ことづて)を頼まれた冒険者という体で話を切り出そうと、懐から例の短剣を――

 

「……なあ、お前、今朝アレニエと神官の嬢ちゃんを付け回してたっていう北地区のヤツじゃねえか?」

 

「(――!?)」

 

 しかしカウンター席に座っていた一人、剣士風の男(この時間から既に杯を片手にしていた)が話を遮り、こちらに問うてくる。

 

「あぁ、確かに聞いていた風貌に似ておるな。少なくともここいらでは見ない顔だ」

 

「わざわざ尾行していた相手の家に足を踏み入れるとは、どういうつもりですか?」

 

 腰に剣を提げたドワーフの男(髭のせいで年齢は分からない)と、手足に防具を填めたエルフの女(こっちはもっと分からない)が、各々静かに退路を塞ぐように近づいてくる。

 周りの客も席を立ちこそしないものの、抜け目なくこちらに視線を寄越していた。俺が不審な動きをすればすぐにでも反応してくるのだろう。

 

「……」

 

 目の前の店主はなにも言わない。睨みつけてくるわけでもない。

 しかし全身から(ほとばし)る異様な威圧感が、こちらを(こころよ)く歓迎はしていないことを、雄弁に物語っていた。

 

「(……なにが『上手くぼかして』だ……もうバレっバレじゃねーか!)」

 

 下手な嘘は逆効果と即座に悟り(そしてこの空気に耐えられなくなり)、俺は例の短剣をやけくそ気味にカウンターに叩きつけた。

 

「……あんたの娘からこいつを預かってきた! 話を聞いてくれ……!」

 

 それが、功を奏したのだろう。

 ひとまず周囲からの追及は止まり、こちらの処遇は先延ばしにされた。

 俺は全てを正直に打ち明けた。結局、「以前痛い目に合わされたので報復しようとしたが返り討ちに遭った」のも話さざるを得なかった。

 

「……それは済まなかったな」

 

 意外にも、過去の件については謝罪されてしまった。

 

「だが、今の話は捨ておけん」

 

 だよな。

 再び発される威圧感と共に、店主は周囲の客に呼び掛けていく。

 

「ロイファー。依頼に来た冒険者の特定と、その後の足取りを調べてくれ。通行証はこちらで用意する」

 

 テーブル席に座っていた男(俺と似たような風体なので同業者かもしれない)が返事をしながら立ち上がる。

 

「あいよ。マスターからの依頼ってことでいいんだな?」

 

「ああ。時間が惜しい。報酬の相談は後でする」

 

「了解」

 

 次いでマスターは、先刻俺に詰め寄ってきたドワーフとエルフに顔を向ける。

 

「ライセン。フェリーレ。報復に備えて周囲の警戒を頼む。何もなければそれでいい」

 

「おう」「分かりました」

 

「それから――……」

 

 店主は手際よく店の客連中に指示を出していく。

 受けた指示に多少面倒そうに返す者もいるが、誰も否とは言わない。夕暮れの食事時に弛緩(しかん)していた店内の空気が、活気づいていく。

 

「(うちとは随分違うな……)」

 

 それをかすかに眩しく感じるのは、あの世間知らずな神官の嬢ちゃんに当てられたせいかもしれない――

 そこで、はたと気づく。と同時に、そろりと背を向ける。――この隙に、逃げられるんじゃないか?

 

「……それじゃ、俺はこれで……」

 

 ガっ

 

 しかし案の定見逃してはもらえず、マスターにカウンター越しに肩を掴まれ、動きを止められる。

 握り潰されそうな握力に加え、腕一本でこちらの重心を巧みに狂わされ、その場から抜け出すことも叶わない。

 

「――お前にも手伝ってもらう。まずはロイファーと共に〈赤錆びた短剣亭〉での聞き込みだ」

 

 口調は平坦だが、そこには有無を言わせぬ圧力と、言外に聞こえる声があった。――『娘に手を出した輩をただでは帰さん』。

 それを背後に聞きながら俺は、罪人として騎士団に突き出されるのと、このままここでこき使われるのとでは、どちらがマシなのか。しばし真剣に悩んだ。

 

 ……親子揃っておっかねーな。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間3 ある露天商の残業

「んん~~~」

 

 夕焼けが空の色を塗り替えたあたりで、凝った体を(ほぐ)すために立ち上がって伸びをする。

 半日近く座った状態で店を開いていたため、疲労が腰や背中に集中していた。それを全身に拡散させるように体を反らし、一息つく。

 

 相応に疲れはしたが、おかげで売り上げは悪くなかった。

 アレニエが使うのに丁度いいと仕入れた商品を早速本人に売りつけられたし、総本山の神官(というにはかなりの変わり者だったが)までオマケでついてきた。思わぬ収穫だ。

 

「(リュイス、って言ったっけ、あの神官の姉ちゃん。……無事かな)」

 

 同業者や客との交流だけでも、自然と情報は集まってくる。

 今日は朝から、北地区から来た連中がここらをうろついている、と、ちらちら耳に入ってきていた。

 当の本人たちは客に紛れていたつもりだろうが、普段見ない顔が早朝から出歩いていればそれだけで目立つ(だからあの姉ちゃんが立ち去った後も噂になっていた)。

 

 しかも連中は、この辺りで宿を取っていたわけでもなく、今朝になってよその地区からわざわざここに足を運び、客の振りをしつつ誰かを尾けていた。

 そしてそいつらが、アレニエたちの後を追うように王都を出た、とも。(うち一人は先刻帰って来たらしいが)

 

「(どうせまた、どこかで揉め事でも拾ってきたんだろうけどな)」

 

 アレニエの心配は特にしていない。あいつなら、大抵の相手はどうとでもなる。

 しかし同行している姉ちゃんはそうもいかないだろう。こういう方面にはいかにも無縁そうだった。

 

「(……まあ、ここであたしが気に病んでもしょうがないか)」

 

 思案を切り上げ、そろそろ店じまいの支度を――

 そう考えたところで、通りの向こうから見知った顔が近づいてくるのに気がついた。

 

「よう、旦那。久しぶり」

 

「ユティル。いたか」

 

 挨拶(?)と共に現れたのは、〈剣の継承亭〉の店主であるオルフランの旦那だった。

 うちの親父とは同じ孤児院出身の仲らしく、その縁であたし自身も幼い頃から世話になっていた。

 あたしと同じく商人である親父(風来坊なあたしと違い、王都中層に腰を落ち着けているが)は、旦那に大きな借りがあるとかで、〈剣の継承亭〉を構える際にはいろいろ融通していたらしい。

 

 しかし、「いたか」ってのは……あたしを、探してたってことか?

 それに宿は、そろそろ夕餉(ゆうげ)を目当てにした客が集まってくる時間帯だ。店主がのん気に買い出しに出てる暇はないはず。

 

「(――つまり、それだけ急ぎの要件ってことか)」

 

 こういうのは今日が初めてってわけじゃない。

 腕利きが揃うと評判の〈剣の継承亭〉には、秘匿(ひとく)性の高い依頼もしばしば持ち込まれる。『上』からのものは、特にその傾向が強い。

 その際、関係者に物や情報を届ける必要が出ることもある。あたしはその繋ぎ役だ。今回もその類だろうと胸中で察しをつけ、素知らぬ顔で応対する。

 

「買い出しかい?」

 

「ああ」

 

 返答と共にその場で屈むと、旦那は露店に並べた品に目を向ける。その中には、塩を用いた魚醤などもあった。

 

 アスティマによって穢された海水を火によって浄化する――つまり沸騰させることで精製される塩(塩田や塩井(えんせい)のほうが効率的ではあるが)は、食材の調味に使える他、その腐敗を抑える働きまである。

 人類はそうして、物質的に損なわれた創造物にも創意工夫で適応してきた。アスタリア教徒の好きな不断の努力ってやつだ。話が逸れた。

 

 旦那は並べた品物をいくつか手に取っては、すぐにまた戻していく。その様子は普通の客と比べ、あまり商品を吟味しているようには見えない。多分、周囲を気にしての偽装だ。

 普段から慎重なのを差し引いても警戒しすぎな気がするが、それだけ面倒な依頼という裏返しかもしれない。旦那が意識しているかは分からないが、これもまた不断の努力というやつだろう。

 

「これを貰う」

 

 並んだ瓶からいくつかを選ぶと、彼は懐から硬貨の詰まった小さな布袋を取り出し、あたしの手のひらに無造作に乗せた。

 

「毎度」

 

 受け取った袋の底からは、円形の硬貨とは違う、薄く、四角いなにかの感触があった。おそらく紙製のもの。手触りからすると、小型の封筒……手紙かなにかか。

 

「ビアンによろしく言っておいてくれ」

 

 ビアンは、親父の名だ。

 

「ああ、伝えとくよ」

 

 あたしの返事を聞くや、旦那は来た時と同じく淡々と立ち去ってしまう。

 いつもなら、「また来る」とか、そんな一言だけで済ます人だ。わざわざ親父の名を出してよろしく言えってのは……やっぱり、そういうことだよな。

 

「(さて……もう一仕事だ)」

 

 手早く露店を畳み、荷物をまとめたあたしは、すっかりと長く伸びた自分の影と共に、中層に続く門へと足を向けた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23節 火を灯す①

「火を灯す」を①と②に分割しました。


 日が完全に落ちる前に馬を降り、私たちは野営の準備を始めた。

 ここまでは天候に恵まれたが、夜間には崩れるかもしれない。雨除けになりそうな場所を、早めに仮宿として確保しておきたかった。

 

 当初の予定では、今頃は途中の宿場町に着けていたはずだったが、昼間の襲撃があったため中途半端な距離しか進めなかった。今夜はここで野宿し、明日一気にその先の街、クランまで進む方針だ。

 

 傍に小さな川が流れる街道沿い。林立する樹々の中から目についた一本を選び、その下に荷物を置き、馬を繋いだ。

 屋外で過ごす夜は、思った以上に体温を奪う。暖を取るため、二人で手分けして枯れ枝を集め、火を(おこ)す準備をする。

 魔術が使えれば手早かったのかもしれない、と、魔術を使えない私はふと思う。

 

 

  ――――

 

 

 神官は、魔術に関わることを禁じられている。

 魔術は、とある人間が魔族からその秘奥を盗み出したのが始まりだと伝えられている。つまり、元々は魔族の技術だ。

 であれば当然、最善の女神の信仰者には考えられない行為になる。敵対する邪神の被造物、忌まわしく穢れた魔族の力に触れるなど。

 また、祈りと共に神へ捧げるべき魔力を私的に(もてあそ)んでいる(少なくとも神殿はそう見做している)のも、禁じられた要因とされる。

 

 だから今のような思いつき自体、神官としては許されないことなのだろう。私の法術が三節で止まっているのは、このあたりが原因かもしれない。

 ある程度魔術が普及(習得のための勉学、そのさらに前提として読み書きが必須ではあるが)している現状で、今でもここまで毛嫌いしているのは神殿ぐらいではあるのだが。

 

 ……法術の炎、ですか?

《火の章》の炎は基本的に穢れだけを燃やすものなので、日常で使う場面はあまりないんです。そもそも使えたとしても、神の炎を些事(さじ)に用いるのは抵抗がありますが。

 

 

  ――――

 

 

 アレニエさんも、魔術を使う様子はない。

 そういえばユティルさんは、彼女を〝持ってない〟と評していた。魔具の説明の際の発言だし、魔力を、という意味で間違いないだろう。

 実際こうして傍にいても、私の魔覚は彼女のそれを感じない。辺りを空気のように漂う淡い自然の魔力は感じるのに。

 

 魔力の許容量には個人差がある。身長や筋肉と同じく、体質のようなものだ。

 生まれつき莫大な魔力を保有できる人もいれば、生涯わずかにしか蓄えられない人もいる。成育や訓練で容量が増える人もいれば、努力を重ねてもあまり伸びない人もいる。全くない、という人は珍しいが。

 

 当のアレニエさんは、集めた枯れ枝の前で、荷物の火口箱(ほくちばこ)から火口(おそらく余り布の消し炭)を取り出していた。

 それに火打石等で引火させれば火種になるのだけど……彼女はなぜか火口を足元に置いた後、その場で立ち上がる。

 

「ほっ、と」

 

 (いぶか)しげに見る私の前で、彼女は軽く片足を上げ、もう片方の足元に擦りつけるように前後に振り抜く。左右のブーツがカシンっ、と硬質な摩擦音を鳴らし、火花が散った。

 再びしゃがみこんだアレニエさんは、今ので引火したらしい足元の火口に息を吹きかけ火種にし、枯れ木に燃え移らせる。燃え広がった火種は、やがて立派な焚き火になった。

 

「……」

 

「ん? ああ、これ? ブーツの側面に、火打石と火打金を仕込んでるんだよ」

 

 呆気に取られていた私に彼女は、「これもユティルから買ったんだけどね」と補足しながら説明する。

 火打石って、手に持ったのを打ち合わせるものだと思っていたけど。

 

「……冒険者の方って、みんなそういう道具を使ってるんですか?」

 

「こんなの使ってるのはわたしくらいだと思うよ。普通に点けるのと、労力もそんなに変わらないし」

 

「……なんで使ってるんですか?」

 

「面白そうだったから」

 

 あっさり告げるアレニエさん。

 

「それに、これはこれで便利なんだよ。火花が顔にかかることもないしね」

 

 目に火花が入れば最悪失明する、と耳にしたこともあるので、なるほどと思う。なにより納得したのは、「面白そう」の一言だったが。

 

「まぁまぁ、そんな話はさておいて。とりあえず食べようよ」

 

 言いながら彼女が荷物から取り出したのは、塩漬け肉とチーズ、刻んだ野菜などを、切り込みを入れたパンに挟んだもの。出発する前、〈剣の継承亭〉のマスターから受け取っていた餞別(せんべつ)だった。

 

「はい。リュイスちゃんの分」

 

「あっ、ありがとうございます」

 

 手渡されたそれを受け取り、二人で夕食を取る。その前に。

 

「《……〈心に従う者〉エウセベイアを私は自ら選びます。アスタリアより豊穣を受け継ぎし彼女は大地の保護者。天則を通し食物を生育する敬虔な牧養者。彼女が育む日々の食事に感謝し、……》」

 

 両手を組み合わせ、目を閉じ、眼前で揺れる炎に向かって私は祈りを捧げ始めた。

 

 

  ――――

 

 

 主神であるアスタリアは、太陽や月を含む星々の全てを司っている。

 聖典によれば、私たちが暮らすこの大地も、無数に存在する星のうちの一つなのだという(にわかには信じがたいが)。

 だから彼女は、神代の言葉で『星』の名を冠する女神であり、光をもたらす太陽神であり、豊穣を司る地母神でもある。

 

 その権能は砕けた体と共に新たな神々に受け継がれ、最後に残されたのが前述の星々だとされる(だから流星――『星が落ちる』ことは凶兆と見做される)が、力の多くを失った今でも、それら被造物はアスタリアと繋がっている。

 その一つが火。七つの創造物の最後の一つ。

 

 火は()。天に浮かぶ太陽の炎は、この世で最大の火でもある。暗闇を照らし出す星の光。魔を払う浄化の炎。

 火を灯すことは地上に星を顕現(けんげん)させることであり、その創造者である女神と人とを繋ぎ合わせる儀礼行為となる。

 

 私たちは火を通じて神と繋がり、心に信仰の篝火(かがりび)を宿し、証として法術を授かる。

 神殿では神への感謝を忘れぬよう、蝋燭の明かりに、あるいは(かまど)に灯した炎に向かって祈るのが習慣だった。

 

 

  ――――

 

 

 祈りを終え、顔を上げると、こちらをじっと見ていたアレニエさんと目が合う。

 しまった。彼女を放って一人で祈りに集中してしま――……もしかして、終わるまで待っていてくれたのだろうか。……ますます申し訳ない。

 

「すみません、お待たせして――」

 

「――《私は善く考え、善き舌を持ち、善い行いを示す事を自ら誓う》……だっけ?」

 

 彼女の口から突然発されたそれに、しばし目を瞬かせる。しかしなにか返答しなければと私も口を開き、反射的に祈りの続きを接ぐ。

 

「……《全ての神のうちで最善であり、この先もそうである、アスタリアの礼拝者である事を此処に誓う》……」

 

 私たちが口にしたのは、アスタリアへの信仰告白。最も基本の教義である善思、善語、善行の三徳(対立するのが、悪思、悪語、悪行になる)と、女神への信仰を誓う、最初の祈りだった。

 

 教義は広く知れ渡り、多くの国、多くの人の行動規範になっている。

 しかし貴族や資産家しか『橋』を渡れないとされる今の取り決めでは、貧しい人々を中心に心が離れているのが現状でもあった。下層は特に、その傾向が顕著(けんちょ)だとも。

 

 彼女がその告白を正確に知っていたのは、だから正直に言えば意外だった。神殿にあまりいい印象を抱いていないようにも見えたので、なおさら。

 

「……もしかして、神殿に通われているんですか?」

 

 下層にも神殿はあるし、教義はもちろん、読み書きを教えてもらうこともできるらしいけれど……

 

「ううん、わたしは全然。とーさんがよく祈ってるから覚えてただけで」

 

「お父さん……お店の、マスターが?」

 

「昔住んでた孤児院が神殿系列で、毎日祈ってたから、習慣が今でも抜けないんだって」

 

 神殿系列の孤児院……そういえば彼は、私を「シスター」と呼んでいた。信徒が同胞に向ける呼び方の一つだ。

 アレニエさんが教義を口にしたのは、祈る私の姿にマスターの面影を見て、だろうか。

 いや、そこも気になるのだけど、それより……

 

「マスターも、孤児だったんですね……」

 

「言ってなかったっけ」

 

 頷く。が、今思えば得心がいく。

〈剣の継承亭〉を初めて訪れた際は、緊張(と恐怖)で気にする余裕もなかったが……

 オルフラン・オルディネール――『ありふれた孤児』。

 その名が、身の上を表していたのだろう。

 と――

 

「……孤児院……〈ウィスタリア孤児院〉?」

 

 不意に脳裏に浮かんだ名を、私はそのまま口からこぼした。

 

「あれ、よく知ってるね。……って、そっか。あの人も、同じとこに住んでたんだっけ」

 

「はい。孤児院を卒業する際にウィスタリアの姓を頂いたのだと、以前話してくれたことがありました。……だからお二人は、知り合いだったんですね」

 

 司祭さまが私に目をかけてくださるのは、そのあたりも理由なのかもしれない――

 

「ん―……」

 

 耳に聞こえた呻くような声に、ふとアレニエさんを見る。彼女はなぜか、難しい顔で眉根を寄せていた。

 

「え、と……どうか、しましたか?」

 

「なんかこう、不意打ち喰らった気分」

 

「?」

 

 意味が分からず戸惑うが、彼女自身もどことなく戸惑っているように見える。

 なにか、一言では言い表しがたい感情が、彼女には珍しく顔に滲み出ているようなのだけど、それはどちらかというと……

 

 ……薄々感じていたが、アレニエさんと司祭さまも旧知の仲ではあるものの……あまり、仲は良くない?

 こちらの視線に気づいたのか、彼女は少しだけバツが悪そうに苦笑した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24節 火を灯す②

「思ったより話し込んじゃったね。ほら、食べよ食べよ。朝はバタバタしててゆっくり食べられなかったし」

 

「そう、ですね」

 

 話を打ち切り、手にした食事を頬張る彼女に続いて、私も同じものに口をつけた。

 

「……!」

 

 塩漬け肉とチーズの旨味に、一緒に入れられた野菜とそれらを包むパン(総本山で出されるものに比べたらかなり固くはあったが)が、単体だと主張の強い具材の味を和らげてくれる。

 気づけば夢中で食べ進める私を、アレニエさんが少し嬉しそうに覗き込んでいた。

 

「美味しい?」

 

「(こくこく)」

 

 口いっぱいに頬張ったせいでそれ以上口を開けなかったが、首を上下に振ってなんとか気持ちを表す。お世辞でもなんでもなく、本当に美味しい。

 

 それに……なんだろう。ホっとする、と言えばいいんだろうか。口に運ぶ度に、胸の内から温かさが広がっていくような、そんな感覚さえ覚える。

 

 屋外に野晒しで、彼女と私しかいない、傍から見れば寂しくも見える食事の場。

 なのに今の私は、これまでのどんな食卓よりも、安らいだ心地を感じている。

 

「そっか、良かった。『上』で暮らしてたら、もっといいもの毎日食べてるだろうから、口に合うかちょっと心配だったけど」

 

 それまで活発に動いていた口が、ピタリと止まる。パンを持つ手が、途端に重くなる。

 

「……そう、ですよね。本当なら、美味しいはず、なんですよね……」

 

「?」

 

 口を開くべきか、わずかに迷う。

 しかしここで黙り込んでしまえば、せっかくの食事も先ほどまでのように味わえないだろうことは、私にも想像がついた。だから言葉を手繰り寄せ、絞り出す。

 

「……その……急に、変なことを聞きますけど……アレニエさんは、総本山に所属する条件を、ご存じですか?」

 

「へ? まぁ、一応、人並みには知ってるけど……えぇと。まず、貴族なら簡単になれるんだよね。元々神官は貴族しかなれなかったから」

 

 コクリと、頷く。

 

「それから、神官として、優れた実績を示すこと。確かこっちは、平民でも総本山に所属できるように、って後から追加されたやつだね」

 

「はい……。……それらの条件を、私が満たしているのかどうか。アレニエさんは、疑問に思うことはありませんでしたか?」

 

「あ、うん。最初会った時にちょっと思ったけど」

 

 率直な人だなぁ。

 苦笑と自嘲を顔に浮かべつつ、私はぽつぽつと口を開く。

 

「……以前話したように私も孤児で、総本山にいるのも、引き取ってくださった司祭さまに連れられてのことです。彼女の養子だとは公表せず、あくまで師弟として。そして、傍仕えとして、ですが」

 

「傍仕え?」

 

「主に貴族出身者に向けた制度です。一人では着替えもできない、という方も珍しくないらしくて……」

 

「……よく分かんない世界だなぁ」

 

「正直に言えば、私も」

 

 彼女の言葉に思わず同意してしまい、苦笑が漏れる。

 

「その意味ではクラルテ司祭にも、本来は必要なかったのですが……私を同行させるには、都合のいい制度だったんです。司祭さまとしても、私から目を離すのは不安だったらしくて……ただ……」

 

「ただ?」

 

「本当なら、傍仕えとして所属するのにも、先ほどの条件を満たさなければいけないんです。でも……私は特例として、そのどちらも満たさずに、入り込んでしまった……他の人たち――正規の道筋で所属している神官にとってみれば、それは……」

 

 厳粛な空気に包まれた広い食堂に、同じ聖服を身につけた神官たちが整然と着席する。

 食卓に並ぶのは華美になりすぎない程度の、けれど一般の神殿に比べれば遥かに豪華な料理の数々。

 本来なら私が口にできるはずのなかった、最上級の食事。それを……私は黙々と口に運び、流し込み、できる限り手早く終えようと、苦心する。

 

 食事の間中感じるのは、周囲からの侮蔑や疑念の視線。耳には届かないはずの言葉たち。

 継がれた血筋も資産も持たない。優れた資質も実績も示せない。それなのに、どうして貴女はここに、世界で最も貴き神殿に、今ものうのうと留まっている――?

 

「……周りの人たちのそれ、教義で言う悪思とか悪語ってやつじゃないの?」

 

 彼女の言葉に私は曖昧に笑い、話を続ける。

 

「……正直、味もよく分かりませんでした。何を食べても、食べた気がしない……私にとって日々の食事は、ただ生きるために栄養を流し込む作業で……。……でも、今は。このパンの味は――」

 

 旅に対する不安は少なくなかったが、普段の環境から抜け出す好機でもあった。

 現に今、こうして穏やかに食事を取れている。それだけでも、神殿を出た甲斐はあったと、そう、思える。

 

「そっか……一口に『上』で暮らしてるって言っても、いろいろあるんだね。……うん、でも、そっか。とーさんのパンは、ちゃんと味わえてるんだね」

 

「はい」

 

 と、そこで不意にアレニエさんの瞳が、悪戯っぽく輝く。

 

「それってさ、とーさんの料理のおかげだけ? それとも……わたしと一緒の食事だから、かな?」

 

「え……えっ?」

 

 慌てふためく私の様子に、アレニエさんは笑みを浮かべる。

 彼女が意図してそうしたのかは分からない。

 けれどおかげで、私が沈めてしまったこの場の空気が、元の温かさを取り戻した気がした。

 

 そうして私をからかいながら、いつの間に食べ終えたのか、彼女は既に二つ目に口をつけていた。

 実際、マスターの餞別はお世辞抜きに美味しく、今日は色々あったため普段より空腹も大きい。

 赤面しながら、私も手にしていた分を食べ終え、次に手を伸ばした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25節 深夜の問いかけ

 食事を終え、私たちは野営の準備をしていた。

 夜の寒さと野生動物対策に、火はそのままつけておく。

 

 ……魔物は警戒しないのか? 全くしていないわけではありませんが……

 パルティール王国周辺には、『アスタリアの威光によって護られており、魔物や魔族は近づけない』、というおとぎ話や伝承が伝わっています。女神が自身の眠るオーブ山を中心に結界を施した、という説も。

 

 実際には何度か述べた通り、侵攻を許した記録もありますが……それでも王国周辺に現れる魔物は他国と比べて少なく、また力も弱いものばかり、なのだそうです。魔族に至っては、過去の侵略以降、この地では数百年ほど目撃されていないと。

 その侵略された過去の反動から、また、女神の寝所を清浄に保つという理由から、周辺の魔物は人の手で定期的に、徹底的に駆除もされています。

 

 他所から流れついた魔物が、いつの間にか小規模な巣を形成する場合もありますが……

 それらは活動期である冬を迎えたり、彼らの巣まで深追いしたりしない限り、駆け出しの冒険者でも対処は難しくありません。

 だからこの辺りでは、野盗や野生の獣のほうが余程危険だと言われています。これは、襲われたばかりの私には、特に納得のいく話になってしまいましたが。

 

 

  ――――

 

 

 就寝中の襲撃を警戒し、二人で交互に見張り番に立つ。

 後の番になった私は就寝前の祈りを済ませ、先に焚き火の傍で横になろうとしていたのだけど――

 

「――食事の時も思ったけど、マメだね、リュイスちゃん」

 

「アレニエさん……」

 

 付近の見回りを終えたのだろう。アレニエさんがこちらに歩み寄ってくる。

 

「それこそ、うちのとーさんみたいに習慣?」

 

「習慣……も確かにありますが……祈りは、神々への信仰や感謝の表れでもありますし……天則の維持に必要な、供物、ですから」

 

「世界の仕組みを支えてるのが神さまで、その神さまを支えてるのが信徒の祈り、ね。どこまでほんとかは知らないけど」

 

 教義に懐疑的な言が多いと感じるのは、彼女が下層の住人だからだろうか。

 現世で終始苦しい生活を強いられ、『橋』を渡る寄進も納められない――死後の希望を見い出せない、と初めから決められているのでは、信仰から離れる人が多いのも仕方がないのかもしれない。

 

「あの、さ」

 

 本来なら、次に顔を合わせるのは見張りの交代時のはずだった。

 

「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど……いいかな」

 

「聞きたいこと……ですか?」

 

 なのに声をかけてきたのは、それでも話したい何かがあったからだろう。

 彼女は小さく頷くと、今も燃え続ける焚き火を挟み、私の正面に腰を下ろす。表情は揺れる炎に遮られ、はっきりとは見えない。

 

 しばらく、火の爆ぜる音だけが辺りに響く。

 それが印象に残ったのは、アレニエさんが声を発するまでに、珍しく間が空いたからかもしれない。実際には、わずかな沈黙だったのだろうけど。

 やがて彼女は静かに、そしてどこか躊躇いがちに、口を開いた。

 

「その……リュイスちゃん、あの時、『目の前で人が死にそうなのに黙って見てられない』、って言ったよね」

 

「……はい……」

 

 それは、彼女とジャイールさんの決闘に割り込んだ際、確かに自分が口にした言葉だ。

 半人前の勝手な言い草に、やはり気を悪くしていたのだろうか。

 急に不安が広がり始めた私に掛けられたのは、しかし全く予期していない問いだった。

 

「……――黙って見てられないのは、人だけ?」

 

「……え?」

 

 虚を突かれ、喉から疑問の声が漏れる。……人だけ、というのは、どういう意味だろう。

 返答を思いつけずにいる私の様子を見てか、彼女は慌てて補足しようとする。

 

「あぁ、ん、と、んー……例えば、さっき食べたお肉とか野菜とか。元々は生きてて、食べるために殺されたわけだけど……そういうの、どう、思う?」

 

「???」

 

 今も考えながら喋っているのか、いまいち要領を得ない質問。いつも簡潔に受け答えするアレニエさんにしては、非常に遠回りな言い方だった。

 彼女はなおも苦労しながら言葉を探し、再びこちらに問いかける。

 

「だから、その……動物とか、植物とか、人間以外のものが目の前で殺されそうになっていたら……リュイスちゃんは、止める?」

 

 今の質問で、なんとなく問いの方向性は見えてきた気がする。

 意図自体は依然として不明だが、彼女の瞳は真剣だった。心なしか緊張しているようにも見える。

 なにかを期待するような。不安を抑えこんでいるような。あるいはその両者が混じり合ったような。普段の彼女からは感じられない、複雑に揺らいだ眼差し。

 

 よくは分からないが、さりとて適当に流していいものにも思えず、私も真剣に答えを探す。とはいえ……

 

「……正直に言えば、分かりません。あの時も、ちゃんとした考えがあってああ言ったわけじゃないんです。ただ、とにかくじっとしてられなくて……」

 

 あの時は反射的に体が、感情が爆発してしまったけれど、他の生物に対しても同じように感じるかは……その時になってみないと、分からなかった。

 

 頭では、理解している、と思う。

 私たちは他の生物の命を食べて生きているし、自分の命を守るために、時に相手の命を奪うしかない場合もある。死を植え付けられた私たちは、他者の死によって生かされている。

 

「それでも、実際に目の前で失われそうになるなら……もしかしたら、人の時と同じように、止めようとする、かも、しれません」

 

「そう……」

 

 こんな答えでいいのだろうか、と少し不安に思いながら視線を向けると……炎の向こうで揺れる彼女の表情は、むしろ先ほどより緊張が増しているように見えた。

 そして、問いには続きがあった。

 

「…………じゃあ――魔物は?」

 

「――!?」

 

 魔物……!?

 

「神官にとって、排除すべき悪だっていうのは分かってる。教義的に許せないのも知ってる。あ、魔物に肩入れしてるとか悪魔信仰者とかじゃないよ、念のため。……でも、実際この世界に生きて存在する以上、魔物も一応一つの命、だよね? それが、例えば目の前で死にかけて、助けを求めてたりしたら……リュイスちゃんは、自分でどうすると思う? 助ける? ……それとも、殺す?」

 

「それ、は……、…………」

 

 由来を理由に魔術を禁じている――間接的に関わることすら忌避する神殿にとって、穢れそのものと言える魔物は、敵と呼ぶのも生温い嫌悪・憎悪の対象だ。

 その存在自体が邪悪であり、有害であり、許容できない。

 魔物を滅ぼすのは、世界から悪を減少させる善行の一つとさえされている。

 

 幸か不幸か、今まで魔物と直接相対する機会のなかった私も、その教えに特別疑問を抱いたことはなかった。が……

 

「…………分かり、ません……」

 

 しばらく悩んだ末、私は正直な思いを口にした。

 彼女の問いかけ。私の答え。どちらも、他の神官には聞かせられないものかもしれない。

 それは私にとって完全に考慮の外で、神官としての認識を揺さぶる危険な問いで……けれど、それでも無視できない現実、のように思えた。

 

 こちらの命を奪おうと襲ってくるなら、自衛のためにも応戦せざるを得ない。

 けれどそうでない場合は? 敵意も無く――そんな魔物がいるかは分からないが――、目の前で死に瀕していたら?

 

 私は、人と同様に彼らを助けるだろうか。反対に、敵と見做して切り捨てるだろうか。

 直前の質問と同様、今ここで考えただけでは、すぐに答えを得られそうになかった。

 

「そっか……うん、わかった」

 

 答えを見い出せず悩む私を、アレニエさんが眺める。その表情は、どことなく安堵した様子にも見える。

 彼女が本当に聞きたかったのは、おそらく最後の問いの答えだったのだろうけど……

 

「あの……どうして、こんな質問を……?」

 

「へ? あー……その……これから魔族を倒しに行くわけだし、リュイスちゃんがどう思うか聞いておきたくて?」

 

「なるほ、ど……?」

 

 なんだか如何にもとってつけた理由な気がする。疑問形だし。

 結局、彼女がどういう意図でそれらの質問をしたのか分からず、頭に疑問符を浮かべたまま、その日は床についた。

 眠れないかとも思ったが、溜まった疲労と満腹感から、ほどなくして私は眠りに落ちていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間4 ある冒険者の最期

「はぁっ……! はぁっ……!」

 

 朝日がほとんど差し込まない薄闇の中を、枝や下草で傷を作るのも構わず走り続ける。

 

「(なんだ、あいつは……なんで、〝こんなところ〟にいる……!?)」

 

『森』に向かい、魔物の増減・動向を調査し、報告する。俺が近くの街で受けたのはそんな依頼だ。

 簡単な任務のはずだった。さっさと片付けてしまい、少ない依頼料を酒に変えて飲み干して終わる。そのはずだった。それが……

 

「はぁ……! はぁ……! ……くそっ……!」

 

 まだ十年しか経っていないのに新たな勇者が選ばれたらしい、という噂は、ここにも届いていた。

 実際にパルティールの王都にでも行かなきゃ真偽は確かめようもないが、本当だとしたら魔王も蘇っていることになる。そうなれば、いずれこの『森』も魔物で(あふ)れてしまうだろう。

 

 だが本当にそれが起きるとしても、もうしばらく先の出来事のはずだった。なにもない場所から生えてくるわけじゃないし、仮にそうだとしても急に溢れ返るわけじゃない。

 

 それに領土の境目のこの森は、出没する魔物もたかが知れている。危険は少ないはずだった。なのに……!

 

 走りながら後ろを見る。追手の姿はない。

 撒いたか? 一度立ち止まって辺りを窺う。が。

 

 ゴオオォっ!

 

 森の奥から、轟音を上げて風が――横倒しの塔ほどに巨大な風が、迫ってくる。

 

「うわあああぁぁっ!?」

 

 寸前で避けたが、さっきまで自分がいた地面は『塔』の通過によって無残に(えぐ)られていた。当たっていれば、今頃は……

 

 いまだ追っ手はこちらを捕捉している。早く逃げなければ。

 すぐさま立ち上がり、走り出そうとしたところで……ようやく気づく。動かない。――なぜ。

 

 いつの間にか足元は薄い氷に覆われ、地面に縫い留められていた。

 氷は徐々に全身に昇り、すぐに身じろぎ一つできなくなる。視界が固定される。

 もう眼球を動かすこともできないのに、意識や視覚、聴覚だけは働いていた。その耳に、男の声が聞こえる。

 

「ようやく追いついたぜ。手間かけさせやがって」

 

 その男は、凍り付いた俺の肩に気安く手を置き、わざわざ顔を覗き込んできた。

 紋様のようなものが刻まれた赤銅(しゃくどう)色の肌に、頭部には角が生えている。それ以外はほとんど人間と変わらないが……間近で感じる穢れた魔力は、並みの人間ではありえぬほどに強く、禍々しく、こちらの魔覚を焼き焦がしそうな熱を持っていた。――魔族だ。

 

「運がありませんでしたね。〝今〟この森に入ってくるとは」

 

 次いで聞こえたのは、抑揚のない女の声だった。

 少し離れた位置に、声の主であろう青白い肌の女が現れ、感情の見えない瞳をこちらに向けている。

 こいつも、肌の色や耳の長さなどを除けば人間と変わらない容姿をしていたが、横にいる男と同様、強い穢れを発している。

 

「(こんなところに、魔族が……二体……!?)」

 

 いや、違う。もう一体いる。

 いつの間にか俺の前方に、全身に漆黒の鎧を纏い、抜身の剣を携えた、騎士を思わせる外見の魔族が現れていた。

 先の二体を上回る巨大な魔力に、それらを従えてこちらを睥睨(へいげい)するその偉容。

 

 こいつだ。

 こいつが、さっきの『塔』を放った術者。この魔族たちの主だ。

 そう確信したのが合図だったかのように、そいつは兜の奥に隠された口を(おごそ)かに開いた。

 

「――今はまだ、我らの存在を知られるわけにはいかぬ」

 

 響きだけで周囲を威圧するような、低い、男の声だった。

 そして、それ以外に語ることもないのだろう。無言で、手にした剣を頭上に掲げる。

 

「(ちくしょう……ちくしょう……!)」

 

 眼前の光景を視界に納めながら脳裏に浮かぶのは、この魔族たちと遭遇した際の記憶。

 黒い鎧の魔族は、俺の姿を一瞥した後、こう問うてきたのだ。

 

「貴様は、勇者か?」と。

 

「(こんなところで……勇者を、待ち伏せしてる、ってのか……? ちくしょう、誰か……誰かに知らせ――)」

「さらばだ」

 

 意外なほど静かに、しかし鋭さを伴って、黒剣が振り下ろされた。

 凍り付き、指先一つ動かせない俺の体は、その軌跡に為すすべなく断ち切\

                                    \ら

                                      \れ

                                     

                                          て



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

26節 おはよう

 まぶた越しに感じる光で目を覚ます。

 薄っすらと目を開けると、辺りはすでに朝の日差しに照らされていた。

 屋内と違い、直接浴びる陽の光は眼球を刺すほどに眩しい。せっかく開いたそれを、反射的に細めてしまう。

 

 焚き火は昨夜から変わらず燃え続けている。

 しかし若干の肌寒さを感じた私は、寝ぼけ眼でもぞもぞとマントを手繰り寄せ、自分の体に巻き付けた。

 

 動いてわずかに意識が覚醒したのか、寒さと共に、体の各所に痛みを覚える。

 おそらく、固い地面で寝るという初体験によるものだろう。ちゃんとした寝具での睡眠が如何にありがたいか、身に染みて実感する。

 

 が、今はそうした実感より、眠気のほうが勝っていた。

 細く開いていた目を再び閉じ、アレニエさんとの交代の時間までもう少し眠ろうとして……

 

「(…………!?)」

 

 そんな時間はとうに過ぎていることを、ここでようやく認識する。

 

「えっ、あれっ、交代は……!?」

 

 ……ひょっとして、時間になっても全く気付かず、そのまま眠り続けてしまったのだろうか。……サーっと、顔から血の気が引いていく。

 

 眠気と痛みを訴える体を無理矢理ねじ伏せ、気合いで体を起こす。すぐに隣の寝床を確認するが……誰もいない。

 一瞬、不吉な想像が頭を過るが、周囲が荒らされた形跡は見受けられないし、彼女の荷物も、脱いだ鎧も、昨夜の位置から動いていなかった。

 

 少なくともなにかに襲われたり、私一人を置いて出発したりしたのではなさそうだ。探せばすぐに見つけられるのではないか――

 

 ビシュンっ

 

「(……?)」

 

 不意に、耳に異音が届いた。

 音はあまり大きくない。そう離れていない場所から、鋭くなにかを振るうような音が、かすかに、断続的に聞こえてくる。

 

 ビシュっ

 

 方向に見当をつけ、木立の間を抜けていく。

 音の発生源へ足を進めると、徐々に小川のせせらぎも近づいてくる。そして、探していた彼女の姿も。

 

 ピュン

 

 水面に反射された陽光が、剣を逆手に握るアレニエさんの肢体を照らし出す。

 荷物の場所に鎧も置いたままなのは先刻確認した。当然、今は鎧の下に着ていたものしか纏っていない。左篭手だけは変わらず外していないが。

 

 ヒュっ

 

 いつから続けていたのか。まだ肌寒い早朝だというのに、その身からは少なくない汗が滴り落ちていた。身体の動きに撥ね飛ばされた雫が、水面と同様に光を映す。

 しばしその幻想的にすら見える光景に目を奪われていたが、彼女の剣が空を切り裂く音で我に返る。

 

 軽く腰を落としただけの自然体に近い構えから、袈裟懸けに振り下ろすシンプルな剣閃。

 動きを確認するためか、彼女は時折自身の手足に目を向けながら、再び同じ動作を繰り返し――

 

「――ん。……あぁ、リュイスちゃん」

 

 ふと、なにかに気づいたように動きを止めた彼女は、次にはあっさりと私の姿を見つけ、こちらに姿勢を正す。

 物音を立てたつもりはないのに、なにをきっかけに私の接近に気づいたのだろう。……動物並みに勘の鋭い人だ。

 

「おはよー。昨日はちゃんと眠れた?」

 

「あ、おはようございます…………じゃなくてっ!」

 

 反射的に挨拶を返してから、すぐにそれどころじゃないと思い出す。

 

「え? あぁ、リュイスちゃん一人置いて寝床離れちゃったこと? ごめんね。一応周りに危ないのいないかは確認したし、寄ってこないように火もつけっぱなしにしたんだけど、こんなとこで置き去りはまずかったよね」

 

「いやそっちでもなく!」

 

 なんで謝るつもりが謝られてるんだろう。

 

「すみません! 途中で交代するはずだったのに、私……!」

 

 罪悪感からすぐさま力いっぱい頭を下げ、謝ったのだけど……

 

「なにが?」

 

「なに、って……」

 

 彼女はただ柔らかく微笑むだけで、こちらを責める気配は全くなかった。

 ……もしかして、起こさなかったのはわざと? 旅慣れない私を気遣って? 事実、朝までぐっすり眠ってしまったけれど。

 それに気づいたから、というわけでもないが、私は別のことを口にしていた。

 

「……ひょっとして、夜通し起きていたんですか?」

 

「や、仮眠は取ったから、だいじょぶだよ」

 

 それは果たして大丈夫なのでしょうか。

 途端に心配になり、彼女の様子を窺うが……少なくとも外見からは、体の不調はなさそうに見える。

 もっとも、彼女が本気でそれを隠そうとしたなら、私には見抜けないのだろうが。

 

「そのうえ、朝から稽古を……?」

 

「これは、まあ、やれる時にやる癖がついてて。とーさんやリュイスちゃんのお祈りと同じ、習慣みたいなもの。わたしもとーさんも才能とかあるほうじゃなかったから、こういうの積み重ねるしかなくて」

 

 あれだけ実力があるのに才能がない、って……

 いや。今現在の彼女の実力はつまり、それを補って余りあるほど、修練や実戦を重ねてきたという証、なのかもしれない。ジャイールさんの疑問の答えは、これだろうか――

 

「リュイスちゃんが起きたんなら、もう片づけて出発しよっか。今日中に次の街まで着きたいし。ん、しょっと」

 

 私が考え込んでいる間に、彼女は滑らかに剣を鞘に納め、地面に置き、次いで着ていた服を脱ぎ始め……って――

 

「なんで脱いでるんですか!?」

 

「汗だけ流そうと思って」

 

 話しながらも彼女は脱ぐ手を止めず、左篭手を残して全裸になってしまう。やはりそれだけは外さないらしい。

 

「ここ屋外で、私も目の前にいるんですけど!」

 

「え、なにか問題あった?」

 

「あるでしょう!?」

 

 ありますよね? ……それとも私が間違ってるんだろうか。

 

「なにもいないのはさっき確認したし、こんなとこで覗く人もいないでしょ。少しくらいなら平気平気」

 

 ……私は?

 

 疑問に思っている間に彼女は、器に汲んだ川の水を頭から豪快に被ってしまう。首や手足を振って水気を払い、テキパキと布で体を拭いていく。

 ……まさか、これだけで済ませてもう出発するつもりなのだろうか、この人は。

 

「あの……せめて、向こうで少し暖まってからにしませんか?」

 

「そう? じゃあ、そうしようかな」

 

 ただでさえ見張りを任せきりにしてしまったのに、これで風邪でも引かれたらなんかもうよく分からない申し訳なさで私のほうがやられてしまう。あれ? 裸は私のせいだったろうか?

 若干混乱しながらも、私はアレニエさんと共に、火を焚いたままの野営地に戻ることにした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

27節 水の街

 王都を旅立って二日目。

 初日とは正反対の、平穏な旅路だった。

 特に大きな問題もなく(もちろん二日続けて野盗に襲われるなどということもなく)次の街、クランに辿りつく。

 

 とはいえ、ほぼ一日中馬に乗り続けるというのは、旅と同じく私にとって初めての経験だった。一応乗馬の訓練もしていたが、ここまで長時間は想定したこともない。

 後半はへとへとになって頻繁に休憩を取っていたため、到着したのは予想よりもかなり遅い時間だった(アレニエさんはケロっとしていた)。

 

 日が落ちてから結構な時間が経っており、門は既に閉じられている。夜間に活発化する魔物が多いため、多くの街は日が沈むのに合わせて門を締め切るのだ。

 見込みは薄いと思いつつ門番に掛け合ってみたところ、彼は軽く周囲を確認しただけで私たちを招き、門の傍に(しつら)えられた通用口から(こころよ)く通してくれた。

 魔物が少なく、戦場からも遠い王都近郊。基本的に平穏なのだろう。

 

「多分、リュイスちゃんがいたのも理由だけどね」

 

「私? ……神官、だから?」

 

「そ。神官への便宜は、善行の一つだからね」

 

 私自身に神官という自覚が薄く、実感したこともなかったけれど……もしかしたらこれまでも、知らずに恩恵を受けていたのかもしれない。

 ありがたく門を潜り、私たちはクランの街に足を踏み入れる。

 

 門の内側は、一言で言えば人の山だった。

 煌々と灯された明かりの下、日が落ちたこの時間になっても大勢の人が、整備された石畳の通りを行き来している。

 

 同じく石で建てられた建物の軒先には屋台が並び、その場で食べられるように椅子やテーブルが用意されていた。各々の席で、あるいは立ったままで、多くの人々が飲食を楽しんでいる。

 

 客の大半は下層でも目にした冒険者のようだったが、武器を携帯していない人も多かった。

 店先で交渉している商人と思しき人や、彼らの下働きなのか慌ただしく荷を運ぶ人。ただ飲み食いに参加しているだけの一般人らしき人に、私と同じ神官(なんとなく、冒険者という風体ではないように感じたが)も散見する。

 

 旅自体が初めての私は、それら普段見ることのできない人や物、目の前の街の様子全てに、少なからず興奮を覚えていた。

 

「……夜なのに、人がこんなに……それに出店もたくさん――あっ、あのお店、魚を売っています! 私、生のお魚初めて見ました!」

 

「港町だからね。向こうには船もあるよ」

 

「船!」

 

 港に停泊する船と聞いて、興奮が加速する。

 

「川下り用の数人乗りじゃなくて、もっとずっと大きな交易船なんですよね! 話には聞いたことがあります! でも想像することしかできなかったので、実際に自分の目で見てみたいなと、前から思っ――……!」

 

 (まく)し立てる私を、アレニエさんがニコニコしながら見ているのにふと気づく。……急速に我に返り、恥ずかしさが込み上げてきた。

 

「……すみません。はしゃいでしまって……」

 

「別に謝らなくても。むしろリュイスちゃんのそういう姿、おねーさんもっと見たいけどなぁ」

 

 なんでですか。

 

 努めて平静を装いながら、気になっていたことを訊ねてみる。

 

「もしかして、今日はお祭りですか? 新年祭はもう過ぎましたけど……」

 

「や。この街は大体いつもこんな感じだよ」

 

「いつも……夜なのに、いつもこんなに人が……?」

 

「クランは国中に物を届けるための中継地だからね。いろんな人が出たり入ったりで、朝から晩まで働いてる。魚目当ての人も多いね。傷むの早いから、新鮮なのはこういうとこまで来ないと食べられないし。仕事も山ほどあるから、ここを拠点にする冒険者も多いよ」

 

 なるほど……

 

「それにしても、ずいぶんびっくりしたみたいだね。人口でいえば、王都のほうが多かったと思うけど」

 

「『上』だと、こんなに人が一つ所に集まるのは、それこそお祭りや、先日の〈選定の儀〉のような時くらいですから。街全体が落ち着いた雰囲気なので、ここまで活気もありませんし」

 

「それもそっか」

 

「それに私、普段神殿に引き籠ってますから……〈選定の儀〉も遠くからしか見れてないし……」

 

「さぁ、そろそろ宿に向かおっか!」

 

 目をそらしながら自嘲の笑みを浮かべる私を見かね、アレニエさんが先を促す。気を遣わせてすみません。

 

 

  ***

 

 

 クランは、元々この地域の開拓団の基地だったものが、そのまま街になった場所らしい。

 開拓が進んでからは、先ほどアレニエさんが述べた通り物資を届ける中継基地に、さらに集められた食材で旅人の胃袋を満たす食の街としても発展してきた。王都のお膝元ということもあって、オーブ山の巡礼に訪れた人が立ち寄ることも多いという。先刻目にした神官はこれだろう。

 

 初めて目にするものばかりで、その都度興味を惹かれてしまうが、残念ながら目的は観光じゃない。それは、またの機会があれば、だ。

 昔から冒険者をやっていただけあって、アレニエさんは幾度もこの街に来ているらしい。彼女の先導で宿に向かう。

 その途中。

 

「(……?)」

 

 ここまでは目線の高さの人や物しか視界に入っていなかったが、歩き出してからようやく足元に、地面に敷き詰められた石畳を縫うように、細い水路が通っていることに気がついた。

 

 川の水を引き込んでいるらしいそれは、どうやら街の中心部に続いている。宿もそちらの方にあるらしく、アレニエさんは特に気にする様子もなく、水路に導かれるように歩みを進めていく。

 

「……!」

 

 やがて歩みの先に見えたのは、光と水に彩られた、静謐(せいひつ)な空間。

 そこは、人で溢れていた街の入り口とは反対に、開けた広場になっていた。

 周囲の地面には溝が掘られ、水路の水が流れ込んでいる。その水面が夜空の星々を映し出し、反射させ、辺り一帯を照らしていた。

 

 周辺の建物は業務を終えたものばかりなのか、最低限の明かりしか点いていない。だからなおさら、星明りがよく見えるのだろう。

 

 ともすれば周囲の喧騒から隔絶されているように感じるのは、先ほどの通りに比べ、人がほとんど居ないせいだろうか。居たとしても皆穏やかに語り合うか、言葉もなく景色に見入る人ばかりだった。私と同じように。

 

「――……」

 

「カタロスの神殿だね。依頼の説明の時にリュイスちゃんが名前挙げてた、川の神さま」

 

「カタロスの……合同神殿ではなく、単独の……?」

 

 この世界で一般的に神殿といえばアスタリアのもの、あるいはアスタリアを中心とする全ての神々を(まつ)る合同神殿(パンテオン、もしくは万神殿とも言う)になる。

 

「そこは、水の街だからかな。ここだとアスタリアと同じくらい人気だから、特別にカタロスのも建てられたらしいよ」

 

 主神・最高神としてアスタリアが頂点に置かれてはいても、それぞれの土地で求められる神が異なり、特別に祀られるというのは、納得のいく話だ。神への信仰は地域での生活に根ざす。例えば『戦場』であれば農耕の神より、戦の勝利を司る〈戦勝神〉スリアンヴォスに最も祈りが捧げられるだろう。

 

 しかし同じ神殿という施設でありながら、こうも総本山と佇まいが異なるのは、祀る神の違いだろうか(単純に昼夜の差もあるかもしれないが)。

 よく見れば水路は、神殿の手前で三叉路に分かれ、周囲を四角く囲うように進んでからまた合流し、街の奥に続いている。内側には、同じ造りで規模を縮めたものが二本(二周?)流れている。人工の川が二重、三重に神殿を覆っているようだった。

 

 幅は子供でも飛び越えられそうな狭いものだが、水路と水路の間には数か所に橋が架けられ、歩いて渡れるようになっている。王都の噴水広場にも似ているが、目の前の光景はむしろ、街や砦を護る堀を街中に、小規模に再現したようにも感じられた。

 

「(……街の〝中〟に、堀?)」

 

 私の脳裏に浮かんだ言葉を、すぐに私自身が疑問に思う。

 堀の多くは、外敵から拠点を護るためのものだ。それを内側に造る意味は薄いし、下手をすれば跨いで渡れそうな幅では、そもそも堀としての用を為さないだろう。が……ふと思い直す。

 これは物質的な護りというより、もっと形のないもの。例えば悪魔や、魔物が運ぶ穢れなどから身を護るための備え、なのではないか。つまり……

 

「……結界?」

 

 私の呟きを、アレニエさんは聞き逃さなかったらしい。

 

「結界? この国を護ってるっていう、おとぎ話の?」

 

「あ、いえ、それとは別の……いえ、同じと言えば同じなんですが……」

 

「? あ、神官も使えるんだっけ?」

 

「えぇと……『結界』という呼び名自体は、空間を内と外に分けることで特別な効果を得る術式の、ただの総称です。国を覆うような大規模なものは、それこそかつての神々でもなければ生み出せませんが……私たち神官も簡単なものなら扱えますし、祭儀場のような重要施設にも施されています。ここの水路の形状や雰囲気が、それこそ総本山のものと少し似ていたので、気になってしまって……」

 

 総本山の場合、石造りの床に掘った溝で内と外に分け、聖別された内側で祭儀が行われる。

 そうした場や方法は学ばされていたため、私も知識だけは持っていた。といっても私は、祭儀そのものに参加する資格を持ち得ないが。

 

 ちなみに今のような神殿が建てられる前は、屋外で土に線を描き、内側を浄めて祭儀の場としていたらしい。

 

「なるほど、さすが神官だねー」

 

「……でも、本当に結界だとしたら、こういう、水路を使う形式は初めて見ました。外に造っているのは、神殿自体を護るため……?」

 

「あぁ、前にちょっと聞いたことあるかも。確か、海が近いからだったかな」

 

「海……? どうして海が……あっ」

 

 創世神話……?

 

「海の水はアスティマが穢したせいで飲めなくなった、って話があったよね。今は交易や漁で船を出してるけど、昔の人は海に近づくのも嫌がってたんだって。で、『海水』っていう穢れを防ぐために、この神殿が建てられた。今は船旅の無事も願われてるらしいよ」

 

 古来から水は尊ばれてきた。

 それは、火と同じ七つの創造物の一つ、というだけでなく、生物が生きるのに水が不可欠だからだろう。飲み水はもちろん、なにかを洗うためにも水は必要になる。体や物を清潔に保つのは、穢れ(注:この場合、感染症や食中毒など)から身を護る手段の一つだった。

 

 また主な水源である川の水は、その清潔さ自体を保つべきだとされる。不浄を直接触れさせて汚すことのないように、という意識が人々に根付いていた(水浴びぐらいは許されているが)。

 

 守り継がれた清浄な水。それを、神殿を要とした結界に組み込むことで、海水を含む穢れ全般から街を護っている。そういう仕組みなのだろう。

 

「じゃあ、ここが開拓基地になったのは……」

 

「そう、なのかな。どっちが先かまでは聞いたことないけど、もしかしたらリュイスちゃんの想像通りかもね。……っと、そろそろ名所観光はおしまいにして、宿に向かおうか。こっちこっち」

 

 行く道の途中にあったとはいえ、結局観光してしまった。

 任務の最中に、という反省に、思わぬ形で望みが叶った満足感。そして積み重なった疲労(今思い出した)とを抱えながら、私は先を行くアレニエさんの後を追った。

 

 案内されたのは、石造りの三階建てで、外観も装飾を凝らした、立派な建物だった。

 観光客向け(冒険者の宿ではないらしい)だというその宿は、見れば何人かの冒険者が建物の周辺に立ち、辺りを見張っている。

 ある程度値は張るが、しっかりと警備を雇っている宿のほうが安全、との理由でここを選んだそうだ。それはつまり。

 

 

「値段が安いところは、安全じゃないってことですか……?」

 

「部屋に荷物置いてたらいつの間にか盗まれてた、なんてとこも結構」

 

 上層では考えられない話に少しひやっとしたが、気を取り直して中に入り、受付を済ませる。

 

 一階は食堂になっており、外でお店を探さずとも街の名物はある程度食べることができるという。足もお腹も正直限界なのでありがたい。

 注文を終え、食堂の席につき、受け取った料理(新鮮な魚介を煮込んだものらしい)を二人で食べる。食の街というだけあって、出された料理はとても美味しかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間5 ある襲撃者たちの襲撃

「……よし、行くか」

 

 各々フードや覆面等で顔を隠した怪しげな集団が呼びかけに応え、夜闇に明かりを灯す一つの建物を見据える。

 

  ――――

 

 パルティール王国オーベルジュ領。

 初期には宿場街として発展したが、その後、より利便性の高い街が近隣に作られたため、人が流れ、緩やかに寂れた。

 観光に向いた場所もなく、目立った特産品があるわけでもなく、戦略上の要地にもならない。そのため、王都からの支援も監視の目も届きにくい。そんな街だ。

 そして今現在、勇者一行が滞在している街でもある。

 

〈黒腕〉アレニエ・リエスの依頼を引き受けた我々は、勇者の滞在地であるこの街に辿り着き、早々に情報収集を始めた。

 宿を取り、大部屋に全員を詰め込み、各々集めた情報を元に方針を模索する。が――

 

「……適当な騒ぎ、つってもなにすりゃいいんだ。そこらの通行人襲ったり、金目のもん奪ったりか?」

 

 依頼を達成するために何からどう手を付けるか。一同、しばしこの点で頭を悩ませる。

 我らが〈赤錆びた短剣亭〉に普段持ち込まれる依頼といえば、やれ「誰々を消せ」だの、「どこそこで物品を奪え」といった、後ろ暗くも単純明快なものばかりであり、目標も、手段にも、迷う要素は少ない。

 

 が、今回の依頼は、「勇者を誘き出し足止めする」ため「適当な騒ぎを起こす」という、裁量の大半をこちらに丸投げしたもの。

 足止めという目標はともかく、そこまでの手段たる騒ぎの内容については、少々気を遣わなければならない。適切に事に当たる必要が。

 

「その程度では、駆けつけるのは勇者ではなく衛兵、もしくは暇な冒険者くらいだろう。もう少し、勇者本人が出向くような事件を演出したいものだが」

 

「てことは……殺しか?」

 

 即座にそれもどうなんだ。

 

「いや……死体を出すような真似も避けたほうが無難だろう。〈黒腕〉はともかく、神官であるリュイス嬢の心証を損なうかもしれん。降って湧いた総本山との繋がりを失うのは惜しい」

 

「繋がりって言えるほどのもんか? ヴィド」

 

 巨体を丸めながら(狭いのだ)問いかけるのは、ジャイール。オレは肩を竦め、それに言葉を返す。

 

「持っておけるなら、わざわざ捨てることもないという話だ。考えてもみろ。〈黒腕〉が気軽に渡してきた報酬の額を。しかもそれとは別に成功報酬も払うという。当の〈黒腕〉はそれ以上を約束されているのだろう。ならば――」

 

「オレらで依頼をもぎ取れば、今以上に稼げる――ってか? あの嬢ちゃんに、そんな権限あんのか?」

 

「今はなくとも、この先は分からんさ。例の改革とやらが成功すればな」

 

「単に面白がってんのかと思ったがお前……そんなもん期待してたのか」

 

「夢のある話だろう?」

 

 前半部分も否定はせんが。

 

「それに殺しは、想定以上に騒ぎが広がる可能性がある。噂の伝播が早い田舎では、特にな。そうなれば総本山との伝手(つて)以前に、今回の報酬すら不意にしかねん」

 

「あー……まぁ、別に衛兵程度がいくら集まろうと知ったこっちゃねぇし、報酬も無いなら無いで構わねぇが……そうだな。これ以上あの嬢ちゃんに叱られんのは、俺も遠慮してぇな」

 

 苦笑交じりではあるが、どことなく満更でもなさそうに見える。先日の一件で、随分とあのお嬢さんを気に入ったらしい。

 

「……さて、それらを踏まえたうえで、方針を決めたいところだが――」

 

 様々に案は出たが、直情傾向なメンバー(大半がそうだが)の暴走を制止しながらの相談は少々紛糾(ふんきゅう)した。しかしやがて放たれたジャイールの一言に、全員がとりあえずの一致を見る。

 

「例の領主の屋敷でも適当に襲うか?」

 

「「「賛成」」」

 

 といった経緯で標的を定め、今に至る。

 

 一応だが、これには別の理由もある。

 この街では一年ほど前から、新たな神殿を建設する名目で税が重く(元から地税や人頭税などもあったようだが)なり、民の生活が少なからず圧迫されているという。

 神殿、及び神官の増加は、治癒や浄化の手が増えるのと同義だ。民にとっても望ましい事業ではあるのだが……

 

 また増税と同時期から、外から増員されたと思しき見慣れない兵士を街で、特に領主の屋敷近辺で目撃する機会が増えたらしい。が、なぜ領主がそれらを招き入れているのか。納得のいく説明は未だないそうだ。

 

 以前よりわずかに、しかし確実に苦しくなった生活。目的の見えない兵力拡大。住人の不安や不満は蓄積され、領主への不信感も高まっている。

 

 これは、我々にとっては都合がいい。実際に事を起こしたとしても、おそらく民の反感は少ないと思われるからだ。土地勘のない場所で住民まで敵に回すのは、避けておきたい。

 さらに上手く誘き寄せれば、勇者に後始末を任せることもできよう。勇者は名声を増し、我々は無事逃げおおせ報酬を受け取れる。相互利益だ。

 

  ――――

 

 さて、現状を確認しよう。

 我々は陽が沈んだ後に宿を抜け出し、近隣の建物の物陰から、領主の住まい兼仕事場である屋敷の様子を窺っている。

 

 標的たる屋敷は、石造りの二階建て。周囲を高い塀に囲まれている。

 表も裏も出入り口には衛兵が二人ずつ配備され、警備の目を光らせている。我々が今居るのは裏口側だ。

 

「(しかし、武器が棍棒とは原始的だな。下手な刃物より扱いやすいのは分かるが)」

 

 衛兵が手に持つのは、小剣程度の長さの棍棒だった。

 いちいち刃筋を立てる必要がないため気軽に扱えるが、剣と剣術が普及した昨今では(いささ)か珍しい。練度の低い寄せ集め兵、か? いずれにせよ、大した手合いには見えない。

 

 それらが守る塀の入り口には格子状の鉄門がそびえ、当然ながら今は閉ざされている。

 屋敷や塀の壁には四角くくり抜かれた奥行きに明かりが設置され、周囲を淡く照らしているが、光量は最小に抑えられている。まあ、夜襲を警戒するのでもなければこの程度で十分なのだろう。

 

 加えて近辺は役所等の施設が多いため、業務を終えたこの時間は皆帰宅している。つまり、目的の屋敷以外に灯りはない。

 これもまた好都合だ。周囲の暗さにあの光量では、相手は数歩先の闇を見通すのも難儀する。が、こちらは反対に明かりを目印に動ける。

 

「まずはオレが先行し、衛兵を無力化しよう。お前たちはその後だ」

 

「どのみち強引に寝かすなら、全員でボコりゃよくねぇか?」

 

「始めから騒ぎにする必要もあるまい。耳目(じもく)を集め、逃げ道を塞がれたらどうするつもりだ?」

 

「む」

 

「そういうわけだ。大人しく待っていろ」

 

 言い残し、建物の陰から一人抜け出し、歩を進める。

 気負いはない。

 目前の障害は取るに足らず、事前に調べた屋敷の構造も単純と言っていい。

 方法には悩んだが、方針さえ定まれば楽な依頼だ。いつも通り、粛々とこなすだけ――

 

「……? なんだ、おまえ? そこで、なにしてる?」

 

「――っ!?」

 

 声を上げずに済んだのは、つまらないプライドのおかげだった。

 

 気配を殺し、物を、あるいは命を奪う。

 そうして手を汚す生き方しかできぬ身ではあるが、これまで歩んできたその道への、相応の自負もあった。

 この視界の悪さ、この距離ならば、たとえ正面から接近しても気取られぬ。その自信が――

 

「いま、そこのかげからでてきたやつ。こっちに、こい。すこし、まってやる。でてこなければ、こちらからこうげき、する」

 

 共通語に慣れていないのか、警告はあまり流暢ではなかったが、何者か(つまりオレだ)がいることに関しては、確信を持っている。

 

「(……この暗闇で、こちらの姿を視認したというのか……? 田舎領主の衛兵風情が)」

 

 にわかに信じ難い。

 そんなことは、あの〈黒腕〉であろうと容易にはできないはずだ。

 

 目の良し悪しではない。種としての限界の話だ。魔物や夜行性の動物、洞窟住まいを好むドワーフなどであれば暗視も可能だが、目の前の奴らはどう見てもただの人間だ。暗闇の中、オレという侵入者に目を光らせてはいるが――

 

「(……光っている、だと?)」

 

 比喩ではなく、実際に光っている? 獣が闇を見通すように、周囲のわずかな光を反射させて……

 それに……なんだ、この違和感は。

 視界の悪さで余計に鋭敏に感じるのは、目の前の衛兵から発せられる魔力。その感触に、ぞわりと、一種の嫌悪感すら覚える。

 

 しかし何より引っ掛かるのは、それが、これまでに経験したもの。いや、いっそ馴染み深いとすら言っていいものであることだ。

 明日をも知れぬ下層で生き抜いた者は、常にこの感覚と隣り合わせだったはずだ。昨日言葉を交わした誰かが、次の朝には骸となり、この悪寒にも似た魔力――穢れを生み出してしまう。

 

「(違和感の正体は、つまりそれだ。生きながらにして、穢れを放つ存在………これではまるで――)」

 

 脳裏に、閃くものがあった。

 敵意を抱かれぬよう両手を上げながら、暗闇と明かりの境目まで進み、衛兵たちの前に姿を現す。

 

「……待て。オレは通りがかっただけだ。武器は下ろしてもらいたい」

 

 まあ、嘘だが。

 兵は疑念の目を緩めないが、こちらが素直に姿を見せたことに幾分か警戒を解いたようだ。

 

「……ふん。ここは、たちいりきんし、だ。ようがないなら、さっさとかえれ」

 

「ああ。言われずともそうするさ。ところで、一つ聞いておきたいんだが」

 

「……なんだ?」

 

「なに、ちょっとした疑問だ。お前たち………………なぜ、〝人間のフリ〟などしている?」

 

「「…………」」

 

 わずかな沈黙。

 的外れな指摘に困惑する、こちらの真意を計りかねている……といった様子ではなく、どうも、言葉の意味をすぐには理解できていない印象を受ける。

 しかし、やがて衛兵二人は顔を見合わせると、奇声を上げながら武器を振りかぶり、こちらに襲いくる!

 

「(よもや、当たりか……!)」

 

 目を閉じ、両手を下ろし、前方に突き付けた左拳に意識を――その手に填めた指輪に魔力を通し、叫ぶ。

 

「《昼よ!》」

 

 発動の言葉を受け、魔具が起動する。暗闇が、閃光に塗り潰される。

 

「「――ギャアアアァア!?」」

 

 強い発光による目眩まし。言ってしまえばそれだけの魔具なのだが、これが存外使い勝手がいい。

 暗視によって視界を得ていたらしい衛兵共には、とりわけ効果が高かったようだ。恥も外聞もなく悲鳴を上げ、武器を取り落とす。その隙に――

 

「――シっ!」

 

 すれ違いざま、左右の手でそれぞれ短剣を抜き放ち、兜と鎧の隙間――首を狙い、斬りつける。

 

「……ア……ガ……?」

 

 深々と急所を切り裂かれ、血を吹き出し、衛兵二人は倒れ伏す。わずかな明かりで照らされた地面に、ドクドクと血の染みが広がっていく。

 ピクピクと痙攣し、徐々にそれすら鈍くなっていく二つの体。やがて動きを止め、物言わぬ骸と化しゆくそれらから穢れが漏れ出し、夜闇の黒と混ざりあっていく。

 

「……お、おい! さっきからなにしてんだ!」

 

 様子を見ていた仲間たちが慌ててこちらに駆け寄り、(一応小声ではあるが)怒鳴りつけてくる。

 夜空を照らすほどの光、兵たちの悲鳴、そして殺しと、これだけ目立つことを立て続けにされれば、文句の一つも言いたくなるだろうが。

 

「大体、殺すなっつったのお前だろうが! なにをあっさりヤってんだ!」

 

「騒がしいな。もう少し声を潜めてほしいものだ」

 

「言えた義理か!」

 

「いいから、そいつらをよく見てみろ」

 

「「あぁっ!?」」

 

「おい、こいつは……」

 

 他の連中が頭に血を登らせている間に、ジャイールは一人、倒れた衛兵共に目を向けていた。

 こちらに詰め寄っていた仲間も、そこでようやく地面に視線を移す。

 しかし、そこにあったものは――

 

「……あ?」

 

「……なんだ、こいつら。なんで……〝魔物〟が、衛兵の格好してやがんだ……?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間6 ある襲撃者たちの疑問

「……いや、なんだよ、これ? さっきまで人間だったよな……?」

 

 先刻まで確かに人の姿を保っていた衛兵は、事切れると共にその正体を現していた。

 

「……ゴブリンだな」

 

 被害が少ないと言われるパルティール国内でも、比較的見る機会の多い、低級の魔物。だが……

 

「こいつらが、人に化けて衛兵になりすまし、共通語による会話まで……? そんな力も知恵も持たないはずだが」

 

「あぁ。そんな真似する奴なんざ今まで聞いたことも……いや、それも疑問だが、そうじゃねぇだろ! 問題は――」

 

「そうだ。問題は、なぜ領主の屋敷に勤める衛兵が、魔物だったのか。増員されたという他の兵もそうなのか? 雇い主である領主は、どこまで把握しているのか……」

 

「お、おう……。……ちょっと待て。お前のそのツラは、非常に嫌な予感がすんだが」

 

 確かにオレの口元には隠しきれない笑みが浮かんでいたが、失礼な。

 

「面白くなってきたじゃないか……いや、『勇者の足止め』という時点で得難い体験なのだがな。それとはまた別の方向から、興味を惹くものが飛び込んでくるとは」

 

「……まさか、お前」

 

「当然、このまま屋敷に侵入し、真相を突き止める」

 

「「「待て待て待て待て待て!」」」

 

 オレの発言に、周囲から一斉に静止の声が飛ぶ。

 

「なんだ、お前たち? 揃いも揃って」

 

「お前こそなに言ってんだ! んなことしてる場合かよ!?」

 

「さっきの光でそのうち人が集まってきちまうし、この死体が見つかりゃそれこそ大騒ぎだ! 足止めならこれで十分だろ! とっとと逃げようぜ!」

 

「ふむ……」

 

 一つ頷き、次いで隣の巨体に声を掛ける。

 

「お前はどうだ? ジャイール」

 

「俺は別にどっちでも構わねぇぜ。衛兵も魔物も物の数じゃねぇ」

 

「この凸凹迷惑コンビめ……」

 

「失敬な。誰と誰がコンビだ」

 

「こいつとはただの腐れ縁だ」

 

 不本意な呼称を互いに否定し合うオレとジャイール。まあ、行動を共にする機会が多いのは事実なのだが。

 

「ともかくも。要はお前たちはここで手を引くと、そう言いたいわけだな?」

 

「ああ、そうだよ!」

 

「分かった。あぁ、非常に残念だが止めはすまい。捕まってしまえば報酬は受け取れんからな」

 

「つーか、下層のオレらじゃその場で処刑されてもおかしくねぇよ」

 

「さもありなん。……しかし我々は、ここまで目的を同じにし、共に旅を続けてきた間柄だ。たとえこの先オレに何事か起きようと、お前たちのことは決して忘れぬと、ここで誓おうではないか」

 

「……なんか気持ち悪ぃうえに嫌な予感がすんだが…………つまり?」

 

「オレが捕縛された時はお前たちの名も出して道連れだ」

 

「「「ぅおおおおい!?」」」

 

 

  ***

 

 

「……おい! おい! なんだこの屋敷! 魔物だらけじゃねえか!」

 

「仕事しろよ衛兵!」

 

「その衛兵が魔物だったのだ。致し方なかろう」

 

「やかましい! んなこと分かってんだよ!」

 

 理不尽な。

 まあ、こちらの説得(脅しとも言う)に快く応じてくれた気のいい連中だ。多少の軽口には目を瞑るとしよう。

 

 裏口の鍵をこじ開け、屋内に侵入して程なく、大量の衛兵もどきと、もはや衛兵の真似事すらしていない魔物共がぞろぞろ現れた。

 表の衛兵と同様、脅威にはならん手合いばかりなのだが……如何せん、数が多い。そしてオレは、多数を相手取るのが苦手だ。ゆえに他の連中を引き留めもしたが――

 

「ハッハァ!」

 

 ザンっ!

 

 決して広くはない屋内で器用に大剣を振るい、あるいは拳で打ち据えながら、ジャイールが魔物共を蹴散らしていく。

 

「……」

 

 実はあいつ一人居れば十分だったのかもしれん。

 まあいい。どちらにしろ、屋敷の捜索やらなにやらで人手は要るのだ。

 

「……街ん中でこんだけ穢れ撒き散らすってマジでヤベぇよな……」

 

「オレたち本気で処刑されるかもな……」

 

「仮に捕縛されたとして、我々がしたのはただの魔物の討伐だ、『正当な理由』には十分だろう。そもそも捕まらなければいいだけの――」

 

「うるせぇ。元凶は黙ってろ」

 

 グチグチと文句を言いながらも、連中は見張りと退路の確保に。オレとジャイールは静かになった廊下を二人で進み、執務室と思しき扉の前で足を止める。

 

 物音や息遣いなどから気配を探ると、中から複数人が声を潜め、言葉を交わす様子が窺えた。数はおそらく二人。どちらも推定女性。つまりどちらかが領主だろう。

 もう一人のほうも、声も動揺も隠し切れていないのを察するに、こういった方面に向いていない人員だと分かる。

 脅威は少ないと判断し、あえて無造作に扉を開ける。

 

 内部は予想通り、執務室のようだった。思った以上に広い。下層なら、この一部屋だけで一家族が優に暮らせそうだ。

 客間も兼ねているのだろう。部屋の中央にはテーブルと、それを挟むよう、両脇にソファーが設置されている。

 

 壁の書棚には幾冊もの本が並べられ、部屋の奥には木製の執務机。そしてその陰に隠れるように、黒髪を頭の上で結わえた領主と思しき妙齢の女と、淡い赤髪を肩口で切り揃えた侍女と思われる少女の姿があった。他に動くものはいない。

 

「な、なんですか、あなたたちは……!?」

 

 侍女の振り絞るような誰何(すいか)を無視し、推定領主に声を掛ける。

 

「夜分に失礼する。貴女が領主とお見受けするが」

 

「……ええ、そうです。貴方がたは?」

 

 傍で震える侍女と違い、こちらは動揺を押し殺しながら、気丈に我々を見返している。なるほど。まがりなりにも一領の主か。

 

「なに、ただの旅の者だ。この街にも立ち寄っただけだったのだが――……いや。ここは正直に明かそう。我々は、さる隣国のギルドから調査依頼を受けた者だ」

 

 オレの隣(巨漢)から胡乱(うろん)な目つきがチクチク突き刺さるが、まあ聞け。

 

「……他国からの調査……ですか? ……勇者ではなく?」

 

「? なぜそこで勇者の名が?」

 

「……今日、同じ日に、勇者一行もここを訪れていましたから」

 

「ほう?」

 

 こちらが街で情報を集めている間に、入れ違いでこの屋敷に来ていたのか? まさかバカ正直に正面から訪問しているとは思わなかったが。

 

「なるほど。おそらくは我々が聞いたのと同様のものを、勇者殿も耳にしていたようだな。貴領の急な増税と、兵力拡大の噂を。依頼主も、まさにそこを警戒したのだろうな。事実確認のために我々を雇ったというわけだ」

 

 横から、「よくそんな嘘ペラペラ吐けるな」と言いたげな気配も追加されるが、無視する。

 

「しかし、実際に調査を始め、屋敷を護る衛兵と接触して驚かされたよ。噂に聞いていた、外から招かれ増員された兵士というのが……まさか、魔物だったとは」

 

「な――っ!?」

 

 真っ先に反発してきたのは領主……ではなく、傍に控える侍女のほうだった。

 

「急にやって来てなんなんですか、あなたたちは……!? この領に魔物がいるなんて、それも、領主さまの住まう屋敷に入り込んでいたなんて、あるわけないでしょう!?」

 

「いや、嬢ちゃん。そりゃ無理があるだろ……屋敷の中にもたんまりいやがったし、俺たちゃそいつら蹴散らしてここまで来たんだぜ?」

 

「あなたこそなに言ってるんですか! 私はこのお屋敷で働かせてもらってしばらく経ちますが、魔物なんて見たことありませんよ!」

 

 ジャイールの言葉にも少女は微塵も動揺を見せず、むしろさらに語気を強め、こちらに詰め寄る。その剣幕は純粋な怒りに満ちており、こちらを欺こうとする様子は見受けられない。

 こう見えて、嘘は吐くも見抜くも得意な部類なのだが……

 

「(……妙だな。屋敷に勤めておきながら、未だ何も気づいていないというのか?)」

 

 

 魔物だった者が表の衛兵だけなら、そして目の前の侍女が底抜けに鈍感だというなら、それもあり得たかもしれない。

 だが、こちらの侵入に対して即座の迎撃。おそらく魔物たちは、普段からこの屋敷内に常駐していたのだろう。そもそも部屋の外では先刻から、奴らの声も響いていたはずだ。どれだけ鈍かろうと、それらに気づかぬままでいられるものか?

 

 もちろん、この少女が全てを承知のうえ、こちらの想定を上回るほどの演技力を持つ可能性も、無くはない。物事には常に例外が付き纏うものだ。しかし……

 

「……第一、ここは女神に護られた王国、パルティールの領地の一つなんですよ! 魔物自体がそもそも少なく、いてもすぐに駆除されているのはご存じでしょう! それが街の中に、しかも領主さまの屋敷に入り込んでいたなんて――……なん、て……」

 

「……?」

 

 ……なんだ? 急に、侍女の様子が……

 

「ここで、魔物なんて、見てな…………違う……私、見たこと、ある……? いつ…………いつも……? なんで、私、は…………」

 

 ――つぷっ

 

「んぁ――っ!?」

 

「――!?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間7 ある襲撃者たちと……①

 少女は突然体を仰け反らせたかと思うと、やがてビクビクと痙攣し始める。その身から力が抜け落ち、だらりと両手を垂れ下がらせる。

 

「……やれやれ、誤算でしたね。まぁ、勇者の手の者にしては乱暴だと思っていましたが……まさか、全く関係のない冒険者が乗り込んできて、全て台無しにしてしまうとは」

 

 そして彼女の背から不意に聞こえてきた声は……それまで黙っていた、領主のものだった。

 

 侍女が抗議に身を乗り出していたため、領主は自然、その背後に回る形になっていた。そこからいつの間にか腕を伸ばし、鋭く尖った爪を、侍女の首筋に突き付けている。

 目の前の少女に気を取られ、しばし警戒が薄くなっていたのは確かだが……

 

「りょ……りょう、しゅ……さ、ま……?」

 

 身動きが取れないのか、侍女は相当に苦労して顔を背後の領主に向け、視線を合わせる。が……

 

 束の間、別人かと見紛う。

 顔形は変わらぬはずだが、先ほどまでの、警戒し、しかし動揺を見せぬよう気を張っていた様子は、まるで感じられなくなっていた。

 

「他者から疑いを突き付けられると、偽らせた認識に齟齬(そご)が生じてしまうようですね。勉強になりましたよ、エイミさん」

 

「あ……ア……?」

 

 侍女――エイミというらしい――の瞳はもはや虚ろに曇り、半開きになった口の端からは涎がこぼれ落ちる。

 少女らしく若々しかった肌は徐々に青ざめ、しかしそれとは対照的に浮き上がった血管が、ドクドクと脈打っている。

 なんだ、これは……なにが起きている……?

 

「認識を偽らせる、だと……? なんらかの魔術か?」

 

「これは加護。悪神、〈不義に誘う者〉プセマより与えられし力、〈偽爪(ぎそう)〉。とはいえ、魔術とそこまで大きな違いは……あぁ、動かないでくださいね。穢れを忌み嫌う貴方がたは、死体を増やすような事態は避けたいでしょう?」

 

 ちっ……人質のつもりか。見知ったばかりの少女など、捨て置いても構わんと言えば構わんのだが、それをした場合……ジャイールのことを笑えんな。どうにも、リュイス嬢の顔がちらついてしまう。

 しかし、悪神とは……? 加護というからには、神の一柱なのか? いや、今は脇に置いておこう。

 

「察するに、労働力としてその少女を屋敷で働かせつつ、余計なものには気づかぬよう、細工していたということか」

 

「ええ。領主としての責務も、貴方がたに倒された彼らの世話も、私一人でこなすのは中々の労力でしたから。エイミさんには大変お世話になりました」

 

「……魔物と知りながら領内に招き入れ、養っていた……その事実だけでも、王国や神殿への背信行為と捉えるに十分な材料だ。貴女は、王国に叛意(はんい)を抱く不義者ということかな、領主殿? それとも……もしや、貴女自身も――」

 

「――魔物である、と? ふ、ふふ……」

 

 領主は――領主に成りすましていた女は、そこで初めてかすかな笑みを浮かべた。その身から、おそらく今までは潜めていた魔力が――穢れが、静かに立ち昇る。

 

「知能の低い彼らと同一に見られるのは、いささか不本意ですね。もちろん、貴方がたのようなアスタリアの眷属と見られるのも、同様に」

 

 街で得た噂。衛兵の正体。屋敷に溢れる魔物。

 それらすべてが領主の企てとするなら、方法や動機、損得の面で、腑に落ちないところがあった。

 王国に――アスタリアから主権を賜った王国に帰属し、その領土を治める者が、あろうことか魔物に加担する……それは王家だけではなく、神殿さえ敵に回す行為であり、信仰に背く悪徳だ。

 

 オレのような下層の住人でもそれが頭に浮かぶ程度には、神殿の教え、そして組織としての影響力は広く知られている。貴族であれば、なおのこと詳細に知っているはずだ。

 仮になんらかの欲に溺れ、画策する者がいたとしても、多くの場合実行するまでには至らない。割に合わないからだ。

 

 ならば先刻の衛兵のように人間ではない、と仮定すると……今度は、それを企てる知恵があるのか、という疑問が浮かぶ。

 多くの魔物の知能は獣と大差がなく、もっぱら本能で暴れるしかしない。ここまで流暢に人語を介していることも解せない。

 

 そして目の前の何者かは、そのどちらをも――女神の被造物ではなく、通常の魔物とも異なると――否定している。つまり……

 

「……それは、正体を欺いているそちらに非があるだろう、領主……いや、魔族殿?」

 

「ふふ……それもそうですね」

 

 存外素直に肯定し、魔族の女――そう、魔族だ! ――は、おかしそうに笑う。

 数百年パルティールには現れていないとされる存在との邂逅。それにある種の感慨を抱いていたオレの耳に、しかし横からがさつな疑問の声が浴びせられた。

 

「はぁ? 魔族だぁ? この姉ちゃんがか? けどお前、魔族つったら――」

 

「……あぁ、そうだ。過去の王都襲撃以降、この国に魔族が現れた記録は、無いと聞いている」

 

 返答はもちろんジャイールに向けてのものだったが、言葉を返してきたのは領主に化けた女のほうだった。

 

「ええ。当時は縮小していた結界も、今はまた広がってしまいましたからね。もはや同胞の多くは、この地に近づくことも叶いません」

 

「……結界だと? 伝承を耳にしたことぐらいはあるが……魔族は姿を現さないのではなく、現わせない、と? ……ならば、なぜ……」

 

「私は、だからこそ通り抜けられたのですけどね」

 

 わずかに、自嘲するような呟き。しかしその意味までは分からない。

 

「さて。知られてしまったからには、貴方がたを始末してここを引き払うしかありませんね。結構な手間をかけていたので、残念ではありますが」

 

「素直に逃がすとでも?」

 

「逃がさないのは、こちらのほうです。吹聴されては、今後が面倒ですから。見たところ、どちらも大した魔力は持たないようですし、まぁ、問題ないでしょう」

 

「(……ここまでの時間だけで、こちらの魔力を見極めたのか。他種族より魔覚に優れているというのは本当らしいな)」

 

 だとしても侮られたものだ。まぁ、魔力に乏しいのはその通りだが。

 

「それにエイミさんも……そろそろ、準備が整ったようです」

 

 その言葉に、意識を魔族から侍女のほうに戻す。

 

 エイミ嬢の外見は、大きくは変わっていない。

 だが、色を失くした肌は死人のように白くなり、その表面を枝分かれした血管が不気味に蠢いている。先程まで怒りを露わにしていた顔はなんの感情も映さず、虚ろに光る瞳も焦点が定まらない。赤く色づいた髪だけが変わらない。

 

「これも、〈偽爪〉の力ですよ。表の彼らが、なぜ人間の姿形を真似ていたと思いますか?」

 

 衛兵が人間に化けていたのは、こいつの加護とやらの仕業か……!

 

「エイミさんにはよく働いてもらいましたし、容姿も好ましくて気に入っているんです。見た目は極力変えず、偽りの力だけを与えたのですが……いい出来でしょう?」

 

「……どうやら美醜については、趣味が合わないようだな。オレには先刻までの健康的な彼女のほうが好ましく思えるよ」

 

「ふふ、それは残念です」

 

 会話を続けながら、一瞬だけ目線をジャイールに送る。いつでも仕掛けられるよう備えろと。

 

「そこまで気に入りながら、よく今まで手を出さずにいたものだ。魔族は本能に忠実だと聞いていたが」

 

「そういう同胞が多いのも……まぁ、否定はしませんが。私は、予定通りに事を進める過程や、そこに至るまでの〝空腹〟も、嫌いではありませんから」

 

「……趣味嗜好が個体によって異なるのは、人間と変わらぬわけか」

 

「そんなところですね。……さて、貴方とのお喋りもなかなか愉快でしたが、そろそろお暇させてもらいましょう。さあ、エイミさん。お好きなように暴れてください。貴女が望むまま、偽りの本能が命ずるままに」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間8 ある襲撃者たちと……②

「……ウ……ア…………アァァァァァアアッ!!」

 

 獣のような咆哮を上げ、侍女の姿と魔物の力を併せ持った少女が、執務机を軽々と飛び越え、こちらに襲い掛かる。

 

「ジャイールっ!」

 

「応よ!」

 

 オレは一歩後ろに引きながらエイミ嬢の相手を引き受け、ジャイールの進路と戦場を確保する。

 

「っしゃあ!」

 

 巨体の割に素早く駆け込むと、ジャイールは片手でソファーの一つを掴み上げ、領主に向けて力任せに投げ飛ばす。

 唸りを上げて迫る大型の家具。領主はそれに、何も持たない右手を静かに掲げ……次の瞬間、ソファーの中央が中空で、〝何か〟にグシャリと潰された。

 

 受け止める、ではなく、向かってきた物を引き千切るかのような一瞬の破壊。難を逃れたソファーの端と端が、投擲の勢いを殺さないまま、領主を避けるように壁に激突する。

 

 投げた本人は、今目の前で起こったことを気にする様子もなく(あるいはいつも通り小難しく考えていないだけかもしれんが)、領主の体に刃を突き立てるべく、突進する。が――

 

 ガギン――!

 

 金属が衝突する音と共に、大剣の切っ先が弾かれる。

 

 今度は、はっきりと見えた。向かい来る大剣に差し出すように掲げられた領主の右手が……見る間にグニャリと形を変え、黒鉄の盾と化してジャイールの突きを防ぐ様を。

 

「――私の魔術は『血肉』。この身を剣より鋭く、盾より硬くすることもできるんですよ。ほら、こんな風に――」

 

 パルティールでは遭遇する機会がなくとも、実際に魔物領に足を運んだ者の噂、生態を研究する学者などによって、魔族に関する調査はある程度進んでいる。その一つであり、人間と決定的に違うものが、詠唱を要しないという魔族の魔術だ。

 

「(自身の身体を操る……魔族特有のものか。それも興味深いが……詠唱せずに魔術を扱えるのも、定説通りとはな……!)」

 

 例に漏れず、目の前の女魔族も手をかざすだけで術を使い、右手をさらに変異させてみせる。

 盾は大剣の一撃を防いだ後、面積が縮小すると共に中心が隆起し始める。次第に形成されゆく長大な刃は、次の瞬間、膨れ上がるように伸長し、眼前の敵を刺し貫くべく、矢のように迫――

 

 ――かはぁぁぁ……

 

 突きを弾かれた位置で足を止めていた巨体から、低く、重く、呼吸が響く。

 肩で担ぐように大剣を構え、強く後ろ脚を踏み込み前進。自身に迫る魔術の肉刃を、武器を担いだ構えそのままに、わずかに膝を抜いてかわし……重心を落とした反動を使い下方から跳ね上げ、弾く。魔族の腕が上がり、胴が空く。

 

「……!? ですが……!」

 

 防がれ、態勢を崩されたことに領主は幾分戸惑った様子だったが、咄嗟に腹部を鎧のごとく変異させ、迫る刃金に耐えるべく身構える。

 

「っぜぇぇえりゃああああ!!」

 

 ――そこへ、一閃が走る。

 

 巨体から伝わる力を乗せた大剣は、魔術で変異・強化させた胴部を薙ぎ払い、その身を二つに分け、さらには背後の壁をも寸断し、宙を薙ぐ。行き過ぎた刃はやがて床の半ばまで食い込み……そこで、ようやく停止した。

 

「――? ……? 魔具ですらない、ただの剣で、私の、魔術を……?」

 

 無残に断ち切られた上半身は、落下する間も心底不思議そうに、信じられないものを見るように、鋼の刃を見つめ続けていた。

 

「ハっ、この程度も斬れねぇで、〈剣帝〉が目指せるかよ」

 

 床から剣を引き抜き、ジャイールは満足気に息をつく。

 が、その顔には疲労の色が見え、首に巻かれた包帯からはかすかに血が滲み出ている。力を入れ過ぎて傷が開いたのだろう。

 

「ウ……ア……あ……」

 

 ここまでなるべく傷つけぬよう押さえ込んでいたエイミ嬢から、弱々しい呻きが漏れる。こちらを引き裂くべく込められていた力は弱まり、全身から急速に力が抜けていく。

 

 加護も大方の魔術と同様に、被術者、もしくは術者の死(一応まだ息はあったが)によって、効果が失われるのだろう。与えられた偽りの力から解放され、意識を失った小柄な肢体を、慌てて受け止める。

 彼女を静かに床に横たえてから、オレも領主に向き直った。

 

「どうやら魔力は見えても、技術までは量れなかったようだな」

 

「技じゅ、つ……そんな、もので……?」

 

 しかし領主――魔族にとって、生来の力ではない『技』というものは、納得のいく理由ではなかったらしい。

 

「力で劣る我々が君らに対抗するには、〝そんなもの〟を磨くしかなかったのさ。だがその結果は……君の身体が、何より物語っているだろう?」

 

「……なる、ほど……私が、見くびりすぎていた、と……なるほど……ふふ……勉強に、なりました、よ……」

 

 それだけを言い残し、領主を騙っていた女魔族は、至極あっさりと動きを止めた。

 床に転がる二つの半身、それぞれの切断面から、濃密な穢れが漏れ始める。生命活動を停止した生物全てが発する、死の証としての穢れが。

 

「……なんつーか、魔族って割にはそこまで手応えなかったな」

 

「それでも、そこらの騎士や冒険者では荷が重かったろうがな。だが確かに、噂に聞いていたほどでは……。……『だからこそ』、か?」

 

「あん?」

 

「いや、どうでもいい話だ」

 

 そう、今さらどうにもならん話だ。推測を確かめる手段もない。

 全く気にならんと言えば嘘になるが……まぁ、そういうのは神官を始めとする知識層の仕事だろう。

 

「それより、ここまで侵入した当初の目的は、領主の思惑を、事の真相を突き止めるためだったんだがな。殺してしまっては、背後関係も何も聞き出せないだろう」

 

「思惑っつったって、魔物集めて暴れさせる以外なんかあんのか? 魔族の背後にいるやつなんざ、魔王か魔将くれぇだろうしよ。どっちにしろ、ヤっちまや一緒だろ」

 

「……時々、お前が羨ましくなるよ」

 

「バカにしてんのか?」

 

「羨ましいと言っただろう」

 

 実際、これはお互いに性分というやつで、それこそどうしようもないものなのだろう。

 

「さて、長期に渡って領主が成り代わられていた以上、本物の領主は監禁か、最悪の場合すでに殺されていると見るべきだろう。叶うなら、屋敷内を捜索しておきたいところだが……あぁ、目の前の穢れの処理も考えなければならんか。しかし……」

 

 そんな暇など無いと知らしめるように、ドタドタと複数の足音が向かってくる。

 

「おい、お前ら! すぐにここを…………うわああぁぁぁ! お前ら、とうとう領主までヤっちまったのか……!」

 

 各所に散っていたはずの仲間がやかましく集まると共に、執務室の惨状に悲鳴を上げ出す。……いや待て。とうとう、とはどういう意味だ。

 

「手短かに説明するのは難しいが、一応これには理由があってだな。実は領主は――」

 

「どうせ表の衛兵と一緒で魔物が化けてたとかそんななんだろが! いいからとっとと脱出すんぞ!」

 

 理解が早くて助かる。

 しかし……この慌て様は、少々気になるな。

 

「もしや、もう人が集まってきたのか? 随分と早い気もするが」

 

「それどころじゃねえよ! どこから嗅ぎつけたのか知らねぇが、もう屋敷の表門まで近づいてやがるんだよ!」

 

「何が」

 

「俺らのそもそもの目的だ! あいつらがすぐそこまで来てんだよ! ――――勇者が!」

 

「「――ほう?」」

 

 その名を耳にしたオレとジャイールは同時に目を輝かせ、興味深げに声を上げた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

28節 次の目的地

 食堂で満腹になるまで食べたあと、割り当てられた部屋に向かった。

 部屋は、ベッドが二つと調度品、観葉植物などが置かれただけの簡素なものだったが、観光客向けの宿だけあり、清潔感を感じる綺麗な部屋だった。

 

「今日はいろいろあって疲れたねー」

 

 荷物を降ろしながら、全く疲れてなさそうな声でアレニエさんが言う。

 他の冒険者に襲われたり、一日中移動に費やしたりと、条件は同じなのになんでここまで差が出るんだろう……と、もはや一歩も動けない私はベッドに腰を預けながらぼんやり思う。

 

 いや、違う。私は昨夜の見張りだって彼女に任せきりだった。

 同じどころか、より負担が掛かっているはずなのに、アレニエさんに疲労の色はほとんど見えない。こういうのも経験の差、なのだろうか。今も彼女は、荷物を降ろしてすぐに部屋を出ようと――……部屋を出る?

 

「アレニエさん……? どこか、出かけるんですか?」

 

「うん。ちょっとここのギルドに顔出してくるよ。明日すぐ出発するし、噂とか聞けるの今夜くらいかなーと思って」

 

 ……本当に、私とそこまで変わらない体格で、どこにそんな体力が……

 

「それなら、私も……」

 

「ほんとにちょっとだから、リュイスちゃんは休んでていいよ。それじゃ、行ってくるねー」

 

 それだけ言い置くと、彼女は足早に部屋を出て行ってしまう。

 戸締り、施錠の音。それから廊下を踏みしめる靴音が、トン、トン、トン、と階段を降りる足音に切り替わるが、それも段々と遠ざかっていく。

 

「……」

 

 一人残された私は、しばらく部屋の内装や、念のため荷物に目を向けるなどしていたが、安全だと評判の宿は盗人どころか、他の宿泊客の気配すら感じられず、すぐに手持ち無沙汰になってしまう。

 

 そうなると必然、今度は疲労による睡魔がまぶたを閉ざそうとやって来るもので……次第に、私は…………――――

 

 ――――ガチャリ。バタン。

 

「ただいまー」

 

「……はっ!?」

 

 唐突に耳に響いた声と物音に、跳ね起きる。

 目の前には、先刻部屋を出たはずのアレニエさんの姿。なにか、丸めた紙状の物を手に握っている。外出する前には持っていなかったはず……

 

「(……え……え……? ……私、いつの間に……!?)」

 

 どうやら座ったまま、気づかぬうちに寝入ってしまったらしい。前後の記憶があやふやだ。

 

「今のとこ、変わった噂はなんにもなかったよ。新しい勇者とか、魔王が復活とかはちらほら耳にしたけど、わたしたちはもう知ってるやつだしね。まあ、取り立てて面倒ごともないみたいだから、旅する分にはありがたいかな」

 

 寝起きの頭に後ろめたさも加わって、言葉の内容があまり頭に入ってこない。

 

「あ、ごめん。寝てた?」

 

「寝てな……! ……くはないです……」

 

 なに言ってるんだ、私。

 

「今の面白かったから、これあげる」

 

 そう言うと、彼女は手にしていた紙をこちらに渡してくる。

 受け取り、広げたそれに描かれていたのは、簡略化された大陸の形状と、その内部の地形や国などの分布を絵に起こした図。つまり地図だ。

 

「地図ギルドが去年改訂したばかりの最新の地図。やー、危なかったよ。ほとんど全部売れちゃって、それが最後の一枚だったって」

 

 説明しながら、彼女は身につけていた鎧を手早く脱いでいく。

 

〈シンヴォレオ未開地開拓協会〉――通称、地図ギルドは、『世界の全てを地図に収める』ことを目指す組織だ。名称は、千の耳と万の目で世界を監視するという契約の神から戴いている。

 

 目指すという言葉通り、その目標はいまだ達成されていない。危険を伴う魔物の領土での測量は難航しており、今も開拓は続いている。

 

 街の外に出る者にとって、地図の有無や精度は死活問題だ。彼らに協力し、未踏の領域を調査することも、冒険者の重要な仕事の一つとされていた。

 

「寝る前に、これからの道順まとめとこうと思って」

 

 私の隣に腰を下ろし、彼女は並んで地図を眺め始める。

 

「えーと、今わたしたちがいるのがここ、クランの街」

 

 彼女は地図の左下、大陸南西部を指し示す。

 そこからスーっと指を動かし、ある一点で指を止めた。

 

「で、例の人が見た、問題の場所がここ。だよね?」

 

「……はい」

 

 指し示したのは、地図上中心から東側。この街から北東にずっと進んだ位置に描かれた森林地帯、ラヤの森。

 

「まっすぐ行ければ早いけど、途中にペルセ川が流れてるからね。ちょっと迂回して橋を渡って……」

 

 ペルセ川は、この辺りの陸地を分断している長大な河川だ。

 古くから人々に恵みをもたらしてきた水源だが、川幅が広く、流れも速いため、泳ぐのはもちろん、季節によっては船でも向こう岸に辿りつくのが難しい。安全に渡るには、数か所に設けられた橋を使うか、海まで出て回り込むかになる。

 

「……だから、……の朝一番で街を………て……」

 

「(……?)」

 

 ふと気づくと、それまでは普通に届いていたはずの彼女の声が、遠く、途切れ途切れになっていた。どうしたんだろう……

 ……違う。途切れているのは、私の意識だ。

 

 アレニエさんの穏やかな声が、耳に心地良く響く。

 一度は去ったはずの睡魔がその声に誘われ、いつの間にか活動を再開していた。意識を失ってはまた戻り、ふらふらと繰り返し舟を漕ぐ……

 

 ぽすっ

 

「ん?」

 

 ……あ、れ?

 

 ふらついていた頭を支えてくれる、ほのかに温かい感触。

 

「……ふふ。ちょっと嬉しいな、こういうの。妹ができたみたいで」

 

 先程より近くなった彼女の声が、耳元をくすぐる。そしてなにか(多分彼女の手だろう)が、私の髪を優しく撫でるのも感じた。これって……

 

「(……私もしかして、アレニエさんに寄りかかって、る……?)」

 

「でも、寝るならちゃんと横になったほうがいいかな。明日も早いし、先に寝ちゃってていいよー」

 

 肩を借りた気恥ずかしさも冷めぬうちに、ふわりとベッドに寝かされてしまう。

 もちろん、正直に言えば今すぐ眠ってしまいたい。体は言うまでもなく、心のほうもまだ色々処理しきれずクタクタだ。

 だからといって、昨夜に続いて私だけ先に寝るのも、これからの進路を任せきりにするのも……

 

「ダメ、です……私も、一緒、に……」

 

「じゃあ、その態勢のまま聞いててくれるかな。おねーさんが子守唄代わりに声に出して確認するから」

 

 あくまで私を休ませようとする彼女に、つい反発してしまう。

 それはこちらの体調を心配してくれているのだとしても、同時に未熟さを突き付けられているようにも感じて……けれど……

 

 昨夜の固い地面とは正反対の、ふわふわとした柔らかな寝床。全身が包み込まれていくような極上の心地。

 疲れ切った体では抵抗もできず、もはや指先を動かす気力すら湧いてこない。

 まぶたが、緩やかに落ちていく。意識も、もう半分以上、働いていない……

 

「……ここから橋……馬を急がせ…………くらい…………途中で……」

 

 彼女の声もすでに、先刻と同様、途切れ途切れにしか聞こえなくなっていた。

 ああ……ダメだ。頼りきりで申し訳ないとは思いつつも、襲い来る眠気に抗えそうにない。

 それに、今無理をして翌朝起きられなければ、結局は彼女に余計に迷惑がかかってしまう。

 

 不甲斐なさを呑み込み、無理やり掴んでいた意識を私は手放す。彼女の言う通り、きょうはこのままねむらせてもらおう……

 

「……橋の……にある、フェルム村で……して……」

 

 ……ふぇるむ……? あれにえさん、わたしのこと、よびましたか……?

 すみません、いまは、とてもめをあけられそうになくて……でも、どうして、わたしのなまえの、むら……?

 ふぇるむむら…………――フェルム村……!?

 

「……――!?」

 

 閉じかけた意識が急速に覚醒する。ベッドに預けていた上体を跳ね上げる。彼女は今何と言った?

 

「あれ? でもここ、今は廃村になってる? ……ん? フェルム?」

 

 遅れて廃村の記載に気づいたのか、アレニエさんも地図から目を離し、こちらに視線を向ける。

 

「リュイスちゃん……この村って、もしかして……」

 

 少しだけ、口調に躊躇いを覗かせる彼女に、私は内心の動揺を抑えつけながら言葉を返した。

 

「……はい。私の……故郷です」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

29節 望まぬ帰郷

 夕日に照らされた広場の一角。居住地域から少し離れた、開けた空間。

 辺りは一面繁茂(はんも)した下草に占領され、長い間誰も足を踏み入れていないのが見て取れる。

 

 中央には簡素な石碑のようなものが一つだけポツンと置かれており、下半分は周囲と同じように緑に覆われている。

 風雨に晒され、所どころ掠れていたが、石碑の上部には短い文章が刻まれていた。

 

『フェルムの民、眠る』

 

「(これ、誰が書いたんだろう……)」

 

 どうでもいい疑問が、頭を(よぎ)る。

 碑文が語る通り、ここは私の故郷フェルム村であり……この村の住人達の、共同墓地だった。

 石碑の下には私の両親も含めた、村の住人たちの遺体が収められている。この中に入っていないのは、今ではたったの一人。

 

 手を組み合わせ、目を閉じて祈る。

 村の皆が安らかに眠れるように。叶うなら、無事に『橋』を渡れているように。

 それから――……

 

 祈りを終え、ゆっくりと瞳を開く。

 顔を上げ振り向くと、離れた場所で待っていたアレニエさんと目が合った。

 

「終わった?」

 

「……はい」

 

「じゃあ、行こっか」

 

 彼女は広場に背を向け歩き出す。

 私も続こうと足を上げかけたが、その前にもう一度石碑のほうに振り向き、その下の住人たちに視線を向けた。

 

「(――それから……ごめんなさい……)」

 

 胸中で謝罪し、私もアレニエさんを追って広場を離れる。

 無人の墓地は静寂に包まれていたはずだが、私の耳には彼らの悲鳴が。怨嗟(えんさ)の声が。辺りに響き渡っているように感じられた。

 

 

  ***

 

 

 クランの街に宿泊した翌日、私たちはフェルム村へ向けて馬を走らせた。

 橋までは遠く、一日ではとても辿り着けない。途中、どうしても宿泊できる場所が必要になってくる。

 けれど他の町や村を経由する場合、地理的にどうしても遅れが出てしまう。

 クランから船に乗ることもできたが、その先の港から『森』までには距離がある。結局、最短の道はフェルム村を中継する進路になる。

 

 アレニエさんは別のルートも提示してくれたし、村に立ち寄らず野営するという選択もあった。しかし夜間の安全や今後の天候を考えれば、いくらかでも建物が、せめて屋根がある場所のほうがいい。

 

 そもそも、私の個人的な感情で任務を遅らせるわけにもいかない。一刻も早く辿りつくためにもこのまま進むべきだ。私のことは気にしないでほしい。そう、彼女に進言した。

 

 ……いや。私はむしろ、ここに来ることに固執していたのかもしれない。

 理由をつけて彼女の申し出を断ったのは、故郷の今を知りたかっただけかもしれない。

 

 アレニエさんは私の内心を知ってか知らずか、村に向かうことを反対しなかった。

 早朝から馬を走らせ、陽が中天を過ぎたあたりで、私の故郷、フェルム村に到着した。

 そして、村の現状を目の当たりにする。

 

 

  ***

 

 

 建物はそのほとんどが、なにかで殴りつけて破壊されたような痕跡や、巨大なひっかき傷などが残ったまま打ち捨てられていた。完全に倒壊しているものも少なくない。

 

 村の生計を(まかな)っていた田畑はどれも枯れ果て、雑草が生い茂っている。再び農地として使えるようにするのに、どれだけの労力がかかるだろう。

 

 そして子供の遊び場や祭りの会場になっていた広場は、今や住人全員の共同墓地に変わってしまった。

 

 誰もいない荒廃した故郷は、一見しただけでは自分の記憶と一致してくれない。

 こうして見回っている今も、まるで別世界のように感じられてしまい、帰って来たという実感は湧かなかった。

 

 

  ――――

 

 

 村の惨状に思うところはあるものの、とりあえずは休める場所を探す必要がある。

 見上げれば、にわかに暗い雲が出始めている。これから大きく崩れるかもしれない。降り出さないうちに、雨風をしのげる建物を見つけておきたかった。

 

 それに私たちもだが、馬も休ませなければいけない。

 到着するまでわずかな休憩で急がせてしまったため、そろそろ彼らの体力も心配だった。

 

 本格的な探索の前に共同墓地で祈りを捧げ、「わたしは余所者だから」と広場の外で待っていたアレニエさんと合流し、一夜の宿を探しに向かう。

 

 小さな村だが、建物の数はそれなりに多い。

 けれど多くが一目で分かるほど倒壊していたし、一見無事に見えても内部の損壊が激しい家屋などもあり、思った以上に探索は難航した。

 

 途中、おぼつかない記憶を頼りに、自分が暮らしていた家も発見したが、他の建物と同じか、あるいはそれ以上に壊され、崩れていた。

 

「(……私の家、こんなだったかな……)」

 

 生家を見ても、やはり実感は湧かない。

 幼い頃の記憶とは変わり果ててしまったせいもあるが……いや、今はそれは置いておく。

 

 夕刻に差し掛かるあたりで、他の家屋とは一回り大きさが違う建物に辿りつく。平屋ばかりのこの村には珍しい、二階建ての建物だ。

 

 ここは……確か、村長の家だったろうか。村で暮らしていた頃もあまり立ち寄る機会はなかったが、多分そうだ。

 

 周囲の柵や入り口は壊れていたが、その他の箇所は損傷が少ない。それにここには、厩舎もあった。

 

 大まかに見回ったが、ここが一番建物としての機能を残しているようだ。少なくとも、雨風は問題なくしのげると思う。

 

「お邪魔します……」

 

 誰もいないのは分かっているが、一言断ってから中に入る。

 

 内部は(当然だが)人の気配もなく、内装も風化しており、埃まみれだった。

 各部屋や屋根を確認し、無事に使えそうな一階のリビングに荷物を降ろし、簡単に掃除をして寝床を整える。

 その後、村の入り口に繋いでいた馬を、厩舎まで連れてきた。これで、ようやく少し落ち着けるだろう。

 

 リビングの暖炉(煙突は煤と埃だらけだったが、アレニエさんがなんか蹴って出した風で吹き飛ばしていた)に枯れ木を集め火をつけ、簡単に食事を取り、私たちは一日を終える。

 

 最初の見張りは、私がすることにした。

 先日は結局朝まで眠ってしまったので、今回は自分が最初にやると強く主張したのだ。彼女は苦笑しながらも了承してくれた。

 

 少しすると、目の前で目を閉じていたアレニエさんから、穏やかな呼吸音が聞こえてくる。もう眠りについたらしい。

 スー、スー、と、静かな寝息を立てて眠る姿は、同性の私から見ても可愛らしいと思う。この寝顔だけを見たら、冒険者としての彼女とは結び付かないかもしれない。

 

 しばらく、ぼんやりとその様子を眺めていたが……

 やがて私は静かにその場を立ち、彼女を起こさないように足音を忍ばせ、そっと出口に向かった。

 

 

  ***

 

 

 夜の空気は、思った以上に冷たいものだった。

 先刻まで暖かい部屋の中にいたのもあり、余計に寒く感じてしまう。吐き出した息は、白く染まっていた。

 

 上昇する呼気を追いかけるようにして、私はすっかり暗くなった空を見上げた。

 月が、星が、まばらに暗闇を照らしていたが、先刻より量を増した雲がそれらを度々遮ってもいた。やはり、明日の天候は(かんば)しくないかもしれない。

 

「はぁ……」

 

 怪しい雲行きに、自然と口からため息が漏れてしまう。

 ……いや、それだけじゃないのは、自分で分かっている。

 

 私は、幼少時を過ごした故郷に帰ってきた。住人は誰もおらず、地図上ではすでに廃村となった村へ(今思えば、〈剣の継承亭〉のマスターが私の名に怪訝(けげん)な反応を見せたのは、村の現状をどこかで聞いていたからなのだろう)。

 

 普通の人ならこんな時、どんな気持ちを抱くだろう。

 悲しみ。寂しさ。懐かしさ。そういったものだろうか。

 

 通常湧き上がるだろうそれらの感情は、けれど私の中には生まれてこない。

 半壊した自分の家を目の当たりにしても、それは変わらなかった。代わりに浮かび上がってくるのは――虚無感と、罪悪感。

 

「はぁ……」

 

 再び、ため息がこぼれる。

 

「リュイスちゃん?」

 

「ひゃいっ!?」

 

 その声は、背後から聞こえてきた。

 慌てて振り向くと、黒髪を夜闇に溶け込ませ、気配もなく無音でその場に立つ女性の輪郭が、少し離れた位置に浮かび上がる。アレニエさんだ。

 

 彼女に驚かすつもりはなかったのだろうが、中で寝ているものとばかり思っていたので完全に油断していた。……心臓が飛び出るかと思った。

 

「外に出ていくのが見えたからさ。近くに魔物とかはいないみたいだけど、念のため」

 

「すみません、起こしてしまって……」

 

 気を付けたつもりだったが、結局部屋を出る際に眠りを妨げてしまったようだ。

 

「あぁ、平気平気。元から外だとぐっすり眠れないんだ」

 

「え……」

 

 むしろ平気に思えない台詞を口にしながら、彼女はこちらに歩み寄る。

 思い浮かんだのは、初めて会った際にテーブルでぐっすり眠っていた姿だった。もしかして、自宅じゃないと安心して眠れない、とか……?

 

 隣に来ると、彼女はつい先刻私がそうしていたように、雲に覆われつつある空を見上げる。私も釣られて、再度夜空を見上げた。

 

「雲が増えてるし、明日は降るかもね」

 

「そう、ですね……」

 

 わずかな沈黙の後、気持ちに引きずられるように下を向いてしまう。

 彼女はなにも聞いてこない。私が黙って外に出たことを咎める様子もない。彼女なりに気を遣ってくれているのだろう。

 

 けれど今の私は、その優しさに耐えられそうにない。

 早く切り替えるべきだと頭で考えても、一度沈んでしまった心は浮かんできてくれない。

 しばらく顔を伏せたまま、夜風に頬を撫でられていたが、やがて私は、自分から沈黙を破ることを選んだ。

 

「……なにも、聞かないんですか?」

 

「なにか、聞いてほしい?」

 

 即座に、そう返される。

 

「……分かりません」

 

「わたしも、聞いていいのか分からなくて」

 

 彼女も、どうするべきか迷っていたのだろうか。

 

「でも、もし、リュイスちゃんが話してすっきりするんだったら、聞くよ? ……隠し事抱えるのって、結構疲れるしね」

 

 どこか実感がこもっているようなその言葉に、心が揺れる。

 

 過去を、秘密を知られる恐怖。誰にも話せず抱え込む苦痛。

 他人に知られるわけにはいかない。でも、誰かに全部話してしまいたい。

 どちらが本心か、自分でも分からない。あるいは、両方とも本心かもしれない。

 理性が覆い隠していただけで、水面下では常にせめぎ合っていたのだろう。

 

 冒険という異質な環境。不意に聞いた故郷の名。直接目の当たりにした村の惨状。

 それらが崩した均衡(きんこう)は、底に沈めていた罪悪感を、目を逸らせないほど膨れ上がらせていた。

 

 もう、抑え込んでおけない。少しでもいいから楽になりたい。……たとえ、その先で断罪されると分かっていても。

 

 それに、「ここまで付き合わせた彼女になにも話さないのは不誠実では」、という、少々場違いながら、(私にとっては)もっともらしい理由もあった。

 

「……じゃあ、聞いてもらえますか……?」

 

 正常な判断はできていなかったと思う。けれど一度流れ出した言葉は、もう、止まりそうになかった。

 彼女の厚意に甘えるかたちで、私は胸に溢れたものを吐き出し始める。

 

「――……この村は、私が滅ぼしたんです」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

30節 告解

 フェルム村は王国内の食料を生産するための農村の一つで、それ以外は取り立てて見るところのない、小さな村だった。

 住人の多くが農作業に従事する農民で、私の両親もその一員として働いていた。

 二人は村に生まれ、村で出会い、大きな事件も障害もなく、平穏無事に結婚した。

 

 特別なものなど何もない、ごく普通の夫婦。

 その二人から生まれた私も同じように、平凡な村人の一人として、一生を終えるはずだった。

 私はただの子供で、優しい両親に育てられ、二人の手伝いをしながら成長し、二人と同じようにこの村で暮らしていく――……

 

 が、実際には、そうはならなかった。

 特別ではない二人から生まれた私は、なぜか特別な力を持って生まれてきてしまった。

 

 最初は皆、物珍しがっていただけ、だったと思う。

 そのうちに、私の力でお金を稼ぐという悪魔の囁きを、両親のどちらかが聞いてしまった。

 

 ペルセ川流域に暮らす人の多くは、河川の女神、『水を持つ者』カタロスを信仰している。

 両親は、私がカタロスの祝福を受けた御子だと噂を流し、加護を求める人々から金品を受け取るようになっていく。

 

 

 見世物にされているうちは、まだ良かった。私の力は小さなもので、そこまで期待はされていなかったから。

 問題は、私の力が時折、普段より強く現れることにあった。

 不用意に何度か見せてしまったそれが、周りの大人たちにとって余程劇的で、魅力的だったらしい。味を占めた彼らは、再びそれを使うよう何度も私に求めた。

 

 けれどそれは自分の意思では扱えず、いつ現れるかも分からないものだった。使うように言われても、私にはどうにもできない。

 業を煮やした両親は、次第に私に辛く当たるようになる。

 

 そして彼らにとっては幸運な――私にとっては不運でしかない――ことに、それが、力を引き出すきっかけになってしまった。

 

 

 私の力は、私の体や心に大きな負荷がかかった時、危険を知らせるように強く発現することがある。

 それを知った両親、及び村人たちは、無理矢理力を引き出そうと、私に暴行を加えるようになった。

 

 条件が正しかったのかは分からない。今思えば、暴行を受けている時に偶然発現しただけかもしれない。

 日に日に私は疲弊し、ただただ人々の仕打ちに耐え、言われたことをこなすだけの生き物になっていった。やがて感情は摩耗し、なんの反応も示さなくなった。

 

 

 そんな生活がしばらく――どのくらいかはよく思い出せない――続いたある日。不意に強く現れた私の力は、この村に魔物の群れが迫っているという危機を知らせてきた。

 

 すぐに警告すれば、皆を避難させられたかもしれない。

 けれどその頃の私は他人を、どころか自分をも、気にかけるような心が残っていなかった。やがて襲われるのは理解しつつも、焦燥も、恐怖も、なにも感じなかった。

 

 普段は魔物の被害などほとんどない、ただの農村だ。備えは少しの武器と、田畑の警護に雇った駆け出しの冒険者だけ。

 誰も知らぬままにどこからか群れは現れ……村は壊滅した。

 

 

 私は、なにもしなかった。

 外から助けを求める声が聞こえても。

 両親が目の前で悲鳴を上げていても。

 その悲鳴が、いつの間にか消えていたことに、気づいていても。

 

 魔物はその後、近隣の村から知らせを受け到着した、アスタリア神殿の神官団が一掃した。

 駆け付けた神官の一人に抱きしめられ、その温もりに触れても、私はなんの反応も示さず、母だったものの冷たい手を握り続けていたらしい。

 その時の神官――クラルテと名乗る女性に私は保護され、彼女の養子として神殿に引き取られた。

 

 

  ***

 

 

 村から離れても心は擦り切れたままだったが、私は周囲の求めに唯々諾々と従い、神官としての知識や技術を学習していった。

 法術に関しても学んだが、この時は授かることができなかった。

 当たり前だ。法術が信仰心の――心の発露であるなら、それが動かない人間に授かれるはずもない。

 

 

  ***

 

 

 神殿に引き取られ数年が経過した頃、義理の親であるクラルテが総本山に呼ばれ、私も共に移る運びとなった。

 

 総本山でもそれまでと変わらず、言われるままに教義を覚え、訓練を受ける毎日。

 周囲から無遠慮な視線を向けられ、何事か言われることもあったが、それらは私の心に何も残さず、通り抜けていくだけだった。

 

 

 連れられて来ただけではあっても、他の神官と同じように務めは果たさなければならない。その中に、市井(しせい)の神殿や施設などへの慰問も含まれていた。

 ある日私は、そうした慰問の一環で訪れた施療院で、死に瀕した少女を診ることになる。

 

 しかし……そこで私に出来ることは、何もなかった。

 私の持つ知識や技術では苦痛を和らげることもできず、ただ最期を看取るしかできないのだと、理性は冷静に理解した。

 

 まだ幼いその身から、少しづつ熱が――命の気配が失われてゆくのが、触れた手から伝わってきた。

 一人の人間の生が終わり、アスティマのもたらす死に飲み込まれる……その実感は私の胸にまで暗い穴を空け、内側から何かがこぼれ落ちていく。

 

 何がこぼれているのか、初めは分からなかった。だってそこにあるのは、もう動かないはずの――動かないと思っていたはずの、私の……

 

 気づけば私は――私の心は。その死に抵抗するかのように、激しく動いていた。

 記憶が、あるいは精神が混濁していたためか、ハッキリとは憶えていなかったが、私は目の前の命を繋ぎ止めようと、必死に治癒を続けていた(治癒の法術もこの時授かった)らしい。

 ――結局、この施療院で私に空いた穴は、自力で塞ぐことはできなかったが。

 

 

  ***

 

 

 感情を取り戻した私は、少しづつ普通の生活が送れるようになっていった。

 けれど心が動き始めたことで、同時に気づいてしまった。……この総本山に、私の居場所などないという、どうしようもない現実を。

 

 私がこの最高峰の神殿に所属しているのは、保護者である司祭さまが招かれたのと共に、例の力の保護と管理も兼ねていたからだ。

 私自身、誰かに悪用されるのを恐れたし、一方で力を授かったことには意味が、責任があるとも思った。適切に役立てられるなら、そうすべきだと。

 

 しかし経緯を知らない他の神官にとって私は、実績もなく、家柄もない、正体不明の異分子でしかない。

 

 私が司祭さまの養子だと公表できないのも災いした。

 クラルテ司祭は先代勇者を守護した英雄であり、一代で貴族に取り立てられた、世界的に注目される人物だ。多くの人が、彼女と親交を深めようと目を光らせている。そこに、私が養子と名乗り出ればどうなるか、結果は火を見るより明らかだ。

 

 力を秘匿するつもりなら、注目を集めるわけにはいかない。かといって、目の届かない場所にも置いておけない。

 

 妥協点として、私はあくまで司祭さまに師事する弟子、及び傍仕えとして扱われ、ある程度距離を置いて接するよう取り計らわれた。

 むしろそうしなければ、司祭さまは表立って私を庇い、不平等だと糾弾されていたかもしれない。そんな形で足を引っ張らずに済んだのは、不幸中の幸いではあったが。

 

 いずれにせよ私は、所属の大半を占める貴族。実力で選ばれた平民。そのどちらにも受け入れられないまま、彼女らと寝食を共にせざるを得ない。

 なのに、ここにいる理由を明かすことはできず、ここを出ることも許されない。抜け道のない閉塞感を抱き続けて、この場所で生きていくしかない。

 

 そして徐々に……村での記憶が、私を(さいな)むようにもなっていった。

 

 忘れたことはなかった。

 けれど、感情を失っていたそれまでの私は、過去を気に留めようとしなかった。

 蓄積されたそれを、取り戻した心は否応なく直視させる。罪の意識は日ごとに増大していく。

 

「貴女に責任はない」と司祭さまは仰ってくれたが、それは私の事情を知っているから――家族だから、そう言うしかなかったのだと思う。

 客観的に見れば、私の行いは受け入れ難いはずだ。なにより、私自身が、私を受け入れられない。

 

 私は咎められるべき罪人で、償うために生きなければならない。

 誰も助けられなかった私は、今度こそ誰かを助けなければならない。

 

 自責と強迫観念を抱えながら、誰にも受け入れられずに生きてきた私にとって……今回の任務は、アスタリアからの啓示のように思えた。

 

『世界を救う勇者を助ける』という善行を為せたなら、私の罪も、幾許(いくばく)かの許しを得られるかもしれない。

 その功績を持ち帰ることができれば、もしかしたら皆に、認められるかもしれない。

 あるいは、それが叶わなかったとしても――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

31節 瞳と表情と

 話し終え、俯き、視線を彷徨(さまよ)わせる。

 自身の罪を告白するのは苦痛ではあったが、吐き出すほどにそれが和らいでいくようにも感じていた。

 内に抱え込み続けた日々が、自分で思う以上に重荷になっていたのかもしれない。神殿に告解に来る人が後を絶たないのも、今なら理解できる。

 

「……こんな話を聞いていただいて、ありがとうございました」

 

 私が抱えていたつまらない事情。他人に聞かせる価値も無いどうしようもない話。

 ここまで聞いてもらっただけでも感謝しているし、その代償が軽蔑だったとしても仕方がない。覚悟しながら、顔を上げる。

 

 そうして私の目に映し出されたのは、けれど蔑視ではなく……なにかを考え込む様子で俯く、彼女の姿だった。

 

「……今の話に、色々言いたいこともあるんだけど……それとは別に、ちょっと聞いてもいいかな」

 

「……はい」

 

 言いたいこと。そんなもの、糾弾以外に思いつかないが、あからさまに侮蔑されなかっただけでも安堵してしまう。宣告が先延ばしにされただけかもしれないが――

 

「つまり……例の『目』の持ち主は、リュイスちゃん、ってことで、いいのかな」

 

 沈黙する。

 

「……どうして、そう思うんですか?」

 

 それは、ほとんど肯定したも同然の問いだったが。

 

「んーと、最初の違和感は、初めて会った時かな。リュイスちゃん、『〈流視〉を知っている人間は神殿でも限られる』って言ってたでしょ? なのに、階級が低いはずのリュイスちゃんがそれを知ってるのはなんでだろう、って」

 

 ……そんな、初めの頃から?

 

「その時は、ちょっと疑問に思った程度だけどね」

 

「それなら……」

 

 いつ、なにをきっかけに……?

 

「少なくともただの下級神官じゃない、って確信したのはその後。あのなんとかくんを斬ろうとしたのを、リュイスちゃんが止めたからだよ」

 

「……ジャイールさんとの決闘の、最後……?」

 

「そ。その最後の一撃。使うのに、色々条件もあるんだけど――」

 

 初めて見せる相手であること。

 相手を守勢に回らせること。

 相手が、それでも反撃してくるほどの手練れであること。

 そして、その反撃を受け流した不自然な体勢に全身の『気』を乗せるため、なるべく地に足をつけた状態で放つこと――

 

「剣を持つ魔物は少ないし、魔族も技を磨いたりしない――持ち前の腕力だけで十分だからね。だから、使う相手は主に人間の剣士。人殺しの剣なんて誇れるものじゃないし、いつでも使えるわけでもないけど……条件さえ満たせば、〝誰もかわせない〟」

 

 剣士殺しの、必殺剣……

 

「だから使うのは、相手を本気で〝斬る〟って決めた時だけ。目の前の相手はもちろん、(はた)から見てたとしても、仕掛けに気づくのは剣を振り切ってからになる。たとえそれが、どれだけの達人でもね」

 

 私は今さら自身の迂闊(うかつ)さに気づいたが……同時に疑問が、そして――こんな状況だというのに――好奇心が湧いた。

 

「それは……相手が、〈剣帝〉さまだったとしても?」

 

「……やっぱり、リュイスちゃんは面白いなぁ」

 

 彼女はなぜか少し嬉しそうな、それでいて挑戦的な笑みを浮かべる。

 

「もし観察してたのが〈剣帝〉でも、技を出す前には見切れない。実際にやり合っても、〝完全に初見なら〟当てられる。まあ、そもそも〈剣帝〉相手じゃ、使える状況まで持っていくのが難しいだろうけど、ね」

 

 自信があるような冷静なような。

 

「……私が、どこかで同じものを見聞きしていた可能性は……?」

 

 騎士団や剣術道場などは、自流派の技を一部公開している。

 また、決闘を見物した者が、あるいは生き残った決闘者自身が、見聞きした技を他者に伝える場合もある。彼女の剣技が、そうしたものの一つであれば――

 

「それはないよ。だってあれ考えたの、わたしだし」

 

「――」

 

「《透過剣(とうかけん)》、って、わたしは呼んでる。今まで初見で防げた相手はいないし、誰かに教えたこともないから、多分、誰にも伝わってない。初めて見せた時は、とーさんにも通じた実績があります。そもそもとーさんに一発入れるために考えたんだけどね」

 

 あぁ……だから剣士相手の技……

 

「つまりリュイスちゃんが止めたのは、誰も知らないはずの技。ううん、知っていてもいつ使うかなんて分からないし、普通の『目』なら交差する一瞬しか見えないはずの技。それを、あなたは〝振り切る前に〟止めてみせた」

 

「……」

 

「それに、あの時リュイスちゃんが呼んだのは、わたしの名前だけ。わたしだけを止めようとしてたよね。単純に、あの時は彼の名前を知らなかったのもあるだろうけど……今の話聞いてようやく、リュイスちゃんと例の『目』が繋がった。あの時のリュイスちゃんには、わたしたち二人の動きの流れが。その流れの行きつく先が。全部見えていたんじゃない?」

 

 ここで私は、はぐらかすのを諦めた。

 

「…………はい。ご推察の、通りです」

 

 まだ躊躇(ちゅうちょ)しながら……けれどハッキリと、肯定する。

 物事の流れを見る瞳、〈流視〉を持つ者は、私、リュイス・フェルムであると。

 推測が的中したからか、彼女はほんの少し、満足気に息を漏らす。

 

「どうりで、いろいろ詳しいわけだ」

 

「はい……当たり前ですよね。私自身が、持ち主なんですから」

 

「じゃあ、普段神殿から出ないっていうのも?」

 

「出ない、というより、出られない、ですね……依頼する際に説明した通り、必要時以外は外出も制限されていますから」

 

「ふむ。他に知ってるのは、あの人だけ?」

 

「それと、教主さまを含む数人だけです。公にならないよう、司祭以上で信用の置ける方だけに打ち明けています。その中で、長期にわたって神殿を空けても問題のない、身軽な立場の者は、私しかいませんでした」

 

 だから私自身が依頼人となり総本山を離れることを、特例として許可してもらった。

 

「あの人は、反対したんじゃない?」

 

「……猛反対されました。私では、命を捨てに行くようなものだ、と。といっても司祭さま自身も、神殿を空けるのを周囲に反対されてしまったので……」

 

「その辺は、最初に説明してた通りなんだね。……そういえば例の、なんとかって貴族の司祭には?」

 

「ヴィオレ司祭には、明かしていません。ですが、私の不自然な経歴や、クラルテ司祭との関係性は、元々疑っていたのかもしれません。……もしかしたら、この『目』のことも」

 

「だから、狙われた?」

 

「……結局、彼女の関与は推測でしかありませんが……本当に関わっていたとしても、なんらかの確信がなければ、実行にまでは移さなかったと思うんです。……ただ、詳細までは、調べられなかったんでしょうね」

 

「リュイスちゃんの扱いは、『生死を問わず』、だったもんね」

 

「ええ……依頼人が誰であれ、〈流視〉の力を把握していたなら、おそらく私を生かして捕らえ、利用しようとするでしょうから」

 

「ここの人たちと……同じように?」

 

「……」

 

 それは、私と私の『目』を知る者皆が、危惧し続けてきたことだ。

 誰かに知られれば、私の両親のように囁きに耳を傾ける人が、必ず出る。今度は、金銭欲に留まらないかもしれない。

 

 とはいえアレニエさんに話したのは、彼女なら悪用はしないと、妙な所で冷静な自分が判断したからでもあった。

 依頼を懇願した時、それにジャイールさんたちに報酬を渡す際も、彼女は金銭に執着を見せなかった。少なくとも、それが理由で分別を失いはしないだろう、と。

 

「……この村で穏やかに暮らせていた頃も、確かにあったんです。それがあった、という記憶しか残っていなくて、具体的な思い出も、実感も湧かないんですけどね。なのに……おかしいですよね。皆が〈流視〉に目が眩んでからの、忘れてほしい記憶のほうは、忘れてくれないんです」

 

「うん」

 

「痛くて、苦しくて、悲しくて……でも、段々それに慣れて、薄れていって……そのうちなにも、感じなくなって。感じなくなったのに、なにがあったのかは、憶えてる」

 

「うん……」

 

 噛みしめるように頷くアレニエさんに、私は言葉を続ける。

 

「先程の見立ては、正しいです。ジャイールさんの決闘の時、私には、二人を見ていることしかできなかった。だから、この『目』で見たんです。アレニエさんの推測通り、二人の動きも、その先でジャイールさんが死んでしまう未来も、全て、見えていました」

 

 その未来は、かろうじて止めることができたが――

 

「この村を魔物が襲った時も同じです。これからなにが起こるのか、私には全部見えていた。村の皆が、両親が、その先でどういう目に遭うかも、(あらかじ)め知っていた。なのに私は……それを、誰にも知らせなかった……」

 

「……」

 

「だから、村が滅んだのは、私のせいなんです」

 

 私は自嘲の笑みを浮かべた。少なくとも自分ではそのつもりだったけど……本当に笑えていたかは、分からなかった。

 

 ここは、私の辛い記憶の象徴だ。

 両親に、村人に虐待され、心身共に衰弱し、最後は魔物に蹂躙(じゅうりん)される様を、見ていることしかできなかった。

 故郷に帰ってきたのになんの感慨も湧かないのは、そのせいだ。そもそもどんな感情を向ければいいのか、私自身、分からない。

 

 けれど同時に、そこに住んでいた皆が命を奪われた事実を、見て見ぬふりもできない。警告さえしていれば、犠牲者はもっと少なかったかもしれないのだ。

 

 私が眼前の死に怯えるようになったのは、彼らを見殺しにした罪の意識から、だろうか。

 あの施療院で感情を取り戻して以来、目の前で命が失われるのが、怖くて堪らない。

 相手が助かるまで、この胸の衝動が収まるまで、全て顧みずに動くようになった。

 

 これは、善意なんかじゃない。

 誰かの死に傷つくのは誰よりも自分で、そんな自分を守るために他人を助けようとしているのだ。浅ましい自己満足だ。自分自身に嫌気が差している。

 だから私は、この任務を――

 

「……リュイスちゃん、時々そういう顔してるよね」

 

「……?」

 

 その言葉は唐突で、私は初め、理解できなかった。

 

「今みたいな表情、わたしなんでか見覚えあってさ。それ見てずっともやもやしてたんだけど……やっと思い出したよ。わたしのかーさんと、同じなんだ」

 

「……アレニエさんの、お母さん、と?」

 

「そう。かーさんが…………死ぬ時の顔と」

 

「っ――」

 

 喉元に、刃をねじ込まれたように感じた。 

 

「ううん、それだとちょっと違うか。……死ぬのを覚悟してる顔、って言えばいいのかな。これから命を落とすって分かっていて……それを、受け入れてる顔。そんな顔する理由はさっき聞いた過去と、神殿での今の生活、だよね」

 

「……」

 

「だからリュイスちゃんは、自分より他人を助けようとする。自分の命はどうでもいいと思ってるから」

 

「そん……な、こと、は……」

 

 ない――と、即座に言い切れなかった。

 

「だからリュイスちゃんは、この任務に志願した。『勇者を救うっていう善行のため』。『成功すれば周りに認められる』。それも嘘じゃないんだろうけど、一番の理由は……失敗したとしても、今の状況からも過去からも、逃げられるから」

 

「……」

 

「捨てに行くような、じゃない。リュイスちゃんは、本当に命を捨てに来たんだ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

32節 前を向いて

「…………そんな、こと、は……」

 

 動揺を押し隠し、かろうじて否定しようとするが……私の声は、震えていた。

 

「……私の命は、司祭さまに救われたもので、カタロスの加護まで授かっています。私の勝手で、無碍(むげ)に扱っていいものでは、ありません」

 

 ――嘘だ。私は自分の命に価値を感じていない。

 

「それに。私は、仮にもアスタリアの神官で、アスティマの悪を否定する立場です。最大の悪である死を受け入れるなど、決して許されません。……まして、自分からそれを望む、なんて――」

 

 ――嘘だ。私は神官を名乗るに値しない。今も虚偽を重ね、さらに罪を重ねようとしている。彼女の、指摘通りに。

 

 外からは疑念と侮蔑、内からは罪悪感に(さいな)まれ続ける私の日常。

 心はそれに耐え切れず、さりとて抜け出す道も見出せない。現状はもちろん、この先司祭さまの改革が成し遂げられたとしても、私の状況が大きく変わることはないだろう。それはきっと、私の命が、尽きるまで。

 

 けれど神官である以上、『死』に逃れることはできない。それは教義に背き、自ら悪に首を垂れる大罪だ。〝自分で自分を殺す〟など許されない。

 

 あるいは全てを投げうって実行していれば、確かに現状から逃れることはできただろう。もう、過去に苛まれることもなくなる。……けれど結局、それはできなかった。

 

 私を救い、家族になって下さった司祭さま。

 これからその才覚をさらに発揮し、より多くの人を救うであろう彼女に……私という汚点を、死の穢れを、一生涯背負わせる。……そんなこと、できる、わけがない。

 

 今回の任務は、だからこそ天啓と感じたのだ。

 私の手が届く最大の善行を成し遂げ、なおかつ、司祭さまの名に傷を残さずに逝くことができる、この道筋を。

 

 そんなものに巻き込んでしまう相手だけが気がかりで申し訳なかったけれど……だからこそその相手は、依頼の達成と無事の生還を両立できる、強者が必要だった。アレニエさんなら、きっと――

 

「……うん、分かった。リュイスちゃんがそう言うなら、もう言わない。だから話を元に戻すね」

 

「……元?」

 

「さっきの話を聞いた、感想」

 

「ぁ……」

 

 ああ……そうだった。私の過去の断罪は、先延ばしにされていただけだった。

 けれど、軽蔑され、罵倒されるのも承知で、全て吐き出したのだ。なにを言われたとしても――……はい、大丈夫ですアレニエさん。覚悟は、できています。

 

「あのさ。この村が滅んだのって――」

 

 そうです……滅んだ原因は私にあ――

 

「――別に、リュイスちゃんのせいじゃなかったよね」

 

「――……う? ……え?」

 

 思わぬ言葉に、俯いていた顔を跳ね上げる。

 

「いや、ほら。話を思い返してみても、リュイスちゃんが悪いとこ、特になかった気がするんだけど」

 

「え……え? や、だって……」

 

「だってリュイスちゃん、魔物が襲って来るのを『見た』だけなんでしょ? 別に魔物を呼び寄せたわけでもないし。なら、なんの責任もないよね?」

 

「……わ、私は、村が襲われた時、なにもしなかったんですよ。ちゃんと伝えていれば、皆、逃げられたかも、しれなくて……」

 

 反射的に反論する(なぜ反論してるのかは自分でもよく分からない)が、予想外の反応にしどろもどろになってしまう。

 

「しなかったんじゃなくて、できなかったんでしょ?」

 

「そ、れは……」

 

「しかもそんな状況にしたのも、村の人たちなんでしょ?」

 

「……そう……です……」

 

「ならそんなの全部、自分たちのせいだよね。自分の命は自分で守るものだよ。わたしは冒険者だから、なおさらそう思うのかもしれないけど」

 

 冒険者なら確かに、最低限自身で身を守れなければいけないのだろう。彼らは――他に選択肢がなかったとしても――自ら危険を(おか)す道を選んだのだから。けれど……

 

「……私は、そこまで割り切れません。村には、戦えない人のほうが多かった……なら、加護を授かった私が、皆を助けるべきだった……助けられた、はずなんです……なのに、私は……!」

 

「あのー、リュイスちゃん。もしかしてさっきからわざと言ってる?」

 

「……? なにを、ですか……?」

 

「リュイスちゃんだって、助けられる側じゃないの?」

 

「――」

 

 私、が……?

 

「それとも、ほんとに気づいてなかった? ちょっと変わった『目』は持ってても、その頃のリュイスちゃんはただの子供だったんでしょ? 力のあるなしで言えば、周りの大人の方がよっぽど戦えたはずだよ」

 

「……」

 

 そんなの、考えたこともなかった……

 

「まあ、仮にその頃のリュイスちゃんに魔物と戦える力があっても、同じことだと思うけどね。村の人全員の命なんて、子供一人に預けていいものじゃないよ。それにその加護だって、別に無理に使わなくていいと思うけど」

 

「……加護を、使わなくても、いい……?」

 

「元は神さまから貰ったものでも、今はリュイスちゃんの力の一つでしかないでしょ? 使う使わないはリュイスちゃんが決めていいし、誰かを助けるのが義務、みたいに思わなくていいんじゃないかな。それにリュイスちゃん、その『目』に振り回されるのが嫌になったから、全部捨てたくなったんじゃないの?」

 

「……」

 

「そもそも神さまが加護をくれるのだって、気に入った子に気紛れであげてるだけだよ、きっと。だから、そんなに真面目に受け取らなくても――」

 

「…………」

 

 言葉に詰まる。

 彼女の言葉は終始何の気なく、ただ感じた想いを口にしているだけのようだった。

 だからこそそれは、同情や、口先だけの励ましなんかじゃない、彼女の本心だと感じられる。

 

 厚意に甘え、過去を吐露したが、慰められるのを期待していたわけじゃない。むしろ先に覚悟していた通り、非難されるものとばかり思っていた。

 

 悪いのは私で、村人は被害者だと。

 彼らが生きていれば、私を恨んでいるだろうと。

 

 それなのに彼女は、私は悪くないと言う。村の皆が死んだのは、彼ら自身の責任だと。当たり前のように。

 

「――」

 

 視界が、急に開けた気がした。

 雲に閉ざされていた月が顔を覗かせ、差し込む光に暗闇が霧散していく。晴れた視界の先には、月明かりにほのかに照らされた、アレニエさんの姿が――

 

「えっ」

 

 不意に彼女が驚きの声を上げ、なぜかこちらを窺うように視線を向けてくる。

 

「や、あの、責めてるつもりはなかったんだけど……うあー……」

 

「――……あ、れ?」

 

 いつの間にか私の頬を、水滴が――両の目から流れる涙が、こぼれ落ちていた。

 

 私は、きっと待っていたのだと思う。

 見知らぬ誰かに罪を否定され、許される時を。――そんなことはありえない、と諦めながら。

 知り合ったばかりの彼女がこんな風に言ってくれるなんて、だから想像もしていなくて……

 

 思い返せば、司祭さまも同じように励まして下さっていたはずなのに、私はそれを、身内としての気遣いや贔屓(ひいき)目からだと、無意識に跳ね除けていた。素直に受け止められないほど、視野が狭まっていた。

 けれど、今は――

 

「……その、わたしから話聞くって言い出しといて、泣かせちゃダメだよね。ごめん、リュイスちゃん」

 

 自身の発言が不用意だったと彼女は謝るが、それに私はかぶりを振る。

 

「……いいえ……いいえ」

 

 フェルム村が滅びた原因が私にある、という思いは変わらない。少なくとも、救えたかもしれない命を救えなかったのは、事実だ。

 

 きっと私は、これからも過去を悔い、思い悩む。抱え続けた後悔は、簡単には消えてくれない。

 けれど司祭さま以外にも、私を許し、受け入れてくれる人がいた。それがたとえ、彼女一人だったとしても。

 

 神が触れる手を失ったこの世界に、人が望むような奇跡は起こらない。

 しかし、そうと知った上でなお、この出会いは私にとって、奇跡に近しい。信じられないほどに嬉しい、かけがえのない一人だった。だから――

 

「――……ありがとうございます。アレニエさん」

 

 だから、私は笑顔で感謝を告げる。

 涙を流しながら微笑む私に、初めは驚いた顔をしていた彼女も、次には優しく笑いかけてくれる。

 

「少しは、すっきりした?」

 

「はい……もう、大丈夫です」

 

 死者は帰ってこない。私の罪が消えることはない。

 それでももう、死に逃れようとは思わない。今からでも、ほんの少しずつでも、前を向いて生きていきたい。私の勝手で命を粗末にできないと、今度こそ、心から思える。

 屋内に戻ろうと(きびす)を返すアレニエさんを追って、私も前に、歩き出した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間9 ある二人の司祭

 バンっ!!

 

 と乱暴に、最高峰の神殿に似つかわしくない大きな音を響かせ、目の前の扉が開かれる。

 開けた人物は、ここ、総本山の聖服に身を包み、輝く銀の長髪を腰のあたりまでなびかせた、一人の美しい女性司祭。

 彼女こそは、数多の魔物を自身の拳で打ち倒し浄化させてきた、先代の英雄。〈聖拳〉、シスター・クラルテ・ウィスタリアその人だった。

 

 

 あ、申し遅れました。

 わたし、王都上層の治安維持を担う聖騎士を務めています、ティエラ・ヘラルディナと申します。

 聖騎士は、貴族出身であり、総本山の神官資格も必要という狭き門で、こう見えてわたしも一応エリートだったりします。出番はここだけですが以後お見知りおきを。

 

 そんな挨拶の間にもクラルテ司祭は歩を進めていたため、わたしも慌てて後に続きます。

 

 

「な、なんですか、貴女がた、は……せ、聖騎士!? それに、シスター・クラルテ!?」

 

 クラルテ司祭を呼び止めようと前に進み出たのは、傍仕えと思しき神官の少女。しかし相手の正体を知ると共に硬直し、その足を止める。

 

「――どういった用向きですか、シスター? シスター・クラルテ・ウィスタリア」

 

 代わりに口を開いたのは、この部屋の主、ヴィオレ・アレイシア司祭。紫紺の髪を短く切り揃えた、冷たい印象を抱かせる二十代ほどの女性。やや乱暴に開かれた扉にも動じず、手にするカップを静かに傾ける様は、場違いなほどに優雅だった。

 

「私がなんのために足を運んだのか、貴女なら察しがついているのではありませんか?」

 

「さあ。なんのことでしょう?」

 

 ヴィオレ司祭はあくまで落ち着いた態度を崩さない。その様子にクラルテ司祭は見るからに苛立ちを深め、そして苦労して静める。

 

「……でしたら、単刀直入に伺います。――ヴィオレ・アレイシア司祭。貴女には、シスター・リュイス謀殺の容疑が掛かっています」

 

 言い逃れできぬよう、はっきりと宣告するクラルテ司祭。しかし、その言葉に真っ先に反応を見せたのは告げられたヴィオレ司祭ではなく、傍仕えの少女のほうだった。

 

「どう、して……いえ。な、何を根拠に、そのような……?」

 

 クラルテ司祭は少女を一瞥してから、部屋の入り口に向かって声を掛ける。

 

「クロエ」

 

「はい」

 

 名を呼ばれ、入り口から新たな人物が進み出てくる。

 一人は私と同じ、騎士団支給の鎧に身を包んだ聖騎士。名を、クロエ・テンプルトンという。

 その彼女に連れられて現れたのは、動きやすそうな皮鎧を身につけた若い男だったが、今は上半身を縄によって縛られている。

 

「あ、なたは……」

 

「悪いな、(あね)さん。全部喋っちまった」

 

 男は傍仕えの神官を『姐さん』と呼び、彼女はそれに絶句する。その反応を目にし、クラルテ司祭が語調を強める。

 

「今の言葉通り、全て調べはついています。彼を経由して下層の冒険者に依頼し、王都を出たシスター・リュイスを手にかけようとした、貴女たちの企みは」

 

「……なるほど。言い逃れは意味が無いようですね。ここまで迅速に調べ上げるとは、流石に予想の外でした。ですが、それがどうしたと言うのでしょう?」

 

「……なんですって?」

 

「私の望みは、総本山をあるべき姿に戻すこと。ならば平民の神官など、一人でも多く減るのに越したことはありません」

 

「……貴女っ……!」

 

「そ、そうですよ、シスター・クラルテ。この地は、世界で最も(とうと)き神殿。本来なら、あのような得体の知れぬ平民が勤められる場所ではありません。ましてや、貴女のような英雄が相手にする価値など――」

 

「……っ!」

 

 傍仕えのそれは、ヴィオレ司祭の追い風に乗ったか、あるいはなんらかのフォローのつもりだったのかもしれない。

 しかし、彼女らの言葉を耳にしたクラルテ司祭は、拳を強く、血を滲ませそうなほど強く握り、静かに右腕を上げる。そうして肘を後方に、拳を前方に向け、一言、本当に一言だけ、小さく呟く。

 

「――《プロテクション》」

 

 その名を唱えると共に、人一人の身長ほどもありそうな巨大な光の盾が彼女の右腕の先に現れ……流れるように突き出された右手と共に直進する。

 

「ひっ……!?」

 

 ゴォっ!

 

 と、唸りを上げた光の盾は、傍仕えの少女に当たる寸前でピタリと停止する。さすがに直撃させるのは思い留まってくれたようだ。しかし巨大な盾に()された空気は風を起こし、少女だけではなく、その先にいるヴィオレ司祭の髪や服まで揺らす。

 

「……はっ……! ……はっ……! ……はっ……!」

 

 傍仕えの少女は風圧に圧され、その場にペタリと座り込む。現存する英雄の怒気を間近で受けたからか、全身に冷や汗を浮かべ、呼吸を荒くしている。

 

「貴族に取り立てられて十年が経つというのに、貴女の野蛮さは変わりませんね。憤怒(ふんぬ)の悪魔に囁かれましたか?」

 

 一方のヴィオレ司祭は余裕を崩さない。が、彼女の手にするカップがわずかにカタリと音を鳴らしたのに私は気づいた。

 

「……これは私の怒り。怒るべき時に怒ることは、断じて『憤怒』の囁きなどではありません。私は――」

 

 盾を消失させ、改めてヴィオレ司祭に向き直った彼女の様子が、そこで一変する。

 

「――あたしは、娘の命を狙われて黙っていられるような親には、なりたくない」

 

「娘……本当に、それだけですか?」

 

「……他に何があるっていうのよ」

 

「…………まぁ、いいでしょう。素直に答えてはくれなさそうですし、これ以上貴女を怒らせるのも得策ではないようですしね。……そこの聖騎士の方」

 

「は、はい?」

 

「私たちを捕縛するのでしょう。彼女が本当に暴れ出さないうちに、どうぞお連れくださいな」

 

「あ、はい」

 

 促され、私はヴィオレ司祭とその傍仕えの持ち物を簡単に検査する。ここで逃げ出せば立場がさらに悪くなると自覚しているからか、両者共に存外素直に応じる。

 その様子を眺めながら、クラルテ司祭が口を開いた。

 

「……なんでこんなバカな真似したのよ。あんたなら、真っ当な手段でいくらでもやりようがあったでしょうに」

 

「何を言うかと思えば。貴女がいたからですよ、シスター・クラルテ」

 

「……あたしとあんたが対立してるのは、今に始まったことじゃないでしょ」

 

「ええ。ですが貴女がこの争いに勝利し、司教となれば、今以上に強い発言力を得ることになります。ならばいずれ、改革は成し遂げられてしまう。それを防ぐ最後の機会こそ、此度の選挙だと私は見ていました」

 

「だから今回みたいな強引な手段に出たって言うの? あたしを買い被りすぎてない?」

 

「貴女はもっと、自身の特異さを自覚すべきです。現存する英雄であり、二つの身分を持つ貴女は、それだけで人々の耳目(じもく)を集める存在なのですから」

 

「あたしが支持されてるのは、それだけ今の総本山に不満が募ってる証拠でしょう。あたしも同じよ。アスタリアは誰の祈りも聞き入れるし、『橋』だって誰もが渡れると思ってる」

 

「私は、相応しいのは最上の供物のみと考えます」

 

「……ほんっっと、あんたとは話が合わないわ」

 

「ええ。その点に関してだけは、気が合いますね」

 

 そうして悠然とした態度を崩さないヴィオレ司祭と、かなり憔悴(しょうすい)した様子の傍仕えの少女は、連れ立って部屋の出口に向かう。が。

 

「あぁ、そうです。最後に、一つだけ」

 

 外まであと数歩という位置でヴィオレ司祭が足を止め、背を向けたままでクラルテ司祭に声を掛ける。

 

「何よ。まだ何か――」

 

「……貴女の〝娘〟を手にかけようとしたこと。それだけは、謝罪します。シスター・クラルテ」

 

 その一言だけを残すと、ヴィオレ司祭は率先して部屋を出ていってしまった。慌ててクロエが傍仕えと冒険者の男を連れ、後を追いかける。

 私もそれに続こうとしたところで。

 

「……なんで、今さらそれだけ謝るのよ」

 

 クラルテ司祭が複雑そうに声を漏らすのが耳に入る。それはおそらく、一代で貴族となった彼女には理解しづらい事情だろうと、代わりに補足する。

 

「貴族は血筋を守ることで権力を得てきましたからね。そこだけは、本当に悪いと思ったんじゃないでしょうか」

 

「血は繋がってないわよ、娘とは」

 

「知識や技術の継承も、血統を守るようなものですよ。血だけが繋がっていても、子供に全て受け継がれるとは限らないんですから。……っと、それじゃ、わたしは彼女らの護送を手伝ってきますね」

 

「……ええ。お願いね、ティエラ」

 

「任されました!」

 

 そうして私が部屋を出る間際。

 

「……ュイス……無事で……」

 

 漏れ聞こえたクラルテ司祭の呟きは扉を閉める音に重なり、やがて総本山の静謐(せいひつ)さに溶け込み、消えていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

33節 百年に一度の前線

 夜が明けて。

 宿泊場所として借りた村長の家で朝食を取ってから、私はもう一度共同墓地に向かい、祈りを捧げた。

 昨日は聞こえた気がした怨嗟(えんさ)の声は、今日は耳に届かなかった。

 無事に祈りを済ませ、私たちはフェルム村を出発する。

 

 次の目的地は、川の向こう岸にある街、エスクード。

 ペルセ川が国境線になっているため、橋を渡り終えた先は隣国、〈エステリオル〉の領土になる。エスクードも、エステリオルの領地の一つだ。

 そこを越えれば、目的の〈黄昏の森〉まではもう間もなくだった。

 

 空は昨日に引き続き雲がかかっているが、幸いまだ降り出してはいない。

 今のうちにと馬を走らせ、昼頃にはペルセ川を横断する橋の一つ、アクエルド大橋に辿りつく。

 

「――……」

 

 しばし言葉を忘れ、目の前の光景に見入る。

 

 長大な河川とは聞いていたが、向こう岸が見えづらいほどの幅を持つ川は、私の普段の生活圏ではまず見られない。

 平野部にしては速い水の流れは、他より傾斜があり、川底も深いからだという。その流れは浸食となって陸地を削り、場所によってはちょっとした谷ほどの深さになっている。

 

 谷と同程度の高さに架けられた橋は、アーチ状の石橋で、途中途中を橋脚が支えている。水は橋脚同士の間を抜けていくため、流れも阻害されない。

 幅広く、頑丈に組み上げられたこの橋は、荷を積んだ馬車の荷重にも耐えられるらしい。私たちも騎乗したままで問題なく渡れるはずだ。

 

 ちなみに橋の建設に携わるのは、主に神殿の事業になっている。

 というのも、こうした建築知識の基礎をもたらしたのが、神々の一柱という伝承があるからだ。神が加護の代わりに声を届け、そこから知識を授かる、という事例は歴史上で散見されていた。武術や製紙技術などもその一例であり、橋もその一つと言われている。

 

 橋の建造はまた神殿にとって、川を汚さずに渡ること、そして人々の生活を便利で豊かなものにするという善行に繋がる。神殿の権威,威光を示す意味もあり、積極的に造られた。

 

 実際、これにより川の向こう岸に、さらにその先にまで人類の生活圏は広がり、魔物の領土に対する拠点も増えた、と。閑話休題。

 

 

 

「大きいですね……」

 

「川が? 橋が?」

 

「どちらも」

 

 自然と人工、両者の偉容を目にしながら、素直に答える。これも、旅をしなければ見られなかった光景だ。

 

「もしかして見たの初めて? 結構村から近いけど」

 

「多分、初めてです。『危ないから近づかないように』と注意されていたのは、なんとなく憶えているので……そもそも村を出る機会も、ほとんどありませんでしたから」

 

「まあ、そっか。遊び場に向いた川でもないし、わざわざ子供近づかせたりしないかもね」

 

 思い出せるのは辛い記憶ばかりだが、そうして陰で護られていた部分も、きっと少なくなかったのだろう。

 

 それからしばらく、お互い無言で馬を走らせ、橋を駆け抜ける。

 風を受けながら進むわずかな息苦しさと、馬から伝わる振動。

 そこに、ぽつり、ぽつり、と、小さな雫が顔に当たる感触が加わり始める。

 

「あ……」

 

 雫は次々に数と勢いを増していき、いつしか顔どころか全身に降り注いでくる。

 

「あー、降ってきちゃったかぁ」

 

 空に視線を遣りながら、アレニエさんが呟く。

 

 今は降り始めなのでまだいいが、地面が濡れれば転倒の危険は増すし、傍を流れる川も今より(かさ)を増す。

 私たち自身も、雨に打たれ続ければ体力を奪われ、体調を崩す危険もある。高位の神官や医者のいない場所で病気に(かか)れば、命にも関わる(熱病を治癒する法術もあるが、私はまだ使えない)。

 

 旅をするにあたって、とかく雨というのは歓迎できない存在だ。

 対抗する手段もない(当たり前だが)ので、なるべく早く屋根のある場所に辿りつき、おとなしく過ぎ去るのを待つしかない。

 

 風雨に耐えながら橋を走り抜けると、広く横に伸びた城壁と、その奥に並ぶ複数の建物の姿が見えてきた。

 雨の勢いは次第に強まっていたが、なんとか本格的に降る前には辿りつけそうだ。

 体を濡らす雫を弾きながら、私たちは街までの道を急いだ。

 

 

  ***

 

 

「あんたら危なかったな。もう少し遅かったら、門を閉め切ってたよ」

 

 城門傍の詰め所に招いてくれた中年の兵士が、水気を拭く布を渡しながら声をかけてくる。

 

「もう閉めるんですか?」

 

 布を受け取りながら、反射的に疑問が口をついて出ていた。

 雲が厚くて分かりづらいが、今は正午を少し過ぎたくらいだった。通常なら閉めるには早い時刻だ。

 

「ああ、いつもは日が沈んでからなんだけどな。今日はほら、この天気だろう? 下手すると嵐になりそうだし、早めに閉めるとこだったんだよ」

 

 確かに、雨も風も勢いを増し続け、収まる気配は全く見えない。

 

「せっかく来たのに災難だな。けど朗報もあるぞ。勇者がこっちに向かってるそうでな。上手くすれば会えるかもしれん」

 

「え……」

 

 勇者一行が『森』を目指し旅をしている。というのは、私たちにとっては既知の情報なので、それに対する驚きはないけれど……

 

「あー……あー……うん。んん。――そうなの? じゃあ、今回のルートは『森』から?」

 

「おぉ、そうなんだよ」

 

 彼女も数瞬戸惑ったようだが、すぐに修正し、さも初めて勇者の噂を耳にしたという演技で対応していた。……流石です。

 

「前回の勇者は『戦場』を突っ切ってったろう? だから今回は別口だと睨んで『森』に張ってたんだよ。いやぁ、これで同僚から三杯奢りなんだ、ありがたい」

 

 賭けてたんですか。

 

「この街にも立ち寄りそうなんだ?」

 

「ああ、ほとんど真っ直ぐこっちに向かって……あ、いや。一か所、立ち寄ったパルティールのとある領地でなにか揉め事に巻き込まれて、後処理に追われてるって話もあったかな。なんでも、領主の屋敷に魔族が入り込んでたとかで……」

 

「……はぇ? パルティールに魔族? ただの魔物とか、人間の野盗じゃなくて?」

 

 魔物の出没自体はありえなくもないし、野盗はジャイールさんたちを想定してだろう……とか冷静に考えてる場合じゃない、魔族……!?

 

「はは、例のおとぎ話かい? 実際あの国は魔族どころか魔物も少ないが……今回は、どうも本当に現れたらしい。魔物も大量に入り込んでたそうでな。で、そいつを解決したのが噂の勇者ご一行さま、ってわけだ。あぁ、魔物以外にも、怪しい人影を見た、って話もあったかな」

 

 怪しい人影……それこそ、ジャイールさんたちだろうか。だとすれば噂は、ちゃんと勇者さまの元に辿り着いて足止めしてくれたという…………魔族の話は、どこから……?

 

 足止めのための一芝居? なんらかの誤解? それとも彼が言うように、本当に魔族が暗躍して……? あぁでも、もう解決したというなら、一応問題はない、のかな……?

 

 それなら今は、勇者一行が――おそらくこちらの予想以上に――接近していることのほうが問題だろう。

 

 誰かが意図して歪めない限り、人の噂は人の移動と共に広がっていく。

 であれば、ここまで話が届くことそれ自体が、勇者さまが近づいて来ている証に他ならない。あくまで噂の段階で確証がなかったとしても、にわかに焦燥感が募ってくる。

 

「とりあえず、宿とってこよ」

 

 私とは対照的に、微塵も焦りを感じさせない声で荷物を背負い直し、彼女は詰め所の出口に向かう。

 

「どのみち今日はここに泊まるつもりだったし、外に出られなくなる前に買い物もしておきたいしね」

 

 それから、兵士には聞こえないくらいの声で私に囁く。

 

「ここで焦っても仕方ないよ?」

 

 焦燥感は治まらないが、思い悩んでもどうにもならないのも理解できる。

 私たちは詰め所の兵士に礼を述べ、城門内へと足を踏み入れた。

 

 

  ***

 

 

 頑丈な城壁に囲まれ、いくつもの(やぐら)や宿舎が建てられたこの地は、『森』に対する防衛線として建造された城郭都市だ。

 魔王復活の報に合わせ、物資や人員がこの場に集まり、襲い来る魔物を撃退する砦として機能する。

 

 ……が、この地が砦として使われるのは、およそ百年に一度。魔王の復活による魔物の増殖時だけ。

 平時に『森』から現れる魔物に危険なものは少なく、数も多くないため、各施設を十全に使用する機会は訪れない。

 

 また、水源は近いが土壌が農地に適さず、北は山岳に、東は森に塞がれているこの地は流通も制限され、用途が限られる。ペルセ川による水運の集積場としても使われるが、季節による水量・流速等の影響を受けやすく、また前述の地形が行き先を狭めてもいる。魔物と隣り合わせの生活を強いられるため、移住も少ない。

 

 そのためここは、『森』の動向監視と対処の任を負った兵士、最低限の施設維持の人員、及びその家族等が居住するのみで、あとは物資を運ぶ商人か冒険者でもなければ立ち寄らない、小規模な街として存続していた。

 

 十年前には多くの兵士が駐留し、魔物対策の簡易施設も建てられたが、今はほとんどが撤退、解体されている。

 魔王が復活した今、再びここが活用される日も近いはずだが、即座にという訳にはいかない。人員や資材が届くのはこれからなのだろう。

 

 

  ***

 

 

 雨でさらに人気のない通りで細々と備品を買い足し、私たちは宿に向かう。

 現在営業している唯一の宿は、櫓の一つを改装したもので、一階の庭(?)には投石器、二階には物見台がそのまま残されていた。

 

 宿の店主は四十代ほどの男性で、たまの客が嬉しいのか私たちを歓迎してくれた。

 

 世間話と情報収集がてら、『森』に変わった様子がないか訊ねてみたが、外から見た限り変化はなく、内部の調査も今年はまだほとんど手つかず(冬が明けてから日が浅いため)だそうだ。

 少し前にも外からの冒険者が訪れ、調査依頼で『森』に向かったらしいが、それきり帰ってきていないという。

 

 私とアレニエさんは顔を見合わせる。

 もしかしたら、件の魔将と遭遇したのかもしれない。そうであれば、その冒険者は……

 

 とりあえず、他の宿泊客はいないので好きな部屋を使っていいと言われ、わずかに悩んだ末に一番奥の部屋(口外できない話をするかもしれないので)を借り、荷物を置いて一息つく。

 

 私はしばらく、備え付けられた窓に目を向けていた。

 窓には木板が打ち付けられ閉鎖されており、外の様子は見られない。が、ガタガタと強風に揺れる建物と、雨粒が壁を強く打ち付ける音とで、天候が一向に回復していないのは容易に知れた。時折、遠雷も聞こえてくる。

 

 どうやら、このまま本格的に嵐になるらしい。そうなれば、収まるまでここで足止めされることになるだろう。この嵐を強行に突破するのは、自殺行為に近い。

 

「ご飯食べに行こ、リュイスちゃん」

 

 アレニエさんが部屋の外を促す。

 他の多くの宿屋と同じく、ここも一階の食堂で食事を提供している。 

 利用客自体が少ないため他の店員はおらず、店主自らが仕込んでいるという料理の香りが、階下から漂ってくる。その匂いに、お腹がくぅ……っと音を鳴らした。

 

 そういえば、今日は雨の中ここまで急いで来たので、食事を取る暇がなかった。

 昼食には遅く、夕飯には早い時刻だが、なにもお腹に入れないままというのも身体に悪い。

 

 どのみち、今日できることはこれ以上ない。早めに夕食を取って就寝してもいいかもしれない。

 お腹の音を聞かれた恥ずかしさに少し顔を赤くしながら、私はアレニエさんに続いて階下に降りた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

34節 嵐が過ぎるまで

 エスクードに来て二日目。

 大方の予想通り、外は嵐で大荒れだった。

 ベッドに腰を下ろした私は、板で塞がれた窓にぼんやりと視線を向けていた。

 外からは変わらず建物を揺らす強風と雨音が響き、雷鳴も頻度を増している。

 

「多分、明日くらいまではこのままだと思うよ」

 

 同じように自分のベッドに腰をかけ、武具や道具の手入れをしていたアレニエさんが呟く。

 

 

 風の神〈アネモス〉は非常に気まぐれだという。

 善悪両面を持つとも、二つに分かたれたとも言われる彼女の息吹は、普段は穏やかだが、ひとたびその機嫌を損ねれば今回のような嵐を生む。

 

 機嫌がすぐに治まる時もあれば、数日を要する場合もある。日付が変われば途端に止むというものでもないし、止んだとしても被害があった場合、即座に元通りというわけにもいかない。

 

 いずれにせよ、現状で焦っても仕方がない、と頭では分かっているのだけど……かといって、気持ちが(はや)るのをどうにかできるわけでもない。

 

 

「それにしても、ずいぶん急いでる感じだよね」

 

 ベッド上に並べた短剣類に目を向けながら、アレニエさんが他人事のように口にした言葉に、私は反射的に口を開いた。

 

「それは……こうしている間に勇者さまが追いついてしまったらと思うと、やっぱり焦らずには……」

 

「いや、その勇者さまが、さ」

 

「……?」

 

 てっきり、私が焦っているのをたしなめられたのかと思ったけど……

 

「噂を聞いてると、ほとんど真っ直ぐ『森』のほうに、しかも大分急ぎ足で向かってるみたいなんだよね。十年前の――先代の勇者は、もっとあちこち渡り歩いて魔物退治とかしてたみたいだから、ずいぶん違うな、って」

 

「……そう、言われてみると……〈流視〉に見えた道のりも、『森』へ真っ直ぐ向かっているようでした……」

 

「やっぱり? なんでなんだろね」

 

 勇者一行の旅路は、彼ら自身にその裁量を委ねられている。

 そのため、進路もペースも代によって違うのだが……いずれの勇者も最終的な目標は揺らがず、人々がそれを疑うこともないのは断言できる。というのも――

 

「……一刻も早く魔王を討伐しようとして……とか?」

 

「魔物の被害が広がらないうちに、って? もしそうなら、ずいぶんなお人好しだねー……あぁ、でも勇者としては、理想的なのかな」

 

「強い善思の持ち主ほど神剣に認められ、力を引き出せるそうですからね。でも……」

 

「今回は勇み足だったわけだ。ものにする前に、まだ勝てない相手が来ちゃうんだから」

 

 魔王の脅威に備え、女神が地上に遺した最後の力、〈神剣・パルヴニール〉。自らの意思で使用者を選ぶ、神の剣。

 その意思は、剣を鍛造(たんぞう)した女神の意思と重なる。女神の精神性に近しい――三徳を体現する者ほど神剣と同調し、真価を発揮すると伝えられる。

 

 神剣が認めるに足る人材を探し集め、使い手を選ばせる。剣が人を選び取る儀式。それが〈選定の儀〉だ。魔王を討つ意志のない者、三徳からかけ離れた者は、そもそも握ることすら叶わない。

 

 当代の勇者が真っ直ぐ『森』に向かうのも、先代が各地の魔物を討伐していたのも、それが彼ら彼女らの思う魔王討伐までの最善の道。人々を救うのに必要な旅路だからなのだろう。

 選ぶ道は違えど、その果てには必ずや魔王を討ってくれるのだと皆が信じて疑わず、歴代の勇者もまたその期待に応えてきた。

 

 ゆえに勇者は人々の希望となる。そして……その命が半ばで尽きた際の悲嘆は、計り知れない。

 

「……わたしは、いくら勇者でもそこまで善人だとは思わないけどね。単に『森』に用があるだけじゃないかな」

 

 そう呟く彼女からは、いつもの笑顔が消えていた。

 視線は道具類に向いたままだし、手入れに集中しているのもあるだろうけど……なにか、勇者に対して思うところがあるのだろうか。

 

「(……考えてみれば……)」

 

 アレニエさんは、どうして今回の依頼を引き受けてくれたのだろう。

 

 私にとっては、天啓とすら思える出会いだった。

 依頼の条件にここまで合致する冒険者というだけでも得難いが、さらにはこの旅路で、私が長年抱えていた苦悩を晴らすことさえしてもらった。感謝する他ない。

 しかし、彼女にとってはどうなのだろう。引き受ける決め手になったものは。

 

 金銭目当てじゃないのは以前述べた通りだ。そもそもそれが目的なら、初めの条件提示の時点で引き受けていただろう。

 

 当初は渋っていた彼女が反応を変えたのは、機密を開示した後のこと。

 勇者の死。魔将の接近。それに、〈流視〉。

 これらの中に彼女の興味を惹くものがあって……それが、勇者、だったのだろうか。まさか追加の報酬が理由ではないと思うけど。

 

 ……思い出して色々恥ずかしさが込み上げてきたし顔も熱くなってきた。

 

 結局あれはからかわれただけで、実際には「友達になって欲しい」というものだったわけだが……分からないといえば、これもそうだ。なぜ、そんな条件を提示したのだろう。

 

 彼女は腕利きの冒険者だ。私が知る中で言えば、〈聖拳〉と称されるクラルテ司祭にも引けを取らないと思える。行方不明の〈剣帝〉を除けばおそらく、当代随一の剣士と言っても過言ではないはずだ。

 

 その彼女に、友人がいないというのも考えづらい。実際、ユティルさんのような遠慮なく言い合える相手もいたし、継承亭の客にも親しげに接していた。

 

 揉め事が絶えないとも聞いたし、実際それに巻き込まれも(原因の半分は私だったが)したが……ここまで共に旅をした私には、そこまで言動に問題があるようにも見えない。

 第一、それを補って余りある実力の持ち主だ。探せば欲しがる冒険者はいくらでもいるだろう。彼女がその気になれば、守護者の地位を得ることだって――

 

「? リュイスちゃん、どうかした?」

 

 呼びかけが聞こえる。黙り込んだ私を(いぶか)しんでだろう。しかしそれには答えず、私は脳裏に浮かべた疑問をそのまま口にした。

 

「……アレニエさんは、どうして、一人で仕事を……?」

 

「へ? どしたの、急に」

 

 そう問われ、ようやく私は正気付いた。

 

「や、その……色々考えていたら、思考が飛んで気になってしまって……」

 

「あー、たまにあるよね、そういうの」

 

 しかし実際気になっていたには違いなく、身動きの取れない現状は話をするにも丁度いい機会かもしれない。

 

「……良ければ、このまま聞いてもいいですか? 誰とも組まずに一人でいるのは、どうしてか。アレニエさんの腕なら、どこに行っても歓迎されると思うんですが……」

 

 とはいえ、彼女が一人だったおかげで、今こうして二人で旅ができているわけだが。

 答えづらいことならすぐに引き下がろうとも思ったが、彼女はあまり悩む様子もなく返答してくれた。

 

「そうだね。どうしてと聞かれれば、人嫌いだからかな」

 

「……嫌い、なんですか?」

 

「なんで意外そうな声?」

 

 私の反応が面白かったのか、かすかに笑いながら彼女は問う。

 

「だって、全然そんな風に見えなくて……アレニエさん、いつも笑顔で人当たりもいいじゃないですか。私も出会ってからここまで、親切にしてもらってばかりで……」

 

 言いながら、けれどなぜか思い出したのは、〈剣の継承亭〉で眠る彼女を皆が警戒していた様子。そして出発前に下層で買い物をした後の、笑顔の――

 

「そりゃ、いつもは演技してるからね」

 

「――」

 

 演技……?

 

「わたし、あんまり笑わない子だったんだよ」

 

〝いつものように〟微笑みながら、彼女はそう口にする。

 

「かーさんが死んでから……というか、とーさんに引き取られた後も、ずっと笑えなくてね。だからせめて見た目だけでも、と思って練習したんだ。おかげで笑顔は作れるようになったんだけど……今度はそれが、癖になっちゃって。うん、癖だねこれ。演技ってほどじゃなかったや」

 

 少し恥ずかしそうに彼女は笑う。今のこれは、どちらだろうか。

 

「人付き合いも、似たようなもの。なにか情報集めるにしても、ある程度取り繕ってたほうが話聞きやすいからね。で、それが染みついちゃった。人嫌い、というか苦手だし、興味もないから、すぐにボロが出るし恨み買ったりもする。中にはリュイスちゃんが言ったみたいに歓迎してくれるとこもあるんだけどね。全部断ってる。結局、長続きしないと思うから」

 

「……継承亭のマスターや、お店に来るお客さん、それに、ユティルさんは……」

 

「とーさんは別だけど、それ以外は大体一緒。見知った顔でも必要以上には近づかない。うちに来る客の大半はわたしのこと知ってるから、向こうも一歩距離を置いてる。ユティルは昔から知り合いだし、他の人よりはよく話すけど……それでも、その程度かな」

 

「……」

 

 普段は人当たり良く振る舞っているだけ、という告白は驚きと共に、これまで感じた違和感や疑問を解きほぐすものでもあった。

 仮面のようだと感じた笑顔や、咄嗟(とっさ)の対応力。時折見せる酷薄(こくはく)な表情。それらが、目の前の彼女とようやく繋がった気がする。

 

「だから、もしわたしがいい人に見えたなら、表面だけだよ。普段のわたしは他人に興味ないし、誰がどうなっても知らないし、どうでもいい人に気なんて遣わない、悪い冒険者。それでも優しくしたのは……そうだね。リュイスちゃんだから、かな」

 

「え……」

 

 不意の台詞に、心臓が跳ねる。それは、どういう意味で……

 

「依頼人兼パートナーだからね。無事に終わるまでは気を遣うよー」

 

 ガクっ、と肩を落とす。それを見るアレニエさんは笑顔だ。これは普段の仮面ではないと思う、けれど……多分、私の反応を面白がってもいる。

 

「それはまあ冗談としても、相手がリュイスちゃんだからなのは、ほんとだよ。仲良くなりたいからね」

 

「……あの、それも不思議だったんですけど……人が嫌いなら、どうして追加の報酬にあんな……私と友達に、なんて条件を……?」

 

 他人が嫌いで遠ざけているなら、私だってその対象なのでは――

 

「ん、かわいかったから?」

 

「は?」

 

「リュイスちゃん、顔とか雰囲気とかすんごく好みなんだよね。一目見てピンときて。話してみたら全然『上』の人っぽくないし、色々面白いから、なおさら気になって」

 

「え……う……?」

 

 ……まさかの、私が理由?

 

「……神官の私が望むのもおかしいとは思うんですが……嘘ですよね? そんな理由で、命懸けの依頼を引き受けたなんて……」

 

 彼女はなにも言わずニッコリと笑う。……本当なんだ……

 

「それだけ、ってわけじゃないけどね。でも、受けた理由の半分くらいは、それかな」

 

「…………もう半分は……勇者さま、ですか?」

 

 やられっぱなしが悔しくなり、私は先刻の推測を直接ぶつけてみた。

 とはいえ、腹の探り合い(と言えるほどのものでもないが)で彼女に勝てるとは思えないし、おそらくこれもはぐらかされて終わりだろう。せめて驚いた顔の一つでも見られれば、と――

 

「そうだよ」

 

「――え……」

 

 そんなことを考えていた私の耳に届いたのは、予想に反した肯定の言葉だった。

 

「残りの理由は、勇者が関わってたから。あぁ、魔将を直に見てみたいっていうのも、ちょっとあったけど。できれば会って話もしてみたいから、放っておいて死なれるのはわたしも困るんだよね」

 

「……」

 

 まさかあっさり答えてもらえるとは思わず、しばし困惑し、それからすぐに新たな疑問が湧き出す。

 

 勇者が理由ってどういう……そもそも勇者をどう思って……会ってなにを話したい? 魔将と遭遇する危険は動機になり得るんですか。

 

 口をつく寸前の疑問は、しかし彼女の微笑みを目にして押し(とど)まる。これまでと空気の違うその笑顔の意味は、私にも理解できた。――『これ以上は、内緒』。

 

 二人で、見つめ合ったまま静止する。風雨が建物を叩く音だけが部屋に響く。嵐はやはり止みそうにない。

 聞けるまで粘っていた、というわけでもないが、なにかを諦めたような心地で、私は小さく息をついた。

 

「……いずれにしろ、私たちが先に進むのも、勇者さまがこちらに近づいているのも、この嵐が治まるまではどうにもならないんですよね……」

 

「そうだねぇ。……んー……」

 

「?」

 

「……や。なんでもない」

 

 アレニエさんは天井を仰ぎ、何事か考え込む様子を見せていたが……少しするとまた視線を下ろし、先ほどまで行っていた道具類の点検に戻る。

 私も、なんとはなしに会話を打ち切り、強風でギシギシと音を鳴らす窓に再び目を向けた。

 

 彼女が何を思ったかは分からない。が、その時はあまり気にすることもなく、なるべく早く天候が回復するようにと願いつつ、私は眠りについた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

35節 嵐が過ぎる前に

 グっ、ググっ、――コン。ググっ、ギシ、ギシ、――コン。

 

「………?」

 

 ベッドで眠っていた私は、打ち付ける風雨に混じる異音を耳にし、ぼんやりと目を覚ました。

 

 窓の外はまだ暗く、朝には遠い。

 明かりを消した部屋は当然外と同じ暗さで、開いたばかりの目に映るのも周囲と同じ闇ばかりだ。断続的に鳴る雷が一瞬だけ室内を照らしては、またすぐに暗闇が辺りを支配する。

 

 しかしその一瞬の光の中に、窓の傍でなにやら(うごめ)く、怪しい人影が突如映し出される。

 

「――……」

 

 この部屋には私とアレニエさんの二人きり。部屋の扉は閉まっており、誰かが侵入した形跡もない。

 そして隣のベッドでは、アレニエさんがまだ寝息を立てて………いなかった。見ればベッドはもぬけの殻だ。つまり。

 

「……アレニエさん?」

 

「あ、ごめん。起こしちゃった?」

 

 闇に蠢く怪しい影は、隣で寝ていたはずのアレニエさんだった。分かってしまえば当たり前の話だけど……ちょっと怖かった。

 

「……こんな夜中に、どうしたんですか?」

 

「ちょっと外に用事があってね」

 

「……こんな夜中に、ですか?」

 

 繰り返すが、今はまだ朝には遠い時刻で、辺り一面真っ暗だ。外では依然、嵐が吹き荒れている。

 日中に出歩くのも危険な状況なのに、この暗闇の中でなんの用事があるというのだろう。そして、気になる点は他にも。

 

「あと、それ……なに、してるんですか?」

 

「ん? 板の釘抜いてる」

 

 強風に備えて窓には木板が当てられ、釘で打ち付けて固定されていたのだが、彼女はその釘をわざわざ抜いて木板を剥がしていた。……どうして?

 

「念のため、窓から出ようと思って」

 

 …………どうして?

 

「玄関から出ると、誰かに気づかれるかもしれないからね」

 

 ……つまり気づかれると不味いことをするんでしょうか?

 

「悪いけど、明かりはつけないで待ってて。戻ってきたら窓叩いて合図するから、そーっと開けてね。というわけで、いってきます」

 

 木板を全て外した彼女は一方的に言い置くと、窓と鎧戸を開ける。

 途端に、つい先刻まで外から聞こえていただけの暴風雨が、わずかな入り口から室内に侵入しようと暴れ始める。

 

 アレニエさんは隙間からするりと体を滑らせると、どうやったのか外から窓を閉め、そのまま嵐の夜に消えていった。

 

 私はどうすればいいのか分からないまま、部屋の中でおろおろしていた。

 

 彼女の言う用事とはなんなのか。なぜ他の人に見つかるとまずいのか。外からどうやって窓を閉めたのか。とりあえず濡れて帰って来るのは間違いないのだから、体を拭く布だけでも用意していたほうがいいだろうか。

 一応荷物から布だけ取り出した後は、ベッドに腰を下ろし悶々としながら、知らず枕を抱きしめていた。

 

 そんな状態が、どのくらい続いただろうか。

 

 ――コンコン

 

 控えめに窓を叩く音が突然響き、びくりと体が跳ねる。

 が、すぐに彼女の言っていた合図だと気づき、可能な限り静かに窓を開けた。

 

「――ぷあっ!」

 

 風雨と共にアレニエさんが部屋に飛び込み、音もなく着地する。

 私は強風に苦戦しながらなんとか鎧戸を落とし、窓を閉めた。

 開けた時間はほんのわずか。それでも風に押された雨粒は、室内を広範に濡らす。

 そして猫のように体を震わせ水気を払うアレニエさんが、さらに雫を飛び散らせ――冷たい!

 

「ひぅっ!?」

 

「あ、ごめん」

 

「もう……ちゃんと拭いてください」

 

 手にしていた布をアレニエさんに渡す。

 

「ありがと」

 

 素直に受け取り、彼女は濡れた髪を拭き始めた。痛みを庇うような様子は見えないので、とりあえず怪我などの心配はなさそうだが。

 

「それで……結局何をしに行ってたんですか?」

 

 ひと段落ついたところで、最も気になっていた疑問を口にする。こんな嵐の夜に人目を忍んで外出し、彼女はなにをしていたのか。

 

「えーと……内緒?」

 

「……アレニエさん?」

 

 寝起きでわけも分からず心配させられて説明もなしってさすがに怒ってもいいですよね?

 

 私の口調から怒気を感じ取ったのか、彼女は少し困ったように笑いながら弁解する。

 

「リュイスちゃんは、多分知らないほうがいいと思って」

 

「……私は知らない方が、いい?」

 

「誰にも見つかってないはずだけど、一応ね」

 

「…………」

 

 ……困った。

 こっそり窓から出たことといい、今の発言といい、どうにも良からぬ想像が浮かんでしまう。

 けれど、彼女はなんの理由もなく悪事を働く人ではない……はず。たとえするとしても、そこにはおそらく意味がある……と、信じたい。

 

「……どうしても、言う気はないんですね?」

 

「今はね。あとでちゃんと話すよ」

 

「……わかりました。もう聞きません」

 

 私は嘆息しつつ、渋々了承した。どのみち、詳細は語ってくれなさそうだ。

 

「ありがと」

 

 安堵からか、彼女もホっと息を吐きながら言葉を返す。

 

「おっと。忘れるとこだった」

 

 先刻木板から抜いた釘を拾い集め、彼女はナイフの柄に布を巻き付かせたもの(おそらく音が響かないように)で、再び窓に木板を打ち付けていく。

 

「証拠は残さないようにしとかないとね」

 

 ……私、今、完全犯罪の現場を目撃しているのでは。

 

 改めてちょっと不安になったものの、努めて気にしないようにしつつ、私たちは再び眠りにつく。

 結局、この夜の彼女が何をしていたかは、後にすぐわかった。

 

 

  ◆◇◆◇◆

 

 

 ――少し前。わたしが窓から飛び出した後の話。

 

 横殴りの雨が体を叩きつける中、川沿いの道を流れに逆らって走る。

 念のため人目がないか警戒もしているが、元より真夜中の、しかもこんな天気に出歩くような者は他にいない。

 城壁の詰め所には一応門番が待機しているはずだが、さすがにその近辺以外に目は向かないだろう。というか、この嵐じゃ不審者どころか魔物も出歩くのに苦労すると思う。

 

 しばらく走った先に、求めていた立地を発見する。

 ペルセ川の上流で、すぐ傍に木々が林立する場所。ここなら適度に村から離れていてちょうどいい。

 林の奥に分け入り、体を動かせるだけの空間を見つけ陣取り、川に向かって相対する。

 

 眼前には数本の樹々。その先には濁流と化した川。

 それらを見据えながら軽く前後に足を開き、わたしは深く、静かに息を整える。

 

「……すぅーっ……ふぅーっ……すぅーっ……ふぅーっ……」

 

 大きく息を吸い、お腹に空気を送り込む。同時に、その先にあるへその下、重心の中心を意識し、『気』を集めていく。

 息を吐き出す際には、『気』は中心から末端に広げていく。身体の中心から全身に広げ、手足の先まで行き渡り、そしてまた戻っていく。

 体内を『気』が駆け巡る様をイメージしながら呼吸を続け、循環させ、研ぎ澄ませていく。雨に濡れた体が、内側から熱を帯びていく。

 

 

  ――――

 

 

 ……ん? その場を動かず息を吸って吐いてるだけなのに、どうして『気』を操作できるのか?

 わたしも、習いたての頃は疑問に思ってた。体を動かす際の力を増幅する技術なのに、動かず呼吸を整える意味はあるのかと。

 

 けれど、『気』を扱う人は例外なく呼吸を重視していたし、正しい呼吸を身につけるのは適した身体を作るのにも繋がる。それに修練を続けるうちに、自分でもその重要性に気が付いた。

 

 こうして静かに立っているだけでもわたしたちの体は、肺が、心臓が、血管が――体の内側が、常に〝動き〟続けている。

 内に流れる力を意識し、体中を巡らせ整えるのが、『気』を扱う際の呼吸の役割だ。まあ、体の中で実際にどう動いてるのかは、よく分からないけど。

 

 それに体外の空気を吸うのは、風の『気』を体内に取り込み、一体化することでもある。だから呼吸は、体の内と外の『気』を操る技術とも言えるわけだ。

 そもそも、息が乱れれば満足に動けないなんて当たり前のことなんだから、本当は難しく考える必要もなかったのだろう。呼吸大事。

 

 

  ――――

 

 

 その場で鋭く旋回する。

 呼吸で加速させた体内の『気』と、嵐で辺りに溢れた風の『気』とを、利き足の右足一点に集め、一つにし、さらに増幅させる。

 体にまとわりついた雫を、辺りの風を吹き散らし、前方の木々に向かって、遠間から全力で回し蹴りを放った。

 

「……ふっ!」

 

 呼気と共に振り抜いた右足から、わずかに遅れて巨大な風の刃が発生し、前方の樹々を薙ぎ倒す。

 次々生み出される倒木は水飛沫(みずしぶき)を上げて背後のペルセ川に落下し、流木となって下流に流されていく。

 嵐で勢いを増した濁流は、重い荷物もやすやすと運んでくれる。やがてその先にある橋に衝突し、破壊してくれるだろう。

 

「(そうなれば、すぐにはこっちに来れないよね)」

 

 土砂と共に流れゆく木材に少し遅れ、わたしは川の流れに沿って下流に向かった。

 しばらく走り続けると風雨の音に混じり、なにかがぶつかるような鈍く、重い音が耳に届いた。

 

 前方に、昨日わたしたちも渡ったアクエルド大橋が見えてきた。

 流れ着いた木材(自然に流されたものもあった)は橋の手前で渋滞している。狙い通りにここまで運ばれ、衝突してくれたようだけど……

 

「あー……」

 

 残念ながら、橋は健在だった。

 

 橋脚の一部は破損している。一般人が渡るのは流石に止められそうだが、どうしてもという人は少々の危険は顧みず押し通るかもしれない。勇者なんかは特に。

 なのでわたしは、次善の策に出る。

 

 懐から取り出したるは、拳大の丸い物体。

 強い衝撃を受けると周囲の魔力を燃料に起動するというそれは、出発前にユティルから買った爆弾だ。

 

 橋に近づき、周囲に人がいないことを確かめ、タイミングを待つ。

 さっきから頻繁(ひんぱん)に鳴っているし、待たずともすぐに次が来る――なんて思っている時ほど、なかなか来ないが――と、当たりを付けて待つことしばし。やがて、空が一瞬だけ光に照らされる。

 

「(――来た)」

 

 胸中で喝采を上げ、即座に手にした球体を全力投球する。

 

「ふっ!」

 

 狙いは橋の側面下部。さっきの流木が当たった橋脚――の、隣の橋脚。

 球は狙い通りの箇所に命中し、衝撃で起動。周囲の魔力を一瞬で吸い上げ、爆音と共に爆発する。

 それとほぼ同時に、先刻空を照らした光――落雷の轟音が遅れて響き渡り、爆発の音をかき消してくれる。

 肝心の橋は――

 

「(頼むよユティル)」

 

 爆発は小規模だったが、その衝撃はしっかりと目標を打ち、破砕してくれた。

 流木によって破損していた橋脚、さらにその隣の橋脚……と、衝撃は伝わり、崩壊は連鎖していく。橋を構成していた石材が次々と落下しては、川面に水飛沫を上げながら沈み、流されてゆく。

 

「……うん。よし」

 

 この損壊具合なら、徒歩はおろか他の方法でも渡るのは難しいだろう。少なくとも気軽に跳び越えられる距離じゃない。鎧を纏っていればなおさらだし、流されればただじゃ済まない。

 

 確認している間にも、壊れた橋の周りには濁流に運ばれた物が様々に堆積していく。わたしが手を出した証拠はおそらく残らないだろう。

 これで一応、後顧の憂いは解消されたはず。というわけであとは帰って――

 

「――っくしっ」

 

 急に込み上げてきたくしゃみを慌てて噛み殺す。この嵐の中じゃ耳にする相手もいないだろうけど。まぁ、それこそこんな嵐に出歩けばびしょ濡れにもなるよね。

 改めて周囲を警戒し、気配を消しながら、わたしはリュイスちゃんが待つ宿へと帰還した。




嵐で橋が倒壊して渡れない場所。RPGでよく見る、「序盤から見えてるけど後半まで進めないと行けない場所」を意識しました。裏では勇者を救うべく泣く泣く橋を落とした誰かがいたかもしれません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

36節 わたしがやりました

 三日目は、出立の準備を整える以外にすることがなかった。

 依然天候は荒れていたが、前日より着実に勢いは弱まっている。それはこの日一日が進むごとにゆっくり、けれど確かに表れ、夜になる頃にはあれだけ激しかった風雨もほとんど止んでいた。

 私たちは朝一番で出立できるようにと、早くに就寝する。

 

 翌日、台風一過。

 数日ぶりの晴天の下で、私たちは宿の店主に簡単な挨拶をし、エスクードの街を旅立とうとしていた。

 

「お世話になりました」

 

「おう。また来た時は寄ってくれ。……しかし、本当にいいのか? あんな立派な馬」

 

「わたしたちも無事に帰れるか分からないからね。帰ってこなかったら、そのままここで飼ってあげて」

 

 さらっと怖いことを言うアレニエさん。馬というのは、私たちがここまで乗って来た彼らのことだ。

 目的地までは徒歩でもそう遠くないし、連れていけば魔物の餌にされる恐れもある。魔将との戦いに巻き込むのも酷だ。それなら、誰かに預けたほうがいいだろう、と。 

 

 そうして挨拶を交わす私たちの背後から、数名の兵士が話し合う声が聞こえてきた。

 

「――しかし、参ったな……」

 

「かなり激しかったし、濁流で運ばれたんだろう」

 

「直すのは時間がかかるな……しばらくは回り道か」

 

 どうやら、早朝から嵐の被害状況を確認しに行っていた兵士たちが戻って来たようだ。

 被害の有無は私自身気になっていたので、なんとか人見知りを抑え込んで直接話を聞いてみる。

 

「あの……お疲れさまです。どんな様子でしたか?」

 

「ん、ああ、数日前に来た神官さんか。いや、街に被害はそんなに出なかったんだが、アクエルド大橋が壊れちまってな」

 

「……えぇっ!?」

 

 予想以上の被害に、大きな声が出てしまう。

 

「アクエルド大橋って……私たちも来るときに渡った、あの……?」

 

「そう、その橋。どうも、上流から土砂やら流木やらが大量に運ばれたみたいでな。橋脚から壊されて、大幅に崩落しちまった。嵐のせいもあるが、今の季節は雪解け水で元から水量も増えてたからなぁ……」

 

 被害は広範囲に及んでおり、ロープや渡し板での応急措置も難しいという。

 ペルセ川を越える橋は他にもあるし、南下した先には港から船も出ているが、どちらもここからは結構な距離がある。

 物流や人の移動――特にパルティールとの交流は制限されることになる。こちらへやって来るはずだった勇者一行も進路の変更を余儀なくされるだろうが、この点は私たちにとって不幸中の幸いと言えるかもしれな…………ん?

 

 胸中で疑問を覚える私の背後で、同じく話を聞いていたらしい宿の店主が声を掛けてくる。

 

「お前さんたち、嵐の前にこっちに来れたのは運が良かったのかもな。帰りは大変そうだが」

 

「うん、まぁ、どうにかなるんじゃないかな。……おじさんたちこそ、橋が壊れてると不便じゃない?」

 

「なに、当面は人員も物資もうちの国だけでなんとかなる。まだ魔物も少ないしな。困るのはむしろ、これから来るはずだったパルティールの補充兵や、勇者一行のほうだろう」

 

「そっか。……うん。それなら良かった、かな」

 

 ……あれ? なんだろう。店主に返答するアレニエさんの反応もどこか引っかかる。表情も、ここまではいつもの仮面だったのが、今は少しだけそれが取れている、ような……?

 

「じゃあ、わたしたちはそろそろ出発するね」

 

「おう、もう行くのか。気をつけろよ」

 

「ありがと。ほら行こ、リュイスちゃん」

 

「え? あっ、と……。……皆さん、お世話になりました」

 

 慌てて挨拶を済ませ、私たちはエスクードを後にした。

 

 

 

  ***

 

 

 

 しばらく、互いに無言で歩き続ける。

 昨日まで降っていた雨もすっかりと止み、雲の切れ間から陽光が差し込んでいる。

 地面はまだ少しぬかるんでいるが、歩けないほどではない。『森』まで問題なく辿りつけるだろう。

 

 ちらりと、隣を歩くアレニエさんの表情を窺う。

 

 こうして見る限り、特別普段と様子が違うわけじゃない。少なくとも、いつもの微笑は崩れていない。

 けれど、先刻の受け答えが。嵐の夜に窓から出ていく姿が。なにより、私たちにとって都合の良すぎる被害が。胸の内に、疑念を残している。

 

「アレニエさん」

 

「なにかな? リュイスちゃん」

 

 彼女はこちらに目線だけを寄越し、前を向いたまま歩き続ける。心なしか、いつもより歩調が速い。

 

「兵士の皆さん、橋が壊れたと言っていましたね」

 

「そうだね」

 

「あの橋が使えないと、かなり遠回りになるそうですね。勇者さまも、しばらくこちらには渡れないとか」

 

「みたいだね。すぐに来ないのは渡りに船だよ。むしろ渡る船がないのかなこの場合」

 

「……」

 

 アレニエさんの表情はぴくりとも変わらない。

 変わらないのはつまり、普段から浮かべている仮面の笑顔だからだ。疑念が確信に変わっていく。

 

「一昨日の夜、外は嵐なのに、用事があるって出ていきましたよね」

 

「色々ちょうど良かったからね」

 

「……何をしていたかは内緒、とも言ってましたね」

 

「言ったね。というか」

 

 それまで歩みを止めなかった彼女は不意に立ち止まり、周囲に人の気配がないのを確認してから振り向き、告げる。

 

「わたしがやりました」

 

 あっさり白状した!

 

「もう街からも離れたし、ごまかすのも限界みたいだしね」

 

 彼女は事も無げに言う。

 具体的な方法は分からないが、橋を壊したのは予想通りアレニエさんだったらしい。できれば当たってほしくなかったが。

 

「……私は知らないほうがいいって、こういうことですか」

 

「あれだけ自然に驚いてくれれば、こっちに疑いの目は向かないでしょ。リュイスちゃんは毎回反応が素直でかわいいから助かるよ」

 

「それは……事前に知っていたら、確かにぎこちなくなっていたでしょうけど……」

 

 さらっとかわいいとか言わないで欲しい。

 

「……理由はもちろん、勇者さまがこちらに来れないように……ですよね」

 

「ここまで噂が届くくらい近づいてたみたいだからね。嵐でこっちの足が止められたのも痛かったし。その嵐のおかげで、多分証拠も残らないけど」

 

「……もし、見つかったら……」

 

「重罪だろうね。人も物も行き来できなくなるし、あの橋、なんか国同士の友好の証に建てられたって聞いた気もするし。しかもわたし下層民だから、なおさら罪が重くなるんだよね。良くて冒険者の資格剥奪かなぁ」

 

「そんな……でも、アレニエさんがそうしたのは、勇者さまを助けるためで……」

 

「わたしとしては助けるというか、まだ死なれちゃ困る、ぐらいなんだけど。まぁ、それはいいや。どのみち、事情は説明できないでしょ?」

 

「……はい……」

 

 公表できないからこそ、こうして秘密裏に助けようとしているのだし……

 

「まぁ、もしバレてもリュイスちゃんは知らん顔で気にしなくていいよ。わたしが勝手にやったんだし」

 

「な……そんなこと……! 依頼のためにやったのなら、私にだって責任が……!」

 

「ないよ、そんなの。そもそもリュイスちゃん、こういう、人に迷惑かけるやり方思いつかないし、仮に思いついてもやらないでしょ?」

 

「そう、かもしれませんが……」

 

「というわけで、リュイスちゃんはただの雇い主で被害者ってことで。実際ここまで知らなかったんだから、嘘にもならないでしょ? わたしは最悪逃げればなんとでもなるし、こないだ言った通り、人嫌いだからね。誰かに迷惑かけるのも、嫌われるのも、別にどうでもいいよ」

 

「……でも……そんなの……」

 

 本当は、分かっている。

 橋を利用していた人々、特に先日まで滞在していたエスクードの街にはかなりの不便を強いてしまうが……

 それでもこれは、人的被害を出さずに勇者を死地から遠ざけ、その歩みも遅らせることができる、おそらく現状では最適な方法だと。

 

 そして彼女がここまで強硬な手段に出たのは……きっと、私のせい。想定以上に近づいていた勇者の影に、私が焦っていたからで、その責が私に及ばぬよう配慮までしてくれたのも、理解している。

 

 だとしても……相談は、して欲しかったと思う。

 これは私が持ち込んだ依頼で、彼女はそれを遂行するために動いた。

 ならばその責任は――たとえ(あずか)り知らなかったとしても――私も共に負うべきだし、負わせて欲しかった。私たちは、共に旅をする、パートナーなのだから。

 

 第一、手段は確かに乱暴だが、今回に関しては勇者を救うため……いわば人助けに必要だったから実行しただけだ。それは結果的に、橋の損壊で困る人以上に、より大勢を助ける希望に繋がるはず。

 それをこちらの都合で機密を強いて、挙句彼女一人を罪人として差し出すなど、できないし、したくない。

 

 本人は他者への無関心を標榜(ひょうぼう)するし、確かに本心なのかもしれないが……この件で彼女が罪に問われ、糾弾(きゅうだん)される結末は、やはり私には我慢ならな――……

 

「(……あれ?)」

 

 なんだろう……なにか、胸に引っかかるものがある。

 理由を説明できないもどかしさ? それとも、彼女の物言いに対して?

 ……いや。そういえば、つい先刻も同じような引っかかりを覚えた気がする……そうだ。確かエスクードを発つ際、彼女は――

 

「……あの、アレニエさん」

 

「ん?」

 

「アレニエさんは、『人嫌いだし、迷惑かけるのもどうでもいい』んですよね」

 

「ですよ」

 

「でも……さっき宿のご主人に、『橋が壊れてもなんとかなる』と言われて……少し、ホっとしていませんでしたか……?」

 

「――え……リュイスちゃん気づ――」

 

 それまで全く動じなかった彼女の表情が、ほのかに朱に染まった。

 

「……や、その……どうでもいい、っていうのは、本当なんだよ? ただ、橋壊したのはやりすぎだったかなぁ、って、後になって、ちょっとだけ……その……うん。ほんとに、ちょっとだけ、だから……」

 

 顔を赤くし、なぜか恥ずかしそうに手を小さくパタパタ振るアレニエさん。

 初めて見るその様子を、珍しいと思うよりも先に、溢れてくる感情があった。

 

「(――可愛い……!)」

 

 普段は柔らかく嫣然(えんぜん)と微笑んでいる彼女があたふたする様子に、年相応の人間味を感じ安心すると共に、愛しさが込み上げてくる。

 

 そして、理解したこともある。いや、以前から知っていたことかもしれない。

 笑顔の仮面で偽悪的に振る舞う彼女は一側面でしかなく、他人を思いやる心根の優しさも確かにあるのだと。

 それが嬉しくなって、気づけば私は笑顔で口を開いていた。

 

「アレニエさんにも罪悪感とかあったんですね」

 

「……リュイスちゃんも結構言うようになったね」

 

 笑顔にわずかな苦々しさを滲ませながら、彼女はややジト目でこちらを見る。すみません、調子に乗りました。

 

 私は自身の心境の変化に、自分で驚いていた。

 あの時、故郷に立ち寄らなければ。

 任務を受諾し、王都から旅立たなければ。

 なにより、アレニエさんと出会えなければ。

 おそらく、今こんな気持ちにはなれていなかったはずだ。

 こうして笑顔で彼女と軽口を言い合えることが、なんでもないやり取りが、嬉しくてたまらない。

 

「……もし真相を知られたら、やっぱり私も一緒に謝りますね」

 

「わたしに押し付けてもいいんだよ?」

 

「知ってしまった以上、そんなことできません。私は虚偽を許されぬ神官で……なにより、アレニエさんのパートナーなんですから」

 

 本当は、街の人に正直に話して謝るのが筋かもしれない。

 けれど先ほど述べた通り、彼女の行動は依頼の遂行の――勇者を救うためのものだ。人々に過度な不安を抱かせぬよう、その理由を説明することもできない。

 

 ならば余計に波風を立てるよりは、このまま黙っていたほうがいい。街の人に不便を強いるのは心苦しいが、無事に任務を達成すれば大義名分も立つ、と思う。残りの罪悪感には、私が耐えればいい。

 

「それに……『証拠は残らない』……ですよね?」

 

 少しだけ、悪戯っぽく笑う。

 彼女のことだ。泊まっていた宿だけでなく、現場である橋周辺にも、証拠になるような物は残していないのだろう。

 

 私の言葉に、笑みを湛えた彼女が頷く。

 いつものように柔らかいその笑顔は、けれどいつもより自然な感情が表れているように私には見えた。仮面は、ほんの少しでも剥がせただろうか。

 

「……ちなみに、具体的にはどうやって……?」

 

「まず手頃な木を蹴り倒して流木を作ります」

 

「すみません、一つ目から分かりません」

 

「えー」

 

「――……」

 

「――……」

 

 旅立つ前には考えられなかったほど賑やかに、私たちは『森』の入り口に向かう。

〈流視〉の光景に間違いがなければ、あの奥で魔将が待ち構えているはずだ。

 敗れた場合は言うまでもなく。たとえ、無事に打ち倒せたとしても。

 私たちの旅の、終わりが近づいていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

37節 黄昏の森

 日中活動する私たち人間と違い、魔物の多くは夜行性だ。

 陽光の下では動きが鈍る(眠いのだろう)が、反対に夜闇では活動性、凶暴性が増す。

 

 彼らの出現報告は、このラヤの森を境に急増する。

 人間と魔物の領域、その境界となっているこの場所を、魔物が増え始める予兆とされるこの森を、いつしか人々はもう一つの名で呼ぶようになった。――『黄昏の森』と。

 ここから先は夜の、魔物の世界だと警告するために。

 

 

  ***

 

 

 枝葉が頭上を覆い、まばらに日が差す森の入り口。

 そこを越え、奥に入ると、さらに繁茂(はんも)した樹々に出迎えられる。

 

 まだ日中だというのに、辺りは暗い。今も差しているはずの陽光も遮られ、常に薄闇がわだかまっているように感じられる。

 少しでも道を外れれば方向さえ見失いそうな暗い森の中を、慎重に、けれど迷わず、私たちは進んでいく。

 

 私が旅に同行したもう一つの理由が、これだった。

〈流視〉に映し出された、勇者が命を落とすまでの旅の道筋。

 それを辿ることで私は、目的の場所へ迷わず同行者を導ける、唯一の案内人になれる。

 

 しかし、その足跡をただなぞるだけ、とはいかなかった。

 森の内部に足を踏み入れた途端、ここまでの旅ではほとんど出会う機会のなかった、魔物の姿を散見するようになる。 

 多くはアレニエさんが事前に察知し、気づかれないようにやり過ごしているが、(まれ)に、目ざとくこちらを発見し、襲い掛かって来るものもいる。

 

「GRRRR!」

 

 唸り声が聞こえたと思ったのも束の間、私たちは一匹の魔物に襲われた。

 巨大な狼のような――ただし牛や馬並みに大きな体躯の――姿をしたそれは、虚を突かれ棒立ちの私目掛け、鋭く跳びかかる。

 

「っ! 《プロテクション!》」

 

 反射的に両手に光の盾を生み出し、身を守ろうとするが……突然のことで、足が地面に縫い付けられたように動いてくれない。そこへ――

 

「……ふっ!」

 

 傍で警戒していたアレニエさんが、私と狼の間に割り込むように跳躍。大きく開かれた魔物の顎の、そのさらに上から振り下ろすように、縦の軌道の回し蹴りを繰り出す。

 

 頑丈なブーツが魔狼の頭蓋(ずがい)に突き刺さり、下方に叩きつける。強い衝撃に受け身も取れず、巨体が地面を跳ねる。

 蹴りつけた彼女は、その勢いを殺さず空中で回転。落下しながら腰の剣を抜き放ち、眼下の獲物に斬りつける。

 

 シャンっ!

 

 と、鞘走りから空気を切り裂く一続きの音が、鋭く響いた。

 

 斬撃は、魔物を縦に両断。

 左右に分かたれた獣は、声を発する器官まで斬られたのか、音にならない呻き声のようなものを発し、やがて動かなくなる。

 

「……」

 

 人間相手とはまた違う、実戦の緊張感。

 私が一歩も動けないでいる間に、幼少時以来の魔物との遭遇は終わっていた。

 

「っふう」

 

 彼女の短い呼気を耳にして、ようやく身体の硬直が解ける。

 目線を下に向ければ、既にその身から穢れを漏れ出させている死体と目が合う。 

 二つに裂かれ、光を失った瞳に、やはり胸に穴が空くような喪失感を覚える。

 

 とはいえそれは、人の命が消える時に比べれば、幾分か小さいものだった。

 薄々気づいてはいたがこの衝動は、故郷の皆を見殺しにした後悔と罪悪感、目の前で人が死ぬことへの反発から生まれたもの。だからやはり、その原因である人間の死に対して、特に強く表れてしまうのだろう。

 

 それでも、小さくはあっても今感じている衝動は、目の前の魔物を一つの命として見た――見ることができた、証でもある。

 あの夜の質問の意図は掴めないままだったが、魔物も生きているという彼女の言葉には、なぜかすんなりと得心がいった。

 

 発生の経緯、向けられる敵意から、滅ぼすべき悪であるのは疑いないが……それは一つの命を奪う行為だという事実も、忘れてはいけない気がする。

 他の神官に聞かれたら憤慨されかねない(あるいはそれで済まない)考えだけれど……

 

「リュイスちゃん?」

 

「はいっ?」

 

 呼び掛けに意識を引き戻されると、アレニエさんが少し心配そうにこちらの顔を覗き込んでいる。

 

「大丈夫? 間近で死体見たのがショックだった?」

 

「……いえ。少し、驚いただけです。それよりすみません。咄嗟に全然動けなくて……」

 

「これくらい全然いいよ。でもここから先は、リュイスちゃん自身にも身を守ってもらわないといけないかな」

 

「……はい。承知しています」

 

 今さっき護られたばかりで説得力はないだろうが、これ以上の重荷にはなりたくない。

 

「なんて、相手が相手だから、わたしも人のことあんまり言えないんだけどね」

 

「……」

 

 彼女が敗れる未来など否定したかったが、結局はなにも口に出せなかった。

 これから迎え撃つのは、魔王に次ぐ力を持つ直属の側近。勇者が神剣を十全に使いこなしてなお苦戦するという、最上位の魔族――魔将だ。アレニエさんとて、どうなるか分からない。

 

「まぁ、簡単に死ぬつもりはないし、ほんとに無理なら尻尾巻いて逃げるだけなんだけど……それでも、死ぬ時は死ぬからね。覚悟だけはしとこっか」

 

「……はい」

 

 ここで命を落とす覚悟は、旅立つ前から固めていた。……つい、先日までは。

 いや、私のそれは覚悟でもなんでもなく、ただ自暴自棄になっていただけなのだろう。

 

 今は違う。

 私の世界は、狭い神殿の中だけじゃない。旅を通じて、外の世界に触れることができた。

 罪に囚われた過去だけじゃない。私みたいな人間も受け入れてくれる、アレニエさんという変わり者に出会えた。

 それらは私に、未練を生んでいた。

 

 まだ、死にたくない。この任務を成功させて無事に帰り、司祭さまにこれまでの感謝を伝えたい。もっと旅をして、外の世界を見に行きたい。

 ……できるなら、隣を歩く彼女と共に。

 

 それが難しいのも理解している。ここでどちらかが、あるいは二人共が、命を落としてしまうかもしれない。

 だから、もしそうなるとしても、せめて――

 

 せめて、彼女だけは、護ってみせる。

 そのために相手の命を奪わなきゃいけないなら、衝動にだって耐えてみせる。

 命を選ぶ権利なんて私にはないけれど、守りたいものは間違えられない。

 アレニエさんの言うそれとは違うかもしれないが、私は私なりに、覚悟を固めた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

38節 流れる視界に映るもの

「ここ……です」

 

 私は少し震えた声で呟いた。

 

 森の中にぽっかりと空いた、拓けた空間。

 ちょっとした広場ほどもありそうなそこは、高木どころか下草もまばらにしか生えておらず、地面の土がむき出しになっている。空を塞ぐ樹々がないため、陽光も届いていた。

 

 あれほどの嵐の後だというのに、土には湿り気程度しか残っていない。

 魔物の領土は乾燥している地域が多い(つまり『水』の加護が遠い)と聞くが、樹木が茂るこの地も例外ではないらしい。植生自体、アスタリアの創造物とは違うのかもしれない。

 

 ここが、魔将と勇者が遭遇し……そして、後者の命が(つい)える元凶の場所になる。

 実際の風景と〈流視〉で見た記憶が重なり、脳裏に鮮明に思い起こされ、私は口元を手で覆う。

 これからこの場で起こる勇者処刑の様子――それは戦いと呼べるものではなく、まさしく処刑だった――に、間近で失ったような喪失感を覚え、私は……

 

「――例の魔将は、まだいないみたいだね」

 

 アレニエさんの冷静な声で、不意に現実に引き戻された。

 私の意識が混濁している間にも、彼女は警戒を続けていたらしい。

 

「リュイスちゃんの目でも、いつ来るか、っていうのは分からないの?」

 

「その……大まかな道筋は見えるんですが、正確な時刻までは分からなくて……」

 

「そういうものなんだ?」

 

「はい……。ええと、そう、ですね……以前、〈流視〉に映る光景は川の流れに似てる、と話したのは……」

 

「憶えてるよ。初めて会った時だね」

 

 頷き、肯定の意を示す。

 

「普段の〈流視〉は、小川……いえ、どちらかといえば、クランの街で見た水路ぐらいでしょうか。どんな形状でどう流れていくのか、少し意識すればある程度見通せるほどの規模です。注意して目を凝らせば、そこに流れる水がどこから来て、この先いつ、どこを通過するかまで把握できる。これは、私の目に映る範囲で完結する程度の情報量だからです」

 

「ふむふむ」

 

「けれど、私の意思と関わりなく見える大きな流れ――今回のような、勇者さまの生涯などは、普段とは比べ物にならない多くの情報が流れ込んできます。同じく川で例えるなら……先日目にしたペルセ川にも匹敵する、巨大な河川、になるでしょうか」

 

「……そんなに違うの?」

 

「はい。私が目にしたのは、勇者さまが〈選定の儀〉に選ばれてからこの森に辿り着くまでの短い期間になりますが……それでもそれは非常に膨大で、私では、印象的な光景を記憶に留めること、見えた道筋を辿ることくらいしかできなくて……」

 

「ふむー……そういえば気にはなってたんだけど、それ、実際どんな風に見えてるの?」

 

「え? と……どんな、ですか……そうですね……。視界が、相手のものに――今回で言えば、勇者さまのものに切り替わって、その目に映る出来事が目まぐるしく流れていく……けれど、勇者さまの行動の流れ全体も、朧気に把握できる……。こう……流れる川の中から周りを見ている自分と、その川全体を眺める自分が、同時にいるような……? ……すみません、上手く説明できないんですが……」

 

「や、なんとなく想像はできたよ。ただ、今頭に浮かんでるの、リュイスちゃんが川に流されて溺れてる感じなんだけど、大丈夫かな」

 

「あ、はは、は……あまり、間違ってない気がします……」

 

 一方的に視界に入る情報の流れに溺れているという意味では、彼女の想像はそう外れてもいない。

 

「そんな状態ですから、流され始めた場所や、止まる地点は分かりやすいんですが、いつ、どこを流れて来たのかを正確に把握するのは難しくて……」

 

「なるほどねー……でも、とりあえずここに来るのは決まってるんだよね?」

 

「それは……はい。よほど大きく変えない限りは、本来の流れが継続するはずです」

 

 元凶を取り除き、新しい流れを生み出す必要があるのは、そのためだ。

 

「じゃあ、一通り辺りを調べてから、どうするのか決めよっか。すぐに見つからないなら、入り口まで戻って野宿だね」

 

 魔物がうろつく森の中で野営すると言い出さなくて、少しホっとした。往復する労力はかかるが、ここで一夜を過ごすより遥かにマシだろう。

 ……彼女なら、それくらい平然とやってしまいそうと思ったのは、内緒にしてください。

 

 

  ***

 

 

「――見つけた」

 

 樹上から周囲を見回していたアレニエさんからそんな呟きが聞こえてきたのは、方針を決めてからそう経過していない頃だった。

 彼女は樹々を跳び渡り、あっという間にあそこまで登ってしまったのだが、私はとても同じ真似はできないので、地上から地道に周囲を調べている最中で…………見つけた? ……もう?

 

 鎧を(まと)っているのに音もなく平然と着地(音が響きにくい加工でもしているのかもしれない)した彼女は、すぐにこちらに答え合わせを求める。

 

「全身真っ黒の鎧着た魔族、だったよね?」

 

「……はい」

 

 禍々しい意匠(いしょう)の全身鎧に、頭部を全て覆う兜。全てが黒く塗られ、鈍く輝いている。腰に帯びた剣の鞘まで黒だった。

 その姿は、私が〈流視〉で見たものと寸分違わない。

 

「なら、依頼の討伐対象で間違いないみたいだね」

 

 既に思っていた以上に接近されていた、のだろうか。本当に、時間の猶予はなかったのかもしれない。

 

「あと、その横にもう二人、人型のがいたよ。男と女で一人ずつ」

 

「……えっ?」

 

「肌が赤かったり青白かったりだから、多分その二人も魔族だね」

 

「いや……ちょっと、待っ……」

 

 魔将だけでなく、別の魔族が随伴している……?

 それは私にとって思いがけない、というより想像もしていなかった状況で、自分でも困惑するほどに狼狽する。

 

「そんな、はず……だって、今までは……」

 

「……リュイスちゃん?」

 

 私が〈流視〉で見た光景では、確かに魔将は単独で行動していた。そしてその単独の敵一体に、勇者一行は手も足も出なかったのだ。脳裏には先刻思い起こさせられたその光景が、胸には喪失感がいまだに残されている。

 

「リュイスちゃん。おーい、リュイスちゃんてば」

 

 平常時も、不意に強く現れた際も、〈流視〉に見えた流れはその先の現実でも再現される。意図的に変えようと行動しない限り、見えた流れが変わることは無い……少なくとも、今まではそのはずだった。

 

 けれど今回、私はまだ何もしていない。元凶である魔将と接触すらしていない。ないのに、この『目』で見た光景とズレが生じている――〝すでに流れが変わっている〟なんて……!

 

「リュ イ ス ちゃーん。……ダメか、聞こえてない。ん―……うん。仕方ない」

 

 それに――それ以上に……これでは、勝ち目がない。

 一体だけでも勇者一行を蹂躙してしまう最悪の敵。それが、さらに未知の魔族を二体も引き連れている?

 元凶を討つ、どころじゃない。二人共に命を落とす未来しか見えない。いや、私の命なんてこの際どうでもいい。それより、このままじゃ彼女が……アレニエさんが、死――……!

 

「えいや」

 

 もにゅん。

 

「…………?」

 

 焦燥感でざわめいていた胸に、突然外部から圧迫するような刺激が差し込まれた。

 狼狽(うろた)え、俯いていた視界には、アレニエさんから伸びる両の手が私の胸を鷲掴み、持ち上げるように揉みしだく様子が映し出され――

 

「――うひゃんっ!?」

 

 変な声出た。

 

「おお、結構な重量感」

 

「な……な……な……!?」

 

 弾かれたように彼女の手を振り払い後退し、「なにしてるんですか!?」と叫ぶ寸前で。

 

「あ……」

 

 暴走していた頭と心が鎮まり、周囲の景色が目に入る。眼前の彼女の姿も。

 そして、その声が聞こえないほど動揺していたことにも、ようやく気が付いた。わずかに遅れて、今の彼女の行為が、なんのためだったのかも。

 

 顔に熱が登っていくのを感じる。迷惑をかけた申し訳なさもあるけれど――……

 

「……他の方法はなかったんでしょうか」

 

「落ち着いたでしょ?」

 

 彼女は見せつけるように両手をわしゃわしゃ開閉させる。その手つきやめてください。

 

「確かに目は覚めましたけど、落ち着いたかと言われると……むしろ……その……」

 

「興奮した?」

 

「してません!」

 

 なんてこと言うんだこの人。

 

「その調子なら、もう平気かな」

 

「…………若干釈然としませんが、はい、一応……。……急に取り乱して、すみませんでした」

 

「うん」

 

 私を安心させるかのように、彼女はいつもの微笑みを浮かべる。

 

「それで? さっきの反応からすると、リュイスちゃんが『見た』時とは状況が違う、ってこと?」

 

 ……本当に、この人は察しがいい。

 

「……はい。以前見えた時は、他の魔族の姿なんてありませんでしたから……」

 

「まぁ、知ってたなら、依頼する時に言ってただろうしね」

 

 理解して頂けると助かります……

 

「敵が増えたのは確かに問題だし、慌てるのも分かるよ。けど、今の取り乱しようはそれだけじゃなさそうに見えた。流れが変わったから? でも、そもそも変えるために動いてるんだよね?」

 

「……そう、ですね。その通りです。見えたのが不幸な結末だったとしても、原因を取り除きさえすれば、流れは変えられますから」

 

 初めて会った際に説明した通りだ。その頃は、私が〈流視〉の持ち主だとは明かしていなかったが。

 

「でも、逆に言えばそれは、変えようとする〝誰か〟が手を加えて、初めて生み出せるもの。……そのはず、なんです。それが……」

 

「今回は、実際に何かする前に、変わってた?」

 

 無言で、首肯する。

 

「……こんなこと、初めてで……」

 

 取り乱した理由はもう一つあるのだけど……本人に告げるのは、さすがに恥ずかしい。

 

「なるほどね。でもまぁそういう理由なら、わたしに依頼した時点で手を加えたことになってたんじゃないかな」

 

「……助けるために、依頼したから……?」

 

 そう、なのだろうか。間接的にでも介入したから、全体の流れも変わった? 言われてみれば、そうなのかもしれない。

 

「あと思いつくのは、その『目』にリュイスちゃんの知らない条件があるとか。いっそ全然別のところに原因があるとか?」

 

「別の、条件……別の原因……」

 

 ……考えもしなかった。

 けれど確かに私は、この瞳の全てを――私の意思を離れた際は特に――知っているとは言い難い。

 それに彼女の言う通り、原因が他から来ていたとすれば……

 

「うん、たとえば魔族のほうにも――って、ゆっくり話してる暇はなかったね。さて、どうしようか……」

 

 アレニエさんが言う通り、もうあまり時間がない。魔将がこの広場に到達するまでに、方針を決める必要がある。――依頼そのものの継続も含めて。

 

 契約は神聖なもの。個人であれ、組織であれ、それを守り行わなければ信用は成り立たず、社会は立ち行かない。

 その契約の前提が崩れてしまえば、守る義務も失われる。ならば彼女には破棄する権利がある。彼女自身、依頼を受ける際に言っていたはずだ。手に負えなければ迷わず逃げる、と。

 当たり前だ。命を落とすと承知で崖に身を投げ出すのは愚行でしかない。無理を通す義理もない。

 

 もちろん、今から代わりを探す時間などないし、できるなら継続してもらいたい。最後まで、彼女と共にありたい。

 けれどそれ以上に……無為に彼女を死なせることだけは、したくない。

 

「……こんなことになってすみません。とにかく、今はこの場を離れましょう。エスクードまで戻って……いえ、もっと先の街まで行けば、応援を見つけられるかも――」

 

「え?」

 

「……え?」

 

 意外そうな声に驚き、思わず向けた視線の先で……彼女はなぜか、足元の小石を拾い集めていた。

 

「え、と……なにしてるんですか、アレニエさん」

 

「準備」 

 

 小石をポーチに忍ばせ、次いで彼女は他の装備や道具を簡単に(あらた)める。

 

「……もしかして、このまま迎え撃つんですか?」

 

「だって時間ないでしょ?」

 

 言いながらその場に屈み込み、手元の下草を結び、即席のトラップを手早く作っていく。子供の悪戯のようにも見える罠だが、意外に効果は高い。魔族に通じるかは分からないが。

 

「足止めはしたけど、それでも勇者がいつ来るか分からないし、街まで行っても腕の立つ人なんていないかもしれない。それなら、こっちが先に見つけて、しかも待ち構えられる今が、仕掛け時かなって。噂の〈暴風〉はともかく、横の二人は不意を討てばいけそうだしね」

 

 ……不意討ちなら、いけるんですか……?

 そのあたりは彼女の観察眼を信じるしかないけれど……あの、本当に?

 

 いや。彼女が、現状を理解したうえでこのまま戦うと、依頼を継続してくれると言っているのだ。それなら、私もその意志に従うだけだ。

 

「……手を引かれても、仕方がないと思っていました」

 

「途中で状況変わるのはそこまで珍しくないし、よっぽどじゃなければ手は引かないよ。それにこないだも言ったけど、わたしも、まだ勇者に死なれると困るから」

 

 今はそれこそ〝よっぽど〟の状況のような気がするけど……いや、深くは考えないようにしよう。

 

「わかりました。……本当に、感謝します。アレニエさん」

 

「大げさ大げさ。一応なんとかなりそうだと思ったから継続するだけで、実際やって無理ならそれこそ逃げるよ、わたし。だからリュイスちゃんもそのつもりでね」

 

「はい……!」

 

 決意を込めて返答する私とは対照的に、彼女はあくまで気負いがない。今はそれが、これ以上なく頼もしい。

 

「じゃあ、始めよっか」

 

 彼女のその言葉を合図に、わたしたちは迎え撃つ準備を始めた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

39節 奇襲

 下草をかき分け、土を踏みしめる音が。鎧の擦れる金属音が。広場に複数近づいてくる。

 同時に、物音の主である彼らが交わす会話も、徐々に耳に届いてくる。

 

「――……しかし、本当にここに現れるのでしょうか」

 

「……胡乱(うろん)な輩ではあるが、能力は確かだ。わざわざ我らに無駄足を踏ませはしないだろう」

 

「そりゃあ、勇者なんざさっさと殺しちまうに限るが……大将、実はあの女に便利に使われてるだけなんじゃねぇか?」

 

「『あの女』呼ばわりはやめなさい。仮にも魔将の一柱に」

 

「お前も『仮』って言ってるじゃねーか」

 

 巨大な斧を片手で軽々と握る、赤銅色の肌の男魔族。見るからに物静かな青白い肌の女魔族が並び歩き、その奥に、全身を漆黒の鎧で覆った魔将が控えている。話の内容からすればやはり、魔将の配下で間違いないようだ。

 

 私は木陰と結界の内側に隠れ、仕掛ける機を窺っていた。

 

 ――「リュイスちゃん、簡単な結界なら使えるって言ってたよね。あれ使えるかな。なんか魔力を抑えるやつ」

 

 待ち伏せる前に彼女が求めたのは、《封の章、第三節。静寂の庭、サイレンス》。指定した空間の魔力を遮断(しゃだん)・沈静化させる法術。

 術者の力量にもよるが、基本的には人一人をすっぽり覆うほどの範囲に、前述の効果を一定時間もたらすもので、その場に誘い込めば相手の魔術を封じることもできる(強すぎる魔力は沈静化させられず、できたとしても術の効果範囲に入っている間だけだが)。

 

 が、今回はその逆。私自身が結界の内側に入ることで魔力を隠し、魔覚に優れた魔族たちに感知させないのが目的だった。

 

 ここからでは姿が見えないが、アレニエさんもそう離れていない場所に潜んでいるはず。元から魔力のない彼女は、小細工を弄して隠す必要もない。

 

 私たちが潜む広場の入り口(彼らにとっては出口だが)付近には、下草の陰からわずかに覗く程度に、先ほどアレニエさんが斬った魔物の死体を置いてある。同時に、彼女が即席の罠を仕掛けた辺りでもある。

 

 魔族たちが近づき、わずかでも罠にかかった、あるいは注意を傾けた瞬間、二人で奇襲をかける手筈になっている。

 亡骸(なきがら)を囮にするのは心情的にも穢れ的にも抵抗があったが、かといって私では他の手口も思いつけない。無事に生還できたらきちんと浄化し、埋葬しよう。

 

 ――ドク、ドク、ドク、ドク、ドク……――

 

 緊張と恐怖で、痛いほど心臓が暴れている。

 この鼓動のせいで感づかれてしまうのでは、と思うほど、心音が体内に響き渡っている。

 少しも収まらない動悸と、徐々に近づいてくる彼らの気配に、私の意識は引きずられていく。

 そして、その時は訪れた。

 

「……なんだ? 向こうに、なんか……」

 

 荒っぽい口調の男魔族が、前方の異物に気づき怪訝な声をあげる。

 

「俺が見てくる。お前は大将とここで待ってろ」

 

 そう言い置くと、男は単身で近づいてくる。

 仲間からも特に異論はなかった。一行の中で、ある程度役割分担が決まっているのかもしれない。

 やがて、途中で置かれているものの正体に気づいたのか、男は距離を保ち、歩みを止める。

 

「魔物の死体、か……そう前のもんでもなさそうだな。てことは……ヤったヤツがその辺にいる。いよいよ、勇者のお出ましか?」

 

 こちらの挙動を見透かしているような台詞に、鼓動がさらに早くなる。

 

 一体は引きつけられたが、魔将、及び部下と思しき女魔族は、広場中央辺りで報告を待っている。

 男魔族も警戒しているのか、思ったより死体に近づいてくれない。私の位置からは、まだ距離がある。不意を打つにはほんの少し、けれど決定的な(へだ)たりが。

 

 しかし、あまり時間を置けば結界が効力を失う。そうでなくとも、目視で気づかれ正面から戦うことになればおしまいだ。それなら、少し早くてもここで仕掛けるしかない。

 焦りと決意が頂点に達し、いよいよ飛び出すべく足に力を込めた瞬間――

 

 ――カサっ

 

 不意に聞こえた物音に、ビクリと体を強張らせる。

 音は、魔物の死体と男魔族の中間の距離、その横方向にある茂みから聞こえてきた。

 

「あん?」

 

 音のしたほうに、男が一瞬顔を向ける。それとほぼ同時に。

 

 キン――っ

 

「――え?」

 

 続けて聞こえてきたのは、金属が擦れるような音と、誰かの疑問の声。しかもそれは近づいてきた男のものではなく、女性の――……

 慌てて黒鎧の側に目を向ければ、傍で控えていた青白い肌の女魔族の首が、わずかに間を置いて、胴体から離れるところだった。

 

「――え?」

 

 なにが起きたか理解できなかったのか、女魔族の頭部は先刻と同じ疑問の声を繰り返しながら、ゴトリと地面に落ちる。少し遅れて胴体が倒れ、青黒い液体が零れた。

 その傍らには、剣を逆手に抜き放ち着地する、アレニエさんの姿――

 

「(――そっち!?)」

 

 思わず胸中で叫ぶ(実際に声を出さずに済んだのは僥倖(ぎょうこう)と言うほかない)。目にした首無し死体に少なからず衝動を感じるも、なんとかそれを抑え込む。

 

「……フンっ!」

 

 黒鎧が剣を抜き放ち、アレニエさんに対して横薙ぎに振るう。素早く、鋭い剣閃だったが、彼女はその一撃をかわし即座に離脱、再び木陰に消える。

 

「野郎っ!」

 

 彼女を追うべく身を(ひるがえ)したのは、もう一体の部下であろう男魔族だった。仲間をやられたからか、相当頭に血を登らせているのが表情だけでも見て取れる。内に(たぎ)る激情を眼前に集めるかのように、逃げたアレニエさんに向けて手をかざし……

 その掌から、黒い燐光を放つ火球が生み出され、彼女の背に向かって撃ち出される!

 

 

  ――――

 

 

 魔術は一般的に、心象を具現化させる技術だと言われている。

 肉体という檻の中に精神を閉じ込めている人間は、思い描くだけでは想像を実現させられない。心象を檻の外側に出すには、扉の鍵であり、道筋でもある言葉――詠唱が不可欠になる。詠唱を詠唱たらしめる媒介が魔力と、それに結びついた精神だ。

 

 しかし魔族は、魔術の行使に詠唱を必要としない。彼らは思い描くだけで、自在に魔術を操れるという。

 

 そして、その代償なのだろうか。彼らは魔力の消耗が精神だけではなく、肉体にまで及ぶという。魔力の消費はすなわち命の消費であり、命が枯渇した先は――当然――死だ。

 魔術は、彼らにとっての諸刃の剣だった。

 

 

  ――――

 

 

 アスタリアの炎にはありえない闇色の火。人の胴体ほどもある巨大な火球は、しかし彼女を捉えることなく、手前の木に遮られる。

 

 瞬間。

 

 黒炎は数秒も経たず触れた対象を燃やし尽くし、轟音を上げながらその場に巨大な火柱を突き立てた。

 その威力に、戦慄する。当たれば、人間などひとたまりもないだろう。

 それが外れたのを悟るや、男はすぐさま駆け出した。

 

「待ちやがれてめぇ!」

 

「待て! 深追いするな!」

 

 魔将の制止は、我を忘れた部下の耳には届かなかった。

 男はそのままアレニエさんを追って森に分け入り、辺りの薄暗さに覆い隠され見えなくなった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

40節 予感

 うまく釣れてくれた。

 赤銅(しゃくどう)色の肌の男魔族は、見た目通りに激しやすい性格らしい。

 

 あの時、あの場の全員の注意が魔物の死体と、そこに近づく男魔族に向いていた。

 奇襲には絶好の、そして数少ない好機。

 それにあそこで仕掛けなければ、もう少しでリュイスちゃんが見つかっていたかもしれない。迷う暇はなかった。

 

 首尾よく女魔族を仕留められたのは幸運と言っていい。後に回したのが彼女なら、こちらを追わずにその場で警戒を深めていただろう。

 

 

  ――――

 

 

 人の姿に近いからか、魔族にとっての急所も人と同じ箇所であることが多い。頭や胸はもちろん、大抵は首を落とせば仕留められる。

 

 魔族には『魔力の核』があって、それを破壊することが必要、なんて話も聞いたことがあるけど……

 少なくともわたしは、その核とやらを見たことがない。実際にあったとしても、多分、急所のどこかにあるんだろう。どちらにしろ殺せるならなんでもいい。

 

 (まれ)に、首を斬るだけでは死なない、不死者(アンデッド)なども存在するが。

 魔将を直接狙わなかったのは、それに似た気配を感じたからだろうか。

 不死者とはどこか違うが、なんとなく、仕掛けてもあっさりとは倒れてくれない予感があった。

 

 下手をすれば魔将を討ち漏らしたうえ、残りの魔族にも取り囲まれていたかもしれない。

 そしてリュイスちゃんがわたしを助けようと飛び出し、二人仲良く殺される結末まで、容易に想像できた。

 

 

 一人で冒険してきたわたしは、他の誰かを護る意識が希薄だ。

 自分の命だけでも精一杯なのに、場合によってはその命を懸けてまで対象を守らなきゃいけない。どうにもそれに納得できず、護衛の依頼自体を避けてきた。

 

 そんなわたしがリュイスちゃんを気に掛けながらでは、彼女どころか自分の命さえ十分に護れないかもしれない。

 それよりは、こうして身を隠しながら一人で仕掛けたほうがやりやすい。

 

 

  ――――

 

 

 男魔族は力任せに斧を振るい、黒炎を放ちながら追ってくる。それを尻目に、わたしは森を蛇行しながら駆けていく。

 樹々を遮蔽に追っ手の視線を切らせ、眼前の木に向かって跳躍。それを足場にさらに隣の木に跳び渡り、樹上の枝葉に身を隠す。

 

 あまり間を置かず、隠す気など無さそうな荒々しい足音が近づいてくる。追っ手はまだ標的を見失ったことに気づかず直進し、眼下を通過しようとしている。

 その行く先に、懐から取り出した小石を――先ほどと同じように――放り投げる。

 

 茂みを揺らし、葉音が響き、男の意識が一瞬引きずられる。身を固くしたその背に向けて、わたしは跳んだ。

 枝を蹴った反動と全身の力を『気』に換え、速さと体重を足先に加え、赤銅色の背を全力で蹴り抜く。

 

 ダンンっ!

 

「ガっ……!?」

 

 蹴り倒したその背から腹部をわたしの右足が貫通し、地に縫い付ける。踏みしめた地面に、水面に落とした雫のように『気』が伝い、魔族の身体を再度打った。

 

「グぶっ……!? バ……っ!? てっ……! め……!?」

 

 多量の血を吐きながらも、牙をむいて背後を睨む男魔族。

 同時に、露出した上半身に描かれた紋様が淡く光り、体の各所から黒炎が噴出する。

 痛みで集中が削がれているのか、その炎は制御できずに拡散しているが、明確にこちらに向けられれば無事では済まないだろう。それを視界に入れながら。

 

「お互い、間が悪かったね」

 

 ザゥっ!

 

 手短な謝罪(?)と共に腰の剣を抜き放ち、男の首を背後から、地面ごと撫で斬った。

 

「カっ…………!?」

 

 頭部が首から離れ、わずかに転がる。

 

「ア……ガ…………なん………ク、ソ……が……ァ……。…………」

 

 しばらく不明瞭な苦悶(あるいは怨嗟(えんさ))の声を漏らしていた頭部だが、少しするとそれも止み、森の静けさと同化する。

 

 その場を遠のき様子を見るが、首も胴体も動き出したりはせず、黒炎もやがて飛散していく。傷口からは血と共に穢れが漏れ出し始めた。

 演技や擬態でこちらの不意を突くタイプにも見えない。多分、止めを刺せたはず。

 

「……ふぅ」

 

 出会うタイミングが違えば、お互い命を獲りあう事態にはならなかったかもしれない。そう思うと少し……いや、魔族だし、出会ったらやっぱり襲ってきてたかな。結局こうなってたかも。

 

 自己完結してすぐさま踵を返し、来た道を逆に辿る。

 あまり時間はかけなかったつもりだけど、リュイスちゃんの結界も長くは保たないはず。彼女が見つかる前に戻らなきゃいけない。

 

「(それに……)」

 

 黒鎧の剣が思ったより鋭かったことも、気に掛かる。

 

 前方に視線を遣れば、樹々のすき間からこちら側を注視する魔将の姿を確認できた。その場から動かず、わたしの動きを警戒していたらしい。

 ということは、まだリュイスちゃんには気づいていない。不安が一つ消えた。

 

 わたしは駆けながらユティル印の煙玉を取り出し、黒鎧の目の前に落ちるよう狙いをつけ、上方に放った。

 

 球体はゆっくりと放物線を描いて飛んでいく。相手の視線は自然と吸い寄せられている、はず。

 弧を描いて落ちるそれに向けて――今度は真っ直ぐ、横一直線に、ダガーを投擲した。

 煙玉は狙い通り黒鎧の眼前でダガーに刺し貫かれ、その衝撃で起動。辺りを白煙で染め上げる。

 

 投擲物で注意を奪い、煙で視界を覆っている間に、わたしは広場を駆け抜け、魔将の背後に回り込んで急襲する。

 こちらの視界も遮られているが、煙の中心に相手はいる。目を凝らし、その先に薄っすらと見える人影に向かって剣を――

 

 ゴァっ!

 

「っ!?」

 

 唐突に。影を中心に、煙が球状に広がっていく。――違う。風に追いやられてるんだ。

 徐々に広がり続けるその不自然な突風に、わたしは煙ごと吹き飛ばされた。

 

「(視界を奪えたと思ったけど……見抜かれてた……!?)」

 

 いや。ここまでの全てを見抜くような相手なら、こちらの動きを警戒する様子も、煙を吹き飛ばす必要もない。多分、視界の確保と不意討ちへの対処を同時に行ったんだろう。こういう時、風の魔術は便利だ。

 

 煙幕は晴らされたが、まだそれだけだ。声は押し殺したし、あの強風なら多少の物音は聞こえない。こちらの位置は把握できていないはず――

 

「……そこか!」

 

 なのに魔将は正確にこちらを振り向き、淡く輝く漆黒の剣身を突き付けてくる。その周囲に風が集束していく。――ものすごく嫌な予感。

 

「(ただの剣じゃない……魔具……?)」

 

 風は即座に膨れ上がり、人を丸ごと呑み込んでも優に余るほどの竜巻――まるで、風で編まれた塔のような――が、こちらに向けて撃ち出される。

 

「――~~!」

 

 咄嗟に、しかし全力で飛び退く。かろうじて回避したその横を、竜巻が轟音を上げて通過していく。

 ちらりと見えた後方で、『塔』が荒れ狂いながら地面を舐め、抉り取っていく様子と、その先にある樹々を蹂躙(じゅうりん)し、森を開拓していく光景が、視界を(よぎ)っていった。……馬鹿げている。

 

「(貰ってたら、一発で挽肉だったね……)」

 

 わずかに遅れて内臓が冷えるような感覚があったが、とりあえずは無視だ。

 受け身を取りつつ、左手でダガーを二本取り出し、一投で両方投げつける。それを追いかける形で、即座に駆け出した。

 

 狙いは兜の視界を確保するためのスリットと、鎧の関節部分。

 さすがに無視できなかったのか、魔将は手にした剣でダガーを防ぐ。風を使わないのは、魔力の消耗を嫌ってだろう。

 煙を吹き飛ばした時のような風を常に張られていたら、投擲はおろか、接近すら敵わなかったかもしれないけど、魔将といえどそれは難しいはずだ。

 

 

  ――――

 

 

 詠唱無しで行使できる魔族の魔術は厄介だが、万能じゃない。人間と同じように際限はあるし、実践できる魔術には大きな個体差、偏りもある。さっきの男なら炎、目の前の魔将なら風の魔術しか使えないはず。

 

 使うには意識の切り替え、集中、魔力の充填が。強力な魔術にはそれ相応の時間がかかる。高く跳ぶのに助走や屈伸がいるようなものだ。

 

 それにその身を削って使う以上、使いすぎればいずれ限界が来るし、限度を超えれば死に至る。人間のように、疲労や気絶だけでは済まない。

 魔将となれば、一般の魔族より膨大な魔力が――命の総量自体が桁違いかもしれないが、それにもやはり限界はあり、消耗させ続ければ隙も生まれる。

 

 

  ――――

 

 

 黒鎧がダガーを弾くのに合わせ、死角に潜るように回り込み、そこから急激に方向転換。低い姿勢で一気に距離を詰め、首を狙うべく踏み込んだ。

 仮に首を落としても死なない怪物だったとしても、さすがに態勢は崩せるはず。最終的に死ぬまで斬り続ければいい。

 また風で防ごうとするなら、それでもいい。その分の魔力は削れる。

 

 しかし……

 

 魔将は、そのどちらも選ばなかった。

 標的――つまりわたしを見失うことなく、足さばきだけで体を入れ替え、こちらに向き直る。

 力まず自然体で腰を落とし、手にした剣を中段に構えた、お手本のような立ち姿。

 

「(え――)」

 

 ――ゾクリとした。

 それはもしかしたら、先刻の『塔』の時よりも強い、嫌な予感。

 

 予感や勘とは、多くが経験則だ。

 相手の姿勢、動き出し。魔力の動きに、周囲の違和感。六感で感じるそれらの気配に、自身の経験してきたものが合わさった、総合的な危険の予兆。わたしは魔覚が鈍いので、実質五感だけだが。

 

 働いた予感が見当違いな時もあるが、大抵は素直に従ったほうが危険を避けられる。今回もそれに従い、即座に意識を攻撃から回避に切り替えた。

 

 黒鎧はこちらの動きに合わせ、さらに身を沈めながら剣先をゆらりと揺らし……

 

「――フっ!」

 

 右足を前に出すのと同時に、前方を鋭く横薙ぎに払う。――早い……!

 前進の勢いを殺さず跳躍し、低空の斬撃を飛び越える。反応が遅れてたらまずかったかもしれない。

 

 他の魔物や魔族のような、ただの力任せじゃない。

 攻撃の気配を殺し、重心を利用し、刃筋を立てて斬る。それはまるで――

 

「(剣術……)」

 

 予感の正体は、これか。

 それは警戒もする。これ以上ない違和感だ。魔族が人間の技を身につけるなど、通常あり得ないのだから。

 

 なぜなら、魔族は努力というものをしない。と言うより、知らない。

 彼らにとっては生まれ持った力こそが全てで、十分なのだから。鍛錬も、工夫も、本来必要がない。

 ましてや、見下し劣っているはずの人間の技術を真似るなど、誇りが許さない。力のある魔族ほど、その傾向は強い。……そのはずだった。

 

「(なのに……よりにもよって、魔将が……?)」

 

 人間のように『気』を操ってるかまでは分からない。が、元から彼らは人を越える膂力を誇るのだ。わずかにでも動きの無駄を無くす、というだけで厄介極まりない。

 

 もし、目の前の魔将だけではなく、他の魔族も習得しているとしたら。魔族全体になにかしら意識の変化があったとしたら。

 それは、あるいは魔術以上の致命的な脅威に……

 

「(……なんて、別にどっちがどうなってもどうでもいいか)」

 

 それは、今を乗り切りさえすれば当面わたしには関わりないことだ。そんな先を考える前に、まずは目の前の相手をなんとかしなきゃいけない。とりあえず空中で交差する際に一発蹴っておく。

 

「グっ!?」

 

 威力は大したことないが、蹴った反動でさらに距離を取り、着地しながら反転、魔将に向き直る。

 すぐに追撃が来るものと身構えるが……なぜか相手はその場から動かず、武器を構えてすらいない。

 若干怪訝に思うわたしに改めて向けられたのは、しかし剣ではなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

41節 イフ

「……大したものだな。人間が、たった一人で」

 

 剣の代わりにわたしに向けられたのは、兜の奥から響く声。威圧感と、わずかな感嘆を含んだ、低い男の声だった。

 

「しかも物音はおろか、魔力の感知すら叶わぬとはな。見事な隠蔽だ」

 

 別に魔力は隠してるわけじゃないんだけど。

 

「貴様は何者だ? 勇者ではないようだが」

 

 む。そうあっさり違うって言われると、なんか癪に障る。

 というかこのひと、勇者を狙ってる割には当の本人の顔は知らないみたいだ。食い下がれば本物から遠ざけられるかもしれない。ダメ元でごまかしてみよう。

 

「なんでそう思うの? 勇者かもしれないでしょ?」

 

「神剣も持たずにか?」

 

 ぐうの音も出ない。

 

「加えて……貴様は、腕が立ちすぎる。此度の勇者は選ばれて間もなく、まだ未熟と聞いていたのだがな」

 

 やっぱりダメか。

 とはいえ、狙う理由をわざわざ正直に告げて、情報源まで辿らせる必要もない。

 

「バレたならしょうがないけど、わたしはただの冒険者だよ。ここに来たのは偶然」

 

「……偶然現れた冒険者がわざわざ我らを待ち構え、我が部下を音もなく殺した、と? 面白い冗談だな」

 

 ニコリともせず(そもそも顔が見えないが)、黒鎧が呟く。

 

「貴様には迷いがなかった。機を窺い、明確に、冷静に部下を狙い、始末した。我らが何者か、始めから貴様は知っていたのだろう。だが……だとすればどこで知った? いや――……どうやって、知った?」

 

 魔将の口調は純粋な疑問というより、なにかを確認するような響きだった。情報を得た方法に、思い当たるところがあるような……――

 ――こちらと、同じように。

 

「わたしも気になってたんだけど……あなたたち、この森で勇者を待ち構えてたんだよね? 勇者がここに来るって、どうやって知ったのかな。……聞いた、って、誰に?」

 

「……フっ……お互い、立場は似たようなものらしいな」

 

 魔将は、心なしか自嘲気味に笑った。

 

 

  ――――

 

 

 リュイスちゃんから依頼の概要を聞いた際、少し引っかかっていたことがある。

 目の前の魔将はどうして、的確にこの『森』で勇者を待ち構えられたのか。

 

 だってここは、あくまで勇者が選ぶ〝かもしれない〟進入路の一つでしかない。現に、先代の勇者はここを通っていない。

 魔物や魔族の上に立つ将軍が、わざわざ自分の足で闇雲に捜索しに来るとも考えづらい。かといって、配下の魔物がそれに代わって動いてる様子もない。

 

 それに魔将が城を離れるのは稀で、顔を見せたとしても例の『戦場』くらい、という話だったはず。こんな場所まで足を延ばしてること自体がそもそもおかしい。というより、そうするからには何らかの確信があるのでは、と思うのだ。

 

 ……〝偶然〟この『森』に当たりをつけた魔将が、〝偶然〟勇者を発見して始末した? それこそ冗談だろう。

 それよりは、〝向こうもこちらと同じことをしている〟というほうが、納得できる。

 

 

  ――――

 

 

「……そういうことに、なるのかな。わたしは、『勇者を殺す魔族』を討伐する依頼を受けて、ここまで来た。……あなたが、そうだよね?」

 

「ほう。そこまで把握しているのか。如何にも……我は魔将が一柱、〈暴風〉のイフ。陛下に仇為す勇者共を始末するため、この地に足を運んだ」

 

 黒い鎧の魔族――〈暴風〉のイフは、大儀そうに名乗りを上げる。

 こちらからは言明せずに反応を見るつもりだったけど、ありがたいことに本人から申告してくれた。これで一応、裏は取れたと言っていいだろう。……やっぱり、本当に本物みたいだ。

 

「……目にするのは初めてか?」

 

 そう問われ、ついじろじろ見てしまっていたのに気づき、苦笑する。

 

「魔族は何度か会ったことあるけど、さすがに魔将はね。しかも剣術を使うなんて、なおさら珍しくて。……気に障った?」

 

「構わん。アスタリアの結界がある限り、貴様らの領土でそれほど自由には動けぬ。相対する機会は少なかろう」

 

「結界? ……おとぎ噺の?」

 

「現実の話だ。……あぁ。貴様らは頻繁な世代交代で、度々知識が途切れる難儀な種族だったな」

 

 そんな寿命が短いことを咎められても。

 

「まあいい。結界は、穢れ――アスティマの力を強く受け継いだ者ほど、反発されるものだ。我であれば、この森までだな。土地を穢し、アスティマの領土とすることでアスタリアの力は弱まり、結界は縮小する」

 

 穢れが強いほど反発……土地を穢して……そんな仕組みがあったんだ。

 じゃあ、パルティール周辺にあまり強い魔物がいないのは、その結界のおかげ……? それに、魔将が襲撃場所にここを選んだのも……

 

「それさえ無くば、勇者の死の匂いはこの森ではなく、アスタリアの膝元であったろうな」

 

「死の匂い……じゃあ、それが――」

 

 ――勇者を待ち構えることができた理由?

 

「〈不浄の運び手〉たる悪神、ネクロスの加護は、他者の死の匂いを嗅ぎ取ることができる。同輩に、この加護を授かった者がいる」

 

 同輩……ってことは、他の魔将?

 

「ひょっとして、部下を連れてきたのも?」

 

「おそらくは、貴様を送り込んだ者と同様の思惑でな。匂いが薄れたため、念を入れると言っていたか」

 

 つまりそのせいで、リュイスちゃんが見た時とは流れが変わってしまったのだろう。

 

「……というか、悪神? 悪魔じゃないの? ……そもそも悪魔ってほんとにいたの?」

 

「何を言っている。悪神――貴様らが悪魔と呼ぶものなど、どこにでも存在するだろう」

 

「へ? どこにでも、って……この辺にも?」

 

 適当な方向を指差して問うと、魔将は無言で首を縦に振る。まさかこれも肯定されるとは思わなかった。

 

「神々は〝何処にも在り、何処にも無い〟。世界を漂い、善と悪の対立を囁きかける存在だ。どちらを選択するかは、囁かれた者次第だが」

 

 神殿の教義、大体合ってたってことだろうか。

 

「我らも便宜上『悪神』『善神』と呼び分けてはいるが、実のところそれらに大きな違いなど無い」

 

「違いが……無い?」

 

「どちらもただの神だ。過去の戦で肉体を失い、非物質の状態にまで引き戻された者たち。奴らは世界に触れる手を失い、同じく非物質である精神を通じねば、こちらに干渉することも叶わぬ。加護とは、その手段の一つだ。他者の精神と繋がり、力を与え、自身に信仰を抱かせる――あるいは自身の代行者とするための。そも、アスティマとアスタリアからして、同時に存在した双子神だ。いや、親に当たる者が存在せぬ以上、双神と呼ぶべきか。一方は悪と非生を。一方は善と生を。それぞれの性質により自ら選び取った。それらから分かたれた神々も、受け継いだ性質に従っているに過ぎな――」

 

「いや待って待って待って待って」

 

 図らずも得た望んだ以上の情報量に、堪らず魔将の台詞を遮る。

 

「どうした?」

 

「いや、どうしたじゃないよ。いきなりそんないっぺんに言われても呑み込めないから。……神と悪魔が同じ? ひぶっしつが精神にかんしょーで、女神と邪神が……双子?」

 

 どうしよう。なに一つ分からない。

 

「というか、なんでそんな詳しく教えてくれるの? 意外におしゃべりでびっくりだよ。わたし、一応あなたを討伐しに来た身だし、さっき言ってた同輩とやらも場合によっては標的にするかもしれないんだけど」

 

「ふむ……」

 

 魔将はしばし考え込むように顎に手を当て、黙り込む。……え? 自分でも分かってなかったの?

 

「そうだな……強いて言えば、貴様の目か」

 

「目?」

 

「アスタリアの眷属共が我らに向けるのは、往々にして敵意だ。視線で。言葉で。行動で。雄弁にそれを突きつける。そこに、言葉を交わす余地などありはしない」

 

「……まぁ、そうだね。魔物に家族や故郷を奪われてる人も多いし、神殿は組織ぐるみで邪神の眷属を憎んでる。言葉は通じても、会話は通じないだろうね」

 

「然り。だが貴様からは、そうした敵意を全く感じられん。部下を殺したのも、あくまで目的を果たすため、その障害を排除したに過ぎないのだろう。そればかりか貴様は、我に――魔将に、興味さえ抱いている。そんな者を目にする機会など多くはない。……こんなところか。口が滑った理由は」

 

 つまり。

 

「会話できる相手なんて珍しいから、舞い上がって口が軽くなった?」

 

「……そう纏められるとこそばゆいが」

 

 なにこの魔将。ちょっとかわいいな。

 

「そも、秘匿していたわけでもない。貴様らが失った知識に過ぎん。悪神の加護も同様だ。今の情報で貴様があの女に辿りつくならば、それもまた一興というもの」

 

 女なんだ。というか、仲悪いんだろうか。

 

「わたしは教える気はないよ?」

 

「構わん。加護を持つ者は希少ではあるが、皆無ではない。我らの動きを事前に把握するとなれば、さて、シンヴォレオの『耳』か、カタロスの『目』か……」

 

 向こうもやっぱり、ある程度の察しはついているみたいだ。まあ、リュイスちゃんだと特定されなければ別にいいか。

 

「いずれにせよ、いくら貴様が情報を得たとて、この場を生き延びねば意味は無い。理解しているな?」

 

「そりゃね」

 

 死人に口なしだ。まあ、元から誰かに伝える気もあまりないけれど。

 

「我としても見逃す気はない。先の情報はともかく、こちらの動きを他の人間共に伝えられては些か面倒だからな」

 

 あー……なるほど。邪魔が入らないようにこっそりなのか。

 

「故に貴様は、手にしたその剣をもって我を斬り伏せるより道はない。全霊を賭して挑むがいい。そして」

 

「そして?」

 

「剣術は――――我の趣味だ」

 

 ………………

 

「………………はい?」

 

「我は長きに渡ってアスタリアの眷属と剣を交えてきた……そうして気づいた。数に任せるしかなかった貴様らの動きが、ある時期を境に明確に変わったことを。しかもそれは、年月を重ねるごとに強く、鋭く、多彩になっていった。風の噂ではスリアンヴォスの入れ知恵らしいな」

 

「え? うん……うん?」

 

 ごめん、待って。まだ趣味の衝撃から抜け出せない。

 しかしイフの口調は次第に熱を帯び、早さを増していく。

 

「力で劣るにも関わらず、時に我らを打ち負かすその技術。我はそれらをこの剣で、あるいはこの身で受けた。貴様らに敗れた配下の傷を調べ、その剣筋を想像した。知り得た知識を研究し実践することに、本能以上の愉悦を覚えた。そうした研鑽の日々こそがいつしか、我の中で最も重要な関心事となっていた……」

 

「……え~と……」

 

「だが解せぬのは、動作の再現だけでは足りぬ点が(中略)。剣の術理には、いまだ我の知り得ぬなんらかの要素が(中略)」

 

 熱弁する魔将の声を聞き流しながら、額の汗を垂らす。

 てっきり、魔族になにか心境の変化があって技術覚え始めたとか、魔力の消耗抑える手段とかかと思ってたんだけど、そうじゃなくて……

 

「(……単に、このひとが剣術マニアの変わり者ってだけ? しかも、自分で一から調べて独学で覚えたの? ……なにそれ、面白すぎる……!)」

 

 いや、実際にその剣を向けられてるのはわたしなんだから、面白がってる場合じゃないんだけど。

 

「(中略)……欲を言えば、音に聞く〈剣帝〉の技も目にしたかったものだがな。我が耳にした頃にはその類稀な技量と、既に姿を消して久しいという噂が残るのみだった。直接に対峙する機会がなかったのは、残念でならん」

 

 ピクリと、口元が反応してしまう。

 

 あぁ……まただ。最近立て続けに耳にするその二つ名を、わたしは無視できない。

 しかも世間的には非難の対象になっているはずなのに、なぜかリュイスちゃんも、なんとかくんも、しまいには目の前の魔将まで、好意的な意見ばかりなものだから……

 

「……残念がるのは、ちょっと早いかもしれないよ?」

 

「……どういう意味だ?」

 

 わずかな嬉しさ。戦いの高揚感。ふとした思いつき。

 絡み合った気持ちが後押しして、普段は抑えている口を滑らせる。

 

「――わたしは、弟子だから。〈剣帝〉アイン・ウィスタリアの」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

42節 その剣に断てぬもの無く

「……貴様が――」

 

「(アレニエさんが――)」

 

 ――〈剣帝〉さまの……弟子?

 

 遠巻きに戦況を見守るしかなかった私は、彼女の突然の告白に胸の内で驚愕の声を上げる。

 突拍子もないはずのその言葉は、けれどなぜか、私の胸にストンと着地した。

 それは彼女の強さの理由に、あの時のジャイールさんの問いに、納得のいくものだと。そう、思えたのだ。

 

「(……それじゃあ、もしかしてあの噂は……)」

 

〈剣帝〉は「下層で冒険者として生きている」んじゃなくて。

「下層で(弟子が)冒険者をやっている」、が、正解……?

 

 ただ、アレニエさんは以前、剣の継承亭のマスターに剣を習ったと言っていた気が……元冒険者の、マスター、に…………?

 

「(……元冒険者で……アレニエさんの養父で……剣の、師……? えっと、確か、〈剣帝〉さまが失踪したのが――)」

 

 ――住み始めたのは、十年くらい前かな――

 

 十年前。

 確かに、以前彼女に聞いた年数と、失踪した大まかな時期は符合する。

 

 ……え、待ってください。あのマスターが――〈剣の継承亭〉で出会い、私と直接会話まで交わした彼が――探し求めていた〈剣帝〉アイン・ウィスタリア……?

 でも、司祭さまから聞いた彼の名は、オルフラン・オルディネールさんのはずで……

 

 …………

 

 ……よく考えたら『ありふれた孤児』なんて名前、素性を隠すための偽名ですよね……子供に『孤児』とかつけませんよね……

 

「(じゃあ、本当に……?)」

 

 本当に、オルフランさんが〈剣帝〉で、アレニエさんはその弟子で、司祭さまとは共に守護者として旅をした仲で…………同じ孤児院出身の二人が、その後、揃って守護者に?

 

 ダメだ、頭が追いつかない。魔将の語った情報だけでもいっぱいいっぱいだったのに。

 

「……〈剣帝〉の弟子、か。噂でも、耳にした覚えはないが……」

 

「いろいろあって隠してるからね」

 

「ふむ……失踪の理由に関わるというところか。まあいい。我にとって重要なのは、貴様の発言の真偽だ」

 

 魔将は再び剣を構え、静かに立つ。

 

「……いや、違うな。偽りであっても構わん。先の言葉に見合う力を、貴様が示してくれるのならば」

 

 アレニエさんも静かにそれに応じる。

 ジャイールさんとの戦いと同じ、右手右足を後ろに置き、軽く腰を落とした、いつもの構え。けれど今の彼女は、あの時より格段に集中しているように見える。

 

「すぐに終わっても、文句言わないでね?」

 

「益々期待させてくれる。ならば見せてみろ。〈剣帝〉の弟子の剣を――」

 

 言い終わると同時、魔将が大地を蹴る。

 力強い踏み込みは全身鎧の重量を感じさせず、素早く、真っ直ぐ、アレニエさんに向かって疾走する。突進の勢いも武器に乗せ、魔将は掲げた剣を上段から振り下ろす。

 

 剣筋はいたってシンプル。まるでお手本のような軌跡を描くそれは、けれど並みの剣士よりも確実に早く、空を切り裂いてアレニエさんを襲う。

 対する彼女は、逆手に握った柄にさらに左手を添え、交差させた両手で剣を頭上に掲げ――

 

 シィィィッ――

 

 静かに金属が滑る音だけを残して、魔将の一撃を側面に受け流す。

 見たこともない繊細な剣捌き。剣と剣とが触れた音とは思えなかった。

 しかし防がれるのは予期していたのか、魔将に驚いた様子は(少なくとも外見的には)見受けられない。

 それどころか流された反動をつけ、即座に横薙ぎに斬り返そうとし――

 

 ガンっ!

 

 その斬り返す剣の根元、柄の部分を、アレニエさんは右足で蹴り止め、敵の追撃を出足で抑えていた。

 

「グっ……!?」

 

 そして彼女は、蹴り止めた柄をそのまま足場にし、動き出す。

 

「――ふっ!」

 

 アレニエさんの鋭い呼気が聞こえた。

 

 ――――その後の動きは見えなかった。

 

 音もなく、気づいた時には彼女の剣は振り切られており……わずかに間をおいて、その切断面から夥しい血を吹き出しながら、魔将の首が、地面に落ちていた。

 

 

  ◆◇◆◇◆

 

 

 魔族が詠唱無しで魔術を扱えるのは、肉体と精神と魔力が一つ――正確には、それぞれの境界が限りなく薄く、距離が近い状態――だから、らしい。

 正直よく分からないが、互いの距離が近いため、影響を与えやすいのだとか。

 理屈はともかく結果として、魔族は魔力の消耗が肉体に、命に直結する。

 

 また境界が薄いため、精神の在り様が肉体に直接表れる。異形の外見は、その結果だとも。

 人間の場合、境界が遠いため、魔力の具現化に詠唱が必要になる。代わりに魔力の消耗だけでは肉体にまで影響は出ず、精神が身体を変容させることもない。

 

 そして距離が遠いからか、人間は、本能や欲求を理性によって抑えることができる。

 そして距離が近いからか、魔族は、本能や欲求に忠実だった。

 

 剣術に執着を見せる魔将に〈剣帝〉の弟子だと仄(ほの)めかせば、十中八九自身の欲求を、興味を優先する。魔術を使わず、剣での勝負に拘る。秘密を明かしたのは、そんな理由からだった。……浮かれて口が滑ったのも、ちょっとあるけど。

 単純な接近戦なら――〝剣〟での勝負なら、とーさん以外には、おそらく負けない。

 

  ――――

 

 とーさんからわたしが教わった技は、大まかには二つだけ。

 彼は一つの物事を突き詰める性質(不器用とも言う)だったので、剣士としての生涯のほとんどを、その二つに注ぎ込んだ。

 

 内一つは、相手の攻撃を受け流す技術――『その剣に触れる事叶わず』。あの謳い文句は、誇張されたものではあるけれど。

 

 リュイスちゃんの『目』ほどじゃないけど、動きの気配に気をつけて相手を見れば、続く攻撃も予測できる。予測できれば、あとはそれをほんの少し〝ずらす〟だけでいい。

 直撃さえ防げば、少なくとも即死はしない。魔族どころか多くの男性に膂力で劣るわたしには、ならばこそ必要な技術だった。

 

  ――――

 

 イフが突進と共に繰り出す一撃。それが、最も威力を発揮する直前に、軌道をわずかに逸らす角度で、自身の剣を掲げる。

 力負けしないよう両手で柄を握り、剣身の上を滑らせ、致命の一撃を受け流す。

 

 本来なら、そのまま態勢の崩れた相手を追撃するんだけど……

 

 初撃を防がれた魔将は、けれどそこまで驚いた様子もなく、体も泳がせず、次の動作に移行していた。独自に学んだ剣術の成果か。今まで出会った中にわたしと似た技を使う剣士がいたのか。

 

 けれど動きを見れば――なにより剣と剣とを合わせれば、そこから先の動作も、ある程度感じ取れる。

 わたしはイフの次撃を防ぐべく次の手を、いや、足を打ち、動きを封じた。

 

  ――――

 

 教わったもう一つは、隙に叩き込む全力の一撃――『その剣に断てぬもの無く』。

 自らを一本の剣に見做し、全身の『気』を収束させ、眼前の全てを斬り捨てる(ぐらいの気持ちで斬れととーさんは言っていた)剣撃。

 

 呼吸。動作。間合い。意識。

 全てを十全に整えられれば、鋼鉄の鎧だろうと断ち切ることができる。

 そしてそれを、どんな状況でも放てるよう、鍛錬を積んできた。

 

  ――――

 

 成果はまさに今発揮され、黒剣の柄を足場にわたしは動いた。

 四肢を連動させ、足元から生み出した力と体重を胴体に、腕に、その先の剣身にまで伝える。

 

 けれどそれを振るうのは末端の手や肘、肩ではなく、それらの根元、体の中心から。重心の中心を軸に、わたし自身が一本の剣になるイメージで、全身を振るう。

 

 求めるのは早さより、無駄な動きを省くこと。全てを一呼吸でこなし、相手に動きの気配すら悟らせない。

 

 幾度振るったか分からない、基本の斬撃。基本にして深奥の一閃は、魔将の身を守る漆黒の鎧ごと、内に隠された急所を切断した。

 

 

  ***

 

 

 ――兜を被ったままの頭が地面を転がる。

 先ほどと同じ姿勢を保ったまま、しかし首から上だけを失い、胴体は赤黒い噴水を噴き上げている。

 ただの魔族なら、これで討伐は完了だ。先刻斬った部下のように。

 

「(……本当に、これで終わってくれればいいんだけど)」

 

 胸中で呟きながら、しかし同時に理解もしていた。

 わたしが対峙しているのは残念ながらただの魔族ではなく、魔王直下の将軍、魔将だと。

 

 グ、ググ……

 

 踏みつけていた柄から、わずかな震えが伝わってくる。

 すぐにその場を飛び退く。

 するとそれを追うようにして、首の無い胴体がひとりでに動き、抑えつけられていた剣を力任せに一閃してきた。……警戒していて正解だった。

 

「――フ……ハ、ハハ、ハッハハハハ……!」

 

 突如足元から響く男の哄笑。今この状況でそんなのを発するものは、一つしかない。

 

「(こっちの予感も、当たり、か)」

 

 仕掛ける前に感じた通り、魔将は首を落としても殺せない、不死の怪物だったようだ。

 

「ハハ、ハ……! 我の間を見切ったうえ、蹴り止めるとは……しかも、その後の一撃はなんだ? 防ぐどころか、目でも追えぬほど鋭く、早く、容易く我が鎧を切断せしめる……ハハ、ハ、ハハ……!」

 

 生首は愉快そうに自身が受けた剣を分析していた。首を落とされたのに楽しそうですね。こっちは嫌な予感が的中したうえ、倒しきれるか不安になってきたっていうのに。

 

 けど仕留めそこなったとはいえ、首と胴体が離れている今は、好機には違いない。

 わたしは再び接近し、転がったままの頭部を狙うべく、低い姿勢から地面を擦るように斬り上げる。

 しかしこれは力を乗せきる前に、間に入った胴体の剣で防がれてしまう。辺りに硬い衝突音が響く。

 

「つれないな……! 折角の戦だ、今少し楽しんだらどうだ!」

 

「生憎、戦うのを楽しむ気も、いたぶる趣味もないからね!」

 

 そっちは身体だけでも元気かもしれないけど、こっちは体力に限りがあるんです。

 

 庇ったってことは急所には違いないはずだけど……それを直接狙うのは流石に許してくれない。なら、胴体から攻めるしかない。

 

 首を失ってバランスを欠いたのか、先ほどより少し大振りになった剣撃をかい潜り、至近距離から逆袈裟に斬り上げる。

 勢いを殺さず身体を回転させ、即座に斬り下げる二撃目。×の字を描く剣閃を、一息で振るう。

『気』を込めた斬撃は二撃とも鎧を断ち、その奥の肉体に浅く傷を刻む。切り裂かれた鎧のすき間から、体液が飛び散る。

 

「グっ……!? ハ、ハ……! やはり先と同じ、剣撃でこの鎧を裂くか! だが……!」

 

 離れていても痛みは伝わるのか、地べたの頭部が呻く。が。

 

「浅いぞ!」

 

 言葉通り、相手の出血はわずか。動きが鈍るような様子もない。

 こちらを振り払うかのように斬りつける、首無し鎧の斬撃。それを、わたしは一歩右足を退かせるだけでやり過ごす。

 同時に、残した左足のブーツ、その火打金の箇所を擦らせ、火花を飛ばす。それが消えないうちに――

 

 退かせた右足で即座に地面を蹴り、軸にした左足を捻って体を前方に運ぶ。畳んだ右足を外側に捻り開きながら、先刻飛ばした火花をその足先に乗せ、突き出す。

 体から足先に伝えた『気』が、火花を――火の『気』を増幅し、収束させる。

 捻りを加えた蹴り足が鎧を、先刻切り裂いた部分を起点に破壊し、その奥に見えるイフの裸身に届いた瞬間――

 

 バキュッ!

 

 鋭く燃え広がる音と同時に、収束した炎が刃のように足先から撃ち出され、風の魔将の肉体に小さな風穴を開けた。直後、穴をさらに押し広げるように、頑丈なブーツの爪先が突き刺さる。

 

「グ、ブっ……!?」

 

 すぐに足を引き抜き、間髪入れず突き立てる。左手で抜き放った――銀の短剣を。

 

「――っガアアァァァァア!?」

 

 首を落とされても笑っていた魔将が、辺りに苦悶の声を響かせた。

 刺したのは、人間で言えば心臓のあたり。急所に刃を突き立てただけでも致命傷だけど、そこへ魔を払う銀がさらなる痛みを焼きつける。

 魔将にどれだけの効果があるか分からなかったけど、どうやら十分に効いている。一本だけでも買えてよかった。

 

「(首を斬って、火で焼いて、急所に銀まで叩き込んだ。並みの魔族ならお釣りが出るほど殺してる、けど……)」

 

 実際にその命にまで届いていないことは、不意に辺りに感じた風で否応なく分かった。

 すぐに銀の短剣から手を離し、首の無い胴体から飛び退く。直後。

 

 ズァっ!

 

 イフの足元から、その体を呑み込むように風の渦が噴出する。土煙が魔将の姿を覆い隠す。

 そしてその向こうで、小さななにかが浮かび上がる様子が、薄っすら見えた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

43節 諦観

 風の噴出はほんの数秒。土煙もすぐに晴れ、魔将も間を置かずその姿を現す。

 しかし見えた姿は、先刻とわずかに異なっている。それまでの首無し騎士から、首を斬り落とす前の――つまり、元の姿に。

 どうやら、一度斬り落とされたくらいなら平気で後から繋げられるらしい。無茶苦茶だ。

 

「グ、ヌっ……ガァっ……!」

 

 イフは胸に突き立ったままの短剣を握ると、力づくでそれを引き抜く。

 

「ハァ……! ハァ……! この、臓腑を焼かれる感触……銀、か……! そして、魔力も用いず、炎を操る技……これが、貴様らが『気』と呼ぶもの……いまだ我が会得できぬ………いや、これは……そうか、『アスタリアの火』……〝精霊〟か……!」

 

 ……『アスタリアの火』? ただの炎とは違うの? というかここで精霊って呼び方聞くとも思わなかったんだけど……これも、失った知識なんだろうか。

 

「ハ、ハハ……! 確かに、有効だ。相反する力を衝突させるのだからな。我が十全に扱えぬのも得心がいった。なるほど、動きを模倣するだけでは足りぬわけだ……」

 

「……なんかいろいろよく分かんないけど……これだけやってその程度の反応って、ちょっとへこむなー……」

 

 興奮しつつも冷静に分析する魔将。その口調には依然、愉悦が滲んでいた。

 苦痛は感じても、その命には全く届いていないのだろうか。斬り落とした首は何事もなかったように繋がり、腹の穴も、短剣の傷も、すでに修復が始まっていた。

 

 部下の二人と違い、幾度急所を討っても止めを刺せない。例の、あるかも分からない魔力の『核』とやらを狙うか、その魔力を全て消耗させるしかないのかもしれない。

 あるいは過去の討伐記録は、あくまで神剣を持った勇者だから為せた可能性も――

 

「そうでもない……同程度の傷をあと幾度か受ければ、我は死ぬ」

 

 明け透けだな。

 それが本当なら、倒せないという懸念は払拭されるのだけど。

 

「神剣も持たず、単独で我をここまで追い込んだ者など、皆無だ……貴様は、〈剣帝〉の弟子を名乗るに値する」

 

「……それはどうも」

 

 笑顔で、しかし内心苦々しく返礼する。

 告白も。称賛も。それはやはり、いまだ余裕がある証拠のように思える。本人にその気がなかったとしても。

 

「だが、これ以上の消耗は本来の目的に障るのでな……我欲に流されるのは、ここまでだ」

 

 明確な殺意にも等しいその宣言は、しかしなぜか、先ほどまでより闘志に欠ける印象だった。

 いや、というよりなんだろう……どこか、残念がっているような……? なにを……? ……なにかを、諦めた……?

 

 訝るわたしをよそに、イフは手にした剣の切っ先を頭上に向け、騎士が儀礼の場でするように胸の前で掲げた。黒剣が再三光を帯び、魔将の全身から緩やかに風が広がる。

 

 正体は分からないが、これまで見せなかった魔術を使おうとしている。脳内に警鐘が鳴り響く。

 今から止められるか? と、確信の持てないまま投げたダガーは、イフが発する空気の壁に阻まれ、標的まで届かなかった。

 ひとまずは様子を見るしかない、と身構えた次の瞬間……今いる広場を飲み込むように、強風が吹き抜けた。

 

 

  ◆◇◆◇◆

 

 

 広場に一瞬吹いた風は、離れた木陰で観察していた私の元にも、その余波を届かせていた。髪がわずかに揺れる感触がする。それが治まった後には……

 ここから覗く限り、なにかが変わったようには見えない。

 けれど、拭えない違和感がある。違和感……危機感にも思えるような、嫌な感覚が魔覚に……それに、瞳にも……?

 

 何をしているかは分からない。攻撃的な魔術にも見えない。

 けれどとにかく、嫌な感覚、嫌な予感としか言えないものが、胸と目の奥に淀んで消えてくれない。

 

「…………」

 

 私は一度、目を閉じる。

 意識を、魔力を、閉じた瞳に集中させ……そして、再び開く。

 

 左目に変化はない。閉じる前と同じ景色が映る。

 けれど右目は違う。その視界は、淡く、青く、色づいていた。

 外から見れば、今の私の右目には青い光が灯り、それが水のように、あるいは炎のように、不定形に揺らめいて見えるはずだ。

 

 私は、私の予感がただの気のせいであって欲しいと願いながら、青に染まった視界で、再度戦いの行方に目を向けた。

 

 

  ◆◇◆◇◆

 

 

 片目を瞑り、腕で顔を覆って風を除ける。

 突風はこちらの身体を打ち、一瞬髪を逆立たせる。土煙を巻き上げ、周囲の樹々の枝葉を揺らす。が、それだけだった。

 

 攻撃……ではないようだ。体を飛ばされるほど強くはなく、肌を切るような鋭さもない。

 目眩ましかとも思ったが、魔将はその場から動いておらず、隙を突いて攻めてくる様子もない。そもそも、そういう手を使うタイプでもないだろう。

 

 わたしの目に映る範囲では、なにも変わっていない。

 なのに、今日何度目かの嫌な予感が、消えてくれない。頭の中では警鐘が鳴り続けている。経験とは逆の、未知の違和感に対する警鐘が。

 

 

  ――――

 

 

 イフは先ほどの興奮から一転、静かに剣を構えて佇んでいた。完全な後の先の姿勢で、こちらから攻めるのを待っている。

 変化のない周囲の風景と、相手の静けさが、却って不気味さを加速させる。

 

 だからって、このままお見合いし続けていても埒が明かない。黙って待っているのも趣味じゃない。一つ覚えのダガーを取り出して投げ放ち、わたしは飛び出した。

 

 一本は兜の隙間に。もう一本は銀を喰らわせたばかりの心臓に。

 先刻の痛みが印象に残っていれば、無意識に優先して防ごうとするはず。魔術で防ぐなら魔力を消耗させられるし、剣で防いだならその瞬間死角に潜りこみ、攻勢に出るつもりだった。

 

 しかし……

 

 相手は上体をほとんど揺らさず、足さばきだけで飛来する刃物をかわしてしまう。

 

「(……狙いを、読まれた?)」

 

 直前の攻撃と同じ箇所というのは、あからさますぎただろうか。

 それに投擲からの接近も、すでに一度見せた動きだ。攻め急いだかもしれない。

 わたしの胸中をよそに、魔将は中段に掲げた剣をこちらに突き付け、狙いを定める。漆黒の剣が再び光を帯び、風を纏っていく。空気が一つ所に集まり、音を鳴らす。

 

 今度は、こちらがすでに見た動きだ。撃つのはおそらく先刻と同じ、竜巻の『塔』だろう。

 あの威力は思い返しただけで馬鹿らしくなるものだったが、今のこの距離とタイミングなら、回避は難しくな――

 

 ヒュガっ!

 

「(え――)」

 

 その竜巻は、今まで見たものより小さかった。

 けれど、今までより格段に速い――!

 

「――っあ……ぐ……!」

 

 竜巻の規模は、騎士が馬上で使う突撃槍程度。鋭利に渦を巻くそれが、高速で至近距離を通過する。

『塔』とは異なる気配を直前で察し、かろうじて直撃は避けた。が……反応が遅れ、左の肩当てを持っていかれてしまう。衣服が破け、肩には裂傷が走る。――痛い――

 

「これもかわすか……感覚の鋭さは、人というより獣に近いな」

 

 出血と灼熱感に顔をしかめながらも、足を止めずに状態を確認する。痛みはあるが動かせないほどじゃない。

 戦闘継続に問題はないが、今までと同じ攻め方は危険だ。

 

 直進は避け、気配を消しながら周囲の樹々に身を隠す。木から木へと飛び渡り、相手の視界に入らないよう、徐々に間合いを詰めながら機を窺う。

 ある程度近づき、後方まで回り込んだところで、先刻部下に対してしたように小石を投擲。わざと魔将の周囲に物音を立て、再度木を蹴り急転換。滑空するかたちで、その背を狙う。

 

 注意を逸らし、背後に回ったうえでの上方からの奇襲。

 動きを捉えられていない自信はあるし、捉えていたとしても簡単には対処できない。

 現に、イフがこちらに気づいた様子はない。それどころか、わたしの姿を探す様子も、ない……?

 

 脳内の警鐘は鳴り止まない。空中で急にも止まれない。

 けど相手だって、今からでは迎撃の魔術は間に合わない、はず。

 そう判断し、そのまま勢いと体重を剣に乗せ、振りかぶる。

 

 イフは動かない。魔術を使おうともしない。ただ静かに、構えた剣の角度だけを変えた。――飛来するわたしに向けて、正確に。

 

「~~~~っっっ!」

 

 黒塗りの刃と死の予感が高速で迫る。わたしは反射的に予感に反発するように、予定とは違う軌道で、無理矢理に剣を振るった。

 突き出された黒剣に自身の剣を叩きつけ、それを起点に体を捻る。

 

 ガィンっ!

 

「なに……!?」

 

 驚く魔将の声を背に、その身体の上を転げるようなかたちで、かろうじて串刺しを免れた。

 

「(……危、なかった――……!)」

 

 けれど安堵するのも束の間。膝立ちで着地したわたしの頭上に、両の手で剣を掲げる魔将の影が、背後から覆い被さった。

 

「今のをよく防いだ……だが、取ったぞ!」

 

 致命の隙を見逃さず、魔将が大上段から剣を振り下ろす。それが到達するまでのわずかな間に、わたしの声がわたしの意識を駆け巡る。

 

 まともに受ければ剣ごと両断され――

 ――とーさんに貰った剣、折られるのは嫌――

 ――――この態勢じゃ、避けられな――――篭手で――

 

 声に従い、自分の感覚と体が動くのに任せ、思考を放棄した。

 膝立ちのまま反時計回りに振り向き、左手の黒い篭手を、振り下ろされる剣の側面に当て、弾く。

 

 ギンンっ――!

 

「――!?」

 

 横面を叩かれ、黒剣の軌道が逸れる。

 

「いっ……ぎ……!」

 

 同時に篭手越しに衝撃が伝わり、顔をしかめる。肩に――傷に――響っ――……!

 

 けれど努めて痛みを無視し、振り払うように力を込める。刃はわたしの体をかすめて地面に叩きつけられ、爆発するように土を巻き上げた。

 目の端でそれを確認しながら、反動で反転する。逆手に握っていた剣を順手に持ち替え、膝立ちになりながら横一線に薙ぎ払う!

 

「クっ!?」

 

 一瞬早く察知された斬撃は、黒鎧の表面を浅く傷つけただけだった。しかし追撃を警戒してか、イフはそのまま距離を取り、再び静かに剣を構える。

 

「はぁ……はぁ…………すぅーっ……ふぅー……」

 

 こちらも警戒は解かないまま立ち上がり、乱れた呼吸を整えながら、剣を逆手に握り直す。やっぱり、こっちのほうがしっくりくる。いや、それはともかく。

 

「(……今、何回死にかけた……?)」

 

 わざわざ改まって宣言されずとも、魔将がこれまで本気を出していなかったのは承知している。目立つのを避けてか大規模な魔術は使わないし、興味を優先して剣での勝負にも乗ってきた。

 そうして引きずり込んだ剣の技と、『知られていない』という二つの点。そこに付け込み不意を打ったからこそ、わずかに優勢に立てもした。が……その優位が崩れれば、本来の実力差は浮き彫りになる。それは分かっている。

 

「(だからって、こんな急に……?)」

 

 単純に力で圧倒されたなら、特に疑問も抱かなかったかもしれない。

 けれど今のイフは、むしろそれまでより力を抑えて――というより、制御して――いる。さっきの『槍』がいい例だ。範囲こそ『塔』より狭いが、速さも狙いの正確さも段違いだし、破壊の密度はこちらのほうが上とさえ思える。初撃で使われていたら、そこで死んでいたかもしれない。

 

 力を抑えたうえで魔将は、静かに、無駄なく、的確に行動してくる。ダガーの牽制も、背後からの奇襲もまるで問題にされず、最小限の動きで対処されてしまった。

 

 冷静にこちらの動きを見極めている、と言えばそうなのかもしれないが……どうにも、それ以上の違和感が拭えない。まだ知られていないはずのこちらの技や思考、その後の行動まで、全て読まれているような気さえしている。

 

 ……実は、本当に読まれているんだろうか?

 

 けれど、もし動きの全てを把握できるなら、わたしが攻撃をしのいだ時に驚く様子を見せるのも、苦し紛れの反撃が当たりそうになるのもおかしい。

 あの時は死の予感を避けるのに必死だっただけだし、その後も流れでほとんど無意識に動いただけで、なにも考えてな――

 

「(――……なにも……考えて……?)」

 

 もしかして…………考えなかったから、読めなかった?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

44節 風牢結界

 思い至ってすぐ、わたしは前方の魔将に視線を向けた。

 

「……」

 

 魔将は先ほどと同じく剣を構えたまま動かず、こちらから攻めるのを待っている。相変わらず、兜の奥の表情は読めないけれど……

 どのみち、このままじゃ訳も分からずやられるだけだ。一つでも相手の手口をはっきりさせれば、打つ手が見つかるかもしれない。

 

 再び駆け出す。

 

 念のため『槍』を意識しつつ接近するが、イフは魔術を使う様子を見せなかった。なにが来ようと対処できるという余裕の表れか、もしくは……わたしがなにをしてくるか――どんな技を使うのか――、無意識のうちに、興味に流されていたのかもしれない。

 

 互いの剣が届く間合いまで近づき、いつものように遊び無く、首を狙って横薙ぎに一閃。

 対するイフは、わたしの斬撃が勢いに乗る前に抑えるべく、縦に構えた剣で迎撃する。

 

 互いの武器が十字に交差し、激突する――その寸前で。わたしは剣を握った手首を外側に寝かせ、相手の剣を受け流し通過させつつ、そのまま右手を振りぬく。

 

 防御をすり抜けながら相手を斬る。剣士殺しの必殺剣、《透過剣》。

 以前リュイスちゃんに話した通り、初めて見せた時はとーさん――〈剣帝〉にも通じた実績のある、いわば初見限定のびっくりアタックだけど……来ると分かっていれば、防ぐのは難しくない技でもある。迎撃の剣を引き戻しつつ、前に出した足を軸に、半身を引けばいい。

 

 果たして魔将は、わたしが脳裏に思い描いた通りに動いた。

 半身を引きながら剣を盾にし、こちらの剣を側面から押さえ込むことで、初見殺しの秘技を完全に防ぎきってみせる。

 互いに武器を押しつけあった姿勢のまま、わたしたちは視線を交わした。

 

「……まるで、わたしがなにをするか分かってたみたいだね」

 

「……まさか、倒しきる前に気づかれるとはな」

 

 それはおそらく、肯定の言葉なのだろう。

 

「《透過剣》、か……確かに、初見で防ぐことは敵わぬだろうな」

 

 もはや隠す気はないのか、イフはわたしが声に出していないことにまで言及していた。

 

 

  ――――

 

 

 思考を放棄し、体が勝手に動く瞬間、というのは確かにある。人には意識の記憶と共に、肉体の記憶もあるから。

 けれど大抵は事前にその過程を、あるいは結果を、頭に思い浮かべて行動するものだ。明確に言語化する人もいれば、動く様をぼんやり思い浮かべるだけの人もいるだろう。わたしは後者だ。

 

 流れ作業で行う家事。日課の剣の鍛錬。あるいは、ただ歩くだけのことでも。

 次に自分がなにをするか、全く思い浮かべないという瞬間は少ない。椅子に座ってくつろいでいたのに、気づけば立って歩いていた、という人は少ないだろう。椅子から立ち上がり、次に歩くこと。それらを意識して初めて身体が動くはずだ。まして、戦という異質な空間では、なおさら次の行動を考えざるを得ない。

 

 相手の力量。自分の対応。周囲の状況。

 それらすべてを頭に入れ、時々で最善の手段を考え模索するのは、生き残るために必要な技術だ。体格に恵まれてるわけじゃないわたしには、特にそうだ。命の危険は常について回るのだから。

 

 つまるところ、そうした考えや意識を――相手にどう伝わっているのかは分からないが――、目の前の魔将は読み取っているのだろう。

 

 わたしがこれからどう動き、どういった意図で、どこを狙うのか。

 脳裏に浮かべた思考を、次の行動のイメージを読むことで、事前に察知していたのだ。そのための鍵がおそらく、先刻吹いた風だった。

 

 距離を取って後の先に徹していたのは、わたしに攻め手を考えさせるため。

 読んでいるのに度々対処できていなかったのは、こちらがなにも考えず咄嗟に、反射的に動いていたから。

 あるいは、至近距離では読めていても防ぎ切れなかったのかもしれない。

 

 

  ――――

 

 

「……概ね、貴様の想像通りだ」

 

 ご丁寧にも、魔将はわたしが頭に浮かべた推測まで肯定してくれた。

 それにわずかな満足感を覚えるものの、同時につい思ってもしまう。……心読むとかズルくない?

 

 などという不満も相手に筒抜けだったのだろう。剣を挟んで間近で顔を突き合わせる魔将が、兜の奥で笑みを漏らす。耳が痛い、というような自嘲の笑みを。

 とはいえ、わたし自身も分かってはいる。取り決めもなにもないただの殺し合いで、手段を選ぶ必要などないのだと。

 

「……加えて言えば、我は生来、魔力の制御が不得手でな。この剣の能力と、結界に力を割くことで、ようやく自身の魔力を抑え込める有様だ」

 

 そんな説明を付け足したのは、わずかに気が咎めたからかもしれない。

 普通の剣には見えなかったし、ぼんやり「魔具なんだろうなぁ」とは思ってたけど……つまりそうやって抑え込んだ結果が、あの『槍』、ということなんだろう。普段は力みすぎて狙いが定まらないわけだ。

 

 さて、相手の手口を確かめると同時、近づくことにも成功はした。

 距離があるとどうしても途中に思考が挟まってしまうけど、ここまで接近してしまえばあとは頭空っぽの反射で攻め――

 

「フン!」

 

 ――ようとするわたしの機先を制するように、イフがこちらの腹部に向けて鋭く足を突き出す。

 

「――!」

 

 かろうじて動きの気配を察し、咄嗟に魔将の蹴りを、こちらも足を出して抑えつけ、防ぐ。が……

 

「(やられた……!)」

 

 防ぐのではなく、避けるべきだった。後悔するが、既に遅い。

 

 魔将の脚力に、わたしの体重は耐えきれない。こちらを引き剥がすのが狙いと分かっていながら、甘んじて受けることしかできない。

 かといって、なにもせずそのまま喰らうのは論外だ。相手の蹴り足に乗り、仕方なく自ら後方に飛ぶ。

 

 ダメージはない。着地も問題ない。

 けれど、あそこまで縮めた距離をみすみす広げられてしまった。もう、簡単には近づかせてくれないだろう。

 

「(……どうする? 一旦下がる? それともいっそ、ここで逃げてしま――)」

 

「――させぬ!」

 

 短く、鋭く、魔将が叫ぶ。

 こちらが受け身を取っている間に、魔術を完成させていたのだろう。イフの側から風が生まれるのを感じる。

『槍』を警戒し、即座に跳べるよう身構える。が……イフの風は、こちらに向けてではなかった。

 

 周囲を、左右に円を描くように、無数の風が走る。

 見る間に辺りを覆っていく風は、次第に円から球に変わり、わたしたちが対峙する広場を閉じ込める。

 

「(これ、は……)」

 

 覆われたといっても、動き回るのに十分な広さはある。風の勢いも、『塔』や『槍』に比べればかなり劣っているように見えた。が――

 

 視界の端では、巻き込まれた付近の樹々が中途からへし折られ、あるいは地面から引き剥がされ、荒れ狂う風に呑まれてその一部となっている。

 致命的でないというだけで、不用意に手を出して無事に済むとも思えない。退路を塞ぐかのようなこれは――

 

「(風の……『牢』……?)」

 

 思い至って即座に振り向き、背後の風を斬りつける。

 剣撃は『牢』の一部を切り裂き、束の間、通り道を開ける。が……走り続ける風が、すぐにそれを塞いでしまう。

 あるいはこの『牢』の対処だけに専念できれば、なんとかなったかもしれないけど……

 

 ガヒュっ!

 

「っ……」

 

 そうはさせてくれないのも、予想はついていた。

 敵前で背を向けるこちらを咎めるように撃たれた『槍』を、わたしはわずかな動きでかわす。

 

「……逃しはせん。先に述べた通り、これ以上の横槍は遠慮したいのでな」

 

 やっぱり、『牢』を壊すのを黙って待ってはくれない。

 戦う前は、手に負えない相手なら極論逃げてしまえば、と思っていたけれど……肝心の逃げ道を、真っ先に封じられてしまった。

 

 知らず、左手の篭手に視線を、意識を向ける。

 この子を、〈クルィーク〉を起こせば、なんとかなるだろうか……? でも――

 

「……『牙』とは、その篭手の名称か? この期に及んで、まだ隠している手が――……いや、待て。なぜ貴様が、我らの言葉を知っている?」

 

 ――――だから考え読まれてるんだってばわたし!

 

 逃げ腰になっていた気持ちを切り替える。

 退路は潰された。生きて帰りたいなら、目の前の魔将が口にした通り、本人を倒すしかない。

 元より魔将の討伐こそが依頼された任務だ。やることが一つに絞られただけだ、と無理やり自身を納得させる。

 

 手にした剣を鞘に納め、体から力を抜く。

 細く、長く、息を吐き、体内の『気』を循環させる。呼気と共に吐き出すイメージで、余計な思考を頭から追い出していく。

 近づくまでに考えを読まれるのが問題なら……始めから、考えなければいい。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

45節 本能の獣

「……ほう?」

 

 こちらの心の声に、イフが興味を示したように(実際興味を惹いたのだろうが)声を漏らすのが聞こえた。けれどもう関係ない。後はなにを思うでもなく、わたしは駆け出した。

 

 走りながら、ポーチや鎧の裏から残りのスローイングダガーを全て取り出し、両手に握る。ここを乗り切れなければ死ぬだけだ。出し惜しみはしない。

 そして放り投げる。魔将に向けてではなく、空に。

 

 この場を覆う『牢』に巻き込まれない高さで、かつ、イフより手前に落ちるように。そこだけは注意してばら撒き、あとはなにも考えず直進する。

 このまま進めば、イフの元に到達する前に自分のダガーが自分に降り注ぐ。しかも適当に投げたので、どこに落ちるかは自分でも分からない。

 

「……!?」

 

 なるべく考えないようにはしたが、こちらの大まかな意図は事前に読んだはずだ。それでも若干の戸惑いがイフから伝わってくる。空に舞う刃と、わたし。どちらを優先するべきか。

 

 次いで、不自然な風の流れが肌を撫でる感触と、それが一か所に集まる音。

 魔力は感知できなくとも、完成した魔術が現実にもたらす効果は、なんとなくの嫌な予感や勘(先にも述べた経験則だ)として、この身で感じ取れる。

 

 結局イフは、わたし本人の迎撃を優先したらしい。

 思考を排除したことで却って鋭敏になった感覚が、これから放たれるものを察知し、跳躍。実際に撃ち出されるより早く、致命の一撃をかわしてみせる。

 

 わずかに遅れて、寸前までわたしがいた場所を、風の『槍』が通り過ぎていく。

 予測が的中した感慨にふけるでもなく、着地と同時に強く地面を蹴り、再び前進……し始めたあたりで。かすかな落下音と鉄の匂い、なにかが自分に迫り落ちる肌感覚。

 

 放り投げたダガー(投げやすいよう先端に重心を取っている)の一本が、刃先を下にして投げた本人に落下してくる。傍から見れば間抜けな光景だろう。頭上に落ちてきたそれを勘だけで避けつつ、右手の篭手でイフに向けて弾く。

 

「グっ……!?」

 

 最初の賭けには勝ったらしい。魔将が呻く声、黒剣がダガーを弾く金属音が聞こえてくる。防いだってことは、防ぐような場所に飛んでくれたってことだ。

 

 さらに走りながら、落ちてくるダガーに無心で手足を伸ばす。篭手で弾き、あるいは直接手で掴み、あるいは足先で受け止め蹴り飛ばし、乱雑に撃ち返していく。

 意識を追いやり進みながら、全て咄嗟の反応で魔将に刃を飛ばす。わたし自身どこに飛ぶか分からないんだから、相手だって読めない。

 

「ヌ……ムっ……!」

 

 それでもこれまでの経験の賜物か、標的に向けて飛ばすことには成功している。続けざまに金属を弾く音が届き、それが徐々に近づき、やがて――ようやく――こちらの剣が届く間合いまで侵入する。

 

「フンっ!」

 

 先に仕掛けたのは魔将。ダガーを弾いた黒剣をそのまま斬り返し、わたしから見て右から左に大きく薙いでくる。

 これまでの立場とは反対に、こちらの首を落とそうと迫る斬撃。それから逃げるように、わたしは首を傾ける。

 

 同時に、まだ無事な右の肩当て、その球面部分で刃を受け、わずかに下方から押し上げ、逸らす。

 肩当ての表面を削り、傾けた首の上を、耳のすぐ傍を、黒塗りの刃が通過する。空を切り裂く鋭い音に怖気を感じながらも、上げた右肩を――その手の先にある愛剣を、相手の攻撃に交差させるように外側から振るう。攻防一体の剣技、《交差剣》。

 

「グブっ……!?」

 

 一度落とした首の傷をなぞるように、切断した兜と鎧の継ぎ目に刃が吸い込まれる。

 が、手応えが浅い。斬れたのは、首の半ば程度までか。

 見れば魔将は、両手で握っていた剣から片手だけを離し、わずかにその身を反らしていた。そのせいで傷が浅くなったようだ。まだ抜けきらない思考を読まれたのかもしれない。

 

「グっ……! ハ……ハハハ……――ハっ!」

 

 苦痛を孕んだ哄笑と共に、イフが右手一本で地面を擦るように斬り上げてくる。

 今までと違い力任せに振るうそれは、けれど喰らって平気で済むはずもない。一歩後ろに跳んでやり過ごすが、今度は追いかけるように上段から斬撃が落ちてくる。

 

 普段なら接近しつつ受け流したかもしれない。が、身体は危険を避けるほうを選んだ。叩きつけられた黒剣が粉塵を巻き上げる。また少し距離が空く。

 だけど、いける。やっぱり、考えなければ読まれない。さっきはまだ思考が残っていたからか仕留め切れなかった。もっと意識を放棄すれば、もっと……もっと――

 

「……ここに至りようやく気付いたが、どうやら貴様は隠していたのではなく、そも魔力が無いようだな」

 

 薄れる土煙の向こうから低く響く声と、黒剣の淡い光が届く。

 すぐに『槍』が来るものと警戒するが、予想に反してそよ風一つ吹いてこない。武器を地面に突き刺す魔将の姿が現れるだけだった。

 

「そして魔力を持たぬ故か、魔覚も鈍い。残りの五感のみで魔術に対処する様は驚嘆すべきものだ。だが――」

 

 イフはなおも何事か話しているが、思考を排除した頭には言葉の中身が入ってこない。意味を成さない音だけが通り過ぎていく――

 

 ――――駆け出す。『槍』の的を絞らせないよう、曲線の軌跡を描きながら走り寄り――

 ――相手の剣――魔術――それが繰り出される前に感じる嫌な気配にだけ気を付けて――集中して――

 

 地面から剣を引き抜き、構えを取った魔将が、ここで一歩後退した。

 片隅に残っていた理性がそれに警戒の声を上げるが、次また遠ざけられれば今度こそ接近する手段がない。強引にでもここで決めるしかない。すでに身を任せた本能も獲物の追跡を選んだ。

 

 ――斬る。今度こそ、斬る。近づいたら、斬る。なにも思わず――なにも考えず――間合いに入ったら――

 ――斬る――きる――きるきるきるきるきるきるきるきるきるきるき――――

 

 そうして標的まであと一歩の距離。先刻までイフが陣取っていた位置まで、ようやく辿り着く。

 切っ先を相手の喉元に届かせるため、そしてその切っ先まで『気』を伝えるため、最後の一歩を踏み込んだ瞬間――……足元から、爆発したように風が吹き荒れた。

 

「――!?」

 

 ――風圧――衝撃――見えない壁に殴られたような――

 ――――全身丸めて急所は護――――それでも体ごと打ち上げられ――――

 ――――――。

 ――――――――。

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――いたい――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

46節 わたしの番

 ――――――。

 ――――。

 ――浮いている。

 

 気づけばわたしの足は地面から離れ、宙に投げ出されていた。

 それまでより少しだけ近づいた青空が、伸びた枝葉の隙間から顔を覗かせる。それを、場違いに綺麗だと感じた。

 

 広場を覆っていたはずの風の『牢』は、いつの間にか解除されていた。逃げ場のない空中にわたしを留め置くためだろう。

 

 全身に、痛みを感じる。

 致命傷はないが、体中に裂傷が刻まれていた。そもそも純粋な攻撃じゃなく、こうして吹き飛ばすための風でしかなかったのだろうが。

 

 少し遅れて、意識を追いやっていた間の記憶が、脳内を駆け巡る。それで現状は把握した。わたしが見え見えの罠にかかった間抜けだってことも。

 

 とーさんなら……〈剣帝〉なら、こんな無様は晒さなかっただろう。無心になりながらも、相手の強さも企みも不運も、全てを斬り伏せ、敵を討っていた。

 

 考えることは生き抜くのに必要だが、時にはその思考が邪魔になる場合もある。だからそれを追いやる技法も、とーさんから学んでいた。ただ……

 

「――この程度の見え透いた罠、貴様に意識があれば見抜いていただろう。あるいはそれでも魔覚さえ万全であれば、魔術の察知も容易かったはずだ」

 

 ただ、わたしはそれを、不完全にしか習得できなかった。思考を排除すると本能に寄ってしまい、感覚が鋭敏になる反面、普段より視野が狭くなる。今回のように。

 それに、魔覚や魔力が人並みにあった場合……

 

「……いや。それでは初めの奇襲が成り立たぬか。ままならぬものだな」

 

 あぁ、もう。一々的確だなぁ。

 

 なにもかも眼下の魔将が言う通りだ。

 魔覚の鋭い魔族相手に不意を突けたのが、魔力を持たないからこその恩恵なら、魔術に対する反応が鈍いのも、その弊害でしかない。

 読まれぬようにと思考の放棄を選択したのがわたしなら、追い込まれてこんな状況になったのも、その選択の果てでしかない。

 

 誰だって、今持っているものから選んで戦うしかできない。もしもを言い出したらキリがないし、今さらなんの言い訳もできない。

 狩人に追い立てられた獣が檻に囚われたのは、だからその結果でしかない――

 

「……貴様との戦は、実に有意義だった」

 

 心なしか満足そうに息をつき、イフは剣先を真っ直ぐこちらに突き付ける。逃げ場を失った獲物に、今度こそ『槍』を突き立て、仕留めるために。

 

「貴様は我が知る限り最も優れた剣士だ。この目に捉えた技の冴え。この身で受けた傷の鋭さ。全てが我が血肉となり、この先も生き続けるだろう」

 

 反面、先ほどより距離が開いたのを差し引いても、その姿がどこか小さく見え、声からも熱が失われているのは、気のせいだろうか。

 あるいは祭りの終わりのような寂しさを、向こうは感じているのかもしれない。それだって勝負の結果でしかなく、互いの選択の果てでしかない……

 

「(………冗談じゃない)」

 

 体は、動く。痛みはあるが動かせる。

 けれど、手足が届く位置にはなにもない。拠って立てるものがなにもない。

 

 道具は? ダガー……は、さっき全部使い切った。

 あとは、煙玉。爆弾。ロープ。……ロープを周りの木に巻きつければ――?

 

 ……ダメだ。ここは広場のほぼ中央で、空中で、直前の攻撃で態勢も崩れている。『気』を練るどころか受け身を取れるかも怪しく、たとえ投げ渡す力を振り絞れたとしても樹々からは離れすぎている。到底間に合いそうにない。

 

 今度こそ〈クルィーク〉を起こす? いや、それでも防げる保証がない。それ以前に、この子を目覚めさせるよりも、おそらく『槍』が到達するほうが早い。

 他には? 今この状況で出来ることは? なにかない? なにか……まだ……

 

「さらばだ。〈剣帝〉の弟子よ」

 

 ……まだ、死ねない。諦めたくない。

 けれど、そんなわたしの想いを置き去りに、荒れ狂う螺旋の大槍と、簡素な別離の言葉が、空に張り付けられた獲物に突き付けられ……それが、とうとう撃ち出された瞬間、悟った。

 

「(あ――……死ん、だ?)」

 

 わたしはあれを、避けることも、防ぐことも、できない。

 数秒と経たず破滅の暴風は到達し、足掻くわたしの両腕ごと、胴を貫き、五体を引き裂き、空に血肉の花を咲かせる。

 その未来を――間もなく訪れる現実を。なにより体が先に、理解してしまった。

 

「(……そっか。わたし、ここまでなんだ……)」

 

 一度理解してしまうと、ついさっきまでは確かにあった抗う気持ちも、もう湧いてきてくれなかった。

 

 時間が泥のように重くなり、周囲の光景が緩慢に流れていく。

 手足も鉛のようなのに、意識だけはそれらに逆行するように働いている。

 歪な感覚の中、わたしは――……わたしの生が終わりを迎えることを、静かに受け入れ、諦め……力なく、微笑んでいた。

 

 かーさんに護られ、とーさんに拾われた、わたしの命。

 今まで、それをなんとか守ろうと、それだけは譲るまいと、生きてきた。

 必要なら相手の命を奪うことも、躊躇ってこなかった。

 だけど――だから――……いつか、自分が奪われる側になることも、ずっと前から、知っていた。

 

 ――ごめんね、とーさん。気をつけるって言ったのに、約束、破っちゃった……

 ――ごめんね、かーさん。わたし、最後まで笑えてたかな……?

 ――それから……

 

 まだ出会って間もない、彼女を想う。

 真面目で、素直で、世間知らずで、他の人ばかり助けようとする神官さん。

 できればもう少し一緒にいたかったけど……ここで、お別れみたいだ。

 

「(一人にしてごめんね。……じゃあね、リュ――)」

 

「――――アレニエさんっっっっ!!!」

 

 それまで乖離していた感覚は、不意に聞こえた叫び声で現実に引き戻された。

 声の先に視線を向け、見えたのは……木陰から飛び出し、こちらに差し出すように手を掲げる、今まさに思い描いていた、少女の姿。

 

「(リュイスちゃん――?)」

 

「《プロテクトバンカーっっっ――!》」

 

 彼女が叫びと共に突き出した拳から、その勢いに押されるように光で編まれた盾が撃ち出される。それが、迫りくる『槍』とわたしとの間へ割り込むように、飛び込んでくる。

 

「――なんだと?」

 

 魔将が、わずかに驚いたような気配を発する。

 

 ああ――……見つかっちゃった。

 せっかく、わたしだけで仕掛けたのに。そのまま隠れてくれていれば、逃げられたかもしれないのに。

 

 それに、あれは彼女の盾じゃ防げない。巻き込まれて諸共に砕かれるだけだ。意味がない。彼女だって、それを分かって…………

 

「(……意味がない?)」

 

 ――本当に?

 

 疑問の答えを得る前に、彼女の叫び声が再度、耳に届いた。

 

「跳んでっっっ!!」

 

「――っ!」

 

 その叫びが聞こえる頃には、盾はもう目の前まで到達していて……わたしはそれに、反射的に足を伸ばした。

 盾を蹴った反動で跳躍(というよりほとんど落下)し、かろうじてその場を離れる。直後――

 

 寸前までわたしが居た空間を風の槍が貫き、光の盾を易々と引き裂く。

 先の想像と重ね合わせ、遅れて背筋がゾワリとする。が、そういうのは全部後回しだ。変化した状況に、自然と思考が切り替わる。

 

 即座に、残っていた煙玉を取り出し地面に投げつけ、駆け出す。

 見る間に煙が視界を奪うものの、イフの風ならすぐに吹き払ってしまえる。先刻一度実証済みだ。けれど。

 今は、この場に彼女がいる。

 

「リュイスちゃん!」

 

 その彼女がいるほうに向かい駆けながら、叫ぶ。

 

「〝煙を守って〟!」

 

「! はい!」

 

 呼びかけをすぐに理解してくれた彼女が、祈りと共に新たな法術を発動させる。

 

「《守の章、第二節。星の天蓋……ルミナスカーテン!》」

 

 現れた半球状の光の天幕が周囲を広く覆い、充満する煙を包み込む。それが、獲物の姿を捉えるべく放った魔将の強風を遮る。天幕内部の煙が遮蔽になって、逃げるこちらの姿を覆い隠してくれる。

 

 法術が効果を失い、煙幕が風に散る頃には、わたしたちは樹々が林立する森の奥へと、無事にその身を隠していた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

47節 掠れた怒声

 木陰に身を隠しながら何度も方向を変え、彼女の手を引きながら走り続ける。

 やがて誰も追って来ないのを確認すると、わたしはそこでようやく足を止めた。

 酷使した手足が、肺が、不満を訴えている。全身の細かな傷も、思い出したように主張を始めていた。

 

「はぁっ……はぁっ……さすがに……はぁっ……ちょっと……きつかったね……」

 

 荒い息を吐きながら、手を握ったままのリュイスちゃんに顔を向けてみると。

 

「――ぜーっ……ひゅーっ……ぜーっ……ひゅーっ……げほっ、げふごほっ……!」

 

 彼女は手足や肺の不満どころか、全身が悲鳴を上げていた。

 

「あぁぁぁ、ごめん、リュイスちゃん、ずっと引っ張っちゃってたから……!」

 

「……い……いえ、大丈夫、で……えほっ、ごふっ……!」

 

「うん。どう見ても大丈夫じゃないね」

 

 慌てて手を離す。

 途端に彼女はへなへなと地面に崩れ落ち、肩で、というより全身で大きく息をし始める。しばらくは休ませる時間が必要だ。

 

 それにわたしのほうも、あまり平気とは言えない。

 疲労も負傷も蓄積されているし、なにより……直前まで、死を間近に感じていたのだ。抗いようのない死を。

 今になってじわりと、全身に嫌な汗が浮かぶ。心身を落ち着かせる時間は、わたしにも必要だった。

 

 念のため、地面に手を置き、耳を澄まし、周辺を探ってみる。

 けれど現状、物音や呼吸音、地面を揺らす振動も含め、不審なものはなにも感じない。この場に留まるわたしたち以外は、先刻まで対峙していた魔将どころか、土着の魔物すら近辺にはいないようだ。イフの魔力に怯えて身を隠したのかもしれない。これなら、休憩する時間くらいは取れそうだ。

 

 リュイスちゃんの様子を見つつ、乱れた呼吸を整えていく。

 本当はなにも考えず休息に専念したほうがいいのだけど、少し落ち着いてきたところで、頭が自然と、逃げ出す際の光景を思い返し始める。

 

 イフはあの時、突然現れたリュイスちゃんに驚いていたように見えた。思考を読み、相手の行動を事前に把握できるはずの、あの魔将が。

 つまり、少なくともそれまではリュイスちゃんがどう動くか、読めてはいなかった……どころか、その存在にも気付いていなかった、のだろう。だとしたら……その理由は、どこにある?

 

 例えば、距離が離れていたから、とか? 視界に対象を収めていないといけない、とか。

 一度に大勢の思考は読みづらいのかもしれないし、そもそも読める対象は一人だけ、などの制限があるのかもしれない。

 あとは、発動の合図でしかないと思っていたあの風が、わたしの体になにか目印をつけていた、なんて可能性も――

 

「かふっ……! けほっ……はぁ……ふぅ……すみません。もう、大丈夫、です……」

 

 そう言いながら、腕を支えになんとか立ち上がろうとする彼女だったが……どう見ても、まだ満足に動けるようには見えない。呼吸は依然荒く、手足にも力が入っていない。

 

 無理をしないよう彼女を制し、その場に座り込む。

 腰を落ち着けるわたしに困惑しながらも、彼女はひとまず制止に従い、こちらの様子を窺うように視線を合わせる。それを確認してから、わたしは口を開いた。

 

「さて、リュイスちゃん。ちょっとお話があります」

 

「……?」

 

「……ありがとね、助けてくれて。おかげで命拾いしたよ」

 

「あ……」

 

 リュイスちゃんが来てくれなければ、わたしはあそこで確実に死んでいた。有り体に言えば命の恩人だ。言葉だけじゃない、本当に感謝している。

 ただ、それはそれとして、もう一つ言っておきたいことがあった。

 

「でも……ダメだよ、あんな危ないところに出てきたら。リュイスちゃんは見つかってなかったんだから、わたしを置いて逃げても良かったんだよ?」

 

「…………!」

 

 人類にとって毒にも薬にもなりえる彼女の能力は、当然、魔物側にとっても脅威になる。

 利用されるならまだしも、下手をすればその場で殺されるかもしれない。いや、それ以前の問題か。能力の有無に関わらず、人間というだけで始末される可能性のほうが高い。

 わたし一人で仕掛けたのも、半分はそのためだ。隠し通せたなら、最悪、彼女一人は逃げられると――

 

「……さん、の……」

 

「……ん?」

 

 彼女は俯き、小さく呟いていたが……内容はよく聞き取れなかった。

 

「……レニエ、さん……!」

 

 ……呟いてるのは、わたしの名前……? ……というかリュイスちゃん……なんか、怒ってる……?

 

 キっと顔を上げた彼女の瞳からは、いつの間にか涙がこぼれていた。

 

「――歯を、食いしばって、くださいっっっ!!」

 

 ペチっ

 

「……?」

 

 すぐには、状況を理解できなかった。今、わたしは――

 ――わたしは、彼女、リュイスちゃんに。頬を、引っぱたかれたのだ。

 

 まだ力の入らない腕を無理矢理振り上げただけの手のひら。当然、全く痛くはないし、そもそも避けようと思えば簡単に避けられたはずだ。

 けれど彼女の涙に、本気で怒るその表情に、目を奪われた。……避けては、いけない気がした。

 

「アレニエさんっっっ!」

 

「は、はい」

 

 叩かれた余韻を感じるのも束の間、響く怒声に思わず居住まいを正した。

 

「さっき、本気で一度、生きるのを諦めたでしょう!」

 

「え」

 

 なんでバレてるんだろう。

 

「それに今も! 私には、『『死んでも』は無し』なんて言っていたのに、どうしてそう言った本人が、自分を見捨てろなんて言うんですか!」

 

「え、や、その……わたしが死んでも、それはわたしの責任だし、リュイスちゃんは気にしないで逃げてくれればなぁ、って――」

 

「気にしないでいられるわけ、ないでしょう!? ここまで一緒に旅をして、なにもかもを助けてもらって、そのうえ……私なんかを受け入れてくれた、恩人を……簡単に見捨てられるわけ、ないでしょう……!」

 

「いや、そんな大したことしてないし、別に恩とか感じなくても――」

 

「わたしにとっては大したことですし、恩を感じるのは私の勝手です!」

 

 両の目に大粒の雫を湛え、彼女は精一杯の怒りを叩きつけてくる。

 

「それにこれは、私が貴女を巻き込んだ依頼です! アレニエさんになにかあれば、その責任は全部私のものです! 犠牲が必要ならむしろ私がなります!」

 

「……リュイスちゃん、勢いに任せて無茶苦茶言ってない?」

 

「なにか言いましたか!?」

 

「いえ、なにも」

 

 涙目で睨まれ、わたしは口を噤んだ。

 

 ……正直、困惑していた。

 だって今まで、こんなことを言い出す依頼人なんていなかった。

 

 普段一人で行動しているわたしでも、人手が必要な際には誰かと組むこともある。生活のために苦手な護衛任務を引き受け、依頼人と旅をすることも。

 

 けれどどちらも、大抵は依頼を達成するまでの短い付き合いだ。差し障りなく終わらせるためにある程度距離を縮めたとしても、基本的にはそこで終わりだ。それ以上わたしのほうからは踏み込まないし、相手も大抵近づいてこない。

 

 リュイスちゃんは見た目も中身も好みだからと他より贔屓したし、期待もしていたが……それでも、結末は大きく変わらないとも思っていた。

 ……わたしの命一つで、こんなにも心を乱すなんて――乱してくれるなんて、思っていなかった。

 

「……だから、なんとか助けに入れないかと様子を窺っていたのに……なのに、この『目』でアレニエさんを見たら…………それを見て私が、どれだけ……! どれだ、け……」

 

 とうとう彼女は掴みかからんばかりにこちらに詰め寄り、わたしの手を取り、強く握りしめる。

 そして今度は……ゆっくりと力なく俯き、呟く。

 

「……アレニエさんは、私が未熟だからと護ってくれているのでしょうが……私だって、貴女を護りたいんです……今さら、他人扱いしないでください……」

 

 項垂れたまま、けれど指先にだけは力を込めて、彼女はわたしの手を握り続ける。

 ずっと、わたしが心配する側のつもりだったけど……

 

「(……心配かけてたのは、わたしのほうか)」

 

 握られたままの手を引き、その先の彼女を抱き寄せる。密着したその耳元に、一言だけ、囁いた。

 

「……ごめんね」

 

 触れた部分から、震えが伝わる。

 その震えが収まるまでの間。思っていた以上に華奢で小さなその体を、わたしは抱きしめ続けた。

 

 

  ***

 

 

「――魔力が、留まってる?」

 

「はい。魔将を中心に、地面から半球状に――周囲を覆っていた風と同じように、滞留していて……アレニエさんは、ずっとその中で戦っていたんです」

 

 落ち着いたリュイスちゃんに治癒を(左肩の傷が思ったより深かったのだ)施してもらいながら、わたしは彼女の話に耳を傾けていた。

 

 魔力は本来、空気のように漂い、辺りを流れ続けている……らしい。

 らしいというのは、わたしは普段、それを感じ取れないからだ。

 だから、仮に異常があったとしても知覚できない。わたしが『核』とやらを見たことがないのも、多分そのせいなんだろう。

 

 先刻魔将が吹かせた風に、まさに魔力の異常を、違和感を覚えた彼女は、〈流視〉でそれを確かめようとし……同時に、わたしが殺される流れまで見てしまった。

 その際、わたしが諦めた様子もはっきりくっきり映し出されていたので、全部バレて先程怒られた次第です。

 

「考えを読まれた、と言っていましたよね。魔将は私の動きに気づいていなかった、とも。おそらくですが、法術による結界と同じで、一定の範囲内にしか効果はないんじゃないでしょうか。私が使ったものとは、規模がまるで違いますが……」

 

「……ふむ」

 

 そういえばイフ自身、あれを結界と呼んでいた気がする。

 結界――つまり、内と外とを分けるものだ。

 内側にいたから、わたしは思考を読まれた。対して、リュイスちゃんが読まれずに済んだのは。

 

「(結界の外にいたから――)」

 

 色々考えたものの、正解は『距離が離れていたから』という単純な理由だったようだ。

 内側にさえ入らなければ、あるいは結界そのものをなんとかできれば、魔将に対抗できる。相手の手の内が分かれば、方策を考えられる。

 わたしは彼女の頭に、ぽんと手を乗せた。

 

「ありがと。リュイスちゃん」

 

 そのまま、子供をあやすようによしよしと撫でる。さっきのお礼と……謝罪も込めて。

 彼女は少し恥ずかしそうにしながらも、嫌がる素振りは見せなかった。

 

「リュイスちゃんのおかげで、なんとかなりそうだよ」

 

「……本当、ですか?」

 

 上目遣いに期待を滲ませる彼女に、けれどわたしは告げなきゃいけない。

 

「うん。だからリュイスちゃんは、今度こそほんとに逃げて」

 

「え……」

 

「逃げて。できれば街まで。しばらく戻ってきちゃダメだよ」

 

「どうして……! 私だって、一緒に戦うつもりで…………まさかアレニエさん、まだ……!」

 

「違う違う! さっきみたいに、見捨てろってことじゃないよ。そうじゃないけど……やっぱり、リュイスちゃんが魔将の前に出るのは、わたしは反対だよ」

 

「……う……いや、でも……」

 

「イフは、あれでも力を抑えてるって言ってた。あんまり目立つと、わたし以外にも邪魔が入るかもしれないから、って。でも、いざとなったらそんなの全部忘れて、形振り構わなくなるかもしれない。そうなったら、いつリュイスちゃんが巻き添え食ってもおかしくない」

 

「……」

 

「それに……。……わたしも、〝荷物〟を抱えたままじゃ、満足に戦えない」

 

「……っ」

 

 この言い方で、おそらく伝わったのだろう。

 彼女は傍目にも傷つき、悔しさを表情に滲ませる。が、それ以上反論しようとはしなかった。

 その様子に、ほんの少し、胸がチクリとする。

 

 先刻助けられたのが大きい、とは思う。今さっき叱られたことも。わたしの中で、彼女が占める部分が増している。

 けど……いや、だからこそ。ここでハッキリ拒絶し、戦場から遠ざけておきたい。でなければ、彼女は意地でもついて来るだろう。

 

 それに――それ以上に――……できれば、この先は彼女に見せたくない。

 

「……〝荷物〟がなければ、気を取られずに済むんですね?」

 

「うん。傷つくと困るから、遠くに運んでほしいかな」

 

「……そうすれば……勝てるん、ですよね……?」

 

「今度は、多分大丈夫」

 

「…………分かり、ました」

 

 彼女はゆっくりその場を立ち上がると、まだ少し雫の残る、それでも力の篭った瞳で、精一杯に見つめてくる。

 

「……でも、無事に、帰ってきてくださいね。……死んでしまったら、今度こそ許しませんから」

 

 それに〝いつものように〟笑顔を返しながら、返答する。

 

「うん。なるべく頑張るよ」

 

「なるべくじゃなくて絶対ですよ!」

 

 再度念を押すと、彼女はまだ躊躇しながらも踵を返す。

 途中、何度も足を止め振り返るが、笑顔で、しかしいつまでも目を逸らさないこちらに根負けしてか、やがて背を向け、樹々の奥へと走り去っていった。

 しばらくその背を見送り、姿が見えなくなったところで、ようやくホっと息をつく。

 

 ……意外と素直に言うこと聞いてくれて助かった。リュイスちゃん、変なとこで頑固だからなぁ。そんなところもかわいいんだけど。

 

「さて、と」

 

 これで彼女の(少なくとも魔将に殺される)心配はいらないし、彼女の目も気にしなくていい。

 先刻は逃げてきた道を、わたしは逆に辿り始める。歩きながら左手の篭手に視線を向け、反対の手で軽く撫でてから、呟いた。

 

「それじゃ、行こっか」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

48節 半分だけの牙①

 魔将は足元に黒剣を突き立てた姿勢で、微動だにせず広場の中央に佇んでいた。

 奇襲への警戒だろう。あの位置では、どこから仕掛けてもある程度の距離がある。まあ、元からこそこそ隠れるタイプでもないだろうけど。わたしみたいな。

 

 そのわたしが、離れた物陰から様子を窺っていることには、おそらく気づいていない。仮に例の結界を張りっぱなしだとしても、まだ範囲には入っていないはずだ。

 

「(――今なら、不意を打てる、かな?)」

 

 結界の外から一気に接近すれば、心を読む暇もなく、首の一本ぐらい落とせるかもしれない。

 気配を殺しての奇襲は得意とするところだ。主にとーさんに模擬戦で一泡吹かせるために磨いた技術だけど。

 ただ、それをするならもう少し距離を詰めたい。結界の範囲、そのギリギリまで近づいて……

 

「……来たか」

 

「――!」

 

 数歩分足を進めたところで、イフは不意になにかに気づいたように声を上げた。

 まだこちらを視認してはいない。気配は可能な限り消していた。結界の範囲にも入っていない。

 

「いるのだろう。〈剣帝〉の弟子よ」

 

 リュイスちゃんの情報が間違っていたとも思わない。

 けれど、こちらに向けられたその声には確信があった。不意打ちは諦めるしかなさそうだ。

 

「……てっきり、追ってくると思ってたけど」

 

 事前に聞いた範囲にはあくまで入らないよう距離を保ち、わたしは観念して姿を見せた。

 

「そうしても良かったのだがな。貴様が全力で逃走したなら、捜索は困難と判断した。だが……貴様は、戻って来ざるを得まい」

 

「……一応、あなたを倒すまでが依頼だからね。……余計なことも知られちゃったし。ここで、始末しておかないと」

 

 演劇の悪役みたいだな、わたし。

 

「それ以上近づかぬということは、おおよその範囲を把握したようだな」

 

「さっき、あの子の考えは読めてなかったみたいだからね。このくらい離れてれば、大丈夫かと思って」

 

 さも自分で気づいたかのようにわたしは誤魔化した。すでに彼女の姿は見られているが、だからといって余計に興味を引かせる必要もない。

 

「そういうあなたは、なんでこっちに気づいたの? 今の口ぶりだと、結界とやらの大きさは変わってないんでしょ?」

 

「気流を読んだだけだ。こちらのほうが、より遠くへ広げられる。知らぬ間に首を落とされていた、というのは遠慮したいのでな」

 

 事も無げに口にしたけど……空気の流れで、なにか来ても関知できる、ってこと?

 ああ、そういえば最初に煙幕に紛れて奇襲した時も、風に煙を払われてから気づかれたような……

 心を読む結界と風がどうにも繋がらなかったけど、もしかしてそれも風を――空気を経由させて読んでる、とか? ……魔術の制御が苦手って言う割には……

 

「……存外器用だよね、あなたは」

 

「賛辞か?」

 

「罵倒です」

 

 おかげでめんどくさいことこの上ないよ。

 

「クックッ……(そし)りを受けるのは構わんが、貴様に言われるのは心外だな、〈剣帝〉の弟子よ。研いだ『牙』を未だ隠し持つ貴様には」

 

「……そう、だね。そうだよ。それを使ってでも、あなたの口を封じなきゃいけない。そのつもりで、戻ってきたんだから」

 

 言葉を切り、息を吐き、左腕を前方に掲げる。それに、反対の手を添える。

 そして唱える。

 

「《――獣の檻の守り人。欠片を喰らう(あぎと)》」

 

 わたしの声と、紡ぐ言葉が鍵になる。わたししか開けられない扉の鍵に。

 

「《黒白(こくびゃく)全て噛み砕き、等しく血肉に変えるもの》」

 

 鍵を差し込み、ゆっくり回す。胸の奥で、カチリと音が鳴る。

 すると、左篭手から――篭手だったものから、異音が響き始める。

 

 バギンっ――

 

「……起きて、〈クルィーク〉」

 

 心臓が、一際大きな鼓動を鳴らす。

 鼓動と共に溢れ出した穢れ――アスティマの悪しき魔力が血液に混じり流れ込み、半身を変異させていく。

 

 両目共に黒だった瞳は、左目だけが赤く染まり、淡く輝く。髪の一部、前髪の何房かも、同様に朱に染まった。

 

 左肘から先が異音を上げながら肥大化し、それを覆うように〈クルィーク〉も形を変える。黒い篭手だったものと左腕全体が一体化し、硬質で禍々しい、巨大な鉤爪と化す。

 

「……なんだ、その姿は」

 

 その姿は、部分的にではあるけれど、まるで――

 

「貴様、まさか我らの――」

 

 ――まるで、魔族のように見えるはず。

 

「半分だけ、ね」

 

 これまでとは少し違う姿で、これまでと同じようにわたしは微笑んだ。

 

 わたしは、人間と魔族が交わった際に生まれ落ちる、半魔と呼ばれるもの。

 人間には恐れられ忌み嫌われ、魔族には下等な半端者と蔑まれる。どちらにもなれず、どちらにも受け入れられない、はみ出し者。

 

 リュイスちゃんを遠ざけたのは、もちろん彼女の身を案じたのもある。が……この姿を見られたくないのが、最も大きな理由だった。

 総本山の神官が、まさか半魔と――穢らわしいアスティマの眷属と寝食を共にしていたなんて、醜聞どころの騒ぎじゃない。

 

 そして……彼女がわたしを受け入れてくれる保証なんて、どこにもない。

 

「……些か驚きはしたが、そうか……その篭手は、魔具か。穢れを抑制するための」

 

「そ。普段は眠りながら、わたしの魔力を食べてくれてる」

 

 だから普段、わたしの魔力は常に空だ。体が空気中から日々蓄えるはずの魔力も、〈クルィーク〉が全て食べてしまう。使わないから魔覚も鈍る、というより、ほとんど閉じている。

 代わりに、食べられた魔力は随時わたしの体力や治癒力、病への耐性なんかに変換されている。人より傷の治りが早いのはそのおかげだ。

 

「だが……それ程の魔具、人間共に生み出せるものではあるまい。しかし魔族が半魔に提供するとも思えぬ……」

 

「……」

 

「……いや。確か、人間と通じていた咎で罪に問われた職人がいたな……始末に向かった者たちは職人共々、その後、消息が途絶えたと……。……貴様は……」

 

 相変わらず察しがいいな。

 

「そう。その魔族の職人が、わたしのかーさん。この子は、かーさんがわたしに遺してくれた、最後の魔具」

 

 本来わたしは、かーさんから受け継いだ魔族の特徴を、左半身に持って生まれてきた。つまり今見せているのが、元々のわたしの姿だ。

 

 けれどそれを晒したままでは、どちらの側でも生きていけない。魔族の世界では人間の身体が、人間の世界では魔族の半身が、互いに迫害の対象になる。

 

 かーさんが〈クルィーク〉をくれたのは、わたしが人に混じって生きられるようにと――そのほうが、魔族の社会よりは生き延びやすいと――、そう考えたからだろう。今もこの子は、わたしが必要以上に呑まれないよう、半魔の本能を抑えてくれている。もちろんそれにも限界はあるため、わたし自身も気をつける必要があるが。

 

「なるほど。これは、貴様にとっては仇討となるわけか」

 

「……言われてみれば、そうなるのかな。別に、あなた個人に恨みはないけど」

 

「む……いや。断ずるのは、早計だな」

 

「?」

 

 訝しむわたしに、イフは手にした黒剣を見えるようにかざす。

 

「銘は〈ローク〉。我らの言葉で『角』を意味する。貴様も既に察しているだろうが、魔具だ。造り手が分かるか?」

 

「…………まさか……」

 

 この話の流れで、分からないわけがない。あの黒剣は、〈クルィーク〉と同じ、かーさんの……

 

「……それを、どこで手に入れたの? かーさんは、領土を出てからほとんど魔具を造ってない。誰かに渡してもいなかった……」

 

「さて。今さらではあるが、我と貴様は敵同士だ。素直に答える必要もない。となれば、どうする?」

 

「……」

 

 ただの挑発だ、と頭の冷静な部分は警告している。あれがかーさんの造った魔具という保証もない。

 けれどかーさんが死んでから、家には一度も戻っていない。子供だったわたしに物の細かい判別などつかないし、持ち出せる物にも限りがあった。

 

 もし、かーさんの魔具がまだあの家に遺っていて、それを奪われたのだとしたら。本当に、かーさんの形見の一つだというなら……

 

「……あなたの首を落とす理由が、もう一つ増えたみたい」

 

「日に二度も落とされるのは、遠慮願いたいものだな」

 

 冗談めかしながら満足気に頷き、イフは黒剣――〈ローク〉を中段に構える。その姿を睨み据え、こちらも静かに重心を下げる。

 さっきは結局逃げることしかできなかった、魔将との再戦。けれど、さっきとは状況が違う。

 

「そうそう、言い忘れてたんだけど」

 

 奪われたかもしれない形見。刺激された本能。それらに昂る心を理性で抑え、わたしはわざとらしく言葉を付け足す。

 

「〈クルィーク〉が食べるのは、わたしの魔力だけじゃないよ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

49節 半分だけの牙②

「……なに?」

 

 わたしの言葉に、イフが怪訝そうな声を上げる。

 

 半魔の身を露わにしたのと共に、閉じていたわたしの魔覚も開いていた。これまでは感じ取れなかった魔将の膨大な魔力が肌を刺し、歩みを鈍らせる。

 

 けれど同時に、イフの周囲を半球上に覆う件の結界も、赤に染まった左目にほのかに映し出されていた。

 歩を進め、掲げた左手を眼前の結界に触れさせる。すると……

 

 ズ……

 

 掌に触れた結界の一部が、吸い込まれるように消失する。〝魔力を喰らった〟のだ。

 消えた個所から連鎖するように、結界を構成していた魔力が霧散していく。内と外を分ける境界が綻び、効力を失う。

 

「――貴様……!」

 

 なにをされているか気づき、即座にイフが『槍』を放つ。魔将の身を覆う魔力が両腕に流れ込み、〈ローク〉によってさらに収束し、標的に放たれる様も映し出される。結界を消したからか、その制御には若干乱れが見えるが……

 今までは見えなかったその魔力の動き、魔術の構造を知覚して、改めて実感する。

 

「(……やっぱり、〝これ〟を正面から食べるのは無理だね)」

 

 あの時、仮に〈クルィーク〉を起こしていても、結果は変わらなかっただろう。おそらく魔力を喰らう暇もなく貫かれ、殺されていた。これは、凝縮された破壊そのものだ。

 

 跳んでかわし、続けて前方を撫でるように左腕を滑らせる。その軌跡に、魔力で生成された五本の短剣が現れる。

 

 これは〈クルィーク〉のもう一つの力、『魔力の操作』。本来は魔術を行使するための対価(あるいは媒介、燃料)でしかない魔力だが、〈クルィーク〉は自身に触れた魔力それ自体を操ることができる。魔族の魔術と同様、詠唱も必要とせずに。

 

 もう一度、今度は払うように左腕を振るい、短剣を五本とも相手に撃ち出す。

 わたしの意のままに動くそれを、三本を先行させ、残りの二本はわずかに遅らせて。そして例の如く追いかけるように、わたしも駆け出した。

 

 緩やかに孤を描きながらも高速で迫る魔力の短剣。一本を黒剣に弾かれ、一本を剣が発する風に阻まれるも、三本目は砕けた鎧の腹部に吸い込まれ、遅れて四、五本目が上空から襲い掛かり、首の隙間を刺し貫く。

 

「グ、ガっ……!?」

 

 肉薄し、畳みかけるように右手の剣を一閃。

 首を狙った斬撃は半ばまで刃を食い込ませる。が……そこまでだった。相手が引き戻した黒剣に押し止められ、停止。切断までには至らない。

 

「ヌ、グ……――ク、ハハ、ハ……! まだ足りぬ……まだ、我の命には届かぬぞ……!」

 

 魔将は苦悶を滲ませながらも哄笑する。首に刺さったままの刃を左手で掴んで封じ、短く振りかぶった反対の手で、反撃の剣を返してくる。

 

 命の総量が多い魔将だからこそできる、捨て身の反撃。対してこちらは、攻撃直後の不安定な姿勢。加えて武器も封じられている。掴まれた剣をなんとか引き抜くか、それを手放してでも離脱するしかな――

 

 ――なに言ってるノ。平気でショ? 〝この手〟で受け止めればいいんだヨ――

 

 ――そう。そうだ。今は、この左腕がある。湧き上がる高揚感に身を任せ、体を翻す。

 こちらを斬り裂かんと迫る黒剣――それを握る魔将の腕を、〈クルィーク〉に覆われた左手で受け止める。

 

「ぬ……!」

 

 一瞬だけ、魔将の動きが止まる。

 もちろん、純粋な力比べで生粋の魔族に勝てるはずもない。こっちは左腕一本分、相手は全身だ。が。

 

 クンっ――

 

 元から力比べをする気はない。止めた一瞬でこちらの剣を引き抜き、次いで左腕で力の向きだけをずらし、体を入れ替えるように受け流す。

 

「……!?」

 

 そのまま圧し切る腹積もりだったのだろう。イフは前方にガクンと体を傾け……しかし前に出した足で踏み止まり、転倒は避けてみせた。

 隙を逃さず相手の右腕を掴み、捻り上げる。半魔の腕で、暴力的に。

 

「グっ……!?」

 

 間接が軋み、筋線維が千切れる。

 左手から伝わるその感触をほんのわずか味わってから、そのまま捻じ切ろうとさらに力を込め――

 

「舐めるなっ!」

 

 叫びと共にイフの右腕と、その手が握る〈ローク〉に大量の魔力が流れ込む。すぐに術は完成し、わたしは吹き荒れる暴風に引き剥がされるだろう。

 

「あはっ!」

 

 ――その魔将の魔力に、わたしは〈クルィーク〉で干渉した。

 相手が集めた魔力をさらに一か所に誘導し、膨張させ、一気に破裂……爆発させる!

 

「な――ガアァァァアァ!?」

 

 驚愕の声が、身体と共に遠ざかる。

 吹き飛び、転がり、それでも魔将は倒れず、片膝立ちで正対するも……

 

「グ……ク……!」

 

 右肘から先を失ったその身から、鮮血がこぼれ落ちる。

 少し遅れて、腕と共に宙に弾き飛ばされた〈ローク〉が、回転しながらこちらに落下してくるのが見えた。

 降ってきたそれを左腕で掴み取る。その剣身をわずかに眺めてから……地面に突き刺した。

 

 武器が増えた形にはなるし、本当にこれがかーさんの作なら、この手で使ってみたい気持ちもあるけど……

 わたしの剣とは形状も重さも違うし、クセもなにも分かっていない。慣れない武器を実戦でいきなり試すなんて命取りにしかならない。奪えただけで戦果としては十分だろう。

 

 そう。十分な戦果だ。魔族の将軍から剣と右腕を奪い、さらには膝までつかせているのだから。その様を見られただけで、胸の内に充足感が――

 

「ク……クっクっ……「戦を楽しむ気も、いたぶる趣味もない」、だったか……」

 

「……? ……急に、どうしたの?」

 

「なるほど、自覚はないか……その姿を晒して以降、剣を交えるたび、我の身に傷を刻むたびに……〝(わら)って〟いるぞ、貴様」

 

「――!」

 

「カァっ――!」

 

 制御できているつもりが、いつの間にか本能に呑まれていた。それに動揺するわたし目掛け、この日何度目かの暴風が、イフの失った右腕の先から、渦を巻いて吹き荒れた。

 

 けれど、消耗し、要である〈ローク〉も持たず放った魔術は抑え切れず、初めに見た『塔』と同じように膨れ上がっている。暴れ狂い、蛇行しながら這い回るそれは、歩みも遅く、狙いも明らかに定まっていない。魔術に疎いわたしから見ても不完全なものだった。

 

 当然、この身に受ければ無事に済まないのは変わらない。その場を飛び退き、難なく安全圏には逃れられたが……だからこそ、魔将の意図が分からない。

 

 らしくないと思う。いや、出会ってからまだいくらも経ってないけれど、武器と腕の一本を奪った程度で取り乱したり、中途半端に攻め急いだりする相手じゃ……

 と、そこでようやく気がついた。イフが突き出した腕の、先にあるものに。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

50節 暴風

「(……狙いは、最初から剣のほう……?)」

 

 地面に突き立てたままの黒剣、〈ローク〉。その場所まで風が到達したところで……異変が起こった。いや、〝治まった〟。それまで失っていた魔術の制御が安定し、魔将と黒剣とを風が繋げる。

 

 次いで、剣に触れた風の先端部分が枝分かれし、『槍』よりさらに小さな五本の竜巻が生まれる。まるで手指のようにも見えるそれらが……実際に手のように蠢き、黒剣の柄を掴み取り、地面から引き抜いた。

 

「――は?」

 

 思わず間の抜けた声を漏らすわたしを尻目に、風が――風で編まれた『腕』が、握りしめた黒剣をイフの元に引き寄せ……そのまま、本物の腕かの如く、その身に収まる。

 

 わずかな間、イフは自身の新たな右腕に目を向けていたが……やがて静かにそれを、そして〈ローク〉を、頭上に掲げた。

 先にそれに警戒を示したのは、体のほうだった。予想外の光景に動きを止めていた頭も、一瞬遅れて働き出す。

 

「(――落ち着いて。剣を取り戻したなら、また『槍』が来るかもだけど、撃つ時はさっきみたいに魔力を溜めるタイミングがあるはず。魔覚が開いてる今なら、魔力に動きがあった時点で気づける。それに……)」

 

 それに魔術を放つ際は、おそらく狙いを定めるためか、黒剣をこちらに突き付けるはず。今見せている構えはむしろ、上段から斬り掛かる剣術のそれだ。だから撃てないとは限らないが、やはりそうして虚をつく相手とも思えない。

 

「(……というか、なんでその位置で構えたの? まだ距離はだいぶ離れて……いや……でも、なんか……離れてる、のに……?)」

 

 ぞわりとする。黒剣の間合いには全く届いていないのに、その内側にいるような錯覚を、体が感じ取っている。内心、まさかと思いつつ反射的に身構え――

 

「――ハアァァアっ!」

 

 動き出しは、足元。両足の捻りで生まれた力が――魔力が、魔将の身体を駆け登る。

 腰を、背を、肩を経由してさらに増幅されたそれが『腕』の風を膨張させ、伸長させ、鞭のようにしならせながら、上空から真っ直ぐに〝落ちて〟くる――!

 

 ギャリィィィ!

 

「な、ん……!?」

 

 イフはその場を動いていない。しかし黒剣はわたしを頭から断ち切らんと、その切っ先を届かせていた。

 愛剣を掲げ、かろうじて軌道を逸らし(あまり綺麗には受けられなかった)、防ぐのには成功する。が、内心では、相当に混乱していた。

 

「(風を――風で作った腕を、撃ち出した……いや、伸ばした、の……!?)」

 

 逸らした黒剣は地面を打ち、衝撃で土砂を撒き散らす。飛来する泥土に耐え、目を細めて黒剣と『腕』の行方を探るが……

 

「オオォォォア!」

 

 既に魔将の手元に戻っていたそれらが再び振るわれる。するとやはり風の腕が長さを増し、遠間から横薙ぎの一閃を届かせてくる。

 

 が、目測を(あるいは力加減を)誤ったのか、黒剣はわたしを通り過ぎ、後方にその切っ先を伸ばしていた。ゆえに剣ではなく、それを握る『腕』自体が殴りつけてくる形になる。

 左手に魔力を凝固させ、盾を造り、受け止める。が……

 

「(……止ま、らない――!)」

 

 足を地面から無理やり引き剥がされる。浮遊感が襲う。

 その間も『腕』は(側面で殴りつけただけだというのに――!)盾を徐々に削ってゆく。

 

 砕かれ、しかし次は〈クルィーク〉で掴み止め、魔力を喰らおうと試みる。が、圧縮された暴風は表面をいくら食べても奥まで届かず……直撃は免れたものの、そのまま広場から弾き出されてしまう。

 空中で体を捻り、足から着地。それでも勢いを殺せず後退させられる。そこへ。

 

「シっ!」

 

 魔将の鋭い呼気から一拍遅れて、遥か頭上から袈裟切りに振るわれる〈ローク〉と風の腕が、軌跡の内側に立ち並ぶ樹々を薙ぎ倒しながら迫る。

 

「……っ!」

 

 剣閃の下方を潜り、かわす……つもりだったのだけど。

 切っ先はそもそもこちらまで届いておらず、視界を斜めに両断した後、地面を激しく打ちつけ、爆発(そうとしか言いようがない)させる。飛び散った細かい土砂が、辺り一面に舞い落ちる。

 

「――……」

 

 これまでの『塔』や『槍』のような、通常の魔術の形式――魔力を充填させ、制御し、狙いを定めて放出する形――じゃない。

 それらの段階を全て飛ばし、『既に発動している魔術』へ身体動作によって魔力を送り込み、武器まで届かせている。というより、おそらく黒剣まで伝える過程で、通り道である『腕』にも魔力が流れ込んで、範囲を広げているのだろう。

 

「(つまり、〝身体の動き〟で、一時的に魔力を増幅させてる……それって……)」

 

「……加減が、難しいな」

 

 湿った土が降り注ぐ中、男の低い声が響く。

 

「思い至ったのがつい先刻。当然だが、可能と体得では大きく開きがある。だが……!」

 

 その声に、再び熱が灯る。

 

「やはりそうか……! 貴様らの技は、精霊を――アスタリアの火を武器とするもの。ならば我らは、それをアスティマの穢れに――〝悪霊〟にこそ、求めるべきだったのだ。内に巡る力を動作により集め、増幅させる。それこそが『気』の術理――剣技の骨子! 我はまた一つ解き明かした! 礼を言うぞ、〈剣帝〉の弟子よ!」

 

 興奮し、まくし立てる風の魔将。その返礼は、空を斬り裂いて迫る黒剣の一閃だった。

 

「っ!」

 

 地面を薙ぎ払うように振るわれた刃を、咄嗟に跳び越える。

 しかし跳び上がったわたしを即座に追って、今度は掬い上げるような斬撃が下方から襲い来る!

 

 ギィンっ!

 

「く、ぅ……!」

 

 剣と〈クルィーク〉の両方で受け、直撃は防いだものの……魔族の膂力は風で編まれた腕でも健在らしく、わたしの身体は容易に空高くまで運ばれてしまう。この状況は……

 

「判断を誤ったな……! 先刻のような助けは望めぬぞ!」

 

 付近に何者も存在しないのは、気流感知で確認済みなのだろう。イフは今度こそ勝利を確信し、声を張り上げた。

 

 そう。この状況は、さっき死にかけた時とよく似ている。わたしは逃げ場のない空中に留め置かれ、相手はそこに必殺の一撃を突き付けている。

 けれど、似ているだけで、同じじゃない。あの時とは違い、既に〈クルィーク〉は目を覚ましている。それに、なにより――

 

「今一度……さらばだ、〈剣帝〉の弟子よ――!」

 

 魔将は力を溜めるようにわずかに身を捻り、すぐさまその反動を活かし、全力の突きを放つ。動作で伝えられた魔力が風の腕を後押しし、黒剣と共に『槍』のように射出される。

 

 ここまでの斬撃と同様、『気』の身体操作を真似て放たれたその片手突きは、手にする黒剣〈ローク〉にも破壊の暴風を纏わせ、その名が示す通り――いや、それ以上の鋭さを伴う尖角となって、空を穿つ。わたしの身体など、容易に串刺しにしてしまうだろう。

 

 だからそうなる前に……わたしは自身の足元の魔力を固め――空を、蹴った。

 

「な――……!」

 

 さっき、リュイスちゃんに助けられたのがヒントになった。

 あの時、彼女は法術の盾を足場とすることで、わたしを死の窮地から救ってくれた。同じことが、〈クルィーク〉ならできるのではないか。足場さえあれば、樹々を跳び渡るのと同じ要領で、空を駆けられるのではないか、と。

 

 唸りを上げる暴風の腕とすれ違いながら、さらに魔力の足場を蹴って空中を跳び渡る。相手は突きを繰り出した姿勢からまだ戻れていない。そして……

 

 キン――!

 

 全力で放った斬撃が、再度、魔将の首を落とす。

 ゴトリ……と、兜に包まれたイフの頭部が落下する。胴体は突き終えた態勢から微動だにしない。

 跳躍の勢いに押されながら着地し、その背から数歩分離れたところで――

 

「――まだだっ!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

51節 決着

 地面の頭部が鋭く叫ぶ。

 同時に、胴体が振り向きざまに斬り付けてくる。

 驚きはしないし、予想もしていた。これでも、まだ足りないと。

 

 だからわたしは呼応するように振り向き、魔将の振るう黒剣を掻い潜りながら踏み込む。最小の動きで愛剣を振るう。

 間合い。刃筋。力の伝達。断ち切る意志。

 それら全てを理想的に満たせたなら……この剣に、断てないものなんてない――!

 

「「――……」」

 

 少しの間、静寂が辺りを支配する。

 手応えはほとんど無かった。必要を完璧に満たした一閃は、だからこそ、遮るものなど何も感じない時がある。

 けれど、今度こそ確信があった。最悪の魔将――〈暴風〉のイフ。その命に届いた実感が。

 

 ズル……

 

 と、今になって斬られたことを思い出したかのように、鎧(と、それに包まれた胴体)が切断面からずり落ち、次いでグラリと揺れ、倒れた。風の腕も霧散し、それと入れ替わるように傷口から穢れが漏れ出す。握られていた〈ローク〉がガランと音を立て、地面に転がった。

 

「…………ク、クク、ハ、ハ……我が、神剣も持たぬ者に敗れる、か。……あぁ、愉快な、充実した戦だった。叶うなら、今少し貴様と斬り合いたいところだったが……これ以上は、身体が保たぬようだな」

 

 胴と離れ、地面に転がる頭部。それが発する声には悔しさと、それを上回る充足感が滲んでいた。

 

「見事だ、〈剣帝〉の弟子よ。その名に恥じぬ技の冴えだった」

 

「ん、や……まぁ、〈剣帝〉とは似ても似つかない、邪道の剣だけどね」

 

 あまりに真っ直ぐな称賛に照れくさくなってしまった。純粋に剣一本で戦い抜いたとーさんと違い、わたしは小細工も弄さなければ生き残れないから、その引け目もあったかもしれない。

 

「戦に正道も邪道もあるまい。貴様の剣は本物だ。胸を張り、誇れ」

 

「……褒めすぎじゃない? あなたが初めから全力だったら、その剣を交える機会もなかったはずだよ」

 

「そうか? 貴様ならばそれすら対処し、抵抗していたと思うがな」

 

「…………褒めすぎだってば」

 

 褒められ慣れてないのでムズムズします。

 どうもこのひと調子狂う。というか、いやにわたしへの評価が高い気がする。半魔を蔑視する様子もないし。

 

「実際、なんで最初から使わなかったの、あの結界? そうすれば……」

 

 まぁ、使われていたら、多分あっさり殺されていたんだけど。

 

「好かぬからだ」

 

 返答は、想像以上に簡潔だった。

 

「……好き嫌いの問題なの?」

 

「問題だとも。我らは、おそらくは人間共の想像以上に、本能や欲求に縛られている。望まぬ行動を強いられる苦痛は、肉体の痛みすら伴いかねん」

 

 境界が近いとかいう例の特性は、魔術以外にも制限があるらしい。

 

「貴様の言葉を借りるなら、他者の思考を覗き見る趣味など、我にはない。加えて、それに頼ること自体が、剣での勝負に敗れた証ともなる。しかもこれは、刃を交わす興奮も、術理を解き明かす愉悦も、容易に喪失させてしまう力だ。陛下の守護という第一義が無くば、我も最期まで使いはしなかっただろう」

 

「あぁ……それでどこか諦めた感じだったんだ」

 

 動機が子供みたいで、やっぱりちょっとかわいいかもしれない。

 

「あと、そこに転がってる、あなたの剣なんだけど……」

 

「〈ローク〉か。先刻は明言を避けたが、貴様の母である職人が制作したもので間違いない。以前――数百年ほど前だったか。僅かばかりでも制御の足しになればと、我が命じて造らせたものだ」

 

 てことはこのひと、もしかしてかーさんの顧客? 普通に発注したものなの? ……疑ってたの、ちょっと悪い気がしてきた。

 

「望むなら、持っていくがいい」

 

「え? でも……」

 

 あなた用に造ったものなんじゃ……

 

「職人の娘であり、我を討ち倒した貴様には、手にする権利がある。肝心の使い手はこの通り、持ちたくとも持てぬ有様だからな」

 

「……ん。じゃあ、貰っておこうかな」

 

 持ち主がそう言うなら、遠慮する理由もないか。

 

「さて、この身が滅ぶ前に、こちらからも問いたい」

 

「なにを?」

 

「貴様の名を」

 

「……わたしの、名前?」

 

 そういえばまだ名乗ってなかった気がするけど……半魔の名前聞きたがるなんて、やっぱり変わってる。他の魔族なら気にもしないし、するにしても獲物として目をつけた時くらいだろう。

 それこそ普段なら、他の魔族相手なら、名前が広まるのを嫌うところなんだけど……

 

「……まぁ、最期くらい、いいか。わたしはアレニエ。アレニエ・リエス」

 

「リエス……『森』か。なるほど、貴様の母である職人は、他者の寄り付かぬ森に隠遁していたな。人間のように姓とやらを名乗る魔族。確かに、変わり者だったようだ。……アレニエ、とは?」

 

「『蜘蛛』って意味。かーさんが好きだったんだって」

 

「アレニエ・リエス――『森の蜘蛛』、か……その名、憶えておく。いずれまた、相対する機会もあるだろう」

 

「へ?」

 

「敗れはしたが、得るものの多い戦だった……いつになるかは分からぬが、貴様と再び剣を交える日を心待ちに、今は眠りにつくとしよう」

 

「あの」

 

「では、さらばだ、アレニエ・リエス。〈剣帝〉の弟子よ」

 

 存外あっさりしたその言葉を最後に、イフの頭部と胴体が急速に風化し、穢れとなり、すぐに霧散してしまう。

 後に残されたのは、彼が纏っていた兜と鎧。地面に転がったままの黒剣〈ローク〉。そして呆然とするわたし……

 

「(……そういえば、『魔王と同じく不死』なんて噂もあったっけ? 今までも、勇者に倒されては復活してたってこと? ……え、また来るの?)」

 

「……はぁぁぁ~……」

 

 思わず、大きく息をつく。

 少々納得のいかない部分はあったものの、ようやく終わったという安堵と疲労が大きかった。

 

 魔王に次ぐ存在。最も名の知られた魔将、〈暴風〉のイフ。

 噂に聞く彼の実態は、あらゆる意味で想像以上で……なんというか、物腰は静かなのに嵐みたいなひとだった。唐突に来訪し、暴れ狂い、去っていく……

 

 彼の言葉が本当なら、この先また会うことになるのかもしれない。が、これまでの目撃記録や噂からすれば、おそらくその機会はかなり遠い未来になるんだろう。なってほしい。あんなとんでもないのが頻繁に来られても困……あ。

 

「(そういえば、〈ローク〉の使い方聞き損ねた……。……まぁ、いいか)」

 

 ともあれ、依頼はこれ以上なく達成できたはずだ。

 あとはリュイスちゃんと合流して王都に帰るだけ、なんだけど……

 

「(急に、使いすぎた、かな……)」

 

 左腕に熱を感じる。

 

 普段は〈クルィーク〉に抑えてもらっている魔族の半身。

 日頃の抑圧の反動か、解放させたそれが今、堰き止めていた水が溢れるように、わたしの人間としての心身を蝕んでいる。形ある物を壊し、生物を傷つけ、その命を奪いたい……欲求が、渇望が、沸々と湧いてくる。

 

 魔将の命だけでは足りなかったらしいその衝動は、今も捌け口を求めて身体を駆け巡り、心を傾かせようと暴れている。

 このままじゃまずい。どうにか発散してからじゃないと人里には戻れないし、〈クルィーク〉も休眠させられない――

 

 ――ガサ

 

 背後から響く草を踏む音は、今この状況では福音の調べにも思えた。

 野良の獣か、魔物か。イフの魔力が消えたことで戻ってきたのかもしれない。なんでもいいし、ちょうどいい。左手があなたを求めてる。悪いけど、少しの間つき合ってもら――

 

「……アレニエ、さん……?」

 

「――!?」

 

 獲物を捉えるべく振り向いたわたしの目に映ったのは……ここから逃がしたはずの神官の少女が困惑し、立ちすくむ姿だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

52節 理性と本能

「(――なんで。なんでリュイスちゃんがここに……!)」

 

 厳しめに遠ざけたし、てっきり素直に街まで戻ってくれたものと……素直に……

 

 ……今思えば、心配性のリュイスちゃんが素直に退いた時点で、もう少し念を押すべきだったのかもしれない。彼女は最初から、一度引き返してから様子を見に来るつもりだったんだろう。でも――

 

「アレニエさん、ですよ、ね……? でも、その姿は……」

 

 ――まずい。まずいまずいまずい。よりにもよって、こんなタイミングで戻ってこなくても――

 

 衝動は限界が近い。解消しようとしてた矢先なのもあって、爆発寸前だ。目の前にいるのがリュイスちゃんだと知りながら、堪えきれそうにない。いや、それよりも――

 

「(見られた――……!)」

 

 今のわたしを見られた――半魔の姿を見られた!

 動揺が、心を乱す。左腕の熱が、さらに上がる。

 

 彼女には、いずれこの姿を見せることも考えていた。

 けれど、それはもっと様子を見ながら、ずっと後のつもりであって、こんな形で知られたいわけじゃなかった。――まだ、見られたくなかった。

 

 顔を上げられない。彼女の目をはっきり見れない。彼女が、わたしを見る目を確かめるのが、怖い。

 だから遠ざけたのに。だから、待っていてほしかったのに――どうして――

 

「――どうしテ?」

 

「え……」

 

「どうして、戻ってきたノ?」

 

 こちらが一方的に頼んだだけで、「戻って来ない」と約束したわけでもない。頭でそう理解しながら、気づけば勝手に口が開いている。

 

「その、私、やっぱりアレニエさんのことが心配で……」

 

「わたシ、逃げてって言ったよネ。戻らないで、っテ」

 

 左の視界が赤い。左腕はさらに熱を帯び、目の前の獲物に爪を突き立てる時を、今か今かと待ち構えている。

 滾る欲望は半身に留まらず、この身の全てを穢そうと暴れ狂う。意識までが、赤く、紅く、染まっていく――

 

「……言いつけを破ったことは、謝ります。でも、私……!」

 

「言うこと聞いてくれないなんて、リュイスちゃんは悪い子だネ。だから……おしおきしなきゃいけない、よネ?」

 

「……本当に、アレニエさんなんですか……?」

 

 顔を上げ、わたしは笑う。――わたシが嗤ウ。

 

「……アレニエさんは、人間じゃないんですか? ……魔族、だったんですか?」

 

「ふふ、どっちだと思ウ?」

 

 怯えた気配を伝えながらも気丈に振る舞うリュイスちゃン。ああ、かわいイ。やっぱりリュイスちゃんはかわいイ。

 

「実を言うと、どっちでもないんだけどネ。半魔、って知ってル?」

 

「……人と、魔族の、両方の血を持った……アレニエさんが……」

 

「そ。どっちにも受け入れらないはみ出しモノ。どっちにもなれない半端モノ」

 

 初めて会った時から惹かれてタ。すごく好みの子だと思っタ。

 それは多分、最初から気づいていたんダ。わたシの嗅覚ガ。本能ガ。――獲物の匂いヲ。

 

「この姿じゃないと勝てそうになかったから、リュイスちゃんには離れてもらったのニ。見られたく、なかったのニ」

 

「アレニエ、さん……」

 

「これは、知られちゃいけない秘密なんだヨ。誰かにバレたら、また居場所が無くなっちゃウ。だから、そうならないようニ――」

 

 嗤いながら、歩を進めル。

 彼女はビクリと体を震わせ、目を瞬かせるが、逃げる素振りはなかっタ。

 

 かわいい……かわいいなぁ、リュイスちゃン。それにとても……美味しそウ……。ああ、もうだメ……我慢できなイ――

 

 無造作に駆け出し、左手を振りかぶル。

 警戒していたんだろウ。彼女は咄嗟に、自身の手を起点に光の盾を張ル。よく見れば、右の瞳にはいつの間にか青い光が灯っていタ。あれが、以前彼女に聞いた〈流視〉というやつだろウ。

 

 その目でわたシの動きの流れを読んだ彼女は、盾を利用して攻撃の軌道をわずかに逸らそうと動ク。が、魔力を喰らう鉤爪は光の盾を容易く引き裂き、篭手を填めた彼女の腕を直接打ツ。

 

「あ……うっ……!」

 

 衝撃で吹き飛び、彼女は背中から地面に落ちル。その押し殺した悲鳴までかわいイ。興奮が治まらなイ。

 

 立ち上がれず、上体だけ起こしてこちらを仰ぎ見るリュイスちゃン。彼女へ至る道筋を、ゆっくり、焦らすように歩いていク。

 一歩、また一歩と近づく度に、少女の甘い香りと汗の匂いが、鼻腔を刺激すル。こちらが歩を進める度、なんとか遠ざかろうとする小柄な獲物の様子に、嗜虐心を掻き立てられル。

 

 こちらから目線を離さず後ずさっていたその背は、やがて樹々の一本に遮られタ。それ以上は動く気力もなかったのか、彼女はそのまま幹に背中を預けル。

 

 再び、異形の手を振り上げル。それを、怯えを含んだ上目遣いで、体を強張らせながら、けれどもまだ足掻こうとするその姿……

 

 あぁ、堪らなイ。そんな目で見られたら、わたシ、本当に我慢できないよリュイスちゃン。

 もう、いいよネ? いいよネ? あのかわいい顔を、綺麗な身体を、押し倒して、引き裂いて、美味しくいただいちゃっても――

 

 ――……い、わけ……――

 

 ――ン……?

 

「――――…………いいわけ、ないでしょうがぁあああああああ――!!」

 

「……!?」

 

 本能に盛大に呑まれてる場合じゃないでしょわたし!

 胸中で理性を叱咤し、彼女に突き立てられようとしていた自分の左腕に、振り上げた右膝を思い切り叩き込む!

 

 ガイン――!

 

 鈍い音と衝撃が、〈クルィーク〉を通して左手に伝わる。

 しかし無理な態勢だったせいか、わずかしか逸らすことができない。鉤爪はそのまま彼女を引き裂こうと迫り――

 

 ガシュっ!

 

 ――その頭上を掠め、背後の木に突き刺さる。

 

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」

 

 茫然とこちらを見上げる彼女に、わたしは荒い息をつきながら精一杯の笑顔を振り絞る。

 

「怖い思いさせて、ごめんね。リュイスちゃん……」

 

「アレニエ、さん……」

 

「もう少し一緒にいたかったけど……ここまで、だね。今のうちに、逃げて」

 

「え……あ……」

 

「今度こそ、ちゃんと逃げて……ちょっと、すぐには戻れなさそう、だから……それで、できれば、わたしのことは秘密にしてくれると、嬉しい、かな……」

 

「……でも、そうしたらアレニエさんは……」

 

 こんな時でもわたしの心配をする彼女に、こんな時だからこそ笑みがこぼれてしまう。

 

「わたしは、大丈夫……しばらくすれば、治まる、はずだから」

 

 少なくとも、以前使った時はある程度発散させれば戻れていた。ただ……

 解放する機会自体少ない(というより、なるべく使わないようにしていた)ので、こうして久しぶりに表に出した状態からちゃんと戻れるのか、正直に言えば、分からなかった。

 

 ……本当はこうやって抑え込むより、目撃した彼女の口を封じてしまうべきなのかもしれない。イフの時にそうした(結果、口は封じられなかったが)ように。わたしの生活を、わたしの命を守るためには、それが最も確実な手段だ。

 

 だけど、そうしたくない。殺したくないと、そう思ってしまった。それが、わたしの今後を守るより勝ってしまったのだから、もう、しょうがない。

 だから、できるならこのまま逃げてほしい。ここで見たことは黙っていてくれれば嬉しいけど、たとえ誰かに報告されたとしても恨まないと思う。

 

 心残りはとーさんのことと、結局、勇者に会えなかったこと、かな。後者は、わたしという半魔の噂が広まったりすれば、向こうから討伐に来るかもしれないが。

 そんな自虐を頭に過らせたのが原因か、しびれを切らしたのか、左腕が力を強めるのを感じる。

 

「う……あ……リュイス、ちゃん……そろそろ、ほんとに、逃げて……」

 

 いよいよもって抑えつけるのが難しくなってきた。このままじゃ、本当にリュイスちゃんをこの手にかけてしまうかもしれない。

 

 しかし、当の彼女からは一向に逃げる気配が見受けられない。唇を引き結び、地面に置いた手を固く握り、こちらを見据えている。

 やがて彼女は両手を前方に掲げ、祈りを唱え、叫ぶ。

 

「《……封の章、第二節。縛鎖の光条……セイクリッドチェーン!》」

 

 彼女の声に応じ、宙空から現れた光の鎖がわたしの体を絡め取り、両腕を頭上に持ち上げた状態で拘束する。

 

「……え、と……リュイスちゃん? なにしてるの?」

 

 こんな状況で緊縛プレイはおねーさん困っちゃうな。

 

 しかしそれには応えず、彼女はその場を動かぬまま、再び祈り始める。どうも、逃げる時間を稼ぐため、ではなさそうだ。

 

「(……もしかして、自分の手で始末をつけようとしてる、とか?)」

 

 わたしの正体を知っても、すぐにそういう決断をする子じゃないと思ってたんだけど……

 

 とはいえ、未知の状況に放り込まれた際に心がどんな反応を見せるか、理想の通りに動けるかなんて、実際にその状況に直面しない限りは、簡単に推し量れないものだろう。彼女自身、以前言っていたじゃないか。その時になってみないと分からないと。

 

 それに、咄嗟に切った舵がそっちだとしても……それはそれで、仕方ないとも思う。彼女にしてみれば酷い裏切りだろうし、なにより……ついさっき、殺しかけてしまったばかりなのだ。

 

「(……やっぱり、嫌われちゃったかな。半魔は怖い、かな。怖いよね)」

 

 今みたいな状況は、これが初めてというわけじゃない。

 でも、正体を誰かに知られるのは、いまだに怖い。

 恐怖、嫌悪、憎悪、侮蔑……負の感情が混じり合ったような、あの視線。あれを向けられることを、わたしは今でも恐れていた。

 

 リュイスちゃんにも、もしかしたらあの目で見られているかもしれない……そう思うと、彼女の顔をまともに見られない。

 

 そうして弱気を見せる心の隙を見逃さず、左腕が鎖を引き千切ろうと、さらに勢いを増すのを感じる。拘束から解き放たれれば、今度こそ彼女の身を喰らうべく、その牙を突き立てるだろう。

 

 そして、少なくともそうなる前には、リュイスちゃんの法術も完成する。

 成功すればわたしが死に、失敗すれば彼女が死ぬ。殺人も厭わず生きてきたわたしは、おそらく『橋』を渡れずアスティマの元へ。悔恨を抱え、それでも曲がらず生きてきた彼女はアスタリアの元に迎えられる。どちらにしろ……ここで、さよならだ。

 

「(……最後がこんな形でごめんね、リュイスちゃん――)」

 

「《……の章……節…………………――……!》」

 

 再び意識が赤く染まり、理性が呑み込まれていく。

 かすかに聞こえる少女の叫びを境に、わたしの意識はそこで途絶えた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回想1 平穏と崩壊

「――勇者は無事にみんなの元に帰り、大層感謝されました。そして一緒に国を創り、最初の王様になった勇者は、その後も人々を見守りながら平和に暮らしたのでした――」

 

 幼いわたしの耳に、いつものように絵本を読み聞かせてくれるかーさんの声が聞こえる。

 わたしと同じくあちこちが跳ねた癖毛に、けれどわたしとは違う緋色の長髪。絵本に向けた穏やかな瞳は、髪と同じ緋色に輝いている。

 

 これは多分、死ぬ前にわたしが見ている夢。わたしが〈剣帝〉に拾われる何年も前の、かーさんと二人で暮らしていた頃の記憶だ。

 ……って、ずいぶん昔を思い出してるなぁ、わたし。

 

 

  ――――

 

 

 リメース・リエス。

 ルスト・フェル・ゼルトナー。

 それが、わたしの両親の名前だった。

 

 リメース――かーさんは、魔具を作成する魔族の職人。その手が生み出す魔具は、人間はもちろん、ドワーフなどが造る物よりも高い品質で、他の魔族はもちろん、実際に被害に遭う人間たちにも噂が広がっていた。

 

 噂を聞きつけた一人が、ルスト――わたしの本当のとーさん。魔具の入手を目的に、魔物領に単身潜入した人間だった(なんか当時はトレジャーハンターとか名乗ってたらしい)。

 

 しかし、他の魔族に侵入の痕跡を発見・追跡されたとーさんは、逃走の末、求めていた当の職人の工房に、そうとは知らず身を隠す。

 工房にはもちろん工房主、つまりかーさんがいた。内と外を魔族に挟まれ、進退窮まったとーさんは、それでも最後まで足掻こうと、目の前の女魔族に刃を向けた――

 

 

  ――――

 

 

 かーさんは、生まれつき『本能が極めて薄い』という、変わり者の魔族だった。

 同族間に居場所を見い出せず、領土の僻地で一人、気まぐれに魔具を造るだけの日々を送っていたという。

 

 だからだろうか。自宅に侵入し、今まさに襲い掛からんとしていたとーさんを見ても、かーさんは敵意一つ抱かず歓迎し、むしろ追っ手から匿った。

 

 退屈だった日常の中に突如、それまでは話で聞いたことしかなかった〝人間〟が現れた。かーさんの胸に溢れたのは、希薄だったはずの魔族の本能……などではなく、抑えがたい知的好奇心だった。

 

 生態、思想、社会、文化等々。思いついた疑問を欲求の赴くままとーさんに尋ね、隅々まで調べたと、かーさんは楽しそうに語っていた。今思うと意味深だ。

 

 ちなみに『リエス』という姓は、とーさんの名を聞いたかーさんが興味を持ち、二人で相談してつけたものだそうだ。

 

(――「ルストフェルゼルトナ? 長い名前だねー」

 

 ――「違う。名前はルストだ」

 

 ――「? じゃあ、後ろのはなに?」)

 

 魔族は基本的に名前だけで、姓という概念がないらしい。

 

 とーさんのほうも、人間に敵意を抱かない奇妙な魔族と争う気になれず、助けられた恩も無視できず、なし崩し的にかーさんと行動を共にするようになり、その末に結婚した。

 

 と言ってもとーさんは、わたしが物心つく前に、かーさんと――つまり魔族と通じてたとかいう理由で、同族であるはずの人間に罪人として処刑されたらしいが。

 

 だからわたしは、本当のとーさんについてほとんどなにも知らない。知っているのはかーさんから聞いた話と、わたしの髪と瞳の色がとーさん譲りということくらいだ。

 

 その後わたしたちは、とーさんの故郷の村、その外れに建てられた小さな小屋(もしもの時は頼るようにと準備してくれていたらしい)に居を移し、二人で生活していた。

 

 

  ――――

 

 

 ――わぁぁ……すごいねぇ、ゆうしゃ。

 

「ふふ。アレニエは本当にこの話が好きだよね。もう何回読んだか分かんないよ」

 

 ――うん! だってすごいもん、ゆうしゃ。わたしも、おっきくなったらゆうしゃになりたい!

 

「あー、それ無理なんだよね」

 

 ――えぇ! なんで!?

 

「だって、アレニエは半分魔族だもの。魔族は、勇者になれないよ」

 

 ――そんなぁ……ダメなの?

 

「うん、ダメ。それに勇者になったら、下手したらわたしのことも倒さなきゃいけなくなるよ?」

 

 ――なんで……? かーさん、なにもわるいことしてないよ?

 

「そうだけど、そういうものなの。わたしとルストはどっちも変わり者だったから良かったけど、魔族と人間は普通仲良くなれないからね。……それでも、なりたい?」

 

 ――…………かーさんをいじめるくらいなら、ならなくていい……

 

「……~~~~あぁ、もう! アレニエは可愛いなぁ!」

 

 この後、揉みくちゃにされてキスされまくった。

 

 かーさんはとーさんと結婚するまで、口づけという行為を知らなかった。姓と同じく、魔族にはそういう文化がなかったらしい。

 だから恋仲になった当時、今まさに自分に口づけようとしていた相手にかーさんは、あろうことか正面から疑問をぶつけた。

 

(――「なんで口と口をつけるの?」

 

 ――「…………~~てめぇに〝好きだ〟って分からせるためだこの野郎!」)

 

 顔を真っ赤にしながらとーさんが教えたそれを(そして恥ずかしがるとーさんの姿を)、かーさんはいたく気に入ったらしく、わたしに対しても事あるごとにしてくれる。

 後に、村の友達のユーニちゃんに、「普通は大人の男女でするもの」と言われて驚いた覚えがあるが。

 

 けれど、いつもそうやって好きを伝えてくれるかーさんが、わたしは大好きだった。

 狭い村の、さらに外れで、人目を避けながら暮らしていても、この頃のわたしは、確かに幸せだった。

 

 

  ***

 

 

「――……そんなに、泣かないで、アレニエ……わたし、これでも十分、楽しかったんだから……」

 

 これは…………かーさんが、死んだ日の記憶だ。

 

 魔族でありながら敵対する人間と添い遂げ、失踪したかーさんは、同じ魔族から恥知らずの裏切り者として追われていた。

 かーさんの造る魔具が人間側に流出するという危惧も、執拗に狙われる要因だったのだろう。

 そしてとうとう、追っ手に発見された。

 

 例のアスタリアの結界からは離れた土地だったのか(幼少時のわたしは、住んでいたのが地図上のどのあたりなのかも知らなかった)。あるいは、穢れの少ない魔族ばかりだったのか。

 追っ手は結界に反発されることなく人間の領土に侵入し、わたしたちの住み処を襲った。

 

 彼らにとっては唾棄すべき人間混じり。しかも戦う力もないわたしは、真っ先に標的にされたが……

(魔族としては)力の弱いかーさんは、それでも自身で造り出した魔具を駆使し、わたしを護りながら、追っ手を全滅させた。

 ――かーさんの命と、引き換えに。

 

 

  ――――

 

 

「……ずっと、ずっと、つまらないまま生きてきたわたしが、ルストに会って、人間のこと勉強して、結婚して、アレニエみたいな可愛い子供まで生まれて……しかも最期に、そのアレニエを護って、死ねるんだから。……すごく、すごく、楽しかった。ルストが言ってた〝幸せ〟って、こういう感じ、なのかな……」

 

 ――かー、さん……やだ、よ……しなない、で……

 

「……あー、でも……アレニエはこれから、もっと、もっと、成長するんだよね。それを見れないのは、ちょっと、残念、かな……」

 

 ――そう、そうだよ……わたし、もっと……これから、おっきく……だから……

 

「……これから、アレニエ一人で生きていくのは、大変、だと思う。多分、魔族も、人間も、半魔のアレニエを助けて、くれない……でも、アレニエには、〈クルィーク〉がついてる。それに中には、わたしやルストみたいな、変わり者、はみ出し者も、いるかもしれない……」

 

 ――かー……さん…………

 

「アレニエが、そんな誰かに出会えることを、願ってる。……笑って生きていけることを、願ってる」

 

 

  ***

 

 

 埋葬(かーさんや追っ手の穢れは〈クルィーク〉が食べてくれた)を済ませ、護身用の短剣だけ持ち出したわたしは、村に助けを求めた。一人では、どう生きていけばいいのかも分からなかった。

 

 この手で土に埋めても、まだかーさんが死んだことを呑み込めなかった。地に足のつかぬまま、それでもなんとか歩を進め、ようやく村に辿り着く。けれど……

 

 そこでわたしに向けられたものは、恐怖、嫌悪、侮蔑、憎悪……様々な負の感情が混濁した住人たちの冷たい視線と、拒絶の言葉だけだった。

 

 村の誰かが、かーさんと追っ手の戦いを目撃していたらしい。

 かーさんが魔族であること、そして娘のわたしが半魔であることまで、すでに村中に知れ渡っていた。

 

 ……その目が、怖かった。

 浴びせられる視線に身がすくんだ。

 気持ち悪さに吐き気を催した。

 

 そしてわたしは、自身に突き刺さる視線の雨の中に、つい先日にも遊んだばかりの友達が混じっているのを、見つけてしまう。

 

 ――……! ユーニちゃん……!

 

(びくっ……)

 

 ――ユーニ、ちゃん……?

 

「…………」

 

 ――……なん、で……なんで、ユーニちゃんまで、わたしをそんな目で見るの……? ……!

 

 わたしは耐えきれなくなり、そのまま村を飛び出した。

 

 ……今思えば、仕方がなかったのかもしれない。

 おそらく彼女は周囲の大人に、わたしが穢らわしい半魔だと、もう関わらないようにと、厳しく言い含められたのだろう。

 幼い彼女が混乱し、怯えた瞳を向けてきたこと。それを責めるのは、筋違いかもしれない。

 けれどその頃のわたしにとって、彼女からの拒絶は…………端的に言えば、絶望、だった。

 

 同時に、思い知らされた。

 この世界で半魔として生きることの現実。かーさんの危惧を。

 

 たとえどれだけ表面を取り繕っても、一度でも正体を知られてしまえば、途端にあの目を向けられる。

 魔族はもちろん、人間にも隠さなきゃいけない。

 誰も信用できない。誰にも心を許せない。

 

 

  ***

 

 

 なんの知識も技術も持たず一人で生き延びられたのは、左手の篭手、〈クルィーク〉のおかげだった。

 半身から湧き出す穢れを常に食べ、それを体力や治癒力に換えてくれるため、少ない食事でも動き回ることができ、傷の治りは早く、病気に(かか)ることもなかった。

 

 彷徨い、村から離れた森に辿りついたわたしは、そこで生活を始めた。草や木の実を食べ、獣を狩り、木の洞で夜露をしのいだ。

 始めの頃は獣や魔物を警戒して眠ることもできなかったが、少しづつ、周囲に気を配りながら浅い眠りにつけるようになり、そのうちに、眠りながらでも反射的に体が動くようになった。この癖は今でも続いている。

 

 森での生活に慣れ、徐々に行動範囲を広げたわたしは、街道に足を延ばし、道行く旅人から持ち物を奪うことを覚えた。特に馬車は実入りが良かった。

 

 どうせみんな、わたしを助けてくれない。

 頼んだって、譲ってもらえない。

 ――なら、力ずくで奪うしかない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回想2 勇者遭遇

 その日もわたしは、訪れた旅人の一団に襲い掛かろうとしていた。

 

 現れたのは、わたしの略奪行為が近隣に知れ渡ったため解決に乗り出した冒険者たちで……それが、よりにもよって勇者と、その守護者たちだった。

 当然、今まで襲ってきた相手とはわけが違う。容易に荷を奪わせないのはもちろん、全員が全員、わたしでは勝ち目のない実力者揃いだった。

 

 追い詰められ、〈クルィーク〉を起こし、半魔の姿を露わにしたわたしは……憧れていた勇者が突如激昂し、豹変する様を目の当たりにした。

 

「お前……お前はっ! 魔族かっっっ!!」

 

 正確には半魔だが、我を忘れた男にそんな区別がつくはずもない。

 それまでわたしが子供だからか躊躇していた勇者は、別人と見紛うほどに様相を変え、明確な殺意と共にこちらに襲いかかってきた。

 

 

  ――――

 

 

 先代の勇者は、住んでいた村を、家族を、全て魔物に奪われた青年だった。

 憎しみを糧に己を鍛えた彼は、神剣に選ばれ、勇者となる。

 そして誓った。――魔に連なるものを、全て滅ぼし尽くすと。

 

 彼が魔王の居城へ向かう進路に『戦場』を選んだのも、そこが、最も多くの魔物を屠れる処刑場だったからだ。

 見渡す限りに憎しみの的が立ち並ぶ光景は、彼にとってどのように見えていただろう。

 わたしを殺すために全力で剣を振るいながら浮かべる憤怒の形相は、あるいはそこで見せていたものと同じだったのかもしれない。

 

 それは、わたしの幼い憧れを粉々にするのに、十分すぎる恐怖だった。

 心のどこかで、「本物の勇者なら、こんなわたしでも助けてくれるのではないか」。そんな風に思っていたのかもしれない。

 けれど、絵本の勇者は、どこにもいなかった。

 いたのはわたしを――半魔を殺そうと神の剣を振りかざす、復讐に狂った一人の青年だけだった。

 

 

  ***

 

 

 目を覚まし、真っ先に視界に入ったのは焚き火の明るさと、それに追いやられた夜の暗さ。

 パチパチと音を鳴らして爆ぜる火をぼんやり眺め、やがてその向こうに誰かが座り込んでいるのに気が付く。

 その姿は、気を失う前にも目にしていた。

 剣士だ。勇者の仲間だったはずの――

 

 ――……どうして、助けてくれたの……?

 

「……オレは、子供は斬れん」

 

 ――……

 

「……」

 

 ――…………それだけ?

 

 後のとーさん――〈剣帝〉が口下手なのは、この頃から変わらなかった。

 彼はわたしを勇者の凶刃から庇い、その後、仲間たちと袂を分かったという。

 

 

  ――――

 

 

〈剣帝〉アイン・ウィスタリアは、『戦場』近くに建つウィスタリア孤児院に生まれ育った、戦災孤児だった。

 

 彼が初めて剣を握ったのは幼少の頃。孤児院が野盗に襲われた際、自分より幼い子供たちを守るため剣を取り……そして、からくも撃退してみせた。

 偶然が重なった結果だと本人は言うが、ともかくもそれ以降、彼は独力で剣術を模索し始める。

 

 孤児院を卒業し、独り立ちしてからも、彼は剣の腕を磨き続けた。

 やがて〈剣帝〉という二つ名で呼ばれるまでになり、守護者に選ばれてもなお、彼はただ強さだけを求めた。手段だったものが、いつしか目的になっていた。

 

 けれど先刻、目の前でわたしが――〝子供〟が斬られそうになった時。

 自分がどうして剣を握り、なんのために腕を磨き続けてきたのか。それを、思い出したらしい。

 

 

  ――――

 

 

〈剣帝〉は、わたしが半魔であると知ったうえで保護を申し出てきた。彼にとっては種族云々より、目の前の子供を放っておけないことのほうが重要だったらしい。

 戸惑い、警戒しながらも共に生活を始めたわたしは、そのまま彼に引き取られ、養子となった。

 

 ちなみに、初めてあの人――クラルテ・ウィスタリアに会ったのもこの時だったが、わたしが目を覚ます頃には既にこの場を去っていたため、当時は勇者の横にいた暴力神官という認識しかなかった。閑話休題。

 

 

  ***

 

 

 引き取られたわたしは、彼に剣の教えを請うた。

 当時は〈剣帝〉云々の噂は知らなかったが、その腕が卓越しているのは子供のわたしでも容易に見て取れた。

 

 彼は始め、「他人に教えた経験がない」と難色を示したが、こちらの執拗な訴えに最後には渋々折れてくれた。

 

〈剣帝〉から直接指導を受けるという、今考えれば世の剣士から妬まれておかしくない環境だったが……当事者のわたしたちは、正直お互いそれどころじゃなかった。

 

 なにしろ、教える側も教わる側も初めてで、加減が全然分からない。

 得物は木剣だったが、それ以外はほとんど実戦と変わらない稽古に、何度死にかけたか憶えていない。

 そしてその度に〈クルィーク〉の治癒力が、通常あり得ない早さでわたしの傷を癒していく。

 

 ついては消える傷を見ながら、稽古ってこういうものなんだな、と、まだ幼いわたしは漠然と納得していた。そうじゃないと気づいたのは、街の剣術道場をたまたま覗き見た時だったが。

 日々繰り返される生死の往復は、おそらく通常よりずっと短い期間で、わたしに戦う力を与えてくれた。

 

 

  ***

 

 

 とーさんとの生活にも少し慣れた頃、「なぜ、そこまでする?」と、稽古後、唐突に問いかけられた。

 今と変わらず、色々足りていないその言葉を汲み取ると――

 

 わたしが毎日ボロボロになりながら稽古を続ける動機(ボロボロにしている本人に聞かれるのは納得いかなかったが)。

 そうまでして生きたい理由。

 身につけた力をこれから何に活かすのか。

 そういった諸々を聞こうと……まあ、要は心配してくれていたらしい。

 

 ……わたしは、その問いにすぐには返答できなかった。そして、気が付いた。

 わたしが生きるために必死だったのは、かーさんに護られた命を無駄にしたくないから。かーさんに生きてほしいと望まれたからであって、わたし自身に理由がないことに。

 

 死ぬ思いで稽古を繰り返すのは、また一人になったとしても生き延びられるように。目的、目標は生きることそのもので、それ以外はなにもないのだと。

 

 あるいはあの勇者のように、復讐に狂う道もあったのかもしれない。そのほうが、ある意味ではずっと楽だっただろう。

 人間は、わたしの本当のとーさんの。魔族は、かーさんの仇だ。それだけで理由は十分だし、どちらがどうなろうと知ったことじゃない。

 

 けれど、かーさんの直接の仇は、かーさん自身が道連れにしてしまった。とーさんの仇は、どこの誰かも全く知らない。

 そもそも、当事者以外は無関係だ。手当たり次第に八つ当たりしてもしょうがないし、きりがない。少なくともそう判断する程度には、わたしは狂えていなかった。

 

 問いに答えられず、その場で困り果てたわたしだったが、問いかけた本人も(見た目には現れなくとも)困っていた。子供心に罪悪感を覚えた。

 

 なんでもいい。とりあえずでいい。目標をわたしの中から探そう。さしあたっては「生きる」以外の目的を。かーさん、あの時他にもなにか言ってなかったっけ……?

 

 ――「アレニエが、そんな誰かに出会えることを、願ってる。……笑って生きていけることを、願ってる」――……

 

 今はまだ一人だけだけど、かーさんが望む〝誰か〟には出会えた。

 半魔だと知ったうえで養子に迎えてくれる……そんな変わり者に助けられて、わたしは今も生きている。そして、その助けがなくなったとしても生き抜けるよう、こうして鍛錬もしている。なら、あとは――

 

「(そういえば……あれから、全然笑ってない……)」

 

 一人になってからの日々はもちろん、とーさんに拾われてからも歯を食いしばってばかりの毎日。もう、どんな顔で笑っていたかも忘れてしまった。

 だから、当面の目標は決まった。とーさんにそれを伝えると、まだ少し心配そうにしていたものの、黙って頭を撫でてくれた。

 

 わたしは笑顔の仮面を被る。

 

 初めはぎこちなくてもいい。剣と同じように練習すればいい。

 笑顔は相手の警戒心を和らげると聞いたこともある。人間に混じって暮らすのにも役立ってくれるだろう。表面上でも演じられれば少なくとも、あの目で見られることはないはずだ。

 

 とーさん以外を信用するのはまだ無理だが、もしかすれば、いずれ同じような変わり者に、わたしのようなはみ出し者に、出会う機会もあるかもしれない。あるいはわたし自身に、また別の目標が見つかるかもしれない。

 それを続けていけばいつか、自然に笑える時を――かーさんが最後に望んだように、心の底から笑って生きていける明日を、迎えることも……

 

 そうしてわたしが、剣と共に笑顔も練習し始めてしばらく経った頃――……あの勇者が、魔物の領土から帰還し、それから間もなく命を落としたと、噂で知った。

 

 

  ***

 

 

 今回、神剣と魔王の眠りが十年という短い期間だった理由は、単純だ。

 先代の勇者は、失敗したのだ。

 いや、より正確に言えば不十分だったのだろう。

 

 

 彼は生まれつき膨大な魔力を有し、神の加護による無尽蔵の体力を備え、鍛錬により剣技をも磨き抜いた、当代最高の英雄だった。

 しかし強さに驕らず、誰とでも分け隔てなく接し、苦しむ人々をその身を削って救う義心にも溢れていたという。

 

 とーさん――〈剣帝〉にとっても、鉄面皮で口下手な自分にも気さくに接し、剣の腕でも切磋琢磨し合える、親友と呼べる間柄だったらしい。

 

 当時、神剣を握るに相応しい者は、彼をおいて他に居なかった。理想的な使い手だった。

 ――ただ一点、魔物に対する過剰な憎悪を除いて。

 そして、その一点が致命的だった。

 

 なぜなら、神剣の力を最も引き出せるのは、それを生み出した最善の女神に属する心、善思の持ち主であり……

 憎悪は、女神とは対極の最悪の邪神に属する、悪思なのだから。

 

 

 あるいは〈剣帝〉が隣にいれば、また違った結末だったかもしれない。

『戦場』を正面から踏破し、魔王が待ち受ける居城にたどり着くまでに、勇者は無数の魔物、魔族と戦い続けた。無傷で辿り着くなど到底できなかったはずだ。

 戦力的に、そして精神的にも、〈剣帝〉の抜けた穴は大きかった。

 

 友との別れ。肉体の酷使。それでも憎しみを支えに振るい続けられた神の剣は、けれどもその真価を発揮できず。

 魔王を一時的にでも死に至らしめるはずの切っ先は……その命に、届き切らなかった。

 

 不完全な魔王の討伐が、本来の十分の一の年月で、世界に新たな戦を引き起こした要因だった。

 共に討伐に赴いたクラルテ・ウィスタリアは帰還後、名を変え下層に隠れ住んでいた〈剣帝〉を執念で探し出し、それらの経緯を語った。勇者を支え切れなかったのは自分たちの責任だとも悔いていた。

 

 それも、彼女の本心ではあるかもしれない。

 けれど、もう一つの思いも消せなかったはずだ。

 勇者の死の原因、少なくともその一端は、世間で噂されている通り職務を放棄した〈剣帝〉に…………ではなく、そのきっかけになった、わたしにある、と。

 

 あの時わたしに出会わなければ、〈剣帝〉は居なくならなかったかもしれない。

 魔王を討ち損じ、たったの十年でその眠りが覚めることもなかったかもしれない。勇者が命を落とさずに済んだかもしれない。

 孤児院で幼い頃から共に過ごしてきた彼女と別れることも……

 

 同時に、それらをわたしだけのせいにするのも、彼女は否定している。幼い子供に全ての責を負わせるのは間違っている、と。

 だから彼女がわたしを見る目は、いつも複雑な心境が滲み出たものになっていた。隠すのも下手なので、子供のわたしから見ても明白だった。

 

 

  ――――

 

 

 実際、現状の責の全てをわたしに求められても困る。わたしは生きるため必死だっただけだし、今さらわたし一人が何をどうしたところで、何も変えられやしない。

 あるいは死で償えと? 絶対にお断りだ。かーさんととーさんに救われた命を、そんな理由で無駄にするなんて。

 

 そもそも人類や魔族が、延いては世界がどうなろうが、わたしの知ったことじゃない。積極的に復讐する気はなくとも、だから同族意識が芽生えるというわけでもないのだ。どうなろうと構うものか。

 

 ……ただ……

 

 全く気にならない、というのも、おそらく嘘になってしまうのだろう。

 胸の奥に少し、ほんの少しだけ、棘のように刺さったまま……結局、自分で思うほどには、割り切れていなかったのかもしれない。

 

 

  ***

 

 

 別に、責任を取るために今回の依頼を受けたわけじゃない。引き受けた理由は、以前リュイスちゃんに語った通り、勇者――当代の勇者だ。

 

 先代の勇者は、わたしにとってはただの恐怖の象徴だった。

 なら、今回の勇者は?

 どんな外見で、どんな性格で、どんな思いで旅をしている?

 なにに喜び、なにに怒り、なんのために神剣を握る?

 先代のように、魔物と見れば躊躇なく斬り捨てる殺戮者だろうか?

 わたしのように穢れた血を引く存在には、やはりその切っ先を向けてくるだろうか?

 あの絵本に描かれたような勇者は……現実には、どこにもいないのだろうか?

 

 どうやって確かめるかなんて、なにも考えていなかった。

 とにかく実際に会って、その人となりを知りたかった。

 結局それは叶わないままリュイスちゃんの依頼は終わり……彼女との旅も終わった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

53節 気持ちの伝え方

 夢の終わりを感じた。

 目を閉じたままなのにそれが分かったのはなぜか、自分でもよく分からない。

 そもそも夢だったのだろうか。どちらかといえば、死ぬ直前に見ると噂のあれだった気もする。

 

 十年も人間のフリをして暮らしてきたけど、結局わたしは誰をも信用できず、あの目を向けられることも恐れ続けていた。

 

「外見より内面を見ろ」なんて言葉も聞くけど、わたしにとっては人間の内面こそ信用できない。とーさん以外は、みんな一緒だ。

 だったらせめて、外見だけでも好みの相手を選びたい。それで中身も良ければなお良い。そこに、男女の別もない。

 

 リュイスちゃんには「どっちもいける」などと嘯いたが、なんのことはない。わたしは、わたしを全て受け入れてくれる相手なら、それが男女どちらだろうと構わないだけなのだ。

 

 我ながら、ろくでもない基準の人付き合い。

 それでも時々、もしかして、と思う相手に出会うこともある。リュイスちゃんは、今までで一番そう思える子だった。

 

 好みの容姿に、好感の持てる人柄。

 境遇には共感を覚えたし、同じような傷も抱えていた。

 なにより彼女は、「魔物も生きている」というわたしの戯言に、迷う素振りを見せてくれた。魔物を憎むべき神官でありながら。

 

 いつになく期待した。

 もしかしたら、全てを打ち明けたうえでなお、彼女なら受け入れてくれるのではないか、と。

 

「(まぁ、それもこれも、全部終わっちゃったんだけどね……)」

 

 正体を知られた以上、もう彼女に会う機会はないだろう。わたしの始末に成功したにしろ、失敗したにしろ。

 

 ん? というかわたし、今こうやって考える意識はあるみたいだけど……どういう状態?

 そういえばさっき夢を見てたよね。じゃあ、生きてる? それとも、死んだあとでも夢って見れるのかな。

 

 疑問がきっかけになったように、ふわりと、浮き上がっていくような感覚に包まれる。

 そして――

 

 

  ***

 

 

 最初に感じたのは、音。風に揺られる樹々の音が、静かに耳に入り込んでくる。

 それから、匂い。土や草の匂いに混じって、花のような甘い香りと、少しの汗の匂い。

 まぶた越しではあるけど、わずかに光も感じる。まだ明るい時間らしい。

 

 体の感覚もある。手足は動きそうだし、他の部分にも(おそらく)異常はない。少し、背中側がひんやりする。

 けれどそれは首から下だけで、頭部はなにか柔らかく、温かいものに乗せられていた。とても心地いい感触。

 なんだろう、これ。ポン、ポン、と、手で触って確かめてみる。

 

「んっ……」

 

 なにかを押し殺すような声が聞こえた。すごく聞き覚えのある声。具体的には意識を失う直前まで聞いていたような。

 

 確かめるために目を開きかけると、閉じていた視界いっぱいに光が入ってくる。

 しばらく、眩しさに目を細める。それが収まって見えてきたのは……逆さまにわたしを見下ろす、リュイスちゃんの笑顔だった。

 

「おはようございます、アレニエさん」

 

「リュイス……ちゃん?」

 

「はい」

 

 寝起きで不意に合った瞳に浮かぶのは、恐れていたあの目……ではなかった。彼女は今までと変わらない優しい眼差しでこちらを見下ろし、静かに微笑んでいる。

 

 わたしは地面に仰向けに寝かされていた。ひんやりするのはそのせいらしい。

 でも、頭の周りはほんのりと温かいし柔らかい。もっかい触ってみる。むにむに。

 

「あの……それ、私の足で……くすぐったいです……」

 

 あ、これリュイスちゃんの足なんだ。むにむに。

 眼前には逆さまのリュイスちゃん。そして後頭部の柔らかい感触は彼女の太もも。つまりこれは……

 

「(リュイスちゃんの、膝枕……?)」

 

 膝枕なんて話に聞いたことがあるだけで、かーさんにもやってもらったことないよ。そもそもかーさん膝枕知らなかったと思うけど。

 そっか、膝枕か。じゃあこのほんのり香る匂いもリュイスちゃんのか。道理でいい匂い……じゃなくて。

 

「……どう、して?」

 

 どうしてまだここにいるのか。なぜ逃げなかったのか。

 それを聞いたつもりだったのだけど、彼女は違う意味に捉えたらしい。

 

「アレニエさんの魔力を、一時的に封印しました」

 

 そう言われ、ちらりと左手に視線を遣ると、普段と変わらない篭手の形状――休眠状態の〈クルィーク〉がそこにいた。左半身の魔族化も治まっている。

 

「……どうやって?」

 

 あれだけ興奮していた半身を鎮めるには、解消させる対象か、落ち着く時間か、どちらかが必要だったはずだけど……

 

 周囲や彼女自身の様子を見れば、わたしが意識を失ってからそこまで時間が経ったわけでも、その間に暴れたわけでもなさそうなのが窺える。

 そんなわたしの疑問に、リュイスちゃんが口を開く。

 

「魔将を待ち伏せるために使った法術、憶えてますか?」

 

「え? と……魔力を、沈静化させる、ってやつ?」

 

「はい。先程の〈流視〉で、アレニエさんの体に流れ込む魔力、その元になっている箇所が、左肩と心臓の間くらいにあるのが見えたんです。だから――」

 

 おそらくそれが、わたしの魔力の核というやつなんだろう。

 

 数年ぶりの解放で溢れ出した魔力。〈クルィーク〉は絶えず湧き出すそれを食べ続けてくれたが、今以上変異しないよう対処するのに精一杯で、左腕の魔族化の解除までは手、というか口が回らなかった。

 

 魔力の流れから原因を見て取ったリュイスちゃんは、通常規模の結界では力が足りず抑えきれないと悟り、小さく、狭く、そして凝縮させ、強度を増したものを、原因である核の周囲にだけ張ることで、遮断した。

 

 そうして遮る間に、〈クルィーク〉が左半身の魔力を捕食することで魔族化を解除。あとは普段のように休眠し、核が魔力を発する端から食べ続ける状態に戻した。

 

 ……と、いうことらしい。とりあえずそこまでは分かった。

 分からないのは、わたしの正体を知ったうえ、あんな目に合わされたリュイスちゃんが、まだここにいること。しかも、今までと変わらない瞳で。

 

「……どうして、逃げなかったの?」

 

「どうして、そんなことを聞くんですか?」

 

 彼女はあくまで穏やかに微笑む。

 

「だって、あんな目に合わせたのに……もう少しで、死ぬところだったんだよ?」

 

「私は、生きてますよ。アレニエさんが抑え込んでくれたおかげで」

 

「……あれは、ギリギリで間に合っただけ、だよ。それに……わたし、半魔なんだよ? ずっと、隠してた。だから……」

 

 だから、てっきり嫌われたと……リュイスちゃんにも、あの目で見られると。そう、思っていた。

 なのに、彼女からはそんな気配が全く感じられない。

 

「それを言ったら、私なんて故郷の村を滅ぼしてますよ。隠し事はお互い様ですし」

 

「いや、それはリュイスちゃんのせいじゃ――」

 

「――なら、半魔だからって、アレニエさんが悪いわけじゃ、ないですよね?」

 

 ――……!

 

「さっき襲われたのだって、私が言いつけを破ったからです。アレニエさんは、私を遠ざけようとしてくれていたのに」

 

 なんだろう、なんか……

 

「それに、半魔は確かに疎まれているし、場合によっては危険かもしれませんが……少なくともアレニエさんは、大丈夫です」

 

 なんか、胸のあたりが、きゅーってする……

 

「ここまでの旅路はわずかでしたが、アレニエさんの人となりは把握できたつもりです。貴女は自身を悪人だと自称しますが、理由なく悪事を働きはしないし、身近な人を気遣ってもくれる。なにより、私はあの時、貴女のなんの気ない――だからこそ偽りのない一言に、救われたんです。感謝してもしきれません」

 

 それに、視界が歪んでる……こんなの、もう何年も覚えがなかったのに……

 

「人間でも。半魔でも。例え、魔族だったとしても。私は、アレニエさんのことが好きです。逃げたりしません。だから――」

 

 ああ、こぼれてきた……リュイスちゃんの服が濡れちゃう……

 

「――だから、泣かないでください。アレニエさん」

 

 そう言うと、リュイスちゃんはわたしの目元を優しく拭う。

 

 ――ここで、わたしの理性は職務を放棄したらしい。

 腹筋だけで上体を起こしたわたしは、同時に伸ばした両腕で彼女の頭を抱え込み、そして……口付けた。

 お互いの顔が逆さまのまま、わたしと彼女の唇が重なる。

 

「――? ……っ!? むーっ!? むーっ!?」

 

 リュイスちゃんのくぐもった悲鳴が聞こえる。構わずわたしは彼女を抱きしめ、その悲鳴を抑え込んで、柔らかい唇を堪能する。

 しばらくして。

 

「……ぷはっ」

 

 満足し、彼女を解放する。

 空気を求めて大きく呼吸し、再び彼女の膝枕のお世話になる。体起こしっぱなしでちょっとお腹痛い。

 リュイスちゃんは真っ赤な顔でしばらく荒い息をついた後、すぐに抗議してくる。

 

「ア、ア、ア、アレニエさん……!? ななななにをして……!」

 

「ごめん、我慢できなくて」

 

 嬉しさとか愛おしさとかが溢れすぎてもう気持ちを抑えきれませんでした。さっきまで本能全開だったし、そのせいってことで一つ。

 

「我慢できなくて、って……だだ、だって、私たち、女同士で……!」

 

「え? なにか問題ある?」

 

「あるでしょう!?」

 

「神官は、結構そういう人多いって聞いたけど」

 

「う、あ……それは、その……」

 

 彼女は耳まで真っ赤にして狼狽している。やっぱりかわいい。

 

「そんなに嫌がられると傷つくなぁ」

 

「えっ……い、嫌ってわけじゃ……で、でも、女性同士の関係は、あくまで本分を疎かにしないことが前提であって……」

 

「わたしのこと、好きって言ってくれたのになぁ」

 

「それは……言いました、けど……そっちの意味ではないような、その……」

 

 慌ててはいるが、はっきりと拒絶はしないリュイスちゃん。

 わたしのことを全部知ったうえで受け入れてくれた、二人目のひと。彼女が愛おしくてたまらない。

 

「わたしは好きだよ、リュイスちゃん。普通の意味でも、そっちの意味でも」

 

 だからわたしは言葉にする。彼女と視線を交わらせながら、笑顔で。

 

「…………アレニエさんは、ずるいです……そんな風に言われたら……あんなに、気持ちを伝えられたら……嫌いに、なれないじゃないですか」

 

 リュイスちゃんのその言葉に、わたしは……いつぶりか分からない、心の底からの笑顔を返していた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1章エピローグ 二人の旅

 あれから。

 わたしたちは、森で襲ってきた魔物、イフの部下、それから念のためイフの鎧も含めてリュイスちゃんに法術で焼いてもらい(穢れをそのまま土に埋めるのは大地の女神への冒涜になる)、それぞれに埋葬した。イフの墓に中身はないが、一応遺品だけでも。

 墓標になりそうな石が手近になかったので、代わりに兜を置いといた。

 

〈ローク〉はイフの遺言(?)通り、戦利品として持っていくことにした。かーさんの形見として手元に置いておきたい気持ちもあったし、この機に使える武器を増やしておくのも悪くないと思う。

 

 黄昏の森を後にしてからは、立ち寄ったエスクードの村で馬を返してもらい、元来た道を辿って帰路につく……のは、わたしが橋を壊したから無理なので。南下し、エステリオルの港町の一つ、ベベルの街まで足を延ばした。上手く交易船の出航と重なれば、スムーズに王都に帰れるかもしれない。

 

 港までの道中、野営の場で、わたしの過去はリュイスちゃんに全部話した。もう隠す気もなかったし、むしろ彼女には知っておいてもらいたかった。

 

「……それで、アレニエさんはこの依頼を引き受けてくださったんですね」

 

「まぁ、結局勇者に会う機会はなかったけどね」

 

 その勇者だけど、交易船(ちょうどクラン行きのものがあった)に乗ってクランの街まで辿り着いたところで、妙な噂を聞いた。なんでも、(わたしが壊した例の)橋を渡れず立ち往生していたところで、さらに何事かあったらしく、そこからパルティールの王都まで戻ったというのだ。

 

 わたしとリュイスちゃんは顔を見合わせて互いに疑問を呈する。とはいえ、こんなところで悩んでもいても真相は分からないため、とっとと帰るに限るのだけど。

 

 クランまでくれば、王都までは目と鼻の先だ。

 行きと違い、なんの妨げもなく下層に帰り着いたわたしたちは、真っ先にうちに向かった。扉を開け、来客の鐘を鳴らし、とーさんに無事な顔を見せ――

 

「――リュイスっ!」

 

「え――し、司祭さまっ?」

 

 ――る前に。

 それまで座っていた椅子を立ち上がった勢いで蹴倒し、あの人――私服姿のクラルテ・ウィスタリアが、一目散にリュイスちゃんに駆け寄り、その身を抱きしめていた。

 

「司祭さま、どうしてここに……」

 

「色々ありすぎてアイ……オルフランのやつに愚痴ってたのよ! 貴女の依頼の件だけでも心配だったのに、お勤めやら司教選挙やら勢力争いやらで忙しすぎるし、そのうえあの女が貴女を狙ってたって聞いて……!」

 

「……すみません、ご心配をおかけして……けれど、アレニエさんのおかげで、こうして無事に帰ってこれましたから。……だからその、司祭さま? 少しお力を緩めてくださると……」

 

「本当に、無事で良かった! 良かった……!」

 

「あ、あの、しさい、さま……くる、し…………きゅう」

 

 あ、落ちた。

 

「離してやれ。無事じゃなくなってるぞ」

 

 とーさんのその指摘で、ようやく目の前の少女がぐったりしているのに彼女も気づいたらしい。

 

「え? ……あぁ!? リュイス!? 一体誰がこんなことを!?」

 

「お前だ、酔っ払い」

 

「酔ってないわよ!」

 

 酔ってるなぁ。

 彼女は泣きながらリュイスちゃんをガクガク揺さぶっている。心配で堪らなかったんだろうけど……あの人酔うとめんどくさいんだよなぁ。

 まぁ、向こうは一旦放っておいて……

 

「――ただいま」

 

「……ああ」

 

 改めて、とーさんに無事に帰れたことを伝える。

 とーさんは相変わらず無表情だったけど、わたしの顔を見てわずかに表情が和らいでいた。やっぱり心配してくれてたみたいだ。まぁ、それが済んだらすぐに仕事に戻ってしまったけれど。

 

「やっと帰ってきやがったか、〈黒腕〉」

 

「ん?」

 

 続けて声のしたほうに顔を向けてみれば、普段は見ない顔ぶれがテーブルの一角を陣取っていた。

 

「誰だっけ?」

 

「てめぇ、こないだ会ったばっかだろうが!」

 

「もう忘れたのか鳥頭!」

 

「うそうそ、ちゃんと憶えてるよ。わたしとリュイスちゃんに性的に乱暴しようとしてた野盗の皆さんでしょ?」

 

「その呼び方はやめろ……!」

 

「人聞き悪ぃだろ……!」

 

 周りの目を気にしてか、気持ち声を潜めつつ抗議してくる例の襲撃者の皆さん。人聞き悪いことした自覚はあったんだ。

 そんな風に仲間がギャーギャー騒ぎ立てる中、気にせず酒杯を傾けているのが二人。意外にも、一番激昂してきそうなあのなんとかくん――ジャイールとか言っただろうか――と、こちらは意外でもなんでもない、フードの彼だった。

 

「どうやら、無事に依頼は達成できたようだな」

 

「まぁ、なんとかね。ちょっと死ぬかと思ったけど」

 

「ほう? 君がそう言う程の手練れがいたと?」

 

「手練れ……うん、そうだね。かなり手強くて面倒なのが、ね」

 

 思い出してちょっと頭が痛くなる。もう一回やり合うのは遠慮したいなぁ。

 

「お前がそうまで言う相手なら、オレも手合わせしてみたかったがな。ヤっちまったのか?」

 

「あー……うん。もう首落としちゃった」

 

「そいつは残念だ」

 

 相変わらず血の気の多い大男の彼に苦笑しながら、言葉を返す。

 嘘はついてない。確かに首は落とした。それでもまた後日来るらしいのが問題なんだけど。

 

「そういえば、そっちはそっちで色々あったんだって? なんかパルティールに魔族が出たなんて噂も聞いたけど」

 

「そうだ聞いてくれよ〈黒腕〉! お前の依頼受けて街に行ったらよぉ!」

 

「魔物が衛兵で!」

 

「魔族が領主だったんだ!」

 

「なに言ってるの、このひとたち」

 

 なんだか要領を得ない彼らの言は置いておき、一番話の通じそうなフードの男に視線を向ける。

 

「実際、こちらも色々とあったのさ。いや、簡潔に語るなら、今言った通りのことでしかないんだが……さらにそこに勇者まで現れてな。オレとジャイールは面白そうだからと顔を拝みに行ったんだが」

 

 聞き捨てならない台詞に、わたしは反射的になんとかくんに尋ねていた。

 

「勇者に……会えたの?」

 

「ああ。なかなか面白いやつだったぜ」

 

「……そう……」

 

 どう面白かったのか、ここで根掘り葉掘り聞くこともできた。が、やはり自身の目で確かめなければ納得は得られまいと、そこで口を噤む。

 

「さて。それよりそろそろ報酬を頂きたいところなのだがな、アレニエ嬢」

 

「ん? あぁ、そうだね。ちゃんと足止めしてくれたみたいだし、わたしたちも無事に帰れたしね。……とーさーん。このひとたちに、わたしの報酬から分けてあげて――……」

 

「「「……ひゃっほぉぉぉう!」」」

 

 そうして報酬を受け取った彼らはその場で宴会を始め、うちの売り上げに貢献してくれる。

 無事に目を覚ましたリュイスちゃんとわたしも、依頼を無事に終えられた記念ということで便乗し、その宴会に参加する。

 

 普段あんまり飲まないけど、こういう時にたまに飲むのは好き。あまり酔う体質じゃない(これもクルィークの影響かもしれない)ので、雰囲気を楽しむ程度だけど。

 

 加えて、一緒に呑んでいたリュイスちゃんも、少し飲んだらもう酔いが回って眠ってしまったので、わたしは彼女を連れて早々に宴を離れることにした。

 

 

  ――――

 

 

 酔いつぶれた彼女をわたしの部屋まで運び、初めて会った時と同じようにベッドに寝かせる。

 あ、別に変なことはしてないよ? 彼女のベッドに潜り込んだ以外は。

 

 実際、特別になにかしたいわけじゃない。ただ彼女の傍で、彼女の体温を感じて、一緒のベッドで寝たかっただけ。抱きしめたかっただけ。自分の部屋で、しかも心を許した相手なら、例の癖で腕を折ることもない。

 

 願い叶ってわたしは幸せな一晩を送り、翌朝、寝起きの彼女に怒られた。そんなやり取りすら初めての経験で、なんだか嬉しい。

 

 そうして、賑やかで楽しかった一晩は終わりを告げ、彼女が帰る時間がやってくる。

 

 神殿にも事の次第を報告しなければならないし、そもそも、わたしたちそれぞれに自身の生活がある。できれば、ずっと一緒にいたいけど。

 

「じゃあ、ここでお別れだね」

 

「はい……お世話になりました」

 

「こっちこそ、いろいろありがとね」

 

 出会ってまだ少ししか経っていないのに、離れるのが寂しい。けれど、わたしも彼女もこうして生きている。

 その気になればいつでも会えると自分を納得させ、彼女を見送る。

 

「また、いつでも遊びに来てね。依頼なんてなくてもいいから」

 

「……はい。また来ます。絶対」

 

 リュイスちゃんの事情からすれば、今回のような特殊なケース以外では、気軽に外出することもできないはずだ。それでも彼女は「また来る」と言ってくれた。その気持ちが、今はなにより嬉しい。

 

 彼女が背を向ける。それぞれの生活に戻っていく。わたしたちの旅は、とりあえずの終わりを告げた。――はず、だったんだけど。

 

 

  ***

 

 

 リュイスちゃんが神殿に戻って数日。

 急な依頼もなく、かといって自分で探しに行く気にもなれないわたしは、いつもの席でぐでっと日向ぼっこしていた。窓越しに差す陽の光が暖かくて気持ちいい。

 

 他の冒険者は出払っており、店内にはわたしととーさんしかいない。昼寝には最適だ。

 しかし昼間からゴロゴロしているのを見かねてか、掃除していたとーさんが声をかけてくる。

 

「暇ならこっちを手伝え」

 

「やだよー……眠いし……」

 

「なら、外に出たらどうだ。噂じゃ、勇者が戻ってきてるらしいぞ」

 

 そう。その話があった。道中聞いた勇者の動向の続きだ。

 なんでも、勇者と共に旅立った守護者の一人、神官の少女が、例のなんとかという司祭(リュイスちゃんに刺客を差し向けたあれだ)の弟子だったらしい。

 

 少女は師が捕縛されたと聞き、心配でいてもたってもいられなくなり、王都まで戻ってきたのだとか。弟子にとっても、今回の件は寝耳に水だったらしい。

 だから、今は同じ王都に勇者も帰ってきている。とはいえ……

 

「どうせ王都の中じゃ下層民は近づけないでしょ……別にいいよ……」

 

 多分、掃除の邪魔だから追い出したいんだろうけど、わたしはここから動く気はないよ。眠いし。リュイスちゃんが来たりしたら考えるけど。

 

 と、本格的に夢の世界に旅立とうとしていたわたしの耳に、入り口の扉が勢いよく開け放たれる音が聞こえてきた。同時に、けたたましい来客ベルの音。

 

「アレニエさん! いますか!?」

 

 そして、今思い浮かべていた当の本人の声が、人気のない店内に響いた。

 

「……あれ、リュイスちゃん? もう遊びに来てくれたの?」

 

 報告とか日々のお勤めとかで忙しくなるらしいし、『目』のせいで外出も厳しいって聞いてたから、こんなに早く再会できるとは思ってなかった。

 彼女は店内を見回し、わたしを見つけるなり急ぎ足で真っ直ぐ向かってくる。そして手を取り、とーさんに声をかけつつ、階段に向かう。

 

「すみません、ちょっとアレニエさんお借りします!」

 

 借りられた。どうも遊びに来たわけじゃなさそう。

 彼女はそのままわたしの部屋まで向かい、中に入り扉を閉める。勝手知ったるわたしの部屋。

 

「どしたの? リュイスちゃん」

 

「実は、その……」

 

 言いづらいことなのか、彼女はやや躊躇いがちに口を開く。

 

「今、王都に勇者さまが帰ってきてるんですが……」

 

「そうらしいね。噂には聞いてるけど」

 

「実は、勇者さまが総本山に立ち寄った際に、私も一目見たんですが、そうしたら、その……」

 

 あ、なんかピンときた。

 

「もしかして……」

 

「……はい、そのもしかして、なんです………先日の依頼からすぐにこんなお願い、本当に申し訳ないと思っているんですが……」

 

 わたしの手を取り、真っ直ぐに見つめてくる彼女の瞳。わたしもそれを真っ直ぐに、期待を込めながら、見つめ返す。

 

「わたしと一緒に、勇者さまを助けてください!」

 

 初めて会った時と同じ彼女の言葉に、わたしは笑顔を返す。

 勇者の旅の裏側で、わたしたちの旅も、まだまだ続いていくみたいだ。

 

 

  ***

 

 

 ――子供のころ、好きだった絵本がある。

 

 題名はもう忘れたけれど、内容は、勇者が仲間と共に旅をして魔王を倒しに行く、というありふれたものだった。

 

 神さまが造ったというすごい剣を手にした勇者は、仲間と一緒に旅をしながら、立ち寄った村や街の困りごとを解決していく。

 

 弱い人や困っている人の味方で、強くて悪い魔物を退治して、最後には一番悪い魔王も倒して、たくさんの人を助ける勇者さま。

 

 そんな、どこにでもあるようなそのお話が、わたしは好きだった。

 うちに一冊だけあったその絵本を、擦り切れるくらいに何度も、何度も、読み返した。

 時には、夢の中でその続きを見ることさえあった。

 

 ずっとずっと、勇者に憧れていた。

 結局、先日の旅で勇者に直接会うことはできなかったけど。

 ――今わたしは。憧れていた勇者を裏側から助ける仕事をしている。

 

 1章 終



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2章
1節 悪夢


 魔物と人間との領土の境界線に当たる場所。人間共が〈ラヤの森〉だの〈黄昏の森〉だのと呼ぶ森にあたしは来ていた。

 昼でもなお薄暗いほど樹々が茂った森の中を、あたしは散歩でもするように歩いていく。

 

 普段は徘徊しているはずの魔物共は、今は付近に見当たらない。あたしの魔力に恐れをなして逃げ出したのだろう。気分がいい。

 それは、しばらく歩いた先に見つけたもので最高潮を迎える。

 

 見つけたのは、兜だ。全体を漆黒に塗り固め、所どころを金で装飾を施してある。

 生い茂る樹々の一つ、その根元にぽつりと置かれた兜は、まるで誰かの墓標のように見えた。

 いや、見えるだけではなく、それは本当に――

 

「――まさか、お前がやられるなんてな」

 

 高い声を目一杯低く鳴らし、あたしは呟く。

 森には不釣り合いな黒いドレスと、背中まで伸ばした金の髪を揺らしながら、兜が置かれた木の前まで足を運ぶ。そして……

 

 ガっ

 

 小さな足で、眼下の兜を足蹴にする。

 

「いつもいつも偉そうにふんぞり返っていたくせになぁ。キヒヒ……ざまぁねぇぜ」

 

 あぁ、愉快だ。

 あのイフが。〈暴風〉と呼ばれた魔将が。選ばれて間もない人間の勇者ごときに遅れをとったのだ。こんなに愉快なことはない。

 あたしは兜を踏みつけていた足をわずかに上げ……次には勢いよく蹴りつける。

 

 ゴギン!

 

 静けさに包まれた森に、鈍い音が響く。

 あたしの華奢な足で蹴りつけられた兜は、周囲の地面ごと陥没していた。ひび割れた土からは兜と同じ意匠の鎧が顔を覗かせている。

 

「蘇生が終わるまで地の底で見てなよ。お前の代わりに、このあたしが、勇者を始末しといてやるからさぁ。キヒ、キヒヒヒヒ……!」

 

 魔物が棲みつく暗い森の中、あたしの哄笑だけが辺りに響き渡っていた。

 

 

  ◆◇◆◇◆

 

 

 ――赤い。左の視界が、赤く染まっていく。〈クルィーク〉を起こし、魔族の血を解放させたときの副作用。

〈クルィーク〉――左腕の黒い篭手は今、メキメキと音を立てながら肥大化した左手を飲み込み、一体化し、大きな異形の腕と化していた。

 

 わたしは、右手の短剣と異形の左手を構えながら、小さな体をさらに縮めて警戒する。目の前には、四人の人間。

 

 軽装の鎧を纏い、長大な剣を構える剣士。

 聖服に身を包んだ神官。

 帽子とローブを纏い、杖を掲げる魔術師。

 そして……憤怒の形相でこちらを見据える――勇者。

 

「お前……お前は! 魔族か!」

 

 半魔の姿を露わにしたわたしに、勇者は憎しみに満ちた瞳を向け、怒声を張り上げる。そして、即座に突進してくる。

 剣幕に怯み、反射的にわたしは魔力の弾をつくり、撃ち出す。が、それは勇者の振るった剣の一振りで全てかき消されてしまう。

 

 意に介さず突き進み、勇者は全力の殺意を込めてわたしに斬りかかってくる。

 咄嗟に魔力を固め、盾を張るが……その一撃だけで後方に大きく吹き飛ばされ、背後の木に激突してしまう。

 

「あ……か……!」

 

 背中を強打し、息が詰まる。視界が段々狭くなってくる。

 その狭まった視界に、怨嗟の声を吐きながらこちらに近づいてくる、勇者の足元だけが映り込む。

 

「魔物も! 魔族も! 全て俺が滅ぼしてやる――!」

 

 ――怖い――怖い――殺される――……!

 

 わたしの心には張り詰めた恐怖と共に、驚き、失望、怒り――勇者に対する様々な思いが胸の内で混じり合い、渦巻いていた。

 

「(怖いよ、かーさん……これが、こんなのが、勇者なの……? 絵本と全然違う……わたしが、半魔だから? だから、あんなに怒ってるの?)」

 

 魔を払う力を持つという〈神剣・パルヴニール〉。

 その刃に斬りつけられれば、半魔のわたしもただでは済まないだろう。

 けれどもう、体が動いてくれない。まぶたも少しずつ狭まり、意識が段々薄れていく――

 そして、勇者の剣は振り下ろされる。わたしは、なにもできずにそれを受け入れ――

 

 

  ***

 

 

 飛び起きる。

 

「――…………」

 

 目を覚まし、周囲を警戒する。次に、自分の姿を確認する。

 あちこち跳ねたショートカットの黒髪。女性らしく丸みを帯びた、けれど引き締まった身体。同年代より若干小柄な身を白い軽装鎧で包んでいるが、左手の篭手だけは黒い。

 

 さっきまで見えていた子供の目線ではない。大人になった自分の姿だ。

 そして周りを見回してみても、勇者の姿はない。当たり前だ。今のは夢なのだから。

 

 分かっていながら、わたしはしばらく警戒を解けなかった。

 最近はあまり見なくなっていた、子供のころの夢。まだ、動悸が収まらない。

 

「……アレニエさん? どうかしましたか?」

 

 見張りをしていた神官の少女は、わたしが突然起きたことに驚き、心配げに声を掛けてくる。

 栗色の髪を白いベールで覆い、同色の聖服に身を包んだその少女は、わたしの旅のパートナーだった。

 

「リュイスちゃん……」

 

 神官の少女――リュイスちゃんの姿を確認し、思わず安堵する。悪夢の恐怖が、それだけでわずかに和らぐ。

 気づけばわたしは彼女を引き寄せ、その体に抱きついていた。

 

「えっ、え? アレニエさん?」

 

「……ごめん、ちょっとだけ、こうさせて……あー、癒されるー……」

 

 彼女の体にしがみつく。こうしているだけで、早鐘を打っていた心臓が少しづつ落ち着いていく。

 わたしはそのまま自身の鼓動が落ち着くまで、しばらくの間、彼女を抱き締め続けていた。

 

 

  ***

 

 

 わたしとリュイスちゃんは今、パルティール王国の北に位置する国、〈ルーナ王国〉に向けて旅をしている。

 

『物事の流れが見える』リュイスちゃんの目、〈流視〉に、再び見えた勇者の危機。その現場は、ルーナ王国の領地の外れにある、〈アルマトゥラ〉という砦だった。

 勇者の命の流れは、その砦で再び途切れていたらしい。

 ただ、今回はなぜか相手の姿が見えず、その場所で命を落とすこと以外は何も分からなかったという。

 

 また、魔族が相手なのだろうか。

 ……まさかまた魔将ということはない、と思いたいけど、今のところ情報が少なくて判別ができない。

 

 とにかく、実際に現地に行けばわかるだろう、と、わたしたちは準備を整え、すぐに王都を発った。

 そしてその道中のある日、街道脇で野宿し、最初の見張り番をリュイスちゃんに任せて眠りについたわたしが見たのが、先刻の夢だった。

 

「(最近は、ほとんど見なくなってたのに)」

 

 それを再び見たというのは、なにかの予兆だろうか。

 見張りの番をリュイスちゃんと交代したわたしは、もやもやとしたものを抱えながらも、朝までの見張りを務めることにした。

 

 

  ***

 

 

「リュイスちゃん。リューイースーちゃーん」

 

「……ふぇ?」

 

 名前を呼ぶと、彼女は寝ぼけ眼でこちらに視線を向ける。かわいい。

 今日もリュイスちゃんはかわいい。彼女を眺めているだけで、昨夜の夢も忘れられそうな気がした。

 

 寝顔も寝起きの顔もできればずっと見ていたいけれど、残念なことにそろそろ起きて出発しないといけない。

 彼女が寝ている間に後片付けは終えているので、あとは彼女の準備が整うのを待つだけだ。

 

 その間、わたしは太陽の位置などから方角を確認。それから、なにか普段と違うことがないか、周囲を警戒する。旅を始めたばかりのこんな場所で、変わったことも特にないとは思うけど、念のため――

 

「……?」

 

 なにか、かすかに物音が聞こえた気がして、わたしはその場にしゃがみ込み、地面に手を置いた。

 手の平から伝わる振動は、馬や馬車ほど騒がしくはなく、しかしある程度の重量を持った複数人の足音を届かせる。おそらく、金属鎧を着た誰かが歩いている音だ。

 

 ここは街道のすぐ近くだし、わたしたち以外の旅人が近づいていてもおかしくない。

 とはいえ、以前の旅で経験したように、こちらを襲おうとする一団などの可能性もある。警戒はしておいたほうがいいだろう。

 

 手近な樹々を駆け登り、樹上から周囲を見回す。すると、王都のほうからこちらに近づいてくる複数の人間を見受けられた。

 槍を携えた戦士っぽいのに、聖服を身につけた神官っぽいの。とんがり帽子とローブを纏う魔術師っぽいのに、それから…………

 

「――……リュイスちゃん」

 

 わたしは下にいるリュイスちゃんに、一方的に声を掛けた。

 

「ごめん、ちょっと先に行くね!」

 

「……えっ? アレニエさん!?」

 

 戸惑いの声をあげる彼女を置いて、わたしは樹上を跳び渡り、先を急いだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2節 新たな勇者

 ダンっ!

 

 木から木へと飛び渡り、目的の冒険者たちの元へ辿り着いたわたしは、あえて足音を殺さずに着地した。

 突然現れたわたしという闖入者(ちんにゅうしゃ)に、一行はすぐに警戒を露わにする。

 

 全員が、わたしより年若い人間だった。

 引き締まった体を鎧で覆い、自分の背丈以上の長さの槍を構える、赤髪の女戦士。

 金髪碧眼の整った顔立ちに警戒感を滲ませている、聖服を纏った神官。

 とんがり帽子にローブ姿、油断なくこちらを見ている、青年の魔術師。

 

 そして最後の一人。小柄な体に軽装の鎧を纏い、長い髪をポニーテールに結わえた少女。その背には、体に不釣り合いな長剣を二本背負っている。

 一本はありふれた見た目の普通の剣。けれど、もう一本の神秘的な意匠を施されたその剣は……先代の勇者がわたしに向けて振るったものと同じ――神剣。

 

 それを手にする彼女は何者なのか?――答えは一つしかない。そもそも顔だけは上層に忍び込んで見てきたことがある。勇者の顔を――

 と、その仲間の一人、槍を手にする女戦士が、こちらに向けて声を掛けてくる。

 

「……先輩?」

 

「……あれ? シエラちゃん?」

 

 全員はじめましてかと思ったら、一人知り合いが混じっていたみたいだ。

 

「ああ、よかった。やはり先輩でしたか。賊かと思い警戒してしまいました」

 

 かしこまって言いながら警戒を解くシエラちゃん。彼女は誰に対してもこういう喋り方をする。

 

「……シエラの知り合い?」

 

「はい。私の冒険者としての先輩です」

 

 勇者の問いに、彼女は幾分か警戒を和らげた様子で答えていた。

 

 わたしもシエラちゃんのことは憶えている。王都中層の店で依頼を受けた際、一緒に組んだことのある子だ。どうして組んだかといえば可愛かったからだ。

 なんでも、実家が高名な戦士の家系とかで、彼女もそうなるべく厳しく鍛えられてきたとか。

 

 その頃はまだ駆け出しだったけど、きちんと経験を積んで独り立ちしたらしい。まさか守護者になってるとは思わなかったけど。

 

「そっか、シエラの知り合いなんだ。じゃあ大丈夫だね」

 

 ……なにが大丈夫?

 

 勇者の少女は警戒をすっかりと解き、自己紹介しながら右手を差し出す。

 

「ぼくは、アルメリナ・アスターシア。アルム、って呼んでください。一応、勇者をやってます」

 

「あ、うん……」

 

 一方のわたしは、その手を取るのに躊躇していた。

 だって相手は、わたしが会うのを切望していた勇者なのだ。

 先代との出会い――というより遭遇――は、人生を変えるほどの衝撃だった。トラウマとも言う。

 今の勇者がどんな人間なのか、わたしは期待と不安を抱きながらこの場に来たのだ。すんなり手を取れなくても仕方がないと思う。

 

 というか、わたしが警戒しすぎなのを差し引いても、この子少し警戒心が足りなくない? 知り合いの知り合いだからって、すぐに心を開きすぎなのでは。

 しばしの葛藤の末、わたしは彼女の手を握った。

 

「……わたしは、アレニエ・リエス。よろしくね」

 

「はい。よろしくお願いします」

 

 少女は屈託のない笑顔を浮かべながら、わたしの手を握り返す。と……

 

 ギシ……

 

「(痛っ?)」

 

 彼女の握る力が思ったより強く、胸中で声を漏らす。

 何食わぬ顔で挑発してきているのかとも思ったが……

 

「? (にこっ)」

 

 どうもこの表情からすると、喧嘩を売られているわけでもなさそうだ。生来の力が強いのかもしれない。

 それに握手で探ってみた感じ、握力以外の印象は見た目通り、駆け出しを脱するか否かというところだろう。

 

「(それにしても……)」

 

 握っていた手を離し、目の前の少女を改めて観察する。その表情は、先程から変わらず曇りがまるでなく、見れば見るほど〝あの〟勇者とは重ならない。

 

 新しい勇者に会ったら、どんな人間か知りたいと思っていた。

 先代のように魔を憎む戦闘狂なのか。わたしみたいな存在をどう思うのか。直接会って確かめたかった。

 でも実際に会ってみたら、先代とはなにもかもが違いすぎて、正直困惑している。

 

 どんな勇者なのか知りたかったのに、むしろどうなるのかまだ分からない状態、と言えばいいだろうか。

 神剣を手に旅に出てしばらく経つはずなのに、この無垢な瞳はなんだろう。箱入りだったリュイスちゃんより経験が少ないように見える。肉体的にも精神的にも。

 

 こんな子が魔将に命を狙われたら、それは為すすべもなく殺されてしまうことだろう。なんか急に心配になってきた。

 

「それで先輩は、どうしてここに? なにかの依頼の途中でしたか?」

 

「わたし? わたしは……」

 

 わたしが受けたのは、あなたの隣でのほほんとしている勇者を助ける、って依頼なんだけどね。口にはしないけど。

 

 さて、どうしよう。

 思わず接触してしまったものの、その先はなにも考えていない。勇者らしき姿を見つけて思わず飛び出してしまっただけだ。そもそも先述の通り、見定めるには早いように思う。

 それにわたしたちは、彼女たちより先に〈流視〉で見えた場所に向かわなきゃいけない。できればどこかで足止めしておきたいけれど。

 

 頭の普段はあまり使わない部分をフル回転させ……そこで、不意に思いつく。彼女たちの足を止められる、かもしれない方法を。

 

「……わたしは、あなたたちを見にきたの。噂の勇者さまとその仲間たちがどんな子かと思ってね。でも、実際見てガッカリしたよ」

 

「え……」

 

「実力も経験も全然足りない。これじゃ魔王や魔将どころか、そこらの魔物にもうっかりやられちゃうんじゃない?」

 

「なっ……! 貴女、勇者さまに向かってなんて口を……!」

 

 今まで黙って見ていた神官の少女が、怒気も露わに抗議してくる。

 

「先輩……急に、なにを……」

 

 シエラちゃんも不安げにこちらを問い質してくる。が、それを努めて流しつつ、わたしはいつもの笑顔に不敵なものを浮かべてみせる。

 次に不満を表してきたのは、魔術師の青年だった。

 

「急に出てきたやつに好き勝手言われるのは気に食わないな。オレたちがそんなに弱いってのか?」

 

「そう言ってるつもりだけど?」

 

 こちらを睨みつけてくる魔術師くんにも笑顔で返答する。彼はそれに、こちらを睨む目をさらに鋭く細める。

 

「ぼくは……ぼくらは、絶対に世界を救ってみせます」

 

 そして勇者の少女は静かに、けれど強い口調で反論する。

 

「今は、あなたの言う通り未熟かもしれません。でもいつか、この手で魔王を倒せるくらいに強くなって……!」

 

「いつか、って、いつ?」

 

「え……」

 

「今の通りに旅を続けるだけでも、もしかしたら本当に魔王を倒せるほど強くなれるかもしれない。その可能性は否定しない。けど、それまで魔物側が黙ってると思う?」

 

「……それは……」

 

「今ここに魔将が現れて襲ってきても、あなたはさっきと同じ台詞を口に出せるのかな」

 

「っ……」

 

 と、

 

「――アレニエさん……! はぁ、はぁ、やっと、追いついた……」

 

「あ、リュイスちゃん」

 

 置いてけぼりにしたリュイスちゃんが追いついてきたみたいだ。その背には、自分のと一緒にわたしの荷物も背負われている。

 

「急に飛び出してどうしたん、です、か…………って、ゆ、勇者さま……!?」

 

 少ししてから勇者の存在に気づき、彼女は素っ頓狂な声をあげる。そして、彼女らがわたしのことを険悪な様子で睨んでいるのにも気がついたようだ。

 

「…………あの、聞くのが怖いんですが、これは、一体どういう状況なんですか……?」

 

「勇者に喧嘩を売ってました」

 

「なんで!?」

 

 あっさりと答えるわたしにリュイスちゃんが小声で猛抗議する。

 

「(なに考えてるんですかアレニエさん!? 助ける相手に喧嘩売ってどうするんですか!)」

 

「(いや、色々理由があって。まぁ落ち着いて)」

 

「(落ち着いてられませんよ!)」

 

 当たり前といえば当たり前だが、彼女は納得してくれない。なおも抗議しようという構えだが、その彼女を見て、向こうの神官の子が怪訝な声をあげる。

 

「……リュイス、さん? どうしてこんなところに、貴女が……」

 

「……アニエス、さん……」

 

 どうやら、こっちも知り合いだったみたいだ。

 

 リュイスちゃんは王都で〈総本山〉と呼ばれる最も権威のある神殿に務めており、着ている聖服も他とは違う特別に誂えられたものを纏っている。

 よく見れば、あっちの神官の子も同じ総本山の聖服を着ている。リュイスちゃんとは同僚といったところなのだろう。

 

「ここでなにをしているのですか、貴女は。そこの無礼な冒険者の方とは、お知り合いなのですか」

 

「それは……、……」

 

 しかし同僚の間柄にしては、リュイスちゃんの答えは歯切れが悪く、要領を得ない。依頼や〈流視〉については話せないのもあるだろうけど……どうも、彼女個人を苦手にしているようにも見える。

 

 いや、そもそもリュイスちゃんは以前、「総本山に居場所がない」と言っていた。となれば彼女もただの同僚ではなく、居場所を狭める原因の一つ、なのかもしれない。

 

 と、リュイスちゃんへの助け舟というわけでもないだろうが、勇者が彼女らを遮って声をあげる。

 

「……納得できません。実際に腕を見てもいないのに、そんな風に言われるなんて」

 

 かかった。

 わたしは心中で喝采をあげながら、努めて笑顔のまま勇者を挑発する。

 

「なら、実際に試してみようか?」

 

「……あなたと決闘でもしろと言うんですか?」

 

「ううん、わたし一人対あなたたち全員」

 

「は?」

 

「それに武器も使わない。そっちは全員使ってもいいけどね」

 

 勇者は呆気にとられたあと、段々とその表情に不満を表していく。そして、後ろの二人の反応はそれ以上だった。

 

「要するに、あんたはオレらを馬鹿にしてるってことだよな……!」

 

「このような屈辱、生まれて初めてです……!」

 

 魔術師と神官の二人はビキビキと青筋を立て、怒気も露わにこちらを睨みつつ、戦う準備を始める。どうやら沸点が低いらしい。

 

 勇者も、背負っていた剣――神剣ではなく、もう一本の長剣のほう――を抜き、構えを取る。

 

 シエラちゃんは一人おろおろしていたが、周りの様子を見て一つため息をつくと、こちらに問いかけてくる。

 

「……先輩。どういうつもりなのかは分かりませんが、本気、なんですね」

 

「うん、本気でやるよ」

 

「……分かりました」

 

 彼女は観念したように嘆息してから、自らもその手に槍を構えた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3節 一対多の決闘

「アレニエさん……」

 

 リュイスちゃんが心配そうな声をあげるが、わたしは彼女の肩にぽんと手を乗せてから、少し離れた位置まで下がってもらった。

 

 さて。大きい口を叩いたからには、リュイスちゃんに心配かけないような勝ち方をしないといけない。わたしはさりげなく気合いを入れて、目の前の四人を見据える。

 

 向こうは、前衛に勇者ちゃんとシエラちゃん。後衛に神官ちゃんと魔術師くん。

 その前衛のシエラちゃんは、緊張した面持ちで隣の勇者に注意を促していたが……

 

「気をつけてください、アルム。素手とはいえ、彼女はこの場の全員でかかっても勝てるかわかりません。連携して――」

 

 ダっ!

 

 シエラちゃんの言葉の途中で、勇者が単身、突撃してくる。

 

「はああぁぁぁっ!」

 

 気合いと共に剣を大上段から振るう勇者。小柄な体に似つかわしくない長大な剣を、彼女は軽々と振るう。

 大振りのその剣は、かわす前から狙いが丸わかりのものだったけれど……その後の剣撃は思った以上に鋭く、地面を強く打ち付けながら土砂を広範に撒き散らす。

 

「――っ!」

 

 力が強いのは先刻の握手で予想できていたが、それをさらに上回る破壊力に少なからず驚愕し、飛び散る土に顔をしかめる。

 

 リュイスちゃんより小柄なのに、どこからこんな力を発揮しているのだろう。下手をすれば、あの大男くんといい勝負かもしれない。彼があの時、「面白い」と評していた理由は……

 

 続けて、二撃、三撃と剣を振り回す勇者だったが、わたしはその全てを余裕をもってかわしていく。膂力(りょりょく)には驚いたけど、それ以外は事前に感じた通りだ。技も経験も圧倒的に足りない。

 

 いくら剣を振れど全く当たる気配がないことに業を煮やしたのか、彼女は今までよりも大きく前方に踏み込み、横薙ぎの一閃を繰り出してくる。が――

 わたしは力を抜き、重力に預けた体を沈み込ませ剣閃をかい潜りながら、勇者の足元を蹴り払った。

 

 スパンっ!

 

「――……!?」

 

 宙を半回転して倒れ込む勇者。おそらく一瞬のことで、本人はなにをされたかも分かっていないだろう。

 

 そうして倒れる勇者の陰から獣のように這い出し、わたしは次なる相手――シエラちゃんに向かって駆け出す。

 

 元から警戒していたのだろう、こちらの動きに合わせて彼女は即座に槍を突いてくる。

 跳躍してその一撃をかわし、彼女の頭上をとる。が、こちらの動きを予測していたのか、彼女は槍を即座に引き戻し、背後に背負い投げるように振り回して自身の頭上を、そこにいるわたしを薙ぎ払おうとする。

 

 自分を追いかけてくるその槍をわたしは……穂先の下、柄の部分を靴底で蹴って防ぎ、それを足場代わりにしてさらに跳躍した。

 

「なっ……!」

 

 シエラちゃんが漏らす驚きの声を背に、前方へ跳ぶ。

 向かう先には、魔術を詠唱中の魔術師くん。わたしは空中で姿勢を制御し、そのまま無防備なところを蹴り飛ばそうとする。が――

 

「くっ!?」

 

 彼は自分が狙われていることに気づくとすぐさま詠唱を破棄。腕を十字に組み、わたしの蹴りを受け止めてみせる。

 

「(……防がれた?)」

 

 接近戦に不得手な魔術師なら、防ぐどころか反応もできないと思ってたんだけど……武術の心得でもあるんだろうか、この魔術師くん。

 ともあれ、今度は彼の腕を足場にして態勢を整えたわたしは、反対の足で彼の顔面を蹴りつけて跳躍する。

 

「がっ!?」

 

 そして神官ちゃんの目の前に着地し、最後に彼女の額に指を突き付けた。

 

「うっ……」

 

「はい、おしまい」

 

「きゃっ!?」

 

 たじろぐ少女の額を指で弾くと、彼女はその場に倒れ、尻もちをつく。

 周囲を見回せば、まともに立っているのはシエラちゃんだけだった。わたしは彼女に短く問いかける。

 

「続ける?」

 

「……いいえ、降参です」

 

 そう告げると彼女は緊張を解き、疲れたようにその場に座り込むのだった。

 

 

  ***

 

 

「これで分かったでしょ? どれだけ実力が足りないか。ただの一冒険者のわたしに勝てないようじゃ、魔王どころか魔将も倒せないよ?」

 

 戦いを終えたわたしは、うなだれる彼女らに言葉で追い打ちを加えていた。

 

「今の実力じゃ無駄死にするだけだと思うし、修行してから出直したほうがいいんじゃない?」

 

 察しのいい人はとっくに気づいてるだろうけど、これがわたしが思いついた方法だった。

 彼女らに実力を自覚させ、腕を磨くよう促せば、しばらく足止めできるうえ、死ぬ可能性も下げられるんじゃないかという浅知恵だ。

 

 勇者の旅の邪魔をしたら極刑の可能性もある、というのを思い出したのは戦い終わってからだった。なにせ急に思いついたので。最悪の場合は逃げよう。

 

「……でも、ぼくは勇者だから。困ってる人を助けに行かなきゃ……魔王を、倒さなきゃいけなくて……」

 

 ……この子は、とても真面目な子なのだろう。与えられた務めを果たそうと、必死に勇者になろうとしている。その姿勢は、あの絵本の勇者を想起させて好ましく思えたけれど。

 

「あなたが死んだら、それこそ魔王を倒す手がなくなっちゃうでしょ?」

 

「う……」

 

 魔王を倒す唯一の手段、神剣。それを扱える勇者が命を落とした場合、新たな使い手を見つけ出すまでの間、人類は対抗手段を失ってしまう。だからこそ魔物の側は、常に勇者の命を狙っている。

 

 彼女は悔しさからか両手を握りしめ、俯いたままで口を開く。

 

「……あなたの言いたいことは分かります。先に進むためには、もっと実力が必要だと」

 

 良かった、分かってくれたみたいだ。表には出さないが、内心で安堵する。

 

「でもぼくは、やっぱり困っている人たちを助けたいし、一刻も早く魔王を倒しに行きたいです。だから……」

 

 そう言うと彼女は顔を上げ、なにやら覚悟を決めたような表情でこちらを見つめる。そして、懇願する。

 

「だから、ぼくに戦い方を教えてください、アレニエさん……――いえ、師匠!」

 

「…………はい?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4節 初めての師匠①

 とーさんに引き取られてパルティール王国の王都で暮らすようになった頃、わたしは自分から頼み込んでとーさんに稽古をつけてもらっていた。

 

 とーさんは普段と同じで稽古中も口数は少なく、剣で語ることの方が多いような人だった。

 短いアドバイスと、ほとんど実戦のような訓練の繰り返し。軽い怪我は日常茶飯事だし、命の危険を感じたことも多々あった。

 

 けれど、とーさんと過ごすその時間はわたしにとって、決して嫌いなものではなかった。

 他人に剣を教えたことがないというとーさんは、自身も試行錯誤しながらわたしに剣を教えてくれていた。

 

 ……まさか十年も経った今、自分が同じことをするとは思っていなかったけれど。

 

 

  ***

 

 

「確認するけど、わたし、人に教えたことなんてないから、ちゃんと成果が出るかわかんないよ。それでもいいんだね?」

 

「はい! お願いします!」

 

 わたしと勇者――アルムちゃんは、訓練用の木剣を持って向かい合っていた。周囲では、リュイスちゃんと勇者の仲間たちとが遠巻きにわたしたち二人を眺めている。

 

「師匠になってほしい」とアルムちゃんに頼まれたわたしは、一緒に行動するのは問題がある(守護者の報奨などに関わるため)と一度は断ったのだが、こうして旅先で出会った時だけでもいいと押され、勢いに負けるかたちで結局引き受けることになっていた。

 

 目的地に彼女らより先に行かなければという問題はあったが、考えようによってはこうして一緒に行動している限り、少なくとも先を越されることはないともいえる。

 それに、先刻自分を負かした相手に屈託なく(ちょっとはあるみたいだったが)師事しようとする彼女に、勇者であるという以上の興味も湧いていた。

 

「じゃあ、とりあえず一本ね」

 

 短く宣告し、わたしはアルムちゃんに向かって軽く踏み込み、逆手に握った木剣を振るう。

 

「……え? ……あいたっ!?」

 

「あぁっ!? 貴女、勇者さまになんてことを!」

 

 彼女はろくに反応することもできず、額に一撃を食らい倒れ込む。あと、なんか後ろで神官の子が騒いでたけどそれは流しておく。

 

 …………

 

「よけるか防ぐかしようよ」

 

「えぇ!?」

 

 彼女は額を抑えながら、理不尽なことを告げられたとばかりに声を上げる。

 

「いえ、その……いきなり模擬戦じゃなくて、もう少し基礎から教えてほしかったんですけど……」

 

「……基礎?」

 

「なんで疑問形!?」

 

 基礎……剣術の基礎って、どうやって教えればいいんだろ。わたし、とーさんとはほとんど模擬戦ばかりだったんだけど。

 

「実戦形式のほうが覚えは早いよ?」

 

「それはそうだと思いますけど……そもそもなにを覚えればいいのかが分からないので……」

 

「今まで誰かに教わったことは?」

 

「ありません」

 

「……ふむ」

 

 さて、どうしたものだろう。

 わたしの場合、かーさんと死別した後の森での暮らしで、ある程度基礎が出来上がっていた。それがあったからこそ、とーさんの稽古にもある程度ついていけたのだろう。

 

 そのとーさんからわたしが教わったもの、教えられるものは、主に二つ。斬り方と受け方だけ。

 ただ、それらも実戦に近い模擬戦で積み重ね、長い時間をかけて体に覚えさせたものなので、口頭で説明できるほど言語化できていない。

 

 それに、仮に説明できたとしても、体格や動き方の違うアルムちゃんにそのまま教えていいものなのかもちょっと分からない。 

 

 ……あ。アルムちゃんがどことなく不安げな顔してる。

 いけない。渋々とはいえ師匠になることを引き受けたのはわたし自身だ。弟子が不安になるような教えかたはまずいよね。

 

「(とりあえず、アルムちゃんの剣筋をもう一度見てから、どう教えるかを考えて……そういえば、とーさんも最初は、わたしの動き方を確認してから修行に移ってた気も……うん。そんな感じでいってみよう)」

 

「えーと……じゃあ、今度はそっちから攻めてみて」

 

「はい!」

 

 気合の入った返事と共に、彼女は木剣を構えてわたしを見据える。

 身体を努めて自然体にしての中段の構え。多少力んではいるものの、悪くないと思う。

 

「はっ!」

 

 掛け声と共にこちらに打ち込むアルムちゃん。先刻の戦いと同じく、全力で力いっぱい、悪く言えば力任せに剣を振り回す。

 常人離れした力と、剣の重量を利用した叩き斬るような一撃は、まともに当たればそれだけでかなりの威力を誇るだろう。

 

 とはいえ、それは当たればの話だ。

 思い切り振りかぶり、全力を込める彼女の剣は、一撃一撃が重く、真っ直ぐすぎるため、率直に言えば狙いが丸わかりだった。

 

 余計な力が入りすぎているので動きが固く、重くなる。だから動きを読まれて当たらない。当たらないのを無理に当てようとして、体のバランスが崩れる。そうなるとますます当たらない。負の連鎖だ。

 

 わたしは彼女の剣を何度かかわし、あるいは受け流し、やがて無防備な態勢になったその首に一撃を打ち込む……寸前で、ピタリと木剣を止めた。

 

「っ……!」

 

 喉元に切っ先を突き付けられ、アルムちゃんが小さく呻くのが聞こえる。

 危ない危ない。危うくさっきみたいに当ててしまうところだった。心の中で額の汗を拭いつつ、剣を引く。彼女はと言えば、よほど緊張していたのか、その場に崩れるように座り込んだ。

 

「うん。大体は分かった、かな」

 

「……どう、ですか?」

 

 不安そうに上目遣いで見てくる弟子に、わたしは率直に思ったことを口にする。

 

「筋は悪くないと思う。一人で鍛錬してたことを考えれば、なおさらね」

 

「本当、ですか?」

 

「うん。それに、なにより驚いたのは腕力だね。わたしの倍以上ありそう」

 

「は、はい。そこだけは、ぼくも自信があります」

 

「でも不思議だね。そんなに筋肉あるようには見えないんだけど」

 

「アニエスが言うには、この力は加護なんだそうです。〈超腕(ちょうわん)〉という、勝利を司る戦神の加護」

 

「へぇ……?」

 

 どこからあんな力を引き出してるのかと思ったら、なるほど、神の加護ってやつか。

 

 神さまは時折、気まぐれな贈り物を人々に与えることがある。

『加護』と呼ばれるそれは多くが人知を超えた力で、人が行使する魔術や法術では再現不可能なものばかりだという。

 リュイスちゃんの〈流視〉もその一つであり、『物事の流れを視る』という特異な能力を発揮する。一方で、彼女は幼い頃からその力に振り回されてもきた。

 

「勇者さまは、その身に〈超腕〉〈久身(きゅうしん)〉〈聖眼(せいがん)〉と、三種の加護を授かっているんですよ」

 

「……一人で、三つも?」

 

「ええ。素晴らしいでしょう。これこそ勇者さまが神剣と神々に選ばれた証の――」

 

 なにやら得意げに胸を反らすのは、守護者の一人、神官の少女だ。

 確かに、一つでも多大な恩恵を得られる加護を三つも所持しているのは、勇者に相応しい資質かもしれない。

 けれど、現状――

 

「でも、その自慢の力も、当たらないとどうしようもないよね」

 

「……そうなんですよね」

 

 見るからにしょぼんと気を落とすアルムちゃん。本当に素直で分かりやすい。

 

「一応言うけど、棍棒とか使うって手もあるよ? 剣よりかなり扱いやすいし」

 

「……いえ、他の武器じゃダメなんです。剣の扱い方を覚えないと……」

 

「? なんで?」

 

「ぼくは、勇者ですから。いつかは、神剣を使いこなさないといけないんです」

 

「……なるほど」

 

 確かに神剣が剣である以上、その扱い方を磨いて損はないように思う。

 

「なら、頑張って使い方覚えるしかないね。ちなみに、自分ではなにが問題だと思ってる?」

 

「実力の差……じゃ、ないんですか?」

 

「一言で纏めちゃえばそうかもだけど」

 

 彼女の言葉に苦笑する。

 

「多分、攻撃の気配が大きすぎるんだと思うよ」

 

「気配? 攻撃の……?」

 

「うん。例えば……」

 

 言いながら、わたしは右手に持った剣を、普段とは逆の順手に握り直す。それを頭上に掲げ、前方に踏み込み、座り込んでいるアルムちゃんに向けて軽く、そして大振りに振り下ろす。

 

 ひゅっ――

 

「わっ!?」

 

 彼女は咄嗟に手にした木剣でそれを防ぐ。カンっ!と、木が打ち合わされる音が辺りに響いた。

 

「い、いきなりなにを……!?」

 

 唐突な攻撃に彼女は抗議の声を上げるが、わたしはそれを遮って問いかける。

 

「今、わたしがどう動くか見えた?」

 

「え? は、はい」

 

「どこを見て気づいた?」

 

「え、と……剣を振り上げた腕とか、踏み込んでくる足とかから、なんとなく……? ……あ……」

 

 口にしながら、彼女も自分で気づいたようだった。

 

「そう。相手が攻撃するときは武器だけじゃなくて、それを握ってる手や腕が先に動く。もっと言えば、肘や肩、それを支える体や足腰……体は全部繋がっていて、連動してる」

 

 木剣を引き、距離を取る。

 

「攻撃の気配っていうのはつまり、体の動き出しや予備動作のこと。それが大きいほど、相手にとってはかわしやすくなるし、反撃もしやすくなる。さっきのアルムちゃんは、大きく振りかぶってたうえに力んで動きが固くなってたから、余計にね」

 

「……そっか。だからぼくの剣は……」

 

 彼女の言葉に頷く。

 

「力を抜いて振りを小さくするだけでも、今までよりずっと当たりやすくなると思うよ」

 

「……でも、力を抜いたら、斬りたいものも斬れない気がして……」

 

「それは多分、腕だけで剣を振ってるせいじゃないかな」

 

「? 剣は腕以外じゃ使えないんじゃ……?」

 

「いやそういうことじゃなくて」

 

 不思議そうな顔を浮かべる少女に苦笑する。わたしは数歩下がり、実際に動きを見せつつなんとか説明しようと試みる。

 

「こう、なんていうか……腕だけじゃなくて、体全体で剣を振る、って言えばいいのかな。腕力だけで振ると刃筋がぶれやすいし、『気』も腕の分しか込められないから――」

 

「はすじ? ……『気』?」

 

 彼女はポカンとした表情でこちらを見る。そういえば一人で修行してたらしいし、知る機会がなくてもおかしくないか。

 

「刃筋は、斬るときの剣の角度。剣に限らず刃物は、切っ先を正しい角度で当てないと、途端に切れなくなっちゃうから。まぁ、鈍器として使うなら、あまり気にしなくていいかもだけど」

 

「角度……なるほど」

 

 木剣をくるくる回して形を確認しつつ、彼女は納得した表情を見せる。

 

「『気』のほうは、体を動かす時に生まれる力……みたいなもの。体力や生命力って言い替えてもいい。わたしたちはみんな無意識に『気』を使って生活してる。こうやって、手を振るだけでもね」

 

「無意識に……?」

 

 試しに振って見せたわたしの手に、アルムちゃんの視線が注がれる。

 

「無意識の『気』は、使った後はすぐに拡散する。でもそれを意識して集めて、普段より大きな力に変えることを、『気』を込めるとか、『気』を練るって言う。これを使って戦う技術が、剣術や格闘術なんかの武術だよ」

 

「はぁ~……」

 

 わたしの言葉にアルムちゃんは感嘆のため息を漏らす。もしくはあまり理解できていない可能性もある。

 

「剣は斬るための道具で、道具には正しい使い方がある。刃筋と『気』。その両方を使いこなして、初めて剣は正しく斬れるようになる。だから――」

 

「……斬るための、道具……やっぱり、そうなんでしょうか」

 

「……ん?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5節 初めての師匠②

 彼女は難しい顔をして数瞬黙り込むが、すぐにハっとしてこちらに弁解する。

 

「……あ、その……前に、ある人に同じようなことを言われたんです。「剣は敵を斬るためのただの武器だ」って……」

 

 それが悲しいと言いたげに、アルムちゃんがわずかに顔を伏せる。

 

「凄く大きくて、筋肉だらけな人でした。強い相手を探して渡り歩いてるとかで、「実戦で強くなりたいなら実戦を繰り返すしかない」とも言ってました」

 

 どこかで聞いたような。

 

「ぼくは、人を助けるために、守るために剣を握りました。誰かを守る象徴だと思っています。でも……結局剣は、誰かを傷つけるだけのもので、誰かを守ることなんてできないんでしょうか……」

 

 思いつめたような表情でアルムちゃんは俯く。彼女にとってそれは、とても大切なことなのだろう。

 わたしはそんな彼女の瞳を真っすぐに見つめ、はっきりとこう告げた。

 

「いや、それは全然別の問題だよ」

 

「……へ?」

 

 よほど予想外の返答だったからか、彼女が反射的に変な声を上げる。構わずわたしは言葉を続けた。

 

「剣は確かに斬るための道具だけど、誰かを守るのに使いたいならそれでもいいんだよ。相手を斬るか斬らないかは、アルムちゃんが決めていいんだから」

 

「――」

 

「でも、どう使うとしても、いざという時、肝心の剣の扱い方が分からない、なんてことになったら意味がないでしょ?」

 

「あ……」

 

「だからわたしは、具体的な体の――剣の使い方を教える。それを何に使うかは、アルムちゃんの自由だよ」

 

「……はい……、はい……!」

 

 アルムちゃんは手に持った木剣を、そしてわたしを見つめ、何度も頷く。よく分からないけどよっぽど嬉しかったらしい。

 

「さっき、体は繋がってて連動してる、って言ったよね。繋がってるから、例えば足腰の力を体や腕に伝える、なんてこともできる」

 

「なるほど……」

 

「で、『気』を扱うために大事なのは、なるべく体の中心の力を使うこと」

 

「中心?」

 

「えーと、体って、先っぽよりも中心に近いほうが力を出しやすいらしくてね」

 

 ここら辺はとーさんに聞いた知識の受け売りだけど。

 

「指先よりも手首。手首よりも肘。肘から肩、背中、お腹……体の中心、体幹に近い場所の力を使えれば、腕だけより力が通るし、鋭くなる」

 

「体幹……」

 

 アルムちゃんが手でお腹を押さえる。かわいいけど、ピンとはきてなさそう。

 

「え、と、なんて言えばいいかな……極端だけど、手首だけ使うより肘も使った方が力が入るし、楽に剣が振れるでしょ? 肩も使えばもっと楽になる。そうやって、段々中心に近づけていくイメージ。理想は、全身で剣を振るって、でも動きは小さくすることで――」

 

 いつもは感覚でやってることを言語化するのは難しいけど……伝わるだろうか。

 

「中心……『気』……刃筋……ぜんしんでふるって……うごきはちいさく……」

 

 あ、まずい。一気に情報を入れすぎたせいか、アルムちゃんの目がぐるぐる回って頭から煙を吹いている(ように見える)。

 

「(もしかしたら口であれこれ言うより、なにか一つ、目の前で実演してみせたほうが早いかな)」

 

 そう思い立ち、わたしは街道脇の林に分け入り、足元に落ちていた枯れ枝を一本拾って、元の場所まで戻ってくる。

 

「見ててね」

 

 枯れ枝を頭上に放り投げ、いつものように逆手に木剣を構える。そして――

 

「フっ!」

 

 軸足を捻り生み出した力を腹部で増幅。背と肩を経由し、腕の先にある木剣まで『気』を伝え、落ちてくる枯れ枝目掛け、呼気と共に一呼吸で振り抜く。

 

 刃のない木剣で、支えのない空中で斬りつけられた枝。本来ならそれは、宙で叩き折られるか、あるいは折れもせず地面に叩きつけられるか、といったところだろう。

 

 が、わたしの剣撃は枝を中央から綺麗に切断――叩き折ったのではなく切断だ――し、二つに分かたれた状態で地面に転がらせてみせる。

 

「……!」

 

 その光景の一部始終を、アルムちゃんはきらきらした目で見つめていた。かわいい。

 

「今のが『気』を込めた斬り方。得物が木剣でも、ちゃんと『気』を伝えて刃筋を立てれば、こんなこともできるよ」

 

「――……ぼくでも、できるようになりますか……!?」

 

「ちゃんと修行を積めば、多分ね。というわけで、早速やってみよっか」

 

「はい!」

 

 とりあえず、やる気は出たみたいだ。

 あとは、上手く彼女に合う動きが身につけられれば……

 

「あ、そうだ。アルムちゃん。最初から小さく動くんじゃなくて、いつもの動作から少しづつ動きを小さくしてみて。そのほうが違和感少ないと思うから」

 

「いつもの動きから段々小さく……やってみます!」

 

 彼女は言われた通り素直に、高く上段に構えた木剣を大きく広く振り下ろす。そして、その動きを少しづつ小さくしていく。

 すると、始めはこちらに風圧が届きそうなくらい大きく重い音だったのが、少しづつ、細く、鋭い音に変わっていく。

 

 実例を直接見せたこと、そして動作を小さくしていく方法も功を奏したのか、動きに迷いがなくなっている気がする。それを幾重も繰り返し――

 

 ビシュンっ!

 

「うん。今のはちょっと良かったね」

 

「本当ですか!」

 

 見つけ出したそれを反復練習し、体にその動きを記憶させることで、彼女にとっての理想の動き、その一歩目を見つけることができたのだった。

 

「――うん。だいぶ気配も小さくなったね。これがちゃんと身につけば今までより振りが鋭くなるし、相手も避けづらいと思うよ」

 

「はい……ぼくも、手ごたえがあります……これからも鍛錬を続ければ、きっと……!」

 

 疲労の色を見せながらも、彼女は笑顔で希望を抱く。そんな彼女に、わたしも笑顔を見せて答える。

 

「じゃあ、早速試してみよっか」

 

「……え?」

 

「どこかの誰かも言ってたんでしょ? 「実戦を繰り返すしかない」って。「鉄は熱いうちに打て」とも言うし。――というわけで、これから模擬戦です」

 

 わたしの宣言に、彼女の笑顔がわずかに引きつったように見えた。が……

 

「……お願いします!」

 

 開き直ったのか諦めがついたのか、若干自棄になりながらも、彼女は木剣を握り締めるのだった。

 

 

  ***

 

 

「ありがとう……ございました……」

 

「はい、お疲れさま」

 

 疲労困憊といった様子のアルムちゃんを軽く労う。

 人より腕力や体力に優れる彼女だが、それでも疲労を感じるほどに根を詰めていたらしい。あるいはわたしが全身につけた生傷が原因かもしれないが。

 

「それじゃ、今日はここまでだね」

 

 いつの間にか陽は中天を過ぎ、少し傾き始めている。明るいうちにいくらかでも歩を進め、野営できる場所を確保しておきたい。

 

「今日教えられることは教えたつもりだけど、ちゃんと身につくように鍛錬は続けてね」

 

「はい……」

 

 彼女は疲労と負傷でへろへろになりながらも返答する。傍では仲間の神官が彼女を治療していた。

 あの様子ならしばらくは動けないだろう。今のうちにちょっとでも先へ進もう。

 

「さてと。わたしたちはそろそろ出発しようかな」

 

「え……もう、ですか……?」

 

「うん。一応、依頼も抱えてるし、あんまり遅れるとまずいから」

 

 まぁ、その依頼は彼女たちが例の砦に辿り着かない限り安全とも言えるので、余裕がなくもないのだが。

 

 と、ふと、彼女たちを輪の外から見つめる魔術師くんが目に入る。なんとなく気になり、わたしはそちらに近づき、声を掛けた。

 

「あなたは、教えてあげないの?」

 

「何をだ?」

 

「戦い方。どこかで武術習ってたんでしょ?」

 

「……なんの話だ? オレはただの魔術師だ。教えられるようなものは何もない」

 

「ふーん……?」

 

 さっきの動きを見る限り、そうは見えなかったけど……本人が隠したいなら、これ以上追及するのも野暮だろうか。

 

「……それに……オレは、あいつらとは違う」

 

 そう言いながら、少し眩しそうに細めた彼の視線は、彼女たちから離れなかった。

 いや、彼女たち、というより、その瞳が収めているのはアルムちゃんただ一人のように見える。

 そこで、ピンときた。

 

「ねえ。ひょっとして、アルムちゃんのこと狙ってる?」

 

「――!?」

 

 バっ!とその場を飛びずさり、彼は険しい顔でわたしを睨む。

 

「お前……なにを知ってる……!?」

 

「え? えーと……」

 

 冒険者同士で恋愛感情が芽生えることは珍しくないし、彼はさっきからアルムちゃんを目で追っているようだったのでカマをかけただけだったのだけど……

 

「エカル、どうしたの?」

 

「……いや、なんでもない」

 

 アルムちゃんの声にハっとした彼は、こちらに一度視線を遣ったあと、振り向いてそのまま歩き去ってしまった。

 

 あの反応は気になるところだけど、人の隠し事をあまり突くのも良くないか。わたし自身が、人には言えない秘密を抱えているのだから。

 

「それじゃあね。アルムちゃん。シエラちゃんも。死なないように頑張って」

 

「はい……ありがとう、ございました……!」

 

「先輩も、お気を付けて」

 

 覚束ない足取りで立ち上がりながら、彼女はわたしに礼を言い、シエラちゃんも彼女を支えながら挨拶する。わたしはそれに軽く手を振って返しながら歩き出した。

 

 ……なんだか変な気分だ。本当は彼女たちを負かしてすぐに立ち去るつもりだったのに。それが、勇者に剣を教えることになるだなんて。

 

 わたしたちはしばらく無言で街道を歩く。やがてアルムちゃんたちの姿が完全に見えなくなるまで離れてから、わたしは隣を歩くリュイスちゃんを抱きしめた。

 

「わぁっ!? ア、アレニエさん?」

 

「疲れたー……人に剣を教えるなんて初めてだったよー……」

 

 アルムちゃんの前じゃ漏らせなかったけど、人にものを教えるのは予想以上に疲れるし神経を使う。

 だからリュイスちゃんを抱きしめて癒させてもらいたい。彼女の温かさを感じているだけで、わたしは元気になれるから。

 

「……お疲れさまです。……答えは、得られましたか?」

 

 彼女は困ったように微笑みながらも、わたしを受け止めつつ、聞いてくる。

 わたしは、返事の代わりに曖昧に笑みを浮かべる。

 

 わたしの漠然とした疑問を、彼女――アルムちゃんが解消してくれるかは、まだ分からない。

 けれど少なくとも、先代の勇者とは全然違う人間だと知れただけでも収穫だった。怖いだけだった先代と違って可愛かったし。

 

 彼女がこれから勇者としてどう成長していくか。それによって、答えは変わってくるのかもしれない。それが楽しみなような怖いような、複雑な気持ちだ。

 

「それはそうとアレニエさん。いきなり飛び出していったと思ったら、そのあとどうして勇者さまに喧嘩を売ることになったのか、ちゃんと説明してくださいね」

 

「あー……えーと……ごめんなさい」

 

「謝らなくてもいいので説明を……」

 

「――……」

 

「――……」




師弟関係を書こうと思ったはいいものの、修行パートの描写が難しかったです・・・読みづらかったらすみません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6節 再会と頼み

「…………」

 

「? アレニエさん、どうかしましたか?」

 

「……ううん。とりあえずなんでもない」

 

「……とりあえず?」

 

 誰かの視線を感じた気がしたけれど、街の喧騒に遮られはっきりとしない。

 気配はそれっきりなにも感じなかったので先を急ぐことにしたが、なんとなく、新たな厄介ごとの予兆のようにも思えた。

 

  ――――

 

 勇者一行と別れてから数日。わたしたちは次の街、ポルトに辿りついていた。

 

 パルティールとルーナの国境付近にあるこの街は、両国の人や物が行き交う流通の要だ。

 二国間の関係は良好。人や物の行き来もあまり制限されていないため、各地の特産品が集まりやすく、特に商人にとって魅力のある場所になっている。

 

 街では住人よりも冒険者や商人などの旅人のほうが多く見受けられ、他とは異なる独特の活気に包まれていた。

 通りには通常のお店以上に屋台や露店が立ち並んでおり、そこには種々雑多な品物と、水色の髪の毛をぶかっとした帽子で隠した少女の姿が――

 

「あ、ユティル」

 

「ん? よう、アレニエと神官の姉ちゃん。あんたたちもこっちに来てたのか」

 

 彼女――ユティルは口元をわずかに笑みの形に歪めると、こちらに片手を上げて挨拶してくる。

 

 ユティルはわたしの知り合いで、一人でふらっと出かけては自分の手で様々な品物を仕入れてくる商人だ。その私生活には謎が多い。

 普段はパルティール王国の王都下層でしか会うことがない(わたしがそこを拠点に生活してるため)ので、他の場所で出会うのは実際珍しかった。

 

「お久しぶりです、ユティルさん」

 

「神官の姉ちゃん、リュイス、だったよな。あんたも無事でなによりだよ」

 

 リュイスちゃんもユティルに挨拶を交わす。二人もわずかだが面識がある。

 出会った当初のユティルは、総本山の神官であるリュイスちゃんを警戒していた。王都上層の住人は、基本的に下層民を見下しているからだ。

 

 ただ、孤児だったリュイスちゃんには、そういった上層の人間らしい高慢さが欠片もなかったため、ユティルもすぐに警戒を解いていた。

 

「いや本当、よく無事だったね。アレニエと一緒だと色々大変だろ?」

 

「あはは……まあ」

 

 ちょっと、そこの二人。

 

「人嫌いだし、衝動的に動くし、寝てるとこを邪魔されると無意識に指折るし」

 

「そうですね……もう少し考えてから行動してくれるとありがたいんですけど……」

 

「本当にな。あと、自分が好きなもののことを悪く言われるとすぐ不機嫌になるんだよな。店のこととか、〈剣帝〉のこととか」

 

「あぁ、分かります。でも、そういうところ、ちょっと可愛いですよね」

 

「……あんたすごいな。こいつを「可愛い」なんて言える人間、そう多くないぜ」

 

 可愛いってリュイスちゃんが可愛いってわたしのこと可愛いって言ってくれてどうしようすごく嬉しい嬉しいんだけどユティルの前で言われるのはちょっと恥ずかしい。

 

 決して人前で表には出さないけれど、心の中のわたしは色々な意味で真っ赤になっていた。

 照れ隠しも含めて、わたしは二人の会話を止めるべく声を掛ける。

 

「二人ともー。それ以上本人の前でからかうなら泣かせちゃうよ。――ベッドの中で」

 

「「すいませんでした」」

 

 揃ってこちらに頭を下げる二人。

 顔を上げたユティルは表情や口調は変えず、声だけをわずかに潜めて再び口を開く。

 

「冗談はこれくらいにして……なあ、気のせいか? 妙な気配を感じるような」

 

「多分、気のせいじゃないよ。わたしもちらちら感じてるし」

 

「え? え?」

 

 わたしも少し声量を落として応じる。リュイスちゃんはなんのことか分からずあわあわしていた。

 

「また他から恨みでも買ったのか?」

 

「えー? 最近はそういうの控えてるし、ほんとに覚えがないんだけどなぁ」

 

「……」

 

 あ、リュイスちゃんがジト目でこっちを見てくる。

 いや、その、確かに勇者にケンカ売ったばかりだけど、ほら、今回は恨みを買うような関わり方じゃなかったし……ね?

 

「まぁ、あんまり気にしてもしょうがないか。それよりあんたたち。今日はこの街で一泊するのか?」

 

「うん。そのつもりだけど」

 

「なら、あたしらで大部屋取って一緒に泊まらないか? 個室より一人当たりの宿代が安くなるからな」

 

「相変わらずしっかりしてるね、ユティルは」

 

 わたしは特に異存ないけど、念のためリュイスちゃんにも目線で確認をとってみる。

 

「私は構いませんよ。大勢で泊まるのって初めてなので、やってみたいです」

 

「大勢って、たった三人だぜ?」

 

「あ、はは……私にとっては、それでも大勢なんです。今までこんな機会、全然ありませんでしたから」

 

「そんなもんかね」

 

 そういえばリュイスちゃん、総本山では孤立してて居場所がないし、個室が割り当てられてるから寝る時も一人なんだっけ。普段から寂しさと憧れを募らせてたのかもしれない。

 

「それじゃ、ユティルの提案に乗って、今日は一緒の部屋に泊まることにしよっか。誘ったからには、いい宿知ってるんだよね?」

 

「任せろ。安値で質もいいとこ紹介してやるよ。こっちだ」

 

 言うが早いかパっと品物をまとめ上げ、宿までの道を先導すべくユティルが歩き出す。

 素直にその背を追い、しばらく歩いた先で辿り着いたのは、大通りから少し離れた小路に建てられた、落ち着いた雰囲気の二階建ての建物だった。

 

 

  ◆◇◆◇◆

 

 

「じゃあ、わたしちょっとギルドに顔出して情報収集してくるから。リュイスちゃん、ユティルの相手よろしくねー」

 

「あんたあたしを何歳だと思ってんだ」

 

 文句を言いつつ、その後は黙って見送るユティルさん。閉められた扉の外からは、アレニエさんが階下に降りる足音が響く。

 やがてそれも聞こえなくなると……部屋の内部も、静寂に包まれる。

 

「……」

 

 同じく部屋に残ったユティルさんの様子を窺いながら、しかし凝視するわけにもいかず、なんとはなしに部屋の内装に視線を泳がせる。

 

 最大六人まで泊まれるという大部屋にはベッドが六つ用意されており、その全てが綺麗に整えられていた。調度品もいい物を使用してるように見える。旅人が多く訪れる街ゆえに、こうした宿も競争が激しいのかもしれない。

 

「……」

 

 彷徨わせていた視線を再び、そして控えめに彼女に向ける。

 

 人見知りの私にとって、知り合いの知り合いというのは難しい立ち位置だ。共通の知人がいる時はなんとか会話に混ざれても、二人きりではなにを話せばいいのか途端に分からなくなる。しかしこのまま沈黙し続けるのも辛い。

 意を決し、話しかけようとしたところで……

 

「なぁ、リュイスの姉ちゃん。少し聞きたいことがあるんだが」

 

「え、あ、はい。なんでしょう」

 

 ユティルさんのほうから声を掛けてくれた。彼女も現状を気まずく思っていたのかもしれない。が……

 

「……あたしはあまり腹芸が得意じゃないから、はっきり聞くんだが……あんた、もしかしてアレニエが隠してる秘密がなんなのか、知ってるのかい?」

 

「ぶふっ……!?」

 

 思わぬ言葉に盛大に吹き出してしまった。

 

「なん……なん、で……!?」

 

「ひょっとしてと思ったら、その反応……ほんとに知ってるのか」

 

「う……」

 

 本人のいないところで肯定するのも(はばか)られ、思わず息を呑み、黙り込む。

 

「神官は嘘をつけないが、沈黙は許されてるんだったな。だが沈黙するってことは……まぁ、そういうことだよな」

 

「……その……。……」

 

「あぁ、すまねぇ。別に問い詰めたいわけじゃないんだ。誰とも組まないはずのあいつが、同じ相手と続けて冒険するのは珍しいから、ちょいと気になってな」

 

 そういえば、アレニエさんは普段一人で冒険しているのだった。

 

「……ユティルさんも、知っていたんですか?」

 

〈クルィーク〉のこと、そして、それが隠している半魔の身体のことを――

 

「何を隠してるのかは知らない。けど、何か隠してるのは態度で丸わかりだった。あいつ、まだ冒険に出ない子供のうちから、あの左手の黒い篭手だけはずっと身につけてたからな。怪しくも思うさ」

 

 アレニエさんが左手に填めている黒い篭手、〈クルィーク〉は、彼女の亡くなったお母さんが最後に造り出した魔具で、幼い頃からずっと所持しているものだと聞いたことがある。一度身につけると外せない代わりに、彼女の成長と共に自動で大きさも調整されるのだとか。

 

 冷静に考えれば、幼少期から身につけ続けている装身具は怪しまれて当然かもしれない。付き合いが長い人にとってはなおさらだろう。

 

「そのせいなのか、それとも別の理由からか。あいつは誰に対しても一歩引いた位置からしか接しないところがある。付き合いが長いあたしにもな」

 

 ほんの少し自嘲気味にユティルさんは笑う。

 

「そんなあいつが、あんたにはずいぶん心を許してるし、自然に笑ってる。いつもはもっと張り付けた笑顔ばかりなのに」

 

 その差に気づくということは……ユティルさんも、彼女の笑顔の仮面を知っていたのかもしれない。

 

「……だから……私が彼女の秘密を知っている、と?」

 

「そうでもなけりゃ、あの顔は見られないと思ってな。あたしが知る限り、他にあいつがあんな顔見せるのは、オルフランの旦那といる時くらいさ」

 

 オルフランさんはアレニエさんの義父で、冒険者の宿、〈剣の継承亭〉のマスターだ。そして……十年前に失踪した伝説の剣士、〈剣帝〉その人でもある。

 

「それで……もし、私が本当に知っていたとして……ユティルさんは、私になにを求めているんでしょうか」

 

「ん。あぁ、そうだな。本題に入ろう」

 

 言い置いてから、彼女は真っ直ぐにこちらを見つめ、こう切り出した。

 

「アレニエの助けになってやってくれ」

 

「……?」

 

 アレニエさんを助ける……?

 

「それは……どういう意味で……?」

 

 助けというなら、むしろ私のほうが彼女にいつも助けられてばかりなのだけど……

 

「言葉通りの意味さ。戦いの場でもいいし、精神的なことでもいい。あいつにそれが必要だと思った時に、助けてやってほしい」

 

「……」

 

 助けるのはもちろん構わない。私は彼女に返し切れない恩がある。それを返す意味でも、好意を寄せる意味でも、彼女の助けになれるなら全く問題はない。

 

 ただ……

 

「おかしいか? あたしがあいつを気にかけるのは」

 

「いえ、そんなことは……」

 

 どうしてそんなお願いをするのか。なぜ出会ったばかりの私になのか。その疑問が表に出ていたのかもしれない。ユティルさんの問いかけに、私はあわてて首を横に振る。

 

「恩があるんだよ」

 

「恩?」

 

「と言っても、近所の悪ガキ共に絡まれてたのを助けてもらった、って程度の話だし、当の本人はもう忘れてるだろうけどな」

 

 少し昔を懐かしむように、彼女の視線が虚空を踊る。

 

「あいつは大抵のことなら自力で切り抜けられるし、そこまで心配はしてないんだが……さっき言ったように、あいつには頼れる人間が少ないし、それに……なにせ、魔王が十年で復活する世の中だからな。いつ何が起こってもおかしくない」

 

 魔王の復活はおおよそ百年ごと、というのが定説だったが、今回はたったの十年で目覚めてしまっている。その理由も、実は私とアレニエさんは知っているのだが――

 

 彼女は目線を落とし、自らの手を見つめる。

 

「あたしは、ただの商人だ。手慰みの護身術程度は身につけてるが、きちんと戦う心得は持っていない。あいつを直接は助けてやれない」

 

 わずかに細められた彼女の瞳は、ほんの少し悔しそうにも見えた。

 

「だから、あんたに頼む。〈聖拳〉の弟子で、アレニエが心を開いてるあんたなら、あいつのパートナーとして申し分ない。……頼めるか?」

 

 終始淡泊な言葉の裏には、アレニエさんを想う気持ちが散りばめられているように感じた。いつも変わった品を見つけては売りつけているのも、ひょっとしたら彼女なりの……

 込められた想いに触れ、私は改めて決意し、言葉を返す。

 

「……はい。必ず」

 

 と、話が一段落ついたあたりで――

 

 コッ、コッ、コッ

 

 と、階下からこちらに近づく足音が響いてきた。程なくしてアレニエさんが扉を開け、入室する。

 

「ただいまー。なに話してたの?」

 

「あぁ、ちょっとあんたの陰口をな」

 

「……本人に言ったら陰口にならないんじゃない?」

 

「そうか。じゃあ、あんたに直接言うことにするさ」

 

「やめてください」

 

 そんな、以前見た時と変わらぬやり取りに自然と納得する。これが、この二人のコミュニケーションの取り方なのだ。全てを打ち明けることはできなくとも、お互いにどこかで通じ合ってるのだろう、と。

 

「まぁ、いいや。武具の手入れしたら今日はもう寝よっと」

 

「部屋は散らかってるのにそういうとこはマメだよな」

 

「命を預けるものだからね。こまめに点検しないと。というか、部屋はあれで使いやすい配置になってるんだよ」

 

「それ片付けられない奴の定番の台詞だぞ」

 

「うるさいなぁ。わたしの部屋だし誰かに迷惑かけてるわけでもないしいいでしょ別に」

 

「オルフランの旦那にはかけてるだろ」

 

「とーさんはいいの」

 

「なんでだよ」

 

 私はそんな二人のやり取りを微笑ましく見る。

 孤独も自責も頭を過らない、にぎやかな夜。

 それを三人で分かち合い、満喫してから、私は眠りについた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7節 夜闇の襲撃者

 朝。

 私たちは街道脇の木陰の下で新しい朝を迎えた。ユティルさんと別れてか数度目の朝だ。

 ユティルさんはパルティールの王都に戻るということでポルトの街で別れ、私たちは本来の旅の目的地であるアルマトゥラ砦に向かっているところだった。

 

 眠気でまだ開けないまぶたに日光が突き刺さる。朝特有の爽やかな空気が鼻腔を刺激する。そこに――

 

 ビシュン! 

 

 と、なにかを鋭く振るう音が混じる。

 これは、以前にも経験がある。確かめたい好奇心が眠気に勝り、少しづつ目を開いていくと……

 

 ピュン!

 

 予想通り。そこには私の旅のパートナーであるアレニエさんが、一心不乱に剣を振るう姿が映し出される。の、だけど……

 

「(……?)」

 

 彼女自身の姿にも、剣を振るう姿勢にもおかしなところはないのに、どことなく違和感を覚える。そこで、ようやく気付く。

 

「(剣が……黒い……?)」

 

 彼女の握る剣はいつもの愛剣ではなく、〈暴風〉のイフから譲り受けたという例の黒剣だった。

 

「……ん。あ、おはよ、リュイスちゃん」

 

 こちらが起きたことに気配で気づいたらしいアレニエさんが声を掛けてくる。

 

「おはようございます……あの、その剣」

 

「ん? あぁ、〈ローク〉のこと? なんでこっちを使ってるかって?」

 

 コクリと、頷く。

 

「せっかく預かったんだし、少しは使えるようにと思って。〈弧閃〉と違って慣れてないからね」

 

〈弧閃〉とは、彼女が腰に提げる愛剣の銘だ。

 

「そんなに違うものなんですか?」

 

 私は剣を扱ったことがないせいだろうか、あまりピンとこない。

 

「違うよー。ついついいつもと同じ振るい方しちゃうけど、形も重さも違うから刃筋がブレちゃって。修正するのにかなり苦労してるよ」

 

 そういうものか。

 

「ほんとは両手で持ったほうが安定するんだろうけどね。わたしの場合、それはそれでしっくりこなくて。扱えなくはないんだけど……」

 

 いつも逆手で片手剣を振るう彼女にとっては、両手で握る構えは窮屈なのかもしれない。

 

「ちなみにこの剣、リュイスちゃんのほうがうまく使えるかもしれないよ」

 

「えぇ? でも、私、剣は扱えませんよ?」

 

「いや、剣としてじゃなくて、魔具として。多分、法術でもいけると思うんだよね」

 

「それって、〈暴風〉のイフが使ってたっていう、魔術の制御の……?」

 

「そうそう、それ」

 

 先日戦った魔将、〈暴風〉のイフは、強すぎる己の魔力を抑えることができなかった(苦手だったとかなんとか)ため、この剣の能力によって魔術を制御していたらしい。力が強すぎるのも考えものなのかもしれない。

 

「まぁ、とは言っても、肝心の使い方が分からないんだけどね」

 

「そうなんですか?」

 

「うん。大抵の魔具は使う時に合言葉が必要でしょ? わたしの〈クルィーク〉もそうだし。でも、〈ローク〉のそれがなんなのか、イフがそれっぽい台詞言ってた覚えがないから、分からないんだよね」

 

「じゃあ……」

 

「そ。法術で試したくても、今のところは試せない。……イフが消える前に聞いとけばよかったなぁ」

 

 その声に、ほんの少し苦さを滲ませてアレニエさんが言う。

 

「まぁ、今さら言ってもしょうがない。さて、リュイスちゃんも起きたことだし、そろそろ荷物片づけて出発しよっか」

 

「……そうですね。急いで支度します」

 

 例のごとく、アレニエさんの準備は半ば以上済んでいるようだ。わたしもこれ以上遅れられないと寝ぼけた頭に気合を入れ、旅立つ準備を整えることにした。

 

 

  ◆◇◆◇◆

 

 

 夜。

 雲に覆われた空は星明かりも遮り、夜の闇をさらに暗く染めていた。

 暗闇が音まで吸い込んでしまったかのように、辺りは静寂に包まれている。聞こえるのは薪が爆ぜる音だけ。

 

 野営の最初の見張り番を申し出たわたしは、焚き火に背を向けて真っ暗な森の中をぼんやりと眺めていた。

 すぐそばにはリュイスちゃんが丸まって眠っている。その姿をちらりと視界に収めてから、わたしはその場で立ち上がった。

 

「そろそろ、出てきたら?」

 

 不意にわたしは、なにもない暗闇に向かって声をあげた。声は虚空に吸い込まれるように消え、それに答える者はなにもない。……いや。

 

 返事の代わりに返って来たのは、二本の投げナイフ。どちらも高所から角度をつけてこちらに投げられている。狙いは、頭部と心臓。

 自分に向けられた明確なその殺意を、逆手で抜き放った剣で弾く。金属と金属がぶつかる甲高い音が、静かな夜に響いた。

 

「――殺す気で来るなら、わたしもそのつもりで相手するよ」

 

 弾かれた二本のナイフは、時間差でわたしの目の前に落ちてくる(そうなるように弾いた)。

 最初に落ちてきた一本を足の甲で受け止め、持ち主に蹴り返す。

 そして蹴り終わるのと同じ頃に落ちてきた二本目のナイフの柄を、自身の剣の柄で受け止め、体重を乗せ、震脚と共に射出する。

 

「ぐっ!?」

 

「あがっ!?」

 

 短い悲鳴を上げながら、少し離れた木の上からなにかが二つ落ちてくる。ナイフは二本とも、元の持ち主に返っていったようだ。

 

 森に静寂が戻る。けれど、襲撃者が今の二人だけとは思わない。現に、蠢く何者かの気配をそこかしこから感じる。

 わたしは警戒を強めながら、再び暗闇に向かって声を掛けた。

 

「あなたたちは何者? どうしてわたしたちを襲うの?」

 

 わたしが色々やらかして他の冒険者に襲われることはあれど、こんな暗殺紛いの襲撃者は初めてだった。さすがに狙われる意図が分からない。

 

 聞いてはみたものの、答えを期待したわけではなかった。再び予告なしに攻撃が始まると思った瞬間、ぬるりと、闇から溶け出すように一人の男が現れる。

 男は黒いマントとフードでその身を覆っていたが、その服の下からは隠しようのない鍛えられた体が浮き上がっていた。

 

 黒ずくめの男は、焚き火の明かりがギリギリ届く距離で踏みとどまる。一歩後ろに下がれば再び闇に溶け込みそうだ。

 

「……貴様らは、勇者と接触した」

 

 男の言葉は端的だった。

 勇者と――アルムちゃんと接触したことが理由。

 

「……あなたたち、貴族の子飼いかなにか?」

 

 思い浮かぶのは、勇者の仲間の地位を狙う貴族たち。彼らの中には、その地位を狙って暗殺者を送りこむ者もいる、という噂が流れている。

 実際には、暗殺の成否や発覚するリスクなどの観点から、実行に移す者は多くないとも聞いたことがある。彼らは、それを実行に移した少数派なのだろうか。

 

 それよりなにより分からないのは、狙いがわたしたちだということだ。

 勇者と接触したと言っても、少しのあいだ剣を教えただけでしかないわたしたちを狙う理由が、本気で分からない。まさか、勇者と接触した人間を片っ端から消しているわけでもないだろうに。

 

 

 結局、男はそれ以上言葉を発することをしなかった。そして無言で腰から長剣を抜き、胸の前で掲げるように剣を構える。騎士が儀礼の場でするような構えだ。

 

 おそらく、目の前の司令官らしきフードの男は陽動だろう。姿を見せたこと自体が囮。

 その証拠にと言うべきか、他の襲撃者たちの気配が先刻より薄れている。奇襲のために身を潜めているのだ。

 けれど、分かっていても目の前の相手に注意を払わないわけにもいかない。自身に目を向けさせるためか、さっきから男は仕掛ける気配を隠そうともしていない。

 

 男から目を離せないでいると、視界の端で動くものがある。それも、左右から同時に。予想していなければ、さっき焚き火に背を向けて夜目を慣らしておかなかったら、反応が遅れていたかもしれない。

 

 フードの男と同じような、黒マントに覆面の襲撃者が二人、左右から長剣で同時に攻撃してくる。

 わたしは一歩引いてかわし、反動をつけて即座に右の襲撃者の腹部を蹴る。

 

「ぐぶっ!?」

 

 襲撃者はくぐもった悲鳴と共に後方に吹き飛んでいく。次にわたしは左の黒マントに向き直りながら、背後に向かって声を上げる。

 

「リュイスちゃん!」

 

「はい!」

 

 眠っていたはずの彼女が即座に起き上がり、防御のための法術を唱える。

 

「《守の章、第二節。星の天蓋……ルミナスカーテン!》」

 

 詠唱と共に、彼女を中心に半球状の光の膜のようなものが生み出される。そして――

 

 バチィ!

 

 その膜になにかが当たって弾かれる音が、辺りに響き渡る。

 光の膜の周囲には、いつの間にか二人の新たな黒マントが現れていた。先刻の音は、彼らの不意打ちがリュイスちゃんの法術によって防がれた音だ。

 

 

  ――――

 

 

 わたしとリュイスちゃんは、襲撃者を誘き出すために一計を案じていた。

 といっても、彼らが襲ってきやすい状況をつくるために森で野営をし、リュイスちゃんに寝たふりをしてもらっていただけなんだけど。

 

 街中や街道、二人ともが起きてる時には手を出してこなかった彼らは、人気のない森の中、わたし一人だけという状況に予想通り食いついてきた。近づいてきた気配にわたしは声をかけ、戦闘が開始された。

 

 わたしだけで対処できる人数なら良かったが、そうじゃない場合リュイスちゃんにも手を出すのは予想がついていた。だから彼女には、あらかじめ防御の術を用意してもらっていたのだ。

 

 そしてフードの男の陽動で、仕掛けてくるタイミングも予測がついた。男が現れたのと同時に他の襲撃者たちの気配が薄れたことも、予測を後押ししていた。

 

 

  ――――

 

 

 襲撃者たちは奇襲を防がれ数瞬狼狽えたように見えたが、少しすると強引に光の膜を破壊するためか、攻撃を再開し始める。

 

 なるべく彼女が襲われるような状況は避けたかったけれど、こうなったからには一刻も早く目の前の相手を倒して、彼女の加勢に向かうしかない。

 

 わたしは左の黒マントの追撃を受け流し、態勢が崩れた相手を蹴り倒す。そして、そこで気づいた。

 

「(最初の男がいない……!)」

 

 同時に、背後から嫌な気配。

 自分の感覚を素直に信じて即座に振り向けば、フードの男の長剣が振り下ろされる直前だった。

 

 わたしは相手の力が乗り切る前にむしろ一歩踏み出し、自身の剣を押し当てて攻撃を防ぐ。

 そこから押し合いになる前に剣を引き、相手の態勢を崩し、自分の体を時計回りに回転させながら逆手に握った剣をフードの男に突き刺す!

 

「ぐっ……!」

 

 本当は胴体を狙ったんだけど、態勢が崩れたからか、寸前で防いだのか、剣は男の右腕に深々と突き刺さっていた。痛みのためか、男は握っていた剣を取り落とす。

 

 致命傷にならなかったことを察し、即座に剣を引き抜く。

 止めを刺してしまいたいところだけど、今はとにかくリュイスちゃんを助けに行かないといけない。

 わたしはその場で鋭く回転し、男を蹴り飛ばした。

 

「がっ……!?」

 

 男が吹き飛んだのを確認し、すぐに反転して彼女の元に駆け出す。

 

「リュイスちゃん!」

 

 彼女の術を破壊しようとしていた襲撃者たちが、わたしの叫びに反応してこちらに振り向く。

 

 彼らは一度互いに顔を見合わせると、一人がこちらに向けて駆け出し、突進の勢いそのままに、手にした長剣を全力で突き出してきた。

 それを左手の篭手で後方に逸らしながら前進し、カウンターで顔面に膝蹴りを打ちこむ。

 

 グシャァっ!

 

 鈍い音を響かせながら、覆面の一人が吹き飛んでいく。それを見届けるのももどかしく、すぐさまもう一人の襲撃者に向かおうとしてそちらを見ると――

 

 襲撃者はなおも光の天幕を破壊しようと躍起になっていたが……突如、壊そうとしていたそれが消失する。

 

「……!?」

 

 リュイスちゃんが術を解除したのだ。あるはずの手ごたえが無くなり、黒マントはバランスを崩した。そして彼女は、即座に次の術を発動させる。

 

「《プロテクション!》」

 

 両手に光の盾を纏わせた彼女は、左手の盾で剣を抑えながら、右拳の盾で相手の胴体を殴りつける!

 

「おぐっ!?」

 

 殴られた側は悶絶し、体をくの字に折る。続けて、位置を下げたその顔面にも一撃を加えるリュイスちゃん。襲撃者は吹き飛び、そのまま動きを止める。

 

 …………

 

 どうやら、慌てて助ける必要はなかったみたいだ。

 

 実戦での経験が少ないだけで、彼女自身の実力は相応に高い。

 彼女を鍛えたのは、十年前に先代勇者と冒険を共にしたというあの人――〈聖拳〉と呼ばれた神官、クラルテ・ウィスタリア――なのだから、当然かもしれない。

 当の本人は戦いが終わった安堵からか、へなへなとその場に座り込んでしまったけれど。

 

「リュイスちゃん、大丈夫だった?」

 

「はい……なんとか……。アレニエさんは……」

 

「わたしも大丈夫。敵も大体片付いたし。ただ……」

 

 ひゅ――ギインっ!

 

 暗闇から飛来したナイフをわたしは剣で受ける。弾かれたナイフはくるくると宙を舞った後に、地面に突き刺さった。

 

「まだ一人、めんどくさい人が残ってるんだよね」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8節 狂気

 わたしはリュイスちゃんをかばって前に立ち、彼女を後ろに下がらせる。

 ナイフが飛んできたのと同じ暗闇から、先刻のフードの男が苦しげに歩を進めていた。

 

 見れば、男の右腕はだらりと力なく垂れ下がっている。先刻の刺突の傷が深かったのだろう。出血も相当あるようだ。

 

 さらに蹴り飛ばした際のダメージが足にきているのか、体がふらつくのを堪えながらこちらに向かってくる。そんな状態なのに、こちらを見る目だけはギラギラと怒りに燃えていた。

 

「邪魔を……するな……冒険者、風情が……!」

 

「邪魔って。そっちから襲ってきたのに、ずいぶん勝手な言いぐさじゃない?」

 

「とぼけるな……報告は受けているぞ……貴様は、我らの動きを掴んでいたのだろう……!」

 

「???」

 

 どうしよう。そんなこと言われても全然心当たりがない。

 なにかの勘違いで襲われたんだろうか。でも、その割には殺意高いしなぁ……

 先刻までの無口な印象は鳴りを潜め、男はその口から怒気を吐き出し続ける。

 

「偽りの勇者を、認めるわけにはいかぬ……正統なる勇者は、我らが主を置いて他になし……!」

 

「……偽り? 正統……?」

 

「我らが悲願のため、偽りの勇者を(ちゅう)する! 邪魔をするな!」

 

 狙いは守護者じゃなくて、勇者本人……?

 つまり彼らは、自分たちの主人のほうが勇者に相応しいから、現勇者のアルムちゃんを殺そうとしてる、と?

 

 でも、じゃあわたしたちを狙う理由は? わたしがなにかを掴んでたってなんの話?

 動機は判明したけど、同時に分からないことも増えた。とはいえ……

 

「そんな話を聞いちゃったら、見過ごすわけにもいかないかな」

 

 わたしは腰を落とし、逆手に握った剣を構える。

 勇者を助けるために動いているわたしたちが、勇者暗殺の実行犯を止めないわけにはいかない。なにより……アルムちゃんは、わたしの弟子だ。

 成り行きの初心者師匠ではあるけれど、わたしは師として、できたばかりの可愛い弟子を助けたい。

 

「あくまで、邪魔立てするか……」

 

「するよ。可愛い弟子のピンチだもの。あなたこそ、そんな傷でまだ続けるの? ここで全部やめるなら、見逃さないこともないよ?」

 

「下賤の冒険者風情が、思い上がるな! 我らの存在を知った貴様らは、ここで始末する……!」

 

 あぁ、だめだこの人。もう冷静な判断ができない、というか話にならない。

 いや、例え冷静だったとしても、彼はあくまでわたしたちを殺そうとしてくるだろう。狂信的な忠義に酔っているようにも見える。

 

 そもそもわたしにとっては、一度でも命を狙われたなら、やり返す理由としては十分だ。

 それでも一応相手の意思を確かめたのは、リュイスちゃんが傍にいたから。

 目の前で死者が出ることに心を痛める彼女は、例えそれが目の前の男のような狂人であっても、同じように感じてしまうだろうから。

 

 ただ、今回は相手が悪い。目の前の男は、話して聞くような人種じゃない。――叩きのめしただけで止まるような相手じゃない。

 

「だよね。……なら、仕方ないか」

 

「我らの大義を解さぬ下賤が! 死ぬがいいっ!」

 

 男は叫ぶと、姿勢を低くしながらこちらに突進し、左手に握った短剣を振りかぶる。それを眼で追いながら、わたしは言葉を返した。

 

「知らないよ、そんなもの。あなたたちの大義とやらをわたしたちに押し付けないでくれる?」

 

「ガアアァァァ!」

 

 こちらの言葉が聞こえているのかいないのか。獣のように咆哮する男からは判別できない。

 

 肉薄した男が袈裟懸けに振るう短剣に、わたしは自身の剣を交差させるように当てる。金属が衝突する甲高い音が響き、相手の武器が弾け飛んだ。

 

 しかし男は武器を落とされたことにも構わず、今度は左手を貫手の形に揃え、こちらの首を刺し貫こうと迫る。それが届く前にわたしは――下からすくい上げるように剣を振るい、相手の肘から先を斬り飛ばす。切断面から夥しい出血。

 次いで右足を真下から真上へと高々と掲げ、男の顎を下から蹴り抜く。

 

「がっ……」

 

 くぐもった声と鮮血を上げながら、男は後方に倒れる。それと時を同じくして、先刻斬り飛ばした男の腕が地面に落ちる。

 わたしは倒れた男に止めを刺そうと歩き出し……

 

「アレニエさん……」

 

 背後から聞こえてきた、彼女の縋るような声で足を止めた。

 

「……ごめんなさい……頭では、勇者さまを助けるためには、止めないほうがいいって分かってるんです……でも、やっぱり私は……」

 

 リュイスちゃんは今にも泣き出しそうな顔で気持ちを訴える。

 

 彼女は過去の体験から、自身の目の前で死人が出ることを酷く恐れるようになった。それは、意思だけでどうにかするのは難しい、彼女の根本のようなものとして、彼女の心に根差している。彼女が自身で語っているように、頭で状況を理解していても、心が追いついてこないのだろう。

 

 だから、どこかで彼女が止めに入ることも予想はしていた。決着が見えるまで声を掛けてこなかったのは、下手に邪魔をすればわたしの身が危ないことを理解していたからだろう。

 

 わたしが半魔であると知っても受け入れてくれたリュイスちゃん。彼女が嫌がることはできるだけしたくない。必要な時にはすると思うけど。

 

「……ふぅ」

 

 短く、息を吐く。

 見える範囲に敵は残っておらず、一番厄介な司令官らしき男も倒れた。他の気配もとりあえず感じない。ひとまずは落ち着いたと見ていいだろう。

 

 わたしは倒れた男を見据えたまま剣を鞘にしまい、代わりにポーチからロープを取り出す。

 

「リュイスちゃんも荷物からロープ取ってきて。全員拘束するよ」

 

 それはつまり、少なくとも今すぐには殺さないということだ。

 

「……! はい!」

 

 その意味をすぐに理解し、彼女はかすかに嬉しそうな声で返事をし、たき火の近くに置いていた荷物の元に駆け出していく。

 わたしはそれを背に、用心しながら男に近づき、手早く手足を拘束しようと……

 

「く……はは、は……」

 

 倒れているフードの男の口から突然、くぐもった笑い声が聞こえてくる。もう意識を取り戻した? それとも初めから気絶していなかったのだろうか。

 

「なにがおかしいの?」

 

「くく……これで全て終わったと……そう思っているか? 下賤の者よ」

 

 男は地べたに仰向けに倒れながら、尊大そうに言葉を続ける。

 

「……否。あの小娘を始末するための人員は我らだけではない。すでに別の部隊が手筈を整えている。我らの大義は終わらぬ」

 

「そんな……!」

 

 ロープを持って戻ってきたリュイスちゃんが驚きに声を上げる。

 男はこちらへの視線を切ると、地面に頭を置き、虚空に向けて呟く。

 

「この目で見届けられぬは心残りだが……そのための(いしずえ)としてこの身を捧げるならば、それもまた本望…………《我らが主は光……光には一片の影もなく、影は闇に消え去るのみ……》」

 

 呟きと共に、男の体がかすかに光を帯び始める。そして、その光は徐々に強さを増していく。――なにかは分からないけどまずい!

 

「――リュイスちゃん!」

 

 即座に振り向き、リュイスちゃんに覆いかぶさりながら無理矢理地面に押し倒す。

 彼女も危険を察知してか、倒れ込みながら咄嗟にわたしたちを覆うように、光の盾を複数重ねて発動させる。

 

「《プ、プロテクション!》」

 

 次の瞬間――

 

 閃光。爆発。轟音。

 

 リュイスちゃんの盾越しに、熱波と爆風がわたしたちを舐める。

 光の盾はある程度爆発の威力を抑えてくれたが、全てを耐え切ることはできず、半ばで砕けてしまう。

 それでも即座に地面に伏せたことが功を奏したか、致命傷は避けられたようだ。

 

 やがて光と熱が収まり、周囲に静寂が戻ってくる。そして、その静寂を再び破ったのは、わたしが抱えていた少女の叫びだった。

 

「――あ……あ、あ……いや……いやああああぁぁぁぁあっ!?」

 

 仰向けに倒れていたリュイスちゃんは、わたしの背後、先ほどまで男がいた辺りを見て悲鳴を上げていた。

 

 慌てて後ろを振り返ると、フード男の姿はそこになかった。代わりにあったのは、地面が抉れ、焼け焦げたような跡と、青白い炎だけ。

 魔術による爆発。それも、自分の体ごと犠牲に。

 

「……うぶっ……」

 

 リュイスちゃんの苦しげな声。振り向けば、彼女は蒼白な顔を浮かべ、上体をくの字に折り、地面に吐瀉物を撒き散らしているところだった。わたしは慌てて彼女の体を支え、背中をさする。

 

 忌避していた眼前での死者。それも、尋常ではない死に様。

 一瞬で事が起こりすぎて、心が限界を迎えてしまったのだろう。正直、わたしもこんなのを見るのは初めてだった。彼女の精神的ショックはなおさら計り知れない。

 

 あの男の最後の行動は、わたしたちを巻き添えにしようとしてか。証拠隠滅のためなのか。狂人だとは思ったけど、まさかここまでする相手だとは思わなかった。

 それに、男が最後に言っていた台詞。アルムちゃんを始末する部隊は他にもいる。

 それが本当なら、今すぐ彼女を探して助け出さないといけない。

 

「(とはいえ、なんの手掛かりもなしじゃ探しようが……)」

 

 と、そこで目に入ったのは――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9節 尋問(のようなもの)

 リュイスちゃんを介抱しつつ周囲を見回していたわたしの目に、倒れている他の襲撃者たちの姿が映った。

 

 その中の一人、リュイスちゃんから離れた位置に倒れていた襲撃者にわたしは近づき、手足をロープで縛り上げ、さらに木の根元に括りつける。仮にさっきの男のように自爆したとしても、リュイスちゃんに被害が及ばないように。

 

 わたし自身もすぐに退避できるよう身構えながら、縛り付けた襲撃者の覆面を剥ぎ取る。

 

 暗闇と覆面で今まで気づかなかったが、その下の素顔は女の子だった。

 年齢は、リュイスちゃんより少し上くらいだろうか。思いの外かわいい顔立ち……って、今はそれどころじゃない。

 彼女の頬を軽く叩き、目を覚まさせる。 

 

「う……?」

 

「おはよー」

 

「……貴女は……」

 

 彼女は数瞬朦朧としていたが、身じろぎしようとして……縛られてできないことにすぐに気づいたらしい。

 そして周囲を見回し、わたしの後方の地面、爆発で抉れた場所も確認し、わずかに俯く。

 

「……そう。隊長は死んだの」

 

 それは、ただ事実を確認するだけのような口調だった。怒りや悔しさのようなものは全く感じられない。わずかに安堵しているようにすら見える。

 

「うん。危うくこっちが死ぬかと思ったよ。ちなみにあなたも同じことするつもりなら、すぐさまここから離れるけど」

 

「しないわよ」

 

 わたしの言葉に、彼女はくすりと――少し自嘲気味に――笑いながら答える。

 実際、目の前の彼女からは自分で命を絶つような自暴自棄な気配は感じない。警戒は続けておくけれど。

 

「よかった。じゃあ早速で悪いんだけど、ちょっと聞きたいことがあってね。素直に答えてくれれば嬉しいけど、答えないなら殺して次に行く。ごめんね。こっちもあまり手段を選んでる余裕がないから」

 

 少しでも焦燥感を煽れればと、なるべく淡泊に、冷淡に告げる。しかし相手の反応は落ち着いていた。

 

「そんな脅しをかけなくても、知ってることは話すわ」

 

「……ほんとに?」

 

「ええ。……殺し屋の言うことなんて、急には信じられない?」

 

「うーん……一応、理由を聞いてもいい?」

 

「一つは、仲間を殺さないでいてくれたみたいだから。さっき、「次」って言ってたでしょう?」

 

 失言だっただろうか。

 しかし表情にはなにも表さず、わたしはいつものように笑顔で答える。

 

「これからも殺さないって保証はないよ?」

 

「……そうね。貴女はその必要があれば殺せる人間でしょう。でも、殺しを好む人間でもない。仕事柄、殺す側も殺される側も見てきたから、なんとなくは分かるわ」

 

 そうはっきり見透かされるのもなんか悔しい。が、やはり表には出さず、彼女との対話を続ける。

 

 彼女は、「一つは」と言った。ということは、他にも理由があるということだ。それを尋ねると彼女は、わずかに俯きながらその口を開く。

 

「……私は――私たちは、あの隊長ほど、あの家に忠誠を誓ってないから。従わないと、暮らしていけないんだけどね」

 

「雇われてるだけ、ってこと?」

 

「少し違うけど、似たようなものかしら」

 

 さっきの男のように狂信的ではなく、仕方なく命令に従ったという立場なら、この対応もおかしくないのかもしれない。

 

 もっと抵抗されると思っていたので正直拍子抜けの感もあったが、素直に話してくれるならそれに越したことはない。

 

 これが演技や、偽の情報を教えるというような罠の可能性もあるけれど……まあ、それは今考えても仕方ない。精査してる余裕もないし、見た限りでは嘘はなさそうだと感じる。

 

「分かった、とりあえず信じるよ。嘘だった時は、あとで仕返し(・・・)すればいいだけだしね」

 

「……どんな仕返しか、あまり考えたくないけど……まぁいいわ。……あぁ、でも一つだけ。家の名前だけは明かせないように、『誓約』がかかってる。だから知りたい情報がそれだった場合は――」

 

「それは興味ないからいいや」

 

「え、あ、そう……。……じゃあ、聞きたいことって?」

 

 とにかく今は目の前の情報だ。まず聞かなきゃいけないのは……

 

「……別動隊の、居場所と人数って分かる?」

 

「どうして、そんなことを……? いえ、いいわ。この辺りから北上した場所に、今は使われていない大昔の砦があるの」

 

「砦……」

 

 って、もしかして……リュイスちゃんが〈流視〉で見たっていう、勇者が死ぬ砦?

 

「別動隊は、その砦で勇者を待ち構えてる。数は、六人。本当なら、私たちもそこに参加するはずだったのだけど……」

 

「わたしたちを襲撃するために部隊を分けた」

 

 こちらの言葉に、彼女はコクリと頷く。

 

「……ん? 待ち構えてる、って言ったけど、アルムちゃんがそこに行くとは限らないんじゃ? なにか、保証でもあるの?」

 

「仲間の一人が、守護者として勇者の傍に潜り込んでいるの。彼が先導して砦まで勇者を誘き出すことになっていて――」

 

 疑問に答える途中で、なぜか彼女はこちらを訝しげに見上げる。

 

「……貴女は、それに気づいていたのではないの? だから私たちは、部隊を分けてまで貴女たちの監視を……」

 

「……なんの話?」

 

「…………だったら、どうして貴女は、エカルラートにあんな質問を……」

 

「エカルラート……?」

 

 その名前……なんだろう、つい最近、どこかで似たような名前を耳にしたような……

 

 ――「(エカル、どうしたの?)」「(……いや、なんでもない)」――

 

 ――そうだ。

 アルムちゃんの仲間の魔術師くん。確か、「エカル」って呼ばれてた。

 

 エカルは、エカルラートを縮めた呼び名……? その名前を、目の前の彼女が口にするってことは……

 それに、わたしたちが彼らに襲われた理由。それは、あの時彼に、「アルムちゃんを狙っているのか」、と問いかけたことが原因……? ……狙う、って、そっちの意味?

 

「……つまり、あの魔術師くんが、アルムちゃんを砦に連れていく役……?」

 

「……ええ、そうよ。エカルラートは、そのために守護者として推挙された。……あの、本当に気づいてなかったの?」

 

「……うん」

 

 あの時のわたしの問いに、魔術師くんは自身の秘密がバレたのだと焦り、その報告があの隊長に届いた結果、わたしたちに部隊が差し向けられた、のだろう。……勘違いで殺されかけたんだとしたら、なんだかなぁ。

 

「ありがと。色々繋がった」

 

「どういたしまして。……もういいの?」

 

「うん。どうも先を急がなきゃいけないみたいだしね。一応念のため、縄はそのままにしておくよ。仲間が起きたら助けてもらって」

 

「ええ」

 

「あと、明かりと獣除けに焚き火もそのままにしておくから、帰る時に片付けといてね」

 

「え? あ、ええ。……変な人ね、貴女は」

 

 そんなに変なこと言ったかな。

 

 彼女はわずかに考え込むような表情を見せた後、口を開く。

 

「……こちらの部隊は、あの隊長を除けば、私と同じように拾われて育てられた者ばかり。無理矢理従わされてる捨て駒のようなもの。でも砦に待機しているのは、実力も忠誠心も高い精鋭ばかりよ。本当に乗り込むなら、注意したほうがいい」

 

 拾われた……わたしと同じような孤児で、件の家に引き取られたということだろうか。というか……

 

「心配してくれるの?」

 

「殺さずに済ませてくれたから、そのお礼よ。あなたにもっと容赦がなければ、今頃全員死んでいたでしょうから」

 

「わたしのパートナー、そういうの嫌いだから。あの子に嫌われないように控えめにしてるの。本当は、殺そうとしてくる相手には同じことを仕返す主義なんだけどね」

 

「そう。なら、お礼は彼女にすることにするわ」

 

「うん、そうして。……最初の二人は、ごめん」

 

「分かってる。あの二人も、覚悟してたはずよ」

 

 二人で、わずかの間沈黙する。

 とりあえず聞くことは聞いた。あとは目的地に急ぐだけだ。わたしはこの場を離れ、リュイスちゃんの元へ向かおうと――

 

「……こんなことを言えた義理ではないのだけど」

 

 足を踏み出そうとしたわたしに、わずかに遠慮がちな声が掛けられる。

 

「できることなら、エカルラートも殺さないでくれると、嬉しい。昔からの、仲間だから」

 

 あの魔術師くん、か。

 彼も目の前の彼女と同じく、上から命令されているだけなのだろうし、積極的に命を奪う理由は実際ない。

 けれど仮に、彼を殺さなければアルムちゃんを助けられない、そんな場面になれば、わたしは迷わずアルムちゃんのほうを助ける。だから、その願いにはこう答えるしかない。

 

「善処はするけど、状況次第」

 

「……ありがとう。十分よ」

 

 満足したのか、彼女は息を吐いて傍目には分からない程度に脱力する。落ち着いているように見えたけど、やっぱり気を張っていたのかもしれない。

 わたしは今度こそ立ち去ろうと歩き出し――

 

「あ、そうだ」

 

 ふと思い立ち、再び彼女に向き直る

 

「もし今の職場に居づらくなったら――無事に抜けられたら、王都下層にある〈剣の継承亭〉ってお店を訪ねてみて。冒険者としてなら、歓迎するよ」

 

「……冒険者……。考えたこともなかったけど……わかった。憶えておくわ」

 

 わたしは一つ頷くと、リュイスちゃんのところへと踵を返す。

 

「リュイスちゃん」

 

「……アレニエさん……」

 

 彼女は胃の中のものを吐き出し終えてひとまず落ち着いていたみたいだったが、いまだ地べたに座り込み、放心していた。辺りには吐瀉物の匂いが漂っている。

 

「まだしんどいと思うけど、すぐにここを発つよ。わたしたちだけじゃなくて、アルムちゃんのほうも狙われてるみたいだから」

 

「勇者さまが……? ……分かり、ました……急いで、支度を……――うっ……!?」

 

 再び、リュイスちゃんの苦しげな声。もしやまた具合が悪くなったのかと彼女の顔を覗き込むと――

 目に痛みを感じるのか、彼女は右目を手で押さえていたのだが、その手の隙間から青い光の輝きが漏れ出していた。

 

 彼女が手を離すと、青く不定形に揺らめく不思議な光を湛えた右目が現れる。

 これが、彼女が持つ特殊な力、物事の流れが見えるという瞳、〈流視〉だ。以前、一度だけ見たことがある。

 

 

  ――――

 

 

 リュイスちゃんによれば、〈流視〉には二つの種類がある。彼女が意識して見ることができる小さな流れと、彼女の意志とは関係なく見えてしまう大きな流れだ。

 

 前者で見えるのは、目の前の人間の動きの流れや、周囲の魔力の流れなどの小規模なもの。

 一方後者は、この先起きる大規模な災害や、人の一生の流れなど、人の手には余る膨大な情報が流れ込んでくる。

 

 そしておそらく、今彼女が見ているのは後者の――大きな流れのほうだ。

 

 

  ――――

 

 

 彼女はその目でなにも無い空間をしばらく見つめていたが、次第に瞳の光は薄れていき、やがてそれが完全に消えると、疲労のためかガックリとうなだれる。

 

「……大丈夫?」

 

「……私は、平気です。今は、それよりも……」

 

 彼女はよろめきながらも立ち上がり、こちらに向き直る。

 

「……見えたのは、以前見たものと同じ、勇者さまの旅の流れでした。でも、前に見た際は砦まで続いていたのが、今回はそれより手前で途切れていて……これって……」

 

「うん……そういうことだろうね」

 

 先刻聞き出したように元々は、砦までアルムちゃんを誘き出して殺す、というのが、あの襲撃者たちの立てた計画だったのだろう。

 

 最初に〈流視〉で相手の姿が見えなかったのは、おそらくアルムちゃんが彼らに背後から暗殺されたから。敵の姿を視認できなかったから、姿が見えなかった。

 

 それが、わたしたちが関わったことで(もしくはわたしが余計なことを言ったせいで)状況が変わり、計画がずれて、予定より早く決行してしまっているのかもしれない。

 なんにせよ、このタイミングでもう一度見れたというのは、不幸中の幸いだ。

 

「リュイスちゃん。アルムちゃんが今どこにいるか、分かる?」

 

「……はい。大体の流れは見えたので、それを辿っていけば見つけられると思います。まだ少し、頭の整理ができていませんが……」

 

 大きな流れは流れ込む情報量が膨大なため、彼女の頭に多大な負荷がかかるらしい。とはいえ今は情報を精査している暇はないし、おおよその位置がわかれば十分だろう。

 

「そっか。じゃあ、悪いけどすぐに出発しよう。……多分、あんまり時間ないから」

 

「はい……!」

 

 彼女の心身の負担が心配だけれど、今言ったようにおそらく猶予はない。

 わたしたちは手早く荷物をまとめ、この場を後にした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10節 勇者捜索隊

「――えっ……勇者さまの仲間の魔術師が……?」

 

「うん。最初からそのつもりで潜り込ませてたらしいよ」

 

 日が落ちて真っ暗になった街道は、少し先の地面も見えづらい。

 月は出ているが大半が雲に覆われているため、あまり視界がいいとはいえない状況だ。

 

 わたしたちは夜の街道を月明かりと自前の明かり(たいまつやランタンではなく、リュイスちゃんが法術で生み出した小さな明かりだ)を頼りに走り続ける。

 走りながらわたしは、隣を走るリュイスちゃんに大まかな経緯を説明していた。

 

「……今いる勇者を殺害して新しい勇者を擁立(ようりつ)する、なんて……そんなこと、本当に可能なんでしょうか」

 

「どう、だろうね。わたしには分からないけど……でも、本気でやろうとはしてたみたいだよ」

 

「……そう、ですね。自分の命を犠牲にしてまで……」

 

 リュイスちゃんがわずかに下を向き、沈痛な表情になる。

 しまった。ついさっきできたばかりのトラウマを思い出させちゃったみたいだ。

 また具合が悪くなるんじゃないかと一瞬心配になったが……

 

 彼女は顔を上げ、前を向く。さっきまで蒼白だったその顔は、今は決意に満ちた力強い表情になっていた。

 

「……どんな理由があったとしても、今の勇者さまの命を奪うなんてやり方、私は納得できません。絶対に阻止します!」

 

 彼女は走りながらきっぱりと宣言する。

 どうやら、余計な心配だったみたいだ。

 

 普段は気が弱そうに見えるが、覚悟が決まった時のリュイスちゃんは本当に強い。

 彼女のこの強さがなければ、わたしが今こうして彼女の隣に立っていることはなかったはずだ。

 彼女には本当に感謝しているし、彼女自身のことも大好きだ。彼女の望みは出来得る限り叶えてあげたい。

 

 それに、わたし自身も、勇者ということを抜きにしても、アルムちゃんには死んでほしくない。

 

「そうだね。そのためにも今はまず、アルムちゃんを見つけ出さないと、ね」

 

「はい!」

 

 わたしたちは、法術のほのかな光を頼りに街道を走り続ける。

 夜の街道は暗く、静かで、すれ違う者も訪れない。

 

 やがて前方、街道脇の林の中に、わたしたち以外の光源を発見する。

 夜目に明るいそのオレンジ色の光は、わたしたちと同じような旅人が熾したであろう、焚き火の炎だった。

 そして同時に、その火のあたりから、誰かが叫んでいる声も耳に届いてくる。

 

「アルムー! エカルー!」「勇者さまー! どこですかー!」

 

 大声で仲間の名を呼ぶ二人の人影。もしやと思い近づいてみると、そのうちの一人はわたしがよく知る人物だった。

 

「シエラちゃん!」

 

「……え、先輩? どうしてここに……」

 

「偶然たまたま、ね。それより、なにかあったの?」

 

「それが……アルムとエカルに前半の見張りを任せて、私たちは先に眠りについていたのですが、目を覚ました時には二人の姿が見当たらなくて……」

 

 どうやら、あの魔術師くんはもう行動を起こしていたらしい。なにかしら理由をつけて、アルムちゃんを例の砦まで連れていこうとしているのだろう。

 

 いや、さっきリュイスちゃんが見た流れが確かなら、そこに辿りつく前に彼はアルムちゃんに手を出しているのかもしれない。

 なんにせよ、いよいよもって猶予がない。

 

「分かった。シエラちゃん、わたしたちもアルムちゃんを探すの手伝うよ」

 

「それは……ありがたいですが、いいんですか?」

 

「うん。せっかく師匠になったんだし、弟子は大事にしないとね」

 

「先輩……ありがとうございます」

 

 一つ頷いて、わたしは街道に目を向ける。

 

 街道の先には枝分かれするように森に向かうための道が続いている。

 ほとんど整備されておらず、下草も生え放題のその道は、遥か昔に例の砦を建造する際に使われた資材の搬入路なのだという。砦に誘導するつもりなら、おそらく二人はこの道の先にいる。

 

 そういえば、シエラちゃんたちを現場に連れていくべきか、少し悩む。

 アルムちゃんを探し出せばほぼ確実に、推定裏切り者の魔術師くんと対峙することになる。そうなれば、彼を殺す必要に迫られるかもしれない。

 仮にも今まで仲間だった二人を、そんな場面に遭遇させないほうがいいだろうか。

 

 それに、いざ殺す、となった時、彼女たちがそれを阻止しようとする可能性も……いや。それでも今は、人手を優先するべきかもしれない。この暗闇に包まれた森の中から、たった二人の人物を探し出さねばならないのだから。

 

「それじゃ、こっちとそっちで手分けして探そう。えっと……」

 

 神官ちゃんの名前を呼ぼうとして気づく。この子に名乗られた覚えがない。リュイスちゃんはなんて呼んでたっけ。

 

「……アニエスです。アニエス・フィエリエ」

 

「アニエスちゃんね」

 

「ちゃん……!? ……いえ、まあいいです」

 

「それじゃアニエスちゃん。アルムちゃんを見つけたら、空になにか法術を撃って知らせてくれるかな。こっちもリュイスちゃんにそうしてもらうから」

 

「……ええ。承知しました」

 

「じゃ、そんな感じで探しにいこっか」

 

「はい。先輩たちも、お気を付けて」

 

 わたしたちは二組に分かれ、夜の森へ足を踏み入れた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間1 ある魔術師の追憶①

 オレに名前はなかった。

 オレに親はいなかった。

 気が付いた時には王都下層で他人に物を乞い、あるいは奪って生きていく生活をしていた。

 

 やり方は周囲のクソみたいな大人に教えられた。

 奴らは自分たちでは動かずに、オレが奪ったものをオレから奪って糧を得ていた。オレに残されるのは、ほんのわずかな分け前だけだ。 

 

 周りには同じような境遇のガキどもが大勢いた。多くは親に捨てられた連中だ。おそらくはオレと同じように。

 

 仲間意識というものはあまりなかった。

 ふと気づけば昨日までいた奴がいなくなっていたり、動かなくなっていたりする。なのに、それを気にする余裕もほとんどなかった。

 

 ただ奪い、奪われるだけのクソみたいな毎日。

 そんなクソみたいな生活に、ある日唐突に終わりが訪れた。

 

 

  ***

 

 

「エカル、まだ着かないの?」

 

「ああ……もう少しだ」

 

 

  ***

 

 

 オレたちの縄張りに現れた一人の男。

 フードで顔を隠したその男は、オレたちのうち何人かを自分たちのところで引き取ると言い始めた。

 

 後で知ったことだが、そいつはとある貴族に仕える私設騎士団に務める人間だった。騎士団といっても、後ろ暗いことを一手に引き受けるクソみたいな部署だ。

 奴は組織の人員補充のために、下層のガキどもに目をつけたという。

 

 オレを含む数人がその男に引き取られ、オレたちの生活は一変した。少なくとも食うに困ることはなくなった。

 代わりに、こなさきゃいけないことが死ぬほど増えた。

 

 主に暗殺のための戦闘訓練。武器や素手で相手を殺す方法を覚えた。

 

 読み書き、一般教養・常識などの勉学。字を知り、世界を知った。

 

 素養のある連中には、魔術や法術の修練。オレにも適正があるとかで、無理矢理魔術を教え込まれた。

 

 失われた神々についての知識、神学。遥か昔にアスタリアを始めとする神々は戦によってその身を失い、法術の法則だけを残して眠りについたと言われている。

 姿を消した神々は、人々の祈りへの対価として法術を授けるのみ。

 

 神は存在する。法術の存在が証左になる。

 だが肉体を失った神々は物質世界に触れることはできないため、人々が神に祈ったとしても都合のいい奇跡は起こらない。そんなクソみたいな現実を知った。

 

 さらに、自分たちが仕えているお貴族さまがどんなに素晴らしいか、そこに仕えていることがどれだけの誉れか、なんていうクソみたいな説法もあった。

 

 それから、オレに呼び名がついた。十三番。名前じゃなく番号だ。クソだ。

 

 

  ***

 

 

「結構二人から離れちゃったけど、本当に大丈夫なの?」

 

「……ああ。ここまで離れれば問題ない」

 

 

  ***

 

 

 新しいクソみたいな生活が数年も続いた頃、オレは初めてあいつに出会った。

 アルフレド・アステルフ。オレたちが仕える貴族、アステルフ家。その家の長男。

 

 初めはそんなこと気づかなかったし、印象はただののん気な優男だった。

 いつものように訓練で死にかけ、訓練場の外でグッタリしていたオレの前に、何かから逃げるようにあいつが現れ、匿ってくれと言ってきた。

 

 建物の影に隠れ、追っ手をやり過ごしたそいつは、オレに礼を言い事情を明かした。稽古や勉強に疲れ逃げてきたと。

 予想以上のくだらない理由に呆れつつも、他人から礼を言われたことなど滅多になく、悪い気はしていなかった。

 それ以来、度々そいつはオレの前に現れては遠慮なく話しかけてくるようになった。

 

 何度か、何かにオレを利用しようとしてるのかと疑ったこともあったが、やろうと思えばすぐにオレに命令できる立場の人間が、そんな小細工を弄する意味がない。

 

 それに何度も会ううちに気づいたが、そいつはとにかく裏表がない男だった。

 昔からオレの周りにはろくでもない人間しかいなかったが、そいつらとは根本から違う印象だった。

 

 オレの何がそんなに気に入ったのかは分からない。身近に年の近い人間が他にいなかったのかもしれない。

 とにかくあいつは頻繁にオレに会いに来た。ちょうどいい息抜きになるらしく、ひとしきりオレに悩みを話した後は、訓練や勉学に打ちこめると言っていた。

 オレのほうも、あいつといると気が休まるように感じていた。

 

 それはオレにとって初めての、なんのしがらみもない相手だった。

 暴力や金銭に縛られない。庇護や依存によらない、

 

 そしてあいつは、名前のないクソみたいなオレに名を与えてくれた。

 オレの緋色の瞳から、エカルラートという名を。

 いつか鳥のように自由になれるようにと、ワゾーという姓を。

 

 

  ***

 

 

「? ――! エカル、なにを……う、あ!?」

 

 

  ***

 

 

 アステルフ家は、過去には勇者を輩出したこともある名家だった。

 その過去の業績により貴族に封じられたが、その後は勇者とは無縁の代が続いた。

 

 しかしこの家の人間たちは、自分たちの血縁から再び勇者が誕生することに固執していた。生まれてくる子供たちに、勇者として相応しい実力、精神を求めた。

 

 仕える者たちも、主の望みを叶えるためにとあらゆる手を尽くし始めた。

 こうしてアステルフ家の歪んだ構造は出来上がり、それは何代にも渡って続けられてきた。

 

 アルフレドは、その歪んだ家からのクソみたいな期待を、一身に受けて育った。

 剣術。法術。戦術。勇者としての振る舞い。

 あいつはそれら全てに一定以上の水準を要求され、また、その全てに応えることができてしまった(・・・・・・・)。アステルフ家の歴史上、最高傑作だともてはやされた。

 

 期待は膨れ上がり、やがて重荷になっていった。

 

 そして、神剣の目覚めと魔王の復活とが報じられたことで、周囲の期待は爆発せんほどに高まっていった。

 ついに自分たちの代で勇者が誕生する瞬間を目撃することができる。

 アステルフ家の人間は熱狂に沸き返り、そして――選定の儀の結果を知る。

 

 初めはなにが起きたのかわからず茫然とし、混乱し、次第に怒りが場を支配する。

 なぜアルフレドが勇者に選ばれなかったのか。彼でも勇者となるに足りえないのか。

 

 そのうちに、誰かがこう言い出した。

 いや、これはなにかの間違いだ。アルフレドこそ、アステルフ家こそ、勇者にふさわしい。神剣は選択を誤った。

 

 そうして結論は出された。先に選ばれた勇者を始末すれば、次こそはアルフレドが勇者に選ばれるに違いない、と。

 

 それが可能かどうかなど誰も論じない。ただ皆、そのクソみたいな方法を狂ったように信じた。

 そしてオレは、それがクソだと思いながらも作戦に参加した。

 

 元より拒否する権利はオレになかった。が、それ以上に、オレはあいつのために何かをしてやりたかった――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間2 ある魔術師の追憶②

 一時的に森が途切れ、開けた空間で、オレはアルムを地面に押し倒し馬乗りになっていた。左手でアルムの首を抑えつけ、右手で手刀を形作り突き付ける。

 

 月にかかっていた雲が晴れ、頭上から淡い光が差してくる。

 光に照らされたアルムの表情は茫然としていたが、思っていたよりも静かにこちらを見ている。呟いたのは、たった一言。

 

「……どうして?」

 

 その視線に、純粋な疑問に、心臓を握られたような心地になりながらも、オレは表情を崩さずに眼下のアルムを見下ろし答える。

 

「……お前の命を奪うためだ」

 

「ぼくの命……魔物側に、雇われて……?」

 

 ……そうか。勇者の命を狙っていると言われれば、まず魔物に与していることを疑うのが当然か。

 

「いいや。命じたのは人間だ」

 

「人間、が……? なんで、同じ人間同士で……」

 

「そいつらは、お前が勇者に相応しくないと思っている。お前が死ねば、新しい勇者が選ばれると」

 

「……ぼくが、勇者として未熟なのは自分で分かってる。でも、ぼくは――」

 

「そうじゃない。連中にとっては、お前にどれだけ実力があっても関係ないんだ。自分たちが選んだ人間が――あいつが、勇者にならないと意味がない。そしてオレは、そいつらの命令で、お前の旅に同行した」

 

「……エカルは、最初から仲間じゃなかったってこと?」

 

「ああ、そうだ。オレは、お前を殺すために潜り込んだ」

 

「……その、「あいつ」って人のために?」

 

「……そうだ」

 

「……ぼくが死んでも、その人が勇者になるかも分からないのに? 誰か別の人が勇者になったら?」

 

「……その時は、また新しい勇者を殺すことになるだろうな。あいつが勇者になるまで、何度でも」

 

 アルムは沈黙し、一度目を閉じると、決意を込めた視線でこちらを見据えてくる。

 

「……エカルの事情は分かったよ。けど、ぼくはまだ死にたくない。黙って死ぬわけにはいかない。最後まで抵抗するよ」

 

 当然の反応だ。誰だって、理由もなく死を受け入れるわけがない。

 

「だけど、剣は抜かない。……ぼくは、仲間に剣を向けたくない」

 

 は……?

 

「お前……なにを言ってるんだ。オレは、仲間じゃない……初めから、お前らを騙して……!」

 

「仲間、だよ。今まで、何度もきみに助けられた」

 

「それは……お前らを騙すための演技で……ここまで連れてくるのが計画の……」

 

「きみたちの目的がぼくの命なら、どこでぼくが死んでも一緒だったはずだよ。なのにここに来るまで手を出さなかったのは……エカルが、命令に抵抗してくれたからじゃないの?」

 

「~~馬鹿か、お前は! オレは、クソみたいな裏切り者だぞ! もっと怒れ! 憎め! 罵れよ! お前には、その権利があるだろ!」

 

 アルムの台詞も大概だが、オレはオレでなにを言っているのか自分でも分からない。

 どうしてほしいんだ、オレは。敵意を向けられなけりゃ殺しづらいっていうのか。それとも、罪の意識でも感じてるのか。

 

 だが、オレがなにを言ってもアルムの瞳は変わらない。ただ静かに、揺らがぬ視線でこちらを見返している。

 

「エカルは、みんなは、ぼくにとって初めてできた仲間で、友達なんだ。だからぼくは、みんなから離れたくない。諦めたくない。――剣を、向けたくない。ぼくが誰を「斬る」かは、ぼくの自由だから」

 

 そう言って、アルムは笑う。

 

 何を……何を言ってるんだこいつは。

 オレは、名前のないコソ泥で、裏切り者の暗殺者で、オレを友と呼ぶのはあいつくらいで、なのにこいつはオレを……オレのことを、友だと……

 

「……どうして、お前が勇者なんだ。どうして、あいつじゃなかったんだ。お前が勇者になんてならなければ、オレは……!」

 

 ダメだ。これ以上こいつと話していたら、オレは本当に殺せなくなる。だが、オレには命令を無視するような自由はない。奪い、殺す以外の生き方を知らない。

 オレはアルムの視線を振り切るように右手を振りかぶる。同時に、アルムの首を抑えている左手に力を込める。

 

「く、ぁ……!」

 

 アルムが両腕でオレの左腕を握り、引き剥がそうともがく。

 だがいくら足掻こうと、こうして首を絞めてしまえば、動きを制限しつつ締め落とすこともできる。オレは左手で締めあげつつ、右手をアルムの右目に振り下ろ――

 

 ギリっ……!

 

「(いてぇっ……!?)」

 

 オレの左手を掴んでいたアルムの両手が、オレの腕を思い切り握り、捻ってきた。

 

 小柄な体に騙されがちだが、こいつの膂力は常人のそれより遥かに上だ。油断していたうえに予想以上の痛みに、首を絞めていた左手から力が抜けてしまう。咄嗟に反対の手を振り下ろすが――

 

「……攻撃の……気配……」

 

 首が自由になったアルムは何事かぶつぶつと呟きながら、寸前で頭をずらして回避する。オレの右手はアルムの頭をかすめるが直撃はせず、地面に突き刺さる。

 

「力を……体の、中心……!」

 

 致命傷を逃れたアルムは、再びなにかを呟きながらわずかに胸を反らしたかと思うと、腹筋と背筋の力だけで勢いよく上体を起こし、こちらの顔面に頭をぶつけてくる。

 

 ゴっ!

 

「がっ……!?」

 

 思わぬ反撃を食らい、一瞬視界が激しく明滅する。鼻のあたりから何かが流れ落ちる感覚も感じる。が――

 

「――てめぇっ!」

 

 同時に急激に頭に血を登らせたオレは、反射的に右手でアルムの頭を掴み、地面に叩きつける!

 

「あっ……! ぐっ……!」

 

 後頭部を打ち付け、アルムの動きが止まる。その隙に再び左手で押さえつけながら、右手で手刀を形作り、掲げる。 

 

「オレは……ここでおまえを、殺す……!」

 

 自分の心を抑えつけるように宣言し、高く掲げた右手に力を込める。後は、こいつの頭蓋に突き刺すだけだ――

 

 ――その瞬間、空に光が昇った。

 

「(――なんだ……?)」

 

 なんの光……魔術? 法術? なんのため? 攻撃? ――なにかの、合図?

 光に気を取られ、思考を傾けたその一瞬後、掲げた右腕に横方向からの強い衝撃と灼熱感が走る。次いで、遅れてやってくる痛みと出血。

 

「ぐっ……!?」

 

 右腕に刺さっていたのは刃物だった。投擲用の小ぶりのダガー。そいつが、オレの腕に深々と突き刺さっている。

 それを認識した直後、今度は真横から風が吹きつけるのを感じたと思った瞬間――オレの体は為すすべなく宙を舞っていた。

 

 突然の浮遊感と共に暗闇の森が――夜空の星が――月明かりが――世界が回っていく。

 次いで、全身に叩きつけられるような痛みを受けてようやく、回っていたのは自分だということに気が付いた。

 

「か、はっ……!」

 

 急激な突風――というより小型の竜巻――に全身を叩かれ、受け身をとる余裕もなく、地面にしたたか背中を打ち付ける。息が詰まる。

 

 なにが起きた? 誰が、どこから? あの風はなんだ?

 思考しながら、しばしそのままの姿勢で夜空を見上げる。

 

 全身に痛みが走り、すぐには動かせそうにない。特に、深々と刃が突き刺さったままの右腕は全く言うことを聞いてくれない。

 吹き飛ばされたせいでアルムとの距離も離れてしまった。そしてそのアルムに向かって駆け寄る人影がある。

 

「アルムちゃん、無事!?」

 

「けほッ! けふっ……! 師匠……? どうしてここに……?」

 

 アルムが師匠と呼ぶ人物――ということは、あの人影はアレニエ・リエス――

                                  ――ヤツは、あのクソ隊長が部隊を率いて始末しに――

           ――なぜ生きている? ……まさかやられたのか? あいつが――

     ――どうしてここが分かった? 誰かが情報を漏らした? いや、それなら直接砦に――

   ――オレはアルムを殺せなかった。任務に失敗した。このあとどうなる? 決まっている。今度はオレが殺される側に――

                ――アルムたちは? 残りの部隊が襲いに来るか? 結局あのクソ共にアルムの命を奪われ――

 

 疑問は浮かび続ける。考えが纏まらない。意識が薄れていく。

 霞んだ視界が狭まってゆき、やがて見えなくなる。それと同時に、オレの意識も霧散していった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11節 気になる顛末

「……あった」

 

 砦までの道は獣道とそう変わりなく、下草を踏み越えながら進まねばならなかったが、そのおかげで先行する何者かの痕跡は残りやすくなっていた。

 真っ暗な森の中を、法術の明かりを頼りに足取りを捜索していたわたしは、砦への道から逸れて横道へ進む足跡を見つける。

 

 砦へ続く道のほうには、複数人の足跡が残っている。おそらく件の暗殺者たちのものだろう。こっちは今は無視していい。

 リュイスちゃんを伴い横道を駆け抜ける。しばらく進むと……

 

「(……いた!)」

 

 前方に人影が見える。

 誰かが誰かに馬乗りになって押さえつけており、その状態で言い争う声がかすかに聞こえてくる。もしかしなくても、探していた二人だろう。

 

 かろうじて間に合った、と思った直後――

 上に乗っているほう(とんがり帽子にローブ姿なのでおそらく魔術師くん)が、掲げた片手を振り下ろす姿が、月明かりの影に映る。

 間に合わなかった……?と、後悔が過ったのも束の間、馬乗りになっていたほうが、弾かれるように仰け反る。

 

「(反撃した? まだ生きてる?)」

 

 とにかく急ぐしかない。全力で走りながら意識を集中する。思考が加速する。

 この距離なら、リュイスちゃんに合図を出してもらってわたしは走りながらナイフを投擲して牽制、そのまま一足飛びでとんがり帽子の首を斬れば間に合う――そんな目算を立てたところで、暗殺者の彼女の頼みを思い出す。

 

 善処する。状況次第。そう断っておきながら、結局それは頭の片隅から離れない。彼女にしてやられた。

 

「(あーもう仕方ない)」

 

 馬乗りになっているのが反撃しようとしているアルムちゃんという可能性もなくはない。その場合、問答無用で首をはねるのはまずい。どちらだとしてもいいように、動きを止めるに留めておいたほうがいいだろう。

 

 割とギリギリのこの状況で、そんな言い訳を思いつく自分に呆れながらも、加速した思考の中で手順を少々軌道修正する。方針を固めたら、後は実行するだけだ。

 

「リュイスちゃん、合図お願い!」

 

「はい!」

 

 事前に決めておいたシエラちゃんたちへの合図。それを見れば彼女たちもそのうちこちらにやって来るだろう。

 そうしてリュイスちゃんへ指示を出しつつ、自分は走りながらポーチからダガーを取り出す。

 

「《……攻の章、第一節。星の瞬き……シャイン!》」

 

 背後から聞こえる彼女の祈りと共に、法術の光が撃ち出される。

 光の弾は尾を引いて空へ昇っていき、そして弾けて消えた。暗闇に包まれていた森が、少しの間だけ明るく照らし出される。前方の人影も。

 

 位置を確認したわたしは、馬乗りになっているほうの手に向けてダガーを投擲。当たらなかったとしても牽制になればいい。

 そして駆けていた足を止め、左足を軸に回転しながら『気』を練り、周囲の風を集め、右足に伝えて――蹴り放つ!

 

 前方に突き出した右足を中心に風が渦を巻き、小型の竜巻が高速で吹き荒れる。

 風の渦は螺旋を描きながら、狙い過たず馬乗りになっていた推定魔術師くんを呑み込み、吹き飛ばし、地面に叩きつけた。

 

 蹴った態勢からすぐに駆け出したわたしは、今まで下に圧しかかられていた推定アルムちゃんに急いで駆け寄る。

 

「アルムちゃん、無事!?」

 

「けほッ! けふっ……! 師匠……? どうしてここに……?」

 

 アルムちゃんは、今まで首を絞められていたのか、片手で自分のそれを抑えながら少し苦しそうに、そして不思議そうにこちらを見ている。

 わずかに頭から血が流れているのが気にかかったが、それ以外は(少なくともパっと見た限りでは)致命傷はなさそうだった。……間に合ってよかった。

 

「さっきシエラちゃんたちに会ってね。二人を探してるって言ってたから、探すの手伝ってたんだよ」

 

 内心の動揺も安堵も表には出さず、わたしは答える。なんとなく、弟子にみっともない姿は見せたくない。

 

「それは……けふっ……ありがとう、ございます。……えへへ」

 

「?」

 

 まだ苦しげな様子を見せながらも小さく笑う彼女に怪訝な顔を返す。

 

「勇者がこんなんじゃダメだって分かってるんですけど……師匠に助けてもらえたのが嬉しくて」

 

 彼女は少し恥ずかしそうに笑いながらそんなことを言う。

 あまり人にお礼を言われることがないし、ここまで直接的に好意を伝えられることはなお少ないので……ちょっと照れる。

 と――

 

「アレニエさん!」

 

 合図を撃つため遅れていたリュイスちゃんが合流し、アルムちゃんが生きているのを確認して安堵のため息を漏らす。

 

「良かった……間に合ったんですね」

 

「なんとかね。……ちょっと危なかったけど」

 

 ほんとにギリギリだったけど。

 

 アルムちゃんの無事を確かめると、次に彼女は、奥でズタボロになって倒れている彼に目を遣る。

 

「……あの人は……生きてますか?」

 

「打ち所が悪くなければ、多分、ね。しばらく動けないと思うし、ダガーを抜かなければそこまで失血もしないんじゃないかな」

 

「そうですか……」

 

 彼女は目に見えてホっとした様子を見せる。

 暗殺の実行犯だとしても、やっぱり目の前で死人が出るのは嫌なのだろう。ついさっき凄惨な場面を見たばかりだからなおさらだ。

 状況を確認した彼女は、アルムちゃんに視線を戻す。

 

「頭から血が……すぐに治療しますね」

 

「あ、ありがとう……けふっ」

 

 そうして、リュイスちゃんが治療のために彼女に近づこうとしたところで――

 

「アルム!」「勇者さま!」

 

 合図に気づいてこちらに向かってきたのだろう、シエラちゃんたちが到着する。

 

「勇者さま、どうしてこんなところに……いえ、それよりもその怪我は……待っていてください、すぐに治療を……!」

 

 アニエスちゃんはアルムちゃんを見るなり駆け出し、大慌てで傷を癒し始める。先に治療しようとしていたリュイスちゃんは、その勢いに押されるようにして後退させられていた。

 

「先輩、これは……一体どういう状況なんですか……?」

 

 そして一緒に来たシエラちゃんは、怪訝な顔で辺りを見回しているところだった。

 彼女の視界には、少し苦しそうに上体を起こしているアルムちゃんと、奥の方でぐったりと身体を投げ出している魔術師くんの姿。一見しただけでは状況が掴めなかったのだろう。

 

 現状を伝えないわけにもいかないので、わたしは手短に、魔術師くんが勇者暗殺のために送り込まれた刺客であること、寸でのところでそれを阻止したことを説明する。

 

「……エカルラートが、刺客……?」

 

 普段は落ち着いた佇まいを見せるシエラちゃんも、今は動揺を隠せないようだった。

 勇者の仲間の地位を欲する者は少なくないため、おそらく彼女も普段からそれは警戒していたと思う。が、勇者本人に刺客が差し向けられ、しかもその刺客が仲間の一人だというのは、さすがに予想の外だったようだ。

 

「――わかりました。滅しましょう」

 

 対して、アルムちゃんを介抱していたアニエスちゃんは、話を聞き終えるなりそんなことを言い出した。真顔で。

 しかしあまりの問答無用っぷりを見かねてか、直接の被害者のアルムちゃんが止めに入る。

 

「あの、ちょっと待って、アニエス」

 

「なぜ止めるのですか! あの男は勇者さまに仇為そうとしたんですよ! 厳罰を……いいえ、即座に処断するべきです! 私が今すぐアスタリアの御許に送って……!」

 

「待って、待って!」

 

 なにがそこまで彼女を駆り立てたのか、激昂したアニエスちゃんは、仮にも先刻まで仲間だった人間になにか危なそうな法術を唱えようとしている。あの子本当に神官?

 そういえばわたしが挑発したときも、魔術師くんと一緒にすぐに乗ってきてた気がする。激しやすい性格なのかもしれない。

 

「エカルにはエカルの理由があったし、仕方がなかったんだよ。ぼくはこうして生きてるし、許す……のは無理かもしれないけど……もう少し待ってくれないかな。エカルと話をさせてほしいんだ」

 

 怒りが収まらないアニエスちゃんとは真逆に、冷静に相手を宥めるアルムちゃん。ついさっき殺されかけた張本人だというのに、それに対する怒りは感じていないように見える。

 

 彼女の口ぶりからは、魔術師くんの凶行の理由も知っているような節がある。

 知っていて、それでも彼を罰する気はない、ということだろうか。そのうえで話をしたいということは……

 

「……勇者さまが、そう仰るのなら……けれどあの男は勇者さまの命を……うう……せめて、拘束した状態でなら……」

 

「うん。お願い」

 

 到底納得はしておらず、渋々といった様子ではあったものの、アルムちゃんの言葉で彼女もひとまず落ち着いたようだ。撃とうとしていた攻撃用の法術を仕方なく破棄し、代わりに対象を捕縛するための法術(以前リュイスちゃんがわたしを止めるために使ったのと同じものだ)を発動させる。

 

「《……封の章、第二節。縛鎖の光条……セイクリッドチェーン》」

 

 中空から現れた光の鎖によって彼の四肢は拘束され、釣り上げられる。彼女たちはその周りに集まり、会話(というより尋問のようだったが)を試みる。

 

 ここでわたしは彼女らとは逆に後ろに下がり、離れた位置で立ち止まっているリュイスちゃんの元へ移動した。

 彼女は、魔術師くんの処遇が気がかりなのか、勇者一行を心配げな眼差しで見ていたが、わたしはその頬をつんつんと指で突つき、少し声量を抑えながら声を掛ける。

 

「そろそろ行こう、リュイスちゃん」

 

「? ……アレニエさん?」

 

「ここから先は、あの子たちの問題だよ。部外者は去らなきゃ。それに、わたしたちは先に行かないと」

 

「……先?」

 

 アルムちゃんを助けられたことで安心したせいか、彼女は失念しているようだったが……

 

「この先の砦で、暗殺者が待ち構えてる」

 

「あ……!」

 

 砦まで勇者を誘導するはずの魔術師くんが現れなければ、そこで待機している彼らもそのうちなんらかの行動を起こすだろう。

 いや、さっきリュイスちゃんに撃ってもらった合図を彼らも見ていたなら、既に異変に気付き、向こうから打って出ようとしているかもしれない。

 あるいは、魔術師くんから事情を聴いた勇者一行が、自分たちから砦に向かうことも考えられる。

 

 砦にいるのがわたしたちを襲った暗殺者と同じか、それ以上の実力を持っているならば、それらから彼女らを守り切る自信はちょっとない。

 つまりとにかく、再び暗闇を強行軍で、今度は件の砦まで向かい、こちらから強襲する必要がある。

 

「……なかなか、腰を落ち着けられませんね」

 

「アルムちゃんが無事に魔王を倒すまでは、ずっとこうかもね」

 

「……なんだか、途方もない道のりに思えてきました」

 

「大丈夫。地道に繰り返してたら、いつかは終わるよ」

 

 まぁ、わたしたちのほうがうっかりやられて終わる可能性もあるんだけど。

 

 勇者とその仲間たちに背を向け、わたしとリュイスちゃんは再度森に分け入る。

 

「……う……アル、ム……? それに、お前ら……」

 

 背後から、目を覚ましたらしい魔術師くんの声がかすかに聞こえてくる。

 彼女たちの顛末も気にはなるけれど、残念ながらゆっくり聞いている暇がない。

 問題を片付ければ、機会があれば、彼女たちとまた会うこともあるだろうし、結果も分かるだろう。その時には、アルムちゃんももっと成長しているかもしれない。

 

 彼女はこれからどんな勇者を目指すのか。目指す先で、わたしのような存在と交わる未来はあるだろうか。

 少しの期待と不安を抱きながら、わたしとリュイスちゃんはその場を後にした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12節 忘れられた砦

 アルマトゥラ砦は、森の一画を開拓し造り上げられた城塞だ。

 魔物の侵入を防ぐため、道を塞ぐ形で城壁と塔を張り巡らせた外郭と、天守や礼拝堂、兵舎や厩舎などの建物群を含む内郭とで構成されている。

 

 以前訪れたエスクードと同じく、元は魔物との戦いにおける防衛線の一つだったが、戦線が押し上げられたことにより砦として使う者がいなくなった。

 さらに主要な街から遠く、農地にも適さなかったためか、その後別の用途に利用する者も現れず、そのまま忘れ去られてしまったという。

 

 主を失った砦は長い時間を経て朽ち、樹々に侵食されていた。それは静かに、けれど深く、森に飲み込まれているようでもあった。

 

 

  ――――

 

 

 わたしは城壁を観察し、次に、開け放たれたままの門扉(もんぴ)(どうやら壊れているらしい)の周辺を注意しながら探索する。

 物見に人がいないか、不意討ちや罠はないか、それらを警戒してのことだったが、その心配が無いことを確認した後リュイスちゃんに手振りで示し、門の内側、広場のような場所に忍び込む。

 

 ここに来るまで誰ともすれ違わず、気配も感じなかった。

 見知らぬ土地で、しかも夜間に、この唯一の道を通らず、ただでさえ迷いやすい森を横断するとは考えづらいので、暗殺者はいまだ砦から動いていないものと思われる。

 まあ、こちらが知らない抜け道とかがあるならどうしようもないけれど。

 そんな|埒外(らちがい)なことを考えながら門を潜ったわたしは、新たに別の疑問が浮かび上がる事態に直面する。

 

「(明かりが、点いたまま……?)」

 

 砦は、内部から明かりが漏れていた。

 三階建てはありそうな石造りの建物、その一画から、わずかに暗闇を照らす炎の色が見て取れる。

 

「間に合ったんでしょうか……?」

 

「うーん……?」

 

 遅れてやってきたリュイスちゃんもその様子を確認し、疑問を口にするが、わたしもはっきりしたことは分からないのが正直なところだ。

 

 実を言うと、リュイスちゃんが法術で放った合図を彼らがうっかり見逃す、というのは考えづらいと思っている。彼らは、狂信的ではあっても無能ではない。

 仮に見逃していたのだとしても、こんな時間まで火の処理をしていないこと自体がおかしい。魔術師くんはもう行動に起こしていたのだから、彼らもそれに合わせて準備をしていて(しか)るべきだ。

 

 そして暗殺者がすでにここを出払っているなら、当然明かりは消していくはずだ。あれだけ慎重に動いていた連中が、軽々に痕跡を残すような真似をするとは思えない。

 

 だから、どちらだとしても今見える光景は腑に落ちない、どころか、今もこうして痕跡が残っているというのは、なんていうか、こう……――気持ちが悪い。

 

「(だからって、ここでじっとしてるわけにもいかないか)」

 

 嫌な予感を感じながらもわたしは、砦の一階部分に忍び寄り、中の様子を探る。

 外から見た限りではどうも人の気配が感じられないが、暗殺者なら常から気配を減らしながら生活してるかもしれない。

 あるいは、すでにこちらの侵入に気づいて待ち構えている可能性もある。念のため、扉の向こうからの不意打ちにも気を配っておく。

 

 物音、足音、衣擦れ、声、息遣い。彼らがこの場に留まっているのかいないのか、その判断材料になるものを聞き逃さんと、耳を澄ませ、神経を研ぎ澄ましながら扉に手を触れたところで……聴覚、ではなく、嗅覚に違和感を覚える。少し遅れて――

 

 ――ぴちゃ

 

 なにかが滴り落ちるような音を耳にし、反射的に(足音を潜めながら)一歩下がる。

 

「(……水音?)」

 

 数秒扉を見つめ、もう一度近づく。

 警戒していたような不意討ちはない。少なくとも、扉の周囲に人の気配はない。

 代わりに聞こえるのは、先ほどと同じ、水が滴るような音だけ。

 

 そして不意に、先ほど感じた違和感がなんなのかにも気が付いた。

 扉のすき間から鼻腔を刺激するのは、ある意味で慣れ親しんだ匂い。冒険者をやっていれば日常的に嗅ぐ――それは少し前にも――ことになる、鉄錆びの匂いだった。

 

 ここで、城壁付近で感じたなんとなくの気持ち悪さが、確信に変わる。――危険の。

 

 わたしは取っ手に手をかけ、扉を開く。

 古びた鉄製の扉は、ここで待ち伏せていた彼らが油を差していたのか、あまり音を立てることもなく静かに開いていく。

 それと共に、建物の奥の方から淡く差し込む光と……かすかに感じていた鉄の匂いが、外に向かって広がっていった。

 

「…………」

 

 屋内の様子は、ある意味で予想通りであり、予想外でもあった。

 外と同じ石造りの玄関は、装飾もほとんどなく、実用性一辺倒といった印象の無骨なものだった。先には廊下が広がり、各部屋へ続く扉も見受けられる。

 

 その入り口から奥へと続く道が――赤黒いなにかで塗りたくられていた。

 壁に。床に。天井に。鉄臭さのする液体が飛散し、廊下を鮮烈に彩っている。

 それらはまだ乾ききっておらず、断続的に滴り落ちては、床に赤い水たまりを作っていた。先刻からの水音の正体だろう。

 

 周囲には、赤い染みの原料になったであろう人の姿をしたものが転がっている。

 数は、おおよそで四……いや、五体ほどか。

 命はすでに失われているうえ、部位が欠損するなど損傷が激しいものも多く、正確な数は分からなかった。

 

 入り口で血の匂いがした時点で、目の前の光景はある程度推測できたが、その被害者がここまで多いとは思っていなかった。

 

 暗殺者の彼女から聞いた情報では、別動隊の人数は六人。

 つまり、今、大雑把に数えた人数が合っているなら、砦に潜伏していた部隊のほぼ全員が、この場にいることになる。

 

「(……誰がやったの?)」

 

 このタイミングで、彼らに恨みを持っている敵が現れた? それとも、なにかの理由で仲間割れでも起こした? ここにはいない最後の一人が裏切った?

 

 不可解な状況に、疑問や推論は次々湧いてくる。

 しかしいくら考えても、この損壊具合では原因の特定は困難だ。というか、先にこの建物内を探索するほうが手っ取り早いだろう。

 

 なんにしろ、ここにはまだ残りの暗殺者が、あるいはそれ以外にも未知の敵が残っている可能性が高い。引き続き慎重に……

 と、視線を切ろうとしてふと気づく。この場にある死体は程度の差こそあれ、全て同じ殺され方をしていることに。

 

「(丸い、穴……?)」

 

 遺体の損傷はどれも、丸いなにかで抉られたような傷跡だった。ただの刺し傷ではなく、向こう側がはっきり見えるほどの大きな円形の穴が開いている。

 

 傷の断面を見るに、少なくとも鈍器ではない。

 かといって、刃物でこんなに綺麗な円を描くことは――仮にそういった技が存在したとして、それを一貫して撃ち続けるなど!――どんな達人だとしても難しいように思う。

 

 傷の形状、大きさなどを考えると、騎士が戦場で使う突撃槍なら可能だろうか。

 しかし大きな武器を扱いづらい屋内で、この人数を相手に、無数にこんな傷跡を残し続けるというのは、やはりおかしい。

 

 それよりは、魔術や法術の類のほうがありえそうだけど……わたしはそっち系の知識に疎いので絞り込めない。

 ただ、この惨状を鑑みるに、法術の線は薄い気もする。

 神に仕える神官が人間相手に、ここまで惨い殺し方をするというのは考えづら……

 

「……アレニエ、さん……? 大丈夫ですか……?」

 

 考え込むわたしの背後、扉の外の位置から聞こえるリュイスちゃんの声でハっとする。しばらく経っても音沙汰がないので心配してくれたのだろう。

 

「あ、待たせてごめんねリュイスちゃん。なんともないよ、大丈…………」

 

 …………

 って、全然大丈夫じゃなかったこの惨状!

 予想外の事態と現状の考察とで反応が遅れてしまったが、既に心身共に疲弊している彼女に、こんな血肉のグラデーションを見せていいわけがない。

 

「リュイスちゃん、ちょっと待っ――」

 

 慌てて彼女を中に入れないように止めようと……

 

「え……――? ――……」

 

 ……するにはもう遅く、哀れ扉を潜ってしまったリュイスちゃんは、辺り一面に散乱している人型のオブジェに迎えられてしまう。

 

 周囲の赤とは対照的に、彼女の顔が青白く染まる。血の気が引く音が聞こえた気がした。

 ただでさえ人の死に怯える彼女が、こんな惨状を見ればどうなるかは自明の理。あるいは正気を失ってしまう可能性さえ頭を過る。が……

 

「ぁ――っ――~~!」

 

 リュイスちゃんは泣きそうな目――実際ちょっと泣いていた――をしながらも、悲鳴と嗚咽が飛び出そうとしている口を、自身の手で強引に塞ぐ。

 しばらくそのままプルプル震えていたかと思うと、やがて――

 

 ごくんっ

 

 と、なにかを呑み込んだような音を喉から響かせ、口を抑えていた手を放し、肩で息をする。

 

「ハァーっ、ハァーっ……ゲホっ、けほっ……!」

 

「おぉ……」

 

 思わず小声で感嘆の声を漏らす。

 驚いたことに彼女は、叫ぼうとする自身の声と、逆流してくる激しい嘔吐感とを、自力で無理矢理に抑え込んでしまったらしい。

 

 ここが敵地だと事前に理解していたからか、あるいは土壇場で覚悟が決まる彼女の精神性ゆえか。

 ともかくも錯乱せず、寸前で堪え切った彼女を、わたしは心の中で称賛する。

 頑張ってくれておねーさん嬉しい。でも嬉しいと同時に罪悪感。

 

「気づくの遅れてごめんね」

 

「い、いえ……大、丈夫、で……ぅぶ」

 

 強引に抑え込んだだけなので、油断するとすぐに揺り返しがくるみたいだ。少しでも落ち着かせようと彼女の背中を支える。

 

「アレニエ、さん……この人たち、は……」

 

「……探してた暗殺者、だね」

 

「全員、死んでいるん、ですか……? どうして……こんな……」

 

「正直、これを見ただけじゃ判断できないかな。もう少し中を調べて……」

 

 

「――あぁぁぁぁぁ――……!」

 

 

 唐突に、わたしたち以外のかすかな声――悲鳴?――が耳に届き、リュイスちゃんと二人、顔を見合わせる。

 

 今の声は天井の辺りから、つまり二階から聞こえてきたように思う。今いる場所の、ちょうど真上くらいの位置だろうか。

 

 廊下の先を見れば、血溜まりを踏んでできたのか、赤い足跡が点々と続いている。少なくとも、この死体が作られた後にこの場を移動した誰かのものだろう。

 それが今の悲鳴の主なのか、それとも悲鳴を〝上げさせている〟誰かのものかは分からないが、この足跡を追っていけば辿りつけ――

 

「リュイスちゃんストップ」

 

 今にも廊下の奥へ駆けだそうとしていた彼女の手を掴んで止める。

 

「アレニエさん……! 今ならまだ、間に合うかも……!」

 

 リュイスちゃんはわたしの手を振り払おうとはしなかったが、前に進もうとするのを完全に止めたわけでもなかった。掴んだ手が引っ張られようとするのを感じる。

 

 彼女が最も忌避するのは、目の前で命が失われる瞬間、らしい。それを前にした時、彼女は――ほとんど反射的に――その命を救おうと尽力する。

 それは過去の経験からくるもので、彼女自身にはどうにもできない衝動のようなものだ。今もそれが全身を駆け巡っているのだろう。

 

 彼女は止まらない。少なくとも、自分では止まれない。

 だから、わたしが止める。衝動に支配され、冷静さを欠いた彼女を、このまま行かせることはできない。

 

「上に行くのは止めないけど、今のリュイスちゃんが一人で先走るのは無し。どんな危険が待ってるか分からないし、他にも敵がいるかもしれないんだから。行くなら二人で警戒しながら、だよ」

 

「でも……! それじゃ手遅れに……!」

 

「手遅れになったとしても」

 

 彼女の手は離さないまま、静かに、でも力を込めて、わたしは彼女に声を投げかける。

 

「わたしにとっては、リュイスちゃんのほうが大事。……もう少し、自分のことも大事にしてほしいよ」

 

「あ……」

 

 掴んでいた手から、力が抜ける。前に進もうとする足が止まる。

 

「それに無闇に飛び込んで、助ける側が死んじゃったら、結局他の人も助けられないよ。だから慎重に、ね」

 

「そう、ですね……すみません、でした……」

 

 落ち着きを取り戻した彼女の様子に胸を撫でおろし、その手を離す。

 

「よし、行こっか」

 

「はい……!」

 

 わたしたちは周囲に注意を払いながら、けれど急いで、先へと続く赤い足跡を追って廊下の奥へ向かい、その先の階段を注意して上り、二階の廊下に出る。

 

 廊下は建物の外側にあたるのか、明り取りの窓が点々と並び、わずかな月明かりを室内に届けていた。途中途中にランタンの灯りも混じっている。外から見えたのはこれだろう。

 

 それらの明かりを頼りに慎重に進み、先ほどの声が聞こえた地点に辿りつこうかというところで……前方にぼんやりと、複数の人影が浮かび上がってくる。

 それは、壁を背に倒れている黒ずくめの男と……その男の様子を満足げに見下ろしている、小柄な少女の姿だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13節 石の猛威

 男の様子は階下の仲間たちと同じく、その身に複数の丸い穴を空けられた、無惨なものだった。傷口から夥しい血が流れ出て、床を赤黒く染めている。

 

「――……っ!」

 

 隣にいるリュイスちゃんが体を強張らせるのが分かった。彼女も気づいたのだろう。男が既に事切れていることに。

 

「……ん? なんだ、お前ら。どこから入ってきた? この中にいるのはこいつで最後だと思ってたが」

 

 建物内に残された最後の一人、正体不明の少女がこちらに気づき、横目に視線を向けながら声を届かせる。

 

 砦には似つかわしくない黒のドレスに、透き通るような白い肌。金色の髪をなびかせた頭部からは、左右に硬質な角を生やしている。

 状況的に、彼女がこの砦内の暗殺者を殺した張本人だろう。それに頭から伸びる二本の角。おそらく、魔族だ。

 

「こいつの仲間か? それとも、お前らのどっちかが勇者か?」

 

 勇者を、狙ってる……? いや、まあ、極論どの魔族だって勇者の命を狙ってておかしくないんだけど……まさか、また魔将ってことはないよね?

 

「わたしが勇者だ、って言ったら、どうなるのかな」

 

 興味本位で聞いてみる。

 

「あ? そんなもん、この場で殺すに決まってるだろ」

 

「勇者じゃなかったら?」

 

「見られちまったからには、やっぱり殺す」

 

 どっちにしても殺すんですね。

 分かってはいたが、魔族とは会話が通じても行きつく先は変わらない。うちのかーさんみたいに本能が極端に薄い個体でもない限り、争うのは避けられないのだろう。

 

「で? 結局お前らは勇者なのか?」

 

「どっちにしろ殺すなら、どっちでも一緒じゃない?」

 

「……そういやそうか?」

 

 怪訝な様子で、けれどちょっと納得しそうな魔将。なんか口八丁で丸め込めそうな気配がある。

 

 どっちでも一緒とは言ったものの、実際には「勇者を始末した」という事実のあるなしは、戦の今後を左右する重大な情報だ。人類は新しい勇者が選ばれるまで防戦を余儀なくされ、魔物側はその間にこれ幸いと攻め込んでくるだろう。

 だからこそ、勇者の命は護らなければいけない。わたしにとっては可愛い弟子なのだから、なおさらだ。

 

「まぁ、いい。確かにてめぇの言う通り、殺すのには変わりねぇんだ。勇者かどうかは、後で確認すりゃいい。キヒヒ……光栄に思えよ。あたしは〈岩石〉のカーミエ。石の魔将さまが、わざわざ相手してやるんだからなぁ」

 

「石の魔将……?」

 

 少しだけまさかとは思ったけど……ほんとに魔将だったの? 自分の引きの悪さにちょっと気が滅入る。

 が、わたしのその様子をどう受け取ったのか、少女が唐突に声を荒げる。

 

「てめぇ、なんだその反応は! この石の魔将さまに不満でもあんのか!」

 

「いや、別に出会ったばかりで不満もなにもないけど」

 

「確かにあたしは空位になった地の魔将の席を奪ったが、だからって他の魔将に引けをとったりしねぇ! こいつはあたしが実力で勝ち取ったもんだ! なめてんじゃねぇぞ!」

 

 少女――石の魔将カーミエは一方的に捲し立てると、次いでぶつぶつと何事か呟く。

 

「クッソがぁ……どいつもこいつも『石』ってだけでバカにしやがって……! 確かにイフなんかに比べりゃ名は知られてねぇが、それもこれまでの話だ……! 今に目にもの見せてやるからな……!」

 

 なんか、こう……魔将もいろいろ苦労してるんだなぁ。確かに〈暴風〉のイフと比べたら、石の魔将って聞いたことないものね。

 

 しかし彼女が本当に魔将だというなら、警戒は最大限にするべきだ。砦内の暗殺者がどうやって殺されたのかもまだ判明していない。石の魔将と言うからには、石を操るのだと思うけど……。……石。石造りの、砦……!?

 

「はぁ、はぁ……あたしとしたことが取り乱しちまったが、そういうわけだ。てめぇらには、あたしの名を広める礎になってもらう。さぁ、こいつらみたいにいい悲鳴聞かせてくれよ、キヒヒヒ……!」

 

 その笑い声と共に、前方の床石がわずかに鳴動し……次には形を変え、鋭い石の槍となってわたしを襲う!

 

「――!」

 

 馬上槍ほどの大きさの鋭い円錐。それを寸でのところでかわしたわたしは、反撃のために相手に目を向けるが……

 

 石槍は、一本だけではなかった。

 魔将の足元からわたしがいる場所までを埋め尽くすように無数の石槍が床から生え、こちらを串刺そうと地を走り来る。

 

「リュイスちゃん、下がって!」

 

 そう叫びながら、わたしも慌てて後方に下がる。

 それを追うように石槍の絨毯が迫ってくるが……ある程度離れたところで、その動きが止まる。操作範囲の限界だったのか。魔将が意図して止めたのか。

 

「キヒヒ……よく避けたな」

 

 その声が届く頃には石槍は縮み、元の建物の床に戻っていた。

 

「いい場所だろ? ここならあたしの魔術は使いたい放題だ。触媒はそこら中にあるからな」

 

 得意気に語る石の魔将カーミエ。確かに、周囲全てが彼女の攻撃手段に成りえるのだとしたら冗談じゃない。一旦ここから脱出するべきかもしれないが……

 

「おっと、逃がしゃしねぇぞ」

 

 言葉と共に、背後から石が擦れるような音。ちらりと目線を向ければ、通路の石材がガタゴトと移動し、先刻まではなかった壁を造り、逃げ道を物理的に塞いでいた。

 

「この砦にノコノコ入ってきた以上、もうてめぇらはあたしの腹ん中なんだよ。おとなしく消化されやがれ」

 

「そう言われて、おとなしくされると思う?」

 

「ま、そりゃそうだわな。いいぜ、精々抵抗してみるんだな」

 

 魔将が言葉と共に手をかざすと、再び床がわずかに鳴動し、そこから次々に隆起した石槍がこちらに迫る。

 

「っ!」

 

 その全てをなんとか避けていくが、石槍は絶え間なく断続的に繰り出され、休む間をわたしに与えない。しかしそれは、こちらの反撃の芽を摘むため、というより……

 わたしは串刺しにされるのを避けながら、抱いた疑問を魔将に叫ぶ。

 

「わたしたちを始末する気なら、岩で圧し潰したほうが早いんじゃないの!?」

 

「キヒ! そんなことしちまったら、てめぇとの遊びがすぐに終わっちまうだろうが! おら、おら、もっとうまく避けてみせろよ!」

 

 やっぱり、相手は遊んでいる。こちらが避けられそうなギリギリの箇所に石槍を突き出し、当たるかどうかを一方的に楽しんでいる。

 避けられなかった場合の結果がおそらくは、一階の死体の死因になるのだろう。人体を貫き、空洞を空け、その後はただの石材に戻ってしまう……

 

 そうして最後に突き出された槍を大きく後ろに跳んでかわし、リュイスちゃんのところまで下がらされたところで、ようやく悪趣味な遊びが終わる。

 

「お前、いいな。こいつらよりよっぽど面白ぇ」

 

 言いながら魔将は、足元の物言わぬ死体を足蹴にする。

 

「っ! 貴女……!」

 

 目の前で死者を愚弄され衝動を刺激されたのか、リュイスちゃんが怒声を上げる。しかしそんなことで魔将が悪びれるわけもなく、足蹴にした死体をさらに踏みにじる。

 

「なんだ、同族意識ってやつか? この程度でいちいち頭に血を上らせるんだからご苦労なこったな。キヒヒヒ!」

 

「……!」

 

 リュイスちゃんの肩に手を置き、その場を動かないよう引き留める。そうしなければ彼女は、今にも怒りで飛び出していきそうだった。

 

「実際、いいところで勇者の死の匂いがしてくれたもんだぜ。結界ギリギリまで接近するなんざダリぃと思ったが、ここなら存分に力を振るえる」

 

 その言葉は、簡単には看過できないものだった。手短に息を整えながら、わたしは疑問を口にする。

 

「……あなたが、『死の匂いを感じ取れる』っていう、〝あの女〟?」

 

「あ? あたしは違ぇよ。そいつはルニアって名の陰気女の加護だ」

 

 ルニア。また別の魔将の名前か。

 つまりは、どこかでその女魔将をどうにかしないと、毎回アルムちゃんの死の匂いがするところに刺客を送り込まれてしまうのだろう。

 

「つーか、なんでそんなこと知ってやがる。魔族の間でもそんなに広まってねぇ情報だぞ」

 

「さて、なんででしょう?」

 

「……言うつもりがねぇならいいさ。勇者かどうか調べるついでに、それについても聞き出してやる。だから――喋れる程度に死んでくれやがれよ」

 

 そう言って、魔将はこちらに手をかざす。わたしの足元の床がかすかに揺れて、魔術の兆候を知らせてくる。

 このままここに留まれば、一階で見た死体と同様の骸を晒すことになる。だからわたしは素早く地を蹴り、前方に駆け出した。

 

 一瞬遅れて背後から石が隆起する音。が、それには構わず真っ直ぐ走り続ける。

 魔将はそれを鼻で笑いながら次なる魔術を発動させる。目前の床が揺れ、生み出された石槍が、こちらの進路を塞ぐように突き出される。

 が、わたしは右側の壁に向かって跳び、その一撃をかわす。

 

「キヒ! なら、これはどうだ!?」

 

 次いで、壁に向かって手をかざす魔将。周囲の床や壁が震え、今までより細く鋭い石の棘が無数に生み出される。が……

 わたしはそれが生み出されるより早く壁を蹴り、反対側の壁まで跳んだ。

 

「んなっ――!?」

 

 相手の驚く声を聞き流しながら、今度は左側の壁を蹴り天井へ。そうして床を、壁を、天井を、縦横無尽に砦内を跳び渡りながら石の魔将に接近し――

 

 キンっ――!

 

 跳躍の勢いと全身の力を『気』に変え、すれ違いざまに愛剣で魔将の首を斬りつける。

 

「ガっ!?」

 

 ――浅い。

 寸でのところで避けられたらしく、斬撃は首を半ばまで切り裂くに留まっていた。斬り落とすつもりで振るったのに。

 

「てめぇ!」

 

 傷口から血を噴出させながら、カーミエはこちらに手を突き出し、魔術を発動させる。わたしは着地後すぐに反転し、迫りくる石の刺突をかわしながら接近。再度、すれ違うように剣を振るう。

 

「グアっ!?」

 

 先刻より警戒されていたためか、今度は首にまで斬撃は届かず、防ぐために突き出されたであろう右腕を切断しただけだった。

 

「グっ……!」

 

 右の肘から先を失い、ボトボトと血を垂れ流す石の魔将。首の傷も決して浅くはなく、どちらも人間であれば致命傷になりえるものだ。しかし……

 

「てめぇ……」

 

 傷を負いながらも、それには構わずこちらを憎々しげに見やる魔将。その表情に死相はいまだ遠く、戦意もまるで失う様子がない……

 

「てめぇ! その剣、神剣でもなんでもねぇ、普通の剣じゃねぇか!」

 

 ……気になるのはそこなの?

 

「ってことは勇者じゃねぇんじゃねぇか。チっ、せっかく名を上げるチャンスだと思ったのによぉ」

 

 そう文句を述べる魔将の首の傷は、既に塞がり始めている。

 床に落ちた右腕も魔術で操った床石に運ばせ、あっさり右肘と接着させていた。以前戦ったイフと同じく、この程度では命を奪うところまでいかないのだろう。

 

「それとも、そのもう一本の剣が神剣か? ……いや。妙な魔力は感じるが、やっぱり神剣て感じはしねぇな。……しねぇんだが……どこかで、見たような……」

 

 わたしの腰に提げられたもう一本の剣、黒剣〈ローク〉を指して怪訝な表情を見せる石の魔将。

 

「イフが持ってたからじゃない?」

 

「あー、そうだ。イフの野郎が持ってた剣か。すっきりした……って、なんでてめぇがそれを持ってるんだ?」

 

「イフを倒したの、わたしだからね」

 

「マジかよ!」

 

 カーミエは吹き出し、天井を仰いで笑う。

 

「てっきり勇者に返り討ちにあったかと思ってたらあの野郎、それ以外の人間にやられてたのかよ! キヒヒ! 原初の魔将だからって偉そうにしてやがったくせにざまぁねぇぜ!」

 

 原初の魔将、というのは初耳だけど……目の前の少女の言動を見るに、魔将の中でもなにかしらの上下関係があるのかもしれない。

 

「ずいぶんと余裕そうだね。あなたの首をもう何度か落とすだけなら、わたしにだってできそうだけど?」

 

 カーミエはそれまで浮かべていた笑みをピタリと止め、表情を消す。

 

「……調子に乗んじゃねぇよ。確かに人間にしてはやりやがるが、てめぇらみてぇな魔力の少ねぇ雑魚にあたしがやられるわけねぇだろ」

 

 一度は消した表情に、にやりと笑みが浮かぶ。

 

「それに……てめぇら人間は、こういう手に弱ぇんだろ?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14節 怒り

 笑みを浮かべた魔将は、これまでと同じように前方に手をかざす。

 しかし、今まではあった周囲の異変、魔術の触媒にされたことにより壁や床がわずかに動くなどの予兆が、今回は感じられない……

 

 そこで気づいた。カーミエが狙っていたのはわたしではなく……その背後にいる、リュイスちゃんだということに。

 それと時を同じくして、後方、リュイスちゃんがいる辺りの石が鳴動し、次には無数の石棘となって彼女に襲いかかる。

 

「リュイスちゃん!」

 

 思わず振り向き、わたしは叫んだ。が……

 

「《守の章、第二節。星の天蓋……ルミナスカーテン!》」

 

 始めから、自分が狙われる状況も警戒していたのだろう。リュイスちゃんは自ら後方に跳び、自身を球状に覆う法術の障壁を張ることで、四方から迫る石棘を防いでいた。

 そして続けて、彼女は祈りを捧げる。

 

「《火の章、第三節。浄炎の(つるぎ)……フレイムウェポン!》」

 

 その言葉と共に、わたしの握る剣が白い炎に包まれる。

 熱さは感じない。普通の火じゃない。これは、穢れを浄化するという神の炎。それを武器に纏わせる法術。

 

「私は、大丈夫です! 行ってください!」

 

「……!」

 

 その声に押されるようにして、わたしは駆け出した。

 手早く仕留めないとまたリュイスちゃんが狙われたり、二人共に砦ごと潰されたりしてしまうかもしれない。相手がこちらを見下しているうちにけりをつけてしまいたい。

 

 石槍での迎撃を警戒しながら、再び床を、壁を、天井を跳び渡り、距離を詰めていく。

 

「チィ……!」

 

 カーミエが苛立たしげに舌打ちするのが聞こえる。同時に、こちらを迎え撃たんと四方八方から石の槍や棘が迫ってくるが……わたしはその全てを回避し、懐に潜り込み、袈裟掛けに剣を振るう。

 

「グぅ……!?」

 

 咄嗟に身を逸らした魔将は、それでも肩口から脇腹までを浅く切り裂かれ、傷口を焼かれ、呻き声を漏らす。撒き散らした鮮血が即座に神の炎に燃やされ、蒸発する。痛みのためか、魔将が後退する。

 

 チャンスだ。この石の砦内で、石の魔将相手に、こんな機会はそう何度もやってこないだろう。

 

 わたしはもう一歩踏み出し、右手を振るう。狙うは大半の生物が斬られれば死に至る急所――首。

 たとえイフと同じく一度や二度首を落としたくらいじゃ死なないとしても、その生命力には限度がある。何度も斬ればそのうち死ぬ。

 と、

 

 ――パキ、バキ、ミシ

 

 音を鳴らしながら、魔将の首周りに石が集まってゆく。凝縮された石は次第にかすかな輝きを帯び、周囲の光を受けて反射し始める。

 

「(……ただの石じゃない? 別の個所を狙うべき? ……いや)」

 

 かすかに迷いながらも、それでも構わずわたしは剣を振り抜いた。並み大抵の石や金属なら切断する自信がわたしにはあった。が……

 

 ガギン――!

 

「――」

 

 視界が歪む。周囲の音が遠くなる。

 必殺を賭して振るったわたしの愛剣〈弧閃〉は……魔将の首を覆う輝く石を斬ることは叶わず、ひび割れ、半ばで折れて宙を舞う。それと同時に、神の炎が消失する。

 

 目に映るのは折れた刀身。耳に残るのは甲高い金属音。

 

『気』の練りが足りなかった。打点をかすかにずらされた。相手が硬すぎた。言い訳はいくらでも思いつくが……

 起きた事実を理解したくない。喪失感が胸に広がる。だって、この剣はとーさんが……とーさんから貰った大事な……

 

「キヒ! キヒヒヒヒ! 残念だったなぁ。あたしの魔術はそこらの石を操るだけじゃない。石の材質を変化させることもできんだよ。こいつは金剛石――ダイアモンド。この世で最も硬い石の一つだ――」

 

 魔将が何事か語っているが、ほとんど頭には入ってこない。折れた刃の行方と、それが床に落ちて跳ねる音だけがわたしの感覚を支配し、心は虚無で埋め尽くされ……

 ――次の瞬間、それらが全て怒りに変わる。

 

 ゴっ――!

 

「ガっ!?」

 

 顔面を殴打されたカーミエが呻きを漏らす。殴りつけたのは、折れた剣を握ったままのわたしの右拳だ。

 

「てめ――……!?」

 

 また何か言おうとしていた魔将を遮るように、続けて腹部を蹴りつける。

 

「おぶっ!?」

 

 くぐもった悲鳴を漏らしながら、カーミエが後方に吹き飛んでいく。

 

「《……――獣の檻の守り人。欠片を喰らう(あぎと)》」

 

 それを、あえて歩いて追いながら、わたしは詠唱を口に上らせる。

 

「《黒白(こくびゃく)全て噛み砕き、等しく血肉に変えるもの――》」

 

 怒りに満ちた胸の内に鍵を差し込むと、内からさらなる怒りが溢れだす。それを全て静かに受け止め、わたしは呟いた。

 

「――起きて、〈クルィーク〉」

 

 その言葉と共に内から魔力が吹き荒れ、左半身を変異させていく。

 左手が肥大化し、それを覆うように〈クルィーク〉も形を変え一体化し、巨大で硬質な鉤爪と化す。

 

 両目とも黒だった瞳は左目だけが赤く輝き、視界をわずかに赤く染める。髪の毛の一部、前髪の何房かも、同様に朱に染まった。

 

「……この剣はね、とーさんがわたシにくれたものなノ。十五になった記念に、独り立ちするお祝いに、っテ」

 

「……あぁ?」

 

 普段は〈クルィーク〉が眠りながら魔力を食べているため、ほとんど閉じているわたしの魔覚。それが眠りから覚め、左目が半魔族化したことによって、今までは見えなかったカーミエの魔力を視覚を通して伝えてくる。

 先日会ったイフには及ばないようだが、それでも人間にとっては膨大な魔力だ。通常なら相対しただけで逃げ出したくなるかもしれない。けれどもう関係ない。

 

「嬉しくて、ずっと大事にしてたんだヨ。毎日手入れは欠かさなかったし、使う時もなるべく傷がつかないように気をつけてタ」

 

「そんなことよりてめぇ、その姿はなん――」

 

「――なのニ」

 

 魔将の言葉を遮るように、わたしは語調をかすかに強めた。

 

「……なのに、折れちゃうなんテ……折っちゃうなんテ。そんなノ……許せるわけ、ないよねェ?」

 

 折った相手への憤り。未熟な自分自身への戒め。それらが混じり合った怒りを胸に、わたしは魔将に向かって駆け出した。

 

「ハっ! 知るかよ、そんなもん!」

 

 言葉と共にカーミエの足元から石槍が無数に生え、こちらを刺し殺そうと廊下を埋め尽くしてゆく。だがもう関係ない。頭に血を登らせたまま、それに突進しようとした瞬間――

 

「――アレニエさん、ダメっ!」

 

 リュイスちゃんの制止の声が、足に絡みついた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15節 石を穿つ

 昔、とーさんに言われた言葉がある。「怒りの悪魔に呑まれるな」、というものだ。 

 

 悪魔――悪神とも言うらしいが――が抱かせる負の感情、その一つである怒りは、時に膨大な力を与えてくれることがある。

 が……怒りに支配されてしまえば、視野が狭まり、判断力を失い、結果的には破滅してしまう。先代勇者のように。

 

 それを、まさに破滅する寸前で思い出すことができたのは、リュイスちゃんの制止のおかげだろう。

 それに先刻、わたし自身が怒りに燃えるリュイスちゃんを止めたばかりなのだ。自分が呑まれて暴走するなんて、彼女に合わせる顔がない。

 

「(……そう。そうだね、とーさん。リュイスちゃん。怒りに呑まれすぎちゃいけない。あの勇者の二の舞だけは、ごめんだもんね)」

 

 急速に頭を冷やし、急停止したわたしは……突進の勢いを乗せてその場で旋回。回転エネルギーと周囲の風の『気』を一つにし、前方の空間に蹴り放つ!

 

 ゴオォ!

 

 風は渦を巻きながら廊下を直線的に突き進み、軌道上にある全てを呑み込んでゆく。

 

「んなっ……!?」

 

 横倒しの竜巻は石槍を粉々に砕き、その破片を魔将に浴びせながら、廊下の奥へと吹き抜けていった。

 

 魔将は全身をズタズタに切り裂かれながらも、その場を動いていなかった。足元を見れば、周囲の石が彼女の身体を支えるように隆起している。おかげでその場に留まれたのだろう。

 

 竜巻を隠れ蓑に接近していたわたしは、いまだ風に耐える姿勢を取っていた魔将の腹部に左手の鉤爪を突き刺す。

 

「グぶ……!?」

 

 相手の呻き声を耳にしながら即座に爪を引き抜き、今度は引き裂くように腕を振るう。何度も、何度も、全身を切り刻んでいく。

 

「グ……! ア……! ……あぁ!? 調子に乗ってんじゃねぇぞてめぇ!」

 

 激昂したカーミエは、先刻わたしの剣を折った時のように、急所の多い正中線に石を集め、密集させてゆく。圧縮された石が純度を高め、光を反射する宝石と化す。

 

 おそらくこの鉤爪でも傷はつけられない。どころかこちらが傷を負うかもしれない。

 だからわたしは手を開き、魔将の身体を、それを守る宝石ごと、巨大化した左腕で掴み取った。

 

「クっ!? てめぇ! なんのつもりだ!」

 

 上半身を掴まれ身動きを封じられたカーミエがその場でもがく。わたしはそれを無視して魔将の足元を払い、石の床に押し倒した。そして――

 

 ズ……

 

「うぐっ……!?」

 

 違和感を覚えた魔将が呻く声が聞こえる。そう、これは――

 

「なん、だ……こいつは……力が、抜け…………こいつ……! 魔力を、喰ってやがるのか……!」

 

 これは〈クルィーク〉の能力の一つ、『魔力の吸収』。

 普段はわたしの――半魔の魔力を食べてくれているそれは、他者に向ければその魔力を喰らうこともできる。加えて――

 

 わたしの前方に、赤く煌めく光が現れ、次第に集まり、形を成していく。

〈クルィーク〉のもう一つの能力、『魔力の操作』によって投擲用の短剣の形をとった光は、全部で五本。宙に浮いたそれらが、次には刃先を魔将に向け、勢いをつけて飛来する。

 

「グアァァっ!?」

 

 魔力の短剣はわたしの意を受けて飛び回り、身動きの取れない魔将の身体、その中でも防御の手が回らない箇所に刃を突き立てていく。堪らず苦悶の叫びを上げる石の魔将。

 その間にも、わたしは〈クルィーク〉で相手の魔力を奪っていく。

 

「グ……ガ……。……クソ、がっ……! なめるなよ!」

 

 叫びと共に、魔将の身体から異常な魔力を感知する。嫌な予感を覚え、即座に手を離し離脱。それでも足りない気がして上体を後ろに逸らす。すると……

 

 ――ズリュ!

 

 逸らした上体スレスレに、魔将の腹部から生えた石槍が屹立し、天を突いていた。

 いや、体から生えたんじゃない。自分の体ごと、床から生やした石槍で貫いたんだ。わたしを引き剥がすために。その程度では死なないから。

 

「クッソがぁ……やってくれたな……」

 

 今の攻防で、魔将の命の総量はかなり減らせたはずだ。苦悶の声を上げるその身体には、この砦で殺められた死体と同様の丸くくり抜かれた穴が空いている。その身から直接魔力を喰らい、魔力の刃に全身を貫かせもした。

 

 それでも魔将は立ち上がってくる。腹を貫かせた槍を引き抜き、全身から血を滴らせながら。

 その様を目に捉えつつ、わたしは左手を振り上げる。あと何度必要か分からないが、とどめを刺すまで致命傷を負わせ続けるために。が……

 

 この目に捉えていたはずの魔将の姿が、ここで唐突に小さくなった。

 しゃがみ込んだ? それとも背が縮んだ? ……いや、沈んでいる?

 よく見ればカーミエの足元は石の床に埋まっており、やがてそれが全身に及んでいく。

 

 トプンっ

 

 と、水に潜ったような音を残し、石の魔将は石の中に消えてしまった。

 対峙していた相手が建物の床に潜り姿を消す、というのは、流石に初めての経験だ。異常な事態に、全身が警戒を示す。

 

 目に見えず、物音もほとんど聞こえない。かすかに魔覚に感じる魔力を頼りに、相手の居場所を探ろうと注意を凝らし、こちらの足元まで接近しているのを感知したのとほぼ同時に。

 

 キン――!

 

 と、硬質な音を立てて、わたしの足元から石の刃が閃いた。

 

「っ!」

 

 咄嗟にかわし、反撃を試みるが、姿を現したのはその刃だけで、本体は依然石の中に潜り続けている。背びれのように刃を露出させながら石の砦を泳ぐ様は、海に現れるサメという魔物を彷彿とさせた(あまり海に縁がないので話に聞いたことしかないのだが)。

 

「アレニエさん!」

 

 リュイスちゃんが心配そうな様子でわたしの名を呼ぶ。それが聞こえたのか、はたまた別の理由からか。石中を泳ぐ魔将が次に狙ったのは、後方で戦いの行方を見ていたリュイスちゃんだった。

 

「リュイスちゃん! ……このっ!」

 

 思わず叫び、石の刃を掴もうと左手を伸ばすが……届かない。

 刃はそのまま泳ぐように蛇行しながら、無力な獲物を切り裂こうと高速で迫る。

 助けに入るべく駆け出しながら、しかし間に合わないことを同時に悟る。去来する絶望感に吐き気を覚えながら、それでも諦めずに前を向く。

 

 ほんの少しでいい。

 少しでも彼女が魔将に抵抗できれば、まだ助けられる。その想いを頼りに足を動かし、両者の挙動を視界に収めようとしたところで、気づく。リュイスちゃんの右目が、青い光を帯びていた。

 

「《プロ! テク! ション!》」

 

 言葉と共に、腰だめに構えた右拳に、法術の盾が三重に連なる。

〈流視〉による見切りの賜物か、無駄のない動きで石刃の一撃をかわした彼女は、交差する瞬間、石の刃の根本付近に狙いをつけ、光を纏った拳を打ち付ける!

 

「《プロテクトバンカー!》」

 

 ズドドドドンっ!

 

 拳での一撃を契機に、三重に纏わせた盾が連続して発射され、石の床を粉砕しながら、その中にいた魔将を殴りつける。

 

「グブ、ぁ……!?」

 

 拳の威力もさることながら、元から建物自体にもガタがきていたのだろう。通路の中央に穴が空き、瓦礫が魔将と共に階下に落下していく。

 リュイスちゃんはそれを即座に追い、自らも穴の底に身を躍らせ……

 

「はぁぁぁ!」

 

「ウブぇ……!?」

 

 さらなる追撃を加える。

 その声が聞こえたところでハっと気づき、わたしも慌てて後を追う。ここからじゃリュイスちゃんの活躍が見れない……じゃなくて。戦いの結末を見ることも叶わない。

 

 折れてしまった愛剣を鞘に納めながら、空いた大穴に身を滑らせると、眼下に潰れたカエルのように倒れ込んでいる魔将を確認したため、降りる際に踏みつけて一撃加えておく。

 

「グぇ……!?」

 

 ここは、ちょうど建物の一階入り口付近だ。辺りには例の凄惨な死体がいまだに散乱している。

 

 肝心のリュイスちゃんの姿を探し求めると、彼女は出口を背にして魔将から距離を取り、警戒するように構えを取っている。その表情は怒りに満ちている。

 

 普段は気弱だし、他者の死に強い拒否反応を示す彼女だが、精神的に追い込まれるとむしろ物凄い爆発力を見せてくれる。今の一連の動きもそれが発揮されたことによるものだろう。魔将の魔力にも臆せず動けたのは、過去にイフと対峙した経験も活きているかもしれない。

 

 そして、よかった。それでも攻め急がずに、わたしが来るのを待っててくれたみたいだ。あの位置なら、すぐにこの砦を脱出できる。

 

「リュイスちゃん、外!」

 

「! はい!」

 

 こちらの呼び掛けをすぐに理解してくれた彼女と共に建物を抜け出し、砦前の広場まで辿り着いたところで、大きく呼吸する。

 血臭と淀んだ空気から解放され、夜の匂いがする冷たい風を肺いっぱいに吸う。

 

 砦に侵入してから大した時間は経ってないはずだが、何時間も中にいたような錯覚を覚えるほど、外の空気が恋しかった。

 そうしていくらか呼吸を整えたところで……

 

「……てめぇら……よくもやってくれたな」

 

 砦の入り口から、怒りを隠さない様子の魔将が現れる。

 

「もう甘く見るのはやめだ。こうなりゃ全力で叩き潰す。文字通りになぁ!」

 

 その宣言と共に――砦全体が、震えた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16節 角

 ゴゴゴゴゴ……

 

 砦を構成する石材が、異音を鳴らしながら変形していく。

 それは次第に、武骨でアンバランスな人の形を取っていく。下半身は小さく、上半身が異様に大きい、それでいて見上げるほど大きな巨人となって、物言わぬ雄叫びを上げる。

 

「~~~~!」

 

 ビリビリと空気を震わせるそれに、反射的に足がすくむ。

 声を出せたわけはない。相手は石から生み出された人形に過ぎない。

 しかしそれは確かに一つの意思の元に動き、雄叫びを上げたように感じた。――殺す、というシンプルな意思を。

 

「……リュイスちゃん、ごめん。ほんとは逃げてって言いたいところなんだけど……」

 

「謝らないでください。この旅に連れ出したのは私です。私が巻き込んだんです。だから……」

 

「……うん。うん。そうだね。……じゃあ、お願い。死なない程度にサポートしてくれるかな。一人でやり合うのは厳しそうだから」

 

「はい!」

 

 なぜか少し嬉しそうに返事をしながら、リュイスちゃんは右目に青い光を灯す。再び、〈流視〉を発動させたのだ。

 そんなこちらのやり取りをよそに、巨人は傍にいた魔将の少女を肩に乗せると、次には拳を振り上げ、わたしたちに狙いをつけ殴りかかってくる。

 

「っ――!」

 

 それを、リュイスちゃんは後方に下がるかたちで、わたしは拳の外側に逃げることで、それぞれかわしてみせる。

 

 ただでさえ巨大な腕が勢いよく振るわれることで、想像以上の速さと長さ、それに威力を伴って襲い来る。避けられはしたものの、傍を通り抜ける風圧だけで吹き飛びそうな威圧感がある。

 

 強いて例えれば、巨大な棍棒や大きな丸太を振り回す相手と戦うのに近いだろうか。いや、人が扱える武器では例えにならない。それはそうだろう。誰も経験、どころか予想したこともないはずだ。〝直立する建物に殴り掛かられる〟など。

 

「おら、いけぇ!」

 

 巨人の肩の上からカーミエが声を上げると、それに従って石材の塊が裏拳のように振るわれる。

 

「っ!」

 

 地面スレスレに振るわれた腕をなんとか飛び越え、その腕の上に立ったわたしは、折れた愛剣ではなく黒剣〈ローク〉を左腰から引き抜きながら、巨人の腕を駆け登る。

 なにもこの巨人と真正面から戦うことはない。形作っている術者を討てば元の砦(というか砦を構成していた石の残骸)に戻るはずだ。

 

「ハっ! やらせるかよ!」

 

 しかし魔将の元まで辿り着く前に、術者の意を受けた巨人が右腕を振り上げる。

 

「わっ、と!」

 

 その上を駆け登ろうとしていたわたしは当然バランスを崩し、咄嗟にしがみつくこともできず、その場で振り落とされてしまう。そこへ――

 

「吹き飛べや!」

 

 カーミエの掛け声に応じ、石巨人が左拳を振るうのが見えた。が。

 

「《プロテクトバンカー!》」

 

 バチュン――!

 

 リュイスちゃんの叫びと共に放たれた光の盾が、巨人の左腕を側面から打ち、わずかに逸らし、わたしへの直撃を防いでくれる。

 

「そういやてめぇにも借りがあったなぁ!」

 

 邪魔をされたことに苛立ちながら、魔将がリュイスちゃんに声を上げる。わたしもちらりとだけリュイスちゃんに視線を送り、その場を下がるように促す(伝わったかは分からないが)。

 

 今、カーミエの意識はリュイスちゃんに向いている。だからこの隙に――

 わたしは〈クルィーク〉の魔力操作で空中に足場を生み出し、空を駆ける。そして一直線に標的に駆け寄り、そのまますれ違うように交差し、逆手に握った黒剣を右手で振るう。

 

「ガっ!?」

 

 当たった。けれどまた浅い。斬撃は首の半ばまでしか届かなかった。

 まだ慣れ切っていない武器。不安定な足場。それらが手元を鈍らせる。

 

「てめぇ!」

 

 激昂したカーミエが巨人に命じ、今度はこちらを叩き落とさんと腕を振るわせるが、わたしは魔力の足場を造り、空中で方向転換。巨人の拳をかわしつつ、再び魔将の首を獲りにいく。

 そこへ、石巨人のもう一本の腕が迫る。

 

 ゴォっ――!

 

 固めた魔力を蹴って跳び渡り、唸りを上げて迫る石の塊をギリギリで避けていく。そしてあと少しで本体に届くというところで……踏み出した足が、なぜか空を切る。

 

「……!?」

 

 足元に固めたはずの魔力は、石巨人の腕から生えた無数の棘によって破壊されていた。通り過ぎざまに当たるように狙って生やしたのだろう。こちらの足が傷を負わなかったのは運が良かっただけだ。

 

 そんな考察をしている落下中に、巨人が反対側の腕を振るう。

 足場を造る暇がない。リュイスちゃんの助けも間に合わない。受けるしかない!

 

「ふん、ぬ……!」

 

 黒剣を順手に持ち替え、刀身に左手を添わせる。そうして剣の腹で石の拳を受け止め――

 

「――ぎっっっ……!」

 

 予想以上の衝撃に、身体が悲鳴を上げる。単純な威力だけなら、以前戦ったイフの風と同等かもしれない。次の瞬間には、わたしの身は遥か後方に吹き飛ばされるだろう。その時――

 

 ズ……

 

 左手に、妙な感触を覚えた。刀身を支えていた〈クルィーク〉が、石巨人の拳の接地面から魔力を吸おうとするのを感じる。

 

 身を固くして力んでいたせいで誤って発動させてしまっただろうか。けれどこの巨大な石の人形を動かす膨大な魔力から多少の量を吸えたところで、正直焼け石に水としか思えない……

 そう考えたあたりで――目の前の石塊の一部、〈ローク〉を押し当てていたあたりの石が、ごっそりと消失した。

 

「……へ?」

 

 間の抜けた声を上げるわたしをよそに巨人の拳は振り切られ、わたしの身体は勢いに押され弾き飛ばされる。

 後方には砦の城壁。激突すれば負傷はおろか、即死の可能性さえある。けれど殴りつけられた衝撃と空気抵抗で態勢を整えることも難しい。そこへ――

 

「《――封の章、第二節。縛鎖の光条……セイクリッドチェーン!》」

 

 リュイスちゃんの祈りによって顕現した光の鎖が網のように広がり、わたしを空中で受け止め、速度を緩めてくれる。しかしそれでも勢いを殺しきれなかったため、鎖の上で後転し、態勢を整え、足から城壁に衝突する。

 

 衝撃が壁に伝わり、蜘蛛の巣のように放射状にひびが広がる。反発する力が足から体に響き、全身をジーンとした微細な痛みが伝播する。まぁ、死ぬのに比べたら全然マシな痛みだ。

 

「アレニエさんは私が護ります! だから前だけ見てください!」

 

「(ありがと、リュイスちゃん)」

 

 痛みに耐えながら胸中で礼を言う。そして壁を蹴り、地に足をつけると共に前方に駆け出す。走りながら思いを巡らせるのは、先刻の光景。

 

 さっきのはまず間違いなく〈クルィーク〉による魔力の吸収だ。左手にはその感触も残っている。

 ただ、いつものそれとは違う部分が多すぎた。魔力が込められた物質自体を食らい、抉っていたようだし、左手の平より明らかに広い範囲の魔力を吸っていた。そう、ちょうど今右手に握っている〈ローク〉と同じくらいの長さと広さの――

 

「(ん? ……つまり、そういうこと?)」

 

 なんとなく分かった。今なにが起きていて、なにができるのか。そうとなればもう難しく考えることはない。実際に試してみるのが一番手っ取り早い。

 

「リュイスちゃん! 潜り込みたいから、援護して!」

 

「はい!」

 

 距離を詰めるべく駆け出し、再び巨人と接敵する。

 打ち下ろされる右の拳をかいくぐってかわし、続けて振るわれる左の拳を――

 

「《セイクリッドチェーン!》」

 

 ――リュイスちゃんが生み出した光の鎖が石巨人の身体に絡みつき、ほんの少しだが動きを止めてくれる。鎖はすぐに引きちぎられてしまったが、そのわずかな隙にわたしは巨人の懐に侵入する。

 

 わざわざ足元まで潜り込んだのは、術者本人ではなく、石巨人自体を相手に試したいことがあったからだ。わたしは〝両手〟で黒剣〈ローク〉を握りしめ、振りかぶった。予想が正しければ、この攻撃は通る。

 

「フっ!」

 

 短い呼気と共に振るわれた黒剣は、巨人の足首をまるでバターのように容易く切り裂き、抉り取った。自重を支える土台の一部が切り崩され、バランスを崩し、石の巨体が倒れゆく。慌てて足元から脱出した直後、巨人は地響きと共に倒壊した。

 

「んな……!?」

 

 魔将が驚きをの声を上げながら、崩れゆく巨人から慌てて飛び降りるのが見えた。

 

「てめぇ……なにをしやがった……!?」

 

「さて、なんでしょう?」

 

 わたしは笑顔でとぼけてみせる。それを見た魔将が今日何度目かの怒りを爆発させた。

 

「ふざけてんじゃねぇぞ!」

 

 転倒した石巨人の身体が表面からボロボロと崩れ、それを元に生み出された石片が雨のようにこちらに降り注ぐ。が、わたしはそれを〈ローク〉で切り払うことで致命傷を避けながら前進する。防ぎ切れなかったものが身体を掠め、傷を生むが、気にせず進んでいく。

 

「くっ……!?」

 

 巨人の残骸から、今度は石槍が数本伸びてくる。一本を足さばきでかわし、一本を身を縮めてやり過ごし、最後の一本を黒剣で逸らしながら斬り捨て、とうとう魔将の元まで辿り着いたわたしは……すれ違いざまに一切の躊躇なく、その首を断ち切った。

 

「ガ……!? カ……」

 

 首を落とされた魔将の身体は、しばらくその場に立ち止まっていたが、やがてグラリと傾き、倒れ伏す。地面に落ちた首だけが活発に口を開いていた。

 

「この、感触……その剣、魔力を……魔力を宿した物質ごと、喰らってやがるのか……!」

 

 そう。これは、〈クルィーク〉の『魔力の吸収』という魔術を、〈ローク〉が制御した結果によるもの。

〈ローク〉――『角』の名を持つこの魔具は、どうやらただ制御するだけではなく、力を鋭くさせる効果もあるらしい。

 

 力が増すわけじゃない。同程度の力を先鋭化させているんだろう。同じ力を振るう場合にただ殴るのではなく、刃物を使うようなものと言えばいいだろうか。

 それによって〈クルィーク〉の吸収は鋭さを増し、斬り付けた箇所の魔力だけでなく、その魔力が宿った物質ごと喰らう、という力を発揮できた。

 

 分かったのはつい先刻のこと。左手で〈ローク〉に触れた状態で、相手の魔力を吸収しようとしたことで条件が整い、〈ローク〉もまた発動。〈クルィーク〉の魔術を制御・先鋭化させた。

 

 つまり、〈ローク〉はいつでも起動していたのだ。合言葉など必要とせず、持ち主が触れた状態で魔術を(あるいは法術を)発動させれば、自動的に制御してくれる魔具。

 普段触っていたのが魔力のないわたしだったために、今の今まで効果を発揮できていなかったのだろう。リュイスちゃんに貸していれば、すぐにでも分かったことなのかもしれない。

 

「ぐ……くそ……この、あたしが……てめぇみてぇな、わけの分からねぇやつに……!」

 

 地べたの生首が悔しげに呟く。わたしが半魔だということにはまだ気づいていないらしい。それならそのほうが都合がいい。

 

「あたしは、魔将として成り上がってやるんだ……! こんなところで死ねねぇ……!」

 

 カーミエは自分の身体に首を回収させ、巨人の残骸を支えになんとか立ち上がったところだった。わたしはそこに、黒剣を手に近づいていく。

 

「どんなに力があっても、叶えたい願いがあっても、死ぬ時は死ぬ。この世界にそんなルールを持ち込んだのは、あなたたちの神さま、だったよね」

 

「くそ! 来るんじゃねえ!」

 

 のろのろと後ずさる魔将にとどめを刺すべく、わたしは駆け出す。そして〈ローク〉を振りかぶったところで――

 

「――キヒ!」

 

 笑い声と共に魔将の姿が石に消え、同時に石槍がわたしを串刺しにせんと襲い掛かる。

 

「っ!」

 

 間一髪で避け、踏み止まる。

 

「キヒヒヒヒ! よく避けたな、妙な人間!」

 

 次の笑い声は、少し離れた場所から聞こえてきた。いつのまにか首は胴と繋がっている。どうやら巨人の残骸の中を移動して、その向こう側まで逃げていたようだ。というか妙な人間て。

 

「てめえらの面と魔力は覚えた。いずれこの傷の借りは返してやる。勇者より先にてめえらだ。だが――」

 

 言葉と共に、巨人の――砦の残骸が、鳴動する。

 

「だが、今日のところはこれで見逃しといてやる。あたしはこんなところで死ぬわけにはいかねぇからな」

 

 石の魔将カーミエの姿は、その台詞を最後に見失ってしまう。というのも――

 

 ――ゴバっ!

 

 砦を構成していた石材が爆発するように四方八方に屹立し、圧し潰そうと迫ってきたからだ。

 

「リュイスちゃん!」

 

 慌てて彼女の元に走り寄り、石が届かない距離まで共に避難する。

 石柱の爆発はしばらく続き、少しづつ収まってゆく。やがて完全に石の動きが止まると、森は来た時と同じ静寂に包まれていた。

 

「アレニエさん……無事ですか?」

 

「うん、わたしは大丈夫。でも……逃げられた、かな」

 

 その場に座り込みながら、目の前の惨状に息を呑む。

 爆発したように膨張した石材はガラガラと崩れ去り、夥しい量の瓦礫の山と化している。もし、この惨状を生んだ魔術をまともに喰らっていれば、わたしたちもあの瓦礫の一部に加えられていたはずだ。背筋が寒くなる。

 

 付近には動くものの姿はない。やはり先刻の魔術を目くらましに逃げられたのだろう。この先もどこかで襲われる可能性を考えると、ここで仕留められなかったのは悔やまれる。が……

 

「……」

 

 準備もなしに不意に魔将と遭遇して、生き延びられただけで不幸中の幸いなのかもしれない。無言ですがりつく神官の少女の手に、そっと自分の手を重ねる。

 

「あ、そうだリュイスちゃん」

 

「? なんですか?」

 

「また、〈クルィーク〉を寝かしつけてくれないかな? 放っておくと、こないだみたいに暴れだしちゃうからさ」

 

 左手を上げ、小さく開閉させてみせるわたし。

 堰き止められていた本能を数年ぶりに解放した前回と違い、今回はあまり溜まっていないので、いくらか余裕があるのだけど。まぁ、早めに封じておくに越したことはない。

 

「はい、任せてください」

 

 言うが早いか、リュイスちゃんは両手を合わせ、祈りを唱え始める。以前解放した際と同じ、一定空間の魔力を沈静化させる法術で、わたしの魔力の核を封じてもらうのだ。そうすれば後は〈クルィーク〉が魔族化を食い止めてくれる。文字通りに。

 

「ふぅ」

 

 わたしはリュイスちゃんの祈りを聞きながら空を見上げ、短く息をついた。

 騒々しく、忙しかった夜がようやく終わりを告げる。星々の明かりが、暗い空を光で染め上げていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2章エピローグ あなたがいれば

 暗い夜道を、法術の明かりを頼りに二人で歩いていく。

 わたしとリュイスちゃんはさっきまでいた森を抜け、街道を沿って進み、最寄りの人里に辿り着くべく歩を進めていた。

 

 あの後、リュイスちゃんに魔力を封じてもらってから、わたしたちはすぐにその場を移動した。

 あのまま留まれば、そのうちアルムちゃんたちが騒ぎを聞きつけてこちらにやって来ていただろうし、そうなれば何が起きたか説明するのも面ど……コホン。いろいろ説明できないことも多くて一苦労だからだ。

 

「今頃は、砦の残骸見つけて首を傾げてるかもね」

 

「わけが分からないでしょうね。正直、私もなにが起きてたのかちゃんと把握できていません」

 

 そういえばちゃんとした説明もないままに連れ回してしまった気がする。

 

「結局、勇者さまを暗殺しようとしていた犯人が、たまたま砦を訪れた魔将に命を奪われた、ということでしょうか?」

 

「たまたまじゃなかったみたいだよ。ほら、例の『死の匂いを感じ取れる』っていう魔将が裏で手を回してたらしいし」

 

「悪魔の――いえ、悪神の加護、ですか」

 

 一般的に悪魔と呼ばれるものは、実は悪神という神々の一柱で、善神と同じように加護を授けることもあるとか。このあたりの知識は以前出会った魔将――イフから得たもので、人間社会の中では失われた知識らしい。

 

「その加護の持ち主を倒さない限り、この旅は終わらないんでしょうか」

 

「どうだろね。石の魔将と戦う前にも言ったけど、魔王を倒すまでずっと続くかもしれないよ?」

 

「本当にそうだとしたら……やっぱり、途方もない道のりに思えますね……」

 

「でもまぁ、ある意味ゴールははっきり見えてるわけだし、地道に進めばいつかは終わるよ。それに……」

 

「それに?」

 

「少なくともこの依頼が終わるまでは、リュイスちゃんとの二人旅をたっぷり楽しめるってことだしね」

 

「え……う……?」

 

 にっこりと笑顔で告げるわたしと対照的に、リュイスちゃんは真っ赤になった顔を伏せて黙り込んでしまう。何を想像したんだろう。かわいい。

 

「そ、それはともかく」

 

 気を取り直したリュイスちゃんがコホンとかわいく咳払いする。

 

「とりあえず泊まれる場所を探すのはいいんですが……その後はどうしましょう。まだ〈流視〉には何も見えていないので、行き先の指針がないんですよね……」

 

「ひとまずはアルムちゃんたちの噂拾いながら、つかず離れずで旅するしかないかな。何かあったら助けに入れるだろうし、〈流視〉に何か見えたらそっちに行けばいいしね」

 

「なるほど……分かりました」

 

「まぁ、まだ何も見えないのはかえって良かったかも。ここまで急いでばかりだったし、少しくらいゆっくり旅してもいいと思うよ」

 

 わたしの言葉に、隣を歩く彼女も頷く。

 

「そうですね。剣の修理もしなきゃいけませんものね」

 

「…………そうだった」

 

 その場にしゃがみ込み、ズーンと落ち込む。

 

「ア、アレニエさん?」

 

 急に立ち止まって落ち込むわたしに驚き、リュイスちゃんが慌てて振り向く。

 

「ごめん、大丈夫。思い出して少し気が重くなっただけ」

 

「……その、こう言ってはなんですけど、意外ですね。一番に気にかけてると思ったんですが」

 

「ちょっと現実から目を逸らしてました」

 

 目を逸らしても剣が直ってくれるわけじゃないのだけど。

 

「うー……わたしの〈弧閃〉……せっかくとーさんに貰って大事にしてたのになぁ……」

 

 折れた愛剣を手に唸っていると、見かねたリュイスちゃんが落ち着かせるように頭をよしよしと撫でてくれる。心地いい。

 

「どこか大きな街に行けば、鍛冶師の方に打ち直してもらえるでしょうか」

 

「それなんだけどさ」

 

 立ち上がりつつ〈弧閃〉を鞘にしまい、リュイスちゃんに顔を向ける。

 

「実は鍛冶師についてはちょっとあてがあるんだ。この剣を打ったのは、うちの常連のライセンていうドワーフなんだけど、そのライセンの師匠が、ここから北東に進んだ村に住んでるらしくてね。だから、できればまずそこに立ち寄りたいんだけど……いいかな」

 

 少しだけ控えめに、彼女の顔を覗き込むように見る。

 

「もちろん。お供します」

 

 彼女はそう言って柔らかく微笑んでくれる。よかった。

 

「一応〈ローク〉があるから戦えなくはないし、しばらくなんとかなるとは思うんだけど……使い慣れた武器がないと不安だし、なんとなく落ち着かないからさ。できるだけ早く直したいんだよね。ほんとは折れた切っ先も回収したかったけど……あの残骸から掘り起こすのは無理そうだし、そんな時間もなかったし」

 

「勇者さまがいつ来るかも分かりませんでしたしね。できればあの中の遺体も浄化して埋葬したかったんですが……」

 

 見ず知らずの暗殺者にまでそうしてあげたいなんて、相変わらずリュイスちゃんは優しい。言っても本人は否定するだろうけど。

 

「アニエスちゃんだっけ。あの子も一緒にいるなら、穢れに気づいて浄化だけはしてくれるんじゃないかな」

 

 瓦礫を掘り出して埋葬までは難しいと思うけど。

 

「そう、でしょうか。……そうかもしれませんね」

 

「でしょ? だから、わたしたちはその間に先に進もう」

 

「はい」

 

 再び並んで歩き出しながら、二人で取り留めもない話を続ける。

 

「アニエスちゃんといえば、あの魔術師くん無事かな」

 

「あぁ……怒ってましたね、彼女」

 

「即座に処刑しようとしてたもんね。容赦なさすぎてびっくりしたよ」

 

「アニエスさんは、とても真面目な方ですから。アスタリアの神官として、神剣や勇者というものに敬意を持っていましたし、自身が守護者に選ばれたことも誇りに思っていたようなので、それらを踏みにじられたのが許せなかったのではないでしょうか」

 

「さっきまでの仲間を始末しようとするほど?」

 

「あ、あはは……彼女はちょっと、その、激しい性格の方なので……」

 

 まぁ、頭に血が上りやすそうではあったけど。 

 

「そういえば、リュイスちゃんとはどんな関係なのかな。なんか苦手そうにしてた気もするけど」

 

「……関係、と言えるほどの関係性はないはずなんですが……なぜか、目の敵にされているというか……」

 

「なにそれ。いじめられてるとか?」

 

「いえ、他の方のように表立ってそういうことをしてくるわけではないんです。ただ、私が知識や礼儀で至らぬ点があった場合に公衆の面前で厳しく指摘されたり――」

 

「うん」

 

「弟子の私が不甲斐ない姿を見せれば師であるクラルテ司祭に迷惑がかかると諭されたり――」

 

「うんうん。……うん?」

 

「それから、クラルテ司祭と私が一緒にいると、なぜかきつい目つきで睨まれたりしていて……」

 

「…………えーと、それってさ、ひょっとして――」

 

「……え?――」

 

「――」

 

「――」

 

 その後もわたしたちは、二人で他愛もない話を続けながら歩いていく。

 

 不安はある。

 折れた〈弧閃〉や逃がした石の魔将はもちろん、新たな魔将や、再び勇者一行の命を狙う人間など、まだ見ぬ困難がわたしたちを待ち構えているかもしれない。

 

 けれど、彼女が一緒であれば。

 彼女が傍で支えてくれるなら、何が待ち受けていようと乗り越えられる。

 共に過ごすほどそう思える得難い友人に笑顔を向けながら、わたしたちは暗い夜道を賑やかに進んでいった。

 

 2章 終



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3章
1節 思わぬ再会


「《プロテクション!》」

 

 法術によって生み出した光の盾を両手に携え、私は襲い来る魔物を迎撃する。

 棍棒や石製の刃物を持って襲ってきたのは、緑色の肌に尖った耳を生やした人型の魔物――ゴブリンの群れ。彼らの攻撃を両手の盾で受け止め、逸らし、態勢が崩れたところに光の盾を纏った拳を打ち込む!

 

 ゴっ!

 

「ギエっ!?」

 

 司祭さま直伝のプロテクション・アーツ。武術と法術を組み合わせた格闘技で数体のゴブリンを相手取る私だったが、如何せん相手の数が多い。二匹ほどを討ち漏らし、侵入を許してしまう。が、その先には……

 

「アレニエさん!」

 

「はいはい」

 

 キン――!

 

 名を呼ばれた女性は、刃も柄も黒い剣を左腰から引き抜いたかと思うと、近づいてきた二体の魔物をあっという間に切り伏せてしまう。

 

「よし、終わり、っと」

 

 アレニエさんが黒剣を鞘に納めながら呟く。二体のゴブリンはどちらも綺麗に首をはねられていた。その様を目にし、死を目前にした際の衝動がわずかに首をもたげるが、努めて我慢し、振り払う。

 

「リュイスちゃんのほうも終わった?」

 

「はい、なんとか……」

 

 リュイスは、私の名だ。フルネームはリュイス・フェルム。年齢は今年で十六を迎える。

 

 肩まで届く栗色の髪を白のベールに覆い、同じく白の聖服をその身に纏った私は、〈アスタリア神殿教会正殿〉――通称、総本山に務める神官の一人だ。今はとある任務を預かって、この遠く離れた北の大地まで足を伸ばしている。

 

「さて、死体は一まとめにしておいて、(けが)れを焼かないとね」

 

 そう言って手際よく魔物の死体を運び始めたのは、私よりいくつか年上の女性、アレニエ・リエスさん。私の旅のパートナーだ。

 

 あちこちが跳ねたショートカットの黒髪。髪と同じ黒い瞳は、垂れた目尻が優しそうな印象を与える。

 私よりほんの少し高い身長を、白い軽装の鎧で覆っている。ただし、左手の篭手の色だけは黒だった。腰の後ろには左右に二本の剣を提げており、彼女が剣士であることを主張している。

 

 彼女は魔物の死体を集めて山にすると、両手をパンパンと払いながらこちらに振り向く。

 

「よし、完了。リュイスちゃん、《火の章》の準備、頼めるかな」

 

「はい。……《天則によって力強い火に我らは願う者です。最も迅速にして強力なその火が、信徒には明らかな助けとなるように、仇人(あだびと)には罪業を露わに示すものとなるように――》」

 

 黒い煙のようなもの――穢れを漏れ出させている死体を目の前に、私は祈りを唱え始めた。

 

 

  ――――

 

 

 死体は穢れを生む。それは病毒を撒き散らし、土地を腐食させ、周辺に新たな死をもたらす。特に魔物の死体は、多量の穢れを発生させる。

 神殿では、法術による神の炎で焼き清めることにより、穢れを処理するよう神官たちに教えている。穢れを浄化できるのは、基本的には神官が扱う《火の章》だけだからだ。

 なので旅人、特に冒険者は、大抵一人は神官を供に連れて行くことを推奨されている。魔物の死。仲間の死。――自身の死。死に触れる機会が多い職業だからだ。

 

 アレニエさんにとっての私も同じ関係ではあるが、私たちにはもう一つ、旅を共にする理由がある。彼女は、私の依頼を受けてくれた雇われ人でもあるのだ。――勇者を陰から助ける、という依頼の。

 

 

  ――――

 

 

 ――穢れが燃えていく。法術の白い炎に焼かれ、混ざり、空に溶けるように消えていく。

 遺体は骨も残さず灰に変わり、ついにはそれも風に散る。『穢れが寄り集まったもの』と言われる魔物所以(ゆえん)の現象だ。アスタリアの被造物の場合、浄化された死体が残るのだ。

 浄化を終えた私はアレニエさんに向き直り、ぽつりと呟く。

 

「……段々、道中に魔物が増えてきた気がしますね」

 

 この国に入ってから、もう数回魔物に襲われている。私たちがやって来たパルティールという国は魔物がほとんど現れない(女神の守護だと言われている)土地のため、こんなにも違うものかと驚いている次第だ。

 

「ここら辺は元々魔物が多い土地らしいけど、魔王が復活した影響もあるのかもね」

 

 魔王――魔物たちの王は、歴代の勇者によって何度も討たれているが、およそ百年の周期で再び蘇ってしまう不滅の存在だ。しかも問題はそれだけではなく、魔王はそこに在るだけで、世界中の魔物を活発化させ、増殖させると言われているのだ。魔物の襲撃が増えたのは、そのせいもあるのかもしれない。

 

「まぁ、それはともかく――」

 

 アレニエさんが街道の前方を見やる。そこには周囲を木の柵で囲まれた、一つの村があった。

 

「やっと、着きましたね……」

 

 私は目的地である村を遠くから一望しながら、溢れ出る疲労を隠さずに口を開いた。

 

「結構遠かったねー」

 

 反対にアレニエさんは、疲労を感じさせない落ち着いた声で返答する。このあたり、単なる基礎体力の違いなのか、冒険者としての経験の差なのか、いまだに分からないでいる。

 

 

  ――――

 

 

 私たちがやって来たのは、この大陸で唯一の皇帝が治める国〈ハイラント帝国〉。その南東部に位置する村、ホルツ村だ。

 人口五十に満たない小さな村だが、近隣に広大な森林――ノルト大森林が広がっているため、木材を加工・輸出することで村民の生計を賄っている。

 

 また、付近の山に鉄鉱石の鉱脈があり、その輸送路の線上にこの村が位置するため、良質な鉱石が入手しやすいという。

 材料となる鉱石、燃料となる木材、と条件が揃っているため、鍛冶を志す者も存在するらしいが、利便性から大きな街に移住する者も少なくないという。

 

 

  ――――

 

 

 そのホルツ村の前まで辿り着いたはいいのだが……アレニエさんの様子が、どこかおかしい。なにやらきょろきょろと辺りを見回しては、しきりに首を傾げているのだ。

 

「なんだろ、なんか変な感じ……見覚えあるような……? でも、この辺来たことないし……うーん……」

 

 本人にも理由が分からないらしい。どうやら、なんらかの既視感を覚えているようなのだけど……

 

「……まぁ、いっか。とりあえず、例の鍛冶師を探す、でいいかな、リュイスちゃん」

 

 気にはなるものの、はっきりとはしないため、当初の目的を片付けることにしたらしい。それに愛剣を早く直したい(先日の戦いで折れてしまったのだ)からか、心なしソワソワしているようにも見える。

 

「はい、構いませんよ。ちょうど門番の方がいますし、あそこで聞いてみましょうか」

 

 村の入り口には、おそらく警備に雇われたであろう青年の冒険者が門番として立っていた。私たちはそちらに近づき、彼に話を聞く。

 

「あのー」

 

「なんだい、あんたら。旅人かい?」

 

「そう、旅人。さっき着いたばかりなんだ。それで、人を探してるんだけど」

 

「人?」

 

「この村に、ハウフェンって鍛冶師がいるって聞いたんだけど、どこにいるか知ってるかな」

 

「ああ、あの爺さんの客か。爺さんの工房なら、村の西の外れにポツンと一軒だけ建ってるから、行けばすぐわかると思うぜ」

 

「ありがと。行ってみるよ」

 

 門番の彼に礼を言い、私たちは早速件の鍛冶師を訪ねることにした。

 

 

   ***

 

 

「そうか、お前さんライセンの知り合いか!」

 

 ガッハッハと豪快に笑いながら私たちを出迎えてくれたのは、浅黒い肌を作業着に包んだ、白髪交じりの人間の男性だった。身長はそこまで高くないが、鍛冶で鍛えられたであろう身体は引き締まり、見る者に威圧感を与える。

 

「……」

 

「ん? どうした、神官の嬢ちゃん。儂の顔をじっと見て」

 

 ぼーっと彼の顔を眺めていた私に、本人から(いぶか)しげな声が掛けられる。

 

「あ、その、すみません不躾に。ライセンさんはドワーフと聞いていたので、師匠さんもそうなのかと勝手に思っていまして……」

 

 師匠――ハウフェンさんは、納得したようにあぁと一つ声を上げると、私の疑問に答えてくれる。

 

「やつはな、異端のドワーフなんだ」

 

「異端?」

 

「ドワーフは基本的に斧やハンマーなんかの武骨で重い武器を好む。使うにしろ、造るにしろ、な。他の武器を打つこともあるが、ほとんどは手慰みだ。ライセンは、そんな中では珍しく、剣を打つことを本懐にしたドワーフだ。たまたま流れ着いたこの村で、剣を主に打っていた儂に弟子入りを志願してきた」

 

「だから、師弟の間柄に……」

 

「ああ。短い間ではあったがな。やつは鍛冶の修行と同時に、安住の地を求めてさまよっていた」

 

「……安住?」

 

「ある程度の地域差はあるが、ドワーフの趣味趣向は大まかには変わらない。特にやつの故郷では激しく迫害されたらしくてな。住処を追われ、各地を流れていたそうだ」

 

「……」

 

 どこであろうと程度の差はあれど、差別や迫害は存在する。ライセンさんもそれらに晒されてパルティールの王都下層に辿り着いたのだろう。そこは、様々な歴史的背景から各地を追われた人々が逃げ込む先でもある。その過程や結果として今の人間関係があるのは、ある意味で不幸中の幸いなのかもしれない。

 

「今は、下層でそれなりに楽しく暮らしてるよ。この剣もライセンが打ってくれたしね」

 

 そう言うとアレニエさんは、折れた愛剣〈弧閃〉を鞘から引き抜き、ハウフェンさんに手渡す。彼はそれを角度を変えながらじっくりと眺めていく。

 

「あぁ、いい剣だな。それによく使いこまれている。……そうか。パルティールにいると便りは届いていたが、元気でやっているようだな」

 

 剣から彼の近況が伝わっているかのように、しみじみと〈弧閃〉に見入るハウフェンさん。次いでその視線が、破損個所に向けられる。

 

「さて、用件はつまり、こいつの修理ってところか?」

 

「うん。直せるかな」

 

「継ぎ足せるかって意味なら、無理だ。こうまで折れちまってるなら、鋳溶(いと)かして新しい剣身を造るしかないな」

 

「そっか……うん、しょうがないか。けど、新しく打つにしても、なるべく形とか重心とかは同じにしてほしいかな」

 

「ふむ。ふむ……なら、こういうのはどうだ?」

 

 そう言うとハウフェンさんは、部屋の隅から鉱石を一つ取り出し、アレニエさんに見せる。

 

「これは?」

 

「『気鉱石』って名前の鉱石だ。硬さや加工のしやすさが鉄と同程度というのも見どころだが、こいつにはもう一つ特徴があってな」

 

「特徴?」

 

「こいつはな、『気』に反応するんだ。『気』の伝導効率がほかの金属とは比べ物にならない。なんでも、知らずにこいつを掘っていた発掘者が『気』を込めてつるはしを振るったところ、そいつに反応して鉱脈が軽く爆発したとか」

 

「えーと……大丈夫なの、それ?」

 

「なに、すでにある程度研究は進んでいてな、『気』の伝達に指向性を持たせる方法も分かっている。武器に応用すれば、その切れ味や威力を大幅に底上げすることも可能だぞ」

 

「つまり、わたしのかわいい〈弧閃〉ちゃんをその気鉱石とやらで打ち直したいと」

 

「うむ。どうだ?」

 

 アレニエさんは少しの間考える仕草をしていたが……

 

「――面白そうだね」

 

 次には興味にキラリと目を輝かせ、ハウフェンさんと修理のアイディアを互いに出し合っていた。

 

 そういえばアレニエさんはこういう人だった。火打金(と、火打石)を仕込んだブーツも面白そうという理由で買ったそうだし、私のことも同じように言って大声で笑っていた。

 彼女の「面白い」の基準はよく分からないが、本人が納得してるなら構わないのだろう。剣を打ち直してくれる約束を取り付け、私たちはハウフェンさんの工房を後にする。

 

「さて、剣が完成するまではこの村に滞在するとして……次は、宿を探さないとだね」

 

 

  ***

 

 

 村唯一の宿〈森の恵み亭〉は、村の入り口からさほど離れていない場所に建てられた、二階建ての宿だった。早速二人で中に入ったのだが……建物内部を見渡したところ、中には客や店員どころか、店主の姿すら見当たらない。

 

「すみませーん。宿を取りたいんだけどー」

 

「はーい」

 

 アレニエさんの呼び掛けに、カウンターの奥から若い女性の声が返ってくる。少ししてからパタパタと足音を響かせながら現れたのは、声の印象通りの綺麗な女性の姿だった。

 ふわふわとした金の長髪を、三つ編みにして後ろに垂らしている。年の頃はアレニエさんと同じくらいだろうか。店主にしてはかなり年若く見えたが、他に出てくる人はいなかった。

 

「ごめんなさいね、夕食の仕込みをしていたの。この時間、普段はあまりお客さんも来ないものだから……」

 

 言われてみればここまでに見た村内の冒険者は、門番をしていた彼や、同じく警備に雇われたであろう数人くらいだった。冒険者の宿としては、あまり活発ではないのだろう。

 

「泊まるのは貴女たち二人だけ? 部屋は二階の一番奥が空いてるから、そこを……――」

 

 該当する部屋の鍵を手にし、そこまで口にしたところで、推定店主が唐突に押し黙った。どうしたのかと様子を窺うと、彼女の視線はアレニエさんに向いたところで、その動きをピタリと止めていた。その口から、躊躇いがちに呟きが漏れる。

 

「……レニ、ちゃん……?」

 

「へ? なんでその呼び方を……。……――っ! ユーニ、ちゃん……!?」

 

 二人はしばらくの間、衝撃を受けたようにお互いを見つめ合う。わずかの間、時間が止まったようにすら感じた。その膠着を先に破ったのは、アレニエさんだった。

 

「――部屋は二階の一番奥、だったよね? わたし、先に行ってるから」

 

「あ……待っ――」

 

 一方的に宣言し、いつの間にか女性の手から鍵を受け取って(同時に宿代も置いて)いたアレニエさんは、彼女の制止の声を振り切るように歩を進め、階段の先へと一人消えてしまう。

 私は、気まずい空気にどうしていいか分からず、とりあえず女性に会釈だけして、アレニエさんを追うことにした――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2節 やっちゃった

 先を行くアレニエさんの歩みは早い。目的の部屋まであっという間に進み、扉を開け、すぐさま中に入ってしまう。私も後に続き入室し、扉を閉める。

 

 部屋はちょうど二人部屋だったらしく、ベッドが二つとクローゼットが一つあるだけの簡素なものだった。先刻の彼女が綺麗に掃除をしているのか、ほこり一つない清潔感のある部屋だ。

 

 アレニエさんはベッドの傍に荷物を置き、次いで部屋の窓を開け、外の景色を無言で眺めていた。その後ろ姿からは、何を思っているのか窺い知ることができない。

 

 ひとまず私も荷物を置き、ベッドに腰を下ろすことにした。都市部の宿に比べれば寝具は少し堅かったが、野宿するよりは遥かにいい。休める場所に辿り着いた安堵からか、ここまでの旅の疲れが吹き出すような感覚があった。

 

 少しして、アレニエさんが私の隣(同じベッド)に腰を下ろす。ちらりと目を向けてみるが、ここから見える横顔に表情はなく、口を開く様子もない。

 

 気まずい。

 聞きたいことは沢山あれど、聞いていいことなのか分からない。しかしこの空気のまま過ごすというのもなかなかに耐え難い。意を決し、彼女に尋ねようとしたところで――

 

 ――コンコン

 

 と、部屋の扉をノックする音が室内に響いた。

 ちらりとアレニエさんに視線を向けるが、彼女は聞こえていないかのように身じろぎ一つしない。私は慌てて代わりに返事をする。

 

「あ――は、はい」

 

「ごめんなさい、宿の者だけど……少しだけ、いいかしら……?」

 

 扉越しに躊躇(ためら)いがちな声を届かせるのは、先程の店主と思しき女性だった。私は再度アレニエさんに視線を送るが、彼女は伏し目がちに床を見るだけで、なんの反応も示してくれない。しかし強く拒絶するわけでもない。

 だから私は少し迷いながらも立ち上がり、部屋の扉を開けた。正直どうしていいか分からなかったが、これで状況が動けば、とも思ったのだ。

 

「……ありがとう」

 

 入室した女性は扉を開いた私に感謝の意を伝え、次にアレニエさんに向き直る。その表情は、何かを怖がっているようにも見えた。

 

「――あの……」

 

 彼女が小さく声を掛けるが、やはりアレニエさんに反応はない。女性はその様子に少し怯んでいたが、やがて覚悟を決めたように顔を上げ、笑顔を作り、アレニエさんに話し掛ける。

 

「その……久しぶりだね、レニちゃん……元気、だった?」

 

 その問い掛けにも反応はないものと思い込んでいたが……いつの間にかアレニエさんは顔を上げ、笑顔を見せていた。いつもの柔らかな……けれど、仮初の笑顔を。

 

「――なんのことかな。わたし、そんな名前の人知らないけど? 人違いじゃない?」

 

「え……」

 

 予想外の否定に女性は身を固くし、けれど、それでも諦めずに問いを続ける。

 

「嘘……嘘だよ。レニちゃんでしょ? 私、ユーニだよ。子供の頃、よく一緒に遊んでた――」

 

「――悪いけど」

 

 アレニエさんはいつもより語調を強めて、強引に会話を断ち切る。

 

「わたしたち、長旅で疲れてるから早めに休みたいの。用があるなら後にしてくれるかな……――店員さん」

 

「……っ!」

 

 それは、はっきりとした拒絶の言葉だった。

 

 事ここに至っては、私にも想像がつく。二人は幼い頃に友誼(ゆうぎ)を結んだ友人同士で、長年の別れを経て劇的に再会したのだと。そして、旧交を温めるべく差し出された女性――ユーニさんの手を……アレニエさんが、振り払ったのだと。

 

「……ごめん、ごめんなさい……私……いえ……。……ごゆっくり、どうぞ」

 

 小さくそれだけを言い残すと、ユーニさんは失意のまま部屋を出て行ってしまった。

 

 所在無げに立ち尽くしていた私は、少し迷いながらもベッドに戻り、アレニエさんの隣に座り直した。

 二人の間に何があったかは知らない。どちらが悪いという話なのかも分からない。ただ、ユーニさんの悲しそうな顔が脳裏に焼き付いていた。

 

「……アレニエさん。詳しい事情は分かりませんが、今の言い方は……――」

 

 そこまで口にしたところで、隣に座るアレニエさんが急にこちらに倒れこみ、私のふとももに顔を(うず)めてきた。

 

「わひゃ!? ア、アレニエさん……!? こんな時に、何を……!?」

 

「…………」

 

 そして、そのまましばらく微動だにしなかった。

 

「……アレニエ、さん?」

 

「……やっちゃったよー……」

 

 私のふとももの間から、くぐもった後悔の声が漏れ聞こえた。衣服越しに響く音が体に伝わってちょっとくすぐったい。

 

「やっちゃった、って……今の方に対して、ですよね?」

 

「……うん……」

 

「どうして、あんなことを……?」

 

「……だって急に出てくるんだものー……こっちにも心の準備とか欲しいのにさー……でも剣が完成するまでこの村出れないしー……」

 

 アレニエさんは私の膝の上でひとしきり悶えた後、寝転がり、天井を向く。見下ろす私と目が合う。ようやく交わったその瞳は、珍しく不安げに揺れていた。

 実際、こういうアレニエさんは珍しい。いつもはもっとスパっと物事を決めるイメージだ。でもそういえば、自身が半魔だということを切り出す時などは、かなり奥手になっていた気もする。

 

「……その、前に、話したかな。かーさんと一緒に暮らしてた頃のこと」

 

「えぇと、前回の依頼の帰り道で、大まかには聞きました。とある村の外れで、お母さんと二人で暮らしていたんですよね」

 

 そう。風の魔将イフを打ち破り、見事依頼を達成したアレニエさんは、パルティール王都までの帰り道の間に、秘密にしていたその半生を聞かせてくれていた。

 その際に聞いたのが、幼い頃の話。まだ彼女が〈剣帝〉と出会う前の、ただの少女だった頃の話だ。

 

「……ここ」

 

「ここ?」

 

「……その村が、ここなの」

 

「…………えぇ!?」

 

 驚きに、思わず大きな声が出てしまった。

 

「……旅でたまたま訪れた場所が、幼い頃暮らしていた故郷だったなんて、そんなこと……あ」

 

「この間のリュイスちゃんと同じだね」

 

 以前の旅で私は、滅んだ自身の故郷にたまたま立ち寄っていたのを思い出した。自分のことを棚に上げて発言してしまった恥ずかしさに、少し赤くなる。

 

「まぁ、それにしてもびっくりだよね。……どうりでどこか見覚えあるわけだよ」

 

 村の光景を思い出してか、彼女はどこか苦々しげに笑みを浮かべる。

 

「村の名前に憶えはなかったんですか?」

 

「子供の頃は「村」としか呼んでなかったし、こっちにあまり近づかないようにも言われてたしね。ここが地図のどのあたりなのかも知らなかったし、名前も場所も憶える機会がなかったというか」

 

 子供の頃なら、そういうものかもしれない。

 

「だから、気付いたのは本当についさっき。あの子がユーニちゃんだって気づいた時だよ」

 

「やっぱり、お知り合いだったんですね。でも、じゃあ、さっきの態度は……」

 

 それを訊ねようとすると、彼女は少し困ったような笑みを浮かべる。

 

「その話なんだけど……明日の早朝、ちょっと行きたい場所があるから、付き合ってくれないかな。そこで説明するよ。今日はもう色んな意味で疲れたし、夕飯食べて寝よう」

 

「……はい。分かりました」

 

 きっと突然のことに混乱していて、彼女の中でまだ話す準備が整っていないのだろう。ならば大人しく待つべきだ。話してくれるつもりはあるみたいだし。

 

「……って、そういえば夕飯って、今日は宿の料理を頂くつもりでしたよね。でも……」

 

 あんなことがあった後では、食べに行きづらいのでは……

 

「あー……まぁ、いいや。下に食べに行こ」

 

「えっと……いいんですか?」

 

「多分、食べてる間に話しかけてきたりはしないと思うし、他の客とかがいればなおさらじゃないかな。わざわざ温かい食事を逃がすのももったいないしね」

 

 そう言うと彼女は起き上がり、開けていた窓を閉めてから、さっさと部屋の入口に向かっていってしまう。

 

「ほら、行こ。リュイスちゃんも」

 

「あ、はい」

 

 差し出された手を握り返し、私も立ち上がって一階に向かう。

 一階の食堂には、私たちと同じように早めの夕食を食べに来た冒険者が数人いた。早くに就寝して早朝の番にでも立つのだろう。

 

 店員はユーニさんの他に、私と同い年くらいの女の子が数人、私服にエプロンだけをつけた簡素な恰好で働いていた。おそらく村の子供を雇っているのだろう。彼女らから料理を受け取り、私たちも食事を口にする。

 

 ユーニさんは私たち(というかアレニエさん)がいることに驚き、次には見るからに話したそうにしていたが、他のお客さんがいる手前か、実際に接触してはこなかった。

 アレニエさんはそれを知ってか知らずか、素知らぬ顔で料理を美味しそうに食べていた。この人、メンタルが強いのか弱いのか、時々よく分からないな……



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3節 過去の気持ち、現在の気持ち①

 翌日、早朝。

 私とアレニエさんは宿を抜け出し、村の中を東へと進んでいた。

 村の規模はあまり大きくないが、それなりに広い。しばらく住宅地を歩くことになったが、時間が早すぎるせいか、すれ違う人は訪れない。

 

 やがて辿り着いた村の東端は、境界線であることを示すように柵が立ち並んでいた。が、その中に一か所だけ、人一人がようやく通れるくらいの道があることに気づく。

 その道は、以前は整備されていたであろう面影を残していたが、今は下草が鬱蒼(うっそう)と茂っており、獣道と大差ないほどに荒れていた。

 

 アレニエさんは迷いなくその唯一の通路に足を踏み入れ、どんどん先に進んでいく。私はそれに慌ててついていく。

 

 しばらく進んだ先に見えたのは、一つの建物……の、残骸、だった。

 あまり大きくはない。木製の建物だ。小さめの家屋と言うべきか、大きめの小屋と言うべきか。それが、四方から打ち壊されたのか、木屑となって倒壊している。崩れてから長い年月が経っているのか、隙間から植物が生えて一体化していた。

 

「……やっぱり、壊されてたか」

 

 あまり感情の見えない声で、アレニエさんが呟く。

 

「やっぱりって……?」

 

 疑問に思って聞いてみると、彼女はなんの気なく答える。

 

「ここ、わたしの故郷」

 

「故郷、って……この建物、が……?」

 

「うん。……ここで、かーさんと一緒に暮らしてたんだ。狭い家だし、近所に遊び場もほとんどなかったけど、それでも結構楽しかったよ」

 

 以前彼女に聞いた、故郷での生活。

 母と子、二人で慎ましく暮らしていた彼女たち。けれど、魔族を裏切って人間と結ばれた母親は、同族から裏切り者として追われており……やがて差し向けられた追手によって、その命を落とす。

 

 残された子供――アレニエさんも、半魔であることを村人に知られ、拒絶され、そのまま村を飛び出したという。

 

「まぁ、だからだろうね、壊されたのは。かーさんが――魔族が住んでた家だから。いや、半魔のわたしも原因なんだろうけど。特にアスタリア教徒にとっては、魔族や魔物の穢れは許せないものだろうからね」

 

「……」

 

 彼女は終始なんでもないことのように、ただ事実だけを述べる。村人がそうした行動に出た理由も理解しているからだろう。

 反面、その感情を抑え込んだ口調は、湧き出る怒りや悲しみを覆い隠すためのものにも思えた。村ではなく、この家だけを故郷と語ったのは、村人たちへの決別の表れではないだろうか。

 

 と、ふと、倒壊した家屋の傍に、子供が一抱えできる程度の大きさの石が立てられていることに気づいた。石の前には誰が置いたのか、摘んできたであろう花が供えられている。

 アレニエさんも私の視線に気づいたのか、石と花が置かれている場所に歩を進めながら、口を開く。

 

「あぁ、これ? かーさんのお墓」

 

「アレニエさんの、お母さんの……」

 

「うん。……よかった。ここは荒らされてないみたい」

 

 彼女は墓の前にしゃがみ込み、それから供えられている花を手に摘まみ、少し不思議そうに眺めていた。

 私たちが来る前から置かれていたのだから、村人の誰かが供えたのだろうか? でも、彼女らの家屋を破壊するような村人たちが、わざわざその墓前に花など供えるだろうか……?

 

 アレニエさんも怪訝そうではあったものの、特に気にすることでもないと判断したのか、花を墓前に戻してから、墓石を神妙に見つめる。

 彼女はそうしてしゃがみ込んだまま、何を思っているのか天を仰いだり地に顔を伏せたりしていたが、やがて覚悟が固まったのか、ゆっくりとその口を開く。

 

「……ユーニちゃんとは、この辺りでよく一緒に遊んでたよ。初めての友達だった。わたしは村に行かないように言われてたから、いつも向こうがうちまで遊びに来てくれて」

 

 遠い日を懐かしむように、彼女はわずかに目を細める。

 

「でもあの日――わたしが半魔だって村の人に知られた日。みんな、怖がったり、憎らしそうだったり、蔑んでたり、色んなものが混ざり合った目でわたしを見てきて……その中に、ユーニちゃんも、いて……」

 

「……」

 

 それは、幼い彼女にとってどれほどの恐怖だっただろう。仲が良かったはずの友人から、突如負の感情が混じり合った視線を向けられるのは。

 

「今なら、分かるよ。しょうがなかったんだ、って。いきなりわたしが半魔だって知って、周りの大人からも色々言われただろうしね。汚らわしい魔族の子供だ、とか、近づくな、とか。そう言われて、今までと同じように接するなんて無理だよね。でも……」

 

 アレニエさんは珍しく気持ちを吐き出すように、(まく)し立てるように言葉を紡ぐ。

 

「でも、じゃあ、その時のわたしの気持ちは? かーさんが死んだばかりで、その後に友達にもあんな目で見られて? どうしていいか分からないまま村を飛び出して、それからずっと、村でのことはなるべく考えないようにしてたのに? それが、昨日になって急に再会して? 全部忘れて子供の頃と同じように仲良く、なんて、できると思う?」

 

「……っ。……」

 

 私は何かを言おうとして、けれど結局できなくて、言葉を呑み込んだ。

 

 だから彼女は、昨日ユーニさんにあんな態度を取ったのか。彼女自身、どう接していいか分からなかったから。

 いや、昨日だけじゃない。アレニエさんがどこかで心の折り合いをつけられない限り、この先もユーニさんに対する態度は大きく変わらないだろう。

 

「(……どうすれば、いいんだろう。私に、何かできることはないのかな……)」

 

 彼女たち二人の問題だとは理解しているが、私で仲裁できるのならそうしたい気持ちもある。ただ、その方法はまるで浮かんでこない。

 

 と、不意に吹いた風が、どこからかふわりと花の香りを鼻腔に届かせてきた。同時に、村との出入口から、ガサガサと草を分け入って何かが近づいてくる音がする。村の誰かが、この場所に入ろうとしている?

 

 アレニエさんは墓前にしゃがみ込んだまま動かない。気づいていないわけではないだろう。私が気づいたのに彼女が気づかないわけがない。

 

 村からこの外れまではそう遠いわけでもない。こちらに接近する村人が誰なのかは、すぐに知れた。

 

「……レニ、ちゃん?」

 

「ユーニちゃん……」

 

 ここでようやくアレニエさんが、首だけを村への入り口へと、そこから来たユーニさんへと向ける。昨日のように知らないふりなどせず、名前を呼んで。

 

 ユーニさんは、その手に花を携えていた。先刻風に乗って届いた香りはこれかもしれない。それを見たアレニエさんは、再び視線を墓前に、いや、その手前に置かれた花に向ける。

 

「この花、ユーニちゃんが供えてくれてたんだね」

 

「……ええ。私には、それくらいしかできなかったから」

 

「そうだよね。あの村でそんなことしてくれそうなのは、ユーニちゃんくらいだよね」

 

 それが嬉しいような、けれど困っているような、わずかに迷いのある笑顔を見せて、アレニエさんが言う。

 

 先刻、ユーニさんが近づいてきたのにアレニエさんが動かなかったのは、来るのが彼女だと――花を供えていたのが彼女だと、状況から推測していたのだろうか。いや、それは推測というより、そうであってほしいという彼女の願いだったのかもしれない。

 

「……レニちゃん。私、ずっと謝りたかったの……」

 

「謝る? 何を?」

 

 視線は墓に向けたまま、感情を押し殺したようなアレニエさんの声に、ユーニさんが身を強張らせるのが分かった。けれど彼女はそれを振り払い、意を決して言葉を続ける。

 

「……あの時、レニちゃんを怖がってしまったことを」

 

「いいよ、別に。仕方なかったんでしょ?」

 

 彼女の言葉にアレニエさんは、まるでなんでもないことのように落ち着いた態度で返す。先刻吐き出された本心との落差が、むしろ彼女の落胆の深さに思える。

 

「仕方なくなんかないよ……! どんな理由があったって、友達にあんな目を向けるべきじゃなかった……」

 

 対するユーニさんは、昨日より感情を剥き出しにしてアレニエさんに反論する。

 

「だから、ずっと後悔してた。ずっと謝りたかった。許されるなら、また友達として話したかった……でも……やっぱり、怒ってるよね、レニちゃん……今だって、全然目を合わせてくれない……」

 

 アレニエさんはわずかに逡巡した後、ぽつりと呟く。

 

「……怒ってるわけじゃ、ないよ」

 

「じゃあ、どうして……どうしてこっちを見てくれな――」

 

「怒ってるわけじゃないんだ、本当に。それは本当なの。わたしは、ただ……。……」

 

 そこからは言葉が続かなかったのか、アレニエさんは俯き、黙り込んでしまう。ユーニさんもそれ以上は踏み込めず、その場で立ち尽くす。

 

 二人共にそれぞれの理由で、相手との向き合い方が分からないでいる。このまま話し合いを続けたとしても、おそらく二人の距離は縮まらない。今この場で動けるとしたら、私だけだ。

 

「(でも、何をすれば……)」

 

 そう考えた時、胸の内に浮かんだ言葉があった。

 

 ――「(アレニエの助けになってやってくれ)」――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4節 過去の気持ち、現在の気持ち②

 不意に浮かんだその言葉は、ユティルさん――アレニエさんの友人が、私に託した頼み事だ。

 アレニエさんの助けになる。それは、戦いの時だけじゃない。心の面でも支えることができるなら、私にとっても喜ぶべきことであり、彼女への恩返しにもなる。そんなことを、改めて意識したからだろうか。脳裏に、昨夜のアレニエさんの様子が思い起こされる。

 

「(そうだ、あの時彼女は……)」

 

 これが正解かは分からない。余計なお世話でしかないかもしれない。それでも、少しでも彼女の背中を押せたなら。

 私は動悸する心臓を押さえながら、二人へ向けて一歩を踏み出す。

 

「アレニエさん……」

 

「なに? リュイスちゃん」

 

 落ち着いた、けれど距離を感じさせる声色。見えない壁が彼女の心に通じる道を閉ざしているような感触。なるほど、これは近寄りがたい。共に旅をしている私でもそう感じるのだ。昨日今日再会したばかりのユーニさんなら、なおのこと踏み込みづらいだろう。

 

 けれど、私は踏み込まなきゃいけない。離れてしまった二人の道を、私が交わらせなきゃいけない。いや、そうしたい。ユーニさんもだが、なによりアレニエさんの気持ちを、助けられるものなら助けてあげたい。

 

「……私には、幼いアレニエさんの心がどれほど傷ついたか、推し量ることしかできません。でも、今のアレニエさんの気持ちなら、少しは知っているつもりです」

 

 心の道のりを、もう一歩踏み出す。少しずつ距離を縮めていく。

 

「アレニエさんは昨日、ユーニさんを追い返してしまったことを、後悔、していましたよね?」

 

 ユーニさんが、それまで伏せていた顔をバっと上げる。

 

「そうなの……? レニちゃん……」

 

「え、と……。……」

 

 私の指摘に言葉を詰まらせるアレニエさん。ハッキリと肯定はしないが、強く否定もしない。それなら、いけるかもしれない。

 

「それに今も。お墓に花を供えてたのがユーニさんだと知って、本当は少し嬉しかったんじゃないですか?」

 

「や、リュイスちゃん……あの、もう……あー……」

 

 恥ずかしそうに顔を赤らめてもじもじするアレニエさん。閉ざされていた道が拓けるようなその様子を目にしながら、もう一歩、最後の一歩を踏み込む。

 

「過去の記憶や思いが簡単に消えてくれないのは、私にも分かります。でも、今の気持ちだって、もっと大事にしてあげていいんじゃないでしょうか。……今は、どうですか? アレニエさん。友達に戻りたいという気持ちは、少しもありませんか?」

 

 私の問い掛けにしばらく動きを止めていたアレニエさんは、やがて静かに立ち上がり、ユーニさんに向き直る。顔を少し赤くし、俯いたまま一歩を踏み出し、徐々に彼女に近づいていく。

 

 ユーニさんはそれに、わずかに身を強張らせる。まだアレニエさんがどう反応するか分からなくて怖いのだろう。私自身、彼女の気持ちが分かるなどと(うそぶ)いたものの、この後実際にどういう行動に出るかは読めない。

 

 やがてユーニさんの元まで辿り着いたアレニエさんは……身をすくませる彼女を静かに、抱き締めた。

 

「レニ、ちゃ――」

 

「怒ってはないんだ、本当に。わたしは、ただ――……怖かったの」

 

「……レニちゃん」

 

「周りの大人の視線が怖かった。けどそれ以上に、昨日まで一緒に遊んでいた友達にあんな目で見られたことのほうがずっと怖かったし……悲しかった」

 

「……うん」

 

 少しずつ、ユーニさんの瞳に涙が浮かんでくる。ここからでは見えないが、もしかしたらアレニエさんの目にも。

 

「かーさんも死んで本当に一人になって、勢いで村を飛び出して……その後、誰も来ない森で一人で生活してたんだよ、わたし? 可笑しいでしょ?」

 

「うん……うん……」

 

「しかも、その後勇者に会って殺されかかって……とーさんに助けてもらわなかったら、わたし、あそこで死んでたかも、しれな、くて……」

 

「う……」

 

 次第に湧き出る嗚咽に耐え切れず、ユーニさんはボロボロと涙を流し始める。

 

「……ごめん……ごめんねぇ……!」

 

「いいよ……いいんだ。こっちこそ、ごめんね……」

 

 私たち以外誰もいない村の外れで、二人の泣き声だけが、静かに響いていた。

 

 

   ***

 

 

「――そっか。レニちゃんは今、冒険者なんだ」

 

 ひとしきり泣いて落ち着いたのか、二人は付近にあった倒木に腰掛け、互いに近況を報告し合っていた。

 

「うん。もう何年もやってるから、そこそこベテランだよ。この村に立ち寄ったのも、依頼の途中でたまたまだったんだ」

 

「……そうだよね。憶えていたら、わざわざこの村に来たりしなかったよね……」

 

「……そうだね。近づかなかったと思う。昔を知ってる人に気づかれたら、色々面倒だっただろうし」

 

「今の格好のレニちゃん見ても、誰も気づかないと思うよ。私だって、すぐには気づけなかったし」

 

「そうかな。そうかも」

 

「そういえば、依頼の途中で寄ったってことは、結構急いでる……?」

 

「ううん。しばらくはそんなに。それに今、ちょっと剣を修理に出してるから、直るまでは村に滞在するつもり」

 

「あぁ、ハウフェンさんのところね。そう、よかった。それなら、こうして話す機会もまだ作れそうだね」

 

「ユーニちゃんのほうは、今は? 他にそれらしい人見なかったけど、宿の店主やってるの?」

 

「ううん、ただの代理。お父さんとお母さんは大きな街に出稼ぎに行ってるから、私が代わりに宿を切り盛りして――」

 

 二人は先程までの緊張が嘘のように仲睦まじく談笑している。特にアレニエさんはいつもの笑顔の仮面ではなく、わずかではあるが自然な表情を覗かせていた。それが、私には嬉しい。

 そうしてしばらく二人の様子を、一歩引いた位置から満足げに眺めていたのだが……

 

「――で、この子がリュイスちゃん。今回の旅の依頼人、兼、わたしのパートナー。色々あってわたしの過去のことももう話してるから、そのあたりは気を遣わなくていいよ」

 

「パートナー……そうなんだ」

 

 アレニエさんが簡単に私のことを紹介する。いつの間にか話題の種が私に移っていたようだ。

 

「何度か顔は合わせてるけど、まずは自己紹介からかな。私は、ユーニ・ガストハオス。この村の冒険者の宿、〈森の恵み亭〉の店主代理です。よろしくね」

 

「あ、その……リュイス・フェルムと言います。よろしくお願いします」

 

「うん。……改めて、ありがとうね、リュイスさん。今こうしてレニちゃんと話せてるのは、貴女のおかげ」

 

「いえ、私はそんな……」

 

 私がしたのは、ただアレニエさんの背中をほんの少し押しただけで、その後は彼女たち二人が自力で解決したも同然だ。改まって礼を言われるほどのことでは……

 

「謙遜しなくていいよ、リュイスちゃん。リュイスちゃんにああ言われなかったら、わたし多分あのまま動けなかっただろうから」

 

「え、と……あう……」

 

 アレニエさんまでそんなことを言うので、私の頬は照れて赤くなっていた。普段――特に総本山では人から礼を言われることなど皆無だったので、慣れない体験になおさら頬がむずがゆくなる。

 

「照れてるリュイスちゃんもかわいいなぁ」

 

「あの、あんまり、からかわないでください……」

 

 真っ赤になった私の頬を、アレニエさんがムニムニといじる。それを見たユーニさんが、ポツリと呟いた。

 

「リュイスさんと、ずいぶん仲がいいんだね」

 

「ん?」

 

「レニちゃんが過去のことを話していたり、さっきもパートナーって言っていたり……もしかして、二人はそういう仲なのかな……?」

 

「え、と、ユーニさん、急に何を――」

 

「そうです」

 

「――って、アレニエさん!?」

 

 何を堂々と言ってるのこの人!?

 

「やっぱり、そうなんだ……噂には聞いてたんだ。神官は女性が多いし、女性を好きな人も多いって」

 

「いや、あの、ユーニさん? 貴女も何を仰っているので?」

 

「でも、私だって負けるつもりはないよ。確かにリュイスさんは恩人だけど、これに関しては別の問題だからね」

 

 言うが早いかユーニさんは、アレニエさんの頬に手を添え、小鳥がついばむようにそっと唇を重ねる。

 

「な、な……!」

 

「……ユーニちゃん?」

 

 唇と唇を触れ合わせるだけの短い口づけ。近づけていた顔を離し、ユーニさんが少しいたずらっぽい表情を浮かべる。

 

「気持ちの伝え方。昔、レニちゃんに教えてもらったでしょ?」

 

「や、それは大人の男女でするもの、って訂正したの、ユーニちゃんのほうじゃなかった?」

 

「そうだっけ? 忘れちゃった」

 

 彼女はアレニエさんに晴れ晴れとした笑顔を返す。この顔は絶対憶えている顔だ。

 

「ア、ア、アレニエさん! ユーニさんも! こんな時間からそんなこと、いけないと思います!」

 

 混乱してて、自分でも何言ってるのかちょっと分からない。なんだ時間て。

 

「あ、リュイスちゃんもする? わたしはリュイスちゃんとだったらいつでもいいよ」

 

「んなっ!?」

 

 明け透けな発言に顔が爆発したように真っ赤になってしまう。

 

「ほらほら。普段なかなかしてくれないんだし、こういう機会にむちゅーっと情熱的にしてくれても神さまたちも怒らないと思うよ?」

 

「え……や、その……」

 

 私はアレニエさんの要求におろおろと狼狽える。確かにあれ以来してなかったけど、こんな屋外で、こんな早朝から、ユーニさんが見てる前でするなんて……

 

「リュイスさんは結局しないの? じゃあ、せっかくだから私がもう一回レニちゃんと――」

 

「ダメーーーー!?」

 

 なおも口づけをねだろうとするユーニさんに反射的に反発し、私は叫んだ。そして彼女からアレニエさんを奪い取り、自分の胸元に引き寄せ、抱き締める。

 

「わ、私、も……私だって、アレニエさんのことが……!」

 

 勢いに押された私は、自身の顔をゆっくりと彼女に近づけていく。

 

 動悸が早い。心臓の音がうるさいほどに響いている。

 顔が熱い。熱に浮かされたように頭がぼーっとする。

 二人の視線を感じる。恥ずかしさでさらに顔が熱くなっていく。

 アレニエさんの匂いに、周囲の土と花の香りが混じる。思えば初めてした時もこんな屋外だった。

 

 鳴り止まない心臓。顔の熱。見られている。外の匂い。全てがぐるぐると渦巻いて……

 気が付いた時には、私と彼女の唇は、触れ合っていて。

 

「……!?」

 

 慌ててその場を飛び退こうとしたのだが、それを逃がすまいとアレニエさんが私を捕まえる。

 

「~~かわいい! かわいいよリュイスちゃん! たまんないよ!」

 

 そして抱き締める。ぎゅーっと、感極まったように、アレニエさんが絡みついて離してくれない。それにまた、私の顔は赤くなってしまう。

 

「もう、なんなんですか、これ……」

 

 顔は熱いままだが、なんだか気が抜けてしまい、体から力が抜けてしまう。けれど……こうやって抱き締められるのも、気持ちの伝え方の一つだ。全身で私を愛でるアレニエさんにドキドキしながら、同時に安心感を覚え、少しづつ落ち着いた気持ちになっていく。 

 

 されるがままに抱かれていた私の視界、アレニエさんの肩越しに、ユーニさんの姿が映る。

 彼女は、抱き合う私たちの様子を微笑ましそうに、けれど少し寂しそうに、見つめていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5節 新しい愛剣と再びの別れと

 それからは、あっという間に時が過ぎていった。

 

 朝は、アレニエさんに稽古をつけてもらう。

 

 総本山ではクラルテ司祭の指導を受けていた。それは私などにはもったいない相手で、とても実りのある稽古ではあったのだけど………逆に言えば、司祭さま以外との経験は全くないということでもある。その経験のなさを少しでも埋めるため、アレニエさんに模擬戦形式で指導してもらっているのだ。

 

 日中は、宿にいる他の冒険者と同じように依頼を受ける。

 

 魔物退治に穢れの浄化。材木の伐採や荷運び。村に仕事はいくらでもあった。それら(特に魔物退治)も私の経験のなさを補うのにちょうどいいだろうと、二人で積極的に受けていった。滞在中の時間を有効に使うためと、路銀(総本山から預かった報酬の前金はまだ残っているが、使い続ければいつかは尽きる)を稼ぐためでもあったが。

 

 夜には、業務を終えたユーニさんが部屋へ遊びに来る。

 

 昼日中では、村の外から来た旅人はとにかく目立つ。村内で必要以上にユーニさんと接触すれば、どこからアレニエさんの正体が露見するかも分からない。そのため、こうして夜間に宿内で静かに交流することにしたのだ。

 

 私が話に混ざることもあるが、基本的には二人の思い出話、または離れていた間のお互いの話が主題になる。

 アレニエさんは、冒険者になる前の修行の日々や、なってからの体験談。ユーニさんは、代り映えのしない村での日常などを。私はそれらを、少しの疎外感を抱きながらも聞き役に徹する。せっかく長い別離を経て再会した二人なのだ。私がそれに水を差すのは本意ではない。そもそも話に割り込むのが苦手なのもあるけれど。

 

 そんな日々がしばらく続いたある日のこと。宿に、普段は来ないお客さんが訪ねてきたと、ユーニさんが部屋まで知らせに来てくれた。

 

「剣が、完成したそうよ」

 

 ハウフェンさんだ。アレニエさんの剣の修理が完了したことを、わざわざ宿まで直接伝えに赴いてくれたらしい。

 

「ほんと? 行く行く」

 

 言伝を聞いたアレニエさんは、早速とばかりに部屋を飛び出していき、一階ロビーで待っていたハウフェンさんと合流する。少し遅れて私も後に続き、部屋を退出したのだが、その途中ですれ違ったユーニさんは……

 

「――……」

 

 彼女は、外に向かうアレニエさんの後ろ姿を、なぜか浮かない顔で見つめ続けていた。

 

 

   ***

 

 

 宿を出た私たちは、ハウフェンさんの工房の前までやって来ていた。

 工房から村までの出入り口であるこの場所は、人通りが少なく、邪魔な物も少ない拓けた場所になっている。ハウフェンさんはそこで、鞘に納まったままの〈弧閃〉をアレニエさんに手渡す。

 

「おー……これが、新しい〈弧閃〉?」

 

「あぁ。実際に手にして確かめてみてくれ」

 

 促され、アレニエさんは鞘から剣をゆっくりと引き抜く。

 緩やかな反りの入った優美な片刃の剣。鈍色の剣身が陽の光を受け、周囲にギラリと反射させている。

 

 見た目は前と全く変わらない。少なくとも私にはそう見えた。彼女もそれを確かめたのか、次には構えをとってみたり軽く振ってみたりして、重さや扱いやすさを見定めていく。

 

「――うん。しっくりくる。注文通りだ。さすがライセンのお師匠さんだね」

 

「そうだろう」

 

 彼女の称賛にハウフェンさんは腕を組み、胸を張る。

 

「でもこれ、本当に前と変わらない感じなんだけど、例の気鉱石っていうのは使ってあるの?」

 

「もちろん混ぜ込んだとも。そいつはな、一定以上の『気』を流し込んで初めて反応するようになっとる。お前さんが本気で振るった時だけ、その剣は真価を発揮するんだ」

 

「へぇ……」

 

「というわけでだな。ちょいと儂にもそいつの切れ味を見せてくれんか」

 

「あぁ。だから外で渡したんだ?」

 

「そういうことだ。試し切りはなにがいい? この枯れ枝などちょうどいいか?」

 

 ハウフェンさんは足元に落ちていた枯れ木を拾って掲げてみせる。しかしアレニエさんはそれに首を横に振った。

 

「それもいいけど……どうせなら、そっちのほうが斬り応えあるかな」

 

 そう言って彼女が指し示したのは、手の平には余る程度の大きさの石だった。ハウフェンさんはそれを素直に拾いに行き、片手で掴み上げ、手の中で弄ぶ。

 

「こいつを、か?」

 

「うん。それくらい簡単に斬れるようじゃなきゃ、また修理する羽目になるかもだからね」

 

 彼女の脳裏に浮かぶのは、石の魔将カーミエと戦った際の記憶だろう。金剛石――ダイアモンドの盾に妨げられ、彼女の剣はその刃を砕かれた。再びそれと相対した時を想定しているのだろう。

 

「よくは分からんが……分かった。こいつをそっちに向けて放ればいいんだな?」

 

「うん、お願い。投げた後は危ないからちゃんと離れててね。……それじゃ、どうぞ」

 

 アレニエさんの言葉に頷き、ハウフェンさんが石を放る。放物線を描くそれに彼女は狙いをつけ……

 

「……――ふっ!」

 

 アレニエさんの呼気が短く響いた。そう思った瞬間には、既に彼女の剣は振り切られていた。遅れて、剣閃の残像が不自然に視界に焼き付けられ……

 

 ……――ゴトン

 

 と音を立てて、石が落ちる。

 そうして地に落ちてから初めて、一つだった石は二つに割れ、綺麗な切断面を残して地面に転がる。

 

「……なるほど。『気』を込めるとこんな風になるんだ」

 

 そう言う彼女が手に持つ愛剣〈弧閃〉は……刃の外側にもう一層、光とも炎ともつかない輝く刃を出現させ、その剣身に纏わせていた(このあたりで『気』の刃はフっと消えてしまった)。

 

「あぁ、儂の自信作だ。使用者の『気』を伝達させ、余剰分を刃として形成する剣。しかし、お前さんこそ見事な腕だ。石をここまで綺麗に切断できるのもそうだが、余程上手く『気』を練らなきゃ、今のようなしっかりした形にはならん」

 

 ハウフェンさんが『気』の刃を失った〈弧閃〉を目にしながらそう語る。次いで彼は、斬られた石を拾い、その切断面をマジマジと眺める。剣の切れ味ももちろんだが、アレニエさんの技量によるところが大きいのだろう。

 

「一応、これだけが取り柄だからね」

 

 アレニエさんはなんでもないように言葉を返すが、ほんの少し嬉しそうでもあった。照れ隠しのように、彼女は生まれ変わった愛剣に視線を送る。

 

「うん。いいね、新しい〈弧閃〉。すごくいい」

 

「そうか、そうか。満足してもらえたようでなによりだ。儂も久しぶりにいい仕事ができた。弟子の成果にも触れられたしな」

 

「下層に帰ったら、お師匠さんが褒めてたって伝えとくね」

 

「ああ、よろしく頼む。お前さん方も元気でな。また近くに寄ったら、いつでも訪ねてきてくれて構わんぞ」

 

「うん、ほんとにありがとね」

 

「お世話になりました」

 

 私たちは礼を述べ、ハウフェンさんの工房を後にした。

 

 

  ***

 

 

「……おかえり、レニちゃん」

 

 工房から宿に戻ると、迎えてくれたのはわずかに暗い顔を見せるユーニさんだけだった。他の客は今は出払っている。

 

「ただいま、ユーニちゃん。……どうかした?」

 

 挨拶に応じるアレニエさんだったが、すぐにユーニさんの浮かない顔に気づいたようだ。何かあったのか問いかける。

 ユーニさんはそれにしばらく沈黙し……わずかに間を空けてから、躊躇いがちに口を開いた。

 

「……その……剣の修理、終わったみたいだね」

 

「うん」

 

「……ということは……二人とも、もう、ここを出て行っちゃうの?」

 

「(……あ)」

 

 そうだ。私たちはアレニエさんの剣が直るまでこの村に滞在していただけであって、それが終わった今は再び旅に戻らなければいけない。

 

「……うん。そうなるね」

 

 アレニエさんもそれに気づいたのか、わずかに神妙な声で肯定する。

 だからユーニさんは、ハウフェンさんが来た時から暗い顔を見せていたのか。再会できた親友と再び別れなければならないから。戦う術を持たないであろう彼女では、この村を出て自分から会いに行くのも難しいだろう。

 

「この村で、ずっと暮らすのはダメなの? 依頼の途中で立ち寄った、って言ってたけど、それが終わってからなら……」

 

 旧友との別れは受け入れ難く、彼女は必死に引き留めようと手を伸ばす。しかし……

 

「ごめんね」

 

 アレニエさんはそれを、動じることなく言葉で振り払った。

 

「ユーニちゃんともう一度会えたのはほんとに嬉しかった。一緒にいたい気持ちもあるよ。でも……村の他の大人たちは、まだ怖い。長居していたら、わたしのことを思い出す人も出てくるかもしれない」

 

「それ、は……。……」

 

「それに――」

 

「……それに?」

 

「わたしにも、帰る家ができた。かーさん以外の家族もできたんだ。今の依頼が終わったら、そこに帰って無事な顔を見せなきゃいけない。だから……この村には、残れない」

 

 そう語るアレニさんの横顔は寂しそうでもあり、わずかに誇らしげであるようにも見えた。義父であるオルフランさんと、彼が経営する〈剣の継承亭〉のことを、本当に大事に思っているのだろう。

 

「……そっか……」

 

 ユーニさんは少し悲しげに、けれどどこか納得したような表情で頷く。

 

「そんな顔しないでよ。遠いし、頻繁には無理だけど、たまには遊びにくるからさ」

 

「うん……」

 

「まぁ、こんな仕事だし、ちゃんと生きて帰れたらの話なんだけどね」

 

「もう……そこは、自信もって帰るって言ってよ」

 

 目の端に涙を浮かべながらも、ユーニさんが笑う。

 

「分かった、もう引き留めない。いつかまた、うちに遊びに来てくれるのを待ってる」

 

「うん。気長に待ってて」

 

 そうして二人は、お互いに笑顔を浮かべる。

 

 その後私たちは一度部屋に荷物を取りに戻り、出立の準備を整える。それからすぐに戻った一階ロビーには、私たちを見送るべくユーニさんが待機していた。彼女がアレニエさんに問いかける。

 

「次に向かう場所は決まってるの?」

 

「とりあえず、この国の帝都〈デーゲンシュタット〉に向かうつもり。ちょっと情報収集もしときたいし」

 

「そう……気を付けてね。嘘か本当か分からないけど、魔王がほんの十年で目覚めた、なんて噂もあるし、他にも何があるか分からないから」

 

「あー……うん。そうだね。気を付けるよ」

 

 どうやら、勇者や魔王の噂はこの村にはあまり届いていないみたいだ。まさかその噂が真実で、しかも私たちがそれに関わっているとは、ユーニさんも思わないだろう。

 

「リュイスさんも。気を付けてね。それから、レニちゃんのこと……」

 

「はい、任せてください。アレニエさんは、私が護りますから」

 

「……うん。任せたよ」

 

 少し大きな口を叩いた気もするが、これは揺るぎない私の本心であり、決意だ。ユティルさんからも同じように頼まれているし、私自身もそうしたい。そして帰るんだ。アレニエさんと一緒にあの街に。

 

「それじゃあユーニちゃん。また、ね」

 

「……うん。また」

 

 そうして彼女たちは別れの、けれど再会を約束する挨拶を交わし、再びそれぞれの生活に戻る。

 ユーニさんは、変わらない村での日常に。そして私たちは……

 

「じゃ、行こっか。――勇者を助けに」

 

「はい」

 

 危険に挑む冒険者として、勇者を陰から助ける生活に戻るのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6節 闘技場のある街

「――闘技大会?」

 

「ああ。それが目当てで来たのではないのかね?」

 

 ひげを生やした兵士の問い掛けに、アレニエさんが目を瞬かせる。

 

「や、わたしたちはたまたま仕事と情報貰いに大きな街に来たかっただけなんだけど……そっか、それでこんなに人が多いんだね」

 

「うむ。大会の開催中はそれに乗じた露店なども数多く出る。一種の祭りのようなものだ。楽しんでいくといい。大会のパンフレットも持っていくかね?」

 

「うん、貰ってく。それじゃ入らせてもらうね」

 

 審査を通った私たちは、兵士の詰所を抜け、城門の内側へと足を踏み入れた。

 

 

  ――――

 

 

 私とアレニエさんは今、ハイラント帝国の帝都、デーゲンシュタットにやって来ていた。

 

 詰所の兵士が言っていたように、街はまるでお祭りのように賑やかだった。通りには至る所に露店や屋台が開かれ、多くの客で溢れ返っている。ただ、それだけなら、他の街でも見られる光景だろう。

 

 この街の最大の特色は、件の闘技大会が開かれる闘技場だ。

 街のどこにいてもその威容を目にすることができるこの巨大な施設は、皇帝が治める皇城と並び、街を代表する建造物となっている。

 

 元々この国は、大陸北側からの魔物の侵攻を防ぐ役割で建てられた、城郭都市だったらしい。別名、〈大陸の盾〉とも呼ばれ、これまで幾度も魔物の侵入を防いできた実績がある。闘技場も、そのための戦士を集め、厳選する場所だったそうだ。

 

 しかし、今ではその本来の目的はほとんど忘れ去られ、興行の側面のほうが強くなってしまったらしい。大会に合わせた商売と共に、賭け試合などで巨額のお金が動くという。

 

 

  ――――

 

 

「ふーん。「試合は死人が出ないよう審判が決着を判断。怪我人はお抱えの神官団が治療します」ね。至れり尽くせりだね」

 

 アレニエさんは歩きながら、詰所で貰ったパンフレットに目を通している。器用に周りにも気を配っているのか、人にぶつかるようなこともない。

 

「あぁ、そのあたりはちゃんと考えられてるんですね」

 

 少しホっとした。生死を問わないような殺伐としたイベントだったらどうしようかと。

 

「「ただし、事故による死傷者も毎年数名出ることがあります。ご了承ください」」

 

「う……」

 

「「我こそは、という猛者を闘技場は求めています。奮ってご参加ください」……だってさ」

 

「……死人も出るかもしれないんですね」

 

 私は過去の経験から、目の前で死者が出ることに精神的に耐えられない。また、もし目の前でそんな事態に遭遇した場合、衝動的に助けようとしてしまう。なのでついつい気になってしまう。

 

「まぁ、武器を使って戦う以上は、ある程度しょうがないんだろうね。なんでもありの殺し合いよりはマシだと思うしか」

 

「……そう、ですね」

 

「それにしても……」

 

 パンフレットから目を離し、アレニエさんが周囲を見る。

 

「本当に、お祭りみたいだね。パルティールの王都より多いかも」

 

 私だけでなく、旅慣れているアレニエさんも少し驚いているようだった。それほどに人が多く、そして騒々しい。

 

「なんか、人が多すぎてちょっと酔いそう」

 

 アレニエさんがほんのわずかに顔をしかめる。そういえばこの人、人嫌いだった。

 

「あと、お祭りみたいなものって言う割には、なんだかちょっとピリピリしてる気もするね」

 

「ピリピリ、ですか?」

 

「うん。ほら、わたしたちが入ってきた門とか、大きめなお店の前とか、他にもあちこちに、兵士がたくさんいて目を光らせてる」

 

 そう言われて目を配ると、白い兜と鎧を着込んだ兵士たちの姿が、至る所にあることに気がつく。

 

「ほんとだ……。……大会が開かれる間、何事も起きないように、でしょうか?」

 

「そうかもしれないけど……うーん……なんかスッキリしないなぁ」

 

 納得がいかないのか、小さく唸るアレニエさん。そこまでハッキリとしていないけれど、どこか違和感が拭い切れないようだ。

 

「まぁ、とりあえずはいっか。ちなみに、噂の闘技大会は三日後だけど、どうしよっか?」

 

「どう、と言うと……?」

 

「せっかくだし、見ていこうか? リュイスちゃんの好みじゃなさそうだけど、帰った時の話のタネにはなるかもしれないよ?」

 

「……」

 

 私の右目は神から与えられた加護で、〈流視〉という特殊な力を持つ瞳だ。

『物事の流れを視認する』というこの目は、時に未来の流れを目に映すことさえあり、他者に知られれば悪用されることは想像に難くない。実際、私は実の両親にこの目を利用され、その果てに故郷の村を滅ぼしている。

 

 この目を秘匿するべく総本山にほぼ軟禁されていた私は、広い外の世界に憧れを持ち、いつか自分の目で見ることを望んでいた。その意味で、確かにこの街も、闘技場も、ここまで旅をしなければ見られなかった景色には違いない。それに……

 

「……なるべく死人が出ないように配慮されているなら、見てみましょうか。……もし誰かが死にそうになって私が飛び出していったら、止めてくださいね」

 

「うん、任せて。さて、そうと決まったら、まずは宿を探さないとだね」

 

「この賑わいだと、通常の宿は全部埋まっているかもしれませんね」

 

「そうだね。まだ冒険者の宿のほうが空いてるかも。そっちから回ってみよっか」

 

 頭を切り替え、方針を定め、私たちは帝都を進んでいく。一軒目は満室だったが、二軒目で……

 

「いらっしゃい。宿かい? うちならまだ部屋は空いてるよ」

 

 幸いにも空きを見つけることができたため、数日間滞在することにした。ちなみに店名は〈盾の守り人亭〉。街の別名にあやかった名なのだろう。

 代金を払い、部屋の鍵を預かった私たちは、部屋に向かう前に、まずはこの宿の店主(五十才前後の男性だった)に世間話程度に噂を聞こうと思ったのだけど……

 

「毎度あり。お前さんたちも、目的は闘技大会かい?」

 

 こちらが何か言う前に、店主のほうから話を振ってくれた。

 

「一応、そうかな。ほんとは情報収集と、何かちょうどいい依頼があれば、って感じだったんだけど、せっかく来たからついでに見ておこうと思って」

 

「そうかそうか。大会は観戦だけでも盛り上がるし、期間中は誰が勝つかの賭博も開かれてるから、それだけでも楽しめるぞ。ちなみに出場はしないのかい?」

 

「あー……あんまり興味ないかな。目立つの嫌いだし。リュイスちゃんも、出たかったりはしないよね」

 

「はい、私も目立つのはあまり……」

 

 好きじゃないというのもあるが、私の場合〈流視〉の件を他人に知られないためにも、目立たないに越したことはない。

 

「そうか。まぁ、無理強いするものでもないしな」

 

「他に、何か変わった噂ってあるかな」

 

「そうだな……今この国では、軍備の拡張と移民の受け入れに熱心てのは、噂されている。軍拡に反対した騎士や文官が投獄された、なんてのもあったかな」

 

「軍備はともかく、移民?」

 

「ああ。この国が元々、パルティールから派遣された開拓団が興した国、ってのは、知ってるかい?」

 

 アレニエさんは首を横に振る。

 

「開拓団の実情は、志願者を募ったとか、故郷を追われた連中の集まりだとか、色々言われているが実際のところは分からん。ともかく、この地に辿り着いた先祖たちは街を興し、北方から来る魔物への対処に従事するようになったらしい。これに関しては、パルティールが自分たちの安全のため、魔物に対する抑止力としてこの国を創らせたとも言われていて、帝国民はパルティールへの不満を募らせている。実際今も、この国は最前線の一つであり続けてるからな」

 

 そのパルティールからやって来た私は、そんな話を聞かされて気が気じゃないのですが……アレニエさんは特に顔色も変えず、店主の言葉に相槌を打っている。

 

「闘技場も、元々は魔物と戦う戦士を選別するために建てられた施設でな。国の内外から優秀な戦士を集める目的で闘技大会を開催するようになったらしい」

 

 そこで、アレニエさんはピンときたらしい。

 

「じゃあ、今、移民の受け入れに熱心っていうのは……」

 

「最近は、魔王がたったの十年で復活したのもあって、戦える人員の需要が高まってるからな。この闘技大会で人を集め、そのまま移住してもらい、あわよくば戦力になってもらうって方策なんじゃないかとわしは思っている」

 

「なるほどねー」

 

「それと、これは噂というか実際目にした違和感なんだが、街の至る所に兵士がいるってのは、みんな気にしてるな」

 

「いつもこうってわけじゃないんだ?」

 

「ああ。普段からいるわけじゃないし、これまでの闘技大会の時にもそんなことはなかった。だからちょいと気になってな。まぁ、大会中の治安維持に力をいれてるだけかもしれんが」

 

「ふーん……?」

 

「あぁ、あと、勇者が来てるらしいな」

 

「へ? この街に来てるの?」

 

「ああ。残念ながらうちには泊まってないんだけどな。来てくれてたらそれを売りにできたんだがなぁ」

 

 惜しいことをした、と店主が嘆く。商魂たくましい。

 

「まぁ、それも理由の一つかもしれんな、兵士が多いのは。せっかく訪れた勇者一行に何事もないように、警備を増員してるのかもしれん」

 

「ずいぶん大掛かりな気もするけど、確かにそれならおかしくもないかな……?」

 

「と、まぁ。とりあえずはそんなところか」

 

「そっか、ありがと。参考になった。それじゃ、わたしたちはひとまず部屋に行って荷物置いてくるよ」

 

「おう。ごゆっくり」

 

 私たちは話を打ち切り、割り当てられた部屋に向かうことにした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7節 帝都にて①

 荷物を部屋に置いた私たちは宿を出て、デーゲンシュタットの街を散策することにした。

 

 時刻は夕刻に差し掛かりそうだが、変わらず人の数は多い。先ほどのアレニエさんではないが、私も慣れない人込みに酔いそうな錯覚を覚える。耐えられないほどではないけれど。

 人の波を縫うように歩き、目についた露店で足を止め、屋台で食事を楽しむ。そうして帝都観光を満喫していた私たちだったが、その背に向けて……

 

「あ!」

 

 という声が聞こえた時には、声の主はもう駆け出していた。

 

「師匠―!」

 

 そう呼び掛けながら、一人の少女がアレニエさんに突進するように抱きつこうとし……

 

「わっ、と」

 

 寸前でかわされバランスを失ったところを、当のアレニエさんに支えられ、引き留められる。

 

「アルムちゃん?」

 

「師匠~……なんで避けるんですか」

 

「いや、アルムちゃんの力でぶつかられたら怪我しちゃうでしょ」

 

「大丈夫ですよ、師匠なら」

 

 なんだろう、この信頼感。前回の一件だけでずいぶん懐かれてるなぁ、アレニエさん。

 

 彼女の名はアルメリナ・アスターシア。通称、アルム。魔王を討つための武具、神剣を所持することを許された、当代の勇者だ。

 私より小柄な身体を、軽装の鎧が包んでいる。オレンジ色の髪は長く伸び、頭の上でポニーテールに束ねられている。背には体躯に見合わない長剣を二本背負っている。一本は武骨な造りの通常の長剣。もう一本が、神に選ばれた証ともされる剣、神剣だ。

 

 以前出会った際、アレニエさんは彼女と決闘をし、打ち負かした。それは、未熟な勇者が先を急ぎすぎることを危惧し、自身の力量を自覚してもらうためのものだったのだけど……決闘に敗れたアルムさんは、なぜかその場でアレニエさんに弟子入りを志願し、以来、彼女を師匠と呼ぶようになった。アレニエさんも満更でもなさそうである。

 

 ちなみに彼女は〈超腕(ちょうわん)〉という全身の力を増強させる神の加護を授かっている。小柄な身体に似合わない強靭な筋力を常に発揮しているらしく、大の大人が力比べをしても彼女には到底敵わないのだとか。アレニエさんが彼女の突進を避けたのもそれが理由だ。他に、〈久身(きゅうしん)〉、〈聖眼(せいがん)〉という加護も持っているらしいが、どんな効果かは不明だ。

 

「しばらくぶりです、先輩」

 

「シエラちゃん、久しぶり。元気そうだね」

 

 そう言って現れた、細長い槍を背負った戦士風の女性は、昔アレニエさんに冒険者の手解きを受けたというシエラさんだ。彼女は守護者――勇者の護衛の一人でもある。そして彼女の傍には、残り二人の守護者の姿もあった。

 

「リュイスさん。貴女も健勝そうで何よりです」

 

「アニエスさん……はい、アニエスさんも、お変わりなく」

 

 私に対して挨拶をするのは、アニエス・フィエリエさん。私と同じ意匠の聖服を纏った神官の少女だ。それもそのはずで、彼女と私は同じ総本山に勤めている、いわば同僚の間柄、なのだけど……

 

「……」

 

「……」

 

 総本山ではあまり接点がなく、あったとしても私の至らぬ点を彼女が叱責するという構図ばかりの関係なため、会話が続かない。

 そのあたりの話をアレニエさんにしたところ、嫌われてるわけではないのではないか、と言われたのだけど……それが本当かどうか、確かめる術が私にはない。

 

「魔術師くんも無事だったんだね。守護者も続けてるみたいだし」

 

「……お陰様でな」

 

 アレニエさんが声をかけた最後の一人は、とんがり帽子にマントを羽織った、いかにも魔術師然とした姿の青年。確か、エカルラートという名前だったと思う。

 

 彼の正体は、勇者暗殺を目論む貴族が送り込んだ、暗殺者だ。

 素性を隠して守護者として潜り込んだ彼は、一度はアルムさんを裏切り、殺そうとした。それをアレニエさんが食い止め、処遇を勇者一行に任せたところで私たちは別れたため、その後どうなったのか気になっていたのだけど……こうしてまだ一緒に旅をしているということは……

 

「一応、礼は言っとくよ。あそこであんたに止められてなけりゃ、オレはアルムを手にかけていたし、今こうして生きていることもなかったはずだ」

 

「どういたしまして。一緒にいるってことは、アニエスちゃんには許してもらえたの?」

 

「いや、全く。今もオレを処罰する気満々だぞこの女」

 

「当然です。あれだけのことをしでかしたのですから。勇者さまが許しても、私は決して許しは――」

 

「――あの」

 

 私は話を途中で遮って声を上げる。実はずっと気になっていたのだけど……

 

「……場所を、変えませんか? 私たち、さっきから注目の的みたいなので……」

 

 私たちの周りには道行く通行人が立ち止まり、(いぶか)しげな視線を送り続けていた。まぁ、私たち、というよりは……

 

「そうだね。ただでさえ勇者一行ってことで人目を惹くし、どこかに移動してからのほうがいいかもね」

 

 アレニエさんが私の言葉を補足する。ありがとうございます。でも人目を惹くのはアレニエさんもなんですよ。容姿は整っているし、鎧と篭手の色はちぐはぐだし。自覚はないだろうけど。

 

「それでしたら――」

 

 今まで黙っていたシエラさんが、ここで口を開いた。

 

「私たちが泊まっている宿に来ませんか? 大部屋を取っているので、この人数でも問題ありませんよ」

 

「ほんと? それじゃあ――」

 

 その提案に素直に乗った私たちは、彼女たちの部屋にお邪魔することにした。

 

 

  ***

 

 

 勇者一行が泊まっているという宿は、私たちが泊まる場所を探していた際に、一軒目に訪れた冒険者の宿だった。満室とのことで私たちは断られたのだが、そのうちの一室を埋めていたのが彼女らだったらしい。

 

「おー……広いね、この部屋」

 

 招かれたのは、ベッドが五つも並ぶ大きな部屋。調度品も揃えられ、綺麗に掃除も行き届いた大部屋だった。

 

「この宿で一番いい部屋らしいですよ。見晴らしも良くて、ぼくも気に入ってるんです」

 

「魔術師くんも一緒の部屋なの?」

 

「いえ、エカルだけ別に個室を取っていて……ぼくは別に一緒でも構わなかったんですけど、シエラやアニエスが男女で部屋は分けるべきだ、って」

 

「当たり前です。あの男は一度勇者さまを裏切っているのですよ。同じ部屋になど入れられるはずがありません」

 

「えー……ぼくはもうエカルのこと許してるし、みんなで泊まったほうが楽しいと思うのに」

 

「ダメです」

 

「私も、男女が同じ部屋で過ごすのは少し抵抗が……」

 

「シエラまで。そんなに心配しなくても、エカルはもう襲ってきたりしないと思うよ」

 

「いえ、それはそうかもしれませんが……別の意味で襲ってくるかもしれないというか、間違いが起こったら大変というか」

 

 その発言に、この場で唯一の男性からすかさず抗議が飛ぶ。

 

「ちょっと待て。誰がお前らなんか襲うかよ」

 

「アルムなら襲うんですか?」

 

「お……襲うわけ、ねぇだろ」

 

 からかうようなシエラさんの言葉に、エカルラートさんが少し顔を赤くする。ただ、目の前でそれらのやり取りを見ていた勇者さまは……

 

「別の意味……? 間違い……って、何が?」

 

「え……」

 

 アルムさんの純粋な瞳に、周囲が一様に困った顔を浮かべる。どうやら勇者さまは、こういう方面にはかなり疎いらしい。

 その状況を見かねたのか(あるいはたまたまか)、アレニエさんが別の話題を提供する。

 

「そういえばアルムちゃんたちも、目当ては闘技大会?」

 

「はい! ぼくとシエラは出場もしようと思ってるんです」

 

「腕試しで?」

 

「それもあるんですけど、実は、旅先でぼくたち宛てに招待状を貰いまして」

 

「招待状? 闘技場の?」

 

「はい。大会を盛り上げるために観覧に来てほしい。良ければ出場も、と書かれていたので、思い切って挑戦してみようと思ったんです」

 

 ここで、シエラさんが少し悪戯っぽく口を出す。

 

「アルムは先輩に教わった成果を披露したくて張り切っているんですよ」

 

「シ、シエラ! 何も師匠の前で言わなくても……!」

 

「そうなの? それはちょっと嬉しいなぁ」

 

「……えう……そ、そういえば、師匠も大会に出るんですか!?」

 

「わたし? わたしは――」

 

 アルムさんが恥ずかしそうに顔を赤くして黙り込み、それからすぐに無理やり話題を変える。その様子を、周りは微笑ましそうに見ている。話が盛り上がっているようだ。

 私はこういう時、上手く話に混ざり込めないため、少しの居心地の悪さを覚えながら立ちすくしていたのだけど……

 

「――リュイスさん」

 

 いつの間にかこちらに近づいてきていたアニエスさんに、不意に呼び掛けられた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8節 帝都にて②

「――リュイスさん」

 

「え……は、はい?」

 

 唐突に話しかけられた私は、うわずった声で慌てて反応を返す。

 

「その……少々、お話があるのですけど、よろしいですか?」

 

「は、はい」

 

 アニエスさんが、私に話……? しかも、こんな緊張した面持ちで。

 そうして、失礼ながらも警戒していた私の目の前で……彼女は静かに頭を下げた。

 

「この度のこと、本当に申し訳ありませんでした……!」

 

「え……あ、あの……?」

 

 謝罪? 彼女が私に? なんのことだか全然話が見えてこない。

 困惑していると、顔を上げたアニエスさんがゆっくりと説明し始める。

 

「……貴女も、ヴィオレ司祭が投獄された件は、聞き及んでいるでしょう」

 

「……はい……」

 

 ヴィオレ・アレイシア司祭。私が師事するクラルテ司祭の政敵であり、目の前にいるアニエスさんの師でもある。そして、『総本山の神官は貴族のみが相応しい』という保守派の筆頭で、その理念に従い、以前、平民出の神官である私に刺客を差し向けたことのある――

 

「(……あ)」

 

 つまりこれは、その時の……?

 

「司祭さまが捕縛されたと聞いた際、(わたくし)のわがままですぐに王都まで戻りました。そして投獄された司祭さまに面会し、話を聞いたところ……あろうことか、貴女に、その……刺客を差し向けた、と……」

 

「……はい」

 

 やはりそうだ。彼女は、師が敢行した凶行を謝罪しているのだ。

 

「司祭さまが掲げる理念は理解していますし、一時は捕縛されたことに納得のいかない憤りを覚えることもありましたが……それでも、同じ神官である貴女を害そうとしたことは、いくら彼女でも許されることではありません。ですから……」

 

「や、やめてください。アニエスさんに謝っていただくことでは……」

 

 同じ人間、それも神に仕える神官が、(はかりごと)を用いて殺そうとしてきたことは、確かに大変な恐怖と衝撃を私に与えた。

 それでも、直接加担したわけではない、弟子でしかない彼女にこうして頭を下げさせるのは、何か違うのではないか、と思うのだ。

 

 それと、これは話の本筋からは外れるけれど……今、彼女は私のことを『同じ神官』と言った気がする。保守派筆頭神官の弟子である彼女が、貴族ではない私をそう呼ぶのは、総本山の政治的に大きな意味を持つ気がする。私やクラルテ司祭のような平民出の神官も、少しは認めてくれているのだろうか。

 

「いいえ。師が起こした不祥事は、弟子の私にも無関係ではありません。なによりこうしなくては、私の気が済みませんから」

 

 アニエスさんは(かたく)なに頭を下げ続ける。結局、先に根負けしたのは私のほうだった。

 

「あの、分かりましたから! とにかく、私なんかに頭を下げないでください……!」

 

「『私なんか』とはなんですか。あなたは自身を卑下しすぎるきらいがあります。それでは師であるクラルテ司祭の名にも傷がつきかねない――」

 

「あれ? 二人仲良くなったの?」

 

 向こうで会話していたアレニエさんがこちらの騒動に気づいたらしい。これ幸いと私は助けを求める。

 

「助けてくださいアレニエさん……! アニエスさんが(がん)として私に頭を下げ続けるんです」

 

「や、どういう状況?」

 

 アレニエさんの疑問の声に、アニエスさんが顔を上げ、抗弁する。が……

 

「邪魔をしないでください。私は彼女に謝罪をしなければいけなくて……そういえば、その節は貴女にもご迷惑がかかったのでしたね。お詫びします」

 

 再びアニエスさんが頭を下げる。

 

「これなんの謝罪?」

 

「え、と……先日、ジャイールさんたちが襲撃してきた件で、彼女の師が首謀者だったので、その謝罪らしいのですが……」

 

「あー、例の、なんとかっていう司祭か。そういえば、守護者の一人がその司祭の弟子だったっけ。そっか、アニエスちゃんがその弟子か」

 

 今初めて、アレニエさんの中で噂と認識が繋がったらしい。

 

「そっかそっか。その時のことを、司祭の代わりに謝りたいと」

 

「ええ。……本当に、申し訳ありませんでした」

 

「うん、分かった」

 

 え、軽っ。

 

「そのなんとかって司祭を許す気はないよ。リュイスちゃんを殺そうとしたことはまだ腹が立ってるし。でもアニエスちゃんがそれを謝りたいっていうなら、受け入れるよ。直接関わってたわけじゃないだろうしね」

 

「はい。それで構いません。……ありがとうございます」

 

「リュイスちゃんも、それでいいかな?」

 

「え? その……はい」

 

「うん。じゃあ、この話はこれでおしまい。さて、リュイスちゃん。日も落ちるし、私たちはそろそろ帰ろっか」

 

「あ、はい」

 

 確かに外を見れば、夕陽の赤がデーゲンシュタットの街並みを染め始めている。早いところではもう夕飯を食べる頃合いだろう。

 

「師匠ー! 明日の朝、忘れないでくださいね!」

 

「分かってるよー。この宿の外で待ってるから」

 

「約束ですからね!」

 

 アルムさんの声を背に私たちは退室し、扉を閉めた。そして歩き出しながら、疑問を投げかける。

 

「約束って……?」

 

「アルムちゃんがまた剣を教えてほしいって言うから、明日の早朝にまた会うことになって。ごめんね、勝手に決めて」

 

「いえ、構いませんよ」

 

 別にこの依頼の間中彼女を拘束しなければいけないわけではない。私を気にする必要はないし、空いた時間は彼女の自由に使ってもらうべきだ。他の人と会う約束であっても、笑って見送るべきで……

 

「朝早いけど、リュイスちゃんも一緒に来る?」

 

 けれど、そう聞かれたならば……

 

「……はい。行きます」

 

 彼女の問いに、私は控えめに、けれどハッキリと答えた。

 ……私、アルムさんに嫉妬してるんだろうか。嫉妬深い女なのかなぁ、私。

 そんなことを思ったところで……

 

 コオォォォ――……

 

 右目――〈流視〉が、ひとりでに急に〝開いた〟。

 

「く、ぅ……!?」

 

 私は思わず右目を手で押さえ、その場にうずくまる。押さえた手の隙間からは、青く揺らめく光が漏れ出していた。

 

「リュイスちゃん……!?」

 

 驚いたアレニエさんが心配げに声を掛けてくる。けれど今はそれに構っている余裕がない。強制的に映し出され流れる映像が、次から次に目に焼き付けられていく。

 これは、勇者さま――アルムさんの、視点だ。直感的にそれが分かる。

 

 巨大な円形の建物……大勢の観客……これは、この街の闘技場……? 円の中央で対峙するのはアルムさんと、知らない男の人……長い髪で、巨大な剣を手に持ち、全身に赤銅色の甲冑を着込んだ若い男……その男がアルムさんに剣を振るい、その果てに……――

 

「――ュイスちゃん……! リュイスちゃん……!」

 

 再び、アレニエさんが小声で呼び掛けるのが聞こえる。そこで、ようやく映像が途切れる。

 

「あ……私……」

 

 正気付いた私は、きょろきょろと辺りを見回す。そう長い間見えていたわけではないらしく、幸いにも宿泊客が気づいて出てくるということもなかった。

 

〈流視〉は私が任意で開くこともできるが、その場合はごく小規模な流れ――周囲の魔力の流れや、目の前の相手の動きの流れなどが見える程度に過ぎない。

 けれど今のように、私の意思を無視してひとりでに開いた場合。この目は、大規模な災害や、戦の趨勢、人の一生など、普段は到底見ることのできない大きな流れを見せつけてくる。

 今見えたものはその一つ、人の生涯の流れ。それも、勇者であるアルムさんの――

 

「……もしかして、また見えたの?」

 

「……はい。……ここでは話しづらいので、宿に戻ってから説明します」

 

「分かった」

 

 それだけをやり取りし、私たちは速やかに帰路についた。

 星の見える夜空だったが、私にとっては見えない暗雲が垂れ込めているような、暗い心地だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9節 合同稽古①

 まだ日が出て間もなく、辺りがうっすら明るくなり始めたくらいの時間に私たちは起き出し(案の定私は起きられなかったため、アレニエさんに起こしてもらい)、泊まっている宿を出た。

 

 デーゲンシュタットの街は、昨日の喧騒(けんそう)が嘘のように静かだった。ただそれは、昨日と比べれば、という話で、この時間からもう働き出している人や、昨夜から飲み続けてるような人もいて、全くの静寂というわけではなかった。

 前日に比べれば格段に歩きやすい人気のない通りを抜け、勇者一行が泊まっている宿に向かう。すると――

 

「あ! 師匠ー! おはようございます!」

 

 宿の前には、既に先客がいた。朝から元気いっぱいの勇者さまと、まだ眠そうにしている守護者三人だ。

 

「おはよー、アルムちゃん。まだ朝早いし、できればもう少し静かにね」

 

「はい!」

 

 分かっているのかいないのか、アルムさんがやはり元気に答える。

 

「シエラちゃんたちはまだ眠そうだね」

 

「はい……アニエスが、先輩とアルムを二人にしておけない、と聞かなくて……」

 

「信用ないなぁ。昨日は頭下げてくれたのに」

 

「それとこれとは話が別です。貴女はまだ得体が知れませんし、刺客に襲われたばかりで勇者さまを放っておくこともできません。警戒は続けないと」

 

「まぁ、それもそっか」

 

 アニエスさんの言葉に、言われた本人であるアレニエさんが納得の意を示す。

 

「でもそれなら、何も全員で来なくてもよかったんじゃ? そっちの魔術師くんもまだ眠そうだけど」

 

「エカルラートだ。いい加減憶えてくれ」

 

「じゃあ、エカルくんで」

 

「…………まぁ、いいか。オレも全員で来る必要はないと思ったんだが、アニエスのやつが、オレを一人にしておくのも不安だって言い出してな……」

 

「あー……なるほど」

 

「納得するな。……いや、まぁ無理もないか。オレ自身はこれ以上何かするつもりはないが、信じられないのも分かるからな……」

 

 魔術師――エカルさんが、少し自嘲気味に言う。

 

「……なんですか、この空気。まるで私が悪いかのような……私はただ、勇者さまをお守りしたくて……!」

 

「大丈夫。分かってるよ。いつもありがとね、アニエス」

 

「勇者さま……ありがとうございます」

 

 アルムさんの言葉に、アニエスさんが感極まったように感謝を述べる。ちょっと感動的にも思えるその空気を切り裂いて、アレニエさんが口を開いた。

 

「それで、どこで稽古つければいいのかな。店の前でやるのはさすがに朝でも人目を惹きそうだし、邪魔になるだろうから、できれば別の場所がいいと思うんだけど」

 

「あ、はい! 向こうにちょうどよさそうな公園があったので、そっちに行きましょう!」

 

「りょーかい」

 

 先導するアルムさんに、アレニエさんが素直についていく。それを追って私たちもぞろぞろと移動する。

 辿り着いた公園は、芝生や樹々の緑に囲まれた、開放的で気持ちのいい広場だった。中央には噴水が設置され、噴き上げられた水の流れが景観をさらに美しく見せている。

 

 適度に拓けた場所を見つけたアレニエさんとアルムさんは、早速互いに木剣を手にし、向かい合う。アレニエさんはいつもと逆の順手で剣を握り(おそらくアルムさんの手本になるようにだろう)、力みなく相手を見据えている。対するアルムさんは、やや緊張した面持ちだ。

 

 守護者の三人は彼女らから離れた位置まで下がり、その場に腰を下ろして観戦する構えだ。私も同じように下がり、守護者たちから少し離れた場所で座り込む。人見知りなので輪の中に入るのが苦手なのだ。

 

「それじゃ、早速始めるけど……そうだね。まずは、前に教えたことが身に付いてるか、見せてもらえるかな」

 

「はい!」

 

 気合の入った返事をするアルムさんは、一転、集中して静かに剣を構える。上段に木剣を振り上げ、そこから一気に――

 

「はぁっ!」

 

 ――振り下ろす。

 空気を切り裂いて、木剣が上から下に振り切られる。前回の稽古の時とは違い、鋭く、キレのある剣閃だった。様になっている、と言えばいいんだろうか。

 

 続けて彼女は、左から右へ、右から斜め上へと、次々木剣を振るっていく。

 力任せではない、気配も小さい(少なくとも前回よりは格段に)、確かな修練を感じさせる動きだった。別れていた間にもかなりの数を振るっていたのだろう。彼女の努力が垣間見える。

 

「――うん。だいぶ良くなったね。ちゃんと鍛錬続けてたみたいでおねーさん嬉しいよ」

 

「えへへ」

 

 褒められて途端にはにかむ勇者さま。反応が可愛いなこの人……

 

「それじゃあ次に進もうか。今日は、受け方を教えたいと思います」

 

「受け方?」

 

「そ。相手の攻撃の防ぎ方、防御の方法だね。本当は前回、こっちを最初に教えるべきだったのかもしれないけど」

 

「そうなんですか?」

 

「うん。なんと言っても冒険者稼業は、死なないことが第一だからね。まぁでも、ここまで死んでないんだから結果オーライかな」

 

「えぇ……」

 

 アルムさんが少し困惑した表情を見せる。教え方がおおざっぱ過ぎますアレニエさん。

 

「さて、前回は主に斬り方を教えたわけだけど……一口に「斬る」って言っても、力が乗るタイミングと、そうじゃないタイミングがあるのは分かるかな、アルムちゃん」

 

「あ、はい、分かります。振り始めはまだ力が乗らないし、振り切ってしまうと今度は力が逃げていって……」

 

「そうだね。剣に限った話じゃないけど、攻撃は一番力が乗るタイミングで相手に当てなきゃ、ちゃんと威力が出てくれない。今のアルムちゃんの言いかたで言えば、振り下ろす前と、振り下ろした後、その中間のあたりが、力が乗るタイミング――剣で言えば、斬れる瞬間になる」

 

「ふむふむ」

 

「つまり、相手の攻撃を受ける時は、そのタイミングを外してやればいい。相手の力が乗る前に塞いでしまうか、別の方向に逸らしてやれば、こっちが致命傷を受けることはまずない、ってことになる。もちろん、全部かわせればそれに越したことはないけど、それができないときは受けるしかないわけだし、覚えておいて損はないと思うよ。とりあえず、実際にやってみせよっか。アルムちゃん、ちょっとわたしに打ち込んできてみて」

 

「はい!」

 

 元気よく返事をすると、アルムさんは上段に剣を構え、細く長く息を吐いた後に、一足飛びにアレニエさんに打ち込む。

 

「たぁっ!」

 

 頭の上から袈裟切りに振り下ろされる木剣の一撃。アレニエさんはそれに向かって無造作に一歩踏み出し、斜めに傾かせた剣を両手で上方に掲げる。すると……

 

 カシィィィィ!

 

 と、木が擦れる軽い音を響かせながら、アルムさんの剣がアレニエさんの木剣の上を滑り落ち、逸れていく。

 

「!?」

 

 アルムさんは態勢を崩し、逸れた木剣は地面を打つ。そこにすかさず……

 

「ほい」

 

「……!」

 

 アレニエさんの剣が、アルムさんの喉元に切っ先を突き付ける。彼女はその場を動けず、地面に剣を打ちつけた姿勢で硬直する。

 

「とりあえず、こんな感じ」

 

「はぁ……はぁ……」

 

 アレニエさんが木剣を引き、緊張の解けたアルムさんがその場にくずおれる。

 

「どんな手応えだった?」

 

「え、と……ほんの少し向きをずらされただけなのに、気付けばそのまま剣が逸れていってて……わけが分からないうちに、師匠に剣を突き付けられてました」

 

「そうだね。される側はそんな感じだと思う。正面から止められるのと違って、体が流れていっちゃうんだよね」

 

 アレニエさんの言葉を聞きながら、アルムさんがその場で立ち上がる。

 

「つまり、この受け方を覚えれば、アルムちゃんも相手に同じことができるってこと。どんなに強い攻撃でも、ほんの少し向きを変えるだけなら難しくないし、そうして攻撃を受け流しながら、相手の態勢を崩して追撃もできる。しかも正面から受け止めるより、剣にかかる負担が少ないっていうおまけつき」

 

「いいこと尽くめですね!」

 

「ただその分、普通に受け止めるよりはちょっと難しい。相手がどう攻撃するか瞬時に見極めなくちゃいけないし、相手の力が乗り切る前に邪魔しなくちゃいけない」

 

「なるほど……」

 

「まぁ、難しく考えなくてもいいよ。要は、形はなんでもいいから、相手の攻撃をほんの少し逸らして致命傷を防ぐ、ってだけの技だから。アルムちゃんのやりやすい形を見つけたら、あとは体に覚えさせるだけだよ」

 

「コツとかありますか!」

 

「コツは、相手の動きをよく見ること。攻撃の気配を掴んで、その延長線上に自分の武器を先に置いておくこと。相手の気配の探り方は……前会った時に、教えたよね?」

 

「身体の動き出し、予備動作……」

 

 アルムさんの答えに、アレニエさんは満足げに頷く。

 

「それじゃ、後はひたすら練習かな。今度はわたしが打ち込むから、アルムちゃんはそれを防いでね」

 

「はい!」

 

「うん。じゃあ、始め――あ、そうだ」

 

 途中で何かを思いついたらしいアレニエさんは、守護者の三人がいる場所まで歩いていき、いくらか会話した後に、またアルムさんの元に戻り、そのまま稽古を再開する。

 続いて守護者たちのほうにも動きがあった。シエラさんとエカルさんが立ち上がり、こちらに向かって歩いてくる。何かあったのだろうか?

 

「リュイスさん、でしたよね。良ければ私たちと手合わせ願えませんか?」

 

「私と?」

 

「はい。先ほど、先輩が私たちに提案されまして。少しでも貴女に経験を積ませたいのだと。あと、見てるだけでは退屈だろうから、とも」

 

「アレニエさんが……」

 

 ずいぶん唐突な話だ。また彼女が不意に思いついたのだろうけど……

 けれどこれは、とにかく経験の少ない私にとって、ありがたい話には違いない。最近はアレニエさんにも稽古をつけてもらっているが、その前は司祭さまとの組手しか知らなかったのだ。今後の生存率を上げるなら、もっと多くの相手と戦い、経験を積み、実戦に備える必要がある。私は立ち上がり、彼女らを見据えた。

 

「……分かりました。お受けします」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10節 合同稽古②

 模擬戦に応じるという私の返答に、シエラさんは静かに頷いた。次いで彼女は、同行していたもう一人に確認を取る。

 

「エカルも、構いませんよね?」

 

「……まぁ、あいつには借りがあるからな。頼みごとの一つくらいは、聞いてやるさ」

 

「素直に「やる」って言えばいいじゃないですか」

 

「うるせぇ」

 

 少し恥ずかしそうにして、エカルさんが悪態をつく。そのやり取りを目にした私は、密かに抱いていた疑問を口にすることにした。

 

「あの……そういえば気になってたんですけど……槍を扱うシエラさんが相手なのは分かるんですが、魔術師のエカルラートさんも、お相手を?」

 

「エカルでいいぜ。あー……もう色々バレちまってるからあんたにも言うが……オレは、暗殺のための格闘術を教え込まれている。どちらかと言えば魔術よりこっちのほうが得意なくらいでな。あんたの相手も務まると思うぜ」

 

 なるほど……そういえば以前、彼が勇者さまを殺そうとした際の得物は素手だったと聞いた気がする。

 

「先輩がエカルにも声を掛けたのは、そのためみたいですよ。長物の私と、接近戦のエカル、両方と手を合わせる機会だから、と。それに、私たちにとっても貴重な機会ですからね。かの〈聖拳〉の弟子と手合わせできるなんて」

 

〈聖拳〉クラルテ・ウィスタリア。十年前、魔王討伐に赴いた守護者の一人であり、私の武術の師でもある。彼女らにそれを話した憶えはないので、おそらくアニエスさんに聞いたのだろう。

 

「それは……ご期待に応えられるかは分かりませんが、精一杯やらせて頂きます」

 

 私は二人から少し距離を空け、腰を落とし、構えを取る。

 

「それでは、最初は私から行きますね。模擬戦ですから、こちらでお相手させてもらいます」

 

 シエラさんは言葉と共に槍を回し、穂先とは反対の側――石突きの部分を前方に向ける。槍ではなく、棍として扱うらしい。

 

 互いに構えを取ったことを確認し、一呼吸置く。そして……

 

 ダンっ!

 

 私は地面を強く蹴り、シエラさんに向かって駆け出しながら、祈りを唱える。

 

「《守の章、第一節。護りの盾……プロテクション!》」

 

 左右の手にそれぞれ光の盾を備え、そのまま前方に突進する。

 先手必勝だ。長物相手に距離を取るのは愚策でしかない。特に私は、ただでさえリーチの短い格闘術なのだから、とにかく接近しなくては始まらない。

 

「ふっ――!」

 

 シエラさんが呼気と共に迎撃の突きを繰り出す。駆けるこちらに向けて正確に、最短距離を突いてくる石突き。その側面に左手の光の盾を押し当て、わずかに逸らす。そして、そのまま槍を道標にするように接近していく。

 

 近づいてしまえば、リーチの差は関係ない。どころか、長い得物はむしろ取り回しづらくなるはず。あと少しでこちらの間合いに入る。そう思ったところで……シエラさんの身体が鋭く時計回りに回転し、武器を横一閃に振り抜いてきた。

 

「っ!」

 

 寸前で頭を下げ、その一撃をかいくぐる、が……次は、上方からの振り下ろしが私を待っていた。

 

「うぐっ……!」

 

 回避が間に合わず、交差させた両手の盾で受け止める。『気』を込められた棍は法術の盾を強烈に打ち付け、その表面にひびを入れる。そこへ……

 

「しっ!」

 

 いつの間にか引き戻されていた槍の石突きが、再びこちらへ突き出されていた。

 

「くぅ……!?」

 

 反射的に腕を組み、急所を守る。石突きが盾を穿ち、カシャーンと音を立てて砕いてしまう。盾を構成していた光の粒子越しに、シエラさんが再び槍を引き戻すのが見えた。が……

 

「(ここ!)」

 

「《プロテクション!》」

 

 今度は腕ではなく、前方の空間に光の盾を張る。シエラさんが突き出そうとする槍を、力が乗る前に押さえ込むような形で。

 

「く……!?」

 

 突きを中途で止められたシエラさんが、わずかに呻くのが聞こえた。その声に向かって駆け出し、一足飛びに距離を詰めた私は、全力で拳を打ち出し……しかし、彼女が構えた槍の柄に防がれる。そのまま彼女は後方に飛び退き、距離を取る。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 長柄武器と戦うのはこれで二度目だが、やはりまだ慣れない。普段とは違う緊張と疲労が私を(さいな)んでくる。

 

「……流石は、〈聖拳〉の弟子ですね……初見でこうまで見事に防がれるとは、思っていませんでした」

 

 そう語るシエラさんもわずかに呼吸が乱れていたが、私よりはまだ余裕がありそうだった。それこそ経験の差かもしれないし、長物と拳の差かもしれない。

 

「さて、一旦仕切り直したことですし、ここで一度エカルと交代しましょうか」

 

 シエラさんはそう言い残すと、すぐにその場を退いてしまう。次いで私の前に立ったのは……

 

「オレの番か」

 

 エカルラートさん。暗殺のための格闘術を扱うという,異色の魔術師。

 

 シエラさんの槍とは違い、今度はどちらも接近しての殴り合いになると思われる。私にとっては慣れ親しんだ距離と言えるのだけど……暗殺拳というのがどんなものか、正直私は全く知らない。油断はできない。

 

「……よろしくお願いします」

 

「ああ、よろしく。……それじゃ、早速いくぞ」

 

 緊張する私とは違い、簡素に受け答えした彼は、すぐに構えを取り、仕合う準備を整える。そして――

 

 フっ――

 

 ほとんど物音を立てずに踏み込み、こちらに向けて拳の一撃を繰り出してくる。

 

「っ!」

 

 左手で受け止め、反撃に右拳を打ち出す。しかし今度は相手にかわされ、反対側の拳を打ち込まれる。それを今度は私がかわし……

 

 先ほどのシエラさん相手とは正反対の、接近した距離。打ってはかわされ、打たれては防いでの繰り返し。膠着(こうちゃく)した争いは一瞬のようにもいつまでも続くかのようにも思えたが……やがて、変化が訪れる。

 

「ふっ!」

 

 何度目かのエカルさんの拳が、私の顔目掛け飛んでくる。ただ、ここまでの交錯で互いのリーチは把握した。この距離ならこちらまで届かないと判断した私は……しかしかすかな違和感を感じ、ほんの少し顔を傾ける。すると――

 

 ビっ――!

 

「……!?」

 

 届くはずのないエカルさんの一撃が、私の顔を寸前で掠めていった。

 

 ちらりと目をやれば、彼の手の形はいつの間にか拳から貫き手に変化していた。距離に慣れさせたところで相手を仕留めるための技法――人間相手の、暗殺の技だろう。顔を傾けていなければ貫かれていたかもしれない。模擬戦だし、手加減はしてくれていると思いたいけれど……

 

 私はかわした勢いでわずかに後退し、同時に祈りを唱える。

 

「《プロテクション!》」

 

 そして両腕に光の盾を纏わせ、即座に前進する。

 

 戦いの最中に距離感を狂わせられるのは、何も彼だけじゃない。こうして腕の先に盾を纏わせれば、その分だけわずかにリーチも伸びる。そしてその感覚のズレは、実戦では命取りになりかねない。

 

「はっ!」

 

「ちぃ……!?」

 

 彼もそれに気づいたのか、厄介そうに舌打ちしながらこちらの攻撃を迎え撃つ。先ほどまでよりわずかに大きくかわしながら、反撃の機会を窺っている。

 

「(このまま押し切る……!)」

 

 真っ直ぐ打ち込んだ右の拳をかわされ、続けて繰り出した左拳は交差させた両腕で受け止められるが……衝撃でエカルさんの身体がわずかに後退する。

 

 チャンスだ。私はこれまでより半歩強く踏み込み、彼の胴体に全力で拳を打ち込む。しかし――

 

 ギュルっ!

 

 エカルさんは私の拳を受け流しながら身体ごと回転し、こちらの懐に潜入すると同時に肘打ちを顔面に打ち込んでくる!

 

「っ!」

 

 私は咄嗟に反対側の拳を――その手が纏った盾を掲げ、肘打ちを防ぐ。攻撃を弾かれたエカルさんがわずかによろめくのが見えた。その隙に、再度拳を全力で打ち込む。

 

「ふっ――!」

 

 後ろ足で踏ん張り、すぐに態勢を整えたエカルさんは、弾かれた肘でそのままこちらの拳をガードする。攻撃を防ぎつつ、こちらの拳にダメージを負わせる、攻防一体の防ぎ方。けれど私の拳には、法術によって生み出された光の盾が備わっていた。

 

 バチィ!

 

「ぐっ!?」

 

 光の盾と尖った肘が激突する。予想外の衝撃にエカルさんが呻くのが聞こえた。しかしこちらも無理な態勢で打ったため、その後の攻撃が続かず足が止まる。

 

 息を整えながら様子を見るが、向こうもすぐに攻めてくる気配はなさそうだった。代わりに彼は、声を届かせる。

 

「なるほどな……その盾、全力で突いても拳を痛めないよう保護する目的もあるのか。面白い流派だな」

 

「……ありがとうございます」

 

 流派を良く言われるとクラルテ司祭自身のことを褒められているように聞こえて嬉しくなってしまう。

 

「いいな、あんた。本気で面白くなってきた。それなら、こっちも魔術込みで全力で……!」

 

「はい、ストップ」

 

 熱くなった様子のエカルさんを遮るように、シエラさんの槍が突き出された。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11節 合同稽古③

 水を差されたエカルさんは、槍の持ち主にすかさず文句を言う。

 

「なんだよ、シエラ。邪魔すんじゃ――」

 

「しますよ。貴方の魔術、殺傷力の高いものばかりじゃないですか。模擬戦で相手を殺す気ですか?」

 

「模擬戦だからこそ、実戦に近い形式のほうが身になるだろうが」

 

「それも一理あるとは思いますが、今回はダメです。今日は彼女に経験を積んでもらうのが目的なんですよ? いきなり殺し合いに発展してどうするんですか」

 

「……それもそうだな」

 

 納得したエカルさんが拳を引く。それを見た私も、張り詰めていた意識を弛緩(しかん)させていく。良かった、落ち着いてくれて……

 

「悪かったな。あんたがいい腕してるもんだから、少し熱くなっちまった」

 

「いえ、そんな……」

 

 私自身の腕を褒められることはあまりないので、ちょっと嬉しい。

 

「さて、リュイスさんは連戦でしたし、ここで少し休憩にしましょうか。あまり根を詰め過ぎてもいけませんから」

 

「はい。お気遣い、ありがとうございます」

 

 礼を述べてから、私はその場に腰を落として休憩に入る。

 シエラさん優しいな……気遣いは細やかだし、テキパキしてるし、アレニエさんとはまたタイプの違う大人の女性という感じがする。

 

「そういえば、先輩とアルムのほうはどうなって……」

 

「お? そっちはもう終わったの?」

 

 こちらの様子に気づいたアレニエさんが、声を掛けてくる。

 彼女の傍には、疲労と負傷で地面に手をつくアルムさんと、その彼女を懸命に治癒するアニエスさんの姿が……

 

「終わったというか、ひと段落ついたので休憩しているところです。先輩のほうは……どうやら、相当にしごいたようですね」

 

「なかなか型が定まらないみたいでね。苦戦してる。こっちも少し休憩したほうがいいかも」

 

 と、そこへ――

 

「ま、まだ……」

 

 這いつくばっていたアルムさんが、立ち上がりながら声を震わせる。

 

「まだ、やれます……まだ、動けます。だから、もう少し――」

 

「勇者さま、まだ動かれては……」

 

「大丈夫、だよ、アニエス。ぼくには〈久身(きゅうしん)〉の加護もあるし、少し休めばまたすぐ動けるようになる。それに、これくらいで倒れてたら、胸を張って勇者だなんて名乗れないよ」

 

「勇者さま……」

 

〈久身〉というのは、体力に関係する加護なのだろうか。それがあってもここまで疲労するぐらい、稽古が激しかったのかもしれない。

 そうして体をふらつかせながらも木剣を構えようとするアルムさんに、アレニエさんが向き直る。

 

「無理に続けるのは、逆効果かもしれないよ」

 

 それに対するアルムさんの返答は、けれどまるで関係のない言葉だった。

 

「……その通りだと、思ったんです」

 

「うん?」

 

 唐突な言葉に、アレニエさんが疑問符を浮かべる。

 

「以前、「いつか魔王を倒せるほど強くなる」と言ったぼくに、師匠は言いましたよね。「いつか、って、いつ」だ、と。「今この場に魔将が現れて襲ってきても、同じ台詞を口に出せるのか」、って」

 

「あー……うん。言ったね」

 

 アレニエさんがほんの少し気まずそうに頷く。その場にいなかった私は概要だけしか聞いてないのだけど、そんなこと言ってたんですか?

 

「もし今その通りのことが起こったら、ぼくは多分、何もできずに魔将に殺されてしまうと思います。そうならないための一番の近道は、きっと師匠に剣を教えてもらうことなんです。それに……このまま続ければ、もう少しで、何かが掴めそうな気がしていて……」

 

「……そっか」

 

 彼女の言葉を受けたアレニエさんは、少し嬉しそうに見えた。

 

「アルムちゃんがそう言うなら、このまま続けようか。でも、これ以上は無理だと思ったら、こっちで勝手に止めるからね」

 

「……はい! お願いします!」

 

 そうして二人は、すぐに稽古を再開してしまう。アレニエさんの無数の打ち込みを、アルムさんが手にする木剣で必死にさばいていく。

 

 先ほどまで傍で治療をしていたアニエスさんも、始めは止めるべきかとオロオロしていたものの、結局はアルムさんの意思を尊重することにしたらしい。離れた場所まで下がってアルムさんを見守っている。彼女が新しく傷を負うようなら、すぐにでも駆け付けるのだろう。

 

 彼女たちの様子をしばらく眺めてから、シエラさんがぽつりと呟く。

 

「私たちも、もう少ししたら再開しましょうか」

 

「……そうですね。お願いします」

 

 私はアルムさんに視線を向けたまま、その場で立ち上がった。

 彼女は疲労を感じさせながらもただただ真っ直ぐ、実直に、教えられた技を会得しようと苦心し続けている。

 その熱意にあてられたように、この後の私たちの手合わせにも力が入るのだった。

 

 

   ***

 

 

「……ありがとう、ございました……」

 

「うん、お疲れさま」

 

 稽古を終え、アルムさんが頭を下げる。彼女の上半身には至る所に生傷ができており、傍ではやはりアニエスさんが治療につきっきりだった。

 早朝から続けていたこの稽古だったが、少しづつ街に人が増えてきたこと、いい加減アルムさんが疲労の限界だったことから、午前の早い時間に切り上げることになった。

 

「なんとか、形にはできたね」

 

「はい……なんとなく、自分の中でやり方を掴めた気がします。後は、感覚を忘れないうちに体に覚え込ませて……」

 

「それも大事だけど、疲労を取ることも同じくらい大事だからね? 明後日の闘技大会に間に合わせるなら、なおさら……。……」

 

「? 師匠?」

 

 言葉の途中で、不意にアレニエさんが押し黙る。

 

「……大会、ほんとに出る? 今ならまだ辞退する手もあるよ?」

 

「え、なんでですか?」

 

「いや、ほら、毎年事故で死者も出るって書いてたし、危ないかな、って」

 

「あぁ、あのパンフレットの? 大丈夫ですよ。死にそうになる前に審判が止めてくれるし、神官さんも治療してくれるんですよね? 外で魔物と戦うよりよっぽど安全なはずですよ」

 

「そう、なんだけどねー……」

 

 アレニエさんが珍しく言い淀んで悶えている。それは昨日、彼女自身が私に言ったばかりの台詞でもある。

 確かにアルムさんが言う通り、ルールで守られた試合のほうが、冒険の旅に出るより遥かに安全だろう。そう、通常なら、そのはずなのだけど……

 

「……ありがとうございます、心配してくれて。でもぼく、試してみたいんです。この大会で、自分がどれだけ上に行けるのか。これだって、今より強くなるために必要な経験だと思いますし。それに――」

 

「それに?」

 

「ぼくには、師匠に教わったこの剣がありますから。どんな相手が来たって、なんとかなりますよ」

 

 そう言ってアルムさんは、疲れを見せずに快活に笑う。

 自身の努力と、師への信頼感。それらが花開いたようなその笑顔を目にしたアレニエさんは、仕方がないという風に息を吐き、自身も笑み――ただし、少し困ったような――を浮かべる。

 

「……分かった。もう止めないよ。弟子を信じるのも師匠の務めだろうしね」

 

「……はい。信じていてください。誰が来たって負けませんから。当日は観に来てくださいね!」

 

 そう言って彼女は、少しふらつきながら、けれど仲間に支えられながら、この場を去っていく。それを見送ってから、私は隣に立つ彼女に声を掛けた。

 

「……止められませんでしたね」

 

 私の言葉に、彼女もため息をつきながら応じる。

 

「あんな風に言われたら、送り出すしかできなくてね。……ごめんね。もっと上手く引き留められればよかったんだけど」

 

「謝らないでください。あれ以上無理に引き留めていたら怪しまれていたでしょうし、そうなれば〈流視〉についても言及しなければいけなかったかもしれません。それよりは……。……」

 

「? リュイスちゃん?」

 

「……すみません。そもそも、この『目』を秘密にしているから、強く引き留められないんですよね……いっそのこと、今からでも全部打ち明ければ――」

 

 思いつめる私に、彼女は首を小さく横に振る。

 

「それこそ謝らないでよ。アルムちゃんの命を護ることも大事だけど、リュイスちゃんの生活を護ることだって同じくらい大事だよ。少なくとも私にとってはね」

 

「アレニエさん……」

 

 さすがに勇者さまの命と同列というのは言い過ぎだと思うけど……でも、嬉しい。

 

「それに、問題の相手は、リュイスちゃんが『見た』長髪の男って分かってるんでしょ?」

 

「はい……場所は闘技場でしたし、出場者の一人だと思うんですけど……」

 

「うん。要はその長髪男の挙動に気を付けてればいいんだし、最悪わたしが闘技場に乱入すれば助けられるんじゃないかな。さすがに魔将より強いってことはないだろうし」

 

「……まさか、また一人で罪を被るつもりですか?」

 

「ほら、わたしは元々下層の住人だし、あそこに逃げ込めばなんとかなるからさ」

 

 パルティール王国の王都下層は、王国から切り捨てられた歴史があり、そのため強い自治意識が根付いている。他国はおろか、王国も手を出せない独立した土地になっており、逃亡者や犯罪者が逃げ込む先にもなっている。アレニエさんにとっては十年暮らした第二の故郷でもあり、何かが起きた際の避難先でもあるのだろう。でも……

 

「申し出はありがたいですが、捕まるような事態にならないのが一番ですからね?」

 

「分かってるよ。だからそれは最後の手段。とりあえずは、今日の成果が実を結んでくれるのを、願うばかりだね」

 

 アレニエさんがアルムさんに授けた防御の技。それがあれば、長髪の男と相対しても彼女自身で対処できるだろうか。私は今日の稽古を思い返し、ぽつりと声を上げる。

 

「……これで、流れは変わるでしょうか」

 

「そう願いたいね。今日教えた成果をアルムちゃんが発揮してくれれば、大抵の危険は対処できると思う。ただ、まぁ、こればっかりは、実際に事が起きてみないと分からないよね」

 

「はい……」

 

「それか、いっそもう一回その『目』が勝手に開いてくれれば、すぐに分かるんだろうけど」

 

「さすがにそんな都合のいいことは……」

 

 コオォォォ――……

 

「「あ」」

 

 右の視界が青く染まる。次々に情景が流れ込んでくる。

 私は、青く揺らめく光を放つ右目を人に見られないよう、そっと手で覆った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12節 闘技大会開催

 闘技大会当日。

 私とアレニエさんは武具や道具の点検を万全にしてから宿を出発した。

 大通りは初めてこの街に来た時より大勢の人で溢れていた。それも当然だろう。いわば今日が祭りの本番だ。

 

 人の流れに沿って街中を進み、闘技場に辿り着く。今日この街にいるほとんどの人が同じ目的の元に動いているだろう。受け付けは混雑し、人の列が渋滞を起こしていた。

 

 やがて私たちの順番が回り、入場料を払い、中に入る。観客席は二階から先だ。階段を上り、一般用の通路に出たところで……

 

「ん?」

 

「お?」

 

 見知った顔に、バッタリと出会う。

 

 一般通路で出くわしたのは、以前の旅で関わりを持った二人の冒険者。見上げるような巨躯に大剣を背負った大男と、中肉中背の身体を灰色の衣服とフードで覆った男性の、二人組。

 

「ジャイールさんに、ヴィドさん?」

 

「よう、リュイスの嬢ちゃんに〈黒腕(こくわん)〉じゃねーか! 久しぶりだな!」

 

 大男――ジャイールさんが、再会を祝して声を張り上げる。ちなみに〈黒腕〉とは、アレニエさんの二つ名だ。由来は、左腕の黒い篭手から……って、そのままですね、この呼び名。

 

「お久しぶりです、ジャイールさん。怪我の具合は……」

 

「ああ。あれからずいぶん経つからな。すっかりよくなったぜ」

 

 彼はそう言って自身の首をポンと叩く。以前出会った際に重傷を負っていた箇所だが、本人が述べる通り快方に向かっているようだ。

 

「アレニエ嬢にリュイス嬢、息災のようだな」

 

 ジャイールさんとは対照的に静かに口を開いたのは、ヴィドさん。彼の言葉に、アレニエさんが返答する。

 

「お互いにね。それにしてもあなたたち、こんなところまで一緒だなんて、相変わらず仲がいいねー」

 

「「いや、こいつとはただの腐れ縁だ」」

 

 二人は同時に同じ語句で否定した後に、顔を見合わせてばつが悪そうな表情になる。やっぱり仲がいい気がする。

 ジャイールさんは気を取り直してこちらに向き直り、質問してくる。

 

「こんなところにいるってことは、お前らも目当ては闘技大会か」

 

「うん。せっかく来たからね。帰った時の土産話になるかと思って」

 

「出場するのか?」

 

 それは、なんらかの期待を込めたような声音だったが……

 

「ううん、観戦だけ。目立つの嫌いだからね」

 

「なんだ、出ねぇのか……」

 

 目論みが外れたのか、ジャイールさんはあからさまに残念そうな声を出して黙り込む。

 

「そういうあなたたちは出場するの?」

 

「あー……初めはそのつもりでここまで来たんだけどな……パンフレット見たか? 俺は読めねぇから、こいつに読ませたんだが」

 

「うん、見た。何か問題でもあった?」

 

「「試合は死人が出ないように審判が判断」とか書いてたろ」

 

「書いてたね」

 

「それじゃ、模擬戦とほとんど変わらねぇじゃねぇか。俺はもっと命懸けでバチバチの勝負がしてぇんだよ。勝手に審判が止めてんじゃねぇよ」

 

「え……まさかそれが理由で、出場しないことに決めたんですか?」

 

 思わず私が問い質すと、彼は力なく頷く。

 

「ああ。なんか萎えちまってな……殺さずに寸止めの勝負じゃ、大した経験になんざならねぇからな」

 

「……前に会った時は、「もう少しくらい慎重にやる」って言ってませんでしたか?」

 

「あ? あー……それはそれ、これはこれだ」

 

「……」

 

 わずかに顔を逸らすジャイールさんを、私はジト目で見つめる。以前の出会いで彼は、アレニエさんと命懸けの決闘をした結果、一度死にかけているのだけど……この人やっぱり危なっかしい。

 

「だから〈黒腕〉、お前が出場するなら、俺も出る気になったんだが……やっぱりしねぇか?」

 

「うん、しない」

 

 アレニエさんは頑として方針を曲げない。私の依頼――勇者を陰から助ける――を完遂するため、出場して目立つリスクは負いたくないのだろう。そもそも彼女は目立つのを好まないし、誰が誰より強いという話にも興味はないようだけれど。

 

「そろそろ諦めろ。どのみち今からでは出場の受け付けも間に合わないだろう」

 

「くそ。それもそうか」

 

 粘るジャイールさんを、ヴィドさんがあっさりと説き伏せる。

 

「まぁ、そういったわけで、我々も観戦だけはする運びとなった次第だ。ここまで足を運んでおいて何もせずに帰るのも勿体ないのでな」

 

 ヴィドさんはそう説明すると、次いで一つの提案をする。

 

「ところで、せっかくの再会だ。共に観戦するというのはどうだ? 旅は道連れと言うだろう?」

 

「んー……そうだね。たまには、そういうのも悪くないかもね。……と、リュイスちゃんは、どうかな」

 

「私も構いませんよ」

 

 最後にジャイールさんに目を向けると、彼も満更でもないというように頷く。

 

「……ま、それもアリか。野郎二人で観るよりは楽しめるかもな」

 

「決まりだ」

 

 意見をまとめたヴィドさんに先導され、私たちは観客席へと移動した。

 

 

  ***

 

 

 闘技場は一階部分に円形の戦場が広がっており、二階以降が観客席になっている。席は外側に行くほど一段ずつ高くなっていき、最も高い外周部に至っては四階建ての建物と同等の高さを有していた。二階席の中央には一際豪華な観覧席もあり、アニエスさんとエカルさんはそこに招かれているはずだった。

 

 通路で悠長に会話していて出遅れたためだろうか、観客席は既にどこも人でいっぱいだった。四人が座れる空間など空いていない。それに帯剣してる人が二人もいるので、座席につくと武器の置き所に困る。咄嗟の際に動きづらい。他の客の観戦の妨げになるかもしれない(これにはジャイールさんの体格も大きく関係していた)。

 

 それらの理由から仕方なく私たちは、外周部から立ち見で観戦することに決めた。ここなら諸々の条件をクリアしているうえ、闘技場全体の様子も掴みやすい。座れないため、長時間の観戦は辛そうだが。

 

「ま、ここからでも十分見えるしな」

 

 手すりに体重を預けながら、ジャイールさんが呟く。その視線の先である中央の戦場では、複数の人員が慌ただしく準備に奔走している。様々な楽器を持った楽団が並び、騎士団と思われる黒い甲冑姿の人々が整列し、帝国の旗が掲げられ……

 

 やがてそれらも終わり、戦場に大会役員らしき男性が現れると、ざわついていた会場がにわかに静まる。

 

「そろそろ、始まるみたい」

 

 アレニエさんのその言葉を受けたように、男性が声を張り上げる。

 

「――これより、第百七回ハイラント帝国闘技大会を開催する!!」

 

 宣言と共に、楽団が音楽をかき鳴らし、戦場に整列した騎士団が(とき)の声を上げながら手に持つ槍を空に突き刺し、同時に掲げられた帝国の旗が風にはためく。

 

 ワアァァァァ――!

 

 開会の宣言に、観衆が歓声をもって迎える。――闘技大会が、始まる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13節 宣戦布告

 大会は午前の部と午後の部に分かれており、午前が予選、午後が本選の一日目という予定になっている。今は午前の部だ。

 

 予選は一対一を一組として、四組が同時に戦場で決着をつける方式になっていた。多数の出場者を一戦一戦処理していては所要時間がかかりすぎるからだろう。

 

 一回戦が始まり、第一試合、第二試合……と、予選はつつがなく進行していき、やがて第五試合が始まるというところで、見知った顔が登場する。

 

「お、アルムちゃんだ」

 

「勇者の嬢ちゃんじゃねぇか」

 

 アレニエさんとジャイールさんが「ん?」と、お互いの顔を見合わせる。

 

「アルムちゃんのこと知ってるんだ?」

 

「ああ、前にお前んちで飲んでた時に言ったろ? 足止めに向かった時に、ちょいと顔を見てきた、ってよ」

 

「そういえば聞いた気もするけど」

 

 私、その話聞いてないんですが……ジャイールさんが〈剣の継承亭〉に訪れた時というと……酔ったクラルテ司祭に絡まれて私が気を失ってた間の話だろうか。

 

「そういうお前も知ってんのか?」

 

「うん。こないだ旅先でちょっとね。守護者の中に知り合いがいたのもあって、顔見知りになって」

 

 少しぼかしてアレニエさんが説明する。師弟の関係になったことまで言及すれば、ややこしいことになるのは明白だからだろう。

 

「面白いやつだったろう? あんなちっこいナリで、俺とタメ張れるくらい腕力あってよ」

 

「そうだね。色々面白い子だったよ」

 

 アレニエさんの言う面白さはおそらく性格面での話なのだけど、ジャイールさんは特に気にせず話を進める。

 

「そうか、あの嬢ちゃんも出場してるのか。……やっぱ出りゃよかったかなぁ」

 

「まだ言っているのか」

 

 ヴィドさんが少し呆れたように呟く。

 

「先刻も言ったが、既に受け付けは締め切られている。後悔したところで――」

 

「あぁ、あぁ、分かってるさ。今さらどうしようもねぇってのは。切り替えて観戦に集中するべきだってのもな。だがそれでも、勿体ねぇって思いがすぐに消えるわけじゃ――」

 

 ワっ――!

 

 不意に、客席から一際大きな歓声が上がる。

 慌てて戦場の一角、アルムさんの組に目を向ければ、ちょうど彼女が自身の武器を納め、審判から勝ち名乗りを受けているところだった。

 

「おぉ、勝ったのか、あの嬢ちゃん。やるじゃねぇか」

 

「うん。とはいえ、まだ予選を一つ突破しただけだから、油断できないけどね」

 

「平気だろ。俺と正面から力比べした嬢ちゃんだぜ? 生半可な奴にゃ負けねぇさ」

 

 その言葉が現実になったのか、アルムさんはこの後の試合も順調に勝ち上がっていった。

 同じく出場しているシエラさんの姿も発見し、彼女も勝ち上がっているのを確認している。ただ……

 

「……例の、長髪の男性の姿は、見当たりませんね」

 

 私は隣にいるアレニエさんにこっそりと呟いた。

 以前見えた〈流視〉の情報。アルムさんを闘技場で襲う、赤銅(しゃくどう)色の鎧を纏い大剣を持った長髪の男の特徴については、既にアレニエさんに伝えてある。彼女もおそらく試合を見ながら探してくれていたのだけど……

 

「残念だけど、こっちも見つけられなかった。髪が長くても鎧を着てなかったり、鎧の色が違ったり、武器が違ったりで、特徴がピッタリ合う人は見当たらなくて。……ひょっとして、出場者じゃないのかな?」

 

 その可能性は考えていなかった。けど……

 

「でも、出場者以外に闘技場に出入りできる人というと……開会式の時に見た楽団や騎士団、でしょうか?」

 

「うーん……自分で言っておいてなんだけど、その線も薄そうだよね。特徴に合う人はいなかった気がするし。でも、そうなると……」

 

「おい、何をぶつぶつ話してんだ? そろそろ午前の部が終わるみてぇだぞ」

 

 ジャイールさんの言葉で、私たちは二人共に現状を思い出す。あまり不審な言動をして変に怪しまれるのはまずい。

 

「そっか、もうそんな時間か。じゃあわたしたち、ちょっと行ってご飯買ってくるよ。何がいい?」

 

「俺らの分も買ってきてくれんのか? なら俺は肉がいいな」

 

「オレはなんでも構わない」

 

「りょーかい。行こ、リュイスちゃん」

 

「あ、はい」

 

 追及を避けるためか、足早にこの場を離れるアレニエさんに、私もついていく。ジャイールさんはたいして気にも留めていないようだったが――

 

「……」

 

 彼の相方、ヴィドさんが、横目で私たちに視線を送り続けていた。

 

 

   ***

 

 

 大会が昼休憩の間に私たちも昼食を済ませ、午後の部――本選に備える。

 本選はこれまでのような四組同時ではなく、一組の選手たちが戦う様をじっくりと観戦できる、闘技大会の目玉イベントだ。

 

 円形の戦場にはここまで勝ち上がった出場者が勢揃いし、本選の開始を今か今かと待ち構えている。やがて開催式同様に騎士団が整列し、役員らしき男性が現れ、そこで開始の宣言がされるのかと思ったのだが……

 

「ん?」

 

 今度は、それで終わらなかった。もう一人、新たな人物が一階の戦場に現れ、出場者たちに相対する。

 

「あれ?」

 

 端正な、けれど野心的な顔立ちに、赤茶けた長い髪。全身に赤銅色の鎧を着込み、腰には武骨な大剣を提げた若い男性……

 

「リュイスちゃん。あれって……」

 

 アレニエさんが件の男性を指差しながらこちらに顔を向ける。しかし私は男から目を離せなかった。そうしているうちに大会役員が聴衆を静め、声を張り上げる。

 

「第三代ハイラント帝国皇帝、シャルフ・フォラウス・ハイラント陛下である!!」

 

「「皇帝!?」」

 

 私とアレニエさんは思わず揃って驚愕の声を上げる。歓声にかき消され、周囲には聞こえなかったと思うが。

 

「ほー……あれが帝国の皇帝か。なかなか腕が立ちそうじゃねぇか」

 

「お前はそればかりだな」

 

 ジャイールさんの感想に、ヴィドさんが少し呆れたような言葉を返すのが聞こえた。が、今はそれどころじゃない。

 

「これより、陛下よりお言葉を(たまわ)る!! 傾聴(けいちょう)!!」

 

 役員の言葉に、観客がにわかに静まる。それを確認してから、長髪の男――この国の皇帝は、口を開いた。

 

「――諸君!! まずは我が国が誇るこの闘技場に足を運んでくれたこと、嬉しく思う!!」

 

 よく通る、自信に満ちた雄々しい声だった。歓声や(ざわ)めきを押し退けて、こちらまで言葉を届かせる。

 

「この場に集まった我が国の民、他国からの旅人たち!! 今宵、諸君らは、等しく歴史の目撃者となる!!」

 

 次いで彼は出場者の一人、アルムさんの正面に立ち、一言、二言、言葉を交わしたように見えた。そしてその後、(おもむろ)に腰の剣を引き抜く。

 

「!」

 

 アレニエさんが手すりを飛び越えて客席の階段を駆け下りようとする。が、皇帝の動きは思ったよりも迅速だった。

 

「――これが、我々の宣戦布告だ!!」

 

 叫びと共に、上段から振り下ろされた皇帝の大剣が、狙い(あやま)たずアルムさんに襲い掛かった――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間1 ある勇者は抵抗する

 その男は、観客まで届かせていた声を急に静めたかと思うと、こちらに歩み寄って――といってもほんの数歩だが――きた。

 

「お前が、新たな勇者か」

 

 ぼくの正面に立った男性――このハイラント帝国の皇帝と呼ばれた男は、こちらを品定めするように眺めた後に、そう呟いた。

 

「こんな小娘に世界の命運を預け、自らは自国に籠りきりとは、怠惰な本性は相変わらずのようだな、パルティールの豚共め」

 

「あ、あの……?」

 

 不躾な視線と敵意の籠った言葉に困惑し、思わず声を上げる。だけど皇帝の耳には届かなかったようだ。いや、というより最初から、こちらの言葉など聞く気がない……?

 

「いいだろう。ならば思い知らせてやろう。自らの犯してきた罪がどのような結果を招くのか、あの愚物共に知らしめてやろうではないか……!」

 

 言いながら彼は、目の前で腰に提げた大剣をゆっくりと引き抜いていく。

 状況に流されていたぼくは、その剣が頭上に掲げられたのを認識してから、ようやく自身に危険が迫っていることに気づき、背負っていた長剣を咄嗟(とっさ)に引き抜いた。

 

「――これが、我々の宣戦布告だ!!」

 

 叫びと共に振り下ろされるのは、鎧ごと断ち切ってしまいそうな剛の剣。当たればぼくなど容易く殺せてしまうだろう斬撃だったが……その軌道上に、自身の剣を置くことでわずかに道筋を逸らし、かろうじて受け流す。

 

 ――ギャリン!

 

「(……できた!)」

 

 師匠との鍛錬では三回に一回ぐらいしか成功しなかった技。それを、ここ一番で成果を発揮できたことに、心中で喝采を上げる。と同時に、遅れてやって来た恐怖が胸を(よぎ)っていく。

 

「(この人、本気でぼくを……!)」

 

 次に胸を占めたのは、疑問の声。なぜ、どうしてこんなことを――

 

「ほう? 俺の剣を防ぐとは、思っていたよりはやるようだな」

 

「何をするんですか! どうして、こんな……!」

 

 全く嬉しくない称賛の声に反発し、皇帝の顔を睨みながら声を上げる。その時初めて、彼がこちらと目線を合わせた気がする。けれど、その瞳は……

 他者を見下す傲岸不遜な輝き。そして、強い憎しみの色に染め上がっていて。

 それに気を取られている間に、皇帝の足がこちらの腹部を蹴りつけてくる。

 

「ぐっ!?」

 

 なんとか剣の腹で受け止めるも、その衝撃で大きく後退させられてしまう。

 

「アルム!」

 

 異常を察知したシエラが出場者の列をかき分けてぼくの元へ走り寄ってくる。彼女は槍を手にし、臨戦態勢で皇帝を睨みつける。が、皇帝はそれを歯牙にもかけず、吐き捨てるように言ってくる。

 

「どうして、などと問うのは、お前が現実を知ろうとしない無能な小娘だからだ。安全な自国に閉じ籠り、安穏と享楽に(ふけ)る、あのパルティールの連中と変わらん。だからのこのことこの場に(おび)き出されたのだろう、勇者殿」

 

「……」

 

 人生で、見知らぬ相手からここまでの敵意を向けられることなど初めてなため、怒るとかいう以前に戸惑ってしまう。彼の憎悪はぼくに、というより、パルティール王国に向けられているようだけど……

 

 そして、ここでようやく、周囲がざわざわと騒がしくなっていることに気がついた。間近で成り行きを目にしていた他の出場者たちはもちろん、遠間から見ていた観客たちも、何が起こったのか分からずに困惑している。それはそうだ。これから闘技大会本選が始まろうかという時、挨拶に現れたはずの皇帝が、突然凶行に走ったのだから。

 

「(……あれ?)」

 

 そこで、奇妙なことに気づいてしまう。皇帝の背後で、出場者と相対するように控える騎士団には、一切の乱れが見られないことに。彼らは動揺も、皇帝を止める様子もなく、ただ静かに事を静観している……

 

「(どうして……? こんなことが起こったら、誰か少しぐらい慌てたり止めたりするものじゃないの? いくら相手がこの国で一番偉い皇帝だからって、何もしないで冷静に見ているだけなんて……)」

 

 ふと、恐ろしい想像に辿り着く。彼らは、始めから知っていたとしたら? この皇帝の暴挙を。――ぼくを、殺そうとすることを。

 

 そもそも、ぼくらが闘技大会にやって来たのは、このハイラント帝国から招待状が届いたからではなかったか? そして国からの招待ということは、おそらくそこに皇帝の意向も絡んでいるはずで……つまり――

 

「……まさか……最初から、ぼくたちを狙って……?」

 

「フっ……満更無能というわけでもないようだな」

 

 それは、ぼくの推測を暗に肯定するものだった。瞳に少しだけ称賛の色を浮かべて、彼はこちらを見据えてくる。反対にぼくは、怒りの色を強めて疑問を吐き出す。

 

「なら、なおさら、どうしてですか! ぼくは、魔王を倒しに行かなきゃいけないんです! じゃないと、大勢の人が魔物に蹂躙されて、帰る家も家族も無くしてしまうかもしれないんですよ!? この国だって、どうなるか分からないのに――」

 

「ああ。まさしく問題はそれだ」

 

 ぼくの抗議に全く動じることなく、皇帝は口を開く。そして、その先の言葉は予想の外だった。

 

「――魔王を討伐されては困るんだよ、勇者殿」

 

「な……?」

 

 目眩を覚える。言葉の衝撃に二の句を次げない。目の前の男は今なんと言った?

 

「……何を……あなたは何を言ってるんですか……?」

 

「フン……喋りすぎたな。まあいい。……お前たち、捕らえろ」

 

 その皇帝の命に従って、背後に控えていた騎士たちの数名が槍を突き付けながら、ぼくとシエラを取り囲む。

 ぼくはこの場をなんとか切り抜けられないか、必死で考えようとしたが……

 

「言っておくが、変な気は起こさんことだ。お前の仲間たちはすでに捕らえてある」

 

「……!?」

 

 皇帝がなんらかの命令を伝えていたのか(あるいはたまたまタイミングが重なったのか)、その言葉が終わると共に、戦場の入り口から見知った二人が鉄製の手枷で捕縛された姿で連れてこられる。

 

「アニエス! エカル!」

 

「勇者さま……申し訳ありません」

 

「すまねぇ、アルム……しくじった」

 

 二人は帝国の兵士に連れられ、ぼくからはかなり離れた位置で立ち止まらされ、そこで、膝立ちの状態で身動きを封じられる。あれでは二人は抵抗できないし、ぼくらが周りを振り切って助けに行ってもどこかで止められてしまう。

 

「月並みな台詞だが、仲間の命が惜しいのなら、抵抗はしないほうが身のためだ。俺の剣を防いだ褒美に、今は取り押さえるだけで済ませてやろう」

 

「~~うぅっ……!」

 

 そう言われてしまっては……ぼくは、動くことができない。仲間を、友達を犠牲にしてまで目的を遂行する非情さを、ぼくは持っていない……

 

「……ごめん、シエラ」

 

 傍にいるもう一人の仲間に、ぼくは小さく呟いた。

 

「謝罪は不要ですよ、アルム。私も今は、そうするしかないと思います」

 

「うん……」

 

 頷き、二人共に武器を捨て、兵士が近づいてくるのを大人しく待つ。

 

「賢明だ」

 

 そう言って勝ち誇る皇帝を睨みつけながら、ぼくは素直に捕まるのを受け入れた。アニエスやエカルと同様、鉄製の手枷を填められた状態で、先導する兵士についていく。

 

 手枷は左右の手をそれぞれ別に拘束し、手枷同士を鎖で繋いだ形式の物だ。いざとなればその鎖を引きちぎることも視野に入れる(ぼくの腕力でならそれも不可能ではないように思えた)が、今は仲間の安全が最優先だ。

 

 兵士に連れられ、シエラと共に出入り口から戦場を出る。残念ながら、アニエスやエカルとは違う場所に連れていかれるようだ。一か所にまとめてくれたらその場で暴れて二人を助け出してみせたのに。

 

 そんなことを考えるぼくの背後から、観客に向けて発せられた皇帝の言葉が聞こえてくる。思わず足を止める。

 

「諸君!! まずは闘技大会を我らの勝手で中断させたこと、ここで詫びよう!! だが、これは必要なことだったのだ!!」

 

 観客はまだ混乱し、騒めいている。何が起こったのか理解している人自体少ないだろう。それは戦場に残る出場者たちも同じで、どうしたらいいのか分からず戸惑っているようだった。

 

「ハイラント帝国は、常に魔物の脅威に晒されてきた国だ!! この闘技場も、魔物に対抗する戦士を選別するために建設された!! しかし、そもそもこのような土地に我らが祖先を追いやったのは誰なのか!? そう、あの悪しきパルティール王国だ!! 奴らは自らは戦うことをせず自国に引き籠り、我らに魔物を()き止める盾の役割を押し付けている!! 払う代価は幾許(いくばく)かの資金と、気まぐれに送り込まれる勇者だけだ!! 許せるものではあるまい!!」

 

 観客の一部から、控えめに歓声が沸き始める。皇帝と同じように、パルティールに反感を持つ人たちだろうか。

 

「勇者こそは腐敗したパルティールの象徴!! 大した力も持たない小娘を送り込み、最低限の支援をした後は、安全な場所から悠々と高みの見物だ!! 奴らの傲慢さの表れと言えよう!! 我々はたった今、その勇者と守護者たちを捕縛した!!」

 

 困惑していた観客から、さらにどよめきが広がる。しかしそれを振り払うように、皇帝は声量を上げる。

 

「そして、これだけでは終わらない!! 我らはあの憎きパルティールに、我らの怒りを思い知らせてやらねばならない!! そう――!!」

 

 続く皇帝の言葉が、困惑を残したままの闘技場中に響いた。

 

「――我らはこれより、パルティール王国に宣戦を布告する!!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14節 多すぎる問題①

「――我らはこれより、パルティール王国に宣戦を布告する!!」

 

「「「はぁ!?」」」

 

 皇帝の宣言に、私とアレニエさん、それにジャイールさんは、思わず驚愕の声を漏らす。ヴィドさんは声こそ上げなかったものの、しっかり驚いてはいるようだった。フードの奥の目が見開かれている。

 

「おい、おいおいおい……何言ってやがんだあの皇帝? 勇者の嬢ちゃんを捕まえたと思ったら、今度はパルティールに戦争仕掛けるだぁ? 魔王はどうする気だよ? 神剣じゃねぇと倒せねぇんだろ?」

 

 ジャイールさんの疑問に、胸中で頷く。

 

 魔王は不滅の存在であり、通常の手段ではわずかに傷をつけることしかできない。

 唯一その命に届くのが、勇者の持つ〈神剣・パルヴニール〉なのだが、それも一時の死でしかなく、おおよそ百年の眠りを経た後に魔物の王は甦る。何度でも。

 

 そして魔王が目覚めるのと時を同じくして魔物の行動が活発化し、その数も増殖すると言われている。放置すれば、増え続ける魔物にいずれ世界中が呑み込まれてしまう、と。

 

 勇者が魔王を討伐する必要があるのは、そのためだ。魔王を討つことで魔物の数も行動も減少すれば、勇者以外の人員でも対処できるようになる。

 

 これは子供でも知っているおとぎ話であり、現実に知られている世界の仕組みだ。

 その勇者を、皇帝は捕縛した。勇者と魔王の仕組みを理解していないわけではないだろうに。

 

「それにパルティールを攻めるって、ここからどれだけ離れてると思ってんだ? 軍を移動させるだけでも手間だし、途中にはルーナ王国もあんだぞ? そことも戦争する気かよ?」

 

「――しっ。あの人また何か言うみたいだよ」

 

 アレニエさんの制止の声に促され、再び戦場に目を向けてみれば、皇帝が身振りで聴衆を静まらせ、その口を開くところだった。

 

「唐突に戦を仕掛けると言われたところで、勝算があるのか不安に思う者も多いだろう!! だが問題はない!! 奴らは自国が攻められることを想定しておらず、戦の経験もわずかばかりしかない!! この戦でも、その対応は間違いなく後手に回る!! 対して我らは、魔物との争いで常に己を鍛え上げている!! その帝国が誇る騎士団五百騎と、百人の神官、百人の魔術師、そして精強なる帝国兵士四千三百人、合わせて五千の軍勢を、既にデーゲンシュタットの街の外に展開済みだ!!」

 

 街の外に展開済み……!? いつの間に? ……もしかして、私たちが闘技場の予選を観戦している間に……?

 

「同時に、この闘技場と街の出入り口は封鎖させてもらった!! 我らが同胞、帝国の民には不便をかけぬが、その他の旅人たちにはこの場で人質になってもらう!!」

 

 ざわり、と、(ざわ)めきが広がる。帝国民以外は、この闘技場から出られないということ……? 寝食もここで過ごせ、と……?

 

「この場に集った出場者たちに関しても同様、基本的には無力化し、拘束させてもらう!! しかし、我らの理念を理解し、共にパルティールを攻めるという者がいるならば、積極的に登用するつもりだ!!」

 

 アルムさんたちを捕らえた騎士に、待機していた残りの騎士も加わり、本選の出場を待っていた戦士たちに意思確認を行ってゆく。多勢に無勢と分かっているからか、面倒を嫌ってか、あるいは未だに状況を把握できず呆然としているからか、とりあえずこの場で抵抗する者は現れなかった。

 

「そして、それだけでは終わらない!! 我らにはさらなる秘策がある!! それをもってすれば、必ずや勝利は我ら帝国のものとなるであろう!! ――帝国に勝利あれ!!」

 

「「「……うぉぉぉぉー!」」」

「「「帝国に勝利あれ!」」」

「「「帝国に勝利あれ!」」」

 

 熱狂が、闘技場に広がってゆく。

 始めは戸惑っていた観客たちの、およそ半数以上は、皇帝の言葉に触発され、口々に自国を称える言葉を響かせる。

 

 しかし残りの半数近く、おそらく私たちと同じような他国からの観光者たちは、不安な様子を隠せず、さりとてどうすればいいかも分からず、その身を固くし、茫然としていた。

 

「……やられたな」

 

 ヴィドさんがぽつりと呟く。

 

「あの皇帝はおそらく、闘技大会で人が集まる時を狙っていたのだろう。腕の立つ人員がここに集まるということは、その人員がいた国は逆に戦力が低下するということだ。名のある戦士をここに留め置くために、このタイミングで事を起こした……そこに勇者一行もいたというのは、偶然にしてはできすぎている気もするが」

 

 あ、そうか……ヴィドさんは、アルムさんたちが帝国から招待状を貰っていたことは知らないんだ。と言っても、私たちも知ったのはつい先日、偶然だったのだけれど。

 

「……こないだ会った時、招待状を貰ったって言ってたよ」

 

 アレニエさんが何やら考え込みながら漏らした呟きに、ヴィドさんが反応する。

 

「この闘技場に、わざわざ招待した? それは……もしや始めから、勇者を捕らえる目的で誘き寄せた、と?」

 

「……下手すると、そうなんじゃないかな」

 

「勇者を捕らえてどうなる? あの皇帝がパルティールに関わる者を嫌っているのは理解させられたが、国同士が(いさか)い合っていたとしても、勇者の行動には干渉しないのが、この世界の常識ではないのか? でなければ、いつどこの国が魔物に滅ぼされるとも知れんのだぞ」

 

「そうなんだよね……どういうつもりなんだろうね」

 

 アレニエさんが珍しく眉間にしわを寄せて考え込む。そこにジャイールさんが口を挟む。

 

「難しいことなんざ考えてねえんじゃねぇか? パルティールをぶっ潰せればそれで満足とかよ」

 

「為政者がそんなことでは困るのだがな。パルティールを攻めている間に魔物の襲撃にあった場合どうするというんだ」

 

「その辺に残ってる騎士連中がなんとかするんじゃねぇのか?」

 

「そいつらはおそらく、大会出場者の捕縛と監視にかかりきりだろう。帝国の保有戦力がどのくらいかは知らないが、五千もの軍勢を遠征させるとなれば、そこまでの余力があるとは――」

 

 二人はそのまま口論を続けるが、アレニエさんは難しい顔をして黙り込んだままだった。少し心配になり、様子を窺っていたのだが……

 

 彼女は突然顔を上げると私の手を取り、少し強引に引っ張る。

 

「行こう、リュイスちゃん」

 

「え、ア、アレニエさん?」

 

 彼女に連れられて観客席を抜け出し、一般通路の柱の陰に身を隠す。幸いなことに帝国の兵士は付近にいない。まだここまで手が回っていないのだろうか。

 

 アレニエさんは私を壁に押し付け、両手をついて身動きを封じる、こんな状況だというのに、密着して少しドキリとしてしまう。彼女はそのまま真剣な表情で、囁くように口を開いた。

 

「すぐにここを出よう」

 

「ここを、出る? で、でも、闘技場も街も、出入り口を封鎖されてるんですよね?」

 

「そんなの、わたしとリュイスちゃんならなんとでもなるよ」

 

 強引に突破するってこと? 確かに、私はともかくアレニエさんなら、騎士や兵士の一人や二人、難なく対処できるだろうけれど。

 

「それに、勇者さまは……アルムさんたちは、どうされるんですか? このままでは、どんな目に遭うかも分かりませんよ? もしかしたら、処刑されてしまうかも……」

 

 実際先刻、皇帝は殺意を持ってアルムさんに斬り付けていた。今は捕縛で済んでいるが、この後で殺されないという保証は……

 

「まさか長髪男がこの国の皇帝なんて思わなかったから、わたしもさっきは気が動転して飛び出しそうになっちゃったけど……思い出したんだ。こないだその『目』に見えた光景では、アルムちゃんがここで死ぬ流れは回避されてたんだよね?」

 

「……あっ」

 

 そう言われてようやく、私も思い出した。

 

 先日の勇者一行との合同稽古の後、改めて開かれた〈流視〉に映されたのは、この闘技場で長髪の男――皇帝と戦ったアルムさんが捕縛され、その後……

 

「アルムさんたちはここで捕縛された後、夜になってから街の外に移送されて、そこで、顔を隠した誰かに引き渡されて……殺されてしまう……」

 

 私の言葉に、アレニエさんは壁についていた手をどけて、満足げに頷く。

 

 そう。この街に来て最初の日に見えた流れでは、アルムさんは先ほどの皇帝の凶行の際、斬撃を防ぐことができずに死んでいる。

 しかし合同稽古を経て、アレニエさんが教えた防御の技が、皇帝の剣からアルムさんを救い、その先に新たな流れを生み出した。

 つまり、〈流視〉に見えたものが正しければ(といって、正しくなかったことなど無いのだが)、少なくとも夜までは、アルムさんたちが殺されることはないという保証になる。

 

 私たちがこの闘技場に来たのは、そもそも捕縛されるのを事前に防げれば、という思いからだったのだけど……相手がこの国の皇帝だったという驚きから、そのまま状況に流されてしまった。けれど、まだ間に合う。

 

「そこからは、これまでと同じだね。流れを()き止めている元凶を、わたしたちが先に見つけ出して叩く」

 

 それが叶うなら、再び新たな流れを、アルムさんたちが生き延びられる未来を、生み出すことができる。

 

「でも……戦争は、どうするんですか? このままでは、パルティールが攻め込まれてしまうんですよね?」

 

「極端なことを言えば、わたしたちの依頼と今回の戦争とは、直接関係はない」

 

「え……」

 

 関係がない、って、そんな……

 

「パルティールが、標的にされてるんですよ? アレニエさんにとっても、第二の故郷なんでしょう? あそこには、オルフランさん――アレニエさんの、お義父さんだっているのに……」

 

「そりゃ、ちょっとは心配もあるけどね」

 

 少し困ったような表情で、アレニエさんが笑顔を浮かべる。

 

「けど、帝国軍がパルティールに向かうには、まずルーナ王国を攻めきゃいけない。さすがにそれを無傷で通るなんてできないはずだし、帝国はそのうえでパルティールの軍ともやり合うことになる。秘策がどうとか言ってた気もするけど、今回の戦争は最初から無謀だし、破綻してるんだよ。それに……」

 

「それに?」

 

「パルティールは、そんなにやわじゃない。国自慢の聖騎士だっているし、リュイスちゃんの師匠のあの人もいる。いざとなったら、うちのとーさんもね。だから、きっと大丈夫だよ」

 

「……」

 

 確かに、そうかもしれない。心配が先に立ってしまったけれど、冷静に考えれば上手くいく要素のほうが少ない気がする。

 けれど、なんだろう、この不安感は。胸の内にずっと嫌な予感が(くすぶ)って、消えてくれない。次第にそれは、体を伝って目のあたりにまで登ってきて――

 

 コォォォォ――……

 

「え……」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15節 多すぎる問題②

「っ!? リュイスちゃん……!?」

 

 何が起こったのか気付き、周囲に見えないように(といっても誰もいないはずだが)アレニエさんが咄嗟(とっさ)に私に覆いかぶさる

 

 右目に魔力が集まり、瞳を勝手に開いてゆく。水のような、炎のような、揺らめく青い光が瞳に宿り、視界を淡く染める。

〈流視〉がまたひとりでに開いたのだ。右目にはここではないどこかの映像が濁流(だくりゅう)のように流れ込んでくる。

 

 今度は、アルムさんの視点ではない。遥か上空から、大地を見下ろすようなかたち。空を飛ぶ鳥の目で地上を見下ろせば、こんな景色になるだろうか。

 視点の先には広大な平地と、大きな森林――ここから近い場所だと、ノルト大森林だろうか?――。そして、平地に整然と並んだ大勢の人々。彼らの多くは全身に黒や白の甲冑を着込み、手に手に武器を持っている。

 

 軍隊……? ……もしや、街の外に展開されているという帝国軍?

 (とき)の声を上げ進軍した彼らは、前方に布陣された別の軍隊――おそらく、ルーナ王国の軍だ――と衝突し、互いの陣形が崩れるほどの乱戦になってゆく。そこへ――

 

「(え……!?)」

 

 突如森林から現れた別の軍が、ルーナ王国軍の側面を突き、打ち破っていく。

 いや、軍隊というほど統制は取れていない。それは、大小様々な背丈の人型の生き物と、人以外の生き物とが混ざり合った集団……

 

「(魔物の、大群……!?)」

 

 ルーナの軍も森林からの伏兵に警戒していたようなのだけど、まさか魔物が大挙して押し寄せるとは思わなかったのだろう、虚を突かれ、撃破されてしまい、やがて、散り散りになって逃げ惑う。

 そして信じられないことに、帝国軍と魔物の大群は争い合うことなく合流し、一つの大きな流れとなってそのまま南下してゆく……

 

「(どういうこと……? 魔物が、帝国軍と連携して動いてる……!?)」

 

 疑問に思うも、答えは出ない。映し出される光景はそこで途切れ、私の意識は現実へ引き戻される。

 

「……」

 

「リュイスちゃん……大丈夫? ……今度は、何が見えたの?」

 

「アレニエさん……アレニエさん!」

 

 私は彼女の肩にすがりつき、慌てて今見えたものを説明しようとする。

 

「このままじゃ、まずいんです……! 魔物が……大量の魔物が、帝国軍と……!」

 

「ちょ、ちょっと待って、落ち着いて。魔物? 魔物が見えたの?」

 

「そうです! 魔物の大群が……!」

 

「魔物の大群が?」

 

「帝国軍と協力していて!」

 

「……はい?」

 

 さすがに予想外の返答だったのか、アレニエさんがぽかんとした表情を見せる。

 私は慌てながらもなんとか今見たものを伝えようと苦心する。(つたな)いその説明を、彼女は根気強く聞いてくれた。

 

「――……つまり、このままじゃ帝国と魔物の混成軍がルーナ王国を、どころか、その先のパルティールを襲うかもしれない……?」

 

 彼女の言葉に、私は無言でコクコクと頷く。

 

「それはさすがにまずいかも……あ、でも……」

 

 不意に何かを思い出したように、アレニエさんが虚空を見上げる。

 

「パルティールには女神――アスタリアの張った結界があるんだよね? 強い魔物は侵入できないって話だし、なんとかならないかな?」

 

 それは、以前戦った魔族の将軍、〈暴風〉のイフから聞いた情報だ。パルティール周辺――正確には、女神が眠ると言われるオーブ山を中心として――には結界が施されており、強い穢れを持つ魔物ほど近づけないのだと。しかし……

 

「いえ……思い出してください、アレニエさん。イフはこうも言っていました。「土地を穢しアスティマの領土とすることでアスタリアの力は弱まり、結界は縮小する」と」

 

「あ」

 

「戦争となれば、敵味方に多くの死傷者が――多数の死体が出てしまいます。特に魔物の死体は、多量の穢れを発生させる……それらが浄化されず、土地を穢してしまえば……」

 

「結界は弱まって、強い魔物も魔族も入り放題になる。……魔物側の狙いは、それか。確かに、まずいね」

 

 さすがに神妙な表情を見せるアレニエさんに対して、私は必死に主張する。

 

「とにかく、このまま魔物を放っておくことはできませんし、戦争も止める必要があります。どうにかしてその手段を探して――」

 

「待ってよ。それも大変だとは思うけど、こっちだって余裕はないよ。夜までに場所と相手を確認して処理しないと、アルムちゃんが死んじゃう。それにそもそも、わたしたち二人だけで戦争を止めるのは、現実的じゃないよ」

 

「あ、うぅ……でも、なんとか……なんとか、しないと……」

 

 八方塞がりな状況に、頭を抱える。私たちの身体は一つしかなく、伸ばせる腕にも限りがある。のみならず、伸ばしたとしても確実に助けられるとは限らない。

 と――

 

「――どういうことだ?」

 

 観客席への通用口から現れたヴィドさんが、こちらに歩み寄ってきた。傍らにはジャイールさんも一緒だ。私たちが戻らないので様子を見に来たのだろう。……今の話を聞かれてしまっただろうか?

 

「勇者や今回の戦争に関してはまだ分かるが、魔物だと? いったいなんの話をしている?」

 

「え、と……その……」

 

 どうやら、断片的にではあるがこちらの会話を耳にしていたらしい。問い詰めるヴィドさんに、私はどう言ったものかとおろおろする。

 

「――魔物の大群が、このデーゲンシュタットの街に接近してるらしくてね」

 

 !? アレニエさん!?

 

「魔物の大群だと? そんな情報を、この閉鎖された闘技場で、どこから入手した?」

 

「さっき見回りに来た兵士が話してたのを耳にして」

 

 彼女は笑顔で平然と嘘をつく。ヴィドさんはその真偽を見極めるためか、じっと睨みつけるが……アレニエさんは微塵(みじん)も表情を崩さない。

 

「……フっ、分かった。ひとまずそれについてはいいだろう。だが、夜までに処理せねば勇者のお嬢さんが死ぬ、というのは? 何か明確な根拠でも?」

 

「そっちは、ちょっとあてがあってね。アルムちゃんを誰かに引き渡す手筈になってるらしいんだけど、そのタイムリミットが今日の夜」

 

「ふむ……つまり君たちは、以前と同じく、勇者を救うために奔走(ほんそう)している、と?」

 

「まぁ、そういうこと。例の如く、詳細は語れないけどね」

 

「機密か。まぁ、そういう依頼も多いからな」

 

 あ、意外と納得してくれそう?

 

「それで、勇者一行を助けたいし戦争も止めたいし魔物もどうにかしたいが、手が足りなくて困っていたというところか、先程のリュイス嬢は」

 

 改めて指摘されるとちょっと恥ずかしい……

 

「ならばどうだろう、アレニエ嬢。我々を再び雇ってみる気はないか?」

 

「あなたたちを?」

 

「おい、俺もかよ?」

 

 自然に数に入れられていたジャイールさんが抗議するが、ヴィドさんは相手にせず話を続ける。

 

「手が足りないのだろう? 今この街で、君らの事情を呑み込んだうえで協力してくれる相手というのは、得難いと思うが?」

 

「……そうだね。それはこっちから頼みたいくらい。お願いできるかな。あ、リュイスちゃんも、いいよね。手が足りないのは本当だし」

 

「え、あ、はい」

 

「それで、あなたは?」

 

 全員の視線が、ジャイールさんに注がれる。彼は数瞬たじろぐが、やがて息をつき、私たちに目を向ける。

 

「……ま、どのみちこんな場所にいつまでも閉じ込められる気はなかったからな。脱出するついでに、お前らを手伝うのも悪かねぇか」

 

 その言葉を受けて、ヴィドさんが口火を切る。

 

「ならば速やかにここを抜け出さなくてはな。まずは本当に魔物が迫っているかを、街に出て確認したい。もしそうならば戦争どころではないだろうし、どう対処するつもりなのかも聞けるかもしれん」

 

「それなら、わたしたちが泊まってた冒険者の宿に行ってみる? 軍の兵士より話を聞きやすいし、一般には流れない情報も入ってるかもしれないよ?」

 

 その言葉に全員が頷き、目的を一つにする。

 目指すは冒険者の宿、〈盾の守り人亭〉。そこへ向かうため、私たちはこの闘技場を後にするのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16節 伝令は三度戸を叩く

 首尾よく闘技場を脱出した私たちは、目的の冒険者の宿へ急ぐため、デーゲンシュタットの街中を駆けていた。その最中、走りながら街の様子に目を向けていたらしいアレニエさんが、ぽつりと呟く。

 

「なんだか、浮ついてるね」

 

 その言葉に、私も周囲に目を配ってみる。

 街はもとより闘技場に合わせて祭りのような状態だった。浮ついた雰囲気は最初からあったとも言えるが、それを差し引いても住民たちの熱気は異様だった。口々に祖国を称える彼らからは、最後には決まってこの文句が口に上る。「帝国に勝利あれ!」。

 

 一方で街の中には、戸惑い、気落ちし、あるいは怒り、中には住民と喧嘩を起こしている人などもいた。その多くは私たちと同じく、他国から来た旅行者だろう。もしかしたら戦争に反対する帝国民もいるかもしれない。

 

「皇帝が発した宣戦布告が、既に民衆に広まっているのかもしれんな」

 

「人質は他国の人間だけって言ってたし、闘技場を出た帝国民がもう噂を流してるのかもね」

 

「闘技場だけではなく、街の出入り口も封鎖していると言っていたな。そちらでは暴動が起きているかもしれんぞ」

 

 そんな話をしている間に、私たちが泊まっている冒険者の宿、〈盾の守り人亭〉が見えてくる。

 

「あの店だよ」

 

 アレニエさんが先導し、宿に真っ直ぐ向かっていく。そしてもう少しで辿り着こうかというところで――

 

「すまねぇ、どいてくれ!」

 

「わっ、と」

 

 軽装の鎧を纏った若い冒険者が横から飛び出し、アレニエさんに先んじて〈盾の守り人亭〉に入っていった。少しの間様子を見ると、先ほどの冒険者はすぐに宿を出て、またどこかに全速力で駆けていく。

 

「なんだぁ、ありゃ?」

 

 急に止まったアレニエさんにぶつかりそうになったからか、ジャイールさんが少し不機嫌そうに呟く。

 

「もしかして……」

 

 アレニエさんもぽつりと呟くと、すぐに宿の中に入っていく。私たちもそれに続き、店内に足を踏み入れると……

 

「おぉ、お客人! いいところに帰ってきた! 急ぎの依頼があるんだが受ける気はないか!?」

 

 宿の主人がかなり慌てた様子で、突然依頼を勧めてきた。アレニエさんが(なだ)めるように彼に話しかける。

 

「ちょっと待って、落ち着いて。依頼って、なんの依頼?」

 

「ん、おお、そうだな……すまん。……今さっき、物見に立ってた冒険者から報告が上がってな。北のほうから、魔物の大群が迫っていると」

 

「魔物?」

 

「ああ。その数、目視でおよそ一千体以上」

 

「一千……」

 

 さも知らない情報であるかのように自然に演技するアレニエさんの後ろでは、ヴィドさんとジャイールさんが「ほう……」「マジかよ」などと声を漏らしていた。本当に魔物が現れたことで、私たちを信じる気になってくれたのかもしれない。

 

「こんな規模の大群に遭遇したことは、わしの記憶にある限り一度もない。だというのに国は、守備隊に迎撃させず、街の南に軍を展開させたまま、動く様子がないという。それどころかこの状況で、皇帝がパルティールに宣戦布告したなんて噂も流れてきた。いったい何がどうなってるんだ?」

 

 店主は軽く頭を振り、なんとか自分を落ち着かせようとする。

 

「……すまない。お前さんたちに愚痴っても仕方なかったな。とにかく、わしらはわしらでできることをせにゃならん。軍が動かないのなら、冒険者を(つの)って街を護るしかない。先祖代々受け継いできたこの街を奪われるわけにはいかんからな。……それで、どうだね。要は魔物の討伐依頼なんだが、受けちゃくれんか」

 

「ごめん。実はわたしたちも急ぎでやらなきゃいけない依頼があってね。これ以上引き受けるのは難しいんだ」

 

「別の依頼……そうか。いやしかし、街は今、軍によって封鎖されてると聞いたぞ? そんな状況になってまでやる必要のある依頼なのか?」

 

「うん。とっても大事な、やらなきゃいけない依頼なんだ。だから――」

 

 と、そこへ――

 

「――報告! 報告だ!」

 

 店の扉を勢いよく開き、新たな人物が息を切らせて店内に入ってくる。先ほど報告に訪れたのとは別の冒険者だ。彼はしばし呼吸を整えると、店主に向かって声を上げる。

 

「接近していた魔物の大群はこの街を襲わず素通りし、そのまま南下する模様!」

 

「はぁ? 素通り?」

 

 と、これはジャイールさんの声。

 

「だがしばらく警戒は続けられたし! 報告は以上! 俺は別の店にもこの情報を伝えに行く! それでは!」

 

 来た時と同じくらいの忙しさで、報告に来た冒険者は去っていった。

 後に残された私たちは、しばらく全員で唖然(あぜん)としていたが、やがてアレニエさんが沈黙を破って声を上げる。

 

「依頼は、必要なくなったみたいだね」

 

「どうやら、そのようだ……騒がせてすまなかったな、お客人。しかし、どうなっているんだ……?」

 

 そう語る店主は狐につままれたような表情で、冒険者が慌てて閉めていった扉に視線を注いでいた。他の生物を襲うよう本能に刻まれていると言われる魔物が、目の前の餌に食いつかなかったことが信じられないのだろう。実際これまで、この街が襲われ、そして撃退することによって、他の街や村が無事で済んでいたのだから。

 

「だが、放置しておいていいのか? この街を襲わなかったというだけで、魔物自体が煙のように消えたわけではあるまい。南下した先で別の場所が襲われるだけではないのか?」

 

 ヴィドさんの疑問に、店主が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 

「ううむ……確かに、そのおそれはある。しかし街の南に向かったというならば、さすがに展開していた帝国の軍が対処するだろう。この状況を放って他国に攻め入るほど、皇帝の目も曇っては――」

 

「――報告! 報告に来た!」

 

 三度、店の入り口から報告者が現れる。これまでとはまた別人、三人目の冒険者だ。おそらく交代で物見台に立っているのだろう。

 

「魔物の動向についての続報だ! デーゲンシュタットを素通りし、南に向かった魔物の大群は、そこに展開されていた帝国軍と接触! だが――」

 

「……だが?」

 

「――軍は魔物と交戦することなく南に進軍を開始! それに同調するように魔物も再び移動を始めた!」

 

「はぁぁぁ?」

 

「なんだと……?」

 

 ジャイールさんとヴィドさんがそれぞれ驚きに声を上げる。けれど私とアレニエさんは冷静に事態を受け止めていた。まさしくそれは、先刻〈流視〉に見えていた流れだからだ。

 

「信じ難いが、オレには帝国軍と魔物が協調して動いているように見えた……もし、このままルーナに攻め込むようなことがあれば……」

 

 三人目の報告者は、そこから先は口にしなかった。けれど全員が理解したはずだ。魔王が蘇り、全ての国が協力して魔物に対処しなければならないこの情勢で、突如帝国と魔物の混成軍に攻め込まれるルーナ王国がどうなるか、想像に難くない。

 

「……すまない、取り乱した。ひとまず、オレはこの事実を他店にも警告に行かなきゃいけない。また何か情報が入れば報せるよ」

 

 そう言って彼は、他二人の報告者と同じく、慌てて店を出て行った。

 

「……」

 

 二人目の報告者が去っていった時を再現したように、しばらく場を沈黙が支配していたが……その沈黙を破ったのもまた先刻同様、アレニエさんだった。

 

「とりあえず、店からの依頼はなくなったんだよね? わたしたちはさっき言ったようにやることがあるから、もう行くね。ほら行こ、リュイスちゃん。あなたたちも」

 

「あ、ああ……」

 

 私たちはアレニエさんに追い立てられるようにして、店を後にする。あとに残されたのは呆然とした様子の店主一人。

 

「……本当に、どうなってるんだ?」

 

 扉を閉める間際に聞こえた彼の呟きが、なぜか耳に残っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17節 街を護る依頼

「――本当に、どうなっている?」

 

〈盾の()り人亭〉を退店した私たちは、宿の裏手の人気のない路地裏に場所を移し、何が起きているのかを話し合っていた。そこで開口一番、ヴィドさんが疑問を呈する。

 

「帝国軍と魔物が協調して動いていただと? 本能で無作為に人を襲うはずの魔物がか? なんのためにそんな行動を取る? 指揮する者が存在するのか?」

 

 (あご)に手を当て、(うつむ)いて考え込む仕種を見せていた彼は、次に私とアレニエさんに視線を向ける。

 

「アレニエ嬢、リュイス嬢。君たちは、我々に比べて幾分冷静だったな。まさかこの事実を事前に知っていたのか?」

 

「さすがにそんなとこまでは知らないよ。魔物が大群で来るって聞いて言葉が出なかっただけ。これでも結構驚いてるんだよ」

 

 いつもの笑顔の仮面を被り、アレニエさんは嘘をつき続ける。私の『目』を秘匿(ひとく)するために彼女にそうさせているのだ。申し訳なく思う。

 

「……ふむ。まあいい。今重要なのは現状の把握と、今後どうするべきか、だ」

 

 アレニエさんの言に納得したかは分からないが、彼はそれ以上追及してこなかった。

 

「整理しよう。今ある問題は主に三つ。皇帝が発したパルティールへの宣戦布告。 帝国軍と行動を共にする魔物の大群。そして捕縛された勇者一行だ。ああ、その勇者の引き渡しを要求する何者かも存在するんだったな、アレニエ嬢」

 

「うん。場所と相手を突き止めてなんとかしないと、アルムちゃんたちが殺されるかもしれないからね」

 

「あてがあると言っていたな。そちらは君たちに任せよう。その何者かを始末すれば、(おの)ずと勇者を救うことにも繋がる……いや、帝国側が処刑する可能性もあるか? やはり勇者一行も事前に救出するべきかもしれんな……」

 

「そうだね。そのほうがいいと思う。そっちは、あなたたちにお願いしていいかな」

 

「それは構わないが、いいのか? 勇者の窮地を救うという大役を奪って。あるいは、歴史に名を残せる偉業かもしれんぞ」

 

「そういうのは興味ないからいいよ。わたしもリュイスちゃんも目立つの好きじゃないし。陰から助けるくらいでちょうどいいんだ」

 

「フっ……相変わらず欲のないことだ」

 

 呆れたように、あるいは逆に感心したように、ヴィドさんが声を漏らす。

 

「それでは次の問題だ。ルーナ、及びパルティールに侵攻する、帝国と魔物の混成軍。思えばこれが、皇帝の言う秘策とやらだったわけだ。パルティールも攻められるとなれば、我々にとっても他人事ではいられない。なんとしても止める必要がある。そのためにするべきことは――」

 

「どうにかして布告を撤回させる」

 

 アレニエさんの返答に、ヴィドさんが一つ頷く。

 

「同時に、魔物の対処もしなければならない。布告の撤回で帝国軍が止められたとしても、その後、魔物がどう動くかまでは読めないからな。とはいえ、我々だけでどうするべきか……」

 

「魔物に関しては、多分いるだろう指揮官を倒しちゃえば、組織的には動けなくなるんじゃないかな」

 

「そうだな。おそらく指揮する者は存在する。でなければこの街を襲わず、さらには帝国軍と足並みを揃える、などという真似は、本能で暴れるだけの魔物たちには到底できん芸当だろうからな。……ん? いや、待て。つまり、そういうことか?」

 

「どうかした?」

 

 アレニエさんの問いに、彼は少し躊躇うように口を開く。

 

「……確証などない、ただの憶測に過ぎんが……帝国は、魔物側と密約を取り交わしたのではないか?」

 

「密約……取引ってこと? 魔物と?」

 

「そうだ。つまり必然、人語を介し、魔物に命令できる立場の魔族が関わっていることになる。それがどの程度の相手かは不明だが、魔物を指揮しているのはそいつか、それに近しい者と推測できる。皇帝と取引したのもおそらくは……」

 

「魔族と取引……ん? じゃあ、もしかして、アルムちゃんを引き渡すように要求してる相手って……」

 

「考えてみれば、勇者の命を欲する最たるものは、魔物の側だ。自らの王を殺す可能性のある存在だからな。もっと早く気付くべきだったかもしれん」

 

「勇者を引き渡す見返りに、魔物の大群を借りて、パルティールに侵攻しようとしてる?」

 

「そう考えれば、一応の辻褄は合う。このタイミングで起こった一連の出来事が、全く関係のないただの偶然というのは考えづらい。まぁ、もしそうだった場合はお手上げなわけだが」

 

 彼は自身の発言に苦笑を漏らす。

 

「とにかく、魔物の大群を率いているだろう指揮官と、取引場所に現れる者――おそらくどちらも魔族だが――それらを討つのは必須条件だろう。統率を失った魔物を処理する問題は出てくるだろうが……」

 

「そこは、この国の冒険者になんとかしてもらうとか?」

 

「如何せん数が多いからな……それだけでは手に余る公算が高い。もう少し戦力が欲しいところだ。そうだな……闘技場に囚われている他国の冒険者の手も借りられるなら、対抗できるかもしれん」

 

「分かった。じゃあアルムちゃんたちを助けるついでに、闘技場のほうもなんとかしておいてね」

 

「無茶を言ってくれる。……まぁ、やってはみるが」

 

 ヴィドさんは苦笑しつつも、否やとは言わなかった。

 

「さて、残った一つ、皇帝の宣戦布告に関してだが……」

 

「めんどくせぇなぁ……一発、皇帝をブチのめして言うこと聞かせりゃいいんじゃねえか?」

 

 ジャイールさんの台詞に、ヴィドさんが呆れたように言葉を返す。

 

「相変わらず物騒だな、お前は。仮にも一国の皇帝相手に、暴力で意見を通そうなどと……。……いや、案外悪くもない、か?」

 

 え?

 

「力で他者を(くだ)そうとする者は、自身が力で降された場合、応じることが多い。考えてもみれば、先に暴力で我を通そうとしているのは皇帝のほうだ。ならば、自身が同じように暴力に訴えられても文句は言えんだろう。つまり、クーデターだ」

 

 革命とまでは言わんが、と、ヴィドさんは不敵に笑う。

 

「現在、帝国の軍は戦力の大半を街の外に展開させている。残りは闘技場と街の封鎖に割かれているのがほとんどだろう。つまり今、皇帝の身を護る人員は、限りなく少ないと言える」

 

「そこを襲撃して力尽くで脅して、布告を撤回させる」

 

 アレニエさんの言葉に、ヴィドさんが頷く。

 

「素直に応じればよし。応じなければ投獄し、代わりの者を臨時の政権として立て、軍を止めるよう掛け合ってもらう。こんなところか。……我ながら、荒唐無稽な気もしているが……現状では、これくらいしか思いつかなくてな。あとは、皇帝の代わりに布告する人員を事前に見つけておきたいところだが……」

 

「ちょっと難しいかな……さすがに誰も、この国の偉い人に知り合いなんていないだろうし……」

 

 アレニエさんとヴィドさんがうーんと唸る。それを見ながら私はおずおずと手を上げた。

 

「あの、それでしたら……」

 

 三者の視線が、こちらに向けられる。思わず気後れしてしまうが、なんとか続きを口にする。

 

「確か、ここのご主人さんが――」

 

 言いながら、目の前の〈盾の守り人亭〉を手振りで示す。

 

「この街の噂を聞いた時に言っていましたよね、アレニエさん。軍備の拡張に反対した騎士や文官が、投獄された、と。もしかしたら、その人たちなら話を聞いてくれるし、布告の撤回にも協力してくれるんじゃないでしょうか――」

 

「「――それだ!」」

 

「わっ!?」

 

 アレニエさんとヴィドさんの賛同の勢いに驚き、思わず仰け反ってしまう。二人はそのまま若干興奮したように言葉を交わし、作戦をさらに煮詰めていく。

 

「軍拡に反対していた立場なら、リュイス嬢が言ったようにこちらの話にも耳を傾けるだろう。しかもそれが騎士なら、脱獄させれば即戦力になってくれるかもしれん。ああ、いやしかし、投獄された場所も突き止める必要があるし、そこまで手を回すにはやはり人手が足りんか?」

 

「それなら、それこそこの街の冒険者を頼ろうよ。戦争に賛成する人ばかりじゃないだろうし、店主のおじさんに聞けば手伝ってくれる人、紹介してもらえるんじゃないかな」

 

「先刻の反応を見るに、宿の店主も戦争に戸惑っているようだったな。確かに彼ならば話が通じるかもしれん。首尾よく人員が増えれば情報収集も広く行えるし、捕縛された者の解放も捗る」

 

「それどころか話の持っていき方次第では、ギルドから報酬貰えるかもしれないよ。このまま戦争になれば、帝国は魔物と共謀した裏切り者って汚名を着せられて、後世まで語り継がれることになる。そのあたりをくすぐれば……」

 

「素晴らしい。やはり悪知恵が働くな、アレニエ嬢」

 

「命懸けの仕事なら、その分の報酬は貰うべきでしょ。特に今回あなたたちの負担が大きいだろうし、見返りは多いほうがいいと思って」

 

「ますます素晴らしい。金はいくらあっても困らんからな。そして善行も積み上げて困ることはない。つまり――善は急げだ」

 

「うん、急ごう」

 

 そう言うと二人は、揃って宿の表側へと駆け出していく。

 

「やっと方針決まったか。そうなりゃ、あとは暴れるだけだな」

 

 物騒なことを呟きながらジャイールさんも足を踏み出し、二人に追随する。それを追いかけて、私も慌てて後に続いた。

 

「おじさん!」

 

 アレニエさんが〈盾の守り人亭〉の扉を開くと同時に、店主に向かって声を上げる。

 

「なんだ、お前さんたち。また来たのか――」

 

「街を護る依頼を出す気はない!?」

 

「……はぁ?」

 

 

   ***

 

 

「……なるほど。事情は分かった」

 

 ここまでの経緯を聞かされて動揺するかと思われた宿の店主だが、彼は存外落ち着いた態度で口を開いた。

 

「さっきの物見からの報告もある。皇帝が魔物と密約を交わしているのは、まず間違いないだろう。確かにこのままじゃ、帝国は世界の裏切り者になっちまう。ああ、くそ。やってくれたな、あの皇帝……!」

 

 やっぱりちょっと動揺はしてるみたいだ。店主は怒りを吐き出すように毒づく。

 

「……取り乱してすまない。とにかく、この戦争はなんとしても事前に食い止める必要がある。わしにできることなら、協力させてもらうよ。ちゃんと依頼として報酬も出そう」

 

「それはありがたい。ただで人助けをするほど、善良ではないのでな」

 

 ヴィドさんの台詞に苦笑しつつ、店主が今度はアレニエさんに目を向ける。

 

「しかし、お前さんはここでこうしてていいのかい? 他に依頼があったんだろう?」

 

「どうもこの件、こっちが受けた依頼とも絡んでるみたいだからね。少しぐらいは協力するつもり」

 

「そうか。まぁ、なんにせよありがたい」

 

 店主は一度カウンターの奥に引っ込むと、次には何か丸めた筒状の紙を手にして戻ってくる。彼はそれを、こちらに見えるようにカウンターの上に広げる。

 

「こいつはこの街の地図だ。まずはここを見てくれ」

 

 地図上で特に目立つのは、やはり皇城と闘技場だ。店主が指し示したのはその闘技場のすぐそばにある、一つの建物だった。 

 

「闘技場の周辺にはいくつも施設があるが、その中の一つにこの収容所がある。主に軽犯罪者を拘束しておく施設なんだが、刑が確定する前の容疑者を一時的に収容する場所でもある。さっき拘束されたばかりなら、勇者一行はひとまずここに囚われていると見るべきだ」

 

「捕まったっていう騎士や文官も、そこ?」

 

「情報を精査する必要はあるが、おそらくそうだろう。つまりわしらは、まずこの収容所を制圧し、捕まった要人を解放させる。次に闘技場へ向かい、警備が手薄なうちに皇帝を襲撃し、布告を撤回させる。皇帝はまだ闘技場から動いていないんだろう?」

 

「ああ。そういった噂は聞いていない」

 

 ヴィドさんの返答に、店主が満足げに頷く。

 

「そして皇帝に、あるいは皇帝の代理人に布告を撤回させ、軍を止める。最後に、残った魔物の大群をなんとかせにゃならんわけだ。……改めて整理すると途方もない気がしてくるな」

 

 店主は天を仰ぎ、短く息をついた。 

 

「とにかく人手が必要だ。わしのほうでも信頼できる冒険者に掛け合ってみる。なにぶん急なことだから難しくはあるが、なんとか人数を集めてみせるさ。そうしたら……」

 

「我々と共に収容所、及び闘技場の襲撃に参加してもらう。そしてアレニエ嬢とリュイス嬢には……」

 

「予定通り、取引場所に向かうよ。皇帝と取引してた魔族が現れるなら、こっちも無視できないからね」

 

 アレニエさんの言葉に、皆が頷く。続けて発された彼女の言葉で、全員が動き出す。

 

「それじゃ、作戦開始だね」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間2 ある男と大男は救出する

ここからしばらく勇者近辺の幕間が続きます。


 街は闘技大会の祭りのような盛り上がりから、次第に戦争の勝利への熱狂に移り変わっているように見えた。皇帝の発した宣戦布告が人の噂と共に広がっているのだろう。住民の大半が祖国の勝利を望み、信じ、願って止まない。

 

「(実は魔物と手を組んでいる、などと知れたらどうなってしまうのだろうな)」

 

 ジャイールと共に熱狂に沸くデーゲンシュタットの大通りを駆けながら、オレは胸中でそんなことを思う。

 

 魔物はアスティマ――邪神が生み出したと言われる、人類の明確な敵だ。本能で他の生物を襲い、生きながらにして穢れを発し、死した後はさらなる穢れを周囲に撒き散らす、唾棄(だき)すべき存在。

 アスタリア教徒はこれを存在そのものが悪として、見つけ次第駆除するよう推奨(悪を駆除する=悪の世界を減少させる という善行になるらしい)しているほどだ。そんなものと手を組んだと知れば……

 

「(敬虔なアスタリア教徒なら耐えられんだろうな)」

 

 教義で禁止されているため自殺まではしないだろうが、自暴自棄にはなるだろう。まぁ、長く戦地であり続けたこの街では、世界を創造した女神より、勝利を司る戦神のほうが信仰されているそうだが。自殺はなくとも、武器を手に魔物に特攻するくらいはあるかもしれん。

 

「あそこだ!」

 

 この街の冒険者の先導で、件の収容所が目視できる位置まで辿り着いた。ここからは路地裏に入り、物陰から突入のタイミングを見定める必要がある。

 

 元はただの兵舎だったという収容所は、石造りで二階建ての簡素な建物だった。街として発展するにつれ兵舎としての務めは必要なくなった(城壁の傍に新造の兵舎があるらしい)が、軽犯罪者(特に祭りで浮かれた類)を収容しておくには有用だったため、こんな大通りの傍に残り続けているのだとか。

 

「表の見張りは二人か……やはり外に展開された軍や、出入り口と闘技場の封鎖に人員を割かれてるらしいな。祭りの混乱に乗じれば、不意を突いて倒せるだろう」

 

 先導していた冒険者の一人、戦士風の男が、こちらに聞こえるように呟く。

 

 こちらの戦力はオレとジャイールに加え、〈盾の守り人亭〉の店主から紹介された四人組の冒険者たち(内訳は、男剣士、女盗賊、女神官、男魔術師)。数が多すぎると目立つし身動きが取りづらいため、道案内と人手の確保に一パーティーだけ借りてきた。

 闘技場のほうには別の冒険者パーティーを待機させてある。こちらの解放が済み次第そちらに合流し、共に皇帝を襲撃する手筈だ。

 

「よし、行くか」

 

「おう」

 

 オレはジャイールに声を掛け、物陰から無造作に足を踏み出す。ジャイールも同様に歩き出し、同時に収容所に近づいていく。

 

「ちょ、おい、あんたら――」

 

 背後から戦士の戸惑いの声が聞こえてきたが、とりあえず無視だ。今は時間が惜しい。

 大通りを進む人の流れに紛れて歩を進め、収容所の前まで近づく。見張りの兵士がこちらに目を向け――る前に駆け出し、懐から短剣を取り出したオレは、短剣の柄で兵士の顔を殴りつける。

 

「ぐぁっ!?」

 

 吹き飛び、仰向けに倒れる兵士。上手く今ので意識を奪えたらしい。起き上がることなく地面に寝そべる。そしてもう一人の見張りは……

 

「がっ……」

 

 ジャイールの大剣の腹で頭部を叩かれ、やはり地面に倒れ伏していた。

 

 通行人の一部が少しざわついたが、やがて街の喧騒にかき消されていく。凶行を止めるべき兵士は目の前でのびており、他に(とが)め立てする者もいない。

 わずかに遅れて、冒険者の四人組がこちらにやってくる。

 

「……ずいぶん、手馴れてるんだな」

 

「そんなことはないさ」

 

 まさか普段からこうやって生きているなどと言えるわけもなく、適当に返事をして誤魔化す。

 

「それより、今のうちに中に入るぞ。速やかに目的の人物を見つけねばならん」

 

「ああ、そうだな」

 

 騒ぎが広がればさすがに警備の兵士や騎士がこちらに派遣されるかもしれない。その前に目標を確保すべく、我々は収容所内に侵入した。

 

 

   ***

 

 

 ギ、ィィィィ……

 

 (きし)んだ音を立てて、鉄格子の扉が開く。

 

「ここにいたか、勇者のお嬢さん」

 

「あなたは……」

 

 室内で膝を抱えて座っていた少女――名は確か、アルメリナ・アスターシアと言ったか――が、驚きに目を見開く。

 

 鎧は纏ったままだが、室内に武器は見当たらない。没収されたのだろう。手錠は既に外されていた。

 

 彼女とはわずかに面識があるのだが、関係性はそれだけだ。助けに来る人物としては、予想外と言うほかないだろう。

 

 収容所内に入り込んだ我々は、内部を警邏(けいら)していた守衛を昏倒させ、鍵を奪い、目的の人物を探した。

 所内の扉は鉄格子が填められて(兵舎だった頃は木製の扉だったらしい)おり、中に誰がいるかを確認するのは容易だった。首尾よく勇者を見つけ出し、扉の鍵を開けるに至る。

 

「ここから出してくれるんですか? でも、どうしてあなたがここに……?」

 

「君の救出を依頼されてな。珍しく人助けなどしているわけだ」

 

「依頼……?」

 

「ああ。アレニエ・リエスという名に憶えは?」

 

「! 師匠!?」

 

「師匠?」

 

「はい。ぼくの、剣の師匠なんです。そっか、師匠が……」

 

 彼女がしみじみと噛み締めている間、後ろでジャイールのやつが、「勇者の嬢ちゃんの師匠だぁ? あいつ、そんな面白そうなことしてるの隠してやがったのか」とか呟いていたが、面倒なので無視しておく。

 

「でも、師匠自身は、どこに? どうして依頼なんて出して……」

 

「アレニエ嬢は別の依頼があってな。この場には来られなかった」

 

「別の、依頼……そうですか……」

 

 少し寂しそうにしょんぼりする勇者の少女。ずいぶん懐かれているじゃないか、アレニエ嬢。

 

「こっちも見つけたぞ! 鍵をくれ!」

 

「ああ」

 

 分担して二階を探索していた冒険者たちが、階段からこちらに呼び掛ける。オレは持っている鍵束(守衛の部屋で見つけたのはこの一束だけだった)を素直に渡した。向こうには盗賊の少女もおり、自力で鍵開けを試みることもできただろうが、その時間も惜しいのだろう。 

 

「とにかく、今は急いでここを出るべきだ。動けるな?」

 

「はい……あ、ぼくの、仲間たちは!? みんな無事ですか!?」

 

「そちらはこれからだ。手分けして探すぞ」

 

「はい!」

 

 威勢よく返事をし、彼女は各扉を鉄格子越しに探し始める。やがて二階を探していた四人組も首尾よく要人を確保したのか、背後に見慣れない男性三人を引き連れて戻ってきたので、鍵束を受け取り、残った勇者の守護者たちを順に解放していく。

 

「シエラ! アニエス! エカル! みんな、よかった……!」

 

「勇者さま!」

 

 勇者パーティー感動の再会。特に神官の少女が熱烈に勇者に抱擁し、無事を確かめ合う。あまり興味はなかったため、オレはその間、彼女らの装備を求めて収容所内を探索していた。

 

 勇者一行と捕縛されていた騎士の武装と思しき物は、とある部屋の一室(見たところ、遺失物置き場のようだった)にまとめて置かれていた。それぞれに渡し、武装を整えてもらったところで、こちらの目的を告げる。

 

「我々はこれから闘技場に向かい、皇帝を襲撃する」

 

「えっ……!?」

 

「皇帝は魔物と結託し、パルティールを、そしてその途上にあるルーナを攻め落とすつもりだ。それを阻止するため、皇帝に布告を撤回させ、その報せをもって軍を停止させる」

 

「あぁ……やはり陛下は決行してしまわれたのか」

 

 解放された一人、がっしりした体格の中年の騎士が、嘆くように言葉を漏らした。

 

「計画を聞いた我々は陛下を止めるべくその場で(いさ)めたのだが、聞き入れてはもらえなかった。おかげでここに拘束されてしまってな……君たちが我々を解放したのは、つまり……」

 

「皇帝を打ち倒し、布告を撤回させる。だが素直に聞き入れない場合は――」

 

「我々のうちから代理を立て、軍に撤退命令を下させる。そういうことか」

 

「そうだ。できるか?」

 

「ああ。やってみせよう。こう見えて私は騎士団長だからな。帝国の御旗を持参して呼びかければ、進軍を止めるくらいはできるだろう」

 

 団長だったのか。

 

「あの……ぼくたちも、連れて行ってください」

 

 続けて声を上げたのは勇者の少女、アルメリナ嬢。

 

「もちろん手伝ってもらうとも。なにしろ闘技場を封鎖している騎士や兵士を我々だけで相手取らなければならないからな。人手は多いに越したことはない――」

 

「いえ、それはもちろん協力しますけど、そうじゃなくて……」

 

「?」

 

「その、できれば皇帝さんと戦うのは、ぼくにやらせてほしいんです」

 

「はぁ? あの皇帝は俺の獲物だぞ。いくら勇者の嬢ちゃんでも譲るわけには――」

 

「ジャイール。少し黙っていろ」

 

 振り向かず、手振りで背後の大男を黙らせ、少女に続きを促す。

 

「何か、理由でも?」

 

「……さっき、闘技場で彼は、ぼくを――勇者を、殺そうとしていました。そして言われたんです。「魔王を討伐されては困る」と。それが、どうしても気になっていて……だから戦いたい、というより、その前に話をしたいんです。それに……」

 

「それに?」

 

「どちらにしても倒して言うことを聞かせるっていうなら、こんな小娘に倒されるほうが一層(こた)えると思うんですけど……どうでしょうか」

 

「ふむ……」

 

 しばし考えながら、目の前の少女を値踏みする。

 

 以前出会った際はなんの経験もない少女にしか見えなかったが、今日観客席から見た戦いぶりは存外様になっていた。短い間によほど鍛錬と経験を積んだ(アレニエ嬢が教えていただって?)のだろう。皇帝ともやり合えるかもしれない。

 それに確かに、こんな小柄な少女に力で打ち負かされるほうが、より皇帝の心を折れるかもしれない。

 

「いいだろう。ひとまず皇帝は君に任せよう。だが危険だと判断した場合、即座にジャイールと交代してもらう。いいな?」

 

「分かりました」

 

「俺は後回しかよ……」

 

「そう言うな。獲物は皇帝以外にもいるだろう。常に最前線で鍛え上げられているという帝国の騎士たちが。十分に楽しめると思うぞ」

 

「フン……分かったよ。とりあえずそれで我慢してやる。……あの中じゃ、皇帝が一番やりそうだったんだがなぁ」

 

 まだ少しぶつぶつと漏らしていたが、ひとまずは納得してくれたようだ。基本扱いやすくはあるが、餌を与えねば不機嫌になるのが難点だな、こいつは。

 

「さて、それでは次に進むとしよう」

 

 集まった人員の前で宣言し、皆で収容所を後にする。

 向かう先は、本日二度目の闘技場。今度は見る側ではなく、戦う側としてだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間3 ある勇者は質問する①

 ――命を狙われたのは、これが初めてじゃない。以前は、ぼくが勇者に相応しくないとして、パルティールの貴族に殺し屋を差し向けられたこともある。

 その理由に納得はできなくとも、理解はできる。ぼくに足りてないものが多いのは事実だ。もっと実力も、人格も、ぼく以上に勇者に相応しい人は大勢いる。その人たちを勇者として担ぎ上げたいというのは、理由としては、分からなくもない。

 

 ただ、あの皇帝は違う。ぼく自身の資質に不満を覚えてではなく、勇者という肩書きだけに憎しみを向けて、ぼくを殺そうとしたように感じた。

 

 怖かった。殺意をぶつけられたこと、物理的に襲い来る鋭い鋼の圧力ももちろんだけど、それをされた理由が理解できないことが怖かった。分からないことが、怖かった。

 だから、知りたいと思う。少なくとも、知る努力はするべきだと、そう思うのだ。

 

 

  ***

 

 

 闘技場に辿り着き、待機していた冒険者パーティーと合流したぼくらは、一斉に行動を開始した。

 集まった人員を二つに分け、一方は観客席を抑えている兵士たちの相手を、もう一方は一階の戦場を制圧している騎士たちを、それぞれ相手取ることになった。ぼくたちのパーティー四人と、ヴィドさんジャイールさんの二人、それにもう一組の冒険者パーティー四人。計十名が、一階の戦場担当だ。

 

 扉を強く開き、戦場に雪崩れ込む。不意をつけたのか、帝国の騎士たちはまだ迎撃の準備が整っていない。見るからに狼狽(うろた)えている。

 機を逃がさず攻め立て、動揺する騎士たちを打ち倒してゆく。ぼくも奮闘したつもりだったが、特にジャイールさんの活躍が目覚ましかった。活き活きと大剣を振るい、次々と相手を気絶(穢れを忌避してか、死者を出さないようにしてくれたみたいだ)させていく。

 

 気づけば取り巻きは全員倒れ伏し、残るは皇帝ただ一人となる。

 

 戦場には、捕らえられた出場者と、それを見張る騎士もまだ残っていたが、シエラやエカル、ジャイールさんたちが即座に向かい、各々武器を振るう(アニエスはぼくの補佐をするためか、後ろについてきていた)。

 

 ちらりと目を向ければ、観客席のほうも順調に制圧が進んでいるようだった。

 この時点で、闘技場の解放はほとんど成功したと言えるだろう。けれど……

 

「まさか、これほど迅速に対処してくるとはな……ずいぶん早い再会じゃないか、勇者殿」

 

「皇帝さん……」

 

 この状況でも不敵な態度を崩さない男。ハイラント帝国皇帝、シャルフ・フォラウス・ハイラント。

 彼を、彼の意気を挫かない限り完全な解放とは言えず、戦争も止められない。

 ぼくは遮る者がいなくなった戦場に一歩踏み出し、目の前の男に問いかけた。

 

「……どうして、あんなことを言ったんですか」

 

「あんなこと?」

 

「ここで、ぼくを捕まえる前に言ったことです! 魔王を討伐されては困る、だなんて……!」

 

「なんだ? お前はそんなことを聞くためにわざわざここに戻ってきたのか?」

 

「そんなこと……!? そんなことって……! この世界はいつだって魔物の脅威に晒されていて、魔王が健在なら、それはさらに広がるかもしれないんですよ!? なのに……!」

 

「では、反対に問うが」

 

 声の調子だけでこちらを押し(とど)め、皇帝が口を開く。

 

「お前は、他国の代わりに魔物と戦う我が帝国を、少しでも気にかけたことはあったか?」

 

「っ……それ、は……」

 

 パルティールで暮らしている頃は、帝国のことは名前と、魔物の侵攻を食い止める盾の役割を負っているという情報しか知らなかった。それ以上のことは、遠い異国の出来事として、気に留めてもいなかった……

 

「まぁ、そんなものだろう。お前たちは、自らが護られていることも知らず安穏と暮らすだけの愚者だ。代わりに誰かが血を流しているなど、普段から想像もしていない。護られるのが当然と考える唾棄すべき存在だ。だから――」

 

 皇帝が、ギラリとこちらに視線を向ける。

 

「だから思い知らせてやるのさ。我らの苦痛を。今回の戦を皮切りに、全世界に等しく魔物の脅威を押し広げ、強制的に我らと同じ立場を味わわせる。そのために魔王の存在も利用する。奴がそこに在るだけで、魔物は活発化し、増殖し、いずれ世界中に広がっていくからな」

 

 魔物の脅威を、全世界に……!? だから、魔王を討伐されては困るって……!?

 

「そんなことをしたら、真っ先に魔物に侵略されるのは、この国でしょう……!?」

 

 ぼくの背後からアニエスが疑問を投げかける。けれどそれに対して返された答えは、ぼくへと向けられていた。

 

「問題はない。お前がいる」

 

「ぼく……? ぼくが、何を……」

 

「我らは奴らと同盟を結んだ。世界が侵略されようと、我が帝国だけは攻め込まれぬよう取り計らっている。見返りは勇者――お前の身柄だ」

 

「魔物と、取引……!? だから、ぼくを捕まえて……?」

 

「そうだ。パルティールの象徴とも言える勇者を差し出すことでこの国の安全を図り、我らの怒りを世界に思い知らせることもできる。これは一石二鳥の作戦だったのだ。故にお前には――」

 

 そう語る皇帝の目は、確かに怒りや憎しみで満ちていたけれど、もう一つ、強い信念のようなものが感じられて……

 あぁ、そうか。この人は……

 

「……あなたは、許せないんですね。この国の人たちが傷つくことが。その原因を生み出したパルティールが」

 

 ピクリと、皇帝の表情がわずかに変わる。

 

「……お前に何が分かる。使命に従うだけのパルティールの犬風情が」

 

「分かりません……ぼくは、あなたのように憎しみに狂ったことは――悪魔の声を聞いたことは、ないから。でも、どうしてこんなことをしたのか、理解はできたつもりです。だから――」

 

 ぼくは握っていた長剣を改めて構え直し、皇帝と対峙する。

 

「ここで、あなたを止めます。魔物との同盟も、今回の戦争も、この国にとって決して良いことではないと思うから」

 

「……我が帝国の未来を……お前が語るな、勇者!」

 

 皇帝が鞘に納めていた大剣を引き抜き、猛然とこちらに斬りかかってくる。ぼくは下がらず、むしろ一歩前に出て、相手の力が乗り切る前に正面で一撃を受け止める、

 

 ガキィン――!

 

 ――重い。

 重量のある大剣と、それを振り回す腕力と技術。ジャイールさんが楽しみにしていたのも分かる。この人は本当に強い。

 

「ハっ! 一度ならず二度までもオレの剣を防ぐか! まぐれではなかったようだな!」

 

 さらに力を込め、こちらを圧し斬ろうとする皇帝に対し、こちらも反発するように力を入れ……反対に、押し返す。

 

「何……!?」

 

 皇帝が、わずかに驚いたように呻くのが聞こえた。

 

 ぼくには、常に全身の力を増強させる神の加護、〈超腕〉がある。単純な力比べなら、大抵の相手には負けない。

 そうして後方に下がる皇帝に追撃するべく、ぼくは後ろ脚に力を込めようとしたが、そこへ――

 

「下がってください、勇者さま!」

 

 背後から、アニエスの制止の声が飛ぶ。

 その声に素直に従い、一歩後ろに退いたところで……

 

「《攻の章、第三節。閃光の尖塔……フラッシュピラー!》」

 

 宣言と共に皇帝の足元が一瞬光り、次の瞬間にはそこから光の柱が突き立ち、天を()く。

 

 炸裂した法術に戦場の砂が巻き上げられ、砂煙が広がる。少しの間遮られた視界の向こうを警戒して覗き込んでいたのも束の間……皇帝が砂塵を突き破り、アニエスに向かって突進してくるのが見えた。

 

「邪魔をするな、神官の小娘っ!」

 

 咄嗟に大剣を盾にして防いだのか、皇帝はわずかに傷を負っていたが、それだけだった。動きを止めるには程遠く、術を放ったアニエスを仕留めようと武器を振りかぶってくる。

 

「アニエス、下がってて!」

 

「でも、勇者さま……!」

 

「いいからっ!」

 

 進行方向を遮り、振るわれる大剣を再び防ぐ。今度は押し合いにはならず、ぶつかった剣と剣が反発し、弾かれ合う。

 そしてまた、剣を打ちつけ合う。鋼と鋼が衝突し、辺りに重い金属音を響かせる。何度か続けられたそのぶつかり合いは、傍目(はため)からは互角に見えたかもしれない。が、徐々に、均衡(きんこう)が崩れ始める。

 

 ギィン!

 

「ぬ……!」

 

 ギィン!

 

「く……! 馬鹿な……オレが打ち負ける、だと……!?」

 

 受け入れ難いというように、皇帝が顔を歪める。

 おそらく、技量は彼のほうがわずかに高い。けれど腕力ではぼくが上だ。単純な力比べなら、こちらに分がある――!

 

「舐めるな、勇者ぁ!」

 

 皇帝が吼えながら、今までよりも強く、これまでよりも速く、大剣を振り下ろす。さっきまでと同じようにぶつけて相殺しようとしても間に合わず、こちらが先に斬られてしまうタイミングだ。

 だけど――だから。ぼくは恐怖を押し殺しながら一歩踏み出し、頭上に掲げた剣で相手の攻撃を受け止めつつ、その斬撃の道筋がほんの少しずれるように、傾ける。

 

 ギャリィン――!

 

「な、に……!?」

 

 師匠に教わった防御の方法。相手の攻撃の受け流し方。その成果は今まさに発揮され、必殺の一撃を無力化してくれる。

 皇帝の剣は道筋をずらされ、その先の地面に強く打ちつけられる。砂が舞い、辺りに煙のように広がる。

 

 皇帝は剣を打ちつけた姿勢からまだ動けない。けれどこちらも、皇帝の剛剣を受けた腕が痺れ、剣を取り落としてしまう。

 それを見て、皇帝が獰猛(どうもう)な笑みを浮かべる。勝利を確信したのかもしれない。次の瞬間には、武器を失ったぼくを、彼の剣が無残に切り捨てているだろう。その前にぼくは――

 




投稿しようとしたら字数が多すぎる気がしたので2つに分割します。切りどころが中途半端かもしれませんがご了承いただけるとありがたいです。6000字を超えると多いように感じてしまう性質です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間4 ある勇者は質問する②

 剣を取り落としたぼくに向けて、皇帝が笑みを浮かべる。武器を拾う間に、あるいは背負ったもう一本の剣――神剣を抜こうとするより早く、皇帝の剣がこちらを切り捨ててしまうだろう。だから、ぼくは――

 

「――でやあああっ!」

 

 ぼくは、まだ痺れる腕に力を込め、拳を作り、ぎらつく笑みを浮かべた皇帝の顔面を、思い切りぶん殴った。

 

「ぐぶぁっ!?」

 

 苦悶の声だけを残し、皇帝が後方に吹き飛んでいく。

 わずかに宙に浮いた後、彼の身体は地面に落ち、何度か転がってから、やがて勢いも止まり、動かなくなる。

 

「はぁ……! はぁ……!」

 

 拳を振るった姿勢でしばらく荒い息をつきながら静止していたぼくは、相手が起き上がってこないことを確認し、ようやく腕を下ろした。

 

 この頃には、周囲の戦いも大勢(たいせい)は決していた。皇帝側の騎士や兵士は投降し、捕縛されていた冒険者も解放される。

 

 観客は動揺していた。当然かもしれない。宣戦を布告した皇帝とその配下が、突如何者かに襲われ、挙句敗れたのだから。ただ、観客の何割か(おそらく、他国からの旅行者)は、封鎖されていた闘技場が解放されたことに気づき、安堵の声を上げているようだった。

 

「勇者さま! 流石です、勇者さま!」

 

「ちょ、ちょっと待って、アニエス」

 

 感極まり抱き着いてくる神官の少女を押し止め、前方の皇帝を見やる。

 

 皇帝は動かない。地面に仰向けに倒れたまま、ピクリともしない。まさか死んでないよね?と不安になったため、警戒しながら近づき、確かめてみる。すると、起き上がる気配はまるでないが、わずかに呼吸しているのが分かる。

 

「(よかった、生きてる……)」

 

 安心し、その場で立ち上がり周囲を見回すと、こちらに駆け寄ってくる影が二つある。

 

「「アルム!」」

 

 シエラとエカルだ。戦いを終え、こちらの様子を見に来たのだろう。

 

「よかった、無事のようですね。こちらでも様子は見ていたんですが、ハラハラしましたよ」

 

「全くだ。だが、なんとか生け捕りにはできたみたいだな」

 

「うん。二人も無事みたいでよかった」

 

 ぼくらは互いの無事を喜び合い、安堵の息をついた。

 

 目的だった闘技場の解放には成功した。捕縛された冒険者も解放され、今はヴィドさんたちが、魔物の掃討に協力してくれないかと依頼を持ちかけている。

 いよいよ、帝国軍と魔物の混成軍をなんとかしなきゃいけない。なら、次にやるべきことは……

 

 

   ***

 

 

「う……む」

 

 短く呻く声が聞こえ、ぼくらは一斉にそちらを見やった。気を失っていた皇帝が目を覚ましたのだ。

 

「ここは……」

 

 彼は辺りを見回し、状況を把握しようと努める。前後の記憶があやふやなのかもしれない。

 

 今の皇帝は、自身の武器である大剣を没収され、後ろ手に拘束された状態で地べたに座らされている。周りにはぼくら勇者一行と共に、ヴィドさんとジャイールさん。それに、収容所で助けた騎士団長が立ち合い、皇帝を見下ろしていた。

 

「……そうか。オレは、負けたのか」

 

 わずかに俯き、皇帝が呟く。

 

「まさか、かの国の走狗でしかない勇者に、それも、こんな小娘に力で敗れるとはな。耐え難い屈辱だ」

 

 そう口にする割には、彼の反応は存外落ち着いたものだった。もっと怒り狂うかと思ったけれど。

 ぼくは彼に向き直り、口を開く。

 

「皇帝さん」

 

「なんだ? 勇者殿」

 

「お願いがあります」

 

「今のオレに望むこと、か。まぁ、大方の予想はつくがな。布告を撤回し、兵を退かせろというのだろう?」

 

「はい」

 

「――断る。……と言ったところで、こうして拘束されている現状では意味がないか。お前が解放されているのはそういうことだろう、ゲオルグ」

 

 皇帝はそう言って、投獄されていたはずの騎士団長に視線を向ける。

 

「陛下……この戦は、決して我が帝国の益にはなりません。たとえ一時勝利し、パルティールを降したとしても、その後は世界の全てが我らの敵に回るでしょう。そして……魔物との契約は、そもそも成り立ちません。それが奴らにとって、なんの価値もないものだからです。いずれ奴らは陛下を裏切り、この国を攻め滅ぼそうと――」

 

「あぁ、あぁ、分かっている。投獄する前にもお前に散々聞かされたことだ。確かにオレは悪魔の声を聞いていたのだろう。この戦に理も益もないことも承知している。だが――」

 

 彼は一拍置いて言葉を続ける。

 

「だが、それでもパルティールへの憎しみは消せなかった。そしてそれを受け入れたうえで、最終的に決断したのはオレ自身だ。今さらオレが簡単に(ひるがえ)すわけにはいかない。それでは、オレの命に従った兵たちにも申し訳が立たん」

 

 そう語る彼の表情は、まさに憑き物が落ちたようだった。(ささや)いていた悪魔が彼の元を離れたのかもしれない。

 

「だからお前が命じろ、ゲオルグ。この愚かな皇帝を打ち倒した英雄として、お前が責任を持って兵を退かせろ。オレの軍旗も持っていけ。進軍を止めるのに多少なりと役立つだろう」

 

「……はっ! 必ずや、兵たちを連れ帰って御覧に入れます!」

 

 皇帝は満足げに頷くと、次にぼくに目を向ける。

 

「魔物の処理は、お前に任せる」

 

「ぼくに……?」

 

「進軍を停止させた段階で、おそらく兵には動揺が走り、即座に魔物を討つ準備は整えられないだろう。その時、率先して魔物と戦う者が必要になる」

 

「何を偉そうに言ってやがんだこの皇帝。お前が招いた事態だろ――」

 

「よせ、ジャイール」

 

 文句を言うジャイールさんを、ヴィドさんが押し止める。皇帝はそれを受けて、皮肉げに顔を歪めた。

 

「その通りだ。この状況はオレが招いた。だからこれは命令ではなく、頼みだ。我が軍の兵が状況を把握し、己を鼓舞し、魔物と戦えるようになるまで。その時間を稼いでほしい。――頼む」

 

 そう言って頭を下げる皇帝に、内心でギョっとする。

 あれだけ嫌っていたぼくに――パルティールの象徴である勇者に頭を下げるのは、並大抵の屈辱ではないはずだ。それほどに彼は、自国の民を大事に思っているのだろう。

 

「分かりました。ぼくにできる範囲で、兵の皆さんを助けてみせます」

 

「……助かる」

 

 まだ少しわだかまりがあるのか、皇帝のお礼には躊躇(ちゅうちょ)が残っていた。彼は続けて、こちらに注意を促す。

 

「魔物の群れには、統率する指揮官が――魔族がいる。そいつを討てば、奴らも組織立っては動けんはずだ」

 

「やはり存在したか、指揮する者が」

 

 皇帝の言葉に、ヴィドさんが読みが当たったとばかりに頷く。

 

「ああ。そしてもう一人。勇者の引き渡しを要求してきた魔族がいる。早ければ既に、指定された取引現場に現れているかもしれん。今回の騒動を終息させるには、そいつも討つ必要がある」

 

 もう一人、魔族が……!? と、驚くぼくを尻目に、ヴィドさんが淡々と口を開く。

 

「ああ。そちらに関しては、既に対処に向かわせてある」

 

「何……?」

 

 怪訝な顔を見せる皇帝。ヴィドさんはそれを素知らぬ顔で受け流し、同意を求めるようにジャイールさんに視線を送る。

 

「そうだな。そっちは、あいつらに任しときゃ問題ないだろ」

 

「あいつら……?」

 

 って、誰のことだろう。

 しかし教えてくれる気はないらしく、二人はそのまま話を進めてしまう。

 

「ともかくこれで、収容所と闘技場の解放は完了し、布告の撤回も道筋はついた。我々の仕事もあと少し。次が最後というわけだ。さあ――」

 

 一拍空け、ヴィドさんがわずかに決意を込めて宣言する。

 

「――戦争を、止めに行くぞ」




皇帝周りの問題の解決方法がパワーすぎてすみません。もう少し知力が欲しい・・・


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間5 ある勇者と魔物の軍勢

「――見えたぞ! あれだ!」

 

 騎士団長――ゲオルグさんが馬上から飛ばす声に、同じく馬に(またが)ったぼくら冒険者は前方を見やる。

 そこには、軍を示す旗を掲げ、大軍で街道を進む人々の影があった。

 

 軍の中央には、白いローブとベールを身に付けた神官たちと、黒いローブを着た魔術師たち。それを護るように、黒の甲冑に身を包み馬に跨った騎士たちと、白い兜と鎧を(まと)い徒歩で従軍する兵士たちが、周りを囲む。

 

 そして、帝国兵からは離れた位置で一定の距離を保ちながら、けれど歩調を合わせて、大小様々な異形の姿の軍団が、街道を闊歩する様子が目に飛び込んできて……

 

「(あれが……魔物の、大群……!)」

 

 あんな規模の魔物の群れは、これまで見たことがない。下級のゴブリンなどだけではなく、オークやトロールなどの大型のもの、グリフォンやワイバーンなどの空を飛ぶものまで混在している。

 もしあれがデーゲンシュタットの街を襲っていたら、尋常ではない被害が出ていたはずだ。通常通り軍が対処したとしても、多数の犠牲者は免れなかっただろう。

 

 とにかく、まずは帝国軍のほうを止めなければいけない。ぼくらは馬を急がせ接近し、後方の部隊に追いつく。

 

「止まれ! 止まれー!」

 

 ゲオルグさんが大声で呼び掛けると、ぼくらの存在に気付いた軍の後続が、一部動きを止めて応対する。

 

「なんだ、あんたたちは。我々は現在作戦行動中だ。邪魔は――……いや、貴方は……き、騎士団長……!?」

 

 多数の冒険者たちに初めは警戒した様子を見せていた兵たちも、声を掛けてきたのが誰であるかに気づいた途端、態度が急変する。

 

「貴方は、陛下を(いさ)めた(とが)で投獄されていたはずでは……それに、その軍旗は……」

 

「私はこの軍旗を陛下からお借りしてきた。その意味が分かるな?」

 

「そ、それは……」

 

「この軍の指揮官は誰だ? 話がある。連れてきてくれ」

 

「は、はっ!」

 

 受け答えしていた兵士が敬礼し、慌てて伝令に走る。

 しばらく待つと、軍全体の動きが止まった。予定にない進軍の停止に、多くの兵が動揺しているのが分かった。やがて、一人の若い男性の騎士が馬に乗ったまま、人の波をかき分けてこちらに近づいてくる。

 

「団長! ご無事だったのですか!」

 

「クラウス。お前が指揮官か」

 

「はい。団長が拘束された後、指揮権は私に移譲されましたから。しかし、この状況はいったい……それに、それは陛下の軍旗では……」

 

「陛下は勇者殿が打ち倒し、捕縛した」

 

「なっ……!?」

 

「安心しろ。御身はご無事だ。だが、陛下は悪魔の声に耳を傾けていたことに気づきながら、自身では止まることができない状態だった。よって力尽くで止めるほかなかった……お前も気づいていただろう? この戦には、正当性も利益もない。あるのはただパルティールへの負の感情と、人類を裏切ったという汚名だけだ」

 

「では、戦は……」

 

「中止だ。そのために陛下は、この軍旗を私に託してくださったのだ。自身は命を下した責任を引き受け捕縛され、なおかつお前たちを止めるために」

 

「……陛下……」

 

 ゲオルグさんの部下と思しき騎士――クラウスさんは、感じ入ったように言葉を途切れさせる。

 と、そこへ――

 

「なぜ止まっている人間共! これはなんの騒ぎだ!」

 

 魔物の側から動きがあった。同調して進軍していたはずの帝国軍が停止したことに気づいたのだろう。一人の魔族が、二本角の生えた馬のような魔物に乗り、ゲオルグさんたちのほうへ詰め寄ってくる。

 

「貴様ら人間は夜間の行軍も覚束(おぼつか)ないのだろう! 日があるうちは足を止めるな!」

 

 肌の青い、男の魔族だった。耳は奇怪に尖り、目には白目がなく、赤い瞳孔だけが黒い眼球の上で輝いている。

 この魔族が、群れを率いる指揮官だろう。見れば魔物たちも行軍を停止し、彼の動きを注視しているように見える。

 

「それとも、今になって同族に弓引くことに怖じ気づいたのか? だが忘れるな。これは貴様らの皇帝からの勅命(ちょくめい)で――」

 

「その陛下が、賊に襲われ捕縛されたそうだ」

 

「……何?」

 

 クラウスさんの言葉に、魔族の指揮官は(いぶか)しげな表情を見せる。

 

「もしもそれが真実ならば、他国に攻め入っている場合ではない。我らは急ぎ帝都に帰還し、事の真偽を確かめねばならぬ」

 

「ふざけるなよ人間。貴様らが皇帝から命じられたのは、我らと共にあの忌々しい王国を攻め滅ぼすことだろう。その命令に背く気か?」

 

「優先順位の問題だ。我らの本分は陛下を、そして帝都を守護すること。その陛下の安否を確かめるのは、何よりも重視されるべき案件だ。捨て置くわけにはいかない」

 

「ぬ……大体、何者だ、そんな報せを持ってきたのは! 後からやって来たそいつらか――……」

 

 そう言ってこちらに視線を向けた魔族の男は……

 

「……その剣、もしや神剣……貴様、勇者か!」

 

 ぼくを、いや、ぼくが背負う神剣を目にして、憤怒の表情を浮かべる。

 顔を知らなかった様子なのにぼくが勇者だと気づけたのは、魔覚(注:魔力を感じる感覚器官)に優れていると言われる魔族ゆえだろうか。神剣に宿る魔力を感知したのかもしれない。

 

「さては(はか)ったな貴様ら! 勇者の身柄を渡すつもりなど初めからなく、我らをここで騙し討つ腹積もりか!」

 

「いや、待て。それに関しては偶発的な――」

 

 クラウスさんが抗弁するが、魔族は聞く耳を持たなかった。

 

「いいだろう。貴様らがその気ならば遠慮する必要もない。ここで貴様の部下共々始末してくれる! ……魔物共! こいつらを――」

 

「おっと、やらせるかよ!」

 

 そう叫んで魔族に側面から躍りかかったのは、いつの間にか馬を降りて背の大剣を引き抜いていたジャイールさんだった。

 

「ぬぅ!?」

 

 魔族は咄嗟に馬から飛び降り、大剣の一撃をかわす。代わりに斬られたのはその場に留まった馬の魔物だ。胴を両断され、前後に分かたれる。(おびただ)しい血が辺りに広がる。

 

 このあたりで、ぼくらも慌てて馬を降り、いつ襲われても対処できるよう武器を構える。ぼくはいつもの長剣ではなく神剣を引き抜きながら、二人の戦いを目で追った。

 

「ヴィドぉ! もうやっちまってもいいよなぁ!」

 

「ああ、存分に暴れろ」

 

「よっしゃあ!」

 

 ストッパー役のヴィドさんからお墨付きを貰ったことで、ジャイールさんは活き活きと躍動する。そのまま魔族の指揮官に突進しようとするが……

 

「ちっ! 舐めるなよ、人間風情が!」

 

 魔族が前方に右腕をかざすと、今さっき両断されたばかりの馬の死体から血液だけが浮かび上がり、誘導され、その手に集まってゆく。血を操るのが彼の魔術なのだろう。次第に細長い剣の形状になったそれを掴み取り、魔族はジャイールさんを迎え撃つ。

 

 ギィン!

 

 重量差のありそうな大剣の一撃を、血の剣は互角に受け止める。魔族の膂力(りょりょく)と魔術の強度が為せる業だろう。彼らはそのまま正面から力比べをするように、互いの剣をぶつけ合わせる。

 

「まさか、貴様らに先に裏切られることになるとはな!」

 

「先にってことは、てめぇらも裏切る気満々だったんじゃねぇのか!」

 

「当たり前だ! 契約とは対等の立場で結ぶもの! 貴様らごときと我ら魔族が対等なわけがあるまい!」

 

「ハっ! やっぱ魔族はクソだな!」

 

 剣を打ち合いながら罵り合う二人。やがて何度目かの交錯の後、一層強く剣をぶつけ合ったところで、互いに後方に仰け反り、距離を取る。

 

 そこで、魔族が奇妙な動きを見せる。剣を持っていないほうの左手の指先に魔力を集め、その指を自身に招くようにクイっと動かす。が、見た目には何も起こらない――

 

「ジャイール! 後ろだ!」

 

 ヴィドさんの叫びが飛ぶ。彼が言う後ろには、馬の魔物の死体がまだ横たわっていた。そこから――

 

 ビシュシュ!

 

 魔術によって操られた血液が複数の矢のように飛び、背後からジャイールさんを襲う。

 

「うぉ!?」

 

 ギギン!

 

 事前のヴィドさんの注意のおかげか、ジャイールさんは寸前で背後からの攻撃に気づき、振り向きざまに大剣で血の矢を防ぐ。

 

「ちっ……人間のくせにやるじゃないか」

 

 わずかに残念そうに呟いた魔族は、次には切り替えて強い口調で命令する。

 

「魔物共! 構わん、奴らを殺せ! 愚かなアスタリアの眷属共に、我らを(たばか)った罪を思い知らせて――」

 

 そこまで口にしたところで、ジャイールさんが再び魔族に斬りかかる。

 

「どこ見てやがる!」

 

「ちぃ! うっとおしい人間め!」

 

 そのまま二人は戦闘を継続し、こちらからは離れていってしまう。

 そして指揮官の命令を受けて、それまで待機していた魔物の軍勢がゆっくりと、まるで恐怖を煽るようにじわじわと動き始める。

 

 アスタリアの被造物を攻撃する。その単純な本能で動く魔物たちと違い、人間は恐れや戸惑いで容易に身体が動かなくなる。

 帝国軍の多くはまだ、進軍が停止した理由もわからず混乱している状態だった。行軍の途中だったため、戦闘の準備も整っていない。

 

 そこへ、これまで歩調を合わせてきた魔物が突如牙をむき、襲い掛かってくる。距離はまだ離れているが、一千を超える魔物の大群の圧力は、兵の精神に極度の負担を与える。やがてそれは限界を迎え、恐慌状態に――

 

狼狽(うろた)えるな!!」

 

 戦場と化した街道に、ゲオルグさんの力強い声が響き渡った。

 

「お前たちは誇りある帝国の兵だ! 魔物退治はお手の物だろう! いつもの仕事をこなすだけだ! 武器を取れ! 構えろ! 連中に目にものを見せてやれ!」

 

「「「お……おぉぉぉ!」」」

 

 ゲオルグさんの激励に奮い立った兵たちは雄叫びを上げ、一斉に戦う準備に取り掛かる。手に手に武器を取り出し、盾を構え、迫る魔物の大群に負けじと己を鼓舞する。

 

「クラウス。この軍の指揮官はお前だ。後は任せる」

 

「団長は……」

 

「今の私にはなんの権限もない。だからお前の指揮下に入ろう。好きに使え」

 

「……はっ! それでは、僭越(せんえつ)ながら私の指揮の下、この戦にお付き合いいただきます! ……総員、戦闘準備! 密集陣形だ! 固めた盾の隙間から槍をぶち込んでやれ! 騎士団は両翼から遊撃! 補給部隊は後方に下がれ! 神官、魔術師は術の詠唱準備!」

 

 クラウスさんの号令の下、兵たちが一斉に動き、定められた陣形を形作っていく。けれど……

 

「(このままじゃ、間に合わない……!)」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間6 ある勇者と魔族の脅威

 ぼくら冒険者の集団は、帝国軍と魔物が対峙する戦場を中央側面から見ている状態だった。

 だから分かる。おそらく、帝国軍の陣が完成する前に、魔物たちが雪崩(なだれ)れ込んできてしまう。乱戦になれば、単純な力の差で蹂躙(じゅうりん)されてしまうだろう。

 ぼくやシエラのような戦士では、目の前の魔物を一体ずつ相手取ることしかできない。こういう時頼りになるのは……

 

「アニエス! エカル! なんとかならないかな!?」

 

 焦りと期待が入り混じる視線で二人の仲間を見ると、彼女らは厳しい表情を見せながらも強く頷いてみせた。

 

「少しの間、時間を稼ぐことならできると思います。その間に陣形が完成すれば……」

 

「ならオレは、一発デカいのをぶちかます役だな。敵の数も減らせるし、注意をこっちに引くこともできるだろ」

 

 二人の意見に頷く。方針が定まれば、その後の行動は早かった。

 そして二人は、詠唱を開始する。

 

「《私は呼び降ろします、アスタリア。義者にして万物の創造者である御身を。私は呼び降ろします、輝く天蓋(てんがい)を。()は金属の守護者、望ましい王国。栄光に満ち、財宝に満ち、立ち塞がる敵意を征服するもの!》」

 

「《集え、炎と風の精。炎は風に煽られその勢いを増し、風は炎を呑み込み天を()け。熱風はやがて渦を巻き、更なる炎を内に呼び込む……》」

 

 先に術が発動したのはアニエスだった。

 

「《守の章、第七節。極光障壁……ディバインシェルター!》」

 

 祈りが届き、法術が発動する。

 アニエスの前方から光の障壁がガシャンガシャンと音を鳴らしながら降り立っていき、やがて戦場を二分するように遮って停止する。ぼくらのいる位置からは、障壁を挟んで右側に帝国軍、左側に魔物の群れが見える状態だ。

 

 魔物は目の前に現れた光の障壁に己の武器を、あるいは拳や爪牙をぶつける。そうしなければ奥にいる帝国兵に届かないからだが、そんなものでは法術の壁はびくともしない。

 

 侵攻を妨げられた魔物たちは、一部はそのまま障壁を攻撃し続け、一部は壁の端から攻めるべく迂回を始める。そこへ……

 

「《暴風炎熱! ファイアストーム!》」

 

 詠唱を遅らせていたエカルの魔術が完成し、壁の端に向かっていた――つまりこちらに迫っていた魔物たちへ向けて、炎の竜巻が放たれる。

 

 ゴオォォォオ!

 

 竜巻は多数の魔物を呑み込みながら、渦を巻いて燃え上がる。全身を火で舐め尽くされた魔物たちが、苦悶の悲鳴を上げながら息絶えてゆく。

 やがて火の暴風は治まり、広がった煙が辺りの視界を奪う。しかし……

 次の瞬間には、後続の魔物たちが煙を突き抜け、仲間の屍を踏み越えながら、こちらに向けて殺到してくる。

 

「ふっ!」

 

「ガっ!?」

 

 それに対して一番槍を務めたのはシエラだ。先頭を走っていたゴブリンが、彼女の一突きで頭蓋(ずがい)を貫かれ、絶命する。続けて二、三と彼女が槍を突き刺すたびに、魔物の死体が増えていく。

 

 彼女に続くように、エカルが両手に炎を纏わせ、近づいてきた魔物に接近戦を挑む。ぼくらに同行していた冒険者たちもそれぞれ武器を振るい、術を行使し、魔物を撃退していく。

 

 それに負けじと、ぼくも応戦する。巨体を揺らして迫る豚頭の魔物――オークの棍棒を、神剣で正面から受け止める。〈超腕(ちょうわん)〉を持つぼくは、人間の数倍はあろうかという魔物の膂力(りょりょく)にも力負けしない。そしてお返しとばかりに、相手の身体を横薙ぎに斬り付ける。

 

「はぁっ!」

 

「ブギャ!?」

 

 神剣の切れ味に胴を易々と両断されたオークが後方に倒れ、動かなくなる。そして通常なら死体から煙のように立ち昇る穢れが、即座に浄化され、風に散っていった。

 これは、魔を払うと言われる神剣の為せる業だ。魔物に対する物質的な威力はもちろんのこと、さらにはその身が宿す穢れを浄化し、払う力も持っているためだ。

 と――

 

「う……! はぁ……! はぁ……! はぁ……!」

 

「アニエス!?」

 

 ここで、今まで術を維持していたアニエスが、疲労に息を荒くしながらその場で膝をついた。それに同期して、魔物の侵攻を食い止めていた光の障壁が、宙に解けるように消えていく。

 戦場を二分するような法術を発動させ、一人で維持していたのだ。無理が出て当然だったのだろう。ぼくは軽率に彼女の力をあてにしたことを後悔した。

 

「大、丈夫です……それより、勇者さま……前を……」

 

「え? あ……!」

 

 アニエスの警告で前を向く。前方から、新たな魔物の集団が武器を振り上げ、こちらに迫ってくる!

 

「っ――!」

 

 すぐに武器を構え迎撃しようとしたところで――

 

「――突撃!」

 

 掛け声と共に、馬上の騎士たちが横合いから魔物を強襲し、次々と槍の餌食にしていった。

 それをポカンと見ていたぼくの目の前に、一人の騎士が馬を歩かせ近づいてくる。

 

「怪我はありませんかな、勇者殿」

 

「ゲオルグさん……」

 

「貴女がたのおかげで無事に陣は完成し、兵たちも士気を取り戻しました。感謝します」

 

「そんな……ぼくは、ほとんど何もしてません。アニエスとエカルのおかげで……」

 

「もちろん、彼女らにも感謝を。後のことは、お任せいただきたい。これは、我ら帝国が招いた問題。我らの手で片をつけてみせます」

 

 そう言うと彼は、両翼を遊撃する騎士たちに合流し、戦に戻っていく。

 

「……」

 

 戦況は、帝国軍が優勢のように見えた。

 

 中央では盾を持った兵士たちがガッチリと守りを固め、その後方から槍を持った兵士が殺到する魔物たちを突き刺していく。

 そうして足止めをしている間に、陣の奥から魔術や法術、あるいは弓矢が飛ぶ。これらは特に空を飛ぶ魔物に対しても効果を発揮している。

 さらに、両翼の騎士団が機動力を活かして外側から攻撃を加えていく。左右から魔物の軍勢を包囲する形だ。

 

 個々の力では魔物に負けるが、それを数と戦術で圧倒している。このままいけば、人類側の勝利は揺らがないように思えた。が……

 

「ちぃ! 何をやっている魔物共! オレに恥をかかせる気か!」

 

 ここまでずっとジャイールさんと戦い続けていた魔族の指揮官が、苛立たしげに戦場に視線を送る。この魔族を抑え込めていたことも、こちらが有利に事を進められた要因の一つだろう。そこへ――

 

「よそ見してんじゃねぇよおらぁ!」

 

 目を離した隙をついて、ジャイールさんの鋭い一撃が振るわれる。

 

「ガっ!?」

 

 角度の浅い袈裟懸けに振るわれた大剣は、魔族の身体を易々と切り裂き、上下に分断する。その身から(おびただ)しい鮮血が噴き出す。上半身はずるりと崩れ、ゆっくりと後方に倒れていく……

 

 これだけの傷を負えばもう勝負はついたと誰もが思うだろう。ジャイールさんも勝利を確信したのか、かすかにその顔に笑みを浮かべる。魔族の返り血が飛び散り、彼の身体に付着しようかというところで――

 

「ク……クク……!」

 

 上半身をこぼれ落としながら、魔族が笑った。

 同時に、飛び散った鮮血が形を変え、鋭い無数の(とげ)となって、ジャイールさんに襲い掛かる。

 

「んな――ぐぁっ!?」

 

 咄嗟(とっさ)に大剣を引き戻し、急所を防いだジャイールさんはさすがと言う他ないが、ほぼ全身に浴びせられた血液の刃を全て遮ることはできず、大剣や鎧で覆えなかった部位に傷を負ってしまう。

 

「ちっ……!」

 

 悔しそうに舌打ちし、ジャイールさんがガクリと膝をついた。すぐに大剣を支えにして立ち上がろうとするものの、傷は浅くない。

 

「クク……ハハ、ハ……!」

 

 魔族が、笑う。とうに落ちているはずの上半身から、笑い声を響かせる。

 果たしてその身体は、いまだ崩れ落ちていなかった。下半身から噴き出した血液が生き物のように(うごめ)き、切り離された上半身と繋がり、重力に逆らって支えていた。あんな姿になっても、生きている……!?

 

「人間風情が、やるではないか……まさか、ここまで手傷を負うとは思わなかったぞ……」

 

 間を埋めている血液がグニャリと歪み、落ちかけていた上半身を直立させる。身体の上下を分断させたまま、魔族は苦しそうに声を漏らす。

 

「だが、それもここまでだ。こう見えてオレは忙しい。貴様とこれ以上遊んでいる暇はないのでな」

 

 そう言うと、魔族は前方に右手を掲げる。その手の先に血液が集まり、凝縮され、形を変え、一本の禍々しい槍が形成され――

 

 ビュン――!

 

 ――ジャイールさんに向かって撃ち出される。

 

 ガキィン――!

 

「ぐ、おおおぉぉぉお!?」

 

 大剣の腹で血槍を受け止めたジャイールさんは、しかし勢いに押され、後方に追いやられる。力を込めたせいか、先ほどできたばかりの傷口から血が漏れ出していた。

 

 続けて、魔族が右手を頭上に掲げると、その手の先に周囲の血液が集まってゆく。

 傷口から。死体から。地面から。

 戦場に流されたあらゆる血という血が、宙に浮かび、蠢き流れ、一つの箇所に集約されていく。

 

 集まった赤黒い液体は次に分裂していく。一つが二つに。二つが四つに。次々と数を増していき、やがてわずか数秒で数え切れないほどに広がってしまう。

 そしてそれらが、一斉に形を変えていく。先刻ジャイールさんが受けたのと同じ形状の血の槍に。その矛先は――

 

「! ダメ!?」

 

 魔族の狙いに気づいたものの、それを止めるにはぼくの行動は遅すぎた。無数の血の槍は眼下の獲物に無慈悲に降り注ぐ。――魔物の侵攻を食い止めている最中の、帝国兵たちの頭上に。

 

 ヒュ――ドドドドドドド!

 

「ぐ、あ……!」「がっ!?」「あが!?」

 

 風切り音から、地面を打ちつけ揺らす音、そして兵たちの悲鳴が響く。

 高度から高速での槍の射出。地上からの魔物の攻めには高い効果を発揮していた盾も、頭上からの攻撃には無力だった。咄嗟に盾を掲げて防いだ兵もいたが、全体の一割にも満たない。ある者は貫かれ即死し、ある者は切り刻まれ深手を負う。――陣形が、崩壊する。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間7 ある勇者と神の剣

 帝国軍の陣形が崩れたのを確認し、魔族の指揮官が声を張り上げる。

 

「これで目障りな盾は崩れた! さあ行け、魔物共! 奴らを根絶やしにしろ!」

 

 指揮官の命令に魔物たちは咆哮(ほうこう)をもって応え、目の前の兵たちを蹂躙するべく、進軍を再開する。

 さらに加えて、魔族は再び同様の魔術を放とうとしてか、今新たに流れた血をその手に集め始めていた。

 

「(まずい――まずいまずいまずい――!)」

 

 ぼくは、皇帝さんに魔物の対処を託された。なのに……

 

「(このままじゃ、大勢の人が死んじゃう……!)」

 

 盾兵が崩され、剣や槍を持つ兵士もやられてしまえば、後に残るのは後方支援や補給の部隊ばかりだ。彼らが残虐な魔物たちと対面すればどうなるか、火を見るよりも明らかだ。

 

「(ぼくは、そんな光景を見たくなくて……こんな目に遭う人を増やしたくなくて、勇者になったのに……)」

 

 両翼から遊撃している騎士団では、中を護りに行くのは間に合わない。

 ジャイールさんは、先ほど負った怪我のせいで満足に動けない。シエラやアニエス、エカルはもちろん、ヴィドさんや他の冒険者たちも、目の前の魔物に対処するので精一杯だ。

 かといってぼく一人が助けに入っても、精々数体の魔物を討ち取って終わりだ。向こうに向かうまでの間、そして辿り着いて戦う最中(さなか)にも、多くの犠牲が出るのはもはや避けられない……

 

「(……嫌だ、そんなの)」

 

 どうやっても、何をしても多数の死傷者が出る。その絶望に反発するように、胸の内が熱くなっていく。

 

「(助けたい……助けなきゃ!)」

 

 思考が加速し、周囲の時間が重くなっていく。同時に、溢れる激情と使命感が一つになって、胸の炎が燃え上がっていく。そして――

 

 コオオォォォ……!

 

「!?」

 

 ぼくの心に同調するように、手にする神剣から熱が伝わる。

 

「(これは……)」

 

 どこかで、聞いたことがある。神剣は、持ち主の善い思考――善思が強いほど、その秘めた力を引き出せるのだと。

 ぼくの心が、剣が求める善思に値するのかは分からない。けれど、今この時に、その力を貸してくれるというのなら。

 

 剣から伝わる熱のようなもの――清浄な魔力の(ほとばし)りに身を任せる。それはやがてぼくの全身に及び、暖かさに包まれていく。そして、もう一つ伝わるものがある。

 

「(分かる……神剣の使い方が……今、何ができるのか……!)」

 

「シエラ!」

 

 仲間の一人に短く呼び掛ける。

 

「少しの間でいい! 時間を稼いで!」

 

「……! 分かりました!」

 

 神剣から溢れる力を彼女も感じ取ったのだろうか。状況を打開できる可能性に賭け、ぼくの申し出を快諾(かいだく)してくれる。

 

 魔物たちは、本能的にそれが危険だと理解したのだろうか。無作為だった狙いをぼくのほうに集中させつつあるようだった。が、その全てをシエラが遮り、手にする槍で払い、突き殺していく。その背に胸中で感謝し、ぼくは意識を集中させる。

 同時に、戦場を暴れ回る魔物たちを見据える。その脅威に(さら)される人たちの姿も。抗い、戦う人たちの姿も。

 それら全てを視界に収め、ぼくは神剣を肩に担ぐように構えた。

 

 そして、唱える。

 

「《――私は『神剣』という名である》」

 

「《――私は『義なる者』という名である》」

 

「《――私は『魔を払う』という名である》」

 

「《――私は『清浄をもたらす』という名である》」

 

「《――私は『輝く光輪』という名である》」

 

「《――私は『到達する者』という名である》」

 

「《……これらの名が汝に力を与える。これらの名が汝に勝利を与える。我が名の力と勝利もて、彼らの敵意を破壊せよ!》」

 

 オオオォォォ……!

 

 神剣の力が増していく。剣を通して、ぼくの身にも力が流れ込んでくる。

 やがてそれが最高潮に達したところで、ぼくは目を見開き、高らかに叫んだ。

 

「《〈神剣……パルヴニール〉!》」

 

 叫びと共に、視界に入る一切を捉えるように、ぼくは神剣を横一文字に薙ぎ払った。

 

 全身に迸る体力・魔力を意識と動作で両手に、その先に握る剣一本に収束させ、身体の中心で剣を振り抜く。師匠に教わった剣の技。それは、無駄なく効率的に、そして鋭く研ぎ澄まし、神剣の力をさらに増幅・先鋭化させてくれる。

 

 一閃と共に、剣から溢れた力が放出される。(まばゆ)い光の奔流となったそれは、本来の剣の長さを遥かに超え、長く遠く伸長し、戦場の全てを呑み込むように広がっていった。陣形を立て直そうとしていた帝国兵も、今まさに襲わんとしていた魔物たちも、等しく光に(さら)われてゆく。

 

「な……!?」

 

 魔族の指揮官が驚きに声を漏らすのが聞こえた。その声も、彼が放とうとしていた魔術も呑み込み、光は戦場を走っていった。

 

 …………

 

 やがて光は収まり、戦場をわずかの間、静寂が包む。

 

 帝国兵たちは混乱していた。

 盾を魔物に突破され、襲い掛かられ、もはや絶体絶命かと覚悟を決めたところを、さらに謎の光に呑み込まれたのだから。自分たちの身に何が起こったのか分からないまま、彼らは恐る恐る目を開いた。すると……

 

「……生き、てる? ……それに、魔物は……?」

 

 兵士の誰かが呟くのが聞こえた。彼の言葉通り、目の前まで迫っていたはずの魔物の群れは、いつの間にか嘘のように消え去っていた。その手に持っていたであろう地面に落ちた武器と、空気中に漂うわずかな穢れだけが、この場に彼らの痕跡を残す。その穢れも、やがて空に溶けるように消えていった。浄化されたのだ。

 

「バ、カ、な……こんな小娘が……神剣を……使いこなしたと、いうのか……おの、れ……」

 

 かろうじて上半身だけを残していた魔族が、驚愕に目を見開いたまま、やはりその身から溢れる穢れを浄化され、煙のように消えていく。

 

 そう。助けたいと強く思ったことがきっかけだったのか、神剣はぼくの願いに応え、秘めた力を発揮してくれた。魔を払い、穢れを浄化するという力を十全に。

 その力は戦場を駆け巡り、魔物と魔族、そしてそれが放とうとしていた悪しき魔術だけを討ち据えた。人間たちには傷一つないはずだ。

 

 戦場の端には、難を逃れた魔物たちがまだ百か二百程度残っていた。パルヴニールの光が届かなかったのだろう。けれどあの数なら、帝国兵が状況を把握し次第、掃討することが……

 

「(あ、れ……?)」

 

 意識がぼんやりする。足元がふらつく。立ち眩みを起こした時のように、視界がまばらに暗く染まってゆく。そこへ――

 

「おのれ、勇者……! かくなるうえは……!」

 

 身体は既に浄化され、頭部だけが残っていた魔族。その瞳が目一杯見開かれ、怪しい輝きを放つ。

 

「我が目に宿りし悪神の加護、邪視の呪い! その身に受けるがいい!」

 

 瞳の光は紋様のようなものを形作り、こちらに向かって吸い込まれるように飛んでくる。

 

「この呪いに侵された者は正常な判断力を失い、誤りしか選択できなくなる! そうなれば貴様はいずれ……!」

 

 魔族の声の勢いに押されるように、形を持った呪いが吸い込まれるようにこちらに近づく。やがて到達したそれが体に触れる前に……ぼくの瞳も光を放ち、形作られた紋様がその身を包み込み、飛来する呪いを打ち消した。

 

「なっ……!」

 

「残念、だったね……ぼくには、呪いの類は、効かないんだ……」

 

 ぼくの瞳に宿る加護、〈聖眼(せいがん)〉。その目は、あらゆる呪いを打ち消し、無効化する。他者にかけられた呪いでさえも解くことが可能だった。

 

「おの、れ……おのれ、勇、者……!」

 

 悔しげに、憎悪を滲ませた声を上げながら、今度こそ魔族は完全に浄化され、風に散っていく。それをこの目で確認したところで……

 

 ドシャっ……

 

 体から力が抜け、そのまま倒れる。

 さっきの神剣の一撃、そして〈聖眼〉で、体力も魔力も振り絞ったのだろうか。指を動かす気力すら湧かなかった。

 

「勇者さま!」

 

「「アルム!」」

 

 仲間たちがぼくを呼ぶ声が聞こえる。心配かけてごめん。

 遠くから、帝国兵たちの雄叫びも聞こえる。おそらく、残った魔物たちの追討が始まったのだろう。

 耳に届くそれら全部が、みんなを無事に護ることができた証のように感じられて……その満足感を胸に、ぼくは残っていた意識を手放した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18節 紫電①

 デーゲンシュタットの街を出て東に向かったところにある、小さな森。私とアレニエさんは今、その森に二人だけで足を踏み入れていた。

 陽は中天を過ぎ、夕刻に差し掛かろうとしていた。その光は繁茂(はんも)した樹々に遮られ、少しの薄暗さを感じる。

 

 この森が〈流視〉に見えた、アルムさんの身柄の取引場所だ。実際にはもう少し奥に進んだ場所に拓けた広場があり、そこに建てられた猟師小屋で引き渡されることになっている。

 やがて、この『目』で見た光景そのままに森が拓けていき、件の猟師小屋も見えてきた。そこで、アレニエさんが静かにこちらを制止する。

 

「誰かいる」

 

 彼女は小声で短く呟くと、警戒しながら広場に足を踏み入れる。途端に跳ね出す心音をなんとか(なだ)めながら、私も慎重に後に続いた。

 

 広場の中央に、人の姿をした何者かが一人だけポツンと立ち、森を眺めている。

 黒いローブを身に纏い、顔は目深に被ったフードでよく見えない。けれどチラリと覗く手足や、服の上からでも分かる体の線などから、女性であることは察せられた。

 

 他に人影は見当たらない。ということは極めて高い確率で、彼女が例の取引相手――推定、魔族だろう。

 

「おや?」

 

 不意に、その女性が振り向く。相手もこちらに気づいたらしい。

 

「もし、お嬢様方。ここは危険ですよ。じきに怖い方たちがやって来ますから、早々に離れることをお勧めします」

 

 しかし相手の台詞に、しばし面食らってしまう。

 推定魔族が、私たち人間(アレニエさんは半魔だが)の身を案じるかのような言動をとるなんて……まさか、人違い、とか?

 

「そういうあなたは、どうしてここに?」

 

 私が虚を突かれている間に、アレニエさんは臆さず目の前の人物に声を掛けていた。女性は冷静に、あまり抑揚のない口調で、言葉を返す。

 

(わたくし)は、待ち合わせをしておりまして」

 

「こんな場所で?」

 

「はい。こういった場所でなければ、少々目立ってしまうものでして」

 

 謎の女性はほんの少し困ったようにフードに手を添える。

 

「ふぅん。けど残念だったね。いくら待っても待ち人は来ないよ」

 

「……どういうことでしょうか?」

 

「言葉通りの意味だよ。アル――勇者は今頃、牢から助け出されてるし、皇帝もとてもじゃないけどここに来られる状況じゃないからね」

 

「……おや?」

 

 フードの奥の瞳が、きらりと光った気がした。

 

「それを知っているということは……私と皇帝様との取引についても、ご存じで?」

 

「うん、知ってる。ここで勇者の身柄をあなたに引き渡すんでしょ?」

 

 アレニエさんが率直に指摘すると、女性は少し身を震わせた。笑った、のだろうか。

 

「なるほどなるほど。まさかこうも早く調べ上げ、対応されるとは、さすがに予想していませんでした。貴女様方は何者でしょうか?」

 

「ただの通りすがりの冒険者だよ。たまたまあなたたちの企みに気づいた、ね」

 

「通りすがりのたまたま、ですか。面白いですね」

 

 女性はそれに、意味ありげに笑みを浮かべる。

 

「しかし残念です。そんな話を聞いたからには、貴女様方を逃がすわけにはいかなくなってしまいました」

 

「ただの迷子だったら、見逃してもらえたのかな」

 

「ええ。皇帝様とは、帝国の民を傷つけないよう契約を結んでいましたから」

 

 最初の台詞はそのためだったらしい。いや、低姿勢な言動は元からなのかもしれないけど。

 

「ですが、致し方ありません。取引が成立しないのであれば、契約を守る義務もございません。後は、目撃者である貴女様方を始末して帰還するといたしましょう」

 

 言葉と共に、女性は右手を前方に掲げる。その手の先に魔力が集まり、次の瞬間には(まばゆ)い紫色の雷撃が発せられる!

 

 バチィ!

 

「っ! 雷!?」

 

 狙われたアレニエさんは、驚きに声を上げながらもその魔術を避けてみせる。目標を外した雷は後方の木を撃ち、瞬く間に燃え上がらせる。

 

「できれば『神鳴(かみな)り』ではなく、『厳槌(いかづち)』と呼んでいただきたいですね。こう見えましても私は……あぁ、そうでした。忘れていましたね」

 

 そう言うと女性は、目深に被っていたフードを脱ぎ、ローブを脱ぎ捨て、顔を、全身を晒す。

 

 薄紫色の短い髪に、金色の瞳。髪の間から覗く二本の角と尖った耳が、彼女が人間ではないことを主張する。けれど、その顔立ちや表情からは、意外にも穏やかな印象を与えてくる。ローブの下には、黒と紫を基調としたドレスを纏っていた。

 

 そしてローブを脱いだのと同時に、それまで隠していたであろう魔力が身体から開放される。全身に吹き付けるような圧力を感じ、ゾワリと背筋が冷え、足がすくむ。この魔力は……!

 

「改めて、名乗らせていただきます。雷の魔将、『紫電(しでん)』のルニアと申します。短い間ですがどうぞお見知り置きを」

 

 謎の女性――雷の魔将は、そう言って深々とお辞儀をする。

 

「魔将……!?」

 

「はい」

 

 さすがに予想してなかったのか、アレニエさんが驚愕に声を上げるのが聞こえた。正直私も同じ気持ちだ。一生のうちでこんなに立て続けに魔将と出会う人間など、本来は勇者とその守護者ぐらいのはずなのだから。いや、そもそも……

 

「……なんでこんなところまで来てるの?」

 

 そう。まさしく私もそれを疑問に思った。

 

 魔将の第一義は魔王の守護。だから彼らは基本的に魔王の居城、もしくはそこから程近い『戦場』でしかお目にかかれない、というのが定説だ。イフやカーミエも城を出て勇者の命を狙っていたが、彼らは例外の部類だろう。なのに……

 

「最近同僚の皆様が立て続けに失敗しておりまして、普段は城に(こも)っている私まで現場に駆り出されたのですよ」

 

「……そんな理由で気軽に来ないでほしいなー」

 

 同感です。

 

「そう言われると心苦しいのですが、これも仕事でして」

 

「たまには仕事休んでもいいと思うよ?」

 

「いえいえ。休んでなどいられません。イフ様やカーミエ様の分まで働かなければなりませんから。それに勇者様方をここで始末できれば、今後の仕事が楽になりますので」

 

「だからそんな理由で……ん?」

 

 不意に、アレニエさんが何かに気づいたように声を上げる。

 

「ルニア、って名前……あなたもしかして、イフが言ってた、『あの女』?」

 

「確かに、そう呼称されることはありますね」

 

「石の魔将は『陰気女』って呼んでたけど」

 

「それは悲しいですね」

 

 ちっとも悲しくなさそうな声色で、雷の魔将――ルニアが応じる。

 

「お二人をご存じなのですか?」

 

「……前に、ちょっとね」

 

「ひょっとして、あのお二人を倒されたのは……」

 

「一応、わたしたち」

 

 アレニエさんの告白に、ルニアはかすかな笑みを浮かべた。

 

「これはこれは、なんとも奇遇なことですね。イフ様、カーミエ様を退けた方々と、このような場所で出会えるとは。巡り合わせというものでしょうか」

 

「……わたしは出会いたくなかったんだけどなー」

 

「そんなつれないことを仰らずに。勇者様ご一行以外で、私たちと出会って生き延びる方は非常に(まれ)なのですから。是非とも歓迎させてください」

 

 そう言うと魔将は、再び手を前方に掲げ、雷の魔術を放つ。

 

「ほらー! こうなると思ったから嫌だったんだよ!」

 

 文句を言いながらも、アレニエさんは的確に雷撃を避けていく。

 

「申し訳ありません。私がこの場でできる歓迎はこのくらいのものでして」

 

 言葉を交わしながらも、魔将は雷を放ち続ける。

 

「そんな歓迎ならいらない、よ!」

 

 それらを避けながらアレニエさんは、懐から取り出したスローイングダガーを前方に投擲した。

 両者の中間地点で雷がダガーに引き寄せられるように直撃、そして爆発する。ダガーの柄に引火したのかもしれない。少しの間、視界が煙で遮られる。

 アレニエさんはその隙に駆け出す。煙を迂回するようにしながら一足飛びで魔将に迫り、腰の剣を抜き放ち、斬り付ける。

 

 シャンっ!

 

『気』を込められた彼女の愛剣〈弧閃〉は光を纏い、長さと鋭さを増して相手の首を狙う。

 

「く――?」

 

 魔将はそれを身を逸らし、寸前でかわす。細く線を引くように、首の皮膚の表面が薄く切り裂かれる。その顔にはわずかに驚きの色が見て取れた。

 着地したアレニエさんはその場でくるりと回り、続けざまに二撃目を繰り出そうとするが……

 

 ここで魔将が、足元の地面を軽く蹴った。タンっ、と軽やかな音が響き、次にはそこから多量の魔力が発せられ――

 

「アレニエさん、下がって!」

 

「――!」

 

 危険を察知し、思わず私は叫んでいた。

 彼女も警戒はしていたのだろう。私の警告とほぼ同時に、即座にその場を飛び退く。その直後――

 

 ドォォン!

 

 と、雷鳴を響かせながら、人一人を呑み込むほどの大きさの雷が地面から立ち昇り、すぐに空に散っていった。

 

「――……」

 

 威力にも戦慄するが、詠唱無しでこの規模の魔術を使えることにも驚愕する。魔将の恐ろしさを再認識させられた。

 

 大きく後ろに飛び退いたため、アレニエさんとルニアとの距離は再び開いていた。地面から白煙が上がる向こうから、魔将が声を届かせる。

 

「なるほど、素早いですね。これは、あのお二人でも手を焼くのが頷けます。でしたら――……こういうのは、どうでしょう」

 

 言葉の後、魔将は小さく、すんと鼻を鳴らした。その次の瞬間――

 

 パリっ―― 

 

 と、小さな放電だけを残して、ルニアがその場から姿を消す。

 次の瞬間には彼女は……アレニエさんの目の前に、立っていた。

 

「え――……」

 

 帯電した魔将の右手が、アレニエさんの鎧の胸部に触れる。虚を突かれた彼女には、それを避ける暇さえなかった。そして――

 

 バヂィっ!

 

 その手に、どれほどの破壊的エネルギーが込められていたのか。

 軽く触られただけのはずのアレニエさんは後方に大きく吹き飛び、背後の木に背中から衝突し……ずるりと、力なく座り、もたれかかる。

 

「……え……?」

 

 思わず驚きに声を漏らし、次に、恐る恐る後方に視線を向ける。

 

「……アレニエ、さん……?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19節 紫電②

「……アレニエ、さん……?」

 

 私は信じられないものを見る思いで、彼女の名を呆然と口にした。

 あのアレニエさんが……イフやカーミエとも互角に渡り合った彼女が……こんなに、あっさり……?

 

「自分より速い相手と戦うのは初めての経験でしょうか? こう見えて、(わたくし)も速さには少々自信がありまして」

 

 ルニアは相変わらず淡々と、勝ち誇るでもなく、声を届かせる。アレニエさんに向けての言葉のようだが、肝心の彼女は木にもたれかかったまま、反応を見せない――

 

「……う……げほっ……!」

 

「(! 生きてる!)」

 

 樹木を背にぐったりと座り込んでいたアレニエさんが、苦しそうに咳き込むのが聞こえた。反応があったことに、生きていてくれたことに、胸中で感謝する。

 

 しかし、その身は大きく手傷を負い、満足に身体も動かせないのだろう。立ち上がることもできず、その場で荒い息をついている。

 

「やはり生きておられましたか。わずかに手応えが軽い気がしていました」

 

 触れられる寸前で、抵抗したということだろうか。ルニアは大して驚く様子も見せず、アレニエさんに語り掛ける。

 

「さて、どうしたものでしょう。ここは、早々に貴女様にとどめを刺すべきでしょうか? それとも――……もう一人のお嬢様を、もてなすのが良いでしょうか?」

 

「――……!」

 

 ちらりと、こちらに視線を向けられただけで、全身が総毛立つ。

 魔王に次ぐ実力の持ち主、魔将の一人。しかも、あのアレニエさんを速さで打ち負かしてしまうほどの相手。そんな存在と、私は今対峙しているのだ。吹き荒れるような魔力はびりびりと肌を刺すように刺激し、私の身体を委縮させ、立ちすくませる。

 けれど……

 

「リュイス、ちゃ……逃げ、て……」

 

 アレニエさんが振り絞った声で私に逃げるよう促してくる。こんな時まで私の身を案じる彼女に視線を送り、この目に収める。それから前を向き、ほんの少しの間、瞳を閉じる。

 意識を、魔力を右目に集中させ、心の内で神の加護を願い求める。そして静かに、瞳を開いた。

 

 左目に変化はない。閉じる前と同じ景色が広がる。けれど右目には光が宿り、淡く、青く、色づいていた。

 その瞳で、私は前を――魔将を見据えた。怖気を振り払い、全身に力を入れ、それから気を静める。半身の姿勢で軽く腰を落とし、左手を顔の高さに、右手を腰の位置に置くいつもの構えを取る。そして、唱える。

 

「――《プロテクション》」

 

 前に出した左手、腰だめに構えた右手。それぞれの手の先に、光で編まれた盾が出現する。司祭さま直伝の武術、プロテクション・アーツの基本姿勢――

 

「おや? 思ったよりも積極的ですね。お逃げになられないのですか?」

 

「……私が逃げたら、貴女は彼女にとどめを刺すつもりでしょう?」

 

「はい。貴重な方ではありますが、だからこそ私共の障害になる可能性は看過できかねます。お命は奪わせていただくことになるでしょう」

 

「なら、逃げるなんて、できません。私は、アレニエさんを護るためにここにいるんですから」

 

 自分一人なら、おそらく目の前の魔将に怯え、震えることしかできず、そのまま無残に殺されていただろう。

 でも、彼女を、アレニエさんを護るためなら、それしか方法がないというなら、こんな私でも覚悟を決めて戦える。絶望的な困難にも立ち向かえる。

 それに彼女なら、私が戦っているわずかの間に休息し、すぐに態勢を整えてくれるはずだ。だから……

 

「(アレニエさん……私に、勇気を……!)」

 

 だからそれまでは、私が足止めする。私が彼女を助ける!

 

「素晴らしい意気込みですね。貴女様の勇気には感服しますが、私もそろそろここを引き払い、帰還しなくてはなりません。もてなしは手短に済ませることをお許しください――」

 

 その言葉が終わると共に――

 

 パリっ――

 

 再び小さい放電だけを残し、ルニアの姿が消える。

 

 自身の身体を雷と同化させる魔術。まさに雷光の如き速さで動くそれは、咄嗟に反応することはおろか、目で追うことさえ困難だ。次に姿を現す時を待っていては、私もアレニエさんと同様にかわす暇もなくやられてしまうだろう。だから私は――

 

 ――トンっ

 

 と、相手が姿を現す前から、右に一歩分だけ踏み込んだ。

 直後、目の前に魔将が現れ、帯電した右手を突き出してくる。が、既にそこに私はいない。事前にそれを避けてみせたことに、彼女はかすかな驚きの表情を浮かべる。

 

「……おや?」

 

 次いで私は、突き出されたルニアの右腕側面に両手を当て、それを支点に回転しながら懐に潜り込み、左肘を相手の側頭部に打ち込む!

 

 ゴっ――!

 

「お――……?」

 

 数日前の稽古で、エカルさんが見せてくれた動き。相手の間合いに潜り込むと同時に攻撃する技法。

 続けて、盾を纏わせた右拳を、魔将の腹部に叩き付ける!

 

「おぶ――……!?」

 

 内臓(人間と同じようにあるのかは分からないが)を打たれ、魔将が少し苦しそうな顔を見せる。そこへ――

 

「はっ!」

 

 両の拳を相手の胸に押し当て、思い切り前方に踏み込む!

 

 ダンっ!

 

「うぶ――!?」

 

 震脚と共に衝撃が伝わり、魔将が後方に吹き飛ぶ。倒れはしないものの、痛みを(かば)ってか、魔術を解いた右手で胸部を押さえていた。

 

「フ……フフ……思った以上に、腕が立ちますね。でしたら――」

 

 パリっ――

 

 再び、魔将がその姿を雷と化して、目の前から消える。かすかな放電の後だけを残して、四方八方に移動し、こちらの隙を伺ってくる。

 

 武術の達人なら、来ると分かっていれば、あるいは気配を察知して対応することも可能かもしれない。が、それが叶わない私はこの『目』で追うしかない。相手の動きを、動きの流れを視界に捉え、どこからどう攻撃してくるのかを読み切ってみせる。

 

 魔将は雷光と共に私の側面に移動してきていた。その動きの流れを事前に読み、向かい合い、相手の攻撃をかわし、カウンターで胴に拳を打ち込む!

 

 ゴっ!

 

「うぐ!?」

 

〈流視〉に映る光景は川の流れに例えられる。

 それが、どんなに速い急流だとしても、川全体の流れを、流れの形状を把握できてしまえば、私でも攻撃を受け流し、対処することができる!

 

「……その目……もしやカタロスの……フフ……なるほど。貴女様でしたか。ここまで私の計画を邪魔してくださったのは」

 

 ルニアがこちらと視線を交わし、先ほどまでより深く笑う。その表情にゾワリとしたものを感じつつも、努めて息を整える。

 

「はぁ……! はぁ……! はぁ……!」

 

 時間にしてみればわずかの攻防。けれど息は上がり、動悸は収まらず、全身に冷や汗をかいている。

 

 いくら流れを読めるといっても、あの速さに対処するには身体に負担をかけないわけにはいかない。しかもあの帯電する右手は、一度でも貰ってしまえばそれだけで終わってしまいかねない威力を秘めている。鎧も纏っていない私ではなおさらだ。さらには、間近で魔将の魔力を受け続けてもいた。

 それらがもたらす重圧は、通常では考えられないほどの肉体的・精神的疲労を与えてくる。激流に身を投げ出し続ける心地だ。正直、あとどのくらい保つか分からない――

 

「――ありがと、リュイスちゃん」

 

 そこで、声が聞こえた。私が、待ち望んでいた声が。

 

「後は、任せて」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20節 雷を斬る

「……う……げほっ……!」

 

 ――胸と背中に激痛が走る。

 気づけばわたしは背後の木にもたれかかる形で、地面に座り込んでいた。

 全身を虚脱感が襲って上手く身体を動かせない。直前に何があったかもあやふやだったが、わずかな間を置いて現状を思い出す。

 

「(そっか……わたし、雷の魔将に……)」

 

 姿が消えたと思ったら、いつの間にか目の前にいた。名前の通り雷になったかのような速さに反応できず、一撃を貰い、気付けばこの有様だ。

 

「やはり生きておられましたか。わずかに手応えが軽い気がしていました」

 

 手応えが、軽い……? 全く反応できなかったと思ってたけど……無意識に、体が反応して避けてくれていたんだろうか。

 

「さて、どうしたものでしょう。ここは、早々に貴女様にとどめを刺すべきでしょうか? それとも――……もう一人のお嬢様を、もてなすのが良いでしょうか?」

 

 朧気(おぼろげ)な意識。(かす)んだ視界。そこへさらに、耳に届いたルニアの言葉に、血の気が引く。

 

「(――そうだ、リュイスちゃんは……!?)」

 

 視線だけで、彼女を探す。

 わたしが倒れてしまえば、魔将の矛先はリュイスちゃんに向くかもしれない。いや、変わらずわたしのほうに向いていたとしても、彼女はわたしを護ろうと拳を握るだろう。そんなのダメだ。

 

「リュイス、ちゃ……逃げ、て……」

 

 だから逃げるよう促す。が、あまり大きな声は出てくれなかった。彼女に届いたかは分からない。ただ――

 ただ、届いていたとしても、ここで逃げるような子じゃないのも、薄々気づいていた。

 

 彼女は、ちらりとこちらに視線を向け、わずかに笑顔を見せてから、前を向く。いつもの構えを取り、両手に神の盾を顕現させ、雷の魔将との戦いに赴く。

 その背中が、直前の笑顔が、雄弁に物語っていた。わたしがすぐに態勢を整えて復帰すると、信じている。その時間を稼ぐと、彼女は言っているのだ。

 

「(……何してるの、わたし!)」

 

 こんなところで死にかけてる場合じゃない。彼女の信頼に応えなきゃいけない。――いや、応えたい。

 

「……《獣の檻の守り人。欠片を喰らう(あぎと)黒白(こくびゃく)全て噛み砕き、等しく血肉に変えるもの……》」

 

 静かに、呼吸を整えながら呟く。左手の黒い篭手を解放させる鍵、そのための詠唱を。

 

「起きて……〈クルィーク〉」

 

 その名を呼ぶと共に、心臓がドクンと脈打つ。抑え込まれていたアスティマの悪しき魔力――穢れが、血液に混じり行き渡り、左半身を変異させていく。

 両目共に黒だった瞳は左目だけが赤く染まり、淡く輝く。前髪の何房かも瞳と同様の色に染まった。

 左肘から先が異音を上げて肥大化する。それに合わせて〈クルィーク〉も形を変え、腕を呑み込むように一体化し、硬質で禍々しい巨大な鉤爪と化す。

 

「すぅー……ふぅー……」

 

 半魔であるわたしの姿。人前では決して見せられない本当の姿を晒しながら、わたしは地べたに座ったまま、静かに呼吸を整えていく。

 人より頑丈で再生力も高い半魔の身体。そこへさらに、余剰分の穢れを〈クルィーク〉の能力の一つ、『魔力の吸収』によって食べてもらい、もう一つの能力、『魔力の操作』で治癒力に変換する。

 

「すぅー……ふぅー……」

 

 そして呼吸によって全身に『気』を巡らせ、心身を活性化させてゆく。変換された治癒力が呼吸を通して、少しずつ身体に(みなぎ)ってゆく。

 

 わたしがそうして身を休めている間にも、リュイスちゃんとルニアの戦いは推移していた。

 彼女は、魔将が雷と化して放った攻撃を、わたしがかわせなかった一撃を見事にかわし、反撃までしていた。おそらくそれは〈流視〉による成果なのだろうけど……

 

「(……すごいなぁ、リュイスちゃんは)」

 

 力の差は歴然。通常なら逃げ出しても仕方ないところを、彼女は他者を、わたしを護るために恐怖を堪え、戦ってくれている。それは、自身の命を第一にし、時には逃げることさえ(いと)わないわたしには、真似できない強さだ。

 

 そんなわたしでも、ここは引けない。今、あの魔将を抑えてくれているリュイスちゃんを、わたしだって放っておけない。彼女を死なせるわけにはいかない。死なせたくない。

 

 すぐ近くに落ちていた〈弧閃〉を拾い、右手で握る。

 剣は握れる。なら、まだ戦える。

 

「ふ……ん……!」

 

 満足に動かない身体を叱咤(しった)し、その場で立ち上がる。足は少しふらついたが、なんとかバランスを保ち、顔を上げ、前を向く。

 視線の先では、リュイスちゃんと魔将が互いに距離を空けて睨み合っている状態だった。彼女は本当に、わたしが動けるようになるまで時間を稼いでくれたのだ。

 

「――ありがと、リュイスちゃん」

 

 二人の間に割って入るように、わたしは声を上げた。

 

「後は、任せて」

 

「アレニエさん……」

 

 リュイスちゃんがこちらに振り向き、嬉しそうな顔を見せる。その身体は疲労と緊張が限界に達していたのか、かすかに震えていた。

 

「その姿に、魔力……貴女様は、半魔だったのですね」

 

 対する魔将は、相変わらず冷静な声でこちらに問いかける。その声色には、わたしの正体に対する驚きも、リュイスちゃんに殴られた負傷の色も、あまり感じられない。

 

「まぁ、ね。あなたみたいな魔族からすれば、軽蔑の対象なんだろうけど」

 

 実際、昔かーさんを追ってきた魔族たちなんかは、悪しざまに罵ってきたのだけど……

 

「まさか。そのような真似は致しません」

 

 こちらの言葉を一笑に付すルニアに、わたしはほんの少し怪訝な顔を向ける。

 

「……イフもそうだったけど、変わった魔族だね」

 

「お褒めに(あずか)り光栄です」

 

「褒めてるわけじゃ……いや、褒めてるのかな?」

 

 どうもこのひと、最初から腰が低いんだよね。ずっと妙な丁寧語だし。魔族にしてはかなり珍しい部類だと思う。

 

「さて。立ち上がったということは、再び貴女様が戦う意思表示と見てよろしいでしょうか」

 

「よろしいよ」

 

「そしてその姿が、貴方様にとっての本気ということでしょうか」

 

「そうだね。そう言っていいと思う」

 

「ではでは、今度こそ存分に見せていただきましょう。イフ様、カーミエ様を退けたという、貴女様の全力を――」

 

 パリっ――

 

 その言葉と共に、再び魔将が雷と同化して、姿を消す。

 

「リュイスちゃん! 警戒しながら下がってて!」

 

「は、はい!」

 

 彼女に警告を飛ばしながら、わたし自身も、周囲を飛び回る雷光から意識を切らさないよう警戒する。

 さっきは虚を突かれてかわすこともできなかった。今は、相手の手口を理解している。今度は、対応してみせる!

 

「すぅー……ふぅー……」

 

 呼吸を整え『気』を練りながら、意識を平静に保つ。

 

 目では追いきれない。音で捉えるのも難しい。かろうじて、巨大な魔力が動く痕跡を、魔覚で感じ取ることはできる。

 一つ一つでは完全に捉えられずとも、全身の感覚を総合して研ぎ澄ませれば、なんとなくの気配として掴むことができる。それらはこれまでの経験と混ざり合い直感となり、相手の動きの流れを肌で感じ取ってくれる。感覚と経験による疑似的な未来予測。リュイスちゃんの〈流視〉ほどじゃないけれど、動きの先を読むことはわたしにもできる。

 

「ふっ――!」

 

 全身で感じ取った相手の気配に、自然と身体が動いた。

 背後に振り向きながら一歩前進し、全身の力を『気』に変換。右手に握る〈弧閃〉まで伝え、鋭く、無駄なく、剣を振るう。とーさんに教わった基本にして深奥の剣。その剣に断てぬもの無く――

 愛剣に伝えられた『気』は輝く刃を形成し、その場に不自然な残光を残しながら……背後から迫っていた雷を、切り裂いた。

 

「え――?」

 

 と、呟く声は、今まさに目の前に現れた、魔将のものだ。表情に乏しいその顔が、わずかに驚きに歪んでいた。

 

「……まさか……まさか、雷と同化した(わたくし)を……〝雷自体〟を、斬ったのですか……?」

 

 そう呟くルニアの身体は、先刻とはわずかに見た目に違いが出ていた。右腕だけが、根元から欠けているのだ。少しして――

 

 ――トサっ

 

 と、斬り飛ばされた右腕、たおやかな女性らしい細腕が、地面に落下する。

 

「あ……私の、腕……?」

 

 そして――

 

 ブシュ……!

 

 斬られていたことを忘れていたかのように、今になって傷口から血が噴き出す。

 

「……あ……あ……ああああああ!?」

 

 遅れて痛みがやってきたのか、ルニアが左手で傷口を押さえながら叫ぶ。腕を根元から斬り飛ばされたのだから相当な痛みだろう。人間ならショック死していてもおかしくないかもしれない。ここまでやって初めて、彼女が取り乱すところを見た気がする……と。

 

「……痛い……!」

 

 そう叫びながらも雷の魔将は……これまでに比べたら見たこともないような満面の笑みで、恍惚(こうこつ)とした表情を浮かべていた。……なんで?

 

「私の、腕……こんな……こんな鋭い痛み、初めてで……あぁ……私、恥ずかしながら興奮しております……!」

 

「えぇ……」

 

 思わず戦いも忘れてちょっと引いてしまう。

 痛みで興奮するって……もしかして、被虐趣味のひと? そういえば、リュイスちゃんに殴られた後にもちょっと笑ってたりした気はするけど……あれ、そういう意味だったの?

 

「あぁ、あぁ……なんという素晴らしい出会いなのでしょう。私に痛みを与えられる方と、一日に二人も巡り合えるとは……! しかも……この、斬られたことに気づけないほどの傷の鋭さ……それに、そこから一斉に走る、焼け付くような痛み……これは通常の傷の痛みだけではなく、集約されたアスタリアの生命力によるものでしょうか……? あぁ、とにかく、本当に素晴らしいです、お嬢様……!」

 

「いや、あの、はい」

 

 どうしよう。こういう時なんて言ったものだろう。わたし分かんない。

 

「さぁ、もっと……もっとその痛みを味合わせてください……! この端女(はしため)に、貴女様の鋭い刃を、もっと……――!」

 

 そこで、不意に違和感を――嫌な予感を覚えた。何かは分からないけど、全身が警戒している。反射的に後退する。すると――

 

「――ずいぶん楽しそうじゃねぇか、陰気女」

 

 ドシュ――!

 

「……え?」

 

 何が起こったかすぐには分からず、間抜けな呟きが口から漏れてしまう。

 目の前で、興奮しながらこちらに詰め寄ろうとしていた雷の魔将、ルニア。その彼女の胸の中心から……何かの冗談のように、何者かの細い腕が、唐突に生えていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21節 蛇①

「グ、ぶ……?」

 

 雷の魔将ルニアが、苦しげに口から血を吐く。その胸部から、小さな白い手が生えている。いや、生えたわけじゃない。誰かに背後から貫かれているんだ。

 

 ルニアの背後にはいつの間にかもう一人、小柄な少女の姿があった。気づかぬうちにルニアの影から――というより地面から抜け出るように現れ、彼女の身体を素手で貫いている。先刻の嫌な気配は、少女から発せられる魔力だったようだ。直前まで気付けなかったそれが、今ははっきりと感じられた。

 

 少女は、抜けるような白い肌に黒いドレスを纏い、金色の髪をなびかせる頭部からは左右に二本の角を生やしている。その姿には、どこかで見覚えが――

 

「……これは、これは、カーミエ様……お久しぶりで、ございます。生きておられた、のですね……あぁ……鋭い刃物の痛みも素敵ですが……力任せに肉を裂き、内臓を(えぐ)られる痛みも、味わい深いものがありますね……」

 

「てめぇは相変わらず気持ち悪ぃな」

 

 ルニアが口から血と共にこぼした名で、背後の存在が誰なのかに今さら気がついた。

『岩石』のカーミエ。以前、とある場所でわたしたちと出会い、戦い、そしてからくも撃退した、石の魔将の名だ。

 

「……ですが、これは……一体、どのような真似でしょうか……? 互いに良好とは言い難い間柄ではありますが、一応(わたくし)たちは仲間、の、はずですが……?」

 

 ルニアが漏らすもっともな問いに、しかしカーミエは吐き捨てるように言葉を返す。

 

「仲間だぁ? ハっ! あたしからすりゃ、てめぇもイフも目障りな邪魔者でしかねぇよ。てめぇらがいる限り、あたしが魔将の上に上り詰めることはできねぇんだからな」

 

「おや……困り、ましたね……神剣が顕現(けんげん)し、イフ様も敗れた今、残された私たちで協力して対処すべき、なのですが……」

 

「あたしの知ったことじゃねぇな。あたしは上に行ければそれでいいし、そのためなら手段は選ばねぇ」

 

「そのために……私の隙を突くために……様子を窺っていた、と……?」

 

「ああ。そっちの人間――あぁ、人間じゃなくて半魔だったか。そいつがあっさりやられた時はどうしようかと思ったけどな。結果的には予想以上に上手く働いてくれたぜ。キヒヒヒ!」

 

 笑い声を上げると共に、カーミエの腕を通して、魔力が流れ込んでいく。あれは……〈クルィーク〉と同じように、魔力を、吸ってる……?

 

 やがてカーミエは、胸部を貫いていた手を勢いよく引き抜いた。それにつられてルニアの身体が後方に引っ張られ、そのまま力なく倒れる。

 

「これで邪魔な陰気女は始末できた。後は、てめぇらにこの間の借りを返すだけだ」

 

「……素直にやられるつもりはないし、借りならこっちにもあるんだけど?」

 

 勝ち誇った笑みを浮かべる石の魔将に、わたしは〈弧閃〉を握りながら精一杯の虚勢を張ってみせる。けれど……

 

「キヒ! いじらしく剣も直してきたみてぇだが、それを扱う身体のほうがもうボロボロじゃねぇか。そんなざまであたしに勝てる気かよ」

 

 様子を窺っていただけあって、やっぱりわたしの負傷についても把握されている。

 実際、ここから続けて別の魔将とやり合わなくちゃいけないのは相当に辛い。ルニアとの戦闘で負った傷がズキズキと痛む。だけど、泣き言は言っていられない。抵抗しなければ、死ぬだけだ。

 

「キヒヒ……この間の借り、特にてめぇにはたっぷり返させてもらうぜ。こいつで(なぶ)り殺しにしてやる!」

 

 カーミエが手を前方に突き出すと、その先の地面から大小様々な石が掘り出され、宙に浮かび上がる。そして……こちらに向けて、高速で撃ち放たれる。

 

「っ!」

 

 痛みと倦怠感(けんたいかん)を訴える体に鞭を打ち、その場を飛び退いて石礫(いしつぶて)を回避する。先刻までわたしがいた地面を抉るように、飛来した石が突き刺さっていた。ただの石ではあるが、魔将の魔術で操られたものだ。当たれば骨の一本や二本は持っていかれるかもしれない。

 

 その後も礫はこちらを、特にわたしに狙いを定め、間断なく放たれ続ける。避けられはするものの、反撃に出るのは難しい石の雨。嬲り殺しにするとか言ってたし、こちらの足を止めさせずに疲労を蓄積させるつもりかもしれない。

 

 わたしはそれらを避けながら、飛んできた石の一つを左手で――つまり〈クルィーク〉で掴み取り、魔力を吸収。そして、ただの石になったそれを即座に、石の魔将に向けて投げ返す。

 

 ビシュ!

 

「うぉ!?」

 

 カーミエが顔を逸らしてこちらが投げた石を回避する。それで集中が途切れたのか、雨のように降り注いでいた魔術による石礫が、ようやく止む。

 

「(今のうちに……!)」

 

 石の魔将は再び手を前方に掲げ、改めて魔術を発動させようとしていた。まだ術が完成していないのか、目の前で石が浮かび上がる様子はない。完成すれば、接近するのは一層困難になるだろう。

 遠い距離では勝負にならないし、近づくために激しく動き回るのも今は難しい。このチャンスは逃せない。

 

〈クルィーク〉の能力で魔力の短剣を生み出し、それを投擲(とうてき)しながら、緩やかに回り込むように走る。相手の魔術を避けつつ、辿り着いた時に側面から攻撃できるように。しかし――

 前方のカーミエが、ニヤリと笑みを浮かべた気がした。同時に、魔覚に嫌な気配を感じて――

 

「アレニエさん、後ろ!」

 

 ここで唐突に、リュイスちゃんからの警告が飛んでくる。え、後ろ?

 

 ゴア――!

 

 ちらりと振り向いた後方からいつの間にか、人一人を丸ごと呑み込めそうなほどの大蛇が、宙を飛び、牙をむいて、わたしに襲い掛かってきていた。

 

「なっ……!?」

 

 咄嗟に〈クルィーク〉を盾にしながら横に飛び、大蛇の一撃をなんとか回避する。しかし、頭は相当に混乱していた。

 

 こんな巨大な生き物、どこから現れたの……!? 戦闘の最中だったって言っても、こんなのが現れたならさすがに気配で気づけるはず……

 そうして目を凝らすうちに、勘違いに気づく。わたしが大蛇だと思っていたものは……

 

「(大量の石が集まって、生き物みたいに、動いてる……? 石の、蛇……?)」

 

 ガラガラと石が擦れる音を響かせながら、多量の石が宙を流れ、一つの姿を形作る。

 大きく横に裂けた口。尖った牙。それらを(かたど)った頭部や、そこから伸びる長い胴体は、まさしく蛇だ。それが、先ほどの石礫の時のように宙に浮かび、空を()っている。

 

 おそらくこれも、カーミエの魔術によるものなんだろう。つまりさっき使おうとしていた術は石礫じゃなくて、こっちのほうだったんだ。でも、こんな大量の石、どこから……?

 

「(……もしかして、さっきから撃ってた石礫で……?)」

 

 思い立ち、先刻わたしがいた場所を見てみれば、地面に突き立っていたはずの石は綺麗になくなり、抉られた跡だけを残していた。石蛇の材料になったとみて間違いないだろう。

 

 それよりも問題は、あの『蛇』の厄介さだ。

『蛇』は今、カーミエを護るようにその周囲でとぐろを巻いている。ああされては魔将に接近しようとしても、その前にどこかで『蛇』が邪魔をしてくるだろう。かといって……

 

「……ふっ!」

 

 バヂン!

 

 試しに魔力で編んだ短剣を投げてみるが、素早く動く『蛇』の巨体と、それを覆う魔将の魔力に弾かれてしまう。通常のスローイングダガー等を投げても、おそらく結果は似たようなものだろう。

 

『蛇』を構成している魔力を〈クルィーク〉で食べれば、解体できるだろうか? ……いや。それをするには相手が大きすぎる。食べ切る前にこちらが石に圧し潰されてしまう。

 ならばとわたしは〈弧閃〉を鞘にしまい、左腰に提げたもう一本の剣、〈ローク〉を引き抜く。

 

〈ローク〉は、『魔術を制御・先鋭化する』という能力を持つ魔具だ。これをわたしが左手で握った場合、〈クルィーク〉の『魔力の吸収』という魔術が制御・先鋭化され、魔力だけでなく、魔力を付与された物質まで喰い裂くことができるようになる。制御された魔術は〈ローク〉の剣身を通して発揮されるため、刃の周辺で魔力を喰らう形になる。

 

 以前の戦いでカーミエが石巨人を生み出した際には、巨人の足元を喰い裂いてバランスを崩させ、文字通りその場に倒すことで勝利することができた。今回も同様のことができれば――

 

 ダっ!

 

〈ローク〉を両手で構えたわたしは、石の魔将に向かって駆け出した。すると予想通り、『蛇』が素早く体をくねらせ、次には牙をむいて襲い掛かってくる。

 横に跳んでかわしながら、〈ローク〉ですれ違いざまに『蛇』を斬る。飛び掛かる相手の勢いを利用し、横に裂けた口を更に切り裂き、その先の胴体まで傷を広げる。魔力を食べたことでいくつかの石は魔術の効力を失い、地に落ちる。が……

 

「(……ダメ! 一部を切り裂いただけじゃ、止まらない……!)」

 

『蛇』の動きは止まらなかった。悠々と、空を泳ぐように蛇行し、再びわたしを喰らおうと襲い掛かる!

 

「くっ!」

 

 大蛇の牙が地面に突き立つ。その場の土が抉られ、土砂が舞い散る。それを回避し、わたしは仕方なく魔将と距離を取った。

 こちらが離れたのを察すると、『蛇』は再び魔将を護るように、その周囲に身体を置く。あくまで主からはあまり離れないつもりらしい。

 

「(これじゃ、近づけない……)」

 

〈クルィーク〉の魔術を〈ローク〉に乗せた場合、切れ味は確実に上がる反面、範囲自体は狭くなってしまう。凝縮し、鋭くなった分、〈ローク〉の刃先周辺でしか魔力を食べられなくなってしまうのだ。

 

 今回の『蛇』のような全身を使って移動する相手の場合、一部だけを喰らっても、その他の大部分は止められない。そもそも生物ですらないので、多少の傷では意味がない。そして空を這い回る相手じゃ、巨人の時のように重心を崩させることもできやしない。

 

 まずい。ここからの手立てが思いつかない。負傷や疲労のせいもあってか、上手く頭が働いてくれない。どうする? どうしよう――

 

「アレニエさん!」

 

 悩むわたしの元に、リュイスちゃんが駆けてくる。

 

「よかった……無事みたいですね」

 

 そう言う彼女にも、目立った外傷はない。石礫も上手く避けてくれたみたいだ。

 

「なんとかね。……この後どうするかを悩み中だけど」

 

「あの『蛇』の対処、ですね? ……もしかしたら、なんですけど……私、少しの間なら、なんとかできるかもしれません」

 

「え、ほんとに?」

 

「はい。……ただ、アレニエさんにも協力してもらううえに、負担が大きい方法なんですが……」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22節 蛇②

 …………

 

「……なるほど。確かにそれなら、いけるかも」

 

「……大丈夫ですか? アレニエさんも消耗が激しいのは、重々承知しているんですが……」

 

「それはリュイスちゃんもでしょ。しばらく魔将と一人で渡り合ってたんだから。なら、わたしだって、少しぐらいの無茶はしなきゃね」

 

「アレニエさん……はい。絶対、二人で帰りましょうね」

 

「もちろん。……じゃあ、いくよ」

 

「はい!」

 

 そのリュイスちゃんの返事を合図に、わたしは〈ローク〉を鞘にしまい、カーミエに向かって駆け出した。

 

「キヒヒ! バカが! また突っ込んでくるだけかよ!」

 

 嘲笑う魔将は相手にせず、『蛇』の動向に気を配る。離れている時は様子を窺うだけのそれも、こちらがある程度まで近づくと……

 

 ガラララ――!

 

 本物の蛇を思わせる俊敏な動きで、本物ではあり得ない石が擦れる音を響かせながら、接近するわたしに牙をむき、襲い掛かってくる。

 それを見据えながらわたしは、左手に意識を集中させる。魔力を操作し、前方に壁を作るイメージで、赤い光で編まれた長方形の盾を生み出し、大蛇の頭を正面から受け止める。

 

 ガキっ!

 

「ふ……んぐぐぐ……!」

 

 大量の石の塊を、わたし一人の体重で受け止め切れはしない。体が押され、足元に(わだち)を作る。けれど魔族化した左腕のおかげもあってか、わずかに勢いを弱めることには成功する。この間に――

 

「《……封の章、第三節。静寂の庭……サイレンス!》」

 

 リュイスちゃんの法術が発動する。わたしの目の前に、押え込んだ『蛇』の胴体、その一部を包むように光の線が走り、人一人を丸ごと包めるほどの立方体が生み出される。すると……

 

 ガラ、ガラ……

 

 立方体の中に入った部分の石が、その動きを止める。そして地面に落下する。

 

「な……!」

 

 カーミエが驚く声をよそに、『蛇』は前進を続ける。少しずつわたしを押しながら光の立方体を通過し、そこで次々に体を構成する石を落としていく。

 

「なんだと……! 何が……何をしやがった、このガキ……!」

 

 石の魔将は現状を理解できず、今も術を維持し続けているリュイスちゃんに怒りを向けた。

 

 リュイスちゃんが発動させたのは、『魔力を遮断・鎮静化させる』法術。以前にも何度か使ったことのある術だ。

 あの光で編まれた箱――結界の中に入っているものは、生物・無生物を問わず魔力を遮られ、(しず)められる。

 あまりに強い魔力は抑えられないそうなので、たとえば魔将本人があの中に入った場合、その魔力はおそらく鎮められない。前回の石巨人のような、大規模な魔術なんかも無理だろう。

 けれど今回の『蛇』は、無数の小さい石が寄り集まったもの。その一つ一つを操る魔力はそこまで強くない。だから――

 

『蛇』の胴体がバラバラと崩れ落ちていく。

 頭はわたしを圧し潰そうと前進を続けるが、それに続く胴体が結界を通過するたびに、体を構成していた石が削ぎ落されていく。物量が減り、圧力が減少する。前進する力が弱まる。

 

 ここでわたしは、自身が生み出していた盾を解除した。そして直接『蛇』の頭に触れ、そこから魔力を吸い上げる。

 

 ズ……!

 

 頭部を形作っていた石も魔力を失い、次々と目の前で地に落ちていく。今や『蛇』の体はまばらにしか残っていなかった。

 

「(ここまで減らせれば……!)」

 

 こちらの攻撃も通るかもしれない。『蛇』の残骸を避け、接近することも――そう思ったところで……

 

「ふざけんな!」

 

 石の魔将が激昂(げっこう)し、新たな魔術を発動させる。

『蛇』を構成していた残りの石を操り、一つに集め、鋭く巨大な槍を形作ろうとしている。あんなものをまともに喰らえば、わたしもリュイスちゃんも――当たり前だが――ただでは済まない。が――

 

 バヂィ!

 

 突如横合いから雷撃が(ほとばし)り、一つに集まろうとしていた石の塊を、一撃で撃ち抜いた。

 

「んな……?」

 

 それで魔術の効力を失ったのか、石はバラバラに飛び散り、落下する。

 術を阻害されたカーミエが、思わず雷撃の発生源に目を向けた。わたしも一瞬だけそちらに視線をやると……

 

「……先ほどの、痛みの……お返し、ですよ……」

 

 雷の魔将、ルニアが倒れたまま、息も絶え絶えなその顔にかすかな笑みを浮かべ、残った左腕を掲げていた。

 

「こ……の……陰気女ぁ!」

 

 怒りの限界を迎え、怒声を発する石の魔将。それに向かってわたしは即座に、最短距離で駆け出した。

 

 魔将に対し、投擲(とうてき)物だけじゃ致命傷を与えるのは難しい。最後はやっぱり、使い慣れた愛剣でとどめを刺すしかない。わたしは走りながら〈弧閃〉の柄に手を掛けた。

 

「……ハっ! もう忘れたのか!? てめぇの剣はあたしには通じねぇ!」

 

 ルニアに気を取られていたカーミエが、ここでわたしの接近に気づき、向き直る。こちらの狙いに気づいたのだろう。石礫(いしつぶて)での迎撃は間に合わないとみて、即座に防御の魔術を発動させる。

 

 パキ、バキ、ミシ……

 

 宙に浮いた石が、首や心臓を護るように、その周囲に集まってゆく。さらにそれが異音を立て、凝縮され、次第に差し込む光を反射させるほどの光沢を生み出す。

 

 石の組成を変える魔術。それによってただの石を宝石に、中でも最も硬いと言われる金剛石――ダイアモンドに変えている。〈弧閃〉は一度、このダイアモンドの盾によって砕かれている。あの喪失感は忘れない。

 

「キヒ! もう一度砕かれたいってんなら、お望み通りにしてやるよ!」

 

 相手を剣の間合いに収められる位置まで辿り着く。しかし正面から接近したわたしを見て、石の魔将は小馬鹿にするように嘲笑った。

 

 ここからさらに回り込み、死角を狙って斬り付けることも確かにできた。そもそも以前のように、〈クルィーク〉で魔力を吸収すればいい話かもしれない。けれどわたしはその場で足を止め、〈弧閃〉の柄を握りしめ、あえて首を護る宝石の盾に狙いをつけた。

 軸足を捻り、生み出した力を体幹で増幅。そこから肩と肘を経由し、右手の先まで、それが握る愛剣まで、『気』を伝える。

 

「――ふっ!」

 

 その動作の全てを一呼吸で、いや、それ以下の短い瞬間で終わらせる。

 何千何万と繰り返した一つの剣閃。基本にして奥義の斬撃。そこに込められた『気』に〈弧閃〉の中の気鉱石が反応し、剣身の外側にもう一層、光の刃を形成する。

 

 今度は、迷わない。ただただ、信じる。

 ライセン、ハウフェンが打ってくれたこの剣を。とーさんが教えてくれたこの技を。そして、これまで積み重ねてきた、わたし自身の研鑽(けんさん)を!

 

 キン――!

 

 かすかに、金属の擦れる音が耳に残った。

 手応えは、むしろあまりなかった。まるで遮るものなど何もないかのように、わたしは愛剣を振り切り、勢い余って体を(かし)げさせていた。

 

 そう、振り切っていた。前回は届かなかった金剛石の盾の先に。急所を遮っていたはずのそれを見事に切り裂いた〈弧閃〉は、その先のカーミエの首まで刃を届かせ……そして、断ち切っていた。

 

「な……」

 

 わずかに遅れて、石の魔将が驚きに声を上げる。それと共に、ずるり、と首が落ち、切断面から一斉に赤黒い血を噴出させた。

 

 ドシャ……

 

 一呼吸遅れて、カーミエの身体が力なくその場に倒れる。呆然としているためか、それとももはや力が残っていないのか、起き上がる気配はなかった。

 

「そんな、わけが……ふざけるなよ……ただの剣で、あたしの、盾が……」

 

「これで、借りは返したよ」

 

 確かな満足感をこの胸に抱きながら、わたしは石の魔将に宣言した。

 何度も死にそうな目に遭わされたし、愛剣を折られたりもしたけど、その辺りの諸々は今回で全て返せたと言っていいだろう。

 それに、おかげで証明することもできた。この剣は、とーさんに教わった技は、魔将の魔術にも、鋼より硬い物にも負けないことを。

 

「クソ……クソ、クソ、クソが……! 半魔風情が、あたしを見下ろしてんじゃねぇぞ……!」

 

 首の切断面から多量の血を流しながら、カーミエの身体から魔力が放出される。辺りに散らばった石がカタカタと音を鳴らし、再び魔術によって操られようとしている。

 それを見ながらわたしは、右手で〈弧閃〉を鞘にしまい、左手で〈ローク〉を抜き放ち……それを、足元に倒れる石の魔将の胸に、冷静に突き刺した。

 

 トス……

 

「グっ……!?」

 

 ほとんど抵抗もなく、刃は魔将の体に沈んでいき、その先の地面に軽く刺さって止まる。

 左手で――〈クルィーク〉で握られた〈ローク〉は、刃先から魔力を、そして魔力を含んだ物質――この場合、カーミエの身体――を喰らい、その小さな胸に穴を空ける。そして、周囲の魔力を吸収していく。

 

「ガァァァァ――!?」

 

 魔物や魔族には、魔力を発生させる核がある。多くの場合、頭部や心臓に存在していて、それを潰すことで彼らを効率的に殺すことができる。つまり急所だ。

 まさに今、突き刺し、穴を空けた魔将の心臓部分に、それはあった。暗く光る球体のようなものが魔力を放出しようとしては、〈ローク〉に吸収されて明滅する。今まで見たこともなかったそれを視認できているのは、半魔の姿になって魔覚が開いたからなのだろう。

 

「グっ、ガ、アアアァァァ……!?」

 

 その核から魔力を吸い上げるたびに、カーミエの苦悶の声が増していく。肉体と魔力の距離が近いという魔族の身体は、こうして魔力を吸収するだけでも死に直結する。やがてその声もか細くなっていき……

 

「クソ、が……あたしは、成り上がって、やるんだ……もっと……もっと、上、に……」

 

 胸の核が光を失い、完全に沈黙する。あとには、首を落とされた異形の少女の(むくろ)だけが、その場に残った。

 

「アレニエさん。……終わったんですね」

 

『蛇』を押さえるため結界を維持していたリュイスちゃんが、決着がついたことを悟りこちらに駆け寄ってくる。

 

「なんとかね。リュイスちゃんが助けてくれたおかげだよ」

 

「いえ、私は、そんな……でも、良かったです、アレニエさんが無事で」

 

 照れてわずかに頬を赤くしながら彼女は弁明するが……実際、ルニアにやられた時も、カーミエの『蛇』も、リュイスちゃんがいなければ行き詰まっていたはずだ。彼女の貢献は彼女が思う以上に大きいし、感謝している。

 彼女は次いで、足元に横たわるカーミエの遺体に視線を送る。

 

「……」

 

 その目には、わずかに複雑な色が見て取れた。

 魔族とはいえ、目の前で命が失われていく様に、いつもの衝動が走っていたのかもしれない。それを(こら)えてくれたのは、下手に邪魔をすればわたしの身に危険が及ぶと理解していたからだろう。ともあれ……

 二度に渡る石の魔将との戦い。それが、ようやく終わりを告げた。わたしは一つ息をつき……

 

 パチ、パチ、パチ

 

「お見事でございました」

 

 不意に聞こえてきた軽薄な拍手と抑揚のない声に、緩みかけていた気を引き締め直した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3章エピローグ 選択肢

 拍手と声の主は、雷の魔将、ルニアのものだった。この場には、わたしとリュイスちゃん以外はもう彼女しか残っていないのだから、そこまで驚きはなかった。

 

 先ほどまで倒れ、瀕死の重傷だったはずのルニアは、気付けばその場に立ち上がり、静かに佇んでいた。わたしが斬り飛ばした右腕もいつの間にか元通りに繋がっており、カーミエに貫かれた胸の傷も見た目には塞がっている。服が乱れている以外は、戦闘が始まる前とほとんど変わらない様子だった。

 

「お嬢様方――アレニエ様とリュイス様、と呼び合っておられましたね。お二方のご活躍は英雄と呼ばれた方々にも引けを取りません。素晴らしい戦いぶりでした」

 

 彼女は変わらぬ冷静な口調でこちらを褒めちぎってくる。敵意はまるで感じられない。まぁ、歓迎と言いつつ雷を撃ってくるような手合いだし、警戒は続けておくけれど。

 

「そして、カーミエ様を始末していただき、お礼を申し上げます。あの方は能力はあるのですが、強すぎる野心が(たま)(きず)でして」

 

「仲間が殺されたのに、お礼言っちゃうの? というか、なんであの時助けてくれたの?」

 

「正直なことを言えば、彼女の素行は持て余しておりましたからね。先ほども殺されかけたばかりですし。そろそろなんらかの処分を考える時期だったのですよ」

 

 遺体に視線を向けながら、ルニアは平然と告げる。仲間というものへの認識が人間とは大きく異なる気がする。というより、違うのは精神構造の段階だろうか。

 と、ふと彼女の視線で気づき、気になったことがある。

 

「そういえば、イフは死んだらすぐに身体が穢れになって散っていった気がするんだけど……この子は、そのまま残ってるね」

 

 ルニアは、あぁ、と一つ頷くと、こちらに言葉を返す。

 

「カーミエ様は、元は下級魔族の出身ですから」

 

「? どういうこと?」

 

 自身の胸に手を置き、雷の魔将は答えを返す。

 

(わたくし)やイフ様のような原初の魔族は、肉体が死したとしてもこの身を構成していた穢れと精神は回収され、アスティマの元へと還り、いずれ新たな肉体を得て、同じ個体として甦るよう創られています」

 

「……そんな仕組みになってるの? ……あぁ、それで大昔に倒されたはずのイフがまた現れたり、『魔将は不死』なんて噂ができたりしてたんだ」

 

 イフが、「再び剣を交える日を心待ちに」なんて言ってたのは、そういうことか。時間がどのくらいかかるかは分からないけど、いつか蘇るのは分かってたわけだ。

 

「その通りです。そうして空位となった魔将の席には、一時的に別の魔族が座ることもあります。今回で言えば、カーミエ様がそれに当たりますね」

 

 そういえば以前戦った時に、「空位になった地の魔将の席を奪った」って自分で言ってた気がする。

 

「カーミエ様は先ほども申し上げた通り、下級魔族の出身です。上級魔族からは常に見下されていましたが、それに対する反発を糧に力を蓄え、ついには魔将の地位まで上り詰めたお方です。その力は私たちと遜色(そんしょく)ないほどに磨き上げられていましたが……」

 

「それでもあくまで下級魔族だから、復活って仕組みはない。原初の魔族みたいには遺体が回収されない?」

 

「はい」

 

 だからカーミエは上に行くことにこだわり、半魔や人間を下に見ていたのだろうか。自身が見下されていたからこそ、今度は自身以外を見下すようになったのかもしれない。

 

「さて、今度はこちらから質問させていただいてもよろしいでしょうか……リュイス様」

 

「……え、わ、私? え、と……はい」

 

 さっきまで敵対していた魔将に丁寧に呼び掛けられ、リュイスちゃんが困惑する。が、結局は人がいいからか、あるいは混乱しているからか、質問に了承の声を返していた。

 

「ありがとうございます。それではお聞きしますが……貴女様の『目』は、カタロスの加護によるものに相違(そうい)ないでしょうか?」

 

「……」

 

 そのものズバリ言い当てられ、しばしリュイスちゃんが押し黙る。次に、判断を求めるように一度わたしに顔を向けるが……

 

「……はい」

 

 こちらに頼りすぎないようにという思いが働いたのかもしれない。それに神官として、虚偽の答弁をすることへの抵抗もあったのだろう。彼女はわずかに逡巡した後、再びルニアに顔を向け、静かに頷いた。

 

「やはりそうでしたか」

 

 得心がいったというように、ルニアが頷く。

 

「私はこれまで、勇者様の死の匂いがする場所へ魔将の皆様方を送り込んでいましたが……」

 

 そういえば、そんな加護持ってたんだっけ。

 

「それが、一度ならず二度までも失敗したのが、()に落ちなかったのです。その釈然としない思いもまた、味わい深くはありましたが――」

 

 魔将はコホンと一つ咳ばらいをする。

 

「――失礼しました。ともかく、貴女様がその『目』を駆使して勇者様の死の流れを変えていたというなら、納得がいきます。今、貴女様方がここにいるのも、その『目』で未来を見たからなのでしょう」

 

「で、それを確認してどうするつもりなのかな。もし、リュイスちゃんに手を出す気なら……」

 

 いつでも剣を抜けるように意識を向けておく。が、ルニアはこちらの問いをすぐに否定した。

 

「まさか。もはやこちらに戦う意思はございません。カーミエ様に大幅に魔力を持っていかれましたおかげで、余力がありませんからね。私はただ、疑問を解き明かしたかっただけなのです」

 

「その話を信じろって? いや、信じる信じない以前に、例の加護を持つあなたを問答無用で始末したほうが、人類側のためではあるよね」

 

 彼女が持つ『死の匂いを嗅ぎ分ける』加護。それがあるせいで、アルムちゃんは毎回命を狙われ、わたしたちはそれを防ぐために奔走(ほんそう)している。なら、彼女をここで仕留めてしまえば……

 

「半魔である貴女様が、人類のために戦われるのですか?」

 

 核心をついたその質問に、わたしはわずかに口を(つぐ)む。

 

「……そうだね。わたしらしくなかったかも。人類のためとかはどうでもいい。でも、もしまだわたしやリュイスちゃんを襲うつもりなら、わたしは全力で抵抗するし、何度でもあなたを斬るよ」

 

「心得ております。貴女様から受ける傷は大変甘美なものでしたが、それだけを求めて死んでしまっては、職務を全うすることができませんから。非常に残念ではありますが、自重します」

 

「痛いのは好きだけど、仕事が第一ってこと?」

 

「その認識で間違っておりません」

 

 間違ってないんだ。まぁ、下手な言い訳よりはよっぽど納得できる気がするけど。

 

「仕事っていうのは、アル……勇者の、抹殺?」

 

「それは仕事の一つ、ですね。他にも業務は山積みでして」

 

「これからも勇者を狙うつもりなら、やっぱりあなたをここで始末したほうが手っ取り早い気がするけど」

 

「あくまでそれを望まれるのでしたら、この場は逃げさせていただきます。そのくらいの余力は残っていますから」

 

「……」

 

 確かに、雷と同化して移動できる彼女に逃げに徹されたら、追うのは困難だろう。討ち取るのは諦めたほうがよさそうだ。

 

「それに、ご安心ください。当面は、勇者様への対処も休止するつもりです。こちらも魔将の皆様を立て続けに失っておりますし、私自身も消耗しすぎました。しばらくは、魔将の編成や休息に専念する予定ですから」

 

「……ずいぶん、詳細に教えてくれるね」

 

「貴女様相手であれば、隠す意味も薄いと思いまして」

 

 状況的には、彼女の言動はそうおかしくもないと思える。実際に魔将の現状を目撃しているわたしに、今さら隠してもしょうがないというのも頷けはする。

 

「さて、それでは次は、アレニエ様にお尋ねしたいのですが」

 

「わたし?」

 

「はい。貴女様は半魔でありながら、人間の側に立って行動していますね。なぜでしょう?」

 

「なぜ、って……」

 

 改めて聞かれると返答に困る。強いて言うなら、かーさんがわたしを連れて人里で生活していたから。それに、とーさんに拾われたから……

 

「一言でまとめれば、人間に育てられたから……かな」

 

「受動的な理由なのですね。何か、私たちと敵対する強い動機があるわけではない?」

 

「そう、だね。かーさんは魔族に殺されたけど、その魔族はきっちり道連れにしていったから、仇が残ってるわけでもないし」

 

 わたしの答えを聞き、ルニアは満足そうに頷いてみせる。

 

「やはりそうですか。先ほどの発言からも、貴女様が望んで人間の味方をされているわけではないのは察せられました。でしたら、どうでしょう、アレニエ様」

 

 雷の魔将、ルニアは、こちらに手を差し伸べながら、妖しくわたしを誘う。

 

「私と共に……魔王様にお仕えする気は、ございませんか?」

 

 3章 終




ここまでお読みいただいてありがとうございます。3章はここで終了となります。
想定では次の4章で完結予定です。書き上げるまでまたしばらく(筆が遅いのでおそらく数か月ほど)お待たせしてしまいますが、完成の際にはご一読いただけると幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

終章
1節 最端の街


終章開幕。この章で完結予定です。
3章のラストから少し時間が飛んで、新しい街に辿り着いたところから始まります。よろしくお願いします。


 神話によれば、その土地は邪神がこの世界で初めて降り立った場所であると言われている。

 

 多量の穢れに侵され草木も生えず、見渡す限り遮る物もない茫漠とした荒野。その地の底には今も邪神が眠っているとも言われ、魔王の居城はそれを護るために建てられたという説もある。

 

 人類から見ればそこは、大量の兵士が行軍できる平地であり、距離で言えば最も早く魔王の元に辿り着ける、理想的な道でもあった。

 そこに兵を送り込めれば、勇者だけに重荷を背負わせずに済む。悪しき魔王を共に討ち滅ぼすことができる――

 ただし。その道には行く手を遮る者が存在した。地を埋め尽くし、雲霞(うんか)の如く押し寄せる、魔物の軍勢が。

 

 人類は数百年に渡り、各国共同でこの地に兵を送り込み続けている。押し寄せる魔物をこの場で押え込み、可能ならば制圧し、魔王の城を攻める橋頭堡(きょうとうほ)とするために。

 対する魔物にとっても、この荒野は城を護る要衝(ようしょう)であり、また獲物が自ら寄ってきてくれる狩場でもある。周辺の土地からも魔物が集中し、人類軍を殲滅せんと襲い掛かってくる。

 

無窮(むきゅう)の戦場〉

 

 いつしかここは、そう呼ばれるようになった。この土地は、終わらない戦争を続けているのだと。

 

 最端の街アライアンスは、その戦場を支援するための補給基地として始まり、次第に街として発展してきた場所だ。

 デーゲンシュタットと並ぶ、最前線の一つ。魔物の領土に最も近い街。そこに、私とアレニエさんはやって来ていた。

 

「ここが、最端の街……」

 

 城門を抜けた私は、街の内部を眺めながらぼんやりと呟いた。

 左右を山に挟まれた街は、それだけでも天然の要塞のようだったが、前後の空間にも城壁が築かれ、護りをさらに堅くしている。

 街を貫くように敷かれた大通りには、何台もの馬車がせわしなく行き交っている。おそらく戦場への物資を運んでいるのだろう。

 

 街を歩く人の大半は、まず様々な国の兵士たち。

 次いで、手に手に武器を備えた冒険者や傭兵たち。

 最後に、この街に物資を運んでくる商人など。

 一つの街として成立した今も補給基地としての役割は続いているため、戦場に関連する職の割合が多いようだ。

 

「ちょっとその辺の人に道聞いてくるね」

 

 言うが早いかアレニエさんは、道行く通行人に声を掛け、目的地までの場所を訊ねていた。首尾よく情報を聞き出せたのか、わずかな時間でこちらに戻ってくる。

 

「こっちだって」

 

 教えられた道を、アレニエさんと二人で歩いていく。

 大通りから離れると、徐々に人気は減っていく。落ち着いた雰囲気に生活感を覗かせるこの通りは、どうやら住宅地のようだ。

 しばらく進み、やがて辿り着いた石造りの建物の前で、私たちは足を止めた。

 教会をそのまま利用しているらしいその建物は、敷地内に簡素な立て札が掲げてあった。

 

『ウィスタリア孤児院』

 

 コンコン――

 

「すみませーん」

 

 アレニエさんが扉を軽く叩き、声を上げる。

 しばらくすると中から誰かの足音が聞こえ、扉の前で止まる。しかし扉は開かず、誰何(すいか)の声だけが聞こえてきた。

 

「……どちらさま?」

 

 若い女性の声だった。声音だけで分かるほど、警戒した様子だ。閉めたままの扉といい、この辺りの治安があまりよくないのかもしれない。

 アレニエさんは特に気にした様子もなく、扉越しに自己紹介する。

 

「わたしは、アレニエ・リエス。オルフラン・オルディネールの娘、って言って、分かるかな」

 

「オルフラン……? って、確かアインくんの……。……え、アインくんの? ……娘ぇ!?」

 

 ガチャガチャ、ガチャン

 

 慌てて鍵を開ける音が響き、閉ざされていた扉が開かれる。中から姿を現したのは、一人の女性神官だった。

 

 年齢は、おそらくアレニエさんと司祭さまの中間くらい。二十五、六といったところだろうか。

 肩口まで伸びる赤い髪を、白いベールで覆っている。服も同様に白の聖服だ。その特徴から、私と同じアスタリアの信徒であることが窺えた。

 

 彼女は私とアレニエさんを交互に見比べ、混乱したように言葉を紡ぐ。

 

「ど、どっちが娘さん? というか、娘にしてはアインくんと歳が近くない? それに、お相手は? やっぱりラルちゃん? ラルちゃんなの?」

 

 ラルちゃん?

 

「……って、もしかして、クラルテ司祭のことでしょうか? ……クラルテ、の間を取って、ラルちゃん?」

 

 気になって思わず口をついた言葉に、目の前の女性が食いつく。

 

「ラルちゃんのこと知ってるの? ということは貴女が二人の娘!?」

 

「「えーと……」」

 

 混乱から抜け出せないまま盛り上がる女性を前に、私もアレニエさんも呆気にとられるのだった。

 

 

   ***

 

 

「はい、お茶。安物で悪いけどね」

 

「ありがと」

 

「ありがとうございます」

 

 興奮が治まり、落ち着いた様子の女性が、応接室のソファーに座る私たちにお茶を振る舞ってくれる。玄関先で立ち話もなんなので、中に招いてもらったのだ。

 彼女は各自にカップを配り終えると、私たちの対面に腰を下ろす。

 

「院長や他のシスターは今留守にしてるから、代わりに私の応対で我慢してね。私はライエ・ウィスタリア。アインくんやラルちゃんより下の世代の卒業生で、今はこのウィスタリア孤児院で子供たちの面倒を見ているわ」

 

「わたしは、さっきも名乗ったけどアレニエ・リエス。とーさん――オルフランの義理の娘で、一緒に暮らしてる。で、こっちの子が……」

 

「リュイス・フェルムといいます。クラルテ司祭に師事しています」

 

「アレニエさんに……なるほど。貴女がリュイスさんね」

 

 神官の女性――ライエさんは、私たち、特に私のほうに意味ありげに視線を送る。

 

「さっきはごめんなさいね。つい興奮しちゃって。娘っていっても養子だったのね」

 

「うん。血は繋がってないよ。拾われたってだけ」

 

「そうよね。そこまで歳が離れてるようには見えないし。あー驚いた。私はてっきり、アインくんとラルちゃんがとうとう結婚したのかと思っちゃって」

 

「あははは……」

 

 珍しくアレニエさんが小さく空笑いする。クラルテ司祭のことを苦手にしているようだったし、彼女とマスターがどうこう、などと話されるのはあまり面白くないのかもしれない。

 

「それにしても、アインくんに娘かぁ。そういうの、なんにも教えてくれないからなぁ」

 

「あまり交流はないんですか?」

 

 気になって、つい口に出して聞いてしまう。それにライエさんは、困ったような笑みで答えた。

 

「失踪した後、一応手紙だけは届いたんだけどね。でも、名前を変えたことと、生きてるってことぐらいしか書いてなくて。それ以降はなんの報せもないし」

 

 彼女は小さく肩をすくめる。

 

「ま、何か理由があって隠さなきゃいけないのは分かったし、生きてるならそれで十分だったからね。それに、元から頻繁に連絡取るタイプでもないだろうし」

 

「……そうだね。基本無口だし、特に理由がなければ手紙も出さないんじゃないかな」

 

「でしょ? だから、便りがないのは元気な証拠かと思って」

 

 ある意味、信頼されてるんだろうか。

 

「クラルテ司祭とは、連絡を取っているんですか?」

 

「うん。たまに手紙が届くし、こっちからも返してるわよ。だからリュイスさん、貴女のことも話には聞いてる。ラルちゃんが娘として引き取ったことも、そのあと弟子として鍛えてることも。いやー、アインくんとラルちゃん、それぞれの娘さんが一緒に旅をしてて、揃ってうちを訊ねてきてくれるなんて、なんだか感慨深いわねー」

 

 ライエさんは一度カップに口をつけてから、改めてこちらに尋ねてくる。

 

「それで、今日はどうしてここに? ただ顔を見せに来てくれただけ?」

 

 私はちらりとアレニエさんに視線を向ける。彼女はちょうどお茶に口をつけているところ(熱かったからかペロリと舌を出していた)だったが、訊ねられるとカップから唇を離し、口を開いた。

 

「その、ちゃんとした目的があるわけじゃないんだ。旅の途中でこの孤児院があるのを思い出して、急に立ち寄っただけで……でも、もしよければ、とーさんが暮らした場所を見てみたいな、とは思ってるんだけど」

 

 オルフランさん――〈剣帝〉アイン・ウィスタリアが寝食を過ごした場所というのは、私も興味がある。それに、そこは同時に、クラルテ司祭が生活していた場でもあるのだ。

 

「いいわよ。それじゃ、お茶を飲み終えたらざっくり案内しましょうか」

 

 

   ***

 

 

「ここは、食堂。食事はここでみんな一緒に取ってる。あまり豪華な食事は出せないけれど、幸い飢えずに食べさせてあげられてる。大地の女神に感謝だね」

 

「ここは、集会室。屋内で集まって何かする時はここを使う。基本は、読み書きを教えるための勉強ね。あの二人もここで勉強してたのよ」

 

「ここは、聖堂。聖典を読んだり、みんなで祈る時に集まる場所。神官になったラルちゃんはもちろん、アインくんも意外に大人しく聖典を聞いてたわね」

 

「ここが、私室。こっちが男子の部屋で、アインくんは入って右側奥のベッドに寝てた。で、そっちが女子の部屋。左側手前の二段ベッドの、上がラルちゃん、下が私の寝床だったのよ。人が入れ替わってるから、さすがにもう当時の面影はないけどね」

 

「ここで、とーさんが……」

 

「ここに、司祭さまが……」

 

 今は別の子供たちが生活してるであろう私室に目を向けながら、私は当時の様子に思いを馳せようとする。が……司祭さまの子供時代というのを、上手く想像できなかった。けれど、ここで彼女が暮らしていたと聞いただけで、よく分からない感慨のようなものは湧いてくる。

 それはアレニエさんも同じだったようで、眉根を寄せていたかと思うと、次には微かに笑みを浮かべたりしている。

 と――

 

 ――ガッ、カシン――

 

 堅い、けれど軽い何かを打ちつけ合っているような音が、私たちの耳に届いてくる。実はこの音は、この孤児院を案内されてる間中、断続的に聞こえてきていたのだけど……

 (いぶか)しむこちらの様子に気づいたらしいライエさんは、少し楽しそうに笑みを浮かべながら、無言でついてくるように促す。それに素直に従い、廊下を進み、途中にあった扉を抜けると――

 

 そこは、無数に立ち並ぶ柱と、それが支えるアーチが並んだ回廊だった。

 回廊の内側には中庭が広がり、中庭の外周には花壇や畑が、内には芝生の広場が広がっている。

 

 その広場で、男子女子合わせて十数名ほどの子供たちが、手に手に木剣を持ち、あるいは素手を駆使して、鍛錬に励んでいる。

 一人黙々と素振りをする子。二人で木剣を握り合い立ち合う子たち。年上らしき子に教えを乞う子。中には木陰に座り込み本を読んでいる子などもいたが。

 先刻から聞こえていたのは、彼らが稽古で木剣を打ち鳴らす音だったらしい。今もそれは続いており、木と木がぶつかる音が甲高く響いていた。

 

「あの子たちね、自分からああやって鍛えてるの」

 

「自分から?」

 

 ライエさんの言葉に、アレニエさんが少し意外そうに聞き返す。

 

「アインくんが初めて剣を握った時の話は聞いてる?」

 

「確か、この孤児院が野盗に襲われた時に、他の子供たちを護ろうとして、だよね?」

 

 返答に頷いたライエさんは、昔を懐かしむように少し遠い目をする。

 

「なんとかその野盗は撃退できたけど、同時に力不足を痛感したのかな。アインくんはそれ以降、ひたすら剣の鍛錬を続けるようになったの。それに触発されたのかラルちゃんも、神官の勉強をしながら素手での戦い方を独学で練習し始めた。二人の様子を見ていた他の子供たちも、それぞれ自分にできる方法で孤児院を護ろうとするようになって……」

 

「それが受け継がれて、今の子供たちまで伝わってる?」

 

「そ。だからこの光景は、アインくんとラルちゃん二人が残してくれたもの。二人がいた証みたいなものなのよ」

 

 彼女はそれを誇らしげに語っていたのだが……その表情が、次にはわずかに陰る。

 

「……ほんと言うと、あんまり子供たちに危ない真似はさせたくないんだけど……暮らしてるのが、こんな街だからね。いつ何が起こるか分からない。魔物の被害はもちろん、前みたいに食い詰めた野盗が襲ってくるかもしれない」

 

「……そうだね。ほんの十年で魔王が蘇るご時世だし、身を護る術は覚えておいて損はないね」

 

「でしょ? それに、子供たちが自分からやりたがってるなら、それを後押しするのも大人の役目かな、と思って。少しくらいの怪我なら、法術で治してあげられるしね」

 

 と、そこへ――

 

「シスター!」

 

 こちらに気づいた子供たちが訓練を止め、ライエさんに向かって集まってきた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2節 交わる流れ

「キース。私がいない間、変わりはなかった?」

 

 キースと呼ばれた少年――子供たちの中で一番背が高かったので年長だろうか――が、ライエさんの言葉に笑って返す。

 

「シスターが応対に出てから大して時間も経ってないよ。誰も怪我とかしてない」

 

「なら良かった」

 

 少年の返答に、ライエさんは小さく安堵の吐息を漏らす。そこへ、他の子供たちが押し寄せてくる。

 

「ライ姉ちゃん、その人たちがお客さん?」「誰ー?」

「このおねーちゃん、剣を二本も持ってるよ」「剣士さま?」「ぼーけんしゃ?」

「こっちのおねえさんは、新しいシスター?」「かわいい~」

 

「あ、あの……」

 

 子供たちは私とアレニエさんを見てめいめいに口を開く。そればかりか、近づいて聖服の裾をつまんできたりして……えーと……こういう時、どう対応したらいいんだろう。

 

 ちらりと目を向ければ、アレニエさんは笑顔――仮初ではなく自然な笑顔だ――で子供たちの質問に応じていた。意外と子供好きなのかもしれない。

 

「ほらほら、あなたたち。お客さんが困ってるでしょ。離してあげなさい」

 

「「「はーい」」」

 

 (たしな)められると、私の服を掴んでいた子供たちは素直にその手を離してくれた。……た、助かった……

 

「この人たちは、ここの卒業生の娘さんたちよ。今日は顔を見せに来てくれたの」

 

「へー」「そうなんだ」

 

 ライエさんの説明に、子供たちが興味があるようなないような返事をする。卒業生の子供という存在がピンとこないのかもしれない。

 そこで、不意にライエさんが何かを思いついたように声を上げる。

 

「そうだ。ね、アレニエさん、リュイスさん。良ければ、この子たちにお手本見せてあげてくれないかな」

 

「お手本? わたしたちが?」

 

「ええ。腕を磨きたいなら、たまには〝本物〟を見るのも大事でしょ? でも、私だけじゃ教えるのも限界があるし、かといって外にみんなを連れていくのは危ないし。だから、ここで見せてあげられると助かるんだけど」

 

 なるほど。確かに彼女の言う通り、物事の上達には上手い人の動きを見て覚えることも大事な要素だろう。でも……アレニエさんはともかく、私で手本になれるだろうか……?

 そんな疑念を抱く私をよそに、アレニエさんが前向きに返答する。

 

「そういうことなら、わたしとリュイスちゃんで模擬戦でもしてみせよっか」

 

「え……わ、私が?」

 

「他にリュイスちゃんはいないし、最近は朝の稽古でもやってることでしょ?」

 

「で、でも、子供たちの前で……それに、私なんかじゃ……」

 

 神官としても冒険者としても、とても本物などとは呼べないのでは……

 

「……リュイスちゃんが何を心配してるのか、なんとなくしか分からないけどさ」

 

 アレニエさんは心配ないというように柔らかい笑顔を浮かべる。

 

「リュイスちゃんは強くなったよ。最初こそ実戦では上手く動けなかったみたいだけど、今はここまでの旅で色んな経験を積んで、訓練通りの、ううん、それ以上の強さを出せるようになってる。こないだだって、助けられたばかりだしね。だから、大丈夫だよ」

 

「アレニエさん……」

 

 そう、だろうか。少しでも、強くなれているだろうか。自分に自信のない私は、自分ではそう思えない。

 けれど、傍で見てきてくれた彼女がそう言うのなら……

 

「……分かりました。やってみます」

 

「うん」

 

 満足そうに頷いて、アレニエさんが笑う。

 

「あなたたち、誰か木剣一本貸してくれない?」

 

「いいよー」

 

 彼女は子供の一人から木剣を受け取り、具合を確かめるように持ち手をくるくる回したり軽く振ってみせたりする。そうしてから、二人で子供たちから距離を取り、互いに離れた位置で向かい合った。

 

「《……守の章、第一節。護りの盾、プロテクション》」

 

 両の拳に光の盾を纏い、左手を前方に、右拳を腰だめに置き、軽く腰を落とす。私の準備が整ったのを見て、アレニエさんが声を上げる。

 

「それじゃ、いくよー」

 

「はい」

 

 こちらの返事に、アレニエさんが一つ頷く。その直後――

 

 タン――

 

 と、軽い足音を残して、アレニエさんが一足跳びに接近してくる。

 

「(……! いきなり……!)」

 

 正面から滑るように近づいてきたアレニエさんは、いつものように逆手に握った木剣を袈裟懸けに振り下ろす。

 

 ビシュン――!

 

 剣閃が空を切る。かろうじて軌跡の外側に逃れ回避したが、剣は私の髪を掠め、髪の毛の一筋をはらりと落としていく。

 

 訓練用の木剣とはいえ、まともに当たれば大怪我のおそれもある。当たりどころによっては死んでもおかしくない。まして、それを振るうのが〈剣帝〉の弟子であるアレニエさんならなおさら――

 

 気を引き締め直した私は、瞬時に頭を働かせる。何度も稽古に付き合ってもらった今なら、彼女の動きをある程度予測できる。初撃をかわされた彼女は、おそらく剣を順手に握り替え、横薙ぎに切り払ってくる――!

 

 果たして、彼女は私の予想通りに動いてみせた。逆手に握っていた木剣をくるりと回し、順手に持ち替え、さらなる追撃を図る。

 そこへ、私は一歩踏み出した。相手の力が乗り切る前、振り始めの段階で、両手に纏わせた盾で木剣を押さえ込む。

 

 バチィ――!

 

 光の盾に弾かれた剣は、反発で反対方向に流されていく。彼女の体勢がわずかに崩れる。

 

「(ここ!)」

 

 隙を逃がさずさらに一歩踏み込み、右の拳を打ち込む。このタイミングなら、かわすことも木剣で受け止めることも難しい。私の拳は彼女の胴体に吸い込まれるように叩き込まれる――はずだった。

 

 ここで、アレニエさんは剣を弾かれた勢いを利用し、反時計回りに鋭く旋回。こちらが突き出した拳に対して、回し蹴りの要領で右膝蹴りを打ち込んでくる!

 

「――!」

 

 あの体勢から間に合ったのも驚きだが、蹴りの威力も驚異的だった。武器を通してもいないのに、右手に纏わせた神の盾が砕かれる。

 

「(……なら……!)」

 

 蹴りの威力に押されながらも、残った左手の盾を打ち込む。こちらの体勢も多少崩れているが、彼女はそれ以上に不安定な姿勢のはずだ。今度こそ反撃はできない――

 

 そう思っていた私の目の前で、彼女は逆手に握った木剣の柄を前方に掲げた。

 

 トン――

 

 力が乗り切る前の左拳は、木剣の柄頭で静かに押さえ込まれる。そのまま彼女は軸足だけでバランスを取り、踏み込み、前方に体重を移動させ、上げていた右足を強く地面に降ろし、踏み抜いた。

 

 ダン――!

 

 瞬発力で生み出した『気』と、彼女の全身の体重が、その手に握る木剣の柄に集中する。集約された力は私の左手の盾を打ち抜き、やはり破壊する。そうして両手の盾を失った私目掛け――

 

 ヒュ――

 

 アレニエさんの斬撃が、私の首を狙って横薙ぎに襲い来る。

 

「くぅ……!」

 

 咄嗟に両手を引き戻し、グローブの手甲で剣撃を防ぐ。両腕にジーンとした痛みと痺れが広がった。わずかでも遅れていたら、この両腕の痛みが私の首を襲っていたはずだ。その時は、痛いでは済まない衝撃が走っていただろう。今になって背筋を冷やりとしたものが伝う。

 

「(アレニエさん、朝の稽古の時より、本気でやってる……?)」

 

 もしかして、子供たちの前だから張り切っているんだろうか。それとも……私の腕を、認めてくれてのこと、なのだろうか。もしそうならば嬉しいは嬉しいのだけど……本気のアレニエさんとやり合うのは、たとえ木剣だとしても、ちょっと怖い。

 

「ほんとに、強くなったね、リュイスちゃん」

 

「アレニエさん……」

 

 アレニエさんは追撃してこない。彼女は剣を握っていた手を下ろし、力を抜いた。仕掛けてくる様子は見られない。

 それに気を削がれた私も、構えていた両手から力を抜く。手の痺れはいつの間にか治まっていた。

 

 そこへ、歓声が沸く。観戦していた子供たちからだ。戦いが一段落ついたのを察したのだろう。

 

「すごーい!」「お姉ちゃんたち、かっこいいー!」「今の、どうやるの、どうやるの!?」

「なんで逆さまに剣持ってるのー?」「わたしにも教えて!」「オレも!」

 

 彼らは口々に、若干興奮したように声を上げ、こちらに駆け寄り、自分たちにも教えるようせがんでくる。剣を持った子たちはアレニエさんの元へ。格闘術を練習していた子たちは私の傍に集まり、聖服の裾を引っ張りながら懇願してくる。

 それにどう対応しようか悩んでいるところで、不意にアレニエさんと目が合う。子供たちに囲まれた今の状況がなんだかおかしくて、どちらからともなく笑みを浮かべた。

 

『戦場』に程近い街に佇むウィスタリア孤児院。

 私たちの義理の親であるオルフランさんとクラルテ司祭。二人が幼少期を過ごした場所で、二人から受け継がれた小さな流れに、娘である私たちが今こうして交わっている。

 その事実に、言葉にならない感慨を覚えながら、私たちは孤児院の流れに新たな足跡を刻むのだった。

 

 

  ***

 

 

 陽が落ち、完全に沈んでしまう前に、私たちはウィスタリア孤児院を後にすることを決めた。荷物を背負い直し、出立の準備を整えた私たちに、見送りに来てくれたライエさんが口を開く。

 

「今日は色々ありがとね。子供たちも喜んでたわ」

 

「こっちこそ。孤児院案内してくれて助かったよ。おかげでとーさんがどんな風に暮らしてたか、なんとなく想像できた」

 

「私もです。司祭さまが育った場所で、司祭さまの原点を知られて、前より彼女を身近に感じられた気がします」

 

「そっか。なら良かった。それより、ほんとに今から宿を取りに行くの? ここに泊まっていってもいいのよ?」

 

「さすがにそこまで世話になるのは悪いし、ちょっと路銀も心もとなくなってきたから、ついでに仕事も探そうかと思ってて。情報収集もしたいから、どのみち冒険者の宿には寄るつもりなんだ」

 

「そう……分かった。でも、夜間の出歩きには気を付けてね。神官のリュイスさんは特に」

 

 その言葉に、私とアレニエさんは顔を見合わせる。

 

「それはもちろん気を付けるけれど……何か、あるの?」

 

 戦火の遠いパルティールなどと比べれば、戦場に近いこの街は治安がいいとは言えないのだろう。陽が落ちればなおさらだ。が、彼女の口ぶりからは、それ以上の何か明確な厄介事を想定しているように聞こえた。

 

「ええ。今、この街では――」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3節 調査依頼

「――殺人事件?」

 

「はい。神官ばかりを狙ったものが、今月だけでもう三件も起こっているんです」

 

 アライアンスの街の冒険者の宿、〈常在戦場亭〉は、通常のものよりかなり規模が大きく、宿と言うよりは役所のような印象を受けた。広いカウンターには複数の受付窓口が並び、大勢の客にも対応できるよう備えられているのが窺える。陽が落ちた今はさすがに人もまばらだが、日中にはもっと多くの冒険者が殺到するのだろう。

 

 その受付の一つでわたしとリュイスちゃんに応対してくれたのは、二十代前半ほどの穏やかそうな女性。青い髪を後ろで編み上げてまとめている。彼女に街の最近の様子や噂話を訊ねたところ、その容姿に似つかわしくない物騒な話が飛び出したのだ。

 

「犯人は不明。目撃証言もなし。おそらく夜間に一人で出歩いていたところを襲われ、朝になってから遺体が発見されるというケースが続いています」

 

 なるほど。だからライエは、別れ際にああいう風に心配していたわけだ。今度はリュイスちゃんが狙われるかもしれないから。

 

「魔物か魔族が街に入り込んだとか?」

 

「今のところ、そういった報告は入っていません。もしそれらが入り込んでいれば、もっと大騒ぎになっているはずですから」

 

「それはそっか。……って、ことは」

 

「はい……あまり考えたくはないのですが、現状では、人間の仕業を疑わざるを得ません」

 

「え……同じ人間同士で、ですか……?」

 

 女性の言葉にショックを受けたらしいリュイスちゃんが問い返す。これまでにも人が人を害する事件に触れてきた彼女だが、やはり根本的には受け付けられないし、頻繁に起こるとは信じたくないのだろう。それも、神官を狙ったものが多発しているなど。

 

「残念ながら、金銭欲しさに魔物の側に雇われる者や、悪魔の声を耳にして凶行に走る者なども、いないわけではありませんからね。その線ではないかと思われます。まだ、手口も動機も分かっていませんが……」

 

「動機はともかく、手口も?」

 

「遺体を検分した者が言うには、鋭い刃物のようなものによる刺し傷や切り傷が複数確認されていますが、大きさがバラバラで、凶器も特定できていないそうなんです。だから、複数犯による犯行かもしれないとも言われていて」

 

「ふむふむ」

 

「それと、傷の多さが尋常ではないとの報告も受けています。執拗に、なんらかの刃物で突き刺し、切り刻んでいるとのことで、神官に、あるいは被害者個人に強い恨みを抱いているのではないか、という意見もあります」

 

「なるほど。だから教えてくれたんだね」

 

 ちらりとだけ、リュイスちゃんに視線を向ける。

 わたしが彼女を――神官を連れていたから、こうやって注意を促してくれているのだろう。犯人については、ここまでの情報だけではなんとも言えないが……

 放っておけば、それこそリュイスちゃんに危険が及ぶ可能性はある。注意するに越したことはない。

 と、情報を頭に入れるこちらを、受付の女性が真剣な表情で見つめてくる。

 

「……お二人は、今日この街にやって来られたんですよね」

 

「? うん、そうだけど」

 

「それも、神官と共に旅をしている。腕も相当に立つとお見受けします……あの、でしたら」

 

 彼女はわたしたちにだけ聞こえるように声を潜める。

 

「お二人に、こちらから依頼したいことがあります。今夜、皆が寝静まった頃に、もう一度この受付に来ていただけませんか?」

 

 神妙な顔でそう告げる女性に、わたしとリュイスちゃんは顔を見合わせた。

 

 

   ***

 

 

「……そろそろ、いいかな。行こっか、リュイスちゃん」

 

「はい」

 

 宿泊する部屋で時間を潰したわたしたちは、夜も大分更けた時間帯にそっと扉を開け、部屋を抜け出した。

 

 他の宿とは規模の違うこの店だが、基本的な造り自体は変わらない。一階に受付と、食堂兼酒場。二階は宿泊施設になっている。

 二階の廊下は静まり返っていた。もうみんな寝静まっているのだろう。耳を澄ませれば各部屋から寝息やいびきが聞こえてくるが、それだけだ。さすがに廊下を出歩くような人影は見受けられない。

 

 普段からあまり物音は立てないように歩いているが、普段よりもう少し意識して足音を消す。こんな時間に呼びつけるということは、あまり他人に知られたくない案件なのだろう。

 見れば、隣を歩くリュイスちゃんはわたしよりかなり緊張した面持ちで、そろりそろりと足を運んでいた。見るからに足音を忍ばせるのに慣れてないその様子に微笑ましさを感じて、わたしはそっと笑みを浮かべた。

 

 廊下を抜け、階段を降り、一階に辿り着く。時間が時間だからか、さすがにロビーや食堂にも人はいなかった。数人が並んでいた受付カウンターも、今は業務が終了したからかガランと空いている。

 その空いた受付の一つに、彼女は座っていた。わたしたちを呼びつけたあの女性だ。

 彼女もこちらに気づいたのだろう。軽く会釈をしてから口を開く。

 

「……こんな時間にお呼び立てしてすみません」

 

「それは、まぁ、構わないけど」

 

「そして、来ていただいてありがとうございます。申し遅れました。私はソニアと言います」

 

「わたしは、アレニエ。こっちの子が……」

 

「リュイスです。よろしくお願いします」

 

 お互い簡潔に自己紹介をしてから、本題に入る。

 

「で、早速だけど要件は?」

 

「その前に、場所を移します。こちらについてきてください」

 

 そう言うと彼女は、受付カウンターの一部を折り畳み、通れるようにした後、中に入るよう促す。素直にそれについていくと――

 ソニアがカウンターの奥の壁の一部をいじると、壁の一部がスライドし、先ほどまではなかった部屋の入口が現れる。隠し扉だ。

 

 中を覗き込むと、脚の低いテーブルが一つ。それと、それを挟むようにソファが二つ置かれている。部屋自体はあまり広くない。手狭な応接室という感じがする。

 部屋に入り、促されるままソファに座ると、ソニアは入り口に鍵を掛け、自身もわたしたちの対面に腰を下ろした。

 

「……ここまで人目を忍ぶってことは、裏のお仕事か何かかな?」

 

 わたしの実家、〈剣の継承亭〉でもこうした隠し部屋があって、主に秘匿性の高い依頼や、表には出せない汚れ仕事なんかの相談に使われていたため、これもその類かと当たりをつけてみる。

 

「いえ、仕事自体に後ろ暗いところはありません。ですが、あまり情報を広めたくはなかったので……」

 

「と言うと?」

 

 受付の女性――ソニアは、声の響きづらい隠し部屋で、さらに声を潜めて口を開いた。

 

「……アレニエさん、リュイスさん。お二人には、先刻話した殺人事件について調査し、解決していただきたいのです」

 

 彼女の頼みに、わたしとリュイスちゃんは顔を見合わせる。

 

「えっと……なんで今日来たばかりのわたしたちに? 事件の調査なら、土地勘がある地元の人間のほうがいいんじゃないの?」

 

「今日来られたばかりだからです。事件が起こり始めたのが今から十日以上前のこと。であれば、少なくとも今日この街に辿り着いた貴女がたは、犯人ではありませんから。神官のリュイスさんもおられますしね」

 

 その理屈は分からなくもないし、神官を連れてる人間が神官殺しの犯人だと考えづらいのも分かるけど……

 

「そりゃ、わたしたちの立場からすれば「違う」としか言えないけど……そんなに簡単に信じちゃっていいの? もしかしたら、こっそり街に入り込んで事件を起こしてから抜け出して、何食わぬ顔でまたこの街に戻って来たのかもしれないよ?」

 

 その言葉に、ソニアは笑みを浮かべる。

 

「そこまで手間をかけられていたとしたら、お手上げですね。私の見る目のなさを呪うとしましょう。けれど……違うんですよね?」

 

「はい。私も、アレニエさんも、誓って事件の犯人ではありません」

 

 リュイスちゃんが強く主張する。それにソニアは満足そうに頷いてみせた。

 

「虚偽を否定するアスタリア神官が誓うのなら、信じられます。ですから、その前提で話を進めさせてください」

 

「……ま、いっか。信じてもらえるなら、そのほうがいいしね」

 

 わたしは一度嘆息してから、話を促す。

 

「それで、話を戻すけど、なんでわたしたちに? もう衛兵も捜査してるんでしょ?」

 

「もちろん、衛兵や他の冒険者にも依頼して調査してもらっていますが、今のところ成果は芳しくありません。手がかりの一つも掴めていないのが現状です。なので、別の角度から調べてみるべきかと」

 

「別の角度……それが、わたしたち?」

 

「はい。お二人には明日から、ある三人の冒険者と行動を共にしていただきたいのです」

 

 そこで、ピンとくるものがあった。

 

「……その三人が、容疑者ってこと?」

 

「その認識で間違いありません。この三人は、当宿を利用する冒険者の中で、事件が起こる直前にこの街にやって来た方たちです」

 

「根拠は、街にやって来た時期だけ? ちょっと乱暴な気もするけど」

 

「先ほども申し上げた通り、手掛かりがありませんからね。多少強引にでも、解決の糸口を掴みたい。それに、彼らの疑いを晴らす意味でも、身辺調査はお願いしたいのです。こちらとしても、できるなら顧客が犯人であるとは思いたくありませんから」

 

「ふむ」

 

「首尾よく調べがついて事件に関わっていないと判明すれば良し。その際は、また違う視点からの調査をお願いすることになると思います。ですが……」

 

「もしその三人の誰かが、あるいは三人共が犯人だった場合、この店も関連を疑われるし、評判にも関わる。だからできれば早めに、そして内々に処理してほしい」

 

「仰る通りです」

 

 うちも冒険者の宿を経営してるので、店の評判を心配する気持ちは分からなくもない。

 

「なるほどね。確かにこんな案件、この店を利用してる他の冒険者には聞かせられないし、頼めないね。最初から疑ってかかってるわけだし、もし本当に犯人が客の中にいた場合、情報が筒抜けになる」

 

「ご理解いただけて幸いです。それに、当宿の事情を抜きにしても、今は、大事な時期です。魔王が蘇り、『戦場』の魔物も増加している現状、人類は一丸となってこれに対処しなければなりません。内部に火種を抱えている場合ではありませんから。……それで、どうでしょうか。引き受けていただけますか?」

 

 わたしは意思確認のためリュイスちゃんに視線を向ける。彼女は強い意志を込めた瞳で、こちらを見返していた。

 

「私は、受けたいです。同じ神官が――人が殺されるような事件、早く解決するべきだと思いますし、それが、この街全体や『戦場』にも影響を及ぼすなら、なおさらです」

 

 そんな気はしていた。彼女にとっては殺人を止めるというだけで、引き受ける理由には十分なのだろう。でも……

 

「ほんとにいいの? リュイスちゃん自身が狙われるかもしれないよ?」

 

「それは、依頼を引き受けなくても同じでしょう? 犯人を捕まえない限り、私も、他の神官も、いつ狙われてもおかしくないんですから。それなら、私自身を囮にしてでも、事態の解決に向けて動くべきです」

 

「……まぁ、リュイスちゃんがそう言うなら」

 

 こちらとしても、リュイスちゃんの身が心配な以外は、特に異存はない。彼女のように他者の生き死にに心を痛めるわけではないが、解決した結果として報酬が貰えるなら、それはそれで構わない。この先の旅に備えるためにも、資金は稼いでおきたい。わたしはソニアに向き直り、返答した。

 

「分かった。引き受けるよ」

 

「……ありがとうございます。それでは――……」

 

 明日以降の調査の段取りを詰めるべく、三人で話し合う。深夜の密室に、わたしたちの声だけが反響していた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4節 容疑者三人

 翌朝。

 わたしとリュイスちゃんは部屋を出て階段を降り、一階のロビーに向かった。

 

〈常在戦場亭〉は、朝から人で賑わっていた。

 食堂で朝食を楽しむ者。壁に貼りつけられた依頼書に目を配る者。受付で受注の手続きをする者。様々だ。

 それらを尻目に、わたしたちは昨夜も訪れたソニアが担当する受付に向かう。

 

「アレニエさん! リュイスさん!」

 

 ソニアがわたしたちを発見し、自身の受付カウンターへと招く。彼女の前には、三人の冒険者が並んでいた。

 

 一人は、弓を携えた長身の男性。

 透き通るような金色の髪に、非常に整った容姿。何より特徴的な尖った耳は、エルフと呼ばれる種族の特徴だ。年齢はわたしと同じくらいに見えるが、長寿である彼らは見た目で年齢を測ることが難しい。

 皮製の鎧に身を包み、背には矢筒を背負い、腰には大振りのナイフを提げていた。狩人だろうか。

 

 一人は、細長い槍を背負った初老の男性。こちらは耳が尖っているようなこともなく、一般的な人間に見える。表情は厳しく、目を閉じて黙考している。

 鎧は纏わず、ローブのような衣服しか身に付けていない。背はあまり高くなく、あまり筋肉質にも見えないが、佇まいに隙が無い。わずかに観察しただけでも、相当に腕が立ちそうなのは窺えた。

 

 最後の一人は、若い女性。いや、リュイスちゃんと同じくらいの年齢に見えるし、少女と呼ぶべきだろうか。

 鮮やかな桃色の髪、あまり長くはないそれを、頭の上でツインテールに結っている。エメラルドに輝く大きな瞳。整った目鼻立ち。首に黒いチョーカーを巻いているのが印象的だった。小柄な身体には、わたしと同じような軽装の金属鎧を着込み、腰にはナックルガードのついた細身の剣を差していた。

 

「ソニアさん。彼女たちが、残りの人員ですか?」

 

 エルフの男性が、こちらにちらりと視線を向けながら訊ねる。

 

「はい。彼女たちは昨日この街にやって来られたばかりで、仕事を探しているようでしたので、私のほうから本日の依頼にお誘いしました。魔物討伐に向かうならば、神官の手も必要でしょうから」

 

 という(てい)で一緒の依頼を受けるように、ソニアには根回ししてもらった。わたしたち――特に神官のリュイスちゃんと行動を共にさせてみて、三人の人となりや反応を見極めるためだ。

 

「なるほど」

 

 彼はソニアの説明に一つ頷くと、こちらに向き直り、自身の胸に手を置きながら口を開く。

 

「私はアルクスといいます。本日はよろしくお願いします」

 

 物凄い丁寧な物腰だ。第一印象だけで言えばとても犯人には見えないけれど……ここに至るまで尻尾を掴ませないという殺人犯が、普段から殺意を誇示しているわけもない。穏便な態度の裏に本性を隠していたっておかしくない。油断はできない。

 わたしは疑いの目を向けていることを顔には出さず、いつもの笑顔の仮面を被って挨拶を返す。

 

「うん、よろしく。わたしはアレニエ」

 

「リュイスといいます。こちらこそ、よろしくお願いします」

 

「はいはい! あたしも!」

 

 続けてリュイスちゃんが挨拶すると、今度は桃色の髪の少女が片手を挙手しながら声を上げる。

 

「あたしはリーリエ。見ての通り剣士です。まだ冒険者になってから経験が浅いほうなので、色々教えてくださいね!」

 

「リーリエちゃんだね。よろしく」

 

「はい!」

 

 少女――リーリエは、快活に笑いながら自己紹介をする。かわいい。

 

 こちらも初めの印象としては、殺人犯には到底見えない。経験が浅いという割には腕が立ちそうだったが、冒険者以外の職で経験を積んでいたのかもしれない。

 

「それで、あなたは?」

 

 ここまで微動だにせず、沈黙を貫いていた槍使いの男に、わたしは声を掛けた。この場の全員の視線が彼に集まる。

 男はこちらを睨むようにジロリと一瞥してから、一言だけ呟いた。

 

「……シュタインだ」

 

 …………

 

「……それだけ?」

 

 シュタインと名乗った男は再び不動の体勢に戻り、静かに目を閉じた。

 

 この無口さ。それに、人を寄せ付けない武人のような雰囲気。なんとなく、うちのとーさんと同類の匂いを感じる。だから犯人ではない、とは言い切れないが、個人的には悪い印象ではない。

 が、わたし以外の面々にはそうではなかったらしく、場に微妙な沈黙が訪れる。

 

「……さて!」

 

 ここでソニアがパンっと手を叩き、沈黙を破る。

 

「とりあえず顔合わせも済んだことですし、食堂で朝食でもどうですか? 依頼を無事にこなすためにも、食事は疎かにしないほうがいいですよ」

 

 もっともな意見に、誰も異論はなかった。わたしたちは揃って食堂に移動し、共に腹ごしらえする。

 まだ手探りながら、食事中の会話は概ね和やかに進んだ。ただシュタインだけは、その間も一言も口を開かなかったことは追記しておく。徹底的に喋らないなこの人……

 

 

   ***

 

 

 食事を終え、宿を出たわたしたちは、戦場への物資を運ぶ商隊、その馬車の一つに相乗りし、護衛をしながら街の外へ向かう。馬車に同乗している商人のおじさんはこの商隊の主で、わたしたちの依頼の依頼主でもあった。

 

 この街ではよくある依頼だそうだ。戦場を迂回して街に接近してくる魔物というのが、少なくないらしい。

 大規模であれば軍が対処するが、少数が侵入する程度だと気づかない、もしくはあえて見逃され、後の処理は冒険者に任されるという。

 当然、退治しなければ物資を戦場へ届けられないばかりか、街自体に被害が出かねない。それを未然に防ぐための討伐依頼だった。

 

 街を貫く大通りを抜け、城壁の門を潜る。外に一歩でも出ると、そこから先は既に荒野が広がっていた。

 

 乾いた地面は地割れのようにひびが広がり、砕けたそれが砂になって風に吹かれる。

 所々に巨石や巨岩も鎮座しているが、それ以外は聞いた通り遮る物もない。特に戦場へ続く道は(なら)され、障害物も撤去されていた。道の向こうには戦場の手前に展開する人類軍のキャンプが薄っすらと見えた。

 

 ここを真っ直ぐ進めば、人類と魔物が争う最前線へ辿り着く。

 しかしその途上、視界の左右にそびえる巨岩の陰に、物音や匂い、蠢く影――つまり何者かの気配を感じる。

 

「止まって。何かいるよ」

 

 荷台から顔を出し、周囲の様子を窺っていたわたしは、馬車を停めるよう商隊の主と御者を促した。

 

「……物見が発見したという魔物かね?」

 

「多分ね。あっちとそっちに怪しい気配が」

 

 商人のおじさんの問いに簡潔に答え、左右の岩陰をそれぞれ指し示す。気配が魔物のものとは限らないが、こんなところでコソコソ隠れる類は人間だとしてもろくな手合いじゃないだろう。

 

「昼間からこんな街の近くで出没するとは……魔物の数が増えている証拠かもしれんな。分かった、ならば後は任せるよ。……おーい! 全隊停止だ! 停まれー!」

 

 主は他の馬車にも呼びかけ、商隊全体を停止させる。慣れているのだろう。大きな混乱もなく、街を出てわずかの地点で、並んで走行していた馬車がピタリと停まった

 わたしは一足早く乗っていた馬車の荷台から飛び降りる。それにリュイスちゃんが続いた。

 

「現れたんですね」

 

「うん。準備はいいかな」

 

「はい。いつでも行けます」

 

 リュイスちゃんは両手の篭手の具合を確かめ、拳を固めてみせる。旅立ったばかりの頃のように、恐怖と緊張で動けないということはもうなさそうだ。いいことなんだけど、ちょっと寂しい気もする。

 

「出番ですね!」

 

 続けてリーリエちゃんが荷台から飛び出してくる。遅れてアルクスが静かに降り、最後にシュタインが(器用に槍をぶつけないようにして)馬車を降りた。

 

 商隊の他の馬車からも、同乗していた兵士や冒険者が次々と外に出て、各々武器を構え警戒する。馬車の車輪の音が響いていた荒野が、緊張感でにわかに静まる。

 すると、岩陰の何者かにも動きがあった。奇襲は通じないと悟ったのか、潜んでいた巨岩から抜け出し、次々と姿を現してくる。

 

 小柄な身体に緑色の肌のゴブリンや、豚頭に大柄な体躯のオーク。さらに、オークを超える体格を誇るトロールなどの、二足歩行の魔物たちだった。手には棍棒や斧、幅広の剣などを握っている。数は、右の岩陰から五体、左に七体。

 

 向こうの最大戦力であるトロールは、左右の岩場に一体ずつ。その他は満遍なく散らばっている。それを見て、わたしは商人に指示を出した。

 

「わたしたち五人で魔物を討伐するから、他の人たちには念の為、商隊の護衛をさせておいて」

 

「君たち五人だけで? 大丈夫なのかね?」

 

「うん。――いけるよね?」

 

「はい」「もちろん!」「……」

 

 今日出会ったばかりの三人に問いかける。アルクスとリーリエちゃんはそれぞれ力強く頷き、シュタインはやはり無言を貫く。

 物腰や身のこなしから推測できる実力からすれば、このくらいの相手は物の数にもならないはず。もちろん、わたしとリュイスちゃんにとってもだ。

 

「わたしとリュイスちゃんが右。あなたたち三人が左でよろしく」

 

「分かりました」

 

 アルクスの返事に頷き、わたしとリュイスちゃんは待ち伏せていた魔物に突貫する。

 

「《守の章、第一節。護りの盾、プロテクション!》」

 

 もはや聞き慣れたリュイスちゃんの詠唱を合図に、わたしたちは戦いを開始した。  

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5節 三者三様の戦い

 腰に提げた愛剣の柄を逆手で掴み、抜き放つ。

 鞘走りから空気を切り裂く音が繋がる。シャン!と音を鳴らした刃は、まずは突出してきたゴブリンの首をあっさりと切り落とした。

 剣を振るった勢いをそのままに一回転し、続けざまにもう一閃。奥にいたオークの胴を袈裟切りに両断する。

 

「ガァっ!」

 

 ここで、最奥にいたトロールが、大きく振り上げた棍棒を叩きつけてきた。馬鹿げた怪力に乾いた地面が抉られ、砂が巻き上げられる。

 それを、横に軽く跳んでかわしたわたしは――

 

 トン――

 

 次には、叩き付けられた棍棒の上に飛び乗っていた。

 知能が低いはずのトロールが、わずかに狼狽えたように見えた。

 その手が持つ棍棒を足場にして高さを稼ぎ、跳躍。一時的に巨体の身長に並んだわたしは、躊躇わずに剣を振るい、その首をはねた。

 

「ガ……」

 

 頭部を取りこぼし、呻き声を残して、トロールの巨体が後方に倒れてゆく。ズシン……と、わずかな地響きと共に地面に沈み、ビクビクと痙攣する胴体だけが後に残された。

 

 この頃には、共に突撃したリュイスちゃんの戦いも決着がついていた。残ったゴブリンとオークを無事に殴り倒し、命が失われる衝動に耐えるためか、静かに息をついている。

 

「(さて)」

 

 わたしは周囲の魔物を全滅させたことを確認すると、まだ戦いが続いている例の三人の側へ目を向けた。見れば既に四体の魔物が地に倒れ、残った三体(トロール一体とオーク二体)と交戦中だった。

 

 まず視界に入ったのは、後方(こちらから見れば前方)で弓を構えるアルクスの姿。矢筒から矢を取り出し、(つが)え、弓を引き絞り、遠間にいるオークに狙いをつけ……放つ。

 

 ビシュ!

 

「グブっ!?」

 

 矢は狙い通りオークの胸――人間で言えば心臓のあたりに突き刺さり、胴体を後ずさらせるほどの衝撃を与える。傷口から鮮血がこぼれ落ちる。しかし……

 

「ブガァァァ!」

 

 致命傷には至らなかったのか、あるいは最後の力を振り絞っているのか。胸を撃ち抜かれ、一度は仰け反った魔物は、次には反発するように前進し、自身を撃ったエルフに向かって突進せんと迫る。

 しかし――

 

 アルクスは、冷静に、そして迅速に次の矢を矢筒から取り出し、辺りの空気をその手に集めるようにしてから弓を引き、狙いを定める。

 

「(あれは……風の『気』を、手に集めてる?)」

 

 そう思った次の瞬間には、彼の右手から矢が解き放たれていた。

 

 ボっ――!

 

「ブゲっ!?」

 

 矢は、オークの頭部に吸い込まれるように突き立った。そしてただ命中しただけではなく、当たった箇所を吹き飛ばし、爆発させるように抉り取ってから、貫通していった。周囲に魔物の血が飛び散る。

 

 狙いの正確さにも目を見張るが、威力にも驚嘆させられる。おそらく、弓を引き絞る際の自身の力――『気』と、周囲から集めた風の『気』を合わせたからこその威力なのだろうけど……

 

 

『気』を扱う際に必要な身体を動かす力は、主に体力と呼ばれているが、時に生命力と呼ばれることもある。

 そして、それは人間だけではなく、アスタリアが生み出した全ての創造物に宿っているのだという。動植物はもちろん、火や水、土や風といった、自然の理にも。

 エルフは、それら自然の生命力と対話し、力を借り受ける――つまり、他の種族より効率的に自然の『気』を扱うことができるらしい。

 だからだろうか。彼らはその生命力を『気』ではなく、『精霊』と呼び、尊んでいる。

 

 

 頭部を失ったオークの胴体が、仰向けに倒れる。傷口から血が広がり、乾いた地面が赤い液体を吸ってにわかに湿った。

 射ったアルクスのほうは、撃ち終わった姿勢からしばらく動かなかった。そして自身の仕事が終わったのを見届けると、静かに息をついた。

 

 次に目についたのは、リーリエちゃんだ。

 両刃の武骨な斧を振りかぶるもう一体のオークに向けて、彼女は抜き身の剣を携えて自分から駆け出していく。

 

 小柄な見た目通り素早く接近するリーリエちゃんに対して、オークは力任せに斧を振るう。が、彼女は軽快なステップで跳ね回り、相手の大振りな攻撃を全てかわしていく。

 やがて間近まで迫ると、彼女はステップの勢いを乗せてオークの足元を切り払う。

 

「ていっ!」

 

「ギっ!?」

 

 自重を支えていた足に傷を負い、魔物が片膝をつく。しかし戦意は衰えず、腕の力だけで振り払うように斧を振るう。こんな雑な攻撃でも、当たれば怪我じゃ済まない威力を秘めている。

 

 それを素早く跳び退ってかわしたリーリエちゃんは、次の瞬間には……着地の反動に瞬発力を乗せ、即座に前方に滑るように跳躍。全身の力を剣に乗せ、オークの頭部に刃を突き立てた。

 

「ギャブ!?」

 

『気』を込めた刺突に頭蓋を貫かれ、オークの動きが止まる。そこへ――

 

「はぁっ!」

 

 ザンっ!

 

 突き刺さっていた剣を引き抜き、リーリエちゃんがその場で鋭く旋回。繰り出された斬撃にオークの首が斬り飛ばされる。豚頭が緩やかに回転しながら宙を舞う。

 頭部が地面に落下すると、それを合図にしたかのように首を失った胴体が前のめりに倒れる。噴き出す血を避けるように、リーリエちゃんはその場を退いた。

 

 やっぱり、経験が浅いという割には、かなり腕が立つ。瞬発力を活かしたあの突きに、鋭く旋回しながらの斬撃。どれも一朝一夕で身に付くものじゃない。

 それと、出会ったばかりでなんだけど、彼女にはどこか親近感を覚える気がする。敏捷性を活かした回避と、そこからの反撃というスタイルが、わたしのそれと少し似ているからだろうか。いや、それ以外にもどことなく……彼女の明るさや笑顔が、かすかに作り物のように見えて……まぁ、今はいいか。

 

 リーリエちゃんから視線を外し、最後の一人、槍使いシュタインに目を向ける。

 彼は、魔物の群れの中で今や唯一の生き残りとなったトロールと、真正面から対峙していた。

 

「……」

 

 石突きを地面に置き、垂直に立てていた槍を、彼は大儀そうに持ち上げた。そして静かに、無駄なく、その穂先を相手の胸の中心に向けて構えた。

 わずかに気圧(けお)されたようにトロールが唸る。しかし次には、アスタリアの被造物を害するという魔物の本能に従うように、手にする巨大な棍棒を振り上げ、襲い掛かる。

 

「ガァァ!」

 

 叫びと共に振り下ろされる巨大な鈍器。直撃すれば、人間などひとたまりもなく圧し潰され、荒廃した大地に血肉の花を咲かせてしまうことになるだろう。が――

 その人間は、少しも恐れることなく武器を巧みに操り、迫りくる棍棒の側面に槍を当て、かき回すように動かした。

 

 ズドォ――!

 

 棍棒が、地面に叩き付けられる。砂塵が舞う。やがてそれが晴れると……

 

 果たして、シュタインは無事だった。槍を構えた姿勢のまま、先刻と同じ場所に立っている。

 

 トロールの棍棒は、シュタインを捉えることはできなかった。彼の槍に攻撃を逸らされ、離れた地面を叩かされていたのだ。攻撃の道筋をずらして致命傷を防ぐ技法。わたしがとーさんから教わった防御の技と似ているかもしれない。

 のみならず、既に彼の攻撃は終わっていた。見れば槍の穂先が、いつの間にかトロールの胸を貫き、背中側まで深々と刺し貫いている。魔物が呻き声を漏らし、苦悶する。

 

「ア……ガ……」

 

 最小限の動きで相手の攻撃を防ぐと同時に、最大の攻撃を急所に叩き込む。攻防一体の高等技術。それを、命懸けの実戦で平然とこなす胆力。技も心も並大抵じゃない。

 やがてシュタインは槍を引き抜くと、穂先の角度を上向けてから、もう一度獲物を突き刺した。

 

「ふん――!」

 

 ドシュ――!

 

「ガペっ!?」

 

 槍はトロールの口から入り込み、後頭部までを貫いた。前後の穴から血が滴り、地面に流れ落ちる。

 シュタインは槍を引き抜いた勢いで背を向け、武器に着いた血を払い落とす。そして数歩分歩いたところで、背後のトロールが地響きを立てて倒れた。絶命している。

 

 彼はそのまま何事もなかったように、こちらに合流するため歩を進めてくる。相変わらず無愛想なその顔には、魔物への恐怖も、戦いへの高揚も感じられない。平静を保っている。

 どうやら、三人の中では彼が頭一つ抜けている。これほどの使い手が名を知られることもなく冒険者として放浪しているとは。世界は広い。

 

「……貴様。腕が立つな」

 

「それはどうも。あなたもね」

 

 他の面々より一足早くこちらに辿り着いたシュタインが、わたしに向けて一言呟く。向こうもこちらを観察していて、互いに同じような感想を抱いたのだろうか。腕を認められるのはちょっと嬉しい反面、下手に目をつけられるのは面倒でもある。ジャイールくんみたいに付きまとわれたらどうしよう。

 

 いや、それはなかったとしても、彼が例の殺人事件の犯人という可能性もあるのだった。その場合、あの腕前の持ち主と本気で死合うことになるかもしれない。面倒どころの話じゃない。

 

「(何か、対策考えておくべきかも)」

 

 胸の内でそんなことを考えながら、けれど外見にはおくびにも出さず、わたしは討伐を終えた仲間たちと合流するのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6節 接触の感触

 魔物は無事討伐できたが、街のすぐ近くのこんな場所に穢れを大量発生させるわけにもいかない。法術で一気に燃やせるように、手分けして魔物の死体を集めていく。

 

 左右の岩場にあるトロールの死体それぞれを中心に(重すぎて運ぶのに難儀したためだ)して、その周りに他の魔物の死体を積む形で、遺体の山を二つ組み上げる。後は、リュイスちゃんの法術に焼いてもらうだけだ。

 

「リュイスちゃん、お願いね」

 

「はい。……《天則によって力強い火に我らは願う者です。最も迅速にして強力なその火が、信徒には明らかな助けとなるように、仇人(あだびと)には罪業を露わに示すものとなるように……火の章、第二節。浄化の白炎(びゃくえん)……クリメイション》」

 

 法術によって生み出された白い炎が、遺体の山を焼き始める。

 炎は徐々に燃え移り、魔物の死体を、そこから発生する黒い霧のようなもの――穢れを、燃やしていき……やがてそれらも浄化され、わずかに残った部分も風に吹かれて散っていく。

 

「……よし。それじゃ、次は向こうを浄化してきますね」

 

「うん。わたしは、他に魔物が残ってたりしないか警戒しておくよ」

 

 シュタインたちが倒した魔物の死体の山に向かうリュイスちゃんを見送り、辺りの様子を窺う。付近にいた魔物は全滅させたが、どこかから新たにやって来ないとも限らない。警戒は怠れない。

 

 しばらく経つと、もう一つの死体の山から白い炎が上がるのが見て取れた。浄化は順調に進んでいるようだ。それが終われば再び商隊は戦場へ向けて出発する――

 

「ひぁっ!?」

 

 ここで、向こうの岩陰から悲鳴が飛んでくる。この声、リュイスちゃん!?

 

「っ!」

 

 即座に駆け出す。

 魔物の気配は周囲に残っていなかった。他に不審な人物なんかも見かけていない。そうなると、元からこの場にいた人物……まさか、あの三人の誰かが本当に犯人で、白昼堂々襲ってきた……!?

 たとえ三人の誰かが犯人だとしても、まだ明るいうちから、これだけ人目のある中で仕掛けてはこないだろうと油断していた。自身の迂闊さを呪いながら辿り着いたそこでは――

 

「あの、やめてください、リーリエさん……! まだ、浄化の途中で……!」

 

「おぉ……いい身体してますねリュイスさん。これは世の男共が放っておきませんよ!」

 

「やぁっ……んん……!」

 

 繰り広げられていたのは、そんなやり取り。リュイスちゃんの背後から、桃色の髪の少女が腕を絡ませている光景。

 

 なんだ……リュイスちゃんがリーリエちゃんに胸を揉まれてるだけか……

 

 どうやら、他に妙なところはないようだ。一気に安心したと同時に、ドっと疲れが湧いてくる。

 

「うぅ……あっ! アレニエさん! 見てないで助けてください!」

 

「あー、うん。そうだね。ほらほらリーリエちゃん、離れてくださーい」

 

「えー、もうちょっといいじゃないですかー。すごくいい揉み心地なんですよ?」

 

「知ってるよ。揉んだことあるからね」

 

「って、ちょっと、アレニエさん!?」

 

 力づくでリーリエちゃんの手から逃れながら、リュイスちゃんが「なんで言っちゃうんですか!?」という顔で抗議してくる。

 

「別に隠すようなことでもないかと思って」

 

「私はできれば隠したいんですけども!」

 

「え、え? お二人って、もしやほんとにそういうご関係で……?」

 

 リーリエちゃんが少し顔を赤くしながら、けれどワクワクしながら聞いてくる。

 

「そうだよー」

 

「違います!」

 

「どっちですか」

 

 正反対の答えを返すわたしたちに、リーリエちゃんが困惑した表情を見せる。それを脇に置いておいて、わたしはリュイスちゃんに近寄り、間近でその顔を覗き込んだ。

 

「……違うの?」

 

「え……や、その……全く違うとは言いませんが、その……私としては、そういう関係よりも先に、対等なパートナーとしてお付き合いしたいと言いますか……」

 

 しどろもどろになりながらも、明確には否定しないリュイスちゃん。彼女のこういう真面目なところが大好きだ。

 

「というわけでリュイスちゃんはわたしのものです。勝手に胸を揉んではいけません」

 

「何が「というわけ」なんですか!?」

 

「はーい。分かりました」

 

「分かっちゃったんですか!?」

 

「お二人の仲がいいのは、十分に分かりましたよ」

 

「え、あ……うぅー……!」

 

 顔を真っ赤にしながら、その顔を隠すようにベールをずり下げるリュイスちゃん。その微笑ましい光景に心が和む。

 

「かわいらしい人ですね」

 

「でしょ」

 

 同じように彼女を見て微笑むリーリエちゃんの呟きに、わたしは自慢げに頷くのだった。

 

 

   ***

 

 

「――いやー、今回は助かったよ」

 

 再び馬車に乗り込んだわたしたちは、同乗している商隊の主から歓待を受けていた。

 

「まさかこの人数で、あれだけの魔物をすぐさま一掃できるとは。腕前も手際も大したものだ。君たちさえ良ければ、このまま専属で雇いたいくらいだよ。他より高額の報酬を約束するが……どうだね」

 

 ありがたい申し出ではあるけれど……わたしは一度リュイスちゃんと視線を合わせてから、商人のおじさんに返答する。

 

「わたしとリュイスちゃんは旅の途中でこの街に立ち寄っただけだから、悪いけどあんまり長居はできないんだ。また別の機会にね」

 

 次いで口を開いたのは、エルフの弓手アルクス。

 

「私も、人を探しての旅の途中なので、申し訳ありませんが専属はお断りさせていただきます」

 

「あたしも、ちょっと他にやることがあるので……」

 

 リーリエちゃんも控えめに断り、最後にシュタインに視線が集まるが――

 

「……断る」

 

 それだけを口に出し、彼はそのまま黙りこくってしまう。

 

「そうか……残念だが仕方ない。でも、気が変わったらいつでも言ってくれよ。戦場に荷を運ぶ大事な仕事だ。優秀な人手はいつだって欲しいからな」

 

 商人はそう言い残してから、進路を確かめるためか、御者台のほうに移動した。

 それを見送ってから、わたしは先ほどなんとなく気になったことを聞こうと、アルクスに向けて口を開いた。

 

「人探し?」

 

「ええ。そうなんです。故郷を出て行った同胞を探していまして」

 

「同胞ってことは、あなたと同じエルフだ」

 

「はい。同じ村で育った幼馴染、というより、家族のような間柄でしたが……少々変わり者だったため他の村人と馴染めず、しばらく前に国を出て行ってしまったのです」

 

「変わり者?」

 

「ええ。エルフの多くは、私のように弓や、あるいは剣を扱う者が多いのですが……彼女は、エルフとしては珍しく格闘術に傾倒し、その修行にばかり明け暮れていたため、他の同胞からは距離を置かれることに……」

 

「へー、それは確かに変わって……ん?」

 

 格闘術を扱うエルフ……?

 

「あの……その人って、見た目に何か特徴ある?」

 

「え? そうですね……私と同じ金色の髪を短く揃えていて、手足には金属製の防具を身に付けているのが特徴でしょうか。他国との交易で得た品を大事に使っていたので、おそらく今も身に付けていると思われますが」

 

「……名前は?」

 

「フェリーレといいます」

 

 あー……やっぱり。

 

「……その人、多分うちにいる」

 

「うち?」

 

「うん……うち、パルティールの王都下層で〈剣の継承亭〉っていう冒険者の宿をやってるんだけど、そこの常連にフェリーレってエルフがいるの」

 

「本当ですか!?」

 

「手足に金属製の防具身に付けてる金髪エルフだから、多分、間違いないと思う。ちなみに、わたしの体術の師匠が、そのフェリーレ」

 

「そうなんですか?」

 

 問いかけるリュイスちゃんに顔を向け、頷き返す。

 

「剣はとーさんに習ったけど、格闘術とか『気』の使い方とかはフェリに教わったんだ」

 

「パルティール……そんな所に……それでは私は、見当違いの方向に旅をして……」

 

 大陸中央の南端にあるエルフの国からは、北へ向かえばアライアンスの街。西に向かえばパルティールという位置関係だ。出発の方向から間違っていたことに、アルクスが少し呆然と呟く。

 しかしすぐに気を取り直すと、彼はこちらに感謝の意を告げる。

 

「ありがとうございます、アレニエさん。今まで有力な手掛かりが得られなくて少々弱気になっていたんですが、おかげで今度こそ探し出せそうです」

 

「どういたしまして。全くの偶然だけどね」

 

「いえ、これもテリオスとアサナトのお導きというものでしょう。こうして共に依頼を受けていなければ、私は今も足取りを掴めないまま彷徨(さまよ)っていたでしょうから。貴女との出会いに心からの感謝を」

 

 テリオスは水の、アサナトは植物の神で、二神で一対の存在だと言われている。生物の健康や長寿、自然の生育なども司っており、特にエルフに信者が多い。

 

「この仕事を終えて準備を整えたら、早速パルティールに向けて旅立とうと思います」

 

「見つけたら連れ帰るの?」

 

「できればそうしたくはありますが……素直に帰りはしないでしょうね。実際に見つけ出してから、どうするか考えるとします」

 

「そっか。まぁ、わたしもフェリにいなくなられるのはちょっと寂しいし、できればお手柔らかにお願いしたいかな」

 

「そうですね……善処します」

 

 彼が殺人犯かもしれないと思い出したのは、この会話の後のことだった。まぁ、仮にそうだったとしてもフェリなら自力で撃退できる気もするし、なんならうちにはとーさんもいる。なんとかなるだろう。

 

 

   ***

 

 

 無事に戦場に荷を運び終えた商隊は帰途につき、何事もなくアライアンスの街に帰り着いた。

 既に陽は落ち、街は夕焼けの色に染まっている。

 アルクスは旅立つ準備のため買い物に向かい、あとの二人は宿に直帰した。彼らと別れたわたしとリュイスちゃんは、細々とした備品(火口(ほくち)が残り少なくなっていた)などを買い求め、アライアンスの街を巡る。

 

 初日はウィスタリア孤児院から宿へ直行だったため、街を見て回るのは実質今日が初めてだ。見慣れない物や光景に目移りし、歩みはどうしても遅くなる。目当ての品を全て揃える頃には辺りは既に薄暗くなり、人の通りも少なくなっていた。

 

「結構遅くなっちゃったね」

 

「すみません。初めて見る物ばかりではしゃいでしまって……」

 

「いいよいいよ。リュイスちゃんが楽しめたならよかった」

 

 わたしは隣を歩くリュイスちゃんに声を掛ける。買い物は楽しめたようだが、依頼をこなした直後にそのまま連れ回してしまったからか、少し疲れている様子でもあった。早く帰って休ませてあげなきゃ。

 

「それで……どうでしたか? 犯人の目星は、つきましたか?」

 

「うーん……わたしは、今のところ全員違うような気もするし、逆に全員怪しくも見えてるんだけど」

 

 幼い頃の経験から他人を、特に人間の内面を信じられなくなったわたしは、どんなに善良な仮面を被っている人でも、その奥には悪意を隠しているのではないかと疑ってしまう。

 

 それは今日交流した三人に関しても同様で、実際に接してみた感触は悪くなかったが、完全に信じるには根拠が足りない。用心するに越したことはない。

 

 といってもアルクスに関しては、心情的にはかなり疑いが晴れているのだけど。フェリーレに関する話に矛盾はなかったし、明日には早速彼女を探しに旅立つという。

 

 仮に彼が殺人犯で、何か目的があってこの街で犯行を重ねていたとしたら、今日のあの会話だけで出立を決めはしない気がする。こちらに嘘をつく理由もない。わたしたちが事件の調査をしていると予め知っているのでもない限りは、だけど。さすがにそれはあり得ないだろう。

 

「リュイスちゃんは? 今日一日触れてみてどう思った?」

 

「私は……正直、三人共、とても殺人犯には見えません。他に犯人がいると言われたほうが納得できます」

 

 わたしと反対に素直で純真なリュイスちゃんは、あまり人を疑うことができないのだろう。わたしは彼女のそういうところが好きなのだけど……冒険者としては、心配な点でもある。

 

「まぁ、まだ一日様子見ただけだしね。結論出すには早いか」

 

 といっても、容疑者のうち一人は、明日にもこの街を出て行ってしまいそうだけど――

 

「――……?」

 

 不意に、背筋にひやりとしたものを覚える。何か、視線を、そして気配を感じる。誰かがわたしたちを尾けてきている?

 

「……? アレニエさん? どうかしましたか?」

 

 わたしは振り向かず、隣を歩く彼女に声だけを届けた。

 

「……リュイスちゃん。もしかしたら、釣れたかもしれないよ」

 

「釣れた? って、何が……まさか……!?」

 

「うん。……誰も巻き込まないように、人気のないとこに誘い込もうか」

 

 暗さに覆われ、ただでさえ人が少ない街の中を、わたしたちはさらに人のいない場所を探し、進んでいく。

 何度か十字路を曲がり、誰の姿もない路地に足を踏み入れ、しばらく歩いたところで……

 

「……」

 

 いつの間にか、黒いフードとローブで全身を覆った何者かが、路地の入り口に幽鬼のように立っていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7節 黙する影の襲撃

 そこにいたのは、黒い影だった。

 

 夜の闇に溶け込むような、ゆったりとした黒のローブで全身が覆われている。

 さらにフードを目深に被ったうえ、装飾の少ない白い仮面で顔を隠しているため、顔も性別も判然としない。闇の中で、白い相貌(そうぼう)だけが宙に浮かんでいるようにも見える。

 

「あなたが、神官殺人事件の犯人さん?」

 

「……」

 

 謎の人影は何も言葉を発しない。離れた距離から、こちらの様子を窺っている。

 そして、手には何も持っていない。少なくとも、目に見えるような武具は何も。

 が、黒い影は、その何も持っていないはずの手を前方に掲げてみせた。その手の先に一瞬光が集まった――そう思った時には、人影の手に弓と矢が現れていた。

 

「(――は?)」

 

 弓矢はどちらも月の光を反射し、淡く輝いている。通常よく見る(それこそ今日見たばかりの)木製の物じゃない。金属か宝石あたりで覆われているのだろうか……?

 

 それに、あの武器、どこから取り出したの? さっきまでは確かに持っていなかったし、ローブに隠すのだって難しいはず……

 考える間もなく、輝く矢が素早く引き絞られ、こちらに向かって撃ち放たれる。

 

 ヒュンっ――!

 

 風切り音を鳴らして飛来するそれを、愛剣で叩き落そうとしたのと同時に――

 

「《プロテクション!》」

 

 リュイスちゃんの祈りによって発現した光の盾が、撃ち込まれた矢を迎え撃った。

 

 バヂィ!

 

 盾と矢が接触し、音を鳴らす。

 リュイスちゃんは盾を斜めに、矢を後方に逸らせるように構えていた。逸らされた矢は路地の壁に当たり、そのまま突き刺さる。ちらりとそちらに視線を向けて、ようやくその正体に気が付いた。

 

「(氷……?)」

 

 放たれた矢は――そしておそらく弓も――氷で形作られているようだった。だから光を受けて反射していたのだろう。魔術によるものだろうか。

 そうしている間に、襲撃者は次なる矢を弓に(つが)える。

 

「リュイスちゃん、そのまま盾を張って身を護ってて!」

 

「はい!」

 

 彼女の返事を聞き終わる前に、わたしは前方に駆け出した。

 相手は明確にこちらの命を脅かしにきている。なら、下手な遠慮はいらない。右腰に差した愛剣〈弧閃〉の柄を逆手に握る。

 

 接近するこちらに向けて、襲撃者は再び弓矢を構え、一矢、二矢と放ってきた。が……

 放たれた矢はわたしを迂回するように大きく曲がり、後方のリュイスちゃんに向かって飛んでいく。

 

「くぅ……!」

 

 背後からリュイスちゃんが呻く声と、盾で矢を防ぐ音が続けざまに聞こえてくる。わたしを無視してあくまでリュイスちゃんを狙うなんて……それで彼女を討てるうえ、わたしへの対処も問題なくできるという主張なのか。舐められたものだ。

 

 いや、これはむしろ、それほどに神官への怨恨が強い証だろうか。初撃もわたしじゃなくてリュイスちゃんを狙ってたんだとしたら……

 

「(やっぱり目の前の相手は事件の犯人で、よっぽど神官を恨んでる……?)」

 

 このタイミングでリュイスちゃんに狙いを定めてくる相手が、事件と無関係ということはないだろう。犯人か、あるいはその一味かは分からないが、叩きのめして隠された素顔を引きずり出す必要がある。

 

 とにかく、これ以上リュイスちゃんを狙わせるわけにはいかない。続けて襲撃犯から放たれた二本の矢を、走りながら抜き放った剣でどちらも叩き落し、さらに接近する。

 近づいてしまえば、弓の優位性は失われる。今度はこちらが一方的に攻撃する番だ。そう目論んで数歩足を進めたところで……フっ、と、襲撃者が手にしていた弓矢が、唐突に消失する。

 

「(!?)」

 

 次いで、再びその手に光が集まるのを確認した次の瞬間には、襲撃者は新たな武器を握っていた。細長い棒状の柄と鋭い穂先を持つそれは――

 

「(槍……!?)」

 

 ボっ――!

 

「くっ……!?」

 

 ギャリィ!

 

 慌てて足を止め、突き出された刃の側面に剣を当て、後方に受け流す。

 突然現れた槍は、先ほどの弓矢と同じく氷でできていた。氷で武具を造り出す魔術……? でも……

 

「(さっきから、詠唱が聞こえない……)」

 

 魔術は、心象を具現化する技術だと言われている。

 肉体という檻の外に心象を出現させるには、道標となり鍵となる詠唱が必要不可欠になる。――人間であれば。

 詠唱なしに魔術を扱える者。それはつまり人間ではなく、魔族だ。

 彼らは、肉体と精神の境界が薄い(実はどういうことかよく分かっていないのだが)ため、思い描くだけで魔術を行使できるというのだ。その脅威は計り知れない。

 

「(つまり、今、目の前にいる相手は――)」

 

 必然的にそれは、街に入り込んだ魔族、ということになる。姿を、そしてその身から溢れる穢れを隠し、内部に侵入した敵性存在――

 

 わたしが思考を巡らせる間も、襲撃者は攻撃の手を緩めない。大きくかわされて一気に距離を縮めさせないようにするためか、こちらの動きを制限するような素早い突きを、小刻みに打ち込んでくる。

 二撃、三撃と鋭く突き出される氷の槍の穂先を、しかしわたしは愛剣で身体の左右に受け流し、じりじりと前へ詰めていく。このまま進めば、遠からず剣の――わたしの間合いに入る。

 

「……!」

 

 先に痺れを切らしたのは、襲撃者のほうだった。こちらの動きの要を封じるためか、右足の腿を狙って刺突を繰り出してくる。それをわたしは――

 左足を軸足に後方に一回転して刺突をかわし、回りながら振り上げた右足で、槍を上から踏みつける。

 

 ガンっ!

 

「……!?」

 

 踏みつけた槍から、相手の動揺が伝わってくる。わずかに動きが鈍る。

 が、動揺は、一瞬だった。次にはわたしは、槍を踏んでいた右足に手応え(足応え?)がなくなり、つんのめりそうになるのを踏ん張って防ぐ事態に陥る。相手が再び武器を消失させたのだ。

 三度、襲撃者の手に光が灯る。そうして次に生み出された武器は、こちらと同じものだった。

 

「……!」

 

 襲撃者が無言でその武器を――氷の細剣を振るう。軽快なステップで距離を詰め、こちらの足元を切り払ってくる。

 

「っとぉ!」

 

 咄嗟にその場で跳び、切り払いをやり過ごす。が、相手はこちらの動きを予測していたのか、即座に剣を引き戻し、瞬発力を乗せた全力の突きを見舞ってくる!

 

「く、の!」

 

 その突き出された剣の側面に自身の剣を当て、相手の攻撃をわずかに逸らす。そして、それを支点に空中で独楽のように回転し、勢いを乗せて、順手に持ち替えた剣を横薙ぎに振るった。

 

「――!」

 

 剣は、襲撃者が目深に被っていたフードと仮面を浅く切り裂く。相手はあくまで顔を隠そうとしてか、切られた箇所を咄嗟に手で押さえていた。

 

 傷は与えられていない。正体に繋がる手掛かりも見受けられない。

 けれど黒ずくめの影は見るからに攻め気を失い、造り出していた武器も消失させていた。まさか、このまま逃げる気なのだろうか。

 逃がすまいと駆け出そうとしたところで――

 

「……!」

 

 再び襲撃者の手に光が集まると……次には、路地を塞ぐような巨大な氷の盾が生み出され、わたしの行く手を阻んだ。

 

「……ふっ!」

 

 浅い袈裟切りの角度で、氷の盾を全力で斬りつける。

 身体から剣まで伝えられた『気』が、〈弧閃〉に混じる気鉱石と反応し、不自然な残光を伴って、目の前の障害物を切り裂く。

 盾は斜めに両断され、ややあってから、上の側が重さでずり落ちていく。そうして拓けた視界の先に視線を向けるのと同時に、盾が消失し――

 

 次に見えたのは、路地の入口まで後退した黒ずくめの襲撃者が、再び弓を構える姿。しかもその狙いはわたしではなく、上方に向いていて――

 

「(――まさか!?)」

 

 氷の矢が、空に放たれる。それは放物線を描いて落下し、そして落ちる最中に幾重にも分裂し、雨のように降り注ぐ。――リュイスちゃんがいる地点へと。

 

「リュイスちゃん!」

 

 慌てて引き返し、彼女の名を叫ぶのと、彼女が法術を唱えるのとは、ほぼ同時だった。

 

「《しゅ、守の章、第二節。星の天蓋(てんがい)、ルミナスカーテン!》」

 

 祈りと共に、地面から半球状の光の幕が生み出され、リュイスちゃんを覆った。

 

 ドドドドド――!

 

 多数の氷の矢が光の幕に、その周囲の地面に突き立ち、衝撃で砕け散る。冬も過ぎて久しいというのに、辺りは雪が舞い散ったかのように雪煙が広がった。

 やがてそれも治まり、視界が徐々に晴れてくる。

 見えてきたのは、かろうじて形を保ったままの光の幕と、その幕の内側で身を縮めて防御姿勢を取っていた、神官の少女の姿。

 

「リュイスちゃん、大丈夫!? 怪我は!?」

 

 リュイスちゃんの傍に駆け寄り、光の幕に手で触れる。それが合図になったかのように幕が消え、突き刺さっていた氷の矢がガランと落ちる。彼女は恐る恐るといった様子で縮めていた身体を解き、こちらに視線を向けた。

 

「アレニエさん……はい、無事です。なんとか」

 

 ほっ、と息をつくのと、辺りに散らばる氷の矢が消失するのは、同じ頃だった。

 路地の入口に視線を向ける。既にそこに黒ずくめの襲撃者の姿はない。

 

「(……逃げられたかぁ)」

 

 小さく、嘆息する。

 推定犯人にはまんまと逃げられてしまった。あの三人の疑いも完全には晴れていない。

 しかし、得られた手掛かりは少なくない。特に相手の手口を見られたのは大きな収穫だ。

 それらの情報を吟味する意味でも、少し、体や頭を休めたい。わたしたちは互いに大きな怪我がないことを確かめ合った後に、宿に帰還した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8節 犯人についての推察

「ソニア」

 

 わたしたちは宿に帰り着いてすぐ、彼女に声を掛けた。

 

「アレニエさんにリュイスさん、おかえりなさい。買い物は終わっ――」

 

「あの三人は? 帰ってきてる?」

 

「え? ええ。シュタインさんとリーリエさんは夕刻頃に帰ってきてからそれぞれの部屋に。アルクスさんは先ほど帰ってこられましたよ」

 

「そう……」

 

 ということは、全員アリバイがないも同然か。帰ったばかりのアルクスはもちろん、部屋に籠っている二人も、窓から抜け出すなりして外には出られただろうから。

 

「……何か、あったのですか?」

 

 こちらの様子に、ソニアが声のトーンを低める。それに合わせるように、わたしも声量を落とした。

 

「話があるから、昨日と同じく深夜に集合ね」

 

「分かりました」

 

 昨夜とは逆にこちらが呼び出す形で約束を取り付け、わたしたちは一度部屋に戻った。

 

 

   ***

 

 

「……そうですか。そんなことが……」

 

 深夜。

 ソニアの案内で例の隠し部屋に通されたわたしたちは、帰り道で襲撃された経緯を彼女に語っていた。フードと仮面で顔を隠した人物に襲われたこと。それが、街に侵入した魔族かもしれないことなど。

 

「その襲撃者が、事件の犯人でしょうか」

 

「多分ね。リュイスちゃんを――神官を執拗に狙ってたし、まず間違いないと思う」

 

「それで、お二人共怪我は……」

 

「それは大丈夫。わたしもリュイスちゃんもピンピンしてるよ」

 

 こちらの様子に、ソニアはほっ、と息をつく。

 

「しかし、昨日の今日でもう襲われるなんて……」

 

「それはわたしも気になってたんだよね。仮にこっちの調査状況が漏れてたんだとしても、狙われるのが早すぎるかなって」

 

「お二人への依頼は極秘裏に進めましたし、情報が洩れているということはないと思います。そうなると……」

 

「街を徘徊してた犯人に、たまたま目をつけられた?」

 

「もしくは、あの三人と行動を共にしたことが原因、でしょうか」

 

「え……? で、でも、詠唱なしで魔術を扱っていたんですから、犯人は推定魔族なんですよね? なら、エルフのアルクスさんや人間のリーリエさんたちの疑いは晴れたんじゃ……」

 

 疑問を呈するリュイスちゃんに、ソニアが答える。

 

「問題は、魔族が潜入した方法によります」

 

「……と、いうと?」

 

「通常なら、魔族が街に入ろうとしても、見た目ですぐに分かります。角や尖った耳、肌の色。他種族とは明らかに違う特徴が多いですし、衣服で隠し切れるものでもありません。城門での審査で気づかれます」

 

「……はい」

 

「仮になんらかの方法で内部に忍び込めたとしても、その後も見つからずに行動するのは難しいはずです。外見もそうですが、彼らは、扱う魔術の規模や、発する魔力などから、基本的にはとても目立つ存在だからです。ですが……犯人は実際、なんの証拠も残さずに、ここまで犯行を続けています。それはつまり――」

 

「……相手は、外見や魔力を偽る方法を持っている……?」

 

 リュイスちゃんの答えに、ソニアは頷く。

 

「少し前にも、人間に化けた魔族が勇者さまご一行に討伐された、という事件がありましたからね。犯人が、アルクスさんたちの姿に化けているかもしれない。その可能性は捨てるべきではないと思います。それがなんらかの魔術や加護によるものなのか、それとも魔力を抑制する魔具などがあるのかは分かりませんが」

 

 ちょっとドキリとする。まさに魔具で人間の姿を保っている半魔がここにいるのだ。

 

「そう、ですね……」

 

 リュイスちゃんが少ししょんぼりと俯く。共に依頼をこなしたことで情が湧いたのか、彼ら三人が犯人であってほしくないのかもしれない。わたしはそれに追い打ちをかけるように、次の問題を提示する。

 

「それに、推定犯人が魔術で造った武器も気になってるんだよね」

 

「剣に、槍に、弓、ですか。確かに、彼ら三人の得物をなぞっているようにも思えますね」

 

 ソニアが難しい顔をして唸る。

 

「しかしこれで、被害者の傷跡がバラバラだったことには得心がいきました。魔術で思い通りに武器を生み出せるのならば、凶器の特定ができないのも道理です。それに、お二人が襲われた状況を(かんが)みれば、複数犯の線も消えたと見ていいでしょう」

 

「そうだね。他に仲間が出てくる様子はなかった。単独犯だと思う。なにより……」

 

 先刻襲われた時を思い出す。

 不意の魔術に驚いて後手に回った部分はあったが、それを差し引いても――

 

「数を頼りに襲ってくる類とはものが違った。かなりの手練れだったよ。生来の能力に胡坐(あぐら)をかく魔族にはありえないほどの――……」

 

「(……魔族には、あり得ない……?)」

 

 自分の言葉に、自分で引っかかりを覚える。

 そうだ、あり得ない。確かにおかしい。

 なぜなら、生まれついて強大な力を有する魔族には、努力や修練は必要ない。必要がなければ、それを行うという発想も生まれない……

 

 ……あ、いや。一人、剣の修練をしていた魔族に心当たりはあるけれど。

 とはいえ彼は、必要に迫られてではなく趣味で腕を磨いていただけの剣術マニアだったし、今は死んでいる真っ最中だ。今回の件には関わりないし、こちらに姿を見せることがあるとしても大分先の話だろう。それはともかく。

 

 先刻の襲撃犯の動きは明らかに、地道な修練によって身に付けたものだと感じられた。鋭く、隙がなく、対人戦を意識した動作。通常の魔族にはあり得ない、努力の賜物……

 本来魔族にあり得ない行動を取るということは、逆に言えば〝魔族ではない〟ということになる。魔族ではなく、けれど魔族の魔術を操る者。わたしはその存在に心当たりが――この場の誰よりも――あった。つい先刻ドキリとした心臓が、再び打ち鳴らされる。

 

「(それに――)」

 

 襲撃者が使ってみせた三種の武器。それらにも引っかかるものを覚えたのは、例の三人を連想させるからだけじゃない。それぞれの武器を扱う際の動作、そのうちの一つが、記憶にあるものと重なったからだ。あの動きは、そう、今日見たばかりの――

 

「……アレニエさん?」

 

 ふと気づけば、リュイスちゃんがわたしを心配そうに覗き込んでいた。ソニアも怪訝そうにこちらを見ている。急に黙って考え込んでいたからだろう。

 

「ごめん。なんでもないよ。とりあえず、今日手に入れた情報はこんなところかな」

 

 わたしは気を取り直すようにいつもの笑顔を浮かべた。

 まだ自分の中で情報を整理し切れていないし、もしもわたしの推測通りの相手だとしたら、軽はずみに発言はできない。リュイスちゃんはともかく、ここにはソニアもいる。勘付かれる危険はわずかであろうと避けたい。

 

「……そうですね。まだ犯人の特定には至りませんが、手口や人数が判明したのは大きな進歩と言えるのではないでしょうか。ひとまず、当宿を利用している神官の皆さんには、こちらから注意喚起をしておきます。あとは、明日以降の調査についてですが――」

 

「それなんだけど、あえてあの三人に手伝ってもらって反応を見るのはどう――」

 

 ソニアと議論しながら、けれど頭では別のことを考えていた。

 犯人の正体。それを、彼女らに伝えるかどうか。

 明確な答えを出せないまま、夜は過ぎていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9節 人ではなく、魔でもなく

「――手伝い、ですか?」

 

「うん。今、街で起こってる殺人事件の調査を依頼されててね。リーリエちゃんにも手伝ってもらえると助かるんだけど」

 

 翌日の昼。

 わたしは食堂で昼食を取っていたリーリエちゃんの元を訪れ、依頼の手助けをしてくれるよう相談を持ち掛けていた。傍にはリュイスちゃんも控えている。

 

「とにかく人手が欲しくてね。もちろん、報酬は等分に支払うよ」

 

「うーんと……調査はどのくらい進んでるんですか?」

 

「まだ手を付け始めたばかりでね。ろくに手掛かりもない状態」

 

 さらっと嘘をつく。

 

「なるほど。だから人手が欲しいんですね。……アルクスさんとシュタインさんは?」

 

「二人はもう出かけたみたい。だからリーリエちゃんだけが頼りなんだけど」

 

 そう言うと、彼女は少し考え込む様子を見せた後に。

 

「いいですよ。手伝います。これ食べてからでいいですか?」

 

 テーブルに乗った昼食を指し示しながら、こちらの提案を了承してくれたのだった。

 

 

   ***

 

 

「それで、最初はどこを調べるんですか?」

 

 リーリエちゃんを連れ、わたしたちは宿を出る。

 まだ日が高いのもあり、外は人で賑わっていた。昼食を終えた労働者たちが、これから業務をこなしに行くのだろう。

 

「まずは、被害者が襲われた場所を順に調査するつもり。えーと……」

 

 ソニアから借りた街の地図を広げ、×印のついた地点に視線を向ける。一番近い場所は、宿からそこまで離れていない路地裏だった。

 

 三人で、人の流れに逆らうように歩を進めていく。

 表通りから離れ、路地を曲がっていく度に、通行人が少なくなっていく。やがて被害者が襲われたという現場に辿り着く頃には、人の姿はすっかりとなくなっていた。

 

 現場と思しき路地裏は、まだ事件から日が浅い場所だったためか、人が通るのを規制するロープが張られ、通行を阻止していた。

 土が均された地面にはかすかに血の染みが残り、まだ死臭も残っているのか、死肉を狙う鳥が集まっていた。こちらを覗き込みながらギャー、ギャー、と耳障りな鳴き声を響かせている。

 

「……」

 

 隣を歩くリュイスちゃんが、ゴクリと唾を飲み込むのが聞こえた。それを一瞥してから、わたしは彼女に声を掛ける。

 

「そうだ、リュイスちゃん。わたしそういえばちょっと忘れ物しちゃってさ。悪いんだけど宿まで取って来てくれないかな」

 

「へ? 構いませんけど……」

 

「多分ベッドの上に置いてあるから、お願いね」

 

「あ、はい……え、と……じゃあ、行ってきます」

 

「うん。急がなくてもいいからねー」

 

 釈然としない表情のまま、素直に宿までの道を引き返していくリュイスちゃん。彼女の背が路地を曲がって見えなくなってから、リーリエちゃんがぽつりと呟く。

 

「……いいんですか? まだ明るいとはいえ、神官のリュイスさんを一人にして。事件の犯人は捕まっていないんですよね?」

 

「大丈夫でしょ。だって犯人は〝ここにいる〟んだから」

 

 数舜、沈黙が訪れる。が、すぐに気を取り直したように、彼女は口を開いた。

 

「な、何を言ってるんですか? ここにはあたしとアレニエさんしか……まるで、どっちかが犯人だと言ってるみたいな……」

 

「そう言ってるんだよ、リーリエちゃん。……いや、神官殺しの犯人さん」

 

 そう断言すると、彼女は少し憮然とした顔を向ける。

 

「……何を根拠に犯人扱いなんてするんですか。それ以上言うなら、いくらアレニエさんでも――」

 

「ほんとのこと言うと、手掛かりはもういくつか見つかってるんだけどね。わたしたちも昨夜襲われたばかりだし」

 

「え……」

 

「犯人は、フードと仮面で顔を隠した何者かだった。使ってきたのは、氷の武具を造り出す魔術。しかもそれで造ったのは、弓に、槍に、剣。まるで、どこかで見た武器ばかりだね」

 

「あたしと、シュタインさんと、アルクスさんの得物だと言いたいんですか。でも、それだけならあたしじゃなく、他の二人だって疑いは――」

 

「違ったんだよ」

 

「違った……?」

 

「わたしは机の上の勉強は苦手だし、推理とかもできない。でも武術に関してなら、そこそこ知ってるつもり」

 

 表には出さないよう彼女の動きを警戒しながら、言葉を継ぐ。

 

「犯人が弓と槍を使った時の動きは、アルクスやシュタインのものとは違ってた。けど、剣を扱った時の動作だけは、リーリエちゃんのそれとぴったり重なったんだよ」

 

「っ……! ……それは、アレニエさんがそう感じただけ、ですよね。それだけじゃ、証拠にはなりませんよ」

 

「それはまぁ、そうだね」

 

 わたしがあっさり頷くと、リーリエちゃんは少し毒気を抜かれたような顔を見せた。が、すぐに気を取り直したように言葉を続ける。

 

「……それに、犯人は、詠唱抜きにその、氷の武具を造り出す魔術?を操っていたんですよね? だったら、犯人は魔族なんじゃ――」

 

「あれ? わたし、詠唱の話はしてないけど?」

 

「え――あっ……」

 

 指摘すると、彼女は途端に狼狽える。

 

「でも、そうだね。無言で魔術を操ってるのを見たら、誰だって初めは魔族を疑う。けど……同じように魔術を扱える存在が、もう一つ、いるよね? ……――そう。半魔が」

 

「……っ!」

 

 リーリエちゃんが、息を呑む。そしてわたしも、この言葉を口に出すのは、未だに躊躇われる。

 

「……あたしが……その、半魔だって、言いたいんですか。でも――」

 

「うん。これもわたしのただの推測で、決定的な証拠にはならない。でももう関係ないんだ。さっき宿に戻ってもらったリュイスちゃんに、リーリエちゃんの部屋とか荷物とかを調べてきてもらう手筈になってるから」

 

「なっ……!」

 

「これで変装のためのフードとか仮面とか出てきたら、もう言い逃れはできないよね?」

 

 これは完全にただの出まかせ(リュイスちゃんが戻る口実を作るためにベッドには本当に忘れ物として短剣を置いてきた)なのだけど、リーリエちゃんは思った以上に動揺している。本当に物証が残っているのかもしれない。

 

 しばらく彼女は俯いて黙り込んでいたが……しばらくすると顔を上げ、諦めたように笑みを見せる。

 

「あーあ……まさか、こんなに早くバレちゃうなんて」

 

 それは間違いなく、犯行を認める言葉だった。

 

「外見は分からないように隠してたし、疑われるとしてもまず魔族の線で捜査されると思ってたから、安心してたんだけどなぁ……なんですか。あたしの動きから勘付くって。さすがにそんなの予想してませんでしたよ」

 

 彼女の様子は、困っているようにもおかしく感じているようにも見えた。それを視線に捉えながら、わたしは右足を半歩後ろに引いた。

 

「調査の手伝いを了承したのだって、まだ手掛かりは掴めてないと思ったからだし、なんなら、現場に痕跡が残ってたりしたら消すつもりでついてきたんですけどね」

 

「でも、疑われて、逃げられなかった」

 

「ええ。計画が台無しですよ。この街にはまだ神官がたくさんいるし、もっと……殺すつもり、だったのに」

 

 そう言うと彼女は、可愛い顔には不釣り合いの、凄惨な笑みを浮かべてみせる。

 

「どうしてそんなことしてるか、聞いてもいい?」

 

「こんなところで詳しく語るつもりはありませんが……まぁ、あたしは半魔ですから。人間たち、とくに神官からどういう扱いを受けてきたかは、想像がつくんじゃないですか? ……アレニエさんなら、特に」

 

 嫌でも想像できる。わたしが過去にホルツ村で受けたような仕打ちを、世の神官が魔物に向ける敵意を、彼女がその身に受け続けてきたであろうことは……って、わたしなら、って……?

 

「……どういう意味かな」

 

 言いながら、薄々気づいてもいた。けれどすぐには受け入れられない。心臓の鼓動がにわかに大きくなる。

 

「言葉通りの意味ですよ。アレニエさんは……〝あたしと同じ〟なんじゃないですか?」

 

「……」

 

 わたしは努めていつもの笑顔を浮かべて表情に出さないよう取り繕ったが……内心の動揺を悟られたのか、リーリエちゃんはこちらを見てにんまりと笑う。

 

「いえね。初めて会った時から、なんとなく親近感は湧いていたんですよ。どことなく作り物みたいな笑顔も」

 

 彼女もわたしに対して、こちらと同じような感覚を抱いていたのだろうか。

 

「それが、今の話を聞いて、より強くなった。だって、犯人の特徴を聞いても、普通の人間なら魔族の仕業としか思わないはずですもん。半魔の可能性を疑えるのは――半魔だけ」

 

 リーリエちゃんは少し楽しげに言葉を紡ぐ。同胞を見つけた嬉しさか。暴露された仕返しか。

 

「これ、なんだか分かります?」

 

 リーリエちゃんはそう言うと、自身の首に巻いている黒いチョーカーを指し、そして外した。すると、彼女が頭の上に結い上げていた桃色の髪から、徐々に伸びた角がはみ出してくる。魔具で魔族化を抑えたうえで、髪型で隠していたらしい。

 

「これは、魔力を封じる魔具なんですよ。これのおかげであたしは、人間に混じって生活しても正体がバレずに済んでいる。で、アレニエさんのその左篭手ですよ。あたしのそれと、似たような効果の魔具なんじゃないですか?」

 

「……ノーコメント」

 

 わたしが左腕に身に付けた黒い篭手――〈クルィーク〉は、魔族の職人と言われたかーさんだから造れた、かなり貴重な品らしい。そんな魔具が他にもそこらに転がっているとは考えづらい。おそらく向こうの魔具は、〈クルィーク〉よりは単純な構造。魔力を封じるだけの効果なのだろう。

 

「ま、いいです。これ以上は追及しません。けど、アレニエさん。もし本当に、あなたがあたしと同じなら……あたしと、手を組みませんか?」

 

「あなたと手を組む? ……一緒に、神官を殺して回ろうって?」

 

「そうしてもいいですし、この場を見逃してくれるだけでも構いません。この街ではもう続けられないでしょうけど、逃げられさえすれば別の街でまた神官を殺せますから」

 

「……一応聞くけど、やめる気はない?」

 

 右腰に差している愛剣を意識しながら、問いかける。

 一度剣を抜いてしまえば、抜くと決めたのなら、殺して止めるしかなくなる。けれど、彼女にまだ引き返す気があるのなら――

 

「ありませんよ。全くありません。あたしは、神官という存在が許せないんです。穢れを持ったあたしたちを嫌悪し、見下すあいつらが。あいつらに復讐することだけを胸に、今まで生きてきました。これからもそうです。だから――」

 

「だから、あなたはあの子も……リュイスちゃんにも、手をかけるつもり?」

 

「ええ。本音を言えば、昨日の依頼中にもやってしまいたかったんですけど……さすがに人の目がありましたし、まだバレる気もありませんでしたからね。断念しました」

 

 昨日、岩陰でリュイスちゃんの胸を揉んでいた時だろうか。すぐに駆け付けなければ、下手をすると……

 

「なら、答えは決まってる。――断るよ。リュイスちゃんは、わたしのもの。あの子に手を出すつもりなら、誰だろうと許さない」

 

「……そんな気はしてましたけど、やっぱりですか。残念です。これで、あなたを始末してこの場を逃げるしか、なくなってしまいました。でも、いいです。あなたを殺します。そして次は、リュイスさんですよ。あの可愛い神官さんが切り刻まれてどんな風に泣き叫ぶのか、今から楽しみですよ」

 

 そう語る彼女の表情は、強い憎しみの他に、確かな愉悦も覗かせていて……

 

「(あぁ……そっか。もう、戻れないんだね)」

 

「させないよ」

 

 ここで止めるしかない。リュイスちゃんが戻ってくる前に、彼女が危険に晒される前に、斬って止める。

 わたしは〈弧閃〉の柄を逆手に握りながら、前方に向かって駆け出した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10節 剣士殺しの剣

 リーリエちゃんは手に持っていたチョーカーをその場に投げ捨てる。戦いの邪魔になるからだろう。まだ腰の剣は抜く様子がない。

 わたしはそれを見ながら駆け出しつつ、懐に忍ばせたスローイングダガーを二本抜き取り――

 

「ふっ!」

 

 左手で二本とも投擲する。

 狙うは頭と心臓。どちらも急所だ。当然、原初の魔族のような不死性でもない限り、防ぐためになんらかの行動を取らざるを得ない。

 

 彼女のそれは、昨日も見た氷の盾だった。

 かざした手の先に光が集まり、造り出された巨大な氷壁が、飛来するダガーを易々と弾く。甲高い音が鳴る。

 牽制のダガーが防がれたことを確認しながら、わたしは姿勢を低くしながら盾に向かって真っすぐ駆けた。

 

 今、両者共に視界が盾によって遮られている。直前までこれで遮蔽(しゃへい)を取り、左右どちらから抜け出るのか、相手に選択を迫る目算を立てる。

 それに昨夜の犯人の戦い方を見るに、魔術で造れる武具は一つずつしか出せないようだった。なら、盾がこの場に出ている限り、リーリエちゃんに攻撃する手段はない――

 

 そう考えるわたしの目の前で――盾の中央に一瞬でポッカリと穴が開き、奥から氷の槍の穂先が突き出される。

 

「っ――!」

 

 寸前で横に跳び、体をずらすも、穂先は鎧の肩部分を擦り、通過していく。かすかに火花が散る。

 

「一つずつしか出せないと思っていましたか? 残念、同時に扱うこともできるんですよ!」

 

 リーリエちゃんが嘲るように声を上げる。昨夜の戦いで武具を一つずつしか使っていなかったのは、本格的な戦闘に備えたブラフか。それにどうやら生み出した武具は、自由に形状を変更させられるようだ。

 

 盾を消失させた彼女は、空いた空間を槍の刺突によって埋め尽くしていく。連続して突き出される氷の穂先を、わたしは抜き放った剣で受け流す。

 

 昨夜も感じたが、彼女は剣以外の武器もある程度使いこなしている。おそらくは、地道な修練の賜物として。

 が、一つの武器に精力を注ぎ込んでいる類――例えばシュタインのような――と比べれば、その扱いはまだまだ稚拙と言える。つまり、あまり怖さは感じない。

 わたしは、続けざまに撃ち込まれていた刺突の一つ、こちらの心臓を狙った一撃をかわし、槍の側面に左篭手を叩き付けるように当て、強く弾く。

 

 ガイン!

 

「くっ!?」

 

 武器に受けた衝撃に引っ張られるように、リーリエちゃんが体勢を崩す。

 その隙に踏み込み、懐に潜り込む。

 距離が離れていれば槍のリーチと威力は脅威になるが、間合いの内側に入ってしまえばそれも失われる。が……

 

 昨夜と概ね同じだ。彼女は不利になった得物を即座に消失させ、間合いに対応した武器に持ち替えようとする。

 昨夜と違うのは、腰に差していた細剣を右手で引き抜いたこと。そしてその剣が氷を纏い、長さと幅を増したこと――

 

 ギィン!

 

 わたしが前進と共に繰り出した斬撃は、力が乗り切る前に氷を纏った細剣に防がれてしまう。しかも……

 リーリエちゃんは右手の剣でこちらを押さえたまま、空いたほうの手にもう一本の氷の剣を造り出し、即座にそれで追撃してくる。

 

「言ったでしょう! 同時に扱えるって!」

 

 言葉と共に二本目の剣が、首を狙って横薙ぎに襲い来る。

 一歩後ろに下がりながら屈んでかわし、体勢を整える。が、今度は右手の剣がこちらを待ち構えていた。

 

「剣は、あたしの一番得意な武器! それを二本同時に扱えば、誰にも負けない! あなたにだって――!」

 

 宣言し、リーリエちゃんは縦横無尽に左右の剣を振るう。

 言葉通り、剣には自信があるのだろう。他の武器より鋭く、隙のない剣閃が、続けざまに襲い来る。しかし――

 

「……なん、で……!」

 

 二本の氷の剣による嵐のような猛攻。それをわたしは、愛剣一本だけで全てさばいていく。相手の攻撃の道筋をずらして致命傷を防ぐ技法。その剣に触れる事叶わず――

 

「当たら、ない……!?」

 

 リーリエちゃんの顔に焦りが見え始める。それを視界に捉えながら、わたしは静かに呟いた。

 

「――いくよ」

 

 ギギン!

 

「……!?」

 

 一瞬で左右の氷剣を弾かれ、リーリエちゃんが目を白黒させる。

 そこへ滑るように接近し、通り過ぎざまに首を狙って斬りつける。

 

「……!」

 

 リーリエちゃんは弾かれた両手の剣を寸前で引き戻し、かろうじてこちらの斬撃を防ぐ。が、その頃にはわたしは彼女の側面に移動し、次の攻撃の準備に入っていた。

 

「く……! うっ……!?」

 

 踏み込みの勢いを乗せ、斬りつけ、相手の死角に移動し、また攻撃に移る。今度はこちらが縦横無尽に剣を振るい、一方的に攻め立てていく。リーリエちゃんはなんとか反応して防御するが、防ぎ切れなかった斬撃が彼女の肌に少しずつ傷を残していく。

 

 やがて負傷と疲労によるものか、彼女が構えていた剣が位置を下げる。わたしはそれを好機と見て再び踏み込み、首を狙って横薙ぎに剣を振るうべく振りかぶった。が……

 

「ふ、ふふ……!」

 

 苦しげにしながらもリーリエちゃんが笑い、両手に持つ氷の剣の形を変える。

 全体の形状が剣であることは変わらない。ただ、刃の根元にギザギザの櫛状の歯が形作られ、陽光を浴びて鋭く輝く。

 

 いわゆるソードブレイカーと呼ばれる武器――本来のものより遥かに巨大ではあるが――だ。このまま剣を振るえば、力が乗り切る前にあの櫛状の歯に刃を受け止められ、絡め捕られる。最悪の場合へし折られてしまうだろう。

 が、そうはさせない。わたしは逆手に剣を握っていた右手首を、カクン、と外側に寝かせた。

 

「!?」

 

 握っていた愛剣が角度を変え、相手が立てた氷剣の側面を滑ってゆく。予想していた衝撃がなかったことに、リーリエちゃんが戸惑う。

 

「……ふっ!」

 

 氷剣を通り過ぎたところで、わたしは寝かせた手首を戻しながら改めて剣を振るう。足先で鋭く回転し、その『気』を全身で増幅させ――伝えた力と共に、右手を振り抜く。

 相手の迎撃をすり抜け、こちらの刃だけを当てる技。剣士殺しの必殺剣、《透過剣》。

 

「……あ……」

 

 肉を裂く感触が、手に伝わる。

 首の側面を半ば以上切り裂かれ、リーリエちゃんが小さく呻き声を漏らすのが聞こえた。傷口から鮮血を噴き出しながら、彼女は仰向けにゆっくり倒れる。

 

「あ……が……」

 

 首筋から流れた血が広がり、地面を濡らしてゆく。事件の犠牲者の痕跡が残る路地に、犯人の血液が混じり合う。

 

「く……あ……あは、は……これで、終わり、ですか……げほっ……! 残念、ではあります、けど……あなたに殺されるのなら、あたしにしては、マシな終わり方、かもしれません、ね……」

 

「……」

 

 このまま放置すれば、遠からず彼女は死を迎える。傷の痛みに苛まれ、流れる血と共に体温を失い、呼吸に支障をきたし、苦しんで死ぬ。

 

「(――なら、早く楽にしてあげよう)」

 

 そう考えたところで――

 

「アレニエさ―ん!」

 

 ここから遠ざけていた彼女の呼び声が、路地に響いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11節 氷花、散って

「アレニエさん、忘れ物って、この短剣でよかったん、です、か…………え………」

 

 こちらに駆け寄ってきたリュイスちゃんは近づくにつれ、地面に血塗れで倒れた誰かの姿に気づき、言葉を失う。そして、それが誰なのかに気づいた途端……

 

「リーリエさん!?」

 

 その名を呼び、倒れた少女に向かって駆け出そうとする。

 

「リュイスちゃん、ストップ!」

 

 こちらを素通りしようとする彼女を、わたしは慌てて手を掴んで引き止めた。

 

「アレニエさん、離してください! リーリエさんが! このままじゃ……!」

 

「そうだね。放っておけば、助からない。分かってるよ」

 

「なら……!」

 

 彼女は振り向き、わたしを責めるような視線を向ける。その目に、抜き身の剣を携えたままのわたしの姿が映る。

 

「……その剣……まさか、アレニエさんが、リーリエさんを……? どうして……!?」

 

 問い詰める彼女に、わたしは冷酷に告げる。

 

「彼女が、事件の――神官殺しの、犯人だったからだよ」

 

「……リーリエさんが……? そんな……でも、だからって、殺さなくても……! ……!」

 

 失われつつある命を目の前に、その死を拒否し、助けようとする衝動が駆け巡っているのだろう。リュイスちゃんはわたしの手を振り払い、リーリエちゃんの介抱に向かおうと駆け出す。それを――

 

 ドンっ

 

「あう!?」

 

 わたしは咄嗟に、彼女を横から突き飛ばした。

 

「つっ……ア、アレニエさん……? 何を……」

 

 倒れたリュイスちゃんがこちらに抗議しようと顔を向けるが、その視線の先には……

 

「え……?」

 

 いつの間にか、倒れているリーリエちゃんの手元から生み出された氷の槍が、地面から斜めに伸び、先刻までリュイスちゃんがいた空間を貫いていた。止めなければ今頃は、走り寄る彼女の腹部に穂先が突き刺さっていただろう。

 彼女の目の前で、ガランと氷の槍が倒れ、地面に落ちる。そしてすぐに消失する。最後の力を振り絞ったのかもしれない。

 

「ちぇ……最期に、リュイスさんだけでも、と思ったんですが……ダメでしたか……」

 

「な……何が……何を……?」

 

 地面から体を起こし四つん這いになった彼女は、訳も分からず狼狽え、わたしとリーリエちゃんを交互に見る。事態についていけず、混乱している。

 その姿を倒れたまま見据えながら、リーリエちゃんが突き放すように口を開いた。

 

「――近づかないでください」

 

 それは、死に向かっている者とは思えないほど強く、冷たい口調だった。

 

「あたしは、神官に助けられるなんて、絶対にごめんなんです。たとえ、あなたがどんなにいい人で、善意からであっても、神官である限り、あたしはあなたを拒絶するし、殺そうとしますよ。だから……近づかないで、ください」

 

「そんな、どうして……どうして、そこまで、神官を……」

 

「丁寧に説明したいところ、なんですけど……ぐぶっ……! はぁ……。その余裕は、ないみたい、なので……アレニエさん。あとで、適当に、話しておいて、ください」

 

「……分かった」

 

 視線を合わせ頷くと、彼女は血の気の引いた顔に、どこか満足そうな笑みを浮かべてみせる。

 

「どうせ、あたしの行き先は、アスティマの元なんで、しょうけど……先に、『橋』に行って、待ってます、ね」

 

 その言葉を最後にして……桃色の髪の少女は、動くのを止めた。

 

「……リーリエ、さん……? ……リーリエさん! う……うう……あ……」

 

 堪え切れず、リュイスちゃんは嗚咽を漏らし始める。

 忌避していた目の前での死者。しかも、一日だけとはいえ共に行動し、憎からず思っていた相手。その心痛は相当なもののはずだ。涙をこぼし続ける彼女の姿に、こちらも胸を締め付けられる。けれど――

 

「(後悔は、しないよ)」

 

 握っていた剣を鞘に納め、自分に言い聞かせる。

 

 リーリエちゃんは強く神官を憎み、またそれを自覚したうえで、止まる気が一切なかった。実際彼女はこの街だけでも、もう三人の神官を殺害している。

 ここで彼女を斬らなければ、その矛先はやがてウィスタリア孤児院のライエたちや、なによりリュイスちゃんに向けられていた。それはわたしにとって、剣を振るうのには十分すぎる理由だ。ただ……

 

「(やっぱり、後味は悪いものだね……)」

 

 理由があったとしても、相手が殺人鬼でも、人を斬るのに抵抗を感じないわけじゃない。すぐには割り切れない。それが、わたしと同じ半魔であれば、なおのことだ。彼女は、わたしがとーさんに出会えず復讐に狂っていた場合の姿、そのものかもしれないのだから――

 

「……?」

 

 不意に、新たな人の気配を感じ取り、反射的に警戒を示す。路地の入口に、誰かがいる?

 そちらに視線を向けると、相手も気づかれたことに気づいたのか、素直に姿を現す。数は、四人。そのうちの一人は、見知った人物だった。青い髪を編み上げ、頭の上でまとめた女性……

 

「ソニア……」

 

 呟きに引き寄せられたかのように、彼女がこちらに近づいてくる。少し遅れて、同行者の三人が後に続く。一人は、白い帽子に白の聖服を身に付けた男性神官。あとの二人は、揃いの兜と鎧を身に纏った衛兵だ。

 

「どうして、ここに?」

 

 問いかけはしたが、答えは半ば分かっていた。

 尾行されていたこと。こちらの仕事を信用されていなかったこと。現場を見られたこと。その全てが今は癇に障る。咎めるようにソニアに視線を向けると、彼女は少し気まずそうに口を開く。

 

「申し訳ありませんが、リュイスさんを尾行させていただきました。昨夜の貴女の様子も含めて、気にかかっていましたので」

 

 ソニアは次に、地べたで泣きじゃくるリュイスちゃんと、血溜まりの中に倒れるリーリエちゃんに目を向ける。

 

「……リーリエさんが、事件の犯人だったのですね」

 

 それは問いのようでもあり、確認するようでもあった。

 

「彼女は……魔族、だったのですか?」

 

 人間とほとんど変わらない遺体を見て、ソニアは疑問を呈する。

 

 正直なことを言えば、今はあまり口を開きたくなかった。この手にかけた同族に対して、胸の内に複雑な感情が駆け巡っている。

 

「(と言っても、この状態で誤魔化すのはさすがに無理か……)」

 

 既に現場を押さえられていては、取り繕うこともできない。陰鬱な気持ちを抱えながら、わたしは控えめに告げた。

 

「……半分だけね」

 

「半分……ということは……なるほど。街に入り込めたのも、手掛かりが少なかったのも、それが理由でしたか」

 

 彼女はそれだけを告げると、次には傍で控えていた三人に声を掛ける。

 

「後の処理はお願いします」

 

「承知しました」

 

 神官の男と衛兵の二人が、地面に投げ出されたリーリエちゃんに向かって歩き出す。これから遺体の穢れを浄化し、どこかの墓地に埋葬するのだろう。通り過ぎる最中、彼らの小さな呟きが耳に届く。

 

「まさか、半魔の仕業とは――」

 

「穢れた半魔に、貴重な神官が三人も手にかけられ――」

 

「汚らわしい――」

 

「汚らわしい――」

 

「……」

 

 彼らが漏らす言葉に拳を強く握り、奥歯を噛み締める。

 

 ああ、そうだ。リーリエちゃんに指摘された通りだ。わたしには、彼女の気持ちが分かってしまう。

 人間たち、特に神官は、魔に属する者とその穢れを決して許さず、嫌悪し、見下す。そしてわたしが幼い頃に向けられた、あの目を。あらゆる負の感情を混ぜ込んだような、あの視線を、わたしたちに突き付けてくるのだ。それを許せず、復讐に狂った彼女のことを、わたしは否定する気になれない……

 

「……あ、あの!」

 

 地面にうずくまっていたリュイスちゃんが、そこで唐突に声を上げる。一瞬わたしに向けてかと思ったがそうではなく、遺体の前に集まった男たち――特に、神官の男に向けたもののようだった。

 彼女は立ち上がり、泣き腫らした目に決意を込めて口を開く。

 

「リーリエさんの浄化は、私にやらせてもらえませんか」

 

 リュイスちゃん……?

 

「貴女に……? なぜですか?」

 

「短い間ですが、彼女は共に依頼をこなした、友人、でしたから。私の手で『橋』に送ってあげたいのです」

 

「……シスター。友人などと軽々しく名乗ってはいけません。よく考えて発言してください。この娘は穢れた半魔で、神官を殺し回った殺人犯ですよ? それでも貴女は友と呼び、自身の手で浄化することにこだわるのですか?」

 

「それでも、です。どうか、私にやらせてください」

 

「……」

 

 神官の男は数秒考えこむ様子を見せるが……しばらくすると、ため息をつきながら了承する。

 

「……分かりました。貴女に任せましょう。私としても、半魔の穢れに触れずに済むのであれば、それに越したことはありませんからね。ですがシスター。貴女の言動は、穢れを容認していると取られてもおかしくない、神官としての道に外れた考えだということは、忠告しておきますよ」

 

「はい……覚悟の上です」

 

 神官の男と衛兵たちは、困ったものを見るような視線を向けた後、リーリエちゃんの遺体から離れた。入れ替わるようにリュイスちゃんが遺体の前に立ち、両手を組み合わせ、祈る仕草をとる。そして――

 

「……私で我慢してくださいね、リーリエさん……」

 

 祈る前に漏れ聞こえた彼女の呟きが、わたしの耳にかすかに届いていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12節 レベス山へ

《火の章》で浄化されたリーリエさんの遺体は、彼女の半魔としての特徴である角が消え、ほとんど人間と変わらない姿になっていた。

 肉体を魔族化させていた原因である穢れを焼いたせいだろうか。魔具によって魔族化を抑えていたのも原因かもしれない。もう半分の人間の部分が残った形になったようだ。

 

 彼女の遺体は衛兵たちによって街の外の簡易墓地に運ばれた。街の人間用の共同墓地を利用するのは煙たがられたためだ。そこまで口出しする権利は持てず、私とアレニエさんは、地面に穴を掘っただけの簡素な墓地に彼女の亡骸が埋められるのを見ているしかできなかった。

 それでも、埋葬されただけマシというものだ。野晒しで放置されていれば、血の匂いに惹かれて肉食の獣や魔物が集まり、無残に貪り食われていただろうから。

 

 埋葬が終わり、ソニアさんと共に宿に戻る。道中は全員無言だった。特に私は、口を開く気力が湧かなかった。

 宿に帰る頃には既に日が傾いていた。帰り着いてすぐ、無事に事件を解決したということで、ソニアさんから報酬を受け取る。彼女はそこで、アレニエさんに何か言葉を掛けようとしていたようだが……

 

「何?」

 

「その……いえ、すみません……」

 

 柔らかく、けれど人を突き放すような笑顔の仮面を前に、ソニアさんは何も言えなくなっていた。

 彼女を置き去りにするように別れた私たちは、そのまま部屋に戻った。報酬は受け取ったので、明日はいよいよこの街を発つことになる。準備を整え、体を休めておきたい。

 

 準備といっても、荷物をまとめた後は特にすることもなく、手持ち無沙汰になってしまう。ベッドに腰掛け一息ついていると……

 

 ぽすっ

 

 鎧を脱いだアレニエさんが隣に座り、こちらの肩に頭を預けてくる。

 普段は私が彼女を頼ることが多いので、逆の立場は珍しい。前にこうやって甘えるような仕草を見せたのは、疎遠だった幼い頃の友人――ユーニさんと不意に再会し、冷たくあしらってしまい後悔した時以来だ。

 

 いつも微笑み泰然としている彼女でも、心の平衡(へいこう)を保てない時はある。今回そうなった原因は明らかだ。私が素直に肩を貸してしばらく過ぎてから、アレニエさんはぽつりぽつりと口を開き始めた。

 

 リーリエさんがアレニエさんと同じ半魔で、神官殺しの犯人だったこと。

 その生い立ちから神官を強く憎み、私にも手を掛けようとしていたこと。

 そして、神官を殺害することで憎しみを晴らすと同時に、それを愉しむようにもなってしまっていたこと……

 

「……」

 

 アレニエさんの話を、私は黙して聞き続けた。聞き終えた後も、沈黙から抜け出せなかった。

 

 彼女が剣を抜いたのは、凶行に走るリーリエさんを止めるため。そして、私を護るためだ。それは理解している。結局、彼女が決断した通り、止めるにはその命を奪うしかなかったのかもしれない。

 

 それでも私は考えてしまう。死を否定する神官としての立場が。死を拒否する心の衝動が。殺して止める以外の方法はなかったのかと。彼女が私のために手を汚したのを理解してなお、そう思ってしまう……

 

「……何も、言ってくれないんだね」

 

「……私は……。……」

 

 何を言うべきか迷い、口を開けずにいるうちに、アレニエさんは腰を上げ、自分のベッドに戻ってしまう。

 そうして気まずい空気を抱えたまま夜は更け、朝を迎えた。

 

 日が昇って間もない時刻。私たちは挨拶もそこそこに〈常在戦場亭〉を抜け出し、朝一番で出る乗合馬車に乗ってアライアンスの街を出発した。

 向かう先は、ここから南東に続くエンセラル山脈の一つ、レベス山の麓。勇者が魔王討伐に向かう際の進路の一つで、無事に山を登ることさえできれば、比較的安全に魔物領に辿り着くことができる。余談だが、この山は以前訪れた〈黄昏の森〉とは隣り合う位置関係になっていた。

 

 ガタゴトと、しばらく馬車の揺れに身を任せる。

 アレニエさんはあれ以降、不意に遠い目をしたり、何事か考え込むことが多くなっていた。馬車の中でも自分からはあまり喋らず、ぼんやりと窓の外に目を向けている。

 私も似たようなものだ。先日のリーリエさんの死相が頭から離れず、重い気分が続いて口を開けない。

 

 馬車には他に、護衛と思しき冒険者が数人乗っていた。こちらに気を遣ってか、彼らのほうからいくらか話しかけてくれたが、私は最低限の返事をするのが限界で、話は弾まない。反対にアレニエさんは、いつもの柔らかい笑顔を貼り付けて無難に応じていた。以前語っていた通り、そういう応対をするのが癖になっているのだろう。

 

 その会話の中で、勇者――アルムさんたちの動向も話題に上った。どうやら私たちと入れ違いのように、アライアンスの街に辿り着くところだったらしい。

 暗くなるまで馬車を走らせ、野営をし、朝になってからまたすぐに出発する。そうして丸一日ほど馬車に揺られ……

 

「着いたみたいだよ、リュイスちゃん」

 

「……ふえ?」

 

 耳元に聞こえるアレニエさんの囁きで、目を覚ます。眠ってしまっていたようだ。いつの間にか馬車は停まっていた。

 数秒ぼんやりと周りを見渡し、現状を把握してから、慌てて壁に預けていた身体を起こし、荷物を手に転がるように馬車を降りる。

 

「す、すいません、今出ますね……!」

 

「大丈夫だから、落ち着いて」

 

 アレニエさんは苦笑しながら御者に代価を払い、私に続いて馬車を降りた。それを見送ってから、護衛の冒険者たちが声を掛けてくる。

 

「ほんとにここでいいのか? この辺りにはそこのレベス山しか見るようなものはないぞ」

 

「それこそ、その山に用事があってね。ちょっと今から登るつもりなんだ」

 

「山を登るって、登った先は魔物の領土しかないぜ。勇者の進路の一つって話も聞いたことあるが……魔王でも討伐しに行くつもりなのか?」

 

「まさか。そもそも神剣がなくちゃ倒せないんでしょ?」

 

「あぁ、そうだったな」

 

 冗談のつもりだったのか、彼らはそう言ってひとしきり笑う。

 彼らの軽口に、私は内心ドキリとしていた。私たちはまさにこれから、〝魔王に会いに行く〟のだ。そして、その前に一つ、しなければならないことがある。

 

「まぁ、詮索するのも野暮か。でも、あんまり無茶するなよ。それじゃあな、嬢ちゃんたち。機会があれば、一緒に依頼でも受けようぜ」

 

「うん。またの機会に、ね」

 

 別れの言葉を置いて、馬車が走り去っていく。この場に残されたのは私たち二人と、これから登ることになるレベス山。

 

「じゃあ、行こっか」

 

「はい」

 

 荷物を背負い直し、山道の入口に足を向ける。

 土の地面が覗く入り口は緩やかで、勇者一行が通るのに備えてか、人の手で整備までされているようだった。

 

 山は、その多くが神が住まう禁足地とされている。

 天にある神々の国に近いからとする説や、アスタリアの力の結晶である星々に惹かれるからなど、様々な憶測が論じられる。下手に人が立ち入って危険に見舞われないための方便とする説も。

 

 また、レベス山を含むエンセラル山脈は、魔物の侵攻を物理的に防ぐ結界であり、そのために今の高さまで隆起したというおとぎ話も存在する。

 

 それらが真実かどうか、私には知る由もないが、実際に足を踏み入れた山の空気は清浄で穢れなく、魔物の姿も見受けられない。だから後の問題は、無事にこの山を登れるかどうかなのだけど……

 

 緩やかな傾斜の山道を、私は焦らず、一歩一歩確実に登っていく。

 こう見えて山には慣れている。居住しているパルティール自体がオーブ山の麓に築かれた街であるし、そこからさらに進んだ中腹に私が勤める総本山も建てられているからだ。空気が薄くなる感覚に少し懐かしさを覚える。

 

 先を行くアレニエさんも急がず、危なげなく歩を進めていく。彼女も山の危険性を理解しているのだろう。周囲に気を配りながら慎重に登っている。

 そうしてしばらく無言で進み続けた私たちは、やがて中腹に辿り着く。

 

 そこは、平坦な広場のような場所だった。小さな村くらいなら建設できそうなほど広い。まばらに草木が生えているが、ところどころ岩肌も露出している。

 向かって左側は巨大な岩山が立ち並び、山頂まで続いている。右側は崖になっており、眼下には鬱蒼と茂る〈黄昏の森〉が一望できた。

 

「ここがいいかな?」

 

「そうですね。通るはずですから」

 

 この台地を真っ直ぐ進み、下山すれば、その先はいよいよ魔物の領土に踏み込むことになる。既に今から心臓が跳ね始めている。

 

「さて。それじゃあそろそろ暗くなるし、野宿の準備だね」

 

 そう言うと彼女は荷物を下ろし、テキパキと支度を整える。適当な木を選び、それに布を張り、簡易のテントを設営していく。その間に私は枯れ木を集め、火を熾す準備をし……

 

 その日は夕食を取ってからすぐに就寝した。

 次の日を迎えても私たちはこの場を動かず、滞在し続けた。訪れるのを、待っていた。

 

 やがて再び新しい日が始まり、陽が中天に昇る頃。私たちは崖下に広がる〈黄昏の森〉に目を向けていた。

 かつてあの森のどこかで、私たちは風の魔将と戦いを繰り広げ、そして無事に生還することができたのだ。時間で言えばそこまで経っていないはずなのに、もう遠い昔の出来事のように思える。そこへ……

 

「――」

 

「――」

 

 私たちが登ってきた登山道のほうから、数人の足音と話し声がかすかに響いてくる。アレニエさんは即座に高所に登り、誰が来たのかを確かめてから、こちらに戻って頷いてみせる。そしてロープを括りつけていた荷物を、崖下に落とした。

 それからしばらくして――

 

「――この山に向かったって目撃証言が……」

 

「――だからといって、何も追いかけなくても……」

 

 やがて足音と共に近づいてきた声には聞き覚えがあり、現れた姿には見覚えもあった。彼女たちは――

 

「あっ! 師匠ー!」

 

 こちらを、というよりアレニエさんの姿を見つけ、嬉しそうに声を上げるのは、オレンジ色の髪をポニーテールにまとめ、二本の剣を背負った小柄な少女。当代の勇者、アルメリナ・アスターシアその人だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間1 ある勇者と剣の師①

ここからしばらくアルム視点になります。


 ぼくは、槍を背負った女戦士のシエラ、白のベールに聖服を纏った神官の少女アニエス、とんがり帽子にローブ姿の男魔術師エカルと共に、レベス山の中腹に到達した。

 そこで師匠の姿を確認したぼくは、声を上げて彼女に手を振った。

 

 ハイラント帝国で別れて(いつの間にか彼女たちが出国していたと知ったのは、帝国と魔物との戦争が終わってしばらく経ってからのことだった)以来、ぼくは魔王の居城へ向かう傍ら、師匠の行方も追っていた。アライアンスの街でそれらしい二人組を見かけたと聞き、レベス山が魔物領への進路の一つということもあり、こうして追いかけてきた次第だ。

 

 彼女の隣には、共に旅をしているリュイスさんの姿もある。二人は崖のほう、というよりその下に広がる森に向けていた目を、こちらに向け直したところだった。

 

「アルムちゃん」

 

 師匠がぼくの名を呼ぶ。

 アルムは、本名であるアルメリナを縮めた通称だ。元の名も好きなのだけど、少し呼びづらいため、見知った人にはアルムと呼んでもらうことにしている。

 

「探しましたよ師匠~。なんで黙って出発しちゃったんですか」

 

「ごめんごめん。依頼の都合で、ちょっと急いでたもんでさ」

 

 師匠はいつものように柔らかく笑みを浮かべて弁解する。

 

「師匠たちも先日までアライアンスの街にいたんですよね? ぼくらも少し滞在して、噂の〈無窮の戦場〉も見てきたんですよ」

 

「へぇ……? 自分の目で見て、どう感じた?」

 

「……過酷でした。この間の帝国と魔物の戦争よりももっと規模が大きくて、人間も魔物も互いに巨大な生き物のように動いてぶつかり合って……大勢、死んで。大地に穢れが、折り重なって……あんなに大変な戦場を、先代の勇者は突き抜けていったんですよね……ぼくには、とても真似できないと思いました」

 

「……そっか」

 

 ぽつりと呟き、神妙な顔で頷く師匠。何か、戦場に思うところがあったのだろうか。

 

「ところで、ここにいるってことは、師匠たちもこの山を抜けて、魔物領に向かうところだったんですか?」

 

「ううん。わたしは、アルムちゃんたちを待ってたの」

 

「? ぼくらを……?」

 

「そう。だから――」

 

 彼女は、こちらに笑顔を向けたまま片手を上げ――

 

 トン――

 

 と、隣に立つリュイスさんを、静かに突き飛ばした。――崖に向けて。

 

「――え? あ……」

 

 突然のことに悲鳴を上げる暇もなく、リュイスさんが崖下に落ちていく。それを、ぼくらはただ呆然と見ていることしかできず――

 

「リュイス、さん……? ……リュイスさん!!」

 

 誰よりも早く正気に戻り、突き落とされた少女の名を叫んだのは、日頃リュイスさんに厳しい言葉を掛けがちなアニエスだった。

 彼女は崖に走り寄り、ギリギリまで身を乗り出して眼下の森に目を向けていたが……

 

「……リュイス、さん……」

 

 求める姿は見つけられなかったのだろう。放心したようにその名を呟き……次には、怒りに満ちた目を師匠に向ける。

 

「貴女! 貴女は一体……! なんのつもりで、こんな……!」

 

 彼女が発する怒気で呪縛が解けたように、ようやくぼくも口を開くことができた。が……

 

「し、師匠……? 何を……?」

 

 口からこぼれたのは震えた声で、しかも短く問いかけるので精一杯だった。まだ、何が起きているのか、理解が追い付いていない。

 アニエスの怒声にも涼しい顔を返していた師匠は、ぼくが絞り出した短い疑問の声に返答する。

 

「何を? 殺したんだよ。わたしが、リュイスちゃんを」

 

「……どう、して……?」

 

 口が重い。言葉が出てこない。

 

「実はわたし、魔将の一人にスカウトされててね」

 

 世間話でもするように、彼女はその名を口にする。

 

「魔将って、あの魔将か……?」

 

 エカルが、ぼくと同じように呆然とした口調で問う。彼も事態についていけてないのだろう。

 

「そ。魔王の次に偉いっていう、魔族の将軍。その魔将に、一緒に魔王の下で働かないかって誘われてね」

 

「! 貴女は……! もしや人類を裏切って、魔族の側につこうと……!?」

 

「そういうこと。わたしは人類と魔族の争いに興味はないし、どっちについても構わないからね。で、本当に誘いを受けるなら、手土産に勇者一行の命を奪ってきてほしい、って、その魔将に言われたんだよ」

 

 師匠は、未だ笑顔で言葉を並べ立てる。いつも浮かべているその微笑みが、今はひどく不気味に映る。

 

「先輩……まさか、その話を引き受けて……?」

 

「うん。報酬も良かったし、これはこれで面白いと思って」

 

 珍しく動揺した様子のシエラの問いに、師匠は平然と答える。面白いって、そんな……

 

「でも……それとリュイスさんが、どういう……?」

 

「リュイスちゃんはこんな話を引き受けるわけないし、なんなら止めようとしてくるだろうからね。邪魔されないように始末したんだよ」

 

「そんな……そんな理由で――!」

 

 激怒し、詰め寄ろうとするアニエスに、彼女は笑顔を崩さないまま答える。

 

「そう。『そんな理由』で殺したんだよ。わたしは悪い冒険者だからね」

 

「……! やはり……やはり、貴女などにわずかでも心を許すべきではありませんでした……! ここで、リュイスさんの仇は討たせてもらいます! 《攻の章、第――!》」

 

「おっと」

 

 バキィ!

 

「ああっ!?」

 

 法術の詠唱を終える前に、師匠がアニエスを蹴り飛ばす。崖側から台地のほうへ押し戻すように。

 

「アニエス!?」

 

「あ、くぅ……!」

 

 岩肌を転がるように吹き飛び、アニエスが倒れ伏す。意識は保ち、なんとか立ち上がろうとしていたが、今は上体を上げるので精一杯のようだ。

 

「さすがに、間近で法術もらうのは勘弁したいからね」

 

「く……! 貴女のような裏切り者に、こんな……!」

 

「そう。裏切り者の悪人だから、こんなのも使っちゃうんだ」

 

 そう言うと彼女は、左手の黒い篭手に反対の手を添え、歌うように詠唱を口にする。

 

「《獣の檻の守り人。欠片を喰らう(あぎと)黒白(こくびゃく)全て噛み砕き、等しく血肉に変えるもの――》」

 

 黒い篭手から――篭手だったものから、異音が響き始める。辺りの空気が変わる。

 

「起きて……〈クルィーク〉」

 

 バギン――と、強引に鍵を壊したような音が鳴ると共に、師匠の左手の肘から先がメキメキと音を立てて変異していく。同時に、それを覆うように黒い篭手が変形し、左手を呑み込み一体化。巨大な黒い鉤爪と化す。

 それと共に、師匠のショートカットの黒髪、その前髪の何房化が朱に染まる。両目共に黒だった瞳も、左目だけが赤く輝く。左半身が異形に変じたその姿は、まるで――

 

「――まるで、魔族みたいでしょ?」

 

 こちらの考えを読んだかのように、師匠が妖しく語り掛ける。笑顔だけは変わらず柔らかいままで。

 

「これは、その魔将に貰った力。体の一部を魔族化させるものだよ」

 

「……! 貴女は……! 魔族に(くみ)しただけでは飽き足らず、そのような穢れた力にまで手を染めたのですか! どこまで罪を重ねれば……!」

 

 師匠の肥大化した左腕、そして笑顔で語る本人へと、刺すような視線を向けながら、アニエスが怒りを露わにする。

 人類を裏切って魔族に協力すること。身体に魔族の穢れを受け入れること。神官である彼女にとっては、どちらも看過できない大罪なのだろう。

 

 けれど、逆にぼくは少し冷静になっていた。

 魔族が扱う呪い(魔術とは別種の技術だと言われている)の中には、人の身を魔族化させるようなものも存在するという。

 つまり師匠が今見せている姿、魔将から貰ったという力は、実際には呪いによるもので……彼女の様子がおかしく見えるのは、その力に心を支配――呪縛されているからではないだろうか?

 

「(もし、それが呪いなら――)」

 

 呪いに類するものであるなら、ぼくのこの目に宿る神の加護、〈聖眼(せいがん)〉で、打ち消すことが――師匠を正気に戻すことが、できるかもしれない。

 

「――」

 

 目に意識を集中し、魔力を込める。瞳が光を放ち、視界の中に瞳を模した紋様のようなものが描き出される。

 その紋様の中心に師匠の姿を捉えたぼくは、胸中で叫んだ。

 

「(お願い……〈聖眼〉!)」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間2 ある勇者と剣の師②

「(お願い……〈聖眼〉!)」

 

 視界の中で、紋様が師匠を包み込むように収束していく。

 外から見れば、ぼくの瞳から師匠に向けて魔力が飛んでいるように見えるのだろうか。一瞬で目標に到達した解呪の加護は、やがて師匠の身心を蝕む呪いを解き、元の姿へ戻してくれるはず……

 

 パシン

 

「……?」

 

 泡が弾けるような音を立てて、〈聖眼〉の紋様が宙に解けるように消える。

 師匠はきょとんとしていた。避ける暇もなく何かが飛んできたのを知覚し、自分の体に触れておきながら、何も起きないことを不思議がっている。左手は異形のままだ。

 

「(……解呪、できて、ない……?)」

 

 それが呪いであるなら、この眼はぼくの身を護り、他者のそれでさえ無効化することができる。その加護は確かに発動した。それが機能しなかったということは……

 

「(呪いじゃ……ない……?)」

 

 なら、あれは、他者から与えられたものじゃなくて……師匠本人が、初めから持っていたもの……?

 それに呪いじゃないということは、誰かに操られてるわけでもないということで、それはつまり……

 

「……よく分からないけど、試したいことは終わったのかな? それなら、そろそろ――」

 

 言いながら、師匠は右腰に提げた剣の柄に、ゆっくりと手を掛けようとしている。そこへ――

 

「《灼熱拳! フレイムフィスト!》」

 

 ダンっ――!

 

 強く踏み込み、師匠に接近したエカルが、両手に魔術の炎を纏わせ、怒りの形相と共に殴りかかりにいく。

 

「てめぇ! よくもあの神官の嬢ちゃんを! アルムを! 裏切りやがったな!」

 

 物質的に燃える拳で、連続して打撃を与えていくエカル。けれど師匠はその無数の打撃を、異形と化した左腕で受け止め、あるいはかわしていく。

 有効打は一発もない。それでも構わず、エカルは拳を打ち込み続ける。

 

「あの時止めてくれたあんたに、オレは感謝していた! 感謝していたんだ! それを……!」

 

「――悪いけど」

 

 ゴっ――!

 

「うぶっ!?」

 

 腹部を蹴られ、エカルが後退させられる。

 

「助けたのは、ただの気まぐれだよ。殺して止めることもできたんだから」

 

「ぐ……! クソ、が……!」

 

 蹴られた箇所を押さえながら、エカルが悔しそうに呻く。しかし彼は痛みを堪えながら、すぐに魔術の詠唱を開始する。

 

「《我が手に集え、炎の――》」

 

「させないよ」

 

 投擲用のダガーを右手で(肥大化した左手では細かい作業はできないからだろうか)取り出した師匠は、素早くそれをエカルに投じる。が……

 

 ギィン!

 

 間に割って入ったシエラの槍が、飛来するダガーを打ち落とした。

 

「先輩……今回の件は、さすがに擁護(ようご)できません。貴女は越えてはならない一線を越えてしまった。許すことはできません」

 

「別に擁護も許しも求めてないけど……なら、どうする?」

 

「……ここで、貴女を討ちます、先輩……いえ、人類の敵、アレニエ・リエス!」

 

「あはは! シエラちゃんにできるかなぁ!」

 

 師匠が、剣を抜く。それを目にしながらシエラが槍を構え……魔力を込めていく。

 

「(あれは――)」

 

「《降り注げ! 聖槍・プリュヴワール!》」

 

 宣言と共に、シエラが槍を突き出す。

 日々の修練により磨き抜かれた基本の刺突は、必殺の一撃と化して眼前の敵を襲う。

 が、それも、当たらなければ意味を為さない。師匠の操る剣によって道筋を逸らされた槍は、そのまま何もない空間を突き刺して――

 

 ドシュ!

 

「!?」

 

 師匠の左の二の腕(ちょうど肩鎧と異形化した腕の間だった)から、わずかに血が噴き出す。皮膚を浅く切り裂かれたようだ。かわしたはずの刺突に傷を負わされて、師匠が怪訝な顔を浮かべるのが見えた。

 

「せやっ!」

 

 再度、シエラが槍を繰り出す。師匠も先ほどと同じようにその一撃を受け流すが、今回は何が起きたか見定めるためだろう、先ほどより距離を取ってかわしていた。すると――

 

 ビシュシュシュ!

 

「っ!」

 

 今度は、はっきりと見えた。突き出された槍の周囲に、魔力で生み出された複数の穂先が出現している。それらが本体からわずかに遅れて刺突を繰り出し、師匠の身体に傷をつけていたのだ。

 

「なるほどね……それが、シエラちゃんの家に代々伝わるっていう〈聖槍・プリュヴワール〉か。なかなか厄介だね」

 

 浅いとはいえ手傷を負わされてなお、師匠の余裕は崩れない。シエラが緊張した面持ちで槍を握り締める。そこへ――

 

「《……攻の章、第七節。星の鉄鎚、ギガンティックハンマー!》」

 

 倒れ伏したままのアニエスが密かに捧げていた祈りが聞き届けられ、光で編まれた巨大な鉄鎚が空に出現し……地面の師匠に向けて叩き付けられる!

 

 ドゴォ――!

 

「くぬっ……!?」

 

 師匠は両腕で法術を受け止めるも、耐え切れなかった衝撃が身体を伝わり、足元の地面を陥没させる。そうして身動きが取れなくなったところで――

 

「どけ、シエラ!」

 

 詠唱を終えたエカルが、射線上にいたシエラに向けて声を張り上げる。彼女は即座にその場を飛び退き――

 

「《火尖槍! フレイムジャベリン!》」

 

 エカルの手の先に集まった炎が鋭い槍の形状になり、師匠に向かって射出される。彼女は咄嗟に肥大化した左掌で受け止めるが――

 

 ――触れた次の瞬間に、焔の槍は大爆発を起こしていた。

 

「く……!」

 

 爆発の余波から身を護るため、シエラが姿勢を低くしながら腕で顔を庇う。ぼくのところにも爆風が届き、慌てて両腕で顔を覆った。

 

 もうもうと煙が立ち込め、視界を遮っていた。師匠がどうなったかはまだ分からない。

 けれど、普通に考えればあんな威力の魔術を喰らって生きていられるはずが……

 

「……ふふ」

 

 煙の向こうから、小さな笑い声が届いた。

 

 吹き抜ける風が、煙を取り払っていく。その後に現れたのは……爆発したはずの火炎を左手で受け止め、押さえ込んでいる師匠の姿。

 

「なっ……」

 

 その様子に、エカルが絶句する。それはそうだろう。命を奪うつもりで撃った一撃に耐えたどころか、片手で受け止められているのだから。

 

「今のはちょっと危ないかなぁと思ったけど、意外といけるもんだネ」

 

 あまり緊張感のない声でそう呟く師匠。その手で押え込まれた炎の塊は……

 

 ズズ……

 

 師匠の掌に吸い込まれるように、次第にその容量を縮めていた。

 あれは……魔力を、食べてる……? ひょっとして、その前の光の鉄鎚も……?

 

 やがて全ての魔力を吸収され、火球が消失する。

 

 師匠は左手をそのまま前方に掲げていた。その手の先に、魔力で編まれたと思しき赤く輝く短剣が無数に現れ、アニエスとエカルに突き付けられる。

 

「あなたたちの魔力、返してあげル」

 

 宣言と共に、短剣が一斉に撃ち出される。それらは物理法則を無視して飛び回り、二人を襲う。

 

「ぐ、あああっ!?」

 

「きゃあああ!?」

 

「エカル!?」

 

「アニエス!?」

 

 ぼくとシエラはそれぞれ二人の名を呼び、安否を確かめるが……

 

「ぐ、うう……」

 

「つ、あ……」

 

 降り注いだ魔力の短剣が幾本も、彼らの身体に突き立っていた。幸い急所には当たらなかったようだが、エカルは身体を襲う痛みに膝をつき、アニエスは倒れた姿勢から動くことができない。そこへ――

 

「よそ見してていいのかなァ」

 

 師匠が、いつの間にかシエラの元へ迫っていた。

 

「くっ!?」

 

 シエラは咄嗟に手にする槍に魔力を込めながら、迎撃の突きを繰り出す。槍本体の刃と、魔力で生み出された複数の穂先。それらが一斉に師匠の身体に降り注ぐ。しかし――

 

 師匠は身を丸めて急所を隠しつつ、手足に浅い傷を負いながらも、強引に前進していく。

 

「なっ……!」

 

 そして、突き出されたプリュヴワール本体を、左の鉤爪で掴み取った。

 

「今のわたしは、少しくらいの傷なら問題にならないからネ」

 

 そう語る師匠の身体の傷は、この短い合間に既に塞がりかけていた。半身が魔族化したことで、魔族の再生力が全身に影響を及ぼしているのだろうか。

 

「くぅ……!」

 

 シエラが槍を両手で握り締め、力を込める。彼女にとっては自身の命を預ける唯一の相棒であり、代々伝わる家宝でもある。奪われるわけにはいかない。が……

 

「あはっ!」

 

 楽しそうな笑みと共に、師匠は左手一本で槍を頭上に持ち上げた。――未だ両手でその槍を握っていた、シエラごと。

 

「――え?」

 

 頭上でシエラが不思議そうに声を漏らすのが聞こえた。が、それも一瞬のことで……

 

「そー……れっ、ト!」

 

 ズダン――! 

 

「あぐっ……!?」

 

 次の瞬間には彼女は、空中から地面へと、猛烈な勢いで叩き付けられていた。

 そして……そのまま、起き上がってこなかった。




星の鉄鎚の掛け声は「光になれぇぇぇ!」です。(元ネタバレバレ)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間3 ある勇者と剣の師③

「あ……みん、な……」

 

 その光景に、ぼくは呆然とした声しか上げられない。

 

 シエラ。アニエス。エカル。ここまで旅を共にしてきた、ぼくの大切な仲間たち。

 その三人が、ぼくが戦うのを躊躇い、迷っていたわずかな間に、全員打ちのめされ、倒れ伏していた。

 

 師匠の強さは十分に承知しているつもりだった。少なくともぼくの知る限りでは、彼女以上に腕の立つ剣士は他にいない。

 だからといって、ここまで圧倒されるだなんて……ぼくたちだって、旅や戦を通じて成長したと思っていたのに、これじゃ、師匠と初めて会った時から変わっていない……

 

 ザっ――

 

 師匠が、ゆっくりとこっちに近づいてくる。まるで、獲物をじわじわと弄ぶように。

 

「まだ剣を抜く気にならないノ? もうまともに戦えるのはアルムちゃんしか残ってないヨ」

 

「っ……」

 

 彼女に言われ、ぼくは慌てて背に負った鋼の長剣に手を掛けた。使い慣れた愛剣は滑らかに鞘から引き抜かれ、馴染みの重さを握る手に伝えてくる。

 けれど、剣を引き抜いてなお、ぼくは迷っていた。

 このまま師匠と戦って――殺し合って、本当に、いいのだろうか? そしてそれ以前に……ぼくは、この人に、勝てるのか……?

 内心が、表情や剣の握り方に表れていたのかもしれない。師匠がつまらなそうにこちらを一瞥する。

 

「まさか、まだ迷ってル? わたしはリュイスちゃんを殺して、アルムちゃんを裏切って、魔族の穢れまで受け入れた悪人だヨ? あなたが善良な勇者なら、わたしは討伐するべき悪でショ?」

 

「で、でも、師匠は……!」

 

「それに、どうしてこの期に及んで神剣を使わないノ?」

 

「それは……だって、神剣は、魔を払う神の剣、だから……人に向けるものじゃ、なくて……」

 

 しどろもどろなぼくの発言に、師匠がほんの一瞬、しょうがないというような顔をする。けれど次に口から出た言葉は、先ほどまでと同じように挑発的なものだった。

 

「……それで、まだそんな普通の剣で、わたしを止められると思ってるんダ。なめられたものだネ」

 

 師匠が腰をわずかに落とし、逆手に握った剣を身体の後ろに隠すように構える。――ぞわりと、背筋が冷える。

 

「いいヨ。一つ教えてあげル――」

 

 その言葉と共に、師匠の姿が一瞬視界から消えた。

 いや、本当に消えたわけじゃない。いつの間にか姿勢を低くしてこちらに踏み込む彼女を、ぼくの目が捉えられなかったんだ。

 

 次の瞬間には、師匠は剣を振るっていた。

 移動の勢いや体重、全身の力を剣先にまで伝え、鋭く、無駄なく、一呼吸より短い瞬間で一閃する。ぼくにとっての、理想の剣。

 

 ――それが今、ぼく自身に向けられていた。脳内では危険を報せる警鐘が鳴り続けている。

 迫りくる恐怖に目を閉じかけそうになりながらも、反射的に自分の剣を置いて防ごうとする。目で追い切れたわけはないが、師匠の剣の残光が不自然に目に焼き付けられた気がした。そして――

 

 チュイン――!

 

 衝撃は、ほとんどなかった。ただ、耳慣れない物音が鼓膜に響いた。

 次にぼくは、閉じかけていた目を大きく見開くことになる。だって仕方ない。この手に握る剣の剣身がゆっくりと倒れ、地面に落下していったのだから。

 

「う、うそ……!? 鋼で打たれた剣が……!?」

 

 ぼくの剣は、半ば辺りから綺麗に切断されていた。力でへし折ったのではなく、切断だ。それが師匠の剣撃によってもたらされたと認識はすれど、理解が追い付かなかった。

 

「わたしはその気になれば、鋼より硬いものだって斬れちゃうんダ。そんな普通の剣じゃ、力不足だヨ。――神剣を抜きなよ、アルムちゃン。そうじゃなきゃ、わたしは止められないヨ」

 

「……でも……でも、ぼくは……」

 

「それとも、まだ本気に慣れなイ? なら……あそこに倒れてる三人にとどめを刺したら、やる気になるのかナ」

 

「――! ダメ!?」

 

 再び左手を掲げ、幾本もの魔力の短剣を生み出す師匠。ぼくはそれに反発するように飛び退き、短剣の射線を遮りながら、背に負った二本目の剣――神剣を抜き放った。

 

 師匠の左手から、魔力の短剣が撃ち出される。それらは直線ではなく、鳥のように空を滑空し、倒れたままの仲間たちに襲い掛かろうとしている。

 

「(させない……それだけは!)」

 

 両親は、ぼくが幼い頃に魔物に殺された。

 引き取ってくれた爺ちゃんと、山奥で二人だけで暮らしていた。同年代の友人なんていなかった。

 だから、勇者に選ばれてから出会えたみんなは、大切な仲間で、友達なんだ。それを奪うというなら、たとえ師匠であっても、何かの理由があるんだとしても――

 

「《――私は『魔を払う』という名である!》」

 

 短い詠唱と共に神剣を振るう。

 光を纏い、前方の空間を薙ぎ払った神の剣は、その名の通りに魔を――魔術の効力を払い除け、こちらに向かっていた短剣を全て霧散させた。

 

「あはは! ようやくやる気になったネ!」

 

 師匠が、笑みを浮かべながらこちらに迫る。

 

「……ふっ!」

 

 短い呼気と共に、再び振るわれる師匠の剣。先刻の一撃をなぞるような、無駄のない滑らかな動作。何千何万と剣を振ってきたであろう、修練の極致。

 そうして生み出した『気』は剣先にまで伝えられ、刃の表面に薄い光の層を形成する。先ほどの残光の正体だろう。どんな原理かは知らないが、この光が師匠の剣にさらなる切れ味を加えている。

 そんな代物を防ぐ手立ては、ぼくにはない。こちらも先刻と同様、相手の剣の通り道に自分の剣を置くしかできなくて、けれど……

 

 ギキキキ――!

 

 けれど、先ほどとは違う結果が訪れる。

 神剣は、鋼を切り裂くほどの剣閃にもびくともしなかった。十字の形で師匠の剣を受け止め、拮抗させている。

 

「……ちぇっ。さすがに神剣は斬れないカ」

 

 剣を押し付け合った体勢で、彼女が残念そうに呟く。まさか、本気で神剣を斬ろうとしていたのだろうか。……恐ろしい人だ。

 

 ギァン――!

 

 互いに剣を打ち付け合い、互いに衝撃で後方に仰け反る。体勢を整え、神剣を構え直したところで……

 

「アル、ム……」

 

「! シエラ! 立てるの!?」

 

 倒れていたシエラが、手にする槍で体を支え、その場で立ち上がろうとしていた。

 

「はい、なんとか……まだ少し全身が痛むし、目の前がくらくらしますが……大丈夫です」

 

 それは本当に大丈夫なんだろうか。

 

 ちらりと後ろを見れば、倒れていたエカルも肘を支えに身体を起こしており、アニエスも同様の姿勢で彼を治癒していた。

 

「……神剣を、抜いたんですね、アルム」

 

「……うん。いつもの剣じゃ、相手にもならなかった。師匠を止めるには、全力を出すしかなかったんだけど……正直、全力を出しても、足りないぐらい」

 

「それなら、全員で協力して当たるしかありませんね」

 

 シエラはふらつく身体を支えるように地面を踏みしめ、槍を構えた。

 

「私が先行します。アルムはタイミングを遅らせて攻撃を」

 

「分かった!」

 

 シエラが言葉通りに先に駆けていき、ぼくもそれに少し遅れてついて行く。そして左右に分かれ、師匠を挟み込むように迫りながら、時間差で攻撃を加える!

 

「はぁっ!」

 

 プリュヴワールを起動させたシエラが左から回り込み、魔力の刃を複数出現させながら、上から下に薙ぎ払う。実体と魔力、二種の刃が頭上から降り注ぎ、獣の爪のように襲い掛かる。

 

「っ!」

 

 ザキン――!

 

 師匠は咄嗟に硬質化した左手を掲げ、薙ぎ払いを防ぐ。金属を引っ掻いたような音が響く中、続けてシエラが素早く突きを繰り出すのが見えた。

 

「たぁっ!」

 

 そこへ、右から(師匠から見れば左側から)回り込んだぼくが神剣を振りかぶり、師匠に接近する。

 

 狙うは、魔族化したという左腕。

 シエラの槍にも耐える硬度を誇っているが、神剣で斬りつければさすがに効果が期待できるはず。のみならず、魔族化を解除させることもできるかもしれない。

 左からはシエラの槍。右からはぼくの神剣。さすがの師匠でもこれを同時にはさばけない……そう思っていた。

 

 師匠はここで、シエラに向けて左手を突き出した。魔力の刃が身体を傷つけるのも構わず手を伸ばし、彼女の持つ槍を掴み取る。

 一瞬、先刻の光景が脳裏に蘇る。が、すぐに思い直す。また同じことをするつもりなら、その間に左腕をこの神剣で斬ればいい。しかし……

 

 師匠は今回、槍を上に持ち上げるのではなく、自分の側に引っ張った。そして掴んだままの槍の柄で、ぼくの剣を受け止める。

 

「なっ……!?」

 

「残念だったネ」

 

 微笑みながら、師匠が右手を振るう。その刃はシエラに狙いをつけていて……

 

「くぅっ!」

 

 ギィン――!

 

 槍の上を滑らせ、かろうじて師匠の剣からシエラを庇うように、神剣の刃を差し出す。

 

「く、あぁっ!」

 

 そして、そのまま力任せに、振り払うように剣を振るう。

 

 刃筋も立っていないめちゃくちゃな振るい方。それでも神剣に触れるのを警戒してか(あるいはぼくの腕力を嫌ってか)、師匠が槍から手を離し、一歩遠ざかる。

 

 そこで唐突に、魔覚に強い魔力を感じた。師匠との戦いに神経を割きすぎていて、ここまで気づけなかったらしい。思わず後ろに視線を向けると――

 

 いつの間にかエカルが立ち上がり、魔術を詠唱している。その頭上には先ほどと同じ炎の槍が、しかし先ほどよりも大きさを増して、鋭く捻じれ尖りながら撃ち出されるのを待っている。

 隣では、アニエスも法術を準備しているのか、目を閉じ、両手を組んで祈りを捧げていた。

 二人で同時に術を撃ち込むつもりだろうか、と考えるぼくの目の前で――

 

「《火尖槍! フレイムジャベリン!》」

 

 エカルの魔術が完成し、標的に撃ち出される……その直前に。

 

「《攻の章、第七節。星の鉄鎚、ギガンティックハンマー!》」

 

 アニエスが呼び出した光の鉄鎚が横向きに振り抜かれ、炎の槍を後ろから強烈に叩き付けた。

 

「――へ?」

 

 師匠が一瞬気の抜けた声を漏らすのがなぜか耳に残った。

 その一瞬で、光の鉄鎚に叩かれ勢いを大幅に増した炎槍が射出され、師匠に向けて高速で飛んでいく。

 

「っ――!」

 

 避ける間もない瞬間の着弾。それでも師匠は反射的に(それもあり得ないこととは思うが)左腕で受け止める。が――

 

 バチィ――!

 

 その手が、一瞬で弾き飛ばされる。鋼も防ぐ鉤爪にひびが入る。

 そして標的に衝突した炎槍が……直後に、大爆発を起こした。

 

「う、あ、あああア!?」

 

 師匠の身体が、側面から焼かれていく。爆発の勢いに押され、わずかに宙を舞う。

 それでも彼女は倒れなかったが、今日初めて、苦痛に顔を歪めている。

 

「いけ、アルム!」

 

「勇者さま!」

 

 エカルとアニエスが叫ぶ。槍を支えにかろうじて立っていたシエラも声こそ上げなかったが、こっちを見て大きく頷いてみせた。

 

「……!」

 

 それらの声援を背に、ぼくは地面を強く蹴った。

 ――これが、師匠と剣を交える最後の機会になる。そんな予感を抱きながら。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間4 ある勇者と剣の師④

 師匠の左半身は焼け(ただ)れ、未だ苦悶の表情を浮かべていたが、徐々にその傷も修復されているようだった。おそらく、しばらくすれば全て癒えてしまうのだろう。

 

 なら攻めどころは、まだダメージの残っている今しかない。こんなチャンスは二度と来ない。神剣を掲げ、駆け寄る。

 

「……ふふ」

 

 師匠が、小さく笑った気がした。勝機を逃さんと迫るぼくを、どこか暖かい表情で迎え入れるように。

 が、それも一瞬のことで……

 

 次の瞬間にはこれまでと同じ、柔らかく、けれど不敵な笑顔を浮かべ、こちらを迎え撃つ。

 

「はぁぁあ!」

 

 ぼくは、ボロボロになった師匠の左手に狙いを定め、神剣を横一文字に一閃する。が……

 剣は、なんの抵抗もなく空を薙いだ。そこに師匠の姿はなかった。目の前で標的を見失ったことに困惑した次の瞬間――

 

 スパン!

 

「!?」

 

 足元に強い衝撃を受け、浮遊感を覚える。視界がぐるりと回る。軽く混乱しながらも、頭の冷静な部分はこの感覚を憶えていた。

 

 初めて師匠に会った際やられたことと同じだ。こちらが剣を横薙ぎに振るったのに対して、それを下回る低さまで身体を沈み込ませ、地を這うようにしながら強烈な足払いを仕掛ける。それでぼくの身体が、側転するように回転しているんだ。

 

 そのままこれを甘受すれば、次には平衡感覚を失いながら、地面に投げ出される。その隙を見逃す師匠じゃないだろう。だからぼくは――

 

「ふん!」

 

 ぼくは勘だけで地面に神剣を突き刺し、それを軸にバランスを整え、着地した。

 

「(……成功した……!)」

 

「あはっ! やるね、アルムちゃン!」

 

 内心で心臓をバクバクさせながら、続く師匠の剣撃を受け止める。左半身の怪我が痛むだろうに、彼女はやはり笑顔で剣を振るう。

 

「――……」

 

 全神経を集中して、師匠と剣を交わし続ける。

 少しでも気を抜けば命を落としかねない緊張感の中、ぼくは一合一合剣を重ね合わせる度に、自分が強くなっていることを実感していた。

 

 神剣が手に馴染んでいく。実戦の空気に意識が研ぎ澄まされる。

 対峙する師匠の剣を間近で見れば見るほど、感じれば感じるほど、少しでもその理想に近づこうと、身体が限界を超えて動き、力を引き出し続けてくれる。師匠の強さに引きずられていく。

 

 師匠がどうしてここで戦いを挑んできたのか。なぜ自らを悪人に仕立て上げてまで、ぼくに神剣を使わせようとしていたのか。

 その理由になんとなく、もう少しで、手が届きそうな気がしている。

 そして同時にぼくは、ぼくが剣を握る理由を、ようやく掴めた気がしていた。

 

 最初は漠然とした思いだった。

 物心つく前に両親を魔物に殺された。だから同じ目に遭う人がこれ以上増えないよう、この手で魔物を討伐できるように、一人で剣の稽古を始めた。

 

 じいちゃんに読んでもらった絵本で、強くて優しい勇者に憧れた。だから絵本の勇者と同じように、旅をしながら世界中の人を助けたいと思った。

 

 実際に勇者に選ばれて仲間と出会ってからも、それは形の定まらない夢想に過ぎなかった。地に足がついていなかった。

 

 けれど、師匠に出会って叩きのめされて、現実を突き付けられた。

 戦で大勢の人と魔物が争い、命を落としていく様を目撃した。

 そして先刻、仲間が殺されかかってようやく、それに強く反発する自分に、気付かされた。

 

 なんのことはない。ぼくは、目の前で命が失われるのが耐えられないし、それが仲間ならなおのこと許せないというだけの、小さい人間なのだ。

 

 でも、それでいい。それを地道に繰り返せばいい。仲間の一人も護れない人間に、そのずっと先にある世界なんて護れやしない。

 そして、師匠も……

 そのためにも今は――

 

「(ぼくの全力で、ぼくの持つ全ての力で、師匠を、超える――!)」

 

「《――私は『神剣』という名である!》」

 

 ギィン――!

 

 改めて名を呼ぶことで存在を強固にし、物質としての強度を上げる。淡い光を纏った神の剣は、襲い来る師匠の剣を正面から弾き返した。

 

「《――私は『義なる者』という名である!》」

 

 キィン――!

 

 再び師匠の剣と打ち合い、弾き返す。

 持ち主の義の心、善思が強いほどその本領を発揮するという神剣は、ぼくの心を認めてくれて、力を貸し与えてくれる。

 

「《――私は『魔を払う』という名である!》」

 

 ギャリリ――

 

 地面から擦り上げるような師匠の剣撃を防ぎ、受け流す。

 先刻も使ったこの名は、魔に類するものに作用する。魔術を払い除け、魔物や魔族には致命的な傷をその身に負わせる、退魔の剣となる。

 

「《――私は『清浄をもたらす』という名である!》」

 

 ビシュン――!

 

 こちらの反撃の剣を、師匠は後退してかわす。

 この名によって、ぼくの身体は常に清浄に保たれ、護られている。またこれは、法術の助けなしに周囲の空間を浄化する力も発揮する。

 

「《――私は『輝く光輪』という名である!》」

 

 その名を唱えると共に、ぼくの背に光の輪が灯る。それは仲間の気持ちを背に受け、収束させて、ぼくにさらなる力を届けてくれる。光輪の力に押されるようにして、ぼくは地面を強く蹴り、前方に突進した。

 

「《――私は『到達する者』という名である!》」

 

 神剣が持つ最後の、そして根幹の名。この名があるからこそ神剣の刃は、不滅の魔王の命にも一時的に届きうる。

 そしてこの名は、持ち主がその身に秘めた実力を、束の間、限界まで到達させてくれる――!

 

 ギィィン――!

 

「っ……!」

 

 こちらの剣撃が想定以上に鋭かったからか、師匠はうまく受け流せず、勢いに押され後退する。それを見据えながら、ぼくは神剣を肩に担ぐように構え、後ろ足に力を込めた。

 

「《これらの名が汝に力を与える! これらの名が汝に勝利を与える! 我が名の力と勝利もて、彼らの敵意を破壊せよ!》」

 

 強く、最後の一歩を踏み出す。その一歩を光輪が後押しし、限界を超えた速さで師匠の元へ到達する。そして最後に、その名を唱えた。

 

「《神剣・パルヴニール!》」

 

 剣から光が迸る。師匠の間合いの外から、叫びと共に袈裟懸けに振るう。

 全身に溢れる力と魔力を集約し、剣先にまで伝え、呼吸をする間もなく振るい切る。あの日師匠が見せてくれた、剣の理想。

 その理想の境地に、一瞬だけ手が届く。自分でも手応えがあった。この剣は、師匠といえども防げない――!

 

 師匠は――

 

 師匠は一瞬、口元に笑みを浮かべた。そして――防ごうとしなかった。

 

「(――え……?)」

 

 ぼくは、反射的に力を抑え込み――

 

 ザン――!

 

 けれど、一度溢れ出した力を全ては抑え切れず、師匠の左肩から腹部までを、神剣が纏う光が斬りつけた。人間の部分である腹部には傷一つつかなかったが、魔族化した左半身に甚大な損傷を与える。

 

「あっ、ぎ、あああぁぁァ!?」

 

 師匠の口から、絶叫が漏れる。ぶつけた退魔の剣の力が、彼女の魔族の身と反発し合っているのだろう。再生しかかっていた火傷を上から塗り替えるように、神剣の光がその身を焼いていた。

 

「あ……ぐ……!」

 

 それらの負傷や疲労が足にきているのか。師匠は苦痛に身をよじりながら、数歩後ずさった。その背後には崖が広がっている。

 

「く……あ……ふ、ふふ……ほんとに、強くなったね、アルムちゃン……出会った頃は、ここまで腕を上げるなんて、思わなかったなァ……」

 

「師匠……」

 

 痛みに耐えながらも、彼女は笑顔を浮かべてみせる。何かを喜ぶように。そして何かを諦めたように。

 

「……結局、最後までわたしを敵とは見なかったね、アルムちゃン。まぁ、そういう子だから、神剣も力を貸してるのかもしれないネ」

 

「師匠……! 師匠はやっぱり、最初から正気で……!」

 

 師匠が使った部分的な魔族化。それはおそらく、師匠本人が元から持っていた力で、誰かに操られていたわけでもなかった。それがどういう意味か分からないほど、ぼくも鈍くはない。けれど……

 

「なんのこト? わたしは魔物側に寝返って、魔族の力まで受け入れて、まんまと力に溺れて勇者を襲った、悪人だヨ? 正気でできることじゃないし、師匠って呼ばれる資格もないヨ」

 

 彼女は、あくまでそれを自身の力とは認めない。認めたくない理由があるのだろう。世間知らずのぼくにはなんとなくの想像しかできないけれど、後天的な魔族化に対するアニエスの――神官の反応を見れば、先天的なそれをなおさら隠したい理由は、理解できる。

 

 そして、なぜそこまでして戦いを強要してきたのか、その理由も、今なら分かる気がしていた。

 

「……それでも、ぼくの師匠は、師匠だけです。強くなれたのは、誰がなんと言おうと、師匠のおかげなんです。それを、なかったことになんてさせません」

 

 彼女はぼくの言葉に、再度諦めたような笑みを返す。

 

「……しょうがない子だなぁ……。……う、けほっ……!」

 

 わずかに内蔵も傷ついていたのか、師匠が咳と共に血を吐き出す。口元から赤い雫が滴った。

 

「……そろそろ、限界、かナ」

 

 呟くと、師匠は右手に握っていた剣を、背後の崖に放り投げた。剣は緩やかに回転しながら、崖下に落ちていく。それを自分から追いかけるように、彼女もまた一歩後ずさる。まさか……!

 

「それじゃ、わたしはここで消えるヨ。勇者さまに退治された悪役は、舞台から退場しなくちゃいけないからネ。……じゃあね、アルムちゃン」

 

 それだけを言い残し、彼女は背後の崖に身を躍らせて……

 

「ダメ……!?」

 

 神剣を放りだし、反射的に崖に駆け寄ったぼくは、落ちゆく師匠の左腕を――魔族化している黒い腕を、掴み取った。

 

「アルムちゃン……」

 

「ダメです……嫌です! こんなところで死ぬなんて! ぼくはまだ、師匠に教わりたいことが、たくさん、あって……!」

 

 師匠との出会いだって、シエラたちのそれと同じくらい、ぼくには大切なものなんだ。こんなところで失いたくない!

 

 神剣を全力で解放した反動か、身体を疲労感が襲っている。それでもぼくの腕力なら、師匠一人を引き上げるぐらいは……!

 

「バカ! 何してんだ! お前まで落っこちちまうぞ!」

 

「ごめん! でも手伝って! このままお別れなんて、ぼくは嫌だ!」

 

 後ろから支えてくれるエカルに顔を向け、助力を願うが、その瞬間……

 

「……本当に、しょうがない子だなぁ、アルムちゃんは」

 

 下から聞こえたその呟きと共に。

 師匠が、掴まれていた左手を振り払う。

 

「あっ……!?」

 

 師匠の姿が、遠ざかっていく。その顔は、最後まで、笑顔で。

 

「師匠おおおおぉぉぉ――!」

 

 ぼくは、エカルやシエラに身体を押さえつけられながら、叫ぶことしかできなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13節 選んだのは①

「師匠おおおおぉぉぉ――……!」

 

 ――落ちていく。

 

 アルムちゃんの声が、姿が、急速に遠ざかっていく。わたしはそれを笑顔で見送っていた。

 高速で落下していくわたしの身体。外には肌が風を切る感覚が、内には内臓が浮き上がるような浮遊感が襲っている。

 

 傷は深い。上手く身体を動かせない。これじゃ、受け身も上手く取れない。いや、この高さじゃ、多少受け身を取れたとしてもぺちゃんこになるのは変わらないだろうけど。

 

 地面と共に死が近づく。思考が加速し、普段より高速で働き出す。頭を過るのは、先刻の光景だ。わたしはちらりと、異形化したままの左手に視線をやった。

 

「……」

 

 この手――魔族化した左手を、アルムちゃんは掴んだ。それがどういう意味を持つのか、彼女は分かっているのだろうか。

 

 神剣に祝福された穢れなき勇者が、穢れを生まれ持つ半魔の手を取ったのだ。世の神官が知れば――というか、今頃アニエスちゃんあたりは――怒り狂ってもおかしくない事実だろう。

 

 実際、先代の勇者は、わたしが半魔だと知った瞬間、憎しみに歪んだ形相を露わにし、明確に殺意を向けてきた。その時の様子は、今も脳裏に焼き付いている。絵本の勇者に憧れていた幼いわたしの心に、消えない傷を刻み込んでいった……

 

 それが、当代の勇者は――アルムちゃんは。

 あれだけ悪事を重ねたわたしを、最後まで敵視しなかった。わたしが演技をしていたことも、半魔であることも、全て見破られていた気がする。

 そしてそのうえで、彼女はわたしの左手に手を伸ばしてみせた。穢れによって変異した、この左手を――

 

「ふふ」

 

 彼女こそが、わたしの探していた勇者なのかもしれない。強く、優しく、出会った人皆を助ける、絵本の勇者……

 と――

 

「あ」

 

 考え事をしている間に、もうかなり地面が近づいてきていた。背の高い樹々がわたしを出迎える。痛む体になんとか鞭を打ち、身を護るように身体を丸める。

 枝葉がクッションになり、わずかに落下速度を和らげる。とはいえ、焼け石に水だ。命を落とすには十分な速度を保ったまま、わたしの身体は地表に迫る。そこへ――

 

「《封の章、第二節。縛鎖の光条、セイクリッドチェーン!》」

 

 耳慣れた声が下方から響くと共に、四方から光で編まれた鎖が伸び、それらが絡まり合い、網のように広がって、落下するわたしの身体を受け止めてくれる。

 そして、その術を行使した小柄な人影が、網の上に寝そべるわたしに声を掛けてくる。

 

「大丈夫ですか、アレニエさん!?」

 

「リュイスちゃん……」

 

 そう。地面に叩きつけられる前にわたしを助けてくれたのは、先刻わたしがあの崖の上から突き落としたはずの神官の少女、リュイスちゃんだった。

 彼女は術を解き、わたしを地面に寝かせるなり、泣きそうな顔で患部を覗き込む。

 

「こんな……こんなに酷い怪我をして……! 無茶しないって、約束したじゃないですか!」

 

「あ、はは……それについては弁解しようもないんだけど……傷に響くから、できればもう少し声を抑えてくれると、おねーさんありがたいかなって……」

 

「あ……! す、すみません……! 今、治療しますから……!」

 

 怪我の様子を見て怒り心頭といった様子のリュイスちゃんだったけど、こちらの言葉には素直に謝罪し、その後は静かに治癒に専念してくれる。

 付近をざっと見回せば、少し離れた場所にわたしの愛剣〈弧閃〉が突き立っている。あれを確認したから、リュイスちゃんは救助する準備をしてくれていた。次にわたしが落ちる合図として、事前に剣を投げ落とすと、予め彼女に伝えておいたのだ。

 

 なぜわたしたちがこんなことをしているのか。その理由を語るには、以前出会った雷の魔将、〈紫電〉のルニアと戦った直後まで(さかのぼ)る必要がある。

 

 

   ***

 

 

(わたくし)と共に……魔王様にお仕えする気はございませんか?」

 

 雷の魔将ルニアは、一度は斬られた右手を差し出し、妖しくわたしを誘う。

 

「わたしが……魔王に……?」

 

 言葉の意味をすぐには理解できず、言われたことをただ繰り返す。隣ではリュイスちゃんが「なっ!?」と驚きに声を上げていた。

 

「はい。引き受けていただけるのであれば、新たな魔将として取り立て、厚遇することをお約束しますよ」

 

「……」

 

 これは、どう考えても――少なくとも魔族側としては――破格の待遇だ。彼らに階級のようなものがあるかは分からないが、そうしたものを全て飛ばして、いきなり魔王の側近に取り立てようというのだから。けれど……

 

「……どうして、わたしを?」

 

 わたしはさっきまで彼女らと敵対していた存在だ。そして当たり前だが、わたしは魔族ではない。それどころか――

 

「現在、我々はイフ様に続き、つい先刻カーミエ様までが倒されてしまったばかりです。有り体に言えば、戦力が不足しています。でしたら、お二人を倒されたご本人様をお誘いすれば、戦力拡充の近道だと愚考いたしまして」

 

「その理屈は分からなくもないけど……自分で言うのもなんだし、さっきも言った気がするけど、わたし、半魔だよ? 他の魔族からは、半端な穢れしか持たない出来損ないだ、ってバカにされてきたんだけど」

 

「確かに、そういった魔族が多いのは否定しません。アスティマより授かりし力に絶対の自信を持つ我々は、力の弱い者を(さげす)む傾向にありますから。ですが――」

 

 ルニアが、わたしと視線を合わせる。

 

「ですが貴女様は、魔族の上に立つ魔将を、一度ならず二度までも実力で撃退してみせました。それはつまり、他の多くの魔族よりも、貴女様のほうが優れた存在である証に他なりません。それに、こちらも先ほど申し上げましたが、私に、半魔であるアレニエ様を見下すつもりなど、毛頭ございませんから」

 

 彼女が言うように、合わせた視線にこちらを見下すような色は映っていなかった。少なくとも、すぐにそれと分かるようなものは。

 

「それで、どうでしょうか。お引き受けいただけますか?」

 

 思いがけない魔将からの提案。わたしはそれにわずかに考える……フリをしたが、心の内はもう決まっていた。

 

「ごめん。お断りします」

 

 その答えに、ルニアはあまり驚いた様子を見せなかった。

 

「理由を、お伺いしても?」

 

「理由は……つまるところ、わたしの大事な人たちが――とーさんとリュイスちゃんの二人が、人間の側にいるからだろうね」

 

 隣にいるリュイスちゃんが「へ?」と、不意を突かれたような声を上げる。

 

「わたしが人間社会で暮らしてるのは、あなたが言う通り受動的な理由だし、魔物側についても構わないといえば構わないよ。他の人間がどうなろうと心は痛まないしね。でも、とーさんとリュイスちゃんだけは別。二人に害が及ぶ可能性があるなら、わたしはそれを選ぶわけにはいかない。裏切りたくないんだ」

 

 その言葉をどう解釈したのか、リュイスちゃんが顔を真っ赤にしてもじもじしていた。かわいい。

 

「それに、最近はアル……勇者ちゃんのことも気に入ってるから、魔将になって彼女と戦うのは、できれば避けたいかな」

 

 それを聞いたリュイスちゃんは、今度は少し複雑そうな表情をしてみせる。もしかしたら妬いてるのかもしれない。これまたかわいい。

 

「もし、とーさんとリュイスちゃんじゃなくて、あなたやイフと先に出会っていたら、今とは違った道を選んだかもしれない。けど――」

 

「その場合は、こうして貴女様に興味を抱く状況には、なっていなかったかもしれませんね。どちらにしても交わらない道でしたか」

 

 とーさんに出会えなければ〈剣帝〉の剣は学べず、今ほどの腕は身に付けられなかっただろう。その場合、イフやルニアに実力を認められることもなかったはずだ。

 

 リュイスちゃんに出会えなければ、こうして勇者を、そして人間を明確に護る立場に立つことはなかったと思う。魔将とは出会わず、リュイスちゃんに救われることもなく、とーさん以外に心を許さずに一生を終えていたかもしれない。

 

 結局、今のわたしを形作っているのは、過去に経験した出会いによるものなのだ。

 

「悪いね。ご期待に沿えず」

 

「いえ、こちらとしても、あわよくばといった程度でしたので、そこまでお気になさらず」

 

 それはそれでちょっと複雑。

 

「ですが、お気が変わられたなら是非ご連絡くださいませ。アレニエ様であれば、いつでも歓迎いたします。その際には、リュイス様もご一緒にお仕えしませんか?」

 

「……あの、こう言ってはなんですが……アスタリア神官の私が、それを引き受けると思いますか?」

 

「失礼をお許しください。ほんの冗談です」

 

 魔将でも冗談とか言うんだ。

 

「さて、残念ながらお二人共に振られてしまいましたし、そろそろお(いとま)するといたしましょう。速やかに帰還し、本来の業務に戻らねばなりませんので。――それでは」

 

 パリっ――

 

 律義に丁寧なお辞儀をしてから、ルニアの姿がその場から消える。後に残ったのは小さな放電の音と、わずかな雷光だけ。

 おそらくないとは思いつつ、念のため不意打ちを警戒する。一秒、二秒と時間が経過していき、それが十を数えたところで……

 

「「……はぁ~……」」

 

 と、同じく警戒していたらしいリュイスちゃんと同時に大きくため息をつきながら、二人共に地面に座り込んだ。

 

「疲れた……」

 

「疲れましたね……」

 

 一度腰を下ろすと立ち上がる気力も湧かない。しばらくは休息が必要だ。

 

「一日に二人の魔将を続けて相手させられるのは反則だよ……こんなの勇者だってそうそう経験しないでしょ」

 

「過去には、魔将二人を同時に相手取った勇者パーティーも、いたそうですよ……」

 

「ほんとに? すごいね勇者」

 

 言いながらわたしは、今の勇者とその守護者たちの顔を思い浮かべた。彼女たちがもし同じ状況に放り込まれた場合、生き延びることはできるだろうか?

 

「(……まだ、できるイメージが湧かないなぁ……)」

 

 イフ。カーミエ。ルニア。わたしが出会ってきた魔将たち。

 仮にそのうちの一人とでも遭遇して、アルムちゃんたちが勝てる見通しが立てられない。それで果たしてその先の魔王に挑んで、勝てるだろうか。いや、勝ち負けは抜きにしても、生きて帰ってこられるだろうか……

 

「傷は、痛みますか?」

 

 物思いに(ふけ)っていたわたしに、リュイスちゃんが問いかける。

 

「細かい傷は〈クルィーク〉のおかげでもう治ってるんだけど、ルニアにもらった一発がね。まだ身体の芯に残ってる感じ」

 

「……あんなアレニエさんは、初めて見ました。一瞬、本当に、死んでしまったのかと思って……」

 

「大丈夫。生きてるよ」

 

 抱き寄せ、頭同士ををコツンとぶつけ、安心させようと試みる。

 

「リュイスちゃんこそ、しばらく一人で魔将の相手なんてさせちゃったけど、大丈夫だった?」

 

「はい。なんとか、無事です。もう、気力も体力も空っぽで、動けそうにありませんけどね」

 

「すごかったね、あの時のリュイスちゃん。わたしがかわせなかったルニアの攻撃を、全部読み切って反撃までしてたもんね」

 

「あはは……あの時は、アレニエさんの助けになりたくて必死でしたから……それになにより、この目が助けてくれたのが大きくて――」

 

 彼女がそう言って自身の顔に右手を当てた時――

 

 コォォォ――……

 

 その右目が見開かれ、青く、淡く、輝きを放った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14節 選んだのは②

「あ……」

 

 リュイスちゃんの右目に、青い光が灯る。それは水のように、あるいは炎のように揺らめき、顔を覆う手の隙間から光を漏れ出させた。

 

 彼女の右目に宿る神の加護、〈流視〉。『物事の流れを視認できる』という、河川の女神より与えられし能力。

 その力は、時折こうして彼女の意思を離れ、ひとりでに開くことがあった。その際に見えるものは、人の生涯や、大規模な災害など、個人の手には余る大きな流れだという。

 

 そして、この目は先刻もひとりでに開き、彼女にある光景を強制的に見せつけたばかりだった。今いるこの国、ハイラント帝国が、魔物と共謀して他国に攻め入るという流れを。

 

「……」

 

 彼女はしばらく右目を片手で押さえたまま虚空を見つめていたが……ややあってからその身体から力が抜け、くたりとその場で倒れ込みそうになる。わたしは慌てて彼女を支えた。

 

「リュイスちゃん……大丈夫?」

 

「う……はい……もう、平気です」

 

 そう言って彼女はわたしから身体を離す。が、まだふらふらと上体を揺らがせていた。

 魔将との戦闘で消耗していたところに、さらに〈流視〉によって魔力を使わせられたせいで、心身が疲弊してしまったのだろう。できれば休ませてあげたいのだけど……

 

「そんなに心配しないでください、アレニエさん。そこまで柔じゃありませんから。今は、それよりも……」 

 

「分かってる。見えた光景の内容、だね」

 

「はい」

 

 彼女は強く頷いてみせる。その視線は思ったよりしっかりしていた。

 

「ハイラントの戦争の流れに、変化でもあった?」

 

「いえ。今回見えたのは、勇者さまの――アルムさんたちの、旅の流れでした」

 

「あ、そっか。わたしたちがルニアを退けたから、未来が変わったんだ」

 

「はい。()き止められていた流れは拓かれ、新たな進路が示されていました。彼女たちはまず、ハイラントを出国します」

 

「出国できたってことは、今やってる戦争も無事に終わったってことかな」

 

「そうなると思います。その後、彼女たちは東に向かい、最端の街アライアンスと、〈無窮の戦場〉に立ち寄って……」

 

「……まさか、戦場直行コース?」

 

 先代の勇者は、魔物ひしめく戦場を力づくで薙ぎ払いながら、正面から踏破したらしいが。

 

「いえ、様子を見るだけに留めたようです。あまり長居はせず、街を出た後は山脈沿いに南下して、山越えのルートで魔物の領土に足を踏み入れていました。そして、その先の魔王の居城に――」

 

「え。もしかして……とうとう、魔王の城まで辿り着くの?」

 

 リュイスちゃんが、コクリと頷く。

 

「そっか、いよいよか。……なんだろ。ここまでやってきたことが実を結んだんだと思うと、ちょっと感慨深いなぁ」

 

「苦労しましたからね……。……ただ――」

 

 ただ。その前置きに続く言葉は、予想できる気がした。ついさっき懸念を抱いたばかりだ。つまりアルムちゃんたちは……

 

「……魔王には、勝てなかった?」

 

 再び、彼女が首肯する。

 

「そっかー……辿り着いたのはいいけど勝てなかったかー……」

 

「どうしましょう、アレニエさん……このままじゃ、アルムさんたちが……」

 

 不安げに尋ねるリュイスちゃんだったが、不意に、何かを思いついたように顔を上げる。

 

「そうだ、今からでも、私たち――いえ、私はともかく、アレニエさんがアルムさんたちに同行すれば、助けられるんじゃありませんか?」

 

「え? うーん……でもわたしたち、人数が増えると潜入しづらくなるとか、勇者が死ぬなんて話を公表できないとかって理由で、陰から助けてるんじゃなかったっけ」

 

「う」

 

「それに、守護者の地位と報奨って、おこぼれをパルティールの貴族たちが取り合ってるし、国の予算も足りないから、下手に増やせないんじゃなかった?」

 

「それは……でも、今はそんなことを言ってられる状況じゃありませんし、報奨は辞退すれば……もちろんその場合、アレニエさんの分は総本山から補填を――」

 

「それはありがたいし、貴族の事情なんて最悪無視すればいいとは思ってるよ。確かにわたしたちが手助けすれば、邪魔する魔物や魔族、あるいは魔将なんかも、撃退できるかもしれない。でも――」

 

「でも……?」

 

「結局、最後に魔王に神剣を突き立てるのは、勇者しかできないわけでしょ? なら根本的な問題として、勇者であるアルムちゃんが強くなるしか、道はないと思うんだよ」

 

「アルムさんが、強くなるしか……」

 

「今までみたいに、わたしたちが先回りして倒せる相手ならよかったんだけどね」

 

 わたしの言葉を受けてリュイスちゃんは、先ほどより少し控えめに口を開く。

 

「だとすると……今からでも合流して、また稽古をつけたり……?」

 

「そうしてもいいんだけど……最近の魔物の増えかた見てると、あまり時間の猶予はない気がする。それに、わたしが教えられる基礎は大体教えたつもりだから、あとは模擬戦を繰り返すくらいしか思いつかないんだよね。だけど、模擬戦はあくまで模擬戦だから」

 

「……実戦の経験が、足りないってことですか?」

 

「稽古でできてたことが実戦でできないっていうのは、リュイスちゃんにも覚えがあるでしょ?」

 

「それは……はい」

 

 自身の初陣を思い出しているのかもしれない。彼女は神妙に頷いてみせる。

 

「実戦の緊張感の中で得られるものって大きいし、稽古だと甘えが出る場合もあるからね。だからほんとは、もう少し魔族とか魔将が襲ってきてたら、アルムちゃんたちの経験になったかもしれないけど……」

 

「……私たちが、その経験を、奪ってきた……?」

 

 リュイスちゃんが愕然とした表情を見せる。

 

「奪わなかったら死んでたんだから、仕方ないとは思うけどね」

 

 だから今は、勇者が命を落とすという最悪の状況からは逃れられているはずだ。

 

「というか、アルムちゃんのこの先の旅で、その経験を積めそうな相手は他に出てこないの?」

 

「どうも、そうみたいです……」

 

「ルニアは?」

 

 先刻までこの場にいた雷の魔将を思い浮かべる。彼女は城に帰還したはずなのだから、アルムちゃんたちの前に立ちはだかってもおかしくないのだけど。

 

「彼女が戦いを挑んでくる様子は、映っていませんでした。アルムさんたちが城に辿り着いてから、ほとんど直通で魔王の元まで通されたみたいで……」

 

「そう……どういうつもりなんだろうね」

 

 短い間しか接触できなかったのもあるけど、それを差し引いても掴みづらい性格の魔族だった。彼女がどういう理屈で行動するのか、読めない。

 

「うーん……そうなるともう、とーさんとやってたアレしかないかな」

 

「アレ?」

 

「ほとんど実戦みたいな模擬戦」

 

「……なんですか、それは」

 

「言葉通りの内容だけど」

 

「……具体的には?」

 

「お互い真剣を使って死ぬ寸前まで模擬戦を繰り返します」

 

「ダメダメダメダメ!?」

 

「えー、ダメ?」

 

「ダメですよ! 下手したら死んじゃうでしょそんなの!」

 

「手っ取り早く強くはなれるよ? ……生きてれば」

 

 実際わたしは、それでかなりの実力を身につけられた。もちろん互いに殺さないようには気を付けるが、死がちらつく緊張感は、模擬戦とはいえ大きな糧を与えてくれる。

 まぁ、わたしの場合〈クルィーク〉が怪我を治してくれていたし、教える側のとーさんが加減が分からないしで、自然とこの方法になっていたんだけど。

 

「強くなる前に死んだら意味ないじゃないですか……魔王の前にアレニエさんが殺す気ですか?」

 

「でも、他に敵が出てこないなら、もうそれぐらいしか思いつかないし…………ん? んー……ふむ?」

 

「アレニエさん?」

 

 敵がいない。山越えルート。〈クルィーク〉。今までみたいに先回り。魔王の前にわたしが殺す。

 バラバラだった欠片のようなものが、頭の中で一つに組み合わさるのを感じる。かすかな興奮を覚えながら、わたしは口を開いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15節 選んだのは③

「敵が出てこない。なら……わたしが敵になればいいんじゃない?」

 

「……はい?」

 

 リュイスちゃんが「何言ってるのこの人」という顔でこっちを見てくる。

 

「いや、ほら。どっちみちアルムちゃんには強くなってもらわなきゃいけないわけでしょ?」

 

「それは、はい」

 

「で、そのためには地道に稽古つけるか、きっつい模擬戦するかなわけじゃない?」

 

「……はい」

 

「じゃあいっそ、わたしが敵になって本気でやり合えばいいかな、って」

 

「そこが分からないんですけど」

 

 リュイスちゃんが困った顔を見せる。本気で理解できないみたいだ。

 

「や、どうせ死にそうな訓練させるなら、より実戦に近い形式のほうが身になるかと思って」

 

「まず死にそうな訓練を遠慮していただきたいんですけど……」

 

 たしなめるものの、対案は思いつけないようだった。彼女は仕方なくそのまま、感じた疑問を口に上らせる。

 

「大体、敵になるって簡単に言いますけど、今さらどうやってアルムさんたちと敵対するんですか? あんなに懐いてくれてるんですよ?」

 

「そこはほら、魔物の側に誘われて引き受けた、とか言えば、簡単に釣られてくれそうな子が向こうにいるじゃない」

 

「あぁ……アニエスさん……」

 

 その様子が容易に想像できたのか、リュイスちゃんがため息をつく。

 

「実際わたしは、ついさっき、魔将にならないかって誘われたばかりの女だしね。完全な嘘でもないでしょ?」

 

「……でも、それで食いつくのはアニエスさんだけなんじゃないですか?」

 

「そうかもね。だから、この子にも手伝ってもらう」

 

 わたしは左手の篭手――〈クルィーク〉に、ポンと手を置く。

 

「〈クルィーク〉を起こして半魔の姿になってみせれば、アルムちゃんたちも剣を向けてくるんじゃないかな。……先代の勇者みたいに」

 

「え……」

 

 リュイスちゃんが、短く息を呑んだ。

 

「そんな……そんなことをしたら、アレニエさんが半魔だって、知られて……」

 

「魔将に力を貰ったとかなんとか言って、適当に誤魔化すよ。実際そういう話も聞いたことあるしね」

 

「でも……」

 

 まだ何か言いたそうな彼女を身振りで制し、わたしは続きを口にした。

 

「そして、あの子たちに本気を出させる最後のダメ押し。――リュイスちゃんに、死んでもらいます」

 

 …………

 

「……私、殺されるんですか?」

 

「わたしがリュイスちゃんを殺すわけないでしょ。フリだよ、フリ」

 

 若干釈然としない顔を見せながら、リュイスちゃんが問う。

 

「殺されるフリって、どうやって……」

 

「アルムちゃんたちは、山を越えるルートで魔物の領土に入るんだよね?」

 

「え? ええ。そのはずです」

 

「山ってことは崖とかあるよね。なら、アルムちゃんたちの進路の適当な場所で待ち構えて、あの子たちの目の前でリュイスちゃんを突き落とせば、殺したわたしに敵意が向くんじゃないかな」

 

「……えーと……その場合、わたしはどうやって助かれば……」

 

「リュイスちゃんなら、法術を駆使すれば自力で対処できると思ったんだけど……ダメかな?」

 

 期待を込めた目で見つめると、最初は「うっ」と怯んでいたリュイスちゃんも、次には諦めたようにため息をつく。

 

「……やっぱり、アレニエさんはずるいです。そんな聞き方されたら…………分かりました。やってみますよ」

 

「うん」

 

 彼女の返答に申し訳なさと満足感を同時に覚えつつ、説明を続ける。

 

「で、十分にあの子たちを鍛えられたと判断したら……最後に、わたしがアルムちゃんに斬られます」

 

「は!?」

 

「斬られた後は、リュイスちゃんと同じようにわたしも崖から落ちる。これなら、半魔だってバレても死んだと思わせられるから、まぁ、大体は誤魔化せるかな、と」

 

「……」

 

 絶句し、呆然とこちらを見るリュイスちゃん。ややあってその口から漏れたのは、どこか呆れたような一言だった。

 

「……滅茶苦茶な作戦ですね」

 

「やっぱり?」

 

 例の如く思い付きで立てたものなので、冷静に見れば穴だらけだろう。

 

「それに、アレニエさんの負担が大きすぎます。成長した勇者一行と一人で戦って、しかも最後はわざと斬られるだなんて。下手をすれば、それこそ死んでしまうかもしれないんですよ? アルムさんだって、アレニエさんが死んだと思えば、きっと悲しみます」

 

「そうだね。悲しんでくれると思う」

 

「……でも、私にはすぐに他の方法は考えつかないし、なによりアレニエさんはもうやる気になってるんですよね?」

 

「うん。今は、これしかないかな、って思ってる」

 

「でしたら、私も覚悟を決めます。……その代わり、約束してください、アレニエさん。決して無茶はしないと。無事に生きて、帰ってくると」

 

「うん。約束する。必ずリュイスちゃんのところに帰ってくるよ――」

 

 

   ***

 

 

 以上、回想終了。そんなことがあったのでした。

 

 その後は、ここまで見てきた通りだ。

 ハイラントを出国したわたしたちは、次に向かったアライアンスの街で神官殺人事件を解決した後、勇者一行が通る予定のレベス山に登り、彼女らを待ち伏せた。

 

 山道に人の気配を感じ、それが目当てのアルムちゃんたちだと確認した段階で、わたしたちの荷物はロープで吊るして崖の下に落としておいた。死を偽装した後も使う予定だったからだ。

 

 そして現れた勇者一行。わたしは、事前に決めていた合言葉、「アルムちゃんたちを待ってた」という台詞を合図に、リュイスちゃんを崖から突き落とし、それを皮切りに戦いは始まり……今に至る。

 

「……」

 

 わたしは地面に身体を横たえながら、こちらの傷を法術で治癒してくれているリュイスちゃんを眺めた。視線が合うと、彼女のほうから声を掛けてくるが……

 

「……アルムさんたちは、無事に鍛えられましたか?」

 

「うん。神剣も使いこなしてたみたいだし、腕も大分上がったんじゃないかな。他の三人も思った以上に強くなってたしね」

 

「そう、ですか」

 

「「……」」

 

 現状の確認をしただけで、すぐに話が途切れてしまう。

 

 彼女とはここ数日ずっとこんな感じだった。必要時以外はあまり会話をしていない。

 アライアンスの街で、わたしがリーリエちゃんを殺して止めたこと。それが確執となり、二人の間の溝になっている。

 

 わたしにとってあれは必要なことだったし、説得が通じる相手でもなかったと思っている。同族であり、共感もできた彼女だったが、神官への恨みの炎はわたしの大事な人をも焼き尽くすほどに強かった。だから――わたしは彼女を斬った。

 

 けれどリュイスちゃんにとっては、過去の経験から忌避していた目の前での死者、しかも見知った相手の最期だ。わたしが手をかけた理由を頭では理解していたとしても、感情のほうが納得できなかったのだろう。

 

 ……いや。わたしだって、一緒かもしれない。彼女がなぜそういった感情を抱くのか理解はできても、心の内では分かってくれないことに不満を抱いている……

 

「アレニエさん……私、決めました」

 

 そうして胸の内にモヤモヤしたものを抱え込んでいたところで、唐突にリュイスちゃんが口を開く。

 

「私、強くなります。もっと自分を鍛えて、アレニエさんの隣に本当の意味で並び立てるくらい、強くなってみせます」

 

「……どうしたの? 急に」

 

 それは、今の状況には関わりない宣言のように思えたが……

 

「だって、そうすれば……アレニエさんは、もう、リーリエさんを斬らなくて、済むでしょう……?」

 

「……リュイスちゃん……」

 

 心臓が、締め付けられる。彼女も同じように悩んでいたのだろうか。

 

「分かっていたんです。アレニエさんがどうしてリーリエさんを斬ったのか。私やライエさんを護るためだった、って。同族を手にかけて、何も感じていないわけがない、って。でも私は、自分の内から湧き上がる気持ちに振り回されて、傷ついていた貴女に、なんの言葉もかけられなかった」

 

「……」

 

「だから、決めたんです。身も心も強くなるって。次に同じようなことがあっても、貴女に言葉を届けられるように。――貴女が、手を汚さなくて済むように」

 

 自分が強ければ――護る必要がなければ、わたしが無理に相手を斬ることもないでしょう。彼女は言外にそう言っている。でも……

 

「……命を助けたからって、全員が改心するわけじゃないよ」

 

「……理想論なのは、分かっています」

 

「それにリーリエちゃんみたいな半魔は、捕縛できたとしても、そのあと処刑されるだけだったと思うよ」

 

「……そうかもしれません」

 

「なら、その後の凶行を止める意味でも、『橋』への手向けの意味でも、その場で斬ってしまうほうがいいかもよ?」

 

「……それでも、私は諦めたくありません。だって、ジャイールさんたちのように、斬らなかったからこそ繋がった縁も、あると思うから」

 

「……それを言われると弱いなー。……でも」

 

 一拍置いてから、わたしはリュイスちゃんと目を合わせて、改めて宣言する。

 

「わたしは、わたしやリュイスちゃんの命を護るために必要だと思ったら、これからも、誰が相手でも、躊躇(ためら)わずに斬るよ」

 

「私は、やっぱり目の前で死者が出るのは、嫌です。アレニエさんにもできれば手を汚してほしくありません。だから、なるべく誰も死なせないように努力を続けます」

 

 二人で、どちらからともなく笑みを浮かべる。

 

「噛み合わないね、わたしたち」

 

「はい。でも、意見が違うのは当たり前なんですよね。私とアレニエさんは違う人間なんですから」

 

「うん。けど、違うからこそ惹かれ合うんだし……一緒にいたいって気持ちは、嘘じゃない」

 

 リュイスちゃんと一緒に、笑顔で頷き合う。彼女が治癒のために掲げていた手に、自分の手を絡める。

 気まずかった数日間を取り戻すように、わたしたちは言葉を交わし合った。

 

 

  ***

 

 

 治療を終えた後、リュイスちゃんはいつものように〈クルィーク〉も鎮めてくれた。そして剣と荷物を回収したわたしたちは、黄昏の森を北上し始めた。

 以前訪れた時より、やはり魔物の数は増加しているようだ。魔王復活の影響が如実(にょじつ)に表れている。

 できるだけ隠れてやり過ごし、そうできない場合は撃退し、数日をかけて森を突破していく。

 そうして、やがて見えた出口で待ち構えていたのは――

 

「――お待ちしておりました、アレニエ様、リュイス様」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16節 首の無い送迎馬車

 出口に辿り着くと、鬱蒼(うっそう)と茂っていた森の樹々も途切れ、拓けた空間が広がっていた。そこから先に見える土の地面には、所々に巨石が鎮座している。アライアンス付近の荒野と似た様子だった。

 

「――お待ちしておりました、アレニエ様、リュイス様」

 

 その出口に、薄紫の短い髪に角を生やした女性の魔族が立ち、私とアレニエさんに向けて深々と頭を下げていた。

 その姿にも声にも憶えがある。しばらく前に遭遇し、命懸けで戦いを繰り広げたばかりの相手だ。雷の魔将、『紫電』のルニア。

 

 彼女の背後には、一台の巨大な馬車が待機していた。

 立派な体格の馬(通常の馬と違い、(たてがみ)が燃えるようになびいていた)の二頭立てで、御者台で彼らの手綱を引いているのは、大柄な体躯に甲冑を纏った騎士だった。

 ――ただし、その身体には本来あるべきものが……首から上が、無かった。代わりにその首からは、緑色の炎が噴き上がっている。

 

「(……デュラハン?)」

 

 話には聞いたことがあるが、見るのは初めてだ。騎士の亡霊とも、悪しき妖精とも言われる、首無し騎士の魔物。彼(?)は片手で手綱を、もう片方の手で兜を被った自身の頭部を抱えていた。

 

 よく見れば馬車も通常の造りではなかった。車輪の中心には太い針が取り付けられており、元は戦車(チャリオット)であることが窺える。その上にキャリッジを乗せて、客人が乗れるようにしているみたいだ。

 

「しばらくぶりでございますね、お嬢様方。変わらずご健勝のようでなによりです。魔王様の居城に向かうのでしょう? どうぞ、こちらにお乗りください」

 

 ルニアは出会った時から変わらない過剰な丁寧語で私たちを馬車へと招く。それに疑問の声を差し挟んだのはアレニエさんだった。

 

「えーと……聞きたいことは色々あるんだけど……まず」

 

「はい?」

 

「――その格好は、何?」

 

 そう問われたルニアの衣服は、白と黒を基調としたエプロンドレスに、足元まで覆うロングスカート。そして頭には髪を押さえるホワイトブリムを被っており、一言で言い表せば、その姿はまるで……

 

「メイドの装束ですが、何か問題がありましたでしょうか?」

 

 そう、メイド。あるいは傍仕えや使用人。呼び方は様々あるけれど、とにかくそういった職種の制服だった。王都の上層で暮らしていると目にする機会が多いので、私にとっては見慣れた服装なのだけど、それを魔将が着ていることにこの上ない違和感を覚える。

 それはアレニエさんも同じだったようで(下層で暮らしている彼女はあまり見る機会はないかと思ったが、存在は知っていたのだろう)、怪訝そうにルニアに問いかける。

 

「いや、問題っていうか……なんでそんなの着てるの?」

 

(わたくし)が魔王様の傍仕えだからですが」

 

「……魔将じゃないの?」

 

「実は兼業でして」

 

「兼業ってあなた」

 

 アレニエさんが少し呆れたように声を漏らすも、ルニアは全く動じずに口を開く。

 

「私は元々、魔王様の身の回りをお世話するために最初期に生み出された魔族です。初めの頃は本当にそれだけだったのですが……勇者様方との戦いで魔将の席に欠員が出るたびに、私が補充要因として駆り出される事態となりまして」

 

「……そのうちに、その席から降りられなくなった?」

 

「有り体に言えば、そういうことですね。イフ様のように何度も復帰される方もおりますが、中には神剣に討ち取られ蘇られなくなった方などもおりまして、なかなか席が埋まらないのが現状です。できれば私も、本来の業務に戻りたいところなのですが」

 

「……魔将もいろいろ大変なんだねぇ」

 

 アレニエさんがどこかしみじみと呟く。

 ひょっとして、ルニアが他の魔将に侮られていたり、常に低姿勢だったりするのは、その出自が理由……? いや、被虐趣味のほうが問題なのかもだけど。

 

「さて、こんな場所で立ち話もなんですし、続きは馬車の中でといたしましょう。どうぞ、アレニエ様、リュイス様」

 

 再び、馬車へ乗るよう促すルニア。アレニエさんは一度、私と顔を見合わせ、しばし悩んだ後……

 

「じゃあ、折角だし乗せてもらおうかな」

 

 こんな形で騙し討ちはしないと判断したのか。アレニエさんの先導で、私たちはデュラハンの御者が引く禍々しい馬車に乗り込むことに…………え、本当に乗るんですか?

 

 

   ――――

 

 

 馬車の乗り心地は意外にも快適だった。しっかりとクッションが効いているらしく、整備されていない悪路だというのに思ったよりも振動は少ない。

 とはいえ、完全に衝撃を吸収できるわけはなく、時折ガタゴトと揺れながら、デュラハン馬車は魔物の領土を疾走していく。

 その馬車の中で、私は緊張と警戒で身を固くしていた。

 

「そんなに警戒されなくとも、手を出したりはいたしませんよ。まだ先日の一件で消耗したままですから」

 

「……」

 

 そう言われても、簡単に気を許せない。

 魔物が引く馬車(馬や馬車自体もデュラハンの一部という説もある)に乗るだけでも気後れするのに、その車内に魔将も同乗しているのだ。その身には、やはり膨大な魔力を纏わせている。消耗していると言われても、はいそうですかと警戒を解けるわけがない。

 

 そんな中、私と違いリラックスした様子で窓の外を見ていたアレニエさんが、ぽつりと呟いた。

 

「なんでわたしたちの居場所が分かったの?」

 

 それは私も気になっていた。誰にも行き先を告げず旅をしていたのに、まるで待ち構えるように彼女は森の出口に立っていた。

 

「数日前、わずかにですがアレニエ様の『死の匂い』が届きましたので、失礼ながらそれを辿って参りました」

 

「あぁ……なるほど」

 

 彼女――雷の魔将ルニアは、悪神から、『他者の死の匂いを感じ取る』という加護を授かっているらしい。それによって居場所を突き止めたということは……神剣による傷が、致命傷だった、ということ……? すぐに治癒しなければ危なかったのだと改めて宣告された気がして、ぞっとする。

 

「でも、その後わたしたちが魔王の城に向かうなんて、どうやって知ったの? 誰にも言った憶えはないんだけど」

 

「魔物の領土に侵入する人間――あぁ、アレニエ様は半魔ですが――の行き先は、(おおむ)ね一つに絞られますから」

 

「……それもそうか」

 

 未だ完成しない世界地図を作成することを求めて、魔物領に足を踏み入れる冒険者もいるらしいが、それほど数は多くないとも聞いている。

 それに、彼らがどうして地図を求めるかと言えば――純粋な意欲という場合もあるが――、その多くは魔王の居城までの道のりを書き記し、ギルドや勇者一行に売りつけるのが目的だという。つまりルニアが言う通り、最終的な目的地は概ね魔王の城になる。私たちもそうだと推測を立てるのは、そうおかしなことでもない。

 

「いや、待って。どうやって突き止めたのかは分かったけど、どうして探してたのかが分からないよ。わたしたちに用でもあったの?」

 

「実を言うとそうなのです」

 

「え……ほんとにそうなの?」

 

「はい。先日、城に帰還した際に事の次第を報告したところ、魔王様はお二人、特にアレニエ様に大変興味を抱かれたご様子で」

 

「何してくれちゃってるの」

 

 ルニアに食って掛かるアレニエさん。それはそうだろう。魔王に目をつけられるなんて、どんな厄介事に巻き込まれるか分からない。

 

「申し訳ありません。魔王様は、私が外に出た際には土産話を好まれるものでして、つい」

 

「ついじゃないよもー。しかも、そのためにわざわざ魔将を使い走りにして呼びつけたの? なんなら自分から来ればいいのに」

 

「えーと……そっちのほうが問題な気がするんですが……」

 

「まぁ、そうだよね。そうなったら大騒ぎに――」

 

 と、不意にアレニエさんが、神妙な表情で疑問を口にする。

 

「……大騒ぎになるし、きっと記録にも残るよね。でも……そんな話、聞いたことない」

 

「え? ……あ」

 

「城で待ち構えて勇者と戦う話はよく聞くのにね。なんでかな?」

 

「……言われてみれば……」

 

 私も頭に疑問符を浮かべながら相槌を打つ。確かに、魔王が城の外に出たという話は、私も耳にしたことがない。記録を目にしたこともない。

 なんとはなしに、この場の視線がルニアに集まる。が、彼女はただ薄く微笑むだけだった。

 

「どうぞ、その疑問は魔王様に直接お訊ねください。きっと、喜んでお答えになってくださいますよ」

 

 つまり、今答える気はないということだろう。

 アレニエさんは少しの間ルニアの顔を眺めていたが、すぐに気を取り直したように息を吐く。

 

「ま、いいか。話のタネになりそうだしね。後の楽しみにとっておくよ。なんせ、折角の魔王と会話する機会、だからね。普通なら勇者一行しかできないことだもんね」

 

「……そう、なんですよね。私たち、今から本当に魔王に会いに行くんですよね……」

 

 その事実が、今さらのように急速に実感を伴ってきた。さっきまでの警戒や緊張とは違う種類の動悸が、胸を打ち始める。

 

「そういえば、お二人が城へ向かっているのは察していましたが、なぜ目指しているかは、まだ伺っておりませんでしたね。お聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

「あー、まぁ、言ってもいいか。今さらそんなことで止めようとはしてこないだろうしね。わたしたちは――」

 

 

   ***

 

 

「……その代わり、約束してください、アレニエさん。決して無茶はしないと。無事に生きて、帰ってくると」

 

「うん。約束する。必ずリュイスちゃんのところに帰ってくるよ。……それはそれとして、もう一つ思いついたことがあるんだけど」

 

「はいはい。もうなんでも言ってください」

 

「ありがと。それじゃ、一つ提案なんだけど、二人して崖から落ちた後には、そのまま北上して魔物の領土に入ってみない?」

 

「? それは、どうして……?」

 

「うん。アルムちゃんが魔王を倒すための最後の念押しに……――――」

 

「…………は!?」

 

 

   ***

 

 

「わたしたちは――魔王に、ケンカを売りに来たの」

 

 アレニエさんがいつもの柔らかな、けれど不敵な笑みを浮かべながら発したその宣言に、魔王に仕える立場の雷の魔将は……

 

「……ほほう?」

 

 目の前で笑うアレニエさんに引きずられるように、彼女もその顔に笑みを浮かべるのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17節 謁見

 走り続けていた馬車が少しずつ速度を落とし、やがてゆっくりと停止する。

 

「到着しました。――どうぞ、お嬢様方」

 

 そう言うとルニアは一足早く馬車を降り、私たちが降りるのに合わせて扉を開け、外へと招く。

 

「よっ、と。んんー……」

 

 先に降りたアレニエさんが、身体をほぐそうと伸びをする。長い馬車旅で強張ったその身からは、あちこちからパキポキと音が鳴っていた。

 私も後に続いて馬車を降り、着地する。が、

 

「っ、とと」

 

 ずっと乗り物に乗っていた反動か、地に足がつかないようなふわふわした感覚があった。慌てて車体に手をついてバランスを取る。

 

「大丈夫? リュイスちゃん」

 

「……はい。もう平気です」

 

 アレニエさんに返答し、しっかりと自分の足で立つ。彼女の隣に並び立つと誓ったばかりなのだ。心配ばかりかけていられない。

 

 改めて、周囲を眺める。

 

 私たちが今いるのは小高い丘のような場所で、他より一段高くなっており、周囲の景色がよく見えた。

『戦場』の噂で聞いていた通り、辺りは草木も生えない荒野だった。乾いた土と、まばらに地面に散らばる岩が私たちを迎える。

 

 その荒野に、街があった。

 

 パルティールやハイラントの王都と比べれば規模が小さい(住民の数が少ないのかもしれない)が、人間の街と同じように建物が一か所に集中している。知能の低い魔物が建設するとは考えづらいし、魔族の居住区なのかもしれない。

 

 街の外では大小様々な姿の魔物たちが闊歩(かっぽ)し、一様に西の方角に向かって歩みを進めている。その先にあるのは〈無窮の戦場〉だろう。私たちは今、人類軍が渇望する係争地、その向こう側に足を踏み入れているのだ。そして、なにより……

 

「……」

 

 間近にそびえ立つその城を見上げる。

 

 高さは、六階か七階ほどだろうか。ギザギザに尖った山のようにも見えるその外観は、いくつもの尖塔が並んでいるためにそう見えるみたいだ。

 

 黒い外壁は石材とも金属ともつかず、地面との継ぎ目も分からない。まるで大地から直接生えてきたかのようだった。

 

 城壁はなく、堀もない。城を護るための施設は何もないように見える。

 そして城門は、非常に巨大だった。大型の魔物でも入れるようにだろうか?

 

 どこから見ても違和感のある城の偉容に目を奪われ、私はしばらくそれを眺め続けた。 

 

「お二人共、長旅でお疲れでしょう。まずは城内でお休みください」

 

 その声に、慌てて気を引き締め直し、城の入口に足を向けた。

 

「じゃあ、行こうか。リュイスちゃん」

 

「……はい」

 

 先導するルニアが近づくと、城門がひとりでに開き始める。私たちは彼女の後に続いて、魔王の居城に足を踏み入れた。

 

 

   ***

 

 

 応接室(があることに少々驚いたが)に荷物を置き、そこで少しの間待つことになった。

 

「こちらにも、少々準備というものがありますので」

 

 そう言いながら、ルニアは私たちにお茶を振る舞い(アレニエさんが念の為にと毒見していたが、大丈夫だった)、しばらく休むことを勧めてから退室した。準備が整ったら呼びに来るということなのだろう。

 体を休め、心を整え、武器を(あらた)め……その時が来るのを待った。

 やがて、再び訪れた雷の魔将に連れられ、私たちは城内を移動する。

 

 コっ、コっ、コっ――

 

 ルニアが打ち付ける規則正しい足音が、広い廊下に響き渡る。

 それが気になる程度には、城内は静かだった。移動の間、他の魔物や魔族の姿も見かけない。

 

「静かですね……誰もいないんでしょうか」

 

 不安を吐き出すように、隣を歩くアレニエさんに声を掛けると、

 

「いや、いるみたいだよ」

 

「おりますよ」

 

 いるんですか。

 

「少しだけど、視線とか物音とか匂いとか、あちこちから感じてる。遠巻きにこっちを見てるみたいだね」

 

「ええ。なんと言っても、お二人は魔王様の客人ですからね。皆様興味津々のようですよ」

 

 そう言われて改めて気配を探ってみると……アレニエさんの言う視線や物音などは分からなかったが、魔力は遠くからかすかに感じられた。しかも……

 

「……なんだか、結構な数の気配を感じるんですが……」

 

 もし、ここで一斉に襲い掛かられたら……

 

「ご心配なく。客人に手を出さないよう、魔王様から厳命が下っておりますからね。お二人に危害を加えることはありませんよ。――さて、到着いたしました」

 

 ルニアが指し示す先に現れたのは、城門と同等に巨大な扉。城の外壁と同様、石とも金属ともつかない素材のその扉は見るからに重く、内部と外部を隔絶する結界のようでもあった。そして――

 

「――っ……!」

 

 扉越しにも感じるのは、膨大な魔力。それも、傍にいる魔将のものより遥かに強大で、禍々しい……

 

「ここが、玉座の間です。この先で魔王様がお待ちしておりますよ」

 

 ルニアが扉に近づくと、やはり城門と同じように、重厚な扉がひとりでに開いていく。重々しい音を立てながらゆっくり開くのに合わせ、内部から漏れ出す魔力がさらに濃密になっていく。……背筋が冷え、足がすくむ。

 

 思わず縋るようにアレニエさんを見る。魔力を感知できない彼女は、平然としているようにも見えたが……

 

「(……アレニエさん、緊張してる……?)」

 

 魔力は感じられなくとも、なんらかの物理的な圧力は感じているのかもしれない。その表情はわずかに強張り、頬から一筋汗を垂らしていた。彼女は、徐々に開く扉に視線を向けながら……

 

 ギュっ

 

「……!」

 

 私の手に指を絡め、握り締めてくる。強く、強く、不安を抑え込むように。

 

「……」

 

 考えてみれば、当たり前かもしれない。

 特異な生い立ちと類稀(たぐいまれ)な実力はあれど、彼女は超人じゃない。全てを救う絵本の勇者でもない。その精神の根幹は、あくまで私と同じ人間のものだ。通常であれば出会うはずのない魔王という存在に、わずかにでも気後れしたとしてもおかしくない。

 

 そして……そんな時のために、私がいるのだ。私も扉に顔を向け直し、彼女の手を握り返した。強く、強く、安心させるように。

 

「――」

 

 彼女の手から強張りが消えた気がする。次には優しく握り返してくる。それを待っていたように、目の前の扉が完全に開き切った。

 

「どうぞ、こちらへ」

 

 私たちは手を離し、先導するルニアに続いて扉を潜る。

 

「――……」

 

 広い空間だった。天井は高く、壁までが遠い。ちょっとした運動場ほどはあるかもしれない。

 壁には等間隔に炎が灯り、内部を(ほの)かに照らしていた。火は不可思議な紫色で、明るさよりも不気味さを感じさせた。

 そして最奥に、玉座へ続く階段があった。それは謁見する者を上から睥睨(へいげい)する、支配者の象徴にも思える。

 ルニアはその階段よりかなり手前で立ち止まったため、私たちも歩みを止めた。

 

「アレニエ様とリュイス様をお連れしました……魔王様」

 

 魔将が深く頭を下げるのとは反対に、私たちは階段の上を見上げた。

 段上に置かれた玉座は、所有者の地位に比べれば簡素な造りに見えた。傍らには長大な両刃の戦斧が立て掛けられている。そこに座す主は、大儀そうに口を開き……

 

「――ご苦労だったな」

 

 堅い、威厳に満ちた口調。しかし存外、声は高い。そこにいたのは――

 アレニエさんとそう歳の変わらない見た目の、女性の魔族の姿だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18節 楔

 玉座に腰掛けているのは、見た目にはアレニエさんと同年齢程度の女性だった。

 

 うなじの辺りで切り揃えられた髪は、血のような暗い赤。両の瞳は、部屋を照らす炎の色と同じ、紫だ。

 肌は白い。人間とあまり変わらない、色素の薄い綺麗な肌だった。色白で豊満なその身を、赤と黒を基調としたドレスで飾り付けている。

 ただし、耳は尖り、頭部には二本の捻じれた角が生えている。魔族であるのは疑いなかった。角の片方には小さな王冠が掛けられていた。

 

「お前たちが、ルニアが言っていた半魔と人間――アレニエとリュイス、だな。招待に応じてよくここまで来たな。この城に客人を招くのは初めてのことだ。歓迎しよう」

 

 見た目通りに若い女性の声。けれど見た目にそぐわない尊大な口調。頭は軽く混乱し、さらに部屋を埋め尽くすような濃密な魔力に息が詰まる。彼女が――

 

「あなたが――魔王?」

 

 すぐ隣から聞こえてきたアレニエさんの声に、呪縛から解けたような安堵を覚える。ただ、その声は少し意外そうな響きを帯びていた。

 

「そうだ。(わらわ)が魔王ヴィミラニエ。この城の主だ」

 

 魔王――ヴィミラニエは名を告げると、次には口元に笑みを浮かべながらアレニエさんに問いかける。

 

「意外そうな顔をしているな。醜悪な怪物の姿でも想像していたか?」

 

「んや。どっちかっていうと……綺麗だな、と思って見てた」

 

 その言葉に魔王は――

 

「フ――ハハハ! 綺麗か! ハハハ! 妾にそんな台詞を吐いた者は、これまで誰もいなかったぞ! ハハハハ! ルニア、お前の言う通り、面白いやつだな、こやつは」

 

「恐縮です」

 

 賛辞を受けたルニアが(うやうや)しく頭を下げるのを横目に、アレニエさんは疑問を口にする。

 

「わたしたちが、初めての客人? 勇者は?」

 

「奴らは城に忍び込む暗殺者にすぎん。招いた憶えはなく、客人でもない」

 

「そっか、確かにあなたから見ればそういうものかもね」

 

 納得するんですかアレニエさん。

 

「中でも先代の勇者は血気盛んだったな。会話は通じず、とにかく我らを殺すの一点張りだ。聞けば例の『戦場』で散々魔物たちを殺し回ってから、この城までやって来たというではないか。よほどの恨みがあったのだろうな」

 

「あ~……」

 

 アレニエさんが仕方ないというような声を上げる。彼女自身、先代勇者と遭遇したことがあるため、その様子が脳裏に浮かんでいるのだろう。

 その際には彼は、アレニエさん(まだ十歳程度の子供だった)が半魔だと判明した瞬間、殺意を露わに斬りかかってきたという。それがましてや、相手が魔物たちの王ともなれば。それに向ける殺意がどれほどのものか、私では想像もつかない。

 

「さて、こちらの招待に応じたということは、お前たちにも何か望むものがあるのだろう。今の妾は気分がいい。遠慮せずに申してみよ」

 

「そう? それじゃあ、魔王――って呼ぶのもなんだかな。ヴィミラニエ――も、ちょっと言いづらいかな」

 

「好きなように呼ぶがいい」

 

「じゃあ、ミラで」

 

 怖いもの知らずですか、アレニエさん……!?

 

「構わんぞ。愛称で呼ばれるのも初の経験だな」

 

 いいんだ……

 

「じゃあ、ミラ。本題の前に、ちょっと気になったことがあるから聞きたいんだけど……あなたはこれまで、自分から城の外に出てどこかに攻め入ったことは、一度もないよね。どうして? 下手に外に出て勇者に討たれないように、とか?」

 

「ふむ、それか……当たらずとも遠からずだが」

 

 魔王は、一拍置いてから口を開いた。

 

「妾はな、この城を出られぬのだ」

 

「出られない? それは、状況的に……?」

 

「物理的にだ。この城から出ようとすれば、城に張られた結界によって、妾の身は押し戻されてしまう」

 

「魔王でも、破れない結界……?」

 

 そんなもの、一体誰が……

 

「妾は、この物質世界に打ち込まれた(くさび)だ」

 

 楔……物質世界……?

 

 混乱する私たちをどこか面白そうに眺めながら、魔王が口を開く。

 

「生物が、肉体と精神から成っているのは理解しているか?」

 

「それくらいは、まぁ」

 

「非物質の世界については?」

 

「えーと……前にイフがそんなこと話してたような……世界に触れる手を失った神さまは、同じ非物質の精神を介さないと、この世界に干渉できないとかなんとか」

 

「そうか。ならば話は早い。世界は二つある。今我々がいる物質世界と、神々や死した精神が偏在する非物質の世界――いわば霊的世界だ。ここまではいいか?」

 

「うん、なんとか」

 

 私も、なんとかそこまでは……

 

「二つの世界は重なり合っているが、基本的に互いに干渉はできない。今お前が述べた通り、霊的世界にいる神々は、物質世界にいる我々に直接手出しができない。例外は、この物質世界にありながら非物質なもの――つまり精神だ。精神を介した現象は、互いの世界に干渉できる」

 

「精神を介する……神への祈りや、魔術など、ですか?」

 

 気になってつい口をついて出てしまった。しかし魔王は気分を害した風もなく、私の疑問に答えてくれる。

 

「それに加護もだ。あれは個人の精神に術式を刻み込み、神々の権能の一端を間接的に貸し与える技法だからな」

 

 私は思わず右目に意識を向ける。今の話からすれば、私という精神に〈流視〉の術式が刻み込まれてる、ということ?

 

「話が逸れたな。今重要なのは、二つの世界における精神の移動だ」

 

「移動?」

 

「生物の精神は肉体が死した際、強制的に霊的世界に引き戻される。それが時を経て循環し、再び物質世界に降り立ち、肉体と生命力――アスタリアの火を得ることで、新たな命が生まれる。それはアスタリアが創り出した世界の(ことわり)――天則の一つだ」

 

 だが――と、魔王は言葉を継ぐ。

 

「だがアスティマは、そこに新たな仕組みを付け加えた。悪しき精神とアスティマの穢れが一つになり、魔物が生まれるという理を。そして妾という楔を打ち込むことで二つの世界を強引に繋ぎ、その理を加速させた。意図的に多量の魔物を生み出す術式……世界の法則を書き換える大魔術――魔法だ」

 

 魔法……

 

「これが、妾が楔だといった理由だ。妾の存在を中心に魔物は生まれ、その後も増え続けていく」

 

「それが、魔王が目覚めると魔物が増殖する仕組み……でも、それと、この城に張られた結界の関係は……?」

 

 アレニエさんの疑問に、魔王は少し自嘲気味に口を開いた。

 

「楔としての機能が発揮されるのは、この魔王の肉体が生きている間だけだ。つまり神剣によって妾が殺されることで、不自然な魔物の増殖は止まる。アスティマはそれを嫌がったのだろうな。お前の言う通り、妾が迂闊(うかつ)に外に出て討たれぬようにと、この城に閉じ込めたのだ」

 

 魔王の表情が、かすかに歪む。

 

「忌々しい。おかげで妾は、この城以外の世界を知らぬ。わずかな楽しみは、配下からの土産話と、百年ごとに乗り込んでくる勇者どもとの戦いだけだ」

 

「それで娯楽に飢えてるんだ……ん? 勇者と戦うのは、一応楽しみにしてるの?」

 

「ほんの暇つぶし程度だがな」

 

「じゃあ、なんでルニアは、勇者に刺客を送り込んで何度も殺そうとしてたの? 城に招いたほうがミラは喜ぶんじゃ?」

 

「それはもちろん、魔王様の御身をお護りするのが(わたくし)の本懐で――」

 

「こやつはな」

 

 表情を変えずに発したルニアの台詞を、魔王が途中で遮った。

 

「こやつは、あえて妾の命に逆らい不興を買うことで、自らが罰を受けることが目的なのだ。妾の身を護るというのも本心ではあるがな」

 

 えぇ……

 

「……そういやあなた、被虐趣味の人だったね」

 

「お恥ずかしい限りです」

 

 ちっとも恥ずかしくなさそうなんですがこの人。

 

「さて、聞きたいことは他にあるか? お前はどうだ? 神官の娘。リュイスといったか」

 

「え……わ、私ですか?」

 

 魔王に話を振られる人間って、もしかしたら私が史上初かもしれない……

 そんなことを思い狼狽しつつも、私はここまでのやり取りを目にして、一つの可能性を抱いていた。全身にまとわりつく緊張や恐怖を振り払うように、彼女に視線を向ける。

 

「……その……それでは、魔王さん」

 

「その呼び方も新鮮だな」

 

「え、と……先ほどから見ていると、貴女からは、望んで戦をしようという様子はあまり見られない気がします。でしたら、貴女から命令すれば、魔物や魔族を退かせることもできるのではありませんか?」

 

「ほう? それは、人類と停戦し、共存しろということか?」

 

「そうできたら、とは思っています……」

 

 私の言葉に魔王は、やはり面白そうに笑みを浮かべる。

 

「クク、まさか、我らを滅ぼすことを是とするアスタリアの信徒から、そんな提案をされるとはな。お前も面白い。……が、結論から言えば、それは意味がない」

 

「意味がない?」

 

「確かに妾は戦に興味がない――この城より外の出来事に関与できぬからな。そして妾が命じれば、一時的に戦は止まるかもしれぬ。だが、アスタリアの被造物を攻撃する、その本能を刻まれた魔物共を、いつまでも命令一つで押さえつけてはおけん。空腹の身で目の前の食事を我慢することは難しかろう?」

 

「……それは……」

 

「そして妾が生きている限り、妾の意思とは関わりなく、魔物は生まれ続ける。人間共は、それを放ってはおけまい。特に、お前たち神官は」

 

「そう……ですね」

 

 少なくとも一般的な神官は、魔物を討つことを善行だと認識しているし、恨み憎しみから敵対する人も多い。そうでなくとも魔物を放置しておけば、必ずどこかで被害が生まれる。それを防ぐには、争いは避けられない……

 

「故に、意味がない。人と魔の争いは、なんらかの決定的な契機が訪れるまで、この先も永劫(えいごう)終わらぬことだろう。それまでは、どちらが勝とうと構いはしない。さしあたって妾にできるのは、城に乗り込む勇者共を迎え撃つことだけなのだからな」

 

「……」

 

 もしかしたら、と思ったけれど、やはり勇者と魔王の争いは避けられないらしい。なら……覚悟を決めるしかない。

 

「さて、初めての客人との会話も愉快だったが、そろそろ本題とやらに入るとしよう。妾の招待に応じたお前たちは、何を求めてここに来た?」

 

 その問いに、私は身を固くする。アレニエさんもかすかに緊張しているのか、拳を握りながら笑みを浮かべる。

 

「わたしたちはね、あなたにケンカを売りに来たの」

 

「ほう、ケンカ? 殺し合いではなく?」

 

「神剣を持たないわたしたちじゃ、あなたは殺せない。殺し合いにはならないでしょ?」

 

「ならば、一方的な殺戮(さつりく)か?」

 

「こっちも死ぬ気はないよ。わたしたちは、少なくとも二人の魔将を倒した実績がある。あなたが相手でも生き延びてみせるよ」

 

「クク……それは楽しみだ。なるほど、どちらも死なぬなら、それはただのケンカに過ぎないというわけか。そうか、ケンカか。これも初めての経験だな」

 

 魔王の口調は少し楽しげだった。そして次には、不可思議そうに問いかける。

 

「だが……これはいわば、始めから勝ち目のない戦だ。お前がそんなものに挑む理由はなんだ?」

 

 疑問はもっともだ。私も最初に聞いた時は耳を疑った。その時をなぞるように、アレニエさんは()き明かしを始める。

 

「ちょっと、考えたことがあるんだよね。――「魔王は神剣でしか倒せない」。けど……他の手段でも、傷はつけられるんじゃないか、って」

 

「ほう?」

 

「もし傷がつけられるのなら、あなたはそれを癒すために魔力を消耗する。もちろん、攻撃のための魔術を使ってもそれは同じ。だったら、わたしでも、あなたを弱らせるくらいはできるかもしれない。そうすれば後は……これから来るはずの勇者が、あなたを倒してくれる」

 

「なるほど。お前はそのための犠牲になるというわけか。健気なことだ。そこまでの価値が、今の勇者にはある、と?」

 

「価値がどうとかは分からないけど……少なくともわたしは気に入ってるし、助けたいと思ってるよ。……で、どうかな。神剣以外じゃ傷もつけられないって言うなら、このままおしゃべりして帰るだけなんだけど」

 

「クク、そう言うな。折角の楽しげな申し出なのだからな。あぁ、お前の言う通りだ。通常の手段でも妾を負傷させることはできる。それならば、ここで戦う意味も生まれるだろう?」

 

「そう……なら、やるしかないよね」

 

 魔王は玉座から立ち上がり、立て掛けてあった戦斧を片手で軽々と握る。それを手に、コツ、コツ、と靴音を響かせながら、階段を降りてくる。アレニエさんはそれを見ながら半身に構え、軽く腰を落とした。

 

 階下に降りた魔王は、まず配下の魔将に顔を向ける。

 

「ルニア、お前は控えていろ。妾の楽しみを奪ってくれるなよ」

 

「承知いたしました」

 

 するとアレニエさんもこちらを向き、私にとっては予想外の台詞を吐く。

 

「リュイスちゃんも、最初は下がってて」

 

「えっ……ど、どうしてですか……!? 私も、一緒に……!」

 

「ミラが――魔王が、どれだけの力を持ってるのか、わたしたちは全然知らない。だから、最初は様子見に徹したほうがいいと思ってさ。それには、わたし一人のほうがやりやすい。わたし一人で片が付くなら、そのほうがいいしね」

 

「でも……」

 

「それに……リュイスちゃんには、まず冷静に、ミラの動きを観察しててほしいんだ。きっと、その『目』で見ることに意味がある。そのあと、やっぱりわたしだけじゃ無理だと思ったら、いつでも参加してくれていいからさ」

 

「……」

 

 こういう時のアレニエさんは頑固だ。もう意見を(ひるがえ)しはしないだろう。それに彼女がこう言いだすのは、なんらかの勝算があってのことかもしれない。

 

「……分かりました。けど、それなら私が参加するまで、いえ、参加した後も、絶対に死なないでくださいね、アレニエさん」

 

「うん。頑張るよ」

 

「そういうことなら、ルニア。それまでリュイスを護ってやれ。気を取られて戦に集中できなくては困るからな」

 

「かしこまりました。それではリュイス様。こちらで共に観戦いたしましょう」

 

「え、あ、はい」

 

 観戦って言ったよこの人。

 

 魔将に連れられ、私は壁際まで下がる。それを見届けた二人が、互いに目線を交わし合い……

 

「行くよ」

 

「来るがいい」

 

 なんの気ないその言葉が、開始の合図となった。――魔王とのケンカが始まる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19節 魔王①

 私は一度目を閉じ、右目に意識を――そして魔力を集中させる。彼女に言われた通り、この『目』で魔王の動向を見極めるために。瞳を開き、視界に二人の姿を収めたところで――

 

「まずは、小手調べだ」

 

 言葉と共に、魔王が頭上に掲げた戦斧の先に膨大な魔力が集まり、黒い光のようなものが灯っていく。その様はまるで……

 

「(まるで、闇が凝縮されていくみたい……)」

 

 それはやがて、人間の頭ほどの大きさの黒い球体となり……アレニエさんが立つ場所目掛けて、撃ち出される。

 

 フオン――

 

 速さはあまりない。ルニアの雷撃などに比べれば、避けるのは容易いだろう。実際アレニエさんはその場から飛び退き、危なげなく黒い球体から身をかわす。ただ……

 気になったのは、球体の大きさに対して、アレニエさんが必要以上に大きく避けているように見えたこと。未知の攻撃に触れないよう念を入れたのか。それとも彼女の動物的な勘が、はっきりとした危険を訴えたのか。

 果たして、球体が先刻までアレニエさんが立っていた地面に到達し、触れた瞬間――

 

 ズアア――!

 

 封じ込められていた闇が爆発したように膨れ上がり、周囲を一瞬で呑み込んだ。

 

「――!」

 

 戦慄する。と共にアレニエさんの慧眼(けいがん)に感服する。

 もし私が初めから戦いに参加していたなら、あの黒い球体に対して法術の盾で身を護ろうとし……爆発に呑まれていただろう。込められた魔力の量を思えば、触れて無事に済むとは到底考えられない。実際、爆発した箇所は大きく抉ら……

 

「……あれ?」

 

 ……れてはいなかった。玉座に続く路――外壁と同じく石とも金属ともつかない素材でできた床には、傷一つついていない。

 

「この城は、魔王様を閉じ込める物理的な結界ですから」

 

 急に聞こえてきた魔将の声にビクリとしながらも、気になったことを聞き返す。

 

「城自体が、結界?」

 

「はい。城を形作る全ての建材が、魔王様のお力にも耐える未知の素材でできているのです」

 

「それで、床に傷もつかずに……力づくで城を出ることも叶わないんですね……」

 

 その状況と、総本山に軟禁されていた自身の境遇とをにわかに重ね合わせて見てしまう。いや、彼女に比べれば、私のほうがよほどマシだ。〈流視〉を秘匿するという条件はあるものの、こうして外に出ることを許されているのだから。

 

 そんな話をしている間にも、戦況は推移していく。

 魔王は再び斧の先に黒い球体を生み出していた。今度は二つ同時にだ。それらはアレニエさんを左右から挟み込むように飛来するが……

 

「……ふっ!」

 

 アレニエさんは手品のように投擲用のダガーを二本取り出し、短い呼気と共に二つの球体それぞれに投げつける。ダガーが球体に触れた途端、その場で闇が膨れ上がり、二者の視界を遮る。

 その瞬間を逃がさず、アレニエさんが大きく横に跳んだ。魔王の視界の外に逃れ、そこから一気に接近し……抜き放った愛剣で、魔王の首目掛けて一閃する。

 

 キン――!

 

「お――……?」

 

 魔王がわずかに驚いた声を発する。その首と胴は確かに断ち切られ、遅れて胴体から落ちそうになる。が……

 

 ズズ……

 

 生き物のように(うごめ)く血が落ちかけていた首を引き止め、胴体と繋げ、即座に傷跡も残さず修復してしまう。尋常じゃない再生力だ。

 アレニエさんはその結果を認識しているのかいないのか、剣を振るった体勢から即座に反転。いつのまにか左手で抜いていた短剣を魔王の心臓に突き立てる!

 

「ぐっ!?」

 

 首を斬られた時より苦しげな声を漏らす魔王。その身に突き立てられた短剣には見覚えがあった。あれは、イフとの戦いでも使っていた――

 

「ク、ハハ……! 一撃で首を落としたうえに、銀か! ケンカと言っていた割に、容赦がないな!」

 

「どうせあなたは、それくらいじゃ死なないでしょ!」

 

「ああ、そうだ! (わらわ)の死に到達する刃は神剣のみ!」

 

 二人は斬り結び合いながら声を投げ掛け合う。魔王が片腕で振るった戦斧をかわし、アレニエさんが後方に下がる。

 

「だが痛みはある。――グっ……! ……クク、久方ぶりの痛みだ。先代の勇者以来ということは十年ぶりか」

 

 魔王は言いながら胸に刺さった銀の短剣を引き抜き、放り投げる。傷口から赤黒い血が噴き出し、玉座の間の床に小さな血溜まりを作る。が、流血はすぐに止まり、傷も塞がってしまう。それを見たアレニエさんがわずかに渋い顔をする。

 

「十年ぶりの痛み、もっと噛み締めたら?」

 

「そう言うな。ルニアと違い、妾は苦痛に悦びを見出す性質(たち)ではないのでな。存分にケンカを楽しむためにも、傷は癒すとも。それにこれは、お前の望みでもあるだろう?」

 

「……そうだね。傷を癒すだけでも、あなたは魔力を消耗する。確実に弱っていく、はずなんだけど……まだまだ先は長そうで、ちょっと嫌になるなぁ……」

 

「ハハ! そうとも! まだケンカは始まったばかりだ!」

 

 笑い飛ばしながら、魔王は三度(みたび)、黒い球体を作り出す。

 同時に五つ、魔王を取り囲むように並んだそれらは、次には地面と水平に、アレニエさんの退路を塞ぐように広がって飛来してくる。

 

 アレニエさんは右手に握っていた愛剣を鞘に戻し、両手で次々とスローイングダガーを取り出し、迫る球体目掛けて投擲していく。目標に到達する前に迎撃され、爆発していく黒い球体たち。が……

 その奥から、新たな黒球がいくつも生み出され、アレニエさんへ狙いを定めていた。

 

 これまで見た通り、彼女の腕ならさほど迎撃は難しくない。が、そのための道具には――当然ながら――数に限りがある。

 アレニエさんもそれは理解していたのだろう。新たに迫る球体に対して迎撃ではなく、回避を選ぶ。決して球体に触れないよう逃げ回りながら、左手の黒い篭手に右手を添え、唱える。

 

「《――獣の檻の守り人! 欠片を喰らう(あぎと)!》」

 

 走り去る彼女を追って、黒球が床に触れる。爆発するように膨らむ闇を背に、彼女は詠唱を続ける。

 

「《黒白(こくびゃく)全て噛み砕き、等しく血肉に変えるもの!》」

 

 封印を解くための四行詩。彼女の声と言葉を鍵に、それは眠りから目覚める。

 

「起きて……〈クルィーク〉!」

 

 彼女の左手の黒い篭手――〈クルィーク〉が起動し、アレニエさんが半魔の姿を(さら)け出す。その瞬間、彼女は一度ビクリと身体を強張らせるが……何かを振り払うようにまた走り出す。

 

〈クルィーク〉はアレニエさんの魔族化を防ぐため、普段は休眠状態で彼女の魔力を全て食べ続けている。彼女が魔力を持たないのは、それが理由だ。

 そのため彼女は、魔力を感じる感覚器官――魔覚に、なんの感触もないままで、日々を過ごしている。視覚で言えば、ずっと目を閉じているようなものだ。そして、使わない感覚は鈍っていく。

 

 今、半魔の姿を解放した彼女は、閉じていた目を急に開いたようなものなのだろう。玉座の間に溢れる魔王の魔力をその身に感じて、身体が驚いたのだ。恐怖すら覚えたかもしれない。

 けれど彼女は、それらを振り払って魔王に立ち向かっていく。背後から追って来ていた黒球を肥大化した左掌で受け止め――

 

 ズ……

 

 触れた際の爆発も押さえ込み、その魔力を喰らっていく。〈クルィーク〉の特性の一つ、『魔力の吸収』だ。

 

「それが、お前の半魔としての姿か! ならば、これはどうする!」

 

 魔王が前方に掲げた斧の先に、先ほどよりも数を増した黒い球体が生み出され、射出される。全部で八つ、九つもあるだろうか。それらは網のように広がり、アレニエさんを呑み込まんと迫ってくる。

 

 足を止めた彼女はそれを冷静に眺め、左手を前方に掲げる。その手の先に、先ほど喰らった魔力が集まり、無数の短剣の形状をとって中空に並び――撃ち出される。

 

 もう一つの特性、『魔力の操作』。それによって生み出された短剣は、風切り音を鳴らして飛び、黒球を迎撃、爆破させる。連なって爆発するその様を見て、宙に黒い花が咲いたようだと、場違いな感想を抱く。

 

 その黒い花の側面に向かって、アレニエさんは再び短剣を生み出し、射出。大きくカーブさせて向こう側にいる魔王を狙う。

 そしてアレニエさん本人は、未だ視界を遮っている黒い花に向かって跳んだ。魔力の足場を生み出し踏み台にすることで、疑似的に空を駆けていき、膨れ上がった闇を飛び越えて向こう側に侵入する。

 

「効かぬぞ、この程度っ!」

 

 爆発を迂回させて飛ばした短剣が、魔王の元に到達。彼女はそれをあろうことか素手で受け止め、容易く防ぐ。その視界は今、消失しかかっている闇の側面に向けられており……

 アレニエさんはその隙を突き、遥か高度から魔力の足場を蹴って急降下。落下の勢いを乗せた斬撃を振るう。

 

 ザン――!

 

 斬撃は、魔王の左肩から胴体までを、一気に切り裂いた。

 

「なっ……!」

 

 視界の、そして意識の外から降ってきたアレニエさんに、魔王が驚きの声を漏らすのが聞こえた。その声が消える前に――

 

「しっ!」

 

 いつもの逆手から順手に持ち替えたアレニエさんが、剣を横一閃に振り抜く。

 

「ぬ……!」

 

 十字に切り裂かれた魔王の身体から、赤黒い液体が噴き出す。その傷を即座に再生しながら、魔王は右手一本で戦斧を振るう。が、アレニエさんは後ろに大きく跳び退(すさ)ってかわし、空中に造り出した魔力の足場を蹴って跳躍。さらなる追撃を加える。

 

「ぐ……!」

 

 アレニエさんは止まらない。斬りつけ、魔力の足場を造り跳躍。反転して左の鉤爪を振るうと、足場を蹴って別の方向に跳び、相手の視覚から逃れながら再び斬撃を加え……

 

 魔王の周囲を縦横無尽に跳び回り、剣と爪を全身に浴びせ続けていく。まるで斬撃の檻だ。いつの間にか魔王は防戦一方になっており……

 

「アレニエさん……すごい……」

 

 その姿に見惚れ、思わず私は呟いていた。半身が半魔とはいえ、それ以外は彼女は人間と変わりない。人の身であれだけの動きができるものだろうかと、驚きよりも感嘆が(まさ)ってしまう。

 

「確かに素晴らしい動きですが、おそらく長くは保ちませんよ」

 

 メイド姿の魔将にそう言われ、激しく動き続けるアレニエさんの姿を注視すると……

 

「……あっ……!」

 

 ちらりと見えた彼女の顔、その鼻から、一筋の血が流れていた。

 それで気づいた。あの激しい動きを続けるだけでも、身体への負担が相当に大きい。そのうえで……

 高速移動で目まぐるしく変わる景色。相手からの反撃への警戒。適切な箇所に魔力の足場を造ることもこなさなければいけない。

 それらは身体と同等かそれ以上に、脳への多大な負荷となっている。鼻から流れる血がその証なのだろう。

 

「っ……!」

 

 最後に魔王の首を切り裂くと、アレニエさんは攻撃の手を止めて着地し、獣のような前傾姿勢で相手に向かい合う。負荷が限界に近かったのか、すぐには動けず、わずかに肩で息をしていた。流れていることに気づいたのか、右手の甲で鼻血を拭う。

 

「はぁ……はぁ……すぅー……ふぅー……。……ふっ!」

 

 そしてわずかの間、呼吸を整えると、低い姿勢で再び駆け出し、接敵しようと試みる。

 

「ああ――」

 

 そうして向かってくるアレニエさんを視界に収めながら、魔王が吐息を漏らした。

 

「ああ、愉快だ。お前の技は初めて見るものばかりで新鮮な驚きに満ちている。ならばこちらも見せよう。呪文を一節進めようではないか――」

 

 魔王は手にする戦斧を垂直に立て、石突きで床を突き、カツンと音を鳴らす。そして――

 

「《――我が名は『魔王』である》」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20節 魔王②

 その宣言は、酷く不気味な響きを伴っていた。

 

 いや、ただの宣言じゃない。あれは、詠唱だ。なぜかそれが分かる。玉座の間を包む魔力の質がわずかに変化し、圧力を増した気さえする。そして同時に、違和感に気づく。

 

「(唱えずに魔術を扱えるはずの魔族が、詠唱を……?)」

 

 その違和感にアレニエさんも警戒を示したのか。彼女は走りながら魔力の短剣を数本生み出し、天井に向けて投擲。そこから急降下させ、牽制する。

 魔王はそれを、先ほどと同じく素手で受け止め、砕く。受け切れなかった短剣が身体に突き刺さるが、大した痛痒(つうよう)も感じていないのか、魔王は意にも介さない。

 そうして意識を逸らさせている間に、アレニエさんが距離を詰める。あと一歩で彼女の剣の間合いに入る、というところで……魔王を中心に強烈に吹いた突風が、アレニエさんを吹き飛ばした。

 

「――!?」

 

 器用に空中でバランスを取り、彼女は危なげなく着地する。が、今のは……

 こちらの考えがまとまらない内に、魔王は戦斧を前方に掲げ、魔力を集中させる。反射的に、先刻までの黒球が頭に浮かぶが……斧の先端から放たれたのは闇ではなく……

 

 ゴォォオ!

 

 人一人を丸ごと呑み込めそうな大きさの、横倒しの竜巻だった。

 

「(あれは……!?)」

 

「イフの……風……!?」

 

 横に跳んでかわしながら、アレニエさんが驚きに声を漏らす。私も同じ気持ちだ。魔王が使用した風の魔術に、私もアレニエさんも見覚えがあったからだ。風の魔将、『暴風』のイフが使う、風の『塔』に――

 

「かわすか! ならばこれはどうだ!」

 

 魔王が、再び斧を掲げる。そこから放たれたのは、やはり闇ではなく、けれど風でもなく――

 

 バチィ――!

 

「――!」

 

 アレニエさんが咄嗟に左手を前に出し、寸でで防いだのは、紫に光る一条の雷光……私は思わず隣に視線を向ける。

 

「はい。(わたくし)の魔術ですね」

 

「……」

 

 彼女は事も無げに言うけれど、そんなに簡単な話じゃない。

 魔族は、人類より強力な魔術を詠唱せずに扱える。が、それ故なのか、彼らが扱う魔術は、一個体につき一系統という制限があると言われている。イフなら風、ルニアなら雷だけだ。

 本当に使えないのか、それともあえて使わないのかは不明だが、少なくともこれまで出会ってきた魔族は皆、一つの系統の魔術しか使用していない。それが……

 

「驚かせられたようで、なによりだ」

 

 言葉と共に魔王が魔力を集中させると、床に流れ落ちていた彼女の血が浮かび上がり、剣の形状になり……次第に鋭く回転しながら、アレニエさんを切り裂かんと迫る!

 

「……ふっ!」

 

 アレニエさんは掲げたままだった左手の先に魔力を集中。複数の短剣を生み出して射出させ、血の刃を迎撃する。

 刃は標的に届く手前で短剣に刺し貫かれ、形状を崩す。空中で元の液体に戻った魔王の血は……

 

「――! アレニエさん、下がって!」

 

「っ!」

 

 私の警告に従ってくれたのか、彼女は咄嗟にその場を飛び退き、両腕で急所を覆う。そこへ――

 

 ヒュ、トトトト――

 

 空中に飛び散った血液が再び形状を変え、獲物を突き刺さんと細い(とげ)を幾本も伸ばした。

 

「くっ……!?」

 

 かわしきれなかった血の棘がアレニエさんの両腕を襲う。硬質化した左腕は弾いていたが、人間のままの右腕に数本突き刺さり、わずかな手傷を負わせる。治癒力の高い半魔の姿ならすぐに傷は塞がるだろうけど、しばらくは剣を振るうのに支障が出るかもしれない。

 そして魔王はその後も、次々といくつもの別種の魔術をアレニエさんに撃ち放っていく。

 

「他人の! 魔術を! 使えるなんて! 聞いてない! んだけど!」

 

 それらを器用にかわしながら、アレニエさんが不満を漏らす。対する相手の反応は落ち着いたものだった。

 

(わらわ)は魔物の王にして魔術の王。この程度は造作もない」

 

「魔術の王で、魔王……そんなのあり?」

 

「現実は受け入れるべきだな」

 

「ああ、そうだね!」

 

 相手の魔術をかわし、時には魔力の短剣を投げて応戦するアレニエさん。が、速さも範囲もバラバラな魔術を織り交ぜられて上手くタイミングが掴めず、接敵するのに苦戦している。

 

「……」

 

 私が今からでも出ていけば、おそらく的を散らせることはできる。

 ただ、それでも魔王の元まで辿り着くのは難しいかもしれない。私にはアレニエさんのような勘の良さも素早さもないし、そのアレニエさんも先ほど無茶な動きをした反動か、動きに精彩を欠いている。

 

 できれば、私一人で注意を引いて、アレニエさんを少しでも休ませてあげたい。

 せめて、次になんの魔術を撃つのか分かれば、私でも接近できるかもしれないけれど……魔王が魔術を放つ動作はどれも大差がなく、〈流視〉で見ても撃ち出されてからじゃないと判別が……

 

 そうして打開する術を考えている私の元へ――突如、流れ弾の雷が飛んでくる。

 

「――!」

 

「おっと」

 

 バチィ――!

 

 咄嗟に避けようとする私よりも先に、飛んできたものと同様の雷をルニアが放ち、相殺してくれる。

 

「ご無事ですか? リュイス様」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「いえいえ。今は貴女様をお護りするのが(わたくし)の職務ですから」

 

 そう言って彼女は、再び観戦する態勢に戻るが……

 

「……」

 

 今、ルニアは、〈流視〉で流れを見ていた私より早く、流れ弾の迎撃に動いたように見えた。私は思わず彼女に問いかける。

 

「……あの……どうして、雷撃が来るって分かったんですか?」

 

「ん? そうですね。なんとなくです」

 

「なんとなく……?」

 

「はい、なんとなく。魔王様のお身体を走る魔力が、私のそれと似ている気がしたもので、念のためにと警戒していたのです」

 

「身体を走る、魔力から……それは、つまり……」

 

 反射的に私は、魔術を放つ魔王に視線を――意識を集中する。身体の動きの流れ、だけじゃない。そのもっと先。今まで目を向けていなかった内側までもを見通すように目を凝らし――

 やがて、光明を見出す。いけるかもしれない。駆け出そうとする私に向けて、魔王の傍仕えは確認するように声を掛けてくる。

 

「行かれますか?」

 

「はい。……止めませんよね?」

 

「もちろんです。どうか存分に魔王様を楽しませてくださいませ」

 

「それはできるか分かりませんけど……行ってきます」

 

 結局彼女は、私に危害を加えたり人質に取るような真似はしなかったな。そんなことを思いながら。

 放たれる魔術の合間を縫って、私はアレニエさんの元に駆け寄った。

 

「アレニエさん!」

 

「リュイスちゃん。……その顔は、何か掴めたのかな」

 

「なんとか、できると思います。だから、しばらく私に任せて、身体を休めてください」

 

 私が戦場に混ざったのに気付き、こちらの様子を窺っていた魔王だったが、次にはこちらの台詞に興味を惹かれたように声を上げる。

 

「ほう? お前一人で、妾を相手取ると?」

 

 そう指摘され、改めて自分がどれだけ危険な立場に置かれているのか、自覚する。

 本音を言えば、すぐにでも逃げ帰りたい。神剣も持たずに魔王と対峙するなど、自分でも正気の沙汰とは思えない。けれど……

 

「……」

 

 今までそれを一人で為してきた彼女を、一瞬視界に収めてから前を向く。青く輝く右目で、魔王を真っ直ぐに見据える。

 

「……はい。ですから、しばらくアレニエさんには手を出さないでいただけませんか」

 

「クク、約束はできんな。そちらのほうが面白いと判断すれば、妾はアレニエに狙いをつけるかもしれん。それが嫌ならば……お前が、妾の興味を惹いてみせるがいい!」

 

「っ!」

 

 撃ち出された雷撃をなんとかかわし、駆け出す。そうしながら、視線は魔王から離さない。

 挙動はもちろんだが、肝心なのはそれよりも奥、体内の魔力の流れ方だ。魔王が魔術を放つ際のそれを、〈流視〉で注視する。

 魔王の心臓の辺り――おそらくここが魔力の核だ――から渦を巻くように魔力が流れ、腕の先に到達する。この流れ方は――

 

「(風の『塔』!)」

 

 気付いたところで、横に大きく跳ぶ。その脇を、横倒しの竜巻が通過していった。

 

 再び、駆け出す。目線は魔王に向けたままだ。

 次に見えた魔力の流れは、魔王の心臓から腕の先までを、一瞬で駆け抜けていった。その手が握る斧の先端から迸るのは――

 

「(紫電!)」

 

 私はそれが放たれるより早く、わずかに進路をずらして、最小限の動きで雷を避けてみせる。

 

「(……やっぱり、そうだ。間違いない)」

 

 魔術を行使する際の体内の魔力の流れ。その流れ方には、魔術ごとに特徴があるんだ。風の『塔』なら渦を巻くように。雷撃なら、雷光のように身体を駆け巡っていく。

 その流れを〈流視〉で見定めれば、実際に撃たれるよりわずかに早く、適切に、魔術を回避できる。私は仮説が正しかったことを確信し、駆ける足に一層力を込めた。

 

「ハハ! こうまで的確にかわすか!」

 

 接近する私を見据えながら、魔王が笑う。魔術では間に合わないと判断したのか、片手で振り上げた戦斧を凄まじい勢いで振り下ろす。風を切る音が耳に残り、次には床に叩き付けるガギン!という音が辺りに響いた。

 流れを読んで最小の動作でそれをかわし、懐に潜り込む。そして、唱える。

 

「《プロテクション!》」

 

 私が最も使い慣れた、光で編まれた盾を生み出す法術。

 それを、範囲をいつもより小さく――拳大まで狭めた代わりに硬度を凝縮させたものを、両手に纏わせる。司祭さま直伝の流派、プロテクション・アーツの、攻撃の型。

 

「ふっ!」

 

 短い呼気と共に全身の『気』を右拳に、その先の盾にまで伝え、魔王を殴りつける。魔将にもダメージを与えた実績のあるこの拳は――

 

 バシ――!

 

 と、軽い音を立てて、あっさりと左掌で受け止められる。が、

 

「む――?」

 

 受け止めた左手に痛みが走ったのか、魔王がかすかに怪訝な顔を見せる。おそらく、ぶつけた『気』――アスタリアの生命力が、魔王を形作るアスティマの穢れと反発しているのだろう。

 

 が、それも一瞬のこと。魔王が左手に力を込めると、硬度を高めたはずの盾が徐々に砕かれてゆく。このままなら、やがて右手自体も掴まれ、圧し潰されてしまうだろう。そうなる前に私は――

 

 右拳の盾を自ら解除し、即座に右腕を引く。込めていた力の行き場を失って、魔王がわずかに体勢を崩す。そこへ、

 

「はっ!」

 

「ぐ!?」

 

 無事な左拳で、魔王の胴体を殴打する。そして即座に、

 

「《プロテクション!》」

 

 引かせた右拳に再び盾を張り、引き絞った弓を放つように拳を打ち出す。

 

 ズドっ!

 

「ぐ、ぬ……!?」

 

 打撃は標的の心臓を打ち、『気』を叩き込む。私が思う以上に効いているのか、魔王がわずかによろめき、数歩後退する。そして何かを思い出すように、私に目を向けた。

 

「この戦い方……十年前の、あの神官の……もしや、お前は――」

 

「……彼女は、私の師です」

 

 短く告げた言葉に、魔王は愉快そうに笑い出した。

 

「ク、ハハ! 因果なものだな。師弟揃って妾に挑もうとは! しかも、拳でこの魔王を打つか! 面白い! さぁ、もっと見せてみよ! お前の力を妾に――」

 

 そうして興奮を露わにする魔王を――

 

 キン――!

 

 ――いつの間にか死角から接近していたアレニエさんの剣が、その首を刈り取っていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21節 魔王③

 アレニエさんは気づかぬ間に死角から忍び寄り、私と魔王の間を切り裂くように通過。相手の首を斬りつけていた。『気』を込めた斬撃を喰らい、魔王の首があっさりと胴体から離れる。が――

 生き物のようにうねる血液が首を捕まえ、時間が巻き戻るかのように胴体と接着。すぐに傷も塞がってしまう。

 

「ハ――ハハハ! 言葉を交わしてる間に首を刈るとは無粋だな!」

 

「悪いね。隙があるとつい斬っちゃうタイプなんだ」

 

「ハハ! そうだな。今は戦の最中だ。隙を見せた妾が悪い。ならばこちらも態度を改めよう。全力をもって相対するためにも、呪文をさらに進めようぞ」

 

「させな――」

 

 詠唱を阻止すべく近づくアレニエさんを、再び魔王を中心に吹く突風が遠ざける。彼女は難なく着地し、靴底で速度を殺すが、それでも後方に追いやられてしまう。その間に――

 

「《我が名は『敵意』である!》」

 

 その詠唱と共に、魔王から発される圧力がさらに増す。息苦しいほどの魔力が玉座の間を包み込んでいく。

 最初の詠唱は、魔術の王としての力を発揮するものだった。なら、今度の詠唱は……

 

 それに、詠唱が進むにつれて、魔王の魔力が増しているのも気がかりだ。回避しきれない大きな流れが、少しずつ私たちに迫っているような……

 

 考える私の目の前で、魔王は大儀そうに足を踏み出した。

 その時、恐ろしいことに気づいてしまった。魔王はここまで、自分からは一歩もあの場を動いていない……!

 

「――ゆくぞ」

 

 宣言し、魔王がさらに一歩踏み出す。と同時に、その姿が雷光と共にかき消えた。

 

「――!」

 

 自身を雷と化して移動する、ルニアの魔術だ。私は〈流視〉でその動きの流れを捉え、咄嗟に叫ぶ。

 

「アレニエさん、前! 上から来ます!」

 

 私の声が終わるか終わらないかのうちに、彼女の目の前に魔王が突然現れ、巨大な戦斧を片手で軽々振り下ろす。アレニエさんは軌跡の外側に跳んで回避するが――

 

 ゴガァ!

 

 轟音を上げ、床に叩きつけられる戦斧。魔王の力にも耐えるという城の建材が破壊され、抉られ、破片が飛び散っていた。

 

「(さっきより、力が増してる……!?)」

 

 直前の詠唱の効果だろうか。身体能力が増強されているのかもしれない。あんなものを喰らえば、たとえ半魔の身体であろうと、一撃で両断されてしまいかねない。

 魔王はさらに二撃、三撃と斧を振るうが、アレニエさんはその全てを避け、あるいは受け流していく。〈剣帝〉直伝の防御の技、『その剣に触れる事叶わず』。

 が、次の瞬間――

 

 パリっ――

 

 当たらないことに業を煮やしたのか、魔王が再び雷と化してその場から姿を消す。

 すかさず、その動きの流れを右目で追う。あるいはこちらに標的を変えるかもしれないと警戒したが……魔王はアレニエさんの脇を通り過ぎ、背後に回る。そして、先ほどの意趣返しか、彼女の首を刈るために横一閃に斧を振るおうとしている。

 

(うし)――」

 

 ろ、と叫ぶ頃には、相手の動きを動物的な勘で察知したアレニエさんが既に振り向き、姿勢を低くして戦斧の一撃をかわし――

 

「……ふっ!」

 

 即座に、カウンターで一閃。左の肩口から腹部までを、斜めに切り裂く。鮮血が飛び散る。

 

「――……フ……ハハハ!」

 

 その傷をやはりあっという間に再生させながら、魔王は哄笑する。雷と化して初めに立っていた位置まで戻ると、手にした戦斧を後方に放り投げる。

 

「敵意で力を増した妾を寄せ付けぬか! ならばさらに次へ進もう! 《――我が名は『悪しき竜』である!》」

 

 ドクン、と魔王の心臓の鼓動が外にまで響く。魔力が血管を通じて全身を駆け巡る。

 次第に彼女の両手は肥大化し、鉤爪のように鋭く尖る。背から被膜の翼が生み出され、スカートの裾からは爬虫類を思わせる尻尾も伸びていた。

 その姿は、数ある魔物の中でも極めて強力で危険な個体である竜――ドラゴンを想起させた。

 

 そして、姿が変わっていくのと共に、魔王から発される魔力がさらに密度を増す。その圧力だけで潰されそうな錯覚に加え、例の大きな流れがさらに近づいているのを〈流視〉が感じ取っている。これは、気のせいじゃない。私は魔王から目を離さないまま、アレニエさんの元へ駆け寄った。

 

「アレニエさん」

 

「リュイスちゃん。……また、厄介そうな姿になられちゃったね」

 

「それも問題なんですが……さっきから、魔王が詠唱するたびに魔力が膨れ上がっていて、避けられない大きな流れが迫っているように見えるんです……これって……」

 

「わたしも、なんとなくは感じてるし、ちょっと別件で憶えもある。いや、完全に別件でもないか。多分、神剣と同じなんだよ」

 

「神剣と……?」

 

「神剣も、ああやって詠唱を重ねていって、最後にとんでもない力を発揮してた。魔王と神剣は対になってるからね。似たようなことができてもおかしくない」

 

「……」

 

 そんなことを知っているということは……そんなものを自分の身で浴びたということですか? だからあの時、あそこまでの大怪我を……? 無事で済んだのはよかったけれど……これは後でお説教するべきか。

 

「最後まで付き合ってたら、そのとんでもない何かをお見舞いされちゃうかもしれない。なら、どうしたらいい?」

 

「……キリのいいところで逃げます!」

 

「うん。冒険者らしくなってきたね、リュイスちゃん」

 

 こんな状況だというのに、アレニエさんは嬉しそうに笑う。

 

「多分、やり合える猶予はあと一、二回ってとこだと思う。それが終わったら全力で逃げよう。てなわけで……いこっか!」

 

「はい!」

 

 私はアレニエさんと共に駆け出す。最後になるかもしれない攻防へと。

 

「相談は終わったか? ならば全力をもってかかってくるがいい!」

 

 魔王が言葉と共に口を大きく開けると、口の前に小さな球状の炎が収束していく。一拍空けて――

 

 キュオっ――!

 

 耳慣れない甲高い音を立て、火球から熱線のようなものが直線上を穿(うが)ち、その後を炎が走っていく。床が破壊され、炎の(わだち)が残る。これが、伝説に聞く竜の吐息か。

 

 私たちは左右に散ってそれを回避する。アレニエさんは右、私は左に回り、的を分散させながら接近していく。

 

 その様子を目に捉えながら、魔王は両掌をくるりと上に向けた。肥大化したその指先から五つずつ、合わせて十個。始めにアレニエさんを襲ったのと同じ黒い球体が生み出される。それを、こちらに向けて撃ってくる……のではなく。

 黒球はその場で異音を立て、細く、鋭く、緩やかな曲線を描いた形状に変化する。まるで、巨大な爪のような形に。それが――

 

「ハァっ!」

 

 頭上から、猛烈な勢いで振り下ろされる。

 黒爪は魔王の両手と連動しているのか、同じ動きで私たちを襲い、ガリガリと床を抉っていく。が――

 

 アレニエさんは持ち前の勘と敏捷性で、私は〈流視〉の助けを借りて、幾度も振るわれる巨大な黒爪をかわし、魔王へ迫る。どちらを狙うか迷わせるため、互いに大きく回り込んで、左右から挟み撃ちにする。

 

「《プロテクション……プロテクション……プロテクション!》」

 

 走りながら、唱える。拳大に凝縮した護りの盾を、両手に三枚ずつ纏わせ、足に力を込める。そして魔王まであと数歩というところで……

 

 パリっ――

 

 己の身を雷に変えて、魔王のほうからこちらへ接近してくる!

 

「――!」

 

 内心では驚きつつも、右目と身体は反応してくれた。前進の勢いを殺し、急停止。続けざまに振るわれる黒爪を後ろに跳んでかわし、即座に一歩前に踏み出し……左拳の盾で、殴りつける!

 

 拳に込められた『気』を乗せて、連なった三枚の盾が撃ち出され、背後の盾に押されさらに射出。振り下ろされた直後の黒爪に連撃を叩き込む。

 カシャーンとガラスが割れるような音を立てて、黒爪の一部が砕けた。そこへもう一歩踏み出し、今度は右拳の盾を打ち放つ!

 

「《――プロテクトバンカー……(ダブル)!》」

 

 ズドドド――!

 

「ぐぅっ……!?」

 

 零距離で叩き込まれる盾の連撃が、標的を強く打ちつける。しかし竜の姿になって耐久性も上がっているのか、数歩たたらを踏む程度だった。そこへ――

 いつの間にか忍び寄っていたアレニエさんが、魔王の背後から黒剣〈ローク〉を突き刺す。

 

「がっ……!?」

 

〈クルィーク〉の『魔力の吸収』を先鋭化させた〈ローク〉は、魔王の肉体も抵抗なく喰い裂き、心臓を貫く。その魔力を喰らっていく。が――

 

「ハ――ハハハ!」

 

 苦痛はあるはず。けれど魔王は哄笑を上げながら鉤爪を振るい、背後のアレニエさんを強引に振り払う。彼女の左手が離れ、吸収が効果を失う。黒剣が魔王の身体から抜け落ちる。

 

「《プロテクション!》」

 

 その両者の姿を視界に収めながら、私は盾を張り直し、接近する。アレニエさんに気を取られている隙を狙い、踏み込んで右拳を叩き込む。そして、すぐに姿勢を低くする。なぜなら――

 

「……ふっ!」

 

 直後にアレニエさんが魔王の首を狙って一閃。私の頭上を剣閃が通り過ぎていくからだ。

 

「ぬ……!?」

 

 これまでと同様、首はすぐに繋がってしまうが、私たちは互いの動きを予測しながら、絶え間なく剣撃と打撃を浴びせ、魔王の命を消耗させていく。

 

「(分かる……アレニエさんの動きが。〈流視〉があれば……ううん、〈流視〉を通さなくても、全部……!)」

 

 きっと、アレニエさんもそれを感じているはず。彼女との一体感と小さな万能感。戦いの高揚と、これまでの旅で培った経験が、私たちをここまで押し上げ、突き動かしている。その感覚に身を任せながら、私の意識はここに至るまでの旅路を思い返していた。

 

 初めは、逃げるための旅だった。

 自身の生に絶望していた私は、閉塞感に満ちた現状から抜け出すために、勇者を救うという善行を最期に残して死ぬつもりでいた。

 けれど私は、アレニエさんに救われた。

 過去の罪を告白したうえで、私という人間を受け入れてもらえた。傍にいてくれた。

 旅を通じて様々なことを教えてもらったし、命を救われたことも一度や二度じゃない。

 イフと戦い、アレニエさんが半魔だと知り、初めての口づけを交わした。

 アルムさんたちと出会い、暗殺者に襲われ、その先でカーミエを撃退した。

 ハイラントでは皇帝の暴走を目の当たりにし、その裏で暗躍するルニアと対峙した。

 そしてとうとう、こうして魔王と拳を交えるところまで辿り着いた。

 私一人だったら、挑もうなんて思えなかった。考えつきもしなかった。

 それは、勇者と本気の決闘をして死にかけるような彼女だから――アレニエさんだからこそ思いつけた方法だったのだろう。

 そうやって、いつも無茶をする貴女だから、貴女を助けたいから、私は拳を握る。握ることができる。

 今、こうして貴女の隣で戦えることが、こんなにも誇らしい。

 

「「はっ!」」

 

 私の拳とアレニエさんの蹴り足が、同時に魔王を打つ。彼女は衝撃に後退するが、それでも未だ膝をつく様子もない。

 

「クク、ハハハ! いいぞ、お前たち! だが、もっとだ! もっと、このケンカを盛り上げようではないか! 《――我が名は――》」

 

 が、そこへ――

 

「し、失礼します、陛下!」

 

 入口の扉を開け、慌てて入ってきたのは、部下と思しき女性の魔族だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22節 百年の平和の陰に

 (たか)ぶりに水を差され、ミラは見るからに不機嫌な声を発する。

 

「……なんだ、貴様は? 妾の楽しみを邪魔するつもりか?」

 

「ヒっ……いえ、決してそのようなことは! ですが、火急の用がございまして……!」

 

 苛立つ王に怯えながらも、女性は口を閉ざさなかった。それだけ重要な報告なんだろう。

 

「フン……いいだろう。申してみよ」

 

「はっ! たった今、物見から報告が上がりまして……――勇者が、間もなくこの城に辿り着くとのことです!」

 

 え……もう来ちゃったの?

 

「……ほう?」

 

 気分を害していたはずの彼女は、その報告にほんのわずか興味の色を覗かせる。

 

「如何致しますか? 今ならば、侵入を許す前に配下に迎撃させることも可能ですが……」

 

「いや、ここまで通してやれ」

 

「……え? いえ、ですがそれでは――」

 

「聞こえなかったのか? 妾は「通してやれ」と言ったぞ」

 

「ヒっ……! も、申し訳ありません! すぐに、そのように致します!」

 

 部下の魔族はそれだけを言い残すと、慌てて玉座の間を出ていった。

 

「……興が冷めたな」

 

 つまらなそうにミラが呟くと共に、鉤爪と化していた手が元の形に戻り、生えていた羽も尻尾も縮み、やがて消失する。玉座の間を包んでいた圧し潰されそうなほどの魔力も、少しずつ和らいでいく。

 

「だが、悪くなかった。勇者共との殺し合いより、余程楽しめたな」

 

「そりゃどうも。わたしはもう勘弁だけどね」

 

 嘆息しながら呟く。一歩間違えれば死ぬような攻防の連続で、もう心身共にクタクタだ。できれば早くどこかで休みたい。

 

「クク、お前から売ってきたケンカだというのに、つれないな」

 

「別に、戦いを楽しむ趣味はないからね。今回は必要だと思ったから売ったけど、そうじゃないならなるべく避けたいよ」

 

「本当に、つれない女だ」

 

 そう言いながらも、ミラは笑っていた。そんなにおかしなことを言っただろうか。まぁいいや。

 

「それより、リュイスちゃん。ほんとにアルムちゃんたちが来るっていうなら、早くここを離れないと」

 

「? どうしてですか?」

 

「だってわたしたち、アルムちゃんたちからしたら、もう死んでるはずの人間なんだよ」

 

「……あ」

 

「死んだと思わせて半魔の件をうやむやにしてるから、ここで顔を合わせるのはまずいと思うんだよね」

 

「でも、普通に城門から出ても結局鉢合わせになってしまうんじゃ……」

 

 二人でどうするか悩んでいるところに、口を挟んできたのはミラだった。

 

「ふむ。よくは分からぬが、勇者共と顔を合わせるのは避けたいということか。ならば、ルニア」

 

「はい。そういうことでしたら、アレニエ様、リュイス様」

 

 今まで黙っていたルニアが、壁の一部、(入口に比べれば)小さな扉が備え付けられた箇所を示しながら口を開く。

 

「こちらの扉から、城門とは別の出入り口に進むことができます。どうぞお役立てくださいませ」

 

「……じゃあ、ありがたく使わせてもらおうかな。ほら行こ、リュイスちゃん」

 

「は、はい」

 

 即断即決し、リュイスちゃんを促して扉へ向かおうとするが、その背に向けて――

 

「アレニエ、リュイス」

 

 引き止めるように、ミラがこちらの名を呼んだ。

 

「……先刻のケンカで、大分消耗させられた。お前たちの狙い通り、妾は勇者に敗れるだろう。そうなれば、次にこの肉体が目覚めるのは百年先だ」

 

 つまりそれは、わたしたちが会う機会はもう訪れないということに他ならない。

 

「口惜しい。もはや勇者共との殺し合いでは、先のような充足感は得られまい。いや、勇者だけではない。他の何者であろうと、お前たちの代わりにはなるまいな」

 

 言葉通り悔しげに顔を歪ませる魔王の口調には、ほんの少しの疲れが滲んでいた。

 永遠を生き永らえ、けれど城からは出られず、長い眠りから目覚めては、襲い来る勇者と殺し合うだけの日々。わたしたちとのケンカは、そんな退屈な日常に差し込まれた、思いがけない楽しみだったのかもしれない。でも――

 

「大丈夫。人間は技術を継承して、次に繋げられる生き物だから。わたしたちぐらいの実力の持ち主だって、多分そのうちどこかから現れてくれるよ。それに――」

 

 今まさにこの城に近づいているという、彼女たちの顔を思い浮かべる。

 

「今の勇者だって捨てたもんじゃない。多分、あなたが思う以上に、あなたを楽しませてくれるはずだよ。なんたってわたしの弟子だしね」

 

「ほう?」

 

 ミラの視線には、先ほども浮かべたわずかな興味の色が蘇っていた。

 

「ならば楽しみに待たせてもらうとしよう。期待に外れるものだったなら、お前に責任を取ってもらうがな」

 

 冗談交じりのその言葉に笑顔を返してから、わたしは踵を返す。

 

「それじゃあね、ミラ。機会があれば、また会うこともあるかもね」

 

 その場合、アルムちゃんたちが返り討ちに遭ってることになるから、あまり歓迎したくない事態なのだけど。

 

「ああ、また、な」

 

 それを分かってのことか、ミラもそう言葉を返し、わたしたちは別れる。

 

「それでは、こちらへどうぞ。城の側面に出る直通の通路になっております」

 

 ルニアの先導で扉を潜り、わたしとリュイスちゃんは玉座の間を後にする。

 

 通路は思ったより広く造られていた。わたしたち三人が並んで歩いてもまだ少し余裕があるほどには。

 部屋と部屋の隙間を縫って築かれているからか、何度か左右に曲がった末に、出口と思しき扉に出迎えられる。そこで、ルニアがピタリと足を止めた。

 

(わたくし)は、ここで失礼させていただきます。次は勇者様方を案内しなければなりませんので」

 

 そう述べた後、彼女はわたしたち二人に向けて、静かに頭を下げた。

 

「アレニエ様、リュイス様。魔王様を楽しませて下さって、本当にありがとうございました。お二人に出会えたことは、私にとって望外の喜びです。どうか、この先もお二人が健やかに過ごされるよう、お祈り申し上げております」

 

 最後まで仰々しいな、この人。というか、魔族が祈る相手って悪神なんじゃ……まぁいいか。

 

「わたしも、会えてよかったよ。腰の低い変わり者の魔将がいたこと、多分ずっと憶えてる」

 

「わ、私も。命令だったとしても、貴女が私を護ってくれたこと、忘れません」

 

 その言葉にルニアは微笑みを浮かべ、改めて頭を下げる。それを尻目に、わたしたちは出口の扉を開け、通路を抜けた。

 

 外に出ると、目の前に一台の馬車が待ち構えていた。行きの際にもここまで運んでくれたデュラハンの馬車だ。もしやと思い、声を掛けてみる。

 

「乗せてくれるの?」

 

 そう問うと、首の無い御者は手綱を握りながら器用にビっ!と親指を立ててみせる。乗っていいらしい。

 ありがたく後ろに乗せてもらい、わたしたちは魔王の居城を足早に離れるのだった。

 

 

   ***

 

 

 デュラハン馬車に〈無窮の戦場〉まで送ってもらったわたしたちは、戦場の外れ、大きな岩陰の辺りで停めてもらった。街まで乗り入れて誰かに見つかった場合、「魔物が攻めてきた!」と勘違いされそうだったからだ。

 

「送ってくれてありがとね」

 

 馬車を降り、御者にお礼を告げる。彼(?)は返事の代わりか、再び親指をビっ!と上に立てると、そのまま城に戻っていった。

 

 わたしたちは人類軍のキャンプを目指し、徒歩で移動する。

 途中、戦場からはぐれた魔物が襲ってくるのを撃退しながら、なんとか戦に巻き込まれないようにしつつ、無事キャンプに辿り着くことができた。

 そこで、アライアンスの街に向かう馬車などないか探していたところ、以前に護衛の依頼を引き受けた商隊のおじさんと再会する。

 

「おぉ、また会ったな! 君たちも戦に参加していたのかね?」

 

「えーと……うん。まぁ、そんなとこ」

 

 魔王と戦をしていたわけなので、全くの嘘でもない。

 街に帰還するという彼らの馬車に乗せてもらい、わたしたちはアライアンスの街に辿り着いた。〈常在戦場亭〉とは違う宿を取り、二人でここまでの疲れに仕返しするようにぐっすりと眠りにつく。

 

 翌朝。

 

 疲れのせいもあっていつもより遅く起きたわたしの耳に、部屋の外からざわざわと喧騒が聞こえてくる。ベッドから抜け出し、窓を開けて様子を見てみると――

 

「――朗報、朗報だ! 勇者様が! 勇者様ご一行が魔王を討ち取り、無事に帰還なされたぞー!!」

 

「「「ワアアアアアア!」」」

 

 おそらく戦場からやって来たと思われる早馬が、魔王討伐の報を喧伝(けんでん)している。それを受けて、街の住人は歓喜に声を上げ……

 

「(そっか……やったんだね、アルムちゃん)」

 

 その歓声を耳にしながら、わたしは一人、心に刺さっていた棘が抜け落ちたような安堵を覚えていた。

 

 とーさんが幼いわたしを助けたことで歯車が狂った、魔王復活の周期。それが、リュイスちゃんの依頼をきっかけに再び動き始め、今ようやく正常に戻ったのだ。

 決して表には出ない、勇者の旅の裏側での物語。わたしとリュイスちゃんのこれまでの旅は、確かにここに実を結び、勇者の無事の帰還をもって花開かせた。

 世界は救われた。少なくとも魔物との争いに関しては、この先百年の平和が約束される。報せはいずれ世界中を駆け巡り、勇者を讃える声は鳴り止むことがないだろう。その陰で犠牲になった魔王を気に留める者は、誰も……いや。

 

「(わたし一人ぐらい、あなたのこと考えててもいいよね)」

 

 人類の勝利に沸き立つ街の喧騒を聞き流しながら、わたしは一人、空を眺めた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エンディング1 剣の継承亭にて

エンディングが長くなってしまったので二つに分割します。今回は前編です。


 パルティール王国王都下層に辿り着いたのは、昼頃だった。わたしたちは、まず真っ先に〈剣の継承亭〉への帰途につく。

 

 慣れたはずの城門からうちまでの道のりも、長旅の後だと懐かしく感じてしまう。わずかな感慨に(ふけ)りながら歩き続け、やがて継承亭の建物が見えた辺りで……

 

「……? ……あっ! 貴女!」

 

 たった今建物から出てきた冒険者の一団から一人が抜け出し、こちらに駆け寄ってきた。

 

 上半身を覆う黒い外套。下半身はぴっちりとしたパンツルックに、動きやすそうなブーツを履いている。この辺りでは見かけない顔の女性だ。他の地域から下層にやってきた類だろうか? ……あれ? でも……地元の人間じゃないはずだけど、顔にはどこか見覚えがあるような……?

 

「貴女たち、あのまましばらく旅に出てたのね。無事に帰ってきたみたいでなにより……って、もしかして、私のこと、憶えてないかしら?」

 

 聞かれ、リュイスちゃんが少し困った顔を見せる。

 

「アレニエさん、お知り合いですか?」

 

「えー、っと……なんとなく、憶えはあるんだけど」

 

 そう言うと目の前の女性は、気を悪くした風もなく微笑んで見せる。

 

「あの時は暗闇でちゃんと顔も見えてなかったでしょうし、仕方ないわね」

 

 あの時……暗闇……?

 

 そう言われて、どこか思い当たる節があるのだけど、もう少しのところで出てこない。

 

「私よ。エカルラートと同じ部隊にいて、貴女たちを襲撃して返り討ちにあった――」

 

「――あぁ! あの時の暗さt――」

 

「ストップ! 往来で大声でその呼称はやめて」

 

 彼女は咄嗟にこちらの口に手を当て、声を塞ぐ。

 

「ごめんごめん。そっか、あの時の子かぁ。久しぶりだね」

 

「アレニエさん? えーと……」

 

「ほら、前に、アルマトゥラ砦にアルムちゃんを助けに行く時、話したことあったでしょ? 暗……ごにょごにょ、の別動隊の居場所を聞き出すために、尋問した女の子のこと」

 

「あぁ、聞いた憶えがあります。貴女が……」

 

 そう言って視線を送るリュイスちゃんに、元暗殺者の彼女は微笑みを向けた。

 

「ええ。あの時はありがとう、神官さん。会えたらお礼を言おうと思っていたの。貴女が死人が出るのを嫌がってたおかげで、私も他の仲間も、そこの彼女に殺されずに済んだから」

 

「え? えーと……どう、いたしまして……?」

 

 なぜ感謝されているのかピンときていないらしい。リュイスちゃんは不思議そうな顔をしながらその言葉を受け取っていた。かわいい。

 

「で、あなたがここにいるってことは……」

 

「貴女の勧めを聞いて、冒険者に鞍替えしたのよ。なんだかすっきりしたわ。前の仕事より、遥かに自由に生きられる」

 

「それは良かった」

 

「それより、お店で話を聞いて驚いたわ。貴女、あのお店の娘さんで、しかもこの辺りではかなり有名らしいわね」

 

「あぁ、うん。そういえば、その辺なんにも言ってなかったね」

 

「ええ。考えてみれば私たちは、互いに名乗り合ってさえいないものね」

 

 その状況になんだかおかしさを感じ、わたしと彼女は小さく笑い合った。リュイスちゃんはポカンとしていた。

 

「私はレイチェルよ。今は貴女のお店に厄介になっているから、今後は顔を合わせることも多くなるかもしれないわね」

 

「そっか、よろしく。わたしはアレニエ」

 

「え、と、リュイスです」

 

 わたしたちの名を噛み締めるように頷くと、彼女――レイチェルは、冒険者の一団の元へと踵を返す。

 

「もう行かなきゃ。今日もこれから依頼をこなしに行くの。機会があったら一緒に食事でもしましょう」

 

「うん。それじゃーねー」

 

 手を振り合い、レイチェルと別れたわたしたちは、なんとなく顔を見合わせる。

 

「……人の縁て面白いもんだね」

 

「こんな繋がり方もあるんですね」

 

 本来なら出会うことさえなかったはずの彼女が、今は同じ宿で共に仕事を受けるかもしれない同業者なのだ。なんだか感慨深いものがある。

 

「さて、それじゃそろそろうちに――」

 

 と、歩き出したところで……再び継承亭の扉が開き、誰かが口論しながら外に出てくる。

 

「いい加減にしてください――」

 

 出てきたのは、尖った耳が特徴的なエルフの女性。金色の髪を短く切って、手足に金属製の防具を填めている。こちらははっきりと見覚えがある、昔からの知り合いだった。

 

「フェリ? どうしたの?」

 

「あっ! アレニエ!」

 

 本名はフェリーレ。わたしの体術の師匠だ。彼女はこちらの姿を確認すると、何かを引きずるようにしながらズンズンと歩み寄ってくる。

 

「アレニエ、貴女、アルクスに私の居場所を教えたでしょう!」

 

「え、うん。探してたって言ってたから。まずかった?」

 

「まずいですよ! これ見てください!」

 

 そう言ってくるりと回転したフェリの腰のあたりには……見覚えのあるエルフの男性が、なぜか泣きながらしがみついていた。

 

「アルクス?」

 

「ええ、そうです。お酒を飲んだらこの有様で、泣きながら村に帰るようにずっと絡んでくるんです。どうにかしてください」

 

「どうにかと言われても」

 

 泣き上戸だったのか、この人。

 

「フェリーレ~……一緒に村に帰りましょうよ~……」

 

「だから私はまだ帰らないと言っているでしょう!」

 

「そんなこと言わずに~……父上も母上も帰りを待ってるんですよ~……」

 

「ええい、うっとおしいですね!」

 

 フェリはアルクスを振り払おうと身体を揺らしているが、なかなか離れてくれない。これ以上ここにいるとまた絡まれそうだ。彼らが騒いでいる隙に、わたしはリュイスちゃんを連れて横を通り抜け、継承亭の扉に手をかけた。

 

 ギイィ、と錆びた蝶番(ちょうつがい)が軋む音を立てて、扉が開く。来客を告げる鐘が鳴る。迎えるのは見慣れた、けれど少し懐かしい光景。

 昼時ということもあり、食事に興じる人が談笑する様子や、食器の擦れる音が辺りに響いていた。中にはこの時間から飲んでる人などもいる。彼らは開いた扉に顔を向け、こちらの姿を確認すると、少し驚いたように声を掛けてくる。

 

「おぉ、アレニエか。久しぶりじゃねーか」

 

「今回はずいぶん長い留守だったな」

 

「まぁね」

 

 それらに適当に返答した後、わたしは目の前のカウンターに歩み寄り、その奥に立つ男性に向けて、ほんの少しかしこまって口を開いた。

 

「――ただいま、とーさん」

 

「……ああ」

 

 久しぶりの娘の帰還だというのに、とーさんは短く相槌を打つだけだった。まぁ、内心ではいつものように心配していたのだと思うけど。

 とーさんはわたしの無事を確認するようにしばらく見つめた後に、カウンター席でぐったりと突っ伏していた銀髪の女性に声を掛ける。

 

「おい、クラル。帰ってきたぞ」

 

「……帰ってきたぁ……? 誰が……?」

 

「後ろを向け」

 

「後ろぉ……?」

 

 昼間から酷く泥酔している様子のその女性は、苦労して振り向くと、わたし……の隣にいたリュイスちゃんの姿を確認した瞬間、椅子を蹴立てて飛び出してきた。

 

「――! リュイスー!」

 

「わぁ!? 司祭さま!?」

 

 そしてリュイスちゃんに突進し、抱き潰さん勢いで腕に力を込める。

 

「リュイス! リュイス! 無事に帰ってきてくれてよかった! 心配したんだからね!」

 

「し、司祭さま、それは嬉しいんですが、ちょっと、苦し……というか、お酒の匂いが……」

 

「飲まなきゃやってられないのよ! 仕事は忙しいし派閥争いは面倒だし貴女は帰ってこなくて心配だしであーもー!」

 

「あ、あの、ご心痛はお察ししますが、できればもう少し腕の力、を……きゅう」

 

 あ、落ちた。というかこのくだり前にも見たな。

 

 リュイスちゃんの師であり義理の親でもある彼女――クラルテ・ウィスタリアは、以前の旅から帰ってきた際も、ああやって全身で重い愛情をリュイスちゃんに伝えていた。重すぎて今と同様失神させていたが。

 見かねたとーさんや周りの客が彼女を止める中、不意に横から少女の声が届く。

 

「相変わらず不器用だな、あんたらは」

 

 そちらに顔を向けると、水色の長髪に大きな帽子を乗せた見知った顔の少女が、一人静かにテーブルで食事を取っていた。

 

「あれ、ユティル? 昼食食べに来たの?」

 

「そっちはついでだ。あんたのとこの旦那からまた仕事を請け負ってな。その帰りだよ」

 

「あぁ、なるほどね」

 

 彼女――ユティルは、下層で露天商をする(かたわ)ら、上層や中層へ情報を届ける繋ぎ役をすることもある。今日はそっちの仕事だったらしい。

 

「今回はずいぶん長旅だったみたいだが……ま、無事に帰ってこれたようでなによりだよ」

 

「ありがと。心配してくれたの?」

 

「リュイスの姉ちゃんの方はな。ああしてると、まだまだ頼りなく見えるしな」

 

「えー、わたしの心配もしてよ」

 

「あんたは心配するだけ無駄だろ。どうせどうにかして生き残るんだから」

 

「ちぇー」

 

 ユティルとはいつもこんな感じだった。お互いに軽口を叩き合い、けれど踏み込みすぎない、ちょうどいい距離感。それが、わたしにとっては心地いい。

 

「そういえば、あんたに客が来てるみたいだぞ」

 

「客? わたしに?」

 

「ああ。ほら、あそこ。一番奥の席で一人で飯食ってるおっさんだよ。あんたに会いにこの店を訪ねてきたらしい」

 

「ふーん……? じゃあ、ちょっと行ってきてみようかな」

 

「あんたなら心配いらんとは思うが、気をつけろよ」

 

「分かってるよー。それじゃあね」

 

 ユティルに軽く手を振り別れ、酒場を横断して問題の人物がいるテーブルに歩み寄った。

 

 黒髪に浅黒い肌で、引き締まった体躯の男性が、一人で静かに食事を取っている。周囲の席には誰も座っていなかった。

 壁には彼のものと思われる剣が立て掛けてあった。実用性一辺倒といった風情の武骨な長剣だ。わたしと同じような剣士なのだろう。

 顔に見覚えはない。〈黒腕〉の噂を聞いて来た類だろうか? 若干警戒しながらも、わたしは彼に近づいた。

 

「こんにちは。あなたが、わたしのお客さん?」

 

 そう声を掛けると、彼は静かに食事を進めていた厳めしい顔つきから、わずかに相好を崩してみせる。

 

「おお、久しいな、アレニエ・リエス。ようやく帰って来たか。待ち侘びたぞ」

 

 久しい?

 そう言われて改めて顔を見てみるが、やっぱり見覚えはない。

 

「……ごめん。どこかで、会ったことある?」

 

「む? 我が何者か分からぬか? まぁ、考えてみれば致し方ないかもしれんな」

 

 我? ずいぶん物々しい人だな。

 でも……その一人称に、この声の調子。どこかで、憶えがあるような……

 

「ならば、こう言えば伝わるか? ――久しいな、『森の蜘蛛』よ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エンディング2 笑って過ごせる明日

「『森の蜘蛛』……って……」

 

 わたしの名の意味。この国の言葉と魔族の言語を組み合わせたその呼び名を知っている人物は、あまり多くない。というより、直近では一人しか該当しない。黄昏の森で出会った風の魔将。またの名を『暴風』の――

 

「……まさか……イフ、なの……!?」

 

「おお、ようやく気付いたか」

 

 驚きに声を上げると、簡潔な肯定の言葉が返って……いやいやいや、そんな簡単に済まされても困る。初めから周囲に人はいなかったが、わたしは心持ち声を抑えて疑問を口から垂れ流す。

 

「……どういうこと? なんであなたがここに? そういや兜の中身は見られなかったけど、素顔はそんな感じだったの? というか――」

 

「待て、待て。落ち着け。順番に説明しようではないか」

 

 イフ、と思しき男は、こちらを宥めるように身振りで制止する。

 

「えーと……じゃあ、まず。……本物?」

 

「ふむ。まだ証明が必要か? ではこう呼ぶべきか。久しいな、〈剣帝〉のでs――」

 

「わー! わー!? 分かりました! 本物です!」

 

 あくまで小声で、わたしはなんとか相手の台詞を遮った。

 

「ここでその呼び方はやめてよ。折角隠してるんだから」

 

「何故そこまで秘匿するのか、我にはいまいち分らぬが、まぁ、従うとしよう」

 

 若干疲れたけれど、まだまだ疑問は解消されないままだ。疲労を滲ませながらも、わたしは目の前の男に問いかける。

 

「それで、なんでここにいるの? あなたたち原初の魔族がそのうち蘇るのは知ってるけど、前に会った時は、「いつになるか分からない」って言ってなかった?」

 

「完全に蘇った……と言うのは語弊(ごへい)があるな。この身体は、仮の肉体だ」

 

「仮?」

 

「本来の肉体は未だ修復中なのでな。姿を似せた仮の肉体を生み出し、そこに我の精神を移動させることで、この身体を動かしている」

 

「……そんなことできるの?」

 

「現にできているだろう。配下にこういった魔術を研究している者がいてな。穢れも最小限に抑えてあるため、結界にも阻害されぬ。代わりに魔力は皆無だがな」

 

 下級の魔物以下だ、とイフは小さく笑う。

 

「じゃあ、あなたご自慢の風の魔術は……」

 

「当然使えぬ。今はこれだけが我の武器だ」

 

 彼はそう言って傍らに立て掛けてある剣を示す。なんでちょっと得意げなの。

 

「それで、そんな状態のあなたがここまで来た目的は……」

 

「もちろん、貴様だ。アレニエ・リエス」

 

 あー、やっぱり……

 

「……わたしと決闘したくて、こんなところまで?」

 

「いや、そうしたくはあるが、今はその気はない。まだこの身体に慣れていなくてな。剣術も一から覚え直しだ」

 

 それもまた楽しくはあるが、とイフはニヤリと笑う。

 

「折角の機会だ。剣を学び直すついでに、冒険者というものに触れてみたくなってな。それには、手本がいたほうが手っ取り早い」

 

「手本て……わたし?」

 

「うむ。我が知る限り最も優れた冒険者だ。貴様と共に行動すれば、同時に貴様の剣も観察することができる。我にとっては利しかない」

 

「わたしの都合は?」

 

「我がそんなものを考慮するとでも? 魔族は欲求に縛られていると言ったはずだ。望みをかなえるためならば、都合の一つや二つなど――」

 

 と、そこへ、入口の扉を乱暴に開ける音が響く。

 

「いよう!〈黒腕〉とリュイスの嬢ちゃんが帰ってきてるんだってな! ちょいと(つら)を拝みに来たぜ……嬢ちゃん、入口で何してんだ?」

 

「ふむ。リュイス嬢。こんな場所で寝ていては、体調を崩しかねんぞ」

 

 入口から響く声は、聞き覚えのある大柄と冷静の二重奏。ジャイールくんとヴィドくんの二人組だ。

 彼らは、未だ気絶したままで手近な椅子に座らされているリュイスちゃんを目にし、怪訝な顔を浮かべていた。

 しかし介抱するあの人――クラルテ・ウィスタリアの様子に気圧され踏み込めず、気を取り直したように店内に目を向け……こちらの姿を確認すると、足早に近づいてくる。

 

「よう。生きて帰ってきたみてぇだな、〈黒腕〉。記念に俺と勝負しようぜ」

 

「いや、なんの記念? というかやらないよ?」

 

「あんだよ、相変わらずケチくせぇな。俺は、この間のハイラントでの戦が消化不良に終わっちまってムシャクシャしてんだよ。この際ただの模擬戦でもいいからよ、ちょいと一勝負――」

 

 そこで彼の台詞を遮り、イフが口を挟む。

 

「なんだ貴様は。今は我がアレニエ・リエスと話をしているのだ。邪魔をするな」

 

「あ? てめぇこそなんだ?〈黒腕〉に用があるのは俺のほうなんだよ。すっこんでろ」

 

 ジャイールくんが凄むが、古の魔将がそんなもので怯むはずもない。逆に闘争心に火をつけたようで……

 

「小僧が。身の程を(わきま)えさせる必要があるようだな」

 

「上等だ。鬱憤(うっぷん)が晴らせるなら、この際相手が誰だろうと構やしねぇ――」

 

 互いに自身の武器に手を伸ばし、睨み合う二人。一触即発な空気の中、さすがに止めようと声を上げかけたところで――

 

「――おい」

 

 静かな、けれど威圧感のある声が、背後から響く。

 

「暴れるつもりなら、店を出ていってもらうぞ」

 

 とーさんだ。いつの間にかカウンターから離れ、こちらに来ていたらしい。その手には杯が二つ握られていた。

 武器を抜く寸前だった二人も気圧(けお)されたのか、とーさんに目を向けたまま硬直していた。その隙をついて、とーさんは杯を二つともテーブルにドン!と置く。中にはなみなみと酒が入っていた。

 

「あくまで決着をつけたいなら、こいつで勝負しろ」

 

 気勢を削がれた様子の二人だったが、その言葉には互いに笑みを浮かべる。両者席に着き、杯を握り合う。

 

「ま、今日のとこはこれでもいいか。こてんぱんにへこましてやるぜ、おっさん」

 

「返り討ちだ、小僧」

 

 そうして、飲み比べが始まる。いつのまにか他のテーブルの客も周囲に集まり、観戦する構えだ。娯楽に飢えてるんだろう。

 

「なるほど。暴れるのを止めたうえに酒代も請求できるというわけか」

 

「ヴィドくん」

 

 相変わらずフードを目深に被った細身の男――ヴィドくんが、いつの間にか近づき、静かに隣に立っていた。

 

「あの御仁も、君たちの知人かね?」

 

「あー、うん、まぁね。旅先で知り合ったんだけど」

 

 嘘はついてない。

 

「……妙な気配がするな。身体は鍛えられているのに、動きがぎこちないような……」

 

 鋭い。

 姿を似せたという仮の肉体は、筋肉などは再現していたようだが、技術を継承させることはできなかったという。そのちぐはぐさを、ヴィドくんは敏感に感じ取ったのかもしれない。

 どう返答しようかわずかに悩んでいると、

 

「うぅ……司祭さまのことは尊敬してるけど、あの酒癖だけはどうにかならないかなぁ……」

 

 目を覚ましたらしい彼女が騒ぎを聞きつけ、こちらに歩み寄ってきていた。

 

「あ、リュイスちゃん。身体は大丈夫?」

 

「アレニエさん。はい、なんとか。それで……これは、一体なんの騒ぎですか?」

 

「アレニエ嬢を取り合って勝負しているのだよ」

 

「えっ!?」

 

 リュイスちゃんが顔を赤らめつつ驚きに声を上げるので、わたしは慌てて弁明する。

 

「いや違うからね? 適当なこと言わないでよもー」

 

「あながち間違いでもあるまい。どうだ? 自分を巡って男たちが争う様は」

 

「わたしにはリュイスちゃんがいるから別にいいよ」

 

「ほう? 君たちはそういう関係なのかね?」

 

「え!? や!? その……!?」

 

 わたしの発言とヴィドくんの追及に、リュイスちゃんが顔を真っ赤にして狼狽える。そして何か言おうとしたところで……それをかき消すように乱暴な音を立てて、再び入口の扉が開かれ、来客を告げる鐘を鳴らす。

 

「――アレニエとリュイスがいるのはここか!」

 

 そう言いながら店に入ってきたのは、十歳前後くらいの小さな女の子だった。

 

 短く切り揃えられた、暗く赤い髪。大きな瞳は、紫色に輝いている。

 赤いドレスを纏い、足元は旅用と思われるブーツを履いている。そこまでなら旅行にやってきたどこかのお嬢様という風情なのだけど……なぜか背中には、背丈とあまり変わらない長さの両刃の戦斧を背負っていた。

 

 そしてそれ以上に、彼女と共に入ってきた人物の顔を見て、わたしはギョっとしてしまう。

 エプロンドレスに、丈の長いロングスカート。薄紫色の頭髪を飾るのはホワイトブリム。

 角はなく、耳も短いその姿は、一見ただの人間にしか見えない。が、彼女の容貌は間違いなく――

 

「ルニア……!?」

 

「え!?」

 

 わたしとリュイスちゃんが驚いている間に、彼女は共に入ってきた女の子の後に続くように、こちらまで歩み寄ってくる。

 

「しばらくぶりでございます、アレニエ様、リュイス様。お元気そうでなによりです」

 

 その、既知の間柄であることを示す台詞と、彼女の容姿、それに今さっき聞いたばかりのイフの話が脳内を駆け巡り、わたしに一つの結論をもたらす。

 

「…………ひょっとして、イフと同じことしてる?」

 

「さすがはアレニエ様。理解が早くて助かります」

 

 彼女は相変わらず顔色一つ変えずに返答する。それにわたしは声を潜めてまた言葉を返した。

 

「いやいや、だとしてもなんで? 仕事はどうしたのあなた」

 

「これも職務の一環ですよ。外に出ることが叶うと判明した途端、お二人に会いに行くと言って強引に旅に出られたもので」

 

 ? ちょっと話が噛み合ってない気がする。誰がわたしたちに会いに行くって?

 それに、気になってるのはもう一件。わたしは少し屈んで目線を合わせながら、彼女について問いかける。

 

「それで、一緒に来たこっちの子は? あなたの同僚?」

 

「おっ、ようやくこちらに目を向けたか。そうだ。(わらわ)はお前たちに会いに来たのだ」

 

 小さな女の子は胸を張り、尊大な態度でそう主張する。リュイスちゃんがその場に屈みこんで「かわいい……」と呟いて女の子の頭を撫でる。少女はそれを不思議そうな顔で眺めていた。

 

「? これは何をしているのだ?」

 

「あ、ごめんなさい。嫌でしたか?」

 

「いや、構わんぞ。悪くない。これも初の経験だな」

 

「(初の経験……妾……?)」

 

 それらに記憶を刺激されると共に、先ほどのルニアの発言が脳裏に引っかかる。

 ルニアが職務の一環として付き従う少女。外に出ることが叶う。わたしたちに会いに行く……

 

「あのー……ルニア?」

 

「はい。なんでしょう」

 

「ちょっと怖い想像したんだけど。もしかして……この子、ミラなの?」

 

「……は、い?」

 

 女の子の頭を撫でていたリュイスちゃんが、わたしの言葉に動きを止め、ポカンとした表情になる。問われたルニアは薄い笑みを浮かべていた。

 

「本当に、貴女様は察しが良いですね。感服いたします」

 

「なんだ、ようやく気がついたのか」

 

 少女の姿をしたミラ――魔王ヴィミラニエは、やはり尊大な態度で胸を張る。まさか本当に彼女だとは。

 

「え……なんでそんなかわいくなっちゃったの」

 

 わたしもリュイスちゃんに(なら)ってミラの頭を撫でる。リュイスちゃんのほうは、正体を知って固まってしまっていたけれど。

 

「またしても、こやつの仕業よ。この仮の肉体を造る際、わざわざ研究者に注文をつけたらしい」

 

 ルニアを顎で示し、ミラが不満をこぼす。こぼされた本人は涼しい顔をしていたが。

 

「元のお姿では人目を惹きすぎると思いましたし、このお姿も愛らしいでしょう? それに……帰還してから、お叱りを頂けるかもしれませんし」

 

 後半が本音な気がする。

 

「というか、あなた城から出られないんじゃなかった?」

 

「うむ。どうやら結界に阻まれるのは妾の肉体のみだったようでな。精神を別の肉体に移し替えた状態であれば、問題なく抜け出せるらしい。盲点だったな」

 

 そんなのあり?

 

「そんなことより、さあ、出発するぞ、アレニエ、リュイス。妾はこれより世界を見聞する。お前たちも付き合うがいい」

 

「えー……わたしたち、帰ってきたばっかりでちょっと休みたいんだけど」

 

「そんなことは知らん。妾は今すぐ外を見に行きたいのだ。お前たちには、案内役兼護衛として――」

 

 バァン! ガランガラン!

 

 三度(みたび)、入口の扉が乱暴に開かれる。ただし、今度入ってきたのは見知った顔だった。

 

「師匠が出入りしてるってお店はここですか!」

 

 勢い込んで入ってきたのは、伸ばしたオレンジ色の髪をポニーテールにまとめ、背中には二本の剣を差した女の子。当代の勇者、アルメリナ・アスターシア。またの名を――

 

「アルムちゃん……!?」

 

「……! 師匠ー! リュイスさんも! やっぱり生きてた! ……ほらー! みんな! ぼくの言った通りでしょ! 二人共絶対生きてるって! 演技してただけだって!」

 

「……確かに、先輩です。ちゃんと生きてますね」

 

「まさか、本当に勇者さまの言った通りに……」

 

「……ああ、参った。オレたちの負けだ」

 

 彼女はわたしたちの姿を確認すると、入口のほうを振り向き、仲間たちに得意げに声を上げる。そうしてから、こちらに早足で歩み寄ってきた。周囲の客が勇者の登場にざわざわとしだすが、わたしはそれには構わず彼女に声を掛ける。

 

「アルムちゃん……どうして、ここに?」

 

「道中二人の目撃証言探して、ようやくこのお店に辿り着いたんです! 二人は絶対生きてると思ってたから……生きて……よかった、生きてて、本当によかった……!」

 

「アルムちゃん……」

 

 信じてると自分に言い聞かせつつも、反面ずっと不安にも駆られていたのだろう。安堵し、身体の力を緩める彼女を、わたしは優しく抱き留めた。

 すると、彼女が周りに聞こえないよう、耳元で囁く。

 

「……師匠の身体の秘密は、誰にも言ってませんからね」

 

 身体を離し、アルムちゃんを見つめる。彼女は少し悪戯っぽい表情で微笑んでいた。

 

「師匠、無事だったことですし、また稽古をつけてくださいね。ぼく、まだ師匠に教わりたいことがたくさん――」

 

「おい勇者」

 

 アルムちゃんの言葉を途中で遮り、間に入ってわたしから引き剥がしたのは、ミラだった。

 

「アレニエとリュイスはこれから妾と旅に出るのだ。お前の稽古とやらに付き合う暇はない」

 

「え、え? 何、誰、この子?」

 

「誰でもよかろう。お前との戦もまぁ悪くはなかったが、それとこれとは話が別だ。アレニエのことは諦め、早々に立ち去るがいい」

 

「な、なんの話? というか、あなたこそ勝手なこと言わないで! 師匠はあなたのものじゃないんだから!」

 

 珍しくムっとしたらしいアルムちゃんが抗弁し、ミラと睨み合う。リュイスちゃんはもちろん、様子を見ていたシエラちゃん、アニエスちゃん、エカルくんも、どうすればいいか分からずオロオロしている。ルニアは微笑んで成り行きを見守るだけだ。

 

「……」

 

 わたしは改めてうちを――〈剣の継承亭〉内を見回した。

 

 カウンターではリュイスちゃんの帰還に安堵し、その後再び酔いつぶれたあの人を、とーさんが静かに介抱している。近くの席ではユティルが騒動を目の端に留めながらもマイペースに食事を取っていた。

 

 奥のテーブルではイフとジャイールくんが飲み比べで勝負している。まだ決着はついていないようだ。

 

 そして目の前ではアルムちゃんとミラが睨み合い、牽制し合っている。魔王の居城で互いに殺し合ったはずの二人が、それに比べれば遥かにしょうもないことで言い争いを続けている。

 

〈剣帝〉と〈聖拳〉。幼馴染の露天商に、わたしたちの命を狙った襲撃者。二人の魔将。それに、勇者一行と魔王。

 それらが争うことなく、一つ所に留まっている。変わり者ばかりが集まっているこの状況は……

 

「……アレニエさん?」

 

 怪訝そうな顔で、リュイスちゃんがわたしを見る。

 そもそもあの日、あの時、彼女の依頼を受けなければ、この光景は見られなかったはずだ。全てのきっかけになった彼女の、けれど状況を分かっていないキョトンとした表情を目にし、急におかしさが込み上げてきて……

 

「ふ――」

 

 気付けばわたしは、思い切り吹き出していた。

 

「――あははは! あは! あっはははは!」

 

「ア、アレニエさん?」

 

 思わずリュイスちゃんを抱き締める。そしてそのかわいい唇に口づけをした。うちで。みんなの前で。

 

「――む? むー! むー!? ぷあっ!? ア、ア、ア、アレニエさん!?」

 

「あはは! あっはっはっはっはっは!」

 

 急に奪われた唇を手で覆い、リュイスちゃんが抗議の視線を送る。そんなところもかわいい。笑いが治まらない。

 

 アルムちゃんとミラが何事かとこちらを見つめる。ヴィドくんもなんか興味深そうにわたしたちを眺めていた。店内の視線がわたしに集まる。けれどやはり、わたしは笑い続けていた。

 

 ――「アレニエが、そんな誰かに出会えることを、願ってる。……笑って生きていけることを、願ってる」

 

 脳裏に、あの日のかーさんの言葉が蘇る。わたしを心配してくれていたその言葉に、心の中で返答する。

 

「(大丈夫だよ、かーさん。わたしは生きてる。かーさんが願った通り、変わり者に囲まれて、笑って生きていけてる。それに、大事な人もできたんだよ)」

 

 その大事な人は、状況に流され、混乱し、顔を真っ赤にして狼狽していたけれど。

 彼女を、リュイスちゃんを抱き締めながら、わたしはその日一番の、心からの笑顔を浮かべた。




最後までお読みいただいてありがとうございます。
これで、アレニエとリュイスの物語はひとまず終了となります。なんとか、思い描いていたラストまで書き切ることができました。
至らない点は多々あったかと思いますが、それでもここまでお付き合いしてくださった読者の皆さんには最大限の感謝を。本当にありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。