Hertz-Maschine @ Metropolis (深山瀬怜/浅谷てるる)
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初陣と偽りの王
見世物の戦争


 頭上に聳える塔を睨みつけ、琥珀(こはく)は舌打ちをした。そこにいる観客たちをここから見ることはできない。けれど自分たちの初陣に注がれる視線が好意的なものでないのはわかっていた。期待されている。自分たちが惨めに負けることを。

「ったく、ナメられたもんだよね。向こうは二軍だってさ」

 緑簾(りょくれん)が不機嫌そうに言う。勢いよく椅子に座ったために、緑簾の金色に染めた髪の毛が揺れた。琥珀は何も答えない。拳を握り締めると、皮の手袋が擦れる音がする。彼女の心を満たしているのは、現状に対する激しい怒りだった。

「……クソ兄貴が」

 クソ兄貴――天青(てんせい)が出奔さえしなければ、こんなことにはならなかった。玉髄(ぎょくずい)が死んだ後、悧国(りこく)の王は嫡子の天青になるはずだった。それなのに天青は数年前に突如姿を消し、玉髄が死んだ今も戻ってこない。そのせいで血が繋がっていないが養子であった琥珀が王に担ぎ上げられてしまったのだ。

 若き女王は内外から侮られていた。また、琥珀がそれまで玉髄に仕えていた者たちを全て馘にしたことで、反感を持たれてもいた。悧国の者たちは新しい王に、王が組織した新しい軍に、何も期待などしていなかった。

 負けることを、蹂躙されることを期待されている。けれど大人しく負けてやるつもりは琥珀にはなかった。この軍は強い。それだけはかくしんしていたのだ。

「――時間だ」

 戦を仕切る黒装束の男が琥珀に告げる。琥珀は頷いて、前を見据えて立ち上がった。緑簾が琥珀の背中を強く叩く。それに押し出されるように、響き渡る歓声の中、琥珀は歩き出した。

 顎を突き出し、琥珀たちを嘲るような笑みを浮かべているのは號国(こうこく)の男たち。黒装束の合図とともに、琥珀はその先頭に立つ男の首筋に剣を突きつけた。

「……っ!」

 先頭の男が怯んだ瞬間、琥珀の後ろに控えていた緑簾たちが一斉に前に出る。統率の取れた美しい動きに號国の男たちは翻弄されていた。琥珀は動揺している男に向かって微かに笑みを浮かべる。

「どう? 強いでしょ、私たち」

 男が琥珀の玲瓏な声と、強く透明な瞳に気圧された刹那、男の首が飛ぶ。噴き出した血を浴びる少女に、戦いを見下ろしていた観客からどよめきが漏れた。しかし琥珀はそれに一瞥もくれることはなく、剣の血を払って鞘に納める。文句なしの圧勝であった。

 黒装束の判定員が、悧国の旗を上げる。琥珀は上から降ってくる歓声に対し勝鬨をあげることもせずに踵を返した。冷淡なその態度に観客からは野次が飛ぶ。しかし琥珀は自らを映そうとするレンズを睨みつけ、そのまま何も言わずに戻っていった。

 

 

「いやー強いね琥珀ちゃん」

 藍晶(らんしょう)がモニターを覗き込みながら言うと、天青は不機嫌そうに立ち上がった。

「相手が油断してたからだろ。そもそも王があれだけ前線に出て戦うのがおかしい」

 この戦いは、その日の軍の将の首を取れば終わる。だから普通は将はうしろに引っ込んでいるものだし、王の首を取られたら一巻の終わりだから、王が軍を率いて前線に出るのはまずありえない。悧国の、あるいは琥珀の戦略はそれだけ異様だった。

「塔の連中は盛り上がってるみたいだよ」

「あいつらに盛り上がられても困るだけだ。それに態度悪すぎて嫌われてるんだろ?」

「そりゃあまあ初陣で喜びもしなければ笑いもしなかったし。それがいいって言ってる連中もいるけど」

「――琥珀のことはいいんだよ。あの世界とは関係ないところで生きることにしただろう」

 天青は聳え立つ塔を睨んだ。塔の中には遺伝子操作された、進化した人間たちが住んでいる。遺伝子操作ができないほど貧しい者や、遺伝子操作に失敗して捨てられた子供たちは、塔の足元にスラムを作って雨風を凌いでいる。そして半径二百(キロメートル)の広大なスラム街は四つの区画に分かれている。號国、霜国(そうこく)梓国(しこく)、そして悧国だ。そしてその四つの国は、定期的に戦争をしている。しかしそれは塔の人間の娯楽のため、日時と場所が決められ、まるで試合のように行われている。何年も続けられているその戦争で勝利を収めれば、塔の人間はその国の人間を塔の中に向かい入れるらしい。新たに王になった琥珀も、死んだ玉髄もそれを目指していた。しかし天青は塔の人間が勝ったからといってその国の人間を受け入れるとは思えなかった。だから自ら国を捨て、現在王が空位となり国の機能が麻痺している霜国に潜り込み、そこで仲間を見つけた。寄る方なき者たちの集まり。塔を目指すことなくここで生きていく。天青はそう決めていた。

 だが、血の繋がりのない妹のことが気になるのは事実だった。琥珀は天青が玉髄のところにいたときも戦闘の訓練などほとんど受けてはいなかった。護身術と剣術の基礎を簡単に教えられていた程度だ。あの身のこなしは天性のものだろう。その上で、相当な努力を積んでいる。天青の記憶よりも引き締まって見える琥珀の姿から目を逸らし、天青は外套を羽織った。

「出かけるの?」

 菫青(きんせい)が尋ねる。天青は振り向かずに答えた。

「ああ、ちょっとな」

「行ってらっしゃい。途中で人とか殴らないでよ?」

「向こうが殴ってこなきゃな」

 

 

 琥珀は基地(アジト)を抜け出し、縁石に腰掛けて天を見上げていた。上を見たところで塔の底が見えるだけだ。戯れに青空を映し出すフィルムを貼った塔の人間もいるが、そこだけがいつも昼で、それ以外はいつも夜だ。琥珀は静かに塔に手を伸ばす。塔の人間の言うことを全て信じているわけではなかった。けれど琥珀には悧国の人間を、いや、己の近衛軍である緑簾たちを塔に送らねばならなかった。

 遺伝子操作された人間は塔の空気の中でしか生きられない。遺伝子操作が失敗したとしても、一度そこに手を入れれば、塔の外の空気が毒になる。それなのに塔の大人たちは遺伝子操作に失敗した子供を平気で塔の外に捨てる。その子供たちは塔にいかなければ二十年ほどしか生きられない。近衛軍の少女たちの大多数はその刻限が近付いている。彼女たちが死んでしまう前に彼女たちを塔に送る。それが琥珀の目的だった。そのために求められるのは、ただ勝ち続けることだ。危険を伴うとわかっていても前線に出るのは、それが塔への近道だと知っているからだ。媚びるつもりはない。だが勝ち続けて気に入られれば、近衛軍を塔に入れられる可能性は上がる。そう信じていた。

 力なく右腕を下ろした琥珀は、自分に近付いてくる人影に気が付いた。遠目でもわかる。琥珀は半ば無意識で舌打ちをした。

「――死んだのかと思ってたよ、クソ兄貴」

「残念だったな、死んでなくて。そっちこそ今頃首飛ばされてるのかと思ってた」

「逃げたアンタとは違うんだよ」

 琥珀は敵意どころか殺意に近い視線を向ける。天青がいれば自分が王になることなどなかったのだ。苛立たしげに琥珀は地面を蹴る。

「逃げたわけじゃない。俺は捨てただけだ」

「同じことだろ。そもそも捨てたくせに何ノコノコと戻ってきてやがる」

「偽王に挨拶をと思って」

 琥珀は唇を噛んで天青の胸倉を掴んだ。

「誰のせいでこんなことになったと思ってんだクソ兄貴!」

「塔の奴らの言うことを鵜呑みにして戦うなんて馬鹿馬鹿しい。どうせあいつらは約束なんて守らない。今みたいなやり方をしてたら数ヶ月後にはお前の首が飛んでる。そんな馬鹿なことはやめろと言ってるんだ」

「今更出てきて兄貴面すんじゃねぇよ」

 琥珀は舌打ちをしながら乱暴に天青の服を離した。赤いジャケットを翻して踵を返す琥珀を天青は溜息を吐きながら見送った。

 玉髄は琥珀の才能を見抜いていたのだろうか。玉髄の傍にいたことで、他人の戦闘の動きを見ることは多かった。自分が体を動かさずともそれを吸収していたのだろう。新しい近衛軍との連携も取れている。玉髄の近衛軍をそのまま引き継いでいればここまでの躍進はなかっただろう。けれど十分すぎるほど戦えることが知られてしまった以上、これから琥珀率いる悧国は標的となるだろう。王自ら最前線で剣を取る戦いが今後も通用するかは、まだ誰にもわからなかった。

 

 

「またかよ……暇人しかいないわけ?」

 緑簾が持ってきた電報を見て、琥珀は溜息を吐いた。初陣から三ヶ月。これまで一度も負けたことはなかった。当然だ。負けていたら王である琥珀の首が飛んでいる。琥珀が生きていることが勝利の証に他ならなかった。しかし毎日のように繰り返される戦いにさすがにうんざりし始めていた。

 それだけ塔の人間に求められているということの証左ではあるが、毎日毎日人の首が飛ぶところを見て何が面白いのだろうか。近衛軍は勝利を喜び合っていたが、琥珀は完全にそれに浸ることはできなかった。勝った気がしない。人を斬った剣は脂が巻いてしまうから手入れをしなければならない。それだけが琥珀にとっての勝利の証だった。

「どうする? 今日は小編成らしいから琥珀が出なくてもいいと思うけど」

「いや、出るよ」

 出なければ文句を言われるだけだ。近衛軍に任せても勝てる相手だとわかってはいる。けれどただ勝つだけでは駄目なのだ。塔の人間に認められれば、塔に行ける日は近付く。そのためには、今ここで琥珀が休んでいるわけにはいかなかった。

「緑簾、翡翠(ひすい)天河(てんが)……あとは燐灰(りんかい)と私。向こうも五人だからこの編成でいいかな……」

「私はいいと思うよ」

 琥珀は口元だけで微笑んだ。戦いの始まりは五時間後。けれど王の仕事は戦闘だけではない。最初は全て琥珀が取り仕切っていたが、最近は内政は近衛軍に任せてしまっているところもある。それでも目を通さなければならない書類は多い。正式な国でもないのにどうして雑務まであるのだろう。机に頬杖をつきながら書類を見ていた琥珀は、そのままの姿勢で緑簾に言った。

「――あれは、何か新しいことわかったの?」

「そっちは進展なしだってさ」

「そんな簡単に尻尾は出さないか」

 勝ち続けることによって塔に迎え入れられること。それとは別に琥珀にはやらなければならないことがあった。先代の王であり琥珀の育ての親である玉髄の死の真相を突き止めること。玉髄は何者かに殺された。けれど玉髄の周りにはいつも常勝軍団の近衛兵がいて、玉髄自身も誰よりも強かった。そんな玉髄があっさり殺されたのだ。琥珀は内部の人間の仕業だろうと睨んでいた。だから近衛兵含め、王の身の回りを固める人間を総入れ替えした。琥珀が信頼できる人間は一人もいなかった。けれど全員馘にして終わりではない。玉髄を殺したのが誰なのか、真実を暴き出さなければならないのだ。

「あの人だって説も出てるらしいけど」

「兄貴はクソ野郎だけど、そういうことはしない」

桃簾(とうれん)は『天青さんなら殺したあとに戻ってこないのはおかしい』って。まあ家出してんのに殺す理由なんてそんくらいしかないしね」

 天青は王になるつもりはないのだろう。王になりたければ今すぐ戻ってくるだけでいいのだから。玉髄と血が繋がっていない琥珀が「偽王」であることは琥珀自身が最もよく理解していた。

 玉髄を殺したのは天青ではない。それなら誰が殺したのか。不意を突かれたのだとしても、玉髄があっさり殺されるなんてことは考えにくい。相手は相当の実力者だ。

 玉髄を殺したのは誰なのか。悧国の人間の誰もが、いや他の地区の人間や塔の住人ですらも真相を知りたがり、疑いの目を向けていた。その目が新しく王になった琥珀にも注がれていることは、琥珀も当然理解していた。



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因縁

 

 揃いの新しい戦闘服を着た悧国の精鋭五人に、観客は沸いていた。この戦争は、そこで多くの人間が死んでいるというのに、塔の人間にとっては見世物(ショー)でしかなかった。賭けの対象にすらなっているという。地獄に蜘蛛の糸を垂らして高みの見物をしているつもりなのだろう。遺伝子操作で進化した人間は、そうでない人間を戦わせて、自分たちは平和な世界で生きているつもりになっている。反吐が出る――しかし、今はその細い糸を掴むために前に進むしかなかった。黒装束が鏑矢を放ち、仕組まれた戦いが始まる。

 今日の相手は弓を多用する。けれどどこかで必ず距離を詰めなければ、勝利条件を満たすことができない。勝利条件は将の首を落とすこと。けれど戦闘の時間は決められているから、それで決着がつかなければ判定による勝利や引き分けも存在する。琥珀が近接戦闘に特化していると知っていて、時間を稼ぐような戦略を取る敵も出てくるようになってきた。

「――燐灰」

 前衛の緑簾と翡翠が配置についているのを見ながら琥珀は横に控えている燐灰を呼んだ。燐灰は頷いて琥珀に武器を差し出す。弓と矢――しかしその矢の先には小さな球体が取り付けられている。琥珀は矢を番え、敵陣に向かってそれを放った。矢は真っ直ぐに敵陣まで届き、金属の盾に阻まれたが、次の瞬間に矢先に取り付けられていた爆薬が炸裂した。爆薬を使うのは思いもよらなかった攻撃だったのだろう。動揺した敵の懐に前衛の二人が潜り込む。翡翠と緑簾が他の敵を攻撃している間に、琥珀を含む残り三人が敵の将の首を狙う。

 琥珀の剣が敵の首に届くかと思われたその瞬間、視界の隅に見えていた燐灰が崩れ落ちるのが見えた。

「燐灰!」

「っ……大丈夫……!」

 燐灰は派手に咳き込んだ。口を押さえていた掌に散った赤色を見て琥珀は目を瞠る。

「琥珀!」

 燐灰の異変に気を取られて、敵への注意が逸れた。それを見逃してくれるほど優しい相手ではない。琥珀に向けられた剣を、緑簾が双剣で受け止める。琥珀はその間に体勢を立て直し、緑簾を飛び越えて敵の首に剣を振り下ろす。勝利に浸ることもなく、響く歓声に耳を貸すこともなく、琥珀は返り血で汚れたままの姿で燐灰に駆け寄った。

「あはは……急に来るって聞いてたけど、本当に急に来るんだね、これ……さっきまで全然平気だったのに」

「いいから、喋らないで。すぐに蒼鉛(そうえん)のところに……!」

 琥珀の指示に、天河と緑簾が頷く。二人に支えられるようにして、燐灰が闘技場を出て行く。琥珀は翡翠とともにその背中を見送った。

「……こんなに早く、症状が出るなんて」

「琥珀、とりあえず今は」

 降り注いでくる喝采も、琥珀には何の意味もないことだった。拳を握り締め、琥珀は天を仰ぐ。そこには塔の中から眺めている人間たちの無数の顔が映し出されていた。琥珀はそれを睨めつけてから、舌打ちとともに踵を返した。

 

「燐灰は?」

 汚れた服を着替えることもせず、琥珀は蒼鉛のいる病院へ出向いた。燐灰は真っ白なベッドに寝かされ、点滴を打たれている。

「今回は軽い発作だったからすぐに落ち着いたよ。だけど……」

 蒼鉛が何を言おうとして口をつぐんだのか、琥珀には理解できていた。遺伝子を操作された人間は塔の外では生きられない。たとえ遺伝子操作に失敗し、捨てられた子供であっても。大抵は二十歳になる前に血を吐くようになり、進行すると呼吸ができなくなって死に至る。対処法は塔の中へ行き、その空気を吸うことだけだ。琥珀は右手で自分の左手をきつく握り締めた。

「……私がみんなを塔に連れて行く」

 蒼鉛は眼鏡を外して琥珀を見た。近衛兵の一員であり、医者でもある蒼鉛は琥珀の目的を知っていた。近衛兵のほとんどは遺伝子操作に失敗し捨てられた子供たちだ。玉髄が秘密裏に施設に集め、延命できるよう手を尽くしながら育てていた。その中から琥珀が信頼できる人間を集めて近衛兵を作った。少女たちの刻限は確実に近付いている。助かる方法は、今のところ、勝って塔の人間に受け入れられるしかないのだ。

 ――そこまでしたとして、塔の人間が約束を守るという保証はどこにもないのだけれど。

 

 

「お前いつまで見てんだそんなもん」

 画面を食い入るように眺めていた藍晶に天青は呆れ声で言った。

「と言いつつ天青も気になってんじゃないの? 琥珀ちゃんのこと」

「こんなところで負けるならそれまでってことだろ」

 これまでの悧国の戦績は全てが圧勝の一言であった。それが崩れたのが先程の戦闘。仲間の一人に気を取られて、あと少しで首を取られるところだった。琥珀が初めて見せた隙――今後、それを狙ってくる敵は増えていくだろう。

「琥珀ちゃん、弓矢も使えるんだね」

「敵陣に届けばいいだけなら誰でも出来る」

「矢飛ばすだけで大変だけどね、普通は。それにしても、琥珀ちゃんの軍ってもしかしてほとんど遺伝子操作してる? 緑簾がしてるのは知ってるんだけど」

「少なくとも半分はしてるはずだ。いや、もっと多いかもな」

 玉髄が管理していた施設に誰がいたかまでは天青も把握していない。天青がそこに顔を出すことはほぼなかった。玉髄も運営は部下にほとんど任せていた。一番頻繁に出入りしていたのが琥珀だ。

「近衛兵にそれだけいっぱいいるって結構ヤバいんじゃない? 琥珀ちゃんが一番若いくらいじゃん」

「黙ってても減っていくだろうな」

 王自ら前線に立つという異常とも言える方法を取っているのは、それだけ琥珀に焦りがあるからだ。遺伝子操作された子供は塔の外では二十年ほどしか生きられない。個人差は大きいが、近衛兵の中にいる者はそのほとんどが死期が近付いていると言える年齢だ。

「このまま琥珀ちゃん勝てると思う?」

「さあな。でも勝ったところで無駄だ。塔の連中が律儀に約束を守るとは思えない」

 琥珀もそれに考えが至らないほど愚かではないなはずなのだが。全ての地区の王の首を取ったところで、塔の人間は外の人間を認めたりはしない。塔の外の人間が一つになれば塔の人間たちを脅かせるかもしれないが、それはどだい無理な話だ。

「そういえばこっちにも久しぶりに依頼が来てたよ。受けるかはまだ決めてないけど」

「それを早く言え。どこの連中だ?」

「號国だね。はいこれ資料」

 天青は藍晶が手渡してきた資料に目を通す。霜国は王が空位の状態が続き、その機能はほとんど麻痺している。その中にはいくつもの武装集団が出来上がり、それぞれが他の国の軍の依頼などを受けて活動している。天青たちもそうした武装集団のひとつだった。

「これは断ってもいいと思うよ」

「――受けないわけがないだろう」

先日の悧国との戦闘で號国の二軍は壊滅的な打撃を受けた。これは復讐戦(リベンジマッチ)だ。けれどそれにすら一軍を出すつもりはないらしい。それが普通だ。普通最も強い部隊は温存するものだ。王の首には国そのものがかかっている。常に国を差し出すようなやり方をしているのは琥珀くらいのものだ。

 悧国の人間はこの状況をどう見ているのだろうか。快進撃を続けている間はいい。けれど一度でも負ければ国が終わる戦いを強いられているのだ。若き女王に己の命運が握られている。天青は国にいた頃に顔を合わせていた玉髄の臣下たちの顔を思い出す。

 玉髄は強かった。王同士が直接戦ったなら玉髄が勝つだろうと言われていたほどだ。その玉髄に自ら付き従う人間の中にはその強さに媚び、下卑た表情の上に尊敬の仮面を貼り付けているような者もいた。天青はそんな手合いには嫌悪しか感じていなかった。おそらくは琥珀も同じだ。琥珀は一部の人間以外には決して心を開かなかった。現在の近衛兵の大多数がいた施設に顔を出したときは年相応の無邪気さを見せることもあったが、そうではない人間たちはおそらく琥珀の笑顔を一度も見たことはないだろう。琥珀はある日玉髄に唐突に連れてこられた日から、分厚い殻で自らを守っているような子供だった。

 その殻の下に存在しているものがあまりにまっすぐで脆いことを、天青は知っている。だからこそ號国からの依頼を突き返すようなことはしない。

「こんな早く兄妹対決になるとはね」

「琥珀に引導を渡してやるのは俺だ。お前らには他の連中を任せる」

 いま琥珀の首を取れば悧国そのものも終わり、現在の霜国のような混乱状態に陥るだろう。天青はそれを望んでいた。だから国を出た。そのうち玉髄が何らかの形で死ねば、それだけで国が壊れると思っていたからだ。しかしその予想は覆され、王の養子ではあるが血筋ではない偽王が立つことで国がどうにか維持されてしまっている。それは不本意な結果だった。

 あんな国は滅びてしまえばいい――その言葉を発したことはない。だがそのことについて考えない日はなかった。

 

 

「――クソ兄貴が」

 桃簾からの書類に目を通した琥珀は、それをぐしゃぐしゃと丸めて放り投げた。次は號国との再戦。けれどまだ一軍は顔を見せないらしい。代わりに霜国を拠点にした武装集団を雇ったらしい。要するに傭兵だ。傭兵ごときに用はない。欲しいのは王の首だけだ。霜国の王は空位が続いているから、首を取る必要があるのは號国と梓国の二つだけだ。それなのに肝心のその二つはいつまでも表には出てこない。琥珀が表に出続ける危険を冒してまでそれを誘っているのにも関わらずだ。

 戦いに出れば琥珀の首と共に悧国が手に入る。それは喉から手が出るほど欲しいものではないのか。――要するに二軍や傭兵で仕留められるだろうと、未だに思われているということだ。

 それを嘲笑うように、予想よりも早く天青と戦うことが決まってしまった。恨みつらみを口にすれば夜が明けるくらいにはある。だが、王ではないただの傭兵の天青に用事などなかった。

 けれどこの道の邪魔をするのなら容赦してやるつもりはない。琥珀は執務机を拳で叩いた。

「こんなところで止まってる暇はないんだよ……!」

 近衛兵のほとんどが遺伝子操作を施され、それに失敗したとして塔の人間に捨てられた子供たちだ。幸い症状が出ているのは今のところ燐灰だけだが、年齢を考えれば誰がいつ死んでもおかしくない。塔に行くことさえできれば、それがたとえ一日だけだったとしても年単位での延命が可能であるという研究が出ている。一度でいいから塔の中に入ることができれば、その空気を掠め取って、それを調べれば玉髄が作った施設内などの狭い範囲であれば再現できる可能性もあるという。ただ一度。それさえ叶えられれば琥珀の目的は達成されるのだ。そのあとはこの国がどうなろうと知ったところではない。どうせ琥珀の段階で偽王なのだから他の人間に引き継いだとして困ることはないだろう。

 立ちはだかるものは殺してでも進む。琥珀にとっては相手が誰であってもそれは変わらない決意だ。

 

「――首を洗って待ってろ、クソ兄貴」



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王の力

 號国――否、號国が雇った傭兵である天性たちと戦う日まであと一週間。琥珀は訓練を終え、一人で夜の闇を縫って歩き始めた。王になってからというもの、少なくとも一人は近衛兵を連れていかなければ外出もできない。仕方ないこととはいえ息が詰まる。だから時折誰にも気付かれないように基地(アジト)を抜け出し、ただ闇に紛れているだけの時間を作り出している。一人になる時間は琥珀にとってどうしても必要なものだった。

 前に一人で外に出たときは、たまたま天青と鉢合わせてしまった。思い出すだけで忌々しい。昔は確かに兄として慕っていたこともある。けれど琥珀を残して姿を消したあの日から、琥珀は天青のことを嫌っていた。

(捨てたんなら、もう関わらずにいてくれたらいいのに)

 玉髄の血を継ぎ、正当な王となるべきは天青なのだと思われているのはわかっている。琥珀は所詮偽物の王だ。天青がいないから仕方なく琥珀を王にするしかなかったのだ。これまで表舞台に出てくることのなかった天青が再び姿を現すことにより、天青を連れ戻して王にせよと言い出す者も出てくるだろう。琥珀は玉座に執着はしていない。王になるべきは自分ではないことを理解している。問題は、他の人間が王になったときに、玉髄が保護していた遺伝子操作された子供たちはどうなるのか、ということだけだった。

 その存在を知ったとき、幼いながらに理不尽だと思った。自分たちの都合で遺伝子操作をしておきながら、失敗したら捨てる。優秀な人間だけが塔の中で甘い蜜を啜り、そこからこぼれ落ちた人間はこの掃き溜めのような街で生きていかなければならない。その上、一度遺伝子に手を加えたものは、塔の空気の中でしか生きられない。外で生きられるのは二十年が限界だ。

 近衛兵の八割は遺伝子を操作された子供たちだ。塔を出た時期には個人差があり、最年長の橄欖(かんらん)は十歳のときに重大な欠陥が見つかり、塔から追い出されたという。塔を出てから十年ほどしか経っていないから、最年長ながらその影響が出るのはもう少し先だろう、と蒼鉛が言っていた。他は――誰にいつ症状が出てもおかしくはない状況と言える。

 早くしなければならない。それなのに、戦い続けても前に進んでいるような感覚が得られない。うっすらと理解はしているのだ。塔の中の人間が、あんな約束をまもるはずがないのだと。それでもその言葉を信じて進むのには理由がある。

「……っ」

 琥珀はその場の壁に寄りかかり、軽く咳き込む。咳が治ってから口を押さえた手を見るとそこには鮮やかな赤色が散っていた。琥珀はその血を拭うこともせずに拳を握り、笑みを溢す。

 ――悧国の人間にこのことを知っている人間は一人もいない。

 遺伝子操作をされているかどうかは、生まれたときにその証としてつけられる足首のコードで見分けることができる。けれど稀に、そのコードが付けられていないのに遺伝子操作されている子供もいた。本来は国に認められた医師だけが遺伝子操作をすることができるが、そうでない人間によって行われる、違法な手術も存在している。おそらくはその類だろう。遺伝子操作ができる期間は決まっている。その期間を過ぎてから行われる操作は基本的に違法だ。それでも自分の子供の遺伝子をより優秀なものにしたいという人間は後を絶たないという。琥珀の親もその手合いだったのだろう。けれど何らかの欠陥が見つかってしまった。だからあっさりと捨てられたのだろう。

 塔の中に行かなければ、琥珀の命もそう長くはない。何もしなければ早々に尽きてしまう命ならば、何かのためにそれを使いたかった。戦う理由はそれだけだ。

 琥珀は再び咳き込んだ。今はまだ誰にも気付かれていない。おそらく琥珀を拾った玉髄すらも気付いていなかったはずだ。このまま誰かに言うつもりはない。塔に行けるそのときまで隠し通せればいいのだから。

 溜息を吐いて戻ろうとした瞬間、自分を呼ぶ声がして琥珀は振り返った。発作が出ていることを誰かに見られてしまったか――警戒心を剥き出しにした琥珀の瞳に映ったのは、頭部が時計の形をした奇妙な男だった。琥珀が舌打ちをすると、男が合成音声の笑い声を漏らす。

「相変わらず、人を見たときの態度ではないねえ」

「何の用? 用がないから今すぐ私の前から消えて」

「そう邪険にしなくてもいいじゃないか。僕は君の味方なつもりなんだけどね。実際、君の秘密は誰にも言ってない」

 男の本当の名前を琥珀は知らない。だが、その特徴的な頭から「時計男」と呼ばれている。時計男は黒い外套の裾を翻しながら琥珀に近付いた。

「あまり調子は良くなさそうだね」

「あんたには関係ない」

「関係あるさ。快進撃を続けている悧国の王が倒れるようなことがあったら、僕の仕事も減ってしまう」

「今度の――アレを仕組んだのもあんたか」

 見世物と化した戦争を取り仕切るのは塔の人間だ。誰と誰が戦うかも塔の人間の意向が取り入れられて決まる。どの対戦カードが面白いか。彼らが考えているのはそれだけだ。そして時計男が対戦カードを決める人間の一人であることを琥珀は知っていた。

「兄妹対決なんて、格好の見世物だろう? 君たちは確かに強いが、今のところ強すぎる。君が苦戦するところも見てみたいという上の意向さ」

「私があのクソ兄貴に苦戦すると思ってるってこと?」

「力は互角だろう。君が王の力を使わないなら、の話だが」

 天青がいなくなってからを知らないから、互角だという時計男の言葉が本当かはわからない。けれど天青が簡単に倒せる相手でないことはわかっていた。王の血筋だからといっても、弱ければ後継ぎと認めてもらえることはない。失踪する前の天青は、誰もが認める次代の王だったのだ。強さは折り紙付きだ。

「君は何故王の力を使わない?」

「使う必要がなかっただけ」

 王だけが使える力がある。琥珀は玉髄と血は繋がっていないが、王になる手続き自体は正当なものだった。だからその力を引き継いでいる。けれど自分のものとは違うその力を使うことには躊躇いがあった。

「君があれをどう使うのか、上の人間は楽しみにしているんだよ」

「私は上の人間に媚びるつもりはない」

「だが上の人間に認められなければ君の目的が達成できないのは確かだ。仲間だけではなく君も、早く塔に行かなければ死んでしまうというのに」

 琥珀は時計男を睨みつけた。しかし時計の盤面を模した頭部からは表情を読み取ることはできない。琥珀が遺伝子操作された子供であり、既に症状が出ていることを知る人はほとんどいない。その数少ない一人がこの時計男であることが癪に障った。一番弱みを握られたくない男に秘密を知られている。

「君の活躍に期待して、これをあげますよ。次の戦闘の前にでも飲むといいでしょう」

 時計男は琥珀に錠剤を一つ手渡す。それは発作を抑えることができる薬だ。症状の進行を止める効果はないが、発作を抑えることで死ぬ直前までは普通に生活できるようになる。ただしその薬はかなり希少で、王であろうと手に入れられないほどに流通していない。琥珀は無言でそれを受け取った。

「あんた、これどうやって入手してるんだ?」

「秘密ですよ。何せ君が自力でこれを入手できるようになったら、僕とこうやって話してくれることもなくなりそうだし」

「薬があろうとなかろうと、本来あんたと会話なんかしたくない」

「相変わらずつれないですねぇ。僕は割と君に協力的だと思うんですが」

 琥珀は抜刀し、切先を時計男に向けた。両手を上げて降参の姿勢を見せる時計男だが、その表情はわからない。

「私はあんたの思い通りに動いたりはしない」

「流石、気迫だけなら先代よりも上ですね。僕は君には協力を惜しまないつもりですよ。君が面白いものを見せ続けてくれる限りね」

「あんたのためにやってるわけじゃないから」

 人の首が飛ぶのを見て何が面白いのか。時計男を含む塔の人間の考えることは理解できなかった。遺伝子操作した進化した人間たちが、そうなれなかった人間の殺し合いを見世物として楽しむ。それが進化した人間の娯楽だというのなら、進化などこちらから願い下げだ。琥珀は心の中で吐き捨てる。それでも生きるためには塔に行かなければならない。その矛盾が腹立たしかった。

 健闘を祈ります、という時計男の言葉を冷淡に無視して琥珀は歩き始めた。目指す道は変わらない。何もしなければ死んでいくだけの仲間の運命を変えること。――たとえその瞬間に、自分自身が間に合わなかったとしても。

 

 

 琥珀は戦闘服に着替え、手甲を嵌める。いよいよ天青たちと戦う時間が近付いていた。武器の確認をして陣幕で仕切られた場所の片隅に腰掛けると、燐灰がその横、人ひとり分離れた場所に座った。

「体調はどう?」

「まあ悪くないけど……でもこの前もいきなりだったからな。足は引っ張らないようにするよ」

「何かおかしいと思ったらすぐに伝えて」

 遺伝子操作児特有の発作で死ぬこともあるが、この状況で発作が起きた場合は戦いで命を落とす方を心配する必要がある。天青たちは戦闘不能になった人間をさらに追い詰めるようなやり方はしないと調べはついているが、それでも戦場とは何が起こるかわからない場所だ。

「琥珀も、初手で天青さんに突っ込んでいくとかやめてね」

「やらないよ、そんなこと。無策で突っ込んで行ったら勝てない」

 強いことはわかっていた。おそらくこれまで相手にしてきた他国の二軍以下の連中とは比べものにならない。そもそも国を出てさえいなければ玉髄のあとを継いで王になるはずの人間だったのだ。緑簾と幼少期から手合わせしてきたという藍晶を始め、仲間たちも相当な手練だ。 

「それに今日はいつもとやり方も違うし」

 この戦争という名の見世物を終わらせる方法はいくつかある。まずは単純に相手の将の首を取る方法。これまで琥珀はその方法で勝利を収めてきた。けれど他にも方法はある。力が互角だったり、どちらの将も守りに入ってしまうと永遠に決着がつかないとして定められた規定。

 ――この戦いには時間制限がある。

 時間切れになっても決着がついていない場合は引き分けとなる。けれどその引き分けにも意義はある。塔の人間が次を見たいと思うような戦いをすれば、次の戦いの機会が巡ってくるのだ。

 今回は引き分けを狙う――それは兄である天青を殺したくないなどという甘えた理由ではなかった。現在、天青たちのいる霜国の王は空位の状態が長く続いている。だからこそ他に比べて輪をかけて治安が悪い。治安の悪い場所には悪いものも良いものも混沌としたまま存在しているものだ。具体的には霜国には遺伝子操作児の発作を抑える薬が他よりも出回っていると言われている。近衛兵で発症しているのは燐灰だけだが、他もいつ発症してもおかしくない状態だ。薬は所詮その場凌ぎにしかならないが、ないよりはいい。それを手に入れるためにも霜国の人間と決定的に敵対するのは避けたかった。

 時間切れまで粘って引き分けに持ち込む。しかしその目的を悟られないように。それが勝利だけを目指す通常の戦いよりも難しいことは琥珀も理解していた。

「燐灰」

 他の誰も自分たちには目を向けていないことを確認してから、琥珀は懐から薬を取り出した。時計男から入手した薬はたった一錠。琥珀がそれを使うのは自分自身の為ではなかった。

「琥珀、それ――」

「一つだけもらったの。今日は長引くだろうから――念の為、飲んでおいてほしい」

「いいけど、水のサービスとかないの?」

 燐灰がおどけて笑いながら薬を水なしで飲み込む。琥珀はそれを確認してから立ち上がった。そろそろ時間だ。琥珀はそっと己の喉に触れる。それを見た燐灰が首を傾げた。

「琥珀? どうかした?」

「ううん、何でもない」

今から一時間。その間だけ保ってくれれば――琥珀は拳を強く握り締めた。

 

 

 この日のために新調した悧国の近衛兵の戦闘服は、和の要素を取り入れた黒色のものだった。否、琥珀の戦闘服だけは臙脂色だ。誰の首を取れば勝てるのか一目瞭然――普通は隠すものを表に出した戦略は、別の言い方をすれば挑発に他ならない。

「戦闘服めちゃくちゃあるよな……予算どうなってるんだ?」

「予算って。生々しい話だね」

 仲間たちがそれを見ながら話しているのを、天青は腕組みしながら聞いていた。玉髄はそれなりに金を残していただろうが、これだけ潤沢に使えるほどではない。おそらくは、琥珀は戦いで王が得るはずの金を全て次の戦いに注ぎ込んでいる。自分の財産は王になってからもほとんど増えていないだろう。金に興味がないのに貯め込んで腐らせるくらいなら、使ってしまった方が後腐れはない。

 黒一色の服に身を包んだ男が定刻を告げる。中継ではどんな実況がつけられているのか。兄妹対決か、偽王と正統な王になるはずだった者の戦いか。いずれにしろ因縁の対決だとか、そういう言葉で彩られているのだろう。これはそんなものではない。――ただの殺し合いでしかない。

 横一列に並んだ悧国の近衛兵たちと相対する。どんな戦闘を繰り広げるかは頭の中に組み上がっている。天青はそれぞれに武器を構える少女たちを見据え、右手を翳した。頭上から塔の人間たちの歓声が降ってくる。求められているものが何なのかはわかっていた。

 王にしか使うことのできない力。玉髄の血を引く天青にはその一端を使うことができた。血の色をした稲妻が降り注ぎ、土埃を上げる。けれど悧国軍全体を狙ったはずの攻撃は通らなかった。

「――やっぱりなかなか手強いね、琥珀ちゃん」

 藍晶が言う。天青の放った攻撃は琥珀の刀で受け止められていた。雷を刀で受け止めようとする人間は琥珀くらいのものだ。それくらいの道理に反した行為を成し遂げてしまうほどの強さを琥珀は持っている。

 玉髄の血を受け継いでいるわけではない。けれど悧国の現在の王は確かに琥珀なのだ。

「Hertz-Maschineへの干渉――やっぱり今まで使っていなかっただけか」

 王の力と呼ばれるものの正体。それは塔の中枢にあるというHertz-Maschineの機能に一部干渉し、思い通りの事象を起こす力だ。大抵は一時的に雨を降らせたり、雷を落としたり、それらの軌道を逸らしたりなどの操作だ。そして一度使うだけど体力はかなり削られる。それは決戦用の力であると言えた。

 琥珀の場合は、先代の血を継いでいないために使えないのではないかとも囁かれていた。けれど正統な手続きを踏んで王になったのなら使えるはずだ。むしろ天青の使い方の方が無理筋なのだ。

 琥珀が刀で何もない空中を薙ぎ払う。その瞬間に、先程放たれた雷が同じ強さで返ってきた。目の前の地面を抉るほどの威力。巻き起こる土埃の中、琥珀とその周囲を固める数人以外の悧国の近衛兵たちが強く一歩を踏み出した。

「じゃあ俺らも行きますか」

 菫青たちがそれぞれの得物を手に前に出る。今回の目的は勝利ではない。依頼主である號国の不興を買わない程度に健闘し、戦闘を長引かせて引き分けに持ち込むこと。それぞれの戦いが始まる中、天青は琥珀の鋭い視線を受け流しながらゆっくり歩き始めた。

 天青が長尺の合口の切先を琥珀に突きつけるのと、琥珀が刀の切先を天青に突きつけたのはほぼ同時だった。刀の長さだけの距離を取って二人は対峙する。

「――さっさと来いよ、クソ兄貴」

 琥珀の安い挑発に乗るつもりはないが、膠着状態を続けるわけにもいかない。地面を強く踏み込み、琥珀との距離を詰めて刀を振るうが、琥珀の体に刃が触れる前にそれは押し止められた。天青の刀を受け止めているのは鉄の骨でできた漆黒の扇だ。琥珀は受け止めた刃を跳ね上げ、その瞬間にできた空間に自らの体を潜り込ませて天青に肘鉄を食らわせた。

(時間稼ぎしようとしてるのはお互い様ってことか)

 琥珀が本気ならば、今の攻撃には刀を使っていただろう。鉄扇を持ち、踊るような動きは派手ではあるが攻撃力には乏しい。それでも塔の人間には気付かれないように、その動きで観客を魅了するには充分だった。

(でもそれじゃ駄目だ、琥珀――)

 塔の人間を惹きつけることができても、約束を守るような連中ではない。現状を変えるには、根本的なところを壊さなければならないのだ。しかしそれに琥珀はまだ気が付いていない。

 天青は右手を突き出した。Hertz-Maschineに干渉し、炎の筋を呼び寄せる。しかし琥珀は同じように水を呼び寄せ、それを打ち消した。琥珀が一歩を踏み込む。しかしその動きは次の刹那に乱れた。手の甲で口を押さえながら軽く咳き込む琥珀の姿に天青は目を瞠る。琥珀の手甲は黒く、そこに何か汚れがあっても目立たない。しかし手の甲で拭った口元に僅かに赤いものが見えた。

「琥珀、お前まさか」

「……あんたには関係ない」

「駄目だ。今すぐ棄権した方がいい」

「今更兄貴面すんなよ。全部捨てて逃げた蛆虫のくせに」

 琥珀は鉄扇を広げた。それは畳めば打撃武器、広げれば刃になる。

 

「私の邪魔をするつもりなら、私はここであんたを殺す」

 

 手負いの獣のような鋭い視線に天青は射抜かれた。遺伝子操作児特有の発作――本来今すぐにでも戦線を離脱すべきだというのに、琥珀はあくまで続けるつもりのようだ。

(それなら、戦闘不能に追い込むまでだ)

 相手を殺さなくても、戦闘不能にすれば判定勝ちにはなる。長引かせ引き分けに持ち込むのは琥珀の体に負担がかかりすぎる。荒い呼吸を紡ぐ琥珀を見下ろしながら、天青は再び刀を鞘から抜いた。



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偽りの王

 天青が振り下ろした刀を琥珀が鉄扇で受け止める。そのまま天青は逆の手でHertz-Maschineに接続した。虚空から現れた二匹の狼から距離を取るため、琥珀は後ろに向かって跳んだ。

 召喚獣とか聞いてないんだけど――思わず素に戻って叫んでしまいそうになるのを琥珀はぐっと堪えた。正規の使い方をしているのは琥珀の方なのに、未だその力を引き出しきれていない自分。それに対して獣を召喚するなどという高難易度の技を使うことができる天青。これが血筋の違いなのか。王の血を引いた嫡子と、どこの馬の骨ともわからない捨て子の自分。どちらが王に相応しいかは琥珀が一番理解していた。

 天青は狼を召喚するだけしておいて目立った攻撃はして来ない。琥珀が普通に防げる攻撃に留めているように見えた。時間稼ぎをしたいのはお互い様だ。そしてその時間稼ぎで塔の人間の興を削がないように派手な動きは見せたい。これは戦争であっても所詮は見世物だ。それはわかっているが、明らかに手加減されている現状は腹立たしかった。

「舐めやがって、クソ兄貴が……!」

 Hertz-Maschineによる召喚は体に負担がかかる。発作を隠しながら戦う琥珀がその技を使うことができないのもおそらくわかっているのだ。わかっていてこんな真似をするのは、見せつけるつもりなのか。どちらが王の資質を持っているのかを。

「逃げたアンタに何がわかる!」

 自分の体の状態を隠しながら、血が合わないから、使えば使うほど体に負担をかけるとわかっていても王の力を、Hertz-Maschineの力を使うのは、目指している場所があるからだ。

「――答えろ、Hertz-Maschine」

 心臓が早鐘を打つ。体に、特に循環器に負担をかけるHertz-Maschineの使用は発作中の肺にさらに軋むような痛みを与える。けれどあと少し持ち堪えられればいい。時計はあと三分でこの戦闘が終了することを示していた。

「本物の王は、私だ――!」

 天青が召喚した狼と天青の間にある見えない繋がりを断ち切り、強引に自分自身にそれを繋ぐ。そのまま琥珀が狼の目の前に手を出すと、狼は尻を落として、まるで琥珀が飼い主であるかのように顔を上げた。琥珀が鉄扇を振り下ろすと狼たちは今度は天青に向かって飛びかかる。

 天青が冷静に身を引くのと、終了を知らせるブザーが鳴り響くのは同時だった。琥珀は左手を握りしめてHertz-Maschineとの接続を切る。Hertz-Maschine経由で召喚されていた狼たちはその瞬間に霧となって消えた。

 望んだ結果は得られた。双方多少傷を負ってはいるものの死亡(ロスト)は一人もいない。けれど琥珀は人知れず唇を噛んだ。

(舐めやがって、クソ兄貴が――)

 明らかに手心を加えられていた。召喚獣よりももっと直接的な攻撃方法はいくらでもあったのにそれを使わなかった。派手な動きを見せつつも攻撃力は抑えることは琥珀の作戦でもあったが、天青は結局琥珀にかすり傷ひとつつけなかったのだ。

「――わかっただろう。お前は王に相応しい器じゃない」

「っ……! 逃げたくせに勝手なこと言いやがって……!」

 すれ違いざまに天青に言われ、琥珀は思わず声を荒げた。叫んだ瞬間に喉が焼けるように痛む。でもここでは駄目だ。自分が既に遺伝子操作児特有の致死性の発作を発現させていることは誰にも知られてはならないのだ。琥珀は軽く口を押さえて咳き込むのを堪えた。

「……その体でこんなことを続けてれば、遅かれ早かれ死ぬぞ」

「死ぬ覚悟がなくてここに立つ馬鹿がいるか!」

 ここは見世物に成り下がっているけれど戦場だ。人の首を飛ばすということは自分も同じことをされる可能性があるということだ。天青はそれ以上は何も言わず、長い上着の裾を翻しながらその場をあとにした。その背中を睨め付ける琥珀に燐灰が駆け寄る。

「琥珀……!」

「燐灰。発作は大丈夫だった?」

 戦闘中とは違う力の抜けたような微笑みを浮かべた琥珀の腕を燐灰は強く掴む。琥珀は大きな目を見開いた。

「――あの薬は、本当は琥珀のだったんじゃないの?」

「何言ってるの? 私はまだ発作出てないし……この中で一番若いんだよ?」

「橄欖の例もあるから年齢なんて目安でしかないでしょ。――ごめん、さっき戦闘中に見ちゃった」

 燐灰は琥珀にしか聞こえないような声で言う。琥珀が他には聞かれたくないことを理解しているのだろう。

「……それでも、止まるわけにはいかないの」

「それはわかってる。琥珀の気持ちを無視するつもりはない。でも――自分の薬はちゃんと自分に使って。わかった?」

 琥珀は頷いた。けれど燐灰は本当にわかっているのだろうか。発作を抑える薬は悧国内にはほぼ出回っていない。かつて玉髄が確保した分にも限りがある。製造ルートも流通ルートも押さえようとしてはいるが、比較的内部の治安がいい悧国内には流れてこないのが現状だ。

 可能性があるとすれば、王の空位が続き無法地帯と化している霜国だ。そして天青たちは現在、その霜国を拠点としている。時間稼ぎをしたのはそういう理由もある。

「……他のみんなには黙ってて」

「琥珀、でも」

「今やめるわけにはいかないの。それに、私も――塔に行ければなんとかなる」

 目指しているところは近衛兵のほとんどが同じだ。遅かれ早かれ近付いて来る死の刻限を遠ざけて、生きるために戦っている。そこに余計な思いを上乗せしたくはなかったのだ。

「――わかった。じゃあそろそろ戻ろうか。みんな待ってる」

 

 

 王の空位が続き、いくつもの戦闘集団が乱立する霜国。その一角にある薄暗い根城(アジト)で、天青はゆっくりと足を組み替えた。

「随分遅かったな」

「質の良いやつ手に入れるの大変なんですよ。この国、薬の類は出回りすぎるくらい出回ってるが、粗悪品も多い」

「それはわかってる。こっちが要求してるのは100%の純正品だ」

 天青の前に座る男はテーブルの上を滑らせるようにケースを天青に渡す。それを受け止めたのは藍晶だった。ケースを開けて中身を調べる。

「うん。これはちゃんとしたやつだね」

 取引は成立。言われていた金額を詰め込んだ鞄を菫青が男に渡す。しかし男は口元に笑みを浮かべた。

「このままただで渡すってわけにはいきませんなぁ」

「金は言い値で用意した」

「いや、気になるんですよ。だってこれは遺伝子を弄ってない人間には必要のないものだ。それをこんなに沢山どうするつもりなのかと思って」

「持っていると色々使えるんでね」

 実際、薬がほとんど出回っていない號国とも繋がりがある天青たちにとってはいざというときの交渉材料にもなる。そしてもうひとつ、薬がほとんど手に入らない国は――悧国だ。

「あの物騒な妹と交渉でもするつもりですか?」

「お前、あれが話の通じる人間に見えるのか?」

 交渉事は近衛兵の他の人間に任せていることも多いが、悧国の利益にならないことには決して首を縦に振らない。それどころか交渉相手の首を物理的に飛ばしかねない。

「それに交渉するようなこともない。あれはやがて滅びる国だ」

 玉髄が斃れたときにとうとうその時がやってくると思っていた。だがそれは琥珀が王になることによって、そして琥珀が組織した近衛兵が勝利を続けることによって阻止された。今も悧国は一度の敗北が亡国を招く瀬戸際に立っている。おそらくそれを一番自覚しているのは琥珀自身だろう。文字通り、生き残るためには勝ち続けるしかないのだ。

「すこぶる順調に見えますがね、こちらからしてみれば。曲がりなりにも兄の目で見れば違うのでしょうか」

「――ここに琥珀がいたら今頃首が飛んでたぞ」

「嫌われている自覚はあるんですね」

「昔は慕ってくれてたのにねぇ」

「おい」

 軽口を挟んだ藍晶を睨め付け、天青は溜息を吐く。嫌われても仕方のないことをしたのは事実だ。そしてその理由を今、琥珀に説明するつもりはない。

「悧国との交渉にも使わないとなると、一体何に使うつもりなんでしょうね?」

「何が言いたい?」

「悧国の王は自身にまつわる重大なことを隠しているのではないか――という噂が最近出ていましてね」

「隠し事の一つや二つはあるだろう。玉髄のときは金の流れすら不透明だった」

 心当たりはある。琥珀は仲間たちにすら隠していることがあるのだ。そしてそれが公になれば、現在は悧国という勝ち馬に乗ったつもりでいる塔の人間たちは掌を返すだろう。おそらくは琥珀を王に祭り上げた悧国の人間たちも。

「この薬は、彼女のためのものなのでは?」

「馬鹿なことを。だいいち仮に琥珀に渡そうとしても突き返されるのがオチだ」

「そうですか。ではそういうことにしておきましょう。ですが――次はお互いに手加減なしの勝負が見たいところです。見世物でも、戦争ですから」

 ここでこの男を殺すのが得策か。表情では悟られないように考える。だが琥珀に手を貸す義理があるわけではない。あの国は早々に解体された方がいい。そう思っているのは変わらないのだから。

「あれは號国から『負けなければいい』と言われていたからそうしたまでだ」

「では次は本気が見られると期待していいんでしょうかね」

「依頼次第だ。こっちは国に属してるわけじゃないんだ」

 霜国にいるのも、王のいない国は無法地帯と化しているから根城にしやすいだけだ。どの国にも肩入れをするつもりはない。

「でもわかっているんでしょう? Hertz-Maschineに血が適合する人間は少ない。だからこの霜国は王がいなくなった。だがあなたなら、今すぐにでもこの国の王として立つことができる」

「王位には興味がない。そもそも興味があったら国を出ないだろう」

「それもそうですね。しかし……そう考えると、彼女はよく血が合いましたね。元々捨て子のはずでしょう?」

 合ったのではない。おそらくは――合わせたのだろう。だが天青は自分の知っているHertz-Maschineの真実を他人に漏らすつもりはなかった。

 Hertz-Maschineは本来は塔の中のシステムを動かすための機械だ。しかしその機能の一部を、塔に入ることのできないスラムの人間にも恩恵として与えている。その恩恵を受け、スラムの国々を統治することを求められているのが王の血筋の人間――というのが一般的な理解だ。けれどHertz-Maschineを動かせる王の血筋の人間だけはそこに嘘が含まれていることを知っている。

 だがその真実を全ての王が隠している中で言ったとして、誰が信じるだろうか。

「流石に空位が二国に渡るのは問題だとHertz-Maschineが判断したんだろう。玉髄とこはくは血は繋がっていないが、養子として正式な親子として登録されているわけだし」

「ですが、號国の王はお怒りのようですねぇ。まあ二軍とはいえあっという間に潰されてしまったのは事実ですし。……選ばれた血を持たない者が王になるのは許せない人みたいですから」

「だったらさっさと自分が出ればいいと思うんだがな」

 先日、天青たちを雇ったのも號国の王だ。負けなければいいと言いつつも、本来の王が偽王に打ち勝つところを見たかったのだろう。結局は引き分けに終わったが。

 天青が溜息を吐いた瞬間に、男が銃を構える。やはり初めからまともに話をするつもりはなかったようだ。そしてその後ろに誰がいるのかも読めている。

「――自分が表に出ないところは一貫してるな」

 男が引き金を引くのと、その首が飛ぶのはほぼ同時だった。仕込み刀の血を払い鞘に収めた天青は軽く舌打ちをする。

「こんな奴で殺せないのはわかってるだろう。――これは警告か、それとも宣戦布告か」

 男がやたらと琥珀の話を持ち出したところからしても、その存在を意識しているのは確実だ。そして琥珀も己が戦場に立ち続けることによって挑発を続けている。決して表に出ない王を戦場に引き摺り出そうとしているのだ。

「どっちにしろ敵になっちゃったね、號国も」

「そもそも味方なんていないだろ。この国どころか――この世界そのものが無法地帯だ」

 天青は受け取り手のいなくなった金と薬を回収する。その様子を見て、藍晶が言った。

「で、結局その薬どうすんの?」

「……緑簾あたりに渡せるか?」

「まあ渡せるけど、緑簾だと絶対バレるでしょ」

 おそらくは仲間たちも琥珀の現状を知らないだろう。薬を渡すことは、それだけで琥珀の秘密を暴くことにもなりかねない。協力してやるつもりはないが、わざわざ隠しているものを暴露する趣味もない。

「蒼鉛ちゃんなんかいいんじゃない? 軍医兼務してるはずだし。物分かりもいい方だし」

「そうだな……」

 いずれにしても、琥珀に薬が渡ったところで発作は抑えられても延命はできない。根本的な解決は、やはり塔に行くしかないのだ。塔の外の空気は遺伝子操作された人間には毒になる。

 

 なぜなら塔の外こそが、Hertz-Maschineが作用する場所だからだ。



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early days
王の資格


琥珀が悧国の王になったときの話。


「覚悟はいいですね?」

 時計の形の頭をした男が琥珀に問いかける。琥珀(こはく)は不機嫌そうに頷いた。どのみち逃れられはしない。玉髄(ぎょくずい)が斃れ、正当な後継者であった兄の天青(てんせい)の行方がわからないとあっては、王になるべき人間は、玉髄の養子である琥珀しかいないのだ。

「――先に言っておきますが、もしあなたがHertz-Maschineを従わせることができなかった場合は、あなたは王になることから逃れることができますよ」

「そうなった場合は――この国は(そう)国と同じ王なき無法の国になる」

 そうなっても構いはしないとは言えなかった。この|悧《り国には琥珀にとって必要なものが確かに存在していたからだ。

「ですがあなたに責任はありませんよ。どのみち、玉髄様と血が繋がっていない以上、あなたが王になれる確率はせいぜい5%くらいでしょうか」

「5%ね。この国での遺伝子操作児の二十年生存率よりも高いくらいだ」

 あと数年で確実にその命を散らしてしまう仲間たちに比べれば、5%はまだ賭けるに値する数字だ。その5%を琥珀が掴むことができなければ、それよりも低い確率を覆すことなど出来はしないのだ。

「それでは――いつでも始めていいですよ」

 琥珀の目の前には、塔を動かす機構(システム)であるHertz-Maschineの使用者を認証するための端末がある。琥珀は短刀で親指の腹に傷をつけ、血判を捺すように指を端末の上部に触れさせた。

「適正ユーザーではありません」

 合成音声が冷たく言い放つ。結果はやる前からわかっていたことだ。Hertz-Maschineを使えるのは王の血を受け継いだ人間だけ。しかし琥珀はここで引き下がるつもりはなかった。

「……機械の分際で」

 他に誰もいないから琥珀はここに立っているというのに、あくまで血に拘泥するのか。王の器を決めるのは血筋なのか。そこに刻まれた遺伝情報なのか。

 そんなくだらないものは全て捩じ伏せてやる。5%の確率さえ覆せないなら、この先の未来を拓けるはずもない。

「機械の分際で私の器を測ったつもりか――。私は悧国を統べる新しい王だ。わかったなら、私に従い、応えろ……!」

 機械はエラーを吐き出し続ける。この道を切り拓く鍵を手に入れるためならば、心を持たない機械すら屈服させる。5%の確率があるということは100回試せば5回成功するということだ。

 膠着状態が一時間ほど続いたあと、急に端末が放つ光が赤から緑へと変化した。琥珀は口角を歪めて笑う。

「ユーザーを認証しました。悧国王、琥珀様。登録されている前ユーザー二人のデータを消去しますか?」

「二人?」

 玉髄のデータが登録されているのは当然として、二人とはどういうことだろうか。琥珀の疑問に応えたのは時計男だった。

「玉髄様と、天青様でしょうね」

 名前を聞くだけで苛立ちが募る。クソ兄貴――心の中で悪態を吐きながら、琥珀は機械に向かって答えた。

「消去する必要はない。消したくなったらそのときに言う」

「了解しました」

 琥珀が端末から指を離すと、闇の向こうで機械の作動音が聞こえる。数分もすれば、どこでもHertz-Maschineを起動できる琥珀専用の端末が完成するだろう。

「本当に消さなくてもよかったんですか?」

「別にどっちでも良かったんだけど」

「ですが、天青様がご健在の場合、データを残していると王位を簒奪される可能性もありますよ。あなたは強引に機械を捩じ伏せただけなのですから」

「……そのときはそのときだよ」

 琥珀は指先に滲んだ血を舐めてから、時計男を置いてそのまま部屋を出て行った。王として認証されたのなら長居の必要はない。分厚い扉が後ろで閉まったのを確認してから、琥珀は息を吐いて肩の力を抜いた。

 まだ最初の鍵を手に入れたにすぎない。本当の目的はこの先にある。これから繰り広げられる茶番劇の全てで、負けることは許されない。見世物と化した戦争でも、琥珀たちにとってそれは命懸けの戦いであった。



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偽りの青空

屋上から上を見ても、塔の外では偽りの青空しか見ることは出来ない。空を見上げ、琥珀と燐灰は何を思うのか。


 塔の外で育った人間は本当の空を知らない。屋上に登って上を見ても、そこにあるのは空高く聳える塔の足場でしかない。そこには誰かが戯れに投影した空の映像が映し出されているだけだ。Hertz-Maschineを使えば局地的に雷雨などを起こすこともできるが、それも自然に存在していたものを人為的に再現しているにすぎないのだ。

「なに黄昏てんの、琥珀」

「燐灰」

 いつの間にか屋上まで上がってきていた燐灰が、少しだけ間を開けて琥珀の隣に立つ。燐灰のこの独特の距離感を琥珀は好ましく思っていた。

「本物の空ってどんな感じかなと思って」

「でもこれとあんまり変わんないって聞いたよ」

 身も蓋もない。再現度が高いと言われているのだから、それは確かにそうなのだろう。けれどそこにあるのは空ではなく聳え立つ鉄の塊。本当の空はそこからどこまでも続いていって、先は宇宙に繋がっているという。途方もない話だ。でもその空の下ならば、このどうしようもない閉塞感も少しはましになるのかもしれない。

「燐灰、体調はいいの?」

「うん。今日はすごく調子いいよ。琥珀は?」

「私はまあまあかな」

 近衛兵の遺伝子操作児の中で既に発作が出ているのは二人だけだ。けれど他の人も時間の問題ではあるだろう。

「もし本当にみんなであの上に行けたら、本当の空が見られるかな」

「……もしじゃなくて、必ず行くんだよ。みんなで」

 命を賭けた戦いの目的は、ただ未来を手に入れるだけのこと。大人の都合で勝手に遺伝子をいじられて、うまくいかなかったから棄てられて。そんな運命に抗うために――他人の命を奪いながらも琥珀たちは進んでいる。

「必ず、ね。じゃあ本当の空が見られたら何する?」

 燐灰の質問に琥珀は面食らった。塔に行くことだけを目的に進んできた。だからその先のことなど何も考えてはいなかったのだ。

「じゃあ宿題」

「宿題?」

「私たちが塔に行ける日まで、行けたら何するか考えておくの。どう?」

 琥珀はしばらく考えてから頷いた。今は何も思いつかないけれど、そこが近付けば見えてくるものもあるかもしれない。

 

 

「宿題、か……」

 部屋に戻った琥珀は天井を見上げて呟いた。未来のことはあまり考えたことがない。今を生きること、そして大切なものを守ることに必死になっていて、その先まで頭が回らなかった。

「私は、みんなが生きられればそれでいい……」

 塔に行って、ただ馬鹿みたいに笑い合って、くだらない日々を過ごせたらそれでいい。その未来を手に入れるためにどれだけ血が流れようとも、その日が手に入るなら構わないのだ。

 

「――この宿題は難しすぎるよ、燐灰」



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戦争を仕切るもの

琥珀たちの戦いを仕切る興行主たちとはどんな人間なのか。正体を隠す彼らに琥珀たちが思うことは。


興行主(プロモーター)の人たちってみんな変な被り物してるんでしょ?」

 緑簾(りょくれん)が琥珀に尋ねる。見世物と化した戦争を仕切る興行主と会うことができるのは王である琥珀だけだった。興行主は基本的に正体を隠しているのだ。時計の頭をした時計男を筆頭に、似たような被り物で顔がわからないようにしている。

「時計の人とか地球儀の人とか色々いるけど、どうして?」

「栗の人とかいるのかなーと思って」

「栗はいないね……でもかぼちゃはいるよ。ハロウィンの……ジャック・オ・ランタンだっけ。あれの形してるの」

「年中ハロウィンみたいだね。そっかぁ、ちなみにどんな人?」

「カボチャ頭とほとんど話したことないし、誰かと話してるところも見たことないな……あ、でも燐灰のことは心配してくれた」

 興行主の中ではいい人なのかもしれないと思うこともある。だが発言権はそこまでなさそうだ。やはり時計男の力が強いのだ。

「でも、自分達で戦いもしないくせに私たちの戦争を見て楽しんでるんだから、あいつらみんなクズだよ」

 たとえ発作を起こした仲間を心配するような人間であったとしてもだ。琥珀は吐き捨てるように言って、足を組み替えた。

「でもある程度媚売っとかないとね。早く塔に行きたいし」

 遺伝子操作された子供たちは、たとえそれが失敗であっても、塔の外の空気が有害になり、長くは生きられない。琥珀を始め、悧国の近衛兵は、生きるために塔に住む権利を求めて戦い続けてきた。けれど興行主が臍を曲げれば今までの努力が水泡に帰してしまう。

「媚とか一番無理なんだけど」

「私も。可愛く振る舞うとか無理だわ……金緑(きんりょく)とかもう尊敬するもん」

「あれは真似できないよ……」

 可愛く振る舞えば、果てしない道は縮まるのだろうか。だが、例えそうだとしても今の自分自身を曲げることはできない、と琥珀は思っていた。ただ強さを見せることしか琥珀にはできない。興行主の勝手な言葉も勝ち続けることで塞ぐことができると信じるしかないのだ。

「……あの人たちの頭の被り物、全員剥ぎ取ってやりたいな」

 緑簾が言う。琥珀も同じ気持ちだった。くすりと笑ってそれに応える。

「だってこっちは顔出してんのにあいつら顔隠してんのなんかムカつくじゃん。いつか絶対剥ぎ取ってやろ……どうせキモいオヤジとかだよあんなん」

「見てみないとわかないけど……でも剥ぎ取りたいのはわかるよ」

 命懸けの戦いを安全圏から見下ろされるのは腹が立つ。いつか緑簾の言うように頭の被り物を剥ぎ取って、戦場まで引き摺り下ろしてやりたい。

 そうしたら、少しはこの痛みをわかってもらえるだろうから。



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テーマパーク

琥珀は一人、かつて兄と行ったテーマパークのことを思い出す。普段は憎んでいる存在だが、その奥底には――。


 悧国は四つの国の中では比較的豊かな方だ。中には小規模ながら飛行機をテーマにした遊園地もある。だが最近はどうも経営が厳しいらしい。そんな資料を眺めながら、琥珀は溜息を吐いた。

 子供の頃、そのテーマパークに遊びに行ったことがある。玉髄ではなくそのときの近衛兵の一人に連れられて、天青と一緒に行ったのだ。思えばその日は大きな戦闘があった日で、玉髄は琥珀たちの目をそれから逸らせたかったのかもしれない。けれどそのときはそんなことなどつゆ知らず、紙飛行機の形をしたコースターに乗ったりして楽しんでいた。

 あの頃に戻りたいとは思わない。けれど、懐かしく思うことはある。今は憎悪しか抱かない兄のことも、当時は慕っていたのも事実だ。あの頃のように無邪気ではいられない。あのときはこの世界のことなど何も気にせず生きられていただけだ。

 王として私企業に温情をかけるわけにはいかない。経営状態が厳しいとわかっていても、公的な援助を求めてこない限りは静観しているしかない。滅びていくとわかっていても何もできないときはある。

「最後に一回くらい行っとくのはいいかもしれないけど」

 遊園地自体は好きだ。そしてそこには思い出が眠っている。あの遊園地には確か、子供が紙飛行機を作って飛ばすと、パネルに映る映像が変わる小さなアトラクションもあったはずだ。琥珀はなかなか紙飛行機をうまく飛ばせずに、最終的に天青によく飛ぶ紙飛行機を作ってもらったのだった。

 琥珀はそばにあった使わない紙を適当に折り、椅子の背もたれに体を預けたままそれを飛ばす。紙飛行機はすぐに地面に落ちた。今も紙飛行機は下手なままなのか。天青ならもう少しましに飛ばせるのは今も変わらないのか。

「……何で、何も言わずに出て行ったんだ」

 何か言ってくれたら、今からでも説明くらいしてくれれば、憎まずに済むかもしれないのに。国中で飛び交う噂の通り、王になりたくないという理由だけで国を出たとはとても思えないのだ。

 口が裂けても言うことはないだろうが、天青になら今の近衛兵を託せるとも思っていた。自分に何があったとしても、天青なら彼女たちを見捨てるようなことはしない。けれど――天青が王になることを拒否して国を出た理由がわからない以上、完全に信用することはできない。

 もう戻れないのだ。

 一度割れた皿を元には戻せないように、あの頃のようにはなれない。懐かしんだところで何の意味もない。

 ただ、いずれその理由を知りたいとは思う。何故何も言わずに国を出たのか。そのくせやたらと琥珀を気にかけてくるのは何故なのか。

 もう一枚紙を取って紙飛行機を飛ばす。今度は先程よりも少し長く飛んで、壁に当たって地面に落ちた。



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かつて仲が悪かった二人

深夜に調べ物をする桃簾と蒼鉛。悧国軍の中でも頭脳派と言われる二人だが、実はかつて仲が悪かったのである。


 桃簾(とうれん)が深夜に書庫に資料を取りに行くと、そこには先客がいた。白衣を着て、黒髪をひとつにまとめたその姿。近衛兵の軍医でもある蒼鉛(そうえん)だ。

「こんな遅くまで調べ物?」

「桃簾こそ」

「秋だからね、ちょっと捗ったからもう少しやろうと思って」

 桃簾は琥珀にある調査を命じられている。玉髄は一体誰に殺されたのか。それを調べているうちに、気が付いてしまったことがある。

「……ここって、歴史資料のコーナーだよね?」

 蒼鉛は勘がいい。蒼鉛には誤魔化さずに伝えた方がいいだろうと判断し、桃簾は資料を探しながら、蒼鉛に応えた。

「琥珀は何も知らされないうちに王になってしまったから……多分、王の役割の中でもわかってないことがたくさんあるのよ」

「充分やってると思うけどなぁ」

「表向きの運営はね。でも私は――王には別の役目もあるんじゃないかと思ってる。で、それを裏付けるために色々読み漁ってるというわけ」

「それと玉髄様のことが繋がるの?」

 蒼鉛は一瞬納得できなかったようだが、やがて何かに気付いたように手を叩いた。

「王の別の役目が、玉髄様の暗殺に関わってるってこと?」

「私はそう睨んでるんだけど……その別の役目ってのがまだ掴めないのよ。もしかしたら天青さんなら知ってるのかもしれないけど」

 琥珀の話では、Hertz-Maschineには天青の情報が登録されていたという。玉髄は天青を次の王にするための準備を進めていたのだろう。自分が死ぬ前に引き継ぎを済ませておいた方が国としては安定する。そのときに王の役目についても引き継いでいるのなら、天青なら何かを知っていてもおかしくはない。

「蒼鉛は? 何調べてるの?」

「何とか遺伝子操作児の延命する方法を考えてて。発作を抑える薬がたくさん手に入ったから、それを解析して複製もしてるんだけど、根本的な解決方法は今のところないから」

「そうだよね……燐灰も発作の頻度が上がってるように見えるし。間に合わないかもしれない……」

 琥珀の前では言わないようにしているが、たとえ琥珀が戦争に勝利したとしても、近衛兵の中にはそのときまで生きていられない人もいるのではないかと思っている。いや、琥珀もおそらくそのことはわかっているのだろう。だけど考えないようにしている。全員を連れて行くという目標だけを見ているのだ。

「そうなっては欲しくない。――琥珀は、ああ見えて繊細な子だから」

「そうね。特に燐灰は、琥珀と昔から仲もいいし」

 玉髄が作った遺伝子操作児の保護施設。近衛兵の全員がその施設出身である。琥珀は同年代の子供たちと遊んだ方がいいと判断した玉髄によって保護施設によく遊びに来ていたのだ。付き合いはそれなりに長い。長いからこそ、お互いに思い入れもある。

「私たちはしっかり立ってなきゃいけない。琥珀のためにも」

「そうだね。ふふ……でも不思議だね。まさか桃簾とこんな風に話をするなんて思ってなかった」

「はっきり言ってきたもんね。私のこと嫌いって」

 蒼鉛と桃簾は昔は仲が悪かった。それは遺伝子操作児の保護施設において、桃簾だけが遺伝子操作児ではなかったからだ。玉髄が特例で、親から虐待を受けて彷徨っていた桃簾をその施設に入れたのだ。そこにしか入れられる場所がなかったのは事実だが、最初は随分居心地の悪さも感じた。けれど意地悪をされたわけではなく、遠慮がちにされていたというのが一番正確なところだ。腫れ物に触るような扱いを受けていた桃簾に直接はっきりと「嫌い」だと言ったのは蒼鉛だけだった。だからこそ、桃簾は桑園のことを好ましく思っている。それを直接言える人はなかなかいないからだ。

「自分はどうせ二十歳まで生きられるかわからないのに、この子はそんな心配いらないんだなって思ったらムカついちゃって。理不尽だったなって今は思うけど。ごめんね」

「もういいよ。蒼鉛の気持ちもわかるし。それに直接言ってくれたのは嬉しかったし」

 ただ、蒼鉛と桃簾の不仲を知った琥珀は密かに気を揉んでいたらしい。のちに仲良くなったことを知ったときは本当に嬉しそうにしていた。

「今は……桃簾が長生きできる体でよかったと思ってるよ」

「そうなの?」

「私らはいつまで琥珀のそばにいられるかわからない。でも桃簾なら、長い間琥珀を守れるから」

「守るほど弱くもないけどね」

 近衛兵の誰も、琥珀に戦闘で勝つことはできない。琥珀には戦いの才能があったのだ。おそらくは玉髄ですら気付いていなかったほどのものが。

「……もしここで私がみんなを長生きさせる方法を見つけることができたら、もう戦う必要もなくなる。私としてはそれが最善なんじゃないかと思ってるよ」

 琥珀は本当は戦いなんて好きではないのだ。ただその才能があって、それを活かせる場所がたまたま与えられてしまっただけだ。けれど本人の幸せを望むのなら――それは開花しない方が良かったものなのかもしれない。

「今まで色んな人が研究してきて見つかってないんだから、本当に難しいとは思うんだけどね」

「でも、見つけられたら私もすごく嬉しい。それに琥珀も――」

 琥珀は自分たちのことを一番に考えている。だからこそ、自分たちがやがては欠けていく運命だということからは目を逸らしている。誰一人欠けることなく助かることは現実的には難しいだろう。その現実が襲ってきたとき、琥珀は戦い続けることができるのだろうか。

 蒼鉛も同じ不安を抱いているから、先程あんなことを言ったのだろう。

「あ、この資料とかなんか良さそうじゃない?」

 蒼鉛が話を切って、棚から一冊の本を取り出す。かなり古い本だ。桃簾はそれを受け取り、ぱらぱらとめくって見る。確かにそこには桃簾が望む情報の欠片くらいはありそうだった。

「さすが蒼鉛。これは確かに良さそう」

「ここのことは誰よりも知ってるから。じゃあ私あっちの棚の方見てるね」

 今は使われていない言語で書かれた本がある棚を指して蒼鉛は言った。桃簾は蒼鉛の背中を見送ってから、蒼鉛が選んだ本を再び開いた。



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歌姫と闇競売
どんぐりの背比べ


塔に住む歌姫からある依頼を受ける天青たち。危ない橋を渡ろうとする女は、天青に成功報酬としてある話を持ちかける。


「前に何かで見たわ」

 依頼主の長い髪の女は、血生臭い空間には似合わないハイヒールを履いた脚を組み替え、そう言った。

「結局人を殺したり殴ったりしてるのに『自分達はクスリはやらない』っていう一点で善であろうとする輩がいるって」

「……そういう奴も確かにいるが」

「あなたたちもそうでしょう? クスリがらみの依頼は決して受けない。そのくせあのくだらない戦争の代理戦闘は引き受ける」

 依頼してきたのは女の方なのに、横柄な態度だ。だがこの女の態度にはもう慣れている。塔の歌姫・Desert(デザート) Rose(ローズ)。〈砂漠の薔薇〉なんていう大層な名を名乗る彼女は、表向きの清らかな歌姫の姿とは裏腹に、裏の顔は鉄の女と言うべき様相だ。

「何が言いたい」

 天青は苛立ちを隠さずに言った。天青からしてみれば、代理戦闘よりもくだらない依頼を持ってきた彼女にそんなことは言われたくないのだ。

「私から見ればどんぐりの背比べよ。どうせみんな失敗作か自然(ナチュラル)のままの選ばれなかった人間」

「自分は選ばれし者のような言い方だな」

「その通りだもの。私は完璧な遺伝子操作の末に、多くの人間を虜にする声を手に入れた。この声を持っているのは私だけ。私は選ばれているのよ」

「……そんな自慢話をするためにここに来たのか」

 遺伝子操作を受けていない人間を見下しながら、それを利用する。しかもわざわざ塔から降りてきてまでそんな話をする。それは明らかに嫌がらせとしか思えなかった。

「前はあの戦争に関わるのも嫌がっていたような気がしただけ」

「お前には関係ないだろう」

「……妹さん、かわいいわよね。下手なこと言うと首飛ばされそうで怖いけど」

「ああ、絶対に会わないことを薦めるよ」

 どいつもこいつもその話か。天青は深く溜息を吐いた。琥珀の存在はどこでも噂で持ちきりになっているようだ。

「次の取引、悧国でやる予定なんだけど、大丈夫なのかしら?」

「不安なら他に頼め。どんぐりの背比べなんだろ?」

「あら、怒っているの?」

「わざと神経を逆撫でしてるのはそっちだろう」

 確かに霜国の他のごろつきたちと大差のないことをやっているかもしれないが、それでも自分達がやってることに筋を通してはいる。それが矜持なのだ。踏み躙られてへらへらと笑っていられるものではない。

「それにしてもわざわざあの国でやることもないだろう。警備もかなり厳しいはずだが」

「玉髄のときであれば絶対なかったでしょうね」

「……内政はそんなにガタガタだと思われてんのか」

「私から見れば玉髄以上に取り締まりを強化しているように見えるけど……女だとそれだけで舐められるのよ」

 それは女性だから如実に感じることなのだろうか。しかし、〈砂漠の薔薇〉の言うことが本当であれば、今度の依頼は面倒なことになりそうだ。琥珀が玉髄以上に取り締まりを強化しているのが本当なら、天青たちは動きにくくなるはずだ。

「……危ない橋は渡らないんじゃなかったのか」

「今回はパスしようと思ったのよ。でも――奪われたものはどうしても取り返したくて」

 〈砂漠の薔薇〉の趣味は塔の外で違法に行われる闇オークション潰しだ。金に物を言わせて競りをめちゃくちゃにすることに何よりも喜びを感じるらしい。ついでに売られている盗品などは元の持ち主に返すところまでがセットだ。その趣味のために護衛を雇いながらも、本当に危ない橋は渡らないようにする。あくまで趣味だから――彼女にはそういう狡猾さがあった。

「宝石でも盗られたか?」

「そんな頼まなくても誰かがくれるような物に価値は感じていないわ。私の大切な共同作業者がうっかり誘拐されてしまって、売られてしまうらしいのよ」

「……人間なんて更に厄介な」

 そもそも無法地帯と化している霜国ではなく王が機能している悧国で闇オークションを開催するだけでリスクが高いのに、その上を競りにかけるとは。下手をしたらその場にいる全員逮捕だ。

「まああの子は非常に珍しい見た目をしてるから愛玩用として持っておきたいという好事家の考えることもわかるのよ。でもそれだとあの子の作曲の才能は死んでしまうし……だから何が何でも取り戻したいの」

 塔の上の人間の考えることは理解できない。だがそれなりの額を積まれたからには応えなければならない。何もせずとも金が手に入るわけではないのだ。

「でも今回は本当に危ない橋を渡ることになるから……いつもより成功報酬も弾まなければね」

「それは成功してからでいい」

「予め決めていた方が揉め事にならなくていいわよ。金額はこのくらい上乗せするとして」

 〈砂漠の薔薇〉は綺麗にマニキュアを施した手の甲を見せて言う。5を示しているのだ。悪くない数字だ。

「そうね……今回の意趣返しに私も一回くらい誰か誘拐して塔にでも連れて行こうかしら」

「戦争には興味がないんじゃなかったのか」

 興味がないなら、琥珀の事情も知っているとは思えないのだが。まさか鎌をかけているのか。警戒するように天青は〈砂漠の薔薇〉を睨みつけた。

「私は一応塔の中で一番の歌姫なのよ。呼吸器に問題がある人は見ていればわかるわ」

「それでお前に何のメリットがある?」

「あなたに恩を売れるかもしれないし、ついでにあの子にも恩が売れるかもしれないし、何より私の趣味よ」

 趣味でそんなことをしようと思うのは悪趣味としか言いようがないが、この歌姫は趣味に命をかけているような人間だ。

「まあ成功するかはわからないけどね。それに危ないからすぐ帰したいし」

「……仮に今回のことが失敗したら?」

「成功報酬を払わないだけよ。どうせあなたたちを突いたところで端金しか出てこないでしょ」

 見下しているのは変わりがない。結局は彼女も塔の人間なのは同じだ。だが、それがたとえ一日でも塔の中に入ることができるなら――少なくとも今より状況は好転するはずだ。

「わかった。成功報酬の件、忘れるなよ」

「誓約書でも作る?」

「その方がいいな」

 紙とペンを渡すと、彼女はさらさらと文字を書いていった。そして最後にサインをして、天青が渡したナイフで薬指の爪の下に傷をつけ、その血を使って血判を押した。

 

「……鉄の女め」

 〈砂漠の薔薇〉が帰った後で、天青はそう漏らした。シャーロック・ホームズを唯一出し抜いたオペラ歌手の女性になぞらえて、〈砂漠の薔薇〉をそう呼ぶ人もいた。

「悪いようにはしないんじゃない?」

「……でもあれも塔の人間には変わりない。所詮は向こうだってどんぐりの背比べだ」



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勝ち続けること

梓国軍との戦闘を控えた琥珀。戦いの前に苛立ちを覚える琥珀に、時計男は空気を読まずに話しかける。


 防刃用の布を巻きつけた上に、胆礬色(たんばいろ)の服を身につけていく。着物の袂のように広がった袖に腕を通し、胸元の釦を留める。普段着とは違う戦闘用の衣装を着ると自然と気持ちが切り替わる。手甲を身につけた琥珀は一呼吸置いてから立ち上がった。

 今日は梓国軍との戦闘だ。向こうは二軍を出してくるらしい。そもそも王が戦闘に出ること自体が珍しいのだ。なぜなら、その戦いにおける将を落とすか、時間切れで引き分けになるまで戦闘は終わらないからだ。負けた場合はその国は王を失う。王を失う恐ろしさは、霜国を見ていればよくわかるだろう。

 けれど王を倒さなければ意味がない。替えのきく二軍をいくら倒したところで、この茶番劇が終わることはない。いないとわかっていても前線に出続けるのは、挑発のためだ。いつまでも戦争を終わらせる気がなく、平穏な場所に隠れている王を引き摺り出す。琥珀の狙いに塔の人間も気付いているのだろう。出てこない王に対する揶揄の声と琥珀を称賛する声が嫌でも聞こえてきてしまう。

 舌打ちをした琥珀の隣に、時計の形の被り物をした男が腰掛ける。興行主の一人である時計男だ。

「今日はまた一段と不機嫌そうで」

「……いつまであんな雑魚と戦ってなきゃいけないのかな」

 負ける相手ではない。相手の戦力は既に分析してもらっているし、戦場に立てばそんな分析は頭から飛んでいくので意味はない。けれど勝てるイメージは描けていた。

「別に二軍も雑魚ではないですけどね」

 空気を読まずに話しかける時計男にも苛立っていた。集中したい時間だということは誰が見たって明らかだろう。

「でもあなたが勝ち続けているからか、期待度はどんどん上がっていますよ。このまま行ったら他の王も出て来ざるを得なくなるでしょうね」

「さっさと出てきてくれるといいけど」

「どうなりますかね。王が出てしまうと国から王が消えるリスクを伴うことになりますから。――あと、梓国軍は幻術を使いますよ。注意してくださいね」

「それはもう聞いてる」

 幻術――と言っても魔法のようなものではない。相手の頭に自分達に都合のいい景色を見せるだけ。そして防ぐ方法もある程度は確立されている。

 琥珀は袋にしまっていた小型の防毒マスクを装着する。幻術を使うとわかっている相手にはこれが必要だ。結局のところ魔法でも何でもなく、幻覚を見せる物質をばら撒くことで戦況を有利にするのだ。

「……まあ、気休めだろうけどね」

 防がれるのは向こうもわかっている。だからどんな高性能なマスクでも通り抜けられるように改良を重ねている。幻術にかかるほどそれを吸い込む前に決着をつけるのが最善だ。でもそれも直接薬を打ち込まれたら手の打ちようがない。

 梓国は四つの国の中で最も安定していて治安も良いと言われているが、そこには絡繰がある。梓国の人間は、全員がある薬を摂取しているのだ。それは幻術をかけるときに使う物質と同じもの。彼らは偽りの幸福の中で生きている。

「幻術も厄介だけど、あの国の人たちは――」

 殺されることも厭わずに向かってくる。なぜなら常に幸福の中にいて、この戦争ですらその中での出来事にすぎないのだから。

「そろそろ時間のようですね。では健闘を祈ります」

 時計男が席を立つ。琥珀は時計男を一瞥してから懐に小刀を入れながら立ち上がった。相手が誰であろうと負けることは許されない戦いだ。今は勝ち続けているから期待も寄せられているが、負ければ潮が引くように人々の関心は逸れていく。身勝手だ。命懸けの戦いなどしたこともないくせに、勝ち馬には乗ろうとする。琥珀は拳を握ったり開いたりしながら、近衛軍の円陣に加わった。

 

「梓国軍は幻術を使ってくるし、何より死ぬことを恐れずに向かってくる。――気をつけて」



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血の匂い

幻術を使う梓国軍との戦闘の中で、琥珀が見た夢とは。


「もう、何なんこいつら! ゾンビみたいに倒しても倒しても向かってきて……!」

 翡翠(ひすい)がサーベルの血を払いながら声を上げる。群がってくる梓国軍が壁になり、倒すべきその頭にはまだ辿り着けない。そしてしばらく動けない程度の怪我ごときでは止まってくれない相手だ。燐灰(りんかい)天河(てんが)の矢が脳天に直撃した数人が倒れる。その隙に翡翠と緑簾(りょくれん)が敵の牙城を崩そうと懐に潜り込む。琥珀はそれをただ見つめていた。漫然と見つめているわけではない。混戦の向こう側にいるはずの本命を見極めようとしているのだ。相手に反撃の隙も与えずに一瞬で終わらせる。梓国軍との闘いで長期戦をすることは最初から頭になかった。

 体調は悪くない。蒼鉛がどこからか入手したという発作を抑える薬を燐灰から半分もらって飲んでいる。少なくとも一時間は保つはずだ。

 このまま相手の姿が見えないなら、Hertz-Maschineを使って全体攻撃を仕掛けることも念頭に入れておいた方がいい。体への負担が大きく、あまり使いたくはないが、いつまでも倒しても倒しても向かってくる虚ろな目をした人間の処理を緑簾たちにやらせているわけにもいかない。

 あと少しだ。安全圏で守られているのはわかっている。その場所さえ見極められれば。

「鬱陶しいんだよ! 切られたら倒れとけ!」

 本性を剥き出しにした翡翠が振るったサーベルが男の首を飛ばす。その刹那に、奥に隠れて控えている男の姿が見えた。琥珀は笑みを浮かべる。まだこちらが気付いたことには気付いていない。天河を通じて前衛の二人に合図を送り、琥珀は地面を蹴った。狙うのはその首だけだ。姿勢を低くした緑簾を足場にして一瞬で距離を詰める。

 しかしその刃が届く直前に、琥珀は左手に刺すような痛みを覚えた。咄嗟に安全な場所に着地して腕を見ると、細く長い針が深々と突き刺さっていた。誰かが投げたものなのだろう。傷自体は小さいが、針に何かが塗られていたらしく、視界が歪み始める。目の前の景色に重なるように見える鮮やかな色。琥珀は唇を噛んだ。

「幻術か……!」

「それは王が与えてくださった特別な薬だ。精神力だけではどうにもできないぞ」

 琥珀を呼ぶ声が遠くなり始める。戦場には似合わない、微温湯に漂っているような心地よさが体を包み込んでいく。

 

 

「……ここは?」

「何、琥珀寝ぼけてんの? 学校だよ」

「学校……?」

 窓から太陽の光が差しこんで来る。風がカーテンを揺らし、その陰で天河と燐灰が静かに笑い合っているのが見えた。机と椅子が整然と並べられた広い部屋のあちこちに会話の花が咲いている。全員が同じ服を着ている。自分自身の姿を確認すると、琥珀も同じ服を着ていた。

「よく寝てたよねぇ、琥珀」

「いつもは緑簾の方が寝てるのに……」

 緑簾は大事な行事があるときもその直前まで眠っていたりする。燃費が悪いのだろうか。でも今はそんな緑簾を差し置いて自分が眠ってしまっていたらしい。まだ頭がぼんやりとする。夢の中に何かを忘れてきてしまったかのような違和感。けれどそれも現実の中にいずれ溶けて消えていくのだろう。開けっ放しの窓から吹いてくる風は少し甘い匂いがする。金木犀の匂いだ。

「……なんかまた眠くなってきたな」

「寝てていいよ。休み時間終わったら起こすから」

「うん、おやすみ」

 甘い香りの風が頬を撫でていく。目を閉じて机に突っ伏すと、談笑する声が遠くに、けれどはっきりと聞こえた。

 ――それを、幸福だと思った。

 その瞬間に琥珀は違和感を思い出す。どうして目の前の景色を受け入れているのだろうか。こんな場所に来たことはない。こんな揃いの服も着たことはない。本物の太陽の光も知らないし、金木犀の香りなんて嗅いだこともない。何より、いつか誰かが死んでしまうのではないかという恐れが存在しない。これは夢だ。あまりにも幸福な――あり得ない世界だ。

「眠っていいんだよ、琥珀」

 この声は誰の声だろう。都合よく知っている顔で補完されていた周りの人間の姿が崩れていく。それなのに声ははっきりと、意識の芯を溶かすように甘く響く。

「もう、苦しまなくてもいい」

 苦しんでいたのだろうか。確かに苦しいことばかりだった。いつだって世界は絶望的だった。大切に思っている人たちを助けるためには、それを上回る沢山の人を殺さなければならない世界だった。どんな誹りを受けても聞こえていないふりをして、勝ち続ければ黙らせられると信じて走り続けるしかなかった。

 けれどそこには苦しみしかなかったのだろうか。

「何も考える必要はない」

「ここには楽しいことだけがあるのだから」

 このまま身を任せていいのだろうか。幸せなだけの、楽しいだけの世界にいていいのだろうか。いいのだろう。なぜなら幸せで楽しいのは事実なのだから。

 でも、それならどうしてこんなに虚しいのか。

「自分の幸せを否定するの?」

「――偽物ならいらない」

 自分の言葉が、自分自身に輪郭を与えていく。そうだ。虚しいのは、これが偽物だとわかっているからだ。たとえこの世界に自分を苦しめるものが一つも存在しなかったとしても。

 

 

 相手の将が戦闘不能であると判断されると、その命を奪わなくても戦いが終了することがある。梓国軍はそれを狙うことも多い。要するに見世物と化した茶番の戦争を終結させようという気は微塵もないのだ。

 ここで動けなくなれば負けが確定してしまう。未だに振り払えないまやかしの片隅で、琥珀はただ一つの命令だけを自分自身に下していた。今すぐ動かなければならない。この幻を、偽りの幸福を振り切らなければならない。

「随分粘っているようだが、精神力だけではどうにもならないぞ」

「……黙れ」

 とどめなんていつでも刺せる状態なのに、温情でもかけているつもりか。それとも虚しい抵抗を続けていると嘲笑っているのか。どちらにしろ腹立たしい。左腕はかろうじて動く。指を一本ずつ懐刀の柄にかけて、呼吸を止めながらそれを引き抜いた。

「まだ抵抗の意志があるのは流石だが、これに逆らえる人間は――」

 琥珀は男の言葉を無視して、地面に突いた自分自身の右手にその刃を突き刺した。掌を貫通した刃を勢いよく引き抜けば、止め処なく血が溢れる。幻の甘い香りを掻き消すほどの血の匂い。――痛みは意識を現実に引き戻す。

「お前、何を……!」

「……さっさととどめを刺さなかったことをあの世で悔いるといい」

 赤く染まった右手で刀を抜き、そのまま男の首を落とす。血飛沫が雨のように降り注ぎ、血の匂いはさらに濃くなっていった。



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神隠し事件

〈砂漠の薔薇〉の依頼により、悧国で開催される闇オークションの会場に潜り込んだ天青たち。そこで〈砂漠の薔薇〉から塔の中で起きている事件について知らされる。


「それにしても、この前のはすごかったわね」

「……興味ないんじゃなかったのか」

 シャンパングラスを揺らす〈砂漠の薔薇〉に、天青は冷たく返した。闇オークションの会場では誰もが仮面をつけて顔を隠している。正体を知られるわけにはいかない人間が沢山いるのだ。もちろん天青たちや〈砂漠の薔薇〉も仮面をつけていた。

「興味はないわよ。けれど噂になっていたものだから。だって初めてなんでしょう? 梓国軍に完全に勝ったのって」

「玉髄は避けていたからな。あそことまともにぶつかったら廃人にされる」

「けれど利き手の方を思いっきり刺してたけど、大丈夫なのかしらね」

「さあな。むしろしばらく大人しくしてた方がいいんじゃないか」

 梓国軍の幻術に対してはある程度の対策が打たれているけれど、直接薬を打たれてしまえばなす術がない。だから王をその戦いに出すことはない。それがこれまでの常識だった。それを琥珀が完全に覆したのだ。

「……あんなやり方は何度も通用しない。実際あの出血なら、一撃で決められなかったら死んでたのは琥珀の方だ」

「でも勝ったのは事実。面白いわね、あの子」

 この女に面白がられても何もいいことはないのだが――。天青は酒を飲むふりをしながら周囲の様子を窺っていた。くだらない話に花を咲かせている暇はない。〈砂漠の薔薇〉の依頼を完遂するためには、奪われたものを見つけること、それを奪還すること、そして捕まらずに逃げ切ることが必要なのだ。

「まあいいわ。ここからが本題なのだけど」

「……無駄話が多いな」

「ここからは真剣なのよ」

 〈砂漠の薔薇〉が声を落とす。本題があるのならさっさとその話をすればいいのに。それを口にすると無粋だの何だのと言われそうだったので、天青は口をつくんだ。

「塔の中では、時々神隠しにでも遭ったみたいに人が忽然と消える事件が起きるの」

「誘拐じゃなくてか?」

「ええ、あれは――少なくとも人間が起こしている現象ではない。黒い霧のようなものに包まれて、次の瞬間には消えてしまう」

 話だけを聞いていれば、まるで幽霊か何かが起こしているようだ。けれどこの世界に幽霊などというものはおそらく存在しない。その存在はかつて科学が完全に否定したのだ。

「私が知っている限りでは五年周期でそれは起こる。今回巻き込まれたのがあの子だった」

「その情報はもう少し早く教えてほしかったんだが」

 〈砂漠の薔薇〉が「あの子」と呼んでいるのが、今回奪還しようとしている作曲家の少女だ。ジプサムと呼ばれているが、それは本名ではないらしい。

「忘れていたのよ。それがあの現象の怖いところ」

「忘れていた……?」

「そう。不思議なことに記憶から綺麗さっぱり消えてしまう。実際私がジプサムがいなくなったことに気がついたのはそれから三日後のこと。私でなければ思い出すこともなかったでしょうね。それからあの子の行方を探して――まあ結果的にすぐ見つかったのだけど」

 塔の事情の全てを知るわけではない。けれど五年周期で起きるその現象に思い当たることもあった。

「……悧国の近衛兵は、十五年前に入ってきたのが五人くらいいたな。その全員が神隠しに巻き込まれたとは考えにくいが」

「こちらから見れば五年周期で人が減る。そちらから見れば五年周期で人が増えるってことね。下手をすれば塔の人間としてのIDすら消えてしまうから、誰も思い出さなければ捨てられたのと同じ状況になってしまう」

「琥珀が来たのも十五年前だ。――ところで、なぜお前は思い出せたんだ?」

「一週間に一度、自己暗示をかけてるのよ。自分の声を録音していて、それを聞いているのだけど――その中にあの子のことが出てきた」

 〈砂漠の薔薇〉が歌姫として君臨し続けているのは、ひとえにその特殊な声ゆえである。天青たちには何の効果もないが、遺伝子を操作された塔の人間は、彼女が出した本気の声には逆らえなくなるらしい。そしてその強力な暗示は録音した自分の声を彼女自身が聴くことでも効果を発揮するようだ。

「自己暗示か。何でそんなことを」

「じゃないと使いすぎてしまいそうでね。あなたたちには効かないから意味がないけど、塔の中では万能に近いもの。だから自分で自分に制限をかけているの。こういう能力を使いすぎるのは私の趣味ではないわ」

 何事にも趣味を優先する彼女らしい言葉だ。けれど彼女の語る神隠し事件には引っ掛かることもあった。調べてみる価値はあるかもしれない。そもそも彼女は調べさせたいからこんな話を振ってきたのだろう。

「――さて、そろそろ時間のようね」

 談笑しながらも互いの腹を探り合うパーティーの時間は終わった。ここからは違法なものばかりの競売が始まる。

「今回は目当てのものが取り戻せればいいんだったな?」

「ええ、そうよ。他はあまりパッとしないから」

「――それなら予定より早く事が済むかもしれない」

 顔を隠す仮面に仕込んでいた通信機から、満礬(まんばん)の声が聞こえる。目当てのものを見つけたという報告だった。強奪できるのなら律儀に競りに参加する必要もない。取り締まりが厳しい悧国に長居する方が悪手なのだ。

「今回はそっちのやり方に任せるわ。その代わり、必ず――」

 なるべく自然を装いながら周囲に目を配る。合図に反応してやってきた藍晶と交代した天青は、会場の裏側に向かって動き出した。



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ハーバリウム

〈砂漠の薔薇〉の依頼で少女を助け出す天青たち。しかしそこに予想外の敵が現れる。


「悪趣味……」

「でも理には適ってるな。この子が塔の子だって言うなら、基本的にはこっちの空気は毒だ」

 塔に住む人間は遺伝子を操作されている。その副作用で塔の外の空気は毒になってしまうのだ。短時間であれば影響も少ないようだが、住むようになってしまうと、二十年ほどで発作が出るようになり、やがて死に至る。

 だからこそ、競売にかけられたジプサムという少女は、人ひとりが入れる細長い水槽の中に入れられていた。口元に酸素マスクがつけられているので、呼吸は問題なくできるのだろう。薄紫色の長い髪と同じ色の花が水槽の中に入れられていて、さながら植物標本(ハーバリウム)のようだ。

「とりあえずこのままじゃ運べないな……ぶっ壊すか」

 雄黄(ゆうおう)が言う。確かにこの水槽くらいなら雄黄の力で簡単に壊せそうだが、そう簡単にはいかないだろう。水槽を調べていた青虎(せいこ)が何かに気付いて声を上げる。

「これは普通にセキュリティかかってるから、壊したら警報とか鳴るやつだね」

「だったらどうやって持って帰るんだこんなん……」

「半分に分かれて、片方が陽動で、もう片方がこの子連れて逃げるとか。どっちにしろぶっ壊すことになるけど」

 壊さずに水槽ごと移動するのは現実的ではない、というのが青虎の意見らしい。このまま出品の時間まで待っていても水槽を壊せば警報が鳴るのであれば変わりはない。話を聞いていた天青も青虎の案に乗るのが一番安全であると判断した。

「あとは歌姫様も何とかしないといけないけど」

「あっちは藍晶がいるからどうとでもなる。あの女、逃げ足は割と速い」

 〈砂漠の薔薇〉は趣味が高じすぎて修羅場を何度もくぐっている。そうでなくても公の立場だけで命を狙われることもある。ひとまず逃げるだけなら心配はいらない人間だ。

「あとは多分、悧国の近衛兵もいるっぽいから、そっちにも捕まらないようにしないとね」

「……近衛兵出してきたのか」

 市井の治安を守る警察組織も存在しているのに、わざわざ近衛兵を配備するとは予想外だった。警察なら取り締まりの範疇だが、軍を動かせばそうはいかなくなる。

「まあでも一回それだけ大規模に潰しちゃえば、この国でやろうなんて物好きはいなくなるだろうね。お金は欲しくても死にたくはないし」

「とにかく全員逃げるのが最優先になるか」

「そうなるかな。あとは、近衛兵なら最悪あの人が何とかできる。一人だけ確実に効かないけど」

「……使う状況にならないことを祈るが」

 遺伝子を操作された人間にだけ効く〈砂漠の薔薇〉の能力は、確かに遺伝子操作児が多い近衛兵には効果覿面だろう。しかし彼女に借りを作るような真似をしてもいいことは何もない。使う状況にならないことを願うしかなかった。

 

 

 警報音が鳴り響いている。仮面をつけた男たちが天青たちの陽動に簡単に釣られてくれたので、少女を連れて逃げている青虎たちは特に問題なく会場を脱出できそうだった。けれど際限なく湧いてくる敵に、陽動班の離脱は難航するだろうと思われた。

「何か倒した数より減ってねえか?」

 雄黄が言う。確かに倒している数よりも倒れている人間の数が多い。そう言っているそばから、天青たちに向かってくる男たちの数人が床に倒れた。彼らの体には銀色の細い矢が刺さっている。

「――天河か」

 武器から人物を推測する。弓矢系の武器を使うのは燐灰もそうだが、彼女のものとは矢の形が違う。天青たちには当てないように、確実に標的だけを仕留めていた。天青たちを攻撃してこないということは見逃してくれるということだ。それなら乗じて逃げるしかない。群がる敵を倒しながら先へ進む。

 あと少しで出口に辿り着く。しかしその手前で鼓膜を突き刺すような甲高い音が響いた。それに気を取られた瞬間に黒い霧に包まれる。否、それは霧ではない。漆黒の翅を持つ無数の蝶だ。

(何だ、これは――)

 想定外の敵に思考が止まる。蝶が一斉にはばたき、その集合体が外套を羽織っているような人間の形に変わる。その手には同じように蝶の集合体でできた大鎌が握られていた。その刃の先は紛れもなく自分の首を狙っているのに、何故か体が動かない。それに攻撃力が備わっているのかさえわからないまま立ち尽くす天青がその次に見たのは、黒い蝶の集合体に斬りかかる狐面の少女の姿だった。

 その一閃で蝶は忽然と姿を消す。いつの間にか乱闘が起きていたはずの会場は静寂に包まれていた。刀を鞘にしまった少女は溜息と共に静かに面を外す。

 

「――私以外の雑魚に殺されかけてんじゃねえよ、クソ兄貴」



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戛然(かつぜん)

謎の黒い蝶に襲われた天青。間一髪で琥珀に助けられるが――。


「……何でここにいるんだ」

 狐面を外して顔を晒した琥珀に、天青は呆然として呟いた。

「こっちの台詞なんだけど、それ」

 近衛兵がいることはわかっていたが、まさか王まで出てきていると誰が予想しただろうか。少なくとも闇オークションなんて王自らが取り締まるようなものではないのだ。

「あの黒い蝶はあんたたちが回収した女の子を追ってた。私はあの蝶を始末しにきただけ。ついでに潰したいものもあったし」

 闇オークションをついでに潰されてしまった主催者側に少しだけ同情する。だが〈砂漠の薔薇〉が絡んだ段階で趣味で潰されるのだからあまり変わりはしないのかもしれない。

「あれは何なんだ?」

「さあ?」

「さあ、ってお前な……」

「塔の中で五年に一度くらいの周期で発生する現象らしいけど、詳しいことは知らない。あと死にたくなかったらさっさとここを出た方がいい」

 五年に一度の周期。それは〈砂漠の薔薇〉に聞いた神隠し事件の周期と一致する。神隠し事件の不可思議な点といい、きな臭い話だ。天青が更に情報を引き出そうと口を開いたそのとき、再び黒い蝶がどこからか現れた。琥珀は左手につけたHertz-Maschine操作用の端末に触れてから刀を鞘から抜く。小さくて動くものを攻撃するのは至難の業だが、その剣筋は驚くほど正確だ。

「天青、俺たちは退くぞ。もう依頼自体は達成してる」

 雄黄が言う。これは琥珀の戦いであって、天青たちには関係がない。けれど琥珀の動きに少し気にかかるところがあった。

「……キリがない……っ」

 地面に片膝をついて呼吸を整えている琥珀が、握っていた刀を取り落とす。戛然(からり)と音を立てて落ちたそれを拾い上げる琥珀の手は酷くぎこちなく動いていた。

「おい」

 琥珀は両手に手甲をつけているからほとんど隠れているが、その下に白い包帯が見えた。

「右手、治ってないんだろ」

 琥珀は何も答えなかった。けれど掌を貫通するような傷を負ったあと、二週間もしないうちに戦いに出る方が無茶なのだ。掌の傷なら、もしかしたら神経も傷ついているかもしれない。天青は琥珀の腕を強く掴んだ。

「あれに普通の攻撃は通じない。だから私が――」

Hertz-Maschine(それ)なら俺も使えるだろ」

 再び一つに集まり始めた黒い蝶を一瞥して、琥珀は唇を噛んだ。しかし逡巡は一瞬だった。私情よりも目の前の敵を倒すことを優先する。勝負に関しては誰よりも心得ているのだろう。

 

「……足手纏いにはなるなよ、クソ兄貴」

 

 言いたいことは山ほどあるが、まずは目の前の敵をどうにかしなければならない。二人は背中合わせで立ち、同時に刀を鞘から抜いた。

 Hertz-Maschineを介しての攻撃しか通じない相手。おそらくはこの世界の根幹に関わる問題だ。琥珀はそれに気が付いていないのだろう。真実を知った上で王の椅子を捨てた人間と、何も知らずに王になった人間。天青は知っているからこそ、この戦いの終わらせ方がわかる。だが――問題は、誰が何も知らない琥珀に無為な消耗戦を強いているかということだ。切り倒すだけでは蝶はすぐに復活してしまう。元を断たなければそれはいつまでも生まれ続ける。

 天青は刃先に指を当て、浅い傷をつけた。Hertz-Maschineは血に含まれた情報を元にして動く。現在実行されている算譜(プログラム)を強制的に終了させるためには登録されている人間の新しい血が求められる。その血を刀に伝わせて、黒い蝶の中心を切りつける。

 痛いほどの沈黙が広がった。暫く待ってみるが蝶が復活する様子はなかった。天青が息を吐くと同時に、再びからりと音がする。

「――どういうこと」

 取り落とした刀を拾い上げることもせずに琥珀が呟く。本当のことを言うべきなのか、言うべきでないのか。この絶望的な世界で見出されたかすかな希望すら断ち切ってしまうような真実を今ここで告げるべきなのか。迷う天青の背中に琥珀の声が突き刺さる。

「……また、何も言わずに行くつもりなのか」

 天青が国を出たとき、琥珀はまだ幼かった。そして天青も玉髄も琥珀が王になることなど想定していなかったのだ。血が合わないのだから、琥珀はHertz-Maschineを動かすことができない。天青が国を出ることを決め、それを玉髄が積極的には止めなかった段階で、玉髄の死後には悧国が霜国のように王のない国になることは確定している未来だと思っていた。だから何も言わなかった。玉髄もまた琥珀に真実を教えるつもりはなかったのだろう。王でもないのにそれを知ってしまうことは、その身に危険が及ぶ可能性も高めてしまう。そして何より――選ばれなかった人間に対する世界のあまりの残酷さを、純粋な少女に告げることはできなかった。

「少しは自分で考えてみろ」

 あのとき本当のことを言えていたのなら、こんなことにはならなかったのだろう。だが後悔したところで何も変わりはしない。

「今回は誰の言葉で動いたのか――お前に何かを教えてくれる人は本当に真実を語っているのか」

 それが誰かは知らない。けれど今回琥珀が戦いに出るように仕向けた人間がいるなら、その人物はわかっていたのにあえて琥珀に教えなかったのだろう。やり方がわかっていれば一瞬で終わらせることができた戦いをわざと長引かせた。今は刀を握れない右手も、戦闘の時間が短ければ問題なくこなせたはずだ。そもそも悧国で起きたこととはいえ、琥珀が対応する必要などなかった。Hertz-Maschineが使える人間なら誰でも良かった。それなのにわざわざ怪我をしている人間にそれをやらせたのだとしたら――そこには底知れない悪意がある。

「俺だって、お前に嘘をつく可能性はある」

 信じられるのは自らの目で見たことだけだ。この世界が嘘で出来ている以上、人の言葉を本当に信じることはできない。

「とりあえずその手を早く治せ。話はそれからだ」

 琥珀は何も答えない。背を向けている状態ではどんな表情をしているのかも見ることはできなかった。



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Like a Rolling Stone

天青の言葉からある疑念を抱いた琥珀は、一人夜の街に赴く。しかしそこに現れたのは。


 何が嘘で何が真実なのか。

 目の前のことに立ち向かうために信じてきたことさえ揺らぐようなものを琥珀はこの目で見てしまった。

 他の人が動かしたHertz-Maschineのプログラムを強制的に停止する方法は知っていた。それを戦場で使うのはルール違反だが、他の場所で使うのなら構わないのだと教えられた。登録されている人間の血液を利用して、動き出していたものを無理矢理停止させる。天青が使ったのはその方法だ。天青がそれを思いついたのは、あの蝶にはHertz-Maschineを介した攻撃しか通らないことを琥珀が教えたからだろう。けれどその二つの点を結ぶための何かを琥珀は知らない。何かが決定的に欠けているのだ。

 最近桃簾が調べているということも気にかかる。王には隠された別の役目があるのかもしれない――それが何なのかは掴めないままだが、欠けているものを埋めるものはもしかしたらそれなのかもしれない。

「『誰の言葉で動いたのか』か……」

 動いたのは自分の意志だ。けれどその根拠になったのは全て同じ人間の言葉だった。天青にあの言葉を投げかけられるまでそれに気付かなかった。琥珀に王の役目を教えたのも、戦争に駆り立てたのも、あの蝶についての情報を伝えたのも、全て一つの点に集まっていく。完全に信用していたわけではなかった。けれど玉髄が斃れ、周囲の人間に翻弄されるしかなかった琥珀に道を示したのもその人だった。けれどそれらが全て、嘘だったとしたら――。

 琥珀は舌打ちをして立ち上がった。こんなところで考えていたところで疑念が膨らむだけで何の意味もない。気になるのなら直接ぶつける方が性に合っている。それで何かが壊れても、嘘の感情を浮かべ続けているよりはいい。

 夜の闇に紛れる黒い外套を着て、琥珀はそっと部屋を出た。外出時には護衛をつけろと燐灰たちから散々言われていたが、一人の方が身軽だった。

 

 

 誰にも見つからないような道を通り、琥珀は目的地を目指す。けれど狭い路地裏に入ったところで琥珀は足を止めた。いつもと何かが違う。静かすぎるのだ。暗闇の中でも動き続ける機械の音や、風が揺らしたゴミ袋の擦れる音くらいは聞こえる。けれどそれすらもないほどの沈黙。琥珀は周囲を警戒しながら刀に手をかける。

 その瞬間に、何もない空間から煙のように黒い蝶が噴き出した。琥珀は唇を噛む。これが何かはわからない。けれど普通の攻撃は通じない。天青がやっていたように刃に血を塗り、琥珀を目指して飛んでくる蝶を斬り伏せる。しかし訪れた沈黙は一瞬だった。一旦消しても新しいものがどんどん湧き出してくるのだ。復活してくるものとは違う。倒されたそばから新しく生み出されている。

(誰かがけしかけてるのか……?)

 けれど倒し方を知っている琥珀に対して同じ攻撃をしたところで琥珀を倒せはしない。けれど琥珀は戦いの中で同じような戦略を取ることもあった。相手の体力を削いでいくのが目的のときだ。

(大元を見つけないと駄目か)

 安全な場所から蝶をけしかけている誰かを見つけなければならない。そうでなければ埒があかない。まだ長時間右手を使っていると手に力が入らなくなる。けれど得物を取り落としていては負けてしまう。琥珀は着ていた服を刀で裂き、即席で作った細長い布で右手と刀の柄を縛った。

(こんなところで足止めを食らってる時間はない……!)

 確かめなければならない。自分の目で見たことだけが真実だ。琥珀は神経を研ぎ澄まして、蝶を発生させているはずの誰かの気配を探る。

 しかし八度目のHertz-Maschineの発動の瞬間、病んだ肺に異変が起きた。体勢をどうにか整えながら咳き込むと、口を押さえた左手の掌に血が散る。こんなときに――歯噛みしながら、琥珀は目の前の敵を睨めつけた。

 

「お取り込み中のところ悪いのだけど」

 

 この場所に似つかわしくないハイヒールの音を立てながら、髪の長い女が歩いてくる。逆光で見えなかったその顔が見えた瞬間に琥珀は目を瞠った。こんな夜更けにこんなところにいるような人間ではなかったからだ。

「〈砂漠の薔薇(デザートローズ)〉……」

「あら、知ってもらえているなんて嬉しいわ。塔の外の知名度はそれほどでもないと思っていたから」

 塔の歌姫として名前と顔だけは知っているだけだ。そして塔の外では「趣味」と称して闇オークションを潰して回る義賊であることも知られている。

「何の用かは知らないけど、邪魔しないで」

「それは無理よ。それにもう向こうも戦意喪失しちゃったみたいだし」

 彼女ほどの知名度を持つ人間を巻き込むことを恐れたのだろうか。それとも他の理由か。確かに先程まで飛び回っていた蝶は忽然と姿を消していた。

「さて。邪魔者もいなくなってくれたことだし――私と一緒に来てもらうわよ」

「……何言ってるの」

「この前のオークションのときのお礼をしなきゃならないのよ。あなたのお兄さんと、あなたに」

「何の話かわからないけど、人を勝手に巻き込まないで」

 琥珀は脅しのつもりで刀を〈砂漠の薔薇〉の首に突きつけるが、〈砂漠の薔薇〉は全く怯むことなく、むしろ真紅の唇に笑みを浮かべた。

「なるべく使いたくなかったのだけど」

 〈砂漠の薔薇〉は溜息を吐いてから、ゆっくり息を吸う。夜の空気を震わせるような凛とした声が響いた。

「『動かないで』」

 柔らかな声での命令。たったそれだけなのに、琥珀はそこから指一本すら動かせなくなる。それが塔の歌姫が持つ特殊な声の力だった。

「……っ、何のつもり」

「殴って気絶させるよりいいでしょう? だから暫く――『眠っていて』」

 抵抗する術はなかった。抗えない声に体が先に従ってしまう。力の抜けた琥珀の体を支えながら、〈砂漠の薔薇〉は物陰に向かって声をかける。

「手伝ってくれないかしら、天青くん?」

「……もう少しやり方を考えろ」

「あら、私が思いつく限りこれが一番穏便だったのだけど」

 眠っている琥珀の体を受け取り、天青は溜息を吐く。報酬の為に、琥珀が一人で行動する機会を狙っていた。そしてそれは思ったよりもずっと早く訪れた。不用心なことこの上ない。まだ怪我も治りきっていないというのに。天青は琥珀の刀と右手をきつく結び付けている布を解いた。

「……それにしても、あれをけしかけていたのは誰だったのかしら」

「さあな」

「でも使える人は限られているのよ。それぞれの国の王様と、それからあなただけ」

「普段あれだけ挑発してるんだ。狙われても仕方ないだろう」

「そう言いながら随分不機嫌そうに見えるけど?」

 天青はそれには答えずに、〈砂漠の薔薇〉が呼んだ車の後部座席に琥珀を乗せる。塔の中にいられるのは少しの間だけ。おそらく一日もないだろう。けれどその短い時間でも、先延ばしくらいにはなる。そして〈砂漠の薔薇〉の方も琥珀に何か聞きたいことがあるらしかった。

「転がる石を止めることは、簡単にできることじゃないわ」

「何だ、急に」

「転がり落ちる運命を受け入れるなら、こんなに苦しまなくて済むんじゃないかしら。あなたたち二人とも」

「そういう運命なんだから甘んじて受け入れて死ねって言うのか」

 琥珀が戦う動機は理解できる。望んでもないのに遺伝子をいじられ、失敗したからと投げ出されて、若くして死ぬ運命を背負わされるのはあまりにも理不尽だ。諦めてしまえば楽なのかもしれない。けれど諦めればかすかな希望さえついえてしまう。

「そこまでは言ってないわよ。でも――生きるために命を縮めてしまっているように見えるわ」

「……理解できないだろうな、上の人間には」

 少なくとも自分がじきに死んでしまうと知りながら生きるのとは違う。持たざる者の感情は持つものには理解できないものだ。

「あなたが言うとそれは欺瞞ね。――だって王になれば、塔の中に住むことだってできるのに。あなたは望めばこちら側の人間になれる。血筋が違う琥珀ちゃんはわからないけどね」

「上の人間にも、他の王がやってることにも加担するつもりはない。だから国を出たんだ」

 天青なりに運命に抗おうとした結果がそれだった。生まれながらに定められたものを捨てることでしか崩せない絶望があった。

 ――けれど、それだけでは足りなかったのだ。



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黒蝶の鱗

〈砂漠の薔薇〉と琥珀が去ったあと、天青は蝶を操っていた者と対峙する。


 琥珀を連れた〈砂漠の薔薇〉が去ったあと、天青は近くの壁に寄りかかって溜息を吐いた。〈砂漠の薔薇〉は上の人間らしい選民思想の塊ではあるが、琥珀を悪いようにするような人間ではない。選民思想だけでは説明できない、物好きとしか言えない部分もあるからだ。滞在できる時間もごく短いものだろう。それでも少しでも終わりを先延ばしできるならそれでいい。

 問題は琥珀が何をするために外に出たかだ。王のはずなのにふらりと一人で出かけてしまうことは今までにもあった。けれど今日の琥珀は明確な目的を持って外に出たように思えた。

 そしてそれ以上に突き止めなければならないのは、あの蝶を仕向けたのが誰なのかということだ。〈砂漠の薔薇〉が現れた瞬間に手を引いた理由にはおおよそ推測がつく。王の本当の役割を知っている人間は、塔の中で生きて、地位も確立している人間を攻撃することはできない。それは役目に背くことになるからだ。琥珀を害することより〈砂漠の薔薇〉がその流れ弾に当たって死んでしまう可能性を避けることを優先させた。そこから推測できるのは――Hertz-Maschineを使える人間の中でも特に真面目な人物だということだ。それに比べれば王としての玉髄は真面目だったとはとても言えなかった。

(二人のうちどちらかなんだろうけど……どっちのこともよく知らないからな)

 梓国王も號国王も就任してから一度も人前に姿を現していない。顔を知られている玉髄や琥珀の方が王としては珍しい方だ。戦争は下の人間に任せる。本来の役割に集中すべきであるという梓国と號国の考え方の方が本来は正しい――それが本来世界が王に求めていることだ。けれど世界の機構の言いなりになっているような人間に殺されるのは気に入らない。

 天青は意識を集中させて、周囲の気配を探った。蝶を倒したところで埒があかない。本体をどうにかしなければまた新しく湧いてくるだけだ。

(――あのあたりか)

 僅かな音から場所を割り出し、Hertz-Maschineの端末に触れる。正確な場所まではわからないから、広範囲の攻撃だ。一帯に炎が広がる。

「そろそろ姿を見せたらどうだ」

「王が姿を見せるのは悪手だと、あなたならわかっていると思っていたんですがねぇ」

 姿は見せないが、声だけは聞こえる。しかしその声も明らかに合成音声のものだった。正体を明かす気はさらさらないらしい。

「王が前線で戦うことを煽った奴に言われたくはないな」

「何のことでしょう? そんなことをしたつもりはないですが」

「琥珀は誰に言われたわけでもなくここに来て、あんたの攻撃に遭った。――誰が自分を欺いていたのか、薄々勘付いたんだろう」

 あるいは琥珀の方から呼び出していたか。実際のところは天青にはわからないが、少なくとも琥珀が真っ直ぐにこの場所を目指していたのは事実だ。適当に散歩をしていて巻き込まれたのとは違う。

興行主(プロモーター)のフリをして近付いて、あいつが自滅するのを狙ってたのか」

「フリではありませんよ。興行主(プロモーター)も正規の仕事です。ただ、自分も王であることを彼女には言わなかっただけですよ」

 同じことではないか、と天青は舌打ちをする。どちらにしろ本当のことを言わなかったのは事実だ。知っていながら王になる琥珀に王の役目を教えなかった。そして――その願いがどうやっても叶わないものであることも。

「あなただって、真実を明かさなかったという意味では同じ穴の(むじな)ですよ」

「……王以外の人間が役目を知っていることはむしろ危険だと思っていた。だから言わなかっただけだ」

「同じですよ。私もまさか機械の方を捩じ伏せるとは思わなかった。それどころか試みた段階で排除されてもおかしくはないと思っていたんですがね」

 自分には罪がないというその言い方に腹が立つ。天青は白鞘に手をかけた。王の血筋でないものが王になろうと試みた段階で死ぬ可能性もあるとわかっていてそれをやらせたのだ。

「随分怒っているようですが――でも彼女が遺伝子操作児である以上、何をしたところであと数年で死んでしまうことには変わりないのですよ? それに私の立場としては、さっさと死んでもらった方がいい」

「……もう一回言ってみろ」

「何をです?」

「今の言葉をもう一度言ってみろ、下衆野郎……!」

 帰ってきたのは言葉ではなく攻撃だった。無数の黒い蝶が湧き出し、頭上を埋め尽くす。蝶はやがて巨大な龍の姿を取る。天青はその黒い鱗を睨み付けた。

「少しは期待していたのですが――やはり親子揃って大いなる意志には背くつもり、ということですね」

「玉髄はやってただろ。積極的ではなかったが」

「積極的でないことは、私から見れば罪ですよ。役目を果たさない王など必要ないのです」

「――お前、まさか」

 黒い龍の背に乗って姿を現した男は黒い仮面で顔を覆っていて、顔は見えなかった。黒い外套からステッキを持った白手袋をはめた手だけが見えている。

「お前が殺したのか」

「さあ、どうでしょうね。探したところで証拠なんて一つもありませんよ。それにしても彼女は実に可愛らしいですね。自分の育ての親を殺したかもしれない人間の言葉に素直に従い、一番実現してほしくないと思っていた未来を自分自身の手で実現しようとしてしまっている」

 言葉よりも先に手が出た。Hertz-Maschineを操作して、高いところから天青を見下ろしていた男のところまで飛び、その首に刃を向ける。しかし触れる直前にステッキで防がれた。間違いなく王に相応しい手練だ。けれどあそこまで虚仮にされて引き下がるわけにはいかない。

「私の言葉が嘘だとわかっているなら、教えてあげればよかったじゃないですか。彼女が大切に思う近衛兵のあの子たちを助ける術なんて存在しない。王は不適格だと判定された塔の外の人間を処理するための存在で、王である以上望んでいることとは反対のことをし続ければならないって」

「それをやらせたのはお前だろ。そもそも玉髄が死ななかったらこんなことにはならなかったんだ」

「そうかもしれませんね。ですが私は王としての役目を果たしただけです。全てはHertz-Maschineの意志なんですから」

 龍の鱗の一部が剥がれて天青に襲いかかる。天青は自らの血を塗った刃で巨大な龍を切り伏せた。Hertz-Maschineの力を使って男が地面に着地する前にその鳩尾に拳を突き込む。体制を崩した男に天青は懐から取り出した拳銃を突きつけた。

「やはり強いですね。王にならなかったのが非常に勿体ない。この世界の損失ですよ」

「こんな世界の役に立つなんて御免だ」

 機械が適格と判断した人間だけを生き残らせ、そうでない人間を排除するようになっているこの世界を、天青はどうしても受け入れることが出来なかった。自分自身がその手足となって統治している振りをしながら死に導く役割など担いたくはなかった。玉髄からそれを聞かされたとき、天青は王になることを拒み、そして玉髄は天青の決断を受け入れた。けれど世界の方は簡単にはシステムを崩壊させるつもりがなかったようだ。

「王が半分になれば、システムの維持は難しいかもしれないな」

 かつて玉髄はそう言っていた。玉髄はおそらくは自分が死んだ後にそうなることを望んでいたのだろう。それは結果的に実現しなかった。けれど数が問題なのなら、今からこの男を殺したらそれは実現するはずだ。

 

「――自分が真面目な王だったことを、あの世で後悔するんだな」



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遠い願い

琥珀は玉髄が死んだときのことを思い出していた。王になることを選んだ本当の理由と願い。そして確信した黒幕の正体とは。


 悧国に遺伝子操作児を主に集めた施設を作ったのは玉髄だったが、それが当時の玉髄の側近たちや近衛兵たちから疎まれていることを琥珀は知っていた。今のところはどうやっても助けられず、二十歳程で全員が死んでしまう。育てたところで何にもならない人たちを保護する施設など金を食うだけ。金ならもっと役に立つことに使うべきだというのがその意見だった。自分たちが死ぬことなど全員が理解していて、夢を抱くことも出来ず、けれどささやかな幸せを糧に生きていた。その生すら否定される世界。けれど玉髄という大きな壁に守られていた。

 けれどそれがなくなってしまったら、誰が彼女たちを守るのだろうか。玉髄が死んだということを理解したとき、琥珀が最初に思ったのはそのことだった。育ての親に対する情よりも、自分がおかれている最悪な状況よりも、後ろ盾がなくなってしまったことを不安に思っていた。

 ここにもし天青がいたら、天青だけは琥珀の大切なものを最後まで見捨てずにいてくれるかもしれなかったのに。不安と絶望を憎悪に変換してでも、誰もやらないのなら自分がやるしかないのだと琥珀は思った。

「あなたは玉髄様と血が繋がってないでしょう。血が合わなければHertz-Maschineを使うことは出来ませんよ」

 玉髄の側近だった男がもっともなことを言う。それどころか玉髄の側近たちや近衛兵は最初に玉髄の死体を発見した琥珀を疑っていた。けれど医師が導き出した死亡推定時刻には、琥珀は玉髄を殺すことが出来なかったという鉄壁の不在証明(アリバイ)があった。そのとき琥珀は近衛兵に混じって訓練を受けていたのだ。琥珀に疑いの目を向けていたはずの近衛兵が結果的に琥珀の潔白を証明する形になり、彼らは一様に苦々しい顔をしていた。彼らにしてみれば、次の王の資格を持つ天青が国を出たのに琥珀の方が残っていたという事実が元々気に入らなかっただけだったのだ。

「――そうですね。Hertz-Maschineを動かせない人間に王の資格はありません。けれど稀に、5%以下の確率ですが、王の血筋でないものが動かせることもあります。霜国のように王のない国になりたくないのであれば、試してみる価値はあるかもしれませんね」

 琥珀と側近たちの会話に割って入ったのは、時計の頭をした妙な男だった。話をしたことはなかったが、姿を見たことはあったし、それがどんな存在であるかも琥珀は知っていた。四つの国の戦争を仕切る興行主(プロモーター)の一人だ。そして興行主は国の維持には協力的だ。戦争が維持できなくなれば彼らの仕事もなくなってしまうからだ。

「……試してみて、仮に適合したらどうするの?」

「その場合はあなたが王になるのが一番いいでしょうね」

 玉髄の側近たちはどうせ適合するわけがないと琥珀を嘲笑う。けれど遺伝子操作児が生きられる確率はそれよりも更に低い。限りなくゼロに近いのだ。それは地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸のような希望のように思えた。自分が王になれば、あの施設を邪魔に思う人たちを黙らせることができるかもしれない。少なくとも不満を持ちながらも手を出せないという、玉髄が生きていたときと同じような状況にはできる。

「俺たちは玉髄様だからこれまで仕えてきた。仮にお前が王になったとしても俺たちはお前には仕えない」

 この人たちは本当に玉髄のことを大切に思っていたのだろうか。そうだったとしたらその死体が入った棺を目の前にしてよくそんな話が出来るものだ。結局はそこにいれば安全だから、死ななくて済むから従っていただけではないのか。

「玉髄を殺したのが誰なのか、まだ誰にもわかっていない。だったらあんたたちだって犯人の可能性はあるわけだけど」

 笑みを浮かべ、嘲るように琥珀は言う。

 

「――誰があんたたちの手なんて借りるか」

 

 琥珀は呆気にとられる側近たちを残して時計男と共に部屋を出て行った。Hertz-Maschineに適合するかどうかは賭けだ。けれどそれ以上に気になっていることがあった。

「……もし戦争に勝つことができたら、塔に行くことが出来るって噂を聞いたことがあるんだけど、それは本当なの?」

「報酬はそれぞれ違いますが、王が望むことで、それが実現不可能なことでなければ実現できる場合はあります」

 それは近衛兵の訓練に混じっていたときに聞いた話だった。戦争に勝利すれば近衛兵にも恩恵がある。近衛兵たちはそれを希望にして戦いに挑んでいた。彼らは遺伝子操作児ではなかったから塔の生活よりも今の生活をもっと良くすることを望んでいたようだったが。

「願いは本当にそれでいいんですか?」

「勝手に遺伝子を弄られて、それで適合しなかったからって死ななければならないのは理不尽だと思う。――っていうのは建前で、私にとっては大切な人たちだから、生きていてほしい」

 自分が強くなって、発言権を得られればと思っていたこともあった。近衛兵に混じって訓練していたのも、いずれは近衛兵に入ることを望んでいたからだった。けれど玉髄がいなくなった今、そんな悠長なことは言えなくなった。時計男は琥珀の言葉を聞いて、微かに笑ったように見えた。

「どちらにしろ、王になれなければ絵に描いた餅です」

「わかってる」

 その賭けに勝つことが出来れば、少しは希望を手にすることが出来るかもしれないと思っていた。けれどそもそもの前提から何もかもが間違っていたことを、そのときの琥珀は知らなかったのだ。

 

 

 目を開けると、見知らぬ車に乗せられていた。隣には〈砂漠の薔薇〉が足を組んで悠然と座っている。

「あら、目が覚めたのね」

「……何のつもり」

「言ったでしょう。一応はお礼よ。でもあなたに聞きたいこともある」

「礼はいらないし、何を聞かれても答えるつもりはない。ここで降ろして」

「やめといた方がいいわよ。もう塔の中に入っちゃったから。今外に出たら警報が鳴って大変なことになっちゃうから」

 塔の中、という言葉に琥珀は目を見開いた。窓の外を見ていると確かにこれまで見たことのない景色が広がっている。寝静まった静かな街。塔の外とは違って全てが整然と整えられているようだった。街路樹も等間隔に植えられていて、見たことのない緑豊かな世界を作り出している。

「でも私の家でもシステムを誤魔化せるのは一日もないくらい。それでどれだけ効果があるかはわからないけどね」

「……クソ兄貴から聞いたのか」

「まあ天青くんに確かめはしたけれど、その前に自分で気付いたのよ。天青くんと戦ったときに発作が出ていたでしょう? 私は歌を歌うから、呼吸がおかしい人は見ていればわかるわ」

「こんなことしてくれなくてもよかったのに」

「ジプサムを助けるときに、あなたがいたおかげであの蝶に邪魔されずに逃げられたのは事実だわ。そのお礼だと思ってもらえれば」

 琥珀は溜息を吐く。攻撃の意思がないのはわかる。ここで土地勘のない塔の中に飛び出してしまうよりはこのまま車に乗せられていた方が安全なのだろう。それでも、思うところはあった。

「――私だけ助かっても意味がない」

「他の子たちもあなたと同じだったわね、確か。でもさすがにあの人数は無理ね」

「それはわかる。けど、だったら私じゃなくて」

「王を失ったら、あの子たちは本当に行くところがなくなるんじゃない?」

 琥珀は唇を噛んだ。実際そうだろう。玉髄が死んだときに、今の近衛兵の彼女たちを守ろうと言っていた人は一人もいなかった。誰もいなかったから、王になってでも運命を捻じ曲げるしかなかったのだ。

「どっちにしろ来てしまったんだから諦めてちょうだい。さすがに何度も塔外の人間を連れて往復する危険は冒せないわ」

 琥珀は諦めたように身体の力を抜いた。何度もHertz-Maschineを使った影響なのか、その前に確信してしまったことのせいなのか、実際のところは酷く疲れていたのだ。何も出来ないのなら少しは身体を休めた方がいい、と軍医の蒼鉛ならば言うのだろう。

「聞きたいことはいろいろあるのだけど……まずは、あのオークションのとき、あなたは誰にあの蝶のことを聞いたのかしら?」

 そこから考えたときに、点と点が結ばれ始めた。そのきっかけが天青の言葉だったのは癪だが。でも本当のことを、この女を信用して言ってしまっていいのか。琥珀は逡巡する。けれど言ったところで問題のない相手であることに、その直後に気が付いた。

「戦争の興行主(プロモーター)――時計の頭をしていて、興行主の中ではそれなり偉い方の人。それ以外のことは知らない」

「それだけわかっただけでも十分よ。さっき、あなたはその人に会いに行ったんでしょう?」

 琥珀は頷いた。時計男に会いたいと連絡を取って、指定された場所に向かったところであの蝶の襲撃を受けた。それでその正体に薄々だが気付くことが出来た。あの蝶はHertz-Maschineを使って召喚されたものだ。以前、天青たちと戦ったときに天青が召喚した狼と同じ類のものだ。だからこそ王は動き出したプログラムを強制的に止めることが出来るし、それでは戦いにならなくなるから、その方法を戦場で使うことは禁止されているのだ。

「梓国王には一度だけ会ったことがあるから、それ以外――となると、もう號国王しかいない」

「さすがに大物ね。いや、王は全員大物なんだけれど」

 琥珀は何も答えずに、静かで整った街を眺めた。望んでも決して手に入れられない塔の中の豊かな生活。勝手な理由で理不尽に死を突きつけられる世界とは違う、穏やかな日々がそこには広がっているように思えた。



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マカロン

〈砂漠の薔薇〉に塔の中に連れて行かれた琥珀。二人は互いが持つ情報を交換しあう。


「とりあえずおやつでも食べる? もらい物だけどマカロンがあるのよ」

 想像していたよりは簡素な外観の家に到着すると、落ち着いた色調で統一された家具が配置された居間に通された。身体を柔らかくもしっかり支えるソファに座らされ、どうすればいいのかと戸惑う琥珀に、〈砂漠の薔薇〉は家に友人が遊びに来たときのような調子で話しかける。

「……別に、いらないけど」

「私が食べたいから準備するわ。えーと、あと紅茶か珈琲ならどっち?」

「……珈琲は飲めない」

「そう。それなら紅茶ね。――ねぇ、ジプサムもちょっと手伝ってくれない?」

 〈砂漠の薔薇〉が奥に向かって声をかけると、薄紫色の髪の少女が現れた。瞳の色も髪と同じ薄紫色だ。この前オークションで売られそうになっていた少女だ。動いているところを見るのは初めてだった。

 落ち着かないと思いながらも暫く待っていると、ジプサムがティーセットとマカロンを運んできて、琥珀の目の前のテーブルに無言でそれを置いた。そして一礼するとそのまま奥に戻って行ってしまった。

「あの子、生まれつき喋れないのよ。意思疎通は出来るから気にしないで」

「……こっちにもそういう人がいるんですね」

「あの子も一歩間違えば塔の外に捨てられていたでしょうね。でも遺伝子の変異によって喋れなくなってしまった代わりに、音楽の才能を手に入れた。それがわかったから私が引き取ったのよ」

 それだけ聞くと心優しい女のように思えるが、実際は才能を買っただけだろう。琥珀は軽く手を合わせてから、出されたマカロンに手を伸ばした。

「……思ったのと違う」

「初めてだったのね。ちなみにどんな味だと思っていたの?」

「もっと柔らかいのかと思ってたけど、意外にしっかりしてた」

 塔の外では絶対に食べられないようなものだ。けれど〈砂漠の薔薇〉にとったは、もらい物とはいえ簡単に人に出せるようなものなのだ。マカロンを食べて紅茶を飲み始めたところで、〈砂漠の薔薇〉はおもむろに切り出す。

「ジプサムが塔の外に連れ出されたときも、あの蝶を見たと言っていたわ。あの蝶が五年周期で起きている塔の中の神隠し事件の何らかの関わりがあるのなら、もしかしたら塔外の子供たちを調べたら他にもそんな子がいるのかもしれない」

 琥珀は事情を説明する〈砂漠の薔薇〉の言葉を黙って聞いていた。塔の中で起きている神隠し事件。そしてHertz-Maschineから召喚された黒い蝶。それが繋がっているのだとすれば、何らかの意図があって事件を起こしているということになる。

「ジプサムは、塔の人間として適格とは言えない。あの蝶はもしかしたら、塔の人間を選別するシステムのようなものかもしれないと思うのよ」

「……でも、王が塔の人間をそうやって選別する意味がわからない。自分の国だったらまだしも」

 言ってしまえば、関係のない世界だ。そんなことをして何か利益があるとは思えない。

「そうなのよ。やっぱりそこで躓くのよね、この説」

「その話を他の人にしたことは?」

「あなたが初めてよ。そもそもHertz-Maschineを使っているから相手は王の中の誰かだっていうのも知ったばっかりなのだから」

 選別でないとしたら他に何の意味があるのだろうか。考えてみても、納得できるような説明は琥珀には思いつかなかった。

「……王が本当はどんな役割を持ってるのか、私は知らない。でも……兄さんは、多分それを知ってる。それがわかればもしかしたら號国王(あいつ)の狙いもわかるのかも」

「随分協力的に話してくれるわね。本当はもっと突っぱねられることを予想していたのだけど」

 答えるつもりは確かになかった。〈砂漠の薔薇〉は琥珀とは違う世界で生きる人間だ。けれど彼女は彼女なりに、それは利用価値があるという理由に過ぎないとしても、自分の大切なものを理不尽に奪われかけたことに憤っているのは感じられた。理解できない彼女のことも、その一点においては自分と同じだと感じる。だからこと言えることは全て言ったのだ。進展らしい進展はなかったけれど。

號国王(あいつ)は多分、あの子があなたの大切な存在だということは知らなかっただろうし、あのオークションの会場に兄さんが来てることにも気付いていなかった。そして私には――正しい対処法は教えてくれなかった」

 一瞬で終わらせる方法を知っていたのに、それを言わなかったのは、長引くことを望んでいたからだろう。戦闘が長引けば戦える状態でなくなることも、琥珀の身体が今どんな状態であるかも、あの男は全て知っていたのだ。

「そう考えるとあの蝶が標的を兄さんに変えたことも説明がつく。対処法を知られる前に始末すれば、目的は達成できると考えた。けれど、慌てて標的を変えたからタイミングが上手くいかなかった」

「一理あるわね。いずれにしても――あなたも私も、本当のことを知る必要があるわ」

 琥珀は頷く。王の本当の役割とは何なのか。それがわかれば散らばった破片は一つに繋がるだろう。



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不定形

玉髄を殺した男に向かって放たれた銃弾は、しかし男には届かなかった。男は世界を味方につけて余裕の態度を示す。


「甘いですねえ。そう簡単に私は殺せませんよ」

 狙いは正しかった。引き金を引いたときに成功したという感覚はあった。けれど男に届く前にその銃弾は水の壁に阻まれてしまったのだ。 Herz-Maschineを自在に使える人間ならばそれくらいの操作はできる。そこに思い至らなかったのは天青の失態だ。

「それに、私を潰すことはおそらく世界が許しませんよ」

「世界に背いててでも、俺はお前を殺す」

「なら、試してみますか? Hertz-Maschineがどちらの味方をするか。結果は見えていると思いますがね」

 王として正しいのがどちらなのかはわかっている。世界のシステムを動かす人間と、ただ私情で動いた人間、選ばれるのかどちらかなんて、火を見るよりも明らかなのだ。

「お前の意志はないのか? だったらお前はHertz-Maschineの奴隷でしかない」

「それが王というものでしょう?」

「少なくとも、お前と琥珀のどっちが王にふさわしいかと聞かれれば、俺は琥珀の方だと答える」

 欺かれていた結果とはいえ、ほとんど孤立無援の中で守るべきもののために自ら剣を取る。安全なところから、世界に守られながら人を欺く人間よりもよほどその下につきたいと思う。

「それで彼女のことを本当に思っているつもりですか?」

 嘲るように男が笑う。そして体勢をゆっくりと整えながら話し始めた。天青が国を離れてからの数年間で起きた出来事を。そしてそれを受けて琥珀が選ぼうとしていた道を。

「そもそもは玉髄が変に遺伝子操作児に同情なんかするからこんなことになったのですがね」

「本当は捨て置かなければならない存在――」

 その理不尽な運命に同情なんてすれば王の役目は務まらない。それなのに保護する施設まで作ってしまった。仕事で忙しいときに琥珀を預けるのにちょうどいい場所にもなっていたようだが、それが琥珀に仲間を作ることにも繋がった。そもそも出会うことすらなければ、彼女たちを守るために琥珀が戦うことすらなかったのは事実かもしれない。

「私としてはちょうどいい展開になりましたけどね。……Hertz-Maschineは使用者の呼吸器に負担をかける。同時にその周りにいる人間にも害になる。特に遺伝子操作児には効果覿面でしょう」

「そんなに殺したいなら、お前がその手でやればよかった。それなのに――」

「Hertz-Maschineに適合するかどうかを試すことを決めたのは彼女自身ですよ」

 望んでいることと真逆の結果を琥珀自身が引き出してしまう現状に、天青は何も言うことができなかった。真実を知ったときにどれだけ傷つき、どれだけ自分を責めてしまうだろうか。だからこそおそらくは琥珀がその道を選ぶように誘導したであろうこの男が許せなかった。

「……よくそんなことを平気な顔で言えるな」

 天青がHertz-Maschineを操作するのと、男が操作するのはほとんど同時だった。雨が降り始めると同時に、その一部が刃となって男を目指す。逃れることはできない全方位からの攻撃。先程のような手段で防ぐのは難しい――はずだった。

「王が姿を見せるのは悪手だと言っているでしょう?」

 男の姿が弾ける。天青の目には男が忽然と姿を消したように見えた。けれどすぐに足元に溜まった水が男の姿を作り出す。水を使った分身――手が込んでいることだ。おそらくずっとその状態で活動していたのだろう。興行主としても生身で動いてはいないのかもしれない。

 自分よりも明らかにHertz-Maschineを使いこなしている。天青も流石に人間と寸分違わない分身を作ることはできなかった。王としての実力に開きがある。けれどそれ以上に、安全圏から攻撃することしかできないこの男に腹が立った。

「――どこまで人を虚仮にすれば気が済むんだ」

「私を本気で殺すつもりなら、せめて同じ土俵に上がっていただかないと」

「同じ土俵?」

「気に入らないんですよねえ、王でもないのにHertz-Maschineを使える人っていうのは。それもあの子が面倒くさがってあなたのデータを消さなかったから使えているわけだし」

 実際本当にただ面倒だったのかはわからない。琥珀には案外そういう一面もあるから、別に消す必要がないと判断したなら、わざわざやる必要はないと言いそうではある。そのおかげで今でもHertz-Maschineを使えるのは事実だ。けれど本体は安全なところにいながら全てを操作しているつもりの人間に、同じ土俵に上がれと言われる筋合いはなかった。

「幸いにも、席は一つ空いているんですよ」

「俺は王になるつもりはない」

「そのようですね。しかしいずれ避けられない運命として、あなたは王にならざるを得ない。王の血筋というものはそういうものです。逃れられはしないのですよ」

 そう言い残し、男は姿を消した。そもそも本体ですらなかったのだから追いかけるのは無駄だ。それよりは本体がどこにいるのかを突き止めた方がいい。

 天青は苛立ちに任せて近くの壁を殴った。その相手は沢山いる。あの男にも、あんな男にあっさり殺された玉髄にも、あの男の言葉を少しでも信じてしまった琥珀にも、そして分身に弄ばれた自分自身にも。灰色のコンクリートの壁は、自分は何も関係がないという顔をして、ただ冷たい硬さを天青の拳に返した。



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王の遺伝子
燎原の火


琥珀は號国との戦いを望むがそれは叶わない。そんな中戦うことになったのは、霜国王になろうと欲する武装集団だった。


 塔から戻ってきてからは、立て続けに戦闘の予定が入っていた。一日だけだったとはいえ塔の中にいた影響なのか、薬を飲まずとも発作が起きることはなく、手の怪我も治りつつあった。体調だけでいえば順調ではあった。けれど解決していないいくつもの問題が心を塞いでいた。

 あれから何度も號国との戦闘を望んでいるが、それが興行主側に聞き入れられることはなかった。そちらに敵――號国王が紛れ込んでいるのだから仕方ないとは言える。琥珀が何かに気がついたことは既に察しているのだろう。出てこなければ問い詰めることもできないというのに。

 戦闘服に着替える琥珀に話しかける人は誰もいなかった。琥珀の気が立っていることを誰もが察知しているのだろう。漆黒の生地に赤い刺繍がされた、袖口が広がった上着を羽織る。琥珀は肩の飾りから垂れ下がる小さな房を手で弄びながら時間が来るのを待っていた。

 今日の相手は霜国を拠点とする集団だと聞いている。霜国には王がいないため、乱立する様々な団体が、自分たちこそが他国に勝利して国を治めるのだと意気込んで戦いを挑んでくる。中には手応えのある人たちもいるが、基本的にはそれほど強くはない。同じ霜国の傭兵集団なら、天青たちの方がよほど強いが、彼らが戦争の舞台に出てくることはほとんどない。記録では號国からの依頼で琥珀たちと戦った一回だけだ。

 思えばそれもあの男に仕組まれたことだったのだろう。琥珀と天青のどちらかが死ぬことを狙っていたのか、それとも琥珀がHertz-Maschineを使わざるを得ない状況に追い込みたかったのか。いずれにしても今までは全てあの男の掌の上だったと言わざるを得ない。琥珀は深く溜息を吐いた。

 今日はそれとは関係のない、純粋に自分達が成り上がりたいだけの相手との対戦だ。時間をかけずに終わらせる。琥珀は地球儀の頭の興行主に促され、立ち上がった。

 

 やろうと思えば一瞬で勝負はつくだろう。相手を見たときに琥珀が始めに思ったのはそれだった。三十人程の人間がいるというのに隙が多すぎる。その首を落とすまでの道筋が簡単に描けてしまう。けれど弱い相手というのはとんでもない戦い方をすることも多いので油断はできない。違反行為であっても、それで死んだ人の命は帰らない。それで自分が死んでしまえばこの戦いは負けになるのだから。

 戦いの始まりの合図が鳴る。どんな攻撃を仕掛けてくるのか。琥珀たちは身構えながらも相手の出方を窺う。

 次の瞬間、違和感に気が付いた琥珀は目を瞠った。男たちは統制の取れない動きで琥珀たちに向かってくる。このまま乱戦に持ち込もうとしている相手なら簡単に倒せる。けれど彼らの狙いは別にあることに気がついた。Hertz-Maschineの端末に触れながら琥珀は叫ぶ。

「――みんな逃げて!」

 玉髄が話していたのを聞いたことがある。かつての霜国軍が多用していたが、禁止された技。自分自身の体を爆弾にして敵に突っ込む特攻。それはあまりに人道的でないと禁止され、結果的に霜国を王のない国にする一因となった。

 悧国軍の陣営に飛び込んでくる前に、Hertz-Maschineの力で向かってくる男たちを吹き飛ばす。直後に刀で空中を薙ぎ払えば、吹き飛んで地面に転がった男たちを嘗めるように炎が広がっていく。これだけで戦闘不能と判断されて戦闘は終わるだろう。しかし琥珀は更に炎の出力を上げた。

「琥珀……」

 呆然と呟いた声が誰のものなのかはわからなかった。その後にはどんな言葉が続くのだろう。これまでとは違う戦い方をしたのは事実だ。殺す人間は最小限にとどめてきた。一番上の人間さえ殺してしまえば戦闘は終わるのだから。けれど今の琥珀は向かってきた男たち全ての命を葬り去った。しかもHertz-Maschineを使い、誰一人としてその体に触れることなく。

 戦闘終了の合図が鳴っても消えずに広がる炎を琥珀はぼんやりと見つめていた。どうしてそうしたのかと聞かれたら、それが最善だと思ったからだ。全員が自爆技を使おうとしていたのなら、全員を倒さなければこちらに被害が出る。実際に悧国軍には全く被害はなかった。選んだ手段は正しかったはずだ。けれどそのせいで何か大切なものの螺子が外れてしまったような、そんな感覚に襲われていた。

「――消火をしますので、離れてもらえますか」

 戦いは終わった。これからは興行主が用意した人たちが戦場の後始末をする。広がる火を消し、その死体を処理する。それが始まる前に戦場を後にするというのが規則だ。

「何のつもりなの」

 しかし琥珀はその場から動かずに、興行主の男――時計男に尋ねる。

「こちらはただこの戦闘の組み合わせを決めただけですよ。自爆技を使うかどうかなんて私たちが知るはずもない」

 仕組まれたという証拠はない。けれどおかしなところはあった。あの男たちの中には作戦を指揮しているように見える人はいなかった。ただ闇雲に全員が向かってきたのだ。戦いに慣れておらず、そういう無鉄砲なやり方をする人たちも確かにいる。けれど今回の相手は勝利を収めて王位をものにしようとする人たちだったはずだ。自爆技で勝ったとしても誰も生き残らないのなら何の意味もない。誰か他に指示していた人間がいるような、そんな気がしていた。

「どちらにしろ彼らは戦いの規律を乱した。けれど死んでしまっているのでそれを裁くことも出来ませんね」

「……誰かがあの人たちに自爆技を使うように支持してたのなら、私はその人を許さない」

「今更正義面ですか? もう何人も殺しておいて」

 琥珀は拳を握り締めた。正義面などするつもりはない。彼らが普通に勝負を挑んできたとしても、おそらくその中の一人は確実に自分の手で殺しただろう。許せなかったのは、誰かの支持した自爆技が、もしかしたら仲間たちの命を奪ったかもしれないからだ。

「――でも王としてのあなたは正しいことをした。Hertz-Maschineも喜びますよ」

「機械に喜ばれても何も嬉しくはない」

 琥珀は時計男に背を向けた。この男が先程の戦闘を仕掛けたという証拠はない。ここで言葉を交わしていても追い詰められはしないだろう。けれど琥珀の背中に投げかけられた男の言葉に、琥珀は思わず足を止めた。

 

「けれどあなたには王になる素質がある。才能と言ってもいいかもしれませんね。――これからの戦いにも期待していますよ」

 

 琥珀は含みのあるその言葉の意味を完全に理解することはできなかった。けれど自分の中にある、自分ではどうしようもない何かの存在を、確かに感じ始めていた。



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霜国にて

琥珀が霜国の武装集団を全滅させたことで、霜国は更なる混乱に包まれていく。


「どこもかしこもこの前の話で持ちきりじゃん」

「この国の人暇なんじゃない?」

 先日、霜国の青年たちが悧国軍と戦闘したときの話は瞬く間に霜国中に広がっていた。どこかに食事に行って帰ってきたらしい雄黄や青虎が店で聞いた噂の話をしている。

「天青ってあの技使えるの?」

 青虎がソファーに腰掛けながら天青に尋ねる。

「自爆技なら無理だけど」

「いや、そっちじゃないから」

「そっちでないなら、使えるには使えるけど」

 広範囲の人間を衝撃波で吹き飛ばし、そのあとで一帯を燃やすだけなら、不可能ではないだろう。けれど琥珀は最後にもう一段階炎の出力を上げた。自分がそれをするかと聞かれれば、答えは否だ。

「炎の威力はあんなに強くなくても、自爆技使おうとしてたんなら多分引火して普通に死んじゃったよね」

「そうだな」

「何で出力上げたんだろうね」

「さあな」

 自爆技を使おうとした向こうの方が当然悪いのだが、相手が戦闘不能になっても手を止めなかったどころか、さらに出力を上げた琥珀の残虐さについても噂になっているようだった。

「まあこれであの国にちょっかいかけようって人は減るかもしれないけどね」

 青虎が言う。霜国の人間が王位を目指して他国と戦おうとしたときに、一番やりやすいのが悧国だ。梓国は幻術への対策が難しく、號国は一番の大国だ。戦闘のスタイルは比較的単純で、しかも王が琥珀のような少女に代わったばかりということで、更に狙いやすいと感じている人たちは少なくはないだろう。

「普通におっかないもん」

「これまでも結構そうだったと思うんだが」

 初陣では、いくら相手に侮られていたとはいえ、あっという間に敵軍の将の首を飛ばした。まともな人間ならそんな人に勝負を挑もうとは思わないだろう。

「でもこれまでは一人だったからね。今回……三十人くらいだっけ」

「その人数でやることが自爆技ってのもなかなかだと思うけどな。それに琥珀以外はあの段階では自爆技に気が付いてなかったし」

「やっぱ飛び抜けて強いよね。普通の近衛兵だったら浮いちゃうかも、あれは」

 近衛兵のそれぞれが弱いわけではない。玉髄が組織していた勝手の近衛兵と戦っても勝てるくらいには訓練されているだろう。けれど琥珀はその中でも群を抜いて強いというのは確かだった。そして自爆技を発動前に見抜く洞察力もある。

 玉髄が生きている世の中で、琥珀が希望していた通りに近衛兵入りを果たせていたとしても、おそらくはその飛び抜けた強さが逆に枷になっていただろう。だからといって何も知らずに王になったことが幸福とも思えない。

「ていうか俺は対処できる気しないわ、あれ」

「あれは決まった手順を踏んで発動させる技だから、それを覚えておくといい」

 玉髄はもしものときに備えて近衛兵にもそれを教えていたから、琥珀も訓練に混じっていたときにそれを聞いていたのかもしれない。知っていたところで防ぎきれるものではないから禁止されたというのもまた事実ではあるのだが。

「でも外に行けなくなった分、中で色々ありそうだね」

「別に強くなるだけで王になれるわけじゃないんだけどな」

 一番強い人間が王である、という決め方で出来るのならそれほどわかりやすいことはなかった。けれど本来王を決めるのは血筋だ。それを捻じ曲げた王が一人いるだけで、本当はそちらの方が異常な事態なのだ。

「でもさぁ、王が天青の言う通りシステムだって言うなら、絶対四人用意しそうじゃない?」

 青虎が言う。仲間たちにも全てを教えたわけではないが、支障がない範囲でこの世界に隠されている嘘について話をしてはいる。

「四つの椅子が常に埋まるように、適合者がいなかったら他の人を入れたりとか。ありそうじゃない?」

「悧国の場合はそれで説明できるけど、この国は結局誰も王になれなかったからこの状態なんだろ」

「シンデレラみたいに国中の人間に試したわけじゃないじゃん」

 シンデレラもおそらく女しか試さなかったと思う。それにこんな世界の王になるためのガラスの靴なんて履く前に突き返した方がいい。

「登録されている人間の数だけでいったら今すでに四人なんだよね」

「……俺を数に入れるな」

 王になるつもりはないのだ。けれど必ず生きている人間が四人以上登録されている状態を維持している、という仮説は一理ある。王の血筋でないものが適合する確率は5%を下回っているらしいが、逆に言えばその数字を割り出せるほどにその血筋でないものが適合した例はあるのだ。王の数が四を下回ったときに限り、その5%未満に入る人間から補充している――と考えることは確かにできる。

「あの機械のことは俺もよくわからない」

「携帯端末のことだって完全にわかってるわけでもないのにみんな使ってるからね。そんなもんなのかもね」

 そのときはどこか他人事のようにその話を聞いていた。王の椅子は自分から捨てたのだし、今の霜国から琥珀のように王になれる人間が出てくるならそれはそれでそういうものなのだろうと思っていた。

 けれど数日後、これは決して他人事ではないことを知ることになった。

 

 

「今流行りのバトルロワイヤルってやつか」

「流行ってるんですか、それ」

「もしくは蠱毒かな」

 菫青(きんせい)と軽口を叩きつつも手に武器を持ちこちらに向かってくる男たちと相対する。相手はそれほど強くない。向かい合っていればわかる。始まれば数分でカタがつくような相手だ。

 相手が動き始めた瞬間に血の気の多いメンバーがあっという間に男たちを組み伏せる。数分どころか数秒だ。けれど床に倒れた男の一人が少しだけ顔を上げて、真っ直ぐに天青を見た。僅かに開いた口の中に小さな銃口が見える。その狙いに気付いた藍晶が男の頭を踏みつけた。

「……仕込み銃とはご丁寧に」

「でもこの仕込み銃、狙い定めるの難しいやつじゃない?」

 基本的に仕込み銃の類は狙いを定めるのが難しい。手首や口の中に隠すものはその中でも特に難しいので、もっと相手に近付いて使うものなのだ。

「――端末をどうにかしても意味はないんだけどな」

 おそらくは天青の持つHertz-Maschineの端末を狙っていたのだろう。琥珀たちとの戦闘のときに使ったから、そのときの映像でも見ていればどれが端末なのか知られていてもおかしくはない。

 Hertz-Maschineの端末、基本的にはその人間に一番合う形のものが勝手に作られる。琥珀は左手首につけているが、天青はピアスの形をしていたのでそれを左耳につけていた。

「しかもこれ一度つけると普通には外せないからな」

 無理矢理に壊してしまうという方法もないわけではないが、普通には壊せない素材でできているという話もある。これを普通に外すには他の王の力が必要になるのだ。琥珀が悧国のデータ領域に残された天青の情報を消していれば外すこともできたのだろうが、今のところ消されてはいないから外すことはできない。

「このあとも来るかなぁ、こういうの」

「霜国の中で争って一番強いやつがのしあがるってことになってんなら、まだ来るんじゃないかな。でも大体は雑魚でしょ」

 そんな話をしている藍晶や青虎を尻目に、天青は天井を見上げた。そうでなくても抗争やら何やらで溢れた世界だ。今更嘆くことはない。引っかかっているのはこの前あの男に言われた言葉だ。

 

「いずれ避けられない運命として王にならざるを得ない」――。

 

 あの男のことだから出任せを言った可能性もある。けれどそんな簡単には片付けられないほどに、その言葉が頭にずっとこびりついていた。



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衣装係

琥珀のもとに、戦闘で汚れた服を洗ってきた鉛華が訪れる。


「琥珀、入るよ?」

 鉛華(えんか)がノックをしてから琥珀の部屋のドアを開ける。手には真っ白な布の包みを持っていた。

「一応できる限り頑張ったんだけど、これ以上やると生地の方が傷んじゃうんだよね」

 鉛華は白い布の上にその中身を広げ始める。そこには琥珀が普段戦闘のときに着ている衣装が数着あった。戦闘のときにどうしても汚れてしまうので、終わるとすぐに洗ってもらっているのだが、その担当が鉛華だった。

「この辺はどうやっても無理だから刺繍増やしてみたんだけどどう思う?」

「いいんじゃない? かっこいい」

「そう? よかった」

 鉛華の仕事は衣装を洗うだけではなく、そのデザインを決めて、それぞれのサイズに合わせて作るところまで含まれている。それでいて戦闘にも出ることがあるので、流石に激務だと思うが、鉛華曰く衣装関連の方はどちらかというと趣味らしい。琥珀も鉛華の作る服がなければ黒い服ばかり着てしまうので、鉛華の作る彩りを密かに楽しみにしているところはある。

「でもよくここまで落ちるね」

「そう思ってるならあんまり汚さないでほしいなぁ」

「それはまあ……ごめん」

「うそうそ、冗談だよ」

 どうしても戦闘の後の衣装は血塗れになる。血液は落としにくい汚れの一つなので、必然的に鉛華の仕事は増えてしまう。とはいえ汚さないように戦うのも難しい。

「私は私の服着て戦う琥珀を見るのが好きだし。できることなら何でもするから」

 実際に武器を仕込む場所を服に作ってもらうこともあった。そしてそれを着るだけで気持ちが引き締まる。戦うのに服なんて必要ないだろうという人もいるかもしれないが、琥珀にとっては重要だった。

「――あのね、琥珀に聞きたいことがあるんだけど」

 鉛華が真剣な顔で切り出す。大事な話なのだろう。琥珀は鉛華にしっかりと目を合わせた。

「私の勘違いならごめんなんだけど……もしかして、琥珀も燐灰みたいに発作が出てるんじゃないの?」

 琥珀は答えに窮した。燐灰にはもう知られている。けれど彼女はそれを人に言って回るような人ではない。それならどうして鉛華は気が付いたのか。

 けれど真っ直ぐに聞かれてしまった以上、嘘をつくことはできなかった。

「……そうだよ。最近は調子いいけど」

 一日だけ塔の中にいただけでもそれなりに効果はあったらしく、戻ってきてからは一度も発作が出ていない。明らかに泣きそうな顔になる鉛華に、琥珀は静かに微笑みかけた。

「でも、よくわかったね」

「私、ずっと血の汚れを落としてるんだから……そりゃあわかるよ」

「そうか……確かにそれはそうかも。でもどうしてみんなには隠してるの? そもそも私、琥珀は遺伝子操作されてないと思ってたし」

「私も知らなかったんだよ、それに関しては」

 琥珀自身も発作が出るようになってからようやく知ったことだ。違法に遺伝子操作が行われた場合、遺伝子操作児につけられるコードは発行されない。見た目は変わらないから気がつくこともないのだ。

「――他の人には言わないで」

「でも、琥珀……私たちは」

「わかってる。……でもそれが私たち以外の人間に知られてしまったら、多分私は王ではいられなくなる」

 王でいることに拘っているわけではない。けれど、自分が王でなくなったときに、今の近衛兵の後ろ盾がなくなるのは事実だ。しかも、既に一番知られてはならない人間にその事実を知られてしまっている。

「必ずみんなを塔に連れて行くから、それまでは――お願い」

 鉛華は迷っていたようだが、やがて静かに頷いた。

「わかった。でももししんどくなったりしたら言ってね。とはいえ蒼鉛みたいにお医者さんでもないからできることはそんなにないけど」

「そんなことないよ。鉛華の仕事にはいつも助けられてる」

「それならいいんだけど。あともうひとつ聞いてもいい?」

 琥珀は頷く。聞かれることは何となく予想がついた。この前の戦闘のこと。そのことについて聞きたいと思いながらも触れられないと思っている人は多いだろう。

「この前の戦闘のときのこと、ちゃんと聞いてみたいと思ったんだけど……でもこんなざっくり聞かれても困るよね?」

 どこから言えばいいのかわからなくなるような聞き方だ。けれど琥珀が答えられることは少ない。だからどんな質問が来てもあまり変わりはしないのだ。

「……あんまり覚えてないんだよね」

「気が付いたら終わってた感じ?」

「自爆技に気が付いたところまでは思い出せるんだけど、そこからは何も」

 何故そんなことをしたのかと言われても、覚えていないから答えられない。そのときの自分自身は妙に冷静だった気もするのに、思い出そうとしてもその時の自分があやふやになっている。自分でも分からない何かに突き動かされているようだった。

「うーん、覚えてないなら仕方ないよね」

「――鉛華は、どう思ったの?」

 鉛華の質問よりもさらに曖昧なことを聞いてしまう。けれど琥珀はどうしても聞きたかった。誰にどう思われても構わない。勝てるならそれでいいと思っていた。けれど、仲間が何を思っているのかは気になってしまうのだ。

「……いつもの琥珀とは違うな、とは思ったかな」

「いつもの私……」

「琥珀はなんだかんだですごく優しい子だと思ってるよ。きっとみんなも同じように思ってる。だから少し驚いたかな」

 それなら――もし、あちらの方が本質だったとしたらどうなのだろうか。

 そのことを聞くことはできなかった。鉛華の携帯端末に誰かからの連絡が入ったからだ。

「緑簾が訓練中に服破けちゃったって」

「それ、今月に入って三回目くらいじゃない?」

「緑簾のだけ生地変えようかな、今度」

「そうした方がいいかも。その方が動きやすいだろうし」

 緑簾のところへ向かった鉛華を送り出した後で、琥珀は洗い上がった衣装を手に寝台に横になった。血の汚れは綺麗に消えているし、消えなかったところは刺繍などでうまく誤魔化されている。言わなければそれが一度血で真っ赤に染まった服だとは誰も思わないだろう。けれどそれを抱きしめて顔を近付けると、洗剤や柔軟剤の柔らかな香りに混じって、本当に微かに血の匂いがするような気がした。



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Nightmare

悪夢の中。一番起こって欲しくない未来の景色の中で琥珀が出会ったのは。


 ――あたりは血の海と化していた。

 噎せ返るような鉄の匂い。自分自身の体も血に塗れている。何が起きたのだろうか。ここまでの記憶が全くない。気が付いたらこの状態になっていた。

 ここはどこなのだろう。いつもの、興行主たちによって整えられた戦場でないのはわかる。周りには建物があったらしい。けれどそれは全て瓦礫の山と化している。それなのに相変わらず頭上には空を貫く塔があるのが見えた。

「何が――」

「全部自分でやったくせに」

 誰かの声が聞こえる。少し低い、女の声。けれどその姿は見えなかった。

 その声の主を探そうと一歩を踏み出した琥珀は、その足に折り重なるように誰かの死体が重なっていることに気が付いた。それが誰なのかに気が付いて琥珀は目を瞠る。

「どうして――」

 これまで一緒に戦ってきた近衛兵たち。その未来に抗うためにこれまで戦ってきたはずなのに、どうしてこんなことになっているのだろう。

「何も覚えてないの?」

 姿なき声が問う。記憶をどれだけ遡っても、その欠落を埋める破片すら見つけられない。呆然とその場に立ち尽くす琥珀の前に、顔の半分を隠す狐面をつけた少女が姿を表す。

「――私が殺したって言ったら、どうする?」

 刀の柄にかけた琥珀の手を狐面の少女が掴む。少女の手は、その言葉を証明するように血で濡れていた。問いかけたい言葉は無数にあるのに、それが一度に押し寄せてきて逆に何も出てこない。言葉にならない琥珀の荒い呼吸を聞いた少女は口元に笑みを浮かべる。

「どうして殺したのか、聞きたい?」

 何故なのかと問い糺したい気持ちと、今すぐこの少女を殺してしまいたいという感情がせめぎ合う。何も言えずにいる琥珀に痺れを切らしたのか、それとも答えなど聞くつもりはなかったのか、少女は言葉を続ける。

 

「――私は、そういうものだから」

 

 少女はそう言って、静かに狐面を外す。その顔を見て琥珀は言葉を失った。目の前にあるのは自分自身の顔だった。琥珀の姿をした少女は、微笑みながら琥珀の頬に手を伸ばす。琥珀の白い肌に赤黒い線を描きながら少女は更に言う。

「あなたは私で、私はあなた。――これはあなたの未来」

「違う! 私は――」

「望まない結果だとしても、仕方ないんだよ。私はそういうものだから」

「そういうものって何? 私はあなたとは違う……!」

 琥珀は刀を抜いて少女の首筋に突き付けた。けれど少女は皮膚が切れ、血が首筋から鎖骨を伝って流れて行っても怯む様子はない。

「同じだよ。あなたがまだそれに気付いていないだけ」

「同じはずがない! だって私は……!」

「大切な仲間なんて関係ないんだよ。だって王様っていうのは人を殺すための装置なんだから」

「人を殺すための装置……」

「それにふさわしい血を持った人だけが王様になれる。けれどその血筋になくても、それにふさわしい人間が生まれることがある。だからあなたはHertz-Maschineに選ばれた」

 少女の言葉は、琥珀には理解し難いものだった。意味はわかる。けれどそれを理解することを脳が拒んでいた。

「そのうちあなたにもわかる日が来る。私たちは誰よりも王様に向いていたんだって。そういう風に作られたものなんだって」

「私は……っ!」

 少女に言い返そうとした琥珀の言葉は、少女の唇によって塞がれた。頭の芯が痺れるほどの、どこか甘くさえ感じる血の匂いとその味。舌を絡め取られた瞬間に体から力が抜け、琥珀は握っていた刀を取り落とした。血で汚れた少女の手が琥珀の耳を覆い、音が頭蓋の中で反響する。けれど僅かに残った冷静さで、琥珀は少女を突き飛ばし、手の甲で自らの唇を拭った。

「……何のつもり」

「もっと自分に素直になればいいのに」

「私は自分に嘘なんてついてない」

 琥珀は地面に落ちた刀を拾い上げる。そこには先程までは確かになかったはずの血の汚れがついていた。

「今はそうかもね。でもいずれ、あなたはあなたの本性に抗えなくなる」

 琥珀の姿をした少女が笑う。琥珀は衝動的に一歩を踏み込み、少女を袈裟懸けに斬りつけたところで――現実の世界に引き戻された。

 

「……夢、か」

 気が付けば身体中に汗をかいていた。着替えた方がいいと思いつつ体を起こすこともできず、琥珀は天井を見つめる。悪夢だと片付けるには、まだ全ての感覚が生々しく残っていた。

 あの夢はなんだったのだろうか。そう思いながらも、所詮は夢だと琥珀は自分に言い聞かせる。現実ではないものに心を動かされているような余裕はないのだ。

 少しずつ体が動かせるようになってきたので、着替えだけしてもう一度寝ようと、琥珀は上半身を起こす。その瞬間に、目の前の景色に違和感を覚えた。自分しかいない部屋のはずなのに、他の何かの気配を感じる。

「――誰?」

 虚空に向かって問いかける。その音が消える前に、天井から全身黒づくめの小柄な少年が飛び降りてきた。闇に紛れるように黒く塗られた刀身が琥珀の首を狙っている。琥珀は即座に枕元の刀を取り、鞘から抜くと同時に少年を斬りつけた。床に転がった少年が動かないように関節を押さえながら、琥珀は静かに問う。

「私を殺しに来たの?」

 少年が床に落とした武器は、悧国内で広く出回っているものだ。近衛兵の中にも同じものを補助武器として使用している人がいる。最初は他国からの刺客であることを疑ったが、恐らくは違う。体が小さいことが幸いして、侵入から潜伏までは上手くいったようだが、その技術は稚拙としか言いようがない。何よりもこの少年自体からの殺気のようなものは感じなかった。

「誰に言われて来たの?」

「それは言えない」

 普通そう答えるだろう。ここであっさり吐くとも思えない。琥珀は少年の肩に刀を突き刺した。叫ばないように訓練してはいるのだろう。少年は声を上げない。けれどこめかみを汗が伝っていった。

「まあ別に誰でもいいんだけど」

 恨みならいくらでも買っているだろう。いちいち対応していたらキリがない数だ。琥珀が王になったことが単に気に入らないという人間をそこに入れたら、その数を数えるくらいなら他のことをした方が有益だと思えるような状態になるだろう。だから誰が少年を仕向けたかなど知る必要はない。どうせ外に出れば敵だらけなのだ。

 少年の顔に諦念が浮かぶ。このまま逃しても、この少年に琥珀を殺せと命じた人間は、役立たずの少年を殺すだろう。捕まえて尋問して黒幕を吐かせるべきなのはわかる。けれどそんなことをして何になるのだろう。ひとりくらい琥珀を殺そうとする人間が消えたところで、他にも数えきれないほどに同じような人間がいるのだ。

 それなら、いっそ――。

 白と黒、熱と冷が分かれて、景色に靄がかかる。全ての音が遠くに聞こえて、けれど体だけは勝手に動いていた。広がっていく赤色を琥珀はぼんやりと見下ろす。今立っている場所は夢なのか現なのか。

「琥珀!」

 誰かに名前を呼ばれる。慌てた声は燐灰のものだろうか。きっと騒ぎを聞きつけて駆けつけて来たのだろう。

「琥珀……怪我はない?」

 燐灰に肩を支えられる。琥珀は燐灰の質問に頷くことで答えた。靄がかかったような、全てが磨り硝子の向こうで起こっているような、あやふやな現実感の中で、琥珀は呪いのように響く言葉を聞いていた。

 

 ――あなたは私、私はあなた。いずれその意味があなたにもわかる。



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右腕と右腕

緑簾は国外れの自販機に大好物を買いに行く。そこでたまたま会ったのは、同じく悧国に買い物に来ていた藍晶だった。


 緑簾の密かな楽しみは、悧国の外れにある自動販売機で缶詰を買うことだった。高級な缶詰なので頻繁に買えるわけではない。戦闘や何やらで疲れたときのご褒美として買うとっておきだ。

「……未だにこの缶詰買ってるんだ」

 堪えきれない笑みを浮かべながらボタンを押した瞬間に、背後から声が聞こえた。取り出し口に缶詰が落ちる音が響く。緑簾は缶を取り出しながらその声に答えた。

(らん)兄じゃん。何でこんなところにいるの?」

 そこにいたのは藍晶だった。いつもは霜国を拠点にしているから、はるばる悧国まで来ているとは思わなかった。

「ちょっと買い物。ご当地非常食を……」

「あー、確かにこっちでしか手に入らないやつあるもんね。これもそうだけど」

 緑簾は缶詰の蓋を開け、付属のスプーンを使って中のものを食べ始める。中に入っているのは栗かのこだ。この自動販売機は和菓子の自動販売機というここにしかない特別なものなのだ。もちろん他国にそんなものはない。

「ていうか非常食買い足さなきゃいけないくらい大変なの?」

「いや、そろそろ賞味期限切れになりそうらしくて。まあ大変は大変だよ。三日に一度くらい襲撃されてるし」

 霜国が現在、更なる混乱状態に陥っているという話は聞いていた。その原因が自分達にあることはわかっているのだが、栗かのこの前では瑣末な問題だった。

「でも普通に勝てるでしょ、藍兄たちなら」

「負けてたらここにいないって」

「このまま勝ち続けたらいつの間にか藍兄たちしか残らなかったりして」

「それじゃあ俺たち王様になっちゃうじゃん」

「無理ではないんでしょ?」

 天青はそもそも王の血を継いでいる。玉髄とは血がつながっていない琥珀よりもよほど王に近い人間だと緑簾は聞いていた。

「でも天青は王になるつもりはないらしいからね。理由を全部知ってるわけではないんだけど」

 藍晶は天青が国を出るときに一緒に悧国を出て行った。当時から天青の右腕と言われていて、今もそれは変わっていないらしい。

「藍兄も知らないんだ」

「全部は言えないらしいからね。でも天青がやることなら何か理由はあるんだろうし」

 理由を知っているわけではないのに、それでもついていくと決めた。それによって今の自分が持っている地位を全て捨てることに迷いはなかったのだろうか。緑簾は考える。仮に琥珀が天青と同じように国を出ると言ったら自分はどうするだろうか。おそらく、一言目に「なんで?」と聞くだろう。

「そっちはどうなの? まあ相変わらず勝利街道まっしぐらみたいだけど」

「最近強いのと当たってないもん。だいたい琥珀が秒殺だよ」

 琥珀のことは昔から強いとは思っていたが、最近は前よりも強くなっていると感じる。けれどそれに伴う琥珀の変化に戸惑っている近衛兵たちがいるのも事実だ。

「あれだけ相手が雑魚だと琥珀が出なくてもいいんだけど、出なきゃ出ないでなんか結構不評らしいよ」

「天青は『あんな雑魚に王が出て行くなよ』って言ってたけど」

「私もそれに関してはそう思うわ。じゃないと体鈍りそう。それかめっちゃ強いのが来ればいいんだけどな……」

 強い相手と戦うことはそれだけ危険を伴うが、それを乗り越えて勝つことが緑簾は好きだった。幼い頃から戦うことだけは得意だった。それが自分の長所だとも思う。

「あ、そうだ。藍兄このあと暇? 暇だったら久しぶりに手合わせしない?」

「暇ではあるけど。緑簾は何もないの?」

「今日は何も」

 食べ終わった缶詰をゴミ箱に投げ入れる。近くに広い公園があったはずだ。こんな夜にそこいる人間もいないだろう。緑簾は藍晶を引き連れて、暗闇の中の公園を目指した。

 

 昔はよく藍晶と手合わせをした。幼馴染――緑簾が最初に武術を習った道場に藍晶も通っていたという、それだけの偶然から始まる話だ。緑簾は強さを手に入れたかった。単純に強いのはかっこいいと思っていたからだ。藍晶はおそらくは代々王の補佐をしている家の出身だったために幼い頃から鍛えることが決められていたのだろう。

 緑簾は長身揃いの近衛兵の中では比較的小柄な方だ。それゆえの敏捷さを生かした攻撃が多い。双剣を構えて藍晶と向かい合う。藍晶は何も武器を構えてはいない。けれど油断はできない。藍晶が暗器を使うことはわかっているのだ。

 先に仕掛けたのは緑簾だった。地面を強く蹴り、上から藍晶を狙う。けれどこんなわかりやすい攻撃はあっさりと受け止められるだろう。剣を持つ腕を掴まれたので、その瞬間に脚で攻撃を繰り出す。それを避ける動きを利用して、緑簾は掴まれた腕を自由にした。けれど剣が届くところまで距離を詰めようとするとまた捕まるだろう。それなら捕まる前に攻撃を通してしまえばいい。

 一瞬の隙を突いて藍晶の背後に回り、首に剣を突きつける。単なる手合わせだから寸止めだ。けれど同じように緑簾の首にも藍晶の手の中に隠れていた棒状の暗器が突きつけられていた。

「引き分けかぁ」

「でもすごく強くなったよ、緑簾。死ぬかと思ったもん」

「勝ちたかったんだけどなぁ。あれ戦争だったら相討ちだよ」

「でも戦場の方が緑簾はもっと強いんじゃない?」

 近衛兵として戦っているときは実力以上のものが引き出されていると感じる。それは琥珀のそばで戦っているからにほかならないのだろう。

「あとは、今日はいつもより集中できてなかったんじゃない?」

「それ言われちゃうとなぁ……」

「何か悩みでもあるの? ……って緑簾が悩むことなんてひとつか」

 人を悩みの少ない人のように言わないでほしい。けれど藍晶の言うことは当たっている。他の小さな悩み事なら寝て忘れてしまうことも多いけれど、琥珀のことになると話は別だ。しかし今回のことに関しては、緑簾の中ではもう結論は決まっているのだ。

 霜国の武装集団を一人で皆殺しにしてしまったり、自分を暗殺に来た少年を依頼主を聞き出す前に殺してしまったり、最近の琥珀は何かがおかしいと誰もが薄々気が付いている。何を考えているのかわからないとさえ言う人もいた。けれど緑簾は思う。それでも信じられるのは、琥珀が望んでいるものはずっと変わっていないということだ。

「……確かにいつもの琥珀とは違うなって思うこともあるけど、どんな琥珀でも琥珀なわけだし、私のやることは変わらないんだよ」

 冷たいと思われるかもしれないが、過剰に彼女を気にかけるよりは強さを磨いた方がいいと思う。強くなれば守れるものも増えるはずだ。

「だいいち、他人のことなんてどんだけ考えたところでわかりっこないし。言葉で伝えても伝えきれないこともいっぱいあるし……だから本当は悩んでる暇なんてないんだと思うよ」

「わりと緑簾のその考え方好きなんだよね。それでいいと思うし。琥珀ちゃんのことはちょっと心配だけどね。何かあったらうちの王様がめちゃくちゃ動揺するだろうし」

「シスコンじゃん。てか実際のところ、琥珀も結構なブラコンな気がするんだよね私」

 琥珀が聞いたら「何馬鹿なこと言ってんの」と言われそうだ。けれど天青が国を出る前の琥珀を知っている緑簾としては、琥珀は天青のことを憎み切れていないと感じるのだ。

「さて、私もそろそろ帰ろうかな。食後の運動もできたし」

「俺も帰るよ。非常食買うのに何時間かかってんだとか言われたら嫌だし」

「いや、正直ここまで買いに来る段階でどうかと思う」

「緑簾だって缶詰一個のためにわざわざここ来てるのに……」

 自分まだ国を超えてはいないからいいのだ、と言い訳をする。偶然だったとはいえ、ここで藍晶に久しぶりに会えたのは良かったと思う。自分の進むべき道がはっきりと見えてきた。



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光ある限り

時間が命を削っていく。けれど、残された時間がたとえ少ししかなくても、希望を捨てるわけにはいかない。


「――悪いんでしょ、結構」

 どう切り出そうかと迷っている様子の蒼鉛に、燐灰は笑いながら言った。自分の体のことは自分が一番理解している。時間が自分の命を刻一刻と削っていく。その自覚はあった。

「燐灰……」

「いやさすがにわかるって。薬飲む量も回数も増えてきちゃったし、もう息しててもたまにつらいわ、みたいな?」

 軽口を叩く燐灰とは対照的に、蒼鉛の表情は暗かった。

「正直に言うと、数値はかなり悪いね」

「どんくらい?」

「このままだと、保ってあと二月――」

 医者は余命を少し短く伝えることもあるらしいが、蒼鉛は正直に言った。燐灰は二月、と蒼鉛の言葉を繰り返す。

「ねえ、蒼鉛」

「何?」

「別に死ぬのは怖くないんだよ。もう発作の度に今死ぬんじゃないのかって思って、でも死なんのかい、みたいになって……覚悟みたいなのはできた気がするし」

 最初からこうなることはわかっていたし、と燐灰は笑う。蒼鉛はその言葉を聞きながら更に顔を曇らせた。

「でも……みんなに言うのはもう少し待ってほしい。特に琥珀には」

「どうして?」

「私がもうすぐ死ぬってわかったら、絶対無理するでしょ」

 雑魚相手の戦いが多かったとはいえ、連戦を繰り広げている最中だ。流石に表情にも疲れが滲んできているのを燐灰は知っていた。それでも燐灰の命が尽きようとしていることを知ったら、燐灰だけでも塔につれていくために戦うだろう。

「もう十分すぎるくらい頑張ってんだからさ。本当はあんなに戦う必要もないのに、うちらを塔に連れてくためにってやってるんだから――だから」

「わかった。もう少しみんなには黙っておく。でもいずれは――」

「うん。心の準備ができるくらいには言わないとね」

 運命を変えるために戦った。けれど間に合わないことだってある。それを受け入れられるくらい前には言わなければならない。けれどそのときに琥珀はどんな顔をするのだろうかと考えると、なかなか踏ん切りがつかなかった。

「でもさ、たまたま私が最初かもしれないだけで、みんなこうなる可能性はあるんだよね」

「そうならないように頑張ってるんだよ、今。燐灰だって間に合うかもしれないし」

「うん、間に合うといいな。……だって」

 間に合わなかったと知ったとき、一番傷つくのが誰なのか、誰もが知っているのだ。

 

 

 蒼鉛がどこかしらから手に入れたという発作を抑える薬には助けられている。これがあればひとまずは普通に生活を送ることができる。けれど発作が酷くなり、回数が増えるとそれも追いつかなくなってきた。口を押さえた手が赤に染まっている。燐灰はその血を綺麗に拭いてから、薬を一錠飲んで寝台に潜り込んだ。今日は何も予定がない日だ。少しでもその日を遠ざける為にも体は休めておきたい。

 薬が効き始め、呼吸が落ち着いてきたところで、部屋のドアが控えめにノックされた。燐灰は寝台から出てドアを開ける。

「どうしたの、琥珀?」

「何となく、話がしたくて」

 戦闘用の服ではなく、ラフな私服姿で燐灰の部屋を訪れた琥珀を中に通す。何か飲み物でも出そうかと思って棚を見てみると、お茶の類は切らしていて、インスタントコーヒーしかなかった。

「コーヒーしかないけどいい?」

「砂糖ある?」

「ないね」

「じゃあ別にいいや」

「ブラック飲めないの、本当にお子ちゃまだよね」

「コーヒー飲めなくても困らないし」

 からかうと明らかに唇を尖らせるあたりも子供っぽい。年相応かそれよりも幼く見える表情に燐灰はどこか安堵していた。

「で、話って何?」

「……違ったらごめんなんだけど」

「うん」

「もしかして体の方、すごく悪くなってるんじゃないかと思って」

 最初は蒼鉛に聞いたものの、蒼鉛は守秘義務があるので答えられない、と言ったらしい。蒼鉛は燐灰との約束をしっかり守っているようだ。とはいえ本人に直接詰め寄られたら誤魔化すのも難しい。

「何でわかるのかな……」

「何となくそんな気がしただけ」

「保って二ヶ月だって。自分でもそんな気はしてたけど」

 琥珀の表情が曇る。そんな顔をさせたいわけではない。できれば最後まで笑って、少し買い物にでも出かけるような感じで別れを告げたかったのに。

「そんな顔しないでよ、琥珀。もう覚悟はできてるから」

「……もし、燐灰が私の代わりに塔に行っていたら、もう少しなんとかなったかもしれない」

 少し前、琥珀は〈砂漠の薔薇〉に礼を兼ねた誘拐をされ、一日だけ塔の中に滞在した。けれど他の人は知らないだけで、琥珀も既に発作が出ているのだ。行くべき人間だったのは琥珀も同じだ。

「向こうに行ってからそんなに調子いいの?」

「発作は一回も出てない。一日でそれだけ効果があった。だから――」

「そっか。じゃあ……二ヶ月の間に塔に行ければ私もみんなも助かるってわけだ。だって一日でそんくらい効果があるってことは明日にも死にそうな時に行っても何とかなるってことじゃない?」

「そうかもしれないけど」

「だったら絶望してる暇はないよ。まだ二ヶ月もあるんだよ?」

 どこか自分に言い聞かせるように燐灰は言っていた。絶望するにはまだ早い。諦めなければ奇跡も起きるかもしれない。だから大丈夫だ、と。

「……燐灰」

 琥珀が燐灰をそっと抱きしめる。華奢な手で頭を撫でられて、燐灰は初めて自分が涙を流していることを知った。

「おかしいなぁ……泣くつもりなんてなかったんだよ。だってまだ二ヶ月あるんだよ。諦めなかったら、何とかなるかもしれないのに」

「……諦めないで。私が、絶対に助けるから」

 琥珀の低い声が、重く響く。絶対なんてない。自分たちは1%にも満たない希望に縋っているだけ。それは互いに理解しているのだろう。そんなに頑張らなくていい。もう十分だよ――そう言いたいのに、燐灰の口からはどんな言葉も出てこなかった。



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殺人遺伝子

「Hertz-Maschineに登録されている情報をもとに彼女の遺伝情報を調べてみたんですよ。そうしたら面白いことがわかりまして」

「お前の面白いことはどうせ碌でもないことだろう」

「相変わらず手厳しいですね、梓国王」

「今はその名前で呼ぶな」

 梓国王と呼ばれた女は、光を織ったような長い金髪を掻き上げる。滅多に姿を見せず、女王であることさえ知られていない梓国王だが、塔の一角にあるこの「GARNET MOON」というバーには正体を隠してよく現れる。

「それでは何とお呼びすれば?」

「……マルガリータとでも呼べ」

「それ今飲んでるカクテルの名前じゃないですか」

「文句があるなら帰れ。私の時間を邪魔するな」

 刺々しい態度だけなら悧国王の琥珀にも匹敵する。しかも梓国王の場合はこれで決して怒っているわけでも不機嫌なわけでもないのだ。

「今日のお前はどっちなんだ? 興行主かそれとも王か?」

「どちらかというと後者ですかね。でも私もここではあなたに倣って別の名を名乗るとしましょう。――サラトガ・クーラーを」

「ノンアルコールじゃないか。何しに来たんだ」

「少しばかり面白い話をね。下で会うことはないんですから」

「――私としてはいつお前を殺してもいいんだが」

「もう少し協力関係でいましょう。我々の最大の使命はこのシステムを運用していくことだ」

「ところでお前、こんな暗いところでサングラスをする意味はあるのか?」

 男は微笑む。梓国王は塔の中では別人として振る舞い、顔を晒すことも多いが、男は塔の中でも顔を隠していることが多かった。いつ誰が自分の正体を見破るかわからないのだ。用心に越したことはない。

「それで、お前の言う面白い話とは?」

「彼女がHertz-Maschineを動かせた理由を考えていたんですよ。間違いなく王の誰とも血は繋がっていない。その上遺伝子操作をされているので、王の血筋ではあり得ないのに何故なのかと思いまして。その理由がわかったんですよ」

「それはつまり王の共通点でもあると言えるわけだな」

「そういうことになりますね。我々の遺伝子にも同じものが……一部分だけ全く同じ配列があるんです。言ってしまえば『殺人遺伝子』のようなものです」

「なるほど。それは確かに我々にふさわしいのかもしれない」

 王の役割はできるだけ多くの人間を殺すことと言い換えることができる。そのために必要な残酷さや凶暴性は最初から血の中に刻まれているのだ。

「しかし、遺伝子操作児ならそんな因子は真っ先に取り除きそうなものだが」

「逆にこうは考えられませんか? 普通の子供だったのに、わざとそういう因子を組み込まれた――とか」

「一理あるな。だが何のためにそんなことをする?」

「さぁ……私にはわかりかねますが、例えば塔の現状に何らかの不満を持つものが、武器として子供を作ったとか。しかしそれをHertz-Maschineが許すはずもない」

「……神隠しか。確かに玉髄が彼女を拾ったのは十五年前だったと言っていたな」

「下にいれば二十年は生きられない。でも、こちらの世界で普通に生きるには不必要とされた因子は、王になるためには必要なものだった」

 梓国王は鼻を鳴らす。単なる偶然とはいえ、システムが機能した結果が現状なのだ。

「玉髄もたまたま拾ってしまったあたり運がいいのか悪いのか――。まあ死んだ人間に何を言っても仕方ないか。それにしても、お前は彼女が王になるのは気に入らないと言っていた気がするが」

「王に相応しい人物なら話は別ですよ。最近の彼女は見ていて実に面白い。戦いを重ねることでこれまで眠っていたものが目醒めたのでしょうかね。Hertz-Maschineの影響も大いにあるでしょうが」

「私は部下に結構強い薬を持たせてやったのに彼女にしてやられたんだが」

 男は笑みを浮かべた。強い薬を打たれて幻覚を見せられていたのに、自分の手を突き刺してまで現実に戻ることを選んだ少女。仲間を助けたいと思う優しさと、隠し持った苛烈さ。彼女の本質は一体どちらにあるのだろうか。

「彼女はいずれ良き王になる素質を持っている。暫くはそれを見守るのも悪くはないかと思います」

「……もうひとりの方はどうするんだ?」

「どうしましょうかねぇ。でも今の霜国の状況を見る限り、そろそろHertz-Maschineが動き出してもおかしくはないとは思いますが」

「王になりたくなくて国を出たんだろう? 大丈夫なのか?」

「逃れられませんよ。我々が負っている役目からは。彼だって王の血を持つ人間です。――すみません、同じものをもう一杯」

 男がバーテンに向かって声をかけると、一分もしないうちにグラスの縁にライムの飾られた薄い琥珀色のカクテルが男の前に置かれる。

「逃れられない、か。だが一体いつになったら本当の選別が始まるんだ?」

「全てはHertz-Maschineの御心のまま、ですよ」

「機械に心はないだろう。それとも『脳と手の媒介者は、心でなくてはならない』とでも言うつもりか?」

「Hertz-Maschineだけに、ですか。そんなSF映画のヒロインのようなことは言いませんよ」

 梓国王はカクテルを飲み干すと、ご馳走様、とだけ言って店を出て行った。代金は自動的に引き落とされるシステムの店だ。一人残された男は、グラスの中の琥珀色を暫く堪能してから、ゆっくりとそれを飲み干した。



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白虹日を貫く
白虹貫日


白虹貫日―― 心が天に伝わること。
または、戦乱になって君主に危険が迫ることのたとえ。


 夜に一人で街を歩いていた天青は、細い路地に入った瞬間に黒づくめの男たちに話しかけられた。仕込み刀に手をかけて身構える。しかしその中の一人が顔を隠している薄い布を上げたとき、天青は思わず手を止めた。

「……重晶(じゅうしょう)か」

 かつて玉髄の側近かつ隠密部隊を率いていた男だ。琥珀が王になったときに、玉髄の側近も近衛兵も全て解雇したために、今は別の仕事をしているということを風の噂に聞いた。琥珀の一存で全員を(クビ)にしたという話が一人歩きしているが、実際のところは彼らが先に琥珀の下にはつかないと宣言したのだという。

「こんな形になって申し訳ありません。ですが、我々は天青様にどうしても国にお戻りになってほしいのです」

 現れた時点で話の予想はついていた。悧国が快進撃を続けているために影に隠れているが、玉髄と血が繋がっていない上に、年端も行かない少女が王になったことに不満を抱いている者は多いという。そういった不満が出てくるのは仕方ない面はあるだろう。だが、それと天青が国に戻って王になるのは別の話だ。

「俺は王になるつもりはない。だから国を出たんだ」

 彼らは王の本当の役割を知らない。けれど天青はそれを知った上で王になることを拒絶した。その決意が今更揺らぐことはない。

「それは――今の王が斃れても、ですか」

 考えたことはなかった。玉髄と血が繋がっている子供は天青だけで、その天青にも、現在の王である琥珀にも今のところ嫡子はいない。琥珀が斃れたとき、悧国は完全に王を失う。

 それで良いと思っていたから、天青は国を出た。そもそも琥珀が王になること自体を予想していなかったのだ。

「それでも関係ない。俺はもう悧国とは無関係の人間だ」

「そうもいきませんよ。あなたは玉髄様の血を継いでおられる。あなたを求める声は多い」

 けれど同時に、圧倒的な強さを誇る琥珀を支持する者も増えてきている。それは支持者というよりは信者のようだ。琥珀以外を王とは認めず、天青が王になるべきだと主張する派閥の人間を攻撃することすらあるらしい。

「……悪いが、もう何年も前に国を出たんだ。こっちのことでも精一杯だから巻き込まないでくれ」

 霜国の中での小競り合いは続いていて、向かってくる敵を倒しているだけであっても、それが三日に一度の頻度になれば流石に疲れるだろう。王になるつもりなど毛頭ないのに、周囲の状況は天青を王にするために動いている。それが宿命なのか。血から逃れることはできないのか。王などただの人を殺すためのシステムでしかないというのに。

「話は終わりか? 俺はもう国に戻るつもりはない。何があっても」

「何があっても、ですか」

 重晶の含みのある言葉に、天青は眉をわずかに動かした。今は琥珀が王になることによって国はある程度の安定を保っている。琥珀が生きている限り、つまりは勝ち続ける限り、天青が王として入り込む余地はそれほどないと言える。けれど、もし――。

「……何をするつもりだ」

「いえ、あれだけ自ら前線に出ているのだから、いくら強くても命を落とす可能性はあるでしょう? 玉髄様はそれをわかっておられたから、よほどの相手が出てこない限りは前線に出ることはなかった」

 それは確かなことだ。琥珀が王として特殊なのはその部分であるとも言える。けれどそれだけの意味の言葉ではなかったこともまた確かだ。

「琥珀に手を出すつもりなら、やめておいた方がいい。自分たちの命が惜しいならな」

 重晶たちも弱いわけではない。だが、琥珀の強さは普通には測れない。そして王を守るためにHertz-Maschineが介入するようなことがあれば、地獄絵図が広がることにもなる。

「天青様……!」

 けれどそんなことを言っても何かをしようとしている連中は計画を中止したりはしないだろう。天青は刀を抜き、跪いている重晶に突きつけた。

「――あれでも一応妹だ。良からぬことを考えているようならここでお前たちを斬って捨てる」

 息を呑む気配。こんな脅しで怯むあたりは雑魚としか言いようがない。琥珀なら突きつけられた刀を握ってでも抵抗するだろう。

「話がそれだけなら、さっさと帰ってくれ。俺も暇ではないんだ」

 追い縋る重晶たちを無視して、天青は踵を返した。王になるつもりはない。けれど何かが動き出している。実際に数週間前にはおそらく悧国内の誰かに依頼された少年が琥珀を暗殺しようとして返り討ちに遭ったらしい。琥珀が依頼人も聞き出さずに殺してしまったことに批判もあるようだが、人を殺そうとしたのだからそれくらいの報いは当然だろう。それに、その少年は所詮いつでも切れる駒だ。依頼人を吐くくらいなら自害しろと命じられていた可能性もある。結末は変わらなかったとも言えるのだ。

「――何もなければ良いんだが」

 相手も弱いわけではない。それにどんな汚い手を使ってくるかもわからない。それとなく警告を促しておいた方がいいだろうか。そう思いながら、天青は仲間の待つ基地(アジト)へと戻って行った。

 

 

 戦闘終了を知らせる音が鳴り、琥珀は息を吐いた。今日も呆気なく終わってしまった。相手が弱過ぎる。號国王の策略で強い相手と当たる機会は悉く奪われてしまっているのだ。このまま続けていても、いつまでも塔に行くことはできないということは琥珀も理解していた。けれど他の方法が思い浮かぶわけでもない。その焦燥が戦闘にも出ているのか、それとも他に理由があるのか、戦闘が終わると虚しさに襲われてしまう。それでも後処理をする人たちが出てくるまでには戦場を後にしなければならない。溜息と共に踵を返すと、黙って琥珀のことを待っていたらしい緑簾が琥珀に背を向けたまま歩き始めた。

 何度も繰り返したこの光景。しかしその日は違っていた。風を切る音が響いた瞬間、琥珀は腹部に熱を感じた。

「琥珀!」

 いつの間にか琥珀は黒づくめの集団に囲まれていた。熱を感じる腹部を見ると、黒く塗られた剣が深々と刺さっていた。

「……っ!」

 この男たちには見覚えがある。玉髄がかつて使っていた隠密部隊だ。琥珀たちがここまで気がつかなかったのも無理はない。彼らは幻のように現れ、敵を攻撃することに特化しているのだ。

「――私が王に相応しくないとでも言うつもりか」

 痛みを堪えながら琥珀は言う。刺されただけではない疼痛が広がっていくのは自分でも理解できていた。おそらく毒でも塗られていたのだろう。そして自分が攻撃された理由も説明されるまでもなくわかっていた。

「私が王に相応しくないのは、私が一番わかってる」

 琥珀を囲む円の外側で、近衛兵たちが戦っている音が聞こえる。隠れることをやめて姿を現してしまえば、近衛兵が負ける相手ではない。琥珀が微かに笑みを浮かべると、男の一人が琥珀の側まで歩み寄ってきた。

「……重晶」

 顔は見えないが、体つきと気配でわかる。玉髄の側近だった男に向かって、琥珀は挑発するように言った。

「殺すつもりなら早くしろ」

「言われなくてもそうするつもりだ」

 自分自身に向かって振り下ろされる刃を琥珀は静かに見つめる。けれど無意識のうちに琥珀はHertz-Maschineの端末に触れ、刀を抜いていた。

「な……っ!」

 流れる血もそのままに立ち上がった琥珀は、驚きで体を硬直させた重晶の首を一瞬で刎ねた。

「お前……よくも重晶様を!」

 琥珀を取り囲んでいた男たちが琥珀に攻撃を仕掛けてくる。大量の出血と毒のせいで意識が朦朧とする中、琥珀はHertz-Maschineを使い、一帯に雨を降らせる。その雨は任意の敵には刃となって降り注ぐ。かつて玉髄も使っていた全方位攻撃。けれどそれを制御するための意識が徐々に途切れ途切れになっていく。

「……っ……!」

 声が聞こえる。悪夢の中で聞いた少女の声――自分自身と寸分違わぬ声が、琥珀の望みとは逆のことを囁く。

『抑えようとするから苦しくなるんだよ。抑えなければ楽になれる』

「でも……そうしたら」

 まだ戦っている近衛兵たちまで巻き込んでしまう。だから意識を手放すわけにはいかない。

『みんな殺してしまえばいいんだよ。それがあなたの本質なんだから』

「違う……私は……っ!」

 呑み込まれてはいけない。敵は充分倒した。このままHertz-Maschineを止めればいい。けれど琥珀が端末に触れても、雨は一向に降り止む気配はなかった。

「どうして……!」

 制御が効かなくなっている。このままでは味方まで巻き込んでしまう。琥珀は声を絞り出した。

「みんな……逃げて……!」

 視界が霞んでいく。雨は最初に指定した範囲以上に広がることはないはずだ。だからそこから離れさえすれば、巻き込まれて怪我をすることはないはずだ。しかし琥珀の目論見を嘲笑うように少女が言う。

『――攻撃範囲及び、攻撃対象を拡大』

 琥珀は目を見開く。その言葉の意味するところが理解できないわけではない。けれど現実ではないはずの声にHertz-Maschineが従い、雨が降る範囲が一気に広がっていく。

「やめて……! みんなを殺さないで……!」

 それは、自分の命よりも大切なものなのだ。止まってくれと祈る琥珀の視界に、黒い影が映る。

「――琥珀」

 何でこんなときに。落ち着いた声に安堵すら感じる自分に苛立ちながら、琥珀は譫言のように呟く。

「……何しに来たんだ、クソ兄貴……っ」

 この惨めな状況を笑いに来たのか。天青を王にしようと画策していた輩はほぼ全員殺してしまった。けれど、まだまだ琥珀ではなく天青の方が王に相応しいと思う者は多いだろう。最初から天青が王になっていればこんなことにはならなかったのだろうか。最悪の状況を引き起こすのが自分自身にならなくても済んだのだろうか。

 天青が琥珀の左腕を掴み、地面に押しつける。それに対抗できるような力はもう残っていなかった。自分はこのまま殺されるのだろうか。琥珀がぼんやりとそう思った瞬間に、天青は琥珀の左手首――正確にはそこに取り付けられたHertz-Maschineの端末に向かって刀を振り下ろした。

 Hertz-Maschineの端末は普通には壊せない。ただし、王となった人間がその人間の登録をHertz-Maschineから抹消した後であれば、普通の武器で破壊することができる。粉々に砕けた端末を見て、何が起きたのか理解できないほど、琥珀は何も知らないわけではなかった。

「何のつもりだ、クソ兄貴……っ!」

「こうでもしなければ、死んでたのはお前の仲間の方だ」

 雨が止んで、空に薄く白い虹がかかっているのが見える。偽りの空しかない塔の外では滅多に起こらない気象現象だ。白い虹は王に危機が迫る兆候――兆候も何も、この瞬間に琥珀は王であることを奪われたのだ。意識が遠のいていく。全てを手放す前に、琥珀が思ったのはたったひとつだった。



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王の役割

王の本当の役割とは何なのか。明かされる世界の真実。


「私もこうなることは予想できなかったんですよ」

「……あんなめちゃくちゃな戦闘を続けさせておいてよく言う」

 Hertz-Maschineが鎮座する部屋の中で、顔を隠した號国王と天青は向かい合っていた。通常の戦闘の後に発生した悧国王に対するクーデター。それは琥珀と近衛兵たちが相手を倒すことで失敗に終わったが、同時に琥珀がHertz-Maschineを暴走させるという事態を引き起こした。そのあと琥珀は怪我と毒の影響を取り除くために入院させられているという。それでも意識ははっきりしており、命に別状はないらしい。

「ただでさえ最近使いすぎて、その影響が出ていた」

「ええ、わかっていますよ。ですがあれを使うかどうかは自己責任ですから」

 使ったのは琥珀の意志だ。だが、この男が誘発したと言えなくもない。この男は琥珀の目的も、置かれた状況も全て知っていながら、それを邪魔しているのだ。いつまでも目的に近付けない焦燥が琥珀にHertz-Maschineを使わせている。

「私としては、あなたの選択の方が不思議ですけどね」

「……いずれ王になるのは避けられないと言ってなかったか?」

「ええ、言いましたよ。けれどそれは悧国王になるという意味だったのですが」

 王が身につけているHertz-Maschineの端末を壊すためには、別の王がその情報を抹消して、そのあとに物理的に壊すしかない。あのとき、號国王も梓国王も動かない状況で、暴走したHertz-Maschineを止めるにはそれしか方法がなかったのだ。おそらく號国王はいずれその状況に陥るということがわかっていたのだろう。そしてそのときには天青が王になることを選ぶだろうということも。

 選択肢は二つだった。天青の情報は元々悧国王の後継として登録されていた。それを利用して琥珀を王から退かせ、天青が悧国王になるというのが想定されていた方法。しかし天青は新たに情報を登録し、空座となっていた霜国王の椅子に座ることを選んだのだ。

「一度出た国に戻るつもりはない。それに、琥珀を支持してる人も多い」

「でも彼女はもうHertz-Maschineを使えませんよ。まあ再登録に成功すれば話は別ですが」

「……わかってるだろ。二回目もおそらく成功する」

 Hertz-Maschineを使いすぎたとき、稀に使用者の精神がHertz-Maschineの意志に汚染されることがある。おそらくは自爆技を使おうとした霜国の戦闘集団を倒したあたりからそれが起きていたのだろう。そしてその汚染は、Hertz-Maschineが認めた人間にしか起こらない現象だ。琥珀にはそれだけの才能があったのだ。――人を殺す才能が。

「それに国を運営するだけなら別にHertz-Maschineは必要ない。俺はもう霜国王だから悧国王を兼任することもできない」

 霜国王を選んだのはそれも理由の一つだった。天青が霜国王になってしまえば、悧国王にはできなくなる。天青を支持する層は黙らざるを得なくなるだろう。

「なるほど、妹想いの兄ということですか」

 號国王は笑いながら天青に近付いてくる。手に持っているステッキが床に当たる硬い音が響いた。

「ですが、彼女がまだ悧国王であり続け、あなたが霜国王である以上、いずれは戦う運命にある」

「……それはわかっている」

 そのときは前のように引き分けを狙うという手は使えないだろう。どちらかがどちらかの命を奪うまでの殺し合い。けれどその道を選ぶことでしか、あのときの琥珀を救う方法はなかったのだ。

「――話は変わるが」

 天青は刀を抜き、その切っ先を號国王に突きつける。どうせ今の姿も本体ではないだろう。だからこれはただの脅しだ。

「これで同じ土俵に上がったことになるが」

「そのようですね」

 號国王がステッキを操作すると、細い刃が現れた。仕込み杖だったようだ。けれどそれも所詮は脅しに過ぎないだろう。

「俺はお前を決して赦さない」

「いいでしょう。いずれ――我々が戦うことがあれば、そのときに」

 そう言い残して號国王は姿を消した。一人残された天青は、目の前に聳えるHertz-Maschineを睨みつける。

「――俺は、お前のことも赦すつもりはない」

 王の役割がどれほど重要なのかはわからない。だが、Hertz-Maschineがこの世界にしようとしていること、そして琥珀にしたことを考えると、決して赦すことはできないと思った。

 號国王やHertz-Maschineにはわからないことがある。あのとき、意識を失う寸前の琥珀が天青に言ったのは、恨み言でも現状を嘆く言葉でもなかった。自分の方が死にかけているのに、意識を手放すその瞬間まで、琥珀は仲間のことを考えていたのだ。

 Hertz-Maschineは沈黙を続けている。天青が溜息と共に踵を返すと、部屋のドアが開いた。部屋に入ってきた人物を見て天青は目を瞠った。

「……まだ動ける状態じゃないだろ。何でこんなところに来てるんだ」

「あんたには関係ない」

 命に別状はないとは言われていたが、出血量も多く、毒の影響も簡単に消えるものではなかったはずだ。それなのにたった一人でここまで来てしまうとは。

「今の状態でHertz-Maschineが使えるわけないだろ」

「――だったら」

 琥珀は目にも止まらぬ速さで刀を抜き、天青の首筋に突きつける。少しでも身じろぎをすれば皮膚が切れるほどの距離だ。

「ここであんたを殺したら、何か変わるの?」

「琥珀……」

「もう時間がないの。邪魔しないで」

「時間がないのはわかってる。でもこんなことを続けてたらお前もお前の仲間も潰れることになる」

「このまま何もしなくてもみんな死ぬんだよ……っ!」

 それなら少しでも運命を変えられる方を選ぶと琥珀は言う。けれどそのためにHertz-Maschineの力を使うことがどういうことなのか、琥珀は本当にわかっているのだろうか。

「――琥珀」

 刀を突きつける、震える琥珀の手を天青は優しく掴む。その想いの深さは痛いほど伝わってくる。自分のことよりも、自分の命よりも、大切なのは仲間の命の方なのだ。それでも――。

「俺は、お前にも死んでほしくはない」

「っ……!」

「今の状態で使い続ければ、この前のようなことがまた起きる可能性もある」

 今伝えてしまえば、傷つけることになるだろう。けれど真実を伝えなければ琥珀を止めることもまたできない。王の本当の役割とはなんなのか。Hertz-Maschineは何を望んでいるのか。

 

「――塔の外の四つの国の王は、塔外の人間を皆殺しにするためのシステムなんだ」

 

 琥珀の目が驚愕に彩られる。それが王だけが知っているこの世界の真実だ。

「それを仕切っているのがHertz-Maschineだ。Hertz-Maschineは基準に適合した人間だけを塔に集め、そうでない人間を排除しようとしている。塔の外にいる人間をそれとは気付かれないように効率的に排除するために、王がその役目を担っている」

「それじゃあ……塔の外にいるってだけで、もう生きる資格はないってこと……?」

「少なくともHertz-Maschineにとってはそうだ。繰り返されている戦争も、その中で多くの人間が死ぬように画策されている」

 琥珀は近衛兵を守ろうとはしていたが、そのために他の人間の命をたくさん奪っていた。Hertz-Maschineが琥珀の意識に介入していたのは、それをさらに加速させるためだったのだろう。実際琥珀の手によって、この数週間だけで百人以上が殺されているだろう。

「それじゃあ、戦争に勝ったら塔に行けるって話は――」

「そんなの大嘘だろうな。塔外の人間をわざわざ塔に入れて生かそうとするとは思えない」

「……じゃあ私は今まで……何のために」

 琥珀がその場に膝をつく。琥珀の夢は叶わないことを天青は最初から知っていた。だからこそそれを真正面から突きつけることはできなかったのだ。天から垂らされた一本の蜘蛛の糸を登っていたつもりが、その先にも地獄しかないのだと告げることはできなかった。

「失敗作には、生きる資格もないの……?」

 か細い声は震えていた。琥珀にとっての大切なものはどうやっても助けることはできない。それはこの世界がそういう風にできているからだ。

「……琥珀」

「それを決めたのがあの機械だって言うなら……どうしてみんなそれに従ってるの……!」

 それは涙に濡れながらも、強い怒りを含んだ言葉だった。逆らえないと誰もが無意識に刷り込まれている機械に対する憎悪の言葉。

「それなら……全部、壊してしまえば……!」

 琥珀が刀を強く握る。ゆらりと立ち上がった琥珀は天青の横をすり抜けて、真っ直ぐにHertz-Maschineを目指していた。けれどHertz-Maschineも殺気を漲らせている人間を黙って近づけるほど甘くはない。

「琥珀……!」

 轟音が響き、紫電が琥珀の体を貫く。その場に倒れ込んだ琥珀に駆け寄った天青は、地面に投げ出された琥珀の左手首を見て目を瞠った。確かに破壊したはずのHertz-Maschineの端末がしっかりと輝いていた。しかもHertz-Maschineを破壊しようとする琥珀の行動を戒めるように、前のものとは違い、螺旋状になって二本の線を描いている。

「琥珀! しっかりしろ、琥珀……!」

 琥珀がうっすらと目を開ける。そして自分の左手首を見て、溜息まじりの笑みをこぼした。

「……壊そうとするのも無駄ってことか……それなら、どうすれば……」

 諦めてしまえば苦しまずに済むのかもしれない。運命を呪うだけで、それに抗わなければ傷つくこともないのだろう。それでも琥珀の目は光を見失わない。

「っ……!」

 琥珀が刺された場所を押さえて蹲る。元々動ける状態ではなかったのにここまで来てしまったのだ。琥珀は荒い呼吸を紡ぎながら目を閉じた。



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安い命

この命と引き換えに、助けられるものがあるのなら。


 体が動かない。けれど見たことのない景色が広がっていたから、これは夢なのだと気付くのは容易だった。夜の暗闇。夜空に浮かぶ月は削り取られたような形になっている。この現象は月蝕というのだったか。塔の外の世界ではそれは再現されていないものだ。

 血の匂いがする。それがどこからするものなのかを辿る前に琥珀の視界に黒い影が覆いかぶさり、次の瞬間には血の匂いがさらに濃くなった。口を開こうとすればそれを塞がれる。柔らかな感触。抵抗しようとすれば顎を押さえられ、息継ぎのためにわずかに開いた唇の隙間から舌が入り込んでくる。最悪の感覚だ。他人に自分の体をいいようにされて、蝕まれているような。

「ん……っ、」

 抵抗したいのに、体は全く自由にならなかった。酸欠で頭が眩んできたところで、ようやく解放される。荒い呼吸を紡ぐ琥珀を、同じ顔をした少女が微笑みながら見下ろしていた。

「……何がしたいの」

 棘のある琥珀の言葉にも、少女は笑みを崩さない。

「あなたに思い出してほしいの。本当のあなた自身を」

「思い出すも何も、私は私だけど」

「あなたは忘れてるんだよ。そのこと自体を忘れてしまっているだけ」

 そういって再び唇を塞がれる。この行為に何の意味があるのだろうか。抵抗できないままに、白い手が身体をなぞるように滑り落ちていく。

「やめ……っ、離せ……!」

 少女が何をしようとしているのか察知した琥珀は必死の抵抗を試みる。しかし、体は思うように動かせず、少女の手が素肌に触れる。

「こんなことして……何が目的なの?」

「目的? 強いて言うなら、あなたの奥底にあるものを見てみたい……ってところかな」

 奥底にあるものなんてない。自嘲的に琥珀は思った。これと言ったものが自分にはなかった。得意なこともそれほどなければ、やりたいと強く思うこともあまりない。その中で唯一、守りたいと思える存在だけはできた。そんな人間の奥底に何があるというのか。

「あなたはまだあなた自身に気が付いてないだけ」

 白く冷たい手が琥珀の衣服を乱していく。触れられる度に肌が粟立ち、嫌悪感に襲われる。他人に不躾に触れられて、自分の領域に土足で踏み入られたような不快感。しかしそれに微かに甘い痺れが混じっているのも事実だった。

「……やめ……っ」

 睨んでみても少女が怯む気配はない。けれどこのままいいようにされるのも御免だ。再び少女が唇を合わせてきた瞬間、琥珀はその舌を強く噛んだ。その痛みで緩んだ拘束から素早く抜け出して、刀を鞘から抜く。

「本当に強情なんだから。でも、あなたは私から決して逃れられない」

 笑みを浮かべる少女を、琥珀は袈裟懸けに斬りつける。しかし少女の姿はその瞬間に煙のように消えてしまった。逃げたのだろうか。いつでも攻撃できるようにしながら周囲を見回していると、突然全身を貫くような痛みに襲われた。地面に倒れる琥珀の目に、自分を見下ろす少女の笑みが焼き付いていった。

 

 

 気が付けば琥珀は病院のベッドに横になっていた。視線を左手首に落とすと、そこには螺旋状に巻き付いたHertz-Maschineの端末がある。あれは紛れもなく現実の出来事だったのだと、その冷たい銀色が琥珀に指し示していた。

 夢の残滓がまだ残っている。時折見る自分と同じ顔の少女が出てくる夢は何なのだろうか。あのまま抵抗できなかったらどうなっていたのだろうか。琥珀は溜息を吐いた。

 夢は所詮夢だ。それより今は。琥珀は琥珀が目覚めたことに気付くことなく窓の外を見ている天青に声をかけた。

「……ありがとう」

 琥珀は小さな声で呟く。天青はゆっくりと振り返って琥珀の顔を見た。

「あのまま放置されたらどうしようかと思った」

「人間としてさすがにそれはないと思うが」

 沈黙が流れる。話さなければならないことは沢山あるはずなのに、言葉が出てこなかった。

「お前が抜け出したあと、全員めちゃくちゃ探してたらしいからな。あとで謝っといた方がいいんじゃないか?」

「……うん」

 琥珀は病院をこっそり抜け出してHertz-Maschineのところまで行ったのだ。誰にも言わずに行ったので、本当にみんな探していたのだろう。琥珀は静かに左手を持ち上げる。逃れられない運命を示すような銀色が光った。

「……Hertz-Maschineがある限り私たちが助からないなら、あれを壊すしかない」

 何よりも腹が立っていた。適合しなかったからいらない命だなんて、そんな理不尽が罷り通っていいはずない。

「――たとえ、差し違えてでも」

 琥珀の声に、天青は思わず息を呑んだ。その言葉に嘘はない。自分の命よりも大切だと、琥珀は本気で言っているのだ。

 自分の命など安いものだ。大切なものを天秤にかけたとき、琥珀の天秤はいつも同じ方が下に沈んだ。しかし天青は真っ直ぐに琥珀を見て言う。

「俺は、お前にも死んでほしくはない」

「……何もないんだよ」

 持ち上げられていた左手と、言葉が同時に落ちる。琥珀はそのまま静かに話し始めた。

「私には『これがやりたい』とかそういうのが全然なくて……でもみんなを助けたいっていうのは、初めて思ったやりたいことだった……だから、これは私の全てなんだよ。これがなくなったら……きっと死んでるのと変わらない」

 だからこそ、自分の命が対価になりうるのだ。そのときだけは安い命が価値を持つ。けれど――世界はそれを許さない。それなら世界の方を壊すしかないのだ。

「だから――私の邪魔をしないで」

 真っ直ぐに、射抜くような目で琥珀は言う。天青はその目を見つめ返して応えた。

「……Hertz-Maschineを壊すという目的については、俺も同じだ。でも、このままそれを続けるのには反対だ」

「止めても無駄だよ」

「琥珀……」

「そもそもあんたが霜国王なら、私たちは敵だよ。それに……っ!」

 言い募ろうとした琥珀が急に咳き込む。口を押さえた琥珀の手に鮮やかな赤色が散った。

「琥珀……!」

 琥珀は咳き込みながらも、隣の棚の中からピルケースを取り出し、その中の薬を一錠飲んだ。塔に行ってからは初めての発作だ。けれど薬を飲んでしばらくすれば症状は落ち着く。そう思って数秒間目を閉じるが、呼吸は一向に楽にならなかった。それどころか胸に痛みが広がっていく。何かに蝕まれていくような、嫌な感じがした。



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崩れる世界

国を出ると決めたあの日のことを、天青は一人思い出す。


 胸を押さえて苦しむ琥珀を見ながら、天青は呼び出しボタンに手を伸ばす。しかし琥珀はその手を強く押し留めた。

「まだ……みんなには、言ってないの……だから……」

 荒い呼吸の中で紡がれた声は切実だった。この状況になってまで黙っている理由などないはずだ。少なくとも蒼鉛には知らせておくべきだろう。そう冷静に諭しても琥珀は首を横に振る。手首に爪が食い込みそうなくらい強く握られ、天青は諦めてボタンから指を離した。

 琥珀の呼吸が落ち着くのにつれて、手首を握っていた力も緩んでいく。発作が治まった琥珀は天青から手を離し、自分の膝に視線を落とした。

「落ち着いたか?」

「……うん」

「何か飲み物とか――」

「いい。自分でやる」

 琥珀は病室に備え付けてあるケトルの中の白湯をコップに入れ、それをゆっくりと飲み干した。ベッドに体を預けて琥珀は目を閉じる。天青が琥珀に声をかけようとしたそのとき、病室のドアが開いて緑簾と翡翠の二人が顔を出した。

「着替えとか色々持ってきたよー……ってあれ?」

 緑簾は首を傾げ、翡翠は胡乱げな瞳を天青に向ける。少なくとも歓迎されているような空気は全くなかった。二人が来たなら自分がここにいる必要もない。天青は入れ替わりに帰ることにした。出入り口ですれ違ったとき、翡翠が小さな声で言う。

「――王様になったんでしょ」

 その言い方は答えを知っている人のものだ。天青が黙ったままでいると、翡翠が天青を一瞥して小さな声で言った。

「……それなら最初から国を出ていかなければよかったのに」

 翡翠の責めるような言葉には答えずに、天青はその場をあとにする。この事態を予想できなかったというのは彼女にとっては言い訳にしか聞こえない言葉だろう。言ったところで彼女はそれを理解しているのだから。

 病院の廊下を歩きながら、天青はあの日のことを思い出していた。玉髄にこの世界の真実を聞かされた日。信じていた全てが呆気なく崩れ去った日のことを。

 

 

「――というのがこの世界の真実と、王の本当の役割だ」

 言葉を選びながらも、それ以上にはどうにも和らげることができない言葉で、玉髄は淡々と真実を語った。Hertz-Maschineにより次の王になれるとお墨付きをもらった直後のことだった。王になることができるとわかった上で選択を迫られた。

「そもそも何で人間の選別なんてしてるんだ」

「さあな。それに関しては『来るべきときが来たときのため』としか言われていない」

 たとえどんな理由があるとしても、王になるということは、生きようとする人間を欺き、その命を奪う営みだ。自分がそれに手を染められるかと聞かれれば、答えは否だった。それはおそらく玉髄も予想していたのだろう。

「……俺と血が繋がっている人間は、今のところお前だけだ。お前が王にならないなら、この国は俺が死んだ後は霜国と同じく王のない国になる」

 霜国最後の王は暗君だったと言われている。自爆技による特攻で勝利を重ねたが、そのやり方に人々が疲弊し、最期は何者かに暗殺された。そして子供は二人いたものの、二人ともHertz-Maschineに王と認められなかった上に、その後二人とも何者かに殺された。そうして霜国は王のない国になったのだ。

「王が二人消えれば、システムも少しは考え直すかもしれないけどな」

 そもそもその血筋の人間しか受け付けない上に、王の血筋でも適合しない人間がいる制度など、いずれは破綻するだろう。號国のように親族での婚姻を繰り返し血を濃くするようなことも現実的ではない。血が濃くなりすぎると、当然何らかの支障が出てくるのだ。

「だが、王にならないと決めたお前をこの国に置いておくわけにもいかない。数日中に荷物をまとめて出て行ってもらおう」

 その言葉に異存はない。王が、自らシステムに背いて王位を継がないと決めた人間を放置しておくのは都合が悪い。たとえ見てくれだけでも、王の役割を果たそうとしない王は粛清の対象になるのだ。

「……玉髄」

「何だ?」

 親子とはいえ、父親らしい呼び方をしたことはなかった。玉髄がそうするように言ったのだ。対等な人間のように、名前で呼べと。そしてその方針は琥珀にもしっかりと適用されている。

「本当にいいのか?」

「予想はできていたことだ。それに俺も……ずっと前からこの仕事が嫌になっているところだ」

 確かに玉髄が積極的に人を殺そうとしているようなところは見ない。それどころか他国では捨て置かれる遺伝子操作児をまとめて育てる施設まで作ってしまったのだ。役割と逆行する行動を他国の王に咎められたこともあるらしいが、「後でまとめて始末するため」と説明して乗り切ったらしい。

「……望んでもないのに遺伝子をいじられて、失敗したから死んでもいいってのは理不尽過ぎるだろう。それに……情のようなものも生まれてしまったし」

 そもそもどこからか琥珀を拾ってきた段階で、人を殺すことを目的とする王からは乖離していたのだろう。あのまま放置したら死んでしまって逆に処理が面倒になるという理由だと本人は言っていたが、おそらくは普通にこのまま死ぬのは気の毒だと思ったのだろう。

「そういうわけで、俺とお前は今から敵同士で、お前は俺といがみあって国を出た――ということになる」

 あくまで名目だ。そして目的は同じだった。玉髄の代で悧国から王はいなくなる。王が半分になれば、現状のシステムも変更を余儀なくされるだろう。互いにそう信じ、嘘の表情を貼り付けて別れた。

 ――それが天青にとっては、玉髄を見た最後になった。

 玉髄の言葉に従い、天青は数日後に国を出た。天青が国を出ると言うと何も聞かずについて行くことを選んだ藍晶や菫青たちとともに、無法地帯と化している霜国に腰を落ち着けられるようになるまで半年はかかった。その半年の出来事はあまり思い出したくないことばかりだが、その慌ただしさが、天青に現実を受け止めるまでの猶予を与えた。

 この世界は、塔の外の人間を人間とは認めていない。今まで見てきたもの全てが覆され、崩れていくほどの事実。天青は目の前のことに必死になっていて、事実を受け入れることはあっても抗おうとは考えなかったのだ。

 けれど、琥珀は――。

 その思いはHertz-Maschineに戒められたが、それでも世界を壊してでも守りたいものを守ると口にした。その強さは尊敬に値する。けれど琥珀は同時に、とても繊細で脆い。

 あのときは王になるしか、暴走したHertz-Maschineを止められなかった。けれど終わったからと言って王位を返上できるものでもない。霜国王として、これから自分がすべきことは何なのか――考えてみても、妙案らしきものは何も浮かばなかった。



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軋む

久しぶりに戦線に復帰する琥珀。しかしいつもとは違う感情が琥珀を襲うのだった。


 体は問題なく動く。発作もあの一回以降は全く出ていなかった。それでも久しぶりの戦場の空気に呑まれてしまいそうだった。初陣のときとはまた違う緊張感に包まれる。それでも体が覚えている通りに準備をして、鉛華が仕立てた服に着替える。

 今日の相手は號国軍だ。しかし王が出てくることはないのだろう。既に王がどういう存在なのかはわかっている。表に出てくるはずがない。ただ戦いをさせて、その中でできるだけたくさん殺し合ってくれることを望み、高みの見物をしているだけなのだから。

 それを理解したからといって、琥珀は戦場に出るのを止めるつもりはなかった。自国民を殺さずに守ろうとする琥珀が王として許されているのは、その手で殺した他国民の数が膨大だからだ。Hertz-Maschineにとっては塔外の人間の命の全てが平等に無価値だ。大事なのは数。だから琥珀が手を汚せばそれだけ当座の間は守られるものがある。

 それでもこの戦いが無為なものであるとわかってしまった衝撃からは抜け出しきれなかった。敵が何なのかははっきりしている。けれどそれはあまりに強大すぎて今の自分では太刀打ちできない。でも目の前の戦いにも集中しきれはしなかった。

 玉髄から真実を知らされたときの天青もそうだったのだろうか。世界の残酷さを知ってしまったとき、自分の足元が崩れていくように感じたのだろうか。

 頭の中の迷いを振り払うように、琥珀はブーツの紐をきつく結んだ。もう時間だ。迷っていても、否応なしに戦いの火蓋は切って落とされる。

 

 飛び道具を多用する號国軍に対しては、下手に密集して突入するよりもそれぞれ距離をとって、個々の戦いに任せた方が上手くいく。兵の数は同じくらい。弓を使う天河や燐灰、橄欖にある程度数を削らせながら、相手の将を狙う機会を窺う。

「いい感じに減ってきた。最初の橄欖の攻撃が効いたね」

 天河が言う。天河の矢は正確に相手を無力化していく。橄欖の攻撃はそれに対して、威力は大きいが時折何をしでかすか全くわからないので賭けのようなところはある。今日は一撃で数人を吹っ飛ばしていたので、調子が良かったのだろう。

「――あそこか」

 敵の頭の居場所はわかった。あとは相手が対応できないくらいの速さで近付いて、その首を取れば終わる。道筋を描いてから琥珀は呼吸を整える。

「援護するよ」

「うん」

 天河の言葉に短く答え、琥珀は強く一歩を踏み込んだ。まるで舞っているようだと言われるその動き。けれどそれは誰かに見せるためのものではなく、ただ敵を仕留めるためだけのものだ。戦場を駆け抜けて、空中で刀を抜きながらその首を狙う。

 しかし地面に着く寸前で小さな鉄の矢が飛んできて、琥珀は咄嗟に狙いを変えてその矢を刀で斬り、軌道を変えた。着地には成功したが、そこは敵の目の前だ。男が構える刃が眼前に突きつけられる。残っていた兵たちがそれに気付いて琥珀が逃れられないように周りを取り囲んだ。けれどこの数ならまだ――琥珀が身構えた瞬間、背筋を氷でなぞられたような感覚に襲われた。

 琥珀は自分自身の感情に戸惑う。戦場でそんなことを思ったことは今までなかった。自らの感情を打ち消そうとしても、どうしても先日の戦いの後のことが頭をよぎる。戦いの直後は確かに一番油断する瞬間だ。気がつかないうちに囲まれ、刺されていた。あのときの熱も痛みも同じ場所に立ってしまった今、思い出したくなくても鮮やかに蘇ってきてしまう。

(怖いのか、私は――)

 それでもこの感情に負けてしまっては、最悪の結末しか待っていない。琥珀は刀を握り直し、呼吸を整えた。琥珀の状況を察した緑簾や翡翠がこちらに向かって来ているのが見える。琥珀はHertz-Maschineの端末に手を伸ばしかけて、途中でその手を止めた。この距離では、この前のようなことになったときに味方を巻き込んでしまう。――それが何よりも怖かった。

「どうした? 使わないのか?」

 敵の挑発に耳を貸す必要などない。戦い方を決めるのは敵ではなく自分だ。けれど自分自身の内側からも琥珀を煽るような声がする。

(怖いのなら、私に全てを委ねてもいい)

 ここは夢の中ではないはずなのに、夢の中の少女の白い手を思い出してしまう。幻の手が琥珀の右手に触れると同時に、赤く染まった景色が目に浮かぶ。その向こう側から聞こえてくるのは怨嗟の声。これまで殺してきた人間の声などほとんど覚えていないはずなのに、今になってそれが琥珀へ憎悪の感情を向ける。

 内側からも外側からも、現実なのか幻なのかもわからない声が響く。琥珀は血が出るほど強く唇を噛み、低い声で呟いた。

「……どいつもこいつも五月蝿いんだよ」

 敵の声も、自分自身から聞こえる声も、顔も覚えていない死人の声も、何もかもが耳障りだった。言葉では言い表せないほどの苛立ちが琥珀の中で燃えて、黒い何かが血管を巡って全身を満たしていく。

「あんたらに、私の――」

 衝動に突き動かされるままに、琥珀は足を踏み出した。敵の刃が一斉に琥珀に向かう。けれどそれで自分が傷つくのも厭わず、琥珀は刀を振り下ろした。その相手の顔など見ていなかった。そこにいるのは自分自身のような気もした。

 今更、恐怖なんて必要ない。心を殺してでも、勝つためには強くならなければならない。

「私の――何がわかるんだ!」

 この想いの強さも、それが琥珀の全てであることも、本当にわかっている人なんて一人もいない。噎せ返るような血の匂いが満ちても、充足感のようなものは全く得られなかった。空虚な心の中に、戦闘終了を知らせる合図だけが響いていた。



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塔の観客たち

天青の霜国王としての初陣。


 塔の一階部分のことはG階と表記されることが多い。G階、つまりground floor――英国での言い回しらしいが、要するに彼らにとってはそこが地面だということだ。塔外の人間からしてみればそこは天の上だ。戦場と呼ばれている闘技場がある場所の更に下に、普段塔外の人間が暮らす四つの国があるのだ。塔のG階は居住区ではなく、さまざまな公共の設備と、塔外の戦争を見下ろすための観客席がある。そこは戦闘が行われる度に開かれ、普段は無機質な天井になっているものが透明な板に変わる。直接繋がっているわけではないが、そのときは塔の人間と塔外の人間が顔を合わせることができる。塔の人間から見れば、ここはさながら地下闘技場で、ここで起きる戦いは現実のものではあるのに、単なる娯楽として消費されていく。そこにあるのは本物の人間の命であるはずなのに、観客はできるだけ派手で多くの人間が死んでいくような闘いを望んでいる。そんな観客たちからは、最近の悧国王の戦いは大人気らしく、琥珀が出ない日は不満の声が出ることもあるらしい。いくら琥珀に人気が出ようとも琥珀も塔の外の人間であることには変わりなく、結局は消費されていくだけの安い命なのだ。そこにどんな想いがあるかなど、観客たちには何も関係がない。

 できればこんな無駄な戦いは避けたいところだが、王になってしまった以上、その国の人間を出さないというわけにはいかない。興行主の決めた初陣の相手は梓国軍。號国に雇われて出たこともあるというのが評価され、その対戦カードとなったらしい。

「やだなぁ……梓国軍が最初とか……」

 藍晶がぼやく。梓国軍といえば幻術を使うことで有名だ。あらかじめその薬品を吸わないように対策をすることもできるが、以前の悧国との対戦のときのように、直接薬を打つ戦法を取られてしまうと意味がない。長引かせずに戦闘を終わらせるのが最善策ということになる。

「梓国軍が嫌なら、どこならいいんだ?」

「全部嫌かな」

「正直だな」

 幻術のような方法をとってこないという意味では號国も悧国もいいのかもしれないが、飛び道具を多用する號国と近接戦闘を主とする天青たちの相性はいいとは言えないし、何だかんだで一番スタンダードな戦闘をする悧国軍は、他国に比べて近衛兵の士気が高すぎる。相手にしたい国は一つもない。

「まあでもどうせ王様は出てこないんだよね」

「そうだと思うけどな」

 自分が死ねば国が終わるとわかっているのに、わざわざ前線に出る王はいない。琥珀にはそう言いながらも天青は今、王として戦場に立とうとしていた。そもそも自分の都合に巻き込んでしまった以上、自分が引っ込んでいるのはおかしいと思ったからだ。

 命を賭けた戦いの前とは思えない和やかな雰囲気が辺りには満ちている。そもそもほぼ無法地帯だった霜国にいたのだ。毎日が戦いだった。それに比べれば、ルールが決められた戦いはまだ安心できるのかもしれない。

 

 

 金木犀を思わせる甘い香り。この香りがわかるのは戦場に立っている人間だけだ。観客には何も通じない。梓国の戦い方が観客側からはあまり人気がないのは、敵がかかる幻術を観客は見ることができないからだ。それでも幻術を多用するのは、梓国王がそれだけ自国民の戦いを有利に進めようと考えているからだ。だが自分は前線に出ない狡さもある。深く息を吸い込めば頭の芯が眩むような中で、それぞれが臨戦態勢に入る。

 見極めなければならないのは、誰が将であるかだ。必ず誰が将なのかわかるように、腕に赤い紐を巻いている。けれど大抵は目立たない場所に隠れているものだ。何よりも予想よりも強い幻術が思考を邪魔する。

 観客は派手な戦いを望んでいる。向こうがこちらにあり得ない幸福の景色を見せて溺れさせようというのなら、こちらもあり得ない景色を見せればいい。天青は左耳のHertz-Maschineの端末に触れた。その途端に、人工的な光に照らされていた闘技場が夜のように暗くなる。明るい中で赤い紐を見つけるのは困難だが、蓄光する染料で染められているため、暗闇に沈んで数分が一番見つけやすくなる。これは以前に青虎が考えていた作戦だ。そもそも暗い場所での戦いの方が全員慣れている。

 急に訪れた暗闇に相手が戸惑う中で前衛が突入する。相手が動揺している間にできるだけ無力化しながら、狙うべき場所を探る。隠れていても、人間が全く動かないというのは基本的に不可能だ。微かに光る赤色が揺れた瞬間に、天青は次の攻撃を繰り出した。闇に紛れる漆黒の獣を召喚し、それを一斉に赤い光の元へ向かわせた。

 断末魔が聞こえる。

 遅れて戦闘終了の合図が聞こえ、天青は息を吐きながらHertz-Maschineの攻撃を解除した。明るい景色が戻ってくる中で、天青たちは喜びに声を上げることもなくその場を後にした。

 

 

「好評らしいよ、この前の」

「……あいつらを喜ばせるためにやってるんじゃないんだけどな」

 霜国王としての初陣が終わって一週間。攻撃力がさほど高くない割に派手だった戦闘は、塔の観客たちには好評だったらしい。評判は聞かないようにしているが、いやでも耳に入ってくる。

「で、巷では悧国との再戦の希望が多いらしいけど」

「対戦相手を決めるのは興行主だろう。俺たちにはどうにもできないことだ」

「まあでも観客の希望は無視できないんじゃない? 何しろ観客はコレ持ってるから」

 青虎は親指と人差し指で円を作る。つまりは金だ。金がなければ運営もできない。観客の希望にはある程度答えていかなければ、興行主としてはその金が得られないということだろう。

「この調子だと、当たるのもそう遠くはないと思うけど」

 どうするの? と目で問われる。どうするもこうするも、基本的に興行主の決めた対戦を断ることはできない。そして以前のように互いに引き分けを狙う戦いも今度は難しいだろう。そんな戦いを望まれてはいない。見たいと思われているのは本当に命をかけた殺し合いなのだ。

「――自分で戦わない奴らは、勝手なことばかり言うな」

 思わず溢した言葉は本音だった。命をかけているのは、苦しんでいるのはこちらなのに、安全な地上から見下ろす人間たちは、まるで商品についてのようにああだこうだと好き勝手なことを言う。

 仮に悧国と当たることがあれば、そのときは流石に無傷で帰れるようなことはないだろう。どちらかの命が失われることを観客は望んでいる。そこにどんな切実な思いがあるかなど、知るつもりもないのだろう。



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休日

ある休日、琥珀はかつて自分が育った施設へ向かう。


 その日は戦闘の予定もなく、他の仕事も思いの外早く終わったので、琥珀は基地の裏手にある施設に向かった。そこは玉髄が建てた遺伝子操作児を集めた施設で、近衛兵の全員がこの施設の出身だ。そして琥珀も忙しい玉髄が託児所代わりに使っていたがために、在籍はしていなかったのに長い時間をここで過ごした。

 この施設にいられるのは悧国での基本教育が終わる十八歳までだ。近衛兵はほとんどが十八歳を超えているので、玉髄が生きているうちに施設を出ることになった。琥珀が王になったときはまだ所属していた数人も、近衛兵に任命されると同時にここを出て基地の中の居住区に住んでいる。

 基本的に門はしっかり施錠されているので、琥珀は柵越しに中を覗き込んだ。子供たちがぐるぐると走り回ったり、遊具で遊んだりしている。血生臭い琥珀の日常とはかけ離れているようで、実はすごく近くにある光景だ。無邪気に遊んでいるように見える子供たちも、やがて琥珀たちと同じ運命を辿る。ここにいる子供たちの中で、二十歳を超えても生きられる人間はほとんどいないのだ。

 暫く中の様子を眺めていると、子供たちと一緒に遊んでいたふくよかな女性が琥珀に気がついて駆け寄ってきた。彼女はこの施設の施設長だ。琥珀や近衛兵たちのこともよく知っている。

「そんなこっそり見てないで、中入って」

「あ、でも……本当に暇だから見にきただけで」

「暇ってことは平和な証拠ね。いいことだわ」

 施設長に言われるがまま、琥珀は施設の中にひさしぶりに足を踏み入れた。数人は初めて見る顔ぶれだが、大体は顔くらいは見たことがある。遊んでいた子供たちは琥珀に気がつくと、元気に挨拶をしてきた。子供とは現金なもので、挨拶をしたらすぐに遊びの方に夢中になっていく。琥珀はその様子を見て微笑んだ。

「――そうだ。これ」

 誰も琥珀たちの方を見ていないことを確認してから、琥珀は施設長に封筒を手渡した。中にはさほど多くはないが紙幣が入っている。この施設の運営は公費でまかなわれているが、それだけでは厳しく、寄付を募っていることもあることを琥珀は知っていた。けれど私情で予算を増やすわけにもいかない。だからこれは琥珀が自由にできる金を寄付として渡しているだけだ。

「こんなにたくさん、貰えないわよ」

「気にしないで。賞金は戦闘に出た人全員で山分けって規則は守ってるし、私だけの分だからそんなに多くはないんだけど……」

 他国との戦争に勝てば、国に入る金とは別に、個人に幾許かの賞金が出る。個人に出た金は自由にしていいというのは玉髄の時代から続く悧国の規則だ。

「でもこれ、今までの分全部なんじゃ」

「あんまりお金使わないから、貯め込んでおくよりは使ってもらったほうがいいと思うし」

 施設長は暫く何か言いたそうにしていたが、やがて琥珀の申し出を受け入れて封筒をしまった。

「――施設長、準備できました」

 そんなやりとりが終わったところで、二人の後ろから明るい少女の声がした。それに反応して振り返った琥珀と少女の視線がぶつかる。

「琥珀……様?」

「様とかいいよ別に。同い年なんだし」

 少女の名前は(けい)。彼女もこの施設の一員で、年齢は琥珀と同じ十七歳だ。近衛兵たちと同じく、琥珀とは幼い頃からの付き合いだ。けれど王になってからは久しぶりに顔を見る。

「準備できたのね。それじゃあ――」

 施設長と螢のやり取りを聞いて、琥珀は確信を得る。螢は今日この施設を出ていくのだ。その引越しのための準備が終わったことを施設長に言いに来たのだろう。

「実は、住み込みで働ける仕事が決まって……まだ学校もあるんだけど、仕事先からの方が学校が近いから、越してきたらどうかって言われたの。仕事もまずバイトとして始めてもらって――って」

「そっか。よかったね」

 螢は以前から武器を作る仕事をしたいと言っていた。その希望が叶った形らしい。この施設にとっては、近衛兵たちを除けば久しぶりに円満な旅立ちということになる。

「いつか琥珀たちの武器も作れるかな。早く一人前になれるといいんだけど」

 螢の表情が曇った。遺伝子操作児である以上、螢は一人前になる前に命を落とす可能性すらある。現状、近衛兵たちを助ける方法さえわからない中で、螢に無駄な期待を持たせるようなことも言えなかった。

「琥珀もみんなもすごく頑張って戦ってくれてるから、私も頑張ろうって思ったんだ。ちゃんとお礼が言いたかったから、今日会えてよかった」

「うん、私も」

 螢はすごい――琥珀は素直にそう思った。何もない自分とは違って、螢は自分自身のやりたいことをしっかりと持っている。その命があと数年のうちに失われるとわかっていても、その目には光が宿っていた。

 そのあと螢は職員たちに花をもらったり、子供たちから折り紙で作ったプレゼントをもらったりしていた。けれどここを出ていくような年齢になったということは、終わりが近付いているということでもある。それを思うと、琥珀は胸の奥にちりちりとした痛みを感じた。

 このまま何もせずにいたら、別れは避けられない。けれどこの理不尽な世界の壊し方は何も思い付かないままでいるのだ。

 

「じゃあね、琥珀。いつかみんなの武器を作れるくらいの職人になるから」

 

 螢は明るく笑う。けれどその日は巡ってこないのではないか――そんな予感が頭をよぎり、琥珀は上手く笑うことができなかった。



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王か少女か/束の間の仮面の/潰えた未来

ハロウィンツイノベ、ペーパーウェル、300字SSの企画で書いたものをまとめました。


『王か少女か』

 

「いや、ごめん。私だよ……」

 死神の仮面を外して、申し訳なさそうに琥珀(こはく)は言った。仮面で正体が隠せるからと選んだ衣装だったが、子供たちにとってはただ怖いだけだったらしい。死神の正体がわかった途端に安心した子供たちが琥珀に群がる。

「大人から見れば、正体が王様ってのも怖いけどねぇ」

 

 そう呟いたのは桃簾(とうれん)だ。可愛らしい魔女の格好をした彼女は、子供たちにお菓子を配りながらも幼い王の少し困ったような笑顔を見ていた。

 殺した人間の数は既に両手両足では足りないくらい。けれど本当は子供が好きで、恥ずかしがり屋で、少し気分屋の、普通の少女だ。そのことを、近衛兵である自分達も、そして琥珀自身も忘れかけているのではないか。時折そんなことを考えてしまうのだ。

 

◆◆◆◆

 

『束の間の仮面の』

 

 塔の下にある、棄民たちが暮らす四つの国にもそれぞれ行事のようなものはある。中でも()(こく)は比較的治安が良いこともあり、クリスマスやハロウィンなんかの祭りが開催されていた。とはいえ治安が良いというのはあくまで他に比べてでしかない。中心街でのこのハロウィンパーティーも、あと一時間もすれば乱闘のひとつやふたつは発生するだろう。中心街を見下ろせる建物の屋上で、黒いフードを目深にかぶった琥珀(こはく)は溜息を吐いた。

 そのとき、琥珀の背後で物音がした。ここは穴場だと思っていたけれど、他にも知っている人がいたのだろうか。そう思って振り返った瞬間に、琥珀は自分の行動を後悔した。

「ハロウィンだからって浮かれてんじゃねぇよ、クソ兄貴」

 父親代わりだった玉髄(ぎょくずい)が見つけた場所だから、当然兄の天青(てんせい)も知っている。それを失念していた。というか来るとは思っていなかった。しかもしっかりと仮装――いや、琥珀の知らないアニメのコスプレをして。

「……ハロウィンの意義わかってる?」

 ハロウィンで仮装するのは、悪霊や妖精などの姿をして戻ってくる死者たちに気付かれないためだ。つまるところ不気味な格好をしなければならないのだ。

「いいだろ、別に。実質仮装パーティーになってるわけだし。そもそもこの世界に悪霊も妖精も神もいないんだから。ていうかお前のそれは仮装なのか?」

 琥珀が見下ろしているパーティーも、実際のところみんな好き勝手な格好をしている。どうせ悧国のハロウィンなんて、ただの仮装大会だ。だから今更コスプレをしている人を責めるようなものでもないのだが。

「昼間に施設の職員の手が足りないからって駆り出されたんだよ。で、一応死神の衣装貸してもらったんだけど、仮面が怖くて子供が普通に泣いたから外したの」

「なるほど。でもそれ普段着と大して変わらなくないか?」

 さすがに私服でマントは着ないけれど、真っ黒で顔があまり見えないというところは確かに普段とあまり変わらない。プラスチック製の安っぽい大鎌は邪魔だったので置いてきてしまった。仮装に見えないのは琥珀も認めざるを得ない。

「そもそも何で霜国(そうこく)の王になった人間が遊びに来てるんだよ」

 既にトリックオアトリートの儀式を終えてきたのか、天青はお菓子がたくさん入った袋を提げていた。お気楽なものだ。天青も琥珀と同じく王のはずなのに。

「気晴らしに?」

「自分の国でやれよ」

「どう考えても今の霜国でやったら人が死ぬレベルの乱闘になると思うが」

 それをどうにかするのが王の仕事ではないのか。天青が王になった後、多少は治安もよくなったとは聞く。けれど長らく無法地帯だったために、すぐに改善することは難しいのだろう。

 琥珀は天青との会話をそこそこに切り上げて帰ろうとした。そもそも外の風を浴びに来ただけで、ハロウィンパーティーに参加するつもりはあまりなかったのだ。琥珀はわざと天青にぶつかりながら、その横をすり抜ける。しかし天青に呼び止められて、琥珀は溜息を吐きながら足を止めた。

「何?」

「ハロウィンと言ったらアレだろ」

「お菓子も悪戯もお断りなんだけど」

 悪戯されたらその場で首を刎ねてやろうか。そう思いながらも、今日は帯刀していなかったのだと琥珀は残念に思った。

「そういや何で死神なんて選んだんだ?」

 施設に用意されていた衣装には、それこそコスプレに近いような可愛らしいものもあった。でもそれは他の近衛兵の面々が着た。琥珀がこの衣装を選んだ理由は単純だ。

「顔が隠れるやつがこれしかなかったから。でも仮面は結局意味なくなったけど」

 本格的すぎて子供にはただただ怖かったらしい。前に使った狐面でも使おうかと思ったけれど、洋風の出で立ちに狐面が合わなかったのでやめた。

「それに……別に意外でもないんじゃない、死神?」

 悧国の王になってから、数え切れないくらい人を殺した。一部では死神と呼ばれていることも知っている。そして自分がやっていることが何の意味もない行為かもしれないこともわかっているのだ。

「――わかってるのに続けるのか?」

 天青の問いに、琥珀は何も答えなかった。意味がなくても、心が摩耗していこうとも、今はこの道を進むしかないのだ。

「関係ないでしょ。もうこの国の人間じゃないんだから」

「このまま続けるなら、俺はいつかお前を殺さなきゃいけなくなる」

「……殺される、の間違いでしょ」

 琥珀はそのまま屋上を出て行った。誰も彼もが正体をなくして浮かれる街。仮面をつけられたら、もしくはちゃんとした仮装だったら、自分にもそれができたのだろうか。パーティーとは対照的な闇の中に、漆黒の死神の姿は溶けていった。

 

 

 そしてその数分後。琥珀を追いかけても怒られるだけだとわかっていたので、天青は一人になった屋上からパーティーを見下ろしていた。どうせならここでもらったお菓子を食べるのもいいかもしれない。そう思って袋の中に手を入れた天青は、中のお菓子が数個減っていることに気が付いた。

 そういえば、琥珀はあのとき何故かわざとぶつかってきた。そして琥珀のしていた死神の仮装は、フード付きの長いマントがあるために、その下に物を隠しやすい。

「あいつ手癖悪すぎないか……?」

 しかも高額なお菓子ばかり盗まれている。天青は溜息を吐いた。

「……お菓子も悪戯もしてるな」

 明らかな窃盗を悪戯と解釈してもいいなら、だが。ハロウィンを楽しみたい気持ちは少しはあったのか、それともただの嫌がらせか。どちらにしろしょうがない奴――琥珀に聞かれたら間違いなく怒られそうなことを、天青は考えていた。

 

◆◆◆◆

 

『潰えた未来』

 

 自分がやってきたことが全て無駄だったとわかったとき、そして動き出したものが止められないとわかったとき、人はどうすればいいのだろう。

 知ってしまった真実を、誰にも言うことはできなかった。言ってしまえば未来が失われてしまうから。仲間に希望を持たせたのは私だ。その私が、「やっぱり無理だった」なんて言えるだろうか。遠くない未来に、その運命が尽きることになると告げられるだろうか。

 パンドラの箱の中に最後に残ったのは希望だという。でもその箱の中には厄災が詰まっていたのだ。それなら希望とは、本当は厄災なのかもしれない。

 希望さえ抱かなければ、未来に絶望することもなかったのかもしれないのだから。




ハロウィンツイノベはちょっと加筆しました。


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