SPIDER-MAN Quintessential Quintuplets (まゆはちブラック)
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登場人物紹介

ここに書かれていることは僕が調べてきた全ての”真実”だ。
プライベートな情報がたくさん含まれているから他言無用で頼むよ。
特にデイリー・ビューグルには。あのタバコくさいガミガミ編集長にしつこく問い詰められるからね。


●主人公

天海(あまかい) (まなぶ)/スパイダーマン (EARTH-1991717)

◇プロフィール

・イメージCV:猪野(いの) (まなぶ)

・年齢:17歳

・身長:179cm

・体重:81㎏

・誕生日:8月10日

・職業:旭高校2年生

・好きなもの:ホットケーキ

       ピザ

       科学

・嫌いなもの:犯罪(主に殺人)

       黒くてネバネバしたもの

・趣味:機械いじり

    ホラー映画鑑賞

・好きな映画:『死霊のはらわた』(1981)

 

 

◇概要

 本作の主人公。I県T市の旭高校に通う科学オタクな少年。見た目はトビー・マグワイア似。

両親とは死別しており、叔父・叔母夫婦と暮らしている。

成績優秀で高校のテストで何度も1位も取っており、全国共通模試で1位を取るほどの秀才。しかし、うだつの上がらない性格で友達も少なく、そのことをいじめっ子の昂輝(こうき)にからかわれている。それでも温厚な性格で、嫌いな相手以外は基本誰に対しても優しく接する。

 同学年の女子、中野 五月(いつき)に密かな想いを抱いている。

 オズコープ社の研究展示会に来た際、遺伝子組み換えをした特殊な蜘蛛にかまれ、超人的な能力を得る。最初は眼鏡をかけていたが、蜘蛛にかまれた以降は視力が向上したので外している。

 当初は授かった力を自分のためだけに使うようにしていたが、ある日、叔父である(つとむ)が自分が見逃した強盗によって殺されてしまう。それをきっかけに、生前の(つとむ)が遺した『大いなる力には、大いなる責任が伴う』という信念のもと、『親愛なる隣人 スパイダーマン』として自警活動を行うようになる。

 

◇スパイダーマン(SPIDER-MAN)

 本作に登場する『EARTH-1991717』のスパイダーマン。I県T市で自警活動するヒーローで、『親愛なる隣人』とも名乗っている。その正体は天海(あまかい) (まなぶ)

 スーツはサム・ライミ版スパイダーマンと同じで、(まなぶ)お手製。目つきが鋭く、立体造形の放射線状の糸が全身にあるのが特徴。

 バトルスタイルはパワーを充分に活かした近接戦。蜘蛛糸を駆使することで、高速かつ立体的な戦闘も可能。

 

◇能力

 スパイダーマンには様々な能力が備わっている。記載されているのは平常状態のときであり、精神状態によっては強くなったり、弱くなったり、消えてしまうこともある。

 

・スパイダーウェブ:サム・ライミ版同様、体内で生成した蜘蛛糸を手首から発射する。中指と薬指を曲げることで発射でき、それ以外のポーズでは発射できない。精神状態が弱ってるときは出ににくなるときがある。

 

・吸着力:手足に生えている細かい繊毛によって、壁や天井などを這いまわることができる。2tまでのものなら指一本で支えられる。平衡感覚も優れており、逆さまの状態でも頭に血が上ることはない。

 

・筋肉:本人の体格に合う最も適した筋肉量となる。(まなぶ)の場合は元のシルエットを維持しながらも、胸板は厚く、腹筋は割れ、腕や足の筋肉も逞しくなっている。

 

・怪力:片手で10t以上の重物体を持ち上げることが出来る。感情の高ぶりによっては、一時的に上昇する。

 

・走力:長距離を時速320km以上で走れる。息もきれない。

 

・視力:50m先の相手の表情や口の動きなどはっきりと見える。これによって、元々視力の低い(まなぶ)は眼鏡をかけずともはっきりと見えるようになった。

 

・耐久力:高所から落ちたり、トラックや電車などの重量物にぶつかっても平気(ただし、痛覚はある)。また、高熱や超高圧の電流にも耐えられ、水中でも(妨害が無ければ)決して溺れない。

 

・空間把握能力:どこに支点に蜘蛛糸をつけて、どう振り子運動するのかを瞬時に判断できる。また、現在位置も見失わない。

 

・耐毒性:毒ガス、ウイルス、放射線などの有害物質は全く効かない。侵されたとしても僅か10秒で完治する。 

 

・反射神経:一般人の40倍の速度。

 

・自然治癒力:骨折、戦闘不能状態からも数時間で回復する。常人で三ヶ月の療養が必要なケガでも、僅か1日足らずで完治する。

 

・頭脳:頭脳明晰で、機械や電気工学、ITの分野にも対応できる。そのIQは250。

 

・スパイダーセンス:いわゆる第六感。頭がムズムズする。身の危険が迫ったとき無意識的に発動し、危険を知らせる。これによって相手の攻撃や不意打ちを避けることができる。

 

 

 

●原作の登場人物

◆中野家

中野(なかの) 五月(いつき) (EARTH-1991717)

 おなじみ中野家の五女。(まなぶ)が憧れる存在。美味しそうにパクパクするのを見て、つい食べさせたくなる読者も多い正統派ヒロイン。

 性格や趣味は原作と変わらない。なお、(一応の)得意科目は理科から英語になっている。

 

中野(なかの) 四葉(よつば) (EARTH-1991717)

 元気いっぱい中野家の四女。うさ耳のようなリボンが特徴。人参の擬人化

 五月(いつき)同様、性格や趣味はほぼ原作と変わらないが、原作第88話~90話までにあった黒歴史(イキリボン)はこのユニバースでは起こっていない。

なお、(一応の)得意科目は国語から数学になっている。

 

中野(なかの) 三玖(みく) (EARTH-1991717)

 物静かな中野家の三女。原作ファンからもっとも支持率が多いマドンナ的存在。

 性格や趣味は原作と変わらない。なお、(一応の)得意科目は原作と変わらず、社会。

 

中野(なかの) 二乃(にの) (EARTH-1991717)

 ツンデレ・オブ・ツンデレの中野家の次女。原作後半からファンになった人も多いはず。

 性格や趣味は原作とほぼ変わらないが、幼い頃のやんちゃしてた風太郎の写真を見てたまんねぇ的なことはない。スパイダーマンLOVE。好きな男性のタイプはアンドリュー・ガーフィールド。

なお、(一応の)得意科目は英語から理科になっている。

 

中野(なかの) 一花(いちか) (EARTH-1991717)

 からかい大好きな中野家の長女。可愛い。勘の鋭さから、(まなぶ)がスパイダーマンではないかと疑っている。

 性格や趣味は原作と変わらない。なお、得意科目は数学から国語になっている。

 

中野(なかの) マルオ (EARTH-1991717)

 中野家のお父さん大黒柱。悪役っぽく描かれているが、実はごく当たり前のことをしている大人。作者の推し。

 性格や趣味は原作と変わらない。

 

 

◆上杉家

上杉(うえすぎ) 風太郎(ふうたろう) (EARTH-1991717)

 上杉家の長男。性格や趣味は原作とほぼ変わらないが、このユニバースでは傲慢さがナーフされている。

 

上杉(うえすぎ) らいは (EARTH-1991717)

 上杉家の長女で、風太郎の妹。

 性格や趣味は原作と異なり、原作では誰に対しても砕けた口調だったが、このユニバースでは目上の人に対しては敬語を使っている。

 

上杉(うえすぎ) 勇成(いさなり) (EARTH-1991717)

 上杉家のお父さん。金髪のやんちゃなお兄さんにしか見えないが、れっきとした子持ち。

 性格や趣味は原作と変わらない。

 

 

 

(まなぶ)の知人・友人たち

天海(あまかい) (みこと)

・イメージCV:(たに) 育子(いくこ)

 (まなぶ)の叔母。両親と死別した彼を(つとむ)と共に愛情を込めて育てた。

 稼ぎ手である(つとむ)が亡くなったため、生活費に頭を悩ませることになる。

 

天海(あまかい) (つとむ)

・イメージCV:勝部(かつべ) 演之(のぶゆき)

 (まなぶ)の叔父。故人。両親と死別した彼を(みこと)と共に愛情を込めて育てた。

 元々電気会社の工場で働いていたが、10年前に会社の経営悪化によってリストラされ、それ以降は電気機器を扱う工場の組み立て作業のパートとして働いている。

 (まなぶ)が見逃した強盗を止めようとして、射殺されて死亡する。彼が遺した『大いなる力には、大いなる責任が伴う』という言葉は、(まなぶ)がヒーローとして戦うきっかけになる。

 

緑川(みどりかわ) 涼介(りょうすけ)

・イメージCV:鉄野(てつの) 正豊(まさとよ)

 (まなぶ)の親友。幼い頃からの付き合いで、同じく母親を喪った(まなぶ)とは家族間の付き合いもあって、兄弟同然の仲。

 父親は世界的科学研究機関兼企業のオズコープの社長であり、それでいて聡明で優しい父・難一(なんいち)のことは尊敬している。

 しかし、大企業の息子とだけあり、周りから向けられる高い期待にプレッシャーが感じて辟易している。成績は平均レベルだが、優秀な父親と比べてしまい、無能だと感じてしまうこともある。

 

緑川(みどりかわ) 難一(なんいち)

・イメージCV:山路(やまじ) 和弘(かずひろ)

 (まなぶ)の親友・涼介の父親。世界的科学研究機関兼企業オズコープの創始者であり社長。社長という経営者だけでなく、頭脳明晰で優秀な科学者の一面も持ち合わせている。

 強面だが中身は息子思いの優しい父親。妻は涼介が産まれて間もなく病死した。そのこともあって、今日に至るまで涼介へ愛情を欠かすことなく育ててきた。

 亡くなった(まなぶ)の両親とは親友で、彼らがいなくなった後も天海(あまかい)家とは家族ぐるみで付き合っている。そのため、(まなぶ)のことを実の息子同然のように接している。

 

紫紋(しもん) 慈英(じえい)

・イメージCV:立川(たちかわ) 三貴(みつたか)

 新聞社『デイリー・ビューグル』の社長兼編集長。アメコミ原作におけるJ・ジョナ・ジェイムソンにあたる人物。

 アメリカ生まれ、アメリカ育ちの豪快な人物でとにかくガミガミ怒鳴りまくるのが特徴。喫煙者だが、日本の禁煙対策に肩身が狭い思いをしている。

 スパイダーマンのことは目の敵にしており、執着といえるほど彼に対して、ネガティブキャンペーンを行う。スパイダーマンを嫌うのも、紫紋(しもん)自身が顔を隠しているのは悪人である証拠だと思っているからである。

 

比呂(ひろ) 拓斗(たくと)

・イメージCV:石住(いしずみ) 昭彦(あきひこ)

 新聞社『デイリー・ビューグル』の副編集長。アメコミ原作におけるジョセフ・ロバートソンにあたる人物。

 紫紋(しもん)のストッパー役で、彼とは正反対にスパイダーマンのことをヒーローと思っている。紫紋(しもん)がスパイダーマンに対する悪い偏見を向ける度、異を放って説得する。

 

細田(ほそだ) 由紀子(ゆきこ)

・イメージCV:満中(みつなか) 由紀子(ゆきこ)

 新聞社『デイリー・ビューグル』の編集長である紫紋(しもん)の女性秘書。23歳。アメコミ原作におけるベティ・ブラントにあたる人物。

 誰に対しても優しくて真面目だが、ガミガミ怒鳴る紫紋(しもん)に臆せずに意見を言えるほど芯が強い。

 

(まこと) 昂輝(こうき)

・イメージCV:木村(きむら) (すばる)

 (まなぶ)をいじめるガキ大将。男子バスケットボール部所属。

 口よりも先に手が出るザ・体育会系といった性格で、大人しい性格の(まなぶ)をいじめていた。殴り飛ばされた以降は手を上げず、馬鹿にする程度に収まっている模様。

 

井ノ内(いのうち) 譲治(じょうじ)

・イメージCV:平田(ひらた) 広明(ひろあき)

 I県警察に所属する48歳の警察官。階級は警部。アメコミ原作におけるジョージ・ステイシーにあたる人物。

 落ち着いた性格で目の前で起きたことよりも、心理的な観点で物事を考える。

 また、誰に対しても細かな気配りが出来ることから、部下や上司から厚い信頼を寄せられている。

 

最上(もがみ) (まさる)

・イメージCV:中尾(なかお) 隆聖(りゅうせい)

 (まなぶ)と涼介の同学年の友達。愛称はマックス。由来は苗字の”最”と名前の”大”を合わせると、最大=マックスになることから。

 (まなぶ)同様にうだつの上がらない性格で、友達以外の周りからいじめられるどころか無視される始末。眼鏡は2度拭きする派。

 

石影(いしかげ) (りゅう)

・イメージCV:内田(うちだ) 直哉(なおや)

 (まなぶ)たちが通う旭高校に勤務する教師。理科担当。

 化学者時代の実験で右腕を失っており、その辛さから教師業の傍ら、トカゲのDNAを利用した、欠損した体の部位を再生させる研究を行っている。学校で出会った(まなぶ)の才能を見込み、自身の研究を手伝ってもらっている。

 

石影(いしかげ) 陽子(ようこ)

・イメージCV:吉田(よしだ) 美保(みほ)

 石影の妻。彼女も元化学者であり、夫がどのような研究をしているかは大体把握している。

 

石影(いしかげ) 琥太郎(こたろう)

・イメージCV:大谷(おおたに) 育江(いくえ)

 石影夫婦の長男。小学2年生。

 両親が大好きな元気いっぱいのわんぱくっ子。

 

八丈目(はちじょうめ) 博昭(ひろあき)

・イメージCV:銀河(ぎんが) 万丈(ばんじょう)

 量子工学専門の天才科学者。62歳。これまで多くの科学賞を受賞してきた有名人。現在は核融合反応を使った太陽エネルギーの製造と、それに必要なアームの開発を行っている。

 友人である石影に紹介された(まなぶ)に興味を持ち、時々彼に研究を手伝ってもらっている。

 

古流(こりゅう) 安正(やすまさ)

・イメージCV:田村(たむら) 勝彦(かつひこ)

 オズコープの共同研究者兼共同出資者の博士。社長の難一(なんいち)と共にオズコープを作りあげた影の功労者。アメコミ原作におけるストローム博士にあたる人物。

 おどおどした性格ながらもその科学知識は高く、オズコープの数多くの商品開発に貢献している。

 

 

 



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Ⅰ Birth of the SPIDER-MAN!
#1 すべてのはじまり


試練なくして人生なし


by スタン・リー




みんな!“スーパーヒーロー”って言われたら、何を想像するかな?

表向きは大企業のリッチな社長や医者、弁護士といった人生の成功者で、裏ではスーパーパワーを駆使して罪なき人々の為に戦う人?

その素顔はマッチョでハンサムな男前で、富も名誉も思いのまま?

 

でも、この物語に出てくるスーパーヒーローはちょっと違うんだ。

凄く人気でもなければ、裕福でもない、どこにでもいる10代の少年だ。ちょっと気になるだろう?

 

じゃあ、この波乱万丈に満ちた少年の物語を覗いてみよう────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本、I県T市旭町。海に面するこの地域は古来から多くの漁港や工業が盛んである。

また、世界的科学研究機関兼企業の『オズコープ』の本社があることから、近辺の地域の中では都市機能が著しく発展している。

 

そんな活発な地域にある住宅街の一戸建ての家。窓から差しこむ朝日を受け、少年は眠たげながらも目を覚ます。

 

 

「ふあぁぁぁ~~~……」

 

 

けだるそうに背筋を伸ばしながら大きくあくびをする。

まだまだ眠たりない気持ちを抑えて、机に置いてある眼鏡をかけて、近くのデジタル時計を見る。時計は『7時7分』を差しており、まだ動くには5分くらい余裕がある。

────もう少し寝ようか。そう思って再びベットで横になったとき──

 

 

(まなぶ)ーーー。起きなさい。また寝坊するわよーー」

 

「──ッ、はぁ……」

 

 

下の階から老婆の声が聞こえ、少年────天海(あまかい) (まなぶ)の意識はハッキリとなる。

嫌そうにため息をつくと、(まなぶ)は寝間着から旭高校の制服に着替える。

姿見の前でぴょんぴょんとはねている寝ぐせと身だしなみを整えると、階段を下りてリビングへ向かう。

リビングでは朝食の支度を終えた老婆と椅子に腰かける老人が新聞に目を通しながら朝食を摂っていた。

 

 

「おはよう、(みこと)叔母さん」

 

「おはよう、(まなぶ)。ご飯できてるわよ」

 

「ありがとう」

 

 

穏やかな印象を受ける老婆────天海(あまかい) (みこと)に微笑みながら挨拶を交わすと、(まなぶ)は老人の向かい側の席に座る。

それに合わせて老人は新聞を畳むと、(まなぶ)へ視線を変える。

 

 

「おはよう、寝坊助さん」

 

「おはよう、(つとむ)叔父さん…………寝坊助?僕、今日はいつもより早く起きれたよ?」

 

「そんなこと言って、ギリギリまで寝ようと考えたんだろ?まだ時間まで余裕があるからとか……」

 

「まさか……まいったな。叔父さんには敵わないや」

 

 

全てお見通しと言わんばかりに笑みを浮かべる天海(あまかい) (つとむ)に自身の思考を的中された(まなぶ)は苦笑する。これも長年の付き合いからわかる勘だろう。

幼い頃に両親を失った(まなぶ)は親戚である(つとむ)(みこと)夫婦に引き取られ、実の子供のように愛情を注いで育てた。そんな彼らに(まなぶ)も親同然の愛情と尊敬を抱いている。

 

 

「はいはい、いじわるするのはその辺にして。早く食べちゃわないと冷めるわよ」

 

「「はーい」」

 

 

他愛のない会話をしていると、(つとむ)の隣に座った(みこと)が穏やかな声音で諫める。

2人はそう返事すると、(みこと)を加え、3人で食事を摂った。

 

 

「気を付けるのよ」

 

「わかってるよ。行ってきまーーす」

 

 

歯を磨き、準備を万全にした(まなぶ)(みこと)にそう返すと、家を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから30分後。旭高校に登校した (まなぶ)はいつものように教室に向かっていた。

階段を上がり、『2年1組』と書かれた室名札の教室に足を入れた瞬間、入口付近に隠れていた男子生徒に足を引っかけられる。

 

 

「うわっ!?」

 

 

予想もしなかったことなので当然、(まなぶ)はズトンと前のめりに倒れる。

その拍子で眼鏡が前へ飛び、ぼやけた視界の中、眼鏡を探していると、足を引っかけた男子生徒──(まこと) 昂輝(こうき)はニヤニヤとしながら眼鏡を拾い上げる。

 

 

「おっと、悪い悪い天海(あまかい)。不審者かと思って、つい足が出ちまったよ。ま、そんなマヌケ面じゃ疑われても仕方ねぇよな。ハハハッ!」

 

「……」

 

 

全く反省するどころか煽る昂輝にムッとなる(まなぶ)だが、周りのクスクス笑う声にこっ恥ずかしくなると、差し出された眼鏡を奪うように取り上げてかけると、そそくさと自分の席に座った。

だが、彼の悩みのタネは人間関係だけでなかった。

 

 

「ぜぇ…ぜぇ…」

 

 

2限目の体育は大の苦手だった。元から運動音痴の彼にとって体育は拷問、運動会に至っては地獄そのものだった。

今日は持久走でグラウンドのレーンの外を10周するのだが、(まなぶ)は既に1周目でダウンしており、レーンの中で倒れこんでいた。

 

 

「おーい、天海(あまかい)!情けねぇなー!小学生以下の体力じゃねぇのか?」

 

「本の虫は虫らしく、図書室でこもってろよー」

 

『ハハハーーーッ!!』

 

「……ッ」

 

 

息をきらしている(まなぶ)をレーンの外で走りながらからかう昂輝と取り巻き。今すぐに仕返しをしてやりたいと思うが喧嘩は苦手で、体格もこちらより倍ある昂輝は(まなぶ)では敵う相手ではなかった。

このように内気な彼はいつもいじっめ子の昂輝にいじめられ、他のクラスメイトからも馬鹿にされ、友達も片指で数えられるほどだった。

 

だが、彼には才能があった。

それは3限目の理科の時間、教師が黒板に図や文章を書きながら説明をしていた時だった。

 

 

「──と、このように火成岩を構成する酸化物にはSiO2とSiO4がある。では、その2つの違いがわかる人────よし、天海(あまかい)

 

 

質問を出された瞬間に(まなぶ)含めて素早く手を挙げる。2人の男子のうち、選ばれた(まなぶ)は椅子から立ち上がって回答する。

 

 

「SiO2はSiの周りに4個の酸素が取り囲んだものがSiO4四面体……つまり、SiO2の中にあるSiの1つ1つがSiO4ということです」

 

「よし、正解だ!平常点にプラスしておこう」

 

「はい!ありがとうございます」

 

 

満足気な教師に正解と伝えられた(まなぶ)は微笑む。このように、(まなぶ)は冴えないながらも学業においては優秀であり、旭高校のテストの成績は(もう1人いるが)1位、全国の高校生の中でもトップクラスの頭脳を持っている。当然、旭高校の教師陣も品行方正な彼に一目置いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼休みが終わり、4限目。いつもなら授業が行われるのを待つために座っているのだが、今回は違っていた。

 

 

「ねぇ、午後から転入生が来るらしいよ」

 

「らしいねー」

 

「あー中野さんだっけ?」

 

 

夏休み明けの9月。このタイミングで転入してくる生徒がいるというのだ。

噂によれば前の学校で色々あったらしく、家から比較的近いこの旭高校へ転入する運びとなったそうだ。

教室中、新しいクラスメイトの話題で盛り上がっていた。

 

 

「どんな人だろー?」

 

「女子がいいなー」

 

「(……転入生か。気になるけど、きっと友達にはなれないだろうし……僕には関係ないな)」

 

 

話題で飛び交うクラスメイトの声を耳に入れながら、(まなぶ)は尊敬する科学博士の論文を読んでいた。

正直に言うと興味はあるが、こんなオタクで男らしくない自分と友達、ましてや相手が女子だったらまともに話せる自信がない。

自分には遠い世界────そう言い聞かせていたが、その転入生を見て彼の世界は変わった。

 

 

「中野 五月(いつき)です。どうぞよろしくお願いします」

 

「あ……」

 

 

ピシっと整った姿勢で自己紹介する彼女──中野 五月(いつき)を見て、(まなぶ)は目を奪われた。

目鼻立ちが整った顔、ウェーブのかかったロングヘアー。前髪の両端には小さな星の髪飾りがつけられており、頭頂部にはチャームポイントというようにアホ毛が一本生えていた。

町、学校、旅行先──今まで色んな女性を見てきたが、彼女の美貌の前ではその比にもならない。先程まで夢中で読んでいた論文の内容も一瞬忘れるほどだ。

 

 

「女子だ」

 

「普通に可愛い……」

 

「あの制服って黒薔薇女子じゃない?」

 

「マジかよ。超金持ちじゃん」

 

「おいおい、何者だよ」

 

「(あの子、天使……?)」

 

 

周りの男女から興味津々な声が聞こえてくるが、(まなぶ)の耳には入らなかった。

どんな内容で、どんな声量なのかもわからないくらい聞こえなかった。

それに、(まなぶ)には彼女が天使かと見間違えた。

 

教師からいくらか簡単な説明を受けた後、五月(いつき)は案内された席へ座った。

道中、話しかけてきたアホ毛が双葉のように生えている目つきが悪い男子生徒を不機嫌そうに無視することがあったが、それを除けば周りに愛想よく振る舞っていた。もうクラスに馴染んだようだ。

 

 

「(中野 五月(いつき)……。何て可愛らしい名前なんだ……)」

 

 

夢想気味に(まなぶ)は心の中で呟く。

胸が高鳴り、自然と頬が緩む────(まなぶ)少年は17年生きてきた人生の中で初めて恋をした。

頭の中は彼女のことでいっぱいであり、その後の授業の内容は全く耳に入ってこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、全ての授業が終わり、放課後。ある生徒は部活動に、ある生徒は帰宅へと足が動いていた。

運動もコミュニケーションも得意でない(まなぶ)は後者の方であり、帰宅部に混じって1人歩いていた。

下駄箱を抜け、校門を通り過ぎようとしたとき──

 

 

「よ、(まなぶ)!」

 

「やあ、涼介(りょうすけ)

 

「ひっどいなー。親友の俺を置いて帰るなんて」

 

「あーごめん、ごめん。先に帰ったかと思って」

 

 

と堀が深い顔立ちをした少年──涼介が後ろから駆けてきた。冗談交じりに不満を告げる涼介に(まなぶ)は明るい表情で返す。

彼の名前は緑川(みどりかわ) 涼介。(まなぶ)とは親友で、幼い頃からの付き合いもあって兄弟同然のような存在である。

また、オズコープの創始者である社長は彼の父親である。

 

 

「はぁ……いいよ。去年みたいに同じクラスだったら良かったのにな」

 

「全くだ。昂輝も去年より元気が良くて参ってるよ」

 

「それ、大丈夫なのか?」

 

「平気。もう慣れっこだよ」

 

 

心配する涼介に(まなぶ)は微笑んで返す。涼介は人一倍正義感が強いことは親友である(まなぶ)は誰よりも知っており、去年も(まなぶ)にちょっかいをかけた昂輝と喧嘩寸前になるまで揉めたことがある。気持ちは嬉しいが、親友に暴力沙汰は起こして欲しくはないので、いじめの話は彼にはあまり話さない。

ひとまず置いて帰ろうとしたことを許してもらえたところで、(まなぶ)は適当な話題を振る。

 

 

「……涼介。今日、僕のクラスに転入生が来たんだよ」

 

「ああ、中野さんだろ?()()()()()()()()()

 

「え?そっちのところにも来たって……」

 

「五つ子の姉妹なんだよ。一卵性の五つ子ってやつ。全員は見てないけど、見た目はそっくりなんだとさ」

 

「五つ子……」

 

 

涼介から聞いた言葉に(まなぶ)は目を丸くする。

一卵性の多胎児は聞いたことはある。縁が遠いものばかりと思っていたが、まさかこんな身近に来るとは思わなかった。

あんなに可愛い五月(いつき)と似た顔が他に4人もいる───どんな()なんだろうと想像を膨らます。

妄想中の(まなぶ)に涼介は尋ねる。

 

 

「ちなみに俺のクラスには長女の方が来たな。お前は?」

 

「……ん?あ、あぁ!僕のところは五月(いつき)って人」

 

五月(いつき)……長女の方は一花(いちか)だから、名前から考えるとしたら…………五女か。一花(いちか)さんも可愛かったから、その()も普通に可愛いだろうな」

 

「普通なんてレベルじゃないよ……凄く、凄く可愛かった。笑顔も、不機嫌な顔も、全部が別次元に可愛い………」

 

 

五月(いつき)のことを思い出した(まなぶ)は夢想に浸りながら熱く語る。あんな可愛い()の隣にいれたらいいのに……。

そんなことを思いながら話す(まなぶ)を見て、涼介は──

 

 

「惚れたのか?」

 

「ッ!」

 

 

と言うと、(まなぶ)は顔を真っ赤にする。耳の先までもだ。

ニヤニヤする涼介に(まなぶ)は狼狽えながらも反論する。

 

 

「いやいや、そういう意味じゃない!惚れたとか惚れていないとかじゃなくて、あーー……客観的に見てだよ?あ、あんな綺麗な女の子は中々いない!スーパーモデルみたいだ!僕が言いたいのは……そう、あれだ。とても端麗だってこと!」

 

「ははっ!そういうことにしてやるよ」

 

 

(まなぶ)の必死な言い分に涼介はニヤニヤと頷く。

過剰なまでの反応から恋心を抱いているのは一目瞭然だが、これ以上いじったらかわいそうなので一応納得しておく涼介。

(まなぶ)をひとしきりからかった涼介は本題に入る。

 

 

「そういや、オズコープ(うち)の特別展示会に来るんだろ?」

 

「ああ、もちろんだよ。科学技術、しかも世界的大手のオズコープの最先端の技術力を見られるんだ。断るなんて出来ないよ」

 

「ははっ、相変わらず科学バカだな。よし、この先にリムジンを呼んである。乗せていってやるよ」

 

「本当?ありがとう、持つべきものは親友だな」

 

「お安い御用さ、兄弟」

 

 

笑顔で感謝を告げる(まなぶ)と涼介はガッツリ肩を組む。生まれた環境は違えど、彼らの友を思う気持ちは同じなのだ。

そうして、2人は道路脇で既に待機していたリムジンでオズコープへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いつ見ても凄いなぁ」

 

「おいおい、いつ見ても変わらないだろ?」

 

 

リムジンに揺られて10分後。港近くで天へと高くそびえ立つビル──オズコープ本社を見て、(まなぶ)は感激の声を上げる。反対にいつも見慣れている涼介はそう言いながら鼻で笑う。

 

────『オズコープ』。創立者であり現社長である科学者、緑川 難一(なんいち)によって創立された科学機関兼企業である。

機械、電気、ITなどの科学テクノロジーやバイオ医療、化学技術などあらゆる分野に精通しており、そのどれもが最先端の技術シェアを築いている。

高さ526m、108階立ての本社ビルは『オズコープタワー』と呼ばれ、旭町の象徴として人々から認識されている。

 

 

「やぁ、涼介。それに(まなぶ)も」

 

「あ、父さん!」

 

 

中に入る前からすでにテンションが上がっている(まなぶ)に涼介は「まだ興奮するのは早いだろ?」と宥めてオズコープへ入ろうとしたときだった。

近くに停まったリムジンから出てきた人相の悪い男に声をかけられ、2人は振り向くと、その男はオズコープの現社長であり、涼介の父────緑川 難一(なんいち)だった。

(まなぶ)難一(なんいち)は右手で快く握手を交わす。

 

 

「こんにちは、緑川さん。最近お会いできていないのでどうかと……」

 

「ははっ、相変わらず大変だがこの通り、元気だ。ところで学業の方はどうかね?涼介から抜群の成績を収めていると聞いているが」

 

「ええ、おかげさまです。話が変わりますが、あなたの科学の論文は全部読ませて頂きました。凄いと思います」

 

「……ほう?あれがわかったのかね?」

 

「はい。特にナノマシンを用いた体内医療に関する研究はとても感銘を受けました。レポートにも書きました」

 

「素晴らしい……。天国にいる御両親もきっと喜んでくれるだろう」

 

「はい」

 

 

(まなぶ)の優秀さに感心する難一(なんいち)難一(なんいち)(まなぶ)の両親は中学時代からの親友であり、お互いのことをよく知っている。

反面、(まなぶ)自身は幼かったこともあって両親のことはよく覚えていない。しかし、親代わりの叔父と叔母から家族の愛情は受けており、緑川家との付き合いもあって両親がいないことに苦しむことはなかった。

 

そうこう会話をしていると、難一(なんいち)は腕時計の時間を見て眉を上げる。

 

 

「おっと、すまない。そろそろ行かなくては。涼介、ガイドは任せたぞ」

 

「もちろんだよ、父さん」

 

「それでは……」

 

「ああ、また会おう」

 

 

難一(なんいち)は笑顔で涼介、(まなぶ)にそう言うと、難一(なんいち)は乗ってきたリムジンに乗って、走り去っていった。

難一(なんいち)が去った後、(まなぶ)と涼介は入口に向かって歩きながら話す。

 

 

「相変わらずいいお父さんだね」

 

「お前が秀才だから……養子にしたいのかもよ?」

 

「えへへ……まさかぁ」

 

 

涼介の自嘲を含んだ冗談に(まなぶ)も冗談っぽく笑いながら返す。実の息子を差し置いて(まなぶ)を引き取ろうとするほど、難一(なんいち)は強引な男ではない。

しかしながら、涼介が劣等感を抱いているのは事実であろう。涼介の成績は良くもなければ悪くもない、平均的には問題ないといったところだ。

だが、大企業の子息となれば話は別。父親は優秀な科学者でオズコープを立ち上げたあの緑川 難一(なんいち)なのだ。皆、口にはしないものの父親といつも比べられている気がしている。

そんな現状に涼介は辟易しているのだ。

(まなぶ)はそんなことを考えながら、オズコープの特別展示会へと足を運んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わあぁ……驚いたよ!卓上の電子顕微鏡だ!それにカロリー計測器だって!?これに乗せるだけで栄養成分やカロリー調節も自動でやってくれるんだって!」

 

「わかった、わかった。そう興奮するなよ……」

 

 

数々の展示物に目を爛々と光らせている(まなぶ)。普段大人しい(まなぶ)も世界最先端の技術を目の当たりにして興奮を抑えることはできなかった。

反対に涼介はうんざりしていた。科学が大好きな(まなぶ)にとっては娯楽施設なのだが、そこまで科学に興味がない涼介にとっては退屈な場所でしかなかった。

 

(まなぶ)の科学話に涼介は渋々付き合いながら通路を進んでいくと、やたら人が集まっているエリアへとついた。

そこは生物研究に関する展示コーナーで、今回は遺伝子を組み換えた蜘蛛が展示していた。

2人は人混みの隙間から顔を除かせ、女性ガイドの説明に耳を傾ける。

 

 

「蜘蛛には様々な能力があります。例えば、この『ネットウェブスパイダー』は網目状の巣を張り巡らすことができ、その糸の強度は橋をかけるときの建築用ワイヤーに匹敵します。この『クサグモ』は反射神経が非常に発達しており、刺激に対する反応があまりにも速いので、一種の予知能力──いわゆる”第六感”だと唱える学者もいます……。このように蜘蛛の能力が人々の暮らしを豊かにできると考えた私達は5年もの月日をかけ、研究所にいる蜘蛛の遺伝子構造を組み換えることによってあらゆる蜘蛛の特性を兼ね備えた15匹の『スーパースパイダー』を作り出すことに成功しました」

 

「凄いな……」

 

 

ガイドの説明に(まなぶ)は感嘆の声をもらす。蜘蛛の能力にはついてある程度は知っていたが、ここまで人々の暮らしに役立てるという発想は思い浮かばなかった。

それを実現するオズコープの技術力に感動するのと同時に、まだまだ勉強不足だと実感した。

 

 

「?」

 

 

是非写真に収めようと(まなぶ)が熱心にスマホで撮影している中、隣にいる涼介は蜘蛛が入っている15個のディスプレイケースを見て、違和感に気付いた。

 

 

1()4()()……。真ん中のところ、1匹いないぞ」

 

「え?」

 

 

涼介の呟きにガイドはディスプレイケースに目をやる。涼介の言うように、丁度真ん中のケースには入っているはずの蜘蛛の姿はどこにもなかった。

つられるように見た他の来場者たちも「トラブルか?」とざわつき始める。

全部いると聞いていたガイドは想定外のことに首を傾げるも、すぐに1つの検討を導き出す。

 

 

「……ああ、他の研究員が実験のために持ち出したんでしょう」

 

 

展示会とはいっても研究員が実験のために展示物を持ち出す場面はたびたび見られた。

その返答に一同は事件解決と納得し、ガイドに連れられて別の展示物へ移っていった。

 

 

「俺たちも行こう」

 

「ごめん、あともうちょっとだけ……」

 

 

他の来場者についていこうと提案する涼介だが、未だ(まなぶ)はスーパースパイダーの撮影に熱中していた。

動かそうにも熱中するあまり、地面と足が一体化したかのように動かない。こうなってしまった(まなぶ)は気がすむまで動かない。

 

 

「オーケー。先に行ってるぞー」

 

「わかったー」

 

 

一緒に待ってても退屈だと判断した涼介はそう言うと、早歩きでガイドの後を追っていった。

対する(まなぶ)は平返事で返すと、再び撮影にとりかかる。

本日行われている特別展示会は3日間限定でしか開催されない。しかもオズコープは研究の内容を一般公開することは滅多にない。

この絶好の機会を(まなぶ)が逃すはずなく、ぜひ形あるもので保存しようと写真を撮っているのだ。

 

高さ、角度を変えながらスーパースパイダーの姿を鮮明に残していく。

──いつか自分もこんな研究ができるといいな。そんなことを夢見ながら撮影をしていると、頭上から1匹の蜘蛛が糸を垂らしながらゆっくりと降りてくる。青い体色に赤い模様が入った自然界にはまずいない品種だ。

それもそうだろう。これこそ、脱走した15匹目の『スーパースパイダー』である。

 

しかし、当の(まなぶ)は撮影に熱が入っていて、まったく気付いていない。

パシャパシャとシャッターを切る中、スーパースパイダーは(まなぶ)の右肩に乗り、右腕を這って、スマホを持つ右手へ向かっていく。

そして、右手の甲にたどり着いた瞬間、ガブリと鋭い2本の牙で嚙みついた!

 

 

「痛ッ!?」

 

 

突然の鋭い痛みに熱中していた(まなぶ)は苦痛の声をあげる。その痛みは思わずスマホを床へ落としてしまうほどだ。

何なんだと困惑しながら痛みを感じる手を振ると、スーパースパイダーは手の甲から離れ、逃げるように床を走っていった。

その光景を目にした(まなぶ)は右手の甲を見ると、2本の牙で噛まれた痕がくっきり残っており、その周りはぷっくりと腫れていた。

 

 

「(蜘蛛に嚙まれたのか。ツイてないな……)」

 

 

(まなぶ)はそう心で愚痴りながらスマホを拾い上げると、急ぎ足で先にいる涼介の後を追っていった。

 

だが、このとき彼は知らなかった。

この事故が自分の”運命”を大きく変える出来事だということに…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

特別展示会を回り終え、すっかり外は夕方。涼介と別れた(まなぶ)は家路についていた。

帰りも涼介がリムジンで送ろうとしたが、(まなぶ)は丁寧に断り、歩いて帰っていた。

普段の彼ならバスや電車を使うだろうが、今日は少しでも体力をつけるためにあえて歩くことを選んだ。

その理由は単純で、一目惚れした少女──中野 五月(いつき)に似合う男になろうとするためだ。

 

 

「(どうしたんだ?気分が悪い……。頭が痛くなることがあっても、熱っぽくなるなんて……。あの蜘蛛のせいか?)」

 

 

しかし、どうしたことか(まなぶ)はだんだんと体調が悪くなっていた。

涼介と別れた後、身体中が熱く、視界も眼鏡をつけているのにも関わらずぼやけ、脂汗が止まらない。この現象はただの運動不足によるものではなく、スーパースパイダーに嚙まれた影響であることはわかった。

何故なら、右手の甲の嚙まれ痕は先程よりも酷く、黄色く腫れあがっていたからだ。よくよく考えれば、あの蜘蛛の派手な体色からして逃げ出したスーパースパイダーであることは一目瞭然だった。

 

道中、路上で倒れそうになりながらも重い体を必死に動かし、何とか叔父と叔母が待つ家へと辿り着いた。

玄関を開け、リビングに行くと、(みこと)(つとむ)が出迎える。

 

 

「ただいまー……」

 

「お帰り。丁度夕飯できたところ…………あら?顔色悪そうね」

 

「うん。具合が悪いから、ちょっと横になるよ」

 

「病院行くか?」

 

「平気。寝て悪かったら、明日お願い」

 

 

心配する(みこと)(つとむ)に軽く返すと、手洗いした(まなぶ)は階段を上がっていく。

 

 

「ご飯食べれそう?一口だけでも」

 

「いいよ。もう、一口かじられた。おやすみ」

 

 

(みこと)の問いにジョークを交えた返答をすると、(まなぶ)は自室へと入っていった。

バタンと扉が閉まる音がした後、(みこと)(つとむ)は心配そうに顔を見合わせる。

 

 

「あの子、大丈夫かしら……?」

 

「まあ、あいつがそう言うんだし、今夜は様子を見よう」

 

「そうね~」

 

 

不安げに呟く(みこと)(つとむ)がそう言うと、彼女は不安を残しつつも見守ることにした。

 

 

「熱い……」

 

 

一方、(まなぶ)は部屋に戻った途端、上着を脱ぎだす。ずっと我慢してきたが、高まり続ける体温に耐えきれなかった。

瘦せすぎともいえる細い上半身を露わにすると、糸が切れた人形のようにベッドに倒れこむ。

遠くなる意識の中、容体が悪化しないようにゴロリとかけ布団を体に巻き付け、そのまま眠りについた。

 

その夜。眠りについた(まなぶ)の体内では異変が起きていた。

噛まれた際に流れたスーパースパイダーの遺伝子が彼の体内のあらゆる細胞、血液を小さな蜘蛛が這うように刺激し始めていた。

そして、彼の遺伝子は蜘蛛の情報を持った遺伝子が融合し、人間と蜘蛛、両方の情報を持った全く新しい遺伝子へと生まれ変わっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぅん……」

 

 

そして、次の日。(まなぶ)はパチリと目を開け、意識を覚醒させる。

外はすっかり朝になっており、窓から朝日が差していた。

 

 

「(治った……!)」

 

 

けだるそうにかけ布団を取って上体を起こすと、すぐに体調が元に戻っていることに気付いた。

寝汗をびっしょりかいたおかげか、あれだけ熱かった体温は下がっており、視界もはっきりし、腫れていた右手の甲の嚙まれ痕もすっかり小さくなっていた。

 

──わざわざ病院に行かなくて良かった、と思いながらベッドから起き上がると、デジタル時計を見るため、机に置いてある眼鏡をかける。

 

 

「?」

 

 

だが、眼鏡をかけているのにも関わらず、視界がぼやけていた。まるで目がいい人がレンズの度が強い眼鏡をかけたときくらいぼやけていた。

レンズの度はちゃんと(まなぶ)の視力に合わせて作ってもらったにも関わらずにだ。

この違和感に(まなぶ)は眼鏡を取ると、裸眼であるにも関わらず、デジタル時計の現在時刻『7時10分』を読みとることができた。

また眼鏡をかけると、ぼやけた視界へと変わった。

 

眼鏡を取りながら(まなぶ)は、視力が回復したことを実感した。奇妙に思いつつも、何十年ぶりの裸眼で見る景色に思わず頬を緩ませる。

しかし、変化はこれだけでなかった。

 

 

「……えぇ?」

 

 

近くにある姿見に映る自分を見て、思わず声をもらす。

その視線の先にある自分の体は昨日までの瘦せ型だった体型とは正反対に、元のシルエットを崩さない程度に筋骨隆々の体格へと変貌していた。

6つに割れた腹筋、大木のように太い腕、厚く盛り上がった胸板────男性の理想ともいえる肉体美に見惚れた(まなぶ)は、ボディビルダーのように姿見の前で色々なポーズをとる。

──これは現実か?半信半疑で自分の腕をペタペタと触ると、確かな触感があることから現実だとわかる。

 

 

コンコンコン……

 

(まなぶ)ーー!」

 

「ッ!」

 

 

しばらく自分の肉体を鑑賞していると、ドアのノックとともに(みこと)の声が聞こえてきた。

その声にハッとなった(まなぶ)は妄想に浸っていた意識を現実に戻す。

 

 

(まなぶ)ーー!大丈夫?」

 

「ん?あぁ、大丈夫だよ……?」

 

「一晩寝たら良くなった?変わった?」

 

「変わったか?そーだね、凄く変わった」

 

「じゃあ、急ぎなさい。遅刻するわよー」

 

「わかったー」

 

 

容体を聞いて安心した(みこと)(まなぶ)は返事すると、急いで制服に着替え、寝ぐせを治す。

扉を開けて勢いよく階段を下りて朝食真っ最中のリビングに向かった。身体の底から湧いてくる元気のあまり、手すりにつかまりながら突き当りの壁を蹴って、着地するほどだ。

 

 

「おはよう!叔父さん、叔母さん!」

 

「おはよう。随分元気ね~」

 

(まなぶ)………具合はどうした?」

 

「良くなったよ」

 

「ははっ、そいつは良かった!」

 

「ふふっ、行ってきまーす!」

 

 

体調が回復し、元気そうに笑う(まなぶ)の姿を見て、(みこと)(つとむ)も自然と笑みがこぼれる。

気分爽快の(まなぶ)はリュックを手に取ると、玄関の方へ歩き出す。

朝食を摂る気配のない(まなぶ)に疑問に思った(みこと)は尋ねる。

 

 

「朝ご飯はいいの?お昼のお金持った?」

 

「持ってるー!」

 

「今日、学校が終わったら、台所のペンキ塗りするのを忘れるな?」

 

「わかってるよ、(つとむ)叔父さん。帰ってくるの待ってて」

 

「逃げるなよ?」

 

 

そう言う(つとむ)(まなぶ)は了承の意味を込めた笑顔で返すと、玄関の扉を開いて出ていった。

 

 

「青春か……。俺も若い頃はああだった……」

 

 

若さ溢れる(まなぶ)の姿を若い頃の自分と重ねた(つとむ)は懐かしそうに呟くと、朝食の味噌汁をすすった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつものように旭高校に登校した(まなぶ)

下駄箱で上履きに履き替えていたときだった。

 

 

≈「ッ!」≈

 

 

突然、(まなぶ)の脳に不思議な感覚が襲った。

周りの話し声、環境音、小ハエの羽音が鮮明に聞こえ、スローモーションのようにゆっくりと動いていた。まるで自分だけが別次元の世界に取り残されたかのように。

そして、頭は危険を知らせるかのようにムズムズしていた。後ろから身の危険が迫っていると。

 

 

ダァンッ!

 

「か~~!?いってーーーッ!」

 

 

避けた方がいいと判断した(まなぶ)はその感覚に従い、ひょいとその場でしゃがむと、男子生徒の張り手が勢いよくロッカーに衝突した。

手を抱えて悲鳴を上げる声に顔を上げると、その男子生徒はいじめっ子の昂輝だった。その様子から、背中に挨拶代わりの張り手をくらわせようとしていたことは何度か経験した(まなぶ)にはすぐわかった。

 

 

「???」

 

 

周りがスローモーションになる、後ろから昂輝が張り手をくらわせようとするのを察知した奇妙な体験に(まなぶ)は困惑しながら、そそくさと教室へと歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

そして、時は進み、昼休み。訪れた昼食の時間に食堂は多くの生徒で賑わっていた。

(まなぶ)も利用する生徒の1人であり、4人席で1人座っていた。というのも、購入に向かっている涼介ともう1人の友人の席取りをしていたからだ。

 

 

「(まだかな~)」

 

 

そう心に思いながら、(まなぶ)はコンビニで買ったおにぎりを1口かじる。

食堂は昼休みという時間帯もあって混雑している。しかも、生徒だけでなく一部の教師も利用しているので尚更だ。

更に今日は清掃の時間が遅れたこともあって、床がまだ乾ききっていない状態だった。わざわざ『清掃中で床がたいへん滑りやすくなっています!』という注意喚起の立て看板があちこちに設置しているぐらいだ。

 

そうこうして待ち焦がれていると、遠くからこちらの方向へ歩いてくる女子生徒に視線が向く。

その女の子は(まなぶ)の想い人────五月(いつき)であった。特徴的な頭頂部のアホ毛を揺らしながら、トレイに乗った食事を手に歩いていた。

制服は昨日のうちに用意できたのか、旭高校指定のものへとなっていた。

 

 

「(相変わらず可愛いな……)」

 

 

五月(いつき)はよっぽど昼食を待ち望んでいたのか、ウキウキしているように見える。

そんな彼女を見て、(まなぶ)は頬を緩める。彼女に向かって「一緒に食事しないか?」と声をかけたいが、かける勇気はなかった。

もし断られたら、それで微妙な空気になってしまったらどうしようかと不安が過り、自信が持てない。

 

──遠くから見れるだけでもいい。(まなぶ)はそう言い聞かせて水を含む。わざわざ危険を侵す必要はないのだ。

その間にも五月(いつき)との距離は近付いてくる。

そして、彼女が近くを通り過ぎようとしたときだった。

 

 

「きゃっ!?」

 

 

乾きっていない床に足を滑らしてしまった。食事を乗せたトレイは宙に飛び上がり、彼女は仰向けに体勢が崩れる。

このままだと尻餅をついてしまう。

 

 

「(──危ないッ!)」

 

 

彼女の危機に(まなぶ)は素早く五月(いつき)の背中を左腕で支えると、右手で先に落ちてきたトレイを駆使して、落ちてくる食事と水を一滴もこぼさずにキャッチした。

 

五月(いつき)は突然の出来事にしばらくポカーンとしていたが、周りの(まなぶ)に対する驚きと賞賛の視線に気が付き、慌てて離れる。

(まなぶ)はすぐに食事を乗せたトレイを返すと、彼女はペコリと軽く頭を下げて受け取る。

 

 

「……あ、ありがとうございます」

 

「あ、ははっ。いや……いいんだよ」

 

 

五月(いつき)にお礼を言われて照れくさそうに微笑む(まなぶ)。好きな女の子に感謝されるのがこんなに心地良いものだとは知らなかった。

 

 

幸福に浸っている中、ふとどんなものを食べているのが気になった。先程はキャッチするのに夢中でよく見ていなかった。

──体格からきっと自分と同じ小食だろう。そう思いながら、五月(いつき)のトレイに乗っているメニューを見ると、(まなぶ)はギョッとする。

 

 

「(え!?)」

 

 

そこに乗っているのはかつ丼大盛、唐揚げ10個、きんぴらごぼう、豚汁。デザートにはプリンと、明らかに年頃の女子が食べる量とは考えられないほどボリューミーな内容だった。

彼女の体格からこれらがどうやって胃袋に入るか考えられない。合計金額も1000円は軽く超えており、流石お嬢様と言ったところだろうか。

絶句する(まなぶ)の視線が食事に向いていることに気付いた五月(いつき)はムッと顔をしかめる。

 

 

「何ですか?こんなに食べては悪いと……太るって言いたいんですか?」

 

「…あ、あぁ!違うよ!僕、小食だから……こんなによく食べれてうらやましいなって。それに、女の子は少しくらいふっくらしても大丈夫だよ。まだ成長期だし……」

 

「そ、そうですか……。すみません、つい昨日、不親切な男子に『太るぞ』なんて言われたもので……。助けてもらった人を疑うなんて、私が間違っていました」

 

「いいよ……」

 

 

ひとまず納得して怒気を静めてくれる五月(いつき)にほっとする(まなぶ)

好きな人に嫌われるのはとても避けたいものだ。それが異性であるほどに。

しかし、女の子に『太るぞ』なんてデリカシーのかけらもない言葉をかけた男はどういう神経しているんだと疑った。これだと、まだわかりやすい昂輝の方が数倍マシだろう。

それに該当するひねくれた人物は心当たりあるが、嫌悪感があって深くは考えたくない。

 

 

「じゃ……」

 

「あ、待ってください!あなた、同じクラスですよね?」

 

 

これ以上突っ立っていると席を誰かに取られるため、立ち去ろうとすると、五月(いつき)に呼び止められる。

そう言われた(まなぶ)は足を止める。彼女が自分のことを覚えてくれていることに、思わず胸が高鳴る。

高鳴る鼓動を抑えながら、(まなぶ)は問いに答える。

 

 

「そうだよ?」

 

「そうでしたか。すみません、転入したばかりで顔とお名前が一致していなくて………。私は中野 五月(いつき)。お名前を伺っても?」

 

「あー……僕は、天海(あまかい) (まなぶ)。天の海に、学習の”学”」

 

天海(あまかい)……この辺りだと珍しい苗字ですね」

 

「はは……よく言われる。じゃあ、そろそろ戻るよ」

 

「はい、お止めしてすみません。それでは天海(あまかい)君、失礼します」

 

 

五月(いつき)はそう言って、お辞儀をすると、その場を立ち去っていった。

彼女と話せた、しかも中々好印象を与えたと実感した(まなぶ)は心の中でガッツポーズをとる。

 

ウキウキの気分のまま席に座る。テーブルにふと腕を乗せると、丁度右手首の下に置いていたおにぎりの包み紙との間に何かがくっつくような感触がした。

 

 

「……??」

 

 

不思議に思った(まなぶ)は右腕を上げると、包み紙が手首にひっついていた。(まなぶ)は落とそうと腕を振るうも、接着剤で接着しているのか全く落ちない。

(まなぶ)は手で取ろうと包み紙を掴んで引っ張ると、包み紙と手首の間に蜘蛛糸のようなものがかかっていた。しかも、よく見るとその蜘蛛糸は手首から出ていた。

──これは何だ、と首を傾げる(まなぶ)が左手で蜘蛛糸は引きちぎりながら、無意識に右手の中指と薬指を曲げた瞬間──

 

 

ピシュッ!

 

「ッ!?」

 

 

右手首から勢いよく蜘蛛糸が発射され、前の席の生徒が使っている水が入ったコップに引っ付いた。

(まなぶ)は目を丸くしながら自分の手首と蜘蛛糸に引っ付いたコップを交互に見る。蜘蛛糸を出せるなんてラノベや漫画といった創作物みたいな出来事に現実かと疑った。

──ならば、引っ張ってみよう。幸いにも前の席に座る生徒や周りにいる人は会話に夢中になって気付いていない。

(まなぶ)はグイっと腕を手前に引くと、引っ張られた水の入ったコップは素早い勢いで(まなぶ)の右手に収まった。

 

 

「あれ?俺の水知らね?入れてきたはずだけど……」

 

「知らねー」

 

 

前の席からそんな声が聞こえ、盗んだ罪悪感で居心地が悪くなった(まなぶ)は取ったコップをテーブルの端に置くと、ゴミを片付けてそそくさと席を立つ。

早歩きで食堂の出口へ向かおうとすると、偶然、食事をトレイに乗せた涼介ともう1人の友人と鉢合わせる。

 

 

(まなぶ)?どうした?」

 

「トイレに行きたくなって。席ならここ。僕はもう食べたから先に教室に戻ってるよ。それじゃあ!」

 

「あ、おい!」

 

 

矢継ぎ早にそう告げると、涼介の呼び止める声を無視して、(まなぶ)は食堂を立ち去っていった。

残された2人は(まなぶ)の去っていた方角を見ながら、呆然と立ち尽くしていた。

 

 

「なんか変。天海(あまかい)君、どうしたんだろ?」

 

「さぁ?」

 

 

眼鏡をかけた友人の尋ねに涼介もわからないと首を傾げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後。(まなぶ)は逃げるように学校を出た。

涼介と一緒に帰らず、とにかく人目がつかない場所に行きたかった。

 

 

「(今朝からおかしいぞ!頭のムズムズ、反射神経、おまけに蜘蛛糸!僕の体、どうなっちゃったんだ?)」

 

 

体調が良くなったと思ったら、常人離れした能力を手に入れてしまったことにすっかり混乱していた。しかも1回や2回じゃない。

色々と考えるあまり、憧れの五月(いつき)と話せた喜びはすぐに吹っ飛んだ。

 

 

「(落ち着け。こうなった原因をよく考えるんだ……)」

 

 

歩きながら(まなぶ)は混乱する思考を一旦リセットして、冷静に原因を分析する。

昨日、体調が悪くなった。その原因は蜘蛛に噛まれたから。その蜘蛛は遺伝子操作された──

 

 

「(スーパースパイダー!)」

 

 

1つの結論を導き出す。どういう原理かはわからないが、遺伝子操作されたスーパースパイダーに噛まれたことによって複数の蜘蛛の遺伝子を投与され、蜘蛛の能力を手にいれたのだと。

そうだとするなら、今までの現象は全て説明がつく。

 

そうに違いないと確信した(まなぶ)は駆け込むように路地裏に入ると、壁を這う蜘蛛に目が付く。蜘蛛は優れた平衡感覚で縦横無尽に這いまわっている。

それを見て、今度は自身の指を見ると、とても極小ながらも細かい繊毛がビッシリと生えていた。まるで蜘蛛の足のように。

次に壁の頂上を見上げる。頂上は20メートルぐらいあり、まず生身で登ることは不可能。壁面は引っ掛ける場所はなく、道具でも使わないと到底頂上には届かない。

 

 

「(もし蜘蛛の能力があるなら、こんな壁も登れるはずだ)」

 

 

(まなぶ)はその仮定のもと、右手の五指を壁につける。それぞれの指は繊毛によって壁に吸着し、全く落ちない。

続けて左手の五指を壁につける。こちらも変わらず壁に引っ付いている。特に力も入れていない。

右、左、右、左…と足も壁に吸着させながらスイスイと壁面を登っていく。

ある程度で止まると、地上を見下ろす。(まなぶ)はすでに10メートル近くまで登っており、一般人ではまず辿り着けない位置に到達していた。

 

 

「フォォォォォーーーーーーーッ!!!!」

 

 

運動音痴で勉強だけが取り柄だと思っていた自分がやっている。しかも常識を外れた能力を。

その実感に打ち震えた(まなぶ)は歓喜の声を上げる。

 

数十秒もしないうちにスイスイと壁を登りきると、換気用のパイプに手をかける。

すると──

 

 

グシャッ!

 

 

と握りつぶした。鋼鉄製のパイプを素手でだ。

底知れぬ握力にますます笑みが止まらない。

 

 

「いやっほーーーうッ!!」

 

 

開放感溢れる(まなぶ)は走り出すと、軽やかにビル群を次から次へと飛び移る。

重力が軽くなった気がするほど爽快で、まるで空を飛んでいる錯覚を覚えた。

 

笑顔でピョンピョンと飛び移った(まなぶ)は先にある建物と今いるビルとの距離が遠いことに気付き、足を止めた。

見下ろした先は車が行き交いしている道路だった。

 

 

「(向こう側に飛び乗る自信はない………なら、蜘蛛糸を飛ばしてみるか!)」

 

 

自身の手首を見ながら考えた(まなぶ)は向こう側のビルに隣接しているクレーンを見る。

あそこに蜘蛛糸を出せば綱渡りができるし、届かなくてもどこまで飛ばせるか実験もできる。

クレーンに狙いを定めた(まなぶ)はひっかき手を作りながら手首を構え──

 

 

「──蜘蛛の巣!…………?」

 

 

と叫ぶ。しかし、いくら待っても蜘蛛糸は出ない。

掛け声や構え方が違うのかと考えた(まなぶ)は再び試す。

 

 

「飛び出せ~~。……蜘蛛の糸、空へ伸びろ!……シャザ~ム!……スパイダーストリングス!……Go!Go!蜘蛛の巣GoGo!」

 

 

思いつく限りの掛け声、指のポージングを色々と出すが、蜘蛛糸は一切出ない。

──どうやって出したかな、と首を傾げながら食堂での記憶を辿り、中指と薬指を曲げた瞬間──

 

 

ピシュッ!

 

「ッ!」

 

 

前に向かって手首から勢いよく飛び出した。中指と薬指を曲げることで発射できることがわかった(まなぶ)は狙いを定め、同じ構えで蜘蛛糸を発射すると、うまい具合にクレーンに引っ付いた。

伸ばした蜘蛛糸を両手で持ちながら、屋上の絶壁に歩を進める。

真下は道路で落ちたら大怪我は間違いない。スースーと下から吹く風が恐怖心を煽る。

 

 

「すぅ~…………行ってみよう……」

 

 

深呼吸で強張る肉体と表情を柔らかくすると、(まなぶ)は飛び立った!

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁ~~~~!!」

 

 

ターザンのように勇ましく、とまでいかない悲鳴に似た叫び声をあげながら空を渡っていく。

クレーンを支点とした振り子運動に従って、(まなぶ)は向こう側のビルへと飛び移ったが、前方には広告看板が。

 

 

「あっ!?あ、あぁ!あぁぁぁ────!?」

 

ドンッ!

 

 

急いで足でブレーキをかけようとするが、振り子運動の原理によって体が再び浮かびあがり、そのまま看板に激突。

その衝撃で蜘蛛糸を離した(まなぶ)はズルズルと屋上の床に落ちていった。

 

ウェブスイングは失敗はしたものの、超人的な能力に(まなぶ)はすっかり有頂天になっていた。

まだまだ知りたいという探求心に従った(まなぶ)は、日が暮れるまで自分の能力で遊び惚けた。

叔父の(つとむ)と約束した家の手伝いを忘れるくらいに……。

 

その後、家に帰り着いた(まなぶ)。時刻は22時になっており、叔父・叔母共にすでに就寝していた。

(みこと)が作り置きしてくれていたミートローフを食べ、入浴を終えると、ベッドで横になっていた。

横になりながらスマホをいじっていると、とある宣伝サイトに目が留まる。それはアマチュアがプロに挑戦できるプロレス大会のものだった。

 

 

「(プロレスラー相手に3分間リングに立っていられたら、賞金30万円?開催は3日後……。事前予約必須か………よし!)」

 

 

3分間逃げ切れば30万円がもらえるという破格の条件に(まなぶ)は口角をあげる。

今までの自分であれば絶対に無理な話だが、今は違う。蜘蛛のスーパーパワーを手に入れた自分なら、プロの格闘家であろうと余裕で勝てるだろう。

出場すると決めた(まなぶ)は迷うことなくサイトの予約ボタンを押した。

 

 

「(次はコスチュームが必要だな)」

 

 

(まなぶ)はこうしちゃいられないとベッドから起きると、スケッチブックにコスチュームデザインを描いていく。

──どうせならかっこいいものにしたい。そう思いながら蜘蛛をモチーフとしたコスチュームを次々と編み出していく。

最初にベルト、マント、マフラーをつけるか迷ったが、動きやすさを重視してつけない方針にした。

色、素材、覗き穴、シンボルマーク……次々と思い浮かぶアイデアを採用、またはボツにしていき、ゴミ箱には大量のスケッチブックの残骸が積み立てられていく。

 

 

「よし!できた!」

 

 

作業開始から約5時間後。(まなぶ)は完成したデザイン画を見て、にっこりと笑う。

スケッチブックに描かれているのは、赤と青を基調とし、全身を蜘蛛の巣が張り巡らしているアメコミ風ヒーローみたいなコスチュームだった。

鋭い目つきに、背中と胸元には蜘蛛のシンボルがつけられており、『蜘蛛人間』と言うべきヒロイックなものに仕上がった。

 

コスチュームデザインが決まったその日から、(まなぶ)は学校から帰ってきてはすぐに自室にこもって蜘蛛糸────ウェブを正確に当てる練習をし始めた。

空き缶やスタンドライト、写真立てに引っ付け、それをキャッチするというシンプルなものだ。

優れた反射神経によって次々とクリアしていく。

 

しかし、簡単にいかないときもある。

 

 

ガシャンッ!

 

(まなぶ)?今の何の音?』

 

「何でもないよー。ちょっとした運動しているだけなんだ」

 

『そーう?ならいいけど……』

 

 

花瓶のキャッチをミスして、壁に衝突。粉々に崩れる。

下階から聞こえる(みこと)の怪訝な声に(まなぶ)は誤魔化すと、部屋を見渡す。練習のせいで部屋中蜘蛛の巣だらけで、自分以外部屋に入れられる状態ではなかった。

 

 

(つとむ)。あの子、最近変じゃない?」

 

 

一方、リビングでは(みこと)が編み物をしながら、(つとむ)(まなぶ)について相談していた。

ここ最近の彼の異変には(みこと)も気付いていた。学校が帰って何かにとりつかれたように部屋にこもってばかり。いつも率先してやっていた家の手伝いもやらなくなるぐらいだ。

(みこと)の悩みにテレビの配線を修理していた(つとむ)は作業の手を止めると、口を開く。

 

 

(まなぶ)はきっと悩みを打ち明けられないんだろ……。こっちから訊こうにも訊きずらいだろう……。どうしたらいいのかわからない。あの年頃になると必ず衝突する。俺たちにできることは、あの子を見守ってあげることだ………」

 

 

(つとむ)が導き出した答えに納得した(みこと)はうんうんと頷く。

けれど、(つとむ)は知らなかった。(まなぶ)の抱える秘密は(つとむ)が言うほどの問題ではないということに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、迎えた3日後。今日はいつも通り昼間は学校だが、夜には待ちに待ったプロレスの大会がある。

プロとはいえど相手は常人レベル。超人的な能力を持つ自分にとっては賞金30万円を手にすることは容易い。

そんなことを思いながら(まなぶ)が通う旭高校では6限目の体育の時間で、今日は体育館でバスケットボールをやっていた。

 

 

「マークついて!」

 

「パス、パース!」

 

「(早く終わらないかな……)」

 

 

試合に入り、生徒たちがボールを必死に取り合って動き回る中、(まなぶ)はコートの端で退屈そうに傍観していた。

というのも元々スポーツが苦手な(まなぶ)にとっては暇で仕方ない無意味な時間であり、参加しようにも周りから邪魔者扱いされる。かと言ってまともに参加しなかったら役立たず呼ばわりされる。

理不尽な環境というマイナスイメージを持っている(まなぶ)は、スーパーパワーを手にしても積極的に取り組もうとは思わなかった。退屈な体育よりも、今日の夜20時に開催されるプロレスについて考えていた。

 

 

「────天海(あまかい)!」

 

「……え?あッ!」

 

 

ボーっとしていると、遠くからパスが飛んでくる。

当然他のことに気を取られていた(まなぶ)はキャッチできず、ボールは場外へと転がっていった。

やってしまったと(まなぶ)は自責の念に駆られていると、腹を立てている昂輝とその取り巻きが詰め寄る。

 

 

天海(あまかい)、お前何やってんだよ!今の絶対取れただろ!?真剣にやれよ!!」

 

「あ……ご、ごめ──ッ」

 

 

ミスを責められた(まなぶ)は謝罪しようとするが、ふとある考えが頭をよぎり、言葉を止める。

──昂輝の『絶対取れる』というのは体育会系の意見で、スポーツが得意でない人間にかける言葉じゃない。そもそも、いつも自分をいじめる奴に謝る必要はどこにある、と。

それに今の自分は誰よりも強いという自信がある。考えを改めた(まなぶ)はふっと鼻で笑った後、昂輝を睨みつける。

 

 

「何だよ、天海(あまかい)………文句あんのか?」

 

「あぁ、大アリだよ昂輝。いつも僕をいじめる奴の言葉なんて、全く説得力がないって言いたいんだ。脳筋野郎」

 

 

挑発交じりに反発すると、頭にきた昂輝は(まなぶ)の胸ぐらを掴む。

鋭い剣幕で、今にも嚙みつきそうなくらいだ。

 

 

「おい、今の何だ……?ふざけるのも大概にしろよ………」

 

「その手を離せ……」

 

「俺に命令するんじゃねぇッ!文句を言える立場か?さっきのこと、取り消せ──がぁぁッ!!?」

 

 

昂輝に忠告するものの、手を離す気配のないと判断した(まなぶ)は胸ぐらを掴む手を片手で強引に捻りながら離す。

自分が知っている(まなぶ)とは思えないほどの握力に昂輝は驚きを感じつつも苦痛から逃れるため素早く振りほどくと、ボクサーのようなファイティングポーズを構える。

 

 

「よくもやってくれたな、オタク野郎!」

 

 

──もう黙っちゃいられない。鉄拳制裁を加えてやると決めた昂輝は突き刺すような拳を繰り出す。

だが、反射神経が常人より卓越している(まなぶ)にとっては遅く感じ、簡単に避けられてしまう。

その後も次々と拳に加え、蹴りを放つが、まるで紙相手に戦っているかのように軽々と避けられてしまう。

 

 

「ぬぉおおおッ!!」

 

「おっと」

 

 

中々当たらないことにしびれをきらした昂輝は体当たりを仕掛ける。

興奮した猛牛の如く迫ってくるが、(まなぶ)は床を蹴ってジャンプ。空中できりもみ回転しながら昂輝の真上を通り、後ろへ着地する。

対象を失った昂輝は野次馬に衝突する。

 

 

「早くやれよ」

 

「わかってるッ!!うおおーーー!!!」

 

 

はやし立てる取り巻きを突き飛ばすと、昂輝は全力を込めた拳を繰り出す。昂輝にとってはこれが最大出力だ。

しかし、それも(まなぶ)には通用しない。拳を手のひらで楽々と受け止めると──

 

 

「ふんッ!」

 

「のわぁぁぁぁーーーーーッ!!?」

 

 

反対の拳で昂輝の胸元を殴りつける。その拳の威力は昂輝の体を容易く浮かし、体育館の壁まで吹き飛ばしていった。

有り得ない光景に絶句する野次馬に対し、(まなぶ)は自然と笑みがこぼれる。

──あのいじめっ子の昂輝を倒したんだ。いつも溜まっていた鬱憤を晴らせて、気分は爽快だった。

 

 

天海(あまかい)……お前、化物かよ…………」

 

「……ッ」

 

 

だが、周りの反応は違かった。(まなぶ)が昂輝を倒したということよりも、(まなぶ)が見せた超人的な力に恐怖していた。

向けられる畏怖の目に(まなぶ)は複雑な気持ちを抱いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜。帰宅した(まなぶ)(つとむ)(みこと)と一緒に夕食を摂っていた。

ちなみに昂輝は丈夫な体が幸いしたのか、青あざですむケガで済んだ。けれど、この騒動は学校側にはバレ、連絡を受けた(みこと)(まなぶ)の代わりに昂輝の両親に謝りに行った。

治療費を払う覚悟で行ったが、昂輝の両親は息子のやんちゃぶりはわかっているのか特に見返りを求めず、お金を払わずに済んだ。

 

 

「ごちそうさまー。行ってくるよ」

 

「まぁ、待て(まなぶ)。話がある……」

 

 

夕食を一足先に食べ終えた(まなぶ)は席を立ち、荷物を持って外出しようとすると、(つとむ)に止められる。

ちなみにプロレス大会のことは1日限定の缶詰め工場のアルバイトと言って誤魔化している。プロレス大会なんて知れば、ケガをするから絶対止められるとわかっているからだ。

 

 

「あとで話そうよ。バイトに遅れちゃう……」

 

「今、話したい。なに……10分もかからない。嫌なのか?」

 

 

いつになく真剣な表情の(つとむ)に気圧された(まなぶ)は椅子に座り直す。夫の様子から2人きりにしてほしいと察した(みこと)は2階へ上っていく。

(みこと)がいなくなったのを見計らった(つとむ)(まなぶ)を見据えて語りだす。

 

 

「……ここのところ、ずっと話をしていないから叔母さんも俺もお前がよくわからなくなってきた。家の手伝いもせずに部屋にこもって奇妙な実験ばかりしてるし、学校で喧嘩をしたというし───」

 

「あれは僕が始めた喧嘩じゃない!あっちが悪い!」

 

「相手を殴り倒したんだろ?」

 

「じゃあ、逃げれば良かったの!?」

 

「いや、逃げろとは言ってないが相手をケガさせたんだ。青あざだけで良かったものの、一生寝たきりになんてなればどう償いを取るつもりなんだ?」

 

「……ッ」

 

「叔母さんがお前の代わりに下げる必要のない頭を下げたんだ………お前はいいかもしれないが、周りに及ぶ影響のこともよく考えろ………」

 

 

思わず声を荒げる(まなぶ)だが、(つとむ)の言葉に口を閉ざす。

だが、それは反省したのではなく、反論する言葉が思い浮かばなかっただけであった。賞金30万円を手に入れることだけで頭いっぱいで、こんな説教染みたことで足止めをくらってる場合じゃない。

イライラと焦燥感に駆られる(まなぶ)に対し、(つとむ)は話を続ける。

 

 

「………(まなぶ)。俺もお前ぐらいの歳には同じような経験をした────」

 

「いや、同じじゃない」

 

(まなぶ)………。お前の年頃でどう変わるかによって一生をどんな人間として生きていくかが決まるんだ。どう変わるか慎重に考えろ………」

 

「………」

 

 

そう指摘された(まなぶ)は少し俯かせて考える。

──確かに叔母には迷惑をかけたと思う。自分のせいで下げたくもない頭を下げたのだから。けれど、昂輝という男はいつも自分のいじめている奴だ。報いを与えて当然だと。

自分の行いを反省しつつも正当化しようとしている(まなぶ)(つとむ)は言う。

 

 

「その(まこと) 昂輝という生徒は殴られて当然かもしれないが、お前の方が強いからって殴る権利があるわけじゃない……………。忘れるな?大いなる力には、大いなる責任が伴う

 

 

──大いなる力には、大いなる責任が伴う。古くから伝わる格言を用いて、人生の生き方について説いた。

強い力を持っているからといって、自分本位で好き勝手していい訳ではない。そういう意味で伝えたのだが………

 

 

「僕が犯罪者になるとでも思ってるの、叔父さん?」

 

 

(まなぶ)にはその真意が伝わっていなかった。反省するどころか、自分だけが悪いと説教されているようで機嫌が損ねてしまっていた。

違った受け取り方をして興奮している(まなぶ)(つとむ)は宥めようとする。

 

 

「いや、そうじゃ──」

 

「僕のことは心配しないで。自分のことは自分で考える!お説教はやめてよ!」

 

「お前に説教しようなんてつもりはない………。俺は父親じゃない──」

 

「じゃあ父親の真似しないで!──ッ!?」

 

 

高ぶる感情のあまり最悪の言葉をぶつけてしまった。ハッと口を抑える(まなぶ)だが、もう遅い。

放たれたその一言は(つとむ)の心を傷つけるには十分な凶器であり、ショックを受けた(つとむ)の表情は、太陽が地平線へ消えるようにみるみると沈んでいった。

 

 

「………ッ」

 

バタンッ!

 

 

降りかかる自責の念から居心地が悪くなった(まなぶ)は荷物を持つと、逃げるように家を出た。

(まなぶ)が出ていった後、一部始終を2階で聞いていた(みこと)は下りてくると、心配そうな面持ちで(つとむ)を気にかける。

 

 

「大丈夫……?」

 

「……あぁ、俺は平気だ。それよりも、(まなぶ)が本当に缶詰め工場のバイトに行っているのか気になる。勘だが、どうも隠している気がする」

 

「あの子が嘘を?」

 

「決めつける気はないが、こう、何だか胸騒ぎがするんだ。危険なことに首を突っ込んでいるような…………。ちょっと後をつけてくる」

 

「えぇ、気をつけて」

 

 

心配ながら見届ける(みこと)(つとむ)は指でOKサインを送ると、ジャンパーを着て、(まなぶ)の後を追っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家を出た(つとむ)は気付かぬよう、(まなぶ)の後をこっそりついていった。というもの、今の(まなぶ)は気付かれたりしたら絶対に逃げられると思っているからだ。

物陰に隠れ、近付きすぎずかつ離れすぎずの距離を保ちながら尾行していく。場所は住宅街から町へと変わっていった。

 

 

「ん?」

 

 

尾行を開始してから30分近く経った頃。(まなぶ)は入ると思われたビルの表口に入らず、角を曲がって路地裏に入る。

角から覗くと、(まなぶ)は少し古ぼけたビルの前にいる警備員2人に何かを見せると、裏口らしき扉の奥へ入っていった。

(つとむ)も中へ入ろうとするが、警備員らに止められる。

 

 

「すみません。出場者証明書を拝見します」

 

「出場者……?ここはどういった施設なんです?」

 

「…?プロレスの大会ですよ。今夜限りで行われる特別な。プロレスラー相手に3分間耐えられたら賞金30万円」

 

 

警備員の話を聞き、ここが缶詰め工場でないこと、やはり(まなぶ)は噓をついていることがわかった。

隠していたのは自分たちが反対すると思ったことだろうが、気になるのはどうしてプロレスの大会に出たかだ。

(まなぶ)が運動が苦手だということは、育ての親である(つとむ)がよくわかっている。最近の変な行動に関係しているのかと考えるが、今は本人に会うことが優先だ。

 

 

「お願いします。証明書は持っていないが、今入っていった子は俺の甥なんです。中に入れてください」

 

「誠に申し訳ございません。保護者の方でも、出場者と関係者スタッフ以外は入れることはできないんです……。一般のオンラインチケットはお買い求めで?」

 

「あーーいや、買ってないです。失礼しました」

 

「いえいえ。お力になれず、申し訳ございません……」

 

 

ペコリと頭を下げて謝る警備員らに(つとむ)はお辞儀し返すと、表通りへ歩いていく。

────(まなぶ)はどうなってしまったんだ?

訊きたいことは山ほどあるが、ひとまず、(まなぶ)が出てくるまでビルの表口で待つことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(凄い熱気だ……)」

 

 

一方、叔父が外で待っていることも知らない(まなぶ)はプロレス会場へと足を運んでいた。

裏側の通路からでも聞こえる観客の声に、(まなぶ)は驚いていた。

少しだけ気になるので扉を覗ける範囲まで開けて表舞台の様子を伺う。

リングでは今まさに、プロレスラーがアマチュアのチャレンジャーをブレーンバスターでKOしていた。盛り上がる観客の声と共にKOのゴングが鳴り響く。

 

 

カンカンカンカーーーンッ!

 

「ヌオォォーーーーッ!!誰でもかかってこーい!!すぐにリングに沈めてやるゥ!!」

 

 

筋骨隆々に山賊のような頭髪と長いひげを生やしたプロレスラー────ボーン・ソー・マッグローは叫ぶ。

連戦に連戦を重ねた影響で過剰にアドレナリンが分泌されており、飢えた野獣のように闘争心をメラメラと燃え上がらせていた。

あまりもの迫力に(まなぶ)は圧巻されていると、医者スタッフらしき数名の人が負傷した参加者を担架で運んでいた。

 

 

「あああぁ………!あ、足が……!助けてくれ……!」

 

「……」

 

 

苦痛に泣き叫ぶ他の参加者の痛々しい姿にすっかり顔は青冷めた。

ここに来て(まなぶ)は不安が押し寄せるが、予約までしてまで来たのだから、とりあえず控室で着替えることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボーン・ソーはチャレンジャーを軽々と持ち上げると、リングの外へ放り出した。

設置してあった長机は力強く投げつけられたチャレンジャーの体重によって粉砕され、そのままKO。またもや勝利のゴングが鳴り響く。

 

 

カンカンカーーーンッ!!!

 

「Winner!ボーン・ソー・マッグロー!」

 

《強い!強いぞ、ボーン・ソー!モスキートマンを下しました!!大会が始まってから26人ものチャレンジャーを葬っていますが、未だダウンする様子を見せませんッ!!こいつを止められる勇気ある者は現れるのかーーーー!!?》

 

 

持ち前のトークで会場にいる人間を盛り上げたリングアナは出場者名簿に目を通す。

 

 

「えーと、次の選手は………『蜘蛛人間』!?だっさい名前……」

 

 

リングネームのセンスのなさに苦虫を嚙み潰したような表情で呟く。

『蜘蛛人間』とは(まなぶ)のことであり、蜘蛛の能力を授かったことに由来して付けた名前だ。

直球すぎるネーミングセンスにリングアナは嘆息をついて気持ちを切り替えると、再びマイクを手に取る。

 

 

《それでは、次の生贄にリングの上に登場してもらいましょう!はたして、彼は3分間リングの上でボーン・ソーの攻撃を耐え続け、30万円の賞金を手にすることが出来るのか?》

 

 

そのアナウンスが聞こえた(まなぶ)は深呼吸をすると、扉の前へ一歩出た。

これから起こるのは学生同士での喧嘩ではない。その比にもならない、下手すれば大怪我する試合だ。

気を引き締めた彼は、赤いマスクを頭に装着した。

 

 

《賞金30万円を狙って登場する次のレスラーは!恐るべき殺人マシーン!!地獄からの使者、スパイダーマ!!!》

 

 

リングアナの登場コールと共に勢いよく入場扉が開かれ、観客の目にコスチュームを着た(まなぶ)の姿が晒される。

しかし、身に纏っているコスチュームは目出し帽に、スプレーで塗った蜘蛛のマークがデザインされている古びた赤いパーカー、青い布製のズボンに薄汚れたスニーカーと、低予算丸出しのコスチュームだった。スケッチブックに描かれていたものとは似ても似つかない、ひと言で言うなら”ダサい”。

こうなったのもきちんと理由があり、本来はスケッチブック通りのコスチュームを作ろうとしたがお金が足らず、結果、使わなくなった古着などで作らざるを得なかったのだ。

 

 

「……『スパイダーマン』?蜘蛛人間だってちゃんと送ったのに!」

 

「いいから行けって」

 

「名前が間違っている!もう一度───」

 

「早く出ろ!」

 

 

勝手にリングネームを変えられて納得できない(まなぶ)は仕切り直すように後ろにいるスタッフに抗議するが聞き入れるはずもなく、押し出されるように会場へ出された。

渋々従うことにした(まなぶ)は入場通路を歩いていく。周りの観客からはブーイングの嵐で、「早くやられろ!」やら「ちびる前に帰ってほうがいいんじゃないか」などといった罵声も聞こえてくる。

これを聞いた(まなぶ)は察した。観客が求めるのは誰かが勝つ姿でなく、どちらでもいいから無様に敗北する姿を見たいのだと。

そんなことを思いながらロープを潜り、リングの上に立つ。

 

 

ウィィン……

 

「!?」

 

 

するとその瞬間、天井から鉄の檻がゆっくりと降りてきた。

鉄の檻は(まなぶ)が驚く間もなく一瞬にしてリングを囲った。さながら動物園のライオンのように。

困惑する(まなぶ)を尻目に、リングアナは警備員に指示をかける。

 

 

《警備員諸君?猛獣が逃げないようにしっかりと鍵をかけてもらえるかな?》

 

「ねぇ、ちょっと?ねぇってば!待ってくれ!これは何かの間違いだ!檻に入るなんて聞いてない!鍵を外せ!」

 

 

スーパーパワーを持っていても閉じ込めては気味が悪い。(まなぶ)は警備員たちに抗議するが、聞く耳も持たず、黙々とチェーンをかけていった。

理不尽だろと悲観していると、ボーン・ソーは──

 

 

「おい、蜘蛛男!どこにも逃げ道はない!俺が3分相手してやる!」

 

「……ッ!」

 

「3分楽しく遊ぼうぜ~~!」

 

カーンッ!

 

 

子気味悪い笑みを浮かべながらそう言うと、ゴングが鳴ったと同時に突っ込んでくる。

(まなぶ)は当たる寸前にジャンプして避けると、ボーン・ソーは思いっきり檻にぶつかった。

その衝撃ですっ転ぶがすぐに立ち上がって見上げると、(まなぶ)は檻に引っ付いてボーン・ソーを見下ろしていた。

 

 

「…………そんなところで何をしているッ!?」

 

「あんたから逃げているんだ。可愛い衣装だね、旦那さんからのプレゼント?」

 

「ウゥゥグアァーーーーーーーッ!!」

 

 

(まなぶ)は挑発に乗っかって飛びかかってきたボーン・ソーの手から逃れてジャンプすると、蜘蛛のような姿勢でボーン・ソーの後ろの床に着地する。

 

 

「ふんッ!」

 

「のわッ!?」

 

 

そして、すぐさま前転して腕を伸ばして飛び上がり、両足のキックをボーン・ソーの後頭部にぶつける。

ボーン・ソーはまたもや鉄の檻に衝突する。

 

 

「いいぞ!スパイダーマンッ!」

 

「凄いぞーー!」

 

「ッ!」

 

 

(まなぶ)は警戒して身構えていると、観客からの思わぬ声援に目出し帽の下で頬を緩める。

(まなぶ)の予想外の健闘にボーン・ソーだけを応援していた観客も、(まなぶ)へと関心を向けていた。

 

 

≈「ッ!」≈

 

「ヌオォォーーーーッ!」

 

ガンッ!

 

「うあッ!?」

 

 

おだてられてすっかり気を取られていた(まなぶ)は隙だらけだった。

スパイダーセンスが反応していたにも関わらず反応が遅れてしまい、後ろからボーン・ソーのパイプ椅子を使った凶器攻撃を頭にもろにくらってしまった。

倒れた(まなぶ)に対して、無慈悲にもボーン・ソーはパイプ椅子がひしゃげるくらい何発も叩き込んだ。ガンガンと叩き込まれる激痛に目出し帽の下で顔を歪める。

ボーン・ソーが壊れたパイプ椅子をリングの外に放り出して、セコンドから新しいパイプ椅子を貰おうとした隙を狙って(まなぶ)は起き上がると、距離を取る。

 

 

「凶器がアリなら、蜘蛛糸もアリだよなッ!」

 

ピシュッ!ピシュッ!

 

「ヌオッ!?」

 

「ンン~~~──」

 

 

そう叫んで(まなぶ)は両手の中指と薬指を曲げて、発射させたウェブをボーン・ソーの背中にくっつける。

(まなぶ)は背負うようにして思いっ切り引っ張ると、ボーン・ソーの体は宙に浮き──

 

 

「────ヌアァッ!!!」

 

「のあぁッ!」

 

ドォォンッ!!

 

 

一本背負いして反対のリングに叩きつける。

(まなぶ)は間髪入れずウェブをボーン・ソーの後ろの檻に引っ付けると、手前にグイッと引っ張って飛び出す。

両足キックの体勢のまま飛び出した一撃は、起き上がったばかりのボーン・ソーの胸元に直撃。後ろに吹っ飛び、ロープにバウンドして再びリングに沈む。

ここまでやられれば参るものだが、さすがボーン・ソー。闘志を消さずに、むしろやってやるという気持ちでフラフラとしながらも立ち上がる。

 

 

「……こ、このぉ、ガキ────!!」

 

「ふんッ!」

 

バキッ!

 

「ガッ!?」

 

「ヌアッ!」

 

バキッ!

 

「ごおッ!?」

 

 

めまいがしながらも拳を振ろうとするがそれが届く前に(まなぶ)の右、左の拳が両頬に炸裂。

この連続攻撃はただでさえダメージが響いているボーン・ソーには効果抜群で、目の焦点が正常に定まらなくなった。

(まなぶ)はとどめの一撃とばかりに右腕を軽く回して力を込めると、千鳥足のようにフラフラと足があっちこっち動いているボーン・ソーに目掛け──

 

 

ゴッ!!

 

「ごぶッ!!!………ぬぅおぉぉ………」

 

バタンッ!

 

 

鼻っ面に思いっ切り殴りつけた。

ボーン・ソーは鼻から血を出すと、焦点が上を向きながらその場に倒れた。

レフェリーがカウントにかかろうとするが、ボーン・ソーの容体を見て気絶しているとわかり、勝者である(まなぶ)の腕を上げる。

それと同時に勝利のゴングと観客の歓声が鳴り響く。

 

 

カンカンカーーーーンッ!

 

《みなさん!新チャンピオンの誕生でぇーーーすッ!その名はスパイダーマンッ!!!》

 

『スパイダーマンッ!スパイダーマンッ!スパイダーマンッ!』

 

 

リングアナが新しい王者を称えると、観客は一斉にスパイダーマンコールをする。

自分の名前をコールする観客の歓声に今まで体験したことがない喜びに(まなぶ)は目出し帽の下で顔をにやけさせた。

この出来事は彼にとって、一生忘れられない日となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、賞金」

 

「え?」

 

 

試合が終わり、(まなぶ)は事務所で賞金を受け取りに行った。だが、差し出された賞金は30万円の半分にも満たない5万円だった。

勝ったはずなのにこれだけしか貰えないことに疑問を抱いた(まなぶ)は尋ねる。

 

 

「あのーー……30万円の間違いじゃないですか?たったこれだけって……」

 

「宣伝をよく読んだのか?3()()()()()()()()()30万円……お前は2()()()()()()()。それにK()O()()()()()()()()()()()()()

 

 

主催者の男に指摘された(まなぶ)はスマホを取り出し、ウェブページの宣伝に目を通す。

確かに3分間持ちこたらとしか書かれておらず、相手を倒せとは一言も書かれていなかった。(まなぶ)の解釈違いのせいだとは一目瞭然だった。

それでも納得がいかない(まなぶ)は不満をぶつける。

 

 

「じゃあ、『KOしてはいけません』って書いてくれよ!?これは詐欺だ!もっとくれたっていいじゃない!?」

 

「それが俺とどういう関係なんだよ?5万円貰えただけでも儲かりもんだろ?さっさと帰りな」

 

 

そう言ってシッシッと手払いする主催者に上手く言い返せない(まなぶ)は諦めて、事務所を後にした。

着替えた(まなぶ)はこのビルで唯一下へ降りられる手段であるエレベーターがやってくるのを待っていた。

 

 

「(何なんだ、あの男。態度といい、口調といい………。もう少し甘くしてくれっていいだろ………!)」

 

 

エレベーターが到着するのを待っている(まなぶ)の内心は苛立っていた。その原因はもちろん、主催者にされた理不尽な対応にだ。

──解釈を間違えたのは認めるが、せめて半分くらいは貰う権利があるだろう。そう思いはするが、体を動かして疲れたのもあって抗議する気力はなかった。

 

 

バンッ!

 

「?」

 

 

そして、エレベーターが到着して乗り込もうとしたとき、後ろから大きな物音がする。

振り返ると、無精ひげを生やしたいかにも悪そうな男がリュックを片手に、こちらに向かって全力疾走していた。

走る無精ひげの男の後ろからは中年の警備員が追いかけていた。

 

 

「強盗だーー!売上を取り上げられた!捕まえてくれッ!!」

 

「ッ!」

 

 

遠くからあの主催者の男の声が聞こえ、(まなぶ)は取り押さえようとするが、ある考えが頭を過る。

──盗まれたのは警備が杜撰だった主催者(あの男)の責任であって、僕には関係ない。

そう考えた(まなぶ)は向かってくる強盗を見逃すと、強盗はエレベーターに乗り、したり顔を浮かべながら下へと降りていった。

 

後からやってきた中年の警備員は悔しそうにエレベーターのドアをバンバンと叩いた後、見逃した張本人である(まなぶ)に問い詰める。

 

 

「どういうつもりだ!?君なら足を引っかけるなりして簡単に捕まえられただろ!?」

 

「悪いけど、それはあなたの仕事でしょ?」

 

「チッ!」

 

 

一方的に責められているような気がした(まなぶ)はそう言い返すと、中年の警備員は舌打ちしながら電話で警察に連絡し始める。

それをよそに遅れてやってきた主催者の男も同様に(まなぶ)に問い詰める。

 

 

「何故、何もしなかった!?俺の金を盗んだ強盗なんだぞッ!」

 

「それが僕とどういう関係があるんだよ?」

 

「~~ッ」

 

 

(まなぶ)は事務所で言われたことをそっくりそのままお返しすると、主催者は恨めしそうな表情を浮かべながら、事務所の方へ戻っていった。

腹いせができた(まなぶ)は不敵な笑みを浮かべると、次にやってきたエレベーターに乗って、下へと降りていった。

 

 

ウーウウーーーー………!

 

「?」

 

 

裏口から出た(まなぶ)は近くから聞こえるサイレン音に足を止める。

顔を向けるとそこは表通りの方で、そこには何かを囲う野次馬の影とパトカーと救急車の赤く灯ったランプの光が見えた。

この様子から只事ではないことが起きたことがわかるが──

 

 

「(何かあったんだろうけど、僕には関係ない……)」

 

 

(まなぶ)は特別関心を持たず、逆の通りへ繋がる道を歩き始める。

気になりはするが、所詮は他人のこと。言い聞かせた(まなぶ)は暗い夜道を1人歩いていく。

 

しかし、彼は知らなかった。

これが他人ごとではないということに………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「警察?」

 

 

家に帰りついた(まなぶ)だが、家の前にパトカーが停まっていることに疑問を抱く。

何事だろうと思った(まなぶ)は家の中に入ると、リビングでは警察官2人と机に伏せて泣いている(みこと)の姿があった。

 

 

「うっぅぅ………!神様、仏様あんまりですぅぅ!うっうぅぅ………」

 

「叔母さん!どうしたの!?何かあったの!?叔父さんは!?」

 

(まなぶ)ぅぅうっうぅぅ………!あ、あの人が……あの人がぁぁ………!」

 

 

事情を尋ねようとするも(みこと)はわんわんと泣くばかりでまともに聞き出せる状態じゃない。

そんな状態を見かねた警察官は(まなぶ)に尋ねる。

 

 

「この家のご家族の方ですね?」

 

「えぇ、そうですが………」

 

 

(まなぶ)がそう答えると、警察官は(みこと)に代わって言う。

 

 

「お気の毒ですが……30分ほど前、あなたの叔父──天海(あまかい) (つとむ)さんが銃で撃たれて亡くなりました」

 

「………………え」

 

 

(まなぶ)は警察官の口から飛び出た言葉に衝撃を打たれる。

──そんな馬鹿な、ありえない。ついさっきまでピンピンしてたのに。胸にぽっかりと穴が開くような喪失感に襲われる。

信じられない様子で(まなぶ)が動揺していると、警察官は詳しい状況を聞かせる。

 

 

「6番地区の表通りで(つとむ)さんは逃げてきた強盗を取り押さえようとしましたが、抵抗する犯人に撃たれ………。即死でした………」

 

「………」

 

 

申し訳なさそうに表情を曇らせる警察官たち。彼らを責める気は(まなぶ)には全くなく、怒りと悲しみは殺人犯へと向けていた。

(つとむ)がどうしてその場にいたのか(まなぶ)にはわからなかったが、彼のような善人を平気で殺す犯人に殺意が湧いていた。

──叔父さんと同じ目に合わせてやる!(まなぶ)の頭の中ではその言葉でいっぱいだった。

 

 

《───全警官に告ぐ。老人を殺したと思われる男は7番地区のウィレム倉庫に籠城。繰り返す、犯人は7番地区のウィレム倉庫に籠城──》

 

 

犯人を殺してやりたいと思っていた矢先、幸運とばかりに警察官の無線機から犯人の情報が流れてくる。しかも正確な位置のオマケつきだ。

そうとわかるや否や(まなぶ)は急いで2階の自室に駆けこむと、プロレスで使ったコスチュームに着替え、窓を開ける。

遠くの電柱に向かってウェブを放つと、そのまま夜の街の上空をスイングしていった。

 

 

「(警察なんかに任せておけるか!叔父さんを殺した犯人は僕がこの手で捕まえてやる!どんな手段を使ってでも………!!!)」

 

 

復讐心に燃える(まなぶ)はそう心に誓うと、犯人が立てこもる廃倉庫へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃、犯人はというと、盗んだ車で逃走し、廃墟となっている倉庫の3階で籠城していた。

外ではパトカーと警察官の大群が倉庫を包囲しており、まさに袋のねずみだ。

 

 

《ここは我々が完全に包囲したーー!武器を捨て、大人しく投降しろ!》

 

「ちいッ!サツの奴、手が早いぜ……」

 

 

外から拡声器を使った警察の呼びかけに悪態をつく犯人。一旦隠れて様子を見計らって逃げようと思っていたが、予想外にも警察の手は早く、あっという間に外は完全に包囲されてしまった。

逃げようにも逃げられない最悪な状況だが、それは警察官も同じだった。

突入しようにも広くて暗い倉庫内ではどこに犯人が潜んでいるかわからず、近寄ろうとするなら発砲されてしまう危険性が考慮されているからだ。

双方は膠着状態となっていた。

 

 

ガタンッ!

 

「…ッ!誰だ!?」

 

 

犯人は拳銃のリロードをしていると、上階から何かが侵入した音が聞こえて飛び跳ねると、銃を上へ向ける。

工場内は警察が外から照らすサーチライトでしか状況を知る手段はない。

拳銃を上へ向けながらあっちこっち警戒し、後ろを振り向いた瞬間──

 

 

「フンッ!」

 

バキッ!

 

「ごあッ!?」

 

 

いつの間にか現れた(まなぶ)に頬を殴られる。怒りが込められた拳は犯人を十分に怯ませた。

続けて(まなぶ)は犯人の頭髪を乱暴に掴むと、近くの壁に顔面をぶつけた。

 

 

「が、あぁぁ……!」

 

ガンッ!

 

「こあぁ……!」

 

 

顔面を固い壁にぶつけられた犯人は苦痛に顔を歪める。そんなこともお構いなしに(まなぶ)は手を離すと同時にもう一発壁に顔面をぶつけた。

膝をつく犯人の鼻と額からは血が垂れており、苦痛に歪む顔を赤く染める。

 

 

「くっそ!」

 

ダァンッ!ダァンッ!ダァンッ!

 

 

犯人はよろめきながら立ち上がると、銃を3発発砲する。

銃弾は(まなぶ)に向かって素早くかつ真っ直ぐ進んでいくが、優れた動体視力を持つ(まなぶ)にとってはスローモーションにしか見えず、銃弾を全て左手だけで簡単に掴んだ。

(まなぶ)は手を離すと、掴んで握りつぶした銃弾がバラバラと落ちていく。

 

 

「なっ!?」

 

 

目の前で起きた光景に犯人は目を見開く。

銃弾を避けるまではわかるも、()()()()()()()()()()()なんて絶対にありえないからだ。

 

気味悪く思いながら犯人は発砲しようとするが、(まなぶ)がウェブを放って銃を取り上げると、そのまま遠くへ投げ捨てる。

飛び道具を取り上げられた犯人は懐からナイフを取り出すと、刃を立てて(まなぶ)を襲う。

 

 

「うおぉぉぉーーー!!」

 

 

冷静さを失っている犯人は無茶苦茶な軌道でナイフを振り回す。

そんな狙いが定まっていない振り方では反射神経が優れている(まなぶ)相手には全くかすりもせず、ヒュンヒュンと風切り音が鳴るばかり。

(まなぶ)はナイフを振り下ろす手の手首を掴む。

 

 

ボキッ!

 

「ぐあぁぁぁーーー!!」

 

「フンッ!」

 

 

力を込めて捻ると、鈍い音が鳴り、犯人の手からナイフが落ちる。

手首の激痛に悲鳴をあげる犯人に休む間も与えずジャンプして天井のパイプに掴まると、両足で胸元を蹴りつける。

犯人は窓際の壁に大きく後ずさる。詰め寄った(まなぶ)は犯人の胸ぐらを左手で掴むと、もう片方の手で殴り始める。

 

 

「この人殺しめ!僕の!怒りを!!思い知れ!!!」

 

 

(まなぶ)は心の奥底から叫びながら、拳を一発……また一発と怒りをぶつけていく。

幼い頃から自分を育ててくれた大切な叔父への想いが、殺した犯人への恨みを突き動かしていく。

荒々しい猛攻撃を受け、唇を切った口から血が出て、鼻血もどんどん流れ、顔じゅうにあざができていく。それと同時に犯人の精神力は(まなぶ)への恐怖で擦り減っていった。

 

 

「ま、待ってくれ……!助けてくれ……!情けをかけてくれェェーーー!」

 

 

数分間殴り続け、(まなぶ)が次の拳を振り下ろそうとした瞬間、犯人は怯えた声で待ったをかける。

その声を聞いて拳を止める(まなぶ)

しかし、情けをかけてくれという単語に頭にきた(まなぶ)は胸ぐらを掴んだまま、力強く壁に押し当てる。

苦悶する犯人の顔を目によく刻んでやろうと目出し帽を脱ぐ。

 

 

「お前は僕の叔父さんに情けをかけたのか!?どうなんだ!?答えろッ!!────ッ!?」

 

 

眉間にしわを寄せて叫ぶ(まなぶ)だったが、外から照らされるサーチライトで犯人の顔が露わになった瞬間、驚愕する。

無精ひげに悪そうな顔……。殴ったことで血やあざができているものの、犯人の男はプロレス大会の帰りで自分が見逃したあの強盗だった。

あのときに起きた出来事が走馬灯のように駆け巡る。

 

金を奪った強盗した犯人が全力疾走し、それを追いかける警備員と主催者。

腹いせをしてやろうと易々と見逃す自分。

エレベーターで逃走する犯人。

警備員と主催者に責められる自分。そして──

 

 

『それはあなたの仕事でしょ?』

 

『それが僕とどういう関係があるんだよ?』

 

「あ、あああ…………」

 

 

自分が言った無責任な発言。こうして逃げた犯人を捕まえようと(つとむ)が動いたのは想像するには容易かった。

(つとむ)は正義感が強いので多少無理はしても捕まえようとするのは当然だった。

だが、無慈悲にも射殺された。彼が殺された責任は誰でもない、(まなぶ)自身にあった。

それを自覚した(まなぶ)はショックを受け、犯人を掴む手はみるみると緩んでいく。

 

 

「……あっ、ああっ、あ………うわぁーーーーーーッ!!」

 

「ッ!」

 

ガッシャーーーンッ!

 

 

自責の念に駆られて固まっている(まなぶ)は犯人の叫ぶ声でハッと意識を戻す。

解放された犯人は与えられた恐怖によって錯乱し、逃れようと窓から外へ飛び出していた。

しかし、ここは3階。40mの高さは人の体では耐えられるはずもなく、勢いよく落下し、地面に頭をぶつけた。

 

 

「……」

 

 

(まなぶ)は割れた窓から真下にいる犯人を見る。頭からは血を流し、サーチライトで伺える表情からは生気が抜けていた。

落下死────。犯人のあっけない幕切れに(まなぶ)は困惑するが、警察官が集まる音が聞こえ、すぐさまその場を立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(僕のせいだ……!僕のせいで叔父さんは………!)」

 

 

現場から立ち去った(まなぶ)は町外れにある標高137メートルの小さな山の頂上で1人ぐすぐすと泣いていた。

叔父を喪った悲しみ──。有頂天になっていた自分への恥──。そして、叔父の死を招いた自分を許せない気持ちが混雑しており、何をすればいいかわからず、ただ涙を流すしかなかった。

──大いなる力には、大いなる責任が伴う。その意味を彼はやっと理解した。

その晩、(まなぶ)は涙が枯れるまで泣き続けた………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一晩中泣き続けた(まなぶ)は自宅に帰ってきていた。外はすっかり明るくなっていたが、彼の気持ちは深く沈んだままだった。

罪悪感に駆られた(まなぶ)に待っていたのは喪失感だった。悲しみも怒りも湧かない。もう何もする気力はなく、ただボーっとベッドから部屋を眺めているばかりだ。

 

 

ヒューーー………

 

「?」

 

 

──このまま消えてしまいたい、それで叔父が帰ってくるのなら。と絶望していると、窓から風が吹き、床に置いていたスケッチブックがパラパラとめくられ、あるページで止まる。

絶望している最中、目に留まった(まなぶ)はスケッチブックを拾い上げる。そこに描かれているのは、以前完成させたヒロイックな蜘蛛のコスチュームのデザイン画だった。

 

 

『大いなる力には、大いなる責任が伴う。覚えておけ、(まなぶ)。忘れるな?』

 

「………」

 

 

デザイン画に向き合いながら叔父の遺した言葉を思い返す(まなぶ)

あの晩で自分がいかに愚かであったことを十分に思い知った。力は自分のためではなく、誰かのために使うべきということを教訓として学んだ。

この能力を授かった今、自分が何をするべきなのか?決意した(まなぶ)は賞金の5万円を使い、デザイン画通りのコスチューム作成へと取り掛かった。

 

こうして、新たな伝説が生まれ、新しいヒーローが誕生しようとしていた!

 




◆イースター・エッグ◆
①「まいったな。叔父さんには敵わないや」
 スパイダーマンがデビューした『アメイジング・ファンタジー』#15(最終刊)で、寝たふりをしようとしていたピーターが起こすベンおじさんに向けて発したセリフ。

②「(あの子、天使……?)」
 サム・ライミ版「スパイダーマン」(2002)にて、メイ叔母さんが見舞いにきたピーターに話す昔話から出たセリフ。幼い頃のピーターは隣に引っ越してきたMJに一目惚れにし、この言葉でメイ叔母さんに尋ねた。

③滑った五月を支えつつ、トレイのものを全てキャッチ
 元ネタはサム・ライミ版「スパイダーマン」(2002)にて、床にこぼれたジュースで滑ったMJが宙に飛ばしたトレイをピーターがキャッチするシーンのオマージュ。
このシーンはCGでなく、ピーター役のトビー・マグワイアの手とトレイに接着剤をつけて実際にキャッチしている。
このシーンだけで156回、約16時間もかけて撮影された。

④「スパイダーストリングス!」
 元ネタは『EARTH-51778』のスパイダーマンこと、東映版「スパイダーマン」(1978)のセリフ。この掛け声とともに右手首に装着しているスパイダーブレスレットから蜘蛛糸が発射される。

⑤体育館でもめる
 マーク・ウェブ版「アメイジング・スパイダーマン」(2012)にて、スーパーパワーを手に入れたピーターがバスケットボールをしていたフラッシュとひと悶着起こした状況のオマージュ。

⑥モスキートマン
 スパイダーマンの初期構想における名前から。原作者の1人であるスタン・リーは壁に張り付くハエを見て、新しいヒーローのアイディアが浮かんだ。だが、ハエのヒーローだと締まりが悪いので、蜘蛛に変更したという。

⑦地獄からの使者
 東映版「スパイダーマン」(1978)において、主人公スパイダーマンの名乗り口上の1つ。色んな意味で愛されている。


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#2 親愛なる隣人、家庭教師へ


※注意
 時系列は原作漫画4話から5話の間に当たりますが、原作とは日数が異なっているのでご了承ください。




(つとむ)が亡くなり、葬儀を終えた3日後の朝5時。

生活の始まりを告げる穏やかな時間に不穏な事件が発生していた。

 

 

「おら!さっさと金を入れろ!」

 

 

コンビニで2人組の男がレジの金を狙って強盗をしていた。

手元でナイフをちらつかせており、抵抗すれば殺されてしまう。

従うしかなかった店員の男性はレジから金を引き出すと、カウンターに投げ渡されたカバンに詰めていく。

 

 

「こ、これで全部です……」

 

「へへっ……よし!ずらかるぞ!」

 

「おう!」

 

 

カバンを受け取った強盗は金がちゃんと入ってるか確認すると、仲間を連れて退散する。

──店長に何て説明すれば……。店員が悩んでいた矢先、空からやってきた赤と青の人影が出入口から出た強盗に迫る。

 

 

ピシュッ!

 

「おぉわッ!?」

 

バキッ!

 

「のわぁぁぁぁーーー!?」

 

「!?」

 

 

その人影は強盗の1人をウェブで近くの電柱に吊り上げ、もう1人の強盗には鉄拳を加えて壁に叩きつける。

突然の出来事に店員は驚いていると、出入口から強盗が盗んだ金が入ったカバンがカウンターに放り投げられる。

店員は赤と青の人影にお礼を告げようと外に出るが、すでに姿をくらましていた。

 

謎の人物がコンビニ強盗を倒した。このニュースは瞬く間に広がり、大きな話題となった。

彼の行動はこれだけにとどまらなかった。

 

ある日。街中で貴婦人漂うショルダーバッグを肩に背負っておばあさんが歩いていた。

すると──

 

 

「いただき!」

 

「あっ!?ひったくりよーーーーー!!」

 

 

後ろから突然バイクが迫りくると、操縦する男はおばあさんのショルダーバッグをひったくった。

おばあさんは周りに助けを求めて大声で叫ぶが、巻き込まれたくない皆は知らないふりを通そうとする。

誰も助けてくれない現実におばあさんは悲観する。

 

 

「へへっ、ちょろいも──おわッ!?」

 

 

ひったくり犯はヘルメットの下でほくそ笑むが、次の瞬間、前方に張り巡らされた巨大な蜘蛛の巣にバイクごと衝突する。

ひったくり犯は逃げようともがくが、蜘蛛の巣の粘着力の前にはビクともしない。バイクもくっついたままタイヤをクルクルと回しているばかりだ。

 

その間におばあさんの手元にショルダーバッグが空から戻ってくる。

誰がやったのか疑問に思っていると、ショルダーバッグの小物入れ用ポケットに名刺サイズの紙が入っていることに気付く。

 

 

「『あなたの親愛なる隣人 スパイダーマン』?」

 

 

おばあさんは紙に書かれている文字を読む。

スパイダーマンと名乗るマスクを被った謎の人物の活躍は暴漢に襲われている女性、かつあげされている男子中学生、ダンプカーに引かれそうになる老人の救助……多岐に渡っていった。

この自警活動はニュース、新聞、SNSといった情報媒体で大きく取り上げられた。

 

 

「見かけは蜘蛛だけど………あんな親切な人はいないわ」

 

「スパイダーマンは俺たち一般市民を守ってくれてんだ」

 

「怪しい人。事件なら警察に任せればいいのに……」

 

「法律違反のイカレた奴だ。俺は認めねぇ!」

 

 

テレビ番組では目撃者の街頭インタビューが連日のように流れていた。

彼を賞賛するものもいれば、逆に否定するものもいる。特に警察は彼を認める姿勢ではなかった。

世間の反応はまさに賛否両論だった。

 

 

ピシュッ!

 

 

そんな人々がいる街中をウェブスイングしながら飛び回る赤と青の人影。人影はオズコープタワーの屋上に設置されている鉄塔の側面に飛びつく。

東から差し込む朝日が全身を照らす。そこにいるのは、鋭い目つきの赤いマスクに、蜘蛛の巣が全身に張り巡らされ、胸元と背中には蜘蛛のシンボルマークがついている赤と青のヒーローだった。

その正体は(まなぶ)だ。あの夜の出来事から彼が決断したことは人々の希望────”ヒーロー”となることだった。

 

いつまでもくじけても叔父はもう帰ってこない。大いなる力を授かったからにはそれ相応の責任を負わなければならない。

深く理解した(まなぶ)は人助けのためのヒーローとして戦う道を選んだ。

それが叔父への贖罪と望みだと信じて……。

天海(あまかい) (まなぶ)は『スパイダーマン』となったのだ。

 

 

ピシュッ!

 

「フォォォォォーーーーーーーーッ!!!」

 

 

スパイダーマンはウェブを近くのビルに引っつけると、高揚感溢れる雄叫びを上げながら今日も空を飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「スパイダーマンは誰だ……?フンッ!犯罪者に決まってるだろう!自警団気取りのゴロツキ野郎だ!そいつが何で一面だッ!!」

 

 

スパイダーマンが自警活動を始めて一週間が経った頃。社員が慌ただしく働く新聞社『デイリー・ビューグル』の編集長──紫紋(しもん) 慈英(じえい)は社内の編集室で自社の新聞をデスクへ乱雑に置いて、ふんぞり返る。

デイリー・ビューグルはT市一番の新聞社で様々な情報をいち早く正確に伝えることで有名だ。アメリカ育ちの編集長による豪快な経営もあって、新聞社でのシェアはトップを維持している。

ギラギラとした目つきで自慢のひげをこすりながら不満を漏らす紫紋(しもん)に褐色の太った男──比呂(ひろ) 拓斗(たくと)副編集長は話す。

 

 

「話題の人物です。この前もビルの火災から14人も救い出しました」

 

「自分で火を放ったんだろう。その証拠に何かあるとすぐ現れ……見ろ!急いで現場から逃げてるじゃないか!」

 

「どこかで人を救うためですよ。彼は英雄です!」

 

 

新聞記事に写るブレブレのスパイダーマンの写真を指差しながら指摘する紫紋(しもん)に比呂は異を唱える。

もちろんだが、スパイダーマンこと(まなぶ)は火を放っていない。

それに対して紫紋(しもん)は言う。

 

 

「じゃあ、マスクは何だ?何故、顔を隠す?奴が善人だと言うのなら、堂々と顔を見せればいいじゃないか!」

 

「編集長。彼にもきっと事情があるんですよ」

 

「事情ってのは悪巧みのことか?きっと自作自演をしているに違いない。顔を隠しているのが何よりの証拠だ!覆面をつけている奴は信用ならん!」

 

 

憎々しげに言い放った紫紋(しもん)は気分転換のためにタバコを吸おうとする。

タバコを口に咥え、ライターで火をつけようとすると──

 

 

「編集長。ここは禁煙です」

 

「~~ッ!日本はどこもかしこも禁煙ばかりでろくに吸えんッ!!」

 

 

秘書の細田(ほそだ) 由紀子(ゆきこ) に言われ、紫紋(しもん)は喫煙者に対する現状を嘆きながらタバコをボックスにしまう。

苛立つ紫紋(しもん)に比呂は彼が読んでいた新聞片手に報告する。

 

 

「ですが、編集長。この新聞、()()()()で4回増刷したんですよ?」

 

「……ッ、売り切れ?」

 

1()()()()()()に……。ネットニュースも大繁盛。見逃すには惜しい存在です」

 

 

比呂は耳を止めた紫紋(しもん)に提案する。

スクープのこともあるが、何よりスパイダーマンのことに興味を持ってもらおうと。

それを聞いた紫紋(しもん)の行動は早かった。

 

 

「明日の朝の一面は写真入りのスパイダーマンで行こう!ネットニュースの方もだ!」

 

 

──読者の関心がスパイダーマンに向いているのならそれに応じるのが記者だ。

スパイダーマンのことは気に入らなくても、紫紋(しもん)のジャーナリズムと経営者としての信念が彼を強く後押しした。

やる気に満ちている紫紋(しもん)だが、比呂は困った顔を浮かべながら言う。

 

 

「ところが写真は1枚も無いんです。この1週間、どのカメラマンも街中を駆けずり回っているんですが………」

 

「ほぉう……?シャイなのか。すると、あれか?Tバックの眉八(まゆはち) 黒尾(くろお)は撮れて、そいつは撮れないということか!……一面に広告を打て!『スパイダーマンの写真買います!』………顔を売りたくないのなら、俺がその顔潰してやる!!」

 

 

窓から外の景色を眺めながら、スパイダーマンと報道を使って戦うことを宣言する紫紋(しもん)

敵意を向ける彼の姿に比呂と細田は目を丸くしながら顔を見合わせるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃、(まなぶ)は旭高校に登校していた。

下駄箱で上履きに履き替え、教室に向かって歩いていた。

廊下ではいつものように行き交う生徒たちが和気あいあいと雑談していた。

 

 

「なぁ、知ってるか?スパイダーマンのこと!」

 

「知ってる、知ってる!」

 

「今朝も車上荒らしを捕まえたんだろ?凄いよな~……」

 

 

色々な話題が飛び交うが、ここ最近の話題は世間と同じく、スパイダーマンのことばかりだった。

学生である彼らもテレビやSNSを通して知っており、スパイダーマンのニュースは1週間、Twitterのトレンド1位を独占している。

どこにいっても自分の活躍する話が聞こえ、(まなぶ)は内心ウキウキしていた。

だけど、有頂天にならない。あくまでそっと微笑む程度だ。

 

 

「スパイダーマンの素顔ってどんななんだろ?」

 

「きっとイケメンよ!レオナルド・ディカプリオ似だったりして!」

 

「ジェイク・ギレンホールに似てるかも!」

 

「(その正体はすぐ近くにいるけどね)」

 

 

廊下の端でたむろしている3人組の女子の会話を聞いて、(まなぶ)は心の中で答える。

──スパイダーマンの正体が自分だと知ったら彼女たちはどんな反応を見せるだろうか?

気になりはするが、自分の正体を明かすわけにはいかない。富や名声を得るために戦っているのではなく、純粋に人助けのために戦っているのだと(まなぶ)は改めて思う。

 

 

「おはよう、(まなぶ)

 

「あ、涼介。おはよう」

 

 

そんなことを思っていると、階段を上がった先で涼介と出会う。リュックを背負っていないことから、早く登校してきたことがわかる。

涼介と(まなぶ)は挨拶を交わすと、並んで歩き始める。涼介は別のクラスだが、教室の前までついていってくれるようだ。

明るい表情を浮かべていた涼介だが、一変して気まずそうな表情でそっと尋ねる。

 

 

「その……もう、平気か?叔父さんのこと」

 

「大丈夫だよ。もう立ち直った。いつまでも引きずってちゃ、叔父さんに怒られるからね」

 

「そうか……俺も母を亡くした。辛いときはいつでも力になる」

 

「ありがとう、涼介」

 

 

親友の気遣いに(まなぶ)は微笑みながら感謝を告げる。

涼介は幼い頃から(つとむ)と親交があり、もう1人の父親として慕っていた。辛い気持ちは痛いほどわかるだろう。

葬式にも父親共々顔を出してくれて、(まなぶ)を励ましてくれた。

友人関係に恵まれていると改めて実感した(まなぶ)は暖かく感じた。

 

しばらくして教室の前につき、涼介と別れた(まなぶ)は『2年1組』に入る。

教室内はいつも通りの光景で、友達と喋っていたり、静かに自習している者がいる。

 

 

「あ、おい……」

 

「?」

 

 

自分の席に座り、リュックから教材を取り出していると、前から昂輝が話しかけてくる。

その様子はいつものガキ大将っぷりは鳴りを潜め、どこか話しかけにくそうだった。

疑問に思った(まなぶ)は次の言葉を待っていると、口を開く。

 

 

「……叔父さんのこと、残念だったな。その………何だ………?元気だせよ」

 

「ッ!?」

 

 

昂輝から出た気遣いの言葉に(まなぶ)は目を丸くする。

普段の彼の態度からは想像がつかない”相手を思いやる”という行動に、嘘じゃないかと一瞬疑った。

しかし、彼は気分は顔に出るタイプだ。物悲しそうな表情をしていることから、本心で言っていることは間違いない。

 

 

「ありがとう昂輝。僕は平気。でも、周りに聞かれても大丈夫?キャラに合ってないよ?」

 

「~~ッ!?馬鹿!勘違いするなよ!これはお前の叔母さんへの伝言だ!お前のことは嫌いだけど、叔父さんも叔母さんも良い人だ!ぜーーーたいッ、勘違いすんなよ!!フンッ!」

 

 

(まなぶ)のからかいを含めた感謝を受けた昂輝は顔を真っ赤にしてそう言い放つと、回れ右して自分の席へと向かっていった。

 

 

「(良かった。昂輝がしんみりするなんてのは似合ってない………。でも、あいつも案外悪い奴じゃないかもな……)」

 

 

元の調子に戻った昂輝を見て(まなぶ)は安堵する。

昂輝をからかった理由は落ち込んでほしくなく、いつも通りの彼になってほしかったからだ。

ちょっと不親切にしてしまったかと思うが、この方が彼には効き目があるだろう。

こうやって気遣ってくれる意外な一面に遭遇した(まなぶ)は、思ってたより悪い奴じゃないかもしれない。

そんなことを考えていると、次は五月(いつき)がやってくる。

 

 

「おはようございます。天海(あまかい)君」

 

「あ!やあ、おはよう……」

 

 

憧れの人に挨拶をされて言葉が詰まりそうになりながらもぎこちない笑顔で挨拶を返す(まなぶ)

変わらぬ美しさに(まなぶ)はときめいていると、彼女は心配そうな面持ちで尋ねる。

 

 

「あの、盗み聞きするつもりはなかったのですが……先程、叔父さまを亡くしたとか………」

 

「ああ、そうだよ。でも、気にしなくていいよ。もう過ぎたことだし………」

 

「そうですか……わかりました」

 

 

(まなぶ)は微笑みながら言うと、五月(いつき)は納得して頷く。

彼女も心配しに来てくれたようだが、この様子だと他にも言いたいことがあるようだ。

(まなぶ)は少し待つと、五月(いつき)は口を開く。

 

 

「……天海(あまかい)君。お昼休みに屋上に来てくれませんか?あなたに大事な話があります」

 

「え?」

 

 

突然のお誘いに(まなぶ)は固まる。屋上に来てほしい。

誰もいない場所で男女2人きりでする大事な話………それは”告白”。

漫画やアニメしかないシチュエーションかと思っていたが、まさか自分が体験することになるとは。

──僕にもついに春が来たか!と今の季節は秋ながらも妄想に浸っていると、中々返事が返ってこない(まなぶ)に疑問に思った五月(いつき)は首を傾げて尋ねる。

 

 

「あの……?他にご予定が?」

 

「あっ!いや、大丈夫!すぐに」

 

「良かったです。では、お昼に屋上でお待ちしてますね!」

 

 

了承を得た五月(いつき)はニコッと微笑むと、自分の席へと帰っていった。

 

 

「(笑顔もやっぱり素敵だ……)」

 

 

五月(いつき)の満面の笑みを間近で見た(まなぶ)は頬を緩ませる。写真に収めたいくらいだ。

その後、HRで担任の先生が色々と話すが、(まなぶ)五月(いつき)に誘われたことで頭がいっぱいだった。

とにかく、早く昼休みが来ることを待ち望んだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、昼休み。多くの生徒が食堂へ向かう中、(まなぶ)は屋上へと向かっていた。

待ちに待った時間だけあり、その足は軽やかだった。

 

 

「(何て言われるんだろう?『好きです』なんて言われたら僕は………!)」

 

 

告白のシチュエーションを妄想する(まなぶ)は頬を赤らめ、自然とニヤニヤする。

五月(いつき)とはまだ会って一週間くらいしか経っていないが、女の子に呼び出されるなんて期待しないわけがないだろう。

期待を膨らませながら屋上に着くと、彼女はすでにそこにいた。

 

 

「………やあ、話って何?」

 

 

深呼吸して気持ちを落ち着かせてから話しかける。できるだけ平穏を装って。

思っていたことを膨らませていると、期待が外れたときにかえって失望感が大きくなるので、期待半の心構えで臨む。

(まなぶ)の尋ねに対して、五月(いつき)は答える。

 

 

「はい。実は、私たちの”家庭教師”をお願いしたいのです」

 

「ん?家庭教師?」

 

 

同級生同士の会話としては聞き慣れない単語に(まなぶ)の頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。

告白じゃないことに若干残念がりながらも、事情を聞くことにした。

 

 

「私たちは今、父が依頼した家庭教師………上杉(うえすぎ)君に勉強を教えてもらっています」

 

「上杉って、あの上杉 風太郎(ふうたろう)?」

 

「はい………ですが、彼酷いんですよ!?勉強できることは尊敬しますけど、性格が酷くて!100点の答案用紙を見せびらかしたり、私が個人的に勉強を教えてくださいと頼んだときは断ったのにお金絡みのこととなると掌を返してズカズカと偉そうに!おまけに………ふ、太るぞって………ッ!!」

 

「そ、そうなのか……」

 

 

恨めしそうに話す五月(いつき)を見て、(まなぶ)は風太郎の悪評に引いた。

風太郎とは同じクラスで、定期テストではいつも(まなぶ)と同じ1位だ。

彼とは1年生のときに話したことはあるが、自分の才能で相手を見下している姿勢に抵抗感があり、それ以来話していない。

悪評は周りから散々耳にするが、優しそうな彼女がここまで言うのだから、相当に酷いのだろう。

五月(いつき)は言葉を失っている(まなぶ)を見て息を整えると、話を続ける。

 

 

「そこで、私は父に家庭教師を変えてもらおうと相談しました。同級生の方からあなたは勉強が得意で、上杉君と同じ学年1位……しかも彼以上に頭が良いかもしれないと聞きましたから。……家庭教師を変えることは反対されました。不服ですが。その代わりに家庭教師を増やすことを提案されました」

 

「はぁ……」

 

「私から話せることはここまでです。詳しいことは父から聞いてください」

 

 

ハイテンポに説明されて圧巻されながらも(まなぶ)五月(いつき)のスマホを受け取る。

すでに通話状態になっており、いつでも話せる状態だった。

通話相手が好きな女の子の父親とあり、緊張する(まなぶ)は恐る恐る電話越しの相手に話しかける。

 

 

「変わりました。天海(あまかい)です」

 

天海(あまかい) (まなぶ)君だね?》

 

「そうです」

 

《僕は中野 マルオ。彼女ら五つ子の父親だ。君のことは五月(いつき)君から聞いているよ。失礼ながら色々と調べさせてもらったが、中々優秀だそうだね。定期試験では1位をキープ、全国共通模試でも1位を独占している。あと、科学については抜群の才能があると……実に素晴らしい》

 

「はい……」

 

 

電話越しのマルオに賞賛されているにも関わらず、何故か(まなぶ)は嬉しい気持ちにはならなかった。

電話から聞こえるマルオは言葉こそ良いものの、声は全く人情味を感じず、まるで機械が喋っているように感じた。それにどこか自分の娘を他人行儀にしてる気がしてならなかった。

不安な(まなぶ)の心中を無視して、マルオは淡々と話し続ける。

 

 

《上杉君に頼んでいるが、5人相手では中々回らず手を焼いていると思う。そこでだ。是非、君には上杉君と協力し、娘たち全員を卒業まで導いてやってほしい》

 

「卒業まで?」

 

《ああ。彼女たちは学力の方は自信がなくてね、高校生活を最後まで過ごせない可能性が非常に高い。せめて高校は卒業してほしい、というのが僕の願い……その手助けをしてほしい。なに、報酬は払う。1人につき5000円───5人を教えるから1日25000円。週3~4日のシフトだから、月に約30万だ。どうかね?》

 

 

マルオに問われた(まなぶ)は今朝、家を出る前を思い出す。

リビングでは叔母である(みこと)が預金通帳の残高を見て頭を抱えているのを思い出した。

元々そんなに裕福ではなかったが、働き手である叔父の(つとむ)が亡くなって以降、収入は全く無くなってしまった。

(みこと)が稼ごうにも、彼女はパートで働けるほどの体と年齢ではない。本人は心配しないでと笑って誤魔化してたが、(まなぶ)にはそれが嘘だとわかっていた。

置かれている状況も考えると、断るという選択肢は彼にはなかった。

それに──

 

 

「(彼女の近くにいれるから……)」

 

 

(まなぶ)はこちらの様子を伺う五月(いつき)の顔をチラリと見る。

上杉 風太郎という嫌な奴がオマケでついてくるが、好きな女の子と親しくなれる可能性がある。

五月(いつき)と仲良くなりながらお金を稼げる最高の環境を逃すはずはない。

 

 

「わかりました。その話、お引き受けします」

 

《そうか、感謝するよ。さっそくだが、今日から取り掛かってくれ。顔合わせも併せて……。君のことは十分に期待しているよ。それでは失礼する》

 

 

承諾を受け取ったマルオはそう告げると、通話を切った。

(まなぶ)は急だなと少し不満を抱くが、すぐに五月(いつき)の家にお邪魔できる嬉しさでいっぱいになった。

(まなぶ)はスマホを五月(いつき)に返す。

 

 

「携帯ありがとう」

 

「いえ………それで家庭教師の件は?」

 

「ああ、やるよ?困ってるのに断るなんてできないからね」

 

「本当ですか!?ありがとうございます!」

 

 

その返事を聞き、五月(いつき)はペコリとお辞儀する。

(まなぶ)が家庭教師についてくれるのが余程嬉しいのか、今までで一番の笑顔だった。

少しは信頼できる人が傍についてくれることは彼女にとって大きなプラスだ。

(まなぶ)は尋ねる。

 

 

「……えーとっ、五月(いつき)って呼んでいいかな?中野だと被っちゃうから」

 

「構いませんよ」

 

「よし……五月(いつき)。よろしくね」

 

「よろしくお願いします!天海(あまかい)君!」

 

 

(まなぶ)を右手を差し出すと、五月(いつき)は笑顔でその手を取って握手する。

細くて白い手が触れて(まなぶ)は胸がドキッとするが、平静を装う。

食堂以来、改めて挨拶を交わした2人だったが……

 

 

ぐうぅ~~~……

 

 

と唐突に大きな空腹音が鳴る。(まなぶ)は自分かと思ったが、特段空腹でない彼からは出るはずはない。

まさかと思って五月(いつき)の方を見ると、彼女は恥ずかしそうに真っ赤になった顔を俯かせていた。

この様子から空腹音の音源は五月(いつき)の腹から出たものだとは明白だった。

 

 

「お昼だし、まずは何か食べよう?」

 

「は、はい………」

 

 

(まなぶ)の提案に五月(いつき)は顔を真っ赤にしたまま頷くと、2人は食堂へと向かっていった。

この後、(まなぶ)は彼女のボリューミーな食事にまたまた驚かされるのはまた別の話だ………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後。(まなぶ)五月(いつき)と共に彼女ら五つ子が住まうマンションへと足を運んでいた。

 

 

「高いなーー……」

 

 

(まなぶ)は前方にそびえ立つ高層マンションを見上げていた。

黒薔薇女子校に通っていた経歴、1日25000円ものアルバイト料を考えれば、富裕層であることはわかっていたが予想を遥かに超えている規模に頭が痛くなる。

流石にオズコープタワーほどではないがそれでもかなりの高さで、月に150万円以上はするだろう。

 

 

天海(あまかい)君。早く」

 

「ッ、五月(いつき)。待って」

 

 

先にエレベーターに乗り込んだ五月(いつき)に呼ばれてハッと意識を戻した(まなぶ)は急いで駆け込む。

エレベーターは途中で乗り降りしてくる人もいて止まったりしたが、25階を過ぎてからは2人っきりとなり、あっという間に彼女たちが住む部屋がある最上階──30階へと到着した。

 

五月(いつき)は自宅の扉を開け、(まなぶ)を中に招く。

連れられた(まなぶ)は奥に進んでいくと、リビングにつく。リビングは清潔感がありながらも広々としており、窓際一面がガラス張りでできており、町の景色を一望できる。

親友の涼介の家と似た、いかにも金持ちが住んでいる内装だなと(まなぶ)が思っていると、2階の階段から5組の男女がリビングへ降りてくる。

顔が瓜二つの4人の女子を、目つきが悪い男子が後ろから追うような構図だ。

目つきが悪い男子──上杉 風太郎は催促させる。

 

 

「ほらほら、休憩終わりだ。さっさと始めるぞ」

 

「えー!もう休憩終わり?フータロー君、もうちょっといいんじゃない?」

 

「何が『もうちょっといいんじゃない?』だ!10分間休憩だっつってるのに、お前ら1()()()()()()()()じゃねぇかッ!少しは甘めに見てやろうと思ってたら、これだ!充分休んだろ!!」

 

「ケチー」

 

「あーやだやだ。もう少し静かにするってこと学んでほしいわね」

 

 

ショートヘアーの女子の言い分に風太郎は青筋を立てて拒否する。受け入れてもらえなかったショートヘアーの女子は子供っぽく愚痴り、横にいたロングヘアーの女子はうるさそうに毒を吐く。

困り果てている風太郎を見て、(まなぶ)は悪評通りに滅茶苦茶な指導をしているのではないかという自分の考えが間違っていたことに気付く。

風太郎は相変わらず口が悪いが、それよりも生徒である彼女たちの積極的ではない態度が気にかかった。

 

 

「ただいま帰りました」

 

「あ、おかえりー」

 

「おかえり、五月(いつき)……」

 

 

五月(いつき)の帰ってきた声にウサ耳みたいな黄緑色のリボンをした女子とヘッドホンを首にかけ、目元まで髪を下した女子が出迎える。

一方、(まなぶ)は4人の姉妹を見て、髪型こそ違うが本当に五月(いつき)と顔がそっくりだとしみじみ思っていた。廊下などですれ違ったことが何度かあるが、こう4人揃うと一卵性の五つ子なんだと思い知らされる。髪型を一緒にでもされたら、誰が誰なのかわかる自信はない。

 

五月(いつき)の隣にいる(まなぶ)が気になったロングヘアーの女子は指を指して尋ねる。

 

 

五月(いつき)。誰よ、そいつ?もしかして、その男が2人目の家庭教師ってんじゃないでしょうね?」

 

「はい。その通りですよ。彼も私たちの家庭教師をして下さるんです」

 

『えっ!?』

 

 

その疑問にさらっと答える五月(いつき)に4姉妹と風太郎は驚きの声をもらす。

もっとも、4姉妹は想像していたのと違う反応で、風太郎は不安からくる反応だった。

風太郎は冷や汗をかきながら五月(いつき)に問う。

 

 

「待て待て五月(いつき)、聞いてないぞ?新しくきたってことは、つまり、俺は………”クビ”ってことなのか?」

 

「ご安心ください。父はあなたを解雇するつもりはありません。アルバイト料もこれまでですし、2人で協力するという条件だけ増えただけです。私としては本っ当に不服ですけど………

 

「聞こえてるぞ」

 

 

五月(いつき)が最後の方にボソッともらした不満を風太郎は聞き逃さなかった。

人は自分の悪口ほど敏感になるというものである。

とりあえず風太郎がひと安心したところで、(まなぶ)は自己紹介する。

 

 

「……ど、どうも始めまして。天海(あまかい) (まなぶ)です。今日から家庭教師のアルバイトをさせて頂くことになりました。よろしくお願いします………」

 

『………』

 

 

ぎこちない笑顔で自己紹介をするが、姉妹たちの反応は薄かった。居心地の悪い空気に(まなぶ)は上げている口角をひくひくさせる。

場の悪い空気を察した五月(いつき)は慌て、気分を紛らわそうと姉妹を紹介する。

 

 

「あっ、天海(あまかい)君!私の姉たちを紹介しますね!向かって右から順に長女の一花(いちか)、次女の二乃(にの)、三女の三玖(みく)、そして四女の四葉(よつば)です」

 

 

末の妹から紹介を受けた4姉妹は少しは信頼したのか、それぞれ異なった反応を(まなぶ)に見せる。

一花(いちか)は興味深く品定めするようにジロジロと見て、二乃(にの)は警戒心が強いのか半目で睨め付け、三玖(みく)は興味があるようでないような顔を浮かべており、四葉(よつば)は笑顔で手をひらひらと返してくれる。

この反応から同じ顔でも性格が違うことが(まなぶ)にはわかった。

自己紹介も終わり、これからどうしようかと考えていると、四葉(よつば)は元気そうに挙手して質問する。

 

 

「あまかいさん!あまかいさんってどういう字なんですか?」

 

「え?えーーっと、君は四葉(よつば)でいいよね?」

 

「はい!」

 

「うん。僕の苗字は天の海って書いて、天海(あまかい)だよ」

 

「へー……凄い名前ですね!この辺りじゃあまり見ないです」

 

「ははっ、そうだね。君の妹にも同じこと言われたよ」

 

 

フレンドリーな四葉(よつば)との会話に先程まで固い表情をしていた(まなぶ)もにっこりと笑う。

元気でとっつきやすそうな雰囲気に(まなぶ)五月(いつき)の他に、この()とも仲良くできそうと希望を持つ。

そうしていると、次は一花(いちか)の手が上がる。

 

 

「マナブ君。お姉さんからも質問いいかなー?」

 

「いいよ?どうぞ?」

 

五月(いつき)ちゃんとは()()()()()()かな?」

 

「……ん?」

 

 

質問の意図がわからず、思わず訊き返す(まなぶ)

どういう関係と訊かれた(まなぶ)の頭の中では2つの意味が浮かんでいる。

どっちなんだと首を傾げる(まなぶ)一花(いちか)はもう一度問う。

 

 

五月(いつき)ちゃんとはどういう関係かなって。ほら、さっき一緒に入ってきたし、やけに親しそうだったから。お姉さんの直感だけど、もしかしたらもう、()()()()()()だったりして……?」

 

「……」

 

 

小悪魔な笑みを浮かべながら尋ねる一花(いちか)を見て、(まなぶ)はやっぱりかと納得する。

男女間でのそういう関係。1つは友達関係。もう1つは恋人関係だ。

小学生で男女が仲良くするとはやし立てるアレと同じだ。

一花(いちか)の反応から明らかに後者であることは(まなぶ)にはわかっていた。

 

 

「そ、そういう関係?天海(あまかい)君。どういう意味です?」

 

 

反対に五月(いつき)は何のことかさっぱりといった感じだった。

それはとぼけているのでなく、本当に意味がわかっていない様子で、質問するぐらいだ。

意外な鈍感っぷりに(まなぶ)は内心可愛いと思いながらも、冷静に答える。

 

 

「いや、彼女とはただの友達だよ。同じクラスだからね。アルバイトも彼女の電話を借りて引き受けたんだ」

 

「そうかそうか。でも、本当に()()()友達?」

 

「そうだよ?」

 

「ふーん……そっか」

 

 

それを聞いて一花(いちか)はうんうんと頷く。

しかし、返答が期待通りじゃなかったのか少しつまらなそうだった。

 

一花(いちか)のからかいをかわした(まなぶ)は疑問符を浮かべる五月(いつき)に何でもないと首を横に振っていると、こちらに向けられる鋭く冷たい視線を感じる。

視線が気になり、顔を向けると、二乃(にの)が無言で怪訝そうな目を向けていた。

(まなぶ)は困り顔で訊く。

 

 

「えーとっ………何?気に障ることでもしたかな?」

 

「別に。新しい家庭教師がくるって言うから期待してたけど、あんたみたいなダサい奴でガッカリしてるのよ………。上杉だけでもキツイのにこんなオタクがきたんじゃ、ますますモチベーションが下がっちゃうわ……」

 

「オ、オタクって………」

 

 

二乃(にの)の容赦ない苦言に(まなぶ)は苦い顔を浮かべる。

別人とはいえ、五月(いつき)と同じ顔で言われたんじゃ、まるで彼女本人に言われているみたいで気分が悪い。

この暴言とも言える発言に五月(いつき)は反論する。

 

 

二乃(にの)!流石に言い過ぎじゃないですか!?彼はまだ何もしていないのに……」

 

「何よ、五月(いつき)。あんた、上杉には駄目で、こいつのことは信用するっての!?弱みでも握られたの!?」

 

「違います!確かに上杉君は最低で人としての暖かさは微塵もないですが、天海(あまかい)君は親切で信用できます!食堂で転びそうになった私を助けてくれました」

 

「おい、さらっと俺の悪口言っただろ」

 

 

風太郎がツッコミを入れるが五月(いつき)は無視する。

五月(いつき)の言い分に二乃(にの)はさらに反論する。

 

 

 

「たった一回の恩だけで信用するなんて、見る目がないんじゃない?そんなんだからいつまでも瘦せないのよ!この、肉まんおばけ!」

 

「に、肉ま………!あなただって人のこと言えないじゃないですか!好みのタイプは全部顔でしか判断していないじゃないですか!大事な性格は考えず!二乃(にの)こそ見る目がありませんよ!」

 

「言ってくれるわね……!三段腹予備軍のくせに!」

 

「むぅ~~!もう許しません……!」

 

 

言い争った二乃(にの)五月(いつき)は頬を膨らませると、バチバチと火花を散らすように睨みあう。

今にも喧嘩しそうな2人を一花(いちか)四葉(よつば)がまあまあと宥めている中、呆然と見ていた(まなぶ)の袖がくいくいと引っ張られる。

(まなぶ)は振り向くと、袖を引っ張る正体は三玖(みく)だった。

 

 

「どうしたの?」

 

「マナブにいいこと教えてあげる……。二乃(にの)は面食い、好みのイケメン俳優をとっかえひっかえしてる………。ちなみに、今はアンドリュー・ガーフィールドが好み」

 

三玖(みく)!あんた、余計な情報を教えるんじゃないわよ!」

 

 

三玖(みく)の話に聞き耳を立ててたのか、二乃(にの)の声が飛ぶ。

姉妹のわちゃわちゃと言い争うさまに(まなぶ)は苦笑していると、風太郎が話しかけてくる。

 

 

「なあ、その……よろしくな?」

 

「ああ、よろしく。君、大変だったんだね……」

 

「まあな。勉強しようとしたら逃げられるわ、暴言を吐かれるわ、睡眠薬を盛られるわ………。お前も注意しておいた方がいい。特に二乃(にの)にはな」

 

 

遠くを眺めながら忠告してくる風太郎を見て、(まなぶ)は同情する。

確かに彼の性格は褒められるものではないが、個性が強い彼女たちの扱いには苦労しているようだ。特に睡眠薬を盛るだなんてやりすぎだ。

──これは一筋縄ではいかないな、と(まなぶ)が思っていると、風太郎は手を叩く。

その音に姉妹たちは静かになる。

 

 

「そこまでだ。ただでさえ予定より遅れているんだ。昨日や一昨日の分も含めて勉強するぞ」

 

 

そう言って風太郎はさっそく勉強を始めようとするが………

 

 

「あ、ごめん!バイトがあるんだー」

 

「私もバスケ部のお手伝いがあるの忘れてましたー!」

 

「パス。友達と遊ぶから」

 

 

一花(いちか)四葉(よつば)は申し訳なさそうに、二乃(にの)は純粋に興味がなさそうに上手く断ると、3人は逃げるように外へと出ていった。

残された姉妹は三玖(みく)五月(いつき)だけだった。

(まなぶ)は苦い顔をしながら、心配そうに風太郎へ声をかける。

 

 

「大丈夫……?」

 

「大丈夫、大丈夫。もう慣れた。あははは……」

 

 

そう言って笑う風太郎だが、目は死んだように全く笑っていなかった。

家庭教師初日にして(まなぶ)は不安で頭が痛くなる。

 

 

「(勉強を教える前に、”勉強嫌い”を治さないと……)」

 

 

(まなぶ)は姉妹たちの勉強に対する拒絶反応を見て、根本を解決しなければいけないと思った。

勉強を教えるのは簡単だが、勉強嫌いを治すとなると難易度は変わる。精神的な面での教育をしなければならないとわかった(まなぶ)はこの話を受けて、後悔すら覚えた。

 

しかし、だからといって(まなぶ)はこのアルバイトを辞めるわけにはいかなかった。それも全て叔母である(みこと)のためだ。

いつも苦労をかけている(みこと)への恩返しできる絶好の機会だ。ここで大金を得るチャンスを逃せば次はいつくるかわからない。

生活費や自分の学費のためにも、ここで諦めるわけにはいかない。

(まなぶ)三玖(みく)五月(いつき)に向き──

 

 

「………とりあえず、君たちだけでも勉強しない?」

 

「御意……」

 

「そうですね」

 

 

提案を促すと、承諾した三玖(みく)五月(いつき)は勉強にとりかかることに。

風太郎は三玖(みく)(まなぶ)五月(いつき)の勉強を見ることに。

最初は風太郎と(まなぶ)が一緒に2人の勉強を見ようとしていたが、五月(いつき)が「彼からは教えを乞いません」と風太郎の指導を拒否したため、1人ずつ教えることになった。

ちなみに三玖(みく)には数学、五月(いつき)には英語を教えていた。

 

 

「(眼鏡かけるんだ……)」

 

 

勉強の最中、(まなぶ)はノートに向かって英単語を書いている五月(いつき)が眼鏡をかけていることに気付く。

(まなぶ)も1週間くらい前までは眼鏡をかけていた。蜘蛛の能力を手に入れてからは視力が上がり、かけなくなったが、彼女も眼鏡をかけるとは。

意外な共通点に(まなぶ)は少し嬉しくなっていると、五月(いつき)は教科書に書かれている英文を指指しながら質問する。

 

 

天海(あまかい)君。この、『Go get'em tiger』とは?虎、捕まえてきなさいって意味ですか?」

 

「あー、それね。違うよ。『Go get'em tiger』は変わった言い回しで、”やっつけちゃって”とか、”頑張って”っていう励ましの意味があるんだよ」

 

「なるほど……そうなんですね!ありがとうございます!」

 

 

(まなぶ)の説明を受けた五月(いつき)はすぐにその意味をノートへ書き込む。

不安を感じていた(まなぶ)だが、彼女の勤勉な姿勢を見て、少し荷の肩が軽くなったような気がした。

 

こうして、(まなぶ)は個性豊かな五つ子たちとの家庭教師を務めることになった。

この出会いがまた自分の運命を大きく動かすことになるとは、このときの(まなぶ)は知るよしもなかった……。

 

 




◆イースター・エッグ◆
①レオナルド・ディカプリオ
 ピーター・パーカー/スパイダーマン役の候補だったというネタ。
 スパイダーマンの映画計画は映像化権と共に様々な映像会社の手に渡っていった。
カロルコ・ピクチャーズに渡った際、ジェームズ・キャメロン監督がメガホンを取る予定だった。そのときの主役として指名されたのが、レオナルド・ディカプリオ。
トビー・マグワイアとは子役時代からの親友でもある。
 権利がソニー・ピクチャーズに移り、サム・ライミ版でもレオナルドに主役をやってもらおうとしていたが、彼は申し訳なく思いながらも拒否。レオナルドがサム・ライミ監督に紹介したのが、トビーである。
 サム・ライミ監督は「サイダーハウス・ルール」(1999)という映画で笑顔ながらも哀愁漂う演技がピーター・パーカー/スパイダーマンにふさわしいと考え、彼にオファーを送ったという。

②ジェイク・ギレンホール
 彼もレオナルドと同じく、スパイダーマン役の候補だったというネタ。
 トビー・マグワイアはサム・ライミ版「スパイダーマン」(2002)の翌年の「シー・ビスケット」(2003)という映画で乗馬の際に腰を痛めた。その際にスター病にかかったのではないのかというありもしない噂が広まり、これを受けたソニー・ピクチャーズは制作中だった「スパイダーマン2」(2004)からトビーを降板させ、ジェイク・ギレンホールを主役に据えようとした。
 これを聞いたトビーのエージェント、さらには「シー・ビスケット」の制作会社の社長がトビーを主役から降ろさないように説得して承諾。トビーは腰の治療を終え、無事に撮影へ挑んだ。
 なお、ジェイク・ギレンホールは「スパイダーマン ファー・フロム・ホーム」(2019)にてヒーローになり替わろうと企むヴィラン──ミステリオ役を演じた。

③アンドリュー・ガーフィールド
 マーク・ウェブ監督の「アメイジング・スパイダーマン」シリーズにて、主人公であるピーター・パーカー/スパイダーマンを演じた俳優。彼は幼い頃からスパイダーマンのファンで、ハロウィンで仮装したり、コミコンでコスプレするほど。トビー・マグワイアのスパイダーマンをみたときは感動したという。
 当時はサム・ライミ版が終わってから間もない頃もあり、ピーター・パーカー=トビー・マグワイアのイメージがついていたため、トビーのピーターと比べて明るめでイケメンすぎる彼は多くのファンに批判された。
 しかし、スーツを着たときの彼のシルエットは原作のスパイダーマンそのもので、それに関してはファンからは高評価を受け、『最高のスパイダーマン』と今なお評されている。

④『Go get'em tiger』
 意味は「やっつけちゃって」という明るめの言葉。tigerは虎の他に強い人、親愛なる人のことを指し、虎は負けそうになってもあきらめずに最後まで獲物を得るまで戦い続けることに起因する。
 原作のMJはピーターを励ます際の口癖としてtigerと呼ぶ。この台詞はサム・ライミ版「スパイダーマン2」(2004)にて、MJがピーターを見送る際に使われた。「スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム」(2021)でもベティ・ブラントがこの台詞を発している。
 ちなみにMCU版のベティ・ブラントの日本語吹き替えと五月(いつき)の声優は同じ水瀬いのり氏が担当している。



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#3 前途多難

 

 

「───でね、家庭教師のアルバイトをすることになったんだ」

 

「あら、そう。良かったわね~」

 

 

家庭教師初日を終えた夜。夕食を摂りながら、(まなぶ)は叔母の(みこと)五月(いつき)たちの家庭教師をすることについて話していた。

姉妹たちが中々素直になってくれていないことは伏せているが、それ以外のことは全て話した。

楽しそうに話す(まなぶ)を見て、(みこと)の頬は緩む。

 

 

「月30万円も入るんだ!叔母さん、お金に困ってただろ?これで何もかも解決だ!」

 

「ありがとう、(まなぶ)。本当は私がしないといけないことなのに……」

 

「何言ってるの叔母さん。僕は役に立ちたいんだ。ほんの少し早い親孝行だと思ってさぁ……」

 

「わかった。そう言うのなら、これ以上は何も言いません。でも、無茶だけはしちゃ駄目。それとアルバイト料の1割はお前が貰うこと。これだけは約束して」

 

「わかったよ、(みこと)叔母さん。でも、僕のお金のことは心配しないで……」

 

 

(みこと)に言いつけられた(まなぶ)は笑顔で約束を交わす。

しっかりと責任を果たそうとする姿を見て、(みこと)には(まなぶ)がちょっとばかり背が伸びたように感じた。

 

 

「(────とは言ったものの、ちょっとだけでもお金が欲しいところ……)」

 

 

しかし、(まなぶ)は笑顔とは裏腹に少し不安だった。

心配するなとは言ったものの、本当は全くといって余裕がなかったのだ。

財布の中にある金額は『2099円』と、育ち盛りの高校生の一ヶ月分のポケットマネーとしては心許ない。2週間後の給料日まではとても待ちきれそうにない。

夕飯を食べ終え、どうしようかと迷っていると、テーブルに置いてある『デイリー・ビューグル』の新聞の一面に目が留まった。

 

 

「(『スパイダーマンの写真求む!』……?)」

 

 

一面を覆いつくすほど堂々と打たれた広告。それはスパイダーマンの写真を提供するカメラマンの求人だった。

金額は撮れた質と量で決まるが、T市一の新聞社の『デイリー・ビューグル』だ。高く買い取ってもらえるだろう。

それにスパイダーマンは(まなぶ)自身である。写真は撮り放題。自警活動をしながらお小遣いも稼げる……一石二鳥だ。

やってみようと決めた(まなぶ)はさっそく、準備に取り掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっと。動くんじゃねぇ……。頭がポップコーンみたいに弾けるぞ」

 

「うぅ……!」

 

 

その夜。一台の現金輸送車が銃を武装した6人組の強盗集団の襲撃を受けた。

リーダー格の男は銃をこめかみに突き付けながらドライバーを運転席から降ろすと、道路に跪かせる。

 

 

「おい、お前ら!スパイダーマンが来る前にさっさと金積み込め!他の奴らは見張ってろ!」

 

 

リーダー格の支持を受け、5人のうち2人は輸送車の現金を積み込み始め、残りは銃を構えて周囲を警戒していた。

最近現れた謎の自警団・スパイダーマンの活躍に強盗である彼らも警戒していた。

せっせと強盗作業に勤しんでいると──

 

 

パシャ!

 

「──フォォォウッ!」

 

『!?』

 

 

近くから鳴るカメラのシャッター音と共に空からスパイダーマンが颯爽と現れる。

見張りの強盗たちは驚きつつも発砲しようとするが、スイングの勢いを利用した両足蹴りで3人纏めて蹴り飛ばす。

着地したスパイダーマンは後ろ向きで跳躍し、襲いかかろうとする2人の頭の上で逆立ちする。

 

 

「フンッ!」

 

「「ぐあッ!」」

 

 

軽く前転しながら後頭部に両膝蹴りを放つ。強盗2人はスパイダーマンが蜘蛛の姿勢で着地すると同時に倒れる。

近くの電柱にウェブでくっつけたデジタルカメラはパシャパシャと一定間隔で自動撮影する。

 

 

≈「ッ!」≈

 

 

スパイダーマンは撮れ位置が大丈夫かとデジタルカメラの方を見上げていると、頭が危険を報せるかの如くムズムズする。

蜘蛛の第六感────スパイダーセンスだ。

危険を感じる方角からは、現金輸送車の陰からリーダー格の強盗がこちらに向けて発砲しようとしていた。

 

 

ピシュッ!

 

「あっ!?」

 

 

スパイダーマンは強盗が拳銃の引き金を引く前よりも早く左手を突き出してウェブを放つ。

粘着性を持ったウェブは強盗の目にくっつく。

突然視界が真っ暗になった強盗はパニック状態になり、拳銃があらぬ方向に向く。

 

 

ドゴッ!

 

「がッ!?は………」

 

 

強盗がパニックになっている隙にスパイダーマンは前転して素早く懐に忍び込むと、腹部に拳を打ち込む。

腹部から伝わる強烈な一撃に強盗は目を見開くと、その場に倒れ込んで気絶した。

 

 

「チーズ!」

 

パシャ!パシャ!

 

 

強盗を一掃したスパイダーマンはデジタルカメラがついている電柱へ振り向いてダブルピース。

デジタルカメラのシャッターは切られ、スパイダーマンの勇姿を余すことなく記録した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日の土曜日の朝。昨晩の写真を現像した(まなぶ)はさっそく『デイリー・ビューグル』の編集長・紫紋(しもん)に見せにいった。

紫紋(しもん)は目を凝らしながら、現像したスパイダーマンの写真1枚1枚目を通す。

──きっと高く買い取ってくれるだろう。(まなぶ)はそう期待していたが……

 

 

「ゴミだな。ゴミ、ゴミ、ゴミ、ゴミ、ゴミ……酷いゴミ。これ全部で6160円ってところだ」

 

 

と、予想以下の金額を辛口を添えて提示する。

写真はブレもなければ、画質もわりかし良い方だ。納得がいかない(まなぶ)は言う。

 

 

「少し安すぎません?」

 

「ティーンエイジャーの小遣いなら妥当な金額だろ?嫌なら他に行け」

 

 

冷たく返された(まなぶ)は内心ムッとしながら椅子から立ち上がって帰ろうとするが、(まなぶ)の隣に座っていた副編集長の比呂が待ったをかける。

 

 

「待ってください、編集長。この写真は素晴らしいです」

 

「フン、どうだか」

 

「たくさんのカメラマンが来ましたが、ここまで鮮明なスパイダーマンを撮れたのは彼だけです。このままライバルの『春場新聞』に売りでもしたら、大きく差をつけられます」

 

「…………座れ」

 

 

比呂の説得を受けて考えを変えた紫紋(しもん)(まなぶ)に椅子に戻るように促す。

(まなぶ)は比呂に軽く頭を下げると、椅子に座った。

紫紋(しもん)は再び軽く写真に目を通すと、(まなぶ)に向き合う。

 

 

「34000で出そう。比呂、一面をこの写真に差し替えろ」

 

 

紫紋(しもん)は改めて金額を提示すると、比呂に写真を手渡す。

先程提示された金額とは比べようにならないくらいの金額に(まなぶ)は頬が緩む。

幸せな気分に浸っていた彼だが、紫紋(しもん)の口から出た言葉に幸せも吹っ飛ぶ。

 

 

「見出しはこうだ!『スパイダーマン ヒーローか?悪人か? デイリー・ビューグル独占写真』!」

 

「悪人……?」

 

 

悪人という単語が引っかかる(まなぶ)

写真はどう見たって強盗を倒している。どこをどう見ればそう思い付くのか。

決めつける紫紋(しもん)(まなぶ)は異を放つ。

 

 

「彼は悪人じゃありません。昨夜の現金輸送車を守っ────」

 

「見出しはこの俺が決めるんだ。お前は写真を撮ればいい。それじゃ嫌か?」

 

「……ッ、いいえ」

 

「よし!」

 

 

紫紋(しもん)の傲慢な態度に腹が立ったが、(まなぶ)は渋々従うことにした。

──このまま口論しても意味がない。相手の性格、自分の立場を考えれば当然だった。

紫紋(しもん)は慣れた手つきで小切手に金額を書き込むと、(まなぶ)に手渡す。

 

 

「これを秘書に渡して金を貰え」

 

「ありがとうございます」

 

「礼を言っても増やさんぞ。これからもネタになりそうな写真があったら、()()()()()持ってこい………わかったな?さぁ、出ていけ!!!」

 

 

紫紋(しもん)は編集長室の扉に指を指しながら怒鳴りつけると、(まなぶ)はビクッとしながらも促されるまま編集長室を後にした。

編集長室から出ると、(まなぶ)は近くの机で事務作業をしている秘書・細田に話しかける。

 

 

「どうも……」

 

「おはよう」

 

「あなたにこれを渡せって」

 

「ああー……写真の代金ね」

 

 

(まなぶ)から小切手を受け取った細田はこれまた手慣れた手つきでサインと印鑑を打つ。

細田はサインと印鑑をつけた小切手を返しながら、にっこりとした笑顔を送る。

 

 

「『デイリー・ビューグル』へようこそ」

 

「ありがとうございます。天海(あまかい) (まなぶ)です。失礼ですけど、よくあの編集長のもとで働けますよね?」

 

 

(まなぶ)は純粋な疑問をぶつける。見た感じ、こんな礼儀正しくて明るそうな人があのガミガミ親父の紫紋(しもん)の秘書の仕事ができると。

(まなぶ)の質問に細田はおかしそうにクスっと笑う。

 

 

「ふふっ。よく言われるけど、紫紋(しもん)さんはああ見えて社員思いの良い人なのよ?」

 

「え?あまりそうは見えなかったですけど……」

 

「君もいずれ社会に出ればわかるわ………。小切手は下の銀行で現金化してもらって。じゃあ、天海(あまかい) (まなぶ)さん。次の写真もよろしくね♪」

 

「……ッ」

 

 

細田はそう言ってウィンクを(まなぶ)に送る。(まなぶ)は一瞬ドキッと胸が高鳴るが、すぐに想い人の五月(いつき)の顔が頭に浮かびあがる。

 

 

「(僕は何を考えてるんだ!僕の本命は五月(いつき)だろ……!?)」

 

「?」

 

 

焦った(まなぶ)は頭を抑える。

心に決めた女性がいるにも関わらず、一瞬でものろけた自分を(まなぶ)は責めた。

悩む彼の姿に細田は首を傾げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、2時間後の正午。一旦家に帰ってから勉強道具一式をリュックに詰め込んだ(まなぶ)は中野家が住んでいるマンションへと足を運んでいた。

世間一般的には休日であるが、今日は家庭教師の日なのだ。シフトは週3~4日で、平日は17:30~21:30、休日は12:00~17:00(1時間休憩あり)で組まれている。

休日5時間はちょっと長いかもしれないが、勉強嫌いの彼女らのことを考えれば当然の長さかもしれない。父親のマルオも口出しは一切せず、勤務日時以外は一任している。

 

エレベーターに乗り、最上階の30階に到着。

インターホン越しで開けてもらえるように伝えると、ロックが開いた扉から彼女たちの家へ入る。

 

 

「おはようございまーす」

 

 

四葉(よつば)の元気な挨拶に(まなぶ)は迎えられる。リビングには二乃(にの)以外の姉妹全員集まっており、奥のテーブルの方には風太郎の姿もあった。

声をかけようとしたが、自作の問題集を念入りにチェックして忙しそうだったので「おはよう」と言おうとした口を噤む。

しかし、休日とあって皆私服(風太郎は生真面目なのか制服)であり、制服とはまた違った新鮮味を感じる。

 

 

「おはようございます、天海(あまかい)君。今日もよろしくお願いします」

 

「あ!やあ……。よろしく」

 

 

五月(いつき)に挨拶された(まなぶ)は彼女の服装にドキッとしながらも、笑顔で挨拶を返す。

当然彼女も私服なのだが、横縞のトップスにロングスカートと清楚感を残しつつも涼しげな恰好だった。

袖がないことで普段見ることが出来ない色気ある肩に、(まなぶ)はまた違う姿を知れて、さらに魅力的になった。

 

 

「ふーん……」

 

 

その様子を一花(いちか)は興味深々な目で見物していた。

彼女は(まなぶ)が他の妹とは違う反応をしていると勘付き、含みある笑みを浮かべた。

 

そんなやりとりも終えつつ、(まなぶ)はチェックを終えた風太郎を加えて、勉強を始める準備を整えた。

 

 

「準備万端ですっ!」

 

「前わからなかったとこ、教えてね?」

 

「まー……私は見てよっかなー」

 

 

四葉(よつば)三玖(みく)はやる気ある姿勢を見せる。一花(いちか)はやる気がなさそうな態度を見せるが、気持ちは他の姉妹と同じだ。

 

 

「私は天海(あまかい)君に教えてもらいますから。あなたを受け入れたわけではありません」

 

「はあ……言われんでもわかってる」

 

 

冷たく距離を取る五月(いつき)の言葉に風太郎は嘆息ついて返す。

酷い言い方をしたとはいえ、未だに許す気はない五月(いつき)(まなぶ)は困惑する。

グループで作業行う以上、場の空気は大事だ。ギスギスしたままだと、後々大変になる。

この問題もいつか解決しなければ、(まなぶ)はそう心の中で誓った。

 

 

「よーし!やるかーー!」

 

 

とはいえ、前日と打って変わってやる気があるのは事実だ。

和気あいあいとした空気に風太郎も気合を込めて、勉強を始めようとすると──

 

 

「あんた達。また懲りずに来たのー?」

 

二乃(にの)……」

 

 

2階の手すりから二乃(にの)が嫌味のこもった目でこちらを見下ろしていた。

呟いた風太郎もだが、(まなぶ)も彼女の存在をすっかり忘れていた。

二乃(にの)は階段に移ると、(まなぶ)へ視線を向ける。

 

 

「あんたもこんな昼間から来るって相当暇なのね。ま、上杉(そいつ)みたいに教える途中で寝ちゃわないといいけど……?」

 

「やっぱりてめぇか……」

 

 

不敵な笑みを浮かべる二乃(にの)の挑発に、風太郎はピキッと額に青筋を立てる。彼女は反省する気など更々ない。

風太郎は生まれて初めて女をぶん殴ってやりたいと思ったが、今は落ち着く。揉め事など起こせば給料どころか、クビになってしまう。それだけは避けたい。

下手に出ようと考えた風太郎は心を落ち着かせると、彼女を誘う。

 

 

「どうだ?二乃(にの)も一緒に───」

 

「死んでもお断り。似合ってない双葉アホ毛と陰キャオタクとつるみたくないし」

 

「うぐぐ……!人のコンプレックスを……!」

 

 

即答で拒否されつつ触れてはいけないことを突かれた風太郎は作り笑いが不自然になるほど怒りが募っていた。

ギリギリと歯ぎしりするほどで、目も全く笑っていない。

険悪な空気に(まなぶ)は戸惑うものの、二乃(にの)に尋ねる。

 

 

「えーとっ……。僕たちがどうしたら勉強をやってくれる?」

 

「そうね…………3つ条件呑んだらやったげる」

 

「条件?」

 

「1つ目、荷物を片付ける。2つ目、玄関に行く。3つ目、ドアから出る」

 

「それって、”帰れ”ってことじゃない!」

 

 

指を折りながら二乃(にの)が出す理不尽な条件に思わず(まなぶ)は吠える。

その抗議の声も彼女は「何か文句ある?」と言いたげな目で返すばかりだ。

 

 

「しょうがない。時間も惜しいし、俺たちだけでもやるか」

 

「だね」

 

 

二乃(にの)が参加する意思を見せない以上、何をやっても無駄だと判断した風太郎と(まなぶ)は彼女抜きでやることにした。

さっそく、風太郎お手製の問題集を配ろうとしたとき、二乃(にの)はあっと口を開く。

 

 

「そうだ、四葉(よつば)。陸上部の知り合いが大会前に疲労骨折したらしくてさー。あんた、走るの得意でしょ?今からでも行ってあげたら?」

 

「今から!?」

 

「いくら何でも……!」

 

 

二乃(にの)の提案に四葉(よつば)(まなぶ)は驚きの声を上げる。

確かに今日は休日で時間はあるが、今は勉強が優先だ。順序が整ってない。

急な提案に四葉(よつば)は行こうか行くまいか迷っていると、二乃(にの)は──

 

 

「あーかわいそう。補欠もない部活らしくてさ、このままだと大会に出られないらしいのよ。頑張って練習してきたのに………これじゃ水の泡になっちゃうわね。かわいそかわいそ………」

 

 

わざとらしく棒読みで同情を誘う二乃(にの)

──絶対やるわけないだろう。そう思っていた(まなぶ)と風太郎だが………

 

 

「上杉さんたち、すみません!困っている人をほっといてはおけません!!」

 

「え?おい──」

 

 

それを聞いて四葉(よつば)は居ても立っても居られず、自室で準備し始める。

風太郎が止める間もなく、ジャージに着替えた四葉(よつば)は玄関から出ていった。

 

 

「嘘だろ……?」

 

「………」

 

 

風太郎と(まなぶ)は呆気に取られていた。

四葉(よつば)が人がよさそうな人物ながらもしっかりと断ると思っていたが、まさかそう簡単に承諾するとは思いもしなかった。

彼らの困惑する顔を見て、したり顔を浮かべた二乃(にの)は次に一花(いちか)へ視線を向ける。

 

 

一花(いちか)も14時からバイトって言ってなかったっけ?」

 

「あー忘れてた」

 

 

二乃(にの)にそう言われた一花(いちか)はあっと思い出すと、促されるままに玄関を出た。

 

 

五月(いつき)。こんなうるさいとこより、図書館とか行った方がいいよ」

 

「それもそうですね」

 

「ああ、待って」

 

 

続けて二乃(にの)に提案され、五月(いつき)もまたこの家から出ようとするが、(まなぶ)が引き留める。

どうして止めるのかと疑問の目を向ける五月(いつき)(まなぶ)は説明する。

 

 

「図書館もいいけど、ここでやっても問題ないよ。リビングだと家族に見られるから逆に集中力が上がったなんてデータもあるし、わざわざ出るのも面倒くさいだろ?」

 

「そう言うのなら……」

 

 

(まなぶ)の意見に理解を示した五月(いつき)は椅子に座り直す。

(まなぶ)が引き留めたのは、これ以上二乃(にの)の思惑通りにならないようにするためだ。

初日からそうだったが、彼女は(まなぶ)と風太郎を排除したがっている。先程までの提案は表向きは他の姉妹たちを思っての言動だが、その真意は(まなぶ)たちから姉妹を遠ざけることによって、わざと勉強させないよう妨害しているようにしか思えなかった。

その証拠に二乃(にの)は思惑通りにいかなかったとばかりに眉をしかめていた。

 

 

「(本当は2人っきりになりたかったんだけど……)」

 

 

二乃(にの)の妨害を阻止した(まなぶ)だが、本音は五月(いつき)と2人だけで勉強したかった。

そのまま引き留めずにいれば、より親しくなれるチャンスだったが、二乃(にの)の妨害を阻止するのが最優先だと考えたわけである。

自分1人でも対応できる幅は限られており、今後のことを考えれば当然の決断だった。

 

五月(いつき)のことをひとまず諦めた二乃(にの)は階段を降りると、次のターゲットを三玖(みく)に定める。

 

 

「あ、三玖(みく)。あんたがこの前、間違えて飲んだジュース買ってきてよ」

 

 

冷蔵庫の方を指指しながら頼み込む二乃(にの)。あたかも、普通の会話に聞こえるような自然な態度で。

──せめて、上杉だけは。排除しようとする黒い思惑に三玖(みく)は──

 

 

「それなら買ってきた」

 

「え!?」

 

 

と床を指差す方角には、レジ袋が。

予想外のことに二乃(にの)は驚きつつもレジ袋の中身を見ると、大量の缶ジュースが所狭しと入っていた。

種類も豊富で、オレンジジュースやリンゴジュースにコーラといったメジャーなものから、抹茶ソーダという奇妙奇天烈な飲み物まであった。

 

 

「さあ、そんなことより始めよう」

 

「ああ、仕方ない……切り替えていこうか」

 

 

三玖(みく)と風太郎は思惑が外れて戸惑っている二乃(にの)を置いておいて、勉強に取り掛かる。

それを見計らって、(まなぶ)五月(いつき)も勉強を始めた。

仲間外れにするつもりが、()()()()仲間外れされた気がした二乃(にの)はむかっ腹が立ち、三玖(みく)に突っかかる。

 

 

「あんたら、いつからそんなに仲良くなったわけ?え、三玖(みく)ってばこんな目つきが悪い男が好みだったの?」

 

「また人のコンプレックスを……」

 

 

ボソッと呟く風太郎を指指しながら挑発気味に追求すると、それが気に食わない三玖(みく)も言い返す。

 

 

「面食いに言われたくない……」

 

「はぁ?面食いが悪いんですか?イケメンに越したことはないでしょ?」

 

「顔が良ければ誰でもいいんでしょ?」

 

「なーるほど、なるほど……。外見を気にしないからそんなダッサイ服で出かけられるんだ?」

 

「この魔女みたいな爪がオシャレなの?」

 

「あんたにはわかんないかな!」

 

「わかりたくもない……」

 

 

煽りに煽り返す口論はいつの間にか風太郎の外見のことから、お互いの趣味趣向のことへと移行していった。

まともや訪れる不穏な空気に傍から見ていた(まなぶ)五月(いつき)は困惑する。

一向に進まない現状に見かねた風太郎は口を開く。

 

 

「おいおい、お前ら。外見とか中身とか言い争っている場合じゃないだろ?勉強するならする、しないならしないでハッキリしろよ」

 

「そうだね……。もう邪魔しないで」

 

「……」

 

 

呆れた風太郎の制止の声に耳を傾けた三玖(みく)二乃(にの)に釘を差すと、勉強に取り掛かる。

それでも不満な二乃(にの)は壁に立てかけている時計をチラリと見る。時刻はすでに12時30分を過ぎていた。

それを見て名案を思いついた二乃(にの)は風太郎に話しかける。

 

 

「キミ。お昼は食べてきた?」

 

「ん?ああ、そういやまだだな……」

 

 

唐突な質問にひょうきんな顔で答える風太郎。

風太郎と(まなぶ)は、今度はどんな悪巧みかと疑っていると、二乃(にの)は台所を示すように手を置く。

 

 

「じゃあ、三玖(みく)の言う通り、中身で勝負しようじゃない。どちらがより家庭的か……私が勝ったら、今日は勉強なし!」

 

「一気に話が飛んだな……」

 

 

二乃(にの)の飛躍した提案にこいつ何言ってんだと言わんばかりの顔を見せる風太郎。

発端のジュースの話から、どうして料理対決することになるのかが風太郎には理解できなかった。

当然やるわけないよな、と視線を送る風太郎に対して三玖(みく)は──

 

 

「フータロー。すぐ終わらせるから待ってて」

 

「おぉいッ!どうしてそうなるッ!?」

 

 

と腕を捲り、自信たっぷりに挑戦を受ける姿勢を見せる。

思った通りと違う彼女の行動に、風太郎は今日一番の声でツッコんだ。

 

2人は台所の前に立つと、さっそく各々の調理に取り掛かる。

台所から火を点火する音、食材を切る音が聞こえる中、勉強しながら五月(いつき)は不安そうに(まなぶ)に話しかける。

 

 

「大丈夫でしょうか……?」

 

「仕方ないよ、始めちゃったことだし……。まあ、彼女たちがこれで満足するなら」

 

「ですね…………ですが、このまま黙ってはいられません」

 

 

苦笑する(まなぶ)の意見に五月(いつき)は頷くが、見守る気はなく、シャープペンシルを置いて調理中の姉たちの方へ歩き出す。

この様子から、(まなぶ)は姉たちに勉強するように喝を入れると期待していたが………

 

 

「味見は任せてくださいね!」

 

ガクッ!

 

 

と、ジュルリとよだれを垂らしながら楽しそうに言う五月(いつき)

止めるどころか応援する立場になっていることに風太郎のみならず、(まなぶ)もズッコケる。

キラキラと目を輝かせる五月(いつき)に対して、三玖(みく)二乃(にの)は──

 

 

「駄目。絶対、駄目」

 

「あんた、この前味見だけって言ったカレーを()()()()()()()()じゃない。諦めなさい」

 

「そんなぁ……」

 

 

拒否。しかも2人ともだ。

姉たちに拒否された五月(いつき)はよっぽど食べたかったのか落ち込むと、重い足取りで元の席に戻る。心なしか頭頂部のアホ毛もシュンとしなびていた。

 

 

「………ドンマイ」

 

「はい……」

 

 

理由はそこまでだが、いたたまれない気持ちになった(まなぶ)は落ち込む五月(いつき)を励ますのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、調理開始から40分後。作り終えた2人はテーブルにそれぞれの料理を風太郎の前に差し出す。

休憩することにした(まなぶ)五月(いつき)はその後ろから様子を伺っていた。

 

 

「じゃーん!旬の野菜と生ハムのダッチベイビ~~!」

 

 

自信満々の笑みで二乃(にの)が出したのは、ドイツ生まれのパンケーキ────ダッチベイビーだ。

卵、小麦粉、砂糖、牛乳から作られるドイツの朝食で出されるパンケーキで、ビスマルクやダッチ・パフとも呼ばれる。

一般的には搾りたてのレモンやシロップをかけて食べるのだが、昼食用と考えてナスやピーマンといった旬の野菜をたっぷり入れている。

 

 

「オ……オムライス………」

 

 

反対に恥ずかしそうに縮こまる三玖(みく)が出した料理はオムライスだ。

だが、米は焦げており、卵もぐちゃぐちゃで、オムライスと言われなければわからないくらい”お粗末なもの”だった。

そんな三玖(みく)二乃(にの)は煽るようにニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべる。

 

 

「……いただきます」

 

 

とりあえず食べることにした風太郎は合唱すると、まずは二乃(にの)お手製のダッチベイビーを食べることにした。

──見栄えはいいが、あの女のことだ。きっと中身同様、不味いに違いない………。そうタカをくくっていたが、口にした瞬間──

 

 

「!?う、美味いッ!」

 

「ふふっ……」

 

 

驚く風太郎の反応に二乃(にの)は不敵に笑う。

噛み応えのある野菜の食感と生地のバランスさ、ヘルシーでいて生ハムのジューシーな味わい……どれもが彼の味覚を刺激した。

すっかり胃袋を掴まされた風太郎は夢中になって次々と口の中に入れていき、気付いたときにはひとかけらも残さずに完食した。

 

 

「ごちそうさま。美味かったぞ」

 

「私にかかれば当然よ」

 

 

率直な風太郎の感想を聞いて、二乃(にの)は勝ち誇った笑みを浮かべる。

──悔しいが、料理の腕は認めざるを得ない。風太郎は内心そう思いながら、三玖(みく)のオムライスへ食べようと手を伸ばすが、彼女は皿を下げようとする。

 

 

「いいよ……。やっぱり自分で食べる」

 

 

疑問の目を向ける風太郎に三玖(みく)は自信なさげに答える。

料理の腕前の差を見せつけられた三玖(みく)は、きっと美味しくないと自信を失ってしまったからだ。

 

 

「せっかく作ったんだから、食べてもらいなよー」

 

 

二乃(にの)はニヤニヤと笑みを浮かべて煽る。言葉こそ優しいが、心は全くといって籠ってなかった。

ますます自信を失う三玖(みく)を見て嘆息する風太郎は彼女から皿を取り上げる。

 

 

「(見たくれは悪いが、意外と美味いのかもしれない……)」

 

 

風太郎は眼前のオムライスが美味しいと祈る。娼婦風スパゲッティーだって慌てた娼婦が作ったら美味かったと聞く。

それと同じだと言い聞かせた風太郎はスプーンですくう。変な焦げた匂いが鼻に入ってくるが、堪えた風太郎は覚悟して口に入れる。すると──

 

 

「うッ!?(ま、不味い!何なんだ、これは!?)」

 

 

見た目通り不味かった。焦げ臭い米のジャリジャリとした食感と崩れた卵のべちょべちょした味に、風太郎は吐き気を催した。

 

 

「もういいよ……残していいから」

 

 

風太郎の顔色が一瞬で悪くなったのを見て、三玖(みく)は皿を下げようとするが、その手を風太郎が止める。

どうしてと疑問に思っている三玖(みく)に、一口目を何とか飲み込んだ風太郎は呼吸を整えて言う。

 

 

「……何勝手に下げようとしてんだよ?まだこんなに残ってるんだぜ?」

 

「不味いんでしょ?同情はいいから………」

 

「”同情”?同情なんかするもんか……。これは”プライド”だ!俺の家は貧乏だからな……出されたもんは全部残さず食べるって決めてるんだ!例えそれが不味くても、俺は最後まで食う!それだけだ!!」

 

 

そう言い放って三玖(みく)から皿を取り戻すと、ガツガツと口に入れるペースを速めてかきこむ。途中、吐き気が催して手が止まるが、それを意地で払いのけると、水も飲まずに一気に平らげた。

 

 

「……ごちそうさま。不味いが、気持ちは伝わった」

 

「……うん」

 

 

率直ながらも感謝を告げる風太郎に三玖(みく)はにっこりと笑う。

オブラートには包んではないが、彼らしい真っ直ぐな感想に自信がなかった三玖(みく)は心が温かくなるのを感じた。

 

 

「は?何それ!つまんない!」

 

 

何かいい感じの空気になっているのを気に食わない二乃(にの)はそう吐き捨てると、ズカズカとした足取りで自室へと向かっていった。

素直じゃない二乃(にの)に風太郎は嘆息すると、食器を洗いにいった。

 

 

「見直したー………」

 

「えぇ、そうですね……」

 

 

風太郎のカッコ良さに見直した(まなぶ)の呟きに五月(いつき)は頷き返す。

この日。五月(いつき)は未だ彼のことを嫌ってはいるが、少しは許してもいいかもしれないと考え直した。

 

ちなみに風太郎が腹を壊して、2時間もトイレに籠っていたのは余談である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ」

 

「ああ……」

 

 

そして時が経ち17時。家庭教師の業務が終わった(まなぶ)と風太郎はマンションを出ていた。風太郎は未だ腹の痛みが来るのか、腹を抑えていた。

風太郎がトイレに籠ってしまったというトラブルがありはしたものの、(まなぶ)のサポートがあって、ある程度は進めた。もし彼がいなかったら、風太郎は無駄な時間を費やすことになっていただろう。

隣で歩きながら(まなぶ)は純粋な疑問を風太郎に投げかける。

 

 

「ねぇ、上杉」

 

「ん?」

 

「何でこの仕事を引き受けたの?あんなことされても……」

 

「……」

 

 

(まなぶ)は気になっていた。風太郎は普段あまり誰かと接するようなことはせず、友達と思わしき人もおらず、常に一人でいる男だ。

そんな彼がどうして酷い仕打ちをされても辞めずにいるのかが頭に引っ掛かっていた。

彼の純粋な問いに風太郎は少し考えたのち、口を開く。

 

 

天海(あまかい)。さっき、俺ん家が貧乏だって言ったよな?」

 

「ああ」

 

「俺の家……実はさ、借金まみれなんだよ。親父が必死に働いて返済してるけど、それでも氷山の一角……全然減らないんだ。俺もアルバイトを掛け持ちして働いてるけど………。けど、この仕事なら月に約30万円も貰える。それさえあれば、いつも我慢させている妹にも楽させてあげられる」

 

 

風太郎の境遇を聞いて、(まなぶ)は彼もまた自分と同じ動機であると思った。

風太郎は妹と父親、(まなぶ)は叔母のためと自分の家族のために働いている………。だから、昨日クビにされると思ったときにあんなに焦っていたのかがわかる。

ただの嫌味な奴かと思っていたが、自分と似た境遇を持っていると知り、親近感を覚えた。

(まなぶ)は彼の本質をよく知るべきと考えていると、今度は風太郎が訊く。

 

 

「なあ、お前はこの仕事を受けた理由は?」

 

「僕も君と同じ叔母……家族のためだよ。最近働いていた叔父が亡くなってね、収入源が無くなったんだ。……元々、うちはそんなにお金があるわけじゃないから、遺産だけでどれだけ暮らせるかわかんない………」

 

「それでこのバイトをしに来たってわけだな」

 

「うん。似た者同士だ」

 

 

(まなぶ)の境遇を聞いた風太郎もまた親近感を覚えた。

最初は頭はいいが大人しすぎる奴だと思っていたが、蓋を開けてみれば自分と同じ家庭状況に苦しんでいる男だった。

似た者同士と言われても普段なら冷たく突っぱねるが、(まなぶ)からそう言われても嫌な気分はしなかった。

(まなぶ)という人間と出会い、他人に関心を示さない風太郎の心に興味という炎がほんの少し灯った。

 

 

「あ、財布忘れた。悪い、戻るわ」

 

 

五つ子たちの住むマンションから1kmくらい離れた頃、風太郎はポケットに財布をマンションに忘れたことに気付いた。

全財産が入っているので急いで戻ろうとするが、(まなぶ)が止める。

 

 

「いいよ。代わりに取ってくる。どんな形?」

 

「富士山の絵がついたがま口財布だ。多分、リビングにあると思う」

 

「わかった。すぐに取ってくるよ」

 

「悪いなー」

 

 

特徴を聞いた(まなぶ)は軽く走って歩いてきた道を戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

マンションに戻り、三玖(みく)に中へ入れてもらった(まなぶ)はリビングに向かい、風太郎の財布を探し始める。

 

 

「あったあった」

 

 

風太郎がどこにいたのか思い返しながら探すと、1分もしないうちに見つけた。机の下にあることから、勉強を始める前に行った問題集のチェックしていた際に落としたんだろうと検討つけた。

目当てのものを手にしたこれ以上ここにいる必要はない。(まなぶ)は玄関に繋がる扉へ向かおうと振り向いたときだった。

 

 

「あ……!」

 

 

扉が開き、廊下から誰かが現れる。その姿を見た(まなぶ)は口をあんぐり開けて固まる。

それは胸元をバスタオルで巻いた、風呂上りの二乃(にの)だった。

 

 

三玖(みく)。お風呂空いたけ…ど………」

 

「………」

 

 

濡れた髪をバスタオルで拭いていた二乃(にの)だったが、鉢合わせた(まなぶ)と目が合い、髪を拭く手を止める。

しばらくの静寂ののち……

 

 

「きゃーーーーッ!!不法侵入!!誰か来てッ!!!」

 

「あわわ……!」

 

 

二乃(にの)はその場でかがんで思いっきり悲鳴を上げた。

助けを求める悲鳴に(まなぶ)はあたふたと慌てふためく。年頃の半裸の女子高生とまだ知り合って間もない男子高生。誰かに見られでもしたら、十中八九変態扱いされるだろう。

もし、五月(いつき)にこのことを知られでもしたら、彼女から一生嫌われる。

 

 

二乃(にの)?どうしたのー?』

 

『何かありましたー?』

 

「(マズイ!)」

 

 

彼女の悲鳴を聞いて、リビングに向かう他の姉妹の声が聞こえる。

その声には四葉(よつば)の他に、憧れの五月(いつき)の声があった。

五月(いつき)の存在にさらにパニックになる(まなぶ)だったが、このままだといけないと思い、二乃(にの)が目を離している隙を狙って素早く跳躍した。

 

そして、リビングに四葉(よつば)五月(いつき)がやってくる。

かがみこんでいる二乃(にの)を見た五月(いつき)は尋ねる。

 

 

「どうしました?」

 

「き、聞いてよ!天海(あまかい)が勝手に入ってきて……私のお風呂上りを待ってたのよ!」

 

天海(あまかい)君が……?」

 

 

動揺する二乃(にの)の訴えに五月(いつき)は半信半疑といった顔で辺りを見渡すが、(まなぶ)の姿はどこにもなかった。

四葉(よつば)はカーテンの裏や台所の陰など、隠れられそうな場所を探すが、やはりいなかった。

 

 

二乃(にの)ー?どこにもいないよ?」

 

「そんな!?嘘よ!この目で見たんだから!!」

 

「いくら嫌ってるからといって、これは………」

 

「ち、違うわよ!嘘なんかついてない!絶対隠れてるんだわ」

 

 

ジト目で疑う五月(いつき)二乃(にの)は身の潔白を証明しようと辺りをくまなく探し始める。

人が隠れられそうな場所を隅から隅まで探すが、(まなぶ)の姿は影も形もなかった。

おかしいと頭が混乱し始める二乃(にの)の肩を四葉(よつば)はポンと叩く。

 

 

「きっと疲れてるんだよ……」

 

「そうかも……。きっと、あいつらがいたせいで幻覚を見たんだわ………」

 

 

四葉(よつば)の労わる声に二乃(にの)はそうなんだと言い聞かせて納得した。

ともあれ解決した一同は元の場所へと戻っていく。

 

 

「やっといなくなったか……」

 

 

天井では一部始終を見ていた(まなぶ)が仰向けの姿勢で引っ付いていた。

他の姉妹が来る寸前、(まなぶ)は慌てながらも天井に向かって跳躍し、そのまま引っ付いていたのだ。

(まなぶ)は全員がいなくなったのを見計らうと、できるだけ物音を立てず、静かに着地する。

 

 

「(あんなとこ見られたら、裁判染みた尋問を受けたに違いない。けど、三玖(みく)は何で言ってくれなかったんだ?天井に張り付くことなんてしなくて済んだのに………)」

 

 

忍び足で廊下を歩き、靴を履いて玄関を出た(まなぶ)は何故三玖(みく)が他の姉妹に話してくれなかったのか疑問に思っていた。

実は三玖(みく)(まなぶ)を中に入れた後、すぐに入浴していたのだ。誰か他の姉妹に見られても平気だろうと考えたのである。

 

 

「(まあ、今はこの力に感謝するか……)」

 

 

何があったのかはともかく、素直にスパイダーマンの能力に感謝することにした。

この力が無ければ、変態の烙印を押されていただろう。

(まなぶ)は小さな喜びを噛み締め、やってきたエレベーターで下へと降りて行った。

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
①2099円
 MARVEL COMICから発刊されている「スパイダーマン2099」(1992)から。
 タイトル通り2099年の未来世界が舞台で、アルケマックスという大企業の遺伝子組み換えのプロジェクトに関わっていた科学者、ミゲル・オハラがスパイダーマンとして活躍する。

②裁判染みた尋問
 「五等分の花嫁」作中における大事件・五つ子裁判から。原作では財布を取りにいった風太郎がのぞきの疑いをかけられ、一応は解決するのだが、今作では(まなぶ)が財布を取りに行き、天井に引っ付いて身を潜めたので裁判自体起きなかった。


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#4 天才との出会い

休日の家庭教師のアルバイトを終えて、2日後。

また訪れた平日に(まなぶ)はナイーブな気持ちで登校していた。

彼が落ち込んでいる理由は休み明けということもあるが、一番の理由は今朝の『デイリー・ビューグル』の新聞記事にあった。

 

 

「(『極悪の愉快犯!『スパイダーマン』 指名手配!情報求む』か……)」

 

 

一面に大々と打たれた見出しを思い出す(まなぶ)。こうなった原因は『デイリー・ビューグル』の編集長・紫紋(しもん)が新聞を通して世間に呼びかけたからだ。

紫紋(しもん)の意見はこうだ。スパイダーマンはいつも事件現場に現れる……つまり、スパイダーマンが現れるということは危険なことが起きることだ、と。

身元を明かさず、法に任せず自警活動しているのは不審でしかない。特に法律違反していないだろうという声があるが、勝手に人の家の敷地に入っていることで『建造物侵入罪』を犯しているという事実を突きつけて黙らせている。

 

これを受けた警察はスパイダーマンを指名手配し、逮捕に乗り出そうと公表した。

紫紋(しもん)もこれには上機嫌で、昨日一日中、(まなぶ)や他の社員に対して雷を落とすようなことはしなかった。給料は全く変わらなかったが。

思い返した(まなぶ)はますます憂鬱気味になる。

 

 

「(しばらく活動を控えるべきか……?いや、駄目だ!何を考えてるんだ!?僕はあの夜に誓ったんじゃないか!?大いなる力を受けたからには、大いなる責任を果たすって。大バッシングを受けてもやらなきゃ……!)」

 

 

スパイダーマンの活動を一旦中止する考えが頭を過るが、(まなぶ)は頭を横に振って妥協の考えを振り払う。”叔父の死”がその邪な気持ちを吹き飛ばした。

自分ができることを全力でやらないと誰かが犠牲になる──そんな思いは誰にもさせたくない。どんなに報われなくても、やる遂げるという覚悟はとっくにしていたはずだ。

冷静に考え直した(まなぶ)はふぅと息を吐いていると、後ろから眼鏡をかけた男子生徒が早歩きでやってくる。

 

 

天海(あまかい)君、おはよう!」

 

「……ん?マックス!おはよう!」

 

 

朝の挨拶をかけてきたマックス───最上(もがみ) (まさる)(まなぶ)は挨拶を返す。

マックスこと最上(もがみ) (まさる)(まなぶ)の数少ない友人の1人で、涼介とも友達である。その付き合いは中学時代から続いている。

ちなみに”マックス”と親しまれて呼ばれているが、彼はれっきとした日本人だ。愛称の由来は最上(もがみ)の”最”と(まさる)の”大”を合わせると、”最大”になるからだ。

マックスと呼ぶのは(まなぶ)と涼介のみであり、本人も好きに読んで構わないと言っている。

 

思いがけない友人との出会いに笑顔になる(まなぶ)だが、ふと気になったことを(まさる)に問いかける。

 

 

「……あれ?いつもバスじゃなかっけ?」

 

「そうだけど、今日は歩き。少しは節約しようと思ってね」

 

「へぇ~~偉いじゃない!健康にいいよ」

 

「最近、少し太った気がして……。林間学校でみっともない体を出すのは嫌だからねぇ」

 

「わかるよ。僕もプールの時間で昂輝に散々いじられてさー……」

 

「ははっ、そうかー」

 

 

歩きながら他愛のない話で盛り上がる2人。他の人からすれば大したことではないが、彼らにとってはコミュニケーションが捗る大きな話題なのだ。人の価値観は人それぞれというものである。

雑談は続き、一週間前での食堂で一緒に食べずに逃げたことも含めてあれやこれや話し歩いていると、あっという間にお互いの教室の近くについた。

 

 

「じゃあ、マックス。今日も頑張ろう」

 

「うん、そっちもね。それじゃ……」

 

 

(まなぶ)(まさる)はお互いを励ますと、お互いの教室へと入っていった。

自分の机で身支度を整えた(まなぶ)はチラッと横目で遠くの席にいる五月(いつき)に視線を向ける。五月(いつき)は眼鏡をかけて自習に取り組んでいるが、問題がわからないようで、問題集と睨めっこしていた。

 

 

「(助けてあげよ……)」

 

 

困っている姿を見てられないと(まなぶ)は席を立つ。彼女の勉強の手助けはもちろんのこと、好感度を上げることになる。

そんな下心も抱えつつも、(まなぶ)五月(いつき)に声をかけた。

 

 

五月(いつき)、おはよう。どこがわからない?」

 

「あ、おはようございます……。お恥ずかしながら、ここの『商と余りを求めよ』というところが……」

 

 

恥ずかしそうに顔を俯かせながら五月(いつき)は問題集の設問に指指す。その問題は数学の整式の割り算だった。

パッと見て暗算し、答えがわかった(まなぶ)はわかりやすいように心がけて説明する。

 

 

「まず、余りはわかるとして、商の意味はわかる?」

 

「え?それくらいわかりますよ。割り算ですよね?」

 

「ああ、その通り。つまり、この問題はx3−6yx2+10y2x−8y3をx2−5yx+y2で割り算して、答えと余りを出せばいいってことなんだ」

 

「…?でも、xとyが入っているのに、どうやって計算すれば………?」

 

「大丈夫。ちょっとペンを借りるけど、問題集に書き込んでもいい?」

 

「どうぞ」

 

 

五月(いつき)からシャープペンシルを借りた(まなぶ)は問題集の端に書き込んでいく。それは整数式を筆算の形にしたものだった。

(まなぶ)は書きながら説明していく。

 

 

「まずこの形にする。やり方は先頭のアルファベットを消すように入れて計算すればいいんだ。この場合だと、最初はx、次に-yを入れたら、商x-y、余り4xy2−7y3になるはず。やってみて?」

 

「は、はい……」

 

 

(まなぶ)からひと通りの手順を学んだ五月(いつき)は、答えをサラッと出した(まなぶ)を不可解に思いながらも止まっていたシャープペンシルの手を動かし、計算していく。

問題を解くと、答えは(まなぶ)の言った通りのものと同じだった。

五月(いつき)はぱあっと表情が明るくなる。

 

 

「と、解けました!ありがとうございます!」

 

「やり方さえ掴めば、簡単だろ?」

 

「はい!でも、答えを知らないのによくわかりましたね?もしかして、暗算で?」

 

「うん。あーー……でも、証明問題は流石に無理だけどね」

 

「それでも充分凄いです!やはり、あなたに頼って良かったです……」

 

「いやぁ、はは……」

 

 

(まなぶ)に対する評価がますます上がる五月(いつき)は尊敬の目を送る。

対する(まなぶ)は照れくさそうに笑っていた。自分は隣に立ち、五月(いつき)は席に座っている。その体勢となれば自然と上目遣いになるので、(まなぶ)の鼓動は高鳴り、爆発しそうなまであった。

 

幸福感に満たされる(まなぶ)だったが、ハッと大事なことを思い出す。

土曜日のアルバイトの日に、風太郎の財布を取りにいったこと。そして、お風呂上りの二乃(にの)に遭遇したこと。

三玖(みく)には一応入室の許可を得るやり取りはしており、そのことは伝えられているはずだ。

咄嗟に隠れたことによって目撃者である二乃(にの)からは幻覚だと自己解決してくれてるが、三玖(みく)の話を聞いて何かしら気持ちが変わったかもしれない。危惧した(まなぶ)は念のため訊くことにする。

 

 

五月(いつき)。この間の土曜、何か変なことなかった?」

 

「変なことですか?」

 

「ほら、僕たちが帰ったあととかさ……」

 

 

(まなぶ)の問いに五月(いつき)はうーんとしばらく考えると、あっと思い出す。

 

 

「……そういえば、二乃(にの)がお風呂上りにリビングに行ったら、天海(あまかい)君の幻覚を見たって………」

 

「あ、そうなんだ。僕が上杉の財布を取りに帰ったときは会わなかったな。………ところで、他に何か言ってなかった?」

 

「そうですね………あなたが家に入ったことは三玖(みく)から聞きましたが、きっとすれ違ったかと………。二乃(にの)もそれで納得してます」

 

「そうか~(バレてないな……)」

 

 

五月(いつき)の話を聞いて頷く(まなぶ)は内心ホッと胸をなでおろす。

家に入ったという証拠を手に、二乃(にの)が遭遇したのが幻覚ではないと断定しても物的証拠や第三者の目撃証言が無い以上、(まなぶ)を容疑者として扱うのは絶対できない。

 

 

二乃(にの)も被害妄想が過ぎます。いくら嫌ってるからといって………。上杉君はともかく、天海(あまかい)君がお風呂上りを狙うなんて最低な行為をするわけないのに」

 

「ッ!?そ、そうだよね。まさか………」

 

 

五月(いつき)の笑い話にギクッとなった(まなぶ)は苦笑する。

もし何かしらの証拠があって覗きをしていたと誤解されたら、文字通り”一巻の終わり”だった。そうなれば、家庭教師のアルバイトはクビ、五月(いつき)とも距離を取られるだろう。

あのとき隠れて良かったと(まなぶ)は冷や汗をかきながら重々感じた。

 

そんなこんなありながらも、今日も長いようで短い学校での1日が始まる……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時が流れ、授業は6限目の時間帯へ。今日の6限目は理科の授業であるが、今日は少し違かった。

というのも、先週までの教師が学校を離れ、今日から理科は新しいやってくる教師が担当することになったのだ。

 

どんな先生なんだろうとざわざわと話し声が飛び交う中、ついに教室の扉が開かれる。

それを合図に静まった一同は席を立ち、日直の「気を付け、礼」の点呼に合わせてお辞儀し、着席する。

新しい理科の先生は教科書を教卓に乗せて眼鏡を直すと、静まり返っている生徒たちを見回し、微笑んで口を開く。

 

 

「ごきげんよう、1組の生徒諸君。家庭の事情で転勤することになった捨扶持(すてぶ)先生に代わって、新しく理科を教えることになった石影(いしかげ) (りゅう)だ。よろしく頼むよ」

 

 

にこやかな笑顔を浮かべる石影。

短く切った黒髪に眼鏡。年齢は40代後半くらいで、白衣を着ていることもあって貫禄が出ている。外見は至って奇抜ではないのだが、()()()()に生徒たちは注目していた。

生徒たちの視線の先にある石影の右腕は────肘から下が無かった。いわゆる隻腕だ。まるで画像の編集で切り取ったかのように綺麗に無かったのだ。

生徒たちの視線が右腕に向いていることに気付いた石影は──

 

 

「おっと、ここが気になるかな?昔、ある実験の事故でやってしまってね………。まあ、そのおかげで私はサウスポー。草野球界からは”黄金の左腕”と恐れられているよ」

 

 

自虐を含めたジョークを言うと、生徒たちは緊張が解けてクスリと笑う。皆、隻腕について気をつかって黙っていたが、賑やかな方が好きな石影は少しでもいいから笑ってほしかった。

そのかいあって場の空気が良くなったのを見越して、石影は本題に切り込む。

 

 

「……さて、理科──”化学”について君たちに訊こう。この科目は何のために学ぶと思う?」

 

「……そりゃあ、成績のためじゃねぇですか?」

 

「確かに。学業の成績のためで、将来の進路実現に必要だから勉強する。それは間違ってはいない……。だが、私はこう思う……………」

 

 

当たり前だと答える昂輝にそう返した石影は左手でチョークを持つと、黒板にある文字を書いた。

──『思考力』。あらゆる概念から1つのものを考え抜く力を意味する。

何だろうと生徒たちが思う中、チョークを置いた石影は説明する。

 

 

「理科という科目を学ぶ意義────それは、『思考力』を鍛えるためだ。例えば、火山の噴火に遭ったとする。その際、火山の知識があれば、どういう原理で周りにどういう影響を及ぼすのか考えることができ、その結果、自然災害への対策を”考えられる”……。それだけじゃない。アマゾン川をはじめとする河川に生息する電気ウナギは危険だが、逆に考えれば、人々の暮らしに役立つクリーンな電気エネルギーとなる可能性もある。諸君にはこの『思考力』を理科でしっかりと身につけてもらい、自分や周りの人たちの役に立てるようになってほしい」

 

 

石影の意見に生徒たちは胸を打たれた。今までやれテストのためだと渋々学んでいたが、この話を聞いて考え方が変わった。

 

 

「(どっちみちテストやるんだろ。点を取る以外、意味はない……)」

 

「(いい先生だ……)」

 

 

同じクラスなので話を聞いていた風太郎と(まなぶ)だが、その反応は異なっていた。

気持ちがどうなろうが全て成績だと振り切った風太郎はつまらなそうにしている反面、(まなぶ)は石影に感銘を受けていた。

今までの学生生活で理科の教師から色々教わったが、ここまで情熱を注いでいる人はいなかった。(まなぶ)は元々理科が好きだが、この話を聞いて、ますます関心を深めた。

 

(まなぶ)が感動している中、石影は教科書を開く。

限られた時間しかないので授業に入ろうという考えだ。

 

 

「長々と話したが、授業に入ろう。教科書68ページを開いて。ここには爬虫類について書かれている。特にこのトカゲだが、尻尾を欠損しても時間が経てば再生する………。この能力を活かせば、社会に役立てるとは思わないか?さて………君。上杉君」

 

 

誰を当てようかと見渡したときに目があった風太郎を指名する。

人前で発表するのが嫌いな風太郎は渋るが、石影に立つようにジェスチャーされ、渋々起立した。

 

 

「トカゲの能力を活かせば、何に役立てると思うかね?」

 

「教科書には全く書いてないんで、俺にはわかりません」

 

「そんなこと言わず。ほら、思考を膨らませて………」

 

 

冷たくあしらう風太郎に石影は苦笑しながらも再度問いかける。しかし、不機嫌な風太郎は全く答えない。頭の中は質問の内容ではなく、さっさと座らせてほしいという我儘な願望だった。

黙り込む風太郎に石影が頭を悩ませていると──

 

 

「異種間遺伝子交配」

 

「?」

 

 

という声が聞こえ、石影と生徒たちは振り向く。視線が注目する先にいるのは、挙手している(まなぶ)だった。

注目が彼に向いていることを察した風太郎はどさくさに紛れて席に座る。

普通の高校生から出ない単語が頭に引っ掛かった石影。座るのを許可していないのにも関わらず、勝手に座った風太郎のことなど忘れていた。

 

 

「えと…………」

 

「何だよ、天海(あまかい)。もったいぶらずに早く言えよーー」

 

「こら。さあ、続けて」

 

 

周りの目が気になって上手く喋れない(まなぶ)をからかう男子生徒を石影は諫めると、続けるように促す。

未だ緊張が取れていない(まなぶ)だったが、石影の穏やかな眼差しを見て心を落ち着かせると、自身の考えを述べていく。

 

 

「トカゲの優れた再生能力の遺伝子情報だけを取り出し、それを腕や足を欠損した人の遺伝子と組み合わせれば………自分自身で再生できる。髪の毛が毎日抜けて、生え変わるように……。他にも様々な遺伝子の交配を考えれば、視力の回復やパーキンソン病を治すことも可能です………」

 

「ほう?では、パーキンソン病の原因はわかるかね?」

 

「ドーパミンを作る脳細胞が減少することです。……ですが、ゼブラフィッシュはいくらでも自分の細胞を再生できます。もし、仮に与える技術があれば………大きな社会奉仕になると思います」

 

「ははっ……!なら、これはわかるかね?」

 

 

(まなぶ)の話を聞き、石影は不思議と笑みがこぼれる。馬鹿にするのではなく、褒め称える意味でだ。

──もっと知りたい。(まなぶ)への興味が源泉のように湧き出た石影は授業であることを忘れ、チョークで黒板にある数式を書く。それは崩壊率アルゴリズムと呼ばれる粒子に関わる方程式だった。

内容は高校生でやるものでなく、答えられるわけがない。

 

しかし、(まなぶ)の場合は別だ。科学・化学が大好きで、あらゆる原理や数式を網羅した彼にはお茶の子さいさい。

黒板の前に立った(まなぶ)は迷うことなく、チョークでスラスラと解いた。

それを目の当たりにした石影は目を丸くする。

 

 

「素晴らしい……どうしてわかった?」

 

「独学です。科学は好きなので……」

 

 

控えめな口調で答える(まなぶ)に石影の頬は緩む。独学だとしても、崩壊率アルゴリズムを勉強し、理解しようとする高校生は滅多にいないだろう。

彼の才能から未来を見出した石影は、ますます(まなぶ)への関心を深めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君。天海(あまかい)君……だったかね?」

 

「?」

 

 

全ての授業が終わり、皆が掃除時間に取り掛かる頃。(まなぶ)も掃除しようと箒を手に廊下に出ようとすると、石影に呼び止められた。

突然何だろうと(まなぶ)が思っていると、石影は言う。

 

 

「お願いがある。もし時間があれば、放課後、私の家に来てほしい。明日からでもいい……」

 

「何をするんです?」

 

「私の研究を手伝ってほしい。研究の内容はここでは言えないが、()()()なものだとは言える。それを実現するために君の知恵が必要なんだ。なに、暇なときで良いんだ。時間も自由。どうだ?」

 

 

一般の高校生に研究を手伝ってほしいという提案。普通ならあり得ないことだが、石影は(まなぶ)の才能を見込んだうえで持ちかけたのだ。

 

 

「(今日は確か家庭教師はお休み。先生の研究内容が気になるし、人助けになるなら………)」

 

 

石影の提案に(まなぶ)は少し考える。他の先生の頼みなら悩むところだが、自分と同じで科学・化学に情熱を持つ石影なら信用できるし、何よりも研究内容が気になってしょうがなかった。

周りから全く見向きもされなかった科学・化学への知識が役に立つのなら……。そう思った(まなぶ)は返答に悩むまでもなかった。

 

 

「はい。今日から是非、手伝わせてください」

 

「ありがとう。君の叔母さんには私から言っておくよ。放課後、職員室の前で待っててくれ」

 

「わかりました」

 

 

OKをもらった石影は嬉しそうに話すと、教室から離れていった。

(まなぶ)はこの出会いに、五月(いつき)との出会いとは違った高揚感を感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後。(まなぶ)は職務を終えた石影に連れられて、彼の住む家へと向かった。

電車に乗って3駅目で降り、歩くこと30分。人里から離れ、樹海のように木々が生い茂り、舗装された道を歩くと、白い壁が特徴の平屋についた。石影の家である。

木々が生い茂っている中、平屋の周りは手入れが届いているのか、まっ平な地面が広がっている。

不思議な空間に(まなぶ)は目を見張らせていた。

 

 

「ただいまー」

 

「お帰りなさい」

 

 

入口を開けた石影は(まなぶ)を中に招き入れると、声をかける。

すると、奥の方からエプロンを着たショートボブの女性が出迎える。

更に奥から小学校低学年くらいの男の子がドタドタと駆け寄り、石影に抱き着く。

 

 

「おかえりなさい、パパ!」

 

「ただいま、琥太郎(こたろう)。ははっ、お利口にしてたか?」

 

「うん!」

 

 

ニコニコと元気いっぱいに答える琥太郎(こたろう)の頭を石影は左腕で優しく撫でる。

何とも言えない微笑ましい光景に(まなぶ)は頬が緩んでいると、(まなぶ)に気付いた女性は石影に尋ねる。

 

 

「そちらの方は?」

 

「ああ、紹介するよ。うちの学校の生徒で、今日から私の研究を手伝ってくれることになった天海(あまかい) (まなぶ)君だ。天海(あまかい)君、こちらが私の妻の陽子(ようこ)。このわんぱくっ子が息子の琥太郎だ」

 

「初めまして。お世話になります」

 

「ええ、こちらこそよろしくね」

 

「よろしくー!」

 

「ああ、よろしく」

 

 

紹介された(まなぶ)は軽く頭を下げて陽子と琥太郎に挨拶を交わす。

どうなるだろうと(まなぶ)は不安だったが、2人とも明るく迎えてくれたので杞憂となった。

 

 

「こら。目上の人に対しては”よろしくお願いします”って教えたろ?」

 

「あ!ごめんなさい……」

 

「あ、別に僕は気にしてないので……」

 

 

石影に指摘されてしょぼんと落ち込む琥太郎を見て、(まなぶ)は苦笑しながらフォローする。自分のせいで気を悪くしてしまった気がしてならなかったからだ。

彼の謙虚さにますます関心する石影は(まなぶ)と一緒に靴を脱いで、家へ上がらせる。

琥太郎を自室で大人しくするように言うと、研究室へと向かう。その最中、横を歩きながら陽子は尋ねる。

 

 

「研究を手伝うって言ったけど、あなたの研究を手伝わせるの?」

 

「その通りだよ」

 

「でも、天海(あまかい)君はまだ高校生でしょ?化学者だったあなたは良くても、実践経験が無さすぎるわ……」

 

「平気さ。彼の才能は素晴らしい。むしろ、高校生であること自体が不思議だ。試しに崩壊率アルゴリズムを出したら、簡単に解いてしまった。しかも独学で覚えたそうだ」

 

「本当!?」

 

「ああ、本当だ。彼さえいれば、私の長年の研究が実を結ぶ。気持ちはわかるが、何事も挑戦だよ。それが研究する者のモットーだ」

 

 

不安がる陽子に石影は(まなぶ)の優秀さをアピールしつつ、当たり障りのない言葉で不安を和らげる。

化学者の研究は理科の実験とは比べ物にならないくらい危険なものが多い。それを弱い17歳の少年に手伝わせるのは無茶苦茶すぎるのは当然の考えだ。

しかし、石影は(まなぶ)という人材を見つけた以上、逃すことはできなかった。数々の高校を渡り歩き、何千、何百もの生徒を見てきたが、彼ほどの優秀な頭脳を持つ生徒はどこを探してもいなかった。

(まなぶ)との出会い………これは天が授けてくれたチャンスなのだと石影は思ったのである。

 

そんな会話をはさみながらも研究室へとついた。扉を開けると、様々な薬品やビーカー、顕微鏡といった研究道具が部屋中のあちこちに並んでいた。壁際の飼育ケースには研究で使うと思われる数匹のトカゲがいた。

研究室とはいっても、中はそこまで広くなく、一般住宅の寝室をまるまる利用している印象があった。

それでも充分魅力的と感じた(まなぶ)は目を輝かせながら、研究室中を見渡していた。陽子は2人に尋ねる。

 

 

「お飲み物持ってくるわね。何がいい?」

 

「ああ、コーヒーで頼むよ。天海(あまかい)君は?」

 

「僕もコーヒーで」

 

「わかった。じゃあ、待っててね」

 

 

要望を聞いた陽子はコーヒーを用意するため、研究室を後にした。

陽子が台所へ去っていったのを機に、石影は椅子に腰かけ、反対の椅子に(まなぶ)にも座らせると、彼に本題を話し始める。

 

 

「待たせたね。わざわざ君を家まで連れてきたのは、まだ世間には発表できる代物ではないからだ。さっそく、研究内容を話そう」

 

 

そう切り出した石影は理科室にありそうな黒い長机に置いてあったパソコンを開き、未完成の電子文書を(まなぶ)に見せる。それは『遺伝子交配によってトカゲの再生能力を人に移植する薬品の研究』についてのレポートだった。

 

 

「これは……」

 

「ああ。私は教師をする傍ら、今日の授業で君が言ったような研究をしている……。体の部位を欠損している人たちを救いたいと思い、長年研究し続けてきた。私自身の失った右腕を治したいという個人的な願望もあるがね………。模索する中、尻尾を失っても数時間で再生するトカゲに目をつけた。トカゲが欠損した部位を再生できるのは、人間にはない(かん)細胞があるからだ。それを異種間遺伝子交配で薬品を作り出せれば──」

 

「困っている人たちを苦しみから解放できる?」

 

 

先にある言葉を言い繋げる(まなぶ)に石影はその通りだと頷く。

石影のスケールの大きな話を聞いた(まなぶ)は圧巻される。授業では実現できるかは考慮せず、あくまで想像のうえで答えたものだ。

もし可能ならば、ノーベル賞は確実だ。しかも自分はその手助けとなれる。実現とは程遠いと思っていたが、遺伝子組み換えした蜘蛛に嚙まれて、特殊な能力を得た”自分”という実証例があるので、期間はともかく、実現はまずできるだろう。

(まなぶ)がそう思っていると、石影は真剣な表情で問いかける。

 

 

「……そこで、もう一度君に訊きたい。この研究について大まかに話したが、危険が伴うかもしれない。それでもやってくれるか?」

 

 

相手が優秀であるものの、まだ17歳の子供だ。大人として、教師としての責任がある。

引き返すのなら今のうち………石影は引き下がってほしいという思いもある反面、手伝ってほしいという気持ちもあった。

石影の真意を汲み取った(まなぶ)の答えは決まっている。

 

 

「それでもやります。研究内容を知ったんです………最後まで手伝わせてください」

 

「本当か!ははっ、そう言ってくれて嬉しいよ」

 

 

(まなぶ)の承諾に石影は左腕で彼の肩をポンッと軽く叩き、快く感謝を告げる。ここまでやってきたのに引き下がるのは心が痛むと(まなぶ)は思ったからだ。

そうと聞くや否や、石影は(まなぶ)に白衣を貸し与え、自身も手慣れた動きで白衣を纏うと、さっそく実験へと取り掛かった。

 

 

天海(あまかい)君。人間の遺伝子アルゴリズムに注入したいのだが、あと一歩足りないんだ。わかるか?」

 

「そうですね………免疫をつけるためにたんぱくの制御を──」

 

 

実験に取り掛かった2人。(まなぶ)のアドバイスを受けたことで実験は捗り、次々と山積みだった課題点を解決していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから実験を終えて3時間。外はすっかり暗くなり、時刻は夕飯時となっていた。

灯りが灯る玄関先で帰り支度をした(まなぶ)を石影夫婦が見送りにきていた。

石影は感謝を告げる。

 

 

「こんな夜遅くまでありがとう。君のおかげで40%しか進んでなかった研究が70%まで進んだ」

 

「……いえ、ただ僕は手伝っただけですので」

 

「本当に夕飯食べていかなくていいの?」

 

「気持ちは嬉しいですけど、叔母が心配しますので……。それでは、失礼します………」

 

「うん。気を付けて帰るんだぞ」

 

 

陽子のお誘いをやんわりと断り、そう言って(まなぶ)は帰ろうとすると、門扉の前で一台の車が停まる。

3人は振り返ると、銀色の高級そうなセダン車だった。車から照らすライトで『た 19-63』というナンバープレートがはっきりと見える。

誰だろうと3人が思う中、エンジンが切られると、中から運転していた男が出てくるとこちらへ歩いてくる。

 

 

「ッ!?(この人は!?)」

 

 

玄関の灯りで見えた男の全貌に(まなぶ)は目を丸くする。その男は眼鏡をかけ、幸せそうな体型をしたどこにでもいそうな中年男性だった。

しかし、(まなぶ)には彼が誰なのかすぐわかった。向こうとは知り合いでないにせよ、(まなぶ)にとっては知っている人物だ。

どうしてここにいるのかわからないでいると、中年男性は陽子に微笑みかけたのち、石影と握手を交わす。

 

 

「やあ、石影。元気にしてたかね?」

 

「元気さ。来るなら連絡くらいよこしてくれればいいのに……」

 

「ああ、すまない。驚かしたくてね」

 

「わざわざ来たのか?家からここまで遠いだろう?」

 

「いやー心配いらない。最近、この町に引っ越してきたんだ。今日はその挨拶とをね……」

 

 

親しげに会話する中年男性と石影。2人の間は、まるで十数年ぶりに再会した友達のような雰囲気に包まれていた。

 

 

「あの……失礼ですが、あなたは八丈目(はちじょうめ)博士では?」

 

 

そんな空気を壊したくないと思いつつも気になった(まなぶ)は恐る恐る質問する。

八丈目 博昭(ひろあき)────。世界的に有名な科学者で、これまで数多くの科学賞を受賞してきた大物中の大物だ。

その声を聞いた中年男性──八丈目は首を傾げながら、(まなぶ)の方を向く。

 

 

「その通りだが………君は誰かね?」

 

「……天海(あまかい) (まなぶ)です。旭高校に通ってます。今日は石影先生のお手伝いをしにきました。僕、あなたのファンで論文も全部見ました。次世代のクリーンエネルギーに関する研究はとても心惹かれます………」

 

「ほぉう……私の研究に興味を持つ若者がいるとは。原理はわかるかね?」

 

「原子周波数を調波させ、波長を増強して、凄まじいエネルギーを発生させる………。つまり、核融合を利用した新しいエネルギー開発です」

 

「そう、その通りだ。核融合反応により、第二の太陽を作り出すようなものだ……。はははっ、面白い少年だ」

 

 

(まなぶ)の熱心な科学愛に関心を示す八丈目。(まなぶ)がここまで科学に熱心になったきっかけは、幼い頃に八丈目の活躍を耳にしたからである。

周りがゲームやアニメに夢中になる中、(まなぶ)は八丈目の論文を余すところなく見ていた。今でもたまに学校で読むくらいだ。

彼のような科学者になること──それが(まなぶ)の夢である。

 

憧れの人物を目の当たりにして興奮気味になりそうな(まなぶ)だが、心を落ち着かせると、石影に尋ねる。

 

 

「石影先生。八丈目博士とはどういった関係なんです?」

 

「彼と私は20年来の友人でね、同じ科学者として切磋琢磨してきた仲なんだ……。もっとも、彼は量子工学専門、私は生物専門だがね」

 

 

微笑みながらサラッと答える石影に(まなぶ)は度肝を抜かれた。

──石影先生も充分天才だけど、まさか八丈目博士と繋がっているとは。思わぬ天才同士のパイプに驚かないわけはなかった。

(まなぶ)の八丈目への熱いアピールに突き動かされた石影は八丈目に提案する。

 

 

「そうだ、八丈目。君、実験で使うアームの開発に難航していただろ?彼に手伝ってもらったらどうだ?」

 

「いやぁ~……ありがたいが彼はまだ高校生だ。知識があっても、私の研究についていけるとは考えられない」

 

「彼は優秀だ。私の研究も彼のおかげでかなり進んだ。この私が保証する」

 

「………」

 

 

断ろうとしたが石影の猛プッシュに考え直す八丈目。

──そこまで押すなら、と顎に手を当ててしばらく考え込むと、八丈目は口を開く。

 

 

「……わかった。君がそこまで言うのなら心配は無用というものだ。君──あぁと、(まなぶ)と呼んでいいかね?」

 

「はい」

 

「よし……。石影の手伝いや学業を優先して構わない。暇なときに私のラボに顔を出してくれ。相応のギャラも出そう……。手伝ってくれるかな?」

 

「はい!よろしくお願いします!」

 

 

憧れの人物の研究を間近で体験できる絶好の機会。(まなぶ)は断るはずもなく快く承諾し、八丈目から差し出された手を取って握手する。

2人の天才と巡り会えたこの瞬間は(まなぶ)にとって最高の輝きだった。

ラボの詳しい場所や日時を簡単に聞かされた後、(まなぶ)は家に帰ることにした。

 

 

「今日はありがとうございました。失礼します」

 

「ああ、今度も頼むよ」

 

「また会おう」

 

 

別れの言葉を告げる(まなぶ)にそう言って見送る石影と八丈目。

(まなぶ)はペコリと頭を下げると、門扉から帰っていった。

 

 

「いい教え子を持ったな」

 

「そうだな……」

 

 

(まなぶ)が去っていった方角を関心の目で見る八丈目の呟きに石影は頷くのだった………。

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
①「上杉くんはともかく、天海(あまかい)君がお風呂上りを狙うなんて最低な行為をするわけないのに」
 「五等分の花嫁」第5、第6話にて風太郎が本棚から落ちてくる本から二乃(にの)をかばった際、お風呂上りのJKを襲う男子高校生というとんでもない構図となり、それを帰宅した五月(いつき)が目撃したことで尋問へと発展した。

捨扶持(すてぶ)先生
 アメコミ原作「スパイダーマン」の原作者の1人である「スティーヴ・ディッコ」から。初期のスパイダーマンの作画を担当し、大いなる貢献を果たした人物。

③八丈目の車のナンバー
 車のナンバープレート『た 19-63』の”1963”はアメコミ原作「アメイジング・スパイダーマン」#1が創刊された記念すべき年。

(まなぶ)が呼んでいた論文
 本作の#1にて、転入してきた五月(いつき)が教室に来るまで(まなぶ)が読んでいたのは、八丈目の論文である。
 その後、五月(いつき)に夢中になってしまって、論文の内容を忘れてしまったのはご愛嬌。



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#5 花火大会にいこう パート①

※注意
 らいはの口調が原作とは異なります。理由としては、小学校6年生でしっかり者という設定なのに、目上の人に対してため口なのは違和感がありすぎるからです。

苦手な方はブラウザバックを推奨致します。


9月30日の日曜日。大体の人が穏やかに過ごす曜日。仕事や学業などで疲れた心身を休ませている平穏なひととき。

誰もが求める至福の時間だが、そんな平穏を乱す者もいる。

 

 

「ヌゥアッ!」

 

「ごッ!」

 

 

宝石店前の路上で覆面を被った男の顎を蹴り上げるスパイダーマン。

その強烈な一撃に男は歯をカチンと鳴らし、後ろから地面に倒れる。

 

何故スパイダーマンが知りもしない男と戦っているのか。その理由は、この男が強盗だからだ。

男3人組の強盗で、宝石店にて2000万相当の宝石を盗んで逃走しようとしていた。

車で逃走しようとしたところ、通りかかったスパイダーマンと遭遇し、そのまま戦闘になったという経緯だ。

 

 

ブロロ……!

 

「ッ!」

 

 

強盗の1人をウェブで拘束していると、仲間の強盗2人は盗んだ宝石を積み込んだ車を走らせて逃亡した。

そう簡単に見逃すのを許さないスパイダーマンは高所にウェブを引っ付けると、空をスイングして追いかける。

 

 

「へへ……ここまで離しゃ追ってこないだろ」

 

「スパイダーマンといえど、このスピードには敵わねぇわな」

 

 

車を走らせている強盗2人は覆面脱ぎ、勝ち誇った顔を浮かべる。いくら空をスイングしたとしても、100km/hで飛ばしている車に追いつけるはずがない。

そうタカをくくっていると────

 

 

「誰が敵わないって?」

 

「「スパイダーマン!?」」

 

 

まさに話題にしていた人物──スパイダーマンが車のルーフ(天井)からひょっこりと顔を出して答える。

いつの間にか追いつかれたことに驚愕した強盗2人の声が重なる。

 

 

「くっそ!」

 

ダァンッ!ダァンッ!ダァンッ……!

 

 

助手席に座る強盗はスパイダーマンの顔目掛けて拳銃を発砲するが、簡単に避けられ、フロントガラスが割れる。

その後もやけくそ気味にルーフに向かって放つが、スパイダーマンにはかすりもせずひょいひょいと避けられ、ルーフに風穴が増えるだけだった。

当然、無駄撃ちをしてしまったので銃弾はたちまち無くなった。

 

 

ガシャンッ!

 

「ぬぐあッ!?」

 

 

銃撃が止んだことを確認したスパイダーマンは助手席のフロントドアに飛びつくと、拳で窓を突き破ってリロードしようとした強盗から拳銃を奪い取る。

そのまま拳銃を投げ捨てたスパイダーマンは車を停止させようとボンネットに飛びつく。

前が邪魔になって見え辛い強盗は振り払おうと蛇行運転するが、蜘蛛由来の吸着力を持つスパイダーマンがバランスを崩すことはなかった。

 

 

ボゴッ!

 

 

スパイダーマンはボンネットを突き破って四角形の物体を引っこ抜く。

それは車を動かすのに必要なバッテリーだった。

当然、動力源を失った車はコントロールが効かなくなり、スピードも急激に下がっていく。

 

 

≈「ッ!」≈

 

 

このまま停止してくれれば解決、と思っていた矢先、スパイダーセンスが反応する。

振り向くと先は交差点で、反対車線にはちょうどトレーラーが通っていた。スピードの減速具合から考えると、確実に衝突してしまう。

 

 

ピシューーーッ!ピシューーーーッ!

 

 

そうなってたまるかとスパイダーマンは前方目掛けて、両手首からウェブを()()発射する。

長く出されたウェブは信号機や近くの街頭や電柱にくっつき、あっという間に巨大な蜘蛛の巣を形成した。

お手製車用マットの完成だ。

 

 

ガンッ!

 

「わッ!?」

 

「うおッ!?」

 

 

──このままでもいいが、何かあったら大変だ。

強盗たちの生死を考慮したスパイダーマンは素早くルーフに飛び乗ると、ルーフを突き破って強盗2人の首根っこを掴んで引っ張り出し、強盗2人を抱えたままウェブを近くの電柱に引っかけて避難した。

 

コントロールが効かなくなった車はスピードが落ちつつも交差点中央に飛び出す勢いで走るが、見事蜘蛛の巣に引っかかって停止した。

何事かと野次馬の注目が集まる中、騒ぎを聞きつけた警察がパトカーで駆けつける。

 

 

「また、スパイダーマンか……」

 

「巡査部長。あれを」

 

「?」

 

 

巨大な蜘蛛の巣を目にして、スパイダーマンの仕業と呟く警官に部下の警官が言う。

指指す方角を見ると、そこにはウェブで頭以外全身を巻き付けられた強盗の2人が街頭の上で逆さ吊りになっていた。

強盗の身体に巻き付いているウェブには、『お勤めご苦労様です!宝石店前にももう1人捕らえているからよろしく!  親愛なる隣人 スパイダーマン』と書かれたカードが挟まれていた。

 

 

「車を捜索しよう。あと、あいつらを降ろす梯子も用意するように言ってくれ」

 

「はい!」

 

 

巡査部長の指示を聞き、無線で連絡する部下。

そんな彼らのやり取りを近くのビルの上で見届けたスパイダーマンはウェブを放って、現場から離れる。

 

ウェブスイングで現場から少し離れた路地に降り立ったスパイダーマンは物陰に隠していた私物を取り出す。

周りに誰もいないことを確認し、急いでマスクを脱いで、スーツの上から私服を着る。

オーガニックの卵が入ったエコバックを手にし、忘れ物がないことを確認した(まなぶ)は表通りを出て、ひと通りに紛れて歩き出す。

 

 

「((みこと)叔母さんにおつかいを頼まれた帰りに強盗が起きるなんて………。今日は目立った犯罪もないからこのまま終わるかと終わったけど……ツイてないな)」

 

 

歩きながら(まなぶ)は自らの不幸に辟易する。

日曜日ということもあり、今日はできるだけ羽を伸ばしたかったが、そうはいかないのが現実だ。

犯罪は1分1秒と起きており、今もどこかで犯罪は起きている。スパイダーマンとして生きていくには犯罪を見逃すことは出来ないが、おかげで帰宅時間が本来よりも大幅に遅れた。

今日が休みだから良かったものの、もし学校や家庭教師のアルバイト、石影や八丈目の手伝いがある日だったら最悪だった。

 

──この調子で大丈夫だろうか。

先の見えない未来に(まなぶ)は不安を覚えつつも笑顔を作り、(みこと)が待つ自宅の玄関の扉を開けた。

 

 

「ただいまー。卵買ってきたよ」

 

「お帰りなさい。随分遅かったわね~」

 

「取り合いになっちゃって……。でも安心して?ちゃんと買ってきたし、言われた通りのオーガニックだから」

 

「ありがとね。助かったわ~……」

 

 

卵を受け取った(みこと)の感謝に(まなぶ)の頬は緩む。

幼い頃から育ててもらった最愛の叔母の頼みだ。断るはずがない。

やるべきことが終えてゆっくりしようと考えている(まなぶ)(みこと)は言う。

 

 

(まなぶ)。お前のお友達の五月(いつき)さんが来てるわよ」

 

「え?五月(いつき)が?どうして?」

 

「渡したいものがあるって。リビングにいるから」

 

 

突然の来訪に驚いた(まなぶ)はとりあえず手洗いうがいをして、できるだけ身なりを整えると、リビングへと向かう。

リビングの椅子には五月(いつき)がピシッと真っ直ぐな姿勢で座っていた。

 

(まなぶ)が帰ってきたことに気付いた五月(いつき)は口を開く。

 

 

「あ、お邪魔してます」

 

「やあ。……………家教えたっけ?」

 

「父から住所の方は聞いておりますので」

 

 

五月(いつき)の答えに納得する(まなぶ)

雇い主である以上、雇う人間の住所を調べるのは当然だ。

それにしても、いつの間に調べたのだろうと(まなぶ)は思った。自分のプロフィールや成績といったあまり公開されないものの情報までどうやって手に入れたのか。

金の力だろうか……。顔を見たことがないこともあって、ますますマルオという人間が不気味に感じた。

 

 

「ところで、渡したいものって?」

 

「父から預かった今月分のお給料です。銀行振込しようと思っても、口座番号を知らないので………」

 

「(そういえば、口座番号知らないのにどうやって渡すんだろって思った……)」

 

 

対面の席に座り、気持ちを切り替えて尋ねると、五月(いつき)はそう言いながらお金が入っている封筒を差し出す。

言われてみると、普通なら銀行の口座番号を聞き、そこに振り込むのが定番だ。しかし、教えるどころか、雇い主のマルオの口からその質問が出ていない。流石のマルオでも口座番号を知ることはできなかったということだ。

 

正直に言えば、直接貰うよりも銀行に振り込んでもらえると助かるが、相手が五月(いつき)なら別だ。

こうやって給料日の度に好きな女の子と会うことができるからである。

そんな下心を(まなぶ)は思いながら封筒からお金を出す。中に入っているのは全て紙幣で、それも大量だった。

 

 

「1日5000円を5人分……2週間分で150000円だそうです」

 

「………」

 

 

封筒から出てきた大量の札束に(まなぶ)は言葉を失う。

普通のアルバイトの2週間分なら1万ちょっとくらいだろうが、それすら超える破格の金額だ。デイリー・ビューグルだって(ケチな編集長のせいで)こんなには貰えない。

前々から給料については知っていたが、実際に目にすると衝撃が違う。冷静に説明する五月(いつき)の声が耳に入らないくらいだ。

 

 

「………でも、いいの?僕、他の3人には何もしてあげれてない……」

 

「いえ、そんなことありませんよ。あなたが来てからというものの、風通しが良くなった気がしますから。現に私は苦手だった勉強に対して前向きになれました………。これはほんの少しのご褒美と思って」

 

「……わかったよ」

 

 

このまま給料を受け取っていいのか渋る(まなぶ)だったが五月(いつき)に説得され、前向きに給料を受け取った。

罪悪感は感じるものの、金銭面に余裕がないので返金なんていう選択肢はない。

 

(まなぶ)は給料が入った封筒を丁寧に戸棚にしまうと、台所先から顔を出した(みこと)が声をかける。

 

 

(まなぶ)ー。今日の花火大会に五月(いつき)さんと行ったらどう?」

 

「え?」

 

「せっかくあるんだし、何か1つくらい遊びに行ってもいいんじゃない。私ももう歳だから、歩くのがきつくって………」

 

 

(みこと)は唐突に提案すると、自分の太ももに手を当てて自嘲気味に笑う。

確かに今日はT市で行われる、季節外れの花火大会の日だった。

毎年行われる祭りで、毎年家族連れやカップルなど、多くの人で賑わっている。

無論、そんなのとは無縁と思っている(まなぶ)は毎年部屋の窓から打ち上げ花火を眺めるだけだった。

 

しかし、これは親睦を深める絶好のチャンスだった。

好きな女の子がこうして目の前にいるのだ。花火大会というなんともロマンチックな舞台で2人っきりになれるのだ。

しかも場所が家なので誘いやすい。これほど運に恵まれているのは中々ない。

 

(みこと)の唐突の提案に一瞬固まった(まなぶ)だが、願ってもないチャンスだと言い聞かせると、意を決して五月(いつき)に誘いかける。

 

 

「あ……あぁ、もしよかったらだけど、僕と……一緒に行かない?花火大会に」

 

 

(まなぶ)は言葉を詰まらせながらも誘いの言葉をかける。

普通に遊びに誘うだけなのだが、涼介や(まさる)を誘うのとはまた違かった。緊張のあまり、目を合わせにくいくらいだ。

好きな女の子を誘うのはこんなにも胸が締め付けられるのか、と(まなぶ)が思っていると、五月(いつき)は──

 

 

「いいですよ」

 

「え」

 

 

とあっさり了承した。

まだ会って3週間くらいしか経っていないから断れるかと思い、拍子抜けた声が(まなぶ)の口からもれる。

口をポカンと開けている(まなぶ)五月(いつき)は続けて言う。

 

 

「ええ、せっかくのお誘いなので……。それに私、あの花火大会には毎年行くので……」

 

「そうか……ありがとう!」

 

 

その返事を聞いて、(まなぶ)の不安は飛んでいき、あっという間に笑顔になった。

あまりもの嬉しさに飛び上がりたい気分だ。勇気を振り絞ったかいがあった。

 

──彼女と2人きりになれる!心の中でガッツポーズをとっていると、五月(いつき)はスマートフォンを取り出し──

 

 

「では、姉たち()()一緒に行くと伝えておきますね!」

 

「………え」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、あれから時間が経ち、花火大会会場。周りはすっかり薄暗くなり、屋台の灯りがぽつぽつと光っている。

会場は私服や浴衣を着た来場者で賑わっていた。

 

 

「……」

 

 

賑わう人々の喧噪から少し離れた時計台の近くに(まなぶ)はいた。

しかし、先程まで嬉しかったはずなのに、顔はどこか沈んでいた。

理由は五月(いつき)と2人きりになれないからだ。元々、五月(いつき)は姉妹と一緒に行く予定であり、(まなぶ)がそこに加わる形になった。

五月(いつき)は一旦家に戻って準備をし、姉妹と一緒に来る予定だ。(まなぶ)はその集合場所である時計台で待っているというわけだ。

だが、彼の気分が落ち込んでいるのはそれだけじゃない。

 

 

「あいつらまだかよ……」

 

「らいはちゃん。何か買ってこようか?」

 

「いえ、大丈夫です!お兄ちゃんに買ってもらいますので」

 

 

(まなぶ)の視線の先には居心地悪そうにブツブツと文句を垂れる風太郎、風太郎の妹──らいはに明るく接する親友の涼介の姿があった。

らいはと涼介は初対面なのに、すっかり意気投合していた。

 

そんな彼らがこの場にいる理由。(まなぶ)同様、彼らもまた、五つ子たちに誘われてきたのだ。とはいっても涼介は偶然会っただけだが。

友達とはまだ言えない風太郎、初対面のらいはに加え、見知った親友までもいるので、ますます2人きりなれない。(まなぶ)の気分はますます沈んでいく。

 

 

「はぁ……。四葉(よつば)の奴、こんな人混みまみれた巣窟に誘いやがって………。さっさと勉強に戻りたい………」

 

「嫌なら帰ったらどうだ?お前なんかがいなくても、らいはちゃんは俺たちが何とかできる………無理しなくていいんだぞ?」

 

 

愚痴を垂れる風太郎に涼介は挑発交じりの嫌味を吐く。

その言葉にカチンときた風太郎は涼介に言い返す。

 

 

「無理?聞き捨てならないな。俺がここにいるのは、らいはの頼みだからだ。らいはのためなら苦痛でも何でもない」

 

「ふっ、お前がそんな台詞を吐くなんてな………。普段、自分の才能を見せびらかしている奴から出た言葉なんて信じられるか。お前なんかが、らいはちゃんと同じ血を引いているとは思えないな……少しは見習ったらどうだ?」

 

「余計なお世話だ。金持ちのお坊ちゃんには到底理解できないだろうさ」

 

「関係ない話をするな。本当に心の底から腐った奴だ………」

 

 

冷たい声色で言い争いながら睨み合う風太郎と涼介。

涼介は周り同様風太郎のことを嫌っており、見るだけで吐き気がすると言うレベルだ。

常に相手を見下し、周りを平気で蹴落とす態度が涼介には気に食わなかった。

 

いがみ合っている2人を見て、(まなぶ)は嘆息ついていると、らいはがトコトコとやってくる。

何の用だろうと思っていると、らいははペコリと頭を下げる。

 

 

天海(あまかい)さん。いつも兄がお世話になっています」

 

「……え、ああ!こちらこそ!」

 

 

丁寧に挨拶された(まなぶ)は戸惑いながらも頭を下げる。

(まなぶ)が驚いたのも、小学6年生にして、あの上杉 風太郎の実妹とは思えないくらいの礼儀正しさだったからだ。

不愛想な兄に対して、妹の方は友好的だ。涼介の言う通り、同じ血を引いているとは思えなかった。

 

そんなことを思っていると、らいはは訝しげに尋ねる。

 

 

「兄はいつもああなので、苦労されてるとは思いますが……アルバイト先で変なことされてはいませんか?」

 

「……ん?いや、特にないよ」

 

「そーですか!家でも不愛想なんでトラブルを起こしてるかと……」

 

「ははっ(どちらかといえば、()()()()()なんだけど……)」

 

 

ほっと胸を撫でおろすらいはを見て、(まなぶ)は心の中で答えながら苦笑する。

風太郎は性格はともかく、家庭教師としての責任を果たそうとしているが、逃げられたり、睡眠薬を盛られたりと散々な目に遭っている(主に二乃(にの)が主犯)。

風太郎も自分も生活がかかっている。アルバイト先でそんなことが起きているとなれば、不安を与えるしかないので嘘をつくしかなかった。

 

 

「お待たせしましたー」

 

 

そんなことがありつつも時刻が18時近くに迫ったとき。元気な四葉(よつば)の声と共に五つ子たちがやってきた。

皆、色鮮やかな浴衣に身を包んでおり、私服とはまた違った印象を受ける。

全員が揃ったと皆が思っている中、二乃(にの)は見慣れない涼介に尋ねる。

 

 

天海(あまかい)上杉(うえすぎ)と妹ちゃんはわかるけど………あんた誰よ?」

 

「緑川 涼介だ。(まなぶ)とは親友だ。良かったら、俺も一緒についていっていいか?」

 

「ふーん……。天海(あまかい)の友達にしては結構イケてそうじゃない。いいわ、特別に許可してあげる」

 

「ありがとう」

 

 

二乃(にの)から同行許可をもらった涼介はにっこりと感謝を告げる。

特別警戒心が強い彼女があっさり許可したのは、涼介の顔が割りと好みだったからである。面食い様様だ。

 

 

「あっ……」

 

 

そのやりとりの端では、(まなぶ)五月(いつき)の姿に釘付けになっていた。

彼女はいつもの星の飾りはそのままに後ろ髪を縛り、赤い浴衣に身を包んでいた。

暗がりの中、屋台の光の絶妙な当たり加減によって、美貌をより美しく魅せていた。

 

 

「ッ、あ……あんまり見ないでください」

 

「ご、ごめん……!」

 

 

視線が気になり、頬を赤くして恥ずかしそうに視線を逸らす五月(いつき)に注意された(まなぶ)は急いで視線を逸らす。

浴衣姿の可愛さに思わずジロジロと見てしまい、(まなぶ)は恥ずかしくなる。

 

 

「おやおや?」

 

「ほ~?」

 

 

そんな2人の初々しい反応を楽しそうに見ていた者が2人。一花(いちか)と涼介だ。

妹、親友の反応から何か閃いたのかお互い顔を見合わせて、いたずら気な笑みを浮かべた。

二乃(にの)は皆に訊く。

 

 

「花火って何時から?」

 

「19時から20時まで」

 

「じゃあ、まだ1時間あるし、屋台行こー!」

 

 

三玖(みく)の返答に一花(いちか)はにこにこしながら提案する。

その一声に一行は賛成。人が賑わう屋台通りへと足を運んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「~~~ッ!」

 

 

それから30分後。通りを歩く五月(いつき)はベビーカステラが入った袋を手に、ぷんすかと不機嫌そうに頬を膨らませていた。

その原因はベビーカステラ屋での出来事にあった。

 

 

「機嫌直しなよー」

 

「思い出しても納得がいきません!あの店主、一花(いちか)には可愛いからとオマケと言って、私には”何にも無し”だなんて!同じ顔なのに……!」

 

 

発端となった出来事を思い出すだけでさらに腹が立つ五月(いつき)

2人は先程ベビーカステラを買いにいったのだが、一花(いちか)にだけ増量したのだ。

隣で話を聞いている一花(いちか)はどう返せばいいかわからず、苦笑するしかなかった。

 

 

「僕は……充分魅力あると思う」

 

「?」

 

 

その話を聞いていた(まなぶ)五月(いつき)に励ましの言葉をかける。

どういうことだと首を傾げる五月(いつき)(まなぶ)は──

 

 

「価値なんて人それぞれなんだし、気にしなくていいよ。僕が店主だったら、確実にオマケをつける……」

 

 

思いつく限りの言葉を告げる。彼女自身はわかっていないかもしれないが、同年代の女子の中でも五月(いつき)もかなり可愛いレベルだ。その魅力を充分わかっていると自負している(まなぶ)には迷うことなく伝えられる。

 

 

「………」

 

 

励まされた五月(いつき)はそっぽを向く。これは機嫌が損ねたのではなく、嬉しさを隠しきれない────照れ隠しというやつだ。

褒められた気がした五月(いつき)は機嫌が良くなり、溢れる喜びを抑えきれなくなったのだ。

この反応が照れ隠しだとわかった(まなぶ)は気分が良くなり、頬が緩むが──

 

 

「フォローに加えて、想いも言うなんて………結構踏み込んだじゃない?緑川審査員はどう思います?」

 

「54点というところですかねー。まあ、奥手な(まなぶ)にしてはよくやった方と思いますがね~~……はははッ!」

 

「……」

 

 

と、隣から一花(いちか)と涼介のからかう声が聞こえ、緩んでいた頬が元に戻る。

傍からからからわれると、自信持ってやったことがこっ恥ずかしくなるものだ。

黙り込む(まなぶ)一花(いちか)は耳元に話しかける。

 

 

「マナブくーん。お姉さんとしての意見だけど、今着ている服にも興味持たないと。ほら、浴衣は本当に下着を着けてないとかさーー」

 

「まさか……それは迷信だろ?」

 

「ふーん。本当にそうかな~?真面目な五月(いつき)ちゃんの浴衣の下はオープンだったりして………?」

 

 

一花(いちか)の囁くような声に(まなぶ)前を歩く五月(いつき)を見る。

もしあの浴衣の下に何も身に着けていなかったら………そんな妄想は年頃の男子高校生には容易に浮かび、恥ずかしくなった(まなぶ)は顔を真っ赤にする。

 

 

「あっはっはっは!想像しちゃった?嘘噓、ちゃんと着けてるよ!マナブ君ったら、ウブなんだから~!」

 

「………」

 

 

狼狽する(まなぶ)を見て、一花(いちか)はゲラゲラと笑う。

(まなぶ)の反応の面白さに一花(いちか)のいたずら心に火が点いたのだ。(まなぶ)本人は全く笑えないが。

そのやりとりを聞いていた涼介は(まなぶ)に──

 

 

「悪いなー。だが、お前の恋路を邪魔するつもりはない。恋のキューピットは任せろ!」

 

 

とウインクして肩に手を置く。しかもにやけながらだ。

一花(いちか)と涼介は応援よりもからかい要素が強いのは明白だった。

(まなぶ)はこれほどまでに親友が鬱陶しいと感じたのは生まれて初めてだった。

 

 

「あんたたち遅い!」

 

二乃(にの)の奴、気合が入ってんなー……。花火なんて毎年やってるだろうに」

 

 

先の方をグングンと進む二乃(にの)のテンションの上がり具合に風太郎は驚きを隠せなかった。

いつも見ている彼女の性格からあんまり乗り気じゃない態度を見せるかと思ったが、今はその全く真逆だった。

風太郎の呟きに三玖(みく)は口を開く。

 

 

「花火はお母さんとの思い出なんだ」

 

「……」

 

「お母さんが花火が好きだったから毎年揃って見に行ってた。お母さんがいなくなってからも毎年揃って………。私たちにとって、花火ってそういうもの」

 

 

それを聞いた風太郎は納得する。妙に張り切っているのは自分たちのためであり、亡き母親のためだと。

家族との思い出を大切にしたいという気持ちは風太郎にもわかる。

この話は風太郎だけでなく、聴覚100メートル先に落ちた針の音をも聴き取る男──(まなぶ)の耳にも自然と入っていた。

 

 

《大変長らくお待たせしました。まもなく開始いたします》

 

 

花火を打ち上げる10分前のアナウンスが鳴り、来場者が一気に動き始めた。

その数は先程よりも多く、どこに誰がいるのかわからないくらいの人混みとなった。

 

 

「どっちだけ?」

 

「もう上がってる?」

 

「痛ッ!?足踏んだの誰よ!」

 

 

押し寄せる人の波に押され、二乃(にの)は姉妹たちがいるであろう場所から離されていく。

足を踏まれた二乃(にの)は文句を言うが、入れ替わりが激しく、誰が踏んだのかすらわからない。

 

 

「ちょっと!みんなどこ!?四葉(よつば)一花(いちか)五月(いつき)三玖(みく)!」

 

 

人混みにまみれながら二乃(にの)は姉妹たちの名前を叫ぶ。

だが、周りの喧噪にかき消され、彼女らの耳に届かない。

どうすればいいのかと迷っていると──

 

 

「平気?」

 

「ッ!」

 

 

と人混みの中から聞き覚えのある声が聞こえ、腕を掴まれる。声の正体は(まなぶ)だった。

(まなぶ)二乃(にの)が何か言おうとする間も与えず、そのまま引き連れて、人混みを掻き分けていく。

そして、5分後には息苦しい人混みから脱出した。

 

 

「ふぅ、やっと抜けれた……」

 

「そうね……って!いつまで掴んでるのよ!」

 

「ああっ!ごめんッ!」

 

 

二乃(にの)に吠えるように指摘された(まなぶ)は慌てて手を放す。

二乃(にの)が掴まれた腕を軽く振っている中、(まなぶ)は人混みの方を振り向く。

 

 

「みんなとはぐれちゃったし、どうすれば……」

 

 

急いで人混みを抜けたとはいえ、一緒にいた他のみんなとははぐれてしまった。ここから探そうにもあの人数では難しいだろう。

(まなぶ)の不安そうな呟きを吹き飛ばすように二乃(にの)は言う。

 

 

「安心しなさい!こんなことを考えて、花火を見るために貸し切ったお店があるのよ!そこにいるはず!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、(まなぶ)二乃(にの)の先導を受けて、彼女が予約しているカフェへ向かっていた。

道中、(まなぶ)二乃(にの)から散々文句を言われたが、何とか到着した。

 

 

「ここの屋上よ。きっと、もうみんな集まってるわ」

 

 

自信満々に話す二乃(にの)の声を聞きながら、2人は屋上へと駆け上がっていく。

そして、屋上に辿り着いた瞬間──

 

 

ヒューーーー………ドォォォォーーーーーン!!!

 

 

煙火玉が打ちあがり、夜空に花火が爆発。花開くように鮮やかな色が広がった。

その明かりで屋上が照らされるが、2人以外、誰1人としていなかった。

 

 

「あ」

 

 

その光景を目の当たりにして、二乃(にの)は思い出したかのような声を出す。その声色は、何かやらかしてしまったというものだった。

確信した二乃(にの)は真っ青になり、額からは変な汗が流れる。

 

 

「どうしたの?」

 

 

明らかに動揺している二乃(にの)(まなぶ)が尋ねると、彼女は引きつった笑顔で言う。

 

 

「どうしよう……。よく考えたら今年のお店の場所、()()()()()()()……」

 

「えぇ……」

 

 

最悪なニュースに(まなぶ)は引きつった顔を浮かべた……。

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
①オーガニックの卵
 マーク・ウェブ版の「アメイジング・スパイダーマン」(2012)にて、ピーターがメイおばさんにおつかいを頼まれたもの。オーガニックは鶏に与える飼料に遺伝子組み換え作物を使用せず、 無農薬で作った有機農産物を与えたものを意味する。
 当のピーターはベンおじさんを殺した犯人を追うことへの執着やリザードとの野望の阻止に奮闘しており、中々買ってこなかった。終盤での戦いを終えて傷だらけで卵を買ってくるシーンは感動必至。

②100メートル先に落ちた針の音をも聴き取る男
 東映版「スパイダーマン」(1978)のスパイダーマンが発する名乗り口上の1つから。特にこの口上通りの設定がある訳ではない。



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#6 花火大会にいこう パート②

五つ子、友人たちと花火大会へとやってきた(まなぶ)

押し寄せる来場者たちによって彼らとはぐれてしまい、近くにいた二乃(にの)と一緒に予約している店へと向かった。

だが、そこには誰もいなかった。伝え忘れたことを確信した二乃(にの)は焦る。

 

準備が整っていない彼らとは裏腹に、花火はすでに始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

発覚した事実に呆然と立ち尽くす二乃(にの)(まなぶ)

その衝撃に轟音と共に夜空に美しく咲く花火も目に入らなかった。

 

そんなとき、二乃(にの)のスマートフォンが震える。相手は四女の四葉(よつば)だった。

すかさず、二乃(にの)は電話に出る。

 

 

四葉(よつば)!妹ちゃんも一緒?もう花火始まってるけど、どこにいるの?……え?時計台に戻ってるって?迎えに行くからそこにいなさい!」

 

 

通話を切った二乃(にの)五月(いつき)にかける。

しかし、気付いていないのか中々電話に出ない。

 

 

「どうして出ないのよ………。ぼさっとしないであんたもかける!」

 

「はっ、はい!」

 

 

強い声色で発する二乃(にの)に気圧された(まなぶ)はビクッとしつつも、スマートフォンを取り出す。

五つ子たちの連絡先は知らないので、親友の涼介にかけることにした。

プルル……と発信音が3回鳴ったのち、通話相手の涼介が出た。

 

 

(まなぶ)。どこにいる?》

 

「涼介。出てくれて良かった!僕はカフェ『Jon Watts』にいる!そっちは他に誰かいない?」

 

《あー……さっきまで一花(いちか)さんといたけど、用事を思い出したってどっかに行ったなー》

 

「用事?」

 

《詳しくは聞いてない。もし妹たちに会えたら”一緒に見られなくてごめん”とは言ってたな……》

 

 

涼介から消えた一花(いちか)の伝言に眉をひそめる(まなぶ)。用事とは何なのか。

気になった(まなぶ)二乃(にの)に尋ねる。

 

 

一花(いちか)から今日、何か用事があるって聞いてる?」

 

「用事?そんなの聞いてないわよ」

 

 

(まなぶ)の問いに何のことかと反応を返す二乃(にの)

自分よりも本人の妹である彼女に心当たりがないとするのなら、詳しいことはわからない。

一花(いちか)の用事が気になるが、今はみんなの現在位置を知ることが先決。(まなぶ)は再び通話に戻る。

 

 

「涼介。今、どこにいるか教えてくれる?」

 

《焼き鳥の近くだ》

 

「わかった。そこで待ってて」

 

 

涼介にそう言い伝えると、(まなぶ)は通話を切った。

 

 

「(場所はわかったけど、どうやって探せばいいか………)」

 

 

心の中でそう思いながら、(まなぶ)は地上を見下ろす。

下は花火を見ようとする大勢の人でごった返しており、この中に入ってピンポイントに探し出すのは難しいだろう。

(まなぶ)は隣にいる二乃(にの)へ顔を向ける。彼女は他の姉妹にかけているが、中々繋がらず、表情も陰りが見えてきていた。

 

 

『お母さんとの思い出なんだ』

 

「………」

 

 

不安な面持ちの彼女を見て、(まなぶ)は花火が始まる前の三玖(みく)の言葉を思い出す。

毎年楽しみにしている花火……両親との思い出が少ない(まなぶ)にとっては羨ましくもあり、守ってあげたいものだった。

 

 

「僕に任せてくれない?」

 

「…え?」

 

 

気付いたときには口が動いていた。

不安で押しつぶされそうな彼女を前にして、見てられない心境が(まなぶ)の声帯をプッシュしたのだ。

唐突の提案に呆ける二乃(にの)(まなぶ)はたて続けに言う。

 

 

「こういうのにうってつけの助っ人がいる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(ど、どうしましょう………)」

 

 

その頃、五月(いつき)は不安な面持ちで屋台通りを歩いていた。

姉妹たちとはぐれ、どこにいるのかわからない知人を探し歩く。

だが、どこを見ても周りは知らない顔だらけ。おまけに現在位置もわからない。たった1人取り残された五月(いつき)は得体のしれない不安と焦りで、今にも泣きそうな気分だった。

 

 

「君が中野 五月(いつき)さん?」

 

「……ッ、はい!そうですが……………!?」

 

 

そんなとき、後ろから声をかけられ、振り向く五月(いつき)。迷子案内のスタッフかと思ったが、思わぬ人物に目を丸くする。

赤いマスクに蜘蛛の巣が張り巡らされたようなスーツ………SNSやニュースなど、報道関係を賑わせているスパイダーマンその人だった。

 

下に降りて大勢の人から探し出すのは困難。だが、スパイダーマンなら話は別だ。スパイダーマンである(まなぶ)は高所からなら簡単に探し出せると考えた。

その読みは当たり、案の定すぐに五月(いつき)が見つかったのである。

 

周囲の人も話題の人物の登場に目を丸くしていた。

五月(いつき)は目の前にいるスパイダーマンに恐る恐る尋ねる。

 

 

「あなたは……スパイダーマン?」

 

「僕のこと知ってくれてるの?そう、僕は正真正銘スパイダーマン。君のお友達の(まなぶ)君からの助けを聞いてね、探しにきたんだ」

 

天海(あまかい)君が………?」

 

「そうだ。僕は困っている人の声が蜘蛛の巣に振動するように伝わるんだ。二乃(にの)が待っている。さあ、この手を取って」

 

 

そう言ってスパイダーマンは手を差し出す。目立つ格好をしているのですぐにでも離れ、二乃(にの)のもとへと連れていきたい。

その差し出された手を五月(いつき)は──

 

 

「いえ、結構です」

 

 

と、きっぱり拒否した。

何故と頭の上に疑問符を浮かべるスパイダーマンに五月(いつき)は話す。

 

 

「失礼ですが、あなたが本当に天海(あまかい)君のお友達かどうか信用できません……。見ず知らずの私を助けようとしてくれるのはありがたいですが、身元を明かせないとなると……」

 

 

それを聞いたスパイダーマンはそうだったと頭を抱える。

五月(いつき)(まなぶ)としての自分は知っているが、”スパイダーマンである自分”とは初対面であった。

顔も身元もわからない人間に「はい、そうですか」と承諾してホイホイとついていく人はいない。むしろ、警戒心を抱くのは当然だろう。

 

 

「(どうすれば……!)」

 

 

彼女をどう納得させるか頭を悩ませるスパイダーマン。

一番手っ取り早い方法はマスクを脱いで、(まなぶ)がスパイダーマンであることを明かせばいいのだが、それは出来ない。

周りにはたくさんの人の目があり、いつ誰が写真や動画を撮っているかわからない。正体がバレれば、私生活や社会的地位に大きな悪影響を及ぼすことは容易に想像できた。

 

何か証明できるものは無いかと腰の隠しポケットにある財布を取り出す。

財布を開き、中身を確認する。

 

 

「(学生証は身元がバレるからアウト。保険証もアウト。家の鍵は論外。お金は……いや、そんなもの渡せば誘拐犯だと思われる!)」

 

 

スパイダーマンはますます頭を悩ませる。どれもこれも正体を隠しながら証明できるものではない。正体を隠しながら相手を安心させるというのは到底難しい話だ。

 

 

「そこを動くな!スパイダーマン!」

 

「!?」

 

 

五月(いつき)への証明に悪戦苦闘していると、遠く後ろから男の声が聞こえる。

スパイダーマンは振り向くと、それは男2人の警察官だった。この場にいる誰かが警察に通報したらしい。

刻々と過ぎてゆく時間に加え、警察の介入にスパイダーマンは焦りながらも五月(いつき)への説得にかかる。

 

 

「君が怪しむのはわかる。でも、お願いだ!僕についてきてくれ!約束を果たす前に捕まるわけにはいかないんだ!」

 

「言ったじゃないですか!あなたを信用できないって!あなたは誰なんですか!?スパイダーマンかどうかも、友人との知り合いかどうかもわかりません!」

 

 

説得を試みるが、眉をしかめた五月(いつき)は言い返す。焦って出た強い口調が逆に五月(いつき)の不信感を強めた。

──焦っても仕方がない。自覚したスパイダーマンは心を落ち着かせる。なら、証明できるものは他にないのかと腰の隠しポケットを探ると、スマートフォンに触れた。

 

──これしかない!そう判断したスパイダーマンは一か八かの賭けに出る。

 

 

「わかった……じゃあ、こうしよう。君に僕の携帯を預ける。もし僕のことが信用できないんなら、警察に届ければいい。僕の正体を突き止められるから」

 

「……」

 

「信じてくれ……」

 

 

スマートフォンを差し出して懇願するスパイダーマン。

条件を提示された五月(いつき)は考えながら後ろを見る。後ろには警察官が人混みを掻き分けながら、こちらへ向かっていた。

 

正直にいうと五月(いつき)はまだ彼のことを信用していなかった。会って間もない男……しかも顔を隠しているとなると尚更だ。そんな男が姉妹に会わせるからついてこいと言うのは危険で怪しすぎる。

 

 

「(でも、携帯を差し出すとなると……)」

 

 

そこで考えを改める。スパイダーマンがやっているのは個人情報を晒すような危険行為である。

──本当なのかもしれない。マスクのせいで表情こそ伺えないが、必死に頼み込む態度から真剣さが伝わってきた。

そう判断した五月(いつき)は答える。

 

 

「……わかりました。そこまで言うのなら、私も信用しましょう」

 

「本当?」

 

「ですが、嘘だった場合は本当に警察の方に渡しますが……?」

 

「もちろんさ!さあ、しっかり捕まって」

 

 

五月(いつき)から承諾を得た(まなぶ)はマスクの下で満面の笑みを浮かべると、自分に掴まるように指示する。

戸惑いながらも指示に従った五月(いつき)は正面から抱き付くような体勢になる。

 

 

ピシュ!

 

「時間がないから速めに飛ばすよ」

 

「え?あっ、あぁぁーーッ!!?」

 

 

スパイダーマンはウェブを手首から発射して高所につけて一声注意を促すと、まだ心の準備ができてない彼女を連れて空へ飛んで行く。

こちらに向かってきていた警察官の真上をスイングし、二乃(にの)の待つ喫茶店へと向かう。

アップダウンする素早いスイングによって、五月(いつき)の髪は風の抵抗を受けてなびく。

 

 

「……ッ!」

 

五月(いつき)はふと下を見下ろす。自分たちが通っている空の高さは屋台や通りを歩く人々が小さく見えるほどだった。

急に怖くなった五月(いつき)は抱き付く腕を強める。

怖がってるのを察したスパイダーマンはそっと声をかける。

 

 

「ごめんね。怖いだろ?」

 

「いいえ!これくらいなんとも……」

 

「強がらなくてもいい。怖かったら目を瞑ってみて」

 

 

スパイダーマンに五月(いつき)は目を閉じる。

光が無くなり、スゥーーと風の感触と地上の環境音、花火の轟音が鮮明に聞こえる。

だが、どこにいるかわからない暗闇を浮遊している感覚が逆に怖くなり、目を開けた。

 

 

「やっ、やっぱり無理です!」

 

「そうか……。じゃあ、前だけを向いてて」

 

「はい……」

 

 

指示を受けた五月(いつき)は出来るだけ前の方を見るように意識した。それでもやはり怖い彼女はギュッと腕の力を強める。

スパイダーマンは押し当てられる柔らかい感触にドキドキしながらも、花火舞う夜空をスイングしていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五月(いつき)を発見してから3分後。できるだけウェブスイングで1分もせずに二乃(にの)の待つ喫茶店の屋上へと着いた。

スパイダーマンは屋上に五月(いつき)を下ろすと、二乃(にの)に声をかける。

 

 

「お待たせ!」

 

「……ん?ええ!?スパイダーマン!?五月(いつき)も!!」

 

 

二乃(にの)は丸くした目をスパイダーマンと五月(いつき)に交互に向けながら驚く。

それもそうだろう。空から話題の人物と自分の妹がいきなり現れたのだから。

面白いくらい驚く二乃(にの)にスパイダーマンは笑いを堪えていると、五月(いつき)は頭を下げる。

 

 

「ありがとうございます。さっきはすみません、中々信用しなくて……」

 

「いや、いいんだ。それだけ警戒心があるなら、詐欺にもひっかからない………。他の子たちも連れてくるから待ってて」

 

 

スパイダーマンは謝る五月(いつき)に軽く宥め、2人に向かってそう言い残すと、ウェブを高所に引っかけて、また空を飛んでいった。

 

 

「本当にいたんだ……」

 

 

飛び去っていくスパイダーマンを見て、二乃(にの)は呆然とする。

普段SNSをチェックしている彼女も存在は知っていたが、本当にいるのかは半信半疑だった。

しかし、実物を見てしまった以上、信じらざるを得ないだろう。

 

呆けていた二乃(にの)だったが、ハッと意識を戻すと、五月(いつき)に尋ねる。

 

 

「あ。そういや何で電話出なかったの?」

 

「え……?あ、すみません。機内モードにしてました……」

 

「あんたねぇ……」

 

 

携帯を確認し、テヘヘと笑う五月(いつき)二乃(にの)は呆れた目を向けた。

 

その後、スパイダーマンは次々と姉妹たちや友人を屋上へ連れてきた。

順番としては、四葉(よつば)とらいは、涼介。そして、三玖(みく)と風太郎なのだが……

 

 

「わぁぁぁああぁあああーーーーーーッ!!!?」

 

 

風太郎は情けない声を上げながら到着した。一緒にいたので連れてきた三玖(みく)は大人しくしていたが、高いのが苦手なのか道中、風太郎は「落ちる」やら「もうちょっと低くしろ」などしつこく注文をしてきた。

流石のスパイダーマンもあまりにもうるさすぎるので、ウェブで口を塞いでやろうかと思ったが、鼻に詰まって窒息なんてことがあったら大事なのでしなかった。

 

屋上に降ろすと、解放された風太郎は床に大の字になって寝転がる。ウェブスイングは彼には刺激が強すぎたのだ。

そんなぐったりしている風太郎に三玖(みく)は覗き込む形で心配そうに尋ねる。

 

 

「フータロー。大丈夫?」

 

「だいじょばない………。寿命が122年縮んだ………」

 

「えー?ジェットコースターみたいで楽しかったですよー。ですよね、らいはちゃん!」

 

「はい!」

 

 

血の気が引いている風太郎に反して、四葉(よつば)とらいはは楽しそうに言い合う。

現に彼女たちは遊園地でジェットコースターに乗った感じで、高所を移動する刺激を楽しんでいた。涼介は怖くて無言だったが。

その後、四葉(よつば)は眉をしかめている二乃(にの)に何かを話している中、五月(いつき)が尋ねる。

 

 

一花(いちか)は見つかりませんか?」

 

「うん。この会場一帯探し回っているけど……」

 

「そうですか……」

 

 

スパイダーマンの返答に顔を曇らせる五月(いつき)。彼女も他の姉妹同様に揃って花火を見たい気持ちなのはヒシヒシと伝わる。

何としてでも探し出してあげたいが、花火も残すことあと10分だ。いくら高所から探せても、建物の中まではわからない。

──もしかしたら遠くへ?その”用事”とやらが遠方であるのなら……。

 

 

「会場の外の方を探してくるよ」

 

「待って。もういい」

 

 

そう言って一花(いちか)を探しに行こうとすると、二乃(にの)に止められる。

彼女からの思わぬストップにスパイダーマンは止まる。

二乃(にの)は言葉を続ける。

 

 

「あなたが頑張ってくれたのはわかったわ。けど、もう時間もないし……。後のことは私たちに任せてくれない?」

 

「でも、それじゃ──」

 

「いいの。1人いないけど、花火は見れたから……」

 

 

苦笑する二乃(にの)にスパイダーマンは何ともいえない悲しみが込み上げてくる。

────五つ子の誰とも欠かさずに見たい。それが本心だろう。

彼女は姉妹の中で一番楽しみにしていた。それが叶わなかったので、本当は悔しくて泣きたいだろう。

今までマイナスなイメージしか持っていなかったスパイダーマンは、悲しみを堪える二乃(にの)の一面を見て、印象が少し変わった気がした。

 

スパイダーマンは二乃(にの)の悲しい顔を見て、尚更探してあげたいと思った。

とはいえ、花火終了まで刻一刻と迫っている。どうすればいいか迷っていると──

 

 

「ショートメッセージかなんかでメッセージを残しておけばいいんじゃないか?」

 

「そうか!」

 

 

と、見かねた涼介の助言が飛ぶ。確かにショートメッセージやトークアプリなら、通話に出れなくても通知が出るから見る可能性は高い。簡単に思いつくことなのに、焦るあまり忘れていたスパイダーマンはマスクの下で納得の表情を浮かべる。

まさに天からの助け……二乃(にの)()()()()()()()をメールに入力し、送信した。

 

 

「送ったわ!」

 

「じゃあ、僕はこれで」

 

 

自分のお役御免と自覚したスパイダーマン。後は一花(いちか)次第だが、これ以上この姿で関わる必要がない。

スパイダーマンは屋上から飛び降りた。

驚いた一同は下を見るが、地上にはスパイダーマンの姿はなく、どこかへと消え去っていた。

 

 

《第14回秋の花火大会は終了いたしました。ご来場いただき誠にありがとうございました》

 

 

最後の花火が打ちあがると、しばらくしてからアナウンスが鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花火大会の会場から離れたとあるビルの正面玄関。そこに一花(いちか)の姿はあった。

彼女の今の服装は浴衣ではなく、Tシャツにショートパンツといったラフな格好だった。

一花(いちか)は隣にいるちょび髭が似合う小太りの男に頭を下げる。

 

 

「本日はありがとうございました」

 

「いや、休みに関わらず急に来てもらって悪かったね。映画の代役オーディションの枠が空いたから……」

 

「いえ、せっかくのチャンスですのでお断りはできません」

 

 

申し訳なさそうにする男に一花(いちか)はにっこり笑って返す。

そう、この話から分かる通り、一花(いちか)は女優なのだ。隣にいる男は彼女が所属する事務所の社長で、半年前から彼女をサポートしている。

ちなみに他の姉妹は彼女が女優をやっているのは知らなかった。

用事というのは映画のオーディション──しかもかなり有名な映画とのことで、今までドラマや映画のモブ役をやっていた彼女にとっては千載一遇のチャンスだったのだ。

 

 

「今日の演技は今までの中で最高だった。私としては問題なく受かったと見ている」

 

「そうですか?」

 

「ああ。表情も柔らかだったし、台詞も自然さがあった。自信をもっていい」

 

 

自覚がない一花(いちか)に社長は高評価を告げる。

褒めるところは褒めるべき……上司として最低限の成長の伸ばし方だ。

それを聞いた一花(いちか)はほんの少し気持ちが軽くなった。

 

 

「はい。またオーディションがございましたら紹介お願いします。では、失礼します」

 

「気を付けて帰るんだよ」

 

 

去り際に一花(いちか)は社長にそう告げると、ビルから去っていく。

スマートフォンを取り出して時計を見ると、時刻は20時19分になっていた。すでに花火大会は終わっている。

 

 

「(あちゃ~…二乃(にの)たち、怒ってるだろなー……)」

 

 

姉妹たちが怒っている姿を想像した一花(いちか)は苦い顔を浮かべる。

自分の夢がかかっている大切なオーディションがあったとはいえ、彼女たちに何も話さず、約束を破ってしまったことは事実だ。長女である自分がしっかりとしないといけないのに場を混乱させてしまったであろう。

 

 

「?」

 

 

歩きながらどう謝ればいいか考えていると、1件のメールが届いているのに気付いた。差出人は二乃(にの)だ。

メールを開くと、本文には『ここに来て』という短い文章に加え、公園の場所を示した地図のURLが添付されていた。

 

 

「(行こう)」

 

 

──行って全てを話して謝ろう。それで許されるか許されないかは別として、隠していたことを伝えることが大事だ。

一花(いちか)はその地図に従って、公園へと向かうことにした。

 

道中迷うことなく進み、15分近く歩いた頃、目的地の公園へついた。

どんな顔をして待っているのだろうと気まずい気持ちで角をくぐったとき、目にしたのは──

 

 

「わーい!」

 

「ちょっと、四葉(よつば)!?振り回さないでよ!」

 

「夏の風物詩……」

 

「こういうのも悪くないですね」

 

 

和気あいあいと市販の手持ち花火を楽しむ妹たちの姿があった。

こじんまりとしながらも花火は闇夜に光り輝いている。

その光景に一花(いちか)は呆然としていると、風太郎が声をかけてくる。

 

 

「よお、遅かったじゃねぇか」

 

「フータロー君。これって……」

 

「ああ、手持ち花火で仕切り直そうって話になったんだ。一応、条件は満たしてるからな。これ、四葉(よつば)のアイデアなんだぜ?まあ、打ち上げ花火に比べる随分見劣りがするが、いいだろ?」

 

「……ッ!」

 

 

それを聞いて目を丸くする一花(いちか)

──どうして?何で?と頭の中で感情や疑問が錯綜する中、妹たちは一花(いちか)の存在に気付いた。

 

 

「あ!一花(いちか)!待ってたけど、我慢できなくて始めちゃったー」

 

 

四葉(よつば)はいつもと変わらぬ笑顔でパタパタと手を振る。

彼女たちは待っていてくれたのだ。自分を信じて……。

そのことに一花(いちか)は感銘を受ける。

 

 

「やあ!」

 

天海(あまかい)さんもきた!」

 

 

それからすぐに(まなぶ)もやってきた。スパイダーマンのコスチュームは私服の下に着たままで、マスクはズボンのポケットにしまってある。

(まなぶ)の姿を目にした五月(いつき)は預かっていたスマートフォンを差し出す。

 

 

天海(あまかい)君。これをスパイダーマンに返してくださいませんか?」

 

「…ん?ああ!返しておくよ……」

 

 

一瞬何のことか忘れていた(まなぶ)だが、彼女にスパイダーマンのスマートフォンを預けていたことを思い出した。

渡されたスマートフォンを受け取り、ズボンのポケットにしまう。

スパイダーマンと自分は別人である設定が崩れるところだったが、すぐに思い出せて功を奏した。

 

(まなぶ)は次に辺りを見回す。五つ子、風太郎、ベンチには疲れ果てたのからいはが眠っていたが、親友の涼介の姿はどこにもいなかった。

 

 

「涼介は?」

 

「門限が近いから帰った」

 

「そうか……」

 

 

三玖(みく)の返答に残念がる(まなぶ)。大企業の息子とだけあって門限は厳しく、最低でも21時までには帰るようになっている。

今日はからかわれたりはして鬱陶しいと思いはしたが、親友とも花火を楽しみたかったという気持ちはあった。

全員が揃ったところで本格的に花火をしようかという動きに入ったとき、一花(いちか)は全員に向かって頭を下げる。

 

 

「みんな、ごめん。勝手なことをして……。実は私────」

 

 

そう切り出した彼女は全ての事情と謝罪を告げた。

半年前から女優業をやっていること。急遽映画のオーディションが入ったこと。それらを黙っていたこと。そして、約束を破ってしまったこと……。

これらを隠すことなく明かした。

──責められてもいい。その決意で話した一花(いちか)に対する妹たちの反応は──

 

 

「いえ、そんな謝らなくても……」

 

「お店の場所を言い忘れてた私も悪い」

 

「よくわからないけど、もう過ぎたことだし……ね」

 

「私も失敗ばかり」

 

「みんな……」

 

 

と、五月(いつき)二乃(にの)四葉(よつば)三玖(みく)は非難するどころか、自分たちにも否はあると許した。

てっきり不満や怒りをぶつけられると思っていたが、予想の遥か斜め上の展開に感動した一花(いちか)は胸に熱いものを感じた。

五つ子全員が花火を手に持つと、ふと思い返した五月(いつき)は──

 

 

「お母さんがよく言ってましたね。誰かの失敗は五人で乗り越えること……。誰かの幸せは五人で分かち合うこと……。喜びも、悲しみも、怒りも憎しみも、私たち全員で五等分ですから……」

 

 

そう口にすると、五人は一斉に花火に火を点けた。

パチパチと点火した花火は彼女らを明るく照らした……。

 

 

「……」

 

 

幸せそうに花火を楽しむ彼女たち。落ち込んでいた一花(いちか)もすっかり元気だ。

そんな彼女たちの姿に遠くのベンチから眺めていた(まなぶ)の頬は自然と緩んだ。自分の目的は結局のところ達成できなかったが、彼女たちが喜んでいるのであればそれでいいじゃないかと幸福感に包まれる。

傍から見れば小さい花火だが、その輝きは打ち上げ花火以上のスケールで満たされていた。

 

花火をしている最中、二乃(にの)はふと(まなぶ)に尋ねる。

 

 

「ねぇ、天海(あまかい)

 

「何?」

 

「彼……スパイダーマンとはどこで知り合ったの?」

 

「え?ああ~……」

 

 

そう訊かれた(まなぶ)は少し考える。

あくまでスパイダーマンとは自分は別人。正体がバレるようなことは決して避けなければならない。

上手い答えが浮かびあがった(まなぶ)は口にする。

 

 

「僕は彼の専属カメラマンみたいなものなんだ。ビューグルの写真も僕が撮ってる」

 

「へぇ~そうなの」

 

「え?みんなスパイダーマンに会ったんだー……。ねぇ、マナブ君。お姉さんにも今度紹介してよ」

 

「うん。でも、連絡先がコロコロ変わるから会えるかわからないけど……」

 

「う~ん。そっかー」

 

 

興味深そうに頷く二乃(にの)(まなぶ)から会うことは難しいと聞いた一花(いちか)は残念そうな顔を浮かべる。

彼女たちにもし連絡先を教えたら、自分であることがバレてしまう。

スパイダーマンには正体に近づく証拠を1つも残してはいけないのだ。

 

その後、花火が少なくなったので線香花火をしてお開きとなった。

 

 

「お前ら!置き去りにするなーーーッ!!」

 

 

ちなみにベンチで寝ていた風太郎を一花(いちか)の提案で置き去りにしようとした。

もちろんすぐにバレ、カンカンになった風太郎に追いかけられるのは余談だ……(体力がないのですぐに力尽きた)。

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
①カフェ『Jon Watts』
 MCU版「スパイダーマン」のメガホンをとった映画監督の名前から。ジョン・ワッツ監督もサム・ライミ監督同様に、アメコミ映画を撮る前は、ホラーやスリラー映画といった作品を撮っていた。

②「寿命が122年縮んだ………」
 ”122”とは原作漫画「五等分の花嫁」の総話数である。話は()とも読むので、122話を数字に置き換えると『1225』→『1225(いつつご)』→『五つ子』という面白い考察がある。

③20時19分
 2019年はアニメ「五等分の花嫁」第一期が放送された年。可愛い五つ子たちがこれまた可愛らしい声でしゃべって動くとファンからは期待が高まっていた。だが、作画崩壊が……



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#7 狂暴なる本能 リザード パート①

9月30日の日曜日の夜。石影家3人は自宅へ帰宅していた。

浴衣を着ているが、彼らもまた、T市の花火大会へと来場していたのだ。

 

 

「花火楽しかったねー!」

 

「そうね~。またみんなで行こっか?」

 

「うん!」

 

 

陽子の投げかけに元気よく答える琥太郎。実は琥太郎は初めて家族揃って花火大会に行ったのだ。

人混みの多さや花火の音に怖がるかと懸念していた石影と陽子だったが、嬉しそうな息子の様子を見て安心する。

石影は琥太郎の頭の上にポンと左手を置く。

 

 

「じゃあ、毎日早く寝てくれるいい子だったらまた連れてあげよう……約束できるか?」

 

「うん!ぼく、いい子にする!」

 

「よし!じゃあ、まず手洗いうがいしてくれるかな?」

 

「オーケー!」

 

 

石影のお願いにサムズアップで承諾した琥太郎は駆け足で洗面所に向かっていく。

琥太郎がいなくなった後、石影は陽子に言う。

 

 

「君も早く寝なさい。明日は月曜日だからね」

 

「あなたは?」

 

「私は研究の続きをするよ。また徹夜になるがね……ハハッ」

 

 

石影はそう言って軽く笑うが、陽子は逆に不安そうな顔を浮かべる。

 

 

「竜……研究熱心なのはわかるけど、少し手を休めたら?明日学校でしょ?」

 

「確かにそうだが、あと少し……もしかすると今夜完成するかもしれないんだ。休むなんてできない……。君の気持ちはわかるが、やらせてくれないか?」

 

 

心配する陽子の気持ちを汲みつつ、石影は訴えかけるように頼みかける。

(まなぶ)が加わってから滞っていた研究が一気に進み、完成目前まで近づいていた。石影も以前よりもやる気を見せており、最近の就寝時間が朝近い時間になるくらいだ。

 

しかし、それが逆に陽子に不安を与えてしまった。もし体調を崩して倒れたりでもしたら………想像するだけで恐ろしい。

長年暮らしてきた経験でお互いが考えていることが痛いほどわかる。夫婦として、化学者として……。

数秒考えたのち、陽子は頷く。

 

 

「……わかったわ。私も元は化学者だったから、完成させたいと思うわ。けど、無理はしないで」

 

「ありがとう。陽子」

 

 

妻の了承を得た石影はにっこりと微笑んで感謝を告げる。

陽子自身、不安は残っているものの、彼女の心の奥底にある”成し遂げたい”という化学者としての信念が勝り、石影を後押しした。

 

それから時間が経ち、深夜3時。琥太郎と陽子もすっかり眠りについていた頃、石影は1人、研究室に籠って研究をしていた。

トカゲの遺伝子を用いた欠損した体の部位を再生させる薬品──身体再生薬の製作は順調に進んでいた。

長時間続けているので流石に疲れが出てきたが、あともう少しで完成するという希望がそれらを吹っ飛ばした。

 

 

「よし!完成だ!」

 

 

家に帰りついてから6時間ほど経過した頃。石影は目の前に完成した薬品を見てにっこりと笑う。

試験管にはトカゲを彷彿させる緑色の薬液が入っており、スタンドライトの灯りを受けて、輝いているようにも見えた。

 

──さっそく試してみよう。長年待ち望んでいた瞬間に居ても立っても居られない石影はさっそく自分に投薬実験するため、注射器に薬品を移し替える。

普通ならまずマウスなどで試すのだが、失った自分の右腕が生えるかもしれないという欲求の前では冷静にはいられなかった。

薬品を投与する準備ができた石影はノートパソコンの動画撮影アプリを起動する。

 

 

「10月1日月曜日、午前3時34分。被検体──石影 竜。体温、健康状態異常なし。自らの身体の部位を再生するトカゲの遺伝子を人間にも可能できるように遺伝子組み換えを行った薬品を製作した。これより、投与実験を開始する……」

 

 

そう言うと、石影は肘から下が無い右腕に注射器を刺した。

針が突き刺さる痛みで顔が歪むが、注射器を押す手は緩めない。筒に入っている緑色の薬液はみるみる減っていき、石影の体内へと入っていく。

そして、全て注入し終えた瞬間──

 

 

「……ぅうう!?ぐあぁぁあああーーーーーッ!!?」

 

 

突然、右腕に激しい痛みが襲う。内側から皮膚を剝がされるような感覚に耐えきれない石影は悲鳴を上げる。

あまりもの激痛に床に倒れ、右腕を抑えながら悶える。

 

 

「あなた!?どうしたの!?」

 

 

その悲鳴に眠りから覚めた陽子が駆け付けると、傍に跪く。

夫が冷や汗をかきながら悶え苦しむ姿に血相を変えた陽子は必死な声で呼びかける。

 

 

「竜!竜!しっかりして!」

 

「うぅぅ……ぐあぁぁあああーーーーーーッ!!」

 

 

陽子が呼びかける中、苦しむ石影の右腕は肘から腕が生えた。生え変わったばかりのトカゲの尻尾のように不定形だが、紛れもない人間の腕だった。

それを目の当たりにした陽子は開いた口が塞がらなかった。

 

 

「あ、あなた……」

 

「うぅん……?おぉ………!」

 

 

激痛が収まって落ち着いた石影は固まっている陽子の視線に目を向けると、歓喜の表情を浮かべる。

視線の先には無かったはずの右腕が生えていた。真っ白で濡れている右腕には段々と血色がついていき、手にはしっかりと爪も生えていた。

開いて、閉じて──握れる確かな感触を実感すると、右腕を机のスタンドライトに重ねるように上げる。

 

──私に右腕が……!感動する石影は瞳を潤わせながら、スタンドライトに照らされる右腕をまじまじと眺める。

その目はまるで美しい芸術品を眺めるようだった。

右腕があることを実感した石影は笑みがこぼれる。

 

 

「はっ、ははっ!成功だ……!遂に完成したんだッ!!これで大勢の人が救える!!!」

 

「あなた、おめでとう!」

 

 

完成を祝い合いながら抱き合う2人。長年の悲願が達成された瞬間に心震わせないものはいないだろう。

 

 

「どうしたの……?」

 

 

石影と陽子が喜び合っていると、琥太郎が眠たげに目を擦りながらやってきた。おそらく2人の声で起きてしまったのだろう。

立ち上げった石影は琥太郎のもとに行くと、両脇に手を通して高い高いをする。

 

 

「よお、相棒!」

 

「あ!?パパ、手がある!」

 

「そうだ!パパは遂にやったんだ!」

 

 

驚く琥太郎に石影は喜びながら息子にも報告をする。それを聞いた琥太郎も嬉しそうに微笑む。

愛する者をしっかりと抱き締めることができる………この抑えきれない喜びに石影一家は幸せに包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、時間が経ち、朝7時半頃。

(まなぶ)はいつも通り学校への通学路を歩いていたのだが……

 

 

「や。おっはー」

 

 

思わぬ人物──一花(いちか)に遭遇した。コーヒー店の前でアイスコーヒーを手に、彼女はいかにも待っていましたよと言わんばかりに立っていた。

 

 

「おはよう………あれ?いつも通ってるのってこっちだっけ?」

 

「ううん。ここのコーヒー店が美味しいって学校の友達から聞いたから、寄り道しただけ。ねぇ、せっかくだし一緒に行こうよ」

 

「いいよ」

 

「ありがとう!さっすがマナブ君!」

 

 

(まなぶ)の承諾に一花(いちか)はにっこりと笑いながら褒める。

雰囲気的には偶然出会ったとは思えないが、断る理由もないので(まなぶ)一花(いちか)と共に登校することにした。

 

あまり同年代の異性と一緒に歩いたことがない(まなぶ)は何を話そうか迷うが、何も話さないのは気まずいので、当たり障りのない近況のことについて切り出す。

 

 

「あー……女優の仕事の方はどう?」

 

「うん、順調かな。オーディションにも合格の報せがさっき着たし」

 

「本当!?凄いじゃない!」

 

「ありがと♪まあ、アカデミーを取るまでの道のりとしてはまだまだだけどねー」

 

 

(まなぶ)の賞賛に感謝しつつもまだまだだと言い聞かせる一花(いちか)

彼女の夢はアカデミー賞 主演女優賞を最高記録4回受賞したキャサリン・ヘプバーンを超えるような大物女優になることである。

壮大かつ過酷な道のりだが、(まなぶ)には柔らかい考え方をする彼女ならきっとできると思う気がした。

 

そんなことを話していると、一花(いちか)はあっと思い出したかのような声を出す。

 

 

「そうだ。連絡先交換しない?」

 

「いいけど……いきなりどうしたの?」

 

「いざ、連絡しないといけない状況になったときに大変でしょ?家庭教師的にもしておいた方がいいと思うけど」

 

 

一花(いちか)の意見はごもっともだった。

予定や緊急の連絡をするときに連絡先を知らないのは非常に困る。そのことは昨日の花火大会で充分味わった。

結局、ほぼスパイダーマンの力で解決したが、毎回は上手くいかないだろう。

 

 

「わかった。じゃあ、教えてもらっていいかな?」

 

「うん。私のは……」

 

 

承諾した(まなぶ)一花(いちか)と連絡先を交換した。

 

 

「ありがとね。じゃあ、試しにメッセージ送ってみるね」

 

「オーケー………ッ!!?」

 

 

一花(いちか)は自信のスマートフォンに何かを入力すると、(まなぶ)のスマートフォン宛に送信する。

すると、数秒もしないうちに一花(いちか)から送られたメッセージが着た。

(まなぶ)はそのメッセージを開いた瞬間、目を丸くする。

 

そこには、『今朝撮れたてのだよ~』と書かれた文章と共にすやすやと眠る五月(いつき)の寝顔の写真が送られていた。

どういうつもりなんだと慌てる(まなぶ)一花(いちか)に顔を向けると、彼女はニヤニヤといたずら気な笑みを浮かべていた。

 

 

「どう?マナブ君。無防備な五月(いつき)ちゃんの寝顔は?」

 

「ッ、ど、どうって……」

 

「ほら。可愛いとか、素敵だーとかさ。そういう感想が欲しいんだけどな~~」

 

「………か、可愛いです」

 

 

一花(いちか)のからかいのペースに乗せられた(まなぶ)は頬を赤らめて呟く。

半ば強制的に言わせた一花(いちか)は「よろしい!」と言うと、(まなぶ)の顔を下から覗き込むように見上げ──

 

 

「また欲しかったら、この一花(いちか)お姉さんにいつでも連絡するんだぞ。今度は下着姿がいいかな~?」

 

「~~ッ!」

 

 

と、小悪魔的な言葉をかける。”下着”という単語に顔を真っ赤にした(まなぶ)を、一花(いちか)は面白そうに笑う。

このことから、(まなぶ)は彼女との上下関係がはっきりしたと自覚した。

 

 

「おはよう」

 

「おはようございます」

 

 

道中、そんな話をしながら校門を通って歩いていると、近くにいた石影が挨拶する。

一花(いちか)は先程までのからかいモードから一変して落ち着いた口調で挨拶を返す。

横に(まなぶ)は「流石女優だな」と思いながら、石影が差し出してきた()()()握手を交わす。

 

 

「おはよう」

 

「おはようございます………あれ?先生、腕が!?」

 

「ああ、ご覧の通りだ。例のアレが完成したんだ」

 

「す、凄い……!おめでとうございます!」

 

「ありがとう。だが、君の助言あってのことだ。本当に感謝しているよ」

 

 

石影の右腕が再生していることに気付いた(まなぶ)は笑顔で祝福の言葉を送る。

例のアレというのは身体再生薬のことだろう。

隣にいる一花(いちか)には何のことかわからないが、石影の右腕があることには気付き、目を丸くしていた。

 

石影は左手首の腕時計の時間を見ると、(まなぶ)一花(いちか)に言う。

 

 

「では、そろそろ職員室に戻るよ。君たちも遅れず教室に向かいなさい」

 

「「はい」」

 

 

石影の促しに明るく返事した(まなぶ)一花(いちか)

2人はそのまま行こうとしたが、石影が職員用玄関の方に向かうために背を向けたときだった。

(まなぶ)の視界に妙なものが映った。

 

 

「?」

 

 

石影の首筋。先程は白衣で隠れていてわからなかったが、緑色の爬虫類の鱗のようなものがついているように見えた。

皮膚病の一種にそういった病気はあるが、石影の首筋にあるのはそういった類でなく、本物の爬虫類鱗そのものだった。

 

 

「どーしたの?」

 

「いや、何でもない……」

 

 

訝しむ様子が気になった一花(いちか)(まなぶ)は笑いながら返す。

──見間違いだといいけど。(まなぶ)はそう思いながら、彼女と一緒に下駄箱の方へと歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アドレス交換!賛成です!」

 

「私も……」

 

 

それから時間が経ち、お昼休みの図書室。(まなぶ)の出した提案に乗っかる四葉(よつば)三玖(みく)

(まなぶ)はさっそくこの自由時間を利用して、他の姉妹や風太郎と連絡先を交換することを提案した。

会った当初から協力的な四葉(よつば)三玖(みく)は賛成の意思を見せるが……

 

 

「俺はいい。家庭教師以外で関わるつもりはない」

 

 

自習に取り組む風太郎は拒否の姿勢を見せる。

元々風太郎は人付き合いが面倒だと思っており、仲良くしようと近寄ってくる者さえも払いのけている。彼がいつも1人なのはそれが原因だ。

 

 

「今後の家庭教師のことを考えれば……」

 

「お前が知ってればいいだろ。同じ家庭教師なんだし………。無駄なことはしたくない」

 

 

(まなぶ)は説得を呼びかけるが、風太郎は断固として意思を変える気はない。

ろくに仕事をさせてくれない五つ子たちと関わりたくないという気持ちはわかるが、何としても交換してほしい。

 

頑固な風太郎に困った(まなぶ)は「どうしよう」と言わんばかりの目で横に座る一花(いちか)に助けを求める。

それに応じた一花(いちか)は「しょうがないな」と呟きながら立ち上がって風太郎の傍に近寄ると、スマートフォンを彼だけに見えるように見せる。

 

 

「じゃーん。これなーんだ?」

 

「!?」

 

 

スマートフォンに映る画像を見て、風太郎は目を丸くする。

画面に映っているのは、昨日行った公園のベンチですやすやと寝ている自分の寝顔だった。

あの夜、風太郎を置き去りしようと考えつく前、一花(いちか)は人知れず隠し撮りしたのだ。

 

何を見せているのかわからない他の3人は首を傾げている中、動揺する風太郎は小声で話しかける。

 

 

「お前、いつの間に……」

 

「広められたくなかったら協力してね♡」

 

「くっ……!」

 

 

ニヤニヤしながら囁く一花(いちか)の顔に風太郎は青筋を立てる。断ったら、自分の寝顔を誰かに見られる……それは勘弁したい。

小悪魔の脅しに風太郎は卑怯と憤りながらも、協力するしか道がなかった。

 

 

「……わかった、わかった。交換してやる。ただ、家庭教師と関係ない奴には教えるなよ」

 

「「……ッ!」」

 

 

風太郎の承諾の返事に嬉しそうに顔を見合わせる(まなぶ)四葉(よつば)

頑なに拒んでいた風太郎の重たい腰をどうやって動かしたのかわからないが、話が進んだのは幸いだ。

風太郎を加えた、計5人はお互いの連絡先を交換した。

 

 

「これでよし……五月(いつき)二乃(にの)は今度でいいだろ」

 

 

スマートフォンに連絡先が登録されたことを確認した風太郎はまたもや悪いところが出て、他の2人を後回ししようとする。

(まなぶ)としては二乃(にの)はともかく、五月(いつき)の連絡先は欲しいところだが……。

それに対し、四葉(よつば)は──

 

 

「その2人なら、食堂にいましたよ。まだいるはずですし、一緒に訊きに行きましょう!」

 

「え!?俺もかよ!………お、おい!」

 

 

と言うと、風太郎の手を引っ張って連れて行こうとする。

(まなぶ)はともかく、何で自分が行かなければならないのかと不満な風太郎の意見を聞き入れず、四葉(よつば)は連行していく。

嫌がりながらも渋々ついていく風太郎の後を(まなぶ)はついていった。

 

 

「良かったね」

 

「……ッ、うん」

 

 

ウインクする一花(いちか)にそう言われた三玖(みく)は嬉しそうに頬を緩める。

彼女が見つめる先は、自分のスマートフォンに登録された風太郎の連絡先だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぅあぁぁーーーッ!?」

 

『!?』

 

 

同時刻。お昼休みに入っている職員室では、物騒な悲鳴があがっていた。

その声の正体は石影で、先程まで妻の陽子が作っていた弁当を食べていたのだが、急に体が苦しくなり、床に倒れ込んでしまった。

他の職員たちの注目が集まる中、石影は冷や汗をかきながら違和感を感じる右腕を見た。

 

 

「ッ!?(何なんだ、これは……!?)」

 

 

右腕を見て、石影は目を丸くした。右腕は人間のものから、鋭い爪が生えた爬虫類のようなものへと変化していた。

それだけでない。顔周りの皮膚も緑色の鱗のようなものが浮き出ており、身体全体が大きくなろうと内側から服が裂け始めていた。

 

 

「先生、大丈夫ですか?」

 

「救急車呼びましょうか?」

 

「あ、ああ……平気です。ちょっと具合が悪いだけ………」

 

 

心配する周りの教師に石影は誤魔化し笑いで返すと、変異し始めている顔と右腕を白衣で隠しながら職員トイレの方へ走っていった。

 

周りに気付かれていないかと不安に駆られつつも職員トイレへ駆け込む。幸いにも中には誰もいなかった。

石影は蛇口を捻って落ち着かせようと水を出して顔を洗う。

顔を上げて鏡を見ると、濡れた顔の鱗は先程より進行しており、顔の輪郭も変化し始めていた。

 

 

「がッ!?ああぁぁぁあああぁーーーーーッ!!」

 

 

またもや襲ってきた苦痛に悲鳴をあげる石影。その痛みは理性が吹っ飛ぶぐらいだ。

身体はガキッ!ゴキッ!と奇妙な音を立てながら靴や服を引き裂いて変化していく。

激痛のあまり見開いた瞳孔は、縦長のトカゲを彷彿とさせるものへと変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お断りよ。お・こ・と・わ・り!」

 

 

一方、食堂では二乃(にの)(まなぶ)の提案を突っぱねていた。

彼女が言うに、友達でもないのに連絡先を易々と教えるのはおかしいとのことだった。

 

 

「確かに……天海(あまかい)君は別として、私たちにはあなたに連絡先を教えるメリットがあるとは思えません」

 

 

二乃(にの)の意見に五月(いつき)は同調する。家庭教師と生徒という関係ではあるが、友達になったわけではない。

どちらも風太郎が(二乃(にの)の場合は(まなぶ)も)嫌いだからという理由もあるが。

だが、そう断られると想定していた風太郎は思いついていた秘策を出す。

 

 

「これならどうだ!今なら俺のアドレスに加え、らいはのアドレスもセットでお値段据え置きお買い得だ!貰うなら今のうちだぞ~?」

 

「えぇ!?」

 

 

気味の悪い笑みを浮かべながら話す風太郎の提案に(まなぶ)は驚きの声をあげる。

”身内を売る”というプライバシーの塊もない発言に(まなぶ)は信じられなかった。

──五月(いつき)はらいはを気に入っていた。俺があいつなら、喉から手が出るほど欲しいはず……。そう読んだ風太郎に五月(いつき)は──

 

 

「背に腹は代えられません……」

 

「身内を売るなんて卑怯よ!」

 

 

と、風太郎に連絡先を教えることを癪に障りながらも承諾した。

これに対して、二乃(にの)(まなぶ)と同じ考えのようで、抗議の声をあげた。

(まなぶ)と風太郎は五月(いつき)と連絡先を交換した。

 

 

二乃(にの)は教えてくれないの?」

 

「当たり前よ。何であんたらなんかに……」

 

 

そう訊く(まなぶ)になおも拒否する姿勢を見せる二乃(にの)。連絡先を口答することすら嫌なようだ。

それを聞いた風太郎は嘆息すると、二乃(にの)に向かって──

 

 

「仕方ない……。では、お前抜きで話すとしよう。俺と天海(あまかい)と4人で内緒の話をな……」

 

 

と悪人顔で挑発する。こうしたのも、仲間はずれが嫌な彼女なら絶対食いつくと考えたからだ。

 

 

「~~~ッ!あんたらのアドレスを教えなさいよ………!」

 

 

その読み通り、引っ掛かった二乃(にの)は悔しそうにプルプルと肩を震わせながら、スマートフォンを出すように言う。

(まなぶ)はこうして、躓きはしたものの、全員分の連絡先を手に入れた。

これでひと安心。(まなぶ)が思っていた矢先──

 

 

~♪♪♪

 

「!」

 

 

四葉(よつば)の携帯電話から着信音が鳴った。相手はバスケットボール部の部長だった。

それを見た四葉(よつば)は何の用事かとわかり、眉を上げる。

 

 

「……すみません。私、頼まれ事あったんで、これで失礼しますね」

 

「は?」

 

 

四葉(よつば)は全員にそう告げると、風太郎が尋ねる間もなく、駆け足で食堂を出ていった。

何だったんだと不思議に思う風太郎は少し考える。頼まれ事……その単語から思い当たることが頭に浮かんだ。

 

 

「………天海(あまかい)、あとは任せた」

 

「上杉!?」

 

 

そうとわかった風太郎は(まなぶ)に短く言い残すと、四葉(よつば)の後を追っていった。

四葉(よつば)に続いて風太郎もいなくなった現状に(まなぶ)がポカンとしている中、五月(いつき)は彼の持つ手にスマートフォンが気になって尋ねる。

 

 

天海(あまかい)君のスマホカバーって、スパイダーマンのものと同じなんですね」

 

「え……!?」

 

 

唐突な質問に焦り、固まる(まなぶ)。何でスパイダーマン(自分)のスマホカバー(赤地に蜘蛛の巣が張り巡らされているもの)を知っているのかと。

思い返せば、昨日の祭りで彼女を信頼させるためにスマートフォンを渡していた。その際に特徴を色々と見ているのは容易に考えられることだ。

動揺する(まなぶ)五月(いつき)は首を傾げながら尋ねる。

 

 

「どうされましたか?」

 

「あっ、ああ……!そうだよ!お揃いにしようって彼と話してさ………」

 

「そうなんですね!てっきり、彼が渡した携帯が天海(あまかい)君のものかとばかり……」

 

「は、ははっ……!」

 

 

しどろもどろになりながらも五月(いつき)に納得してもらった(まなぶ)は苦笑いを浮かべる。

うっかり焦ってしまったが、何とか危機を逃れたのでほっと胸をなでおろす。

しかし、彼女にはまだスパイダーマンである自分を信じてもらえていないのは少しばかりショックではあるが。

 

 

≈「ッ!?」≈

 

 

ひと安心した最中、突然(まなぶ)の頭が危険信号を発するようにムズムズし始めた。

蜘蛛の第六感────スパイダーセンスだ。

これが発動する意味は身の危険が迫っていることだということは、普段のヒーロー活動から充分に理解している。(まなぶ)は警戒しながら辺りを見回し始める。

 

 

天海(あまかい)君?」

 

「何してんのよ?」

 

 

そわそわしている(まなぶ)に疑問を持った五月(いつき)二乃(にの)が尋ねるが、彼の耳には遠くから話しかけるようにしか聞こえなかった。

その間にもスパイダーセンスはますます強くなっている。危険が迫っているというよりも、危険が()()()()()()()()()ようだった。

 

 

………わぁぁーー!

 

「何……?」

 

 

その矢先、後ろの遠くから慌ただしい悲鳴が聞こえてきた。1人や2人ではない……たくさんの悲鳴だ。

この只事ではない事態に他の2人や食堂にいる人たちにも悲鳴が聞こえたようで、二乃(にの)は怪訝そうな顔を浮かべていた。

 

振り向いた(まなぶ)は感じ取っていた。悲鳴や激しい物音と共に危険な存在が近づいていることに。

その存在は確実に食堂に迫り、閉じていた出入口の扉がグラグラと揺れる。

そして、次の瞬間──

 

 

ドッガァアーーンッ!

 

「!?」

 

 

と、出入口の扉が殴り飛ばされ、扉が勢いよく吹っ飛んできた。

扉は真っ直ぐ食堂内を飛んでいき、その先には五月(いつき)が。

 

 

「ッ!」

 

「きゃあっ!?」

 

ガッシャーンッ!

 

 

その危機に(まなぶ)は咄嗟に彼女に飛びついて押し倒した。

扉は(まなぶ)の背中すれすれを通って反対側の壁にぶつかり、跡形もないくらいぐちゃぐちゃになった。

(まなぶ)は彼女を助け起こしながら扉が飛んできた方を見ると、そこには──

 

 

ガアァァァァーーーーーッ!

 

 

雄叫びをあげる緑色のトカゲの怪物がいた。

ボロボロの紫色のズボンに、ボロボロの白衣を纏ったトカゲ────リザードだ。

その正体は、トカゲの遺伝子を使った薬品を投与したことによって変貌してしまった石影 竜その人だった。

 

 

『わぁぁーーーーーッ!!?』

 

ガアッ!

 

 

リザードの登場に恐怖した食堂にいる人たちはもう1つの出入口目指して一斉に逃げ出した。

動く人たちに反応したリザードは机や椅子やらを吹っ飛ばしながら、食堂の中へ走ってくる。

 

 

「は、早く逃げましょ!」

 

二乃(にの)!」

 

 

冷静さを失った二乃(にの)は逃げる人たちと同じ方へ逃げようとする。

制止しようとする五月(いつき)の声が聞こえるが、今の彼女の耳には届かない。

そんな二乃(にの)の腕を(まなぶ)が掴んで止める。

 

 

「待って!今行ったら危険だ!」

 

「ちょっと!?離しなさいよ!!あの恐竜みたいのに食べられちゃうわ!」

 

「出口は人で密集してる。あんな人混みにまぎれたら、大怪我するかもしれない」

 

「………」

 

 

いつになく真剣な(まなぶ)の説得に思いとどまる二乃(にの)

確かにみな冷静さを失っているので、我先にと押しあったり踏んづけたりするので大変危険だ。

説得を受けた二乃(にの)は冷静を取り戻す。

 

 

「ここに隠れよう」

 

 

(まなぶ)五月(いつき)二乃(にの)に机の下に隠れるように提案する。ちょうど3人隠れるくらいの大きさの机が2つもある。

本当はスパイダーマンとなって戦いたいのだが、ここで変装するには人の目が多すぎる。

二乃(にの)五月(いつき)は一緒の机、(まなぶ)はもう1つの机の人は急いで隠れる。

出来るだけ息を殺して身を隠していると、通りかかったリザードは逃げる人たちを追って離れていった。

 

3人は机の下から身を出して出入口の方を見ると、リザードは右の角を曲がって走っていった。

それを見届けた3人はほっと胸をなでおろす。

 

 

「行ったわね……」

 

「た、助かりました~……」

 

「とりあえず緊急避難場所の体育館に行こう」

 

 

(まなぶ)の提案に頷く二乃(にの)五月(いつき)。普段、(まなぶ)の言うことを聞かない二乃(にの)もこればっかりは従うしかなかった。

そのまま避難先の体育館へ向かおうとした矢先、二乃(にの)はあっと思い出したような声をあげる。

 

 

「待って!あの化け物が行った先って、さっき四葉(よつば)が行ってた方角じゃ……!」

 

「「ッ!?」」

 

 

その事実に青ざめる(まなぶ)五月(いつき)

四葉(よつば)が行った先には部室棟がある。それに後を追っていった風太郎もいる。

彼らに迫る危機……人目が少なくなったことで、(まなぶ)はようやくスパイダーマンとして戦うときがきた。

 

 

「わかった。僕が連れてくるから先行ってて!」

 

「え!?天海(あまかい)君!?ちょっと……!」

 

 

(まなぶ)は矢継ぎ早にそう言い残すと、五月(いつき)が止める間もなく走り去っていった。

 

食堂から人気のない廊下に出た(まなぶ)は制服のYシャツのボタンを外しながら角を曲がる。

全部外れると走りながらYシャツを投げ捨て、靴を脱ぎ、宙に一回転してズボンを脱ぐ。

そして、しまっていた手袋を嵌め、マスクを装着すると、あっという間にスパイダーマンへとなった。

 

 

「(今、行くぞ!)」

 

 

スパイダーマンは風太郎たちがいるであろう部室棟に向かって全力疾走した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お昼なのに来てくれて悪いね」

 

「いえ、大丈夫です」

 

「(やっぱりか……)」

 

 

一方、そんなことがあるとは露知らず、部室棟では部室前で女子バスケットボール部の部長に呼ばれた四葉(よつば)、そのすぐ近くの物陰で様子を伺っている風太郎の姿があった。

風太郎は彼女が以前手伝っていたバスケットボール部と繋がりがあると予感したのだが、見事的中した。

話によると、前回は一試合限定の助っ人として参加してたそうだが、また呼び出すとはおかしい。ただでさえ成績が悪いのに部活動の手伝いとなると勉強がおろそかになる可能性があるので、家庭教師として見逃せない。

 

他愛のない話が続く中、風太郎の不安な心境を増幅させるような言葉がバスケットボール部の部長の口から飛び出す。

 

 

「……それで中野さん。入部の件は考えてくれた?」

 

「(は?)」

 

 

一瞬耳を疑った。助っ人としての話のはずなのに、自分の知らないところでもう話が進んでいたことに。

ますますまずいこととなったと不安になった風太郎は四葉(よつば)に目を向けた。誘われた張本人は頭を捻って答えを渋っているようだった。

 

 

「は、はい……。よく考えたのですが……その~………」

 

「(何やってるんだ?早く断れ!)」

 

 

答えを渋っている四葉(よつば)に向かって心の中で催促する風太郎。四葉(よつば)の立場で考えると、学業で苦戦しているのに運動部の手伝いなどする余裕はどこにもない。スパっと断るのが最善の答えだ。

 

しかし、彼女は答えを絞り出せなかった。

というもの、四葉(よつば)はお人よし……悪くいえば優柔不断なのだ。困っている人、頼まれたりしたら断ろうにも断れきれず引き受けてしまう性格で、部活動以外の助っ人もやってしまっている。

断ってしまったら見捨てることになる……。考えすぎだが、その善意が彼女の決断力を鈍らせているのだ。

 

 

「……ッ」

 

 

――居ても立っても居られない。

中々答えを出さない四葉(よつば)にしびれをきらした風太郎が飛び出そうとしたときだった。

 

 

ガアァァァァーーーーーッ!

 

『!?』

 

 

つんざくような雄叫びが部室棟全体に響き渡り、風太郎は足を止める。

疑問に思った3人は柵に近寄って下を見下ろすと、こちらに向かってリザードが荒々しい動きで壁をよじ登ってきていた。

 

 

「こっちにくる!」

 

「早く逃げましょう!」

 

 

そう言って逃げようと階段向かって走り出すバスケットボール部の部長と四葉(よつば)

だが――

 

 

ガアァッ!

 

「「!?」」

 

 

あっという間に登りきったリザードに前方の進路を塞がれる。地上階から女子バスケットボール部の部室までは70m近くの高さがあるが、リザードにとっては登りきるのは容易く、一分もかからなかった。

2m近い巨体を持つリザードの鋭い瞳に睨まれ、恐怖で動けなくなる2人。蛇に睨まれた蛙のように。

そんな彼女らに牙を向こうとした瞬間――

 

 

ジリリリリ……!

 

「……?」

 

 

非常ベルが棟一帯に鳴り響き、動きを止めるリザード。

押した犯人は風太郎であり、彼女らからリザードの気を引こうと近くにあった非常ベルを鳴らしたのだった。

 

非常ベルに気をとられたリザードは四葉(よつば)たちの横を通り過ぎて、音の発生源に近寄る。

リザードは鬱陶しいとばかりに非常ベルを叩き壊すと、近くから階段から駆け降りる音が聞こえる。

見下ろすと、今いる階から四階層下に全力疾走で駆け降りる風太郎の姿があった。

 

 

ガアァァァァーーーーーッ!

 

「わあぁッ!?」

 

 

次なる獲物を見つけたリザードは雄叫びをあげると、階段を飛び移りながら追いかける。

リザードにバレたことに気付いた風太郎は悲鳴をあげると、必死な形相を浮かべながらスピードを上げる。

 

その悲鳴で風太郎がいることに気付いた四葉(よつば)。どうしてここにいるのかはわからない。けど、助けないと……。体力がない風太郎ではあっという間に追いつかれてしまうのは目に見えている。

決心した四葉(よつば)は――

 

 

「大変!上杉さんが……!私、助けに行ってきますから先に行っててください!」

 

「中野さん!」

 

 

バスケットボール部の部長にそう告げると、風太郎を助けに階段を降りていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四葉(よつば)の予見通り、風太郎はあっという間にリザードに追いつかれていた。

 

 

ガアァァァァーーーーーッ!

 

「うあッ!?」

 

 

後ろから降りてきたリザードに太ももを引っかかれた風太郎はバランスを崩して前のめりに倒れる。

風太郎は立ち上がろうと必死に足を動かすが、太ももの傷の痛みで中々立ち上がれない。

床でもがいている風太郎にリザードは飛びかかり、四つん這いのような体勢で風太郎の手足を組み伏せた。

 

窮地に追いやられた風太郎の心情は恐怖を感じるも、不思議と冷静だった。命の危機にも関わらずだ。

人は死期を悟ると穏やかになるというアレと同じで、乱れていた呼吸も自然と正常に戻っていた。

 

 

「(悪い、親父……らいは……)」

 

 

これが自分の死期だと悟った風太郎は心の中で父親と妹へ別れを告げる。

今は亡き母親のもとへ旅経つ……そう諦めたのだ。

そんな彼の頭をリザードが遠慮なく喰らおうとしたとき――

 

 

ゴンッ!

 

「………?」

 

 

リザードの後頭部に消火器が殴りつけられる。

怯んだリザードは振り向くと、消火器を持った四葉(よつば)がそこに立っていた。

 

 

ガルルァ………!

 

 

これに激昂したリザードは風太郎から離れると、四葉(よつば)を睨めつきながら一歩一歩近づいていく。

後退りながら四葉(よつば)は消火液を放とうとするが、使い方がわからずホースを振り回すだけだった。

絶対絶命――。誰もがそう思った瞬間――

 

 

「ヌアァッ!!」

 

ガアァッ!?

 

 

ウェブスイングで颯爽と現れたスパイダーマンの両足蹴りが炸裂し、リザードを吹っ飛ばす。

昨日も会ったヒーローの登場に2人は驚いていると、スパイダーマンは安否を確認する。

 

 

「スパイダーマン!?」

 

「やあ。2人とも、怪我ない?」

 

「あ、足が……!」

 

「ッ、待ってて」

 

ピシュッ!

 

 

風太郎の訴えに応じたスパイダーマンは切られた太ももにウェブを当てて応急処置する。

歩けはするが万が一のことを考えて、四葉(よつば)に肩を貸して補助してもらうことにした。

 

 

ガアァァァァーーーーーッ!

 

『ッ!』

 

 

そんなやりとりをしていると、リザードが起き上がった。

スパイダーマンは風太郎と補助する四葉(よつば)に言う。

 

 

「君たちは体育館に避難してくれ。こいつは僕が相手する」

 

「平気なんですか?」

 

「大丈夫。こういうのは専門なんだ。さあ、行って!」

 

「はい!」

 

 

心配する四葉(よつば)にスパイダーマンは余裕をある口調で返すと、逃げるよう促した。

従った四葉(よつば)が風太郎を連れて離れていく中、スパイダーマンは深く腰を下ろして片手をついた体勢でリザードと睨み合う。

本当は彼も逃げ出したい。しかし、ここで逃げれば四葉(よつば)や他の人たちに危害が及ぶ。それだけは何としてでも避けたい。

そんなことを考えながら、しばし睨み合ったのち――

 

 

ガアァァァァーーーーーッ!

 

 

スパイダーマンとリザードは同じタイミングで飛び出す。

スパイダーマンはリザードの右手に向かってウェブを放って近くの階段の手すりに拘束すると、気をとられているうちに腹部に蹴りを打ち込む。

 

 

ガアッ!

 

 

リザードは若干怯むが、空いている左手で引き裂こうと振り下ろす。

スパイダーマンは素早く跳躍して天井に飛びつくと、リザードの肩に跨る。

 

 

ピシュッ!ピシュッ!

 

ガアァーーッ!?

 

 

すぐさま両手首のウェブで目元を塞ぎ、馬の手綱のように引っ張る。

肩に乗っかられただけでなく視界を塞がれたリザードは振り下ろそうとあっちこっち激しく暴れ回る。

スパイダーマンは振り下ろされないように力強く引っ張って、何とか抑えつけようとする。

 

だが、それに反してリザードは暴れ続け、遂には柵を破壊し、2人は地上階へと落ちていった。

スパイダーマンは受け身をして衝撃を和らげると、未だ倒れているリザードに向かってウェブを放って、全身を拘束する。

だが――

 

 

ブチィッ!!

 

ガアァァッ!

 

「ッ!?」

 

 

リザードは力を込めると、難なくウェブの拘束を外した。

今まで破れることがなかったウェブを自力で破ったことにスパイダーマンは驚愕する。スパイダーマンのウェブは鋼鉄製のワイヤーにも匹敵する強度だが、リザードはそれを難なく壊せるほどの力を持っているのだ。

無敵と思っていたウェブを攻略されて啞然とするスパイダーマンに訪れた僅かな隙。それを逃さないリザードは振り払った尻尾で脇腹を捉え、横に吹っ飛ばす。

 

 

「のあッ!?」

 

 

強烈な一撃にスパイダーマンは扉ごと部室の中へ吹っ飛ばされていった。

ガラガラ…と壁が崩れ落ちる中、起き上がったスパイダーマンは近くのサッカーボールが山ほど入っているボールかごを両手首のウェブでくっつけると、それを思いっきりリザードへ投げつける。

直撃したリザードは大きく怯む。サッカーボールが散乱し、床を転がり回る。

 

 

ピシュッ!ピシュッ!

 

「フッ!」

 

ガアァッ!?

 

 

その隙にスパイダーマンは両手首のウェブをリザードの両足にひっつけると、グイッと引っ張ってすっ転ばせる。

そして、駆け出して空高く跳躍。10mくらいの高さに到達すると、倒れているリザードの両隣の床にウェブを引っ付け、グイッと手前に引っ張り――

 

 

「ヌアッ!!」

 

ガアァァァァーーーーーッ!?

 

 

落下の勢いを利用した渾身の両足蹴りを炸裂させる。腹部に命中したリザードは目を白黒させると、苦痛の叫びをあげる。

スパイダーマンはバク転して離れると、起き上がったリザードの両手に向かってウェブを放ち、交差させた腕を肩にくっつけるような体勢で拘束する。

そのまま駆け出すと、飛びかかりの拳を打ち込もうとするが――

 

 

「がッ!?」

 

 

真っ直ぐ飛び出したリザードの尻尾の先端が胸元に命中。予想外の一撃に驚きと共にスパイダーマンは仰向けに倒れる。

その隙にリザードは両腕の拘束を解くと、スパイダーマンの頭を鷲掴みし、思いっきり床に叩きつける。

 

 

「うぐッ!」

 

混血生物め……!

 

「うあッ!」

 

 

憎しげに呟くながら、リザードはスパイダーマンを何度も床に叩きつける。

整備された床の中身がめくれるほどの攻撃にスパイダーマンはマスクの下で苦悶の表情を浮かべる。耳に伝わるゴッ!ゴッ!という鈍い音がより痛みを激しくさせる。

――このままだとやられてしまう。スパイダーマンは斜め上にある柵にウェブをくっつけて引っ張ると、引き抜かれた柵は勢いよくリザードに直撃した。

 

 

ガアァッ!?

 

 

リザードが怯んでいる隙に腕を引き離して脱出すると、尻尾を両手で掴む。

捕らえたままその場で一回転して振り回すと、手を放して投げ飛ばした。

 

 

ドォォォォンッ!

 

 

棟の出入口は投げ飛ばされたリザードによって壁ごと破壊され、校舎と繋がっている渡り廊下へと出た。

スパイダーマンも後を追い、渡り廊下に出る。

 

 

「フンッ!」

 

ガアァッ!?

 

 

スパイダーマンはリザードの頬を殴りつける。

リザードはフラッと怯むが、負けじと拳で殴り返す。

両者は一歩も退かない接近戦を展開する。

 

 

ガアァーーッ!!

 

チッ!

 

「くッ!」

 

 

リザードの真っ直ぐ突き出された鋭い爪が襲うが、スパイダーマンは頬を掠めるもかわす。

マスクの掠った個所は裂かれ、中から見える肌の切り傷からは血がジワリと滲む。

 

伝わる痛みにスパイダーマンは眉を潜めながらも、リザードの顎にアッパーを放って怯ませる。

すかさず、バク転で距離を取ったスパイダーマンは天井を這いまわってリザードの後ろに回り込むと、先程吹き飛んだ部室棟の出入口の扉をウェブで引っ付け――

 

 

「ハアァッ!!!」

 

ゴンッ!

 

ガアァ………ッ!!

 

 

勢いよく投げ飛ばした。

勢いがついた扉は鈍い音を立ててリザードの後頭部に命中し、前へ吹っ飛んで倒れた。今の一撃がリザードには相当効いたようで起き上がる気配がなかった。

――今がチャンス。スパイダーマンはリザードに近寄ろうとした瞬間――

 

 

ウーーウーーー………!

 

「ッ!」

 

 

パトカーのサイレン音が耳に入り、足を止める。

渡り廊下の窓から外を見ると、校門の前にはパトカーや救急車が停まっていた。生徒か教師の誰かが呼んだのだろう。

警察から追われる身ではあるが、とりあえずこの騒動の犯人であるリザードを突き出そうと考え、リザードの方を向くが、寝ているはずの彼はどこにもいなかった。

 

 

「逃がしたか……」

 

 

マスクを外し、素顔を露わにした(まなぶ)は嘆息をつく。マスクを脱いだ彼の顔は戦闘によって傷だらけだった。

頑丈な体が幸いして大事に至らないが、あざや引っかかれた頬の傷は誰が見ても充分痛々しい。

 

犯人を取り逃したのはもったいないと残念がりながらも諦めた(まなぶ)は怪しまれないように制服に着替え、皆が避難しているであろう体育館の方へと歩いていった。

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
①スタンドライトに照らす手
 マーク・ウェブ版「アメイジング・スパイダーマン」(2012)にて、コナーズがトカゲのDNAから作った薬品で生え変わった右腕に感動するシーンのオマージュ。
コナーズはスタンドライトの電球に触れて痛覚があることに喜んでいた。

②琥太郎を高い高いする石影
 アニメ「スペクタキュラー・スパイダーマン」(2008)でコナーズが息子ビリーを両腕で高い高いするシーンのオマージュ。このシーンでいかにコナーズ家の家庭環境がいいのかが伺える。
ちなみに石影が言った「よお、相棒!」も同シーンでコナーズがビリーに向かって発したセリフ。

③学校での戦闘
 マーク・ウェブ版「アメイジング・スパイダーマン」(2012)では、リザードとスパイダーマンはピーター/スパイダーマンが通う学校で戦いを繰り広げた。シリアスかつコミカルな戦闘シーンは必見!

④消火器でリザードを殴る四葉(よつば)
 マーク・ウェブ版「アメイジング・スパイダーマン」(2012)にて、リザードに苦戦するスパイダーマンを助けようとグウェンがトロフィーでリザードを殴るシーンのオマージュ。



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#8 狂暴なる本能 リザード パート②

人々が歩く地上から地下深くに広がる下水道。普段よっぽどのことがない限り人が通らない通路をボロボロの服装を纏った1つの人影が歩いていた。

その正体はリザードこと石影だ。スパイダーマンとの戦闘で一瞬正気を取り戻した彼は混乱し、下水道へ逃亡したのだ。

変身した影響で疲労した彼の額からは脂汗が流れている。再生していた右腕も無くなっており、唯一ある左腕で壁に寄りかかりながら、フラフラと歩いていた。

 

 

「私は何てことを……」

 

 

苦しげに石影は後悔の念に苛まれる。

右腕が治ったと思いきやトカゲの怪物に変貌してしまった。その間の記憶は曖昧だが、闘争本能の赴くまま暴れたということだけははっきりとわかる。

 

――全人類を助けるどころか全人類に危害を加えるものを作ってしまった。

石影は自分がいかに軽率だったのかと後悔した。

今のところは元に戻っているが、次はいつリザードになるかわからない……。石影はその恐怖に苛まれながら、下水道の奥へと進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トカゲ人間が高校を襲撃……?はんッ!コスチューム野郎の次はトカゲのミュータントか!!この町はいつからこんな連中の出入りを許したんだッ!!!」

 

 

翌日の午後15時。新聞社デイリー・ビューグルに訪れた(まなぶ)の耳に入ったのは、憤慨する紫紋(しもん)の第一声だった。

昨日のことは瞬く間にメディアに晒され、学校は警察の捜査と修理工事もあって休校となっている。そのため、平日の授業がある時間に(まなぶ)がいるのはそういうことである。

 

 

「スパイダーマンも現場にいたそうじゃないか!きっと奴が手引きしたに違いない!市民を脅かす悪党めッ!!」

 

 

そう言ってギリリ…と歯を噛み締める紫紋(しもん)。だが、市民のために怒っている割にはビッグニュースだと喜んでいる節も見られた。

悪党が嫌いと断言する紫紋(しもん)もそこはマスコミ。話題性が出るであろう事件に興味を出すのは彼の仕事性分ゆえである。

 

熱く持論を語る紫紋(しもん)に申し訳なく感じつつも、(まなぶ)は恐る恐る話しかける。

 

 

「あの~……」

 

「おお、天海(あまかい)!丁度いいタイミングだ!旭高校はお前が通っている高校だったな!?」

 

「は、はい……」

 

「よし、さっそく仕事だ!遠くでいい……リザードの写真を撮ってこい!スパイダーマンを撮れ慣れているお前なら簡単な話だ!」

 

「リザード?」

 

「例のトカゲ人間だ。トカゲ人間じゃ締まりが悪いだろ」

 

 

圧巻されている(まなぶ)の問いに丁寧に答える紫紋(しもん)

”リザード”と銘打たれたトカゲの怪物は未だ捕まっておらず、(まなぶ)自身もどこから来て、どんな目的で、どこへ消えたのかはっきりとわかっていない。

少し考える(まなぶ)の態度が返答に渋っていると思った紫紋(しもん)は改めて依頼する。

 

 

「とにかくだ!リザードの写真を撮ってこい!スパイダーマンもいたらついでだ!ギャラはいつもの倍にしてやるッ!!」

 

「……ッ、倍!?」

 

「撮れたらの話だ!!用件は言ったぞ!期限は1週間以内だ!!さあ、出ていけッ!!!」

 

 

言及された報酬に驚く(まなぶ)紫紋(しもん)は条件を1つ付け加えると、いつものように怒鳴って追い出した。

 

編集室を出た(まなぶ)はエレベーターで降りて外へ出た。

 

 

「(リザードの写真を撮れば倍の報酬!そして僕はそれを追うスパイダーマン!捕まえられるし、大金も貰える……あのケチな編集長にしては太っ腹だ!頑張って見つけよう!)」

 

 

通りを歩く(まなぶ)はリザードの撮影に意気込んでいた。

生活費諸々は中野家の家庭教師の分である程度は賄えるが、それでも余裕があるとは言い切れない。

それにいつもケチな紫紋(しもん)が好条件を出すことは滅多に無いだろう。この絶好の機会を逃す手はない。

 

 

《~♪♪♪》

 

「?」

 

 

やってやるぞと意気込んでいる中、ショルダーバックにしまっているスマートフォンから着信音(’67年版アニメ『スパイダーマン』のOPテーマのイントロ)が鳴る。

着信画面を見ると、相手は一花(いちか)だった。

(まなぶ)はまたからかわれると警戒しながら、電話に出た。

 

 

「やあ」

 

《あ、マナブ君。元気?》

 

「元気だけど……どうしたの?」

 

《いや、昨日先生にこっぴどく怒られたからしょげてないかなーって》

 

「ははっ……全然平気だ。僕が悪かったんだし、ちゃんと反省してるよ」

 

 

電話越しの一花(いちか)に苦笑しながら答える(まなぶ)は昨日のことを思い出す。

リザードと戦闘を終えた(まなぶ)は避難場所の体育館へ向かい、ずっといた風に装っていた。

だが、当然担任の先生にはバレてしまい、顔の傷含めて怒られてしまった。心配してくれていたからこそ出る反応だった。

 

 

《……もうっ!本当に心配したんだからね!五月(いつき)ちゃんも二乃(にの)も、マナブ君があの化け物に殺されたりしてないかってずっと不安にしてたから……!》

 

「……わかった。本当にごめん。二度としないから……」

 

 

ぷんすか怒る一花(いちか)に苦い顔で謝る(まなぶ)。軽い口調で叱っているが、彼女はきっと心配してくれてるだろう。電話越しで表情こそ伺えないが、言葉の抑揚にいつものからかいの調子が見られないことから、真剣な気持ちだということがわかった。

 

(まなぶ)の謝罪に「よし!その反省に免じて許してあげよう」と言って、いつもの調子に戻る。

気持ちのメリハリが出来るところが彼女の良いところだろう……。そんなことを思いながら、(まなぶ)も尋ねる。

 

 

「あー……君こそ平気?ケガしなかった?」

 

《うん、平気………でも、正直まだ落ち着けてないかな……。石川先生に手が生えてるって思ったら、トカゲの化け物が出てくるし……》

 

「はははっ、まさかぁ……。手が生えるなんて。あれは義手……ッ!?」

 

 

一花(いちか)がもらす心情に、(まなぶ)は石影の腕が本当に生えている事実を笑って誤魔化そうとした瞬間、頭の中に電流が走る。

石影に生えた腕……それが出来たのは彼が作った薬品の影響だ。そして、その薬品に使われたのは……。今思い付いた(まなぶ)の推理通りなら、次々と辻褄が合う。

こうしてはいられない。

 

 

「ありがとう!一花(いちか)!君のおかげだ!!」

 

《え?え?そう、なのかな?》

 

「そうだよ!じゃあ、電話切るね」

 

《う、うん……》

 

 

感謝されても何のことだかわからない一花(いちか)の曖昧な返事を受けた(まなぶ)は通話を切った。

会話の中で大きなヒントを得た(まなぶ)は自分の考えを纏める。

 

 

「(石影先生はトカゲの遺伝子組み換えした身体再生薬を作っていた。リザードもトカゲ……。”アレ”が見間違いじゃないとするなら……!)」

 

 

アレ──それは、(まなぶ)が昨日見た石影の首筋にあった爬虫類の鱗のようなもののことだ。

ゴミか何かが付着して鱗に見えたものかと自己解決していたが、リザードとのことを考えると関連性が高い。

思い返せば、体育館には石影の姿がなかった。裏付けとなる情報が浮かび上がる。

 

(まなぶ)は真相を突き止めるべく、ある場所へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから40分後。(まなぶ)は木々に生い茂った道を歩き、拓いた土地にある一軒家を訪れた。

そこは度々訪れている石影の家である。(まなぶ)はトカゲの遺伝子を用いた身体再生薬の開発を手伝っていたが、発案者である石影なら何か知っているのかもしれない。

まだ仮定ではあるが、リザードの正体が石影ではないかとにらんでいた。

 

 

「すみません。天海(あまかい)です」

 

 

インターホンを鳴らしてそう告げてしばらく待つと、玄関の扉がガチャと開き、中から陽子が出てくる。

陽子はニコッと微笑んでいるが、どこか表情が固い……。正常とはいえない様子から、何か都合が悪いことが起こったのかと(まなぶ)には理解できた。

 

 

「あ、天海(あまかい)君。何の用?」

 

「石影先生はいらっしゃいます?僕の高校に出たトカゲの化け物についてお話ししたくて」

 

「ッ、竜……あーー今はいないわ……。今日はちょっと……バタバタしてて。また後で来てくれるかしら?」

 

 

(まなぶ)の問いにどぎまぎしながら答える陽子。

探りを入れたのだが、動揺を隠しきれていないことを受けて、(まなぶ)の中にある仮定は確信へと変わりつつあった。

──何かを隠している。そう疑った(まなぶ)は踏み込むことにした。

 

 

「……すみません。なら、待たせてもらっても……?」

 

「ごめんなさい。本当に今は駄目なの……!」

 

「ですが……」

 

「本当にごめんなさい!」

 

 

そう切り出す(まなぶ)を陽子はなおも拒む。

(まなぶ)は何とか粘ろうとするが、陽子は頑なに断り、扉を閉めようとするが──

 

 

天海(あまかい)君が来てるのか……?』

 

「「ッ!?」」

 

 

家の奥から石影の声が玄関へ届いてきた。

この声を聞いた(まなぶ)は陽子が隠し通そうとしたものがはっきりとわかった。それと同時に石影がリザードである事実も確信へと繋がった。

隠そうとしていた人物がいることがバレてしまった陽子は渋るが──

 

 

『彼なら信頼できる。中に入れてやってくれ……』

 

 

石影は家へ上げることを許可する。まだ会って間もないが、研究を共に行う中で、石影には(まなぶ)が悪質な人間ではないと見ていた。

そう言われた陽子は閉じかけていた扉を開けて、(まなぶ)を家の中へ入れた。

(まなぶ)は陽子の先導のもと、研究室の前へと案内された。

そして、陽子がドアノブを引くと、(まなぶ)は研究室の中へ足を踏み入れると、目を見開いた。

 

 

「ッ!先生……」

 

 

(まなぶ)の視線の先。研究室の椅子に座っているのは、件の人間──石影だった。服装はボロボロで、酷い汚れが白衣についていた。

しかし、驚いたのはそこではなかった。顔や左腕には爬虫類の鱗がびっしりついており、右腕は生えているが人間のものではなく、鋭い爪を生やした化け物の腕が生えていた。

この姿から、石影がリザードであるということを証明するには充分だった。

リザードの正体が石影であるなら、こうなるであろうとはわかってはいたが、いざ見るとあまりもの酷さに(まなぶ)は言葉を失ってしまった。その反応を見て、石影は自嘲気味に笑う。

 

 

「酷い有様だろ?人類のためにと長年続けてきた研究の成果がこれだ……」

 

「……」

 

「私は間違っていた。トカゲの遺伝子組み換えをし、人間へ適用できるようにしたが1つ欠点があった。トカゲには『理性』を司る前頭葉や大脳新皮質が存在しない……人間の『理性』が原始的なトカゲの『本能』に負けてしまい、脳が退化してしまっている。そのせいで、解毒薬を作ろうにも作れない……」

 

 

後悔の言葉を告げながら石影は紙に書きかけの配列式を(まなぶ)に見せる。途中まではしっかりと書けているのだが、筆跡が歪んできてきた以降はミミズがのたくったような文字が続いていた。どうやら、石影の脳はトカゲのものへと変化しており、配列式もろくに書けない状況のようだ。

顔を曇らせる石影と陽子……治そうにも治せない現状に苦しんでいる。そんな彼らを(まなぶ)は見捨てられない。

 

 

「先生。この配列式を完成すれば、解毒薬を作れるんですね?」

 

「ああ、そうだ……君が作ってくれるのか?」

 

「はい。僕も研究に携わってましたから……。絶対に作ってみます!」

 

「ッ、すまない……」

 

「私からもお願い」

 

 

(まなぶ)からの提案に申し訳なさそうな顔で頼む石影と陽子。

例え、彼らが断わっても(まなぶ)は解毒薬を作るつもりでいた。困っている人を前に逃げ出すことは彼にはできなかった。

 

彼らの了承を得たところで、(まなぶ)はさっそく解毒薬作りに取り組んだ。配列式を完成させ、薬品作りに取り掛かる。

途中、帰ってきた琥太郎にも事情を説明し、不安ながら陽子と一緒に時間と共に苦しんでいく石影の様子を見ていた。

 

 

「パパ、大丈夫よね?もとに戻るよね?」

 

「ええ、大丈夫よ。お兄さんを信じて待ちましょう」

 

「……」

 

 

解毒薬を生成する最中、リビングから不安に駆られる琥太郎を宥める陽子の声が聞こえる。琥太郎もわかってはいるが、不安で押し潰されそうで口にせざるを得なかった。

そんな声を聞いた(まなぶ)は、改めて”助けよう”という決意を固めた。

 

 

「やった!完成!」

 

 

4時間が経過し、(まなぶ)は見事、解毒薬を完成させた。安堵の笑みを浮かべる(まなぶ)の手にある試験管には青い液体が入っており、色合いからトカゲの遺伝子を水の如く流し切るような印象を与える。

本来なら投与実験したいところだが、解毒薬なので試そうにも石影以外被験体がいない。つまり、ぶっつけ本番というわけだ。

 

(まなぶ)は薬品をこぼさないようにコルク栓でしっかりと締めると、研究室を出て、石影たちが待つリビングへ。

──これでようやく終わる。リザードの写真が撮れないのは残念だが、人を救うことが優先だ。(まなぶ)はそう言い聞かせて、リビングの入口の角を曲がろうとしたときだった。

 

 

「!?」

 

「パパ!」

 

「……ぅうう!ぐあぁぁぁーーーーーーーッ!!!」

 

 

時すでに遅し。苦痛の叫びをあげた石影の頭は牙が生えた獰猛なトカゲのものへと変化し、2mを超える背丈へとなっていく。

変身するさまに琥太郎と陽子はショックで固まってしまう。

ガギゴギと不気味な音を立てながらシルエットを変えていき、石影はあっという間にリザードへと変貌してしまった。

 

 

「パパ!しっかりしてよ!」

 

「琥太郎!」

 

ガアァァァァーーーーーッ!

 

 

呼びかけながら近寄ろうとする琥太郎を止める陽子。それでも正気に戻ってもらおうと必死に呼びかける。

だが、理性を失っているリザードには息子の呼びかけには応じず、無慈悲にも鋭い爪が生えた腕を振り下ろそうとする。

それを見た陽子は琥太郎をかばおうと前へ出て、琥太郎を抱きしめる。

リザードの鋭い爪が陽子の背中へ迫った瞬間――

 

 

ピシュッ!

 

ガアァッ!?

 

「「?」」

 

 

窓からウェブが発射され、リザードの顔面にくっつく。

突然目の前が真っ暗になり、リザードが混乱している中、不思議に思った陽子と琥太郎は窓の方を見ると、窓からスパイダーマンが颯爽と家の中に現れた。

その隙に陽子と琥太郎はリビングの隅へ避難する。

 

 

「こい!トカゲマン!」

 

ガアァァァァーーーーーッ!

 

 

本能によるものなのか、それとも前回やられた恨みからか……。リザードはスパイダーマンを睨みながらその挑発に乗ると、その場から駆け出して襲いかかる。

スパイダーマンは素早く横へ避けると、リザードはそのまま家の壁を突き破って外へ出た。

逃がすまいとスパイダーマンは壁にぽっかり空いた穴から外へ出ると、リザードの頬を殴りつける。

 

 

ガアァッ!

 

「ぐッ!?」

 

 

負けじとリザードはスパイダーマンの腕に尻尾を絡ませると、弧を描きながら反対の地面へ叩きつける。

スパイダーマンは苦悶の声が出ながらも立ち上がろうとするが、容赦ないリザードの拳が顔面に突き刺さる。

後頭部を地面に打ち付け、バウンドする衝撃にスパイダーマンはマスクの下で顔を歪める。

 

 

ガアッ!?

 

 

痛みを堪えながらスパイダーマンの渾身のフックがリザードの鼻っ面に炸裂。強烈な一撃にリザードは目を見開くと、激痛のあまり身をよじらせる。

その隙に起き上がったスパイダーマンは両手首のウェブで巨大な蜘蛛の巣と作ると、リザードを近くの木々に拘束する。

 

リザードが逃れようともがく中、スパイダーマンは腰の隠しポケットから解毒薬が入った試験管を取り出す。

前へ飛んでリザードの頭上の木に引っ付くと、試験管を片手にリザードの口に両手を突っ込む。

 

 

「ヌッ、オォォォォ………!」

 

ガアァァァァーーーーーッ!ガアァァーーーーーッ!

 

 

スパイダーマンは解毒薬を飲まそうと突っ込んだ両手に力を込めてリザードの上顎と下顎をこじ開けにかかるが、顎の力が強すぎて中々開こうとしない。

リザードは本能的に理解していたのだ。解毒薬が自分にとって不都合なものだということに。

大人しく口を開けない現状にスパイダーマンは悪戦苦闘する中、リザードは全身の力を込めて自身を縛っていたウェブを引きちぎると、スパイダーマンの頭を掴み、地面へ叩きつける。

 

 

「のあッ!?」

 

ガアァァァァーーーーーッ!

 

「くッ!」

 

 

地面に背中をぶつけ、肺から一気に空気が出る感触にスパイダーマンが悶えている隙にリザードは逃げ出そうとする。解毒薬が自分の天敵であると判断したからだ。

当然、このまま易々見逃す気はないスパイダーマンは両手で尻尾を掴むが――

 

 

ブチッ!

 

「なッ!?」

 

 

リザードはトカゲの自切のように尻尾を切って逃れる。驚くスパイダーマンの手にはビクビクと動く尻尾だけが残された。

リザードは尻尾を再生しながら、家の敷地外へと走り去っていく。

気持ちが悪いとスパイダーマンは尻尾を適当に投げ捨てていると、心配そうに陽子が駆け寄る。

 

 

「大丈夫?」

 

「ああ……。天海(あまかい)君から事情は聞いているから解毒薬は僕に任せて。あなたたちはここで待ってて」

 

「ええ」

 

 

スパイダーマンはすぐさま後を追うべく駆け足気味に陽子へそう告げると、ウェブを飛ばして空を飛んでいった。

お尋ね者の登場に陽子の脳内は混乱していたが、リザードのことはとりあえず彼に任せることにした。

 

 

「琥太郎。家に入っていましょうか………琥太郎?」

 

 

陽子はそう言いながら振り向くが、琥太郎の姿が見当たらない。辺りを探すが、彼の姿はどこにもなく、玄関に置いていた靴とスケートボードだけが消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃、スパイダーマンは暗闇に紛れて逃げるリザードの後をウェブスイングで追っていた。

後を追ううち、場所は人里離れた森林地から活気溢れる街へと移り変わっていった。

 

 

「(石影先生、どこだ?)」

 

 

追うこと10分。夜の街をスイングして上空から追っていたスパイダーマンだが、リザードを見失ってしまった。

というのも、街は石影家とは違い、建物が複雑に入り組んでいるからだ。

さらに人、車や電車など様々なものから発する環境音がスパイダーマンの集中力を削ぎ、リザードがどこにいったのかわからなくなったというわけだ。

 

このままスイングしても無駄な体力を使うだけと判断したスパイダーマンは一旦ビルの壁面に引っ付き、考えを整理する。

 

リザードはトカゲと同様の本能に従って動いているのはスパイダーマンにはわかる。

動くもの()()に反応するのはまさにトカゲの行動原理だ。現に学校で現れたときは動く人ばかりを追っていた。

さらに四葉(よつば)から聞いた話によると、目の前にいた自分たちを差し置いて、非常ベルの方へ向かっていったという。

これらのことから、リザードはトカゲそのものと考えていい。

 

トカゲのいそうな場所……暗くてジメジメした場所。

それがこの街にありそうなものは――

 

 

「(下水道ッ!!)」

 

 

地上の路地裏にあるマンホールを見て、検討をつける。確かに下水道なら、トカゲが好みそうな環境ではある。

そうと決まるや否や、スパイダーマンは地上に降り、マンホールの蓋に手にかける。

普通の人間ならどけるのは困難だが、強靭な肉体を持つスパイダーマンにとっては赤子の手をひねるようなもの。ひょいと持ち上げ、蓋を近くの床に置いた。

 

 

「(おえっ……どうせなら花屋に隠れてくれた方がいいのに………)」

 

 

スパイダーマンはマンホールの奥から込み上げてくる悪臭にマスクの下で顔を歪める。

正直抵抗感はあるが、石影の家族のことを考えれば、どっちみち入るしかない。

心中で愚痴りながらもスパイダーマンはマンホールの中へ飛び込んだ。

 

スパイダーマンを飛び込む様子を1つの小さな影が物陰から目撃していた。

その人物は琥太郎で、スケートボードを使ってこっそりスパイダーマンの後をつけてきていたのだ。

 

 

「(待っててね、パパ。僕も行くから)」

 

 

全ては父親に会うため。

琥太郎もマンホールの梯子をつたって、下水道へと降りていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

活気溢れる地上から地下。静寂に包まれた下水道をスパイダーマンは蜘蛛のように壁を這い回って探していた。

つんざくような悪臭に気が散りそうになりながらも隅から隅まで探した。

しかし、リザードの姿はどこにも見当たらなかった。

 

 

「(いない。いてもネズミしかいない……。ハズレか?)」

 

 

スパイダーマンは通路に降り立ち、顎に手を当てて考え込む。トカゲの生態を考えれば下水道が妥当だと思っていたが、結局見当たらない。

――あてが外れたか?振り出しに戻ったと思った瞬間――

 

 

ガアァァァァーーーーーッ!

 

≈「ッ!?」≈

 

 

水路から突如リザードが現れ、スパイダーマンの足首を掴んだ。

スパイダーセンスの反応が遅く、ふいを突かれたスパイダーマンはそのまま水中に引きずり込まれた。

 

このままだとまずいと危険を感じたスパイダーマンは何とか浮上しようと泳ぐが、リザードの尻尾が腰に巻き付けられて妨害される。

スパイダーマンは水中で戦うことを余儀なくされた。

 

 

ガアァァァァーーーーーッ!

 

「(ぐッ!?がッ!?)」

 

 

いざ戦おうと拳や蹴りを見舞うも水の抵抗を受けて、思うように攻撃が届かない。

それに反して、水中戦も得意なリザードはワニのように軽やかに遊泳すると、容赦ない体当たりをスパイダーマンに何度もぶつける。

 

慣れない水中戦に窮地に立たされたスパイダーマンは水面に向けてウェブを飛ばすが、水中では勢いよく飛ばない。ひらひらと蜘蛛糸が漂うだけだ。

その間にもリザードは体をぶつけてくる。スパイダーマンはろくな抵抗もできず、一方的に攻撃されていくばかりだった。

 

 

ガアァァーーーッ!!!

 

「ッ!」

 

 

次から次へとくる攻撃にスパイダーマンがぐったりしていると、リザードはとどめと言わんばかりに大きく口を開きながら迫りくる。頭を嚙み砕くつもりだ。

青ざめたスパイダーマンは残された力を振り絞り、体を回転させ――

 

 

……?ガアァァッ!?

 

 

オーバーヘッドキックをリザードの脳天に炸裂させる。

蹴りによって無理やり口を閉じられ、上歯と下歯をガチンとぶつけたリザードは苦しみ悶える。

その隙にスパイダーマンは水面に向かって泳ぎ、通路へと乗り上げた。

 

 

「ごほっ!ごほっ!」

 

 

地下ではあるが、自分に馴染む空間へと出たスパイダーマンは四つん這いになって咳き込む。

リザードとの攻撃で水が鼻や口、耳に大量に入ってしまい、危うく溺れるところだった。

しかも、今のスパイダーマンにはもう体力が残されていなかった。その理由はリザードの猛攻に加え、先程放ったオーバーヘッドキックで残された全ての体力を使いきってしまったからだ。

スパイダーマンは一旦休むため距離をとろうとするが……

 

 

ガアァァァァーーーーーッ!

 

「ッ!?」

 

 

泣きっ面に蜂。復活したリザードが水中から飛びかかってくる。

当然、体力が限界のスパイダーマンは避けることができず、首を掴まれて壁に叩きつけられる。

リザードはそのまま手に力を込め、首絞めにかかる。

 

 

「ぐッ!うぅうぅぅぅ………ッ!」

 

 

首の圧迫にスパイダーマンは苦しみから逃れようともがくが、リザードの強靭な腕力の前ではびくともしない。

首を絞められた影響で肺に空気を送り込めない。スパイダーマンの意識は段々と遠ざかっていく。

 

リザードは更に駄目押しとばかりに腕を引いて片方の爪を立てる。狙いはスパイダーマンの心臓部だ。

朦朧とする意識の中でそれを目にしたスパイダーマンはウェブを飛ばそうとするが、本能で察知したリザードの尻尾に手首を巻き付けられ、けん制される。

――絶対絶命。その四文字が頭に浮かんだスパイダーマンの心は、恐怖に塗りつぶされようとしていた。

 

 

「パパ!やめて!」

 

………?

 

 

絶対絶命の中、こちらに向かって制止する声が飛ぶ。

声を発したのは琥太郎で、変わってしまった父親――リザードに呼びかけていた。

その声に耳に留まったリザードはスパイダーマンを解放すると、琥太郎のもとへ近寄り始める。自分より倍以上ある体格に琥太郎はビクッと体を震わせながらも、呼びかけを続ける。

 

 

「パパ!ねぇ、こんなのやめてよ!もとのやさしいパパに戻ってよーーッ!!」

 

 

悲鳴に似た叫びで心に訴える琥太郎。琥太郎はどんなに変貌しても、石影にはまだ人の心があることを信じていた。

元の父親に戻ってほしい……それが彼の切実な願いだ。

 

 

ガアァァ………!

 

「に、逃げろ……ッ!」

 

 

しかし、非情にもリザードは異に返さずに殺そうと舌なめずりしながら距離を詰めていく。

スパイダーマンは詰まるような声を出しながら逃げるように促すが、琥太郎は一歩も動かない。

 

 

ッ!

 

 

そして、1mもない距離まで近づき、リザードが爪を振り下ろそうとしたときだった。

リザードはあるものに目が留まり、攻撃の手を止める。その視線の先……それは琥太郎の涙だった。

琥太郎は優しい父親が獣のように暴れ回る姿を見て悲しみ、それが自然と涙となって流れたのである。

 

 

こ…た…ろう……

 

 

愛する息子の涙を見て、リザードは息子の名を口にした。

ほんの僅かだが、リザードは人間・石影としての意識を取り戻したのである。

その証拠にリザードの目は穏やかな人間の目へと戻っていた。

 

 

「(そうか……先生はまだ完全に理性を失ったわけじゃないのか)」

 

 

その様子を後ろから見ていたスパイダーマンはリザードに石影としての心があることを確信した。

そうでなければ琥太郎の名前も呼ばない。石影の理性はリザードの本能と戦っているのだ。

こうはしておれまいと身体中の痛みに鞭打ちながら立ち上がったスパイダーマンは、生じた一瞬の隙に解毒薬が入った試験管の栓を抜くと走り出し、リザードの背中に飛びかかる。

突然飛びかかれたリザードが動揺して口を開いた瞬間、スパイダーマンは解毒薬を一気に流し込む。

 

 

ガアァァァッ!?ガアァァァァーーーーーッ!!!

 

 

全て流し込んだスパイダーマンは飛び退くと、リザードは頭を抱えて苦しみ出す。身体がドンドン縮んでいき、生えていた尻尾や全身を覆っていた鱗、再生していた右腕も消える。

苦しみにあまり膝をついたリザードはあっという間に人間・石影 竜へと戻った。

琥太郎は心配そうに石影へ駆け寄る。

 

 

「パパ……?」

 

「……琥太郎?」

 

「パパッ!」

 

 

見覚えのある顔、聞き慣れた声。それら全てを見て、元の父親に戻ったと確信した琥太郎は涙を流しながら石影に抱き着く。

石影も謝罪の意味を込めて、元々あった左腕でそっと抱き締めた。

その感動的な光景にスパイダーマンはほっとひと安心していると、あることを思い出す。それはデイリー・ビューグルから依頼された、リザードの写真だった。

 

 

「(リザードを止めようと躍起になって、うっかりしてた……!写真を撮らなきゃ……)」

 

 

スパイダーマンは腰の隠しポケットからデジタルカメラを取り出す。電源を点けると、幸いにも正常に起動した。

マスクの下で頬を緩めたスパイダーマンはカメラを構える。リザードを倒すだけでなく、正体を突き止めた。紫紋(しもん)に提示された以上の額を貰えるかもしれない。

湧き上がる欲望に心躍らせながら、シャッターを切ろうとしたときだった。

 

 

『……(まなぶ)。いくら相手が友人や家族だったとしても、やっていいことと悪いことは必ずある。目先の利益ばかりにこだわってちゃ駄目だ。”親しき仲にも礼儀あり”……絶対守るんだぞ?』

 

「……」

 

 

今は亡き叔父――天海(あまかい) (つとむ)が幼き頃の自分に遺した言葉が頭を過る。

小学生の頃の自分は何ひとつ意味を理解できなかったが、今ははっきりとわかる。

もし石影がリザードだとわかれば、間違いなく大スクープになる。だが、石影一家はどうなる?

マスコミや野次馬が集まり、行く先々で白い目で見られるだろう。そうなると、表社会では生活していけなくなる。

先のことを考えたスパイダーマンは………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よく来た、天海(あまかい)!さっそくだが、リザードの写真を貰おう!」

 

 

後日、デイリー・ビューグル。

いつものように編集長室のデスクでふんぞり返る紫紋(しもん)はリザードの写真の提出を求める。

それに対して、(まなぶ)は――

 

 

「ああ……すみません。カメラが壊れてて写真が撮れませんでした」

 

「………何だと?」

 

「ですから、カメラが壊れてて写真が撮れなかったです」

 

 

訊き返す紫紋(しもん)に臆せずはっきりと答える(まなぶ)

わかるかと思うがカメラが壊れたのは嘘であり、叔父の言葉を思い出して思いとどまった結果、写真を撮るのを止めたのだ。

石影の研究は振り出しに戻ってしまったが、これが最善だと(まなぶ)は判断した。

 

当然、そんなことも露知らずの紫紋(しもん)は怒りでプルプルと肩を震わせ――

 

 

 

「馬鹿者ーーーッ!!カメラマンたる者がカメラの1つや2つを管理してなくてどうするッ!?ええいッ、写真が無いのならギャラも出さんッ!!とっとと出ていけーーーーーーッ!!!!!」

 

 

火山の噴火の如く怒鳴り散らした紫紋(しもん)(まなぶ)をつまみ出す。

大人しく従った(まなぶ)は編集長室から出ると、副編集長の比呂が駆け寄ってくる。

 

 

「悪いな……」

 

「いえ、もう慣れましたから」

 

 

代わりに謝ってくる比呂に(まなぶ)は苦笑して返すと、デイリー・ビューグルの編集室を出た。

エレベーターに乗って地上階に出た(まなぶ)は正面玄関へと歩いていく。

 

 

「(お金は貰えなかった……。でも、それでいいじゃないか。少なくともあの家族の絆は守れたんだ。みんなが褒めてくれなくても、僕にとっては最高の報酬だ……)」

 

 

スパイダーマンは見返りを求めない……。(まなぶ)は心の中でそう言い聞かせると、正面玄関を潜り、明るい街へと繰り出した。

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
(まなぶ)のスマホの着信音
 本文でも書かれているが、’67年版アニメ『スパイダーマン』のオープニングテーマのイントロとなっている。スパイダーマンをよく知らない人でも一回は聞いたことがある有名な音楽で、今現在のスパイダーマン映画の予告でも使われている。

②青い液体
 マーク・ウェブ版「アメイジング・スパイダーマン」(2012)では、リザードが町中の人々をトカゲにしようとしていた薬品に対抗するため、ピーターがグウェンに頼んで作ってもらった解毒剤の色が青色。

③足首を掴まれて、水中に引きずり込まれるスパイダーマン
 アメコミ原作「アメイジング・スパイダーマン」#6(リザード初登場刊)にて、池からリザードがスパイダーマンを水中に引きずり込むシーンのオマージュ。


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Ⅱ Electric running Midterm exam
#9 意地と意地


リザード事件が解決し、紫紋(しもん)にこっぴどく怒鳴られてから翌日。

建物の損傷個所の修理が終わった旭高校はいつも通り授業が行われていた。

ちなみにリザードは行方不明扱いとなり、警察は早々に捜査の手を引いた。

 

 

「来週から中間試験が始まります。念のために言っておきますが、今回も30点以下は”赤点”とします。各自、復習を怠らないように」

 

 

昼過ぎの4限目の授業の終わり際、ひと通り授業内容を終えた教師は黒板に書いた『中間試験』という文字を指差しながら話す。

 

――中間試験。それは中学、高校などの教育機関で行われる一大イベントの1つ。避けては通れない……学生の恒例行事みたいなものであり、勉強が本分の学生の学力を確かめるために行われる。

学生は皆、口揃えて面倒だと思うのが大半であるが、今後の進級や就職、進学に関わるので、より良い学力を証明するチャンスでもある。

 

 

「(始まるか……)」

 

 

中間試験の話を聞いて、固唾を呑む(まなぶ)

普段、勉強に関して問題ない(まなぶ)にとっては特段不安になる必要がないのだが、彼の悩みの種は別にあった。

 

 

「ここの読みは(ちょ)すじゃなくて、(あらわ)すだよ。結構間違いやすい漢字だし、テストにも出ると思うから覚えてて」

 

「はい」

 

 

授業が終わり、次の授業が始まるまでの休み時間。(まなぶ)五月(いつき)の勉強に付き合っていた。

彼女は毎回、休み時間の合間を縫って予習や復習を行っている。(まなぶ)はその付き添いとして、手が空いているときはこうして勉強を一緒に見ている。

家庭教師のときも五月(いつき)が風太郎の教えを拒んで自分に見てもらっているので、(まなぶ)は正直、学校内外でも変わらない気がしていた。

 

しかし、彼の悩みの種はそこではなかった。

 

 

五月(いつき)

 

 

マンツーマンでの勉強をしている最中、2人の空間に割り込む声が1つ。

五月(いつき)(まなぶ)は声のした方へ視線を送ると、上杉 風太郎が関心したように両手に腰を当てながら立っていた。

彼の登場に五月(いつき)は先程まで穏やかだった表情から一変して、嫌そうな顔を浮かべた。

 

 

「何ですか?」

 

「いやーー頑張っているなーって思って。休み時間に勉強してるなんて偉い!」

 

「?」

 

「(もうちょっとマシな言い方あるだろ……)」

 

 

いつも人を馬鹿にする風太郎が珍しく褒める姿に五月(いつき)は困惑する。

(まなぶ)は風太郎の上から目線の物言いにこりゃ駄目だと額に手を当てていた。言葉の捉えようにとっては煽っているようにも聞こえる。

これがただの嫌味であればいいが、風太郎本人は褒めていると思っているので尚更タチが悪い。

 

何故、風太郎が急に褒め出したのか。理由は単純で、五つ子たちに勉強意欲を上げて、何としても赤点を回避してもらうためだ。

家庭教師をやっている以上、成果が見られなかったらクビにされてしまう……。その危険性を考慮した風太郎はまず、真面目な五月(いつき)から伸ばそうと実行に移したわけである。

 

風太郎は覗くように五月(いつき)の勉強している内容を見て、うんうんと関心したように頷くと、褒め伸ばし作戦を続ける。

 

 

「家でも自習をしてると聞いてるぞ?無遅刻無欠席で忘れ物もしたことがない……。同じクラスだからわかる。お前は姉妹の中で一番真面目だ」

 

「そうでしょうか?」

 

「ああ!」

 

 

褒められて悪い気がしない五月(いつき)はそっぽを向きながら問うと、風太郎は頷き――

 

 

「ただ馬鹿なだけなんだ!」

 

「あ……」

 

 

と、爆弾発言を投下する。風太郎の言いたいことは「真面目だけど要領が悪い」というニュアンスなのは(まなぶ)にはわかるが、傍から聞くと、ただの暴言にしか聞こえない。

実際に暴言と受け取った五月(いつき)の表情は段々と苛立ちが見え始め、頬を膨らませる。

 

 

「意地張ってないで、勉強会に参加してみろよ?もっと伸ばせるはずだぜ」

 

「も、もうその辺で……」

 

 

だが、自分の褒め言葉が煽りになっていることも露知らず。風太郎は褒め続けながら放課後に行っている勉強会へ誘う。

火に油を注ぐ発言に(まなぶ)はこれ以上言うのはやめさせようとストップをかける。

五月(いつき)はプルプルと肩を震わせつつも、爆発しそうな怒りをぐっと腹のうちに堪えると、ニコッと笑みを浮かべる。しかし、その表情の裏からは怒りが滲み出ていた……。

 

 

「……そうですね」

 

「……ッ、そうか!なら勉強会に――」

 

「いいえ。先生にも教えてもらいます」

 

 

希望を見出した風太郎の誘いを五月(いつき)はきっぱりと断る。風太郎の煽りにしか聞こえない物言いに五月(いつき)は頭にきており、あっかんべーと軽蔑するくらいだ。

 

そう、(まなぶ)の悩みの種はこれだったのだ。

風太郎の教えを乞わないと断言した五月(いつき)は風太郎主催の勉強会には一回も参加していない。

そのため、(まなぶ)がマンツーマンで教えているのだが、(まなぶ)自身としてはこの状況は好ましくなかった。

好きな女の子とほぼ2人っきりになれるので完全に悪いとは言い切れないが、1人で教えるのにも限界がある。(まなぶ)五月(いつき)専用の家庭教師ではないので、他の姉妹にも教える必要があった。

 

なので、勉強会に参加してもらった方が効率が良くて助かるのだが、彼女自身が意地を張って動かない。

風太郎の妙な煽り性能も相まって、勉強会の件は平行線上になっていた。

 

だが、悩みの種はこれだけでなかった。授業が終わり、放課後の廊下。

(まなぶ)は勉強会に参加するために図書室に向かって歩いていると、先の廊下から歩いてくる二乃(にの)の姿が見えた。

 

彼女もまた五月(いつき)同様、勉強会に参加しない1人である。

何度か誘おうと試みたがことごとく無視され、家庭教師の時間になっても全く参加する意思を見せない。

声をかける度、辛辣な態度を取られるので、正直(まなぶ)の胃は限界に近かった。

 

 

「あっ」

 

 

ある程度距離が縮まると、こちらに気付いたのか二乃(にの)は手を振る。しかも、今まで(まなぶ)に見せたことがない微笑み顔で。

やっと自分のことを認めてくれたと嬉しくなった(まなぶ)は微笑んで手を振り返す。

 

 

「やあ、二乃(にの)。どうかな?この後、勉強会があるから一緒に――「そっちにいたのー?連絡してってばー」―――どうか…な………」

 

 

いい機会だと思った(まなぶ)は勉強会に誘うが、二乃(にの)の視界には入っていないのか、彼女はそのまま横を通り過ぎる。

疑問に思った(まなぶ)は振り向くと、二乃(にの)は先にある登り階段で待っている2人の女子の方へ向かっていた。彼女が手を振ったのは(まなぶ)に対してでなく、その後ろにいた友達に向けてのものだった。

勘違いと知り、恥ずかしさから段々と声のトーンを落としていく(まなぶ)をよそに、やってきた二乃(にの)に対し、女子2人は「ごめんごめん」と談笑すると、階段を上がっていく。

 

 

「あの人、二乃(にの)のこと呼んでなかった?」

 

「あいつ、私のストーカー」

 

「えーこわ……」

 

「……」

 

 

遠くから聞こえる女子と二乃(にの)の会話に(まなぶ)は何ともいえない表情を浮かべる。

去り際に聞こえた辛辣な言葉は心を傷つけるのに充分で、(まなぶ)は気持ちが沈んでいくのを実感した。

 

 

「こっぴどくフラれたな~」

 

「涼介」

 

 

呆然と立ち尽くす中、フラッと横から涼介が苦笑しながら現れる。(まさる)も一緒だ。

どうやら、彼らは一部始終を見ていたようだ。

涼介は(まなぶ)を気遣うようにその肩に手を置く。

 

 

「ありゃ酷いよな……。何にも悪いことしてないのに、勝手に決めつけられるんだから……。アルバイトでも、あんな風に毎回言われてるのか?」

 

「ああ……でも、これでもマシな方。最悪のときは睡眠薬を盛ったりするらしいから」

 

「え……」

 

「マジかよ……」

 

 

苦笑する(まなぶ)のとんでも話に絶句する(まさる)と涼介。

侮蔑の言葉のみならず、睡眠薬を盛るとは……。思っていた以上に苦労していると思った2人はなおも家庭教師を続けている(まなぶ)に同情と尊敬の念を抱いた。

何ともいえない空気に包まれる中、涼介は場の空気を替えようとあっと声を出す。

 

 

「そうだ、(まなぶ)。この後空いてるか?また勉強教えてもらおうって思って」

 

「あ~~……いいけど、この後、一花(いちか)たちと勉強会やるんだけど一緒に来る?上杉いるけど」

 

「ゲッ!マジかよ……」

 

 

(まなぶ)の提案に途中まで乗り気だった涼介は風太郎の名を聞いた瞬間、不快な表情を露わにする。

涼介は風太郎のことが大嫌いであり、この前の花火大会のときも睨み合っていた。対する風太郎は相変わらず不愛想な態度だったが。

当然(まなぶ)はそのことをわかっているので、涼介と風太郎のためにもあらかじめ言ったわけである。

 

涼介はしばらく悩んだのち――

 

 

「仕方がない……アイツがいるのは癪だが、成績のためだ。我慢しよう」

 

 

と観念したかのように言うと、深いため息をつく。

嫌いな相手と同じ空間で勉強するのは涼介自身避けたいが、テストのことを考えると背に腹は代えられないので、提案に乗るしかなかった。

涼介は隣の(まさる)に尋ねる。

 

 

「マックス。お前はどうする?」

 

「あー……いいや。今度は自分の力だけでやってみたいんだ」

 

「そうか……。テスト返却日に誕生日だなんてツイてないな~」

 

「うん。でも、乗り切ったご褒美だと思って頑張るよ」

 

 

同情する涼介に苦笑しながら返す(まさる)。中間試験は2日間あるのだが、答案用紙の返却日は(まさる)の誕生日なのだ。

気を抜いてもいい喜ばしい日なのに気を抜けないとは不運なものである。

涼介同様に同情した(まなぶ)も苦笑する。

 

 

「……わかった。マックス。もし、わからないところあったら教えて?」

 

「うん。じゃあ……」

 

「またな」

 

 

3人は別れ際にそう告げると、(まさる)は下駄箱の方へ、(まなぶ)と涼介は図書室へと向かう。

 

 

「ちなみにどこを教えた方がいい?」

 

「数学だ。確率が意味不明で……」

 

「わかった。できるだけわかりやすく教えるつもりだから、途中で逃げるなよ?」

 

「………お手柔らかに」

 

 

道中、歩きながら何気ない会話を挟む2人。

やる気満々の態度を見せる(まなぶ)に涼介は恐々とするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、お前ら!中間試験が一週間後に控えてるが、正直言ってこのままでは乗り越えられない!国数英社理の五科目……これから一週間、徹底的に対策するぞ!」

 

「「え~~~」」

 

 

それから数分後、図書室。風太郎の口から威勢よく今後の試験対策が飛び出す。

当然、勉強が苦手な一花(いちか)四葉(よつば)はわかりやすいくらい拒否反応を示していた。

風太郎と(まなぶ)はこれまで五つ子たちの学力を確認してきたが、どれも赤点を回避するには程遠い点数ばかりだった。

時間的に考えて今までのペースで教える余裕はない……なので、せめて赤点は回避できるようにしようと切り出したのである。

 

一方、(まなぶ)はというと、風太郎たちから5mくらい離れた席で勉強する涼介に教えていた。

こうなったのも涼介が「上杉の近くには寄りたくない」と申し出があったからだ。ここまで距離が開いても勉強会には支障はきたさないので(まなぶ)は承諾したか、そこまで嫌う必要があるのかと疑った。この件について色々と訊きたいが今は勉強が先決なので後回しにすることにした。

 

 

「フータロー君。リラックス、リラックス……。そんなに張り切ってちゃ逆に疲れちゃうよ?」

 

「そーですよ!ほら、ことわざで『過ぎたるはなよなよが如し』って言うじゃないですか。やりすぎは逆に危ないって……」

 

 

風太郎の提案に一花(いちか)四葉(よつば)は考え直すよう口々に返す。

正論のように言っているが、実際は勉強がしたくなくて逃げたいだけだ。

 

 

「ほう……試験は眼中にないってか?頼もしいな。じゃあ、試験は余裕で乗り切れるのだろうな?」

 

「あはは……」

 

「それはー……」

 

 

風太郎が冷たい眼差しで尋ねると、途端に言葉を詰まらせる一花(いちか)四葉(よつば)

彼女たちが考えていることは普段の家庭教師の経験から風太郎にはお見通しであり、試しに追求すると御覧の通りである。

風太郎は顔を俯かせて深くため息をつくと、顔を上げ――

 

 

「はあ……だろうな。無理だってことはお前たち自身でわかってるだろ?それに『なよなよが如し』じゃなくて、『過ぎたるは猶及(なよ)及ばざる如し』だ。逃げずにちゃんとやる、わかったか?」

 

「「はーい……」」

 

 

と幼い子供を躾けるように言うと、観念した一花(いちか)四葉(よつば)は揃って返事する。

勉強嫌いを治したいのは(まなぶ)だけでなく風太郎もだが、今はそれを考える時間も惜しい。一刻も早く勉強させなければ……!

そう思いながら風太郎は渋々勉強を始める2人を見ていると、ふと同席していた三玖(みく)が気になった。

顔をそちらへ向けると、三玖(みく)は既に黙々と勉強をしていた。しかも彼女が苦手だと言っていた英語をだ。

 

 

「……ッ!三玖(みく)が自ら苦手な英語を勉強をしている……!熱でもあるのか?勉強なんていいから休め?」

 

「(もっとマシな言い方ないの……?)」

 

 

驚いた風太郎は心中で思っていたことをそのままぶつける。

またもや煽ってるような言い方に遠くから聞いていた(まなぶ)は嘆息をつく。

労わる風太郎に対して三玖(みく)はピクッと反応を示したのち――

 

 

「平気。少し頑張ろうと思っただけ……」

 

「「……」」

 

 

と言うと、ペンを動かして勉強を再開する。三玖(みく)の内なる気持ちは誰にも伺えない。

しかし、風太郎と(まなぶ)はこのやる気から彼女の何かが変わりつつあるのを感じた。

 

 

「よーし!私も頑張ろーー!」

 

「ゆっくりやりますか……」

 

 

彼女の姿に触発された四葉(よつば)一花(いちか)も負けてられないと積極的に取り組み始める。

このあまりにも良い風向きに風太郎も(まなぶ)も呆気にとられるが、すぐに気を取り戻すと、姉妹たちと涼介に勉強を教えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう、(まなぶ)。これでテストも乗り切れそうだ……。やっぱりお前は頼りになるな」

 

「ははっ、どういたしまして。また明日」

 

「ああ」

 

 

それから数時間後。三姉妹と別れ、涼介と(まなぶ)は他愛ない会話を交わすと、校門を出た2人は別れ際に手を振ると別々の方角へと歩いていく。

(まなぶ)は先に待っていた風太郎と一緒に帰り道の歩道橋を歩きながら、今後の勉強の方針について話しているときだった。

 

 

「待ってくださーーいッ!」

 

 

後ろからこちらを呼び止める声が。2人は振り向くと、五月(いつき)が駆け足でこちらに向かってきていた。

息をきらした五月(いつき)が落ち着くのを待った風太郎は尋ねる。

 

 

「何だよ?勉強会ならとっくに終わったぞ?」

 

「違います。電話をあなたたちに取り次げとのことです」

 

「「??」」

 

 

五月(いつき)の言葉に頭の上で疑問符を浮かべる風太郎と(まなぶ)

一体誰だろうと彼女が持つスマートフォンの画面に目をやると、『お父さん』と書かれた着信画面が映っていた。

電話の主は五月(いつき)たちの父親――中野 マルオだった。

普段滅多に電話をかけてこない依頼主に緊張が走った2人は(まなぶ)が取り出したイヤホンをお互いの片耳に装着すると、風太郎は恐る恐る声をかける。

 

 

「……もしもし?上杉ですが………」

 

《上杉君か。娘たちが世話になっているね。天海(あまかい)君も近くにいるかな?》

 

「はい。僕もいます」

 

《良かった。中々顔を出せなくてすまないね。どうだい、家庭教師の方は順調かな?》

 

「ええ、順調ですよ。全員積極的なもんで、逆にこっちが困るくらいですよ~」

 

 

嘘も方便に風太郎は自信たっぷりの口調で虚偽の報告をする。相手はマルオだ……もし真実を言えば即クビにされる可能性があるので、生活費や借金を稼ぐためにも嘘をつくしかなかった。隣で聞いている(まなぶ)も同じ気持ちだ。

ただの近況報告かと2人はほっと安堵しているや否や、次の瞬間、マルオが放った一言で表情が固まる。

 

 

《それは良かった。ならば、近々行われる中間試験も問題ないようで何よりだ。天海(あまかい)君も丁度いるようだし、ここで君たちの”成果”を見せてもらいたい》

 

「「………え?」」

 

 

ピキンと緊張が走り、冷や汗が流れる風太郎と(まなぶ)

――成果を見せてもらいたい。その言葉に2人の血の気はだんだんと引いていき、聞き間違いかと思い、訊き返してしまった。

凍り付いている2人のことなど露知らず、電話越しのマルオは再び言う。

 

 

《一週間後の中間試験………5人のうち1人でも赤点を取ったら、君たちには家庭教師を辞めてもらう》

 

「「――!?」」

 

 

マルオの口から放たれたノルマに言葉を失う(まなぶ)と風太郎。赤点だらけの五つ子たちを一週間以内に赤点回避できるようにしなければ、即クビ………。

無謀ともいえる条件に一体何が何だかわからずに混乱する中、風太郎は異を唱える。

 

 

「そんな……!考え直してください!卒業まであと一年半あります!いくら何でも尚早では!?」

 

《確かに君の言うことはもっともだ………。だが、この程度の条件を達成できなければ、安心して娘たちを任せておけないよ。ここでハードルを設けさせてくれ……。それでは、健闘を祈る》

 

 

風太郎の言い分を異に返さず、言うだけのことを言ったマルオは通話を切った。

スマートフォンからビジー音がプープーだけが虚しく聞こえる中、ヘッドホンを取り外した風太郎が取った行動は――

 

 

「くそッ!」

 

「ッ!?待って待って!!」

 

 

やり場のない憤りを発散するため、五月(いつき)のスマートフォンを地面へ叩きつけようとしたが、慌てて(まなぶ)が止める。

思いとどまった風太郎からスマートフォンを取り上げた(まなぶ)はすぐさま持ち主である五月(いつき)へ返す。

自分のものを叩き壊されてはたまったものじゃない五月(いつき)はホッと安堵しながらスマートフォンを大事そうにカバンへしまうと、2人へ尋ねる。

 

 

「父から何を言われましたか?」

 

「ああ……実は今度の中間し――「いやーーー!世間話をしてただけだ!朝食はパン派だとか、舞茸が大好きだとかの何でもない話だ!!はははーーーッ!!」」

 

「……?とてもそうは見えませんが……」

 

 

言われたことをそのまま正確に話そうとする(まなぶ)の声を大声でかき消す風太郎。

焦りきって汗をだくだくと流れる様子を怪しむ五月(いつき)に風太郎は固い笑顔で返しながら、横にいる(まなぶ)に「お前も言え」とばかりに小突く。

それを受けた(まなぶ)はあっと声を出すと、相槌を打つ。

 

 

「そうそう!何の変哲もない世間話!上杉の言う通りだよ!」

 

「そうですか……?」

 

 

笑って返す(まなぶ)の拭いきれていない固さに五月(いつき)はますます怪しむ。

納得の片鱗を見せない状況に困っている中、風太郎は話を逸らそうと別の話題について逆に尋ねる。

 

 

「そういう五月(いつき)はどうなんだ?中間試験の対策はしてるんだろうな?」

 

「……ッ!も、問題ありません!」

 

「問題ないわけあるか。今日、学校でやった数学の小テスト悪かったろ?」

 

「ッ!?見たのですか!?」

 

 

痛いところを突かれた五月(いつき)は頭頂部のアホ毛をピンと逆立てて声を捲し上げる。

その反応から点数が悪かったのかと確信した風太郎は嘆息する。

人のプライベートをこっそり覗いていたことに(まなぶ)は人間的にどうなんだと疑うものの、この話から五月(いつき)は対策をしっかりと練られていないとわかった。

五月(いつき)には(まなぶ)がついて教えているものの、勉強は結局のところ彼女自身の認識力による。教え方を今までと変えないといけないなと考えている中、風太郎は――

 

 

「わからないところがあったら教えてやるぞ?」

 

 

五月(いつき)へ声をかける。風太郎は五月(いつき)五月(いつき)なりに頑張っているのだろうと気遣ったつもりで言ったのだが、またもや言い方が尾を引いた。

 

 

「何ですか……私を信用できないのですか?」

 

 

上から目線で勉強面の不出来さに哀れんでいると受け取った五月(いつき)は頬をぷくっと膨らませる。

機嫌を損ねた五月(いつき)は回れ右してツカツカとした足取りで反対方向へ帰ろうとする。

このまま帰してはまずいと察した風太郎と(まなぶ)も後を追う。

 

 

「あなたに教えは乞わないと言ったはずです!勉強なら天海(あまかい)君に見てもらいますから!」

 

天海(あまかい)だって、他の奴らの勉強を教えないといけない!お前専用の家庭教師じゃないんだぞ!お前は真面目だが、要領が悪い!他の奴ら……例えば、俺にとかに頼ってくれよ!」

 

「結構です!第一、私は最初にあなたに頼りましたが、それを拒否したのはあなたでしょう!嫌々相手されるなんて御免です!」

 

「ッ!」

 

「ふ、2人ともそこまでで………」

 

 

ますますヒートアップしていく口論に不穏な空気を感じた(まなぶ)は戸惑いながらも止めようと声をかけるが、冷静さを失っている2人の耳には届かない。

頭にきた風太郎は痛いところを突きまくってやろうと感情をそのままぶつける。

 

 

「だったら……!お前1人で赤点回避できるって言うのかよ!?」

 

「できます!例え、中間試験が間に合わなくても――」

 

「それじゃ駄目だ!今回駄目だったら、()()()()!」

 

「……えっ?」

 

 

風太郎の発した意味深な言葉に五月(いつき)は一瞬耳を止めるが、彼に対する怒りですぐさま上書きされ、不満を露わにする。

 

 

「これも仕事なんだッ!我儘言ってないで受け入れろよ!」

 

「我儘を言ってるのはあなたでしょう!」

 

「もういい……!」

 

「お前だって成績を上げたいんだろ……!だったら――」

 

 

収束がつかない口喧嘩へと発展した風太郎と五月(いつき)(まなぶ)は切な願いで止めようとするが、気持ちが高ぶっている2人には通用しない。

怒りと不満が募りに募り、感情的になった風太郎は遂に――

 

 

「黙って俺の言うことを聞いていればいいんだよッ!!!」

 

「ッ!?」

 

 

と、この場で言ってはいけない禁断の言葉を口にする。

黙って言うことを聞けばいい………それは自分の意思を尊重する五月(いつき)には逆効果であり、止められなかった(まなぶ)は苦い顔を浮かべる。

目を丸くする五月(いつき)を見て、ハッと我に返った風太郎は弁明しようと口を開く。

 

 

「ッ、いや……今のは……」

 

「あなたのことを少しは見直していたんですが、どうやら私の見込み違いだったようですね……。所詮、()()()()()()()ですか」

 

 

五月(いつき)の冷えに冷え切ったまでの言葉にまたもカチンときた風太郎は開き直ると、またもや感情に身をゆだねる。

 

 

「……金のために働いて何が悪い。何不自由なく暮らしてるからそんなこと言えるんだ……。仕事じゃなきゃ、誰がお前みたいなきかん坊の世話を焼くか」

 

「……ッ!無理して教えてもらわなくて結構!!私はお金儲けの道具じゃありませんからッ!!!」

 

五月(いつき)!」

 

 

そう言い捨てると、五月(いつき)は早歩きで去っていった。

焦った(まなぶ)は一瞬、風太郎の方を怒りと悲しみが籠った目を向けると、急いで五月(いつき)の後を追いかける。

 

 

五月(いつき)!確かにあんな言い方はないけど、彼だって必死なんだ。言いたくて言ったわけじゃない。落ち着いて話し合おうよ」

 

 

歩道橋を降り、歩道を歩く五月(いつき)に追いついた(まなぶ)は早歩きする彼女の隣を歩きながら説得を促す。

勉強だけでなく心までバラバラになると、中間試験は突破なんて不可能である。

 

信頼している(まなぶ)の説得に応じず、しばらく無言を貫き通していた五月(いつき)だがピタリと足を止める。

ようやく説得に応じてくれたかと(まなぶ)が思った矢先――

 

 

「………上杉君に言われてきたんですか?」

 

「え?」

 

 

五月(いつき)は半目で(まなぶ)のことを疑い出した。

今の五月(いつき)は頭が冷え切っておれず、信頼しているはずの(まなぶ)すら怪しいと思えたのだ。

突拍子もない疑惑に(まなぶ)が絶句する中、五月(いつき)は問い詰める。

 

 

「上杉君に頼まれたんですか?それとも自分の身の潔白を晴らすためですか?」

 

「い、いや……僕はただ……君を放ってはおけないと思って………助けたいだけなんだ」

 

「助けたい?そんな理由で納得するとでも?あなたも自己の意思は二の次に、お金のためだけに教えているのでしょう?」

 

「!?そんな違う……!」

 

「私には誰も信用できません………とにかく、あなた方からは今後一切教えを乞いません!」

 

 

説得するどころか火に油を注ぐことになってしまった(まなぶ)が戸惑う中、五月(いつき)は青信号が点滅している横断歩道を駆けていった。

我に返った(まなぶ)も追おうとしたが、横断歩道の信号はすでに赤となっていた。

五月(いつき)は不満げな表情を反対側にいる(まなぶ)へ向けると、人混みの中に消えていった。

 

 

「(ど、どうしよう……)」

 

 

自己嫌悪に陥った(まなぶ)は愕然とする。

説得しようとしたが、かえって怒らせてしまった。しかも好きな女の子にだ。

風太郎だけでなく自分までも嫌われてしまった(まなぶ)は目まいがしそうなぐらい気分が悪くなる。ここが自宅なら今すぐ寝たいぐらいだ。

 

 

「(上杉から謝ってもらった方が早いけど、プライド高いしな~……」

 

 

事情を全て話し、風太郎から謝れば済む話だが、彼の性格上それを受け入れる可能性はゼロに近い。今すぐ歩道橋に戻ってもきっといないだろうし、電話をかけても応じてくれないだろう。

自身の辞職にもかかった一大事な時期なのに内輪揉めが起きるとは(まなぶ)も予想だにしてなかった。

――どうすればいいのだろう。そう思って悩んでいた矢先――

 

 

(まなぶ)だろ?ははっ、奇遇だな」

 

「ッ、博士……」

 

 

横から親しげに話しかけてくる声が1つ。振り向くと、その男は(まなぶ)が尊敬する科学者――八丈目 博昭だった。

手には食品が入ったエコバックを持っていることから、買い物帰りであることが伺える。

八丈目の姿を見て、(まなぶ)は暗闇に差す一筋の光にも思えた。

 

 

「どうした?悩み事でもあるのか?」

 

「……はい。実は――――」

 

 

違和感に気付いた八丈目に尋ねられた(まなぶ)はこの人なら信用できると包み隠さず、全てを話した。

家庭教師のアルバイトをしていること…。生徒である姉妹たちの相手に手を焼いていること…。中間試験で五つ子たちが赤点を取ると自分と風太郎がクビになってしまうこと…。

そして、五月(いつき)と風太郎が喧嘩し、仲裁に入ろうとした自分も嫌われてしまったことも。

 

八丈目は話に割り込まず、うんうんと頷いて全て聞き終えると、(まなぶ)の肩に優しく手を置き――

 

 

「……わかった。私が相談に乗ろう」

 

 

と、任せてくれとにっこりと微笑み返す。

この時、(まなぶ)には八丈目が救世主かに見えた……。

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
二乃(にの)が自分に手を振ったと勘違いする(まなぶ)
 サム・ライミ版「スパイダーマン」(2002)にて、ピーターが憧れのMJが自分に手を振ったので微笑んで振り返したが、実は後ろにいる友達に向かっていたというシーンから。
ここで、この映画のピーターがどんなに冴えない人間なのかが伺え、作者も大好きなシーンの1つである。

②朝食はパン派
 「五等分の花嫁」原作者の春場ねぎ先生の朝食はパン派であることから。

③舞茸が大好き
 こちらも「五等分の花嫁」原作者の春場ねぎ先生の好物から。



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#10 扉を開けて

五月(いつき)と仲違いしてからしてから2時間後。

八丈目に全てのことを洗いざらい話した(まなぶ)は彼と共に喫茶店である人物を待っていた。

まだかまだかと不安で待ち望む中、遂にその人物はやってきた。

 

 

「よお、待たせたな」

 

 

彼らが待ち望む人物――そう、今回の揉め事の当事者の1人である風太郎だ。八丈目が詳しい事情を聞くためにも彼を呼び寄せるよう、(まなぶ)に頼んだのだ。

風太郎はアルバイトもないので伸び伸びと勉強したかったが、断ろうにも断れ切れず、渋々とやってきたのわけである。

 

風太郎は(まなぶ)の隣の席に座ろうとしたとき、対面席にいる見慣れない人物に眉をひそめる。

八丈目が何者なのかを(まなぶ)に尋ねる。

 

 

「知り合いか……?」

 

「八丈目博士。科学者で、今取り組んでいる研究の助手をさせてもらってるんだ」

 

「八丈目だ。上杉君だね?(まなぶ)から色々と聞いているよ。定期試験でもオール100点をキープするほどの優秀だそうだな。いきなり呼び出して悪いね。さあ、座ってくれ」

 

「はあ……」

 

 

愛想があるようなないような反応を示しながら差し出された手を取って握手をする風太郎。

こんな風な反応になるのも、人と対話することが嫌いで基本避けている彼が対話のマナーをあまりわかっていないからである。

勧められたまま風太郎が席に座ったことを皮切りに、八丈目は本題に入る。

 

 

「上杉君……。(まなぶ)から聞いたが、家庭教師先の生徒と揉めたそうだな。何でも、今度の中間テストで結果を残さないとクビになると……」

 

「はい……」

 

「成績優秀だが、人付き合いは積極的ではないと聞いている。そこで1つ気になった……。人付き合いが苦手な君が、何故あそこまで家庭教師の仕事をやっているんだ?答えにくいところは答えなくていい………話してくれないか?君の助けになりたい」

 

 

居心地が悪そうな風太郎に八丈目は真剣な眼差しで頼み込む。

八丈目は風太郎が改善すべきことを指摘する前に彼の動機を知りたかった。

何故、どうしてそこまで必死にやろうとしているのか……。それがわからなければ助言を上げようにも心に響かないだろう。

 

 

「……そんなプライベートなことを会ったばかりの人に教えられませんよ」

 

「わかっている。私も個人情報はベラベラと話したくない……。だが、こういう込み入った問題は第三者の手を借りなければ解決しないこともある。君の気持ちはわかるが、正直に話してくれないか?」

 

「……」

 

 

渋る風太郎だったが、しっかりと寄り添う気持ちで接する八丈目の言葉を聞いて考え直すと、自分が家庭教師を続けなければいけない理由を話した。

家には多額の借金があること…。妹のらいはを楽させてやりたいこと…。そのためには破格の給料が出るこの家庭教師のアルバイトが必要だということ…。

そして、頑張ってはいるが自分が頑張っているのに二乃(にの)五月(いつき)が協力的じゃないことを…。

 

 

「………なるほど。君は家庭の金銭問題を解決するためにどうしても家庭教師を続けたい……。そして協力してくれない教え子に手を焼いている、というわけか」

 

 

事情を全て聞いた八丈目が訊き返すと、風太郎は頷く。風太郎自身も今日のことは反省してはいるが、わだかまりがあってどうも正直になれない。

八丈目は目元に手を当ててしばし考えたのち、開かれた口から出た言葉は――

 

 

「私から君に言えるのは……”愚か”ということだ」

 

「ッ!?」

 

 

励ましの言葉でなく、風太郎を酷評する言葉だった。

これには風太郎だけでなく(まなぶ)も驚いた。八丈目なら風太郎を何とかできると考えたが、まさか過剰すぎるものが返ってくるとは思わなかったからだ。

2人が狼狽える中、八丈目は真剣な眼差しで風太郎を見据える。

 

 

「上杉君。話からするに、君は成績優秀だが、それを鼻にかけている節がある。第一に言葉遣いだ。思ったことを口にするのは構わないが、君が言った言葉の意味が100%相手に伝わるとは限らない。変に解釈されて怒らせてしまうこともある。まだ相手のことをよくわかっていないのに『太るぞ』なんてタブーだ……」

 

「……ッ」

 

 

八丈目に指摘された風太郎は思い返す。初対面の五月(いつき)の頼みを無下にし、「太るぞ」と言って侮辱した。

その結果、印象を悪くしてしまい、今日まで中々勉強を教えさせる機会を与えてくれなかった。

 

 

「君に足りないのは”謙虚さ”だ。素直になって相手の言葉に耳を傾けること。逆も同じだ。君が正直になって話せば、きっと向こうからも心を開いてくれるはずだ」

 

 

問題点を厳しく指摘しつつも八丈目は優しく助言を授ける。相手を怒るのは誰でもできるが、叱ることはできない。彼らよりも長年生きてきた経験から成せることだ。

謙虚な心構えを風太郎がしかと受け止める中、八丈目は唐突に尋ねる。

 

 

「もう1つ……上杉君、君は今日の件について反省してるかね?」

 

「……ッ、ええ、はい」

 

「理由は?」

 

「それはもちろん、クビになるか――「そこだよ」――ッ!?」

 

 

当然のように答える風太郎だが、その返答がくることを読んでいた八丈目は一言遮り、ビシッと風太郎を指差す。

どういう意味だと風太郎が言葉を詰まらせていると、八丈目は答える。

 

 

「君にもう1つ足りないもの……それは”高潔さ”だ。アルバイトの継続にかかっているのはわかるが、それを言われた相手の心を考えたことはないのかね?」

 

「それは……」

 

「その相手が金持ちだからといって、苦労をしていないと決めつけるのは早すぎる……彼女も君と同じ1人の人間だ。いくら君の家が裕福でないにしても、心まで貧しくあってはいけない。高潔な精神を保たなければ……」

 

「……」

 

 

言い淀む風太郎の心に打ち込むように八丈目は訴えかける。

自分の周りがいかに不遇な環境だったとしても、自分よりも恵まれた身分に対してひがんだりするのは間違っているということだ。真の人の心を持った人間として向き合うべきというのが、八丈目の意見だった。

顔を俯かせる風太郎に八丈目は続けて言う。

 

 

「私も高校と大学で教鞭をとったことがあるから、言うことを聞かない生徒に腹を立てるのはわかる。痛いほどにな………。だが、この先の人生を生きるには周りの意見を聞き、誰かのために自分のプライドを捨てなければいけないときが必ずある。今までは誰の教えも受けてこなかったもしれないが、その後も上手くいくとは限らない。誰かの声にしっかりと耳を傾け、しっかりと手を伸ばす……ただ勉強を教えるだけじゃ『教師』と呼べない。周りに認められて、初めて『教師』と呼べる。………君は()()()()()()()()()()()()()?」

 

「……ッ!」

 

 

八丈目に向けられた疑問に風太郎はハッと思い出した。

深い記憶の海に沈んでいた記憶……。それは幼き頃、京都で会った1人の小さな少女との約束。

声こそ覚えてはいないが、彼女と誓った約束は覚えている――――『お互いの家族のために頑張ろう』と。

 

風太郎が勉強を熱心に取り組むきっかけ。『誰かのために頑張る』………それは今の自分と真逆な、純粋で高潔で、謙虚な願いだった。

だが、時を経ていくうちにずれていき、”誰かのため”ではなく、”自分のため”と本来の目的からすり替わっていた。妹のためというものも結局は自分を正当化させるための壁にしか過ぎなかったのだ。

成績ばかりに目をとられ、大事な原点を見失っていた。それを自覚した風太郎は心を改める。

 

 

(まなぶ)。君はもっと自信を持て。出せるときに出せなかったら後悔ばかりを繰り返すぞ?」

 

「は、はい……」

 

 

神妙な顔を浮かべる風太郎の横では(まなぶ)が八丈目に指摘されていた。

彼の言う通り、自信をもって引き留めていれば結果は違っていただろう。

ぐうの音も出ない(まなぶ)は申し訳なさそうにただ返事するしかなかった。

 

その後、八丈目が会計をした後、3人は喫茶店を出た。

外は薄っすらと暗くなっており、街灯もポツポツと点き始めていた。

 

 

「博士。お忙しいのにすみません……」

 

「いやぁ、気にするな。私自身も色々と勉強になって良かったよ。とにかく、結果は考慮せず、彼女たちには真実を伝えるべきだ。いいね?」

 

「は、はい」

 

 

八丈目にそう言われた(まなぶ)はやや不安を見せつつも返事する。クビの件については隠さず、正直に明かすことが信頼への第一歩だと八丈目が話したからだ。

一方、風太郎は昔出会った少女のことで頭がいっぱいであり、うわの空だった。八丈目はきっと悩み考えているのだろうと察すると、考えていることには触れず、ペコリと軽く頭を下げて帰っていった。

 

八丈目との対話で悩みが消えた2人は明日にやるべきことに備え、それぞれの家路についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日。(まなぶ)と風太郎は勉強を始める前に五つ子たちに全て打ち明けることにした。今度の中間試験で赤点を取ると家庭教師をクビになってしまうことを……。

いつも通り中野家のマンションに入ったが、五月(いつき)の姿はなかった。どうやら街の図書館で自習しているそうだ。

 

 

「ごめん」

 

「早く言うべきだった……」

 

 

件の五月(いつき)もいてほしかったが、(まなぶ)と風太郎はとりあえずその場にいる四人に洗いざらい話し、隠していたことを謝った。

これも信用を得るため、協力を得るためだが、どんな反応が返ってくるかわからず、2人は申し訳なさで縮こまっていた。

それを受けた姉妹の反応は……

 

 

「なーんだ。そういうことだったんだー」

 

「だから焦ってた………勿体ぶらず言ってくれたら良かったのに」

 

「そういうことならもっと勉強頑張ります!お2人を絶対に辞めさせたりしません!」

 

 

すんなりと受け入れ、協力的な姿勢を見せた。一花(いちか)三玖(みく)四葉(よつば)は黙っていたことを追求することもなく、普段よりもやる気を見せていた。

出会ってから一ヶ月しかないが、一緒に同じものを取り組むうちにある種の友情のようなものが彼女らに芽生えてきたのだ。

てっきりプレッシャーを与えるとばかりと不安になっていた(まなぶ)と風太郎は拍子抜けするも、気持ちが軽くなったような気がした。

 

 

「ふーん……。赤点取ったらクビねぇ…………」

 

 

反対に二乃(にの)は良いことを聞いたとばかりに怪しげな笑みを浮かべていた。

何かを企んでいるようだが、今はそれについてどうこうする場合ではない。全てを話し終えた(まなぶ)と風太郎はいつもの流れで勉強会を始めた。当然二乃(にの)は参加しないが。

今回はテスト対策とあって、テスト範囲を中心に勉強していった。

 

 

「上杉さん!『討論』って英語で何て言うんですか?」

 

「おお!『debate』って言うんだが、これは確実に試験に出るぞ!”でぱと”で覚えるんだ!」

 

「マナブ。これ、何て読むの?」

 

「『Amazing』だ。素晴らしいとか、信じられないって意味で、想像を超える事柄に対して称賛するときに使われるんだ」

 

 

二乃(にの)除く姉妹たちは次々と質問し、わからないところを埋めていく。

彼女たちのやる気に感化された風太郎と(まなぶ)もいつも以上に張り切って答えていく。この光景を一ヶ月前の自分たちに見せたらきっと開いた口が塞がらないだろう。

そんなことを考えていながら勉強を始めてから3時間が経過した頃だった。

 

 

「ただいま帰りました………ッ」

 

 

玄関先からリビングへ歩く音と共に一つの声が。(まなぶ)と風太郎は振り返ると、図書館帰りの五月(いつき)がそこにいた。

いつもの調子の五月(いつき)だったが、(まなぶ)と風太郎を見るなり、すん…と冷めた表情へ変わる。

 

 

「ッ、五月(いつき)!昨日は……」

 

「これから自習がありますので。三玖(みく)、ヘッドホン拝借してもいいですか?」

 

「…?いいけど何で?」

 

「1人で集中したいので。それに……」

 

 

 

風太郎はすぐさま昨日のことについて謝ろうとするが、無視した五月(いつき)三玖(みく)からヘッドホンを借りた。

尋ねる三玖(みく)にそう答えた五月(いつき)は語尾に接続詞を付け加えると続けて――

 

 

「足手纏いにはなりたくありませんので」

 

 

とはっきり答える。ヘッドホンを首にかけるために俯く彼女の顔は前髪に隠れていることもあるが、暗いものだった。

風太郎が話す間もなく、五月(いつき)はスタスタと自室へ繋がる階段を昇り、自室へ入ってしまった。

賑やかだった空間がシーンと静まり返る中、(まなぶ)五月(いつき)のもとへ行こうとしたときだった。

 

 

「ねぇ、ちょっと休憩しない?もうクタクタだよ~」

 

 

一花(いちか)が見計らったように休憩を提案する。休憩するにはまだ早い時間だと疑問に思う(まなぶ)と風太郎だったが、彼女たちの様子を見て納得する。

一花(いちか)はいつもの調子ではあるが、疲れている様子で、他の二人もやる気はあるが疲れている様子だった。

ここまで根気よくやったことは今までないので、疲れてしまったのだ。

 

 

「どうする?」

 

「そうだな……ちょっと早いが、休憩にしよう」

 

「う~~ん……!休憩だー!」

 

 

(まなぶ)に尋ねられた風太郎は少し考え込むと、休憩を許可した。それを耳にした四葉(よつば)は嬉しそうに腕を伸ばして背伸びをする。

普段の風太郎ならば絶対に許さないが、彼女たちの頑張りに免じて許そうと考えたのだ。相手のことを考える………これも八丈目の教えから受けた風太郎なりの思いやりである。

 

 

「マナブ君、ちょっと」

 

「?」

 

 

皆が休憩に入る中、(まなぶ)は再び五月(いつき)のもとへ行こうとしたが、手招きする一花(いちか)に呼び止められる。彼女はベランダに繋がる透明ガラスの扉のドアノブに手をかけており、こっちに来てと言わんばかりだった。

(まなぶ)は首を傾げながらも、一花(いちか)に連れられてベランダに出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここの景色、悪くないでしょ?」

 

「そうだね……」

 

 

ベランダの手すりに手をかけながら、夜空を眺める一花(いちか)の感想を求める声に頷く(まなぶ)

流石にオズコープタワーや叔父が亡くなった際に立ち寄った山と比べたら高さは劣るが、これはこれで悪くなく、街では灯りが点いており、夜空にはポツポツと星々が輝いていた。

夜景の美しさに目を奪われていた(まなぶ)だが、すぐに我に戻ると、一花(いちか)に疑問を投げかける。

 

 

「そういえば、何か用?」

 

「フータロー君と五月(いつき)ちゃんって、喧嘩でもしたの?」

 

「ッ!?」

 

 

一花(いちか)の問いに驚く(まなぶ)

一花(いちか)たちには五月(いつき)と仲違いしたことは伏せていたが、流石長女ということもあり、妹の異変には気付いていた。

 

 

「……ああ。実は………」

 

 

――ここは正直に話そう。(まなぶ)は気まずそうにしながらも風太郎と自分が五月(いつき)と揉めたことを話した。

そして、全てを話し終えると、一花(いちか)は苦笑する。

 

 

「そうだったんだ……。フータロー君と五月(いつき)ちゃんは会う度に喧嘩してるしね~」

 

「まあ……」

 

「あの2人、()()()()()()だから」

 

「……?似たもの同士?」

 

 

――五月(いつき)と上杉が似たもの同士?疑問に感じた(まなぶ)が尋ねると、一花(いちか)はうんと頷き――

 

 

「フータロー君っていつも強がってて、正直になってもいいところで意地張っちゃって……五月(いつき)ちゃんも同じ。あの子、昔から不器用で変に意地を張る子だったから、素直になれないんだよ……。だからこそ、私は()()()喧嘩してほしいなって思ってて……」

 

「……」

 

「きっと今も苦しんでる。自分の弱さを打ち明けようにも明かせない苦しみに……」

 

 

遠い目で話すと、(まなぶ)は考える。五月(いつき)は真面目で優しい女の子で、そこが自分が惚れたところだ。

しかし、仲良くなれたからって彼女のことを全て知っているわけではない。昨日だって、風太郎のことを理解してやってると勝手に押し付けたように言ったが、それが神経を逆なでした……つまり、知ったかぶりだったのだ。

そのことに気付かされた(まなぶ)は反省していると、一花(いちか)はにこっと微笑みを向ける。

 

 

「私にやれることはやってみるけど、フータロー君……マナブ君にしかできないことがある。マナブ君、あの子をお願いね」

 

 

一花(いちか)五月(いつき)のことを任された(まなぶ)は理解した。これは一種の”責任”だと。

身内である一花(いちか)に推測であるが五月(いつき)が何を考え、何を苦しんでいるのかを全て話してくれた。それが同時に彼女が自分を信用してくれていることに。身内で一番姉妹のことを見ている彼女だからこそ納得ができる言葉だ。

そうとわかれば、五月(いつき)に話すべきことはわかる。

 

 

「……わかった。ありがとう」

 

「うん、頑張って」

 

 

――信頼に応えねば。一花(いちか)の応援を受けた(まなぶ)は微笑み返すと、ベランダを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、五月(いつき)は1人自室に籠って勉強を続けていた。

音楽を聴いているわけではないが、耳にヘッドホンを着け、黙々とペンを動かしていた。

余計な雑音がシャットアウトされたことによって集中力が高まっていたが……

 

 

「………」

 

 

何故か虚しく、心苦しかった。自分で決めたはずなのにだ。

あまりもの心苦しさに目尻に涙を浮かばせ、ノートに涙の粒がポツポツと零れ落ちた。

涙で目が滲み、勉強に集中できなくなった。

 

五月(いつき)自身、自分でどうにかできると豪語したものの、実際は自信がなかった。今やってる数学も教科書通りに写して書いているだけで、解き方や構造については理解できていなかった。

――助けてほしい。本心ではそう願ってはいるが、素直になれない自分がいる。

感嘆だが、中々その一歩を踏み出せない歯がゆさが五月(いつき)の心に影を落とす。

 

 

コンコン……

 

五月(いつき)?僕だけど、今大丈夫?」

 

「ッ!」

 

 

そんな心苦しい時、ノック音に続けて(まなぶ)の呼びかける声が聞こえてきた。

五月(いつき)は急いで涙を拭うと、呼びかけに応じる。

 

 

「………何でしょうか?」

 

「ああ……えっと……この前はごめん。君のことをわかったようなマネして……。上杉も酷いこと言ったけど、彼、反省してるんだ……。謝るチャンスをくれないかな?」

 

「……」

 

 

扉越しで頼み込む(まなぶ)。できるだけ当たり障りのない言葉を選んでいるのか、ぎこちない喋り方になっている。

――彼は何も悪くないのに。五月(いつき)は八つ当たりした後、すぐに謝ろうと思ったが、どうすればいいかわからずにいたのだ。謝るべきはむしろ自分なのに、相手から謝ってきていることに罪悪感を覚えた。

 

心の中では色々と思ってはいるが、現実では無言だ。

五月(いつき)から中々返事が返ってこないことに言葉が詰まる(まなぶ)だが、すぐに気を張ると、話し続ける。

 

 

「この前、君のお父さんと話したことなんだけど………実は僕と上杉は……今度のテストで赤点を回避させなかったら、この仕事を辞めさせるって話をしたんだ」

 

「ッ!?」

 

「本当にごめん……嘘をついて。もっと君のことを信じればよかった」

 

 

(まなぶ)の明かした事実に驚く五月(いつき)

通話が終わった後の妙に風太郎が焦っていたことに合点がいった。自分のクビがかかっている話が来るなら、誤魔化そうとするのは当然だった。

謝罪する(まなぶ)五月(いつき)は心痛めながら耳を傾けていると、(まなぶ)は言う。

 

 

五月(いつき)……僕が君たちに勉強を教えているのはもちろんお金のためだ。それは否定しない……」

 

「……」

 

「でも、それは決して君をお金稼ぎの道具として見ているからじゃない……助けたいだけなんだ。頑張ってるけど、中々思うようにいかないのを何とかしてあげたい。綺麗ごとかもしれないけど、本当にそう思ってるんだ……。君は決して足手纏いなんかじゃないよ……。だから、()()()()()()()()()()()()

 

「……ッ!」

 

 

会話に慣れていない(まなぶ)が精一杯出した言葉。ぎこちないが、その想いは五月(いつき)の心を突き動かすには充分であり、涙を流した。

しかし、それは先程の悲しみが籠ったものではなく、嬉しさと解放感から来るものだった。

気付いたときは五月(いつき)は扉の鍵を開け、ドアノブを捻って扉を開放した。

 

 

「……」

 

 

だが、勢いで出たはいいものの言葉が出ない。

謝るという気持ちはあるが、中々いい言葉が思いつかず、五月(いつき)は固まってしまった。

 

 

 

「えっと……五月(いつき)?ごめん、何か気に障った……?」

 

 

固まる彼女を見て、(まなぶ)は心配そうに尋ねる。彼が心配する理由が自分の涙であると気付いた五月(いつき)は涙を拭うと、ペコリと頭を下げる。

 

 

「すみません……。私こそ変な意地を張って……」

 

「いいよ。わからないところある?」

 

「……ッ!はい!」

 

 

申し訳なさが溢れた謝罪に対し、気にしていないと微笑みながら尋ねる(まなぶ)に目を丸くする五月(いつき)

文句の1つや2つはあるだろうに……。彼の心の広さに感動しながらも五月(いつき)ははっきりと答えた。

その後、わだかまりが解けたことで(まなぶ)は風太郎を呼び、五月(いつき)と謝罪する場を作った。

 

 

「悪かった」

 

「いえ、こちらこそ……」

 

 

気まずそうに謝る2人。言葉は短いながらも、お互いの心は充分に通じ合った。いつも通りになるのも時間が解決するだろう。

自分たちを阻む亀裂がなくなったことで、(まなぶ)五月(いつき)の部屋でマンツーマンで彼女に勉強を教えていた。仲直りしたとしても、いきなり風太郎と一緒の空間でやるには気まずいだろうと考えたからである。

 

 

「ああ。そこは代入しないと」

 

「あっ!そうでしたか、すみません」

 

 

(まなぶ)に間違っている箇所を指摘された五月(いつき)はノートに書かれている式を修正する。

謝る彼女だが、先程までの心苦しさはなく、伸び伸びとしており、表情も嬉しそうに微笑んでいた。

 

そして、あっという間に1時間半。家庭教師終了の時間となった。

(まなぶ)は荷物を片付けると、玄関で靴を履く。

 

 

天海(あまかい)。俺は泊まらせてもらうことにしたが………」

 

「いや、僕はいいよ。叔母さんを1人にしておけないから」

 

「そうか。悪いな」

 

 

玄関先で見送る風太郎に答える(まなぶ)。風太郎は一花(いちか)の提案で泊まり込みで勉強を教えることにしたが、(まなぶ)は断った。

理由としては叔母である(みこと)を1人にしておけないというのもあるが、スパイダーマンとして活動する際に支障が出ると考えたからである。もし、自分がスパイダーマンであるとバレたりでもしたら一巻の終わりだ。

本当は泊まりたかったがそれを考慮すると断念するしかなかった。

 

 

「じゃあ、また……」

 

「ああ」

 

 

見送る風太郎たちに(まなぶ)は軽く手を振ると、外へ出ていった。

 

 

「(天海(あまかい)君……)」

 

 

五月(いつき)は彼が去っていった扉をしばらく見つめていた。

1時間半という長くも短い時間は彼女にとって、今までの勉強の中で最高の時間だった。

この出来事で胸に灯った暖かさを彼女は永遠に忘れなかった……。

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
①『Amazing』
 素晴らしい、驚くほどという意味。スパイダーマンでは頻繁に使われる言葉で、主役を務めるコミック名が『アメイジング・スパイダーマン』、2012~2014まであったアンドリュー・ガーフィールド主演の映画シリーズも『アメイジング・スパイダーマン』だった。

②「だから、君の部屋の前に立っている」
 サム・ライミ版「スパイダーマン2」(2004)にて、MJが自分の恋を諦めようとするピーターに向かって発した台詞を変えたもの。この励ましによってピーターはMJと一緒になる勇気をもらった。



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#11 中間試験

中間試験当日の朝。T市9番地区にある一軒家。

ここは(まなぶ)の友人である最上(もがみ) (まさる)の一家が住まう一軒家である。

ベッドから起き、身支度を整えた(まさる)はリビングへ向かう。父親と母親はすでに朝食を摂り始めていた。

 

 

(まさる)。おはよう」

 

「あ、おはよう……」

 

 

低い声の挨拶をしてくる父親に(まさる)はビクッとしながらも挨拶を返す。

(まさる)の父親は目つきが悪く、いかにも厳格そうな人物で、周りはおろか、息子である(まさる)も怖いと思うほどだった。

 

 

(まさる)。何を突っ立っているの?早く食べなさい」

 

「ッ、はい……」

 

 

父親に気圧されて固まっていると、母親に席へ座るよう促される。その声音は冷たく低いもので、母親も父親同様厳格な人物だった。

我に戻った(まさる)は促されるまま席に座り、朝食を摂り始める。

 

会話もなく、通夜のように黙々と食事をする(まさる)たち。これは”食事中は口にものが入っているから不必要な会話はしてはいけない”という一家が決めたルールなのだ。

その他にも”風呂は10分以内”、”就寝は食後1時間以内”など厳しいルールが課せられている。

この閉鎖的な環境に(まさる)の心は重苦しかった。

 

 

「そういえば、今日から中間試験があるそうじゃないか」

 

「ッ!」

 

「対策の方は万全なんだろうな?」

 

 

食事中、ふと父親から中間試験について尋ねられた(まさる)は緊張が走る。

下手な言い方をすれば、怒られてしまう……この家で長年生活してきた彼にはそうなることが容易に想像できる。

(まさる)は固い表情ながらも、その問いに答える。

 

 

「……もちろんだよ、父さん。事前にバッチリ取り組んだからいけると思うよ」

 

()()……?思うとは何だ?そんな曖昧な答えで高得点を取れると思うのか!?」

 

「ッ!?そ、そんな……!違うよ!ちゃんと高得点取れるよ!!父さんに言われた通りに天海(あまかい)君に頼らなかったし……!」

 

 

地雷を踏んでしまったと(まさる)は焦りながら弁明する。怒った父親は(まさる)にとって恐怖そのものだからだ。

それを聞いて納得したのか父親は荒げていた声を潜めると、マグカップに入っているコーヒーを一口飲み、口を開く。

 

 

「当たり前だ……。天海(あまかい)君は優秀だ。だが、お前の勉強まで見てもらったりしたら、彼に迷惑だ……。テストは本来1人で取り組むものだ。足を引っ張っるようなマネは絶対にしてはいかん」

 

「……」

 

 

父親の口から淡々と出る辛辣な言葉に(まさる)は酷く、惨めな気持ちになった。

(まなぶ)とは友人だとは思っているが、相手はそうは思ってはいないかもしれない。それに自分と比べて優秀……両親も実の息子のことは全く口にせず、彼の評価ばかりしている。

 

 

(まさる)……我が家は代々会計士を務めているの。あなたにもいずれなってもらうから、みっともない結果だけは残さないでちょうだい。高いバス代もわざわざ払ってるんだから」

 

「……」

 

 

気持ちが沈んでいる(まさる)を追い込むように母親も重荷を与える言葉をぶつける。最上(もがみ)家の長男は代々会計士を務めており、(まさる)の父親も会計士だ。

当然、伝統に倣うと(まさる)も会計士となることを約束されているのだが、彼自身はあまりよく思ってはいなかった。

 

 

「行ってくるよ……」

 

 

朝食を食べ終わり、食器を片付けた(まさる)は出発を告げるが、両親は静かに頷くだけだった。

自分に振り向いてくれないと悲観した(まさる)は込み上げそうな涙を堪えると、重々しい足取りで玄関の戸から外へ出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

場面変わって街中。朝の出勤や通学で人々が入り乱れる地上をリュックを背負ったスパイダーマンがウェブスイングで飛んでいた。

いつものようにビルとビルの合間をスイングしているのだが、どこか焦っていた。

 

 

「(くそっ!寝坊した!昨日、銀行強盗に通り魔、酔っ払いを家まで連れて行ったから……!)」

 

 

スパイダーマンが寝坊した理由……それは自分が学生生活とは別に行っている自警活動にあったからだ。

昨日は夕方頃に立て籠もりの銀行強盗の退治、夜頃には通り魔に襲われる女性を助け、その後には酔い潰れる中年男性を免許証に書かれている自宅まで送り届けた。

それに加えて五つ子たちの家庭教師だ。風太郎と五月(いつき)の確執はなくなったが、あまりにもやることが多すぎて、疲労のあまり、つい寝坊してしまったのだ。

 

家から学校まで歩いて約30分。(まなぶ)の通う旭高校は8時半登校となっており、普段はそれを見積もって早く出るようにしている。

しかし、今日起きた時刻は8時15分。普通の人間なら走っても間に合わなく、間違いなく遅刻確定だ。

 

だが、スパイダーマンだったら話は別だ。

空をウェブスイングするスパイダーマンにとっては地上の交通状況は関係なく、早く行くことができる。

つまり、スパイダーマンにとっては空は、渋滞のない専用通路同然なのだ。

 

 

「?」

 

 

ウェブスイングで飛び回っている最中、スパイダーマンはふと地上のあるものに目が留まる。それはコンビニの前にいる小さな男の子に集まる風太郎と五つ子たちの姿があった。

彼女たちも寝坊したのか急いでいるが、口の動きから男の子は迷子であり、どうすればいいかわからない様子だった。

 

ただでさえ時間がないのにこのまま留まっていると、風太郎たちは確実に遅刻する。

自分も余裕がないが、見捨てられない……。スパイダーマンは方向を変え、風太郎たちのもとへ着地する。

 

 

「やあ、お困りのようだね」

 

『ッ!?』

 

「え!本物!?」

 

 

スパイダーマンは爽やかな声で話しかけるが、いきなり現れたことで驚く風太郎たち。一花(いちか)に至っては生でスパイダーマンを見れて嬉しそうにしている。

空からいきなり現れて驚くのも仕方ないかとスパイダーマンはマスクの下で苦笑すると、彼女たちに尋ねる。

 

 

「何があったの?」

 

「うん。この子、迷子みたいだけど英語で喋ってるからわからなくて……」

 

「オーケー。僕に任せて」

 

 

三玖(みく)から経緯を聞いたスパイダーマンはぐすぐすと泣く男の子の目線に合わせてしゃがむと、コホンと軽く咳払いしたのち尋ねる。

 

 

「Hey, boy. What's the matter with that face?(やあ、坊や。そんな顔してどうしたの?)」

 

「SPIDER-MAN……. I wanna meet my mommy, but I got lost……(スパイダーマン……。お母さんに会いたいけど、迷子になっちゃって……)」

 

「Do you know where your mother is?(どこにお母さんがいるのかわかる?)」

 

「Emma Stone Clinic.(エマ・ストーン診療所)」

 

「OK. Leave it to your Friendly Neighborhood!(わかった。親愛なる隣人に任せて!)」

 

 

英会話で男の子の行きたい場所がわかったスパイダーマンは彼の頭を優しく撫でると、立ち上がって風太郎たちに振り向く。

 

 

「この子、診療所にいるお母さんに会いたいみたいなんだ」

 

「すっごーい。全部わかったんだ……」

 

「ありがとう」

 

 

目の前で繰り広げられた流暢な英会話に目を丸くする一花(いちか)たち。

スパイダーマンは軽く感謝を告げると、男の子を抱きかかえる。

 

 

「じゃあ、この子は僕が届けるから君たちは学校に行って。今日は大切なテストだろ?」

 

「あっ!そうでしたー!」

 

「早く行きませんと……!」

 

「うん。それじゃ、また会おう」

 

 

スパイダーマンはそう告げると、ウェブを高所に飛ばし、男の子と共に空高く飛んでいった。

風太郎は遠ざかっていくスパイダーマンの後ろ姿を見ながら首を傾げて呟く。

 

 

「……あいつ、何で今日がテストだって知ってるんだ?」

 

「そんなこと言ってる場合!?早く行くわよ!」

 

「お、おう……」

 

 

テスト情報はあまり公表されないはずなのに何故か知っている……。疑問に思う風太郎だったが、二乃(にの)にせかされ、五つ子と共に急いで学校へ向けて走っていく。

 

 

「(あの声、どっかで……?)」

 

 

道中、一花(いちか)は疑問に思っていた。スパイダーマンに会うのは初めてのはずだが、声がどこか馴染み深い気がしてならなかったのだ。

仕事先の人なのかと色々と考えるが、今は学校に着くのが先決なので、考えるのは後回しにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、朝のHRが終わり中間試験。生徒たちは筆記用具以外の荷物を全て廊下へ出し、教室で答案用紙が全員へ行き届くまで静かに待機していた。

ちなみに(まなぶ)はギリギリ間に合った。男の子は無事母親のもとへ届けられ、一件落着したが、学校の正門から入ってもHRまでには間に合わない時間だったので、屋上からこっそり入った。

 

 

「おいおい!天海(あまかい)の奴、慌て過ぎて靴のまま入ってきやがったぜ!」

 

『ハハハーーーーッ!』

 

「~~ッ」

 

 

だが、HRで昂輝に下靴のままなのを指摘された(まなぶ)は笑いものにされ、恥ずかしい思いをした。

けれど、中間試験を受ける資格は守られた。恥はかいてもテストは受けられる……上履きに履き替えた(まなぶ)は気持ちを切り替え、試験に集中することにした。

 

初日の試験は1限目『社会』、2限目『数学』、3限目『国語』の3教科。

ひしひしと緊張が漂う中、教師の『始め』の合図と共に生徒たちは裏にしていた答案用紙をひっくり返し、ペンを走らせた。

 

 

「(難しい問題ばかり……でも、フータローを守らないと……!)」

 

 

1限目『社会』。三玖(みく)は予想外の問題に頭を悩ませるも、答えを絞り出し、ペンを動かす。

これも、全ては風太郎と(まなぶ)のためである。

 

 

「(証明?しょうめいって何だっけ?)」

 

 

2限目『数学』。平行四辺形の証明問題に取り組む四葉(よつば)だったが、そもそも”証明”という言葉の意味を忘れてしまっていた。

 

 

「(う~ん。もういいかな……………でも不安だし、見直しとこうかな?)」

 

 

3限目『国語』。ひと通り終わった一花(いちか)はおやすみモードに入ろうとしたが、思い直すと、顔を上げて書き上げた解答用紙に目を通した。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、2日目。1限目『理科』、2限目『英語』の2教科。

連日ではあるが、これを乗り越えれば林間学校が待っている……。生徒たちは張り切って取り組んだ。

 

 

「(遺伝情報の仕組み?わかんないからパスっと……………あ~!もう!)」

 

 

1限目『理科』。二乃(にの)は考えるのが面倒なので次の問題に進むが、先の問題のことが頭を過り、飛ばした問題をよく読み始めた。

 

 

「(あなたたちを絶対に辞めさせはしません)」

 

 

2限目『英語』。五月(いつき)はそう意気込むと、問題を解いていく。

自分たちを助けようとしてくれている(まなぶ)と風太郎の期待に応えるべく、彼女は問題の1つ1つくまなくチェックする。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、一週間後。中間試験の解答用紙の返却が行われた。採点結果に喜ぶ者もいれば、落胆する者もいる緊張の時間だ。

様々な感情が渦巻く返却時間が終わり、放課後。風太郎たちは中間試験の結果報告をするため、図書室に集まっていた。

(まなぶ)と風太郎は五つ子たちの解答用紙を見せてもらおうとしたが、表情は曇っていた。それから察するに、点数は悪いのであろう。

 

 

「……集まってもらって悪いな。さっそくだが、解答用紙を――「見せたくありません」………ッ」

 

 

訊きずらい状況だがここで引き下がっても仕方がない。風太郎が五つ子たちへ解答用紙を出してもらおうとしたとき、遮る声が1つ。

五月(いつき)だった。皆が注目する中、彼女は眉間にしわを寄せた顔を俯けて言葉を続ける。

 

 

「テストの点数なんて他人に教えるものではありません……個人情報です。断固拒否します」

 

 

強い口調で答える五月(いつき)に何とも言えない顔を浮かべる一同。

一見するとまた意地を張っているように見えるが、本心は届かなかった願いに悔しさを感じている。それによって、(まなぶ)と風太郎を失望させたくなく、点数を教えるのを拒否しているのだ。

その気持ちが痛いほど伝わった(まなぶ)はそっと五月(いつき)に話しかける。

 

 

「気持ちは……わかる。でも、見せてくれないと何も始まらない……」

 

「……」

 

 

(まなぶ)の説得を受けた五月(いつき)は潔く諦めると、重い首を縦に振った。

そして、五つ子たちは各々の解答用紙を提示した。その結果は……

 

 

一花(いちか) 国語=54点 数学=29点 理科=26点 社会=15点 英語=29点 計153点

 

二乃(にの) 国語=14点 数学=26点 理科=47点 社会=12点 英語=22点 計121点

 

三玖(みく) 国語=25点 数学=29点 理科=24点 社会=68点 英語=20点 計166点

 

四葉(よつば) 国語=20点 数学=30点 理科=22点 社会=8点 英語=18点 計98点

 

五月(いつき) 国語=28点 数学=25点 理科=21点 社会=24点 英語=56点 計154点

 

 

と、中々悲惨なもので、流石の風太郎も嘆息して肩を落としていた。その表情は、「2人体制であれだけ勉強を教えたはずなのにこんな穴ぼこだらけの点数を出すとは逆に天才」と言わんばかりだった。

 

 

「ま、まあ、成長はしてるんだし……。全員の点数合わせて100点に比べたら……」

 

「そうだな……スローペースだが確実に成長してる」

 

 

苦笑する(まなぶ)の高評価寄りの意見に冷や汗をかきながら頷く風太郎。

以前、風太郎が出したお手製の小テストでは事前に打ち合わせたかのように全員の点数の合計が100点ピッタリだった。ギャグかと思うが、全て真実だ。

それに比べたら全員赤点回避こそならなかったものの、実力が身についているのは歴然だった。

 

彼女たちの成長をしっかりと肌で感じた風太郎はフィードバックしていく。

 

 

三玖(みく)。今回の難易度で68点は大したもんだ……偏りはあるがな。()()は姉妹に教えられる箇所は自信をもって教えてやってくれ」

 

「……ッ」

 

 

今後――。家庭教師を辞める覚悟を決めた言葉に三玖(みく)は太ももに乗せていた手に力が入り、悲しげな顔を浮かべる。

 

 

四葉(よつば)。イージーミスが目立つぞ。もったいない。焦らず慎重にな」

 

「……は、はい!」

 

一花(いちか)。お前は1つの問題に拘らなさすぎだ。最後まで諦めんなよ」

 

「はーい」

 

二乃(にの)。結局最後まで言うことを聞かなかったな……。俺たちがいなくても油断すんなよ」

 

「ふん」

 

五月(いつき)。お前はバカ真面目すぎだ。そのせいで一問に時間をかけすぎて最後まで解けていない。次から気をつけろ」

 

「……」

 

 

風太郎は一人一人簡潔にフィードバックしていく。本来なら次回の反省点として意気込むところだろうが、風太郎たちが辞めるとわかっているため、皆、曇った表情をしていた。

その中で二乃(にの)は相変わらず無愛想に返すが、何か思うところがあるのかそっぽを向いて考えていた。

これで彼女たちへの最後の手向けとしては完璧と(まなぶ)と風太郎は顔を見合わせて頷く。

 

 

プルルル……

 

 

悲しみと悔しさが混じり誰も声を発そうとしない中、その静寂を突き破るように携帯電話のコール音が鳴る。

音の発生源は五月(いつき)の上着ポケットからであり、着信画面を見た五月(いつき)は口を締める。

 

 

「父です」

 

 

五月(いつき)はそう言ってスマートフォンを差し出す。電話の主は五つ子たちの父親――マルオだ。

遂にお別れと覚悟を決めた風太郎は(まなぶ)をひと目見てから軽く腹に気合を込めると、スマートフォンを受け取った。

 

 

「上杉です」

 

《……ああ、五月(いつき)君と一緒にいたのか。個々に聞いていこうと思ったが、君の口から直接聞こうか?……嘘はわかるからね》

 

「つきませんよ………ただ、次からこいつらにはもっと良い家庭教師をつけてやってください」

 

「……ッ」

 

 

はっきりとした物言いで頼む風太郎。

彼女たちの家庭教師ではなくなるが、せめて卒業だけはしてほしい……。風太郎は教えるうちに彼女たちとはある種の腐れ縁のようなものが芽生えてきたのだ。

金銭関係ない純粋な願いは、静かに聞いていた二乃(にの)の心を突き動かした。

 

 

《……ということは?》

 

「……試験の結果は――」

 

 

マルオの疑問に風太郎は「期待通りではなかった」と伝えようとした瞬間、二乃(にの)がパシッとスマートフォンをひったくった。

突然の行動に風太郎のみならず、(まなぶ)も目を丸くする中、二乃(にの)は構わずマルオに尋ねる。

 

 

「パパ?二乃(にの)だけど、1つ聞いていい?何でこんな条件を出したの?」

 

《僕にも娘を預ける親としての責任がある。上杉君と天海(あまかい)君がそれに見合うか……計らせてもらっただけだよ。彼らが君たちに相応しいのか》

 

「私たちのためってことね。ありがとうパパ……でも、相応しいかなんて、数字だけじゃわからないわ」

 

《それが一番の判断基準だ》

 

「あっそ……じゃあ教えてあげる………」

 

 

マルオがそう易々と考えを変える人物ではないことをわかっている二乃(にの)は早々に切り替えると、一拍空けたのち――

 

 

()()()()()()5()()()()()()()()()()()()()()

 

『!?』

 

 

堂々と事実と真逆の結果を伝えた。

当然、突拍子のない二乃(にの)の発言に皆は驚く。

 

 

《………本当かい?》

 

「嘘じゃないわ」

 

二乃(にの)君が言うのなら間違いはないんだろうね。これからも彼らと励むといい……》

 

ピッ!

 

 

疑うマルオだったが、二乃(にの)が強く言うと、あっさりと疑うのをやめて精進を祈る言葉を送り始める。

長くなりそうなので面倒くさくなった二乃(にの)は通話を切った。

 

 

二乃(にの)……。今のは……?」

 

 

皆が唖然とする中、我に戻った風太郎は二乃(にの)に尋ねる。どこからどう見ても全員が赤点を回避したとは思えない。

疑問に思う風太郎に答えるように二乃(にの)は言う。

 

 

「私は理科、一花(いちか)は国語、四葉(よつば)は数学、三玖(みく)は社会、五月(いつき)は英語……()()()5()()()()()()。嘘はついていないわ」

 

「な、なるほど……」

 

「そんなのアリかよ……」

 

 

全員5科目で赤点を出さなければセーフ……1人1教科ごと赤点を出してはいけないとは言っていない。

逆手にとった二乃(にの)の理屈に(まなぶ)は冷や汗をかきながら納得し、風太郎は頭を抱えた。

そんな彼らに二乃(にの)は――

 

 

「結果的にパパを騙すことになった。多分、次は通用しない………。次は実現させなさい」

 

「……やってやるよ」

 

「頑張ります……」

 

 

と、やや挑戦的な励ましに冷や汗をかきながら答える風太郎と(まなぶ)

一番非協力的な二乃(にの)の思わぬ助け船に2人は感謝した。

 

 

「あれ?私、いつの間にか合格してたんですか!?」

 

「いや、ちょっと違うけど……うん」

 

「うん~?フータロー君、ひょっとして喜んでる?私たちと離れ離れにならなかったから」

 

「違う!食いぶちを潰されなくて良かったと思ってんだ!」

 

「またまたー」

 

 

安堵する四葉(よつば)一花(いちか)とのやりとりに苦労する(まなぶ)と風太郎。一花(いちか)のからかいに反論する風太郎だが、心の中では彼女たちと繋がりが途絶えなくてホッとしていた。

 

 

三玖(みく)。彼らとはもう少し長い付き合いになりそうです」

 

「うん……」

 

 

妹からかけられた言葉に安心した三玖(みく)はホッと胸を撫で下ろした。

こうして、(まなぶ)たちのクビをかけた中間試験は、二乃(にの)の機転により、幕を閉じた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから数分後。(まなぶ)たちは駅前のファミリーレストランに向かって歩いていた。

いつもならテスト後の勉強……と言いたいところだが、皆疲れており、勉強第一の風太郎も勉強する気は起きなかったので、風太郎の提案により、ご褒美のパフェを食べに行くことになった。

 

 

「でも珍しいな。彼があんなこと言うなんて……」

 

「ええ。ですが、上杉君がふっ、ふふ……パフェなんて……。あははっ!」

 

 

(まなぶ)の話にパフェを食べにいくことを提案した風太郎のことを思い出した五月(いつき)は笑いを堪えきれずにいた。

風太郎は提案したはいいものの、無愛想な彼から出た可愛いスイーツの不似合さがおかしく、五月(いつき)のみならず、他の姉妹や(まなぶ)もゲラゲラと笑ってしまった。

五月(いつき)はその衝撃度が忘れられず、未だ腹を抱えて笑っていた。彼女の笑い顔に(まなぶ)は自然と頬が緩んでいた。

 

 

「よーし。お前ら五人で5科目だから一人前だけな!」

 

「うわーせこー……」

 

「しょうがないだろ。一人特盛がいるから……」

 

「そういえば、上杉さんは何点だったんですか?」

 

「うわっ!?やめろっ!見るな!」

 

「全部100点……」

 

「あーめっちゃ恥ずかしい!」

 

「その流れ気に入ってるんですか……?」

 

 

和気あいあいと会話を弾ませる風太郎と五つ子。その距離は以前よりもぐっと縮まった。

その微笑ましい光景に傍で見ていた(まなぶ)はにっこりと微笑んだ。

 

 

「あっ!天海(あまかい)さんのは?」

 

「ん?ああ、僕のは………」

 

 

思い出したかのように頭頂部のリボンをピンと立てた四葉(よつば)に尋ねられた(まなぶ)

自分だけ見せていないのは悪いと思い、リュックから解答用紙を取り出そうとしたとき――

 

 

ウウウ――――ッ!

 

 

パトカーのサイレン音が近くから鳴り響く。橋から見下ろすと、下の道路で一台のダンプカーを追跡する5台ものパトカーの姿が見えた。

 

 

「……ごめん!用事思い出しちゃって!パフェと点数はまた今度!」

 

「え、天海(あまかい)君!?」

 

 

ヒーローに休息はない……。(まなぶ)は矢継ぎ早に謝ると、五月(いつき)が止める間もなく、急いでその場から逃げるように駆けだした。

手頃な物陰に隠れると制服を脱いでスパイダーマンになり、ウェブスイングでダンプカーの後を追っていった。

 

 

「フォォォォォーーーーーッ!」

 

 

本当は皆と一緒にパフェを食べたかったが、犯罪が起きている以上見逃せない。それがヒーローである自分の”責任”だからだ。

スパイダーマンは己を奮い立たせるように雄叫びを上げながら今日も空を飛んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、緑川邸。100階立ての屋敷に住む涼介はとぼとぼとした足取りでリビングに繋がる扉を開けた。

リビングは如何にも西洋の富豪が住んでいそうな造りで、石造りの暖炉や高級そうな絵画、そして奇妙な仮面が壁の所々に飾られてあった。

これは涼介の父――難一(なんいち)の趣味であり、世界各国のあらゆる部族や宗教の仮面を買い集めているのだ。

 

 

「ただいまー……」

 

「おかえり涼介」

 

 

涼介が声をかけると、リビングの奥から難一(なんいち)が出迎えてくれる。

涼介は奥にあるテーブルを見ると、ノートパソコンが置いてあるのが見えた。わざわざ作業の手を一旦止めて来てくれたのは一目瞭然だ。

 

 

「涼介。中間試験はどうだった?」

 

「ああ……これだよ。最悪だ」

 

 

優しく尋ねてくる難一(なんいち)に涼介は嘆息つきながら、リュックから返却された解答用紙を渡す。

難一(なんいち)は解答用紙一枚一枚目を通すが、不思議そうに首を傾げる。

 

 

「国語81点、数学72点、理科68点、社会85点、英語80点………悪い点数じゃない。何がそんなに不満なんだ?」

 

「全然駄目だ。オズコープの社長の息子がこんな平凡な点数じゃ………父さんのメンツ丸つぶれだよ」

 

 

難一(なんいち)の疑問に対して、弱音を吐く涼介。

普通の家庭なら特に悪い点数ではないのだが、大企業の家庭の場合だったら別だ。社長の息子……ましてや世界的な大企業のオズコープだ。常に優秀な数字を求められる。

涼介はそれがプレッシャーとなっており、毎回返ってくる自分の無力さに落ち込んでいるのだ。

 

当然、父親である難一(なんいち)は息子の苦しみはわかっている。彼も似たような経験を積んできたからだ。

優しい眼差しで向き合った難一(なんいち)は涼介の肩にポンと手を乗せる。

 

 

「涼介……。そんなに自分を卑下するな。お前はオズコープの御曹司である前に1人の人間だ。周りの評価など気にするな………」

 

「俺は落ちこぼれだよ……」

 

「落ちこぼれじゃない。人には向き、不向きというものがある。苦手なものは苦手なんだ………。お前が望むなら、このオズコープも継がなくてもいい。私はお前に自由に生きてほしい」

 

「ッ、父さん」

 

 

励まされて涙ぐんだ涼介は難一(なんいち)に抱き着く。こんな自分を愛してくれている父親に感極まらないはずはなかった。

難一(なんいち)は涼介を受け止めると、慰めるように彼の背中を優しくポンポンと叩いた。

 

そんな彼らから離れたテーブルのノートパソコンには、書き途中の1枚の報告書が映っていた。

その報告書に書かれているタイトルは『身体増強薬 《ゴブリン・フォーミュラ》』という薬品の名前だった。

 

そこに添付されている緑色の薬品の画像は太陽の反射で眩しく輝いていた……。

 

 

 




◆イースター・エッグ
①エマ・ストーン診療所
 マーク・ウェブ版「アメイジング・スパイダーマンシリーズ」で主人公ピーター・パーカーの恋人のグウェン・ステイシー役を演じた女優『エマ・ストーン』から。2010年には「アメイジング・スパイダーマン」(2012)にて共演していたアンドリュー・ガーフィールド(ピーター役)と交際関係を築いていたが、お互いの仕事もあり、2015年には破局した。
 だが、恋人でなくなってもアンドリューとエマは良い友人関係を継続している模様で、ちょくちょくSNSでやりとりしている。




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#12 電撃の支配者 エレクトロ パート①

最上(もがみ) (まさる)――彼をひと言で言うのなら”不憫”である。

気弱だが優しく、良い友人がいる彼。だが、厳しい両親のもとで育った彼の心は決して明るいものではなかった。

 

彼がいかに報われないか。それは中間試験の解答用紙が返却された日に遡る。

授業が全て終わり、下校時間となった生徒たちは縦横無尽に廊下へと繰り出す。

帰宅部である(まさる)は図書室で借りた9冊の本を両手に抱え、下駄箱へと向かう生徒の波に入って歩いていた。

 

 

「うわっ!?」

 

 

廊下を歩いている途中、足が誰かの足に引っ掛かった(まさる)は前のめりに倒れる。それと同時に抱えていた本も宙に飛んでいき、廊下のあちこちに散らばっていく。

(まさる)は痛む胸に手を当てながら眼鏡をかけ直すと、本が手元にないことに気付いた。

 

 

「誰か!僕の本取って!」

 

 

踏まれるとマズイ……学校から借りているものなので尚更だ。焦った(まさる)は近くにある本から拾いながら、周りに助けを求める。

 

しかし、周りの話し声でかき消されているのか……それともあえて無視されているのか。誰1人として(まさる)の本を拾おうとはしなかった。

人間社会とは皆、自分がやりたいことを優先している。誰かのために立ち止まってくれるような人はそうそうおらず、この学校もその一例だった。

(まさる)の助けを求める声も虚しく、生徒たちは通り過ぎていく。挙句の果てには本を踏まれたり、蹴飛ばされる始末だ。

 

 

「ああッ!本が……ッ!」

 

 

それを目にした(まさる)は目を丸くして人混みを搔き分け、踏まれた本を拾いあげる。

既に開かれていた本は足跡がくっきりとついており、手で払っても落ちなかった。

どうしようもない現実に(まさる)は悲観する。

 

 

「どうしよう……」

 

 

借りたものを汚したことに加え、誰1人として道端に転がる石ころのように助けてくれなかった。無視されることは(まさる)にとって日常的であったが、流石にこれには応え、目に涙が浮かんだ。

図書室の先生への弁明を考えながら、(まさる)はとぼとぼとした足取りで帰路へとついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、最上(もがみ)家。散々な目にあった(まさる)だったが、今日は彼の17歳の誕生日。

――嫌なことがあったが、リフレッシュしよう。気持ちを明るく切り替えようとする彼を出迎えてくれたのは――

 

 

「何だこの点数はッ!?」

 

「……ッ!?」

 

 

テストの点数に対してリビングで怒鳴る父親の姿だった。

あまりもの怒号に(まさる)はビクッと肩をすくめる。

国語72点、数学84点、理科89点、社会60点、英語71点……中間試験の成績としては特に悪くはないのだが、(まさる)の父親にとっては不満そのものだった。

 

 

(まさる)。対策は万全だと聞いて安心していたが、こんな中途半端な点数を取りおって……真面目にやっているのか!?」

 

「そんな……!僕、頑張ったんだよ?ほら、数学だって前70点代だったのに今回は――」

 

「70点なら80点!80点なら90点!!90点なら100点!!!『70点代じゃないから良かった』などという、甘えた考えでいてどうする!?我が家の人間なら、もっと上昇志向を持て!!つくづく失望されられたぞッ!!!」

 

「……」

 

 

反論しようとする(まさる)だが、怒鳴る父親の圧力には勝てず、口を閉ざしてしまう。

自分なりに頑張ったのに認めてくれない……。報われない努力に、学校で傷付いた(まさる)の心の傷は癒えるどころかますます深まっていく。

 

 

(まさる)……朝に言ったわよね。『みっともない結果だけは残さないで』って。……こんな点数じゃ、立派な会計士にはなれないわ」

 

「………」

 

 

更に追い打ちをかけるように母親の辛辣な声が刺さる。擁護してくれるかと思いきや、傷口に塩を塗ってきた。

普段の仕打ちに加え、募りに募った不満は悲しみを通り過ぎて、怒りへと変わっていく……。(まさる)の怒りは爆発寸前だった。

 

だが、(まさる)はグッと堪える。ここで逆らっても何も変わらない。昔からそうであったように……。

 

 

「……母さん。夕食の準備をしてくれ」

 

「はい」

 

 

(まさる)は顔を俯かせて耐えていると、両親は言いたいことは言えて満足したのかしばしの沈黙の後、父親の指示を受けた母親は夕食の支度にとりかかる。

説教がやっと終わったとひと安心する(まさる)。夕食が出来るまで2階の自室に籠っていようとリビングを後にしようとしたとき、父親の思いがけない言葉に耳を留める。

 

 

「ッ、()()()()()()……」

 

「……ッ!」

 

 

出来損ない――。今まで自分を育ててきた両親の期待に応えようと頑張ってきた(まさる)の努力をけなす最悪な言葉。

不満のあまり突発的に呟いたもので意図したものではないが、精神が擦り減っている(まさる)には効果絶大。これまで堪えていた怒りが遂に爆発し、玄関の方へ駆けていく。

 

 

(まさる)!?どこに行く!」

 

(まさる)ーー!」

 

 

靴を履いている最中、呼び止める父親と母親の声が聞こえるが、感情的になっている(まさる)の耳には届かなかった。

(まさる)は靴を履き終えると、玄関の扉を開け、逃げるように家を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……ッ!はぁ………ッ!」

 

 

日も暮れ、街灯が点き始めていく頃。家出した(まさる)は後もなく、行き行く道を彷徨っていた。

感情に身を任せて家を飛び出したので財布やスマートフォンもなく、周りの景色も自分が行ったことがない場所までやってきていた。

不安になって一度は家へ帰ろうかと思い直したりもしたが、戻ってもまた酷いことを言われるのは目に見えている。今の(まさる)を突き動かすのは、家へ帰りたくないという一心だった。

(まさる)の心情を汲み取るように、頭上の曇り空からゴロゴロと雷鳴の音が鳴り響いていた……。

 

緑地公園へとやってきた(まさる)。いつもなら家族連れがいるであろうが、夜ということもあって誰もいなかった。

歩き疲れた(まさる)は木の下で腰かけることにした。

額の汗を拭い、切らした息を整えると、気持ちが落ち着いた(まさる)は今後のことを考え始める。

 

 

「(どうしよう。謝っても許してくれないだろうし……)」

 

 

図書室で借りた本は汚され、両親からけなされて家出同然のことをした。怒られるのは確実で、両親から何をされるかわからない。仮に許されたとしても、またあの惨めな生活に戻ってしまう。

それが嫌で仕方ないが、今はお金も携帯もない。自分1人では何もできないのは(まさる)自身わかっていた。

 

 

「(天海(あまかい)君たちに………いや、駄目だ!迷惑かけたくない……)」

 

 

ふと友人の顔が浮かび、助けてもらおうという考えが過ったが、首を横に振って振り払う。

この家出は結局のところ家族間の問題であり、他の家庭がどうこう出来る問題ではない。それに助けを求めても断れるかもしれない。一抹の不安を感じた(まさる)はますます追い込まれていく。

 

 

「(今日は誕生日………でも、誰も祝ってくれない。誰も助けてくれない。こんなに生きにくいんだったら………)」

 

 

――死ぬしかない。絶望の淵までに追い込まれた(まさる)は遂に自殺まで考えた。

(まさる)は木を見上げると、丁度首を吊るのに適した高さの枝が伸びていた。しかも運が良かったというべきか、近くに誰かが忘れていった縄跳びが置いてあった。

ゴロゴロと雷鳴の音が辺りに轟く。

 

 

「楽になりたい……」

 

 

首吊りは激しい苦しみが襲うというが、生きる苦しさをこれ以上味わうなら……。(まさる)は低い声で呟くと、縄跳びの端の方を自分の首にきつく巻き付け、長く余ったもう一方を枝の方へ投げつける。縄跳びはクルリとひと回りし、上手く枝に巻き付く。仕組みとしては、手元にある持ち手を引っ張ることで枝が身体を支える中枢部となり、そのまま首を絞めるというものだ。

上手くいくかは別として、(まさる)にはもうこれしか楽になれる手段はなかった。

 

後は引っ張るだけ……。(まさる)は優しく接してくれた(まなぶ)や涼介に会えなくなるのを惜しむが、彼らにこれ以上自分と付き合わせたくない。

恐怖は感じるが、頭を過る悲惨な家庭環境がそれを消し飛ばした。固唾を呑み、覚悟を決めた(まさる)が自殺を試みようとしたときだった。

雷雲から稲光りが走ったのち、ゴオォォーーンと激しい轟音と共に雷が(まさる)のいる木に落ちる。

 

 

バリバリバリィーー!

 

「あ"ぁ"ぁ"あ"あ"あ"ぁ"あ"ぁ"ーーーーーッ!!!」

 

 

当然近くにいた(まさる)は側撃雷をくらい、ビリビリと感電してしまう。

襲いかかる苦痛に(まさる)は目を白黒させながら、衣服をボロボロにしながら体を激しく痙攣させる。

(まさる)の身体中の血管という血管の全てが雷のエネルギーによって、激しいスパークを生むように変化していった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

落雷があってから何時間経っただろうか。

真っ黒に焦げた木は縦真っ二つに裂け、焼け焦げた匂いが辺り一面を漂う。

そして、数分もしないうちにしとしとと雨粒が数滴落ちると、一瞬のうちに大雨が降り始めた。

 

 

「ん……んん………?」

 

 

大雨が降り注ぐ中、木の傍で倒れていた(まさる)は雨の感触を受けて起き上がった。

(まさる)は数秒ぼうっとした後、自分が生きていることを自覚すると、顔や体に手を当てて現実かどうか確かめる。

 

 

「???」

 

 

(まさる)は困惑した。何故感電したはずの自分が生きているのかを。

着ていた緑色に黄色のラインが入ったパーカーはボロボロにはなっているものの、(まさる)自身は全くといいほど無傷だった。

しかも、眼鏡をかけなくても周りの景色がはっきりと見えるほど視力が上がっていた。

(まさる)は何が起きたのかわからずにいると、近くの水たまりを見て目を丸くする。

 

 

「何だ……これ………?」

 

 

大量の雨粒で揺れる水たまりに映るもの。それは星のようなあざがくっきりと自分の顔全体に刻まれていたことだった。

見ようによっては放射状に伸びる稲妻にも見えるあざ……。(まさる)はスス汚れかと思い袖で拭うが、全く取れないことから本物のあざであることが実感できた。

 

 

バチ……ッ!バチチ……ッ!

 

 

更に手から僅かに電流が迸るのを体感した。金属に触れるとたまに静電気が発生することはあるが、この現象は静電気なんてものではなく、むしろ()()()()()()()()()()()()()()ことは(まさる)自身理解していた。

しかも、奇妙なことに不思議と力が漲っていく……。

 

 

「(帰ろう……ッ)」

 

 

落雷にあってからの奇妙な現象の数々に困惑した(まさる)はその場から逃げるように離れる。

助けを求めるように両親の待つ家に帰ることした。

 

動揺を隠せずにいながらも早歩きで来た道を戻っていく。

流石に大雨とあって周りには誰もいなかったが、変に見られたくない(まさる)はフードで顔を隠して歩いていく。

そして、数分後。彼はよく見知った一軒家の前に着いた。

 

 

「……ただいま」

 

 

玄関の扉をゆっくりと開けた(まさる)はフードを取ると、恐る恐る声をかける。

すると、彼が帰ってくるのを待っていたのか、リビングから両親が駆け寄ってくる。表情もいつもの冷めたものでなく、焦燥の色が見えていた。

いつもとは違う様子に(まさる)は心配してくれていたのかと思った矢先――

 

 

(まさる)!どこに行ってた!?家出なんぞして、我が家の評価を下げおって!!」

 

「……まあ!?何この傷!?服もボロボロじゃない!?買い直さないといけないじゃない!!」

 

「え」

 

 

と、思いがけない言葉をかけられ、固まる(まさる)

――息子の無事よりも世間体?両親の言動に衝撃を受けた(まさる)は次第に怒りが込み上げてくる。

 

 

「今日はタップリとお灸をすえてやらんとな!!こいッ!!」

 

 

(まさる)の心情などお構いなしに怒鳴った父親は彼の手首を掴んでリビングに連れて行こうとする。

普段なら逆らえないとわかりきって大人しくついていく(まさる)だが、今の彼は怒りによって冷静さを失っており、力いっぱいに振り払う。

息子の抵抗に驚いた父親は目を丸くする。

 

 

「……何をしている?」

 

「結局は自分のためなんだな……。僕、勘違いしてたよ。駄目人間、駄目人間って言うけど、お前らこそ、駄目な存在だよ………」

 

「ッ!?親に向かってなんて口だッ!」

 

(まさる)。今すぐに謝りなさい!」

 

 

(まさる)の罵倒に頭にきた父親はすぐさま怒りの形相を浮かべる。母親も諫める眼差しで(まさる)に謝るように促すが、(まさる)は全く異を返さない。

それどころかますます両親への怒りを募らせていき、家中の照明器具も彼の心情を現すようにチカチカと点滅し始める。

 

 

(まさる)。お父さんに謝りなさい。これもあなたのため――」

 

「うるさい」

 

 

母親が説得するが、鬱陶しく羽音にしか聞こえない(まさる)は無愛想に口答えする。

(まさる)の怒りは爆発寸前であり、それを予兆するかのように照明器具の点滅速度も速まっていく。

母親への口答えに父親は食って掛かる。

 

 

「何だその口答えはッ!?親に向かって”うるさい”だとッ!?」

 

「うるさい」

 

(まさる)!!そんな不良みたいな言葉遣いやめなさい!!」

 

「うるさい……うるさい……」

 

「うるさいじゃないの!謝りなさい!」

 

「うるさいうるさいうるさい……!」

 

「ええい!言うことを聞かんかッ!!この親不孝も――」

 

うるさーーーーーーいッ!!!

 

バチバチバチーーーッ!

 

 

両親の説教に耐えかねた(まさる)遂に溜まりに溜まった怒りを爆発させる。

(まさる)の怒りの雄叫びと共に身体中から電気が迸り、辺り一面を照らしながら家中の家具や壁を破壊していく。

当然、近くにいた(まさる)の両親は感電。悲鳴を上げる間もなく、黒焦げになって倒れた。

 

 

「はぁ……ッ!はぁ……ッ!」

 

 

溜まっていた怒りを発散させた(まさる)は肩で息をする。

普段、感情を抑えている彼にとって大声を出すことは疲れるものだ。

 

息を整え、冷静になった(まさる)は辺りを見渡して言葉を失う。

家中は雷でもあったかのように黒焦げになっており、焼け焦げた匂いが煙と共に充満していた。

そして、彼が見下ろした先には、黒焦げになって倒れている2つの死体が転がっていた。

 

 

「父さん……?母さん……?」

 

 

青ざめた(まさる)は震えた声で呼びかける。

当然ながら、既に息絶えている両親の死体からは返事は来ない。

しかも、どちらが父親か母親なのか判別できないくらい焼け焦げてしまっている。

 

意図したものではないとはいえ、(まさる)は17歳の誕生日に両親を殺害してしまったのだ。

 

 

「うっ、うあぁあぁぁあぁぁーーーーーッ!!?」

 

 

苦手だったとはいえ、両親を殺してしまった……。

自覚した(まさる)は悲鳴を上げると、罪悪感から逃れるように急いでその場から逃げ出した。

大雨が降り注いでいた外は既に晴れており、(まさる)は水たまりに跳ねた雨水で濡れるのも構わず、街へ走っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9番地区にある繁華街交差点。多くのビルが立ち並ぶこの場所はT市の中でも最大級の交差点で、『日本のタイムズスクエア』と呼ばれるほど、日夜賑わっている。

それは雨上がりの夜であっても同じで、多くの人々や車が行き交っていた。

 

そんな会社帰りや遊びに行く人混みの中を中野家の長女・中野 一花(いちか)は歩いていた。

時刻も22時に差し掛かろうとするのにお嬢様の彼女が繫華街を歩いている理由。それは高校生活の傍らで女優をやっているからで、今日は演技のレッスンの帰りであるためだ。

 

 

「(ちょっとずつだけど、頑張ろ)」

 

 

交差点の信号を待ちながら、一花(いちか)は静かに気合を入れる。

今日のレッスンで学んだことをしっかりと振り返りながら、より良い演技をものにしていく……。アカデミー女優までの道のりはまだ遠いが、今は焦らずじっくりやっていこうと改めて誓った。

 

横断歩道の信号が赤から青になり、一斉に人々が歩き出すと同時に一花(いちか)も人の流れに乗って歩いていく。

様々な服装、顔、思考を持った人々がすれ違っていく中、一花(いちか)はふと言い争っている声が聞こえ、そちらへ目を向ける。

如何にも人相の悪い不良らしき男性5人がボロボロの緑地に黄色のパーカーを着た少年に突っかかっていた。

 

 

「てめぇ肩をぶつけたろ!?」

 

「す、すみません……」

 

「なめてんだろ?おい。そんなんで許してもらえると思ってんのかぁ?」

 

「やめてくれ……」

 

「(わ~……めんどくさそう)」

 

 

少年と不良のやり取りに遠目で見ていた一花(いちか)は苦い顔をする。

明らかに少年は謝罪をしているのにも関わらず、なおも不良はいい加減な因縁をふっかけている。しかも多数でだ。

あまりにも横暴なやり取りに近くで見ていた人たちも一花(いちか)同様、不快な表情を浮かべている。

 

だが、誰1人として止めようとはしなかった。

相手は不良。助けに入れば、次は自分が標的にされる。それが怖くて、皆見て見ぬふりをして遠ざかっていく。

 

 

「(ごめんね……)」

 

 

一花(いちか)も同様に助けに行きたいがその勇気がなかった。男5人に何をされるかわからないからだ。

罪悪感を抱きながら、その少年から目を逸らしたときだった。

 

 

「の"あ"ぁ"あ"あ"ぁ"ーーーーーーッ!!?」

 

「ッ!!?」

 

 

一花(いちか)の真上を悲鳴を上げる物体が通り過ぎる。

驚いた彼女が飛んでいった先を見ると、道路で白目を向いて倒れている不良の姿があった。

しかし、これで終わりではない。

 

 

バチバチバチーーーッ!!!

 

「「「「ぎゃあぁぁーーーーッ!!」」」」

 

 

残りの4人も動揺しながらも殴りかかろうとするが、少年が放つ黄色の高圧電流の前になすすべなく、次々と宙へ吹き飛ばされていく。

その少年は両親を殺してしまった罪悪感から逃げ出した(まさる)だった。(まさる)は身を守るために不良たちを攻撃したのである。

 

あまりにも非現実的な出来事に周りにいた人々は悲鳴を上げて、一斉に歩道へと避難していく。

 

 

「君、そこで何をしている!大人しくしなさい!」

 

「ッ!?また僕は……ッ!」

 

 

人々が不安と恐怖に包まれる中、群衆の合間を縫って警察官が制止するように呼び掛ける。

警察官の声にハッと我に戻った(まさる)。また自分のしてしまったことに動揺を隠しきれずに後退っていると、丁度横断歩道の信号機が青から赤へ変わる。

 

 

ププーーッ!

 

「!?」

 

 

横断歩道の信号機が赤になったことで死角からトラックがクラクションを鳴らしながら突っ込んでくる。

予想だにしなかった事態に警察官もあっと声を出す。

 

 

バチバチバチッ!

 

 

驚いた(まさる)は掌を車に向かってかざすと、次の瞬間、手から黄色の電流が放たれ、トラックを捉えた。

捉えた(まさる)は自分の何倍もの重さを持つトラックを宙に浮かすと、真上で弧を描きながら反対側の地面に叩きつけた。

叩きつけらたトラックは道路を滑り、停まっていた数々の車にぶつかっていく。

 

それを目の当たりにした車に乗っていた人々は恐怖のあまり車を乗り捨てると、一目散に逃げていく。

逃げ出す人々を見て(まさる)は混乱していると、交差点の中央で彼を取り囲むようにパトカーが集まってくる。

逃げ道を塞がれた(まさる)がますます混乱する中、警察はスピーカーで呼びかける。

 

 

《そこの男!今すぐ両手を頭の後ろに組んで、膝をつきなさい!》

 

「やめろーーッ!わざとじゃない!何もしないでくれ!」

 

《動くのをやめなさい!地面に膝をつけて両手を頭の後ろに組みなさい》

 

 

警察の呼びかけが耳に入らず、(まさる)はビクビクと怯えていた。

彼が従わない理由は、警察官の手に拳銃が握られているからだ。警察官は威嚇射撃のつもりで向けているのだが、逆にそれが(まさる)を不安にさせており、冷静な判断が出来なくさせているのだ。

 

(まさる)がどうしたらいいかわからず混乱している最中、ライオットシールドを前に構えた警察官が警棒を手にじわりじわりと歩み寄ってくる。

また自分の能力で危害を加える可能性がある(まさる)は周囲の警察官に呼びかける。

 

 

「やめろッ!近づくなッ!まだコントロール出来ないんだ!」

 

《大人しくしなさい!》

 

「お願いだ……!やめてくれ……!」

 

 

必死に呼びかけるも、危険極まりない相手だと判断している警察官は歩みを止めず、近づいていく。

――どうして言うことを聞いてくれない?どうして信じてくれない?

(まさる)の警察官に対する恐怖が理解されない怒りへと変化していく。

 

そして、間近に来た警察官が取り押さえようとした瞬間――

 

 

やめてくれと言ってるだろーーーーッ!!!

 

『うおッ!?』

 

 

またも(まさる)の怒りが爆発。電流を纏った手で振り払うと、強力な磁場が発生し、囲んでいた警察官たちを吹き飛ばす。

その勢いは留まることを知らず、その後ろで囲っていたパトカーすらも吹き飛ばした。

 

 

「ッ!?」

 

 

そのうち、1台のパトカーが歩道にいる一花(いちか)へ飛んでいく。

高い質量を持った塊が猛スピードで飛んでくるので、避けようにも避けれない。

一花(いちか)は目をつぶって咄嗟に身を屈める。

 

だが、数秒経っても押し潰される感触はなかった。

不思議に思った一花(いちか)が見上げると――

 

 

「ッ、スパイダーマン!」

 

「やあ、また会ったね」

 

 

いつの間に現れたのか。そこには飛んできたパトカーを背中と両手で支えるスパイダーマンの姿があった。

スパイダーマンこと(まなぶ)もまた八丈目の実験の手伝いの帰りでこの交差点にたまたま居合わせており、エレクトロの暴動を見て駆け付けたというわけである。

 

 

「さあ、立って。ここは危険だから」

 

「う、うん」

 

 

パトカーを静かに地面へ降ろすと、スパイダーマンは一花(いちか)へ避難するように促す。

動揺を隠せないながらも頷いた一花(いちか)は歩道の端の方へ走っていく。

彼女が離れたのを確認したスパイダーマンは降ろしたパトカーの上に乗ると、あたふたしている(まさる)へ声をかける。

 

 

「そこの君!こっち向いて」

 

「ッ、スパイダーマン?」

 

「……マックス?」

 

 

振り向いた顔を目にしてマスクの下で目を丸くするスパイダーマン。

顔に星型のあざがあるものの、その人物は紛れもなく、自身の友人であるマックスこと(まさる)だった。

この騒動の主犯が自分の友人と知って固まっていると、疑問に思った(まさる)は尋ねてくる。

 

 

「マックスって……僕のこと知ってるの?」

 

「……ッ、あ、ああ!そうさ!この街は僕の庭のようなものだからね!君のお友達から色々と聞いているよ?」

 

 

(まなぶ)である自分と涼介でしか知らない愛称を思わず口走ってしまい、一瞬焦ったが、何とか誤魔化すスパイダーマン。

人の目が多いこの場で正体がバレてしまえば、一巻の終わりである。

スパイダーマンの嘘の言い訳に納得したのか、(まさる)は少しだが緊張を緩ませる。

 

 

「そうか……。なら、僕を助けてくれ。何が何だかわからなくて………」

 

「わかった。君を信用するよ。わかる範囲で良いから何があったのか教えてくれ」

 

「うん……。親と喧嘩して、公園の木で首を吊ろうとしたら雷に打たれて、こんな力を手に入れた……。家に帰ったらまた親と喧嘩して……気が付いたら父さんと母さんを殺しちゃったんだ………」

 

「そ、そうか」

 

 

(まさる)のことの経緯を聞いたスパイダーマンは複雑そうに答える。

まさか自分の友人が電気を操る力を手に入れて、勢い余って両親を殺してしまったとは想像出来なかったからだ。

 

しかし、このまま放ってはいけない。周囲への被害はもちろんのこと、友人である彼を一刻も早く救ってあげたい。

パトカーの上から降りたスパイダーマンは警戒心を与えないよう、恐る恐る歩み寄りながら話し続ける。

 

 

「マックス。君のことはよくわかった。でも、ここじゃ目立つから遠い場所へ行こう。2人っきりでね」

 

「あ、ああ……」

 

「ゆっくり歩くんだ。濡れてるから感電するかもしれない」

 

「わかった」

 

 

スパイダーマンを信用した(まさる)は歩く度にバチッと電流を漏らしながら、一歩一歩ゆっくりと近づいていく。

――マックスのことはまず話を聞いてからだ。スパイダーマンは処遇のことはともかく、友人の彼を信じたかった。

マスクを着けているので信用を勝ち取れないと思っていたが、思ったよりすんなりと話を聞いてくれたので安堵していた。

 

これで一件落着。周囲にいる野次馬を含め、誰もがそう思った。

そして、スパイダーマンと(まさる)の距離が2mを切ったときだった。

 

 

ダァンッ!

 

「!?」

 

 

突如放たれた一発の弾丸が(まさる)の太ももに命中する。

驚いたスパイダーマンは弾丸が放たれた方角を見上げると、高層ビルの一室にスナイパーライフルを構える警察官がいた。

警察は万が一のことを考え、(まさる)を無力化させるためにスナイパーを配置したのだ。

 

 

「ッ、アアァァァァーーーーーッ!!」

 

バリバリバリーーーッ!!

 

 

しかし、それは逆に状況を悪化させた。太ももにくらった弾丸は効いてはおらず、(まさる)の怒りを買った。

(まさる)は怒りが赴くまま掌をかざすと、スナイパー目掛けて電流を放った。眩い輝きを放つ電流はスナイパーのいる階層へ直撃させる。

 

 

「よせッ!マックス!うぐぁッ!?」

 

 

スパイダーマンはすぐさま攻撃をやめさせようとウェブを電流を放つ(まさる)の手に引っ付けて引っ張るが、ウェブを通して電流がスパイダーマンへ向かう。

電流をもろにくらったスパイダーマンは大きく後方へ吹き飛ぶと、パトカーに衝突する。衝撃を受けたパトカーはぐしゃぐしゃにへこんだ。

スパイダーマンは痛む体を押して立ち上がろうとするが、電気で痺れてしまい、中々立ち上がれない。

 

 

「(みんな僕を見てくれている……!それに、力がますます漲っていく………!!)」

 

 

スパイダーマンが目を回している中、(まさる)は周囲を見渡す。

皆、自分へ恐怖の眼差しを向けていた。道端の石ころのように無視されていたときとは大違いだ。

通常の思考なら心が痛むだろうが、今の(まさる)にとっては快感であり、力も自然と湧き立っていった。

 

(まさる)は考え直す。どうして自分が損をしなければならない。どうして法に従わないといけない。

家族とのルールを守ろうと頑張ってきたが、どれも良い見返りはなかった……すなわち、”無駄”だったのである。

無駄な努力ほど虚しいものはない。

 

それに両親を殺して何故マズイのか?

世間体……?それとも法律が定めているから……?

両親は自分を抑圧して、道具のように扱っていた。死んで当然の人間だったのだ。それなのにコソコソと生きようとするのはおかしな話だ。

自分の生き方が滑稽に思えた(まさる)の口からは笑みが出る。

 

 

「(………()は馬鹿だったよ。こんな力を授かったのにどうして抑えようと考えてたんだ?天から与えられたギフトは有効に使わなきゃな!)」

 

 

考えに考えた(まさる)は不敵な笑みを浮かべると、電流で周辺のビルに向かって攻撃していく。

高圧電流はビルの外壁を抉り、瓦礫を地上へ落としていく。

パニック状態になった人々はあっちこっちへと逃げていく。そんな光景を(まさる)は面白そうに笑みを浮かべていた。

 

 

ピシュッ!ピシュッ!

 

 

その間に復活したスパイダーマンは急いでウェブを放って人々の頭上に蜘蛛の巣を形成すると、瓦礫をキャッチする。

それに加えて崩れそうなビルにもウェブを放って補強すると、スパイダーマンは強い口調で呼びかける。

 

 

「マックス、やめろ!みんなを傷つける気か!?」

 

「それがどうした……?俺はマックスという軟弱な男ではない……。電撃の支配者、エレクトロだッ!!」

 

 

(まさる)――否、エレクトロは顔のあざからマスクのように星型の電気が浮かび上がると、黄色の高圧電流をスパイダーマンへ放つ。

スパイダーマンは前高く跳躍して避けると、エレクトロの真上から通りすがりに彼の両肩にウェブを引っ付けると、着地したと同時に思いっきり前方へ放り投げる。

後方へ引っ張られたエレクトロはそのままパトカーへ衝突する。

 

眉間にしわを寄せるエレクトロは電気を蓄えた両手を地面につける。

雨で濡れているコンクリートの床は高圧電流を容易く通し、伝導した電流はスパイダーマンに襲いかかる。

 

 

ピシュッ!

 

 

スパイダーマンは後ろにある交通信号機にウェブを引っ付けると、飛び上がって避難する。

そのまま鉄棒のように交通信号機でグルリと一回転すると、ウェブを離して両足蹴りを放つ。

 

 

バチバチーーーッ!

 

「ヌアァッ!?」

 

 

蹴りが届く前にエレクトロの電撃が直撃。スパイダーマンは地面に不時着する。

間髪入れずエレクトロの無数もの電撃が襲い掛かるが、スパイダーマンは持ち前のフットワークでかわすと、ウェブで近くの瓦礫を投げ飛ばす。

 

前方から迫りくる瓦礫に対し、撤去するのも造作もないエレクトロは動揺しなかった。

エレクトロは鼻で笑うと、電撃で瓦礫を破壊する。

前の景色が見え辛くなるくらい破片と電流が飛び散るが、この生まれた一瞬の隙にスパイダーマンはロケットのように急接近した。

 

 

「ハアァッ!!」

 

「ごぉあッ!?」

 

 

スパイダーマンの拳がエレクトロの頬に炸裂。まともに受けたエレクトロがよろめいた隙に地面に片手をつけたスパイダーマンはすかさず、かかと回し蹴りをエレクトロの首元に放つ。

強烈なの蹴りにエレクトロは膝をついた。

スパイダーマンは両手首からウェブを放って、全身を拘束するが……

 

 

「ぬんッ!」

 

ブチブチィッ!

 

 

お約束とばかりにエレクトロは電気を纏って力を込めると、簡単に引きちぎった。

この光景にデジャヴを感じるスパイダーマンにエレクトロは仕返しとばかりに電撃を放つも、スパイダーマンはバク転で回避する。

スパイダーマンは蜘蛛のような体勢で身構えながら、エレクトロの対処法について考える。

 

 

「(どうする……ッ!あんな電気ボディじゃまともに触れない……下手したら感電する!)」

 

 

考えながらスパイダーマンは先程殴って痺れた左手を擦る。

エレクトロは電気を纏っているので、触れた瞬間に高圧電流が流れてしまう。つまり、攻撃する側がダメージを受けてしまうのだ。

触れずに倒す……飛び道具といえば蜘蛛糸ぐらいしかにないスパイダーマンにとっては困難な手段だった。

 

 

「ッ!」

 

 

頭を働かせて模索している中、ふとエレクトロの近くにあるものに目が留まる。

それは消防隊などが火事を鎮火させるのに用いる真っ赤な消火栓だった。

――あれを使えば!対策が纏まったスパイダーマンはエレクトロに向き直る。

 

 

「休憩は終了か?スパイディ」

 

 

スパイダーマンが対策を考えついたと同時にエレクトロも準備万端とばかりに纏った電気をバチバチとスパークさせている。

しかも、磁場を利用しているのか宙に浮いており、ぎらついた眼差しでスパイダーマンを見下ろす。その目はスパイダーマンがよく知る優しい(まさる)のものではなかった。

 

宙に浮いたエレクトロはスパイダーマンに目掛けて電撃を放つ。コンクリートの地面を破壊しながら、迫る電撃を避けたスパイダーマンは近くにあるビルに向かってウェブを飛ばして避難する。

スパイダーマンが着地したと同時に電撃を放つが、またも彼に避けられる。

 

 

「……アァアアァァァッ!!!」

 

 

中々当たらないことに痺れを切らしたエレクトロはやけくそに電撃をまき散らし、周囲の建物を破壊していく。

それによって次々と瓦礫が地上へ落ちていき、興味本意で観戦していた野次馬も流石にたまらず、四方八方に逃げていく。

 

暴れ回るエレクトロを見て、危機感を更に募らせたスパイダーマンは短期決着をつけようと消火栓を掴む。

グググ……と力いっぱい込めると、消火栓は綺麗に引っこ抜かれ、中に入っていた消化水がエレクトロに直撃する。

 

 

「ガガア"ァ"ア"ア"ァ"ァ"ァ"ーーーーーッ!!!」

 

 

タップリと水を浴びたエレクトロはエレクトーンのような悲鳴を上げて痙攣する。

歩く人間コンデンサとなっているエレクトロにとっては水は大の弱点であり、自身から発する電気を浴びて感電してしまっているのだ。

激しく輝かせていた電気も段々と弱まっていき、顔を覆っていた電気マスクも無散していった。

 

――このまま水を浴びせ続ければ倒せる。

スパイダーマンのみならず野次馬もそう思っており、この騒動も一件落着だ。

誰もが勝利を確信している最中――

 

 

「た、助けてくれェ……!」

 

「……ッ!」

 

 

エレクトロから発せられた救いを求める声にスパイダーマンは耳を留める。

友人が苦しむ声にスパイダーマンは罪悪感を抱くが、今の彼はエレクトロであり、耳を貸してはいけない。

思いとどまろうとする自分にそう言い聞かせるが……

 

 

「苦しいよォォ……。助けてェ……」

 

 

「………ッ!マックス!」

 

 

またも発せられる友人の苦しむ声がスパイダーマンの耳に届く。

――友達が苦しむのを見たくない!居ても立っても居られなかったスパイダーマンは誘惑に負けてしまうと、ウェブで消火栓の水をせき止めると、地面に落ちたエレクトロに駆け寄る。

 

 

「マックス!しっかりしろ、マックス!マックス!」

 

 

気を失ったエレクトロを抱え、体を揺すって何度も呼びかける。

姿形が変わっても彼は友人の最上(もがみ) (まさる)には違いはないのだ。

数分した後、スパイダーマンの必死な呼びかけが功を奏したのか、エレクトロはパチリと目を開く。スパイダーマンは無事だったことに安堵し、マスクの下で頬を緩める。

 

 

「マックス!良かった……無事でなによ――ドアァァーーーッ!?」

 

 

スパイダーマンがホッと胸を撫で下ろして話す途中、エレクトロは胸元に向かって特大の電撃を浴びせると、スパイダーマンを吹き飛ばした。

スパイダーマンにとってエレクトロは友達であっても、正体を知らないエレクトロにとってはただの敵でしかなかった。

大きく後方に吹き飛んだスパイダーマンはハンバーガーショップのガラスを突き破って、中まで入っていった。

 

目を回すスパイダーマンはしっかりと気を保って立ち上がると、自分が入ってきた場所へ歩いていく。

ガラスの残骸を踏みしめて外へ出て交差点へ目を向けると、倒れていたエレクトロの姿はどこにもなかった。

 

 

「………ッ」

 

 

一瞬の気のゆるみ。変に同情をしてしまったせいで取り逃がしてしまったスパイダーマンは歯を噛み締める。

だが、ここで悔しがっても仕方がないので、そのまま退散しようとしたとき――

 

 

「警察だ!手を上げろ!」

 

「大人しく投降しなさい!」

 

 

銃を武装した警察官がスパイダーマンを取り囲む。

一般人を守るためにエレクトロと戦っていたスパイダーマンだったが、彼も傍から見れば同類で、警察からはお尋ね者扱いだった。

一瞬驚いたスパイダーマンだったが、すぐに自分の立場を思い出すと、ウェブを高所に放って逃げ出した。

 

 

「逃げたぞッ!追えーーーッ!!」

 

 

警察官たちはパトカーを駆ってスパイダーマンを追うが、猛スピードでウェブスイングするスパイダーマンには追いつけず、すぐに見失ってしまった。

スパイダーマンはこれ以上捜索されないよう、夜の闇に身を隠しながら急いで自宅へと帰っていった……。

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
(まさる)が借りていた本の冊数
 (まさる)が図書室から借りていた本の冊数は9冊。この数字はアメコミ原作「アメイジング・スパイダーマン」にてエレクトロが初登場した刊と同じものである。

(まさる)の父親の職業
 会計士の職に就いているが、これはアメコミ原作におけるエレクトロことマックス・ディロンの父親が会計士だったことに由来する。

③飛んできたパトカーを支えるスパイダーマン
 マーク・ウェブ版「アメイジング・スパイダーマン2」(2014)でエレクトロが吹き飛ばしたパトカーを支え、警察官を守るシーンのオマージュ。


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#13 電撃の支配者 エレクトロ パート②

9番地区の繫華街交差点での戦いから翌日。

エレクトロの正体を突き止めた警察は近隣住民の報告もあって、さっそく最上(もがみ)家の捜査に乗り出した。

最上(もがみ)家の前には数台のパトカーと遺体搬送車が集まっており、周囲には野次馬が捜査の邪魔をしないようバリケードテープが張り巡らされていた。

 

焼け焦げた玄関口からは炭のように黒焦げになった(まさる)の両親が慎重に運び出されていた。

運び出される遺体に居合わせていた2人の警察官は合掌する。

 

 

井ノ内(いのうち)警部。ありゃ、残酷ですね……」

 

「そうとう恨みがあったんだろう……。でなければ、顔の判別が出来なくなるまでやらん」

 

 

遺体の惨状に苦い顔を浮かべる部下の呟きに、井ノ内 譲治(じょうじ)警部は神妙な顔で答える。

(まさる)としては意図して殺したわけではないが、恨みがあったことは事実である。そのことを全部知らなくても、遺体の惨状さから(まさる)ことエレクトロが犯行に及んだ心情は伺える。

 

部下と共に手袋を嵌めて、最上(もがみ)家に入った譲治は検察の邪魔をしないよう慎重に歩いていく。

家のあちこちに検察の調査が進んでいる中、井ノ内たちはリビングに足を踏み入れる。

玄関口よりも黒焦げにはなってないがリビングも充分焼け焦げており、液晶テレビは画面が割れ、時計の針は『21時37分』を指したまま止まっていた。

ひと通り見た譲治はふぅと嘆息をつくと、部下に尋ねる。

 

 

「エレクトロ――最上(もがみ) (まさる)の家庭環境は?」

 

「は、はい!近隣住民からの話によると、容疑者と両親との関係は劣悪だったそうで、いつも怒鳴り声が響いていたそうです。それにあまり評判も良くないと………」

 

「わかった……。ご苦労様」

 

「はい!」

 

 

報告を聞いた譲治は部下に労いの言葉をかけると、既に電源が切れている冷蔵庫を開ける。

冷蔵庫の中には『お誕生日おめでとう まさる』と書かれたチョコプレートが挿し込んであるバースデーケーキが虚しく溶けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから3日後の朝。

6番地区の住宅街にある天海(あまかい)家では、いつものように朝食を摂っていた。

(まなぶ)はバタートーストを頬張りながら、テレビで流れるニュースを観ていた。

 

 

《――次のニュースです。先日に続いて、T市の発電所が謎の人物によって襲われる事件が発生しました。被害に見舞われたのはT市7番地区の『オズコープ』が開発した発電所で、深夜2時46分頃、容疑者と思われる男性が発電所に侵入。()()()()()()()()()()()()()()()()()とのことです。容疑者は5日前に行方不明となったT市1番地区に通っていたとされる男子高校生と思われ、止めにかかった従業員に対し、手から電流のようなものを飛ばして危害を加えた模様です。従業員のうち、10名が死亡、他7人が軽重症を負っています。また、連日に発生した発電所の電気が無くなることと、遺体が全て感電しているところから、警察は5日前に起きたT市9番地区の『神保(じんぼ)交差点』での致死騒動事件を起こした『エレクトロ』と名乗る人物の同一の犯行によるものだと断定しました。現在、警察は容疑者の少年を含め、目撃者の聞きこみを行っています――――》

 

「(マックス……どこにいるんだ?もう1週間になるぞ)」

 

 

穏やかな朝とは裏腹に、テレビから流れる血生臭いニュースを観る(まなぶ)の顔は険しいものだった。

容疑者の男子高校生とは、もちろん(まさる)ことエレクトロだ。

スパイダーマンである(まなぶ)は5日前の交差点での戦いの後、行方を晦ましたエレクトロを探し回ったのだが、依然行方はわからず、目的すら摑めていなかった。

(まなぶ)は口内で細かくなった食パンをゴクリと飲み込む。

 

 

「(僕があの時捕まえていれば……!)」

 

 

(まなぶ)はエレクトロを取り逃がしたことを後悔していた。エレクトロと対峙した際、あと一歩のところまで追いつめた。

しかし、まだエレクトロになる前のマックス――(まさる)だったときの彼の姿がチラつき、思わず助けてしまった。

変な同情をした結果、エレクトロには逃げられた。しかも、逃亡の先々で死傷者も出た。殺し方からエレクトロは自分の身を守るためでなく、自分の力を試すために罪のない人々に危害を加えているのだ。

 

更に、交差点での目撃情報から現場に居合わせたスパイダーマンも警察にマークされている。

スパイダーマンはエレクトロを止めるために戦ったのだが、彼を助けた目撃証言から”共犯者”ではないかと疑いがかかっている。スパイダーマンである(まなぶ)にとっては不名誉なことだ。

それだけにならず、スパイダーマン叩きがウリの『デイリー・ビューグル』の新聞記事がその疑いに拍車をかけている。

 

――次は何があっても必ず捕まえる!

犠牲になった被害者のためにも(まなぶ)は心を鬼にして、友人と対峙することを決意した。

 

自分の甥が険しい表情になっているのを見かねた(みこと)は心配そうに尋ねる。

 

 

「朝から物騒なニュースね~。(まなぶ)……危ないと思ったらすぐに逃げるのよ?一番大事なのは自分の命なんだから……」

 

「うん。わかってるよ」

 

 

何か危ないことを考えているのではないかと思ったのだろう。

長く暮らしている経験から叔母の言うことがわかっている(まなぶ)は心配を打ち消すように微笑み返す。

だが、(みこと)の不安は拭えず、依然表情は曇っていた。

 

(みこと)の心情を反映するように、快晴の空は段々曇り空へと変わっていった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「~~♪」

 

 

その日の昼過ぎ。T市4番地区にある閑静な住宅街の一軒家から鼻歌と共に軽快なステップが鳴る。

童謡『七つの子』のメロディーを鼻で歌いながら台所から1人の男が、ポテトチップスや板チョコなど、山ほどのお菓子を腕いっぱいに抱えてリビングへ来ると、テーブルの上へ乱雑に置いた。

その男は今まさにお尋ね者の(まさる)ことエレクトロであり、腹を空かせた彼はこの家で食事を摂ることにしたのだ。

 

エレクトロは椅子に座ると、テレビを点け、適当にお菓子の梱包を開けると、次々に口の中へ放っていく。

バリバリと歯切れのいい音がリビング中に響く。

 

 

「美味い……!あの家にいた頃は『健康の妨げ』の一点張りでろくに食べさせてもらえなかったな……」

 

 

エレクトロはお菓子の魅力に酔いしれながら呟く。

エレクトロの両親はひと言で言うと、『毒親』で、あれは駄目これは駄目と17年間彼の生き方を束縛し続けていた。今思い返すだけで頭痛がしそうである。

 

だが、もう縛られる必要はなくなったのだ。

自分を道具扱いしてきた両親はいなくなり、孤独感を抱えたまま学校に行かなくてよくなった。

これも17歳の誕生日に落雷から授かった電気を操る力のおかげである。

右手に軽く力を込めると、バチバチと稲妻が走る。エレクトロは強大な力が自分のものであることに改めて実感すると、心が軽くなる。

 

 

「この家は”アタリ”だな。提供感謝するよ」

 

 

お菓子を頬張りながら、エレクトロは満足げな声で床に倒れる20代後半くらいの男女に感謝を示す。

しかし、床に倒れる男女は返事どころかピクリと反応すらしない。

 

それもそのはず……彼らはエレクトロによって殺されたからだ。

 

元々、この家は電技技師の夫婦が住まう家だったのだ。生後6ヶ月の赤ん坊もいる。

だが、食料を求めたエレクトロが朝支度をするこの家へ入ってきた。

当然、不審者極まりない彼に対し、旦那は追い出そうとしたが、エレクトロは指先からレーザーのような電撃で旦那の眉間を貫いて殺害。妻の方も悲鳴を上げる間もなく、同じく眉間を貫いて殺した。

 

邪魔者を消したと思ったエレクトロだったが、ベビーベッドで泣きわめく赤ん坊の声にうっとおしさを感じ、赤ん坊の柔らかい側頭部に手を当て、電流を流して感電死させた。

若い夫婦と小さな命の灯はあっという間に消されてしまったのだ。

以前のエレクトロ――(まさる)なら心を痛めるであろうが、今の力に酔いしれた彼は全く罪悪感を感じなかった。むしろ何故殺しては駄目なのか、庭の石ころの裏にいるダンゴムシを潰しても罪に問われないのに、人の命を取っては駄目だという道徳観が彼には全く理解できなかった。

邪魔だから殺した……ただそれだけである。

 

 

「水は飲めないが………電気があれば乾くこともないし、いいか。発電所のやつは中々良かった……」

 

 

そう言いながらエレクトロは恍惚とした表情を浮かべる。

エレクトロが発電所を襲った理由。それはエネルギーの補充と食事代わりのためである。

エレクトロは電気を操るとはいっても電気を生み出すことは出来ない。帯電体質なだけであり、蓄えられる電気も限りがある。

また、帯電体質なので水分を含むことは出来ないので、電気エネルギーを補充する必要があったのだ。

 

エレクトロは最初こそ自分の身体の仕組みは理解できなかった。ましてや電気人間だ、わかるわけがない。

自分を理解するために行ったこと。未知なるものの解明方法………それは実験である。

自分以外の物体に当てることで能力を開花させていったのだ。

最初は路上に転がっているゴミから自動車、コンクリートの壁、高層ビル……。果てには無機物発電所やこの家の住民までも自分の能力の実験台にしたのだ。

エレクトロにとっては最早、世間体など関係なく、気分の赴くままに人々を殺していった。

 

残虐な悪人と化したエレクトロには、最上(もがみ) (まさる)という心優しい少年の面影はどこにもなかった……。

 

 

《――先日から続く『エレクトロ』と名乗る人物による殺人事件で、容疑者の少年が通うT市の高校の理事長が本日正午、初めて記者会見を開きました》

 

「?」

 

 

自分の能力に酔いしれ、ありったけのお菓子で豪遊している中、観ていたテレビのニュース内容に耳が留まる。

自分が引き起こした事件のニュースはくさるほど聞いているが、旭高校の理事長が初めて記者会見をすると聞き、関心が向く。

テレビを観ると、白塗りの壁を背景にふくよかな体型の男性――旭高校の武田(たけだ)理事長が記者会見に臨んでいる姿があった。

エレクトロは遠目だが何度か見たことがあり、テロップがなくとも彼が自分の高校の理事長であることはすぐわかった。

 

武田理事長は手渡されたマイクを手に持つと、ピシッと背筋を整え、口を開く。

 

 

《……まずは、亡くなられた方々及びご遺族に心よりお詫び申し上げます》

 

 

そのひと言を告げたのち、武田理事長は深く頭を下げる。不正を犯した政治家がやるような決まり文句のようなものだ。

5秒後、頭を上げた武田理事長はマイクを口元に近づけると、衝撃的な言葉を告げる。

 

 

《また、保護者の方々につきましては、今回の事故によってご心配ご迷惑をお掛けしておりますところをお詫び申し上げます……。今回の事件を起こした我が校の生徒……少年Mは前々から『問題児』であり、周りの生徒に危害を加えるような狂暴な性格であったと、教師陣からの報告は度々耳にしていました………》

 

「……ッ、何?」

 

《彼自身はまだ子供です。ですが、置かれていた家庭環境が彼の性格に影響を与えたものだと判断しております。我々、教師陣が親身に接してあげれば、このような悲しい事件を起こすことはなかったと反省しております。不徳の致すところ、大変申し訳ございません》

 

 

そう言ってペコリと頭を下げる武田理事長の発言にエレクトロは耳を疑った。

――自分が前々から問題児で狂暴?取り巻く環境のせい?

自分のことをろくに知りもしないのにも関わらず、悲劇の被害者ぶっている武田理事長の対応に対して怒りを感じたエレクトロは電気を迸らせると、テレビや周りの家具や壁を破壊した。

 

シュー……とテレビから焼け焦げた匂いと煙が立ち込める中、鬼の如く怒りに震えるエレクトロはおもむろにタンスを開けると、ハンガーにかけてあった作業着と配線を取り出した。

作業着の上から配線を鎧のように纏うと、エレクトロは瞳を稲妻のように黄色く輝かせる。

 

 

「目にものを見せてやる………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、旭高校ではいつものように時が流れており、昼過ぎの4限目の授業が終わった頃だった。

終限のチャイムが鳴り、生徒たちは各々のしたいこと、やるべきことに取り掛かっており、廊下には雑談を交わす生徒たちが溢れ返っていた。

 

(まなぶ)の所属する1組の次の授業は理科の実験なので、1組の生徒たちは理科室へと移動し始めていた。

実験と聞くとグループで一緒に取り組み、レポートを出さないといけないので大半の生徒は陰鬱な時間である。

だが、科学大好きな(まなぶ)にとっては自分の趣味を伸び伸びと活かせるので、至福の時間であった。

実験の成績もクラスで1番であることから、いつも馬鹿にするクラスメイトもこの実験の時間だけは(まなぶ)救世主(メシア)と崇めており、彼と同じ班になることを毎回祈っている。

 

 

「や、マナブ君」

 

「ああ、一花(いちか)

 

 

(まなぶ)が理科室へ向かうクラスメイトたちの流れについていくように廊下を歩いていると、正面からやってきた一花(いちか)とバッタリ出会う。歩いてきた方向から考えるに、前の時間で実験を行っていたのは一花(いちか)のクラスだったようだ。

 

 

「昨日送った五月(いつき)ちゃんの生写真見てくれた?」

 

「あ~もうやめてくれよ。頼んでないのにあんな写真送られてきたらこっちが困る」

 

「あんな写真?あ、見たんだ!」

 

「え!?あ………違う!そうじゃなくって……ッ」

 

「はは~ん……。嫌々言いながらも本当は嬉しかったんでしょ?むっつりですな~~」

 

「~~~!」

 

 

いつもの彼女のからかいのペースに乗せられてしまった(まなぶ)は失言したと顔を赤くする。

いつもからかわれているのもあって少し苦手な部分はあるが、美人の部類なので話しかけられると自然と頬が緩んでしまう。

 

――自分も男か、と抑えようのない高揚感に(まなぶ)が少し恥じていると、一花(いちか)は制服の上着ポケットから白い布のようなものを取り出すと、それを(まなぶ)に差し出す。

その白い物体はマスクだった。鼻に当たる箇所に針金が入っており、マスク本体と同じ白色のゴムで作られた耳掛けが着いている、ドラックストアなどで手軽に買える代物だった。

 

 

「ねぇ?マスクを着けて喋ってみてよ。『僕はスパイダーマンだ』って」

 

「……?いきなり何で?」

 

「ほら、細かいこといいから……。お姉さんのお願い♪」

 

 

小悪魔的な笑みでウィンクする一花(いちか)(まなぶ)は「お姉さんといっても同学年だろ」と思いながらも、渋々マスクを口元に装着した。

口元を覆ったことで少し息苦しさを感じるが、顔全体を覆うスパイダーマンのマスクに比べればマシのほうだろう。

マスクは新品なのか薬品のような匂いがツンと鼻腔を刺激する。あまり好きではない匂いに(まなぶ)は眉をしかめながら鼻元の針金で鼻の形にフィットするように調整すると、口を開く。

 

 

「あー……僕はスパイダーマンだーー……」

 

 

納得がいかないまま言われた通りのセリフを少々やる気のない声音で発する(まなぶ)

いきなりマスクを手渡され、喋ってくれと言われても意図が読み取れない。それに彼女の新しい”からかい”なのかもしれないので、乗り気にはなれない。

これでいいだろ、と言わんばかりの視線を送ると、一花(いちか)は了承の意味を込めて頷く。

 

(まなぶ)はマスクを外すと、一花(いちか)へ返す。密閉されていた口元が外にさらされ、スーッとした空気の感触が心地よい。

その開放感にしばし喜んでいると、(まなぶ)の視線に一花(いちか)が顎に手を当てて何やら考え事をしているのが見えた。

 

 

「う~ん……やっぱりなーんか違うなー………」

 

「違うって何が?」

 

「いや、前にスパイダーマンに会ったんだけど、マナブ君の声に似てるって思っててねー……もしかしたら、スパイダーマンの正体はマナブ君説じゃないかってねぇ~」

 

「ッ!?」

 

 

彼女の予想に(まなぶ)はギクッと心臓が飛び跳ねた。

一花(いちか)とはスパイダーマンとしてはあまり会ったことがなく、記憶でも2回くらいしか思い当たらない。

マスクで声が籠っているからバレないだろうとタカを括っていたが、こうも裏目に出てしまうとは……。

ここで正体を明かすわけにはいかない(まなぶ)は飛び出す動揺を抑えると、平静を装う。

 

 

「ぼ、僕が……?ははっ、顔が似てる人が世界で3人いるって話があるから、声が似てる人もたくさんいる。それに、僕は彼のように空を飛び回れないよ……あははっ」

 

「……う~ん。そうだね~~」

 

 

苦笑しながら苦し紛れの言い訳をする(まなぶ)一花(いちか)の感の鋭さに額から変な汗が滝のように流れているのが肌で実感できた。

普段あまり考え込むような性格ではない一花(いちか)だが、長女とだけあって、周りの細かい変化に気付く感性を持っている。

(まなぶ)とスパイダーマンの声が同じなのではという疑問も、五つ子の長女という環境に置かれた故に感づいたのだろう。

提示された誤魔化しの理由に一花(いちか)は少し残念そうに声を鳴らす。

 

 

「寄って集まって何してんだ?デートの約束か?」

 

「あ、涼介」

 

 

そんな話をしていると、一花(いちか)の後ろから涼介がやってきた。

涼介も一花(いちか)と同じクラスであり、理科室からの帰りから2人が話している内容が気になったようだ。

 

 

「緑川君。実はさ――」

 

 

一花(いちか)は涼介に(まなぶ)がスパイダーマンと声が似ているのでスパイダーマンの正体ではないかという推論を話した。

こうして特に話を濁したりせず、気兼ねなく話せるのも一花(いちか)が社交性があるという理由もあるが、花火大会以降、涼介とは仲が良くなったからだ。同じクラスメイトで趣味(主に(まなぶ)へのからかい)が同じだった2人はすぐ意気投合し、雑談を交わす程度の仲になった。

一花(いちか)の話を全て聞いた涼介は――

 

 

「アッハッハッハ!」

 

 

腹を抱えて笑った。

それもそうだろう。自分の親友がお尋ね者の超人・スパイダーマンだという身も蓋もない根拠に。

よっぽどツボにはまったらしく、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに膝をパンパンと叩く始末だ。

 

ひとしきり笑った涼介は流石に笑い過ぎたと思い、笑いを抑え、乱れた息を整えると、一花(いちか)を見据える。

 

 

「ああ、すまん。いや、(まなぶ)がスパイダーマンだってのがおかしくってさ……。まあ、世界には何千何百もの人がいるから、似てる声もあるだろうよ。こいつがスパイダーマンじゃないってのは親友の俺が保証する」

 

「……そっかー………そうだよねー!」

 

 

涼介の自信満々の発言に一花(いちか)は笑顔で答える。口ぶりから、スパイダーマン=(まなぶ)説であることは今のところはきっぱりと諦めたようだ。

とりあえずは難を逃れた(まなぶ)はホッと胸を撫で下ろした。

 

予想外のトラブルに見舞われたもののひと通り解決した様子なので、(まなぶ)が立ち去ろうとしたときだった。

チカチカと天井の蛍光灯がチカチカと点滅し始めた。しかも、(まなぶ)の近くだけでなく、この学校全体の灯りそのものが異常な点滅を繰り返しているようだった。

 

 

「え、え?」

 

「停電か?」

 

 

不自然な点滅に周りの生徒や教師は不安を隠せずにいた。一花(いちか)と涼介も同じ反応を見せており、周囲をキョロキョロと見回していた。

 

皆が戸惑いを見せる中、(まなぶ)はただ1人、冷静でこの状況を見ていた。

これはただの停電ではなく、危険な存在によるものだということは何となく理解していた。スパイダーセンスは反応してはいないが、確実に。

それと同時に(まなぶ)はこれが誰の仕業であるかもわかった。

 

 

「(スパイダーマンになって、校舎を見て回ろう……)」

 

 

周りが困惑する中、人の目を盗んだ(まなぶ)はこっそりと男子トイレの方へ駆けて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、理事長室では武田理事長と校長が密な会話をしていた。

内容はエレクトロについての記者会見のことで、くたびれた武田理事長は椅子にどっぷり座りながら、机越しに立つ校長と会話を弾ませていた。

 

 

「理事長。すみません……うちの生徒がしでかしたまでに………」

 

「いやいや、構わないよ。これで我が校の評判は致命傷だけは免れた。私たちはただ、悲しい出来事だったと嘆く『被害者』の立場でいるのが最善の道なのだよ」

 

「ははぁ、恐れ入りました!起死回生の名案、見事でした!」

 

「うむ」

 

 

校長の過大なまでの持ち上げに武田理事長は悪い気分はしなかった。

武田理事長と校長は旭高校の評判が落ちることを恐れ、エレクトロ――(まさる)を切り捨てる道を選んだのだ。

世間からの大バッシングを受ければ、来年の受験生や進学にも響く……それだけは避けたいので、悲しい被害者であることを装った会見をした。

そこには罪悪感などなく、利益のためなら多少の犠牲は仕方がない――そういった考えである。

 

 

ドガァァンッ!

 

「「!?」」

 

 

武田理事長と校長がほくそ笑んでいると、突如理事長室の壁が吹っ飛んだ。

飛んでくる瓦礫と爆音に身を固めていると、ぽっかりと開いた壁穴からエレクトロが入ってきた。

彼を見るなり身の危険を感じた武田理事長と校長は青ざめる。

怯える彼らのことなどお構いなしにエレクトロは言葉をかける。

 

 

「お久しぶりですね、理事長先生に校長先生。まあ、俺のことなんてろくに覚えていないでしょうけど……」

 

「な、何の要件かね……?」

 

「簡単なことですよ、理事長。記者会見で言ったことを取り消して欲しい。俺が『手に負えないほどの問題児』であることをね。虚偽の報告をしたことを全ての人たちに謝るんですよ」

 

「か、簡単に言うがもうすでにやっ――」

 

 

幾分か余裕を取り戻したのか武田理事長は強気な姿勢で異を唱えるが、彼の頬を一筋の光が掠める。エレクトロが指先から放った電撃だ。

頬は僅かな痛みと共に縦一直線の切り傷が出来ると、赤い血が滲む。顔をしかめるエレクトロは「次は眉間に当ててやる」と指先を眉間の位置に合わせて脅す。

恐怖に支配された武田理事長は目が点になると、先程の威勢などかなぐり捨てて土下座をする。

 

 

「す、すまない!悪かったと思っている!私はこの学校を守る義務があって、君を悪人扱いするしかなかったんだ!!」

 

「学校を守る義務……?はっ、そうやって綺麗ごとを並べているが、お前もおふくろや親父のように世間体ばかりを気にする劣悪な人種だってことか!そんな言い訳で許されると思ったら大間違いだ!!」

 

 

そう吐き捨てたエレクトロは校長を電撃で壁に叩きつけると、ヅカヅカとした怒りのこもった足取りで武田理事長に近寄る。

そして、彼の首を片手でギリギリと締めあげる。

 

 

「がッ!?あぁぁぁ………ッ!」

 

「どうだ?苦しいか?これが俺の味わった痛み、苦しみ、悲しみだ……ッ!一思いには殺らん………じわじわとなぶり殺してやるッ!」

 

「が―――!?」

 

 

首の圧迫感に目を白黒させる武田理事長。苦しげに口をパクパクさせ、解いてもらおうと両手で必死にエレクトロの腕を叩くが、エレクトロは全く拘束を解く気はなく、むしろ手に込める力を強めた。

全く息が出来ない武田理事長は顔に血が溜まっていき、目も白目になりかけていた。そのとき――

 

 

ガンッ!

 

「ぬッ!?」

 

 

妨害するようにエレクトロの後頭部に瓦礫が投げつけられた。

気をとられたエレクトロは武田理事長を乱雑に床へ投げ捨てると、自分を邪魔した奴を見てやろうと忌々しげに振り向く。

振り向いた先にいたのは、スパイダーマンだった。彼の姿を目にした瞬間、眉をしかめたエレクトロは顔を星型の電気マスクで覆う。

 

 

「……スパイダーマン。また邪魔しに来たのか?」

 

「マックス、もう止めるんだ。これ以上、みんなを傷つけてどうなる?君は君自身を見失っている」

 

「マックスと呼ぶな……。この力さえあれば、何だって出来る!法や社会に縛られない、文字通り”自由”に生きられるんだ!あんな惨めな生活に戻る気などないッ!」

 

「お願いだマックス。出来れば、君と戦いたくない………警察に投降してくれ」

 

「うるさいッ!!!」

 

 

説得を試みるスパイダーマンだが、逆上したエレクトロの掌から電撃を放たれる。

迫りくる電撃を跳躍して避けたスパイダーマンは理事長の机の上に乗ると、エレクトロを見据える。

力に酔いしれ、暴走を続けているエレクトロには説得など全く意味をなさなかった。彼はスパイダーマン――(まなぶ)がよく知る最上(もがみ) (まさる)の面影は影も形もなかった。

 

――戦うしかない。友達と戦いたくはなかったが、これ以上犠牲者を出すわけにはいかないので、胸にしかと覚悟を決める。

 

 

「……ヒーローだとは思ってたが、所詮お前も同じか……。俺の自由を奪う奴は、全て消し去ってやるッ!!!」

 

 

忌々しげに叫んだエレクトロは電撃を地面に叩きつけると、強力な磁場の嵐を発生させる。

咄嗟にスパイダーマンは武田理事長と校長をウェブで捕らえると、そのまま壁の穴から外へと飛び出す。

吹き荒れる磁場は校舎全体に響き渡り、校舎中の窓ガラスを全て破壊した。

砕け散ったガラスの雨が校舎にいる生徒たちの悲鳴と共に外へと降り注ぐ。

 

スパイダーマンは武田理事長と校長を逃がすと、エレクトロに向かって走っていく。

応戦するエレクトロの電撃を避けながら、接近を試みる。

だが――

 

 

「ははッ!どうしたスパイディ?ダンスの練習か?よりパワーアップした俺の動きについていくのに精一杯のようだな!」

 

「(――速いッ!前よりも格段に!これじゃ近付けない……!)」

 

 

次々と放たれる電撃の雨に中々前進出来ていなかった。

エレクトロの放つ電撃は以前よりも威力も速さも増しており、避けるのに精一杯で近付こうにも近付けなかった。

黄色の膨大な電撃はアスファルトの地面を抉っていく。

 

 

ピシュッ!

 

 

横転して避けたスパイダーマンは即座に自分よりも遥かに高い校舎の壁にウェブを放ってエレクトロの後ろに回る。

校舎の壁に引っ付いたスパイダーマンは壁を蹴って、飛びつこうとするが――

 

 

フッ

 

「のあッ!?」

 

 

当たる直前でエレクトロは一瞬の輝きを放つと、瞬間移動の如く姿を眩ました。

標的を失い、虚空を掠めたスパイダーマンはその勢いのまま地面に衝突。ズザザ……と地面に体を擦りながらスライディングしていく。

すぐさま起き上がって向き直すスパイダーマンを上空に浮かぶエレクトロは不敵な笑みを浮かべながら見下ろす。

 

 

「悪い悪い、俺が速すぎたようだな……。なら、こっちから近付いてあげよう」

 

「ッ!?」

 

 

そう告げた瞬間、またもやエレクトロの姿が消えた。

スパイダーマンがどこに消えたのかと辺り一面を見渡していた矢先――

 

 

「ごあッ!?」

 

 

腹部に鈍い痛みが伝わってくる。

驚きながらスパイダーマンは痛みに歪む目でそちらへ視線を送ると、エレクトロの拳が深々と打ち込められていた。

膝から崩れ落ちそうなスパイダーマンの腕をエレクトロは休むのは許さないとばかりに掴む。

 

 

「まだまだ眠るのは早いぞぉ?パーティーはこれからだ!」

 

 

背筋を凍るほどの笑みでそう言ったエレクトロは掴んだ腕を思いっきり振り上げ、スパイダーマンを真上へ投げ飛ばす。

宙で無防備となったスパイダーマンに素早く追いつくと、拳や蹴りの応酬で攻め立てる。

スパイダーマンも何とか防ごうとするも素早い動きに対応できず、一方的に攻められていった。

 

 

「……アァアアァァァーーーーーッ!!!」

 

「うぁあぁぁーーーーッ!?」

 

 

スパイダーマンの顎を蹴り上げたエレクトロは両掌でこねるように電気エネルギーを練り上げると、駄目押しとばかりに膨大な電撃を放った。

胸元に直撃したスパイダーマンは絶叫を上げる。電撃はスパイダーマンを大きく吹き飛ばし、校舎の壁を突き破って、理科室の壁へと叩きつけた。

 

 

「きゃあぁぁーーーーッ!!」

 

「ぅう……ぐぅう………ッ」

 

 

理科室にいた生徒たちから悲鳴と驚愕の声が上がる中、スパイダーマンは痛む体に鞭打って立ち上がる。

胸元に手を当てると、スーツの胸元が黒い煙と共に焼け落ち、火傷した素肌が露出していた。特徴の蜘蛛のシンボルも綺麗さっぱり無くなっていた。

頭を強く打ち付けて目まいがするものの、まだ戦えはする。

 

だが、電撃をもろに浴びたせいで体が痺れており、手足がピクピクと震えていて言うことを聞かない。

スパイダーマンの身体は頑丈で、高圧電流を浴びても耐えられるが、痺れはする。耐久力はあるが、電気そのものが効かないというわけではないのだ。

スパイダーマンはこんなことになるのだったらスーツを絶縁素材にしておくべきだった、とマスクの下で後悔した。

 

そんな一筋の後悔を抱いていると、宙に浮かぶエレクトロが突き破った壁の穴から理科室へと降り立った。

荒い息をしてフラフラとしながらも身構えるスパイダーマンをエレクトロは鼻で笑う。

 

 

「もう限界か?」

 

「……まだだッ!」

 

 

投げられた挑発にスパイダーマンは強い口調で言い返すと、両腕を交差させてウェブをエレクトロの両端にある黒机に引っ付ける。

そのまま両腕を力いっぱい真横に広げると、引っ張られた黒机は勢いよくエレクトロを挟むように衝突する。

 

 

「かッ!?」

 

 

油断して不意を突かれたエレクトロは怯む。

その隙にスパイダーマンは近くに落ちていたゴム製グローブ1組をはめた。

ゴムは絶縁素材であり、電気を通さない……つまり、電気人間のエレクトロに触れられるということだ。

 

これ幸運と思いながら走って勢いをつけると、そのままエレクトロに掴みかかる。

掴み合った2人はゴロゴロと床を転がっていき、理科室から廊下へと飛び出ていく。

スパイダーマンは上に乗っかるエレクトロの腹部を蹴り上げる。エレクトロは苦悶の表情を浮かべながら横へ倒れる。

 

スパイダーマンはエレクトロを片手で掴むと、そのまま壁の穴から外へ飛び出す。

重力に従って落ちていく途中で校賞が掲げてある高さ20mほどのポールにウェブを引っ付ける。

ポールの周りをグルリと一周して遠心力をつけると、エレクトロを投げ飛ばす。

 

 

「ごあッ!?」

 

ガッシャーーンッ!!

 

 

真っ直ぐ投げ飛ばされたエレクトロは校舎の壁に顔を打ち付けると、駐車場へと落ちていく。

真下にあった職員の誰かの自動車へ墜落。ルーフのへこむ音とガラスの破砕音の後、クラクション音が鳴り響く。

エレクトロが倒れている近くに遅れてスパイダーマンも駐車場へ着地する。スパイダーマンはゆっくりとした足取りで恐る恐る近付く。

 

 

「マックス………もう止めよう。これ以上戦っても無意味だ……」

 

「――ガアッ!!」

 

 

スパイダーマンは再び説得に応じるが、エレクトロは起き上がり様に「そんなの知るか」と口から電撃を放つ。

迫りくる電撃をバク宙して避けたスパイダーマン。

だが、攻撃を受けていないのにも関わらず、マスクの下は悲痛な表情だった。

暴走する友達に説得を試みるも攻撃されるばかり……。エレクトロが正気に戻る確率が絶望的になったことにスパイダーマンは悲しんだ。

 

 

「ハァアァァァァ………!!!」

 

バチバチバチッ!

 

 

自動車のルーフから降りたエレクトロは力を込めると、体内の電気エネルギーを全開する。

曇り空を照らすほどの輝きを放つと、周囲の自動車に向けて電撃を迸らせる。

すると、駐車場に停まっていた数十台もの自動車が、けたたましいクラクション音と共に宙に浮かび上がった。

 

 

「嘘だろ……?」

 

「ヒィヤァァッ!!」

 

 

目の前の光景にスパイダーマンが呆気にとられる間もなく、エレクトロが両腕を振り下ろすと、自動車の大群が両側から挟み込むように襲いかかる。

血の気が引いたスパイダーマンはウェブを自動車とそのまた別の自動車に引っ付けると、押し潰されないように体を捻りながらその間を潜る。

 

 

「ヌアァッ!!」

 

「ぎッ!?」

 

 

自動車のゲートを潜ったスパイダーマンはきりもみ回転を加えた両足蹴りをエレクトロの胸元に炸裂。

エレクトロは息が止まるような声を上げると、後ろにある駐車場の柵へ吹っ飛ぶ。

着地したスパイダーマンの背後からはガシャンガシャン、と自動車同士が衝突する音が聞こえる。

 

スパイダーマンが身構えていると、エレクトロは痛みに顔を歪めながらも立ち上がる。

後頭部を打ち付けたのか片手で後頭部を擦っている。

エレクトロは己を奮い立たせるためなのか鼻で笑うと、不敵な笑みをスパイダーマンに向ける。

 

 

「流石はスパイダーマン……と、言いたいところだが、俺のパワーはまだまだこんなもんじゃないぞ?」

 

「よそう。お互い傷付けあっても何もならない……」

 

「しつこいぞ!この俺が決めたことだッ!どいつもこいつもアレは駄目、コレは駄目と言いやがって……!『男の子なら泣いちゃ駄目』やら、『勉強しろ』やら『早く寝ろ』やら……もうたくさんだッ!!国が決めたやら親が決めたからなんて……もう信じないッ!誰もいない……”俺だけの世界”を造り上げてやる!!!」

 

 

宙に浮いたエレクトロは怒りのまま叫ぶと、電撃を迸らせる。その輝きは怒りもあって、先程よりも眩しい。

スパイダーマンとしてはこれ以上戦いたくないのだが、彼を睨めつけるエレクトロの眼差しにはまだまだ戦える気力が残っていた。スパイダーマンへの憎しみがエレクトロの身体を突き動かしているのだ。

 

――これ以上長引くと、マズイ。力を漲らせていくエレクトロを見たスパイダーマンはそう危機を察した。

発電所の電力を手に入れたエレクトロの力は底知れず、減るどころか増していくばかりだ。改心することばかりを考えて戦っていれば、周りどころか自分が殺されてしまう。

 

何としても短期決着をつけねば――!スパイダーマンは何か対抗手段はないかと辺りを見渡す。

近くにプールでもあればいいが、周囲には焼け焦げた匂いと抉れたアスファルトの破片。ぐちゃぐちゃに押し潰された自動車の残骸しかなかった。

一応、旭高校にプールはあるが、今いる駐車場からプールまでには距離がある。行くぶんには問題ないが、連れていくには時間がかかることに加え、自分の弱点を知っているであろうエレクトロが正直についていくとは思えない。

 

どうしようかと焦るスパイダーマンは必死に頭を張り巡らせて考える。電気の水以外の弱点は、と……。

そんなことを考えながら、先程からずっとはめていたゴム製手袋をふと見たときだった。

一筋の光明がスパイダーマンの脳裏に走る。

 

 

「ッ!」

 

 

何かを閃いたスパイダーマンは後ろにある自動車の残骸の山を見る。

最早スクラップとなった自動車には粉々になったガラス片やしぼんだエアバック、そして自動車から外れたタイヤが虚しそうに横たわっていた。

 

 

「ッ、これだ!」

 

 

まさに天啓。対抗策が思いついたスパイダーマンは迫りくる電撃を跳躍して避けると、ウェブをタイヤに引っ付け、宙に浮かぶエレクトロへ投げつける。

 

 

「ふんッ!!」

 

 

くだらないとばかりに鼻を鳴らしたエレクトロは飛んできたタイヤに電撃を浴びせる。

タイヤは高圧電流の熱でドロドロに溶けると、地上へ落ちていく。

間髪入れず、スパイダーマンはタイヤを投げ続ける。その度に電撃を浴びてドロドロに溶けたタイヤが次々と落ちる。

意図が読めない攻撃にエレクトロは次第に苛立つを募らせていく。

 

 

「お前!何をしたいんだ―――」

 

ピシュッ!ピシュッ!

 

「――ヌアァッ!!」

 

「うぁあッ!?」

 

 

エレクトロが遂にしびれを切らして吠えた瞬間だった。

集中力が切れたエレクトロの足元にスパイダーマンの両手首から発射されたウェブが引っ付く。

スパイダーマンは両手にゴム製手首をはめているので、交差点のときのように感電することはない……。

スパイダーマンは思いっきり腕を振り下ろし、エレクトロをアスファルトの地面へ叩きつける。

 

常人なら参るであろうが、超人のエレクトロにとっては大したダメージではない。

エレクトロはすぐさま起き上がろうとするが……

 

 

「……ぐッ!?う、動けないィィ!!」

 

 

ヌチョッとした感触の物体が背面に纏わりつき、身動きが取れなかった。

その物体の正体はエレクトロが先程まで溶かしていたタイヤの海だ。高圧電流の熱で溶かされたタイヤはとりもちのように柔らかく、そしてすぐに冷え固まり、エレクトロの動きを封じていた。

タイヤは絶縁素材なので電気を通さない……これこそがスパイダーマンの狙いだった。

 

 

「くッ!うぅう……!」

 

バチ…バチ……!

 

 

絶縁素材の海に囚われたエレクトロは脱出しようと電撃を迸らせようとするが、中々思うように電気が出ない。

その隙にスパイダーマンは大量のタイヤを雨のようにエレクトロに浴びせた。

エレクトロの迸る電撃の熱がタイヤを溶かし、一塊の絶縁素材の山へとなっていった。

 

スパイダーマンは絶縁素材の山に埋まっているエレクトロに駆け寄る。

幸いにも顔だけは埋もれておらず、窒息は免れたが……

 

 

「うぅあぁぁーーーッ!!くそッ!溶けろ!溶けろよォォーーーーーーッ!!!」

 

「……」

 

 

未だ諦めきれないエレクトロは叫んでいた。電撃を迸らせて溶かそうとするが、電気を通さない素材なので無駄だった。

変わり果てた友人のあがく姿にスパイダーマンは何も言えず、ただ罪悪感と悲しみで胸が締め付けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、駆け付けた警察と消防隊によってエレクトロは逮捕された。

エレクトロを護送しようとも絶縁素材の山でガッチリ固められているので、そのまま運ぶ手筈となった。

 

 

「スパイダーマンッ!覚えていろ!俺の自由を奪ったことを後悔させてやる!!必ず戻ってきてやるーーッ!!!」

 

 

護送車に運ばれる最中、エレクトロは校内全体に響き渡る声で呪詛を唱える。

周囲の人間が怯え、呆れる中、その様子を屋上から(まなぶ)はマスクを脱いで見ていた。

 

相手は友人であり、出来れば警察に引き渡したくはなかった。

しかし、ヒーローとしての責任がそれを許せなかった。エレクトロは既に何十人もの人間を()()()殺害しており、このまま放置しておくと罪のない人まで巻き込まれてしまう。

それだけは避けたかったので、彼は天海(あまかい) (まなぶ)としての『友情』よりも、スパイダーマンとしての『責任』を優先した。

 

その結果、”マックス”という1人の友人を失うことになった。

友人だった人間に恨みを持たれた(まなぶ)の心は決して清々しいものではなく、暗く深い闇に覆われていた。

 

 

「許してくれ、マックス……」

 

 

たった一言。誰にも聞こえない謝罪をすると、(まなぶ)は涙を堪える顔をマスクで隠し、人知れずどこかへと飛んでいった……。

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
神保(じんぼ)交差点
 「映画 五等分の花嫁」(2022)にてメガホンを取った、神保(じんぼ) 昌登(まさと)監督から。

②交差させた両腕からウェブを放ち、机をぶつける
 サム・ライミ版「スパイダーマン2」(2004)で、スパイダーマンがドクター・オクトパスと銀行で戦った際、路上へ吹き飛ばした攻撃と同じ。

③自動車を浮かせるエレクトロ
 PS4にて発売されたゲーム「Marvel's Spider-Man」(2018)にて、エレクトロが電撃でコンテナを操り、スパイダーマンを攻撃するシーンのオマージュ。

④ドロドロに溶けたタイヤに囚われるエレクトロ
 アニメ「スペクタキュラー・スパイダーマン」(2008)の第16話で、スパイダーマンは似たような方法でエレクトロを倒した。



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Ⅲ The Legend of conclusion
#14 迫る林間学校


T市3番地区。都市開発が進むT市の中でも、比較的古い建物が並ぶ静かな地区。

古い建物には歴史的建造物が多く、特に明治初期に造られた赤レンガ造りの建物は当時の技術や歴史を知れる数少ない史料として、『建造物保存協会』が強く保持することを進めている。都市開発のために解体しようとする市役所とは意見の食い違いで揉めているのは日常茶飯事である。

 

そんな歴史が多く遺る街の一角の裏にある八丈目のラボ。

ここも赤レンガの建物であり、元々はワイン貯蔵庫だったものを八丈目が”500万円”で買い取って、外装はそのままに、内装を科学実験用の研究所へ改築している。

口うるさく反対するであろう建造物保存協会も流石に世界的な大科学者である八丈目には口出し出来ず、住まうことを許した。

 

貴重な赤レンガのラボの中では、白衣を着た(まなぶ)が今日も八丈目の研究の手伝いへとやってきていた。

ラボのワイヤーやコードが八丈目の腰に装着されている銀色のコルセットに繋がれていた。

八丈目の背後に鎮座する幾重ものワイヤーやコードが触手のようにも見えることから、(まなぶ)には八丈目がSF映画のエイリアンか何かに見えた。

 

 

(まなぶ)。始めてくれ」

 

「はい」

 

 

八丈目のGOサインを受けた(まなぶ)は壁に設置してあるレバーを降ろす。

電源から流れる電流は、八丈目のコルセットから伸びるワイヤーやコードを経由し、彼の近くにある人の手の形をしたロボットアームへ流れる。

 

起動装置の電流を受けたロボットアームは上下に動かす八丈目の腕の動きに連動して動く。

原理としては、装着者の脳波を受けたロボットアームが装着者の意思に応じて動くというものである。そういった科学技術は今現在あるが、八丈目はそれ以上、装着者自らの手足のように動くようにするための研究を進めているのだ。

 

ロボットアームの感触が良好であると確認した八丈目は、ロボットアームをテーブルの方へ伸ばす。

黒テーブルに置いているボールペンを手に取ってペン先を出すと、敷かれてあったA4サイズの白紙にボールペンを動かす。

 

『あいうえお』から始まるひらがなを順に書いていく。

ロボットアームと聞いて文字がぎこちないとは思うのが大半だろうが、八丈目のものは別物で、ロボットアームとは思えない精密さと速さで書いている。しかも、八丈目の筆跡を忠実に再現している。

八丈目の技術力に(まなぶ)は目を見張らせている頃には、ロボットアームは既に『さ行』を書き終えていた。

 

そして、『た行』を書き始めようとしたときだった。

突然ロボットアームがペン先を紙の上に置いたまま、ピタリと停止してしまった。

八丈目は意識を集中させて手を動かすが、ロボットアームはビクともしない。2人が困惑している間もなく、ロボットアームはプシューと煙を出した。

それを目にした八丈目は肩を落とす。

 

 

「また失敗か……。アームが伝送する脳波の処理に耐えきれず、ショートしてしまったんだな」

 

「でも、この前よりかは動きが良かったですよ」

 

「ああ……だが、核融合はデリケートなものだ。より精密に、より高度な処理が要求される。下手すれば大事故になりかねないものだからな」

 

「博士ならきっと出来ますよ」

 

 

腰のコルセットを外しながら失意の思いを吐露する八丈目を(まなぶ)は励ます。

(まなぶ)が助手に来てからの研究は捗っており、掌を握ったり開いたりといった単純な動作しか出来なかった最初期の頃とは段違いに上がっている。

 

だが、この研究の最終目標は核融合反応から新しいクリーンエネルギーを作り出すことである。

そのためには人間の手足のように動くロボットアームが必要不可欠であり、遠所から触れて制御することが何より重要。

なので、より高性能なロボットアームを作ることが八丈目の目標であり、現段階のロボットアームでは満足出来ないのである。

 

 

「お二人さん。科学の話で盛り上がるのもいいけど、ちょっと休まない?」

 

美代(みよ)

 

 

(まなぶ)と八丈目が今後の課題点を洗い出していると、奥からにこやかに笑う40代くらいの女性がコーヒーが入ったマグカップを手に持って歩いてくる。八丈目の妻・美代(みよ)である。

ロングヘアーがよく似合う女性で、彼女もまた科学者であり、八丈目の助手も務めているのだ。

 

 

「はい。コーヒーでも飲んでリフレッシュして」

 

「すまない」

 

「ありがとうございます」

 

 

美代からマグカップを受け取った八丈目と(まなぶ)は中に入っているコーヒーを一口飲む。

喉を通るほろ苦い味が渇いていた喉を潤し、溜まっていた疲労も吹っ飛ばした。

八丈目は満足そうに息を吐くが、コーヒーの味に慣れていない(まなぶ)は渋い顔を浮かべる。

そんな彼の顔を見て、美代はあっと口を開く。

 

 

「あら!やだ、ごめんなさい……。砂糖入れれば良かったわね」

 

「いえ、大丈夫です。最近、ブラックコーヒーに挑戦しているんですけど、砂糖なしじゃきつくって……」

 

「なぁに、じきに慣れるさ。実験と同じで、根気強く繰り返しやっていけば確実に」

 

 

自信なさそうに顔を俯かせる(まなぶ)の頭を八丈目は優しくポンポンと叩く。

子を慰める父親―――父親がいない(まなぶ)にはあまり湧くことがない感情だが、不思議と心の中でそう思った。湧き上がる嬉しさに(まなぶ)の頬は自然と緩んだ。

 

 

「あら、もうこんな時間。天海(あまかい)君、そろそろ帰った方がいいんじゃない?」

 

 

そんな話をしていると、美代がある箇所を見上げながら帰宅を促す。

(まなぶ)は彼女の視線を追った先にある時計を見ると、時刻は19時40分を指していた。外もすっかり暗くなっており、高校生ならアルバイトをしている者以外はとっくに帰宅している時間帯だ。

あまり遅くなると、叔母の(みこと)が心配する。

 

 

「すみません、お先に失礼します」

 

「ああ、気をつけて。今週のギャラもちゃんと振り込んでおくよ」

 

「また来てね」

 

「はい、失礼します」

 

 

和やかな雰囲気で見送る八丈目と美代にお辞儀すると、(まなぶ)はラボを後にする。

 

ラボを出た(まなぶ)は隣接している駐車場兼駐輪場に足を運び、停めていた白いスクーターを柵から引っ張り出す。

スクーターに乗ってヘルメットを被り、エンジンをかけると、叔母の待つ自宅へと走らせていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまー」

 

「おかえりなさい」

 

 

約20分後。

自宅に着いた(まなぶ)が玄関先から声をかけると、(みこと)が温かく出迎える。リビングから香ばしい匂いが漂っている。腹を空かせている(まなぶ)にとっては効果覿(てき)面で、ぐぅ…と空腹の音が鳴り、口内から甘い唾液が分泌される。

 

 

「丁度、夕飯出来たから。手を洗ったら一緒に食べましょう?今夜はハヤシライスよ」

 

「わかったよ」

 

 

(みこと)の言いつけを微笑んで了承した(まなぶ)は洗面所へ向かう。

手に洗剤をつけて擦りながら(まなぶ)(みこと)の愛情に感謝していた。

『丁度、夕飯が出来た』と言っていたが、それが嘘だということは長年暮らしている(まなぶ)にはわかっていた。20時くらいならとっくに作って1人で食べ終えている時間だが、(みこと)はあえてしなかったのだ。

 

甥を1人っきりで食べさせたくない……両親がいない彼をこれ以上孤独にさせたくないという親心が起こしたことだった。

なので、(まなぶ)が帰ってくるまで夕食を食べなかったのである。

 

 

「……今度、美味しいピザでも頼もうかな」

 

 

見えない叔母の愛情に胸が熱くなった(まなぶ)は、(みこと)へのお礼を考えながら、洗剤がついた手を洗い流した。

タオルで濡れた手を拭いた後、リビングで待つ(みこと)と夕食のハヤシライスに手をつけた。

香ばしいルーと具材の噛み応えと厚さに(まなぶ)は「相変わらず美味しい」と感嘆しながら、スプーンに掬ったハヤシライスを次から次へと口へ運ぶ。

 

 

「そういえば、明々後日から林間学校ね」

 

「あー……そうだった。すっかり忘れてた」

 

 

(まなぶ)がハヤシライスの美味しさに舌鼓を打っていると、(みこと)が思い出しかのように口を開いた。(みこと)の発言に(まなぶ)も思い出した。

そう、(まなぶ)が通う旭高校は今週の水曜日から金曜日にかけて、学校行事の1つである、2泊3日の林間学校に行くことになっているのだ。

 

アウトドアではない(まなぶ)はあまり乗り気ではなかったが、参加しないと、もれなく教師の監視のもと、5時間の自習があるので参加せざるを得なかった。

希望者のみでの参加とは言ってはいるが、どっちみち学校で自習するのは皆避けたいので、強制参加と何も変わらなかった。

 

 

「だったら、必要なもの準備をしないと……。物置にしまっているバック使えるかしら?」

 

「いいよ、準備くらい。僕、もう17歳だし」

 

「そう?でも、家にあるの古着ばかりだから嫌でしょ?服は新しく買うから、私に準備させてちょうだい……いい?」

 

「うん」

 

 

(みこと)の提案に了承する(まなぶ)。身なりなどあまり気にしない彼だが、旅行先でからかわれるのは正直嫌である。特に昂輝には。

着ていく服に関しては、自分よりファッションセンスがある(みこと)に任せることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日の学校の放課後。エレクトロの襲撃があったにも関わらず、すぐに通常運営が出来るのは校舎が思ったよりも損傷が酷くないからである。

授業が終わったので(まなぶ)はそそくさと教材をリュックに詰めた。

 

 

「よお!天海(あまかい)!」

 

 

席を立ち、いつものように勉強会を行っている図書室へ行こうとしたとき、後ろからいじわるそうな声をかけられる。

振り向くと、そこにいたのは(まなぶ)のいじめっ子である(まこと) 昂輝だった。両隣には取り巻きが彼と同じようにニタニタといじわるそうな笑みを浮かべている。

 

――またからかいにきたのか。

表情からして昂輝が何をするのかは一目瞭然だった。

正直、今すぐ逃げたいが、後々執拗に絡まれるのも面倒なので、昂輝の話を聞くことにした。

 

 

「……昂輝。何の用?」

 

「2日目のパートナーは決まったのかよ?」

 

「?いや……まだだけど」

 

「そうかそうか」

 

 

何のことか思い当たる伏がない(まなぶ)がそう答えると、それを聞いて安心とクスクスと忍び笑いをする昂輝と取り巻き。

その反応に(まなぶ)は疑問で眉間にしわを寄せていると、ひとしきり笑った昂輝が言う。

 

 

「2日目のキャンプファイヤー……男女のペアでダンスするんだけどよォ、弱虫天海(あまかい)にいるわけないよな!ハハハーーーッ!!」

 

「(2日目のダンス?そういや、そんなのあったな)」

 

 

ゲラゲラと馬鹿にしながら笑う昂輝の話にまたもや忘れていた(まなぶ)は思い出した。

いつも皆にハブられて惨めな思いばかりしている学校行事には関心がなかった。1年生の体育大会でリレーでビリになったときの周りの視線など思い出したくもない。

思い出した(まなぶ)だったが、昂輝の態度に腹が立ってムッとしかめると、彼に訊き返す。

 

 

「そういうお前こそ、誘う相手いるのか?」

 

「ああ、もう誘う相手は決めてある……」

 

 

自信満々の表情で返す昂輝に驚く(まなぶ)

ガキ大将の昂輝のことだから誘う相手は皆、先約がいるだろうと思っていたからだ。

予想外の返答に驚きつつも相手が気になる(まなぶ)は昂輝の口から出る名前を待った。

 

そして、数秒後、飛び出たのは――

 

 

「驚くなよ?中野 一花(いちか)さんだ!」

 

「……え?ああ………(五月(いつき)じゃなくて良かった……)」

 

 

と、馴染みがある人物の名前だった。

少し期待していたが、拍子抜けた(まなぶ)は、誘われたのが五月(いつき)じゃない安心感も含めて、から返事で返す。

そんな(まなぶ)の反応をよそに、昂輝は興奮気味に話す。

 

 

「これから誘いに行くところなんだ!ちょー美人だから緊張するけど、きっとOK貰えるぜ!なんせ、俺様だからなッ!!」

 

「ああ、そう。頑張ってね……」

 

 

――まだOK貰ったわけじゃないけど。既に勝ち誇ったように話す昂輝に対して、口からそんな台詞が飛び出そうになるが堪え、苦笑しながら一応応援を送ることにした。

 

 

「んじゃ!行ってくるぜーーッ!!ガハハハーーーーッ!!!」

 

 

(まなぶ)に勝ったと思ったのか、上機嫌になった昂輝は馬鹿そうな笑い声をあげながら、取り巻きと一緒に一花(いちか)のいるクラスへと走っていった。

絶対にOK貰えないだろうな、と心中に思いながら、(まなぶ)が教室を出ると、親友の涼介が廊下の壁によっかかって待っていた。

壁から背を離した涼介は(まなぶ)と一緒に図書室の方へ歩きながら話す。

 

 

「話聞いたぞ。まだペアを見つけてないんだって?」

 

「そうだけど……どうしてそんなに必死なの?」

 

「どうしてってそりゃあ、アレだろ。林間学校のキャンプファイヤーのダンスで一緒に踊った男女は”生涯結ばれる”って伝説があるからだ。恋に飢えている奴は、みんなやろうやろうって必死になってる」

 

 

高みの見物の如く語る涼介の話に(まなぶ)は興味が湧いた。

生涯想い人と結ばれる―――単なるおとぎ話にしか過ぎないであろう。現に涼介は馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに笑い飛ばしていた。

 

だが、人は誰でも信憑性がなくても安心感から信じたいと思ってしまう生物だ。

占いや正月元旦のおみくじがいい例で、今日のラッキーアイテムとか運性に書かれている通りの行動をしても、必ず良いことが起こるとは限らない。

けれど、人は嘘か真か関係なく、行動は起こしたがる。科学が発展した現在でも占いやおみくじがあるのはそれが証拠である。

それに、もし伝説通りに憧れの五月(いつき)と恋仲になれれば……。考えるだけで妄想が膨らむ。

 

 

「涼介。そっちの相手は決まった?」

 

「ああ、一花(いちか)さんだ。誘ってくる奴が多くて困ってるからペアになってくれって言われてさ……。伝説には興味はないが、一応学校行事だ。貴重な学生生活だし、思い出は作っておきたいからな」

 

「へ~」

 

 

涼介の話に(まなぶ)は相槌を打つ。

一花(いちか)は学校中の男子から人気が高く、他のクラスの男子から話しかけられたり、告白されている風景をよく目にする。

彼女自身も表には出さないが困っており、ナンパよけのために異性の友人の中でも親しい涼介とペアを組んだのだろうと容易に想像できた。

 

しかし、ここで決定的にわかったことがある。

それは、昂輝が一花(いちか)とペアを組むことはないということだ。

あれだけ張り切っていたのに相手には既にペアがいると知ったらどう思うだろう……。(まなぶ)は空振りする昂輝を心で哀れむ半分、ざまあみろと嘲笑った。

 

 

「憧れの五月(いつき)さんは誘わないのか?」

 

「よせよ。まだ考え中……」

 

 

涼介の問いに苦笑して濁す(まなぶ)。ニタニタとした笑みを浮かべていることから、からかいモードに入っていることはすぐわかった。

ここで「誘うつもりだ」と答えても、からかわれて恥をかくだけなので、適当に答えたわけだ。

 

 

「ふ~ん、そうか……」

 

 

だが、(まなぶ)の予想とは裏腹に、涼介は顎に手を当てて頷いていた。

普通に興味本意で聞いただけであり、ニタニタとしていた顔も素の表情へと変わっていた。

ちゃんと答えるべきだったのかと(まなぶ)が思っていると、いつの間にか図書室の前へとついていた。

勉強会に参加しない涼介とはここでお別れとなる。

 

 

「じゃ、また明日な」

 

「ああ。また明日」

 

 

涼介と(まなぶ)が別れの挨拶を互いに交わし、各々が行くべき場所へと足を運ぼうとしたときだった。

あっと声をあげた涼介は振り向き――

 

 

(まなぶ)。あの()もそうとう可愛いし、早めに動かなきゃ誰かにとられてしまうぞ?ガッツだよ、ガッツ」

 

 

と、ウィンクしながら励ましの言葉を送ると、涼介は立ち去っていった。

確かに五月(いつき)は容姿はもちろんのこと、背伸びしているけど空回りするところも魅力であり、(まなぶ)はこれまで何度も胸をときめかせた。

だが、それは同時に五月(いつき)に夢中になっているのは自分だけじゃないかもしれないということだ。周りには多くの人間が見ており、彼女の内面の可愛さに気付いた人も多いだろう。

 

 

「ガッツか……」

 

 

――うかうかしてられない……。

親友の唐突な声援に困惑していた(まなぶ)だが、『考えるより行動を起こせ』という親友の真意に応えるべく、腹に力を込めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図書室に入った(まなぶ)は本棚の陰に隠れながら周囲を見渡す。

静かな時が流れる図書室では立ち読みしている者、本など興味がなく、雑談を交わす者、参考書を開いて勉強をしている者。はたまた、机に突っ伏して居眠りしている者までいる。

 

そんな多種多様な考えを持つ利用者がいる中、奥の机の一角で何やら盛り上がっている集団があった

風太郎と五つ子たちだ。一花(いちか)三玖(みく)四葉(よつば)が風太郎を囲って話している姿が見えた。

五つ子とは言っても次女の二乃(にの)の姿が見当たらない。勉強を拒む彼女の性格から図書室にいないことはわかっていた。

 

 

「(……いた!)」

 

 

そこから少し離れた机で黙々と勉強をする五月(いつき)を見つけた。

解き方がわからないのか、ペンの動きは止まっており、眼鏡越しから問題集をジーっと睨めっこしていた。

お目当ての人物を見つけたことで、ダンスのペアに誘うべく、さっそく(まなぶ)は行動に移すことにした。

 

 

「やあ」

 

天海(あまかい)君」

 

 

(まなぶ)がいつものように微笑んで声をかけると、気付いた五月(いつき)はかけていた眼鏡を机上に置く。

彼女の美しい青い双眸に胸が高鳴るが、平静を装うと、話を続ける。

 

 

「……勉強、どう?」

 

「はい。お恥ずかしいですが、まだわからないところが多くて……」

 

「そうか。どうしてもわからないところがあったら教えてね?上杉と僕が出来る限りのフォローはするから」

 

「はい!」

 

 

(まなぶ)の言葉に微笑み返す五月(いつき)

中間試験前のいざこざがあって以来、彼女は以前よりも素直になった。

確執がなくなった風太郎にも積極的に教えてもらうようになり、(まなぶ)にも前以上に頼るようになった。

風太郎との間はまだ少し障壁があるようだが、変わろうと成長の兆しを見せている。そんな五月(いつき)(まなぶ)は応援している。

 

そんな他愛のない話を挟んで順調な滑り出しを実感した(まなぶ)はさっそく本題に切り込む。

 

 

「ところでさ、今週の水曜の林間学校でキャンプファイヤーのダンスがあるって知ってる?」

 

「え?はい。男女でペアを組むんですよね?」

 

「うん、そうだよ……。あの、良かったら……もし、良かったらなんだけど……そのーーえーーと……そう……」

 

「??」

 

 

(まなぶ)は何とか誘おうとするが、緊張のあまり言葉が詰まってしまい、続きの言葉が言えない。

胸に熱いものが込みあがり、(まなぶ)の思考を狂わせているのだ。

あまりに先に進まないので、待っている五月(いつき)も首を傾げている。

これ以上待たせてはいけないと勇気を振り絞った(まなぶ)は精一杯の言葉を紡ぐ。

 

 

「僕と一緒に踊――「あ!天海(あまかい)さん!来てたんですね!」――ッ!?」

 

 

(まなぶ)がお誘いの言葉をかけようとした瞬間、(まなぶ)がいることに気付いた四葉(よつば)が遮るようにやってくる。

彼女の無邪気な声に反応して、一花(いちか)三玖(みく)、風太郎が振り向く。

 

 

「やっほーマナブ君。お取込み中だったかな?」

 

「遅い……」

 

「やっと来たか。肝試しの実行委員のことも含めて勉強するぞ」

 

「わ、わかった……」

 

 

口々に言われた(まなぶ)は慌てながら返事をすると、彼らのもとへ行くために席を立つ。

とても五月(いつき)を誘える空気ではなかったので、ダンスの件は後回しにすることにした。

 

 

五月(いつき)。また今度ね」

 

「は、はい……」

 

 

(まなぶ)がそう告げると、ダンスの件など露知らずの五月(いつき)は困惑しながらも頷いた。

有耶無耶になってしまったが、次こそはちゃんと誘おうと決心した(まなぶ)だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

丁度、その頃。

オズコープの本社の敷地の一角にある研究部門の研究所では、市の研究委員会が視察に来ていた。

目的は新型の身体増強薬《ゴブリン・フォーミュラ》の開発過程の調査である。

 

 

「――このグライダーは推進力だけでなく、閉所での機密性、搭乗者の安定性もクリアしております!」

 

 

役員会議で遅れている研究責任者の難一(なんいち)が来るまで、共同研究者である古流(こりゅう)博士は研究委員会にグライダーのテスト飛行をプレゼンテーションしていた。

緑色のサイバーチックなスーツに身を包んだテスト飛行者がコウモリのような形をしたグライダーで研究所内を縦横無尽に飛び回る。

 

これだけでも充分凄い技術なのだが、研究委員会の面々は興味がなさそうに見ていた。

目的はあくまで身体増強薬であり、グライダーのテスト飛行を見にきたわけではないからである。

それでも古流は何とか時間稼ぎしようと、あの手この手で説明を続けていた。

 

 

「遅れて申し訳ございません。ようこそ、我がオズコープへ!」

 

 

そして、数分後。白衣を纏った難一(なんいち)が遅れてやってくる。

微笑んで歓迎する難一(なんいち)の姿を見た古流は、開放感からほっと胸を撫で下ろす。

階段を駆け下りた難一(なんいち)は研究委員会の面々と握手を交わすと、さっそく身体増強薬についての報告に入る。

 

 

「緑川社長。身体増強薬……えぇ……《ゴブリン・フォーミュラ》と言ったかね。進捗状況はどうかね?」

 

「ええ、順調です。衰弱した実験用のマウスに投与したところ、みるみる回復するだけでなく、身体能力も元の8倍になりました」

 

「……これが実現すれば、喘息など生まれつき体に何かしらの持病を抱える患者を救うことが出来ます!」

 

「ほぉう?素晴らしい」

 

 

難一(なんいち)と古流の報告に、研究委員会の視察団のリーダーの白髭が良く似合うふくよかな男は満足そうに頷く。

難一(なんいち)と古流が作っている身体増強薬《ゴブリン・フォーミュラ》は体が生まれつき弱い人を健康体へ改良することをコンセプトに研究を進めている薬だ。難一(なんいち)は優れた知能をフルに使い、今まで多くの人助けに貢献してきた。

今回も同じで、喘息や先天性の皮膚疾患で苦しんでいる多くの人たちを救うために、身体増強薬を作ったのである。

 

 

「それで、副作用は?」

 

 

満足そうに頷いていた研究委員会のトップだが、一変して神妙な表情で尋ねる。

薬には必ずつきものである副作用……薬の効能が強力であればあるほど強くなる影のようなものだ。

 

 

「一例ありますが、問題ありません……」

 

「いえ、その……」

 

「何だね?どんな副作用なんだね?」

 

 

難一(なんいち)は笑って誤魔化そうとするが、古流が挙手して待ったをかける。

難一(なんいち)とは真逆の反応に気になったトップは報告するように促す。

古流はおどおどしながらも禿げ上がった頭をかいて、口を動かす。

 

 

「マウスが狂暴になり、錯乱状態に……。他に飼育していたマウスを共食いするほどに………」

 

 

そう話す古流の顔は青ざめていた。まるでこれから殺処分される野犬のように恐怖で震え上がっており、眼鏡の奥に見える双眸もガタガタと震えていた。

その様子から、よほど恐ろしい光景を目の当たりにしたことは誰が見てもわかった。

 

一方、難一(なんいち)はというと、思わないことを口にしてしまった古流に対して憤っていた。

視察なので出来る限り良い面だけを見せて帰らせたい……それが大企業の人間であればあるほどだ。

難一(なんいち)は古流に「余計なことを言うな」と目で諫めると、研究委員会のトップに向き直る。

 

 

「失敗は”一例だけ”です。他は全て成功しております。古流博士以外の全ての研究員は、人体への投薬テストの段階だと考えております……」

 

「古流博士。あなたの見解は?」

 

 

報告を聞いた研究委員会のトップは古流に尋ねる。

難一(なんいち)はGOサインを出して欲しいと願うが――

 

 

「”一から見直すべき”かと」

 

 

期待とは真逆の答えが古流の口から出た。

申し訳なさそうに難一(なんいち)を見る古流だが、彼にも安全第一という考えがあってこその判断である。まだ安全性が保障されていないものを試すのは、あまりにも危険すぎる。

 

 

「……一から見直す?」

 

 

戸惑う難一(なんいち)が古流を見つめながらそう呟く中、深いため息を吐いた研究委員会のトップはある決断を下す。

 

 

「期限は一週間だ……それまでに成果を出せなければ、この計画ごと資金援助も打ち切る」

 

「ッ!?そんな……!」

 

「緑川社長。オズコープが経営難に陥っていることはわかっている。だが、安全性の方が優先だ。地雷は避けて通らないといけない……わかってくれ」

 

 

悲観する難一(なんいち)にそう告げると、研究委員会のトップは他のメンバーを連れて立ち去っていく。

オズコープは大企業ではあるが、ここ数年は経営に苦しんでおり、これまで突き放していた海外のライバル企業に差を埋められつつあった。

身体増強薬はまさに社運をかけた一大プロジェクトなのである。

 

しかし、その希望も断たれようとしている。

資金援助が無ければ、身体増強薬なぞ完成できやしない。

 

 

「(どうすればいいんだ……?)」

 

 

突きつけられた残酷な現実……。

呆然と佇む難一(なんいち)はただ、頭を悩ませるしかなかった。

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
①スクーター
 サム・ライミ版「スパイダーマンシリーズ」の第2作品目と第3作品目では、ピーターはスクーターに乗っており、ピザの宅配やデートの移動手段として使っている。
 アメコミ原作でもバイクに乗っている。



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#15 風太郎、空を飛ぶ

平日のある夜。

自宅の2階の自室の勉強机にて(まなぶ)は1人、工具キットで何かを作っていた。

学校や家庭教師が終わって就寝するまでの合間を縫って製作しており、その期間は一週間だ。

発明品は叔母の(みこと)にも内緒しており、まさに”秘密の発明”と呼ぶのが相応しい代物だった。

 

 

「……よし、出来た。超小型蜘蛛型発信機―――『スパイダートレーサー』の完成だ!」

 

 

数時間に渡る作業を止め、完成した小型発信機へ爛々とした目を向ける。

(まなぶ)の親指と人差し指でつままれているのは、小さな赤い蜘蛛のような形をした発信機だった。

 

(まなぶ)がこれを作ろうとした経緯はこれまで戦ってきた2体のスーパーヴィランから経た”後悔”である。

リザード、エレクトロ……スパイダーマンである(まなぶ)が勝利した強敵だが、いずれも初戦で逃げられており、再発見するのは事件が起きた後ばかりだった。

死傷者が出ていないリザードはともかく、エレクトロの場合は自分が見逃し、行方も掴めないせいで大勢の死者を出してしまった。

報われない被害者に対しての後悔もあって、(まなぶ)は今後もそういったことがないよう、スパイダートレーサーを開発したのである。

 

望みの物を作り終えて達成感が湧いた(まなぶ)はスパイダートレーサーを勉強机の上に置くと、後ろ向きでベッドへ飛び込んだ。

ふわふわとしたかけ布団の柔らかさが肌に伝わってくる……。その心地よさに酔いしれながら、天井を見上げた。

 

 

「(明日は林間学校か)」

 

 

(まなぶ)は明日から始まる林間学校について考えていた。

2泊3日で行われる学校行事で、スキーや森の肝試しといったアウトドアならではの体験が出来る。

 

そして、何といっても2日目――実質最終日に行われるキャンプファイヤーが一番の目玉だ。

『キャンプファイヤーをバックにダンスを踊った男女は生涯添い遂げる愛情で結ばれる』という伝説があるくらいで、旭高校の2年生はいつになく躍起になっている。

普段、学校行事に関心がない(まなぶ)もその伝説が気になり、林間学校が楽しみで仕方がなかった。

 

 

「よし、練習しよう」

 

 

――愛しの五月(いつき)と踊る。

前回、チャンスはあったものの台詞が浮かばず、結局誘いそびれてしまった。その反省を活かして、(まなぶ)は次こそ誘うべく、ベッドから身を起こすと、何もない虚空に五月(いつき)の姿を思い浮かべる。

スパイダートレーサーの開発の傍ら、誘う台詞を書き留めたA4サイズの紙を舞台の台本のように持つと、スゥっと息を吸って、妄想の五月(いつき)に向かって話しかける。

 

 

「やあ、五月(いつき)、元気?僕は元気さ。この前、話そうとしたことを言うよ……。2日目にキャンプファイヤーがあるだろ?そこのダンスのペアになってほしいんだ。嫌ならいいんだ……でも、僕は君だけしか誘うつもりはない。深い意味はないよ?ただ、誰よりも真っ直ぐで優しい君と踊りたいんだ。変に言っちゃったけど、それが僕の気持ち……」

 

 

メモ通りにスラスラと喋れた(まなぶ)は気分が乗る。

丁度そのとき、折りたたんだ洋服を抱えた(みこと)がノックして部屋の扉を開けた。

乗りに乗って、叔母の存在に気付かない(まなぶ)は「だから」と付け加え――

 

 

(まなぶ)。新しいお洋服買ってきた――」

 

「僕と踊って下さい―――!?」

 

「あら……」

 

 

と、勢いに乗るまま妄想の五月(いつき)に頭を下げた。

言い切った(まなぶ)だったが、自分以外の視線に気付いて冷や汗を流すと、潤滑油が刺さっていない機械の如く、顔を横へ向ける。視線の先には口をあんぐりと開けて佇む(みこと)の姿が。

(まなぶ)からすればキチンとした練習なのだが、傍から見れば、空気に向かって喋る怪しい光景ままならない……。

 

 

「~~~!!」

 

 

一部始終を見られたと把握した(まなぶ)は湯気が出るやかんの如く顔を真っ赤にさせる。

――恥ずかしい!ただ、ひたすらに恥ずかしい!

赤の他人ならまだしも、よりにもよって叔母に見られてしまうとは……。込み上げる恥ずかしさで硬直している(まなぶ)は穴があったら入りたい気持ちだった。

 

 

「ごめんね。盗み聞きする気はなかったのだけど……」

 

「……あ、ああ。何でもないよ。それ、新しい服?ありがとう」

 

「ええ……」

 

 

申し訳なさそうに苦笑する(みこと)に固い表情で新しい服を受け取る(まなぶ)

変に気を遣われたら、かえって恥ずかしくなる。それを避けるために話を逸らしたが、何ともいえない空気は未だ漂っていた……。

数秒――正確にいえば5秒32の静寂が訪れるが、このままではいけないと、(みこと)がいの一番に口を開く。

 

 

(まなぶ)。今のって……」

 

「え、ああーー……林間学校のキャンプファイヤーで一緒に踊る女の子を誘うための練習。思い出作りのためだけど、参加するには男女じゃないといけないから大変だよ」

 

「相手は見つかったの?」

 

「うん、一応はね……。まあ、一緒に踊ってくれるかはわかんないけど」

 

 

仲が良くても五月(いつき)は女の子……抵抗があって断られるかもしれない。

不安そうに話す(まなぶ)を見た(みこと)は彼の手を取ると、安心させるようにもう片方の手で包み込む。

 

 

(まなぶ)……自分を信じて、やれるだけやってごらんなさい。大切なのは相手に気持ちを伝えること。例え、駄目だったとしても、行ったことは無駄にはならないから……」

 

「……ありがとう。頑張ってみる」

 

 

(みこと)の励ましを受けた(まなぶ)は微笑む。

出来ないと決めつけるのではなく、反省するならやった後にしろ……ようは『当たって砕けろ』ということだ。

ダンスに誘うというほんの些細なことだが、真剣に相談を聞いてくれる叔母の温かさに(まなぶ)は胸がじわりと熱くなるのを感じた。

 

甥が抱えていた不安が消えたのを確認した(みこと)は柔らかい表情で微笑み返した。

 

 

 

 

 

その頃、1番地区にある通りの建物。

長年シャッターで閉じられている寂れた路面店の壁面には『うえすぎ』と書かれた袖看板が設置されている。

ここは風太郎とその一家が住まう家であり、通りに面した階段から上がった先にある2LDKほどの部屋が一家の生活スペースである。

 

その生活スペースでは、畳張りの床に敷いた布団で寝込むらいはの傍に座る風太郎があった。

実は今日、らいはは風邪をひいてしまったのだ。熱もあり、赤くなった顔からは大粒の汗が流れている。

父親は仕事でいないので、風太郎が看病しているのだ。

 

 

「ごめんね……熱があるっぽい」

 

「無理すんな。お前は風邪をひきやすいんだ。ほら、薬」

 

「ん……」

 

 

辛そうに喋るらいはに風太郎はそう答えると、処方された風邪薬と飲料水を飲ませる。

飲料水で薬を流すと、ゴクリと喉を鳴らし、薬を飲み込んだ。口内が潤ったおかげか、らいはの気分もいくらか楽になった。

 

 

「……ありがと」

 

「親父は仕事で明日まで帰れないそうだ……今夜は俺が面倒みるから、欲しいものがあったらいってくれ」

 

「うん……じゃー宿題やって?」

 

「おい。それはお前がやれ」

 

 

半目でツッコむ風太郎にらいはは「冗談だよ」と笑って返す。

風太郎としてはいつも家事をやってくれているらいはの看病することは彼女への恩返しでもあるので、やれるだけのことはやりたい気持ちだった。

もちろん、小学校の宿題など秀才な風太郎にとっては朝飯前でやってあげたいが、らいはの学力のためにならない。そもそも筆跡でバレてしまう。

要求の限度は常識レベルで敷いているのだ。

 

 

「お兄ちゃんも明日から林間学校だよね」

 

「ッ」

 

 

らいはの額や首に流れる汗をタオルで拭きとっている最中、彼女の口から出た言葉に風太郎は耳を留める。

明日から林間学校が始まるが、行われる期間は2泊3日。家を離れているその期間、病床のらいはは必然的に1人っきりになってしまう。

父親がいるものの、仕事もあるので家を空ける時間が多い……今日のように夜勤で帰れないときもある。

風太郎は12歳の妹を1人っきりにして、ろくな看病もせずに林間学校へ行ってもいいのだろうかと悩んだ。

 

 

「帰ったら楽しいお話いっぱい聞かせてね。私は1人で大丈夫だから……」

 

「……」

 

 

そんな兄の悩みを見透かしてか、らいははにっこりと微笑みながら言う。

熱で辛いであろうに気を遣った笑顔を見た風太郎は胸に込み上げるものを感じると、口元を緩め――

 

 

「わかったから……ゆっくり寝ろ」

 

 

と、優しく声をかけながら、気持ちよさそうに寝るらいはの頭を撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(楽しみだな~~)」

 

 

そして、訪れた林間学校当日。

集合場所のショッピングモールのものと同等な広さを持つ駐車場では、まだ日が出て間もない時間帯にも関わらず、旭高校2学年の生徒が集まっていた。

自分のクラスが並ぶ列に座った(まなぶ)はまだかまだかと待ちかねていた。

 

こうして、教師陣からの諸注意が終わった後、各クラスは停車している5台のバスに乗り込み始める。

いつもよりひと回り大きいリュックを背負った(まなぶ)もバスに乗り込む列に従って歩いていた。

 

 

天海(あまかい)君、ちょっといい?」

 

「……はい?」

 

 

バスに乗り込もうとしたとき、女性教師に呼び止められる。

(まなぶ)の記憶が正しいのなら、彼女は肝試し担当の教師である。その隣には五月(いつき)の姿もあった。

何だろうと頭の上に疑問符を浮かべた(まなぶ)はバスから離れ、女性教師のもとへ駆け寄る。

 

 

「……どうしたんですか?」

 

「肝試し実行委員の上杉君が来られなくなっちゃったの!」

 

「え?」

 

「そこで悪いんだけど、中野さんと2人でやってくれない?」

 

 

女性教師の口から語られるトラブルに(まなぶ)は驚く。

(まなぶ)は一昨日の図書室でした風太郎と肝試しの打ち合わせを思い出す。

めんどくさいとぼやきながらも真剣に取り組んでおり、自分と同様、林間学校が楽しみで仕方がない様子だったのは記憶に新しい。体調を崩しても参加する気迫であった。

五月(いつき)は空いた椅子の代理なのだろう。

 

 

「僕はいいですけど……」

 

「うん!よろしくね!」

 

 

戸惑う(まなぶ)の返事を了承と受け取った女性教師は笑顔と共に返すと、バスの方へ歩いていく。

残された(まなぶ)五月(いつき)は困惑した顔を見合わせる。

 

 

「どうしたんだろう?」

 

「わかりません……電話も出ないですし………。ですが、暗い場所に長時間いるのは嫌ですから、迎えに行ってきます!」

 

「……ちょっと待って!」

 

 

そう言い切って離れようとする五月(いつき)(まなぶ)は待ったをかける。

呼び止められた五月(いつき)が疑問を向けられる中、自信に満ちた声で理由を話す。

 

 

「上杉のことは僕に任せてよ。スパイダーマンに連れてきてもらうよう頼んでみるよ」

 

「え……?ですが………」

 

「平気。彼は地理に詳しいし、渋滞のない空ならすぐ着くよ。僕も後から行くから」

 

 

納得がいかない五月(いつき)(まなぶ)は上手いこと言いくるめる。

五月(いつき)をそのまま迎えに行かせてもいいが、そのために彼女を遅刻させるのは気が引ける……。

なので、ここは良いところみせようと自ら提案したのである。

 

五月(いつき)はしばしの沈黙の後、導いた決断を言う。

 

 

「……わかりました。上杉君のことはあなたにお任せします」

 

「ありがとう。じゃあ、また後で……」

 

 

五月(いつき)の了承を得た(まなぶ)はにこっと微笑むと、手を振って別れる。

五月(いつき)から離れた(まなぶ)は周囲を見渡して人の目がないことを確認すると、こっそりと1号車のバスの後部に近寄る。

 

 

「(さっそく、スパイダートレーサーの実地テストといくか)」

 

 

(まなぶ)はズボンのポケットから取り出したスパイダートレーサーをバスの表面にくっつける。

スマートフォンで自作したアプリを立ち上げると、スパイダートレーサーの反応は現在位置を正確に指し示していた。

機器に異常なしと見た(まなぶ)は自慢げに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃、同じく朝を迎えた上杉家では、寝静まるらいはの傍で座り込む風太郎の姿があった。

風太郎は昨晩でのやりとりの後、らいはの看病をするために家に残ることにしたのだ。

これもらいはを1人にさせないためにしたことであり、不器用ながらも精一杯出来る風太郎の愛情から出た選択であった。

 

 

「(よく寝てんな……)」

 

 

風太郎はすやすやと穏やかな寝息を立てるらいはの寝顔を見て、微笑む。

風邪薬と汗をびっしょりかいたおかげか熱が冷めており、赤かった顔も健康的な色へと戻っていた。

自分の看病が報われたような気がして、喜びに満ち溢れる。

 

 

「らいは!生きてるか!?」

 

 

そんな中、2人の狭い部屋に金髪の若そうな男が切羽詰まった顔でドタドタと足音を立てながら入ってくる。

風太郎とらいはの父――上杉 勇成(いさなり)だ。

風太郎とそんなに年齢が変わらないように見えるが、れっきとした彼らの実の父親である。

 

激しい物音から、父親の存在に気付いた風太郎は振り向くと、「しー」と口の前に人差し指を縦一直線に立てる。

 

 

「親父。寝ている子を起こすなよ」

 

「看病してくれたのか……って!もう林間学校のバス出てんじゃないのか!?」

 

「そうだっけ?どうでも良すぎて忘れてたぜ……。しかし、これで3日間、思う存分勉強できるぜ………」

 

 

せいせいしたと言わんばかりの口調で愚痴りながら、いつものように教材を入れたリュックを背負って玄関の方へ歩いていく。

しかし、言葉とは裏腹に、風太郎の足取りは重たかった。

横切る息子の嘘を見透かしていた勇成はふとゴミ箱の方へ視線を送ると、乱雑に捨てられてある紙製の冊子が入っていることに気付いた。

 

 

「……」

 

 

その冊子を拾いあげると、それは林間学校のしおりだった。

風太郎が自らの手でやったのかしわくちゃになっているものの、各ページに付箋がこれでもかと貼り付けらていた。

ページを開くと、蛍光ペンで重要そうな箇所にアンダーバーを引いており、書き込みも多かった……これを見てなお、どうでも良いとは思える人はそうそういないだろう。

 

 

「風太郎、忘れ物だぞ」

 

「……ッ」

 

 

深く考える前に行動に出た勇成は風太郎を呼び止めると、振り向いた瞬間にしおりを差し出す。

それを目にした風太郎が声を漏らすな否や、勇成は続け様に神妙な表情で話す。

 

 

「早く帰れなくて悪かったな……。母さんが亡くなってから、お前やらいはには我慢ばかりさせちまった……不甲斐ない親父でごめんな」

 

「……」

 

「家のことは俺に任せて、たまにはうんと羽を伸ばしてこい……。それに、一生に一度のイベントだ。今から行っても遅くはないんじゃないか?」

 

 

勇成の謝罪を含めた説得に風太郎の心は揺らいだ。林間学校に『行く』と『行かない』の選択肢に。

行くことを一度は諦めたが、勇成の言うように一生に一度しか体験できない……たまにはわがままするのも悪くはないかもしれない。

風太郎の本心は林間学校に行きたいのだが……

 

 

「………バスも無いし、別に大丈夫だ」

 

 

悩んだ末に口に出した選択は本心とは真逆のものだった。

確かに羽を伸ばす名目で行ってもいいのだが、病床の妹を1人っきりにするのはやはり出来なかった。

風太郎は顔を俯かせ、『行きたい』という本心を押し殺した。

何とも言えない空気が流れていると――

 

 

「――あー!!お腹空いた!」

 

「「……!?」」

 

 

いつの間に起きたのか……見かねたらいはが腹に手を当てながら、声をあげる。

驚いた2人は冷や汗を流しながら振り向く。

 

 

「え……らいは……?熱は……?」

 

「治った!」

 

 

訝しげに尋ねる風太郎にらいははこの通りと言わんばかり、元気いっぱいに腕を上げる。

風太郎の看病もあって、すっかり元通りになったようである。

 

 

「なんで、お兄ちゃんまだいるの?ほら、早く行った行った!」

 

「お前!俺の気遣いを返せ!!」

 

「ありがとっ!私はもう大丈夫だから、林間学校行ってきて」

 

「いや、しかしなぁ……」

 

 

渋る風太郎を笑顔で後押しするらいは。

らいはとしては体調が良くなったのでもう構わず行ってほしいが、風太郎は行きたくともバスが既に出発しているので、どうしようもなかった。

 

 

コンコン……

 

『?』

 

 

行く行かないで事態が膠着していると、窓から軽くノック音が聞こえ、奇妙に思った上杉一家は固まる。

ここから地上は8mあり、まず人が気軽に訪れるような高さではなく、梯子でも使わなければ到底届かない。

しかし、ノック音が聞こえた。音から明らかに人によるものだった。

怪奇現象に見舞われたように肝が冷えた3人を代表して、勇成が恐る恐る窓に近付いて開くと、そこには……

 

 

「おはようございます」

 

「!?あんたは……!」

 

 

T市話題の人物――スパイダーマンが爽やかな挨拶をしてきた。

ウェブを駆使して、蜘蛛のように逆さまの状態でぶら下がっていた。

思いがけない来訪者に勇成は目を丸くするが、安心すると、すぐにニカッと笑みを浮かべる。

 

 

「驚いたな……マジモンだ。まさか俺ん家に来るなんて………」

 

「お騒がせしてすみません」

 

「いやぁ、いいんだ。人生にはほんの少し刺激があった方が楽しいって言うしな。ビューグルはあんたのことを悪く言ってるが、俺は応援してるぜ!」

 

「ははっ、どうも」

 

 

尊敬の目を向ける勇成にスパイダーマンはマスクの下で軽く笑うと、短く感謝を告げる。

自分を非難する人は数多くいるが、それと同時に応援してくれている人もいる。ほんの少しの喜びだが、スパイダーマンの心の支えになっている。

勇成とは初対面だが、こんな身近に応援してくれる人がいるだけで嬉しいものだ。

 

このまま話していたいが、時間がない。

気持ちを切り替えると、本題に切り込んだ。

 

 

「林間学校のバスがもう出てしまったので、僕がお送りしたいのですが……息子さんお借りしてもいいですか?」

 

「ああ、いいぜ」

 

「え!?」

 

 

スパイダーマンの頼みをあっさり承諾する勇成に驚く風太郎。

初対面のはずなのに疑いもせずに息子を任せるとは思いもしなかったからだ。

 

 

「そんなあっさりで良いのかよ?」

 

「おう!俺ァ、何千何百もの人間を見てきたが、こいつは信用できる。ここに熱く誠実なハートを持っている」

 

 

驚いた拍子に問いかける風太郎に勇成は自身の胸に手を叩いて、自信満々に答える。

勇成は見た目に違わず外交的な性格で、色んな人たちと関わってきた。なので、相手が信用すべきに値するかは経験から、風太郎以上に理解していた。

そんな父親が言うになら、本当に信用しているのだろうと風太郎は思った。

 

 

「よし!善は急げだ!準備はしてるんだろ?早く身支度しな」

 

「お、おう……!」

 

 

勇成に言われた風太郎は前日に準備していた荷物を纏めたリュックをかるう。

玄関から持ってきた靴を履き、準備万端と、スパイダーマンの背中に負ぶうような形で乗っかっていると、1つの懸念が浮かぶ。

 

 

「……移動方法は?またこの前みたいに飛ぶんじゃないよな……?」

 

 

風太郎は以前、花火大会の際にウェブスイングを体験したのだが、あまりものスピードと高さが怖く、二度としたくないと思っていた。

するわけないよな、と固い笑顔を向ける風太郎にスパイダーマンは――

 

 

「僕が専用車を持ってると思う?」

 

「……」

 

 

と、当たり前のように返す。

期待していたものとは真逆の答えを聞いた風太郎はしばらくの沈黙ののち、逃げ出そうとするが、らいはと勇成に止められる。

必死に抵抗するも2人には敵わず、スパイダーマンが待つ窓際に戻された。

 

 

「お兄ちゃんをよろしくお願いしまーす!」

 

「楽しんで来いよーー」

 

「もうターザンごっこは嫌だ――「しっかり掴まってて」うわぁぁぁぁぁぁぁーーーーーッ!!?」

 

 

らいはと勇成が手を振って見送る中、スパイダーマンは泣き言を言う風太郎と共に空へと駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

街を歩く人々が小さく見えるほどの上空。

腕を回す風太郎を背負うスパイダーマンはビルの合間を縫うようにスイングしていた。

建物の壁を蹴り、交差するモノレールの隙間を潜り抜け、乗用車で賑わっている道路の真上を華麗に通る。

 

 

「うぉわぁぁぁああぁぁぁーーーーーーーーッ!!?」

 

 

スイングする度、風太郎の絶叫が街中に響く。

ウェブスイングに慣れているスパイダーマンならともかく、日常ですることは絶対ない風太郎にとっては刺激が強すぎた。

あまりもの声の大きさに煩わしく感じたスパイダーマンはマスクの下で眉をしかめると、風太郎に言う。

 

 

「悪いけど、もうちょっと声のボリューム下げてくれる?」

 

「そっ、そんなこと言っても!お、落ちるゥゥーーーッ!?」

 

「……それもそうだね」

 

 

怯える風太郎に仕方ない、と思ったスパイダーマンは適当な建物の屋上を見つけると、ひと休みのため、降り立った。

 

 

「た、助かったぁぁ~~……」

 

 

地に足があることを確認した風太郎はスパイダーマンから離れると、安堵の息を漏らしながら、どかっと座る。スイングから来る浮遊感はジェットコースターの比なんてなく、普段、泣き言を言わない風太郎もこればかりは言わずにはいられなかった。

 

風太郎がバクバクと早まる鼓動を抑える中、スパイダーマンは腰の隠しポケットから取り出したスマートフォンでスパイダートレーサーの反応を見ていた。

スパイダートレーサーを付けたバスは現在、高速道路に入ろうとしていた。

 

 

「マズイな……思ったよりも速い」

 

「……何してんだ?」

 

「バスの現在位置を見てるんだ。バスに発信機を付けたから、それを追ってる」

 

「発信機!?それって犯罪じゃ――ッ!」

 

「今更だろ?このままだと追いつけないから、スピードアップして電車で行くよ」

 

「え、嘘だろ……もう限界だ――あぁああぁぁーーーーーーッ!!?」

 

 

風太郎が抗議する間も与えず、風太郎を抱えたスパイダーマンは助走をつけてビルの屋上を飛び降りた。

風太郎の悲鳴が響く中、スパイダーマンはウェブを高所につけて上昇すると、ウェブスイングで電車の線路に向かっていく。

バスが通っている高速道路は途中、スパイダーマンが現在向かっている路線の真上を通る。先回りして、追いつこうという作戦である。

 

スパイダーマンは風太郎の悲鳴で鼓膜が破れるような思いをしながらも、ウェブスイングで線路の真上についた。運が良かったのか丁度、向かっている方面へ走る電車があった。しかも特急電車だ。

スパイダーマンはスイングの勢いで飛び出すと、そのまま電車の天井に着地した。

 

前方から迫りくる風圧によって、自然と蜘蛛が這うような姿勢になる。

風太郎が吹き飛ばされないようスパイダーマンはウェブを赤子を抱えるおんぶ紐のように自身に括りつけ、手足の吸着力で天井にしがみつく。

あまりもの風圧と恐怖に風太郎は悲鳴を通り越して無言となっていた。

スパイダーマンは申し訳なく思いながらも特急電車はぐんぐん進み、あっという間に高速道路の真下に着いた。

 

 

「よし、行くよ!」

 

「あ、ああ……」

 

 

特急電車が通り過ぎる前にスパイダーマンは両手首からウェブを飛ばして高速道路の塀にくっつけると、グイッと手前に引っ張って上昇する。

特急電車が真下で通り過ぎる中、高速道路の真上に飛び上がったスパイダーマンは目立たぬよう、案内標識の裏に引っ付いて隠れる。

 

片手で取り出したスマートフォンでバスの現在位置を確認すると、バスはまだ後ろの方にあり、スパイダーマンがいる地点に辿り着くまで時間がかかる。

スマートフォンを持ったままスパイダーマンは振り向き様に言う。

 

 

「ごめん、あと30分くらいこのままいることになる」

 

「そうか……」

 

 

スパイダーマンの謝罪に風太郎は文句を言うことなく、短く返事した。

風太郎としては下手に動かれるより何もせずに待っていた方が安心感が増すからである。

風太郎とスパイダーマンは特に会話を交わすことなく、ジッとバスを待つことにした。

 

 

「……来た!」

 

 

案内標識の裏でマスクを着けた男と男子高校生が密着しながら30分を過ぎた頃だった。

口を閉ざしていたスパイダーマンがスマートフォンに向かって嬉しそうに声をあげる。スパイダートレーサーの反応がすぐ近く……つまり、バスが遂にやってきたということだ。

スパイダーマンと風太郎が標識の端から縦一列に揃えて顔を覗かせると、林間学校に向かう自分たちの学校のバスが奥から走ってきていた。

 

――やっと解放される。

ウェブスイングの刺激から解放される喜びに打ち震える風太郎は頬を緩めた。

 

 

「飛び降りるよ」

 

「やってくれ」

 

「いちにの……さんッ!」

 

 

最後尾のバスが真下を通る瞬間を狙い、風太郎を背中に背負うスパイダーマンは掛け声のタイミングで標識から飛び降りる。

スパイダーマンの優れた身体能力からなる跳躍力によって、見事バスの天井に着地した。

 

 

ドッ!

 

「……?」

 

 

天井から聞こえる小さな着地音に運転手は首を傾げるが、気のせいだろうと気にせず運転へ意識を傾けた。

 

スパイダーマンと風太郎は目的のものに辿り着けた安堵感でほっとひと安心する。

 

 

「ありがとな」

 

「こちらこそ」

 

 

風太郎はスパイダーマンへ感謝を告げる。

スリリングではあったが、一度諦めた学校行事にこうして参加出来たので、感謝の気持ちでいっぱいだった。

それに対し、スパイダーマンは少し照れくさそうに返す。

 

――これで任務完了。ほっとひと安心するスパイダーマン。

だが、安心しきっているときにこそ、トラブルはやってくるものだ。

突如、風太郎に括りつけていたウェブが段々と溶け始めていた……。(まなぶ)――スパイダーマンのウェブの持続時間は本人も知らないが約1時間であり、タイムリミットが来たために自然消滅し始めたのだ。

 

当然、ウェブの強度が弱くなったので、時速72キロのバスから生じる風圧を受けた風太郎は宙に投げ出された。

 

 

「うぉあぁぁーーーーーッ!!?」

 

「――ッ!?」

 

 

後方へ吹っ飛ぶ風太郎を目にしたスパイダーマンは予想外のハプニングに驚くものの、風太郎を救うべく、急いでウェブを射出する。ウェブは真っ直ぐ飛び、風太郎の胸元にくっついた。

 

ウェブで風太郎を引っ付けると、獲物を捕らえた釣り人のように足で踏ん張りながら、力いっぱい引き上げにかかる。

しかし、向かい風の風圧は凄まじく、風が強い日の凧揚げするくらいにコントロールがし辛く、引き上げようにも風圧にさらされた風太郎が上下左右に激しく動くので中々上手くいかない。

油断すれば、スパイダーマンも助けるどころか一緒に吹き飛ばされる危険性があった。

 

 

「くッ、うぅうう………!」

 

 

顔面蒼白の風太郎をスパイダーマンは歯を食いしばって腕に力を込める。

このまま離せば、風太郎はアスファルトの道路に身体を打ち付けて間違いなく大怪我する。最悪、死だ。

――自分が好きに連れてきたのに大怪我させるなんて絶対出来ない……!

スパイダーマンは風邪の抵抗に逆らいながら、ゆっくり確実にウェブを手繰り寄せる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やった~!勝ち~~!」

 

「むぅ……」

 

 

最後のカード1枚を出して嬉しそうに勝ち名乗りをあげる四葉(よつば)に対して、むくれる三玖(みく)

スパイダーマンがすぐ上で救出に奮闘する頃、バスの中にいる四葉(よつば)三玖(みく)がUNOで遊んでいた。

 

 

「これで10勝17敗だね!はじめは押されてたけど、流れが来てるし、着く頃には逆転勝ちかな?」

 

「……次は負けない」

 

「えへへっ、そうはさせないよ~?」

 

 

瞳に静かに闘志を燃やす三玖(みく)。人間、誰しも負けたら悔しいもので、普段無表情の三玖(みく)でもそれは同じだった。

勝ち負けにこだわるようには見えないが、そこは彼女も人間。人という種に刻まれたある種の遺伝子とも言っていい、”勝利への渇望”が確実に存在していた。

 

四葉(よつば)は受けて立つと笑うと、三玖(みく)の持っていた手札を加えて山札を切ると、互いの手札を配る。

配られた手札を手に、いざ勝負しようとしたとき、ふと、三玖(みく)の目が窓に向く。窓の外では風になびきながら必死な形相を浮かべる風太郎がバスと並走するように宙に浮いていた。

 

 

「……ッ!?フータロー!?」

 

「え?」

 

 

あり得ない光景に三玖(みく)は窓の方を指差して、思わず驚きの声を上げる。

その反応に気になった四葉(よつば)が振り向くと、丁度風太郎が上昇し、窓の視界から消えた。四葉(よつば)の視界には風太郎の姿なぞなく、ただ高速道路の景色が広がっているだけだった。

首を傾げた四葉(よつば)は怪訝な顔を三玖(みく)に向ける。

 

 

「……三玖(みく)?押されそうだからハッタリかけて驚かそうって考えには乗らないよ?」

 

「ち、違うよ!本当に見た――ッ、後ろ!」

 

「?」

 

 

真実を訴えかける三玖(みく)の視界に再び宙に浮く風太郎が現れ、振り向くよう指差す。

四葉(よつば)は半信半疑のまま、再び窓の方へと視線を移すが、またも風太郎が上昇して視界に消えたので、彼女には自動車が行き交いする高速道路の景色しか見えなかった。

 

――どうして?確かにいたのに……!

混乱する三玖(みく)の肩に四葉(よつば)はポンと手を乗せ――

 

 

三玖(みく)。寝疲れてるんだよ……。疲れてるから、上杉さんの幻覚を見たんじゃ……」

 

「~~~???」

 

 

温かい目で労わる。三玖(みく)二乃(にの)同様に疲れからくる幻覚を見たのだと。

一方の三玖(みく)は何が何だかわからず、ただ目をグルグル回して混乱していた。

 

そんなやりとりが行われている最中、スパイダーマンは遂に風太郎をバスの天井へと手繰り寄せた。

うつ伏せになったスパイダーマンは今度は絶対に離さないという決意でガッチリと風太郎の肩を片腕で掴んで、抱き寄せる。

 

 

「ごめん、大丈夫?僕がしっかりしていれば……!」

 

「……全然、だいじょばない………」

 

 

安否を問うスパイダーマンに生気の抜けた声で毒づく風太郎。

高速道路を走るバスの風圧を受けたことに加え、落ちるかもしれないという恐怖心で風太郎の精神は疲弊していた。

心なしかスパイダーマンには風太郎の顔が一気に老けたように見えた。

 

不安に駆られるスパイダーマンだったが、バスはサービスエリアへと入っていった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、風太郎を降ろしたスパイダーマンは物陰に隠れてスーツを脱ぐと、少し遅れて(まなぶ)としてクラスのもとへ合流した。

どうやって来たのかと教師に問われた際は、タクシーでやってきたという(てい)で誤魔化した。

 

ちなみに風太郎だが、林間学校の宿舎に着くまで死んだように意識がはっきりせず、ただバスに揺られていた。

隣に座る五月(いつき)も何が起こったのか、気が気でなかった。

この有様に(まなぶ)は無理をさせてしまったと後悔した。

 

意識が戻った頃に風太郎が放った第一声は――

 

 

「もうスイングは懲り懲りだ」

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
①「寝ている子を起こすなよ」
 『スパイダーマッ!』こと東映版「スパイダーマン」(1978)にて、スパイダーマンがもぬけの殻となったバスの座席で寝転びながら、鉄十字団に向かって放った台詞。

②「僕が専用車を持っていると思う?」
 本作のスパイダーマンは高校生なので、当然四輪車は持っていないが、アメコミ原作では『スパイダーモービル』という専用車がある。『ファンタスティック・フォー』のヒューマン・トーチと共に設計した。ちなみにスパイダーマンは免許を持っていない。
 また、東映版「スパイダーマン」(1978)では、『スパイダーマシンGP-7』というスパイダーマン専用車が存在する。

四葉(よつば)の戦績
 10勝17敗であるが、これは「五等分の花嫁」単行本1巻発売のCMが『マガジンチャンネル』にてアップロードされた日と同じ(2017/10/7)。
 この30秒のCMでは、四葉(よつば)役の佐倉(さくら) 綾音(あやね)氏が五つ子全てを担当していることで有名。

④「次は負けない」
 原作漫画「五等分の花嫁」の第60話でケーキ屋にて、三玖(みく)一花(いちか)に対して敵意剥き出しに祝勝する際に出た台詞。
 作者は何故このように敵意を出させたのか理解に苦しんだ……




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#16 肝試しと訪れるときめき

※注意
 本作に前田なんていません。理由としては、いてもいなくてもストーリーに影響を与えないからです。全国の前田ファンの方々、申し訳ございません。


日が落ち始める夕暮れ頃。

林間学校初日を迎える旭高校の生徒一同は宿舎に隣接しているキャンプ場にて、夕食のカレー作りに取り掛かっていた。

白飯を炊く甘い匂いと鼻腔をくすぐる香辛料の香りが周囲に漂う。

 

 

「じゃあ、私たちでカレー作るから、男子は飯盒炊さんよろしくね」

 

「ぅーい……」

 

 

同じ班の男子3人の気の抜けた返事を聞いた二乃(にの)はカレーの具材の切り分けに取り掛かる。

手慣れた包丁捌きで次々と、具材の野菜や鶏肉を一口サイズに切り分けていく。

 

 

「わっ!二乃(にの)、野菜切るの速っ!」

 

「家事やってるだけのことはあるね~」

 

「これくらい楽勝よ」

 

 

周囲の女子2人にどうってことないといった口ぶりで短く答える。

普段、五つ子たちの食事を全て担当している二乃(にの)にとってこれくらい朝飯前なのだ。

 

 

「(遂に始まったわね……林間学校)」

 

 

調理する傍ら、これからの予定に心躍らせる二乃(にの)

午前中はほぼ施設を利用する上の諸注意や歓迎式やら退屈なものばかりだった。なので、林間学校は実質、このカレー作りから始まっていると言え、後に控える肝試しやスキーなど楽しい予定ばかりだ。

 

そして、何といっても林間学校の大目玉はキャンプファイヤーでのダンスだ。

キャンプファイヤーを背景にダンスを踊った男女は生涯添い遂げる縁で結ばれるという伝説があるくらいの大イベントなのである。

年頃の女の子である二乃(にの)も半信半疑ながらも興味津々だった。

 

 

「(――もしかしたら、”運命の人”に出会えるかも………!)」

 

 

運命の赤い糸で結ばれた自分に似合う相手。

そんな淡い期待にときめきながら、二乃(にの)は調理を続けていく。

 

 

「これ、もう使った?片付けておくね」

 

「は、はい……!中野さん、美人で気が利いて、完璧超人かよ……」

 

「俺の部屋も片付けてほしいぜ」

 

 

さりげない気配りで同じ班の男子から注目をかっさらう一花(いちか)――

 

 

パキッ!

 

「いや、もう薪割らなくていいから!」

 

「あはは!これ、楽しいですね!」

 

 

薪割りが楽しすぎて、つい余分な分まで割ってしまった四葉(よつば)――

 

 

「待ってください。あと3秒で15分です……」

 

「細かすぎない……?」

 

 

手元のスマートフォンで煮込む時間を正確に測ろうとして、周囲から怪訝そうな目を向けられる五月(いつき)――

 

 

三玖(みく)ちゃん!?何、入れようとしてるの!?」

 

「お味噌……隠し味……」

 

「自分のだけにして!」

 

 

カレールーに絶対合わないであろう味付けをしようとして、周りから必死に止められる三玖(みく)――と、はちゃめちゃでありながらも五つ子たちはこの林間学校を楽しんでいた。

この先、中々体験できることではないのは彼女たちはわかっているので、この時間を有意義に満喫している。

 

 

天海(あまかい)。こんなもんでいいか?」

 

「ああ、いいと思うよ。レシピ通りにやったし」

 

 

一方、(まなぶ)も同じ班の風太郎と協力して飯盒炊さんをしていた。

釜戸にくべた薪で火を起こし、アルミの飯盒に米を入れて炊く……至ってシンプルな調理方法だが、アウトドアを滅多にしない者にとっては未知の手法だ。班全体の食事なので、失敗しないよう十分な確認を取っているのだ。

 

こういったグループ作業は友達が少ない(まなぶ)にとって苦難なものだが、同じ班に風太郎がいて安堵している。

話せる知り合いが同じ班にいるだけでこうも気持ちが軽くなる……風太郎がいてくれて良かったと(まなぶ)はしみじみ思った。

 

 

「何で……?一花(いちか)さん……」

 

 

ふと、(まなぶ)が横目を向けると、体操座りで縮こまる昂輝の姿があった。

昂輝は一花(いちか)にキャンプファイヤーのダンスのペアに誘ったが、既に涼介という相手がいたので見事玉砕。こうして落ち込んでいるわけである。

 

いつもなら、ガハハと笑い飛ばす彼も相当踊りたかったのか落ち込みの度合いが酷く、いつも周りにいる取り巻きも心配していた。

内心、ざまぁみろとほくそ笑んでいた(まなぶ)も流石に可哀そうになった。

 

 

「何でご飯焦がしてんのよ!?」

 

 

落ち込む昂輝に悼まれない目を向けている中、近くから非難の声が上がる。

声につられた(まなぶ)と風太郎は顔を向けると、2人組の女子が男子3人と言い争っていた。二乃(にの)がいる班だ。

女子の1人が坊主頭の男子に指指すると、鋭い剣幕で問い詰める。

 

 

「どーせ、ほったらかしにして遊んでたんでしょ!」

 

「ッ!?ち、ちげーよ!少し焦げたけど食えるだろ!」

 

「こっちは最高のカレー作ったのに!」

 

「やったことねーんだから、誰だってこうなるんだよ!」

 

「なっ……!?」

 

 

男子勢の言い分に絶句する女子勢。

無茶苦茶な言い訳だが、彼らも悪気あって言ったわけではない。売り言葉に買い言葉……まくし立てる女子の勢いに頭にきて、出たものである。

 

 

二乃(にの)、どうする?」

 

 

話が平行線上にしか進まないと思った女子たちは二乃(にの)に判断を委ねる。

 

 

「じゃあ、私たちだけでやってみるから、カレーの様子見てて?」

 

「お、おう……」

 

 

男子に向き合った二乃(にの)は笑顔で案を講じる。

しかし、その目は全く笑っておらず、怒りが滲み出ている。

その迫力に気圧された男子たちは大人しく引き下がった。

 

 

「あれは相当、頭にきてんな」

 

「だね」

 

 

その様子を傍観しながら、風太郎が漏らした言葉に頷く(まなぶ)

口調こそ柔らかいが、雰囲気から誰がどう見ても怒っているのかは一目瞭然だった。

 

飯盒の蓋の隙間から甘い香りと共に泡がふつふつと湧く様子を見ながら、風太郎は別の話題を隣の(まなぶ)にふる。

 

 

「今夜の肝試し、楽しみだな」

 

「ああ。準備もバッチリだよ」

 

「よし。クラスの連中に面倒な役を押し付けたことを後悔させてやる……」

 

 

くっくっくっ……と企み顔で笑う風太郎に(まなぶ)は苦笑する。

(まなぶ)と風太郎はこの林間学校では何の役割も担わないつもりだったのだが、一部の意地悪いクラスメイトによって、勝手に振り分けられてしまったのだ。

なので、これを好機とし、とびっきり怖がらせてやろうと企んでいる。風太郎が乗り気だったのは、それが理由の1つである。

 

 

「上杉さん、天海(あまかい)さん。肝試しの道具、運んじゃいますね」

 

「「?」」

 

 

そんな話をしていると、四葉(よつば)が話しかけてくる。両手に抱える段ボールは今夜、(まなぶ)たちが使う肝試しの小道具や衣装が入ったものだった。

不可解に思った風太郎は眉を潜めて尋ねる。

 

 

「……?四葉(よつば)……お前、キャンプファイヤーの係だったろ?」

 

「はい!でも、お2人だけじゃ大変だと思ったので……私も全力でサポートします!」

 

「凄くありがたいよ」

 

 

四葉(よつば)からの申し出に感謝する(まなぶ)。2人よりも3人の方が出来る範囲が広がるし、効率も良くなる。風太郎は何も言わないが、許可する雰囲気であった。

 

直後、薄気味悪い笑みを浮かべた風太郎は(まなぶ)四葉(よつば)を見合わせた後、言葉を発する。

 

 

「よし、本気でビビらせてやろうぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このように!!」

 

「――ッ!?うわぁぁぁーーーッ!!」

 

 

茂みから飛び出した風太郎を目の当たりにして、悲鳴をあげて逃げ出す男女。

その原因は頬まで引きつった笑みを浮かべるピエロの仮面と衣装に身を包んだ風太郎の脅かしにあった。

 

時刻はすっかり夜となり、肝試しの時間となった。

ルールとしては、2人のペアで森の中に備え付けてある証拠の紙を取ってくるというもの。

風太郎たちはその帰り際で脅かすという役割を担っている。

 

 

「くくく……」

 

「ははっ、楽しそうだね」

 

「絶好調ですね!ジャケットどうぞ!」

 

 

仮面の下で悪党のような笑みを漏らす風太郎に対し、思わず笑ってしまう(まなぶ)四葉(よつば)

自分に怯える姿を見て、日頃の鬱憤を晴らせて満足といったところだろう。

まだ終わってないのでこのままでいたいが、夜は冷えるので、風太郎は四葉(よつば)から手渡されたジャケットを着ると、茂みの陰で待機する。

 

 

「私、嬉しいです!いつも死んだ眼をした上杉さんの眼に生気を感じます!」

 

「そうか。蘇れて、何よりだよ」

 

 

嬉しそうに目をキラキラと輝かせる四葉(よつば)に風太郎はジョークを織り交ぜて返す。

ぶっきらぼうな口調だが、楽しそうな雰囲気は隠しきれていなかった。

風太郎の楽しそうな顔を見た四葉(よつば)は胸が温かくなるのを感じると、地面に視線を下ろす。

 

 

「もしかしたら、来てくれないかと思っちゃったから……」

 

 

四葉(よつば)は落ち着いた声で砂利が散らばる地面に人差し指で蚊取り線香のような落書きする。

いつも笑顔を振りまく彼女の曇った表情から不安だったのは本当だということが、2人にはわかった。

落書きから顔を上げた四葉(よつば)は風太郎と(まなぶ)に――

 

 

「後悔のない林間学校にしましょうねっ!」

 

 

ししし!と屈託のない笑顔で笑う。その笑顔は親に褒められた幼子を彷彿させる。

森は闇夜で暗くなってはいるが、風太郎と(まなぶ)には彼女の周りにはほんのりと温かい光が灯っているように見えた。

風太郎は照れ隠すように頭をポリポリとかく。

 

 

「……まあ、そうだな。めんどくさいことには変わりないが」

 

「にしては、嬉しそうじゃない?」

 

天海(あまかい)には負けるな。メイクにも相当、気合が入ってるようだし……」

 

 

風太郎は不敵に笑いながら、(まなぶ)の仮装を指摘する。

(まなぶ)はゾンビの仮装をしているが、血色のない顔の至る所が抉れ、中の肉が見えるほどのメイクをしており、衣装も血のりをべっとりとつけた薄汚れたものである。

高校の学校行事にしては気合が入っており、ホラー映画の撮影と言われても違和感がないくらいだ。

 

それに対し、(まなぶ)は照れくさそうに笑い――

 

 

「いや、僕、ホラー映画が大好きでさ……暇なときはいつも観てるんだ。あのスリル漂わせるカメラワークと恐怖演出が堪らなくて……!特に『死霊のはらわた』なんかはディスクが擦り切れるほど観たよ!」

 

「そ、そうなのか……」

 

「何か意外ですね~……」

 

 

自身のホラー映画への愛を熱く語る。友達が少ない(まなぶ)にとって、ホラー映画は読書や論文を読むくらい重要な娯楽なのである。

大人しい(まなぶ)の意外な趣味に風太郎と四葉(よつば)は目を丸くする。

 

 

「あ、次の人来ましたよ!」

 

 

そんなやりとりをしていると、こちらに向かってくる懐中電灯の光が。

3人は声を殺し、近づいてくるまでジッと身を潜める。

 

 

「次、四葉(よつば)やってみなよ?」

 

「ッ、はい!」

 

 

小声の(まなぶ)に促された四葉(よつば)はサムズアップと同時に小さくも元気な声で答えると、ジャケットを脱いで二歩前へ進んで待機する。

彼女の仮装はミイラだ。とはいっても黒のアンダーウェアに包帯をグルグル巻いた簡素なもので、(まなぶ)と比べるとクオリティは低い。

だが、そのクオリティがかえって彼女の可愛さを上げていることには、彼女自身気付いていない。

 

ジャリッ……ジャリッ……と砂利道を歩く音が懐中電灯の灯りと共に近付いてくる。

四葉(よつば)はいつでも脅かせるよう、息を堪えてジッと身構える。

 

一歩、二歩、三歩……そして、自分の前を通り過ぎようとした瞬間――

 

 

「食べちゃうぞーー!!」

 

 

四葉(よつば)は出来るだけ恐ろしい顔(ちっとも怖くない)を作ると、大声を出しながら茂みから勢いよく飛び出す。

これでビックリするだろう――そう思っていたが……

 

 

「あれ?四葉(よつば)?」

 

 

視線の先に立っていたのは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする一花(いちか)三玖(みく)だった。

二人とも相手が妹なので脅かしは特に驚いておらず、発せられた大声に対して驚いていた。

 

 

一花(いちか)三玖(みく)!」

 

 

対する四葉(よつば)も姉だと知り、拍子抜けする。

その会話が気になり、(まなぶ)と風太郎も茂みから身を乗り出す。

 

 

「なんだ……ネタがバレてる二人か。脅かして損したぜ」

 

「あ、ごめ……わ、わぁ!びっくり予想外だー」

 

「お気遣いどうも」

 

「本当だよー」

 

「嘘つけ」

 

 

拍子抜けする風太郎を見かねて一花(いちか)は女優をやってるとは思えない棒読みの演技をするが、かえって風太郎や四葉(よつば)の羞恥心を高めた。

そんなやりとりをする中、三玖(みく)は風太郎の二の腕をちょんと触れ――

 

 

「……本物?」

 

「……??」

 

 

と、懐疑心たっぷりの表情で尋ねる。三玖(みく)はバスの車窓から見たのと同様、また幻覚でないかと疑っていた。

当然、そんなことを知るよしもない風太郎はただ首を傾げるだけだった。

 

三玖(みく)が懐疑的な目で風太郎を見る中、一花(いちか)はゾンビの仮装をしている(まなぶ)の方を見て、口を開ける。

 

 

「え?もしかして、マナブ君?」

 

「そうだよ。結構時間かかったけどね……」

 

「へ~凄いね!お姉さんわからなかったー!なるほど……」

 

「?」

 

 

別人しか見えないレベルのメイクにうんうんと妙に納得した笑みを浮かべる一花(いちか)

実はいうと、一花(いちか)はまだ(まなぶ)がスパイダーマンではないかと疑っていた。

涼介に言われ、一度は違うとは思ったものの、改めて思い直すと、スパイダーマンの声が(まなぶ)の声質に似ていると思った。

 

おぞましいゾンビにしか見えないメイクの腕……すなわち、スパイダーマンとしての”なりきり度”を証明しているのではないかと推理したのである。

眉をひそめる(まなぶ)に悟られないよう、一花(いちか)は微笑んで誤魔化した。

 

 

「お前ら、ちゃんとルート通りに行けよ?看板が出てるからわかると思うが、この先は崖で危ない。間違ったら、あの世行きだ」

 

「うん。気を付ける」

 

「わかってるってー……じゃっ!」

 

 

風太郎の注意喚起に三玖(みく)一花(いちか)は返事をすると、先の道へ進んでいく。

一花(いちか)たちを見送った(まなぶ)たちは次のターゲットに備えて、茂みの陰へ隠れる。

 

 

「驚いてくれなくて悔しいです……」

 

「しょうがないさ、知り合いだったんだし。次は僕がやるよ」

 

 

少ししょんぼりする四葉(よつば)を慰めた(まなぶ)は彼女の敵討ちも含めて、名乗りを上げる。

ホラー映画好きの知識を活かして、最高に脅かしてやろうと意気込みを見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、数分後。次なるターゲットが歩いてくる。二乃(にの)五月(いつき)だ。

二乃(にの)がスマートフォンの懐中電灯で足元を照らしながら、五月(いつき)は暗闇が怖いので、彼女にしがみつくようにピッタリとくっついていた。

 

 

「うううう……。やはり参加するんじゃありませんでした……」

 

「ちょっと離れなさい」

 

 

不安げな声を出す妹を二乃(にの)は諫める。

くっつくのは構わないのだが、あまりにも密着し過ぎて歩き辛かった。人が通る道が敷かれてはいるが、凹凸が激しい砂利道であることには変わりない。石や木の根にひっかかりでもして転んだら最悪だ。

二乃(にの)五月(いつき)の足元にも気を配りながら、慎重に歩を進めていく。

 

 

「クラスメイトが言ってたのですが、この森は”出る”らしいのです……。森に入ったきり行方知らずになった人が何人もいるのだとか……」

 

「デマに決まってるじゃない。伝説もそうだけど、信憑性が無さすぎるわ」

 

 

森に関する噂に震える五月(いつき)に馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの口調で返す二乃(にの)

行方不明事件が多発しているのなら、とっくにこの森は閉鎖されているだろうし、そもそも肝試しすらやらないだろう。明らかなデマだ。

 

この肝試しは自由参加なので宿舎で待っててもいいことになっている。ご覧の通り、心霊系の類が苦手な五月(いつき)は参加しないだろうと思っていた。

なのに、何故参加することにしたのか不思議でならなかった。

――怖いなら参加しなきゃいいじゃない、と言いたいが、言ってもどうにかなるわけでもないので、二乃(にの)はぐっと喉奥に堪える。

 

 

「こんなチープなおもちゃで誰が驚くのよ……」

 

 

二乃(にの)は前方の木の幹にぶら下がるちょうちんオバケを見て、嘆息する。

肝試しもさぞ楽しいだろうと期待してたのだが、小道具のクオリティから肝試し全体の完成度を推測するには充分だった。

心底がっかりしながら、プルプルと震える小動物のようにくっつく妹と共に、順路を示す看板に従って進んでいく。

 

順調に進み、行ってきた証拠の紙を回収した。

未だ怯える五月(いつき)に対して、二乃(にの)は退屈そうに歩いていた。

 

各々、正反対の気持ちを抱えながら、ルートも終盤に近付いてきた頃だった。

道の先に置いてある()()()()()()()に目が留まり、同時に足を止めた。

 

それは黒のポリ袋だった。ホームセンターなどで売っているごく普通のポリ袋だ。

森の落ち葉などに回収するので、それ自体には違和感がないが、問題は形状にあった。

横たわっているポリ袋は大きく、やけに横長に伸びていた。スマートフォンの光から反射する黒のポリ袋は人のシルエットが浮き出ていた。

()()()()()()()()……そんな物騒な考えに至るのは容易かった。

 

 

「う、うう、動くんじゃ……!」

 

「な、何言ってるの……!きっとただの置物よ……!動くと見せかけて動かないやつだわ!」

 

 

ギュッと抱き着いて怯える五月(いつき)を強気な口調で宥める二乃(にの)

とは言うものの、二乃(にの)自身も怖がっており、額から冷や汗が出始めていた。

 

 

二乃(にの)ぉぉ~~……別の道にしましょうよ~~」

 

「ここ一本道よ!?ゴールに行くにはここしかないから!」

 

 

二乃(にの)もできれば近くを通りたくないが、ゴールに行くためにはここを通るしかない。

幼子のように駄々をこねる五月(いつき)を強い口調で宥めると、二乃(にの)はポリ袋を警戒しながら慎重な足取りで歩く。

けん制するようにスマートフォンの光をポリ袋に浴びせながら、進んでいく。

秋の風になびく木々、草木から鳴く秋の虫の声、砂利を踏みしめる音……緊張しているからか、鮮明に聞こえた。

静寂に包まれた穏やかな森の景色もまるで先程とは違う、暗黒に包まれた恐怖の世界に見えた。

 

10m、5m、2m……固唾を呑んでゆっくりとポリ袋との差を埋めていく。

そして、あっという間に0m……すぐ近くになるまで近づいた。二人は何が来るか警戒しながら、隣を通る。

光の反射によってポリ袋が動いているような錯覚を覚えたが、ポリ袋は動かず、二人は難なく通り過ぎた。

何もなかったことに安堵した五月(いつき)は胸を撫で下ろす。

 

 

「ふぅ……怖かったですぅ……」

 

「ほら、言ったでしょ?あんなの、ただの置物だって――」

 

ガサッ!

 

「「!?」」

 

 

調子を取り戻した二乃(にの)が馬鹿馬鹿しいと言っている最中、後ろから何かが動く物音がした。

その物音を耳にした途端、二人の心は先程の不安と恐怖へと戻される。

固唾を呑んだ二人はゆっくりとスマートフォンの光を共に振り向くと、先程のポリ袋の中身が消え、ぺちゃんこになっていた。ポリ袋は内側から乱雑に破られている。まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()かのように。

 

得体の知れない恐怖に震える二人。中にいたものはどこに消えたのか……。

顔は青ざめ、鳥肌が立ち、身体中から変な汗が噴き出していた。

二乃(にの)も毒を吐く余裕はとっくに消えていた。

 

 

ガサガサッ!ガサガサッ!

 

「ひぃいい……!」

 

「何なのよぉぉ……!」

 

 

途端、周囲の茂みから何かが激しく動き回る音が聞こえる。

右の茂み、左の茂み……”それ”は交互に移動しているような音を響かせ、二人はより一層身を固まる。

文句を言う二乃(にの)の声も泣き声に近いものになっていた。

 

しばらく続いていた茂みの音だが、途端にピタリと止まる。

”それ”は消え去ったのか、はたまた飽きたのか……静寂な夜の森の環境音だけが流れていた。

そのことに不信感を抱く二乃(にの)五月(いつき)だったが、一刻も早く森を抜け出したい気持ちに駆られる。

そして、振り返った瞬間――

 

 

It's Morbin' time……

 

 

おぞましいゾンビマスクで二人を見つめながら、地獄から這い出た死霊のような声を発する(まなぶ)

普段の大人しさが嘘のように怖く、恐ろしい演技を見せていた。

 

 

「わあぁぁぁぁぁーーーーーー!!?もう嫌ですぅぅぅぅぅーーーーーーッ!!!」

 

五月(いつき)!?待ちなさい!!」

 

 

その怪演のあまりものインパクトに遂に限界が来た五月(いつき)は悲鳴を上げると、ゴールとは反対の方向へ逃走する。

二乃(にの)も恐怖のあまり悲鳴を上げそうになったが、一目散に逃げた妹のことが気がかりとなり、急いで彼女の後を追っていった。

 

二人の怯え具合に呆然とする(まなぶ)は茂みから顔を出した四葉(よつば)に尋ねる。

 

 

「……や、やりすぎちゃったかな?」

 

「ですかね……。五月(いつき)、オバケ苦手ですので……」

 

「悪いことしちゃったな……」

 

 

同じく呆気にとられる四葉(よつば)の言葉にバツの悪そうな顔を浮かべる(まなぶ)

暗い場所が苦手だとは聞いてはいたが、ここまでとは……。ホラー大好きな自分とは真逆の趣向に(まなぶ)は何とも言えない感情を抱く。

そんなやりとりをしていると、ハッと何かに気付いた風太郎が口を開く。

 

 

「不味くないか?あいつら、看板と反対の方へ行ったぞ!」

 

「「!?」」

 

 

風太郎の言葉に血相を変える(まなぶ)四葉(よつば)

看板の案内とは反対……すなわち、崖がある危険な道へ行ってしまったということだ。

 

 

「僕が探してくる!何かあったら連絡するから!」

 

「お、おい!」

 

 

――僕の責任だ。

居ても立っても居られない(まなぶ)は矢継ぎ早に言うと、風太郎が止める間もなく、急いで後を追っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五月(いつき)ー?どこ行ったのよー」

 

 

一方、二乃(にの)は危険ルートに入っていった五月(いつき)を探していた。

見知らぬ土地ながらも、勘とスマートフォンの光を頼りに舗装されていない道を歩いていく。

 

 

「こっちで合ってんのかしら?一旦、戻ろうかな……」

 

 

妹の姿が中々見当たらなく、現在位置もままならない。

そう思った二乃(にの)が戻ろうとした矢先、足元を照らしていたスマートフォンの光が消えた。

 

 

「えっ?嘘っ、もう!?昨日、充電するの忘れてたかも……」

 

 

驚いて何度も電源ボタンを押すが、バッテリー切れの表示が出るだけだった。

頼りのスマートフォンの光が無くなり、二乃(にの)はますます気落ちする。

 

 

「何なのよ……せっかくの林間学校なのに……。班の男子は言うこと聞かないし、スマホのバッテリーがゼロになるし、しまいにはこんなところで一人に……」

 

ザァァ……

 

 

ただ一人愚痴をこぼしていた二乃(にの)の耳に風になびいて揺れる木々の音が聞こえる。

周囲は真っ暗な不気味な森が広がっており、生えている木々の奥に広がる暗闇はまるで地獄へと誘う怪物が大口を開けてこちらを待ち構えているように見えた。

灯りもなくたった一人……その不安が恐怖へと変わり、二乃(にの)の心を蝕んでいく……。

 

 

ザッ!

 

「いやっ!?」

 

 

後ろから草木を踏む音が聞こえ、驚いた二乃(にの)は肩を飛び上がらせると、ペタンとその場に座り込む。

 

 

「………最悪……」

 

 

毒づきながら、緊張で荒くなる呼吸を整える。

――何で自分が、何でこんな目に合わないといけないのか?ぶつけようのない不満が二乃(にの)の脳内を駆け巡っていた。

 

 

二乃(にの)!」

 

 

そんな中、木陰から(まなぶ)が現れる。

やっと見つけられてひと安心している。

だが、今の(まなぶ)の顔はおぞましいゾンビだ。精巧なメイク……ましてや灯りも少ない夜の森に出会ったことが不味かった。

 

 

「きゃあぁぁぁーーーーーッ!!?」

 

 

当然、二乃(にの)(まなぶ)の顔を見るなり悲鳴を上げると、その場から逃げだす。

 

 

「え!?待って!僕だ!」

 

「嫌ッ!来ないでッ!」

 

 

二乃(にの)の逃走に(まなぶ)は動揺しつつも自分だと証明しようと追いかけるが、逆効果。二乃(にの)はますます恐怖心に駆られ、走る速度を上げる。

この状況はまさに美少女を追いかけるゾンビというホラー映画のような構図となっていた。

 

逃げ続けること数秒。暗闇の森を突き進む二乃(にの)の前から月の光が漏れていた。

希望――この先を進めば森を抜けられると思った二乃(にの)だったが、その先は……

 

 

「――あっ」

 

 

道もない崖だった。

これこそ、風太郎が再三注意していた危険な崖だったのだ。

足から伝わる地面の感触が無くなり、ふわりと浮遊感に襲われたのち、二乃(にの)の体は真っ逆さまに崖の淵へ落ちようとしていた。

 

 

「くッ!」

 

 

二乃(にの)に追いついた(まなぶ)は彼女のピンチに血相を変える。

自分がスパイダーマンであることを隠すため、能力は出来るだけ使いたくないが、命には代えられない。

右手の中指と薬指を折り曲げた独特な構えを取ると、手首から蜘蛛糸――ウェブが射出される。

 

真っ直ぐ放たれたウェブは二乃(にの)の背中を捉えると、(まなぶ)の動きに従って、二乃(にの)を崖から引き上げる。

 

 

「痛ぅ~~…!え?」

 

 

草木が生える地面に仰向けに倒れた二乃(にの)は背中の痛みに顔を歪め、背中を擦っていると、背中にウェブが付着しているのに気付いた。

 

 

「これって……スパイダーマン?」

 

「(軽率だったかもしれないけど良かった……)」

 

 

ウェブを目にした二乃(にの)は先程の恐怖心はどこへやら、興味深々な目で周囲を見渡す。

その様子を(まなぶ)はほっとひと安心すると、木陰に隠れつつ、特殊メイクを取ろうとしたときだった。

 

 

パキッ

 

 

足元に落ちていた枯れ枝を踏んでしまう。

枯れ枝の折れる乾いた音が周囲に響く。

 

 

「ッ!そこにいるの?」

 

「(しまった……!?)」

 

 

その音に勘づいた二乃(にの)(まなぶ)が隠れている木のもとへ足を運ぶ。

このままだと、自分がスパイダーマンであることが発覚してしまう。それだけは避けなければならない……!

予想外のピンチに血の気がひいた(まなぶ)は慌てつつも、ズボンのポケットから取り出したスパイダーマンのマスクを装着した。

 

(まなぶ)が隠れる木へと近付いた二乃(にの)は期待に満ちた顔でその裏を見るが、そこにはただ月明りを受けて伸びる木の影だけがあった。

期待通りの展開にならなかった二乃(にの)は首を傾げる。

 

 

「あれ?気のせい――」

 

「やあ、お嬢さん」

 

「――ッ!?」

 

 

二乃(にの)が疑問に思った瞬間、突然後ろから声をかけられ、ビクッと肩を震わせる。

驚いた二乃(にの)は緊張で体を強張らせながら振り向くと、木の枝にウェブを引っ付け、蜘蛛のように逆さまにぶら下がるスパイダーマンの姿があった。

正体が自分であるという危険性を考えた(まなぶ)は急いでスーツを着た……否、そうせざるを得なかった。

とぼけても彼女の性格上、根掘り葉掘り訊かないと満足しないので、いっそのことスパイダーマンとして姿を現すのが最善と踏んだのである。

 

その効果あってか、驚いていた二乃(にの)はスパイダーマンの姿に安心したのか、ほっと胸を撫で下ろしている。

自分の判断は正しかったとスパイダーマンも安堵する。

 

 

「スパイダーマン……!もうっ!脅かさないでよ!」

 

「ははっ、ごめんごめん。脅かすつもりはなかったんだ」

 

「心臓が飛び出るかと思ったわ!」

 

 

ぷんすか怒る二乃(にの)にスパイダーマンは苦笑する。

いつものように苦言する二乃(にの)だが、その口調はキツイものではなく、友人と話すようなもので、表情も心なしか嬉しそうにしていた。

 

 

「(さて、どうするか……)」

 

 

地面に降りたスパイダーマンは悩む。

スパイダーマンとして登場はしたものの、その場しのぎのことしか頭になく、先のことは全く考えていなかった。

このまま適当なことを言って立ち去りたいが、ここは夜の森。二乃(にの)も自分にとっても未開の地である。

何があるのかわからない暗闇を女の子一人を置き去りにすることなんて出来ない。

打開策を考えるが、中々思いつかない。

 

 

「……ねぇ?」

 

「うん?」

 

 

思案する中、二乃(にの)の話しかける声が聞こえ、スパイダーマンは一旦思考を停止する。

スパイダーマンに見つめられた二乃(にの)は恥ずかしそうに数秒沈黙したのち、口を開く。

 

 

「妹とはぐれちゃったの。一緒に探してくれないかな?」

 

 

二乃(にの)の提案にラッキーと心の中で呟くスパイダーマン。

彼女の方から言えば、適当な理由を言わずに済むし、五月(いつき)を探すという目的を果たせる……一石二鳥、願ったり叶ったりである。

天からの助けと思ったスパイダーマンはその提案に乗っかることにした。

 

 

「オーケー。任せてよ」

 

「ありがとう」

 

「じゃあ、行こうか」

 

「待って!」

 

 

そう言ってスパイダーマンが森の中へ入ろうとしたとき、二乃(にの)が呼び止める。

スパイダーマンが首を傾げて振り向くと、二乃(にの)は視線を逸らしながら左手を差し出す。

 

 

「……怖いから……手、握って……」

 

 

いつもの強気な態度はどこへやら……二乃(にの)は恥ずかしそうに頬を赤らめ、しおらしくしていた。

普段の態度を知らなければ、どこにでもいる普通の女の子だった。

 

 

「……」

 

 

あまりもの豹変振りにスパイダーマンは言葉を失うも、彼女の手が震えていることに気付いた。

二乃(にの)とて、怖いものは怖い、普通の人間なのだ。

 

――仕方がない。

ここで立ち往生しても意味はないので、スパイダーマンは二乃(にの)を手を握る。

強気な態度とは反して、女の子らしい小さな手に少し驚く。ほんの少し力を込めれば、折れてしまいそうだった。

 

 

「……ッ!」

 

 

手を繋いでくれたのが嬉しかったのか、二乃(にの)もぱあっと明るい顔を浮かべると、握られている手をギュッと握り返す。

固くてごつごつとした感触に心の底から安心感が込みあがる。

それと同時に胸の鼓動が高鳴ったことを実感した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手を繋いだスパイダーマンは行方知らずの五月(いつき)を探すべく、森の奥へと歩いていく。

スパイダーマンの視力は優れており、灯りが無くとも周囲の光景はナイトレンズのように大体把握することが出来る。

とは言っても夜の森が危険なことは変わりないので、慎重に進んでいく。

 

 

「あなたってここに住んでるの?」

 

「いや、気晴らしに来たんだ。親愛なる隣人にも休暇が必要だからね」

 

「へ~……歳はいくつなの?」

 

「君と変わらないくらいだ」

 

「そうなんだ!何か親近感湧くな~……で、どこに住んでるの?」

 

「あー……それは言えない。T市に住んでるとしか……」

 

「あ、ごめんなさい……。ところで、何で顔を隠してるの?」

 

「僕って……とっても、シャイなんだ。誰かと話すのも緊張するから、こうやって顔を隠してるわけ」

 

「ふ~ん。意外とお茶目なのね」

 

「ははっ……」

 

 

捜索の道中、二乃(にの)の口から次々飛び出す質問に、スパイダーマンはドギマギしながら適当に答える。

表の顔である天海(あまかい) (まなぶ)に繋がるようなことは言えないので、気が気でなかった。

(まなぶ)のときには全く興味を示さなかったのとは打って変わって、興味津々に聞いてくる。

――これが逆であればいいのに。スパイダーマンは切に思った。

 

捜索に全く集中できないスパイダーマンを尻目に二乃(にの)は夜空を見上げる。

綺麗な北斗七星が点々と輝いている。

その美しさに想いを馳せていると、あっと声を上げて再び尋ねる。

 

 

「スパイダーマン?いつもみたいに、ほら……糸出して、ビューンと飛ばないの?」

 

「したいけど、蜘蛛糸を引っかけられそうな高さのものがないし、僕もこの森の地形がわからない。僕はいいけど、君が野鳥や虫に刺されでもしたら大変だからね」

 

「へ~そこまで考えてくれてるなんて……。頭がいい人って憧れちゃうなー」

 

「………そりゃどうも」

 

 

ぽっと頬を赤らめ照れる二乃(にの)を見て、スパイダーマンはマスクの下で苦い顔を浮かべる。

二乃(にの)が言う”頭がいい人”に該当する人物は風太郎と(まなぶ)の2人だが、彼女は全く言うことを聞かず、いつも反抗的な態度ばかり取っている。

裏の顔と言うべき、普段の二乃(にの)を知っているスパイダーマンにとっては複雑なものだった。

 

そんな二乃(にの)に苦笑していると、スパイダーマンはある名案が思い浮かぶ。

――これは好機だ。スパイダーマンは逆に二乃(にの)に素朴な質問をぶつけてみることにした。

 

 

「あー……僕からも質問いい?」

 

「ッ、う、うん!いいよ!」

 

「相談を受けてね……どうして、上杉君や天海(あまかい)君を嫌うんだ?」

 

 

至ってシンプルな、前々から疑問だったことを尋ねる。どうして自分たちを毛嫌いするのかを。

考えてはみたが、どうも思いつかなかった。

普段の自分では訊けないことも、安心しきっているスパイダーマンであるときでしか訊けないことがあるかもしれない。それにかけたのだ。

 

その質問に二乃(にの)は笑顔から一変して目を点にすると、不快な表情を浮かべる。

――思い返すだけでも嫌なのか、とスパイダーマンが思っていると、二乃(にの)は口を開く。

 

 

「……私たち、()()()()()()()()()()()()()

 

「え?」

 

「驚いた?でも、本当。今のパパはママの再婚相手……私たちがまだうんと小さいときにね。まあ、ママは無理が祟って死んじゃったけど………」

 

 

遠い目をする二乃(にの)から語られる衝撃の事実にスパイダーマンは言葉を失った。

裕福な暮らしをしている彼女らに壮絶な過去があったとは……。

それに彼女ら五つ子の父親――中野 マルオは養父だったというわけだ。娘との距離感が離れすぎていることにも説明がつくわけだ。

スパイダーマンが納得していると、二乃(にの)は眉間にしわを寄せる。

 

 

「なのに、何?パパは何もわかってないわ!ママが近寄ってきた男のせいで人生、滅茶苦茶になったことは知ってるくせに!家庭教師か何か知らないけど、得体の知れない男を招き入れて……!パパもみんなもどうかしてるわ!」

 

 

忌々しく語る二乃(にの)に何とも言えない感情を抱くスパイダーマン。

そこまで信用していないのかとショックを受けた。

だが、理由ははっきりした。風太郎や(まなぶ)に敵意を向けるのは、全て母親の二の舞になりたくないからである。

それと同時に二乃(にの)がどんなに姉妹のことを大切に思っているのかも理解できた。

母親と同じ目に遭わせたくない……それが彼女の行動原理なのだ。

 

とはいえ、あまりもの情報の濃密さにスパイダーマンも頭が痛くなる。

こんな暗い話が飛び出るとは予想できなかった。

反応に困っていると、二乃(にの)が尋ねる。

 

 

「君、パパやママはいるの?」

 

「いないよ。僕が4歳の頃に科学実験中の事故で……」

 

「そうなんだ……何か、ごめん」

 

「いや、平気」

 

 

申し訳なさそうに顔を俯けて謝る二乃(にの)にスパイダーマンは気にしなくていいと返す。

スパイダーマンこと(まなぶ)の両親も幼い頃に喪った。共に過ごした思い出もあまり覚えていない。

 

二乃(にの)は顔を俯けるスパイダーマンに悲哀の眼差しを向ける。

顔がマスクで隠れていて表情こそ伺えないものの、悲しそうにしているのは伝わった。

何とかしてあげたい――母性本能だろうか。哀愁を漂わせる彼を見て、二乃(にの)は胸がときめいた。

 

 

「(あれ、これって……)」

 

 

顔が赤くなって胸の奥が締め付けられるように高鳴る感覚……。

今まで体験したことがない不思議な感情を二乃(にの)は知っていた。

――運命の人。目の前にいる覆面の紳士にときめいた二乃(にの)は湧き上がる感情に従って、あることを思いついた。

 

 

「……スパイダーマン。君は明日もいるのかな?」

 

「え?ああ……うん」

 

「良かった……。私たちの学校、明日キャンプファイヤーがあるんだ。その時にやるフォークダンスに伝説があって、フィナーレの瞬間に手を繋いでいたペアは結ばれるらしいの」

 

「そうなんだー」

 

 

いきなり別の話題を話し出した二乃(にの)にスパイダーマンは動揺しつつも適当な相槌を打つ。

同じ学校に通っているスパイダーマンは『結びの伝説』のことは既に知っており、五月(いつき)を誘おうと計画している。

だが、知っている素振りを見せると疑われるので、知らないフリを貫き通す。

 

 

「伝説って……ほんと大袈裟で……子供じみてるわ。正直馬鹿馬鹿しいと思ってる。でも、私もまだ子供ってことかしら。だからね、スパイダーマン……」

 

「(え、この流れって……)」

 

 

妙な甘い雰囲気を出し始めた二乃(にの)にスパイダーマンはまさかと息を呑む。

そして、その予想通り――

 

 

「私と踊ってくれませんか?」

 

 

二乃(にの)は貴族のようにロングスカートの裾を上げ、スパイダーマンをダンスのペアに誘った。

背景に浮かぶ月は彼女の美しさを醸し出していた。

しかし、スパイダーマンにははっきりとわかったことがある。二乃(にの)()()()()()()()()()()に恋していると……。

本心は五月(いつき)と踊りたいので断りたいが、新鮮な彼女の姿を見て、返す言葉が思いつかなかった。

 

 

「そのマスクの下に隠れてる顔を見せてくれなくても構わないわ……待ってるから………」

 

「……ッ」

 

 

頬を赤らめながら付け加えるように言って、微笑む二乃(にの)

この状況にスパイダーマンは困ったことになったと頭を悩ませる。

 

 

「わぁぁぁ~~」

 

「「ッ!」」

 

 

そんなとき、スパイダーマンが答えを渋っていると、近くの木々からゾンビのような声が聞こえてくる。

怖くなった二乃(にの)はスパイダーマンの後ろに隠れる。

スパイダーマンは二乃(にの)を後ろにつかせながら慎重な足取りで、声のする方へ近付く。

すると、そこにいたのは――

 

 

二乃(にの)ぉ……どこ行ったんですかぁ~~?」

 

 

2人が探していた人物……五月(いつき)だった。

迷子になった幼子のように泣きながらとぼとぼと歩いている。大方、帰ろうにも怖くて、周辺をウロウロしていたに違いない。

本物のゾンビでなくて良かったと安心した二乃(にの)五月(いつき)に駆け寄る。

 

 

五月(いつき)!」

 

「ふぇぇ……?」

 

「あんた紛らわしいのよ!」

 

「良かった……心細かったです~~」

 

 

姉の姿を見た五月(いつき)二乃(にの)のもとへ駆け寄る。

身内がいて安心したからか、先程まで流れていた涙も止まっていた。

 

妹と再会できて余裕が出来た二乃(にの)はいつもの調子に戻る。

 

 

「もう帰るわよ」

 

「よく一人で平気でしたね」

 

「違うわ。私は………あれ?」

 

 

そう言って二乃(にの)は振り返るが、先程まで後ろにいたスパイダーマンの姿はどこにもなかった。

キョロキョロと辺りを見渡す二乃(にの)に疑問を感じた五月(いつき)は尋ねる。

 

 

「どうしました?」

 

「何でもない。さ、帰りましょ」

 

「ま、待ってください!」

 

 

夢中になってわからなかったが、いつの間にか分かれ道近くへと戻ってきていた。

灯りが無くても後は大丈夫だろう。

首を傾げる五月(いつき)にそう返すと、二乃(にの)は歩き出す。

置いていかないでと駆け寄る五月(いつき)を背後に感じながら、二乃(にの)は蜘蛛糸を取り出す。それはスパイダーマンが先程自分を救ってくれたウェブの残りだった。

傍から見ればただの蜘蛛糸の残骸だが、二乃(にの)にとっては運命の赤い糸ならぬ……”運命の蜘蛛糸”だった。

 

 

「待ってるから……」

 

 

誰にも聞こえない声でそう呟くと、蜘蛛糸を大事そうにギュッと握りしめて、五月(いつき)と共に帰路へついた。

 

 

「(どうしよう……)」

 

 

その一部始終を木の上から見ていたスパイダーマンを頭を抱える。

――断れば良かった。

五月(いつき)をダンスに誘えるような余裕は彼にはなかった。

 

置かれた状況に悩みながらも、スパイダーマンは闇夜に隠れて、宿舎の方へ戻っていった……。

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
①ゾンビの仮装をする(まなぶ)
 MARVEL COMICから発刊されている「マーベル・ゾンビーズ」では、スパイダーマンは他のスーパーヒーロー共々、ゾンビ化している。
 また、アニメ「ホワット・イフ…?《シーズン1》」(2021)では、スパイダーマンはゾンビハンターとして活躍している。

②死霊のはらわた
 1981年に公開されたホラー映画で、スプラッタホラーの金字塔と呼ばれている。
カルト的人気を誇っており、数多くの続編やリブート作が製作されている。
 ちなみに、監督は初期スパイダーマンシリーズ(2002~2007)に携わることになる、サム・ライミである。

③「It's Morbin' time……」
 みんな大好き史上最高のダークヒーロー映画「モービウス」(2022)に関連する海外のネットミーム。由来はモービウス本編……ではなく、海外版のスーパー戦隊「パワーレンジャーシリーズ」から。モービウス本編ではこのような台詞は一度も言っていない。
パワーレンジャーが変身する際の掛け声『It's Morfin' time』をもじったダジャレ。”モービウス”と”モーフィン”をかけている。
 モービウスのあまりもの完成度に感動したネットユーザーは『It's Morbin timeと言いながら、インフィニティ・ストーンで指パッチンするモービウス』などのコラ映像をネットの世界に放出し、大きな話題となった。
 これを見たSONY側は「モービウス」が人気があると勘違いし、アメリカの1000の映画館で再上映され、平均7人の来場者数を記録したほど皆に愛された。




※アンケート 『スパイダーマンを増やす?』の結果
 どうも、作者の「まゆはちブラック」です。アンケートにご協力頂いた方、貴重な一票を頂きありがとうございました。

アンケートの結果、『スパイダーマンは増やさない』という方針に決定しました。

 やはり、スパイダーマンは1人で悩み、解決しなければならないという王道のスタンスを望む声が多いですね~。
今後も、(まなぶ)がたった1人で襲い掛かる苦難に立ち向かう姿を見届けて頂けたら幸いです!




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#17 ドキドキ!夜の倉庫

 

 

「あ~~林間学校がいつまでも続けばいいのに~~」

 

 

肝試しが終わり、生徒たちが宿舎のロビーを行き交いしている頃。ご満悦といった表情を浮かべる二乃(にの)が甘い声を出していた。

肝試しが始まる前まで毒づいていた彼女がこんなにも機嫌が良いのは、スパイダーマン《運命の人》と巡り合うことが出来たからである。素顔はわからないが、崖から落ちる自分を助けてくれた彼の勇敢さと優しさにすっかり惚れ込んでしまったのだ。

 

 

「(どうしよう……あの時、無理やりでも断れば良かった……!)」

 

 

一方、その様子を遠くから見ていたスパイダーマンこと(まなぶ)は頭を抱えていた。

二乃(にの)を助けにいったが、あろうことか惚れられてしまい、ダンスにも招待されてしまった。

断ろうにもつい動揺して言葉が出なかったことと、五月(いつき)に見られると面倒なので隠れてしまった。

五月(いつき)を誘おうと思った矢先、自分を毛嫌いしている二乃(にの)と踊ることになるとは思いもよらず、後悔していた。

 

 

「(……でも、あの()が好きなのは僕自身じゃなくて、()()()()()()()()()()()()だ。直接言おうにも正体がバレるかも知れないし、結んだ約束を破ったら、それはそれで傷つけてしまうかもしれない……)」

 

 

スパイダーマンの正体が明かされるのは避けなければならない。

この情報社会が発達している時代。もし、少しでも正体に近付く情報が流されれば、特定されて、私生活に影響が及ぼす可能性がある。特に、スパイダーマンアンチの編集長がいる『デイリー・ビューグル』はしつこく糾弾するだろうし、最悪、裁判沙汰になる。

 

それに姉妹の中で一番気の強い二乃(にの)のことだ。

スパイダーマンの正体が今まで自分がけなしていた天海(あまかい) (まなぶ)と明かせば、怒るどころか、世間に公表する危険性がある。

危ない橋は渡れない。

 

冷や汗をかく(まなぶ)は再度、二乃(にの)に視線を向ける。

ニコニコ笑っている彼女の周りからは、『ぺかー』という擬音が見えてきそうだ。

幸せそうな二乃(にの)を見て、なおさら罪悪感を抱き、頭を悩ませる。

 

 

「よっ、肝試しお疲れさん。ほら」

 

「ッ、ありがとう」

 

 

――僕が2人いればいいのに。

叶わない願いを胸に秘めていると、後ろから親友の涼介がやってくる。自宅から持ってきたのか、缶ジュースを差し入れに来てくれたようだった。

(まなぶ)がひと言お礼を言って受け取ると、(まなぶ)の表情が気になった涼介は首を傾げて尋ねる。

 

 

「……どうした?顔色悪いぞ?」

 

「ああ……肝が冷えちゃって……」

 

「おいおい、脅かす側が冷えてどうするんだよ?」

 

 

(まなぶ)のジョークに涼介はおかしそうに笑うが、(まなぶ)本人は全く笑えておらず、ぎこちない笑みを浮かべていた。

 

 

「機嫌いいけど……何かあったのか?」

 

「……さ、さあ?あ、用事をあったから行ってくるよ。帰ったら神経衰弱でもやろう」

 

「?……ああ」

 

 

二乃(にの)を見て尋ねる涼介に(まなぶ)は目を逸らしてとぼける。

――実は彼女がスパイダーマンである僕のことが好きなんだ……なんてことは口が裂けても言えない。

これ以上考えたくないのもあり、(まなぶ)は疑問符を浮かべたままの涼介を置いて、そそくさと宿舎の外へと歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外へ出た(まなぶ)は風太郎含め、数人の生徒と共に宿舎に隣接しているレンガ倉庫にいた。

この倉庫にはキャンプファイヤーで使う数十本の丸太がある。集まる数人もの生徒はキャンプファイヤーの係で、丸太を広場へ運んで組み立てる仕事を行っているのだ。

 

係ではない(まなぶ)と風太郎が手伝っている理由は、肝試しを手伝ってもらった四葉(よつば)への恩返しである。

重い丸太を運ぶので人手が多いことには越したことはない……。誰1人として、ストップをかけなかった。

 

 

「上杉さんたちが手伝ってくれて助かります」

 

「よし!俺に任せろ!」

 

 

四葉(よつば)の期待に応えるべく、さっそく風太郎は両手で丸太の端を掴んで持ち上げにかかる。

グググ……と両腕と足腰に力を入れるが……

 

 

「はあっ……はあっ……」

 

 

 

丸太は少しも地面から浮かなかった。

歯を食いしばって持ち上げようと奮闘するも、丸太は少しも動かず、ただ息を切らすばかり。

一般の男子高校生でも両手で運べる重さなのだが、身体能力が平均以下の風太郎にはとても成しえない代物だった。

 

そんな風太郎を見かねた四葉(よつば)が丸太の反対の端を持つ。

すると、丸太は水面に乗せたボートのようにフワッと持ち上がった。

 

 

「あはは……上杉さん、無理しないでくださいね」

 

「……」

 

 

風太郎を気遣って苦笑する四葉(よつば)

その笑顔は良いところを見せるどころか逆に気遣われた風太郎には面子丸潰れであり、恥ずかしさから何も言えなかった。

 

 

「よいしょ」

 

 

2人のやりとりをよそに、(まなぶ)も丸太を持ち上げにかかる。

ほんの少し力を込めると、丸太は簡単に地面から離れた。スーパーパワーを持つ(まなぶ)にとっては、この程度の重さは屁でもない。片手でも楽々にいける。

 

しかし、軽々しく力を見せていると、周囲から忌避の目を向けられてしまう。

その孤立感は、まだこの力の意味を理解していないときに昂輝を殴り飛ばしてしまった過去に痛いほど味わっている。

それに、自分がスパイダーマンであることも突き止められる危険性があるので、(まなぶ)は”普通”

”を装って、両手で重そうに持ち歩いているように演技するようにしているのだ。

 

そんな一幕がありながらも、丸太は運ばれていき、広場中央に井桁型に重ねて組み立てていく。

真ん中には薪や小枝などを燃やすスペースを設けている。風で飛ばされる可能性を考慮して、当日に入れる手筈になっている。

(まなぶ)と風太郎?の助力もあって、倉庫に積み上げられていた丸太はあっという間に無くなり、残り1本となった。

 

そのラストバッターは(まなぶ)

これを運び終えたら終わり……。最後なので、気合を入れた(まなぶ)が持ち上げたとき、変な浮遊感があった。誰かに持ち上げられているような感覚だ。

不思議に思った(まなぶ)が丸太の反対の端へ顔を向けると、両腕で支えている一花(いちか)の姿があった。

 

 

「わっ、重っ……おや?よく見たら、マナブ君じゃん。お久しぶり」

 

「お久しぶりって……君、この係だし、持っていくときに何度もすれ違っただろう?会話もしたし」

 

「あははー!そうだった」

 

 

この場で初めて会いましたと言わんばかりの反応をする一花(いちか)(まなぶ)が眉根を下ろしてツッコむと、一花(いちか)はてへっと舌先を出して笑う。

傍から見れば和やかな雰囲気だが、(まなぶ)は警戒心を高めていた。

知り合った頃から、一花(いちか)のからかいに振り回されっぱなしで、乗せられないように努力するも、いつもペースに乗せられてしまう。

出来ればあまりからかわないでほしいが、彼女が悪意を持ってやっていないことは(まなぶ)にはわかっているので、言うに言えないのだ。

 

 

「ねぇ、ダンスの相手決まった?」

 

 

(まなぶ)が丸太をいざ運ぼうとしたとき、一花(いちか)のふとした質問に耳を留める。

――新手のからかいか?シンプルに五月(いつき)を誘うつもりと言ってもからかわれるのがオチなので、はぐらかして答えることにした。

 

 

「いや、まだだけど……」

 

「へ~そうなんだ。五月(いつき)ちゃん、誘わないの?」

 

「考え中。そっちは涼介と踊るんだろ?」

 

「まーねー。特に意味ないんだけど、誘ってくる人が多くてさー」

 

 

間の伸びた声で答える一花(いちか)。彼女は男子の中でも人気があり、あまりにも申し込まれるのが面倒なので、同じクラスで友人の涼介とペアになったのは(まなぶ)も知っている。

笑われものの自分と違って、皆から憧れの眼差しを向けられているのは羨ましくもあった。

 

 

「人気者は辛いね……ッ!?」

 

 

それがあってなのか。

嫉妬心から、ほんの少しいじわるしてやろうと(まなぶ)はそう言って嘲笑するも、一花(いちか)へ顔を向けた瞬間、言葉を失う。

 

―――涙。一筋の涙が彼女の目から頬を伝って流れていたのだ。

そこまで悪気があって言ったわけではないが、傷つけたと思った(まなぶ)は顔面蒼白になって慌てる。

 

 

「え……!?ご、ごめんっ!そんな……傷つけるつもりはなかったんだ!癇に障ったなら謝るよ!」

 

「……違うの。ただ………ごめん。一旦、置いていいかな?」

 

「え?あ、はい」

 

 

顔を俯ける一花(いちか)からいつもと違う雰囲気であることを察した(まなぶ)はかしこまると、丸太を入口付近の壁に立てかける。

動揺を残しつつも(まなぶ)一花(いちか)に涙の意味を問おうとしたとき――

 

 

「よーし、全部運んだわね」

 

「疲れたよー」

 

「「ッ!!」」

 

 

倉庫の外から女子の話し声が聞こえ、(まなぶ)一花(いちか)はどちらからともなく、反射的に立てかけた丸太の陰へ隠れた。

 

 

「これって、隠れる必要ある?」

 

「ははっ……」

 

 

外にいる2人に聞こえないくらいの声量で苦笑する一花(いちか)(まなぶ)は笑い返す。

悪事を働こうというわけでもないので、コソコソ立ち回る必要はない。

しかし、後ろめたい理由がないのにも関わらず、『見られてはマズイ』という気持ちが考えるよりも先に2人の身体を突き動かしたのだ。

 

――これ以上隠れても仕方がない。

(まなぶ)が丸太の陰から身を乗り出そうとした矢先――

 

 

ギィィーーー……ガシャン!ガチャ!

 

「ガシャン……」

 

「ガチャ……」

 

 

と、入口から金属製の扉が閉まるような音と施錠音が倉庫内に響く。

それを耳にして、嫌な予感がした(まなぶ)一花(いちか)が入口に向かうと、扉はピッチリと閉じられていた。

 

 

「嘘、噓噓噓……!!」

 

 

青ざめた(まなぶ)は外にいる人間に出してもらうようにドンドンと扉を叩くが、外にいた女子たちは既に引き払っており、倉庫の周囲には誰もいなかった。

 

――閉じ込められた。

その事実だけがはっきりと伝わった。

(まなぶ)が本気を出せば、このくらいの扉でも楽々に壊せるが、すぐ近くには一花(いちか)がいる。無闇に出せない。

つまり、どうしようもないということなのだ。

 

 

「あはははは……」

 

 

何も出来ない状況に2人は「こりゃ一本とられたね」と、顔を見合わせて笑うしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅いな……」

 

 

その頃、宿舎のロビーではベンチに腰掛ける涼介が缶ジュース片手に(まなぶ)の帰りを待っていた。

別れ際に神経衰弱をする約束をした。待とうとも部屋で待っていられず、すぐに会えるロビーで待つことにしたのだ。

 

だが、遅い。あまりにも遅すぎる。

キャンプファイヤーの準備にしても、長くて1時間くらいで終わる作業だ。

既に作業を終えた生徒たちは30分前には宿舎の方へ帰っていた。

 

 

「何やってんだよ……」

 

 

未だ来ない親友に涼介は少し苛立ちながらも、時計を見上げる。

もうすぐで就寝時間の22時に差し掛かろうとしていた。今帰ってきたとしても、遊ぶ時間はもうないだろう。

その現実に涼介は嘆息をつく。

 

 

「上杉さん!運動にもなって、良かったですね!これぞ、一石二鳥!」

 

「ああ……いい運動になったよ………」

 

 

そんな中、正面玄関の方から2人の男女の話し声が聞こえてくる。四葉(よつば)と風太郎だ。

彼らもようやく作業を終え、帰ってきたのだ。

いい汗かいたー、と元気な顔を見せる四葉(よつば)とは対照的に、体力が限界な風太郎はぜぇぜぇと息を切らしながら皮肉を吐いていた。

 

――同じ作業をしていたあいつらなら知っているかもしれない。

そう思い立った涼介は四葉(よつば)のもとへ駆け寄る。

 

 

四葉(よつば)さん」

 

「あ、緑川さん!どうしたんですか?」

 

(まなぶ)を見なかったか?」

 

天海(あまかい)さん?う~~ん……そういえば見てませんねー……」

 

 

涼介に尋ねられた四葉(よつば)は顎に手を当てて、首を傾げる。

四葉(よつば)は先程まで一緒に作業をしていたのですれ違った姿は覚えているが、あまり意識して見てはいなかった。

記憶に詳細なデータがないことを尋ねられたので、声を唸らせることしかできなかった。わからなすぎて、頭頂部のうさ耳のようなリボンもクエスチョンマークを作っていた。

 

 

四葉(よつば)一花(いちか)知らない?」

 

 

3人が(まなぶ)の行方について考えている中、三玖(みく)が尋ねてやって来る。その後ろには五月(いつき)の姿もあった。

彼女らも一花(いちか)の帰りが遅いことを心配してやって来たのだ。

 

 

「ううん……見てない………あっ!でも、倉庫に行くのを見たかも……」

 

 

首を横に振る四葉(よつば)だったが、少ない記憶から割り出した光景を思い出す。

はっきりとそうであるかは自信はないが、倉庫のある方向へ歩いていく姿を目撃した。

そうとわかるな否や、五月(いつき)はいの一番に声を上げる。

 

 

「わかりました。なら、私が探してきます」

 

「おっと。俺もついていくよ。こんな夜道に女の子一人で行かせるわけにはいかないからな」

 

「緑川君、ありがとうございます!」

 

 

ペコリと律儀に頭を下げる五月(いつき)に涼介は「いいってことよ」と言わんばかりに微笑む。

さっそく、五月(いつき)と涼介は倉庫の施錠を解くため、鍵を管理している教師のもとへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この前、夜に目が覚めてリビングに行ったんだけどさー……台所から灯りがついていたの。深夜2時くらいだから、誰も起きてるはずがないの。で、台所に行ったら五月(いつき)ちゃんがいたんだ」

 

「え、それで?」

 

「うん。何してるのかなーってコッソリ見たら、シュークリームを食べてたんだよ。夜中にね。それで『夜食したら太っちゃうよ?』って言ったらさ、面白いこと言ったの!」

 

「何て言ったの?」

 

「『これは水分補給と同じです。これを”食べ物”と自覚しない限り、いくら口にしても太りません』って!アハハッ!それがおかしくてさ~!」

 

「ははっ!無茶苦茶な理論だな~」

 

 

一方、倉庫に閉じ込められた一花(いちか)(まなぶ)は入口の扉によっかかって座っていた。

現状、どうしようもないので助けが来るのを待つしかないが、ただ待つのも退屈なので、こうして談笑していた。

始めは何か罠があるのかと警戒していた(まなぶ)一花(いちか)の話の面白さにすっかり魅了され、気付いたら興味津々に聞いていた。

 

 

「冷えるね~」

 

「ああ。厚着してくれれば良かった」

 

「同感。あと暖房も」

 

 

談笑していた2人だが、冬近くの倉庫の寒さに身を震わせる。

暖房もない倉庫は夜もあって冷え冷えとしており、扉や床、壁も全て氷のように冷たくなっていた。

しかも、一花(いちか)(まなぶ)は上着一枚のラフな服装。そんな恰好で、ただでさえ冷えている倉庫にいるのは厳しい。

2人は口々に後悔を呟いた。

 

秋の夜の冷たさを前に余裕がなくなり、会話が途切れる。

いつも余裕綽々な一花(いちか)でもこの寒さには大分応えており、寒そうに体操座りのまま、身を固めていた。

話のペースが乗ってきたのを崩すわけにはいかない、と思った(まなぶ)は自分から話を振る。

 

 

「……ねぇ?何かモノマネっていうか、演技してみてよ」

 

「え?」

 

「あ……女優業やってるのは知ってるけど、生で見たことないから。良かったら、見てみたいなーって……」

 

 

唐突の提案にきょとんと顔を向ける一花(いちか)

『何か面白い話をしてよ』といきなり振られたときに似た反応だ。

予想外の反応に(まなぶ)は言葉を詰まらせながらも、精一杯伝える。

すると、一花(いちか)はクスリと笑うと、その場から立ち上がり――

 

 

「しょうがないなー。そこまで言われたら、お姉さん断れないよー。特別にやったげる」

 

「ありがとう」

 

 

と、いくらか余裕を取り戻したのかいつもの口調で提案に乗る。

機嫌を損ねなくて良かったと(まなぶ)がほっと安堵していると、一花(いちか)(まなぶ)の正面に立ってモノマネをし始める。

 

 

「ちょっと、天海(あまかい)!私から20m離れなさいよ!」

 

「え?二乃(にの)だ!」

 

「……抹茶ソーダ、飲む?」

 

三玖(みく)!」

 

「あまかいさんってどういう字なんですか?」

 

「はー、四葉(よつば)だ!」

 

「お腹空きました~~!」

 

五月(いつき)だ!凄いな!」

 

 

一花(いちか)の多彩な演技力に(まなぶ)は脱帽する。

声だけでなく、身振りしぐさ、顔の動きなども忠実に再現していた。

あまりの演技力に”凄い”と言わざるを得ず、気付けば拍手を送っていた。

 

 

「凄いよ!ここにいないのに、本人かと思っちゃったよ!」

 

「喜んでくれて、ありがとう。じゃあ、アンコールに応えて、狼狽えるマナブ君のマネでも……」

 

「いや、それは結構。アンコールしてないし」

 

 

一花(いちか)の提案をキッパリと断る(まなぶ)

それはそれで見たい気がするが、彼女の演技力から普段の自分を見るようで恥ずかしくなる。

一花(いちか)は「自信あったのにー」とぶつくされながら、元々座っていた(まなぶ)の隣へ座った。

 

しばらくいつもの余裕の表情を見せていた一花(いちか)だったが、ふっと沈んだ表情に変わる。

足先から続く床を見ながら、ボソッと呟く。

 

 

「………私、学校辞めるかも」

 

「えっ」

 

 

その呟きを聞き逃さなかった(まなぶ)は凍り付く。

学校を辞める……。その不安を煽る一言は、これまで聞かせてくれた話のどれよりも衝撃的だった。

驚きの表情を向ける(まなぶ)一花(いちか)は自嘲的な笑みを浮かべる。

 

 

「お祭りのときに受けた映画のオーディション……。あれ以来、たくさんのドラマや映画のオーディション受けても落とされてばかりでさ………上手くいってないんだ。学業と演技のレッスンの両立ってやっぱ厳しくて、事務所の同年代の子たちも留年覚悟で休んだり、融通の利く学校に転校してるみたい」

 

「そんな……あんなに良い演技してたじゃない。素人の僕からしても上手かったと思ったのに、辞めるって……」

 

「いい。ほら、私って知っての通り、学業は絶望的だからさ、高校には未練がないかなーって。演技の先生にも『役者の世界を選ぶか、学業を取るのかはあなた次第』って言われて……。でも、私、オーディションに落とされてばかりだし、どっちを選んでもキツイよね?」

 

 

一花(いちか)はそう自嘲気味に言うが、(まなぶ)には全く笑えなかった。

アカデミー女優……その遠くも輝く夢。夢の実現のために学業の合間を縫って奮闘する彼女を笑えるはずがなかった。

笑みを浮かべていた一花(いちか)だったが、すぐに悲しそうな顔に変わると、両膝の前に組んでいた腕にすっぽりと顔を埋める。

 

 

「自分で選んだのに……」

 

「……」

 

 

一花(いちか)の物悲しい呟きに(まなぶ)は何とも言えない顔を浮かべる。

(まなぶ)はあのときに流した涙の意味がわかった。上手くいっていないときに『人気者』なんて言われれば、意図してなくとも心に突き刺さる。自分の失言を反省した。

いつもお姉さんぶっている一花(いちか)も自分と同じ悩みを抱える10代の少女なのだ。

 

だが、このままにしておくのはいけない。

こんな悩みを抱えている一人の少女を前にして、見過ごすわけにはいかなかった。

(まなぶ)は慎重に言葉を選びながら、話しかける。

 

 

「……あー……その、あまり卑下しない方がいい。君はしっかりやれてるよ。辞める必要なんてない」

 

「……え?」

 

 

(まなぶ)の言葉に耳を傾けた一花(いちか)は伏せていた顔を上げて、クリっとした大きな目で見つめる。

興味を持ってくれた好機と、(まなぶ)は話し続ける。

 

 

「素人の僕が言うのもなんだけど、本当にいい演技してたと思うよ?」

 

「……そう?」

 

「うん。だって、君は”アメイジング”だ。言葉通りに受け取ってよ?君は本当に素晴らしいよ……君はアメイジングだ。自分で言ってみて?」

 

 

とにかく褒める。(まなぶ)が精一杯思い浮かべた最適解はこれだった。

自信を無くしている一花(いちか)にとっては論理的に言うよりも、感情で慰める方が効果があると踏んだのだ。

 

 

「……ぷっ、あははっ!!何それー!」

 

 

その効果あってか、一花(いちか)は吹き出すと、面白おかしく笑う。

笑う意味はなかった。ただ、笑いが込み上げてきたから笑ったまでである。その笑いは、先程まであった悩みも吹き飛ぶ勢いだった。

励ますつもりが意図せず笑わせてしまったことに(まなぶ)は苦笑しながら尋ねる。

 

 

「おかしかったかな?」

 

「あははっ!何でもない。ただ、うじうじしていた自分がおかしくって……!フータロー君なら、『俺の給料はどうなる?』とか、言いそうだよねー」

 

「ああ。彼なら、言いそうだ」

 

 

風太郎の声真似しながら話す一花(いちか)の想像に微笑んで頷く(まなぶ)

風太郎の普段の口ぶりから台詞を想像するのは容易い。風太郎本人は悪気があって言ってるのではなく、素直になれないところから来ているものだ。

 

 

――トクンッ

 

 

精一杯考え、励ましてくれる。

たどたどしいながらも気力を与えてくれる(まなぶ)の行動に、一花(いちか)は胸の高鳴りを感じるが……

 

 

「(いけない、いけない……。吊り橋効果に惑わされちゃ……)」

 

 

と、自分に言い聞かせ、高鳴る胸の前に手をそっと添える。

これは彼にときめいたのではなくて、閉鎖的な環境に置かれた心理によるものに違いない、と。

それに(まなぶ)が好きなのは五月(いつき)である。異性として好きになるなどあってはならない。

 

 

「よっと……ッ」

 

グラッ……

 

 

一花(いちか)は気持ちを切り替えようと立ち上がるが、踏み外して立てかけていた丸太に足をぶつけてしまう。

重心がずれた丸太は重力に従って、その2mを優に超える長さをもって一花(いちか)の方へ倒れようとしていた。

 

 

「――ッ!」

 

 

血相を変えた(まなぶ)は飛び出すように立ち上がる。

そして、素早く一花(いちか)の腰を腕で引き寄せながら、左回りにターンしながら丸太を避けた。

丸太が扉にぶつかる音が倉庫内に響く。

 

 

「……」

 

「大丈夫?」

 

 

一瞬の出来事に一花(いちか)は言葉を失っており、安否を確認する(まなぶ)の声も聞こえなかった。

 

すぐに我を取り戻した一花(いちか)は現在の自分の体勢に気付く。

後ろへ倒れ込む自分の背中を(まなぶ)が腕で抱えている……さながら、社交ダンスの振り付けのような体勢だった。

なので、顔の距離も自然と近いものとなっていた。

 

 

「怪我……ないみたいだね……」

 

 

返事がないことに不安を持ちつつも、ひとまず微笑む(まなぶ)

何事もなく良かったと安堵してのものだった。

しばらくして、扉の衝撃を受けた防犯センサーが警報音を鳴らす。

 

 

ビー!ビー!ビー!

 

「~~~ッ!」

 

 

警報音が鳴ると同時に、顔の距離が近いことで一花(いちか)は一気に頬を赤らめる。

倉庫中に鳴る警報音は彼女の胸の高鳴りを現すかの如く、激しく響いていた。

幼さを持ちながら、どこか逞しく哀愁を感じさせる(まなぶ)の笑顔に一花(いちか)は顔の熱が高くなっていることを感じていた。

 

一花(いちか)がドキドキと胸の早鐘を打つ中、防犯センサーからアナウンスが鳴る。

 

 

《衝撃を感知しました。30秒以内にアンロックしてください。解除されない場合、直ちに警備員が駆け付けます》

 

「えっ!ちょっと、やば!は、放してっ!」

 

「ああっ!?ちょっと、暴れないで!転んじゃう……うわっ!?」

 

「きゃあっ!?」

 

 

アナウンスの内容に加え、急に恥ずかしくなった一花(いちか)は降ろすようジタバタ暴れ出す。

(まなぶ)は慌てて止めようとするが、暴れたことに伴ってバランスを崩し、床へ倒れ込んでしまう。

 

 

ガチャ!

 

 

丁度、2人がすったもんだしているとき、扉の施錠が解かれる音と共に警報音が止まった。

扉が開けられると、外から五月(いつき)が入ってくる。

 

 

天海(あまかい)君、一花(いちか)。いますか――――ッ!?」

 

「あ」

 

 

五月(いつき)は2人の安否を確認しようと声をかけるも、目の前の光景に唖然とする。

目を丸くしてこちらを向く(まなぶ)一花(いちか)を押し倒しているような体勢だった。

それもそうだろう。扉の先にいる男子が女子を押し倒している………しかも、相手は友人と自分の姉だ。いかがわしいことをしようとしているにしか見えなかった。

 

 

「~~ッ!」

 

「あ!ちょっと、五月(いつき)さん!?」

 

 

見てはいけないものを見てしまった羞恥に頬を赤らめた五月(いつき)は回れ右して、その場から逃げるように駆け出す。

反対側から少し遅れてやってきた涼介にも顔を合わせず、一心不乱に夜道を駆けていった。

 

 

「何なんだ……?」

 

 

ことの顛末を知らない涼介はすれ違い様に去っていった五月(いつき)の後ろ姿を、困惑した眼差しで見つめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

倉庫から100mほど離れた木々の陰に身を隠す五月(いつき)

(まなぶ)一花(いちか)を押し倒しているような光景を目の当たりにしてつい動揺してしまい、反射的に逃げ出してしまった。

 

はぁはぁと切らした息を整えると、冷静に状況を整理する。

一花(いちか)(まなぶ)を探しに教師から鍵を借りて、倉庫へ行ったら、(まなぶ)一花(いちか)に乗りかかっていた。

只事ではない……。友人関係の男女であるのなら、絶対にあり得ないシチュエーション。より親密な関係でなければしない行動である。

目撃情報から、五月(いつき)はひとつの答えを導き出す。

 

 

「(天海(あまかい)君は一花(いちか)のことを……)」

 

 

――好き?

友人としてでなく、()()()()()()()だということだ。

そんなに意識しているようには思えなかったが、思い返せば、2人で登校してきたり、廊下で談笑しているときもあった。

恋愛関係であることを大っぴらにしないことが、より現実味を深ませる。

 

 

「(……嘘っ!?)」

 

 

――一花(いちか)天海(あまかい)君が恋仲?

その妄想に五月(いつき)は冷静でいられず、ドクンドクンと早鐘を打つ胸は爆発しそうなぐらい高鳴り、顔は熟れたリンゴのように真っ赤に染まっていた。

やかんであれば蒸気が飛び出そうなくらいだ。

 

 

「(ああ、お母さん。私、どうすればいいのでしょう……!)」

 

 

ありえないと思うが、現実……。

考えれば考えるほど混乱し、頬を手に当て、今は亡き母に助けを求めるのだった。

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
①裁判沙汰になる
 「スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム」(2021)では、スパイダーマンの正体がピーターと明かされたことで、私生活に多大な悪影響を及ぼした。
 実際、ミステリオ殺害、スターク社のドローンを使ってのテロ行為の容疑で裁判沙汰になり、学校にもまともに通えなく、志望の大学から入校を断られた。

②「君はアメイジングだ」
 「スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム」(2021)にて、ピーター2がピーター3に対して放った台詞。ピーター3役であるアンドリュー・ガーフィールドが憧れたピーター2こと、トビー・マグワイアに認められたような夢の瞬間でもある。




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#18 五月(いつき)を探せ!

 

 

「いやー悪いね」

 

 

宿舎の寝室。多くの生徒がスキーで出払っている中、中野家の長女――一花(いちか)はぐったりとベッドで横になっていた。

彼女が体調を崩した理由は昨日、(まなぶ)と倉庫に閉じ込められた際、身体を冷やしてしまったからだ。

まだ秋とはいえ、夜の倉庫は極寒……薄着であるのなら、風邪をひくのも当然のことだった。

今は五月(いつき)の看病を受けながら、安静にしていた。

 

 

「こんなときに体調を崩すなんて、ついてないなー」

 

「事故とは不注意が招いた結果です。反省して、日中は大人しくしていてください」

 

「え~~~」

 

 

絶対安静を言い渡されてぶうぶう文句を言う一花(いちか)に対し、五月(いつき)は駄目だと嘆息をつく。

一生に一度の学校行事だ。体調が悪いといっても微熱が出ている程度なので、一花(いちか)は参加したかったが、真面目な五月(いつき)が許すはずもなく、泣く泣く従うしかなかった。

 

しかし、一花(いちか)も自分の看病で妹の貴重な時間を奪うわけにはいかなかった。

時間はまだあるが、それも一瞬。限られた時間での思い出を看病だけに費やしてほしくなかった。

もっと楽しんでほしい……一花(いちか)は気だるさを感じながらも、五月(いつき)に話を振る。

 

 

「あー……五月(いつき)ちゃんは私に付き合わなくてもいいから、スキーしてきな」

 

「ですが……」

 

「大丈夫。私も回復したら合流するから……それとも、マナブ君と顔合わせ辛い?」

 

「……ッ」

 

 

一花(いちか)の問いに五月(いつき)は言葉を詰まらせる。

五月(いつき)は昨晩、倉庫に迎えに行ったが、(まなぶ)一花(いちか)を押し倒しているいかがわしい光景を目にして、つい逃げ出してしまった。

それを目撃して以降、(まなぶ)が自分の姉を異性として意識していると思い、どう顔を合わせればいいかわからず、露骨に避けていた。

 

 

「あの日、食堂で会ったときには考えもしませんでした……まだ、日も浅いです。まさか、こんなことになるなんて……」

 

「あはは……ま~あれは事故のようなものだし……」

 

 

難しい表情を浮かべる五月(いつき)一花(いちか)は苦笑する。

妹が何に悩んでいるのかは大体把握できるので答えるも、五月(いつき)の表情は柔らかくならなかった。

ここ一ヶ月以上、(まなぶ)と風太郎が家庭教師に就いてから、彼女たちの生活がガラッと変わった。

以前は同年代の男子を入れることは珍しいことだったが、今は当たり前になっている。距離感も出会った当初と比べれば、より近いものとなっている。

――そう考えれば、恋仲に。五月(いつき)は自然と連想したのである。

 

 

「そんなに悪い人に見えるかな?」

 

「ッ!そ、そういうわけでは……!」

 

 

苦笑する一花(いちか)の問いかけに五月(いつき)は慌てて否定する。

(まなぶ)は自信なさそうで、風太郎は口が悪い。けれど、彼らが悪人と言えばそうではないことは五月(いつき)もわかっていた。

「ですが」と付け加えると、五月(いつき)は動揺から冷静な面持ちに切り替え――

 

 

「……友人ならまだしも、男女の仲となれば話は別です。私は彼のことを何も知らなさすぎる……。男の人はもっと見極めて選ばないといけません……」

 

 

と、自分に言い聞かせるように語る。

五月(いつき)は自分たちと母親を捨てた父親のことが頭に過った。

母親は父親を信じ、結婚に至った。父親の持つ魅力に惹かれたのだろう。

きっと生涯を共にしてくれる、と。

 

しかし、現実は違った。

父親は真に”父親になること”を恐れ、逃げ出した。

その結果、心を痛めた母親は最後の最後まで後悔に満ちた人生を送ることになってしまった。

 

 

「それが親しい人ほど……」

 

 

――だから、警戒する。

(まなぶ)や風太郎は実の父親ほどの人間でないのかもしれない。逆に言えば、そうである保証もないということだ。

愛情を注いで信頼した人に裏切られた辛さ、悲しみは五月(いつき)自身が憧れていた母親の姿を通して理解している。

 

静かに聞き届けた一花(いちか)は生唾を呑むと、口を開く。

 

 

「…………五月(いつき)ちゃんはまだ追ってるんだね……。大丈夫、あの2人はお父さんとは違うよ」

 

 

五月(いつき)の心情を汲み取った一花(いちか)は彼女とは反対の意見を述べた。

母親の二の舞にならないために警戒しているということは理解していた。

だからこそ、彼らが自分たちを捨てた父親とは違う……断言できないが、そう信じたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、宿舎近くのスキー場は、旭高校の生徒を含めた観光客で賑わっていた。

斜面に広がる真っ白な雪原は太陽の光を受けて眩しく輝いていた。

 

 

「はぁ……」

 

 

大勢の観光客が滑る中、(まなぶ)はただ1人、ポツンと佇んでいた。

昨日の倉庫の出来事はすぐに教師の耳に入り、一花(いちか)共々説明するはめになった。

当然、夜中に誰もいない倉庫にいたことで2時間も説教を食らい、よく眠れなかったこともあって、気持ちは沈んでいた。

五月(いつき)を誘おうにも2人きりになれるタイミングもなく、ナイーブな気持ちだけが残っているので、自然と嘆息が漏れた。

 

そんな(まなぶ)の様子を後ろから伺う影が3つ。昂輝とその取り巻きだ。

今回も(まなぶ)への悪巧みを図っていた。

 

 

「(俺がフラれたことを知って、一花(いちか)さんといちゃつきやがって……!)」

 

 

昂輝は(まなぶ)への嫉妬を抱いていた。

別に踊るわけでもないのにも関わらず、一花(いちか)と倉庫で2人っきりだったことに。

(まなぶ)も昂輝への嫌がらせで起きたことではないので、完全な逆恨みだった。

そんなことも露知らず、馬鹿にされたと思った昂輝は威厳を取り戻すべく、(まなぶ)へいたずらしてやろうと考えたのだ。

 

 

「へへへ……それっ!」

 

 

昂輝と取り巻きは掬った雪を掌で丸め、テニスボールサイズの雪玉を作ると、余所見をしている(まなぶ)目掛けて投げた。

どんなアスリートでも、背後に目がない限り、確実に食らってしまうだろう。

 

 

≈「――ッ!?」≈

 

 

ただ、それが()()()()()()()()だ。

スパイダーセンスを持っている(まなぶ)は背後から飛んでくる雪玉を察知すると、横へ飛んで回避する。

たて続けに雪玉が飛んでくるが、左右後ろにステップで避けていく。

昂輝たちは雪玉を投げ続けるが(まなぶ)にはかすりもせず、(まなぶ)の足元の雪にポスッポスッと埋まっていくばかりだった。

 

 

「くっそ!何であんなに動けるんだよ!」

 

 

涼しい顔で軽々と避ける(まなぶ)に苛立ちを募らせる昂輝。

人間を超えた身体能力を持つ(まなぶ)にとってはスキー場の雪で足を取られるようなことはなく、土のグラウンドで反復横跳びするような感覚だった。

 

 

「ふんっ!」

 

ポスッ

 

「「「あっ」」」

 

 

昂輝が渾身の力を込めて真っ直ぐ雪玉を投げ飛ばすと、何かに当たった音が鳴る。

ようやく当たったと思ったのも束の間、当たったものを目にして口をあんぐりと開ける。

 

 

「……」

 

 

当たったものの正体は強面の男性――生徒指導の教師だった。

ここにいるのは見回りのため、たまたま(まなぶ)と昂輝たちの間を通りかかったのだ。

生徒指導の教師が怖いのは旭高校の生徒なら誰でも知っており、(まなぶ)も昨日怒られたばかりだ。

そんなに恐れられる教師――しかも顔面に雪玉を当ててしまった。

 

生徒指導の教師は頭の雪を払って、雪玉が飛んできた方向へ顔を向ける。

青ざめている昂輝たちを目にした瞬間、犯人と断定して眉間にしわを寄せ、大声で怒鳴る。

 

 

「ごらぁぁぁーーーッ!!!」

 

「やっべ!逃げろっ!」

 

「置いていくなよ~!」

 

 

怒号に肩をビクッとすくめた昂輝はブワッと焦燥の汗を流すと、向かっている生徒指導の教師から逃げ出す。

取り巻きたちも雪に足をすくわれて転びながらも、昂輝の後を追って逃げていく。

その様子を(まなぶ)は内心、ざまぁみろとほくそ笑みながら、後にしようと振り返ると――

 

 

「どーも」

 

「――わっ!?」

 

 

いつの間にいたのか。ニット帽とスキーゴーグルを装着した女性が立っていた。

女性の方は親しげに声をかけるも、驚いた(まなぶ)はすっ転び、しりもちをつく。

過剰な反応に不思議そうに顔を覗き込む女性に対し、(まなぶ)は動揺を隠せないまま尋ねる。

 

 

「ど、どちらさまで……?」

 

三玖(みく)。ほら」

 

 

そう言って、女性がスキーゴーグルを上へずらすと、(まなぶ)がよく知る三玖(みく)の顔があった。

見知った顔だと知り、(まなぶ)は驚きで飛び上がっていた心臓を元へ戻す。

 

 

「お、驚かさないでよ~……!心臓が止まるかと思った……」

 

「ごめんね」

 

 

三玖(みく)の謝罪を受けながら、(まなぶ)は立ち上がり、尻についた雪を払う。

彼女の言葉から悪気はなかったようだ。

三玖(みく)は普段から物静かなので、たまに存在感が無くなるときがある。背後を取られることが多々あり、スパイダーセンスを持っても回避が出来なかった。

なので、(まなぶ)は不意を突かれる度、彼女の前世は忍者か暗殺者か何かではないかと常に思っている。

 

 

「さっきの凄かったね。雪玉全然当たらなかった」

 

「えッ!?ああ……!最近、筋トレにハマって……」

 

「そうなんだ……」

 

 

唐突な三玖(みく)からの問いにまたもや不意を突かれた(まなぶ)は目を泳がせながらも誤魔化した。

昂輝との雪玉のやりとりを三玖(みく)は目撃したのだ。

一花(いちか)はまだわかりやすい反応を示すが、三玖(みく)はあまり感情を表に出さないのでそれが気がかりで感づかれているのではないかとヒヤヒヤしている。

(まなぶ)はまた軽はずみに能力を使ったことを反省した。

 

 

「あれ?三玖(みく)。滑らないの?」

 

二乃(にの)

 

 

そんな話をしていると、二乃(にの)がやってくる。

このスキーは自由参加なので宿舎に残っててもいいのだが、遊びに行きたいのが大半だろう。二乃(にの)もその一人ということだ。

 

――仲間外れが嫌いだったな、と(まなぶ)が妙に納得していると、二乃(にの)と目が合う。

逆鱗に触れてしまったと思った(まなぶ)はすぐに目を逸らすが、反対に二乃(にの)は詰め寄る。

怒られると内心怯えながら、(まなぶ)は苦笑いで近付いてきた二乃(にの)に尋ねる。

 

 

「……何かな?」

 

「彼、何て言ってた?」

 

「……?彼って……?」

 

「…………あーーもうっ!」

 

 

”彼”と尋ねられるも検討がつかない(まなぶ)は首を傾げていると、ニコニコ笑っていた二乃(にの)は一変。

痺れを切らして声を荒げると、続けて声を発する。

 

 

「スパイダーマンよ!あんた知り合いなんでしょ!?」

 

「え、あ~……」

 

 

二乃(にの)の言葉に(まなぶ)は思い出す。

昨晩にスパイダーマンとして二乃(にの)を助けた結果、彼女からダンスのペアになるよう誘われたことを。

あのときは混乱したこともあってすぐに断れず、逃げるように隠れてしまった。

昨晩はずっとその件について悩んでいたが、すぐに倉庫に閉じ込められ、教師の説教で記憶の片隅から吹っ飛んでしまっていた。

 

 

「それで返事は?」

 

 

目を爛々と輝かせ、返事を待つ二乃(にの)

良い答えが返ってくることを期待しているのは明白だった。

(まなぶ)は期待とは真逆のことを伝えようとすることに罪悪感を感じつつも、自分がスパイダーマンであることを隠して伝えることにした。

 

 

「彼は……来られなくなった。困っている人のもとに行かないといけないって……」

 

「そう……残念」

 

 

(まなぶ)――スパイダーマンの返事を聞いて、二乃(にの)は残念そうな顔を浮かべる。

仮にスパイダーマンとして現れたとしても、自分はお尋ね者の身。学校関係者が見れば、大騒ぎ間違いなしで、林間学校どころじゃなくなってしまう。

二乃(にの)の期待を裏切ることになるが、これが最善なのだと(まなぶ)は内心言い聞かせた。

 

姉の異常な惚気に三玖(みく)は唖然とする。

 

 

「……意外。面食いの二乃(にの)が顔がわからない人が気になるなんて……」

 

「ふふっ、言ってなさい、三玖(みく)。私にはわかるわ……きっと、イケメンよ!あのマスクの下はアンドリューに似ているのかしら?もしかしたら、トム・ホランド似かも!」

 

「あんまり期待しない方がいいかも……」

 

 

変に妄想を膨らませて黄色い声を出す二乃(にの)(まなぶ)は固い笑顔で答える。

何せ、そのスパイダーマンの正体は、アンドリューやトムに似ても似つかない……今まさに目にしている(まなぶ)なのだから。

それを耳にした二乃(にの)は不思議そうな顔で尋ねる。

 

 

「……妙に知ったような口ぶりね。あんた、彼の顔知ってるの?」

 

「あ!いや、知らない。前に見せてくれって言ったけど断られた」

 

「そう、そうよね。愛する人の前でしか見せないのだわ。ふっふふっ……!」

 

 

失言してしまったと一瞬焦る(まなぶ)だが、適当に誤魔化すと、満足したのか、またもや妄想を膨らます二乃(にの)。頬に手を当てて照れる二乃(にの)の口からは怪しい笑みがこぼれていた。

 

 

「――のあぁぁーーーーッ!!?」

 

ポスッ!

 

「「「!?」」」

 

 

そんなやりとりをしていると、悲鳴が近付いてきたと思うや否や、近くの積雪に衝突する音が聞こえた。

驚いた3人が音の発生源に近寄ると、雪まみれの風太郎が雪の上で寝転んでいる姿があった。

風太郎が倒れている場所から斜面にスキー板の痕が続いているので、大方、コントロールできなくて突っ込んでしまったのだろう。

三玖(みく)(まなぶ)は急いで助け起こす。

 

 

「いってぇ~~……!」

 

「平気?フータロー、何やってたの?」

 

「ああ。一花(いちか)四葉(よつば)と鬼ごっこしてたが、止まり方がわからなくてな……」

 

「無理しないでよ」

 

「善処する……」

 

 

(まなぶ)に諫められた風太郎はそう言って2人の手を借りて起き上がる。

(まなぶ)は風太郎が運動音痴なのは知っている。苦手なことを無理して頑張ろうとしたら却って痛い目に遭うことは、特殊な蜘蛛に噛まれる前の自分の経験でよく身に染みている。

だからこそ、無茶なことは他人にもさせたくない。

 

 

「上杉さん、見~~つけた………あれ?みんな揃ってる」

 

 

そうこうしていると、続いて四葉(よつば)とマスクを着けた一花(いちか)が滑り降りてくる。

五月(いつき)を除いたいつものメンバーが出揃った状況に、四葉(よつば)が首を傾げていると、雪まみれの風太郎を見た一花(いちか)は声をあげる。

 

 

「わ~……フータロー君!真っ白けだね!ガトーショコラみたい!」

 

「美味しく出来上がったよ……言い出しっぺの一花(いちか)さん!」

 

「あはは~……ごめん、ごめん」

 

 

毒吐く風太郎に一花(いちか)は申し訳なさそうに苦笑する。

風太郎は責める気で言ったわけではなく軽口でなのだが、とりあえず謝る一花(いちか)。いつも通りの光景だ。

 

 

「……寝てなくて大丈夫なの?」

 

「ゴホッゴホッ……へーきへーき。ちょっとだるいだけだからさー」

 

「あんたね~……」

 

 

心配する三玖(みく)一花(いちか)は軽い咳払いをしながら、冗談っぽく元気をアピールする。

姉の奔放ぶりに二乃(にの)は呆れて嘆息をつくが、五月(いつき)がいないことに気が付く。

 

 

「ところで五月(いつき)は?」

 

「考え事したいから、一人で滑るってさ」

 

「ふ~ん、そっか」

 

 

一花(いちか)からの返答に二乃(にの)は納得した声をあげる。

五月(いつき)の状況を知った(まなぶ)はふと、思った。

 

 

「(これって2人きりになれるんじゃ……?)」

 

 

2人きりになれる……すなわち、ダンスのペアに誘うチャンスということを示していた。

林間学校が始まってから周りの目があり、中々誘う機会が伺えなかった。しかし、今、彼女が一人だということはそのリスクを背負う必要はない。まさに千載一遇のチャンスだった。

 

 

「よーし!じゃあ、天海(あまかい)さんも入れて、鬼ごっこしましょう!次は二乃(にの)が鬼!」

 

「は!?まだやるって言ってないけど……第一、鬼ごっこなんて子供っぽいことやってられないわ。やるなら、私抜きでやりなさい」

 

「えー?小さいとき、サッカーに付き合ってくれたのにー」

 

「それは昔の話よ。もうごっこ遊びする歳じゃないでしょ?」

 

「やろーよ、やろーよ!絶対、楽しいのにー!」

 

 

参加する意思を見せない二乃(にの)にブーブーと駄々をこねる四葉(よつば)

四葉(よつば)二乃(にの)が鬼ごっこをするしないで言い合っているが、ダンスのことが優先の(まなぶ)には関係なかった。

(まなぶ)は一刻も早く五月(いつき)を探すべく、抜き足差し足で立ち去ろうとするが――

 

 

「私もパス。マナブ君が滑り方教えてほしいって」

 

「………ッ!?」

 

 

直前で挙手する一花(いちか)に捕まってしまう。

唐突の提案に後退する足が止める――否、止められてしまった。

頼んだ覚えのない頼みに(まなぶ)は驚愕のあまり、抗議の声をあげることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うまいね~!その調子!」

 

「あ、うん……」

 

 

その後、特に反対する意見もなく、(まなぶ)一花(いちか)からスキーのレクチャーを受けていた。

一花(いちか)から称賛の声があがるも、(まなぶ)の反応は薄く、五月(いつき)をダンスに誘いたい一心でいっぱいであり、一刻も早く抜け出したかった。

 

(まなぶ)の反応の薄さか、それとも心情を見透かしてか。

一花(いちか)は神妙な顔を浮かべると、(まなぶ)に尋ねる。

 

 

「確認したいんだけど……昨日のこと、誰にも言ってない?」

 

「ッ、もちろん。言えないよ、あんなこと……」

 

 

昨晩のことをはっきりと覚えている(まなぶ)はうんうんと頷く。

一花(いちか)が倉庫で話したこと――それは高校を中退するかもしれないという中々衝撃的なものだった。

 

当然、これを周囲――特に中野姉妹に話せば、余計な心配を与えてしまう。

辞めてほしくないという善意で行ったとしても、一花(いちか)にとってはマイナスで、さらに負担を与えてしまうので、この件は誰にも話さない気でいた。

 

 

「……」

 

「?」

 

 

(まなぶ)の守秘を貫く姿勢に一花(いちか)は安心するどころか、何故か表情を曇らせていた。

予想とは違う反応に(まなぶ)がどうしたのか尋ねようとしたとき――

 

 

「マナブ君。五月(いつき)ちゃんのこと、どう思う?」

 

「え?」

 

 

口を開く前に一花(いちか)が唐突に尋ねる。

先程とは全く関係ない話に(まなぶ)は呆けた顔を浮かべる。

――新手のからかいか?と疑うも、彼女のいつになく真剣な顔を見て、そうでないことがはっきりとわかる。

(まなぶ)はひと息吸って、心を落ち着かせると、異性として見ていることを隠しながら、ありのままの想いを告げる。

 

 

「そうだな……彼女はいつも真面目でとっても優しいんだ。頑張ろうって気持ちが人一倍強い。それでいて、どこか抜けてるところがあって……支えてあげたいって思うんだ。不器用で意地っ張りなところがあるけど、そこが逆に良いって――」

 

「~~~ッ!も、もういいから!天海(あまかい)君の思ってることはわかったから!」

 

「?」

 

 

(まなぶ)は自分でも驚くぐらいスラスラと気持ちを述べるが、一花(いちか)の恥ずかしそうな声に遮られてしまう。

自分のことじゃないのに妙に恥ずかしがる様子に(まなぶ)が疑問を抱いていると、一花(いちか)はまたもや真剣な顔で言う。

 

 

「……お願い。良かったら、五月(いつき)ちゃんを探してあげて。本当は寂しいはずだから……」

 

 

(まなぶ)一花(いちか)の青い双眸に捕らえられ、固唾を呑む。

彼女は普段だらしない姿を見せることが多いが、たまに真剣な顔を覗かせることがある。今日は特にだ。

このスキー場は自分たちの学校だけでなく、色々な地域から一般客も押し寄せている。

大勢の人間がいるということは、悪いことを企む人間もいるということ。もし、五月(いつき)が絡まれでもしたら、一大事だ。

 

それに加え、カラカラだった喉を水で潤すように、ダンスを誘うチャンスが巡ってきた。

これを断るわけがない。

一花(いちか)の目力から、どこか試されているように思えた。

 

 

「わかった。探してくるよ」

 

「お願いね」

 

 

(まなぶ)は快く承諾すると、慣れたスキー捌きでゲレンデを下っていった。

遠ざかっていく後ろ姿を一花(いちか)はジッと見定めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(おかしい……何で見つからないんだ?)」

 

 

一花(いちか)と別れてから1時間後。(まなぶ)は未だに五月(いつき)の行方が摑めずにいた。

リフト乗り場、休憩所、駐車場、すれ違う人々を隈なく探したが、それらしき人物も見つかっていなかった。

時間が経つごとに犯罪に巻き込まれている最悪な可能性が浮かび、次第に焦りを募らせていく。

 

 

「フータロー?汗、凄いけど……」

 

「いや、平気だ……」

 

「休んだ方がいいよ」

 

 

――もう一度、探してみるか。

そう思って、リフト乗り場の方へ向かおうとした矢先、聞き慣れた声が耳に入る。

声のした方へ向かうと、休憩所の外壁にもたれかかる風太郎と心配する三玖(みく)の姿があった。

 

――彼らなら何か知ってるかもしれない。

その望みにかけて、2人のもとへ近寄る。

 

 

「あ、マナブ」

 

「上杉。具合悪いの?」

 

「問題ない……ところで、何の用だ?」

 

「どこかで五月(いつき)見なかった?」

 

 

熱っぽい風太郎のことが気がかりであるも、(まなぶ)五月(いつき)の行方を尋ねた。

これだけ広いスキー場であるのなら、どこかで見かけることは十分あり得る。

 

 

「いや、見てないな……」

 

「私も」

 

 

しかし、(まなぶ)の期待とは裏腹に、風太郎と三玖(みく)は首を横に振った。

逆に2人は何かあったのかと尋ねるような視線を向けていた。

見なかった……その返答に(まなぶ)は残念に思いつつも、2人に話そうとしたとき――

 

 

「あ!三玖(みく)と上杉さん、見っけ!」

 

 

後ろから現れた四葉(よつば)が嬉しそうに三玖(みく)に抱き着く。

それを見て、(まなぶ)は”一応”彼らは鬼ごっこをしていたことを思い出す。風太郎と三玖(みく)も思い出したようで、その様子から乗り気でなかったことがわかる。

 

 

「こんなところで油断しちゃ駄目ですよ!あとは五月(いつき)を見つけるだけですね!」

 

 

一気に2人を見つけて、気分がいい四葉(よつば)は、いつの間に参加していることになっている五月(いつき)の確保へ魂を燃やす。

苦笑する(まなぶ)だったが、動き回っている四葉(よつば)なら何か知っているかもしれないと踏み、尋ねる。

 

 

四葉(よつば)五月(いつき)を見なかった?」

 

「……?いえ、探しましたけど、見かけもしませんでした」

 

 

きょとんと目を丸くする四葉(よつば)を見て、(まなぶ)は考え込む。

これだけ探し回り、3人もの人間が動き回っているのに誰も見かけていない。

 

現状から整理して考察すると、最悪な展開が頭を過る。

――遭難したのではないかと。

整備されているとはいえ、ここは自然に近く、未だ未開の地もある。洞窟の抜け穴に落ちたなど十分あり得る。

更に広々と真っ白な景色が広がっているので、方向感覚もままならないだろう。

 

 

「……思ったよりマズイかもしれない…………」

 

「どういうこと?話、聞かせなさいよ」

 

 

神妙な顔を浮かべる(まなぶ)の呟きが聞こえたのか、現れた二乃(にの)が尋ねてくる。その隣には一花(いちか)の姿があった。

全員がまた集まったことなので、(まなぶ)は今までの経緯を全て話した。

 

 

『……遭難?』

 

 

口揃えて声を出す5人に(まなぶ)は頷くと、上着のポケットから取り出したスキー場の地図を広げる。

他の5人は囲むように地図に寄る。

 

 

「いくら広いといっても、みんな会ってないなんて不自然だ」

 

「確かに……そいつは変だな」

 

 

(まなぶ)の疑問に風太郎は同意する。

全員、先程まで別々の場所にいたのだが、誰も五月(いつき)を目撃していなかった。

コール音が鳴っているスマートフォンを耳に当てていた三玖(みく)だが、不可解な顔を浮かべると共に発信を切った。

 

 

「電話に出ない……。五月(いつき)はスキーに行くって言ってたんだよね?」

 

「え?うん……。もしかしたら、上級者コースにいるんじゃない?」

 

「そこは私も行ったけど、いなかったわ」

 

 

そう言いながら、一花(いちか)は読みにくそうに目を凝らして地図に記載している上級者コースへ指差すが、二乃(にの)は首を横に振る。

推測が外れ、またも振り出しに戻ってしまい、沈黙が訪れる。

 

 

「……ちょうど入れ違ったかも。私、見に行ってくるよ」

 

「あっ!まだ、ここ見てないかも!」

 

『えっ』

 

 

流石に居ても立ってもいられなくなったのか、一花(いちか)が沈黙を破って出向こうとするが、閃いた四葉(よつば)の声に皆、疑問の声をあげる。

 

四葉(よつば)が指差した地図の場所……。そこは、まだ整備されていない立ち入り禁止区画だった。

教師から再三注意を受けた(まなぶ)たちはそこがどんなに危険なのかわかっている。

――もし、五月(いつき)が迷い込んだのなら……。最悪な予感がし、皆、焦りの色を見せる。

緊急事態だと悟った一同の判断は早かった。

 

 

「本当にいないかコテージに見に行く」

 

「私は先生に言ってくるよ!」

 

「ちょっと待って!?もう少し探してみようよ!」

 

 

一花(いちか)はさっそく行動に移そうとする三玖(みく)四葉(よつば)を見て、慌てて止めようとする。

現状ではやるべきではない、真逆の行動に二乃(にの)は疑問を呈する。

 

 

「何でよ?場合によっては、レスキューも必要になるかもしれないのよ?」

 

「えっと……五月(いつき)ちゃんもあんまり大事にしたくないんじゃないかなーって」

 

「……大事って………呆れた」

 

 

いつものように冗談っぽく言う一花(いちか)に眉をしかめた二乃(にの)は不満げに呟くと、一花(いちか)に詰め寄り――

 

 

「―――五月(いつき)の命がかかってるかもしれないのよ!?気楽になんていられないわっ!!」

 

 

と、大声で諫める。

妹が危険にあって、今もどこかで助けを求めているかもしれない……。特に姉妹想いが強い二乃(にの)だからこそ、呑気に済まそうとするのは許せないのだ。

 

 

「……ごめんね」

 

「……ッ」

 

 

二乃(にの)の必死さが伝わった一花(いちか)は自分の立ち振る舞いを反省し、小さい声で謝る。

シュンと縮こまる一花(いちか)のフードから覗く耳を見て、(まなぶ)はどこか確信めいた表情を浮べた。

 

 

「……俺も手伝う。思い当たるところがあるかもしれない」

 

「駄目だよ、フータロー。具合悪いんでしょ?」

 

「人手は多い方がいいだろ……!こんな事態に、おちおち寝ていられるかよ」

 

 

熱っぽくフラフラとしながらも風太郎は心配する三玖(みく)の安静の促しを撥ね退け、捜索を手伝おうとする。

風太郎はらいはから風邪をもらってしまい、今朝から体調を崩していたのだ。

病に侵された身で冷えたスキー場に行けば、当然症状は悪化の一歩を辿ることとなる。

 

それでもなお、五月(いつき)を探そうとするのは家庭教師だからか。それとも義理人情か。

はっきりとわからないが、真意は後者であることと願う(まなぶ)は立ち止まっている場合ではないと、思い切って口にした。

 

 

「僕に心当たりがある」

 

 

怖気づかず、はっきりとした口調。その言葉に一同は耳を留める。

 

 

「心当たりって……」

 

「大丈夫。居場所ははっきりとわかった」

 

「信じていいのね……?」

 

 

訊き返す二乃(にの)(まなぶ)は自信たっぷりに頷くと、視線を風太郎へ移す。

 

 

「あとは僕に任せて……上杉を誰か先生のところへ連れて行って、休ませてほしい」

 

「お、おい……五月(いつき)は……!」

 

「さっき言っただろ?無理はしないでって」

 

「……わかった」

 

 

風太郎は尚も病態を押して手伝おうとするも、(まなぶ)の真剣な眼差しに負け、大人しく引き下がった。

 

 

一花(いちか)。付いてもらってもいい?」

 

「!」

 

 

ぐったりとする風太郎を三玖(みく)四葉(よつば)が肩を貸して連れていく中、(まなぶ)一花(いちか)に捜索の手伝いをするように頼んだ。

突然の依頼に意図が見えない一花(いちか)だったが、見据える(まなぶ)の双眸に押され、首を縦に振るしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もしかして、心当たりって……ここから捜すこと……?」

 

「……そうだよ」

 

 

隣に座る一花(いちか)に尋ねられた(まなぶ)は頷く。

2人は現在、上級者コースへと続くリフトに乗っていた。

下には真っ白なゲレンデを滑る観光客が小さく見え、地上よりも高いこともあって、少し肌寒さを感じていた。

 

 

「確かによく見えそうだけど……ッ!」

 

「……?どうした――あっ……」

 

 

急に黙り込んだ一花(いちか)に首を傾げる(まなぶ)だったが、彼女の視線の先を見て、息を呑んだ。

前のリフトに乗るカップルらしき男女が肩を寄せ合っていちゃついていたのだ。

それを見た一花(いちか)は甘い空気に気まずさを感じたのだと、納得した。

 

前方の光景に視線を合わせ辛いながらも、(まなぶ)は気持ちを切り替え、一花(いちか)に尋ねる。

 

 

「……君、一花(いちか)じゃないでしょ?」

 

「……ッ!?」

 

 

単刀直入に尋ねられた一花(いちか)は肩を飛び上がらせ、目を見開く。

何を言っているのかといった感じで、動揺していた。

しかし、あっと声をあげると、いつものように小悪魔的な笑みを浮かべる。

 

 

「やだな~~マナブ君。いくら私がカメレオン女優だからって、偽物あつか――「一花(いちか)じゃないんでしょ?」――ッ!?」

 

 

一花(いちか)はあははと笑いながら誤魔化そうとするも、(まなぶ)の真剣な声に威圧され、黙りこくってしまう。

いつもなら和やかな表情を見せる(まなぶ)とは思えない……不安で、どこか諫めるような眼差しに一花(いちか)は目を逸らす。

 

そう、(まなぶ)には隣にいる一花(いちか)が本人ではないと疑っていたのだ。

今日の行動や言動から、昨日までの一花(いちか)と今の一花(いちか)は別人のように思えたのだ。

確信を持って偽物だと判断した(まなぶ)は偽一花(いちか)の口から「私は偽者です」と吐くことを待っていたが、当の本人はだんまりを決め込んで、口を割らなかった。

 

呆れからなのか……。

嘆息をついた(まなぶ)一花(いちか)を見据えると、証拠を口にする。

 

 

「……君が一花(いちか)じゃない証拠はある。まず、一つ目は僕のことを『天海(あまかい)君』と呼んだこと」

 

「……ッ!」

 

「咄嗟に出たかもしれないけど、一花(いちか)は僕のことは『マナブ君』と呼ぶ。本物の一花(いちか)はパニック状態でも僕のことをそう呼んだりしない……。間違えたのは、普段呼び慣れてないから」

 

 

(まなぶ)五月(いつき)の良さをアピールしたとき、恥ずかしがった偽一花(いちか)が咄嗟に呼び間違えたことをしっかりと覚えていた。

この段階で不審に思ったのだが、単に間違えたかもしれないという可能性があり、詮索はしなかった。

 

だが、この証拠を突きつけられた偽一花(いちか)は目を見開いており、自身が偽者だということをはっきりと証明していた。

これだけでも効果絶大だが、(まなぶ)は偽一花(いちか)が偽りのヴェールを脱ぐまで話そうと、次々と証拠を口にする。

 

 

「……次は地図を見るときに目を凝らしていたこと。彼女は視力が悪くないから特に読み辛さはないけど、君は目を凝らしていた……まるで()()()()()()()()に……」

 

「……」

 

「さっき、フードから君の耳が見えたけど、右耳にピアス痕がなかった。ピアスを着けている人なら、ピアッサーで耳たぶに小さな穴が空いてるけど、君の耳には()()()()()()。着け続けているならあり得ない光景だよ……」

 

「……ッ」

 

 

(まなぶ)に指摘された偽一花(いちか)はハッと右耳に手を当てる。

その表情はしまったといったものだった。

彼女の反応に確信した(まなぶ)は顔を逸らし、ふぅと息を吐く。白い息が湯気のように吐くのを目にすると、偽一花(いちか)へ顔を向け――

 

 

「………一花(いちか)()()()()()()()()()()()()()()。そうだろ?五月(いつき)

 

 

もういいだろと言わんばかりの口調で告げる。

(まなぶ)は偽一花(いちか)の正体は五月(いつき)ではないかと睨んでいたのだ。

 

それを口にして、しばしの沈黙の後、偽一花(いちか)は顔を俯けながら、自らフードを脱いだ。

その正体は(まなぶ)の推理通り、行方知らずとなっていた五月(いつき)本人だった。

 

 

「………ごめん。ここまで大事にしちゃって。みんなの前だと言い出し辛いだろうから……」

 

 

(まなぶ)五月(いつき)をリフトへ連れてきた理由。それは彼女自身の負担を和らげるためだった。

五月(いつき)はもちろん否があるが、話を飛躍させてしまった(まなぶ)にも否があった。余計に彼女を苦しめてしまったことへの謝罪をした。

 

その後、またも沈黙が訪れる。誰も話さないので、風に乗って吹雪く雪がより冷たく感じた。

しばらくすると、五月(いつき)はズボンの太ももをギュッと握ると、申し訳なさそうに口を開く。

 

 

「すみま……せん……でした……。私……確かめたくって……」

 

「……?確かめるって、何を?」

 

「それは……」

 

「お願い……言ってよ。周りには僕たちの知り合いはいないからさ」

 

 

今回の変装をした理由を話すことを渋る五月(いつき)に、(まなぶ)はチラリと後ろを見ながら促す。

今のところ、同じ学校のクラスメイトらしき姿は見当たらなかった。変装してまで行ったことは只事ではないので、(まなぶ)としては、有耶無耶にせず、洗いざらい話してほしかった。

 

それを受けた五月(いつき)は一瞬躊躇するも、口元を引き締め、真実を明かすことにした。

 

 

「………昨日、倉庫へ迎えに行ったときに見ちゃったんです………天海(あまかい)君が一花(いちか)を押し倒しているのを……。それで、私……思っちゃったんです。天海(あまかい)君が一花(いちか)のことを……一人の女性として好きなのかと」

 

「………え?僕が一花(いちか)を……?」

 

「すみません……!プライベートなことに首を突っ込むことが間違いなのはわかっています!ですが……まだ日も浅くて、あなたのことをよく理解できていないのに恋仲になるなんて、危険だと思って……!一花(いちか)に相応しい、信頼たる男性なのかを判断するために……今回のようなことを……!」

 

 

目尻に涙を浮かべて謝罪を述べる五月(いつき)

実の父親のこともあり、(まなぶ)がどこまで信頼できる人間か測ったが、流石にやりすぎたと反省している。

いくら姉のためとはいえ、周りの人間をひっかきまわして行うほどのことではない。信頼を確かめるどころか、嘘を通し続けて自分の信頼を失うことかもしれない事態に陥った。

 

散々困らせたことに五月(いつき)はどんな罵詈雑言でも受け止める覚悟をしていたが……

 

 

「ははっ、何で謝るの?」

 

「………え」

 

 

(まなぶ)は怒りとは真逆に笑っていた。どうしてそう思ったのか、逆に訊きたいと言わんばかりだ。

予想していたものとは全く違う反応に五月(いつき)が呆気にとられる中、(まなぶ)は言葉を続ける。

 

 

「確かに一花(いちか)は魅力的だよ?友達としても、一人の女の子としても……。でも、僕は友達だと思ってる。恋愛感情なんてないよ」

 

「で、では……あの倉庫のことは……!」

 

「あれは事故だよ。彼女を丸太から助けたときにバランスを崩しちゃって………一花(いちか)から何か聞いてない?」

 

 

ないないと否定する(まなぶ)から逆に尋ねられ、五月(いつき)は宿舎での一花(いちか)との会話を思い返す。

おぼろげながら、そんなことを話していたことを思い出した。

(まなぶ)一花(いちか)のことが好き”という疑惑に目が眩み、近くの答えに目を背けていた。『灯台下暗し』というものである。

つまり、全て五月(いつき)の過大妄想による”勘違い”だったのだ。

 

 

「す、すみません……!私の……思い過ごしでした……」

 

「あっ……!ああ………いいんだよ。もうしないでね」

 

「はい……」

 

 

それに気付いた五月(いつき)は頬を赤く染め、恥ずかしそうに顔を俯ける。頭頂部のアホ毛もシュンと枯れ草のようにしなびていた。

今にも泣きだしそうな雰囲気の彼女に(まなぶ)は若干慌てながらも、笑って許した。

反省して泣いている人に追い打ちをかけるほど、(まなぶ)は鬼ではなかった。

 

リフトの中間地点を通り過ぎた頃、(まなぶ)は今置かれている状況を見て、ふと思った。

――ダンスを誘えるチャンスじゃないか、と。

リフトで2人っきりなので、聞き耳を立てられる心配はない。周囲にも知り合いらしき人物は見当たらない。

絶好の機会とはまさにこのことだと(まなぶ)は思った。

 

負い目に付け込むような行いかもしれないが、周りを話せる機会は今しかない。

(まなぶ)は緊張と戦いながらも勇気を振り絞って、カラカラに乾燥した唇を動かす。

 

 

「……あ、あのさ。こんなこと話すべきじゃないかもしれないけど……良かったら………僕と今夜のダンス踊ってくれない?」

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
①トム・ホランド
 MCU版スパイダーマンを演じた俳優。本名は『トーマス・スタンリー・ホランド』。
スペルは違うが、スパイダーマンの生みの親の1人であるスタン・リーの名前が入っているのは運命としか言いようがなく、スタン・リーも歴代スパイダーマン俳優の中で彼が一番スパイダーマン/ピーター・パーカーに合っていると太鼓判を押している。
 トムは「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」(2016)でスパイダーマン役として初登場を飾り、続く数多くのMCU作品に出演、活躍した。
 ファンの間では、トビー・マグワイアは『最高のピーター・パーカー』、アンドリュー・ガーフィールドは『最高のスパイダーマン』、トム・ホランドは『最高の高校生』と言われ、この3人は「スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム」(2021)にて共演し、全世界のスパイダーマンファンを熱狂させた。



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#19 共に踊ろう


※注意
 本作では五つ子たちが熱で寝込んでいる風太郎の部屋へ侵入する展開はありません。
理由としては、病床の人間なら気分が落ちているのでそっとしてほしいのが常識であり、原作内で風太郎が言っておりますが、うるさくて寝られないからです。
 そのままだと、五つ子たちが不自然に動かされているような気がするので、本作では”無し”となりました。
原作の展開が好きな方々、申し訳ございません。



リフトを降りてから数時間後。

外はすっかり夜の戸張が下り、宿舎の外にある広場ではキャンプファイヤーが行われていた。

広場中央でメラメラと燃える焚火は暗闇を赤く照らし、幻想的な雰囲気を醸し出している。

ちなみに風太郎は離室に運ばれ、面会謝絶となっていた。

 

 

「最後のダンスどうする~~?」

 

「俺、今から誘っちゃおうかな!」

 

 

周囲からそんな楽しげな声が聞こえる中、隅っこの方で(まなぶ)は1人木の下で座って眺めていた。

五月(いつき)を誘ったはずの彼が何故、1人なのか。それは、五月(いつき)に踊るのを断られたからである。

 

 

『……すみません。お気持ちは嬉しいのですが、皆にご迷惑をお掛けしました………。私に踊る資格はありません……』

 

 

(まなぶ)はリフトで断られたときの言葉を思い返す。

五月(いつき)は今回の騒動で責任を感じており、姉妹や風太郎を慌てさせたにも関わらず、自分だけ楽しもうとすることはできなかった。

 

 

「はぁ……」

 

 

それを思い返した(まなぶ)は嘆息をつく。

彼女の意思を尊重して承諾したものの、本心としては一緒に踊りたかった。強く引き留めるべきだったかもしれない。

 

だが、後悔しても遅い。

既に過ぎたことを考えても仕方がない。

今はただ、キャンプファイヤーが終わるのを待つばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃、五月(いつき)一花(いちか)の看病をしていた。

安静していたおかげか、一花(いちか)の顔色はよくなり、熱もすっかり冷めていた。

 

 

「ありがとう、五月(いつき)ちゃん。朝よりだいぶよくなったよ……」

 

「まだ寝ててください。完全に治ったと確証がありませんから」

 

「あははー……そーだね。緑川君には悪いけどね~」

 

 

五月(いつき)から水を搾ったタオルを手渡された一花(いちか)は身体の汗を拭きながら苦笑する。

一花(いちか)は本来なら涼介と踊ることとなっていたが、風邪がぶり返す恐れがあるので、涼介には謝ると共にキャンセルした。

 

キャンプファイヤーの話題を話してふと気になった一花(いちか)は尋ねる。

 

 

五月(いつき)ちゃんは行かないの?誰かに誘われたんじゃ……」

 

「……天海(あまかい)君に誘われましたが、お断りしました……。今回、皆を困惑させた発端ですし、そんな楽しむような資格は………私にはありません」

 

 

そう語る五月(いつき)だが、その本心は全くの逆で、(まなぶ)との誘いに乗りたかった。

だが、大騒ぎさせた罪悪感があってGOサインを出せずにいた。

心に従いたいが、主犯の自分が楽しんでは、巻き込んだ皆に悪い。それが許せなかったのだ。

 

一花(いちか)には長年暮らしてきたこともあり、末の妹が考えていることはお見通しであった。

彼女の心情を汲み取り、寄り添うように話しかける。

 

 

「……五月(いつき)ちゃん、自分を責めすぎだよ。どんなに失敗して、相手を傷つけても、幸福を求めちゃいけないなんて法律はないよ。ほら、”誰にだって幸せになる権利がある”って言うじゃん。もっと気楽に、プラスになるように考えなよ」

 

「……そうでしょうか?」

 

「そーだよ!五月(いつき)ちゃん自身は反省してるんでしょ?それで充分じゃない。明るくリラックス!そうじゃないと……この先もっとキツイよ?」

 

 

一花(いちか)は軽口ながらもつらつらと諭す。彼女の言動は昨晩、(まなぶ)が励ましてくれた影響によるものだ。

(まなぶ)はあまり深いことは言っていない。けれど、女優業が上手くいっていない一花(いちか)の悩みを吹き飛ばすのには充分だった。

一花(いちか)五月(いつき)が変に意地を張って、素直にならないことはよく理解している。

だからこそ、自分が望むことを精一杯楽しんでほしく、説得にかかったのだ。

 

真意を突いた説得は岩のように固まっていた五月(いつき)の心を動かすには効果抜群だった。

揺らぎ始めているが、まだ負い目が邪魔して動けないでいた。

けれど、それもあと一歩というところだ。一花(いちか)はその”あと一歩”というピッケルを振り下ろした。

 

 

「マナブ君は悪い人じゃないし……それに一生に一度の思い出だからさ。行ってきなよ」

 

「……ッ」

 

 

そう言って微笑みかけながら、五月(いつき)の心を突き動かす。

一花(いちか)の後押しを受けた五月(いつき)は重い腰を上げると、寝室の出入口の扉の前へ行く。

 

 

「ありがとうございます……行ってきます」

 

「うん」

 

 

そして、振り返り様に告げると、扉を開け、広場の方へ向かっていった。

扉が閉まる音を耳にしながら、一花(いちか)は出ていく寸前の五月(いつき)の顔を思い返す。

その顔は表情豊かで明るいものだった。

まだぎこちなさはあるものの、先程までの自責の念で押し潰されていた暗いものよりも断然良かった。

そのことを思い返すと、自然に笑みが浮かぶ。

 

それと同時に別の感情が込み上がる。”後悔”という名の後ろめたい気持ちに。

五月(いつき)には後押ししたものの、(まなぶ)と一緒に踊るということを考えると、何故かもやもやした不安が押し寄せる。

 

 

「(何でこんな気持ちになるんだろ……?)」

 

 

――応援しているはずなのに。

一花(いちか)は取り除こうとするが、”もやもや”は粘着テープがくっついているように粘り強く、胸の奥から離れない。

 

自分が取った行動とは相反する気持ちに、一花(いちか)は一人、困惑するのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、広場ではキャンプファイヤーを囲ってダンスを踊っていた。

選んだ相手と手を取り合い、火の灯りで影が伸びる。周囲には喜びに満ちた男女の笑い声が飛び交っていた。

 

終盤に近付くにつれ、ヒートアップしていく様を(まなぶ)は達観した目で眺めていた。

(まなぶ)は視線の先で踊る同級生たちの姿が羨ましかった。

――もし、五月(いつき)からOKを貰っていたら、あの場所に加わってたかもしれない。目に映る幸せそうな顔、耳に聞こえてくる声でどこか虚しく感じる。

 

 

「(誘えただけでも良かった……)」

 

 

とはいっても、現実は変わらない。

理想は叶わなかったが、勇気を出して誘っただけでも大成果だった。

曇った感情に包まれる(まなぶ)は自分を褒めて、気を紛らわせていた。

 

 

天海(あまかい)君」

 

 

理想を諦めていたとき、ふと、聞き覚えのある声が後ろから。

まさか……と驚き半分、嬉しさ半分で振り向くと、気まずそうにこちらを見下ろしている五月(いつき)がいた。

一瞬、目を丸くして硬直する(まなぶ)だったが、すぐに我を取り戻すと、地面につけていた腰を上げて立ち上がる。

 

 

「……どうしたの?」

 

「先程は断ってすみません……。ですが、自分に問いかけてみたところ、踊ってみたいと思いまして……気分を害すのなら、いいんです。天海(あまかい)の自由ですから――――」

 

「――そんなことないよ!こちらこそ、大歓迎だ」

 

 

五月(いつき)の心の変化に戸惑う(まなぶ)だったが、五月(いつき)の声のトーンが落ちていくのを見るなり、微笑んで承諾する。

やや食い気味に答えたことに(まなぶ)は内心恥ずかしがりながらも、再度勇気を出して、手を差し出す。

 

 

「僕と踊ってくれますか?」

 

「はい……」

 

 

(まなぶ)が丁寧な口調で誘うと、五月(いつき)はニッコリ微笑んで、差し出された手を取る。

理想が叶い、(まなぶ)は内心テンションが上がる。

飛び跳ねたいのなら、今すぐ飛び跳ねたい気持ちだった。

――声に出して良かった……!(まなぶ)はこの場にいない叔母に感謝した。

 

 

「「あ……」」

 

 

五月(いつき)の華奢な手にどぎまぎしながらも、そのまま行こうとしたが、キャンプファイヤーの周りに踊る人数を前に踏みとどまる。

これから視線の先にある集団に混ざって踊ることとなるのだが、その人間は全て自分たちが通う高校の同級生……つまり、見知った顔が多いということである。

 

その中で踊ることが意味することは、自分たちが踊る姿を見られるということである。

友人ではあるが、一緒に踊った姿を見られて変な噂や熱い目を向けられるかもしれない……。

そのことが一瞬で脳裏に巡り、恥ずかしくなる。

 

 

「……ちょ、ちょっと離れたところで踊ろうか」

 

「……はい」

 

 

苦笑する(まなぶ)の提案に五月(いつき)も苦笑しながら頷く。

五月(いつき)も同じ気持ちだったのだ。

2人はキャンプファイヤーから離れた場所に移動すると、手を取り合って踊り始める。

 

 

「ダンスの経験は?」

 

「全然。それっぽく踊ってるだけだよ」

 

 

五月(いつき)の問いかけに(まなぶ)は眉根を上げて答える。

2人はフォークダンスを踊っているのだが、お互いにダンスの経験がないので、その動きはぎこちなく、タイミングもずれにずれていた。

ダンス経験者が見れば、鼻で笑われるレベルであろう。

 

だが、2人にとって技術は問題ではなかった。

この場所で、この時間帯で、心に決めた相手と踊ることが重要なのだ。

 

 

「スピード大丈夫?速すぎない?」

 

「このくらいで平気ですよ」

 

「そうか」

 

 

安心したように微笑む(まなぶ)を見て、五月(いつき)は心が温まるのを実感した。

必要のない気遣いだったが、誰しも心配してくれていると思い、嬉しくなるものだ。

それと同時に、善人の塊である(まなぶ)を自分たちを捨てた実父と重ねてしまったことを後悔した。

 

 

「(ヤバい……)」

 

 

対する(まなぶ)は緊張で頬を赤く染めていた。

艶々とした長い髪は広場から届く火の灯りで赤く反射し、白くきめ細かな肌も灯りによって陰影を作り出しており、五月(いつき)の美しさをより引き立たせている。

憧れの女の子と踊っている……その幻想的な光景も相まって、バクバクと鳴る胸の動悸が止まらないでいた。

まだ踊り始めて1分くらいしか時間が進んでいないが、(まなぶ)にはその倍の感覚があった。

 

 

「フィナーレまで!10……9………」

 

 

そんなこんなしているうちに広場の方からカウントダウンをする声が。

まだ早いと思う2人だったが、そもそも踊り始めたのが終盤も終盤だったので、当然の流れだった。

 

 

「(……五月(いつき)は知ってるのかな?)」

 

 

カウントダウンを耳にして、(まなぶ)はチラリと五月(いつき)を見る。

この林間学校に伝わる伝説。

キャンプファイヤーの結びの瞬間、手を結んだ2人は生涯を添い遂げる――――。

カップルにはたまらない話なのだが、眉唾物なので、(まなぶ)も疑っていた。

 

だが、なれるものならなりたいもの。

五月(いつき)と恋人になれる可能性があるのならやりたい。神社でおみくじを引くような感覚だ。

 

しかし、それは自分の場合である。五月(いつき)はどう思っているのだろうか。

クラス中で話題にはなってはいたので聞いたことがあるだろうが、彼女は不思議と話題にしなかった。

そもそも、知らないのかもしれない。意外と鈍感なので、あり得る話だ。

 

では、逆に知っていたとしたら?

好きでもない男と踊るというのはどういう気分なのだろうか。

――義務?それとも……。色々考えるが、五月(いつき)の気持ちはわからない。

何かしてはいけない気がした(まなぶ)は繋いでいた手を離そうとするが――

 

 

「まだ終わってませんよ?」

 

「……ッ!」

 

 

力が緩んだのを察した五月(いつき)が手を繋ぎ直して阻止する。

驚く(まなぶ)だが、きょとんとする五月(いつき)の顔を見て納得した。

――結びの伝説については何も知らない、と。

五月(いつき)としては、責任感によるもので、最後までやり遂げようという気持ちからくる行動だった。

 

 

「―――3!2!1!0ーーッ!!」

 

 

妙に納得していると、カウントダウンが終わってしまった。

キャンプファイヤーの周囲に囲った吹き出し花火から激しい火花が飛び散る。

吹き出し花火によって、より一層広場の灯りが強まっていく。

 

(まなぶ)五月(いつき)はその美しさに目を惹かれ、結びの瞬間を見た。

飛び散る花火と燃え盛る火……。夜空に赤い火の粉と白色の火花を舞い上がらせる芸術的な光景にすっかり魅了された(まなぶ)は手を離そうか離さなまいかという悩みは既に吹き飛んでいた。

 

 

「綺麗ですね……」

 

「……ッ!あ、ああ……」

 

 

手を繋ぎながら呟く五月(いつき)(まなぶ)はドキッと胸が高鳴る。

広場から発する花火とキャンプファイヤーの光の反射を受けた瞳は何とも言えない煌びやかさを醸し出しており、一種の宝石のようだった。

――君の方が綺麗だよ、と言いたいところだが、自分が言うと鼻がつくので、ぐっと心の中にしまった。

 

――――結びの伝説。

この思い出は(まなぶ)にとって、五月(いつき)にとって忘れられないものとなった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻。林間学校が行われている宿舎から遠く離れたオズコープの研究所では、オズコープ社長――緑川 難一(なんいち)と共同研究責任者の古流博士が身体増強薬……別名《ゴブリン・フォーミュラ》の完成を急いでいた。

 

大手企業で世界的なシェアもあるオズコープだが、ここのところ、海外の企業に市場を抜かれ、経営難に陥っていた。

この身体増強薬はそれを乗り越えるための起死回生の一手なのだが、未だ完成まで漕ぎ着けていなかった。

 

それでも期限の日までに完成させようと試行錯誤を繰り返すが、失敗に失敗を重ねるばかり。

難一(なんいち)も古流もお互いに疲弊しており、研究所で夜を明かすことも多かった。

 

耐えに耐えかねた難一(なんいち)は照明の灯りによって緑色に光る身体増強薬を手に取ると、投与装置に設置する。

そのまま備え付けのパソコンに起動コマンドを打ち込んでいく。

 

 

「緑川博士、やめてくれ……完成前の薬だ。人体投与できる段階じゃない。頼むからやめてくれないか?まだ危険だよ……!」

 

「そんなに臆病でどうする?危険は科学実験に付き物だ……」

 

 

慌てる古流の制止を無視してキーボードに次々と入力していく難一(なんいち)

難一(なんいち)が行おうとしていること……。そう、自らへの人体実験である。

身体増強薬は人間の身体病を治すために開発を目指している。

実現すれば、まさに”万能薬”だが、投与実験は人体どころか、マウスの段階で失敗している。あまりにも危険すぎる。

 

 

「医療スタッフを揃えて、新たに実験をやり直そう……まだ3日ある!」

 

「……3日だ?3日後には、このプロジェクトも会社も消えてしまう。私自身が実験体になるしかない……」

 

 

古流が代案を進言するも、難一(なんいち)は程よく却下。投与しやすいために上着を全て脱ぐ。

難一(なんいち)も前例がないので怖いが、会社のことを思えば背に腹は代えられなかった。

ここで躊躇していれば先へ進めないのは古流もわかっているので、強くは言えなかった。

 

程よく引き締まった上半身を露わにした難一(なんいち)は自身が入る投与カプセルから飛び出した簡易ベッドへ横になる。

ベッドといっても手術台の形をしており、その端々には金属製の固定具が付いている。手術というよりも、大罪を犯した罪人を裁く処刑台のようだった。

 

古流は不安を隠せずにいたが、ここまで来たらもう止めようがない。

渋々難一(なんいち)の腕周りと足下を固定し、電極を身体中に張り付けていく。

 

 

「おおっ……!冷たいな……冷めきったカイロより酷いな」

 

 

金具から伝わる冷たさに難一(なんいち)は微かに笑みを浮かべる。

この言葉の意味は特になく、先の見えない不安から気を紛らわせるために自分自身に言い聞かせたものだった。

 

 

「(神様、どうか……!)」

 

 

難一(なんいち)を拘束した古流は無事であるように神頼みしながら、パソコンから投与装置を起動させる。

ウィィン……という稼働音が鳴ると、簡易ベッドに拘束された難一(なんいち)は研究所の中心部にある投与カプセルの中へと入っていく。

投与カプセルはヘキサゴン型をした植物園の温室のような外見となっており、外界との繋がりは被検体を入れるためのゲート、研究員用ゲート、ガス排気口の3つしかない。

文字通り、ガラス張りの密室となっていた。

 

カプセルの中心部へ着くと、ベッドが上へ動き、難一(なんいち)を縦一直線に起き上がらせる。

”気を付け”の姿勢になった難一(なんいち)

古流は今すぐにでも中止したかったが、難一(なんいち)に「やれ」と言わんばかりに顎で指示されると、投与装置のスイッチを押した。

 

投与装置に接続された緑色の液体は管を通って気化し、難一(なんいち)の待つカプセルの中へ移動する。

緑色の気体となった難一(なんいち)の足下から噴射され、徐々にカプセル内を充満していく。

数秒経つ頃には難一(なんいち)を覆い隠し、内部の様子が浮かがえないほどになっていった。

備え付けのパソコンに表示されている身体能力値は心拍数と共に瞬きよりも速く上昇していく。

 

 

「―――ぅぅうッ!!?うっ、おぉぉあッ!あぁあぁぁ………ッ!!?」

 

「……緑川?」

 

 

古流が不安そうに見守っていると、不安的中とばかりにカプセルから難一(なんいち)から苦しむ声が。

その声に嫌な予感がした古流は目を凝らして投与カプセルを覗くと、充満する緑色のガスの合間に白目を剥いて痙攣する難一(なんいち)の姿が見えた。

 

 

「緑川ッ!緑川ッ!」

 

「あぁぁあああぁぁ―――――ッ」

 

 

一瞬で血の気が引いた古流は装置を停止させて、カプセルの中に溜まっているガスを排気させる。

ガスが抜けた途端、痙攣していた難一(なんいち)の体はピタリと止まり、ぐったりと気を失う。

 

 

ピーーーー!

 

 

ほっとする古流だったが、それも束の間。不吉な警告音が聞こえる。

振り向くと、パソコンに表示されている難一(なんいち)の心拍数が止まっていることに気付いた。

 

 

「どうなっている……?緑川ッ!緑川ッ!しっかりしろ……!緑川ッ!」

 

 

顔面蒼白となった古流は尻に火が付いたが如く走り、研究員用ゲートを開けて投与カプセルの中で生死を彷徨っている難一(なんいち)のもとへ駆け寄る。

両腕の拘束具を外し、急いで心臓マッサージを始める。

――目標を前に死んではしゃれにならない……。脂汗で手が滑るが、必死に力を込めて、心臓部に衝撃を送り続ける。

 

だが、古流の奮闘虚しく、難一(なんいち)はピクリとも動かず、マッサージの振動でぴくんぴくんと揺れるばかりだった。

息も全くしておらず、肌の血色も徐々に白くなっていく。

その現状に絶望する古流。投与実験を止められなかった自分への不甲斐なさで泣きそうだった。

 

 

――パッパッパッパッ……!

 

「ッ!?」

 

 

だが、そのとき。パソコンから急に心拍数が正常である音が聞こえてくる。

古流が驚いて振り向こうとした矢先、先程まで意識を失っていた難一(なんいち)の目がグワッと見開いたや否や、古流の首を掴んだ。

 

首の圧迫感に目を見開いてパクパクと苦し気に口を動かす古流を難一(なんいち)は引き寄せる。

その顔は今まで一緒に研究を重ねてきた古流が見たことがないくらい、おぞましい憤怒の形相だった。

 

 

”一から見直す”……?うぅあぁーーーーッ!!

 

「わぁぁーーーッ!?」

 

ガッシャーーーンッ!

 

 

憎々しげにそう呟いた難一(なんいち)は悪鬼の叫びをあげると、古流を真正面に突き飛ばした。

常人を遥かに超えた力で吹き飛ばされた古流は後ろにあった投与カプセルのガラスを粉々に突き破り、そのまま研究機材にぶつかった。

ぐしゃぐしゃに破壊された機材から火花が散り、古流は白目を剥いて、意識を手放した。

 

 

はぁぁ………!!うぅぉあーーーーーッ!!!

 

 

拘束具を強引に外し、手足が自由になった難一(なんいち)はガラスが割れた投与カプセルの縁に乗っかる。

両手を広げ、腰を落とし、不気味な程の笑みを浮かべた難一(なんいち)は檻から放たれた猛獣の如く唸ると、跳躍してどこかへと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃、8番地区にある研究委員会本部の立体駐車場から、一台の高級車が走り出していた。

後部座席には、ふくよかな男とへつらった笑みを浮かべる男の2人が座っていた。

どっしりと座る太った男は研究委員会の代表であり、隣にいるのはその部下だ。仕事が終わり、帰路につこうとしていた。

 

駐車場の階層を下っていく中、ふと気になった部下は恐る恐る尋ねる。

 

 

「委員長。オズコープへの資金援助は打ち切るつもりで?」

 

「うん……ああは言ったが、最初から期待しとらんよ。資金は(ねぎ)コーポレーションへ移すことにする。先の見えない会社などには金は渡せん」

 

「流石、委員長!」

 

「ふっふっ……」

 

 

部下におだてられ、上機嫌に肉の厚い頬を綻ばせる。

委員長は焦る難一(なんいち)に対し、安全性が大事だなどと親身に訴えかけたが、実のところ、早々に資金援助を打ち切るつもりだったのだ。

人間の生まれ持った身体病を治せる薬などできるはずない……。

そんなことはいくらオズコープでも作れないと夢物語で片付けていた。

 

 

「何が身体能力薬だ……馬鹿馬鹿しい………」

 

 

委員長はそう呟いて、鼻で笑う。

難一(なんいち)の計画は全て子供の絵空事と同じであり、聞くに聞くだけ馬鹿馬鹿しいと嘲笑う。

夢を援助するはずの人間が夢を貶す有り様は、形容し難い悪意があり、その顔も醜悪に染まっていた。

 

そんな話をしながら、車が駐車場の外へと出たときだった。

後ろの空から煙を上げる物体がこちらへ向かってきていた。

 

 

「……?何だアレ……?」

 

 

気になった委員長は窓から顔を出して、後ろから追ってくる飛行物体を見上げる。

暗くてよく見えないが、煙を上げるものの正体はグライダーであり、その上には何者かが乗っていた。

委員長が怪訝に思うや否や、謎の人物はグライダー底部にあるミサイルを車を狙って発射した。

 

 

「お、おい君!スピード上げろ!」

 

「えっ!?あ―――」

 

ドッガァァァーーーンッ!!

 

 

委員長は必死な形相で運転手に急かすが、もう遅い。

安全運転で走っていた自動車では急にスピードを上げても、発射されたミサイルを避けることなどできない。

緑色の輝きと共に、自動車にいた3人は悲鳴をあげる間もなく、木っ端微塵に爆発四散した。

自動車だったものは跡形もなく粉々に吹き飛んでおり、着弾地点からはごうごうと燃え盛る火炎と爆煙だけが舞っていた。

 

 

アッハッハッハ………!

 

 

この惨たらしい光景を上空から楽しそうに見物する謎の人物。

その態度は憎い奴を殺して清々したと言わんばかりで、その笑い声は人を堕落へと貶める悪魔のようであった。

 

 

アーーーーーッハッハッハッ!!

 

 

謎の人物はグライダーを方向転換すると、真反対へ飛んでいく。

悪魔が発する笑いは静寂に包まれる夜空へ響き渡った……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日の昼。

林間学校も最終日となり、旭高校の生徒たちはバスに乗って、旭高校目指して走らせていた。

 

 

「(林間学校、楽しかったな~)」

 

 

バスに揺られながら、林間学校で起きた数々の思い出を振り返る(まなぶ)

 

――風太郎をウェブスイングで連れてきたこと。

 

――肝試しが面白かったこと。

 

――二乃(にの)にダンスを誘われたこと。

 

――一花(いちか)と倉庫に閉じ込められたこと。

 

――五月(いつき)の変装劇で大事になりかけたこと。

 

――そして、何よりも、憧れの五月(いつき)と踊れたこと。

 

様々な出来事がこの3日間に詰まっていた。

苦しいこともあれば、逆に楽しいこともあった。学校行事なのであまり良い印象を持っていなかった(まなぶ)だったが、思いの(ほか)楽しめた。

昨夜に五月(いつき)と踊ったことを思い出せば、ふとニヤニヤと頬が緩んでしまう。

 

 

「(修学旅行も楽しみにしとこう)」

 

 

いい思い出だったと(まなぶ)は微笑む。

学校行事での外泊で良い印象を抱いた(まなぶ)は林間学校以上に楽しいと言われる、3年生の修学旅行への期待に胸を膨らませた。

 

だが、このとき彼は知らなかった。

自身とその周囲の人間に忍び寄る『悪魔』が目覚めたことに………。

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
(ねぎ)コーポレーション
 (ねぎ)とは、「五等分の花嫁」原作者である『春場ねぎ』先生がpixiv上でのペンネーム。




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Ⅳ Green of Madness
#20 目覚め


T市5番地区のとある区画。

高級住宅が経ち並ぶ区画の中でもひと際敷居が高い豪邸があった。

西洋の造りを取り入れた100階建ての超高層住宅はオズコープの創始者兼社長である緑川一家が住んでおり、オズコープの強大な権力を示すように佇んでいた。

 

昼近くの明るい光が差し込む緑川邸の廊下を緑川家の一人息子――緑川 涼介は歩いていた。

林間学校が今まさに終わり、久しぶりの我が家に帰ってきていた。

約3日だけだが、見慣れた景色も少し離れるだけで目新しく見えるものだ。

 

 

「(ダンス残念だったな……)」

 

 

リュックを背負いながら歩く涼介は林間学校のキャンプファイヤーで一花(いちか)と踊れなかったことを残念がる。

本来、一花(いちか)と踊るはずだったのだが、彼女が体調を崩してしまい踊れなかったのだ。

そのときは全然問題ないと言ったものの、少し惜しいところがある。

 

一花(いちか)のことは友人だと思ってはいるが、涼介も男なので、彼女の美貌には輝かしく見えてしまうもの。それに近付くチャンスがあれば、是非近付きたい。

ちょっとした下心はあったのだが、結果は叶わず。

仕方がないとはいえ、逃がした魚は大きかった。

 

 

「……父さん?」

 

 

林間学校のことで思いにふける中、涼介はリビングに入った瞬間、血相を変える。

視線の先には、リビングの床でうつ伏せに倒れる父――難一(なんいち)の姿が。

難一(なんいち)が今日休みとは知っていたが、ソファーが近くにあるにも関わらず、床で寝そべるのは不自然だ。

違和感極まりない光景に緊張が走った涼介は背負っていたリュックを床に置くと、倒れている難一(なんいち)のもとへ駆け寄る。

 

 

「父さんっ、父さんっ!大丈夫?」

 

「うぅ……」

 

 

涼介は難一(なんいち)の肩を軽く揺らしながら呼びかける。

すると、その声に反応した難一(なんいち)は気だるげに唸って、地べたにつけていた身体をゆっくりと起こす。

 

 

「涼介か……林間学校は?」

 

「ああ、楽しかったけど……父さん。何で床に……?」

 

「わからない……」

 

「ここで寝てたの?」

 

昨夜(ゆうべ)、私は………覚えていない」

 

 

難一(なんいち)はおぼろげながらに思い出そうとするも、ヴィジョンが浮かばない。

覚えているのは研究所の身体増強薬の実験で痙攣を起こしたまでであり、それ以降、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。自分がどうやって家に帰りついたまでも。

難一(なんいち)は軽い記憶喪失に陥っていた。

 

 

「社長!」

 

「お待ちください!ロビーで待つように言ったのですが……」

 

 

難一(なんいち)も涼介もお互いに困惑している最中、輪を切って入るように秘書の女性が急ぎ足でリビングへ入ってくる。

その後ろには執事の老人が困り顔でついてきた。止めようとしても勢いを抑えられず、渋々通してしまったという感じだ。

 

緊急の連絡かもしれないが、難一(なんいち)の容体は優れない。とても仕事できる状態ではない。

涼介は追い返すべく、秘書の女性のもとへ歩み寄る。

 

 

「父は体調がすぐれないので――」

 

「緑川社長。古流博士が亡くなりました」

 

「ッ、何……!?」

 

 

追い返そうとする涼介の言葉を遮り、秘書の女性は単刀直入に要件を伝えた。

秘書の女性の口から出た衝撃の出来事に難一(なんいち)は狐につままれたような顔を浮かべる。

 

 

「今朝、研究室で遺体が見つかって………殺されたようです」

 

「一体どういうことだ?」

 

「フライトスーツとグライダーも……」

 

「どうした…?」

 

「盗まれました………」

 

 

苦虫を嚙み潰したように告げる事態に難一(なんいち)は言葉を失っていた。

グライダーとフライトスーツは極秘の開発品であり、先月行った特別展示会でも展示しなかったトップシークレットのもので、オズコープの幹部クラスの人間でなければ知りえない代物だ。

それを盗んだ―――すなわち、オズコープ内の人間による犯行ということ。

 

共同研究者の死と極秘開発品の盗難。

暗雲漂う2つの事件に難一(なんいち)はオズコープに危機が迫っていることを肌に感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3日後。喧騒溢れる昼の都会。

道路で隔てられた更地となっている敷地の一角では、ビルの建築工事が行われていた。

建築途中のビルの近くには鉄骨を吊り上げるクレーンが建ち並び、その下では作業員たちが工具を手に、せっせと働いていた。

事故が起きないよう、細心の注意を払って。

 

 

「――あッ!?」

 

 

だが、いくら気を引き締めても、人が人である限り、事故は起こる。

クレーンに搭乗していた作業員の男はうっかり操作を誤ってしまい、吊り上げていた鉄骨を放してしまう。

上層まで上がった鉄骨は重力に従って、他の作業員たちがいる地上へ落ちていく。

 

 

「鉄骨が落ちてくるぞーーッ!」

 

「逃げろーーッ!」

 

 

下にいた作業員たちは上空から降り注ぐ鉄骨群を目にするなり、一目散に逃げ始める。

作業に気をとられていた者も声の慌てようにハッとなって逃げる。

潰されたら、ひとたまりもない。

 

しかし、気が付くのが早いのもいるのなら、逆に遅い者もいる。

気付くタイミングが遅く、見上げたときには圧倒的な質量を持った影がすぐそこまで近付いていた。

遅れた作業員たちがあっと口を開けていたとき――

 

 

ピシュッ!

 

 

突如、頭上に張り巡らされた巨大な蜘蛛の巣がネットのように鉄骨をキャッチした。

驚いた作業員たちが「もしや……」と思って空を見上げると、ショルダーバッグを肩から腰にかけ、優雅に空をスイングするスパイダーマンの姿があった。

 

たまたま近くを飛んでいただけなのだが、工事現場から発する只事ならない声を聞いて、駆け付けたのだ。駆け付けたときには、落ちた鉄骨と地面までの距離は10mをきっていたが、間一髪ウェブで助けられた。

 

 

「ありがとう!スパイダーマン!」

 

 

いつも通り、『人助け』を完了したスパイダーマン。

地上の作業員たちからの感謝を背後に受けながら、スパイダーマンはウェブスイングで遠ざかっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

T市1番地区にある総合病院。

市内の病院でもオズコープ製の最新の医療設備が整っており、医療技術も含めて最大の規模となっている。

 

その病院の近くに降り立つ影―――スパイダーマンだ。

物陰に隠れて学生服へと着替えた(まなぶ)はショルダーバッグを肩にかけ、病院へ赴く。

 

今日は風太郎のお見舞いに来ていたのだ。

林間学校の途中で風邪で倒れてしまった風太郎の容体は予想よりも悪く、この病院へ入院することとなってしまった。

風太郎は「勉強する時間を浪費してしまう」と嫌々言っていたが、当然、教師には聞き入れてもらえず、今に至るというわけだ。

 

(まなぶ)のショルダーバッグには差し入れが入っているのだが、学校で出た宿題や授業の板書を写したノートなど、差し入れとしては少々場違いなものだった。

これは他ならぬ風太郎本人のリクエストであり、「寝ていた時間分を取り戻す」という意気込みによるものだ。

実に勉強第一の風太郎らしいリクエストだろう。

 

(まなぶ)は受付窓口で手際よく受付を済ますと、看護師に指示された病室へと向かう。

エレベーターに乗り込み、風太郎の病室がある6階のボタンを押す。

階数表示器の”6”のランプに色が着くまで、一緒に乗る他の面会人と共に静かに待つ。

 

しばらくすると、”チン”と到着を知らせる音が鳴り、正面の扉が開く。

エレベーターを降りた(まなぶ)は近くの案内図を頼りに、風太郎の病室へと向かう。

似たような真っ白な景色、造りなのでこのルートであってるのかと不安になることもあったが、特に迷うこともなく、風太郎が入院する『606』号室の扉をノックした。

 

 

『どうぞ』

 

「失礼します」

 

 

入室を許可する風太郎の声が聞こえ、(まなぶ)はひと声かけてから中へ入る。

ベッドには風太郎とベッドに向かって椅子に座る五月(いつき)の姿があった。

風太郎は既に起きており、上体を起こして、五月(いつき)と共に新たに訪問した(まなぶ)を見つめていた。

 

病室はベッドを中心に、着替えを入れる棚と面会人用の椅子とソファーといった必要最低限のものしかない。”質素”という言葉がしっくりくる景観だ。

申し訳程度にテレビが置いてあるが、余計に広々としているので、ベッドに座る風太郎も退屈そうな雰囲気であった。

 

 

「あれ?五月(いつき)、来てたんだ?」

 

「……ッ、はっ、はい。私も上杉君のお見舞いに……」

 

「……そうなんだ」

 

 

五月(いつき)の存在に首を傾げる(まなぶ)

彼女がお見舞いに来ることは事前に聞いていなかったので、不思議に思ったのだ。

理由を話す五月(いつき)からどこか隠しているような気がしたが、変に勘ぐっても意味はないので一応、納得すると、ショルダーバッグから取り出した差し入れ(勉強関連セット)を風太郎へ差し出す。

 

 

「はい。持ってきたよ」

 

「……悪いな。家庭教師も任せてしまって……」

 

「いや、平気だよ。何とか上手くやれてる」

 

「そうか……」

 

 

ばつの悪そうな顔を浮かべる風太郎に対し、(まなぶ)は安心させるように微笑む。

風太郎が入院するということは、その間、(まなぶ)1人で家庭教師を行うことを意味する。

2人の作業を1人でやるので負担も増えるが、五つ子たち(二乃(にの)除く)が絆が深まったことで、以前よりも協力的になったので、苦しむことはなかった。

 

 

「お見舞いの品に宿題って………どこまで勉強好きなんですか!?」

 

「少しでも遅れを取り戻さないとな~~……。それに、お前たちのためにも~~~~っと、より深~~くかつ難しい内容を教えるためにな………くっくっくっ……」

 

 

差し入れの内容に思わずツッコミを入れる五月(いつき)に風太郎は気味の悪い笑みを浮かべる。

元々の人相の悪さも相まって、よりヒールさが引き立っている。

”難しくする”という単語を聞いた五月(いつき)は嫌そうな顔をしており、彼女の感情を表すように頭頂部のアホ毛もふにゃんとしなびていた。

 

(まなぶ)が一歩退いた視線で苦笑していると、五月(いつき)は勉強熱心な風太郎を見て、ふと尋ねる。

 

 

「上杉君。お尋ねしたいのですが……」

 

「何だよ?」

 

「教えてください。あなたがそこまで勉強する理由を」

 

 

唐突に尋ねられ、一瞬ポカンと口を開く風太郎。

懇切丁寧に答えるのは面倒なので、適当に返そうかと考えたが、五月(いつき)の真剣な顔に怠惰な考えは吹き飛ぶ。

短い嘆息を吐いた風太郎は勉強を努力するようになったきっかけを語り始める。

 

小学生の頃、生き方に迷っていたこと。

修学旅行で出会った、ある少女が自分を変えるきっかけになったこと。

そして――

 

 

「将棋星人が国会議事堂を占拠して、地球は壊滅。はい、終わり」

 

 

と、雑に締めくくってシーツにくるまった。

 

 

「何ですか、それ!!そこからが聞きたいのに凄い雑に終わりましたよ!?地球はどうなったんですか!?」

 

「そこなの……?」

 

 

当然、あからさまな嘘まみれの雑なオチに五月(いつき)はツッコむ。

京都の少女よりも侵略者のことが気になる五月(いつき)(まなぶ)が眉をひそめて疑問を呟く中、風太郎はそっぽを向いたまま、口を開く。

 

 

「別に話すとは言ってねー……というか、話したくない。それでも言うことを聞いたのは……日頃の感謝だ」

 

 

風太郎はボソッと呟くと、枕に顔をうずめる。

ぶっきらぼうで素直ではないものの、彼なりの優しさということは2人にはわかっており、そっぽを向いているのは面と向かって言うのが恥ずかしいからだろう。

五月(いつき)はふっと微笑むと言葉を紡ぐ。

 

 

「イマイチ伝わりませんでしたが……その子との出会いがあなたを変えたんですね?」

 

「……」

 

「私も変われるのでしょうか?もし……できるのなら……変われる手助けをしてほしいです」

 

 

五月(いつき)の問いに風太郎は顔を合わせず、沈黙を貫く。

それでも五月(いつき)は話し続け――

 

 

「あなたも……私たちに必要ですから」

 

『君が必要だもん』

 

「――ッ!?」

 

 

と、語り掛けると風太郎は過去に京都で出会った少女からかけられた言葉と重ねる。

ビクッと肩を飛び上がらせた風太郎は上体を起こし、見開いた目で五月(いつき)を見つめる。

 

 

「こっち見ないでください……」

 

 

向けられる視線に恥ずかしさを覚えた五月(いつき)は風太郎の顔を隠すように両手を前へかざす。

隣の(まなぶ)も唐突の飛び起きに言葉をなくし、目を丸くしている。

そんな状態にも構わず、風太郎は不敵な態度で五月(いつき)に言葉を投げかける。

 

 

「俺……いや、俺たちに教わってどうにかなるのか?平均29.7点」

 

「どうにかします!……見てください!普段からお守りをつけて、学業成就を祈願してますから!」

 

 

売り言葉に買い言葉と言わんばかりに五月(いつき)はポケットから取り出した小さなお守りを取り出す。

お守りと言っても赤い棒状でできている。

かなり使い古されたようで汚れや傷が見られ、表面で金色で書かれている『学業成就御守』の文字も所々擦れていた。

 

 

「神頼みかよ……ッ!」

 

 

受動的な解決策に風太郎は苦笑していたが、五月(いつき)が持つお守りを見て、京都の少女との記憶を思い出す。

――そういえば、あの子も買っていたな。アホみたいにたくさん、五つも……と。

漠然とした記憶の一部からその光景を鮮明に思い出した風太郎はハッとなると、五月(いつき)に尋ねる。

 

 

「それ……どこで買ったんだ?」

 

「これですか?確か……5年前ぐらいに京都で………」

 

 

五月(いつき)の口から出たお守りの入手経路に目を丸くする。

5年前の京都といえば、ちょうど風太郎も修学旅行で訪れている。

 

そして、京都の少女は恐らく”五つ子”。そこに五月(いつき)たち五つ子もいたとするのなら、京都の少女の正体は中野家の五つ子の誰かかもしれないという疑惑が浮かぶのは当然のことだった。

 

 

「それって――」

 

「あ!五月(いつき)!」

 

 

風太郎が疑問を投げかけようとしたとき、病室の扉の方から聞こえる声に遮られる。

3人が振り向くと、病室の扉を開けてひょっこりと顔を覗かせる四葉(よつば)がいた。その近くには他の姉妹たちの姿も見えていた。

 

 

「なんだー……ここにいたんだ。あっ、天海(あまかい)さん。こんにちは」

 

「やあ。君たちも上杉の?」

 

「はい!あと、インフルエンザの予防接種も兼ねて。毎年受けてるんですよ。けど、五月(いつき)二乃(にの)が『注射が怖い』って逃げ出しちゃって……」

 

 

四葉(よつば)の話を聞いた(まなぶ)はチラリと五月(いつき)へ視線を向ける。

五月(いつき)は嫌々と首を横に振っていた。冗談ではなく、本気で嫌がっていた。

 

五月(いつき)の注射が苦手という点に(まなぶ)はますます惹かれると同時に、二乃(にの)も苦手だという事実に驚いた。

普段、強気なので特に怖がらないイメージを持っていたので当然だった。二乃(にの)にも可愛いところがあるもんだと(まなぶ)は思った。

 

 

「五人揃ったから今度こそ行くよ」

 

「ま、待ってください!心の準備が……!」

 

 

三玖(みく)の号令を皮切りに移動し始める。

五月(いつき)は適当な言い訳をして逃げようとするも二乃(にの)にあっさりと捕まってしまう。

 

 

五月(いつき)!私は覚悟決めたわ!あんたも道連れよ!」

 

「注射は嫌です~~!」

 

 

嫌々と泣き言を言うも五月(いつき)二乃(にの)に首根っこを掴まれ、ズルズルと廊下へ引きずられる。

注射を拒む声に(まなぶ)は少し不憫に思いながらも、五月(いつき)が連行されていくさまを苦笑しながら見送った。

 

一方、それをよそに風太郎は考え込んでいた。

京都の少女が五つ子の誰かという疑惑を……。偶然にしては共通点が多い事実にそう思わざるを得なかった。

 

 

「(京都……5年前…………偶然だよな?)」

 

 

しばし考えるも、その真実を埋める決定的なピースが浮かばない。

そのピースが浮かばない限り、確信を持つのは軽率。風太郎は偶然と言い聞かせながらも、このことを頭の片隅に置くことにした……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃、オズコープ本社・会議室では、株主、役員を招いての会議が行われていた。

縦長に真っ直ぐ伸びる黒塗りのテーブルの左右には幹部が座っており、その先端には難一(なんいち)が座っていた。

さながら、騎士を集めて鎮座する王のようだった。

 

内容はオズコープの今後の指針についてだ。

経営難に陥るオズコープは委員会に資金援助を頼んだが、肝心のトップは見限り、ライバル社の(ねぎ)コーポレーションへ資金援助しようとしていた。

 

だが、何者かの手によって殺されたことによってその話は立ち消えた。

オズコープにとっては願ってもないチャンスで既存製品の向上を取り組んだ結果、あっという間に回復し、最近まで市場で抜かれていた葱《ねぎ》コーポレーションを引き離した。

 

 

「―――本日をもって、我がオズコープは(ねぎ)コーポレーションを追い抜き、日本の科学製品筆頭供給となりました。これをひと言で言い換えれば……コストはダウンし、収益はアップ。株価もこれまでの最高値だ」

 

「素晴らしいぞ、緑川。素晴らしい」

 

「ありがとうございます……」

 

 

眼鏡をかけた白髪の株主に褒められた難一(なんいち)は胸を張って礼を告げる。

ピンチだった会社をここまで立て直したのだ。自分の会社を守るためなら何だって努力する……それが緑川 難一(なんいち)の掲げる社会奉仕精神だ。

 

―――これからもずっと続けていく。自分が生きている限りは……。

先の見えぬ未来へ希望を持って意気込んでいた矢先――

 

 

「―――そこで我が社を売ることにした」

 

「………え?」

 

 

株主の口から出た言葉に難一(なんいち)は鳩が豆鉄砲を食ったような顔を浮かべる。

――会社を売る?一瞬、言っている意味がわからなかった。

そんな彼に株主は配られていたプリント資料を閉じると、難一(なんいち)を見据えて話を続ける。

 

 

「現時点では良いかもしれないが、私には首の皮一枚繋がっているように見える……また経営難に陥る危険性がある。そこで海外のライバル企業である『スターク社』に売却することにした。提示額も充分すぎる金額だ」

 

「初耳ですな……」

 

「権力争いは経営に支障をきたすため、避けたいんだ」

 

「君が社長の椅子に居続けば売却は成立しない。役員会は君を”解任”することに決定した」

 

 

とぼけた口調で返す難一(なんいち)に株主と隣に座るスキンヘッドの役員は続けて言う。

解任――それが意味することは”クビ”ということだ。

社長である自分が解任されるという通告に難一(なんいち)は狼狽える。

 

 

「そんなことできないはずだ……ははっ、私がこの会社を作ったんだ…………」

 

 

フラフラと立ち上がりながら、冗談だろと笑いかける難一(なんいち)

コツコツとキャリアを積み、一から作り上げたこのオズコープを立ち去るなんて笑い話にもならない。

 

だが、誰も難一(なんいち)の笑みに対して笑いかける者はいない。

冗談ではなく、事実だからだ。

夢、幻……?ショックを受ける難一(なんいち)の悲しみは次第に怒りへと変わり――

 

 

「どれだけこの身を捧げたと思うッ!!!」

 

 

と、悪鬼の如く顔をしかめ、怒りをぶつける。

その怒り顔は普段強面なのでより威圧感があり、怒りや悲しみだけでなく、内に秘めた傲慢さも現れていた。

 

自分の会社だから自分が守る……それが難一(なんいち)の持つ『権力』という名の傲慢だ。

難一(なんいち)がここで退けば、今まで築き上げてきたものが一気になくなってしまう。貯金は存分にあるが、涼介の将来のためにも会社を辞めるわけにはいかなかった。

 

難一(なんいち)はスキンヘッドの役員に目で助けを求めるが、彼は首を横に振る。

 

 

「緑川……全員一致の決定だ。フェスティバルが終わったら、売却を発表するよ。すまない……」

 

「君は”クビ”だ……」

 

「……ッ、クビ………」

 

 

申し訳なさそうに告げる役員に続けて、株主からハッキリと通告を受けた難一(なんいち)

あまりもの悲惨な現実に椅子にどかっと項垂れる。

役員たちも申し訳なさそうに思いながらも、頭が真っ白となって固まる難一(なんいち)から目を逸らした。

 

晴れて解任された難一(なんいち)。これからはオズコープの社長ではなく、ただの一般人。

たった数時間で今まで積み上げてきたものを全て奪われてしまった。あまりにも残酷すぎる。

 

だが、その表情は悲しみとは真逆に嬉しそうで、目を細め、怪しく笑みを浮かべていたことは誰も知らなかった……。

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
①スターク社
 MARVELのヒーロー『アイアンマン』こと、トニー・スタークが運営する会社。
アメコミ原作ではオズコープとは因縁があり、オズコープ社長のノーマン・オズボーンがスーパーヒーローを管理する組織『S.H.I.E.L.D.』を再編した組織『H.A.M.M.E.R.』の長官になった際、アイアンマンスーツをトニーから没収した。
 その後は『アイアンパトリオット』として、ならず者集団『ダークアベンジャーズ』を引き連れ、アメリカ全土を支配するため、暗躍した。




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#21 宿敵 グリーン・ゴブリン パート①

―――10月31日。

T市5番地区にある遊園地――アンバーソンランドでは、休日ということもあり、多くの来場者で賑わっていた。

このアンバーソンランドはオズコープがスポンサーなので最新の娯楽施設が揃っており、常に客を楽しませる試みをしているので、顧客満足度は常に上位をキープしている。

それにより、T市内でも最大の遊園地として存在を放っており、市内のみならず、市外から訪れる来場者も多い。

 

今日も大繁盛しているが、その来場者の大半は仮装をしていた。

アンバーソンランドでは毎年、10月31日にハロウィンフィスティバルが行われており、昼と夜にはパレードが行われる。

これが最大の目玉であり、行われるのもハロウィン1日限定使用のプログラムなので、こぞってやってくるというわけである。

 

そんな人で溢れかえっている園内……通路の端で(まなぶ)はポツンと佇んでいた。

彼がここに来たのはデイリー・ビューグル編集長――――紫紋(しもん) 慈英(じえい)にパレードで賑わっている様子を写真に収めるよう命じられたからだ。

首には新しく買ったデジタル一眼レフカメラを下げている。

 

珍しくスパイダーマン関連ではない命令に(まなぶ)は驚いた。

断れば「フリーのカメラマンのくせに俺に指図するのか」と怒鳴られるのは目に見えているので、引き受けることにした。

ちなみに入場料はケチの紫紋(しもん)らしく、(まなぶ)の自腹である。

 

 

「(多いな……)」

 

 

とはいえ、写真を撮るとはいっても園内はあちこち人だらけ。

パレードが始まる前とはいえ、この人混みでは移動だけでなく、撮影すらできるのが怪しい。パレードが始まれば、それ以上の数になることは容易に想像できる。

高所に乗れば自由に撮影できるが、変に注目を浴びてパレードが中止になればランド側に多大な迷惑をかけてしまう。

(まなぶ)はぶつからないよう人混みの合間を縫って、撮影に適した……人気が少ない場所を探していく。

 

 

「きゃっ!?」

 

 

気を付けて歩いていてもこの民衆では1人や2人にぶつかってしまうもの。

人気が少ない場所を探す道中、(まなぶ)は女性の肩にぶつかってしまう。

(まなぶ)は僅かに怯むものの、女性の小さい悲鳴を聞き、血の気がひく。

 

 

「す、すみません……!」

 

「いえ、こちらこそ…………え?」

 

「ん?」

 

 

(まなぶ)と女性は謝りながら、お互いの顔を見て目を丸くする。

聞き覚えのある声に馴染み深い顔……。一瞬の硬直ののち、(まなぶ)と女性は声をあげる。

 

 

「あっ、五月(いつき)!」

 

天海(あまかい)君!」

 

 

互いに素っ頓狂な声をあげる(まなぶ)と女性――五月(いつき)

今日は家庭教師はお休みなので遊びに行くことは考えられるが、同じ遊園地で会うとは思わなかった。

 

 

五月(いつき)ーー!もっと固まって動かないと………げっ!」

 

「あれー?」

 

天海(あまかい)がいるーー!」

 

「奇遇……」

 

 

こんな大所帯で五月(いつき)がいるということは残りの姉妹たちもいるということ。

(まなぶ)の予想通り、五月(いつき)の後ろから二乃(にの)一花(いちか)四葉(よつば)三玖(みく)が揃って現れる。

(まなぶ)を見るなり嫌そうな顔を浮かべた二乃(にの)は間を割って、五月(いつき)をかばうように立ちふさがる。

 

 

「あんた!五月(いつき)に変なことしてないでしょうね!?私たちが目を離した隙に……!」

 

「そんな!僕は偶然会っただけでここにいることも知らなかったんだよ!」

 

二乃(にの)。彼の言う通りです」

 

「……ふんっ」

 

 

 

あらぬ疑いをかけられた(まなぶ)は必死に説得する。

五月(いつき)のフォローもあって、二乃(にの)は疑惑の目を残しつつも、納得したように鼻を鳴らし、そっぽを向く。

彼女が異常なほどまでに警戒するのは実の父親に捨てられた過去からきている。そのことは林間学校で二乃(にの)から直接聞いているので、(まなぶ)はわかっている。

 

だが、わかっているものの、邪険に扱われるのは心が痛む。

チクッと針に刺されたような痛みが胸に伝わるのを感じつつ、(まなぶ)は苦笑する。

 

 

「ヤッホーマナブ君。わーっ、立派なカメラだね!ビューグルの写真?」

 

「ああ。パレードの写真を何枚か撮ってこいって言われて………」

 

「本当にカメラマンだったんですね!」

 

「フリーだけどね………疑ってたの……?」

 

「あっ、いや!決してそういうわけでは……あははーーー!」

 

 

(まなぶ)が下げるデジタル一眼レフカメラを見て、食いつくように話しかける一花(いちか)四葉(よつば)

フリーカメラマンであることを疑われた(まなぶ)がジト目で尋ねると、失言をしてしまったと自覚した四葉(よつば)は笑って誤魔化した。

 

 

「幾らしたの?」

 

「中古で3万ちょい。新品でも安いのは6万くらいかかるしね」

 

「なるほど……スパイダーマンの写真はどうやって?」

 

「ッ、あれは高いところに登って撮ってるんだよ。彼から連絡がくるから、そこで撮らしてもらってる」

 

「そうなんだ……」

 

 

三玖(みく)も普段通りの感情の起伏が読み取れない表情ながらも興味深々であり、次々と質問をぶつけていた。

途中、答えようによっては怪しまれる質問があったが、頭に浮かんだ言葉を使って上手く”嘘”を通した。

 

三玖(みく)がうんうんと頷いて納得していると、名案が浮かんだ四葉(よつば)はうさ耳のようなリボンをピンと立てる。

 

 

「そうだ!天海(あまかい)君さんも私たちと一緒に行きませんか?」

 

『えっ!?』

 

「みんなと一緒なら、もーーーっと楽しいですよ!」

 

 

太陽の如く眩い満面の笑顔を浮かべる四葉(よつば)の提案に(まなぶ)のみならず、他の姉妹たちも驚いた声をあげる。

四葉(よつば)としては仕事できてるとはいえ、せっかくの遊園地をたった1人で周るのが不憫と思ったからだ。1人増えるだけでも楽しさが倍増する……楽しいことは共有したい彼女らしい提案だろう。

 

(まなぶ)も昼のパレードが始まるまで3時間ほどあるので、正直なところ退屈していた。場所探しは重要だがどこにいっても多いので、ちょっとぐらいなら遊んでいいと思っていた。

せっかくの遊園地で遊ばずに帰るのは勿体なく、彼女たちといるのも別に苦でもないので誘いに乗りたい。他の姉妹も別に構わないといった様子だった。

 

 

「ちょっと待って。天海(あまかい)は仕事で来てるのよ?そんなに好き勝手に決めちゃ、かえって迷惑じゃない?」

 

「え?う~~ん……」

 

 

だが、四葉(よつば)に反発する者が一人。二乃(にの)だ。

親切そうに話してはいるが、本心は(まなぶ)を入れたくないからだ。

家庭教師の勉強を忘れ、せっかく姉妹水入らずの休日を過ごそうとしたのにも関わらず、その輪に家族でもない人間が入ってくるのは気に食わないと思っている。

当然、(まなぶ)にはその目論見は理解しており、張り付いたような笑顔からヒシヒシと読み取れる。

二乃(にの)の意見に考えが揺れる四葉(よつば)は頭を悩ませる。

 

 

「まーいいんじゃない?一緒に行かせても」

 

 

そんなとき、見かねた一花(いちか)が口を開く。

間延びしたような口調だが、芯の通った……ハッキリとした意見だった。

そんな一花(いちか)にピクリと耳を留まった二乃(にの)は一変して眉をしかめる。

 

 

一花(いちか)。話聞いてた?こいつは忙しい――」

 

「まぁまぁ……案外そうじゃないかもしれないよ?マナブ君。パレードの写真を撮ればいいんだよね?」

 

「ん?ああ、そうだけど……」

 

「ほら。パレードまで結構時間あるし、みんなも悪くないって感じだしさ」

 

「……」

 

 

二乃(にの)の反対意見に対し、一花(いちか)はそう言いながらチラリと妹たちの方を見る。二乃(にの)除く三人の妹たちは賛成と言わんばかりにうんうんと頷いていた。

二乃(にの)は納得してはいなかったが、流石に姉妹たち全員は分が悪く、引き下がらずを得なかった。

 

 

「意見も纏まったことですし、さっそく行きましょう!」

 

 

遊び友達が増え、嬉しそうに声を発する四葉(よつば)

こうして、(まなぶ)は五つ子たちと遊園地を周ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数時間後。断続的に絶叫が響くジェットコースターのアトラクション出口を出た一同。

メリーゴーランド、ジェットコースター、お化け屋敷……これまで数々のアトラクションを満喫してきたが、流石に疲れが見えていた。

常人よりも体力に自信がある(まなぶ)も少しくたびれてきていたが……

 

 

「次!次はあれに乗りましょう!」

 

五月(いつき)。ちょっとは加減しなさいよ……」

 

 

ただ一人、五月(いつき)だけは元気な様子で先陣きって歩いていた。

あれだけ多くのアトラクションに乗ったにも関わらず疲れを全く見せず、姉妹たちに早く乗ろうと催促する始末だ。

流石に体力的にキツイ二乃(にの)はひと休みしようと進言するが、五月(いつき)は遊園地ではしゃぐ幼子のように楽しさで頭がいっぱいで聞く耳は全く持たなかった。

 

普段、しっかり者の五月(いつき)も17歳の女子高校生。

大人ぶってはいても、年相応の心には嘘をつけない。

ある意味で個性的な姉たちとの生活に加え、遊園地という普段の生活なら滅多に訪れない場所も相まって、五月(いつき)のテンションは上がりに上がりまくっていた。

 

 

「上杉さんも連れてきたかったな~~」

 

 

はしゃぐ妹を尻目に残念そうに呟く四葉(よつば)

遊園地に行く前々日、四葉(よつば)はメールで風太郎を誘ったのだが、『今日は休日だから断る。』とシンプルかつ家を出たくない気持ちが伝わるものが返ってきた。

風太郎の性格から理由は『勉強をしたいから』と容易に想像できる。

 

 

「仕方ないよ。フータローにとって勉強は大事だし……」

 

「1日ぐらいいいのに~!」

 

 

ブーブーぼやく四葉(よつば)に困り顔を浮かべる三玖(みく)

無理に誘ったとしてもそれはそれで風太郎に対して迷惑であり、断ったのなら仕方がないと流すしかない……潔く諦めるような意味を持たせて言う三玖(みく)だが、彼女自身も四葉(よつば)と同じ気持ちで来て欲しかった。

気になる相手と少しでも距離を縮めたい……そう願うのは人として当然のことだった。

 

 

「色んな写真を撮ってるんだね」

 

「ああ。特にこの水鳥なんかは苦労したよ。すぐ逃げるから」

 

「へ~……上手いね!お姉さん関心したよ~」

 

 

その後ろでは、(まなぶ)が今まで撮った写真の数々を隣を歩く一花(いちか)に見せていた。

(まなぶ)がフリーカメラマンとして活動する理由はお金稼ぎということもあるが、(まなぶ)自身、前々から写真を撮ることが趣味だったりするのだ。

草木や動物など、自然豊かな景色をカメラに収めるのが好きで、暇なときは腕磨きがてらに写真を撮っている。時たまにデイリー・ビューグルに持って行ったりする。紫紋(しもん)に『スパイダーマンの写真以外はゴミ』と突っぱねられるが。

 

 

「ははっ!」

 

 

(まなぶ)は深いえくぼを作って笑う。

自分はスパイダーマンの写真以外取り柄がないのか、と自信を失っていた。

なので、こうやって正当な立場で褒めてくれるのが嬉しく、表に出たのだ。

一花(いちか)は嬉しそうに笑う(まなぶ)を見て、自身も心が温かくなる。

 

 

「学校のこと……どうなったの?」

 

「……えっ、うん?」

 

「ほら、林間学校のときに言ってた……」

 

 

(まなぶ)の笑顔に気を取られ、尋ねられた一花(いちか)は一瞬、質問の意味がわからないでいたが、(まなぶ)が続けて言った捕捉で「ああ~」と声を上げる。

林間学校で2人は手違いで倉庫に閉じ込められてしまったのだが、その際に学校と女優活動の両立が難しいので中退するかもしれないという話を(まなぶ)にしたことを思い出した。

(まなぶ)がハッキリと言わないのは、周りにいる姉妹へ聞かれないための配慮だろう。

 

 

「……うん」

 

「そうか……まだ続けられそうだね」

 

 

一花(いちか)の返事を聞いて、安心したように微笑む(まなぶ)

『五つ子全員を卒業へ導く』というマルオとの約束もあるが、第一に中途半端な形で教示を終わらせたくなかった。

 

一花(いちか)としては閉じ込められた影響で心細かったこともあって、突拍子もなく出た言葉だった。

志していた女優業が上手くいっておらず、オーディションを受けても落とされ、自信だけが擦り減っていく有り様だった。

振り返ってみればらしくないことだった。

だが、そのおかげで腹の底に溜まっていたマイナスな感情を吐き出せ、楽になった。

 

それと同時に一花(いちか)は優しく接してくれる(まなぶ)の魅力に惹かれていく……。

一見、気が弱そうで頼りがいはなさそうに見えるが、心根は優しく、人の気持ちに寄り添って笑ったり、悲しんだりしてくれる。それが(まなぶ)の魅力。

倉庫で訪れた胸の”ときめき”は未だ続いており、彼のことを思う度に日に日に強くなっていく。

 

 

「(……辞めようかと思ったけど、もう少しこのままで……)」

 

 

一花(いちか)は高鳴る鼓動を抑え、頬をほのかに染める。

学校も夢も諦めようと思ったが、未練が出来てしまい、頑張ろうという気力が不思議と湧いてしまう。

(まなぶ)との関係を続けていきたいと願う。

 

 

「あっ!そろそろパレードが始まる時間だー!」

 

 

一花(いちか)(まなぶ)へそんな淡い気持ちを抱いていると、前を歩いていた四葉(よつば)が声を上げる。

彼女の視線の先にある時計台の時刻はパレードが始まるまで10分をきっていた。

その声を聞き、五月(いつき)に先導されていた二乃(にの)は彼女を逆に引っ張ってくる。

 

 

「あちゃ~……楽しくてつい忘れてたー」

 

 

気を紛らわせるように額に手を当てる一花(いちか)。アトラクション巡り、そして(まなぶ)へ気持ちが逸れていて肝心な場所取りすることを忘れていた。

 

 

「今から行っても人が多いし……」

 

「どうせなら高いところに行きましょうよ!展望台ならパレードが一望できるわ!」

 

 

嫌そうにもらす三玖(みく)に対し、二乃(にの)はそれならと提案する。

観覧車近くに位置する展望台の下にある通路はパレードの通り道であり、高所なので視線を遮られずに一望できる。

パレードの絶好のスポットに五つ子全員は満場一致した。

 

 

「ほら!あんた仕事でしょ?行った行った!」

 

「わ、わかった……」

 

 

そうと決まるや否や二乃(にの)(まなぶ)を追い出すように囃し立てる。一刻も早く、(まなぶ)を姉妹から引き離したいからだ。

二乃(にの)の勢いに押された(まなぶ)は呆気にとられながらも渋々従う。

 

 

「またね、マナブ君。……あっ!私たちが魅力的だからって、盗撮しちゃ駄目だよ~?」

 

「撮らないよ……」

 

 

いたずら気に笑う一花(いちか)のからかいに苦い顔で答える(まなぶ)

普段、犯罪者と戦う彼だが、盗撮するほどの度胸は持ち合わせていない。

彼女のペースに乗せられるさまに(まなぶ)は「口論ではいつまで経っても勝てないだろう」と重々に感じた。

 

 

天海(あまかい)君。ここまで付き合ってくださってありがとうございます」

 

「うん。僕も楽しかったよ。さあ、楽しんできて」

 

「はい。では、失礼しますね」

 

 

楽しかった時間もこれまで……。五月(いつき)と離れるのは名残惜しいが、頼まれた仕事が第一だ。

手を振る姉妹と、ペコリとただ一人礼儀正しくお辞儀しながら去っていく五月(いつき)(まなぶ)は微笑みながら、手を振って見送った。

――また来れるといいな。そのときは五月(いつき)と2人で……。

そんな願いが心の奥で仄かに灯った。

 

 

≈「ッ!?」≈

 

 

気持ちを切り替え、さっそく仕事に取り掛かろうと思った瞬間、(まなぶ)の脳内で危険信号が鳴り響く。

自身に危機が迫っているときに発動する危険信号―――スパイダーセンスだ。

これが発動するということは悪いことが起きうると知っている(まなぶ)は先程の緩みまくっていた表情から一変して緊迫したものへと変わる。

 

 

「(どこだ……?)」

 

 

眉をしかめ周囲を警戒する(まなぶ)

頭に響く危険信号は次第に強くなってきており、周囲の人々の賑やかな声が遠くになっていくような感覚に襲われていく。

 

しばらくして、気配を察知した(まなぶ)は空を見上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、展望台の上階――一般客が立ち入らないVIP観覧席では、オズコープの株主や役員を交えた交流パーティーが行われていた。

室内には豪華なビッフェ方式の料理、高級なワインや日本酒がテーブルクロスにズラリと並び、バルコニーからは賑やかな音楽を奏でるパレードを見下ろせる。

社会を生きていくための社交辞令というものであり、皆、華やかなドレスや清潔感溢れるスーツを着込み、談笑していた。

出席者はほぼ齢50を超えた中年ばかりなので誰も話が途切れることはなかった。

 

だが、そんな大人だらけの空間の端にオズコープ社長の息子―――緑川 涼介はくたびれた様子で傍観していた。

オズコープが主催するパーティーなので、当然社長の身内である涼介も今後の縁を繋ぐため、顔を出す決まりとなっている。

 

けれど、誰もこれも知らない人ばかりが集まっており、社長の一人息子という肩書に寄ってたかり、贔屓にしてもらおうとすることしか話さない退屈なものである。

これまでも父親と共に数多くの社交パーティーに顔を出してきたが、欲深くすり寄ってくる相手をするのは慣れないものだ。

気まずさに耐えられなくなった涼介はホールを出ると、スマートフォン片手に一般用エレベーターへ乗り込んだ。

 

 

「(父さん……どこにいるんだ?)」

 

 

着信不出が並ぶ通話履歴を見て不安になる涼介。

父親である難一(なんいち)は朝からおらず、先に家を出たのかと思ったが、役員の誰に聞いても「知らない」、「ここへは来ないだろう」の一点張りだった。電話をかけても電源が切れてるのか全く出る気配がなかった。

メインであるはずの難一(なんいち)の不在に涼介は不思議に思うが、それも仕方がないだろう。

涼介はオズコープが海外企業に買収されること、そして難一(なんいち)が社長の座から降ろされたことも知らないのだ。

 

そんなことも知らず、14階に到着した涼介はエレベーターを出る。

14階は一般客の観光フロアであり、ガラス張りの窓には地上のパレードを眺めようと一般客が寄って集まり、賑わっていた。

あまりの多さに鬱屈になりそうだった涼介だったが、どこへ行っても同じなので気晴らしに飲み物でも買おうと売店へ足を運ぶ。

 

 

「お!緑川君じゃん!」

 

「ッ!」

 

 

涼介が人混みをかきわけながら歩いていると、少々驚いた様子の一花(いちか)とバッタリ鉢合わせる。

その後ろには他の姉妹四人が縦一列になっていた。迷わないための策であろう。

思いがけない知り合いとの遭遇に涼介が嬉しく思っていると、一花(いちか)は休日とは不釣り合いの恰好をした涼介を見て尋ねる。

 

 

「何で制服着てるの?」

 

「ああ、オズコープのパーティーでね……社長の息子の俺も出席することになってるんだ」

 

「へ~~そうなんだー。さっすが金持ち~!」

 

「君もだろ?その様子だと、あらかた、パレードの観覧席を探してるってとこかな?」

 

「そうなのよ。どこに行ってもよく見れなくって……あんた、御曹司権限で何とかできないの?」

 

「おいおい、無茶言うなよ。”社長の息子”っていう肩書だけで、俺自身には何の権限も持ってないよ」

 

「ふ~ん……社長の息子と言っても、あんまり大したことないのね」

 

 

二乃(にの)の無茶ぶりに苦笑する涼介。

二乃(にの)の不満に対して何とか応えてやりたい涼介だが、彼はまだ子供。大勢の人間をどうこうできる立場ではないのだ。

自分の力不足を痛感する涼介。とはいえ、友人と会話できたのは彼にとっては大きなプラスであり、窮屈だった心は軽やかになった。

 

 

「見てアレ!」

 

「飛んでるー」

 

 

そんな他愛ない会話をしていると、展望窓に集まる一般客がざわつき始める。

周りにいる他の一般客もその視線の先にあるものに気付き、真下で賑わうパレードからそちらに注目が集まった。

気になった涼介と五つ子たちは丁度空いた展望窓に寄った。

 

 

「何だアレ……?」

 

 

涼介が訝しげな目を向ける先。

遠い空の彼方……灰色の煙を立てながら、高くそびえ立つ遊園地の建物を縫うように飛ぶ板のような飛行物体が飛んできていた。

その飛行物体には操縦者らしき人影が見えていた。

未知の物体に展望台だけでなく、下にいる来場者たちもパレードよりもその飛行物体へと興味の目を注いでいた。

 

 

「新しい出し物かな?」

 

「いや……あんなの聞いてないぞ。万が一落ちた際に対応のしようがないからやらない決まりのはず……」

 

 

目を爛々と輝かせる四葉(よつば)の発言に異を唱える涼介。

涼介の言うようにアンバーソンランドのパレードでは、飛行機械は来場者に落ちる危険性と操縦者の安全性が保障されていないので出し物として出さない決まりとなっている。この遊園地が創設して以来ずっとだ。

 

けれど、現に今、空を飛んでいるものが目に映っている。

涼介が訝しげに思う中、飛行物体はその姿形がはっきりと見えるほど展望台の方へと近付いてきていた。

 

飛行物体―――その正体はグライダーだった。

グライダーとは言っても一般的なそれでなく、エンジンが搭載された金属質な機械だった。グライダーは逆U字に湾曲しており、さながら翼を広げたコウモリを彷彿させる。

 

そして、何より目を惹くのが、グライダーに跨る操縦者だ。人の形を保った全身緑色の怪人だった。

緑色の怪人はサイバーチックなスーツに仮面で顔を隠していた。仮面はエイリアンのように伸びた後頭部に見るもの全てを震え上がらせる黄色の双眸、頬まで引きつった笑みを浮かべているおぞましいもので、悪魔のようだった。

 

グライダーに乗った緑色の怪人は一旦展望台を通り過ぎ、観覧車の周りを撫でるように一周して旋回すると、再び展望台に近付く。

皆が新しい出し物だと賑わっている最中、涼介は何故か嫌な予感がした。

おぞましい緑色の怪人の雰囲気から本能的に危機感を感じ取っていた。

 

 

―――ハッハッハハハハーーーッ!!

 

 

涼介が不安に思っている矢先、緑色の怪人――グリーン・ゴブリンは低くしわがれた笑い声と共にグライダーから取り出したかぼちゃを模したメタリックオレンジの爆弾―――パンプキンボムを涼介たちがいる展望台目掛けて投げ飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドガァァーーーーンッ!!

 

 

けたたましい爆発音と共に展望台の一室がパンプキンボムによって爆発した。

爆発によって粉々になった外壁とガラス片が地上へと降り注ぐ。

グリーン・ゴブリンの攻撃を知った途端、これまで楽観視していた来場者たちは一斉にパニック状態となり、悲鳴を上げながら逃げ始める。

 

 

「緊急事態発生!緊急事態発生!」

 

 

地上で警備していた警察官――井ノ内 譲治警部は手持ちの無線機で緊急事態を呼びかける。

その間にも緑色の怪人はグライダーで飛び交いながら、次々とパンプキンボムを展望台へ投げ込む。

展望台の爆発に巻き込まれた来場者たちは恐怖に震え上がり、我先にと階段に駆け込む。

爆発で大怪我を負った人々は絶望と共に次々と倒れていく。

涼介たちも避難しようとするが……

 

 

「きゃあっ!」

 

 

床が崩れ、五月(いつき)と涼介たちが分断されてしまう。

五月(いつき)は壁などなく、手すりしか残されていない……文字通り崖っぷちに一人取り残されてしまった。

 

 

五月(いつき)!」

 

「ッ、危険だ!」

 

 

妹のピンチに助けに行こうとする二乃(にの)を涼介が止める。

ただでさえ足場が崩れそうになっているので、もし変な動きをして振動を与えてしまったら、さらに危険である。

今の彼らには五月(いつき)を助けることは不可能だった。

 

 

「ッ」

 

 

阿鼻叫喚が舞う地上。

逃げ惑う来場者たちとは真逆の方向である展望台へ走る(まなぶ)

――人々の平和を脅かす敵が現れた今こそ、スパイダーマン(自分)の出番だ。

間の抜けた顔から一気に引き締まったヒーローの顔つきへなった(まなぶ)は走りながらシャツの胸元を開き、蜘蛛のシンボルマークを露出させる。

 

 

「おぉぉお……!?」

 

 

その頃、展望台頂上にいる役員たちもパニック状態になりながらも逃げ出そうとする。

是非仲良く、と交友関係を築いていた相手のことなど知ったことかとばかりに。

 

 

俺がクビだとォォ!?

 

 

だが、そう易々と逃がすグリーン・ゴブリンではない。

グライダーをバルコニーに寄せると、怨恨の叫びと共にパンプキンボムを役員たちの足下へ放り投げる。

パンプキンボムから発する一瞬の輝きの後、役員たちは白骨死体となり、灰となって床へ崩れ落ちる。

 

役員を殺害したグリーン・ゴブリンはもっと混乱を巻き起こしてやろうかとその黄色の双眸で辺りを見渡す。その黄色のレンズの下にある目は何して遊ぼうかと好奇心旺盛な子供のようだった。

 

 

 

 

しばらくして、下の階で今にも崩れ落ちそうな足場で踏ん張っている五月(いつき)を見つける。

下に落とされるかもしれない恐怖と戦う五月(いつき)の怯えた顔……それを見て、新しいおもちゃを見つけたとばかりに仮面の下で口元を歪めたグリーン・ゴブリンはグライダーを五月(いつき)がいる場所へと近付ける。

 

 

ごきげんよう、お嬢さん

 

「……ッ!?」

 

 

グリーン・ゴブリンはいたずらなゴブリンのように茶目っ気のある言葉をかける。

対する五月(いつき)は爆発テロの主犯が自分のすぐ目の前にいることへの恐怖で言葉を失っており、笑う余裕などどこにもなかった。

その震えた表情を見て、ますます興味が湧いたグリーン・ゴブリンは彼女の方へ手を伸ばす……。

 

 

「スパイダーマン!」

 

 

グリーン・ゴブリンの魔の手が迫るそのとき!

地上にいる1人の来場者の希望に満ちた声と同時に指差す空から、颯爽とスパイダーマンが現れた。

ウェブスイングで建造物の合間を縫いながら、猛スピードで展望台へ接近する。

 

 

「────ヌゥアァーーーーーッ!!」

 

ッ!?ウオァァーーーッ!?

 

 

あっという間に展望台へ辿り着いたスパイダーマンはウェブスイングでつけた勢いのまま、グリーン・ゴブリン目掛けて両足蹴りを炸裂させる。

直撃したグリーン・ゴブリンは乗っていたグライダーから投げ出され、そのまま地上のテントへと真っ逆さまに転落していった。

操縦者がいなくなったグライダーは明後日の方角へ飛んでいく。

 

蜘蛛のように展望台の壁に張り付いたスパイダーマンは五月(いつき)を助けに向かおうとするが……

 

 

「警部!」

 

「ッ!」

 

 

地上から悲鳴に似た警察官の叫び声が耳に入る。

スパイダーマンは地上を見下ろすと、崩れ落ちるハロウィン仕様のアーチの真下に譲治が。

操縦者を失ったグライダーは行き場もなく動き回った結果、アーチの留め具を破壊してしまったのだ。

仲間の声に気付いた譲治だが、反応が遅れてしまい、逃げるほどの余裕はなかった。

このままだと押し潰されてしまう。

 

 

ピシュッ!

 

 

知り合いでもない譲治のピンチにスパイダーマンの体は迷うことなく動いた。

五月(いつき)も助けたいが、まずは先に消えそうな命……そう判断したスパイダーマンは壁を蹴って飛び立つと、ウェブを駆使して地面スレスレに飛び、激突寸前のところで譲治を素早く救出した。

地上に降り立ったスパイダーマンは譲治を優しく地面へ降ろす。

 

 

「平気?」

 

「あ、あぁ……」

 

 

スパイダーマンの尋ねに譲治は驚きの色を隠せないまま、曖昧に返答する。

譲治は一瞬の救出劇に驚いていたこともあるが、それよりもスパイダーマンが自分を助けたことに驚いていた。

警察とスパイダーマンは追う、追われる側の立場であり、いわば敵同士だ。そんな敵である組織に所属する自分を助けたのだ。普通ならありえないだろう。

だが、現にスパイダーマンはそれを実行したのだ。

 

 

「(正義を建前に好き勝手やるアウトローかと思っていたが………彼は()()かもしれないな)」

 

 

世間ではスパイダーマンのことを『ヒーロー』と呼ぶ者がいるが、譲治自身は全く信じていなかった。

しかし、実際に助けられて彼の根本的な信念――『誰であっても助ける』というのがハッキリとわかったのだ。

目の前にいるスパイダーマンを見て、譲治はスパイダーマンへの見方がガラリと変わった。

 

一方、地上へ墜落したグリーン・ゴブリンは崩れ落ちたテントからゆっくりと顔を出して起き上がる。身体増強薬によって強化された肉体は墜落した程度では致命傷にはならない。

テントを蹴ったくって歩き出すグリーン・ゴブリンの周りを警察官が即座に囲む。

 

 

「何者だッ!」

 

降参する!

 

「そこを動くな!」

 

「マズイ……」

 

 

警察官の問いに両手を上げて降参の意思を見せるグリーン・ゴブリン。

だが、その行動や言動とは裏腹に全くその気がないことを悟ったスパイダーマンはマスクの下で冷や汗をかく。

 

 

フゥゥンッ!

 

「ごっ!?」

 

「がぁぁッ!?」

 

 

その読み通り、グリーン・ゴブリンは警察官に近寄ると、上げていた両手を下ろし、警察官1人1人を殴り飛ばしていく。

拳銃を取り出そうとするのなら、素早くその手を掴み、捻り上げるだけだ。

 

次々と倒れ伏していく警察官を見て、スパイダーマンはウェブを使って素早くグリーン・ゴブリンへ接近する。

発達した筋力から繰り出されるストレートパンチをお見舞いしようとしたが……

 

 

見事だ!

 

「ッ!?どあぁぁあーーーーッ!!?」

 

 

片手で難なく受け止められ、ヤクザキックで逆に吹き飛ばされる。

後方に大きく吹き飛んだスパイダーマンはパレードの装飾を突き破り、逃げ惑う人々の真横を通って、電灯に衝突する。

スパイダーマンの体重に加え、蹴りの勢いによって電灯は根本から倒木のように落ちる。

 

 

ハッハッハ………ハッハッハハハハーーーーーッ!!!

 

「ッ!?」

 

 

グライダーを自身のもとへ呼び出したグリーン・ゴブリンは乗り込むと、すかさず、グライダー前方部の機関砲をまき散らしながら、倒れているスパイダーマンのもとへ飛んでいく。

緑色の怪人が機関砲を打ちながらグライダーでやってくる物騒な光景を目の当たりにしたスパイダーマンは血の気がひくと、急いで逃げ出す。

 

機関砲から放たれる銃弾で地面からは火花が立ち、グライダー底部からのミサイルで爆炎が舞う。

流石に強靭な肉体を持つスパイダーマンでもひとたまりもない。

 

スパイダーマンはウェブを観覧車の柱に引っ付けると、グルリと一回転したのち、無人のゴンドラの天井に着地する。グリーン・ゴブリンはすぐさま追おうとしたが、あまりもの速さに失速する。

モーターの稼働によってゆっくりと動く観覧車のゴンドラの天井から腰を下ろして機を見計らうスパイダーマン。グリーン・ゴブリンのグライダーに飛びかかろうという作戦だった。

 

グリーン・ゴブリンは煙で弧を描きながら、スパイダーマンの方へと向かってくる。

その際に放ってきたミサイルをスパイダーセンスでいち早く感知し、前方を跳躍してミサイルを避ける。ミサイルはスパイダーマンが先程までいたゴンドラに直撃して、爆発を起こす。

 

 

「はぁッ!」

 

 

飛び上がったスパイダーマンはグリーン・ゴブリンのグライダーに飛び移る。

背後を取ったスパイダーマンは拳の応酬で攻め立てるが、グリーン・ゴブリンも振り落とそうと同じく拳の応酬で応える。

前後左右に不安定な動きで飛ぶグライダーの狭い足場を舞台に繰り広げる肉弾戦は白熱しており、どちらも一歩も引かない状況だった。

油断したらやられる……そんな言葉が似合う状況だろう。

 

 

フンッ!

 

「がッ!?」

 

 

だが、一枚上手だったのか。この肉弾戦を制したのはグリーン・ゴブリンだった。

グリーン・ゴブリンの拳を顔面に受けたスパイダーマンはグライダーから落ち、真下にあったジェットコースターのレーンに背中をぶつける。

背中と鼻の痛みにマスクの下で苦悶の表情を浮べながら、スパイダーマンは蜘蛛のような姿勢で低く身構える。

 

 

「(……強い!エレクトロやリザードとはわけが違う!)」

 

 

グリーン・ゴブリンの強さにスパイダーマンは戦慄する。

先程の肉弾戦でわかったことなのだが、身体能力はグリーン・ゴブリンの方が”上”であった。

これまで数々の犯罪者、スーパーヴィランと戦ってきたが、彼らはいかに強くても明確な弱点があった。

リザードは本能に従う故の弱点、エレクトロは怒りに身を任せて故の弱点……それぞれあった。

 

だが、このグリーン・ゴブリンにはそれが全くない。否、見つかり辛いのだ。

自分と同じ仮面で顔を隠してるせいで表情が読み取れず、機関砲やミサイルといった高火力武器を用い、楽しんでいるようで実に冷静な思考を持っている。

隙というものが少なく、自分が炙り出そうとすると、逆にやられてしまう。

 

これまでのスーパーヴィランとは毛色の違う相手にスパイダーマンは苦戦を強いられていた。

 

 

「きゃあッ!?だ、誰か……!」

 

「ッ!(五月(いつき)!)」

 

 

そんなことを思っていると、五月(いつき)の悲鳴が耳に届く。

既に崩壊寸前だった五月(いつき)の足場は先程よりも悪化しており、分断された箇所からメキメキと鉄骨が折れ曲がっている最中だった。少しでも動けば落ちてしまう状況だったので、五月(いつき)は全く身動きできずにいた。

 

――毛色の違う相手に戦慄している暇はない。

スパイダーマンは自身に言い聞かせると、ウェブを使って飛び出し、パレードで使っていたバルーンを足場変わりにして、次々と跳躍して五月(いつき)のもとへ近付いていく。

 

そして、目前に近付いて、飛び出した瞬間――

 

 

――ヌゥゥンッ!

 

「うぁぁッ!!?」

 

「きゃあッ!?」

 

 

背後からグリーン・ゴブリンがグライダーで突進し、スパイダーマンを両手で捕らえると、五月(いつき)を通り過ぎ、展望台の中央にある壁に顔面を衝突させる。

その衝撃で展望台は揺れ、五月(いつき)の足場の崩壊は更に速まっていき、瓦礫が地上へと落ちていく。

 

グリーン・ゴブリンはスパイダーマンの頭を乱暴に掴むと、壁に何度も顔面をぶつけていく。

ゴンゴンと鈍い音が響くと同時にスパイダーマンの脳が震盪していく。

 

 

「はッ!」

 

ヌアッ!?

 

 

負けじとスパイダーマンも肘でグリーン・ゴブリンの顔面を強打する。

怯んだ隙に後ろに回り込むが、すかさず腹に肘を3発入れられ、裏拳で顔面を打ち込められる。

 

 

「うあぁーーーッ!?」

 

 

背中から床へ落ちたスパイダーマン。

腹と顔面の痛みにマスクの下で顔を歪めるが、ふと視線を向けた先の五月(いつき)の危機的状況を見て、痛みは吹き飛んだ。

戦闘の衝撃で崩壊が速まった足場は最早人が座れるようなスペースを保っておらず、鉄骨やら何やらが剥き出しとなり、柳のように垂れ下がっていた。

五月(いつき)は僅かに残された足場と手すりを使って、必死にしがみついている。今にも落ちそうな状況だった。

 

 

「待ってろ!」

 

「ッ、危ない!」

 

 

助けにいこうとするスパイダーマンだが、前方を見て叫ぶ五月(いつき)の声で振り返る。

グライダーを壁から引き抜いたグリーン・ゴブリンがグライダーの機関砲で不意打ちを仕掛けようとしていた。

そうはさせまいとスパイダーマンは手首からウェブを発射。放たれたウェブは見事命中し、グリーン・ゴブリンの目を覆い隠した。

 

 

……ウゥオッ!?

 

 

グリーン・ゴブリンが暗闇となった視界に気を取られている隙にスパイダーマンはバク転。グライダー底部の浮遊安定ユニットを引っこ抜いた。

空中で制止させるための装置を失ったグライダーは制御不能となり、不規則な動きで明後日の方角へと飛んでいく。

 

 

また会おう!スパイダーマァァーーーンッ!!!

 

 

暴れ馬のようにあっちこっちへ飛ぶグライダーを力づくで制御しながら、グリーン・ゴブリンはそう吐き捨てると、グライダーから噴出された灰色の煙を残して去っていった。

スパイダーマンはこれから戦うであろう強敵の姿を目に焼き付けた。

 

 

「ッ、きゃあぁぁーーーーーッ!!!」

 

 

一難去ってまた一難。

グリーン・ゴブリンを追い払ったのもつかの間、とうとう五月(いつき)の足場が限界に達し、完全に崩壊してしまう。

五月(いつき)は宙に放り出され、重力に従って地上へと落ちていく。

 

 

「ッ!」

 

「―――きゃあぁぁーーーーーーッ!!!」

 

 

スパイダーマンはすぐさま床を蹴り、水泳の飛び込みのように飛び立ち、救出に向かう。

垂直に落ちる五月(いつき)の真下にはトランポリンもクッションもない硬いコンクリートの地面。もし落ちれば命はないだろう。

地面に叩き付けられる恐怖に悲鳴をあげる五月(いつき)と救出に向かうスパイダーマン。

地上の人々が祈るように見守る中、2人の距離は10m、5mとだんだんと近付き……

 

 

「ハッ!」

 

ピシュッ!

 

 

落ちていく五月(いつき)を背中から左腕で抱え、片方の手首から発射したウェブを展望台最上階から突き出ているバルコニーの下に引っ付ける。

地面ギリギリのところでウェブがピンと張ったのち、バネの伸縮のように弾んだウェブによって2人は上昇。

スパイダーマンは五月(いつき)を抱える腕を持ち換え、すぐさま新しいウェブを射出すると、五月(いつき)を連れて遊園地から離れていった。

遊園地の人々からの称賛の声が浴びながら……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……!」

 

 

ウェブスイングで発生する風を受けながら、五月(いつき)は安堵の声をもらす。

高層から地上へ落ちる危機一髪の状況だったのだ。安堵せざるを得ないだろう。

 

遊園地から離れたスパイダーマンと五月(いつき)は現在、街中を飛んでおり、地上ではこちらを見て驚く様子を見せる通行人がちらほらと見える。

注目を浴びるのは五月(いつき)としては少々恥ずかしいが、命を助けてもらったことには代えられない。

 

 

「ごめん……高いところ駄目だったよね?」

 

「いえ、いいんです……慣れましたから」

 

「良かった。もう少しだから、しっかり掴まってて?」

 

「はい……」

 

 

見かねたスパイダーマンは不安そうに尋ねるが、五月(いつき)の柔らかい返事を聞くと、胸を撫で下ろし、再びスイングに意識を集中させる。

 

五月(いつき)は言われた通りに、よりスパイダーマンにしがみつく腕の力を強める。

固く、引き締まったスパイダーマンの体格と体温が服越しに伝わる。

スパイダーマンの温かさ……。それは体温だけでなく、胸の奥にある”心”の温かさを五月(いつき)は感じ取り、じんわりと自分の心に染み渡っていくのを実感した。

 

素顔を知らない男性への信頼感……。

実の父親のこともあり、警戒していた五月(いつき)だが、不思議とスパイダーマンに対してはそんな気は起きなかった。

 

 

「(温かい……)」

 

 

心の温かさを肌で感じた五月(いつき)はそっと微笑んだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、数十分後。

街中を飛び回った2人はあっという間に五月(いつき)たち五つ子が住まうマンションの屋上に到着した。

降り立ったスパイダーマンは五月(いつき)をゆっくりと地面へと降ろす。

 

 

「――フゥッ!リムジンより速かっただろ?……あぁっ、お構いなく!彼女はすぐ降りますから」

 

 

スパイダーマンはジョークを五月(いつき)に言っていると、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている警備員に目が合う。

空から突然やって来たのを見て驚いてしまったのは想像に容易い。

スパイダーマンはそう一声かけると、再び五月(いつき)へ視線を向ける。

 

 

「警察に事情聴取されるのは面倒だよね?勝手に連れてきてごめん。姉妹にも後で連絡しておいて」

 

「いえ、こちらこそ………助かりました」

 

「そうか。じゃあ――」

 

「待ってください!」

 

 

五月(いつき)に異常がないことを確認したスパイダーマンはお役御免と感じ、背を向けて去ろうとするが、五月(いつき)に呼び止められる。

ふいに声をかけられたスパイダーマンがどうしたのかと向き直すと、五月(いつき)は尋ねる。

 

 

「あなたは誰ですか?」

 

 

スパイダーマンが素顔や本名を明かせないのは五月(いつき)自身理解している。

だが、特に理由もないのに一度ならまだしも二度も助けられた。自らの危険を省みず、助けてくれたのだ。

そんな恩人のことを知りたいという気持ちが高まり、自然と声に出たのだ。

それに対して、スパイダーマンは――

 

 

「君は知ってる」

 

「知ってる……?」

 

「親愛なる隣人、”スパイダーマン”だ!」

 

 

そう明るく言い残すと、スパイダーマンは屋上から飛び降り、ウェブスイングで飛び去っていく。

スパイダーマン自身、正体が(まなぶ)であることを明かしたかったが、誰がどこで見ているのかわからないので明かすわけにはいかなかった。

それに正体を隠すのもミステリアスで悪くない、とマスクの下で頬を緩めていたのは誰も知らない。

 

 

「フォーーーフォーーーーーッ!!!」

 

 

高揚感高まる声をあげながら、街中へと消えていくスパイダーマン。

声と共に遠ざかっていく彼の姿を五月(いつき)は姿が見えなくなるまで見届けた。

その表情は明るい、満開の花のような笑顔だった。

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
①アンバーソンランド
 アメコミ原作のオズコープ社長であるノーマン・オズボーンの父親、『アンバーソン・オズボーン』から。
 アンバーソンは名うての実業家だったが、会社と財産を失ってからアルコール依存症になり、妻や息子のノーマンを日夜虐待するようになる。
これによって、ノーマンは父を激しく憎み、上昇志向や権力欲に囚われるようになる。

②遊園地ではしゃぐ五月(いつき)
 原作「五等分の花嫁」第56話にて、試験勉強で行き詰った五つ子たちに気分転換にと風太郎が遊園地に行くことを提案。そこで1日勉強を忘れ、アトラクションを楽しむのだが、特に五月(いつき)は普段の彼女から考えられない年相応の顔を見せる。
 普段はしっかり者なので、抑圧された気持ちを開放したかったのだと思われる。作者のお気に入りシーン。

③『今日は休日だから断る。』
 原作「五等分の花嫁」第36話にて、勤労感謝の日に遊びに誘う一花(いちか)三玖(みく)それぞれに対して返信した文章と同じ。
 風太郎は勉強がしたいので断ったのだが、らいはに諭されて、結局、林間学校での感謝を送るために四葉(よつば)と遊びに行くことになってしまった。

五月(いつき)たちが展望台にいた階層
 14階……14はアメコミ原作「アメイジング・スパイダーマン」にてグリーン・ゴブリンが初登場した刊と同じ数字。
 このときはグリーン・ゴブリンの正体は伏せられており、2年後に刊行された#39まで正体が明かされなかった。

⑤パレードを襲撃するグリーン・ゴブリン
 サム・ライミ版「スパイダーマン」(2002)では、グリーン・ゴブリンがオズコープ主催のパレードを襲撃するシーンのオマージュ。
 リストラされたノーマン・オズボーン=グリーン・ゴブリンは自身の地位を守るべく、自分を見捨てた役員たちを抹殺した。

五月(いつき)を助けるスパイダーマン
 サム・ライミ版「スパイダーマン」(2002)にて、崩壊するバルコニーから落下するMJを助けるシーンのオマージュ。

⑦「リムジンより速かっただろ?」
 原作漫画「五等分の花嫁」第3話にて、五つ子たちがリムジンを使って登校してきたことへの小ネタ。





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#22 ゴブリンの囁き

 

 

「大変だったな……」

 

《ああ、散々だったよ。事情聴取やら何やらで………何が何だかわかんない》

 

「でも、無事で良かったよ。怪我も無かったみたいだし」

 

《全くだ。警察に止められるくらいだったら、さっさと帰ればよかった》

 

 

電話越しの涼介のくたびれた声にほっと安堵する(まなぶ)

遊園地でのパレード襲撃事件の夜。襲撃犯のグリーン・ゴブリンを追い払い、五月(いつき)を救出し、家へと送り届けた(まなぶ)は自宅の自室でくつろいでいた。

 

帰ったきた際、叔母の(みこと)に心配されたが、急いで逃げたと適当に誤魔化した。

そして、今は親友の涼介の安否を確認するために電話をかけている。

グリーン・ゴブリンのことは気がかりだが、まずは知り合いの安否が優先だ。

ちなみに中野家の五つ子にも事前に安全であることは確認済みだ。

 

涼介がいることは彼本人から聞いていたが、戦いの最中に見かけなかった。

もしや、大怪我を負ったのではないかと不安だったが、普段の軽口を言える調子だったので杞憂だったようだ。

 

 

《……アイツは何だ?》

 

 

(まなぶ)が涼介の事情聴取で大幅に時間をとられたことに対しての愚痴を聞いていると、涼介はふと問いかける。

”アイツ”……それが差す相手が”グリーン・ゴブリン”であることは(まなぶ)にはすぐ理解できた。

突如、空から現れるなり破壊工作を仕掛けてきた。その行動の意図は読めず、目的を達成するために行ったというより、破壊を楽しんでいるように見えた。

しかも、これを白昼堂々で行っている。とても正気の沙汰ではない。

 

涼介の問いに(まなぶ)は神妙な顔を浮かべ――

 

 

「わからない……何にしても、誰かが止めないと………」

 

 

と、ハッキリとした口調で答える。

今はグリーン・ゴブリンの正体が”誰”で、”どこに”いて、”何のために行動している”かはわからない。

実際に戦ってわかったことだが、強さも今までのスーパーヴィランとは比較にならない存在になるということは容易に予想できる。

常に背中にくっついている背後霊のような不気味な存在だ。

 

だが、騒ぎを起こし、人を大勢殺した相手を見過ごすわけにはいかない。警察の手を超えた相手なら尚更だ。

(まなぶ)は自らに言い聞かせ、新たな脅威との戦いにスパイダーマンとしての使命感を燃やすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、緑川邸では涼介の父――難一(なんいち)が暖炉前のソファーでウイスキーを飲んで、身体を休めていた。

パチパチと音を立てて燃える暖炉は冷えた難一(なんいち)の身体を温める。

透明のグラスに注いだウイスキーはオレンジ色に照らされる暖炉の灯りを受け、メラメラと不規則に輝いている。

何とも言えない温かい光景に身も心も安らぐところだが、難一(なんいち)の頭は疑問でいっぱいであり、心が安らぐことはなかった。

 

 

「(何故だ?一歩も家を出ていないのに、こんなにもくたびれているのは………)」

 

 

たった1つの疑問に眉間にしわを寄せる難一(なんいち)

難一(なんいち)はオズコープの社長であったが、役員にクビを言い渡されたのでオズコープとは何の関係もなく、遊園地のパーティーにも当然ながら招待されていない。

なので、一日中、家でいる予定で、昼近くまで映画を観ていた記憶がある。

 

だが、昼間の記憶が全くない。

電源を抜かれたテレビの如く急に意識が途切れ、気付いたときにはもう夜になっていた。

寝ていたのかと思ったが、身体の妙なだるさにその考えは消える。

寝疲れにしては疲れすぎであり、汗も着ていたシャツに肌が張り付くくらい、びっしょりとかいていた。

 

何をしていたか思い出そうにも思い出せない……。

またもや起きた記憶障害に難一(なんいち)は頭を悩ませる。

 

 

ハッハッハッハ………

 

「――ッ!?誰だ!?」

 

 

そんな中、自分を嘲笑うかの如く、低くしわがれた男の笑い声が聞こえてきた。

その声を聞いた途端、難一(なんいち)はソファーから飛び起きて、周囲を警戒する。

聞き覚えのない声から息子や使用人ではないのはすぐ理解でき、そこから導かれる結果は”不審者”というシンプルなものだ。

見知らぬ誰かがいる―――迫る危機感に難一(なんいち)の頭からは先程の悩みなどとうの昔に吹き飛んでいた。

 

 

「誰かいるのか……?」

 

”誰か”だと……?

 

「何者だ?」

 

今さらとぼけるんじゃない……初めっからわかっているはずだ………

 

 

謎の声と会話しながら、難一(なんいち)は正体を探ろうとリビング中を見渡す。

しかし、周囲には人影らしきものは見えない。特段変わったものもなく、あるのは壁や棚に飾られている世界中から集めた民族の仮面コレクションくらいである。

声の正体が摑めない難一(なんいち)は背筋が凍っていることを実感した。

 

 

「……どこにいる?」

 

背中を走る悪寒をずぅぅーっと辿ってみろ……

 

 

難一(なんいち)の問いかけに謎の声は自分を見つけてみろと誘う。

難一(なんいち)は気味の悪さを覚えながらも、言われるままに視線を移す。

壁にある仮面コレクションを目で辿っていきながらゆっくりと視線を感じる背後を振り返ると、難一(なんいち)は疑問に満ちた顔を浮かべる。

 

 

「何が言いたい……?」

 

 

振り向いた先――そこにあるのは縦長に設置された巨大な姿見だった。

曇り1つもない鏡面はリビングの風景を映しており、眉間にしわを寄せる難一(なんいち)の顔もくっきりと映っていた。

 

ますます意味がわからないでいたが、次の瞬間、鏡に映る難一(なんいち)はニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべた。

 

 

「ッ!?」

 

 

当の難一(なんいち)は笑みなど浮かべておらず、驚きの表情を浮べていた。

鏡に映る自分が別人のように動き出し、こちらに笑みを返したのである。

それを見た難一(なんいち)が驚く中、鏡に映るもう1人の難一(なんいち)は気味の悪い笑みを浮かべながら話しかける。

 

 

単なる偶然だと思うか……?こんなに次々とお前に都合のいいことばかり起きて、おかしいと感じないのか?難一(なんいち)……

 

「望みは何だ……?」

 

お前が言えないことを言い、お前ができないことをして……お前にとっての邪魔者を始末する………

 

 

目を見開き、頬まで口角を上げる不気味な笑みを浮かべる鏡の難一(なんいち)はそう言いながら、手に取ったデイリー・ビューグルの新聞を見せびらかすように顔の横に上げる。

鏡の自分と同じ動きを独りでにしていた難一(なんいち)は我に返り、見せびらかしていた新聞記事に目を通す。

その記事には、オズコープの役員が殺害された内容が載っており、自分がよく知る株主と信頼していた役員の写真も添付されていた。

 

 

「『オズコープの役員殺害される』……お前だな……!」

 

――”俺たち”だよ!

 

「俺たち?」

 

 

鏡の自分に対して敵意を向ける難一(なんいち)だが、鏡の難一(なんいち)が返した言葉が頭に引っ掛かり、訊き返す。

すると、鏡の難一(なんいち)はゆっくりと全身を舐めまわすような口調で話す。

 

 

忘れたか……?実験室で起きた事故のことを………

 

「……ッ!身体増強薬」

 

その通り!俺はお前が造り出した………つまり、お前の『欲望の産物』というわけだ

 

 

鏡の難一(なんいち)の言葉で微かな記憶を呼び覚ました難一(なんいち)

身体増強薬には精神異常を起こしてしまうという欠陥点があった。試しにマウスで投与した際は錯乱状態となって、共食いをする始末だった。

度々記憶がなかったのは、投与実験の事故によって生まれた、もう1つの人格――ゴブリンによる仕業だったのだ。

 

 

「古流博士もお前が……!すぐに警察に――」

 

おいおい、落ち着け。警察が取り合ってくれるか?全て俺のせいにしたとしても、結局はお前のせいになるんだ。容疑がかからないよう、関係のないゴミ共も殺してやったのに……

 

「ッ!」

 

 

自首しようとする難一(なんいち)だったが、鏡の難一(なんいち)――ゴブリンの言葉に声を失う。

仮にもう1つの人格のせいにして自首したとしても、結局は自分が『人殺し』を行ったという罪は消えない。

むしろ、逮捕されれば社会的地位がある難一(なんいち)にとってはデメリットでしかなく、生活にも会社にも影響を与える。

 

何より、息子の涼介が不憫だ。SNSが発展している今、住所を特定するのは容易い。

嫌がらせや脅迫が自分だけでなく、涼介にも影響が及ぶ可能性は充分に考えられる。

その悪影響を考えれば、自首する道は自然と途絶える。

 

 

俺とお前は運命共同体なんだよ、難一(なんいち)……

 

 

追い打ちをかけるように冷たい言葉をかけるゴブリン。

二重人格のせいと言っても、警察がそう簡単に取り合ってくれるとは限らない。

古流や役員、委員会のトップ、さらには無関係の人々をこの手にかけた罪悪感に難一(なんいち)は顔面蒼白となり、ただ震えるしかなかった。

 

そんな難一(なんいち)のことなどお構いなしにゴブリンは平然と喋り続け――

 

 

創造を遥かに超えた力を手にした今こそ、全てが始まる!俺たちにとって、敵は”ただ1人”……!そいつを味方にできたら、どうなると思う……?

 

「……ッ」

 

 

と、囁くようにゆっくり歩み寄りながら気味の悪い笑みを浮かべた顔を近づける。

真っ白な不揃いな前歯を見せ、口が裂けたように口角を上げる悪魔の如き笑み。

自分のものとは到底思えない凶悪な笑みに、恐怖で震え上がった難一(なんいち)は後ずさる。

 

 

フッフッフッフッフッフッ………!

 

 

天敵を前にした子羊の如く怯える難一(なんいち)とは対照的に、ゴブリンは笑みを崩さず、低く唸るように笑った。

ゴブリンが持つ新聞記事の見出しは、遊園地で自身と戦っているスパイダーマンの姿が映っていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから時間が経ち、翌日の夕刻。

9番地区の交差点の間に堂々と立ち構える新聞社――デイリー・ビューグル。

学校が終わった(まなぶ)は新しいスパイダーマンの写真を手に、編集長の紫紋(しもん)が居座る編集長室へとやってきていた。

 

 

「『スパイダーマンとグリーン・ゴブリン!仲間割れでパレードを滅茶苦茶に!』……どうだ、傑作だろ?」

 

 

ふんぞり返った姿勢で椅子にもたれ掛かりながら、夕刊の一面を読み上げた紫紋(しもん)はそれを雑に置くと、ココアシガレットを一口かじる。

(まなぶ)ことスパイダーマンは遊園地に突如現れたグリーン・ゴブリンを追い払ったわけなのだが、何故かデイリー・ビューグルの記事ではそれとは全く違う書かれ方をされていたのだ。

 

当然、納得がいかない(まなぶ)はご満悦の紫紋(しもん)とは対照的に不満でしかなく、今回は写真を渡しに行くだけでなく、反論も兼ねて訪れた。

(まなぶ)はさっそく意見を述べようと口を開く。

 

 

「編集長――」

 

「俺が付けたんだ!ニックネームが必要だからな」

 

「ですが、編集長――」

 

木野(きの)!『グリーン・ゴブリン』を商標登録して、使用料を取れるようにしろ。1回4000円だ!」

 

「スパイダーマンは――」

 

「細田君!コーヒーはまだか!砂糖抜き、ミルク抜きのブラックだ!比呂め、こんな忙しいときに有給取りよって……!」

 

 

だが、当の紫紋(しもん)は全く聞く耳持たなく、部下に指示を飛ばしていた。

紫紋(しもん)の普段からの大きな声量もあって、口が開く度に言葉が遮られてしまう。

(まなぶ)は面倒な人だな、と頭を悩ませながら普段の声よりも声量を上げて、ブツブツと愚痴る紫紋(しもん)に意見を発する。

 

 

「聞いてください、編集長。スパイダーマンが人を襲ったと書くなど嘘だし、中傷です」

 

「違うな。中傷は”口”で言うこと。刷印するのは”誹謗文書”だ」

 

 

(まなぶ)の意見など、どこ吹く風と言わんばかりの態度をとる紫紋(しもん)

しかも、馬鹿にするように揚げ足を取り、わざわざ協調するように言う始末だ。

これには(まなぶ)もムカッと腹が立ち、眉をひそめる。

 

 

「誰も信用しないんですか?」

 

「………散髪屋だけかな?」

 

 

(まなぶ)は苦言を呈するが、紫紋(しもん)は依然訂正する気配などなく、とぼけた口調で答える。

紫紋(しもん)の傲慢さはこれまで多く見てきた。その度に反論しようと思ったが、”そういう人間”と割り切り、口を閉ざしていた。

だが、流石に耐えきれないものはある。嘘の情報を流しても反省するどころか、悪気の1つも感じられない……。

このまま見過ごすわけにはいかないと決意した(まなぶ)が異を放とうと口を開いた瞬間――

 

 

紫紋(しもん)!何だこの記事はッ!」

 

「ッ!?」

 

 

と、捲し上げる声が編集長室に響く。

あまりもの声量に不意を突かれた(まなぶ)の肩はビクッと飛び上がった。

何だろうと思いながら振り向いた(まなぶ)の視線に警察官の服装が飛び込んだ。上着を着込んでいるが、厚手の防弾チョッキに左腰にチラリと見える警棒と拳銃、キラリと光る手錠から偽者ではないことはすぐにわかった。

唐突の警察官の登場に(まなぶ)だけでなく、オフィス内も困惑めいた声がちらほらと聞こえていた。

 

 

「(ッ、この人はッ!)」

 

 

その警察官の顔を見て、(まなぶ)はハッと思い出す。

40代後半の少しくたびれたような顔たちの男性……。そう、パレードの際に(まなぶ)が助けたあの警察官―――譲治警部である。

 

――見知った顔の警察官が何故ここに?(まなぶ)が抱いた感情はまずそれである。

(まなぶ)の裏の顔であるスパイダーマンは警察にとってはお尋ね者であり、追う・追われるの関係だ。いくら助けたとはいえ、お互いの”立場”がある以上、警戒を怠れない。

その状況を目の当たりにした(まなぶ)はバレたのか、と言う言葉が頭に浮かび、一種のパニック状態になる。

 

 

「(何も起きないでくれ……!何も話しかけないでくれ……!)」

 

 

(まなぶ)は必死に祈る。

相手がただの一般人であれば無視や何とか誤魔化せるだろうが、警察官となれば話が違う。不遜な態度を取れば、ますますややこしくなる。

困ったときの神頼み……(まなぶ)は入試以上の緊張感を持ち、頭から変な汁が垂れそうな焦りを覚えながら祈った。

直視なんかはできない……。心臓はバクバクと鼓動を打ち、ギュッと膝の上で握った掌は緊張でべとべとに汗ばんでいることがわかった。

窓から吹くそよ風のように立ち去るのを待った。

 

だが、(まなぶ)の期待は早くも打ち砕かれる。

譲治はチラリと自身の視界に(まなぶ)を捉えたのだ。見るだけでなく、明らかに話しかける雰囲気を醸し出していた。

視線に捕らえられた(まなぶ)は感じる視線にどうしようかとあたふたしている中、譲治がかけた言葉は――

 

 

「驚かせてすまないね」

 

「は……?」

 

 

謝罪だった。

予想外の言葉に一瞬拍子抜けする(まなぶ)だが、大声を上げたことを謝っているのだと悟った。

 

 

「あ、いえ………」

 

 

――自分がスパイダーマンの正体であることはバレていない。平凡な10代の少年にしか見えないのだろう。

緊張が和らいだ(まなぶ)は固い愛想笑いで適当に返すと、譲治は頷く。譲治の要件は(まなぶ)ではなく、紫紋(しもん)にあるようだ。

 

視線を紫紋(しもん)へ変えた譲治はズカズカと早歩きで、デスクに居座る紫紋(しもん)の真正面に寄る。警察官が至近距離で近付いているのにも関わらず、紫紋(しもん)は全く臆せず、新聞をつまらなそうに読んでいるばかりだ。

 

 

パァンッ!

 

 

視界すら入れない不遜な態度の紫紋(しもん)に対し、譲治はメンコの如く、手に持っていた新聞をデスクに叩きつける。丸まった新聞紙と木製のデスクのぶつかる子気味良い乾いた音が編集長室に響く。

誰もが驚くだろう騒音に流石の紫紋(しもん)も反応せざるを得ず、新聞から目を離し、不快な顔を譲治に向けると、いの一番に不満をぶつける。

 

 

「……うちの新聞を粗末に扱うとはいい度胸だ。ゴキブリ叩きなら他社(よそ)の新聞を使え」

 

紫紋(しもん)……この記事は間違っている。スパイダーマンは悪党じゃない。グリーン・ゴブリンを追っ払ってくれたんだ」

 

「ふんッ!何事かと思えば、俺の書いた記事にケチをつけにきたか……デイリー・ビューグルは”真実”しか伝えん。記事に書いてあるなら、それが真実だ」

 

 

譲治の言い分を跳ね除け、キッパリと言い放つ紫紋(しもん)

どの口が言うか、と(まなぶ)が心の中で思っている中、譲治は引き下がらず、説得を続ける。

 

 

「だが、私は彼に助けられた……警察官であるこの私を。それに転落から女の子を救った。ゴブリンを追おうと思えばできたはずなのにだ。そんな人間が悪党であるはずがない……!」

 

「大した熱弁だな……調べたところによるとぉ、その娘は1番地区の総合病院で勤務する院長の娘だそうだ。まぁ、助けてもらったお礼で金でもせしめようという魂胆だろうな」

 

「そんなわけないじゃないか」

 

「いいや、多いにあり得る……大体、このコスチューム野郎は自分が『善人』だとアピールしたいんだろ!パレードの騒ぎを起こしたのは、そのアピールするための悪質広告だ!医者の娘を助けたのは金のため、お前を助けたのだって警察に指名手配を取り消してもらうための”保険代わり”だ!結局、”自分のため”なんだ!スパイダーマンが悪質な愉快犯に変わりないッ!!!」

 

 

紫紋(しもん)の言い分に譲治は言葉を失う。

それは正論を突きつけられて返す言葉がないというよりも、あまりにも被害妄想染みた暴論に呆れたからだった。

 

どれもハズレばかりで飛躍し過ぎた紫紋(しもん)の意見に(まなぶ)は正直腹が立っていた。

スパイダーマン関連の記事に目を通せば、気が遠くなるほどの訂正箇所があるだろう。

だが、そんなねじ曲がった彼の意見でも当たってるのは1つある。

 

それは、自分のため……ということ。

力は正しきことに使うべきだ―――(まなぶ)はそれが自分のためであり、正しいことだと信じているからだ。五月(いつき)や譲治を助けたのだって、その信条が原動力である。

逆に見返りを求め、好き勝手に力を行使すれば、不幸なことが必ず降りかかる。それは叔父の死で充分反省し、学んだ。

だから、愛するものを救えなかったことへの償いも込めて、スパイダーマンとして活動しているのだ。

 

(まなぶ)がそんなことを思っていると、譲治は額に手を当てて嘆息を漏らす。

やれやれと言わんばかりのしぐさを取ったのち、譲治は眉を潜め、切なそうな声で話しかける。

 

 

「一片の情報だけが真実じゃないだろう……なぁ、同じ高校で切磋琢磨した私とお前の仲だろ?書き直してくれよ」

 

「もう何年も前の話だ………警察が発言の自由を奪う権利が許されるのか?何だ、お前ら揃ってアイツの弁護士か?俺を訴えて、金を毟る取る気か?全く、この国の連中は信用ならんッ!」

 

 

譲治の泣きおどしも紫紋(しもん)には効かず、譲治と(まなぶ)の顔を交互に見ながら怒鳴るばかりだ。

話は平行線上を辿るばかりで進展の”し”の字も見せなかった。出ると言えば、不平不満だけだ。

譲治自身も頑固者の紫紋(しもん)を説得できるとは最初から思っていなかったが、こうも上手くいかず、嘆息しか出なかった。

 

――駄目だ、これは……。

何とも言えない感情を抱いた(まなぶ)は椅子から立ち上がる。これ以上、ここにいても不愉快な気持ちばかりが蓄積されるからだ。

出ていけと言わんばかりの紫紋(しもん)の視線を背中に受けながら、編集長室を出ようとしたときだった。

 

 

ドォガァァーーーーンッ!!

 

「のぉあぁぁーーーーッ!!?」

 

「ッ!?」

 

 

背後から強烈な崩壊音と共に動揺味が混じった紫紋(しもん)の悲鳴が響き渡った。

(まなぶ)は飛んでくるガラスの破片や粉塵から両腕を交差させて目を守りながら振り向くと、崩壊した窓際の壁を背に、グライダーに跨るヴィラン―――グリーン・ゴブリンの姿があった。

パレードを襲った凶悪人物の襲撃にデイリー・ビューグル内の社員はパニック状態となり、悲鳴を上げて一斉に逃げ出す。

ただ1人、紫紋(しもん)の秘書である女性――細田は動揺を隠せずにいながらも固定電話を手に、警察へ通報していた。

 

 

このクズめェ……ヘッヘッヘッ……!

 

「うぅああぁぁ………!?」

 

 

阿鼻叫喚溢れる光景をよそにグリーン・ゴブリンは床に横たわり、情けない声を上げる紫紋(しもん)の首を掴み上げる。

床から宙に浮かんだ紫紋(しもん)の支えとなるのは摑まれている首しかなく、首の圧迫感に体重が加わった紫紋(しもん)の顔は苦悶の色を見せる。

 

 

「警察だ!今すぐ、手を離しな――うぐッ!!?」

 

 

当然、警察という職業柄、見過ごすわけにはいかない譲治は取り押さえようとするが、グリーン・ゴブリンが振るうもう片方の腕が頬に直撃。簡単に床へ沈んでしまう。

訓練を積んだ警察官が()()()()()であしらわれる光景を目の当たりにした紫紋(しもん)の顔は真っ青になる。

 

 

ハウス……!

 

 

床に倒れ伏せている譲治にそう吐き捨てたグリーン・ゴブリンは「さぁて……」と呟くと、おぞましい黄色の双眸を紫紋(しもん)に向ける。

 

 

これから質問する……

 

「な、何だ……?」

 

スパイダーマンの写真を撮っているカメラマンはどこのどいつだ……?答えろ……

 

 

グリーン・ゴブリンの問いかけに紫紋(しもん)は視界の隅でどこかへと逃げていく(まなぶ)の後ろ姿が見えた。

――スパイダーマンの写真を撮っているのはアイツだ……アイツを差し出せば助かるかもしれない。そんな邪推な考えが脳裏に浮かんだ。

とにかく、不利な状況から一刻も早く抜け出したいのは人間の本質だ。スパイダーマンの居場所を訊くだけなので、(まなぶ)のことを話しても問題ないだろう。

仮に命に支障がきたすことが起きても所詮は『赤の他人』……自己責任だ。

 

そんな考えが脳裏で張り巡らされた紫紋(しもん)の口から飛び出たのは――

 

 

「と、匿名で送られてくるからわからない……!」

 

 

意外にもシラを切ることだった。

本当のことを話せば自分は助かるかもしれないが、(まなぶ)の身が危ない。

居場所を訊くだけだとしても、相手は人を何人も殺した悪党……(まなぶ)に命の保証があるとは到底思えないからだ。

 

それに(まなぶ)は10代の高校生。そんな若者を犯罪に巻き込むようなマネをさせたくない。

文書で”人を叩く”ことはあっても、”人を売る”ことは紫紋(しもん)のジャーナリズム……人間としての”心”が許さなかった。

 

 

嘘をつくな……

 

「本当だ!たくさんの人間から送られてくるからどれがどれだかわからないんだッ!」

 

 

問い詰めるグリーン・ゴブリンに対し、紫紋(しもん)は苦しげな声でシラを切り続ける。

至近距離から感じる威圧に紫紋(しもん)は正直怖かった。

だが、ここで屈してしまえば、より大勢の命が失われてしまう……。込み上げる恐怖心を押し殺し、知らない体を貫き通す。

 

 

………それなら用はない

 

 

期待通りの答えが返ってこなかったグリーン・ゴブリンは首を掴んだまま、拳を振り上げる。

痛いだけではすまさない負傷を予見し、紫紋(しもん)が恐怖で顔を強張らせたそのとき――

 

 

「手を離せ、悪党」

 

 

と、グリーン・ゴブリンの背後から制止する声が。

グリーン・ゴブリンはグライダーを方向転換させて振り向くと、蜘蛛糸を垂らして逆さまのスパイダーマンの姿があった。

逃げている社員に紛れ、隠れられそうな場所ですぐさま着替えたのだ。

問い詰められていたとはいえ、グリーン・ゴブリンの注意を引いてくれた紫紋(しもん)には少しだけ感謝している。

 

 

噂をすれば、か……

 

「うわぁぁッ!?」

 

 

お目当ての人物を目にしたグリーン・ゴブリンは上機嫌になり、ひっ捕まえていた紫紋(しもん)なぞ興味がなく、床へ適用に投げ捨てる。

向かい合う両者……。互いに仮面で顔を隠し、超人的な力を行使する『異端者』としての繋がりがあれど、違う道を歩む者たち。

睨み合う両者によって、場は一気に深刻な空気へと変わる。

 

 

「ほぉ…………ッ!」

 

 

情けない声をまたもあげながらも解放された紫紋(しもん)はほっとひと安心するも、スパイダーマンの姿を目にした途端、顔色を変える。

 

 

「スパイダーマン!やっぱりお前らグルなんだ!壁の弁償代はたっぷりと――むぐッ!?」

 

「ママとパパのお話を邪魔しちゃ駄目だ」

 

 

先程の恐怖心はどこへやら。すぐさま、いつもの如く非難を浴びせるが、スパイダーマンの手首から放たれたウェブに口を塞がれる。

いつもなら「はいはい」と聞き流すスパイダーマンだが、ヴィランが目の前にいる状況だ。気が散るのと、日頃のちょっとした仕返しを込めて口を塞いだ。

 

だが、この間に生まれた僅かな隙。それをグリーン・ゴブリンは見逃さなかった。

グリーン・ゴブリンは両腕を前へ突き出すと、手の甲の孔からガスを噴射する。

 

 

いい夢を見ろよ、蜘蛛坊や………スリ~~プ……

 

「ッ!?(催眠ガス!?し、しまっ………た………!)」

 

 

顔面に浴びせられたガスから急激な眠気に襲われたスパイダーマンは逃れようとするが、もう時すでに遅し。

油断して眠るには充分の量を吸いこんでしまい、次第に意識が途切れていく………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――起きろ、スパイダーマン。目を覚ませ……まだお前は死んではいない。一時的に身体が麻痺して動けないだけだ………

 

「……」

 

 

あれから何時間が経ったであろうか。

グリーン・ゴブリンの囁きを耳にしたスパイダーマンは深い睡魔のまどろみの中から重たげに瞼を開く。

先程の催眠ガスに神経ガスも含まれていたのか身体中麻痺しており、指一本すら動かせない。

 

外はすっかり日が暮れており、夜の闇にポツポツと灯りが灯っているのが確認できる。

そして、自分はどこかのビルの屋上の柵にもたれ掛かって座っており、近くにはこちらを見下ろすグリーン・ゴブリンの黄色の双眸が目に入った。

 

スパイダーマンが起きたことを確認したグリーン・ゴブリンは黄色のレンズを上げる。

外に晒されたグリーン・ゴブリンの目は仮面同様、氷のように冷徹で、飢えた野獣を思わせる獰猛さを秘めていた。

初めて見た素の目にスパイダーマンがそんな感想を抱いていると、グリーン・ゴブリンは見下ろしたまま話しかける。

 

 

お前には驚くべき力がある。お前と俺は同じ仲間だ

 

「……一緒にするな………お前は人を殺した………」

 

 

グリーン・ゴブリンの言い分をスパイダーマンは朦朧とした意識の中でもキッパリと跳ね除ける。

自警活動に励む自分と、慈悲もなく、簡単に命を奪う殺人鬼が同類なわけがないからだ。誰がどう見ても、違うのは歴然だ。

意見を跳ね除けられたグリーン・ゴブリンは一瞬目を細めつつも、「まあ、人それぞれだ」とそんなことはどうでもいいと軽く返し、演説のように話を続ける。

 

 

俺は俺の道を選び、お前は『ヒーロー』の道を選んだ。この町の人間はお前の活躍を楽しんでいるようだが、その連中が一番見たがっているのは何だと思う……?”ヒーローが力尽きて、倒れ、死ぬ姿”だ……!いくら必死に戦っても結局は、”憎まれる”……スキャンダルに遭った著名人のようにな!ファンだと信じた奴らが一斉に叩き出す、自身の欲にまみれた汚らしい連中………なのに、何故助ける?

 

「それが正しいからだ……!」

 

 

グリーン・ゴブリンの問いかけに迷うことなく、ハッキリと言い放つスパイダーマン。

今は亡き叔父が教えてくれた”正しいことのために力を使え”という精神のもと、戦っており、それが世のためだからと信じているからだ。

 

そんなスパイダーマンの反論をグリーン・ゴブリンは鼻で笑ったのち、チッチッチッと人差し指を左右に振る。

甘いなと言わんばかりの態度を取ったグリーン・ゴブリンは柵に寄っかかる。

 

 

”正しい”?はっ、お利巧さんだな。だが、よく考えてみろ?この優れた力があれば何でも叶う……!金や名声も思いのまま!気に食わないやつは潰して、欲しい女も思いのままだ……!お前にもそんな相手が1人や2人いるだろう……?

 

「……」

 

 

グリーン・ゴブリンの言葉にスパイダーマンは一瞬、五月(いつき)の顔を思い浮かべる。

転校してきたときから恋焦がれる存在……シャイな(まなぶ)にとっては高嶺の花であり、付き合えるなら付き合いたいもの。

 

だが、それは間違っていることはスパイダーマン自身わかっている。

自分本位で手に入れたとしても、それは自分や周りのためにはならないからだ。

 

スパイダーマンの様子から首を縦に振らないとわかったグリーン・ゴブリンは「馬鹿なやつだ」と毒吐いてスパイダーマンの頭を軽く叩くと、友人と駄弁るような姿勢で話す。

 

 

真実を教えてやろう。この町の人口は75万人……!このおびただしい群衆の存在理由はただ1つ……”一握りの特別な者たち”を支えることだ!俺たちのような、特別な者をな……

 

 

そう言うと、グリーン・ゴブリンはスパイダーマンの目線に合わせて腰を下ろすと、顎を親指、人差し指、中指の三指で孟獲類のようにグイッと掴むと、無理やり視線を合わせる。

 

 

お前をここで虫けらのように捻り潰すのはわけないことだが、選択の余地を与えてやる……『仲間』になれ。俺たち2人が手を組んだら、何を創り出せるか想像しろ……!

 

 

囁き声で威圧しつつも勧誘の声をかけるグリーン・ゴブリン。

手を組めば望むものは手に入るかもしれないが、自分の力の意味を正義のために使うと決めたスパイダーマンはその誘いには乗る気はない。

この場でハッキリ「ノー」と言いたいが、意識が朦朧としているので、上手く声が出なかった。

 

スパイダーマンのうっとおしいほどの謙虚さに苛立ったグリーン・ゴブリンは乱雑に手を離すと、2、3歩離れて、身振り手振りで自論を述べる。

 

 

それとも破壊が望みかッ!?罪のない人々を巻き添えにしながら、繰り返し繰り返し、どちらかが死ぬまで戦いたいのかッ!?それがお前の望みか……?よぉく考えろ!ヒーローッ!!

 

 

忠告を含めた勧誘を告げたグリーン・ゴブリンは呼び出したグライダーに跨ると、エンジンを吹かし、闇夜に包まれた空へと飛んでいった。

1人残されたスパイダーマンは身体中の痺れが取れるまで屋上でぐったりと座り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝。デイリー・ビューグルの朝刊に書かれた見出しはこう書いてあった。

 

スパイダーマン、新聞社を襲う!偽善の蜘蛛男に正義の鉄槌を!

 

記事には、先日のデイリー・ビューグルを襲った件は全てスパイダーマンの犯行であり、グリーン・ゴブリンは共犯であると紫紋(しもん)の目撃証言のオマケが付けられているとんでもない内容だった。

 

もちろん、全て紫紋(しもん)の中傷だが、マスコミ界隈の中でも随一の権力を持つデイリー・ビューグルの情報なので人々には瞬く間に話題となり、スパイダーマンの逮捕を願う声が上がっていた。

それに加え、待ってましたと言わんばかりに警察も懸賞金を上げ、町中にスパイダーマンの手配書を貼っていった。

 

街角のスパイダーマンの手配書を見て、(まなぶ)は虚しくなる。

助けたのに、当の紫紋(しもん)には恩を仇で返された。そのせいで、五分五分だったスパイダーマンの支持派も反対派に押されようとしていた。

 

 

いくら必死に戦っても結局は、”憎まれる”……

 

「……」

 

 

昨夜のグリーン・ゴブリンの言葉が脳裏に浮かぶ。

叔父の教えを正しいと信じて戦ってきたが、本当にそれが正しいのか、と(まなぶ)の気持ちは揺れ動いていた。

このような誹謗中傷はいくらでもされてきたが、流石に今回の件は(まなぶ)には深く突き刺さった。

 

――ヒーローは常に孤独

社会から逸脱した者は常に忌避される。

それを痛感した(まなぶ)は気持ちが曇ったまま、重い足取りで街へ繰り出すのだった……。

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
①グリーン・ゴブリンの二面性
 サム・ライミ版「スパイダーマン」(2002)でのノーマン・オズボーンの設定を使っている。
原作のノーマン・オズボーンは冷酷な人物だが、サム・ライミ版ではビジネスマンとして厳しい一面を持ちつつも、比較的善人として描かれている。それが、かえってゴブリンの人格との対象さを引き立てており、今でも人気ヴィランとして語り継がれている。
 なお、本来の人格のノーマンは歯並びは良く、ゴブリンの人格は歯並びが悪くなっている。これは監督のサム・ライミの演出であり、「ノーマンのような大企業の社長が歯を矯正していないはずがない」という理由から。
演者のウィレム・デフォーは歯を矯正しておらず、撮影の際は本来の人格を演じる際は矯正した偽の歯を着けてもらい、ゴブリンの人格の際は外して撮影した。


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#23 発覚

グリーン・ゴブリン襲撃事件が去った日からまた次の日の昼。

スパイダーマンこと(まなぶ)は人で溢れかえる旭高校の食堂にいた。

彼の心はいつにも増して不安が大きかった。普段なら小食なので、コンビニのおにぎり2個で軽く済ませるが、カレーライス大盛を注文するほどだ。食堂のメニューを滅多に利用しないので、自分自身珍しいと思っている。

 

その悩みの種はデイリー・ビューグルの編集長の紫紋(しもん)による大々的なネガティブキャンペーンだ。

突如としてデイリー・ビューグル本社を襲ってきたグリーン・ゴブリンから紫紋(しもん)を助けた(まなぶ)なのだが、あろうことか共犯扱いにされてしまうような記事を出されてしまった。

それによって、世間のスパイダーマンに対する評価は悪い方へと傾き、街中には手配書が貼られるようになった。

さらに悪影響はそれだけには留まらず、『蜘蛛男追放団体』という過激な団体までもが結成される始末。

(まなぶ)は世論の汚名を晴らす意味を込めてグリーン・ゴブリンを探しているが、手掛かりは何1つ見当たらなかった。

 

 

「(大いなる力には、大いなる責任が伴う……か)」

 

 

大盛のカレーが載ったトレイを手に歩きながら、(まなぶ)はふと、叔父の(つとむ)が生前に遺した言葉を思い返す。

強すぎる力は相応の責任を持ち、正しきことのために使え……それが叔父から教わったことだ。今までそれが正しく、何よりも社会奉仕へと繋がると信じていたからだ。

 

だが、あまりにも酷なバッシングを受けた(まなぶ)の心は揺らいでいた。

いくら助けても助けても、世間からは冷たい扱いをされてしまう。それゆえ、グリーン・ゴブリンから言うように、自分を律せずに好き放題力を使えばいいのか、と悪い誘惑と良心に挟まれて悩んでいた。

いくら考えようが、いくら寝ようがその悩みは消えることはなかった。

 

 

「(こんなとき、叔父さんならどうするだろう?)」

 

 

ふと、そんなことが頭に浮かぶ(まなぶ)

叔父の(つとむ)に頼めば、何かしらのアドバイスを授けてくれるのだろうが、今はいない。結局、自分自身で決めないといけないことだ。

(まなぶ)はもやもやとした気持ちのまま、親友の待つ席に向かった。

対面席に座る(まなぶ)の手前にあるトレイのものを見て、涼介は丼から箸を止めて反応を示す。

 

 

「おお、(まなぶ)!珍しいな!それ、大盛?」

 

「まあね。期末テストも近付いてきてるし、家庭教師の方も力入れないと思ってね」

 

「ゲン担ぎか……ははっ、流石優等生!無理して腹壊すなよ?」

 

 

ニヤリと冗談っぽく笑う涼介との会話に自然と笑みがこぼれる(まなぶ)

他愛のない話だが、不思議なもので、親友と話すだけで気持ちが軽くなる。

それを皮切りに雑談を交えながら、2人は各々の食事を摂っていく。

 

 

「そういや、また遅刻して生徒指導の先生に叱られたよ……」

 

 

雑談で盛り上がる最中、ふと嫌な記憶を思い出した(まなぶ)は神妙な顔で口にする。

そう、このところ(まなぶ)は遅刻や忘れ物などを頻繁にするようになっていた。

(まなぶ)は高校生、家庭教師、スパイダーマンの三足のわらじを履いている。今までは問題なかったが、日夜関係なく起こる自警活動に追われるあまり、学業面に支障をきたし始めていた。

その影響はもちろん、家庭教師の方でも及んでいる。

 

自分ができることをやっているのにも関わらず報われない……何とかしようともできない状況に(まなぶ)は更に頭を悩ませる。

気を落とす(まなぶ)に涼介は不可解そうに眉をしかめる。

 

 

「また遅刻?」

 

「うん」

 

「……調子悪いの?この前の中間テストだって上杉に抜かれたじゃん。いつも何やってんの?」

 

「………色々」

 

 

心配そうに言葉を投げかける涼介に(まなぶ)は不安な感情を押し殺した笑みを返す。

涼介の言うように、今まで”1位”だった中間試験の成績順位が”2位”へと転落してしまうほどに成績を及ぼす状況は大丈夫とは言えない。

だが、「スパイダーマンだから忙しい」なんて相談事は口が裂けても言えない。自分が解決しなければならない問題だからだ。

当の涼介は未だ不安の色が消えていないが、そう誤魔化すしかない。

 

暗い話題でせっかく上がっていた気分は一瞬にして冷めてしまった。口に運ぶ食事は味がせず、まるで通夜のようなムードになっていた。

これに見かねた涼介は「ああ~」と気まずそうに声を上げると、話題を変える。

 

 

(まなぶ)。そう言えば、明日から三者面談があるけど、何日目に入っている?」

 

「……?初日の14時だけど」

 

「お?俺と同じ日だ!時間もピッタシ!」

 

「ははっ、そうなんだ」

 

 

にっこりと笑う涼介につられて、(まなぶ)も同じように笑う。

旭高校では明日から3日間の平日午後13時から保護者、生徒、担任の教師を交えた三者面談がある。

それに伴って授業は午前中にしかなく、学生にとっては早期帰宅できる夢のような時間である。

内容は学年ごとに違うが、2年生の場合は現在の成績と今後の進路についての話だ。先の見えない将来のために決める大事な面談なので、こればっかりは遅刻したくない。

 

 

「叔母さん、来るの?」

 

「ん?まぁ、そうだね」

 

「いいよなーー……うちの親……父さんは来るかわかんないし……1年のときは執事が代わりに来てた」

 

 

保護者同伴することが確定している(まなぶ)の話を聞いて、涼介は自嘲気味に苦笑する。

涼介の父――難一(なんいち)は大企業オズコープの社長である。大企業の社長となれば当然それ相応の責任と義務が付きまとい、学校行事へ赴くことは滅多にできない。

そのことは涼介自身はわかってはいるが、たった1人の親に来てもらえないのは心寂しいものだ。

 

 

「……」

 

 

何とか良い言葉をかけたい(まなぶ)だが、中々思いつかない。

いくら親友と言えど、事情抜きにしても家庭環境には口出しするようなマネはできなかった。

返す言葉がない(まなぶ)はただ相槌を打つしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日の昼。

地上の人々の遥か頭上、建ち並ぶビル群の合間を縫うようにスパイダーマンは飛んでいた。

ウェブを射出してはスイング、また新たにウェブを射出してはスイング……とターザンの如くスイングし、目まぐるしく変わる街中を駆けていく。

 

この行動に至った理由は『時間に余裕があるから』だ。

今日は三者面談があるのだが、始まるまでにはまだ時間があるので、暇つぶしも兼ねてパトロールをするに至ったのだ。

暇つぶしにもなるし、犯罪を抑えることができる……これ以上ない時間の有効活用だ。

 

1時間ほどスイングしたスパイダーマンは休憩がけらにビルの壁面に片手と足を使ってくっつく。

腰の隠しポケットからスマートフォンを取り出し、時間を確認する。

 

 

「(13時か……あわよくばゴブリンの行方を掴めればいいって思ってたけど、特に犯罪もないし……)」

 

 

思ったように成果が得られず、やや不満げになるスパイダーマン。

パトロールを兼ねてグリーン・ゴブリンの行方を掴もうと捜査していたのだが、どこにも見当たらなかった。

今までグリーン・ゴブリンと遭遇した場所、関連がありそうな施設を全て見回ったのだが、解決の糸口を掴めるものは何一つ見つけ出せなかった。

スマートフォンをポケットに戻したスパイダーマンは息を大きく吸うと――

 

 

「グリーン・ゴブリンさーーん!グリーン・ゴブリンさーーん!出てきてくださーい!お届け物がありまーーーす!」

 

 

と、やけくそ気味に大声で呼びかける。

だが、当然ながらそう簡単にグリーン・ゴブリンが出てくることはなく、聞こえてくるのは地上の喧騒音だけだった。呼んでホイホイと出てくるなら、ここまで苦労はしない。

 

「出てくるわけないよな」と嘲笑したのち、スパイダーマンが退却しようとしたその時だった。

空からスパイダーマンに目掛けて、3本ものコウモリを模した手裏剣が飛んできた。

 

 

≈「――ッ!」≈

 

 

その奇襲をスパイダーセンスでいち早く察知したスパイダーマンは素早く壁面から飛び退くと、ウェブを使って向かい側のビルの壁面にくっつく。

標的を失ったコウモリ型の手裏剣は深々とコンクリートの壁面に突き刺さる。

誰の仕業だ、と思いつつもスパイダーマンが想像つく人物を浮かべていると、気配を感じる方を見上げて納得する。

 

 

呼ばれたから、出てきてやったぞ……

 

 

グライダーの上から低いしわがれた声を発する人物――グリーン・ゴブリンだ。

コウモリ型の手裏剣で攻撃してきたのもこの男の仕業で、スパイダーマンが想像していた通りの人物である。

どうしてここにいるのかなど、色々疑問はあるが、願ってもない機会。スパイダーマンは警戒しつつも話しかける。

 

 

「思ってもなかったよ、呼んだら出てくるなんて。探す手間が省けるよ」

 

俺の申し入れに対する答えは出たか?仲間になるのか、ならないのか?

 

 

スパイダーマンの軽口を無視しつつ、グリーン・ゴブリンは勧誘の返答を訊く。背後に回す手にカボチャを彷彿させる球を握りながら。

 

 

「馬鹿言うな。『ノー』に決まってるだろ」

 

 

それに対し、スパイダーマンははっきり断る。

確かに自分のやっていることは偽善的で利口な行動とは言えないかもしれない。

だが、悪事を正当化し、人殺しと協力するなんてどう考えても間違っているからだ。

 

 

答えが違う!

 

 

『交渉決裂』という名目を得たグリーン・ゴブリンは掌に隠していた球体のスイッチを押すと、それを前方へ放り投げる。

球体は宙で5つのコウモリ型の手裏剣―――レイザーバットに変形すると、刃を高速回転させながらスパイダーマンに襲い掛かる。

 

 

「面白い……!」

 

 

痛みへの恐怖を紛らわせるため、スパイダーマンはそう一言呟くと、身体を捻りながら前方へ跳躍。

レイザーバットの雨をスレスレのところで避ける。

その勢いのまま、スパイダーマンはグリーン・ゴブリンの前方に立つようにグライダーの上に乗った。

不法侵入者を追い出すべく、グリーン・ゴブリンはグライダーを発進させる。

 

スパイダーマンはさっそく拳を一撃食らわせようとするが、先にグリーン・ゴブリンの拳が鼻っ面に炸裂する。

グリーン・ゴブリンはスパイダーマンがふらついた好機に胸元を殴りつけたのち、顎を蹴り上げる。

その衝撃でスパイダーマンの重心は後ろへと傾き、地上へ落ちそうになる。

 

 

ピシュッ!

 

「ハァッ!」

 

ぬおッ!?

 

 

負けじとスパイダーマンはウェブをグリーン・ゴブリンの両肩にウェブをくっつけると、頭突きを食らわせる。

顎に直撃し、グリーン・ゴブリンの口から苦しげな声が漏れる。

のけ反った隙にスパイダーマンは右、左と頬に拳を打ち込んだ後、胸元の中心目掛けて右拳を叩きこむ。

 

スパイダーマンはすかさず左足の回し蹴りを放つが、グリーン・ゴブリンに両腕で防御されたのち、脛付近に腕を回されて掴まれる。

 

 

ウゥアァァーーーッ!!!

 

「うあぁぁーーーッ!!?」

 

 

グリーン・ゴブリンは足を捕らえたままグライダーを一回転。回転の勢いを利用して、スパイダーマンを豪快に投げ飛ばす。

投げ飛ばされたスパイダーマンは近くの高層ビルの窓ガラスをガッシャ―ンと破砕音と共に突き破り、床に身体を打ち付ける。

 

 

『きゃぁああーーーッ!!?』

 

「……ッ」

 

――――ハッハッハッーーーーーーーーッ!!!

 

 

窓を突き破って不時着したスパイダーマンを見て、オフィス内の会社員たちは悲鳴を上げながら逃げ出す。

強い衝撃にマスクの下で苦悶の表情を浮べながらスパイダーマンが起き上がると、確実に仕留めようと、割れた窓からグリーン・ゴブリンがグライダーの先に刃を立てながら突進してくる。

会社員たちが逃げ出したのはグライダーに乗ったグリーン・ゴブリンが殺意満々でやって来るからだ。

 

一瞬で冷や汗が溢れたスパイダーマンはすぐさま仰向けになって避けると、通り過ぎるグライダーの先頭部にウェブを引っ付ける。

そのままグイッと引っ張ると、直線を保っていたグライダーの角度が前へ傾く。

 

 

うおッ!?

 

 

足場が傾き、バランスを崩したグリーン・ゴブリンは小石で躓いたかのように吹き飛び、機材だらけのデスクに衝突する。

衝撃とグリーン・ゴブリンの体重によってデスクはへこんでおり、置いてあったパソコンは火花が散り、筆記用具が床に散乱する。

グリーン・ゴブリンは気を失ったかのように大の字でぐったりと倒れる。

 

 

「…………気絶したのか?」

 

 

しばらく警戒して様子を伺っていたスパイダーマンは疑問の声を漏らすと、僅かに気を緩める。

10秒ほど待っているが、グリーン・ゴブリンはピクリとも動かず、大の字で寝転がったままだった。彼が気を失っていることを報せるようにグライダーのエンジンもピタリと止まった。

これらの要点から、気絶していることは目に見えてわかっている。

 

だが、スパイダーマンには疑心感があった。

――もしかしたら気絶しているフリをしている………こちらが油断した隙に騙し討ちを狙っているのではないか、と。

仮面で素顔を覆っているので表情は遠目からは確認できない。そして、シーンと静まりかえった辺りの空気がより一層緊張感を高め、疑心感を募らせていく。

 

けれど、近付かないわけにもいかない。

いくら怖いからといってこのまま悪人を野放しにしておくわけにはいかない。

意識の有無の確認を含め、スパイダーマンは一歩一歩、慎重に近付く。

10m、8m、6m……とその差を埋めていく。

 

 

≈「ッ!」≈

 

 

そして、5mを切ったそのとき、脳内でスパイダーセンスが警鐘を鳴らす。

これが発動する意味は身の危険が迫っているということ。言い換えるなら、自分に害するものが近くにあるということだ。

つまり、それは――。身の危険を悟ったスパイダーマンはすぐさまグリーン・ゴブリンから離れようとした瞬間――

 

 

プレゼントだ!

 

 

先程までピクリとも動かなかったグリーン・ゴブリンが起き上がると、パンプキンボムを投げつける。

かぼちゃを彷彿させる色をした球体状の爆弾は身体を反らすスパイダーマンを通り過ぎると、ピッピッと秒読みを刻んだ後、緑色の輝きを放ち――

 

 

ドォォォーーーンッ!!

 

 

けたたましい音と共に大爆発を起こす。

ビル中のガラスは砕け散り、部屋中は爆風と破片によって破壊し尽くされる。オフィス内はあっという間に火の海へと変貌した。

規定以上の熱を探知し、オフィス内の全てのスプリンクラーが作動する。

 

 

「……ッ」

 

 

天から降り注ぐスプリンクラーと火炎に周囲が包まれる中、スパイダーマンは瓦礫を押しのけて立ち上がる。

スパイダーセンスのおかげで直撃は避けられたものの、発生する爆風には耐えきれず、吹き飛ばされてしまった。

破片やら何やらが当たったせいか、身体中あちこち痛みがある。それでも、人の原型を保っていれたのはスパイダーパワーさまさまだろう。

 

 

ハアッーー!!

 

「お……ッ!?」

 

 

ほっとひと安心しているのも束の間、火の海を飛び越えてきたグリーン・ゴブリンの拳を腹に受けてしまう。

たて続けに左頬に一撃もらうが、側頭部目掛けて放たれた左拳は右腕で防ぐと、右頬を殴り返す。

 

怯んだグリーン・ゴブリンは飛び退くと、レイザーバットを投げつける。

5つのコウモリ型手裏剣がスパイダーマンに迫りくる。

 

 

「またそれかッ!」

 

 

刃を高速回転しながら襲ってくるレイザーバットを目にしたスパイダーマンは嫌そうに毒吐く。

如何にも痛そうなカッターをスプリンクラーと火炎が舞う悪視界の環境で避けなければならないのだ。無茶ぶり過ぎるこの状況には、普段気持ちを押し殺すスパイダーマンもつい口に出てしまった。

 

嫌々思っていてもレイザーバットは止まってくれない。

最初にやってきた2つのレイザーバットを大股開きで避け、続いてやってきた残りの3つもトリプルアクセルのように身体を捻りながら避けた。

 

 

ウゥアァーーッ!!

 

「ハアァッ!」

 

ヌアァッ!?

 

 

その隙にグリーン・ゴブリンが迫ってくるが、スパイダーマンは腹部を蹴上げる。

苦痛の声を上げながら宙を舞うグリーン・ゴブリン。

すかさず、ウェブをくっつけて手繰り寄せ――

 

 

「フンッ!!」

 

ゥウゥアァァアーーッ!!?

 

 

思いっきり回し蹴りを再び腹部へ叩きこむ。

命中したグリーン・ゴブリンは困惑の声と共に手足をバタバタしながら大きく後方へ飛び、壁に衝突する。

その衝撃によって火によって脆くなった天井や柱が崩れ、火の粉が激しく舞う。

一瞬にして大火災になったオフィスの火はスプリンクラーの消化でも抑えることができず、ますます激化していく。

 

 

「(早くしないと……!)ッ!?」

 

 

あまり時間がないことを悟ったスパイダーマンがグリーン・ゴブリンのもとへ駆け寄ろうとした瞬間、後ろから何かが顔の横を通り過ぎる。

スパイダーマンが振り向くと、その正体は先程避けたレイザーバットだった。

レイザーバットは単なる飛び道具ではなく、追尾機能を持った厄介な武器だったのだ。

 

追尾機能があるということは1つや2つだけでなく、全て持っていることを意味している。

当然、先程通り過ぎたのも……。

思わぬ敵に驚くスパイダーマンにレイザーバットは意思を持つかのように再び襲い掛かる。

 

全て叩き落とすしか手がないと踏んだスパイダーマンは拳を構える。

スパイダーマンのパワーにかかれば、この程度の金属武器を破壊するのは容易い。

スパイダーマンは前後左右からやってくるレイザーバットを次々と叩き落としていく。

 

 

チッ……!

 

「ッ!?あぁッ!!」

 

 

だが、最後の一機を叩き落とした際、回転する刃が左前腕をかすってしまう。

鋭い刃はスーツの生地を破り、スパイダーマンの素肌に真っ赤な切り傷を作った。

激痛のあまり、思わず悲鳴を上げたスパイダーマンはかすった前腕を抑える。傷は思った以上に深く、切り傷から出る血は抑える手から溢れ、床へポタポタと落ちる。

 

スパイダーマンが怯む中、起き上がったグリーン・ゴブリンは叫ぶ。

 

 

ここまでにしておこう………せいぜい、周りに気を付けることだな!

 

「ッ、待て!うあッ!?」

 

 

グリーン・ゴブリンの言葉から、去り際の捨て台詞と思ったスパイダーマンは逃がすまいと駆け寄ろうとするが、立ち塞がるがの如く、爆風が起きる。

燃焼によって建物の崩壊が始まり、猛烈な爆風を引き起こしたのだ。

 

身構えたスパイダーマンは爆風が収まったのを機に周囲を見渡すが、グリーン・ゴブリンの姿はすでにいなかった。近くにあったグライダーもいつの間に回収したのか、痕跡すら残さず消えていた。

ただあるのは、外から聞こえるパトカーと消防車のサイレンの音だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、旭高校では、白い婦人帽に色調鮮やかなアジサイがプリントされた婦人服に身を包んだ老婆が1人、教室の前に用意された椅子に座っていた。

その老婆は(まなぶ)の叔母――(みこと)だ。

三者面談である今日。両親がいない(まなぶ)の親代わりである彼女がやってきたわけだ。

成績優秀の(まなぶ)なので、成績面で毎回心配する必要がない。「甥っ子さんは素晴らしいです」と心地よい言葉ばかりが返ってくるばかりだ。

 

だが、今回に限って(みこと)はそわそわしていた。

 

 

「まだかしら……?」

 

 

そう呟きながら、(みこと)は手元の時計に目をやる。時刻は13時50分にさしかかっており、面談予定時刻の14時まで10分を切ろうとしていた。

(まなぶ)とは13時30分には現地集合するよう約束していたのだが、廊下の先や窓から外を眺めても彼らしき姿は一向に見えなかった。

 

――もしや、何か事故に巻き込まれたのでは?

そんな最悪な予感が頭を過り、時計の針がひとつひとつ進む度に、段々と不安になっているというわけである。

 

 

「あの子、大丈夫かしら……」

 

「おばさま、こんにちは」

 

 

(みこと)が不安そうに呟いていると、聞き覚えのある少女の声が。

思考を一旦停止して振り向くと、ウェーブのかかったロングヘアーの少女――五月(いつき)が可愛らしい大きな目を向けていた。

彼女を目にした(みこと)はハッと口の前に手を当てる。

 

 

「あら!五月(いつき)さん。こんにちは~」

 

「すみません、ホットケーキご馳走していただいて……」

 

 

五月(いつき)の話の内容が一瞬わからなかったが、(みこと)はすぐに思い出す。

実は花火大会があった日、(まなぶ)が帰ってくるまでの間、家庭教師代を手渡しにきた五月(いつき)にホットケーキを馳走していたのだ。

年頃の女の子なのでそんなに食べないと思っていたが、次から次へと食べていき、最終的には1()0()()()()()した。

(みこと)五月(いつき)が幸せそうにパクパクと食べていた光景を思い出し、照れくさそうに笑う。

 

 

「ふふふっ、そんな大した料理じゃないのに……」

 

「そんなことありません!あのホットケーキはおばさまにしか作れない、最高の料理ですっ!」

 

「ふふっ、ありがとう。またいつでも食べにいらっしゃい」

 

「はいっ!」

 

 

(みこと)の誘いに五月(いつき)はニッコリと微笑む。

その明るい表情を見て、(みこと)は思った。本当に食べるのが好きなんだ、と。

外見とはかけ離れた健啖家に驚きはしたものの、邪な気がなく純粋に幸せを噛み締めた笑顔に(みこと)もつられて笑顔になる。

そんな彼女に好きなだけ食べさせてあげたいと思ってしまう……保護愛に似た感情を抱いてしまう。

 

 

「父さん!?来てくれないかと思ってたよ!」

 

「なぁに、お前のためなら何でもやる。それが親の務めだ」

 

 

彼女らが談笑している近くで、嬉しそうな声が上がる。涼介とその父親である難一(なんいち)だ。

難一(なんいち)はオズコープの社長という立場なので中々学校行事に来れず、涼介は毎回寂しい思いをしていた。

涼介は今回も無理だろうと諦めかけていたが、予想を良い意味で裏切ってくれた展開に喜ばずにはいられなかったのだ。難一(なんいち)としては、親としての責任の他に、今まで来てやれなかった償いも込めている。

 

親子らしい会話を交わしていると、難一(なんいち)(みこと)の存在に気付く。

息子の親友である保護者に挨拶を、と至って交友関係の築きから基づく考えが脳裏に浮かんだ難一(なんいち)は涼介をつれ、(みこと)へ声をかける。

 

 

天海(あまかい)さん、ご無沙汰しております」

 

「ッ!まあ、緑川さん!」

 

「ああ、そのままで。楽にしてください。私たちの付き合いじゃないですか……」

 

 

口をポカンと開けた(みこと)はすぐさま立ち上がろうとするが、ニコッと微笑む難一(なんいち)にそのまま座るように促され、その通りにする。

難一(なんいち)にとって天海(あまかい)家は家族同然であり、変に気遣われるのは他人行儀みたいで違和感でしかない。仕事は仕事、プライベートはプライベートで気持ちを切り替えするのが難一(なんいち)なりの社会人としての心構えだ。

そんな会話をしていると、難一(なんいち)は隣にいる五月(いつき)と目が合う。見慣れない顔に眉間にしわをよせる。

 

 

「おや?こちらのお嬢さんは……」

 

「ああ、父さん。中野(なかの) 五月(いつき)さんだよ。ほら、(まなぶ)が家庭教師をしてるっていう………」

 

「ああ~……この()が例の……」

 

 

見かねた涼介の説明を受けた難一(なんいち)は納得の表情を浮かべる。

以前に涼介から、(まなぶ)が五つ子の家庭教師のアルバイトに手を焼いているという話は度々耳にしていた。きっとそのことだろう、と疑問が解消した。

涼介の紹介を受けた五月(いつき)はぴしりと背筋を正し、口を開く。

 

 

「はじめまして、紹介にあずかりました中野(なかの) 五月(いつき)です」

 

「中野……もしや、中野医院長のご息女かな?」

 

「?ええ、そうですが……」

 

「そうか……!いや、実は君のお父上が勤務されている病院の医療機器は全て、我がオズコープが提供していてね…………今日、お父上はいらっしゃられるかな?」

 

「いえ、父は忙しくて……」

 

 

首を横に振って、僅かに顔を曇らせる五月(いつき)を見て、内心「しまった」と焦る難一(なんいち)

マルオが医療従事者という立場上、多忙である。そのため、中々触れ合う機会がないのは明白だった。

 

 

「そうか……すまなかった。もし、会う機会があれば、お父上によろしく伝えておいてくれ」

 

「はい」

 

 

地雷を踏んでしまったと思った難一(なんいち)はバツの悪い顔を浮かべながらも謝罪代わりの言葉を贈る。

誰にでも触れてほしくないことはあるもので、自分が悪くなくとも謝るのが彼のルールだ。

 

五月(いつき)難一(なんいち)が初対面の会話をしていると、辺りを軽く見渡した涼介が(みこと)に尋ねる。

 

 

「……(まなぶ)のやつ、まだ来ていないんですか?」

 

「ええ、そうなの。連絡ひとつも寄こさないのよ?電話も出ないし……」

 

「それは心配ですね……何かに、巻き込まれたのでは?」

 

「そうじゃないといいけど……」

 

 

話の途中、首を傾げながら発する難一(なんいち)の予想に(みこと)は心配そうにしながらも逆であることを祈る。

(まなぶ)の家からこの旭高校までは徒歩30分ほどの距離があるものの、交差点が多くない地帯だ。信号に引っ掛かることや交通トラブルなどは滅多に無く、歩き慣れている(まなぶ)なら、まず道に迷うことなどない。

 

しかし、現に彼は遅れている。しかも、連絡ひとつも寄こさないのだ。あまりにも不自然な状況だ。

何があったのか……考えるものの、それらしい情報は無く、ただただ不安な気持ちだけが募っていくばかりだった。

刻々と14時の時刻に迫る時計。もう5分を切っており、教室にいる(みこと)の前の面談者は終わろうとする空気が漂っていた。

(まなぶ)が来る気配がないことに、皆が不安を抱えていたそのとき――

 

 

「お待たせ!」

 

 

と、廊下の奥から申し訳なさそうな声が聞こえてくる。

皆が声のした方を振り向くと、廊下を駆け足でやってくる(まなぶ)の姿があった。

 

 

「ああ、(まなぶ)!」

 

(まなぶ)ー」

 

「いやー……ごめん。途中で携帯を忘れたのに気付いて取り返ったらこんな時間に」

 

「そうなのね~……ともあれ、無事で良かったわ」

 

 

(みこと)と涼介から安堵から出る声が上がる中、(まなぶ)は弁明する。

もちろん嘘なのだが、電話に出なかった理由と合致し、(みこと)をはじめ、皆は納得する。

皆がほっとひと安心していると、ふと視線を向けた(まなぶ)の違和感に気付いた五月(いつき)は顔を青ざめる。

 

 

「あ、天海(あまかい)君……!血が……!」

 

「……え?あっ!」

 

「……?」

 

 

五月(いつき)に指差す先を見て、(まなぶ)はぎょっとする。

五月(いつき)が指摘した箇所……左前腕から血が滲み出ており、上に着ている白シャツに真っ赤な円を作っていた。この傷は先の戦闘でレイザーバットによって負傷したよるものだ。

それを見た難一(なんいち)は明るい表情から一変して、訝しげな目を送る。

 

 

「あら、大変。事故に巻き込まれたの?」

 

「あ、ああ……!そうなんだ!急いでて、車道に飛び出して、バイクメッセンジャーに引っ掛けられた。でも、大丈夫。大した怪我じゃないから」

 

「血が出て大丈夫な訳ないでしょ?見せてごらんなさい」

 

 

怪しまれると危機感を感じた(まなぶ)は苦し紛れの言い訳をするが、(みこと)には通用せず、腕部分を覆うシャツを捲り上げられる。

外界へと晒された左前腕は出血こそ止まっているものの、カッターで切ったような真っ赤な切り傷が出来ていた。怪我したときは深い傷だったものの、(まなぶ)自身の人間を超えた自然治癒力あってのものだ。

 

だが、それを抜きにしても大怪我によることは変わらず、(みこと)は心配そうな表情を浮かべる。

 

 

「まあ……!酷い怪我じゃないの!」

 

「大丈夫だって。唾でもつければ治るよ」

 

「ばい菌でも入ったら大変だわ。保健室で手当てしてもらわないと……!」

 

「(あの傷は……!)」

 

 

心配する(みこと)とそれを宥める(まなぶ)をよそに、左前腕の怪我を見た難一(なんいち)は似た怪我をした光景が脳裏に浮かぶ。

脳裏に浮かんだのは、自身が放ったレイザーバットを叩き落とすスパイダーマンが回転する刃の破片で腕に切り傷を負ったことだ。しかも、同じ左腕、同じ箇所。

それと同じ怪我をした(まなぶ)が遅れたことを考えると、1つの疑念が浮かぶ。

――スパイダーマンとして自分と戦ってたから、と。

あり得ないと思いつつも難一(なんいち)は腕の切り傷に視線を送りながら、重苦しそうに口を動かし、(まなぶ)に訊き返す。

 

 

「………どうやって怪我したって?」

 

「バイクメッセンジャーに……ぶつかって………」

 

 

同じ言い訳をする(まなぶ)だが、難一(なんいち)にはそれが”嘘”だとすぐにわかった。

引っ掛けられたにしては刃物で切ったような切り傷だし、何よりも上に着ているはずの()()()()()()()()()()()()()()()()

捲っていたとも考えられるが、それはないだろう。腕部分には捲った際に出来るしわが一切無いからだ。

 

さらに、(まなぶ)五月(いつき)に指摘された瞬間、焦ったような顔をしたことを難一(なんいち)は見逃さなかった。まるで()()()()()()()()()()()()と言わんばかりに。

これらの観点から結びつく結論……それは、(まなぶ)=スパイダーマンということに。

確信めいた表情を浮かべた難一(なんいち)は冷や汗をかきながらも、口を開く。

 

 

「………申し訳ないが、行かなくてはならない」

 

「え?何で?三者面談は?」

 

「急に()()()()()()があってね……先生には謝っておいてくれ。天海(あまかい)さん、それから皆。失礼するよ」

 

「え、え?父さん!?せっかく来たのに……!」

 

「仕事なんだ。すまない」

 

 

留まらせようとする涼介にそう言って押し通すと、難一(なんいち)はスタスタと教室前から去っていった。

その後ろ姿を(まなぶ)たちは困惑した表情で見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スパイダーマンを倒すのは難しい……だが、天海(あまかい) (まなぶ)を破滅させる手ならある………

 

 

T市5番地区にある緑川邸のリビングルーム。薄暗い部屋にメラメラと燃える暖炉のオレンジ色の輝きが部屋中を照らす。

揺らめく輝きの中で、長椅子の角に立てかけられたグリーン・ゴブリンの仮面からゴブリンの声が難一(なんいち)に囁きかける。

実際に仮面が喋っているのではなく、ゴブリンというもう1つの人格が難一(なんいち)自身の脳裏に話しかけているのだが暗示のようなもので、難一(なんいち)には仮面が話しかけているように見えた。

 

 

「うっ、ううっ……!そんなことできない!」

 

 

冷静なゴブリンとは対照的に、泣きじゃくりながら拒否を示す難一(なんいち)

難一(なんいち)にはできるはずがなかった。息子同然のように思っている息子の親友を手にかけるなど……。考えるだけで恐ろしく、震えが止まらない。

仮面から顔を背ける難一(なんいち)にゴブリンは一喝する。

 

 

裏切り者を黙って放っておくつもりか!?天海(あまかい)によく思い知らせてやれ、俺たちを敵に回したことへの”後悔”を……

 

「どうしたらいい………?」

 

 

――この苦しみから一刻も解放されたい。

このゴブリン(悪魔)には従いたくはないが、周りへの影響を考えると、屈するしかなかった。

涙で頬を濡らして振り返って尋ねる難一(なんいち)の弱みを突き、ゴブリンは好機とばかりに囁く。

 

 

大事なものを失う”苦しみ”を味わせる。死んでしまいたいほどの苦しみをアイツに与えろ!

 

「はい……」

 

そして、望み通りに殺してやれ……

 

「どうやって?」

 

賢い戦士は攻撃するのは肉体でも頭脳でもない……

 

「どうすればいいんだーーーッ!!?」

 

 

恐ろしさのあまりに跪く難一(なんいち)は泣きすがるように大声を上げる。

すると、ゴブリンは冷徹にこう答えた。

 

 

”だ、難一(なんいち)……!まず、アイツの””を攻撃する……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜。

(まなぶ)がいつものように家庭教師のアルバイトへいっている頃、天海(あまかい)家では1人残った(みこと)が自分の寝室にある仏壇に向かって膝をついていた。

この仏壇に祀られている人物は彼の夫である(つとむ)だ。(つとむ)が亡くなって以降、(みこと)は毎日欠かさず、こうして祈りを捧げているのだ。

 

 

チーン……

 

「……」

 

 

おりんを鳴らした後、(みこと)は瞳を閉じ、仏壇に祀られている(つとむ)の位牌に向かってお祈りをする。

おりんの音が鳴り止むまで、ただ、静かにジッと……。

 

音が遠ざかり、祈りを止めた(みこと)は仏壇の傍に飾られている(つとむ)の生前の写真を手に取る。

写真に写る(つとむ)は爽やかな笑顔を向けている。元気な夫の顔を見て、(みこと)は彼と過ごしてきた思い出が脳裏に浮かび、思わず涙腺が緩みそうになるが、ぐっと堪える。

熱くなる目頭を指でつまんだのち、微笑みながら語り掛ける。

 

 

(つとむ)(まなぶ)は私たちのためにアルバイトをしてまで頑張ってくれてるの。あの子に危険が降りかからないよう、どうか護ってあげて……」

 

 

(みこと)が祈ったこと……それは(まなぶ)の身の安全である。

アルバイトに励んでいる(まなぶ)だが、最近、どうもくたびれているようであり、気になって仕方がないのだ。

自分が代わりに働きたいが、老い先短い自分ではどこも雇ってはくれないのが現実。

当然、祈ったところで写真の(つとむ)が何か返事をくれるわけではないし、何かしてくれるわけでもない。

まだまだ未来がある(まなぶ)を危険から遠ざけてほしい……それだけを打ち明けたかった。

 

祈りを捧げた(みこと)がそう願っていたそのとき――

 

 

ドォォォーーーンッ!!

 

「ああっ!?」

 

 

突如、背後の壁が爆発。瓦礫が混じった爆風に巻き込まれた(みこと)は尻餅をつく。

(みこと)が痛みに顔を歪ませていると、縁に火が燃え、ぽっかりと空いた壁からグライダーに跨ったグリーン・ゴブリンが愉快そうに見下ろす。

グリーン・ゴブリンを目にした(みこと)は恐怖のあまり錯乱し、悲鳴を上げる。

 

 

「あ、ああぁぁーーーーッ!!?」

 

ハッハッハッハッ……!ゆっくり祈れ!最後まで祈れェェッ!!!

 

「あ、悪魔……!神様、仏様!お護りくださいーー!!」

 

ハッハッハッハッ……!!

 

 

産まれて間もない子羊のよう、(みこと)は震えた声で祈りをささげる。

その様子をグリーン・ゴブリンは嘲笑う。恐怖に包まれた闇夜の中、グリーン・ゴブリンの笑い声が響き渡る……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後……同日の夜。

T市1番地区の総合病院の救急外来口から(まなぶ)は焦燥の表情で駆けていた。

いつも通り、五つ子の家庭教師をしていたのだが、病院から(みこと)が何者かに襲撃され、病院に搬送されたと連絡がきた。

不吉な連絡を受けた(まなぶ)はアルバイトを早めに切り上げ、大急ぎで病院に駆け付けたというわけである。動揺のあまり、病院を走ってはいけないというルールは頭からすっぽ抜けていた。

 

 

「(一体、誰が……)」

 

 

通りすがる院内の人たちの驚きの視線を浴びながら走る(まなぶ)は考える。

単純に考えると、(みこと)を脅かすような行為をしたので、犯人は彼女に恨みを持っていただろう。

 

だが、それだと疑問がある。(みこと)は人が良く、穏やかな性格をしていて、争いを好まない。

(まなぶ)が知る限りでは(みこと)に恨みを持つような人はいない。

けど、襲われた。何者かによって……。

色々と考えるが、それらしい答えが浮かばず、悩んでいる間に叔母がいる病室の前に辿り着いていた。

 

病室に入ると、数人の医療スタッフがベッドを囲んでおり、点滴や心拍計、血圧計の準備に勤しんでいた。

医療スタッフの間を潜り抜けると、ベッドで横たわる叔母の姿が視界に映る。

 

 

(みこと)叔母さん!」

 

「ああぁあ~~!あ~~~!」

 

 

ベッドで横たわる(みこと)は真っ青な顔でチューブや血圧計に繋がれており、錯乱状態に陥っていた。

(まなぶ)が呼びかけるものの、聞こえないのか答えず、ただ怯えた声で唸るだけだった。

 

 

「何があったんです!?」

 

「心配ありません。外で待っていてください」

 

「何が!?何があった!?」

 

「外へお願いします」

 

 

叔母の変わり果てた姿にすっかり冷静さを失った(まなぶ)は声が裏返るほどに周囲に尋ねるが、医療スタッフに宥められながら廊下の方へ追いやられる。

 

 

「あの目!あの()()()()()()()()……!」

 

「ッ!」

 

 

動揺しながらも締め出される寸前、恐怖で目を見開く(みこと)の呟きが耳に入る。

恐ろしい黄色い目……思い当たる節が(まなぶ)にはあった。

病室から締め出された(まなぶ)は壁に背をつけると、少し冷静になった頭で考える。

 

(みこと)が言う恐ろしい黄色い目とは、グリーン・ゴブリンのことであることは明白だった。

自分が知る、無関係の(みこと)を襲うほどの凶悪な犯罪者は彼しか思い当たらなかった。

 

 

せいぜい、周りに気を付けることだな!

 

 

グリーン・ゴブリンの動機を考えていると、彼の捨て台詞が脳裏に浮かぶ。

言葉自体は何の変哲もない恨みごとだが、曲解すると、自分のみならず、周囲の人間に向けた言葉とも捉えられる。

そこから考えていくと、最悪な結論が脳裏に浮かぶ。

 

 

「正体がバレた……!」

 

 

目を丸くし、ボソッと呟く(まなぶ)

そう、最悪な結論とは、『天海(あまかい) (まなぶ)がスパイダーマン』という秘密をグリーン・ゴブリンに知られたということだ。

正体が知ったとなると、身内である(みこと)を狙うのは当然のことだった。殺さなかったのも、今後も行うという挑発のつもりだろう。

 

スパイダーマンの正体がバレると周囲に危険が及ぶかもしれないと考え、”秘密”というマスクを被り続けてきた。

だが、恐れていた事態が遂に発生してしまった。それもスーパーヴィランに。

冷や汗をかいた(まなぶ)は動揺のあまり、しばらく言葉を失った……。

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
①グリーン・ゴブリンを呼ぶスパイダーマン
 アニメ「スペクタキュラ―・スパイダーマン」(2008)にて、グリーン・ゴブリンを探すスパイダーマンが呼びかけるシーンのオマージュ。

②燃え盛る火の海での戦い
 サム・ライミ版「スパイダーマン」(2002)で、グリーン・ゴブリンとスパイダーマンが二度目に戦った際のシチュエーションと同じ。
 また、この戦いでスパイダーマンが前腕を負傷したことによって、グリーン・ゴブリン=ノーマン・オズボーンに正体がバレてしまうのも同じ。




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#24 次なる標的 

その日の夜。

慌ただしかった総合病院も錯乱状態の(みこと)の治療が済み、院内は静寂な時を取り戻していた。

ベッドに横たわる(みこと)は疲れたのか、はたまた鎮静薬か何かを投与したのか落ち着きを取り戻し、ぐっすりと瞼を閉じて眠りについていた。

 

(まなぶ)はベッド横の椅子に腰かけると(みこと)の寝顔を覗く。

数時間ほど前まで錯乱していたことが嘘のようにすやすやと寝息を立てていた。

点滴に繋がれた腕を見て、(まなぶ)は痛々しい顔を浮かべる。医師によれば身体に異常はなく、錯乱を引き起こしたのは襲われた恐怖心による精神的ショックと伝えられた。

また、大事には至らないので1週間ほどで退院できるとも言われたが、(まなぶ)の心は決して晴れなかった。

 

 

「ごめんよ……」

 

 

眠りに尽く(みこと)の手を取り、消え失せるような声で謝罪する。

スパイダーマンの正体が自分だとバレ、身内を危険に晒してしまった。

寝ている(みこと)には決して届かない謝罪だが、秘密を抱えなければならない(まなぶ)が今伝えられる精一杯の言葉だった。

 

どうやって自分の正体を知ったのか。グリーン・ゴブリンの正体は誰なのか。

そのいくつもの疑問と後悔が脳裏を渦巻き、(まなぶ)の心に影を落としていった……。

 

 

 

それからというものの、(まなぶ)(みこと)の看病のために病院へ通い始めた。

勉強、家庭教師、それにスパイダーマン。どれ一つも欠けてはならないことを両立させるのは困難だったが、彼自身の責任と後悔が逃げることを許さなかった。

 

そして、事件から5日経った頃。

学校が終わった(まなぶ)は家庭教師に向かう時間の合間を縫って、今日も(みこと)のお見舞いに来た。

夕暮れに差し掛かる時間帯。薄暗くなってきた白い病室の壁はオレンジ色の光と濃い影を生み出していた。

 

 

「お花はこちらでよろしいでしょうか?」

 

「ありがとう」

 

 

一緒に来た五月(いつき)はお見舞い用に持ってきた花束を花瓶に差す。

大抵は(まなぶ)1人でお見舞いに来るのだが、時折、五月(いつき)や緑川親子といった(みこと)に縁がある人物がお見舞いに来てくれる。

(まなぶ)にとってはありがたい気持ちがある。それと同時に自分の叔母がどれほど人に好かれているかがわかる。

 

花瓶に花を差した五月(いつき)はベッドですやすやと寝息を立てる(みこと)を寝顔を見て、安堵の声を漏らす。

 

 

「叔母さま、具合良さそうですね」

 

「うん。今週中には退院できそうって………今日も来てくれて、ありがとう」

 

「いえ、このくらいのことはして当然です。叔母さまにはお世話になっていますから」

 

「叔母さんも喜ぶよ」

 

 

このくらい当然だと謙虚な姿勢を見せる五月(いつき)

彼女の魅力は目鼻整った美貌だけでなく、律儀な優しさにある。

その点で思わず胸が熱くなった(まなぶ)はにやけた顔を笑顔で誤魔化した。

 

――できるものなら早く告白して付き合いたい。強い願望を持つ(まなぶ)だが、断られてしまうかもしれない、という一抹の不安があり、中々一歩前へ出る勇気が持てなかった。

今はじっくりと関係を深めよう……そんなことを思っていると――

 

 

「――――”彼”はどうして助けてくれるんでしょう?」

 

「え?」

 

 

五月(いつき)の呟きに呆けた声が出た。

”彼”。誰を指すのか不明瞭な単語に(まなぶ)が眉を寄せていると、五月(いつき)は改めて言い直す。

 

 

「――スパイダーマン。どうして、こんなに助けてくれるんでしょう?」

 

 

五月(いつき)から投げかけてきた疑問に(まなぶ)は納得と同時に息を呑む。

彼――すなわち、スパイダーマンを指しており、(まなぶ)に尋ねたのは彼と友好な関係を持っていると思っているからだ。

 

 

「すみません……突然、こんな質問をして……もっと、彼のことが知りたくて……」

 

「いいよ。彼はすっごくカッコイイし、僕とは友達だから………君も彼を悪人だと思う?」

 

「そんな!あの人には命を救ってもらいました!悪人とはとても思えません」

 

「そうか……」

 

 

(まなぶ)の問いかけを前のめり気味に否定する五月(いつき)

以前はスパイダーマンの存在に懐疑的であった五月(いつき)だが、今はそんなこととんでもないと目を真ん丸にして否定するくらいにまで信用するようになっていた。

(まなぶ)はスパイダーマンの印象が少し良くなる程度の答えを期待して質問したのだが、予想以上の好印象と知り、嬉しさのあまり頬が自然と緩む。

 

緊張気味ながらも笑顔を浮かべていた(まなぶ)だったが、忘れそうだった本題の質問のことを思い出し、息を呑んで緊張を紛らわした後、口を開く。

 

 

「……彼は……その……君を助けてくれるっていうのは”友達”だからだよ。前に彼が言ってただろう?」

 

「それだけでしょうか?」

 

「え!?あっ、いや……うん。そうだよ?」

 

「あんな危険を冒してまで……スパイダーマンには頭が上がりません」

 

 

あたふたする(まなぶ)の返答に五月(いつき)は感服する。

五月(いつき)の思わぬ鋭い問いに焦る(まなぶ)だったが、何とか押し通し、納得してもらった。

友達である以上にスパイダーマンが五月(いつき)のことを異性として好きだからという言葉は言えない。

そう言ってしまうと、下心丸出しと思われて、せっかく上がった印象が下がってしまうからだ。

 

――このことは墓場まで持っていこう。

そう決意した(まなぶ)の顔は夕焼けと同じ、気恥ずかしさと嬉しさが入り混じった色に変わっていた。

 

そうこうしながら、夕焼けは地平線の彼方へ沈もうとしており、辺りは一層暗くなっていた。

周囲の建物からもぽちぽちと灯りが点き始め、病室にも灯りが点き始めた。

 

 

「そろそろ暗くなるし、帰ろうか。送ってくよ」

 

「はい。お願いします」

 

「よし。行こう」

 

 

(まなぶ)のスクーター送迎に了承する五月(いつき)

(まなぶ)としてはさりげなく誘ったのだが、まさかオーケーを貰えるとは思えず、心の中でガッツポーズを取った。

 

 

「じゃあ、五月(いつき)を送ってくよ」

 

「叔母さま。また来ますからね」

 

 

寝ている(みこと)に向かって2人はそう告げると、病室を後にした。

病室の扉が閉まったのと同時に、(みこと)はこっそりと目を開ける。

(みこと)は最初から起きており、若い2人の会話を邪魔したくなかったからだ。

 

 

「ふふっ……」

 

 

(みこと)は楽しげに五月(いつき)と会話する(まなぶ)の顔を思い出し、可笑しそうに微笑むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻。緑川邸の私室では涼介が1人黙々と机に向かって勉強していた。

中間考査の成績は決して悪いものではないものの、将来オズコープを背負う人間としては満足のいくものではなかった。

 

父親の難一(なんいち)は追い詰める必要はないと言っているが、涼介自身は「期待されていない」にも捉えられ、悔しさが心残りになっていた。

なので、「次回の期末考査ではより良い成績を出し、喜ばせたい」と決心し、毎日予習復習を長時間欠かさず行っている。

 

しかし、人間、長時間活動すると疲れが出てしまう。

勉強を始めてから、かれこれ2時間ぶっ続けで行っている。目に疲れを感じ、ペンを動かす手も痺れてきた。

 

 

この臆病者がッ!!

 

「――ッ!?」

 

 

――ちょっと休憩しよう。そう思った瞬間、上の階から怒鳴り声が聞こえてきた。

あまりもの声量にビクッと肩を竦める涼介だったが、すぐに疑問を感じた。

その怒鳴り声は今まで聞いたことのないものだ。自分以外いるのは父親と使用人数名のみなのだが、その誰でもない声だった。

 

そのことが気がかりになった涼介は恐る恐る私室の扉を開け、声の発生源と思われる難一(なんいち)の私室へと向かう。

 

 

「父さん……?」

 

「もうやめてくれ……!これ以上、私を苦しめるな!」

 

お前にそれができるか?ハッハッハッ……!ハーーーッハッハッハッ……!!

 

 

続く声は上階へと階段まで響き渡っており、涼介の耳を突き抜けていく。

どうやら、話し声のようで酷く怯えた難一(なんいち)としわがれた声の持ち主が言い争っているようだった。

会話の内容から涼介はますます不安になり、階段を歩いていた足は自然と駆け足となり、すぐさま階段をかけ上がり、難一(なんいち)の部屋の前に来た。

 

――どうしたんだ?不審に思いながら、涼介がドアノブに手をかけた瞬間――

 

 

「何だ?」

 

「──わッ!?」

 

 

ガチャッと扉が開かれ、何事だと言わんばかりの顔を浮かべた難一(なんいち)が現れた。

唐突に扉が開いたので涼介は飛び跳ねる。

 

 

「驚かさないでよ……」

 

「ああ、すまん」

 

「お客さん?誰かと話してたみたいだけど?」

 

()()?いや、私1人だが……?」

 

 

涼介の問いに難一(なんいち)は逆に疑問を返す。

予想とは違う返答に涼介は困惑しながらも部屋を見渡すが、難一(なんいち)の他には誰もおらず、あるのはリビング同様に飾られている世界各国から集めた仮面コレクションくらいしかなかった。

 

──おかしい。

明らかに誰かと言い争っていたのだが、その形跡もなく、まるで最初から何も起きてなかったように室内の喧騒は静まっていた。

争いとは真逆の現状を目にして、涼介は首を傾げる。

 

 

「勉強で疲れただろう……そうだ!授業参観のときのお詫びと言ってはなんだが、出前でも取って一緒に食べよう。久しぶりに」

 

 

そんな様子を見かねてか、難一(なんいち)からの誘いに目をぱちくりする涼介。

親子であるものの、難一(なんいち)が大企業の社長という立場があって、一緒に食事をすることは滅多にない。大抵、別々の時間に食事をすることが大半だ。

そのことは難一(なんいち)自身も埋め合わせしたいと思っている。

 

 

「え?あ、うん」

 

 

驚いた涼介だが、数十年振りに一緒に食を共にするという機会を断るはずもなく、承諾する。

あんなに忙しい父親からの珍しく申し出てきた誘いを蹴るなんてマネはできない。

謎はあるが、これ以上考えるのはやめ、食事を摂ることにした。

 

最近の出前は電話をすれば、数十分ほどで届く。

あっという間に注文したピザが届いた。Sサイズピザとサイドメニュー6品がついているセット、税込3200円。

 

2人はさっそく受け取ったピザをリビングで食べることにした。

とろとろに溶けたチーズやバジルの香りがリビング中を漂い、2人の食欲をかき立てる。

サイドメニューをつまみながら、ピザローラーで綺麗に8等分したピザを口に運んでいく。

 

 

「林間学校はどうだった?」

 

「楽しかったよ。約束してた()と踊れなくなったのは残念だったけど」

 

「それは残念だな。なに、学園祭がある。そこでもう一度チャレンジだ」

 

「ははっ、やってみるよ。でも、今は勉強。成績をより高くしないと……」

 

「あんまり無理するな。体を壊せば元も子もないからな」

 

「わかってるよ、父さん」

 

 

何気ない話で談笑する難一(なんいち)と涼介。

父と子。食卓に自然と生まれる会話は2人の気分を盛り上げていた。

簡素な食事だが、こうして一緒に食べること自体が久しぶりなので、涼介、難一(なんいち)共々、心が満たされていった。

 

 

「そういえば、彼女はできたのか?」

 

「いやだな、父さん。いないよ。俺、今までそんな空気すらないんだから」

 

 

難一(なんいち)の冗談っぽい問いかけに涼介は照れ臭く返す。

女友達はいるが、そういった関係になろうとしたことは一度だったない。誰かが恋人になってくれるのなら願ってもないことだ。

そんな会話を挟みながら、気分が乗った涼介は自分以外のことを持ち出す。

 

 

(まなぶ)にも出せないよ。アイツ、好きな()がいるのに中々踏み切ろうとしないんだ」

 

「ほう?天海(あまかい)に?」

 

 

涼介の口から飛び出た言葉に耳を留める難一(なんいち)

(まなぶ)も息子と同じ多感な年頃。異性への恋愛感情へ芽生えるのも自然な流れだ。

興味が湧いた難一(なんいち)のピザに伸ばす手は止まり、そのことについて深堀する。

 

 

「涼介。その女性は誰かな?私の知っている人か?」

 

「いや、言えないよ。俺が(まなぶ)に殺されちゃうよ」

 

「親子の仲じゃないか……このピザ代をお前の貯金から削ってもいいのか?」

 

 

冗談っぽく言う難一(なんいち)に揺さぶりをかけられた涼介は「卑怯だなー」とぼやきながらも、軽く息を吸って、口を開く。

 

 

「ここだけの話………五月(いつき)さんだよ。ほら、この前、授業参観で会った……」

 

「ああ、あの()か……」

 

 

名前を聞いた難一(なんいち)は天を仰いで思い返す。

授業参観の日に出会った少女。中野医院長の娘――中野 五月(いつき)の顔を。

(まなぶ)がやけに緊張しているなとは薄々感じており、異性と話すのが苦手と思っていたが、恋愛感情を抱いていたとは……。

合点がいった難一(なんいち)は納得すると、更に訊きだす。

 

 

「彼女は気付いているのか?」

 

「いや、たぶん知らない。でも、(まなぶ)はベタ惚れだよ。本人は誤魔化してるけど、大好きオーラ全開でこっちもドキドキするくらいだ。早く付き合えばいいのに~」

 

 

難一(なんいち)にそう言った涼介はやれやれと両手を上げる。

(まなぶ)の恋愛は応援しているが、延々と進展しないのはやきもきする。

アドバイスを尋ねられるのなら、見てるこっちの身にもなれと涼介は言ってやりたい気分だった。

 

 

「ほぉ……?」

 

 

そんな涼介とは反対に難一(なんいち)は興味深そうに笑みを浮かべた。

半目で笑みを浮かべる難一(なんいち)の顔は暖炉の灯りによって影を生み、真っ白い歯が輝く、怪しげな雰囲気を醸し出していた。

 

良いことを聞いたとばかりに笑う難一(なんいち)はピザボックスの端についたチーズの残りを左人差し指で掬い、行儀悪くしゃぶった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「起きて、起きて」

 

「──ぅんあ……?」

 

 

頭に優しく撫でられる感触と叔母の声を耳にし、(まなぶ)は眠たげながらも瞼を開ける。

(まなぶ)は寝起き直後の回らない頭を働かせる。

先程まで看病しながら学校の宿題をしていたのだが、いつの間にかベッドで伏せて寝てしまったようだ。

うずめていた顔の真下には書きかけの宿題用ノートが見開かれおり、涎で文字が滲んでいた。

 

最悪だなと思いながら涎を拭く(まなぶ)を見て、(みこと)は可笑しそうに笑うと、言葉を紡ぐ。

 

 

「もうお家に帰りなさい……疲れた顔して」

 

「僕は平気。叔母さんは1人にはできないよ」

 

 

帰ることを促す(みこと)に反して、(まなぶ)は首を横に振る。

搬送時よりかは体調が良くなったとはいえ、またいつ、グリーン・ゴブリンが襲撃をかけてくるかわからない。自分が離れてしまっては、今度こそ命を奪われるかもしれない。

心配する(まなぶ)の気持ちを汲み取ってか、微笑むと、安心させるように言う。

 

 

「ここは安全だから。明日も学校があるのでしょ?しっかり休まないと」

 

「……何か欲しいものある?」

 

「もう充分。勉強にアルバイト、それに看護。スーパーマンじゃないのよ?」

 

 

冗談を交えながらも心配する(みこと)

スパイダーマンと学生の両立は難しく、疲労感が全くといって抜けない。

スーパーヒーローと一般人としての両立……まさに自分はアメコミヒーローの『スーパーマン』であり、(みこと)の例えは的を射ていると(まなぶ)は笑う。

 

 

「やっと笑ってくれた。さっき、五月(いつき)さんが来てもあんまり笑ってなかった」

 

「あれ?寝てたんじゃなかったの?」

 

 

(みこと)の話から寝たふりをしていたことに気付いた(まなぶ)は微笑む。

互いにくすくすと笑ったのち、(みこと)はジッと(まなぶ)の瞳を見つめる。

 

 

(まなぶ)……あの()が気になるんでしょ?」

 

「ッ!?いや、そんな……まさか……」

 

 

気になる……つまり、五月(いつき)のことが好きなんだろと同じことを言ってるも同然の意味。

そのことを瞬時に理解した(まなぶ)は突然の爆弾発言に顔が紅くなり、視線は泳ぎ、言葉もしどろもどろになる。

 

 

「私の目を見て。茶化すつもりはないから」

 

 

混乱する(まなぶ)(みこと)は優しく宥める。

昔から真剣な話はするときはいつも目を合わせるように言われてきており、こう言われた(まなぶ)は返せなくなる。

 

五月(いつき)が好きという感情を誰かにさらけ出すのは難しい。テストの点数が赤点を親に教えるくらい言い辛い。

しばし額に手を当てて悩んだ後、(まなぶ)は恥ずかしそうな顔をしながら首を縦に振った。

 

 

「やっぱりそうなのね」

 

 

その答えに(みこと)は期待通りと言わんばかりの笑みを浮かべる。

甥が五月(いつき)が好きだとは勘づいていたが、やはり予想通りというわけで、(まなぶ)にとっては全てお見通しというわけだった。

 

隠していた想いを聞き、喜ぶ(みこと)に対し、(まなぶ)は不安そうな顔に一変する。

 

 

「……でも、僕じゃ見合わないよ」

 

五月(いつき)さんが決めること……」

 

五月(いつき)()()()()を知らない」

 

「”知るチャンス”をあげないから。お前はいつも謎が多すぎる、そうでしょ?」

 

「……」

 

 

(みこと)の言葉にぐうの音も出ない(まなぶ)

自分がスパイダーマンであることは絶対に秘密にしなければいけない……この自分に課せたルールに従っているが、代わりに自分が”何をしている”のか、よくわからない認識を周囲に持たれている。

(まなぶ)も改善しようと努力は続けているが、一向に良くなる傾向は見受けられない。

 

もし、仮にみんなに「僕がスパイダーマンです」と正体を明かすとする。

その場合、半分の人からは好かれ、半分の人からは更に嫌われる。その嫌われる半数に好きな人がいたら……恐ろしくて考えられない。

 

(みこと)は悩む(まなぶ)の気持ちを和らげるように彼の手にそっと手を添える。

 

 

「一度、自分をさらけ出して『好き』って言ってごらんなさい。全て受け入れるかは彼女次第よ」

 

「……」

 

 

叔母からのアドバイス。彼女は(まなぶ)がスパイダーマンである故の悩みは知らないが、気持ちにしっかり寄り添う姿勢は、不安定だった(まなぶ)の心を和やかにしていく。

 

五月(いつき)にスパイダーマンの秘密を含めてさらけ出したとき、どんな反応になるか懸念があった。

プラスな感情?それともマイナスな感情?どちらかわからないが、いずれにしろ出さなければいけない結論だった。

──恐れず、前へ進め。それが経験豊富な叔母からのアドバイスの真意だ。

 

(みこと)の真意を汲み取った(まなぶ)が時間を見ようとスマートフォンを取り出す。

すると、着信履歴が数件あり、相手は全部五月(いつき)からだった。

 

 

五月(いつき)からだ」

 

「あら?チャンスじゃない」

 

「それはまた今度。お休み、叔母さん」

 

「お休みなさい」

 

 

閉館時間も近いこともあり、(まなぶ)はひとまず家へ帰ることにした。

(みこと)のからかいを躱しながら、互いに別れ際の言葉を返すと、病室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病院のそとへ出た(まなぶ)

外はすっかり暗くなっており、冬の寒さが一段を肌を強張らせる。

 

それはそうと(まなぶ)五月(いつき)の電話へかけ直す。

待ち時間のコール音が数秒鳴った後、通話可能状態になった。

 

 

「もしもし、五月(いつき)?僕だよ。どうしたの?」

 

《…………》

 

「……五月(いつき)?」

 

 

(まなぶ)は通話越しにいるであろう五月(いつき)に話しかける。

だが、いくら話しかけても五月(いつき)の声はなく、無音だけが帰ってくる。

「妙だな」と思った矢先──

 

 

ハッハッハッ……!

 

「ッ!?」

 

 

若い女性の声でなく、しわがれた魔女のような声が聞こえてきた。

この声に(まなぶ)は聞き覚えがある。そう、宿敵グリーン・ゴブリンのものだ。

そのグリーン・ゴブリンが五月(いつき)のスマートフォンを使っているのだから、当然良からぬことが起きている。

ほんわかしていた(まなぶ)の顔は一変して、険しいものになった。

神経を張り巡らせている彼にグリーン・ゴブリンは子供をあやすように挑発する。

 

 

スゥパイダーマァァン…………遊びにおいで………

 

「彼女はどこだ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

T市6番地区臨海部『ゲリンウェイ・ブリッジ』。

太平洋へと繋がる川の間にかかる道路橋は、オズコープ本社の工場地帯である2番地区へと繋がっている。

建設から60年以上建つ橋はT市の発展に大きく貢献し、観光名所として他県からも注目されている。

 

 

「(くそっ!ゴブリンの奴……!)」

 

 

その歴史が長い橋にスパイダーマンはマスクの下に流れる冷や汗を冷たい風を肌に感じながら、スイングして向かっていた。

スパイダーマンが焦燥しているのも無理はない。その橋にグリーン・ゴブリンが五月(いつき)を捕らえていると伝えたからだ。

グリーン・ゴブリンは『狂人』と呼べる人物で、敵意を向ける者だけでなく、その場にいた何も関係ない人たちを平気で殺す。そんな奴のもとに愛する五月(いつき)が捕まっているのだから、落ち着こうにも落ち着けなかった。

 

 

ドォォォーーーンッ!!!

 

「ッ!?」

 

 

向かっている最中、目的地であるゲリンウェイ・ブリッジの麓から爆発音が鳴り響く。

スパイダーマンは近くの家の屋根に降り立って、橋の方へ顔を向けると、橋の麓がメラメラと煙を立てて燃えていた。

これはグリーン・ゴブリンのグライダーから発射されたミサイルによるもので、スパイダーマンに場所を報せるのに加え、彼を挑発するためによる破壊行動だった。

 

 

「ゴブリン!何てことを……!」

 

 

グリーン・ゴブリンの仕業だとすぐに理解したスパイダーマンは怒りを露わにすると、両手首からウェブを射出。屋根に取り付けられている2つの旗左右にウェブをくっつけると、力強く引っ張りながら、後ろに下がる。

 

 

「ぬぅぅぅ……!!」

 

 

スパイダーマンが後ろに下がる度、ギリギリと旗に繋がっているポールはしなり、さながらゴムを引くパチンコのようだ。

ポールが折れる限界点まで下がると、力いっぱい引っ張った手を離した。

 

 

「───ハァァッ!!」

 

 

反動をつけたスパイダーマンはパチンコ玉のように勢いよく宙へ飛んでいく。

この方法によってスパイダーマンは飛距離を稼げ、あっという間にゲリンウェイ・ブリッジへ到着した。

 

ウェブスイングで橋の合間を潜り抜けながら、指示された橋の頂上へと移動する。

道中、やけに報道関係者らしき集団が橋に集まっているのが気になったが、五月(いつき)優先と、思考を切り替え、頂上に待つ人物に向き合う。

 

 

いらっしゃい!

 

「ゴブリン……!」

 

 

橋のタワーから見下ろす人物──グリーン・ゴブリン。

スパイダーマンの視界に映る緑色の悪魔を模した仮面とコスチュームに身を包んだその男の手には、鎖で胴体を拘束され、ぐったりとしたまま吊るされている五月(いつき)の姿があった。

今のところ外傷はなく、気を失っているだけのようだが、何の関係もない彼女を巻き込んだグリーン・ゴブリンの卑劣さにスパイダーマンは怒りで奥歯を噛み締める。

 

 

「彼女は関係ない!解放しろ!」

 

関係のないことないだろ?お前のガールフレンドだろ?お前が煮え切らないから俺が恋のキューピットとして連れてきてやっただけだ

 

「何だって!」

 

おおっと!動くな。それ以上前へ出たら、この女を落とす。この高さなら、即死は免れないかもな。ハッハッハーーッ!!

 

 

挑発を買い、前へ出るスパイダーマンをグリーン・ゴブリンは人質の五月(いつき)を盾にしてけん制する。今、彼女の生死を握っているのはグリーン・ゴブリンであり、彼に少しでも不都合な行動をすれば、五月(いつき)は殺されてしまう。

この悪党に今すぐにでも一撃お見舞いしたいスパイダーマンだったが、五月(いつき)を盾にされては手も足も出せず、歯がゆさが募っていく。

 

鋭い剣幕を立てるスパイダーマンのことなどお構いなしに話し続けたグリーン・ゴブリンだが、「ここは1つ提案」とばかりに人差し指を立てる。

 

 

だが、俺も鬼じゃない。お前がたった1つの”要求”を呑んでくれさえすれば、この女の解放を考えてやる……

 

「……ッ、それは何だ?」

 

 

交換条件。彼の性格からこちらにとって非常に不都合なものを要求してくるだろう。

しかし、今のスパイダーマンには聞くしかない。五月(いつき)を救える可能性がある希望を捨てれない。

 

半信半疑ながらも耳を傾けると、グリーン・ゴブリンは大声で要求を出した。

 

 

マスクを脱げ!そして、世間に正体を公表しろッ!!

 

「ッ!?」

 

 

声を大にして突きつけられた条件にスパイダーマンはマスクの下で目を丸くする。

マスクを取る……それはスパイダーマン=(まなぶ)の死にも繋がる最悪な選択肢だった。

今まで顔を隠していたのは自分や周囲に悪影響を及ぼすことを考慮しての対策だったが、それを晒すとなると、(まなぶ)は社会的に殺されてしまう。

 

逆に五月(いつき)が死んでしまったら、彼女の家族だけでなく、自分自身にも大きな哀しみが襲うだろう。どちらを捨てても、自分は永遠と苦痛を味わるハメになる。

──ここまで奴は考えていたのか、とスパイダーマンはグリーン・ゴブリンの狡猾さに苛立ちを募らせる。

 

 

ヒーローってのは”馬鹿”だよなぁ?いつも残酷な選択を迫られる……!自分を犠牲にして、女の命を救うか……それとも自分のメンツを守って、愛する女を神のもとへ送るか……どちらかを選べ、スパイダーマン。そして、ヒーローにどんな報いがあるかを思い知れ……!

 

「……ッ!」

 

さあ、選べッ!!

 

 

最悪の取捨選択を迫られたスパイダーマン。

彼とグリーン・ゴブリン。そして、捕らわれた五月(いつき)の運命は如何に─────!

 

 

 

 




◆イースター・エッグ◆
①行儀悪く指チュパする難一(なんいち)
 サム・ライミ版「スパイダーマン」(2002)にて、感謝祭で食事する場面でゴブリンの人格に乗っ取られつつあったノーマンがつまみ食いしたのをメイ叔母さんに注意されたときに怪しげな顔を浮かべながら指チュパする場面のオマージュ。

②ゲリンウェイ・ブリッジ
 コミックライターの『ゲリー・コンウェイ』から。ゲリー氏が脚本を執筆したスパイダーマン作品で有名なのはスパイダーマン=ピーターの当時の恋人であるグウェン・ステイシーの死亡である。
 本来、原作者の1人であるスタン・リー氏はグウェンをメインヒロインに据えようとしていたが、休暇中の代筆者のゲリー氏に任せた結果、予定のないグウェンの死という読者のみならず、スタン氏にも大きな衝撃を与えた。
 なお、本作で橋の名前にした理由は、グウェンの死について関連があるからである。




※アンケート『シンビオートを登場させる?』の結果
 どうも、皆さま、お久しぶりです。作者の「まゆはちブラック」です。アンケートにご協力頂いた多くの皆さま、貴重な一票を頂き、ありがとうございました。

 さて、アンケートの結果、『シンビオートを登場させる』という方針に決定しました。
やはり、スパイダーマンとは切っては切り離せない存在ですし、あのダンスを期待している読者の方々にはおられると思います。
望まれていることは出来る限りやっていきますので、これからも『SPIDER-MAN QQ(Quintessential Quintupletsの略)』をよろしくお願いします!





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