いつかに英雄の隣にいた誰か (幽 )
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騎士な女と姫な男
月のような人


支部に載せていたものです。
モードレッドと女装系姫の話です。


 

「・・・・・どうしましょうか。」

 

セイアッドはそういって、その麗しい顔を傾げた。

 

 

 

誰もが、己を見れば美しいと称賛するだろうし、見とれるだろうとセイアッドは思っている。

この考えを聞けば、大抵の人間はセイアッドを自分に酔うナルシストだと断じるだろう。けれど、セイアッドが自分をそう評価しているのは、もっと複雑な理由があった。

さて、唐突だが、セイアッドという人間は、俗に言う転生者である。といっても、なんとなくぼんやりとした記憶があるぐらいで、自分がどういった存在だったか、はっきりと記憶してはいなかった。

ただ、そのぼんやりとした記憶のせいか、セイアッドには幼いころから確固たる自我が生まれていたのだが。

そんな理由の為、セイアッドは己という存在が宿った肉体の容姿をあくまで客観的に評価していた。

吸いつくような白い雪肌、すらりとした腕や足、完璧なバランスが取られた顔、澄み切った満月のような琥珀色の瞳。そして、何よりも目を引くのは、星屑を束ねた様な白銀の髪だった。

まさに、その容姿だけを見るならば国を傾けていても不思議はないほどの美貌だった。といっても、セイアッドにとって己の容姿というものになにかしらのことを思っているわけではなかったのだ。

それは、簡単な話、セイアッドの前世が男であることと、前世と現在の容姿の解離がひどいせいか、未だにその容姿を己のものとする自覚が薄いせいであったのだが。

それに加えて、セイアッドという存在が、生まれたころより監禁されていることもその無関心さに拍車をかけているのかもしれない。

 

(・・・・・時代的におそらく中世、うーん、外に出たことがないせいか、はっきりとした時代については未だに分からないんですが。)

 

監禁されていても、そんなふうにのんびりとしていられるのは、セイアッドの生来の気質によるものに加え、その監禁が悪意があってものでないことも分かっていたからだった。

 

「・・・・おい!」

 

考え事に耽っていたセイアッドの思考の中に、高めの怒鳴り声が割り込んできた。

それに、セイアッドは長々と現実逃避のために行っていた思考の中から出て来る。そこには、白と赤で彩られた鎧に身を包んだ存在が立っていた。

体躯自体が小柄なのだが、そこから溢れ出る威圧感と呼べるべき雰囲気にセイアッドは圧倒されてしまう。被った兜の横側から突き出た角のような装飾が威圧感を増しているのかもしれない。

 

「てめえ、いい加減返事か何かしたらどうだ?」

 

苛立っているのか、今にも剣を抜きそうな鎧の存在にセイアッドは、気を取り直した。というよりも、セイアッドもなんとか落ち着きを取り戻したかったのだ。

 

「・・・・そうですね、久方ぶり。いえ、我が家に初めてやって来たお客様なのですから。」

 

そういって、セイアッドは、たおやかに微笑み、部屋の奥へと客人を招き入れた。

セイアッドとしても、自分の夫になる存在というものがどんな人物か知りたいと思っていたのだ。

 

 

「・・・・で、お前がセイアッド姫であっているのか?」

「はい。確かに私はセイアッドと申します。」

 

石造りの部屋の中、二人は窓際に置かれた小さなテーブルと椅子、そこに座り彼らは木造りのカップを煽っていた。

椅子に座った小柄な体躯を持つ人物、モードレッドは兜越しに目の前の女を見つめる。

セイアッドと名乗った女は、椅子に優雅に腰かけ、どんな国の姫も恐縮してしまいそうなほど麗しく微笑んだ。服装自体がごくごく質素なもので、大きさもあっていないのか、だぶついているというのに、それさえも気にならない。その美貌の前には、服装などあまり意味をなさない。その見事な銀の髪も三つ編みにしてそっけなく一つにまとめ、右肩から前に流している。

普通の女よりもはるかに上背があったが、そんなことマイナスになることなんてない。

モードレッドはそんな彼女を見つめながら、石造りの部屋を見回した。

石造りの部屋は、高い塔の最上部で、モードレッドも長い階段を延々と登って辿り着いた。

といっても、今回モードレッドがセイアッドの元を訪れたのは、とある話を聞きつけての事だった。

モードレッドは現在、彼女の母であるモルガンに時ではないとアーサー王の元へ行くことを禁じられている。そんな彼女は、時間を持て余し、あんな話に興味を引かれてしまったのだと感じている。

とある国の端の端、そこには一つの塔が立っている。その塔には、一人の絶世の美貌を持つ、姫が監禁されている。その国の王の娘であるはずの彼女が何故、塔に監禁されているのか、それはセイアッドが生まれる時までさかのぼる。

彼女が生まれる当初、国付の魔術師が一つの予言をなしたのだという。

もしも、生まれて来る存在が女であるなら、その子は婚姻相手に栄光をもたらす。けれど、もしも男であるならばそれはこの大陸に破滅をもたらすだろう。

なんとも大きなことを言われはしたが、魔術師自体も実力は知られたもので、国中で生まれて来ることを待った。

そして、幸運なことに生まれてきたのは、王妃によく似たそれはそれは美しい女児であったそうだ。ともかくは予言としても良い方向に進んだとほっとしていたが、成長していくにつれ問題が起こった。

その美貌ともたらされた予言によって、婚姻の話が多数から寄せられたのだ。

国同士の力関係を考えると、どうしても選ぶには選べない状況であったらしい。そして、そんなある日、王は国の端に高い塔を建て、婚姻の申し出をしてきた国々にこう言ったらしい。

 

姫を望むものたちは多くおり、どこを選んでも争いになる。けれど、決めないわけにはいかない。そんなとき、国付の魔術師が、姫を塔に閉じ込めてしまった。もしも、塔に登ることが出来るのなら、姫を連れ出してほしいのだと。

 

それに、多くのものが塔に挑んだが、誰一人として最上階にたどり着くことは出来ないままであるらしい。

モードレッドが塔に行こうと思ったのは、円卓の騎士の人間もセイアッドに会おうとしたらしいのだが見事に失敗したらしい。そんな話に対抗心を燃やし、塔にやってきたわけだが。彼女が思っている以上に、塔を登り、セイアッドに会うことは簡単だった。

出迎えた女は、驚いた顔をしていたものの、あっさりと部屋の中にモードレッドを招き入れることとなった。

といっても、会ったところで何か目的があるわけでもないのだが。モードレッドがそんなことを考えていると、セイアッドがこれまたのんびりとした声音が割って入る。

 

「・・・・ところで、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「あ?」

「ですから、お名前を。それぐらいはよろしいでしょう?」

モードレッドは少し悩んだ後に、それでも誇らしさを隠すことも無く名乗った。

「・・・・モードレッド、だ。」

「もーど、れっど様?美しい名前ですね。」

 

その言葉にどうしようもない誇らしさに包まれる。そうありたいと、願っていた父の子としての名。

いつか、それを名乗るのだと。己こそ、アーサー王の嫡子なのだと。

そう思っていると、セイアッドは安心したように微笑んだ。

 

「ああ、にしてもよかった。お名前を知ることが出来て。未来の夫君の名を知らないというのは不便な事ですし。」

「は?」

 

唐突なセイアッドの言葉に、モードレッドは目を見開いた。それに、彼女は不思議そうな顔をした。どうしたんですか、というように。

それにモードレッドは叫んだ。

 

「てめえこそ何言ってんだ!?夫って何の話だよ!?」

「知らないんですか?この塔は私の婚姻相手に相応しいものしか登ることが出来ないんです。ですので、私はあなたと結婚するしかないのですが。」

 

そう言われてみれば、そんなことを聞いた覚えもある。けれど、そんなことを受け入れられるはずもない。何か、拒絶の言葉を発しようとするモードレッドに、セイアッドは、何とも気の抜ける様なまったりとした微笑みを向ける。

 

「ところで、そのモードレッド様、一つお聞きしてよろしいでしょうか?」

 

これまた、気の抜ける様なのんびりとした声に、モードレッドは出鼻をくじかれるような心地になる。それに、どこか上手を取られているような心地になり、モードレッドはそれを怒鳴りつける。

 

「何だよ!?大体婚姻なんて俺は受けねえからな!?」

「はい、婚姻については嫌ならばいやでいいんです。」

「え、あ、は?い、いいのか?」

「はい、そういったことを無理強いしてもしょうがないので、お嫌ならば、お嫌でいいのです。私としては、あなたのような方との婚姻ならばうれしい限りなのですが。」

 

そう言って、おっとりと微笑むセイアッドに、モードレッドも怒りを鎮める。なんというのだろうか、彼女のようなおっとりとした人間はモードレッドの周りにはいなかった存在だ。そのせいか、どうも空回りしている感覚が、彼女自身もないわけではなかった。

それに加えて、己の母にも劣らぬ、いや秀でている美貌の存在に婚姻相手として望まれるというのは、彼女としても嬉しくないわけではないのだ。

モードレッドは咳払いをした後に、改めてセイアッドに話しかける。

 

「・・・・それで、俺に聞きたいことっつうのは?」

「はい、私は物心ついてからこの塔にいるため、どうしても世間知らずな面があるんです。そのため、頓珍漢なことを言うと思いますが、お許しください。」

「別にかまわねえよ。そんで、聞きたいことっていうのは?」

「はい、それなのですが。女性でも、騎士にはなれるものなのでしょうか?」

「は?」

 

モードレッドの周りの空気が凍り付いた。けれど、セイアッドは相変わらずのんびりとした空気を出し続けている。

モードレッドは、それに、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「・・・・・・どういう意味だ?」

 

それにセイアッドは心の底から申し訳なさそうな顔をした

 

「・・・・・申し訳ございません。モードレッド様は騎士の方だとおもっていたのですが。私の勘違いでしょうか?」

「どこで、それを知った?」

 

ゆっくりと、区切る様にモードレッドは言葉を紡ぐ。

モードレッドが女であるという事実は、モルガンぐらいしか知ることのない事実だ。モードレッド自身も、兜をかぶり続けているため、彼女の素顔を知られることも無いはずだ。だというのに、何故、彼女はモードレッドが女であると気づいたのか?

 

(・・・・この部屋自体に、何か仕掛けがあるのか?ちっ!油断した!)

 

臨戦態勢に入ろうとするモードレッドを、セイアッドはこれまたのんびりと答えた。殺気が漏れ出るモードレッドに、セイアッドは己の頬に手を当て、首を傾げた。

 

「それは簡単ですよ。男の私の婚姻相手ですから。あなたが女だというのは簡単な事でしょう?」

 

そう、セイアッドの住まう塔には、入るためには幾つか条件がある。それは、複数あるが、一番に着目すべきはセイアッドの結婚相手に相応しい人間であること。つまりは、女であることが絶対的な条件になっている。

 

「は?」

 

モードレッドは、兜の内で目を点にする。そして、固まった顔を動かし、ゆっくりと前の前に座っている存在を見た。

どう見ても女である。

それこそ、仕草も、雰囲気も、容姿も、どれを取っても高貴な姫君だ。服装も、ゆったりしたものの為、体の線は見えないが、どこからどう見ても奮い立つような美女だ。確かに、言われてみれば身長が高いかもしれないが。

 

「はあああああああああああ!?」

 

モードレッドはまた絶叫を上げる。それに、セイアッドはのんびりとまた笑う。

そんなことを気にすることも無く、モードレッドは目の前の女、いや、自己申告通りなら男なのだろうが。

男に掴みかかる様に距離を近づけた。

 

「お、男!?お前が!?お前みたいなのが、男!?は、母上よりも女っぽいのに!?」

「ええ、よろしければ、上半身だけご覧になりますか?」

「は、け、結構だ!」

 

動揺のあまり言わなくていいことまで言っているのはご愛敬なのかもしれないが。

するりと、己の服を脱ごうとする彼女を慌ててモードレッドは止める。

そんなことを気にすることも無く、セイアッドはモードレッドに話しかける。

「それで、お聞きしたいのですが。女性でも騎士になれるのでしょうか?」

セイアッドの言葉に、モードレッドは現実に引き戻される。そして、悪意のないセイアッドの言葉に、少し考える様な仕草をした後に、静かに答えた。

 

「俺は、少なくとも騎士として遜色ない程度に強いからな。おかしいか?」

 

女は、騎士にはなれない。それゆえに、モードレッドの父であるアーサー王も女であることを隠しているのだ。

自分よりも弱いというのに、男というだけで認められる存在がいるというだけで、彼女の中に苛立ちが生まれる。それに、セイアッドはあっさりと答えた。

 

「いいえ。少なくとも、モードレッド様は、騎士として遜色ないほどにお強いのでしょう?なら、おかしいことなどないと考えます。私のように、男でも姫をしているものもいるのです。女でも、騎士をしている方がいても不思議などないでしょう?」

 

そう言って、彼は微笑む。女よりも、麗しく、たおやかに、彼は微笑む。

モードレッドは、それに、そうか、とだけ答えた。

初めてもらった、他人からのその肯定は、モードレッドに己が考えている以上に頭の奥に染みわたっていった。

 

 

「・・・・おい!来たぞ!」

 

ずかずかと部屋の中に入って来たモードレッドの声に、セイアッドはいそいそと立ち上がった

そして、出入り口に立っていたモードレッドのマントを受け取り、彼女に微笑んだ。

 

「はい、良く来てくださいましたね、モードレッド。汗を流すためにお湯を沸かしましょうか。それとも、お食事がよろしいでしょうか?」

「腹減ったから飯!」

「はい、分かりました。すぐにご用意しますね。」

 

そう言って部屋に招き入れる。部屋の中には、良い匂いが香っている。モードレッドは、兜を脱ぎ、気楽な格好を取った。それを横目に、セイアッドは台所へ向かった。

 

(・・・・・にしても、モードレッド、かあ。)

 

その名前は、アニメだったか、ゲームだったかで一度は聞いたことがある。あの有名なアーサー王の息子の名前、であるはずなのだが。

モードレッドは女である。

それこそ、美少女と評していいほどの可愛らしさである。彼女曰く、彼女の父上は、どうもアーサー王であるらしいため、自分が転生したのはアーサー王伝説の中、ということになる。

といっても、彼もさほどアーサー王伝説に詳しくないため、名前を知っている程度だ。何かを知っているわけではないのだ。

セイアッドはそんなことを考えながら、狭い塔のなかで数少ない趣味になっている料理を器に盛っていく。

セイアッドの生きる今は、お世辞にも良い食材や器具が手に入るわけではない。そのため、出来る料理にも限りはあるのだが。それでも、現代からの知識を使い、試行錯誤を繰り返した末、彼からすればまあまあの出来の料理を作りだすことが出来るようになっていた。

まあ、それもセイアッドの地位が一応は姫であるため食材を自由に使ってよかったためでもあるのだが。

セイアッドが机に料理を並べていく。モードレッドは、その料理に目をキラキラとさせながら、食事に手を付ける。

この時代、セイアッドにとってはまあまあでも、モードレッドからすれば料理は絶品と言えた。

 

「・・・・・そういやあ、よ。お前が渡してきた薬、遠征先で役にたったぜ?」

「ああ、それはよかったです。」

「魔術の勉強は進んでるのか?」

「うーん、ローマは1日にして成らずでしょうかね。やはり、師がおらずというのはなかなかにきつくて。」

「ああ、この塔を作ったっていう魔術師が残したやつか?」

 

元を正せば、なぜ男であるセイアッドが女として扱われているかは、その魔術師にある。男として生まれれば、他の国からどのような扱いを受けるかは想像に難くない、けれど国王は美しい妻の面影を強く残した息子を殺せなかった。そのため、彼はセイアッドを娘として公表した。

けれど、婚姻話が出てくれば姫として扱い続けることは出来なかった。それを何とかしようとしたのが国付の魔術師だった。

彼は国王の願いを叶えるため、セイアッドが一生他と関わることがないようなことになっても、彼が生き残るために塔に閉じこめた。そして、短い余生でセイアッドに魔術の手ほどきをし、死んだ。

 

セイアッドとして生まれてほとんどを塔の中で過ごしている彼は、別段現状に不満はなかった。前世でなかった魔術の勉強というのは最高の暇つぶしであったし、彼の生来の気質ののんびりさは静かに過ぎていく塔での生活にあっていた。

何よりも、初めて、友人が出来たことも大きかったのだろう。

食事が終わると、モードレッドは円卓の騎士になってから、セイアッドの元を訪れるたびにしている習慣を始める。

 

「それでよ、今回、父上がな!」

「はい、ぜひともお聞かせください。」

 

セイアッドは、モードレッドのけして話はうまくなくとも嬉々として語られる、彼らの英雄譚が好きだった。娯楽が少ない現状だ。モードレッドの語る話は、セイアッドの数少ない楽しみの一つになっていた。

長々と、延々と語られる話を、セイアッドはにこにこと嬉しそうに聞き入った。

 

「て、感じだったんだ。」

「そうですか。アーサー王もすごいですが、モードレッドもさすがの活躍でしたね。」

「当たり前だ、俺はアーサー王の息子だからな。」

 

えっへんと胸を張りながら、モードレッドは素直な感想に照れくさくなっていた。

あの日、初めて会った日から、何ともなしに通ってしまっている塔には、一人の美しい男がいた。

不思議な奴だと、モードレッドはしみじみと思っている。

彼は、モードレッドがいくら怒ろうが、苛立とうが、怯えることもなければ拒絶することも無かった。

彼は、いつだってにこにこと笑いながら、モードレッドを受け入れた。

その武勇と勇ましさを湛え、かといって男扱いをするわけでもなく、その黄金の髪を櫛で梳きながらその美しさを褒め称えた。

母のような立ち振る舞いをしながら、まるで父のようにモードレッドの英雄譚を聞き入った。

彼の側は心地が良かった。

彼は、どこまでもモードレッドを肯定した。

 

「・・・・今度、な。父上に、本当のことを言う気なんだ。」

 

モードレッドは、ずっと悩んでいたことを口にした。

 

「ご子息だと、名乗り出る気でしょうか?」

「ああ、でも、勘違いすんなよ。名乗り出る気だけで、後継者になりたいとか言う気はないんだからな?」

「ああ、私の言葉を覚えておいてくれたのですか?」

「まあ、な。」

 

セイアッドは、モードレッドの王になりたい、父に認められたいという言葉に、こう問い返した。

どんな王になりたいですか、と。

それは、別段特殊な問いではない。王になりたいというそれに対しては、ごくごく真っ当なものだったろう。

けれど、それにモードレッドは言葉を詰まらせてしまった。

王になりたいと願っていた。けれど、どんな王になりたいか、考えていなかった。

父に認められる、それは確固たるもので、案外ぼんやりとした願いであった。

 

「・・・・愚王だなんて、名を残したくはないからな。」

 

父を超える様な王になりたいならば、武の腕だけでなく政の手腕も、志ももっておかなくてはいけないというセイアッドの言葉に最初は反発した。

けれど、その一言でセイアッドを拒絶しない程度には、モードレッドにとって彼は手放しがたい存在だった。

血縁ではない、他人。けれど、もしかすれば、誰よりもモードレッドに近しいものが、セイアッドだった。短いようで、長いような時間を過ごした彼はモードレッドにとって、言葉にできない存在だった。

どんな時も、モードレッドを、セイアッドは否定しなかった。

拙い魔術を使い、モードレッドの手助けをし続けていた。

だからこそ、モードレッドはセイアッドの言葉に耳を傾けていた。

だからこそ、モードレッドはその言葉を受け入れ、己がどんな王になりたいか、じっくりと考えることにした。

進む先が無ければ、迷子になってしまうだろうから。

 

そして、モードレッドは、父に認められるという夢以外に、一つの夢を持つようになっていた。

「なあ、セイアッド。」

「はい、何でしょうか?」

「・・・・・もしも、俺が父上に認められたなら、さ。」

「はい。」

「この塔から出て、俺たちの国に来ないか?」

「え?」

「俺たちの国は大きい。お前がいようとも、何言われてもビクともしないって!父上も、それに他の奴らも受け入れるって!」

 

その言葉に、セイアッドは少し考える様な仕草をした後に、静かに頷いた。

 

「・・・・そうですね。それは、ぜひともお願いしたいことです。」

 

にっこり、月光のような静かで、穏やかな、美しい笑み。それに、モードレッドは、その笑みと正反対の、快活で、輝くような、笑みを浮かべた。

彼に、見せたいと思っていた。

モードレッドの焦がれる、美しい国、美しい王、美しい在り方。

それに、セイアッドは、こんな風に微笑むのだろう。微笑んで、きっと、モードレッドの焦がれる美しいものたちを讃えるのだろう。

その光景は、きっと、美しいはずだ。

 

 

 

 

セイアッドは、己の死ぬ瞬間を、ぼんやりと受け入れた。

モードレッドしか訪れぬはずの塔の中。

その日、何故か、美しい女が訪れた。女は、モルガンと名乗った。

それに、何を言われたか、覚えてはいない。

ただ、セイアッドは、その美しい女に殺された。

死ぬことを、特段に拒絶しなかった。だって、二度目の生なんて本当に奇跡のようなものだったはずだ。

不幸ではなかった。愛されていたのだ。そうならば、自分の生は、けして悲劇ではなかったはずだから。

 

(・・・・・・モードレッド。)

 

そうだ、たった一人、それでも、誰よりも愛おしい人。

勇ましくて苛烈で、それでも愛らしくて明るい。

父に、彼女にとって最高に美しい人間に憧れる、英雄。

自分は、そんな彼女の手助けを出来ただろうか。助けに、なることが出来ただろうか。

もしも、そうであるならば、何を嘆く必要なんてあるだろう。鳥籠の中で、閉じられた世界。無意味に終わるかもしれなかったそこで、それでも得たものはあったのだから。

だから、不幸だなんて喚く必要なんてない。

(でも、心残りが一つ、だけ。)

叶うなら、一度だけ、一度だけでよかったから。

モードレッドの愛した国と、王を、一目だけでも見てみたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嫌いなもの?」

 

未来を取り戻すため、世界で一つだけ動き続けるカルデア。

モードレッドは、そこで己のマスターとなった少女に、質問を聞き返した。

そして、苛立ったように吐き捨てた。

「父上と、あの女だ!」

「あの女?」

 

思わず聞き返したマスターである藤丸立香に、モードレッドは叫ぶように、けれど押し殺す様に言った。

 

「・・・・俺を、産んだ女だよ。」

 

ありったけの侮蔑と憎悪の含まれたそこには、立ち入るなという警告が混ざっていた。そして、それに立香が、こう言った。

 

「な、ならさ、好きなものは?」

「好きなものぉ?」

 

モードレッドは、それに考え込む様な顔をした後に、幾つか上げる。けれど、すぐに何かに気づいたような表情をした。

そして、悲しむ様な、慈しむ様な表情で、彼女にしては珍しい囁くような小さな声で言った。

 

「・・・・窓辺でのお茶会。」

「え?」

 

モードレッドは歌うように、また続けた。

「控えめな低い声、静かな笑い声、満月色の瞳、細くて長い指、旨い飯、星屑を束ねたような髪。」

 

そして、また、紡ぐように囁いた。

 

「月光みたいな、微笑み。」

 

そう言って、モードレッドは微笑んだ。

彼女の言葉のような、静かな、穏やかな、月光のような美しい笑み。

 

「そんなものが、好きだった。」

 

宝物を差し出す様に、モードレッドはそう言った。

 

 

 



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待ち人

幕間の話になります


 

「・・・・それは、たぶんセイアッド姫じゃないのかな?」

 

藤丸立香とマシュ・キリエライトを前にロマニ・アーキマンは首を傾げた。

モードレッドの好きなもの、という話を聞いた後、立香はその抽象的なものの正体が分からずに困惑していた。

けれど、それがいったい何なのか、彼女に問いかけることも出来なかった。

その、好きなものについては語る時、モードレッドはあまりにもらしくない表情で、静かで、寂しくて、悲しい顔をするものだから。それがなんなのか、聞くことは出来なかった。安易に触れるには、あまりにも宝物を愛でるかのような、真摯な顔をしていたのだ。

とはいえ、さすがにそれが何か分からぬままというのも収まりが悪い。そのため、彼女にとっての頼れる後輩、マシュに見当がつかないかと聞くことにしたのだ。

そして、それに応えたのは、丁度マシュと廊下で立ち話をしていたロマニであった。

 

「セイ、アッド?」

「うん、まあ、けっこう有名なお姫様だね。アーサー王関係で、星屑の髪に、満月の瞳は彼女ぐらいだと思うけど。」

「はい、セイアッド姫はアーサー王伝説を読んだ方なら大抵知っているかと思いますが。先輩こそ、なぜ、そんなことを?」

「う、うん。実はさっき、モードレッドに好きなものについて聞いたら、そう答えてくれて。」

 

その言葉に、ロマニとマシュは、何とも言えない顔をした。それに、立香は嫌な気配を感じながらも再度問いかけた。

 

「えっと、そのお姫様、何か嫌な逸話でもあるの?」

 

それに対して、セイアッドについて知っている二人は何とも言えない苦みの走った顔を合わせた。そして、ロマニはうーんと唸りつつ首を振った。

 

「いや、そう言うわけじゃないんだ。セイアッド姫自体はどちらかというと素敵な逸話を持った人なんだよ。」

「それじゃあ、何でそんな顔するの?」

「・・・・・そうだね。そこら辺は少し長くなるけどいいかな?」

「それは、構わないけど。」

ロマニはそれに、廊下から茶でも飲みながらと医務室を指さした。

「じゃあ、お茶でも飲みながら話そうか。少し、長くなるだろうから。」

 

その言葉に、マシュと立香は頷いた。

 

 

 

 

 

少し消毒液の臭いがするそこで、三人は向かい合わせに座り、ロマニが常備している紅茶を啜った。そして、おもむろにロマニが話し始める。

 

「ええっと、そうだね。セイアッド姫はアーサー王伝説の中でも結構有名な存在なんだ。」

「そうなの?」

「はい、といっても、物語の中でセイアッド姫が直接出て来るのは一度だけになります。」

「それでも有名なんだ。」

「・・・・うん。まあ、確かにね。彼女はね、サー・モードレッドとセットで語られる存在なんだよ。話の中では、セイアッド姫はそれはそれは美しい姫でね、求婚者が絶えなかったんだけど、彼女を奪われることを恐れた父である国王に魔術師が作った塔の中に閉じ込められていたんだ。」

「・・・・それで、モードレッドが塔の中から連れ出すとか?」

 

立香は自分の予想に少々わくわくした。そうだというなら、まるでお伽噺の様で素敵ではないか。アーサー王伝説の話において、立香が知っているのなんてランスロットの不倫ぐらいしか知らないのだ。

 

「そうだね。その予想は八割方あってるよ。」

「八割方なの?」

「はい、実際はセイアッド姫は塔から出ることなく生涯を閉じています。彼女は呪いによって塔から出ることは出来ず、モードレッドさんが通うことによって逢瀬を重ねたそうです。」

「そんな彼女はサー・モードレッドが冒険の旅へと出るたびに数々の助言をしていたんだよ。軽い予言のようなものをし、行く先々での困難について助けになるようなものも渡していたから、優れた魔術師としての側面も持っていたようだね。」

「ここまで聞いたけど、セイアッド姫に何か話しにくいことはないように聞こえるね。」

 

それにロマニとマシュは頷き、言いにくそうにまた話し始めた。

そうだ、セイアッド姫とモードレッドの話は、アーサー王の話の中でも有名な恋物語として伝えられている。

そう、悲恋の物語として、何よりも。

 

「・・・・物語の中では、結局国は滅びてしまうのですが。その原因は数々にあります。けれど、最後の、というか一番の一押しはモードレッドさんの反逆にあります。その、反逆の原因がセイアッド姫にあるんです。」

「え、そうなの!?」

 

立香が驚いたような顔をした。それに、ロマニは頷いた。それを横目に、またマシュが話し始める。

 

「・・・・はい、それはセイアッド姫が実際に話の中で語られる唯一の場面です。一人、塔の中に残った彼女を女性が訪ねて来ます。女性の名はモルガン。アーサー王の宿敵です。彼女は、セイアッド姫にいいます。モードレッドこそが、王に相応しい。けれど、モードレッドは今の立場に甘んじている。モードレッドを愛しているならば、彼の目を覚ますために説得する様にと。そうした暁には、お前と私で彼を支えようと。」

「・・・・セイアッド姫は、それになんて?」

 

固唾を呑んでマシュの語りに立香は聞き入った。それに、マシュも頷いて答える。

 

「セイアッド姫は、それに悠然と微笑み、答えます。もしも、モードレッドが本当に王に相応しいというならば、己の力だけでそこにたどり着くでしょう。私の力なんてなくとも、あなたの力なんてなくとも。誇り高き彼の人は、いつか行きつくべき場所に行きつくのでしょう、と。そして、モルガンの怒りを買ったセイアッド姫は、彼女に殺されてしまいます。」

「え?」

 

セイアッド姫の話は、円卓の騎士たちの居る場所では語りにくいものが在る。

何故なら、ある意味ではセイアッド姫の死によって、モードレッドの反逆が決まってしまった部分があるためだ。

彼女が死んだことでモードレッドは、深く後悔することになる。しばらくの間、剣も手につかなかったほどの嘆き様であったそうだ。

そんな彼女はモルガンに囁かれるのだ。

あなたが守れなかったがゆえに、彼女は死んでしまったのだ。もしも、もっと、あなたが早く王位につき、彼女を塔から連れ出していれば、違った結末があったでしょうに。

そして、こうも囁いた。

彼女も、あなたが王位を取ることを望んでいたはずだ。あなたが望んでいた通り、アーサー王に認められる、つまりは王位を取ることを彼女もきっと望んでいるはずだ。

セイアッド姫の死因を知らなかったモードレッドは、それから王位というものに執着するようになった。

 

 

「・・・・・そして、モードレッドさんは、アーサー王に反逆することになった、というわけです。ですが、アーサー王を殺した後に、セイアッド姫の真実を知り、モルガンを恨むことになります。」

「といっても、話が語られる系統では、実はセイアッドはモルガンが化けた姿だった、なんて話もあるけれど。でも、彼女の話はアーサー王の中では、詳しい記述はなくとも、恋人を信じ続けた女性として有名なんだよ。」

 

立香は話し終わったそれらに、何と言えばいいのか分からなかった。

ただ、モードレッドの好きなものだと語った時の、あの顔の意味が分かった気もした。

 

「・・・・・モーさんは、お姫様の事が好きだったのかな?」

 

掠れた声で、思わずそう呟いた。

けれど、それにロマニもマシュも応えられなかった。

ただ、立香の脳裏には、彼女らしくない静かな、美しい笑みが焼き付いて離れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・あれ?」

 

何の因果か、原因か、無人島にたどり着いてしまったという一生に体験することはない事件の最中、立香は夜、寝付けずに外に出た。すると、何故か海の方に向かうライダーのモードレッドの姿が目についた。

 

「どうしたんでしょうか、モードレッドさん。」

 

一緒に拠点から出て来たマシュの言葉に、立香は頷いた。ナイトサーフィンという予想もついたが、彼女の性格からして一言ぐらいは残していきそうなものなのだが。

気になった二人は、その後をつけることにした。

 

 

「・・・・何だよ、マスターに、マシュ。」

「あ、ばれてたの?」

「ばれないわけないだろ、この俺だぞ?」

「そうですね、モードレッドさんの実力からして、私達の尾行なんて簡単に気づいてしまいます。」

「そーいうことだ。お前らも、こっちに来いよ。」

 

波打ち際に呼ばれた二人は、同じようにモードレッドの隣りに立った。そして、不思議そうに立香は彼女に問いかけた。

 

「というか、モーさんこんな夜にどうしたの?」

「そうです、いくらモードレッドさんに実力があるといっても一人での行動は危険かと。」

「あー?いいだろ、別に。少し、一人で海を眺めたかっただけだからよ。」

 

モードレッドはそう言って、ぼんやりと海を眺めつづける。その様は、やはり、昼の彼女とは大違いで、なんだからしくなかった。

それに、立香はなんだか今のモードレッドを一人にしてあげた方がいい気がしてきたのだ。

 

(・・・・・もう少し話したら、マシュを連れて拠点に帰ろう。)

 

気分に一区切りつけて、彼女はそうなんだ、と頷いた。

 

「でも、まあ、早めに切り上げた方がいいよ。今日は何だかんだで拠点づくりで大変だったし。」

「そうですね、モードレッドさんは鉄製の家を希望されていましたが。」

「当たり前だろ、家ってのは頑丈であればあるほどいいんだろ?」

「だからって、あんまりにも極端な気がするけどね。」

「・・・・・そっちのほうが、ましだからな。」

 

唐突に、妙に静かな声で、モードレッドは呟いた。それに、周りが、一瞬、しんと音をなくした気がした。波の音さえ遠いように思えたその時、立香は思わずモードレッドを見る。マシュも同じように、驚いた顔でモードレッドの方を見ていた。

 

「・・・どんなにみっともなくたって、極端だって、奪われちまうよりもずっとましさ。」

 

思わず、押し黙ってしまうような重苦しくて、そのくせ風に攫われてしまいそうなほど掠れた声だった。

 

「いつも通り、当たり前みてえに、それこそ犬みてえに俺のことを待ってるって思ってた。でも、二度と、あいつは俺に微笑みかけることはなかった。奪われて、もっと、どうにかなったんじゃねえかなんて考えても、全部がすでに遅かった。」

 

モードレッドはそう言った後に、二人の方に顔を向けた。けれど、その視線は確かにマシュの方を見ていた。

 

「・・・・・お前は間違えるなよ。お前は、俺と違って戦うものじゃなく、守るものだ。お前が、己が宝と決めたものを守り切れば、それだけでお前の勝ちだ。俺みてえに、前ばっか見て、後ろのやつを置いてきぼりになんてすんなよ。」

前にも言ったかもしれねえけどな。

 

静かで、穏やかな、あの時と同じ、月光のような微笑みにマシュは言葉を失った。けれど、震える声で頷いた。

 

「はい!」

 

それに、モードレッドは満足したように頷いた。

立香は、その表情に思わず、問うてしまった。

 

「・・・・・・どうして、海が見たくなったの?」

 

立香の言葉に、モードレッドは少しだけ体を震わせた後に、苦笑交じりの声を上げた。

 

「・・・・・・前に、海の話が好きだった奴がいたんだよ。」

「海の話?」

「ああ、海の話に関わらず、森の話も、湖の話も、キャメロットの話も、獣たちの話も、花の話も、何かもが好きだったけどな。だが、海の話は一等気に入ってた。話のうまくねえ俺のも、嬉しそうに聞いてたよ。つって、上手く話せねえから、さっさと切り上げちまうことがほとんどだったけどな。」

「・・・・その人、モーさんの話、聞くのが好きだったんだね。」

「・・・・どうだろうな、あいつは籠の鳥みたいなもんで。話すことが無いから、俺の話を聞くしかなかったのかもしれねえし。でも、まあ、そうだな。俺も、そんなに話すことが好きだったわけじゃねえけど。でも、あいつに一方的にでも、話すのは好きだったよ。」

 

モードレッドは、幼いころの思い出話を話す様に照れくさそうに笑った。

そして、屈みこみ、海にちゃぷちゃぷと手を入れた。

 

「海は、塩辛いんだっていうと、スープを作るのに便利そうだなんて言ってたっけっなあ。魚も取れるから、ついでに具が用意できるとかも。ここにあいつがいたら、きっと喜ぶだろうな。」

 

その横顔は、本当に幼くて、普段の粗野さを感じる印象とはまるで違い、繊細な少女のような顔をしていた。

 

「泳げるぐらい広いんだっていっても、あいつ泳ぐこと自体知らなかったから。一から教えてやんねえと。でも、それよりも砂遊びのほうが喜ぶかもな。」

 

くすくすと、少女のようにモードレッドは笑って、そして、ゆっくりと立ち上がって夜空を見上げた。

 

「話したかったのに、話せないままのことだってあるのによ。」

 

はははははは、と波の音と一緒にモードレッドの笑い声が響いた。そして、それと同時に、ひどく、ひどく、小さな声も混じって聞こえた。

 

「・・・・もっと、望む通りにしてやればよかった。約束なんて無視して、行きたいところに、見せたいものを見せてやればよかった。」

 

掠れた声は、ざーざーと、ざーざーと、波の音に攫われて、遠くに消えてしまったように立香には聞こえた。

それに、また、思わず立香は口を開いた。

 

「なら、会えるまでお土産話、たくさん用意しておこ!」

「は?」

「カルデアで、再会できた人たちだっている!なら、その人と会える可能性だってあるから。だから、それまで話せることをたくさん用意しておこうよ。再会できないって、決まったわけじゃないんだから。」

 

モードレッドは、それに虚を突かれたような顔をする。けれど、その後に、ふっとまた、あの静かな笑みを浮かべて、頷いた。

 

「そうだな、そんなことも、期待してもばちは当たらねえのかもな。」

 

三人の間を吹き抜けた潮風は、そんな言葉を攫ってどこかに届けようとしているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・ほかに、やることはもうないですねえ。」

 

セイアッドは、いつからいるのかも、いったいどれほどの時間が経ったかもわからないが、自分の育った塔の中にいた。

モルガンに殺されたことは覚えているのだが、それから気づけば塔の中にいた。

どうも、そこは英霊の座というものであるらしいのだが、それがどういうものなのかセイアッド自身知りはしない。ただ、自分がいけるのは、塔の中と、そして何故か窓から出入りの出来る美しい花畑だけだった。

塔での家事が終われば、その花畑を散歩する。

セイアッドは、ぽつんと窓辺に置かれたテーブルと、その近くに置かれた椅子に座った。向かい置かれた椅子は空のまま。

塔の唯一の出入り口である扉から出ようとは思わなかった。

そこから出る気はなかった。

 

(・・・・あそこから入って来るのは、一人だけ。私が出る時は、あの子と一緒じゃないといけない。)

 

それが、約束だった。

ぼんやりと、時間が過ぎるのを待つ。いつか、いつも通り、飯、なんて言葉と一緒に訪れる誰かを待ち続ける。

彼女が好きだった食事、体を拭くためのお湯を沸かし、また服を破いて帰って来るかもしれないと裁縫の道具を用意して、彼は待つ。

一度だって、誰も訪れないドアの前で、待ち続ける。

きっと、またたくさんのお土産話を、自分に聞かせてくれるだろうと。

自分は、それを聞くことしか出来ないけれど。でも、それに感想ぐらいは言える。そんな時、外を駆けまわる自由な獣のような彼女と、籠の鳥のような自分の世界が交わるようで嬉しい。

代わりに、自分は家の中で起こる些細な話をしよう。些細で、退屈なそんな話をそれでも彼女が耳を傾けて聞いてくれる日々が好きだった。

 

(・・・・・暇だし、刺繍でもしようかな。)

 

ぼんやりとそんなことを考えていると、こんこん、とノックの音が響いた。それに、セイアッドは飛び起きる様に扉に近づいた。

そして、扉を開ける前に、待ち人がノックをするような性質でないことを思い出し、扉の向こうの存在への興味をなくした。

そして、また部屋に戻ろうとする。けれど、外の存在もその気配に気づいたのか慌てて声を上げる。

 

「ねえ、無視しないでくれないかな!?」

「・・・・ですが、見ず知らずの人間を中に上げるわけにはいかないのですが。」

 

困り切った声に、外の存在は嬉々として名乗った。

 

「それなら安心しなよ、私はマーリン。みんなの頼れるお兄さんだよ!」

「その言葉で、あなたを部屋に入れないことが決定してしまいました。」

「なんでだい!?」

 

コントのようなやり取りだなあと考えながら、セイアッドは申し訳なさそうに答えた。

 

「マーリン様は目が合っただけで子が出来てしまうような人でなしだから関わるなとモードレッドに言われているんです。」

「く!ちゃんと釘を刺してたか、モードレッド!」

「そういうわけで、あなたに会うわけにいかないので、お引き取りをお願いしたいのですが。」

「いや、私もそう簡単に帰るわけにはいかないんだよ。」

 

マーリンはそう言うと、セイアッドの返事を聞かずに話し始める。

いわく、今、世界は滅びそうになっているそうだ。マーリンも、世界が滅びないようにそれを止める為に頑張っている少女を手助けてしているそうだ。

セイアッド自身、分からない単語も多かったため、ざっくりとしているがそう言うことらしい。

 

「はあ、そうなんですか。」

「いや、君淡白しすぎやしないかい?」

「マーリン様のような偉大な魔術師に出来ることが少ないというのに、私のような魔術師もどきが出来ることなんてないですから。滅びるなら、滅びるのを待つしかないかと。」

「うーん、これは思っているよりも数倍は手ごわいというか。」

 

マーリンの困ったような声を聞きながら、気が済んだなら帰ってくれないだろうかとセイアッドは首を傾げる。

 

「いや、君にも出来ることがあるんだ。協力してほしいんだよ。」

「はあ。」

 

セイアッドは相変わらず、のんびりとした声を上げた。

 

「実はね、モードレッドを止めてほしいんだよ。」

「モードレッド?」

「ああ、そうだ。今回の特異点では、円卓のものたちが召喚される。君には、彼女を止めてほしいんだ。」

「お断りします。」

「え?」

 

予想外の返事に、マーリンの間抜けな声が聞こえた。けれど、セイアッドはあくまでのんびりと事実を告げた。

 

「どんな理由があろうとも、私は、モードレッドの敵にはなりません。それだけは出来ないのです。」

 

断固とした言葉に、マーリンは少しの間沈黙した。セイアッドはそれに立ち去るかと期待したが、すぐにマーリンは言葉を発した。

 

「・・・・いいのかい?このままでは、モードレッドは永遠に。」

 

続けられた言葉に、セイアッドは動きを止めた。そして、震える手で、ドアに手を掛け、そして自ら扉を開いた。

彼女にしか、開けぬはずだった扉を、初めて開けた。

なぜか、ひどく悪いことをしている気分になる。

扉の向こうには、見たことも無いような、美しくはあったが奇妙な服装の男が一人立っていた。

 

「・・・・・ふむ、これは、なんとまあ。男というのが残念だ。」

 

セイアッドは、そんな台詞など聞いてもいないというように、マーリンに向けて微笑んだ。

 

「それでは、マーリン様、お話を、御聞かせていただきたいのですが?」

 

そう言って、セイアッドはどんな姫君でも裸足で逃げ出すような、優雅な礼をしてみせた。

そして、きっと、どんな人間でも、脳に叩き込まれてしまう様な美しい顔で持って、彼は月光のような美しい微笑みを浮かべた。

 

 



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狂いし騎士よ、月光を見よ


キャメロット編になります。


 

 

「へ?」

 

藤丸立香は、そんな声を無意識に上げながら目の前の存在に口をぽかんと開けた。

白銀のような髪はまるで絹糸のようにさらさらしていたし、肌は誇張なしに雪のように白い。

こちらをじっと見るのは、真ん丸とした月のような琥珀の瞳。白いドレスとローブで体つきまでは分からないが、体の前で慎ましく組まれたほっそりとした指のせいか、華奢であることを連想とされた。

立香は昔絵本やテレビで見たお姫様のような存在を凝視した。

それに、そのお姫様は幼子のように無垢に淑やかに微笑み、優雅に礼をした。

 

「ごきげんよう、マスターさん。」

「あ、え、えっと、ご、ごきげんよう・・・・・」

 

それは、どんな少女でも憧れてしまいそうな理想的な振る舞いをして見せた。立香は、思わず挨拶をした後に、無意識に呟いた。

 

「り、リアルディズニープリンセス・・・・・・!!」

「先輩、口に出てます!」

「え、あ、うん!!」

 

己の口から飛び出た単語にあわあわと慌てていると、目の前の存在はくすくすと軽やかに笑い声を上げた。

まるで作り物めいた美貌と雰囲気であったものの、その柔らかな微笑みと少しだけ低い声が彼女が生きていた何かであると告げていた。

 

 

 

「おいおい、お前ら大丈夫か?」

 

そう言って、惚けている立香たちに話しかけてきたのは、この山岳地帯にある村にて自分たちを庇ってくれたアーラシュという弓兵だった。

彼は朗らかに笑いながら、姫君に話しかける。

 

「よお、セイアッド。食料生産は終わったのか?」

「ええ、アーラシュ。いつも通り、つつがなく。」

 

のんびりとした言葉と共に、セイアッドというらしい彼女はにっこりと微笑んだ。

 

「えっと、セイアッドさん?というんですか?」

「はい、私はセイアッド。キャスターをしております。この村にて、少々お手伝いをさせて戴いております。」

「なーにいってんだ!お前のおかげで、少なくとも俺たちは餓えることがないんだぞ?もちっと自信を持てばいいだろ?」

「ふふふふ、お褒めの言葉、ありがとうございます。」

 

仲の良さそうな二人に困惑しながら、立香はマシュに囁いた。

「ねえ、マシュ。セイアッドさんってどんな英雄なの?」

「え、ええっと、はい、彼女は・・・・」

 

ロマニと共にマシュから説明され、立香は改めてアーラシュと共に談笑しているセイアッドの方に目を向けた。

 

「・・・・あの人が、モードレッドの。」

「ええ。ロンドンで会った彼女の、大事な人です。」

『まさしく、悲劇のヒロインみたいなものだ。』

 

ロマニの言葉に、立香はじっと、セイアッドを見つめた。

そして、その横では、ぼんやりとした目でベディヴィエールがセイアッドを見る。

 

「ああ、そうか。彼女が、モードレッドの言っていた・・・・・」

 

それは、どこか、遠い、微かな夢を見つめる様な、そんな目だった。

 

 

 

「そうだ、立香さん。よければ、私の塔に来ませんか?」

 

アーラシュとの談笑が終わったセイアッドは、唐突に立香たちの方を見て言った。

自己紹介の後に、彼女は朗らかに彼女の名前を呼ぶ。

 

「え、ええと、セイアッドさんの塔というと?」

「ええ、私の、何と言うか宝具というか、そんなものです。」

『君の宝具っていうと、その。霧深き塔のことかな?』

「あら、どこからか声が。」

『ああ、ごめん。僕はカルデアのロマニというんだけど。』

「なんだか、寂しい声ですね。」

『え?』

「なんだか、頑なで、振り返ってくれない、一人ぼっちの声ですね。」

『・・・・・そんな風に聞こえるのかな?』

「・・・・セイアッドさん?」

 

ぼんやりと、セイアッドはまるでロマニのことを探す様に宙に視線を向けた。それに、マシュが不安げに話しかけると、セイアッドは気が付いたように目を向けた。

 

「ああ、ごめんなさい。何でもありません、ロマニさん、変なこと言って申し訳ありません。」

『え、ああ、いや、別に良いんだよ。』

「そうですか。」

「どうしたんだ、セイアッド?」

「・・・・いいえ。何でもありません。さて、マシュさん、立香さん、私の住居に来ませんか?」

「そりゃあ、いいな。なんたって俺は入れてもらった事ねえんだ。せっかくだし、行って来いよ。」

「そうなの?」

 

仲の良さそうな雰囲気に、てっきり入れてもらっていると思っていたのだが。それに、セイアッドは困ったように笑った。

 

「仕方がないじゃないですか。私の塔は、男の子は入れないんですもん。」

「本当にな、女で集まってよく旨いもん食っててずるいよなあ。」

「そんなこと言って。ちゃんとあなたたちにもおすそわけしてるでしょう?」

「そうだけどなあ。」

 

きゃらきゃら互いで笑いあう二人を見ながら、不思議そうにマシュが問いかける。

 

「あの、すいません。セイアッドさんについての塔といえば、深い霧の中にあると伝えられるものなのだと思いますが。あれには、男性は立ち入れないなどという逸話はなかったと思うんですが。」

「ええ、そのようなものはありませんが。ただ、あれには私の結婚相手に相応しいものを選定するという機能があるのです。」

「え、ええ、それは知っていますが。ですが、それで何故女性が入れるのでしょうか。それならば、アーラシュさんは難なく入れると思うですが。」

「お、そりゃあ、俺が結婚相手に相応しいってことか?」

「調子に乗ると痛い目にあいますよー。」

「はははははははは、お前さん、手厳しいな!」

漫才のようなやり取りにキョトンとしていると、はっとした顔でセイアッドが両手を合わせた。

「そう言えば!私はあなた方に、私のことを言ってないんでしたっけ?」

「ん?そういや、言ってなかったな。」

 

互いに納得しているらしいアーラシュとセイアッドに、立香たちは首を傾げる。そして、そんな彼らに向けて、セイアッドはことも無く言ってのけた。

 

「私、男なので、結婚相手は女の子になるんですよ?」

「へ?」

 

一瞬、ではすまない間が、立香たちとセイアッドの間に空いた。そして、絶叫が響き渡る。

 

「「「『ええええええええええええええええ!!??』」」」

 

叫びはしたが、しばらくの間は視覚の情報と聴覚での情報の落差に混乱の為か意味の分からない言葉を叫ぶ。

 

「え、え、男?あれ?男?」

「ええっと、はい!確かに、今まで、どう見ても女性のような男性のようなサーヴァントはいらっしゃいましたし!はい、ありえます!」

「お、女?いえ、モードレッドのことを考えれば、え、あ、たし、かに?」

『ああああ、うん、そうだよね!?中身おっさんのくせに、絶世の美女になってるやつもいるし、多少はね!?』

「どうして、みなさんそんなに驚かれるんでしょうか?確かに、女顔ではあると思うんですが。」

「お前は女顔ってだけじゃすまないだろ。」

「でも、アーラシュはすぐに受け入れましたよね?」

「そりゃあ、あんな見事なもの見せられたらなあ。」

「あ、そうですね!皆さんも見ますか?」

 

そういって、セイアッドはおもむろに己の着ていたドレスをたくし上げようとする。それに、立香とマシュは思わず食い入るように見つめる。

ようやく正気に戻ったベディヴィエールが叫んだ。

 

「セイアッドさん!そういうことはしてはいけません!!」

 

一際大きく響いたベディヴィエールの声に、セイアッドは幼子の様な顔で不思議そうに首を傾げた。

 

 

 

「先ほどは申し訳ありません。はしたないことをしようとして。」

 

人と長く一緒にいなかったせいですかねえ。

セイアッドは、立香とマシュを招いた塔を登りながらぼやく。延々と続く階段をのぼりながら、立香とマシュは苦笑する。

ベディヴィエールとアーラシュは塔の出入り口で別れて来た。

 

「先輩、大丈夫ですか?」

「うん、まだまだ大丈夫だけど。すごいね、この塔。遠くからは分からなかったけど、近づいたらあるって分かるんだもん。」

「ええ、セイアッドさんの逸話として、かの、いえ、彼の閉じ込められていた塔は普段は霧の中にあったそうです。そして、選ばれたものしか見ることも、立ち入ることもできなかったと伝えられています。」

「そうですよ。普段は、この村の周辺だけでも霧を出して迷うようにしているんですが。あなた達の事があったので、今日だけは取り払っていたんです。ああ、着きましたよ。」

 

セイアッドがそう言った瞬間、扉が見えて来た。そして、彼は扉を開けた。

 

「わあ・・・・・・」

 

扉の向こうには、石造りの部屋が広がっていた。

 

「では、みなさんおかけになってください。お茶の用意をしましょうか。」

 

そう言って、セイアッドは、ちょうど部屋の真ん中に置かれたテーブルと椅子を指さした。

それに、立香とマシュは促されるままに椅子に座った。そうしていると、奥に引っ込んだセイアッドが、ポットとカップ、そして焼き菓子を持って来た。

 

「はい、どうぞ。薬草茶と木の実の焼き菓子です。」

「わあああああああ!おいしそお!」

「はい、先輩!」

 

久しぶりのまともな食事に、二人はキラキラとした目をする。促されて、焼き菓子と薬草茶は期待通りの味で、二人はきゃっきゃとはしゃぐ。

香ばしい生地と甘酸っぱい木の実の焼き菓子に、かすかに甘い香りのするさっぱりとした味の薬草茶に、二人は舌鼓する。

セイアッドは、それをにこにことしながら見つめる。上機嫌で、お茶のおかわりを注ぐなど、せっせと二人の世話を焼いた。

 

「おいしい!」

「ええ、とても。ですが、材料はどうやって?」

「実は、この塔の中に庭があるんですよ。そこで、少しですが植物や動物を育てているんです。」

「・・・・アーサー王伝説には、確かこの塔には枯れぬ井戸と豊かな庭があると伝えられていましたが。」

「ええ、といっても大量に作るには、それだけ多くの魔力が必要になりますので。村々の皆さんがお腹いっぱいというわけにはいかないのですが。」

 

セイアッドは、己の頬に手を当てて、困ったように首を傾げる。そして、唐突に彼は申し訳なさそうに口を開いた。

 

「あの、それで、すいません。実は、お二人に聞きたいことがあるんですが。」

「え、あ、はい!何でしょうか?」

「え、う、うん!」

 

食べるのに夢中だった彼女らは、セイアッドの言葉に我に返ったように背筋を正した。それに、彼は苦笑して、そして、どこか気まずそうに体をもじもじとする。

 

「・・・・・あの、このようなことを聞くのはどうかと思うのですが。その、モードレッドのことを、もし知っているならば、お話をしていただけないかと。」

 

顔を赤らめながら、気恥ずかしげに顔を伏せる彼女は確かに恋する乙女と言って良い。見ていると、応援したくなるような初々しさがある。

けれど、それに、立香たちは顔を見合わせた。

 

「それは、別にかまわないけど。」

「ですが、モードレッドさんについてならベディヴィエールさんに聞かれた方がいいかと思うのですが。」

「わたしたち、確かに特異点でモードレッドには会ったことあるけど、ほんの少しだけの付き合いだし。」

「・・・・ベディヴィエールさんの話は、たぶん聞いていると悲しくなるから聞きたくないんです。」

「悲しくなる、ですか?」

 

マシュが訝し気にそう問えば、セイアッドは徐に部屋の中の唯一の窓に目を向けた。

それは、マシュと立香たちも気になっていた場所だった。

大きな窓の側にはぽつんと小さな丸テーブルと、それに沿うように、向かい合うように小さな椅子が二脚置かれている。

寂しいと、無意識にか思ってしまうような光景だった。

きっと、誰かがそこでおしゃべりしていたのだろう。自分たちと同じように、お茶とお菓子でもつまみながら、他愛もない、いつかの話をしていたのだろう。

テーブルや椅子の様子を見る限り、一方の方は時折動かしたような形跡はある。

けれど、その向かい側を誰かが訪れることはなかったようだった。

 

「・・・・あの場所は駄目ですよ。いくら、頑張ってるマスターさんでも、あの場所は、上げられませんよ。」

「誰の場所なの?」

 

ころころとそんな声で囁くように言ったセイアッドに、立香は決まり切ってはいたけれど、それでもそんな問いを口にした。

セイアッドは、それに少しだけ戸惑うように唇を震わせたが、すぐに柔らかく微笑んだ。

 

「私の王子様、でしょうか?」

 

王子様、という言葉が、なんだか歪で。けれど、その言葉は確かに彼だけのものだった。彼と彼女、お姫様と王子様だけの、ふたりぼっちのものだった。

 

「・・・・ベディヴィエールさんは、きっと、私の居なくなった後のことを知っているのでしょう。けれど、それは、叶うなら、今は知りたくないのです。それは、悲劇に転がっていくだけで。何よりも、きっと、ベディヴィエールさんは私の知りたいことを知らないのと思うのです。」

「知りたいこと?」

 

立香の言葉に、セイアッドは応えることなく、淡く微笑んだ。

 

「きっと、それを知っていたなら、あんな悲劇は起きなかったでしょう。」

 

それは、きっと、諦めてしまったような微笑みだった。

全てがもう、遅いのだと、そんなことを悟ってもういいのだと笑っていた。

セイアッドはまた、あの、ふたりっきりの窓辺の席に目を向けた。そして、目をゆっくりと少しだけ細めた。

満月の瞳は、まるで三日月になる様に欠けていく。そして、また立香たちに目を向けた。

 

「だから、あなたたちから聞きたかったのです。悲劇も、喪失も、何もかも過ぎてしまった彼女は、どんなふうなのか、あなたたちから聞きたかったのです。」

私がいなくなった後でも、起こしてしまった悲劇の中でも、あの人は、迷わずにいられていましたか?

 

震える様な、そんな声で、彼は立香とマシュに問いかけた。

それに、彼女らは互いに頷いて、そして、彼女の話をした。

傲慢で、揺るぐことも無く、それでも誰かの幸せを願うことのできる、いつかの騎士のお話を。

 

 

「・・・・立香さん、大丈夫ですか?」

 

モードレッドの襲撃の後に、立香たちはいったん休息を取ることになった。そこに、最初の村に残っていたセイアッドがやって来る。

 

「・・・・うん、大丈夫だよ。」

「アーラシュのあれで飛んだんでしょう?気分などは悪くなっていませんか?」

「平気、平気!セイアッドの方は?」

「私は、この村で待機でしたし。それに、私の撒いていた霧のおかげで最初の村以外はそこまでの被害はありませんでしたから。」

「ああ、そっか。」

 

立香はそういったきり、何と言って良いのか分からなかった。

口をもごもごと含ませて、立香は視線を逸らした。それに、セイアッドはあっさりと立香に問いかける。

 

「・・・・モードレッドから、伝言は預かっておいでですか?」

 

立香の目が大きく開かれ、わななくように口が大きく開かれた。それに、セイアッドは申し訳なさそうに微笑んだ。

 

「すいません、わたしたちのことに、あなたを巻き込んで。彼女は、私の存在に気づいていたでしょうか?」

「・・・・・うん。気づいてた。」

「私は、モードレッドという伝説ありきの存在ですから。何となく、いるんだろうなということは分かります。」

「・・・・うせろって、言っておけって。」

 

立香はそう伝えるだけで精いっぱいで顔を下に向けてしまう。

正直言えば、セイアッドのことを伝えれば、モードレッドが味方になってくれるのではと、期待しなかったわけではない。

それでも、味方になってくれないとしても、セイアッドに向かう感情は、もっと、もっと、柔らかくて温かいものだと思っていた。

けれど、モードレッドから吐き捨てられたそれに、立香は彼女までもなんだか悲しいと思ってしまう。

そんな時、頭上から柔らかな声がまた囁くように掛けられた。

 

「・・・意地悪だなあ。君は、私をつれていってはくれないのね。」

 

その声に、立香は顔を上げた。

顔上げた先には、三日月があった。滴が垂れて来そうな、三日月がそこにあった。

迷子の子どもの様だった。迷子の子どものように、置いてけぼりを食らってしまった、子どものような。いや、それはもしかしたら、失恋でもした男の様でもあったのかもしれない。

 

「私は、また、置いてけぼりになってしまう。」

「・・・・セイアッドさんは、モードレッドがいるって知ってたんですか?」

「さっき言ったでしょう。私は、モードレッドがいるからこそ、存在できるのだと。」

「・・・・会いたいと、思わないんですか?」

 

立香は掠れた声を絞り出した。

 

「それは、私にあなたたちを裏切ってほしいということでしょうか?」

「そ、そんなことは!?」

 

慌てた様な声を出せば、彼はくすくすといたずらっ子のように笑った。セイアッドは微笑んでいた。

優しくて、穏やかで、静かな、微笑み。それなのに、胸を掻き毟りたくなるような、寂しくて、悲しい笑み。

 

「私は、モードレッドの所には行きませんよ?」

「・・・・どうして?」

 

そんなにも、悲しそうなのに、そんなにも、寂しそうなのに。

そう問えば、セイアッドは徐に、どこへとも知れずに、遠い所を見る様に視線を宙に向けた。

 

「だって、寂しいんですもん。モードレッドの願いは、たまらなく、寂しいと、思ってしまったんです。」

「セイアッドさんは、モードレッドの願いを知ってるんですか?」

「はい、ちょっとした事情で。だから、私は、あの子の敵となる。敵になってでも、私はあの子を止めなければいけません。」

「モードレッドの敵になっても?」

「私の願いは、モードレッドの願いが叶うことです。だから、私は、私の願いを叶えるために、戦うだけですよ。」

 

セイアッドは、己の胸にを手を当て、祈る様に瞳を閉じた。

 

「彼女と、一つだけ、約束をしたんです。」

「やく、そく?」

「いつか、もしも、彼女が王に認められたなら、塔を出てキャメロットに行こうと。だから、私は待ちました。いつか、来ると思っていたんです。だって、モードレッドは、カッコよくて、優しくて、素敵な子だったから。だから、いつか、王に認められると、そう思って待ちました。待って、待って、私はあの子を置いて逝きました。」

 

立香は、その言葉を聞いていた。ただ、聞いていた。それだけしか、できないのだと分かったからだ。

 

「英霊の座、というものに行っても、私の世界は、塔の中で。私は、そのまま、ずっと塔の中で待ち続けました。約束だったから。だから、外に出るなんてこと、考えもしなかった。でも、少し、今は思うんです。私が、彼女に会いに行けばよかったと。だから、今度は、今は、会いに行くんです。本当に、それが君の願いなのか、聞きに行くために。それを叶えれば、私に会いに来てくれるのかって。」

 

セイアッドは、くるりと立香の方を見た。そして、揶揄うように言った。

 

「ねえ、立香さん。」

「え、あ、うん。なんですか?」

「お姫様は、王子様が迎えに来るのを待っているでしょう?でも、王子様に会いに行くお姫様がいても、いいと思いませんか?」

 

今までの、重苦しい空気など忘れてしまったかのように、セイアッドは言った。

それは、誓いのような、願いのような、ひたすらに真摯な音の声。

それに、立香は頷いた。

きっと、いいはずだ。王子様に会いに行く、そんな強いお姫様だって、きっと素敵なはずだ。

 

(・・・・・サーヴァントとして召喚されるのは、英霊にとって、一つの曖昧な夢のようだって聞いた。でも、なら、それなら、その夢が会いたい誰かに会いに行くもの、きっと、きっと、いいはずだ。)

 

きっと、一度だけならば、きっと、奇跡は起きるはずなのだから。

 

 

 

「・・・・・どうして、ここにてめえがいる、セイアッド!!」

 

キャメロットにて、ガウェインを突破した立香たちはモードレッドに出会った。

けれど、モードレッドの視線は、じっとセイアッドに向けられていた。

セイアッドは、その殺気、威圧感をまるで子どもの駄々のように微笑んで受け流す。

 

「・・・・会いに来ては、いけませんでしたか?」

「・・・・ここは、てめえの居るべき場所じゃねえ。」

「いいえ、私はここに居なければなりません。そのために、私はサーヴァントとなったのですから。」

「・・・・ちっ。どうせ、全員が父上の槍によって死んじまうだろうが。」

「いい加減にしなさい!モードレッド、死にたいのなら、一人で死になさい。少なくとも、私たちは貴方の破滅願望に付き合っている暇はありません。」

「・・・あ?」

「そうですねえ。少なくとも、ベディヴィエールさんや、立香さんたちは、生き残っていただかなくてはいけませんから。」

「セイアッドにチキン野郎、てめえら、俺に喧嘩売ろうってのか?」

「売ったとも!それでもアーサー王の嫡子ですか、貴方は!?」

「はい、ええっと、喧嘩なんて一回も売ったことないので、これで正解なのかは分からないんですが。よかった、合っていたんですね。」

「・・・・セイアッド、お前は、昔っから。いや、いい。深く考えてもしょうがねえ。」

 

白熱するベディヴィエールやモードレッドとは違い、相変わらずセイアッドはのんびりしている。それに、思わずモードレッドはぐったりと肩を落とした。

気を取り直したのか、ベディヴィエールは口を開く。

 

「喧嘩を売られても、貴方は未だにこの惨状に何も思わないのですか。少なくとも、昔の貴方なら、将帥としての責務を果たしていた!」

 

それに、モードレッドは嗤う。

獅子王の理想都市に、軍など必要ないのだと、自分たちは獅子王の人理の礎となるのだと。

それを見ながら、セイアッドは口を開く。

 

「・・・・私は、ずっと、聞きたかったんです。モードレッド、あなたが騎士として、どのような人だったのか、私は知りません。でも、一つだけ、私の問いに答えてください。」

 

その声だけが、何故か、戦の真っ最中、轟音や人の叫び声の中、はっきりと聞こえた。向かい合った、セイアッドとモードレッドが見つめ合っているその瞬間、まるで、そこだけがふたりぼっちの世界のようにさえ思った。

 

「・・・・あなたの見せたかった、美しい国とは、こんな場所だったのでしょうか?」

 

それに、モードレッドの瞳は見開かれた。それに、セイアッドは、淡く笑った。

仕方がないな、というような、子どもの悪戯に苦笑する母親のような困ったような、そんな笑み。

 

「ここは、確かに、美しい。最初、この世界で目を覚ました時、アーラシュと共にこの都市を見に来ました。私は、この都市を、まさしく、天国のように美しいと思いました。そう、まるで、神様みたいに、傲慢な王の統べる都市だと。」

 

セイアッドはそう言って、爆撃や誰かの絶叫が響き渡る白亜の都市を見上げた。

そして、改めて、モードレッドに微笑んだ。

それに、彼女は、モードレッドは、まるで絶望を突き付けられたように、顔を歪ませた。

やめてくれと、そんな声がした気がした。

 

「・・・・あなたの愛した美しい王は、あなたの愛したままの、美しい王のままでしょうか?」

「うるせえ!!」

 

絶叫のような声が、辺りに響く。

歯を食いしばった彼女は、セイアッドとベディヴィエールを睨んだ。

 

「アーサー王の最期を看取ったてめえ、ベディヴィエール!お前に俺たちの何が分かる!?今更、しゃしゃり出て来やがって!!」

 

そう言って、彼女は剣を構える。そして、掠れた様な、まるで少女のような、そのままの声で叫んだ。

 

「セイアッド!お前には、お前にだけは、こんなの見てほしくなかったのに!」

「モードレッドさん、来ます!」

 

マシュの言葉に後に、モードレッドは斬りかかって来る。それを、マシュの盾によって防ぐ。

一旦距離を取ったモードレッドに、セイアッドは後ろに下がりながら、ベディヴィエールに叫んだ。

 

「ベディヴィエールさん!約束、守ってくださいね?」

「約束って、セイアッドさん?」

「・・・・・・分かっています!」

 

モードレッドが宝具を使うための構えに入る。それを見たセイアッドは、驚いた顔をしている立香に微笑んだ。

 

「さあ、立香さん、マスターさん。すいません、悲しいとかなんて思わないでくださいね?」

「え、ど、どういうことなの!?」

「ふふふふ、私も、これでも男の子なので。少しぐらいの意地があるんですよ。」

 

セイアッドはそう言うと、どこからか鋭利なナイフを取り出した。そして、それをおもむろに己の胸に、突き刺した。

 

「な!?」

 

誰の声だっただろうか、モードレッドのような、立香のような、マシュのような、そんな声。

そんな中、ベディヴィエールだけが、何もかも知っているようにモードレッドを見つめる。そして、ダ・ヴィンチが声を上げた。

 

「ま、まさか!?」

 

セイアッドは口から大量の吐血をしながら、モードレッドを見つめた。

 

 

この身は全て、愛すべき騎士に捧げられる

我が献身は、彼の騎士の功績 我が祈りは、彼の騎士への守護 我が物語は、彼の騎士の物語

ゆえに、我が終わりは彼の騎士への呪いとなる

 

――――――我が終焉とは、彼の騎士の終焉なり

 

それに、明らかにモードレッドの体は傾いだ。黒い何かが、彼女へと纏わりつく。

それを、ベディヴィエールは見逃さない。斬り込んだ彼に、モードレッドは何とか受け流すが、明らかに彼女の動きは鈍っていた。

吐血するセイアッドに、立香とダ・ヴィンチは駆け寄る。

 

「セイアッドさん!?」

「なるほどね!これも、君の宝具か!」

「・・・・げほ、ごは!ええ、モードレッド専用の、宝具ですけど。私の死は、モードレッドの物語の衰退の始まりです。私の物語の、げほ、終わりは、モードレッドの物語の、終わり。」

 

ぜーぜーを荒い息をセイアッドは繰り返す。

 

「と、ともかく治療を・・・・」

「いや、無理だね。」

「どうして、ダ・ヴィンチちゃん!?」

「・・・・ナイフに毒が塗られてる。これは、静謐の毒だね?」

「え?」

「はい、かく、じつに死ななくてはいけないので。よういしてま、した。わたしは、このために、ここにいるんです。」

 

セイアッドは、立香の方に視線を向けた。

 

「す、いません。立香、さん。あなたは、優しいから、きっとつらいでしょうが。でも、悲しまないでください。われらは、死者。すでに、終わっているのです、から。」

「でも、こんなの、こんなの。」

「泣かない、でください。私、楽しかったので。それに、もう、決着がつくだろうから。だから、私と、モードレッドの、この夢の終わりを、どうか、みとどけてください。」

 

その声と共に、モードレッドが倒れ込んだ。

それを聞きながら、セイアッドは安堵して息を吐いた。

きっと、もうすぐ、終わるのだろうと。

 

(・・・・・モードレッド、怒るかなあ。きらわれ、ちゃうかなあ。)

 

ぼんやりとした意識に、ベディヴィエールの声が聞こえる。

 

「貴方の夢を汚して済まない。」

「なん、だと・・・・!?」

「それでも、これは、夢だ。貴方は反逆の騎士だ。アーサー王に心から仕える時は、永遠に訪れない。そして、それは、私も同じだ。」

 

ベディヴィエールは、悲しそうに笑っていた。

己の無力を、モードレッドの無力を。

たった一人の、彼らの王の最期を、悲しそうに語る。

 

「・・・・あなたは、無邪気な夢を見たのですね。王に憎まれたまま、王に仕える夢を、見た。そして、貴方はきっと、セイアッドに会いに行く夢を、見たかったのですね。」

 

モードレッドの顔から表情が抜け落ちた。それに、彼は申し訳なさそうな顔をする。

 

「彼から聞きました。貴方と彼の約束を。貴方の、王に認められるという、そんな夢をここで、歪でもいいから叶えたかったのでしょう。もう一つの約束を叶えんがために。貴方の夢を罵倒したことは、赦されよ。その贖罪は、我が剣が引き継ぐ。けれど、モードレッド、一つお聞きしたい。そんな歪な願いで、貴方は彼に会いに行けたんですか?」

 

モードレッドは、大きくため息を吐いた後に、おもむろに己の剣を地面に突き立てた。そして、鎧を解き、立香たちの方に向かう。その眼は、確かに、吐血するセイアッドの方を見ていた。

ベディヴィエールは止めなかった。すでに、彼女には敵意はなかった。

 

 

「・・・・おい。」

 

モードレッドは倒れたセイアッドの側に跪き、手を差し出した。それが、渡せ、という意味だと察して、立香はセイアッドをモードレッドに渡した。

 

「・・・・痛く、ねえか?」

「大丈夫ですよ。いたくないの、頼みましたから。」

「そうか、お前、痛いのになんて慣れてないだろからな。」

 

モードレッドは、セイアッドの銀糸の髪を優しく梳る。愛しい、愛しい、宝物に触れる様な手つきで。そんな手つきに、セイアッドはふふふ、と微かに笑う。

 

「・・・・・不思議、ですね。」

「何がだ?」

「だって、いつも、膝枕、するの私ですもの。君が、してくれるなんて、珍しい。」

「なんだよそれ、名誉に思えよ。俺の膝枕なんてお前ぐらいしか味わえねんだから。」

「ふふ、ふふ、ふ。そっか、ラッキーだなあ。」

 

セイアッドの満月が、陰り始める。もうすぐなのだ、もうすぐ、セイアッドの夢が終わる。

それに、立香は歯を食いしばる。見届けてと、そう願われた。なら、見届けなくてはいけない。その願いをせめて、見届けなくてはいけない。

 

「・・・お前、なんで、こんなとこに来たんだよ。何よりも、似合わねえのに。」

「だって、だって、寂しいじゃ、ないですか。見捨てられても、いいからって、そんな風に、誰かに仕えるなんて。愛してる人に、そん、なことをおもわれるのは、あんまりにも、寂しいんですもの。」

「・・・・んなことで、ここまで来たのかよ。ばかだなあ、待ってりゃよかったんだよ。いつも通り、旨いもん、用意して、俺が来るの、待ってりゃ、よかったんだよ。」

 

言葉が、途切れ途切れ、途絶えていく。二人の体も、光になって、少しずつ、溶ける様にほどけていく。

終わるのだ、この夢が、今、終わろうとしているのだ。

セイアッドは、もう見えていない目を開けて、必死に、微かに分かる黄金とエメラルドを見つめた。

 

「モー、ドレッド。ごめん、なさいね、あなたの、あな、たの夢を、否定して。でもね、それ、でも、私は、ひていしたかった。せめて、夢を、見、るならもっと、優しくて、幸せな夢を、見てほしかった・・・・」

「幸せだったよ、俺は、あの人に仕える夢を見れた。お前に、会えた。お前に会えるという夢を見れた。だから、いいんだ。」

 

それに、セイアッドは、くすくすと笑う。そして、囁くように言った。

 

「お、なじだ。」

「何がだよ?」

「ほんと、うはね。わたしも、きみにね、あえたらって、おもって、ここまできたんだ。」

 

それは、ひどく、ひどく、幸福そうな光景だった。

互いに、互いで血まみれで、今にも死んでしまいそうなのに。それでも、その夢は、美しかった。

 

「・・・・ひとりはね、こわくないから。だから、とうに、ひとりでいるのは、いやじゃなかったよ。きみを、まちつづけるのは、つらくなかった。でもね、きみと、ずっとあえないのは、こわかった。だから、ごめんね、あいに、きちゃったんだ。ゆめ、でもいいから。ゆめでもいいから、あいたかった。ゆめで、いいから、やくそくなんて、わすれて、ただ、きみに、あいにいきたかった。」

セイアッドはすでに力などないような手で、モードレッドの顔に手を伸ばした。

「・・・・・ああ、しあ、わせなゆめ。」

 

しゅるりと、セイアッドの体がほどけて、消えていく。モードレッドは、その残滓を握りしめる様に、そして、その光の後を追うかのように、空を見上げた。

 

「・・・・そうだな、悪くない、夢だった。」

 

モードレッドの体も、溶けて、そして、ほどけて消えていく

瞳を閉じたモードレッドは夢の最後に、ただ、悪戯のように思いついた。

 

(・・・・・ふたりっきりの、約束なら、少しぐらい、破ったって、構わねえか。)

 

それは、確かに、悪くない夢だった。

 

 

 

 

 





「・・・・ご飯は、これぐらいでいいですかね。」
セイアッドは、いつもどおり、食事の準備をする。
毎日、毎日、それこそ、時間の概念などない英霊の座にて、彼は変わらずそれを続ける。
いつか見た夢も、どれほど昔なのか分からずに、それでも、彼女は続ける。
いつかの、夢のように、また、会えるように。
それが、いつになるかは分からないけれど。
こんこん、とノックの叩く音がした。
本当に、久しぶりの客人だ。
(・・・・また、マーリン様、でしょうか?)
自分に頼みがあったあの日以来、時折茶を飲みにやって来る時がある。
「・・・はいはい、どなたですかって。こんな所に来るのなんて、マーリン様ぐらいですねえ。」
そんな独り言を言いながら、彼は扉に向かう。そして、一応と、どなたですかと問いかけた。
「・・・・・なんだよ、久しぶりにつれねえな。」
懐かしい、声だった。
セイアッドは目を見開き、そして、扉のノブに震える手を伸ばした。
けれど、扉の先を確認するのが、恐ろしくて、なかなか扉を開けられない。
そして、扉が力任せに引き抜かれた。
ばきゃ!!
扉としての役目を果たしていないそれを見ながら、セイアッドは目を見開いた。
「・・・・扉が。」
「あー、別に良いだろ。どうせ、もう、ここには帰ってこねえんだし。」
そう言って、彼女は彼に手を差し出した。
セイアッドは泣きそうな、それでも、笑って、彼はその手を握った。
「そんじゃあ、行くか。」
「・・・・どこに、ですか?」
「さあな、でも、行ける所に行けやあいいさ。」
そういって、彼女は、彼を引っ張った。そして、彼は扉を潜った。

長い、長い、何時かの果てに、彼と彼女はまたであった。
ずっと、ずっと、己の王子様を待ち続けたお姫様の話は終わり。
これからは、長い、長い、とある二人の美しいものを見るためのお話が始まる。


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ああ、我が運命よ!

カルデア編になります。

今のところ、pixivの方にあるものを全部載せてから新作を書いていこうかと思っております。

また、モードレッドの他に、アーラッシュや二トクリス相手のものなど載せていこうと思っております。


その特異点に、彼がいたと聞いたのは、ずいぶん後の事だった。

関わっていたサーヴァントがサーヴァントなだけに、関係者である円卓の人間には話が行かないようになっていたらしい。

なんとなく、レイシフト先での一件が伏せられていることは察していたが気にはしていなかった。

特異点の内容を聞いたとしても、揺らぐような人間など円卓にはいないのだが。

それでも、彼女、モードレッドにとってはありがたかった。

幸せそうに笑って消えていったというその話に、モードレッドはあれらしいと納得し、そうして、ああ会えなかったのかと記録を眺めた。けれど、何故か、少しだけ笑っていたことに彼女は気づいていなかった。

 

彼女のマスターである藤丸立香が、レイシフトから帰還してから少し経った。そうして、そのレイシフト先にモードレッドの忘れることが出来ない彼がいたことを知った。

モードレッドは、彼女らしくもなく、黄昏れる様に人があまり通らない通路にて、その吹雪を眺めていた。

 

(・・・・あの塔からの景色とは、大違いだな。)

 

思い出すのは、彼女が足繁く通った塔の最上階から見た景色と、そうして月色の瞳と、月光色の髪。

セイアッドが、いたのだという。

 

モードレッドを止め、彼女を殺し、そうして幸福そうに互いに笑って消えたのだという。

それを聞いて、モードレッドの中にあったのは、呆れと苛立ちと、そうして、一抹の妬ましさ。

王に仕えたという己、王のために死んだという己、そうして、セイアッドと再会して逝った己。

今、カルデアにいるモードレッドにはその記憶はない。

約束を叶えることなく彼に会ったという己。叶えなかったくせに再会した己。もう一度だけ、会えたならなんて祈りを叶えることが出来た己。

ずっと、ずっと、モードレッドを待ち続けたと言って、会いたかったのだと言ったセイアッド。

幸福そうだったのだとそう言っていたなんて、マスターは泣いている様な、笑っている様なそんな顔をしていた。

それに、モードレッドは、まるで絵空事を騙られているように、そうか、とだけ頷いた。

モードレッドはまるで子供の様に膝を抱えて座り込んだ。

叶うなら、叶うなら、どうか、彼がカルデアに来ることなどないようにと、モードレッドは切に願っていた。

月光に、未だ相まみえることなどできなかった。

 

 

 

 

 

 

まるで月が人になったような存在がそこにいた。

もちろん、カルデアには某月の女神も居はしたが立香としては月に対して静謐さだとか、柔らかさを感じる為、どうしてもイメージと合わないのだ。

それに比べて、目の前の姫君はそのイメージにしっくりくるのだ。

召喚陣の上に立ったそれは、夜闇を照らす月光が如く柔らかに微笑んだ。

 

「サーヴァント、キャスター。あなたとの縁を頼りに顕界しました。どうか、私があなたの進む道を助ける力と成れるように。」

 

その台詞と共に頭を下げる動作は、まさしく姫君という姫君が裸足で逃げ出すほどに優雅で品がある。

 

薄い微笑みを浮かべたその小作りな顔は、国を傾けるが如く麗しい。けれど、作る表情が少女のごとく愛らしく、顔と相まって繊細な魅力を作りだしていた。

細められた瞳は満月のごとく黄金にキラキラと輝いていた。そうして、何よりも目を引くのは背中で緩く編まれた銀色の髪だろう。照明の光を吸い込んで、キラキラと光るそれは、まるで光を背負っているようだった。

その身を包むのは、青みがかった白いドレスであったが、品のある色合いがその容姿の魅力を何倍にも増させていた。

 

彼を、茫然と見ていた立香とマシュに、セイアッドは嬉しそうに一層笑みを深くした。

「マシュさん、立香さん。」

お久しぶりです、がんばりましたね。

 

その、男にしては少し高く感じる声に二人の涙腺は崩壊した。

 

「セイアッドさああああああああああん!!」

 

彼はそれに手を広げて、受け入れた。

 

 

 

「ねえ!モードレッドどこ!?」

「モードレッドさん、どこですか!」

 

食堂に慌ただしく駆け込んできた立香とマシュに、その場にいたスタッフやサーヴァントたちが目を丸くする。

 

「どうしたのかね、マスターにマシュ。そんなにも慌てて。」

「新しい人が来たの!」

「はい、どうしても会わせたい方が来られてたんです!」

「新しい?で、その新しいサーヴァントはどこ・・・・・」

 

エミヤが存在しない新人の所在を問おうとすると、廊下から白銀が現れた。

 

「お二人とも、お速いですね。」

 

そのサーヴァントは静々と淑やかに二人に歩み寄った。そうして、二人が詰め寄っているカウンター奥のエミヤを見つけるとにっこりと微笑んだ。

 

「ごきげんよう、赤の方。初めまして、新しくマスターに呼ばれた、キャスター、セイアッドと申します。」

以後、お見知りおきを。

 

彼女はスカートをひらりと捌き、エミヤに貴族の礼をする。エミヤはサーヴァントでは珍しいタイプの出で立ちに、ああ、と頷いた。

 

「あ!ごめん、セイアッドさん。置いていっちゃって。」

「いえ、お構いなく。私も、早くモードレッドに会いたいので。」

 

そう言って、その姫はきょろきょろと周りを見回した。そして、エミヤはセイアッドという名前を思い出す。

 

「・・・・セイアッド?」

「はい、何か御用でしょうか、赤の方?そういえば、お名前を伺っても?」

「あ、ああ、私はしがないアーチャーのサーヴァントだ。エミヤと呼んでくれ。セイアッド姫。」

「あら、ご丁寧に。エミヤ様、改めましてよろしくお願いします。」

 

にっこりと笑って再度された礼にエミヤは戸惑うようにああと頷いた。

サーヴァントなどになった存在は、大抵、言い方は悪いがどぎついものが多い。それに比べて、セイアッドという存在はその容姿を抜けばなんとも平凡な存在のようにエミヤは感じた。

そこにどやどやとやってきたのは、丁度食堂にいた円卓のメンバーであった。けれど、期待に添えることはなくモードレッドはその中にいなかった。

 

「マスター。」

 

後方から聞こえて来たその声に振り向けば、そこにはガウェインやトリスタン、セイバーのランスロットにベディヴィエールが立っていた。彼らの視線の先には察した通りでセイアッドが立っている。

 

「あ、ガウェイン!ねえ、モードレッド知らない?」

「モードレッド、ですか?さあ、今日は見ておりませんが。」

「そうなの?どこ行ったんだろう。」

 

立香がそう言う中、彼らは女なら一目で恋してしまいそうなほどに麗しい微笑みを浮かべて、セイアッドに挨拶をした。

 

「ご機嫌麗しゅう、姫君。お名前を伺っても?」

「まあ、姫君なんて、ご丁寧にありがとうございます。私は、セイアッドと申します。」

 

ドレスの裾をちょこんと掴み、彼はしゃなりと挨拶をして見せた。その優雅な仕草に円卓の騎士たちはほう、と感嘆のため息を吐く。

 

「いや、このような美しい人と会えるとは幸運で・・・・・」

 

おもむろにランスロットが口を開くが、それはマシュの凍えるような目で中断される。

 

「・・・・あなたという人は。」

「ち、違うんだ!そういう意味ではなく、美しい人に美しいというのは当然で!」

 

ランスロットに詰め寄るマシュに、セイアッドが柔らかく止める。

 

「マシュさん、落ち着いてください。」

「ですが、セイアッドさん!」

「ふふふふふ、そんなに怒らずとも、男の私を姫君なんて言ってくれる優しい人たちなんですから。」

「・・・・ですが。」

 

マシュがさらに言葉を紡ぐ前に周りがしんと耳が痛いほどの沈黙で覆われていた。

それに、マシュと立香はセイアッドが男であると伝え忘れていたことに気づく。そうして、次にやってくる反応も又予測できた。

それにセイアッドは彼らの様子に、何となしにされていた誤解を察したのだろう。ぽん、と手を打ちおもむろに己のスカートに視線を向けた。

 

「御疑いなら、見てみますか?」

 

それに、思わずマシュと立香が反応する。

 

「「「男だと!!??」」」

「「セイアッドさん!!!」」

 

絶叫のようなそれは何十にも重なって、食堂に響き渡った。

 

 

 

「もう、セイアッドさん、ああいうことしちゃだめですよ?」

「そうですよ。」

 

食堂を後にした三つの人影は、廊下をてくてくと歩いていた。

セイアッドはそれに、眉をへにょりと下げて謝罪した。それに二人は分かっているのかと不安になりながら、後ろを歩くセイアッドに目線を向ける。

けれど、彼はそんなことを気にした風も無くきょろきょろと必死にモードレッドを探しているようであった。

それに、ため息を吐きながらもマシュと立香は受け入れた。

彼の、あの特異点での別れを知っている立場ならばその急いた様子も仕方がないとマシュと共に頷き合った。

ともかくは、フランなどから聞いた、彼女がこのごろよく入り浸っているという区域へと進んでいた。

 

(・・・でも、モードレッドがそんなふうに一人になりたがるって珍しいけど。)

 

どちらかといえば馬鹿騒ぎが好きな彼女にしては、というよりもこの頃妙に静かであった気がする。

そんな疑問に答えを出そうとするが、そこで、ようやく外に面した大きな窓の縁に座る金色の頭を見つけた。

それに気づいた立香は思考を中断し、モードレッドに声を掛けようと口を開いた。けれど、それよりも先に後ろから銀色の髪を靡かせて、セイアッドが駆け出て行った。それに、立香は声を掛けようとしたが無粋かと口を閉じた。

そうして、再会を邪魔せぬようにと歩みをゆっくりにする。それに倣い、マシュもまた淡く微笑んで歩みを緩めた。

 

 

たったった、と何かが近づいてくる気配を感じて音のする方に視線を向けた。

そうして、彼女はゆっくりと目を見開いた。

 

白いドレスのよく似合う清楚な容姿、男にしてはあまりにも頼りない嫋やかな体、満月のような瞳と、そうして、月光のような白銀の髪。

それは、遠い昔、彼女が失った月だった。彼女だけの、姫君だった。

 

夢を見ているのだろうか、そう思って。けれど、それがすぐに錯覚だと理解もした。

セイアッドはモードレッドから数歩離れた所で立ち止まった。緊張の為か、真っ白な肌が真っ赤に染まっている。

そんな、そんな彼を見てモードレッドの胸に広がるのは静かな絶望であった。

セイアッドは、モードレッドを真っ直ぐと見て、そうして息切れをするように荒い息をしながら言った。

 

「・・・・ごめんなさい!」

 

セイアッドは、勢いよく、驚いた顔のモードレッドを前にした。

 

「あなたは、今、ここにいるモードレッドは知らないでしょうけど、でも、私、会ったんです。」

 

セイアッドは必死に言い募る。

 

「あなたに、ある時、会ったんです。だから、待とうと思ったんです。でも、駄目でした!また、会いたくなってしまいました!」

だから、会いに来たんです。

 

セイアッドは、そう言って幼子が母に手を伸ばすような仕草でモードレッドに近づく。

それは、確かに、いつかの彼らが見た夢と似ていたかもしれない。セイアッドが、モードレッドを求め手を伸ばした。

けれど、それは何よりも彼女によって壊された。

 

「・・・・だめだ。」

 

珍しく、震える様なモードレッドの声にセイアッドの動きが止まった。

モードレッドは窓の縁から立ち上がり、そうして彼女はセイアッドから目を逸らした。

 

「・・・・モードレッド?」

「すまない。」

「あの、私は何か・・・・」

「違う。お前の、お前のせいじゃない。ただ、俺に問題があるだけだ。」

「それはどういう。」

「すまん。」

 

モードレッドは、そう言って早々と会話を断ち切りその場から立ち去ってしまった。

振り返りはしなかった。きっと、振り返ったその先で迷子のような顔で途方に暮れているのがありありと想像できた。

 

 

 

 

 

 

 

それっきり、モードレッドはセイアッドを避けるようになった。

マスターである立香や円卓の人間がどれほど言おうと彼女は執拗にセイアッドを避けた。

理由こそ言いはしなかったが、いつもなら素直に感情というものを示す彼女の沈黙に、皆も手を出すべきではないかと静観に徹している。

そうして、件のセイアッドはというと、モードレッドを見るたびにそわそわとしている。が、彼女から避けられていることが分かっているせいか、無理に近寄ろうとはしない。

ただ、悲しそうにモードレッドを見る。それに彼女の唯我独尊ともいえる自意識がきりきりと静かに悲鳴を上げる。

けれど、それでも、どうしても、モードレッドはセイアッドに関わろうとはしなかった。

数度ほど、マスターである彼女が宥めすかして同じパーティーにいれたこともあったがモードレッドは頑なに彼を遠ざけた。

それによってとうとう立香も匙を投げて見守ることに徹している。

 

モードレッドは、セイアッドが来てから考え込むことが多くなった。それは、円卓の人間に獅子王たちのことが知らされた頃よりも、ずっと顕著であった。

人の滅多に通らぬ端の廊下にて、彼女は滅んだ世界の吹雪を眺めて何かをじっと考え込んでいた。

 

 

 

なにがあったと聞かれた。

セイアッドが気に入らぬのかと問われた。全てが違った。

モードレッドの中にある葛藤とも言えるそれは、ずっと、ずっと、彼女の中にあったものだった。

その日も、モードレットは暖房のあまり効いてない廊下にいた。腰かけた窓の縁はまるで氷のように冷たいがサーヴァントである彼女には大した意味はない。

この頃は、食堂にもろくに行っていない。行けば、セイアッドと高頻度で顔を合わせてしまうのだ。

食事を取る意味もないサーヴァントの身が今はありがたかった。

あれは、今日も自分を待っているのだろうか。あの日、あの時のように、己を、ただ待っているのだろうか。

会いに来てくれた彼に頑なに会おうとしない自分に呆れながら、それでもモードレッドは未だに覚悟を決められていなかったのだ。

 

「・・・・らしくないですね?」

 

その声に弾かれるように顔を上げた。そこには、呆れた顔をしたベディヴィエールが立っていた。それにモードレッドは顔をしかめる。

普段なら噛みつく程度の事はするのだが、そんな気分にもなれずまた窓に視線を向けた。

ベディヴィエールはそれにため息を吐き、断りも入れずにモードレッドの隣りに座った。

モードレッドはそれに不快そうに顔をしかめるが、何かを言い返す気力もなかった。それに、ベディヴィエールは廊下側を向いたまま、横目でモードレッドを見る。

が、何も言い返してこないモードレッドによほど重病なのかと察せられたのか、ベディヴィエールは小さく目を細めた。

 

「・・・・・彼が、座に還りたいと言うようになりました。」

「は?」

 

モードレッドはベディヴィエールの言葉に目を丸くした。ようやく反応らしい反応に、ベディヴィエールはほっと息を吐く。

 

「自分が、あなたに何かしてしまったのかとそう言って、沈んでいたのですが。それから、あなたに会えないならカルデアにいる意味もないと。」

 

モードレッドは、少しの間沈黙する。そうしてようやく、ベディヴィエールの言葉を噛み砕けたのか、へたりこむように言い添えた。

 

「・・・・それでも、俺は、あいつに会う気はない。」

 

モードレッドは途方に暮れた子どものように片膝を抱えた。その、まるで年端の行かない童女のような仕草に、ベディヴィエールのほうこそ途方に暮れてしまいそうになる。

 

「・・・・・ただ、彼に会うことさえ恐れるというのですか、モードレッド。」

 

挑発のようなそれにモードレッドは顔と腰を上げベディヴィエールを睨んだ。一瞬、膨らんだ怒気にベディヴィエールはほっとする。

ようやく、彼にとってらしいモードレッドの様子であった。けれど、彼女のそれはすぐに引っ込みへたりこむように座り込んでしまった。

 

「てめえには、分かるだろう。」

 

掠れた様な声に、ベディヴィエールは黙り込んだ。その言葉がどういった意味なのか、分かってしまったからだ。

あの、歪な忠誠で彩られた円卓を、ベディヴィエールは見届けた。

彼は思わず問いかけた。

 

「・・・・あなたは、セイアッドが会いに来たことを不快に思っているのですか?」

「ちげーよ。」

 

すぐに返って来たそれの後に、モードレッドは居心地が悪いというようにこつりと額を窓に押し付けた。

ベディヴィエールは、思った以上に長期戦になりそうな予感に襲われ、早々と最終手段を使うことにした。

 

「・・・・あなたが私に話しにくいというなら、王をお呼びしますか?」

「は?」

 

真面な反応に、ベディヴィエールは言葉を重ねた。

 

「皆、セイアッド姫のことを気にしているのですよ。」

「・・・・暇なやつらだな。」

「彼の思いは、すでにカルデアの皆が知っていることです。」

 

長い、長い、時間の果てにそれでもと会いに行った彼の物語を気に入るものは多く居た。

そうして、それはモードレッドに複雑な思いがあると言っても気にかけていないわけではないアルトリアも同じであった。

もしも、どうしてもモードレッドがセイアッドに会わない理由を言わないというなら、自分が行くと自ら言って出たのだ。

そうして、それは、彼女のifの一つである男のアーサー王も同じであった。

 

「・・・・・父上に、話すことはない。」

 

普段よりもずっと熱のない声音にベディヴィエールは困惑したようにため息を吐く。らしくないその反応に、ベディヴィエールも調子が狂ってしまいそうだった。

どうしたものかと彼がため息を吐くと、それを見ていたモードレッドが静かな声で問いかけた。

 

「なあ、お前はさ。」

「はい?」

 

モードレッドは窓の外に視線を向けたままだった。

 

「もしも、父上に会わないって選択肢を選ぶことが出来たとしたら。お前はそれを選ぶか?」

「何をそんなあり得ないことを。」

 

その台詞の意味が、考えても仕方ないことを、でも。突然何を、という呆れでもなく。

それを選ぶことなどありえないという意味だと何となしに察せられた。

 

「だよなあ。」

 

モードレッドはそう言って、また、窓の外に視線を向けた。

その様子に己では駄目であったかとベディヴィエールは顔をしかめる。

昔の馴染みの中で、彼女を怒らせることはそうないだろうと頼まれはしたが、どうしたものかと思考を巡らせた。

そこで唐突に、彼女の本当にらしくない、囁くような声にそれは終わった。

 

「・・・・・あいつは、消える時、どんなだった?」

 

それが、あの特異点で彼が己の役割を果たした時の事だと察せられた。それについては、彼女も記録で見ているのだろうが。記録は、あくまで記録でしかなく不鮮明な部分もある。

ベディヴィエールは、それに、彼が見たままを伝えた。

 

「・・・・幸福そうで、あったと思います。」

 

モードレッドは、瞼を閉じ、何かを呑みこむように沈黙した。そうしてもう一度、囁くように言った。

 

「・・・・・馬鹿な奴だ。」

 

そこには、暴言といえるような荒々しさはなく、ただ、後悔するような後味の悪さがあった。

そうして、モードレッドは徐にまたベディヴィエールに問いかける。

 

「・・・・お前さ、何日かほっとかれた死体ってどんなのか知ってるか?」

 

ベディヴィエールは何を言っているのだと顔をしかめた。

そんなもの、彼とて知っている。

戦場の後など、倒れた死体など放置されるものだ。頷いたベディヴィエールを見ることなく、モードレッドはとつとつと話し始める。

 

「・・・・その時も、前に行った時から結構な時間が経っててな。機嫌が悪いかもしれねえってらしくもねえが土産だって用意してたんだ。いつもどおり、あいつの塔のドアを開けて、部屋に入ってみたらよ。虫の集ったあいつの死体と対面した。」

 

ベディヴィエールは、思わず言葉を失った。モードレッドはそれでも淡々と言葉を続ける。

 

「最初は、意味なんざ分からなかった。ただ、倒れてたから心配でよ。何にも思わず、あいつを抱きあげた。酷い匂いがしててな、それでも、気にならなかった。」

 

ただ、悲しかった。

モードレッドの掠れたような声に、彼女の弱さや脆さは存在しなかった。ただ、ベディヴィエールは己が成した千年に及ぶ程の旅の中に見出した後悔と同じものを見た。

 

「どうしようもなくてな。一人で死んだのか、どうやって死んだのか、死ぬとき何を思ってたのか。もっと、早く来てやればよかったなんてことも思ったがな。ただ、あいつの側から離れられなかった。」

 

モードレッドは、どれほどそこにいただろうか。それさえも、曖昧だった。

けれど、ふと、彼を埋めてやらねばと思い立った。

それは、弔いの為でも、その死を割り切ったためというわけでもなく、ただ、セイアッドが哀れであったためだった。

 

ただ、その彼女の愛した琥珀の瞳も、愛らしく笑う顔までもが、くすみ、濁っていくことが耐えられなかった。

誰にも、見せたくなかった。

生きていたころの彼を知る人間にも、彼の事を何も知らない人間にも、知ってほしくなどなかった。

美しい彼の姿よりも、今の醜い姿が、人の記憶に残ることが耐えられなかった。

モードレッドは、弔いのためでも、悲しみのためでもなく、誰にも見られぬために彼を埋めた。

 

「なあ、魂に重さがあるなんて言った奴がいるが。実際は、人間ってえのは、死ぬと重くなんだよ。」

 

墓を作ることも無く、塔の中にあった畑に埋めた。彼の鳥籠であった塔だけが彼がいた軌跡であった。

そうして、モードレッドは二度と、塔を訪れることはなかった。

 

「あの特異点で会ったことを知った時、俺は、俺自身が憎かった。あの俺のやったことの理由は、よくわかる。俺自身の事だ。けどな、それでも、俺をあいつに殺させたことは認められねえ。」

優しいあいつに、てめえの業を背負わせた俺を、俺は赦しはしない。

 

「・・・だから、彼に会わないというのですか?」

 

掠れた声に、モードレッドは首を振る。

 

「いや、微妙にちげーよ。ただ。」

 

俺は、あいつと出会ってよかったんだろうか。

その独白は、誰よりも、何よりも、己に向けられたものだった。

 

「もしも、俺があいつに出会わなければ、あいつは少なくとも、あの鳥籠で静かに、苦しむことなく終わることが出来た。」

 

魔女の策略に巻き込まれることも、永遠に輪廻の輪から引き離されることも、ただ、終わることのない、約束を待ち続けることも。

己の業に巻き込むことも、きっとなかったろうに。

 

彼が、己の業によって、国を亡ぼすことも無かったろうに。

もしも、もしも、出会うことなどなければ。出会わずにいられたら。

少なくとも、セイアッドだけは束の間の平穏の中で終わることも出来ただろうに。

思ったことも、考えたことも無かった。

 

けれど、あの時、己の業によって、願いによって、あの特異点で、彼は己のために死んだのだ。

 

赦せない、赦したくない。

もう一度、再会をと、彼女とて願わなかったわけではない。けれど、あそこまでして再会を望んだわけではない。

モードレッドは、赦せなかったのだ。

己の業が、再びセイアッドを殺したことが。己と出会ったことで、彼が背負った業が。

己の業を覆すことは出来ない。終わったことを悔やむことは出来ない。

けれど、セイアッドという、最初から外側にいた彼がそれに苛まれるのは嫌だった。彼の最期だけを後悔した。

 

セイアッド、セイアッド、セイアッド。

美しい、春の夜の月のような者よ。

 

生きていてほしかった。長く、長く、その月のような美貌が、花のように少しずつ衰えていったとしても、それでもよかった。

モードレッドの人生は、傍から見れば彼女の実情を知れば破滅しかなかったかもしれない。

モルガンによって最初から多くが決められた生は、彼の魔女を王にするためのものであった。

モードレッドは、人が当たり前の中で知ることのできるものを知らず、短い生の中で、自分でも処理しきれない感情に振り回された。

 

それでも、彼女の人生にも光はあった。

太陽のような王と、そうして月のような姫がいた。

 

そうして、とりわけ、セイアッドだけが、モードレッドにとって数少ない己の力で勝ち得たものだった。

血筋も、円卓の騎士であることも、願いも、それは用意されたものだった。用意された縁だった。

けれど、セイアッドだけは違った。

モードレッドが見出し、繋がり、逢瀬を重ね、そうして手に入れたたった一つの繋がりだった。

彼らの間に、血筋も、力も、地位も、理由も、存在しなかった。

ただ、出会ってしまっただけの始まりは、モードレッドにとって唯一だったのだ。

彼だけは、円卓の騎士でも、アーサー王の息子でも、反逆の騎士でも、魔女の子でもなく、モードレッドという少女のものだったのだ。

 

モードレッドは考えてしまったのだ。

また、もう一度会った時、自分はセイアッドに破滅をもたらしてしまうのではないかと。

 

沈んだその顔に、ベディヴィエールは口を噤んだ。

ありえないことだと、言うことも出来ない。

英霊というものには物語が伴うものだ。

もしかすれば、モードレッドに出会うことで、破滅に至るという物語がセイアッドにはある可能性もあるのだ。

モードレッドの憂いを、あり得ないと一喝することは出来ない。だが、ベディヴィエールには、少なくともこれだけは言っておくことがあった。

 

「・・・・モードレッド。私は、王に出会うために、長い、永い、旅をしました。ですが、それでも、出会わなければよかったと、出会わないという選択をすることはないのだと思います。」

「・・・・なんでだよ。」

「己の行いに後悔し、贖罪の旅をしたことと王に出会ったことは別だからです。例え、あの旅をもう一度することになろうと、私は王に仕えることを願います。」

 

そう言って、ベディヴィエールは微笑んだ。銀の髪を持った、柔らかな容姿の男が笑う様は、少しだけ、本当に少しだけ、少女の月と似ているように思えた。

 

「・・・・・願いや幸福とは、本人にしかわからぬものですよ。」

 

静かな声は、なるほど、千年ほど生きた男に相応しい老いたものであった。

 

「己の願いも、幸福も、所詮は己の中にしかないのです。もしかしたら、などと他人が考えても無駄なのですよ。そうしなければ救われぬというのなら、そうでしかないのです。モードレッド卿。もしも、あなたが本当に後悔しているというのなら、それは彼に直接言うべきでしょう。」

 

出会わなければ幸福であったのだと、それを決めるのはあなたではない。

それに、モードレッドは驚いたような顔をして、顔を伏せた。ベディヴィエールは立ち上がる。

 

「・・・・・彼に会わない理由がそれならば、外野が何を言っても無駄でしょうね。ただ、あなたは、少し臆病が過ぎると思いますよ。」

「・・・・・なんだと?」

 

最後の一言に、モードレッドがぎろりとベディヴィエールを睨むが彼は肩をすくめて彼女に背を向ける。

 

「再会とは、すでに物語を完遂してしまった我らには奇跡に等しい。この奇跡が、再びあるかは誰にもわかりません。後悔など、せぬように。そうして、例え、出会わなければよかったことがあったとしても。出会わなければ、知らないこともあったでしょうに。」

 

放り投げられた声と共にモードレッドは言葉を喪う。

見送った背中に、かける言葉を見つけることは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

一人、残されたモードレッドは、やはりへたりこむように顔を伏せて窓の縁に腰を下ろしていた。

後悔など、しても仕方がないのだと思っていた。

それでも、モードレッドにとってセイアッドだけは特別であった。モードレッドは人が嫌いだ。

それでも、彼だけはどうしても簡単に割り切ることも、かみ砕くことも出来なかった。彼だけは不幸にしたくなかった。

もうすでに、互いに出会わぬままに終わってしまった結末を迎えてしまっても。

 

こつん。

 

廊下の先から聞こえて来た足音にモードレッドは視線を向ける。

そこには、真っ白な何かが立っていた。

なんだと、目を凝らすとそこにいたのはエジプトの女王がよく連れている使い魔のようなものだった。ただ、普段見ている者に比べればどう見ても数倍デカい。

 

それは、そろりそろりと自分に近寄って来る。そうして、よくよく見れば、バスケットを手に持っている。

それは、モードレッドの前に立つと、そっとそのバスケットを差し出す。その被っている布から出来るだけ、低く意識はしていたが確かにセイアッドの声が聞こえて来る。

 

「・・・・め、メジェド様配食サービスになります。」

「・・・・頼んでねえけど。」

「あ、あなたを心配するとある方からの差し入れになります。」

 

それに一瞬だけ断ろうかとも考えたが、先ほどのベディヴィエールの言葉が頭に浮かぶ。

後悔などせぬように。

会いたくて、ここまで駈けて来たセイアッド。

会いたかったのは、モードレッドとて同じだ。モードレッドとて会いたかった。

いや、あの特異点の記憶がないモードレッドのほうが、ずっと、ずっと、会いたかったのだ。

確かに会いたかったのだ。

そっと、手を差し出したモードレッドに、セイアッドは目に見えてぱあああと喜んだのが分かりやすい。

 

メジェドの布を被ったセイアッドは、バスケットの中からサンドイッチと魔法瓶を取り出す。

サンドイッチは、フカフカのパンに、鳥の照り焼きとレタスと玉ねぎが挟まっていた。食べごたえのあるそれをモードレッドに渡す。

彼女がそれに無言で齧り付いた。

冷めていたが、しっかりと味の付いた照り焼きはパンとよく合っており、それに加えてレタスと玉ねぎが後味をさっぱりさせている。

 

これを作ったのがセイアッドであると何となしに察していた。普段、調理場を預かっているものたちの味付けに比べて、少しだけ味が濃い。

慣れ親しんだその味付けに、モードレッドはほっとしたような気がした。

無言でそれを咀嚼する間、メジェドは、魔法瓶からとくとくと温かいスープを注いでいた。

無言で食べ終わったモードレッドに、タイミングよくスープが渡された。

簡素な味付けのスープも又、馴染んだ味であった。

食べ終わったモードレッドに、セイアッドは機嫌が良さそうにしていた。

そうして、おもむろに、囁くように言った。

 

「・・・・メジェド様は、サービス後のフォローアップもしてますよ。」

「なんだよ、それ。」

 

呆れた様な和やかな、それは、モードレッドがずっと恋しいと思っていた、彼女が愛したお茶会の様だった。

いや、少しだけ、似ていたのかもしれない。

窓辺で、彼の料理を食べて、二人きりで喋り合う。

彼女が、愛したものだった。

 

「・・・・お客さんは、何かに悩んでいる様なので。お悩み相談サービスも完備しています!」

 

びしりと、恰好を決めた姿が面白くて、モードレッドは笑ってしまう。

そうして、するりと、口から、言葉が漏れ出た。

 

「・・・・・ずっと、大事にしてた奴がいた。」

 

囁くような、それに、セイアッドは頷く。

 

「最初は、ただ、飯とかが目当てでな。縁が切れちまったって。何かがあるわけでもなかった。そんでもなあ、居心地がよかったんだよ。そいつの前では、俺は、しなくちゃいけないことも、したいことも忘れて、ただ、ガキみたいでさ。」

それが楽しかったんだよ。

 

セイアッドは無言でそれを聞いていた。

 

「俺はそいつと約束をした。いや、約束っつーよりも、きっとあれは誓いだった。俺の願いへの、そんであいつが自由だって証明を、したかった。外を、見せてやりたかった。」

俺が、愛したものを、あいつにも見せてやりたかった。

 

しんと静まり返った中でモードレッドの声が響く。

 

「けどな、少しだけ、あいつが俺に会いに来た時のことを見た時、こう思っちまったんだよ。出会わなければよかったって。」

 

残酷な、その台詞に、隣りにいた存在の動きが止まった。それでもモードレッドは話し始める。

いつかのような、窓辺での茶会はひどく静まり返って、破綻の前のように沈黙していた。

酷いことを、言っているのかもしれなくても、きっと飲み込み続けることだって出来ないのだと、モードレッドには分かっていた。

このままで彼に微笑んでやれない。昔のようにいられない。

それこそ、らしくない。だから、話し始める。

ただ、この孕んだ後悔に自分は答えを出さねばならないのだ。それだけは理解できた。

 

「尻拭いをさせてばっかだった。あいつにされた予言を本当にしちまって。あいつの故郷だって、滅ぼしちまって。あいつに、俺を殺させて。出会わなきゃあよ。そうしたら、あいつは、平穏に終わることだって出来たかもしれねえのに。あいつに、滅びを呼んだ姫なんて、称号もつかなかった。」

 

泣くことだって、なかったのに。俺と出会わなければ。

モードレッドの台詞が途切れると同時に、隣りからぐずぐずと音がする。

それに視線を向けるとおそらく目の部分なのだろう、染みを作ったメジェド様がいた。

モードレッドは無言でそっとその布をはぎ取った。そうして、そこからは目からぼたぼたと涙を流し鼻水もずるりと啜っていた。

モードレッドは泣くのが下手な奴だと呆れて。

そして、モードレッドは、セイアッドにここにいてほしくないと思う。

彼は優しい。そうして、強い。あの日恐れることなくモルガンに立ち向かったように。

けれど、戦うための強さと、それはまた別物なのだ。

カルデアのマスターは、確かに、よきものなのだろう。けれど、それとこれとは別なのだ。

優しい彼を、戦に出したくない。戦ってほしくなどない。

再会という奇跡に甘んじることはあっても、この優しい男を戦いに巻き込みたくなどなかった。

自分と、出会いさえしなければ。出会いさえしなければ、この優しい男は戦いも、悲しみも、苦しいことだって知ることなく、あの鳥籠で終わることだって叶ったろうに。

 

「俺と、出会わなきゃあ。お前は、きっと、もっとましな人生だったろうにな・・・・」

「・・・・・ちがう。」

 

話すのも苦しいという様な震える様なその声に、モードレッドはセイアッドに視線を向けた。

彼は、流れて来る涙を袖でぐしぐしと拭いながら、必死に言葉を紡ぐ。

 

「ちがい、ます。出会わなければ、よかったなんて。そんなこと、一度だって、思ったことなかった!」

「・・・・・・そうかねえ。」

 

モードレッドは、何とも言えぬ苦笑の混じる台詞と共にそう言った。セイアッドの返事なんて、分かり切っていた。

優しい、優しい、セイアッド。自分のような乱暴者の話を、聞いてくれた。

女でありながら、騎士として生きたモードレッドの生き方を、肯定してくれた。

姫として生きるしかなかった、青年。

事実、きっと、世界に、互いだけだった。お互いの、その歪な生を肯定し、理解してくれる存在なんて、いなかった。

だから、特別だった。

けれど、あの終わりを、この関係を、自分は認めていいのだろうか。

認めてしまって、巻き込んでしまっていいのだろうか。

ただ、ただ、日常の中で笑っていただけの、優しい青年を。訳の分からぬ予言によって、何も己で選ぶことのできなかったこの、男である姫君を。

きっと、王子として生きていれば、良き王になっただろう。

セイアッドが、モードレッドに執着するのは、彼が彼女の事しか知らないからだ。縛り付けているのは、自分の方だ。

もっと、もっと、上手くやれた方法は、幾らでもあったのだ。幾らでもあったのに。モードレッドは幼い約束を優先して、セイアッドを守れなかった。

出会わなければ。

その言葉が、モードレッドの口から出る直前に、セイアッドが叫ぶように言った。

 

「だって、私は、モードレッドと出会わなかったら。人形のままだった・・・・・!!」

 

喉から絞り出すような声だった。

まるで、血反吐を吐くような、壮絶な声だった。

セイアッドは隣に座ったモードレッドの手を掴み、その手の上にぼたぼたと涙を溢す。

モードレッドはその声に思わず黙り込んだ。

 

「塔の中しか、知らなくて。だから、そのままでも平気だった。外に出てはいけないって、言われて。そればっかりを信じてて。平穏で、でも、だから、私には何もなかった。」

 

悲しみも、苦しみも無かった。けれど、喜びも、楽しみもなかった。全てが平穏で、窓の外に見える、滅びを前にしたままの世界の中でも、たとえ、自分が死んでしまっても、絵空事のように他人事だった。

 

「あなたが、あなたがいたから。あなたと出会ったから、嬉しいって、おもって。いつ、来るんだろうって。ご飯だって、用意して。あなたが、死んじゃうかもって、そう思ったら、怖くて、悲しくて。あなたがいたから、私は、生きることが出来たのに!」

 

全てが絵空事で過ぎていく中で、モードレッドだけがセイアッドに生きるということを教えてくれた。

悲しみ、苦しみ、喜び、楽しみ、セイアッドは人形としてではなく、人として生きることが出来たのに。

 

「あの、怖い人が来て。アーサー王を滅ぼす様に言えって、言われても。嫌だって、言えたんです。あなたの、夢を守るって。私は、あなたのおかげで、私は、私の誇りを持つことが出来た。」

 

セイアッドは、人形のように生まれた。

滅びを呼ばぬために、外に出たいという感覚を殺され、何にも興味を示さぬ人形であった。

そうせねば生きられなかった。

それを分かっていたとしても、セイアッドは人として生きた己の在り方が好きだった。

例え、その約束を叶えられなかったとしても、セイアッドはそれによって明日を生きていこうと思えた。

どうでもよかった、未来を夢見ることが出来た。その約束を叶えたいと、夢を持つことが出来た。

 

「モードレッド、お願いだから。私の夢を、取らないで。私の、願った美しい国を、奪わないで。ただ、出会いたかっただけなの。もう一度って、願っただけなの。モードレッドがいたから、私は生きることが出来たの!」

あなたが、私を人にしてくれた。

 

零れた言葉に、モードレッドは言葉を失って、そうして、顔を歪めた。

 

「・・・・・俺と、一緒に居れば、お前また、碌な目に遭わねえぞ。」

「それでも、いいです。いいことばっかりな人生なんてないもんです。」

「・・・・・・・また、この夢だって終わるんだぞ?」

「また、夢を見ます。この夢が、醒めたとしても、あなたを待ちます。今までと同じように、夢を思い出して、待っています。」

例え、永遠のような月日がかかっても。

 

泣いて、いた。

セイアッドは泣いていた。その満月色の瞳から透明な滴がぼたぼたと流れ落ちて。

ああ、やはり、この男には泣くのは似合わないと思った。

淡く笑う男ほど、美しいものはそうそうない。

 

「・・・・お前と、俺が、出会わなければよかった運命(Fate)でもか?」

「誰もが、そう言っても。そうだとしても、あなたは私の愛しい運命(destiny)でした!」

 

変わることなく、モードレッドは、セイアッドの太陽だった。

だから、いい。例え、破滅に至るとしても、それまでの幸福が、嘘になるわけでないから。

だから、いいのだ。

 

「私は、あなたに会えてよかった。」

あなたは、私のうんめいでした。

 

モードレッドは、それに、セイアッドをかき抱いた。攫うように、彼を抱きしめた。

 

「バカな奴だ。お前はよ。本当に、馬鹿な奴だ・・・・・」

 

セイアッドは、肩が、微かに湿るような感覚がした。けれど、それを言わずに、自分も、わんわんと泣き喚いた。

泣くしかなかった。だって、だって、セイアッドだって少しは思っていたのだ。

自分にさえ、会わなければ、自分さえ、殺されなければ。

モードレッドは、自分の大好きだったものを壊さなくたって済んだのに。

後悔していたのは、お互いだった。

幸せであってほしいと、互いに願い合っていたのは事実だった。

二人は、幼子のように、泣きわめいた。

幼いころ、泣くことを知らなかった彼らは、その分を取り戻す様に泣き喚いた。

 

「・・・・セイアッド。」

「なに?」

「・・・・約束、守れなくて、すまなかった。」

「わたしも、約束、まもれなくて、ごめんなさい。」

 

最後に吐き出した、互いの謝罪の言葉を吐き出した。

本当は、案外、言いたかったのは、ただ、それだけだったのかもしれない。

   



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勇者の幼なじみ
偽物の流星


アーラシュと幼なじみの話しになります。
今回は転生要素はありません。


「・・・・・この子はこれから、どうやって生きていけばいいの?」

 

そう言って、母親が崩れ落ちるのを見て、私は未だ幼い薄い腹に両手を当てた。女の身でありながら、この腹は命を宿すことはないらしい。

私は、これからどうやって生きていこうかと、ぼんやりと頭を巡らせた。

 

 

 

 

「ワリヤ!」

 

弾んだ声に後ろを振り返れば、黒い髪に焼けた肌をした好男児が嬉しそうに駆け寄ってきていた。

彼の向かう方向、そこには目の覚める様な美男子が立っていた。

 

まるで新月の夜のような光沢のある黒い髪をさらりと背中に流れ、声のする方を見る瞳は琥珀のようなとろりとした蜜色だった。美麗という言葉がよく似合っていた。陽の強い地域だというのに、染み一つない肌は女性の憧れでもあった。

何よりも、やってくる男性が精悍という表現が正しいのなら、その青年の顔立ちはまるで宝石に腕のいい職人が掘りだしたような美しい顔立ちだった。

 

ちょうど、城にて弓矢の数を数える雑用に準じていた帰り道のワリヤは、その琥珀色の瞳を細めた。

彼、アーラシュは嬉々とした様子でワリヤの肩を勢いよく叩き、首に手を回した。アーラシュの筋肉質の腕が、ワリヤの細い華奢な首に回るのを見るのは少々不安になってしまう。

 

「・・・・なんでしょうか、アーラシュ様。」

「おいおい、様付けなんてよしてくれよ。」

「私はあなたの部下です。」

「そういうなよ、生まれたころからの昔なじみだろ?」

 

それに何と言おうか迷っていると、アーラシュの頬に泥が付いているのを見つけた。ワリヤは、それに無言で懐から布を取り出し、泥を拭った。

それに、アーラシュは一瞬だけ照れた様に笑った後、まるで飼い主に擦り寄る犬のようにワリヤの顔に擦り寄った。

 

「狩りにでもいっていたのかい?」

「ああ、立派なのが取れてな。」

嬉しそうなアーラシュはそう言って、嬉々としてワリヤを自宅に引きずっていく。

「なんかこれで飯作ってくれよ。」

「・・・・それを、君が望むのなら。」

 

苦笑交じりの声の後、嬉しげなアーラシュの声が響く。それを、町の住民たちは微笑ましそうに見送った。

 

「相変わらず、あのお二人は仲がいいな。」

「そりゃあ、幼なじみで、いまじゃ軍でコンビで頑張っておられるしな。」

「本当に、いっそ夫婦の様だな。」

「おいおい、お二方とも男だぞ、何言ってるんだよ。」

「そりゃあそうだ!」

 

やじの中に笑い声が混じり、辺りに広がった。

 

 

 

ワリヤは、アーラシュの自宅から帰宅した。質素な暮らしぶりのそこは、ワリヤが一人住める程度の広さで在り、使用人などの姿は見えない。

暗い自室のなかで、ワリヤはしっかりと部屋に鍵をかけ、無言で服を脱ぎ捨てた。

暗闇に慣れた目で、ワリヤは己の体を確かめる。

少しだけ膨らんだ胸、華奢な骨格、まろく線を描く体、何も生えていない股。

ワリヤ、彼女は、自分自身が女であることを再度確かめ、気だるそうに息を吐いた。

 

 

ワリヤという少女が男になったのは、彼女が赤子のころのことだった。

生まれてすぐ、予言があったらしい。ワリヤは男として育てられるように言われたらしい。といっても、月のものがくれば女に戻ることも赦されるはずだった。

ワリヤは己の事情などよく理解もしておらず、彼女なりに楽しい時間を過ごした。そのおりに、アーラシュという少年と出会い、楽しい幼年期を過ごした。

そうして、彼女が生まれて十数年、月のものが来ることはなかった。

 

何も実ることのない腹を抱えて、ワリヤは己の在り方を受け入れた。子を産むこともできない女とは、どんなふうに生きていくのか。

ワリヤの母は、己の娘の運命を狂うほどまでに嘆き悲しんだ。彼女を男として生かし続けるときめた。

幸いな事なのか、ワリヤは幼なじみであるアーラシュには劣るものの弓の才を持っていた。

元より賢しかったワリヤは、その弓の才に加えて、指揮官としての才を見出された。そして、何よりも、彼女の上司であったアーラシュとは幼いころからの関係性のせいか息が合い、二人は戦場で畏れられることになった。

 

ワリヤは、自分の現状というものを上手く理解できていなかった。元より抱えた秘密のために他と深くかかわっていなかった彼女には未だ恋も、婚姻などとも縁がない。

自分に子が作れないという現状に、どんな反応をすればいいのか分からなかった。

当時の彼女は、女という性でありながら、男という性を押し付けられた彼女は自我というものを未だ作り上げられていなかった。

男は外へ仕事に、女は家に入り子を産み育てるという常識に、彼女は爪はじきにされてしまっていた。

 

それゆえに、ワリヤは考える。

自分とは何か、女にも、男にもなれないワリヤとはいったいどうやって生きていけばいいのだろう。

ワリヤの母は、彼女が一人で生きていけるようになってすぐに病で儚くなった。そして、母はその直前まで彼女によくよく言って聞かせた。

子をなすこともできず、女にも戻れないお前は、王と守護者たるアーラシュへ奉仕をして生きなさい。

静かな声は、こだましてワリヤの中に沁み込んだ。ワリヤは、それに何の疑いも無く、そうなのかと納得した。

彼女にとって、母の言葉とは絶対であり、その言葉を縁として生きることにした。

女に戻ることも出来ぬ自分では、男として生きるしかない。それならば、軍に入ろうと思った。神代の肉体を持って生まれたアーラシュはすでに軍に入り、頭角を現していた。

 

幸いなことに、ワリヤはさほど発育が悪いというわけでもなく、身長が高かったこともあり、男として紛れ込もうとばれることはなかった。

彼女はけして他人に女であるとばれぬよう、アーラシュと王に近しくなれるよう、必死に己を鍛え続けた。子どものころから競い続けたアーラシュの存在も加わって、その実力は格段に上がっていった。

神代の肉体を持つアーラシュに勝てることはなかったが、それでも凡人といえる存在の中では随一の実力を持つこととなった。

今では、ワリヤが女であるという事実を知るのは、彼女へ予言をなした存在の後継と、王、そして彼女を診る医者だけだ。

ワリヤは己の体をじっと観察した後に、ほっと息を吐き、寝床に潜り込んだ。

よかった、今日も、何も知られることが無かったと息を吐き、体を丸めて瞳を閉じた。

 

 

「ワリヤ!お前、なにしてるんだ!?」

 

叱責の言葉にワリヤはぼんやりとアーラシュの方を見た。そうして、次には我関せずというように肩から流れる血を乱雑に布で覆い、弓矢を構える。

 

「ワリヤ!!」

「今は戦いに集中しなさい。わめいている場合ではないはずでしょう!」

 

その言葉に、アーラシュはぎちりと歯を噛みしめて、彼もまた弓矢を構えた。

長く続く戦いは、相も変わらず日常のように二人の前に横たわっていた。

 

 

「・・・・お前、何を考えてるんだ?」

 

その日の戦はともかく落ち着き、野営地にまで返って来たワリヤは傷の手当てをしていた。野営地の隅の底は、人も中々やってこいない。

けれど、アーラシュだけはワリヤのそんな考え程度なら察せられたのか、彼女に近づいた。

 

「何がだろうか?」

「今日、弓矢から俺を庇った事だ。」

 

長く続いた戦の中で、二人はその日も起こった戦に従軍していた。弓部隊である二人は基本的に遠隔からの戦いの為、そこまで危険はない。

ただ、アーラシュは接近戦も出来たため、前線に出ることもあった。

その日、ワリヤはアーラシュと共に弓矢での援護を行っていた。けれど、アーラシュは死角から撃たれた弓矢に気づかず、加えてその量に避け切ることもできなかった。ワリヤは、その弓矢を持っていた剣で薙ぎ払いはした。けれど、全てを薙ぎ払うことも出来ず、ワリヤは己の体を盾にアーラシュを庇った。

ワリヤは自分のそんな行動を頭に浮かべて、アーラシュの方を見る。

 

「・・・・・それがどうかしたのかい?」

「どうかしたじゃない!いいか、俺は毒だろうとなんだろうと効かない頑丈な体だ。あの程度なら支障はなかった。」

 

ワリヤは、不思議そうに首を傾げてアーラシュを見る。

 

「・・・・・ですが、君も弓矢が当たれば痛いだろう?」

 

その言葉に、アーラシュは目を見開き、そして大きくため息を吐き、その場に座り込んだ。

ワリヤの目の前には、今日使った弓が手入れの途中なのか転がっている。

アーラシュは、それを見つめながら、ワリヤをねめつけるように見た。

 

「・・・・お前は、どうしてそうなんだろうな。」

 

ワリヤは、それに不思議そうに首を傾げる。それと同時に、なんだか申し訳ない気持ちにもなる。

幼いころは、ワリヤはアーラシュの考えていることなら何でも分かった。何が欲しいのか、何を望んでいるのか、ワリヤにはよくわかった。けれど、アーラシュが大人になるにつれ、ワリヤはアーラシュが何をしてほしいのか、彼の望みがよく分からなくなっている。

 

(・・・・私はまた、アーラシュを怒らせたのだろうか。)

 

不安そうなワリヤの顔に、アーラシュはまたため息を吐いた。

 

「・・・・・お前のそれは、何なんだろうな?」

「何がだい、アーラシュ?」

 

不安そうなワリヤの頭をアーラシュは乱雑に撫でた。

 

「お前にとって、俺は何なんだろうな。」

「アーラシュは、私の上官でしょう?」

「・・・・それだけか?」

「友人でもある、と思うけれど。」

 

不安そうな声に、アーラシュはまた乱雑に頭を撫でた後に、鍛練によってすっかり硬くなった指先でその柔い頬を撫でた。

 

「本当に、それだけ、なんだよなあ。お前にとって、俺は・・・・・」

 

その言葉の意味が分からずに、ワリヤははてりと首を傾げた。

 

 

 

 

ワリヤにとって、国も民もさほど大きな意味を持っていなかった。

ワリヤにとって、当たり前のように規定されたその括りの中のルールは、彼女の存在を否定するに等しかった。それ故に、ワリヤにとって国も、民たちも、疎うとまではいかなったが、どうしても遠巻きに見つめることしか出来なかった。

ワリヤにとっての世界とは、遠い昔に母に言い聞かせられた道しるべを辿った軌跡だけだった。

女でありながら男として生きるしかない彼女を受け入れてくれた王と、そして、ずっとずっと、友であってくれたアーラシュだけ。

性という強烈なアイデンティティを構成するそれを持たない彼女は、軍という集団の中でも確固たる何かに所属できていなかった。そうであるがゆえに、ワリヤは何者にもなれなかった。

けれど、その日、その瞬間だけは、ワリヤは何者かになれたのだ。

 

 

 

その日、戦場にて、アーラシュとワリヤは別行動であった。アーラシュは王への方向へと。ワリヤは、王が住む地へ続く道の警護に。

本当なら、アーラシュと共に行くはずだったのだが、万が一を考えて少しの兵と共に残ることとなった。

けれど、予想とは違い、ワリヤたちの守る道に敵の兵士の殆どが押し寄せて来たのだ。

 

「どうしますか!?」

 

悲鳴のような部下の声に、ワリヤは冷静に、理性的にどうするかと頭を巡らせる。

はっきり言えば、勝てる見込みなどはなかった。兵力という意味で、断絶的な戦力差があったが故だ。

何よりも、アーラシュという決め手が無いゆえに、勝てる見込みなど欠片でさえなかった。

 

「・・・・・お前たちは弓で出来るだけ時間を稼ぎなさい。」

「アーラシュ様を呼んでこられるのですか!?」

 

ワリヤはその台詞に応えることも無く、駆け出した。

それに、兵は勝手に勘違いをしたのか、ワリヤとアーラシュが来るまでと士気が格段に上がる。

それを聞きながら、ワリヤはそんな予想とはまったく違い、アーラシュの武器が目的だった。

一応、アーラシュを追うための使いは出したが、絶対に間に合わないことは分かった。

ワリヤは、アーラシュのために作られた特別な弓と矢。それを持ち出し、無言で駆けだした。

彼女が向かった先は、少し離れた場所にある小高い山だった。

普段から鍛えた彼女は早急に目的の場所にやって来た。

そうして、ずっしりと重い弓矢を手にした。アーラシュのためだけのそれは、馴染むなんてことはなく、他人のように素っ気ない。

それに、ワリヤは内心で謝りながら、近づいてくる敵に目を向けた。

そうして、願うように瞳を閉じた。

 

陽のいと聖なる主よ。あらゆる叡智、尊厳、力をあたえたもう輝きの主よ

我は、この弓矢を与えられたものものではなく、献身を望まれたものではない

されど、この命を以て、献身をなそうとする者なり

 

ワリヤは、必死に、祈る様に目を閉じる。

ワリヤにとって、国も、民も、自分という存在を枠組みには入れてくれないものだった。だから、ワリヤにとって国も民も、さほど大きな意味も、価値もなかった。

けれど、それでも、ワリヤにとって、王と、そしてアーラシュだけは違った。

ワリヤは母の言葉通り、彼らに奉仕し、望みを叶えることでアイデンティティというものを構築した。それが故に、彼らは望むのならば、自分は何もかもを果たすだろう。

けれど、その時は、違った。ワリヤは、ただ、心から己の為だけにその弓に矢を番えた。

 

(・・・・きっと、民が死ねば、アーラシュは悲しむんだろうね。)

 

アーラシュ、アーラシュ、アーラシュ。

君は、優しい人だった。君は、誰かの幸福を願える人だった。君は、誰かの未来を祈る人だった。

君はいつだって、敵を屠ることに仕方がないって顔をしてた。でも、けれど、納得していたわけじゃないって知ってたよ。死なないから、痛みが無いはずないじゃないか。

アーラシュ、君はいつだってあっさり忘れてしまう。君は、ただの、底抜けに優しくて、強くて、他よりも頑丈なだけの人間なのに。

だから、叶うなら、私は、君の何かを肩代わりしてあげたかった。

君の背負う重さを、少しでも軽くしてあげたかった。

 

君の優しい微笑みを想う。私は、君に何をしてやれただろうか?

何者にもなれなかった私は、母の言葉が最初でも、君のおかげで私は私になれたから。

君の側にいたから、だから、私はきっとどこにでもいる人になれた。

誰かと笑い合って、泣いて、楽しいことも、辛いことも知っている、人になれた。

引き絞った弓が、矢を発射する。

体にひどい衝撃が走る。それでも、痛みが無いことに安堵する。

 

(・・・・感謝します。)

 

ワリヤは、そっと微笑んだ。

砕けていく視界の中で、ワリヤは幾度も感謝をした。何に向けた感謝なのかもわからずに。

 

(民の為でも、国の為でも、何よりも輝きの主よ。たった一人の彼のための、身勝手なこの犠牲を赦してくださったことに。ああ、感謝します。)

 

砕けた視界と感覚は、薄れて何時か、消えてしまった。

 

 

 

彼は力の限りに引いた弓から手を放し、地平線に向かって飛んで行く矢を見つめながら目を閉じた。

それですべてが終わる、長く続いた戦いが。

アーラシュの頭には、己が今まで生きた記憶と、過ごした人々、そうして、最後に王と、彼女の事が思い浮かんだ。

ああ、こんな時に思い浮かぶのは、やはり彼女なのかとも思った。

 

アーラシュにとって、その幼なじみとは、あまりにも歪で、けれどそれほどまでにある種アーラシュというものをまっすぐ見つめていた者はいなかった。

初めて会ったその時、自分の肉体を棚に上げて、その美しさに本当に人間なのかと疑ってしまったことをよく覚えている。

アーラシュは、その肉体が、その業を持つがゆえに、民を照らす光で、太陽であらねばならなかった。それは望まれていたことであり、己で願っていたこともでもあった。だから、それでよかった。

 

アーラシュとは、敵の戦士を燃やし尽くす劫火である。アーラシュとは、民を照らす太陽である。

戦場で、敵国の血潮を浴びる悪鬼であり、けれども民草の笑顔を尊ぶ英雄である。

 

アーラシュは、それでよかった。

彼は、そんな風に生まれ落ちてしまった。

英雄として、人の営みに混じりながら、人でないものとして生まれ落ちてしまった者だ。

 

けれど、ワリヤだけが、人から離れた場所に立つアーラシュの元にやって来て、当たり前のように隣に立ち、不思議そうに言うのだ。

 

「君はどうして戦うんだ?誰かを傷つけることなんて嫌いなのに。」

「俺は英雄だ。民を守らなくちゃならん。」

「何故?」

「いつだって、戦いの中で傷つくのは民だ。彼らは、命をかけている。餓えに耐え、恐怖に震えている。俺は、そんな恐怖とは無縁だ。だから、俺は戦わにゃならん。」

「血が流れている。」

「これぐらいなら死なんさ。」

 

アーラシュはそう言った。

彼は死なない。その頑丈な体は、ただの一度も、アーラシュに死の恐怖というものを味合わせたことはなかった。

だから、何ともない。

その血に、死は存在しない。

それでも、ワリヤは、心の底から不思議そうな顔をして、その傷の手当てをする。

 

「・・・・死にはしなくても、痛いのなら逃げてもいいだろうに。」

「・・・・そんな人として、当たり前には、生きていけない。」

「どうして?」

「え・・・・・」

「アーラシュ、君は、英雄でも、国の守護者でもなく、ただの強いだけの人間じゃないの?」

 

ワリヤの琥珀の瞳が、アーラシュを見た。

ワリヤ、ワリヤ、ワリヤ。

アーラシュはワリヤという存在を想う。

ワリヤ、ただ、それだけがアーラシュという存在を人間へと引きずり落とすのだ。

それだけが、アーラシュという希望を望んでいなかった。彼女だけが、誰とも違い、そして特別だった。

 

本音を言えば、彼女が女であると知った時でさえもどうだってよかった。

彼女は彼女だったから。

己を見る、その瞳。己に注がれるその瞳。

人を見る眼、友人を見る目、徒人に注がれる瞳。

それはきっと、アーラシュにとって唯一のものだった。代りのいない、唯一だったものだから。

どうでもいい。どうでもいい、本当に、どうでもよかった。

ただ、ワリヤというそれが自分を見る時、自分はただの男であれる気がした。その瞬間を愛していたのだと思う。

自分だけの、生き物。自分にピタリとはまり込むような、そんな生き物だった。

 

 

彼女は死んだと知らされたとき、アーラシュはまるで子供のように泣き叫んだ。泣いて、泣いて、彼の弱さがその時全てに曝された。

彼女の放った一矢によって、迫って来ていた敵は追い払われ、国は救われた。残った遺体は、バラバラであり殆ど見分けがつかなかったそうだ。

アーラシュは、美しい女の衣装と愛用していた弓を一緒に弔った。

もう、下された予言から自由になれたと思った、思いたかった。

衣装と弓を用意したのは、選びたいのならどちらを選んでもいいと思ったからだ。

美しく着飾るのも、弓を取り戦うのも、きっと、彼女の自由だった。

終わった生の後、それを望むぐらいは赦されると思った。

 

(・・・・きっと、お前はどんな花嫁よりも、美しかっただろうな。)

 

女のように美しく、男のように強い彼女は、きっと誰よりも特異な生き物だった。

ああ、ああ、そうだ。

誰よりも、美しい生き物だった。

薄れていく意識の中で、アーラシュは苦笑する。

 

(・・・・なあ、ワリヤ。お前にもう一度会いたいよ。)

もう一度、もう一度、お前の瞳を見たい。英雄ではなくて、ただ、ただ、日々を生きた、人として死ねるように。

 

アーラシュは、それに笑う。

まるで、普通の男のようなことを思って死ぬ自分を思って。

 

 



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二人ぼっちの流れ星

アーラッシュの続きになります。
二万文字近くになって二つに分ければと後悔。




その時、ワリヤは己の存在を知覚して、きょとりと周りを見回した。

彼女がいるのは、一面が砂に満ちた砂漠であった。彼女の故郷も、荒れた大地で少しだけ郷愁に似た懐かしさが胸に湧いた。

そこで、ようやく彼女は気づく。

己が一人であることに。

 

「・・・アーラシュ。」

 

それは、親を呼ぶ子どもの声に似ていた。

自分が何故、ここにいるかは分からない。ただ、迷子の子どものような顔をして、ワリヤは徐に歩き出した。

たった一つ分かるのは、ここに己のやることはないということだけ。ならば、何か、やることがある場所に行きたかった。

ワリヤは、道しるべを欲しがった。

道を指し示す星が、今の彼女には存在しなかった。

ふらふらと、彼女は道も無い砂漠を歩いた。

 

「・・・・あれ、は。」

 

サーヴァントである彼女には、砂漠の旅路はさほどの苦痛ではなかった。

そんな中、ワリヤは砂漠の向こうに荘厳な建物を見つけた。三角形のそれを見つけたワリヤは、無言で足に力を入れた。

その建物に特別な何かを感じることはなかった。けれど、長い砂漠の中で、その建物は唯一人の気配を感じることができる場所だった。

 

(・・・・誰かいるだろうか。)

 

もしも、誰か、人がいるのなら。

そこには、ワリヤの成すべきことがあるかもしれない。ワリヤは足に力を入れて、砂を蹴った。

 

 

 

「・・・・話、終わったのかい?」

 

ぼんやりとした、どこか寝ぼけた様な声が砂嵐の中に響く。その声に、その場にいた、藤丸立香たち、ルキウスと名乗るサーヴァント、そうしてニトクリスが視線を向ける。

そこには、細身の、おそらくサーヴァントであろう人物が立っていた。

肌にぴったりと合わさった黒いアンダーに、簡素な白い鎧を身に纏っていた。そうして、青いフードを被っており顔立ちまではわからない。

ただ、その声は男にしては高く、女にしては低い、中性的なものだった。

 

「女王、この人たちはピラミッドに運ぶので?」

「ワ、ワリヤ!」

 

一瞬、臨戦態勢になりかけた立香たちはニトクリスの反応に、少なくとも敵対しているのではないと察した。

そんな立香たちの様子など気にすることもなく、ニトクリスが叫ぶ。

 

「ワリヤ!あなたは何をしているのです!」

「命じられた通り、周囲の警戒をしておりましたが?」

「警戒していたというならば、何故、私が攫われたのですか!?」

「申し訳ありません、私の不手際です。」

 

簡素で素直な謝罪に毒気を抜かれたのか、ニトクリスは苦々しい顔をする。

 

「あやまって済む問題ではありませんよ!」

「それは、ごめんなさい?」

 

ニトクリスの怒りに対してワリヤはまるで何を叱られているのか理解できていない犬のような顔をする。そうして、深々と頭を下げた。

その態度に毒気を抜かれたのか、ニトクリスはぎりぎりとしながらふんと息を吐き、腕を組んだ。

 

「・・・・まあ、いいでしょう。確かにあなたの優れた目を以てしても山の翁たちを観測するのは難しいでしょうし。こうやって駆けつけてくれたわけですし。」

 

ニトクリスの態度が和らいだのを察したのか、ワリヤはほっとした様子で頭を上げる。

 

「ああ、女王が眠って寝言を言って、起きてそっちの人たちに何もかも責任押し付けてた時ぐらいにはもう着いてましたよ。」

「最初っからいたんじゃないですか!」

 

ニトクリスの絶叫が辺りに響き渡る。

 

「どういうことですか!それならば、どうして私を止めなかったんですか?」

「ですが、女王は彼らを敵として攻撃していましたし。違うことを指摘して、恥をさらさせるのは本意ではなかったですから。女王もファラオの威厳については言われていたでしょう?」

 

そこら辺を言われると辛いのか、ニトクリスはぎりぎりと歯を噛みしめる。彼女自身、自分のやらかした諸々について考えることがあるのか諦めた様にがくりと肩を落とした。

「・・・あなたは、そういう子でしたね。」

ワリヤはそれに、こてりと首を傾げていた。

 

 

 

立香たちは、ダ・ヴィンチの作りだしたバギーにて、それについてを気にしていた。

 

(・・・ねえ、マシュ、この人のことどう思う?)

(・・・どう、ですか。ワリヤ、という名前には覚えがあるのですか。)

 

黒髪の少年と、紫苑の髪の少女は顔を寄せ合ってこそこそと話をする。そんなことを気にした様も無く、ワリヤと呼ばれた弓兵はバギーの後方に器用に腰かけ、ぼんやりと宙を眺めていた。

ワリヤがマシュたちと行動を共にしているのは簡単な話で、オジマンディアスに押し付けられたのだ。

 

 

 

 

「ワリヤ、お前はこやつらについて行け。」

 

オジマンディアスは立香たちを追放することを決めると同時に、王座の隅でぼんやりと立ちすくんでいたワリヤにそう声を掛けた。

それに、彼女は短くああ、と頷いた。

 

 

ワリヤはニトクリスと合流したあとも戦うということはなかった。ニトクリスの安全を優先し、戦闘は立香たちに任せて傍観者に徹していた。

王座でも隅で立ち尽くし、戦闘に参加するということも無かった。会話に入って来ることも無いのだから、立香たちもそれのことを忘れそうになる。

 

「ファ、ファラオよ!その失態は、私の責任でも・・・」

「黙るがいい、ニトクリスよ。罰が為に余はこれを外に出すわけではない。」

 

オジマンディアスの言葉にニトクリスは黙る。そんな彼女の様子など気にした風も無く、話しかけられたワリヤは静かに言った。

 

「・・・・ここには私の役目はございませんでしょうか?」

「・・・・いや、貴様にさせようと思えばすることはある。」

 

オジマンディアスはそう言った後、少しだけ苦みの走った表情をした。

 

「ここに招き、役目を与えたのは貴様が確かに勇者と言っていいほどの偉業をなしたからこそだ。人の身で、貴様のなしたことは確かに過ぎたことだ。ただ、貴様はあまりにも虚ろ過ぎる。」

 

その言葉にワリヤは目を伏せた。その言葉の意味を理解しているようだった。

「・・・・貴様はそれしかすることがなかったからこそそれをなしたにすぎん。貴様は勇者でありながら、傀儡である。だが、それを惜しいとも思う。」

ワリヤは、ぼんやりとした蜜色の目をオジマンディアスに向ける。彼は、その目を懐かしむように眺めた。

 

「余が貴様にここまでするのは、勇者と共に戦った者への慈悲ゆえだ。余に仕えたくば、勇者としての自負を持て。」

 

外に行けば、貴様が本当は何なのか少しは理解が出来るだろう。余に仕えたくば、それ相応の気概を手に入れよ。

ワリヤはそれに、そっと目を伏せた。そうして、深々と敬意を表す様に礼をした。

 

「ありがたく。慈悲深く、そうして気高き太陽の化身よ。」

 

 

 

 

そうやって立香たちに同行することになったそれは、彼らに話しかけることも無くぼんやりと後ろをついてくるだけだ。敵意がないことについては疑ってはいないのだが、いささか無口というか無関心が過ぎる。

まるで夜のような柔らかな容姿に湛えた穏やかな微笑みは、確かに清廉ではあった。編んで一つにまとめたそれを肩から前に流している。

とろりとした蜜色は、まるで満月の様に優し気だ。

けれど、その微笑みがひどく無機質で、投げやりのような感覚を覚える。

 

「・・・・ねえ、君は彼のアーラシュ・カマンガーの友であるワリヤなのかい?」

 

ダ・ヴィンチの言葉にワリヤの瞳に光が宿った。

 

「・・・・アーラシュを知っているので?」

「いや、ワリヤという名前の英霊にはそれぐらいしか覚えがないからね。」

「そうか、い。そうだね、私はワリヤ。アーラシュの近くにいたのは、私ぐらいだよ。」

 

薄くその顔に湛えているのは、穏やかな微笑みだ。けれど、どこか壁を感じる様な空虚さがあった。

ワリヤはそれだけ言うと、ぼんやりとした瞳をまた宙に向ける。

それに立香はひそひそと囁く。

 

(ワリヤって?)

(はい。ワリヤというのは西アジアに伝わるアーラシュ・カマンガーと言われる英雄の友として語り継がれている方です。)

 

マシュは短く、アーラシュ・カマンガーという人物が弓兵としてどれほどすごいのかを話した。

 

(・・・それは、すごい人なんだね。ワリヤさんも?)

(・・・ワリヤ、さんは。そうですね。アーラシュ・カマンガーと似た様な伝承がされているため、同一視をすることもあるのですが。彼はたった数百の兵と共に数倍の敵と対峙したそうです。もうすぐで全滅という時、彼は神に祈りを捧げ、己が身と引き換えに一射の矢を放ちます。その矢は多くの敵を屠り、敗走までさせますが彼の体はその代価としてバラバラになったと伝えられています。)

(自分の身を、犠牲に。)

 

立香はそれに思わず、後方のワリヤに視線を向けた。

ワリヤは相変わらず、バギーの後方に器用に腰かけ、ぼんやりと宙を眺めつづける。それに、立香はようやくオジマンディアスの言っていた理由を察した。

ワリヤはマシュの語った伝承を聞くうえでは、聖人の様にさえ感じるだろう。けれど、道中でのそれは何があってもぼんやりとしている。

人が危機に陥っている場面を見れば、一応は反応するものの立香たちが諫めればあっさりと弓を下げる。そこには、お世辞にも献身や善意という言葉は見当たらなかった。

ただ、ただ、彼女は立香の言う言葉に従うのだ。

その様は、確かに人形のようでもあった。

 

 

 

「ワリヤか?」

 

呪腕のハサンと戦っている中、頭上から若い男性の声が聞こえて来た。それに、その場にいた存在が全員目を向ける。

そこには、山の斜面に立つ一人の青年がいた、

黒い髪に黒い瞳。勇ましい雰囲気であり、緑色の鎧を纏っていた。その黒い瞳は、後方にて呪腕のハサンを殺さない程度に弓で狙っていたワリヤに向けられている。

ワリヤは一度たりとも目を逸らさなかった呪腕のハサンから視線を外した。そうして、彼女のぼんやりとした琥珀の目に光が宿る。

 

「・・・・・あーらしゅ?」

「ワリヤだな!?そこでまってろ!」

 

慌ただしく斜面を降りて来る青年にワリヤは弓矢を下ろし、惚けた様に立ちすくむ。走り寄って来た青年は、どこか悲しみと歓喜と、そうして安堵を乗せた顔で微笑んだ。

 

「そうか、お前も召喚されてたのか!」

 

そう言ったアーラシュに、ワリヤはよろよろと幼子の様に拙い歩みで近寄り、そうして感極まったように抱き付いた。

 

「あーらしゅだぁ!」

 

子どものように抱き付いたワリヤの頭を、アーラシュはまるで慈しむかのように撫でた。

 

 

 

「アーラシュ、次はどうされますか?」

 

立香は目の前の人に目を白黒させる。

 

「そうだな、盗賊の処理も終わったしなあ。」

「それならば、武器の備蓄の確認に行ってまいります。あと、ついでにざっとですが村の周辺の探索等も済ませてまいりますので。」

「ああ、たのむぜ。」

「はい。」

 

この明るく、そうして朗らかなサーヴァントはなんなのだろうか。

伏し目がちで影の落ちた顔には朗らかな笑みが浮かび、淀んでいた瞳は光を取り戻し、そうして滅多に開かれなかった口からは子どものように無邪気な声音がするすると飛び出してくる。

今も今までの無力さなど立ち消え、積極的に仕事をしている。

アーラシュはるんるんと走っていくワリヤを見送る。そうして、その姿が見えなくなると、彼は苦笑気味に立香たちに振り向いた。

 

「・・・すまんな。あいつが迷惑かけたみたいで。」

「え!いえ、迷惑というか。迷惑以前に毒でも薬でもなかったというか。」

「そうか、いや。なんつーか、あいつも悪い奴じゃねんだがな。」

「ああ、えっと悪い人でないのはわかります。ただ、何と言うか。会った時とはだいぶ様子が違って困惑してしまって。」

 

立香の困惑気味の言葉に、アーラシュはそうかと肩を竦めた。

 

「あいつはまあ、色々あって芯がないっつうかなあ。俺の事を手本にしてるとこがあるから、それ以外だと何やればいいのかわかんなくなるんだ。おそらくは俺と召喚されるはずだったんだろうが。はぐれちまったみたいだな。」

 

立香はそれにワリヤがオジマンディアスの元におり、訳があり行動を共にしていたことを話した。

 

「ファラオの兄さんとか・・・・」

「知ってるんですか?」

「まあ、生きた年代が同じだったんでな。でも、そうか。」

 

アーラシュは少しだけ目を伏せ、そうしてどこか悲しそうに微笑んだ。

 

「あいつは、何だってそんなにもなあ。」

「え?」

「ははははははははは!気にするな、ここら辺はあいつと俺の問題だからな。」

 

 

 

 

 

ワリヤはふわふわとした足取りで村の周辺を歩く。けれど、その視線は戦士として相応しいまでに鋭い。

 

(・・・・アーラシュ、アーラシュがいる!)

 

それは、どれほどまでに嬉しいことだろうか。暗闇の中を歩いていたその瞬間、唐突に道しるべに出会えたかのような安堵感だった。

 

(・・・ファラオには感謝しないと。)

 

彼が自分を追い出してくれたからこそ、アーラシュに出会えたのだ。

いや、元より寄る辺のない自分を引き取り、役目を与えてくれたことにも感謝しなくてはいけない。

 

(・・・・憐れみを私に持つ人には、久しぶりに会ったな。)

 

ワリヤは、そんなことをぼんやりと思い出す。

オジマンディアスは元よりアーラシュ同様にワリヤの存在を知っていた。彼は自分がそうであると知ると、嬉しそうなそぶりを見せたものの彼女がどんな存在かを知ると、ひどく残念そうな顔をした。

何故だ。そう問われた。

 

神秘の一端を持った、英雄たる彼の者の隣りに立つほどにまで技術を磨き上げながら。

人にはあまりにも過ぎた偉業をなしながら。

何故、そこまで欠けて生きたのか。何故、そこまで何も持たずに生きたのか。

 

痛ましいものを見るような目をしていた。

 

(・・・・そう、言われましても。)

 

何もワリヤに持たせてくれなかったのは世界だ。

遠い昔、世界はまだひどく狭くて。その世界ではあんまりにもワリヤは異端で。

何かを好きになるには理解が足りず、何かを憎むには好意が足りなさ過ぎた。

ワリヤがそこまでの技術を磨き上げられたのも、そんなふうに世界というものに置き捨てられたからこそだ。

何もないからこそ、何の願いも祈りも欲望もないからこそ。

 

人にさえなり切れない、半端な純粋すぎる生き物が生の全てをかけて磨き上げた技術は確かにアーラシュに手を伸ばせるほどのものだっただけだ。

ただ、それだけだ。

 

「あ、ワリヤさん!」

 

思考に沈んだ中、幼い声にワリヤは視線を向ける。そこには、数人の子どもたちがいた。

 

「やあ、みなさん。村の外れでどうされました?」

「ちょっとしたお使いです!」

「ワリヤの兄ちゃんは?」

「アーラシュのお兄さんと一緒じゃないって珍しいね。」

「私は村の周りの見回りですよ。あなたたちも盗賊なども出るので、歩くなら出来るだけ村の中心部を行きなさいね。」

 

ワリヤの言葉に、子どもたちは元気よく返事をしながら歩いて行く。その後姿を見て、ワリヤはそっと自分の下っ腹の部分を撫でた。

子どもは、別段好きでも嫌いでもない。

どんなにいい子であろうと、悪たれであろうとワリヤにとって等しくただの子どもだ。

庇護すべきものであるという価値観はあっても好感やら嫌悪感とは無縁である。結局のところ、どんな感情を抱けば分からないのだ。自分には縁のあるはずのないものであったから。

ただ、少しだけ、それを手にしていたかもしれないことを考えてしまう自分がいた。

 

(・・・・子ども。)

 

母として、弓を射らずに生きたかもしれない自分。母を悲しませなかった自分。

アーラシュと、関わらなかった自分。

何者かで、あれた自分。

ぼんやりと、そんなことを考えていると自分より少しだけ高い位置から声がした。

 

「どうした、こんなところで立ち止まって。」

その声に、ワリヤは無防備に振り返る。

「・・・・いえ、ただ。少し考え事、していました。」

「そうかい。」

 

アーラシュは、いつも通り明るく、朗らかに笑う。そうして、おもむろにアーラシュはワリヤの前を歩き出した。彼女はそれに当たり前のようについて行く。

 

「お前さん、ファラオの兄さんの所にいたのか?」

「はい、マスター様たちに聞かれたんですね。」

 

ワリヤはにこにこと笑いながら、砂漠の中での話を語る。オアシスの話、荒れ果てたこことは違うこと。

そこにいた、恐ろしく、美しく、誇り高きファラオの話。恩義のある人のこと。

どこか、臆病そうな、けれどファラオとおなじように誇り高き女王のことを。

ワリヤは、語る。

アーラシュはそれを、彼にしては珍しく柔らかな微笑みを持って聞いていた。

そうして、唐突にアーラシュは口を開く。

 

「なあ、ワリヤ。」

「はい、何でしょうか。」

 

ワリヤは穏やかに微笑んで、自分の友を見た。

 

 

 

「お前は、どうして戦士になったんだ?」

 

思いがけない質問に、ワリヤは固まった。思わず、ワリヤはわざわざアーラシュの顔を見た。彼は、静かな目でじっとワリヤを見ていた。

普段の太陽のような快活さは鳴りを潜め、夕焼けの様に静まり返った表情だった。ワリヤは、その意図を理解できなかったが答えない理由もないために口を開く。

 

「・・・戦士として生きられる素質がありました。母にも、そう生きる様にと言われたので。」

「お前には、救いたいものがあったか?」

「そ、それは・・・・」

 

口に出そうとした。彼にとって、いや、彼女にとっての世界はたった一人なのだから。

けれど、それはひどく傲慢な事であることはわかっていた。だからこそ、彼女は口を閉ざした。

 

「平和を、願っていました。」

 

その声は、彼女が思っていた以上に擦れていた。

アーラシュはそれに一度だけ瞬きをし、俯いた彼女を見つめた。

 

「・・・女であるお前が、弓矢を取ってまでもか?」

 

その言葉にワリヤは驚いたような顔をする。そうして、逃げ出す様に後ずさりをしようとした。けれど、アーラシュはその腕を取り、逃がさないというように握った。

 

「・・・・だ、だましたかったわけじゃあ。」

「怒っているわけでも、呆れているわけでも、憐れんでいるわけでもない。生きてたころには、すでに知っていた。」

 

ワリヤはその言葉に、その青い瞳が零れんばかりに見開き驚いたような顔をする。

その瞳に絶望がじわじわと侵食していくのをアーラシュは見つめた。

 

「ワリヤ、俺はお前が女である前に良き戦士であること知っている。だからこそ、俺は問いたい。お前は、誰のために戦っていた?そうして、今だからこそ問うぞ。」

 

お前は、誰のために戦うんだ?

 

問われたそれに、ワリヤは混乱しながら答える。

アーラシュに女であることを知られたことに対する動揺は、すでに収まっていた。彼がそんなことを気にしないことは理解できた。女であることを知って、アーラシュから遠ざけるものがいないことも分かっていた。

何よりも、彼女も、女でありながら、女として生きられなかったことをどう思えばいいのか分からなかっただけでアーラシュが気にしていないのならさほど重要に考えることも無い。

だからこそ、彼女はひどく凪いだ思考で言葉を続けた。

 

「王のために、アーラシュのために、私は唯、弓を、矢を。」

ただ、それだけです。

 

それだけが、何の基準も持てなかった彼女に取っての道しるべだった。

その言葉に、アーラシュはやっぱり微笑んだ。

その笑みは、悲しそうで、寂しそうで、そのくせどこか嬉しそうで。

アーラシュは掴んでいた手を離し、ワリヤに言った。

 

「ワリヤ、お前は当分、俺と行動を共にすることを禁止する。」

「どうしてですか!?」

 

ワリヤは、ほとほと、迷子の子どものような顔をした。どうしようもなくて、泣きわめく寸前の、子どものような顔だ。

だって、だって、ようやく会えたのに。また、彼のために戦えると思っていたのに。

だって、だって、彼がいなければ、自分は何者にだってなれないのに。

 

「俺は、お前に何も言わない。自分で、自分が何をすべきなのか考えてみろ。」

「分かりません、急にどうされたのですか?」

 

囁くような声は、震えていた。それに、アーラシュは首を振る。

 

「・・・・今度はな、ちゃんと自分で選べ。」

「分かりません、分からないんです。どうしてか、私には、分からなくて!」

 

幼子の切なる咆哮のようなそれに、アーラシュは無言で彼女を抱きしめた。

ごつごつとして、熱く、固い、ワリヤとは何もかも違う体だ。

アーラシュは、抱きしめた彼女の耳元で静かに囁く。

 

「・・・・・今度は、ちゃんと自分の人生を生きろ。」

お前の守りたいもの、お前の願い、お前の、愛しいもの。

 

アーラシュ・カマンガーは微笑む。

優しい、けれどどこか悲しそうな、顔で。彼は微笑む。

 

「ワリヤ、ワリヤ、今度はな、ちゃんと自分だけの生を歩むんだ。俺の為じゃなく、お前のための願いを見つけるんだ。」

 

戦うのか、戦わないのか、お前が決めるんだ。

何故、そんなことを言われるのか、ワリヤには分からなかった。

 

 

 

「ワリヤさん。」

「はい、何でしょうか。マスター様、マシュ様。」

 

ワリヤはぼんやりと、この地域では主食に当たる豆の処理を行っていた。地面に敷物のようなものを敷き、その上で作業をしていた。声のする方にワリヤが視線を向けると、そこには彼女がマスターと呼んでいる少年と紫苑の髪をした少女の姿があった。

 

「どうされましたか?」

「ああ、うん。いや、ちょっといいかな?」

「ああ、手作業をしながらで構わなければ。」

 

ワリヤはそういって、自分の隣りを示した。立香はそれにそっと座る。

 

「どうかされましたか?」

「・・・・ううん。ただ、ちょっと気になってね。」

 

立香はじっとワリヤの柔らかな顔立ちを見つめた。

ワリヤとアーラシュの様子がおかしいと感じ始めたのはすぐだった。

再会した当初、ワリヤはまるで親に再開した子のような、友と会いまみえた時のような、それこそ恋人と逢瀬をするが如く、朗らかで穏やかだった。

けれど、アーラシュは唐突にワリヤに無関心になった。無視をするわけではない。ただ、ひどく他人のような態度を取るようになった。

ワリヤが何かをしても、そうか、という一言で済ませ、会話もそそくさと終わらせてしまう。再会したときのことを思えば、それもおかしい話だ。

皆が皆、何かしらのことがあったのか勘繰るが別段喧嘩したというわけではない。空気が悪くなるわけでもない。

 

アーラシュの元々の気質のおかげだろう。

ただ、残されたワリヤだけがどこか途方に暮れているような顔をする。

それからワリヤは戦うことを忌避するようになった。もちろん、頼めば戦闘に参加する。戦いに手を抜くことだってない。アーラシュと組めば、その息の合った戦い方に感嘆の声さえ漏れた。

けれど、戦いが終わればそれもまるで夢の様に消えてしまう。

立香たちはもちろん、ハサンたちもまた怪しんだ。けれど、アーラシュはその質問をするりとかわし、ワリヤもまた黙り込むだけだ。

別段、何かしらの問題があるわけではない。

アーラシュがワリヤに対して素っ気ないだけで邪険にしているわけではない。

ただ、気にならないわけではない。そのため、立香とマシュがそれについて聞き出すことにしたのだ。

二人の空気感は、致命的ではないが、のちに面倒を引き起こすという懸念があり、そうして純粋に心配であったということもある

 

「・・・・アーラシュの事ですか?」

「え、っと。」

 

予想に反して、ワリヤの口からは問題の核心がぼろりと漏れ出た。それに、立香たちは動揺をしてしまう。

けれど、ワリヤは気にした風も無く、ぼんやりとした口調で話し始める。

 

「あまり、気になさらず。」

「あの、不躾かもしれませんが何かあったんですか?いささか、急というか何があったのかと。」

 

目を伏せた彼女に、ワリヤは作業の手を止め、そうしてぼんやりとした視線を地面に向ける。

 

「・・・・・あなたたちには、私が何を大事にしているように見えますか?」

 

唐突なそれに立香たちは互いの顔を見合わせた。

その様子に、取り繕う名形でワリヤは言葉を発した。

 

「ああ、すいません。なんというか、どうしても知りたくて。」

「それは、アーラシュさんが?」

「・・・そうですね。そんなもので。でも、私には分からなくて。」

 

途方に暮れた様な顔に、マシュは口を開く。

 

「そうですね、ワリヤさんはアーラシュさんのことが大好きなように感じます。」

「・・・・好き?」

 

まるで始めて言われたかのような素直な驚きがそこにあった。手作業を止めて、ワリヤはじっと地面を眺めた。

そうして、ゆっくりとマシュの方を見た。

 

「好き、ああ。好き、ですか・・・」

「あの、どうかされましたか?」

 

困惑したような顔にマシュが不思議そうな顔をした。

「いえ、なんというか。私は、アーラシュのことが、そうですね。好き、ではあるんだと思います。」

曖昧さを漂わせたそれは、どこか心もとない。それにマシュと立香が不安そうな顔をする。それに、ワリヤは悩む様な顔をする。

 

「・・・・すいません、いえ、その。アーラシュのことを友人であるとは考えたことはありますが。好き、と考えたことはなかったもので。」

「え?」

「一度も?」

 

ワリヤはそれに目を伏せた。

 

「私にとって、アーラシュはこの世そのものだったのです。」

 

緩やかなそれは、まるで吐息の様に空気に溶けていく。

 

「私は、なんというか。世界から爪はじきにされていて。彼だけが道しるべの様に、燦然と輝いていて。美しい、彼に幸福になってほしかった。彼のことを、追いかけ続けました。彼さえ幸せならば、それだけで。」

好きや嫌いで測る様な存在ではなかったのです。

 

ワリヤは伏せていた視線を空に向けた。

 

「幸福であってほしかった、笑っていてほしかった、当たり前のように明日に進んでほしかった。それは、私は、彼を好きであるといえるのでしょうか?」

 

まるで、空が青い理由をとう幼子のような声だった。

 

(この人は・・・・)

 

さほど長い人生ではなかったのだろう、生きていたのも定かでないこの人は。

(誰かを好きであるということさえも分からないまま、英雄になったのか。)

 

それは、不幸であるのか、仕方がないで済まされることなのか。

分かりなんてしないけれど、たった一つだけ言えることがあった。

 

「はい。」

 

マシュの素直な肯定が聞こえた。

 

「ワリヤさんは、アーラシュさんのことが大好きだと思います。」

 

ワリヤはゆっくりと瞬きをした。幾度も、幾度も、ゆっくりと深く思考に沈んでいくかのように。

 

 

好き、好き、好き。

そうだ、たった一言で済ませるのならば。

きっと、その言葉で十分だ。

ワリヤは男が好きだった。その、善良で、優しくて、強くて、丈夫なだけのただの男が好きだった。

彼はワリヤの指針だった、生きるための縁だった、人であり続ける祈りだった。

それを、嫌いになるはずがない。好きだった。きっと、そうだった。

自分のために生きるとは何だろうか。

自分は、アーラシュのために生きるというあり方は、アーラシュの後を追い続けるだけではダメなのだろうか。

幸せになって欲しい。だから、自分は。

いや、自分は、ただ。それしかなかったが故に、そう生きただけなのだろうか?

 

幾度も、幾度も、反芻して。そうして、ワリヤは、アーラッシュが死ぬ、その時に出くわしてようやく、答えを得たのだ。

 

 

 

その女に、安らぎを得るようになったのはいつのころからだろうか。

いや、それが女と知る前から、きっと、ずっとそうだった。

男は、人が好きだった。

優しくて、残酷で、純粋で、愚かしく、明るくて、暗くて、怠惰で、真摯で。

弱くて、強い、日々を生きる民のことが好きだった。

例え、どれほど自分がそこから爪はじきにされようと。せめて、狭い世界だけでも、小さくて、残酷な世界の中で懸命に生きる誰かのことを、救いたかったのだと思う。

 

彼は、英雄であった。英雄として、生まれ落ちた。

強靭な体、極まった戦いの腕、そうして、当たり前のように善をなせる在り方。

彼は、確かに英雄としての素質を持って生まれ落ちた。

けれど、彼はどこまでも人でしかなかった。

人が死ぬことを悲しいと思った、敵とはいえ幼い誰かを哀れに思った、遊びふける子どもを愛らしいと思った、産声に泣きたくなった、人を殺し続けることを虚しくなった。

人から逸脱してしまったことを、寂しく思った。

 

何故だろうか。

アーラシュは、優しかった。誰かのことを思っていた。

けれど、彼のなすことはどうしようもなく人からはかけ離れていた。

人は、無辜の民は彼を太陽と仰ぎ、人ではない英雄と言って遠ざけた。

それを、悲しく思った、寂しく思った。

けれど、仕方ない。

孤独であると、そう決めてしまったのは自分だから。

けれど、たった一人だけ、彼女だけは違った。

 

「アーラシュ。」

 

穏やかで、そのくせ、どこか無機質な声が自分の名を呼ぶ。

誰もが、アーラシュに夢を見る。誰もが、アーラシュを違うものとする。

けれど、何故だろうか。

ワリヤだけは、アーラシュのことを心の底から人であるのだと信じていた。

 

「アーラシュ。」

 

幼いころから、その声だけは何か、違って聞こえた。

どうして、そんな風に思うのか分からなくても。けれど、違って聞こえることだけは理解できた。

心を覗けるほどまでに鋭い目を使おうとは思わなかった。それは、あんまりにも不誠実であると思ったから。

ある時、アーラシュを恐れた者がいた。孤立した村を助けるために、敵を殺しつくし、血に濡れた彼を、恐ろしいと泣いた幼子がいた、震える体を丸めた女がいた、恐怖を混じらせた瞳を向ける男がいた。

それを、知らないわけではなかった。

そんな、弱者の拒絶を知らないわけではなかった。頷くことしか出来なかった。

きっと、それはよくあることだったから。

 

「我らにとって、あなたの様に人を逸脱した存在は、頼もしくもあり、恐ろしくも思うのです。我らからすれば、異端でしかなく。」

 

それは確かな拒絶で、アーラシュから目を逸らすものだった。

けれど、そんな中に、ひどく無邪気な印象を受ける声音が響く。

 

「どこがですか、こんな普通の人が怖いなんて。」

 

その声の主は、彼に同行していたワリヤであった。彼女は、アーラシュ同様に返り血に塗れた姿で、死と暴力の匂いを纏って、ひどく不思議そうな表情と穏やかな声をしていた。

その姿に人は、ワリヤにも恐怖の混じる目を向ける。

けれど、その言葉に本格的にワリヤに訳の分からないものへの、アーラシュがよく向けられる目をされていた。

 

誰もが驚く、だってアーラシュ・カマンガーは英雄だ。普通などという言葉とは、あまりにも遠すぎた。

けれど、ワリヤは心底不思議そうな顔をする。彼に言葉をかけた存在を見つめる。

その眼には、怒りだとか、恐怖だとか、そんなものは欠片だってない。

そこにあるのは、純粋なまでの疑問。どうしてそんなことを言われるのか、分からないという眼。

 

「アーラシュが異端なんてあるわけないじゃないですか。こんなにも人らしい人なんて他にいませんよ。誰かのことが大好きで、大事なものを守りたいと思って、理不尽に怒って、悲しいことに泣く人です。」

私たちと同じじゃないですか?

 

それは、誰にも、理解されることのない言葉だった。

その瞬間、ワリヤは確かにアーラシュと同じであった。誰にも理解されず、誰にも恐れられ、どこにも交われない異端であった。

何よりも、その瞳を心地いいと思った。

 

その眼は、いつだって凪いでいた。アーラシュのなすことに、恐れを抱くことも無ければ、驚きも無い。

彼のなすことを褒め、気遣う。

その瞳は、どこまでも人間であった。英雄へ向ける敬愛も、恐れも、かといって慕わしさも無い。

そこにあったのは、友愛だ。そこにあったのは、親しみだ。

そうして、そうありたいと思う無邪気な尊敬。

遠いものを見るわけでもない、近しくて、当たり前を見る眼。

何の意図もない。誰もが持つ眼。自分には決して、向けられなかった眼。

彼女だけがアーラシュのことを人として扱った。

自分と同じ場所にいる、無邪気に目標として扱う、アーラシュの友人。アーラシュと同じ、人の輪に入れなかった、異端。

 

笑ってしまうことにだ。

彼女だけが、アーラシュと同じだった。アーラシュを人として扱うがゆえに、人の輪から弾かれた異端者。アーラシュだけの、同胞。

手放しがたかった。安寧を抱えた。その瞳に映るその瞬間だけ、アーラシュ・カマンガーは、ただ、強くて、頑丈で、優しいだけの男だった。

ワリヤだけが、アーラシュにとって守るべき民でなく、共に誰かを守る者だった。

穏やかで、けれどそのくせ人から逸脱していようと気にもしない。彼女の中心は、いつだって人の様にしか生きられないアーラシュだった。

 

だから、だろうか。

欲が出てしまった。

彼女がアーラシュのことだけをずっと思っていたのは、ワリヤの母にそう言われたがためだ。

母がそう言わなければ、彼女は唯の人として、幼いころに知っているだけの、その程度の存在で。

自分が、英雄でさえなければ。ワリヤの母の目に留まらなければ。

選んでほしかった。

母の言葉の為でなく、世界への奉仕ではなく。アーラシュの善性を指標とするのではなく。

自分を、アーラシュ・カマンガーというだけの、ただ優しくて、強くて、そうして頑丈なだけの人間を選んでほしかった。

 

愚かというなら、愚かと言え。それでも、そんな欲が出てしまった。

自分を人として見る目、気づかう目、自分と同じものを見る目。

心地よくて、安らいで、そうして欲しかった。欲しくて、欲しくて、たまらなかった。

だからこそ、ああ、嬉しいと思ってしまった。

村が円卓の騎士に襲われ、残っていたのはアーラシュとワリヤだけ。

ワリヤには村人の護衛を任せ、アーラシュ自身は追撃のために出たのだ。

その先は、情けない話で、ランスロットに斬りつけられた。

その時だ、ランスロットの関節を狙ったらしい弓矢が飛んでくる。が、その弓矢はランスロットに叩き下ろされ、そうしてそれを狙ったらしいトリスタンの弓矢に射られてしまう。

遠くて、短い悲鳴が聞こえた。

 

「ワリヤ!」

 

叫んだ瞬間、アーラシュは崖の下に落ちていく。遠のいて行く空にアーラシュは足掻こうとする。その時、上から誰かの驚いたような声がした。そうして、誰かが降って来る。

 

「アーラシュ!」

 

自分に手を伸ばすワリヤの姿に彼は同じように手を伸ばした。

 

 

 

「お前もだ。」

 

ランスロットとトリスタンに襲われたアーラシュは、それを背負って谷底から這い上がってきたワリヤに向けてそう言った。

アーラシュは、いつ消えてもおかしくないほどに霊基はぼろぼろだ。

それに比べてワリヤは軽傷で済んでいる。ベディヴェールへの忠告を済ませ、洞窟の中の人々を立香たちに任せる旨を伝えた彼はそのままワリヤにそう言った。

 

「・・・・今度は、言うことを聞いてくれ。すまんな、選べと言った口でこんなことを言って。」

「・・・・嫌です。とっておきを、宝具を放つ気でしょう?なら、私も宝具を解放します。」

「お前、何を言ってるのか分かってるのか?」

 

怒気を込めた声に、立香たちは思わず肩を震わせた。あまりにもらしくない声音に、目を白黒させる。

 

「・・・わかって。」

「分かってるはずはないだろう!?お前の宝具は俺と同じようなものだ。たった一度きりのとっておき。使いどころを間違うな!俺は元よりもう長くは持たん。」

「だから、あなたが犠牲になっていいんですか?」

言い返すような声音に、アーラシュが不機嫌そうに吐き捨てる。

「俺はそういう存在だ。放たれた矢がかえってこない様にな。」

「それでも、私は君にこれ以上犠牲になってほしくない。」

「ワリヤ、俺は英雄だ。」

「違う、君は人間だ!」

 

叩きつけるような、初めて聞くような咆哮にアーラシュは驚いた顔をする。ワリヤは、ただ、ただ、アーラシュだけを見つめる。ワリヤは、アーラシュに掴みかかる様にその腕を掴んだ。

 

「君が好きだ、アーラシュ!」

 

突然放たれた、愛の言葉に皆が固まる。空には裁きとも言える光に満ち、炎が辺りを満たし、地面には遺骸が転がる。

それなのに、その言葉は春風の様に辺りに広がった。

アーラシュさえも、茫然とその言葉を聞いていた。

 

「お前・・・・」

 

アーラシュの声さえも遮って、ワリヤは叫んだ。

そうだ、彼女はようやく理解したのだ。

どうして、自分が、彼と共にあったのか。そうだ、ああ、死ぬのだ。この夢が終るのだ、ワリヤの世界が終るのだ。

己の生で経験しなかったその事実に、胸の中で何かがかちりとはまり込んだ。

 

「ずっと、ずっと、そうだった。君のことが好きだった。君が、君だけが、私にとってたった一人の人だった。君は優しかった、誰よりも民を想い、傷ついて。けれど、無辜成る人々は君を拒絶した、違うものだとつまはじきにして。それが、ずっと赦せなかった。」

 

ぼたぼたとワリヤの目から、溢れる様に涙がこぼれる。

 

「どうしてだ。君は、良き人で、当たり前のように誰かを愛せる人で、いつだって誰も傷つかない様にって祈る人だった。君は、人だった。なのに、人は君を拒絶した。なら、彼らの方が人でなしじゃないか!君は、誰よりも、人だったのに。」

今度こそ、君の側にいる。君を、一人にしたくない。

 

そうだ、これこそが答えだった。それこそが、ワリヤというそれの全てだった。

彼女の、生涯を、命と、人生を、価値も、全て捧げても構わない恋だった。

まるで駄々をこねる様に、そう言った。それに、アーラシュは、全てを理解する。

アーラシュは、死ぬ前にしてはあんまりにも穏やかな微笑みを浮かべて、ワリヤの頭を胸に抱き寄せた。

 

 

結局のところ、ワリヤとは人でなしであったのだ。

彼の価値観とは、アーラシュを基準に組み立てられた。

ワリヤは確かに人として生まれた。

けれど、彼女は世界に馴染むことなく、アーラシュという枠組みの外にいる存在を核とした。

英雄として生きるものを普通であるとした彼女は、凡人であったのだろうか?

いや、アーラシュという善性を当たり前とし、彼の強さを目指すべきものとした彼女は結局のところ人でなしでしかなかったのだ。

ワリヤにとって、アーラシュこそが人であった。彼女に取っても、アーラシュだけが同胞であったのだ。

 

「・・・そうか。」

そうかあ。

 

掠れた様な声音であった。けれど、どうしてか、彼は微笑んでいた。

ああ、だって、とっくに自分は選ばれていたのだ。とっくに、彼女は自分の人生を生きていたのだ。

アーラッシュは納得した。

そうか、それならば、それでいい。

 

「話はここまでだな。すまん、長いことを付きあわせて。後は頼んだ。」

「で、でも。」

「任されよ、さらば、さらば!この地で出会った、我が最大の盟友よ!叶うならば、後悔は無きように!」

 

立香は呪腕のハサンに抱えられるような形でその場を去っていく。

彼は、思わずその場に残ったアーラシュとワリヤに手を伸ばす。

けれど、どうしてだろうか。

彼らは笑っていた。本当に、幸福そうに。

笑っていたものだから。

それがひどく寂しくて、苦しくなったのはなぜだろうか。

 

 

 

 

 

「「・・・・陽のいと聖なる主よ。あらゆる叡智、尊厳、力を与えたもう輝きの主よ。」」

 

隣りだった二人は、同じように矢をつがえ、そうして同時に詠唱を口にする。

 

「「我が心、我が考えを、我がなしうることをご照覧あれ。」」

 

「さあ、月と星を創りしものよ。我が行い、我が最後、我がなしうる聖なる献身を見よ。」

「ああ、月と星を作りしものよ。我が行い、我が最期、このただ一人だけに捧げし献身を見よ。」

「この渾身の一射を放ちし後に、我が強靭の五体、即座に砕け散るであろう」

「この渾身の一射を放ちし後に、我が脆弱なる体は砕け散る。それこそが、矮小なる代価にすぎず。赦されたことに喜びを。」

 

―流星一条―

―偽りたる流星―

 

同時に放たれた矢は、まるで言葉通りの流星が如く、空を駆けていく。まるで、光の獣が連れそうにように空を駆けていく様だった。

ぴしりと、どこかで音がする。弓を持った手に亀裂が入る。

それに、ワリヤは終わるのだと思った。

前と同じだ、痛くない、苦しくない。霊基の砕け散る様は、前よりもずっと綺麗だ。

 

良かったと思う。

ワリヤは、結局のところ人でなしなのだ。

召喚されてからも、彼女は何もかもがどうでもよかった。

もちろん、悲しいだとか、そう言った感情がないわけではなかったけれど、それでも、彼女が英雄として誰かを助けようとするのは所詮は、アーラシュの為だったから。

彼がそうするから、そうしていた。それだけの話だった。

それでもいいと思った。

アーラシュに悲しんでほしくないから、彼に笑って欲しいから、彼のことが好きだから。

だから、人を助ける。それでいい。少なくとも、自分はそう思った。

彼のことが好きだったから、好きというものを知れた。彼を拒絶するものが嫌いだったから、嫌いを知れた。彼の苦しむ様が苦しかったから、苦しみを知った。彼が悲しそうだったから、悲しいを知った。

彼がいたからワリヤは、世界に触れられた。

たった一人のために、そう願ってもいいはずだ。そうだ、救うことに理由なんて、そんなものだ。

 

オジマンディアスは、ワリヤを空虚と言った。それはそうだ、だって、ワリヤはアーラシュがいなければ世界に触れることは叶わないのだから。触れられぬ世界に、何を思えばいいのだろうか。だから、じぶんはそれでいい。アーラシュのための英雄がワリヤであったからだ。

ワリヤは、もう、砕け散っていくもう体とは言い切れないそれでアーラシュを見る。

すると、彼もまたワリヤを見ていた。

 

(・・・ああ、そうか。これで、最後なんだ。)

 

ワリヤは、もう、崩れ始め、腕とは言えない腕を伸ばす。アーラシュもまた、腕とは言えない、崩れ始めたそれを伸ばす。

彼らは、互いに抱き合った。崩れていく体のせいで、互いの境界さえ混じり始める。

 

(・・・ああ。)

 

何かを言いたい、何か、彼に言ってやりたい。

また、世界はその人を犠牲にする。誰かのために、そうやって、たった一人を犠牲にして。

アーラシュがそう決めたのだから、それでいい。それが彼の矜持であり、覚悟であるから。

けれど、ワリヤはそれをずっと寂しいことだと思っていた。世界のために終わる人が、たった一人で終わることを、そう思っていた。

だから、今度こそ、置いて行くのではなく、一緒に死にたかった。

アーラシュは英雄だから、人なのに、英雄だから。

だから、いつか無辜なる誰かのために死んでしまうから。せめて、最期は一人でないように。

 

なあ、アーラシュ、嫌じゃなかったかな、私が一緒で怒っているから、ごめんな、上手く出来なくて、もっと、やることがあったかもしれない、残っていた方がよかったのかもしれない、苦しくないから、前の時はどうだったんだい?

くるり、くるりと、言いたいことが浮かんでは消えていく。

ああ、時間がないんだ。

 

そう思って、もう、口とは言えない口で必死に言葉を紡いだ。

 

「いたくない?」

 

ようやく口に出来たのは、それだけだった。けれど、どうしてだろうか。アーラシュは、もう亀裂が入り、砕ける寸前の顔で本当に幸福そうに微笑んだ。

 

「ああ。」

 

独りじゃないからな。

それに、ワリヤは同じように微笑んだ。

ああ、よかった。間違ってなかった。そうか、痛くないのか、よかった。

君は、独りでないなら、寂しくないなら、それだけで。

その微笑みに、アーラシュもまた微笑んだ。

ずっと、独りだと思っていた。仲間なんて、いなかったと、そう思っていた。

ああ、けれど、自分は愚かなことに、たった一人を忘れていた。

いたじゃないか、ずっと、ずっと、共にあってくれた人。友であった人。アーラシュを人とした、人でなし。

英雄として産まれながら、アーラシュは人としてしか生きられなかった。けれど、それに沿うように人として産まれながら人でなしの様にしか生きられなかった彼女。

ああ、そうだ、寂しくない、独りじゃない、それはきっと、幸福な事だ、寂しくないことだ。

 

「おれも、おまえがすきだよ。」

 

砕け散っていく中、最後に遺した言葉と、流れ落ちた涙だけが形を成していた。

二人は、幸福そうに微笑みながら、砕け散って、消えていく。

きらきらと、きらきらと、砕け散った体が、光になって消えていく。

きらきらとしたそれは、まるで二つであったことなどないように、一つになって消えていった。

それは、本当に、泣きたくなるほど美しいものだった。

 



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冥界の女神の従僕 ※クロスオーバー成分あり
二人ぼっちの冥界



はっきりとしたものではありませんが、クロスオーバー成分があります。
こういうの読みたいなあと言うノリだけで書いた部分があるので、ご容赦いただければと思います。


 

エレシュキガルの国である冥界というものは、言ってしまえば変化のない国だ。

寒さと岩と砂と、死者たちの眠る槍棺。そして、徘徊するガルラ霊たち。

極端な言い方をするならば、冥界にてはっきりとした自意識を持っているのは冥界の女神である彼女だけだった。

だからこそ、エレシュキガルは、死者の為、任された国のためにひたすら努力をし、それと同時に死者たちのための棺桶を作るという代わり映えのしない仕事を続けていた。

 

けれど、その日だけは違った。門を何か神だとかなんだとかが通ったという話もなく、かといってガルラ霊たちも何の反応もしていないというのに。

だというのに、己以外の人型の何かが堂々と自分の目の前を歩いて行くのを見たのだ。

 

エレシュキガルはそれに口をあんぐりと開ける。

いや、それが人型ならば、まだ、何か自分の与り知らぬところでどこぞの神が何かをやらかしたのだと予想できただろう。けれど、それはあまりにも奇怪だったのだ。

古びた革のパンツにゆったりとしたチュニック、そして履き古している革のブーツ、もちろんエレシュキガルからすればまだまだ先の文化の服装であったが。それだけならば、まあ、不思議な格好だとは思えただろう。

手に持った赤々とした暖かそうな火の宿ったランタンも、まあいいだろう。

ただ、それは何故か頭部に橙色の不可思議な被り物をしていたのだ。

目の部分は三角に、口の部分はギザギザに切れ込みを入れられた橙のそれ、パンプキンといわれる野菜、を被ったそれにエレシュキガルは思わず声を発した。

 

「・・・・何者!?ここをどこと弁えているの!?死後の魂の国、人生への郷愁。その一時を守る安寧の地。死者で無い者が立ち入っていい場所ではないわ!」

 

そう言いはしたものの、彼女自身非常に困惑していた。

だって、目の前の存在は確かに死んでいるようではなかった。かといって、生きてもいなかったのだ。

そんなエレシュキガルに気づいたらしい人影は、その被り物の上からでも分かりそうなほどに嬉しげにエレシュキガルに跪いた。

 

「慈悲深き女神さま!どうか、俺を殺してください!」

「へ?」

 

そのでこぼこコンビの始まりは、そんなものであったのだと、互いに記憶することとなった。

 

 

人生というものは、長ければ長いほどの色んなことがあるらしい。

らしいとついてしまったのが、その青年は未だ二十代半ばで命を落としてしまったせいだった。

青年から言わせれば、死んだことはもちろん悔しかったし、悲しかった。だからといってどうすることも出来ない、ということで素直に成仏した。

成仏といっても、何故か昔本で読んだことのように閻魔様に会うことも無く、何故か宗教違いに天へ昇って、白い門の前に並ばされることとなった。

自分は仏教徒のはずだったんだけどなあ、などとその洋風テイストの風景を眺めていると、順番がやって来る。

 

すると、門の前に受付らしい、白い大きな布を体に巻き付けた様な服装の二人の男が困惑したように書類を眺めていた。

それに、もしや自分は地獄行きだったかと、さほど悪人でなかった今世に思いをはせていた彼にその二人組の片方が信じられないことを言った。

 

「・・・・オタク、天国はおろか地獄にもいけませんけど、どうします?」

「へ?」

 

予想外な言葉に目を丸くした青年は、どういうことかと二人に詰め寄った。それに、男二人も困ったように首を傾げていた。

 

「うーん、ジャック・オ・ランタンって知ってます?」

「えーと、あのハロウィンの?」

「ああ、それっす。実は、それの元ネタにウィル・オー・ザ・ウィスプって話があるんすけど。元々、ものすげえ悪人の男が悪魔を騙して地獄行きにはならないって約束を取り付けたわけっす。そんでまあ、男は寿命で死んだっすけど、そんな悪党が天国に行けるわけも無く、かといって悪魔と交わした約束を反故にも出来ず。男は、悪魔が憐れんで与えた地獄の炎の練炭をかがり火に彷徨うようになったって、まあそんな話があるんだが。」

「お兄さん、そのジャックの生まれ変わりって奴ですね。」

「え?」

「うーん、さすがに延々と死者を現世に留まらせるのはどうかって話は出てたのは知ってたっすけど。まさか、お目にかかれるとは思わなかったっす。」

「でも、これ、死ぬまでにある程度善行を積ませて何とか地獄は駄目でも天国に入れようって話だったんじゃあ?」

「・・・・・人生短すぎて、これじゃあ天国にも入れないよなあ。」

 

己の目の前で繰り広げられる会話に、青年は叫んだ。

 

「じゃ、じゃあ、俺どうなるんですか!?」

 

それに、男たちは顔を見合わせて、同じ方向に首を傾げた。

 

「・・・・・さあ?」

「さあ、じゃないでしょう!?」

 

 

「・・・・・ええっと、それでね。私たちとしても、君についてはそろそろ何とかしないとと思っていたんだよ。」

 

その後、何故か良く分からないがジョニー・デップによく似た、何でも上司らしい、人の前に青年は連れてこられた。

その上司曰く、さすがに死者でも生者でもない存在を野放しにはしておけないと、自分をもう一度転生させたはいいものの、何の因果か予定よりもずっと早くに死んでしまったらしい。

 

「・・・なら、もう一回生まれ直すことは?」

「うーん、元々転生させること自体すごく特例だったから何回も出来ないしなあ。」

「そ、そんなあ・・・・・」

 

青年は不安そうに、顔を歪めた。自分がこれからどうなるかもわからない不安感で、彼の顔はべしょべしょに歪んだ。

それに、上司である男は慌てて青年に声を掛ける。

 

「で、でも、うちは駄目でも、他の所なら大丈夫かもしれないよ!?」

「ほ、他の所?」

「そうそう、ここは駄目でも他の黄泉だとか冥界だとかなら大丈夫かもだし。どうする?行ってみるかい?」

 

その言葉に青年は飛びつく。何でもいいから、今感じている不安感を何とかしたかったのだ。

 

「お願いします!!」

「わ、わかったよ。なら、ほら、準備をしようか。」

 

上司の男はそう言って、青年の体をなぞっていく。

 

「・・・・永い、長い、旅路に、祝福を。照りつける日にも、吹き荒む風にも負けぬ衣を君に。」

 

それに、青年の白い病院着のようなそれが、革のパンツと黒いチュニックに簡易のベスト、そして柔らかなマントに変わった。

 

「どんな悪路も超えていける靴を君に。」

 

それに足に吸い付くような革のブーツが裸足に纏われた。

「どんな暗闇でも進んでいけるともしびを君に。」

次に青年の手に、精緻な模様の施された火の灯ったカンテラが現れる。

 

「・・・・最後に、君が己の業を忘れることがなきように。」

 

それに、彼の顔がかぼちゃの形をした被り物で覆われた。次の瞬間、足元に確かにあった地面がなくなり、突然の浮遊感に襲われる。

 

「ぎゃああああああああああ!?」

 

絶叫が響く中、上司だという男の声が確かに聞こえた。

 

「長い、永い、巡礼になるけれど。君が行くべき場所にたどり着くことを願っているよ!」

 

 

 

 

「エレシュキガル様!槍棺作り終えましたよー。後、上に行っておいしいビールも買って来たんで休憩に飲みましょう!」

「分かったわ。そこに置いておいて。」

「えー、エレシュキガル様も飲みましょう?主人が飲まなきゃ俺だって飲めませんし、第一、いっくら女神でも心の休憩は必要ですよ?」

 

エレシュキガルは、読んでいた書物から目を離し、自分に話しかけて来る存在に目を向けた。

その、生者でもなく、死者でもない存在を従者として加護を与えてからどれほど経ったろうか。

あの奇怪な被り物はどうも、形自体は変えられるらしく今は帽子のようになっていた。

 

派手な橙色の帽子には似合わない顔立ちを青年はしていた。

まるで犬のように愛嬌のある可愛らしい顔立ちをしており、その髪は不思議なことに光の加減で緋色がかった銀色で、瞳はこれまた澄んだ真紅。

彼曰く、昔は普通の黒の髪であったらしいのだが、いつの間にか色が変わっていたらしい。

 

神々には及ばないとはいえ、その可愛らしい容姿をエレキシュガルは気に入っていた。

話を聞くと、それは死ぬことが許されず、なんとか自分を受け入れてくれそうな場所を探す旅の途中であったらしい。それは人の時間からすれば四桁を超えてしまいそうなほど永い旅路であったそうだ。

エレシュキガルの元に来る前にも、多くの冥界や黄泉に行ったそうだが悉く断られ、それにつけて追い返されることも多く、ほとほと困っていたらしい。

エレシュキガルは、魂の安らぎを得ることが出来ない存在というのをことさらに憐れんだ。

何よりも、自ら自分の物になりたいと懇願してくる存在を愛おしくさえ思ってしまったのだ。それならばと、エレシュキガルは彼を冥界に受け入れることを宣言し、彼を槍棺に納めようとしたが、はっきり言おう。無理だった。

何故か、槍棺にそれ、ウィルと名乗った彼は拒絶された。

 

困ったのはエレシュキガルだ。

受け入れると宣言したとはいえ、槍棺に納められないでは安寧としての眠りさえ与えられない。明らかにしょぼくれたウィルに、エレシュキガルは一つ提案をした。

生者でも死者でもないウィルに何とか安寧を与える、その方法が見つかるその日まで、冥界で自分の下僕として扱い、その生活を保障するというものだった。

ウィルは、自分が死ねないことにがっかりはしていたが、居場所が出来ることをひどく喜び、それに嬉々として乗った。

エレシュキガルは、改めてウィルに加護を与え、冥界の使者として扱うことを決めた。

加護を与えられたウィルはよく働いた。槍棺の作り方もすぐに覚え、ガルラ霊や力を失った神や門番たちと違い、エレシュキガルの話し相手になったことも彼女にとって嬉しい誤算であった。

何よりも、彼の腰に下げられたともしびは寒さで凍えるはずの冥界を一時的にとはいえ温めた。

彼が歩く場所は陽だまりの様で、その朗らかな声は花の様で、エレシュキガルを慕う微笑みはまるで星の様で。

何よりも、彼はエレシュキガルの国を、彼女の在り方を心から讃えた。

 

 

エレシュキガル様、エレシュキガル様。あなたに安寧を守ってもらえるこの世の民はどれほど幸せなのでしょう。

俺は多くの死の世界を見ました、知っています。

優しい神も、真摯な神もいましたが、あなたのように死した魂に自ら声を掛けてくれるような、自ら棺を作ってくれる神はいませんでした。

ここは、寂しい場所ではあります。寒くて、砂ばかりで、でも、ここにはあなたがいます。エレシュキガル様という美しい花のような女神がおやすみと言ってくれるなら、その心の温もりはどれほど温かいと思えるか。

エレシュキガル様、エレシュキガル様、あなたの国は寒くて寂しい。けれど、ここほど、静かで穏やかで、優しい女神のいる場所などないんです。

いつか、いつか、俺が還る、その時に、どうかおやすみなさいと言ってくれるなら、それだけがひどく幸福なのです。

 

その言葉に、そのキラキラとして目に、その心から羨ましそうな声音に、エレシュキガルがどれだけ心を震わせたのか、ウィルには分からないだろう。

ずっと、一人だった。ずっと、その暗闇の中で、一人で己の役目を全うしていた。寂しいとも、悲しいとも、何も思えず、外の世界を願うことも無く、自分の役割を全うしていた。

それでよかったのだ。だって、エレシュキガルはそのために生まれたのだ。

なら、どうして疑問にも、悲しいとも、寂しいとも思えるだろうか。

けれど、確かに、心細さだけは降り積もっていたのだ。

それを、人とは言えど、それでも讃えられることへの激情など、一言で言い表せることなどないはずだ。

己のやっていたことが間違っていなかったし、無駄ではなかったし、自分の存在が確かに少しでも報われた証でもあった。

何よりも、エレシュキガルはウィルの事をひどく気に入っていた。

彼は、エレシュキガルに従順でよく働き、彼女を気遣い、彼女を讃え、この世で何よりも美しいと心から言っていた。

 

そんな彼が心から自分の味方であるのだと分かった時の事も、よくよく覚えている。

死者でも生者でもない彼は、上の世界でもある現世に赴くことも出来た。

勝手にいなくなった時はエレシュキガルも怒り狂い、自分を裏切ったのかと苦しんだが、彼はあっさりと帰って来た。

何故か、ビールの入った器と二枚の折り重なった粘土板を持って来た。

帰ってきたことに内心では安堵しつつ、どうして現世に言ったのかと問えば、ウィルはあっさりと言い放った。

 

「すんません、エレシュキガル様が疲れているようでしたし。せっかくなので何か旨いものをと思い、ビールでも気晴らしに。あと、これも。」

 

そう言ってウィルは、冷えたビールと、二枚重なった粘土板を差し出した。

粘土板には、何故か花が挟まっており、ぺったんこに潰れていた。

けれど、まるで生きていた時の状態を写し取ったかのように色鮮やかで形もはっきりと残っていた。

初めて見たと言って良い、数本の花々に、ウィルは心の底からほっとしたように言った。

 

「よかった!冥界に持ってくると絶対枯れるけど、これならいける思ったんすよ。」

 

ニコニコと笑い、彼はその粘土板をエレシュキガルに向けて微笑んだ。

 

「どうぞ、これはもう生きてはないんです、エレシュキガル様の花ですよ。」

 

美しいあなたには、きっと生きている花こそが相応しいのでしょうが。

そう言って、己に花束ではないけれど、この世でエレシュキガルにとって一等に美しい花をウィルは差し出した。

 

「・・・・・いつか、咲き誇る花を、あなたに贈れたらいいなあ。」

 

夢のようなことを言うものだと思った。

だって、それは、叶うことのない夢だ。遠くにあるからこそ、届かないからこそその夢は美しかった。

けれど、エレシュキガルは、何も知らない幼子のようにそんな夢を口にするウィルの事がただ、ただ、愛おしかった。

 

「今日は俺は槍棺とか魂たちの見回りに行きますけど。その後は、追加で槍棺の製作をします。エレシュキガル様は?」

「・・・・・私は自分の神殿の製作をして、その後は書物で調べものよ。」

「根を詰めるのは良いですけど、無理しないでくださいね。ああ、あと、現世に行きますけど何か欲しいものはありますか?」

「別に無いけど。美味しいビールが飲みたいわ。でも、あなた、そういうの買うためのお金はどうやってるの?私、あなたにお小遣いなんて上げたかしら?」

「ああ、実は、農家なんかの手伝いとか、石に彫り物したりして小遣いを稼いでるんです。けっこう評判良いですよ?」

「・・・・本当におまえは器用ねえ。まあ、いいわ。下僕からの貢物を気持ちよく受け取ってあげるのも女神の役目ね。あと、欲しいものは、あなたが私に相応しいと思えるものを贈りなさい。」

「む、難しいっすね。でも、まあ、頑張ります・・・・」

「ふふふふ、楽しみにしているわ。」

 

それに困ったように笑いながら、ウィルはエレシュキガルの居室から出ていく。おそらく、冥界の見回りに行ったのだろう。

何故か、ウィルの靴にはどこぞの神の加護がかかっているらしく、悪路の極まる冥界であろうとまるで舗装された道のようにすいすいと進んでしまう。それに、エレシュキガルの加護も加わってまるで獣のような速度で冥界を走り回ることが出来る。異常があってもすぐに伝令が来るため、彼ほど見回りにぴったりな存在はないだろう。

 

今日も、彼はあの暖かなカンテラを片手に、春風のように微かな温もりを死者に届けているのだろう。

ウィルは、エレシュキガルの髪を、太陽の様だと嬉しそうに言う。外の世界を、ウィルは、持って帰る美しい石や花々でたとえ話をよくする。

空の色はこれより少し薄いんだとか、木々の緑はもっと濃いのだとか。

ウィルはこっそりと持ち帰る地上の欠片を片手に、エレシュキガルに土産話を語る。それに、エレシュキガルは、ゆっくりと地上の夢を見るのだ。

ウィルの話を聞きながら、ゆっくりと一日を終えるのが好きだった。その柔らかな癖っ毛を撫でるのが好きだった。彼の持って帰るビールを片手に休憩するのが好きだった。

地上で生きることも出来るのに、地下の底でエレキシュガルの国で眠ることを願う、彼女だけの従僕。

 

(ずっーと、このまま続けばいいのに。)

 

ずっと、ずっと、その迷い子が己の手の中でくるくる踊って、囀り続ければいいのに。

 

(・・・・可愛い、哀れな、私の下僕。どこにもいけない、私の物。死の国の神である私さえ、未だにお前を死なせてあげる方法が分からないままだわ。だから、わざとではないの。)

 

ウィルが未だに魂だけで眠ることも、永遠の安らぎも与えらる方法は今の所ない。けれど、エレシュキガルはそれをウィルには教えない。

言ってしまえば、彼はエレシュキガルの国を去るだろう。

だから、エレシュキガルはそれを告げない。けれど、別にエレキシュガルはウィルを騙してもいない。

事実、エレシュキガルはウィルのために調べものを続けている。だから、エレシュキガルがその方法を模索し続けてさえいれば、ウィルとの契約を破ったことにはならないのだ。

例え、そんな方法が存在しなくても。

エレシュキガルは、ウィルが持ち帰るお土産である、美しい加工はされていないが、美しい宝石をそのたおやかな指先で突いた。

 

(・・・・・可愛い、哀れな、私の下僕。大丈夫、例え、永遠の安寧が存在せずとも、ずっと、ずっと、私がお前を可愛がってあげる。)

 

そんなエレシュキガルの微笑みは、まさしく跪いてしまうほど美しく、そのくせ怖気が付くほど冷え冷えとした笑みだった。

 

 

エレシュキガルは、その日ほど、後悔をしたことがなかった。

傲慢なイシュタルを捕え、意気揚々としていたエレキシュガルは、いつも通りウィルに冥界の見回りを命じた。

けれど、その時、イシュタルを助けるためにエンキが遣わされ、彼女に生命の水が振りかけられそうになった。

もちろん、エレシュキガルの忠実な下僕であるウィルはそんな不審者を止めに入ろうとして、うっかり生命の水を浴びせかけられてしまったのだ。

ここで、ひどい矛盾が発生してしまったのだ。

死んでもいないが生きてもいない。けれど、死を経験しているがゆえに冥界にいることを許可された彼が生命の水を浴びてしまった。

その矛盾に、ウィルという存在はどんな齟齬を見出してしまったのか、なんと消えてしまったのだ。

 

エレシュキガルは、己の神殿にウィルのための居室を作り、それを慰めとして部屋に通った。

彼女の下僕がいなくなったことで、また、増えた仕事に彼女は日々を追われる。

それでも、彼女は、毎日のようにウィルを思った。

 

(いつか、いつか、お前のことを見つけてあげるのだわ。そうしたら、もっと、こき使ってやるんだから・・・・・)

 

ウィルの持っていたカンテラの残り火だけが変わらずに赤々と燃えていて、エレシュキガルの微かな慰めになっていた。

 

 

 

 

所変わって、何かの拍子に吹っ飛ばされたウィルは、何故か吹雪の中を進んでいた。

といっても、生者ではなく、それに加えて彼の持っているカンテラの温かさは、彼を吹雪から守ってくれた。

 

「あああああああああ!えーれーしゅきーがーるさーま!!」

 

叫んだとしても、誰かの返事など返ってこず。

仕方なく、なんとなく進んでいくと、明かりが一つ見えた。

それを天の助けと、ウィルは避難のために吹雪の中を進んだ。




ジャック・オー・ランタン
生者であった時の事はすっかり忘れており、ジャック・オー・ランタンの元ネタのウィルという名を名乗る。
どこにでもいる青年だったが、前世のつけをしっかり払わされてしまった。
エレシュキガルの元に来るまでに、色んな時代の、国の、あの世というものを巡ったが、時期が悪かったりなどして受け入れられず、彷徨っていた。
死んでも生きてもいないため、行こうと思えば土地はおろか時間を超えることも可能。ただ、寄る辺のない生活を四桁越えで経験し、精神面は立派に人外並。そのため、自分を置いてくれるエレシュキガルには深い感謝やら思慕やらを抱いていた。彼女の為なら、文字通り何でもする。
死ねないのなら、彼女の下で、永遠に死者の墓守をしてもいいと思っている。
うっかり飛ばされてしまったため、早々と帰りたいが何故か時空は不安定で上手く移動できないため、どうしようかと悩んでいる。ともかく、吹雪の中に見つけた大きめの建物に避難しようとしている。
ちなみに、彼の持っている衣服だとかカンテラは、教会関連に見せた場合発狂されるほどヤバいものであったりする。


エレキシュガル
孤独であった女神。
一人で誰にも肯定も、褒められもせずメンタルズタボロの折にやってきて、全肯定してきたウィルをいたく気に入る。
従僕だとか下僕だとか言っているが、弟のような、友人のような、所有物のような、複雑な感情を抱いている。
ただ、ウィルは己のものであるという確固たる思いを持っており、奪おうとすると女神ムーヴを出して全力で潰しに来る。


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尋ね人はどこぞに

続きは夜にアップします。


その日、藤丸立香は、新たなレイシフト先についてを考えていた。人気の少ない窓に面した廊下には誰もいない。

電力の節約のために、ぼんやりとした灯りだけが辺りを照らしていた。

彼は、丁度、窓の縁に座っていた。

今まで幾つも特異点を超えてきたとはいえ、それでも不安は尽きなかった。

 

(・・・・でも、きっと大丈夫だ。)

 

恐ろしいことも苦しいこともある。けれど、自分に味方してくれる存在が彼にはたくさんいた。

彼は決意を込めて立ち上がろうとした。その時、後ろの窓ががんがんと叩かれた気がした。

もちろん、外は吹雪だ。誰かがいる可能性はない。

 

(何か、ぶつかって・・・・)

 

立香はそう思って振り向くと、そこには大きなかぼちゃがあった。

 

 

「もおおおおおお!本当にどうしようかと思ってさ!だって周り吹雪じゃん?そりゃあカンテラの火やら貰った服のおかげで凍り付くことはないけど寒いし!エレシュキガル様はいないし!というか、ここどこなの!?」

 

ミーティング室の真ん中で喚くのは、少々時代錯誤な格好をした、背格好や声音から見て少年だった。

それを見ながら、藤丸立香は、未だにばくばくとなる胸を押さえた。

考えてみてほしい、いないと思っていたところに誰かがいて、おまけにそれが予想もつかないかぼちゃ頭だった時の気持ちを。

立香は、叫んだ。

久しぶり過ぎる動揺には十分すぎる光景だった。

 

(でも。)

 

立香はちらりと少年の方を見た。立香と同じほどの年頃の彼はまるで夢のように愛らしかった。淡い銀の髪に、澄んだザクロのような瞳はまさしく夢のように美しかった。

 

「・・・・それで、君は何者なんだい?」

 

それを見ていたロマニ・アーキマンが目の前のそれに問いかける。立香は仕方がないとはいえロマニの厳しい声に少しだけ落ち着かない気分になる。

 

「俺?俺はウィル。それより、ここはどこだ?なんていうか、だいぶ近代的な場所に転がり出ちゃったみたいだけど。」

 

そう言って、ウィルからすれば久方ぶりに時代を飛んでしまって困り果てていた。

 

(うーん、元の時代に帰るにはどうしたらいいのか。)

「・・・・ウィルって。もっと具体的な名前が知りたいんだよ。にしても、彼を招き入れてよかったのかい。ゲオルギウス、マルタ、ジャンヌ。」

「・・・ええ、大丈夫だと思うけれど。」

 

代表として答えたらしいマルタはじっと少年自体ではなく、その衣服や持ち物を凝視していた。

それにロマニはため息を吐きたくなる。

唐突にカルデアに現れた存在に、最初はどう処分するかと悩んだ。それでも、危険を承知で受け入れたのは、単に言えば最初に見つけた立香と、そうして何故か幾人かのサーヴァントから彼を擁護する声が上がったためだった。

この場には護衛としてアサシンやキャスタークラスのほかに少年について擁護した、マルタ、ゲオルギウス、ジャンヌがいた。彼らは何故か、自分たちでさえも説明が出来ないというのに少年をカルデアで保護することを望んだ。

ロマニは、少なくともジャンヌたちについては信頼が出来るサーヴァントだ。それならばと受け入れた少年は、何とも変わっていた。

時代錯誤な衣装ならまだしも、生きた人間が何故、この過酷な世界に現れたのか。

 

(・・・・何よりも、何だろうか。彼のことがやたらと気になるのは僕も同じなのだけれど。にしても、カボチャを被ったウィルなんて。いや、でも彼はあくまで人間。確かに神秘の気配はしても。不死の存在だなんて。)

 

ウィルと言う少年もそうなのだが、彼の持つ服装自体が非常に気になる。そうして、彼の腰に取り付けられた、精緻な細工が施されたカンテラの中で今もなお燃える炎から目が離せない。

 

「・・・おい。」

 

困り果てた顔をした少年に、部屋の隅にいたスカサハが近づいてくる。

「貴様、その炎、誰から貰った?」

「え?」

 

少年は立ち上がりスカサハに詰め寄った。

 

「もしかして、この炎のこと知ってるの?」

「お前、それが何か知らずに持っているのか?」

「うん?使い方は知ってるけど。でも、何かって言われたら困るかな。俺も、貰っただけだし。確か、ゲヘナの炎だったけど。」

「「「ゲヘナの炎!?」」」

 

各方面から絶叫じみた声が上がる。立香は思わず体を揺らした。

 

「ほ、本物の!?」

「うん?分かんないけど。確か、ヨシュアって人から貰っただけだし。」

 

その言葉に、ひゅっと空回りするような音がする。そんな様子など気にも留めずに、ウィルは言葉を続ける。

 

「あと、誰だっけ。ペドロって人とか、後、ルシファーって人ともあったような。でも、そんなにこれって変わってるのか?」

 

ウィルはそう不思議そうに言うと、ぱかりとカンテラを開ける。その炎が空気に触れた瞬間、部屋の中にいたもの、果てはカルデア中の存在たちが異変を察知する。

聖杯には劣るが、圧倒的な純粋すぎるエネルギーを孕んだそれに、マルタたちの絶叫が響き渡った。

 

 

 

 

「・・・イシュタル。」

「うん?え、あんた、ウィルじゃない!?」

 

イシュタルの驚いた声に、ウィルは不機嫌そうに顔をしかめた。

ウィルがその旅に同行したのは、ある意味では無理やりであった。彼の事情が知れると、カルデアはそれはそれは沸き立った。

立香としてはあまりピンとこないが、彼の持つ炎と衣服はまさしく神の与えた奇跡に等しいそうだ。

マルタたちはウィルに詰め寄っていたし、スタッフたちは彼の持つ衣服をきれはしでもいいからと欲しがっていた。ウィルはそれらについて条件を出した。というのも、彼がやって来たらしい時代に帰る手助けをしてほしいというのだ。おまけに、それというのも丁度、特異点の出来ている時代だ。

 

ロマニは相当悩んだようだが、渋々ウィルがレイシフトに同行することを是としたわけだ。

ロマニとしては、その少年はあまりにも危険分子を孕み過ぎていた。何よりも、彼の身に着けた、それこそ聖遺物として厳重に保管されていてもおかしく無いような逸品を見て、賭けに出ることにしたのだ。

何よりも、神の子が、仮に彼を認めたというならば。

そのためにロマニは彼をレイシフトに同行させたのだ。

驚くべきことに彼は、生者であった。けれど、不可思議な事に幾人かのキャスターたちの言い分では彼は死んでもいるのだという。

数値的なものでは彼は確かに生者であるのだが。そこら辺はもう少し詳しい検査をしなければならないだろうが。それでも、彼について疑うと関係があるらしいマルタたちからの、果てはその信仰に生きるサーヴァントたちから不興を買う可能性も考えられるため、ウィルを送り出したのだ。

 

(・・・・ながい、巡礼の旅か。)

 

ロマニは、ウィルという存在が話した身の上話を思い出した。

 

(神の子なる彼の人が、終わりのない人生を終わらせるために、そうして、虚言を吐いた彼の罪を洗い流すために、送り出したというならば。)

 

その最期の地が、巡礼の終わりが、今であることに意味があるのではないかと、そんなことを考えたのだ。

レイシフトに来て、出会った少女にウィルは敵対心剥き出して睨み付ける。立香としては、レイシフトでまず初めに怪物に襲われている中、堂々とその女神に話しかける彼に慌てる。

 

「あんた、急に見なくなったと思ったら何でこんなとこに?」

「誰のせいだと思っている!?天翔けるものでありながら、領域を超えて地の果てにやってきた貴様のせいだろうが!」

「あー、あれねえ。確かに、あれからあんたのこと見なくなったけど。」

「く!元はと言えば!」

「ちょ、ちょっと、そんな場合じゃないからね!」

「そうねえ。あたしはともかく、後ろのひよっこたちは大丈夫な訳?」

「お前の助けを借りる気はない。」

(・・・・そう言えば、近くに来ても一向に襲ってこない?)

 

立香がそう疑問に思っているとウィルは腰にあったカンテラを高く掲げた。

 

「・・・・・善きものにはその身を温め癒しを与え、悪しきものには沈黙を持って滅びと罰を与えよ。焔よ、あれ!」

 

その時、立香は、火の海がカンテラから流れ出すのを、見た。

 

地が抱く炎よ、悪しきものへの情けなる罰を!

 

炎が、炎が、辺りを燃やす。周囲にはびこる、獣たちを、怪物たちを、悉く焼き殺してゆく。立香はその炎にとっさに身を守るが、不思議と熱さは感じなかった。

 

「魔力の塊、でも、炎ではない?」

「そりゃあ、そうよ。それは、あくまで人のための炎だもの。」

「うえ!?」

 

炎の根源であるウィルから距離を取ったマシュと立香にイシュタルと呼ばれた少女が話しかける。

 

「私は腹が立つけど、元を正せば、あれは人が不浄を焼いた炎が元だから。病魔や敵を燃やし、そうして人にも熱を与える、人の使う炎の根源みたいなものなのよ。」

ま、他の神が元だから私は好きじゃないのよね。おまけに、地の底の炎だし。

 

そんなことをぼやくイシュタルにマシュは震える声で話かけた。

 

「あの、あなたは女神、イシュタルであっているのでしょか?」

 

イシュタルはそれにちらりとマシュを見た後に、気だるそうにため息を吐いた。

 

「答える義務はないわ。それに、私、もう行くわね。別にいる意味もないし。」

 

彼女はそう言い捨てて、たんと身軽に飛び上った。そうして、そのまま空を飛んでいく。その後姿を見て、ウィルがあああああああ!!と叫び声をあげているのが聞こえた。

 

 

「・・・・どういうことだ?」

 

ウィルは現在、一人で荒野に佇んでいた。

バビロニアに立香たちを送った後、ウィルはともかくと冥界へ降りようとした。立香たちの言う、人理についてはあまり理解が出来なかったが、それでも彼にとって優先すべきはエレシュキガルの元にはせ参じることだった。

バビロニアの門の前で、もうすでに自分の役目は終わったと、ともかくは別れを告げた。

どうなるかは分からないが、それを行わなければ人理が終わる。優しいエレシュキガルのことだ。きっと、立香たちへの応援を命じられるだろう。

何よりも、どうも人がどんどん死んでいることから見て冥界はてんやわんやのはずだ。すぐ様にそれの収集に入りたかったのだ。

が、何故か、ウィルは冥界に帰ることが出来なかった。

元より、ウィルは死んでいると同時に生きてもいる。そのため、行こうと思えばどうしようもできるが、何故かその時冥界はウィルを拒絶した。

 

(どうして?まさか、俺とエレシュキガル様との契約が切れて?)

 

彼女の下僕としての立場が消えたためにそうなったことも考えたが、繋がりは未だに健在であった。

 

(・・・エルキドゥさんだっておかしかった。何か、なにかがおかしい。)

 

 

「それで、のこのこやって来たのか。シュギンよ。」

「・・・・はい、ギルガメッシュ王ならば、何かを御知りではないかと。」

 

ウィルはそう言って、ギルガメッシュに深々と頭を下げた。

シュギンとは手足という意味で、エレシュキガルの下僕であるウィルにつけられたあだ名のようなものだ。

ウィル自体、元々ギルガメッシュとは交流を持っており、その縁で何とか彼の懐に潜りこめたわけだが。

エレシュキガルに忠実でありながら、根っこの部分が近代社会を出た、妙に自立的な性質のためかギルガメッシュにとっては興味の対象として扱われていた。

ギルガメッシュはふんと呆れたように息を吐いた。

 

「主人の元にさえ帰れぬ駄犬に協力する理由も無かろうが?」

「・・・・分かりました、お目汚し、申し訳ありません。」

 

ある意味で予想通りの返答にウィルはすごすごとその場から立ち去ろうとした。

元より、殺されも、追い返されもせずに平和にことが終わっただけ良しとしなくてはいけないだろうと。

けれど、予想に反してギルガメッシュは何を思ったのか、ウィルのことを呼び止めた。

 

「待つがいい、シュギン。」

「はい、何でしょうか?」

「これから行く場所はあるのか?」

「いえ、ただ、ともかく何故なのか調べても回ろうかと。」

「ならば、丁度いい。貴様に良い仕事を与えてやろう。」

 

 

 

「それで、俺たちと同行を。」

「ああ。エレシュキガル様を探すにはこれが丁度いいだろうと。」

 

ウィルはギルガメッシュの無くしたという予言の書かれた石板を探すためにクタへと向かっていた。

ウィルも正直言って、たくさんのことが様変わりした現状で行く当ても碌にない。ギルガメッシュも丁度ウィルのことを探しに行かせようと考えていたのだ。

元より、ウィルの炎はギルガメッシュにとって都合がいい。

 

元々、ウィルの使う炎は罪人を焼く地獄の炎だ。けれど、それに幾人かの聖人が苦難ある旅路を思って加護を与えた。

その道を間違えぬための導きを、寒さを遠ざける熱を、安寧をもたらす癒しを、悪しきものを遠ざける光を。それに加えてエレシュキガルの下僕となった彼の炎は死をもたらし、それと同時に死を遠ざける。

このバビロニアにとって、炎の持つ権能を余すことなく網羅しているのだ。

ウィルの持つ炎は魔獣たちへ傷を与え、その炎で焼けば病魔や毒を消すという、それこそとんでもない代物なのだ。

おかげで戦場の運行がだいぶ楽になったとギルガメッシュはほくほくしている。

 

「女神エレシュキガルさま、ですか。」

「ああ、イシュタルと相まって、相当に、何と言うか偏屈な女神と名高い。」

「・・・・夢魔もどき、我が主を侮蔑するというならば、それ相応の報いを受けてもらうが?」

「あはははは、いやあ、軽い冗談だろう?」

「貴様とて、己が王について侮辱されれば怒りとて湧こうよ。」

「・・・・それはすまないね。」

「ふん。」

 

ウィルは苛立ったようにマーリンから顔を背けた。マシュと立香はそれにそっとエレシュキガルの話題に対して気を付けることを誓った。

 

 

「ウィルって、なんか時々言葉遣いがものすごく固くなることがあるね?」

「え?ああ、そりゃあね。俺、こう見えても、多分誰よりも実質的に生きた時間は長いから。それに、やっぱりエレシュキガル様の下僕として、こう、威厳って必要だし。まあ、年の功みたいなもんだよ。」

 

立香の問いかけにウィルは苦笑交じりにそう言った。

 

「ウィルさんは、エレシュキガル様?のことを慕ってるんですね。」

「当たり前だ。あの方ほど、お優しい女神はいない。」

 

弾む様な言葉に立香は目を細めた。

二人は丁度、石板を探すため都市の中を歩いていた。ウィルが立香の側についているのは、彼の炎が魔獣避けとして効力を発揮するためだ。そうして、立香が彼の目的である女神に出会えずにしょぼくれていたため、心配してのことだった。

 

「どこにもいけず、何にも至れず、目的も、理由も、願いも無く、彷徨うだけの俺に居場所をくれた。」

大好きな方だ。

 

それに、立香は淡く微笑んだ。

その時だ、立香の足元が一気に崩れ去った。二人は驚きで思わず固まった。

 

「わあああああああ!?」

 

崩れ去った暗闇の底に、立香は吸い込まれていく。そうして、立香の足もとにいたフォウも巻き込まれて下に落ちていく。

 

「これは、まさか、冥界へ!?」

 

今まで何故か気配さえも感じきれなかった冥界にウィルは目を輝かせた。そうして、ウィルは立香のことなど頭から放り出し、そうして叫んだ。

 

「エレシュキガル様!」

 

ようやく会えると、彼は浮き立つ心のままに下に飛んだ。

 

「立香!」

 

ウィルが飛び降りた先、そこは彼にとって馴染んだ、冷たい砂の大地だ。目当ての立香の前には覚えのない老人が立っていた。

 

「ウィル、来てくれたのか?」

「一応、お前のお守りを任されたんだ。それに、俺の目的は冥界だしな。」

 

彼はそう言った後、目の前に立つ老人を見た。

 

「ここは死者の国、終わったものたちの揺り籠。貴様は、死してはいるがこの領域に属するものではないな?何者だ?我が主人に断ってのことか?」

 

ウィルはぐるぐると苛立ちのままに言葉を重ねた。それに、老人は欠片の動揺も無く、淡々と言い放つ。

 

「それはそなたとて同じはずだ。生に留まることも無く、死に至ることも無き、流浪なるものよ。」

 

ウィルの、赤い瞳がぎらりと光った。ウィルの持つカンテラから、彼の感情の通りに、炎がぶわりと纏うようにあふれ出す。

 

「この身は、冥界が女主人、エレシュキガル様のもの。」

冥界が番人、我が名はウィル。

 

老人は少しの間沈黙をする。

 

「否、そなたは冥界のものにあらず。」

そなたは、未だに死んでおらぬ。

 

老人はそう言い切った。そうして、ウィルの隣りにいた立香に目を向けた。

 

「・・・そろそろ、そなたもあるべきところに返さねばならんな。」

「えっ」

 

その瞬間、老人はいつの間にか立香の後ろに回り込んでいた。

 

「りつっ!」

老人がぶんと、手を振りかぶる。その瞬間、立香の姿は消えていた。ウィルは急いで老人から距離を取る。そのまま立香を探して視線を辺りに向けた。

 

(大丈夫だ、落ち着け!立香に守りとして渡しておいた、炎の繋がりは途切れていない。なら、無事だ。)

 

「安心しなさい。あの少年はただ、地上に戻しただけのこと。」

「生者は冥界にいてはならないからか?」

 

ウィルはそう言った後、立香のことを気にする必要も無いことを覚り、次に頭の中はエレシュキガルのことでいっぱいになった。

 

(そうだ、立香が無事なら、それよりも!)

「ならん、そなたが冥界の主人に会うことは赦せん。」

 

唐突に思考の中に割り込むように老人はそう言った。それにウィルはぶわりと憎しみのような怒りを老人に向ける。

 

「貴様、これ以上俺の邪魔をするならばただではすまさんぞ!」

「・・・そこまでの忠義、いや、それは依存ともいえるのかもしれんが。持つこと自体を否定しようとは思わん。ただ、お主は神に言い渡された巡礼の旅の意味を分かるまでは彼の女神に会ってはならん」

「どういう意味だ?」

「・・・・お主はよくよく、死の神のものになることの意味を、そうして、生者が死ぬということの恐怖を。そうして、遠い何時か、己が為だけに悪魔を欺き、信仰に殉じたものたちを騙した罪への贖いを考えることだ。」

何故、自分がここにいるか。それを理解することだ、遥か永い巡礼を旅する者よ。

 

その言葉と同時に、ウィルの意識はふっと遠のいて行った。

 

 

心が虚ろのままだった。ただ、ここが自分のいるべき場所でないと知りながら、それでも帰るべき場所に帰ることも出来ずにウィルはそのまま立香たちの側にいることとなった。

 

ニップル市に向かう途中も、ギルガメッシュに言われるままにやるべきことだけはこなしても、頭の中でジウスドゥラの言葉がちらついていた。

 

(永い旅の意味?分かるわけないだろ?だって、そうだ、あの人は唯、俺を受け入れてくれる場所を見付けろって、それだけしか言わなかった。)

 

死の神のもの?

分かっている。自分は、エレシュキガルのものになる。あの、砂だけで冷たくとも柔らかなあの人の元で眠るのだ。

死への恐怖?

そんなもの何にもなれず、孤独の縁に佇み続けるうちに途絶えてしまった。

ウィルの犯した罪?

 

(そんな物知らない!)

 

それは確かにウィルと言う男のものだろう。けれど、それは、ウィルと名乗った少年のものではない。

 

償い方?

罪を知らない自分に何を償えと言うのだろうか?

 

(どうして、俺は、エレシュキガル様の元に帰れない?)

 

そうだ、彼女に、自分を、異端でありどこにも至れなかった自分を、彼の女神だけが受け入れてくれた。

ならば、彼女に出会うことこそが、ウィルの旅の終わりのはずだ。

辿り着くこそが、巡礼の旅の終わりであったはずだ。

ウィルは、出来るだけかき集めた魔力を燃やして、魔獣を燃やし、傷を癒し、病魔を払い、言葉を叫ぶ。

 

ウィルは、早くエレシュキガルの元に、己があるべき場所に帰りたいだけなのだ。けれど、何故か自分はここで、魔獣を殺し続けている。

己が主が望むべき死から人々を遠ざけて、生きる為に自分は足掻いている。

こんなことをしている場合ではないのだと、そう思っても何もできず立ち止まることが何よりも恐ろしい。

 

だからこそ、ニップル市にてキングゥと名乗った彼に聞かされた兵士のことさえもどこかぼんやりと聞いていた。

そうして、目の前にティアマトを名乗る蛇が出てきたときでさえ、あまり動揺はなかった。

睨まれた瞬間、ウィルはゆっくりと腰に下げていたカンテラを手に持ち、ティアマトと名乗ったそれを向けた。

 

「古きものよ、聖なる炎を前に失せるがいい!」

 

言葉が紡がれたそれと同時に、凍り付くように体が動かなかったというのに自分の周りと夕焼けのような色の炎がふわりと覆った。

縛り付ける様な恐怖がまるで溶けていくように消えた。それに、立香は己を奮い立たせるように叫ぶ。そうして、それを聞いていたロマニは叱咤する様に言葉を続けた。

 

その場にいた者が走り去る中、それをティアマトを名乗る蛇は追う。そうして、戦闘が始まった。

ウィルはギルガメッシュに言われたままに、機械的に立香を守らんがために炎を操る。聖杯による魔力のため、ティアマトの傷は見る見る治っていく。が、それでもウィルの使う炎からの傷だけは嫌に治りが遅かった。

 

「なるほど、我が子たちを燃やし尽くした炎は貴様のものか!」

「炎よ、光よ、あれ!」

「忌々しい!その炎から嫌な臭いがするな!古きを否定し、身勝手な理によって魔と罵る傲慢な臭いが!」

 

絶叫のうちに、ウィルは炎で壁を作り、必死に立香たちを逃がした。

そうして、牛若丸が後を託し、そうして、レオ二ダス王が目の前で石に成り果てる。

ゴルゴーンと呼ばれた女神が己の勝利を自覚して、喝采を口にした。

死にゆく誰か、ひき肉になる誰か、血の水溜りの中に沈む誰か。

それを見ても、ウィルはまるで夢を見る様にそれを眺めていた。

 

 

「・・・・別に、あの女神は傲慢だけど、人を憎んだり嫌ってるかって言われれば違うでしょう。ですが、本当によかったのですか。彼らをいかせて。」

「ほう、珍しいな、シュギンよ。お前がイシュタルを褒めるなど。」

「別に、褒めてはいません。ただ、彼のものは彼のもので、神であるのだと思っているだけです。」

「ふん、あれとて幾つもの特異点を彷徨って来たのであろう。ならば、貴様が心配する必要も意味も無い。それとも、あやつらについて行きたかったか?」

 

ウィルはそれに首を振った。彼はイシュタルを懐柔するためにエビフ山に向かった立香たちとは別行動となった。

ウルクにおいての守りが薄くなったために、魔獣への耐性があるウィルは重宝されることとなった。元より、エレシュキガルの従者をしていたため、ある程度のことは任せても大丈夫であったためだ。

 

「俺とイシュタルとは相性は悪いですし。それにこちらは忙しくて余計なことを考えずとも済みますので。」

 

淡々とそう言い切ったウィルにギルガメッシュはゆるりと笑った。

 

「何か、聞きたいことがあるというならば聞いてやるぞ?」

「・・・俺は。」

「大方、未だに己が主に会えない事を思い悩んでいるのだろう。まあ、俺からすればお前がいなくなるのは避けたいことだが。」

 

それにウィルは少しだけ苦いものを潜ませて、口を開いた。

 

「ギルガメッシュ王、死ぬというのは、恐ろしいものでしょうか?」

 

その言葉にギルガメッシュは少しだけ目を細めた。そうして、呆れたようにため息を吐いた。

 

「何やら悩んでいるかと思えば、貴様、そんなことを考えていたのか?」

「悩み、と言うわけではないのですが。ただ。」

 

死とは、何だろうかと考えたのだ。

ウィルはずっと、ジウスドゥラの言葉が引っかかっていた。

巡礼の意味は分からない、罪の濯ぎ方だって分からない。それでも、ぼんやりと、死への恐怖についてを考えていた。

 

「俺は、生きてはいません。それ故に子をなすことも年を取ることもありません。死んでもいません。だからこそ、俺の体は血を流し、物を食べます。そうして、生きてもおらず、死んでもいないがために、一つの場所に留まることも出来ずそのままに、世界を、時代をあまねく彷徨いました。そうして、その中でようやく、エレシュキガル様に会えたのです。」

 

分からないのです。何故、俺が未だに冥界から拒絶されるのか。

 

「あの、ジウスドゥラの言葉の意味も分からず。」

 

沈んだ風に顔を下に向けるウィルにギルガメッシュは呆れたようにため息を吐いた。

 

「・・・・死とは終わりだ。」

 

しずかな声にウィルはギルガメッシュの顔を見た。

 

「死んだその瞬間、二度目も、来世など存在せん、命とは尽きた時点でしまいだ。貴様は何故、死ぬことを望んだ?流浪の身を嘆いて断絶を望むというのは傲慢な事だな。ただ、そうだな。」

 

ギルガメッシュは愉快そうに笑った。心の底から、楽しそうに笑った。

 

「遠い昔、死ぬことを恐れて罪を犯したというならば、その贖い方と言うのも見えて来るだろうさ。」

 

意味が分からなかった。ギルガメッシュの言葉は、ウィルの己が主へ未だに会えない事への答えではなかった。

 

「貴様は死者ではない。それならば、彼の女神への忠誠として、生きることを放棄すべきと言うことだ。」

 

ヒントはここまでだな。なに、貴様のおかげで色々と魔獣への対策が進んでいる。その褒美と思えばいい。

ギルガメッシュがそう言う中、ウィルにはやはり分からなくて視線を下げた。

 

 

 

 

「俺が初めての友達?」

「ええ、そうだけど。どうしてそんなことを聞くの?」

「いや、ただ、光栄だなって思って。」

 

立香はそう言って、まるで夢のように美しい金髪の少女を見つめた、

立香は未だに、その少女が何であるのかは分からない。ただ、イシュタルを通じて自分と会話する彼女が悪いものであるとは思わなかった。

そのために、毎夜そんな風に交流を続けていたのだ。

 

「・・・でも、そうね。確かに、私とこんなふうに会話をしてくれたのは、あなたが初めてじゃなかったわ。」

「そうなんですか?」

「ええ、友達ではなかったの。ただ、一番初めに、あの子だけが、私を恐れるわけでも、疎うわけでもなく、求めて慕ってくれたわ。」

 

彼女はそう言って柔らかに目を細めた。

 

「とっても可愛いのよ。まるで、仔犬みたいで。私のことだけを、慕ってくれた。」

なのに。

 

その言葉と同時に、彼女の赤い瞳がぎらぎらと輝き始めた。

 

「なのに、あの子は私の元にいない!あの子は私のものなの!誰もかれもがあの子を捨てた。あの子を追い出した、居場所など、与えなかったのに!私だけが、あの子を受け入れたのに!なのに、今更、私からあの子を奪うなんて許せない!」

 

探しに行かないと、そうよ、何としても、どんなことしたって。必ず。

重たく、まるで刃か何かのように肌を刺すような、そうして冷気のような何かが肌を撫ぜる。

立香は思わず、少しだけ体をのけぞらせた。

 

「あ、ごめんなさいね?その、少しだけ迷子になったちゃった子のことを思い出して。」

「あ、えっと、まだ、見つかってないの?」

「ええ、本当に、どこにいるのかしら。」

 

ずっと、ずっと、探してるのに。私のあの子、私だけの、あの子。

掠れた声だった、寂しくて、切なくなるような、そんな声で隣に座る少女は呟いた。

 

 

 



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おやすみなさい、愛しきあなた





 

ウルクは、生と言う在り方に満ち満ちていた。

きっと明日が来る、自分たちの命は紡がれていく。

そんな願いに満ち溢れていた。

 

(・・・生きるって。)

 

ウィルは日々、魔獣たちを退け、簡単な指示を出し、そうして頭の片隅で考えていた。

死の恐怖、そうして、生の在り方。

正直言って、ウィルにとってウルクでの日々は生きるという在り方をぼんやりと思い出させることだった。

誰かと、自分ではない誰かと言葉を交わし、何かをなす。

 

(・・・・このまま、ウルクのために動いて。俺はどうしたいんだろう。)

 

いつの間にか、そんなことを考えるようになった。

ウィルにとって、エレシュキガルに出会えたことは僥倖だった。彼女の元で、初めてウィルは居場所を獲得した、役目を渡された、お前はここにいていいのだという肯定を貰った。

凍り付いた魂が、彼女の微笑みによって、溶けて、そうして息を吹き返した気がした。

誰もが、どの神もウィルを拒絶した。罪を犯し、何にも属さぬそれを、拒絶した。

だからこそ、ウィルは自分のように寄る辺なき存在を受け止めてくれたエレシュキガルに全てを捧げると誓った。

 

けれど、けれど、ウィルは未だに冥界に帰ることも出来ず、そうして、ウルクが生きる為にこんな風に足掻いている。

 

(このまま、ウルクが滅ぶことこそが良いのだろうか。)

 

人間は、あの人を放り出した。

神様と共に生きてはいけない。それは、現代で生き、そうしてあまねく時代と世界を旅したウィルだって気づいている。いつだって、親に甘え続けてはいけないのだと、一人ぼっちで、生きて行かなければいけない時だってあるのだろう。

変わらないことは悪いことではない。けれど、どこにも行けず、何にもなれない、そんな苦痛をウィルは知っている。自分だけが、変わらないままにあり続ける寂しさを知っている。

だからこそ、ウィルは死ぬことについてを考えていた。

 

(この世界の人間が、死ねば。それは、エレシュキガル様にとっては幸いだろうか。全ての人間が、エレシュキガル様のものになるのは。)

 

死を司るエレシュキガルのことを考えれば、ウィルはこのまま訪れる死を考える。けれど、それでも、明日を生きようとする誰かの、兵士を、職人たちを、商人たちを、男を、女の、老人の、子どもの、前を向く表情が、どうしたって好きだった。

明日を生きる為に、恐ろしくたって、悲しくたって、それでも歩みを止めない在り方を嫌えなんてしないから。

 

だからこそ、考えるのだ。

ギルガメッシュの言葉を考える。

死とは、終わりだ。それだけ、そこで終わる。

喜びも、楽しみも、悲しみも、苦しみも、全てが終わってしまうなら。

 

(俺は、彼らに生きてほしいと思っている。それは、この思いは、エレシュキガル様への冒涜だろうか。)

 

死ぬのは怖いことだ。だって、その先を知らないから。

沢山の人が、死を恐れた。

ウィルはそれをまるで絵空事のように見つめていた。死ねない自分は、そうやってあり続けた。

けれど、ウィルだって、その気持ちはわかる。己だって、恐ろしかった。自分がどれほど特殊な事かもわかっている。

お菓子をくれた大人がいた、慕ってくれる少年がいた、花をくれた少女がいた、頭を撫でてくれた老人がいた

何時か、死ななくてはいけない。物語は、終わりを迎えなくてはいけない。永遠とは、案外辛いものだと分かったから。それでも、その物語がエピローグを迎えるまでは、出来るなら、細々と、続いてほしいことを願ってしまう。

 

死ぬのは、怖くないのだろうか。

兵士の一人に、そんなことを問うたことあった。

彼は、それに苦笑した。死ぬことはない、ウィルに向けて苦笑をした。

恐ろしいと、それは頷いた。それでも、守りたいものがある。ただで死ぬのではない、後にのこすものがある。ああ、ならば、それならば。

 

「そのために死ぬことを覚悟するのは、けして不幸ではないと思うんですよ。」

 

それは、ただの人間だった。ただ、彼は頑張れる人間だった。明日のために、命を懸けられる存在だった。

けれど、ああ、けれど、そんな風に何かのために命をかけてもいいと誓える、有限の命をそれでも抱える人間は、確かに、美しいと思ったのだ。

 

 

 

そんなことを考えていたある日、ギルガメッシュ王が過労死した知らせが届いたのだ。

ウィルはそれに慌てて用意を始める。といっても、葬儀の用意ではなく、ギルガメッシュの死体の保存だった。

 

「でも、どうしてそんなことを?」

 

ケツァル・コアトルを連れて立香たちがわやわやと王座に帰ってきた折、事情を知ってそんな声が上がる。

 

「・・・・ギルガメッシュ王は恐らく、まだ生き返る可能性はある。」

「え!?」

「ここは、なんていうか未だに神話の中なんだよ。聞いたことないか?愛した女を蘇らせるために冥界に赴く男の話とか。手段さえ何とかすれば黄泉がえりは可能だろう。」

「本当に!?」

 

立香の言葉にウィルは頷いた。

 

(・・・・それでも、それをエレシュキガル様が赦されるか。)

「・・・・一つ聞いていいかしら?」

 

唐突に自分に話しかけてきたケツァル・コアトルにウィルは視線を向けた。

 

「・・・あなた、エレシュキガルの僕だという?」

「ええ、そうです。眩しき星の御方。」

「あら、丁寧なのね。」

「・・一度、あなたの国にも滞在したことがありまして。色々とよくしてもらったことがあるのです。」

「そうなの。ふうん?珍しい、人?かも曖昧なのね、あなた。まあ、それについてはいいわ。あなたもまた、出来る限りの中で足掻いている。私にとって諦めの悪い人間は嫌いじゃないから。でも、その炎はあまり好きではないけれど。でも、そうね、あなたはウルクを覆う死のオーラに気づいていなかったの?」

「死のオーラ?」

 

ウィルは思わず顔をしかめた。覚えがなかったため、首を振る。

 

「・・・あなた、本当に気づいていないのね。三女神同盟の一人は、イシュタルではなく、エレシュキガルなのよ?」

 

その言葉に、ウィルは目を見開き、とっさのように叫んだ。

 

「嘘だ!!」

「嘘ではない。神が言葉を騙るとでも?」

 

それにウィルは言葉を止め、そうして茫然と呟いた。

 

「そんなことを、するはずがない。あの方は、だって、優しい方だ!!」

「・・・・いっつも思ってたけど、あんたって本当にエレシュキガルに夢を持ち過ぎなのよ。」

「黙れ!イシュタル、天の主!貴様に分かるものか!貴様に、流浪の果てに、俺を受け入れてくれた、あの人のことが!ああ、そうだ、確かにあの方は神だ!俺には理解の出来ぬ理とて持つだろう。それでも、あの方だけが俺を受けいれてくれた。それでも、それだけで、俺はどんな人間を前にしても言ってやるのだ!あの方は、優しい!死だけが全て、あまねく次元において平等だ!」

 

赤い瞳が、ぎらぎらと、炎のように揺らめく。ウィルの腰にあるカンテラからも、少しずつ炎が漏れ出している。

イシュタルは面倒臭そうな顔をする。

 

「あー、悪かったわよ。あんたって、本当にめんどくさいわね。」

 

ウィルの膨れる様な殺気にマシュたちが慄く中、イシュタルがめんどくさそうにそう言った。

 

「あなた、彼の無礼には怒らないのね?」

「まあね。あいつ、普段はちゃんと礼儀はあるのよ。ただ、エレシュキガルのことになるとどうもねじが抜けて。昔、仕置きでもしようとしたんだけど、どうせ死なないし。何よりも、一度怒らせると、本当に何をしても追いかけて来るから放置してんの。」

 

まあ、あのじめじめ女にはあれぐらいの太鼓持ちがいたほうがバランスとれるのかしら。

イシュタルの言葉を聞いていたケツァル・コアトルは、そうと一度頷いて、今度はウィルに向きなおった。

 

「まあ、丁度いいですね!冥界に行くなら、道案内が必要でしょうし。」

「う!でも、俺は何故か冥界から、拒絶されていて。」

「・・・そうね。あなたは少々、厄介なものを背負っているようね。」

 

それに、ウィルはがばりとケツァル・コアトルに視線を向けた。

 

「俺が、すべきことが、あなたには分かるのか?」

「・・・・うっすらとだけど。でも、それは自分で考えた方がいいわ。まあ、それは置いといて。」

 

ケツァル・コアトルは逃げ出そうとしていたイシュタルを捕まえる。

 

「何はともあれ、もう一度行ってみるのがいいですね!足掻いてこそ、生きている人間なのだから!」

 

 

 

 

 

「立香。少し、いいか?」

「え、なにかな?」

 

冥界へ赴くために歩みを進めていると、ウィルは立香に話しかけた。

 

「・・・少しだけ、話をしてもいいかな?」

「それは、いいけど。どうしたの?」

 

銀髪の少年の、澄んだ赤い瞳が青いそれを見つめ返した。

マシュやマーリンに挟まれて、ウィルはぼんやりと言った。

 

「君は、死が怖いかい?」

「えっと、それは確かに、怖くはあるかな。」

「エレシュキガル様のことも、恐ろしいと思うか?」

 

それに、立香は少しだけ言葉を言葉を止めた。そうして、心細そうな彼のことを見返した。

 

「・・・死を恐ろしいというか、生きたいとは思うけど。でも、エレシュキガル様のことは、怖くはないかな?」

「何故だ?大抵の人間は、エレシュキガル様のことを恐ろしいという。死の女神であるあの人を、厭う。」

「でも。優しい女神さまなんでしょう?」

 

ウィルは、その泣きたくなるほど優しい言葉に立香に視線を向けた。彼は淡く微笑んでいた。

 

「生きたいから、俺は長い旅をしたよ。でも、ウィルがそんなにも大好きだっていうエレシュキガル様自身のことは恐ろしいとは思わないよ。」

 

優しい言葉を、それはくれた。

それが、あんまりにも優しい声音で、ウィルは思わず言葉を続けた。

 

「・・・・立香、俺はな。死を優しいと思う。生は不平等だ。自分自身ではどうしようもないことばかりでも、死の前では平等だ。死だけが、どんな人間だって拒絶もせずに受け入れてくれる。でも、今は、こうも思ってる。それでも、生き足掻いたウルクの民にも、お前にも、生きてほしいって。死を否定してしまいそうになる、俺は間違ってるのか?」

「俺には、ごめん、上手く答えられないけど。でも、そうだな、その生きてほしいってたぶん、もう少しだけ、時間が続いてほしいってことじゃないのかな?」

「続く?」

「たぶん、終わりはいつか訪れるとは思うんだ。でも、ウィルのそれって、永遠に続いてほしいってことじゃなくて。きっと、何時か終わりが来るとしても、それまではもう少しだけ長く続いてほしいってことだと思う。それって、そんなに悪いことじゃないと思うよ。」

何時か来る死ぬ瞬間まで、それでも、刹那のような時間が続いてほしいっていう願いじゃないのかな?

 

ウィルは、その言葉を噛みしめる様に、聞いた。

 

「もしも、いつか死ぬとしても、それでも、限りある時間を、叶う限り、生きることができるなら続いてほしいっていう、ウィルのそれは願いなんだよ。」

その言葉は、滅多にないほど優しいように聞こえた。

 

 

 

 

 

 

「・・・・今度は、入れた。」

 

ウィルはイシュタルに落とされた先で、嬉しそうに顔をほころばせた。

 

「やった!ようやく、帰って来れた!」

「・・・・ウィルさんに入れない理由が分かった。そりゃあ、あんな力技できないよ。」

「本当は、俺は冥界に自由に入れる権能が与えられてるんだよ。でも、何故か、今回はどうしたって冥界に入れなくて。」

 

ウィルはそう言った後に、すっと腰に下げていたカンテラを掲げる。

 

「導きを求む、灯りよ、明かり。」

 

ぼんやりとした灯りが辺りを照らし、そうして、立香は冥界の寒さが少しだけ和らいだ気がした。

 

『すごい!立香君の運命力が安定してる!さすがは神の炎だ!』

「といっても、あくまで冥界からの影響から守ってあげられるだけで直接的な攻撃の前には無力だけど。それに、よく見るといい。ほら、冥界のあちこちに炎が灯ってるでしょう?」

「本当です!赤々とした炎が所々に!」

「まさか、これってあんたの炎?」

「おそらく、俺が冥界から吹っ飛ばされる前に種火を置いておきましたので、それでしょうね。」

「それでも、やっぱり寒いことは寒いわね。」

「・・・俺がいなくなったせいで炎の力が落ちているのでしょう。ですが、エレシュキガル様は、どうしてこんなことを。」

「あの中は、苦しいのでしょうか?」

 

マシュの言葉にウィルは首を振る。

 

「言っておくが、マシュ、あれだってそう悪いことじゃないからな。俺がいる時は、定期的にあっためてたし。温いあの中で、消えるまで夢を見るのはそう悪いことじゃないんだ。でも、確かにこんなに槍檻が増えてる。」

(あああああああ!でも、そうだよなあ、地上であんだけ人が死んでるんだし。なら、エレシュキガル様のことだから、仕事で押しつぶされてる可能性がましましだ!)

 

ウィルはそう言って、第一の門に近づいた。

 

「俺はこの門に邪魔をされないけど、立香たちは試される。だから・・・」

 

そう言ってウィルが第一の門に近づいた瞬間、彼はまるで吸い込まれるように門の中に消えた。

 

 

 

 

どさりと転がり落ちた先、そこはウィルにとって馴染んだ、彼の主の神殿だった。質素な石造りのそこは、彼の女神に相応しくつつましやかな作りであった。

周りは、ウィルの残した炎の為か赤々と燃えている。

ウィルは勢いよく立ち上がり、そうしてまっすぐに神殿の中に飛び込んだ。

神殿の中は、古びているが、ウィルの記憶の通り、懐かしいまでにそのままであった。

そうして、神殿の奥、彼女が座るべき座にて彼は金髪の主を見付ける。

 

「エレシュキガル様!!!!」

「ウィル!!」

 

彼女は犬のように王座に走って来る彼に向けて、微笑みながら座を降り、そうして受け止めた。

 

「主、俺の、俺の、優しい主。主人!ああ、ああ、ようやく、ようやく、帰って来れました。申し訳ございません、長きにわたり、留守をしてしまいました!」

 

ウィルはそう言ってぐずぐずと泣きながら、エレシュキガルに縋りついた。

エレシュキガルは、自分よりも少しだけ高い背の少年の頭を優しく撫でた。

 

「・・・お前が冥界に落ちてきたときは驚いたわ。だから、すぐにこちらに引き寄せてあげたの。」

「申し訳ございません!少し前にはすでにこの時代に帰って来ていたのですが。何故か、冥界に帰って来れず。」

 

それにエレシュキガルは顔をほころばせた。

 

「ええ、ええ!そうよね、お前が私を裏切るはずがないわ!お前だけが、そう、お前だけが私の味方よ、私の、私だけの下僕だもの。」

 

エレシュキガルはそう言って顔をほころばせて、淡く笑って、ウィルの頭をまるで仔犬にするように撫でた。

 

「それで、エレシュキガル様、俺と一緒に入って来た者たちのことなのですが。」

「ええ、藤丸たちのことでしょう?」

「知っておいでで?」

「・・・・お前にだけは、言っておくけれどね。」

 

エレシュキガルは少々気恥ずかしげに、立香と共にイシュタルの体を使って、彼と少しだけ会っていたことを話した。

 

「おめでとうございます!エレシュキガル様にとって初めての友達ですね!」

「そうね、お前は私のものだけど。その、友達って初めてだわ。お前も喜んでくれるわね?」

 

はしゃぐ声、花のように美しい彼女、それにウィルは今までの全てを忘れて、嬉しくてたまらなくなる。

初めての友人というものには少々寂しさを感じても、それでも、エレシュキガルが笑っていることこそがウィルにとって何よりもうれしいと思うのだ。

そうして、ウィルは心の底から安堵した。だって、己の神様は、変わることなく、美しく、可憐で、そうして優しいのだと。きっと、同盟だって何か理由があるのだと。

 

「それで、立香たちのことなのですが。」

「ええ、殺すわ。」

 

その言葉にウィルは固まった。そこには、いつも通り、優しくて可憐な、己の主がいた。

 

「なぜ、ですか。エレシュキガル様。確かに、あれは生きている者です。ですが、いずれは死ぬ、エレシュキガル様のものに。」

「だからこそよ。このウルクは、人は滅びるでしょう。でも、魂だけは、私が守らなくてはいけないの。」

「魂だけを?」

「人は滅びるわ、命は途絶えるわ。でも、その後に魂だけは守るのだわ。死したものは、私のものよ。ならば、出来るだけの魂を、ここで守り続けることこそが我が矜持。例え、死んでも、残るものだけは、私が守るわ。」

冥界の主人として。

 

エレシュキガルは微笑んだ、天使のように、愛らしく。ウィルの愛したままの女神は微笑んでいた。

 

「・・・・ウィル、お前も分かってくれるわね。さあ、忙しくなるわ。お前が炎を運ぶ魂だって多くなるのだし。」

さあ、立香たちを出迎えましょうか?

 

微笑む女神に、ウィルはどうすればいいのか分からずに、茫然としながら、それでも頷いた。

微笑む女神に、ウィルは、ぼんやりとウルクで足掻く誰かの笑みを思い出した。

けれど、ウィルはその笑みをそっと頭の奥にしまい込んだ。

その在り方は残酷だ、けれど、それでも。

その女神は確かに、彼女なりの、優しさに包まれていることだってちゃんと理解できたのだ。

 

 

 

「ウィルさん、よかった。無事だったんですね?」

 

マシュはようやく辿りついた石造りの神殿の前にたたずむ青年を見た。

いつも通り、簡素な服装にそうしてマント。何故か、カンテラを掲げた彼は無機質な目でマシュたちを見た。

 

「ふむ、機能的とはいえ、神殿はあるのか。貴様のおかげか、シュギンよ。」

「ギルガメッシュ王、ご無事でしたか。」

「ああ、幾度か冥界には来たことがあるのでな。お前も、わざわざ我の体を保管した様だな、褒めてやろう。」

「結構です。それよりも、汝ら、立場をわきまえ、平伏しろ。今より来られるは、砂の大地、揺り籠の主、ガルラ霊たちの女王である。」

「ほう、貴様、そちら側につくか。」

「・・・・少々、うるさくてよ。半神の王風情が。」

 

重々しい声とともにガルラ霊が現れた。そうして、ウィルは臣下に相応しい動作で、彼女に首を垂れる。

ウィルはそのまま、エレシュキガルの重々しい声や周りのことなど聞こえていない様に跪いたままだ。

けれど、エレシュキガルが自分の姿を現し、そうして、立香に正体がばれたことを知ると、慌てて彼女を慰める。

 

「ううううう!どうしよう、ウィル!ものすごく恥ずかしいのだわ!?」

「ご、ご安心を、エレシュキガル様!そういったちょっとうっかりしているところなど大変愛らしいですよ!?十分に、魅力的かと。」

「そ、そう?魅力的?」

「はい!そういったうっかりして涙目で困り切っているところなど大変可愛らしいです!立香もきっとそう思っていますよ?」

「そう、そうね!女神として、こんなことで折れてちゃだめよね。私は、女神。」

「はい、エレシュキガル様なら大丈夫です!」

 

座り込んでいたエレシュキガルはウィルの言葉でなんとか持ち直し、立ち上がった。そうして、ウルクの人間を殺すことを宣言する。

それに皆の眼が見開かれた。

ウィルはそれに何とも言えず、視線を下に傾ける。

ギルガメッシュとエレシュキガルの問答の後、彼女は立香に問いかける。

己に罪はあるのかと。

立香は真っ直ぐとエレシュキガルを見た。

 

「興味はない。それは、アナタが行うべき役割だ。」

 

ウィルでさえも、その言葉に目を見開いた。

ギルガメッシュが呆れたように言葉を加えた。

 

「分からぬか、たわけ。当たり前のことを褒めるほど、その男は愚かではないという事だ。自らに与えられた責務。それを嘆く事はよい。放棄して違う道を探す事もよい。だが、逃げずにこなし続けて己が義務を卑下することは悪であり、その苦しみを称賛することは、何より貴様自身への侮辱に他ならない!」

 

ギルガメッシュの言葉が響いた。それに、エレシュキガルはウィルを見た。

 

「ウィル、ねえ、あなたは?あなたは、私を責めるの?」

 

ウィルはそれに、一度だけ目をつぶり、そうしてカンテラを振った。

そうすると、カンテラは変形し、次に現れたのは無骨なまでにデザインと言うものを排除した大鎌だった。

ウィルは使い心地を試すように、くるりと手の内で回した。

そうして、彼はそれを立香たちにつきつける。

 

「・・・・ずっと、考えていた。俺は、どうすべきかと。ウルクの民に、俺は、死んでほしくないと思った。彼らは足掻いている。なら、それならば、彼らが諦めるまではそれを見守っていたいと思った。」

「ウィル?」

「ですが、今の言葉を聞いて、立香、否定の言葉を聞いて腹が決まりました。」

俺は、エレシュキガル様の味方だ。

 

それに、ギルガメッシュは目を細めた。

 

「エレシュキガルの、己の行いへの否定が、きさまへの否定であってもか?」

「・・・ええ、そうですね。エレシュキガル様の苦痛の上に、俺の肯定がある。主が耐え続けた日々がなければ、出会うことなどできなかった。それでも、俺は、自分の幸福を否定してでも、エレシュキガル様の味方であり続ける。」

俺は、一人の辛さを知っている。

 

ウィルは、ギルガメッシュではなく、立香を見た。

 

「・・・藤丸立香、永遠の孤独を知っているか?」

 

その声は、今までの青年らしい軽やかさなどない、老人のように乾いた声だった。立香はそれにぐっと背筋を伸ばした。

立香は、ウィルがどれほどまでに、エレシュキガルという女神を慕っていたかを知っている。

優しい人だった、愛してくれた、大事にしてくれた。だから、それを返したいんだ。

幾度か聞いた、女神の話。

恐ろしい、それでも優しい、死の女神。

ケツァル・コアトルのことを、思い出す。

きっと、そうだ、今がそうなのだ。誰かの願い、自分たちが散々置いてきぼりにしてきた、遠い神様の寂しさを立香は見た気がした。そうして、共に滅ぶと決めた、ちっぽけな人間の愛を前にしている気がした。

 

「何にも至れず、どこにも属せず、愛する者さえ別れの果てにあり、繋がりたいと願う事さえ千切れてしまう寂しさを。」

「知らない。」

断言する様に、そう言った。

 

「生まれたころより負わされる宿命を、自分が何かをなしたわけでもないというのに背負わされる業が、お前にあるか?」

「ないよ。」

否定する様に、そう言った。

 

それに、ウィルは頷いた。

「そうだ、立香、お前には分からない。でも、それできっといいんだ。だって、お前は、神様の元から駆け出した人間だ。お前の否定は正しい、俺の肯定は間違っている。今を生きるお前にとって、エレシュキガル様の友人であるお前には、それが正しい。それでも。」

 

人から逸脱した、永い巡礼の果てに神に安らぎを見出した人でなしは、自由な人間を見た。

神様の元から飛びだした、自由を背負った人間は、それでも背筋を伸ばした。

 

「俺の腹はようやく決まった。ウルクの民に生きてほしいと思う、お前を友人のように思う。それでも、俺を救ってくれたのはエレシュキガル様だ。その恩を返したいと思う。そうして、その優しさに報いたいと思う。だからこそ、最後まで、俺は彼の神と共に在る!」

 

言葉と同時に、大鎌は炎を纏う。ぐるりと手遊びのように回したそれは、立香たちに向けられた。

 

「ただ、自由に生きることの叶った生者が、その孤独を、苦しみを、憎しみを、軽々と否定していいわけがない。いずれ死にゆくものよ!生きたいと願うならば、神にたてつくというならば、金星の女神に抗った如く、抵抗を見せるがいい!」

 

銀髪の髪が、紅い瞳が、大鎌に纏われた炎に照らされて、赤く光る。

 

「エレシュキガル様、援護します!」

 

構えたそれにエレシュキガルは泣き笑いのような表情を浮かべて頷いた。

 

己のあり方、己の寂しさ。

そうだ、きっと、それは、ギルガメッシュの言うとおりなのだ。

神の矜恃、今まで積み上げたのもの。それを否定して良いのだろうか。

けれど、それでも、言葉にすることは、そう思うことぐらいは、それだけは。

 

赤く燃える銀の髪。燃やし尽くす、その赤を見た。

 

(私だけの、下僕。)

 

それだけで、エレシュキガルはよかったのだ。

 

 

 

 

「エレシュキガル様、もう、よいではないですか?」

「ウィル?」

 

戦いに敗北したエレシュキガルは潔く、己の首を切れと言った。それに、ウィルはぼろぼろになりながら、エレシュキガルに縋りついた。

立香たちは声のする方、後方に吹っ飛ばされていたウィルを見た。

ウィルは大鎌を杖のようにして歩き、そうしてエレシュキガルの横に立った。

そうして、彼女をじっと見た。

 

「ウィル、黙りなさい。」

「エレシュキガル様、神が言葉を違うものではないと、そう言われていたではないですか。」

「私のどこに嘘があるというの!?」

 

エレシュキガルは激昂したようにウィルを睨んだ。彼はそれに、微笑んだ。

 

「だって、エレシュキガル様は人が好きではありませんか?」

「!」

 

エレシュキガルは目を見開いて、何故、それを言うのかと目を見開いた。

それに立香たちはやっぱりと言葉を挙げた。

 

「ウィル、お前!」

「エレシュキガル様、俺は、立香とあなたの間で散々悩みました。俺はあなたのことが一等に大好きです、愛しています。だって、あなたは俺の女神だから。でも、それでも、立香のことも好きです。こいつは、諦めることなく足掻いたから。生きることを放棄しない奴はやっぱり好きです。」

「・・・それがいったい何の関係があるの?」

「エレシュキガル様が、優しい方だと、友達に分かってほしいのです。」

「私は優しくなんてない!私は地上の人間なんてどうだっていい!ここに落ちた者だけが、私のもの!それ以外、どうだっていいの!」

「エレシュキガル様。それでも、あなたは立香のことを思って、笑っておられたじゃないですか?」

 

エレシュキガルはそれに、うっと呻き声をあげる。そうして、ウィルはいつの間にか懐に忍ばせていたらしい、小さな板を彼女に差し出した。

それを彼女はおずおずと受け取った。そうして、それを開くと、そこには小さな花の押し花があった。

 

「新作です!上で時間があった時、ちょっと作ってみたのです。」

「これ・・・・」

「俺、どれぐらいここから離れてたのかは分からなかったんですけど。それでも、まあ、下僕からのご機嫌伺いですが。」

 

エレシュキガルは、久方ぶりの贈り物に、彼がせっせと送り続けてくれた微かな貢物に、笑った、微笑んだ。

自分の為だけの、それに、彼女は微笑んだ。

 

「エレシュキガル様、あなたは、笑っています。ええ、ええ、エレシュキガル様。あなたはそれでも、俺が持ちかえる地上の話に微笑んでくれていたではありませんか。」

「それは、だって、お前があんまりにも楽しそうだったから。」

「はい、でも、エレシュキガル様も楽しかったでしょう。立香。」

 

立香はそれに、ウィルの方を見た。

 

(・・・笑ってる。)

 

ウィルは、いつだって思い悩む様な顔をしていた。けれど、今はなんだかとても、とても、すっきりしたような顔をしていた。

 

「俺は、やっぱり、お前が言ったことを赦せないや。だって、知りもしない奴がそれを言うのは反則だって。でも、それでも、エレシュキガル様の誇りを守ろうとしてくれて、ありがとう。」

「ウィルだって、エレシュキガルのことを守ろうとしたんじゃないの?」

 

ウィルはそれに微笑んだ。

 

「正直言えば、お前がそっちを選んでくれてよかったよ。だから、俺は、エレシュキガル様の心を無視しなくてよかった。」

「もしかして、賭けでもしてたの?」

「ああ!でも、お前なら大丈夫だと思ったんだ。ケツァル・コアトルに勝ったお前なら。なあ、立香、言いたいことがあるんじゃないの?」

それに、立香は微笑んだ。

「俺と、一緒に戦ってほしい。」

「・・・・すごい破壊力ね。」

「でも、魅力的です。」

 

ウィルの言葉に、エレシュキガル様は渋々と言った体で頷いた。

 

 

 

 

「炎よ、苦しみ、獣より、人を守れ、守護の炎。」

「・・・・魔力は尽きないの?」

 

立香たちが去った後、ウィルは早々と冥界の仕事に戻った。何よりも、諸々のせいで死者の数が酷いことになっているのだ。

ウィルは仕事の合間に冥界から炎を持って人々の守護を進めていた。エレシュキガルの言葉にウィルは何とも言えない顔をしていた。

 

「・・不愉快でしょうか?」

「いいえ、お前がそうしたいというならばそれで構わないわ。大体、これ以上死者が増えたら大変よ!」

 

絶叫のようにエレシュキガルが言った。ウィルはそれに思わず苦笑する。だって、彼の前には確かに魂が列をなしているのだ。そう言いたくなることはわかる。

 

「魔力については大丈夫です。俺が数千年溜め続けた分がありますから。」

「あの怖いおじいさんの言葉、気になるの?」

 

ウィルはそれに頷いた。

エレシュキガルが立香の言葉に頷いた後、彼女を一人の老人が切り捨てた。彼は、最後にウィルに向けて言葉を言った。

 

「哀れな迷い子よ。忘れてはならん。偽りをなしたものの業を、そうして、その贖罪を。巡礼の旅の終わりは近い。これが最後の機会なのだ。覚悟を決めなさい。己のために死を遠ざけたことへの代価が何かを。」

 

 

「・・・気にはなります。あの言葉が本当なら、俺は、何かを間違えばもしかすればここからでさえもまた跳ね除けられるのではないかと。」

エレシュキガルはそれに、ゆっくりとウィルの頭を撫でた。

「ウィル、私の可愛い下僕。忘れないで。」

 

ウィルは赤い瞳を、同じような赤い瞳で見返した。

 

「私はね、本当は、お前は私のことなんて忘れて、またどこかをうろついているんじゃないかと思ったの。だって、お前は、そんなふうに過ごしたんでしょう?」

「そのようなこと!」

「ええ、お前は最後まで、私を求めてくれた、私だけと言ってくれた。」

お前の望みも、私は大事にしたいのよ。

 

ウィルはそれに頷いた。

 

 

 

 

「エレシュキガル様。俺は、これより死のうと思います。」

「何を言っているの?」

 

冥界にティアマトを落とした後、ビーストⅡへ姿を剥がしたのち、立香たちはマーリンたちと共にティアマトめがけて飛んで行った。

 

「エレシュキガル様は、これより消えられるのですよね?立香たちに力を貸してしまわれたのですから。」

「・・・・ええ、そうね。でも、後悔はしないわ。だって、私、あの人間の在り方が気に入ったのだもの。ここでティアマトを守らなければお前だってもしかすれば消えてしまうかもしれない。お前はこれより後の人間なのだから。」

 

エレシュキガルにとって、それは確かに救いだった。

たった一人で、孤独に、冥界での仕事をなし続けた。そんな時に、彼はぽんと現れて、そうしてエレシュキガルを疑似的にでも外に連れ出してくれた。

花を見せてくれた、空の色を教えてくれた、獣の話をしてくれた。

ウィルのいなくなった後、ただ、ひたすらに孤独だった。寂しくて、悲しくて、いつだって近いように感じていた外の世界は遠かった。

藤丸立香という存在のことは好きだ。だって、それは、確かに何の特別でもなかったけれど、それでもエレシュキガルと話をしてくれた。

 

ああ、そうだ。その人は、確かに特別だったのだ。

それは、死を受け入れた、それは死を求めてくれた。

エレシュキガルの優しさを、彼女を寂しい国を、認めてくれた。

今のエレシュキガルは、本来のエレシュキガルではない。ただ、少しだけ、人としての身が混ざって明るくなっている。

だから、最後まで冥界を、この身であろうとしてくれたのは所詮、その少年が帰ってくる場所を最後まで保ちたいと思ったからだ。彼が好いたままの存在で待っていたかったのだ。この冥界にある間だけは、たった一人の少年の存在証明ぐらいはできるだろうと。

 

けれど、それでも、彼はエレシュキガルの誇りでも、祈りでもなく、ただ、彼女の寂しかった、贄として徹底的に無視された永い時間を汲んでくれた。

ウィルだけが、確かに、エレシュキガルが初めて会えた、理解者だった。

例え、苦しみを理解できるのが、自分だけだとしても、それでも理解したいと願ってくれたのはそれだけだった。

たった一人である孤独と寂しさと、自分の知らない場所で背負わされた業を、彼だけが知っていた。

だから、エレシュキガルは決めたのだ。

例え、今あるエレシュキガルが消えてしまっても、それでも、あの人間が変わらないならば、そうして、自分の愛した下僕が生きていてくれるならば、忘れないでいてくれるなら、きっと、それは不幸ではないのだと思ったのだ。

藤丸立香を生かすことへの、今の自分が滅ぶことを受け入れられる理由だった。

それに、ウィルは微笑んだ。

 

「ええ、だから、俺もそろそろ死ぬ決意が着いたのです。」

「でも、お前、死ぬなんて。どうやって。」

「たった一つだけ、俺は、俺として消える方法があったんです。」

 

そう言って、ウィルはそっとカンテラをエレシュキガルに見せた。

 

「・・・・これは遠い未来、多くの人間が信じる炎なんです。神の託した、炎。これの薪は、魔力。そうして、魂も、薪になるのです。」

「まさか、お前。」

「はい、魔力はもう、ウルクの人間を守るために炎で燃やしてしまいましたし。そうして、冥界への門を開くために素寒貧です。助けられたのは、千数百人、元から考えれば微々たるものでしたが。数千年溜めても、結構バンバン使いましたし。でも、最後に、残ったものがあります。」

 

ウィルは、そっと己の胸を差した。

 

「お前、でも、魂を燃やせば。」

「はい、冥界に落ちることも無く、俺は消えるでしょう。でも、エレシュキガル様。俺は、きっと、このためにここにいるのだと思います。あの老人が言った、俺の罪の贖いはここでなすのだと。」

「駄目よ、そんな、そんなことをしたら、二度と会えなくなる!欠片だけどあった可能性だって無くなってしまうわ!」

「それでも、俺も、少しだけ思ってしまったのです。あの少年に生きてほしいと、ウルクの民たちが足掻いた末に、生を掴んでほしいと。そう。」

 

そう言って、ウィルはエレシュキガルを見た。悲しみに歪んだ顔に、彼はぐっと歯を噛みしめた。

 

「・・・・嘘です、ええ、ええ!嘘なのです!」

 

咆哮のように、彼は叫んだ。ウィルは涙を流して、叫んだ。

 

「エレシュキガル様、あなたのいない世界で、俺は、一人で生きていけない。怖い、一人で生きてはいけないのです!だから、エレシュキガル様、共に、お願いです。あなたの側で、最後を迎えさせてください。」

私の主、お願いです。孤独を恐れ、貴方のものでなくなることへの放棄を、どうか、お許しください。

 

泣きながら、そう請うたウィルに、エレシュキガルはそっと抱き寄せた。

 

「ええ、赦します。」

 

エレシュキガルは、自分の肩に感じる湿り気に微笑んだ。

 

(・・・分かったわ、ウィル。)

 

ウィルは、エレシュキガルの自由そのものだった。

彼は、エレシュキガルの眼で、手で、足で、そうして、どこにだって行ける風のような自由そのものだった。彼によって、エレシュキガルはようやく、外の世界に触れられた。

そうして、ウィルは最後まで、エレシュキガルの、ある意味でそうしなければならなかった業ではなく、その心を汲み続けてくれた。

いや、本音を言うならば、エレシュキガルは、その選択を嬉しくなった。

エレシュキガルは、ある人間の器があってこそなのだ。ならば、次にウィルが出会うエレシュキガルは、彼女自身ではない。

それならば、そうだというならば。

これでようやく、ウィルの全てはエレシュキガルのものだ。

 

(・・・・何よりも、お前は、私の心をを大事にしてくれた。それならば。)

 

「ウィル、お前の心を、お前の恐怖を、私は赦すわ。ウィル、私の可愛い下僕。最後まで、お前の全て、私が持っていくわ。」

「はい、はい、ありがとう、ございます。」

 

掠れた声に、エレシュキガルは微笑んだ。

ウィルはゆっくりと、カンテラをその場に捧げた。

 

「・・・・永き、巡礼の旅を歩いた。」

言葉は、まるで最初からするすると知っていたように出てきた。

 

「永き旅のうちに、己が為にではなく、他のために願いを抱いた。赦しを願わず、祈りを抱かず、されども、この身を捧げる意味を得た。」

 

命の炎よ!生者に祝福を!

 

炎が渦巻き、そうして、それはまるで花火のように空に撃ちあがる。それは、確かに、奇跡の力、そのものだった。

 

ふらりと傾いだ体を、すでに消滅しかけていたエレシュキガルが支えた。けれど、もう、二人に力はなく花畑に倒れ込む。

 

「・・・・申し訳、ありません。もう、立ち上がる力も無く。」

「いいのよ、私も、もう、力が出ないから。」

 

ウィルの手を、エレシュキガルは掴んだ。そうして、その崩れ落ちた頭をそっと自分の太ももの上に乗せた。

 

「ああ、ご、ぶれいを。」

「いいのよ、女神の膝枕ぐらい、お前にならね。残念ながら、立香が最初だったけれど。でも、あれよね。あれはイシュタルの体だったし、お前が最初よ。」

 

ウィルは、もう、殆ど力の入らない体で、必死に言葉を続けた。

 

「えれ、しゅき、がるさま。てを、つないで、ください。」

「ええ、ええ、ずっと、繋いでていてあげるわ。お前は、私のものだもの。誰にだって渡さないわ。見て、ウィル。冥界に、花が咲いたわ。お前が見せたかったのは、こんな風景かしら?」

「ああ、すいません、みみも、ほとんどきこえないのです。でも、ああ、まだ、みえているのです。だから、わかります。はな、きれいでしょう?こんなふうじゃなくて、もっと、ちゃんと、いろんなはなを。」

 

ウィルの声が小さくなっていく。そうして、エレシュキガルも自分の終わりが近いことを覚った。

 

「・・・・ウィル、お前の全ては私が持っていくわ。お前は、私だけのものだもの。お前の全てを、私は覚えているわ。だから、ウィル、お前も私を覚えていなさい。例え、あの人間に会えなくても、それでも、お前を私が覚えていれば、お前が私を覚えていれば。それだけで、悪いことばかりじゃないもの。」

「もう、めも、みえなくて。かんかく、だけ。だから、えれしゅきがるさま、てを、つよく。」

 

エレシュキガルは、そっと微笑んだ。もう、彼女の体は光の粉になって砕け散っていく。そうして、ウィルの体もまた、黒い炭に変わっていく。

エレシュキガルはそっと、ウィルの額に口づけを施した。

 

「・・・・ああ、わたしの、いとしい、あるじ。よかった、さいごまで、ともに。」

「ええ、お休み、私の可愛い下僕。」

 

ウィルは、何となく、エレシュキガルの言いたいことが分かる気がした。だから、ああ、自分のなしたこと、最後の最期に、何もかもを投げ出したことが間違っていなかったのだと。

そうして、エレシュキガルは、最後に自分の下僕の記憶を抱えて、光の粉になり消えていく。そうして、炭になった少年の全ては、まるでその光を追いかけるように空の果てに飛んで行った。

花は、まるで何事もなかったように風にそよいでいた。

 

 

 

 

 

 

「・・・・・無粋なことをしたものだな。」

「ええっと、あの、人さまの領域で勝手な事はしたけど、でも、やっぱり、彼は確かに彼がなしたわけではない業を背負って、それでもあきらめなかったわけで。その。」

 

「・・・・・まあいいわ。無粋とはいえ、人がなしたあれの支払い続けたものだ。今回は赦すか。」

 

「うううう、旧約聖書の人以上に、なんというか、すごい。ブッタについて来てもらえば。でも、天使たちだったら怒り狂ってるから一人できて正解だったかな?」

「にしても、ラフムに成り果てた人間を人に戻すと。生き残った人間がだいぶ多くなっているではないか。」

「まあ、でも、都市機能はめためただし。移住は絶対だねえ。」

「ふん、だが、あやつらは諦めんだろうさ。だが、それでこそだ。良い国であった。」

「うん、とってもいい国だ。」

「・・・・それよりも、貴様、何故わざわざここに現界した?貴様の目的は、シュギンがなしたであろう?」

「ああ、それは。彼の燃えカスの回収と言うか。」

「甘すぎるだろう。貴様、普段の聖人の扱いよりもずっと甘いではないか。」

 

「まあね。でも、人類最後のマスターさんを守った炎がウィル君の数千年の放浪の果てになした魔力の代価だ。彼が、自分の知らない業によって歩き続けた道のりの代価に、女神さまとの再会ぐらいは赦されると思うんだ。」

 

そういって、長髪の男は、茨の冠を被った彼は、微笑んだ。

 

「奇跡が、もう一度ぐらい微笑んでもいいと思って。彼の業ぐらいは、報われたっていいと思うんだ。」

 

それに金色の髪の男は、去りゆく己の民たちを見て、ふんと息を吐いた。



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拝啓、王でしかなかったあなたへ愛をこめて
王の寵姫


次はソロモンの話しになります。



 

王よ、王よ、王よ。

ざわつくような、木の葉の擦れあう音のような、炎の爆ぜる音のような、雷鳴のような、水の滴る音のような、独特な、音と音が混ざり合ったそれが王の居室に響いていた。

 

時刻は丁度、夜明けと日暮れの真ん中、太陽が空の一番上にある時刻のことだ。

女は、王の住まいをまるで己の庭のように悠々と歩いていた。それを咎めるものはなくいっそのこと女は敬意を抱かれているようであった。

女は、王に仕える立場の女にしては、質素な出で立ちであった。動きやすそうなその白の衣服に黒い革で出来た腿まである靴は、どこか兵士というイメージによく似ていた。

 

けれど、女はその衣服など評価の対象にならないほどに美しかった。

黒い、夜のような色の豊かな髪は艶々と輝いている。頭の上部で結い上げられているせいか、まるで黒曜石の王冠の様であった。ややつり上がった猫のような瞳は、くろがねにも似た、硬質さを思わせる白金色だった。

女は、夜の様だった。

静かで、冷たい、夜のような女だった。その、陽の光など知らぬ真白の肌が、滅多に表情を作らぬ氷で作ったかのような顔立ちが、女に温度を感じさせなかった。

ただ、女には二つ、違和感があった。

それは、腰に下げた大剣と、そうして軍人のような硬い皮膚を持った手をしていた。

 

「妃よ。」

 

誰かが、女の地位としての呼び名を言った。

女は、けして、妃というにはあまりにも戦の匂いを纏っていた。

 

 

 

女は、最奥にある王の居室の前で足を止めた。

居室の中では、ざわざわと何かのさえずるような音がした。女は、それにふうとため息を吐き居室の前で声をかける。

 

「・・・・・王よ、よろしいでしょうか?」

 

その声に一瞬の間があった後声が上がる。

 

「構わない。」

 

女は、淡々とした足取りで居室の中に足を踏み入れた。

居室の中は、四方八方に、なにかの気配を感じた。ざわざわと、ざわざわと、何かの唸り声のような、叫び声のような、そんな声であった。

女はそれを気にした風も無く目の前の男を見た。

砂色の髪に、黄金の瞳、褐色の肌をした柔らかな微笑みを浮かべた男だ。

 

「やあ、シェムー。どうしたんだい?」

 

男、ソロモン王は、ゆるりと柔らかな微笑みを浮かべた。シェムーと呼ばれた女はそれに静かに礼をした。

 

「王よ。お時間です。」

 

その言葉に、ソロモンはそうだったねと頷いた。そうして、立ち上がると居室の出入り口に向かって歩いて行く。シェムーはそれに横に逸れた。

ソロモンは、シェムーの隣りまで行くと、

歩みを止めた。

 

「・・・・今日、お前はどうするんだい?」

「王の望む通り。」

 

女は、平坦な声で答えた。ソロモンはそれにふむと頷いた。

 

「好きなようにするといい。思うがままに。」

 

それだけを告げると、ソロモンは政務のために居室から出て行った。

シェムーは少しの間黙り込んでいたが、一度小さくため息を吐くと上を向いた。

 

「王の下僕よ、何を嘆く?」

 

女の言葉に、また、部屋がざわざわと揺れ動く。

王は、嘆きはしない。嘆いてはくれない。何故、何故・・・・・

木の葉の擦れる音のような、風の音のような、炎の爆ぜる音のような、水の滴る音のような、声というよりは、音というのが正しいそれに、女は頷いた。

 

「ああ、分かった。あなた方は、また嘆いているのか。何に嘆いているんだ?」

女の静かな声に、また、ざわざわと見えぬ何かがざわめいた。

 

囁くように、苦しむように、泣いているように声がした。

 

 

魔神たちの嘆きのわけは、国の果てにいるという病に倒れた母と、その子たちの為であった。

シェムーは魔神たちに、すぐにその親子の元へ連れて行くように言った。

シェムーがいった時にはすでに女は事切れていたが、無事であった子どもたちを拾い上げると彼女は自分が経営している孤児院に連れて行った。

その女は、変わり者であった。少なくとも魔神たちはそう思っていた。そうして、彼女と、王以外の者が魔神たちと同じように思っていた。

 

「・・・・子らと共に居たかっただろうな。」

 

女は、表情を変えることも声を荒げることも無かったけれど。それでも、その白銀の瞳から透明な滴を流すのだ。

弔いを終えた母を前に、女は慈しむように子らを撫でるのだ。

その女は、悲しんでいた。嘆いていた。

一人の母の死を嘆いていた。その、嘆き悲しむ声が、その、涙だけが、魔神たちへの子守唄のようにあやすように響いていた。

魔神たちは、その、嘆くような声に、残された幼子たちへの救いの声を聞いて、微睡むように女を見た。

女は、変わり者であった。そうして、王を知る者で、女を知らぬ者はいなかった。

女の名は、シェムー。

守護する者という名を王に授けられた、彼の戦士であり。

そうして、王の最愛とうたわれた妃であった。

 

 

シェムーとは、元はソロモンに与えられた護衛であった。

彼の母が、ソロモンを害されることを恐れて、どこからか引き取って来た子どもであった。どこかの、北からやって来たというすでに滅んだ一族の末裔であった彼女は、その年齢からすれば考えられぬほどの剣の名手であった。

彼女は、侍女として、そうして護衛として、ソロモンの側に居る古参であった。

彼らが大人になった時、周囲の思惑の為か、シェムーはソロモンの妃となり、互いに一番に近しい立場に立つこととなった。

 

 

(・・・・変わらない。)

 

夜のとばりの落ちた寝室にてソロモンは隣りに寝そべる女の頬を撫ぜる。

女は、その印象に正しく、耳をすまさねば聞き逃してしまいそうなほど微かな寝息を立てていた。

ソロモンにとって、女とは、他の人とは違う性質を持っていた

女は、シェムーは、ソロモンに何かを望むということはなかった。いや、望むことはあるにはあったがそれは願いや望みというにはあまりにも細やかなものであった。

 

ソロモンは、よくよく己に仕えるものに対して、褒美を問うことがあった。それは、他の臣下や妃にするのと同じように、熱はなく、一方通行の決まり切ったそれであったが。

皆、ソロモンに多くの事を望んだ。

平和な治世、宝、寵愛、子ども。

皆、最初は恐縮するものの、二度言えば素直に望むものを請うた。

それは、人が望むには当たり前すぎるもので、当たり前のような欲望であった。

けれど、シェムーは、褒美を問うと、幾度言ってもありませんとしか言わなかった。それを無礼と咎められても、彼女は本心から困り切っていた。

そうして、最後には王の御心のままにと放り投げてしまう。人々は、ソロモンに請う様なまなざしを向ける。それは当たり前だ。彼は王なのだから。

 

けれど、シェムーは不思議な目をする。

それは、不思議そうな目だった、なぜだと、疑問を考えている目だった。

それは、あの目は。

そこでソロモンは考えを途切れさせる。

唐突に、ぶつりと切れた思考は彼がわざと途絶えさせたせいだった。

考えたとして、なんだということはない。考えるだけ、無駄なことにソロモンは飽いたように微笑んだ。

 

ソロモンは、寝そべり、肘を立て、頭を支えてシェムーの寝顔を眺めた。するりと解かれた黒髪を自由な片手で弄んだ。

歳を取れば取るほどに女の纏う静謐さは増していく。

ソロモンに与えられた日も十分に人としては静かな女であったが。それでも、まだ、人の中に紛れ込める程度の音を持っていた。

 

(・・・・けれど。)

 

ソロモンは、その髪の一房を己の指にくるりと巻き付けて弄ぶ。

 

(もう、人の中に紛れ込めば、目立ってしまうほどにこれには、音がない。)

 

音がないというよりは、揺らぎがないというのが正解だろう。

シェムーは、他の人のように、怒らない、嘆かない、喜ばない、楽しまない。

感情がないわけではない。ただ、それは雲の合間から差し込む月光のように静かで、ひっそりと差し込み消える。

それ以外特別ところなどない。ソロモンが、気にかけ、対処する理由もない。

けれど、たった一つだけソロモンには気になる部分があった。

 

それは、女の目であった。

女は、ソロモンに、敬愛でもなく、尊敬でもなく、嫉妬でも、怒りでも、畏れでも、情愛でも、信仰でもなく、疑問の目で王を見る。

女の目には、問いかけがあった。なぜ、という言葉があった。

女が何を問いかけているのか、シェムーはそれを口にしたことはない。

ソロモンが、それを問う理由もない。そうして、ソロモンには、それを気にする理由もない。そうであるがゆえに、それは宙ぶらりんのままであった。

ソロモンは、無言で肘を解き、シェムーのことを抱き寄せる。それに、シェムーは、ゆっくりと目を見開いた。ソロモンは、それを宥めるように囁いた。

 

「・・・何でもないよ。」

 

シェムーは、それにそうなのかと納得したのか、ゆっくりと瞼を閉じ、眠ってしまう。

ソロモンは、シェムーを抱きしめたまま、同じように眠りにつく。

シェムーを抱き寄せる理由などない。他の妃を己から抱き寄せることも余りない。けれど、己の寵姫にはこれぐらいするものだろう。そんなことを思って、ソロモンは眠りに落ちた。

 

 

 

シェムーという存在が、ソロモンの寵姫と評価され、扱われるのは理由がある。それはもちろん、彼の閨に呼ばれる頻度が高いことや長い間王を支えていることもある。けれど、何よりの理由が一つあった。

それは、彼女が腰に下げている剣にあった。

それは、ソロモンが示した神の知恵がつまったものであり、抜けば雷を呼ぶ武器であった。

 

シェムーは、男でさえも打ち負かすほどの剣の才を持っていた。ソロモンは、彼女を己の剣とし、そうして最愛の妃として寵愛を欲しいままにしていた。

といっても、ソロモンからすれば、それは別段愛情があるというわけではなかった。理由は、簡素で、ソロモンにとって、シェムーは都合がよかったのだ。

それは、戦士の意味でも、妃の意味でも、シェムーとはソロモンが国を治める意味でも都合がよかったのだ。

ソロモンには、多くのきょうだいがいた。王になろうとした兄を排除した後も彼の座を狙う存在はいた。

ソロモンは、分かりやすく、彼が王としての威光を示すことを望んだ。それには、ソロモン自身では駄目だった。

王とは、従えるものであり、彼自身が力を振るうことはよしとしなかった。

だからと言って、奇跡の力を簡単に託すことも出来ない。

けれど、シェムーは違った。

 

彼女の幾多の未来で、ソロモンを裏切るという行為を見たことはなかった。そうして、彼女は強かった。彼女以上に、その力の象徴として神の力として扱われる雷の力を託すものはいなかった。

そうして、彼女は寵姫としても都合がよかった。

多くの政略結婚をする上で寵愛というものは生まれてしまう。誰が愛されているかというのは、どうしても決まらねば争いは続くのだ。

ソロモンは都合の良い寵姫を欲しがった。

その立場に溺れず、妃たちを統率し、己に良く仕える妃を。

シェムーはどちらをとっても都合がよかった。

 

シェムーは寵姫という立場を持っても出しゃばらず、妃たちの争いに目を光らせ、ソロモンの気を引こうなどということもしない。

彼女は、ソロモンの近しい立場にいた。けれど、彼女はいつだってソロモンの後ろにいる。ソロモンの前に立ち、己の姿を認識させることはない。

女は、夜の様であった。

確かに存在はすれど、当たり前のようにそこにいる影のようであった。

そうだ、ソロモンにとって、シェムーは都合がよかった。

彼の生活に寄り添いすぎた彼女は、どこまでもソロモンのためのものだった。

 

(・・・・・けれど、あの子は私に何か、疑問を持っている。)

 

ソロモンと、シェムーの関係は変わることはない。

ソロモンは、シェムーを使い、彼女もまた、王に仕えるだけだった。

ソロモンは、女の静謐さを気に入っていた。

必要以上の何かをしない女の在り方を気に入っていた。

その女は、共感を求めなかった、ソロモンの心を気にしなかった。

それはある種、ソロモンにとっての安楽であった。

二人の関係は完結していた。ソロモンにとって、彼女だけが、推し量り、見定め続けることをせずとも、傍に置くことが出来る人であった。

それ故に、ソロモンは、その目で必要以上に女を見ることはなかった。

 

だから、ソロモンは、その女の何故という問いかけに満ちた瞳を無視した。それを気にする必要はない。それがどういった意味かと、考えることはあっても。ソロモンは、それを無視した。

考える必要などなかった。考えずとも、対処せずとも、その女は、当たり前のように己のものであるのだと、ソロモンは当たり前のように思っていた。

続いて行くのだと思っていた。

二人の間に子が生まれても、その考えは変わらない。ソロモンの治世が、彼の死によって完結するまで、それは当たり前のように側に居るのだと。

 

 

 

 

 

 

(・・・・・もう、体もろくに動かない。)

 

シェムーという名を貰った女は、寝台に体を横たえていた。己のすぐ近くに死というものが差し迫っているのはまざまざと感じていた。

すでに、彼女も壮年と言って良い年になっていた。息子も大きくなり、自分の生きる時間が確実に減って来ていたことは自覚はしていたのだ。

王に仕えることも出来ずに、無為に時間を進めることはひどく苦痛な事であった。

シェムーは、無意識に、枕元を見る。そこには、彼女が王から預かった雷を呼ぶ剣が置いてあった。ただ、それは、すでに彼女と王の間に生まれた子に託してしまい存在しなかった。

 

それに、シェムーは思わず笑った。

滅多に浮かべることのないそれは、自分の物であるのだと心から言えるものがそれしかなかったためだ。

 

(・・・・いや、私のものだといえるものは、もう一つだけ、あるか。)

 

女は最初、名がなかった。

親がいつ死んだかも記憶にない彼女は名を付けられた覚えもなかった。

ただ、彼女は、人一倍美しく、そうして剣技の才があった。そうであったからこそ彼女は生き残ることが出来たと言ってもいい。

彼女は、神殿に拾われ、そこの隅で無為に生きていた。

 

そこで、ソロモンの母に拾われたのだ。

少女は、己の行き先に興味はなかった。己で、己の末路を決められるほど自分の立場が強くないことも十分に分かっていたためだ。

連れていかれた王の住まいで、少女は、会わされた少年を前に、淡々と礼をした。

少女には、興味がなかった。

王の住まいの豪奢さにも、上等な食事にも、上等な衣服にも、己が仕える美しい少年にも。

少女には、それは己のものでないのだと分かっていた。それを愛でることさえ、空しいのだと分かっていた。

少女は、淡々と、己の役割を遂行した。王子を守り、世話をし、彼の侍女として淡々と役割をこなした。

 

彼女に名がなかった。そのため、名は与えられても、それとて宮の従事という意味のシャマシュという、なおざりなものでしかなかった。

少女は、生きるために生きた。死ぬ理由がないゆえに、生きた。

変わり映えのしない毎日で、ふと、少女は気づいた。

王子の事だ。

少女は、下手をすれば、彼の両親よりもはるかに、少年の側に居た。少年の事しか見ていなかった。それ以外、彼女の役目はなかったのだ。

けれど、毎日、毎日、変わることのないことだ。違和感に気づいたのだ。

王子は喜ばない。

どんな、食事にも、衣服にも、異性にも、知識を前にしても、王子は笑みを浮かべた。それも最初は、そんなものを見飽きているせいかと思っていた。

けれど、すぐにそんなことも違うのだと気づいた。

少女は、たった一人で生きた。それには、関わる人間がどんな存在かを見定めることは絶対的に必要であり、彼女はよくよく人を見る目を持っていた。

その王子は飽きているのではなかった。元より揺らぐこと自体がなかったのだ。その在り方は植物に似ていた。

ただ、ただ、王子はそこにいるだけで。己の在り方を全うしているに過ぎなかった。

 

それに少女は王子の事がひどく気に入った。少女は植物が好きだった。草木が気に入っていた。

彼らは感情というものに振り回されない。人のように自分の感情で意味の分からない行動を取らない、

獣や植物は好きだ。彼らは、付き合い方さえ分かっていれば、自分を傷つけることはないのだから。

少女は、王子が妬ましかった。自分の物をたくさん持っている彼が、ひどく妬ましかった。

けれど、彼の植物のような在り方は、少女にとって安らぎだった。

そうして、少女は毎日が楽しくなった。だって、そうだろう。

少女の主は、人でないのだ。正当な理由さえなければ、己を傷つけることはないのだ。

少女に取って、王子という存在が、自分と同じように世界の爪はじき者になった瞬間だった。

少女は、幸福であった。己のものは何一つなくても、自分を傷つけることのない主の元は、その心に怯える必要のない生活は、少女の幸福であった。

 

けれど、少女は大人になるにつれ、どんどん、どんどんと、王になったソロモンが哀れになった。

彼は、嘆かない、苦しまない、悲しまない。そうして、喜ばない、楽しまない。

王は、男は、ソロモンは、母が死んでも、父が死んでも、嘆かなかった。そう言うものだと言っていた。

 

それが、哀れであった。

父と母は、王のものでなく、子として、ソロモンとしてのものだった。彼だけのものだった。なのに、ソロモンは、それに嘆かない。

他への感情がないというのに、人と共にあるソロモンが哀れであった。何も好きでも嫌いでもないのに生きているソロモンが哀れであった。

それが、性であるのか、誰かにそうされたのか、分からなかったけれど。

少女はそれからソロモンという存在をよくよく見るようになった。

たった一つでもいい。たった一つでもいい。

 

少女は、ソロモンが人である証が欲しかったのだ。

それが、それが、少女の持った憐れみへの、その男を王とする国に住む民としての、精一杯の代価であった。

それだけが、それだけが、少女に取ってようやく王を肯定できる理由であった。

そうして、礼がしたかったのだ。

ソロモンが、少女の持つことが叶わなかった、少女だけの特別をくれた。

戦士としての信頼として、剣を授けてくれた。

たった一人の何かとして、名をくれた。

母として、子をくれた。

何もないままに、生まれ出で、何もないまま生きて、そうして、ようやく少女は、シェムーとしての、自分だけのものを得たのだ。

 

少女は不公平であると思っていたのだ。貰ってばかりでは駄目だと思っていた。

けれど、シェムーに出来ることなど一欠けらだってなく。だから、自分に出来ることを探した。

身勝手だと、無意味と、傲慢だと、それをしてどうなるのだと。

分かっていたのだ。けれど、シェムーは男を人として扱いたかった。

あなたは人だと言いたかった。

 

シェムーはソロモンを愛していたのだ。

 

その無感動さに安らぎを覚えた。何も愛していない男に植物のような静けさを見出した。戦士としての強さに肯定をくれた。子という繋がりをくれた。

少女には何もなかった。だから、たった一つだけ、己の自由になる心を差し出した。

それを彼が理解せずともよかった。全てはシェムーの救われたい心であるのだと分かっていた。

 

愛していた、愛していた。全てを持ちながら、全てに無感情であるからこそ、幸福を祈ることが出来た。植物のようだからこそ、安らぎを覚えた。彼だけが、何も持たぬシェムーという存在が愛し、憐れむことが出来たのだ。

言葉も、微笑みも、ふれあいにも、一度だってそれを匂わすことはなかったけれど。

シェムーは王に感じてほしかったのだ。

喜びを、楽しみを、美しさを、愛おしさを。

その感情が、自分に注がれることがないとしても。

自分は十分に与えられたのだから。

だから、それでよかった。それだけでよかった。

王よ、王よ、王よ、望むものなどないのです。

食事も、居場所も、つながりもある。だから、私は満たされた。

私の探し、掻き集めたあなたの人であるという欠片が、いつか、あなたの人としての礎になるように。

それだけを願います。

 

シェムーは、ぼんやりと意識を彷徨わせる。それに、本当に自分の命が尽きる瞬間がやってきているのだと理解した。

そこに、唐突に、柔らかで、穏やかな声が響き渡る。

 

「・・・・・シェムー。」

 

それに、シェムーは漂わせていた意識を浮上させる。

見開いた瞳に、彼女の愛した男がいた。

 

「・・・王よ。しつ、むは?」

 

「ああ、丁度暇になってね。見舞いをしに来たんだ。」

ソロモンは、そう言って女の寝台に座った。そうして彼女の髪をゆっくりと梳いた。

 

「・・・・体はどうだい?」

「ただ、ひどく、眠いです。」

「そうか。まあ、お前はよく仕えてくれた。休むのもいいだろう。」

 

そう言って、ソロモンは、髪を梳る。そうして囁くように言った。

「なにか、望むものはあるかい?」

それは、昔から、変わることのないそれだった。何も望むことのなかった女のへの、ソロモンが示すことが出来た、たった一つの労わり、臣下への褒美。

シェムーはそれに首を振ろうとしたが、すぐに止めてしまった。

 

「・・・叶うなら、たった一つだけ、問いかけを、お許しください。」

 

それに、ソロモンは少しだけ驚いた顔をした。けれど、すぐに表情を戻して頷いた。シェムーはそれに安堵の笑みを浮かべて囁いた。

 

「問いをさせてください。」

「なんだい?」

「王よ、あなたは、何か、好きなものはございますか?」

「さあ、特に何も。」

 

王は応えた。何の感慨も無く、淡々と答えた。女はそれに頷き、もう一つ問いかけた。

 

「王よ、あなたは、何か、嫌いなものはございますか?」

「さあ、特に何も。」

 

変わらぬその答えに、女は、失望するわけでも、悲しむわけでもなく、納得を持って微笑んだ。

それが、ソロモンには、不思議だった。それは、それは、あまりにも、人として、感情を持つものとして変わっていた。

 

「あなたは、何も、好きでも嫌いでもないのですね。」

「そうだね、私は、王として定められているから。そういうものは、欠けてしまっているんだよ。」

 

そう、やはり感慨も無く、淡々と男は語る。それに、女は微笑んで、頷いた。

 

「王よ、私は、あなたを憐れんでいたのです。」

 

静かな声に、ソロモンは動きを止めた。

憐れみ。それは、人がソロモンに向けるにはあまりにも、不可解な感情だった。少しだけ、目を見開いた男に、女は、淡々と語る。

どんなものにも、心を傾けることのないあなたが、喜ぶことも、悲しむことも、私にさえ許されたそれを、持つことのないあなたが哀れでありました。けれど、今では、こう思うのです。

 

「あなたは、確かに、人であったのです。」

 

柔らかな声で、そう語る女をソロモンは無言で見つめた。

 

「何故?」

「・・・・・あなたは、何の意味も無く、私を見送るために、ここに来たからです。」

「いいや。私は、お前の寵姫としての立場のために来たんだよ。」

 

ソロモンの言葉に、シェムーはもう一度だけ微笑んだ。

 

「・・・・・・あなたを、お慕いしておりました。」

 

植物のように静かで、誰の事も好きにならず、それでもなお誰かのためにあり続けた、自由でないあなたを愛しておりました。

何も、選ぶことの叶わなかった、私と同じ、あなたのことを愛しておりました。

女は、微笑んだ。

夜のように、静かで、音のない微笑み。

シェムーは、そっとソロモンに手を伸ばした。王は、その手をそっと握ってやった。

 

「・・・・王よ。」

 

あなたは確かに、私のことを大事にしてくださったのですよ。

そう言って、そう言った瞬間に、女の手から力が抜け、寝台に落ちた。力なく転がった、腕が、安らかな寝顔のようなそれが、女の命が尽きたことを示していた。

ソロモンは、女の手を握った、己がそれを見つめて滑り落ちた熱を握り込んだ。

 

 

 

女の葬式は、寵姫として相応しいほどに豪奢であり、粛々と進んだ。

そうして、また、当たり前のような日常が戻って来た。

ソロモンの周りで、誰かが泣く。

しくしく、しくしく、泣いていた。

王よ、妃が、なくなりました。王よ、あの優しい女が、死にました。

 

王は変わることなく、それに応える。

 

そうだね。人とは死ぬものだから。

 

それに、その泣き声は、さらにひどくなるが王は気にすることも無い。

いつも、すぐに収まるものだから。けれど、何故か、その泣き声はなかなか収まらない。

 

(・・・・ああ、そうか。いつもは、シェムーが宥めていたからか。)

 

そんな風に、彼女がいなくなったからこそ、増えた手間はあった。けれど、気にすることはない。対処はいくらでも出来た。

ただ、ソロモンは、時折、後ろを振り返ることがあった。

ふと、何かに気づいたように。

けれど、後ろには、誰もいない。いなくなってしまったのだ。当たり前だ。

それに、ソロモンは、何も思わない。思う必要はない。

ただ、そうやって後ろを振り返ることを、彼は止める必要もなかった。

 

 

 




シェムー
ソロモンの最愛と伝わる女。
ただ、本質は、女の在り方がソロモンにとって都合がよく、必要であったためにそう扱われただけであった。
孤児であったが、剣の才のためにソロモンの護衛になった少女。己のものといえるのが心しかなかった、虚ろなる少女。孤児であったころに地獄を見、人を嫌っていた。
数少ない、王として定められた男の本質を察していた。
けれど、それを疎うことなく、それに安寧を見出し、愛していた。
ソロモンの人間性を信じ、彼を贄として繁栄した国を、人を愛すると決めた。
最期には、己の人生に満足していた。ただ、心残りは一つだけ。
愛した男に、人としての在り方を、少しでも信じさせてやれなかったこと。

ソロモン
人として在り方を奪われた王。
シェムーと名付けた少女を最期まで、都合よく扱った。
シェムーという存在を、自分を裏切らぬものとして、見定め、扱った。けれど、一つだけ、男は、何故か必要以上に女の未来を、過去を見なかった。その必要はないのだと斬り捨てていた。
だというのに、何故か、男は女の逝く時間を見、わざわざ見送った。
それは、己に仕えた存在への、義務として労わりだったのか。それとも、別の何かだったのか誰にも分からない。
死ぬ直前まで、己の後ろを振り返ることを止められなかった。

魔神たち
彼らは、王を愛していた。人の憐れさを嘆いてくれなかった王を憎んでいた。
彼らは、妃を愛していた。己たちと共に人への悲しみに沈んでくれる彼女を慕っていた。
たった一人残された、二人の忘れ形見を愛していた。彼を殺した人々に失望した。

ソロモンの息子
シェムーの剣を受け継ぎ、魔術師として逸話も持っている。だた、ソロモンが死んだ後に、剣に宿る奇跡も、神に返してしまった。
一柱、ソロモンをまねて何とか魔神を編み上げた。
王として立つことなく、戦士として生きていたが、最後には王座を奪われることを恐れた王であり兄弟に殺された。
二人を知る者からすれば、どっから生まれたというほど陽気で、音楽を愛していた。


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夜へのユメ

ロマニの独白について。


 

君は思った以上に、何と言うか人間だね。

 

そんなことを、己の元マスターであるマリスビリーから言われたとき、ソロモンは、いやすでにロマニ・アーキマンになってしまっていた男は目を見開いた。

それに、ロマニは驚いた。だって、そうじゃないか。

ロマニ・アーキマンはそれこそ赤ん坊に等しかったのだ。人というものに対して、知識は在れど実感を持たないあやふやなものしか抱えていない彼は、まるで、初めて外を見たかのような赤子であった。

そうであるからこそ、ロマニはマリスビリーの言葉に驚いたのだ。

 

「それは、どういうことだい、マリスビリー。」

 

その言葉に、彼はすまなそうに謝った。

曰く、不快にさせたならすまないと。

それに、ロマニは即座に否定の意を唱えた。そう言った意味ではないという返事にマリスビリーは頷いた。そうして、少しだけ悩む様な声を出した。

いや、すまない。ただ、君は、思っていた以上に自分というものを熟知していたものだから。

 

その言葉に、ロマニは黙り込んでしまった。

彼の目の前には、人になってから特に好むようになった甘いものがある。

そうだ、確かに、ロマニ・アーキマンはまるで自覚していたかのようにマリスビリーに甘味を所望した。

 

 

ソロモンの意識というのは一言でいうならば平淡である。

他人のへの共感はなく、言ってしまえば常に穏やかなのだ。何となくの、好ましさといえる程度の関係性と、嫌うという名の無関心さ。

そこには、好物なんて明確な価値観が生まれるはずはないのだ。

だというのに、ロマニは無意識に、己は甘いものが好きであると自覚していた。

ロマニは、思わず己の口を覆い、その自覚の理由を自問した。

そこで、フラッシュバックのように、一人の女の微笑みが浮かんだ。

静けさを孕んだ夜のような女の、日差しのような微笑みが、ロマニの中に浮かんだ。

 

(・・・・王は、甘いものをご所望ですね。本当に、お好きなのですね。)

 

静かな女がそう言って、己に菓子を差し出した。

 

(ああ。そうだ、僕は、彼女にそう言われていたんだ。)

 

女は、そう言った。シェムーは王に好みがあるのだと言った。それが、本当だったのか、誰にだって分からない。けれど、けれど、だ。

確かに、ロマニ・アーキマンにとってそれは好ましい味であった。彼の好ましいものであった。

彼の甘いものが好ましいという価値観であった。

幾年月の果てだろうか。長い、永い、その果てに女が拾った王の人間性の欠片がとある男に手渡された。

 

 

 

ロマニが、その女に意識を向けることはあまりなかった。女が浮かべていた疑問の理由、その答えを得てしまっている時点でそれを気にする理由はなかった、

けれど、時折、女の記憶は、ロマニに囁きかけることがあった。

彼が人になる瞬間に垣間見てしまった、世界の滅びに向けて駆けている最中に女の記憶はまるで風にあおられ開くページのようにくるり、と頭に浮かぶことがあった。

 

くるり、くるり、くるり。

 

ページはまるで、ロマニの意思など関係していないように捲られていく。そのページで、女は、笑ったり、泣いたり、怒ったり、その表情は、普段は夜のように静かなのに。時折、雲の合間から顔を出す月のような感情。

それに、ロマニは、ぼんやりと他人事のように美しい女だと思った。

 

確かに、己の妻であったはずで、他にも美しい女はいたというのにロマニは心からその女を美しいと思った。

 

(・・・・そう言えば、彼女。いつも、僕の近くにいたんだなあ。)

 

護衛として、寵姫として、古い馴染みとして、ソロモンの近くには殆ど、その夜のような女がいた。

その、夜のような女のことを思うと不思議と心が休まった。

夜のとばりの中で、温い温度の中で微睡む様な心地になる。

きりきりと、きりきりと、何時かの滅びに追い立てられ、進むことしか出来なかった彼の、ほんの一時の微睡み。

女の囁きはロマニを甘やかす。女の届かぬ感情はロマニを傷つける。女の、最後の言葉が、ロマニの憐れみを誘った。

ソロモンという存在がどんなものか、最期に知りながらそれでも愛と恋の言葉を残して逝った女。

 

そうして、一度とて、ソロモンに愛を請わなかった女。

 

それは哀れであった。そうして、ロマニにとって羨ましいほどに人間であった。

ロマニは、そうやって密かに女との記憶を見返すのが楽しみであった。その、微かな安らぎに微睡みを夢見るのが好きだった。

地獄のような日々だった。誰も信用できない、何が必要になるかもわからない。

だから、掻き集めるだけ、掻き集める日々の中で、女の瞬間のように微笑みを思い出すのが好きだった。

ぺらり、ぺらり、己の記憶を捲る。

 

夜のようだと思っていた。けれど、それは少しだけ違ったのかもしれないと思い始めた。

女を、最初、冬の夜の様だと思っていた。

けれど、シェムーの本質は夏の夜に似ていた。

深く、静かなようで騒めきに満ちた、命を孕んだ夜。生まれるために、それを孕んだ夜。

 

それは彼女が子を抱いた記憶を見た時以来、強くなったように感じる。

そこでふと、ロマニの中に疑問が浮かぶ。

ソロモンの時は、まるで空気のようにシェムーを扱っていたと自分では思っていたというのに。不思議と記憶の中には、彼女の記録で溢れていた。

一番近しい位置にいたのだから、当たり前だろうが。

それでも、何故か、己はシェムーという存在の事を微々たるものしか知らなかった。

彼女という存在の、過去も未来も殆ど見た覚えはなかった。

何故だろうと、そんな疑問を確かに浮かべていたというのに。何故か、ソロモンは彼女について無視を続けていた。

ロマニの中で、ムクムクと、その女を知りたいという興味が生まれているというのに。知ろうとしなかった、あの時の己を恨みたくなる。

いや、自分は、確かにソロモンであった時も女が何かを疑問に思っていた。

 

何故だ?

 

何故、己は、知りたいと思いながら知ろうとしなかった?

思えば、思うほどに、ロマニの中には疑問が生まれる。

彼女について、知りたいと思いながら、必要がないとそのたびに斬り捨てていた己を。

ロマニは、ある時耐えられずに、己の事情を一番に知っていたマリスビリーに聞いてみたのだ。

 

知りたいと思いながら、目をそらしてしまう感覚を、人は何と呼ぶのだろうか。

ロマニの言葉に、マリスビリーは不思議な話だねと悩む様な仕草をした。

それが、何に向ける感情かは分からないが、それは、まるで。

マリスビリーは、そんな前置きをした後にこう言った。

まるで、恋に怯える少年のようだね。

その言葉に、ロマニは目を大きく見開いた。

 

恋?恋、だと?

 

ロマニの口から飛び出たのは、否定の言葉であった。

ああ、だってそうじゃないか。

ソロモンに、共感はなかった。無感情であった。

恋なんてものが生まれるはずがないのだ。

だというのに、そのソロモンが、恋だと?

否定の言葉を受けたマリスビリーは、慌ててロマニを宥めた。

ロマニは、頭を抱えて呻くように言った。

 

「・・・・・どうして、恋だなんて思ったんだい?」

 

それに、マリスビリーは己の顎に手を当てた。

いや、すまない。君の言葉は、まるでそれに関心があるという事実を恐れているようであったから。

その言葉に、その、想像にロマニの中で彼女への感情が一度、綺麗にバラバラになった。

 

それは、まるで完成したと思い込んでいたパズルが、むりやりに押し込めた反動で砕け散る様に似ていた。

ロマニ・アーキマンは、考える。

その、放り出され、砕け散り、未発達な心のままに、走り続ける中、息切れで立ち止まる瞬間に微睡むように考える。

その女が、己にとって何であったかを考える。

ソロモンは、女から目を逸らしていた。

女は、男に何も望まなかった。ただ、そこにいるだけだった。

一度だけ、最後の最期に、叶えることのできない願いを持って女は逝った。

 

人である、あなた。

今、人である己。

 

思えば。思えば、己はどうして人になりたいなんてことを願ったのだろうか。

その願いはどこから来たのだろうか。

もしかすれば、もしかすれば、ソロモンであった己は、最期に女の願ったそれを叶えたかったのかもしれない。

 

けれど、だからといって女に恋なんてしていたのか?

 

否であるはずなのだ。

 

ならば、なぜ、己は目を逸らした?

 

だって、それは、シェムーは、ソロモンにとって日常であったからだ。

繰り返す毎日で、気にすることも無く、忌避する必要もない。ソロモンという存在が、幼子の頃から共に会った女。

 

(・・・・・そうか、ソロモンにとって彼女は人生の一部だったんだ。)

 

確かに、ソロモンはシェムーという存在は特別であったのかもしれない。それほどまで、ソロモンの日常の中で、シェムーという存在は近しいものであった。

シェムーが死んでから、ソロモンの生活は確かに不便であった。ソロモンの生活についてよくよく理解していたシェムーの存在は、快適に過ごすという意味では利があった。

確かに、彼女が死んだとき、ソロモンは彼の人生において、何かを喪ったのだろう。

 

(そういえば、よく後ろを振り返ってたなあ。あの子は、よく、後ろにいたから。)

 

そんな癖さえも無視していた。そんな癖が出来ても、別に何かしらの事があるわけではなかったのだから。

 

(・・・・でも、今思えば不思議だなあ。ソロモンだった時の僕は願いを叶える機構のような者だった。なのに、どうして、何も願うことのない彼女を側に置いていたんだろうか。)

 

そうだ、ソロモンとしての存在意義を彼女は否定する。

もちろん、メリットもあった。けれど、なぜ、己はなにも願わない彼女に、あそこまで関心を払っていたのだろう。

分からなくて、けれども分かりたくて。

ロマニは、帰り道に夜空を見上げるように、女について考えた。

それまでに、ロマニは多くの恋の物語を読んだ。恋とは、何かを理解したくて。

その恋たちは、確かにロマニの中の感情と合致しているものもあり、そうして、己の感情には程遠いように思う。

 

これは、いったい何だろうか。

持て余した、その感情は、確かにロマニを苛んだが。それでも、彼の居る地獄を忘れさせてくれた。

それでも、分かりなんてしなくて。分からなくても、分かりたくて。

ああ、あなたは、僕にとって何であったのでしょうか?

そう問いかけても、答えてくれた人はもういない。

 

 

ロマニは、君は今でも、あのことを考えているのかい。

マリスビリーの言葉に、ロマニは顔をしかめる。

ちょうど、せっかくのお茶会で、どうしてわざわざその話題を出すのだろうか。

それに関しては、ロマニは一欠けらだって触れられたくないことなのだ。

だというのに、それにふれて来るマリスビリーにロマニは不快に思わずにはいられない。

マリスビリーは、それに申し訳なさそうに微笑んだ。

 

そんなにも怒らないでくれ。ただ、少しだけ気になっていたんだよ。

 

「・・・・別に気にしないでくれ。これは、結局自分で解決するしかないんだから。」

 

ロマニは、そう言ってお茶請けのクッキーを口に放り込んだ。

サクサクとしたそれは、バターの匂いが香った程よい甘さをしていた。

それに舌鼓を打ちながら、ロマニはまたシェムーのことを考えた。

これを食べて、あの人はどう思うだろうか。美味しいというのだろうか。そういえば、彼女の好きなものは何だろうか。分からない。ああ、イライラする。こんな、こんな些細な事でさえ、僕にはわからない。

そんなロマニを見つめて、マリスビリーは言葉を選ぶように、呟いた。

 

私はね。昔の君は、彼女の事を愛していたと思うんだよ。

 

ロマニは、それに、何も思わず、マリスビリーの方を向いた。

それに、マリスビリーはまるで独り言を言うように、何の気なしに囁いた。

 

他人のためにあった君が、己のために彼女を扱っていたのなら。それは、彼女へ甘えていたんじゃないのかな。

 

その言葉に、ロマニの目が見開かれた。

 

そうだとするのなら、少しエゴイスティックかもしれないけれど。昔の君は、確かにその人を愛していたんじゃないのかい?

 

静かに、その声が部屋にこだまして。ロマニは、ああ、と呻くように言った。

 

そこで、ロマニの中で、かちりと何かがはまり込んだように感じた。

ロマニは、マリスビリーの言葉で、ようやく己の感情の全体像というものを掴めた気がした。

 

そうだ、確かに、彼女はソロモンの特別であったのだ。

 

彼女は、ソロモンに何も求めなかった。ただ、ただ、彼女はソロモンの行う全てのためにあった。

ソロモンにとって、シェムーとは道具であった。己の好きにしていい、道具であった。

 

ソロモンは、シェムーに夢見ていたのだ。

己にとって、未完成なものであることを。

ソロモンは、シェムーに求めていたのだ。

定めずにいても良いものを。

ソロモンは、シェムーへの疑問を無視していた。

その答えは、簡単だった。

答えを見つけようとしなければ、ソロモンはずっとシェムーというものに関心を寄せ続けることが出来る。

完成することがなければ、ソロモンはシェムーというものを裁定せずともよかった。

 

ソロモンは、人を愛していた。そういうものであった。

けれど、そこに感情はなく、全てがそうしなければならなかった。

それでも、ソロモンは、人であるということは、感情というものは、どんなものであるのだろうか。人として生きるとは、どのようなものであろうか。

そんな好奇心だけがあった。

 

けれど、全ての人はソロモンに願い、求めてしまえば、彼はそれを裁定せねばならなかった。彼の民とは、彼にとってそう言うものであった。そんな中、シェムーだけが違った。

その少女だけが、特別であった。ソロモンの一部であり、ソロモンにとって、いつまでも完成することのない、民でなく、愛用の武器であり、道具であった。

魔神たちとは違った。

己が作ったわけでもなく、人であるというのに、ソロモンの内側に居付いてしまった人。

ソロモンは、愛していたのだ。

 

確かに、歪でも、人としてなんてお世辞にも言えずとも、シェムーという己にとって都合の良い甘えていい彼女を愛していたのだ。

そうして、その愛は、ロマニという人になった男に渡された瞬間に、恋へと変わった。

彼は、シェムーに夢見てしまったのだ。

 

彼女ならば、彼女ならば、己という存在を選んでくれるのではないかと。

いつかのように、王でなくて、未来も過去も見えなくて、完璧でなくたって、情けなくたって。

こんな自分を、選んでくれるのではないかと。

だって、だって、そうじゃないか。ロマニは、己に誰かに好かれるような価値があるなんて思っていない。

ロマニの、ロマニの過去は、全て用意されたものだった。全てが、ロマニのものでなかった。

 

けれど、彼女だけは違ったのだ。彼女だけは、確かに、言葉のままにソロモンという王に全てを捧げたのだ。

何もかも、人生も、貞操も、妻であることも、戦士であることも、母であることも、命も、名も、全て、全て、捧げて、ソロモンという王への感情を示して見せたのだ。

確かに、確かに、その女は、ソロモンを愛していたのだ。

ソロモンに全てを捧げることに、女の愛は完結していたのだ。

そして、ソロモンもまた、シェムーを愛していたのだ。

シェムーという存在に未完成であること求め続けたソロモンの愛は、不変であることに完成していた。

 

けれど、けれど、ロマニは、ロマニ・アーキマンはその感情に絶望した。

ああ、だって、シェムーの愛したソロモンと、ロマニは違う。ロマニは、ソロモンにはなれない。彼女の愛した男は、どこにもいない。

愛されたと、恋してしまったと知りながら、それでもロマニの恋は成就しない。

彼女は、きっと、ロマニに愛してはくれない。

苦しい、苦しい、苦しい。

きっと、自分を見てくれるだけで幸福になれるのに。きっと、微笑んでくれるだけで叫びだしたいほど嬉しくなれるのに。きっと、触れ合っただけで溶けてしまいそうになれるのに。

彼女は、ロマニを見てはくれないだろう。

 

きっと、きっと、自分の方が。

 

狂ってしまいたい。それほどまでに、苦しい。吹き上がってくるような、焦りとも違う、激情。

君を想うだけ幸福で、君の思い出を捲るたびに心が安らいで、君の事を考えるだけで満たされる。

けれど、シェムーの世界にロマニはいない。

どうして、己は人になってしまったのだろうか。どうして、この感情を知ってしまったのだろうか。

知らなければ、幸福であったのだろうか。知らなければ、地獄の縁で落ちていくだけであったのに。

狂おしいほどの、慕情を抱えて、それでもロマニは地獄の中で、女の記憶を捲り続ける。

 

それでも、まだ、ましだと。

 

ロマニの思いは成就しないかもしれない。けれど、完結することはない。ロマニの愛した女は、もう、どこにもいないから。きっと、会うことだってないから。会ったとしても、自分が誰かなんて分からないだろうから。

だから、いい。完結しない、破れることのない恋は、さほど悪いものではないだろうと思って。

ソロモン王は、シェムーを愛していた。己のものとして、自分の庇護下にはない定める必要も無い者として愛していた。

苦しかった、それでも、よかった。その苦しみは、その恋は、ロマニだけが得たものだった。ロマニだけの恋だった。

ロマニ・アーキマンは、シェムーに恋してしまった。夢を、見てしまったのだ。もしも、もしも、互いに人として生きれたのなら、子をなし、老い、穏やかに死んで生ける様な、そんな淡い未来を夢見てしまったのだ。

 

 

 

 

(・・・どうして。)

 

そう思って、蓋をして、夢を見ることで心を慰め続けたというのに。

海の揺蕩う、オケアノス。

そこで、新緑の髪と瞳を持ったアーチャーのサーヴァントの隣りで、二人の男女が立っていた。

 

「・・・・・ダビデ王の御子息である、ソロモンの妃でありました。シェムーと申します。セイバーのサーヴァントとして顕界しました。」

「俺は、ライラーって、まあ、隣りの息子で、その隣の孫にあたるんだけど。まあ、お二人だけだとボケオンリーになりそうだから多少ね?クラスはライダー。まあ、よろしくな?」

 

女は、夜の様であった。

真っ黒な髪に、白銀の月のような瞳をしていた。真白な肌と相まって、夜がそのまま人になったような、ぞっとするほど美しい女であった。

その隣の男は、その女とよく似ていた。

たった一つ違うのは、男の右目。それは、まるで、満月をはめ込んだかのような、黄金色の瞳であった。

女の名は、シェムー。

そうして、男はライラー。夜を意味する、昔のロマニが与えた名だ。

 

(・・・どうして!)

 

会いたくなどなかった。それでも、彼女はまた、ロマニと出会おうとしていた。

 



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隼を助ける風を望んだ
風の贖罪



ニトクリスの話しになります、こちらはこれだけになります。


昔、ひどく、不思議な願いを抱いた男を彼女は知っていた。

普段は、静かで、日陰の中で遠い場所を見つめている様な男が珍しく饒舌になっていたせいか、その記憶だけが強烈なものになって残っている。

後にも先にも、その男がそこまで饒舌になったのは、その一度だけで。

死ぬ間際まで、男は、いつだって静かに微笑んでいたのを、ニトクリスは覚えている。

 

 

ニトクリスは、太陽が一番上にやってくる時間が、一日の中で何よりも苦手だった。

それに比べて、彼女の兄は、その時間が何よりも好きであった。

その理由は、その時間が二人の勉強の時間に当てられており、その師に当たる人がニトクリスは心の底から苦手だったのだ。

 

「・・・・・こんにちは、両方。」

「ああ、カマル、今日も頼むぞ。」

「はい、ニトクリス様も、どうぞ。」

 

そう言って、己を席へと促す男、カマルを見上げてニトクリスはそれに従った。

兄と彼女が席に座るのを確認すると、カマルはゆったりとした口調で話し始める。

「・・・はい、では、昨日の続きから話させていただきます。」

ニトクリスは、カマルの声に居心地が悪そうに体を揺すった。

彼女は、昔から、カマルの静かな、その賢しい瞳が苦手だった。

 

 

 

カマルという男は、元よりニトクリスにとって従兄に当たる存在だった。母親同士が姉妹である彼は、王宮でも評判になるほどの秀才であった。ニトクリスと、次期ファラオとなる彼女の兄の教育係に抜擢されたのも、血筋がはっきりしているだけでなく、その秀才ぶりのためでもあった。

ニトクリスとは十ほど年が離れた従兄が、会った時から苦手であった。

 

その、澄んだ賢い者特有の見透かすような目が苦手であった。事実、カマルは、ニトクリスの考えていること、といってもお腹が空いているとか遊びたいとなどの簡単なこと、を彼はあっさりと看破して見せた。

ニトクリスの兄は、表立ってはいなかったが、そんな従兄を尊敬し、信頼していた。そのためか、カマルを怖がるニトクリスを叱ることもあったため、余計に彼女は彼を苦手であった。

従兄と言っても、母親似のニトクリスと父親似のカマルでは、一目見ても血の繋がりは感じなかったろうが。

その似ていない彼の容姿が、ニトクリスの苦手意識を増させてもいた。

太陽のような黄金の髪に、青空のような瞳の彼は、太陽神に連なる王家の者に相応しいものだった。

それに比べて、ニトクリスの髪は、澄んだ菫色。まるで、夜に属するその髪が彼女はあまり好きではなかった。

 

けれど、確かに彼の教え方は上手く、師としては彼ほどの相応しい者はいなかったろう。

それでも、やはりニトクリスは彼のことが一等に苦手であった。

いつも、どこか人からは離れた場所で、柔らかな微笑みを浮かべている男が、ニトクリスはどうしても苦手だったのだ。

 

 

そんなニトクリスが、カマルのことが苦手であるという旨を兄弟に言うと、彼らは心の底から不思議そうに顔をされることが多々あった。

兄弟たちからすれば、声を荒げることも無く、丁寧に物事を教えてくれるカマルは他の教師よりも格段に人気のある師だった。

それに、その日のニトクリスは、むきになり兄弟たちと悉く喧嘩をした。拗ねてしまった彼女は兄弟たちに背を向けて、王宮を走り出してしまった。

 

 

その時、ニトクリスは怒っていた。例えるなら、ぷんすかとでも付いていそうな怒り方をしていた。まだ、ぎりぎり年齢は十にも満たしていない少女の怒り方は、本人が知れば怒りだすだろうが愛らしいことこの上なかった。

 

「・・・・兄上も、皆も、分かっていないのです。」

 

ニトクリスは、ぷんぷんとまろい頬に空気をため、ぷくりと怒っていた。

彼女からすれば、怒ることも無く、いつも笑っている彼が何かを企んでいるのでは疑っていたのだ。だというのに、そんなニトクリスの心配を、兄弟たちは杞憂というのだ。

これを怒らずにしてどうするのだろうか。

ニトクリスは誰にも見つからない様に、王宮の隅の日陰で膝を抱えていた。

そろそろ、日が沈みそうで、夕日の赤い光が新たに世界を包みかけていた。けれど、怒りの収まらないニトクリスは兄弟たちの元に帰る機会を逃してしまっていた。

そんな時、ニトクリスの真上から声がした。

 

「ニトクリス様?」

 

聞き覚えのあるその声に、恐る恐る上を見上げると、そこには一番に会いたくなかった男が立っていた。

 

「・・・・・兄君たちがお探しになられていましたよ?」

「あ・・・・・えっと・・・・・」

 

固まってしまった彼女を前に、カマルは困ったように微笑みを浮かべた。

カマルは未だ少年の域を出ないとはいえ、ニトクリスからすれば巨人のような体格差がある。カマルはそれを察したのか、ニトクリスの横に屈みこんだ。

 

「どうされたんですか?」

「関係ないです。」

 

つん、と顎を引いてカマルから顔を逸らした。カマルは、それに、苦笑する。

 

「皆さん、心配されておられましたよ。一緒に行きませんか?」

「いや!」

 

嫌いなカマルがやってきたためか、余計に意固地になったニトクリスはいやいやと首を振る。それにカマルは困ったように首を傾げて、どうしましょうかとニトクリスの隣に座った。

 

(・・・・どうして隣に座るんですか!)

 

ニトクリスはそう思いつつ、隣りに視線を向ける。

赤い夕陽の光が、カマルの金の髪に当たり、きらきらと、きらきらと、輝いていた。それが、あんまりにも綺麗で。まるで、太陽がそこにいるようで。

ニトクリスは自分の髪をくるりと指に巻き付けた。

美しい黄金の髪に比べれば、色も暗い。そんなニトクリスの心境を知ってか知らずか、カマルは彼女に微笑んだ。

 

「ニトクリス様の髪は、美しいですね。私は、その色が一等に好きなのですよ。」

 

その言葉は、ニトクリスの機嫌を何よりも損ねた。

ぎろりと、少女の涙の溜まった瞳に睨まれて、カマルはおろおろと困ったように顔をしかめた。

 

「なんですか!嫌味ですか!?」

「え、え?」

「確かに、あなたのような綺麗な色の髪ではないですか、そんなにも馬鹿にされる覚えなどないですよ!!」

 

立ち上がり、自分を見下げるニトクリスにカマルは驚いたような顔をする。怒り狂う彼女に、カマルは納得したように頷いて、苦笑交じりに立ち上がった。また自分との間に絶対的な身長差が生まれ、ニトクリスは怯えた様に肩を震わせた。

カマルは申し訳なさそうに背を屈めてニトクリスに手を指し延ばした。

不審そうにその手と顔を交互に見るニトクリスにカマルは言った。

 

「こちらへ来てください。」

 

それに、ニトクリスは恐る恐る手を伸ばした。カマルは、外にニトクリスを誘うと、日が暮れかけた空を指さした。

その方向を見ると、丁度、夕日の赤と夜の藍が混ざり合った境があった。

 

「ほら、あれですよ。ニトクリス様の色です。」

 

ニトクリスは、自分の髪によく似た黄昏を目にした。

カマルはそれを見つめるニトクリスの隣りに屈みこみ、柔らかな声で話し始めた。

 

「・・・・私はね、ニトクリス様。あの境の色が一等に好きなのです。太陽が眠る時間と、太陽が目覚める時間にしか見えない、あの色が、一等に好きなんです。」

 

カマルはそう言って、ニトクリスの髪を一房掬いあげた。

 

「ニトクリス様の髪と瞳は、本当に、一等美しいと思いますよ。」

 

微笑んで、細められた空色の瞳と、揺れた夕日に染まる黄金の髪、穏やかな微笑みを浮かべた美しい顔。

ただ、ただ、ニトクリスの瞳には、それだけが広がって。

美しい記憶として、彼女の中に刻み込まれた。

 

 

 

けれど、それからニトクリスがカマルに会うことは殆どなかった。

何故か、急に教育係を下ろされて、違う人間になってしまった。やってきた人間は、悪い人ではないようだったが、良い人でもなく、教師としてそこそこといったところだった。

ニトクリスと兄弟たちから離されたのも、カマル自体が優秀な研究者であり、医者としての研究に時間を取らせるためのものであるらしく、ニトクリスたちもさほど心配等もしていなかった。

ただ、確かに滅多に会えなくなってはいた。

ニトクリスにとっては、あの夕焼けの記憶と共に、そのまま遠い人として扱われていた。

いや、ニトクリスにとって幼いころの淡い思い出でしかなく、すっかり忘れそうにさえなっていたのだ。

あの日までは。

 

 

 

それは、突然だった。次代のファラオになるはずであったニトクリスの兄が死んだ。いや、死んだのではなく、殺された。

宴の席にて、兄の呷った杯に毒が混入されていたのだ。

宴に出ていたニトクリスもそれを見ていた。兄の手から滑り落ちた杯、零れて散らばった酒、崩れ落ちる兄の体。

全てを、覚えている。宴の騒然とした最中、まるで記憶は飛んでいて、気づいた時には私室に放り込まれていた。

それが、全ての始まりだった。

一人ずつ、一人ずつ、兄弟たちは減り、そうして、最後にニトクリスだけが残った。

 

兄弟たちの死は、病死や事故として処理された。

ニトクリスを、臣下である存在たちに祭り上げられた。

その頃には、彼女もすっかりと自分と兄弟たちがどのように扱われていたのかを理解していた。

 

憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!!!

 

赦すものか、赦してなるものか!

 

兄弟たちを殺しつくした全ての存在を、けして

赦すものか。絶対に、絶対に、いつか、殺してやる!

 

それが、彼女の生きる意味だった。それが、彼女の生きるよすがだった。

そうして、次代が決まるまでの中継ぎとして、彼女はファラオになった。殆ど権限などはない、名だけの、傀儡の王として。

そんな時、ニトクリスはカマルと再会した。己の結婚相手として。

王族が立て続けに死ぬという厄事に、ファラオの婚姻という祭事で民草の不安を和らげるため。そして、その子を次の傀儡とするための婚姻であった。

 

その相手にカマルという存在が選ばれたのは、王族の血を引いていることと、学者肌で在り下手な野心を持っていないという条件の下であった。それに加えて、ニトクリスが妙齢の少女という点を担って、見目麗しい男を与えて置けばいいという思惑もあったようだった。

 

 

「・・・・・お久しぶりです。」

 

婚姻の儀を終えた後、カマルは人気のなくなった寝室で恭しくニトクリスに礼をした。

 

「・・・・・ええ、そうですね。」

 

ニトクリスは、拒否することのできなかった己が夫を苦々しく見つめた。

 

「お前とは、兄上や弟たちの葬儀以来ですね。」

「ええ。ご兄弟をお助けできず、申し訳ありません。不幸なことに。」

 

平淡な声と共に、頭を下げたままの彼に、ニトクリスは吹き上がった怒りのままに、枕元の机に置かれた杯を投げつけた。

からんと、当たりはしなかったそれが床に転がる。

カマルは黙り込んだまま、頭を下げたままだった。

 

「どの口が、それを言うのですか!兄上たちが殺されたことなど、公然の事実でしょう!?」

 

ぜえぜえと、荒い息を吐きながらニトクリスは、自分の行動が悪手であると後悔する。もしも、この男が逆臣たちに自分の心境を話せば、復讐が難しくなってしまう。

焦るニトクリスの心境を察したのか、カマルはゆっくりと顔を上げて、彼女のいる寝台にゆっくりと近づいた。

ニトクリスは、今が婚姻の後であること、そして、自分たちが男女であるという事実、自分が圧倒的に弱い立場であることを思い出す。

かたり、と音がしてカマルが寝台の上に乗る。近づいてくるカマルに、ニトクリスは体を強張らせて、分かりやすいほどに顔を恐怖に染める。

けれど、予想していた衝撃などは来ず、カマルは何故かニトクリスの手をそっと握っていた。

カマルは、まるで跪くようにその手を両手で握った。

それが、なぜか、幼いころに、彼と黄昏を見つめていた時のことを思い出す。

 

「・・・・・・・ニトクリス様、憎いですか?」

「え?」

「あいつらが、憎いですか?」

 

静かな声は、ニトクリスだけに聞こえる様なささやかな声だった。ニトクリスは恐る恐る、その瞳を見上げた。

空色の瞳は、凪いだように静かであったが、その根底に残る怒りが、ニトクリスには理解できた。

ニトクリスは、それに、頷いてしまった。頷いて、それをカマルだけが聞き届けた。カマルはそれに、頷いた。

 

そして、ニトクリスの甲に額を押し付けて、願うように言葉を紡いだ。

 

「ニトクリス様、美しき女王よ、若きファラオよ。この身を全てあなたに捧げ、その復讐のための手足となりましょう。彼らの苦痛を、彼らの悲鳴を、彼らの懇願を、彼らの絶望を、あなたに捧げると誓いましょう。」

 

ニトクリスは、茫然とその言葉を聞いていた。そして、ゆっくりと顔を上げた彼は、真っ直ぐな瞳でニトクリスを貫いた。

 

「あなたは、ただ、一言だけでいい。赦すと、そう、言ってください。」

 

それは懇願だった、それは願いだった、それは悲鳴だった、それは、流すことの叶わなかった涙だった。

 

分かってしまったから。

 

きっと、きっと、この男は、ニトクリスの兄弟たちが死ぬ度に枯れんばかりに涙を流し続けていたのだろうと、そう、ほんの一瞬でも思ってしまったのだ。

だから、ニトクリスは、頷いてしまったのだ。その時、その通りに、ただ、その懇願を。

 

 

 

カマルは、また、表向きは夫として、裏ではニトクリスの共犯で在り、教師として振る舞った。

ニトクリスが復讐を終えた後に、良き王になれる様にと、カマルは寝台に身を寄せて二人っきりで授業をした。

ニトクリスは、カマルが己に協力しようと、夫になろうと、そして閨を共にしようとも、男を信頼しきれていなかった。

いや、ニトクリスにとって、王宮の全てが信用できることではなかった。

一人だった、誰も助けてはくれなかった、その末に、ニトクリスの愛した人たちは死んでしまった。

それでも、ニトクリスは、その時間が一等に好きであった。その瞬間だけは、ニトクリスは安心して、昔のように、兄の背に隠れていてもよかった日々を思い出させてくれたから。

 

ニトクリスは、その男をどうすればいいのか分からなかった。

信頼してもいないのに、それでも、男しか寄る辺が無く、ずるずると続いたそれは、男の一方的な献身により、成り立っていた。

一度として、夫として扱うことも無く、そこには主従関係があるだけだった。

 

カマルは彼女の足りない部分を補い、二人で復讐者として、そして、ニトクリスの兄弟たちを殺したのが誰かを知るために、二人で王宮の中を駆け巡った。

下手に出、情報を集めた。

時には、ニトクリスの怒りが爆発しそうになっても、カマルが必死に抑え込み、なだめすかし、受け止めた。

ニトクリスには分かっていた。その男がいるからこそ、この歪な日々が成り立っているのだと。

 

ニトクリスは、カマルのことを信用は出来ずとも、心を傾けてしまっていた。

唯一自分の味方であり、幼いころの淡い思い出は、ニトクリスの狂おしいまでの渇望を刺激した。

きっと、目の前の男は、そんな思い出なんて忘れてしまっているだろうが。

それでも、その弱さを押し出すことは出来なかった。

彼女は、己がファラオであるのだという強烈な矜持を持っていたせいだった。

ある時、ニトクリスは、閨の中で、問うたことがあった。

 

なぜ、己に味方するのか。

 

「・・・・・それは、どういう意味でしょうか?」

「恍けなくでください。私にもわかっています。私に加勢したとして、旨味など少しもないと。あやつらに加勢していたほうが、ずっとおいしい思いは出来るでしょうに。なぜ、私に味方するのですか?」

 

カマルは、少しの間黙り込んだ後に、掠れた声で呟いた。

 

「御髪に触れても?」

 

掠れた男の声が、思った以上に近い場所から聞こえて、自分が男と寝台に横たわっているのだと実感する。

けれど、ここで嫌がる素振りをするのは、どこか優位ではない自分の立場が揺らぐ気がした。精一杯の虚勢を込めて、赦します、と告げた。

男は、それに、ニトクリスの髪をゆっくりと梳いた。

するりするりと、髪だけでなく、自分の体の線までなぞられている様で、ニトクリスはぞくりと背筋を震わせた。

 

「・・・・・あなたの兄君は、とても賢い御子でした。」

 

それを口切に、カマルはニトクリスの兄弟たちの思い出話を、一人、一人、丁寧に語っていく。

ニトクリスも知らない思い出話があり、彼女は思わず聞き入った。

珍しく饒舌な男を不思議に思いながら、ニトクリスは髪を梳くその手も心地が良く、いつの間にか眠りの縁をうつらうつらと迷い込む。

それに気づいたらしいカマルは、少しの間くすくすと笑いながら、ニトクリスの最後の意識にそろりと言葉を放り込んだ。

 

「・・・・ニトクリス様、私はね、仕えるのだと願った方々を殺した者たちが憎いのです。ですが、それ以上に私は、風になりたかったのです。あなたの兄君の風に、そして、あなたの風になりたかったのです。」

 

その言葉の意味を、ニトクリスは理解しなかった。よく、分からなかった。

ただ、ひどく、意味のある言葉に聞こえた。

 

 

そのまま、二人は共犯者として、夫婦として過ごし、とうとう復讐すべき人間たちが誰なのかを知ることが出来た。

復讐に対して、二人は、決めていたことがあった。

下手に逃すことなどあってはならないと、相手等は一網打尽にすることだった。

そのため、方法を決めている時に、まずいことが起こった。

それは、逆臣たちの数人が、カマルに対して脅しをかけてきたのだ。

復讐のことを表ざたにしたくなければ、ニトクリスの身を差し出す様にと囁いて来たのだ。

 

カマルは、それをニトクリスに告げることなく、一人で処理することを決めた。

短い間であったが、ニトクリスには必要なことを教えて尽くしていた。

ならば、己の身にどんなことがあっても安心であったためだ。

脅してきた逆臣たちを宴に誘い、彼らの飲む酒に毒を仕込んだ。逆臣たちはもちろん、暗殺を畏れ、カマルにその酒を飲む様に言った。

カマルは、それを、微笑んで飲み干した。

そして、堂々と言った。

 

「どうぞ、この美酒を味わいください。」

 

安心しきった逆臣たちは、その酒を飲みほした。そして、血を吐き出して絶命した。

その酒を飲んだカマルも同じように。

 

何も知らなかったニトクリスの茫然とした様子に、生き残った逆臣たちは、彼女が無関係と勘違いし、さらに復讐が容易い事態へと至った。

 

 

茫然とするニトクリスに、一人の奴隷が、カマルからの伝言を持って現れた。

そこには、カマルの持っていた逆臣たちの情報と、そして、少なくない贖罪について記されていた。

曰く、カマルの作りだしてしまった毒が、ニトクリスの兄弟たちの暗殺に使われたこと、それを後から知ったが共犯として扱われていたこと、その立場を使い情報を集めていたこと。そして、それを黙っていたこと。

 

おそらく、これを先に話してしまえば、あなたは私を信用せず、復讐を遂げるのは難しくなる。そのために、どうしても言い出せませんでした。

いえ、違います。私は、それを告げ、あなたに嫌われることが一等に恐ろしかったのです。もうしわけ、ございません。

貴方との日々は、まさしく、蜜のように甘く、そして、地獄のような日々でした。

幸福でした、どうしようもなく、私は、幸福になってはいけないのに。

仕えるのだと、願っていたあの子を殺されたとき、私は何を以てもあいつらを殺すのだと誓いました。

幸福になってはいけないと、そう分かっていながら、どうしようもなく、幸福だったのです。

あなたは、私を信じてはくれませんでした。けれど、閨を共にする、あの時の熱だけが、あなたの微笑みが、私にとっての絶対なる褒美であったのです。

私は、黄泉の国で罰を受けることでしょう。それでも、これだけは信じてください。

夜明けの髪と瞳の姫よ、ファラオよ、あなたをお慕いしておりました。どうか、私のいない後も、どうか幸福で。

 

 

それには、数多の罪悪と、そして、ニトクリスへの微かな慕情。

ニトクリスは、それを知った後、自分がどんな顔をしていたのか、分からなかった。

それを裏切りとすればいいのか、それを赦せばいいのか、わからなかった。

ただ、最後の、夜明けの髪と瞳に、男がニトクリスを覚えていたのだと理解した。

ニトクリスは、彼女らしく、泣きわめかなかった。

ただ、静かに、静かに、涙を流した。

 

カマル、カマル、カマル、幾度も、その名を呼んだ。

そうすれば、己に甘い男が、どこからか、ひょっこりと顔を出すのではと思えて。

 

お前は、いったいどんな思いで私の側に居たのですか?

きっと、きっと、死んでしまいたかったのでしょう。だって、そんなにも慕っていたニトクリスの兄弟たちを、いつか仕えるのだと願っていた神を、彼は間接的に殺してしまったのだ。

それは、どんな地獄であったのだろうか、それは、どんな罪悪の日々であっただろうか。

 

(カマル・・・・・)

 

愚かな私の共犯者よ。

私は、お前を信頼していなかった、信じ切ることは出来なかった。けれど、そんな私の隣りで、お前は地獄を生きていたのですね。

私との日々を幸福と言いながら、その幸福に多大な罪悪を抱いていたのですね。

愚かな人、馬鹿な人、それを、その真実を告げられたとして、どうして、お前を憎むことが出来たのでしょうか。

だって、私には、お前しかいなかったのに。だって、お前だけが、共に怒りを共有してくれたのに。

カマル、カマル、お前は確かに私たち王族に、忠誠を見せたのですね。

その死を持って、お前は、あなたは、私に忠誠を、示したのですね。

いいでしょう、いいでしょう。

 

ニトクリスは、薄く、泣き笑いのような表情を浮かべた。

 

いいでしょう、カマル。お前を、私の夫として認めましょう。私へのその感情を赦しましょう。

一方的で、身勝手な、私を愛した、無口な人よ。

 

 

そして、ニトクリスは、毒を飲んで死んだ。それでよかった、それしかなかった。逆臣たちは皆死にはしても、その状態から王権を立て直すことも難しいだろう。それなら、ニトクリスがいない方が、まだ立て直しが出来るだろうと。

自分は、永遠の国に行けないだろう。けれど、もしかしたら、あの、身勝手な男と同じところにいけはしないかと、一瞬でも思ってしまった。

叶うなら、一緒に死にたかった。

 

 

 

 

 

 

 

カマルは、毒の入った酒の注がれた杯を見る。

それに、彼は笑う。

だって、これは、カマルの忠誠の証だった。だって、これは、カマルのニトクリスへの献身の証だった。

 

カマルの人生とは、ファラオに仕えることが前提に置かれたものだった。

だから、己を磨いた、だから、己を叩き上げた。

次期、ファラオになる人の教育係に馴れたことがどれだけ誇らしかったろう。

医療の研究に精をだすために、それを外された問いも、いつか、彼らの役に立つならばという思いの為だった。

 

そうして、カマルの仕えるはずだった人たちは死んでしまった。殺された。

だから、カマルは、たった一人残ったニトクリスへの献身をよすがに生きた。

遠い昔、自分を美しいというように見つめた、彼にとって一等に美しかった夜明けの髪と、瞳を持つお姫様。

 

カマルにとって、何歳も離れた彼女は、高嶺の花であり、そして何もかもを詰め込んだ崇高な少女だった。

望んでもいなかったのに、彼女の夫になってしまった時、嬉しくないと言えば嘘になる。

 

だって、だって、その美しい少女の隣りに立つなんて、夢のまた夢だったのに。

だから、きっと、それだけが、自分への褒美だった、自分への唯一の光だった。

太陽のなくなった世界でなんて生きていけない。

だから、その少女が、唯一残った、太陽だった。

毒の入った杯を、カマルは微笑んで飲み干した。

 

焼けつくような痛みと苦しさ、せり上がって来る鉄臭いそれを、彼は気力だけで耐えて、そして逆臣たちを罠に嵌めた。

倒れ込み、途絶えていく意識の中で、彼にとって太陽が、民草を照らす光になる未来を思う。

叶うなら、一緒に生きていたかった。

 



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天使になった鬼は聖者へ笑った
宿痾を否定した人でなし



天草四郎と人でなしの話になります。
この話はこれだけになります。


 

 

きっと、生まれてこない方が、よかったのだと思う。

他にとって、己とは存在するだけで厭うべきものであったのだろう。

疎まれ、嫌われ、忌々しがられ、彼女の人生とは、流浪の果てにあった。

それでも、なお、彼女は己の生を後悔したことはなかった。

 

 

 

幼い、けれど、もうすぐ大人として扱われてもおかしくない程度の少女がいた。

田んぼが広がるなかにあるあぜ道をとことこと進んでいく。

それだけならば、どこにでもいるごく普通の幼子であっただろう。少女が人目を引いたのは、その容姿と、そうしてその様相のためであった。

まず、目につくのは、その腰まで伸びた長く、そうして金とも銀とも見まごうような髪の毛だった。それは乱雑に束ねられ、ほっかむりの中に押し込められていてもなお、光を溢す様にキラキラと光っていた。

少女は、泥や埃に塗れていたが、それをとっても白磁のような肌を持ったその身は、人形が如く美しかった。

被り物のために顔に差した影の中から覗くその瞳は、例えるならば花のように、宝石のように、いっそのこと、血のように赤く染まっていた。

それと同時に、目を引いたのは、少女の背にある大人一人分ほどもある荷のせいだ。けれど、彼女は潰れることも無く、淡々と道を進んでいく。

そうして、彼女は、一つの屋敷に入っていく。少女は、その裏手に回り、丁度台所へと上がった。

 

「・・・・運んできました。」

「ああ、ご苦労さん。」

 

それに対応した彼女に取って上に当たる老いた女は素っ気なくそう言い捨てた。それを彼女は気にしない。

女の態度は素っ気ないが、それでも理不尽なことをされたことはない。それだけで少女にとっては十分なのだ。

 

「四郎さまを呼んできて頂戴。」

「はい、分かりました。」

 

淡々とした素っ気ない会話のやり取りの後に彼女はその場を後にした。

 

 

(・・・・たぶん、あの場所だろう。)

 

少女は早々と当たりを付けると迷いのない足取りである場所に向かう。その間、彼女とすれ違う人間たちは、嫌なものを見るものとまるで拝む様な仕草をするものの二つに分かれる。けれど、彼女はそんなことを気にしない。微塵も興味を持たない。

着いた先は、とある浜辺だ。

ざーざーと波の音と、遠くで鳥の鳴き声がする。そうして、浜辺には幾人かの幼子と、それと戯れる少年が一人。

少女は、自分の頭を包んでいたほっかむりと取る。そうすれば、ばさりと輝くような星屑のような髪が潮の満ちた風にそよぐ。

それがまるで合図の様に少女の存在に少年は気づいた。それと同時に青い空に、真白の鳥が舞い上がった。

 

「白!」

 

黒い、少女とは真反対の髪をした少年が彼女に向けて手を振った。

青い空と、青い海を背景に真っ黒な長い髪をはためかせて少年は笑う。

少女は、ハクとその名の通り名付けられた彼女は目を細めた。

 

 

 

「・・・・また、つまらん手品か。」

 

台詞の通りつまらなそうな声だった。それに少年、天草四郎時貞は困ったような顔をする。

 

「あの子たちが死んでしまったと泣くものでね。」

「・・・・例えそうでも、鳥が死んだことには変わらんだろう。お前は何かが死んだと童どもが嘆くたびにそうやって手品で誤魔化すのか?」

 

厳しい言葉であった。四郎はそれに恥じ入る様に目を伏せた。白は、それを横目に見て、何かしら思うことをあったのかため息を吐く。

 

「まあ、それでも童どもが煩いよりもましだろう。辛いことの多い今だ。不用意な事で泣いて腹を空かせるよりはいいだろうさ。」

「・・・・ありがとう。」

「それよりも飯だ、飯。食事時は大分過ぎているんだ。」

「ああ、そうだね、すぐに帰ろう。父上にどやされる!」

 

その言葉と共に、四郎はくすくすと笑って白の前を駆けていく。白はそれを見つめながら、無言で後ろを振り返り海に視線を向けた。

晴れ渡った空の中、雲に紛れる様に飛んでいた白いそれがぽとりと落ちていく様が見えた。

 

 

 

 

 

白と呼ばれるその少女の記憶には両親といえる存在はない。

それもそのはず、少女は物心ついたころにはすでに人買いに連れられていたためだ。

 

子が生まれるには親が必要で、その親であるらしいものに自分が売られたことは早々と察せられた。

白は、自分が只人とは何となく違うことは分かっていた。けれど、それはその白銀の絹が如き髪や赤い瞳を持っていたからだというわけではない。

 

容姿だけではない、どこか、自分が他とは違うものであるのだと白は何となしに察していた。それは、家畜の中に獣が放り込まれている様な、そんな違和感。

 

けれど、そんなものを持っているからと言ってどうにかなるわけでもない。

白は所詮は人買いの売り物だ。離れる自由などない。

それでも、自分と同じ商品も、そうして人買い本人も又白が自分たちとは違う生きものであると本能か何かで察して彼女を疎んだ。

食料も、世話も必要最低限、いや以下かもしれない。けれど、白は死ぬことも無ければ、病気一つもしなかった。

 

だからといって、白は何も思わなかった。

 

恨むだとか、憎むだとか、怒るだとか、そんな思考に至れるほどに精神が成熟していなかったこともあるし、なによりも何故か心の底からどうでもよかったのだ。

自分が酷い生活をしているということは行く先々を見れば分かることであっても、不思議とそんなことはどうでもよかった。

獣の鳴き声をうるさわしく思ったとして、それを本当に気にするものはどれほどいるのか。白にとっては、所詮そんなものであった。

 

白は、いつごろ買われたのか覚えていないが、人買いの売り物の中で一番に売れ残りであった。

いくら美しい見目をしていたも、その奇怪な在り方、いや空気といえるものを前にすると誰もが彼女を買うことを避けた。それでもわざわざ金を出した商品を殺すわけにいかない。

本音を言えば殺したかったのだろう。けれど、誰もが彼女に手を出すことを嫌がった。

 

そんなことをすれば、どうなるか。

誰もが怖かったのだ。

彼女の化けの皮を剥がすことが。

いっそのこと、逃げ出してほしいとも思われていた。けれど、白は、当時名前のなかったそれはそんなことを考えたことも無かった。

最初から与えられたことがないのなら、そんな風にしか生きられなかったのだ。

少女はそのまま人買いの商品の世話をして過ごしていた。

 

誰とも交わらず、ただ、ただ、独りで。

 

誰とも、共に生きられもせずに。

 

 

そんなある日、人買いが死んだ。彼の部下も、そうして商品たちも、悉く死んだ。

その理由も簡素な話。

歩いていた道が土砂崩れにあったためだった。

それでも、少女は生き残ってしまった。

 

重たい土をなんなくかき分け、顔を出した先で自分だけが生き残っていた。もちろん、土をかき分け人買いや商品たちを掘り起こしはしたものの全て悉く死んでいた。

それを見て、ぼんやりと食おうかと考える。

けれど、彼女の知る限り、獣と違って人は食うものでないことを思い出し、その思考を取りやめた。

 

(・・・どうしようか。)

 

はてりと彼女は首を傾げた。なんといっても、誰にも命じられることなく行動すること自体がなかったのだ。

それ故に、白は歩くことにした。

人買いが生きていたころも、ただ歩いていた。もちろん、それは商品の買い手を探してのことだったのだが。

それでも、白はともかく休息以外は歩くことが当たり前だったのだ。ならば、と。

 

彼女は歩く。ただ、ただ、歩く。

 

彼女はただ、ただ、歩いた。

 

眠くなれば眠り、腹が減れば適当な獣を狩り、ただ歩いた。

そうして、森や山を抜けて辿り着いたのはとある村であった。

特別なところなどない、そんな村だ。

少女はそんな村の中を、淡々と歩く。

四方八方から何かが自分を見ていることに気づく。けれど、少女はそんなことを気にはしない。興味がないし、その視線の持ち主が彼女を傷つけることなどできはしないのだから。

田んぼの間のあぜ道を、淡々と歩く。

 

(・・・後ろ。)

 

おそらく警戒したらしい村人たちが自分を付けているのだろう。だからといって、何かをする気はなかった。

面倒だ。ひたすらに、それだけ。面倒なだけだった。

自分は何かをする意思もない。ならば、無視をすることにした。

淡々と、淡々と、歩く。

その時だ。

頭に衝撃が走る。

がん、という音共にその衝撃のままに少女は倒れ込む。

痛みはあっても思考ははっきりとしており、特別なことなどない。けれど、倒れた彼女に村人たちは警戒しながらも近寄って来た。

 

「おい、なんだこれ。」

「山から降りて来たのか?」

「バケモノじゃないのか?」

「始末した方が・・・・」

 

聞こえて来る声に、ああ、うるさわしいと少女は気だるい思考の中で考える。

そうして、唐突に自分が今日、何も食べていないことに気づいた。

 

(ちょうどいい、食うか。)

 

それぐらいのことはできる。

 

何よりも。

 

(嫌な目だ。)

 

幾度も、幾度も、向けられた目だ。馴染みに馴染んだ目だ。それ以外を知らぬ目だ。

その眼に込められた感情を、知らぬとも。

それでも、嫌なものだと理解できた。

煩わしい、面倒だ。

そんな眼をするぐらいならば、関わってこなければいいだろう。遠ざければいいだろう。

逃げればいいだろう。

 

(・・・・・・そうだ、こいつらに何をそんなに気を遣うことも無いはずだ。)

 

ああ、だって、少女のことを少なくとも村人たちは同胞だと思っていないのだから。

獣を食らうことに躊躇がないように。

共食いでないのなら、それでいいだろう。

バケモノが、人を食らう。ああ、それに何の間違いがあるものか。

起き上がろうとした、その時。

 

「みんな、そんなこと止めるんだ。」

 

柔らかな声音であった。

 

「四郎さまだ。」

「四郎さま・・・」

 

シロウ?

 

(誰だろうか?)

 

村の権力者だろうか。それにしては、先ほどの声はあまりにも若すぎる。

どうしたものかと倒れ込んだまま考えていると、視界に誰かの手が映る。

 

(・・・白い手。)

 

白くて、小さくて、傷だってあまりない。それは、恵まれた者の手だ。自分とは違う、恵まれた、満たされている者の手だ。

手を差し出しても反応のないことに、それは何を思ったのか少女の肩を持ち上げた。体を起こした視線の先には、一人の、きっと少女とそう変わらない歳の少年がいた。

彼女が知る限り、きっと一番に上等な衣服を身につけ、際立った雰囲気を纏い、そうして優し気な表情を浮かべていた。

そうして、その眼。

 

「君、名前は?」

 

戸惑ってしまったのだ、困惑したのだ、分からなかったのだ、固まってしまったのだ。

その眼は、その眼は、少女にとってどう表現すればいいのか分からなかったけれど、強いて、言うのならば、あんまりにも人間過ぎたのだ。

自分の姿は、お世辞にも良いものではない。

 

髪は土砂崩れのせいで泥だらけで、獣を狩った折の血まで飛び散って、水浴びもしていないのだから臭いもひどい。

そうして、人から恐れられる、悍ましい容姿。

 

そんなものを瞳に移しても、少年はまるで親しい隣人へ向ける様に何の戸惑いも無かった。

自分にただの一度も向けられたことのない、他者とのやり取りで知った、人に向ける目。

それを、少年は少女に向けた。

 

「・・・・大丈夫かい?」

「・・・・すいません、名は、ないです。」

 

再度、問いかけられたそれに少女は今までの積み重ねで起こった返事をした。

それに、少年は少しだけ動揺のようなものが浮かんだ。けれど、すぐに顔をほころばせて、少女に問いかけた。

 

「そうか。分かったよ。いく場所はあるかい?」

「・・・ない、です。」

 

少女の言葉に、少年はまたそうかいと頷いた。

そうして、何の気なしに、本当に当たり前のように少女の手を指し延ばしたのだ。

その意味が分からずに少女はその白く、柔らかな手を見つめた。

 

(・・・手を、差し出す。)

 

その行為の意味は、何だっただろうか。

何かを求められている?何かを差し出さなくてはいけない?いや、自分が知らないもっと別の意味が。

そこまで考えて、自分のがさがさとした汚い手に、温かくて柔らかな感触がした。

 

「行く場所がないのなら、家においで。」

 

そう言って、当たり前のように少年は少女の手を取り、そうして引き上げた。

同じ目線で少年は、少女に何の忌避感もなくただただ微笑んだ。

引かれるままに歩み出した、少女は自分がこれからどうなるのか全く分からなかった。

けれど、けれど、ただ、漠然とその獣は思ったのだ。

ああ、その手が、どれだけの奇跡であるのかを。

 

(・・・・あの眼。)

 

重い目だ。重くて、遠くて、知らない、目だ。

望んでいたかといえば、欲していたかといえば、全く違う。それは、あんまりにも獣のように、人として扱われなかった彼女には、身の程の知らずなものだったから。

ただ、一つだけ確かな事がある。

きっと、きっと、自分は忘れることはないだろう。あの笑みを、そうしてこの手を。忘れることなんてないのだと。

 

その日、バケモノは白と名付けられ、そうして偽りだらけの人として生きるようになった。

 

 

 

 

 

 

天使とはこんな容姿にをしているのだろうと天草四郎は彼女と出会った時からずっと思っていた。

きらきらと光る白銀の髪、澄んだ赤の瞳。雪のように白い肌。美しい面立ち。

遠い昔に見た、天使の様に美しい少女だった。

それは、泥に、血に、垢にまみれようとまったく濁ることのない美しさだった。

四郎は、隣りを歩く少女を見る。

 

「どうかしたか?」

「ううん、何でもないよ。」

「何かあるなら、すぐに言え。」

 

愛想のカケラだってない返事だ。それでも、もう数年の付き合いになる四郎にとってはもう慣れたものだ。

最初、四郎の父は彼女を家に置くことに頷いてはくれなかった。

けれど、頑なに譲ろうとしない四郎と、そうして白の働きぶりに渋々とはいえ頷いてくれた。

 

白は、よく働いた。それこそ、大人数人分の仕事をこなして見せた。それこそ、普通よりもずっと少ない食事量でもくるくるとよく動いた。

その仕事ぶりに、村人たちは物の怪だと化け物だと噂をしていたものの現状がそれを赦さなかった。

村は貧しかった。年貢の取り立ては厳しく、食事もままならない中そこまで働く白は重宝された。

 

(・・・いや、違うか。そこまで忌避されながら受けいれられている今が異常なのか。)

 

四郎は、ちらりと隣を歩く少女を見る。

雪のように、美しい人だと思う。

天草四郎は、人生で初めて容貌に見とれてしまった。

最初はなんとも薄汚いと、悪いが思ってしまった。

けれど、汚れをすすぎ落した彼女は、四郎の知る誰よりも美しい人だった。

そうして、彼女は、四郎の知る中で一等に、清らな人であった。

 

村の人間は、白を気味が悪いという。

 

どんなことを言われようと、どんなに無視しようと、まるで平然としている。

彼女が怒るところも、悲しむところも、苦しむところだって。

まるでそんなこと存在しない様に、彼女は淡々としている。自分を厭う村人たちのために汗水たらして働いている。

嫌ではないのかと問うても、異質なものを嫌うのは仕方がないと怒ることも無い。

それは無関心さであった。けれど、それは同時に無欲さであった。

彼女のそれは確かに無関心であった、けれど、同時に何も求めないという無欲さでもあった。

諦めているのかもしれない。

彼女の経験したことを聞くうえで、人に諦めを抱いているのかもしれない。

けれど、気づいたのだ。

 

彼女が、時折浮かべる、自分を見る時の瞳を。

 

まるで、雪の間から芽を出す花のような。そんな、凍える様な無欲さから顔を見せる、四郎への情。

 

きっと、見えていないのだと思っているのだろう、自分を遠目に見る時に浮かべた綻ぶような微かな笑み。

それが、なんだかひどく美しかったのだ。本当に、綺麗だった。

微かな、誰にだって無関心なようで、無欲なようで、けれど時折浮かぶ慈愛。

腹をすかせたものへ食事を与え、泣く子どもに差し出す手、病気のものを看病し、見返りを求めぬ彼女は遠い昔に絵で見た、天使の様だった。

何も求めず、けれど、何かを与え続ける真白の人。

人を憎んでいるのではないのだと思う、人を諦めているのではないと思う。

だって、本当にそうならば、関わらなければいい。言われたことだけをしていればいい。

けれど、彼女は与え続ける。けれど、彼女は時折美しいものを愛でる様に目を細める。

自分を見つけた、その瞬間、ふと綻ぶ笑みは確かに彼女が人を愛している証拠であるのだと思うのだ。

 

「白。」

 

名前を呼んだ。そうすると、彼女は気だるそうにゆっくりと返事をする。

 

「はい、なんでしょうか。」

「何か、足りないものはあったりする?」

「・・・・突然、どうしたんだ?」

 

不躾なそれ。

それだって、四郎が望んでのことだった。

天草四郎は、あんまりにも村の中では特別過ぎた。

奇跡の種である魔術使いであることもそれに拍車を加えた。貧しく、苦しい生活の中で、人々は四郎に救いを求めた。

 

苦しみの先に、縋りつける何かを求めて。

 

けれど、白は、彼女だけは四郎に救いを求めなかった。

四郎に掬われ、けれど、不思議と四郎への好意は察せられても祈りも、救いも求めることはなかった。

分かった。だって、その眼はあんまりにも普通であったから。ただ、眺めているだけの眼。

ただ、そこにあるだけの眼。

 

一度だけ、戯言の様に彼女に天使の様だと言ったことがあった。

 

彼女は不思議そうに、天使とは何かを問うてきたことがあった。

 

「・・・神の使いだよ。」

 

元より基礎知識のない白に説明するにはその程度の簡素さの方がよかった。

 

「天使・・・」

 

滅多に喋らない彼女は、その言葉を口の中で転がす様に呟いた。

感情を伺わせない彼女は人形のように美しかったが、そう呟く白は生けるもの特有の美しさがあった。

四郎の言葉通り、白は神のみ使いのように美しかった。

 

「・・・・可笑しな事いうなあ。」

 

少女は笑う、愛らしく、笑っていた

それを、彼は無欲さであり、無垢さであるとそう思っていた。

 

「いや、何でもないんだ。」

 

四郎は微笑む。

苦しくて、人が死んで、悲しいことばかりで。それでもなお、そんな風に積み重なった日々が愛おしかった。

 

 

 

(・・・・・地獄ってのは、こんなもんなのかね。)

 

混沌、その一言が似合う原城にて白は気だるそうに息を吐いた。

といっても、そんな言葉で済まされるような状況ではない。兵糧攻めに遭い、今は総攻撃を受けている現状はまさに地獄に等しかった。飢えや病に倒れた者を足蹴にして逃げるもの、等々命尽き腐った人であったもの、殺せ殺せと幕府の人間を睨むもの。

 

(そろそろ、落ちるな、この城。)

 

白はそう当たりを付け、喧噪の中を歩き出した。

 

元より、無理な戦いであったのだ。

島原の民は、疲れ切っていた。払えるはずのない年貢、そのために行われる責め。それが爆発し、暴動に至るのは簡単であった。

天草四郎がその暴動の先頭に立ったのは、簡単に言えば分かりやすい救いの象徴であったからだろう。人の身に余る奇跡を行えるように見える青年を、民は求めたのだ。

 

天草四郎は、優しすぎたのだ。

 

人々は限界であるのも、武士たちの傲慢が過ぎたのも、全て理解していた。

そうして、農民と武士とではあまりにも資源の量といえるものが違い過ぎたのだ

四郎はそれを理解していたのだ。勝てたとしても、勝ち続けることは出来ず。権力の揺らぎを赦さぬ彼らが自分たちの要求を呑むとは思えなかった。

けれど、勝ってしまった。

それ程までに無辜の民たちの怒りは深く、武士たちの傲慢は過ぎたものであった。

 

白は、地獄のような原城の中をまるで散歩するような仕草で歩く。

そこら中に死体がある。先ほどの砲弾が直撃したのだろうなあと白は思う。

それに対して、彼女は特別な思い入れはない。

 

死体を踏んだ、骨が折れる様な音がした。けれど、彼女はそれに興味を持たない。

元より、彼女自体が酷い姿だ。

先ほどまで前線で暴れていたせいで、泥と血に汚れている。背中には、自分たちの憎いであろう存在の象徴である身の丈ほどもある刀が下げられている。

 

戦いが始まってすぐに白は参戦することを決めた。元より、人手は必要であった。食事をあまり必要とせず、尚且つ常識外の体力を持つ彼女は戦力としてうってつけだった。

出来がいいらしい刀を貰い、彼女は戦場に出た。

 

白は、自覚の通り人殺しの才があった。

彼女が刀を振るえば、簡単に人が死んだ。彼女の一振りで、簡単に地獄が出来あがる。

それを、彼女は何とも思っていなかった。

無辜の民たちの感嘆でも、熱狂も、恐怖にだって興味はなかった。

けれど、血に濡れた自分を見る天草四郎の瞳には奇妙な罪悪感があった。それにだけは、無視が出来なかった。

 

(・・・・それもようやく終わる。)

 

向かい側から走って来る血相を変えた彼に白は微かに、本当に微かな笑みを浮かべた。

 

 

「白!」

 

駆け寄って来た四郎に白は淡々と対応する。

 

「状況は!?」

「・・・・砲撃が開始されて前線は壊滅だ。海の方も船で狙い撃ちになってる。まあ、逃げるのは難しいな。」

 

それに四郎はぐっと目を閉じ、そうして見開いた。

 

「俺が出る。」

「出さんぞ。」

 

覚悟を決めた言葉に、白はばっさりと切り返した。

 

「お前は徳川の方に顔を出さずに逃げろ。」

「何を言ってるんだ!?」

「前線に出てた私と違って、お前さんは顔は割れていない。農民たちに売られる可能性もあるが。今のうちに海へ逃げろ。もう、この国には帰って来るな。」

「そんなこと出来るはずがないだろう!?こうなったのは私の・・・」

「違う、これはお前じゃなくて、この城に残っていた人間たちの決断の結果だ。」

 

それに四郎は、傷ついた顔をする。心底、己の罪を見つめた様な顔をする。

 

それに、白は何故だろうなあと思う。

元より無理な事だった

 

一つの国と、ただの農民たちの集まり。勝敗は決まり切ったものだった。

それでも、立ち上がってしまった、坂を転がるように何もかもが回り続ける。

死が辺りにはびこっていた。けれど、仕方がない。

窮鼠猫を噛むなんて、無理な事は分かっていた。弱者は強者に逆らってはならない。それは、少なくとも今の絶対的なルールであるはずなのに自分たちはそれを破った。

 

ならば、それ相応に帰って来るものがある。

この恐怖こそが、一人の少年に救いを押し付けた狂騒の罰なのだ。

 

白は城に溢れる恐怖にそんなことを呆れたように思った。そこで、四郎は叫んだ。

 

「それでも!」

 

彼らに、奇跡を信じさせたのは私だ!

 

叩きつけるような絶叫が、辺りに響いた。白は黙り込んでその言葉に耳を傾けた。

 

「私が、奇跡なんて信じさせなければ。勝つなんて、幻想を見せなければ。弱者が強者に勝てるなんて、夢を見せなければ。それでも、私は、勝ってしまった。」

 

ただ、戦う意思だけを見せるはずだった。ただ、弱者にだって叫ぶ声も、噛みつく牙もあるのだと知らしめれば、それだけで。

一人でも、立った一人で、生き残ればそれで。みんなが明日へ進めれば、それだけでよかったのに。

 

血反吐を吐くような、声だった。

 

「私の命で贖えるなら、喜んで身を捧げていい。罪は全て私にある。私が、始めたことなんだ。何一つだって、罪などないはずだ!」

 

無知は罪か?

 

知を求められる環境にないものが、間違いを犯すことの何がおかしいというのか。

それならば、始めた自分こそが、天草四郎が全ての責任を背負わなくてはいけないはずだ。

そうでないのなら、どうして、彼らはそう生きねばならなかったのか。

四郎は、手を祓う様な仕草をした。

 

「全てが、無辜の民だ。ただ、暮らしていたかっただけ。ただ、当たり前のように明日を過ごしたかっただけ。それだけだ。いったい、何の罪がある?」

 

遠くで、誰かの断末魔がする。遠くで、爆発音がする。

白は、それをぼんやりと、誰かが死んだのだろうなあと絵空事の様に思った。

 

苦しいのだろうなあ、とそう思った。

 

白はちゃんと理解している。目の前の青年には、別段高尚な使命だとか、役目だとか、そんなものは存在しないのだ。

 

ただ、彼は愛していただけなのだ。

 

ちっぽけな、泥にまみれた誰かの笑顔、クソガキたちの笑い声、くだらない話に耽る祝い事。

 

誰もが、特別な興味など持たずに去っていく。

そんな、下らない、石ころを彼は愛したのだ。

生きたかった。漠然とそう思った。自分のような存在が人として生き続けられるのは、この生温い少年の近くぐらいだと思っていた。だから、戦いに関わった。

それでも、ぼんやりと理解する。きっと、自分たちは負けるだろう。

見捨てれば、よかった。もう、白は人として溶け込みながら生きていく方法は学んでいた。

ならば、逃げればいい。そんな義理はない、そんな理由はない。

助けられた恩義はすっかり返したはずだ。

ああ、でも、どうして自分は。

 

「四郎。」

「・・・・私は。」

「それでも、私たちは選んでしまった。ここまで進んでしまった。だから、代償を渡さなくてはいけない。」

「赦されるはずがない!彼らは、ただ、私の起こした奇跡を信じただけだ!どうして私たちだけがここまで奪われなくてはいけない?蹂躙されなくてはいけない?弱さが罪と言うならば、どうして私たちは弱いまま生まれ落ちたというんだ?」

「四郎。」

 

白が、ただ優しかっただけの、たくさんの者を愛しただけの少年の名を呼んだ。

 

「・・・・お前は悪くないよ。」

 

それを、天草四郎は、馬鹿みたいに、初恋に溺れる少年の様に、血と泥にまみれた少女を、たった一瞬だけ浮かべた笑みに魅入られた様に見つめた。

その笑みは、本当に美しかったのだ。本当に、美しくて、まるで人でないような、天使の様な微笑みだった。

腹に衝撃が走る。ぐらりと、視線が揺れる。

体が崩れ落ちて、意識はどんどん薄れていく。

ああ、消えていく薄れていく視界の中に、天使を見る。

 

「安心しろ、何もかも私が背負っていく。幸福になるために足掻き続けた誰かは幸せになるべきだ。どうか、お前の守りたかったものを忘れないでくれ。」

 

祈りのような、声がした。うっすらと、上に向けた目に天使が映り込んだ。目から零れ落ちた涙は、無意味に床に落ちていった。

 

 

 

地獄が広がった。

誰かがぼんやりとそう思った。

全てが順調だった。城攻めは成功し、愚かな農民たちが一掃される。そのはずだった。

 

「・・・・おにだ。」

掠れた声がした。

 

「ああ、鬼が、いる。」

 

その言葉の通り、戦場には鬼がいた。

 

 

 

なんの重さも、思いも、祈りも、喜びも、悦楽も、退屈さも、罪も、悲しみも、その刀にはなかった。

大男ほどもある刀が、まるで木の棒のように振られる。それだけで、誰かが死ぬ。それだけで、何かが断たれる。

人であったはずのものが、ぐちゃぐちゃの肉片に変わってゆく。

 

先ほどまでの負けるはずがないという確信は、その、たった一匹の化け物によってあっさりと壊れていく。

 

「ああああああああああああああ!!!!!」

 

誰かが叫んだ、意味のないそれ。それによって、もう、全てがひっくり返る。

死ぬかもしれない、その恐怖が辺りを満たした。

 

 

(・・・・これぐらいでいいか?)

 

白は、ぼんやりとそんなことを考える。

まるで畑仕事をするような、わなを仕掛ける様な、幼子に微笑む様な、そんな簡素さで彼女は刀を振るう。

何と言っても、人を殺すことは彼女に取って特別な意味合いなどない。

殺す必要があるから殺している。

それだけで、下手な感慨などはない。

 

(・・・・だから、これからすることにもまた、特別な意味などない。)

 

十分な血を浴びた、十分な恐怖を浴びた、十分な、バケモノと言う罵倒を食らった。

忘れていたことを思い出す。忘れたふりをしていたことに目を向ける。自分の奥底でずっとげらげらと笑い続けていた、それを受け入れる。

 

「さあ、白を殺さなきゃ。」

 

そうして、そこに、本当の鬼が生まれ落ちた。

 

 

ああ、そうだ。

本当を言うならば、彼女は一人でその状況をひっくり返す方法が一つだけあった。一つだけ持っていた。

 

それをしなかったのは、戻れなくなるからだ。本当の意味で、白は死ぬからだ。

それだけは、望んでいなかった。

けれど、それでも。

 

本当にもう、だめになった時でさえ使う気のなかった、これ。

どうして、自分はこんな選択をするのだろうか?

どくりと、どくりと、心の臓が早鐘の様になっている。体が軋んで全て作り返られていく様だ。頭の中がかき乱されて、自分が自分ではない全く別物に置き換わっていくのを感じる。

それでも、特別白は気にしない。

 

口が、かっぱりと空いた。

そこから、まるで地獄のそこから響き渡る様な声が響いた。

誰もがそれに、恐怖した。あれは何だと、震えていた。

視線の先、声の主。

 

それは、白銀の髪を腰まで伸ばした、麗しい何か。

見るものによって、天女の様だと言っただろう、天使の様だと言っただろう、神の様だと言っただろう。

けれど、その美しさを覆い隠す様に、それの額からは二本の角が高々と生えていた。

 

口から漏れ出るは哄笑だ。

白は、白であった何かは、おかしくてたまらない。何がそこまで楽しいか分からなくても、なんだか楽しい。

ああ、地獄のようなのに。

 

血の水溜り、肉片の山、火薬の匂い、誰かの絶叫。

 

それなのに、今の今まで灰色の様に退屈だった世界が、まるで色づく様に楽しい。

 

それに、白は思う。

 

ああ、私は私じゃないんだ。私は私を放り捨ててしまってるんだ。

けれど、そんなことは不思議と気にならなかった。

ああ、だって、白は白足りえるための全てはちゃんと掴んだままなのだから。

少年の、美しい顔を思い出す。少年の、泣きたくなるような優しすぎるそれを忘れていない。

瞼を閉じれば、彼のことを思い出す。

 

言葉を交わしたことも、あまりない。ただ、拾い上げられた、野良犬と飼い主。

それだけの関係だった。それだけしかなかった。

本の時折、あぜ道を二人で歩く。その程度。

けれど、それだけが、一匹の鬼を人に留めていたのだ。

 

 

白と名を与えられたそれは、単的に言えば鬼の血を引いていた。

どんなものから至ったか、彼女にも知りはしない。もしかすれば、彼女は鬼でさえなかったのかもしれない。

ただ、自分の存在を会えて呼ぶならば、そんな存在であるのだろう。

彼女は、人を殺さなかった、彼女は人の様に振る舞えた。

 

鬼であるのに。

それは何故か、ただ単に、彼女に取って天草四郎以外がどうでもよかったからだ。

天草四郎、その存在さえいれば、あの瞬間を忘れなかった。その傍にさえいれば、白は白であることを忘れなかった。

その本能に身を任せれば、その願いが叶わぬことを知っていた。

 

ああ、そうだ。

何故、高々、その衝動だけで奪われなくてはいけない。

白の人生に現れた、生きるという指標、暗闇の中に現れた、唯一の星。

白の知った、己の在り方。白の知る、暗闇の中にある道しるべ。白の一つだけ、手にいれられたもの。

 

四郎、四郎、四郎。

 

お前だけが、私を何かとした。お前だけが、私を人として扱った。

そうだ、それは確かな、迷子の子どもに差し延ばされた手だった。

 

そああ、あの時、私に手を伸ばした、あの柔からな手。

それは、きっと価値のあるものだった。白と言う、人にどんなに優しく接しても、人ではない人でなしには過ぎたものだった。

初めて、何かとして扱われた。始めて、自分が何者であるかを示してくれた。

彼女は、自分が何かを定められなかった。誰も教えてはくれなかったから、何も差し示してはくれなかったから。

 

だからこそ、彼女は、初めて与えられた、人と言う定義に縋ったのだ。

それは恩だ。それは、確かな救済だ。

 

何者にだってなれない、迷子のそれに与えられた、何ものかであるというそれ。

だからこそ、白は天草四郎という優しすぎる少年のために生きた。彼の守りたいと思うもの、彼にとって美しいと思うもの。

 

彼を彼とたらしめる全てを、守ろうと思った。恩義を返す、それは確かに人と言うものの在り方だろうから。

人にはなれない、人を容易く殺すそれ。白は、自分が結局のところ人にはなれないことを理解している。

どんなに人のように振る舞っても、身の内で、目の前で笑う幼子を食べることにも、幸福そうに笑う誰かを殺すことに戸惑いを持たない。

 

それでも、彼女はその衝動をねじ伏せて、人でありつづけた。

たった一人、彼女が己の道しるべとした少年のために。

 

 

ああ、彼を殺したい。

 

けれど、それを彼女はあっさりと握りつぶす。その衝動に鼻で笑って放り投げる。

自分の本能に根差した、衝動。

憎いものを愛でてやろうという気まぐれ、愛しいものを殺して食べてやろうという愛。

 

ああ、だが、それが何だという?

 

ああ、何故、高々喚きたてるその声に従わねばならない。何も差し示してはくれなかった、それに。

だからこそ、彼女はねじ伏せ続けた、自分の在り方を捻じ曲げて、人として在り続けた。

 

笑う、笑う、彼女は笑う。

 

天女の様に清廉に、鬼の様に壮絶に。

彼女は笑って。

高らかに、戦場に吠えた。

 

「さあ!近きものはその眼に見よ!遠きものは耳にて聞け!我は、天草四郎時貞により封じられし鬼、白童子!ああ、愚かなる人の子よ!よくぞ、よくぞ、この平穏な国を悉く嬲り殺してくれた!ああ、褒めてやろう!讃えてやろう!悉く、この国を血と憎悪で染めたものだ!おかげで、我は今ここに蘇った、忌々しい封じは解けた!」

 

この鬼を、眠りから覚まさせたことに礼を言おう!ああ、腹が減った!退屈だ!さあ、さあ!私を楽しませてくれ!

 

 

人を殺す、人を殺す。人を殺す。

悉く、人を殺す。

 

頭を潰し、手足を切り落とし、腹を裁き、胸を突き。

 

絶叫が響く、恐れが広がる。まさしく、人を蹂躙する災厄がそこにいた。

恐怖に武器を持って反抗してくるものはいたが、白童子の足を止めるほどではない。

それでも、白童子がまったく傷を受けないわけではない。

 

腹に打ち込まれたそこからは血が噴き出し、突き立てられた刀は刺さったままだ。

それを気にしていないだけで、確実に傷を与えられていることに兵士たちが気づき始めている。そうして、白童子は確実に、大将へと近づいていた。

ああ、けれど、鬼はたった一人の老人によって打ち取られた。

 

戦場にて、怪物を倒した英雄に向けて、喝采が浴びせられる。災厄が倒れたことに熱狂が広がる。

老人は、目の前の怪物に目を向ける。確かに、それは強かった。けれど、それは、人を超えた領域にいたわけではない。

 

(・・・というよりも、わざと殺された?)

 

今まで蓄積されたものはあるだろう。けれど、あまりにもバケモノとしての行いからして弱すぎた。

ごとりと転がった首に視線を向けると、それは確かに目を見開き、叫んだ。

 

「おのれ!おのれ!おのれ!おのれ!おのれ!おのれ!おのれ!おのれ!ああ、憎らしや人よ!また、我を殺すか!我が行いを阻むか!良いだろう、よいだろう!貴様らのような強欲な者たちならば、すぐにでもまたこの地を血に染めるだろう!ああ、ああ、楽しみにしていよう!」

 

その憎悪、その怒り、その憂い!貴様らが民を蹂躙すればするほどに我が糧は増していく。

 

「ああ、呪いよあれ!無辜成るものを殺した、貴様らよ!徳川の血よ!呪いあれ!」

 

そう言って事切れた鬼、白童子はたたりを恐れた幕府のものたちによって丁重に弔われ、それの残した言葉によって天草の人間たちの罪は軽くなった。

白童子の遺体はその後、丁寧に焼かれた。

 

(・・・・だが、あの鬼。)

 

白童子が焼かれるその折に同席した、鬼殺しのそれ、柳生但馬守宗矩はこのようなことを書き記している。

 

その鬼、眠れる姿は安らかであったと。

 

 

彼女の願いは生きることだった。

それは、生物と言うものが始めから持っている本能だ。それ故に、彼女は生きることを望んだ。

そうして、何者として生きていくかと望んだ。

 

(・・・・なら、私はどうして。ようやく、手に入れられた人であることを放り投げて、鬼に成り果てたんだろう。)

 

全てのことを終えて、白はぼんやりと切り離された体を見つめた。

人が、人でないものを恐れることも、畏れることも、知っている。

だから、散々に暴れてやった。化け物であることを見せつけて、呪いの言葉を吐いて誰か、適当なそれに殺される。

災厄と言う災厄として、誰かに見せつければ、反乱さえも白のせいになるだろう。

 

これでいい、それでいい。

 

白童子は、鬼として世界に語り継がれる。それこそが、この地で生きる誰かの守護になるだろう。

望んだ役目は終わった、それならば、後はもう死ぬだけだ。

それでも、鬼という頑丈な体は首を切り離されてもなお生を繋ぎ続けている。だからといって、何が出来るわけでもない。

そんな時、ふと、思ったのだ。

 

どうして、自分はあんなにも必死に手放さなかった人と言う在り方を捨てて、鬼になってまでこんな滅びゆく世界を守ったのだろうか。

自分を少しだって受け入れなかった、この地と人を。先も無い、あの場所を。

 

逃げればよかった。生き延びることを選べばよかった。

その少年が好きだった。漠然と、そう思った。けれど、自分は確かに己が何よりも大事だったはずだ。

自分の人間性を保つために、少年の真似をした。少年がするであろうことをなし続けた。

そうだ、けれど、自分は少年と己を天秤に乗せた時、軽やかにかたりと、何故か少年の方に傾いだ。

ぼんやりと、考える。死んでゆく中で、そんなことを考える。

 

(・・・・どうしてって。それは。)

 

そこまで考えれば、浮かんでくるのは、自分に、人でない獣に向けられた、笑み。柔らかな、白い、両手。

 

(・・・あれが、変わってしまうのは、嫌だった。)

 

あの笑みが曇り切り、憎悪と怒りに燃えるのは嫌だった。

あの白くて柔らかな手が、汚れていくのは嫌だった。

 

どうして?

 

己に、己で問いかけた。

 

(・・・・ああ、だって。きれい、だったから。)

 

綺麗だった。

ただ、ただ。

 

(き、れい、だった。)

 

少女にとって、全てが灰色の世界で、全てがのけ者でしかなかった世界で初めて色を認識した、優しい夜のような髪の、瞳の、少年。

青い空と、海を背に、ひらりと振った手が、さらさらと風に靡いた黒い髪。

 

美しかった。

 

その言葉の意味も、どうして、そんなに惹かれるかも、鬼である彼女にはピンとこない。それでも、なんだか、自分が決して不幸ではないことだけはわかった。

 

(・・・・そうかあ、最期に。こんなことを思えるなら、私は、幸せなんだろうなあ。)

 

何も与えられず、何も得られない生のはずだった。

無価値で、無意味で、無関係のはずだった。

それでも、確かに、自分は何かを得たのだろう。きっと、そうなのだ。

 

(しろう。)

 

変わらないでいてくれ。私を、あの日、手を差し出した時の様に。

 

人は醜くて、愚かで、悲しくて。いつだって、彼らは四郎を泣かせてばかりだ。けれど、そんな誰かを愛した彼だからこそ、自分はすくい上げられた。

 

人を、愛していてくれ。獣が人になるのだと、未来を輝かしいものだと信じたままの君でいて。

ただ、ただ、石ころたちを愛したままの、君であれ。

それを守るために、私が何かを成せただろう。だから、そうだ。これでいい。

 

(・・・・しろう。)

 

おねがいだ、私のことを引きずりながら歩いてくれ。

最期に、そう思った。忘れないでくれと、漠然と思った。それこそが、自分の歩き続けた生へのたった一つの褒美だった。

そうして、鬼はこと切れた、柔らかな笑みを浮かべたままのそれはひどく幸福そうだった。

 

 

 

 

(・・・・・聖女とは、どうして白銀の髪に、赤い瞳をしているんだろうか。)

 

天草四郎は、己がマスターとなった一人のホムンクルスを見る。

無垢な、その美しさをじっと見る。

 

(白。)

 

その身を表すままの名。己が名付けた、天使の名。

ぼんやりと、己がうちでその名を呼んだ。

天草四郎は、結局の話、死んでしまった。何故か、それは簡単な話。

鬼というそれを前にしても、天草四郎を赦すことは出来なかったのだ。彼は見せしめとして死んだ。

それでも、彼が思うよりもずっとましな、人の犠牲もなくその反乱は終わった。

けれど、けれど。

 

天草四郎は赦せなかった。

 

生き残った人がいた、赦された人がいた。

それでも、あの日、あの戦で犠牲になった誰かを思う。

天草の民を救うために、鬼に落ちた天使を思い出す。美しい、天使の名前を思い出す。

 

(・・・・白、白、白。)

 

愛していたのだ。確かに、少年の、馬鹿みたいな初恋がそこにあったのだと思う。

教えてほしい、これはハッピーエンドだなんていうのか?

 

神へ問おう。それは、何も悪くなかった誰かの死を積み上げた先で、生き残った誰かがいる。

 

それは、正しいのか。

 

これから、幾人の、天草の民が死ぬのか。いったい、天使は幾度、穢されるのか。

赦せないと、そう思った。

血の水溜り、肉片の山、地獄の中で見た、無辜成る誰かの犠牲を思う。

それでも、天草四郎は、人を愛してしまった。愛していた。どんな罪過を持つもので、それでも、人が好きだった、人々が好きだった。

白は、笑っていた。

 

忘れないでくれと、天草四郎の守りたかったものを忘れないでくれと、そう言った。

ああ、ならば。分かった、分かったよ。

 

天草四郎は、忘れない。

己の守りたかったもの、己の願い。

全ての人が、幸福であってほしいと、貪欲に願い続けよう。

天使が残した、一つだけの願い。

人を救うことが出来ないのなら、それならば人類を救おう。全てを、救済しよう。

美しい、天使の幻を見た。そう決めた時、白銀の髪が揺れるのを見た。

 

「・・・あなたのことが、好きでしたよ。」

 

それに、彼女は微笑んだ気がした。

そうして、少年はそっと、その柔からな初恋を潰して、殺した。

人類を救おう。君が、愛した人々を。私の愛した、人類を。

あの時、あなたが注ぎ続けた無垢なそれに天草四郎は恋をした。

いつか、人類が君の無垢さを受け入れられたのなら、あなたはきっと天使になれる。

それでも、そこまでの道は遠くて、永いものだから。

重みになるものは置いて行こう。この、恋も置いて行こう。

天草四郎は、恋をしていた。多くのために、犠牲になった一人の天使に恋をしていた。

もしも、の話。

いつか、人類が少数の犠牲を止める日。

 

あなたの死は、報われるのだろうかと。人に理解されなかったあなたは天使になるのだろうかと。





鬼の血を引いた少女。何もなかったがゆえに人にも鬼もなれなかった。が、人として扱われたがゆえに人として生きることを決めた。幾度も鬼としての衝動に襲われたが、天草四郎という存在の近くにいたいがためにそれをねじ伏せ続けた。
別に人を愛したことも無く、ただ、天草四郎の真似と彼が喜ぶ行動をしていただけ。
持っていた欲が天草四郎が変わらぬこと、ただそれだけな為ある意味無垢であることは無垢。最後のさいごに、天草四郎が天草四郎であるために、彼を生かすために、全ての憎悪と恐怖の対象を自分にするためだけに拒絶し続けた鬼に成り果てて死んだ。
彼女は幸せだった。死んでもいいと思えるほどの誰かに会えた。それを幸せと言わずして、何と呼ぼうかと彼女は笑う。愚かな人の未来を夢見た少年をずっと愛している。
その後、神社が立てられ観光スポットになっている。
天草の民からは白さんと呼ばれて親しまれている。江戸時代と言う近代側に現れた鬼という存在な為漫画やゲームでめちゃくちゃキャラクター化されており知名度は高い。
基本的に天草四郎とセットで題材にされている。
中には天草四郎との恋愛物があり座にて死んだ眼をしている。

天草四郎
生前は、博愛に近いものを持っていたが拾い上げた少女への初恋は確かに抱いていた。
人に絶望して、憎くて、それでも愛おしくて、初恋の彼女との約束を守りたくて、幼い初恋を潰してしまった。
たぶん、鬼との間に色々すれ違いがある。
一応、彼の中では恋は終わってる。
ただ、現世で白と自分が題材にされた作品は全てチェックしている。ルルハワで白と自分についての同人誌を出し、彼女に死んだ眼をされた。
どうして、聖女は、天使はいつだって白銀の髪をしているんだろうか。


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されど死人は夢にて踊る



投稿し忘れがあったので。
モードレッドの分になります。


「モードレッドがおかしいのだけど、何か知らないかい?」

 

それに、カルデアのキッチンにてせっせと働いていたセイアッドははてりと首を傾げた。そうして、その真ん丸とした満月のような目を目の前のジキルに向けた。

彼が体を動かすために、スカーフでまとめられた髪が微かに揺れる。それが、電灯の明かりに反射してまるで星屑を纏っているようだった。

時間は、丁度おやつを終えた後、午後。

キッチンを訪れるものたちも少なく、すでに夕飯の仕込みを終えた時間帯だ。

セイアッドは丁度カウンターで客の対応をしている時のことだ。

 

(・・・ええっと、モードレッドがお世話になっている、ジキル様、でしたよね。)

 

そう言って、小作りの顔立ちに不思議そうな表情を浮かべた。

カルデアに来て、あまり時間の経っていない彼はまだ関係を築いてはいない。

強いて言うならば、料理関係で即戦力を判断されたキッチンの番人たちとはレシピを教えてもらいあったりと楽しく過ごしているぐらいだろう。

 

「モードレッドですか?さあ、特別何かあったとは。」

「そうか。」

「あの子がどうかされましたか?」

「・・・・モードレッドがあの子。いや、何と言うか、少し気になることがあってね。」

「今日、起こした時も変わったことはありませんでしたし。」

「でも、モードレッドがシミュレーターを途中で辞めたんだよ?」

 

同意を求める様にジキルが言えば、セイアッドは不思議そうにまた首を傾げた。

 

「どこかおかしいでしょうか?」

「え、お、かしくないかな?」

「誰だって、何となく行動することはあると思いますよ。例えば、カレーが大好きな人でもたまーに、ラーメンが食べたくなることだってあるじゃないですか?」

「そ、うなのかな?」

ジキルははてりと首を傾げる。

「はい、きっとそうですよ。」

 

そう言ったセイアッドの目は、それを真実と確信していた。こういってはなんだが、年恰好に比べて純真な心根のセイアッドにそう言われると、そうなのかと納得してしまいそうになる。

ジキルも、確かに何かしらおかしなことがあれば、この自分以上に長い付き合いの、未だに信じられないことだが、彼が何かしら気づくだろう。

 

「・・・・そうなのかもしれないね。」

「そうですよ。さあ、せっかくカウンターまで来られたんですから、何かいかがですか?」

「じゃあ、コーヒーをくれないかな?」

「はい、分かりました。」

 

そう言って、彼は穏やかな笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

「・・・・・ううう。」

 

呻き声に似た声に、セイアッドは目を見開き、そっと隣りのモードレッドを伺った。

ちらりと、部屋の中にある時計を見ると、時間は未だに夜中だ。

 

(サーヴァントは、夢を見ない。)

 

そんなことを、とある夢魔から聞いたのはいつのことだろうか。

 

 

カルデアにはそこまでの部屋数があるわけではない。そのために、王など特例を除けば相部屋になっている。

古参のモードレッドとセイアッドはもちろん違う部屋ではある。が、セイアッドの宝具を使えば一時的に彼女の私室をカルデアに出現させることができる。

二人は、その部屋で時折共に眠った。

カルデアにおいて、彼らの関係性が変わったかと言えばそんなことはない。

彼らは、再びを望んだのであって変化を願ったわけではないのだ。ただ、昔のように「おかえり」と「ただいま」を望んでいたにすぎないのだ。

ただ、強いて言うならば、同じ寝床に入り、丸まって共に眠るようになった。

特別に、何かをするわけではない。ただ、同じベッドの中でまるで仔犬のように身を寄せ合って眠るのだ。

それは、なんだか、ひどく安心する。

 

朝、起きた瞬間に、モードレッドの髪がきらきらと光る瞬間を見るのがたまらなく好きだった。

その、白い瞼が開かれて、エメラルドが瞬くのを見るのが好きだった。

いつか、終わる夢だと知っているから。時折、無性に寂しくなる。終わる時を想って寂しくなる。

だから、少しの間だけ、抱き合って、身を寄せ合って眠るのだ。

唯一人、己が座で、その温もりをよすがに、またいつかを考えれば少しだけ切なさが軽くなる様な気がした。

 

昼間に、ジキルに言われて黙っていたがセイアッドもモードレッドの様子がおかしいことには何となしに気づいていた。

何故言わなかったと言えば簡単な話で、モードレッドがそのことについて口にしなかったからだ。

モードレッドは強い。どんなことにだって、まるで何事もないように背筋を伸ばして立ち上がるのだ。

ならば、そんな彼女が黙っていることならば自分の中でどうにかなることなのだろう。そうして、もしも、本当に駄目だとしたら彼女はきっと誰かを頼る。

誰にも頼れなかった昔だって、彼女はちゃんと自分に頼れていた。

セイアッドは、モードレッドがもう一人だけで立たなくていいことを知っている。彼女の側にいてくれた、たくさんの誰かのことを知っている。

それが、嬉しくてたまらなくなる。

だから、セイアッドは何も見ないし、何も聞かない。彼女がそれを望んでいないと知っているからだ。

だから、セイアッドは瞼を閉じて、そっと眠りの中に戻った。

己の騎士が、優しい夢を見ることを願って。

 

 

「さあ、モードレッド。起きてください。」

 

そう言って、セイアッドは眠っているモードレッドをゆすぶり起こした。吹雪のために太陽の存在を感じることは出来ずとも、文明の利器である時計というものはしっかりと今が何時であるかを示していた。

先に起きて素早く身支度を整えた彼は、特別な予定はないとはいえ習慣として彼女を起こす。

 

「・・・・ああ。」

 

寝起きが良いとは言えないモードレッドはまるで起きた直後の猫のように目をこすった。

セイアッドはそれに温かい蒸しタオルを差し出した。モードレッドは慣れた様子でそれで顔を拭いた。

服を気にしなくてもいいのはサーヴァントの良い所だとセイアッドは思っている。

ベッドに座った彼女の後ろに座り、絡まった髪をするすると梳いていく。そうして、慣れた手つきでそれを後ろでまとめた。

 

「はい、今日もとても素敵ですよ。」

「・・・・・毎朝律儀だなあ。」

「あらあら、騎士様は寝癖の付いた髪で人前に出るんですか?」

 

茶化す様にそう言えばさすがに罰が悪かったのか、モードレッドはぷいっと視線をずらした。

それにセイアッドはまるで少女のようにくすくすと笑う。

 

「さあ、そろそろ朝食に向かいましょう。明日は、私は朝のご飯の当番なので起こしてあげられませんからね。ちゃんと自分で・・・・」

 

そこでセイアッドは言葉を止めた。何故か、モードレッドは少しだけ沈んだような調子で床を眺めていた。

セイアッドはそれに薄く微笑み、出来るだけ穏やかな声音で問いかけた。

 

「ご飯を食べる気分じゃないですか?」

 

それにモードレッドは何も答えなかった。代わりに、己の隣りをとんとんと軽く叩いた。セイアッドはそれに、モードレッドが何を望んでいるのかを察して、そこにそっと座る。

すると、モードレッドは断りも無く、ぼすりとその膝に頭を乗せた。セイアッドの腹の方を向いているため、顔はよく分からない。

腹に感じる微かな息が温かった。

セイアッドはそれに何も言わずに、その頭を撫でた。まとめられた髪は、それでも柔らかく撫で心地がよかった。

 

「・・・・俺、そんなにおかしいか?」

「私に甘えてくるぐらいでしょうか。」

 

やんわりとそう返せば、モードレッドは微かに肩を震わせた。そうして、そうかと小さく呟いた。

 

「・・・・夢見が悪いんだ。自分の、醜い未練を見せつけられてるような、そんな、嫌な夢を見る。」

 

脈絡もなくそう呟いたモードレッドに、セイアッドは何も言わなかった。きっと、何か、話したいことを彼女なりに整理している最中なのだろう。

 

「なんどか、昔は見た夢だ。そん時は、叶え叶えってまるで涎を出すぐれえの夢だった。だが、今は忌々しくて仕方がねえ。振り切った、はずだった。だってえのに。」

今になって、その夢を見る。

 

沈んだ調子で、彼女はそう言った。

セイアッドはそれに、考える様に首を傾げて不思議そうに口を開いた。

 

「それって、駄目な事なんですか?」

 

セイアッドの言葉に、不機嫌そうな顔でモードレッドは頭をもたげた。

 

「・・・なさけねえ。」

 

それにセイアッドは苦笑する。

 

「未練のない人間などいないでしょう?」

「お前にも、未練があるのか。」

 

それを、モードレッドは正直な話をすればひどく意外な気分で聞いていた。

言っては何だが、モードレッドはセイアッドの世界の中心にいるという自負がある。それは彼の短い人生で、己だけがその世界に入り込めたためだ。

セイアッドは、自分と再会した。ならば、彼の未練とは、なんだろうか。

そんなモードレッドの思考など分からないセイアッドはぼんやりとその頭を撫でている。

 

「・・・・未練、というのは違いますけど。もしもを、考えることはよくあります。」

「もしも。」

 

もしも、確かにそれはなんとも甘美に聞こえる。

もしも、もしも、ああなっていたらとモードレッドも考えないわけではない。

 

「誰にとて、心に遺していることはあります。どうしようもなくて、それでもと願うことは。ですが、それはけして悪いことではないのですよ。」

「どうしてだよ。」

「もしもを願うからこそ、より良い未来を望めるからです。」

 

例え、未来の無い私たちでも、少しだけ前に進めることができるかもしれません。

そう言って、青年は淡く笑った。

 

「・・・白状すると、少しだけ魔術を使って、そんな夢を見ていたりして。」

「は?そんなことしてたのか?」

 

モードレッドは思わず起き上がり、セイアッドと向かい合った。

 

「マーリン様からちょっと教えてもらいまして。」

「あいつには近づくなって言ってんだろう!話してると赤ん坊出来るぞ!」

「モードレッド、私が男の子だって忘れてませんか?」

 

呆れた様な声音に、それでもモードレッドは不機嫌さを隠しもせずにセイアッドを見た。どうしても、あの人でなしと自分の姫が関わっていることはお世辞にも嬉しくはない。

それを見ていたセイアッドは穏やかに微笑んだ。

 

「少しは、力が抜けましたか?」

「・・・・まあな。」

 

短くはいたそれに、セイアッドは頷いた。

 

「モードレッド。その未練は、晴れそうにありませんか?」

 

モードレッドはその言葉にゆっくりと顔を向けた。どこか、迷子のように揺れる瞳に、セイアッドのまるで母のような笑みが映っていた。

 

「その未練が、あなたにとってどんなものかは分かりません。でも、モードレッドはどうしたいですか?」

「俺、は。」

「その未練をどうしたいのか。あなたなら、きっと大丈夫ですよ。」

 

セイアッドは、そう言って、彼女の頭をそっと抱き込んだ。

あなたは、私の自慢の騎士様だから。

とんとんと、背を叩いた。

それに、柄にもなく、ああとモードレッドは少しだけ目を閉じた。

ジキルのことを、母の様だと言った少年少女の言葉の意味が少しだけ分かった気がした。

 

 

 

 

 

 

割り切ったと、もういいのだと、そう語りはしてもモードレッドはきっと、父への執着を忘れることは出来ない。

彼女は吠えた。あの丘で、父に殺されるその時まで、ただ吠えた。

 

ああ、どうだ。貴様の大事なものを滅ぼしてやった。この身を認めぬ憎き人、愛しい人よ!ああ、そうだ、憎めばいい!殺せばいい!

 

だから、どうか、俺を見て。

 

その声を、何時かの誰かは、まるで子どもの泣き叫ぶ声に似ていると言った。

忘れることなどできはしない。

憎まれていい、嫌われていい。だから、だから、あなたの特別になりたかった。

モードレッドは死人だ。世界に取りついた、語り継がれた物語の影だ。

死ぬその瞬間で止まってしまった彼女には、それを忘れることは叶わない。

 

それを、モードレッドは心の内で少しだけ苦笑した。

王になりたかった。

けれど、それは例えば、理想があるだとか、守りたいものがあるのだとか、そんなものではなく、ただ美しい星のような父に認められたかっただけだった。

そうして、己のたった一人。己の姫君、月のような人。彼との、約束を守りたかっただけだった。

 

今に思えば、彼女を王が認めなかったのも道理だ。

血縁で動く人でもなければ、路傍のものへの祈りを持たぬモードレッドに己の後を託すような人ではない。

それが、彼女には分からなかった。それを理解するには、あまりにも王は遠く、そうして彼女は幼過ぎた。

 

モードレッドは本音を言えば、人が嫌いだ。

例え、どれほどまにで彼女の王が人を、民を愛していようと、モードレッドはそれでも人の醜さを知っている。

賢しい獣を、ただ、人と呼んでいるに過ぎぬならば、彼らのために何を祈ればいいのか分からかった。

結局、人は彼女の王を裏切り、自分についた。それだけがすべてだ。

人は裏切り、憎み、誤解し、殺し合う。

王になりたい。

 

民のことなどどうでもいい。弱さゆえの愚かな者たちなんて、知りはしない。

ああ、でも、それでも。

あの、美しい人の背負ったものを、欠片でもいいから背負いたかった。

笑って、ほしかった。

結局のところ、モードレッドにとって王になるとは手段であって、それがなくなればさほどの興味もわかないものだった。

それは、昔の夢だった。自分が王になりたかった理由が分かれば、立ち消えてしまう夢だった。

 

けれど、あの子に、また会った。

自分の全てを肯定してくれた人、自分の願いを美しいものとしてくれた人。

美しいものを見せたかった人。

彼に会って、そうして、過ごすうちに耳元で問いかけが反芻した。

 

あなたは、どんな王になりたいですか?

 

そう言えば、と。ふと、思い出す。

そんなことを問いかけたものがいた。

王?

人の王なんてまっぴらだ。あんな、醜いものの幸福などのために。

そう思って、でも、ふと頭に浮かんだのだ。

生きたいからと、世界を救うなんて旅に巻き込まれた凡人の姿を。

己と同じ作られただけの、短い少女の生を。

絶望の中で、それでも生きて行こうとする星見台の人々のことを。

最後まで美しい人だった、月のような彼を。

 

そうして、そうだ。

何時かのどこかで会った、茶色の髪に、サングラスをした、とあるマスターのことを。

もしも、もしもの話だ。

彼らが住まう国の王になったのなら。彼らのような、誰かの生きる国の王になるのだとしたら。

自分はどんな王になりたいだろうか。

そんなことを、ふと思った。そうして、時々考えるようになった。

そんなある日、夢を見た。

もういいのだと割り切ったはずの、父のようにと願った、選定の剣を引き抜く夢を。

 

忌々しい、忌々しい。

 

違う、自分はそれを振り切ったのだ。間違った願いを抱いていたのだと分かったのだ。

だから、また、己の本当の願いを考えていたのだ。

自分の、醜い執着を見せられているようだった。

自分は、王になりたいのだろうか?

王になって、何をなしたいというのだろうか。

認められたかった。焦がれ続けた父に。星に、手を伸ばしたかった。

あの子との約束を、守りたかった。

ああ、でも、もしも。

もしもの話。

あのまま、王になっていたのなら。あのまま、あの子を国に呼べていたのなら。

自分は、どんな王になっていたのだろうか。

 

(・・・・叶うなら。)

 

凡人のマスターが讃える様な、あの作られた少女が生きていられるような、あの面白い男が悪くないと笑う様な。

あの子が、笑っていられるような、国であってほしい。

そんな国の王でありたい。

 

 

選定の剣を前にして、少しだけ揺らがなかったわけではない。

その瞬間、もしも、剣を引き抜けばそれだけでモードレッドの未練は終わる。

王として認められ、そうして、彼との約束だって果たすことができる。

抜ける自信があった。

その程度には、彼女は優秀で、賢しく、強かった。自分には勝利の女神がついている。女ではないけれど。

けれど、その気持ちを彼女はそっと蓋をした。

 

(・・・・俺はまだ、どんな祈りを抱くか、分かってねえ。)

 

モードレッドはようやく、種を己の中に見出したのだ。

誰のための、どんなふうで、そうしてどこに行きつくのか。

彼女は、ようやく、自分だけの夢を手に入れたばかりだ。きっと、自分の夢を始めるのはもう少しだけ先のことだ。

まだ、その夢は、形だって出来ていない未熟なものだ。それでも、いつかにたどり着くと信じられた。夢に、願いに走り抜けようとした誰かを知っている。

己だけの祈りを抱くその時に。

だから、モードレッドはその剣を否とした。

きっと、それでよかった。抜かなくてよかった。夢の終わりを見るのはあまりにも早すぎるから。

 

眠気に身を委ねるその瞬間、彼のことを考えた。

あなたはどうしたい?

それにモードレッドは笑ってしまう。

夢の終わりは、夢の始まりなんて。

なんておかしな話だろうと。

さあ、自分の話を彼にしよう。

あの、窓辺のお茶会で、自分の未練の話をしよう。みっともなくて、恥ずかしい、それでも彼には知っていてほしいと願う。

それは、モードレッドの誓いの話だ。遠い、いつかに、願う先にたどり着くための願いの話だ。

そうして、夢の終わりを語ったら。

新しい、夢の話をしよう。

そうだ、いつだってモードレッドの冒険譚は、彼とのお茶会から始まるのだから。

 

 

 

 

 

 

ふと、何故か、モードレッドは草原に立っていた。

確かに己は夢の終わりに、眠気に身を委ねたというのに。

そこは、突き抜ける様な青空と、そうして青々とした草原が一心に広がっていた。

そうして、風に乗って花びらが舞っていた。

それに、モードレッドが声を上げようとした瞬間、辺りがぼやけ、そうしてモードレッドの意識が一瞬だけ途切れた。

警戒に、体を固めたモードレッドが目を開けば、そこには何故かキャメロットの城下町の光景が広がっていた。事態に混乱したモードレッドが辺りを見回せば、どうも王の凱旋なのか、民が大通りに押しかけていた。歓声に、思わずその方向を向いた。

そこには、信じられないような光景が広がっていた。

 

「お、れ?」

 

そこには、モードレッドがいた。ちょうど、王があるべき場所、先陣を切って己は城下町を進んでいた。

それに、モードレッドは察したのだ。これは、自分が王になった夢であると。

驚きで固まった彼女の視界がぐるりと回る。

それと同時に、今度は自分がキャメロットの城の中にいることに気づいた。そうして、視線を回せば、その廊下を自分が歩いていることに気づいた。円卓の騎士に混じって、何かしらを喋っている自分が見えた。

それは、まさしく、自分の日常であったものだった。

そこで、またぐるりと視界が回る。

視界が回るたびに、モードレッドは何故か己の姿を見た。

 

もしも、反逆を起こさなければ、モルガンの元に留まっていれば、王に殺されなければ、王を殺さなければ。

 

それは、モードレッドが考えつかないような、もしもに溢れた映像だった。

その中には、モードレッドが女として生きている光景もあった。

モードレッドは、それに怒らなかった。

それは、単純な話、その夢を見ているのが誰であるかを察したためであった。

 

「セイアッド。」

 

己が、ただの村娘として生きて居られればという、いつかを見た後モードレッドは彼女が発するにはあまりにも優しい声音で囁いた。

それに、周りの景色が全て揺らぎ、まるではじけるように広がった。

そうすると、モードレッドはとある草原に立っていた。

そこには、ぽつりと、一人の青年が何故か蹲っている。

突き抜ける様な青空と、そうして風の吹き抜ける草原の中に、そんな存在があるのはなんだかひどく場違いのように思えた。

モードレッドはゆっくりと、そのドレスを纏った青年に近づいた。

 

「セイアッド。」

 

青年は、それでもうずくまったまま微動だにしなかった。

 

「・・・・どうした、気分でも悪いのか?」

モードレッドは今までのことを問うのではなく、そう言って彼の背を軽く叩いた。

「・・・・すいません。」

 

掠れた声が、彼からした。

 

「何故か、あなたの夢と、私の夢が混ざってしまったみたいで。不快なものを、見せてしまってすいません。」

 

震えるような声は、動揺のほかに、もっと別の感情が混じっている気がした。

 

「すいません。すいません、今は。」

 

掠れた声で、そういう彼をモードレッドという少女はそうかといってさっさと立ち去るだろう。

何よりも、自分が見させられたあの夢は、本心を言えば不快だった。

モードレッドは騎士として生きたのだ。

例え、想像と言えど、そう言ったもしもと言える何かを他人に考えられるのはなかなかに不快だ。

騎士として生きた。反逆者として死んだ。

もしもは、確かにあったかもしれない。それでも、そう生きたのならば、最善ではなくとも、最良であったのだと信じている。

それでいいと、思っている。

 

けれど、モードレッドの胸には、不思議と怒りは湧き上がっては来なかった。

それは、きっと、彼であったせいだろう。

彼だけは、彼は、己を侮辱などせぬだろうと、憐れみなどはせぬだろうと、そんな確かな信頼があった。

無視しても、よかった。

話したくないのだろうと割り切って、捨て置いたってよかった。

 

けれど、モードレッドにはそれが出来なかった。

何となしに、察せられたのだ。

きっと、彼は、前の己と同じように変な袋小路に立っているのだと。

未練に似たものがあるのだと、彼は確かにそう言った。ならば、それは何だろうか。この夢に、彼は何を見出したのだろうか。

それを、問いたくなった。無粋だというならば、それでいい。けれど、ずかずかと悩んだ己に踏み込んできたのはきっと彼だって同じだ。

御相子なのだろ。

 

「なあ、あれが、俺のもしもがお前の未練か?」

 

幼子をあやすような、声音に、セイアッドの肩が揺れた。そうして、彼はゆっくりと顔を上げた。

涙でぐちゃぐちゃな顔は、まるで幼子のように愛らしかった。

 

 

「・・・・怒りませんか?」

 

思わず、自分の口から飛び出したそれにセイアッドは恥じ入るように視線を下に向けた。

けれど、そう問いかけずにはいられなかった。彼にも、自分が彼女に取って不愉快なことをしているという自負はあった。

それでも、一人遊びを止めることが出来なかった。

それは、彼の矛盾を慰める唯一の方法であったからだ。

 

「・・・怒るか。別に怒りゃしねえよ。ただ、どうしてか、理由は知りてえ。」

 

それに、セイアッドはつばを飲み込んだ。夢の中だというのに、その感覚はやけに生々しい。

セイアッドはゆっくりと立ち上がった。そうすれば、少しだけ背の高い彼が彼女を見下ろすことになる。

 

「・・・・理由。」

 

オウム返しのように、そう言った。

話したくはなかった。それは、言ってしまえばセイアッドにとって恥としてとらえられていることだった。

恥ずかしい、恥ずかしくてたまらない。どうして、そんなことを考えてしまったんだろうか。

馬鹿らしいと、人は言うかもしれない。けれど、セイアッドにとっては一度考えてしまえば、止まらなくなってしまうことだった。

 

「セイアッド。」

 

己の名を呼ぶ声がした。それに、彼はゆっくりと己の騎士を見上げた。彼女は、やっぱり穏やかに微笑んでセイアッドを見ていた。

分かっているのだ。きっと、モードレッドはセイアッドの弱さを赦してくれる。けれど、それでもその弱さはセイアッドの恥だった。

 

「言いたくないか?」

「・・・・あんまりにも、情けなくて言えません。」

 

そう言えば、モードレッドは少しの間考え込む様な仕草をした後に、唐突に口を開いた。

 

「なあ。セイアッド。じゃあ、俺の話を少しだけ聞いてくれるか?」

「え?」

「茶会の席じゃねえけど。いいさ。お前と俺がいる。だから、話すには相応しいだろうよ。」

 

向かい合った二人の間を、花びらを纏った風は吹き抜けた。

 

彼女は、彼に語った。己の夢、過去の話、未来に持ったもの。

それをセイアッドはずっと聞いた。まるでそれが世界の全てであるように。

語り終えたモードレッドはふうとため息を吐く、彼女は言った。

 

「・・・・少しだけ、お前に話すか迷ってたんだ。」

「どうしてですか?」

「お前に、あんだけ王になるって言ってたがな。裏を返しゃあ、俺の夢には祈りがなかった。夢への祈りが。輝きにだけ目を奪われて、目的じゃなくて手段に成り下がった。俺の夢は、王になるんじゃなくて、父上に認められることだった。あの夢も、はっきり言えばあの女から刷り込まれたもんだったのかもしれねえ。」

「それは。」

「それでも、俺はお前のおかげで、王になるという夢を抱くことが出来たんだ。」

 

何故なりたいのか、どんな王になりたいのか。

それを、モードレッドは問われ、そうして答えを問うた。

 

モードレッドだけの、どこかに行きたいという、行きつきたいという祈りなのだ。

どうして、アーサー王に認められたかったのか。あの人に、見てほしいという渇望はきっと収まらない。それは、寂しい寂しい、子どもの声だ。

けれど、モードレッドは寂しいだけの子どもではない。モードレッドには、自分だけのお姫様がいる。

 

寂しき人よ、気高き人よ、孤高なる人よ。

あなたは、救われたのですね。

 

カルデアに来て、彼の王と関わるうちに、モードレッドは少しだけ気づいたことがあった。彼女は、彼女なりに、何か、輝かしい答えを得たのだろうと。

モードレッドの時間は止まってしまった。彼女は死人だ。

 

大人になることは出来ない。

それでも、前に進む時はいつかやって来るのだ。

未来がどんなものか知っていても、何かを得ることがきっと出来るだろう。

 

「俺は、前に進むから。立ち止まってばっかじゃいられねえだろう?だってよ、俺は王になるんだからな。」

 

それは、今更過ぎる宣言で。初々しすぎるそれは羞恥を刺激された。それでも、モードレッドはセイアッドに言葉を紡いだ。

 

「・・・・なあ、セイアッド。だから、誓いを一つ、くれないか?」

「誓い?」

 

それに、モードレッドはゆっくりと跪いた。

 

「我、反逆の騎士なり。父を、友を、全てを裏切りの果てに崩壊させしものなり。それでも、なお。我はここに、一つの誓いを立てる。我が、唯一よ。我が、月の姫、セイアッドよ。汝に、我は誓う。俺は、王になる。俺にとって、美しいと思えた、誰かが笑っていられるような王になる。」

 

遠い何時かの果てに、王になり、その隣に汝が在ることを、願う。

それは、きっと祈りの言葉だ。

いつか、あなたと共に夢に行きつくという祈りであり、誓いだ。

死で別たれた互いが、いつか、死の先で共にあるという祈りだ。

それに、セイアッドは狂おしいほどの何かを湛えて、微笑んだ。

 

「・・・・ええ。モードレッド。あなたが望むなら、いつだっておそばにいますよ。」

 

そこだけが、私の居場所だったから。

 

 

跪いたモードレッドが、立ち上がった。それに、セイアッドはどこか苦笑交じりに囁いた。

 

「・・・・モードレッド。私は、カルデアに来てからものすごく、傲慢なことを考えるようになってしまったんです。」

「お前が?」

「何ですか、私だって色んなことを考えてるんですよ?」

 

そう言って怒るような仕草をしても、すぐに沈んだように顔を傾けた。

 

「私はね、モードレッド。あんな結末になるって知ってても、あなたと会うことを願い続けます。ええ、だって、あなたは私の運命だったから。女の子で、私のところまで来られる人なんて、あなたぐらいだった。確かに、あなたは私の運命でした。でも、カルデアで、物語の枠の外で、出会った人たちが仲良くしているのを見て、思ったんです。」

 

私にとってあなたは運命でも、あなたにとって私は運命だったんだろうか。

セイアッドはぼんやりと、そう囁いた。

だって、そうだろう。

セイアッドはある意味、モードレッドに会うことしかできなった。でも、モードレッドは何か、何かが違えば、もっと違う誰かに出会えていたのかもしれない。

セイアッドは、それに、ようやく自分がひどく傲慢なことを考えていたと気づいたのだ。

 

自分と同じように、モードレッドだって自分がいればいいなんて。

 

モードレッドは、彼女なりに聖杯戦争にだって出て、そうして彼女なりにカルデアで出会いを繰り返している。

それは、嬉しいことだ。けれど、寂しくもあった。

彼女と、自分の知らない誰かを話している時に、気づいてしまったのだ。

自分よりも、彼女には良き運命があったのではないかと。

それをぐるぐると考えて、そうしてたまらなく恥ずかしくなった。

 

セイアッドに何が出来た?

 

彼女の手助けを確かにした。でも、そんなことはきっと他の誰かが出来たことだ。自分じゃなくたってよかったはずだ。

あの時、モードレッドが自分を拒絶したとき、確かに彼女は自分の運命だった。それは、本心だった。

けれど、彼女に取って自分は運命だっただろうか。

 

大好きだ、大事で、愛おしくて、笑ってほしくて、夢をかなえてほしくて、彼女の見た美しいものを共有したくて。

 

ああ、でも。自分は、彼女に何がしてやれただろうか。そんなことばかりを考えて。恥ずかしくなってしまったのだ。己の傲慢さに、心から嫌になって。

そこで、セイアッドは気づいたのだ。

モードレッドは輝かしい夢がある。けれど、自分は?自分の夢とは何だろうか。

セイアッドの夢は、モードレッドとずっと一緒にいることだ。もう、離れることのないように、彼女の幸福を見守っていることだ。

けれど、その夢はかなっている。ある意味では。

自分は、モードレッドに何もかもを、背負わせ過ぎなのではないだろうか。

幸福も、悲しみも、彼女へ抱くのはあんまりにも弱すぎるのではないだろうか。

そんなことを、考えてしまった。

 

「あなたの、幸福を考えて。色んな、あなたを考えて、どうすれば、もっとより良い未来があったのかって考えて。私は、あなたのことが大好きで。でも、私は、あなたの最善じゃなかったと思ったら。あなたの、もしもを考えてたんです。」

 

もしも、もしも、こんな願いを抱かなくてよければ。そんなことを考えて。

自分には、価値があっただろうか。

モードレッドから誓いを差し出されるほどの、何かを自分はなしただろうか。

 

夢とは、終着点だ。

 

自分の終着点を、他人にゆだねている自分とは何なのだろうか。

セイアッドは、言葉の後に、黙りこんだ。

呆れられると思った。

だって、自分は情けなくて、弱くて、下らないことを考えて。

きっと、彼女に呆れられてしまう。

そんな彼女に苦笑がかけられた。

 

「馬鹿だなあ。」

 

その声が、あんまりにも穏やかだったものだから、セイアッドはゆっくりと彼女を仰ぎ見た。

そこには、きっと、セイアッドしか知らない、優しい微笑みを浮かべた騎士がいた。

 

「お前だから、俺は俺だけの何かを持てたんだ。」

 

モードレッドはそう言って、その頭をそっと撫でた。

 

「私だから?」

「当たり前だろ。だって、お前は、俺を俺としてそのままそっくりと受け入れてくれた。」

 

きっと、彼は理解していないだろう。あの時代に、あの場所で、女のまま騎士になり、堂々と王になると宣言した自分を、彼は一度だって否定しなかった。

それは、ある種、常識を知らなかったということもある。

けれど、それでも、あの時、彼は歪な己を受け入れた。

 

「それはな。俺にとって、特別だったんだ。お前は分かってないんだよ。俺にとってだって、お前は確かに運命だったんだ。」

 

それは、あまりにも、あまりにも、優しいだけの声音だった。

それに、セイアッドの目からぼたぼたと、涙がこぼれた。透明な、滴が、零れていく。

モードレッドは、それにセイアッドを抱きしめた。

 

「お前は強いぞ。なんたって、あの女を前に死んでも啖呵を切ったんだぞ。お前は、俺の誇りを守るために、あの時、負けようと勝てない癖に戦ったんだぞ。お前は、強いよ。」

 

鎧は、痛くて、固いのに。どうしてだろうか、温かった。

セイアッドの目から、暖かなそれが零れては、鎧を滑り落ちていく。

 

「お前は、強いよ。強くて、自慢で、綺麗で、飯が旨くて、俺だけの、俺の運命だ。なあ、誰かをずっと思い続けるのは難しいんだ。俺は、裏切りを知っている。父上の味方だった奴らの薄情さを見ろよ。人はな、変わる。でも、お前は、ずっと俺の事を考えてくれてたんだ。俺だけの、お姫様でいてくれたんだ。お前の夢は、優しいよ。誰かのことを想い続ける、強くて、優しい願いだよ。」

 

それに、セイアッドはたまらなくなって、ぐずりと哭いた。

 

「・・・・・なあ、セイアッド。待っててくれるよな。俺の、夢がいきつくところに、共に、来てくれるか?」

「・・・・・はい。ずっと。ずっと、待ってます。もしも、待ちきれなくなったら。」

また、会いに行きますね。

 

それに、モードレッドはああ、ありがとうと頷いた。

ああ、それでよかったのかとセイアッドは安堵した。

大好きな人を待ち続け、そうして何時かを望むこと。それだって、十分に、夢であってよかったのだ。

 

 

「・・・・・やっぱり、マーリンが黒幕だったの?」

「まさか。確かに、彼には夢を見るための魔術を伝授したけどね。この結果になるのは私だって考えていなかったよ。」

 

そのマスターである子どもと、そうして夢魔の魔法使いはとある草原に立っていた。

突き抜ける様な青空と、青々とした絨毯のような草原と、そうして色とりどりの花びらが風に舞う。

その中で、二人の少年少女が踊っている。

それは、でたらめなステップで、作法なんて知るものか、などと聞こえてきそうな踊り方だ。

 

けれど、満面の笑みで笑う彼らはそれを心の底から楽しんでいると分かるから。それでいいと納得してしまう。

不思議なことに、彼の服装は、踊るたびに変化した。

 

青年のドレスが、タキシードに変わることも、古めかしい軍服のようなそれになることも、そうして平民のような古ぼけたものにだってあった。

そうして、それは少女だって同じだ。鎧が、タキシードになることも、もっとラフなショートパンツにジャケットになることも、美しい真っ赤なドレスになることだってあった。

 

けれど、二人はそんなこと気にしない。だって、そこにいるのはお互いだけで。互いに、服装なんて気にしないのだ。

だって、どんな格好でも、彼にとって彼女は彼女で、彼女にとって彼は彼だ。

黄金と白銀が、ターンのたびに、きらきらと光って、まるで光が踊っている様で。

翻る、白いマントに、真っ赤なスカートがまるで血潮の様で。

そこには、美しい、幸福そうな、少年と少女がいた。

 

それは、まるで夢のように美しい光景だった。

 

「・・・・・じゃあ、なんでこんなの見せるわけ?」

 

マスターは、きっと忘れられない光景をじっと見つめた。それに、夢魔は肩を竦めた。

 

「・・・・例え夢であったとしても、綺麗なものは共有したくなるものだろう。それに、何故だろうね。君には、覚えてほしかったんだ。」

 

そう言ったマーリンの横顔は、能面のように無表情だった。けれど、藤丸立香はそれが、マーリンの素の顔であると察した。そうして、彼はまるで独り言のように囁いた。

 

「・・・・確かに、彼らは大人にはなれなかった。そうして、彼らは彼らの持った物語を背負い続けるだろう。けれど。心は成長する。」

 

大人になれなくても、恋を知ることも、愛を得ることも彼らは確かにできたんだね。

どんなに生きたって、それを得ることのできなかったものもいるのに。

そう言ったマーリンが、何故か寂しそうに立香には見えた。

 



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