五等分の花嫁 GOLD (いるか)
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風太郎と金太郎

「焼肉定食、焼肉抜きで」

 

「ライス大盛りひとつ」

 

学食のカウンターで、奇妙な注文が同時に発された。

 

黒髪の少年───上杉風太郎と、髪を逆立てた金髪の少年が同時にカウンターに立っている。

 

タイミングが被ってしまったようだった。

 

「………」

 

「………」

 

金髪の少年が、苛立ちを隠す事なく風太郎を睨み付ける。

そのガンの飛ばし方は、コントに出てくる荒くれ者のようにキマっていた。

 

後ろに並ぼうとした男子生徒がひぃっ、と声を上げながら立ち去って行く。

 

「………先頼めよ」

 

信じられないぐらいに睨まれながらも、怯む事なく注文を譲る風太郎の表情には、呆れが含まれていた。

 

大きな舌打ちを打ちながら、金髪の少年がカウンターで大きく白米がよそおわれた茶碗を受け取る。

 

そのまま立ち去って行った金髪の少年を見ながら、風太郎はため息をついた。

 

(馬鹿な奴め。焼肉定食の焼き肉皿抜きなら、200円で味噌汁とお新香が付いてくるってのに)

 

自分の注文を受け取った風太郎は、金髪の少年とは逆方向のテーブルへと向かった。

 

 

 

(何が焼肉定食焼肉抜きだ、アホめ)

 

席に着いた金髪の少年は、ポケットからのりたまの小袋を取り出し、大盛りの白米にふりかける。

 

(ライスは200円で大盛りが食えるってのに)

 

焼肉抜きの定食に、味噌汁やお新香がつくことを知らない少年は、風太郎の注文を馬鹿馬鹿しく感じていた。

 

昼食時なのに気分が悪い。

顔を合わせたくない人物と鉢合ったことで、ただでさえ味気のない200円の白米が尚のこと味がなく感じる。

 

白米だけの食事ですぐに終わるはずなのに、飲み込むのに時間がかかるのを感じていた。

 

「───転校生なんだって」

 

「へえ、五つ子ねえ、凄い人がいるもんだ」

 

近くの席の生徒の話し声が聞こえる。

五つ子の転校生がいるらしい。

 

(珍しいが、どうでもいいな………)

 

どうせ自分とは関わりのないことだろう。

そう高を括り、残りの白米をかき込んだ。

 

 

───プルルル───

 

 

食事を終えたタイミングで、ポケットの携帯電話が震える。

画面を見れば、「らいは」と表示されていた。

 

「もしも……」

 

「金太郎お兄ちゃん!!お父さんから聞いた!?」

 

大きな少女の声に、思わず携帯を耳から離す。

 

「なんだよ、何も聞いてないから落ち着いてくれ」

 

「あはは、それさっき風太郎お兄ちゃんからも言われたー!」

 

らいはからの言葉に、心にモヤモヤがかかるのを感じる。

だが、大事な妹にそんなことを悟られる訳にもいかず、金髪の少年───上杉金太郎は、続きを促した。

 

「うちの借金なくなるかもしれないんだよ!」

 

「は?」

 

唐突な言葉に、思わず口調が荒くなる。

 

「借金がなくなるって、そんな訳ないだろ。返済までまだ大分かかるはずだし……」

 

上杉家にある借金は、向こう数年、下手をすれば十数年は完済までかかるはずの額だ。

それが、いきなり返済の目処が立つはずがなかった。

 

「まさか、親父が内臓を……!?」

 

「あははー、違うよ、お父さんが内臓を売った訳じゃないから」

 

だとすれば、弁護士に相談でもしたのか。あるいは、父の仕事に何か変調があったのか。

しかし、金太郎の予想は覆される。

 

「お父さんがね、良いバイト見つけたんだって。お金持ちのお家で家庭教師を探してて、相場の5倍のお給料をもらえるんだって」

 

「バイトって………」

 

たかだかバイトで借金が返済できるのなら、自分たちは苦労していないだろう。

金太郎は、夜中まで詰め込まれた自分のバイトのシフトを思い浮かべながら、苦笑した。

 

「そこのお家の人、成績悪くて困ってるらしいから、風太郎お兄ちゃんならきっとやってくれるよね!」

 

「っ………」

 

そこで出された風太郎という名前に、苦虫を噛むような表情を浮かべる。

金太郎は、バイトを掛け持ちしている自分は、頼りにされていないことを実感せざるを得なかった。

 

そして、風太郎───兄が期待されているのだということも。

 

「これで、お腹いっぱい食べられるようになるね!」

 

だが、そんな屈折した感情は、純真に喜ぶ妹の声を前に、かき消すしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家の明かりが消え、街灯だけが灯る暗い住宅路の中、バイト帰りの金太郎は、古いアパートの前で鍵を手にしようとポケットに手を入れる。

 

そこで、ふと部屋に小さな明かりが点いている事に気がつく。

 

(まだ誰か起きてんのか…?)

 

もう日付が変わっているような、夜中の時間だ。

妹は当然として、父だって眠っているだろう。

 

だとすれば、明かりの原因は想像できた。

 

ガチャリ、とドアを開けば予想通り、兄が机に向かってペンを走らせていた。

 

「………帰ったのか」

 

「悪いかよ」

 

妹達を起こさないよう、荷物をなるべく静かに置く。

机に置かれたスタンドライトの小さな明かりだけが、部屋を照らしている。

 

風太郎が夜中まで机に齧り付くのは珍しいことではなかったが、それでも、金太郎が帰る時間には眠っていることが多い。

 

金太郎がバイト帰りに風太郎と言葉を交わすのは珍しい事だった。

 

「悪いなんて言ってないだろ。俺はこの問題を作るのに忙しいから、寝るなら先寝ろよ」

 

「別にテメーに言われるまでもなく寝るっつーの」

 

ぶっきらぼうに返事を返しながら風呂場へ向かう。

なるべく音を立てないようにしながら、ふと兄の言葉が気になった。

 

(問題を作るってなんだ………?)

 

問題を解くならまだしも、作るなんて教師みたいなことを………とそこで、らいはとの会話を思い出した。

 

(ああ、家庭教師の話って、マジだったのか………)

 

浮足だった妹が大袈裟な話をしている可能性を疑っていたが、家庭教師を請け負う事自体は事実らしい。

 

「相場の5倍、ね」

 

相場の5倍の給料という、らいはの言葉が事実かどうかは疑わしいが、家庭教師はそれなりに実入りの良い仕事だ。

 

万年火の車の家計が少しでも楽になるなら良いことのはずだ。

もっとも、金持ちの家の家庭教師に捻くれ者の兄が馴染めるとは思えなかった。

 

これまで風太郎が始めては続かなかったバイトの数々を思い返す。

その度に、バイトが長続きしている自分が兄に呆れていた。

 

ただでさえ人と馴染めない兄が、何歳かは知らないものの、生徒に勉強を教えられる仕事が続くとは思えなかった。

 

それも、金持ちの家で。

 

「ま、知らねえけど」

 

兄のことなど考えたくもない。

そんなことより、疲れた体に少しでも睡眠を与えて、早朝の新聞配達に備えたかった。

 

結局、金太郎が眠る時間まで机に向かったままの風太郎は、早朝に金太郎が短い睡眠から目を覚ます頃に、机に突っ伏したまま意識を落としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この公式は………この問題も………くくく、これは三玖に………」

 

(っるっせーな………)

 

聞こえるように大きめの舌打ちを鳴らすが、ぶつぶつと独り言を言いながら問題集を手にする風太郎には、聞こえていない様子だった。

 

今日は日曜日。

 

新聞配達と昼のバイトを終えて、一旦帰ってきた金太郎は、夜のバイトに出掛ける前に家族の夕食の準備をしていた。

 

普段は妹のらいはが夕食を作ってくれるが、まだ小学生の妹に背負わせてしまっている負担を減らすため、金太郎が夕食を支度する日もある。

 

今日はバイトの空き時間ができたため、何品か作ろうとしていたのだが。

 

「………って、何やってんだ俺ー!立派な家庭教師か!!」

 

「っるせーなぶっ飛ばすぞ」

 

兄の大きな叫び声に、金太郎は苛つきを隠さなかった。

 

兄が休日に朝から晩まで自習に励むのは珍しくないが、ここまで集中が途切れているのはあまり見なかった。

 

「あ………すまん、家庭教師の生徒のことで、気を取られてな………」

 

「そうかよ、俺が知るか」

 

冷たく返した金太郎に、風太郎はなんとも言えない表情を浮かべた。

おか上げにしたほうれん草を三等分にしながら、冷蔵庫からごぼうを取り出す金太郎。

 

「………今日もバイト先で飯食うのか」

 

そんな三頭分された食材を見ながら、風太郎が訊ねる。

 

「食費が浮くからな。夜遅くまでかかるし。知ってんだろーが、今更」

 

慣れた手つきでごぼうを切りながら、金太郎が突き返す。

 

バイト先の賄いで夕食を済ませることがほとんどの金太郎は、普段から妹に自分の分の夕食は作らなくて良いと言いつけてあった。

 

「寂しがってたぞ、らいは」

 

包丁の音が止まる。

が、すぐに小気味良く包丁とまな板が音を立てた。

 

「………」

 

「………」

 

トントンという音だけが部屋を伝い、言葉は交わされなかった。

金太郎は、返事をする気にならなかった。

 

そこへ、ピンポーン、とチャイムが響く。

 

「………誰だ」

 

「借金取りか………?」

 

上杉家に来客が来ることは少ない。

家庭の事情で、その数少ない来客は好ましくないものになる。

 

「下がってろ、俺が」

 

「あ、おい金太郎………!」

 

そんな都合の悪い来客ならば、風貌がヤンキーである自分の方が良い、とドアに手をかける。

 

「金ならありませんが………?」

 

ところが、いかつい男を想像し、低い声を唸るように出しながら開けたドアの先には、見慣れない赤い長髪の少女がいた。

 

「………」

 

「………あの、どちら様で?」

 

金太郎を見て固まったのか、少女は声を震わせる。

 

「え、ええと……上杉風太郎君のお家はこちらで合っております、でしょうか……」

 

震える声が、次第に消え入りそうなほどか細くなっていく。

 

「は?」

 

「ひぃっ、す、すみません人違いでした………!」

 

「あ、五月か」

 

「う、上杉君!いるんじゃないですか!」

 

金太郎の後ろから顔を覗かせた風太郎は、少女──五月と目を合わせる。

 

「ドアを閉めろ、金太郎」

 

「なんでですか───!?」

 

叫ぶ五月。

ドアを思い切り全開にする金太郎。

 

「どうぞ、お入りください」

 

「なんでだ、金太郎───!?」

 

ドアの前で騒いでいると、そこへもう一人やって来た。

 

「ただいまーって、あっ!五月さん!」

 

妹のらいはであった。

 

「知り合いか?らいは」

 

「うん、風太郎お兄ちゃんの生徒さんだよ」

 

「生徒って………」

 

金太郎は五月に目を向ける。

どう見ても同年代の五月に、金太郎は面食らった。

 

(中坊とか小学生の子供じゃなかったのかよ……)

 

てっきり金持ちの子供を相手にしているものと思い込んでいた金太郎にとっては、驚くべきことだった。

 

「………あの、中に入れてもらえますか?渡したい物があるので……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「父から預かった上杉君のお給料です」

 

給与、と記載された茶封筒がちゃぶ台に置かれる。

 

「すごーい、頑張ったね」

 

「と言っても、二回しか行ってないし、期待しない方が………」

 

はしゃぐように笑うらいはを横目に、風太郎が茶封筒を手に取って中身を確認する。

すると。

 

「一日五千円を五人分。計二回で五万円だそうです」

 

「なっ………」

 

茶封筒を持つ手を震わせる風太郎を見て、思わず声を漏らしたのは金太郎だった。

 

たった二回行っただけで五万円。

それだけの金額を稼ぐために、金太郎がどれだけの時間を割いているかは、考えたくなかった。

 

「受け取れねぇ」

 

「はぁ!?」

 

だが、震える手を抑え、毅然とした態度で茶封筒を突き返す兄に、金太郎は思わず声を上げる。

 

「お前は黙ってろ。確かに、俺はお前たちの家に二回行った。だが俺はお前たち五人に何もしてねぇ」

 

「っ………」

 

口を挟むつもりはなかったが、叱責を受けて反抗の声を上げそうになるのをぐっと堪える。

 

(五人………生徒って五人もいんのか…)

 

口ぶりから察するに、風太郎の受け持つ生徒は五人いるらしい。

お金持ちの家の五人。随分な兄弟か姉妹だと思うのと同時に、それほどの人数を受け持ち、給料を貰うほどの仕事をしていたことに、面食らっていた。

 

そして、恐らくそのことについて、お金を受け取らないほどに責任感を抱いているのだろうということも。

 

「何もしていないということはないと思いますよ」

 

柔らかい表情を浮かべる五月の姿を、その場の全員が見ていた。

 

「あなたの存在は、五人の何かを変え始めてます」

 

それは、つまり風太郎の存在が、誰かにとって重要な役割を抱いていることに他ならない言葉であった。

 

「そんな訳で、とにかく返金は受け付けま───」

 

「バイトの時間だ」

 

「せん───えっ?」

 

思わぬところで言葉を遮られた五月が呆気に取られる。

 

「えっ、もうそんな時間?」

 

「ああ、悪いけど晩飯の支度、後頼むわ」

 

時計を見るらいはの頭をポンとひと撫でし、鞄を持って立ち上がる。

 

「ば、バイトをなさってるんですね」

 

「あー……ウチの愚兄が、迷惑かけると思うっすけど、これからもよろしくお願いします」

 

「へ?え、ええ、まあ……」

 

「おい、愚兄ってなんだよ」

 

立ち上がった金太郎にびくりと肩を震わせた五月。

そんな彼女に頭を軽く下げておく。

 

金持ちに媚を売っておくことは、悪いことではないだろう。

そう思いながら、金太郎はそそくさと家を出た。

 

 

 

 

 

「ふぅ………それにしても驚きました。上杉君、弟がいたんですね」

 

「ああ、この前ウチでカレー食ってた時にはいなかったっけか」

 

金太郎が去ったことで落ち着いたらしい五月がため息をつく。

 

先日、タクシーで風太郎を送り届けた時に上杉家に上がった時は弟がいるなんてひと言も知らされていなかった。

 

それも、金髪の髪を逆立てる、ヤンキー風の出立ちであったため、五月は少しばかり怯えていた。

 

「まあ、悪い奴じゃねーよ。あんな見た目してるけど」

 

「っそ、そんな、悪い人だなんて思ってませんよ」

 

「あはは、確かに金太郎お兄ちゃんはどう見てもヤンキーだからね」

 

慌てる五月に、らいはが笑いながら答える。

 

「でも、金太郎お兄ちゃんはウチの家計を支えるために、朝から晩までバイトしてるんだ。晩御飯、ウチで食べないぐらい夜遅くまで」

 

「だから、先日はいなかったんですね………」

 

「先日ってか、毎日だけどな」

 

らいはが、少しだけ寂しそうな表情を見せるが、すぐに元の明るさを見せる。

 

「毎日夜遅くまでって……勉強は、大丈夫なんですか?」

 

「そう!そこなんだよ!」

 

身を乗り出して五月に返答する風太郎に、五月は「えぇっ!?」と気圧された。

 

「あいつは家計を支えようとしてるのかもしれんが、成績がすこぶる悪い!俺が教えようとしても死ぬほどガンを飛ばされて寄せ付けもしない!!」

 

「は、はぁ」

 

困惑する五月を見て少し我に帰り、ちゃぶ台に乗り出した体を元に戻した。

 

「………まあ、お前らよりはマシだが」

 

「嘘でしょ!?」

 

夜中まで働いているヤンキー風の少年が、自分達より成績がマシだという。

にわかには信じがたいが、風太郎の目は嘘を言っていなかった。

 

「あいつは一年だが、俺が書き込みに書き込んだ教科書を使い回しているからな。教科書を読むだけで赤点ぐらいは回避出来るんだよ」

 

「そ、そうなんですか………」

 

(お前らは読んでるだけじゃ無理かもしれんがな………)

 

言葉にはしなかったが、風太郎は五月達、五つ子の先行きの怪しさに、頭を抱えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あいつがもっと成果を上げて、本当に借金が解決したら………)

 

そんなことばかり考えてしまい、今日はいつもより仕事に身が入らず、ぼーっと帰り道を歩いていた。

 

たかがバイトを始めたぐらいで、しかもどうせ長続きしないとたかを括って信用していなかったが、どうも彼女、五月達の家庭教師は本当に借金の返済に近付きそうなものらしかった。

 

金太郎にとって、自分が家族に貢献できる唯一の方法が、アルバイトで家計を支えることだった。

 

風太郎は、悔しいが金太郎では逆立ちしても敵わないほど成績が良い。

将来的に、兄と自分のどちらが給料の良い職に就けるかなど、火を見るより明らかだ。

 

だから、今全力で金を稼ぐために金太郎は睡眠時間を削り、家族との夕食を食べる時間を捨ててまでアルバイトに勤しんでいる。

 

そんな、自分の唯一のアイデンティティが、兄の家庭教師によって崩れ落ちそうになっていた。

 

(単純に、週一でも十万………)

 

一回の仕事の給料が二万五千円なら、週一の勤めだったとしてもそれぐらいの金額になる。

 

それは、金太郎が一月休みなく働き続けてようやく叶う金額だった。

 

───あなたの存在は、五人の何かを変え始めてます───

 

「クソっ……」

 

そして極め付けは、五月のあの言葉だ。

 

兄は、どうも五人もの人間に影響を与えているらしかった。

 

これまで友人など出来ず、勉強しか取り柄のなかった兄が、それ以外で人に良い影響を与える。

それは、金太郎にとって苦虫を噛み潰すような事実だった。

 

「………あいつが、人に何かを、か……」

 

夜道を歩きながら、心のモヤモヤと共に、いつもその元凶だった兄について考える。

 

「………そういや、あいつのこと兄貴って呼んだのいつだったっけか………」

 

そして、これほどまでに兄を毛嫌いしているのも、いつからだったか。

 

ふと、金太郎の脳裏に古い記憶が浮かび上がった。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん、待ってよぅ………」

 

「早く来いよ、金太郎!置いてくぞ!」

 

逆立てた金髪に、イヤーカフを付けた少年、風太郎が走っていく。

黒髪の朴訥とした気弱そうな少年、金太郎は着いて行けずに涙を浮かべていた。

 

「お前、いっつも勉強ばっかしてるからそんなへっぴり腰なんだよ!」

 

「そんなこと言われたって………あっ………!」

 

急いだせいで、足がほつれて転んでしまった。

 

「うぅ………うっ………ひくっ………」

 

思い切りぶつけた痛みに、涙が溢れる。

 

「よっ」

 

「うぇっ………!?」

 

いつの間にか金太郎の元へ戻って来た風太郎が、弟をおぶった。

 

「ったく、お前はほんっと鈍臭いなぁ」

 

「うぅ、酷いよ、お兄ちゃん………」

 

言葉ではそう言いながらも、風太郎は絶対に弟を落とさないよう、しっかりと背負った手に力を込めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「風太郎、お前またテストで100点取ったのか!」

 

「別に、大したことじゃねーよ」

 

修学旅行から帰って来た兄は、突然変わった。

人が変わったように、勉強を馬鹿にしていたのが嘘のように勉強に力を入れ始めた。

 

そして、その成績の上がり方は、たったの一年程度で金太郎のこれまでの努力を覆すほどのものだった。

 

「おっ、金太郎は89点か」

 

中学生に上がり、これまで以上に勉強に集中したはずだった。

 

それまでも、金太郎は勉強以外には目もくれず、勉強だけに集中したはずだった。

 

「ま、89点でも凄いぞ、俺よりな!」

 

快活な父の声は、耳を通り抜けていった。

 

やんちゃで、勉強をしなかった兄が100点を取り続け、散々勉強を頑張って来たはずの自分は勝てなかった。

 

その事実が金太郎の心に大きな影を落としたのは、紛れもないことだった。

 

「………なあ、金太郎、勉強教えてやろうか?」

 

「っ───!」

 

答案用紙をぎゅっと掴んで、家を飛び出して走る。

 

「あっ、おい金太郎!」

 

父の静止の声を振り抜き、思いっきり走り続けて、どこかもわからない場所に辿り着いた。

 

「くぅ………うぅ………」

 

答案用紙を握り潰す。

涙が溢れる。

 

これほど情けないことはなかった。

 

自分がやんちゃな兄に勝てると過信していたことで追い抜かれることも、それについて上から目線で優しくされたことも。

 

実際に、風太郎に上から目線で言ったつもりはなかったのかもしれないが、今の金太郎には受け止められるだけの余裕などなかった。

 

───金太郎は良い点とって偉いわね───

 

「………お母さん………僕………お兄ちゃんに………あいつに………」

 

亡くなった母が、よく褒めてくれた。

だから金太郎はひたすらに勉強に取り組んだ。

 

だが、それすらも兄に奪われるなら、もう自分には何が残っているのかわからなくなっていた。

 

 

思えば、兄にはいつも先を越されてばかりだった。

小さい頃は、引っ込み思案な金太郎は引っ張られてばかり。

 

かけっこをした時や、ドッジボールに無理やり参加させられた時も、兄は必ず金太郎より活躍したし、そんな姿を母がよく褒めていた。

 

そんな兄が取り組まない勉強にしか自分が母に褒めてもらえることはないと、全力で取り組んだ。

 

なのに、兄は勉強でさえも金太郎を上回っていった。

 

だったら、自分が兄に───あいつに、勝てるものは何かあるのだろうか。

 

答えはひとつ。

 

何もなかった。

 

亡き母と、唯一自分が持っていた繋がりの思い出さえ、奪われるのなら、自分には何もない。

 

そうやって、金太郎は打ちひしがれた。

 

 

 

 

「───お前、一年坊か?」

 

ふいに、声を掛けられる。

学校で悪名が高い、不良生徒だった。

 

「お前、なに泣いてんだよ」

 

「お前さ、財布持ってない?俺ら今金なくてさ」

 

「貸してくれよー金」

 

嘲るように笑う不良生徒達に、声を上げることも出来ず、すくみ上がることしか出来ない。

 

「貸してくれよ───なぁっ!」

 

「っ───!?」

 

腹を殴られる。

声すら出せず、地面に倒れ込んだ。

 

「何コイツ、財布持ってないじゃん……」

 

「はぁ、つっかえねー」

 

「じゃあ、せめておもちゃになってくれ、よっ!」

 

「がっ………!?」

 

腹を蹴られる。

次は腕。次は足。次は───。

 

ボロ雑巾のように袋叩きにされていく金太郎の目には、もう何も映っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「がっ………」

 

殴られた男が倒れる。

金髪を逆立てた少年、金太郎が冷ますように拳を振る。

 

「な、舐めんなよ──!」

 

倒れた男の仲間の不良生徒が金太郎に殴りかかるも、さらりと受け流され、そのまま頭を掴んで顔を壁に激突させる。

 

衝撃と痛みで、不良生徒は倒れた。

 

「い、意味わかんねぇ……お、お前、なんなんだよ!」

 

「テメーで考えろ」

 

そう言うと、一瞬で不良生徒のそばに近寄り、腹に膝蹴りを叩き込んだ。

 

「ぐぇっ………!?」

 

瞬く間に三人の不良生徒が倒された。

 

「ぎぃっ───!」

 

苦しげに伸びている不良生徒達を、通りがかりざまに踏み潰しながら、しかし目線は一切そちらに向けずに、金太郎はその場を去った。

 

 

心を叩き折られ、大きな傷を負った金太郎は、気が付けば喧嘩に明け暮れるようになっていた。

 

兄に勉強の才能があったように、金太郎には腕っ節の才能があったようで、最初はボロボロのまま帰ることしか出来なかった金太郎は、いつしか不良生徒を一方的に倒せるほど喧嘩に強くなっていた。

 

家に帰りもせず、ただ目についた不良を殴る日々。

目的も意義もなく、ただ空虚な心を埋めるために人を殴っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大変、申し訳ございませんでした!」

 

父の勇也が地面に着くかというほどに頭を下げる。

父に頭を抑えられた金太郎も、連れられて頭を下げる形になっていた。

 

殴った相手が市議会議員の息子だったらしく、示談金を用意しなければ警察に通報して少年院行きにすると脅されたらしい。

 

借金に苦しむ家計のどこから用意してきたのか、多額の示談金を手元に置いた父は、ひたすら謝り続けていた。

 

その姿を見つめながら、自分の行動が家族の借金を増やしたのだと理解した。

 

「すまなかった。お前のこと、理解してやれなくて」

 

帰り道。そんな金太郎を責めるでもなく、悔しげに顔を歪めて謝る父に、もうやめてくれ、と心が引き裂けそうな感覚に陥った。

 

自分勝手に人を殴り回ったせいで家族に大きな迷惑をかけた自分を、責めてほしかった。

むしろ、殴ってくれた方がどれほど楽だったか。

 

 

「さ、帰ろう。らいはの体調が悪くなって、戻らなくてな。今日は風太郎が看病してくれてるんだ」

 

聞けば、金太郎が帰らずに出歩きだした時から、らいはの崩れた体調が戻っていないという。

それだけの心労を小さい妹にかけてしまったことが、更に金太郎の心を抉る。

 

同時に、この程度のことも想像出来なかったのかということも。

 

「らいはも、お前のことが心配なんだ。もちろん風太郎も、俺もな。だから、安心して帰って良いんだ、金太郎」

 

優しく語りかけてくれる父の言葉に、金太郎は何も言えなかった。

 

何を話す権利があるのだろうか。

これほどまでに家族に大きな傷を残した自分に。

 

そして、家族に迷惑をかけてしまったことが、金太郎の心に大きな影を残した。

 

 

この日から、上杉金太郎はこう思うようになった。

 

”少しでも、家族に貢献するために何が出来るのだろうか”

 

と。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

いつもの帰り道、いつもは無い出店の屋台が並び立ち、街灯だけが照らしている。

今日は夏祭りがあったようで、その痕跡が町中の至る所に散見される。

 

妹が行きたがったであろうな、と暗がりに佇む出店の看板を見つめながら思う。

 

休日で一日中机に齧り付きたがるであろう兄が、妹を連れて行ってくれたりしていないだろうか。

或いは、上杉家を訪れていた五月と一緒に祭りに参加していたのだろうか。

 

家庭教師の兄とは距離がありそうだったが、何故だか妹のらいはとは仲が良さそうだった。

 

そんなことを考えながら、家に着く。

相変わらず、部屋に明かりが点いている。

 

(またあいつか………)

 

まだ起きているのだろう兄の姿を思い浮かべてうんざりしながら、鍵を開けて部屋へ入る。

 

「すーっ………」

 

しかし、想像とは違って、風太郎は机に手と頭を置いて眠っていた。

 

「んだよ、寝んなら布団に入れよな………」

 

ふと目を向けると、出店でよく見る綿菓子の袋が置いてあった。

どうやら、夏祭りには行ったらしい。

 

「祭りに行って、帰ってからも勉強、ね」

 

そして、疲れて眠ってしまったのだろう。

 

ご苦労なことだ。

 

ちらりと、机に広げられたプリント用紙を見ると、どうも家庭教師用の問題を作っている最中らしかった。

 

そんな姿を見て、自分が勉強に打ち込んでいた頃を思い出す。

 

確かに、あの時の自分は熱心だったと思うが、それは、果たして兄のように長い時間をつぎ込み、全てを捨てるほど死ぬ気だっただろうか。

 

「やめだ、やめ」

 

かぶりを振って、浮かんだ考えを打ち消す。

 

どうも、昔のことを思い出して、感傷的になっているらしかった。

 

「………兄貴、か」

 

眠りこける兄の姿を見て、いつからか”あいつ”としか呼ばなくなってしまった兄への呼称が漏れ出る。

 

思い返せば、兄はいつだって自分に辛く当たったことはなかった。

 

やんちゃでガキ大将のようだった時は、確かに口調は荒く、無理やり外に連れ出されて迷惑はしていたが、擦りむいた時はおぶられていた。

 

理由は知らないが、勉強に全力を注ぎ始めた時も、自分に勉強を教えようとしてくれていた。

きっと、自分の勉強で必死だったのに、だ。

 

結局、金太郎が兄、風太郎を毛嫌いしているのは、金太郎の問題なのだ。

 

「………今じゃ、立派な稼ぎ頭、ね………」

 

高校生になり、アルバイトを始めるも、どれも長続きせずにすぐに解雇されてきた兄が、今や上杉家の希望になりつつある。

 

父親の見つけてきたきな臭いアルバイトではあったが、大金が貰えるのなら、それに越したことはないのだ。

 

「まあ、せいぜいクビにならないように、な」

 

机の上のスタンドライトを消す。

 

毛布を掛けてやる気にはなれず、今の金太郎には、これが精一杯の優しさだった。

 



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中間試験

「焼肉定食、焼肉抜きで」

 

「ライス大盛りひとつ」

 

注文が鉢合わせになった。

風太郎と金太郎は顔を見合わせ、互いにうんざりした表情を作った。

 

「またかよ………」

 

「テメーがな………」

 

先日も同じように注文が重なったばかりだというのに、今日もである。

 

学食のおばちゃんは、早くしてくれという呆れ顔と、仲良いわねぇというにやけ顔を足して二で割ったような表情だった。

 

「………先頼めよ」

 

「いいよ、お前が先で」

 

しぶしぶ注文を促す金太郎に、風太郎は先日と同じように譲り返す。

 

「この前はテメーが先だったろ。いいから先行けや、混むだろうが」

 

手でしっしっと払う。

複雑な表情を浮かべながら、風太郎が先に注文台に並ぶ。

 

口調は荒いが、金太郎なりの気遣いだった。

 

 

 

 

 

200円のライス大盛りを受け取り、座れる場所を探して今日も風太郎と反対の席に向かう途中だった。

 

「───上杉の奴、また一人だぜ」

 

ピクリと、眉が動くのを感じる。

 

「ああ、二年のガリ勉君だろ」

 

「あいつガリ勉過ぎて友達いないんだぜ、マジウケるよな!」

 

「性格も最悪らしいぜ!」

 

「ああ、そんな風に見えるよな!マジキモいって!」

 

耳に入ってくるのは、嘲笑うような悪口。

誰のことかなんて言われずともわかる。

 

言われていることは全て事実だ。

兄は頭がおかしいほどのガリ勉だし、友人もいなければ、性格も悪い。

 

それに、兄が何と言われようと自分には関係ないことだ。

聞こえてきたことは事実。兄とは無関係。

 

ならば、金太郎がすべき行動は一つ。素通りだ。

 

「でさ、上杉の奴一丁前に中野さん達に話しかけててさ、もうマジキモくって───あ?」

 

話を続ける生徒達の間に、金太郎が入り込んだ。

 

「え、何?」

 

───バゴンッ!!

と、とてつもない音が食堂に響く。

金太郎が拳で机を叩き割っていた。

 

「えっ!?えっ!?」

 

困惑し、怯える生徒達に、青筋を立てた金太郎が、引き攣った笑みを浮かべた。

 

「すんません。なんか虫が止まってたみたいで、つーいヤッちゃいました。虫、ちゃんと潰れましたかねぇ………ッ!?」

 

「ヒィッ………!?」

 

ドスの効いた声に、生徒がたじろぐ。

そんな生徒を尻目に、真っ二つに割れた机を指差す。

 

「あ~虫潰すのに机壊れちゃいましたかぁ、でもこれ事故ッスよねぇ………ッ!?」

 

「は、はひぃ……っ!」

 

怯む生徒に、めちゃめちゃに顔を近付けた金太郎。

必然、真っ向からガンを食らった生徒は、泣きながら必死で頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんたを部屋に入れるなんて、本当は死んでも嫌だけど」

 

高級マンションの一室。

女の子らしい飾りや、ファッション雑誌が置かれた本棚に彩られた部屋に、風太郎は足を運んだ。

 

「なんだよ………早く生徒手帳を返してくれ………」

 

風太郎の要件は一つ。

部屋の主───中野二乃に貸しっぱなしであった自身の生徒手帳を返してほしいということだった。

 

そんな風太郎の声には耳を貸さず、二乃はピアッサーを差し出す。

 

「ピアス。あけてくれたら返してあげてもいいわ」

 

「はぁ?」

 

唐突な要求に、困惑の声を上げる。

風太郎は現状二乃に煙たがられており、五つ子の姉妹の絆に亀裂を入れられるのではないかと、訝しまれている。

 

そんな二乃が、自身の耳に穴をあけるなどという痛みを伴う繊細な作業を、自分に託すということが風太郎には信じられなかった。

 

「自分でやれ」

 

「嫌よ、怖いわ」

 

「じゃあなんであけんだよ………忠告しておくがしばらく痛いぞ」

 

「やったことないのに適当なこと言わないで。いいからやって!」

 

「………」

 

「………」

 

ピアッサーを差し出したまま、硬直する二人。

 

「良いわよ。あんたにその気がないなら、何が書いてあるのか見ちゃおうっと。そんなに必死で返してほしがってるんだから、きっと深夜のノリでかいたポエムあたりが………」

 

「わー!やめろー!」

 

風太郎が必死に制止する。

二乃に取られたままの生徒手帳には、大事なものが挟まっており、それを見られることは何とか避けたかった。

 

「返してほしいんでしょ。やりなさいよ」

 

その言葉に火が点いたのか、風太郎が二乃の手からピアッサーを奪い取った。

 

「動くなよ」

 

「………っ!」

 

突然耳元にピアッサーをあてがわれ、二乃が息を呑む。

 

「ねえ、ちょっと待って!」

 

「3秒前」

 

「ちょちょ、ちょっと!」

 

「2……」

 

「待っ………」

 

「1………」

 

「こ、心の準備ってものが………」

 

「0!であけますからねー」

 

ゴッ!という鈍い音と共に、風太郎の脛に蹴りが入れられた。

 

「痛っ………ってうぉっ!?」

 

「いい加減にしなさ───きゃっ!?」

 

脛を蹴られた勢いで、風太郎が体勢を崩し、二乃を引き連れて床に倒れ込んでしまった。

 

「っ痛………あ、おい大丈夫か?」

 

「な、何よ。脛蹴られたぐらいで………って、え?」

 

「えっ?あっ………!?」

 

(しまっ………)

 

倒れこんだ拍子に、二乃のポケットに入っていた生徒手帳が転げ落ちる。

それも、よりによって風太郎が一番見られたくないページが開かれていた。

 

「ちょっと、この悪ガキ………」

 

そのページに差し込まれていたのは、逆立てた金髪に、機嫌が悪そうに目を背けた小学生の少年が映った写真であった。

 

二乃はその写真をマジマジと見つめる。

何を言われるかとビクビクしていた風太郎であったが。

 

「めっちゃタイプかも!」

 

少年の写真を見た二乃が、キラキラと目を輝かせた。

その容姿は、二乃の好みのタイプにドンピシャだったらしい。

 

「誰これ?なんであんたがこの子の写真持ち歩いてんの?」

 

(いや、昔の俺なんだが………)

 

その写真はまぎれもなく小学六年生の頃の風太郎のものだったのだが、しかしその事実を告げれば何を言われるのかわかったものじゃない。

 

「そ、それは弟の写真だ………恥ずかしいから、あんまり見られたくなかったが………」

 

故に、使いたくないが、容姿の似ている金太郎を使うこの言い訳を使わざるを得なかった。

 

お世辞にも、風太郎と弟は仲が良いとは言い難い。

そんな弟の写真を、後生大事に生徒手帳に差し込んでいるとは、嘘でも苦しいものだった。

 

「ほ、ほら、ピアスはもういいのか?」

 

「うっ………」

 

ピアッサーを指差す。

耳に穴が空くのがよほど怖かったようで、二乃は冷や汗をかいていた。

 

「ま、あんたを脅す材料もなくなっちゃったし、今回はやめてあげるわ」

 

「そうかよ………」

 

一安心、といった感じでため息をつく。

代償は高かったが、事態が収まったことに一息ついた。

 

「それにしてもこんな子があんたの弟ねぇ」

 

よっぽど気に入ったのか、弟と言われた少年をまだ見つめていた。

 

「あんたなんかよりよっぽどイケてるわ。今度会わせなさいよ」

 

そう言う二乃の表情は、これまで風太郎が相対してきた当たりの強いものから、比較的柔らかいものになっていた。

 

「まぁ、そのうちな………そろそろ返してくれ」

 

二乃から生徒手帳を受け取る。

 

そうだ、と二乃が自身の本棚からアルバムを取り出した。

 

「私たちもその写真くらいの時は可愛かったのよ。久々にあの子たちにも見せてあげよっと」

 

そう言うと、部屋を飛び出してリビングの姉妹たちの元へ駆けて行った。

 

(よかった………)

 

二乃がいなくなったのを確認し、生徒手帳を広げる。

 

「俺の写真は見られちまったが、半分だけでよかった。この写真まで見られなくて」

 

生徒手帳から取り出し、広げた写真は半分に折り畳まれており、その半分には長髪にワンピースを着た、同年代の少女の姿が載っていた。

 

その少女は、二乃が取り出したアルバムの中に、全く同じ姿の少女が五人映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっちまった………」

 

結局、事故で誤魔化すのを心苦しく思った金太郎は、割った机の弁償を申し出た。

 

無論、兄の悪口にムカついて殴ったとは言わず、事故でこけてしまったと理由を改めはしたが。

 

結果、安いものではないし、事故なら不問だろうと言われてしまったが、いささか心苦しかったので半額だけでもと申し出たのだった。

 

(暴力には頼らないって決めたのにな………)

 

兄のことになるといつも感情を抑えられなくなる。

 

それは、数年前から今もずっと続く兄への劣等感から始まった、金太郎の心に燻る癌のようなものだった。

 

「机の代金なぁ………はぁ………」

 

自業自得とはいえ、出費が痛い。

普段から自分の出費を切り詰めている金太郎には、かなりの痛手だった。

 

「これから昼飯抜くかなぁ………」

 

とはいえ、一日200円の昼食を抜いたところで机代は賄えない。

成長期の男子高校生が食事を抜くという不健康性は全く考えず、どうすれば節約が出来るかのみに思慮が回っていた。

 

そんな金太郎が、頭を悩ませながら歩いていると。

 

「良いじゃんっ!俺らと遊ぼうよ!」

 

「い、いえ、急いでるんで………」

 

「んな用事より、絶対俺らと遊んだ方が良いって!」

 

「あの………」

 

ショートヘアーの女子高生が、見るからに不良といった生徒三人に絡まれていた。

女子高生の方は制服を見ると、金太郎と同じ旭高校のものだった。

 

「なあ、良いじゃん、な?ほら、いこうぜ!」

 

「あっ、ちょ、ちょっと………」

 

女子高生が腕を引っ張られる。

 

「やめてって、言ってるでしょ───!」

 

強引なやり方に、流石の彼女も頭にきたようだった。

思いきり、腕を振りほどく。

 

「なっ、下手に出りゃいい気になりやがって、いいから来いっての………!」

 

「きゃっ───!?や、やめ………」

 

不良が女子高生の腕を強引に掴む。周囲の不良たちが女子高生を囲もうとしたその時。

 

「なっ!?」

 

金太郎が不良の腕を掴み、その腕を捻り上げた。

 

「やり口がダッせーんだよ」

 

「えっ………」

 

女子高生が驚きの声を上げる。

その声を背中で庇いながら、不良の腕を締め上げて、そのまま思い切り捻って地面に転がす。

 

「がぁっ………!い、いてぇ………!」

 

変な方向に回った腕の痛みに、地面でのたうち回る不良。

 

「くそっ、っざけんな───!」

 

周囲の不良が迫って来るも、一歩下がって足を引っ掛けてやる。

すると、足をほつれさせた不良が崩れ落ち、その後ろから迫って来た不良もドミノのように崩れ落ちた。

 

「ぐぇっ───!」

 

不良たちが、ガンッと頭をぶつけ合い、そのまま気絶したようだった。

 

気絶した不良たちから目を離し、腕を痛めた不良の髪を引っ掴む。

 

「ぐっ………痛っ………」

 

ゼロ距離で思い切り睨む。

恐怖に怯むのが目でわかった。

 

「二度と同じマネすんじゃねーぞ、あ゛?」

 

「ひぃ………」

 

放り投げるように不良から手を離した。

ワックスの感触が気持ち悪い。

 

「あ………」

 

呆気にとられた女子高生が、声を漏らした。

 

「大丈夫か?あんた」

 

「え?う、うん、まあ………」

 

ちらりと背中ごしに視線だけ向けて安否を確かめる。

 

「さっさと行った方が良い。後、この辺の道はこれからあんまり使わない方が良いかもな」

 

「えっ!?ちょ、ちょっと待って!」

 

用は済んだと歩みを進める金太郎に、女子高生が静止をかけた。

 

「ありがとうっ!私、中野一花!君はーっ!?」

 

その問いかけには答えず、手を軽く振って返した。

 

バイト先に向かい始めた金太郎の頭の中は、節約の方法をどうするかで占められていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って感じで!かっこよく退治してくれたんだ~!」

 

高級マンションの一部屋。

中野家のリビングに集まった五つ子。と上杉風太郎。

 

明日の中間試験に向けて、一夜漬けで勉強するために机を囲んでいた。

 

「おい、いいから集中しろ。まだテストの範囲をカバーしきれてない、時間がないんだぞ」

 

「まあまあ。休憩は挟まないと、集中途切れちゃうじゃん?」

 

「そうですよー!私、もう集中力が限界で………」

 

「ほら、ね?」

 

「………五分だけな」

 

ペンを止めて雑談を始める一花に、良い顔をしない風太郎であったが、長時間集中しろというのが、この五人にはいかに難しいかということをよく知っていたため、渋々頷いた。

 

「っていうかなんで私まで参加させられてるのよ」

 

「一人だけ仲間外れなのも嫌でしょ?」

 

「だからって私まで勉強するなんて………」

 

二乃が苦虫を嚙み潰したような表情でペンを置く。

中野家で泊まり込みで勉強するとなった際、一人反対していた二乃は、最初は勉強会に参加するつもりはなかったが、流されるままノートを広げることとなっていた。

 

「………一花、大丈夫だったのですか?」

 

「ん?ああ、大丈夫大丈夫。ちょっと危なかったかもだけど、さっき言った通り、通りがかりのヒーローに助けてもらったから」

 

心配そうな五月に、一花がなんでもないように答える。

 

「それにしても、不良に絡まれるなんて………普段はそんなことなかったですよね?」

 

「あー………あの時は、事務所に急いでて、普段使わないような道使っちゃったんだよね~………」

 

「その道、もう使わない方が良い」

 

それまで黙って話を聞いていた三玖が、心配そうに目を向ける。

 

「あ、それヒーロー君にも言われたよ」

 

「ヒーロー君って、どんな人だったの?」

 

四葉が聞くと、一花はうーん、と顎に指を当てて考える。

 

「顔はよく見えなかったんだけどね、なんか金髪で、ツンツン頭だったかな」

 

「えっ!」

 

二乃が声を上げた。

 

「それ、もしかして上杉の弟じゃない!?」

 

「は!?」

 

次に教える問題の確認をしていたところを、唐突に出てきた名前に風太郎が驚きの声を上げる。

 

(なんだって金太郎の話になるんだ………)

 

風太郎としては、先日二乃に生徒手帳を見られた手前、あまり弟の話はしてほしくなかった。

 

「上杉君の弟さんですか?確かに、特徴は似ているかもしれませんが………」

 

「でしょ!?えっ、っていうかなんで五月が上杉の弟のこと知ってるのよ?」

 

「なんでって、会いましたから、上杉君の給料を渡す時に」

 

えー!?と二乃が五月に詰め寄る。

 

「私も会いたいなぁ。今度は私が給料渡しに行こうかしら。どんな子だったの?」

 

「えっ?そ、そうですね………怖かっ、いえ、その、とても目力の強い人でしたかね………」

 

「目力?」

 

初対面で怖い印象を持った五月だが、風太郎の手前、怖かったとは言えずに誤魔化す。

 

「うーん、ちらっとしか顔は見えなかったけど、言われてみればフータロー君に似てたような」

 

「ほら!やっぱりそうなのよ!いいなあ。あんな子に颯爽と助けてもらえるなんて」

 

「………」

 

自分の弟の話がどんどん広がっていくことに、どこか居心地の悪さを覚える風太郎。

 

「不良を一人でやっつけちゃうなんて、腕っぷしも強いのね、上杉の弟」

 

「あ?あ、ああ、中学の頃はやんちゃしてたからな………」

 

自分に言われていると思わず、生返事を返すが、二乃は気にせず顔を輝かせていた。

 

「ワイルドで素敵ね………」

 

(なんでだよ)

 

マイナスな一面を語ったはずが、なお上がっていく好感度に心の内で突っ込んだ。

思いを馳せられる相手が、気まずい関係の弟であることに、何とも言えない表情が拭えない。

 

「二乃、なんでフータローの弟のこと知ってるの?」

 

「そりゃあ見たからよ。上杉の生徒手ちょ───」

 

「あー!さあお前ら!もう休憩は充分だろ!再開するぞー!時間はないぞー!」

 

あまり広められたくない生徒手帳の話を遮り、強引に教科書を広げる。

 

「ええ!?もうこんな時間じゃない、私は嫌よ、夜更かしは美容の天敵だわ」

 

「泊まり込みで一夜漬けだって言ったろ、今日は可能な限り朝までやる」

 

「そうそう、観念して勉強しよ?」

 

時計の針は23時を差していた。

休憩して少しやる気を取り戻したらしい四葉が二乃に語りかけるが、二乃はうんざりした表情を浮かべていた。

 

「私はもう寝るわ」

 

「なっ………」

 

風太郎が面喰う。

ただでさえ、二乃は普段から勉強会に参加していない。

雇い主である、五つ子の父親に”赤点を回避できなければクビ”という条件を突き付けられた風太郎は、なんとしてもこのまま二乃に勉強をしてもらいたかった。

 

「私たちはこのまま朝までやるよ?」

 

「好きにしたら。あとはあんた達だけでやったらいいじゃない」

 

一花の言葉に、にべもなく返す。

 

「な、なあ、二乃。お前だって、赤点は取りたくないだろ?」

 

「さあ、どうかしら」

 

ペンケースに筆記用具をしまった二乃は、本当に自室に引き上げるつもりだった。

そんな二人を、五月は黙って見ていた。

 

「せめてあと少しやっていってくれないか。テスト範囲まではカバーしておきたい」

 

「………」

 

あくまで引き留めようとする風太郎に、二乃は良いことを思いついた、とニヤリと笑う。

 

「ねえ皆。こいつの生徒手帳に、何が入ってるか聞きたく───」

 

「わかった!確かに睡眠をしっかりとった方が良い時もある!」

 

仕方がないと、またも二乃の言葉を遮る。

満足げな二乃は、「おやすみ〜」と自室へと入って行った。

ちらりと、風太郎を見た気がした。

 

赤点を取るリスクは高まるが、それよりも自身の生徒手帳の中身について、話を広げられ、あまつさえ中身を見られてしまうような可能性は避けたかった。

 

それに、元々風太郎の授業や勉強会にこれまでほぼ参加せず、”赤点をとったらクビ”という条件を知られてしまっている、風太郎を毛嫌いしている二乃だ。

 

例えこれ以上机に向かわせたとしても、やる気など見せずに勉強はさせられなかっただろう。

 

少しだけだったが、勉強会に参加させられただけでも良しとすべきだろう。

 

「はぁ………まあいい。お前らだけでもやるぞ」

 

「ねえねえ、結局私を助けてくれたのって、フータロー君の弟さんなの?」

 

「さあ、俺はその場を見てないからな」

 

「そうじゃなくって、弟さんとそんな会話しなかった?ほら、美人女子高生を颯爽と助けたぜ!的な」

 

「自分で言うかそれ………」

 

だって女優だし、と自信満々の一花に、風太郎は冷ややかな目を向けた。

 

「あいつとはほとんど会話なんてしないからな。もし本当に弟だったとしても俺は知らねえよ」

 

「なーんだ、そうなんだ」

 

少し残念そうな一花。

 

「フータロー、弟と仲悪いの?」

 

「まあ、お前らと違って、良くはないかな………」

 

(確かに、仲睦まじくはなさそうでしたね………)

 

遠い目をした風太郎に、五月が思案する。

 

家計を支えるために、朝から晩までアルバイトをしているという風太郎の弟。

そんな彼が、もし自分たちが赤点をとって、クビになったとしたら、何を思うのだろうか。

 

そう思うと、ペンを握る手の力が少し強まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中間試験が返却される。

一喜一憂するクラスの声が耳に入りながら、赤字で45点と記載された自分の答案用紙を、何の感慨もなく見つめる。

 

睡眠時間を確保するため、大体の授業を居眠りして過ごしている金太郎にとって、赤点が避けられているだけで及第点だった。

 

そもそも、テストの点数にこだわるのは随分前にやめてしまった。

周りの生徒のように、テストの点数で喜ぶことも落ち込むこともない。

 

バイトに支障をきたさないよう、赤点を回避することだけが金太郎のテストを受ける意味だった。

 

(複雑だけどな………)

 

頬杖をつきながら、次の教科で使われる教科書を眺める。

上杉風太郎と名前が記載されたそれは、兄が去年使ったものだった。

 

ノートもほぼとっていない金太郎にとって、びっしりと要チェックポイントなどが記載されたこの教科書は、赤点を回避するために必要不可欠だった。

 

兄に間接的に助けられていることに、思うところはおおいにあったが、バイト時間を確保するために背に腹は代えられなかった。

 

(そういや、五月って人は成績が上がったのかね)

 

以前給料を届けにきていた五月。

 

成績が悪くて困っているため、風太郎が家庭教師をしているという話だったが、今回の中間試験で結果を出せているのだろうか。

 

(わざわざ家庭教師を頼むってことは、赤点でも取ってたのか?)

 

家にやってきた五月は丁寧な物腰で、頭が悪そうには見えなかったが、成績に悩んでいたのだろうか。

 

(あいつが人に教える、ね)

 

兄はこれまで自分の勉強は完璧だったが、果たして教師側に立った時、どういう結果になっているのか。

 

これまでバイトが長続きしなかった兄には、家庭教師の仕事は難しいように思えた。

 

(でも、なんか必死だったな)

 

夜中に金太郎が帰ると、風太郎はいつも家庭教師の問題を作るために起きているか、机に突っ伏して眠っていた。

 

いくら家庭教師の仕事が割りの良いものであるとはいえ、少々一生懸命過ぎていた。

 

まるで、これが失敗すれば、最後であると言わんばかりに。

 

「うわ最悪!俺赤点だよー!」

 

「お前、赤点とったらゲーム禁止だったよな」

 

「そうなんだよ、だから絶対赤点だけは回避したかったのにー!」

 

隣の生徒が騒がしく落ち込んでいる。

 

そう、普通は赤点をとれば何かしらペナルティが与えられることもある。

例えば、それが赤点をとらないために雇われた家庭教師だった場合は、どうだろうか。

 

(赤点とったら、クビ、とか)

 

そうなったら、らいはが悲しみそうだ、と他人事のように思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中間試験が終わり、テストが返却された日の図書室。

 

「答案用紙を見せてくれ」

 

「見せたくありません」

 

五つ子と風太郎が集まり、テストの点数を見せようという時だった。

 

「テストの点数なんて、他人に見せるものではありません。断固拒否します」

 

「五月ちゃん?」

 

答案を見せることを拒絶する五月に、一花たちは不審に思う。

 

「………ふぅ~………」

 

その五月の言葉に何かを察した風太郎は、息を吐いて腹を括った。

 

「ありがとな。だが覚悟はしてる。教えてくれ」

 

そう言った風太郎に、五月は決心して答案を渡した。

 

五つ子の答案用紙を見た風太郎は、はあ、とため息をついた。

 

「ったく、短期間とはいえ、あれだけ勉強したのに30点も取ってくれないとは………」

 

返却された答案用紙は、五人全員が一科目だけ合格点の30点を越えていたが、他の四科目全てが赤点という有様だった。

 

「でも、最初の時のフータローのテストの点数に比べたら………」

 

「ああ、確実に成長してる」

 

五人全員が四科目赤点であるが、最初に風太郎が課したテストの、”五人合わせて100点”という結果よりも高い点数ではあった。

 

「三玖。今回のテストで68点は大したもんだ。今後は姉妹に教えられる箇所は自信をもって教えてやってくれ」

 

「え?」

 

突然の言葉に、三玖は呆気にとられる。

 

「四葉。イージーミスが目立つぞ。焦らず慎重にな」

 

「了解です!」

 

四葉が明るく敬礼をして答える。

 

「一花。お前は一つの問題に拘らなすぎだ。最後まで諦めんなよ」

 

「はーい」

 

一花が頬をかく。

 

「二乃。結局最後まで言うことを聞かなかったな」

 

そう告げる風太郎に、二乃は仏頂面で返す。

 

「俺は今までのように来られなくなる。俺がいなくても油断すんなよ」

 

「ふん」

 

「フータロー?」

 

そっぽを向いて鼻をならす二乃をよそに、三玖が不安げな顔をした。

 

「もう来られないってどういうこと?なんでそんなこと言うの?」

 

目を逸らす風太郎に、詰め寄ろうとする。

風太郎に仄かな想いを秘める三玖は、聞こえてきた言葉にとても不安になる。

 

「私………」

 

「三玖。今は聞きましょう」

 

そんな三玖を、五月が止めた。

 

「五月………お前は本当にバカ不器用だな!」

 

「なっ!?」

 

バカ呼ばわりに反抗の声を上げようとする五月だが、風太郎は気にせず続けた。

 

「一問に時間かけすぎて最後まで解けてねぇじゃねぇか」

 

「反省点ではあります………」

 

反抗の言葉をグッと飲み込み、アドバイスを受け止める。

 

「自分で理解してるならいい、次から気を付けろよ」

 

「でも、あなたは………」

 

───プルルル───

 

五月のスマートフォンが着信を伝える。

画面には"お父さん"と記載されていた。

 

「はい、五月です………はい、ええ、今一緒にいますが………しかし………わかりました」

 

五月が、スマートフォンを風太郎に差し出す。

 

「上杉君、父が出てほしいと………」

 

「わかった」

 

覚悟を決めたように、電話を受け取った。

 

「上杉です」

 

『ああ、五月君と一緒にいたんだね。君の口から、試験の結果を聞こうか』

 

「わかりました、ただ………」

 

ちらりと、風太郎が五つ子達を観る。

事情を知らない三玖は不安げに見つめ、五月の目も不安に揺れている。

 

「次からこいつらには、もっと良い家庭教師をつけてやってください」

 

そう言う風太郎を二乃が静かに見つめていた。

 

『ということは?』

 

「はい、試験の結果は………」

 

パシッと、二乃が電話をひったくった。

 

「え?」

 

「パパ?二乃だけど」

 

『二乃君もそこにいたんだね』

 

電話を奪われた風太郎は呆気にとられるが、二乃は気にせず父親と話を進める。

 

「一つ聞いていい?なんでこんな条件だしたの?」

 

『上杉君が家庭教師として見合うか計らせてもらっただけだよ。彼が君たちに相応しいのか』

 

「私たちのためってことね。ありがとうパパ」

 

思わぬ人物が話を切り出したことに、三玖は固唾を呑んで見守る。

 

特に五月は、二乃が何を言い出すのか、と緊張の面持ちであった。

 

「でも相応しいかなんて、数字だけじゃわからないわ」

 

『それが一番の判断基準だ』

 

「あっそ。じゃあ教えてあげる」

 

その言葉に、二乃は何かを決心したようだった。

 

「私たち五人で、五科目全ての赤点を回避したわ」

 

「!?」

 

風太郎が驚く。

あれだけ敵視されていた二乃から出た言葉に、驚きを隠せなかった。

 

『本当かい?』

 

「嘘じゃないわ」

 

『二乃君が言うなら間違いはないんだろうね。これからも上杉君と励むといい』

 

電話が切れた。

折角久しぶりに娘と話したというのに、随分味気ないと二乃は思った。

 

「二乃、今のは………?」

 

「私は英語、一花は数学、四葉は国語、三玖は社会、五月は理科。五人で五科目クリア。嘘はついてないわ」

 

「そんなのありかよ………答案用紙見られたら終わりだろ」

 

あまりに強引なやり方に、風太郎が頭を抱える。

 

「大丈夫でしょ。パパは滅多にウチに帰って来ないし、私たちの答案なんて見ないわよ」

 

そう呟く二乃の表情はどこか寂しげだった。

 

「とはいえ、パパはそんなに甘くないわ。多分二度と通用しない」

 

二乃が片目だけ、風太郎に向ける。

 

「次は実現させなさい」

 

「………やってやるよ」

 

道のりは険しいが、やり遂げてみせる。

風太郎は冷や汗をかきながらも、不敵に笑ってみせた。

 

「それにしても、まさかお前があんなことを言うとはな」

 

「………あんたがクビになったら、弟君に会えないかもしれないもの。それだけよ」

 

(………こりゃ、本格的に会わせないといけないかもな)

 

腕を組みながら答える二乃に、風太郎はどうやって弟と二乃を引き合わせれば良いのかを少し考えた。

二人ともが、自分を毛嫌いしていることに、少し頭を痛めた。

 



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林間学校前日

誤字脱字報告、とても助かります。
ご指摘いただき、ありがとうございます。

感想もとても嬉しいです。
ありがとうございます。


「林間学校楽しみだねー!」

 

一年のクラス中が沸いている。

 

少子化に伴う生徒数減少の影響で、今年から林間学校は一年と二年が合同で行う、二年に一度の行事になっていた。

 

「ねえ、知ってる?最終日にやるキャンプファイヤーのダンス、フィナーレの時に踊ったペアは結ばれるんだって」

 

「何それ、伝説?」

 

「うん、旭高の林間学校の伝説だって~」

 

「なんかロマンチックだねぇ」

 

(くだらね………)

 

はしゃいでいる女子生徒の会話が耳に入り、金太郎は心の中で感想を漏らした。

 

「はーい、これ林間学校のしおりだから、よく読むように」

 

配られたしおりをパラパラとめくる。

二泊三日。キャンプファイヤーだのスキーだのと予定が詰まっている。

 

(休んでバイト行きてぇ………)

 

しかし、そのどれも、金太郎の心に響かなかった。

林間学校に行くための費用を、なんとか家計に回せないものかと考える。

 

───プルルル───

 

(バイト先か?)

 

着信に震える携帯電話の画面を見ると、父親からだった。

父親からの電話は珍しい。

 

「もしもし。なんだよ」

 

「金太郎!大変なんだ、らいはが倒れた………!」

 

「っ!?」

 

聞こえてきた言葉に、思わず立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんね金太郎お兄ちゃん。バイト休ませちゃって………」

 

「んなことお前が気にすんな」

 

妹の額に、冷却シートを貼ってやる。

 

「あ………冷たくてきもちいい………」

 

小学校で倒れたらいは。

一度病院で検査し、高熱による衰弱と診断され、よく休むようにと言いつけられた。

 

昔から、妹は身体が弱かった。

何かあれば体調を崩したし、今回は入院しないだけまだマシな方だった。

 

「お薬飲ませて」

 

「ん。じゃあお粥でも作るから、それ食ったらな」

 

「汗ふいて」

 

「タオル絞ってくる。ちょっと待ってろ」

 

「あと学校の宿題やっといて」

 

「………お前、わがまま放題言って、本当は元気だろ」

 

ぽす、っと軽くらいはの頭を小突く。

あはは、と力なく笑ったらいは。熱があるとはいえ、冗談を言える程度には余裕があるらしい。

 

「───らいは!」

 

ガチャッと勢いよく玄関のドアが開かれる。

兄の風太郎が帰ってきた。

 

「病人いんだぞ、もっと静かに帰れ」

 

「うっ………」

 

痛い所を突かれた風太郎がバツの悪そうな表情を浮かべるが、そんな二人をらいはが笑う。

 

「金太郎お兄ちゃん、こんなこと言ってるけど私を迎えに来た時同じような感じだったよ」

 

「………」

 

今度は金太郎がバツが悪そうに目を逸らす番だった。

 

「大丈夫なのか?」

 

「入院するほどじゃねえ。良く寝て食べれば治るってよ」

 

お粥を作るため、台所へ立ち上がる。

らいはの様子を見ていない風太郎はまだ不安げだったが、様子を知っている金太郎は落ち着いていた。

 

「あ、そうだ、これ、いろいろ買ってきたんだ、使ってくれ」

 

風太郎が自分の鞄を床に置き、レジ袋を広げる。

ゼリー飲料やスポーツドリンク、市販の風邪薬などがたっぷり入っていた。

 

「………大げさなんだよ。薬は病院で貰ってる」

 

「あっ、そ、そうか………すまん………」

 

「………」

 

「………」

 

気まずい沈黙が流れるも、大きくため息をついて金太郎がスポーツドリンクを手に取った。

 

「これは、俺も買ってなかった。そもそも、病院に急いだから買い物も出来なかったしな。飲めるか?らいは」

 

「のませてー………」

 

甘える妹の身体を起こし、スポーツドリンクを飲ませてやる。

心地よさそうに嚥下するらいはを見て、風太郎が安堵の息を漏らす。

 

「そうか………悪かった、もう少し早く親父からの電話に気付いてれば………」

 

「俺が気付いたんだ、問題ないだろ。大体、家庭教師の仕事でも行ってたんじゃないのか?」

 

「あ、ああ、まあ、そんなとこかな………」

 

(妹が倒れてたのに、林間学校に着ていく服を買ってたなんて言えねえ………)

 

金太郎の言葉に冷や汗をかく風太郎。

 

「そ、それより親父は仕事で明日の夜まで帰れないそうだ」

 

「そうなんだ…お兄ちゃんたちも、明日は林間学校だったよね?」

 

らいはが二人を見つめる。

 

「もういっこわがまま言っちゃおうかな」

 

林間学校を休んで一緒にいてほしい、そんなことでも言うのかと金太郎が思っていると。

 

「帰ったら、楽しいお話いっぱい聞かせてね。私は一人で大丈夫だから」

 

らいはがにっこりと微笑む。

高熱でほてった顔が、少し痛々しい。

 

「………わかったから。すぐにお粥作るから、それ食べて薬飲んだら寝るんだぞ」

 

鍋に火をつけて、準備を始める。

そんな姿を、風太郎は見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前、明日林間学校に行け」

 

「は?」

 

らいはが寝静まった頃。

看病をする金太郎を見ながら、手持ち無沙汰な風太郎が語りかける。

 

「俺は夕方、電話に気付けなくてらいはを迎えに行ってやれなかった。今度は俺が看てやる番だ」

 

「んで、自分は休むから俺に行けってか?」

 

妹が寝ているため、声は抑えていたが苛立ちに眉間に皺を寄せていた。

 

「元々、林間学校自体どうでもよかったしな。行けなくなって、思う存分勉強できる」

 

「じゃあ、これはなんなんだよ」

 

金太郎が、机にバサッと冊子を置いた。

 

「こんなに用意周到に準備しといて、どうでもいいとはお笑い種だな」

 

「………」

 

それは、付箋が大量に貼られ、皺がついた、風太郎の林間学校のしおりだった。

 

「あの五月って人と一緒だからか?知らねーけど。随分楽しみにしてることで」

 

「関係ないだろ。それより、親父が帰ってくるまで、俺が看病するぞ」

 

「うるっせーな、お前が行けっつてんだろ」

 

話を変えようとする風太郎に、舌打ちが出そうになる。

あくまでも、金太郎は頑なだった。

 

「俺は林間学校を休んでバイトに行ける。お前よりよっぽど思い入れもないしな」

 

それに、と続ける。

 

「今度は俺が看てやるって話なら、………その、なんだ、俺があの時看られなかった分の借りがまだあるだろ」

 

「………その話ならもう終わった話だろ」

 

中学時代、金太郎が喧嘩してばかりで心労をかけ、寝込んだらいはを看病していたのは風太郎だった。

 

風太郎は終わった話だと首を振るが、金太郎は未だその過去の責任を果たせていないと思っていた。

 

まだまだ、借りを返すことなど出来ていない。

そんな思いから、掘り返したくない過去を引っ張り出してまで、看病を担いたがっていた。

 

「五月って人が同級生なんだったら、家庭教師の相手と仲良くなる機会だろ。活かした方が良いんじゃねーの?給料に関わってくるかもしれねーしな」

 

(それはないな………)

 

中野家のことも、雇い主である彼女たちの父親のことも知らない金太郎に、風太郎が突っ込む。

 

「いいから、林間学校はお前が行けよ」

 

「………お前は、良いのか?」

 

「お前と違って、強がりは言わねえ」

 

これで話は終わりだ、とばかりに金太郎が立ち上がり、風呂場に向かった。

 

机の上に置かれた、付箋まみれの林間学校のしおりを見る。

 

こういう学校行事を、楽しみだと覚えたのは五年ぶりだった。

 

───最高の思い出を作りましょうね!───

 

五つ子に連れられて買い物をしている時に、四葉に言われた言葉を思い出す。

 

最高の思い出になるかはわからないが、五つ子達と過ごす林間学校は、確かにここ数年の勉強だけしかないような思い出に比べれば、彩りに満ちたものになりそうだとは思った。

 

「………それじゃあ、お前の分の思い出はどうすんだよ」

 

その思い出の中に金太郎がいないのは、何か違うような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「らいは!生きてるか!?」

 

「縁起でもねえこと言いながら帰ってくんな」

 

父の勇也がバッという勢いで玄関のドアを開けて入って来た。

自分もそうだったが、兄も同じような帰り方をしてきた辺り、血の繋がりを感じてしまう。

 

「はえーな。夜まで帰って来れないんじゃなかったのか」

 

「切り上げてきた。当たり前だろ。それより、看病してくれてたのか」

 

眠っているらいはの様子を見ながら、父が時計を見る。

 

「って、もう林間学校のバスが出てる時間じゃないのか!?」

 

時計の針は10時を指している。

バスはとっくに出発しているはずだった。

 

「そうだな。行けなくなってラッキーだよ」

 

もう林間学校に行くことはない。

そう思った金太郎は、林間学校のしおりをゴミ箱に投げ入れた。

 

「お前………」

 

「もう学校には連絡してる。どのみち今日は家で看病するつもりだ」

 

看病のために学校を休むことは伝えてある。

父がなんと言おうと看病する心積もりだった。

 

「風太郎は………行ったのか」

 

「勘違いすんなよ。俺が行かせた。あいつが勝手に行った訳でも、俺に押し付けた訳でもねーよ」

 

「そんなことはわかってる」

 

勇也が知る風太郎は、弟に厄介ごとを押し付けるような子供ではない。

それは、他ならぬ父である勇也がよく知っていた。

 

恐らく、金太郎が無理やり行かせたのだろうことも。

 

「お前は、それで良いのか?」

 

「………はあ」

 

昨晩、兄に言われたようなことをまた耳にして、金太郎がため息をつく。

 

「言いたかねえけど、クラスに仲良い奴いねーし。バイトにも行けなくなるし。元々行きたくなかったんだよ」

 

家族に迷惑をかけた罪悪感からか、あるいは責任感からか、金太郎は放課後や休みの時間をほとんど労働に捧げている。

 

クラスメイトと遊んだことは一度もなかったし、そもそも遊べるほどの友人を意図的に作らなかった。

 

金太郎の容姿や目つきの悪さから、クラスメイトに恐れられていることが、それに拍車をかけていた。

 

「………そうか」

 

勇也はそう呟き、携帯電話を手にした。

やっと納得したのかと、らいはの看病に戻ろうと台所に立つ。

 

「もしもし。上杉の父です。いえ、一年の………いや、二年の上杉の父も俺ですが」

 

父が、どこかへ電話をかけ始めた。

 

「林間学校の住所を教えてもらいたいんです。ええ、今から、息子を行かせます」

 

「はぁ!?」

 

予想外の言葉に、らいはが眠っていることを忘れて大声が出る。

 

「てめ、何言って………」

 

「───わかりました、そこへ向かわせます。バスはない?ああ、それについては大丈夫です。はい、それじゃあ」

 

父が住所のメモをとり、電話を切った。

 

「ふざけんな!勝手に決めんなよ!」

 

「金太郎」

 

父が視線を向ける。

まっすぐに息子の目を見つめていた。

 

「林間学校なんてのは、一生に一度のイベントだ。今から行っても遅くないんじゃないか?」

 

「だから、俺は………!」

 

「お前の学校に、林間学校の伝説があるそうだな。一緒にキャンプファイヤーで過ごしたカップルは結ばれるとか」

 

「それがなんだよ、くだらねえ………」

 

苛立ちを抑えられない様子の金太郎に、あくまでも父は冷静だった。

 

「そのくだらなさで、人生が変わることもある。例えば、本当にそのカップルが結婚するとかな」

 

「知るかよ、んなこと………」

 

金太郎の苛立ちが増していく。

林間学校の伝説など知ったことではなかったし、自分には関係ない。

 

そんなことよりも、自分が決めたことを蔑ろにされていると感じて、より父に反抗的になっていた。

 

「金太郎。お前の気持ちは、父親として嬉しいさ」

 

勇也は、そんな苛立った息子を真正面から受け止める。

 

「らいはのため、家族のために休んでくれたことも、それにいつも身を粉にして働いてくれてることもな」

 

勇也が、金太郎の肩にぽんっと手を乗せる。

 

「ありがとう。いつもな」

 

「………」

 

思わぬ言葉に、怒りの矛先を失ってしまい、黙り込む。

 

ありがとう。その言葉は、金太郎が正面から受け取ることのできないものだった。

 

そんなことを、言ってもらえるような権利を自分は持っていない。

金太郎はそう思っていたから、急な感謝の言葉に、面食らってしまう。

 

「だがな、金太郎。お前はもう少し自分を大事にしろ」

 

自分を大事にする。

それは、母が亡くなってからというもの、金太郎がいつしか忘れてしまった感覚だった。

 

どうやって、大事にすればいいかもわからないぐらいに。

 

「それにな。いっつもバイト漬けなんだから、たまには自然の中でリラックスするのも良いだろ。気分転換がてら、休むつもりで行って来い」

 

ゴミ箱から林間学校のしおりを取り出し、金太郎の手に無理やり渡しながら、ニッと笑う父。

そんな父を金太郎は見ることが出来ず、目を逸らした。

悔しいが、もう強く反論する気は失せていて、林間学校のしおりを手にしてしまった。

 

「………もう、バスねえし」

 

「貸してやる」

 

父が自分のバイクの鍵を見せる。

 

「バイクって………結構距離あんだぞ」

 

「長距離ドライブってのも良いだろ?」

 

現実的ではない選択肢を押し通そうとする父に、金太郎は困り果てた。

どうあっても、自分を林間学校に行かせたいらしい。

 

「金太郎お兄ちゃん」

 

布団からか細い声が上がる。

まだ顔が赤いらいはが、弱々しく起き上がっていた。

 

「あ………わりぃ、起こしたか?」

 

「ううん、お父さんのドアの音で起きたから」

 

「ぐっ」

 

大声を出して起こしたかと謝るが、どうやらもっと前から起きていたようだった。

 

「私からもお願い、林間学校、行ってほしい」

 

「お前まで………」

 

金太郎の味方はいなくなった。

家族全員が、金太郎を林間学校に行かせようとしている。

 

そこまでして、林間学校にこだわる理由が、金太郎にはわからなかった。

 

「楽しいお話、聞かせてほしいって言ったじゃない。約束、守ってくれないの………?」

 

「………わかった、わかったよ」

 

金太郎としては、一方的に言われただけで、約束を交わしたつもりはなかったが、妹にそんな野暮なことは言えなかった。

 

「わかったから、土産話ならいくらでも聞かせてやるから。お前は寝て、それまでに体を治せ」

 

「うん、楽しみにしてるから」

 

布団に戻ったらいはが「あ、そうだ」とバツが悪そうな表情を浮かべる。

 

「あのね、お守りにミサンガを編んでたんだけど、金太郎お兄ちゃんの分は熱出ちゃって作れなかったんだ」

 

らいはの罪悪感に駆られる表情に、金太郎は呆れながら笑みを漏らした。

 

「そんなもん作ってたのか………」

 

「ごめんね、金太郎お兄ちゃん………」

 

落ち込むらいはに、金太郎は頭をポンっと撫でた。

 

「作ってくれようとしてただけで嬉しいよ。ありがとな」

 

奥ゆかしい妹に、決心が固まった。

 

「じゃあ、バイク借りるぞ」

 

「おう。らいはの看病は任せろ」

 

バイクの鍵を受け取り、荷物をリュックサックに詰め込む。

住所を確認すると、遠くはあるが、夕方には着くぐらいの距離だった。

 

「いってこい」

 

「いってらっしゃい、金太郎お兄ちゃん」

 

「ん」

 

家を出て、バイクに跨る。

父のバイクに乗るのは初めてではなかったが、長距離をずっと走るのは初めてだ。

 

ドライブ自体は嫌いではない。

風を切る感覚は好きだった。

 

まだ林間学校が良い思い出になるとは思えなかったが、少なくともこの長距離ドライブは、楽しめるかもしれない、とエンジンをふかしながら思った。

 



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林間学校

「金太郎………!?」

 

特に猛吹雪などが来るわけでもなく、無事に夕方頃に林間学校の場所に辿り着いた金太郎。

クラスに合流しようとした所で、兄と鉢合わせた。

 

「お前、どうやってここに………」

 

「バイク」

 

「バイクぅ!?」

 

「親父が無理やり来させたんだよ、あー、だりぃ」

 

長距離ドライブで凝り固まった身体をほぐすように肩を回す。

 

楽しくない訳ではなかったが、あまりに長いと疲労もかなりのものなのだと、金太郎は痛感した。

 

「一年はあっちか………休みてえけど、しゃあねえ」

 

「あ、おい………!」

 

二年の風太郎のいる施設の反対側へ歩く金太郎。

風太郎は声をかけはしたが、何を言えば良いのかわからなかった。

 

「………んだよ」

 

ちらりと、風太郎の腕を見る。妹のらいはが編んだのであろう、ミサンガが姿を見せていた。

 

「………いや。まあ、なんだ。楽しめよ」

 

「………俺がいることで、楽しめる奴がいればな」

 

昨晩はどうでもいいなどと嘯いていた風太郎に、どの口が、という言葉が出かかるが押し込んで答える。

 

兄へは反抗心ばかり見せていたが、少しは自制出来るようになっているようだった。

 

そして、クラスと合流して歓迎される自分が全く想像できないことに、来なければ良かったかもしれないと少し憂鬱になり始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「二乃、野菜切るの速っ!」

 

「流石、家事やってるだけあるね~」

 

「これくらい楽勝よ」

 

軽やかに人参が刻まれていく。

林間学校一日目、夕食のカレーライス作りが行われていた。

 

二乃は、その中でも普段から料理慣れしていることも相まって、リーダーシップを発揮し、男子に飯盒炊さんを、女子にはカレールーを作るよう指揮していた。

 

(始まったわね)

 

特別楽しみにしていた訳ではなかったが、それでもこうしてイベントごとに参加するのはそれなりにワクワクする。

 

それに、クラスは違うが、姉妹五人で同じイベントを過ごせることが、二乃は嬉しかった。

 

(あれ、上杉じゃない)

 

別のクラスの風太郎が、炊事場から離れていくのが目に入った。

 

「あいつ、サボるつもり………?」

 

勉強ばかりで、学校行事に興味を示していないだろう風太郎なら、あり得ることだと思った。

 

「皆がちゃんと料理してるってのに………良いご身分ね」

 

二乃が苛立ちを感じていると、風太郎が誰かと会話しているのが見えた。

 

「………えっ」

 

そこには、逆立てた金髪をした、風太郎と同年代の少年がいた。

 

「あれ………もしかして、上杉の弟………!?」

 

友人がいないと聞く風太郎が、やたらと積極的に話している。

その状況と、風太郎の生徒手帳に挟まった写真の少年の姿と似ていることから、風太郎の弟であると確信した。

 

「あっ………」

 

呆気にとられて見ていると、金髪の少年は一年生の炊事場へと向かって歩き始めていた。

 

「ま、待って!私───!」

 

包丁を置いて、金髪の少年を追いかけようとする。

しかし。

 

「二乃ー!男子がご飯焦がしたー!」

 

「二乃!男子と女子が喧嘩始めちゃった!ちょっと来て!」

 

「えっ?わ、私………」

 

クラスの女子たちが一斉に二乃を囲み、追えなくなってしまった。

 

「あっ………」

 

クラスメイトに囲まれて時間をとられた隙に、視界から、もう金髪の少年の姿は消えていた。

 

「んだよ!飯盒炊さんなんてやったことねーんよ!」

 

怒り任せに叫ぶ男子の声が聞こえてきた。

ご飯を焦がした男子が、逆ギレしているらしかった。

 

「誰だってこうなるに決まってんだろ!大体、男子に任せたそっちが───」

 

「───じゃあ、私たちだけでやってみるから、そっちは黙ってて?」

 

二乃が、ニッコリと満面の笑みを浮かべながら男子に迫る。

その姿は、誰がどう見ても相当にキレていた。

 

「………お、おう………わかり、ました………」

 

「に、二乃、怒ってるぅ~………」

 

二乃の苛立ちは、男子だけでなく女子たちにも伝わるほどだった。

 

(………弟君、林間学校にいるんだ)

 

そんな中でも、二乃の頭の中は風太郎の弟でいっぱいになっていた。

 

林間学校にいる、ということは、同じ学校のはずだった。

 

(もしかしたら、会えるかも………!)

 

そう思うと、焦げたカレーライスのことなど、どうでもよくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「上杉君、野菜切るの凄い手慣れてるね~!」

 

「上杉、料理出来たんだな、すげー!」

 

「うわっ、このカレーうまっ!」

 

「私たち料理出来ないから困ってたんだー、ありがとう、上杉君っ」

 

 

 

「………」

 

クラスに合流した金太郎は、最初こそ恐れられている雰囲気だった。

だがカレーライス作りが始まると、アルバイトや普段の夕食作りで慣れた手付きを活かし、テキパキとカレーを作っていった。

 

料理が出来ないという同じ班のクラスメイト達の分まで働き、出来上がったカレーライスは好評だった。

 

あまり話したことないようなクラスメイトから、その手際を褒められ、作ったものを褒められ、働きぶりを褒められた金太郎は、困惑していた。

 

「あ、後片付けは私たちだけでやっとくよ」

 

「料理ほとんどやってもらったからなぁ、上杉は休んでてくれよ」

 

「えっ?あ、ああ、どうも………」

 

同じ班のクラスメイトが後片付けを始めるのを、金太郎は座って見ていた。

 

煙たがられることはあっても、気遣われることには慣れていなかった。

 

(壁作ってたのは俺だけだったのかね)

 

高校に入学してから、不良然とした風貌で誰からも近寄られず、金太郎自身もクラスメイトに近寄ろうとしなかった。

 

しかし、それは結局、自分が壁を作っていただけで、案外、話しかければなんでもないように仲良くできるのかもしれないと思った。

 

「ま、今更仲良しこよしする気もないけど」

 

家族に追い立てられるように、強行して林間学校に来てはいるが、金太郎のスタンスは変わっていない。

 

余暇の時間は金を稼ぐために使う。

そのために、友人を作って現を抜かさないようにしてきた。

 

それを、入学から半年以上経った今更、崩す気はなかった。

 

金太郎が兄と同じく、友人の作り方を知らないことも、大きな理由の一つではあったが。

 

「二年の先輩が主催して肝試しやってるんだって!」

 

「え~行ってみようかなぁ」

 

「やだ、怖いよ~」

 

日が完全に落ちて、暗くなった頃合い。

炊事の後片付けを終えた生徒の話し声が耳に入る。

 

「肝試し、ね」

 

近場には森林が生い茂っており、確かに暗がりで肝試しをするにはぴったりなシチュエーションだった。

 

(くだらね………)

 

普段から祭りごとに参加しない金太郎には、縁が遠いことのように思えた。

 

「な、なあ、良かったら、肝試し、一緒に行かないか………?」

 

「えっ?」

 

男子生徒が、女子生徒を誘っているのが目に入った。

緊張した面持ちの男子生徒を見て、女子生徒が頬を赤く染める。

 

「う、うん、いいよ」

 

「ほ、本当か………!?」

 

男子生徒がガッツポーズをとる。

並んで森林に入っていく二人の姿を見て、ふいに今朝の父の言葉を思い出す。

 

───そのくだらなさで、人生が変わることもある───

 

「………」

 

金太郎は、自分が大体のことを”くだらない”と遠ざけていることに気付いた。

 

そんな自分を、つまらない人間だな、と思った。

 

「参加、してみるのもいいか」

 

立ち上がって、炊事場から森林に向かって歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うううう………やっぱり参加するんじゃありませんでした………」

 

「ちょっと、離れなさいよ」

 

暗い森の中、五月が同行者の二乃に抱き付きながら呟く。

 

「この森は”出る”らしいのです………森に入ったきり行方知れずになった人がいるのだとか………」

 

「そんなのデマに決まってるじゃない」

 

ため息をつく。

二乃は、林間学校はもっと楽しいものだと思っていたが、現状楽しいと思うよりも面倒ごとの方が多かった。

 

(弟君、探しに行きたいのにな………)

 

夕食作りの時に見かけた風太郎の弟、らしき人物。

好みのタイプどんぴしゃである彼を探しに、一年生のコテージに行きたがっていたが、様々な要因が重なって実行できずにいた。

 

ギィィィ

 

「!」

 

森に聞こえるはずのない金切り音に、五月と二乃が息を吞む。

 

そこにバサッ!とピエロのお面を付けた人物がブラァンと現れた。

 

「わああああ!もう嫌ですぅぅぅぅ!」

 

「ちょ、五月!待ちなさい!」

 

走って森の奥へ逃げていく五月を、二乃が追いかける。

 

「………五月の奴、本当にこういうの苦手だったのか………」

 

お面をずらして呟くのは、ピエロに扮した風太郎であった。

 

「あちゃー………やりすぎちゃいましたね………」

 

包帯を付け、ミイラのような仮装をした四葉が隣にやってくる。

風太郎の後におどかす予定だったが、出番が来る前に逃げて行ってしまった。

 

「あれ、あいつら、どっちに行った?」

 

五月たちが走って行った先は、通常の歩道ルートではなく、崖があって危険な森の奥であった。

 

「あっちへ行ったのはやばいぞ………下手したら足滑らせて崖から落ちかねない」

 

「た、大変です、探しに行かないと………!」

 

四葉が慌てる。二人の姿は、もう見えないぐらい森の奥に走り去っていた。

 

「仕方ねえ、肝試しは一旦中断だ、五月と二乃を探しに………」

 

「げっ………」

 

そこへ、思わぬ人物が現れた。

 

「金太郎………?なんでこんな所に」

 

「肝試しやってるって言うから来ただけだ。テメーがいるなんて知ってたら来なかった」

 

そっぽを向きながら答える金太郎に、風太郎は思うところがあった。

 

「………お前、こういうの参加するんだな」

 

「気まぐれだよ。悪ぃかよ」

 

眉間に皺を寄せながら風太郎に目を向ける。

ふと、違和感を覚えた。

 

(こいつ………もしかして………)

 

風太郎の顔色が優れないことに気が付く。

少し息が上がっているような感じに、今朝まで看ていた妹のらいはの様子が重なる。

 

(………ま、いいか)

 

兄の体調が悪くなっているであろうことを見抜いたが、本人が何も言わないのなら黙っていようと決める。

 

あれだけ林間学校のしおりに付せんを挟んで楽しみにしていたのだから、熱があっても無理をしたくなるのだろう。

 

それに、兄にお節介を焼く気にはなれなかった。

 

「あの~、もしかして、上杉さんの弟さんですか?」

 

四葉が二人の間に顔を差し込む。

 

「そうだ、あ、いや、そうですが、そちらは………」

 

ため口で話しそうになるが、風太郎と一緒にいることから上級生の二年であると思い、敬語に直した。

 

「あー、家庭教師の生徒の四葉だ」

 

「中野四葉です、よろしくお願いしますっ」

 

「あ、どうも、いつも愚兄が世話になってます」

 

頭を下げる金太郎に、風太郎が眉をひそめる。

 

「お前、この前といい、愚兄ってなんだよ………大体、こいつの姉妹の方がよっぽど手を焼いて………」

 

そこで、風太郎がはっと息を呑んだ。

 

「そうだ、そんなことよりあいつらを探しに行かないと」

 

「はっ!そうでした!」

 

「金太郎。悪いが協力してくれ。こっちの、危険な森に入っていった奴らがいるんだ」

 

風太郎の素直な頼みに、金太郎は少し面食らう。

 

「………まあ、探すぐらいなら。どんな人なんだよ」

 

「こいつを見てくれ」

 

風太郎が四葉を指差す。

 

「こいつと同じ顔の奴が二人だ」

 

「雑っ!」

 

的確だが、あまりにも雑な表現に四葉が声を上げるが、金太郎は別のところが気になった。

 

「えっ、三つ子なんですか………?」

 

「いや、五つ子だ」

 

「五つ子っ!?」

 

驚く金太郎に、風太郎はまだ言ってなかったっけか?と呆ける。

 

「まあ、そんな訳だから、頼むぞ」

 

「えっ?あ、ああ、わかったよ………」

 

あまり頼み事をしない兄の真っ直ぐな頼みに、金太郎はどこか居心地の悪さを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「五月ー!どこ行ったのよー!」

 

スマートフォンのライトをかざしながら、二乃が森の中を進む。

 

「暗いわね………本当にこっちで合ってんのかしら………」

 

明かりをつけなければ足元が見えないほどの暗がりの中、一向に見つからない五月にため息が漏れる。

 

「えっ」

 

スマートフォンのライトが途切れる。

充電が切れてしまったようだった。

 

「嘘っ、もう!?昨日充電するの忘れてたかも………」

 

画面に明かりが灯らなくなったスマートフォンを見つめ、二乃の気分は落ち込んでいた。

 

「なんなのよ………せっかくの林間学校なのに、班の男子は言うこと聞かないし、弟君とは会えないし、しまいにはこんな所で一人に………」

 

ふと、ザアアアアという森のざわめきが聞こえる。

スマートフォンから森に目を向けると、暗闇の森に恐怖心が煽られる。

 

───ザッ───

 

「いやっ………!」

 

森の奥から聞こえる物音に、たまらず走り出す二乃。

 

「きゃっ………!?」

 

しかし、足が木の枝にひっかかり、転んでしまった。

 

「………痛っ………」

 

木の枝がひっかかり、足から血が出ていた。

 

「………最悪………」

 

どうして、自分がこんな目に。

二乃の目の端には、涙さえ浮かんでいた。

 

「───大丈夫ですか?」

 

声をかけられる。

聞いたことのある声に似た声音の主に、二乃が目を向ける。

 

そこには、逆立てた金髪の、会いたくて恋焦がれていた男子生徒がいた。

 

「嘘………キミ………写真の………」

 

「?」

 

呟いた二乃の声がよく聞き取れず、金太郎は近寄る。

 

「やっぱり………あの写真の顔だ」

 

「写真?」

 

近付いた少年の顔がよく見えるようになり、二乃は会いたがっていた人物であると確信した。

 

二乃に近付いた少年が、彼女の足の怪我を見る。

 

「あー、ちょっと失礼しますよ」

 

ポケットからハンカチを取り出し、二乃の足に当てる。そして、自分の上着をさっと脱ぐと、その上から抑えるようにぎゅっと結んだ。

 

「あっ………」

 

「応急処置なんで。戻ったらちゃんと手当てしてもらってください」

 

二乃があまりにスマートな対応に唖然としていると、少年が手を差し伸べる。

 

「助けに来ました。立てますか?」

 

「───っ!!」

 

その一言で、二乃が写真の少年に抱いていた仄かな憧れの気持ちが、明確に恋に変わったのを実感した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(なんか、よそよそしいっつーか………)

 

手を引いて立ち上がらせた彼女は、頬を赤らめながら俯いてしまった。

 

(流石に図々しすぎたかね………)

 

なんだか様子のおかしい彼女に、金太郎は自身の行動が良くなかったかと思案する。

いきなり手当てをしたのは、図々しかったか。

 

あるいは、見知らぬ男子生徒のハンカチや衣服を自分の素肌に当てられるのは、女性には失礼だったか。

 

(謝るべきか………?)

 

兄の家庭教師の生徒、つまり雇い主だ。そんな相手に失礼を働き、兄に迷惑をかけるなど言語道断だ。

これ以上兄に借りを作る訳にはいかない。

 

「あの、なんか勝手なことしてすんませ───」

 

「キミの名前教えて!」

 

「───え?」

 

謝ろうとした金太郎を、二乃の言葉が遮った。

 

「あ、ごめんね!何か言った………?」

 

「………あ、いや。勝手に手当てして、なんか気分を害されてしまったなら、謝ろうかと………」

 

「そんなことない!」

 

「───っ」

 

二乃が前のめりになり、金太郎が少し後ずさる。

 

「気分を害するなんて、そんなこと全然ない!ありがとう!痛かったから助かったわ!」

 

「そ、そうっすか。なら良かったっすけど」

 

急に声を大きくして金太郎の言葉を否定する彼女の姿に、ペースを乱されるのを感じる。

 

「あのね、私、前にキミの写真を見たことがあって、かっこいいなーって思ってたんだ」

 

「写真………?」

 

自分の写真など、どこで見たのだろうか。

金太郎は、自分が写真に写るのを嫌がり、ここ数年は写真を撮った覚えがないことから、不審に思う。

 

「俺の写真なんてどこで………」

 

「そ、それでね!キミの名前、教えてほしいなぁって………」

 

そう言われ、金太郎はまだ彼女の名前を知らないことに気付いた。

 

(あいつ………探しに行かせるなら、名前ぐらい教えろよ………)

 

心の中で兄に悪態をつきながら、金太郎は答えた。

 

「上杉金太郎です。あー、いつも兄が世話になってます」

 

「キンタロー君っていうんだ」

 

告げられた名前を、噛み締めるように呟く。

 

「私、中野二乃。助けてくれて、ありがとう」

 

二乃の表情は、どこか嬉しそうだった。

 

「それにしても、まさかあいつの弟、金太郎君が探しに来てくれるなんて思わなかったわ」

 

「いえ、まあ………」

 

(そのあいつに言われたんだけどな………)

 

金太郎は、自分と同じように兄のことを”あいつ”と呼ぶことから、二乃はあまり兄のことを好いていないのかと邪推した。

 

「じゃあ、戻りましょうか。ここは正規の道じゃないんで、危ないっすよ」

 

「あ、待って」

 

元来た道を引き返そうとする金太郎に、二乃が静止をかけた。

 

「妹と逸れちゃったの、危ない場所なら余計心配だわ、一緒に探してくれないかな………」

 

「あー………」

 

(二人、いるって言ってたな………)

 

捜索を依頼された手前、二乃を一人にもできず、金太郎は頷くことしかできなかった。

 

 

 

 

 

「………」

 

「………」

 

並んで歩く二人の間に、沈黙が流れる。

暗い森の中、より静けさが目立っていた。

 

それも。

 

「───っ!」

 

目が合うと、途端に目を逸らされる。

そんな二乃に、やりにくさを感じていた。

 

(あいつが嫌われてるから、その弟もって感じか………?)

 

どうも、二乃は兄を良く思っていない様子。

その兄弟にも、良くない感情を抱いているからか。

金太郎がそう思案していると。

 

───あ───

 

「えっ───」

 

女の声のような音が森の中に反響する。

 

「ねえ、何か声みたいなの聞こえない………?」

 

夜の森の暗闇が、見つめているような感覚に陥る。

すると。

 

───あ あ  あ───

 

今度は、明確に聞こえた。間違いなく、女の呻くような声だった。

 

───この森は”出る”らしいのです………森に入ったきり行方知れずになった人がいるのだとか───

 

五月の言葉を思い出し、二乃は恐怖で固まる。

 

そんな彼女の前に、金太郎がさっと庇うように立った。

 

「大丈夫。何か来ても俺がいるんで」

 

自分を庇ってくれた金太郎に、二乃は胸の高鳴りを抑えられなかった。

 

(かっこいい………)

 

男らしく、頼もしい背中にますます恋心を刺激される。

 

(わ、私も、キンタロー君に良い所見せないと───)

 

颯爽と駆け付け、足の怪我の手当てをし、守ってくれようとする、まるで王子様のように見える金太郎の姿に、二乃は好かれるために、何かしなければと使命感に駆られる。

 

(そうだわ。キンタロー君は、私より年下なんだから………!)

 

下級生である金太郎より、自分がしっかりしなければと二乃は想起する。

 

「───こっち!この道の方が楽そうだわ!コテージに早く戻れるかも………!」

 

「えっ?ちょっ」

 

突然、二乃が走り出した。

唐突な行動に、金太郎が遅れて着いて行く。

 

「ほら、森もすぐ抜ける!」

 

走って行った先に、木々がなくなり、開けた道が広がっている、かのように思えた。

 

「あ───」

 

どうやら、走った先が崖際だったようで、二乃の足は空を踏み、バランスを崩す。

 

(うそ───)

 

崖から落ちる。

 

二乃は、目の前に広がる、高い位置からの景色に、呆気にとられたまま何も考えられずにいた。

 

「っ!」

 

「───っ!?」

 

グイッと体が反転する。

 

金太郎が崖から飛び出すように二乃の手を掴み、力の限り崖際に向かって放り投げていた。

 

「あ───」

 

金太郎の体が、吸い込まれるように崖下へと落ちていく。

その姿を、二乃は見ていることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐっ───」

 

バサバサッと木の枝に体がぶつかり、身体中に切り傷が刻まれていく。

 

───ガタッ!!───

 

「がっ───」

 

地面に激突する。

木の枝で衝撃が薄れたとはいえ、かなりの激痛が走る。

 

激痛と衝撃で、上手く呼吸ができない。

 

(───死ぬ………───)

 

落下の衝撃から、死が思い浮かぶ。

痛みに悶えてしまい、上手く考えが纏まらない。

 

(………まあ、誰かを助けられたんなら………)

 

そんな中でも、頭によぎったのは、誰かを助けられたのなら、まだ自分に価値があったんじゃないか、ということだった。

 

ふと、直前に二乃と交わした会話を思い出す。

彼女は自分の写真を見たという。

 

会ったこともない風太郎の生徒の二乃が、金髪に染めてから撮った覚えのない自分の、”金髪の少年”の写真というなら、それは多分、自分ではなく昔の兄の写真を見たのではないか。

 

(それを、俺に言われてもな………)

 

つまり、勘違いで知られていた、と思われていた。

痛みに苦しみながら、少し苦笑いが漏れた。

 

(写真、か………)

 

写真。

それは、金太郎にとって、特別な意味が込められたものだった。

 

(死ぬなら、もうちょっと、写真撮っとけば良かったかな………)

 

金太郎の脳裏に、走馬灯のように過去の思い出が流れ始めた。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

「おかあさん、わらってー!」

 

パシャリ、とシャッターが切られる。

業務用の一眼レフカメラは、幼児である金太郎にはいささか大仰なものだった。

 

「あ、金太郎!お前また俺のカメラ使いやがったな!」

 

「まあまあ、あなた。金太郎は、私の写真を撮ってくれてたの」

 

「へへへ、みておとうさん、おかあさんのしゃしん!」

 

それは、手元が覚束ない幼児が撮ったため、ブレてぼやけた写真だった。

 

「しゃあねえなあ………」

 

「わっ!」

 

父、勇也が、金太郎の脇に手を入れ、抱き上げる。

 

自分の仕事道具を危うく使われたことは叱りたかったが、自分の仕事に興味を持つ息子に、気を良くしたのは事実だった。

 

「撮り方教えてやるから、ちゃんと覚えろよ?」

 

「うん!」

 

「あらあら。じゃあ、金太郎、私の写真、たくさん撮ってくれる?」

 

「───うん!!いっぱいとる───!!」

 

写真の撮り方を教えてもらった金太郎は、その日から写真をたくさん撮るようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひっ………うぐっ………」

 

「おかあさん………うわぁん………」

 

「………っ」

 

母が事故で亡くなった。

あまりに突然の死に、金太郎も、まだ小さいらいはも、ただ泣くことしかできなかった。

そんな弟たちを見て、涙を抑えようとする風太郎も、嗚咽を堪え切れていなかった。

 

「お前ら」

 

そんな子供たちに、勇也が語りかける。

 

「これを見てくれ」

 

そこには、一冊のアルバムが広げられていた。

 

「金太郎が撮ってくれた、母さんの写真だ。たっくさんある。これを見れば、いつでも母さんを思い出せるぞ」

 

そう言って、父が金太郎の頭を撫でる。

 

「ありがとう、金太郎。お前のおかげで俺たちは母さんを覚えてられる」

 

「………っ!」

 

金太郎が再び泣き叫ぶ。

母を亡くした悲しみと、写真を撮って良かったという気持ちが溢れて、その日は一日中泣いた。

 

この日、金太郎にとって、”写真を撮る”ということが、特別なことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな金太郎が、写真を撮ることをやめたのは、兄に成績で負けるようになってからだった。

 

「………お前、また喧嘩したんだってな」

 

家に帰ると、父が眉をひそめて待っていた。

 

「………」

 

常に100点を取るようになり、勉強でトップをとるようになった兄への劣等感から、金太郎はこれまで励んでいた勉強を一切捨てて、毎晩喧嘩を繰り返すようになっていた。

 

当然、その原因となった兄と、引いては家族と接する態度は、冷たいものとなっていた。

 

「あれだけ勉強ばかりしていたお前が、それをきっぱりやめたのは、風太郎が原因なんだろ?」

 

「………ッ!」

 

金太郎が、父の胸倉を掴んだ。

 

「………それ以上言ったら殺すぞ」

 

「俺は、お前のことは立派な息子だと思ってる」

 

勇也が、金太郎の手を掴む。

 

「勉強が出来るのは誇れることだったが、別にそれがなくなったからって誇れなくなる訳じゃない。お前が勉強が出来なくたって俺は構わないんだ」

 

「………だからなんだよ?」

 

勇也が、自分の胸倉を掴む金太郎の手を、ほぐすように離させる。

 

「お前には、もうひとつ誇れるものがあったろ」

 

「………ねえよ」

 

「写真だ」

 

「っ………!」

 

息を呑んだ金太郎に、勇也は続ける。

 

「お前、母さんの写真、たくさん撮ってくれてたろ?だから俺たちは母さんをいつでも思い出せる。それは、胸を張って誇れることだろ」

 

「………それ以上言うな」

 

「別に何が出来なくたってお前は立派な息子だ。でもな、お前には写真を撮るって才能があることを、忘れないでほしい」

 

「言うなっつてんだろうが!!」

 

いてもたってもいられず、金太郎が玄関から飛び出す。

 

「金太郎!」

 

「俺には、もう母さんに向けられる顔なんざねえんだよ………!」

 

金太郎が走る。

その姿は、兄に勉強で負けたことにショックを受けて、思わず走り出した時と同じだった。

 

(………そうだ、俺には、もう………)

 

鏡に映る自分の姿を見る。

逆立てた金髪に、顔中が傷や痣だらけ。

 

以前とはまるで変わってしまった自分の、どこを誇って見せられるというのか。

 

勉強で兄に負けた劣等感から、喧嘩に走るようになり、そんな自分自身に絶望した金太郎は、母との綺麗な思い出である”写真”から、逃げるようになった。

 

自分と亡くなった母を繋ぐ、唯一の綺麗な思い出を、自分が汚してしまわないために。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

(………母さんに、会えるかな………)

 

意識が薄れていく。

久しぶりに会えたとしたら、母は今の自分を見てなんと言うだろうか。

 

(写真、いっぱい撮れなくて、ごめん………)

 

あれから、喧嘩に、バイトに、何かから逃げるように写真を遠ざけてきた。

 

だが、ここで尽きる命だったなら、もう少し、母との思い出を大切に育てれば良かった。

 

金太郎は、少し、これまでの自分の人生を後悔した。

 

 

 

 

 

「───い、おーいっ!金太郎っ!」

 

ふと、息を切らし、顔を高熱に火照らせながら走ってくる兄の姿が目に映る。

 

(───なんだよ。最後までお前が持ってくのかよ)

 

最後の瞬間まで、兄の幻覚を見るとは。

 

走馬灯の最後にまで見てしまうほど、自分の心に大きく兄という存在が影響しているらしかった。

 

(まあ、いいけど───)

 

いっつも、自分の先をいき、鼻持ちならない態度の兄。

しかし、同時に、不器用だが優しかった。

 

そんな兄のことを激しく嫌いながらも、心の底から嫌いになりきれていなかった。

 

(もしかして、好きだったのかなぁ)

 

普段ならば、絶対に思わないようなことを思いながら、金太郎は意識を手放した。

 



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お見舞い

「………」

 

「………」

 

寝覚めは最悪の気分だった。

 

柄にもないことを思い、おまけに目覚めると隣には見たくもない兄の姿があったのだから。

 

「………なんでテメーまで入院してんだよ」

 

「熱が悪化したんだよ、お前を探し回って」

 

「………」

 

そう言われると、反論の言葉は出せなかった。

 

「っつーか、熱あったんなら休んどけば良かったろうが。何で普通の顔して肝試しとかやってたんだよ」

 

「熱が出始めたのが夕方からだったんだよ。それに、肝試し係は俺一人だった」

 

「一人って、あの人がいたろ。あの、確か中野さん………」

 

中野さん、という自分の言葉に、怪我をした原因を思い返す。

 

「そうだ、中野さんは無事か!?」

 

「どの中野さんだよ」

 

冷ややかに返す兄に苛立ちながらも、あの時言われたことを思い出す。

 

「ああ、そういえば五つ子なんだっけか………中野二乃さんだよ、崖から落ちかけてた」

 

「ああ、二乃なら大丈夫だぞ。お前が崖から落ちたってことを伝えに来たのは二乃だ」

 

「そうか………」

 

二乃が無事と聞いて一安心する。

 

自分が落ちた場所に降って来なかったことから、おそらく助けられたのだろうとは思っていたものの、確証はなかった。

 

「五月を見つけた後、泣きながら慌てた二乃がやって来てな。あんなあいつの姿は中々見れないからレアだったぜ」

 

「何言ってんだお前………」

 

悪趣味な発言に引き気味になる。

二乃も風太郎のことを”あいつ”と呼んでいたし、おそらく仲が良くないことは想像できた。

 

「………お前、怪我は大丈夫なのか?」

 

「さあ、大丈夫なんじゃねーの、生きてるし」

 

本当は、体を動かすとまだ痛みが走るが、正直に言うのは負けた気がした。

 

「そうか………まあ、なんだ、お前が生きてて良かったよ」

 

「………」

 

ちらりと風太郎に視線を向けると、まだ熱があるのか、顔が赤かった。

 

意識を失う前に見た兄の姿が幻じゃなかったのなら、風太郎は熱がある中、かなりの距離がある崖下まで助けに来たことになる。

 

おそらく、必死に走り回ったのだろう。

 

「………学食の話なんだが」

 

「あ?」

 

突然の話題転換に、金太郎が疑問の声を上げる。

 

「焼肉定食、あるだろ。それの焼肉皿を抜きにすると、200円でご飯に味噌汁とお新香が付いてくる」

 

「………だからなんだよ」

 

「お前、ライスを頼んでたろ。同じ200円でも、焼肉定食焼肉抜きの方が良い食事が摂れる」

 

「………なんだそれ」

 

唐突なメニュー説明に、意味が分からず、思わず苦笑が漏れた。

兄の言葉に、苦笑でも笑みを漏らしたのは久々だった。

 

「生活の知恵だ。お前に、教えておきたくてな」

 

「………そうかよ」

 

満足したのか、風太郎が一息ついた。

高熱で体が怠いのだろう。

 

「っていうか、まだ熱あんだろ。寝てろよ」

 

「お前が言うか………そっちの方が重症なんだから、お前こそ大人しくしてろ」

 

「っるせーな………」

 

風太郎が目をつむる。

その姿を見て、少し決心がついた。

 

「おい」

 

「なんだよ………」

 

「助かったよ、兄貴」

 

「………おう」

 

久しぶりに発した”兄”の呼び方は、昔とは異なっていた。

そして、それがお互いに気恥ずかしくて、二人は目をつむって眠るフリをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「入院費、稼がねーとな………」

 

「ああ、それなら心配ないぞ」

 

独り言のつもりだったが、兄が起きていたらしい。

 

「なんだよ。自分の給料から出すとか言うんじゃねーだろうな」

 

「ちげーよ。払ってくれてるんだよ、五月たちの親父が」

 

「………はあ?なんでまた………」

 

バタバタという足音が聞こえてくる。

ガラッと勢いよく病室の扉がスライドされる。

 

「キンタロー君っ!?」

 

制服を着てリボンを付けた長髪の女子生徒、二乃であった。

 

「あっ………良かった、目、覚めたんだ………」

 

駆け寄った二乃は、金太郎の手を握る。

 

「昨日お見舞いに来た時は目覚めてなくって、私、もしキンタロー君が目覚めなかったらどうしようって………!」

 

「ちょ、落ち着いて」

 

目に涙を浮かべながら金太郎の手を額にあて、まるで懺悔するかのような二乃に、ついていけない。

 

「私のせいでキンタロー君がって考えたら怖くて………良かったぁ………」

 

泣き始める二乃に、金太郎は困惑する。

 

「あー………まあ、その、中野さんが無事で、俺も良かったっすよ」

 

「っ!うぅ………」

 

更に泣き出す二乃に、どうしていいかわからず、途方に暮れる。

 

「ははは。お前の泣き姿が拝めてスッキリだぜ」

 

「うるっさいわね………!あんたには関係ない………こともないけど………!」

 

風太郎が口を挟む。

邪険に扱いたいようだが、助けてもらった手前、あまり強くも言えないようだった。

 

「上杉さん!大丈夫ですか!」

 

そこへひょこっとリボンをカチューシャのように差し、ウサギの耳のように立てる四葉が現れる。

 

「やっほー林間学校ぶり」

 

「体調はどう?」

 

「お前ら………」

 

そこへ、ショートカットの一花と、ロングヘアにヘッドホンをクビにかけた三玖が現れる。

 

五月以外の中野姉妹が病室へ集まっていた。

 

「よかった!お二人とも生きてて、一安心です!」

 

「ったく、誰が来いって言ったよ………」

 

しみじみと呟く風太郎の表情は、どこか嬉しそうだった。

 

「あーっ!」

 

四葉が笑顔で二人を見ていると、一花が声を上げる。

 

「君!この前助けてくれた子じゃん!」

 

「は?………ああ、あの時の」

 

以前、一花が不良に絡まれていた所に割って入ったのを、金太郎は思い出した。

 

「やっぱり君がフータロー君の弟だったんだねー、そっかそっか」

 

一花が納得したように頷く。

一方、金太郎は病室に一気に増えた中野姉妹に、窮屈さを覚える。

 

「じゃあ、改めて。私、中野一花。この子たちのお姉さんだよ。ほら、三玖も」

 

「中野三玖。一花と二乃、助けてくれてありがとう」

 

「いえ、大したことじゃ………あ、上杉金太郎っす、どうもご丁寧に………」

 

彼女たち全員が兄の家庭教師の生徒であり、それはつまり金持ちの雇い主であるということ。

どう接していいのかわからなかった。

 

「じゃあ、私も!四葉です、いつも上杉さんにはお世話になっています」

 

「本当にな」

 

「ひどい!」

 

姉妹の中で一番協力的であるのに、一番成績が上がらない四葉に、風太郎が茶々を入れる。

 

「───だが、あの時一番駆け回ってお前を探してくれたのは、四葉だ」

 

「えっ───」

 

意外な言葉に、思わず唖然とする。

 

「私、走るのは得意なんです。結局、見つけられなかったんですけどね」

 

「そうだったんすか………どうも、ありがとうございます」

 

「いえ!見つけられませんでしたし!」

 

「いえ、そんなことは………」

 

「いえいえ、お役に立てなくて………」

 

四葉と金太郎が言葉を繰り返す。

その姿に、一花がくすくすと笑う。

 

「それで、二乃はずっとそうしてるの?」

 

「うっ………」

 

三玖が未だ涙を浮かべる二乃に声をかける。

 

「いい加減泣き止んだら?金太郎君はこうして無事だったんだし」

 

一花も続けて二乃へ声をかける。

 

「………キンタロー君、許してくれる………?」

 

上目遣いで金太郎を見る二乃は、まだ手を握ったままだった。

 

「いや、許すもなにも、俺が勝手にやったことですし」

 

「………優しい………」

 

そっと呟く二乃に、何を言えば良いのかわからなくなる。

 

「自己紹介、はあの時したよね。私のことは、二乃って呼んで………?」

 

「は、はあ………」

 

どこか距離感の近い二乃に、金太郎は手を離してほしかった。

 

「あ、そういえば、入院費払ってもらってるって聞いたっすけど………」

 

「そう!私がパパに掛け合ったの!」

 

「ど、どうも」

 

(お嬢様………)

 

二乃の発言に、家柄の違いを感じる。

 

「二乃の命を救ってもらったんだから、それぐらいは当然だよ」

 

「いえ………ありがとうございます」

 

一花がニコリと微笑む。

金太郎としては借りを作ったような感覚で罪悪感を抱いてしまい、居心地の悪さを感じる。

 

「でも回復して良かったです!金太郎さんは大変なことになってましたし、上杉さんは体温が真夏の最高気温くらいになって、倒れちゃいますし」

 

「救急車が来た時は、びっくりした」

 

どうやら、風太郎は金太郎を見つけた後、力尽きて倒れたらしい。

その後、救急車で運ばれたという。

 

「フータロー」

 

三玖が、風太郎のベッドの隣の椅子に腰掛ける。

 

「さみしくなったら呼んで。いつでも看病に来るから」

 

「サンキュー、でも一人の方が楽だから」

 

笑みを浮かべる三玖を邪険にする風太郎。

そんな風太郎に、一花が頭に手刀を入れた。

 

「痛っ………俺病人なんだけど………」

 

「今のはフータロー君が悪いぞ」

 

「そもそも、俺がいるから一人にはなれねえよ」

 

一花と金太郎が突っ込みを入れる。

 

「私もっ、キンタロー君がさみしくなったらいつでも看病しに来るから!」

 

「えっ?はい、どうも、お気遣いなく………」

 

どうにも、グイグイ来る二乃に、苦手意識を抱いてしまう。

 

二乃からの好感が何故か高いことには、流石に気付いている。

だが、その理由がさっぱりわからない金太郎は不審に思い、怖いとさえ感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ治りきっていないね。入院はもう少し継続かな」

 

「いえ、もう歩けるようもなったんで、そろそろ退院したいんですが………」

 

診察する医者に、金太郎は不満を漏らす。

いい加減バイトを休み過ぎていて、来月の給料がとても不安だった。

 

「無理をして悪化してもいけないからね。医者の言うことは聞くものだよ」

 

「はあ………」

 

医者が静かにカルテに指を落とす。

 

「君が、二乃君を助けてくれたそうだね」

 

「へ?」

 

予想外の言葉に、呆けた声が出た。

 

「崖から落ちそうになったのを、君が身代わりになってくれたそうじゃないか」

 

「ああ、まあ………」

 

またその話か、と少しうんざりすると同時に、突然当事者しか知りえないことを話し出した医者に不信感を抱く。

 

「僕は二乃君たちの父親でね。助けてくれたことには感謝しているよ」

 

「………いえ」

 

父親だと告げる医者の顔を見る。

猫のようなツリ目に、三白眼が目につく。

 

あまり、五つ子姉妹と似ているとは思えなかった。

 

「入院費、払っていただいてるって聞きました」

 

「ああ、そうだね。二乃君たちに頼まれてね」

 

「ありがとうございます」

 

「別に構わないよ、ここは僕の病院だしね」

 

(僕の病院………医院長か何かなのか)

 

頭を下げる金太郎に、何でもないように医者が答える。

 

「兄の分まで払っていただいたことも、ありがとうございます」

 

「上杉君には娘たちの家庭教師も頼んでいるからね、これぐらいは必要経費さ」

 

「………」

 

医者の低い声は、言葉通りのことを思っているようには聞こえなかった。

 

「診察は終わりだ、病室へ戻るといい」

 

「はい、失礼します」

 

席を立って扉に手をかける。この医者といると息苦しさを感じ、長居はしたくなかった。

 

「ああ、そうだ、上杉金太郎君」

 

「………はい?」

 

静止をかけられ、医者の方へ振り向いた。

 

「あまり、娘と近付きすぎないように、注意しておくよ。娘たちは成績が良くなくてね。君と慣れ親しんで、それが悪化するといけない」

 

「………気を付けておきます」

 

今度こそ、診察室を出た。

 

(別に、言われなくたってそのつもりだっつーの)

 

要は、チャラついた見た目の自分と、娘を近付けたくないのだろう。

 

金太郎としても、金持ちのご令嬢とこれ以上親しくするつもりはなかった。

 

もし失礼を働いたり、親しくしたとしたら。雇い主である先ほどの医者に兄が解雇されてしまうかもしれなかったし、金太郎自身どう接すればいいのかわからない。

 

それに、退院すればアルバイトに励むつもりで、誰かと親しくする気はなかった。

 

「………中野二乃さん、どうすっかな………」

 

そのために、やたら距離が近い二乃の存在を、どうにか振り払う必要があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お礼がしたいの!」

 

(本当、どうしよう………)

 

今日も病室へやって来た二乃。

風太郎は熱が下がり退院したため、彼女は金太郎の見舞いのためだけに足を運んでいた。

 

「私の家に来てくれないかな………?キンタロー君のためにシュークリーム作ろうと思うんだ」

 

「いやあ………」

 

二乃の誘いを断りたいが、邪険にする訳にもいかず、曖昧な言葉しか返せない。

 

「あっ、もしかして甘い物好きじゃなかった?」

 

「いや、甘いのは嫌いじゃないんすけど」

 

むしろ、甘い物は好きだ。

だが、そこが問題ではなかった。

 

「じゃあ、退院したら来て欲しいなぁ………」

 

「う、うーん」

 

どうやって断るべきか。

なるべく、当たり障りのないようにするにはどうすればいいのか。そればかりが金太郎の頭をめぐる。

 

「あー、そうだ、退院したら、林間学校のコテージに親父のバイク取りに行かないといけないんで。ちょっと時間が」

 

丁度いい理由があった。

父のバイクで林間学校へ向かった後、病院に運ばれたため、当然バイクはコテージの駐車場に置きっぱなしだ。

 

それを取りに行くという口実があった。

 

「えっ、バイクで来てたの!?」

 

「まあ、はい、色々あって」

 

驚く二乃に、このまま押し切れるかと続ける。

 

「バイクに乗れるなんて、ますます素敵………!」

 

「いや、免許持ってるってだけなんで」

 

以前、バイト先の配達で免許が必要になったので、ついでに中型二輪の免許を取った。

 

金ばかりかかったので、金太郎としてはあまり誇れるようなものではなかった。

 

「まあ、そんな訳なんで、申し訳ないんですけど………」

 

「あっ、そんなすぐにじゃなくてもいいの!都合良い時、いつでもいいから、キンタロー君に私の作った物食べてほしくて」

 

「えーっと………」

 

煮え切らない金太郎の態度に、二乃がもーっ!と憤る。

 

「とにかく、私はキンタロー君にお礼がしたいの!ダメ?」

 

「その、バイトが忙しいんで、ちょっと時間なくて」

 

「じゃあ、予定が空いたら教えて!連絡先、交換しよ?」

 

「………わかりました」

 

本当は断ってなんとか逃げたいと思ったが、連絡先の交換を断るのは流石に気分を害するだろうと携帯電話を取り出した。

 

ピロン、と連絡先の交換を知らせる電子音が鳴る。

 

「オッケー、じゃあ会える日教えてね?待ってるから───!」

 

二乃が病室から出て行く。

出ていく際、ひょこっと顔を出してウィンクをして去って行った。

 

「はあ………」

 

困ったことになった。

バイトを口実に、誘いを断るのがいつまで続けられるのか。

 

金太郎は気が重くなるのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

「………♪」

 

山道を進むバスの中、広く座席が空いているというのに、わざわざ隣同士で座る男女の姿があった。

 

「………あの」

 

「なに?キンタロー君?」

 

「なんでいるんすか?」

 

「?」

 

首をかしげる二乃に、頭を抱えそうになる。

 

「いや、なんで着いて来てるんすか………?」

 

「上杉───あ、お兄さんの方ね?あいつが家庭教師でウチに来た時に、キンタロー君がいつコテージに行くのか聞いたの」

 

(あいつ………)

 

脳内で兄を殴った。

 

「キンタロー君、バイトで忙しいって言ったでしょ?だから、私が着いて来ればお礼が出来るなって」

 

そう言って二乃が手提げから弁当箱を取り出して見せる。

どうやら、逃げることは出来ないようだった。

 

「言っときますけど、バイク取りに行って、帰るだけですよ」

 

「一緒にお昼食べる時間ぐらいあるでしょ?」

 

笑顔で見つめてくる二乃に、どう返せばいいのかわからず、目を逸らした。

 

「………っていうか、どうやって帰るんですか?このバス片道ですけど」

 

「あ、えっとね………」

 

もじもじする二乃に、何を言い出すのかと身構える。

 

「バイクの後ろ、乗っけて………?」

 

「ははは………」

 

乾いた笑いが出てしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「着きましたよ」

 

林間学校の会場だった場所から、高級マンションの前に辿り着き、長い時間をかけた長距離ドライブが終わりを告げる。

 

朝に出発したが、もう日が落ちていた。

 

「ありがとう………さ、流石にこの距離はしんどかったわ………」

 

バイクの後部シートから二乃が降りる。

休憩は何度か挟んだが、基本的にひたすら帰り道を走るだけだったため、疲労が溜まっていた。

 

「キンタロー君も、お疲れ様………」

 

「いえ、そちらもお疲れ様でした」

 

二乃からヘルメットを受け取り、シートの中へしまう。

 

(………もうちょっと、お話出来るかなって思ってたけど、全然無理だったわね………)

 

ドラマなどでよく見かけるような、バイクに乗った恋人同士が会話するシーンを再現できるかと期待していた二乃だったが、実際にバイクに二人乗りして会話することは、難しかった。

 

(でも、キンタロー君にずーっと抱き付いちゃった………!)

 

しかし、それでも想い人に長時間、合法的にしがみつくことが出来たため、二乃にしてみれば幸せな時間ではあった。

 

「………じゃあ、俺、行くんで。弁当、ご馳走様でした。失礼します」

 

「あ、待って!」

 

バイクに跨った金太郎を引き留める。

 

「今日はありがとう、勝手について行ったのに、バイクに乗せてもらって」

 

「まあ、置いて行くなんて出来ないですし」

 

「あ、それ!」

 

「?」

 

二乃が金太郎を指差す。

 

「敬語!なんだか距離を感じちゃうわ。ため口でいいわよ、キンタロー君」

 

「いえ、流石にそれは………」

 

「どうして?あ、もしかして、迷惑だったとか………?」

 

「そういうんじゃないですけど………年上っていうか先輩ですし」

 

そして、兄の雇い主だ。

色々理由はあるが、ため口で話すことは憚られたし、距離を近付けたいと思わなかった。

 

「むー。じゃあ、その先輩が敬語をやめてほしいって言ってるんだけど」

 

「勘弁してください………」

 

困ったように眉をひそめる金太郎に、二乃は表情を暗くした。

 

「………金太郎君、もしかして私のこと、嫌い………?」

 

「えっ?」

 

不安そうに声を震わせる二乃に、金太郎は焦り始める。

 

「いや、嫌いとかじゃないですが………」

 

「確かに、私、キンタロー君に迷惑しかかけてないし………」

 

「そんなことはないですよ、林間学校の時は事故だったんですし」

 

顔を青くする二乃を、どうにか立ち直らせようとする。

 

「でも………」

 

「あー、バイトの時間なんで、とにかく失礼します、ゆっくり休んでください」

 

「あっ………」

 

バイクのエンジンをかけて、走り出す。

今の金太郎は、無理やり会話を断ち切るしか方法が思いつかなかった。

 

「キンタロー君!私、絶対また誘うからね!」

 

微かに聞こえた言葉に、返事を返せなかった。

 

 

 

 

 

(嫌いかどうか、か)

 

二乃にかけられた言葉を思い返す。

 

正直に言えば、彼女のような美人に好意を見せられるのは嫌な気分ではない。

 

問題は、彼女の立場と自分の立場、そして金太郎自身の心の問題だった。

 

(嫌いとかじゃないんだが………)

 

彼女の父親に釘を刺されたばかりだったし、いささか二乃と親しくするには問題が多かった。

それに、金太郎は誰かと親しくする気がそもそもない。

 

(俺は、どうすればいいんだ………)

 

ふと、二乃が作ってくれた弁当の味を思い出す。

 

(弁当、美味かったな)

 

誰かの手料理を食べたのは久しぶりだった。

その上、二乃が作ってくれた料理はお世辞抜きで美味しいものだった。

 

緊張した面持ちだった二乃が、自分の”美味しい”という言葉に喜ぶ顔が脳裏に思い返される。

 

その笑顔は、金太郎にとって愛らしいと思えるものだった。

 

ただ、今の金太郎にはその感情が理解出来なかった。

 



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喧嘩別れ

『キンタロー君!今週の日曜会えませんか?』

 

『バイトなんで、すみません』

 

 

『今週は空いてたりしない?』

 

『すみません、バイトが』

 

 

『来週会えたりしないかな?だめなら、再来週は?』

 

『すみません』

 

 

「………もう───!!なんで毎回断られるのよ───!!」

 

誘いの連絡を入れる度に必ず断られる。

そんなことがもう何週も続いていた。

 

「あちゃ~、それは、脈ナシかもね」

 

「なんでよ!」

 

一花が苦笑するが、二乃はそうであるとは認めたくなかった。

 

「大体、あんた達だって上杉の奴を誘って断られてたじゃない!何が違うのよ!」

 

「ぐっ………」

 

「二乃に言われたくない」

 

一花が図星をつかれたと怯み、三玖が頬を膨らませて拗ねる。

 

「………」

 

「四葉?どうかしたのですか?」

 

そんなやり取りを見て目を逸らす四葉に、五月が声をかけた。

 

「えっ?い、いや、なんでもない、なんでもないよー………あはは」

 

「?」

 

五月が首をかしげる。

一花と三玖の誘いを断った風太郎が、自分と出掛けていたことを知られる訳にはいかず、何とか誤魔化したかった。

 

「さあ、今日は家庭教師の土曜日です、勉強の準備をしておきましょう」

 

「………私、今から予定があるから」

 

席を立って逃げようとする二乃に、慌てて五月が抑え付ける。

 

「ま、待ってください~!試験まであと一週間!この前私たちは0点をとったんですから、少しでも勉強をしないと───!」

 

「う………」

 

逃げ出そうとした二乃だが、流石に0点のままでは良くないとは思っていた。

 

「それに、上杉君の弟君に誘いを断られてたじゃないですか、予定なんてないはずです!」

 

「失礼ねあんた!?」

 

図星とはいえ、あんまりな言い方だった。

 

 

 

 

 

家庭教師の風太郎が中々来ないので、待つ間に各々で自習をすることになった。

 

「テレビつけるわよ」

 

二乃がリモコンに手を伸ばそうとしたが、それに先んじて三玖がリモコンを取った。

 

「………何のつもり?」

 

「私、見たい番組があるから」

 

「それはこっちの台詞よ」

 

三玖が手に取ったリモコンを、二乃も掴んだ。

そこへ、ようやく到着した風太郎と、迎えに行った五月がリビングに入ってくる。

 

「───時間がないんです、次の試験に向けて、みんなで仲良く協力し合いましょう!」

 

「三玖、この手をどけなさい」

 

「二乃こそ諦めて」

 

「はぁ?あんたが諦めなさいよ!」

 

「諦めない」

 

「………みんなで仲良く、ねぇ」

 

五月が気合を入れて協力しようと言った側から口喧嘩をする二乃と三玖に、風太郎はため息をついた。

 

「お二人さん、何やってんの?」

 

「今やってるバラエティにお気にの俳優が出てるから、そのチャンネルが見たいの!」

 

「ダメ。この時間はドキュメンタリー。今日の特集は見逃せない」

 

チャンネル争いという、くだらない喧嘩の内容に、風太郎はリモコンをサッと奪う。

 

「フータローはどっちの………」

 

「勉強中は消しまーす」

 

「あーっ!」

「あーっ!」

 

同時に叫んだことを苦々しく思ったのか、二乃と三玖は一瞬顔を見合わせた後、すぐに互いに目を逸らした。

 

「………前から思ってたが、あの二人、仲が悪いのか?」

 

一花に訊ねる。

風太郎が家庭教師として五つ子に関わるようになってそれなりに経ったが、二乃と三玖は言い争いや反発が多いように感じていた。

 

「んー、どうだろう、犬猿の仲って奴?」

 

一花が顎に手を置いて答える。

 

「特に二乃。あんな風に見えてあの子が一番繊細だから。衝突も多いんだよね」

 

「繊細、ね」

 

ふいに自分の弟のことが頭によぎる。

今でこそ派手な外見をしているが、昔から繊細で、傷付きやすい子供だった。

 

(あいつと似てるってことか)

 

繊細な人間ほど、態度や言葉が尖ってしまうものだ。

だから、衝突してしまう。

 

尖った弟を持つ風太郎だからこそ、一花の言葉に少し共感を覚えた。

 

「はーい、みんな勉強再開するよ」

 

二乃と三玖の微妙な雰囲気に割って入るように、一花が明るく声を上げる。

 

「それじゃフータロー君、一週間私たちのことをお願いします」

 

「ああ、中間試験のリベンジマッチだ」

 

不適に笑う風太郎に、腕を組んだ二乃は眉をひそめながら目を逸らした。

 

 

 

 

 

(二乃も来るようになって、全員集まるようになったのはいいが、もしこいつらが仲違いでもしたら、目標の赤点回避が一気に遠のいてしまうな………)

 

これまで基本的には仲睦まじく見えていた五つ子の新たな懸念事項に、どうしたものかと頭を悩ませる。

 

「あっ!それ私の消しゴムよ、返しなさい」

 

「借りただけ」

 

そう思っていた矢先、三玖が二乃の消しゴムを使い、言い争いが始まった。

 

「あっそ」

 

今度は、二乃が三玖の缶ジュースを手に取った。

 

「あ、それ私のジュース」

 

「借りるだけよ」

 

抹茶ソーダを飲む二乃を、三玖が睨みつける。

 

「って、マズッ!」

 

「………」

 

険悪な二人に、風太郎は肩を落とした。

 

「アイディア募集中………」

 

「はい!みんな仲良し作戦なんてどうですか?」

 

風太郎の言葉に、四葉が提案する。

 

「きっと二人は慣れてない勉強でカリカリしているんです。上杉さんがいい気分に乗せてあげたら喧嘩も収まるはずですよ」

 

「なるほど」

 

風太郎が立ち上がり、三玖と二乃へ近付く。

 

「はっはっは、いやーいいねぇ、素晴らしい!」

 

突然拍手をし始めた風太郎に、二乃と三玖は怪訝な表情を浮かべる。

 

「二人ともいい感じだね!なんというか………凄く、良い!しっかりしてて………良いね………うーん………………偉い!」

 

(褒めるの下手くそー!)

 

あまりにふわふわな誉め言葉に、四葉が心の中で突っ込みを入れた。

 

「………どうしたの、フータロー?」

 

「気持ち悪いわね」

 

二乃の言葉に、三玖がムッとする。

 

「気持ち悪くはないから」

 

「本当のことを言っただけよ」

 

「それは言い過ぎ。取り消して」

 

「あれー?ってことはあんたは少しは思ったんじゃなーい?」

 

「むぅ………」

 

「………」

 

仲良し作戦をした風太郎のせいで、更に悪化してしまった。

 

「失敗」

 

「じゃあ、こんなのはどーかな」

 

一花が提案したのは第3の勢力作戦。

あえて厳しく当たることで、ヘイトを風太郎へ向けるというものだった。

 

「共通の敵が現れたら、二人の結束力が強まるはずだよ」

 

「うーん………」

 

「どうしたの?」

 

「一応それなりに頑張ってるあいつらに強く言うのはな………」

 

「………あなたにも人の心があったのですね」

 

気乗りしない様子の風太郎に、五月が驚く。

普段、五つ子に苦労をさせられている風太郎ならば、嬉々としてやりそうなものだと思っていた。

 

「おいおい!まだそれだけしか課題終わってねーのかよ!」

 

そう言った直後だった。

 

「と言っても半人前のお前らは課題終わらせるだけじゃ足りないけどな、あ!違った!半人前じゃなくて五人の一人前かハハハハハ!!!」

 

(生き生きしてない!?)

 

嬉々としてやっていた。

褒める作戦より明確に乗り気であった。

 

「言われなくても、もう終わるところよ、ほら!」

 

「えっ、マジか」

 

二乃が課題を広げてみせる。

 

「………ん?そこ、テスト範囲じゃないぞ」

 

「あれぇ!?」

 

慌てて課題を確認する。

事前にテスト範囲を確認していなかったため、テスト範囲ではないところを勉強してしまっていた。

 

「やば………」

 

「二乃。やるなら真面目にやって」

 

「………っ」

 

三玖の冷ややかな眼差しに、二乃は我慢の限界を越えたようだった。

 

「こんな退屈なこと真面目にやってられないわ!私は部屋でやるからほっといて!」

 

「お、おい!」

 

風太郎が引き止める間もなく、二乃は自室へ向かう階段へ登ってしまった。

 

「くっ………ワンセット無駄になっちまった」

 

机に膨大な量のプリントを置く。

それは、風太郎が徹夜で用意した、自作の問題集だった。

 

人数分用意されていたそれは、課題が終わり次第手をつけさせる予定だったが、このままでは二乃に渡すことは出来そうになかった。

 

「弱気にならないでください」

 

五月が風太郎に語りかける。

 

「あなたが、私たちのお手本になるんでしょう?頼りにしてますから」

 

「………」

 

五月が風太郎を迎えに行った際、徹夜の問題集作りにより、玄関先で眠ってしまっていた。

そんな風太郎が五月に言ったのが、”お前たちだけやらせてもフェアじゃない、俺がお手本になんなきゃな”という言葉だった。

 

「待てよ二乃、まだ始まったばかりだ、もう少し残れよ」

 

五月からの信頼に乗せられ、風太郎が二乃を追って階段を登る。

 

「あいつらと喧嘩するのは本意じゃないだろ」

 

「………」

 

本位じゃないという言葉に思うところがあったのか、二乃が立ち止まる。

 

「ただでさえお前は出遅れてるんだ、四人にしっかり追いつこうぜ」

 

「………っ!」

 

しかし、その一言は二乃の逆鱗に触れるものだった。

 

「うるさいわね、何も知らないくせに、とやかく言われる筋合いはないわ」

 

二乃が風太郎を睨む。

 

「あんたなんかただの雇われ家庭教師、部外者よ」

 

風太郎は所詮家庭教師。そんな余所者に、二乃はズバズバと踏み込んでほしくなかった。

 

「これ」

 

三玖がプリントを二乃に差し出す。

 

「フータローが私たちのために作ってくれた問題集。受け取って」

 

しかし、二乃の目は冷ややかだった。

 

「そんなの作ったくらいでなんだっていうのよ、そんなの………」

 

二乃が、三玖の手を払いのける。

 

「いらないわ!」

 

その拍子に、問題集のプリントがバサバサと床に散らばってしまった。

 

「ね、ねぇ、二人とも落ち着こ?」

 

「そうだ、お前ら………」

 

険悪な二人に、一花と風太郎が止めようとするが、しかし落ち着く気配はなかった。

 

「拾って」

 

三玖の視線は冷たく、そして怒りが籠っていた。

 

「………こんな紙切れに騙されてんじゃないわよ………今日だって遅刻したじゃない、こんなもの渡して………」

 

一枚だけ手元に残っていたプリントを、ビリビリに破った。

 

「いい加減なのよ!それで教えてるつもりなら大間違いだわ!」

 

「………二乃」

 

(まずい!」

 

三玖が怒気を発しながら二乃へ近付く。

 

「三玖!俺はいいから………!」

 

風太郎が三玖を抑える。

手が出そうになったのを避けるための行動だったが。

 

───パンッ───

 

五月が二乃の頬を叩いたことで、風太郎の静止は無為なものとなった。

 

「二乃」

 

五月の冷たい言動に、三玖たちは固唾を呑む。

 

「謝ってください」

 

「っ!」

 

二乃が五月の頬を張り返す。

 

「あんた………いつの間にこいつの味方になったのよ………」

 

二乃は、自分と同じように風太郎と距離を置いていたはずの五月が、風太郎の肩を持っていることに、裏切られたと感じた。

 

「この問題集は上杉君が私たちのために作ってくれたものです、決して粗末にしていいものではありません」

 

「だから何よ、こんなの紙切れじゃない」

 

「ただの紙切れじゃない。よく見て」

 

「は?」

 

三玖の言葉に、五月がプリントを拾って二乃に見せる。

 

「彼はプリンターもコピー機も持っていません。呆れました………全部手書きなんです」

 

五月の言った通り、風太郎の自作の問題集は全て手書きで作られていた。

テスト範囲を全てカバーしたそれは、徹夜でギリギリ間に合うほどの工程で出来上がっていた。

 

「………だから、何よ」

 

「私たちも真剣に取り組むべきです。上杉君に負けないように」

 

流石に罪悪感に駆られていたが、後に引けない様子だった。

 

「………私だって………」

 

「二乃………」

 

一花と四葉が見守る。

しかし、二乃の味方をする様子はなかった。

 

「いい加減、フータローを受け入れて」

 

三玖の言葉が、二乃を追い詰めてしまった。

 

「………わかったわ………あんたたちは、私よりこいつを選ぶってわけね」

 

二乃が拳をぎゅっと握る。

 

「いいわ、こんな家出てってやる」

 

「!?二乃、冷静になれ………!」

 

「前から考えてたことよ、この家は私は私を腐らせる」

 

「に、二乃っ!」

 

「こんなのお母さんが悲しみます!」

 

二乃がキッと五月を睨む。

 

「未練がましく母親の代わりを演じるのはやめなさいよ」

 

「っ!」

 

「………」

 

二乃の言葉に、面食らう五月。

そんな様子を風太郎が見守る。

 

亡くなった母親の影を追う。

それは、亡くなった母親の影に今もまだ影響を受け続けている、自分の弟と重なって聞こえた。

 

「二乃早まらないで」

 

「そうそう話し合おうよ」

 

「話し合いですって?先に手を出してきたのはあっちよ」

 

四葉と一花の静止も、二乃は聞き入れずに五月を指差した。

 

「あんなドメスティックバイオレンス肉まんおばけとは一緒にいられないわ!」

 

「ド………ドメ………肉………!?」

 

姉妹で最も食事の量が多く、体型を気にしている五月が触れてほしくない言葉だった。

 

「そんなにお邪魔なようなら、私が出ていきます………!」

 

「あっそ!勝手にすれば?」

 

「ど、どうすれば………」

 

売り言葉に買い言葉。

お互いに相容れず、意地を張り合う二人に、困惑する風太郎。

 

結局、二人はそのまま家を出て行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こういうことは、よくあるのか?」

 

「姉妹だもん、喧嘩なんて珍しくない」

 

翌日。風太郎と三玖が、いなくなってしまった二乃と五月を探して街を歩いていた。

一花と四葉は、外せない用事で来れないとのことだった。

 

「でも………今回は今までと少し違う気がする」

 

これまでの喧嘩と違うところ。

風太郎は、自分の影響が悪く作用していることに思うところがあった。

 

「ともかく五月と二乃を探すぞ」

 

「うん」

 

 

 

 

 

「も、もう疲れた………」

 

「よりによって、体力無し、コンビだからな………」

 

まだ短い時間しか回っていないが、二人とも、もう息を切らしていた。

 

「………仕方ない。この手を使う」

 

「?」

 

三玖が街中の人たちの前に出る。

 

「こんな顔の人見ませんでしたか?」

 

(………五つ子ってなんて便利なんでしょう)

 

五つ子にしか出来ない捜索方法に、感心するやら呆れるやら。

 

「あら、私の泊ってるホテルで見た顔だわ」

 

「それだーっ!」

 

おまけに、見つかってしまった。

 

 

 

 

 

それなりに値段の張るホテルの一室。

部屋のドアを開けると。

 

「え」

 

そこには、顔パックを付け、グラスに飲み物を入れた、100%リラックス状態の二乃がいた。

 

「な、なんであんたたち………ってか鍵は………」

 

「部屋に鍵を忘れたって私が言ったら開けてくれた」

 

「セキリュティガバガバじゃない………!」

 

ぺろっと顔パックがずり落ちる。

そんな二乃を、三玖が見つめる。

 

「二乃、昨日のことは………」

 

「………出てって!私たちはもう赤の他人よ!」

 

二人を廊下へ押し出し、ドアを閉めようとする。

 

「あっ、ま、待て!」

 

風太郎が腕を突き入れ、ドアが閉まるのを防いだ。

 

「二乃、どうしたんだ。お前は誰よりあいつらが好きで、あの家が好きだったはずだ。だから、俺が受け入れられなかったんだろ」

 

「………」

 

風太郎の言葉は事実ではあった。

 

二乃は他の姉妹より、姉妹愛が強い。

 

だから、姉妹の間に割って入って来た、ように感じた風太郎を嫌い、受け入れなかった。

そして、その風太郎に、大切な姉妹たちが奪われた気がして、裏切られたと感じている。

 

「だから、知ったような口きかないでって言ったでしょ、よりにもよってあんたが………」

 

だが、それを風太郎に指摘されたいとは、思わなかった。

 

「こうなったのは全部あんたのせいよ、あんたなんて来なければ良かったのに」

 

「………」

 

涙を浮かべる二乃。

 

「そうか」

 

来なければよかった。

確かに、そう言われてみれば、風太郎が中野家に来てからというもの、色んなことが起こった。

 

風太郎としても、来ない方が面倒ごとは起こらなかったかもしれない。

 

「本当にそう思ってるのか?」

 

だが、五つ子たちの家庭教師に来なければ良かったとは、思わなかった。

きっと、彼女たちもそう思っていないであろうということも、風太郎には何となくわかっていた。

 

「俺の弟は俺に敵意剥き出しな奴でな。何度も殴られそうになった。っていうか殴られた」

 

「………っ、そ、それが何よ」

 

金太郎の話を持ち出され、少し二乃が動揺する。

 

「だがな。そんな奴でも家族として、少しは分かり合えたんだ」

 

「………」

 

真剣に語り出す風太郎を、三玖もまた真剣に見つめている。

 

「あいつは、あいつなりに家族を想ってるんだ。兄弟、家族ってのはそんなもんなんだと思う。嫌い合ってるように見えても、そこには、その………あるんだろうよ、”家族愛”ってやつがさ」

 

「………だから、どうしたっていうのよ」

 

「お前たちだって同じだって話だ。どんなに喧嘩しても、いがみ合っても、それは互いを想ってるからだろ」

 

「………知ったような口きかないでって言ってるでしょ」

 

二乃言葉は、先ほどよりも力を失っていた。

 

「じゃあ、これも言わせてもらうけどな。お前たちのおかげだ」

 

「………っ!」

 

二乃が息を呑む。

風太郎が発するには、にわかに信じられない言葉だった。

 

「お前が金太郎に庇われたから、俺と弟は多少は腹を割って話せるようになった。これは、俺がお前たちの家庭教師にならなければ、起こらなかったことなんだよ」

 

「何が、言いたいの」

 

「つまり、俺は、お前たちの家庭教師になったことは、良かったと思ってるってことだよ」

 

「フータロー………」

 

風太郎が、ここまで性根の心情を吐露するのを、三玖は見たことがなかった。

 

「お前は、そりゃ俺が邪魔かもしれねーが、何か一つぐらいは、あるんじゃないのか、家庭教師が来て、悪くなかったって思えることが」

 

「………」

 

二乃が、閉め出そうとするドアを少し開けた。

 

「………キンタロー君」

 

「金太郎?」

 

「キンタロー君と知り合えた!それが、悪くなかったって思えることよ」

 

「………そうかよ」

 

ここに来て、また弟。

風太郎はため息をついた。

せめて、英語の点数が上がったなどという理由が聞きたかったと思った。

 

「キンタロー君に、会わせて」

 

「は?」

 

「会わせてほしいの!私が誘っても、全然乗ってくれないんだもん………」

 

「そ、そうなのか」

 

弟が二乃の誘いを断っていることを知り、何とも複雑な感情を抱いた。

 

「会わせてくれたら………少しぐらいはあんたの話を聞いてやってもいいわ」

 

「っ!本当か!」

 

「ええ、だから、今日は、帰りなっ、さい!」

 

「あっ、待っ!」

 

今度こそ、ホテルのドアが閉められた。

 

「………まあ、一歩は前進出来たか」

 

「フータロー」

 

三玖が風太郎を見つめる。ただ、目を見ることが出来ていなかった。

 

「どうした?」

 

「さっきの、本当?私たちの家庭教師になれたこと、良かったって………」

 

「………ああ、本当だよ」

 

今度は、風太郎が三玖の目を見ることが出来なかった。

 

「お前らと過ごす日々は、まあ、悪くないって思ってる」

 

「………っ!」

 

それを聞いた三玖の胸は、言いようのない感情で溢れていた。

 

「………今日は帰るか」

 

「フータロー!」

 

三玖が、風太郎に向き合う。

 

「私も、フータローと過ごす日のが、好き───っ!」

 

「───え?」

 

思わぬ告白に、風太郎が耳を疑った。

 

「───あっ、違っ、これは………その、ふ、フータローが家庭教師になってから、私も楽しいってこと!変な意味じゃ、ないから………!」

 

「お、おう、わかった」

 

「じゃ、じゃあ!」

 

三玖がホテルの廊下を走り去っていく。

その姿を、呆気にとられたまま見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おかえりー」

 

「ただいま………」

 

体力を消耗しての捜索に、二乃への説得。それに三玖の言葉と、風太郎は疲れていた。

 

(五月はどこにいるのかわかんねーし………)

 

それだけじゃない。まだ懸念すべきことは残っている。

どこに五月がいるのかわからず、彼女の捜索も残っている。

 

「ん?この匂い………カレーか」

 

「正解!先に食べてるよ、あとね………」

 

「らいはちゃん!」

 

妹を呼ぶ、聞きなじみのある声が聞こえた。

 

「カレー、おかわりしてもいいですか?」

 

捜索の懸念は、今なくなった。

 

「あ………お、お邪魔、してます………」

 

 

 

 

 

「………」

 

「………」

 

気まずい沈黙が流れていた。

あれほど大喧嘩をした後の行先がまさかの自分の家だった。

 

なんとも馬鹿げた話だった。

 

(っつーかなんでウチにいるんだよ………)

 

ちらりと目を向ける。

五月が目を逸らした。

 

(居心地悪い………)

 

他人が自分の家にいる。

どうにも落ち着かなかった。

 

(今なら二乃の気持ちがわかるぜ)

 

自分のテリトリーである家に、他人がいる感覚。

狭い家の中、親交がそれなりにある五月でさえそうなのだ、最初に風太郎が家に赴いた時はさぞ拒否感を示したに違いない。

 

「お兄ちゃん、お布団敷いといて」

 

「あ、私がやります」

 

「お嬢様が硬い布団で寝られるかね………」

 

「寝られます!」

 

「お兄ちゃん仲良くしてよ」

 

らいはが呆れるように風太郎をたしなめる。

いつの間にか、五月と仲良くなっていたようで、妹は家に泊りに来たことを喜んでいた。

 

「今夜はお父さんが仕事だし、金太郎お兄ちゃんはまだ帰って来ないから………」

 

良いことを思いついた!という表情のらいはに、嫌な予感を覚えた。

 

「三人で川の字で寝ようね」

 

 

 

 

風太郎、らいは、五月の順番に川の字になるように布団を敷いて布団に入っていた。

 

(まるで家族みてーだな………)

 

布団に入りながら、逡巡する。

 

このままではいけない。

何か言うべきだが、何から切り出せばいいかがわからなかった。

 

「上杉君、起きていますか?」

 

「!ああ、起きてるぞ」

 

そう思っていた矢先、五月から話しかけてきた。

 

「今日は突然すみませんでした。昨日のことも」

 

「………まあ、構わねえよ、らいはも歓迎してるしな」

 

「………らいはちゃんには、ご馳走になりっぱなしです」

 

一番最初に上杉家に五月が来た時も、今日も、らいはのカレーを口にしていた。

二乃が作るものとは異なる家庭の味に、安心感を覚えていた。

 

「明日には帰れよ。三玖達も心配してる」

 

「それは、できません………今回ばかりは二乃が先に折れるまで帰れません」

 

「………あのな」

 

頑固な五月。

しかし、いつまでもこの家にいさせる訳にはいかなかった。

 

「そもそも、金持ちお嬢様にウチの生活が耐えられるとは思えん、そうなる前に帰った方が良いだろ」

 

「………私はお嬢様ではありませんよ」

 

「は?」

 

高級マンションに住み金遣いの荒い五月たちが、お嬢様ではないとはよく分からなかった。

 

「私たちも数年前まで負けず劣らずの生活を送っていましたから」

 

「え?そうなのか?」

 

意外な事実に、風太郎は驚いた。

 

「今の父と再婚するまで、極貧生活でした。当然です、五人の子供を育てていたんですから」

 

五月が静かに語り始める。

 

「その頃の私たちは、見た目も性格もほとんど同じだったんですよ」

 

しかし、女手一つで育てていた母親は体調を崩して、入院してしまったのだという。

 

「だから私は、母の代わりとなってみんなを導くと決めたんです」

 

つまり、癇癪を起こした二乃に手を上げたのも、五月なりに母親を真似ての行動であった。

 

「そう決めたはずなのに………うまくいかない現状です………」

 

───未練がましく母親の代わりを演じるのはやめなさい───

 

二乃に言われた言葉は、五月の心に衝撃を与えた。

 

未練がましい。

確かに、五月はありし日の母親の面影を、断ち切れない未練と共に追っている。

 

それを他ならぬ姉妹に否定されてしまったのは、とても辛いことだった。

 

「母親の代わり、か」

 

同じように、ある日突然母を失ったからこそ、風太郎には思うところがあった。

 

風太郎や妹が、母を亡くしてもその面影を追うことなく今日まで生きて来れたのは、父の影響が大きい。

 

父が快活で、悲しみを背負いすぎない人物だったからこそ、今の風太郎がある。

 

母親を失った傷が大きかった金太郎はその限りではなかったが、それでも父がいたからこそ、今の姿があった。

 

「こんな時に、お前らの父親は何やってんだよ。こういう時こそ父親の出番だろ」

 

「それは………」

 

口ごもる。

あまり触れられたくない部分だったようだ。

 

「父は………私たちにあまり関わろうとしません。私たちとは、距離が遠いんです」

 

「ふーん………」

 

二回の電話でしか会話をしたことがなかったが、冷たく、合理主義な人物に思えた。

どうも、その感想は間違ってはいなかったらしい。

 

「まあ、赤点以下のお前らに、黙って家庭教師寄越すだけだっただもんな」

 

「ぐっ………赤っ………確かに、そうですが………」

 

赤点以下であるという事実は、未だ五月にとっては耳が痛いものだった。

特に、姉妹の中でも最も真面目に勉強に打ち込んでいる五月にとっては。

 

(………何やってんだろうな、お前らの父親は)

 

父親とは、子供を受け止めて、導くものだ。

五月達とその父親には、自分たち上杉の家のような、心の繋がりが乏しいように見えた。

 

むしろ距離が離れ、父親からの愛情があるのかも疑わしいとさえ感じた。

 

何せ、姉妹が仲違いして、二人が家出までしている。

それなのに、何も行動を起こしていない彼女らの父親には、猜疑心すら覚えた。

 

「………父親、ね」

 

その役目は、確かに今の五月たちにとって、必要なものだ。

 

それでも。

 

「俺は、お前らの父親の代わりなんてできない」

 

「えっ………?」

 

五月が母親の代わりをやろうとするように、自分が父親のかわりをやろうとは、言えなかった。

 

「お前らには、今父親が必要なんだと思う。家族が離れちまってる時に、それを繋げて纏めるような父親がな」

 

「それは、そうかもしれませんが」

 

「だが、お前たちの父親は、力になってくれない。そんな時、本当なら、家庭教師の俺が父親の代わりを張ってやるべきなんだろうが………」

 

「いや、あなたが父親はちょっと………」

 

「う、うるせー、例えばの話だろ………」

 

ごほん、と咳払いをして話を戻す。

 

「ともかく。俺に、父親の代わりなんざ出来ねえ。いや、俺じゃなくても誰にも出来やしないんだ、親の代わりなんて」

 

「………そんなことは、分かっています」

 

風太郎の言葉は、五月にとって耳が痛い話だった。

 

誰も、親の代わりなんて出来ない。

それは、母親の代わりになろうとした、五月にも当てはまるものだった。

 

「………だから、未練がましく母親の真似事はやめろと?あなたまでそう言うんですか」

 

二乃に否定され、飛び出した先のここでも否定され、五月は自分のこれまでの人生を否定されたように思った。

 

「いいや。そうじゃない」

 

しかし、風太郎は五月のことを否定する気はなかった。

 

「親の真似事なんて、子供なら当たり前にやることだろ。ただ、代わりにはなれないってだけだ」

 

親の影を追う。

それは、子供なら当たり前のことだ。

親が亡くなってしまったのなら、尚のこと。

 

「何が、言いたいんですか」

 

「お前が母親の代わりをやろうって決めたんなら、そうすればいい。それはお前が決めることだ」

 

親の代わりにはなれない。

だが、その影を追って、自分が変わることは、悪いことではないはずだ。

 

「五月。お前はお前にしかなれない。そして、母親の代わりになろうとした結果が、今のお前だ。それは胸を張れるものなんじゃないのか」

 

「………上杉君………」

 

五月が体を起こした。

 

未練がましく母親の真似事をしたことも、今の自分に繋がっている。

 

それは、間違いではないのだ。

 

「ま、その結果が赤点なのは胸を張れるもんじゃないけどな」

 

「う、うるさいですね!今はその話はいいでしょう!?」

 

辛辣な風太郎の言葉に憤りながらも、五月の表情はどこかスッキリとしていた。

 

「………お前が、お前にしかなれないように、俺だって俺にしかなれない。だから、俺は父親役じゃなくて俺として、お前らの力になってやる」

 

誰かの力になる。

 

それは、五年前の修学旅行の日に、京都で髪の長い女の子と出会い、いつか誰かに必要とされる人間になると決めた風太郎の、大きな目標だった。

 

それまでの全てを投げうって、勉強だけを死ぬ気で励むようになったほどの。

 

「………ふふ」

 

五月が笑みを漏らす。

 

「代わりになれないって言ったり、代わりでいいって言ったり。上杉君はよくわかりません」

 

「………要点をまとめられなかったのは悪かったと思ってる」

 

要は、五月を励まそうとしていただけなのだ。

 

母親にはなれないが、母親の代わりとして務める五月。

そんな五月が、自分らしくあれば、それでいいのだと、風太郎は言っていた。

 

「上杉君は、不器用ですね」

 

「………自覚はあるよ、ったく。柄にもないこと、言うんじゃなかったぜ」

 

風太郎にとって、一日に何度も説教を垂れるようなことは気苦労が大きかった。

 

柄にもないことを言うのは終わりだと、風太郎が布団を被った。

 

「でも………そうですね、お母さんの代わりになろうとしたから、今の私がある。それは、上杉君の言う通りかもしれません」

 

二乃には、未練がましいと言われたが、それでいいのだ。

 

未練がましく母の代わりになろうとしたから、今の自分がいるのだから。

 

「上杉君」

 

「今度はなんだよ」

 

「見てください、綺麗な満月です」

 

窓辺から、月明かりが差し込む。

確かに、綺麗な満月だった。

 

「………お前、まだまだ勉強した方がいいな」

 

「な、なんでですか!」

 

しかし、それが有名な告白の台詞だということを、五月は知らなかった。

 

 

 

 

 

「それにしても、これだけ話しているのにらいはちゃんは寝つきがいいですね」

 

かなり話し込んでしまっていた二人だが、それでもらいは綺麗に寝息をたてていた。

 

「まあ、金太郎が帰って来るのがいつも夜遅いからな。ちょっとやそっとの物音じゃ起きなくなってるんだよ」

 

「………そういえば、まだ帰って来ませんね」

 

もうすぐ日が変わろうかという時間なのに、彼の弟は帰って来る気配がなかった。

 

「いつも、こんなに遅いんですか?」

 

「そう言ったろ」

 

当たり前だと言わんばかりの風太郎の言葉に、五月は呆気にとられた。

 

(毎日こんなに遅く………)

 

それは、いくら極貧生活を送っているにしても、高校生である金太郎には大きすぎる負担だと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガチャリとドアが開く音に、目を覚ます。

 

目をドアの方へ向けると、見覚えのある金髪の少年、風太郎の弟である金太郎が靴を脱いでいた。

 

「───にっ!?」

 

自分の家に、自分の家の人間じゃない少女がいることに驚く。

あと、普段怖がっている二乃に似た五月だったことから、金太郎が身構える。

 

「………あ、お邪魔しています………中野五月です………」

 

寝ぼけまなこで五月がむにゃむにゃと挨拶する。

 

「あ………中野五月さん………いや、すんません、起こしちゃって」

 

金太郎がそそくさと洗面所へと入っていく。

 

五月は今何時だろうと時計に目を向ける。

 

「───も、もうこんな時間じゃないですか───!?」

 

それは、高校生が帰って来るにしては遅すぎる時間だった。

 

 

 

 

 

そして、金太郎は、いなくなるのも早かった。

 

ガサゴソと物音が聞こえて五月が再び目を覚ます。

そこには、身支度をしてリュックを背負う金太郎の姿があった。

 

時計を見る。

先ほど、金太郎が帰って来てからまだほんの数時間。

まだ日が明ける前の、夜明け前の時間だった。

 

(………一体、どうしてそこまで………)

 

ドアを開け、家を出ていく金太郎の姿を見ながら、五月が不安に駆られる。

 

夜は皆が寝静まった後に帰って来て、日が明ける前に家を出ていき、学校に行く。

 

それは、いくら貧しい生活を送っているとはいえ、高校生の彼には多すぎる仕事量だった。

 

(………お母さんみたい)

 

その一身に何かを背負い、自分を顧みず働く姿に、五月は亡き母を重ねずにはいられなかった。

 



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シュークリーム

「焼肉定食、焼肉抜きで」

 

「あんたもそれ頼むのかい?好きだねえ」

 

学食のおばちゃんにそう言われたことに思うところはあったが、黙って焼肉皿のない定食のトレイを受け取る。

 

同じ200円でも、おかずのないただの大盛りの白米と比べると、味噌汁とお新香の塩気に箸が進んだ。

 

兄の言うことも、たまには役に立つものだ。

そう思いながらお新香を噛んでいると。

 

「───金太郎」

 

その兄が目の前にやって来た。

 

「………何?」

 

出来る限りの近寄るなオーラを漂わせながら、金太郎が不機嫌さを隠さずに呟く。

 

確かに、この主食のない侘しい定食は兄に教わったものだし、それにありがたみを感じないでもない。

だが、目の前に来られるのはそれはそれとして鬱陶しかった。

 

「兄貴がいると飯が不味くなるからとっとと失せてほしい(要件があんなら早く言えよ)」

 

「お前、多分本音と建前が逆になってるだろこの野郎………」

 

要件を言う前からあんまりな言い分に、風太郎が青筋を立てる。

 

「頼みがあるんだよ」

 

「嫌」

 

「せめて聞いてから断れよ!?」

 

普段からあまり金太郎に頼み事をしない風太郎の言葉ではあったが、兄の顔を見ると受ける気が失せた。

 

というか普段会話をしないので頼み事も何もないのだが。

 

「………実は、二乃と五月が喧嘩しててな。二人とも家出してるんだ」

 

「だからウチで寝てたのか」

 

五月がウチにいる理由を知って納得する。

 

夜中に帰宅した際に赤髪が見えた時は、まさか二乃が待ち伏せしていたのかと飛び上がる気分だった。

 

「しかし、ウチを頼るのか」

 

「それは俺も思う」

 

お嬢様である五月が、あの狭いアパートを家出先に選ぶことを意外に思う金太郎。

 

実際は、狭いアパートに五月は慣れているのだが、それを金太郎が知る由はなかった。

 

「それで、二乃の奴は今ホテルに寝泊りしてるんだが」

 

「………随分なことで」

 

普通の高校生は、家出したからといってホテルで暮らすことなど出来ない。

 

自分との明確な金銭感覚の差に、金太郎は呆れた。

 

「戻るように説得しに行ったんだが、話を聞いてくれなくてな」

 

「それはご苦労さんなこって」

 

どうやら、家出した二乃を説得に行く程度には、家庭教師としての務めを果たしているらしい。

 

二乃が家族と上手くいっていないことに、関心がない訳ではなかったが、それよりも兄が説得のために苦心していることの方が気になった。

 

「そこでだ。お前に頼みがあるんだ」

 

「嫌」

 

「聞けよ!」

 

「え~………」

 

大体、予想がついてしまった。

自分が説得に行けというのだろう。

 

「頼む、お前と話がしたいって言われたんだよ」

 

「………俺が説得に行ったところで、大したことは言えねえぞ」

 

そもそも、出来ることなら会いたくないというのが本音だった。

 

二乃からは、何度となくデートの誘いを受けている。

 

それに何かと言い訳をつけて、というか最早言い訳すらせずにシンプルに断り続けている金太郎としては、何とか会わずに済ませたかった。

 

「中野二乃さんなぁ………気まずいしなぁ………」

 

「?お前二乃と何かあったのか?」

 

「いや、何もないから、っつーか………」

 

まず、どんな顔をして会えばわからず気まずい。

それに、これ以上親しくしたくない。

 

ただ、気分を害して、万が一兄の家庭教師に影響を与える訳にもいかない。

 

金太郎にとって二乃は、爆弾のようなものであり、なるべく関わりたくなかった。

 

「頼む!説得はしなくていい、ただ会わせてほしいってセッティングを頼まれただけなんだ。お前は会って話をするだけでいい。説得はその後の俺の仕事だ」

 

「いや、でも、なぁ………」

 

断り続けた手前、兄に言われたから今回は会いました、ではあまりに勝手なものだろう。

 

第一、兄に言われたから自分が行動した、という理由になるのも気に食わなかった。

 

しかし、そんな金太郎と違い、風太郎は言い淀まなかった。

 

「頼む、金太郎………あいつらには元の家族に戻ってほしい………五人で一緒にいてほしいんだ」

 

「………」

 

眉をひそめる風太郎の表情は、必死なもので、真剣な目だった。

 

林間学校の時を思い出す。

あの時も、兄が珍しく頼み事をしてきた。

 

あの時も今も、全て生徒である彼女たちのための頼みだった。

 

それほどまでに、彼女たちは兄に影響を与えたのか。

勉強と家族以外何にも目を寄越さなかった兄を、ここまで真摯に動かすほどに。

 

「………わかった、わかったよ、会えばいいんだろ………」

 

そんな兄の姿に、もう少しだけ、二乃と真摯に向き合うべきだと思った。

 

それに、家族が仲違いしたままというのも、他人事の気がしない。

自分のことを棚上げにしながら、金太郎はそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たかそー………」

 

自分が泊まることはまずないだろう、値段の張りそうなホテルにやって来た。

 

高級で上品な雰囲気に、居心地の悪さを覚える。

 

気のせいか、周りの視線も値踏みをするかのように感じる。

 

貧相な自分に、場違いだと目で言われているようで気持ちが悪かった。

 

怪訝な表情を隠しきれないフロントに取り次ぎ、部屋の前まで訪れた金太郎は、意を決してドアをノックした。

 

「はーい」

 

弾む声と共に、ガチャ、とドアが開かれる。

そこには、爛々とした表情の二乃がいた。

 

「ど、どうも」

 

「さっ、遠慮せずに入って」

 

「お邪魔します………」

 

部屋へと足を踏み入れる。

 

(………気まずいな)

 

なにせ、あからさまに避けてきた相手だ。

今更どの面を下げて話せばいいのか、頭を悩ませる。

 

「ねぇ、キンタロー君」

 

「は、はい」

 

どう話を切り出せば良いのかわからず困っていた金太郎へ、二乃から声が掛けられる。

 

「私に言うことあるでしょ」

 

「あー………」

 

いきなりきたか、と身構える。

避けては通れない話だったが、まさかこうもいきなりとは思わなかった。

 

(そういえば、随分直球な人だったな………)

 

そのストレート具合に、以前山のコテージにバイクを取りに行った際無理やりついて来たことを思い出す。

 

その時の行動といい、二乃の直球さに苦笑が漏れそうになる。

 

「すみません、ずーっと断ってばっかで」

 

頭を下げる。

色々言い訳は考えたが、彼女の直球さを見習って、真っ直ぐに謝ることにした。

 

それに、今更言い訳がましいのはダサいだろう。

 

「中野さんには、悪いことしたと思ってます、せっかく、何度も連絡いただいたのに………」

 

「いいよ」

 

その返事は、予想に反してあっさりしたものだった。

 

「キンタロー君にずっとフラれてたことは水に流してあげます」

 

腰を曲げた二乃が、上目遣いで金太郎を見上げる。

 

「ま、流すも何も私が一方的に誘ってただけなんだけど」

 

「………ありがとうございます」

 

ほっと胸を撫で下ろしたが、そんな金太郎に二乃が一歩近寄り、詰め寄った。

 

「でも!私だって断られてばっかで、傷付くんだからねっ。そりゃ、キンタロー君もバイトで忙しいかもしれないけど一回ぐらいは受けてくれても良かったじゃない」

 

「す、すみません、悪かったと思ってます」

 

距離を縮められたことで、金太郎は背中を少し反らした。

相変わらず、距離が近いのは慣れないことだった。

 

「いいよ、この話はこれでおしまい。今日来てくれたから、全部許しちゃう」

 

くすりと微笑んだ二乃が、キッチンスペースへ足を向けた。

 

「じゃあ、そこら辺に座ってて。まだ作ってる途中だったから」

 

二乃がリビングのソファーを指差す。

 

「作ってる………?」

 

キッチンスペースに目を向ける。

そこには、鍋やボウルが置かれており、中にはパイ生地のようなクリーム状のものが広がっていた。

 

「シュークリーム。前にお見舞いに行った時に、作ってあげるって言ったでしょ?」

 

「………ああ、そういえば」

 

林間学校の件で入院した時、見舞いに来た二乃が以前言っていたことだった。

 

「本当はキンタロー君が来るまでに作っておきたかったんだけど、ちょっと準備に手間取っちゃって」

 

(………っていうか、ホテルってこんな料理出来るスペースがあるもんなのか………?)

 

値段の張るホテルのことは、よくわからなかった。

 

「待っててね、集中して作るから………!」

 

顔を強張らせながら腕まくりをする二乃の手は、少し緊張で震えているように見える。

どうも、気を張っているようだった。

 

「………それなら、手伝いますよ。お菓子作りはあんまり経験ないですけど」

 

通されたリビングから、キッチンスペースの二乃の隣に赴く。

どうやら、生地は作れているが、カスタードクリーム部分がまだのようで、牛乳やバニラエッセンスの瓶が置かれていた。

 

「そっち、今から生地焼くんですよね?クリーム、作ったらいいですか?」

 

「………」

 

手を洗い、牛乳を手に取り、測りにかける金太郎に、二乃が驚いたように目を見張る。

 

「ちょ、ちょっと待っててね」

 

「えっ、はい」

 

ベッドルームの方に二乃が姿を消す。

壁を挟んで、完全に見えなくなった。

 

「───なにこれ!?ちょー優しいんですけど!!しかもお菓子作りまで出来るなんて、キンタロー君ってば何!?王子様なの!?」

 

(全部聞こえてる………)

 

何やら聞こえてないと思い込んで叫ぶ二乃に、金太郎の顔が引き攣る。

 

「───ごめんねっ!じゃ、じゃあ私は生地を焼いていくから、キンタロー君はクリーム作りお願いしていい?」

 

「は、はい」

 

全力で聞こえてないフリをしながら、鍋に材料を入れ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、これ。紅茶淹れたから、出来上がるまで飲んでて?」

 

「ああ、ありがとうございます」

 

ティーカップが二つ、テーブルの上に置かれる。

 

「………」

 

「………」

 

あとは生地が焼き上がりと、クリームが冷えるのを待つだけとなり、ソファに二人並んで座って過ごすことになった。

 

「………」

 

「………」

 

しかし、どうにも会話が続かず、気まずい沈黙が流れたまま、時間だけが過ぎていた。

 

「ちょ、ちょっと電話してくるね」

 

「はい、どうぞ」

 

二乃が席を立った。

それを見送りながら、金太郎はため息をついた。

 

(………何話せばいいか、わっかんね)

 

何しろ、ずっと避けてきた相手だ。

お金持ちのお嬢様であるし、そういえば金太郎は二乃のことをよく知らない。

 

おまけに、何故かわからないが好かれている。

 

そんな二乃に、どう接すれば良いのかがわからなかった。

 

(………家族と喧嘩したって言ってたよな)

 

彼女は、家族と喧嘩して家出。

それは、かつて家族と上手くいかずに、家を出歩いてばかりだった金太郎にとっては他人事のように思えないことだった。

 

(………説得できるかは、わかんねえけど)

 

腹を割って話すぐらいは、出来るかもしれない。

 

「───何で知らないのよ!使えないわね───!!」

 

(また、全部聞こえてる)

 

伝えた方が良いのだろうか。

そんなことを考えながら、金太郎は苦笑を漏らした。

 

 

 

 

 

「何でキンタロー君の趣味も知らないのよ!」

 

『仕方ないだろ!金太郎とは普段話さねーんだよ!俺は勉強しかしてないし!』

 

一方、二乃はというと、話のタネに困って兄の風太郎に電話で弟の趣味を聞いていた。

 

しかし、頼みの綱の風太郎は”知らない”という言葉を返してきたのだった。

 

『俺も最近の金太郎はよく知らないんだよ………!あいつもバイトばっかで、顔合わさないことも多い」

 

「あんたたち兄弟でしょ!?もっとちゃんと話しなさいよ」

 

「それは絶対嫌」

 

金太郎の声が聞こえてきた気がしたが、緊張と風太郎への苛立ちで頭に血が上った二乃の耳に入っていなかった。

 

『ともかく、趣味とかそういうのは本人に聞けよ。そこから話を繋げればいいだろ』

 

「………仕方ないわね………」

 

電話を切る。

話のタネの収穫はゼロに等しかった。

 

(バイトばっかり、かぁ)

 

金太郎の情報で、話のタネに繋がりそうなのはそれぐらいだった。

 

(そういえば、バイトで忙しいって言ってたし、好きなのかな)

 

聞いてみよう。そう思いながら、二乃がソファへ戻った。

 

 

 

 

 

「ごめんね、キンタロー君」

 

「いえ、お構いなく」

 

ソファに腰掛けた二乃は、相変わらず落ち着かない様子だった。

 

「………あ、あのね!キンタロー君ってアルバイト、好きなの?」

 

「えっ?」

 

「ほら、キンタロー君、いつもバイトだから来れないって言ってたでしょ?そんなにいっぱいやってるなら、好きなのかなって」

 

「………いや、好き、とかじゃない、ですかね………」

 

バイトが好きかどうか。

そんなことは、考えたことがなかった。

 

「そうなの?」

 

「ええ………必要だから、やってるってだけなんで」

 

バイトが好きか、と聞かれたら、肯定も否定もできなかった。

金太郎にとって、バイトはただの手段だったからだ。

金を稼ぐため、そして自分の心から目を離すため。

 

「ふーん。どんなバイトしてるの?」

 

「あー、新聞配達とか、居酒屋とか、あとガソリンスタンドとか」

 

「えっ、そんなに!?」

 

二乃がバイト先が一つではなかったことに、驚愕する。

 

「もしかして、朝早く働いて、放課後も働いてるの?」

 

「まあ、なるべく金稼ぎたいんで」

 

なんでもないことのように答える金太郎を、二乃は不思議に思った。

 

「どうして、そこまで働くの?」

 

「どうして、ですか」

 

何故そこまで働くのか。

それは、バイトが好きか、とは違うベクトルで答えにくい質問だった。

 

その理由は、金太郎にとって、触れられたくない部分だったし、気恥ずかしいものだからだ。

 

(適当に誤魔化せは、するけど)

 

バイクが欲しいとか。

一人暮らしがしたいとか。

 

理由はいくらでもでっち上げられる。

 

どれを言っても、納得はしてくれるだろう。

 

───頼む、金太郎………あいつらには元の家族に戻ってほしい………五人で一緒にいてほしいんだ───

 

兄の言葉が脳裏にチラつく。

 

家族が、離別してしまうのは、悲しいことだ。

 

「………家族のため、です。ウチ、家計がヤバいんで、それ助けるために」

 

金太郎が出来ることは、適当に誤魔化すことではなく、真摯に本当のことを話すことだと思った。

 

「………」

 

二乃が驚きの表情を浮かべる。

金太郎の言葉には、少しの照れと、隠しきれない真摯さがこもっていた。

 

「………本当に、優しいね、キンタロー君は。とっても、立派だわ」

 

「そんなことはないです。まあ、色々、あったんで」

 

どこか、二乃は落ち込んだ様子だった。

 

「………私が、ホテルで暮らしてる理由、聞いてる?」

 

「………多少は」

 

そっか、と二乃がこぼす。

 

「情けないよね、家族と喧嘩して、家出なんて」

 

「………そんなことは」

 

それは、金太郎が最も共感できるはずのことで、否定できないことだった。

 

「ううん。わかってるの、こんなことになったのも、私が原因だから」

 

二乃が立ち上がり、部屋の机に置かれた羽のついたペンを手に取る。

 

「私たち、五つ子っていうのは知ってるでしょ?昔は、本当に同じ外見で、性格も同じだったの」

 

ぽつりぽつりと話し始める二乃を、金太郎は黙って見つめていた。

 

「その頃はね、まるで全員の思考が共有されているような気でいて、居心地がよかった」

 

「………」

 

「でも、五年前から変わった」

 

「………!」

 

五年前。

それは、ちょうど兄が変わり始め、自分も狂い始めてしまった時期と同じだった。

 

「みんな少しずつ離れていった。長女の一花なんてね、女優やってるんだけど、そんなこと知らなかったの」

 

羽根のついたペンが、机に落ちた。

二乃が遠い目を向けていた。

 

「みんな、まるで五つ子から巣立っていくみたいに思えたの。私だけを残して………私だけが、あの頃を忘れられないまま」

 

二乃が寂しげな表情を浮かべる。

 

「だから、今の私には、家族のためなんて言えるキンタロー君が、ちょっと羨ましい」

 

静かに語るその姿が、不思議と自分と重なって見えた。

 

家族に───姉妹に───兄弟に、置いていかれるような感覚。

同じ足並みだった兄弟に、取り残されていく感傷。

 

それは、金太郎が最も理解できる感情だった。

 

「ごめんね、こんな話………」

 

「同じだ」

 

「えっ?」

 

「俺も、同じです」

 

突然の金太郎の言葉に、二乃が呆気にとられる。

 

「それって、どういう………」

 

「昔、兄貴は勉強が全然出来なかったんです。いや、しなかったっつった方が正しいかな」

 

「えっ、そうだったの!?」

 

「ええ。勉強なんかしてないで、外で遊ぶような奴でした」

 

意外な言葉に、二乃が驚きの声をあげる。

今や勉強の虫である風太郎が、勉強嫌いだったとは、想像がつかなかった。

 

「でも、五年前から変わった。何があったか知らねーけど、突然人が変わったように勉強に励み出したんです」

 

「あ………五年前………」

 

二乃と同じ、五年前という年月に反応する。

 

「理想に向かって、人一倍努力して変わってく兄貴に、取り残されてるって思った。それが辛くて、兄貴を正面から見ることができなかった」

 

それは、その心に今も残る影だった。

 

自分の得意だった勉強で負けたことも辛かったし、子供の頃、いつも自分を引っ張ってくれていた兄に置いていかれるような感覚が、怖かったのだ。

 

「二乃さん、俺がバイトに熱心な理由なんて、大したもんじゃないんですよ」

 

家族の家計を支える。

家族にかけた迷惑の分の借りを返すため。

 

確かにそれらの理由は嘘ではない。

紛れもない働く理由だ。

 

「俺は………ただ、取り残されてるってことに、目が向けられなくて、それを直視したくなくて………そんで、足踏みしてるってだけなんです」

 

だが、朝から深夜まで、何かに追われるようにアルバイトに身を焦がす理由は、結局のところ変わっていく兄と、変われずに足踏みする自分から、目を逸らすためだった。

 

「キンタロー君………」

 

二乃が金太郎が呟いた"同じだ"という言葉の意味を理解した。

 

「………私たち、同じなんだね」

 

「そう、ですね」

 

どちらからともなく、互いに、苦笑いが漏れだす。

 

二人とも、過去に囚われて、変わっていく今を受け入れられない。

そのことを理解し合い、共感を覚えていた。

 

「………それでも、キンタロー君は立派だと思う。だって、それでも家族のために働いてるんでしょ?それって、凄いことだわ」

 

「………俺、昔グレてて、そん時家族にかけた迷惑を取り返すためです。立派なもんじゃ………」

 

「それでも、よ!」

 

二乃が前のめりになる。

 

「どんな理由でも、家族のために行動してるのは変わらないでしょ?意地張って、喧嘩した私とは大違いだわ」

 

後ろめたい理由があったとしても、家族のために行動していることに変わりはない。

それは、胸を張って誇れることのはずだった。

 

「キンタロー君は、立派で、優しい人よ、私が保障するわ」

 

真っ直ぐに伝える二乃の言葉が、金太郎に伝わる。

 

(俺が優しい、か)

 

その真っ直ぐな言葉は、罪悪感から、誉め言葉を素直に受け取ることのできない金太郎にも届くものだった。

 

直球な彼女がそう言うのなら、きっとそうなのだろうと思えるほど。

 

「………それに比べて、私は変わらないまま。髪型だって変えられないし………今だって、意地張って仲直りしようなんて考えてない」

 

家族のために働く金太郎と比べて、自分が昔と変わっていないということに、顔を暗くする。

 

「私だけ、ずっと変わらないままなのかな」

 

「………俺、前はこんな髪型じゃなかったんです」

 

寂しげに俯く二乃に、金太郎が自分の髪を触りながら語りかける。

 

「昔は、今の兄貴みたいな髪してて………それが、今だとこんなになりました」

 

思えば、今の金太郎の髪型は、昔の兄と、父の髪型に似ている。

髪型にさえ、兄の影響が出ていることに、内心笑ってしまった。

 

「だから、その、つまり、俺も昔を忘れられないままですけど、何か変わったことはあって………二乃さんにも、何かあるんじゃないんですか?その、変わったことが」

 

呆気にとられた二乃が、ややあって笑い出した。

 

「ははは───キンタロー君、もしかして、励まそうとしてくれてる?」

 

少し、不器用な励まし方に、笑みがこぼれた。

同時に、二乃の心は温まるような心地になる。

 

「あー………まあ、その」

 

「ありがとう、やっぱり、キンタロー君は優しい人だよ」

 

にこりと微笑んだ二乃は、テーブルに置かれたカップを手に取る。

 

「………私、昔は紅茶なんて飲まなかったな。苦味があって、ちょっと苦手だった」

 

二乃が砂糖を手にして、紅茶に入れた。

 

「でも………今もお砂糖がないと飲めない。私、やっぱり変わってるようで何も変わってないわ」

 

紅茶の苦味は気品があると思いながらも、砂糖の甘さで誤魔化さなければ飲むことができない。

それは、二乃が結局のところ、昔と変われていない象徴であった。

 

「やっぱり、無理やりでも、あそこから巣立たなくちゃいけないのかな………私だけが取り残されて、髪の長ささえ変えられないんだもの」

 

二乃が自身の髪を撫でる。

腰ほどある長さのそれは、二乃にとって囚われている過去の象徴だった。

 

「───良いんじゃないですか?」

 

「えっ?」

 

「綺麗な髪だと思います、よく似合ってますよ」

 

「───っ!?」

 

突然の言葉に、二乃が息を詰まらせる。

ずっと素っ気ない態度をとられていた金太郎からの、初めての賛辞だった。

 

「き、キンタロー君!?えっ、き、綺麗って、そんな………」

 

「はい、綺麗です。それって、素敵なことじゃないですか?」

 

金太郎が微笑み、紅茶に砂糖を入れた。

 

「変わらないものも、あって良いでしょう。変わらなきゃダメなんて、誰が決めたんですか」

 

紅茶を一口飲む。

甘さが口につくが、甘いものが好きな金太郎にとって、その甘さは心地の良いものだった。

 

「確かに、今変わっていくものに取り残されるのは辛いです。それは、俺も実感してます。でも、だからって変わらないものも、あっていいはずです」

 

家のアルバムにたくさん差し込まれてる、母親との写真が頭によぎる。

 

自分自身はもう写真を撮らないように変わってしまったが、母親との思い出の写真は、変わらないモノとして金太郎の心に残っている。

 

変わらないモノを大切にすることは、決して悪いことではないはずだった。

 

「………キンタロー君は、過去を忘れて、今を受け入れるべきだって思わない?」

 

「忘れられない、大切な過去だって、ありますよ」

 

それは、今もなおずっと過去に囚われてしまっていた金太郎が出した結論だった。

 

「二乃さんが、ご家族と喧嘩したのはきっと、二乃さんが過去を大切にしてるからで、それは素敵なことなんじゃないかって、俺は思います」

 

元はといえば、風太郎という”異物”が家族を引き裂いてしまうのではないかと恐れたことが、五月と喧嘩した原因だ。

 

それは、誰よりも二乃が家族を、過去を大切にしているからに他ならなかった。

 

「だから、二乃さんは、そのままで良いんですよ」

 

「───っ!」

 

その言葉は、成長していく姉妹に取り残されるように感じて、焦燥感を抱いていた二乃にとって、救われるものだった。

 

「………キンタロー君って、ほんと、ずるい」

 

その言葉が嬉しくて仕方がない。

 

容姿に見惚れ、命を救われ、優しい言葉をかけて、受け入れてくれる。

そんな彼への想いで、二乃はどうにかなりそうだった。

 

「キンタロー君、私ね………」

 

チン、とオーブンが音を立てる。

 

シュークリームの生地が、焼き上がったようだった。

 

「───シュークリーム、仕上げましょうか」

 

「───そ、そうだね、焼けたみたいだもんね………!」

 

立ち上がって、キッチンへと向かう。

 

熱にあてられて、喉から出そうになった、想いを告げる言葉は、ぐっと呑み込んだ。

 

 

 

 

 

金太郎が、冷えたカスタードの種に、生クリームをかき混ぜる。

一方二乃は、焼き上がった生地を二つに切っていく。

 

出来上がったカスタードを、生地に流し込んだ。

 

二人ともが、手際よく共同作業を行えている心地よさに、得も言われぬ感覚を覚えていた。

 

「キンタロー君がいると、凄くスムーズだわ」

 

中野家の台所を一身に担う二乃にとって、何も言わずとも作業を任せられる金太郎に安心感を抱いた。

 

「俺も、お菓子作りはあんまりやったことなかったですけど、案外楽しいですね」

 

金太郎も同じようにキッチンで頼りになる存在がいることが、気に入っていた。

 

「出来上がりましたね。ただ………」

 

ずらーっとテーブルにシュークリームが並ぶ。

その数は両手の指では数えきれないほどの数があった。

 

「作ってる時から思ってましたが、めっちゃありますね………」

 

「たくさん作るつもりだったからね。どんどん食べて!」

 

「どんどんって………」

 

いくら甘い物好きとはいえ、これだけの数を食べるのは難しいと思った。

 

「とりあえず、いただきます」

 

いちごが添えられたシュークリームを手に取り、口にする。

クリームの甘味といちごの酸味を、サクサクした生地が包む。

 

「………ん。美味いですね」

 

それを聞いた二乃が、パァっと顔を輝かせる。

その表情は、以前に見たのと同じ、満面の笑顔だった。

 

「………二乃さん、これ、使えるんじゃないですか?」

 

「え?」

 

「仲直りに使うんです。これだけあるんです、これを口実にすれば………」

 

そう言う金太郎に、二乃は少し伏し目になる。

 

「………今更、どんな顔して会えば良いかわからないわ」

 

そう呟く二乃の声は弱弱しく、意地を張り続けることに辛さを感じているようだった。

 

「俺、兄貴と仲悪いんです」

 

金太郎が、そんな二乃に語りかけた。

 

「っていうか、俺が兄貴のこと毛嫌いしてたっすけど………でも、そんな俺でも、ちょっとは認められるようになったっつーか………」

 

崖から転落した金太郎を、高熱の中探し回った風太郎。

そんな兄に、自分の大人げない態度を少しは改めるべきだと考えていた。

 

「俺も、ずーっと意地張ってたんすけど………自分が悪かったって認めたら、案外楽になるもんですよ」

 

「………」

 

実感のこもった言葉に、二乃は反論が出来ないでいた。

 

「だから、きっかけなんて些細なものでいいと思うんです。例えば、一緒にシュークリームを食べるとか」

 

「………きっかけ、かぁ」

 

二乃がシュークリームを手に取り、口にする。

自分で作った物ながら、上出来な物であると思えた。

 

「五月ってね。食べるのが好きなの。食べすぎで体型気にしちゃってるぐらいね」

 

二乃がくすりと笑う。

 

「私も、キンタロー君を見習ってみるわ。だって、キミの言うことなんだもん」

 

二乃が微笑みを浮かべて、金太郎に笑いかける。

その表情は、金太郎にとって好ましいと思えるものだった。

 

そんな彼女の笑顔を見つめながら、ふと、その表情を写真に切り止めたいと思った。

 

(写真撮りたい、か)

 

金太郎が写真を撮りたいと思ったのは、母を亡くして以来だった。

 

(きっかけは些細なことでもいい、ね)

 

自分で口にした言葉を反芻する。

 

大切な過去を再び掘り起こすきっかけは、そんな些細な彼女の笑顔であるのかもしれなかった。

 



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