ロクでなし魔術講師と魔術教授 (眼鏡鏡眼)
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魔術学院テロ編
プロローグ


 一巻分のプロットは書き終わってる。
 だから多分大丈夫……うん。多分、大丈夫。


 

 

 

 それは、とある日の正午の出来事。

 

「──という訳で。僕はつくづく思うのだよ、セリカ。人間、働いたら負けだなと」

 

 そう言って、白髪の青年──ルイはほどよい熱さになった紅茶を口に含んだ。

 その紅茶はルイの数少ないお気に入りの一つだった。希少価値が高く、なかなか出回らない代物だ。

 それをわざわざ仕入れて、旧友の元へと訪れた妙齢の女性──セリカは、ルイの言葉に眉をひそめた。

 

「……それが、私のお願いを断る理由か?」

 

「そうだとも。そもそも僕は、働く必要がない」

 

 ルイの言葉と共に、ルイの後ろから大理石の如く白い肌のメイド服を着た女性──の形をした、ゴーレムが現れた。

 ゴーレムがトレイに載せたできたてのパンと新豆スープをテーブルに2人分、並べてくれる。相変わらず完成度の高いゴーレムだな、とセリカは呆れた。

 これが、ルイの働く必要がない理由だった。

 ルイは世界有数の魔導大国である、アルザーノ帝国が誇る魔術師──もとい、錬金術師だ。特にゴーレムの製作に定評があり、ルイよりもひとつ上の階梯の『第七階梯(セプテンデ)』に至ったセリカですら、この人間の女性と見紛うほど美しい精巧なゴーレムを作り出す事はできない。

 そのため、ルイには軍や好事家な貴族たちから、さまざまなゴーレムを製作してほしいという依頼が舞い込んでくる。

 ルイはそのゴーレム製造のために、自宅の地下に大規模な魔術工房を作り、さらに製造専用のゴーレムを何体か作って、依頼を任せている。

 そんなルイに付いた二つ名は、『石の人形師(ゴーレム・マスター)』。

 

「……それでも、茶葉の義理くらいは果たしてくれてもいいと思うんだけどな?」

 

「それなら、キミのために本来必要のなかった2人分目の昼食を用意してあげた。これで十分だろ?」

 

 そう一方的に告げて、ルイが苺ジャムの塗られたパンに齧りつく。「全然割にあってないだろ」とセリカはため息をこぼした。

 

「なぁ、頼むよルイ。グレンが非常勤講師として採用されるには、お前がアルザーノ帝国魔術学院に戻るのが条件なんだよ」

 

 セリカが縋り付くような顔をして、見つめてくる。

 グレン、というのはセリカの弟子の名前だ。たしか今は以前の職を辞めて一年間、ずっと無職。顔はもうほとんど覚えていないが、ルイはまだグレンが幼かった頃に一度だけ会ったことがある。

 そのグレンを非常勤講師として採用する代わりに、学院長からルイがアルザーノ帝国魔術学院の教授として学院に戻ることを条件に出された。

 それが今回、セリカがルイの元を訪れた理由だった。

 ルイは首を横に振る。

 

「嫌だね。そもそも、今回の件はグレン君にも話してないんだろう? キミから聞いた話を考えると、彼は望んで無職でいるようだし、拒否される可能性が高い。なら、僕が学院に戻ったところで意味がなくなる」

 

 今回の件は完全にセリカの自己満足だ。ルイやグレンは巻き込まれているに過ぎないし、ルイとグレンの2人にとってプラスになるところが一つもない。

 

「さぁ、話は終わりだ。キミの弟子自慢とか、ロクでなし息子の愚痴も聞きたくないからね。その昼食を食べたら早く帰りたまえ」

 

 僕は失礼するよ、と言ってルイが席を立とうとした──その時。

 空気が鉛のように重くなるのをルイは感じ取った。次に、身を焦がすような熱さと、凍てつくような寒さ、体を突き抜けるような痺れに襲われる。

 ルイがその元凶たるセリカを凝視する。セリカの左腕には圧倒的な魔力の奔流が見てとれた。

 

「そうか、こんなにもお願いしてるのに……お前は聞いてくれないのか……じゃあ仕方がないな……」

 

 収束する魔力の渦に煽られて、セリカの豪奢な金髪が揺らめき、燃えるような赤い瞳が致命的な輝きを放つ。その様は、さながら魔王。

 ルイは心底迷惑そうに、ため息をこぼした。

 

「やる気かい、セリカ? 悪いけど、キミがそのつもりなら僕も本気で──」

 

「《ぶっ飛べ!!》」

 

 先手必勝と言わんばかりにルイの言葉を遮り、セリカが魔術を放つ。地獄の業火と絶対零度の吹雪と極大の雷光が、ルイを呑み込んだ。

 轟く破壊音。圧倒的な暴力を前にあらゆるものが吹き飛び、人間のような矮小な存在は塵すら残らないだろう──しかし。

 

「──キミは、人の話は最後まで聞きましょうって、習わなかったのかい?」

 

 舞う粉塵を手で払いながら、顔をしかめたルイが椅子に座っていた。そばにはメイド服を着たゴーレムもいる。あれだけの魔術攻撃にさらされて、無傷だった。

 

「……ちっ。上手く不意打ちできたと思ったんだけどな、化け物め」

 

 ルイの足元には青く光り輝く魔法陣が描かれている。セリカの放った魔術がルイを呑み込む瞬間、セリカはルイがメイド服のゴーレムごとドーム状の壁に覆われる瞬間を目撃していた。

 ルイの超高速錬金術だ。あの一瞬で、ルイはB級の軍用魔術3つの破壊力に耐えうる壁を作り出したのだ。

 

「キミに言われてもね……B級の軍用魔術を一小節で改変。しかも三重詠唱(トリプル・スペル)とか、キミこそ化け物にも程がある」

 

 ルイがおどけるように、肩をすくめる。家が半壊してしまったが、そんなものは錬金術でいつでも直せる。それより面倒なのは、破壊音の方だ。

 ルイの邸宅は市街地から離れた森の先にある。巻き込まれた人間はいないだろうが、騒ぎを聞きつけた警備隊あたりがその内こちらにやって来るかもしれない。

 取り調べとか、面倒ごとは嫌だ。

 さっさとこの迷惑な旧友を叩き出してしまおうと、ルイが魔術で大量のゴーレムを呼び出すために、ズボンのポケットに手を突っ込む。

 

《其は摂理の円環へと帰還せよ・五素は五素に・象と理を紡ぐ縁は乖離せよ》

 

「──え?」

 

 虚を突かれて、ルイが目を丸くする。

 見れば、突き出されたセリカの左腕で5つの魔法陣が収束し、重なり、極光を放ち始めていた。

 ──黒魔改【イクスティンクション・レイ】。

 セリカを『第七階梯(セプテンデ)』たらしめる、外宇宙の神の眷属すら消滅させた神殺しの魔術。この魔術は万象を元素レベルにまで分解する。つまり、いくら錬金術で堅牢な壁を作ろうとも意味がない。

 

「うわ、それズルイ」

 

 ルイはポケットの中で掴んだものを取り出さず、空いている右手で、神殺しの魔術から逃れるための回避の魔術を全力で行使した。

 

 

 



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一章 ロクでなしと、ロクでなし①

 

 

 

 セリカの黒魔改【イクスティンクション・レイ】によって、邸宅を完全に消し飛ばされてから1ヶ月が経った頃。

 

「はぁ〜〜〜〜〜〜……憂鬱だぁ……」

 

 徘徊する死者のごとく、猫背の体勢で重くて暗い雰囲気を纏いながら、ファジテの街を歩くルイの姿があった。

 シャツと黒のスラックス、その上から純白の白衣に袖を通している。

 アルザーノ帝国魔術学院の教授として戻る際に、講師用のローブを支給されたが、あんな重苦しくて窮屈ものは着ていられないとタンスの奥にしまい込んだ。

 髪型も1ヶ月前まで邸宅に引き篭もっていた頃とは打って変わって整えられており、見てくれだけはかなり良い。

 それをマイナスにして余りあるほどに、ルイは負のオーラを周囲に放っていた。

 すれ違う人々がルイの姿を見て、小さな悲鳴を上げて避けるように通り過ぎていく。

 しかし、そんな事は今のルイにとって些事だ。

 セリカに邸宅を消し飛ばされたことで、ルイは仮住まいに転居せざるを得なくなった。しかも、収入源たる魔術工房も一緒に消し飛ばされた。さすがにルイと言えど、あれだけの魔術工房を作るとなると資源とお金と時間が圧倒的に足りない。

 そのため比較的に安価な所に住むしかなかった。それなら良いところがあるぞと勧められたのがファジテにある、学生が多く住むアパートの一室だった。

 新たな働き口となるアルザーノ帝国魔術学院からも近いし、良かったじゃないかと今回の顛末の元凶たるセリカは笑っていたが、冗談ではなかった。

 いつか、あの女には天罰が下るだろう……というか、下れとルイは唾を吐き捨てた。

 

(……しかし、いつまでも恨み言を言っても仕方がないか)

 

 憎しみは怒りに転じ、怒りは体力を消耗する。無駄な体力を使いたくない。

 それに、憎しみと怒りに任せてセリカに挑んだところで【イクスティンクション・レイ】を使われてしまえば、ルイには立ち向かう術がない。

 ここは大人しく、従っておくのが吉だ。

 そう自分を納得させて、ルイが建物の角で曲がろうとした時だった。

 

「おっと」

 

「いってぇっ!?」

 

 誰かと、ぶつかった。

 衝撃で視線が下に移り、数歩だけ後ろによろめく。次に視線を戻したときには、不機嫌そうに顎を突き出してこちらを下から睨みつける青年の顔があった。

 

「おい、てめぇ。どこに目つけてんだよ!?」

 

 教科書に出てきそうな、見事な不良青年のメンチの切り方だった。

 無意識にルイは青年を観察するように、目を細める。

 黒髪黒瞳。目鼻は整っているが、平均的な顔の作り。中肉中背。今は姿勢が悪そうに見えるが、体幹はしっかりしている。おそらく、何かの武術の経験者。シャツの胸元から一瞬だけ、大きな傷がいくつか見えた。戦場帰りの兵士か。着用している服はどれも上等。しかし、なぜか傷だらけでボロボロ。

 

「──お、おい? 聞いてんのか?」

 

 青年に再び声をかけられて、はっとする。

 そうだった。自分はこの若者にぶつかって、絡まれているんだった。ルイは瞬時に自分が取るべき行動を弾き出し、口を開いた。

 

「申し訳ない。こちらの不注意だった……どこか、怪我はないだろうか?」

 

 申し訳なさそうに眉根を下げて、謝罪した。

 この青年は虚勢を張っているだけだ。本当は小心者で、権力には弱いタイプ。軽く脅せば、たちまち逃げ去っていくだろうが、今のルイは少し機嫌が悪かった。だから、この青年をちょっとした憂さ晴らしに利用しようと考えた。

 ルイの反応に、青年は少し安心したように表情を緩めると、すぐさま人相の悪い顔になって詰め寄ってきた。

 

「大した怪我はしてないんだけどよぉ……今回はアンタの不注意でぶつかっちまったわけだろ? ならさぁ、謝罪もいいけど、ちょっと誠意も見せてほしいよなぁ?」

 

 そうしてワザとらしい下品な笑顔を浮かべる青年に、ルイは少し怯えたフリをして鞄から財布を取り出し、お金を抜き出す仕草をしながら手の内側で錬金術を起動してお金を作り出した。

 それを何事もなかったように青年に手渡す。

 

「すまない、これで足りるだろうか?」

 

 多すぎず、少なすぎず。手渡されたお金を見て青年はほくそ笑んだ。

 

「へっ。分かってるじゃねぇか、アンタ。次からは気をつけろよ?」

 

 そう言って、上機嫌にスキップしながら立ち去っていった。

 おそらく青年はすぐにでも売店に寄って買い物をするだろう。そこでお金を使おうとして、錬金術で作られたお金だと知ることになる。

 錬金術で作られたお金を使うことは法律で禁止されており、使用した場合は法的に重い罰が下るわけだが……あの青年がどうなろうと、ルイの知ったところではない。

 いくらかこれで、気晴らしになったというものだ。

 ルイは再び、魔術学院に向かって歩き始めるのだった。

 

 

 

 



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一章 ロクでなしと、ロクでなし②

 

 

 

 アルザーノ帝国魔術学院。

 数々の著名な魔術師を輩出した、由緒正しき学院である。

 魔術を学び、後に大成せんと志を高く持つ生徒たちが集い、今日も勉学に励んでいる。

 2年2組の教室。現在ここでは放課後の前の最後の授業として『白金術』に関する講義が行われていた。

 担当講師は、1ヶ月前に50年ぶり(・・・・・)に戻ってきたと噂される魔術教授、ルイ=ガルディエーヌ。

 七段階ある魔術師の位の中でも、実質人が到達できる(・・・・・・・)最高位と言っても過言ではない『第六階梯(セーデ)』に至った天才。特に彼の錬金術は国内でも最高峰であり、『石の人形師(ゴーレム・マスター)』という二つ名は国外にまで広く知れ渡っている。

 教室中にカツカツと、規則的なチョークの音だけが響き渡る。静謐が教室を支配し、この高名な魔術師の教えに不満をもらす者などいるはずが──

 

「──いい加減にしてくださいっ」

 

 ──いた。

 一番前の席に座っていた銀髪の少女が声を荒げて立ち上がった。この少女は学内で成績優秀者として有名であり、また、『教師泣かせ』の異名を取ることでも有名な少女だった。

 成績優秀な少女が、理由もなく高名な魔術師の講義に文句を言うはずがない。必ずそこには明確な理由があった。

 

 ──ギギギギッ。

 

 石と石が擦り切れるような音が響いた。教室内であれば本来響かないような音である。その音の正体は──黒板前でチョークを持ったゴーレムだった。

 

『どうかしましたか、システィーナさん』

 

 振り向いたゴーレムが、チョークで黒板にそう書き込む。筆談である。

 銀髪の少女──システィーナが怒りを爆発させるように、机に両手を打ちつけた。

 

「どうもなにも、なんでゴーレムが授業をしているんですか!? ルイ教授はどうしたんですか?」

 

 システィーナの怒りはもっともである。2年2組の生徒たちは、あの高名なルイの講義を受けられると大いに期待していた。

 それがなんとゴーレム。しかもこのゴーレム、教科書の内容を黒板に書き写しているだけなのだ。時折、教科書に載っていない内容が補説として書かれるが、それだけである。

 これなら、自習しているのと大して変わらない。

 システィーナの言葉は、教室内にいる生徒たちの不満を代弁したと言ってもいい。その言葉にゴーレムの対応はというと、

 

『想定外の質問です。別の質問をしてください』

 

「バカにしてるんですかっ!?」

 

 ゴーレムの業務的な回答に、たまらずシスティーナは怒鳴り声を上げた。

 

 

 

 

 

 

 時を同じくして、アルザーノ帝国魔術学院の裏庭にて。

 ゴーレムに講義を任せて、職務放棄したルイの姿があった。昼寝をするためである。

 大木のすぐそばに設置された木製のベンチ。ここが最近のルイにとって絶好の昼寝スポットだった。

 しかし、今日は先客がいた。

 

「……ぐかーっ、ぐかーっ……」

 

 黒髪黒瞳の青年だった。よだれを垂らし、下品で大きな寝息を立てている。

 今日の朝、錬金術で偽のお金を渡した青年だ。まさか、この学院の関係者だったとは。

 

「……そこのキミ、邪魔だ。起きたまえ」

 

 ルイがパチンと指を鳴らすと、ベンチの上に魔法陣が浮かび上がる。すると突然ベンチが馬の形に変形し、ずり落ちた青年を後ろ足で蹴り飛ばした。

 

「うっぎゃあぁあああああああ!?」

 

 突然の暴力に晒され、地面を十数メートルほどゴロゴロと転がり、青年は大木に顔から激突した。

 起き上がり、状況を把握した青年が肩を怒らせてルイの元へ詰め寄ってくる。

 

「おいコラ、てめぇ! 人がせっかく気持ち良く昼寝してた時になにして──って、あぁーーっ!?」

 

 目を血走らせて、まくしたてるように喋る青年がルイの顔を視認して、指差した。

 

「お、お前! 今日の朝ぶつかった──」

 

「いいえ、人違いです」

 

「んなわけあるか!?」

 

 顔を背けたルイが小さく舌打ちする。蹴り飛ばされたショックで記憶が飛んでくれればよかったのだが、そう上手くはいかなかったらしい。

 青年がルイの胸ぐらを掴む。

 

「てめぇ、あのとき俺に偽の金を渡しただろ!? あの後俺がどれだけ大変な目にあったか……っ!」

 

「知らないよ。騙されたキミが悪い」

 

 面倒臭そうにため息をこぼすルイ。青年が「なんだとっ?」とさらに怒気をにじませる。

 

「この野郎……偽のお金を渡されたって、訴えてやるからな!」

 

 青年の言葉に、ルイが右の眉根を上げる。

 

「へぇ? 別に構わないが、キミはぶつかっただけの一般男性を脅して、取ったお金が偽物だったと言う気かい?」

 

「んなっ!? ……別に脅してはないだろっ?」

 

「身知らない人間にお金を渡す理由なんて、そうそうないと思うけどね。それに僕の証言にもよると思うよ……ちなみに、キミはこの学院の講師かい?」

 

「ん? あ、あぁ……非常勤だけど」

 

「ほう、階梯は?」

 

「……第三階梯(トレデ)

 

 口ごもる青年に、ルイは冷笑を浮かべた。

 

「僕はこの学院の教授だ。階梯は第六階梯(セーデ)……さて、地位も実績も上の僕の言葉とキミの言葉、どちらの信頼性が高いのだろうね?」

 

「な……っ!?」

 

 驚愕に目を見開いた青年が口をパクパクと震わせる。

 自分と同じくらいの年齢に見える男が、学院の教授。しかも第六階梯(セーデ)

 青年は不遜な態度から一転して、へつらうような笑みを浮かべて、握っていたルイのシャツの襟を離し、綺麗に整える。

 

「し、失礼しましたぁーーっ!?」

 

 そして、逃げるようにその場を立ち去った。

 朝会った時に予測した通り、権力に弱い人物だった。職や階梯など、名声や権力に関して一ミリも興味のないルイだが、こういう時には役に立つなと頷く。

 

「……さて。邪魔者も消えたことだし、寝るとしようかな」

 

 馬に変形した木製のベンチを再び元の形に戻し、ルイは横になった。

 

 

 



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一章 ロクでなしと、ロクでなし③

 

 

 

 『第七階梯(セプンデ)』に至った魔術師、セリカ=アルフォネアが推薦したと噂される非常勤講師──グレン=レーダスがアルザーノ帝国魔術学院に赴任してから、早一週間が経過した頃。

 グレン=レーダスの悪評(・・)がルイの耳にも入ってくるようになった。

 その悪評によれば、グレン=レーダスにはこの学院に身を置く者であれば当然持ち合わせている魔術に対する情熱や、神秘に対する探究心というものがまるでなかった。

 授業は毎日遅刻。授業の質は日を追うごとに悪くなり、教科書を黒板に打ち付けるようになった。生徒の質問には答えず、ついには生徒から挑まれた決闘に敗北し、その誓いすら反故にしたらしい。

 魔術師の風上にも置けぬ振る舞いに、グレンと周りの講師陣や生徒たちとの間に致命的な軋轢が出来てしまっていた。

 ルイがこの学院に来てから、グレンの講義の様子を初めて見たのは、そんな頃だった。

 研究室に戻ろうと2年2組の前を通り過ぎようとした時である。

 普段、噂やら人の評価などまったく興味のないルイだが、2年2組のクラスプレートを見て件の悪評を思い出し、気まぐれにその様子を見ようと、廊下側の窓から教室の様子を覗き込んだ。

 

「──まさか、あの青年がグレン君だったのか」

 

 ルイが目を見開く。噂のグレンは、最近何度か関わりがあったあの青年だった。

 教壇の前ではグレンが、アンデットのような緩慢な動きでチョークを動かし、ほとんど解読できないような文字を書き連ねている。

 生徒たちとはと言うと、皆、グレンの授業を完全に無視して自習に励んでいた。ほんの一部、少しでもグレンの授業から何かを得ようと懸命に耳を傾けている者もいたが、まぁ、無駄だろう。

 意欲のある生徒たちにとっては災難だし、ルイも同情はするが……自分には関係のない事だ。

 

(……まぁ、せいぜい頑張りたまえ。若人たち)

 

 ルイがその場から立ち去ろうと振り返った時、ちょうどチャイムが鳴った。時間は正午。昼食を摂ろうと、たちまち各教室から大勢の生徒たちが出てきた。

 

(しまった。面倒なところで寄り道してしまったな……子供が、多すぎる)

 

 ルイが辟易と、顔を歪めた。

 ルイは子供が苦手だ。彼、彼女たちは熱気に満ちていて、純粋で、姦しい。

 それに、子供にはあまり良い思い出がない。できるだけ関わりたくない存在だった。

 さっさとこの場から立ち去ろうとするも、人の波に呑まれて中々思うように進めない。そうこうしている内に面倒な相手に見つかってしまった。

 

「──ルイ教授! ルイ教授ですよねっ?」

 

 振り返ると、銀髪の少女が人の波を超えて、詰め寄ってきた。2年2組の生徒……たしか、名前はシスティーナ=フィーベル。大貴族であるフィーベル家のご令嬢だ。

 

「……何か僕に用かな? システィーナ君」

 

 面倒くさいなという感情を押し殺し、努めて紳士的な笑顔を作るルイ。彼女の顔を見れば、虫の居所が悪いのは一目瞭然。おおかた、自分に文句を言いに来たのだろう。感情を逆撫でするような態度は控えた方がいい。

 

「大ありです! 前回のルイ教授の授業、なんだったんですかアレは!? ゴーレムに授業をさせるなんて……職務放棄ですよっ?」

 

「……それは、すまない。僕も自分の研究に忙しくてね。手が回らなかったんだ」

 

 システィーナにまくしたてられ、そう謝罪する。

 ちなみに、忙しいというのは嘘である。

 学院に来てから一度も研究らしいことはしていない。気まぐれに学術書や論文を読んだり、昼寝したりするだけ。

 たまに研究室に他の教員や生徒が訪れる事もあるが、居留守を決め込むか、今は忙しいとすぐに追い返していた。

 

「……それ、嘘ですよね?」

 

「ん?」

 

 システィーナが訝しむような目で、こちらを睨みつけてくる。なぜか、嘘だとあっさりバレてしまった。この手の嘘には自信があったのだが。

 

「ルイ教授、他の教室の授業でもゴーレムに授業をさせていますよね? あと、よく学院の裏庭で昼寝しているっていうのも聞きましたよ……?」

 

 前言撤回。どうやら自分はこの手の嘘が下手だったようだ。というか、嘘を相手に信じ込ませるためには、まずその隠したい事実を相手に徹底的に伏せなければならない。ルイは、自分の職務怠慢を隠そうとか、一ミリも考えていなかった。

 少し時間が経って、廊下を歩く生徒たちも少なくなってきた。

 

「……面倒だな」

 

「……は? 今、なんておっしゃいました……?」

 

 信じられないものでも見たように、システィーナが目を見開く。

 取り繕うのをやめて、ルイはため息混じりに首を振った。

 

「面倒だな、と言ったんだ。それに、ゴーレムに授業を任せていたのはキミたちの授業の様子を見て、ゴーレムでも問題ないと判断したからだよ」

 

 ルイの言葉に、侮辱されたと思ったのか、顔を赤くして肩を震わせるシスティーナ。

 

「……話は以上だ。僕は失礼するよ」

 

 これ以上、言葉を続ければより面倒な事になりそうだなと思ったルイは一方的に会話を断ち切って、その場から足速に立ち去った。

 

 

 



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二章 魔術教授は教えない①

ロクでなし、最新刊出ましたね!
皆さんはもう読みましたか? 怒涛の展開続きで目が離せませんよ!


 

 

 教室の窓から入ってきた涼やかな風が、優しく頬を撫でた。

 

「──ルイ先生(・・)!」

 

 瞳を輝かせて、1人の少女が駆け寄ってくる。大事そうに両手で包み込まれていたのは、一体の小さなゴーレムだった。

 

「見て見て! わたし、やっとゴーレムを作れるようになったんだよ!」

 

 その事実が堪らなく嬉しいようで、少女は満面の笑みを浮かべた。

 教え子のはしゃぐ姿が微笑ましくて、()は少女──リリィの銀糸の髪を優しく撫でた。

 

「すごいじゃないか、リリィ。ずっと頑張っていたもんな」

 

「うん! ルイ先生が付きっきりで教えてくれたお陰だよっ。ありがとう、ルイ先生!」

 

 教え子からの感謝ほど、教師冥利に尽きるものはない。何より僕は彼女がこの小さなゴーレム一体を作り出すのに、一ヶ月以上も試行錯誤していた事を身近で見てきた。

 その達成は、自分の事のように嬉しい。

 

「うわぁ! すげぇな、リリィ! なぁ、先生。オレにも作り方教えてくれよっ」

 

「ボクも、ボクも!」

 

「先生! あたしはこの魔術を教えてほしい!」

 

「あ、わ、わたしも、教えてほしい魔術があるんですけど……」

 

 リリィの後ろから、雪崩れるように小さな生徒たちが押し寄せてくる。

 

「ちょっと、みんな! いっぺんに来ないの! ルイ先生が困るでしょっ」

 

「はは。大丈夫だよ、リリィ。みんなにも教えてあげるよ」

 

 頬を膨らませるリリィを宥めて、僕はそう言って笑ってみせた────。

 

 

 

 

 

 

「────ぁ?」

 

 意識が、覚醒する。暗い室内に窓のカーテンの隙間から陽光が差し込んでいる。小鳥のさえずりがやけに響いて聞こえた。

 

「……まったく、嫌な夢を見た」

 

 夢、と表現したが、それはルイにとって過去だった。かつて、小さな生徒たちと過ごした陽だまりのような日々。

 幸せな思い出。しかしそれを思い出す度にルイの心は鉛のように深く、暗い底へと沈んでいった。

 強すぎる光の側ほど、影がよりその暗さを増していくように。

 これもきっと、あの学院に来たせいだなとため息をこぼす。もう長い事見なかった夢だ。それが、ここ最近子供を目にする機会が増えて、記憶中枢が刺激されたせいに違いない。

 最悪の目覚めだな、と悪態をこぼしながらルイはのろのろと緩慢な動きでベッドから起き上がった。

 

 

 

 

 

 

 ──時間は正午。アルザーノ帝国魔術学院、学院長室にて。

 

「それで? 僕に何の用かな、リック学院長」

 

 辟易とした態度を隠すこともなく、呼び出されたルイが目を細める。

 椅子に腰掛けたリックが、その態度に困ったような笑みを浮かべた。

 

「そう邪険にしないでもらえるかね、ルイ教授」

 

「……失礼。なにぶん今日は夢見が悪くてね。欠勤も考えたぐらいなんだ。それを我慢して出勤したというのに……呼び出しを食らうとか、面倒の極みだ。これぐらいの不満は許してほしいね」

 

 雇われの身とは思えない言動。普段のルイなら他者との面倒な衝突を避けるために、ある程度は取り繕って、波風立たぬように振る舞うのだが、今日はそこまで気が回らなかった。

 

「おい、ルイ=ガルディエーヌ……さっきからなんなのだ、その態度は!」

 

 怒気をはらんだ声が、横から突き刺さる。

 執務机の隣に並ぶように立っていた男が、ルイを睨みつけた。

 名前はたしか、ハーレイ=アストレイ。20代半ばにして第五階梯(クインデ)に至った若き天才魔術師。その代償か──前頭部が、かなり薄くなってきているようだが。

 

「おい、貴様!? 今、私の前髪を見て何か失礼な事を考えたろ!?」

 

 指摘されて、ルイが眉根を上げる。

 驚いた、今時の天才魔術師は読心術も収めているのか。

 

「……いや。別にそんな事は思っていないぞ、ハーゲイ君」

 

「ハーレイだ!! ハーレイ=アストレイっ。その名前の間違え方、デジャヴを感じるんだが!?」

 

 大声でまくしたてるハーレイに、ルイが顔を歪める。

 

「ちっ……室内で大声を出すな、頭に響くだろうが。気を遣え、ハゲ」

 

「き、貴様ぁ!? 今はっきりと言ったなぁ!? 私はまだ、ハゲてなどいないわぁーーっ!? ていうか貴様、口調が荒くなっていないかっ?」

 

「……キミが、煩いからだよ。そんな事よりも僕に何か言いたい事があるんだろう? 早く言いたまえ」

 

 ルイが誤魔化すように咳払いし、そう告げる。少々自分も頭に血が上り過ぎていたようだ。

 

「そうだぞ。落ち着きたまえ、ハーレイ君」

 

 やりとりを見守っていたリックも、そう諭す。少しだけ冷静さを取り戻したハーレイが眼鏡を押し上げて、忌々しげに口を開いた。

 

「ふん。まぁ、いいでしょう……ルイ=ガルディエーヌ。貴様を呼んだのは他でもない。貴様の勤務態度(・・・・)についてだ」

 

 ハーレイの言葉に、やはり面倒事だったか、とルイは小さくため息をこぼした。

 そんなルイの態度に、ハーレイが額に青筋を立てる。

 

「ルイ=ガルディエーヌ! 貴様がこの学院に来てから一ヶ月。貴様は何の研究もせず、授業すらゴーレムに任せているそうだな? これは完全な職務放棄だ! 第六階梯(セーデ)に至った魔術師として──この誇りあるアルザーノ帝国魔術学院に名を連ねる教員として、恥ずかしいと思わないのか!?」

 

「そのいちいち姓名(せいめい)を合わせて呼ぶの、疲れないか?」

 

「やかましい! いいから質問に答えろ!? ルイ=ガルディエーヌ!」

 

「……別に恥ずかしいとは思わないね。僕は元々、ここに戻ってくる気はなかったんだから」

 

 ルイが悪びれることもなく告げる。

 その答えを聞いたハーレイが怒気をはらませて口を開きかけるが、それを遮るようにルイが言葉を続けた。

 

「ただ、ゴーレムに授業を任せているのはキミたちの授業の様子を見て、それで問題ないと判断したからだよ」

 

 そう言ったルイが魔術を起動し、手品のように一冊の本を取り出す。それは、この学院で授業に用いられている教科書だった。

 

「……およそ400年前にこの学院が設立されて以降、今日に至るまで帝国における魔術の発展は著しい。優秀な魔術師が、次世代の優秀な魔術師を育成する──それを体系化し、長い年月を掛けて効率化、より洗練していったからだ」

 

 アルザーノ帝国魔術学院はおよそ400年前、時の女王、アリシア三世によって設立された。

 この学院では優秀な魔術師を何人も輩出しており、その功績は、魔導大国と称されるアルザーノ帝国の礎となっていると言っても過言ではない。

 

「今の学院にも、優秀な魔術師は大勢いる。第四階梯(クアットルデ)は当然ながら、第五階梯(クインデ)第六階梯(セーデ)……第七階梯(セプテンデ)も。名だたる講師陣が在籍し、学舎としては帝国内でも最優だろう──だけど授業、講師の質に関しては、以前よりも落ちた(・・・)

 

 その言葉に、今までルイの話を静かに聞いていたリックとハーレイが、目を見開いた。

 

「この学院に来てから一週間。キミたちの授業の様子を見て、よく分かったよ。キミたちの授業というのは、術式と呪文を分かりやすく翻訳して、覚えさせること──肝心の魔術文法と魔術公式については、ほとんど触れていない。これではより上位の文法公式が理解できない生徒が続出することになる」

 

 ルイの指摘は、正しかった。

 魔術の勉強と言えば、術式と呪文をひたすら覚えることであり、生徒から出る疑問はその習得と実践法についてばかり。

 そもそも、術式と呪文さえ覚えてしまえば魔術を起動できるのだから、その構造にまで目を向ける者はいない。皆、そういうもの(・・・・・・)だと思い込んでいたし、生徒たちにとって習得した魔術の数こそが優秀さの証だったからだ。

 

「教科書も文法や公式の解説よりも、覚える事を優先した論調だし、キミたち講師陣は自らの位階を錦の旗にして自己流の習得法や実践法をひけらかすだけ……承認欲求を満たすための、ただの自己満足だ」

 

 ルイは流し読みしていた教科書を閉じ、ハーレイにその教科書を投げつけた。ハーレイが慌てた様子で教科書を受け取る。

 

「それを授業と呼ぶなら、ゴーレムにだってできる。わざわざ僕がやる必要はない」

 

 それが、ゴーレムに授業を任せている理由だよ、と最後に付け足す。

 ルイの言葉に、さすがのハーレイも押し黙るしかなかった。

 その様子を見て、要件はこれで済んだろうと判断したルイが学院長室から出て行こうと振り返り、ドアノブに手をかける。

 

「……だから、貴方を呼んだのですよ。ルイ先生(・・)

 

 その呼び名に、ルイが一瞬だけ硬直する。振り返ると、リックが寂しそうな笑みを浮かべていた。

 

「50年前、ワシは貴方の授業を一度だけ受けた。ワシのこれまでの人生で、あれほど有意義な授業はなかった……だからこそ、貴方にもう一度この学院で、教壇に立ってほしいのですよ」

 

 沈黙が流れる。

 ルイとリックの間で、視線が交わる。ハーレイも聞き出したい事があったが、この二人の無言のやりとりに口を挟めなかった。

 少し経って、ため息混じりにルイが口を開いた。

 

「……無理だね。僕は子供が苦手なんだ」

 

 それは拒絶だった。ルイが今度こそ学院長室から出ようとドアノブを回す。

 

「……あぁ、それと。二度と僕の事を先生(・・)と呼ばないでくれ。その呼び名は好きじゃないんだ」

 

 出て行く前にそう告げて、ルイは学院長室を後にした。

 

 

 



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二章 魔術教授は教えない②

前回の投稿から少し間が空いてしまって申し訳ない。
エタッてはおりませんw

ただ少し、こんな感じで間が空くことは今後もあるかも……。


 

 

 

『先生ー。これ、全然できないよぉ』

 

 うっすら目尻に涙を浮かべた銀髪の少女──リリィが、こちらを見上げてくる。

 僕は彼女の前に描かれた魔法陣を覗き込んだ。

 流転の五芒──魔力円環陣だ。法陣上を流れる魔力の流れを視覚的に理解するための魔術。いわば学習用の魔術であり、特別な何かを起こすようなものではない。

 どうやら上手く魔法陣が起動しないようだ。他の生徒たちも同じようで、みんな首を傾げていた。

 呪文を間違えている者はいない。教科書を見る限り、触媒の配置や描かれている魔法陣にも間違いはない。

 しかし、全員に共通して言えることがあった。

 

『ははは。惜しいね、リリィ。水銀の量が足りていないんだよ』

 

『え? 水銀?』

 

 リリィが目を見開いて、自分が作った魔法陣を凝視する。魔法陣は水銀を使用して描く。リリィが描いた魔法陣は水銀の量が足りなかったのか、ところどころ線が細くなって断線している部分があった。これでは水銀を伝って魔力を通すことができない。

 他の子たちも多少の差異はあれど、魔法陣が断線してしまっている子が多くいた。

 

『いいかい、リリィ。魔術は一見、神秘的で奇跡そのものに見えるかもしれないけど、あくまでも一種の技術(・・)に過ぎないんだ』

 

 僕はリリィのそばにあった水銀の入った瓶を手に取って、魔法陣に向かって傾ける。

 

『結果には必ず理由がある。目に見えないものよりも先に、目に見えるものをしっかり認識しないといけないよ』

 

 たらした水銀を利用して断線した部分を補完し、リリィに呪文をもう一度唱えさせる。

 今度は魔法陣が起動し、水銀を伝って魔力が法陣上で流れ始めた。

 

『やったぁ! 先生、できたよっ! すごく、きれい……』

 

 眩い光を放つ魔法陣に、見惚れるリリィ。周りの生徒たちも感嘆の声を上げた。

 

『さ、みんなももう一度やってごらん。水銀の量には気をつけること。魔法陣を断線させないように。水銀が多過ぎてもダメだからね』

 

『『『『はーーいっ』』』』

 

 生徒たちの楽しいそうな声が教室に響き渡る。

 それは、かつてどこかの村にあった教室の授業風景。

 その日は穏やかで、ときおり教室の窓から入ってくる風が心地良かったのを僕は今も覚えている。

 

 

 

 

 

 

 ──某日。アルザーノ帝国魔術学院にて。

 学院長室に呼び出されて以降、ルイの勤務態度と言えば特に変わることはなく、読書か昼寝であった。講義に関しても、すべてゴーレムに任せている。

 こんな状態が一ヶ月も続くと、学院の講師陣や生徒たちからの評価も変わってくる。

 第六階梯(セーデ)に至った天才、『石の人形師(ゴーレム・マスター)』と世界的にも名高い魔術師として最初は尊敬の念を集めたルイだったが、今は完全に地に落ちてしまっていた。「ぐーたら」「金食い虫」「泥の人形師(マッド・マスター)(笑)」などの影口も叩かれている。

 特に多かった評価が「ロクでなし」。それは最近学院の非常勤講師として採用されたグレンの悪評の影響も受けていた。

 しかし、そんなことになっていても、ルイはまったく気にしていなかった。むしろ、最初の頃にたびたび研究室に講師や学生が来てた時よりも、今の敬遠されて誰も寄り付かない状態の方が好都合とすら考えていた。

 そのため、ルイは職務怠慢を取り繕うことすらしなくなった。

 

「──さて、今日も退屈な一日が終わったな」

 

 欠伸を噛み締めて、廊下を歩く。

 今日も今日とて、何事もなく一日が終わった。学院に来てからというのも、昔の記憶を夢に見たり、学院に出勤するまでの移動が面倒だったりするが……それだけでお金が貰えるなら割の良い話かと思う。

 ただ、やはりさっさと昔の生活に戻りたいとも思うので早くお金を稼がなければとも思う。

 

(……最近は誰も寄り付かないし、いっそのこと研究室をゴーレム生産用の工房に作り替えてしまおうか?)

 

 幸い、基本的な設備は整っている。そうしたらまたゴーレム製作の依頼を受けられる──そんな自分本位なことを考えながら歩いていると、ふと事務室の前で不審な挙動の人影が見えた。

 つい気になって、ルイは声をかけてしまった。

 

「おい、そこのキミ。何をしている?」

 

「ひゃいっ!?」

 

 人影──少女が飛び跳ねるように背筋を伸ばし、驚いた声を上げた。絹糸のような金髪を肩の長さまで伸ばした、美しい少女だ。

 名前はたしか、ルミア=ティンエンジェル。グレンが担当する、2年2組の生徒だったはすだ。

 ルイの顔を見るなり、青ざめたルミアが慌てて頭を下げる。

 

「る、ルイ教授!? すみません! 勝手に事務室に忍び込もうとしたりして……このお叱りは何でも受けますので……っ!」

 

「いや、別に謝らなくてもいいんだが……というか、確かにいけないことかもしれないが、未遂なのだろう? なら黙っておくか、適当に言い訳でもすればよかったのに」

 

 ルイの言葉を聞いて、「あ……」とルミアが口を開く。正直な子なのか、頭の回転が鈍い子なのか。ルイはため息をこぼした。

 

「それで? どうしてキミは事務室に忍び込もうとしたのかな?」

 

「えぇと……授業で分からないところがあって。その復習をしたくて魔術実験室の鍵を拝借しようと思って……」

 

「なるほどね。だが、魔術実験室の個人使用は原則禁止のはずだ。現場を誰かに見られたら厳罰は免れないぞ?」

 

「そ、そうですよね……」

 

 ルミアが縮こまるように、肩を落とす。自主的に分からないところを復習しようという姿勢は評価できる。しかし、ルールを犯してまでする事ではない。

 つい気になって声をかけてしまったが、あとはさっさとこの子を諭して、大人しく帰ってもらえばいい。

 そう思ってルイは口を開く。ルミアの少し不完全燃焼気味な、落ち込んだ顔が見えた。

 

「……ちなみに、どこの内容が分からなかったんだい?」

 

 気付けば、そんな質問が口をついて出ていた。

 ルイは内心で驚く。何故わざわざ、子供に関わるような質問を自分はしたのか。

 その言葉にルミアも驚いた様子で、顔を上げる。

 

「え……え、えと。魔力円環陣、なんですけど」

 

 魔力円環陣。それは今日見た夢にあった、学習用の魔術だ。

 眉根を寄せて、考え込むようにこめかみを指で小突くルイ。それが数秒だけ続き──やがて、面倒臭そうにため息をこぼしたルイは事務室に入って行った。

 ルイの意図が読めず、ルミアは目を白黒させる。

 しばらくして、ルイが事務室から出てきた。

 

「ほら、魔術実験室の鍵だ。許可は僕が出した事にしておこう。使い終わったら、キミの方で返しておいてくれ」

 

 ルイが魔術実験室の鍵をルミアに手渡す。

 受け取ったルミアは、瞳を輝かせた。

 

「いいんですかっ?」

 

「構わないよ。魔力円環陣は口頭で説明するよりも、実際にやるのが一番良い。まぁ、労働時間外なので面倒までは見ないがね」

 

「いえ、十分すぎるくらいです! ルイ教授、ありがとうございます!」

 

 その細面に笑顔を咲かせるルミア。

 魔術実験室を使えるようにしただけなのだが、そこまで感謝されるとは思わなかった。まぁ、悪い気はしない。

 ただ、その笑顔はルイにとっては眩し過ぎた。

 

「さて、それじゃあ僕はこれで失礼するよ……勉強、頑張りたまえ」

 

 そう言って、そそくさと逃げるように立ち去るルイ。

 ルイの後ろ姿に向かって、ルミアは元気よく頭を下げた。

 

「はい! ルイ教授も、また明日!」

 

 その言葉に一瞬だけ足を止めて、振り返りそうになる──のを耐えて、ルイはそのまま振り返ることなく、足早にその場を去った。

 

 

 



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二章 魔術教授は教えない③

 

 

 

「これは……何があったんだ?」

 

 目の前で起こっている異様な光景に、ルイが目を見張る。

 グレンがアルザーノ帝国学院に来てから早くも2週間以上が経過した頃だった。授業時間にも関わらず、グレンが担任を務める2年2組の教室の周りに多くの人が集まっていた。

 学生はもちろんのこと、中には教員すら紛れている。誰もが、教室内を静かに真剣な眼差しで覗き込んでいた。

 基本的に他人には無関心なルイといえど、さすがにこの状況は気になってしまう。誰かに聞いてみるのも憚れる雰囲気だったので、ルイも彼らにならって遠くから教室内を見た。

 

「──えー、というわけでだ。今回、ショックボルトの魔術式を細かく分析してみたところ、魔術効率としては一小節よりも、三小節での詠唱の方が圧倒的に良いのが理解できたと思う」

 

 グレンだ。あのグレンが教壇に立ち、本を片手に授業をしている。その背後にある黒板は小綺麗な文字と魔術式で埋まっていた。

 正直、驚いた。相変わらずやる気のない態度で、魔術を馬鹿にするような言動が目立つが、ちゃんと授業をしている。

 しかも、ただ魔術を覚えることを優先した、基礎を度外視したものではない。魔術とはそもそも何なのか(・・・・)。魔術公式と魔術文法を元にその構造を解明し、理路整然とまとめられた本物の授業(・・・・・)だった。

 

「どうだ? すごいだろ、私の愚弟は」

 

 不意に声をかけられ、振り向く。

 豪奢な金髪の女性──セリカが不敵な笑みを浮かべていた。

 

「……あぁ、そうだね。正直、グレン君にあんな授業が出来るとは思わなかった」

 

「お? なんだ、やけに素直に褒めるじゃないか」

 

「率直な意見を述べただけだよ……まぁ、今まで学院で行われていた授業スタイルの方がおかしかったんだ。僕からしたら、アレが本来の授業の姿だと思うけどね」

 

 そう言って目を細めるルイに、セリカが「手厳しいなー」と笑う。しかし、本当にその通りなのだ。

 これはルイの持論だが、魔術に限らず勉強というものは、「どうしてそうなるのか?」という疑問から始まる。

 どうしたら解けるのか、どうしたらできるのか、何でできているのか、どこから生じたのか、何故そうなったのか、それを学ぶ意味とは何か、何故学ぶ必要があるのか──人から生まれる疑問には際限がない。しかし、それを解き明かし、利用してきたからこそ人は進歩してきた。

 思考し続けたからこそ、今の人の世の発展と繁栄がある。

 それは魔術も同じだ。

 目の前の摩訶不思議な現象に何も疑問を抱かず、言われるがままに受け入れ、ただ呪文を覚えるだけの作業(・・)など愚の骨頂。

 そんなものはわざわざ授業の時間でやる必要はない。放課後や授業日以外の自由な時間を使ってやればいい。

 本来、授業とは生徒に考えさせ、生まれた疑問を解消する時間なのだから。

 

「どうだ、ルイ。久しぶりにお前も授業をしてみたくなったんじゃないか?」

 

 唐突なセリカの言葉に、ルイが眉根を上げた。

 

「まさか。僕は子供が苦手なんだよ? そんなことを思うはずがないだろう」

 

 ルイが鼻で笑う。見当違いも甚だしい。

 たしかに現状の学院で行われている授業の質の低さには落胆していたが、それだけだ。わざわざ自分が介入し、改善しようとかは一切思わない。

 まして、ルイ=ガルディエーヌが教鞭を振るうなど、もうありえない事だ。

 

「それよりも、こんなところで油を売っている暇があるのかい? セリカ。キミ、今週末に魔術学会があるだろう?」

 

 この話はあまり続けたくない。ルイは無理やり話題を変えた。

 

「ん? あぁ、それなら大丈夫だ。もうほとんどの準備は終わってる。私を誰だと思ってるんだ? 第七階梯(セプテンデ)に至った唯一の魔術師様だぞ」

 

 鼻を鳴らすセリカに、ルイは「そうだったね」と肩をすくめる。彼女には無用な心配だった。まぁ、話題を別のところに持っていけたのでよしとする。

 

「ていうか、お前は本当に参加しないのかよ?」

 

「僕? するわけないだろう、あんな面倒な集まり。そもそも、僕は学会に出席できるような研究は何もしていないしね」

 

「あー……お前、本当に学院に来てから教授らしい事を何一つとしてしてなかったっぽいもんな。でも、その代わりに五日間の連休中は2年2組の生徒が学院に来る関係で、責任者としてお前も学院に来ないといけないんだろ? そっちの方が面倒そうなのによく受けたな」

 

「面倒さ。でも受けないと減給するってリック学院長に脅されてね。まぁ、学会に参加するよりは楽だし、普段とやることは変わらないからこっちの方がマシだよ」

 

 ルイの今の生活は学院から出る給料にかかっている。与えられた研究室をゴーレム製造用の魔術工房に作り替えているところだが、まだまだ本格的な運用には時間が掛かる。なので、減給されてはたまったものではない。

 

(……まったく、本当に面倒だよ。早く以前の生活に戻りたい)

 

 そのためにはお金を早く貯めなくてはと、ルイは小さくため息をこぼした。

 

 

 

 

 

 

 アルザーノ魔術学院と共に生まれ、アルザーノ魔術学院と共に発展してきた魔術息吹く街、フェジテ。

 人々が眠りについた時間。フェジテのとある一角にて。

 3つの人影がそこにあった。

 

「──それで、計画の方は順調に進んでいるか?」

 

 人影の一人──ダークコートの男が半割の宝石を耳に当てて問いかける。それは魔術で作られた通信機だった。

 

『ええ、順調ですよ?』

 

 宝石の片割れから、柔和な雰囲気の男性の声が発せられる。

 その回答を聞いたダークコートの男が「そうか」と言ってほくそ笑む。

 

「計画実行日まであと2日だ。最後まで警戒は怠るなよ」

 

『ええ、もちろん……ただ、本当に大丈夫なのでしょうか?』

 

 宝石から不安げな声が発せられる。

 ダークコートの男が首を傾げた。

 

「何がだ?」

 

『計画の実行日に標的とそのクラスメイトたち。そして、担任の非常勤講師と……あのルイ=ガルディエーヌが学院に残ります。本当に我々だけで大丈夫なのでしょうか?』

 

「あぁ、その事なら問題ない」

 

 通信相手の男の不安をよそに、ダークコートの男は、はっきりと言い切った。

 

「ルイ=ガルディエーヌ──100年を生きる不老の男。『石の人形師(ゴーレム・マスター)』あるいは『巨兵の暴君』と呼ばれ、40年前の奉神戦争を生き抜いた英傑の一人……だが、それだけだ。やつが至った階梯は人の中で(・・・・)最高位の第六階梯(セーデ)まで。魔術の世界において不老不死や超常的な能力を有する化け物など幾らでも存在する。私から言わせれば、しょせん奴は人外の成り損ないに過ぎん」

 

 ダークコートの男から、禍々しい魔力が放たれる。それは、およそ人から放たれるものではなかった。

 

「ルイ=ガルディエーヌは私がやる。計画に障害はない」

 

 ダークコートの男が氷のような瞳を細め、そう告げた。

 

 

 



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三章 襲撃①

んん?
お気に入りが100超えてる……?
……嘘だぁ(ぶるぶるっ)

……戦々恐々としてますが、登録してくれた方々、ありがとうございます^_^


 

 

 

 ルイが異変に気が付いたのは学院に来てから20分後の事だった。

 朝、お決まりのかつて生徒たちと過ごした頃の夢を見て気分を悪くし、というかなんで連休に出勤せねばならないのかと不満を漏らし、もういっそ出勤したことにしといて休んでしまおうかと考えながらも、渋々準備をして学院に着いてからやはりやる気が出なくて、研究室のソファで横になっていた──そんな時だった。

 

(魔力波? なんでこんなところで?)

 

 ルイのいる研究室のすぐ外で強力な魔術が行使されたことが分かる。

 今日学院にいるのは2年2組の生徒たちと担当講師のグレン、校門前にいる守衛だけのはずだ。その他の講師や教授陣は魔術学会のため遠方に出払っている。

 これほどの魔術を行使できる者は今は学院内にいないはずだし、仮にいたとしたら、それは外部の人間が学院に侵入したことになる。

 自分の勘違いであってくれと祈りながら、おそるおそるルイが研究室のドアノブを回し、扉を開けた。

 

 ──キシャァアアアアアアアッ!!!

 

 悪い予感が、的中してしまった。

 悲鳴にも似た金切り声をあげて、扉の前で大量召喚されていたボーン・ゴーレムが構えていた剣を振り上げて、ルイに襲いかかる。

 

「《障壁よ》──っ!」

 

 間一髪で魔術を起動し、ルイを覆った光の障壁がボーン・ゴーレムの攻撃を防いだ。次にルイは左手の指を鳴らして、魔術を起動する。

 ルイとボーン・ゴーレムの間を隔てて床に魔法陣が形成され、床や壁を材料に、瞬く間に一体のゴーレムが出現した。

 

「操縦、開始」

 

 ボーン・ゴーレムの2倍はある巨体のゴーレムが、その巨腕を振り下ろした。破壊音が轟き、廊下が揺れる。

 

「……ちっ。随分と硬い骨人形だな」

 

 破壊されたのは、ルイが生成したゴーレムの巨腕だった。まったく無傷なボーン・ゴーレムを忌々しいと睨み付ける。

 強度から鑑みるに、竜の牙を素材に作り出されたゴーレムなのだろう。ゆえに驚異的な膂力、運動能力、頑強さ、三属耐性を持っている。ルイの優れた錬金術の技術を持ってしても、ただの床や壁から作り出した簡易ゴーレムでは破壊することは不可能だ。

 しかもこのボーン・ゴーレム、召喚【コール・ファミリア】という使い魔を召喚し、使役するための召喚術の応用──遠隔連続召喚(リモート・シリアル・サモン)という恐ろしく高度な魔術技巧の上に成り立っている。

 

(だいたい何なんだ、このふざけた数の多重起動(マルチ・タスク)は。人間業とは思えないな)

 

 未だ目の前で数を増やし続けるボーン・ゴーレムの群れに、ルイは辟易と顔を歪めた。

 これは魔術テロだ。それもかなり入念に準備されたものだ。講師以上の魔術師がいないタイミング。最高峰を誇る学院のセキュリティも突破した。もしかしたら、学院内部に裏切り者がいる可能性すらある。

 そして現在、学院にいる職員で一番の責任者はルイ=ガルディエーヌ──自分一人だけ。

 

「まったく、面倒な事この上ない……これは追加労働手当を貰わないと割に合わないな」

 

 再びルイが左手の指を打ち鳴らし、ボーン・ゴーレムたちの下に魔法陣が形成された。

 床と壁が変形し、数体のボーン・ゴーレムを飲み込む。そしてそれを(・・・)材料にして、盾と大剣を構えた騎士の姿を模したゴーレムが創り出された。

 

「征け、ゴーレム」

 

 ルイの言葉で地響きのような雄叫びを上げた騎士型のゴーレムが大剣を振るい、ボーン・ゴーレムの群れを薙ぎ払ってゆく。

 さきほど、ルイの簡易ゴーレムの巨腕を破壊するほどの強度を誇っているはずのボーン・ゴーレムが次々に破壊されていった。

 

「……ふむ。中々良い素材だ。折角だし、再利用させてもらおう」

 

 そう言って、ルイは破壊されたボーン・ゴーレムの残骸で新たな騎士型のゴーレムを創り出していった。

 

 

 

 

 

 

「──馬鹿、やってる場合か……」

 

 口の端を伝う血を拭いながら、グレンが震える膝を抑えながらもなんとか立ち上がる。

 学院内のどこか──吹きさらしになった廊下にて。

 ボーン・ゴーレムの群れを黒魔改【イクスティンション・レイ】で一掃したグレンはマナ欠乏症──極端に魔力を消費した際に起こるショック症状に陥っていた。

 それを白髪の少女、システィーナが怪我を治す白魔【ライフ・アップ】で治療を試みるが、焼け石に水だった。

 グレンが街中で襲ってきた小男を戦闘不能にし、悪い予感がして学院に向かってみれば守衛が殺されていた。小男が持っていた割符を使って学院内に入り、侵入者であるチンピラ男に捕まっていたシスティーナを救い出したまではよかったのだが。

 

(くそう……やっぱり、俺じゃあ役不足だったか?)

 

 グレンが苦しげに、奥歯を噛み締める。

 小男の身ぐるみを剥いで分かった事だが、今回のテロの下手人は天の智慧研究会に所属する外道魔術師たちによるものだ。

 天の智慧研究会とはアルザーノ帝国有史以来、帝国と血を血で洗うような争いを続けてきた魔術結社であり、その実態は未だ謎に包まれている。

 所属する魔術師たちは魔術の発展のためなら何をしてもいいという外道ばかり。

 そんな連中が相手である事を考えると、魔導士部隊の救援を待っていたら、システィーナは無事では済まなかっただろう。単身で学院に入る選択をしたことに後悔はない。

 しかし、天の智慧研究会に所属する魔術師たちは誰しもがグレンよりも高度な魔術を収めており、魔術という面では、グレンは彼らには到底及ばない。

 それでも、立ち止まっている暇はない。

 

「今すぐ、ここを離れるぞ……早く、どこかに身を隠……」

 

 システィーナにそう言いかけて、グレンが苦い顔をした。

 

「んな呑気なことを許してくれるほど、甘い相手じゃないよなぁ……くそ」

 

 かつん、と。

 破壊の傷跡が刻まれた廊下に靴音が響いた。

 

「【イクスティンション・レイ】まで使えるとはな。少々見くびっていたようだ」

 

 システィーナが息を呑む。

 廊下の向こう側から姿を現したのは、ダークコートの男──レイクと呼ばれていた男だった。

 最悪のタイミングだった。グレンはすでに満身創痍。

 レイクの背後で浮かぶ五本の剣を見たグレンが、やけくそ気味に口を開く。

 

「あー、もう、浮いてる剣ってだけで嫌な予感がするよなぁ……あれって絶対、術者の意志で自由に動かせるとか、手練れの剣士の技を記憶していて自動で動くとか、そんなんだぜ? ちくしょう」

 

「グレン=レーダス。前調査では第三階梯(トレデ)にしか過ぎない三流魔術師と聞いていたが……まさか貴様に二人もやられるとは思わなかった。誤算だな」

 

「ざけんな。内一人を完全に殺したのはお前だろうが。人のせいにすんな」

 

 ここに至るまでの途中で、グレンは街中で襲ってきた小男を気絶させ、学院内でシスティーナを犯そうとしたチンピラ男を戦闘不能にした。

 チンピラ男を殺したのは、レイクが召喚したボーン・ゴーレムだった。

 

「命令違反だ。任務を放棄し、勝手なことをした報いだ。聞き分けのない犬に慈悲をかけてやるほど、私は聖人じゃない」

 

「ああ、そうかい。そりゃ厳しいコトで」

 

 レイクと言葉を交わしつつ、グレンは頭の中で必死に策を巡らせた。この場を切り抜けるための最適解を探す、探す、探す──その時だった。

 (ごう)っという破壊音とともに、レイクが立つ場所に巨大な岩の槍が突き刺さった。

 咄嗟に危険を察知したレイクが紙一重で回避する。

 

「きゃあっ!?」

 

「な、なんだぁあああ──っ!?」

 

 システィーナとグレンが悲鳴を上げる。突然の出来事に二人が目を白黒させていると、その元凶たる人物が騎士型のゴーレムの肩に乗って、グレンたちの前に降ってきた。

 

「ふむ、避けられたか。まぁ、この程度で殺せるとは思っていなかったがね」

 

 現れたのは学院指定の講師用ローブの代わりに白衣を着用した白髪の青年──ルイだった。

 

「キミたちは下がっていたまえ。一応今は僕がこの学院の責任者だからね。正直に言えば非常に不本意だし、面倒の極みだが……年長者の責務ぐらいは果たそう」

 

 振り向いたルイが、唖然とするグレンとシスティーナにそう告げた。

 

 

 



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三章 襲撃②

今日は頑張って早く投稿したぞ。偉いぞ、僕。
あ、お気に入り200超えてますね、登録ありがとうございます^_^


 

 

 

「ルイ教授!? どうして貴方がここにっ?」

 

 システィーナが素っ頓狂な声をあげる。

 ルイ=ガルディエーヌ。第六階梯(セーデ)に至った魔術師。およそ2ヶ月前にアルザーノ帝国魔術学院に赴任した教授であり、専門科目は錬金術、白金学、魔導工学。

 立場を考えれば、本来ならここにはいないはずの人物だった。

 システィーナの問いに、ルイが首を傾げる。

 

「さっきも言っただろう。責任者だからだよ。キミたち2年2組が連休も授業を行うから、魔術学会に出席しない僕が学院の仮の責任者として出勤することになったんだ。グレン君を通して、その旨はキミたちにも伝わっているはずなんだが……知らなかったのかい?」

 

「え……そんな事、全然知らないですよ!」

 

 システィーナが首を横に振る。学院に関する連絡事項を優等生であるシスティーナが忘れるはずがない。ならばと、ルイがもう一人の青年に訝しげな目を向ける。

 

「あ、あれ〜? ボク、伝えていなかったかなぁ〜?」

 

 脂汗を垂らしながら、視線を横へとずらすグレン。どうやら、グレンが伝え忘れていたようだ。

 ルイは呆れて、ため息をこぼす。

 

「授業は素晴らしいが、それ以外がまるでダメだな、キミは」

 

 というか、グレンがこの事を伝え忘れていたのなら今日サボってもバレなかったんじゃないだろうか。

 

「……まぁ、そんな事は今はどうでもいいか。とにかく、キミたちは早くここから逃げたまえ。あとは僕がなんとかしておくから」

 

 追い払うように手を振るルイに、「いやいや」と言ってグレンが食い下がる。

 

「アンタ一人に任せられるわけないだろ? あのレイクってやつ、めちゃくちゃ強えぞ? ここは二人で協力して──」

 

「マナ欠乏症に陥っている身で、よく言うね。はっきり言って、今のキミたち二人は足手まといだ。僕もキミたち二人を守りながら戦う余裕なんかない」

 

「いや、でも」

 

「しつこいな。早く逃げないと、ゴーレムの材料にするよ?」

 

 ルイにそう睨まれて、押し黙るグレン。

 実際、ルイの言う通りだ。あのレイクと言う男、今まで数々の超絶技巧を披露しているが、まだ底が見えない。

 グレンとレイクの間に、天と地ほどの力量差があるのは明白だ。

 一方、ルイ=ガルディエーヌと言えば、40年前の奉神戦争に大きく貢献した英傑の一人。あのセリカですら一目置いている錬金術の使い手でもある。

 

「……白猫。ここはコイツに任せて、俺たちは一旦逃げるぞ」

 

「は、はい!」

 

 震える膝を抑えつけながら、システィーナの手を引っ張って走り出すグレン。

 ここはルイに任せるべきだ。それに、まだ教室には他の生徒たちがいるし、一人連れて行かれたルミアの居場所も分かっていない。

 今、自分ができる事をすべきだと思考を切り替え、グレンは廊下を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

「さて。これでようやく集中できるかな」

 

 遠くなっていくグレンたちの背中を一瞥して、ルイが息を吐く。自分の身を削ってまで生徒たちを守ったグレンの事だ。他の生徒たちの事も、彼に任せておけば大丈夫だろう。

 

「……ふん、逃したか」

 

 今まで沈黙を貫いていたレイクが鼻を鳴らす。「まぁね」とルイは肩をすくめた。

 

「そういうキミも、随分と大人しかったじゃないか。何を──おい、キミ。なんだね、それは」

 

 ルイが顔を強ばらせた。

 空気が異様な圧に包まれる。レイクからは、とても人とは思えない──禍々しい魔力が迸っていた。

 

「この魔力は……まさか、竜か?」

 

 竜。それは自然界において、最上級ヒエルラキーに位置する超常的な存在だ。

 特に歳を経た古き竜(エインシェント・ドラゴン)竜言語魔術(ドラグイッシュ)を操り、自然現象と天変地異をも支配することができる。

 

「ルイ=ガルディエーヌ……100年を生きる不老の男。奉神戦争の英傑。『石の人形師(ゴーレム・マスター)』。貴様を倒すために私は、【竜鎖封印式】の一号を解除したのだ」

 

 絶対零度の目が、ルイを射抜く。

 【竜鎖封印式】──ルイはその名前に聞き覚えがあった。竜の研究に心血を注いだ魔術の大家、フォーエンハイム家。

 かの家は、とある古竜の血を一族に移植する事に成功したが、『竜化の呪い(ドラゴナイズド)』という、理性を失い、人からいずれ荒れ狂う竜に変化してしまうという呪いを背負う事になった。

 一族は根絶したと聞いていたが、まさか、その生き残りがいたとは。

 

「そんな事をしていいのかい? 【竜鎖封印式】は『竜化の呪い(ドラゴナイズド)』を抑えるための、フォーエンハイム家の奥義の一つのはず。寿命が縮む事になるよ?」

 

「かまわん。私から言わせれば、貴様は人外のなり損ないに過ぎんが……貴様はそれをするだけに値する人間だ」

 

 レイクの淡々とした物言いに、ルイは珍しく頬を引き攣らせた。相手が規格外過ぎる。流石のルイと言えど、勝てるかどうか──というか、死なずに済むかどうか微妙な相手ではある。

 ただの、学院の一責任者としてここにいるルイにとっては荷が重すぎる現実だった。

 レイクが、左手をルイに向かって突き出す。

 

「無駄話はここまでだ、いくぞ? ──『■■■■』」

 

 獣の唸り声にも似た雄叫び──竜言語魔術(ドラグイッシュ)によって天候が一変し、雷雨が轟く。

 これほどの異常気象が起これば、学院の外部にいる誰かが異変に気付いて救援を呼んでくれるかもしれないが……ここまでくると無意味な気もしてくる。

 

「……いや。そんな事よりも、まずは自分の身を守らなければな」

 

 轟っと、雷がルイに向かって降り注ぐ。校舎が崩壊し、ルイは下へと落ちてゆく。

 空中でルイは騎士型のゴーレムに指示を出し、自分を守らせた。雷を防いだゴーレムが無惨にも灰塵と化す。続いて降り注ぐ雷光に、作っておいた騎士型のゴーレムを何体も呼び寄せるが、木っ端微塵に粉砕されてしまった。

 

「まったく……キミ、僕を買い被りすぎじゃないかね? このままだと死ぬぞ、僕」

 

 難なく着地したルイがため息をこぼした。

 色々と勘違いされる事が多いが、ルイ自身は非力な一魔術師に過ぎないのだ。ただ誰よりも錬金術、特にゴーレムの作成に優れているというだけで、ゴーレムたちに守ってもらわなければ、この場に立っている事すらできない。

 戦闘なぞ、もっての外だった。

 目の前で死なれるのは寝覚めが悪いからと、大見得切ってグレンたちを逃したが、今はその事をひどく後悔していた。

 

「ふん、戯言を。死にたくなければ、貴様もさっさと本気を出せ」

 

 レイクが新たに竜言語魔術(ドラグイッシュ)で、天災を起こす。半壊した校舎が燃え上がり、マグマが溢れ出した。それは幾つもの竜の尾のように伸びて、ルイを押し潰さんと迫った。

 

「だから、買い被り過ぎなんだよ」

 

 肉薄する炎禍に目を細めたルイが呪文を一小節で詠唱し、左手を振るった。

 アレを防ぐのに、魔術障壁では足りない。直接的に、物理的なモノで防がなくては。

 ルイの目の前で何十層にも及ぶ岩壁が生成される。炎と岩壁が激突し、大地を焦がす匂いと噴煙のような煙が舞う。

 

 ──キシャァアアアアアアアッ!!

 

「ちっ。またキミたちか」

 

 崩れかけた岩壁をよじのぼり、学院内でルイを襲ったボーン・ゴーレムたちが現れた。それはどんどん数を増やし、四方八方とルイを囲むように迫ってくる。

 そのボーン・ゴーレムの群れを巻き込みながら、先ほどの雷光や炎禍といった、超自然の暴力の嵐が吹き荒れた。

 

「……僕一人に、過剰戦力過ぎないかね」

 

 目を背けたくなるような非現実的な光景に、ルイはもはや驚愕を通り越して呆れた。

 

「はぁ、仕方ない。とりあえず、この戦力差だけでもなんとかしようか」

 

 ルイがポケットの中に手を入れ、一つの紅い宝石を取り出した。それを地面へ落とすと、宝石が溶けるように入ってゆき、突然ルイの足下で真紅に輝く魔法陣が形成された。

 

「製造、開始」

 

 ルイを覆うように幾つもの魔法陣が起動し、足下の魔法陣も輝きを増していき、駆動する。

 そして、その魔法陣から何体ものゴーレムが高速錬成された。その数は、十、三十、五十──と数を増やしていき、瞬く間に百を超えるゴーレムの軍勢がここに現れた。

 その大きさはボーン・ゴーレムの二倍以上。迫り来る雷光や炎禍すら防ぎ、なんとか耐えている。

 

「流石だな……これが、『石の人形師(ゴーレム・マスター)』と呼ばれる所以か」

 

 その様相に、レイクが目を見張る。圧倒的な差のあった物量を、たった一度の魔術行使でいとも容易く覆してしまった。

 ルイの固有魔導器、『魔術工房(マジック・ファクトリー)』。

 魔術の起動には五工程(クイント・アクション)と呼ばれる、呪文を詠唱してから魔術が起動するまでに五つの工程が存在するのだが、それを完全に無視し、条件さえ成立していれば半永久的に(・・・・・)魔術を意思のみで超高速起動できる空間を、自分を中心に半径5メートル以内に作り出すものだ。

 この魔導器はルイの体液を素材に作り出される特殊な物で、その行使はルイにしかできない。

 

「戦争の時、物量にものをいわせるのは僕の十八番だったからね。まぁ、僕自身は大した事ないのに、コレのせいで戦況がひっくり返ったりとかして、結果的に英雄扱いされてしまったわけだけど」

 

 当時を思い出して、辟易とした面持ちでルイが語る。

 かなり便利な代物ではあるのだ。ゴーレムの作成にあたり、龍脈から魔力を供給するし、土という素材があれば延々とゴーレムを作り出す事ができる。

 ただし、一体一体に魔力増幅回路を組み込んでいるわけではないので、魔力が尽きればただの土塊に戻ってしまうのが難点なのだが。

 

「さて、コレが今の僕の本気だ。これ以上の要望は受付しかねるので、さっさとお引き取り願おう」

 

 そう告げて、ルイは掲げた左手を振り下ろした。

 

 

 



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三章 襲撃③

前回より、まぁまぁ間が空いてしまって申し訳ない…
そしてお気に入り300超えてた…

ありがとうございます!!

あとたまに誤字脱字の修正してくださってる方々もありがとうございます! 気を付けてはいるんですが、どうにも……ルビのところとかね。抜けがちなんですよね。


 

 

 

 まさに天災だった。

 黒く厚い雲が空を覆い、雷光が迸る。暴風が木々を巻き込んで渦巻き、地が割れて、溢れ出たマグマが大地を炎熱地獄へと変えた──かと思えば、今度は絶対零度の氷雪が世界を瞬く間に凍てつかせる。

 そんな絶望の渦中に白髪の青年──ルイ=ガルディエーヌはいた。

 

(おいおい……現実なのかよ、コレ!?)

 

 黒魔【アキュレイト・スコープ】でその光景を学院内の遠く離れたところで見ていたグレンは驚愕に目を剥いた。

 これは魔術戦などではない。自然災害に人間が身一つで挑むようなものだ。ルイがあの状況下で生きていること自体が奇跡に思えた。

 自分であれば数秒のうちに雷に打たれて丸焦げになっているだろう。

 

(だって言うのに……ルイのやつ、レイクの竜言語魔術(ドラグイッシュ)の被害をゴーレムを上手く使って最小限にとどめていやがる)

 

 これほどの猛威を、ルイは防衛線でも張っているかのように自分が立つ場所から後ろには広がらないようにしていた。

 そのおかげで、2年2組の生徒たちがいる校舎やグレンが今立っている場所まで被害が及んでいない。

 グレンは一年前、宮廷魔導師団──その中でも超一流の魔導士たちが集う特務分室と呼ばれる部署に所属していたが、竜言語魔術(ドラグイッシュ)まで扱えるレイクは、グレンが今まで闘ってきたどの魔術師よりも強い。

 正直、あのレイクに真っ向から勝てるのはセリカぐらいしかいないだろう。

 そして、そんな相手を前に。

 余裕はないと言いながらも、離れたところにいる自分たちを守りながら闘っているルイは、グレンから見ても異常だった。

 

「──先生? どうするんですかっ?」

 

 声をかけられ、グレンが遠見の魔術を解除した。

 銀髪の少女──システィーナが、焦燥の色を滲ませてこちらを見上げている。

 グレンたちがいる前方には白亜の転送塔と、それを守るように複数のガーディアン・ゴーレムが塔の周辺を徘徊していた。

 未だ見つからないルミアを探していたところ偶然、このいかにも怪しい場所を見つけたのだ。元魔導士としての勘だが……ルミアはここに囚われている可能性が高い。

 レイクとルイの闘いの様子が気になるが、今は自分が出来ることをすべきだ。

 

「あぁ。今のところ、ここが一番怪しいからな……とりあえずあのゴーレムどもをぶっ飛ばして、塔の中に入るぞ。白猫はアシスト頼む」

 

 グレンの言葉に頷いたシスティーナが、風の魔術を起動させる。

 それを合図に、グレンはガーディアン・ゴーレムの群れに向かって駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 雷、炎禍、氷礫──自然界のありとあらゆる暴力が、その渦中にいるルイを殺さんと牙を剥く。

 

「…………ふん」

 

 しかし、それらに動じることなくルイは生成したゴーレムたちを巧みに操作して、襲い来るすべての脅威を叩き潰した。

 一見、闘いは拮抗しているかのように見える。事実、最初は死も覚悟したルイだったが、闘いが長引くにつれて対処にも慣れてきた。

 たまにボーン・ゴーレムや、飛来してくる五本の浮遊剣が厄介だが、警戒を怠らなければ致命的な問題にはならない。

 しかし、そこまでだ。この状況を維持することはできても、ルイには闘いを終わらすための決定打がなかった。

 

「──《猛き雷帝よ》」

 

 『魔術工房(マジック・ファクトリー)』で生成されたゴーレムたちを斬りを伏せて残身をとるレイクの一瞬の隙をつき、ルイは黒魔【ライトニング・ピアス】を放つ。

 五本の浮遊剣はルイに向かって飛来しており、防ごうにも間に合わない。四方はその他のゴーレムで囲んでいるし、あの体勢からこの一閃を回避することも、持っている剣で防ぐことも不可能だ。

 計算し尽くされた絶妙なタイミング。本来ならこれで勝負が決まる一撃だった。

 

「──ちっ。これも通らないか」

 

 ルイが目を細める。放たれた一閃が、レイクの身体を貫通することはなかった。

 レイクが口の端を吊り上げる。

 

「何度やっても無駄だ。私の身体は竜と同様、竜鱗で出来ている。その程度の魔術では私を殺せん」

 

 竜鱗。それは真銀(ミスリル)と並ぶほどの恐ろしい硬度を誇る物質だ。

 

「でも、キミの身体が竜を元にしているのならどこかに必ず逆鱗(・・)があるはずだろう?」

 

 ルイの言葉を、レイクは鼻で笑った。

 

「たしかに通常の竜であればな。だが、私は厳密には竜ではない……ゆえに私に逆鱗は存在せん。諦めろ」

 

 事実だった。ルイはここに至るまでに様々な黒魔術を放ってきたが、レイクの身体を傷付けることはできなかった。

 竜は本来、身体の構造上どこかに逆鱗が存在し、そこが唯一の弱点となる。フォーエンハイム家の竜に関する研究が事実なら、レイクの身体のどこかにも逆鱗があるはずだとルイは考えたのだが。

 

(このままでは埒があかない。なんとか被害を抑えてはいるが、徐々に広がってきてる……早々に決着をつけなければ、2年2組の生徒たちが危険だ)

 

 ルイは子供が苦手だ。面倒ごとは嫌いだし、出来ればこんな命懸けの魔術戦なんか放棄して、自分だけ逃げ帰りたいとも思う。

 しかし、引き受けてしまったのだから仕方がない。それに子供は苦手でも、自分の目が届くところで子供が死ぬのは気分が悪い。

 ゆえに、早急に自分が勝つしかないのだ。

 

(嘘かとも思ったが、自分で試してみて確信した。彼に逆鱗は存在しない……ならば)

 

 ルイは計算する。勝利の結果。そこに至るまでの計算式、道筋、過程。それらを達成するための公式と条件を。

 計算する、計算する、計算する──。

 

「──ほう。ようやく取りに来たか」

 

 雪崩のように襲いくるゴーレムの軍勢に、レイクが目を細めた。先程まで被害が後方まで広がらないようにと配置されていたゴーレムまでもがレイクに向かって、雪崩れ込んできている。

 

「だが、それでは自分を守るモノもないぞ?」

 

 五本の浮遊剣とボーン・ゴーレムたちが、ルイを取り囲む。生成したゴーレムたちのほとんどをレイクに向かわせているので、防ぐにも手が足りない。

 ルイは飛来する浮遊剣とボーン・ゴーレムたちからの攻撃を危なげに回避する──が、途中で足がもつれて転んでしまった。

 

「ぐっ……くそ。運動不足だな。魔術戦なんて、奉神戦争以来だったからな」

 

 思ったよりも身体が動かず、ルイが愚痴をこぼす。その間にもボーン・ゴーレムたちがルイに向かって剣を振り下ろした。

 取った──遠目からレイクがそう確信した瞬間、視界一面に極光が轟いた。

 

「ぐぅおおおぉぉぉぉぉぉおおっ!?」

 

 目の奥まで焼き付くような衝撃に、レイクがうずくまる。視界が白一色に染まって何も見えない。キーンと甲高い音が耳奥で鳴り続けている。最初は何かの攻性魔術(アサルト・スペル)かと思ったが、これは違う。

 【フラッシュ・ライト】。目眩し用の魔術だ。おそらく、ルイが放ったものだろう。しかし、その有効範囲が規格外すぎる。

 

(くそ、何も見えん……ルイ=ガルディエーヌの狙いは何だ!?)

 

 なぜここにきて目眩しの魔術を放つのか。いくら視界を塞いだとしても、ある程度の敵の位置は音で判別がつくし、たとえどんな攻撃に晒されようとも竜鱗を持つレイクがダメージを負うことはない。

 唯一、レイクへの有効打があるとすればグレンが使用していた黒魔改【イクスティンクション・レイ】ぐらいだが、一度の行使でマナ欠乏症に陥っていたグレンに二度目の行使は不可能だし、そもそもグレンはこの場にいない。さらに、ルイが使えるという情報もなかった。

 まだ耳の奥で甲高い音が鳴り響く中で、ゴーレムの雄叫びが聞こえる。視力は回復しないが、おそらく間合いの範囲。レイクは横薙ぎに剣を振り抜いた。

 破壊音が轟く。レイクを囲っていたゴーレムたちを粉砕できたのだろう。二波、三波と襲い来るゴーレムの軍勢に備えてレイクが再びを剣を構える──。

 

「──届いた」

 

「っ!?」

 

 予想外の声にレイクが一瞬だけ固まる。その声の主はルイだった。いつの間にこんなにも接近されていたのか。腹部に手を当てられている感触がした。

 次の瞬間、魔力波を感じ取った。身体の深部を弄られるような感覚に寒気が走り、レイクは剣を振り下ろした。

 

「おっと、危ないな。そんなに驚かなくてもいいだろう?」

 

 避けられたようだ。まだ視力が回復しない。

 ルイの軽薄な物言いに、レイクが怒気を滲ませた声音で口を開く。

 

「ルイ=ガルディエーヌ……貴様、何をしたっ?」

 

「別に、大した事ではないよ。キミのご自慢の竜鱗を少し弄らせてもらっただけさ」

 

「な……に?」

 

 咄嗟に意味が理解できず、レイクが浮ついた声を上げた。

 

「まぁ、体験してみれば(・・・・・・・)分かるさ──《猛き雷帝よ》」

 

 一小節で起動した【ライトニング・ピアス】の一閃がレイクへと肉薄する──そして、レイクの身体を貫通した。

 

「がっは……っ!? 何だと……っ?」

 

 レイクが衝撃で仰け反り、血反吐を吐く。

 レイクにとってあり得ないことが起きていた。最高峰の硬度を誇るはずの竜鱗の身体が、いとも容易く貫かれるとは。

 

「貴様……まさか、私の身体を作り変えたのか(・・・・・・・)!?」

 

「そうだよ。まぁ、作り変えたと言っても皮膚の部分だけだけどね」

 

 ルイの言葉にレイクは驚愕する。

 竜鱗はその性質上、加工が難しい物質なのだ。ましてその特徴たる硬度を変質させて人間の柔肌程度の強度に変えるなど、不可能に近い。

 それを可能にしたルイの錬金術は異常だった。

 

「さて、これで詰み(チェックメイト)だ。視界が完全に回復される前に、キミには死んでもらおう」

 

 そう告げたルイが指を打ち鳴らす。命令に従ったゴーレムたちが雄叫び声を上げて、その巨腕を振り下ろした。それらを防ごうとレイクが剣を振るうが、突然、脚に激痛が走り、剣を取りこぼしてしまう。

 メキメキと何かがすり潰され、捩じ切れる音がする。ぼやける視界の中で、それが自分の両脚だということに気付いた。人の顔をした地面が、その大きな口で自分の足を噛み砕いていた。

 

「本当に面倒な相手だったよ、キミは。土葬ぐらいはしてあげるから、二度と僕の前に現れないでくれ」

 

 レイクが最後に見たのは、心底、不愉快そうに目を細めたルイの顔だった。

 

 

 



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エピローグ

 数ヶ月も間が空いてしまい、申し訳ない……。
 また少しずつ書き進めてはいきますので、読んで頂いている方には気長に待って頂ければと思います。


 

 

 

「……あんな事件が起こって間もないというのに、子供たちは随分と呑気なものだね」

 

 テロ事件から一週間後──学院長室にて。

 窓から見える生徒たちの変わらぬ和気藹々とした様子を見て、ルイはため息を溢した。執務室に腰掛けるリックが笑いを零す。

 

「そう見えるだけじゃろう。少なからず不安を抱えている者もおるよ。そこに関しては講師陣や職員にケアを心掛けるようにお願いはしておるが」

 

「そう……まぁ、この学院は一応、国内最優の魔術学院でもあるし。学業が忙しくてそんな事を考える暇もないのだろうね」

 

 それに、テロがあった日に学院にいたのは二年次二組の生徒たちと、その非常勤講師を務めていたグレンだけだ。

 その他の生徒たちはテロ事件の惨状を聞いただけだし、半壊した学院の修繕が終わるまでは学院内にも入れなかったので実感が湧かない者もいるのだろう。

 対して当事者だったルイはあの後、取り調べだったりですごく大変だった。というか、面倒な事の連続だった。

 立ち替わり入れ替わりで色々な人からの事情聴取に書類の作成、しつこい身体検査をつっぱりのけたりと。

 また、ただの女学生だと思っていたルミア=ティンジェルが実は異能者で、しかも元・アルザーノ帝国の第二王女だったという衝撃の事実もあった。ただ、最初こそ驚きはしたものの、それに伴う守秘義務などの話で王宮に呼び出されたりとかもしたので、これもやはり面倒な事この上なかったのだが。

 それらを思い出していたルイが肩を落として、首を横に振る。

 

「まぁ、予想していたよりも混乱がなかったようで良かったよ。これ以上の面倒ごとは御免被るからね」

 

 窓から離れたルイが懐から膨らんだ封筒を取り出し、執務室に置く。リックがその封筒の中身を取り出すと、山折りにされた紙が何枚も出てきた。

 

「これ、学院の修繕費の請求書ね。僕がゴーレムを使って労働した分も、ちゃんと雇用条件に従って計算したから……そっちの支払いもよろしく」

 

「……え? これマジ?」

 

 その金額に絶句するリック。ざっと目を通しただけでも2年間分の運用計画に必要な費用がかかっている。

 一応、多額の費用がかかるだろうとは予想していたが、実際に数字として見ると、開いた口が塞がらなかった。

 

「それじゃあ、僕はこれで失礼するよ」

 

 呆然とするリックを尻目にルイが学院長室のドアノブに手をかける。

 

「──ルイ教授」

 

「…………?」

 

 しかし呼び止められて、まだなにか話があるのかと振り返り、ルイは首を傾げた。

 

「まだ短い期間じゃが、久しぶりにこの学院で過ごしてみて……どうじゃろうか?」

 

 ルイの顔色をうかがうような表情を向けるリック。その瞳はまるで子供のように不安そうに揺れている。

 おそらく心境の変化について聞かれているのだろう。

 ルイが厭世的かつ人との触れ合いを極力避けるようになったのには二つのきっかけがある。特にその一つは四〇年前の奉神戦争時、アルザーノ帝国魔術学院に起因するものであり、リックは当事者のうちの一人だった。

 リックは今のルイの現状に、負い目を感じているらしい。だからこそ、半ば強制的に()()魔術学院で過ごしてもらう事で変わるきっかけがあればと考えていたようだが。

 

「最悪だけど? 今すぐにでも前の生活に戻りたくて仕方がないよ」

 

 ルイの言葉に、リックがうっと顔を強ばらせる。

 当然の回答だった。結果からみればルイは死にかねない状況に立たされたわけだし、正直なところ迷惑でしかなかった。

 

「……でも、キミなりに気を遣ってくれたんだろう? それだけは礼を言っておくよ」

 

「──っ」

 

 ルイの言葉に、リックの目が見開かれる。

 そもそも、ルイからすればアレは魔術学院そのものに問題はなく、ただ時代が悪かった、という話なのだ。

 もちろんルイが()()()()()には十分な出来事だったし、今でもけっして許容できるものじゃない。

 それでも、あの時まだ魔術学院の生徒だったリックが負い目を感じる必要はない。

 

「まぁ、まだ前の生活に戻るには資金も足りないからね。こんな僕でも良いと言うなら、当分の間は学院に居ようかなと……もちろん、残ると決めた以上は多少、勤務態度も改めようとは思うんだけどね?」

 

 職場で問題を起こさない程度にはね、とルイが付け加える。

 

「そ、それは構わんよ」

 

 思ってもみない言葉だったらしく、リックが少し上擦った声で応える。

 

「……そう。じゃあこれからも、しばらくは世話になるよ。リック学院長」

 

 そう告げて、ルイは少しだけ頬を緩めた。

 

 

 

 



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魔術競技祭編
プロローグ


 次章になります。
 話としては2巻目で、オリジナルの新キャラが2人出る予定です。


 

 

 

「よぉ、邪魔してるぜ」

 

 ルイがリビングに向かうと、椅子に腰掛けた初老の男が悪ガキのような笑みを浮かべて手を振っていた。

 

「………………」

 

 寝起のため意識のハッキリしない頭で、正しい反応は何だろうと考える。

 ──ルイは魔術を起動して、岩石の巨腕を高速錬成した。

 

「うぉいっ!? いきなり何すんだっ。殺す気か!?」

 

 振り下ろされた巨腕を持っていた太刀で真っ二つに切り裂いた男が悲鳴を上げる。白糸のような髪を掻きながら、ルイが心の底から面倒臭そうにため息をこぼした。

 

「知らない奴がリビングに居たら、警戒するのは当たり前だろう」

 

「警戒ってレベルの反応じゃなかったけどなぁ!? というか、知らない仲じゃないだろっ。戦友の顔を忘れたのかっ?」

 

「僕が戦友と呼ぶべき人間に、こんな老け顔はいない」

 

「そりゃ、あの戦争から四十年は経ってるからな! お前みたいな不老体質と一緒にすんじゃねえよ!? というか、さりげない若者自慢か、こんちくしょう!」

 

 男が唾を飛ばしながらまくしたて、ルイの頭を脇に挟み、白糸の髪をくしゃくしゃと乱雑に撫で回す。まるで、久方ぶりに会った旧友が戯れ合うようだった。

 そんな郷愁とは無縁のルイは鬱陶しそうに顔を歪めて、男を押し退けるように離れた。

 

「やめろ、暑苦しい。キミはいくつになってもガキみたいな男だな。いい加減、大人になったらどうかね? ──ダンゾウ」

 

「はー? そういうお前は相変わらず、ジジィみたいな男だな。せっかくの美青年なんだから、もう少し若々しく生きたら?」

 

 男──ダンゾウが唇を不服そうに尖らせる。こういう仕草もいちいちガキくさい男だった。

 ダンゾウ=ムラクモ。四十年前の奉神戦争で共に戦った戦友の一人だ。彼は東方の異国──日輪の国の出身で、軍の中でも超一流の剣の使い手だった。ルイとはたまたま配属された部隊が同じで、ルイが戦果を上げて後方の指揮官階級に就くまでの間、ずっと二人一組(ツーマンセル)であらゆる死地を潜り抜けてきた。

 

「余計なお世話だよ。僕は生来、こういう性質の男なんだ──それで? 急な来訪の要件は何かね? 特に用がないとか、冷やかしならさっさと帰って欲しいのだけど」

 

 テーブルを挟んでダンゾウの向かい側の椅子に腰掛けたルイが、迷惑そうな態度を隠すこともなく告げる。

 

「おいおい、つれない事を言うなよ。せっかく戦友が一年ぶりに会いに来たんだぞ? もうちょっと嬉しそうにしてもいいんじゃね? 俺、泣いちまうぞ?」

 

「あいにく、今は忙しいんだよ。軍の訓練用ゴーレムと防衛用ゴーレムの定期メンテナンスと、貴族たちからのオーダーメイドのゴーレムの発注が重なってね」

 

 ある程度の精度のゴーレムを作成するなら工房にいるゴーレムで何とかなる。が、ゴーレムのメンテナンスや繊細な微調整を要することもあるオーダーメイドのゴーレム作成となるとルイ自身がやらなければいけないところも出てくる。

 

「と、いうわけでだ。キミの戯言に付き合ってる暇はないんだ。さっさと帰れ」

 

「ちょ、待てよぉ。冷やかしとかじゃないんだって! 今日は本当にお前にお願いしたいことがあって──」

 

「面倒だから断る」

 

「おい、内容を聞いてもないのに断るなよっ?」

 

「ちなみにゴーレムの作成なら予約は半年先だ。要望はその辺にいる家事用ゴーレムに伝えておいてくれ」

 

「いや、ゴーレムじゃねぇよ!? 孫娘のことについてだよ!」

 

「孫娘……? あぁ、トウカくんの事か」

 

 少し間をおいて、ルイが思い出したように手の平に拳をのせる。

 トウカが生まれて間もない頃、一度だけダンゾウの息子夫婦が彼女を連れて、ルイの元を訪ねてきたことがあった。あれから十数年は経っている。

 

「トウカくんがどうしたんだい? 年齢的には反抗期に入る頃か。もう『洗濯物をジジィと一緒にしないで』は言われたかい?」

 

「お前、さっきからずっと言葉にトゲがあるよな……というか、ウチの孫娘はめちゃめちゃ良い子なんだからな!? 悪口なんか一度も聞いたことねぇぞっ」

 

「良い子ほど面と向かって言わないということもある。内心ではどう思われているか分からないがね?」

 

「やめろ、やめろ! 恐ろしいことを想像させんなっ? ショックで心臓止まるわ!」

 

 ダンゾウが顔を真っ青にして両耳を塞ぐ。意趣返しとしては十分かと少しだけ気分を良くしたルイが「それで」と口を開く。

 

「そんなお孫さんの事で僕にお願いしたいことって何かね?」

 

「あ、あぁ。お願いってのは魔術の家庭教師をお前に頼みたくて──」

 

「断る」

 

「返事が早いな!?」

 

 目を剥くダンゾウに、ルイはため息をこぼした。

 

「当然だ。キミも知っているだろう? 僕は子供が苦手なんだ。その一番の原因も知っているキミが、お孫さんの家庭教師を僕に依頼するなんて、酔狂としか思えないな」

 

 気分が一気に悪くなり、ルイが目を細める。

 ルイの反応に、佇まいを正したダンゾウがここに来てはじめて真剣な表情をする。

 

「……そう目くじらを立てるなよ。最後まで話は聞けって。トウカはな、今は王室親衛隊の訓練兵をやっているんだが」

 

「は? 王室親衛隊……? あの女王直属の騎士団のか?」

 

 ルイの瞳が僅かに開く。

 王室親衛隊。それはかつて奉神戦争で『双紫電』と謳われたゼーロス=ドラグハートが総隊長を務める超一流騎士団。所属する騎士一人一人が女王陛下への絶対的な忠義を捧げ、卓越した剣技を持つ。

 

「トウカくんはまだ14、15歳ぐらいのはずだろう? それが王室親衛隊の訓練兵……いや。そもそも、王室親衛隊に訓練兵なんてものは無かった気がするんだが?」

 

 ルイの言葉にダンゾウが肩をすくめる。

 

「あぁ、ねぇよ。けど、トウカの剣技を見たゼーロスが直々に訓練兵として勧誘したんだよ。息子夫婦も軍属で階級的に断れねぇし、何よりトウカのやつが完全にその気になっちまってなぁ」

 

「……なんだか嫌そうに聞こえるな。辞めさせたいならキミから言えばいいじゃないか。たしか、最終階級はゼーロスと同じだろう?」

 

「元、な。今は一市井の人間だ。それに剣術は俺が教えたしな」

 

「……何をしているんだ、キミは。辞めさせたいのか、どっちなんだ」

 

 呆れるルイに、「し、仕方ねぇだろ」と唇を尖らせるダンゾウ。

 

「と、とにかく! そんなわけで剣技に関しては良いが、魔術に関しては何もないんだよ。誰もトウカに教えてこなかったからな……だからこそ魔術は、()()()()()()()()()()()()()()()()お前にお願いしたいんだよ」

 

 ダンゾウが真剣な眼差しで詰め寄ってくる。魔術が普及したこの世界において、王室親衛隊に所属する騎士は剣の腕だけでなく、魔術も一流の使い手であることが求められる。

 椅子に深々と腰掛けたルイが目を細め、顎を撫でた。そして、一息置いて。

 

「断る」

 

「いや、断るなよぉっ!?」

 

 ダンゾウが声を荒げる。その後も話は続いたが、ルイの意志は変わらなかった。

 

 

 



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一章 戦友の孫娘①

キリが良かったので、この辺で。
ちょっと話の進行が遅くなりますが。


 

 

 

 時刻は深夜。ちょうど日付を超えた頃であり、月は厚い雲に覆われ、都市と都市を繋ぐ公道一帯は完全な闇に支配されていた。

 そんな闇夜に突然、悲鳴が上がった。

 

「ぐうぁあああああああっ! う、腕が! 俺の腕がぁぁぁぁあああっ!?」

 

 腕を切り落とされたらしい男が必死に出血を抑えようと傷口を抑える、が──。

 

 ヒュパッ

 

 風を切る音ともにボトリと何か重い物が落ちる音。その後に続いて男が膝から崩れ落ちるように倒れた。

 先程のような悲鳴はない。

 

「あ、あ、何だよ……何なんだよ、お前ぇはぁぁあああっ!?」

 

 その一連の流れを見ていたもう一人の男は声を荒げ、震える剣先を謎の人物──仲間を瞬く間に斬り捨てた少女に向ける。

 こんなはずではなかった。少し前にあった宮廷魔道士団による賊の一掃作戦をなんとか逃れ、久方ぶりに()()()()()()()()馬車を襲って路銀を奪う予定だった。

 まさか、こんなにも恐ろしい少女がいるとは思わなかった。

 

「……何だ、と言われましても。私、ただの学生なんですが」

 

 怯える男に対し、少女が落ち着いた様子で応える。

 

「それにしても、まだこの手の犯罪者がいたんですね。帝都内とその周辺は一掃したはずなんですけど」

 

 また師匠に報告しなければいけませんねと、少女はため息混じりに右足を一歩引き、半身で構えを取る。両手で上段へと構えた太刀の剣先を怯える男へと向けた。

 その構えは、アルザーノ帝国では見られない。霞の構えと呼ばれる、東方の異国──日輪の国で使われる独特な剣の構えだった。

 

「わ、悪かった……だから、命だけは……」

 

「──では、さようなら」

 

 震える男の命乞いも聞かず、少女はそう告げて瞬く間に男との距離を詰めて、太刀を突き上げた。

 風が啼くような音ともに男の首が飛び、制御を失った胴体が崩れ落ちる。

 男の命を刈り取ったことを視認した少女は横薙ぎに太刀を振って、刀身についた血を払い落とした。ちょうど、雲に覆われていた月が現れる。月明かりに照らされた刀身が眩い輝きを放ち、曲線美を描いた。

 

「──さて。お爺さん、もう出てきても大丈夫ですよ」

 

 一息つき、納刀した太刀を魔術で手品のように消した少女が、馬車へと微笑みかける。

 その言葉に安堵した老人が、おそるおそる顔を出した。

 

「い、いやぁ。お嬢ちゃんのお陰で助かったよ……まだ夜盗がいるなんて、思ってもみなかったからねぇ」

 

「仕方ないですよ。先日の取り締まりで、この一帯の賊は居なくなったと皆さん安心していたところですもんね。怖い思いをさせて、申し訳ございませんでした」

 

 慇懃に頭を下げる少女に、老人が慌てて首を横に振った。

 

「お嬢ちゃんが頭を下げる事じゃないよぉ……しっかし、まぁ。すごく強いんだねぇ、お嬢ちゃん。キミ、本当に学生さんかい?」

 

「はい。私は普通の学生ですよ? ただ──ちょっと剣術が得意なだけです」

 

 月明かりの下、艶やかな黒髪を揺らしながら少女は笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────ん」

 

 休日の朝だった。目を覚ましたルイが身体を起こし、陰鬱そうな表情で目をこする。

 視界に広がったのは最近は見慣れてきた、狭い寝室部屋だ。リビングへと続く扉の側には黒髪の大和撫子然とした少女が鎮座している。

 ルイはアルザーノ帝国魔術学院に勤めるようになってから、自然とこの時間帯に目が覚めるようになってしまっていた。

 

「……何が嫌かって、せっかくの休日も自然とこんな時間に目が覚める事なんだよね」

 

 これが労働者というやつか……と、欠伸を噛み締める。

 前の生活に戻るにはまだ資金が足りない。しばらくの間はこの生活を続けるしかなった。

 

「まぁ、いい。今日は休日なんだ。二度寝すればいいだけのことだ」

 

 休日の二度寝ほど、気分の良いものはない。これも労働者の立場にならなかったら知らなかった体験だし、まぁ意外と働くのも悪くないかなと、ルイは布団を被った。

 

「────いや。待て待て待て」

 

 異変にようやく気付いて、ルイはすぐに起き上がった。

 そして、いまだに静かに扉の前で瞼を閉じ、正座する少女を凝視した。

 艶やかな長い黒髪を、後ろで束ねてまとめている。肌は雪化粧のごとく、姿勢の良さも相まって凛然とした雰囲気がある。着用している制服からアルザーノ帝国魔術学院の学生だと思われるが、その格好には不釣り合いな太刀を片手で床に突き立てていた。

 少女の瞼が僅かに揺れ、開いた。目が合い、少女が「おや」と声を上げる。

 

「おはようございます。ルイ教授」

 

「あ、あぁ……おはよう」

 

 半ば戸惑いながら挨拶を返すルイに、少女はくすりと笑った。

 

「予定より早く着いてしまったので、驚かれている事でしょう? 今日の明朝にこちらに着きまして。鍵も開いていませんでしたし、呼び鈴にも応じられなかったので、勝手ながら玄関の扉を斬り落とさせて頂きました」

 

「あぁ、そう。それはすまなかっ────ぅん?」

 

「さて。ではさっそく朝食にしましょう。今日から一週間ほどはお世話になりますので、僭越ながら私が腕を振わさせて頂きました。お口に合うと良いのですが──」

 

「いや。待て待て待て」

 

 今まさに立ち上がって、リビングへと向かう少女をルイが制止する。

 

「……? ルイ教授は朝食を摂らない方ですか? いけませんよ、朝はしっかり栄養を摂らなければ。仕事の能率が下がりますからね」

 

「いや、そうじゃなくてだね」

 

「あ。そういえば、食べれないものがないか聞くのを忘れていました。刺身の盛り合わせになるんですが、魚介類は大丈夫ですか?」

 

「うん? 特に好き嫌いは無いので問題ないが──というか、朝から重すぎないかね? あと、色々とツッコミどころが多すぎるんだがっ」

 

 頭痛を堪えるように眉間を揉むルイが、盛大なため息をこぼした。

 一度に解消しなければいけない疑問点が多すぎる。

 

「……はぁ。とりあえず、一つずつ聞いていこう。まず、キミは何者だね?」

 

 ルイの問いに、少女も気付いたように声を上げる。

 

「自己紹介がまだでしたね。私の名は、トウカ=ムラクモ。貴方の戦友、ダンゾウ=ムラクモの孫です」

 

 その名前に、ルイが「……は?」と珍しく戸惑いの声を上げる。

 一年半前。奇しくも、ダンゾウがルイに会いに来た最後の日と同じ日に。その孫娘が、ルイの前に現れた。

 

 

 



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一章 戦友の孫娘②

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします!





 

 

 

 カップに注がれた紅茶を一口飲んで、息をついたルイが目を細める。

 テーブルの上には朝食というにはあまりに豪勢すぎる料理が並んでいた。魚、魚、魚、魚────と、多種多様な魚の刺身が大皿に盛りつけられている。まだ口にすらしていないというのに、胃が食べることを拒否していた。

 胸焼けするような料理たちから視線を上にずらすと、黒髪の大和撫子然とした少女──トウカが丁寧な所作で刺身を一口、また一口と平らげていく。

 

「ええと……つまり、キミは今回の魔術競技祭に出席される女王陛下の安全確保のために、先行して魔術学院に派遣されたと。そういう事でいいのかね?」

 

「ええ、その通りです。滞在期間は魔術競技祭が開催されるまでの一週間。その間は、アルザーノ帝国魔術学院の生徒として過ごすことになります」

 

 口元を丁寧にハンカチで拭いたトウカが首肯する。トウカの目の前にあった大皿に盛り付けられた刺身が無くなっていた。トウカは空いた皿をずらして、新しく刺身が盛り付けられた大皿を自分の前へと持ってくる。

 

「……そうかい。まぁ、王室親衛隊の務めとしては当然のことだろうね」

 

 もう一ヶ月以上前になるだろうか。アルザーノ帝国魔術学院でテロ事件があった。下手人は、歴史上最悪の魔術結社『天の智慧研究会』の外道魔術師たち。その時は学院に残っていたルイと非常勤講師であるグレンによって、なんとか解決したが……帝国が誇る魔術学院のセキュリティを破られたのだ。万全を期すのは当然のことだった。

 まぁ、ルイには関係のないことだし、どうでもいいことなのだが。

 

「……ところで」

 

「はい?」

 

 ルイの問いかけに、二皿目を平らげたトウカが小首を傾げる。

 ──どれだけ食べるんだキミはっ? と思わずツッコミそうになるが、耐える。なぜか、ツッコんだら負けな気がする。

 

「んんっ……いまだに疑問なのだが。キミは何故、僕のところに来た?」

 

 ルイが訝しげに目を細める。対するトウカは、「それは先程も申し上げたじゃないですか」と微笑んだ。

 

「滞在期間は一週間。学院に近い宿は近辺にはありませんので……そこで、学院近くに住んでいるルイ教授のところにお邪魔させて頂くことにしたんです」

 

「……さっきも言ったが。僕は了承した覚えはないんだが?」

 

「え? でもお爺様からは『大丈夫だから、行ってこい』と」

 

「あの男は……また適当な事を言って……」

 

 ピクピクとこめかみに青筋を立てたルイが頭痛を堪えるように眉間を揉む。トウカの祖父──ダンゾウは昔から、こちらの都合を一切考慮しない男だった。

 

「そもそも、そういうのは王室親衛隊の方で事前に準備を進めるものじゃないのかね?」

 

 ルイが当然の疑問を口にする。任務の都合上、拠点が学院の近くが好ましいというのは分かる。が、これは国家機密レベルの任務のはずだ。

 その拠点選びは慎重かつ、もっと相応しい場所があるはず。間違っても、一市井に過ぎない男の貧しい貸家などではない。

 

「はい、それも問題なく。師匠──ゼーロス閣下もルイ教授の自宅なら問題ないだろうと」

 

「それでいいのか、王室親衛隊……」

 

 というか、自分の周りにいる連中はどうしてこうも、こちらの都合を考えずに荒らして回るのか。

 

「だいたい、キミはいいのかね? 年頃の女の子が既知とは言え、一人暮らしの男の家に一週間もいるなんて」

 

「はぁ……特に気にしませんね。なにぶん、物心ついた頃から男性だらけの所にいましたし。それにお爺様も、ルイ教授は『不能』だから大丈夫だと」

 

「……ぅん? もしかして、これはアレかね? 僕は、喧嘩を売られているのかな?」

 

 言葉の意味を察するルイ。年頃の女の子に、それも孫娘に何を言っているのか。あのクソガキは。

 

「あ、そういえば私、お爺様の言った『不能』の意味が分からなくてですね……ルイ教授に教えてもらうように言われたんですが」

 

「ふざけるな」

 

 どうやらダンゾウは死期を早めたいらしい。喧嘩の売り方は小癪だが、かつて共に戦った戦友として、介錯人を務めてやるべきか。

 

「あの、ルイ教授。それで、『不能』というのは──」

 

「キミもつっこんでくるな。あと、その表現は記憶から抹消したまえ」

 

 心底、不愉快そうな眼差しで睨みつけるルイに、さすがのトウカもそれ以上は追求することをやめた。

 ルイが大きなため息をこぼす。

 

「とりあえず、ダンゾウはあとでミンチにするとしよう……いや、待てよ。死体処理が面倒だな。もういっそのこと埋めてしまおうか? 少しぐらい土葬が早くなったって、構わないだろう……」

 

 さらりと殺害計画を立てるルイ。その瞳から光は消え失せ、完全に据わっていた。

 

「あの、ルイ教授? お爺様なら一週間ほど前から行方不明ですよ?」

 

「は? 行方不明?」

 

 なにやら急に物騒なワードが出てきて、ルイが眉間に皺を寄せる。しかし、トウカはなんでもないことのように口を開く。

 

「はい。お爺様はここ一年間、何も告げずに家を不定期で長期間、空けることがあるんです。最初は私も心配していましたが、何事もなかったようにふらっと帰ってくるので、もう今は気にしていませんが」

 

「…………ついにボケたか」

 

 心底、憐れむように目を細めるルイ。「ま、まだ大丈夫ですよぉ……多分」と、今までハキハキと余裕のある態度で答えていたトウカがはじめて、少し自信なさげに答えた。

 

 

 



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一章 戦友の孫娘③

ちょっと今回は長め……


 

 

 

「ほぉ〜〜。さすがは帝国内で最高峰を誇る魔術学院。活気がありますね〜」

 

 楽しげに行き交う生徒たちとすれ違う中、トウカが感嘆の声を漏らす。

 アルザーノ帝国魔術学院、中庭にて。魔術学院の制服に身を包んだトウカはルイの案内のもと、学院内を散策していた。来る魔術競技祭に備えて、学院内の安全を確認するためである。

 

「……そんなに浮かれていて、大丈夫なのかね? キミ、いちおう王室親衛隊の仕事で来ているんだろう?」

 

 隣を歩くルイが呆れ気味に釘を刺す。一応、今のトウカはルイの手伝いをしている女子学生という体で、ひと束の書類を片手で抱えている。

 とは言うものの、トウカの様子はとても王室親衛隊の騎士として仕事をしているようには見えなかった。

 対するトウカが、忠告を気に留める様子もなく答える。

 

「分かっていませんね、ルイ教授。これは()()ですよ。一学生が警戒心を振りまきながら周囲を見回していたら、おかしいでしょう? これはアルザーノ帝国魔術学院の生徒として、必要な演技なのですよ」

 

 ふふん、と。自信げに胸を張るトウカ。学院の生徒なら、校舎内を見ていちいち目を輝かせたりはしないと思うけどね──と指摘したくなったが、ルイは「そうかね」と曖昧に答えるだけにした。

 最初に来た時は堅苦しいことこの上なかったが、今は年相応というか、心なしか楽しそうに見えたからだ。

 まぁ、一応は事情を知る者として言うべきことは伝えたので、これ以上言ってやる義理もないだろう。

 

「それに、私は超エリート集団である王室親衛隊の中から唯一、魔術学院の内部調査の任務を受けたんですよ? その私の行動に、間違いなどあるはずがありません」

 

 それは多分、王室親衛隊のメンバー内で年齢的に適任者がいなかっただけじゃないかね──と指摘したくなったが、黙っておくことにする。

 子供がこんなにも誇らしくしているのだ。それを否定してまわるのは、子供が苦手なルイでもさすがに憚れた。

 

「……そうだね、無用な心配だったようだ。まぁ、その調子で頑張り──」

 

 たまえ、と。ルイが肩をすくめて謝罪しようとした時。言葉尻を奪うように怒声が響いた。「何事でしょうか?」と首を傾げたトウカが、声が聞こえた方へと足速に向かう。

 面倒ごとの予感がするので正直行きたくなかったが、案内中のトウカを一人にするわけにもいかないので、ルイも後を追った。

 

「あれは……グレン君か?」

 

 トウカに追いついたルイが見たのは、中庭の真ん中で二人の大柄な男子生徒をつまみ上げるグレンの姿だった。どうやら生徒同士で喧嘩があったらしい。グレンがその仲裁に入っているようだった。

 

「あ、ルイ教授。どうやら場所の取り合いで、喧嘩になっていたようですね……原因は何でしょうか?」

 

 先に着いていたトウカが首を傾げる。それを聞いたルイが、先ほどまでグレンに首根っこ掴まれていた二人の男子生徒を見て目を細めた。

 

「二年次生の一組と、二組の襟章──あぁ、なるほど。魔術競技祭の種目練習だね。それで、場所の取り合いになったんだろう」

 

 魔術競技祭は年に三度に分けて開催される、学院の生徒同士が魔術の技を競う大会だ。それぞれの学年次ごとに、各クラスの生徒が選手として選出される。種目は多岐に渡り、総合得点が最も高かったクラスの担当講師には恒例として、特別賞与が出ることになっている。

 ただし、そういった背景があるためか、近年の魔術競技祭ではクラスの成績優秀者のみで出場選手を固める風潮があるらしい。

 その事を最近になって初めて知ったルイからしてみれば、何のための『祭り』なのか──本来の目的を見失ったこのイベントには、うんざりしていた。

 

「あぁ、道理で……あれ? でもなんだか一組に比べると、二組の方が練習している生徒が多いですね」

 

 トウカも、事前情報として学院で行われている魔術競技祭についてはある程度の事は把握している。もちろん、その実態もだ。だからこそ、この場にいる二組の生徒たちの人数が多いことが気になった。

 

「……そういえば、今年はグレン君の二組だけ生徒全員が出場するって話題になっていたな」

 

 思い出したように、ルイが口を開く。クラスの生徒全員が競技に選手として出場する。それは今まで学院に蔓延していた風潮を砕く、衝撃的なニュースだったようで、ここ最近はルイがよく耳にする話題だった。

 それを聞いたトウカが感心したように頷く。

 

「それは、それは……いつかのテロ事件も、ルイ教授と共に解決したと聞きますし。グレン先生って素晴らしい方なんですね」

 

「ん。まぁ……そう、だね? 彼は素晴らしい講師だよ」

 

 純粋な尊敬の眼差しで遠くからグレンを見つめるトウカに、ルイは曖昧に頷く。嘘は言っていない。講師としては、学院内でも素晴らしい授業をするのだ。それ以外に関しては……ルイから見ても、ロクでなしと表現する他ないのだが。

 

「──何をしている、クライス! さっさと場所を取っておけと言ったろう! まだ空かないのか!?」

 

 突然、新たな怒声が中庭に響き渡る。目線をずらせば、肩を怒らせながら眼鏡をかけた20代半ばの男がグレンに詰め寄った。グレンの介入で解決しそうになった雰囲気が、また不穏な空気に包まれる。

 

「む、突然なんですか。あの男は」

 

 突然の闖入者に、トウカが眉を顰める。

 ルイが神経質そうな男の薄い頭頂部を見て、その名前を思い出した。

 

「講師のハー……レム、だったかな。たしか、二年次生一組の担当だったはずだ」

 

「ハーレム……モテそうな名前して、まったくモテなさそうな顔をした男ですねっ」

 

 不快感を隠すことなく、トウカがそう吐き捨てる。

 ハーレムが、グレンに向かって大きな声で罵るように言葉を並べている。その威圧的な態度も、トウカからはかなり不愉快に感じたようだ。

 

(…………うん? 名前、ハーレムで合っていたか?)

 

 ルイが首を捻る。そうそう人の名前を忘れる事はないのだが、なぜか彼の名前だけはいまいち覚えている自信がなかった。

 思い出そうと記憶を辿るが、まぁ、どうせそんなに重要なことでもないかと気にすることをやめた。

 

「──何を言ってる? お前達二組のクラスは全員、とっととこの中庭から出て行けと言っているのだよ」

 

 そんな一方的な言葉が、耳に入ってきた。ルイが少し思考に耽っている間に、話が進んでいたらしい。ハーレムの言葉に、二組の生徒達は凍りついていた。 

 さすがのグレンも渋面でこめかみを押さえ、ハーレムに抗議する。

 

「先輩……いくらなんでもそりゃ通らんでしょ……横暴ってやつですよ」

 

「何が横暴なものか」

 

 小馬鹿にするように鼻を鳴らし、ハーレムはちらりと二組の生徒達を一瞥してから吐き捨てた。

 

「もし、貴様に本当にやる気があるのであれば、練習のために場所も公平に分けてやってもいいだろう。だが、貴様にはまったくやる気がないではないか! なにしろ、そのような成績下位者達……足手まとい共を使っているくらいなんだからな!」

 

 そのひどい言い草に、二組の生徒達の表情が暗くなる。

 しかし、そんなことはお構いなしにハーレムは暴言を続ける。

 

「勝つ気のないクラスが、使えない雑魚同士で群れ集まって場所を占有するなど迷惑千万だ! 分かったならとっとと失せろ!」

 

 ────ぶち。

 

「…………ん?」

 

 何かがブチ切れる音が聞こえた気がして、ルイが辺りを見回す。

 隣にいたはずのトウカが、姿を消していた。

 

「お言葉ですがね、先──」

 

 落ち込む二組の生徒達を見て、いろいろと思い出したグレンがハーレムに向かってカッコ良くポーズを決めて、言い返そうとした瞬間──二人の間に割って入るように、トウカが姿を現した。

 

「──成敗します」

 

「「…………は?」」

 

 突然目の前に現れた黒髪の少女に、グレンとハーレムの目が点になる。

 その場にいた両クラスの生徒達も困惑の色を顔に浮かべた。

 

(いや、何をしているんだあの子っ?)

 

 予想外の出来事に、さすがのルイも面食らう。

 そんな場の空気を歯牙にも掛けず、トウカが人差し指をハーレムの鼻頭へと突き刺す。

 

「先程から黙って見ていれば、生徒達に対する暴言、見下すような態度……仮にも『講師』を名乗る人間がすることですかっ? 恥を知りなさい!」

 

 よく通る凛とした声音で、はっきりと告げる。

 突然のことにハーレムが目を瞬かせていたが、すぐに怒りも露わにトウカを睨みつけた。

 

「なんだ貴様は!? 急に割り込んできおってからに……どこのクラス人間だ!?」

 

「そんなこと今は関係ないでしょうっ? 私は貴方の講師としての品格について問ているんです!」

 

 ハーレムの高圧的な態度をものともせず、指をビシィっと突きつけるトウカ。そこには有無を言わせない気迫があった。

 トウカの凛然とした態度にハーレムが少しだけ気圧されそうになるが、そこは大人のプライドを持って耐える。

 

「学生ごときに品格を問われる筋合いはないわ! なんなんだ、貴様は! 部外者は引っ込んでいろ!?」

 

「部外者、ですって……?」

 

 その言葉に、トウカが一瞬だけ詰まる。

 ハーレムの言う通りだった。トウカはたまたまこの場に居合わせただけで、この揉め事に直接的な関係はない。部外者であることに変わりはなかった。

 

「……いいえ。私は部外者じゃありませんよ」

 

 何を思ったのか、振り返ったトウカが未だに無駄に決まったポーズのまま固まっていたグレンの右手に両手を添えて、顔の前へ引き寄せた。

 突然のことに目を白黒させるグレン。

 

「グレン先生、私の名前はトウカと言います。噂はかねがね……とても素晴らしい講師だと伺っています。特に、今回の魔術競技祭においては悪き風潮を壊すため、クラスの生徒全員で優勝を目指しているのだとか……私、感服いたしました」

 

 キラキラと尊敬の眼差しを向けられ、若干引き気味になりながらもグレンが笑顔で「お、おう」と答える。

 そんな話になってたっけ? とグレンは内心で首を捻ったが、そんなことを聞き返せる雰囲気でもなかったので、その場に流される。

 その返事を聞いて、トウカが我、大義を得たりと言わんばかりの自信に満ちた笑顔で告げる。

 

「であれば、私が成すことは一つ……不肖、トウカ。グレン先生がこの魔術競技祭で優勝できるよう、微力ながら力をお貸ししましょう!」

 

「あぁ! よろしく頼むぜ、トウカ!」

 

 流れに乗りまくったグレンがわけも分からずに良い顔でサムズアップした。その珍妙なやりとりを呆けて見ていたハーレムが、はっと我に帰る。

 

「……ハッ! たかが小娘一人味方につけたぐらいで変わるものかっ!? だいたい、貴様のクラスはシスティーナやギイブルといった優秀な生徒を遊ばせているではないか!?」

 

 負けじとハーレムが指摘する。そんなハーレムに、トウカが憐れむかのように言い返す。

 

「……分かりませんか? グレン先生のこの布陣は、これで最強なんです。優秀な生徒だけを選手として採用する? まったくもってナンセンス。たとえ、それが矮小な個だとしても、群体となり大きくなれば、強大な個すら打ち倒すことができる……あまり、舐めないでもらえます?」

 

 トウカがすごい訳知りな顔で宣う。実際にはまったくもって分かっていないし、そもそも二組の生徒ですらない。

 

「そうすっよ、先輩。皆は一人のために、一人は皆のために、だ。その一体感こそ何よりも最強の戦術なんですよ? 分かりませんかね?」

 

 しかし、その場のノリというか、流れというのは凄いもので、事情を一番知っているグレンが、この場で一番よく分かっていないトウカの口車に乗っかっていた。

 

「くっ……そんな非合理的な精神論が通用するとでも……ッ!?」

 

 そんなハーレムの反論をグレンが胸を張って切り捨てるように返す。

 

「給料三ヶ月分だ」

 

「な、何ィ……ッ!?」

 

「俺のクラスが優勝する、に俺の給料三ヶ月分だ」

 

 グレンの宣言に、ハーレムは当然、周囲全員がどよめいた。

 

「しょ、正気か、貴様……ッ!?」

 

 明らかに狼狽するハーレム。魔術学院の講師はそれなりの給料を貰ってはいるが、魔術の研究を進める上で講師に下りる研究費は雀の涙も同然。そのため研究を進めるには自分の給料から天引くしかない。

 給料三ヶ月分というのは講師にとって、かなりリスクのある金額だった。

 

「さすがはグレン先生ですね。生徒のために身を削ることも厭わない……それに引き換え……」

 

 チラっとハーレムを流し見たトウカが嘲笑うかのように口の端を吊り上げる。分かりやすい挑発だった。

 

「くっ……いいだろう! 私も、私のクラスが優勝するに、給料三ヶ月分だ!」

 

 生徒達の手前、ハーレムもここまで言われれば退くに退けなくなったのか、脂汗を浮かべながら忌々しそうに宣言する。

 

(…………なんだ、この茶番劇は)

 

 遠目から一部始終を見ていたルイが、心底呆れた様子でその光景を眺めていた。というか、今更だが王室親衛隊の内部調査の任務を放っておいていいのだろうか。

 

(はぁ……あとで一応、忠告しておくべきか……それにしても)

 

 未だに揉め事の渦中にいるトウカを見て、ルイが目を細める。

 

(こうして見ると、さすがはダンゾウの孫というべきか)

 

 悪ガキのような笑み。正直者で、考えるよりも先に体が動く。争いや揉め事が好きなのか、すぐにその中に突っ込んで行ってしまう。

 最初に出会った時は、あまりにも礼儀正しく堅苦しいものだから、本当にダンゾウの孫なのかと目を疑ったが、こちらが素だったらしい。

 楽しそうにしているし、もう少しだけ放置してもいいかとルイが考えていたところ──。

 

「誰が、ハーレムだッ!? 私の名前は、ハーレイ=アストレイだ!」

 

「……え? そうなのですか? でも、あそこにいるルイ教授がハーレムだって……」

 

「なにぃいいいいッ!? おい、ルイ=ガルディエーヌぅううううッ!? 貴様、何度言ったら私の名前を覚えるんだぁぁぁあああッ!?」

 

「……しまった。面倒なのに見つかったな」

 

 怒声を上げながらこちらへ向かってくるハーレム──改め、ハーレイを見て、ルイはため息をこぼした。

 

 

 



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一章 戦友の孫娘④

 

 

 

 中庭で起きたいざこざから数日後。

 グレンとハーレイの給料三ヶ月分を賭けた争いに首をつっこみ、グレンの味方をすることになったトウカだが、彼女は本来、王室親衛隊の任務のため生徒に紛れている立場だった。

 そのため、学院内での警戒は終始続けなければならない。グレンたち二年次生二組の味方をするといっても、できる事は限られる。

 

「──遅いですよ、カッシュ君! 今のはもう少し早く、一歩踏み込むべきです」

 

 学院の中庭にて。二組の生徒達が魔術競技祭の練習に励む中、熱心に指導するトウカの姿があった。

 

「はぁ、はぁっ……ッ! い、いや、でも。それはトウカが早過ぎて──」

 

「男の子が言い訳をするものではありません! ほら、もう一度いきますよ」

 

 トウカのスパルタ教育に、カッシュと呼ばれた男子生徒が悲鳴を上げる。二人は『決闘戦』の模擬戦を行っていた。『決闘戦』は三対三の団体戦で実際の魔術戦を行う競技だ。トウカは魔術戦における立ち回り方を指導しているようだった。

 

(というか、そんな事をしていいのかね……あまり力量を見せるような事をすると、ただの学生じゃないことがバレるんじゃないか?)

 

 と、遠目から様子を伺っていたルイはため息をこぼした。

 トウカが二組にできることなんてたかが知れいるだろう──そう思っていたが、トウカはがっつり二組の練習に関わり、大いに貢献していた。

 先ほどのような『決闘戦』の練習相手に加え、練習中につまむ軽食や飲み物も用意し、時には二組の生徒達を鼓舞した。

 もう元から二組の生徒でした、と言われても違和感のないぐらいにトウカは馴染んでいた。しかも、ちゃんと王室親衛隊の任務も務め上げていた。流石、若くしてゼーロスから直接スカウトされただけはある。

 

「あ、あのぉ……ルイ教授」

 

 振り向くと、緊張した面持ちでこちらを見上げる、三人の男子生徒の顔があった。それを見て、ルイは彼らの指導途中である事を思い出した。

 

「あぁ、すまない。三人とも、『グランツィア』の競技内容の確認は済んだかね?」

 

 三人が頷くことを確認して、「では、作戦について説明しよう」と、ルイは持っていたノートにペンを走らせた。

 

「ルール冊子にもある通り、『グランツィア』は魔術による結界陣取り合戦だ。この競技においてカギとなるのは結界構築の速度だ。だけど、僕が見た限りでは……キミたち三人は、どのクラスよりも結界構築の速度が遅い」

 

 ルイの容赦ない評価に三人が一瞬だけ顔を暗くする。その様子にルイは少しだけ胸を痛めるが、解説を続ける。

 

「だから、キミたちには条件起動式を利用した高等戦術……サイレント・フィールド・カウンターを狙ってもらう」

 

 その名前に三人の生徒たちが面食らう。

 ルイが提案した作戦は、一定の条件下で発動する条件起動式を用いた広域結界の展開だ。これは相手の結界構築を妨害しながら、条件起動式の魔術を相手に悟られぬよう、構築していく必要がある。

 

「条件起動式、ですか……」

 

 一人の生徒が、渋い顔をする。その反応を予想していたルイが、肩をすくめた。

 

「気が進まないのは分かるよ。条件起動式と言えば、呪いや制約などで昔から散々使い古されてきた悪名高き術式だしね……僕も『奉神戦争』で嫌というほど、その凶悪さを体験したよ」

 

 当時のことを思い出して、一瞬だけルイが顔を歪める。が、すぐに振り払うように首を振って、気を取り直す。

 

「まぁ、その事は一旦忘れよう……とにかく、キミらが勝つにはこの方法しかない。なので、キミたちにはまずフィールド・ブレイクの練習をしてもらうよ。相手もゴーレムで用意したからね。レベルはとりあえず1からにして……レベル10を1組の生徒として想定しているから、期限までにレベル10に到達することを目指したまえ」

 

「は、はい! 分かりました!」

 

 一通りの話が終わり、大きく頷いた三人の生徒たちは早速ゴーレムがいる場所まで移動し、練習を開始した。

 

「まったく……僕まで、何をやっているんだ?」

 

 離れて行った生徒たちを見届けて、誰にも聞こえない声で一人ごちる。

 リック学院長と「業務態度の改善」を約束したものの、それは最低限の講義はルイ自ら行うという程度。

 担当クラスを持たないルイが、学生の個別指導までする必要はない。

 しかし、現在、学院は王室親衛隊からトウカの任務遂行のための協力を要請されている立場だった。業務態度の改善を約束した以上、学院が受けた要請に従うのも業務のうちの一つ。

 学院内でのトウカの案内役を任されたルイは、トウカからあまり離れるわけにもいかず、自然とルイも二組の競技練習の指導を手伝うようになっていた。

 

「いやぁ、ルイ。助かったぜ。指導を手伝ってくれて」

 

 後ろから声をかけられる。

 振り返ると、グレンがいた。彼もちょうど指導がひと段落ついたらしい。

 ん、とルイが首を傾げた。心なしか、先日よりグレンがやつれているように見えた。覇気の無さそうな顔は相変わらずだが、なんというか、生気が日を追うごとに無くなっている気がする。

 まぁ、自分には関係のないことかと気にしない事にした。

 

「別に、構わないよ。僕は簡単なアドバイスをして、あとはゴーレムに任せているだけだしね。それに、指導で言えば一番貢献しているのはトウカくんじゃないかな」

 

 ルイが、グレンの後ろを目配せする。

 男子生徒の指導を終えたらしいトウカは、周りで競技の練習に励む生徒たちに飲み物や軽食の差し入れをしていたルミアを手伝っていた。

 まったく、よくやるものだなと呆れた。

 

「たしかに、そうなんだよなぁ。あとで、トウカにもお礼を言わねーとな……しっかし、あいつ、なんでこんなにも二組の連中によくしてくれんだ? というか、どこのクラ──」

 

「そんなことよりも、グレン君。キミも一息ついたらどうかね? なんなら、一緒に食堂で食事でもどうだろうか。もちろん、ここは教授である僕が奢らせてもらうが」

 

 グレンが疑問を口にするのを遮るように、咄嗟にルイが口を開いた。グレンの疑問を誤魔化すためである。

 すぐに、自分がこんな気遣いをする必要があるのか? と思ったが、もう遅い。

 奢り、というワードに食い付いたグレンが目を輝かせ、気持ち悪いぐらいの低姿勢で手を擦り合わせた。

 

「マジかよ!? 流石は稀代の天才錬金術師、ルイ様だな! 指導を手伝ってくれるだけじゃなくて、ご飯まで奢ってくれるなんて! 俺もう今週はシロッテの枝しか食べてなくてさぁ〜? いや、お金がないわけじゃねーんだよ? ただ魔術研究のためにどうしてもお金が必要で切り詰めててさぁ〜?」

 

 下心丸見えの顔で、そんなことを宣うグレン。もちろん、グレンが何一つ魔術研究なんてしていない事は知っている。そういえば、食費すら無いのは先月のギャンブルで大負けして全損したという事をセリカかが話していたのを思い出した。

 

(あぁ、道理で。それで日を追うごとにやつれていたわけか)

 

 どうでもいい謎が、すぐに解決した。

 本当にどうでもいいことなので、特に思うこともないのだが。

 

「……まぁ、好きに注文するといい。言っておくが、僕もそれほど余裕があるわけじゃない。常識の範囲内で頼むよ」

 

 自分の軽率な発言を呪いつつ、ため息をこぼす。

 グレンがガッツポーズを決める。

 

「やったぜ! なら善は急げだ。 早く行こうぜ」

 

 軽やかな足取りで先をゆくグレンを見て、ルイはまたため息をこぼすのだった。

 

 

 



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間話 とある少女の悪夢

 

 

 

 ──夢を、見る。

 私がまだ弱く、無垢であった頃。この日常がずっと続くと信じて疑わなかった、愚かな私の記憶。

 

『あ、あぁ……ッ!?』

 

 目の前の光景が信じられず、腰を抜かした私はただただ震えるしかなかった。

 血溜まりに沈んだ母が、狂った人々によって殴殺されていた。

 ある者は持っていたナタで母の顔を何度も殴りつけ。ある者は素手で母の臓腑を抉りかき混ぜて。ある物は母の全身を包丁で乱暴に斬りつけた。

 最初はピクピクと痙攣していた母の体はすぐに動かなくなり、もはや母だったのかすら分からないほど、肉塊と成り果てたところで。

 ぎょろり、と。狂人たちは私の方を一斉に向いた。

 

『ひっ──』

 

 今度は私の番なのだと。早くこの場から逃げなければと、思ったけれど。鉛のように重い体はまったく動いてくれない。

 無駄だと分かってる。それでも未だに目の前の光景が信じられなかった私は必死に、震える口を動かした。

 

『ぉ……父さ……ッ! た、助け、て……っ』

 

 もう涙でボロボロになった視界に映る、狂人たちの先頭を歩く父に向けた言葉だった。

 母に最初に襲い掛かり、殺したのはその父だというのに。

 

 どうして、こんな事になってしまったのだろう?

 今日は久しぶりに休日が取れた両親と帝都でお出かけをする予定だった。父はかなり体調が悪そうだったが、以前から約束していた日であった事もあり、駄々をこねた私のワガママを聞いてくれた。

 軍属でほとんど家には帰ってこない父と母。当時の私も王室親衛隊の訓練兵として剣術と魔術の鍛錬の日々だった。

 私が唯一、私らしくいられる瞬間。私は両親と過ごせるこの貴重な日に、目一杯のおめかしをして、浮かれていた。

 

『ねぇ、お父さん……ッ! 私、あ、謝るから……だからッ……だ、から……ッ!」

 

 これまで積み上げていた研鑽はなんの意味もなさなかった。どれだけ技を磨こうとも、心と身体が伴ってなければ、何にも出来ないのだと思い知った。

 ただ意味のない泣き言を何度も繰り返して、その度に一歩ずつ近づいていく狂人たちの群れ。

 そして、振り下ろされる刀。

 

『──いやっ!?』

 

 奇跡的にその切先から逃れたが、額の薄皮一枚がぱっくり裂かれてしまったらしい。ぬるりと生暖かい血が顔半分の視界を覆う。

 目の前には刀を持つ父。その刀は、狂った父を止めるため母が魔術で取り出した刀だった。

 

『……ぁ、ああっ!? あぁああああああああああ──────っ!?』

 

 父が、自分を殺そうとしている。母のように、私も嬲り殺される。

 その実感を得た私は、悲鳴をあげた。心臓が痙攣を起こし、脳内が焼き切れるかのように熱かった。

 私の悲鳴を皮切りに、狂人たちが群がるように私に襲いかかった。

 

『やだ……やだやだやだやだぁっ!?』

 

 抵抗を試みるも瞬く間に狂人たちに組み敷かれる。その圧力だけで肺が押し潰され、酸素を求めて口が動く。

 

『────ぁ』

 

 振り上げられる凶器たち。それらが緩慢な動きとなって私の眼前に迫っていき──

 

『──《大いなる風よ》っ!』

 

 眼前を掠める、暴力的な風。

 しかしそれは一切の悪夢を追い払うかのように、私に群がる狂人たちを攫って遠くへ駆け抜けていった。

 

『おい、大丈夫か!?』

 

『え? あ──』

 

 駆け寄って来てくれた黒髪の青年が、焦燥した顔付きで私の肩を抱き、顔を覗き込んでくる。

 先程の冷たく暴力的な圧力ではなく、安心感のある力強さ。青年の腕を通して伝わる人の温かさに。

 

『うぇ……う、うぅうわぁぁあああああんッ!』

 

 堰を切ったように大声で、その青年の胸に縋りついて泣いた。

 戸惑う青年だったが、少しの間だけその胸を貸してくれた。頭上から女性の声も聞こえて、青年と話していたようだがその内容はまったく耳に届かなかった。

 少しして落ち着いた私の頭を撫でた青年が、口を開く。

 

『すまねぇ。俺たち、まだ任務中なんだ。セラ──こいつの精霊をお前に付ける。この精霊に従って行けば安全に逃げれるはずだ……できるか?』

 

 青年の言葉にこくこくと頷く。申し訳なさそうにしていた青年は、優しげに口元を緩めた。

 

『よし、偉いぞ……さぁ、早く行け。あとは、俺たちに任せろ』

 

 ぽんと、私の背中を優しく押してくれる青年。

 その顔は最後まで申し訳なさそうに、それでいて焦燥と苦悩に歪んでいた。

 

 

 

「──また、あの夢ですか」

 

 静かに目を開き、起き上がった私──トウカ=ムラクモは額に触れる。

 あの時、父に付けられた傷は跡もなく、完全に癒えている。それでも触れると心臓が跳ね上がるような感覚に陥る。

 心傷は未だに癒えぬまま。だが、それでいいと思っている。

 この痛みは過去の自分への戒め。この世界は残酷だと知ったきっかけで、自分と同じような境遇に遭った人達を救うために日々研鑽するための糧となっている。

 

「それに──」

 

 グレン、先生。その名前を心の中で唱える。

 あの事件の日、私を救ってくれた人。軍属になればいつか会えるんじゃないかと思っていたが、すでに彼は退役した後だった。

 しかし、再び会うことが出来た。まさか、アルザーノ帝国魔術学院の講師になっていたとは思わなかったが。

 本人は覚えていなさそうだったし、自身の正体を明かす気もなかった。しょせん、自分は彼が救った大勢の人たちの一人に過ぎないのだから。

 それでも、か弱い生徒たちのために矢面に立つ彼の姿は、変わらず私が憧れた時のまま。

 私が追うべき目標である事に変わりはない。

 

 ふと、視線を横へとずらす。隣では布団に包まって寝息を立てる白髪の青年の姿があった。

 ルイ=ガルディエーヌ。一週間ほど前から私がお世話になっているこの貸家に住む住人だ。祖父の古い知人であり、短い期間とはいえ寝床を借りる立場なのだから私は床で大丈夫だと伝えのだが……「年頃の女の子にそんな真似できるかね。というか、同じ部屋で寝るとかありえないから」と頑なにリビングの椅子で寝ようとしていた。

 リビングと寝室の二部屋に分かれるこの狭い貸家では仕方のないことだが、それでもそんな真似、私だって許せない。

 いや僕が、いや私がと散々譲り合った結果、根負けしたルイ教授が同じ部屋で寝る代わりに、ベッドはキミが使えという事で落ち着いた。

 

「さて、今日は魔術競技祭当日。女王陛下が来られる日──しっかりと最後まで務めを果たさなければ」

 

 そう自分に言い聞かせて、私は朝支度をするためベッドから降りた。

 

 

 



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