YMO ー黄色い変身ヒロインの秘密を僕だけが知ってしまってー (豚煮真珠)
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超パニック! 世界が終わった!?


(すず)()くんごめんなさい。私、どうしても行かなくちゃいけない用事ができたの」

 

 厚い丸眼鏡をかける彼女がバッグを抱え、急いで教室から駆け出した。

 放課後の教室に一人取り残された僕は、同じ日直だった彼女に仕事を押し付けられた。

 

 僕は(すず)()()()(ろう)。どこにでもいるような中学一年の男だ。

 無味無臭。友人にそう言われる程パッとしない。趣味なんて言えるものは特になく、強いて挙げればゲーム、だろうか。

 自分を上中下の更に上中下で表すと、勉強は中の下くらいだろう。赤点こそ採った事はないけれど、決して褒められたものではない。そして運動は下の中、おまけに背はクラスの男で前から並べば二番目に低い。そんなだから今まで目立てたことがなければ、女の子にモテたこともなかった。

 僕は、取り柄らしい取り柄など皆無な人間だ。人は何かになれる、なんて何かのキャッチフレーズで聞いた覚えがあるけど、まったくもってなれる気がしない。せいぜい平々凡々な人生を送り、他人に迷惑をかけないよう生きるのが関の山な気がする。

 今後この先ぼくが人の役に立ち、誰かに好かれるなんてことがあるのだろうか。

 

「はあ」

 

 ため息をついて時計を見ると、午後四時をとうに過ぎていた。

 教室には僕一人だけがおり、誰かの手を借りたくても借りられない。残る作業は学級日誌に黒板の掃除。まずは黒板から片付けるべく、六時間目の授業で描かれた数式や数字の羅列を、僕が黒板消しでぬぐい始める。

 少し腹が立ってきた。何に腹を立てたかと言うと、日直の仕事を押し付けた彼女に、である。まあ別に、学級日誌も黒板も大変なものじゃないので仕事自体はいい。押し付けられた事に腹が立つのだ。

 彼女は、クラスメートの僕を軽く見ている。押し付けたという事はそういう事だろう。彼女にどんな事情があって教室を飛び出したのか知らないが、僕は軽んじられた不愉快な気持ちをこらえながら黒板を拭き終えた。

 

 そして、黒板消しをクリーナーにかける。

 と思ったがなんだコレ。スイッチを入れてもクリーナーが動かない。

 

「マジ……」

 

 何度スイッチを入れ直しても、クリーナーは吸い込む音を上げなかった。

 確か、昼間は動いていたはずだ。ツイてない。仕事を押し付けられたことを含め、ホントに運がない。

 仕方ないのでベランダに出て、チョークの粉を落とすことにする。それでベランダに出て空を見上げると、空は曇っていた。

 階下のグランドを眺める。

 

「バッチコーイ」

「逆サイだ逆サイ! こっちにボールを回せ!」

 

 ジャージ姿の先生が、球と金属バットを持っており、その球を練習着姿の上級生が今か今かと待っている。

 また、球を蹴りながら走る男の行く手を、幾人かの男が立ちふさいでいる。野球部とサッカー部が部活動をしていた。

 

「声が小さいぞ! もっと声出せ!」

「バッチコーイ!」

 

 キィン――、と球を打つ高い音が鳴り、その鋭い打球を野球部員が捕球する。

 

 僕も部活動に入るべきだろうか。しかし、自信がない。

 今は秋だけど夏休みは終わったばかりでまだまだ暑い季節だ。炎天下の下グランドを走るなんて絶対に耐えられる気がしない。

 第一活躍できる気がしない。さっきも言ったが、僕の運動は下の中レベルである。入部しても万年補欠だろう。   

 諦めて両手に持った黒板消し同士をたたくと、むせ返るばかりの多量の粉が舞った。これはたまらん。僕は顔を背け、ツイてない、とつくづく感じた。

 

「おう鈴鬼。ご苦労だったな」

「失礼しました」

 

 担任の先生に学級日誌を提出した僕が職員室を退出した。

 バッグを抱え、昇降口へ向かう。そして下駄箱から靴を取り出す。

 僕は日直の仕事を押し付けられた。日誌に書いて先生に報告するべきだろう。でも、黙っておくことにした。

 波風を立てたくない。自分が逆のことをしないとも限らないし。まあ、彼女はクラスでも目立つ子じゃないので、たとえチクったとしても面倒なことにはならないだろうが。

 だから無味無臭、なんてからかわれるのだろうか。僕が自嘲しながら靴を履く。

 

 そして、校門を出て商店街を歩く。

 僕の通う中学、明倫(めいりん)中学校は街中にあり、家に帰るためには商店街を通り抜けなければならない。

 電線が敷かれた変わらぬ街を()く。子供の頃から知っていて、もう見飽きている街並みを進む。

 僕が物心のつく前から建っている弁当屋の前で、(つえ)を突くおばあさんとすれ違い、続いてランドセルを背負った、

 

「ギャハハハ! きったねー!」

「待てようー」

 

 元気な子供の群れとすれ違う。

 学校から家まで四分の一の距離の場所に建つ本屋を過ぎ、車道を挟んだ対抗側の歩道を見ると、明倫中の制服を着た男女が手をつないでいる。

 上級生だろうか。男女ともに仲良さそうで、羨ましく思った、――ときだった。

 

「……えっ!?」

 

 突如として降りかかった有り得ない現象に、僕は我が目を疑った。

 首をあちこちに振り向ける。だが、どこを見ても示し合わせたようで、僕の心が激しく揺さぶられる。

 今、僕の目には信じられない光景が映っている。手をつないでいる上級生と(おぼ)しき男女が、エコバッグからネギをのぞかせた買い物帰りのおばさんが、ベビーカーをひく母親とその中の赤子が、一様に止まっているのだ。

 皆が固まったように止まっている。まるで時間が止まったよう。これはビックリで、ここでテレビか何かが撮影でもしてるのだろうか。初め僕はそう考えたがそれは間違いで、証拠に犬の散歩をしているおじいさんが遠くにいるのだが、その犬まで止まっていた。

 僕は、おかしくなったのか。しかし、この奇怪な現象は、戸惑う僕に悩む暇など与えず、更に驚天動地の恐ろしい出来事が僕を責め立てる。

 

――ヤクサアァァイッ!

 

 飛行機が低空を飛んでいるのか。そう思ったほどの爆音だった。

 たじろぐ僕が音のした方を見上げる。すると、ヤギがいた。もちろんただのヤギではない。そのヤギは二階建ての家の屋根から、角を生やした頭をのぞかせているのだ。

 見上げるばかりの巨大ヤギに頭が混乱する。ちょっと前まであんなヤギ絶対にいなかった。あのヤギはいつ現れ、いったいどこからやって来たのか。

 

「ヤクサアァイッ!」

 

 再び上げたヤギの雄叫びに、僕は圧倒されてその場にへたり込んだ。

 いったい何が起きたのだ。みんな止まって、怪獣と呼んでも差し支えない巨大ヤギが突然現れて。

 悪夢を見ているのだろうか。あまりの事に目の前がぐるぐると回りだす。世界の終わり、ってのが来たのだろうか。そんな普段なら笑って済ます考えが僕の頭をよぎったとき、――ズゥン、と大きな振動が僕を襲った。

 巨大ヤギが歩き出している。怖い、怖すぎる。あんな怪獣に踏み潰されたらひとたまりもなく、僕は潰れたトマトのようになるだろう。

 早く逃げなければ。けれど歯の根が合わず、体はガタガタと震え、

 

「誰か、た、助けて……」

 

 僕は祈ることしかできなかった。

 

 しかし、幸いヤギは僕に気付いていない。前をじっと見つめている。

 僕が震えながらもヤギの視線を無意識に追う。すると、またしても信じられない光景を目の当たりにしたため、僕は息を()んだ。

 

「な、なんだあの子は」

 

 女の子が、空に浮かんでいた。

 前を見つめる巨大ヤギの先には、お姫様のような黄色い衣装を身にまとった女の子が、勇ましく立った姿で宙に浮かんでいた。

 



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きらめく一番星! 黄色いあの子の正体は

 目を瞬かせても間違いじゃない。黄色いドレスをまとった女の子が宙に浮いている。

 僕は、目を奪われていた。まだ空は明るいけど、薄暗い夕方の空に輝く一番星のような光を、あの女の子から感じたから。

 私はここにいる――。決して強くはないけれど、どこか(りん)とした存在感を表しており、世界が終わったかもしれないという僕が抱いた絶望を、女の子は少しのあいだ忘れさせてくれた。

 

「サンシャインとムーンライトは片付けた。残るはキミ一人だ。どうする、〝トゥインクルスター〟?」

 

 視界に広がる光景を現実と呼べるのか怪しいが、聞こえた男の声が、僕を現実に引き戻した。

 ヤギの方から聞こえたため、僕がそちらを振り向く。すると、妙な格好をした男が、ヤギの頭の上に立っていた。

 明らかにヤバいヤツだった。カラスよりも真っ黒なコートを、この暑さが残る季節に着用し、更に黒い仮面をかぶっている。普段なら「なんのコスプレだ」と笑ってしまうんだけど、今は状況が状況なだけに笑えなくて、そんな黒ずくめの男が、ヤギの頭上から黄色いドレス姿の女の子を見下している。

 

 状況を整理する。あの巨大ヤギの飼い主が黒ずくめの男で、女の子はヤギ及び男と戦っているのだろうか。

 にらみ合っている女の子とヤギを、僕がぼうとして眺めていると、

 

「……えっ」

 

 事態が動き始めた。

 

「はあああっ!」

 

 叫んだのはお姫様のような黄色い姿の女の子だった。

 女の子が拳を突き出し、ヤギへと飛び込む。とても速い。まるで宙を滑空するツバメのようだ。

 そして拳が、ヤギの眉間を鋭く捉えた。しかし、ヤギは意に介していない。自身を殴った女の子をねめつけた後、ヤギが頭をしゃくりあげて女の子を吹き飛ばす。飛ばされた女の子は宙を体ごと回転し、彼方(かなた)へと飛ばされるかと思われたが、回る体を自力で止めて宙に踏みとどまる。

 

「フッ、君たちもしつこい。いくら攻めても、この〝カプリコーン〟には効かないよ」

 

 再びにらみ合った女の子とヤギ。その女の子を、宙に浮いていた黒ずくめの男が嘲笑った。

 

「ましてやキミの拳など。肉弾戦を得意とするサンシャインならともかく」

 

 笑う黒ずくめの男に対し、女の子は肩で息をしている。

 女の子は、くじけそうな心をなんとか踏みとどめている。そんな苦境を僕は感じ取った。

 判官(ほうがん)びいきと言えば良いのだろうか。弱者を応援したくなる気持ち。それもあるけど女の子だ。たった一人で怪獣に立ち向かう女の子を、僕が心の中で応援する。

 

「はあああぁっ!」

 

 そして、裂帛(れっぱく)の気合いが再び響いた。

 女の子が右足を突き出し、ヤギに特攻する。これもヤギの眉間を鋭く捉えた。

 打ち抜くような今の一撃に、僕が心の中で快哉(かいさい)を叫ぶ。

 

「ヤァクサアァイッ!」

「きゃあっ!」

 

 だが、効いておらず、ヤギが発した大声に女の子が身を(こわ)()らせてひるんだ。

 そして僕は腰を抜かしていた。無様に尻もちをつき、立ち上がろうにも足が震えて立ち上がれずにいる。耳をつんざいたヤギの大音声は、ひそかに女の子を応援していた僕の心をへし折り、消沈させるには十分だった。

 今の蹴りも先の拳も、ヤギの眉間を突き刺すように捉えていた。しかし、ヤギはびくともしていない。

 このまま効かずに女の子が敗れ、世界は終わってしまうのか。そんな(しょう)(そう)感に駆られる僕をよそに、涼しい様子で浮かぶ黒ずくめの男が、うんざりとした口調で女の子に告げる。

 

「しつこいな。何度やっても無駄だと言っているだろう?」

「…………」

「もう目障りだ、そろそろ終わりにしよう。やれ、カプリコーン! あのしつこい金バエを撃ち落とせ!」

 

 ヤギが口を大きく開いた。

 僕が思わず(きょう)(がく)した声を上げる。ヤギが大きく開いた口から、なんと光線を放ったのだ。

 迫る光線を女の子が腕をクロスして防ぐ。光線には炎が(ほとばし)っており、ただの光ではないことは明白だ。

 熱い光線を浴び続ける女の子。しばらくは耐えていたのだが、

 

「ううっ、きゃあああぁっ!」

 

 こらえ切れずに落下した。

 建物の陰へと女の子が落ち、僕が女の子を見失う。そして目に映るは巨大なヤギと、宙に浮かぶ黒ずくめの男。

 星が消えた。希望が絶たれた。僕の視界は、暗い幕に覆われた。

 

「ハッハッハ! 今まで煮え湯を飲まされてきたが、(つい)に、遂に勝ったぞ! さすがに黄道の精霊は違うな、僕も命を削った甲斐(かい)があったよ!」

 

 黒ずくめの男が高笑いを上げた。

 終わった。男の勝利宣言を受けて僕がうつむく。しかし、

 

「まだ! まだ、終わってない!」

 

 すぐに女の子が宙に現れ、まだ諦めていないことを男に示す。

 遠目でも息を切らしているのが分かり、辛そうな女の子だが、今の声に僕がふと疑問を感じた。

 ――えっ、今の声って、もしかして。

 

「フッ、たった一人でまだあがく気か?」

「あたり前じゃない! みんなを守れるのはもう私しかいないんだから! 私がこの街のみんなを守る! はああああっ!」

 

 誰の目から見ても勝負は決している。何が彼女を駆り立てているのだろうか。

 でも、今あのふざけた大きさのヤギを倒せそうなのは彼女しかいない。誰に命じられたわけでなく、その使命を自ら果たそうとする黄色いドレス姿の女の子に、僕は大きな感銘を受けた。

 僕が祈る気持ちで女の子を応援する。その女の子が拳を突き出し、ヤギへと飛び込む。

 流星の(ごと)き女の子の拳が、ヤギの眉間を撃ち抜く。

 

「無駄だと言っているじゃないか」

 

 愚直に同じ箇所を攻める必死な彼女を、黒ずくめの男が肩をすくめて嘲った、のだが――。

 

「やっと、手応えあった」

「なに? ……なっ、どうしたカプリコーン!?」

 

 男が初めて狼狽(ろうばい)した。三度目の打撃は今までと異なり、ヤギは明らかに苦しんでいた。

 ヤギがとどろくような悲鳴を上げている。これに僕が耳をふさぎながらも動向を注視する。

 

「どうしたというのだカプリコーン!」

「私たちをなめないで。サンシャインとムーンライト、そして私とで、同じところを攻め続けたんだから」

「なにっ。だから、三人そろってしつこく眉間を」

「とどめ!」

 

 宙に浮かぶ女の子が、広げた両手を突き出し、それに僕が我が目を疑った。

 

「な、なんだあの光」

 

 突き出す女の子の両手が、なんと輝いている。

 光が渦を巻き、吸い込まれるようにして両手に集まっている。そして光は、ぐんぐんと輝きを増し、やがて何も映さない白い塊へと変化する。

 僕が光を見つめる。そのまぶしさに、とても美しいものを感じて。

 

「いっけぇ! 〝トゥインクルブラスト〟!」

 

 そして女の子が、輝く両手から光線を放った。

 今度は女の子から放たれた光の帯。その光は焼くのではなく、浄化と言った方がふさわしい明るさだった。

 光の帯がヤギを照らし、その巨体を包み込む。

 

「ヤァクサァァイ!」

 

 聖なる光が邪悪を浄化する。ヤギがすさまじい悲鳴を上げて消滅した。

 

「クッ、追い詰めたというのに、詰めが甘かったか」

「あ、待ちなさい!」

 

 黒ずくめの男が空高くに飛び去った。

 なんなんだ、この漫画みたいな戦いは。そして、あの女の子は。

 辺りを見回したがいまだ周りは動いていない。僕と女の子だけがこの静止した場を動いている。それで僕が、宙に浮かぶ女の子を見つめていると、女の子がゆっくりと地上に降り始めた。

 いてもたってもいられなかった。僕はドキドキと高鳴る胸を抑え、女の子の下へと駆け出していた。

 

(……いた)

 

 そして、道の角を曲がった先で僕は見つけた。

 黄色い格好の女の子。その衣装はウェディングドレスが如く華やかで、更にフリルや飾りがたくさん付いており、まさにお姫様である。異なる点を挙げるならスカートが少し短めなくらいか。

 何者なんだ彼女は。確かめるべく僕が近付く。

 

「……なっ!?」

 

 しかし、女の子がまばゆい光に包まれたため、僕が足を止めた。

 間もなくして、光から普通の格好をした女の子が現れ、光が消える。

 一瞬の着替えにも驚いたが、それよりも女の子は僕が通う明倫中の制服を着ており、今日ぼくに日直の仕事を押し付けた子であったため、僕は仰天した。

 

「えっ、鈴鬼、くん」

 



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君に胸キュン!? ときめいた僕の心

 彼女と目が合った僕は、驚くばかりで何も言えなかった。

 声を聞いたとき、まさか、とは思っていたけれど、さっきまで大きなヤギと激戦を繰り広げ、ビームを撃ってヤギをやっつけた女の子がクラスメートで、しかも、今日日直で一緒だった子なんて。

 僕はどんな顔をしていたのだろうか。きっとマヌケな面を浮かべていたのだろう。そんな僕に、目を見開く彼女が尋ねる。

 

「鈴鬼くん、もしかして、見てたの?」

 

 見てはいけなかったのだろうか。素直に答えて良いのか迷ったが、僕は首を縦に振り、黄色いドレス姿の女の子の活躍、すなわちクラスメートの思わぬ一面を目撃したことを回答した。

 

 彼女の名前は(かのえ)()()()()と言う。前述したとおり同じクラスの女の子だ。

 背が小さくて、いつも度の強い丸眼鏡をかけていて、ミディアムボブって言えばいいのだろうか、肩にかかる長さの内側に癖のかかった髪型をしており、その顔よりも眼鏡や髪型など特徴の方が印象に残る、ある意味で謎な子だった。

 決して目立つ子じゃない。勉強も運動も際立った話はなく、前述した特徴のせいで容姿も(うわさ)にならない。影響力の無さなら僕といい勝負ではなかろうか。

 しかし、そんな彼女が、まさか、その――。

 

「ね、ねえ、庚渡さん」

「は、はい」

「さっきお姫様みたいな黄色い格好して大きなヤギと戦ってたよね? えーと、そもそもなんで、僕と庚渡さん以外みんな止まって」

「それは、えっと、その……」

 

 ダメだ、()きたいことがあり過ぎて頭が整理できていない。

 何から訊けばいいのか。しどろもどろとして迷う僕に対し、彼女も答えに窮していた。

 とりあえず落ち着き、彼女にも落ち着いてもらわないと。僕が一呼吸置く。

 

「な、なんで〝リープゾーン〟の中を動けるニンゲンがいるベェ!?」

 

 しかし、更なる驚きが僕を仰天させた。

 僕と彼女の間に、透明の(はね)を生やしたウサギのような生物が突如として現れ、しかもその生物が人の言葉を(しゃべ)ったのだ。

 

「〝べーちゃん〟。サンシャインとムーンライトは?」

「病院まで運んだベエ。いやーそれにしてもさすがは黄道の精霊、今回は恐ろしく強かったベエ。まさかサンシャインとムーンライトがやられるなんてベエ」

「一人になったとき私泣きそうだったよぉ。ギリギリで勝ててホントよかったぁ」

「よく頑張ったベエ。っていうかトゥインクル、これはどういうことだベエ? なんでリープゾーンの中を動けるニンゲンがいるんだベエ?」

「それは、その、えーと」

 

 ウサギのような生物の質問にも彼女は言葉を詰まらせていた。

 彼女の目がどことなく泳いでいるように見えるが、気のせいだろう。僕がたまらずにこの奇妙な生物と親しいのか訊く。

 

「か、庚渡さん、このポ●モンみたいなのは?」

「あ、この子は」

「おいニンゲン! それサンシャインにもムーンライトにもトゥインクルにも言われたベエ! いいか、よく耳をかっぽじって聞けベエ! ボクの名前はアイテール・バラーハミヒラ・レギオモンタヌス・クドンシッタ・ジョン・ラザファード・チューシロー・ヴィレプロルトと言って」

「全然覚えられないのでべーちゃんって呼んでます。妖精です」

 

 彼女はツバを飛ばしてまくしたてる生物のセリフを遮り、僕に妖精と紹介した。

 しかし、妖精ってなんだそりゃ。そんなものが現実にいるなんて言われても。

 

「よ、妖精?」

「はい」

「確かに、翅が生えてるところとか妖精っぽいけど」

「鈴鬼くんの言うとおり、ポ●モンみたいですよね、ふふっ」

 

 くすりと笑う彼女に対し、僕は開いた口がふさがらなかった。

 からかわれているのだろうか。しかし、この時が止まった周りに巨大なヤギ、そしてヤギにビームを放って倒した後、お姫様のような黄色い格好から一瞬で制服姿に着替えた彼女を目の当たりにしている。

 現に妖精が、ポ●モンと言われて彼女に抗議している姿として、いま僕の目に映っている。彼女に気取られぬよう僕が(もも)をつねって見るが、やっぱり痛みは感じられ、僕は正気なのだろう。到底信じられないことだが、目に映っている以上受け入れるしかないのか。

 

「そうだ鈴鬼くん」

「な、なに?」

「今日はごめんなさい。あの、日直一緒だったでしょ?」

「ああ、そんなことか。謝らなくてもいいよ。理由分かったしさ」

「謝らなきゃ、って思ってたの。本当にごめんなさい」

 

 日誌に書かなくてよかった。すまなそうにして頭を下げる彼女を前に僕はほっとした。

 何にせよ、妖精が現れたおかげで少し落ち着いた。僕が頭を整理する。

 何から訊こうか。まずは彼女のことを知ろう。

 

「それで庚渡さん」

「はい」

「話もどすけど、さっきお姫様みたいな黄色い格好してヤギと戦ってたよね?」

「あ、うん……」

「こんなこと訊いていいのか分からないけど、君は、何者なんだい?」

「……私は」

 

 言い(よど)む彼女の代わりに、妖精が正体を明かした。

 

「トゥインクルは戦士だベエ」

「トゥインクル? 庚渡さんのこと?」

「そうだベエ。トゥインクルスターは、地球の侵略をもくろむ宇宙海賊ブラックホール団と戦う、光の戦士〝コスモス〟なんだベエ」

「こ、こすもす? 宇宙海賊ブラックホール団? そんなものがこの現実に?」

「いるんだベエ。コスモスは」

 

 全てが静止している周りを妖精が仰ぐ。

 

「このように時を作って、人知れずブラックホール団と戦っているんだベエ」

「時を作る?」

「うるう年って概念があるベエ? あれと同じように、時と時の間にコスモスだけが動けるプライベートな時間を作って、その差し込んだ時間の中で戦っているんだベエ」

「ああ。だから、周りが止まって」

「そうだベエ。コスモスが作る時間は本来の時の流れに反した時間だベエ。そんな時間を時と時の隙間にねじ込んでいるから周りが止まっているんだベエ。おまえ中々頭いいベエ、トゥインクルとサンシャインはこれを理解するまで一週間かかったベエ」

 

 僕が妖精に褒められたが、それでもピンとはきていない。宇宙海賊なんて言われても。

 日常の裏でそんな戦いが起きていた、なんてどう信じればいいのだろう。

 

「鈴鬼くん」

「は、はい!?」

 

 首をかしげる僕を見かねてか彼女が僕を呼び、その呼びかけに僕はドギマギして変な声で返事をしてしまった。

 

「急にそんなこと言われても、信じられないよね?」

「う、うん、まあ」

「そうだよね。だから、今日のことは、キレイさっぱり忘れてください」

「忘れる?」

「うん。鈴鬼くんは今までどおり暮らしてください。私が鈴鬼くんを含めたみんなを守るから。今日は夢を見たんだって思ってください」

 

 彼女は優しくほほえんで戸惑う僕を気遣ってくれた。

 

「そろそろ時を戻さないと。べーちゃん」

「分かったベエ。おいニンゲン」

 

 妖精が僕に振り向き、

 

「どうしてリープゾーンの中を動けるのかは知らないけど、トゥインクルが言ったとおり今日のことは忘れろベエ。あと絶対に、トゥインクルのことを周りにいいふらすなベエ」

「あ、ああ」

「もっとも、いいふらしたところでだーれも信じないけどベエ」

 

 告げるだけ告げてから姿を消した。

 そして彼女が、制服の内ポケットから銀色のオブジェを取り出す。僕が目を凝らすと、手のひらサイズのオブジェには歯車がやたらと組み込まれており、一見バンドを外した腕時計に見える。

 懐中時計と言う物だろうか。妙な物を持ってるな、なんて思ったときだった。

 

「……あっ」

 

 僕は思わず声を上げた。周りが、一斉に動き始めた。

 風がそよぎ、遠くにいるおばあさんが歩き始め、彼女の後ろを自転車が通り過ぎる。

 いつもの日常が戻った。まるでいま起きていたことが(うそ)だったみたいに。

 

「じゃあ、さよなら鈴鬼くん。また、あした」

 

 彼女がぺこりと頭を下げ、小走りに去って行ってしまった。

 呼び止めたかった。いま僕の胸は高鳴っており、その緊張から彼女を呼び止められなかった。

 彼女を知りたい。僕の(おも)いはその気持ちでいっぱいだ。さっきまで彼女は眼鏡を外しており、それで彼女の素顔を初めて間近で見たのだが、びっくりするくらいに可愛かった。

 美少女と言っても差し支えなかった。まさか、毎日顔を合わせているはずのクラスメートが、こんなにも可愛かったなんて。眼鏡を外すだけでこんなにも印象が違うのか、と僕はさっきからずっとドギマギしていた。

 夢を見たと思って。そう彼女は言っていたけれど、夢で終わらせたくなかった。僕は彼女に恋をした。

 



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失敗した… 認められない恋の裏返し

 彼女に恋をした日から一週間が()った。

 

「はあ」

 

 学校からの帰り道。僕が頭を抱え、深くため息をついた。

 空を見上げれば、白と灰色の雲が広がっている。青空はあまりうかがえず、ちょうど一週間前もこんな空だった。

 周囲を見渡せば、これもまた一週前に見かけた、明倫中の制服を着た男女が仲良く手をつないでいる。僕は、取り返しのつかない大失態を犯した。だからいま手をつないでる男女が心底羨ましかった。

 

 あの信じられない出来事が次々に起き、そして僕が彼女に恋をした日の、次の日の事だ。

 僕は前日のこと、そして彼女が僕に見せた笑顔が忘れられなかった。クラスで僕は彼女と席が離れているのだが、僕は遠くからその日彼女のことを、幸せな気分に浸りながらずっと眺めていた。

 付き合ったら一緒に遊びに行って、それから夜景の奇麗な場所でドラマチックにキスしたりして――。だが、そんな妄想にふけるアホ面を浮かべた僕を友人は見逃さなかった。

 

「おいコシロー」

 

 何の取り柄もなく、女の子に縁のない僕だけど、それでも同性なら友人はいる。

 小学校の頃からの友人、()(とう)師泰(もろやす)が吐いたデリカシーのない一言によって、僕は失敗を犯してしまった。

 

「お前さ、今日一日、庚渡紬実佳のことずっと見てね?」

 

 師泰が彼女を指して僕に言った。

 突如として僕の恋心が土足で踏みにじられ、つい僕が、

 

「はっ!? な、なにを」

 

 と、条件反射的に戸惑ってしまい、これに師泰が、

 

「ふくくっ、なーに素っ頓狂な声だして慌ててんだよ? なにおまえ、あのロボ女のこと好きだったの?」

 

 ニヤニヤと意地の悪い笑顔を浮かべ、泡を食う僕に尋ねた。

 そして、返した言葉が最悪だった。からかう師泰にムキになった僕は、死んだ方がマシな程の最低な答えをしてしまったのである。

 

「なっ、なに言ってんだよお前! あんな女、好きなわけないだろ!」

 

 これが失敗だ。僕は、教室に響く程の大きな声で彼女を否定してしまった。

 彼女は素知らぬ顔をしていたが、絶対に聞こえていただろう。好きだ、なんて素直に言えるわけがないが、好きな訳がない、なんて声を張り上げて言う必要なんかなかった。僕が彼女を好きな訳がない、という誰にとっても益のない誤解を、僕は彼女に与えてしまったのである。

 男二人で勝手に彼女の話をして、あまつさえ彼女の価値をおとしめて。これが自分の立場であったなら間違いなく腹が立っただろう。否定するにしても、彼女に聞こえないよう鷹揚(おうよう)な態度で返せば良かった。

 

 師泰が「ロボ女」と言ったが、これは彼女の顔を隠すような髪型と丸眼鏡な外見に起因する、彼女をからかうための蔑称である。

 主に男が陰で呼んでおり、僕は中学に入学してから彼女と出会ったために知らなかったが、どうやら小学生の頃から呼ばれているらしい。

 彼女はおとなしい性格の故にからかわれ続け、僕も好きになる前は、周囲に流される形でロボ女と陰で呼んでいた。原因を作ったのは師泰だが、僕が百パーセント悪い。僕は彼女を無駄に傷付けてしまった。

 

 そして翌日。僕は、

 

「か、庚渡、さん」

 

 学校の廊下ですれ違った彼女に、前日のことを謝るべく声をかけた。

 しかし、無視された。いや、そもそも聞こえていたかどうか怪しい。だって彼女を呼んだ僕の声は、ひどく不審で弱々しかったから。

 廊下で彼女を見かけたとき、心臓がビクンと跳ねた。それから心拍数は著しく上昇、心臓がドクドクと大きく脈打ち、破裂しそうだった。声をかけて良いものか何度も迷い、だからすれ違うまで声をかけられなかった。

 彼女に嫌われたくない、その思いだけが心の中を占めていた。それで勇気を振り絞って声をかけ、結果ぼくは撃沈、謝る機会すら得られなかった。恋をする前だったなら普通に呼べただろう。なんであんなことを、と僕は、彼女を否定してしまった前日を心の中で何度も悔いた。

 

「はあ」

 

 そのまま謝れず今日に至り、真っ直ぐ帰る気になれなかった僕が、公園のベンチに腰を掛け、またため息を吐いた。

 時刻を確認すると、公園に立つ時計は四時半を指している。隣のベンチではおばさん二人が談笑している。

 

「あそこの家、これで子供七人目なんですって」

「ええー、七人目って。旦那さんも旦那さんだけど、産む奥さんもすごいわねー」

「この不景気によくやるわよねー。養育費とかすごいことになってそう」

 

 気を落とす僕の耳に、おばさん達の会話が入り込む。聴く気などまったくないのだが。

 仲が良さそうで何よりで。そう心の中で悪態を()いてから公園内を見渡すと、こんもりと盛られた山型遊具では、小学校低学年くらいの子供たちが集まって何かを見ていた。

 ゲームでもしているのだろうか。輪を作って何かをのぞき込んでいる子供たちから、バカ騒ぎとも言える大きな笑い声が上がり、それが落ち込む僕の心を遠慮なしに貫く。

 程なくして柴犬(しばいぬ)を連れたおじいさんが現れ、僕の前を過ぎようとする。僕に振り向いた柴犬が「ハフハフ」と舌を出しながら近寄り、そんな寄り道をする犬をおじいさんが「こら」と手綱を引っ張る。

 みな動いている。公園の樹々が風に揺れ、歩く柴犬が尻尾を振っている。――止まってくれ。僕が彼女とのつながりを望み、一週前の時が止まった現象を願ったときだった。

 

「……あれは」

 

 ドクンッ、と胸が強く跳ねた。

 公園の外に歩く彼女がいる。バッグを抱えて下校している。

 この謝るチャンス、逃してなるものか。仲直り、いや、彼女に男と認めてもらうために、僕が意を決して立ち上がった。

 



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当たって砕けろ! なんて無責任なこと言わないで

(何をやっているんだ僕は)

 

 彼女を偶然にも見つけた僕は、公園を出て後を()けていた。

 言われないでも分かっている、自分が最低最悪のクソヤローであることは。他人のこのような犯罪に怒りと侮蔑を覚えていたくせに、まさか、同じ行為を犯してしまうなんて。

 彼女はもちろんのこと、師泰などクラスメートにも見つかる訳にはいかない。もし見つかればその場で破滅であり、明日から登校拒否するしかないだろう。だから僕が薄氷を踏む思いで、彼女だけでなく周りも気にする。

 

(……まずいっ!)

 

 彼女が後ろに振り向こうとしたため、慌てて近くの電柱に身を隠した。

 

 さっさと彼女に声をかけ、謝ればいい事くらい分かっている。でも、僕は恐れていた。

 また無視されたらもう立ち直れない。そもそも彼女は僕をどう思っているのだろうか。ただのクラスメートで、よくある男の中の一人なのだろうか。

 都合が良い、とは自分でも感じている。だが僕が恋をしたあの日、彼女は別れ際に「またあした」と言った。これを僕は「明日ゆっくりとお話ししよう」と解釈し、だから僕はあの日、明日が待ち遠しくて仕方がなかった。

 彼女が「べーちゃん」と呼んでいた、あのポ●モンみたいな妖精のしゃべっていたことがどこまで本気なのか()きたいが、それは二の次でよかった。僕は彼女と二人きりで話せる機会に、この上なく胸を高鳴らせていたのだが、その明日で僕は彼女を傷付けてしまった。

 

(…………)

 

 僕がおそるおそる電柱から顔を(のぞ)かせると、彼女は既に前へ歩いていた。

 十分な距離を見計らって尾行を再開する。と同時に僕が、()(きょう)で臆病な自分に自己嫌悪を覚え、そんな弱さを跳ね返す強さを渇望した。

 

 そして、五分ほど尾けていると、

 

(あそこは)

 

 一軒の店に彼女が寄り道した。

 コンビニなどではない、古い木造の小さなお店。このしなびたような店は僕も知っていた。中学に進学してからは行かなくなったが、小学生の頃は師泰たちとたまに寄っていた店だ。

 彼女が入った店は駄菓子屋である。程なくして店から出た彼女が、店頭に置いてあるベンチに座る。

 そして、中で買ったのであろう菓子を取り出し、いそいそと口に運ぶ。

 

(あれは、(なか)()こんぶ……)

 

 何を食べているのだろう、と僕が目を凝らすと、彼女は酢昆布を食べていた。

 もっちゃもっちゃ、と()(しゃく)し、頬を緩ませる彼女。菓子は「中野こんぶ」と言って、どこの会社が作っているとか全然知らないが、百円くらいで買える赤い箱に入った甘酸っぱい味の昆布菓子である。

 決してまずい物ではない。が、買ってまで食べようと思う物でもない。僕にとってはそんな評価の駄菓子だが、彼女は笑みを浮かべ、幸せそうに食べている。

 変な表現になるが、彼女からハートマークがぽわんと浮かび、口が「ω」の形になっていた。意外な彼女の好物に僕が目を瞬かせ、同時に彼女の好物を頭にインプットした。

 

 そして、食べ終わった彼女が立ち上がり、再び歩き始めた。

 時刻は午後五時を回った。彼女がこれ以上寄り道することはないだろう。したがってこのまま尾けると、僕は彼女の家までストーキングしてしまう。

 彼女の家を知りたくないのか、と問われれば是非とも知りたいが、これ以上は踏み込んじゃいけない気がした。そもそも学校ではなく、彼女の帰り道に声をかける行為が、考えてみれば不自然であった。

 ストーカーと呼ばれる人たちは、みな今の僕と同じように自信が持てないのだ。そうストーカーの心情を理解した僕が、回れ右して家へ帰ることにした。

 

(僕も中野こんぶ買って帰るか)

 

 彼女の好みをよく知るべく、僕が財布を取り出して小銭を確かめた。

 かろうじてあった。僕がなけなしの百円玉を握り締め、ふと思い出す。そもそも師泰に訊かれ、声を張り上げて否定した僕だが、あの声を彼女は聞いたのだろうか。

 彼女からその答えは聞いていない。もしかしたら聞いてなかったのではないか。もしも聞いてなかったとしたら、いま僕が抱えている悩みはすべて()(ゆう)となる。しかし、それはそれで辛いことには代わりがない。この一週間一言も会話を果たせていない以上、それは彼女にとって僕などどうでもいい存在ということになるのだから。

 なんにせよ尾行が見つからなくてよかった。明日もう一度勇気を振り絞って話しかけてみよう。そう僕が決心し、小学生以来の駄菓子屋へ足を運ぶ最中であった。

 

「……えっ」

 

 急な怪異に僕が戸惑った。

 慌てて辺りを見回すと、今すれ違おうとしていたおじさんが、走行中の車が、電線から羽ばたこうとしていたスズメが止まっている。念のため僕が、止まっているおじさんに触ってみるが何の反応もなく、それで試しに押してみたが、まるで石像のように堅くてびくともしなかった。

 また時間が止まった。一週前を思い出す。確か彼女は、懐中時計のようなオブジェを取り出して時を動かした。ということは逆もできるはずだ。

 彼女が時を止めたのだろうか。僕が後ろに振り返り、先まで尾行していた彼女を探して走り出すのだが――。

 

――ヤクサアァイッ!

 

 天を裂くような叫び声が聞こえ、僕が足を止めた。

 灰色の雲が広がる空を見上げる。

 

「う、うそだろ」

 

 西日が照らす曇り空から、馬の(ひづめ)、そして馬の脚が飛び出ていた。

 有り得ぬ光景に僕が目を剥く。間もなくして、翼を生やした巨大な白馬が雲を突き抜けてその姿を現した。

 



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エスオーエス! 乙女のピンチ!

「はあ、はあ……」

 

 心拍が激しさを増し、呼吸が乱れて荒くなる。

 (うそ)じゃない。翼を生やした白馬が、空から舞い降りている。

 一週前のヤギは信じられなくて、まだ正気でいられた。しかし、この嘘のように圧倒される光景を、これで二度ぼくは目の当たりにし、しかも翼を生やした馬というあり得ない存在が、今この現実に現れている。

 

 そして高度が下がり、徐々に徐々にと拡大する白馬。これもまたヤギと同じく、二階建ての家など踏み潰せるくらいに大きい。

 白馬からすれば、僕など取るに足らない小動物だろう。人を見上げる猫やネズミの気持ちが分かり、今ぼくは発作に似た過呼吸を起こしている。

 大きさが逃れられない恐怖に変わる。怖い以外を考えられず、ぼうとして立ち尽くしていると、

 

「あっ」

 

 僕が間の抜けた声を発した。光線が白馬を撃ったのだ。

 しかし、あまり効いていない。白馬が撃たれた方へ振り向き、その視線の先に僕も振り向くと、お姫様のような黄色いドレスをまとった彼女が空に浮かんでいる。

 

「フフッ、現れたな、トゥインクルスター」

 

 白馬のそばに先から浮かぶ、一週間前も見た黒ずくめの男の声が聞こえる。

 

「〝メテオ〟。この前やっつけたのに性懲りもなく」

「フッ、サンシャインとムーンライトが負傷している今なら、君だけでも始末できると思ってね」

「このっ、なめないで! はあああっ!」

 

 彼女が拳を突き出し、白馬に突っ込んだ。

 流星のような彼女の一撃。だが、これもあまり効いておらず、横っ面を殴られた白馬がお返しとばかりに頭を振る。

 白馬の頭を、彼女が高く飛んでかわす。そのまま右足を突き出し、高くから白馬の胴体にぶちかます。

 突き刺したような蹴りに続けて彼女が、

 

「はあああぁっ!」

 

 白馬に拳の連打を(たた)き込む。

 目を見張るばかりの()(とう)のラッシュ。これはさすがに効くかと思われた。

 

「……きゃあっ!」

 

 しかし、白馬は意に介しておらず、背の翼で彼女を叩いた。

 反撃を受けた彼女が下がり、下がった彼女に黒ずくめの男が告げる。

 

「君がサンシャインの真似事をしても、この〝ペガスス〟にとっては蚊に刺されたようなもの」

「…………」

「この前のカプリコーンには劣るが、このペガススとて北天の精霊の一つ、甘く見てもらっては困る。さあ、子供の(たわむ)れはもういいから早く本気を出したまえ」

「このっ、言われなくても!」

 

 宙に浮かぶ彼女が両手を突き出した。

 渦巻く光が、吸い込まれるようにして彼女の両手に集まる。一週前にヤギを消し去った、あの光の帯だ。

 間もなくして、彼女の両手が煌々(こうこう)と輝き、

 

「終わらせる! いっけぇ、トゥインクルブラスト!」

 

 先の光線よりも明るい光の帯が、突き出した両手から放たれた。

 光の帯が白馬を照らす。

 

「ハッハッハ!」

 

 だが、男の勝ち誇った笑い声が響き渡る。彼女必殺の光線までもが白馬には効かなかった。

 全力だったのだろう、彼女が疲れた様子で肩を落としている。

 

「どうしたトゥインクルスター。いつもの技にキレがないじゃないか」

「うう……」

「満足したよ。その絶望した顔が見たかった。では反撃といこう。ゆけっ、ペガスス! あの女をいたぶってやれ!」

 

 白馬が翼を羽ばたかせ、彼女に突進した。

 突進を彼女がかわすが、白馬は巨大な成りに似合わない機敏さで反転し、再び彼女に襲い掛かる。

 二度、三度まで彼女はかわせた。しかし、四度目の突進を彼女は、

 

「ああぁっ!」

 

 かわし切れず白馬の足に蹴られ、

 

「庚渡さん!」

 

 気付けば僕は、地面へ落下する彼女の下へと駆けていた。

 

「頼む、無事でいてくれ……」

 

 かなりの高さから落下した。僕が不安を振り払いながら走る。

 先程まで僕は、小便を漏らしそうな程に(おび)えていたはずだった。でも、そんな僕から恐怖をいつの間にか忘れさせたのは、たった一人で戦う彼女の姿だった。

 彼女に勝って欲しい、失いたくない。そう願いながらT字路を左に曲がり、息を切らしながら彼女を探す。

 確か、この辺りに落ちたはずだ。僕が目を皿にして探すと、狭いY字路の右に入った先で、仰向けに倒れている彼女を発見した。

 

「庚渡さん!」

 

 黄色い衣装をまとう彼女の元へ全力で走る。

 

「今まで楽しかったよ。ありがとうトゥインクルスター。そして、サヨナラだ」

 

 頭上から男の声が聞こえた。大きな(ひづめ)が、彼女を踏み潰さんとしている。

 もっと早く走るんだ、もっと、もっと早く――。焼き切れそうな脚と肺の熱も忘れてしゃにむに走った。

 そして、あと数歩の所で僕が、身を(てい)して彼女に飛び込んだ。僕と彼女がごろごろとアスファルトの上を横に転がり、間もなくして沈むような振動と音が響く。

 助かった。アスファルトの上に立つ蹄を目にして僕が息をつく。

 

「す、鈴鬼くん」

 

 振り向くと、彼女は僕に驚いていた。

 つぶらな二重の目に、小さめながらも形の整った鼻、目と眉の間が少し空いていて、その間隔が優しげな印象を見る者に与える。

 この顔が見たかった。僕がいま一番好きな女の子の顔。願わくばこの顔を、ずっと見ていたい――。

 

「鈴鬼くん、助けてくれたの?」

 

 見とれている僕に彼女が尋ねたので、僕が転んだ痛みをこらえながら首を縦に振った。

 

「…………」

 

 彼女が目を大きく開いて僕を見つめた。

 驚きを隠さない彼女。まあ、それはそうだろう。何の取り柄もない一般ピープルの僕が、不思議な力で怪獣と戦う彼女を助けるなんて。

 しかし、今は戦いの真っ最中。彼女が僕との視線を外し、すくっと立ち上がる。

 再び戦場へと赴く彼女。小さな背を向けながら僕に告げる。

 

「ありがとう鈴鬼くん。絶対に守るからお願い。戦う私を、どうか見てて」

 

 気のせいだっただろうか。立ち上がった時に(かい)()見た彼女の瞳は、潤んでいるように見えた。

 



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これが愛の力! 大暴れしちゃいます!

「なぜ動ける男が? まあいい、二人仲良く始末してやろう! やれペガスス!」

 

 男の命じる声が聞こえ、宙を見上げると、仰け反った白馬が前脚を上げていた。

 そして、白馬が体勢を戻し、再び(ひづめ)が彼女を襲う。

 

「危ない庚渡さん!」

 

 踏み潰さんとする蹄に僕が叫んだ。

 彼女は小さい。小学生と()(まが)うくらいの低さで、同学年の平均的な女子の身長を大きく下回っている。

 僕はクラスの男で前から並べば二番目に低いが、彼女に至ってはクラスの女子内で最前だ。だが、そんな彼女が逃げ出さずに両腕を広げ、

 

「負けない!」

 

 なんと白馬の巨大な蹄を、広げた両腕で真っ向から受け止めた。

 力士の四股(しこ)(ごと)く、足を大きく広げて踏ん張る彼女。かわすと思っていただけに僕が目を剥く。

 白馬が蹄を押し付けるが、対する彼女に苦しむ様子は見られない。

 

「どぉっせえーいっ!」

 

 そして、彼女が背を伸ばし、(つい)に白馬の蹄を押し返してしまった。

 バランスを崩した白馬がたたらを踏む。

 

「なんだと。まさかトゥインクルスターに、これほどの力があったとは」

 

 黒ずくめの男が彼女の底力に動揺しており、僕も予想外のパワーキャラぶりと、押し返したときの変な掛け声、今のやる気に満ちあふれて鼻息を荒くする彼女に動揺している。

 

「まだまだぁ!」

 

 駆ける彼女が、先まで踏み潰そうとしていた白馬の右足を捕まえた。

 尋常ではない足の速さだった。瞬きしたら、もう白馬の足を捕まえていたのだ。まあこれは空を飛んだりビームを撃ったりしていることから、特に驚くべきことではない。

 驚くべきは次の行動だった。彼女が白馬の足を抱えたまま高く飛ぶ。

 

「おおおりゃあああー!」

「な、なんだとぉ!?」

 

 黒ずくめの男が(きょう)(がく)した。白馬の足を抱えた彼女が回転し、ジャイアントスイングを仕掛けたのだ。

 ()(ぜん)とする僕。ちょっとしたビルと言ってもいい大きさの白馬が、とても小さな彼女にぶんぶんと振り回されている。

 そして、二回転、三回転したところで、彼女が白馬を乱暴にぶん投げた。当然白馬が住宅に激突し、その被害状況を気になった僕が(のぞ)くが、不思議と壊れていなかった。「どうして」と思ったところで僕が先ほど押したおじさんを思い出す。どうやらこの時が止まった空間内の物質は固い物へ変化するようである。

 しかし、ここまではっちゃける子だったとは。周りを一切顧みない彼女の暴れっぷりに僕がたじろぐ。

 

「とどめ!」

 

 彼女が畳みかけるべく、広げた両手を前に突き出した。

 

「フ、フフッ、君の光線は先ほど効かなかっただろう?」

 

 余裕を取り戻す黒ずくめの男が言うとおり、彼女必殺の光線は白馬に効かなかった。

 しかし、彼女はやめない。男の冷やかしなど聞き流すが如く、広げた両手に光を集め続けている。

 彼女の両手が煌々(こうこう)と輝き、――僕が驚く。いま渦を巻いて凝縮されている彼女の光は、先の輝きに比べるとけた違いに明るかった。

 ほんの僅かな影すら許さない、真っ白に染める光の源。あまりのまぶしさに僕が目をすがめる。

 

「な、なんだ、その輝きは」

 

 そして、男も気付き、先とは明らかに異なる光の強さに気色ばんだ。

 

「これが私の本当の力、いえ、愛の力! いっけぇ、〝トゥインクルラブブラスト〟!」

 

 白き光の帯、いや、光の奔流が、彼女の両手から放たれた。

 直視できない極太の白線。街一帯を雷のように照らす強烈な光を浴びた白馬が、

 

「ヤクサァァイ!」

 

 断末魔を上げて消滅する。

 

「クッ、まさか、一人でもここまでやるとは」

 

 白馬を失った黒ずくめの男が空高くに逃げ出した。

 宙に残った彼女がゆっくりと降り、僕が降りる彼女の下へ駆け寄る。

 間もなくして彼女が地上に降り立つと、その体がまばゆい光に包まれた。そして光の中から、元の制服姿の彼女が現れ、風に吹かれた灯のように光が消える。

 

「庚渡さん!」

「鈴鬼くん。えへへ、どうだった? カッコよかったかな?」

「うん。すごい、カッコよかったよ」

「よかった。へへ、クラスメートの男の子にこういうところ見られるのって、なんか恥ずかしいね」

 

 照れ笑いする彼女を、僕は素直にすごいと思った。

 自分は今の白馬におびえていただけだった。しかし彼女は一人で立ち向かい、しかも白馬をやっつけた。

 彼女の強さと勇気は尊敬に値した。その強さと勇気は、先に僕が渇望したものである。まあ、予想外の暴れっぷりにはびっくりしたが、それは黙っておこう。

 そして、今の眼鏡を外した彼女は可愛かった。僕がドギマギしてしまう。

 

「やったベエ、トゥインクル!」

「べーちゃん」

 

 一週前も現れた妖精が彼女のそばに現れた。

 

「うん? おいニンゲン、どうしてまたいるベエ?」

「べーちゃん、今日はね、彼に助けてもらったの」

「このニンゲンに?」

「うん。踏み潰されそうになってたところを助けてくれたの」

「うむむ? いつもサンシャインとムーンライトに助けてもらってるくせに、今日はやけに(うれ)しそうだベエ。ははあ、このニンゲンがゾーンの中を動ける理由がなんとなく分かったベエ」

「ねえべーちゃん、彼をニンゲンなんて呼ばないで」

 

 妖精が僕に振り向く。

 

「おいニンゲン、名前は?」

「す、鈴鬼だよ」

「スズキ、トゥインクルを助けたことは礼を言っておいてやるベエ」

 

 厳しい眼つきをして告げたため、これに僕が苦笑した。

 そして、思い出した僕が彼女に振り向く。この降って湧いた絶好のチャンス、何としてでもモノにしなければ。

 彼女のつぶらな瞳を僕は見つめる。一人の男として彼女に認めてもらうのだ。

 

「庚渡さん、この前はごめん」

「え?」

「教室で〝好きな訳ない〟なんて言っちゃって。傷付いたよね」

「あ、……うん」

「あれ、全部ウソなんだ。えっと、照れ隠し、って言うか」

「えっ、え、それって」

「あ、ええっと」

 

 僕がそれ以上の言葉を口籠もる。まずい、照れ隠しなんて言ったら、好きって言ってるようなものじゃないか。

 墓穴を掘った。さすがにいま告白する勇気はない。彼女もこの気まずさを察したようで、お互いに沈黙した。

 しかし、妖精がいるけど、せっかく二人きりになれたのだ。

 

「庚渡さん」

「は、はい」

 

 僕が気を取り直して勇気を振り絞る。

 

「も、もし、迷惑じゃなかったら、僕と、友達になってくれないかな」

「え、……よ、喜んで!」

 

 もう彼女の顔が見れなかった。

 彼女はどんな顔をしてただろう。なにはともあれ、僕は好きな子に一歩前進し、幸せという感情を心の底から()み締めた。

 

「やれやれだベエ」

 



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悪魔のささやきに葛藤するまでもなく負けた光の戦士

 午後九時を過ぎた夜。六畳一間の部屋の(かも)()には、明倫中学校の女子学制服が()るされている。

 小学校の進学祝いとして親に買ってもらった学習机に、たくさんの少女漫画が巻順に従って並べられた本棚、親戚から譲り受けた少し傷物のクローゼットがあり、シングルベッドの上では寝間着姿の女の子が枕を抱えて伏せていた。

 寝転がっているが寝てはいない。伏せる彼女の名前は、庚渡紬実佳と言う。

 

(はあ、鈴鬼くん……)

 

 今日、懸想する男子に少し近付け、その余韻に彼女は浸っている。

 友達になってくれないか。クラスメートにして(おも)い人である鈴鬼小四郎に言われたセリフを、彼女は帰宅してから何度も反芻(はんすう)してはニヤニヤと頬を緩めていた。

 

(明日からどうしよう。鈴鬼くんとちゃんと話せるかな。ああ、望んでたはずなのに、どうしよう、いざとなると全然自信がない)

 

 しかし、彼女は引っ込み思案な性格をしており、今まで彼を遠くから見ていただけだった。よって、明日より訪れる距離感の変化に戸惑っており、抱える枕を頭にかぶせて悩みだす。

 

(鈴鬼くんに助けられて、自分でも信じられないくらい頑張れたんだけど、私、熱くなって〝愛の力〟とか〝ラブ〟とかすごいこと口走っちゃったよね。鈴鬼くん聞いてたかな。もし聞かれてたら、もう鈴鬼くんの顔まともに見れないよ……)

 

 抑えられなかった感情の発露を振り返り、彼女の頭から湯気が立ち昇った。

 おさらいになるが、今日学校からの帰宅中、宇宙海賊ブラックホール団が性懲りもなく襲ってきたため、光の戦士コスモスである彼女は時を止め、戦士トゥインクルスターに変身した。

 変身した彼女は敵が使役する白馬と相対した。だが、白馬は強く、さらに六日まえ耳にした彼の発言を引きずり続けていた。心が折れていた彼女だったが、彼が助けに現れたことによって復調、それどころか彼女自身信じられない程の力を発揮し、無事白馬を撃退した。

 感極まった彼女は、愛してる、と暗に言ってしまったのだ。付き合うどころか友達でもなかった男子の前で。

 

(きゃ~~。私ったら、あふぅ~~)

 

 己がしでかした行為の恥ずかしさに、彼女が足をバタバタさせる。

 断っておくが、別に悲観はしていない。そもそも好きな彼と友達になったのだ。明日から始まる友達以上恋人未満な甘い関係を想像し、独り盛り上がっているのである。

 

(もー全部ウソでよかった。この一週間ずっと落ち込んでたけど、よもやよもやの大逆転じゃない。はー、生きててよかった)

 

 彼こと鈴鬼小四郎の発言に話を戻すが、彼が六日前に教室で叫ぶように言った「あんな女、好きな訳がないだろ」と言うセリフ。もちろん彼女は聞いていた。

 聞いた彼女はずっと落ち込んでいた。聞いたその日は家で泣き、その後も度々泣いた。だから今日、彼から「全部ウソなんだ」と聞いたとき、頭が熱くなって倒れてしまいそうなくらいに喜んだ。

 そして、彼女が思い出す。白馬に踏み潰されそうになったとき、彼が現れ、身を(てい)して助けてくれたことを。

 彼に抱き締められた。あの時の抱かれた感触と匂い、自分のために傷付いた彼の顔が忘れられず、

 

(ああ、鈴鬼くん、好き、大好き)

 

 彼女が枕をギュッと抱き締め、また足をバタバタさせる。

 ちなみに、彼は「好きな訳ないだろ」と言ってしまった翌日、彼女に謝るべく声をかけているが、あれは彼女には聞こえていなかった。

 彼は彼女と鉢合わせしてこの上なく緊張したが、それは彼女も同様だった。引っ込み思案な彼女は彼が怖くて避けてしまったため、結果としてあの声は彼女に届かなかったのである。

 

(鈴鬼くん照れ隠しって言ってたよね? それって、もしかして私のこと……。いやいや、そう都合の良いように人生はできてないって。人生甘く見てるといつかしっぺ返し食らうんだから。……でも、もしかしたら神様が見ててくれているかもしれないよね? 誰も褒めないのにブラックホール団と戦ってるんだから。お願いします神様、私を彼と付き合わさせてください。というか結婚させてください。ああ、友達なんて言わずに、いっそのこと〝付き合ってくれ〟って言ってくれたら、私なんでも投げ出して彼に身も心も(ささ)げたのにー)

 

 彼女が心の内の幸せを抑えられず、右へ左へと(せわ)しなく寝返りを打っていると、

 

「トゥインクルー」

「……べーちゃん」

 

 高揚する思いに水を差すがごとく、妖精が彼女のそばに現れた。

 (はね)を羽ばたかせて浮かぶ妖精に、目を半眼にする彼女が口を「~」の形に曲げながら上体を起こす。

 枕を抱えたままベッドに腰掛けた彼女に、妖精がまずは報告する。

 

「サンシャインとムーンライトに、トゥインクルが一人で敵を撃退したことを伝えたベエ」

「ふーん。それで?」

「むむ? なんか機嫌悪そうだけど続けるベエ。二人ともすごく驚いていたベエ」

「そうだろうね。私あの二人の足を引っ張ってばかりだし」

「そんなことはないベエ。確かに普段のトゥインクルは直しようがないポンコツだけど」

「めちょっく。いや、間違ってないんだけど」

「ここ一番なら最も活躍してるベエ。サンシャインなんて〝さすがは奇跡の逆転ファイター〟って喜んでたベエ。トゥインクルはもっと自分に自信を持つベエ。その身体(からだ)に秘められた潜在能力は誰よりも高いから、ボクはトゥインクルをコスモスに選んだのだベエ」

 

 彼女には共に戦う光の戦士が二人いて、それぞれ「サンシャイン」と「ムーンライト」と言う。

 二人は俗に言えば「デキる」側の人間で、彼女はよく助けてもらっていた。冒頭で彼女が巨大なヤギを倒せたのも、この二人がヤギの眉間を執拗(しつよう)に攻め立てた事に因るところが大きい。

 自分を「デキない」人間と思い込んでいる彼女は、二人に対する負い目を常々感じている。しかし、そんな彼女も、要所要所では役目を果たしており、二人の危機を何度か救っている。自己評価が低い彼女だが、その思いとは裏腹に彼女は二人や妖精から評価されていた。

 二人は巨大なヤギとの戦いで負傷し、鈴鬼小四郎が現れる前に脱落したが、あがくことなく脱落したのも彼女を信頼しての事である。頼りないけどやるときはやる仲間。そんな評価を彼女は受けていた。

 

「でもトゥインクル、スズキをリープゾーンの中に入れるなんて、いったいどういうことだベエ?」

 

 しかし、いくら妖精が彼女を評価していても、異物を入れた事だけは納得できなかった。

 妖精が短い腕を組んで彼女を責める。

 

「まあ、べーちゃんなら分かるよね、へへ……」

「笑ってごまかしてもダメだベエ。なんでスズキをリープゾーンの中に入れたんだベエ?」

「それは」

 

 光の戦士コスモスである彼女は、「ハロウィンズミラー」と呼ばれるトゥインクルスターに変身するための小さな鏡と、「ユニヴァーデンスクロック」と呼ばれる時を作る装置を託されている。

 時を作る装置は、使用者がイメージした対象に限り、時と時との間に挿入した時間「リープゾーン」内における行動を許可する。つまり彼女は、彼を意図してリープゾーン内に招き入れたのである。

 コスモスの戦士は変身することで身体能力が著しく強化される。だからヤギの光線を食らっても、巨大な白馬に蹴られても無事でいられるのだ。

 

「だって彼に、トゥインクルスターとしての私を見てもらいたかったんだもん……」

 

 彼女は前述しているが引っ込み思案な性格をしている。つまり、自分に自信がない。

 小さな頃から運動音痴で、周りからは「ロボ女」とからかわれ続け、中学生になっても背丈が低いままで。彼女は自分で自分が嫌だった。生まれ変わりたいと常々思っていた。しかし、中学校に進学して一月が経過したある日、彼女はひょんなことから妖精と出会い、光の戦士コスモスに選ばれた。

 戦士トゥインクルスターになった彼女は変わった。サンシャインとムーンライトに認められ、人に知られないけど皆を守り。人の役に立っていることを生まれて初めて実感した彼女の心に、ある日悪魔がささやいた。

 トゥインクルスターとしての自分を彼に見てもらえば、好きになってもらえるのではないか。彼女は悪魔のささやきに葛藤するまでもなく負け、彼をひそかに想いながら時を止める装置のスイッチを押したのである。

 

「巻き込まれたらどうするベエ? ブラックホール団が駆る精霊の攻撃もコスモスだから耐えられるんだベエ。普通の人間ならあっという間にお()(ぶつ)だベエ」

「それは、私が守るから」

「逆に助けてもらってたベエ」

「う、そのとおりです……」

「まったく、捨てネコを拾ったみたいに言ってベエ。いたずらにスズキを危険にさらすだけで感心しないベエ」

「ごめんなさい……」

「まあ、もう巻き込んでしまったのだから責めても仕方ないベエ。スズキがいるとトゥインクルが発奮することだけが救いだベエ」

 

 妖精は彼女を見込んで前述の二つを託したのである。その信頼を彼女は裏切り、私物化したのだ。

 もしもコスモスが規則に厳しい組織ならば、それ相応の罰を受けなければならないだろう。叱るだけで済ませた妖精に彼女が謝った。

 

「ちなみにサンシャインとムーンライトにはもうスズキのこと伝えたベエ」

「もう伝えちゃったんだ。やっぱ怒ってた?」

「怒ってはなかったけど、いい顔はしてなかったベエ」

「そうだよね。あの二人には、私から謝らないと」

 

 この後も彼女と妖精の話はしばらく続き、夜の十時半を回ったあたりで妖精が姿を消した。

 彼女が部屋の(あか)りを消し、布団に潜り込む。

 

(えへへ、鈴鬼くん……)

 

 また彼と友達になれたことに彼女がニヤニヤし、そして明日より始まる甘い関係を想像して足をバタバタとさせるのだった。

 



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**
涼しき風が吹き始めた季節に返り咲く銀色の烈花


 夏に茂った緑葉がぽつぽつと落ち始め、空が(あけ)に染まる時刻が日に日に早まっている。

 十月を迎え、涼しい風が吹き始めた。そろそろ長袖をタンスの奥から引き出すべきか。人々が衣替えを意識し始めた秋の季節に、

 

――ヤァクサァァイ!

 

 厄災がまたも襲来した。

 

「ゆけ、〝リンクス〟! あの娘を切り刻め!」

 

 今、とても大きなヤマネコが、街を縦横無尽に駆け巡っていた。

 目にも留まらぬ速さで走り抜けたと思えば、壁を蹴って高く飛び上がり、軽やかな身のこなしで住宅の屋根に乗り移る。創作でよく見られる忍者のごとき体さばきで、ヤマネコが街を跳梁(ちょうりょう)している。

 目を見張るべきはその大きさだ。ヤマネコは人の背丈を上回る体格を誇っており、それはもうネコと言うよりはトラと言った方が正しい。しかし、トラに匹敵する大きさのネコが街を駆ければ、人々は大騒ぎするだろう。それが不思議な事に、誰も気に留めていない。

 ヤマネコ以上の摩訶不思議(まかふしぎ)な現象が、いま街では起きていた。街の人々が、道路を走る自動車が、空をはばたく鳥が、みな一様に止まっている。まるで時が止まったように静止しており、だから異常なヤマネコに誰も気付いていないのだ。

 

 だが、皆が静止した中で、ヤマネコと先程「切り刻め」とヤマネコに命じた男、そしてヤマネコと相対する背の小さな女の子だけが動いていた。

 女の子は、たくさんのフリルや飾りを付けた、黄色を主としたお姫様のようなドレスを身にまとっていた。彼女の名前は(かのえ)()()()()と言い、光の戦士「コスモス」の一員にして戦士「トゥインクルスター」と呼ばれている。

 普段の彼女は目立たない中学一年生の女の子である。しかし、彼女は中学校に進学してしばらく()ったある日、現代の科学では説明が付かない変身する力を授かった。今の黄色いドレス姿は変身した姿であり、この姿がトゥインクルスターと呼ばれている。

 変身にはとても大きな意味がある。変身すると空を飛べたりビームを撃てたりと、バトル漫画さながらの超常的な力を得ることができるのだ。有体に言うとドレスは戦闘用コスチュームで、彼女は悪と戦う変身ヒロインなのである。

 

 しかし、悪と戦う正義の変身ヒロインが、いま苦戦を強いられている。

 息を荒げる彼女。疲労の色を隠せない。街を跳ね回るヤマネコの速さに彼女は翻弄されていた。

 

「……あつっ!」

 

 屋根から飛び掛かったヤマネコの爪が、彼女の左腕をかすめた。

 引っかかれた腕を押さえる彼女が、すれ違ったヤマネコに振り向くが、もうヤマネコは遠くに退()いている。

 ヤマネコが二階建ての住宅によじのぼり、屋根の上から彼女を見下ろす。

 

「フフフ、トゥインクルスターよ、このリンクスの動き、捉えられまい」

 

 先に「切り刻め」と命じた男が、ヤマネコの後ろから彼女に告げた。

 

「ゆっくりと、真綿で首を締めるように切り刻んでやろう」

 

 黒のコートを着用し、黒の仮面をかぶる黒ずくめの男が彼女に宣告した。

 黄色いドレス姿の彼女が跳躍する。やられっぱなしじゃいられない、と言わんばかりにヤマネコが座る屋根に飛び乗り、そして拳を振り上げるが、ヤマネコが跳んで彼女の拳をかわした。

 かわしざまにヤマネコが後ろ脚で彼女を蹴る。彼女が吹き飛ばされ、屋根から転落する。

 

「いった……」

 

 仰向けに痛がる彼女が、ある男子を心の中で願う。

 

(助けて、(すず)()くん……)

 

 彼女には好きな男子がおり、今までに二度、自分の変身した姿をその男子に見られたことがある。

 一度目は見られていることを知らなかったが、二度目に後ろから見てもらったときは、彼女自身おどろく程の力を発揮した。言わば彼女は愛の戦士、その男子の存在は彼女に、どんな悪でも打ち砕く底知れない力をもたらした。

 しかし、今日はいなかった。それ故に力をいまいち発揮できず、ヤマネコに苦戦している。

 

「……っ!」

 

 尻もちをつく彼女が息を()む。ヤマネコが牙を()き出しに飛び掛かり、彼女に襲い掛かったのだ。

 迫る牙。それは鋭く反り返っており、肉を深くまで(えぐ)る凶暴性を表していた。

 逃げられない――、と彼女が被弾を覚悟する。しかし、肉を裂く音ではなく、固い金属を打つ高い音が鳴り響く。

 

「トゥインクル、大丈夫?」

「〝ムーンライト〟!」

 

 思わぬ助けに彼女が喜んだ。

 つやのある長い黒髪をなびかせる、銀色の衣装を身にまとった背の高い少女が、ヤマネコの牙から彼女を守った。

 

「立てる?」

「はい」

 

 現れた銀色の少女が声をかけ、黄色い衣装の彼女トゥインクルが立ち上がる。

 少女は不思議な格好をしていた。裾がとても長い着物のような銀色の衣装をまとっているのだが、帯をしていないためにレオタードのような黒い肌着をのぞかせている。

 腰まで伸びたストレートな黒髪と、肩まで伸びたこれまたストレートなもみあげがつやめいている。何よりも目を引くのが、目を覆い隠す遮光器のような黒のゴーグルと、「ゴツい」の一言に尽きる鋼鉄のガントレットを両の拳にはめている。

 線の細い体格ゆえにガントレットが際立っている。このどこかアンバランスな銀の衣装をまとう女の子は「ムーンライト」と言い、トゥインクルと同じくコスモスの一員にして光の戦士である。

 

「ムーンライト。〝サンシャイン〟は?」

「今日おなか壊しちゃって。何かおかしな物でも食べたみたい」

「ちょっとくらい腐ってても平気で食べますからね、サンシャインは」

「トゥインクル、今日は私に任せて。あのネコは私が仕留めるわ」

 

 (うなず)いたトゥインクルが下がり、代わってムーンライトがヤマネコと相対した。

 先制を仕掛けたのはヤマネコ。ムーンライトに飛び掛かり、爪を剥き出しにした右前脚を振り上げる。

 爪も牙と同じく反っていた。その鋭さは人の肉など容易(たやす)く裂くだろう。

 

「効かないわ、この程度」

 

 だが、ムーンライトが両のガントレットを斜めに交差し、ヤマネコの爪を難なく受け止めた。

 攻撃を退けられたヤマネコが一旦下がる。

 

「ヤァクサァァイ!」

 

 ヤマネコが叫びを上げ、縦横無尽に飛び跳ねた。

 壁を蹴って高く跳躍し、屋根から屋根へと飛び移っては駆け抜け。俺の動きに付いて来れるか。そう言わんばかりにヤマネコが機敏な動きで撹乱(かくらん)を図った。

 しかし、ムーンライトは動じていない。ゴーグルに隠れた目で、ヤマネコを追いながら右手をかざし、

 

「そこっ! 〝シルバーストリング〟!」

 

 狙いを付けると、着物の右袖がなんと(ひも)状に(ほど)けた。

 新体操のリボンのように解けた右袖の紐をムーンライトが放ち、着地したヤマネコを絡め捕る。

 

「もう逃れられないわ。観念しなさい」

 

 ムーンライトが銀色の紐を握り、ヤマネコを引き寄せる。

 ヤマネコがあがくが、ずるずると引きずられ、この間にムーンライトが左のガントレットを構えた。

 構えるガントレットはいま(ぬき)()の形をしており、その先は鋭利に(とが)っている。そして、ヤマネコを十分に引き寄せたムーンライトが、

 

「刺す! 〝ギルティーメインディッシュ〟!」

 

 左のガントレットでヤマネコの胴体を深く突き刺した。

 ヤマネコが甲高い叫びを上げて消滅する。コスモスの二人は厄災に勝利した。

 しかし、まだ敵はいる。ムーンライトが宙を見上げ、残る黒ずくめの男をにらみつける。

 

「〝メテオ〟。あなたが使役する精霊は解放したわ」

「フン。復帰したか。まずはおめでとう、とでも言っておこう」

「なに余裕見せてるの。あなたとの因縁もうんざりだわ。ここで決着をつけましょう」

「二対一では分が悪い、今は遠慮しておこう。ムーンライトよ、次は最大限のおもてなしを約束しようではないか。サンシャイン共々首を洗って待っているがいい!」

 

 ムーンライトが「メテオ」と呼んだ黒ずくめの男が、空高くに飛んで逃げ去った。

 男を見上げるムーンライトの元に、

 

「ムーンライト! 助かりました!」

 

 トゥインクルが喜びをあらわに駆け寄る。

 

「やったベエ、ムーンライト!」

「〝べーちゃん〟」

 

 突然、(はね)を生やしたウサギのような生物が、二人のそばに現れた。

 語尾に「ベエ」と付けるこのウサギに似た変な生物は、光の戦士コスモスをサポートする妖精である。名前は非常に長く誰も覚えられないため、コスモスの面々からは「べーちゃん」と呼ばれている。

 

「病み上がりだから心配してたケド、取り越し苦労で終わってよかったベエ」

「運が良かっただけよ。べーちゃん、精霊の回収は済んだ?」

「もちろんだベエ」

 

 妖精が胸を張って返答した。

 この妖精こそが、ムーンライトとトゥインクルに変身する力を与えている。どこから現れたかも分からない謎の生物だったりするのだが、惜しみなくサポートするためにコスモスの面々は気にしていない。

 ムーンライトがトゥインクルに振り向く。

 

「トゥインクル。私が怪我(けが)してる間、一人でご苦労様」

「そんな。私だってコスモスの戦士ですから、お礼を言われるほどでは」

「謙遜しないの。あなたは年下なんだから、素直に喜んでおきなさい」

「えへへ」

 

 褒められたトゥインクルが喜んだ。

 ムーンライトは今まで負傷しており、トゥインクル一人にしばらくの間コスモスとしての責務を任せていた。だから今日はリハビリを兼ねて戦いを受け持ったのである。

 トゥインクルが、懐から懐中時計のような銀色のオブジェを取り出す。

 

「それじゃムーンライト、変身を解いた後、時を戻しますね」

「ええ、頼んだわ」

 

 了承したムーンライト。周りが止まっている理由だが、これはトゥインクルが持つオブジェによる。このオブジェは「ユニヴァーデンスクロック」と呼ばれ、この装置が周りの時を止めている。

 今のヤマネコのような怪獣が現れれば街はパニックに陥る。コスモスの戦士は、この時計のような装置を作動させることにより、時と時との狭間に作動者と作動者がイメージする対象者だけが動けるプライベートな時間「リープゾーン」を挿入し、そのリープゾーン内で人知れず戦っているのである。

 止まった物質は硬く変質するため、余程の事がない限り周りに影響を及ぼさない。この装置も妖精から託された一品で、これはムーンライトも所持している。

 

「そういえばトゥインクル」

「はい」

 

 変身を解こうとするトゥインクルを、思い出したムーンライトが呼んだ。

 

「〝スズキ〟って男の子をリープゾーンに入れたって、この前ベーちゃんから聞いたんだけど」

「あ……」

 



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男子のたくましき妄想! これはいけません確保です

「先生に捕まって遅れた。早く行かなきゃ」

 

 放課後。下駄箱から靴を取り出した僕が、急ぎ靴を履いて学校の裏門へと走った。

 

 僕の名前は(すず)()()()(ろう)明倫(めいりん)中学校に通う中学一年の男である。

 無味無臭。友人にそう言われる程パッとしない。趣味なんて言えるものは特になく、強いて挙げるならゲーム、だろうか。

 自分を上中下の更に上中下で表すと、勉強は中の下くらいだろう。赤点こそ採った事はないけれど、決して褒められたものではない。そして運動は下の中、おまけに背はクラスの男で前から並べば二番目に低い。そんなだから今まで目立てたことがなければ、女の子にモテたこともなかった。

 僕は、取り柄らしい取り柄など皆無な人間だ。人は何かになれる、なんて何かのキャッチフレーズで聞いた覚えがあるけど、まったくもってなれる気がしない。きっとこの先も平々凡々な人生を送り、他人に迷惑をかけないよう慎ましく生きるのだ、と思っていたけれど、

 

「庚渡さん」

「あっ、鈴鬼くん」

 

 そんな僕に、女の子の友達ができた。人生って何があるか分からない。

 

「ごめん、待った?」

「ううん、今きたトコ」

 

 僕を待ってくれた、丸眼鏡をかける小さな彼女の名前は、庚渡紬実佳さんと言って僕が好きな子である。

 彼女とはクラスメートであり、最近友達になった。だからまだ、付き合ってはいない。

 どこを好きになったのかと言うと、なんと彼女、変身ヒロインなのだ。僕は先月、悪いヤツに操られている怪獣と戦う彼女をたまたま目撃し、その勇姿に一目()れした。

 戦う彼女はとても素敵で、僕はたちまちにして恋に落ちた。怪獣に変身なんて「なに子供みたいなことを」と思うかもしれないから、この事は誰にも打ち明けられないけど、僕だけが彼女の秘密を知っている。あと、彼女は眼鏡を外すととても可愛いのだ。

 

「それじゃ帰ろうか」

「うん」

 

 誰もいない体育館の裏手を僕と彼女が()った。

 同じクラスの男女が仲良くしていれば、色々と注目の的だろう。僕も彼女も騒がれるのは嫌だった。だから今日、学校の裏門に近いこの(ひと)()のない場所にて僕たちは待ち合わせした。

 僕が僅かに先を歩く形で、彼女と共に裏門を出る。手をつなぎたいのだが、それはまだ早い気がする。

 

「ねえ鈴鬼くん」

「なに?」

「そろそろ中間テストだけど、鈴鬼くん勉強してる?」

「いや、あんまり……」

 

 彼女の問いに、僕が苦笑いした。

 一週間後、中間テストが始まる。僕の学力は前述したとおり。褒められたものではない。

 家では宿題を嫌々こなす程度にしか勉強していない。それどころか、毎週月曜に発売される週刊「(しょう)(ねん)マンデー」の漫画「黄昏(たそがれ)×家族(ファミリー)」の動向が気になって仕方がない。

 彼女は勉強しているのだろうか。こんな怠け者な僕にあきれただろうか。

 

「そうだよね。はあ、ゆーうつ。テストなんてなくなればいいのに」

 

 しかし彼女も、テストに関しては似たような気持ちを抱いていたようで、僕が胸をなで下ろした。

 ため息を吐いた彼女が続ける。

 

「でもテストの点わるいと、おこづかい減らされちゃうんだよね」

「小遣いかぁ。僕の家はテストの点とは関係ないけど」

「いいなー」

「ってことは、テストの点が良かったら増えるってこと?」

「うーん、どうだろう。私バカだから、親がびっくりするくらい良い点なんて採ったことないんだよねー」

 

 今度は彼女が苦笑した。

 僕が中学に進学してから今まで、彼女が秀才という話は聞いたことがない。一見マジメそうだから、僕より頭が悪いということはないだろうが、案外と似たり寄ったりかもしれない。

 ガリ勉してそうな丸眼鏡をかけているのだが。と、このとき、僕の頭にひらめきが走った。僕が彼女に勉強を教えられないか、と。

 しかし、(かな)えるには学力が圧倒的に足りない。現実的ではないアイデアに頭を振る。

 

「うちのお母さん、私を塾に行かせようか、家庭教師を雇おうか考えているんだよね」

 

 彼女が言ったキーワードに、僕はビクリとした。

 

 そのキーワードとは家庭教師。それは勉強以外にも、学校では教えてくれない処世術やその他諸々(もろもろ)を教えるのだろう。

 もし彼女に家庭教師が付き、しかも、それが男だったとしたら。大の男、僕よりもはるかに大人な大学生が、

 

(紬実佳ちゃん、この式はね、こうしてこう解くんだ)

(わっ。先生分かりました。ありがとうございます)

 

 マンツーマンで彼女に教えるんだ。しかも、

 

(紬実佳ちゃん、よく頑張ったね。ちょっと休憩しようか)

(はい)

(へー。今どきの中学生って、こんなに進んでるもの読んでいるんだ)

(せ、先生! 部屋の雑誌を勝手に読まないでください!)

(まあまあ。紬実佳ちゃんも、こういうことに興味あるの?)

(えっ。いや、その……)

(もし良かったら、僕が教えてあげようか?)

(あ。先生、ダメです。そんな……)

 

 うわあああっ。絶対にいかん、家庭教師なんてどんな過ちが起きるか分からない。何が何でも阻止しなければ。

 

「庚渡さん」

「なに?」

「僕が、勉強教えようか? 庚渡さん戦いの事もあるしさ」

 

 何気なく伝えたつもりだが、それは僕にとっての決死の提案。彼女に教師役を申し込んだ。

 胸を高鳴らせて言った僕のセリフに、彼女が目を眼鏡越しにぱちくりさせている。

 

「えー、鈴鬼くん頭よかったっけ?」

 

 間もなくして彼女がクスクスと笑い始めたため、これに僕が思わず、

 

「それは、これから頑張って勉強するから!」

 

 と、つい語気を荒げてしまった。

 ぽかんと口を開けている彼女。まあ、それはそうだろう。頭の悪い僕が彼女に勉強を教えようなんて、身の程しらず過ぎて自分でもあきれてしまう。

 でも、家庭教師だけは阻止しなければならない。彼女の部屋に一番乗りする男は僕なのだ――。そう僕が、熱く見つめていると、

 

「うん。じゃあ教えてね。期待してるから」

 

 彼女は優しくほほえんで申し込みを受け入れてくれた。

 これは、絶対に(こた)えなければならない。たとえ社交辞令だとしても、僕の本気を認めてもらうために。

 僕が生まれて初めて、勉強をしようという気持ちに駆られる。そうして裏道を抜けた僕と彼女が大通りに出る。

 

「そういえばね、一昨日(おととい)またブラックホール団が襲ってきたの」

「ええっ? あの黒い変なヤツ?」

「うん」

「大丈夫だった?」

「なんとかね。今度の敵は大きなネコでね、すごくすばしっこくて危なかったの。でもそのとき」

 

 そのとき、と彼女が言ったときだった。

 

「うごふっ!」

「鈴鬼くん!」

 

 驚いた彼女。僕が後ろから何者かに押され、倒された。

 歩道に突っ伏した僕が、左手を後ろに回される。痛い、とても痛い。

 立ち上がろうにも後ろから押さえられて立てず、僕が首を回して背後をのぞき見る。誰なんだ、僕を倒した暴漢は。

 

「確保ぉ! このヘンタイめぇ! 紬実佳ちゃん大丈夫!? こいつに変な事されてない!?」

「〝(よう)〟さん! 違います、友達ですから放してください!」

 

 僕は見知らぬ女の人から、警察官が犯罪者を捕まえるようにして取り押さえられていた。

 



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ふたりは先輩♦ たじたじハート

「ごめんごめん。紬実佳ちゃんにしつこく付きまとっているように見えたからさ、ついついクロスチョップかましちゃったよ」

 

 僕を取り押さえた女の人が、左手を縦に手刀を切ってヘラヘラと謝った。

 正直かなり痛い。右手と左膝を強く打っており、左肩なんては腕を後ろに回されたおかげで動かすのも辛い。

 

「ごめんね鈴鬼くん。だいじょうぶ?」

「あ、うん。このくらいどうってことないよ」

 

 彼女が女の人に代わって謝ったため、僕が問題ない振りをして強がったが、本音では泣きたいくらいに痛かった。

 

「んもう。〝陽〟さん、早とちりしないでください」

「ごめんね紬実佳ちゃん。あたしってそそっかしいからさ」

 

 頬を膨らませて抗議する彼女と、この女の人は親しいのだろうか。

 彼女が「ヨウさん」と呼ぶ僕に危害を加えた人だが、彼女はもちろんのこと僕よりも背が高い。栗色(くりいろ)のちょっと癖がある長い髪をなびかせ、パッチリとした目を備える整った顔立ちは僕たちよりも大人びている。彼女が敬語を使っていることから察するに年上なのだろう。

 何より制服だ。女の人は、隣町のお嬢様学校で知られる「白山(しろやま)学院(がくいん)」の制服を着ている。

 

「ところでさ、君が(うわさ)のスズキ君?」

 

 女の人が僕に振り向き、僕の名字を()いてきた。

 何で知ってる? と戸惑ったが、つい先ほど彼女が呼んでいる。しかし、噂とはどういう意味なのだろう。

 

「はい、そうですが」

「ふーん、なるほどねぇ。そっかそっか、君が噂のスズキ君かぁ」

「あの、噂って」

 

 気になる僕を無視して女の人は独り納得していた。

 意地が悪いなこの人。そう思いながら僕が尋ねると、女の人がニタリと口角を上げる。

 

「知りたいかね少年?」

「しょ、少年? は、はい」

 

 白い八重歯を見せて更に()らしたため、僕が首を縦に振る。

 

「いやー、紬実佳ちゃんに、最近カレシができた、って聞いてね」

「ちょっ陽さん! 彼氏じゃありません、友達です友達!」

 

 即座に彼女が僕を友達と、強く否定した。

 訊かなければよかった。いや、確かに友達であって付き合ってはないけど、僕は友達以上の特別な関係と思っていた。

 友達だとしても答えは迷って欲しかった。僕のハートが粉々に砕け散る。

 

「ねえ紬実佳ちゃん、そう否定しちゃあカレシかわいそうじゃない?」

「あっ、ち、違うの鈴鬼くん。えっと、陽さんに変な勘違いされたら困ると思って。陽さんって口から生まれた九官鳥のような人だから」

「……紬実佳ちゃん。言って良いことと悪いことがあるぞ」

 

 彼女の言い訳もそぞろに僕が落ち込んでいると、

 

「陽」

 

 落ち着いた女の人の声が聞こえたため、僕が顔を上げた。

 奇麗な女の人がいる。長い(まつ)()を備えた切れ長い目に、つやのある長い黒髪、白くしっとりとした肌を持つ美人が、ヨウという人のそばに立っている。

 並び立つと極端だ。ヨウという人が明るい人柄ならば、こちらは静かな雰囲気を漂わせている。そして現れたこの人も、同じく白山学院の制服を着ていた。

 

「〝()(づき)〟おそい。どこフラフラしてたのよ?」

「フラフラなんかしてないわ。あなたが〝ヘンタイだー〟って言って紬実佳の元に駆け出したからでしょう」

「そうだっけ? いやー都合の悪いことはすぐ忘れちゃうんだよなぁこの頭。本日も絶好調ナリー」

「都合の良い鳥頭ね。それで陽、この子が噂のスズキ君?」

「そう。この少年が(ちまた)で噂のスズキ君」

「ふーん」

 

 ミヅキという人が僕を見ている。気のせいだろうか、この人の視線からは冷たいものを感じる。

 刺すような視線に心が締め付けられ、間もなくしてその視線の持ち主が口を開く。

 

「スズキ君」

「はい」

「紬実佳よく泣くけど、とても良い子だから、大切にしてあげてね」

「は、はい」

 

 存外に優しい言葉をかけられて僕がほっとした。

 ――と思ったのが間違いだった。

 

「もし泣かせたら殺すから」

「美月! あんたなに言ってるの!?」

「美月さん!」

 

 ミヅキという人が吐いた一言に全身が寒気立った。

 静かな雰囲気も相俟(あいま)って冗談には聞こえない。そして「殺す」と言われて平気でいられるほど僕のメンタルは丈夫に出来ていない。

 しかし、吐いた本人は意に介していなかった。ミヅキという人がきょとんとした顔を浮かべている。

 

「えっ、わたし変なこと言った?」

「いいました、いま殺すって言いました! 鈴鬼くんを怖がらせないでください! 美月さんただでさえ怖いんですから!」

「あ、えーっとスズキ君! バカがごめん! こいつ変なヤツだから気にしないで!」

 

 彼女がとがめ、ヨウという人がフォローを入れるのだが、僕の背筋には冷たい汗が垂れ続けていた。

 

「……紬実佳、言って良いことと悪いことがあるわ」

 

 そして、僕と彼女とヨウという人が一息ついた後で、

 

「二人はどうしてここに?」

 

 彼女が二人に尋ねた。

 二人は白山学院の制服を着ている。隣町からわざわざ何の用だろう。

 

「噂のスズキ君を一目見ておきたくてねっ、美月?」

「ええ。リープゾーンに入ってしまった以上、私たちが守る機会もあるだろうから」

「今日学校が早く終わったからさ、紬実佳ちゃんに会ってから呼んでもらおうって思ってたんだけど、まさかデート中でタイミングよく会えるなんてさ、おねえさん胸がキュンキュンだよぉ」

「あなたスズキ君をヘンタイと勘違いしてたけどね」

「ってことで少年スズキ君。あたし〝(いぬい)()(よう)〟。こっちの怖い女は〝(たつみ)(じま)()(づき)〟って言うんだ。君と紬実佳ちゃんの一つ上になるからよろしく!」

「よろしくね。って誰が怖い女よ。ぶっ殺すわよ」

「あんたさ、そういう物騒なことシレッと言うから怖いのよ」

 

 こうして、二人が去っていった。

 今の二人は、彼女に会うついでに僕を見に来たようである。二人とも美人であったため悪い気はしないが、でも、どうして?

 事情が()み込めない。とりあえず彼女に訊こう。

 

「えーと、すごい二人だったね?」

「ふふっ、びっくりしたでしょ?」

「殺すって言われたときは生きた心地がしなかったよ。左肩まだ痛いし。庚渡さん今の二人とどんな関係なの?」

「このまえ、一緒に戦う仲間が二人いる、って言った話おぼえてる?」

「うん」

 

 変身する彼女は「コスモス」と呼ばれるチームに所属しているのだが、これに所属する戦士が三人いることを彼女から聞いていた。

 一人はもちろん彼女である。残る二人については聞いていなかったが、

 

「あの二人がその仲間なの。陽さんが〝サンシャイン〟で美月さんが〝ムーンライト〟。私あの二人と一緒に戦ってるんだ」

 

 今の二人が、残る二人の戦士であることを彼女が紹介した。

 



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食べて喋って着せ替える女子のかしましい休日

「紬実佳、素晴らしいわ」

「うん、すっごくキラやば、きゃわたんでやばたん! 紬実佳ちゃんとっても似合ってる!」

 

 休日。ファンシーな内装の洋服屋にて、巽島美月と乾出陽が、試着室から現れた紬実佳を褒めちぎった。

 目を輝かせて眺める二人。しかし、当の眼鏡なし紬実佳は非常に恥ずかしがっている。

 

「あのー、陽さん、美月さん。確かに可愛いと思いますけど、これを着て外に出れませんよぉ」

 

 紬実佳はフリルの付いた白のブラウスの上に黒のピナフォアドレスを着て、更に華美な飾りが付いたヘッドドレスをかぶっていた。

 ロリータな服を着る紬実佳に二人が喜んでいた。

 

「陽ちゃん、その子とっても似合うわねー」

「でしょー。自慢の後輩なんですよー」

 

 似合うと褒める店員のお姉さんに、陽が笑顔で受け(こた)えた。

 この洋服屋は「プリプリホリック」と言って、陽の知り合いが経営する店である。陽は頻繁に出入りしており、店員とは仲が良い。

 お持ち帰りしたい。そう続けるお姉さんに、それは犯罪ですよ、と止める陽を(しり)()に、

 

「も、もう着替えていいですかぁ?」

 

 紬実佳がたまらずに試着室のカーテンを締めようとする。

 

「ダメよ。もうちょっと撮らせなさい」

 

 しかし美月が、スマートフォンのシャッターを何回も切りながらカーテンをつかんだ。

 

「自分たちで着ればいいじゃないですかぁ」

「紬実佳が似合うから着せているんじゃない。それに、あなた変身すれば似たような格好してるでしょ。なに今さら恥ずかしがっているの」

「うー。それを言われると」

 

 痛いところを突かれた紬実佳が閉口した。

 陽と美月は、中学二年生にしては背が高く、さらに大人びた容姿をしている。故にロリータファッションが似合わないことを自覚していた。だから見た目が幼い紬実佳に着せ、(たの)しんでいるのである。

 また、美月はちょっとしたねたみを紬実佳に抱いている。それは乙女ならば誰もが抱く素敵な願望。

 

「トゥインクルスターの姿をスズキ君に見せたのでしょう? ずるいわ、私たちには絶対にできないから」

 

 美月はムーンライトの姿に不満はない。むしろ戦士らしくて気に入っている。

 だが、可愛い恰好(かっこう)に興味がない訳ではなく、いつかはお姫様のようなドレスを着てみたい、と思っている。それを自然に(かな)えた紬実佳を羨ましく思っていた。

 また、紬実佳の変身した姿は愛くるしく、自分と違って男子の目を引ける。その嫉妬を美月がぼやくと、

 

「美月ー。これも紬実佳ちゃんに似合いそうじゃない?」

 

 陽が幼児性を更に増した白とピンクの衣装を掲げて勧める。

 

「いいわね、ものすごくトロピカってるわ。紬実佳、さっそく着てみなさい」

「ええ、まだ着るんですかぁ?」

 

 美月が押し付ける陽の勧めた衣装に、紬実佳が困惑した。

 

 そして、店を出た陽、美月、紬実佳の三人が、近場のカフェへと訪れる。

 中間テストが終わった紬実佳が昨日、二人から誘われた。今日はコスモスの三人で街に繰り出している。

 いらっしゃいませ。カフェの店員がカウンター越しに挨拶する。

 

「キャラメルフラペチーノに、えーと、このゴールデンドーナッツを付けて、あ、あとこのイチゴケーキも」

 

 陽が食欲の赴くままにドリンクとスイーツを店員に頼むと、

 

「あなた全部甘味じゃない。太るわよ」

 

 と、美月がとがめるのだが、

 

「あたしは甘いの好きだし運動してるから問題なし。ってか美月食べないの? このゴールデンドーナッツって今期限定だってよ?」

「……食べるわ。私も甘いの好きだし。店員さん、私も同じ物を」

 

 結局は美月もカロリーたっぷりの甘味を頼み、これに店員が「ありがとうございます」と笑顔で応えた。

 

「私は、チョコレートフラペチーノを」

「紬実佳、飲み物だけ?」

 

 ドリンクだけを頼んだ紬実佳に美月が()く。

 

「私、お小遣いあんまりなくて。節約しないと」

「そう。では好きな物を頼みなさい。おごってあげるわ」

「え、いいんですか?」

「ええ。陽があそこのキッチンで皿洗いするから気兼ねなく頼みなさい」

「なんであたしが皿洗いする前提。紬実佳ちゃん、今日の美月の財布には一万円入ってるから好きな物たのむといいよ」

「陽も払いなさい」

「うっ。あたしそんなにお金ないんだけどなー。ほら、物価最近ガンガン上がってるじゃない? あたしらみたいな子供の小遣いまでも締め上げる今のセージってどうかと思うんだよねー」

「その割にはいま遠慮なく頼んだじゃないの。物価には同意するけど」

 

 お金がないと言う陽に気遣い、紬実佳は抹茶ケーキだけを追加注文した。

 代金は陽と美月が折半して支払い、そして三人がテーブルに着く。

 

「陽、あなた最近部活いそがしいの?」

「まあね。紬実佳ちゃんみたいな後輩もいるし。あードーナツおいしい」

「陽さんバスケ部のキャプテンでしたよね?」

「うん。人を率いるなんてガラじゃないんだけど、先生に言われちゃったからやるしかないよね、たはは」

 

 陽が苦笑しながら紬実佳に告げた。

 乾出陽は、運動において非常に優秀な成績を修めていた。球技に陸上に水泳とオールラウンドに活躍し、もし体育の授業でチーム対抗戦を催せば、彼女が居るか居ないかで勝敗の行方が大きく変わる。

 また、前向きで活発な性格も評価されていた。所属する白山学院女子バスケットボール部ではキャプテンを任されている。

 

「美月だって部長じゃない。料理部」

「うん」

「美月さんの料理すごくおいしいですもんね」

「家が料亭だもの。小さい頃から親の賄いをひたすら作って鍛えられたから、おいしいと言ってもらえる自信ならあるわ」

 

 巽島美月の家は料亭を営んでおり、板前の娘である彼女にとって料理とは、特技であって誇りだった。

 包丁さばきなら誰にも負けない、と彼女は自負している。それと彼女は面倒見の良さを買われ、所属している料理部の部長を任されていた。

 

「キャプテンとか部長とかすごいです。私には二人みたいに誇れるものがないですから」

 

 紬実佳が「デキる」二人にいささか恐縮しながら告げた。

 身体を動かせばトロくてドジを踏み、学業も良い成績とはお世辞にも言えず、おまけに小学生に間違えられるほど背が小さい。

 紬実佳はトゥインクルスターになるまで、生まれ変わりたい、と願っていたことは前述している。しかし二人が、これに異議を唱える。

 

「なんでよ。紬実佳ちゃん可愛いじゃない」

「そうよ。あなた眼鏡外せば間違いなくモテるわ。コンタクトにしてみないの?」

「コンタクトですか。わたし眼にこわくて触れないですから」

「そう、残念ね。私たち三人なら、紬実佳が一番早く結婚しそう」

「現にスズキ君たぶらかしてるし」

「た、たぶらかすって。陽さん、人聞きの悪いこと言わないでください」

 

 困った顔の紬実佳に、陽と美月が笑った。

 ちなみに、トゥインクルスターに変身した紬実佳は眼鏡をしていないが、これは変身がもたらす身体能力の強化によって視力が向上していることによる。

 

「んぐぐ。ふぉーいえば」

()み込んでからしゃべりなさい」

「んぐ。メテオのことなんだけどさー」

「メテオ。また(やぶ)から棒ね」

 

 ケーキを呑み込んだ陽が、コスモスの者しか分からない話題を口にした。

 メテオとは、流星でも某R(ロール)P(プレイング)G(ゲーム)の魔法でもない。冒頭の黒ずくめの男の名である。コスモスの三人は度々あの男が使役する怪獣と戦っており、もはや三人にとって因縁の深い相手である。

 陽が感じた疑問を美月に問う。

 

「よくよく考えてみればおかしくない?」

「何が?」

「だってさ、べーちゃんが言うには宇宙海賊でしょ? でも普通に日本語話せて、普通に会話できてんじゃん? 宇宙人じゃなきゃおかしくない?」

「確かにそうね。でも、相手は宇宙海賊よ? 私たちの常識が通じる相手かしら?」

「それもそうか。宇宙海賊ならではのテクノロジーがあるのかな?」

「あるのかもね。私たちがべーちゃんから預かっているハロウィンズミラーとユニヴァーデンスクロックだって相当なテクノロジーよ。そもそもべーちゃんからしておかしいんだから、考えるだけ無駄じゃないかしら?」

「べーちゃん何者? って訊くといつも〝ボクはポケ●ンだベエ〟って言ってはぐらかすんだよねー。メテオあんな真っ黒な格好して暑くないのかなー」

「それもテクノロジーで何とかしてるんじゃない?」

「あははっ。あの真っ黒なマントの中じゃ扇風機がすっごい回ってたりして」

「職人さんが着てるあの服ね。うちの板前にも着ている人いるわ。涼しそうだけど、ブーンって羽根の回る音が耳障りなのが困るわね」

 

 話に花を咲かせる先輩二人に、紬実佳が前から気になっていることを訊く。

 

「あの、メテオの声って、どこかで聞いたことありませんか?」

「えっ。どこかで?」

「うーん、覚えないわ。紬実佳きいた覚えあるの?」

「ずっと前にどこかで聞いた覚えがあるんですよね」

「ってことは、メテオって宇宙人とかじゃなくて、紬実佳ちゃんが知っている人ってことなるの?」

「そう、なのかなぁ? いやぁ、記憶が曖昧なんで、訊いてみただけです、すみません」

 



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クエスチョン 男に乳首が必要な理由を答えられるか

「コシロー、お前なに飲む? コーラでいいか?」

「うん」

 

 中間テストが終わった週の日曜日。僕は小学校からの友人、()(とう)師泰(もろやす)と遊びに出かけた。

 ガコン――、と自販機の取り出し口に落ちた缶ジュースを、師泰がかがんで取り出す。

 

「ほら」

「ありがと」

 

 缶を受け取った僕がふたを開けた。

 その途端、飲み口から(あめ)色の泡が、景気の良い音を上げて吹きこぼれ始める。

 

「うわわっ」

「ハハッ。こぼすなよー」

 

 してやったり、と師泰が笑った。缶の中身は炭酸であった。

 僕がこぼさぬよう急いで口を付ける。くそっ、師泰め、イタズラしたな。おごってくれるなんておかしいと思った。

 

「おい〝ススム〟。家帰ってから見ろよ」

「んなこと言うなよ茶籐。俺ずっとこの漫画が映画になるの楽しみにしてたんだ。茶籐も鈴鬼も一緒に見ようぜー」

 

 (たか)()()(すすむ)が、映画館で購入したパンフレットを僕と師泰に見せてきた。

 目をキラキラと輝かせて見せてくる丞は、中学校に進学してから知り合った友人である。野球部に所属する人懐っこい性格の持ち主で、少しサルっぽい顔をしている。

 丞が開くパンフレットには、緑と黒の市松模様の羽織を着た少年が描かれていた。今日、僕と師泰と丞は、少年マンデーに連載されていた漫画「()(めつ)(かたな)」の映画が上映されるとのことで観に出かけた。

 さっそく影響された丞が、木の枝を両手に構える。

 

()(てん)()(つるぎ)(りゅう)!」

「それ違う漫画じゃね? お前ホントに観てたのかよ」

「んなー茶籐。俺がボケかましたんだから、ちょっとはウケろよう」

「面白くねーし。唐突過ぎて付いていけんわ」

 

 師泰がヤジるとおり面白くはなかった。

 

「なあ茶籐、鈴鬼よー」

「あん?」

「男ってのは、どうして乳首があるんだろうな」

「はあ? んなのしらねーよ」

「いや、だって要らなくねえ? 女なら赤ん坊にミルクあげるんだから必要だけどよ、男からは出ないだろ? 神はなんだって男に乳首つけたんだろうな」

 

 更に唐突な疑問を投げかけた丞。これに僕と師泰があきれてしまう。

 しかし、もし尋ねられたら僕は答えられない。どうして男に乳首があるのか、それは生物なら雄雌問わずみんな持っているから、というありふれた回答しか思い浮かばず、何のためにあるのか必要性は解けなかった。

 言われてみれば生命の謎であるが、中学一年の僕たちがここで論じても詮無きことである。考え込む丞に僕が「学者に任せようよ」と申し立てる。

 師泰が僕に振り向く。

 

「そういやコシロー、おまえ今回の中間の順位上がったんだよな?」

「うん」

 

 僕が師泰からの確認にうなずいた。

 中間テストは週初めに実施され、おととい結果と学年順位が配られた。彼女のために勉強した僕の学年順位はそれなりに上がっていた。

 師泰が続けて()く。丞は興味ないのかパンフレットに目を通している。

 

「いくつくらい上がったんだよ?」

「五十くらいかな」

「〝かな〟、ってなんだよお前。〝かな〟も何もないだろが。ちぇ、急に勉強に目覚めやがってよ、この裏切り者が」

「そういう訳じゃないよ」

 

 口をとがらせた師泰に僕が苦笑した。

 僕が少し申し訳なく思う。「そういう訳じゃない」と言った僕だが、実のところ勉強に目覚めている。今までは答えが解けずに悩むことが多くて勉強を敬遠していたが、基礎から学び直して答えを導き出す法則をある程度理解すると、勉強がそこまで苦ではなくなっていた。

 今までの僕は基礎がなっていなかった。だから問題を解くまでに時間を要しており、集中力が続かずに答えが投げやりになっていた。多少はスラスラと解けるようになった今では、勉強が案外と楽しくなっている。

 テストが終わっても勉強は続けているし、今日も帰ったら勉強するつもりだ。それもこれもすべては彼女のためである。早く彼女に教えたい。そして、彼女ともっと親密になり、ゆくゆくは付き合いたい。しかし、

 

「ところでお前さ、庚渡紬実佳とどんな関係なの?」

「ぶっ!」

 

 師泰が、そんな僕の不意を突いて彼女の話題を振ったため、僕が思わずジュースを口から吹き出してしまった。

 

「おい、きったねえなー」

「なっ、なんだよ、どんな関係って」

「しらばっくれるなよ。お前がロボ女と一緒に歩いているのを見たって目撃情報はあがってんだよ」

 

 事実であるために、僕は何も言い返せなかった。

 もうバレたのか、見つからないよう細心の注意を払ったはずなのに。ちなみに師泰が言った「ロボ女」とは、主に男子の間で呼ばれている彼女の蔑称である。彼女の顔を隠すようなミディアムボブの髪型と丸眼鏡な外見に起因している。

 答えに詰まる僕に師泰が、嫌らしい笑みを浮かべる。

 

「二学期始まってからおまえ庚渡紬実佳のことよく見てたもんなー。んでコシロー、ロボ女と付き合ってんの?」

 

 師泰が僕に直球で問い詰めると、

 

「えっ、ロボ女がどうかした?」

 

 これには興味が湧いたのか、丞がパンフレットを閉じて話に交じってきた。

 

「おうススム。コシローと庚渡紬実佳が、付き合ってんじゃねーかって疑惑が上がっててよ」

「ああ、ロボ女かー。鈴鬼おまえロリコンだなー。でもあいつ、眼鏡外すと結構かわいいんだよなー」

 

 丞が意外にも庚渡さんを肯定した。

 僕のことはロリコンとからかったが、彼女は可愛いと評した。

 

「は? ロボ女が?」

 

 一緒になって冷やかすと思っていた師泰が丞の言を疑う。

 

「ああ。オレ小学校一緒だったから知ってんだけど、あいつ割と人気あるよ」

「ええっ?」

 

 すると丞が、同じ小学校に通っていた者の知る評価を伝え、これに師泰が驚いた。

 話題が()れて僕がほっとする。僕と師泰は中学で彼女と出会ったが、丞は同じ小学校に通っていた。

 

「まあ、俺はよく分かんねーけどな。あいつ小学生みたいだし。ほら、安産型つったっけ? オレ尻の大きいムチムチっとした女が好みなんだよな」

「丞」

「どした鈴鬼」

「なんで庚渡さんロボ女なんて呼ばれてるの? 小学の頃から呼ばれ続けてるみたいだけど」

「それなー、別の中学に行ったヤツの話になるんだけど、あいつのこと好きなヤツがいてさ。でも照れくさいからって素直に呼べなくて、ロボ女って呼び始めたんだよ。そっから呼ばれてんじゃないかな?」

「へえ」

 

 彼女にまつわることは何でも知っておきたい。僕は丞の話を頭にインプットした。

 しかし彼女、割とモテるようである。まあ、眼鏡を外すと印象がガラッと変わり、第一僕が眼鏡を外した彼女に一目()れしているので、他の人が好きになったとしてもおかしくはないだろう。

 この先ライバルが生まれるのか、それとも既に生まれているのか。僕が不安を覚える一方でちょっとした優位を感じた。僕はいま彼女と最も仲が良い男だ、たぶん。

 優越感に浸る僕の肩を、丞がポンとたたく。

 

「よかったなロリコン鈴鬼。背が小さい同士でお前らお似合いだぞ」

 

 祝福した丞だが、何もうれしくなかった。

 いや、祝福なんてしていない。丞の顔は笑いをこらえている。

 

「ロリコンはやめてくれよ。彼女の背が伸びるかもしれないだろ」

「そりゃねーよ。あいつ昔っから背並びで一番ま」

「……?」

 

 急に丞の言葉が途切れたため、僕が疑った。

 師泰に振り向くと、師泰も止まっている。これは、まさか。

 いつの間にか無音と化していた周囲。僕が空を見上げる。

 

「あれは」

 

 これで三度目となるため、驚きこそしたものの(おび)えはしなかった。

 飛行機の(ごと)き大きな白鳥が、青い空を悠然と羽ばたいてた。

 



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シンダーエラ! かぼちゃのお婆さんの贈り物

「あっ、庚渡さん!」

「鈴鬼くん!」

 

 戦いが始まる。僕が止まった師泰と丞に「悪い」と謝りながら白鳥の下へ駆けると、同じく白鳥の下へと走る彼女を途中で見つけたために呼び止めた。

 よかった。向かえば会えると思っていたけれど、もし一人だったら成す(すべ)がなかった。けれども彼女のそばには、テスト前に会ったヨウという人とミヅキという人がいた。

 彼女いわく、二人も光の戦士らしい。これから三人で白鳥に挑むのだろうか。

 

「鈴鬼くん、今から変身するから見てて!」

「あ、うん」

 

 丸眼鏡を外した彼女が、張り切った面持ちで懐から手のひらサイズの丸い物を取り出した。

 彼女が丸い物のふたを外す。それはどうやら手鏡のようで、彼女が自分を鏡に映している。

 

「シンダーエラ、ターンイントラヴァーズ!」

 

 そして、彼女が呪文のような口上を述べると、鏡がひとりでに彼女の手元から離れ、まぶしい光を放ち始めた。

 

「えっ、ええっ?」

 

 光が照らす彼女のシルエットに僕が戸惑った。

 己を抱くように腕を組み、そして両腕を仰いだ彼女のシルエットだが、着ていたはずの服がない。裸のシルエットなのだ。

 小さくて華奢(きゃしゃ)身体(からだ)の輪郭が映し出されている。クラスメートの、しかも好きな子の一糸まとわぬ身体に、僕の心拍は急上昇している。

 間もなくして、鏡が放つ光が彼女の身体に服を作り始めた。何かの倍速映像で見た(こけ)のように、光り輝く服が増えるようにして生まれている。

 そして、光のドレスに身に包んだ彼女が鏡をつかみ、

 

「愛にあふれる日々を未来に! 光の戦士トゥインクルスター!」

 

 黄色を主とする可愛らしいドレスをまとった、戦う姿の彼女が現れた。

 

「……えへへー、見ててって言ったの私だけど、そうまじまじと見られると恥ずかしいね」

「う、うん」

「どうだった? カッコよかった?」

「あ、ああ。とても、よかったよ」

「でしょー? 変身するところ見てもらいたかったんだー」

 

 浮かれている様子の彼女だが、僕は今の着飾った姿よりも、彼女が僅かに見せた一糸まとわぬ身体の輪郭が忘れられなかった。

 裸じゃないけれど、それに近い姿を見せていることを彼女は気付いていないのか。悶々(もんもん)として夜に眠れなくなりそうな(おも)いに駆られている僕を、――ミヅキという人が無言で見ている。

 怖い。貫くような冷たい眼差しが、僕の(よこしま)な心をグイグイと締め付ける。

 

「スズキ、おまえも来てたのかベエ」

「うわっ!?」

 

 声に振り向くと、妖精が僕のすぐそばで浮いていた。

 さっきまでいなかったはずなのに、いつの間に現れたのか。油断も隙もありはしない、と思う僕をよそに、ミヅキという人が妖精を呼ぶ。

 

「べーちゃん。今日はユニヴァーデンスクロック私が押したんだけど、なぜスズキ君が動いているの?」

「それはクロック唯一の欠陥なんだベエ。一度リープゾーン内の行動を許可した対象は、もう誰が作動させても範囲内ならば動けてしまうんだベエ」

「そうなの? じゃあ、もうスズキ君は遠くに行かない限り、リープゾーンから逃れられない訳ね」

「そうなるベエ」

「だって、トゥインクル。しっかりスズキ君を守るのよ」

「はい」

 

 ミヅキという人の呼びかけに彼女がうなずいた。

 分かっていたが僕はお荷物だ。彼女たちの足を引っ張らないように大人しく従おう。しかし、男の自分が守られるだけなんて情けなくは思う。

 

「庚渡さん、なんとかクロックって」

 

 聞き慣れない単語を聞いた僕が彼女に尋ねる。

 

「これ。これを作動させると、周りの時間が止まるの」

 

 すると、以前も見た銀色のオブジェを彼女が懐から取り出し、

 

「スズキ、ユニヴァーデンスクロックを使って変なコト考えても無駄だベエ。このクロックはコスモスの者にしか動かせないベエ」

 

 妖精が、僕には扱えない旨の忠告を付け加えた。

 

「スズキ君」

「はい」

「私もこれから変身するけど、トゥインクルの変身とは違うから」

「は、はい」

 

 ミヅキという人が、彼女の持つ鏡と同じ物を懐から取り出した。

 僕が彼女の変身する姿を邪な目で見ていたこと、やはり分かっていたのか。嫌な汗をかく僕を(しり)()に、ミヅキという人が鏡のふたを外す。

 

「シンダーエラ、ターンイントミスティカル!」

 

 彼女とは少し異なる口上を高い声で叫ぶと、鏡がその手から離れた。

 

「うわっ!?」

 

 僕が仰天する。鏡から無数のレーザーと言うべき黄緑色の光線が、ミヅキという人に向かって放たれたのだ。

 しかし光線は、その細い体を貫きはせず、カクカクとした線を体の周りに描き始める。そうして体を覆うように描かれる線は、すぐに本数を増やして細部に(わた)った衣装を形成した。

 描き続ける黄緑色の光線は、まるでミヅキという人の変身後の姿を3Dモデリングしているようであり、

 

「なんか、カッコいい」

「カッコいいよね、美月さんの変身」

 

 僕が感嘆し、隣にいる彼女も同意する。彼女の変身が神秘的なものであったのに対し、その変身はSF映画のごとく洗練されたものだった。

 程なくして線の描写が終わり、鏡が強い光を放つ。鮮烈な光がその細い体を包み込む。

 

「希望に満ちた日々を未来に! 光の戦士〝ムーンライト〟!」

 

 銀色の衣装と、細い体型に不釣り合いな大きい籠手、黒いゴーグルを付けた光の戦士が登場し、光の消えた鏡をつかんだ。

 

 ミヅキという人の変身した姿は、銀色の着物をまとっていた。

 ただし、帯をしていないため、レオタードみたいな黒の肌着をのぞかせている。そこから見える胸が膨らんでいたために、僕の視線がついそちらに向かってしまう。

 

「ねえ鈴鬼くん、どこを見てるの?」

「いてっ!」

 

 彼女が僕の腕をつねった。

 



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ヤキトリ? いやさ特大ホームランだ!

「来たわ! トゥインクル!」

「はい!」

 

 空を舞う大きな白鳥が翼を広げ、こちらを目指して()(しょう)した。

 迫る白鳥。両翼を伸ばして拡大するその姿に、飛行機が突っ込んで来るような恐怖を僕が覚える。

 ところが、白鳥が翼を仰いで急停止する。

 

「あれは、……スズキ君! トゥインクルが防ぐから大人しくしてなさい!」

 

 ミヅキさんが僕に呼びかける。雨のような無数の何かを白鳥がこちらに降らせたのだ。

 

「うわあっ!?」

「あ、うっ」

 

 地面を(たた)く音がしきりに鳴り、僕が腕で己をかばった。

 だが、無事であった。かばう腕を僕が解くと、上では浮かんだ彼女が、自分の身を盾として雨のような何かから僕を守っていた。

 浮かぶ彼女が後ろに振り向き、僕にほほえみを浮かべる。

 

「いてて。鈴鬼くん、だいじょうぶ?」

「庚渡さん!」

 

 下りる彼女に僕はショックを受けた。彼女の腕や体には、無数の白い羽根が待針(まちばり)のように刺さっていたから。

 好きな子が針刺しになり、その姿に僕が慌てふためく。

 

「僕は無事だよ! はやく、早く抜かなきゃ」

「平気へーき。私コスモスだから。傷も残らないし」

 

 彼女は笑って羽根を抜いていた。

 平然とする彼女。だが、苦しそうな(うめ)き声を聞いている。気丈に振る舞っているが痛かっただろう。

 女の子に、しかも好きな子に守られるなんて。僕が申し訳ない気持ちに駆られる。

 

「陽! 早く変身なさい!」

「分かってるって」

 

 声に振り向くとミヅキさんも守っており、後ろでしゃがんでいるヨウという人を叱っていた。

 ミヅキさんは銀の着物を脱ぎ、それを盾としていた。着物にあんな使い方があるのか、なんて感心してしまう。

 着物を振り払って羽根を落とすミヅキさん。その後ろではヨウという人が空を見据えている。

 

「みんな、あの鳥はあたしに任せて。あの鳥、焼きたてフレッシュなヤキトリにしてやるから」

 

 予告したヨウという人がすくっと立ち上がった。

 そして、彼女やミヅキさんが持つ鏡と同じ物を、懐からおもむろに取り出す。

 

「ふふ、少年、ビビるなよー」

「え、え?」

「トゥインクル。派手にいくから、スズキ君をお願いね」

「了解です。鈴鬼くん、陽さんから離れて」

 

 口角を上げたヨウという人の言に、僕が何が何だか分からないまま、彼女の促すとおりに離れると、

 

「シンダーエラ、ターンイントパッショナリー!」

 

 彼女やミヅキさんとはまた微妙に違った口上を、ハキハキとした口調で叫んだ。

 やはり鏡が、ひとりでに手から離れる。

 

「ええっ!?」

 

 そして起こった激しい事態に僕が仰天した。

 鏡の放つ光が、ヨウという人を燃やし始めたのだ。炎は瞬く間に燃え広がり、その体を頭の天辺から爪先まで繭のごとく包み込む。

 

「か、庚渡さん! あのヒト、燃えてるよ!?」

「大丈夫。あれが陽さんの変身だから」

 

 僕が激しく動揺するが、彼女とミヅキさんは炎の繭を平然と見守っている。

 

「あの、鈴鬼くん」

「な、なに?」

「あまり陽さんの変身した姿、じろじろ見ないでね」

「え、どういう意味?」

 

 彼女の言葉に僕が首をかしげると、炎の繭から腕が飛び出すように現れた。

 左手が鏡を力強くつかむ。そして――。

 

溌剌(はつらつ)とした日々を未来に! 光の戦士〝サンシャイン〟!」 

 

 炎が消え、中から現れた光の戦士に、僕がまたもや仰天した。

 変身とは彼女のように着飾るものだと思っていた。あるいはミヅキさんのようにまったく異なる姿に変わるものだと思っていた。

 神秘、洗練。そのどちらでもなかった。ヨウという人の変身を表すと原始、言葉のとおりに脱いだのだ。その姿は黒いビキニと少々のアクセサリを着けただけの、とても過激な格好に変わっていた。

 代わりに身体(からだ)中には黒い模様が描かれていた。いずれも炎を彷彿(ほうふつ)させる模様で、額には太陽のようなマークが描かれている。あと髪型がツーサイドアップに変わっている。

 

(これは……)

 

 そして、僕は驚嘆の息をもらしてしまっていた。

 彼女が「じろじろ見るな」と言った意味が分かった。ヨウという人の身体はスタイルが抜群に良く、特に下半身は脚線美という言葉があてはまった。

 日々汗を流して培われているのであろう余計な脂肪がない肉体は美しかった。そのために視線がついつい吸い寄せられてしまう。

 

「鈴鬼くん、見ないでって言ったでしょ?」

「いてっ!」

「トゥインクル、遊んでないで! また羽根が来る!」

 

 ミヅキさんの呼びかけに僕と彼女が空を見上げると、白鳥がまた両の翼を仰いでいた。

 数えきれない量の白き羽根が襲い掛かる。しかし、ヨウという人が、

 

「あたしに任せて!」

 

 自らが受け持つと宣言し、意気揚々として大きく飛び上がった。

 宙を飛行する黒ビキニ姿の戦士。雨のように降り注ぐ羽根の群に自ら向かい、――僕が目を剥いた。

 空高く舞い上がった戦士の体が、なんと(だいだい)色に燃えた。燃える体からは炎が生まれ、体を中心に熱く広がっている。

 

「こんな羽根なんかぁ! 〝オーヴァードライブ〟!」

 

 そして、ヨウという人が()えると、その体を取り巻く炎が一気に膨張した。

 熱気が僕の顔にまで伝わる。そうして羽根だが一つも降らなかった。炎が燃やし尽くしたのだろう。

 炎を突き抜けたヨウという人が、そのまま白鳥の元まで一直線に飛び、

 

「とんでけぇ! 〝キャノンストレート〟!」

 

 飛翔の速さに任せて白鳥を殴り付ける。

 

――ヤァクサァァイィ!

 

 豪快の一言に尽きた。白鳥が彼方(かなた)まですっ飛び、程なくして消滅した。

 ヨウという人が地上に下りる。予告通りに白鳥を軽く倒し、勝利を当然と言わんばかりに落ち着き払うその勇姿は、英雄の凱旋(がいせん)そのものであった。

 英雄が試合に勝った旨を知らせるように、白い歯をニッと見せて笑う。

 

「サンシャイン! やりましたね!」

「派手にやったわね」

 

 すると彼女が抱き付き、ミヅキさんがあきれた顔でほほえんだ。しかし――。

 

――ヤクサァァイッ!

 

「へっ!? あたし倒したよ!?」

「違いますサンシャイン! この()(たけ)びは」

「もう一匹いるのよ! まだ、終わってない!」

 

 動揺する三人の戦士。敵は白鳥だけではなかった。

 僕と三人の戦士が辺りを見回すと、ズゥン――、と地面が重々しく揺れた。

 



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それは忍城高松城! 恐ろしき攻城精霊

「なんですかあれ!?」

(つぼ)?」

「いや、あれは(かめ)水瓶(みずがめ)よ!」

 

 揺れた方に振り向くと、超巨大な水瓶が街に立っていた。

 あまりの大きさに僕が息を()む。街に鎮座する様は、もう何百年もそこに座り続ける大仏のようであり、実際に見た事はないけれど奈良や鎌倉のそれのような威厳を放っている。

 しかし、ヤギや白馬や白鳥とは違って物だ。水瓶が何をするのか、と僕が(いぶか)っていると、

 

「見て! 水が!」

「水があふれてる!」

 

 指すヨウさんに驚いたミヅキさん。水が瓶の口からあふれ、滝のようにこぼれ始める。

 

「サンシャインも復帰したか。キグナスを倒した事、まずは褒めてやろう」

「メテオ!」

 

 見上げると以前も見た黒ずくめの男が、水瓶のそばに浮いていた。

 黒の仮面に黒のマント、相変わらずカラスより真っ黒だ。しかし、ここは笑う場面じゃない。あの男は僕が知っている限りでも、僕が好きな彼女を幾度となく苦しめている。

 

「だが、白鳥座(キグナス)など前座。この黄道の精霊〝水瓶座(アクエリアス)〟こそ()(たび)の本命。これを使うのはためらわれたがもう手段は選んでられん。このアクエリアスで、君たちをまとめて葬ってやる」

「なによ。あんな水瓶に何ができるのよ。ただ水をあふれさせているだけじゃない」

「いや、待ってサンシャイン。これは、由々しい事態よ」

「えっ」

 

 ヨウさんと彼女が驚くが、僕もミヅキさんの懸念が分かってしまった。

 何かの歴史ゲームで起きた攻城戦法を思い出す。あの豊臣秀吉(とよとみひでよし)が起こし、次いで(いし)()三成(みつなり)が起こして失敗した。

 戦う力を持たない僕にとってこれは重大な危機だ。僕は三人と違って空を飛べないのだから。そして、早くも足が、水に浸かり始めている。

 

「あの水が止まらずにあふれ続けたら? 街が洪水になって、みんなが、水に呑まれるわ」

「ご名答だムーンライト。アクエリアスの強さは途方もない水量を延々と生み出すことにある。さあどうするコスモスの諸君? この日本にノアの方舟(はこぶね)などないぞ? 君たちの住む街を水で埋め尽くし、君たちも溺れ死なせてやろう!」

「ならば壊すまでさ! ムーンライト!」

「ええ!」

 

 ヨウさんとミヅキさんが手をつなぎ、一緒に水瓶へと飛んだ。

 手を取り合う二人はとても息が合っていた。あの二人の関係は長いのだろう。そんな二人が、目にも留まらぬスピードで水瓶へと突っ込む。

 

「砕けろ! キャノンストレート!」

「ぶっ壊す! ギルティーメインディッシュ!」

 

 (すさ)まじい打撃音が鳴った。最大と思われる攻撃を二人が同時に加えた。

 

「ぐ、砕けない」

「全力なのに、ヒビ一つ入らないなんて」

 

 だが、反動の痛みからかヨウさんが左手を振り、ミヅキさんが気の落とした声をもらす。水瓶は僅かに揺れただけで、破壊とは程遠い結果に終わった。

 

「ハハハッ、黄道の精霊だぞ!? 君たち二人が敵わなかった山羊座(カプリコーン)に匹敵する精霊だぞ!? 一発二発みまった程度で壊れるものかぁ!」

 

 悔しがる二人を、男がバカにするように高笑いした。

 そして、二人の攻撃が不発に終わって僕が落胆している間にも、足元の水位は上がっていた。

 もう膝あたりまで浸かっている。このままでは溺れてしまう。

 

「鈴鬼くん、心配しないで。私がおんぶするから」

 

 焦る僕に彼女が背を向けてかがんだ。

 

「落ちないようにしっかりつかまっててね」

「うん」

 

 子泣きじじいの(ごと)き自分に幾許(いくばく)かの情けなさを覚えたが、そんなくだらないプライドでためらっていたら彼女たちの足を引っ張るだけなので僕がしがみつく。

 そして、浮かんだ彼女と僕の一方で、水瓶の手前ではヨウさんとミヅキさんが、諦めずに水瓶を殴り続けている。

 

「くじけるもんか! だあああっ!」

「ヤギは倒せたんだから、勝機は必ずあるはず! はあああっ!」

 

 重い衝撃音が(とどろ)き、金属が硬い物を引っ()く甲高い音が鳴る。

 激しい打撃音が途切れることなく響いた。だが、水瓶はびくともしておらず、ただ水を滝のように垂れ流している。

 不動の水瓶に僕が不安を覚える。(かえ)って二人が傷付く結果にならないか、と。それでも殴ることで、突破口を探る二人に男が告げる。

 

「サンシャインにムーンライトよ、大人を見くびってもらっては困る。僕が同じ(てつ)を踏むと思ったら大間違いだ。このアクエリアスには守護者と言うべき魔獣がいるのだ。ゆけっ!」

 

 男が命ずると、水瓶の口から丸い大きな何かが、――ぬうっ、と姿をのぞかせた。

 続けて瓶の口から、細長い何かがしなるように飛び出る。

 

「うわっ!」

「くっ!」

 

 飛び出したムチのような何かが、ヨウさんとミヅキさんを一遍になぎ払った。

 攻撃をくらった二人が手を止める。そして、現れた水瓶の守護者。瓶の口から触手を使って()い出たそれは、僕もよく知っている海の生き物であった。

 

「ぐっ、〝タコ〟だ」

「水瓶を、早く壊さなければならないと言うのに」

 

 苦い口調で言った二人。それはやはり、恐ろしいほどに大きな化物だった。

 

「フフフッ、どうだコスモスの戦士よ? いかなる攻撃も無効にするアクエリアスに、そのアクエリアスを守る魔獣。これは手詰まりではないかな?」

「うるさい! 余裕かましてくれちゃって。どうすんのよメテオ、街をこんなに水浸しにして」

「サンシャインよ、アクエリアスを壊せば水は引くことは約束しよう。しかしそれはありえん! なぜなら君たちはここで敗れ、その若い命を散らすのだから。どうせ亡くなるのだ、街が水に呑まれようが関係ないだろう? ハッハッハ」

 

 勝ち誇る黒ずくめの男に、僕が叫びたい衝動を抑えた。

 まだ手詰まりなんかじゃない、彼女がいる。僕が煮えたぎる思いを我慢して彼女を呼んだ。

 僕の呼びかけに彼女が首を縦に振る。

 

「サンシャイン! ムーンライト! 離れてください、私が全力で撃ちます!」

 

 彼女が両手を突き出し、光を集め始める。

 しかし、男が僕と彼女に目を向ける。その視線が僕に寄せられているように感じ、僕が息を呑む。

 ほんの僅かだけ間をおいてから、男が彼女に向かって口を開く。

 

「トゥインクルスターか。君は可愛い顔に反して油断ならない子だ。……不本意ではあるが、その弱点、突かせてもらうとしよう」

 

 既に人ひとりが浸かるほど水かさが増した水の中へ、巨大タコが躍り出た。

 

「速い! 庚渡さん!」

「鈴鬼くん! 上昇するからしっかりつかまって!」

 

 慌てる僕と彼女。水の中を泳ぐ巨大タコが、あっという間に僕と彼女の下まで距離を縮めた。

 そして、タコが触手を伸ばす。長い触手は浮かぶ彼女を(すく)い上げるように襲う。

 彼女が触手の殴打を何とか耐えしのぐ。しかし、僕はその衝撃に持ち(こた)えることができず、

 

「あっ、うわああああっ!」

「鈴鬼くん!」

 

 しがみつく手を放してしまった。

 



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暗夜に迸る希望のエヴォリューション

 鈴鬼小四郎が水の中に落ちた。

 

「鈴鬼くん!」

 

 浮かび上がらない(いと)しの彼にトゥインクルが動揺する。

 トゥインクルが祈る思いで水の中へ飛び込もうとする。しかし、水瓶から現れた巨大タコがそれを許さない。焦るばかりで周りが見えていない彼女の背に、巨大タコが触手を伸ばした。

 ムチのようにしなやかな魔の手が音もなく忍び寄る。そして、

 

「ああっ!」

 

 上がる悲鳴。ぬめる触手がトゥインクルの小さな体を(から)め捕る。

 

「いやっ、放して、放してよ! 鈴鬼くん!」

 

 巻き付く触手にトゥインクルがあがくが、タコは放さなかった。

 吸盤がぴっちりと体に吸い付き、更に彼の安否が気にかかる。想定される最悪の事態に取り乱すトゥインクルは、もう正常な判断ができない状態に陥っていた。

 あがけばあがくほど締まる触手。その締め付けと彼を追えない焦りがトゥインクルを苦しめる。

 

「トゥインクルを、放せえ!」

 

 だが、サンシャインが左足でタコの頭を蹴り、

 

「はああっ!」

 

 続けてムーンライトがガントレットによる一閃(いっせん)で触手を切り払う。

 

 窮地を脱したトゥインクル。しかし、水の中へ飛び込もうとしなかった。

 いまだ彼が姿を現さない。その事実が辛くて認められなくて、子供のように祈るだけで放心している。

 先の意気はどうしたのか。めそめそと泣く後輩に業を煮やしたムーンライトが、

 

「なにボーっとしてるのトゥインクル! 早く助けに行きなさい!」

 

 と、トゥインクルを厳しく叱る。

 

「は、はい!」

「彼に何かあってからじゃ遅いの! あの水瓶は私たちでどうにかするから!」

 

 叱責を受けて我に返ったトゥインクルが戦線を離脱した。

 水の中へ潜ったトゥインクル。だが、水位は平屋が全て浸かるほど上昇し、さらにタコが泳いだせいで流れまで生まれている。簡単には見つからないだろう。

 コスモスの切り札にして最大の火力、トゥインクルを当てにできない。年下のトゥインクルは平時の能力こそサンシャインやムーンライトに大きく劣るが、土壇場で発揮する一撃の重さは、サンシャイン全力の殴打やムーンライト全霊の斬撃を(りょう)()する。

 サンシャインとムーンライトが破れなかった敵を破り、コスモスに勝利をもたらした事がしばしばある。したがって見栄を切ったムーンライトであるが、

 

(困ったわね……)

 

 実のところ自分では水瓶を破壊できる自信などなく、トゥインクルを助けに向かわせるために言った年上ゆえのハッタリなのだった。

 

「ねえサンシャイン。トゥインクルにああは言ったものの、どうしようかしら……」

 

 ムーンライトが、腐れ縁にして最大の友人と背を合わせ、自信がない旨を吐露する。

 しおらしく告げたムーンライトに、サンシャインが、

 

「うん、どうしよう。ものすごく困ったね……」

 

 同じく自信がないために力無く答える。

 

「フフッ、チェックメイトだ。(つい)に、遂にコスモスの戦士を抹殺し、この国を強くする我が大望が(かな)う。ゴホッ。……君たちのような年端もゆかない子の命を奪うのは心苦しいが、日本のためだ、犠牲となってくれ」

 

 (うつむ)くサンシャインとムーンライトに、黒ずくめの男が(せき)を隠しながらつぶやいた。

 返す返すもトゥインクルの離脱が痛い。二人はこれまで持ち得る限りの打撃を水瓶に加えた。しかし、どれだけ殴りどれだけ突いても、水瓶は傷一つ付かなかった。

 不落の水瓶に二人は自信を喪失している。さらに、巨大タコが水瓶の近くを漂っている。以前のヤギのように一点を攻め続ければ、必ずや邪魔をするだろう。

 そして何よりも、水位は刻々と上がっている。既に平屋が埋まるほど水かさは増しており、これを放って逃げる訳にはいかない。ユニヴァーデンスクロックの時止めは限界があり、その限界を迎えた途端に皆が溺れ死ぬ。

 両親が、友達が、街の皆が一人残らず死ぬ。破壊できない水瓶に、その水瓶を守る巨大タコ。そして人質に取られた街の皆。この三つの事実が、二人の両肩に重くのしかかっている。

 

「べーちゃん」

 

 (わら)にも(すが)る思いでサンシャインが呼ぶと、妖精がすぐそばに現れた。

 

「どうしようべーちゃん。この状況、どうしていいか分かんないよ。あたしたち負けるのかな」

 

 明るさが取り柄のサンシャインが、落ち込んだ様子で妖精に嘆いた。

 認めなくないが手詰まりであった。トゥインクルに頼れない今、二人は打開策を見出せずにいる。

 

「手が、ないこともないベエ」

「えっ?」

 

 しかし、妖精が判然としない意外な回答をしたため、二人が思わず振り返った。

 

「あの水瓶を壊す方法があるの?」

「一つだけ可能性があるベエ。でも、これはあまり勧めたくないベエ」

「どんな手?」

「精霊を使うベエ。同じ黄道の精霊、やぎ座(カプリコーン)を使えばひょっとしたら」

 

 精霊とは、コスモスの戦士が今まで戦ってきた巨大な敵のことであり、冒頭でムーンライトが倒したヤマネコや先にサンシャインが倒した白鳥、いま破壊できずに困っている水瓶などが該当する。

 星座ごとに存在する精霊は、宇宙海賊ブラックホール団に囚われており、敵はこれを何らかの手段を用いて怪獣さながらな姿に変化させていた。コスモスの戦士が倒すたびに妖精が回収していたのだが、この精霊を使う事こそが今の閉塞した状況を打破する唯一の(すべ)、と妖精が告げた。

 精霊カプリコーンは、黒ずくめの男も述べているが、コスモスの戦士三人が力を合わせて何とか倒した巨大ヤギである。このとき、サンシャインとムーンライトは負傷している。

 

「何か問題があるの?」

 

 渋る様子の妖精にムーンライトが尋ねる。

 

「精霊の行使は使用者の肉体にとてつもない負荷がかかるベエ。生物は個体ごとに一生のうち心臓が収縮する拍動数が決まっているベエが、精霊の行使はこの拍動数を費やす、つまり寿命が縮まるベエ」

 

 生きる者だれもが逃れられない概念、死。生の時間を引き換えにして得る力に二人が閉口する。

 しかし、迷っている時間はなかった。そもそも黒ずくめの男は葬るとまで先に宣言している。

 何もしなければ待つのは死だけだ。今日を生きなければ明日も何もない。

 

「私がやるわ」

 

 ムーンライトが名乗りをあげた。

 

「他に手段がないのならやるしかない。べーちゃん、ヤギの精霊、私にちょうだい」

「待ってムーンライト。あたしが」

「サンシャイン、私の誕生日知ってるでしょ?」

「十二月、二十八日」

「そう。これは運命よ。あなたがどれだけ反対してもこの役は譲らない。命が削られても、悔いはないの」

 

 覚悟を決めたムーンライトの言と表情に、サンシャインが口を閉ざした。

 妖精が、迷いを吹っ切って眉根を寄せる。もっとも、ウサギのような外見なので眉はないのだが。

 ムーンライトが、背に妖精の短い手をあてられ、

 

「べーちゃん、おねがい」

 

 目を閉じて請う。

 

「分かったベエ。黄道の精霊カプリコーン、ムーンライトに力を貸すベエ!」

 

 すると、ムーンライトの膨らんだ胸の間に、黄金色の魂と言うべき光が()りついた。

 

「なにっ!? まさか我々と同じく精霊を使うとは! これはいかん!」

 

 胸から強い光を放つムーンライトに、黒ずくめの男が気色ばむ。

 巨大タコが阻止するべくムーンライトに襲い掛かる。

 

「邪魔はさせない!」

 

 だが、巨大タコの前にはサンシャインが立ちはだかった。

 

 そして、ムーンライトの頭に、二本の対となる湾曲した角が生まれた。

 角は後ろ向きに長く反り、更に両脚が閉じられた後に力強く輝き、下半身が人魚さながらな()(びれ)へと変化した。

 精霊カプリコーンを宿し、銀の人魚と化したムーンライトが息を吐く。それからゴーグルを外し、今も水を垂れ流す水瓶を見据える。

 

「人魚になるなんて意外。確かに星座のヤギって尾が魚だけど。でも、力がみなぎる。これなら!」

 



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天が与え給うたホワイトスノーチャンス

「いくわっ!」

 

 ムーンライトが水の中に飛び込み、()(びれ)と化した下半身を使って水瓶へ泳いだ。

 水をかき分ける。尾鰭が生み出す強い推進力と、すんなりと泳げている自分自身に驚いている。

 幼きころ絵本で読んだ、幻想の生物にして憧れのマーメイド。自在に操れる尾鰭はまるで自分の足のようであり、そんな憧れの存在になれたムーンライトが戦いの最中ながらも感動を覚えていた。

 そして、水の中を突き進むムーンライトが水瓶に接近する。

 

「ばあああっ!」

 

 水中のため発音が濁ったが、気合いの裂帛(れっぱく)に併せてガントレットを突き刺す。

 

(ヒビが入った。これなら)

 

 水瓶に初めて亀裂が走り、ムーンライトが光明を見い出した。

 ムーンライトが一旦水中から浮上する。昔は散々いがみ合った仲だけど、今は最大の友人にして理解者に、攻撃が通じたことを知らせるために。

 友人は巨大タコと戦っている。苦戦しているようなら助けもしなければ。そう思っていたムーンライトだったが、

 

「こんな触手なんか、こうして、こうだぁっ!」

 

 サンシャインはタコの触手二本を固く結んでいた。

 そして、遠くではトゥインクルが、鈴鬼小四郎を抱えて水面に浮上し、これを確認したムーンライトが水瓶破壊に専念する。

 

「タコめ、参ったか。ムーンライトの邪魔はさせないぞ。……うっ、お」

 

 しかし、二本の触手を封じたサンシャインだったが、まだタコは健在な触手を五本備えており、これが彼女の手足を捕らえた。

 タコが触手を広げ、サンシャインの手足を引き千切ろうとする。大の字にされた姿は、(はりつけ)にされた罪人の(ごと)し。

 肉の繊維がブチリと切れ、体がミシリと(きし)む。だが、サンシャインは動じておらず、むしろ(わな)と言わんばかりに口角を上げている。

 

「オーヴァードライブ!」

 

 サンシャインからすさまじい蒸気が上がり、これにタコが耐えられず触手を放した。

 己の体を燃やしたサンシャイン。この手痛い反撃にタコがまごつき、これを勝機と見たサンシャインが高く飛び上がる。

 湯気から現れたサンシャインが挟む両手には、メラメラと燃え上がる火球が形成されており、そして胸を反らして抱える火球を振り上げる。

 目指すはダメ押しとなる決勝点。

 

「今夜はタコ焼きパーティーだぁ! 〝バーンダンク〟!」

 

 勝敗が決した。サンシャインがバスケットボールさながらに火球を(たた)き付け、タコが行動不能に陥った。

 

「カプリコーン! これで最後よ、私に力を貸して!」

 

 水瓶に無数のヒビを入れたムーンライトが、目を閉じて合掌した。

 合わせた両手のガントレットが黄金色に輝く。()りついた精霊が、彼女の(おも)いに呼応するように。

 この一撃で終わらせる。そう手に力を込めたムーンライトがまなじりを決し、

 

「〝ムーンライトサンクスフォーザミール〟!」

 

 合わせた両手を水瓶に深く突き刺す。

 

――ヤクサァァイッ!

 

 水瓶が刺された箇所から瓦解し、それに伴って放出していた水を一気に吸い込んだ。

 街を浸していた水が、まるで水洗トイレのように吸い込まれて引く。これに併せてタコも消失する。

 みるみると水が引き、街が元の姿を取り戻す。

 

「アクエリアスが、敗れるとは。……ゴホッ! ゴホッゴホッ」

 

 この光景にショックを隠せない黒ずくめの男が(せき)を隠しながら逃げた。

 空高くに逃げる男。コスモスの三人にとって男は因縁の深い相手だ。命を脅かされる戦いを幾度となく仕掛けられている。

 いい加減に捕まえ、このしつこい戦いに終止符を打つべきであろう。しかし、今は男を捕まえるよりも優先すべきことがある。

 

「ムーンライト!」

 

 サンシャインが四つん()いに苦しむ親友の元に駆け寄った。

 

「はあっ、……はっ、は、うっ」

「大丈夫?」

「な、なんとか。この力は、か、軽々しくは使えない。ここぞというときだけにすべき、……ううっ」

「ムーンライト!」

 

 ムーンライトが吐いたため、サンシャインが背中をさすった。

 精霊カプリコーンによる変身が解けたムーンライトの心臓は、いま激しく脈を打っている。呼吸もままならず、内臓は熱さで煮えくり返っている。

 息も絶え絶えに苦しむムーンライトを、

 

「ムーンライト、おつかれベエ」

 

 現れた妖精がねぎらう。

 

「べーちゃん。や、やったわ、私、倒したわ」

 

 妖精の賭けに乗ったムーンライトが勝利を伝えた。

 先に妖精は、精霊の行使は寿命が縮まると忠告した。今の行使でいったいどのくらい縮まったのだろう。

 

「べーちゃん、ムーンライトの寿命って」

「いやーそれが、相性が良かったのか、大して影響なさそうだベエ」

 

 サンシャインが()いたが、妖精は明るく答えた。

 

「えっ、ホント?」

「うむだベエ。精霊を体に宿す行為は臓器の移植に似てて、合わないと最悪死に至るから勧めなかったベエが、まさかムーンライトとカプリコーンが、ここまではまるとは思わなかったベエ」

「でも、辛そうだけど」

「問題ないベエ。今でこそムーンライトは苦しんでいるベエが、これは単にカプリコーンの力を最大限に引き出したことによるものベエ。ボクの予想ではアクエリアス打倒の可能性は半々だったベエが、これは(うれ)しい誤算だったベエ」

「おおっ。とりあえず問題ないんだね。よかった、ムーンライト!」

 

 ぐったりとする親友をサンシャインが強く抱きしめた。

 妖精が続ける。精霊の多用は禁物、今のムーンライトのように使ったらそれまで、とも。

 だが、水瓶撃破の喜びでサンシャインとムーンライトは忘れていた。トゥインクルが青ざめた顔で鈴鬼小四郎を抱えて現れる。

 彼を静かに下ろしたトゥインクル。仰向けに寝る彼は、息をしていなかった。

 

「鈴鬼くん息してない。やだ、やだよ……」

 

 トゥインクルが膝を落とし、そのまま泣き崩れた。

 間に合わなかったか。サンシャインとムーンライトが視線を伏せる。しかし、妖精だけは冷静に彼を見て、

 

「まだ生きているベエ。人工呼吸をすれば」

 

 普通の男女ならためらうワードを言った瞬間だった。

 まさに獲物を狙う肉食獣の如し。飛び掛かるように(かぶ)さったトゥインクルが、彼の半開きの唇に口を付ける。

 そして、強化された肺をもって息を送り込む。とても濃密で熱い想いが詰まった息を吐き続けた。

 溶け合うように唇を重ねるトゥインクルとその彼氏。

 

「うわわっ」

 

 サンシャインが顔を真っ赤にして慌てた。

 続いて、呼吸が少し落ち着いたムーンライトが、友人に抱えられながら告げる。

 

「あの子、迷いなかったわね」

「……うん」

「トゥインクルって、危なっかしいくせに思い切りはいいのよね」

「スズキ君をリープゾーンに引き込んじゃうくらいだからねぇ」

 

 こうして、溺れた鈴鬼小四郎だったが、トゥインクルの熱い人工呼吸によって息を吹き返した。

 鈴鬼小四郎に知らされることはなかった。彼のファーストキスは、本人の知らぬ間にトゥインクルスターこと庚渡紬実佳に奪われた。

 



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ファーストキスが忘れられなくて♥

 コスモスの三人が白鳥、そして水瓶を退けた翌日。トゥインクルスターこと庚渡紬実佳が、バスに乗って隣町・(こう)(りょう)市に向かっていた。

 紬実佳が昨日を思い出す。もちろん想起されるは、彼・鈴鬼小四郎と唇を合わせたことである。

 

(鈴鬼くんとキスしちゃった……)

 

 ふふ、ふふふっ、と独り薄気味悪い笑みを車内にて浮かべた紬実佳だが、昨日はまったく振るわなかった。

 白鳥戦こそ彼を羽根から守った。だが、続く水瓶戦では、彼を水の中に落としてしまう大失態を犯した。その所為(せい)で戦いをサンシャイン及びムーンライトに全て任せてしまい、何の役にも立てなかった。

 こらえられない彼が悪いのではないか。しかし、彼は戦士でもないただの男子である。そもそも彼を戦いの場に引きずり込んだのは紬実佳であり、彼を守ることは引きずり込んだ者としての責任であり義務である。

 そして、これだけは誰にも明かせない。タコの触手を食らって彼を落とした紬実佳だが、実のところ彼に抱き付かれていたことで、戦いに全然集中できていなかったことを。

 背負った彼の重さや匂いは、紬実佳にとって甘美な麻薬だった。

 

(やっぱり昨日のことで怒られるのかなぁ)

 

 軽く息を吐いた紬実佳。今日、彼女は陽に呼ばれた。会議との名目で。

 叱られるのは仕方がないと思っている。昨日まったく貢献しなかったことは紬実佳自身よく分かっているから。しかし、それでも叱られるというのは気が重くて、紬実佳が憂鬱な気持ちで窓の外を眺めていた。

 

「あっ、紬実佳ちゃん。こっちこっち」

 

 バスから降りると、陽が手を振って紬実佳を出迎えた。

 陽は笑っていた。この笑顔に紬実佳の心が少し和らぐが、付き添う美月は笑っていなかった。

 口を閉ざす美月に紬実佳が委縮する。美月は背が高くて落ち着いた先輩だ。年下で背が低い紬実佳にとっては、その静かな雰囲気が恐ろしい。

 また、陽も笑ってはいるが、内心では怒っているのかもしれない。

 

「あの、二人とも。昨日はすみませんでした」

 

 紬実佳が先手を打って二人に謝る。

 

「へ? なんで謝るの?」

「だって、昨日なんの役にも立てなかったから」

 

 申し訳なく頭を下げる後輩に、二人が互いに目を合わせる。

 

「気にしてたのね。まあ、スズキ君をあれだけ危険な目に遭わせたのはもう絶対にダメだけど、戦いの方は気にしないでいいわ」

 

 美月が優しくほほえんで後輩をいたわり、

 

「あたしらも紬実佳ちゃんに助けてもらったことあるんだから。こういうのは持ちつ持たれつだよ」

 

 続いて陽も笑って後輩を励ました。

 先輩二人の優しさと度量の深さに紬実佳が(あん)()する。それと、戦いに全然集中していなかった己を恥じ、心の中でもう一度謝った。

 紬実佳は彼を命の危機にさらす大失態をやらかしたが、これに関して陽と美月はあまり責めようと思っていない。理由は結果的に助かったことと、可愛い女の子からの人工呼吸というあまりにもラッキーなお()びを彼がもらったことによる。もっとも、彼は知らないのだが。

 そして、陽を先頭に三人が歩き始める。今日の行き先を紬実佳は聞いていない。

 

「今日はどこへ?」

「陽の家」

「紬実佳ちゃん、(うち)に来るの初めてだよね?」

「はい」

「この近くなんだ。美月ん()と違っておいしいものは出せないけどさ、ゆっくりしていってよ」

「陽、あなた部屋片付けた?」

「足の踏み場ができるくらいなら」

「もう。紬実佳が来るというのに」

 

 陽のあっけらかんとした返事に美月がため息をついた。

 ちなみに、紬実佳は美月の家には何度か訪れたことがある。美月に料理を振る舞ってもらい、ある食材を用いた料理を除いてはその旨さに感動している。

 歩くことしばらく。先頭を歩く陽が、白い三階建ての住宅の前で立ち止まる。

 

「着いたよ。ここ、紬実佳ちゃん」

「わっ。奇麗な家ですね。うちなんかと大違い」

 

 紬実佳が整然とした(たたず)まいの、自分の家とは異なる住宅に感心していると、

 

「陽」

 

 美月が腐れ縁にして親友を呼ぶ。

 

「なに?」

「今日もお父さんとお母さんお仕事?」

「うん。今日も家には誰もいないよ。これからする話にはちょうどいいでしょ?」

「そう。大変ね」

 

 親友の何気ない答えに美月が、少し憂いを帯びた声で返事をした。

 陽の両親を知らない紬実佳が美月に尋ねる。

 

「あの、美月さん。陽さんのご両親のお仕事って」

「警察官なの。とっても忙しいの、お父さんもお母さんも」

「へえ、そうだったんですか」

 

 このまえ陽が、警察官が犯罪者を捕まえるようにして彼を取り押さえた訳を紬実佳が納得した。

 陽が「ただいまー」と玄関の扉を開ける。返事はもちろんない。

 美月、続いて紬実佳が家にお邪魔する。

 

「お茶の用意するから先に行っててよ。美月、紬実佳ちゃんを部屋に連れてってあげて」

「はいはい。こっちよ紬実佳」

 

 陽が勝手知ったる親友に紬実佳の案内を任せた。

 そして、美月と紬実佳が三階まで上り、陽の部屋の扉を開ける。

 

「まあ、片付いている方かしら」

 

 思ったよりは片付いていた部屋に美月が感心した。

 紬実佳は部屋の中を見回している。自分の部屋にはない陽の私物が珍しくて。

 

「ダンベルに、えっと、これ何て言いましたっけ?」

 

 握力を鍛える器具の名前を美月に()く。

 

「ハンドグリップね」

「筋トレグッズ、多いですね」

「おかしいでしょ。陽は筋トレ好き女だから」

 

 陽が運動神経良く、女子バスケ部主将を務められる所以(ゆえん)を紬実佳が得心した。

 続いて紬実佳が、あるトレーニング器具に興味を()かれる。

 

「バランスボール」

「紬実佳、座ってみる?」

「はい。一回すわってみたかったんですよ。……う、わわ、うわぁっ」

「ふふっ。あなたはちょっと身体鍛えた方がいいわね」

 

 転がった紬実佳に、美月が笑った。

 

「お待たせー。はい紬実佳ちゃん」

「アイスティー。ありがとうございます」

「ほら、美月」

「ん」

「それじゃあ、第一回コスモスの緊急会議を始めたいと思いまーす。べーちゃん」

「呼んだかベエ」

 

 陽が呼ぶと、妖精が部屋に現れた。

 アイスティーが入ったガラスのコップを陽が妖精に手渡し、陽に美月に紬実佳に妖精、囲むように座っている。

 

「今日の議題は、紬実佳ちゃんについてです」

 

 まず発言したのは陽。紬実佳に振り向き、小学生の学級会さながらに会議を進行した。

 

「え、私ですか?」

「うん。美月」

「なに、私が言うの?」

「美月が言った方が効くと思うんだよね。あたし威厳ないし」

「威厳なんて私だってないわよ。……紬実佳」

「は、はい」

 

 かしこまった美月に、紬実佳が緊張した。

 思い出されるのは不甲斐(ふがい)なかった昨日の戦闘。やはり昨日のこと、怒られるのか。そう紬実佳が叱責を覚悟する。

 だが、確かに昨日のことだが、紬実佳の予想からは外れていた。役に立てなかった戦闘でも彼を危険な目に遭わせたことでもなかった。

 

「あなた、スズキ君の前で変身するのはやめなさい」

「……えっ?」

 

 美月が告げた内容に、紬実佳が思わず訊き返した。

 

「な、なんでですか?」

「自分が変身しているときの姿に気が付いてないの?」

「はい」

「あのね、変身しているときのあなたってね、服が消えちゃっているのよ」

「え、ええぇぇぇっ!?」

 

 初めて知った衝撃の事実に紬実佳が仰天した。

 確かに紬実佳は、自分の変身を客観視したことはなかった。ハロウィンズミラーが放つ光が心地よい所為で、目をつむって光に身を委ねていた。

 陽の変身が豪快であり、美月の変身が先鋭的であるため、自分の変身も格好よいのだろうと思い込んでいた。しかし、すっぽんぽんなら誰かしら声を上げるだろう。紬実佳がにわかには信じられなくて二人に問いただす。

 

「わたし裸を見られてたってことですか?」

「ハロウィンズミラーが放つ光のおかげで裸は一歩手前で防げているけど、それにかなり近いわ」

「今まであたしと美月だけだったから〝ま、いいか〟って思って言わなかったけど、さすがに男の子がいたんじゃ。紬実佳ちゃんの変身、スズキ君食い入るように見てたよ」

「ええぇぇぇっ!?」

 

 彼に身体(からだ)を見られた事実に紬実佳がまたも仰天した。

 

 しかし、変身を見たのは陽と美月、そして(いと)しの彼である。

 愛しの彼は、陽の言では「食い入るように見てた」と言っていた。うろたえている紬実佳だが、これは逆を返せば己を見てくれるチャンスなのでは、などと思い付き、

 

「でも、食い入るようにってことは、鈴鬼くん喜んでくれたってことですよね?」

 

 先輩二人に確かめる。

 

「喜んでた? ま、まあ、そう、かしら」

「じゃあ、いいです。かまいません。恥ずかしいですけど」

「え」

「えっ?」

「鈴鬼くんなら、見られてもいいです。他の男に見られるのは絶対にイヤですけど、鈴鬼くんなら、この身体ささげます!」

 

 恥を捨てた紬実佳の決意表明に、二人が驚きの顔を見合わせた。

 

「もうファーストキスも(もう)げちゃいましたし。あ、聞いてください、昨日のキスがほんとに(うれ)しくて、わたし今日ぜんぜん寝れなかったんですよ。だから今日ちょっと眠いんですよねー、へへっ、えへへー。神様っているんですね、わたし最近ホント幸せなんです、生きてるって感じー。あ、思い出したら、私の息が彼の肺に入ったんですよね、うふふっ、ふふふ……」

 

 独り薄気味悪くのろけ笑う紬実佳に、陽と美月が、本当に彼のことが好きなんだな、とあきれ半分に息をついた。

 

「愛は盲目というか」

「この子、思い込んだら清々しいまでに一直線ね。この(いち)()さ、羨ましいかぎりだわ」

「でもさー、紬実佳ちゃんが良くても、これは青少年の教育的によろしくないよね。べーちゃん」

「なんだベエ?」

「紬実佳ちゃんの変身、どうにかできないかな?」

「そうだベエ、スズキに興奮されてトゥインクルのパフォーマンスに悪影響がでたら困るベエ。昨日はほぼ役に立たなかったし、そうでなくても最近トゥインクル調子に乗りすぎだから、少し抑えるように調整しておくベエ」

 

 ユニヴァーデンスクロックの私物化、そして今ものろけ笑う紬実佳に、妖精は思うところを抱いていた。

 こうして妖精の手により、トゥインクルスターの変身に修正が入れられた。

 



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***
黒き者たちによる628メートルの密談


 東京都(しろ)()()に建つ、高さ628メートルの電波塔にしてランドマークタワー「大江戸ユメミヤグラ」。一万五千件を超える一般公募によって名付けられたこの塔からの眺望は、大都市東京の街並みを掌中に収める景観を観る者にもたらした。

 だが、一般の利用客が登ることができるのは450メートルまでで、そこから先の最頂部までは電波用のアンテナのために登れはしない。ごく一部の限られた人しか登れないのだが、実は628メートルの最頂部には、誰もが立ち入りを禁じられた目的不明のフロアがあり、スタッフも工事関係者も立ち入りを禁じられた、いったい何のためにあるのか関係者一同が首をかしげる程の徹底した進入禁止措置が講じられたフロアが存在した。

 時刻は午前零時。日の変わる時刻に、フロアの扉を開ける者がいる。

 気圧差を自動調整するオートドア。それを開いた者が(せき)をする。苦しそうな咳を何度も何度も。

 

「〝メテオ〟さん、大丈夫ですか?」

 

 照明が()いていないフロアの内部。明かりは強化ガラスから射し込む月の光だけ。そんな暗いフロア内にいた一人の少女が、咳をした男に近寄った。

 少女が「メテオ」と呼んだ男は、黒い仮面をかぶり、黒いマントを羽織っていた。男はコスモスの戦士に幾度となく戦いを挑み、そして敗れたあの黒ずくめの男だった。

 男が咳を止め、己を心配する少女の姿を認める。この少女も黒い格好をしていた。足首を留めるストラップが付いた黒いパンプスに、黒のフリルを飾ったゴスロリ調のドレス、舞踏会でかぶるような目を覆う仮面をしている。

 

「〝イオン〟君か。気にするな、問題ない」

「負けたんですか?」

「ああ。不甲斐(ふがい)ない、恥じ入る限りだ」

「そんなことありません、コスモスの強さは私自身がよく知ってますから。メテオさんが担当されている所、特に強いのが三人もいるみたいですね。上澄みを引いちゃうなんて貧乏くじですね」

「ハハッ、僕はそういう星の下に生まれたようだから、これも運命と割り切るさ」

 

 男が少女の前で自嘲した。

 そして、男が少女に尋ねる。この男にしては珍しい、父親が娘を見るような慈しみのある眼つきで。

 

「イオン君。きみは順調か?」

「はい、なんとか。昨日コスモスの女を一人、ようやく殺しました。残る一人を殺せば」

「そうか。……君の境遇は分かっている、君は君の願いを(かな)えるがいい」

「はい」

 

 男が懐から財布を取り出す。

 

「少ないがとっておきなさい。君の生活もあるからやめろとは言わないが、願いを叶えたら、せめてその身体(からだ)は大切にしなさい」

「分かりました。いつもありがとうございます、メテオさん」

 

 一万円札を手渡された少女が男に頭を下げた。

 月明かりだけが射す暗いフロア。その影に染まった空間から、床を(たた)く革靴の音が鳴る。

 フロア内に響く靴の音に男と少女が振り向く。

 

「お久しぶりです、メテオさん」

「〝エクリプス〟君か。珍しいな、君もいたのか」

 

 影から新たに現れた青年が、男に恭しく挨拶を述べた。

 やはり青年も、黒のスーツに黒のワイシャツをまとい、右半分だけを覆った黒の仮面をかぶっていた。

 

「エクリプス君、いるなら声をかけてくれればいいのに」

「僕はあまりここに現れないですからね。それに、お二人の仲を邪魔する訳には」

「おいおい、誤解されるようなことを言うんじゃない。この窮屈なご時世、そういった誤解を拍子に破滅が始まるのだぞ」

「そうでした、まことに仰る通りです。すみません、()(かつ)でした」

「フッ、中年の小言だ、真に受けないでくれ。それよりもエクリプス君、きみの首尾はどうだ?」

「いやあ、僕なんて。一人消したイオンさんに比べれば全然ですよ」

「フフッ、君のことだ。大阪夏の陣の(ごと)く外堀を埋めるように攻めているのだろう? 私はせっかちな性分だから、君のやり方は真似できそうもないな」

「……メテオさん」

 

 気さくに話す男を、青年が見据えて問いただす。

 

「メテオさん、もうその体、酷使し過ぎてボロボロなのではないですか?」

「…………」

「見ていられません、メテオさんのような同志が苦しむところは。どうでしょう、一旦退()かれて療養されては如何(いかが)ですか?」

 

 男が顎に手をあて、青年の諫言(かんげん)を一考し始めた。

 下を向く男。静寂がこのフロアに漂う。

 

「そうも、いかないな」

 

 だが男は、青年の願いを拒否した。

 

「メテオさん」

「気遣ってもらってすまないが、退く訳にはいかないんだ」

「しかし、もうその体では」

「エクリプス君、それとイオン君。これから言うことは理解できぬと思うが、私は私を負かすあのコスモスの三人に対し、娘のような感情を抱いているのだよ」

「娘、ですか?」

「ああ。私は若い者が好きだ。特に困難に立ち向かう若人は応援したくなる。彼女らとは(あい)()れない立場ゆえに戦うが、もしも立場が違えば好ましく思っていただろう。彼女らは私という困難に挑戦し、そして常に乗り越えてきた。その成長を間近で見ている分な、私は敗れて悔しい一方で喜びを感じているのだ」

 

 ふむ、と青年が腕を組んで理解を示す一方で、

 

「メテオさん、Mなんですか?」

 

 理解できない少女が口を挟む。

 

「フッ、イオン君の言うとおりだ。負けが込み過ぎてマゾに目覚めたのかもしれないな」

 

 すると男が、敗北の人生を歩んだ過去を顧みながら自嘲した。

 

「メテオさんの言ってること全然分かりません。幸せな女なんて、みんな殺してしまえばいいじゃないですか」

「イオン君、きみはもうすぐ願いを叶え、誰もが羨む幸せをつかむんだ。他人を恨むのも程々にするんだ」

「…………」

「イオン君、エクリプス君。これは私という男の意地なのだ。決して退かぬぞ」

 

 決意を示した男に、青年が敬意を表す。

 

「分かりました。男の意地、拝見させて頂きます。メテオさん、必ずや勝利し、コスモスを葬ってください」

 



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フードロス! それが人類の宿命なのです

 僕の名前は(すず)()()()(ろう)明倫(めいりん)中学校に通う中学一年の男である。

 無味無臭。友人にそう言われる程パッとしない。趣味なんて言えるものは特になく、強いて挙げるならゲーム、だろうか。

 自分を上中下の更に上中下で表すと、勉強は中の下くらいだった。最近は勉強をしているおかげか、中の中くらいには成り上がったかな、と思っている。でも、運動は下の中、おまけに背はクラスの男で前から並べば二番目に低い。

 今まで目立てたことがなければ、女の子にモテたこともなかった。きっとこの先も平々凡々な人生を送り、他人に迷惑をかけないよう慎ましく生きるのだ、と思っていたけれど、

 

「お待たせ、鈴鬼くん」

(かのえ)()さん」

 

 そんな僕に、女の子の友達ができた。人生って何があるか分からない。

 

「寒くなったね」

「うん」

 

 十一月になり、乾いた寒風がこの身を引き締める季節になったが、今日の僕の心は温かさに満ちていた。

 なぜなら今日、僕は女の子と二人きりで遊ぶのだ。隣を歩く背が小さな彼女は、名前を(かのえ)()()()()さんと言って僕が好きな子である。彼女とはクラスメートであり、二学期が始まったくらいの時期に友達になった。だからまだ、付き合ってはいない。

 どこを好きになったのかと言うと、なんと彼女、変身ヒロインなのだ。先述の二学期が始まったくらいの時期に、僕は怪獣と戦う変身した姿の彼女をたまたま目撃し、その勇姿に一目()れした。

 可愛らしい黄色のドレスをまとった彼女の変身した姿は、光の戦士「トゥインクルスター」と言って、僕はたちまちにして恋に落ちた。怪獣に変身なんて、話せば鼻で笑われてしまうから誰にも打ち明けられないけど、僕だけが彼女の秘密を知っている。あと、普段の彼女は度の強い丸眼鏡をかけていて、今もかけているのだが、この眼鏡を外すと雰囲気がガラッと変わり、とても可愛いのだ。

 

「あっ、コンビニ。ねえ鈴鬼くん、〝中野こんぶ〟買いに行こ?」

「えっ、また」

「またってなに? 今日は初めてですー。切らしちゃって今バッグの中にないんだもん、中野こんぶ」

 

 中野こんぶとは、百円くらいで買える赤い箱に入った甘酸っぱい味の昆布菓子である。

 決してまずい物ではないが、買ってまで食べようと思う物でもない。僕にとってはそんな評価の駄菓子だが、彼女は「これをおかずにごはんが食べられる」と豪語するくらい大好物だった。

 中野こんぶを食べているときの彼女は、とても幸せそうな顔をするので、その笑顔を見るのは僕とてやぶさかではない。

 

「いつも一個はストックしておかないと落ち着かなくて。でへへ」

「もう中毒じゃないか。しょうがない、行こう。買ってあげるよ」

「え、やった、ありがとう。それじゃお返しに、私も年下の鈴鬼くんになにかおごってあげよっか? ふふ」

 

 彼女が小悪魔のような笑みを浮かべ、僕を年下とからかった。

 僕はちょっと前に誕生日を彼女に教え、それから彼女は事あるごとに僕を年下とからかってくる。僕が一番気にしているコンプレックスを。

 僕は同学年で最も年下にあたる。そう、僕の誕生日はウソの日、四月一日なのである。

 

「庚渡さんだって、僕とそんなに変わらないじゃないか」

 

 彼女の誕生日も僕は聞いている。

 

「いいえ、十七日の差は大きく変わります。このお姉さんになーんでもおねだりしなさい、鈴鬼くん」

「ちぇっ。ちょっと早く生まれたからって」

「ふふっ」

 

 口をとがらせてぼやいた僕を、彼女が満足した顔でくすくすと笑った。

 彼女の誕生日は三月十五日。サイコーの日、とか本人は言っている。まあ、彼女の気持ちも分からなくはない。三月、しかも中旬生まれだと、同学年で下は中々いないだろう。

 誕生日というのは早く生まれた方が偉いのであり、車の免許などを取得する時も早い方が断然有利、なんて話も聞いたことがある。早生まれには厳しいのが世の常だ。

 あと一日遅ければ。エイプリルフール生まれの僕はそう思うことが多々あり、そしてこれからもあるだろう。

 

「鈴鬼くん。じゃ、これ買って」

「こんなに? うん、まあいいけど」

「やったー。幸せゲットだよー」

 

 彼女はずうずうしくも、中野こんぶを五個も僕に手渡した。

 人のお金だと思って。しかし、彼女の喜ぶ顔を見ると許せてしまう。最近彼女は僕にちょくちょく甘えるようになり、その甘えが僕にはうれしかった。

 先の誕生日の件を始め、彼女は僕をからかってもいる。二ヵ月の付き合いが僕と彼女を着実に近付けさせている。

 

「ありがとう鈴鬼くん。大切にするね」

 

 手応えを感じながらコンビニを出ると、彼女がにっこりとお礼をした。

 

「いやいや、大切するんじゃなくて食べなよ」

「えへへ。大事に大事に食べさせていただきます」

 

 その屈託のない笑顔がやっぱり僕にはうれしかった。

 

「ねえ鈴鬼くん」

「なに、庚渡さん?」

「えっとね、今日ね、その」

「……うん?」

「うー、ああ、そうそう。昨日わたし、()(づき)さん()にお呼ばれしたんだ」

 

 コンビニから少し歩いた所で、彼女が先輩から呼ばれたことを話し始めた。

 彼女はコスモスと呼ばれるチームに入って悪い(やつ)らと戦っているのだが、美月さんとは、本名を(たつみ)(じま)()(づき)と言い、彼女と共に戦う(とし)が一つ上の先輩の名である。

 美月さんは光の戦士「ムーンライト」に変身する。コスモスとは、彼女と美月さん、そして(いぬい)()(よう)さんと言うこれまた齢が一つ上の光の戦士「サンシャイン」に変身する先輩と、妖精によって構成されている。

 いま妖精と言ったが、これは何かのたとえではない。(はね)を生やしたウサギのような外見をした、不思議きわまりない謎の生物がいるのである。人の言葉をしゃべり、テレポートしたように瞬時に現れる。なぜか語尾に「ベエ」と付ける癖があるため、コスモスの三人からは「べーちゃん」と呼ばれている。

 

「へえー。美月さんの家って、有名な料亭なんだよね?」

「うん」

「おいしいもの食べた?」

「うん。……あ、そうだった、いやなこと思い出しちゃった」

「えっ。何かあったの?」

「ううん。美月さんごちそう振るまってくれて、すごくおいしかった。けど」

「けど?」

「やっぱりあれが出たの。……虫が」

「む、むしぃ?」

 

 虫。この食べ物とは相容れない単語に、僕は語尾を上げて()き返してしまった。

 有名な料亭なら衛生管理をしっかりしている。ハエやゴキブリが現れた、なんてことはないだろう。虫とは何なのか、と尋ねる僕に、彼女が明らかにトーンダウンした声で話し始める。

 

「鈴鬼くん、ハチノコって知ってる?」

「う、うん。見たことはないけど、聞いたことなら。蜂の幼虫だよね?」

「うん。美月さん()いくと、半々くらいの確率でそのハチノコが出てくるの。ハチノコってウジ虫よ? しかもミツバチとか可愛い感じの蜂じゃなくて、スズメバチとかのザッツ虫、って感じの蜂よ? 美月さんってね、そんな虫の幼虫をなに食わぬ顔で調理して、シレッて出してくるの」

 

 彼女がごちそうの裏に隠された悩みを吐露した。

 そして、彼女が続ける。虫の料理を思い出したのか、険しくも(おび)えたように顔を(ゆが)ませて。

 

「〝世界の食糧事情は知ってるでしょう? これからは虫だって食べなきゃいけない時代が来るわよ〟とか言って食べさせてくるんだけど、ウジ虫なんて食べられるわけないよー。中には成虫になりかけの虫も混じってるし」

「……はは」

「笑いごとじゃないよー。陽さんなんて〝デリシャスマイル~〟とか言いながらハチノコおいしそうにパクパク食べてるし。もう好き嫌いとか以前の問題、これは虫ハラよ虫ハラ。陽さんと美月さんって、たまに食べれる虫の話で盛り上がるの。セミの翅の付け根が食べられるとか、コオロギせんべいとか言って。あの二人食べ物のことになるとちょっと、いや、ものすごくおかしいの」

 

 不満を連ねる彼女に僕は、災難だったね、としか声をかけれなかった。

 美月さんと陽さんは僕も会ったことがあり、隣町のお嬢様学校に通う人で、とても美人である。

 もし言い寄られたら無下にできる人もそうそういないだろう。だが、美月さんは雰囲気が怖く、陽さんは相手にすると疲れそう。彼女には言わないし言うつもりもないが、僕は正直なところ苦手としている。

 

「まあ、それは過ぎたことなのでどうでもいいんです。えーっとね、鈴鬼くん」

「うん」

「あのね、前の中間テストで、順位上がったって言ってたよね?」

「あ、うん」

「で、今月末に期末テストがあるよね? それに向けて今日、勉強しない?」

「え、どこで?」

 

 訊いた答えに僕は、耳を疑いながらも心が飛び上がった。

 

「私の家。今日うちに、誰もいないの」

 



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ギルティできゅあきゅあ♪ ぶっちゃけありえない!

 六畳一間の部屋の(かも)()には、僕が通う明倫中学の女子学制服が()るされていた。

 

 木製の学習机。小学校の進学祝いとして買ってもらったのだろうか。

 クローゼット。傷があり、中古品あるいは誰かから譲り受けたのだろう。

 たくさんの少女漫画が巻順に従って並べられた本棚。いかにも彼女らしくてほっこりしてしまう。

 そして、シングルベッド。可愛らしいぬいぐるみが飾られてあるこのベッドで、どんな夢を見ているのだろうか。

 

「鈴鬼くん。私の部屋、じろじろ見ないで……」

 

 本日はお日柄もよく、記念すべき日にふさわしい。僕は今日、初めて彼女の部屋にお邪魔した。

 

「ごめん。でも女の子の部屋なんて初めてで」

「私だって、男の子を招待するの初めてだよ」

 

 彼女の言葉に、僕が内心で快哉(かいさい)を叫んだ。やった、僕が彼女の部屋に一番乗りの男だ。

 しかし、緊張する。彼女の物に匂いに癖に生活感、そう、言うなれば彼女そのものが充満するこの部屋、いるだけでドキドキしてしまう。

 初めてお呼ばれした。どかっと座るわけにもいかず、僕が手持ち無沙汰気味に突っ立っていると、

 

「とりあえず、あそこに座って」

「う、うん」

「お茶、いれてくるね。それまでゆっくりしてて」

 

 彼女が部屋を後にし、僕は座布団の上へと促されたままに腰を下ろした。

 

「…………」

 

 しかし、尻が落ち着かなかった。僕がひたすら下を見る。

 心の準備ができていない。望んでいたことだけど、まさか今日、彼女の部屋に入ることになるとは思ってもいなかった。

 宙を仰いで息を吸い、心を落ち着かせるべく天井を見つめる。そういえば、彼女は先輩にお呼ばれした話をする前、言おうか言うまいかもじもじと迷っていたようだった。自分の部屋に男を呼ぶのは勇気が要っただろう。僕が納得する。

 

 さて、どうしよう。僕が今いる場所は、彼女がいない彼女の部屋だ。

 過去に読んだ事ある何かの漫画だと、タンスをあさったりして下着を探していた。見回すと、ちょうど四段のタンスを発見した。

 開けようか。いやいや、彼女は僕を信用して部屋を後にした。そんな真似をしたら彼女に幻滅されてしまう。

 紳士たるべき、と僕がタンスから目をそらし、机の方に目を向ける。

 

「あれは」

 

 袖机の上に、赤い印が付けられたプリント用紙を見つけた。

 

 テストだろうか。立ち上がって机へと向かうが、僕は逡巡(しゅんじゅん)した。

 片付けられた机上を見つめながら考える。見てしまっていい物だろうか、と。袖机の上、つまり机の下ということは、あまり見られたくはないのだろう。

 しかし、彼女は今月末の期末テストに向けて勉強しよう、と言った。まずは彼女の学力を知るのが先決だろう。そう思い直した僕が、(かが)んで机の下に手を突っ込む。

 そして、袖机の上のプリント用紙を手に取る。用紙は裏だったので僕が裏返す。

 

「んなっ。さ、さんじゅっ、てん……」

 

 30と記された(きょう)(がく)の点数に、僕は開いた口がふさがらなかった。

 先月の中間の数学のテストだった。いやいや、彼女は数学が苦手なのかもしれない。数学は誰だって苦手なもの。そう首を横に振ってからテストをめくり、次の点数を確かめる。

 

「ええっ!? きゅう、きゅうって……」

 

 愕然(がくぜん)として恐怖すら覚えた。それは社会のテストで、9という一桁の点数を、僕は生まれて初めて目の当たりにした。

 赤点じゃないか。中学校に赤点はないけれど。眼鏡をしていて僕よりかは頭よさそうに見えるのに、まさか、こんなにも悪いとは。

 (あわ)れみすら覚えてしまった。ぶっちゃけありえない。直視できない僕がテストから目を外し、机の上の棚に目を向けると、

 

「〝鉛筆転がしの極意〟……?」

 

 一冊、とてつもなく怪しげな本を見つけた。

 

「きゃあっ!? 鈴鬼くん、ななななんで、私のテスト見てるの!?」

 

 振り向くと、茶と菓子を載せたトレイを持つ彼女が、慌てふためきながら僕を非難した。

 彼女が急いでテーブルにトレイを置いた後、僕からテストをひったくるようにして奪う。そして二度と見られないよう胸に抱え込む。

 

「ダメだよテスト見ちゃ! ふつー男の子ならタンスとかあさるでしょ!?」

「え、タンス開けるべきだったの?」

「鈴鬼くんがお望みならいくらでも。ってちがーう! お願いだから私のテストは見ないで!」

 

 彼女が口角泡を飛ばす勢いで叫んだときだった。

 

「ただいまー」

 

 彼女の部屋は二階なのだが、一階の方から女の人の声が聞こえ、

 

「〝お姉ちゃん〟!? えっ、どうして!? 今日バンドの練習とか言ってたのに」

 

 また慌てる彼女。しかし、時すでに遅かった。

 階段を上る音が、どたどたとやかましく部屋の外から聞こえる。

 

「おい紬実佳ぁ! 男物の靴があるけどどういうことだ!」

「きゃあっ! お姉ちゃん!」

 

 そうして僕は彼女のお姉さんと、初対面することになった。

 

「紬実佳ー、男連れ込むなんてあんたやるじゃない」

「と、友達よ友達! お姉ちゃんには関係ないでしょ」

「関係あるよ。あ、カレシ君こんちゃー。あたし紬実佳の四つ上の姉で庚渡(あん)()()って言いまーす。〝わいるど☆あーじゅる〟ってバンドでドラムたたいてまーす」

「あ、あんじー?」

「そっ、アンジー。キラキラネームってやつ? 笑っちゃうでしょ? あははっ」

 

 彼女とは随分と雰囲気が異なったお姉さんが歯を見せて笑った。

 なんというか、彼女のお姉さんは髪が長くてちょっと派手な感じで、一言で表すとギャルっぽい。

 

「カレシくーん真面目そうだねぇ、名前なんつーの?」

「彼氏じゃなくて友達ですけど、鈴鬼小四郎って言います」

「スズキ君、どう? うちの紬実佳。かわいいでしょ?」

「あ、はい。そう、思います……」

「いーひっひ、照れてる照れてる。おい紬実佳よかったな、かわいいってよ」

「もうお姉ちゃん! これから勉強するんだから、部屋から出てってよ!」

「べんきょー? あんた苦手なことになるとすぐにやる気なくしちゃうじゃん。あたしが歴史教えればさ、〝歴史なんて覚えて何になるの?〟ってすーぐに文句垂れるし」

「めちょっく」

「それよりもさ、男の子と話すなんて久々だからさ、あたしも混ぜてよ」

「ダメ! ぜーったいダメだから!」

「えー。女子高かよってるとさぁ、男の子とむしょーに話したくなるときがあるんだよぅ。よーしスズキ君、ゲームしようぜゲーム。スプラト●ーンできる?」

「ちょっとお姉ちゃん! っていうかなんで帰ってきたの? バンドの練習じゃなかったの?」

「ベースの子が熱だしたんだよ。スタジオでギュイーンとソウルがシャウトしたかったんだけど、今日は練習中止ー」

 

 結局この日、勉強をせず、彼女と彼女のお姉さんとゲームに興じることとなった。

 



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オトナの階段 寂しくも侘しい水曜日

「鈴鬼くん、わたし帰るね」

「うん。また明日」

 

 十一月も中旬に入った日の放課後。今日は彼女が一人で帰った。

 廊下を歩く小さな後ろ姿を、僕が見送っていると、

 

「おーいコシロー、行くぞー」

 

 同じクラスで友人、()(とう)師泰(もろやす)(たか)()()(すすむ)が僕を呼んだ。

 今日は水曜日で、明倫中では全ての部活動が休みの日。丞が野球部に所属しているため、水曜は決まって男同士で集まっている。

 

「コシロー、なーに惜しそうに見てんだよ。おまえ庚渡紬実佳と付き合ってるんだろ? なっ、認めちゃえよ」

「認めるも何も、付き合ってないよ」

「またまたー。おまえと庚渡が一緒に歩いてるの見たって、クラスでもけっこー(うわさ)になってるぞ」

 

 友達になって二か月ほど()ったのだ。目撃されるのは仕方ないし、噂になるのも致し方ないだろう。

 しかし、現に付き合ってはいない。付き合っているか、と問われれば、付き合っていないと答えるしか他はない。

 僕は当事者だからこそうんざりしているが、「あいつとあの子が付き合っている」なんて聞けば誰だって興味が()かれるだろう。そしてそれは僕もきっとそうであり、したがって僕と彼女との仲をしつこく()く師泰だが、当然のことであるために諦めている。

 

「でもさー、ススム」

「なんだ茶籐。失恋でもしたか?」

「ちげーよ。どこをどう受け取ったらそんな話になるんだよ、テキトーばっかこきやがって」

「へっへ」

「俺さ、このまえ庚渡が眼鏡外したところ初めて見たんだよ。確かにススムが言うとおり可愛かったわ」

「あー見たのか。まあガキっぽくて俺の好みじゃねえけどな。俺の推しは一組の田名河(たなか)だし」

「田名河かー。キレイだけど、性格きついんだよなー。オレ小六のとき同じクラスだったけど、なんつーか、すっげえ近寄りがたいんだよな」

「それがいいんだよ。くー、あの田名河に、一度ほっぺた引っ(ぱた)かれてみてえぜ」

「ダメだこいつ。早くなんとかしないと。おいコシロー、俺にも庚渡紹介してよ」

「やっ、やだよ」

 

 何が楽しくて彼女を僕以外の男と近付けさせなければならない。付き合って余裕ができれば可能なのかもしれないが、今は師泰の申し込みを強く断った。

 田名河とは、田名河(たなか)()(いち)と言う名前の子で、主に男から人気のある他組の女子である。僕と師泰は小学校が同じだったため、別に仲良くはないが知っている。申し遅れたが、丞は彼女と同じ小学校に通っており、僕は中学に進学してから彼女と知り合った。

 丞がそのサルっぽい顔を皮肉っぽく緩ませ、

 

「茶籐、お前が庚渡は絶対無理だよ。お前あいつと付き合える自信あるか?」

 

 と、師泰をたしなめる。

 

「は? どういう意味だよ?」

「だって庚渡、クラスで浮いてんじゃん。いつも一人ぼっちでさ」

「確かにな」

「休み時間も昼休みも一人でずっと本読んでるし。あいつが友達と楽しそうにしてるところ、オレ見たことねーわ」

「不思議ちゃん入ってるよなー」

「だろ? お前じゃあの女もて余すと思うよ。ロリコン鈴鬼だから付き合えるんだぞ」

 

 丞と師泰が、彼女を勝手に腐している。

 

「だから付き合ってるわけじゃないし、僕はロリコンでもない」

 

 僕が声を少し荒げて反論し、これに二人が肩をすくめた。

 だが、丞の言うことは僕も懸念している。確かに彼女は、学校では一人ぼっちなのだ。

 

 まだ彼女と仲良くなる前、女子の間での彼女の評を、僕は耳にしたことがあった。

 (いわ)く、決して悪い子じゃないけど、ちょっと変、とのこと。それと鈍くさいところがあって、相手にしているとムカつきそうだから相手にしない、との事を聞いた。

 一人で寂しくはないか。一度訊いてみたことがある。でも彼女は平然とした顔で「ぜんぜん。陽さんと美月さんがいるし」と言った。あの先輩二人に可愛がってもらっていることはよく聞いている。でも、あの二人は他校の人だ。

 学校でもっと話しかけようか。そうとも訊いた。でも彼女は「それはやめて。学校で噂になっちゃうし、それに、鈴鬼くんは鈴鬼くんの付き合いを大切にして。私のせいで鈴鬼くんから友達が減ったら、悲しくなっちゃうから」と断られた。

 

 しかし、一人で黙って本を読み、一人で帰る寂しそうな姿に、僕は度々胸を痛めている。

 学校でも楽しそうにする彼女を見たい。彼女に学内で、気の許せる友達ができればいいのだが。と思うことは余計なお世話になるのだろうか。

 

「なー、今日どこ行く?」

 

 校門を出て、頭の後ろに手を組む師泰が、空を見上げながら僕と丞に訊いた。

 空は曇っており、天気予報では夕方から雨と聞いた。

 

「帰ろうぜ。期末近いし」

「だなー。あーつまんね」

「じゃーなー、茶籐、鈴鬼ー」

 

 僕と師泰が、家が逆の方向の丞と別れた。

 男二人、歩く僕と師泰。水曜はどこか行くわけでもなければ大抵はこのパターンだ。

 

「なあコシロー、女と遊ぶっておもしれえの?」

「へ? な、なに言ってんだよ師泰」

 

 不意に師泰が実に意外なことを訊いてきたため、僕が戸惑った。

 師泰とは、小学校からの長い付き合いだが、あまり女っ気のある人生を送ってきたとは言えない。むしろ女と遊ぶなんてチャラい野郎だ、などと蔑んでいる節がある。

 女の子を拒んでいた師泰。しかし中学生になり、考えが変わってきているのだろうか。

 

「なんだろうなー、この置いて行かれてる感覚。俺のコシローが、大人になっちまって」

「別に僕は大人になってなんかないよ。気にしすぎだって」

「そうかなー。庚渡と話しているおまえ楽しそうだもの。なあコシロー、庚渡のどこがよかったよ?」

「うーん、どこがよかった……、って知らないよ。師泰、僕は庚渡さんと付き合ってないぞ」

 

 危ない危ない。言ってしまったら、庚渡さんが好きなことを師泰に認めてしまう。

 師泰のことだ、絶対にからかうだろう。しかし、そんな僕の予想に反し、師泰が秘めた(おも)いを僕に()(れき)した。

 いつになく憂いを帯びた面持ちで師泰が、

 

「コシロー。ススムには絶対に言うなよ」

 

 丞に内緒の話を持ち掛けたため、僕が戸惑いながらもうなずいてしまった。

 

「俺さ、田名河のこと、好きだった頃があるんだよ」

「たなか? 田名河於市さんのこと?」

「ああ。ススムとしちゃ冗談なんだろうけど、推しとか言ったとき、俺ビクッてしちまったよ」

 

 正直驚いた。まさか師泰が、好きだった女の子のことを打ち明けるなんて。

 でも、なぜ今になって過去の話を僕に。好きでもない子のことで動揺するのだろうか。

 

「師泰。びっくりするってことは、もしかして、まだ田名河さんのこと好きなの?」

「うーん、どうだろう。ありゃー俺にとっちゃ憧れ、ちゅーか(たか)()の花、つーか」

 

 師泰の答えは、本心を濁しているように聞こえた。諦め切れていない、といったところだろうか。

 いずれにしろフェアじゃないだろう。師泰が初めて異性の悩みを僕に話してくれたのだ。彼女のことを認めよう。

 

「師泰」

「あー?」

「僕はね、庚渡さんの眼鏡を外したところも好きだけど、眼鏡をかけてても好き」

「…………」

「小さいところも好き。誰が変って噂していても好き。全部が可愛いんだ。いつかは付き合いたいと思ってるよ。告白できる勇気はまだないんだけど」

「……ふっ、なんだそりゃ。おまえ庚渡にぞっこんなんじゃねえか。ハハハッ」

 



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キンコンカンコン! のど自慢がために鐘は鳴る

「えっと、庚渡さん」

「なに?」

「僕はなんで、マイクを持っているのかな?」

「ふふっ、なんででしょう?」

 

 暗い一室の中で、彼女が首を少しかしげながら笑みを浮かべた。

 僕と彼女は、いま四畳くらいの狭い部屋にいる。中には長いテーブルがあり、それを囲むようにソファー及びスツールがしつらえてある。

 部屋唯一の照明となっている液晶ディスプレイには、奇麗な女の人が映っており、

 

「どむちゃんねる。今日わたしがおススメするイチオシのアーティストは……」

 

 ハキハキとした声と営業スマイルで、若手の歌手を紹介していた。

 今日は土曜日。僕は彼女と、カラオケボックスに入っていた。

 

「なーにボケてんだよスズキ君。ここはカラオケだぞ、マイク持ってて当然じゃんか」

 

 彼女のお姉さん、アンジーさんが僕にツッコミを入れた。

 分かっている、今のは現状を確認したまでだ。だからこそ僕は、彼女に問い合わせたい。

 今日、僕は「今日こそ勉強しよう」と彼女に誘われた。それで待ち合わせ場所に行ったら、彼女と一緒にアンジーさんがおり、半ば捕まった形でカラオケボックスへと連れて行かれた。

 

「庚渡さん。月末は期末じゃないか。遊んでる暇ないと思うんだけど」

「まあまあ。期末への最後の息抜きだと思って。ちょっと歌うだけだから」

「はあ。そんなこと言って」

 

 お気楽な彼女に、僕がため息をついた。

 しかし、僕は一週前に彼女の壊滅的な点数を見たが、全てが悪いわけではなかった。五科目のうち悪いのが数学と理科と社会で、国語と英語は救いが持てる点を採っていた。

 毎日本を読んでいるからだろうか、国語は何気に点が僕より高かった。けれど社会は本当に悲惨で目も当てられない。何度も言うが一桁の点数なんて僕は生まれて初めて見た。

 彼女の成績は、とても偏っている。姉のアンジーさんが言うには「歴史なんて覚えて何になるの? 一生行くことのない外国のことを知って何になるの?」と、社会に対してはまったくやる気がないとのこと。けれど地理はともかく、国語と歴史って親和性がある気がする。国語って歴史の積み重ねのような気がするし。

 まずは彼女が好きな本や漫画をきっかけとし、歴史に興味を持ってもらえないか。彼女の家庭教師を務めたい僕はそう感じている。

 

「鈴鬼くん。まずは一曲どうぞ」

 

 彼女が選曲するためのリモコンを僕に差し出した。

 トップバッターなんて。僕は、歌が下手なのに。

 

「ぼ、僕が最初に歌うの?」

 

 自信がないために僕が、戸惑いながら彼女に()く。

 

「いけいけスズキー。ここで決めなきゃ男がすたるぞ、気合のソングみせてやれー」

「鈴鬼くんがんばってー」

 

 するとアンジーさんと彼女の姉妹が、僕の気持ちも知らずに(はや)し立てていた。

 

 だが、彼女にせがまれてはやるしかないだろう。僕が覚悟を決めた。

 ちょっと前に流行(はや)った歌を選曲し、緊張しながらも懸命に歌った。のだが――、

 

「あーはっはっは。スズキくんってば、歌へたくそだなー」

「やだー。鈴鬼くんおんちー」

 

 とてもひどい姉妹だ。爆笑された。

 もう一度言うが、僕は歌が下手くそである。人前で歌うなんて罰ゲーム以外の何物でもない。くそう、カラオケなんて行きたくなかったんだ。

 

「ま、おつかれスズキ君。鐘一つだがナイスファイトだ。よし紬実佳、スズキ君にいっちょ手本をみせてやれ」

「うん。鈴鬼くん、一生懸命歌うから聴いて」

 

 代わって彼女がリモコンを持ち、曲を選んで送信した。

 ディスプレイに映った曲名は知らなかったが、前奏に聞き覚えがあった。これは確か、小学生の頃に流行った女児向けアニメの曲だ。

 まだ小学一年だった頃、同じクラスの女の子が歌いながら踊っていた覚えがある。それはさておき、歌詞が映り始め、彼女がすうっと息を吸う。

 

「~♪」

 

 そして、歌い始めた彼女の声に、僕はびっくりした。

 

「~♪」

 

 聴いて、と言うだけはあった。音程をほぼ外さず、声の調子は強弱が効いていて(すこぶ)るリズミカルだ。

 だが、それだけじゃない、更に僕は驚いている。彼女はよく伸びる声を発していた。その歌声は美しくも強く、僕は()まれるようにして聴いてしまった。

 これは上手(うま)いだけじゃない、彼女という存在をありありと表した声だ。まさか、背が小さくて引っ込み思案な性格の彼女から、こんなにも力強い声が出ようとは。しかし彼女は音楽の授業で、これ程の歌声を披露したことはない。

 そして、曲が終了する。

 

「えへへ、 鈴鬼くんどうだった?」

「ああ、びっくりした。庚渡さんがこんなに歌が上手(うま)かったなんて」

「ふふ、よかった。歌だけなら自信があるんだ」

 

 はにかむ彼女に、僕が気になったことを()いた。

 

「どうして学校では今みたいに歌わないの?」

「ええー、学校じゃ今みたいになんて絶対に歌えないよ。学校の歌って基本合唱だから、みんなと合わせるのが大事だし、一人だけ目立ってもね」

 

 少し困った顔を浮かべて言った彼女。控えめな彼女らしい回答だった。

 しかし、この歌の上手さを知れば、皆の彼女を見る目が変わるのではないか。彼女が鈍くさいなどと言われていることは前述している。この素晴らしい歌唱力を、皆に是非とも知ってもらいたい、なんて僕は考えた。

 腕を組むアンジーさんが、目をつむってドヤッとした顔で、うんうん、とうなずきながら、

 

「どうだいスズキ君。紬実佳の歌は、あたしと兄ちゃんが育てたんだ」

 

 と、僕に教えた。

 

「そうなんですか。庚渡さんお兄さんもいるの?」

「うん。お兄ちゃんもいるよ。もう働いてるけど」

 

 僕が尋ねると、彼女が三人兄妹の末っ子であることを明かした。

 

「よーし、姉ちゃんも歌っちゃうぞー。何にしようかなー」

 

 アンジーさんがリモコンをぽちぽちと押しているときだった。

 急にアンジーさんが止まり、液晶ディスプレイが固まっている。この時が止まったような感覚を僕は何度か経験している。

 

「トゥインクル! ブラックホール団が襲ってきたベエ!」

「べーちゃん」

 

 庚渡さんの目の前に、パッと妖精が現れた。

 

「サンシャインとムーンライトはもう向かっているベエ! トゥインクルも早くだベエ!」

「分かった。来て、鈴鬼くん」

「うん」

 



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決戦! 武士道とは死ぬ事と見つけたり

「愛にあふれる日々を未来に! 光の戦士トゥインクルスター!」

 

 カラオケ屋を出た僕と彼女。さっそく彼女が変身し、黄色を主とした光のドレスを身にまとった。

 僕は以前、彼女の変身する瞬間を見ている。彼女は変身の際、着ていた服からドレスへと変わるとき、ほんの一瞬だけ裸のシルエットを見せる時が存在した。

 見ちゃいけない。そう思いつつも欲にあらがえず、一秒にも満たない一瞬を見逃さまいと凝視してしまった。だが、今日の彼女の変身は、着ていた服からドレスへと変わる間に、白いノースリーブのワンピースみたいな服をまとっていた。

 僕はほっとした。しかし、心の片隅でわだかまる、僕の下種(げす)で下卑た一部の感情が、裸のシルエットを拝めなかったことに落胆を覚えていた。

 

「トゥインクル! 敵はあっちに現れたベエ!」

 

 共にカラオケ屋から出た妖精が、その短い腕で西の方角を指して彼女に言った。

 あっちと言われても、いま出たばかりのカラオケ屋が立っている。しかし、彼女がうなずき、僕に歩み寄ると、

 

「鈴鬼くん、ちょっとごめんね」

 

 僕の背と膝の裏に、謝りながらも手を回したため、僕が戸惑った。

 そして彼女が、僕をお姫様のように抱える。

 

「飛ぶね。私にしっかりつかまって」

「う、うん」

 

 僕の返事を確認した彼女が、一息に大きくジャンプした。

 

「うわぁ……」

 

 ふわりと浮かぶように彼女が飛び、町を一望できる高さからの光景は、抱えられる僕に感嘆の声を漏らさせた。

 彼女に目を向けると、真剣な顔をして前を向いている。僕が恋に落ちたときの勇ましくも可愛らしい顔で、つい見とれてしまう。

 僕の視線に気が付いたのか否か、彼女が抱える僕の方に向く。

 

「鈴鬼くん、さっきはごめんね。おんちとか言って笑っちゃって」

 

 カラオケボックスで僕がひそかに傷付いていたことについて彼女が謝った。

 

「ああ、気にしてないからいいよ。もう笑われ慣れてるし」

「あのね、言い訳になるけど、私もちっちゃい頃はお姉ちゃんやお兄ちゃんに散々下手って言われてたんだ。だから歌については下手って言っちゃうの、あんまり抵抗なくて」

「庚渡さんも歌ヘタだったの? あんなに上手(うま)いのに」

「うん。寝た子も起きちゃう、ってよく言われてた。だからお兄ちゃんとお姉ちゃんにスパルタで鍛えられたの」

「そうなんだ。意外だ、歌の良し悪しって生まれつきの才能なのかと思ってた。僕みたいな音痴でも上手くなれるかな?」

「もちろん。鈴鬼くん声質わるくないし、カラオケレベルなら音感さえ身に付ければ上手くなれるよ」

「音感?」

「聴いた音をちゃんと音が外れることなく出せるってこと、かな? 鈴鬼くん、歌うまくなってみる? 私が教えるよ?」

「ええっ、自信ないなぁ」

「ふふっ、このお姉さんに任せてください。私も鈴鬼くんが一生懸命がんばってるとこ見たいし」

「僕なんかの頑張ってるとこなんて」

「ううん、さっきの鈴鬼くん、歌は下手だったけど素敵だった……あっ、あれは」

「え?」

「見つけちゃった。下りるよ鈴鬼くん、落ちないようにしっかりつかまって」

 

 車がまばらに停まった駐車場に彼女が下り立った。

 僕も下り、だだっ広い駐車場を見回す。確かここは隣町・(こう)(りょう)市が運営するイベント会場の駐車場だ。たまに野外のフェスなどを催していたりしている。

 彼女は先に何かを見つけた旨を口にしていた。僕が彼女の視線の先に振り向く。

 

「あれは、ラ、ライオン!?」

「鈴鬼くん、私が守るから下がって」

 

 遠くから迫る、動物園から逃げ出さない限りあり得ない獣の姿に、僕が驚く一方で彼女が構えた。

 しかし、勝負はすぐに決着がついた。僕が焦る必要などなかったくらいに。

 

「とおっ」

 

 駆けるライオンと彼女の間に、黒いビキニ姿の女の人が颯爽(さっそう)と下り立つ。

 

「〝サンシャイン〟!」

 

 その戦士の名を彼女が呼んだ。

 燃えるような色の長い髪をツーサイドアップにまとめ、炎に似た紋様が体中に描かれている。彼女の先輩にして共に戦う仲間、戦士サンシャインこと乾出陽さんだ。

 陽さんは振り向かなかった。既に戦いに集中しているのだろう。

 

「だああっ!」

 

 両腕を広げる陽さんが、突進するライオンを真っ向から食い止める。

 

「今だよ、〝ムーンライト〟!」

 

 そして、銀の着物を羽織った女の人が新たに下り立った。

 ()れ羽色の長い髪をなびかせ、細い体型に似合わぬ大きな籠手を両手にしており、遮光器に似た黒いゴーグルを付けている。彼女のもう一人の先輩、戦士ムーンライトこと巽島美月さんだ。

 ライオンを止める陽さんに美月さんが呼応する。

 

「切る! 〝マッソルカッティング〟!」

「ヤッ、ヤクサァァイッ!」

 

 美月さんが右の籠手でライオンの胴を斜めに斬ると、ライオンが叫びを上げて消滅した。

 

「サンシャイン! ムーンライト!」

 

 戦いが終わり、彼女が先輩二人に駆け寄る。

 

「終わったよトゥインクル。……あのさ、ムーンライト」

「なに?」

「今日、なんか楽勝じゃなかった?」

「そうね。この前の水瓶(みずがめ)に比べると雲泥の差だったわね。まあ、勝つことに越したことはないでしょう。べーちゃんの精霊集めも進むんだし」

「そうだね。さあ、今日はメテオもいないようだし帰ろう」

「そうだったわ。漬物つけている途中だった、早く帰らないと」

「やーい、漬物女ー」

「ぶっ殺されたいのかしら筋肉女」

 

 付き合いが長いのであろう陽さんと美月さんのやり取りに、彼女と僕がくすりと笑ったときだった。

 パチパチと、軽い拍手の音が上から聞こえる。これにコスモスの皆と僕が宙を見上げる。

 

「おめでとう、コスモスの諸君」

「メテオ!」

 

 黒い仮面をかぶり、黒いマントを羽織る黒ずくめの男が宙に浮いていた。

 男が地上に下り立つ。僕がこの男を見るのは三度目になるが、彼女や陽さんや美月さんは、もう宿敵と呼べるくらい戦っているのだろう。

 不敵に立つ男。そんな余裕を見せる男に陽さんが告げる。

 

「メテオ、あんたが使役する精霊はもう解放したよ」

「フッ、元々〝小獅子座(レオマイナー)〟に、今の君たちを止められると思っていないさ」

「……どういうこと? あたしらに勝てないのが分かっていたってこと?」

「そうだ。レオマイナーは君たちをおびき寄せるための布石。今日は僕が、直々に相手になろう」

 

 黒ずくめの男がマントを脱ぎ捨てた。

 男はパリッとした(しわ)のない黒のワイシャツを着ており、マントを脱いでも変わらず黒かった。

 しかし、男が今まで矢面に立ったことはない。僕が知る三度の遭遇、いずれも怪獣に戦わせて自分は逃げている。

 

「どういう風の吹き回し? 精霊に戦わせて逃げるだけだったあなたが」

 

 美月さんが心変わりを男に尋ねる。

 コスモスの皆はこの男について僕より知っている。美月さんが訊くという事は、やはり逃げているのだろう。

 心変わりの問いに、男が軽く笑う。

 

「君たちを始末できないお叱りを受け、もう後がなくなっただけさ。笑うがいい」

 

 そして、自らを嘲ったが、戦えない僕はもちろんコスモスの三人も口を閉ざしていた。

 戦士三人が構え、美月さんが布告する。

 

「笑えないけど、いいわ、決着をつけましょう。今日ここであなたを捕まえる」

「フフ、そう簡単に捕まると思うな。なにせ僕は今日、これを使うのだからな」

「あっ、あれは!」

「全身全霊で御相手を(つかまつ)ろう! さあ〝射手座(サジタリウス)〟よ、この少ない命を惜しみなく使い切れ!」

「うっ!」

 

 男の胸から強烈な光が放たれた。

 フラッシュのようなまぶしさに僕が目を背ける。程なくして光が収まり、背けた視線を男に戻すと、

 

「……えっ?」

 

 著しく変わった男の姿に、僕が我が目を疑った。

 

「僕は日本史、とりわけ戦国時代が好きでね」

 

 男は黒の(よろい)をまとっており、胴を覆う鉄の板が黒光りしている。

 頭には(かぶと)をかぶり、前立(まえだて)と言っただろうか、「レ」の字を左に少し傾けたシンボルが額の箇所を飾っている。その大仰しさは僕に日本の武士を思い起こさせた。

 しかし、信じられないのは下半身だ。男は(ひづめ)を持つ足を四つ備えており、下半身が馬に変わっている。

 目の前に仮面をかぶった半人半馬の黒い武者がいる。その武者が、腰から日本刀を抜く。

 

「コスモスの諸君よ。さあ、決着を付けようではないか」

 

 白く光った切っ先が、光の戦士三人に突き付けられた。

 



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アクセレイション! 神速のゴーストアタック

「いざ参る! イヤアッ!」

 

 半人半馬の黒武者が駆け始めた。

 地面を(たた)(ひづめ)の音に合わせて武者が体を弾ます。歴史ドラマに現れる騎馬さながらに。

 武者が手にする刀を振り上げ、陽さんに迫り、

 

「フンッ!」

 

 刀を振り払ったが、これは陽さんが軽く避けた。

 すれ違った武者がブレーキをかけたように止まり、体を反転させる。

 

「なにメテオ? それがあんたの本気? 見掛け倒しもいいとこじゃない」

 

 刀を避けた陽さんがあきれた口調で武者を挑発した。

 だが、僕も同感だった。今の攻撃は何というか、あまりにも普通で芸がない。脅威がまったく感じられず、これなら僕が以前見た白馬や白鳥の方が断然恐ろしい。

 巨大な怪獣を目にしている僕の感覚がおかしいことはさておき、黒ずくめの男は後がないことを述べた上で直接対決を挑んだ。それなのにこれでは、陽さんが言ったとおり見掛け倒しだ。

 

「ハハハ、これは失礼。まだ試運転の段階なんだ、許してくれ」

 

 侮られた武者が笑いながら謝る。

 

「では、スピードアップと行こうか。〝アクセレイション〟!」

 

 そして武者が、面目一新を告げると、

 

「……えっ?」

「えっ?」

 

 突如とした変事に、陽さんが、美月さんが、彼女が戸惑った。

 

「消えた!?」

「えっ、どこっ!?」

 

 光の戦士三人が辺りを探している。

 僕も懸命に探すのだが見当たらない。「加速(アクセレイション)」。武者がそう言った矢先に姿を消したのだ。

 形はおろか影もない。まるで手品のように姿が消えた。消えたのではなくて隠れたのか。そんな思考を巡らす僕だったが、

 

「ああっ、あそこっ!」

 

 僕の後ろを彼女が驚いた表情で指した。

 急いで振り返ると、(はる)か後方の車の上、そこに半人半馬の黒武者が立っている。

 

「フッ、惑う君たちの姿、中々に滑稽であったぞ」

 

 武者が車上から三人を見下ろして告げた。

 車の上から軽やかに降りる武者。つい先程まで武者は、陽さんからそう離れていない場所に立っていたのだ。それが次の瞬間、陽さんから離れた場所にいる僕の遥か後方に立っていた。

 まさに瞬間移動、隠れたならその場から動いていないだろう。武者は光の戦士ですら捉えられない速さで移動した。この事実に僕と三人が(きょう)(がく)する。

 

「さあ、慣らし運転は終わりだ。行くぞコスモス! アクセレイション!」

「また、消えた!」

「くっ!」

 

 陽さんが驚き、美月さんが苦い声を発する。武者が再び姿を消した。

 

「ど、どこ……」

 

 僕を含めた皆が、あちこちに振り向いて武者を探す。

 誰もが落ち着いていない。いつどこから現れ、襲われるか分からない恐怖。究極の闇討ちとも言える武者の業が、僕に身の毛のよだつ思いをさせる。

 三人を、特に彼女を傷付けさせる訳にはいかない。また、僕が襲われないとも限らない。僕も目を皿にして探すが、やはり僕なんかでは見つからない。

 亡霊のごとく姿を消した武者。探す陽さんの後ろ、そこに、――武者が突如として姿を現した。

 

「後ろよサンシャイン!」

「えっ。うわあっ!」

 

 美月さんの呼びかけに陽さんが振り向く。

 

「捉えたぞ! 終わりだサンシャイン!」

「うう、うああっ!」

 

 しかし間に合わず、武者の刀による突きを陽さんが腹に食らう。

 

「ぐうっ! げふっ、がっ……」

「ふむ、貫けぬか。流石(さすが)はコスモスの身体強化」

 

 刺されたと思ったが、無事だったために僕がほっとした。

 だが、無事と言ったが、それは命に係わることであってただでは済んでいない。突きを食らって吹っ飛ばされた陽さんは、体をがくがくと震わせながら地面に()いつくばっており、その苦しそうな表情に僕が息を()む。

 激痛に涙を落とす陽さんの一方で、武者が貫けなかった白刃を見つめながらつぶやく。

 

「しかし何度も切ればいつかは斬れよう。山羊座(カプリコーン)を破ったコスモスの戦術、真似させてもらうとしよう」

 

 武者が方針を(あら)わに構えると、陽さんが突かれた腹に手をあてながら立ち上がった。

 眉間にしわを寄せ、拳を固く握り締めて。陽さんが涙をあふれさせながら怒っている。

 

「このっ、女の腹を突くなんてどういう料簡よ。赤ちゃんが産めなくなったらどうすんのよ!」

 

 握り締めた左の拳を振りかぶって飛び込む陽さんだが、

 

「赤ちゃん? サンシャインよ、君は今日滅ぶ運命なのだ。君が今日を生きて未来をつなぐ命を欲しいなら、滅びの運命を覆して見るがいい! アクセレイション!」

「うわあっ!」

 

 武者はまたも姿を消し、そして背後に姿を現した武者が陽さんを打ち据えた。

 

「サンシャイン! よくも!」

「ムーンライトか」

 

 美月さんが跳び、籠手の先を(とが)らせて斬りにかかるが、斬られる寸前に武者が姿を消した。

 空振った美月さんの背後に、すうっ――と武者が現れ、手にする刀で美月さんを後ろから()ぎ払う。

 そして、次に狙われたのは彼女で、僕が目を大きく開く。

 

「う、ぐ……」

「フフッ、トゥインクルスターよ、君の自慢の光線、撃ってみるがいい」

 

 武者に対して光を集めている彼女。撃てる態勢を整えていた。

 だが、撃たなかった。僕でも分かる、撃ちたくても撃てないのだ。撃ったところで武者は必ず姿を消すだろう。

 結果が分かっているために彼女が迷っている。しかし、先輩二人が傷付けられている。

 

「いっけぇ! トゥインクルブラスト!」

 

 手をこまねいている訳にもいかなかった彼女が、万に一つの可能性に賭けて光を放つ。

 

「どこを狙っている」

「きゃあっ!」

 

 やはり武者は姿を消してかわし、そして目の前に現れた武者に彼女が首元を打たれた。

 打たれた彼女が膝を落とし、その痛みに小さな体を丸める。

 

「庚渡さん!」

 

 彼女まで傷付き、これに僕がたまらず駆け寄った。

 だが、武者が走る僕の方に振り向き、そして体を弾ます。僕の前で止まり、武者が僕の行く手を阻んだ。

 2メートルは悠に超す半人半馬の黒武者が、僕の前に立っている。右手には白く光る日本刀を備え。

 そして武者が、僕に刀を突き付ける。反った刀の尖端(せんたん)は何よりも鋭かった。こんなにも鋭い物があるのか、とある意味で感心してしまうくらいに。

 

「う、あ、あ……」

 

 目前に迫った死に僕が立ちすくむ。

 

「少年よ」

「……え?」

「君は以前も見たが、コスモスの戦士ではないだろう?」

 

 僕が動転した。なんと敵であるはずの武者が、僕に話しかけたのだ。

 武者が僕を見つめている。その瞳からは意外にも理性を感じる。

 

「鈴鬼くん!」

「動くなトゥインクルスター。動くとこの少年を斬るぞ」

 

 武者の後ろでは痛みをこらえる彼女が、僕を心配してくれるが、そんな彼女を武者が振り向いて制した。

 そして、武者が僕にマスク越しの顔を再び向ける。

 

「少年よ、去れ。私の目的はコスモスの抹殺だ。関係ない者を巻き込みたくない」

「う、う……」

「意地を張るな。蛮勇(ばんゆう)は身を滅ぼすぞ。……もっとも、君の(おも)い人は斬るが。許してくれとは言わん、私を恨み、憎み続けるがいい」

 

 言葉を発せない僕に、反転した武者が背を向け、

 

「さあ、コスモスの諸君よ。死闘を再開しよう」

 

 光の戦士三人に戦いの続行を伝えた。

 分かっていたが僕は無力だ。何も出来はしない。僕が(じく)()たる思いに駆られる。

 

「スズキ君」

「美月さん」

 

 すると立ち上がっていた美月さんが、ゴーグルを外して僕を呼んだ。

 (さら)した美月さんの眼つきはとても険しかった。まるで何かを決心したような気迫ある目をしており、僕が悔しさを忘れて息を呑む。

 

「離れていなさい、絶対に巻き込まれない場所まで。……メテオ」

「なんだムーンライト」

「あなたと同じ力、私も使う。カプリコーン! 私に力を貸して!」

 

 美月さんが宣言すると、先の武者と同じように強く輝いた。

 直視できない黄金の光。程なくして収まり、僕が美月さんに視線を戻すと、なんと美月さんの頭に一対の後ろに反った角が生え、下半身が尾びれに変わっている。

 予想外の変身に僕が声を失う。その姿は銀の人魚と言うしか他がない。

 

「スズキ君! 何をぼーっとしているの! 早く遠くまで離れなさい!」

「は、はい!」

「行くわメテオ! 同じ黄道の精霊、このカプリコーンの力であなたを倒す!」

「来るがいいムーンライト!」

 



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暮歳に輝く武者の意地と矜持

「もらったぞムーンライト! フアッ!」

 

 光の戦士ムーンライトの背後を捉えた武者が刀を払う。

 だが、ムーンライトが()(びれ)と化した下半身をかいて宙を舞い上がる。そして横に()がれる刀を華麗にかわす様は、まさに水面(みなも)を跳ねる人魚のよう。

 そのまま宙をくるりと翻ったムーンライトが、右手のガントレットを(ぬき)()の形に構える。そして、

 

「切る! マッソルカッティング!」

 

 銀色にきらめく鋭い縦の弧を描く。

 三日月の(ごと)く描かれた弧を、武者が刀を横に構えてかろうじて受け止める。

 

「うぬうっ! アクセレイション!」

「逃げる気!? 逃さないわ!」

 

 姿を消した武者だが、ムーンライトが左へ回り込むように移動し、姿を現した武者の動きを食い止めた。

 刀と籠手、つば競り合う武者とムーンライト。武者の加速(アクセレイション)は音速に匹敵する速さを予備動作なしで生み出している。毎秒340メートルに近い超高速を相手の眼前で繰り出しているため、消えたように見せているのだ。

 常人や並のコスモスの戦士なら翻弄するに充分だった。しかし、今のムーンライトはカプリコーン(やぎ座)を宿している。サジタリウス(いて座)と同じ黄道の精霊を持つ今のムーンライトには、武者の動きが見えていた。

 ムーンライトは武者の移動先を予測した。それで左に回り込んで先回りしたことで、音速で移動する武者を止めるに至ったのである。

 

「トゥインクル!」

「はい! はあああっ!」

 

 ムーンライトに呼応していたトゥインクルが、高度から蹴りを繰り出した。

 武者の左側面を狙った突き刺すようなキック。武者がつば競り合いをやめ、右に跳んでかわすが、

 

「逃がすもんか! どりゃあああっ!」

「うぐはあっ!」

 

 この回避を読んでいたサンシャインが利き手の左ストレートを放ち、この拳が武者の右脇腹を(えぐ)るように突き刺さる。

 

「ぐっ、お……」

「ムーンライト! チャンスだよ!」

「ええ! 仕留める、〝ギルティーメインディッシュ〟!」

 

 連携が初めての好機を生み出した。ムーンライトが右手のガントレットを(とが)らせ、武者の左後ろ脚を深く突き刺した。

 すかさず引き抜いたムーンライト。武者の左後ろ脚から血があふれ、膝をガクッと落としたように曲げる。

 すぐに体勢を戻した武者だが、左の後ろ脚が震えている。

 

「おのれ、コスモスめ。やるではないか」

「侍ごっこは終わりよ、メテオ!」

「たかが脚一つ! アクセレイション!」

 

 またも加速した武者だが、明らかにスピードが落ちていた。

 速いことは速い。以前コスモスが戦ったヤマネコなら(りょう)()する。だが、サンシャインとトゥインクルの目でも姿を捉えることができ、もはや亡霊の如き闇討ちは不可能な水準まで落ちていた。

 そして、ムーンライトが駆ける武者を厳しく追い詰める。

 

「はああああっ!」

 

 ()えるムーンライト。()(とう)の連撃で武者を攻め立てる。

 同じ黄道の精霊を宿すムーンライトだけは、武者の落ちたスピードに追い付けた。振り切らんとする武者にまとわりつき、武者を決して逃さない。

 斬撃と刺突を絶え間なく繰り出すムーンライトに、自慢の足を殺された武者が防戦一方を余儀なくされる。ところが、形勢は徐々にだが武者に傾く。

 武者とムーンライト、両者が持つある物が明暗を分かつ。

 

「見切った! フンッ!」

「あぅっ!」

 

 武者が一瞬の隙を見出し、ムーンライトの振り下ろすガントレットを、刀を素早く払って弾き返した。

 

「はあっ、はあ……ぐっ」

 

 吐く息を()み、引き切りなしに垂れる汗を、ムーンライトがぬぐう。

 鼓動が大きく脈を打ち、肺が酸素を求めて呼吸を急がせる。蓄積した疲労を隠せないムーンライトを、

 

「どうしたムーンライト? 辛そうではないか」

 

 武者が余裕ある様子で挑発する。

 

「あ、あなたは、辛くないの? 同じ精霊を、宿しているというのに」

 

 たまらずに弱音を吐いたムーンライト。黄道の精霊を宿す行為は肉体にとてつもない負荷がかかる。これは精霊と宿す者が、どれだけ相性が良くとも逃れられない。

 しかし、武者は涼しい素振りをしている。疲労が(ほとん)ど見受けられない。条件は同じ、否、ムーンライトが宿す前から武者は宿しているのに。

 ムーンライトが同じ黄道の精霊を宿す武者に問う。だが、

 

「フッ、惰弱な。君の限界はその程度か」

 

 そんなムーンライトを武者があざ笑った。

 しかし、武者とて辛かった。体内の熱は煮えくり返っており、腹の中から胃液をもらしそう。増して武者は緒戦から宿している。それなのに武者が平然としていられる理由は、(ひとえ)にその精神力にある。

 とどのつまり、武者は痩せ我慢しているのである。しかし、今のムーンライトにこの効果は絶大だった。同じ条件なのにメテオは余力を残している。こう思わせることは、限界が近いムーンライトに大きな失意を与えた。

 精神力。言い換えれば忍耐。中学生の未熟なそれに、大人の踏まれて育った雑草の如きそれが勝った。そうして優位に立った武者が、刀を(さや)に収める。

 

「終わりにしよう。さらばだムーンライト」

 

 武者が握り拳を作った左手を突き出し、右腕を引いた。

 

「……っ!」

 

 息を呑むムーンライト。武者の左手に煌々(こうこう)と輝く光の弓が現れる。

 そして、引く右手には光の矢が生まれ、ムーンライトの胸を狙う弓矢が、武者の腕に形成された。

 いけない。そう危険を感じ取ったムーンライトが、銀の着物を脱ぎ捨てながら下がる。

 

「〝サジタリウスビシャモンテンアロウ〟!」

「あっ、ああああぁっ!」

 

 しかし逃れることは不可能だった。放たれた光の矢にムーンライトが射られた。

 

「ムーンライト!」

 

 吹き飛ばされたムーンライトが地面を転がり、サンシャインとトゥインクルが駆け寄る。

 突っ伏したムーンライトは気を失えど息をしていた。銀の着物は盾としての機能もあり、これをとっさに投げて矢にかぶせたことで致命傷は免れていた。

 カプリコーンによる変身が解け、続けてムーンライトの変身も解けて巽島美月に戻る。仲間が敗れた事実にサンシャインとトゥインクルの二人がショックを受けている。

 

「残るは君たち二人だ。覚悟」

 

 動揺する二人に、武者が刀を抜いて突き付けた。

 



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夕星への祈りと愛のひらめき

 足を一つ失い、緒戦に比べると明らかにスピードが鈍った半人半馬の武者だが、

 

「イヤアッ!」

 

 それでも勢いは止まらない。高く跳躍し、拳を振り上げたサンシャインの頭上を飛び越える。

 そして、着地した武者が、跳んだ勢いを(まま)にまた駆け始める。

 まさしく汗血馬、あるいは戦場を駆け巡る鉄騎兵。武者は止まるという事を知らず、(ひづめ)の音に合わせてその巨体を軽快に躍らせている。

 

「何をまごまごしている、トゥインクルスター!」

「きゃあっ!」

 

 走る武者に狙いを付けられないトゥインクルが、武者に接近を許して倒された。

 地面を転がるトゥインクル。もう何度も傷付けられている。

 

「トゥインクル! このおっ!」

 

 倒された後輩に、サンシャインが怒りの拳を振り上げるが、

 

「甘い! アクセレイション!」

 

 並の戦士なら足一つでも十分。そう武者が加速を発動して拳をかわす。

 目の前から消えた武者に、サンシャインが首を左右に振り向けて探す。だが武者は、サンシャインの背後に立っており、隙だらけの後ろから刀を突き出す。

 刀の気配に気付いて振り向いたサンシャインだが、防御が間に合わずに刺突をもろに食らう。

 

「うう……」

 

 仰向けに倒れたサンシャインが(うめ)く。ムーンライトが敗れて以降、サンシャインとトゥインクルは武者にいたぶられるが儘だった。目では捉えられても、二人は武者の速さに付いて行けなかった。

 黄道の精霊を宿したムーンライトだからこそ追い付けたのである。そのムーンライトは倒れ、もはや敵なしと見た武者が、倒れた二人に刀を突き付けて言い渡す。

 

「打つ手なしだな。君たちが前に破壊したアクエリアスの精霊でも宿してみるか?」

 

 コスモスの三人は一月前、同じ黄道の精霊みずがめ座(アクエリアス)を破っている。この精霊は妖精が回収し、宿そうと思えば確かに宿すことはできた。

 だが、無理な話であった。妖精が解析したところ、アクエリアスはサンシャインもトゥインクルも相性が良くない、とのこと。相性の悪い精霊を宿すと、寿命をいたずらに食われる上に、宿した者が最悪死に至る。

 八方ふさがりだった。先にムーンライトが止めたように、縦横無尽に走り回る馬の足をどうにかして止めなければ勝ち目はない。

 

「たとえアクエリアスを宿そうとも打ち破ってみせるが」

 

 武者が自信ありげに宣言する一方で、

 

(鈴鬼くん)

 

 トゥインクルが四つん()いに起き上がりながら遠くの鈴鬼小四郎を見た。

 遠くにいる彼は祈っていた。乙女がごとく膝を突いて手を組んで。

 

「……まだ終わってない。メテオ、私たちは諦めない」

 

 祈る彼に感化されたトゥインクルが、武者に意気を示しながら立ち上がる。

 

「そうだ、あたしたちは負けるわけにはいかない。みんなを、この町を守るため、どれだけ傷付いても立ち上がってやる!」

 

 続いてサンシャインが立って気炎を吐いた。

 屹立(きつりつ)した二人に武者が、それでこそコスモス、と(かす)かに笑う。

 武者が刀を構え、対するサンシャインも腰を落とす。

 

「はあああ……」

 

 トゥインクルは広げた両手を突き出して光を集めていた。

 

(一か八かだけど、やるしかないんだ!)

 

 渦巻く光の粒子。両手に集まる光が、徐々に輝きを増している。

 トゥインクル必殺の光線、命名したトゥインクルブラスト。この光で今まで何匹もの敵を倒した、コスモスの切り札にして最大火力だ。

 まともに浴びれば誰とてひとたまりもない。だが、武者は恐れていなかった。

 

「何度試みても同じだトゥインクルスター! 私の速さに君は撃てない! アクセレイション!」

 

 白く凝縮される光を前に武者が、得意の加速を発動し、光を周るように(しっ)()する。

 

 そう、トゥインクルの光線は真っ()ぐにしか撃つことができない。威力は計り知れないが、その軌道はあまりにも読みやすく、故に撃てなかった。

 だが、真っ直ぐを破ったら。光線の軌道を変えることができたら。破る方法を一つだけ思い付いたトゥインクルが、この奇策と言うべき方法に勝負を懸けた。

 試したことなど一度もない。ぶっつけ本番の一発勝負。光を収束するトゥインクルに、回り込みながら接近した武者が、

 

()らえいっ!」

 

 刀を振り払い、トゥインクルの首を狙う。

 

「トゥインクルブラスト〝アウト〟!」

 

 だが、トゥインクルが手を組み、光を握りながら放った。

 

「うっ、おおおおっ!?」

「や、やったぁ!」

 

 想定外の事態に武者が驚きながら(もだ)え、奇策が功を奏したトゥインクルが思わず喜ぶ。

 真っ直ぐにしか撃てない。ならば光を握り、指の隙間を使って四方八方にまき散らしてみたらどうか。手を組む彼を見たトゥインクルが思い付いたのである。

 放った光の軌道はまさにショットガン、前方広範囲にまき散らした光が武者に炸裂(さくれつ)した。拡散したために威力は落ちたが、それでも武者の足を止めるには事足りていた。

 

「お、おお。()(しゃく)な真似を……」

 

 光を浴びた武者がよろめいている。

 

「このチャンス、絶対に逃さない! でやあああっ!」

「ガアァッ!」

 

 絶好の好機をつかむべく、サンシャインが渾身(こんしん)の回し蹴りを、今の武者の生命線たる右後ろ脚に(たた)きつけた。

 両の後ろ脚を破壊された武者がガクッと馬の尻を下ろす。武者の加速は封じられた。

 

「これで最後だぁ! 〝キャノンストレート〟!」

 

 そして、サンシャインが熱の拳をふりかぶり、持ち得る最大の左ストレートを武者に放った。

 熱の拳をまともに食らった武者が、野球のライナーボールのようにまっすぐ素っ飛ぶ。サンシャインの拳は疑似的な火砲(カノン)、爆発的な運動量によって対象を破壊、あるいは射出する。

 やがて、武者が停まっている一台の車に激突する。これによって武者が崩れるように倒れ、サジタリウスの変身が解けて元の黒ずくめの男に戻る。

 かぶる黒の仮面を落とす。サンシャインとトゥインクルが追い詰めるべく武者に駆け寄るが、

 

「あっ! この人は!」

 

 (さら)した男の素顔に、トゥインクルが思い出して足を止めた。

 

「知ってるのトゥインクル?」

「はい。覚えてないですかサンシャイン? 名前は思い出せないですけど、確かこの人、前にどこかの町で選挙に立候補した人です」

 



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国家を憂う烈士の机上の空論

「庚渡さん」

 

 武者の変身が解け、倒れた黒ずくめの男を確認した鈴鬼小四郎が、トゥインクルに駆け寄った。

 トゥインクルが勝利を報告する。懸命に祈る彼を見なければ、手を組む奇策をひらめなかったから。

 

「勝ったよ鈴鬼くん。鈴鬼くんのおかげで」

「えっ? 僕、なにもしてないけど」

「いいえ、したんです。ふふっ」

 

 いたずらっぽく微笑(ほほえ)むトゥインクルに、彼が何の事か分からず頭をかいた。

 この二人は、きっと互いに(おも)っているのだろう。そう感じた黒ずくめの男が、

 

「フッ、素敵なものだな」

 

 と、目を閉じてつぶやく。

 

「メテオ。あんたまだ」

「降参だよサンシャイン。戦いたくても、ムーンライトと君が壊したおかげで、脚が動かない」

 

 踏み出したサンシャインだが、男が観念した顔で戦えない旨を伝えた。

 険がとれた男の様子にサンシャインが戸惑う。彼女が知っている男は、自分たちを葬ろうと躍起になり、時に狂気すら見せる常軌を逸した男だった。

 絶対に倒し、裁かれるべき悪人。そんな印象を抱いていたサンシャインだったが、その悪人はいま穏やかな顔を浮かべ、優しい眼差しで見ている。とても悪人には思えず、だから、サンシャインが迷ってしまう。

 非情になれないサンシャインの一方で、男の顔を見た彼が思い出す。

 

「あ、この人は」

「覚えてる鈴鬼くん?」

「うん。三年くらい前に、どこかの町の選挙に出馬した()(とう)って人だよ。何とかって言うタレント議員と争って落選しちゃったけど、ニュースで何度か見かけてるし、有名な方なんじゃないかな?」

 

 詳しい説明をした彼に、

 

「えっ、有名なのスズキ君。いやあ、全然おぼえてないや」

 

 サンシャインが男の顔を見ながら苦笑し、

 

「フッ、覚えている者もいたか」

 

 その者であることを男が認めた。

 

「サンシャイン、トゥインクル、おつかれだベエ」

「べーちゃん、美月。あんた大丈夫なの?」

「ええ、なんとか」

 

 妖精がムーンライトこと美月を引き連れて現れた。

 足取りのおぼつかない美月にサンシャインが肩を貸す。

 

「ウサギ? ……そうか、お前が」

「よろしくだベエ」

 

 一方でいぶかる男に、妖精が挨拶した。

 

「べーちゃん。メテオを知ってるの?」

「そりゃ知ってるケド、顔を合わせるのはもちろん初めてだベエ」

 

 サンシャインが妖精に()くが、妖精は即座に関連を否定した。

 ふよふよと浮かぶ妖精に、男が目を大きく開く。が、詮無き事と諦め、目を閉じながら首を振る。

 そして、男が語る。高き理想と許せない挫折、転じた野望と疑いの足跡(そくせき)を。

 

「フフッ、この代理戦争の使者とここで出会えるとは。まあいい、どうせ私はもう長くない。見なかったことにしよう。……コスモスの戦士たち、それと少年よ。君たちは、日本の将来について考えたことがあるか?」

 

 男が妙な問題を提示してきたため、皆が戸惑った。

 この国の将来、などと中学生に言われても。妖精を除く皆が顔を見合わせ、それから男に向かって首を振る。

 

「過度な大卒信仰と女性の労働を前提とする社会が招来した少子化、労働力確保のための安易な移民の導入、数値を至上とするマスメディアとインターネットの匿名性を悪用した情報工作、そしてこれら問題に目を背ける税金を打ち出の()(づち)か何かと勘違いしている腐敗した官僚。いま日本という国が憂うべき問題は山ほどあるが、私は資源に注目したい。君たちが知るとおり日本は資源がない国だ。車を作るにも材料を他国から輸入し、家畜を飼うにも飼料を他国から仕入れている。故に円安円高に景気を大きく左右される、あまりにも(もろ)い国なのだ」

 

 円安と円高、つまり円相場。男が経済の話をし始めた。

 金とは相対的な価値である。円が高ければそれだけ外国から物を安く輸入することができ、外国に物を高く売りつけることができる。

 しかし、円高なら良いという訳ではない。急激な円高は外国の反発を招く。いわゆる貿易摩擦である。ある物が急に高くなれば人はそれを買うのを控え、代替する物、この例ならば日本以外からの輸入で補おうとするだろう。いくら円が高くても売り手に売る気がなければ手に入らないし、逆に買い手に買う気がなければ金を手にできない。結果、円を安くする羽目となる。

 

「かつては円が強かったために脆くても成り立った。だが、今は円安が続き、それも成り立たなくなっている。中国を始めとする諸国に買い負けているニュースは君たちの耳にも届いているだろう? その上に近年は周辺各国がキナ臭いときている。他国からの輸入に資源はおろか食べ物まで頼っている今の日本は、下手に出ざるを得ない状況だ」

 

 男が日本の現状を語った。

 訴える男の熱心さに、コスモスの三人が日本の未来を憂いていることを理解した。だが、資源や円安円高、経済の話は難しくて耳を通り抜けている。

 彼だけは話を理解しようとし、()(しゃく)を頑張っている。そんな彼を見ていた男が、

 

「では少年よ。私が落選した選挙に話を戻すが、私が掲げた公約を覚えているか?」

 

 かつて出馬した選挙を覚えていた彼を指名する。

 

「あ、えっと、外国の言いなりから脱した強い日本を作る、だったかな」

「覚えていてくれたとは光栄だ。先にも申したとおり、日本は円安円高に左右される非常に脆い国だ。その原因はかの第二次世界大戦まで遡る。明治維新を経て近代化を果たし、列強国に名を連ねるまでに成長した日本だが、一方で自らの力を過信し、採るべき道を誤った。そして第二次世界大戦で大敗し、それまでに得た領土を全て失った日本は、アメリカを始めとする西側諸国に隷従する国に成り下がってしまった」

 

 第二次世界大戦は、言うまでもなく日本が敗北を喫した戦争である。

 参戦した原因は軍部にあると聞く。戦前の日本は軍人の専横がまかり通る状態で、この民の想いを嘲弄した国体は決して褒められたものではない。

 日本は戦争に負けたことで、米英を始めとする連合国に一時占領された。そして解放された今でも、軍事基地などの形でアメリカの介入は続いている。

 

「以降アメリカは日本を金ヅルと見なしている。車にファッションにコンピューターにコーヒー、そして軍需品。メディアを操作することで(もっと)もらしい理由を付け、アメリカの生産品を買わされ続けている日本は、もはや植民地と言ってもいいだろう」

 

 植民地。できれば避けるべき、あまり良い感情をもたらさない言葉を男が吐いた。

 日本の近代化は、日本が自国の社会を自ら植民地化した過程だ、という観点もあるが、それはさておき男が続ける。

 

「そんなアメリカの支配を嫌って、お隣中国を利用する者もいた。まあ、気持ちは分からんでもない。アメリカは湾岸戦争で多額の支援をした日本を〝人的支援がない〟と逆に非難する国だからな。だが、中国は戦勝国で資源を抱える大国、結果は君たちも知る有り様だ。自由こそあれど隷従を強いるアメリカと、一部の肥えたエリートが貧しい国民を監視する共産とは名ばかりの独裁国家中国。この対立する二大国のエゴに翻弄されているのが今の日本であり、私は大国にされるが(まま)なこの国に一石を投じるべく立候補したのだ」

 

 男が大国への反抗心をむき出しに語った。

 だが、私怨ではないか。妖精が肩入れすることなく指摘する。

 

「今の話と資源はどうつながるベエ?」

「よくぞ聞いてくれた、これから話そうとしていたところだ。アメリカと中国は対立こそしているものの、日本という(くい)(たた)きたい点では一致している。その最たる例が、莫大(ばくだい)な量の石油が近海に眠るという尖閣(せんかく)諸島(しょとう)だ。尖閣諸島を領土とする日本は西側の陣営に組している。西側の利益という大きな視点で見るのなら、アメリカは尖閣諸島を是が非でも確保するべきだろう? だが実際は中国の度重なる領空領海侵犯を座視している。これは私の憶測になるが、アメリカは日本に資源を持たせたくないために中国を排除しないのだろう。また、台湾に対しても領有権を主張させることで所属不明とし、あの近海を資源が眠ったままにしたいのだろう」

 

 男の回答に妖精が一応の納得を示した。

 中学生の男女が政治という大きな話に口を挟める訳がない。今の男に口を挟めるのは妖精だけと言える。

 妖精が口を閉ざし、そして男が選挙の結果を語る。

 

「私は熱心にこの国の弱さを人々に訴えた。地道なドブ板営業をひたすら重ねてな。その結果わたしを応援してくれる人が現れ、当選まで、あと少しだったんだ」

「…………」

「だがな、(やつ)らは汚い手に打って出た。対抗馬のタレント候補を当選させるべく、投票日間近になって私に関する事実無根のスキャンダルをマスメディアに流したんだ」

 

 彼が男の言ったスキャンダルを思い出し、つい口走ってしまう。

 

「確か、ニュースキャスターと不倫とか」

「そんな訳ないだろう。私は別れてしまった今でも妻と子供を愛している。だがフェイクで十分なんだ。私が不倫した、この不倫という忌みすべきキーワードが私と結びついたら、いくら私が潔白を訴えたとて私に投票するのをためらうだろう?」

 

 確かにそうかも、と彼が男の問いにうなずいた。

 情報とは(もろ)()の剣。正しき情報を人は知る一方で、誤った情報に人は踊り続ける。

 

「いいか? 有権者を操るのは知名度と印象だ。君たちも無名の人間よりは有名な人間に期待するだろう? また、私の名を聞けば今の少年のように不倫を思い出すだろう? 民主主義の社会においては、この二つを制する者こそ選挙を制すると言っても過言ではない。それにしてもこんな汚い手に平然と乗るマスメディアに、当時の私は怒りを隠し切れなかったよ」

 

 男の言い分を聞いて彼が、三年前に男が口を荒げていた報道番組を思い出した。

 マスメディアが真実を伝えるとは限らない。伝達して人々の耳目に届ける以上、そこには何かしらのバイアスがかかる。伝言ゲームでも中継する人が増えれば増えるほど、正解から遠くなるだろう。

 補足すると、男はスキャンダルに対して事実無根と、テレビカメラに向かって潔白を弁明している。だが、これはテレビ局が醜い場面のみを抽出し、視聴者が悪印象を抱くような映像に編集した上でお茶の間に流している。彼はそれを観ていたという訳である。

 男が宙を見上げ、遠い目をして無念の結果を語る。

 

「おかげで私は落選さ。だが、当選したあのタレント議員に、しかとした信条があれば私もそこまで不満は抱かなかった」

 

 吐いた未練の先を妖精が察する。

 

「議席数確保のためだベエ?」

「そうだ。国会に議案を提出するためには、議員の一定数の賛成が必要なのは知っているだろう? あのタレントは、己が所属する政党が議案を通しやすくする為だけの存在だったんだ。政治信条など(はな)っから何もなく、ただ議員報酬を貪るだけに、美辞麗句を並べ立てて有権者をだましたんだ。有権者からの設問をほとんど無視したと知ったとき、私は憤慨して思わず拳を叩きつけたよ」

 

 よほど悔しかったのか、男が恨みのこもった口調で語った。

 理念を大きく(たが)える党と党が連立するのも、風見鶏と揶揄(やゆ)される意志のない議員が存在するのも、国会の本質が椅子取りゲームだからである。

 先に男が述べた「有権者を操るのは知名度と印象」。まさしくその通りで、これだけで当選できてしまうのが今の日本だったりする。有権者も見極められるくらいは賢くなるべきだろう。そうでなければ子供が投票しているのと変わらない。

 話が()れたが、男が黒い仮面をかぶり、黒き恰好(かっこう)で身を固めてコスモスを狙うようになった訳を明かす。

 

「あんなタレント議員が当選する日本に失望していたときだった。私の前に、あの方が現れた」

 

 今まで口を挟めなかったサンシャインだったが、

 

「あの方?」

 

 気になる名詞が現れたため、これについては訊く。

 

「あの方は私に言った。この世にはコスモスと呼ばれる戦士がいる。これを見つけ、抹殺すれば、抹殺した人数に応じてお前が望む物をやろう、と」

 

 しかし男は、問うサンシャインを無視した。

 

「ちょっと待ってよメテオ。あの方って誰?」

「フッ、サンシャインよ。あの方について私からは明かせん。知りたければそこのウサギに訊くか、戦いの末にたどり着くのだな」

 

 無視されたサンシャインが再度問うが、これに対する男の回答は拒否だった。

 釈然としない顔のサンシャインをよそに、男がコスモスを抹殺して得られる対価を具体的に挙げる。

 

「あの方は本当に望む物を何でも(かな)えた。ある難病の子供を抱える同志は、コスモスの一人を抹殺し、もはや死を待つだけだった子の病気が劇的に回復したのだからな。他にもある企業の後継者と目されていた者が死に、己がその後継者の椅子に座った者や、高齢に悩んでいた夫人が元気な子供を授かったなど、例を挙げたらキリがない。とりあえず所属してみた私だったが、あの方の力を目の当たりにしたとき、この身が震え上がったよ」

 

 元選挙に立候補した者だけあってすらすらと男が語り、これをコスモスの三人と彼が息を()みながら聴いた。

 男が望む物とは。順当に考えれば議員になることだろう。この男の場合、それしか考えられない。

 

「だが、私は望む物に直面し、大いに迷った。議員になることを考えたが、今の日本には(うみ)が多すぎる。衰退しているこの国に目をつむってヘラヘラしている者しかいない。こんな奴らと共に仕事しても意味がない、とな」

 

 落選した選挙を思い出したのか、男が少し恨みがましい声で話した。

 男は既に諦めていた。今さら議員になったところで何も変わらない、と。

 日本を変えるべく選挙に立候補し、そして敗れた男が望む物とは。

 

「だから、だ。私は核兵器をあの方に訴えた。いつでも撃てる核兵器の配備と、その核兵器を世界に公表することを」

 

 議員を捨てて考えた、強硬で過激な願いを吐く。

 核。第二次世界大戦で広島ついで長崎に落とされた事は誰もが知っており、東日本大震災から引き起こされた福島第一原子力発電所の惨状もある。

 唯一の被爆国である日本に住む者なら誰もが警戒する言葉。当然のようにサンシャインが反対する。

 

「核、兵器って。ちょっと、そんなの絶対にダメよ」

「サンシャインよ、果たしてダメと言い切れるか? いま君たちが享受している平和、安寧。これらはアメリカという強大な傘の下に成り立っているのだ。しかし、米大統領の世界の警察官を否定した発言、北朝鮮の核保有など、今やアメリカが持つ力もほころびが生じている。加えてアメリカは己こそがナンバーワンと自負しており、そのおごりからか脇の甘い国家だ。日本の真珠湾攻撃を始め、ベトナムでは要塞とも称された大使館を二十人のゲリラに占拠され、しかもその様子を放映される失態も犯している。竹中(たけなか)(はん)()()もびっくりだがそれはさておき、アメリカとはこのように存外と頼りにならない国なのだ。もし中国を始めとする共産国家が侵略に乗り出せば対応に遅れるだろう」

 

 今の日本においてアメリカは盾にならない。そう男が持論を展開した。

 中国、ロシア、北朝鮮。日本は海を挟んで、この東側陣営の三国と接しており、特に前者二国は言わずと知れた大国だ。もし西側と東側の第三次世界大戦が起ころうものなら日本は最前線となる。

 しかし、その悲惨さばかりが取り沙汰されるが、戦争とは人殺しではない。国家間のビジネスである。誰とて無益な殺人など犯したくなく、そんなサイコパスは国家の長にふさわしくない。

 武威を示すことで自国の民が潤うから人殺しも辞さぬ武力を行使するのだ。したがって戦争で大事なのは勝敗となる。勝った方が利益にありつけ、負けた方は賠償を強いられる。そして負けた方の国民は一方的に罪を背負わされ、屈辱を味わう羽目になる。

 だから戦争は悲惨なのである。大国が己こそが正義と(のたま)いながら弱者を虐げる。自分が正しいと思っているのだからそこに人権などなく、ただ勝った方の権利と言わんばかりに敗者を凌辱(りょうじょく)する。みじめなものである。

 

「だから日本は核兵器が必要なのだ。自分の国は自分で守れなければいかん。核兵器があれば日本を虎視(こし)眈々(たんたん)と狙う共産国家に牽制(けんせい)ができるだろう。また、外交でも強く物申せ、資源の獲得にもつながるだろう」

 

 核兵器による自衛こそが肝要、と締めくくった男に、

 

「メテオ。あんた被爆者の気持ちを考えたことあるの?」

「あるさ。もしそうなったら、私が命に代えても説き伏せてみせる」

 

 サンシャインが感情から反論したが、それを踏まえた男が即座に覚悟を吐いた。

 男の気迫ある眼差しにサンシャインが黙る。しかし、男が視線を下げる。

 覇気みなぎる演説とも言うべき主張の先程とは一転し、

 

「だがな、未来などどう転ぶか分からない。私があの方に願いを問われ、導き出した結論だが、この願いの成就が果たして日本を守れるかは分からないんだ」

 

 頼りない口調で迷いを吐露した。

 

「国際社会から非難されることは必定だろう。そもそも原子力発電所の核を核兵器に転用することだって可能だと聞く。私の願いなど叶えたところで、日本は何も変わらず外国の言いなりなのかもしれん」

 

 所詮は議員になれなかった男の考え。机上の空論であることは男自身分かっていた。

 男が妖精に顔を上げる。その教えを乞うように。

 

「なあウサギよ、答えてくれ。何が正解か分からないんだ。私の考えは、未来で正しい選択になりえただろうか」

「それは、ボクにも分からないベエ」

「……そうか」

 

 素っ気ない妖精の答えに、男が諦めて顔を下げた。

 そして、(つい)に訪れる。迷うことに疲れ果てた男が、真に望んだ結末を。

 

「……ごっ、ゴフッ! ゴホッ、ガハッ!」

「メテオ!」

 

 サンシャインが声を上げる。男が多量の血を吐いたのだ。

 精霊が人の寿命を食らうことは前述している。男は今までの戦いで精霊を行使し過ぎた。

 しかし、吐血したというのに、男が安らかな顔で、

 

「ハハッ、コスモスの諸君よ、お迎えが来たようだ」

 

 と、微笑しながら告げる。

 

「メテオ、あんた、だから直接」

「フフッ、申していただろう? たとえ君たちに勝てたとしても、私は死んだのだよ。……なあウサギよ、本当は私も、コスモスの戦士になりたかった。人を守りたかった。こんな私でも、コスモスになれたか?」

「……お前は無理だベエ。コスモスの力は、ごく僅かな少女の身体(からだ)にしか宿らないベエ」

「そうか。サンシャイン、ムーンライト、トゥインクルスター。今まですまなかった。君たちのような強い若者と戦えて、とても、うれしかった」

「メテオ」

「これからは君たちを陰から応援しよう。迷い続けていた私に、これ以上とない死に場所をあり、がとう……」

「メテオ!」

 

 サンシャインが叫ぶが、もう男からの返事はなかった。

 宿敵メテオを倒した。だが、今にも雨が降り出しそうな重苦しい雲が、コスモスの三人と彼の心に垂れ込めていた。

 



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宿命が教唆した大いなる冬の影

 宿敵メテオが倒れ、その亡骸(なきがら)を前に、

 

「この男は、ボクが片付けておくベエ」

 

 妖精が光の戦士三人に告げた。

 時を戻して人が死んでいたら大ごとだろう。また、コスモスの戦士が大怪我(けが)を負ったり、死んでしまったら大変なことになるだろう。妖精はこれを、自然な形に収まるよう処理をしている。

 前例を挙げると、サンシャインとムーンライトは二か月前、精霊カプリコーンとの戦いで病院通いとなる怪我を負ったが、これは妖精が車を手配し、()き逃げに遭ったように仕向けている。車は追跡不能となるように処理し、警察がいくら捜査しても追うことができないようにしている。

 

「メテオは、感謝してたけど」

 

 美月が安らかな顔で事切れた男を前につぶやき、

 

「うん」

 

 これに肩を貸す親友が寂しげにうなずく。

 

「それでも、こんなの、後味悪すぎよ……」

「そうだね。この人の言ったこと、話が大きくて付いて行けないけど、でも、この人なりに心配してたことが分かった。なんであたしたち、こんな人と戦わなくちゃならなかったんだろう……」

 

 二人が涙を浮かべた。

 長らく戦い続けた宿敵を亡くした喪失感、話ができたのに分かり合えなかった哀惜感、結果的に殺してしまった罪悪感に二人が陥っている。

 倒さなければ自分たちが殺されていた。しかし、だからと言って殺すつもりなどなかった。いくら男が感謝していたとは言え、目の前に訪れた死が二人を(さいな)める。

 

「サンシャイン、美月さん」

「……なに?」

「なに、トゥインクル」

「私、涙が止まりません。どうしよう、敵だったはずなのに」

 

 涙を落とし続けるトゥインクルを彼が慰める。

 サンシャインが涙をぬぐう。皆で悲しんでいてはいけない、という責任感から。

 ふつふつと現れる疑問。納得ができない。この疑問だけは分からないままで済ませてはいけない。

 

「べーちゃん」

「なんだベエ」

 

 サンシャインが唯一平然としている妖精に、今ある疑問をぶつけ始める。

 

「べーちゃん、どうしてあたしたちが地球の人、しかも日本人と戦っているの? ブラックホール団って宇宙海賊じゃなかったの? メテオ宇宙人でも何でもない、フツーの男の人じゃない」

 

 今まで悪い宇宙人だと思っていた。しかし、今まで戦っていた男は日本の人だった。

 もっとも、普通に会話が成り立ったため、正体に疑問は感じていたサンシャインだったが、死んでしまった同朋(どうほう)を目の当たりにしたために妖精を問い詰める。

 もしかしてだましていたのか。あたしらを利用していたのか。そう眉間にしわを寄せるサンシャインに、

 

「ボクは宇宙人、つまり人とは一言も言っていないベエ。ブラックホール団は、宇宙に住み着く様々な意識の集合体なんだベエ」

 

 妖精が特に表情を変えることなく冷静に答える。

 

「集合体? どういうこと?」

「サンシャインは先入観に囚われているベエ。宇宙に住む者に必ず形があるとは限らないベエ。みんなが知るとおり宇宙という環境は生命の維持に適さない場所だベエ。ブラックホール団は、闇の邪悪な意識が寄り集まった、宇宙に()む無形の集団なんだベエ」

 

 宇宙で人は生きていけない。生命も水も存在しない。だから意識だけが宇宙には存在する。その理屈は分かった。

 では、目の前の男は何なのか。しかとした形のある人間の男ではないか。

 

「じゃあ、メテオは何なのよ。ちゃんとした形がある人じゃない」

「ちょっと待つベエ。答えを急ぎすぎだベエ。この男は、闇の意識にそそのかされた者だベエ」

「そそのかされた?」

「うんだベエ。形がない故に、自分では地球の侵略が行えないブラックホール団は、地球に住む人間をそそのかして侵略を行わせているのだベエ」

 

 妖精の言に矛盾はなく、サンシャインは納得せざるを得なかった。

 だが、サンシャインの肩を借りている美月が、

 

「でも、この男が、意識しかない者の怪しい誘いなんかに乗る……あっ」

 

 疑問を挟むのだが、先の男の発言を思い出す。

 

「望む物が、何でも(かな)う」

「そうだベエ。ブラックホール団は、人間の欲を具現化する物質、〝トゥルーダークマター〟を使って人間を操っているのだベエ」

「トゥルー、ダークマター?」

「宇宙のいずこかに眠る、とてもとても暗い物質であることからボクはそう呼んでいるベエ」

 

 人間が誘いに乗る訳を美月とサンシャインが理解した。

 そして、妖精が告げる。なぜ宇宙海賊が人を操るという回りくどいことをしてでも地球を欲しがる訳を。

 

「闇の意識は形を欲しがっているんだベエ。だからブラックホール団は人間を操り、この地球を最終的には乗っ取ろうとしているんだベエ」

「そっか。ってことはべーちゃん」

「なんだベエ、サンシャイン」

「またブラックホール団が襲ってきたら、あたしたちはまた人と戦わなきゃいけないってこと?」

「そうなるベエ」

 

 闘争はこの先も続く。妖精が予告した先はあまりにも残酷だった。

 欲は誰にだってある、善人にも、子供にも。例えば、恵まれない子供に愛の手を差し伸べる慈悲深い人や、戦争を純粋になくしたいと願う聖人と、戦わなければならないケースだって考えられるのだ。

 夢を欲とも言い換えることだってできてしまう。いっそ敵が悪人であった方が清々した。

 

「やだよあたし。人と殺し合いなんてしたくない」

 

 辛い事実にサンシャインがぼやくと、

 

「私も……」

 

 肩を借りている美月もこれには同意する。

 

「そ、それはとても困るベエ! サンシャインとムーンライトとトゥインクルは、ボクが探したコスモスの中でも群を抜いた強さを誇る戦士だベエ! 気持ちは分かるベエが、だからと言って戦いを放棄したら、ブラックホール団に地球が乗っ取られてしまうベエ!」

「分かってる、分かってるよべーちゃん。でも、ちょっと考える時間をちょうだい。メテオが死んじゃって、今あたしの頭の中がぐるぐると回っているの……」

 

 妖精が慌てて引きとめるが、そんな妖精にサンシャインが力なく答えた。

 

「……帰ろう。トゥインクルもスズキ君も」

 

 呼びかけたサンシャインだが、トゥインクルはいまだ泣いているため、彼が代わりに返事をした。

 以降は誰も声をかけなかった。メテオの死、そして人と人との殺し合いの事実は、この場にいる者の気を果てしなく重いものした。

 



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****
朽ちる命が託した親愛のサクリファイス


 コスモスの三人が黒ずくめの男、メテオと死闘を繰り広げた時から二週間ほど遡る――。

 

「〝ティターニア〟!」

 

 夜の闇を、悲痛な叫び声が切り裂く。

 時刻は夜の八時。白を基調とした可愛らしいドレスをまとう一人の女の子が、血にまみれて伏せている。

 

「ティター、ニア……」

 

 消え入りそうな声で「ティターニア」と呼ばれた女の子は、例えるならヒナゲシのように()(れん)(あい)(きょう)のある、誰からも好まれそうな愛くるしい顔をしている。

 万人が振り返る美少女ではないが、どこか安心できる優しさを兼ねた可愛さを備えている。だが、その肌は赤みを失い、左腕と右脚があらぬ方向に曲がっている。まるで事故にでも遭ったような姿で女の子は伏せていた。

 ドレスは鮮血に染まっていた。よって先に白と述べたが、正しくは白に想像を絶する紅をぶちまけた、目を覆いたくなるばかりの凄惨な色に染まっている。

 

「アハハッ! どうしたんですかぁ? 私を許さないんじゃなかったんですかぁ?」

 

 伏せる血にまみれた女の子を、黒い衣装をまとう少女が、(たの)しそうに笑いながら踏みつけていた。

 女の子が激痛に悲鳴を挙げる。対して踏みにじる少女は、黒いフリルを飾ったゴスロリ調のドレスを身にまとい、舞踏会でかぶるような目を覆う仮面(アイマスク)をしている。

 仮面に黒い衣装。()しくも少女には、あの黒ずくめの男と共通点があった。

 

「もうやめてよ! それ以上痛めつけたらティターニアが死んじゃう!」

 

 そして、紫を基調とした、少し変わった装いをする女の子が、踏みつける黒い衣装の少女に泣きながら懇願する――。

 

 場所は東京都(しん)宿(じゅく)区。東京二十三区でも指折りの繁栄を誇り、超高層ビルが林立する誰もが既知の副都心である。

 そしてここは、日本最大の歓楽街・(かぶ)()(ちょう)。様々な飲食店に居酒屋、ディスカウントショップなどがひしめくように並んでいる。

 少し足を伸ばせば映画館にインターネットカフェ、パチンコ屋にガールズバー等々(などなど)、様々な娯楽が訪れた者を飽きさせぬように詰まっている。そんな街なのだから通りは当然のごとく人であふれかえっているが、不思議なことにみな止まっていた。

 背広姿のハゲたおじさんが、見栄えの良い男が映ったアドトラックが、鮮やかに光るカードローン会社のネオンが止まっている。まるで時が止まったように。

 

「うるさいですよ」

「うああっ!」

 

 雑居ビルの屋上にて、黒い衣装の少女が開いた手をかざすと、紫の女の子が苦しみ始めた。

 左腕を強くひねられた紫の子の背後には、黒い衣装の少女と全く同じ装いで身を固めるマネキンがいた。このマネキンが紫の子を捕まえ、苦しめている。

 マネキンはまるで人のように精巧な顔立ちをしていた。故に無表情で紫の子を苦しめる様に不気味さを感じる。

 

「あなたさぁ? この期に及んで〝やめて〟とか、虫が良すぎませんかぁ?」

 

 黒い衣装の少女が紫の子に尋ねた。

 勝ち誇った様子の少女。その仮面から(のぞ)く目を大きく開いて続ける。

 

「あなた今まで散々私のこと罵ってくれましたよね? 悪人とか、人の気持ちが分からないの? とか」

「それは、あんたが、その力を使って悪いことをするから」

「しょうがないですよぉ、生きてくためですからぁ。こいつやあなたみたいな、恵まれて何でも思い通りになると思ってる女には、私の気持ちなんてぜーったいに分からないですよー」

 

 伏せる女の子をまた踏みつけ始めた少女が、(きょう)(まん)な口調で紫の子に言い渡した。

 昨日今日じゃない。紫の子といま踏まれている女の子は、黒い衣装の少女と幾度となく争っている。

 女の子が踏まれたことでまた悲鳴を上げ、これに耐えられない紫の子が、

 

「やめて! お願いだから……」

 

 涙を流して乞い願うが、

 

「イーヤでーす。だってコイツ生かしておいたら、またあなたたち二人一緒に仲良く襲い掛かってくるんですよねぇ? 私に何のメリットがあるんですか? ないですよね、ねえ?」

 

 黒い衣装の少女がそんな紫の子の(みじ)めな様に満足し、笑いながら突き放した。

 

「それにですね、私はあの方から、世間知らずで正義の味方気取りのあなたたちの抹殺を命じられているんですよ。残念ですけどこれが現実ってヤツです。私は殺しますよ、こいつも、あなたも」

 

 何を言っても無駄、もう助からない。非情に死を突き付ける少女に、紫の子がガクリと(こうべ)を垂れる。

 絶望した紫の子の一方で、黒い衣装の少女も下を向き、

 

「やっと。やっと、コスモスを殺せる……」

 

 ぶつぶつと喜びをあらわにする。

 だが、踏まれ続けていた伏せる女の子が、血にまみれた顔を上げる。

 意識が混濁とする。顔を上げることすら辛い。けれどもどうしても伝えたい女の子が、

 

「……アーク。……ットアーク」

 

 かすれた声で紫の子に呼びかける。

 

「ティターニア!」

「逃げて……」

「なに言っているの!? あたしたちはいつも一緒でしょ!? あたしがあなたをおいて逃げられるわけないじゃない!」

「いや、もうわたしはダメ……。お願いだから逃げて……」

「やだよティターニア! しっかりして! 死んじゃだめ、死んじゃだめだから!」

 

 息も絶え絶えに話す女の子を、黒い衣装の少女がまた踏んで黙らせ、

 

「お別れの言葉は済みましたぁ? 安心してください、あなたも一緒に殺してあげますから」

 

 号泣する紫の子に口角を上げて言い渡す。

 伏せる女の子は、いつ如何(いか)なる時も紫の子と共にやってきた。たまにケンカしてしまうときもあったけど、互いに励まして支え合え、紫の子と一緒に苦難を乗り越えた。

 親友という言葉すら生ぬるい女の子と紫の子の(きずな)。その思い出が、走馬灯のように来去し、もう自分が助からないことを女の子は自覚した。

 だからこそ逃げて欲しい。女の子が朦朧(もうろう)とする意識の中で策を巡らし、残された力を使って息を吸う。

 

「逃げて! あなたは逃げて、いつか私の(かたき)をとって! 〝リングレットアーク〟!」

 

 そして、愛する友人に(おも)いを訴える。

 

「ううっ!」

 

 急にうめいた黒い衣装の少女。伏せる女の子が右手をかざし、紫の子を捕らえるマネキンに光線を放っていた。

 紫の子がマネキンから解放される。光線を食らったのはマネキンなのだが、なぜか黒い衣装の少女がうめいていた。

 黒い衣装の少女が怒りを(あら)わにする。

 

「この死にぞこないがぁ! 早く死ねよ、脳みそぶちまけて死んじまえよおまえ!」

 

 伏せる女の子を罵りながら何度も踏み付けるが、

 

「……あっ! しまった、逃げやがった!」

 

 怒りで我を忘れたために紫の子を逃してしまった。

 空高く飛び立った紫の子。その体にまとった「()」が、夜空の彼方(かなた)へと消え去ろうとしている。

 程なくして環が消失した。それを伏せる女の子が、満足した笑みを浮かべて見届ける。

 

「〝(たまき)〟、仇なんてとらないでいい。幸せに生きて……」

 

 私の仇を。そう伝えれば逃げてくれると信じて女の子は訴えていた。

 そして、目を閉じる女の子。この可愛らしい女の子が二度と目を覚ますことはなかった。

 



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銀の匙とハートマークのケチャップ

 十一月も終わりに差し掛かった金曜日。

 

「むう。おいしい……」

「でしょ? ここのオムライス絶品だって、お母さんに教えてもらってさ」

 

 勧める活発な感じの女の子に、その味を認める静かな感じの女の子。コスモスの太陽と月、(いぬい)()(よう)(たつみ)(じま)()(づき)が、オムライスに舌鼓を打っていた。

 コスモスとは、地球を我が物にせんと(たくら)む宇宙海賊・ブラックホール団と戦う、妖精によって選ばれた戦士たちの総称である。

 組織だった活動をしている訳ではないため、コスモスを組織や団体と表すのは適当ではない。かと言ってチームと言うには規模が大きい。コスモスの戦士は日本の各地に存在し、なぜか十四・五歳前後の女の子によって構成されている。

 コスモスの戦士は、例外なく変身する。変身することで現代の科学では説明のつかない超常的な力を得て、その力を(もっ)て宇宙海賊と戦っている。

 

「この神の舌をうならすなんて、やるわね、〝うしのしっぽ〟亭……」

「ねえ美月、悔しいからってしかめっ面して食べないでよ。ごはんは笑顔だぞ」

 

 美月が眉間にしわを寄せながらオムライスをパクパクと口に運び、それを陽がとがめた。

 二人がオムライスを食している場所は、洋食屋「うしのしっぽ」亭と言う。陽が母親からこの店のオムライスがとても美味(うま)いことを聞き、それで学校帰りに腐れ縁にして親友の美月を連れて訪れた。

 だが、家が料亭を営み、自身も料理の腕に誇りを持っている美月はへそが大いに曲がっていた。若さゆえの思い上がりから、美月は親友が勧める店のオムライスを「大したことない」と、こき下ろしてやろうと企んでいた。ところが、そんな()(らち)な企みはあっけなく崩れ去った。

 うしのしっぽ亭のオムライスは親友が勧めたとおりに美味かった。そして美月は、己が井の中の(かわず)であることをいま思い知らされ、そんな親友の性格を分かっている陽が苦笑している。

 

「くうっ、負けないわ……」

「いつまで引きずってんのよこの漬物女。ところでさー」

「なに? 筋肉女」

「コスモス。どうしようあたしら。このまま続けるの?」

 

 再度述べるが、二人はコスモスの戦士である。だが、その戦士を続けることに二人は悩んでいた。

 敵は宇宙海賊、つまり悪い宇宙人だと思って二人は戦っていた。しかし、ふたを開けてみると敵は地球の人だった。

 宇宙海賊は卑劣にも地球人を操っていた。同朋(どうほう)と戦わなければならない事態に二人は悩んでいるのである。

 

 だが、同朋と言えどまったくの他人なら、二人もここまで思い悩まなかったかもしれない。

 二人には縁浅からぬ敵がいた。もちろん二人は悪い宇宙人と思って戦っていたのだが、実は日本の男性であった。

 男は過激なところもあったが悪人ではなかった。だが、その男を二週ほど前、結果的に殺してしまったのだ。死に場所を求めていた節があったため、男からはかえって感謝されたのだが、宿敵とも言える男を亡くしたことが二人の心に深い傷跡を残している。

 ちなみに、前話で触れた黒ずくめの男が、その男にあたる。

 

「もうあんな思い二度としたくない。ねえ美月、あれから〝べーちゃん〟現れた?」

「ううん。呼んでるけど、私の前に一度も姿を現さないわ」

「美月もかー。あたしも呼んでるけど、全然現れないんだよね」

 

 先に妖精と述べたが、これは何かの例えではない。コスモスには戦士の戦いをサポートする妖精がいる。

 妖精によって選ばれた戦士がコスモスなのである。外見は透明な(はね)を生やしたウサギのようであり、語尾になぜか「ベエ」と付けることから、二人には「べーちゃん」と呼ばれている。だが、この妖精に二人は最近不信感を抱いていた。

 理由は敵が地球人だったことを二人に教えなかったからだ。二人は黒ずくめの男を倒し、そこで初めて知った。男は死んでしまったために、知っていると知らないのでは受けるショックが大きく違う。

 また、妖精は普段なら呼ぶとテレポートしたように現れる。しかし、最近は呼んでも現れない。その事も含めて二人は、怪しい陰謀に利用されているのではないか、と疑っている。

 

「でも陽」

「なに?」

「この際べーちゃんはどうでもいいわ。問題は紬実佳(つみか)よ」

「そうだよね。紬実佳ちゃんを一人にするわけにはいかないし」

「あの子ったら危なっかしいじゃない。あの子が戦うのなら放っておくわけにはいかないわ」

 

 美月の言に、陽が木の匙をくわえながら深くうなずいた。

 二人には共に戦う後輩がいる。名前を(かのえ)()()()()と言い、二人がとても可愛がっている一つ下の女の子なのだが、この後輩がコスモスをやめる気がないのが、二人が戦いを辞す妨げとなっていた。

 もちろん二人は人との殺し合いなどしたくない悩み、それと妖精への不信感を紬実佳に相談している。しかし紬実佳は、自信はないけれどそれらを全て背負う旨を二人に告げた。

 殺し合いは嫌だし妖精は信用できない。でも、可愛い後輩を一人にする訳にはいかない。そう二人は葛藤している。

 

「紬実佳ちゃん、トゥインクルスターを気に入ってるんだろうね。人生変わった、ってよく言ってたし」

「あの子は生まれ変わるきっかけを作ったべーちゃんに恩を感じているのかもしれないわね」

 

 二人が戦いを続ける後輩の心境を推し量る。

 陽が変身した姿をサンシャイン、美月はムーンライト、そして紬実佳はトゥインクルスターと言う。

 

「恩かぁ。べーちゃんって、あたしらにとっても何気に(かすがい)なんだよね」

「鎹?」

「思い出してよ。べーちゃんいなかったら、あたしらって仲悪いままだったじゃん」

「そうね。私と陽、二人してくだらない派閥を持ってて。私たちって、お互い周りから気を遣われていただけのお山の大将だったものね」

「思い出したくないなぁ。一年の頃は〝白山(しろやま)学院(がくいん)の二大巨頭〟なんて不名誉な陰口いわれてたし」

「陽、それはやめて。言わないで」

「へいへい」

「いまだにお母さんになじられるもの、その陰口」

「あたしもトラウマだよ、この陰口」

 

 妖精に誘われる前の昔話を二人が懐かしんでは恥じる。

 白山学院とは、二人が通っている中学校の名である。お嬢様学校として知られている。

 

「脳まで筋肉の陽が急に鎹なんて難しい言葉つかうからびっくりしちゃったじゃない」

「はっぷっぷー」

「ともかく、紬実佳を残して私たちだけ引退なんて虫のいい話だわ。ブラックホール団が来ないことを祈りつつも、戦える態勢は整えておきましょう」

「そうだね。一年生に後を任せる部活なんて聞いたことないし。それはともかく美月さ」

「なに?」

「ほっぺにケチャップ付いてんだけど。ほら、拭いてやるよ」

「奇遇ね。あなたは口の周りに付いてるわ」

 

 オムライスを食べ終わった二人が、互いに付いたケチャップをぬぐってから席を立ちあがった。

 レジの前に赴き、店主の奥さんと思しきショートカットの女性に、

 

「二人とも学生さんね。割引して一人六百円です」

 

 陽が代金を支払う。すると美月が、

 

「あの、オムライスごちそうさまでした! すごくおいしかったです!」

 

 同じく代金を支払いながら目を輝かせて感想を伝えた。

 

「ありがとう。主人も喜ぶわ。また来てね」

「はい! また来ます!」

 

 こうして、二人が洋食屋から退店した。

 いつもはジメッとするくらい静かなくせに、突然はしゃぎ始めて殊勝な感想を述べた親友に陽が()く。

 

「美月。あんたそんなに素直な性格してたっけ?」

「しょうがないじゃない、おいしかったんだもん。負けよ負け。ケチャップの香り漂うジューシーなチキンライスを、ふわっふわでトロトロとした卵が包み込んで、ブラボーだわ~」

「べた褒めだね。幸せそうな顔しちゃって」

「当然じゃない。おいしい物は辛いことも嫌なこともすべて忘れさせてくれる。ああ、思い出しただけでもよだれが……」

「ふふっ、勧めてよかった。また行こうね」

 



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こんな時期に転校生? こんな時期ってどんな時期?

 十二月を迎え、季節はすっかり冬となった。

 霜の張った土を踏み、朝に吐く息は白く霧散し、街中がクリスマスに備えて電飾に彩られる時期に、

 

(かん)(ばら)(たまき)です。よろしくお願いします」

 

 一人の女の子が、クラスの皆に向かって頭を下げた。

 僕が所属する一年四組に転校生が現れた。その隣に立つ先生が、教室の窓側最奥の机を指す。

 

「席だがあそこだ。庚渡」

「はい」

「隣だ。坎原が困っていたら助けてやってくれ」

 

 彼女が先生の指示にうなずく。

 

 僕の名前は(すず)()()()(ろう)明倫(めいりん)中学校に通う中学一年の男である。

 無味無臭。友人にそう言われる程パッとしない。趣味なんて言えるものは特になく、強いて挙げるならゲーム、だろうか。

 自分を上中下の更に上中下で表すと、勉強は中の下くらいだった。最近は勉強をしているおかげか、中の中くらいには成り上がったかな、と思っている。でも、運動は下の中、おまけに背はクラスの男で前から並べば二番目に低い。

 そして、朝礼が終わり、一時間目の終了を告げるチャイムが鳴る。

 

「ねえねえ、坎原さんって東京から引っ越してきたんだよね?」

「オシャレだよねー。さっすが東京って感じ」

「坎原さん東京のどこに住んでたの?」

「聞いてなかったの? 信宿だって」

「えー、大都会じゃん! 羨ましいー」

 

 大人気だ。クラスの女子たちが転校生に群がり、輪を作って盛り上がっていた。

 転校生は東京の信宿区から引っ越してきた模様。皆が知る副都心である。いや、盗み聞きしたわけじゃなく、朝礼の挨拶で先生が紹介していた。

 席に座る僕が、その盛況ぶりをぼーっと眺めていると、

 

「転校生すげーな、ちょー人気じゃん」

「めっちゃ可愛いよな」

 

 そんな僕に友人、()(とう)師泰(もろやす)(たか)()()(すすむ)が話しかけた。

 丞が述べるとおり転校生は可愛かった。ネコのようなパッチリとした目に、形の良い桃色の唇を備え、スラっとした輪郭の顔は白く、結わえたサイドテールが似合っている。

 そして、この学校で誰も履いていないであろう濃紫色のストッキングが、都会から来たというユニークさを醸し出している。まるで漫画に現れる美少女のように華がある子だ。

 

「おい見ろよ」

 

 丞の呼びかけに廊下へ振り向くと、他組の男子が(のぞ)いている。

 

「他の組のヤツらも見に来てるぜ。一体どれだけの男があの転校生にロックオンしてることやら」

 

 楽しそうな丞。まあ、あれだけの美少女だ。はしゃぐのも無理はない。

 僕は彼女一筋だから別にトキメキはしないが、もしそうでなかったら僕もときめいたのだろうか。さて、そんな彼女だが、輪に入ることなく一人本を読んでいる。

 転校生の隣に座る彼女は、名前を庚渡紬実佳さんと言って僕が好きな子である。彼女とは二学期が始まったくらいの時期に友達になった。まだ、付き合ってはいない。

 どこを好きになったのかと言うと、なんと彼女、変身ヒロインなのだ。先述の二学期が始まったくらいの時期に、僕は怪獣と戦う変身した姿の彼女をたまたま目撃し、その勇姿に一目()れした。

 可愛らしい黄色のドレスをまとった彼女の変身した姿は、光の戦士「トゥインクルスター」と言って、僕はたちまちにして恋に落ちた。怪獣に変身なんて「なに子供みたいなことを」と思われるから、この事は誰にも打ち明けられないけど、僕だけが彼女の秘密を知っている。あと、普段の彼女は度の強い丸眼鏡をかけていて、今もかけているのだが、この眼鏡を外すと雰囲気がガラッと変わり、とても可愛いのだ。

 

「おっと、もう授業の時間か」

 

 二時間目開始のチャイムが鳴った。師泰と丞が自分の席に戻る。

 廊下に振り向くと、他組の男たちも解散していた。が、飽いた日常を打ち破るかのように現れた美少女だ。転校生を名残惜しそうに見つめる男子がチラホラと見受けられる。

 むべなるかな。そう僕が廊下から目を外しながら感じる。そして、二時間目三時間目四時間目と終わり、昼休みの時間を迎える。

 

「坎原さんホットケーキが好きなんだー。私もー」

「ちょ違う違う! 坎原さんが好きなのはパンケーキ。ホットケーキなんて言ったら笑われちゃうよ?」

「ねえねえ、パンケーキとホットケーキって何が違うんだっけ?」

「一緒じゃない? おいしければいいのよもうー」

「違うって! パンってフライパンのことだし。外国の人にホットケーキなんて言っても通じないんだから!」

 

 相変わらず女子たちが転校生に群がっていた。

 盛り上がる女子たちだが、眺めていて気になった事がある。輪の中心の転校生だが、笑うところを見ていない。

 皆の質問に淡々と受け答えている。楽しくなさそうに映るのは気のせいだろうか。

 

「鈴鬼ー。転校生が気になるのか? あ、お前は隣のロボ女か」

 

 丞が僕をからかいながら現れ、続いて師泰も現れる。

 ロボ女とは、主に男子が陰で呼んでいる彼女の蔑称である。彼女の顔を隠すようなミディアムボブの髪型と、丸眼鏡な外見に起因している。

 師泰が、椅子に座る僕の膝の上に、どっかりと腰を下ろす。

 

「師泰、重いって」

「コシロー、あのお前の彼女だよー」

「友達だよ」

「あんだけ隣が盛り上がっているというのに、一人でケータイぽちぽちいじってるぞ。あそこまでマイペースだと、不思議ちゃん通り越して末恐ろしいものを感じるわー」

 

 隣で盛り上がる女子たちなど知らぬ顔で、彼女がケータイを操作していた。

 彼女には学校に友達がいなかった。いつも一人で本を読んで過ごし、そして一人で帰って。そんな彼女を僕は憂いている。

 隣町の他校に、陽さんと美月さんという彼女と親しい一つ上の先輩が二人いるため、彼女は寂しくないと言うが。と、そのとき、

 

「ぅおう」

「メールだ。師泰、どいて」

 

 僕のケータイが震えたため、師泰が変な声を上げた。

 尻を上げる師泰。ポケットからケータイを取り出すと、差出人は彼女だった。そして、題名が「一人のときに読んで。絶対だよ!」だった。ケータイを操作していた彼女だが、僕に送るメールを作っていたのか。

 彼女に振り向きたい僕だったが、振り向いたら師泰と丞に怪しまれる。読みに立ち上がっても同様に怪しまれる。

 昼休みが終わってからにしよう。そう僕が平静を装ってケータイをポケットにしまう。

 

「読まないのか?」

「うん。大した用じゃなかったから後でいいよ」

「じゃ遠慮なく」

「だから師泰、重いって」

 

 師泰が、僕の膝の上にまた腰を下ろした。

 そして、五時間目が終わった休み時間。僕が誰にも気取られないように教室を出る。

 トイレへと駆け込む。それから大の方へ入り、扉をロックした後にケータイを取り出す。

 

(一人のときに読んでっていったいなんだろう? えーと、〝ごめん! 転入生の坎原さんに呼ばれちゃって、今日一緒に帰れなくなっちゃった。ほんとごめん、許して~〟)

 

 僕は今日、彼女と一緒に帰る約束をしていたのだが、ドタキャンされた。

 だが、怒るわけではない。むしろ(うれ)しくてほほえんでしまったりする。友達のいない彼女が、同性の子を理由にして断ったのだ。

 再度述べるが、彼女には学校に友達がいない。彼女に校内で友達ができることを僕は心の底から望んでいる。しかし、いつの間に転校生と。僕が驚くのだが、

 

(〝気のせいだったら恥ずかしいんだけど、聞き間違いじゃなかったら、坎原さん私のことを金星って呼んだの。私のこと金星なんて呼ぶってことは、坎原さんってもしかしたらコスモスかもしれない!〟 ……うええっ!?)

 

 更に驚くべき文言が文末に潜んでいたために目を剥いた。

 



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転校生はサタンの化身? コンビ結成なるか?.

 彼女いわく、コスモスの戦士は星をモデルにしているらしい。

 陽さんは太陽、美月さんは月、そして彼女は金星、と言った具合に。僕が初めて空に浮かぶ彼女を見たとき、一番星のような輝きを彼女から感じた。一番星とは夕方、あるいは明け方に輝く明星、つまり金星だ。

 その彼女を金星と呼んだ転校生。彼女が憶測するとおり、転校生はコスモスなのだろうか。

 

(また、やってしまった……)

 

 放課後。居ても立っても居られなかった僕は、彼女と転校生の後を()けていた。

 一緒に歩く彼女と転校生。けれど、一言も会話を交わしていない。転校生が脇目も振らずにずんずんと進み、それを彼女が追いかけている形だ。

 もしも転校生が戦士であるならば、共に戦う仲間になるのだから少しは仲良くなるべく努めるだろう。本当にコスモスなのだろうか、などと僕が疑念を抱いてしまう。

 

 しかし、彼女としては転校生が戦士なら、何が何でも一緒に戦って欲しいところだろう。

 彼女が僕との約束を蹴ってまで転校生を優先する訳。それを僕は知っているからこそ受け入れている。以前彼女は「陽さんと美月さん、コスモスやめちゃうかも」と僕に告げた。

 あの先輩二人が、黒ずくめの男の死を目の当たりにして迷っていることを彼女から聞いていた。もしあの二人が戦いを辞したら、彼女は一人になってしまう。

 だから僕も願っている。転校生がコスモスの戦士であり、是非とも彼女と共に戦って欲しい。

 

(……うわっ)

 

 転校生が後ろに振り向いた。

 慌てて()の陰に隠れる。見つからなかっただろうか。程なくして僕が前をおそるおそる(のぞ)くと、転校生と彼女は既に歩いていた。

 一息ついてから尾行を再開する。前に彼女を尾けたときを顧みるが、今回はやましさを感じなかった。

 ()(たび)は捜査だ。もしも転校生がコスモスであるなら、人知れず皆を守るコスモスの戦いを知る者として、この目で確かめたい。

 

(あ、あの転校生、どこまで彼女を連れて行くんだ)

 

 しかし、転校生がひたすら歩き続けるため、僕は少し疲れてしまった。

 そして、後を尾けてかれこれ一時間は経っただろうか。とある建物の中に、転校生と彼女が入って行った。

 建物を前にして僕がためらう。入ってしまっていいものだろうか、と。転校生と彼女が入った建物は、建設中のコミュニティセンターで、確か、この町の議員が変わったことで工事が凍結されたと聞いている。

 だが、ここまで来て退()く訳にはいかない。僕が覚悟を決めて建物に侵入する。

 

「ほこりっぽいなぁ、ここ」

 

 忍び足で中に入ると()ぐに見つけた。人気がない所為(せい)か、転校生の声が建物内に響いた。

 僕が物陰に隠れる。先の何気ない一言が聞こえるなら、無理に近付く必要もないだろう。

 息をひそめる僕。だが、ここは入ってはいけない場所だ。当然のごとく彼女が()く。

 

「あの、坎原さん、ここって入っていいの?」

「問題ないよ。妖精に誰も入れないよう頼んでるから」

「えっ、べーちゃんってそんなこともできるの?」

「べえ、ちゃん? なにそれ?」

「あ、坎原さんの言う妖精のこと。語尾にいつも〝ベエ〟って付けるでしょ?」

「ああ、そういうこと」

 

 彼女の説明に転校生が納得した。

 転校生は妖精に頼み、この建物内に誰も入れないようにしている模様。まあ、あの妖精なら可能だろう。なにせあの妖精はいつも瞬時に現れる、謎にして不可解極まりない生き物だ。

 しかし、一つ不可解な点がある。侵入を禁じているはずのこの建物に僕が入れてしまっている。これは妖精が僕の覗きを黙認している、と思った方がいいだろう。

 僕が首をあちこちに向けるが、妖精の姿はうかがえない。そして、転校生は妖精のことを告げ、彼女と話題を共有した。これは絶対に目が離せない。僕は少し疑ってしまったが、転校生は彼女が推測したとおりにいよいよ(もっ)て戦士のようである。

 

「ちなみにここを指定したのは妖精。そうでなきゃ、こんなほこりっぽいところ来たいと思わないし」

「へえ。べーちゃんそんなことできるなんて私おしえてもらってない。今度わたしも頼んでみようかな」

「いや、やってくれないと思うよ」

「そうなの? 坎原さん」

「うん。あの妖精は普段ならこんなことしないよ。いろいろ事情があってね、今回は特別」

「へー、そうなんだ」

「……ねえ、あんた」

 

 僕が固唾(かたず)()む。転校生が剣呑(けんのん)な声で彼女を呼んだのだ。

 不穏な空気が一気にして垂れ込み、転校生が同じ調子で彼女に続ける。

 

()れなれしいから。あんたとは今日会ったばかりでしょ」

「ご、ごめんなさい」

「あのさ、誤解しないでくれる? あたしアンタと仲良くする気ないから。それに、あんた見てるとあたしイラつくの。あたしの知ってる子に、よく似ててさ」

「そんな」

「ほんとイラつく、あの妖精、似てる子をあてつけるなんて。……まあいいや。あんた、今すぐ変身してよ」

「ええっ、やだよ」

 

 転校生が彼女に変身を強要し、それを彼女が断った。

 僕が拳を握り締める。彼女に変なことを強いるようなら、直ぐに飛び出そう、と。

 断られた転校生が諦めずに催促する。

 

「いいから変身してよ。あんた、トゥインクルスターって言うんでしょ?」

「やだ。……ねえ、なんでイライラしてるの?」

「してないよ」

「私が知ってる子に似てるから?」

「……ああ、もういい。あたしが先に変身してやる」

 

 話をうんざりと打ち切った転校生が、懐から鏡を取り出した。

 彼女や先輩二人と同じ物だ。僕の知らないコスモスの変身を前に、僕が陰から目を見張る。

 

「シンダーエラ! ターンイントマジェスティック!」

 

 鏡が放つ光に対し、転校生が右手をかざした。

 光が注ぎ込まれ、転校生の右腕が輝く。振り払うとオペラグローブのような手袋に右腕が包まれる。続けて左手をかざし、振り払うと左腕も同じく手袋に包まれ、胸を張って鏡の光を受けると、紫を主とした衣装に転校生の体が包まれた。

 転校生が輝く右脚を横に直角まで上げる。そしてターンすると、右脚がタイツと靴に覆われる。同じく左脚も上げてターンすると、左脚もタイツと靴に覆われる。

 そして、転校生が右腕を高く掲げ、腕を振り下ろしながら身を翻した。振り下ろした腕は光の軌跡を描き、転校生を斜めに囲む。

 

「とこしえの尊い日々を未来に! 光の戦士〝リングレットアーク〟!」

 

 鏡をつかんだ転校生。光の戦士に変身した。

 肩を大きくさらけ出した、パーティードレスに似た紫色の衣装をまとっている。彼女のふわっとした変身姿に比べるとスラッとしているが、何よりも目を引くのが右肩から左腰を囲う円盤のような「環」だ。

 描いた光の軌跡が環となっていた。環がたすき掛けするように回り、ほのかな光を放つ環はまるで土星のよう。

 

「ねえ、なんで時を止めないか分かる?」

 

 変身を(ほう)けた様子で見ていた彼女に転校生が尋ねた。

 

「え……」

「ユニヴァーデンスクロック使ったら、あんたの仲間が来ちゃうよね? サンシャインとムーンライトって言うんでしょ? まだその二人には会いたくないんだよね」

「そこまで調べがついてるの」

「妖精からみんな聞いてるよ。さあ、あたしが変身したんだから、あんたも変身してよ」

 

 再び転校生が変身を強要するが、彼女は鏡を取り出さなかった。

 流れる沈黙。彼女が、

 

「変身して何するの? 敵もいないのに」

 

 両手をぎゅっと握り締めて転校生に問う。

 

「決まってるじゃない、戦うの。あんたの実力、このあたし、リングレットアークが見定めてやる」

 

 すると転校生が、顎をしゃくって彼女に告げた。

 



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けんかをやめて 二人を止めて

「……やだ。それじゃ変身しない」

 

 彼女が再三にわたる転校生の強要を断った。

 先に「なれなれしい」と言われ、()ぐに謝った彼女とは思えなかった。一転して強い意志を表す彼女に、隠れている僕がいささか驚いてしまう。

 意固地に拒む彼女。小さな手をぎゅっと握り締め、そんな彼女に転校生が言葉を荒げる。

 

「はあ? なんで変身しないの?」

「だって、なんでコスモス同士で戦わなければならないの?」

「…………」

「私ケガしたくないもん。いつブラックホール団が襲ってくるか分かんないし」

 

 彼女がひるむことなく逆に言い返した。

 転校生は変身した。ここで彼女も変身すれば、まず争う羽目になるのは目に見えている。しかし、変身しない彼女はただの女の子だ。発言に乗せられる力の背景がない。()(ぜん)にふるまう彼女の胆力に僕が恐れ入る。

 それにしても、なぜ転校生は好戦的なのだろうか。まるで彼女を目の敵にしているような言い方で、あれでは彼女じゃなくても反感を抱く。

 彼女があらがうのも転校生の態度に一因あるだろう。そんな彼女が、口を閉ざした転校生に、

 

「ねえ坎原さん、ううん、リングレット。私ね、リングレットと一緒に戦いたいの」

 

 柔らかな笑みを控えめに浮かべて願いを伝える。

 

「仲良くしてくれるかな? なんて、私なんかと仲良くなんて迷惑かもしれないけど」

「……くっ、めんどくさ。話が全然通じてない」

「えっ」

「こっちの話聞いてんの!? あたしは、あんたがあたしと一緒に戦えるだけの実力があるのかテストしてやるって言ってんの! この天然ボケの頭お花畑女! もういい、こうなったら力ずくでも変身させてやる!」

 

 これはダメだ。争いたくない彼女と、戦って実力を見定めたい転校生。話の焦点が合っていない。

 もう限界だ。彼女に危害が及んでしまう。だから僕が、

 

「待ってくれ!」

 

 飛び出して彼女と転校生の間に割り込む。

 

「鈴鬼くん!? どうしてここに」

 

 彼女が驚くが、今はそれよりも、

 

「な、なんで、ここに男が」

 

 転校生が僕の登場に激しく動揺していた。

 当然だろう。ここは例えとしては極端だが女子更衣室だ。男がいるなんてまずあり得ず、話が聞かれる心配もない。

 女の子二人のプライベートな秘密空間。そこへ現れた僕は疑いようのない(ちん)(にゅう)(しゃ)である。まさか転校生も頼んだ妖精が裏切るとは思いもしないだろう。よって転校生が、信じられないものを見るような顔をして僕をわなわなと指す。

 

「あんた、確か同じクラスにいた」

「鈴鬼小四郎くんだよ、リングレット」

「いや、待って待って、どうしてここに男がいるの? 妖精に誰もいれないで、って言っといたはずなのに」

 

 いまだ動転している転校生。そこへ僕がいるという背信をかました張本人が登場する。

 

「それはだベエ」

「うわっ」

「べーちゃん」

 

 僕が驚き、彼女が愛称を呼んだ。妖精が一瞬にして姿を現した。

 けろっとした罪を感じていない顔で浮かぶ妖精に、転校生が目を鋭くして口角泡を飛ばす。

 

「妖精! なにこのイレギュラーは! この男もコスモスなの!?」

「コスモスの男なんているわけないベエ」

「だったら、なんでここに」

「それはだベエ、話すと長くなるし直ぐには納得できないだろうから省略するベエが、このスズキはコスモスとブラックホール団の戦いに巻き込まれた珍しいニンゲンなんだベエ」

「戦いに、巻き込まれた……? そんなことってあるの?」

「本来なら無いのだけど、これがあってしまったんだベエ。スズキはリープゾーン内を動くことができるベエ。リングレットもこの地域に引っ越した以上、知っておいた方がいいと思って侵入を見逃したベエ」

 

 答弁する妖精だが、これに僕は同情してしまった。

 誰に、と言うと転校生に、である。信じていた妖精に裏切られたショックは如何(いか)ほどか。証拠に転校生が()(ぜん)とした顔を浮かべている。

 こんなサプライズ誰もうれしくないだろう。そう感じた僕の制服の袖を、彼女が引っ張る。

 

「鈴鬼くん、どうしてここに?」

「いや、坎原さんに呼ばれたってメールで見たから、気になっちゃって」

「えっ。もしかして、私を心配してここまで付いてきてくれたの?」

「うん。坎原さんがコスモスかもって読んだから、確かめたい気持ちもあったけど」

「ありがとう。幸せゲットだよー」

 

 彼女が満面の笑みを浮かべた。

 尾行するのは疲れたけど、この笑顔を見れただけでも価値はあったかな、なんてしみじみ思う。

 訂正する。転校生にとっては気の毒なサプライズだが、僕はうれしかった。得をした僕が転校生に対して申し訳なく感じる。

 

「……くっ、こんな状況じゃ、戦えるわけないじゃない」

「わっ」

 

 僕が驚く。転校生が光に包まれ、元の制服姿に戻った。

 明らかに納得していない表情の転校生が、バッグを拾って(きびす)を返す。独りこの場を立ち去ろうとする。

 

「あの、坎原さん」

 

 呼びかけた彼女だが、転校生は振り向かずにこの建物を後にした。

 

「僕、あの子を怒らせちゃったかな……」

「フォローはしとくベエ。スズキは気にするなベエ」

「ありがとう」

「鈴鬼くん、一緒に帰ろ?」

「うん。もう遅いし、家まで送ってくよ」

 



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出会い頭! 注意一秒怪我一生

 昨日、転校生が彼女に変身を強要し、それを彼女が強い意志で断った。

 転校生は不満げにその場を後にした。そして今日、学校で彼女と転校生は、目を合わさずに過ごしていた。

 彼女の方はチラチラと隣をうかがい、歩み寄る姿勢を示しているのだが、転校生の方は徹底した無視を貫いている。このコスモス二人を仲介する勇気は、情けないことに今の僕は持ち合わせていない。

 昼休み。あと十分くらいで五時間目が始まる時に、僕が師泰と丞と廊下を歩いていると、

 

「坎原環さん! 俺と、付き合ってください!」

 

 他組の男子が、何の前触れもなく転校生に交際を申し込んだ場面を目撃したため、僕たち三人はびっくりしてしまった。

 

「ごめんね。今そういう気になれないの」

 

 すげなくフッた転校生。迷うことなく即答だった。

 告白した男子が肩を落とす。確かサッカー部で、一年ながらにレギュラーを張っており、成績も優秀で評判の良い男子だ。しかも顔まで良く、女子の間でよく話題に上る。

 転校生がフッた男子とすれ違い、その先にいた僕と視線が合ってしまう。

 

(……!)

 

 僕が息を()む。キツい眼つきで僕をにらんだのだ。

 そして、転校生が僕たち三人ともすれ違い、教室に戻る。僕たちがそれを見届ける。

 

「なあ鈴鬼。今あの子、お前のこと(にら)んでなかったか?」

 

 丞が目ざとく僕に確かめた。

 思い出すのは昨日の出来事。転校生は光の戦士で、しかも同じ光の戦士の彼女と、一触即発の緊張する事態にまで陥った。

 顧みても衝撃ある一日だった。だが、コスモスに関わることなので、絶対に話すわけにはいかない。

 

「ま、まさか。気のせいじゃないかな?」

 

 しかし、情けないことに、今の鋭い眼つきを受けた僕はビビッてしまっていた。

 動揺しながらも丞に白を切る。勘付かなければいいが。

 

「そうか? ま、それにしても今の即答だったな。あのコ告白された事なんて一度や二度じゃないんだろうな」

「そ、そうだね」

「俺も一度は告白されてみたいぜ。ススム君大好きダイスキ、抱いてぇ、なんてよ~」

「丞、ちょっと落ち着こうよ」

 

 己を抱きしめて体をくねくねとする丞はちょっと面白かったが、僕が笑いを(こら)えてその行いをたしなめた。

 何故(なぜ)なら、転校生にフラれた他組の男子が、哀愁を漂わせながら廊下を歩いている。この勇者の傷に塩を塗るような真似は避けるべきである。

 僕はいまだ彼女に告白する勇気を持てずにいる。だから、告白した勇者を(たた)える僕を(しり)()に、転校生が戻った教室を師泰が眺めている。

 

「しかしあの女、さっそく孤立し始めたよな」

 

 師泰が、皆が思っているであろう感想を僕と丞に述べた。

 

「だなー。もてはやされていたのも昨日だけだったな。今日の昼休み、一人でメシ食ってたし」

「女子らがさ、いくら話しかけても全然笑わないし、〝カッペ〟って見下されてるみたいで(しゃく)に障る、って陰で言ってたぜ」

「まあ、心ここにあらず、って感じ確かにするな。東京が恋しいのかねぇ」

「女子って怖いよなー。昨日あんなにもてはやしていたのに、今日になったら手のひらクルッてハブってよー」

 

 田舎者を見下す高慢ちきな女。ささやかれ始めた転校生の評を師泰と丞が話していた。

 だが、昨日の転校生、あれが本当に素の姿なのだろうか。すごく無理をしているように感じた。

 終始居丈高に振る舞って彼女に変身を強要していた。これが慣れた人ならば、反感を抱かぬようその気にさせるはず。自分を強く見せるということは、自分に自信がない故の虚勢(きょせい)とも言える。

 もっとも、ただの勘なのだが。これはコスモス同士、彼女と仲良くして欲しい僕の願望が多分に含まれてはいる。

 

「コシロー。あの転校生、意外と庚渡と合うんじゃね?」

 

 師泰が僕に()いた。

 一人ぼっち同士、という意味であろう。だが、僕もそうあって欲しい、と願っている。

 

「うん、そうだったらいいね……うわっ!」

「おい、コシロー」

「鈴鬼」

 

 不意に僕が、後ろから押されて倒された。

 すかさず振り返ると、知らない男子が薄ら笑いを浮かべている。

 誰だこの男。へらへらとバカにしたような態度の男に、僕が立ち上がりながら反感を抱く。

 

「ごめんごめん。君の背が小さくて気付かなかったよ」

 

 男はごめんと言いつつも、とても謝っているようには見えなかった。

 倒されて、さらにコンプレックスをなじられて。僕が怒りを覚えるが、代わりに師泰が不満をあらわにする。

 

「おい、ぶつかっておいてなんだよお前。コシローに謝れよ」

「は? なんで君がキレてんの? ボクは謝ったけど」

「謝ってるように見えねえよ」

「え、このボクとヤるの君? 敵うと思ってるの? 一年のくせにさ」

 

 にらみ合う師泰と知らない男。僕が、

 

「師泰、いいよもう」

 

 腹立たしい思いを堪えていさかいを止める。

 

「くふふっ。雑魚(ざこ)が粋がってさ」

 

 すると男が、いやらしく口をゆがめてこの場を後にした。

 軽い足取りで去る男。口笛でも吹かしそうなステップに、僕が腹から込み上げる憤りを抱く。

 

「なんだよあいつは……」

「師泰、おさえて」

 

 怒りが収まらぬ師泰を僕が抑える一方で、丞が顎に手をあてて話し始める。

 

「あいつ、二年なんじゃねえかな?」

「おうススム、知ってるのか?」

「野球部の先輩から聞いた話だけどな。あいつも転入生らしくてさ、最近ヤベー(やつ)が転校してきたって先輩から聞いたんだよ」

「やべー、ってどんな意味だよ?」

「もちろん悪い意味さ。授業中急に机を(たた)きだして〝奴隷になるための教育なんてやってられるか〟つってキレ散らかしたり、女の先生がちょっとミスしたら、それを〝教育費払ってんですけどー〟とかグチグチ問い詰めて授業を妨害するんだってよ。それで男の先生が注意したらさ、急に被害者ヅラしだして〝教育委員会に訴えるぞ〟とか騒ぎだすんだと」

「なんだそりゃ」

「動画配信のユアチューブで少年革命家とか言ってるヤツいるじゃん? それの影響を受けてんのか先生に〝学校に行く権利はあるけど義務はない〟とかほざいたみたいだぞ? だからあまり学校には来てないらしいけど、来たら来たでかなり迷惑な、絶対に関わりたくない奴って聞いてるぜ」

「マジかよ」

「そんな奴がなんでウチの学校に来たんだかなぁ」

 



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日曜の麻呂! ひかりたもれ~

 日曜日。今日も寒いが、僕の心は焼きたて焼き芋のごとくホクホクだ。

 なぜなら今日、僕は彼女と買い物に出かける。彼女にはお姉さんがいて、バンドでドラムを担当しているのだが、このお姉さんが彼女にドラムスティックの購入を頼み、それで二日前の金曜「スティックを一緒に買いに行かない?」と彼女に誘われた。

 彼女とは二人きりで遊び、彼女の部屋にもお邪魔したことがあるが、それらは押しなべて「デート」と呼んでいいのだろうか。

 デートという響きは、僕にとってどこか神聖なものに感じていたのだが、彼女と遊ぶようになって僕は、その領域にいつの間にか踏み入れていたのだろうか。いまいち実感が湧いていないが、彼女と共にその神聖なる領域へ踏み入れた喜びが、僕の顔をついつい綻ばせてしまう。

 

 さて、時刻は十時十五分を過ぎた。彼女が来ない。

 十時に彼女と待ち合わせしている。遅れる連絡はまだなく、僕が少しそわそわし始めると、

 

「鈴鬼くーん。遅れてごめーん」

 

 彼女が走って現れた。

 

「はあ、はあっ……」

「そんなに息を切らして。寝坊でもしたの?」

「ううん、〝パジャ麿(まろ)〟観てたら時間ギリギリになっちゃって」

「ぱじゃ、まろ?」

 

 人の名前なのだろうか。初めて聞く固有名詞に僕は首をかしげた。

 

「パジャ麿しってる鈴鬼くん?」

「いや」

「日曜の朝ってさ、〝鬼面ライダー〟とか戦隊ヒーローの番組やってるでしょ?」

「うん、やってるね。小さい頃はよく観てたよ」

「それのCMにね、麻呂の格好をした人が面白いパジャマの宣伝してるの。私それ観るの好きで。で、観てたら時間ギリギリになっちゃって、それで急いで来たの」

「ふーん」

「あ、興味なさそう。すっごく面白いんだよ、〝ひかりたもれえ~〟って」

 

 彼女が僕に向かって手をひらひらと仰いだ。

 楽しそうに仰ぐ彼女。ライダーに戦隊ヒーロー。僕も小さい頃は熱心に観ていたが、小学校の高学年になる前だろうか、その頃には観なくなってしまった。

 CMを知っているということは、彼女はいまだに観ているのだろうか。いや、ライダーに戦隊ヒーローは男児向けの番組ではあり、女の子が観るのもありなのかもしれないが。

 

「庚渡さん、そのパジャマ欲しいの?」

「えー、子供向けのパジャマだよ? さすがに着れないよ。着れたら〝ひかりたもれえ~〟ってちょっとやってみたい気もするけど」

「分からないよ。最大サイズなら着れるんじゃないかな?」

「めちょっく! 鈴鬼くんまでお姉ちゃんやお兄ちゃんみたいなこと言わないでよー」

 

 ぽかぽか、と僕を(たた)き始めた彼女。この軽い衝撃が僕を笑顔にさせてしまう。

 

「ふっふっふっ……」

「ちょっと鈴鬼くん、変な笑いしないでよー。んもー、エイプリルフール生まれの年下のくせに」

「ごめんごめん。じゃあ行こうか。お姉さんに頼まれてる楽器屋ってどこ?」

「あ、えーと。……忘れちゃった」

「ええっ」

「今日遊ぶことばかり考えてて頭から抜け落ちちゃってた。待ってて、いま電話してお姉ちゃんに聞くから」

 

 彼女がケータイを取り出し、お姉さんに電話した。

 受話器越しから甲高い声が聞こえるのは間違いではない。そうして、彼女が楽器屋の場所をお姉さんから聞く。

 

「よし、行こう鈴鬼くん」

「メモとかとってなかったけど、大丈夫?」

「任せてまかせて。それじゃ鈴鬼くん、迷子になって泣いたりしないよう私に付いてきなさい。えっへん」

「不安しか感じないけど、付いてくよ」

 

 僕と彼女が楽器屋へと出発した。

 そして、スティックを購入し、時刻は午後三時を回る。

 僕と彼女が、公園のベンチにぐったりと腰を下ろす。

 

「鈴鬼くん、すっごく歩き回ったね……」

「楽器屋、ものすごく探したね。やっぱり任せるんじゃなかった」

「まあまあ。買えたんだから結果オーライ、うるとらはっぴー、みたいな?」

 

 スティックを買った僕と彼女だが、費やした時間は約五時間。楽器屋を見つけるのにとても苦労した。

 予想通りというか何というべきか、彼女の案内では楽器屋にたどり着けなかった。辺りを探し回り、見つからないからまた彼女がお姉さんに電話して、といったことを繰り返した。

 彼女のお姉さんは、近々ライブがあるようで練習に忙しいらしい。それで彼女に頼んだのだが、「楽器屋どこー?」としつこく尋ねる妹にうんざりしただろう。しかし、お姉さんには悪いが、僕は彼女と一緒に探す時間が割と楽しかった。

 五時間まるまる探し続けた訳ではない。途中お昼をとったりして寄り道している。くたびれたけど良い思い出ではないだろうか。

 

「三時過ぎか。庚渡さん、まだ帰るには早いよね?」

「うん。鈴鬼くん、行ってみたい所があるの。これからお茶しにいこ?」

 

 彼女がベンチから立ち上がって次の行き先を提案した。

 

「お茶? うん、いいけど」

「けってーい。お姉ちゃんから〝釣りはいらねーぜ〟って言われてるから、このお金でお茶しに行こう?」

「ふふっ、そんなにお釣りあったようには思えなかったけど。それじゃどこの喫茶店行く?」

「この辺にお姉ちゃん行きつけのおいしいドーナッツ屋があるって聞いてるの。なんか〝ヤ〟が付くようなうさんくさい見た目の人がやってるドーナツ屋なんだけど、すごくおいしい上にフェレット飼ってて面白い店なんだって」

「へえ、フェレットって珍しいね。僕も行きたくなってきた、行こう」

 

 僕が立ち上がったときだった。

 公園内を歩く人々が、公園の外を走るオートバイが、風に吹かれる落ち葉が止まっている。

 彼女も静止した周りに驚いている。僕が見ていたので当たり前だが、彼女が時を止めたわけではないようだ。

 

「鈴鬼くん」

「これって、まさか」

「いや、でも、いつもならブラックホール団が現れたときって、()ぐにべーちゃんが知らせてくれるの。べーちゃんが現れないってことは、これはいつもと違う」

「いったい誰が。陽さん? 美月さん? ……あっ」

 

 僕と彼女の前に、淡い光を放つ環をまとった光の戦士が降り立った。

 紫を主とした色のドレス。黄色の彼女とは対照的だ。東京から来た転校生が、変身した姿で彼女を(にら)んでいる。

 

「庚渡紬実佳」

「リングレット」

 

 転校生と彼女が互いに呼び合う。

 時を止めたのは転校生で間違いないだろう。転校生が僕に厳しい視線を向ける。

 

「この男の子がリープゾーンの中を動けるってのは本当なんだね」

「…………」

「妖精から全部聞いたよ。まさか、そんなことする女がいるなんて。まあいいや、それならそれで、自分が犯した過ちを思い知ってもらうだけ。……ハアッ!」

 

 転校生が僕に向かって飛び込んだ。

 光の戦士の跳躍。あっという間に距離を詰め、僕なんかにかわせる訳がなく、

 

「うわあっ!」

 

 僕が転校生になす(すべ)もなく担がれてしまう。

 

「鈴鬼くん!」

「この男の子はさらってくよ」

「だめ! 鈴鬼くんを返して!」

「やだね。返して欲しければ、変身して追いかけて来なよ。……ハァッ!」

 

 ふわりと浮かぶように飛んだ転校生。互いに手を伸ばす僕と彼女だが、その距離はみるみると離されてしまう。

 僕は、転校生にさらわれてしまった。

 



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戦国鈴鳴り武者! 激突する光の戦士!

「とっ」

 

 空を()(しょう)した転校生が軽やかに着地した。

 担がれている僕が地面に降ろされる。ここはどこだ――、と辺りを見回す僕だが、一面に広がる枯れたススキを目にしてどこであるか思い出した。

 ここは(はこ)()山中、千穀原(せんごくばら)だ。小さなころ親と一緒に訪れた覚えがある。ずいぶんと山の中に入ったものだ。帰れるのだろうか。

 転校生に振り向くと、空を見上げていた。彼女が現れるのを待っているのか。

 

「坎原さん」

 

 僕が呼びかけるが、転校生は無視した。

 だが、諦めるわけにはいかない。同じ戦士なのに彼女を目の敵にするこの転校生に、その真意を問いたださなければ。

 

「どうして庚渡さんと戦うことにそんなにこだわるんだ?」

「…………」

「こんな真似までして。彼女戦いたくないって言ってるじゃないか。コスモス同士、仲良くできないのか?」

 

 強い口調で僕が問うと、その(おも)いが通じたのか、転校生が振り向いた。

 代わりに射られるような視線を受ける。だが、負けるわけにはいかない。僕も転校生をしっかりと見据える。

 転校生が口を開く。その体を僕に向けて。

 

「弱いコスモスは、要らないからよ」

「……でも、彼女は一緒に戦いたいって」

「弱いコスモスなんて要らない。足引っ張るだけだし」

 

 僕の言葉を遮った転校生が、顎をしゃくって僕に尋ねる。

 

「君さ、逆に()きたいんだけど、あの子と付き合ってるの?」

「い、いや、友達だよ」

「でも好きなんでしょ? でなきゃあの日、後を()けたりしないものね」

「う、うん……」

「でさ、これが一番訊きたいんだけど、君さ、好きな子に戦って欲しいの?」

 

 念を押すように告げた転校生の言葉に、僕の頭がガツンと殴られた。

 戦いなんてして欲しくない。だって、あまりにも危険だから。それは彼女と友達になってからずっと思っていた。

 閉口した僕に、転校生がもう一度問う。

 

「なに黙ってるの。君は好きな子に戦ってほしいの?」

「戦って、欲しくない……」

「男として好きな子に戦わせて恥ずかしくないの?」

「……そんなこと、分かってるよ。でも、どうしろって言うんだよ。誰かが戦わなければいけないんだろ、世界が宇宙海賊とやらに侵略されちゃうんだろ。そんな戦いを僕に、どう止めろって言うんだよ」

「……はんっ。なにを開き直ってるの、なっさけな」

 

 転校生があきれた口調で僕に言い放った。

 悔しいけど言い返せない。転校生の言うとおりだ。僕は世界の生贄(いけにえ)として(ささ)げられている彼女を止めもせず、ただ指をくわえて看過している。

 しかし、どうすればいい。僕はコスモスの戦いを知る、この世にはほとんどいないであろう一般人だ。誰かが戦わなければ、この世界がどうなるのか分からない。そんな危機に僕がわがままを言い、世界を陥れていいのか。

 せめて、僕にも力があれば。そう何度願ったか分からない。情けない事実を突き付けられて涙があふれそうになる。けれど、そんなうつむく僕に転校生が、

 

「だからね、私があの子を負かせて、コスモスから降りさせるの」

 

 慰めるように告げたため、僕は思わず顔を上げた。

 

「えーと、鈴鬼くん、だよね?」

「う、うん」

「言い過ぎたよ、ごめん。世界の危機とか言われちゃ、誰にだって止められるわけないものね」

「坎原さん」

 

 転校生の優しさが(かい)()見えたときだった。

 

「鈴鬼くん!」

「庚渡さん」

 

 黄色を主としたドレス姿の、僕が心を奪われた明星の(ごと)き彼女が空から現れた。

 枯れススキが広かる大地に降り立った彼女を前にし、

 

「それがあんたの変身した姿、トゥインクルスターね。……こんなところまで似るなんて」

 

 転校生が目を鋭くする。

 

「リングレット、鈴鬼くんを返して!」

「いつでも返すよ、あたしに勝てたら!」

 

 転校生が飛び込み、繰り出した拳を、彼女が両腕を斜めにクロスさせて防いだ。

 止まらない転校生。体を浮かせたまま右に回転し、後ろ回し蹴りを浴びせる。

 回し蹴りも彼女が防いだが、続く踏みつけるような蹴りを彼女が食らい、倒される。

 

「こ、このおっ」

「食らうもんか! 〝リフレクティブサークル〟!」

「きゃあっ!」

 

 彼女が反撃とばかりに拳を突き出して飛び込んだが、転校生が手のひらを前に丸を描くと、弾かれたようにして吹き飛んだ。

 なぜ彼女が弾き返されたのか。僕が目を凝らすと、転校生がかざす右の手のひらには、淡く光る鏡のような円が形成されている。

 尻もちをつく彼女に転校生が宣言する。

 

「あたしの(サークル)はどんな攻撃も防ぎ、反射する。さあ、負けを認めな、トゥインクルスター!」

「やだ! 私は勝つ! 勝って鈴鬼くんを取り返す!」

「このっ、弱いくせに!」

 

 立ち上がった彼女に転校生が飛び込んだ。

 転校生は速かった。あの黒ずくめの男ほどではないにしろ、跳んだと思ったらもう彼女に接近している。そして繰り出す拳と蹴りの猛襲に、彼女は手も足も出なかった。

 励まさなきゃ。そう思う僕だが、先に転校生が述べた言葉が響いている。彼女が負ければ、もう彼女は戦わなくて済む。

 亀のように縮こまって痛めつけられている彼女は見ていられないが、世界を守るコスモスの使命からは解放される。

 

「うああっ!」

「庚渡さん!」

 

 (おの)のような一撃を目にして僕が思わず叫んだ。宙を返った転校生の振り下ろした(かかと)が、彼女の首筋を切り裂くように打った。

 そして、膝を折った彼女を、転校生が突き放すように蹴っ飛ばす。

 

「ふん、話にならないね。これであたしと一緒に戦おうなんてよく言えたよね」

 

 横に倒れた彼女を、転校生が見下すが、

 

「まだ、まだまだ……」

 

 立ち上がった彼女が、脚を震わせながら両手を突き出した。

 彼女の両手に光が集まる。輝く粒子が渦を巻いている。

 

「ああ、あんたビームを撃つんだっけ? いいよ、撃ってきなよ」

「はあああぁ……」

 

 光に動じない転校生。きっと妖精から聞いているのだろう。

 僕は、彼女が負ければ戦いから解放されると思っていた。でも、戦う彼女を見てその考えを改めた。

 彼女は僕を助けるために傷付いている。僕を助けるために必死になってくれている。この想いには絶対に応えなくてはならない。

 戦いから降りて欲しい。でも今は、

 

「庚渡さん! 負けないで!」

 

 彼女を応援した。

 

「鈴鬼くん! いっけえ、〝トゥインクルブラスト〟!」

「リフレクティブサークル!」

 

 彼女が放った光に対して転校生が、右手で丸を描いて円を形成した。

 光が円と衝突する。そしてせめぎ合うが、今ぼくは彼女の戦士としての素質を改めて知った。

 転校生は強い。格闘戦では明らかに分があり、彼女は手も足も出なかった。だが、そんなリードなどひっくり返してしまう(すさ)まじいパワーが、彼女の光には宿っていた。

 もっとも、転校生の油断もあるだろうが。転校生としては彼女の光を防いでしまえば、もう負けを認めると踏んでいたのだろう。

 転校生の誤算。それは彼女が弱いと思い込んでいたこと。陽さんと美月さんが仲間と認め、妖精が選ぶ強さが彼女には秘められていた。

 

「うそっ、あたしの(サークル)が、溶けてる……まずい!」

 

 狼狽(ろうばい)する転校生。注ぎ込まれる輝きが円を侵食し、転校生の盾と言うべき円を突き破った。

 



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夜露死苦! タイマンはったらマブダチでしょ?

 彼女の放った光が、転校生の盾と言うべき円を突き破った。

 円を破られた転校生は、腰を落として脚を大きく開き、腕をバツの字に交差させた体勢で(こら)えている。

 外傷こそあまり(うかが)えない。一目見ただけでは無事のように見える。

 

「はあっ、はあっ……」

 

 だが、息を苦しげに乱し、開いた両脚をガクガクと震わせている。

 

「あ、熱い。体が沸騰している。あたしの(サークル)を、まさか、破るなんて……」

 

 つぶやく転校生が片膝を突いた。

 すかさず立ち上がろうとするが、足がおぼつかず横に倒れる。僕をさらってまで彼女に挑んだ転校生、緒戦は彼女を圧倒するものの、全てを照らす彼女の光に屈した。

 

「リングレット!」

「坎原さん!」

 

 伏せた転校生に彼女と僕が駆け寄るが、

 

「寄るなぁ!」

 

 転校生が一喝し、その割れんばかりの声に僕と彼女が足を止めた。

 そして、転校生が枯れススキをつかむ。四つん()いになって立とうとしている。

 まだ戦う気なのか。外傷こそあまり見受けられない転校生だが、その表情は()(もん)に満ちている。更に呼吸は先に続いて荒く、紫を基調とした衣装は汗でじっとりと湿っており、とても辛そうで戦える状態とは思えない。

 勝敗は決している。彼女が勝ったのだ。彼女の勝利が望んでいた結末なのか、と複雑な思いに駆られる僕だが、――見誤っていた。僕と彼女はこれから、転校生の底力を思い知る。

 

「……もう、いやなの」

 

 転校生が鬼気迫る表情で立ち上がった。

 決死の覚悟。そのような執念が転校生の眼から感じられ、その鋭さに彼女と僕が息を()む。

 

「なんで、なんであんた、そんなに戦いたがるの……」

「リングレット」

「大人しく負けてよ! もう誰も死なせたくない、仲間が死ぬのはイヤなの!」

 

 叫んだ転校生が彼女に飛び掛かった。

 拳を振り上げる転校生が、先を上回る速さで彼女に肉薄した。どこにこんな力が残されているのか、と僕が驚く。

 続けて転校生が猛攻を仕掛ける。殴打に蹴り、果ては頭突きまでかまし、この気迫に彼女が押され、カメのように身を縮めてしまう。

 

「死なせたくない! お願いだから負けてよ!」

「リ、リングレット」

「うう、うううぅっ!」

 

 転校生が歯を食いしばって()えると、その体を斜めに囲む環が平行に向きを変えた。

 フラフープのように転校生を囲んだ環。そして回り始めた環が、キラキラと光る砂のような粒を生む。

 光の粒が、つむじ風のように渦巻いている。巻き込まんとする彼女を目にした僕が、

 

「下がって庚渡さん!」

 

 彼女に呼びかけるが、

 

「鈴鬼くん。そうしたいんだけど、逃げられないの……」

 

 彼女が己をかばいながら下がれない旨を告げる。

 

「吸い寄せ、られる……。いたっ、あ、ううっ」

「はあああぁっ!」

 

 転校生が胸を張って叫び、逃れられない彼女が、転校生を中心にて渦巻く嵐に呑み込まれている。

 光る嵐、なんてあるはずないのだが、それが僕の目に映っている。キラキラと輝く竜巻は神々しくも美しい光景であり、転校生が巻き起こす妙技に僕が目を見張る一方で戦慄を覚えた。

 いま砂嵐から身を守るようにして耐える彼女は、千や万に匹敵する数の飛礫(つぶて)を浴びているのだろう。例えるなら脱水中の洗濯機だろうか。手の挿入を禁じられているあの高速回転に、いくつもの石と人形を入れるとどうなるか。石は暴力へと変わって中の人形を打ちのめすだろう。

 今の彼女は人形だ。回転が生む遠心力の最中にいま彼女は身を置いている。回る光の粒が、彼女を四方八方から引き切りなしに(たた)いている。

 

「これで倒れて! 〝マグネティックストーム〟!」

「きゃああああっ!」

 

 目まぐるしく回る光の粒を浴びた彼女が悲鳴を上げた。

 間もなくして、嵐から解放された彼女が前のめりに倒れる。そして、光る環を斜めに戻した転校生が、

 

「やった、勝った……」

 

 勝利を宣言したが、ばたりと仰向けに倒れた。

 両者ノックダウン。二人して精も根も尽き果てている。光の戦士同士の戦いは引き分けに終わった。

 

「す、鈴鬼くん」

「庚渡さん」

「起こしてぇ……」

「あ、そうだった、ごめん」

 

 二人が全力を振り絞った、()(れつ)ながらも美しい戦いだったため、つい見入ってしまった僕が呼ばれて彼女を起こす。

 

「いったた……」

「大丈夫?」

「うん。身体(からだ)中すごく痛むけど、心はすっごく清々しいの。お兄ちゃんが読んでたツッパリ漫画で見たことある、タイマンの後のトロピカった熱い友情、って感じ?」

「なんだよそれ。ふふっ」

「鈴鬼くんお願い、リングレットの所に連れてって」

「うん」

 

 彼女が僕の肩を借りてよろよろと転校生に近付き、

 

「起きて、リングレット」

 

 地面に両膝を突け、仰向けに倒れている転校生の顔をのぞき込んだ。

 転校生が、彼女の顔を見ている。

 

「ティターニア」

「えっ。てぃたーにあ?」

「あ、……ごめん。気にしないで」

「ねえリングレット。仲間が死ぬのはイヤ、って言ってたよね?」

「……聞いてたのね」

 

 僕も聞いた。(うそ)いつわりのない心からの叫びだった。

 きっと転校生は、共に戦う仲間の死を見たのだろう。それがトラウマとなり、だから彼女を戦いから降ろさせたかったのか、と僕が得心する。

 それにしても友達でもない彼女を、戦いから遠ざけようとするなんて。この転校生は一見冷たく見えるけど、心根はとても優しい子だ。コスモスを抜きにしても彼女と仲良くなって欲しい、なんて僕が願う。

 

「リングレットの考え、私、だいたい分かった。ありがと、リングレット」

「……どういたしまして」

「でも、私コスモスやめないよ。ねえリングレット、やっぱ一緒に戦おう? 私、精一杯がんばるから」

 

 彼女が改めて転校生を誘ったが、

 

「いや、一緒に戦わない。あんたはコスモスやめな」

 

 断る転校生。頑として譲らなかった。

 しかし、即答ではなく、少し迷ってから言った。脈はあると見ていいだろう。

 体を起こす転校生に、彼女が口をとがらせて食い下がる。

 

「えー。こんなに戦ったじゃない」

「なに言ってるの。ビーム食らったのはあたしの油断だから。油断しなければあたしの完全勝利だったしー」

「えー、なにそれー。なんでそんなに私のこと嫌うの?」

「……あのさぁ、あんた彼の気持ち、考えたこと」

 

 立ち上がった転校生が、考えたこと、と言ったときだった。

 僕が目を剥く。転校生のすぐ後ろに、――黄金色に輝く髪を持つ者がいる!? 僕と彼女と転校生しかいないはずのこの時が止まった空間に、突如として(ちん)(にゅう)(しゃ)が音もなく現れていた。

 気付いた転校生が振り返るが、腕を振り上げた黄金色の髪を持つ者に吹っ飛ばされ、枯れススキの上を()ねられたように転がる。

 

「リングレット!」

「坎原さん!」

 

 彼女と僕が転校生を吹っ飛ばした者に振り向く。

 

「こんな山の中まで()けるの大変だったけど、くふふっ、尾けて大正解だ。そろそろボクも仲間に入れてよ」

 

 すると、特徴的なマスクを(かぶ)った男が、黄金色の髪を振り乱しながら不気味に笑った。

 



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最大のピンチ! 悪意のアノニマス

「ふくくっ、ヒヒッ、ククク……」

 

 突如として現れた黄金色の髪を振り乱す男が、彼女を見つめながら笑っていた。

 彼女が一歩下がりながら構える。下がるのも理解できてしまう。とても(しゃく)に障る、嘲弄と悪意しか感じない不快な笑い声だ。

 黄金色の髪の男は、黒の革ツナギを着用し、有名なハッカー集団がシンボルとして(かぶ)っているマスクで顔を覆っている。

 

「鈴鬼くんはリングレットを」

「うん」

 

 男に対する彼女が僕に視線を向け、転校生を助けるように告げてから視線を男に戻す。

 

「あなた、誰?」

「待ってよ。自己紹介の前に挨拶がしたいんだ」

「あいさつ?」

「ふくくっ。初めまして、庚渡紬実佳さん」

「え、私のこと、知ってるの?」

「もちろん。君がコスモスと知って、ずっと付け狙ってたよ。フフッ、フフフ……」

 

 男の言葉を耳にした僕が大きなショックを受けた。

 初対面にも関わらず彼女の名前を知っていた。害意を隠さない男が、彼女の名前を。

 何者なのだ(やつ)は。彼女は先の戦いで傷だらけなのだ。

 

「ボクは〝ヘイズ〟の〝カスケード〟。趣味はユアチューブの観賞と、おいしそうなコスモス狩り。くふふっ」

「……ヘイズ?」

「むかし中国に一人っ子政策ってあっただろう? あれから採った名前らしいけど、ま、どうでもいいね。君たちコスモスがブラックホール団ってふざけた名前で呼ぶ、あのお方に選ばれた人間さ」

「ブラックホール団。なんでこんなときに……」

「それじゃ今度はボクと遊ぼうよ! くふっ、容赦しないからね!」

 

 男が彼女に向かって腕を振り上げた。

 転校生に比べると速いものではなかった。彼女が腕を上げて難なくガードするが、

 

「あうぅっ」

 

 やはり先の戦いが響いており、防いだ衝撃にか細い声を漏らす。

 

「くふふっ、いい声で鳴くじゃないか! その声もっと聞かせろよ!」

 

 喜悦する男が、痛みを堪える彼女の胴に、容赦のない回し蹴りを浴びせた。

 まともに食らった彼女が膝を突く。肺が衝撃を受けたのか、右脇を押さえて息を切らしている。

 

「はっ、ふっ……ああっ、やあっ!」

「ほら、もっともっと泣きなよ。そしてボクに()びなよ。許してください、何でもするからお願いします、ってさぁ」

 

 髪を乱暴につかまれた彼女を僕が目にして、

 

「庚渡さん!」

 

 たまらずに叫んだ。

 しかし、なすが(まま)にいたぶられている。髪を(つか)まれたまま(たた)かれ、ひざまずく体勢のまま蹴られている。

 どうしてこんなときに。そう嘆いた僕の後ろで、

 

「あたしの、せいだ……」

 

 転校生が、痛みに顔を(ゆが)めながらも立ち上がっていた。

 

「坎原さん」

「鈴鬼くん。あの子はあたしが、絶対に助ける……」

 

 駆け始めた転校生。彼女の窮地を救いに。

 だが、体を震わせていた。その体では。そう止めようとした僕だったが、情けないことに言えなかった。

 僕は戦えない。頼るしかできないのだ。僕が祈る(おも)いで走る転校生の背中を見つめ、その転校生が助走を付けて殴りかかったが、

 

「ふくくっ、なんだい? このヘナヘナなパンチは」

 

 彼女の髪を離した男が、転校生の拳を軽く受け止める。

 

「君たちコスモス同士の壮絶なケンカ、陰から楽しく眺めさせてもらったよ」

「ぐっ、見てたの」

「もう笑い(こら)えるのに必死、ハハハッ」

 

 男が転校生の頭をつかみ、地面へ押し倒すように叩きつけた。

 仰向けに倒れた転校生の体を、男が笑いながら蹴りつける。

 

「ぐっ!」

「ふくくっ。でもおかげで、ラクに楽しめそうだよ。礼を言うよ坎原環さん」

「あ、あたしの、名前も。……あぁっ!」

「コスモスだろ? ふくくっ、みんな調べは付いてるんだ」

 

 満身(まんしん)(そう)()の転校生を男が踏みにじりながら笑った。

 転校生も歯が立たなかった。唯一の頼みが絶たれ、僕が愕然(がくぜん)と膝を落とす。

 傍若無人な暴力がこの時の止まった草原を支配している。誰かあの男を止めてくれ。そう願う僕の(おも)いなど歯牙に懸からず、

 

「もうこの子は限界だね。ほら、隣に寝かせてやるよ」

 

 男が彼女を引き倒し、転校生の横に寝かせた。

 突如として光に包まれた彼女。変身が解けてしまう。

 

「ふくっ、コスモス二人。どちらを先にするか迷うけど、まあ初めの予定どおり、庚渡さんからいただくとするか」

「……こいつ」

「焦るなよー坎原さん。君も後でゆっくりとお召し上がりになるからさ。まあちょっと聞いてくれよ。ボク昔さ、いじめられっ子だったんだ」

 

 急な男の身の上話に、僕が思わず(いぶか)ってしまった。

 同情でもしてもらいたいのか。しかし、悔しさなどおくびにも出さない調子で男が続ける。

 

「みんなの前でバカにされて、冬の寒くて汚いプールに突き落とされて、女の子に嫌われるようないやがらせをするよう強いられて。いやあ、それはもう辛かったよー。ボクのプライドずたずたで登校拒否さ。こんな世界など終わってしまえばいい。そんなことばっか考えてたときさ。僕の前にあのお方が現れ、そして、素晴らしい力を授けてくれたんだ」

 

 男が両腕を広げて感動を表した。

 転校生が痛みに震えながらも上体を起こして訊く。

 

「それであんた、いじめっ子たちに、仕返しをしたってこと?」

「そう。償わせない訳にはいかないよね? 人をゴミのようにすり潰せる力をもらったんだから。ボクをいじめたやつ、ボクをバカにした奴、報いとして一人残らず仕返ししてやった。なあ坎原さん、ボクをいじめてた奴が泣きながら謝ってくるんだぜ? これほど愉快なことはないと思わないかい?」

「…………」

「何か言えよ。ま、あらかた仕返ししたら飽きちゃってさ、今度はボクがそいつらを支配することにしたんだ。力を盾に人を支配するって気持ちいいよね。ある奴なんてさ、ケツの穴に爆竹仕込んで、それで火を付けたんだけど、ケツ穴が切れるケガ負ったくせに愛想笑い浮かべてるんだ。教師の事情聴取にも〝友達とふざけてやった〟とか頼んでもないのにかばってくれてさ。この支配する側だけが愉しめる特権に、ボク一日中笑いが止まらなかったよ」

「……サイテーね」

「他にも面白いんだぜ。ボクをいじめてた奴って女も交じってたんだけどさ、その女と付き合ってる男に〝裸にしてボクの前に連れてきてよ〟って言ってみたんだ。すると男がさ、ボクが怖いからって本当に女を連れて来たんだ。あれは勝ち組の素晴らしさを実に堪能した瞬間だったよ」

 

 男が過去を嬉々(きき)として語った。

 邪悪だ。誰もが説明できない宇宙海賊の力、言うまでもなく自分ではない他から託された力だろう。

 いわば借り物の力。男はそんな力を人のために使わず、自分の快楽を満たすためだけに使っている。

 

「おおっと誤解するなよ、いじめに加わるような女なんかこっちから願い下げだから。その女は裸の写真を撮ってネットにばら撒くくらいに留めたよ」

「……このっ」

「まあ、そんなことして愉しんでたらさ、一人このボクに歯向かう粋がったザコがいて、やりすぎちゃったんだよねー。死んじゃってさぁ、山の中に埋めたんだけど、これが発見されちゃってね」

「なっ。あんた、人を殺してるの……?」

「え、ひいた? そう驚くことでもないと思うけど。おかげでボクに疑いの目が向けられたから引っ越すことになってね、それからは自重してあのお方が命じるコスモス抹殺、それに専念することにしたんだよ」

 

 殺人者であることを自白した男に、僕と転校生は戦慄していた。

 しかし、男はむしろ武勇伝のように語っている。そんな過去を明かして何が楽しいのか分からない。

 殺人を犯しても当然の権利、何をしても勝ち組の権利とのたまう男。どうすればいい。どうすれば彼女を助けられる。

 

「ふくくっ、ボクの境遇は分かったかい? しかしいじめられた心の傷は仕返ししたくらいで消えるものじゃないよね? ふとした拍子に、まだ思い出すんだよ」

「……知らないよ」

「この心の傷をボクはいま癒しているんだ、コスモスを始めとする他人をいじめることで。目には目を、歯には歯を、そしていじめにはいじめを。いじめられたから、ボクにもいじめる権利ってあるよね?」

「なにを、言ってるの? そんな権利あるわけないでしょう?」

「……坎原さん、なーにボクにさっきから口ごたえしているんだい?」

「うぐっ! げっ、げほっ、げほ……」

「君さー、ボクが裸にした女にちょっと似てるんだよね? ま、ちょっとだけなんだけど、先に召し上がっちゃってもいいんだよ?」

「うう……」

「ふくくっ、ごめんねー、脅かしちゃったかな? じゃあ今までは前振り、そろそろ本題に移ろうか。なぜボクが、君たちコスモスの名前を知っていると思う?」

「…………」

「僕は少し前にコスモスを始末していてね、その対価にコスモスがどこにいるかの能力、いわばコスモスセンサーを願ったからなんだ。いやあ、それにしてもあの子、すごくかわいかったなあ。しかも自分こそが正義って感じに振る舞っててさ、このボクに自信に満ちあふれたツラで説教垂れたんだよね。……なにが正義だ。この世は力こそが全てだ。力こそが正義だ、ハハッ。だからさ、殺す際にその子もう泣かせまくってやったよ」

「…………」

「殺した後も面白くってさ、葬式に何食わぬ顔して出ると、その子けっこう好かれてたみたいでみんな悲しんでるんだ。もう笑い堪えるのに必死だったよ。ボクが殺した犯人ですよー、ついでにボク純潔を(ささ)げちゃいました、って悲しんでる親御さんの前で言ってやりたかったよ」

「……くっ、この」

「もう最高だよね。君たち二人の葬儀にも出てあげるから、楽しみにしててね。って、話がそれちゃったね。コスモスの名前、コスモスの居場所、僕が明倫中学に転校したのも、この子が」

 

 男が気を失っている彼女を力ずくで起こす。

 

「いるからなんだ。庚渡さんみたいないじめ甲斐(がい)のありそうな子、ボクすごく好みなんだよね。今まで我慢するのに大変だったよ。あ、坎原さんはたまたまなんだけど、君はキミでいじめるとイイ声で鳴きそうだから、後でたっぷりといじめてあげるね」

 

 僕が立ち上がった。

 もう転校生には頼れない。彼女を助けたくば、自分の力で助けるしかない。

 何も考えられなかった。怒りで我を忘れていた。僕が男に向かって走り出し、

 

「その子を、放せえっ!」

 

 被るマスクに拳を叩きつけたが、マスクが外れただけで男はびくともしなかった。

 僕が男に捕まれ、腹に膝蹴りを食らう。

 苦しい。胃の中の物が逆流するのが分かり、僕が倒れながらも吐いてしまう。

 

「あううっ、う……」

「そうそう、君もいたね。ゴミ過ぎて忘れてたよ」

「……?」

「くふふっ、ボクの顔、見覚えない?」

 

 おどける男の素顔を見た僕が(きょう)(がく)した。

 マスクと髪のために気が付かなかったが、数日まえ僕にぶつかってきた男だ。僕のクラスの近くにいたのも、彼女を付け狙っていたのか。

 

「君ってさ、この子とどんな関係なの?」

「…………」

「くふふっ、いいよ答えなくて。そんな君に、今からとっておきのショーを見せてやるから」

「なんだ、って……」

「この子の着てる服、今から全部脱がしまーす。そして君の見ている前で、めちゃくちゃにしてやりまーす」

「なんだと、ふざけるな」

「おおーっと、なに反抗的な口たたいんてだよ」

「がはぁっ! あっ、あ……」

「殺すぞ(くそ)ザコが。って、昔いじめてた奴みたいな口をしてしまった。自重じちょー。ま、ザコは指でもくわえて見てろよ。この子はボクがおいしく食べてやるからさ」

「やめて、やめてくれ……」

 

 繊維の裂ける音が響く。彼女の着る服が破られている。

 顔を上げれなかった。悔しくて涙が止まらない。立ち上がろうにも苦しくて力が入らず、こんな危機と言うのになぜか、男が先に言ったセリフが頭の中で繰り返されている。

 力こそが全てだ。力こそが正義。力がなければ彼女を守れない。力がなければ泣き寝入りするしかない。

 そんなの嫌だ。この身がどうなろうとも彼女を守りたい。せめて僕に、力があれば――。

 

「こんのヤロー!」

 

 顔を上げると、黒いビキニ姿の光の戦士が、男に跳び蹴りを食らわせた。

 吹っ飛んだ男。そして彼女を、銀色の着物を羽織った光の戦士が救う。

 

「美月さん。陽さん」

「スズキ君、待たせたわ」

「離れた場所だったから遅くなっちゃったよ。ごめんねスズキ君」

 



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情け無用の殺意と決意

 光の戦士リングレットアークが、庚渡紬実佳を抱える銀色の着物を羽織った戦士と、黒いビキニ姿の戦士を見つめていた。

 銀の着物を羽織った戦士は、()れ羽色の長い髪をなびかせ、細い体型に似合わぬ大きな籠手を両手にしており、遮光器のような黒のゴーグルを付けている。もう一人のビキニの戦士は、燃えるようなオレンジ色の長い髪をツーサイドアップにまとめ、炎に似た紋様が体中に描かれていた。

 貫禄なようなものを二人から感じた。この地域には紬実佳の他に、(とし)が一つ上のコスモスが二人いることを妖精から聞いている。この二人が年上の太陽と月、サンシャインとムーンライト、とリングレットが推察する。

 

「あなたが、リングレットアーク?」

 

 呆然(ぼうぜん)とするリングレットにムーンライトが尋ねた。

 リングレットが、上体を起こして返事する。

 

「そうだけど」

「話は紬実佳とべーちゃんから聞いてるわ。私はムーンライト。こっちの脳まで筋肉ゴリラ女がサンシャインよ」

「ウッホッホー。って、ゴリラは余計だよ。それよりもさ、そのわっか触れるの? ……あれ、触れない」

 

 サンシャインがリングレットを囲む環に触れようとするが、触れずに()(げん)な顔をした。

 リングレットの環は、光を放つ微細な粒子によって形成されている。目には映るが実体は無いに等しい。

 後輩と妖精から聞いていた都会育ちの戦士。リングレットの前で(かが)んだサンシャインが、その優れた容姿をじろじろと眺め、

 

「この子かわいいね。紬実佳ちゃんとどっちが可愛いかな?」

 

 と、率直な感想を親友に述べる。

 

「甲乙つけ難いわね。ま、このコ生意気そうだけど」

「ムーンライト。初対面の子に向かってナマイキとか言うんじゃない」

「これでも控えめのつもりよ。だって紬実佳と仲良くしてないんでしょ?」

 

 悪口を言われたリングレットだが、重症である自身の体に加え、相手が年上であるために大人しく聞いていた。

 今までいくら妖精を呼び出しても現れなかったサンシャインとムーンライトだが、今日久々に姿を現した。トゥインクルと東京から引っ越して来た光の戦士を付け狙っている男がいるから駆けつけてくれ、と頼まれていた。

 サンシャインとムーンライトの二人が、吹っ飛ばした黄金色の髪の男に振り向く。

 

「ボクを、蹴りやがって……」

 

 立ち上がった男が恨めしそうに二人をねめつけた。

 ムーンライトが気を失っている紬実佳を、鈴鬼小四郎に託そうとする。

 

「……男のスズキ君には毒ね。リングレット」

「あ、うん」

「紬実佳をお願い」

 

 衣服が破れた紬実佳の姿に思い直し、リングレットに預ける。

 

「サンシャイン」

「なに?」

「あいつ、あの髪を見るにおそらく黄道の精霊を宿しているわ。分かっているわね?」

「うん。にしても」

「なに?」

「アイツ、紬実佳ちゃんになんてことを。あたし、堪忍袋の()が切れたよ」

「同感ね。海より広い私の心も、ここらが我慢の限界よ」

 

 静かな怒りを燃やす二人に対し、男が、

 

「なにボクに内緒話をしている!? クッソ、予定変更だ! お前ら二人から始末してやる!」

 

 怒りを(あら)わにして襲い掛かった。

 男が腕を振り上げ、これをサンシャインがかわす。更に振り上げるが、これもサンシャインがかわす。

 かわし続けるサンシャイン。男の猛攻をひらりひらりと避けている。これに業を煮やした男が攻撃を止め、捕まえようとするが、

 

「ハァッ!」

 

 水を差すようにムーンライトが、男の背を籠手で(かす)るように斬りつけた。

 振り向いた男。眉根に(しわ)を寄せる視線にムーンライトが下がる。

 だが、ムーンライトは動じていない。冷めた口調で男を挑発する。

 

「こっちよ」

「この女!」

 

 男が今度はムーンライトを追い、腕を振り払うが、これをムーンライトがかわす。

 二人は積極的に仕掛けなかった。それぞれ男の前後に位置し、一定の距離を測って回避に専念している。

 どうして冷静なのか。攻撃をしないのか。それは、力のある精霊を宿す弱点をムーンライトが身を(もっ)て知っているからであり、その効果は早くも発露する。

 

「ハアッ、ハアッ……。このっ、チョロチョロと逃げ回りやがって……」

 

 額の汗を鬱陶しそうにぬぐった男。肩で息をし始めていた。

 男が息を()んでムーンライトに襲い掛かるが、明らかに動きが鈍っている。よって、ムーンライトが軽くかわす。

 そもそも男の動きは速いものではない。傷付いていたトゥインクルでさえ防ぐことができた。あの黒ずくめの男と戦った二人にとって、男の攻撃を避けることは造作もなかった。

 

「ハア、ハアッ……。黄道の精霊〝レオ〟を宿しているボクが、なぜ、こんなに苦戦を……」

「んげっ。しし座? あたしの星座じゃん」

 

 自分の星座が下種(げす)な男に使われていることを知り、サンシャインが軽いショックを受ける。

 そして、ヒイヒイと息を吐く男のへばった姿に、力を推し量っていた二人が警戒を解く。

 

「ブラックホール団もピンキリね。やぎ座(カプリコーン)の力を借りるまでもないわ」

「メテオに比べると月とすっぽんだね」

「すっぽんは高級食材だから、こいつは靴の裏のガムよ。薄汚い欲望をむき出しにする男ではこんなものかしら」

「じゃあムーンライト、あたし、そろそろいくよ。……たあっ!」

 

 サンシャインが満を持して飛び掛かった。

 振りかぶる拳を男が凝視し、回避を試みる。

 

「うりゃあああっ!」

 

 だが、疲労の()まった体が追い付かず、加えてサンシャインの拳が速かったため、かわし切れずに食らった。

 直撃は避けた。右肩に食らって吹っ飛ばされた男だが、すかさず体を起こす。立ち上がるべく右手を地面につけようとするが、――右手が動かない。

 

「なんだ……うっ!」

 

 焼けるような熱さを感じた男がうめき声を上げた。

 革の焦げる臭いが漂い、右腕が垂れたままで動かそうと思っても動かない。動揺した男が右肩に目を向けると、なんと肩が変形していた(ため)に目を剥いた。

 ツナギの肩の部分が焼け、はだけた肩が醜くへこんでいる。どす黒く染まった己の肩に男が(がく)(ぜん)とする。

 そして、肩を一撃で壊したビキニ姿の女が、ポキポキと拳を鳴らしながら歩み寄っている。

 

「愛を失くした悲しいおばかさん。このサンシャインが、あなたのカラダ、ぼこぼこにしてあげる」

「う、うわあぁぁっ!」

 

 男は恐怖した。なんだこの女の拳は、こんなの食らい続けたら本当に死んでしまう、と。

 戦意を喪失した男が、背を向けて逃げようとする。

 

「〝シルバーストリング〟」

 

 だが、ムーンライトが着物の袖を(ひも)状に変化し、それを放って男の左腕を捕らえた。

 絡みついた銀色の紐を、外そうと慌てる男を(しり)()に、

 

「ハァッ!」

 

 接近したムーンライトが、右の籠手で弧を描いて男を斬りつける。

 男の胸が横一文字に切られ、そのパックリと空いた傷から血があふれ出す。

 

「あ、血、血がぁぁっ!」

「うるさいわね。血なんて肉や魚を(さば)いていれば見慣れるでしょう?」

「いや、血がっ、血が出てるんだぞ! やめろ!」

「いやよ」

 

 ムーンライトが男の脇腹を刺した。

 籠手を引き抜くムーンライト。抜いた個所から赤い血が流れる。

 壊れた右肩に、胸と腹からドクドクとあふれる血。この事実に男が青ざめ、尻もちをつく。

 絶望した男の背後にサンシャインまで近付き、二人が男を前後から見下ろす。

 

「よくも紬実佳を」

「絶対に許さない」

 

 可愛い後輩を汚そうとした憤怒を二人が男に吐く。

 

「待て、待ってくれよ! ボクを、殺す気、なのか……?」

「そうよ。あなたのような男、生きてるだけで汚らわしい」

「お願いだ、許してくれ! もうヘイズもやめる! このとおりだ!」

「謝って済むならコスモスは要らないわ。サンシャイン」

「うん。信じられないよ、やめるなんて言ってても。コイツはいま殺さなきゃ、絶対に、ぜったいに後悔する……。一緒に殺そう、ムーンライト」

「ええ」

「や、やめろおおぉ!」

 

 決意を固めた二人が、それぞれ右腕と左腕を振り上げたときだった。

 

――〝増殖(マルチプライス)〟――

 

「えっ!?」

「なに!?」

 

 突然のことに驚く二人。後ろから羽交い絞めにされた。

 二人がすかさず背後に振り向くと、とても精巧な造りをしたマネキンが自身を捕らえている。

 このマネキンは。そう戸惑う二人などお構いなしに、

 

「うああっ!」

「ぐっ!」

 

 二体のマネキンが二人の腕をそれぞれ後ろに締め上げる。

 

「〝イオン!〟」

 

 宙を見上げた男が歓喜の声を上げた。

 二人が男の視線を追う。すると、ゴスロリ調の黒いドレスをまとった少女が空に浮いている。

 少女が枯れススキの上にゆっくりと降り立つ。舞踏会で(かぶ)るようなアイマスクをしていた。

 

「イオン、助かったよ! まさか君がボクを助けてくれるなんて!」

 

 男が喜びを表すが、少女がそんな男の顔面を、なんとサッカーボールのごとく蹴り飛ばす。

 吹っ飛んだ男。それから少女が追い詰め、男をガシガシと狂ったように踏みつける。

 

「なにするんだイオン! あっ、ぐうぅ! やめろ、やめてくれえ!」

「やめませーん。あなた、私のこと汚い女とか臭いとか、散々けなしてくれましたよねぇ?」

「も、もう言わない。言わないから、た、助けて……」

「あはははっ、ざまあみろこのカスがぁ! 私、こんな機会をずっとずっとずぅーとうかがってたんですよぉ、この手であなたを、みじめに可哀そうにぐちゃぐちゃにブチ殺すチャンスをー」

「あ、う……」

「あはっ、あはははっ。……汚くて何が悪いんだ! 私は汚れなきゃ、生きていけなかったんだよ!」

 

 憎しみをぶちまける少女が男の首を強く踏み抜くと、硬いものが折れる激しい音がした。

 そして、ぐったりと伏せた男。首を折られて絶命した。

 



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追懐の願いに揺らいだ枯れ尾花

「あいつは」

 

 突如として現れた黒い衣装の少女に、リングレットが目を大きく開いた。

 忘れるわけがない。たった一人の掛け替えのなかった友達を、アイツは笑いながら殺した――。

 歯をギリッと食いしばる。憎しみを抑え切れずに体が震える。抱えている紬実佳を放したリングレットが、

 

「うああああぁっ!」

 

 慟哭(どうこく)と表すべき大声を上げて飛び込む。

 

「あははっ!」

「あぐっ! ふっ……」

 

 だが、怒りの拳を少女が(こう)(しょう)しながらかわし、お返しにボディブローを、リングレットの腹に深くめり込ませた。

 膝を折ったリングレット。その細い首に少女が手をかける。

 

「探しましたよ。こーんな田舎に逃げてたんですねぇ」

「うう……」

「お友達が独りぼっちで寂しがってますよ。可哀そうだから送ってあげますね」

 

 少女が(うれ)しそうにして絞める手に力を込める。

 だが、少女は忘れていた。いや、侮っていたと言うべきか。

 

「このぉっ! 〝オーバードライブ!〟」

「あつっ!」

 

 マネキンに拘束されているサンシャインが、己の体を激しく燃やすと、少女が(とっ)()に絞める手を引っ込めた。

 手を押さえる少女。サンシャインの炎と、手を引っ込めた少女の動き。炎を食らったのはマネキンのはずだが、今の引っ込めた手は連動しているようだった。

 拘束から逃れたサンシャインが隣の親友に振り向く。

 

「ムーンライト!」

「助かったわ」

 

 ムーンライトも拘束されていたが、どうしてか解放されており、そのきっかけを作ったと思われる腐れ縁にして親友に礼を述べた。

 

「……クッ。〝融解(メルト)〟」

 

 少女が苦々しく口を(ゆが)めてつぶやくと、コスモス二人を捕まえていたマネキンが瓦解した。

 マネキンが溶けて泥に変化し、これにサンシャインとムーンライトが驚く。その一方で少女が、今の状況を冷静に分析する。

 紫の手負いのコスモス。これは問題ないが、同志を葬ったビキニ姿の女と銀の着物をまとう女。この二人をいま相手にするのは分が悪い。そう判断した少女が身を翻す。

 そして、亡き同志につぶやく。チャンスはまた巡ると信じて。

 

「すみませんメテオさん。(かたき)は、いつかとります」

 

 少女が空高くに飛び去った。

 空を飛ぶ黒い衣装の少女を、サンシャインとムーンライトが険しい顔を浮かべて見届ける。

 

「二人とも、お疲れだベエ」

 

 妖精が姿を現した。

 ねぎらう妖精に振り向く二人。険しい表情は崩さぬままで。

 サンシャインが表明する。妖精に対する率直な(おも)いと、悪に抗する純粋な決意を。

 

「べーちゃん。あたしたち、べーちゃんの考えてることが全然分かんない」

「…………」

「べーちゃんのこと、信用できないのは変わらない。でも、あいつみたいな男は絶対に許せない。だから戦うよ。それでいいかな?」

「かまわないベエ」

 

 首を折った男に、目を向ける二人を妖精が承諾した。

 ムーンライトが、(ほう)けたように割座しているリングレットに向く。

 

「リングレット」

 

 名を呼ぶが返事はなかった。

 ムーンライトがリングレットに歩み寄り、後ろからその背を見下ろす。先に悲しい声を上げて飛び出したことから、ある程度の事情は()み取っている。

 

「あなた、今の子と因縁があるようだけど」

「…………」

「何があったのか、教えてくれないかしら?」

 

 尋ねるが、リングレットはうつむき、さらけ出している白い肩がひっくひっくと震えていた。

 肩の震えにムーンライトが落涙を察する。一方でサンシャインが、回り込んでリングレットの前に(かが)み込む。

 

「ねえ、話せるならあたしらに教えてくれないかな? 力になれるかもしれないし」

 

 リングレットの顔をのぞきながら()く。

 

「あたし、今の女に、たった一人の友達を殺された……」

「…………」

「お願いだ! いや、お願いです! あいつに(ふく)(しゅう)したい! サンシャイン、ムーンライト、あたしに力を、貸してください……」

 

 顔を上げたリングレットのパッチリとした瞳から、大粒の涙が流れていた。

 そして、再びうつむくリングレット。「友達を殺された」。この言にサンシャインが自分の立場で想像する。もしもムーンライトが、見る影もない姿で無惨に殺されたら――。

 この紫の女の子は、とても悲しい体験をしたのだろう。そうサンシャインが泣くリングレットを無言で抱き締め、その一方でムーンライトが、ふと感じた疑問を妖精に尋ねる。

 

「べーちゃん」

「なんだベエ?」

「なぜ今の子と、あの男がリープゾーン内を動けるのかしら?」

「スズキと同じだベエ。あの男は、あの男と戦い敗れた戦士がリープゾーン内の行動を許可した対象だからで、今の逃げた子は、リングレットが組んでいた戦士・ティターニアベレットが、リープゾーン内の行動を許可した対象として選んだからだベエ」

 

 妖精の説明にムーンライトが納得する。

 

「う……わたし」

「紬実佳」

 

 すると紬実佳が起き上がったためにムーンライトが呼びかけた。

 だが、紬実佳が辺りをしきりに見回す。ムーンライトの呼びかけが聞こえていない模様。

 間もなくして紬実佳が、

 

「鈴鬼くん!」

 

 破かれた自分の服装などまったく気にせずに、いまだ倒れている彼の元へ駆け寄った。

 彼の元に紬実佳が近付く。だが、動転した様子で口を押さえ、ガクッと膝を突く。

 

「やだ、鈴鬼くん……」

 

 戦いとリングレットのことで(おろそ)かになっていたサンシャインとムーンライトだが、ただごとではない紬実佳の様子に彼の元へ急いで駆け寄った。

 遅れてリングレットも、痛む体をひきずって寄る。

 

「……うっ」

 

 リングレットが(きょう)(がく)し、紬実佳と同じく口を押さえた。

 枯れススキが血反吐で染まっている。鈴鬼小四郎が血を大量に吐いていた。

 



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*****
六分の侠気と四分のう●こ座り


 枯れススキが広がる箱根の名所・千殻原(せんごくばら)での出来事から四日が経過した。

 時刻は十六時を過ぎ、日が沈もうとしている十二月の空の下、明倫(めいりん)中学の制服を着た坎原(かんばら)(たまき)がバスから降車する。

 環が発車したバスを見届け、それから辺りを見回すと、大きく「40」と描かれた片側一車線の道路に、コンビニどころか自動販売機もない、ただ家屋が道路沿いに建ち並ぶだけの変哲もない所。強いて挙げれば遠くに中古自動車屋と(おぼ)しき看板が望めるだけである。

 ライトを()けた車が三台通り過ぎる。環が以前住んでいた首都・東京は、道路が車で混み合う光景が日常だった。また、自動販売機ならどこでも見かけ、人も押し退()けたくなるくらいにあふれていた。地方都市の寂れた公道にたたずむ環が、引っ越す前まで住んでいた東京と比べてしまう。

 

「さっむ……」

 

 冷たい風が吹き、これに環が身を縮めた。

 今日、環はバスに乗って隣町に訪れていた。一つ(とし)が上の二人と会うために。

 環が歩き始める。コスモスの戦士である環は、これからこの街に住む同じコスモスの戦士二人と面会する。

 

 コスモスとは、地球を我が物にせんと(たくら)む宇宙海賊・ブラックホール団と戦う、光の戦士たちの総称である。

 組織だった活動をしている訳ではないため、コスモスを組織や団体と表すのは適当ではない。かと言ってチームと言うには規模が大きい。コスモスの戦士は日本の各地に存在し、なぜか十四・五歳前後の女の子によって構成されている。

 コスモスの戦士は、例外なく変身する。変身することで現代の科学では説明のつかない超常的な力を得て、その力を(もっ)て宇宙海賊と戦っている。

 

 そして、環が指定の公園に着いた。

 待ち合わせの時刻は十六時半。五分前の到着だった。

 

「あ、……こんちは」

「早かったわね」

 

 しかし、この街に住むコスモスのうちの一人、(たつみ)(じま)()(づき)が既に待っていた。

 ベンチに座る美月。その背は曲がることなく直立しており、寒さを物ともせず正しい姿勢を貫く美月に、環が気おくれしながら会釈する。

 二人は四日前に一度会っている。コスモスの戦士は変身するが、その変身した姿で顔を合わせていた。いつもの姿ではこれが初対面となる。

 

「こんな遠くまで呼び出して悪かったわね」

 

 美月がその整った容貌(ようぼう)を崩さずに()びた。

 環は引っ越したばかり。バスを乗り継いだりして確かに遠かったが、この街を知るには良い機会だった。

 

「いえ、気にしないでも。あたし引っ越して来たばかりだから、ちょうど良かったです」

「そう。ならよかった」

「…………」

「……立ってないで、座ったら?」

「……はい」

 

 美月に促されたため、環がベンチに遠慮しつつも腰かけた。

 両者の幅は大きく空いている。美月は中学二年生、そして環は一年生。

 何か話さなければ。そう環が、依然として表情を崩さぬ美月に話題を持ち掛ける。

 

「今日、寒いですね」

「そうね」

「巽島さんって、コスモス長いんですか?」

「そうね。もう一年以上()ってるかしら」

「一年ですか。あたしは半年くらいです」

「そう」

「お互い大変ですね。はは……」

「…………」

 

 会話が途切れた。

 

(ええぇ、この人くすりとも笑わない。どうしよう……)

 

 面をかぶったように表情を崩さない美月に、環が固まった。

 環が頭を超フル回転し、美月が喜びそうな話題を振り絞る。しかし、何も思い浮かばない。

 目を回す環。愛想というものが感じられない美月と二人きりの間を、一体どう保つべきかと懊悩(おうのう)する。

 

(このヒトなんか怖いんだよなぁ。うかつなことしゃべったら(にら)まれそうだし。そうでなくてもこの人に〝ナマイキそう〟とか言われてるし。あー、あたしなんでこの前この人に〝助けて〟って頼んじゃったんだろう……)

 

 苦しみは後悔に変わった。四日前の千殻原で助けを求めたことを環は悔いていた。

 美月はあまり表情を崩さない。しかも背が中学二年生にしては高く、加えて静かで厳粛な雰囲気を漂わせていることから、威圧感を初対面の者には与える。

 ()(れい)なのだが、触れる者をみな傷付ける、決して触ってはいけない毒の(とげ)だらけの花。そんな恐れに近い印象を環は抱いていた。もっとも、美月は意識しておらず、「キレイですね」とか言っておけば喜ぶ割とチョロい女なのだが。

 

(よう)って人、早く来ないかなぁ……)

 

 残るもう一人のコスモスに環が助けを求める。

 

「やー、お待たせー。遅くなっちゃったよー」

 

 すると、そのもう一人が駆け込んで登場するのだが、

 

(んなっ!?)

 

 環が、そのありえない姿に目を剥いた。

 残るもう一人のコスモス、(いぬい)()(よう)の頭が、どうしてかアフロだった。

 

「陽。遅いわ、待ったわよ」

 

 時刻は十六時四十分。驚く環を(しり)()に、美月が陽の遅れをなじる。

 

「これには谷より深いわけがあってさあ」

「わけ?」

「ここに来る途中で、綿(わた)南部(なべ)さんとばったり会っちゃって」

「ああ、バスケ部の先輩だった、陽以上のおしゃべりな人?」

「そうそう。〝陽ちゃん聞いてよ~、アタシ彼氏にふられたの~〟で捕まっちゃってさー。もうそこから止まることのないマシンガントークよ。彼氏とタマゴ焼きが砂糖か塩かで言い争ったらしくて、綿南部さんが〝あまーいタマゴ焼きなら朝晩オッケー♪〟って甘いの推したら、彼氏が〝んなワケあるか、そもそもタマゴ焼きは塩だ〟ってキレ始めたみたいで」

「ふーん。でも、その気持ちは分かるわ。タマゴ焼きって度々論争になるもの。砂糖を入れる人はタマゴ焼きが甘い物って思い込んでるし、塩の人は人で甘いタマゴ焼きに違和感を覚えるし。しかも見た目が変わらないから余計口に入れたときに勘違いするのよねぇ」

「あたしが〝ケチャップ派なんです〟って口挟んだのがよくなかったなぁ。〝はぁ? 陽ちゃんなにケチャップって。砂糖以外ありえない、邪道よ邪道〟ってくどくどと怒られちゃったよ」

「なに入れてもおいしいのだから仲良くすればいいのに。……で、なにその頭?」

「これ? 楽しんでもらおうと思って。イエーイ」

「いえーい、じゃないわよ。このコ固まってるじゃない。とりあえず外しなさいそのカツラ」

 

 美月にたしなめられた陽がアフロのカツラを外した。

 陽と美月は、親友にして腐れ縁の間柄である。故に美月は陽がアフロのカツラをかぶっていても何ら動じない。

 

「環ちゃん、変身してない姿じゃ初めましてだよね?」

 

 カツラを外し、栗色(くりいろ)のちょっと癖がある長い髪をなびかせた陽がニコッとほほえんだ。

 陽の笑顔に環が「この人も綺麗だ」としばし見()れ、尋ねられたことを思い出してすかさず返事する。

 

「あ、はい」

「あたし乾出陽。今さら自己紹介する必要もないと思うけど。で、こっちが巽島美月」

「はい。坎原環です。よろしくお願いします」

 

 陽も美月と同じく、変身した姿では環と顔を合わせていた。

 顔を合わせた際に連絡先を知り合った。だから三人は名前を既に知っており、それで今日、いつもの姿で改めて顔を合わせるに至ったのである。

 環が立ち上がる。年上の陽に席を譲るために。

 

「どうぞ、乾出さん」

「あーいいよいいよ。環ちゃんはゲストなんだから座ってて」

「でも。のうのうとここに座っていられるほど鈍感じゃ」

「そんなの気にしないでいいっていいって。お姉さんはこの場に座るから」

 

 陽がどっかりと腰を下ろした格好に、また環が目を剥いた。

 

(なにこのヒト。股、開いてるよ……)

 

 陽はう●こ座りしており、これに環が絶句する。

 

「環」

「は、はい」

「陽は最近相撲にハマってるの。ほら、あの座った格好、つま先立ちしてて、力士が座ってるみたいでしょう?」

「た、確かに」

 

 ()(ぜん)としている環に、美月がため息をつきながらフォローを入れた。

 

「じゃあ、何から話そうか。……環ちゃん」

「は、はい」

「とりあえず、環ちゃんのこと、聞かせてくれない?」

 



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六分の侠気と四分の危険因子

「あたしのことですか? えーと、何から話せばいいのやら……」

「そうだよね、ごめんごめん。じゃあまず、どんな感じで〝べーちゃん〟に出会ったの?」

 

 陽が環に、コスモスに誘われたきっかけを尋ねる。

 

「環」

「はい」

「私も興味あるわ。聞かせて」

 

 すると美月も環に顔を向け、正した姿勢はそのままに尋ねた。

 

「そうですね……」

 

 ――コスモスとは、宇宙海賊と戦う戦士の総称であるが、妖精によって選ばれた戦士の事も指す。

 妖精とは何か例えではない。透明な(はね)を生やしたウサギのような生物がおり、この奇妙な謎の生物に選ばれた女の子がコスモス、つまり、宇宙海賊ブラックホール団に立ち向かう光の戦士となるのだ。

 選ばれた女の子は妖精から、変身するための鏡・ハロウィンズミラーと、時を止めるための装置・ユニヴァーデンスクロックを託される。そして女の子は、止めた時の中で変身し、宇宙海賊と人知れず戦っている。

 妖精は語尾になぜか「ベエ」と付けることから、陽と美月には「べーちゃん」と呼ばれている。

 

「――と、いったところです。あたしがリングレットアークになったときのことは」

 

 環が妖精と出会い、光の戦士となった経緯を話した。

 陽と美月が目を合わせ、それから首を縦に振って納得する。自分以外の子が戦士となった経緯の大まかなところは似ているが、それでも人の話を聴くのは初めてであり、二人にとっては新鮮だった。

 何度も言うがコスモスは変身する。環が述べた「リングレットアーク」とは、光の戦士に変身した姿の名前であり、陽の変身した姿は「サンシャイン」、美月は「ムーンライト」と言う。

 いまだ相撲の座り方、蹲踞(そんきょ)をする陽が、話してくれた環に礼を述べる。

 

「ありがとう環ちゃん。他の子がコスモスになった話って初めて聞いたから、とてもためになったよ」

「そうですか。お役に立てたようで」

「それでさ、環ちゃん」

「はい」

 

 陽が環の瞳を見つめて告げた。

 余談になるが、股を開いて座る陽の姿はヤンキーにしか見えない。陽の両親は警察官なのだが。

 

「このまえ力を貸して、って言ったよね?」

 

 少し顔を引き締めた陽の確認に、環が姿勢を正して首を縦に振った。

 環には引っ越す前、パートナーと言うべき戦士にして無二の友人がいた。おっちょこちょいで天然ボケなところがあり、頭に花を生やしたような能天気さに度々頭を悩まされていたけれど、苦しいときにはいつもそばにいて励ましてくれる、環にとって掛け替えのない友達がいた。

 環はその子がたまらなく好きだった。だが、その子は宇宙海賊の一味に殺された。「いつか私の(かたき)をとって」と環に言い残して。

 

 絶対に仇を討つ。そう環は、(ふく)(しゅう)を誓って東京を後にした。

 そして、復讐のために、利用できるものは何でも利用する。環は確固たる決意をもって妖精に相談し、共に戦う戦士を求めた。そうして四日前、枯れススキが広がる千殻原で陽と美月に出会って今に至る。

 ちなみに、環は親の仕事の都合により引っ越しているが、この原因は妖精が作っている。妖精はコスモスの戦いをあらゆる意味でサポートし、それは環の家庭に事情を作り、転居を強いることすら可能であったりする。

 事情を作って転居なんて可能なのか。しかし、そもそも妖精は変身する鏡や時を止める装置を提供している。現代の科学では説明不可能な魔法の道具を託す妖精は、その気になれば人の因果関係を弄ぶことすら可能な、ある意味で恐ろしい謎の生物なのである。

 

「…………」

 

 陽と環の間に沈黙が漂い、これに環が不安に駆られた。

 断るつもりか。そう感じ取った環が、

 

「な、なんですか?」

 

 なぜ黙っているのか陽に尋ねる。

 

「いやぁ、力を貸すのはいいけどさ、その前に、紬実佳(つみか)ちゃんと仲良くしてやってよ」

 

 すると陽が、顔を緩めて少し言い(にく)かった助力の条件を伝えた。

 この街には光の戦士がもう一人おり、名前を(かのえ)()紬実佳(つみか)、変身した姿を「トゥインクルスター」という。

 陽と美月は一つ年下の紬実佳を可愛がっている。そして環とは、同じ明倫中に通うクラスメートであり、席が隣同士である。したがって知った仲ではあるが、今のところ友達ではない。それどころか、互いに譲れない思いがあって激突している。

 

「庚渡紬実佳と、ですか」

「そう。紬実佳ちゃんと仲良くするのが条件。でなきゃあたしらも困っちゃうし」

 

 環が紬実佳と仲良くないままで、環に力を貸して紬実佳と付き合っては、それぞれの距離感に困る苦悩を陽が話した。

 口を閉ざした環。そんな環に美月が尋ねる。

 

「環」

「はい」

「紬実佳、あなたに避けられてるって言ってたわ。どうしてあの子を避けるの?」

 

 同じ光の戦士で同じ年齢、そして席が隣なのに紬実佳を拒む。そこのところが分からない二人が、その事情を環に尋ねた。

 環が二人に、紬実佳に対する率直な(おも)いを吐く。

 

「あの子、すごく似てるんです」

「似てる?」

「はい。ブラックホール団に殺されたあたしの友達に。(たい)()って言うんですけど、あの子みてると、どうしても泰子を思い出しちゃって」

「……そうだったの」

「はい。会う前までは、あの子にも力を貸してって頼むつもりでした。でも、会ってみたらすごく似てて、だから、頼めなかったんです」

 

 視線を下げて告げた環。美月と陽は、一つ下の後輩同士が激突したことは知っている。だが、その理由までは知らなかった。

 美月が理由を得心する。環にとって紬実佳は、亡くなった友達の再来であり、そして、その再来までも亡くなるところなんて見たくないのだろう、と。

 

「合点がいったわ。環、あなたが紬実佳にケンカを売った理由だけど、紬実佳を負かせてコスモスから降ろさせたかったのね?」

「はい。それに、似てるあの子と友達になったら、殺された泰子に悪い気がして……」

 

 陽と美月が環の言い分を承知した。

 しかし、それはそれ、これはこれ。美月が表情を崩さずに伝える。言い換えれば環は環で、紬実佳は紬実佳であることを。

 

「環、あなたの気持ちは分かったわ。でも、それでも紬実佳と仲良くして」

「…………」

「あなたの友達に(じゅん)じる気持ちはとても立派よ。尊敬に値するわ。でも、それはあなた個人の気持ちで、紬実佳とは関係ないもの。それに、亡くなった友達も、あなたが気持ちを引きずって一人でいることを望んでいるかしら?」

「…………」

「断っておくけど、忘れなさいって言ってるわけじゃないわ。でも、紬実佳のことも考えてあげて。あの子はとてもいい子よ。一緒に戦ってる私と陽が保証するわ」

 

 美月の勧めに、環が視線を伏せた。

 そして、気持ちが揺らぐ。復讐に巻き込みたくないし、死んでしまった泰子にも悪い。しかし本心では、紬実佳と仲良くなり、手を取り合って一緒に戦いたかった。

 実は紬実佳を見たとき環は、「やり直せるの?」と希望を見出した。しかし、十字架を背負って生きるつもりだった意地と信念が紬実佳を拒絶した。

 迷う環が心の中で()く。――泰子、あたし、素直に生きていい? と。

 

「でも、あれからずっと元気ないんですよね……」

 

 だが、環が願ってもそれが(かな)うとは限らなくて、当の紬実佳の近況を環が二人に話した。

 報告に二人が「やっぱり」と納得する。続けて環が、

 

「今日も授業終わったら()ぐに飛び出していなくなっちゃいましたし。彼の所に、毎日行ってるみたいです」

 

 今の紬実佳と仲良くなるには難しい事情を伝える。

 下を向いた三人。話題を切り替え、思い出した美月が、

 

「環」

 

 顔を上げて環を呼ぶ。

 

「はい」

「ごめんなさい。私、こういう性格だから、陽が来る前の二人きりのとき、なに話せばいいのか分からなくて」

 

 表情は崩れないが、視線を下に()らして告げた美月の()(れき)に環が驚いた。

 そして環が喜ぶ。誤解していた。一見冷たく見えるけど、この人ただ不器用なだけなんじゃないか、と。

 先の言葉も心が揺らいだ。謝った美月に親近感を抱いた環だったが、

 

「あっ」

 

 美月の隣に置かれていたバッグからある物が落ちる。

 バッグはもちろん美月の物である。その落ちたとてつもなく物騒な物に、環が心の底から戦慄した。

 

「やだ、私の包丁が」

「お、おい美月! 早くしまえ!」

 

 陽がバッグから落ちた美月の愛用包丁を慌てて隠す。

 美月は板前の娘である。特に包丁さばきなら誰にも負けない自信を持っている。だが、会って数日の環がそんなこと知る由もない。

 包丁は刃物だ。人を容易(たやす)く傷つける。そんな危ない物を持ち歩く美月に、環が冷や汗をだらだらと垂らす。

 

「なんでちゃんとしまっておかないんだよ!」

「いや、研いだばかりだから、早くこれで肉や野菜を切り刻んであげたくて」

「だからって包丁を抜き身でしのばせておくバカいるかこの漬物女!」

「あなたはなんでまたアフロのカツラ(かぶ)ってるのよこの筋肉女!」

 

 やいのやいのと言い争いをしている二人に、

 

(あたし、頼む人、間違えたんじゃないかな……)

 

 環が大いにひいていた。

 



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お大事に♥ 涙なみだの面会謝絶解除

「おにい、来てやったぞー。着替えここ置いとくよー」

「うん。ありがとう」

 

 妹が現れ、病室の隅に僕の着替えを置いた。

 点滴を刺されている僕は、市内に立つ病院に入院している。

 

 僕の名前は(すず)()()()(ろう)。明倫中学校に通う中学一年の男である。

 無味無臭。友人にそう言われる程パッとしない。趣味なんて言えるものは特になく、強いて挙げるならゲーム、だろうか。

 自分を上中下の更に上中下で表すと、勉強は中の下くらいだった。最近は勉強をしているおかげか、中の中くらいには成り上がったかな、と思っている。でも、運動は下の中、おまけに背はクラスの男で前から並べば二番目に低い。

 

「まさかおにいが、女の人をかばって入院なんてねぇ」

 

 小学六年生の妹が、ニタリと口角を上げて僕をからかった。

 妹とは四日ぶりに会う。日曜、箱根山中の千殻原にて僕は暴行を受け、そのまま入院した。

 血を吐いたあたりで気を失ってしまい、その後は覚えていないのだが、大変だったそうだ。集中治療室に入れられて体を検査した結果、内臓から出血しており、手術の運びとなったらしい。少し遅れていたら出血多量で命が危なかったそうだ。

 目が覚めたら病室に寝かされており、腹を見ると手術の痕が残っていた。もちろん手術は人生初であり、まさか僕の一生に手術を受ける事故が待ち受けていたとは。

 

「やるじゃんおにいー。見直したぞ」

「こら、(たた)くな。腹に響くだろ」

「ああ、そっか、ごめんごめん。てへへ」

 

 はしゃぐ妹を僕はたしなめた。

 妹は褒めたが、とても喜ぶ気にはなれない。僕は暴漢から彼女をかばって大怪我(けが)を負った。実際は何もできなかったのだが、そういうことになっていた。

 僕は、情けないくらいに弱くて無力な男だ。彼女が汚されそうとしているにも関わらず、うずくまって泣いていただけだった。自分で自分が嫌になる、褒められても(みじ)めになるだけだ。

 暗澹(あんたん)とした思いに駆られている僕に、妹がのん気な顔をして問いかける。

 

「おにい、そのかばった女の人、庚渡さんだっけ? 昨日会ったよ」

「…………」

「ちっちゃい人だね。下級生と間違えっちゃったよー。ねえねえ、おにいあの人と付き合ってるの? ゲームばっかしてたおにいが最近勉強し始めたのもあの人の影響?」

 

 妹がやかましい。思い出したくないのにほじくり返しやがって。

 人の神経を逆なでするな。腹が立ってきた。

 

「うるさいな。あの子は友達だよ」

「えー。でも毎日来て、看護師さんにおにいの様子を訊いてるみたいだよ? 付き合ってなきゃ毎日は来ないよねー?」

「うう、もう、しつこいぞ。僕は病人なんだ、用が済んだなら帰ってくれよ」

 

 いらだちが募った僕が、つい妹に辛くあたってしまった。

 

「……はーい。じゃあ帰りまーす。おにいがイライラしてたってお母さんとお父さんに言っとくからね」

 

 妹がムスッとした顔で病室を後にした。

 言い過ぎたか。しかし、人の気も知らずに。僕が千殻原で、どれだけ悔しい思いをしたと思っているんだ。

 何もできなかった故に腹が立つ。もし日曜、陽さんと美月さんが来るのが遅かったら――。

 

(……ううっ、うううっ!)

 

 腹の内から湧いた惨めな衝動に、僕がベッドを叩いてしまった。

 涙が止まらない。僕は宇宙海賊からすれば、一瞥(いちべつ)する価値もない虫けら同然の存在だ。そんな虫けらが宇宙海賊と戦う彼女と釣り合う訳がない。

 そもそも僕と彼女の間に、隔絶とした差があることを突き付けられている。転校生の坎原さんに「男として好きな子に戦わせて恥ずかしくないの?」と言われ、そして、その後あらわれた男に「ザコは指でもくわえて見てろよ」と嘲られた。

 住む世界が違う。地べたを()いずり回る愚かな男が、身の程もわきまえず女神に言い寄る行為。今更ながらに僕は、彼女にふさわしくないことを知ってしまった。

 

 しかし、女神を人に(おとし)める、僕にとっての後ろ向きな希望は一つだけ残されている。

 彼女をコスモスから降ろす。そうすれば彼女はもう危険な目に遭わなくて済み、僕も惨めな思いから解放される。

 世界が危機にさらされても仕方がない。僕にとっては彼女こそが世界だ。彼女が傷付かないなら誰が傷付こうが構わない。世界など、どうなってもいい。

 

(……はぁ)

 

 我ながら情けない。そう息をつきながら時計に目を向けると、時刻は午後四時半を過ぎていた。

 僕は、まだ彼女と会っていない。手術後ということで親族以外の面会は医者が断っていた。しかし今日、それが解除された。

 学校は四時に終わる。妹は毎日来ていると言っていた。学校から直行すれば今くらいの時刻に到着するだろう。

 

(今日も、来てるのかな……)

 

 会いたいような会いたくないような気持ちで僕がうつむいていると、病室の扉が開かれ、

 

「鈴鬼くん」

「庚渡、さん」

 

 彼女が現れた。

 庚渡紬実佳さん。コスモスという世界を守る光の戦士の一人で、小さくて愛らしく、彼女が変身して宇宙海賊と戦っている秘密を僕だけが知っている。

 夏休みが終わったくらい時期に友達になった。眼鏡をしていても可愛いが、眼鏡を外すと更に可愛い、僕が大好きな女の子だ。

 好きな子に泣いていた顔なんて見られたくない。僕が急いで涙をぬぐうが、

 

「ううっ、うああっ、あああぁ……」

 

 がっくりと膝を突き、両手で顔を覆った彼女。なんと彼女の方が泣き出してしまった。

 

「か、庚渡さん」

「無事でよかった、ああぁ……」

「庚渡さん、僕は大丈夫だから、泣かないで」

「だってぇ。手術までしたじゃない。鈴鬼くんが目を覚まさなかったらとか、一生消えない傷が残ったらとか、今までずっと考えてて……」

 

 泣き止むまでに三十分ほど必要だった。

 落ち着いてから話をした。彼女は彼女で、僕を守れなかったことに責任を感じていたようで謝られた。

 そして、明日も来ると言われた。こんな調子なので今日は「コスモスをやめてくれ」とは言えなかった。

 



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手に入れたパートナー @ココロはオネスティ

 翌日。午後四時半を過ぎた。

 昨日、彼女は「来る」と言っていた。今日も来るならそろそろ来る頃だろう。

 彼女は、コスモスを続けたいのだろうか。と思ったところで僕が気付く。なぜ感謝されるわけでもないのに戦うのか、彼女に()いたことがなかった。

 いずれにしろ言おう、コスモスをやめてくれ、と。どんな反応をするか分からないが、僕が決意を固めていると、意外な客がこの病室に訪れた。

 

「こんちは」

「え、坎原さん」

 

 転校生にしてクラスメート、そして、彼女と同じくコスモスの女の子。

 彼女を頑なに拒み、日曜に彼女と激しい戦いを繰り広げた光の戦士、坎原環さんがこの病室に現れた。

 

「……そうヘンな顔しないでよ」

「あ、ごめん。でも、どうしてここに?」

「だって、鈴鬼くんが入院した原因を作った大元ってあたしじゃない。謝らなきゃ、って思ってたの。ごめん」

「……ああ。いいよ、気にしてないから。わざわざありがとう」

 

 思わぬ援軍が現れた。坎原さんが彼女と戦った理由は、彼女をコスモスから降ろすためだ。

 実力で負かせて彼女を降ろそうと企てていた。その勝負は引き分けに終わったが、まだ諦めてはいないだろう。

 僕の味方をしてくれるに違いない。そう期待する僕だが、 

 

「それとね」

 

 制服のポケットに手を突っ込む坎原さんが、その優れた容姿を引き締めて宣告する。

 

「鈴鬼くんに一応伝えておくよ」

「えっ。何を?」

「君が好きな庚渡紬実佳のこと。悪いけどあたし、あの子を戦いに巻き込むから」

 

 梯子(はしご)を外される、とはこのことか。承服できるわけがなかった。

 なぜ心変わりを。同じコスモスの彼女を拒絶し、僕をさらってまで彼女に戦いを挑んだではないか。

 冗談であって欲しい。もう誰も死なせたくない、と彼女に叫んだ思いは(うそ)だったのか。

 

「どうして。坎原さん、庚渡さんをコスモスから降ろしたかったんじゃ」

「気が変わったの。……鈴鬼くんが心配するのは分かるよ、日曜にあんなことがあったばかりだし」

 

 視線を下げた坎原さんに、

 

「なら、どうしてっ」

 

 認められない僕が問い詰めるようにして()く。

 

「安心して。もうあんなことは二度と起こさせないから。あたしが、あの子を守るよ。この命に代えてでも」

 

 すると坎原さんが、僕に強い視線を放って宣言した。

 瞳から(りん)とした強い意志を感じる。一点の曇りもない、真っ()ぐとした決意を。

 彼女は仲間を欲しがっていた。これは彼女からしても喜ぶべきなのだろう。しかし、それでも、

 

「庚渡さんを認めたのはうれしいけど、でも、それでも……」

 

 日曜の前だったなら僕も(もろ)()を上げて喜べた。今は、とても喜ぶ気になれなかった。

 思い出してしまう無力だった日曜。腹を蹴られて(みじ)めに吐いてしまい、彼女のために何もできない自分が悔しくて、涙が止まらなかった。

 悲しい思いを隠すためにうつむいてしまう。――いやだ、もう彼女を、危険な所へ連れて行かないでくれ。

 

「……イヤみたいだね。まあ、そりゃそうだよね」

 

 落ち込む僕の気持ちを坎原さんが()み取る。

 

「でも、反対しても聞かないから。あたし、あの子と一緒に戦う。あの子の力があたしに必要なの」

「待ってくれ。好きな子に戦わせて恥ずかしくないの、って訊いてきたのは坎原さんじゃないか。それに、陽さんと美月さんだっているじゃないか。どうして、庚渡さんなんだ」

「ああ、乾出さんと巽島さん。あの二人は、ちょっと、借りを作るのが怖いというか」

 

 目を()らして苦笑いを浮かべた坎原さん。言いたいことは分かるが、流されるわけにはいかない。

 止めるんだ。このままでは手の届かない遠くへ彼女が連れ去られ、彼女のそばにいられなくなってしまう。でも、どうすればいい?

 僕には何もない。彼女を守る実力も、彼女のそばにいられる資格も有りはしない。ただあるのは、彼女が好きという気持ちだけ。

 だから、子供のようにみっともない想いを、

 

「やめて、くれよ……。庚渡さんを、取り上げないでくれ」

 

 クラスメートの女の子に振り絞ってしまった。

 恥をさらけ出した僕だが、坎原さんは譲らない。あくまで冷静に言い返す。

 

「取り上げる? 別に付き合ってないでしょ鈴鬼くん」

「なにを。僕の気持ちは、分かってるんだろ?」

「そうキツく言わないでよ。っていうか、前は〝仲良くできないのか〟って訊いたじゃない。なんであたしがあの子と仲良くするの、鈴鬼くんが邪魔するの?」

「それは違う、そうじゃない。友達ならなって欲しいさ、庚渡さん学校じゃ一人ぼっちだし」

「知ってる」

「僕の、問題なんだ。庚渡さんがコスモスでいる限り、僕は、庚渡さんにふさわしくない」

 

 自分で言っていて情けない。僕は(つい)に本音をもらしてしまった。

 果てしなく弱い僕の腐った心。だが、想いは通じたようで、ふさぎ込む僕の苦悩を、

 

「ああ、そういうことか」

 

 坎原さんは理解した。

 

「まあたしかに、気おくれしちゃうよね。好きな女の子が、その身を犠牲にしてまで戦ってるなんて知ったら」

「坎原さんの一言で思い知ったんだけど」

「ごめんごめん。あのときはあの子をやめさせるのに必死だったから。でもね、女の子にしてみればそんなの関係ないよ」

「…………」

「もっと自分に自信もちなよ。好きなんでしょ?」

「でも、僕じゃ、庚渡さんを守れない」

「……男の子だもんね。でもさ、鈴鬼くんがどうあの子に引け目を感じてても、あの子は鈴鬼くんを想い続けるよ? それこそ地獄の果てまで」

「……え?」

「気にしないで素直になりなって。あの子を好きになった時点で鈴鬼くんの負けだから」

 

 好きになった時点で負け。たしかに日曜の前も僕は、彼女に幾度となく守られていた。

 重い肩の荷が降りたような気がした。それに、これは僕個人の問題であり、彼女の気持ちとは関係がなかった。

 しかし、励ます坎原さんが不思議だった。僕が、

 

「どうして、言い切れるの?」

 

 彼女のことがなぜ分かるのか、ふと疑問に思って訊く。

 

「前にも言ったけど、ホント似てるんだよね。あたしの、友達だった子に」

 

 すると答えた坎原さんの後ろ、病室の扉が開かれ、

 

「こんにちはー。来たよー、鈴鬼くん」

 

 僕と坎原さんが言い争っていたことなど知らない彼女が、実に能天気な笑顔を浮かべて現れた。

 坎原さんの後ろ姿に、彼女が当然のごとく驚く。

 

「ええっ!? なんで、坎原さんがここに!?」

「いちゃダメ? クラスメートでしょ」

「確かにクラスメートだけど、でもダメだよ! ここに来るなら私に一言いってよ!」

 

 抗議する彼女に、坎原さんの整った顔が緩んだ。

 そして、坎原さんが彼女に歩み寄る。

 

「紬実佳」

「え、つみかって、呼び捨てなの?」

「うん。この前、一緒に戦おうって言ってくれたよね? やっぱりあたし、戦うことにするよ」

「え、ええっ? それはうれしいけど、またどうして急に」

「言いづらい事情が色々あったの。今までのことは謝るよ、ごめんね」

「う、うん」

 

 急に素直になった坎原さんに彼女は戸惑っていた。

 繰り返すが、坎原さんは彼女と戦っている。また「仲良くする気ないから」とまで彼女に一度言い放っている。

 とげとげしかった坎原さんの心変わりに、彼女が助けを求めるかの(ごと)く僕に振り向き、

 

「そ、そうそう鈴鬼くん、見てみてこれ。今日は果物たくさん買ってきたよ」

 

 抱えている紙袋を掲げた。

 

「見舞いと言ったらフルーツだよね。リンゴにミカン、洋ナシもあったから買ってきたの。フルーツパーラーGENTLE(ジェントル)でおいしそうなの選んできたよ」

 

 彼女からの見舞い品、涙がちょちょぎれる程にうれしかった。

 だが、惜しいけど諦めるしかない。僕は医者から安静を命じられている。

 

「庚渡さん。ごめん、すごく(うれ)しいんだけど、まだ医者が勧める物しか食べられないんだ」

「めちょっく!」

 

 僕が点滴を刺されている右腕を上げると、彼女が「しまった」と言わんばかりに顔を驚かせた。

 

「ええ、じゃあこれ、どうしよう」

 

 眉尻を下げて悩む彼女に、

 

「置いてくしかないんじゃない? 鈴鬼くん食べれないけど」

 

 坎原さんが勧める。

 

「そんなの困る~。鈴鬼くんのために買ってきたのにぃ」

「まあまあ。鈴鬼くんの家族が食べるかもしれないじゃん。そしたら一応は無駄にならないって」

「えー、でもぉ」

「食べれるようになったらまた贈りなよ。じゃあ鈴鬼くん、あたしら帰るよ。紬実佳、帰ろう」

「ええ? 私まだ鈴鬼くんと話してない」

「また明日くればいいじゃん。あたしも付き合うし。ごはんおごるから、今日はコスモス同士あたしに付き合ってよ」

「おごってくれるの? っていうか、鈴鬼くんとなに話してたの?」

「それも後で言うから。それじゃ鈴鬼くん、もっと自分に自信もってね」

 

 坎原さんが彼女を連れて病室を後にした。

 全ては日曜の前に僕が願ったこと、その通りになりつつあった。結局「コスモスをやめてくれ」とは言えず、これでいいのだろうか、と僕が悩む。

 だが、坎原さんは信用に足る人だ。なにせ友達でなかった彼女の身を案じてコスモスから降ろそうとした。また、落ち込む僕を励ましてくれた。

 守ると言うのなら保留にするべきか。それにしても、坎原さんの笑った顔を初めて見た。

 



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仲よきことは美しき哉 娑婆の世界の人間懐炉

 人生初の入院生活だが、基本的に暇だった。

 事故防止の観点から、ということで外出には制約が課せられた。受付に申し出て許可を得なければ外には出れず、その自由の無さは窮屈だった。

 代わりに勉強に取り組んだが、環境が変わった所為(せい)かいまいち集中が続かない。テレビを観ていてもあまり楽しめず、雑誌も暇のおかげで()ぐに読み切ってしまう。学校自体は好きでもなかったが、行かなくなったらなったで物足りなさを覚え、退屈であった。

 人は競争する場に置かれてこそ真価を発揮するのだろう、なんて僕は暇を持て余すあまりに考えてしまった。だから、彼女が来る時間が毎日待ち遠しかった。彼女は毎日来てくれた。ただし、必ず坎原さんを伴って。坎原さんは良い人だけど、二人きりの時間とはならなかった。

 

 その彼女と坎原さんだが、和解後は急速に仲を深めていた。

 転入当初はとげとげしく、クラスの女子に陰口を言われるほど取り付く島もなかった坎原さんだが、そのような態度はすっかりと鳴りを潜め、代わりによく笑うようになった。

 元々無理をしていたのだろう。彼女を拒絶していたとき、僕はそう坎原さんに対して感じたことがある。彼女の前でさらす間の抜けた顔に僕は驚かされている。

 彼女は坎原さんとパジャマパーティーまでしたようで、もう親友と言ってもいいのかもしれない。ちなみに、彼女がコスモスを続けることには(いま)だ賛同できない。「コスモスをやめてくれ」。入院中にそう言おうと考えたことが何度かある。

 だが、必ず付いてくる坎原さんのおかげで言えなかった。僕が余計なことを告げないよう(くぎ)を刺すために来ているのでは。付いてくる坎原さんに僕はそう感じてしまった。

 

 そして、十二月も下旬を迎える。

 

「おおっ、鈴鬼じゃーん」

「おはよう」

「あっ、鈴鬼くん久しぶり~。退院したんだ?」

「うん、やっと退院できたよ」

 

 退院した僕が約二週間ぶりに登校した。

 クラスのみんなが僕に話しかけてくれる。まあ、当然なのだろう。僕は入院していたのだ、怪我(けが)をしていた故にみな優しく気を遣ってくれる。

 久々の一年四組だが、特に変わった所は見当たらない。だが、しばらく離れてみると、いつも通りの教室にも懐かしいものを感じる。

 

「あたし今年の正月は、お母さんの実家の三重(みえ)に行くんだー」

「へー。お伊勢(いせ)さんの近くだっけ? お土産よろしくね~」

「おい、そろそろクリスマスだぞ? おまえ予定ある?」

「あるわけねえだろ。俺たちさ、もう中学生、チューガクセイだよなぁ? チューガクセイになっても男だけで集まんのか? オンナ呼んで盛り上がろうぜ、なあ?」

 

 今週で二学期が終わる。席に着くとクラスの皆が、冬休み二大イベントの話に各々花を咲かせていた。

 僕のクリスマスだが、彼女と過ごす、――だろう。入院中毎日来てくれた彼女だが、そういえばクリスマスの話をまったくしていなかった。

 プレゼントはどうするべきだろうか。と言うか、妹以外の女の子に物を贈った経験なんてあるわけがない。クリスマスという大イベントを失念していた僕が、クラスメートの話を耳にして焦りを覚えると、

 

「鈴鬼」

 

 教室に入ってきた友人・(たか)()()(すすむ)と目が合ったため、僕が声をかけた。

 

「鈴鬼のアニキぃ!」

「……は?」

「お勤めご苦労様でした! シャバの空気はどうですか? やっぱうまいですか?」

 

 丞が僕の目の前で、足を大きく開いて両膝に手をつき、(こうべ)を勢いよく垂れたために僕はぽかんとした。

 断っておくが、僕は丞の兄貴分などではない。今度は(にん)(きょう)漫画にでも影響されたのか、と僕があきれる。

 丞はこういう男である。お調子者で、何かに影響されやすくて。まあ、その分おもしろいのだが。

 

「悪逆無道な組織を皆殺しにしたムショ帰りの兄貴のことはさておき」

「どんな設定だよ。病院だし」

「メシ食えるようになったか鈴鬼?」

「うん。医者には消化に悪い物を食べないように、とは言われてるけどね」

「そうか。よかったよかった、なはは」

 

 口を大きく開けて笑う丞。その笑みに僕も釣られた。

 内臓から出血したのだ、入院している間はろくな物を食べられなかった。ちなみに、僕が点滴を刺されている間に彼女が持ってきたフルーツだが、怒らせてしまった妹のご機嫌取りに使わせてもらった。

 顎に手をあてた丞が()く。

 

「そういえばさ、鈴鬼、知ってるか?」

「えっ。何を?」

「お前が入院する前さ」

 

 丞が廊下の方へおもむろに首を振り向ける。

 

「そこの廊下で突き倒されたじゃん? 覚えてるよな?」

「うん」

「あの突き倒したヤツ、あいつ死んだぜ」

「……ああ、知ってる」

 

 宇宙海賊の一味にして、彼女を汚そうとした男。あの男は死んだ、と坎原さんから入院中に聞いていた。

 同じ宇宙海賊に殺されたらしい。僕は気を失ったため、坎原さんから聞くまで殺されたことは知らなかった。

 いずれにしろ、彼女を汚そうとした邪悪な男はもういない。人の死を喜ぶのもどうかとは思うが、男の死に関しては僕も(あん)()していた。

 

「箱根の千殻原でボコボコになって死んでたんだってよ。半グレにからまれて山の中に連れていかれたんじゃないか、って話だぜ」

「そうなんだ」

「あいつがチョーシのって半グレにからんだんじゃないか、って気がするけどな。ま、みんな迷惑してたから、不謹慎だとは思うけど死んでくれてよかったな」

 

 丞と僕が話していると、教室の扉が開かれた。

 そして、よく知った顔が教室に入って来たため、僕と丞がそちらに首を向ける。

 

「ようコシロー」

()(とう)

 

 丞が呼んだ。小学校以来の友人・()(とう)師泰(もろやす)が現れた。

 歩み寄る師泰の肩を、丞がつかんで僕に顔を振り向ける。

 

「おい鈴鬼きけよ。茶籐ってばよ、お前がいないから、ここんところスゲー寂しそうにしてたんだぞ」

「えっ、そうなの師泰」

「バッカ! なに言ってんだよススム!」

 

 否定した師泰だが、バツが悪そうな顔を浮かべている。図星だったのだろうか。

 彼女ほどではないにしろ、師泰と丞も見舞いに来てくれた。だから二人は僕の退院日を知っており、教室の皆ほど僕の姿に驚かないのである。

 僕は入院中、ずっと考えていたことがある。でも、一人では心細い。

 

「あのさ、師泰に話があるんだけど」

 

 師泰に尋ねた僕だが、この声は後の大きな声にかき消されてしまった。

 

「〝たま〟ちゃーん。チャイムなっちゃうよー」

 

 教室に入った彼女が、廊下に向かって大きな声を上げた。

 間もなくして坎原さんが、ゆったりとダルそうな動作で、眠そうな顔を浮かべて教室に入る。

 

「急がなくてもだいじょうぶだよー紬実佳。まだ一分あるし。……ふあ」

 

 転入した日のツンツンとした雰囲気はどこへやら、坎原さんが間の抜けたあくびをした。

 

「それにしてもさむいさむい。ねえ紬実佳、カイロ持ってない?」

「うちのような貧乏な家がカイロなんて渡すと思う? たまちゃん()と違って、うちは寒さを全部〝気合いだ気合いだー〟でしのぐ家だから」

「別に貧乏じゃないでしょ紬実佳ん()。じゃあ、人間カイロだ。へへっ」

「ひゃあっ! ちょっとたまちゃん冷たい! 背中に手を突っ込まないで!」

「いひひ、紬実佳のカラダあったかーい」

 

 彼女と坎原さんがじゃれ合いながら自分の席に向かい、これに丞と師泰が()(げん)な顔を浮かべた。

 

「仲良きことは美しきかな、っつーけど、あの二人めっちゃ仲良くなったよな」

「いつも一緒だよな。前に俺が言ったとおりになっちまったぜ。おいコシロー、いいのか? 庚渡、坎原に奪われちまうぞ?」

「いや、奪われるも何も、女の子同士だから心配してないし」

 



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押忍! 糵のライオンハート

「話ってなんだよコシロー?」

 

 放課後。帰り道で隣を歩く師泰が僕に()いた。

 今からする話は、彼女には聞かれたくない。だから朝に教室で尋ねたのだが、彼女が来てしまったので放課後まで後回しにした。

 最近彼女は坎原さんと帰っている。もちろん一緒に帰りたい気持ちはあるのだが、今はコスモス同士ということもあって坎原さんに譲るべきであろう。

 

「なんだよ鈴鬼、俺は仲間外れかよー」

 

 丞が口を(とが)らせて僕に不満をもらした。

 仲間外れとか、そんなつもりはないので僕が弁解する。

 

「そうじゃないよ。丞は野球部に入ってるから頼めないよ」

「は? 部活がらみか?」

「うん。師泰、冬休み終わったらさ、一緒に柔道部に入らない?」

 

 僕の突拍子もない提案を聞いた師泰が、

 

「は? じゅうどうぶぅ?」

 

 当然、語尾を上げて訊き返した。

 

「なんでまた柔道部なんて。モヤシのコシローらしくねえ」

「……二人とも、僕が入院した訳、話したよね?」

「ああ」

 

 僕は、彼女をかばって大怪我(けが)を負った。実際はかばうことなんて敵わなかったのだが、そういうことになっていた。

 真実はコスモスに関わるので話すわけにはいかない。僕は彼女をかばって怪我をした、という自分で言っていて空々しくなる事情を師泰と丞には説明していた。

 もちろん自己嫌悪に陥った。こんな情けない(うそ)を吐く自分が嫌になる。ちなみに、僕に暴行を加えた男が、あの千殻原で死んだ男とは言ってない。知らない変な男だった、と二人には伝えている。

 

「あのとき、結構あぶなかったんだ。ちょうど助けが来てくれたからよかったけど、それが遅かったら、僕は庚渡さんを危険な目に遭わせるところだったんだ」

「……そんなに、ヤバかったのか」

「うん。それで、入院中ずっと考えてたんだ、女の子を守れるくらいには強くならなくちゃ、って」

 

 師泰と丞は真面目な顔をして聴き、茶化しはしなかった。

 僕の耳には、今でもあの男の言葉が残っている。「この世は力こそが全て」「力こそが正義」。少し前の僕なら「そんな訳ないだろ」と認めていない。でも、今なら言える。その通りだ――、と。

 現に僕は力がなくて何もできなかった。ただ悔しくて泣くことしかできなかった。そして、力が無い僕は彼女にふさわしくない。そう考えるように至ってしまった。

 一般人の僕とコスモスの彼女との隔絶とした差。坎原さんは「気にしないで」って言ってくれたけど、それでも僕は男だ。強くなって彼女にほんの僅かでも近付きたい。

 

「でも鈴鬼、柔道部って本気か? マジできついぞ?」

 

 丞が僕に忠告した。

 お調子者の丞がいつになく難色を示すので、僕がつい苦笑いを浮かべてしまう。しかし、そんな半端な態度をとる僕が許せなかったみたいで、

 

「なに笑ってんだ。柔道部の顧問はあの〝(おに)八馬(やま)(もと)〟だから厳しいし、何よりも柔道は格闘技だ。クッソいてえぞ?」

 

 丞が叱るように告げたため、僕が申し訳ない気持ちに駆られて謝った。

 (おに)八馬(やま)(もと)先生。八馬(やま)(もと)という名字の男の体育教師で、柔道部の顧問を務めている。

 鬼の名が示すとおり、怖い先生として知られている。身長は190cmを超え、着るジャージの下は筋肉隆々、やんちゃな人たちもこの先生の前では借りてきたネコのように委縮する。それどころかヤの付く人が(きびす)を返して逃げ出した伝説まで持っている。

 また、この先生が指導するおかげで、明倫中の柔道部は強豪として知られており、全国大会への出場も度々果たしている。

 

「慣れるまでは泣きたくなるほど苦労するぞ? 軽い気持ちでできるほどウチの柔道部は甘くねえと思うぞ?」

 

 たしなめる丞。心配してくれているのだろう。

 しかし、諦めるわけにはいかない。彼女は皆を守るために戦っているんだ。形は違えど、僕だって戦って痛みを知らなければ近付けない。

 モヤシのままじゃ彼女の隣にいられない。甘えてばかりじゃいられない。スッポンが月になるのは無理でも、手だけは伸ばし続けていたい。

 

「ありがとう丞。でも、決めたんだ。本当なら今日にでも柔道部に尋ねたいんだけど、医者に怒られるだろうから。……体が治ったら、死んだつもりで頑張ってみるよ」

 

 だから、今度は叱られないよう丞に決意を(あら)わにした。

 諦めた丞が頭を押さえて再度忠告する。

 

「まあ決めるのは鈴鬼だからこれ以上は止めないけど、泣き言いうなよ? おい茶籐、おまえどうすんだ?」

「師泰、一緒に入ってくれないかな? 一人じゃ心細くて」

 

 口を閉ざしている師泰に僕が頼むと、

 

「俺も入るかなー。暇だしよ」

 

 意外とあっさり承諾した。

 宙を見つめて答えた師泰に僕と丞が訊き返す。

 

「ほんと師泰?」

「えっ、茶籐マジかよ。今の俺の話、聞いてなかったのかよ?」

 

 すると師泰が、僕の方を向いて、

 

「勘違いすんなよ。別にコシローに頼まれたからじゃねえ、俺もちょっと考えるところがあってよ」

 

 と告げるが、

 

「あっ、そうかー。茶籐、おまえ田名河(たなか)(うわさ)が気になるんだろー?」

 

 丞が楽しそうに歯を見せて師泰をはやし立てた。

 

「田名河さん? 丞、どういうこと?」

「田名河の好みがさ、聞いた話によると強い男みたいでさ」

 

 田名河とは、田名河(たなか)()(いち)と言う名前の子で、主に男から人気がある他組の女子である。

 僕と師泰は小学校が同じだったため、別に仲良くはないが知っている。そして師泰は、この田名河さんのことが好きだった頃がある、と僕に告白したことがあり、その(おも)いを今もひきずっている模様。

 師泰の顔が、心なしか赤くなっている気がする。

 

「鈴鬼。お前が入院してる最中さ、俺が茶籐に〝田名河って()(れい)だよなー〟ってハナシしたんだよ。そしたら急にこいつ、〝田名河の話すんじゃねえ〟てキレ散らかしてよ」

「へえ」

「うっせーススム! (ハナシ)すんじゃねえって言ってんだろ。ったく、コシローにいいふらしやがって」

 

 ムキになって否定しているという事は、やはり、今もひきずっているのだろう。

 何にせよ、一緒に入ってくれそうだ。僕も師泰の恋がうまくいくことを望む。

 

「師泰、一緒に頑張ろうよ」

「お、おう。ヒマだから、どうせ暇だからなー。よしコシロー、ついでにススム、今から柔道着を見にスポーツショップ行くぞ」

「スポーツショップに柔道着は売ってねえだろ」

「そういえばそうだな。どういうところで売ってんだあれ?」

「さあ? 入部すれば柔道着くらい鬼八馬本が用意するだろ。ってか今日は弁当屋の〝大盛(おおもり)ごはん〟が月に一度のハッピーもりもりデイだからそっち行こうぜ?」

「はあ? いま食ったら夕飯が食えなくなるだろうが」

「今日は親が出かけてて夕飯ないんだよー。なっ、茶籐、鈴鬼? 今日は俺に付き合ってくれよー」

 



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鮮血をなめずる捕食の刻

 午前十一時三十二分。一番ホームに、緑とオレンジのラインの電車が停車した。

 行き先を示す方向幕には「(こう)(りょう)」と記されている。

 

「こうりょう、香陵。終点です」

 

 機械の音声が、終点に到着した旨をホームに告げた。

 十五(りょう)編成の最前、一号車の三番ドアから、黒い装いをした少女が降車する。

 少女が辺りを見回し、まばらな人々の様子に少し面食らう。己が縄張りとする東京・(しん)宿(じゅく)駅のホームは、いつでも人であふれかえっていた。また、この駅は駅ビルこそあれど、信宿のそれとは程遠く、高さも大きさも全然かなわない。

 駅ビル以外にめぼしい建物はなく、どこか古ぼけた街の様子が見渡せる。さすが田舎。そういった嘲弄の感情を抱いた少女が笑う。

 

「さーて、どうしてやりましょうか」

 

 つぶやいた少女が、キャリーバッグをガラガラ()きながら歩き始めた。

 もふもふなファーが付いた黒のコートを、ボタンを留めずにまとう少女は、その下にこれまた黒を基調としたゴスロリ調の衣装を着て、赤色の派手なウィッグをなびかせている。

 牽くキャリーバッグには不気味な見た目のぬいぐるみがキーホルダーのようにぶら下がっている。東京なら雑多に紛れるため少々目立つくらいだが、ここ地方都市の香陵ではとても珍しい。

 故に、目を引いていた。母親に手を引かれる小さな女の子が人差し指をくわえながら見つめ、ギャンブルに負けて帰る途中のくたびれた格好のおじさんが呆然(ぼうぜん)とした顔で見ている。まるで漫画の世界から飛び出したような少女の格好は、ここ香陵市では否応がなく目立っている。

 

「……とりま、何か食べますか」

 

 駅を出た少女が、赤と黄色の看板が目印のファーストフード店に入った。

 セットを注文する。そして受け取った少女が席に座り、ドリンクに口を付けながらスマートフォンを取り出す。

 ウサギのアイコンを押下すると、「なかよし×ウサウサ村」というタイトル画面が起動した。これはウサギのキャラクターとプレイヤーがコミュニケーションを図って親密度を上げるゲームで、この少女がはまっている。

 

「…………」

 

 頼んだセットを貪りながら、ゲームに熱中する少女。

 指についた塩やケチャップをねぶり、包装紙に付いたドレッシングをペロペロと舐めとっている。人目もはばからずにそれをやる少女は、その姿とは裏腹に意地汚い。

 そして、熱心なあまりに気が付かなかった。悪意ある魔の手が少女に忍び寄っていることを。

 

「……あっ」

 

 少女がスマートフォンを取り上げられたため、顔を上げると、

 

「ねえあんた、目立った格好してるねー」

 

 長い髪を金色に染めた女が、取り上げたスマートフォンをこれ見よがしに掲げながら少女を笑った。

 少女が見回すと、周りには四人の女が笑みを浮かべながら立っている。いずれも荒れた肌の顔を化粧でごまかしており、夜遊びに余念がないことがうかがえる。

 四人の女が、ここ香陵では変わった格好の少女をはやし始める。

 

「あんた迷子? ここ竹下通りじゃないよ? ハハッ」

「アユミ、ゴスロリってヤツじゃない? やべー、モンスターボール持ってこなきゃ。珍獣ゲットだぜ」

「キャハハ。写真とっとこー。仲間内でバズるかなこれ?」

「回転寿司にツバつけるよりはインパクトなくね?」

「ぶっ! ちょっ、思い出させないでよ~。あれツバ付けたこと知らない子供がおいしそうに食べてさぁ、おもしろかったよねー」

 

 四人の女は、背格好からして高校生くらいの年齢にうかがえる。対して少女は中学生くらいで、顔に幼さが残っていた。

 タチの悪い女四人にからまれ、普通の女の子なら恐怖に(おび)えるところだろう。しかし、

 

「わぁ、田舎のサルが、こんな早く釣れるなんて」

 

 少女はどうしてか手を合わせて喜んでいた。

 

「あ? 今なんつったオマエ?」

「聞こえなかったんですか? 男にまたがって腰振ることしか能がない、ヤリ捨てられるだけの可哀そうなメスザルが釣れたって言ったんですよぉ」

 

 小馬鹿にした口調の少女に、女四人が眉根を上げる。

 

「なにヨユーかましてんだお前」

「ムカつくなこのガキ。ちょっと小突いてやらない?」

「お、いーねいーね。……おい、立ちなゴスロリ女」

 

 女が椅子を脅すように軽く蹴ると、少女が席を立った。

 そして、連行される少女。しかし、何ら臆しておらず、実にのほほんとした顔でキャリーバッグをガラガラと牽いている。

 余裕綽々(しゃくしゃく)な様子の少女を女四人が(いぶか)るが、一度吐いた(たん)()は戻せず、何よりもその余裕っぷりが腹立たしい。程なくして少女が、(ひと)()のない路地裏へと着く。

 

「お前さ、これからどうなるか分かってる?」

 

 女の一人が、少女が背にする壁に手を突いて脅すが、

 

「ふふっ、それはこっちのセリフですよぉ」

 

 少女が懐から、舞踏会でかぶるようなアイマスクを取り出し、顔を覆った。

 途端、黒いオーラのようなものが少女の全身から湧きあがる。恨みや憎しみ、悲しみや(ねた)み、人が抱える負のエネルギーをないまぜにした禍々(まがまが)しい魔の気を。

 気は瞬く間に(でん)()した。例えるなら、地の底から()い上がる醜くて飢えた(もう)(りょう)。――なんだコイツ、マジでヤバい。異様で恐ろしい気配を察知した女四人が(ひる)むが、

 

「うごふっ!」

 

 先に壁を突いた女が、少女に下腹部を殴られた。

 

「ああ、あああ……」

「アユミ!」

 

 アユミと呼ばれた女が腹を抱えて膝を折る。

 そして、横に寝転がる。女の股から尿(にょう)()れ、間もなくして股が赤く染まる。

 ()(もん)の表情を浮かべる女。落とした自身のスマートフォンを少女が拾い、続いて女の持ち物のバッグを拾い上げ、

 

「チッ。一万しかないとか、しけてますねぇ」

 

 少女が財布から一万円札を抜き出し、懐にしまい込んだ。

 寝転がる女の頭を、少女がぐりぐりと踏み付ける。

 

「子宮を思いっきり殴ったから、もう赤ちゃん産めないかもしれませんね。ざーんねーん」

「ア、アユミ……あがっ!」

 

 二人目の女の顔面を、少女が正面から殴りつけた。

 女が両手で殴られた顔を覆う。口から血を垂れ流し、赤く染まった前歯が女の前に落ちている。

 またもや少女が、女が肩にかけているバッグをひったくり、

 

「コイツは五千しかない。田舎のサルって、そろいもそろって金ないですねぇ」

 

 財布から札を抜き出し、バッグと財布を放り捨てた。

 

「さて、残る二人のメスザルさん」

「ひ、ひぃっ!」

「恵まれない私のために金おいてってくださいよ。ついでに、女として価値がなくなるまでぐちゃぐちゃにしてあげますから」

 



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人はエビを繁殖させるために片目をもぐ

(リンゴは、風邪の定番ね)

 

 巽島美月が、手に取ったリンゴを買い物かごに入れた。

 美月は今、スーパーで風邪を治すための食材を選んでいる。

 

(陽ったら、終業式の日に風邪をひくなんて)

 

 今日は美月が通っている中学校・白山(しろやま)学院(がくいん)の二学期終業日。就学からの解放感に満たされるほとんどの学生にとって祝うべき日に、腐れ縁にして親友の乾出陽が風邪をひいて学校を休んだ。

 学校は午前中に終わった。制服姿の美月は、これから陽の家へ赴き、看病しようとしている。

 美月は部活動で料理部の部長を務めている。加えて家が地元では有名な料亭である。故に食事に対する造詣(ぞうけい)は深く、消化に良い料理も心得ている。

 

(よし、食材はそろったわ。薬はあるって言ってたわね。陽の家へ向かいましょう)

 

 買い物を終えた美月が、陽の家へ向かい始めた。

 ところが、光の戦士に予定調和はあり得ず、急な襲来が美月に降りかかる。

 妖精が美月の前に現れる。

 

「べーちゃん。何か出た、のね?」

「そうだベエ。ムーンライト、今すぐ時を止めて、異変を探し出して欲しいベエ」

「分かったわ」

 

 美月が懐から銀色の懐中時計に似たオブジェを取り出した。

 そして、銀色のオブジェ・ユニヴァーデンスクロックを作動する。するとエコバッグを提げたおばさんが、スーパーの前で焼き鳥を売るおじさんが、餌をくわえて空を飛ぶカラスが停止する。

 周りが止まったことを確認した美月が、続いて懐から丸い手鏡を取り出す。それからふたを外し、鏡に己の顔を映しながら、

 

「シンダーエラ、ターンイントミスティカル!」

 

 口上を述べると、手から鏡がひとりでに離れ、まばゆい光線を美月に向かって放ち始めた。

 光線が美月の体に、戦士としての衣装を描く。それはコンピューターが3Dモデリングを施すかのように。

 間もなくして描き終えた鏡が、最後に鮮烈な光を放つ。そうして光の中から、

 

「希望に満ちた日々を未来に! 光の戦士ムーンライト!」

 

 銀色の着物を羽織り、両手には大きな籠手をはめ、黒いゴーグルを付けた戦士が現れる。変身するための鏡・ハロウィンズミラーをつかんだ美月が、戦士ムーンライトに変身した。

 

「ハァッ!」

 

 ()(しょう)したムーンライトが高度から異変を探す。

 ゴーグル越しに映る視界を精査する。程なくして、駅から少し離れた商店街の一区画。そこから異様な気配を察知したムーンライトが、

 

「あそこね!」

 

 両腕を翼のように広げ、現場へと滑空した。

 そして、着地したムーンライトが、その惨状を目の当たりにして驚く。

 四人の女が、おびただしい量の血を流して倒れている。一人は顔が(あざ)だらけで元の顔が分からないくらいに変形しており、もう一人は髪の毛が(むし)られて頭皮が(さら)されている。更に一人は歯が周りに散らばっており、残る金髪の一人は股が赤黒く染まっている。

 今は時を止めているが、早く手当てをしないと命に係わるだろう。女四人の中心に立って背を向ける黒い衣装の敵に、

 

「そこのあなた、お覚悟はよろしくて?」

 

 ムーンライトが手のひらを上に人差し指を立てて問いただす。

 

「現れましたね、コスモス」

「あなたは、この前の」

 

 振り返った敵の少女は、黒いゴスロリ調の衣装をまとい、舞踏会でかぶるようなアイマスクで目を覆っていた。

 忘れもしない。今月初めの日曜、千殻原に突如として現れた女である。環と因縁ある少女の登場に、ムーンライトが目を見開かせる。

 少女が血にまみれた両手でスカートの裾をつまみ、口角を上げて挨拶する。

 

「改めて自己紹介しますね。私は〝ヘイズ〟の〝イオン〟」

「…………」

「この街で暴れていれば来ると思ったんですよぉ。メテオさんの(かたき)、とらせてもらいますよ」

「メテオ? あなた、メテオを知ってるの?」

 

 少女の言に、ムーンライトが()き返した。

 メテオとは、美月、陽、紬実佳が死闘を繰り広げた、三人にとって因縁浅からぬブラックホール団の男である。

 宿敵と言うべき男であった。今は故人であり、この男の死は美月と陽の心に深い傷を負わせている。

 

「知ってるも何も、敵のあなたにあの人の何が分かってるんですか?」

 

 少女が訊き返した。

 少々の怒気をはらんだ詰問にムーンライトが身構える。

 

「いいですか? 私たちヘイズは、みんなから蔑まれ、(うと)まれ、世の中から捨てられた人の集まりなんです。幸せそうなお前なんかに、あの人の何が分かってるんですか」

「……あなた」

「あなたですって? 何を気にしてるんですか? この私に同情でもしてるんですか? いいですねえ幸せな女は。人を見下せる余裕があって」

「そんなつもりは」

「そんなつもりがないなら私にかまうなぁ! あの人だけが信頼できる大人だった。私を利用し、弄ぶクズなんかとは違って……。ムカつくんだよお前らコスモスは! 幸せそうな顔して、あの人を語るなぁ!」

 

 会話が成り立たない。情緒不安定な少女に対し、ムーンライトは何を言うのも諦めた。

 メテオという男、先月、コスモスとの戦いにおいて、人の寿命を食らう力「精霊」を行使し過ぎたために命を落としている。つまり、ムーンライトが殺したわけではない。

 だが、自分が殺したと同義と捉えているムーンライトは反論しなかった。少女の(たか)ぶりにムーンライトが察する。この少女はメテオに恩があるのだろう、と。

 

「なんでメテオさんは、こんな女なんかを気に入って……。necroi(ネクロイ), ikikuchi(イキクチ), artificial(アータフェシャル)... 来なさい! 〝蟹座(キャンサー)〟!」

 

 少女が懐から小型の端末機器を取り出した。

 無線呼び出し。俗にいう「ポケベル」。我が日本では個人向けサービスが終了して久しい受信端末機器だが、それに似た機器を少女が掲げると、液晶にあたる個所が黄金色に光りだした。

 少女の前に二重の丸、つまり円環が描かれる。円と円の間には図形、記号、解読不能な文字がきめ細かく映写されており、それはさながら怪しげな何かを召喚する魔法円のようである。

 間もなくして円の中心から、誰もが知っている巨大な甲殻生物が姿を現す。殻に覆われた二対の大きな(きょう)(きゃく)(かぶと)のような頭部から飛び出した黒い目と触覚、そして、(かっ)(ちゅう)(ごと)き装甲をまとった長い尾。

 

――ヤクサァァイッ!

 

 ()(たけ)びを上げた甲殻生物にムーンライトが、

 

「これはザリガニ、いや、ロブスターね。べーちゃん」

 

 そばにいる妖精を呼ぶ。

 

「紬実佳と環を呼んで」

「分かったベエ。サンシャインは呼ばないのかベエ?」

「陽は風邪ひいてるの。頼んだわ」

 



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絶望と暴戻のリジェネレーション

「はああっ!」

 

 裂帛(れっぱく)の気合が響く。巨大ロブスターの横に回り込んだムーンライトが、その胴体を斬った。

 しかし、効いていない。引っ()き傷が付いたのみで、腹甲を破るには至っていない。

 五対の歩脚をクモのように動かしたロブスターが向き直り、その黒くて丸い目でムーンライトを凝視する。

 

「あの子、キャンサーって言ってたわね。やはり黄道の精霊かしら」

 

 キャンサーとはかに座。言わずと知れた黄道の星座であり、甲殻生物であることが合致する。

 ムーンライトは同じ黄道の精霊、やぎ座(カプリコーン)をその身に宿すことができる。黄道には黄道、と考えた彼女だが、その行使を取り下げた。

 理由は敵がロブスターだけではないからだ。ロブスターの後ろには黒い衣装の少女が控えている。一度使ったらそれまでの精霊の行使、どんな力を持っているか分からない少女が後に控えていることを考えると軽々には使えない。

 

「ヤッ、クサァァイッ!」

 

 ロブスターが右の(はさみ)を振り上げ、ムーンライトに(たた)きつけた。

 ずんぐりとした大きなはさみを、ムーンライトが左に跳んでかわす。そして、腕とはさみの節目を狙い、

 

「そこっ! 〝マッソルカッティング〟!」

 

 籠手を払って縦の弧を下から上へと描く。

 斬れた。ツバキが花を落とすように鋏がアスファルトの上に落ちる。

 

「やったわ。関節を狙えば」

 

 勝機を見出したムーンライトが、次は左のはさみを狙った。

 しかし、敵は黄道の精霊、そう易々(やすやす)とは斬られなかった。体を「く」の字に折り曲げたロブスターが、一瞬の間で後ろに下がる。

 巨体とは思えぬ俊敏さで離れた。まるでバネに弾かれたような速い回避にムーンライトが目を瞬かせると、ロブスターが左のはさみを突き出し、これをムーンライトがかわす。

 

「そういえば、エビって食べられそうになると後ろに逃げるのだったわ」

 

 腕を交差して構えるムーンライトに、ロブスターが体を反り上げ、左のはさみを掲げた。

 威嚇する格好となったロブスター。だが、それだけで何もしない。不審に思うムーンライトだったが、ロブスターの狙いは別にあった。

 エビやザリガニの口は、目から離れた腹の方にある。ロブスターがその口から泡を吹く。

 バブルガンの引き金を引いたように無数の泡が放たれる。

 

「あわ!? くうっ」

 

 風船が割れるがごとく鳴る炸裂(さくれつ)音。無数の泡が弾ける衝撃をムーンライトが浴びた。

 泡は接触すると弾けた。致命傷にはならないが、その衝撃は中々に痛く、ムーンライトが身を縮めてしまう。

 

「泡って。カニじゃあるまいし」

 

 不満をぼやくムーンライトだが、ロブスターの攻勢は続く。

 ロブスターが戦法を変える。左腕を縮め、まるでうらめしやの幽霊、あるいはカマキリのように構える。

 はさみを下げた格好のロブスターにムーンライトが身構えたが、

 

「あうっ!」

 

 高速の打撃を食らう。目では捉え切れない速さで突き出された鋏に、ムーンライトが吹っ飛ばされた。

 打撃を受け、アスファルトの上を滑るムーンライト。上体を起こしながらエビに似た甲殻生物を思い出す。

 

「そんな。今のって、まるでシャコのパンチじゃない」

 

 シャコは寿司ネタにも使われる甲殻類の一種であり、貝を捕食するために殻をパンチで破壊する。

 パンチは水槽を壊したり、人に怪我(けが)を負わせることもあると聞く。やはり敵は黄道の精霊、一筋縄では倒せない。力を温存できる相手ではないことをムーンライトは思い知った。

 空を見回すが、紬実佳ことトゥインクルスター、環ことリングレットアークはまだ現れない。自分一人での撃退を決心したムーンライトの胸が黄金色に強く輝く。

 

「カプリコーン! 私に力を!」

 

 ムーンライトの頭に、二本の対となる湾曲した角が生まれた。

 閉じた両脚が人魚さながらな()(びれ)と化す。精霊カプリコーンを宿したムーンライトが、銀色の人魚へと変身した。

 これで力は同等。再度シャコパンチを繰り出すロブスターだが、今度はしかと見える。

 カプリコーンを宿したムーンライトの瞳は強化されている。シャコパンチをすり抜けるようにかわす。

 

「ええいっ!」

 

 そして、腕とはさみの節目を狙って籠手を払い、左のはさみを切り落とした。

 障害は消えた。残るは本体だけ。合掌したムーンライトが宙を泳ぎ、ロブスターの胴体を貫きにかかる。

 泳ぐムーンライト。刺す魚として恐れられるオキザヨリのように。

 

「あぐっ! ……なっ、なんで!?」

 

 だが、尾鰭をつかまれ、そのありえない事態にムーンライトが動転した。

 右のはさみを落とした。左のはさみも落とした。だが、なぜか落としたはずのはさみがロブスターの右腕にあり、尾鰭を握り締めている。

 困惑するムーンライト。そんな彼女の尾鰭をつかむロブスターが右腕を振り上げ、その体を叩きつける。

 叩きつけられたムーンライトを中心としてアスファルトにひびが走る。

 

「ぐうっ。なんで、どうして……」

「あはははっ! エビとかカニって再生すること知らないんですか? 黄道の精霊キャンサーは再生するんですよ、惜しかったですねえ!」

 

 ロブスターの後ろから少女の下卑た笑い声が聞こえた。

 今のダメージは深刻だった。右腕および尾鰭が言うことを聞かない。

 ()(じょう)の人魚と化したムーンライト。カプリコーンの変身まで解け、これにロブスターが右のはさみを振り上げる。そして、振り下ろす。

 避けれぬ被弾にムーンライトが目をつむるが、どうしてか無事であった。目を恐るおそる開くと、黒いビキニ姿の親友が両腕を広げてはさみを受け止めている。

 

「ぐぐぐ……」

「サンシャイン! どうして」

「ムーンライトが戦っているのに、寝込んでなんかいられないよ! はああっ!」

 

 光の戦士サンシャインがはさみを押し返した。

 だが、両膝を突き、四つん()いになる。38度を超す熱を患っている。

 頭がふらふらする。身体(からだ)が自分のものではないみたいに重い。気を抜けば倒れそうなくらいに無理をしているサンシャインだが、それでもロブスターをにらみ付けながら妖精を呼ぶ。

 

「べーちゃん。動けるうちに勝負を決めたい。あたしにあれを」

「分かったベエ。黄道の精霊〝レオ〟、サンシャインに力を貸すベエ!」

 



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事故る奴は不運に踊る……!?

 サンシャインが、背を妖精の短い手にあてられると、その張った胸の間が黄金色に輝いた。

 間もなくして、両胸が跳ねるように盛り上がる。誤解のないように申しておくが巨乳になったわけではない。岩の(ごと)き厚い筋肉が胸を覆い、併せて両肩が、左と右の(もも)が、全身が激しくパンプアップする。

 変貌(へんぼう)するサンシャインの後ろ姿に、親友のムーンライトが、

 

「なにそれ。ホントにゴリラじゃない……」

 

 ぼうとして(つぶや)いたが、冗談のような(たくま)しさと危機に参じる頼もしさに微笑(ほほえ)んだ。

 そして、ムキムキに隆起した筋肉を備える光の戦士が爆誕する。サンシャインが黄道の精霊・レオを身に宿し、ボディビルダーも顔負けの肉体を披露した。

 

「べーちゃん」

 

 精霊にはリスクがあることを知るムーンライトが妖精に尋ねる。

 

「サンシャインとレオの相性って大丈夫なの?」

「心配いらないベエ。ムーンライトと同じく相性は最高だベエ」

 

 精霊と行使者には相性があり、これが悪いと力を十分に発揮できないうえ、寿命をいたずらに食われてしまう。

 精霊を宿す行為は臓器の移植に似ている、と妖精は以前述べている。妖精は今月初め、千殻原で精霊レオを回収した。そして解析し、サンシャインとの相性が抜群に良いことが分かったため、今回はためらわずサンシャインに預けた。

 ちなみに、陽の誕生日は八月十四日であり、ちょうどしし座にあたる。

 

「あはっ、見てましたよ、見てましたよぉ! あなたが調子悪そうなところ! レオを宿したようですが敵ではありません、飛んで火にいるなんとかです! キャンサー、二人まとめてブチ殺してやりなさい!」

 

 黒き衣装の少女が興奮した口調でロブスターに言い渡した。

 サンシャインは先に膝を突いており、それを見逃す少女ではない。黄道の精霊を宿そうとも、同じ精霊を宿したムーンライトは倒している故に自信があった。

 まずは小手調べ。はさみを下げたロブスターがシャコパンチを繰り出す。

 目にも留まらぬ速さの右はさみ。だが、このはさみを両手で挟んで止めたサンシャインが、

 

「ふんっ!」

 

 力を込めると、殻が破砕した激しい音が鳴った。

 破片をにべもなく放るサンシャイン。ロブスターのはさみを力で割り砕いていた。

 

「さてと、さっさと終わらせて、ムーンライトにエビの出汁(だし)がたっぷり効いたおかゆを作ってもらおう」

「……クッ」

 

 肩を怒らせて歩み寄るサンシャインに、少女が初めて顔を曇らせた。

 サンシャインの肉体はゴリラの一言に尽きる。これは笑い事ではない、ゴリラの(ごと)き肉体を備える女が怒りを(あら)わに近付いているのだ。人が徒手でゴリラに挑めば間違いなく殴殺される。

 ロブスターが胴を折り曲げて後ろに下がる。この空いた間合いにサンシャインが立ち止まる。

 広げた左手を掲げ、同じく広げた右手を腰の高さに構えた。

 

「はあああぁ……」

 

 気を吐いたサンシャインが両手を燃やし、円を練り上げるように描く。

 燃え盛る炎の円は太極図の陰と陽を彷彿(ほうふつ)させる。そして、両手を一度引いた後に突き出し、

 

「〝サンシャイングランドスラム〟!」

 

 一面を覆い尽くす業火の波を放つ。

 

「まずい、キャンサー!」

 

 迫る炎の波に、跳躍した少女が退避を命じるが、後ろへの回避しかできないロブスターに逃げ場はなかった。

 ロブスターが踊るように身(もだ)える。こうなっては再生能力も関係ない、業火を浴びてまさしく焼きエビとなる。

 

――ヤァクサァァイッ!

 

 そして、軍配は上がった。ロブスターが断末魔を上げて消滅した。

 だが、サンシャインも力を使い果たした。

 

「エビよ、天に(かえ)れ! ……あぁ」

 

 宙に向かって拳を突き上げたサンシャインだが、その直後よいどれたようにふらつき、前のめりに倒れた。

 レオの変身が解け、体が元に戻る。そもそもサンシャインは38度を超す熱を患っており、無理が(たた)った結果となった。

 

「サンシャイン!」

 

 ムーンライトが呼びかけるが、気を失ったサンシャインから返事はない。

 

「やった、チャンスだ、ブチ殺してやる!」

 

 (ひん)()のコスモス二人に黒き衣装の少女が襲い掛かった。

 少女が所属するヘイズ、コスモスが呼称するブラックホール団では、願いの成就を報酬にコスモスの抹殺を命じられている。殺した戦士の多寡に応じて大きな願いを(かな)えられる決まりとなっており、だからヘイズに所属する者は光の戦士を突け狙う。

 少女がほくそ笑む。これで恩人の(かたき)がとれ、更に大きな願いを望める、と。だが、思ってもいない不運が少女を襲う。

 

「……うぐっ! ぐふっ!」

 

 肺が急に痛みを訴えたために口を押さえてせき込んだ。

 止まらない(せき)に少女が苦しみ、更に胸の奥、心臓がキリキリと、締め付けられるような痛みを発している。

 程なくして咳が治まり、胸の痛みをこらえながら押さえた手のひらを見ると、赤く泡立った血が付着している。

 

「な、なに、これ。そんな……」

 

 青ざめる少女。精霊が人の寿命を食らうことは前述しているが、少女は所属するヘイズで、精霊の力を使いすぎた同志の話を耳にしている。

 肺が侵されたら厳しいと聞いている。恩人のメテオも亡くなる前に咳をしていた。自分の寿命が短いことを知った少女が愕然(がくぜん)とする。

 好機を忘れて宙に浮く少女。さらに不運は続く。

 

「ムーンライト! サンシャイン!」

「すみません遅れて」

 

 今の少女にとって厄介な敵が二人現れた。

 空から現れた二人の戦士。紬実佳と環が変身した姿である。ふわりとした黄色のドレスをまとう戦士・トゥインクルスターと、淡く光る環をまとった紫の衣装の戦士・リングレットアークが到着した。

 空を見上げたリングレットの瞳に、宙に浮かぶ(きゅう)(てき)の姿が映る。

 

「あの女……」

 

 リングレットが険しい顔を浮かべ、忌々しくつぶやいた。

 黒き衣装の少女はリングレットにとって親友を殺した憎き女。だが、千殻原では感情に任せて反撃を食らった。倒れているサンシャインも気がかりのため、リングレットが飛び出したい気持ちを我慢する。

 少女が背を向けて逃避し始める。これにすかさずムーンライトが、

 

「二人とも、逃がしちゃだめ! あの子を追いかけて!」

 

 二人の後輩に指示する。

 

「行こう、リングレット!」

「オーライ!」

 

 トゥインクルとリングレットが目を合わせてうなずき、逃げる少女を追いかけた。

 



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寿限無寿限無五劫のすりきれ大盛り特盛り激辛百倍かわいくて美人で知的な以下略

「くっ、しつこいですね!」

 

 空を()(しょう)して逃げる黒き衣装の少女だが、追いかける光の戦士、トゥインクルとリングレットの二人を振り切れずにいた。

 少女とコスモス二人の速度はほぼ同じ。ツバメの(ごと)く飛ぶ少女に二人が追随している。

 焦る少女。いつまでも逃げられるものではなく、姿をくらまさなければ追いかけっこは延々と続く。少女はハンデを抱えているため、振り切るための妙案を逃げながら思案するが、

 

「……ゴホッ! ううっ、ごほ、ごほっ」

 

 そのハンデが再発する。肺の痛みがぶり返し、反射的にせき込んでしまう。

 そして、押さえた手のひらには血が付着しており、胸も締め付けられるような痛みを訴えている。

 忍び寄る死の臭いに少女が恐怖する。少女はとても若く、実のところトゥインクルやリングレットと(とし)が変わらない。したがってたった十三年で死におびえなければならない、己の弱さと運命を少女が悲観する。

 しかし、今において悲観は雑念である。

 

「追い付いた! たああっ!」

「があはっ!」

 

 落ち込むあまりに速度が下がっており、追い付いたリングレットの回し蹴りが、気を落とす少女の背を捉えた。

 地に墜落する少女。光の戦士二人が更に追い詰める。

 空から迫るコスモス二人に、少女が懐から急いでポケベルに似た機器を取り出す。

 

necroi(ネクロイ), echidna(エキドナ), grueling(グルウリング)... 〝水蛇座(ヒドラス)〟! あいつらを止めなさい!」

 

 解読不能な文字がきめ細かく映写された円環が描かれ、その中心から大きな口を持つ生物が現れた。

 間もなくして生物がその全貌を(あら)わにする。ぬめる長い胴体に、割れた舌先、大口の上下には反った鋭い牙が備わっている。

 巨大な水蛇が現れ、それを前にしたリングレット、次いでトゥインクルが止まって着地する。

 

「うぐっ! ゲホッ、ゲホッ……」

 

 その隙に少女が、激しくせき込みながらも逃げおおせた。

 

「くっ、逃げられた」

「リングレット」

「トゥインクル。あたしたちのデビュー戦だ、一緒にこの蛇を倒そう」

 

 リングレットが左手でトゥインクルの右手を取り、これにトゥインクルが握り返した。

 手をつないだ光の戦士二人が水蛇に臨む。私達ならきっとやれる。そう二人が互いを信じる。

 水蛇が牙を剥き、首を伸ばして襲い掛かる。

 

「〝リフレクティブサークル〟!」

 

 右手をかざしたリングレットが円を描き、淡く光る鏡のような円を形成した。

 頭をぶつける水蛇。リングレットが作った円に止められる。一方でリングレットが右手で円を描き続け、己の作った円の面積を広げている。

 直径にして2メートルほどの大きさまで広がったところでリングレットが、

 

「見ててトゥインクル。あたしのサークルは、こんな使い方もできるの。はああっ!」

 

 円を体で押し、水蛇を円ごと押し込んだ。

 水蛇が円と建物に挟まれる。この衝撃によってか、はたまたリングレットが仕組んだか、円がガラスのように砕ける。

 地べたへとずり落ちた水蛇を前にリングレットが振り返り、

 

「トゥインクル!」

 

 今こそが好機と、新たな相棒の名を呼んだ。

 

「うん! 〝トゥインクルぽんぽこパーンチ〟!」

 

 トゥインクルが、右の拳に白き光をまとい、頭をもたげている水蛇を下から殴りつけた。

 技の名前に反してその威力は上々だった。水蛇がアッパーのような打撃に長い胴を反らせ、象牙色の蛇腹をさらす。

 水蛇が伏せ、グロッキーな状態に陥る。トゥインクルが両手を突き出し、

 

「いっけぇ、〝トゥインクルブラスト〟!」

 

 必殺の光線を放った。

 白くまばゆい光線が水蛇を焼く。(けが)れし者を浄化するように。

 

――ヤクサァァイッ!

 

 水蛇が叫びを上げて消滅し、トゥインクルとリングレットの二人が、宇宙海賊の駆る精霊を難なく撃破した。

 トゥインクルは今まで苦戦することが専らだった。手にした快勝に目を瞬かせる。

 

「すっご。こんな簡単に勝てるなんて。ねえリングレット、私たちって、もしかしてすごく強くない?」

「当然じゃない。あたしとあんたが手を結んだのよ。1+1なのに十よ、いや百よ、千を通り抜けて一万よ。もう無敵よムテキ、どんな相手にだって負けないんだから! がおー!」

「がおー! でも、無敵は言い過ぎじゃないかな? サンシャインとムーンライトには敵う気しないもの」

「ああ、あの二人はちょっと、……ねえ? 東京にもあんな人いなかったもの」

 

 笑い合った二人。友情が育み得た勝利に互いが喜んだ。

 新たな友人、相棒を得てリングレットは幸せだった。しかし、トゥインクルが似ているために思い出してしまう。

 重ねてしまう、死んだ友人のこと。「(かたき)をとって」。そう言われたはずなのに逃がしてしまった。それなのにトゥインクルを死んだ友人と重ね、幸せに浮かれてしまう。

 一度は一生十字架を背負って生きるつもりだった。それを忘れた軽率さを心から恥じ、感傷に囚われる。――ごめん。そう死んだ友人、そして新たな友人に心の中で謝り、視線を外す。

 

「あっ。あれ、リングレット」

 

 トゥインクルが地面に付着した生々しい血を見つけたために呼んだ。

 

「この血って、今の子のかな?」

「……いま時とまってるから、それしか考えられないね」

「だよね」

 

 今しがた付いたような、あまりにも生々しい血にリングレットが考える。

 もしかしたら。リングレットが確認のために問う。

 

「ねえトゥインクル、今の女、苦しそうにせき込んでいたよね?」

「うん、そうだったね」

「逃げるのにも、必死だったよね?」

「そうだね」

 

 トゥインクルの返事に決心する。仇を討つのは今しかない、と。

 

「トゥインクル、力を貸して」

「えっ?」

「二十四日、一緒に東京に行こう。今の女を倒しに」

 



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じれったい! 本当は臆病わかってほしい

 止まっていた自動車が動き始めた。

 ハトが電線に留まる。あのハトはさっきまで宙に静止していた。僅かな羽休めを経て、また空にはばたいていった。

 十二月の空から寒い風が吹き、トレーナー姿の僕が身を縮めた。――時が、動き出した。

 

「おにい。そんな格好で外に出てたの? 風邪ひくよ?」

「ちょっと家の前に出てただけだよ」

 

 家に入り、玄関で鉢合わせした妹への返答もそこそこにして、僕が自分の部屋に戻る。

 そして、床の上に仰向けとなり、窓越しに空を望んだ。西の方から騒がしい音が聞こえた。たぶん隣町の香陵で戦いがあったのだろう。

 時が止まると静かだからか、()(さい)な音ですら聞こえてしまう。彼女もやはり戦ったのだろうか。

 

(うう、もやもやする……)

 

 安心できない。早く無事な彼女を確かめたい。

 今まで僕は、連れられる形で彼女の戦いを後ろから見守っていた。でも、今回は連れられなかった。

 入院する程の大ケガを負ったからだろうか。足手まといであることは分かっているが、時が止まった空間に一人たたずんでいると、コスモスの彼女と凡人な僕との隔たりを否応なしに感じてしまう。

 

 そして、思い出してしまう。(みじ)めで悔しくて泣いてしまった、あの千殻原での出来事、いや、トラウマを。

 実は思い出さなかった日は今月一度もない、彼女には言わないし表さないよう努めてはいるが。もしあのとき、陽さんと美月さんが来るのが遅かったら――、と(いま)だ想像してはぞっとし、悲しくなってしまう。

 あの男は死んだ。だが、あの男と同等、またはそれ以上の悪意を持つ者が今後あらわれないとも限らない。なにせ敵は僕の想像など(はる)かに超える宇宙海賊だから。

 彼女にはコスモスから降りて欲しい。でも、坎原さんという友達ができた今、それを言っても無駄だろう。

 

(悩んでいてもしょうがない。筋トレだ筋トレ)

 

 年が明け、三学期が始まったら、僕は師泰と共に柔道部に入部する予定だ。

 丞の話ではとてもキツいと聞いている。だから入部に備え、近頃は体を鍛えていた。

 立ち上がった僕が、スクワットを始めるべく屈伸する。

 

(い、痛い……)

 

 だが、(もも)(しん)が悲鳴を上げ、立ち上がれなかった。

 ぺたりと尻もちをつく僕。モヤシの僕が矢庭に鍛え始めた所為(せい)で、身体(からだ)中筋肉痛に悩まされていた。

 今日は二学期の終業式だったが、僕は痛む体をひきずって登校した。

 

(クリスマスも、いまだプレゼント用意してないし。僕はダメな男だ、情けない)

 

 うなだれる僕。彼女が喜びそうな物と言えば中野こんぶなのだが、クリスマスに百円そこらの駄菓子はないだろう。

 喜びそうな物が思い浮かばない。クリスマスはもうすぐなのに、彼女を喜ばせる自信がなくて未だ彼女の予定を()いていなかった。

 しかし、まずは訊いておかなければ。年に一度の一大イベント、プレゼントは決まってなくとも彼女と過ごしたい。

 

(電話してみよう、クリスマスのことも含めて)

 

 僕がケータイを手に取る。すると、震えだした。

 ディスプレイに映った発信者は彼女。僕が急いで通話ボタンを押し、ケータイを耳にあてる。

 

「もしもし、鈴鬼くん?」

「うん。庚渡さん、時とまったけど、ぶ、無事かい?」

「イエス!」

 

 元気な彼女の声に僕が(あん)()の息をもらした。

 

「よかった……」

「ごめんね、心配かけちゃって。美月さんが大ピンチだってべーちゃんが言うから、呼んでる暇なくて」

「そうだったんだ。まあ、何もなくてよかったよ」

「…………」

「……庚渡さん?」

「えっと、鈴鬼くん、クリスマスの日、予定ある?」

「えっ、クリスマス?」

 

 僕から誘おうと思っていた。彼女からの誘いに僕が面を食らう。

 慌てながらも返事する。女の子から言わせるなんてやっぱり情けない。

 

「ないない。ある訳ないよ」

「よかったぁ。鈴鬼くん、クリスマスの日に東京行かない?」

「と、とうきょうって、あの東京?」

「イエス!」

 

 どうして東京。驚いた僕だけど、もちろん了承した。

 



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******
かつてトルエン今はODキマる姿は悪の華


 東京都(しん)宿(じゅく)区。東京二十三区内でも指折りの繁栄を誇る、誰もが知る副都心である。

 駅の東口を出て真っ()ぐ進み、大通りを二つ横断した所に、日本最大の歓楽街・(かぶ)()(ちょう)が存在する。その傾奇町に建つインターネットカフェに、黒い衣装の少女が駆け込むように入店した。

 午後九時を過ぎ、普通の街ならシャッターを下ろす時刻だが、ここ傾奇町では営業を表す電灯やネオンがまぶしく光っている。加えてダウンジャケット姿の元気な若者が、いかがわしいことを考えている髪の薄いおじさんが、派手なコートを着た水商売風の女性が往来を練り歩いている。

 (あか)抜けない格好をした数人の女の子が、歩道の隅に腰を下ろしてくっちゃべっている。そんな女の子たちを(しり)()に入店した黒い衣装の少女は、赤色の派手なウィッグを垂らし、フリルを飾ったゴスロリ調のドレスを身にまとっていた。

 

「ううっ、ぐっ……」

 

 受付のロビーチェアに腰を下ろした少女が、苦しみに顔をゆがめながらスマートフォンの発信ボタンを押す。

 そして、顔を伏せる。胸の奥と両の肺から感じる、絞られるような痛みに苦しんでいる。

 力を侮っていた。その体に植え付けた救済にして導きなる力を。

 

「モナー、おかえり~」

 

 痛みに耐えながら少女が待っていると、顔を赤らめたほろ酔い気分の女の子が迎えに現れた。

 立ち上がる少女。このネットカフェは、エントランスとフロアが自動扉で区切られており、受付で受け取るカードで認証を済ませないとフロアに入ることができないシステムとなっている。

 つまり、利用するには受付で料金を支払う必要がある。だが少女は、既にフロア内にいてカードを持つ女の子に電話し、自動扉を開けさせた。金を支払わずフロアに侵入した。

 受付を潜り抜けた訳は後に説明する。このネットカフェは、防音完備のブースを備え、そのブース「042」のプレートが貼られた部屋の前で、ほろ酔い気分の女の子がカードをかざす。

 開錠の音が鳴り、カードを持つ女の子、次いで黒い衣装の少女が入室する。

 

「モナカ。遅かったじゃん」

「おかえりー。どこ行ってたのー?」

 

 四畳一間の、ネットカフェの個室にしては広めなブース内では、二人の女の子がくつろいでいた。

 ほろ酔い気分の女の子が座る。黒い衣装の少女は、この三人と042号室をシェアしていた。

 一時的な利用ではない。四人で金を出し合って共同生活している。

 

「ねえモナカー、今日は朝早くからどこ出かけてたの?」

 

 腫れぼったい唇を持つ女の子が、缶チューハイを片手に()いた。

 ごまかす少女。痛みを気取られぬよう、できる限りの平静を装って。

 

「大した用ではありませんよ」

「またまた~。あたしらに隠し事ってないんじゃなーい?」

 

 酔っぱらった笑顔で訊く女の子に、他の二人も同意した。

 ルームメイト三人に対し、少女は弱みを見せなかった。この少女は基本他人を信用しておらず、自分以外の人間を全て敵と見なしている。

 酒盛りする三人の女の子、それと黒い衣装の少女は、古い言葉で言えば「家なき子」、カナで表せばストリートチルドレンである。今のネットカフェはシャワー室を完備しており、宿泊を目的とした低料金プランも用意されている。お世辞にも良い環境とは言えないが、暮らそうと思えば暮らすことも可能である。

 傾奇町で出会ったこの四人は、低料金プランを利用してこの042号室で生活していた。だから金を惜しんで受付を潜り抜けたのであり、四人は家に帰れない事情をそれぞれ抱えている。

 

「やめてください。私がどこに行ってたっていいでしょう」

 

 少女が語気を荒げ、ルームメイト三人に回答を拒否した。

 今、少女に余裕はない。絞られるような痛みが先より更に増しており、そして痛みが宣告する死が少女を(おび)えさせている。

 今日、自分の体が(むしば)まれていることを知った少女。突如として知らされた死の運命に少女は恐怖している。だが、そんな少女を(おもんぱか)れるほど仲は良くなく、機嫌の悪そうな少女にルームメイト三人が、

 

「あっそ。カンジわる」

 

 放っておいて酒盛りを続けた。

 

「けーにゃん、最近パパとはどう?」

「パパ? ろー氏、パパって?」

「ほら、前に銀座でセレブ相手に料理人やってて、めっちゃ金もってるって人のコト言ってたじゃない? まだ会ってるの?」

「ああ、タリウムマンのこと?」

「ちょっ、なにタリウムマンって」

「いや、これが笑い事じゃなくてさ、タリウムマン捕まったのよ」

「ええっ? 捕まった?」

「アイツ女子大生にも援助してたみたいでさ、でもしつこかったんだろうね、女子大生にタリウム飲ませて殺したんだって」

「ええっ、それって一歩間違えてたら超ヤバかったじゃん」

「うん、超ヤバかった、あのまま付き合ってたらあたしがタリウム飲まされるところだった。まあ、あたしはコイツやべーなって薄々勘付いてたからちょっと前に別れたけど」

「ほんとー? けーにゃんガチャSSR引いた、とか言ってたよねー?」

 

 腫れぼったい唇を持つ子ともう一人が、度の強い安酒をあおりながら談笑していた。

 この042号室に住む四人はみな未成年である。未成年の飲酒は禁じられている指摘はさておき、そんな女の子たちがどうして生活費を得ているかと言うと、あまり人には言えない手段で金を稼いでいる。

 ある時はSNSで面識のない男と連絡を取り、性的な奉仕と引き換えに報酬を得ている。またある時は怪しい男からサクラや詐欺など、所謂(いわゆる)「闇バイト」と呼ばれる仕事を(あっ)(せん)してもらっている。

 もう一度述べるが彼女らは未成年だ。この東京で誰にも頼らず生きるなら、違法な仕事に手を染めざるを得ないのである。

 

「ろーちゃーん」

「なにランコ―? ……あっ!」

「えへへー」

「ランコ、またクスリ()んでる。呑みすぎじゃない?」

「今度はヘーキヘーキ。もう慣れたしー」

「んなこと言って、このまえ急にリストカット始めたじゃない」

 

 部屋のカードを持つ女の子が、気持ち良さそうにまどろんでいた。

 そして、「ギャハハハ!」と、急に品のない大声で笑いだす。そんな不安定な女の子の周りには、風邪(かぜ)薬の包装シートが散らばっている。

 市販の薬を大量に服用すると一時的に高揚感や多幸感を得られる。これを「オーバードーズ」と言うが、もちろん勧められていない、禁じられている。だが、いま笑い出した女の子は、度々この禁じられた行為を犯しており、もう癖になっている。

 親元を離れた未成年、しかも女の子が一人で生きるのは並大抵の苦労ではない。辛い体験など指では数えられない程に味わっている。そんな過去を少しの間でも忘れるために、この女の子は薬の過剰摂取(オーバードーズ)の常習に陥っていた。

 それにしても、昔はシンナーやトルエンの蒸気を吸って快楽を得ていたと聞く。人はいつの時代も快楽にはあらがえないものである。

 

「ねえモナカ―。話きいてたかもしれないけど、あたし今月ピンチでさ、部屋代立て替えてくれない?」

 

 腫れぼったい唇を持つ子が黒い衣装の少女に訊いた。

 しかし、部屋の隅でうずくまっている少女に返答はできなかった。力の代償がじわりじわりと、真綿で首を締めるように体内を蝕んでいる。

 肺が有刺鉄線で締め付けられるような痛みに悲鳴を上げている。心臓が握り潰されるような圧迫感に警鐘を鳴らしている。

 

「……ぐぇっ!」

 

 そして、(こら)え切れなかった少女が(つい)に発作を起こし、口から多量の血を吐いた。

 

「きゃあっ!」

「ちょっとモナカ!? あんたなにしてんの!?」

 

 何の前触れもなかった吐血に、腫れぼったい唇の子ともう一人がうろたえた。

 止まらぬ(せき)と、室内を汚す生々しい血に、女の子二人の酔いが一気に覚めてしまう。

 不穏なる異変は恐怖へと変わる。得体の知れない災いが、自分たちにも降りかかるのではないか、と。

 

「ね、ねえ、これって、ヤバない?」

「ヤバイよ、ゼッタイやばいよ。ねえ、どうしよう」

「この子、変なビョーキもらってきたんじゃ」

「病気? それじゃ、あたしらにもうつるかも……」

 

 不特定多数と関わった経験のある二人が、梅毒に(りん)(びょう)といったワードを連想して青ざめた。

 たとえ性病ではなくても(かか)ってしまったら死活問題だ。彼女らは家から逃げ出した身であり、保険証などある訳ない。

 生活費も稼げなくなってしまう。選ぶべきは危険の排除、腫れぼったい唇の子が端を発する。

 

「おっ、追い出せえ!」

 

 恐慌へと駆られた女の子二人が、黒い衣装の少女を追い出しに掛かった。

 

「な、なにするんですか!」

「うるさいしゃべんなボケ! あたしらにうつるだろ!」

「誰とヤってきたんだよ! 変なビョーキもらってきやがって!」

 

 牙を剥いたルームメイト二人に、少女がその身に宿す力を解き放った。

 急に冷めた目をした少女に女の子二人が戸惑う。その隙に少女が、腫れぼったい唇の子の首をつかむ。

 そして、首を握り締める。万力の(ごと)く締められる首に、もう一人が「何してんの!」と騒ぎ立てながら止めるが、押しても引っ張っても少女が動かないために止めることは敵わない。

 やがて、息が止まった。今の今まで一緒に酒を飲んでいたルームメイトが、舌をだらりと出して白目を剥いて死んだ事実に、もう一人が怯えて逃げ出そうとするが、その背を少女が捕まえる。

 首を絞める。気道を握り潰すようにして。

 

(殺して、しまった……)

 

 程なくして我に返った少女が、ルームメイト二人を絞殺した事実に驚いた。

 動揺はそれほどしなかった。少女は元々仲間とは思っていないから。「あの方に救われた私はこんなドブネズミ達とは違う」。そういった蔑みを少女は一緒に暮らしながらも常に心の中で抱いていた。

 残る薬物中毒の一人も絞め殺し、それから三つの死体とその私物を(あさ)る。

 金と金目の物を懐にしまう。そして、できる限りの平静を装い、ネットカフェを後にする。

 

「……がはぅっ!」

 

 人気の少ない裏路地で少女がまた血を吐いた。

 苦しむ少女が、とある雑居ビルの非常階段を上る。ビルの屋上は少女が熟知する傾奇町内で、一人になれる唯一の場所と知っていたため。

 胸を押さえて手すりに寄りかかりながら階段を上がる少女。そうして屋上にたどり着いた少女が腰を下ろし、星一つない暗黒の夜空を見上げる。

 階下からは都会の喧騒(けんそう)が聞こえ、自動車が鳴らす排気と振動の音が響いている。

 

――〝クルシソウダナ〟――

 

「あ、あなたは」

 

 不意に止まったその存在に少女が目を見開いた。

 その存在が呼びかける。「貴様は既に一人殺している。それを使って苦痛から逃れるか?」といった旨を。

 少女には夢がある。故に悩んだ少女だが、背に腹は代えられなかった。今は何よりも痛みと死から逃れたい。

 

「お願いします、この体を治してください」

 

 少女が乞うと、体に植え付けた暗黒の力が活発に(うごめ)いた。

 (たぎ)る熱さの血が少女の体内を巡る。それは指の先まで温まるような心地よさで、少女が陶酔した顔を浮かべる。

 間もなくして、少女を苦しめていた痛みが霧散したように消えた。代わりに湧き上がるような活力を感じる。この世の全てが思うままになるような力を。

 

「ありがとうございます」

 

 力を取り戻してすっきりした顔の少女が、唯一信じているその存在に深く礼を述べた。

 その存在が口を開く。「貴様は働き者だ。(あだ)を感知する力をついでに与えよう」といった旨を。

 降り立つその存在。これに立ち上がった少女が、スカートの裾をつまんで意気を吐く。

 

「お任せください。貴方(あなた)が破壊したいと(こいねが)うこの国、この日本。私が壊してみせましょう」

 



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ハナミズハナムケハナムズムズ

「へぇーくしゅっ」

 

 ベッドの上であぐらをかくパジャマ姿のコスモスの太陽、(いぬい)()(よう)が、盛大なくしゃみをした。

 コスモスとは、地球を我が物にせんと(たくら)む宇宙海賊・ブラックホール団と戦う、光の戦士たちの総称である。

 組織だった活動をしている訳ではないため、コスモスを組織や団体と表すのは適当ではない。かと言ってチームと言うには規模が大きい。コスモスの戦士は日本の各地に存在し、なぜか十四・五歳前後の女の子によって構成されている。

 コスモスの戦士は、例外なく変身する。変身することで現代の科学では説明のつかない超常的な力を得て、その力を(もっ)て宇宙海賊と戦っている。

 

「陽、鼻水たれてるわ」

 

 同じコスモスの月、(たつみ)(じま)()(づき)が箱からティッシュを抜き出し、陽の形の良い鼻から垂れた鼻水をぬぐった。

 ティッシュを丸めてゴミ箱に捨てる美月に、陽がうつろな目で鼻水をすすりながら告げる。

 

「うー、寒い」

「布団をかけて寝てなさい」

「うん、そうする」

 

 布団をかぶった陽は風邪(かぜ)をひいており、これを親友にして腐れ縁の美月が看病していた。

 昨日、美月が宇宙海賊に襲われた。敵は中々に強く、窮地に追い込まれた美月だったが、陽が風邪の病身を押して駆けつけ、何とか事なきを得ていた。

 陽は無理をした所為(せい)で風邪が悪化した。だから礼も込めて美月が看病している。

 

「ねー美月さー」

「なにかしら?」

紬実佳(つみか)ちゃんと(たまき)ちゃん、昨日の子をとっちめに東京へ行くんだってね」

「そうみたいね」

 

 中学二年生の二人には一つ下の後輩がおり、それぞれ名前を(かのえ)()紬実佳(つみか)坎原(かんばら)(たまき)と言う。

 一つ下の二人も光の戦士であり、この後輩二人が、昨日美月を襲って逃げた宇宙海賊の子を追い詰めるために明日東京へ行くという。

 ちなみに、前話の黒い衣装の少女が陽の言う宇宙海賊の子にあたり、東京から引っ越して来た坎原環は、この黒い衣装の子と抜き差しならぬ因縁がある。

 

「東京って行ったことないんだよね。あたしも東京行きたかったなぁ」

「バカ、戦いに行くのよあの子ら。大丈夫かしら」

「うーん、昨日の子がいくら弱っているからとは言え、心配だよね」

 

 陽と美月が、後輩の戦いを憂いた。

 昨日の宇宙海賊が弱っていた、とは後輩二人の証言。これに乗じるのは悪くないのだが。

 美月が呼ぶ。何を考えているか分からないけれど、的確な意見であることは間違いない摩訶(まか)不思議な存在を。

 

「〝べーちゃん〟」

「なんだベエ?」

 

 透明な(はね)を生やしたウサギのような生物が、美月の前に瞬時にして現れた。

 断っておくが、この陽の部屋に先までウサギはいなかった。美月が呼んで初めて姿を現したのである。

 まるでテレポートのように現れたウサギ。人の言葉をしゃべられるのもさておき、美月がウサギに見解を求める。

 

「べーちゃん、紬実佳と環、二人だけで大丈夫かしら?」

「心配は要らないベエ。あの二人ならきっとやり()げて帰ってくるベエ」

 

 ウサギが短い腕を組み、ドヤッとした顔で問題ない旨を返答した。

 この奇妙な謎のウサギは、光の戦士をサポートする「妖精」である。陽や美月を始めとする女の子たちは、この妖精に選ばれて光の戦士となっている。

 選ばれた女の子は妖精から、変身するための鏡・ハロウィンズミラーと、時を止めるための装置・ユニヴァーデンスクロックを託される。そして女の子は、止めた時の中で変身し、宇宙海賊と人知れず戦っている。

 妖精は語尾になぜか「ベエ」と付けることから、陽や美月たちから「べーちゃん」と呼ばれている。

 

「二人が心配するのも分かるベエが、トゥインクルの潜在能力はコスモスでも随一だベエ」

「そうね。私たちも紬実佳には度々助けられてるわ」

「そしてリングレットは、そんなトゥインクルの色々足りないところを補うことができる戦士だベエ。だからボクはリングレットにトゥインクルを紹介したんだベエ」

 

 妖精が心配は無用な旨を主張した。

 コスモスの戦士は変身するが、その変身した姿には名称がある。トゥインクルとは「トゥインクルスター」と言って紬実佳の変身した姿を指し、リングレットとは「リングレットアーク」と言って環の変身した姿を指す。

 陽や美月にも名称がある。陽は変身した姿を「サンシャイン」と言い、美月は変身した姿を「ムーンライト」と言う。だから二人はコスモスの太陽と月なのである。

 

「あの二人はムーンライトとサンシャインに劣らないバディになるベエ。だからどかーんと任せておけだベエ」

「分かった、その言葉を信じるわ。ありがとうべーちゃん」

「どういたしましてだベエ」

 

 妖精が消えた。

 問題ないと言う妖精だが、それでも気にかかる。コスモスの戦いは死と隣り合わせだ。

 後輩は何度も言うが一つ下の中学一年生である。宇宙海賊が弱っていた、と後輩二人は言っていたが、たとえ弱っていたとしても上級生として保護者役を買って出るべきであろう。

 

「美月ー、やっぱりあたしらも行こうか?」

 

 妖精の言に安心し切れなかった陽が、上体を起こして親友に()いた。

 しかし、美月が()ねつける。()れる陽とは対照的に落ち着いて。

 

「今のあなたが行ってどうするの?」

「だって、すごく心配じゃん。もし負けたことを思うと夜も寝れないよ」

「バカ。私はあなたが心配なの」

 

 昨日無理をしたのに、更に無理をしようとする。そんな陽に美月は反対した。

 美月が陽を押し倒し、布団をかける。本音では美月も二人の後輩が心配である。だが、この町を離れた途端に新たな宇宙海賊が現れないとも限らない。病身の親友を放る訳にはいかなかった。

 動けない以上は待つしかない。そう美月は自分に言い聞かせている。

 

「べーちゃんが言ったのだから二人の無事を祈りましょう。私、信じてる。……でも」

「でも?」

「もし、もし帰らないようだったら、絶対に許さないわ。昨日の子、私たち二人で後悔させてあげましょう」

「そうだね。……あ」

 

 口を開けた陽がむずがゆい顔を浮かべた。

 

「これは、今までで一番大きなくしゃみの力を感じるですわ。くしゅくしゅしてくださいな」

「くしゅくしゅくしゅ~」

「はぁ~ぷっしょん!」

 



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いざ出発! 満艦飾のメトロポリス・東京へ

 僕の名前は(すず)()()()(ろう)明倫(めいりん)中学校に通う中学一年の男である。

 無味無臭。友人にそう言われる程パッとしない。趣味なんて言えるものは特になく、強いて挙げるならゲーム、だろうか。

 自分を上中下の更に上中下で表すと、勉強は中の下くらいだった。最近は勉強をしているおかげか、中の中くらいには成り上がったかな、と思っている。でも、運動は下の中、おまけに背はクラスの男で前から並べば二番目に低い。

 僕は、取り柄らしい取り柄など皆無な人間だ。人は何かになれる、なんて何かのキャッチフレーズで聞いた覚えがあるけどなれる気がしない。きっとこの先も平々凡々な人生を送り、他人に迷惑をかけないよう慎ましく生きるのだ、と思っていた。

 

 けれど、今日は十二月二十四日。誰もが知るクリスマス・イブで、恋人と過ごす日である。

 例年なら、家族ないし友人と過ごしていた。僕には縁のない日と思っていた。だが今日、僕は東京へ行き、大好きな女の子と一緒に過ごす。人生って何があるか分からない、こんな夢が現実となって訪れるなんて思ってもいなかった。

 昨夜は中々寝付けなかった。僕の胸が否応なしに高鳴る午前十時前、僕が荷物を抱えて駅前に到着する。

 新幹線が発車する時刻の二十分前。彼女が指定した待ち合わせ場所である、駅前に建つコンビニ。

 

「坎原さん」

「おはよ」

 

 その前では、クラスメートにして東京からの転校生、坎原環さんが待っていた。

 ネコのようにパッチリとした目、形の良い唇は冬というのに潤っており、右に結わえたサイドテールが似合っている。相変わらず漫画に現れる美少女みたいに華のある子だ。

 断っておくが、この坎原さんは僕の好きな子とは違う。好きな子の親友にして本日のスポンサーである。

 

「早いね、坎原さん」

「まあね。っていうか、鈴鬼くんまでは呼んでなかったんだけど」

「ハハ。ごめん、僕も昨夜(ゆうべ)きいて驚いたんだ」

 

 息をついた坎原さんの言に、僕は苦笑いを浮かべて謝るしかできなかった。

 新幹線は言うまでもなく高額だ。中学一年生の僕および彼女がその運賃を出せるわけがない。そんな金があるなら鈍行を使って節約し、違うことに使うべきであろう。

 決して裕福とは言えない家庭で養われている身。物価が上がるようになって久しいこの頃だが、かと言って小遣いは上がらない僕らの懐事情は厳しくなる一方だ。だが、そんな僕と彼女に出資者が現れた。先に坎原さんをスポンサーと述べたが、これは真の表現である。なんと坎原さんが、僕と彼女の新幹線代を捻出してくれるのだ。

 だから頭が上がらない。親友の彼女はいざ知らず、僕はただのクラスメートである。坎原さんにどれだけ嫌味を言われようとも、黙って頭を下げて聴くしかないのである。

 

「席を予約するの大変だったんだから、まったく」

「ほんとごめん」

「はい、これ切符ね。失くさないように。って、鈴鬼くんなら心配いらないと思うけど」

「ありがとう」

 

 一昨日、僕は彼女に「クリスマスの日に東京行かない?」と誘われて了承した。

 だが、なぜ東京なのか。その訳を昨日彼女に尋ねると、彼女は「たまちゃんに誘われたから」と答えた。つまり、坎原さんは元々彼女だけを東京に誘ったのだ。

 時系列的に整理すると、まず坎原さんが彼女を誘い、そのあと彼女は、坎原さんに無断で僕を誘った。つまり、僕のことなど坎原さんにとっては寝耳に水であって、僕もこの経緯を聞いたときは驚いて「大丈夫か」と心配した。

 彼女は坎原さんに後付けで了承を得たらしい。しかも、旅費を受け持つ条件まで付けて。いやはや、いくら親友とは言え厚かましいだろう。そしてそれを心得る坎原さんも坎原さんだ。

 

「坎原さんって、良い人だね」

「ふふっ、そんなこと、あるでござる」

「なんでそこだけ侍なのさ」

「ま、君にはめっちゃ迷惑かけたから、これで許してね」

「ああ、気にしてないからいいって」

 

 言われて思い出した。僕は今月初め、入院したのだった。

 確かに原因の発端を作ったのは坎原さんだった。でも、僕に大怪我(けが)を負わせた悪い(やつ)は別の男なので気にしていない。

 

「でも誤解しないでね。遊びに行くんじゃないんだからね? あたしと紬実佳は戦いに行くんだからね?」

「うん、分かってるよ。僕も陰ながら応援させてもらうよ」

「分かってるならいいけど。紬実佳がいるから心配なんだよね」

「まるで保護者だね」

「あの子一人で東京歩けると思う? キラやば~☆って、目をシイタケにさせてあっちへふらふらこっちへふらふらするだろうし」

「ハハ。あのさ、坎原さんの家って、あの〝シークライアントコーポレイト〟なんだってね」

「ちょっと、鈴鬼くん。それ、紬実佳から聞いたのー?」

「う、うん。まずかった?」

「あまり知られたくないんだよね、家がみんな知ってる会社とか。ねえ鈴鬼くん、絶対にいいふらさないでよ」

「うん、分かった」

 

 クラスメートにして東京からの転校生、坎原さん。彼女からの話になるが、家が財閥と言ってもいい程の富豪である。

 会社の名前は「シークライアントコーポレイト」。全国に店舗を構える小売店「FOR(フォー) CLIENT(クライアント)」を統括し、家具、雑貨、衣料、食品などの幅広い商品を、決して高くない値で良品を売ることから人々に支持されている大企業だ。

 最近プロ野球球団を買収し、お茶の間をあっと(にぎ)わせている。隣町の(こう)(りょう)市にも店があり、坎原さんはそのシークライアントコーポレイトに務める重役の子らしい。社長とは近縁で、(めい)っ子なのだそうだ。

 そして、彼女いわく、毎月の小遣いがとんでもない額らしい。ゼロが二つ違う、と彼女は言っていた。だから彼女と僕のスポンサーになれるのであり、いやはや、とんでもない子とクラスメートになったものである。

 

「先生にも口封じさせてるし。というか、家がお金あるって知られると変な人が寄ってくるんだよね」

「そうなるよね」

「お金があったらあったで大変なんだよ? 脅迫状が送られてきたりとか、電話で〝娘は預かった、返して欲しくば一千万ここに振り込め~〟なんて娘のあたしが電話に出てるのに言ってきたりとか」

「ええっ、そんなことが」

「あるんやでージッサイ」

「だからなんでそこだけ関西弁なのさ」

「ま、鈴鬼くんからしたら嫌味にしか聞こえないだろうけど。っていうか鈴鬼くん、紬実佳、遅くない?」

「えっ」

 

 僕が駅前に掲げられている時計を見る。すると、新幹線発車時刻五分前だった。

 これはまずい。のんびりと構えていた僕だったが、五分前であることを知り、新幹線の運賃もあって焦りを覚え始める。

 もし乗り遅れたらどうなるのだろう。切符が無駄になるのだろうか。

 

「紬実佳ったら、一体なにやってんの」

 

 坎原さんがそわそわし始めると、

 

「鈴鬼くーん、たまちゃーん」

 

 キャリーバッグをガラガラと()く彼女が走りながら現れた。

 庚渡紬実佳さん。コスモスという世界を守る光の戦士の一人で、小さくて愛らしく、彼女が変身して宇宙海賊と戦っている秘密を僕だけが知っている。

 夏休みが終わったくらい時期に友達になった。眼鏡をしていても可愛いが、眼鏡を外すと更に可愛い、僕が大好きな女の子だ。

 彼女と坎原さんは光の戦士である。地球の侵略を企む宇宙海賊を倒しに今日、東京へ向かう。

 

「ひぃ、ひぃ……」

「なにやってるのよ紬実佳! 昨日あれだけ早く寝なさいって言ったのに」

「だってぇ。寝れるわけないよー」

「言い訳は後にして! 疲れてる暇ないよ、新幹線あと五分しかない! 鈴鬼くんキャリーバッグ持ってあげて!」

「うん! 急ごう庚渡さん!」

「ああっ、二人とも待ってぇ~。中野こんぶ買いたいの~」

 

 僕と彼女と坎原さんが、詰めかけるようにして新幹線に乗り込んだ。

 



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限界突〝波〟は魚の印? アゲたてフレッシュなんとかなるなる

 新幹線を降車し、昼食を済ませてからエスカレーターに乗る。

 長いエスカレーターを経て、一・二番線ホームへと躍り出る。それからオレンジラインの電車を乗ること十数分、僕たちは東京の副都心・信宿に到着した。

 東京の駅はとてつもなく広かったが、坎原さんの先導で迷うことはなかった。

 

「わぁ、すごいひとー。鈴鬼くん、今日ってお祭りとかじゃないよね?」

「クリスマスイブだから、祭りと言えば祭りかもしれないけど」

「すごいねー、東京って。うちの方の祭りより人いるんじゃない?」

「うん。さすがは東京だね」

 

 予想はしていたがこれ程までとは。目の前にしたあふれんばかりの人に、僕と彼女は圧倒されながらも感嘆していた。

 今いる場所は信宿駅南口。度々ニュースで中継される、()染みがあるようで全くない場所だ。横断歩道の向こうに見える大きな建物の屋上は、バスターミナルになっているらしい。

 それにしても、東京という所は不思議である。人の多さに反し、皆が左側通行を守っている。そして僕も彼女も、左側通行をしてしまっている。

 はみ出せるほど無神経にはなれない。規則を守らなければ、多くの人が奇異の目を振り向けるから。都心が匂わせる暗黙の了解と言うべきルールに、田舎者の僕は驚いている。

 

「ふふーん。どう? いい経験になるでしょ?」

 

 東京育ちの坎原さんが、誇らしげに鼻を膨らませた。

 バカにされたようで不満を抱いた彼女。「はっぷっぷー。どーせいなかっぺですよー」。そう彼女が坎原さんに口をとがらせ、僕が苦笑する。

 彼女が何気なしに丸眼鏡を外す。

 

「オー、ベリィキュート!」

「えっ?」

「あたし?」

「イエス! プリティアンドキュアキュアー。オーイエー」

 

 すると、キャップをかぶった観光客らしき白人の女性に、彼女と坎原さんが褒められた。

 あたふたする彼女に、「サンキュー」とにこやかに返事する坎原さん。地元で外国人と接するなんて(まれ)である。大都市東京のいきなりな挨拶に僕が目を瞬かせる。

 女性が陽気な笑顔を浮かべ、連れの白人男性と共に手を振って去る。余談になるが、白人男性のかぶるニット帽には「大丈夫」と()(しゅう)されていた。まあ、これはいい。問題は女性のかぶるキャップの方で、キャップの正面には達筆な文字で「限界突〝波〟」と、なぜか魚の絵文字と共にペイントされていた。

 狙っているのだろうか。どうでもいいことだが気になってしまう。

 

「はぁ、ドキドキした。外国の人に話しかけられるなんて」

「よかったね紬実佳、キュートって言ってたよ。まあ、あたしはカワイイから仕方ないことなんだけどー」

「どこからくるのその自信」

「あたしのこと、女王って呼んでぇ」

「…………」

「リアクション薄くない?」

「たまちゃんの話に付いていけないの」

「なによー、ちゃんと付いてきなさいよ。それじゃ、あたしちょっと実家に行ってくるから、それまで二人はぶらぶらしてて」

「うん、分かった」

「また後で電話するから。鈴鬼くん、紬実佳を変な所に連れて行かないでよ」

「分かってるよ。また後で」

 

 手を振る彼女と僕が、坎原さんと一旦別れた。

 繰り返すが、坎原さんはつい先月までこの東京に住んでいた。親の仕事の都合で僕と彼女の地元に引っ越し、実家は「火倶羅(かぐら)(ざか)」という場所にあるらしい。

 大企業の御令嬢である。家の周りに監視カメラが十重二十重に張り巡らされ、ドーベルマンを飼っているような怖い意味で近付いてはいけない邸宅なのだろうか。それとも、手入れが行き届いた優雅な中庭があり、そこで執事にかしずかれながらお茶を楽しむような家なのだろうか。――なんて、大富豪の生活を知らない僕が、貧困極まりないステレオタイプな想像をしてしまう。

 彼女と僕は坎原さんの実家へ「一緒に行こうか?」と新幹線の車内で尋ねているが、これを坎原さんは断った。僕と彼女を二人きりにしてくれたのだろう。旅費のことといい、感謝せねばなるまい。

 

「さて、庚渡さん、行ってみたいところある?」

 

 彼女に()いた僕だが、今日という日のために信宿という町を予習した。

 マップは頭に(たた)き込んである。都庁を見て回るなら西口に移動すればいい。御苑(ぎょえん)に行くのならばイエローラインの電車に乗って二駅、どんな場所でもどんと来いだ。

 足を延ばしてオシャレの街・(はら)宿(じゅく)に行ってみるのもいいかもしれない。だが、彼女は僕の予想から大きく外れるとんでもない所を希望した。それは、坎原さんが言うところの最も変な場所。

 

「鈴鬼くん、私、傾奇町行ってみたい」

「は? かぶき町?」

 

 思わず語尾を上げて訊き返してしまった。

 信宿区傾奇町。東口を出て真っ()ぐ進み、大通りを二つ横断した所にある日本最大の歓楽街である。

 信宿を語る上でとても重要なスポットであり、地元では見られない店や物が山ほどあるだろう。しかし、最大の歓楽街なだけあって多種多様な人が集まる街だ。普通の人ではない変わった人、オラオラした人たちや怪しい外国人が集う街でもある。

 治安に不安を覚え、そうでなくとも僕たち中学生には目に毒な店が存在する。僕や彼女のような子供が行く場所はないだろう。

 

「なんで傾奇町に?」

「えっとね、鈴鬼くん、〝クニオが(ごと)く〟ってゲーム知ってる?」

「え、ゲーム? うん、師泰(もろやす)が遊んでるところ、隣で見てたことあるけど」

()(とう)くんも遊んでたんだ。私もお兄ちゃんがそのゲーム遊んでるの見てたことがあって、そのゲームの舞台が傾奇町なの」

「で、行ってみたいって思ったの?」

「うん。とっても楽しそうだったんだもん。もし信宿に行くことがあったら行ってみたいって思ってたんだ」

 

 彼女が目を輝かせ、とあるアクションゲームへの思い入れを語った。

 クニオが如く。刑務所帰りの仁義に厚い主人公「()(りゅう)クニオ」が、百億をめぐった事件に巻き込まれる、ロールプレイング要素を組み合わせたバイオレンスアクションゲームである。

 僕はプレイしたことはない。小学校以来の友人・()(とう)師泰(もろやす)が一時期はまっており、それに現れるキャラクターの影響で僕のことを「コシローちゃ~ん」なんて高い声で呼んでいた。そんな師泰のことはさておき、このゲームの舞台は傾奇町であり、ガラの悪いチンピラ達、これはRPGゲームで言うところの経験値や金を稼ぐためのザコキャラなのだが、このチンピラ達が()ぐ主人公にからんで戦いを挑むところが印象強かった。

 ザコキャラはどいつもこいつも人相悪くモデリングされていた。それが原因で傾奇町は恐ろしい所という先入観が僕の中では刷り込まれている。

 

「ワクワクもんだぁ。さあ鈴鬼くん、傾奇町にレッツゴー、ゴー、ごぅー」

「ダメだよ、変な(やつ)にからまれたらどうするんだよ」

「なんとかなるなる~。いざとなったらユニヴァーデンスクロックで時とめちゃえばいいし」

 

 確かに彼女には時を止める装置があれば、光の戦士に変身できる手鏡もある。

 宇宙海賊が現れない限り大丈夫だろう。しかし、繰り返すが子供が物見遊山で行く町ではない。坎原さんが知ったら間違いなく怒るだろう。

 けれど彼女が「目をシイタケ」にさせている。まあ、今は昼間だ。僕の取り越し苦労かもしれず、行ってみるのも経験になるのかもしれない。それに僕には彼女が欲しい物を知る重大な使命がある。いまだ彼女へのクリスマスプレゼントを決めていないのだ。

 傾奇町なら珍しい物がたくさんあるだろう。彼女を喜ばせるために見つけなければならない。変な所に足を踏み入れないことを念頭に置きつつ、僕は彼女と共に傾奇町へ足を向けた。

 



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迷探偵? 握る愛の手と忍び寄る魔の手

「あっ、あそこだよ、鈴鬼くん」

 

 片側三車線の、中央分離帯を備える幅広の道路。その道路を挟んだ所に建つアーチを彼女が指した。

 赤いアーチには「傾奇町一番街」と、誰もが分かるように描かれている。いよいよ着いた、着いてしまった。日本最大の歓楽街にして僕たちのような子供が行く場所ではない大人の街、傾奇町に。

 程なくして横断歩道の信号が青を示す。信号待ちしていたあふれんばかりの人たちが一斉に歩き始め、僕たちも歩き始める。

 わくわくと目を輝かせる彼女を(しり)()に気を引き締めた僕が、彼女と共にアーチの下へ踏み入れる。

 

「見てみて鈴鬼くん」

「どうしたの?」

「これ、ドリアンだよ。わたし実物って初めてみた」

「へえ。ドリアンってこんな形してるんだ」

 

 踏み入れた先の青果店店頭には、ごつごつとしたトゲいっぱいの皮で覆われた丸い果物が売っていた。

 ドリアン。名前だけなら知っている。とても美味で「果物の王様」とまで呼ばれているが、併せてとても臭いで評判な熱帯の果実だ。

 僕も初めて見た。さすがは日本最大の歓楽街、地元ではまず見られない物が売っている。と言うか、ビルが建ち並んでいる中でも八百屋のような青果店があるとは。僕が変に感心してしまう。

 

「あとはパパイヤにパッション。そこまで珍しい物はないね。……えっ、なんだろうこれ。〝ヤナオニの実〟?」

「行こう庚渡さん。あまりじろじろ見てると、店の人に客って誤解されちゃうから」

「そうだね」

 

 ドリアンは熱帯の果実、おそらく輸入品だろう。中々に値が張り、中学生の僕たちにこれを購入する余裕も勇気もない。

 青果店を立ち去った僕たち。続いて、妙な販売機を見つける。

 

「うわぁ。ねえ鈴鬼くん、おしるこソーダだって。どんな味するんだろ?」

「ハバネロスカッシュなんて物もあるよ」

 

 聞いたことがないメーカーによる自動販売機があり、それには目を疑う名の飲料水が売っていた。

 甘ったるい汁粉のソーダ。あるいは、とても辛い炭酸飲料。味が全く想像つかないが、これだけは断言できる。口に入れた途端に「ブホッ!」と吹き出すだろう。

 誰が買うのか。と言うか、このメーカーもよくこんな商品を売りに出すものだ。また僕が変に感心してしまう。

 

「陽さんと美月さんに買ってったらどうだろう。美月さん二十八日誕生日だし」

「やめなよ。いくら何でもこれは喜ばないよ」

「うーん、でも陽さんなら飲んでくれそう。ノリと勢いで生きてるような人だし」

「もっとマシな物買ってあげようよ」

 

 僕と彼女が自動販売機の前から立ち去った。

 美月さんの誕生日と聞いて僕が内心で焦る。彼女のクリスマスプレゼント、早く見つけなければ。

 それにしても、意外と平和だった。危ないイメージが僕の中で刷り込まれている傾奇町は、からまれこそしないだろうが、人相の悪い人にエンカウントするものと思っていた。

 犯罪者の巣窟。そんなイメージすら僕の中では生まれていたが、威嚇するような男たちの群れや怪しい外国人などを見かけず、むしろクリスマスイブのおかげか、仲良く歩くカップルをよく見かける。今は昼間だからか呼び込みや酔っ払いもいなくて、僕が恐れていた傾奇町は人が多いくらいで穏やかだった。

 心配して損をした。しかし、そんなのん気に構えた僕の前に異変が現る。

 

 正面約100メートルくらい離れた場所に人だかりができている。

 

「鈴鬼くん、なんだろうあれ」

「イベントでもやってるのかな? 人が集まってる」

 

 気になった僕と彼女が近づいてみると、そこは地元にも系列がある有名なインターネットカフェだった。

 だが、入口には黄色に黒の規制線が敷かれており、中に人が入らぬよう警察官が見張っている。

 ただ事ではない物々しさに、僕と彼女が目を見合わせる。

 

「ねえなにこれ~。何が起きたの?」

「女が三人絞め殺されてたんだってよ」

「うっそー。やばくね? ちょーやばくね?」

「一人クスリをガブ()みしてたらしいぜ」

「あー知ってるー。最近はやりのオーバー坊主でしょ? バカじゃーん」

「オーバードーズな?」

「ケッ、まーたドウ横キッズかよー。あいつらマジで死んでくれね? 商売のジャマだしよ」

「チャリンコでコンビニ入るとかクソ迷惑だし。まじジコチューだよな」

 

 見物人がする(うわさ)話に僕が衝撃を受けた。

 まさか、このクリスマスイブに殺人現場を前にしてしまうとは。冷や水を浴びせかけられたような気分に陥る。

 規制線がもたらす非日常。だが、好奇心など起きず、むしろ恐怖心だけを抱く。

 

「行こう、庚渡さん」

 

 この場にとどまるべきではないだろう。僕が彼女の手をつかんで人だかりを離れた。

 

「まさか、東京に来て、殺人現場に出くわすなんて」

「あの、鈴鬼くん」

「えっ。……うわぁっ」

 

 僕は、彼女の手を握り締めていた。

 慌てて放す。つかんでしまった、初めて、彼女の小さな手を。それは僕にとって何よりも神聖で大切なもの。

 心拍が急上昇する。カッと立ち昇った熱が僕の頭を支配する。強引だっただろうか。付き合ってもないのに厚かましかっただろうか。

 

「……てもいい……。でも、そう……ところも可愛くて大……」

 

 彼女が何かつぶやいたが、声の小ささと街の喧噪(けんそう)所為(せい)でよく聞こえなかった。

 

「え?」

「なんでもありません鈍感鈴鬼くん。でも、あんな現場を見ちゃうなんて思わなかったな。ごめんね鈴鬼くん、私が傾奇町行きたいって言ったばかりに」

「えっ、いいよいいよ、庚渡さんが謝らなくても。僕も傾奇町がどんな所か、って興味あったから」

 

 彼女に謝られ、申し訳ない気持ちに駆られた。

 そして、僕の(のみ)の心は、いまだドキドキが治まらない。彼女の小さくてたおやかな手の感触が忘れられない。

 冷めぬ興奮と申し訳なさが僕を狂わせる。そしてその焦りが、血迷ったことを僕に口走らせてしまう。

 

「えーと、今の人だかりにさ、犯人いたりして」

「えっ、どうして?」

「ほら、よく探偵ものじゃ、犯人は必ず現場に戻る、って言うよね?」

 

 苦し紛れに話題を切り替えたのだが、こんな話して誰が喜ぶんだろうと、言った後になって僕は後悔した。

 迷探偵もびっくりだ。だが、この苦し紛れが思わぬ事態を呼ぶ。人だかりの方に目を向けた彼女が、

 

「……あっ」

 

 何かを見つけたのか声を上げた。

 僕に告げる彼女。その視線は人だかりから僅かに()れている。

 

「犯人かどうかは分からないけど、鈴鬼くん、ほんとにいたよ」

「えっ?」

「あのゴスロリな服に赤いウィッグ。二日前と同じだ。あの子、間違いない」

「どうしたの庚渡さん、急に」

 

 いつも能天気な彼女が、珍しく険しい顔をして僕に振り向いた。

 眉に(しわ)を寄せた顔に僕が息を呑む。そんな戸惑う僕に彼女が今日東京に来た真の目的を伝える。

 

「鈴鬼くん、私とたまちゃん、東京に戦いに来たって言ったよね?」

「うん」

「その探してる子が今いたの」

「えっ」

「追いかけなきゃ」

「ちょっと待って庚渡さん、一人で行く気?」

「鈴鬼くん、あの子すっごく悪い子で、あの子にたまちゃん友達を殺されたの」

「…………」

「傾奇町に行きたいって言ったの、あの子を探すためでもあるの。美月さんと陽さんも襲われてるし、絶対に許せない」

 

 再び人だかりの方へ歩き始めた彼女だが、僕がその手を強くつかんだ。

 照れなんか感じていられない。こればかりは譲れない。振り返った彼女に僕が、

 

「待てよ庚渡さん。坎原さんの友達だって言うなら、なおのこと坎原さんが来るまで待つべきだろ?」

 

 強い意志をもって訴えた。

 

「怒りに燃える気持ちは分かるけど、そういうときこそ冷静にならなきゃ。一人で突っ走ったところで誰も付いてこれないよ」

 

 更に続けた僕。分かってくれるだろうか。

 反対されることを覚悟で止めた。だが、彼女が驚いた顔を浮かべ、険しかった顔を和らげた。

 そして彼女が柔らかな笑みを浮かべる。この笑みは僕がもっとも好きな顔であり、いつもこの笑顔でいて欲しい。

 

「そうだったね。たまちゃんの(ふく)(しゅう)ってこと忘れてた。ありがとう鈴鬼くん」

 

 思いとどまってくれたので僕も笑みを返した。

 一息ついた僕。一人で戦うなんて危なすぎる。坎原さんという仲間がいるのだ、できる限り危険は避けて欲しい。

 

「す、鈴鬼くん。もう手、放していいよ」

「えっ。わぁ、ごめん!」

「ほんとはもっとこうしていたいけど。……鈴鬼くん、たまちゃんに電話するね」

 

 彼女がケータイを取り出し、坎原さんに電話した。

 僕が人だかりの方へ首を向けるが、彼女が先に述べた特徴の子は見当たらない。

 本当にいたのだろうか。僕が首をかしげてしまう。しかし、彼女の見間違いではなく、倒すべき敵は確かにいた。

 敵は勘付いていた。僕と彼女はこの後、窮地に陥る。

 

「あの、あなた、コスモスですよね?」

「……えっ?」

 

 驚く彼女。通話を終えてケータイをバッグに収めると同時だった。

 突如としてコスモスという、ごく一部の人間しか知らない単語で呼ばれたために僕と彼女が振り返る。

 

「追いかけてきてくださいよ、誘ってたんですから」

 

 すると、ゴシック調の黒いロリータファッションに身を固め、赤いウィッグを垂らす女の子が、僕と彼女の前に立って笑みを浮かべていた。

 



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死屍累々... 強襲するインディアン

「あはっ、やっぱりこの前の女だ」

「え、え、なんで」

「あははっ、気付いてないと思ってたんですかー? 傾奇町は私のテリトリーですよ? にしてもまさかまさか、そっちからやって来るなんて」

 

 黒いゴスロリ調の衣装をまとう女の子に彼女が戸惑っていた。

 嘲るように笑う女の子。その顔はあどけなさを残しており、背丈は僕とあまり変わらない。

 この女の子が、坎原さんの友達を殺したという子なのか。外見からはそのように見えないが、どこか近寄りたくない嫌らしさを漂わせており、そんな印象に僕が一歩下がる。

 

「なんで。さっきまで、あの人だかりの方にいたのに」

 

 困惑する彼女は、ほんのさっきまで人だかりの方を見つめていた。

 人だかりは100メートルくらい離れている。つまり彼女は、いま目の前にいる子が先程まで100メートル離れた場所にいたにも関わらず、ほんの僅かの間で目の前に現れたことに驚いているのだ。

 直線距離を全力で走れば近付くことは可能だろう。だが、それなら彼女か僕が気付いている。どのようにして気付かれず接近したのか、その手段が分からないので彼女は戸惑っている。

 

「改めて初めまして。私はヘイズのイオン。この前の借り、倍にして返してあげますよ」

 

 スカートの裾をつまんで挨拶した女の子。この不気味な余裕に彼女が後ずさった。

 続けて女の子が僕を指す。悪魔に目を付けられたようで僕まで後ずさってしまう。

 

「その男の子、もしかしてデートしてたんですかー?」

「あなたには、関係ないでしょ」

「いいですねえー、男の子とデートとか、羨ましいかぎりで胸クソ悪くなりますよぉ。同じ年頃の男の子と遊ぶなんて夢のまた夢ですから。ま、それはともかくあなた、時を止めて変身しないんですかぁ?」

「…………」

「早く時とめた方がいいですよ。でないと、手遅れになっちゃいますよぉ」

「ううっ」

 

 バカにした口調の女の子に、彼女が苦虫を()み潰したような顔を浮かべる。

 引きずり込まれるわけにはいかない、主導権を握ろうとしているのは明らかだ。

 

「庚渡さん、待つんだ。こんな挑発にのっちゃだめだ」

 

 坎原さんを待って二対一で挑むべき。だから僕が引きとめたが、そんな制止など敵わなかった。

 敵が強硬な手段を講じる。黒衣装の子が、懐からある物を取り出し、それをおもむろに見せつける。

 取り出した物は黒のアイマスク。舞踏会でかぶるような目を覆う不気味な仮面。

 

「止めないんですか? じゃ、止めるようにしてあげますよー」

 

 そのアイマスクを女の子が笑いながら付ける。すると、霧と言うにはあまりにも濃い、まるで影みたいなドス黒い気が、女の子の体から湧き上がるように染み始めるのを僕は目の当たりにした。

 信じられない。恐ろしく異様で禍々(まがまが)しい気が、女の子を取り巻くようにして次から次にあふれている。例えるなら人肉すらも貪り尽くす、痩せて飢えた餓鬼のようなおぞましい気が。

 僕が恐怖する。この子は本当に宇宙海賊で、坎原さんの友達を殺している。そう(おのの)く僕を(しり)()に、女の子が懐から小さな機器を取り出す。

 彼女が気色ばむ。

 

「まさか、こんな街中で精霊を」

「うふふっ、だから手遅れになるって言ったじゃないですか。もう知りませんよー。necroi(ネクロイ), runaway(ラナウェイ), wilderness(ワイダネス)... 現れなさい〝米蕃座(インドゥス)〟!」

 

 女の子がかざす機器が鮮烈な光を放った。

 光が円を描き、ファンタジーの世界さながらな魔法円が宙に現れる。だが、それに神秘的な雰囲気は一切感じない。むしろ悪魔を呼び出すようなおぞましさだけを感じる。

 不吉な魔法円の登場に僕が息を()む。間もなくして円の中心から、

 

――ヤクゥサァイ!

 

「えっ!?」

「バ、バイク!?」

 

 現れた物体に彼女と僕が仰天する。国産ではない、地平線まで続く道を駆けるような大型のヴィンテージバイクが姿を現した。

 バイクの座席に飛び乗る女の子。立って彼女を見下している。

 

「おい、なんだあれ?」

「何かの撮影? イベント?」

「迷惑系ユアチューバー?」

 

 にわかに現れた大型バイクに、周りの人々が動揺している。

 どよめく周囲。ある人は突然現れたバイクに戸惑い、またある人は今にも走り出しそうな気筒音に恐れている。中には大型バイクに目を輝かせて快哉(かいさい)を叫んでいる人も少数いるが、そんな人々を一緒くたにして見回した女の子が、口元を(うれ)しそうにゆがめる。

 

「邪魔ですねこのゴミども。インドゥス、まずはこの場にいるゴミをすり潰してやりましょう」

「ヤクサァァイッ!」

 

 けたたましいアクセル音が咆哮(ほうこう)し、立つ女の子を乗せたままバイクが急発進した。

 

「うっ、うわあああっ!」

「キャアアアッ!」

 

 街の人々が一斉に逃げ始めた。

 逃げ遅れた男性が吹き飛ばされる。女性がタイヤに踏み潰される。暴走するバイクが無関係の人々を次々に()いている。

 飛び交う怒号と悲鳴。みな押し退()けるようにして逃げ惑い、人々がドミノ倒しに倒れている。ここは日本最大の繁華街、そんな街中で突如として阿鼻(あび)(きょう)(かん)の恐慌が発生した。だが、バイクの上に立つ女の子だけがまるでサーフィンでも楽しむかのように笑っており、その邪悪さに彼女が「あの子すっごく悪い子」と言ったことを僕が思い返す。

 逃げる老人が後ろから追突を食らい、壁に頭をぶつけて血を流している。目を疑う悪夢の光景に僕が眩暈(めまい)を覚えるが、気をしっかりと強く保ち、彼女に振り返る。

 

「庚渡さん!」

「うん!」

 

 止めるしかない。彼女が懐から時計に似た銀色のオブジェを取り出し、それを作動させた。

 時が止まる。続いて眼鏡を外して手鏡を取り出す。

 

「シンダーエラ、ターンイントラヴァーズ!」

 

 鏡の放つ光に彼女が包まれる。

 

「愛にあふれる日々を未来に! 光の戦士トゥインクルスター!」

 

 そうして彼女が一瞬のうちに変身を済ませ、光の戦士と化した。

 時が止まったことに気付いたのか、バイクが急ターンし、路面とタイヤの擦れる激しい音が鳴る。

 向き合った彼女とバイク。ゴムの焼ける臭いが漂い、アイドリング時の気筒音をバイクが響かせている。

 

「インドゥス、あの女を轢き殺せ!」

 

 大型バイクが発進し、これを左にかわした彼女が、そのハンドルを両手で前から捕まえた。

 止まるバイク。そして(うな)るエンジン音。後輪を回して彼女を押そうとするが、これに彼女が負けじと押し返す。

 せめぎ合う彼女とバイク。後ろで見守る僕が、この小さな体のどこにこんな力があるのか、と改めて彼女に感心し、彼女の勝利を心の中で祈る。

 程なくして、バイクに一歩も引けを取らない彼女が、ハンドルを握る右手を逆手に握り返す。

 

「うああああっ!」

 

 そして、彼女が仰け反り、大型バイクを持ち上げた。

 ものすごい光景だ。500キロは悠にあろうかと思われる大型バイクが、小さな彼女によって宙に浮いている。

 バイクがアクセル音を響かせるが、その後輪は空を回る。そうして彼女が、

 

「だりゃああっ!」

 

 うっちゃるようにしてバイクをブン投げる。

 大型バイクが路面に(たた)きつけられ、この横に寝た姿に彼女が両手を突き出す。

 粒子が渦を巻く。両手の光は輝きを増し、何も映さない白き塊へと変わる。

 

「いっけぇ! 〝トゥインクルブラスト!〟」

「ヤ、ヤクサァァイッ!」

 

 そして、光を浴びたバイクが消滅した。

 彼女が無事で僕が一息つく。だが、彼女は構え続けており、そんな彼女に拍手が贈られる。

 拍手の送り主は一足早くバイクから降りていた女の子。人々にあれだけの危害を加えておきながら、何ら悪びれることなく笑っている。

 

「あははっ、インドゥスを事もなげに消すなんて、弱そうに見えてやるじゃないですかー」

「このっ。なにぬけぬけと」

「でも、あなたはもうおしまいです。この私が直々にコロしてあげますよ」

 

 構える彼女の直ぐ後ろ、急に物陰から現れた子に、後ろで見ていた僕が(きょう)(がく)した。

 見間違いか。いや、間違えではない。まったく同じ姿をした女の子がなぜか二人いる。

 彼女の前に立つ黒衣装の子。それと同一の姿をした女の子が、急に物陰から現れて彼女を後ろから捕らえた。

 



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雄蕊と雌蕊 幼き頃は理解できなくて笑うだけだったこの隠語が成長につれて恐ろしい

「えっ、なにこの子!?」

 

 黒い衣装の女の子が彼女を羽交い絞めし、これに彼女が目を大きく開いて驚いた。

 すかさず前に振り返る彼女。僕も信じられない、同じ姿をした黒衣装の子が、前と後ろに二人いるのだから。

 動揺を隠せない彼女に、前に立つ黒衣装の子が口角を上げる。

 

「うふふっ、この私が実は二人いるなんて、お(しゃ)()様でも気付かないですよね?」

 

 羽交い絞めから逃れられない彼女が()く。

 

「あなたって、双子だったの?」

「双子? 惜しいですねー。〝増殖(マルチプライス)〟」

「……えっ!?」

 

 黒衣装の子が指を鳴らし、その結果に僕と彼女が(きょう)(がく)した。

 彼女の左に一つ、右に二つのドス黒いヘドロが生まれ、計三つのヘドロがそれぞれ人の姿を形作る。

 間もなくして人間が生まれた。その姿はなんと、黒衣装の子と全く同じ。彼女を捕らえる一人と、前に立つ一人、そして左の一人と右の二人。同一の姿形をした黒衣装の宇宙海賊五人が彼女を取り囲んでいる。

 前に立つ黒衣装の子の胸が、服の中で黄金色に輝いている。

 

「私は黄道の精霊双子座(ジェミニ)をこの体に宿しているんですよ。ジェミニは自分のコピーをいくらでも増やすことができるんです」

「なっ。だからさっき、突然目の前に現れたのね。元々二人いたから」

「ふふっ。ま、普段は自分を見ているようで気持ち悪いから顔をマネキンにしてたんですけどー。……ではあなた、まずはその腕から使えなくしてあげますよ」

「あっ、ううっ、あああっ!」

 

 右腕をつかまれた彼女が、その腕を後ろに回された。

 耳を貫く彼女の悲鳴。――やめろ。僕の好きな子を傷付けるな。

 

「庚渡さん!」

「だめ! 鈴鬼くん、来ちゃ、だめ……」

「でもっ」

「来ないで。私は、だいじょうぶ、だから……」

 

 居ても立ってもいられず駆け寄ろうとしたが、彼女が拒否したために僕は足を止めた。

 そして、彼女は正しかった。僕の浅はかな行動が、この後に最大のピンチを招き寄せてしまう。

 痛みをこらえる彼女の向こうから、悪寒が走る視線を感じた。その気配に僕が目を向けると、黒衣装の子が目を光らせている。

 見渡すと黒衣装の五人全員が僕を凝視している。悪魔に見つめられているようで、僕がヘビににらまれたカエルのごとく身を(こわ)()らせてしまう。

 

「おかしいですねー? 時とまってるはずなのに、どうして男が動いているんですかー?」

 

 彼女の前に立つ黒衣装の子が、僕に歩み寄りながら指を鳴らした。

 後ずさりする僕。だが、僕の背後にヘドロが現れ、それが僕の体に絡み付く。

 ヘドロが変化する、二人の黒衣装の子に。二人に両腕をつかまれた僕が、振りほどくべく力を込めるが、まるで縛り付けられたように腕を動かすこと敵わない。

 (はりつけ)のごとく僕が捕らわれ、そんな動けない僕の前に歩み寄る黒衣装の子が立ち、僕の顔や体を値踏みするように眺め始める。

 

「ふーん。あなた、良い趣味してますねー。この男の子、よく見るとカワイイじゃないですかー」

 

 黒衣装の子が彼女に向いて言った。

 そして僕に振り向き、妖しい笑みを浮かべる。可愛いなどとバカにされたこと、彼女を助けられないことに僕が悔しさを覚える。

 だが、屈辱は終わらない。笑う黒衣装の子が、その仮面をかぶった顔を、僕の顔にずいっと近付けた。

 僕が驚いて顎を引いた。あと少しで唇が触れるところだったから。――何を考えているんだ、とうろたえる僕に、女の子がにんまりと笑って僕の頬を()で始める。

 

「うふふっ、名前はなんて言うんですか?」

「…………」

「教えてくださいよ。……ねえ、私みたいな女どう思いますか? 私、十三歳にしては割と胸があるんですよ」

「何を言っているんだ。彼女を、放してくれ」

「へえー。あなた自分の立場わかってるんですかー? 私の機嫌を損ねたら終わりなんですよ?」

「分かってるよ。それでも」

「へえー。いいじゃないですか、すごくカッコいい。こんな時でも女のこと気に掛けるなんて、中々できることではありません。私、ますます気に入っちゃいました。こんな所じゃなく、もっともっと前に知り合いたかったです」

「……?」

「うふふっ、決めました。あなたセックスしたことないですよね?」

「……は?」

「私が教えてあげますよ。今、この場で。ふふっ、興奮するでしょう?」

 

 黒衣装の子が信じられないことを吐いた。

 何を言っているんだこの子は。まったく意味が分からない。だが、そんな僕の動揺など構いなしに、女の子がスカートをたくし上げる。

 目を()らした僕。けれど恥ずかしがっていられる状況ではないため、おそるおそる視線を戻すと、黒衣装の子が下着を下ろしている。

 脱いだ下着をこれ見よがしに見せ、それから放り捨てる。

 

「ふふっ、目を逸らすなんて、可愛いじゃないですかー」

「ううっ」

「見たくないですか? このスカートの中。女のココがどうなってるか、今からじっくりと見せてあげますよ」

 

 男からすれば喜ぶべき状況なのかもしれない。だが、まったく喜べなかった。

 この黒衣装の子はまさに悪魔だ。人を奈落の底へと引きずり込むような。そんな悪魔に誘惑されても恐怖しか感じない。

 千殻原(せんごくばら)の男とは違う意味で目の前の子が恐ろしい。何よりも僕が好きなのは彼女だ。悪魔の誘惑に屈することは、彼女を裏切るに値する。

 

「やめて!」

 

 割り込むように彼女が声を上げた。

 目の前の悪魔から笑みが消え、代わりに表した眼に僕がぞっとしてしまう。

 殺生をためらわない恐ろしく冷酷な瞳。そんな眼をした悪魔が彼女に振り返る。

 

「うるさい」

「あっ! うううっ!」

「痛みも何も知らない甘えたクソガキが。いいところなんだから邪魔しないでくださいよ」

 

 吐き捨てる悪魔。彼女の腕をつかむ一人と左右にいる三人、計四人の悪魔が彼女を潰すように押し倒していた。

 そして、僕に背を向ける目の前の悪魔が、()いつくばる彼女に唾を吐いて告げる。

 

「あなたは大人しく見ていてくださいよ。この男の子、私が可愛がりますから」

「やめて! やめてよお!」

「あははっ。いいですねぇ、その無様で笑える泣きっツラ! 能天気にチャラチャラ男を連れてるからこんなことになるんですよ! あなたには、これからサイッコーのバッドエンドを与えてあげます。この男の子の精液、あなたの目の前で、私のここから垂れるところ見せてあげますよ!」

 

 悪魔が振り返る。その狂気に満ちた瞳は、僕の心胆を寒からしめるのに十分だった。

 引きつる僕の体に、悪魔がしなだれながら僕の腰に手を回す。

 

「ふふっ、始めましょう。私のこと、忘れられなくしてあげますから」

 

 顔を上げた悪魔が僕の首に舌を這わせた。

 生きた心地がしない。生温かい吐息とどろりとした感触に僕が身をよじらせてしまう。

 

「ふざけるな、放してくれ……」

「ふざけてなんかいません。こう見えて私、誰だっていいって訳じゃないんです。あなたが好みなのは本当なんですよ」

「そうじゃない。たとえ僕のことが好みだとしても、こんなの、バカげている」

「……は?」

「こういうのは、好きな人同士がやるもんだろう? こんなことをする君のこと、僕が好きになれると思うか?」

 

 悪魔がぴたりと動きを止めた。

 まずい、機嫌を損ねたか。宇宙海賊の怒りを僕が恐れるが、

 

「もし好きな人同士だったなら、どんなに良かったんでしょうね……」

 

 意外にも悪魔が僕の体に寄りかかりながら弱音をつぶやいた。

 だが、悪魔が顔を上げ、赤い舌を僕の前で出す。

 

「冗談です。それにしてもあなた、興奮してませんね。私が胸を押し付けてるのに」

「興奮なんて、できるわけない」

「うふふっ、そう言われるとますます喜ばせたくなります。では、そんなあなたの知らない気持ちいいこと、これから教えてあげますよ」

「え? お、おい!」

 

 悪魔が僕の前でしゃがみ込んだ。

 腰のベルトに手をかける。

 

「や、やめろ!」

「やめませーん。言ったでしょう? 私のこと忘れられなくしてあげるって」

「なにをする気なんだ!?」

「うふふっ、口でしてあげますよ。どこまで我慢できるか、楽しみですね」

 

 ベルトを乱暴に外す悪魔に、僕が助けを願ったときだった。

 悪魔が途端に手を止め、後ろに振り返る。そして立ち上がる。

 僕が悪魔の視線を追うと、そこでは彼女が、

 

「鈴鬼くんを、はなせえぇっ!」

 

 四人の悪魔を押し退()け、立ち上がろうとしていた。

 四つん這いの彼女が鬼気迫る顔を浮かべており、こんなに怒った彼女を初めて見たために、僕が息を()んでしまう。

 悪魔もたじろいでいた。信じられないものを見るような目で、立ち上がろうとする彼女に驚いている。

 

「うそでしょう。この闇の力はトラックだって持ち上げられるのですよ。その私が四人がかりで取り押さえているのに。あの女、どこにそんな力が」

 

 立ち上がった彼女が、

 

「うあああっ!」

 

 力ずくで四人の悪魔を振り払い、

 

「このインランめ! 絶対に許さない!」

 

 飛び掛かって悪魔の顔に拳を突き出したが、これを悪魔が紙一重でかわした。

 攻撃は続く。怒れる彼女が止まることなく悪魔を攻め立て、これに悪魔が僅かに下がる。

 押す彼女。しかし、悪魔が思いがけない行動に出る。

 

「〝融解(メルト)〟」

「えっ!?」

 

 悪魔の顔に彼女が拳を振り上げるが、その悪魔が突然ヘドロと化したのだ。

 彼女と僕が茫然(ぼうぜん)とする。ドス黒いヘドロが、ただ彼女と僕の間に存在している。

 そして、ハッとした彼女が、僕を捕まえる二人、それから先に押し退けた四人に振り返る。六人はいずれも妖しい笑みを浮かべており、これに彼女が攻めあぐねてしまう。

 漫画でよく見かける分身の術。どれが本物でどれが幻か彼女が見極めている。しかし、四人に向く彼女のすぐ後ろ、先に溶けたヘドロが再び人の形を作り始め、

 

「庚渡さん!」

「えっ? ……あうぅっ!」

 

 振り返った彼女だったが、再び現れた悪魔がそんな彼女を殴りつけた。

 倒れた彼女を、四人の悪魔が再び取り押さえる。

 

「ちょっと焦りましたけど、頭に血が上ったバカで助かりましたよ」

「あっ、う……」

「お楽しみは後ですね。先に腕と足を折って、動けないようにしてあげますよ」

 

 やめろ。そう叫ぼうとしたときだった。

 空高くに、土星のような環を僕が見つける。そしてその環に囲まれた女の子が、降下しながら悪魔に回し蹴りを食らわせた。

 地面を滑る悪魔。それと同時に僕を拘束する悪魔の力がなぜか弱まり、僕が悪魔から逃れる。

 彼女に振り向くと彼女も解放されている。

 

「リングレット!」

「坎原さん」

 

 淡く光る環をたすき掛けする光の戦士の登場に、彼女と僕が喜んだ。

 

「ヒーローの出番です。……ティターニア、いま(かたき)とるからね」

 



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ヴァンガード! 天上天下の一騎打ち

「大丈夫? トゥインクル」

「リングレット、助かったよぉ」

 

 坎原さんに手を差し伸べられた彼女が立ち上がった。

 彼女を取り押さえていた四人の悪魔だが、皆が何故(なぜ)か一様にして苦しんでいる。蹴られたのは僕に迫り、一度ヘドロと化した悪魔だったはずだが。

 僕を押さえていた二人の悪魔も苦しんでいた。どうしてだろう、と(いぶか)る僕に坎原さんが振り返る。

 

「鈴鬼くん、トゥインクルを変な所に連れて行かないで、って言ったよね?」

「う、うん」

「ま、どうせこの子がこんな所に行きたいって言ったんだろうけど。ダメじゃない、ちゃんと止めてくれなきゃ」

「ごめん……」

「気を付けてよ。それじゃ、あたしとトゥインクルの後ろに隠れて。あいつ目の届く範囲なら自分の分身をどんな所でも生み出すから」

「ああ」

 

 僕が二人の後ろに下がると、坎原さんに蹴られた悪魔が立ち上がった。

 周りの悪魔たちが一斉に眼を鋭くするが、立ち上がった正面の悪魔だけはくつくつと笑う。

 

「ふふっ。そちらから来てくれるなんて好都合です」

「好都合? なに強がってるの?」

「はい?」

「あんた精霊の力の使い過ぎで、このまえ血を吐いてたでしょ? もういっぱいいっぱいなんじゃないの?」

「……ふふっ、あははっ。そうですか、それで田舎からわざわざ来たんですかぁ」

 

 正面の悪魔が(こう)(しょう)し、これに併せて周りの悪魔たちが合唱するように笑い声を上げた。

 

「残念でしたー。もう体は全快なんですよぉ」

「……そう」

「ふふっ、当てが外れて悔しいですかぁ? それとも尻尾を巻いて逃げ出したくなりましたか? このまえ蹴ってくれて、今も蹴ってくれた借り、倍、いや、百倍にして返してあげますよぉ」

「そっか。まあでも、関係ないか」

「……は?」

 

 感情をむき出しにする悪魔とは対照的に、坎原さんはあくまで冷静だった。

 坎原さんが正面の悪魔を見据えて伝える。

 

「どうやったら勝てるか、どうしたらティターニアの(かたき)をとれるか、あたし逃げてからずっと考えてた」

「…………」

「今日のためにその準備を重ねてきた。そして、その準備がそろった。あたし今日、負ける気がしないんだよね」

「なんですかその自信! このっ、()え面かかせてやる! 〝増殖(マルチプライス)〟!」

 

 黒いヘドロが大量に生み出され、悪魔が次々と現れる。

 大量の悪魔に取り囲まれた僕たち。だが、坎原さんは何も動じていない。

 泰然と立つ坎原さんに彼女が()く。

 

「リングレット、どれが本物なんだろう」

「本物? あ、あたしアイツのふたご座(ジェミニ)をトゥインクルに言うの忘れてた」

「ええっ、ちょっとリングレット、そんなの困る~」

「ごめんごめん。トゥインクル、本物とかなんて見極める必要ないから」

「え?」

「目の前にいるのを一人ずつ倒せばいい。あいつの分身は、神経がつながってるの」

「どういうこと?」

「全部本物で、痛みを共有してるってコト。増えても焦らなくていい、一人ずつ倒せば勝手に自滅するよ」

 

 痛みを共有する。この説明に僕が納得し、彼女も()に落ちた顔を表した。

 坎原さんに蹴られた悪魔。それは僕に迫った一人の悪魔だったが、なぜか他の悪魔たちも一斉に苦しんでいた。痛みを共有しているのなら、この疑問は解決する。

 忍者が仕掛けるような分身の術ではない模様。ならば下手に自分を増やすとそれだけ弱点をさらす。

 

「クッ、〝融解(メルト)〟」

 

 言い当てられた悪魔が苦々しく指を鳴らし、周りの悪魔たちが一斉にヘドロへと変わった。

 指を鳴らした悪魔だけが残り、これに坎原さんが歩み出る。

 

「トゥインクル、ここはあたしに任せて」

「うん」

「鈴鬼くんを、ちゃんと守るんだよ。たあっ!」

 

 拳を握り締めた坎原さんが悪魔に飛び込んだ。

 坎原さんの右拳を、悪魔が腕を上げて防ぐ。それを皮切りに始まる光の戦士と悪魔の()(れつ)な攻防。

 

「はああっ!」

「このコスモスが! 調子にのるなぁ!」

「ぐっ! まだまだぁ!」

「腹立つんだよおまえ! 死ねよ! 死ねっ、死ねえ!」

 

 坎原さんは強い。以前彼女と激突したとき、格闘戦では彼女はまったく歯が立たなかった。

 だが、悪魔は食らい付いていた。坎原さんの速い拳を受け止め、(たた)き込むような蹴りを食らいながらも耐えている。それどころか隙を見出しては反撃したりもしている。

 両者一歩も引かぬ激しい戦いが繰り広げられている。坎原さんが顔に打撃を食らい、僕が目をすがめてしまうが、そんな心配をする僕に彼女が、

 

「鈴鬼くん、大丈夫。リングレットは負けないよ」

 

 と、戦いをしかと見守りながら告げる。

 

「鬱陶しいんだよオマエ! 〝増殖(マルチプライス)〟!」

「うっ!」

 

 悪魔が分身を坎原さんの背後に生み出した。

 羽交い絞めされた坎原さんに、悪魔が拳を振り上げる。だが、坎原さんが自由の利く左腕で円を描いた。

 描かれた円が淡く光る鏡を形成する。

 

「〝リフレクティブサークル〟!」

 

 鉄を叩いたような音が鳴り響く。鏡が悪魔の拳を弾き返した。

 弾かれた反動からか、悪魔が右手を押さえている。これに羽交い絞めから抜け出た坎原さんが素早く接近し、

 

「はああっ!」

 

 右脚を大きく振り上げ、悪魔を宙高くへと蹴り上げた。

 脚を上げた坎原さんの格好に僕が驚いてしまう。信じられない体の柔らかさだ、脚が180度上に向いている。

 宙に打ち上がった悪魔。これを坎原さんが猛追する。素早く飛び上がって放り上がる悪魔の前で宙返りする。

 宙を前に返る坎原さんの右脚は真っ直ぐ伸びている。

 

「てえええっ!」

 

 そして、(かかと)落としを食らわせ、悪魔を地面に叩き落とした。

 悪魔が受け身も取れずに叩きつけられ、そんなうつ伏せの悪魔の前に坎原さんが着地する。

 参ったか。そう言わんばかりに見下ろす坎原さん。しかし、顔を上げた悪魔が指を鳴らす。

 

「〝増殖(マルチプライス)〟」

 

 無数のヘドロが生み出され、数体の分身が坎原さんに絡み付いた。

 腕が、体が、両脚が、全身が拘束されており、これに笑う悪魔が足を震わせながらも立ち上がる。

 

「あはっ、これなら動けまい」

 

 一転して坎原さんが窮地に陥った。

 僕が彼女に振り向く。だが、彼女は動こうとはせず、

 

「トゥインクル!」

 

 逆に窮地の坎原さんが彼女を呼ぶ。

 

「あれをやる! 鈴鬼くんを巻き込まないようにして!」

「オーライ! 鈴鬼くん、リングレットから離れて!」

 

 彼女が僕の手を引き、坎原さんから遠ざけ始めた。

 彼女と坎原さんだけが分かる合図。ピンチだと言うのにいったい何をする気なのか。

 悪魔が髪をかき上げて()く。

 

「人のことを気にしている余裕なんかあるんですか?」

「これを、待ってたの」

「待ってた? ……うっ、は、放せない」

「たくさんのあんたが、あたしを捕まえるときを。じゃあ食らって、あんたを倒すために編み出したこの技! 〝マグネティックストーム〟!」

 

 僕が目を見張る。キラキラとした風が、坎原さんを中心に渦巻いている。

 風は次第に強さを増し、輝く飛礫(つぶて)を伴った嵐へと変わる。以前彼女に仕掛けた光の嵐だ。あれを食らって彼女は倒れた。

 悪魔の絶叫が、この時の止まった傾奇町に木霊する。痛みを共有する悪魔の分身、坎原さんに絡み付く全ての分身があの光の嵐を受ければ、痛みもそれに伴って倍加するだろう。

 程なくして、嵐が収まった。坎原さんに絡み付いていた悪魔はみな倒れ、ヘドロに変わり始めている。

 

「ぐっ、がっ……」

 

 だが、一人の悪魔だけがしぶとく立っていた。

 

「はあ、はあっ……」

「ふふっ、うふふっ、あなたも、ボロボロじゃないですかぁ」

 

 辛そうに息を乱す坎原さんを悪魔が笑った。

 膝に手をつく坎原さん。脚を開いて腰を落とすその姿からは、隠せない疲労とダメージが見て取れる。

 以前彼女と戦ったとき、坎原さんは今の嵐を仕掛け、彼女を倒したと共に自分も倒れた。しかし、あの時とは状況が違う。あの時の坎原さんは独りだった。

 

「そうね。でも、あたしには」

「は?」

「あたしの背中を守ってくれる新しい友達がいる。トゥインクル!」

 

 でも今は彼女がいる。

 

「うん! いっけぇ、トゥインクルブラスト!」

「え、う、うわあああっ!」

 

 両手を突き出していた彼女が光を放ち、一筋の影も許さない真っ白な帯が悪魔を焼いた。

 



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黒のイデア 明かされるアンラマンユの識別証

 彼女の光線を浴びた悪魔が仰向けに倒れた。

 衣服に破れこそないものの、その体は異状をきたしている。胸を苦しそうに上下させ、汗で黒の衣装がぴっちりと体に張り付いており、その体のラインが浮かび上がったなまめかしい姿が、僕に目を()らさせてしまう。

 アイマスクがずれ落ちる。さらした容姿は幼さを残しており、素直に評するなら可愛いと思う。

 そう言えば、さっき十三歳と言っていた。そんな同じ(とし)の女の子が僕にイヤらしい真似をして迫ったのだ。僕が今更ながらにショックを受けてしまう。

 

「…………」

「リングレット」

 

 呼んだ彼女。倒れた黒衣装の子を、坎原さんが険しい顔つきで見つめていた。

 坎原さんは、この子に友達を殺されたと聞いている。その怒りは僕なんかが推し量れるものではないだろう。

 目には目を、歯には歯をと()う。仕返しに殺す気なのか。坎原さんの拳は、石のように固く握られていて、それが生じさせている震えは、今にも暴れ出しそうな衝動を押さえ付けているよう。

 

「リングレット!」

 

 坎原さんが飛び出すようにしゃがみ込んだため、彼女が止めるべく呼んだ。

 しかし、誤りだった。坎原さんは、

 

「心配しないでトゥインクル。あたしは大丈夫だから」

 

 女の子のまとう黒衣装の中に手を突っ込みながら彼女に答えた。

 

「う、や、やめろ」

「…………」

 

 かすれ声で女の子が止めるが、坎原さんが聞かずに続ける。

 服の中をガサゴソと、隅から隅まで調べるように右手を()わし、その手つきは何かを探しているよう。

 いやらしい、なんて思ってしまった僕は不純だろうか。いずれにしろ血を見なくて僕が胸をなで下ろす。

 

「……あった」

 

 程なくして、ソフトボールくらいの大きさの黒い物体を、坎原さんが服の中から引っ張り出した。

 

「リングレット、それが」

「うん。これが闇の力の供給源、〝アリマニド(Ahriman‐ID)〟」

 

 尋ねる彼女に坎原さんが首を縦に振る。

 坎原さんがつかむ黒い物体は、闇と言うにも生ぬるい程に暗い。物質、光、音。それらありとあらゆる事象を取り込みそうな程に黒く、もうこの世の物とは思えない。

 宇宙海賊の名前をブラックホール団と呼んでいるが、そのバカバカしい呼称もどこかうなずけてしまう。そして、黒い物体が何十、いや、百はあろうかという数の黒糸で女の子とつながっている。

 

「庚渡さん、あれって」

「あれが、ブラックホール団に力を与えている物なんだって」

「あれが」

「あれを壊せば、ブラックホール団は力を失って普通の人に戻るの。って、私も初めて見るんだけどね」

 

 彼女の説明に、僕が目を見張った。

 いや、その吸い込まれるような黒さに引き込まれているのか。僕が闇よりも暗い物体に目を凝らしてしまう。

 

「やめろ! それがなかったら、私は」

 

 女の子が手を上げるが、坎原さんがつかむ右手に力を込めた。

 そして、――パキンッという軽い音がする。女の子とつながる黒い物体を、坎原さんが握り壊した。

 砕けた黒い物体は粉となり、風に舞うようにして消えてゆく。

 

「あっ、ああああぁっ!」

 

 女の子が絶叫した。

 断末魔と言うべき悲痛な叫びが僕の耳をつんざく。やがて、声を出すことに力尽きた女の子に、

 

「あんたのことは、殺したいくらい憎い」

 

 坎原さんが静かに告げる。

 

「ならっ、殺せ! 私のことが憎いんだろう!?」

「でも、あんたに殺されたあたしの友達はね、〝ブラックホール団に悪いことをやめさせる〟って気持ちで戦ってたの」

「……ううっ」

「だから殺さない。殺したら、友達の(おも)いが全て無駄になっちゃうから」

 

 恨みがましく(にら)む少女に対し、坎原さんはその()をしかと見て伝えた。

 見ていてハラハラした。何度も言うが坎原さんは友達を殺されている。その坎原さんが衝動に駆られて女の子を殺してもおかしくはない。

 亡くなった友達の尊厳を第一に踏みとどまった。坎原さんの理性に僕は(あん)()し、感心した。

 

「お疲れだベエ」

「べーちゃん」

 

 妖精が現れ、これに彼女が呼んだ。

 坎原さんが妖精に振り向く。

 

「妖精、終わったよ。トゥインクルがティターニアに似てたりとか、鈴鬼くんがあたしとトゥインクルの場に現れたりとか、色々思うところはあったけど」

「古い話をよく覚えているベエ」

「まだ今月じゃない。ま、終わり良ければ(すべ)て良し、世話になったよ、ありがとう」

「どういたしましてだベエ」

「それとさ」

 

 坎原さんが妖精から目を逸らして()く。

 

「あたしも、べーちゃんって呼んでいいかな? ほら、トゥインクルが呼んでるし」

「かまわないベエ」

 

 照れくさそうにする坎原さんにほほえむ彼女。これにて一件落着か。

 だが、終わりとはならなかった。

 

「意味、分かんない……」

 

 背を丸めて座り込んでいる女の子が、恨みがましくつぶやいた。

 そして、顔を上げる。その瞳からは涙が流れている。

 

「なに殺さないって! カッコつけやがってクソが! 殺してよ! 私は力を失ってこれからどう生きて行けばいい!? くそっ、おまえらコスモスは、いつも高い所から私を見下しやがって……」

 

 女の子が地団駄を踏むように、拳を何度も何度も(たた)きつけて悔しがった。

 それから顔を伏せて号泣する。「高い所から私を見下す」。この言に僕は違和感を覚えた。

 別に彼女も坎原さんもこの女の子を見下したりしていない。何か、コンプレックスを抱えているのだろうか。

 

「私は親ガチャに失敗した。家に帰ればいつも酔っぱらったクソ親父にボコボコにされて、母親はそんな親父に愛想つきて、男つくって私を置いて逃げて。私を守ってくれる人なんて誰もいなかった。だから去年の夏、ありったけの金を盗んで逃げて、このドウ横にたどり着いた……」

 

 女の子が顔を伏せたまま続ける。

 

「でも、あっという間に金がなくなって……。生きるために残飯だって食べた、金を得るために人を何度も(だま)した、ロリコン野郎に何度も何度も、何度もヤラれた! ……ちょうど一年前の冬の寒かった日、ビルの屋上でうずくまっていた私の前にあの方が現れ、凍死寸前だった私に力を授けてくれた。あの方に会うまで、私は生きるのに必死だったんだ……」

 

 すすり泣く女の子。その吐露に僕が絶句してしまう。

 そして、女の子が願いを吐く。その願いはあまりにも(はかな)く、あまりにも悲しい。

 

「私は白馬の王子様を願ってた。こんな汚れた私を愛し、幸せにしてくれる……。もうあんなドブネズミみたいな生活には絶対に戻りたくない……」

 



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理解のある彼くん 指折り数えて待てど一向に現れず

 ドウ横とは、詳しいことは分からないが、ここ傾奇町に建つあるビルの周辺を指すらしい。

 ビルには特徴的なモニュメントがあり、自撮りを趣味とする若者たちが、そのモニュメントの撮影を目当てで集まって来たのが始まりと聞いたことがある。だが、いつしか学校に居場所がない子や家を飛び出した子がたむろするようになり、世間はそんな子たちを押しなべて「ドウ横キッズ」と呼び始めた。

 未成年の援助交際や、薬物中毒による飛び降り自殺など、ドウ横キッズの悪評は田舎者の僕の耳に届くくらいに鳴り響いていた。近年社会問題となっており、都が撲滅に向けて対策に取り組んでいる。

 

「ああっ、どうして私ばかり。……あと、少しだったんだ。お前らを殺せば、白馬の王子様が現れて私を迎えに来たんだ。何もかもが上手(うま)くいかない、私にはなんでカスなガチャしか回ってこないの……」

 

 顔を伏せてむせび泣く黒衣装の女の子に、僕と彼女は何も言えなかった。

 だが、坎原さんは違った。泣く女の子につかつかと歩み寄る。

 そして、襟元をつかんで無理やり立たせ、

 

「このおっ! 自分のことばかり言って!」

 

 まるで恫喝(どうかつ)するように怒鳴ったため、僕と彼女が驚いた。

 目を見開く女の子を、坎原さんが続けて責める。

 

「どうして、どうしてそんなに自分のことばかりなの!? あんたのこと同情はするよ。でもさ、それが人を傷付けていい理由にはならないよ! 独り暮らしのおばあちゃんからお金取り上げたりさ、幸せそうだからって理由で小さな子供を母親から奪ったりさ、ビルの上からヒト突き落として、下を歩く人に当てて笑ってたりさ。あんたその闇の力を使って、いったいどれだけの人を傷付けたと思ってるの!?」

 

 訴える坎原さんの声は、悔しさと悲しさに満ちあふれていた。

 流されるところだった。女の子の辛い身の上を聞いて僕は同情してしまったが、坎原さんが言うとおり、それが罪のない人を傷付けていい理由にはならない。

 彼女に目を向けると、彼女も顔を引き締めている。そして坎原さんが更に罪を責め立てる。

 

「自分さえよければいいの!? 傷付けられた人の気持ちなんてどうだっていいって言うの!? 今だってそう、あそこでドミノ倒しになっている人たち、あんたの仕業でしょう!」

 

 女の子がバイクを召喚し、その暴走に巻き込まれた人々を坎原さんが指しながら言った。

 停止している人たち。時が止まっているために映画のワンシーンが(ごと)く切り取られているが、それがかえって悲惨な様を如実に映している。

 誰もが恐慌に(おび)えた顔を浮かべ、中には血にまみれて倒れている人までおり、僕が目を背けてしまう。だが、女の子は悪びれなかった。さも自分は悪くないと言わんばかりに開き直り、

 

「は!? 別にいいだろう! あんな(やつ)らなんてどれだけ死のうが!」

 

 と、坎原さんに対して言い返す。

 

「この世界は弱肉強食だ、強い奴が弱い奴を食ってこの世界は成り立っているんだ! 弱いヤツなんて、いくらでもいたぶっていいんだよ!」

 

 女の子の言に僕がショックを受ける。今の君がそれを言うのか、と。

 坎原さんが手を放す。それで女の子が尻もちをつくが、敵愾心(てきがいしん)(あら)わににらんでいる。

 手を下ろした坎原さんの拳が、弾け飛びそうな衝動を(とど)めるが如く震えており、それを代替すべく思いの丈を洗いざらいぶちまけて女の子を否定する。

 

「よくないよ! 都合のいいときばかり被害者みたいにいわないで!」

「ハッ! 頭の弱いシンショーなのかよお前! 私は被害者だよ!」

「どこが被害者よ!?」

「どこからどう見ても被害者だろうが! おまえ親に毎日ブン殴られ、三日三晩水しか口にするものなくて、触られるのも嫌なロリコン野郎の前で服ぬいだことあるのか!?」

「……っ!」

「ねえだろうがクソが! ぬくぬくと育ったお前には分からないよ、ガチャに失敗した者の気持ちなんて! 自己満足で押しつけがましいことばっかぬかしやがって。お前こそ弱い人間の気持ちを分かろうともしない、弱い者いじめしかできない最低最悪な女だ!」

 

 激しく面罵する女の子に対し、坎原さんが言葉を詰まらせた。

 言い負けてはダメだ。そう思う僕だが、これは坎原さんの戦いなので我慢する。

 彼女が先から憂う声で呼びかけているが、坎原さんの耳には届いていない。

 

「お前の友達もバカじゃないの。なに、悪いことをやめさせるって? ハハッ、恵まれた女は言うこと違うねえ。チエ遅れかっつーの」

 

 この女の子の言が引き金となった。

 坎原さんの拳から震えがピタッと止まる。そして、ゆっくりと拳を振り上げる。

 今まで(こら)え続けた破壊衝動を、その拳に全て注ぎ込むようにして。

 

「ダメだよリングレット!」

 

 彼女が止めに駆け寄るが、もう遅かった。

 

(たい)()のことを悪く言うなぁ!」

 

 振り下ろした拳が、女の子の顔面を打ち抜く。

 ――が、その矛先はわずかに()れていた。仰向けに倒れた女の子の顔のすぐ横、歩道を打ち抜いていた。

 アスファルトが拳によって(くぼ)んでいる。そして、周りには亀裂が走っている。

 

「ひっ、ひいいっ!」

 

 先に殺せと言っていた女の子だが、人を超えた者の容赦なき力に恐れたのか。坎原さん、言い換えれば光の戦士の激怒を目の当たりにし、ただの人に戻った女の子が恐怖に駆られた。

 尻もちをついた体勢のまま後ずさる。そして立ち上がり、足をもつれさせながら逃走する。

 悲鳴を上げながら逃げる女の子の一方、坎原さんが膝を突く。

 

「リングレット」

「トゥインクル。あたし、我慢できなかった」

「…………」

「絶対に怒らないって決めてたのに。あたし、これじゃ泰子に……」

「ううん、ガマンした、我慢したよ……」

 

 手で顔を覆って泣く坎原さんの背を、彼女が優しく抱き締めた。

 走り去った黒衣装の女の子。その性状は身勝手に尽きるだろう。坎原さんが憤るとおり、終始自分のことばかりを吐き連ね、自分が良ければ他は知ったことか、という極めて利己的な子だった。

 論理も破綻している。弱肉強食と言うのなら光の戦士である坎原さんを否定できない。だが、言い換えれば未熟と言える。それに自らを十三歳と言っていた。僕たちと同じ年齢の子が、口にするのも(はばか)られる不遇な人生を強いられたのだ。同情する余地は十分にある。

 身に余る不相応な力に溺れ、踊らされ。力を失った今どのようにして生きるのだろう。彼女や坎原さんに比べるとあまりにも弱い僕は、その弱さゆえに共感を覚え、(あわ)れんでしまった。

 

「なぜ、戦わなくちゃならないんだろう」

 

 ついつぶやいた僕に妖精が()く。

 

「スズキ、何を悩んでいるベエ?」

「いや、なんて言うかな、宇宙海賊はあんな未熟な子に力を渡して、何がしたいんだろう、って」

「…………」

「おかしいじゃないか、あんな子に力を渡したところでろくな使い方しないことは分かるだろう? なあ、君はなんで庚渡さんや坎原さんに力を授けたんだ? 今の子と(とし)なら変わらないのに」

 

 僕が抱いた疑問に妖精が短い手を組んで答える。

 

「スズキ、実を言うと、コスモスの素質を持つ女の子は割と存在するベエ」

「えっ?」

「でもボクは、コスモスがもたらす力に溺れない子を選別してるベエ。これが中々に見つからなくて苦労しているベエ」

「じゃあ、庚渡さんや坎原さんは」

「そうだベエ。トゥインクルやリングレット、サンシャインやムーンライトは、力に溺れない心を備えているからこそコスモスに選んだベエ」

 

 感心した。彼女と坎原さんは借り物の力に溺れていない。ただ力を宇宙海賊打倒のためだけに使っている。

 妖精の人を見る目は確かのようである。そんな目を丸くする僕に妖精が続ける。

 

「まあトゥインクルはコスモスの力を一度自分のために使ったベエが、それはさておきブラックホール団にそんな選別はないんだベエ。素質があれば誰かれ構わず力を渡しているベエ」

「そうなのか。でも、なんで力なんだ?」

「力、とはどういう意味だベエ?」

「だって、戦うなんて野蛮じゃないか。交渉っていうか、話し合いで解決ってできないのか、って」

「スズキ、それはヘソで茶が沸く甘い理想論だベエ。対話とは両者の力が対等でないと成り立つものではないベエ。相手と対話するためには、まずは相手以上の力を備えることが肝要だベエ」

「そんなことは」

「あるベエ。スズキ、今月の初めを思い出すベエ」

 

 今月の初めと言われ、あの千殻原での一件を思い出した。

 悔しくて泣いてしまった。惨めなトラウマに僕が閉口する。

 

「力があってこそ初めて生物は耳を傾けるようになるベエ。力のない者の意見など、いくら正論でも力で踏みにじられ、負け犬の(とお)()えと笑われるのがオチだベエ」

「…………」

「だから僕はハロウィンズミラーを渡し、正義を貫ける傲慢な力をコスモスに与えているベエ」

「傲慢って。そんな」

「スズキはさっきのリングレットを見て何も思わないベエ? 今の逃げた子が言ったとおり、果てしなく自己満足で押しつけがましい意見だったベエ? それにあんな言い方をすれば誰だって反感を抱くベエ」

「…………」

「でも、人間なんてそんなもんだベエ。エゴとエゴがぶつかり、時に反発して時に妥協してこそ人間なんだベエ。ちなみに力とは直接的な力だけを指すわけではないベエ。権力や人脈、徳や自信など、それら背景も力の一部として成り立つベエ。スズキも早く一人前の男になりたいなら、それらを身に着けることをお勧めするベエ」

 

 妖精は謎な生き物だが、この言に僕は(うなず)かざるを得なかった。

 今回もピンチを招いた。まさか、あんな女の子が宇宙海賊で、しかも彼女の前で僕を辱めようとするなんて。

 僕が思い出す。確かコスモスは、妖精に呼ばれて時間を止めると彼女から聞いている。

 

「そうだ、君は宇宙海賊が現れたらすぐ呼びに現れるんだろう? なんで今回は教えてくれなかったんだよ」

「無茶を言うなベエ。ボクとて万能ではないベエ。闇の力を発現しなければボクだって分からないベエ」

 



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聖夜を過ぎて 尽くした祈りと下ろした十字架

 日は変わって二十五日。聖夜が過ぎてクリスマスを迎えた。

 昨晩、僕はホテルに泊まった。と言ってもビジネスホテルなのだが、それでも一泊一万円は軽く超すような値段のホテルで、もちろん子供の僕がそんな金など持っている訳がない。

 言うまでもなくスポンサーの御厚志である。坎原さんが用意してくれており、いやはや、本当にとんでもない子とクラスメートになったものである。頭が上がらない。ただ彼女は坎原さんの実家に泊まった。まあ、僕たちは中学一年だ。一緒にいたい気持ちもあったが、女の子同士が健全であろう。

 

 信宿区傾奇町に突如として現れ、そして暴走した謎のバイク。人々がドミノ倒しになる程の被害だったが、あれはなかったことになっていた。

 彼女が時を戻す前、僕は信じられない光景を目の当たりにした。被害に遭った人々が全て元に戻ったのだ。まるで魔法みたいに復元され、それは夢でも見てたのか、と疑うほどだった。

 妖精は戦いで生じた被害を、なかったことにすることができるらしい。そんな話を僕は以前彼女から聞いたことがある。全てをなかったことに出来るわけではないようだが、少なくとも昨日の惨事に関しては元通りとなっていた。

 きっと妖精が何かしたのだろう。そう僕は思っている。ただし、坎原さんが殴った跡だけは戻らなかった。今あの場所に戻れば、拳の形に(くぼ)んだ跡と、ひび割れた路面が確認できるだろう。

 

 昨日、僕と彼女を襲った宇宙海賊の女の子。あの子は亡くなった。

 昨夜遅く、寝床に着こうとテレビを消そうとした時だった。傾奇町に立つビルの屋上で、身元不明の死体が発見されたニュースを僕は目にした。

 まさか、と思った僕だが、予感は的中した。報道キャスターは死体の特徴を報じていたのだが、それは昨日の子の特徴と見事なまでに一致した。

 そして、死因は薬の過剰摂取と報じていた。オーバードーズという近年よく(ささや)かれる横文字について専門家とコメンテーターが解説しており、それを観ながら僕は、何とも言えぬやりきれなさを感じてしまった。

 

 昨日の子は、どうしたら救うことができたのだろう。

 坎原さんには悪いが、坎原さんでは無理だろう。坎原さんが水ならあの子は油だ。相性が悪すぎる。

 では、彼女はどうだろう。坎原さんよりは脈はあるだろうが、それでも無理な気がする。あの子は彼女や坎原さんのような子にコンプレックスを抱いていた。素直に聞くとは思えない。それに、昨日の剣幕でまくし立てられたら彼女は何も言えないだろう。

 すると僕、と思うのはうぬぼれているだろうか。でも、あの子は()ぐに舌を出したが、僕の体にしなだれた時に吐いた弱音は(うそ)じゃないように感じられた。それに、僕のことを好みと言っていた。真剣に話せば耳を傾けるかもしれない。

 何よりも可哀そうだ。僕と同じ(とし)の女の子が、そんな(ひど)い目に遭い続けていたなんて。――と、思ったところで僕は気付いた。僕でもあの子は救えない、と。

 

 あの子を救うには、あの子の全てを受け入れる覚悟が必要になるだろう。

 僕は彼女が好きである。だからあの子を受け入れるなんてあり得ない。覚悟もなしに救おうなんて失礼な話であり、偽善者と罵られてしまうだろう。

 また、たとえ救ったとしても罪を償うだろうか。あの子は坎原さんの友達を始め、忌まわしい罪を山ほど重ねている。昨日の利己的な性格から償う気なんてないだろう。それを(かんが)みると言い方が悪いが、救う価値を見出せなかった。

 救えないことに気付いた僕は考えるのをやめた。しかし、それでも可哀そうだ。自分の身に置き換えると居た(たま)れなくなる。僕は昨晩ベッドの中で、一人悶々(もんもん)と考え込んでしまった。

 

 そして、クリスマスの朝を迎える。

 

「寒いね、鈴鬼くん」

「そうだね」

 

 コートのポケットに手を突っ込んで寒がっている彼女。僕と彼女は、墓地の入り口で待っていた。

 クリスマスの日になぜ墓地か。それは、坎原さんが亡くなった友達の墓参りをしているからである。

 物憂げに下を向く彼女が()く。

 

「ねえ鈴鬼くん。昨日の夜、ニュース見た?」

「うん。あの子、亡くなったね……」

 

 昨日の子が亡くなったニュースを彼女も観たようで、彼女がうつむきながら僕に尋ねた。

 身に余る借り物の力を失った子の末路。自業自得と言えばそれまでであるが、人が一人死んでいる。

 追い込んだのは彼女と坎原さんになる。やはり彼女も気にしている模様。

 

「ブラックホール団に勝つって残酷なんだね。私あの子を、結果的に」

「そんなことない。だからと言ってあの子を野放しにしてたら、罪のない人がたくさん傷付いて、罪のない人がたくさん死んじゃうじゃないか。庚渡さんは気にすることない、むしろ正しいことをしたんだよ」

 

 僕は即座に否定し、落ち込む彼女を励ました。

 間違ってはいない。彼女も坎原さんも直接手を下したわけではない。あの子が死を選んだのだ。

 繰り返すが、自業自得と言えばそれまでだ。僕たちはあの子がバイクを召喚し、罪のない人々を傷付けているところを見ている。あの邪悪な行為は、如何(いか)なる手を講じてでも止めなければならない。

 

「ありがとう鈴鬼くん。私ね、今まで中途半端な気持ちで戦ってた」

 

 下を向いていた彼女が、寒い朝の空を見上げて言った。

 急に吹っ切れたような顔をした彼女に、僕がいささか驚いてしまう。

 

「悪いやつが現れたから、とりあえず戦わなきゃって気持ちで戦ってたの」

「庚渡さん、それのどこがいけないの?」

「いけなくはないんだろうけど、……なんて言うかな。ええっと、鈴鬼くん。私ね、たまちゃんって強いなって思うの」

「坎原さん?」

「うん。たまちゃんだけじゃない、陽さんも美月さんも」

 

 彼女が僕に振り向いて続ける。

 

「たまちゃんも陽さんも美月さんもね、勝つ辛さが分かっていて、その上で自分は正しいって貫いているの。コスモスである以上つよくなくちゃいけないのに、私、あの子に同情しちゃってた」

「庚渡さん」

「上辺だけの同情がかえって傷付けるのにね。だから私、これからは鈴鬼くんが言ったとおり自分が正しいって思うことにする。それと、たまちゃんの友達を見習って、ブラックホール団に悪いことをやめさせるって気持ちで戦うことにするよ」

 

 また上を向いて宣言した彼女に、僕は強さを感じた。

 上辺だけの同情がかえって傷付ける。これは僕が昨日ベッドの中で考え込んでいたこととほぼ同じである。彼女も僕と同じく、昨日のニュースを見て悩むところがあったのだろう。

 しかし、コスモスの彼女は答えを見つけた。それは妖精が言うところの傲慢な正義を貫く気持ちと、亡くなった坎原さんの友達の意思を引き継ぐ気持ち。僕にはそんな強さも力もないため、彼女を少し羨ましく感じる。

 

「鈴鬼くん。たまちゃんってね、引っ越す前は今までに二人、昨日の黒い球を友達と一緒に壊して改心させてるんだって」

「そうなんだ。分かってくれる人もいるんだね」

「うん。だからね、昨日のことがあっても私、くじけない。分かってくれる人もいるって信じて戦うよ」

 

 笑顔で告げた彼女がとてもまぶしくて、僕はしばし見()れてしまった。

 本音を言えばコスモスを降りて欲しい。でも、僕が彼女を好きになったきっかけは、戦う彼女を見て、である。

 まだ複雑な気持ちはぬぐえないけど、今は応援しよう。まぶしい彼女が僕は好きなのだ。「好きになった時点で負け」。以前坎原さんに言われたセリフを僕が顧みる。

 

「ねえ鈴鬼くん、それはそうと、手、冷たくない?」

 

 彼女が僕のぶら下げている手に目を向けて訊いた。

 

「え。別に、そんなことないけど」

 

 確かに今日の空気は冷たいが、手がかじかむ程でもなかった。

 この程度の寒さなど、と問題ない旨を伝えた僕。ところが、これに彼女が首をプイッと()らした。

 頬をわずかに膨らませ、変な表現になるが、口を「3」の字にとがらせている。

 

「はっぷっぷー。なんで気付かないかなー、ずーっとポケットに手を入れて準備してるのに」

「えっ?」

「……はい、どうぞ。ポケットにカイロ入れてるから、ほかほかのほかほかハートだよ」

 

 彼女がポケットから両手を抜き出し、僕に差し出した。

 これは。僕の心臓が否応がなしに高鳴ってしまう。

 だが、ここで断るなんてありえない。彼女の白くて小さな手を、僕が手に取る。

 

「あ、ありがとう……」

「どういたしまして。ふふっ」

 

 握った彼女の手は、炊いたご飯のように温かった。

 程なくして、墓参りを済ませた坎原さんが戻って来たため、僕と彼女が慌てて手を放す。

 

「おまたせ。邪魔しちゃったかな」

「たまちゃん」

 

 すっきりとした顔で帰って来た坎原さん。見ていたのだろうか。

 ところが、そのネコのようにパッチリとした瞳から(しずく)が垂れる。突如として坎原さんが涙を落とした。

 止まらぬ涙。整った顔からぽろぽろと滴り落ちる雫に、僕が動揺してしまう。

 

「え、やだ。あたしってば、なんで泣いて」

「たまちゃん」

 

 彼女が呼ぶと、飛び出すように坎原さんが両腕を広げ、彼女に抱き付いた。

 そして、彼女の顔のそばで、子供のように泣きじゃくる。

 

「紬実佳、つみかぁ。あたし、やっと泰子に……」

「うん」

「怖かった、不安だった。(かたき)とれなかったらどうしようとか、忘れてしまったらどうしようって、ずっとずっと考えてた。ううっ、うっ、ほんとに、ほんとによかったよぉ……」

 

 本懐を()げるとはこのことか。今まで坎原さんは、ずっと亡くなった友達のことで悩んでいたのだろう。

 だから、彼女に辛くあたったり、戦ったりもした。そんな十字架を下ろした坎原さんが鼻水をすすり、彼女は優しく抱き締めていた。

 



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クラスの彼には内緒だよ☆

「失礼します」

「よく来たね環ちゃん。さ、座ってすわって」

 

 坎原環が部屋の扉を開け、その中でくつろいでいた乾出陽が後輩の入室を歓迎した。

 陽とそこまで対面がない所為(せい)か恐縮している環。ここは陽の腐れ縁にして無二の友人、巽島美月の部屋である。

 今や深い(きずな)で結ばれた環と、陽と美月をつなぐ庚渡紬実佳であるが、今にも泣き出しそうな顔をして環の着るコートをつかんでいる。

 

「どったの紬実佳ちゃん?」

 

 気になった陽が首をかしげて()く。

 

「陽さぁぁん!」

「うわっ。ど、どうしたの?」

 

 すると、紬実佳が両腕を広げ、座る陽の胸に飛び込んだために陽が驚いた。

 戸惑う陽。事情が()み込めないでいる。そんな陽に顔を上げた紬実佳が、つぶらな二重の瞳に涙を浮かべて訴える。

 

「鈴鬼くんが、鈴鬼くんが……」

「えっ。スズキ君がどうしたの?」

 

 紬実佳の彼に何か起きたのか。陽が尋ねる。しかし――。

 

「あの宇宙海賊の子に、こんなことされたんですよぉ!」

「あひゃあっ!? ちょっ、ちょっと紬実佳ちゃん、くすぐったいよぉ。落ち着こう、おちつこう、ね?」

 

 紬実佳が陽の首を、犬のようにぺろぺろとなめ始めたため、さすがの陽も慌てて制止した。

 そして、陽の胸を借りて「ひーん」と泣き始めた紬実佳を、理解できない陽が環に尋ねる。

 

「ねえ環ちゃん。東京で何かあったの?」

「あー、鈴鬼くんがちょっと、この前の女と色々ありまして」

 

 二十五日のクリスマス、東京から帰ってきた紬実佳と環は、電話で先輩の陽と美月に首尾を報告した。

 先輩二人も東京で何があったのか知りたかった。だから報告を受けた陽が「二十八日に会って話さない?」と後輩二人を誘った。

 場所は巽島家、美月の部屋。陽は美月の体調が優れないため、巽島家に着いても出迎えはせず、勝手に上がっていい旨をあらかじめ伝えている。それで環は、既に美月の部屋に上がり込んだ事のある紬実佳を伴ってこの部屋に訪れたのである。

 ちなみに、陽が二十八日を指定した理由は、この日が美月の誕生日であることによる。

 

「もうずっとこんな調子なんですよ」

「ほよー。それはなんというか、災難だったね」

「彼の前では平気な振りをしてるんですけど、彼がいなくなると()ぐに泣いちゃって。あたしも何度首をなめられたことやら」

 

 彼・鈴鬼小四郎が宇宙海賊から受けた辱めを、環が紬実佳から聞いた話を元にかいつまんで話し、これを聞いた陽が取り乱す紬実佳に納得した。

 紬実佳は彼の前でこそ落ち着き払っていたが、実のところそれは振りで、かなりカッコつけていた。心の底では情念をくすぶらせていた。

 唇こそ人工呼吸という口実で奪っている。だが、彼の腰に手を回すなんて、また、彼の体に舌を()わしてその味を(たの)しむなんて「まだ」したことがない。先を越されたことを大いに悔しがっている。

 仕返ししたくても相手はもういない。したがって今の今まで、紬実佳の心は壊れ続けている。

 

「ところで乾出さん、巽島さんの姿が見られませんが」

 

 コートを脱いで正座した環が、部屋の主が不在なことを、紬実佳を慰めている陽に尋ねた。

 環が部屋の中を見回す。畳まれた布団の上には、骨付き肉を模した珍妙な枕が乗っかっていて、――ぬうっとした陰湿な気配を背後に感じた環が即座に振り返った。

 後ろに立っていたのは、長い黒髪をぼさぼさにした、やけにげっそりとした女。

 

「うわっ、巽島さん」

「環、いらっしゃい……」

 

 パジャマ姿の美月が、音も立てずにいつの間にか存在していたため、これに環が驚いた。

 幽鬼の(ごと)くやつれきった美月。その足取りはふらふらと定まっておらず、体調が悪いとは聞いていたがこれ程までとは、と環が美月に尋ねる。

 

「大丈夫ですか?」

「辛いわね、あそこにいる筋肉女からの風邪(かぜ)は。ここのところ〝心の種〟が止まらないわ」

「心の種ですか。それは、お大事にしてください」

「いやー、うつしちゃったよ。本日は絶好調なりー」

 

 後頭部をかいて笑う陽。美月は陽の風邪をうつされていた。

 美月が座り、陽と美月と環が囲むように座る。紬実佳は陽に(いま)だしがみついている。

 環が持参した紙袋からある品物を取り出す。

 

「巽島さん、お誕生日おめでとうございます。これ、東京のお土産です」

「あら、可愛いわね。ありがとう、とても(うれ)しいわ」

「いつもそばに置いてもらえる物がいいと思って、紬実佳と二人で買ったんです。〝ラベンDAAAAっ!るまちゃん〟」

 

 ラベンダー色の水滴型に短い手足を付け、クルンとしたまつ毛を持つ切れ長の目と、ぼってりとした厚い唇を添え付けた、「キモい」ながらも愛らしさを感じる奇妙なぬいぐるみを環が美月に贈った。

 美月が目を閉じてぬいぐるみを抱き締める。気に入った模様。ちなみに、これは紬実佳も所有しており、彼からのクリスマスプレゼントとして受け取っている。彼は女心に(うと)い少年のため、紬実佳がねだったことは言うまでもない。

 続いて環が、紙袋から次の品物を取り出す。

 

「乾出さんにはこれを。〝納豆ギョーザ(あめ)〟です」

「おおっ、これは西で一時期大ブームを起こしたと言う禁断のスイーツ。環ちゃん、あたしが好みそうなもの分かってるだわさ」

「ははっ、紬実佳が選んだんですけどね」

 

 受け取った陽が、さっそく包装を開け、中の納豆色の飴を口に入れた。

 

「うん、まずい!」

 

 陽が(うな)る一方で、

 

「環。久々の帰郷はどうだったかしら?」

 

 美月がぬいぐるみを抱き締めながら尋ねる。

 

「大変でした。紬実佳ったら、新幹線予約したのに発車五分前になって駅に着くし、信宿ついたら着いたで、変な所に行くなって言ったのに彼と傾奇町に行っちゃうんですよ」

 

 東京に着いたその日に宇宙海賊を倒したこと、翌日は土産を選びながら買い物したこと、そのほか諸々(もろもろ)の思い出を環が語った。

 話しながら環が顧みる。友人を亡くして(しばら)く泣き伏せていたこと、それから(ふく)(しゅう)を誓い、ようやく果たせたこと。期間にすると二月足らずの間だが、随分と前の事のように環が懐かしむ。

 そして、話題は宇宙海賊に力を与えていた、あの闇よりも黒い玉の話に移る。

 

「へえ。ブラックホール団って、そんな黒い玉を持ってるんだ」

「それを壊せば、ただの人に戻るのね?」

「はい」

 

 関心を示した陽と美月に環がうなずいた。

 陽と美月は、今まで相手をした宇宙海賊と言えばメテオという中年の男性が専らだったため、黒い玉のことは知らなかった。

 目を合わせる陽と美月。黒い玉の認知は、知らなかった二人に大きな衝撃を与え、併せて一筋の希望を二人に見出させていた。黒い玉を破壊すれば宇宙海賊は無力な人に戻る。それはすなわち、宇宙海賊と殺し合いをしないで済むということ。

 

「ありがとう環。今の話、私たちにとってとてもためになったわ」

「礼を言われるほどでは。お役に立てたようで何よりです」

 

 礼を述べた美月に、環が恐縮して照れ笑いをした。

 環が胸をなで下ろす。東京から引っ越して来た環は先輩の二人とそこまで面識がなく、特に美月には一度「ナマイキそう」とまで言われている。故に悪い印象を抱かれずに済みそうで息をついた。

 顔を緩めた陽が後輩二人の労を喜ぶ。

 

「何はともあれ、二人が無事に帰ってきてよかったよ。お姉さん心配で夜も寝れなかったんだから」

「ぐっすり寝てたじゃないのあなた」

「そうだっけ? 都合が悪いことはすぐ忘れちゃうんだよなぁこの頭。――ワガナハいんふぃにてぃ、ムゲンノめもりいナリ」

「私の方が心を砕いていたわ。おまけに風邪までうつされるし」

「しつこいなぁ、だから毎日看病しに来てるじゃん。あんまりしつこいと、寝てる間に〝道〟ってデコに書くよ?」

「えっ、道って、あなただったの!?」

「どったの美月?」

「どうしたもこうしたもないわよ! 今年の(こう)(りょう)市スイーツコンクールで、私のエプロンにラクガキしたのあなただったのね!」

「いまさら気付いたの?」

「銀賞までとっちゃったものだから余計に恥かいたじゃない! 〝寄り道脇道回り道 しかしそれらも全て道 私が歩く私の道 私が決める私だけの道〟なんてやけに達筆な字でエプロンに書かれていたものだから、審査員に読み上げられたとき恥ずかしくて顔から火が噴きそうになったわよ!」

「一言一句よく覚えているね。ってか受賞のときくらいエプロン脱げばいいのに」

 

 陽にまくし立てる美月の一方、

 

「たまちゃーん」

 

 紬実佳が今度は環に泣きつき始めた。

 そして、首をなめる。壊れている紬実佳を一身に相手している環は、もうこの奇行を特に驚かない。

 

「あーん、やっぱりたまちゃんの味しかしない。鈴鬼くんの首なめたいよぉ」

「そのセリフ、知らない人の前で絶対に言っちゃダメだからね。ちなみに乾出さんの味はどうだったの?」

「陽さん納豆ギョーザ飴たべてから臭うの」

「おーい紬実佳ちゃん」

「じゃあ、巽島さんの首なめてきたら?」

「美月さんは風邪でお風呂入ってないだろうから絶対に苦いもん」

「失礼ね、体は拭いてるわ」

 

 紬実佳の辛辣な言葉に陽と美月が不満を垂れる。

 

「たまちゃん、やっぱり悔しいよぉ。あの子、私の鈴鬼くんの前でショーツ脱いだりして……」

「もー紬実佳、それ何度目? 鈴鬼くん嫌がってたんでしょ?」

「そうだけど、私だって鈴鬼くんの前でショーツ脱ぎたいよぉ。ねえたまちゃん、どういうシチュエーションならショーツ脱いでも大丈夫だと思う?」

「知らないよー。そもそも男の子の前でショーツ脱ぐ状況ってなにー? むきゃー」

 

 壊れている紬実佳の血迷った言に環が嘆いた。

 環が亡くなった友人を顧みる。環の前のパートナー泰子は、とても()れっぽい子だった。それはそれは環が「またか」と(うな)()れるくらいに。

 更に泰子はしつこかった。惚れた男のことを耳にタコができるくらい吐き連ねたり、惚れた男の跡をひそかに()けたり、惚れた男が異性と仲良くすれば陰湿な敵意をその異性に向けていたことを、環が思い返す。

 極めつけは(おも)いを打ち明ける勇気が泰子にはなかった。いつもぐちぐちと環にくすぶった想いをぶちまけていた。複数の異性と一人の異性という違いはあれど、泣く紬実佳に環が、

 

(ほんと、泰子に似てるわ……)

 

 ため息をついた。

 ――翌日。

 

「どーしてあたしが風邪うつされてんだろ……」

 

 今度は環が、風邪をひいて寝込んでいた。

 ショックから立ち直った紬実佳が、(かゆ)(さじ)ですくって環に向ける。

 

「まあまあ。はい、あーん」

「あーん。って、なんでおかゆに羊羹(ようかん)が入ってるの?」

「おいしいかなって思って」

「……まあなんか、おはぎみたいでこれはこれで」

 

 けろっとしている紬実佳に環が訊く。

 

「紬実佳はなんで風邪ひかないの? あの部屋にいたのに」

「私バカだから。社会9点だし」

「そういう問題じゃないでしょ。……ふあっ」

「どうしたの?」

「心の種が生まれそうですぅ……。お願い紬実佳、トイレに連れてって」

 



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*******
黒き者たちによる628メートルの謀議


 東京都(しろ)()()に立つ、高さ628メートルの電波塔「大江戸ユメミヤグラ」。約十年前に(しゅん)(こう)したこの電波塔は、今や日本を代表するランドマークタワーである。

 一万五千件を超える一般公募によって名付けられたこの塔の眺望は、大都市東京を掌中に収める景観を観る者にもたらす。だが、一般の利用客が登ることができるのは450メートルまでで、そこから先の最頂部までは電波用アンテナのために登れはしない。

 450メートルより先は、ごく一部の限られた者しか登れないのだが、実は628メートルの最頂部には誰もが立ち入りを禁じられた目的不明のフロアがある。スタッフも工事関係者も立ち入りを禁じられた、いったい何のためにあるのか関係者一同が首をかしげてしまう程の、徹底した進入禁止措置が講じられた謎のフロアが存在する。

 その最頂部フロア。そこに、奇妙な装いをした青年が、物憂げな雰囲気を漂わせながら(たたず)んでいる。

 壁に寄りかかる青年は、黒いワイシャツの上に黒のベストを羽織り、顔の右半分を覆った黒い仮面をかぶっていた。

 

(メテオさんに続き、イオンさんも亡くなった、か)

 

 フロアには照明がない。月明かりだけがフロアを照らす。

 青年が強化ガラス越しの夜空を見上げる。僅か二月(ふたつき)の間に同志が二人亡くなった。その(せき)(りょう)(かん)に青年が駆られていると、

 

「あら、エクリプス君じゃない。ここで会うなんて珍しいわね」

 

 同じく黒い仮面をかぶった妙齢の女性が現れ、青年に声をかけた。

 ウェーブがかかったセミロングの黒髪を垂らす女性の、(かぶ)るマスクには特徴があった。額から鼻まで顔の上半分を覆い、鼻は(くちばし)のように(とが)がっている。

 女性はフリルを飾った黒のシャツの上に、(しわ)一つない黒のレディーススーツをまとい、履く黒のスラックスの裾は大きく広がっている。全てが黒い点を除けばバリバリのキャリアウーマンといった出で立ちだ。

 

「〝ウルカ〟さん。御無沙汰しております」

 

 失礼のないように。そう青年が姿勢を正し、恭しく頭を垂れる。

 自らに頭を下げた青年に、女性が気を良くして白い歯を見せる。

 

「いいわよ、そんな社交辞令は。私たち同志じゃない」

「いえいえ。数多のコスモスを葬り、その強さはヘイズ随一と称されるウルカさんに、(いま)だコスモスを一人も葬れずにいる出来損ないが、なれなれしく話しかけるわけには」

「アハハッ、なにそれー。そんなお世辞いったって何も出ないから」

 

 女性が手の甲を口元に添え、青年に遠慮は不要の旨を伝えた。

 青年の(とし)は二十代前半。対する女性の年齢は三十代後半。十以上離れており、故に女性は青年を弟のように思って接している。

 月明かりだけが()す暗いフロア内を、女性が見回しながら()く。

 

「エクリプス君、あの子、いる?」

「あの子、とは?」

「決まってるじゃない。ここの自称管理人さん」

「ああ、今日はいませんね。まあ、もう夜も遅いですから」

「そっかー。会いたかったんだけど、残念ね」

 

 女性が息をついてぼやいた。

 

「エクリプス君。キミの首尾ってどんな感じなの?」

「首尾、と言われましても。先に申したとおり、僕はコスモスの一人も葬れない出来損ないです」

「…………」

「あの御方に顔向けできませんよ」

「うふふ、よく言うわね。キミって、何気に古参じゃない? 私もここに来るようになってそれなりに経ってるけど、その私よりも前からいるよね?」

「そうですね」

「キミってさ、ちょっと底が見えないのよね。葬れないんじゃなくて、()えて戦わないんじゃなくて?」

「……いやいや、買い被り過ぎですよ。そうです、僕は戦うのが怖いんです」

「ふふ、本当かしら? それに、わたし聞いちゃってるのよ、君の恐ろしいヤボー」

「野望?」

「あの方の知識を基に、この日本をヘイズが管理する共産国家にするんでしょ?」

 

 女性の言に、青年が僅かに眉を動かした。

 しかし、知られたとていずれは露見するもの。そう青年が落ち着きを取り戻して女性の言を正す。

 

「管理とは語弊があります。僕はディストピアを作る気など毛頭ありません。治める、と言ってください。それに、共産の響きは人々に抵抗を与えます、社会主義国家と改めてください」

「似たようなものじゃないの。でも、すごいじゃないエクリプス君。あの方からいただいた力を、そんな風に使おうと考えてるなんて」

「当然の帰結じゃないでしょうか。現代では手にできないあの御方から賜った力、それとあの御方の(えい)()。あの御方に導かれた僕たちヘイズは、民衆を正しい道へと指導しなければならないと思うのです」

 

 青年が肩をすくめて話した。

 この大江戸ユメミヤグラ最頂部のフロアに入れる者は、みな「自分は選ばれた」という認識と誇りを持っている。

 女性が青年の弁に感心する。女性の中で青年は、弟のような存在で、そういった意味では見下していた。だが、そんな弟が、この国を変えようという大きなことを考えていたなんて。

 今までは何を考えているのか分からない弟だった。だが、本音を知った女性は、青年を少し見直し、その思想に()かれ始めている。

 

「そうね。指導という点では大いに賛成するわ。ゲームにマンガにアニメ、ギャンブルに性産業。日本には下品で低俗なコンテンツがあふれ返っている。これらは全て規制し、女性と子供のために清く正さないと」

 

 女性が自身の思想を連ね、青年に賛同を求める。

 

「僕はそれらの全てを否定する気はないですが」

「え? なに、エクリプス君。私の活動に茶々入れる気?」

「いえいえ。僕ごときがウルカさんに口入しようなど。ただ、娯楽がなければガス抜きも(まま)なりませんから」

「……ふーん。そういう考え方もあるのね。まあ私は、ジェンダーの平等と子供たちの未来のために規制しちゃいますけど」

「程々にしてください。清きも濁りも、人の営みの一部ですから」

 

 意のままにならない扱いづらい青年に、女性がその仮面から(さら)す唇を曲げた。

 しかし、思い出した女性が青年に問う。今日は許可を得るために来たのだった。

 

「ところでさ、メテオさんの担当していた所、私が行ってもいいかしら?」

 

 気を取り直した女性が自信ありげに胸を張って次の獲物を周知する。

 

「ウルカさんが、ですか」

「ええ。あのメテオさんが一度も勝てなかったんでしょ? どれだけの強さか知りたいじゃない?」

「構いませんが、十分に気を付けてください。メテオさんが勝てなかったコスモスの子たち、今までの子たちとは一味も二味も違うでしょう」

「分かってる。君メテオさんと仲良かったものね」

「はい。惜しい方を失くしました。あの人には是非とも、生きててもらいたかったのですが」

 

 承諾に満足した女性が(きびす)を返した。

 女性がジャケットのポケットから革手袋を取り出し、それを両手にはめる。

 手を握って開いて、付け心地を確かめてから青年に告げる。

 

「それじゃ、おばさんは帰るわ。子供の塾の迎えに行かなきゃならないし」

「ウルカさん、()ぐに攻めるつもりですか?」

「うーん、すぐは無理かな? あそこ遠いし」

「分かりました、御武運を」

「ありがとう。でも心配は要らないかしら。これでもヘイズ随一なんて言われてるし」

「失礼しました」

「エクリプス君、今度一緒に()まない? 今の日本がどれだけ世界から後れをとっているか、私がみっちり教えてあげるから」

「はは、お手柔らかに」

 

 女性が軽い足取りでフロアを後にした。

 暗い空間に一人残された青年が、その顔から笑みを消す。

 

(酒は禁じないのか)

 

 青年は表面こそ女性を敬っていたが、その実は蔑視していた。

 

(ああいう(やから)の言うことは自分に甘すぎて全く信用できない。事ある毎にジェンダーや子供を盾に主張するが、全て自分のためだろう)

 

 今しがた去った女性は世間において、それなりの地位に立つ者である。

 一般への影響力は中々のものであり、大志を抱く者なら縁を結んで損はないだろう。だが、気に入らない物を排除する。そんな女性の排他的な本質を青年は見抜いており、故に手を取り合う気にはなれなかった。

 生物はみな排出する。醜い虫だって生きている。手を汚してこそ得られる喜びもある。この世には美醜が両立することを理解しようともしない偏狭さを、青年は()(かつ)(ごと)く嫌っている。

 また、女性には瑕疵(かし)がある。絶対に見過ごすことのできない重大な傷が。

 

(僕も聞いているのですよ、あなたがしでかしている悪行を)

 

 古参である青年の耳には、様々な(しら)せが届いている。

 

(メテオさんの担当していた所を攻めるなら消すチャンスかもな。あの子に連絡しておこう)

 

 青年が目を光らせた。

 



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ここは異世界!? 幻想のエンカウントバトル

 僕の名前は(すず)()()()(ろう)明倫(めいりん)中学校に通う中学一年の男である。

 無味無臭。友人にそう言われる程パッとしない。趣味なんて言えるものは特になく、強いて挙げるならゲーム、だろうか。

 自分を上中下の更に上中下で表すと、勉強は中の下くらいだった。最近は勉強をしているおかげか、中の中くらいには成り上がったかな、と思っている。でも、運動は下の中、おまけに背はクラスの男で前から並べば二番目に低い。

 僕は、取り柄らしい取り柄など皆無な人間だ。人は何かになれる、なんて何かのキャッチフレーズで聞いた覚えがあるけどなれる気がしない。きっとこの先も平々凡々な人生を送り、他人に迷惑をかけないよう慎ましく生きるのだ、と思っていた。

 ――けれど、そんな僕の人生における平凡な予想を大きく覆す、常識外れで奇想天外で驚天動地なあり得ない光景が、僕の目にはしかとした形で映っていた。

 

 いまだに信じられない。それは、空想上のモンスターながらも、男の憧れにして誇り高い最強の象徴だ。

 象よりも大きな体の表面は濃緑の(うろこ)に覆われ、背にはコウモリに似た被膜を持つ翼が飛行機のそれと同等の大きさで備わっている。そして、二本の角を生やす太古の恐竜トリケラトプスの(ごと)き頭部に、僕は恐れに併せて畏れを抱いてしまう。

 ここは異世界か、なんて勘違いしてしまう。ロールプレイングゲームなら中盤以降に満を持して登場する難関にして強敵、あの西洋ファンタジーに現れる伝説のドラゴンが、僕の目にハッキリと映っていた。

 

「〝竜座(ドラコ)〟よ! あの女たちを蹴散らせ!」

 

 宙に浮かぶ黒ずくめの男がドラゴンに命じる。

 

 男は黒のコートをまとい、黒いハンチング帽をかぶっていた。

 そして、顔を凹凸のないのっぺりとした黒い仮面で隠している。間違いない、宇宙海賊だ。

 宇宙海賊とは、名を「ブラックホール団」と言い、地球の侵略をたくらむ地球外知的生命体の総称である。(やつ)らはSFに登場するエイリアンとは異なって姿形を持たないため、地球の人々に何でも(かな)う願いの成就を呼びかけて人々を操っている。

 操られている人々は総じて黒い衣装で身を固め、仮面で顔を隠していた。僕は今までにこの操られている人を三人見ており、今日で四人目となる。

 

――ヤァクサァァイッ!

 

 長い首をもたげたドラゴンが雄叫びを上げた。

 空気がビリビリと震える大声量に僕が身を強張らせる。ドラゴンと言えば通説では、鉄も切り裂く(りょ)(りょく)もさることながら、口から火を吐く災厄の如き魔獣として知られている。

 ドラゴンが背の翼をはばたかせ、その巨体を宙に持ち上げる。大きな翼が生み出す風圧に耐えながら、ドラゴンの一挙一足に僕が固唾を()むが、

 

「どおおりゃああっ!」

 

 そんな浮かぶドラゴンに、ビキニ姿の光の戦士が飛び掛かり、左の拳をドラゴンの横っ面に食らわせ、その象よりも大きな濃緑色の体を地に沈めた。

 

「どうだ! 勇者サンシャイン会心の一撃だぁ!」

 

 ビキニ姿の戦士が胸を張り、地べたに横たわったドラゴンに勝ち誇る。

 燃えるようなオレンジ色の長い髪をツーサイドアップにまとめ、炎に似た紋様が体中に描かれているビキニ姿の戦士の名は、(いぬい)()(よう)さんと言う。

 陽さんは(とし)が一つ上の光の戦士で、戦士の姿を「サンシャイン」と言う。

 

「ヤクサァァイッ!」

 

 ドラゴンが陽さんに怒りの咆哮(ほうこう)を上げるが、対する陽さんは動じておらず、腕を組んでドラゴンを見下ろしている。

 立ち直ったドラゴンが翼をはばたかせる。再び起こる風圧を僕が耐える。

 陽さんに迫るドラゴン。その竜の眼が(ふく)(しゅう)を誓っている。だが、そんなドラゴンの左翼めがけ、

 

「ハアアアッ!」

 

 銀色の着物を羽織った光の戦士が突撃し、ドラゴンの翼を突き破った。

 ()れ羽色の長い髪をなびかせ、大きな籠手を両手にし、遮光器のような黒いゴーグルを付ける銀の戦士の名は、(たつみ)(じま)()(づき)さんと言う。

 美月さんも齢が一つ上の光の戦士で、戦士の姿を「ムーンライト」と言う。

 

「これでもう飛べないわ。まだやるつもりかしら?」

 

 翼に風穴を開けた美月さんが、ドラゴンを使役する黒ずくめの男に言い渡す。

 

 ――地球の侵略をたくらむ宇宙海賊だが、その侵攻は光の戦士によって食い止められていた。

 地球には、「コスモス」と呼ばれる光の戦士たちがいる。この戦士たちはどうしてか未成年の女の子によって構成されており、そして漏れなく変身をする。

 変身することで女の子たちは、空を飛んだりドラゴンに対抗できる力を持ったりと、現代の科学では説明の付かない超常的な力を得ることができる。この力を(もっ)て光の戦士たちは宇宙海賊に対抗していた。

 陽さんと美月さんは、そのコスモスに所属する光の戦士である。ちなみに、地球侵略を企てる宇宙海賊だが、その侵攻は日本の各地に限られているらしい。宇宙海賊とコスモスの戦いを知る僕も、その理由はまだ分かっていない。

 

「お、おのれ! こうなったら私が!」

 

 宙に浮かぶ陽さんと美月さんに、黒ずくめの男が飛び掛かった。

 だが、特徴的な「()」をたすき掛けする、紫色の衣装をまとった光の戦士が男の前に立ちふさがる。

 阻む環の戦士が、かざした右手で円を描く。

 

「〝リフレクティブサークル〟!」

 

 描いた円が鏡に似た盾を形成し、男の拳を弾いた。

 

「あたしが相手よ! サンシャイン、ムーンライト、二人はドラゴンを」

 

 環の戦士の申し出に、陽さんと美月さんが首を縦に振った。

 そして男に肉弾戦を挑む環の戦士。この紫を基調としたドレスを身にまとい、淡く輝く土星のような「環」をたすき掛けする光の戦士の名は、坎原(かんばら)(たまき)さんと言う。

 この坎原さん、僕と同じ明倫中学に通い、そしてなんとクラスメートだ。変身した姿を「リングレットアーク」と言う。

 

「たあああっ!」

 

 激しい連打を(たた)き込む坎原さんが、とどめの回し蹴りを男に浴びせた。

 蹴りを食らった男が吹っ飛ぶ。だが、ぼーっと見ている場合じゃなかった。男がこちらに吹っ飛んで来ている。

 僕の近くに、黒ずくめの男が宙から墜落する。

 

「しまった! 鈴鬼くん、そいつから逃げて!」

 

 坎原さんが呼ぶが時すでに遅し。慌てて逃げ出した僕だが、起き上がった男がそんな僕を追いかけて捕まえた。

 僕を捕まえた男が宙を見上げ、光の戦士三人に宣告する。

 

「こ、この少年の命が惜しければ大人しくしろ!」

 

 ()(かつ)だった。宇宙海賊に捕まったことは今回が初めてではない。また捕まってしまうなんて、と僕が自分を責める。

 だが、地上ではふわりとした黄色いドレスをまとう彼女が、こちらに向かって駆けている。

 宙を見上げている男は彼女に気付いていない。それにしても、走る彼女の勢いは(すさ)まじく、まるでアクセル全開の自動車に突っ込まれているような恐怖を僕が抱いてしまう。

 男に気付かれず接近した彼女が、白き光をまとった右腕を振り上げる。

 

「鈴鬼くんを放せえ!」

「ぐわはっ!」

 

 そして、男にラリアットをかまして吹っ飛ばした。

 一緒に吹っ飛ばされる、と思った僕だが、彼女がそんな僕の体に手を回し、お姫様のように抱える。

 

「だいじょうぶ? 鈴鬼くん」

(かのえ)()さん」

 

 (かのえ)()紬実佳(つみか)さん。僕を抱える光の戦士の名で、僕がこの世で一番好きな女の子だ。

 クラスメートで、小さくて愛らしく、普段は引っ込み思案な性格をしてるけど割と調子にも乗る。そんな彼女が僕はとても(いと)おしい。

 変身した姿を「トゥインクルスター」と言う。僕は四か月ほど前にこの変身した姿を偶然見て一目ぼれし、友達の関係を申し込んだ。情けないがまだ告白する勇気はない。

 ちなみに、彼女と坎原さんは親友の間柄である。

 

「だぁりゃあああっ!」

「ヤ、ヤクサァァイッ!」

 

 ドラゴンの慌てた叫びに僕と彼女が振り向くと、その長い尾をつかんだ陽さんが一本背負いを仕掛けていた。

 背負い投げは見事決まり、ドラゴンが叩きつけられる。象よりも大きな巨体が投げられる光景は、思わず目を剥くほどに豪快だ。

 仰向けとなったドラゴンに美月さんが畳み掛ける。

 

「刺す! 〝ギルティーメインディッシュ〟!」

 

 美月さんがドラゴンの長い喉に右の籠手を突き刺し、ドラゴンが消滅した。

 

「か、庚渡さん、そろそろ、降りていいかな?」

「あっ、ご、ごめんね!」

 

 女の子からのお姫様だっこはさすがに恥ずかしい。僕が照れながら彼女の腕から降りる。

 それにしても、ドラゴンを特に手こずることなく倒すとは。もうこの四人無敵なのではないだろうか。あと、暴走する自動車のようだった彼女の全力疾走に、正直びびってしまったのは内緒にしておこう。

 残るは黒ずくめの男。地上に下り立った坎原さんが彼女を呼ぶ。

 

「トゥインクル。あいつを追い詰めなくちゃ」

「うん。鈴鬼くん、一緒に来て」

 



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これはカツアゲですか? 交渉に必要なものは眉一つ動かさぬ鉄の心

「う、ううっ」

 

 誰も知らない皆が認知しない、時間が止まった空間内で、上体を起こした黒ずくめの男が光の戦士たちにたじろいだ。

 コスモスは、変身するための鏡と時を止める装置を常備している。いま倒したドラゴンが街中に現れたら大変なことになるだろう。コスモスの戦士はそんな事態を防ぐために周辺の時を止めて人知れず戦っている。

 鏡も時を止める装置も、コスモスの戦士にしか扱えない。鏡は「ハロウィンズミラー」と言い、装置は「ユニヴァーデンスクロック」と言う。時を止めると光の戦士と宇宙海賊以外は全て停止するのだが、僕だけが何故(なぜ)かその時の止まった空間内を動けてしまっている。

 

 男は仮面を落としていた。顔は特に至って言う事はない大人の男性である。

 ()えて言うなら(とし)は三十路前後か。そんな男に陽さんが、

 

「あのー」

 

 話しかけるが、男は警戒の体を崩さずに口を閉ざしている。

 

「うーん、どう頼めばいいのかな? ねえ、ムーンライト」

「なにかしら?」

「代わりに頼めない? あたしこういう駆け引き苦手でさ、でっへへ」

「私だって駆け引きなんてできないわよ、まったく。……そこのあなた」

 

 左右の人差し指の先をツンツンとつつき合わせた陽さんに、あきれた美月さんが代わりに()いた。

 光の戦士たちはみな女の子である。今回は相手が異性であるため、以前坎原さんが宇宙海賊の子にやった体をまさぐる手段は避けたいところだ。

 見下ろす美月さんに男が答える。

 

「なんだ」

「ありまにど、って言ったかしら? 黒い玉、体に隠し持ってるでしょ? それを出しなさい」

 

 小細工なしに訊いた美月さんに、僕を含めた皆が目を見張った。

 まさか、ここまでストレートに問えるとは。いくら(くだ)したとは言え、それを平然とやってのける勇気と豪胆さに僕が恐れ入る。

 男は黙っている。策を弄さぬ美月さんを陽さんがはやす。

 

「勇気リンリン直球勝負だねー。あたしムーンライトが時おり男に見えてくるよ」

「ねえ、サンシャイン」

「なに?」

「これ、脅してるみたいで、すこぶる辛いんだけど」

 

 僕を含めた皆が感じているであろう辛さを、美月さんが自ら認めた。

 落ち込む美月さん。話が止まってしまい、この気まずさに陽さんが、

 

「ターイム!」

 

 腕でTの字を作って大声を上げる。

 

「訊き方が悪いよムーンライト。そう高圧的にするんじゃなくてさ、こう(かが)んで、ムーンライトのおっきなおっぱいを寄せてさ、()びるような感じで訊かないと」

「いやよそんな訊き方。あなたね、どうして訊き辛いときばかり私に頼むのよ」

「だって、ムーンライトが一番向いてると思うしー」

「向いてるってなによ。もう我慢できない、あなたはいっつもそう、すぐ調子に乗るくせに、ちょっと壁に当たると私を矢面に立たせて」

「だからってトゥインクルやリングレットが訊くわけにはいかないでしょ?」

「自分で訊きなさいよこのヘタレ!」

「なんだよケチ! ムーンライトの、ケチンボォー!」

「へぇ!? け、けちんぼ!? うー、ケチで何がいけないの! いいえ、節約と言ってちょうだい!」

「ケチはケチでしょ! 漬物ばっか漬けての漬物オンナー」

「言ったわねこの脳までゴリラの筋肉女!」

 

 言い争う先輩二人に、僕と彼女と坎原さんが苦笑いしていると、

 

「黒い玉とは、これのことか?」

 

 男が懐から玉を取り出して尋ねたため、皆が驚いて目を大きく開いた。

 玉は相変わらず闇より暗かった。その吸い込まれるような黒さに、僕が目を凝らして息を()んでしまう。

 言い争いをやめた二人が、目を点にして首を下に上にとコクコク振り、この硬い所作をする二人の様に男が心得る。

 

「分かった。渡そう」

「え? 意外とあっさり。いいの? いや、いいんですか?」

 

 確認した陽さんに男が、

 

「ああ。この玉は正直なところ怖い。普通では得られない力を得られる代わり、気が大きくなっていずれ自分が自分でなくなってしまいそうで……」

 

 力に溺れそうな己の危うさを光の戦士たちに吐露した。

 そして、男が語る。なぜ宇宙海賊になったのか。遠い目をしてその経緯を。

 

「私にはな、学生の頃から付き合っていた愛する妻と、二歳になったばかりの目に入れても痛くない娘がいたんだ。だが、一年前の雲一つない快晴の日、妻と娘は買い物の途中、()き逃げに遭って亡くなった」

 

 学生の頃から。これを聞いて僕が、彼女にちらりと目を向ける。

 

「轢き逃げした男はすぐに捕まった。だが、その男はとても偉い賞を国から授与された男でな、上からの圧力と忖度(そんたく)、そして優秀な弁護人が就いたせいで()ぐ釈放された。……何も悪くない妻と娘が死に、罰を受けるべき男が〝俺は悪くなかった〟と厚かましい面をする。しかるべき罰を与えないこの国はどうかしている。そんな憎しみをずっと募らせ、法を破ってでも私的な制裁を加えるべきか、悶々(もんもん)と悩んでいた頃にあの方が舞い降りた」

 

 うつむく男の言葉に、みな耳を傾けていた。

 同情する。可哀そうである。だが、男が()らした「あの方」という言葉。僕は男に悪いと思いつつもそちらに固唾を呑んでしまった。

 宇宙海賊は男にどう接触し、黒い玉を植え付けたのか。謎に包まれた宇宙海賊、今、その全容が明らかとなるのか。

 

「……いや、これ以上はやめとこう」

 

 しかし、男が首を振った。

 

「ええっ、話してよ、話してくださいよ」

「期待に沿えずすまないが、私からはこれ以上話せない」

「そこをなんとか。お願いします」

「ヘイズの(おきて)なものでね、同志を裏切る訳には。悪く思わないでくれ」

 

 食い下がる陽さんに男が断った。

 そして男が、何本もの黒糸でつながった黒い玉を陽さんに渡す。

 

「では、好きにするがいい」

「……はい」

 

 陽さんが力を込めると、軽い音を立てて黒い玉が割れた。

 割れた玉は粉となり、風に舞うようにして消えてゆく。以前と同じである。

 消える粉を見届けた男が立ち上がる。

 

「惜しくもあるが、人間らしく生きるならこれがいいんだろう」

「…………」

「それにしても、憎しみとは長く続かないものだな。割り切れるものではないが、過去は過去と諦めてしまっている自分がいる。それに、轢き逃げした男が、また捕まったと聞いた」

「それは、よかったですね」

「ああ。自分が手を下すまでもないのかもしれん。……では、コスモスの戦士よ、もう会うこともないと思うが」

「はい。さようなら」

 

 こうして、黒ずくめの男がこの場から去った。

 

「お疲れだベエ」

 

 妖精が現れた。

 この時が止まった空間に突如として現れた妖精。この呼び方は比喩じゃない。本当に妖精なのである。

 コスモスの戦士には、その戦いをサポートする妖精がいる。外見はウサギが(はね)を生やしたような姿をしており、テレポートしたように突然姿を現しては消す、摩訶(まか)不思議で理解不可能な謎の生物がいる。

 普段は何をしているのか、その生態は誰にも分からない。前述の変身するための鏡と時を止める装置を預けたのも妖精であり、妖精に選ばれた女の子が光の戦士なのである。あと語尾に「ベエ」となぜか付けるため、光の戦士四人からは「べーちゃん」と呼ばれている。

 

「やったよべーちゃん。あたしたちアリマニドを壊して、人をブラックホール団から抜け出させることができたよ」

 

 陽さんが喜んで結果を報告した。

 アリマニドとは、先ほど陽さんが壊した黒い玉のことを指し、あの玉が宇宙海賊に力を供給している。

 つまり、今の黒い玉を壊せば、宇宙海賊は力を失ってただの人に戻る。だからここにいる皆は玉を壊すことにこだわっているのであり、壊したときこそ宇宙海賊を真っ当の人間に改心させるチャンスなのである。

 今回の結果に、彼女も美月さんも坎原さんも喜んでいる。そして報告を聞いた妖精も「それはめでたいベエ」と祝辞を述べる。ただし、光の戦士たちとは違って表情を崩さずに。

 

「話せば分かってくれる人もいるんだね。いやー、すっごく良いことした気分だよ」

「あなた玉こわしただけでしょ」

「なはは」

「調子いいんだから」

 

 浮かれる陽さんにあきれる美月さん。しかし、妖精が、

 

「凡人なだけだベエ」

 

 そんな気分に水を差す一言を告げた。

 改心した男を凡人と評し、この一言に陽さんが異を唱える。

 

「べーちゃん、なにそのトゲのある言い方。今の人は奥さんと小さな子供を亡くした悲しみを抱えながらも、自らアリマニドを渡してブラックホール団をやめたんだよ? すごく立派な人じゃない」

「事実を言ったまでだベエ。今の男は、ただ力に恐れを抱いただけのことだベエ」

「なにソレ。それじゃ今の人があの玉を持ち続けて悪さをした方がよかったって言うの?」

「悪事を働くとは限らないベエ」

 

 食ってかかる陽さんに対し、妖精は平然と受け答えていた。

 妖精は先に「めでたい」と言いつつも表情は崩さなかった。黒い玉の破壊を(うれ)しくないのか。そんな僕の疑問などよそに、陽さんが引き続き抗議する。

 

「でもアリマニドがなきゃ、悪事なんて働きようがないじゃない。大体さ、なんでべーちゃんってあたしらにアリマニドのこと教えてくれなかったの? リングレットが教えてくれたから良かったけれど、教えてくれなかったからあたしら〝殺し合いをしなきゃならない〟、って勘違いしちゃったじゃない」

「教える必要なんてなかったからだベエ。逆に問うベエが、サンシャインが戦ったメテオは悪事を働いたベエ?」

「メテオ」

「あの男は力を私利私欲のために使わなかったベエ?」

 

 メテオとは、彼女と陽さんと美月さんが戦い続けた、かつて選挙に立候補して敗れた経歴を持つ宇宙海賊の男である。

 激闘の末に力を使い果たし、そして亡くなった。僕にとっては初めて目にした宇宙海賊の人だった。

 黒い玉の破壊を喜ばない妖精を、理解できない陽さんが(きびす)を返す。

 

「なによもう。やっぱりべーちゃんって何考えてるか分からない。いこう、みんな」

 

 立ち去る陽さんに美月さんも続いた。

 彼女と坎原さんは困った顔を浮かべている。だが、そんな二人を見かねてか妖精が自ら姿を消した。

 



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ドカベン! 花は桜木、男はアンタがスキー!

 今は一月。一年で最も寒い時期だが、僕の体は寒さなど忘れるくらいに火照っていた。

 ワックスのかかったツヤのある床に、僕の頭から垂れる汗がポタポタと滴り落ちている。

 曲げた腕が悲鳴を上げている。先から腕を伸ばすべく力を込めているのだが、肩と肘の間にこもる熱さと()(だる)さが伸ばす意思に抵抗している。

 とうに限界を迎えた僕の両腕。少しでも休ませるべく尻を上げてしまう。

 

「あと四回! さあ、頑張るんだ!」

 

 顧問の先生の激励が聞こえ、僕はやっとの思いで腕を伸ばした。

 そして、また腕を曲げ、腹を浮かせつつも床に()う。部活動に入った僕は腕立て伏せをしていた。

 

 僕と小学校以来の友人・()(とう)師泰(もろやす)は、三学期が始まって柔道部に入部した。

 普通なら部活動の入部届は、入学して間もなくの時期に提出する。したがって時期外れの入部届を提出するとき、僕と師泰は(いた)く緊張した。

 部活動の経験がない僕と師泰は、これが初めてのクラブ活動となる。それにしても、彼女に友達を申し込む前の四か月前は自信なかったのに、まさか自ら申し込むことになろうとは。

 

「よし、よく頑張った。鈴鬼、茶籐、少し休憩しろ」

 

 腕立て伏せ三十回を終えた僕と師泰が暫しの休憩に入った。

 腕が重い。疲労が()まってパンパンに張っている。だが、やり切った充実感がモヤシの僕に成長を感じさせる。

 熱い頭を振ってからあぐらをかき、柔道部の稽古場である格技場を見渡す。

 

「いくぜセニョリータ!」

「ボッ、ボクやっちゃうもんねー!」

「ウワッハッハッハ、どこへ逃げようともムダだ」

 

 格技場の一画では、柔道着姿の上級生たちが組み合っていた。

 組み合う上級生二人が、足技を仕掛けるべく足を打ち合っている。また、別の上級生が、寝技に持ち込まれて首を絞められている。

 投げられた上級生が激しい音を立てて床に(たた)きつけられる。明倫中の柔道部は強豪で知られており、全国大会の切符を度々手にしている。そんな()りすぐりの部員が取り組む練習は、熱がこもっていてかなり痛そうであった。

 意気盛んな部員を見守る、体育教師にして柔道部顧問の()()(もと)先生。師泰が先生に()く。

 

「先生、俺たちがあの練習に交じるのはいつになるんでしょうか?」

「何を言っている。お前たちはまだ体ができていない。まずは体を鍛え、怪我(けが)に強い体を作ることが先だ」

 

 八馬本先生がハンドグリップで自身の握力を鍛えながら答えた。

 ツーブロック、というよりはもうサイドを()っている、頭頂部にだけ角刈りの髪形を残した、ダンディな口ひげを蓄える八馬本先生は、とても怖い先生で知られている。

 身長が190cmを超し、鋼の(ごと)き肉体を備える先生だ。やんちゃな人たちもこの先生の前では借りてきたネコのように大人しくなり、「ヤ」のつく人が(きびす)を返して逃げた伝説まで持っている。陰で呼ばれているあだ名が「(おに)()()(もと)」だが、実際に接してみるとそんな評判とは裏腹に、厳しいことは厳しいが思いやりのある先生だった。

 部員が体を痛めれば()ぐに応急処置を施し、自ら保健室まで連れて行く。また、上級生によると、試合の後はこの街で有名なラーメン屋「はんだ軒」などにポケットマネーで連れて行ってくれるらしい。

 明倫中の柔道部が強豪な訳は、八馬本先生の指導の賜物だ、と言われている。あとチョココロネが好物で、よく食べているところをみかける。それと意外に絵心があり、柔道の技を教えるときホワイトボードに絵を書いて説明するのだが、それが上手(うま)いうえに分かりやすくて僕と師泰は驚かされている。

 

「茶籐、(はや)る気持ちは分かる。若者は常に走り続けて行くものだからな。だが、今のお前があいつらの練習に交じったら間違いなく怪我をする。体ができあがって受け身を覚えるまでは我慢しろ」

「はい」

 

 先生が視線で組み合う上級生たちを指し、これに師泰が返事した。

 そして、上級生の元へ赴く先生。だが、師泰は不満みたいで、僕だけにそれをつぶやく。

 

「ちぇ。早く強くなりたいってのによ」

「まあまあ師泰。体を鍛えるだけでも見直すかもしれないよ?」

「お、おいコシロー。誰が見直すってんだよ?」

「ふふっ」

 

 ごまかす師泰に、僕はつい笑ってしまった。

 師泰は、好きな女の子が「強い人が好き」という(うわさ)を聞いて柔道部に入部した。師泰本人はいまだにそれを認めようとしないが。

 師泰としては早く強くなり、それが噂となって好きな子の耳に届いて欲しいのだろう。柔道に真剣な人が聞いたら「なんて不純だ」と思うかもしれないが、似たような思いの僕はとても良い動機と思っている。

 小学校からの付き合いだ。師泰の恋が上手くいくことを僕は望んでいる。

 

 そして僕は、彼女に少しでも近付くために強くならなくてはならない。

 いまだに忘れられない、先月初めに起きたあの千殻原(せんごくばら)での一件を。彼女が僕の目の前で、とても危険な目に陥った。

 一般人の僕が鍛えたところでコスモスの戦いをどうにかできる訳ではない。だが、それでも強くなることで人知れず戦う彼女に近付きたい。それと、先月のクリスマスに妖精が告げた言葉が、僕の胸に深く刻み込まれている。

 妖精は言った。「一人前の男になりたいなら」と。理解不能な謎の存在だが、あの助言に間違いはないだろう。

 

「鈴鬼、茶籐。休憩は終わりだ。次は腹筋五十回、いくぞ」

「はい」

 

 戻った先生が命じ、僕と師泰が仰向けに寝転がった。

 そして、上体を起こしては寝転がる反復運動を始める。強くならなくてはならない。だが、強くなるというのはやはり辛い。四十回を超えたあたりから腹が僕の意思に逆らい始めている。

 いくら力を込めても上体を起こせない。隣に目を向けると、師泰が顔を真っ赤にしながらも腹筋運動をこなしている。僕はこんなにも弱いのか。

 

「どうした鈴鬼。お前の(おも)いはそんなものか!」

「い、いえ! 頑張ります!」

 

 僕が声を張り上げて自分を鼓舞し、なんとか腹筋五十回を達成した。

 

「よし、次は背筋だ!」

 

 僕と師泰が腹這いに寝て、エビのように上体を反る。

 背筋が終わったらスクワット、そして暫しのインターバルを挟んだ後に走り込み。僕と師泰の体からは、まるで風呂から上がったばかりのような湯気が、もくもくと部活中立ち昇り続けていた。

 



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夜道に語る 上を向いて歩こう翌桧物語

 午後六時を過ぎ、帰り道を電灯が照らしている。

 部活を始めてからは日が暮れた後に帰るようになった。とりあえず腹が減った。今日の夕飯は何だろう。

 疲れが()まった体を引きずるようにして歩いていると、

 

「あ゛ー、づかれだー」

 

 隣を歩く師泰が疲れを濁声(だみごえ)で表した。

 

「ハラ減ったなー。なあ、〝PPP〟に寄ってかね?」

「我慢しようよ師泰。いま食べたら夕飯食べれなくなっちゃうよ。金もないし」

「そうかー、そうだなー。でもさぁ、チョココロネ食ってる八馬本先生見てると、帰りに寄りたくなっちまうんだよなー」

「そうだね。〝私の体がこれを欲している〟なんて言っていつも食べてるからね」

 

 パン屋に寄ることを師泰が諦めた。

 通学路の途中にあるパン屋「パンパカパーン」。とても美味(うま)いと評判の店である。

 県外から買いに訪れる客までいる人気店で、SNSで有名なインフルエンサー「ちゅるちゅるりんりん」に紹介されたこともあると聞く。パンパカパーンだから「PPP」。この街に住む僕たちはそう呼んでいる。

 平日の朝に訪れると、高確率でチョココロネを買っている八馬本先生と出くわすらしい。

 

「おい鈴鬼、茶籐。おまえら肉、ちょっと付いてきたんじゃねえか?」

 

 後ろを歩くクラスの友人、野球部に所属する(たか)()()(すすむ)が僕と師泰に()いた。

 野球部は当たり前だが野球をするクラブである。だが、冬の今はバッティングやノックなど球を使った練習をしていない。主に走り込みなどのフィジカルなトレーニングに励んでいる。

 師泰が振り返って丞に訊き返す。

 

「マジ? ススム」

「おう。前に比べると体ガッチリしてきたぞ」

「そうか。へへっ、そうだよな。俺とコシロー超きたえてるしよ」

 

 成果を人に認められた師泰が喜んだ。

 

「ま、長くやってる俺には敵わないけどな。ほーれ、触ってみな、この俺の上腕二頭筋」

 

 丞が力こぶを作り、それに僕が触れてみると、確かに硬かった。

 触発された僕が力こぶを作ってみる。が、丞に比べると貧弱で情けない。

 差は仕方がないと言える。僕と師泰は最近部活を始めた。対して丞は入学してすぐ野球部に入部している。そんな僕と師泰が丞に追いついたら、真夏の炎天下も部活動に励んだ丞の立つ瀬がない。

 暑い日も寒い日も体を地道に鍛え続けた丞が、鼻をピノキオのごとく伸ばし、

 

「筋肉つってもただ付ければいい訳じゃないからな。俺が目指してる体は、たくましくともしなやかな筋肉でよ。そう、あそこにいるネコちゃんのような」

 

 筋肉に対する持論を得意げに展開した後、塀の上で香箱座りをするネコを指した。

 確かにネコは古くからネズミを捕らえるハンターとして知られている。輸入の概念がなくて豊作凶作に食糧事情が左右されていた古い時代、ネコは米を食い荒らすネズミを退治する益獣として尊ばれていた、と歴史の先生が授業の余談として話していたことを覚えている。

 すばしこいネズミを捕らえるためにはしなやかな筋肉が必須だろう。だが、納得がいかない。本来ネコは警戒心がとても強い生き物だ。

 

「ねえ丞」

「なんだ?」

「あれどう見ても筋肉ダルダルの飼い猫でしょ。丞がゆび指しても逃げないし」

 

 人が近寄ろうものなら()ぐに逃げ出す。そんな野生を忘れたネコに理想の筋肉などある訳がなかった。

 しかし、丞は譲らない。僕の指摘など聞き流すが(ごと)く、

 

「フッ、いい面構えだ」

 

 と、休むネコの顔を見つめながら褒めた。

 熱い視線を送る丞にネコが尻を向け、塀から飛び降りる。そんな面白いのか面白くないのかよく分からないコントを一人で繰り広げる丞に、

 

「ケッ、ちょっと筋肉あるからってチョーシこきやがって。待ってろよススム、ウサギはカメにいずれ抜かれるもんだ。鍛えまくってそのうち()え面かかせてやるからよ」

 

 師泰が鼻息を荒くして負けん気を示す。

 

「おいおい茶籐。お前にとってのウサギは俺じゃなくて田名河(たなか)だろ?」

「うっ、な、なんのことだよ?」

「テメーこの期に及んでまだシラ切るつもりか? いい加減〝オレ田名河がスキー〟って認めやがれ」

「な、なんだそりゃ! うるせえぞススム、ちょっと黙れや!」

 

 顔を赤くする師泰をからかう丞だが、理想の筋肉と言われて僕がイメージする。

 横に広い筋肉が欲しい訳じゃない。背が小さいから似合いそうもないし。願わくば、丞が言うようなたくましくともしなやかな筋肉が欲しい。と思ったところで僕が気付く。

 彼女は、どんな体が好みだろうか。しかし僕が首を振る。彼女に好かれるために体を鍛えているわけではない。彼女に少しでも近付きたいために鍛えているのだ。

 でも、それは彼女に好かれるためじゃないのか。僕が一人堂々巡りをしてしまう。

 

「でもよ、カラダ鍛えるのもいいけど、それだったらオシャレ極めた方がいいんじゃねえか?」

 

 おしゃれ。つまりファッションセンスに秀でた者を表し、この単語を聞いた師泰が丞に訊き返す。

 申し遅れたが、丞の言う「田名河」とは、本名を田名河(たなか)()(いち)と言って師泰が片思いしている他組の女子である。

 

「おしゃれ?」

「ああ。さすがにジャージや、親が買った服でデートするわけにはいかねえだろ?」

「そりゃそうだな」

「女ってさ、服いっぱい持ってんじゃん。それで女が〝おべべがホッシーワ〟なんつって一緒に服屋に行くとするだろ? そのときセンス悪いの選ぶと幻滅されちまうじゃん。おしゃれじゃなきゃカッコつかねえって」

 

 丞はお調子者だが、この言ばかりは(うなず)かざるを得なかった。

 思い返せば彼女の私服姿はバリエーションに富んでいた。これは彼女が服に気遣っていると見るべきであろう。

 おしゃれなんて考えたことがなかった。せいぜい奇抜な格好をしないように心がけていたくらいだ。もしも彼女と付き合ったら、彼女に恥をかかせないためにもおしゃれに気を遣うべきだろうか。

 

「鈴鬼。庚渡と遊ぶときってどんなカッコーしてんの?」

 

 考え込む僕に丞が訊いた。

 見栄を張ってもしょうがない。ここは正直に話そう。

 

「おしゃれなんて考えたこともなかったよ。ありがとう丞、これからは考えてみるよ」

「あ、いや、なんとなく言っただけなんだけどな。真面目に受け取られるとは思わなかったわ」

「真面目に受け取っちゃうよ」

「そうか。まあ、服って金かかるしなぁ。……あ、もう分かれ道か。じゃあな鈴鬼茶籐」

 

 僕と師泰が丞と別れた。

 三人で帰ると、先に別れるのは丞となる。僕と師泰は小学校から一緒だが、丞とは中学で知り合った。

 夜道を歩く僕と師泰。師泰が暗い空を見上げながら僕に訊く。

 

「オシャレかー。オシャレってなんだろな、コシロー」

「僕に言われても」

「俺オシャレってよく分からねえんだよなー。原色ましましで頭イカれてんだろ、なんて思うカッコーをよ、女って〝カワイー〟なんてもてはやしたりするしよー」

「うん、とても分かる。ちょっと変わった格好しただけでも変って言うし、かと思って無難な格好すれば地味って言うし。どうすれば格好いいんだろうね」

「ファッション誌って見たことあるけど、服すげー高いし、全然理解できねえんだよな」

「僕も妹が買ってる〝cobradja(コブラージャ)〟って雑誌ちょっと読んだことあるけど、全然理解できないよ」

 

 僕と師泰が帰り道を歩きながらオシャレについての問答を繰り返し、

 

「じゃーなコシロー」

「うん。また」

 

 師泰と別れた。

 一人になった僕が帰りながら考える。部活動、勉強、そしておしゃれ。考えるべき課題がまた増えた。

 今度のおしゃれはとても難解だ。いささか気が滅入る。しかし、全ては彼女に男として認めてもらうため。手探りで進むしかないだろう。

 大人になるってこういうことなのか。それと部活を始めたせいで、最近は彼女と一緒に帰っていない。

 今の彼女には坎原さんという友達がいる。だから一人ということはない。だが、今の一緒に帰っていない状況を彼女はどう思っているだろうか。

 僕は、彼女と一緒に帰りたい。――と思ったところでケータイが震え出す。

 ケータイを取り出して確認すると、発信者は彼女だったために僕が急いで応答のアイコンを押す。

 

「もしもし、鈴鬼くん?」

「庚渡さん。どうしたの?」

「部活終わった?」

「うん。今日も疲れた、もうくたくただよ」

「ふふっ、お疲れさま」

 

 彼女の声を聞いて心が満たされた。

 しかし、通話とは何の用だろう。僕も彼女も親にケータイの料金を支払ってもらっており、長い通話は許されない。

 いつもならメールかアプリで連絡する。毎日でも彼女の声を聞きたいが、それを許さぬのが中学一年生である子供の事情。そんな(おきて)を破った彼女が、

 

「ねえ鈴鬼くん、日曜ひま?」

 

 僕を誘ってくれた。

 

「日曜? うん、暇だけど」

「よかった。あそびにいこ? ここんところ一緒に帰れてないし」

 

 いつもいつも僕は思っている。主体性がない、いつも受け身だ。

 男としてリードしなければならないのは分かっている。だが、それをいま論じる必要はない。もちろん了承した。

 



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コドモ⇒オトナ 恥じらいのメタモルフォーゼ

 待ちに待った日曜日がやってきた。

 十時に待ち合わせした僕。しかし、十時十五分を過ぎても彼女がやって来ない。

 遅れる連絡はまだない。「またか」と、僕が軽く息を吐くと、

 

「鈴鬼くーん。遅れてごめーん」

 

 彼女が走って現れた。

 

「はあ、はあっ……」

「そんなに息を切らして。また〝パジャ麿(まろ)〟観てたの?」

「ううん、今日はね、お姉ちゃんのトイレが長かったの」

 

 お姉さんの所為(せい)にし始めた彼女。

 彼女には、(とし)が四つ上のお姉さんと、社会人のお兄さんがいる。お兄さんにはまだ会ったことがない。

 

「お姉ちゃん朝から〝心の種〟が止まらなくて、トイレがずっと占拠状態だったの。もうヤになっちゃうよね~」

 

 笑って話す彼女だが、僕の目はごまかせない。

 彼女のつぶらな目が泳いでいる。いや、仰いでいる。ひらひらヒラヒラと、「ひかりたもれ~」と。

 僕が彼女の瞳をじっと見つめる。すると彼女の額から、一筋の汗が左頬へと流れた。

 これはダウトだ。正直に話せばいいのに。

 

「ど、どうしたの鈴鬼くん?」

「どうして、ウソをつくかな?」

「えっ」

「分かっちゃうんだよね。庚渡さんってウソ下手くそだし」

「めちょっく。ええっ、だってぇ、またパジャ麿(まろ)観てて遅れた、なんてさすがに言えないよぉ」

「……はあ」

 

 僕がため息をついた。

 ごまかせると思ったのか。僕がどれだけ君を見ていると思っている。

 

「……つも鈍いくせに、どうしてこんなときばっか勘が」

「え? 何か言った?」

「い、いえ、なんでもありません」

「次から待ち合わせの時間ちょっと遅らせようか?」

「ええ、それはダメ」

「なんで?」

「だって、少しでも早く遊びたいじゃない?」

「……うん。それはそうだね」

「ほんとにごめん鈴鬼くん。次こそは努力と根性で間に合わせるから」

「努力と根性でどうにかなる問題なの? そんなに観たいなら録画すればいいのに」

「いやぁ、所詮CMだから、録画するほどじゃないんだよね」

 

 てへへ、と彼女が舌を出すようにして謝った。

 遅らせようか、と言った僕だが、待ち合わせの時刻を遅らせたところで、彼女はどうせまた遅れるだろう。

 クリスマスの日、新幹線発車五分前に着いた前科がある。だが、僕はこんな彼女が好きなので諦める。

 

「じゃあ庚渡さん、今日はどこへ行く?」

「あ、決めてなかった」

「別に行きたい所がある訳じゃないんだ」

「じゃあ、鈴鬼くん()に行きたい」

「僕ん家? うーん、今日は妹の友達が家に来てて、騒がしくなりそうだから勧められないかな」

「そうなんだ、ざんねーん」

「とりあえず、ぷらぷらしようか」

「うん」

 

 特に行き先を決めず彼女と歩き始めた。

 彼女の部屋にはお邪魔した事ある僕だが、まだ彼女を自分の部屋に招待したことはない。

 部屋は片付いている。彼女に見られて困る物もない。彼女が「行きたい」と言ったのだから良い機会だったが、今日は妹の友達が家に来ているために諦める。

 さて、彼女の服装を見ると、今日はセーターの上にショートのダッフルコートを羽織り、長いスカートとくるぶしまでを覆うブーツを履いている。

 やはり、前とは違う。年を越してから三学期が始まるまでの間に一度彼女と遊んでいるが、今日の装いはそのときとは異なっている。

 

「庚渡さん」

「ん? なに?」

「庚渡さんって、オシャレだよね」

「え? やだ、どうしたの急に。私なんか全然オシャレじゃないよ。たまちゃんの方がずっとおしゃれだし」

「そうかな? いつも違う格好してるし、今日の格好もものすごく似合ってるよ」

「えっ、ええー。やだ、鈴鬼くんに褒められるなんて思ってもなかった。すっごくうれしー、幸せゲットだよー」

 

 彼女が、顔を赤くして喜んでいた。

 意外だった。今日の服装を素直に褒めただけなのだが。そこまで喜ぶことなのだろうか。

 両手で鼻と口を覆って下を向く彼女に僕が、

 

「庚渡さん。オシャレって、なんなんだろう」

 

 理解が全然できないが、それでも理解しなければならない概念について、つい尋ねてしまった。

 

「え? 鈴鬼くん、オシャレさんになりたいの?」

「うーん、どうなんだろう。このまえ師泰と丞とそんな話をしてたんだけどさ、オシャレってのがよく分かんなくて」

「へー」

「ファッション誌を立ち読みしても全然わからないし。庚渡さんはどんな格好がオシャレだって思う?」

 

 僕の問いに彼女が、上を向いて顎に人差し指をあてて考えた。

 程なくして、僕に振り向いた彼女が、彼女なりのオシャレについて回答する。

 

「いいんじゃないかな? とりあえずは今のままで」

「今のままで?」

「うん。例えば鈴鬼くんがファッション誌を参考にして服を買うとするよね? でも、何て言うか、身の丈に合わないよね?」

「そうだね。あーいう雑誌に載ってる人みんな大人だし」

「私たちまだ中学一年生なのに、〝これ一万円もしたんだー〟なんて高い服を着て来られても引いちゃうもの。だから今は、そのままでいいんじゃないかな?」

「うーん、そうなのかな」

「そうだよきっと。それに、ファッション誌に載ってるような服屋に行ける自信ある? 私たちみたいな子供が行ったところで追い返されそうじゃない?」

「確かに」

 

 彼女の言葉は一理あり、僕が納得した。

 まだ気にする齢じゃない、ということか。しかし、だからと言ってそのままでは良くない。将来のためには気にしなければならない。

 僕は男なのだ、背伸びしたい年頃なんだ。大好きな彼女に男として認めてもらいたいんだ。

 

「でもさ、恥ずかしい話、親が選んだ服なんだよね、これ」

 

 今日の服装における恥を僕が彼女に打ち明けた。

 今までは恥と思わなかった。でも、このまえ丞がオシャレについて口にし、急に恥ずかしいと思えてしまった。

 幻滅しただろうか。丞にも師泰にも明かせなかった恥だ。しかし、彼女は優しい。

 

「そうなんだ。でも変じゃないし、悪くないと思うよ」

 

 こんな僕の恥を恥と思わないでいてくれる。

 

「中学生にもなって、親が買ってきた服とか恥ずかしくない?」

「そんなこと言ったら、私だってお姉ちゃんのおさがりばっかだよ」

「お姉さんのおさがりとは話が違うよ」

「そうかなぁ? 私は可愛ければ、親が買おうが構わないと思うけど」

 

 そうじゃないんだ。僕は僕が選んだ服を着て君に褒められたいんだ。そうもどかしく思ったところで僕が気付く。 

 僕と彼女の間に、微妙な齟齬(そご)が生じているが、これは当たり前であった。彼女はきっと、自分が選んだ服でなくとも気に入れば構わないのだ。

 親が買ってきた服を着る僕の恥ずかしい気持ちと、誰が買っても可愛ければ構わずに着る彼女の気持ち。この齟齬は僕の男としてのプライドによるものだった。

 しかし彼女は、そんな僕のチンケなプライドを()み取り、

 

「それじゃあ、次からは自分で服を選んでみたらどう?」

 

 もっとも現実的な案を僕に提示してくれる。

 

「自分で選ぶ、か。自信ないなぁ。変なの選んじゃいそうで」

「そこはお父さんやお母さんに見てもらえばいいじゃん。鈴鬼くんの私服いままで見てきた感じ、変にはならないと思うよ」

「そうかな?」

「うん。頑張ってオシャレさんになってね。私、応援するから」

 

 にっこりと励ます彼女に僕は決心した。

 まずは親に()こう。急に僕が「服を選びたい」なんて言えば、間違いなくうちの親は勘付くだろうが。

 入院したとき、うちの親は毎日見舞いに来てくれた彼女のことを知っている。妹は顔を合わせてもいるし。だが、それでも恥を忍んで尋ねよう。彼女が「変じゃない」と言う以上、今は親のセンスを信じるしかない。

 いつかは「カッコいい」って彼女に褒められたい。――と、僕がふと気付く。彼女にはお兄さんがいる。

 

「庚渡さん、参考に訊きたいんだけど」

「うん」

「庚渡さんのお兄さんはどんな格好してるの?」

「えっ。えっと、お兄ちゃんは、あんまり勧めないかなぁ」

 

 だが、彼女はお兄さんの紹介を濁した。

 

「どうして?」

「お兄ちゃんはやんちゃだったから……。今も()り込み入れた丸刈りで、うさんくさいチョビひげ生やして、金の派手なネックレスをいつもぶら下げて威嚇してるから、全然お手本にはならないよ……」

「そ、そうなんだ」

「鈴鬼くん、お兄ちゃんだけはぜーったいに真似しないで。鈴鬼くんはどうかそのままでいて」

 

 訴える彼女に僕が思い出した。

 背が小さくて運動神経も良くない彼女は、学校の女子から「鈍くさい」と陰で言われている。そんな彼女だからいじめの的にされそうではあるが、彼女はいじめとは無縁だった。

 彼女がいじめられない理由としてお兄さんの存在があった。十年ほど前、彼女のお兄さんはこの辺りでかなり知られたやんちゃな人だったそうで、それは今も波及している。

 庚渡家の者には手をだすな。そのような暗黙の了解が僕らの世代にも伝わっていて、だから彼女はいじめの的とならないらしい。そんな話を僕は、彼女と同じ小学校に通っていた丞から聞いたことを思い出した。

 



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シャララ どこか遠く連れてってくれないか

「あっ、紬実佳に鈴鬼くん」

「たまちゃん」

「坎原さん」

 

 正午前の時刻。僕と彼女が「ボコボコ焼き」というタコ焼きの亜種のような軽食を摂りながら休憩していると、クラスメートにして彼女の親友の坎原さんと鉢合わせした。

 坎原さんは、五歳か六歳くらいの小さな女の子と手をつないでいる。

 

「たまちゃん、この子は?」

「いとこの子」

 

 彼女が尋ね、答えた坎原さんが連れる女の子からは上品さが感じられた。

 丹念にくしけずったストレートの黒髪に、きちんと整えられた乱れのない服装。その装いは清潔感にあふれている。僕が女の子くらいの頃なんて泥にまみれて遊んでいたのに。

 高そうなタブレットを抱えてる。CMで観たことがある、アメリカの家電メーカー「Berry(ベリー)」の最新モデルだ。令嬢といった雰囲気を備えており、住む世界が異なる決して関わることがない子、といった印象を僕は女の子から感じた。

 坎原さんのいとこなら、きっと良い出自の子なのだろう。坎原さんは家が財閥と言っていいレベルの大金持ちであり、僕は親友の彼女がいなければ一度も話す機会はなかったであろう上流階級の子である。

 コスモスの彼女と坎原さんは、今の仲を築くまでにひと騒動とひと(もん)(ちゃく)があり、そんな坎原さんが手をつなぐ女の子を彼女と僕に紹介する。

 

(れい)()って言うの。あたしに似てカワイイでしょ?」

「たまちゃんが可愛いかはおいといて、れいあちゃん、こんにちは」

 

 彼女がしゃがんで挨拶したが、女の子は坎原さんの陰に隠れた。

 今日の坎原さんは、ワインレッドの革ジャケットにデニムのロングスカートを履き、蹴られたら痛そうな革のブーツを履いている。

 やはり、クリスマスの時とは装いが異なっている。他人の服装が気になってしまう僕を(しり)()に、坎原さんが自身の左脚に隠れた女の子をフォローする。

 

「麗亜人見知りするの」

「そうなんだ」

 

 じーっと(のぞ)く女の子に、諦めた彼女が立ち上がった。

 だが、女の子が隠れながら坎原さんと彼女を交互に見る。数回、確かめるように首を振っている。

 やがて、隠れるのをやめた女の子が坎原さんに()く。

 

「たまき姉さま」

「なに?」

 

 女の子に「姉さま」と呼ばせている坎原さんに僕が目を剥くが、それ以上の事実を女の子が指摘した。

 それは、無邪気だから言えること。子供は得てして残酷な現実を突きつける。

 

「この人、ちっちゃくないですか?」

「めがめちょっく!」

 

 指をさした女の子の言に、彼女が多大なるショックを受けた。

 坎原さんが苦笑する。そして僕は顔を背け、隠すべく口元を押さえてしまう。

 

「ちょっと鈴鬼くん! 人のこと笑える立場じゃないでしょ!」

 

 よほどショックだったようだ。眼鏡越しの彼女の目がちょっと潤んでいた。

 

「ところで紬実佳」

「なに? たま姉さま」

「この辺にホース売ってる店ってない?」

「ホースって、あの水を()くホース?」

「そう、そのホース。パパにおつかい頼まれててね」

「うーん、有り合わせでよければスーパーにも売ってるかもしれないけど。ねえ鈴鬼くん、どこに行けばあると思う?」

 

 尋ねた彼女に僕は考えた。

 様々なホースが売っている店。坎原さんのことだから値が張ってもいいのだろう。

 矢庭に女の子が「今、ホースって言いました?」と目を輝かせて確認し、そして「ホースって、あのお馬さんですか?」と坎原さんに訊く。

 違うから。そうはしゃぐ女の子の相手をする坎原さんに僕が、

 

「ホームセンターなら色々売ってるんじゃないかな」

 

 と教える。

 

「ホームセンター。確かにありそう。今までなんで思い浮かばなかったんだろう。ありがと鈴鬼くん、それじゃさっそく行こう」

「ええっ、バスに乗らないと行けないくらい遠いよ。女の子連れてるし、大丈夫?」

「へーきへーき、ずっと手をつないでるし。麗亜も行ってみたいよね?」

「はい! 行ってみたいですたまき姉さま。お馬さんがたくさんいるんですよね?」

「だからそのホースじゃないから」

 

 今日は二人きりのデートだったが、坎原さん及び小さな女の子が飛び入り参加となった。

 人数が多い方が楽しいことは楽しいだろう。だが、僕は彼女と二人きりの時間を楽しみたかった。だから「バスに乗らないと行けない」と、遠回しに拒否したつもりなのだが。

 彼女に目を向けると、彼女は肩をすくめていた。諦めるしかないようである。

 

「じゃあ、一旦駅まで行かないと。ここからホームセンターに直通するバスないし」

「ええっ、駅まで行かないといけないの? 田舎はこういう所が不便だね」

「東京と一緒にしないでよ」

 

 東京生まれの坎原さんに僕は不満を垂れた。

 そして、僕と彼女、坎原さんと女の子が、駅に向かって歩き始める。

 

「ねえ紬実佳、〝鬼面ライダー〟観た?」

「うん。たまちゃんが観なさいって言うから観たよ」

「カッコいいよね~。ホームセンター着くまでの間にライダーのことじっくり教えてあげるから。そもそもライダーはあたしたちが生まれる前から始まって……」

 

 坎原さんが、毎週日曜の朝に放映されている番組について彼女に語り始めた。

 鬼面ライダー。主人公が「ライダー」と呼ばれる戦士に変身し、怪人、あるいは同じライダーと戦う、僕が生まれる前から放送されている男児向けの特撮番組である。

 小さい頃は熱心に観ていたが、小学校の高学年になる前だろうか、その頃には観なくなってしまった。しかし坎原さんは、そんな男児向け番組の熱狂的なファンであることを僕は彼女から聞いていた。

 止まらない坎原さん。(じょう)(ぜつ)かつ得意げにしゃべり続けており、そんなオタクな坎原さんに彼女がうなずく、と言うよりは相槌(あいづち)を打ち、そして女の子が、

 

「たまき姉さまったら、日曜はいつもこうだから耳にクソがたまってしまいますわ」

 

 と、ぼやいたため、それを言うなら「耳にタコができる」と正そうとした僕だが、教育は坎原さんの役目であるために止めておいた。

 

「ねえねえ鈴鬼くん」

「ん?」

「たまちゃんってね、ピーマンが(いま)だに食べられないの」

 

 彼女が親友の苦手とする食べ物を僕に漏らした。

 ちょっと――、と止めたげな坎原さんを後目に彼女がいいふらす。

 

「このまえ美月さん家で料理ふるまってもらったんだけど、そのときたまちゃんピーマンが入ってる料理知らずに食べて、もうこんな顔して一目散に逃げてったの。面白いでしょ?」

 

 ケタケタと笑う彼女だが、それよりも僕は「もうこんな顔」と言ったときの彼女が、目を大きく剥いたとても変な顔をしたために笑ってしまった。

 一頻(ひとしき)り笑った彼女が息を吐き、

 

「こどもねー、もう」

 

 と言ったために、今度は僕と坎原さんが吹き出してしまう。

 

「え、なんで笑うの?」

「紬実佳ひとのこと言えないでしょ?」

「わたし子供じゃないもん! たまちゃんと違ってなんでも食べれるし」

 

 鼻息を荒くして好き嫌いがないことをアピールした彼女。

 そうじゃない、見た目とか()(こう)とか精神年齢とか色々だ。コスモスの女の子は子供であることが条件なのだろうか、などと僕が独り思う。

 



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屋上遊園地 不況と少子化のあおりを受けた昭和の遺構

「なんですのここー。たまき姉さま(だま)しましたわね、お馬さんどこにもいないじゃないですかー」

「だからそのホースじゃないって、何度いえば分かるの」

 

 不満駄々()れな女の子を、手をつなぐ坎原さんがたしなめた。

 駅からバスに乗ること約二十分。僕と彼女、坎原さんと女の子がホームセンターに到着した。

 ホームセンター「ジョージアカルイ」。この辺に住む者なら「あなたの未来をガッチリサポート」が(うた)い文句のCMを誰もが知っている。

 

「行くよ麗亜」

「やだー。れいあつまんなーい」

 

 坎原さんが女の子を連れて入場し、彼女が苦笑い、僕が「大丈夫か?」とハラハラしながら続く。

 ところが、店内に入るや否や、女の子が驚いた顔を浮かべ、坎原さんの手を放して駆け始める。

 一目散に走る女の子。まるで何かを見つけたように。だが、もしも迷子になったら一大事だ。坎原さん、次いで僕と彼女が追いかける。

 

「すごーい。充実のラインナップ。このフィット感、それに軽い、です」

 

 女の子の斜めな機嫌は一転した。女の子は、ある商品の試供品を手に取り、目をキラキラと輝かせていた。

 その商品とは、小さな女の子が持ってもまず喜ばないであろうDIYな電動機。あると便利ではあるのだが。

 ギュイギュイーン――と、女の子が試供品のスイッチを入れて遊んでいる。女の子を夢中にさせているその商品とは、電動ねじ回し機であった。

 

「たまき姉さま、これってこーいう店に売ってたんですね。お馬さんはいなかったですけど、ほーむせんたー、いいんじゃないでしょうか」

 

 坎原さんにサムズアップを見せた後、試供品以外を物色し始めた女の子に、

 

「たまちゃん。あの子、趣味の範囲広いね」

 

 彼女が口元を手で隠しながら尋ね、これに坎原さんが息をついた。

 何にせよ機嫌が戻ったようで僕も息を吐く。「帰る」と騒がれたり泣かれたりしたら後が大変だ。

 程なくして女の子が、気に入ったねじ回し機の箱を抱えて坎原さんにせがむ。

 

「たまき姉さま。これに決めました、買ってください」

「なーに言ってるの。おもちゃじゃないんだから。ヘタに扱うとケガする物だし、麗亜が大きくなってから」

「えー。たまき姉さまの(りん)(しょく)()ー。分かりました、おばあ様に言って買ってもらいます」

「社長に言っても買う訳ないでしょ」

 

 坎原さんの口ぶりに僕は察した。

 大企業「シークライアントコーポレイト」。全国に店舗を構える小売店「FOR(フォー) CLIENT(クライアント)」を統括し、家具、雑貨、衣料、食品などの幅広い商品を、決して高くない値で良い品を売ることから支持されている会社である。

 最近プロ野球球団を買収し、お茶の間をあっと(にぎ)わせている。隣町の(こう)(りょう)市にも支店があり、坎原さんはそのシークライアントコーポレイトに務める重役の子で、社長の(めい)っ子だ。

 坎原さんは野球球団まで経営するような大企業の子なのである。先に財閥レベルの大金持ちと言った訳はこれに所以(ゆえん)する。その坎原さんが「社長」と言い、女の子が「おばあ様」と言った。坎原さんが連れる女の子こそ、大企業シークライアントコーポレイト社長の孫娘であることを僕が察知する。

 

「ねえたまちゃん、りんしょくかってなに?」

「けち、ってこと。安心して紬実佳、この子タブレットでこんな言葉ばっか調べてるの」

「そうなんだ。趣味の範囲が広いね」

「ホースを馬と間違えてるくせにね」

「〝耳にタコができる〟を〝耳にクソがたまる〟って間違えてもいたよ」

「うそっ、鈴鬼くん。それは恥ずかしいから、帰ったらよく言っておくよ」

 

 さて、僕たちは女の子のお守りをしに、ホームセンターまでわざわざ来たわけではない。

 目的を済ませなければ。僕が坎原さんを促すとする。

 

「坎原さん、ホースを探しに行こうよ」

「そうなんだけどー、ねえ紬実佳、ちょっといい?」

「なに? たまちゃん」

「ここで話すのもなんだし、えーと、……あっ。とりあえず屋上いかない?」

 

 僕たち四人がエスカレーターに乗り、ホームセンターの屋上へ向かった。

 なぜ屋上か。その理由はすぐに判明する。先ほど坎原さんはフロアをキョロキョロと見回し、案内板で目を止めた。

 屋上に着いた僕たちの前に広がるのは、こじんまりとした規模の遊園地。()(りょう)編成のとても小さな汽車と、その汽車が走るための線路、パンがモチーフの児童向けアニメのキャラクターの顔が前面に張り出したミニゴーカートに、メリーゴーランドやメダルゲーム(など)が設置されている。

 ホームセンター「ジョージアカルイ」の屋上には、小さな子供向けの遊園地が敷設されていた。ちなみに、このような屋上遊園地は全国的に見ても珍しいそうだ。

 

「麗亜、これで遊んでおいで」

 

 坎原さんが財布から小銭を取り出して女の子に渡す。

 

「わーい、たまき姉さまのおーくら省、太っ腹大臣~」

「この日本一可愛くて知的で美人なあたしに向かってだれが太っ腹よ。まったく、変な言葉ばっか覚えて」

 

 女の子が遊園地に向かって駆けだした。

 どうやら坎原さんは、女の子に聞かせられない話があるらしい。コスモスの事であろう。

 

「紬実佳、鈴鬼くん。お茶買って来るからあの子みてて」

「うん」

 

 坎原さんが最寄りの自動自販機に向かい、僕と彼女が遊園地を見渡せるベンチに腰掛ける。

 メリーゴーランドに乗った女の子。ホースと聞いて(たわむ)れたかったのか、馬を模した座席に(またが)って楽しんでいる。

 だが、女の子がそばにいた監視員を呼びつけている。何を言っているのかはよく聞こえないが、子供が乗るのだから見張るように、と言っているみたいだ。「しっかりしてるなぁ」なんて僕が、大企業の御令嬢を眺めながら思ってしまう。

 程なくして、温かい緑茶のペットボトル三つを抱えた坎原さんが戻り、

 

「ねえ紬実佳」

 

 ペットボトルを受け取った彼女に坎原さんが()いた。

 

「鈴鬼くんで思い出したから訊くんだけど、乾出さんと巽島さん、この前べーちゃんと言い合ってなかった?」

「あ、うん……」

「今まで何かあったの?」

 

 坎原さんは知らない。以前陽さんと美月さんが、妖精に不信感を抱いてコスモスをやめようとしていたことを。

 うやむやになっていたが再燃した。坎原さんが知らない事情を彼女が明かし始める。

 

「たまちゃんがこっちに引っ越す前、メテオって男の人と私たち戦っててね」

「うん」

「その人、精霊の力を使い過ぎて私たちの前で亡くなっちゃったの。私達そのときブラックホール団が実は地球の人って初めて知って、それで陽さんと美月さん……」

 

 妖精に不信感を抱いた訳をとつとつと話す彼女。

 メテオという男の人が亡くなった場には僕も居合わせていたから知っている。彼女はずっと泣き続け、陽さんは眉間にしわを寄せて妖精に問い詰めていた。

 ショックを受けない方が無理な話だ。人が一人死んだのだから。そして、妖精は宇宙海賊との終わらない殺し合いをコスモスの三人に宣告した。

 殺し合いは黒い玉の知得により回避されている。だが、それならばなぜ妖精は黒い玉を三人に知らせなかったのか。そんな物があるならば真っ先に知らせるべきであろう。

 

「そんなことがあったんだ」

 

 話を聞いた坎原さんが彼女に確かめた。

 彼女が返事した後、坎原さんが雲一つない冬の青空を見上げる。

 

「べーちゃんが何を考えてるか分からない、か」

「そうなの。たまちゃんはどう思う?」

「うーん。あのべーちゃんのことだし、直接たずねてもまともには答えないだろうね」

「だよね」

「ま、あたしは深く考えるのはよすよ。思うところはあれど、紬実佳に会えたんだし」

「たまちゃん」

「それにあたし、ちっちゃなときからライダーみたいなヒーローに憧れてたんだよねー。その夢を(かな)えてくれたんだし、あたしがリングレットアークとしてやってることは悪いと思ってないから、べーちゃんの企みに少しくらいなら付き合ってもあげてもいいかな」

 

 コスモスとして迷っていない坎原さんが彼女に笑って告げた。

 そして、坎原さんが立ち上がる。飲み終えた緑茶のペットボトルを、バスケットのフリースローのごとく構える。

 狙うは歩いて十歩くらいの距離にあるゴミ箱。「行儀悪いなぁ」なんて苦笑いする僕を(しり)()に坎原さんが放るが、ペットボトルがゴミ箱の縁に当たる。

 転がるペットボトル。冷たい風が僕たちの間を吹き抜ける。

 

「たまちゃん、外したよ」

「は、外したんじゃないし。狙い通りだし」

 

 ジトッとした目でツッコむ彼女に対し、坎原さんは認めなかった。

 転入当初はとげとげしくてクールな印象を放っていた坎原さんだが、彼女と仲良くなってからは間の抜けたところを度々さらしている。

 なんと言うか、ちょっとナルシストが入った自信家のくせに、割とポンコツである。まあ、決める時は決める子ではあり、クリスマスの日は格好よかったのだが。

 

「ゴミはゴミ箱に、と」

「あっ、たまちゃん!」

「えっ? あてっ」

 

 坎原さんが外したペットボトルをゴミ箱に入れると、彼女が真似して放り投げた空のペットボトルが、坎原さんの頭に当たった。

 そして、じゃれ合う二人だが、そんな事をしている場合ではない。女の子から目を離すべきではない。

 二人に注意してから女の子に目を向けると、降りた馬型の座席にまた跨り始めている。

 

「麗亜ったら、また乗って。麗亜ー。それ乗ったらホース買いに行くよー」

 

 こうして、ホースを購入した後に再びバスに乗り、駅で坎原さん及び女の子と別れた。

 時刻は午後五時を過ぎ、辺りはすっかり暗い。もうお開きだ。

 僕が、彼女の手を取る。

 

「鈴鬼くん」

「庚渡さん、家まで送ってくよ」

「うん」

 

 今日こうしたかったけど、坎原さんの飛び入り参加によって流れるところだった。

 だから、残されたわずかな時間、ここから彼女の家までの間。彼女の小さくて(いと)おしい手を僕は握り続けた。

 



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強敵現る! っていうかハロウィンの星座って?

 ――時が唐突に止まった。

 時間が止まるとすぐ分かる。外から聞こえる車の排気音や鳥の鳴き声、家の中より響く生活音や妹のやかましい声が全くしなくなるからだ。

 ドラゴンが現れたのは今月の中旬。今は一月も終わろうとしている月末の日で、二週ぶりに訪れた時間の停止に急いで支度をする。

 ジャケットとマフラーを抱えたまま家から飛び出すと、

 

「鈴鬼くん」

「庚渡さん、坎原さん」

 

 変身した彼女と坎原さんが家の前で待っていた。

 

「庚渡さん、敵が来たんだね?」

「うん。来て、鈴鬼くん」

「分かった」

 

 彼女が僕を背負って一息に跳躍する。お姫様だっこもそうだが、好きな女の子に背負われるなんて毎度ながら情けない、とは思っている。

 

「いた。トゥインクル、あそこ」

「うん」

 

 坎原さんが指した方角には、オレンジ色の巨大な物体が座っており、これに彼女がうなずいた。

 僕たちが住む町と隣町・香陵市の間には、「千貫(せんがん)(ちょう)」という面積の小さな町が挟まれるような形で所在する。このまえ訪れたホームセンターは千貫町に所在するのだが、これから戦うオレンジ色の物体も千貫町の位置に座っていた。

 彼女と坎原さんがオレンジ色の物体の前に下り立ち、僕が彼女の背から降りる。

 

「なにあれ? かぼちゃ?」

 

 僕たちの前には、見上げるばかりのカボチャが鎮座していた。

 カボチャはハロウィンの(ごと)く、目と鼻が三角の形にくりぬかれ、口が「W」の形に空いている。

 

「ねえ鈴鬼くん。ハロウィンの星座なんてあったかな?」

「いや、ないと思う」

 

 彼女と僕が首をかしげると、カボチャの目が赤い光を(とも)す。

 

――ヤックサァァイッ!

 

「なっ!?」

「うそぉっ!?」

「えええぇっ!?」

 

 そして、想像の斜め上を突っ走るあり得ない変形に、僕たち三人が度肝を抜かれた。

 なんとカボチャの側面から、筋肉隆々の腕が飛び出した。両腕のたくましさは僕が所属する柔道部顧問の八馬本先生に勝るとも劣らない。

 カボチャの下部からは脚が飛び出し、カボチャが直立している。どうしてか網タイツに覆われていて、ムキムキの脚を覆う網タイツは正直気持ち悪い。

 僕たちの目の前に、見上げるばかりのヘンテコなカボチャ怪人が立っている。

 

「これは、なんて言うか」

「コメントに困るね」

 

 膝をわずかに曲げて両腕に力こぶを作ったカボチャ怪人に、坎原さんと彼女がやりづらそうな顔を浮かべた。

 しかし、いくら変でも宇宙海賊が駆る敵には間違いない。カボチャ怪人が右腕を振り上げる。

 僕や彼女を(わし)(づか)みできるサイズの手のひらが迫る。これを坎原さんと、僕をお姫様だっこで抱えた彼女が後ろに跳んでかわす。

 

「うっ、侮れないね。(たた)かれたらぺしゃんこじゃない」

 

 叩かれた地面が発した音波と衝撃に、坎原さんがその整った顔を引き締めた。

 攻撃は続く。(かが)んだ体勢のカボチャ怪人が、その空いた目に宿す赤い光を強く輝かせる。

 

「リングレット! あのカボチャ、リングレットを見てる!」

 

 赤い視線に彼女が注意を喚起すると、

 

「えっ、お、わあああっ!」

「リングレット!」

 

 遁走(とんそう)した坎原さん。カボチャ怪人が坎原さんに向かって走り始めた。

 逃げる坎原さんをカボチャ怪人が追い回す。その様子は子ネコを捕まえようと駆ける小さな子供のよう。

 踏み潰さんと走るカボチャの両足が地面を激しく揺らす。しかし、敵は巨人の如き図体だ。柔道部で何度も目にした光景を僕が思い出す。

 僕が抱える彼女から降り、メガホンのように両手を添える。坎原さんなら可能ではないだろうか。

 

「坎原さん! 足だ、足を狙って!」

 

 逃げる坎原さんに敵の泣き所を伝えると、

 

「えっ、そうか。分かった、鈴鬼くん!」

 

 得心した坎原さんが、追いかけっこから一転して足を止め、カボチャ怪人を迎え撃った。

 敵は走っている。つまり、重心が定まっていない。僕は組み合って揺さぶられている柔道部員が、一瞬にして足を払われる場面を数え切れないほど目にしている。

 驀進(ばくしん)するカボチャ怪人の踏みつけを坎原さんが右にかわす。そして、踏み出そうとする左足を外側から、

 

「てやああっ!」

 

 坎原さんが払うように回し蹴りを仕掛けた。

 タイミングはドンピシャだった。決まればカボチャ怪人は間違いなく転倒するはずだった。

 しかし、敵は一枚上手だった。カボチャ怪人が思いも寄らない方法で蹴りをかわす。

 

「へっ!?」

 

 かわされたことに困惑する坎原さん。なんとカボチャ怪人が、その網タイツに覆われた両脚を一瞬の間で引っ込めたのだ。

 腕も引っ込め、宙に浮く大きなカボチャ。そのまま重力に逆らわず落下する。

 

「そんなのってありー!?」

「リングレット!」

 

 坎原さんが巨大カボチャに潰され、これに彼女が叫ぶ。

 

「待っててリングレット、いま撃って助けるから!」

 

 彼女が親友を助けるべく両手を突き出した。

 両手に集まる粒子。彼女の手に集まる白き光がまばゆく輝いている。

 彼女が放つ必殺の光。だが、それを察知したかの如く、巨大カボチャが坎原さんを踏み付けたままこちらに向く。

 

「えっ。……キャアッ!」

「庚渡さん!」

 

 (とっ)()に手を引っ込めてかわした彼女。カボチャが「W」の口から、なんとビームを放ったのだ。

 ビームが僕と彼女の後方で着弾する。すると、大きな爆発音がした。

 振り返ると煙が上がっている。時が止まっているために着弾した地点は何事もないが、食らったらひとたまりもない。僕なんかが浴びたら()()()(じん)となっただろう。

 

「ぬぐぐっ、このっ、いつまでのしかかってるのよ!」

 

 カボチャが傾き、押し出されるようにして横に滑った。

 坎原さんが自力で脱出した。だが、その整った容姿が痛みで苦しんでいる。

 

「いったぁ……」

「だいじょうぶ?」

「大丈夫じゃないかも。トゥインクル、あのカボチャ人をおちょくってるくせに強いよ」

 

 外見とは裏腹な強敵という評価に、彼女が口を結んだ。

 カボチャから腕と脚が飛び出す。再び怪人となって直立し、僕たち三人を高い視点から見下ろす。

 坎原さんは僕が助言したことによって潰された。余計なことを言わなければ(まぬか)れたかもしれない。

 

「ごめん、坎原さん」

「いいって鈴鬼くん。ほら、気を抜かないで」

 

 僕が前を向くと、カボチャ怪人が戦法を変えた。

 肉弾戦や追いかけ回すことをやめた。足を止めて「W」の口からビームを撃つ。

 

「リフレクティブサークル!」

 

 前に出た坎原さんが、両手で円を大きく描いてビームを止めた。

 カボチャ怪人がビームを立て続けに撃つ。これを坎原さんが円を構えて防ぎ、その後ろでは彼女が両手を突き出している。

 坎原さんは彼女と僕を爆風から守るため、自身を大きく上回る面積の円を形成している。だが、爆発は絶え間なく響き、この衝撃と大きな円を形成した負荷からか、坎原さんが辛そうに顔をしかめている。

 僕が祈る思いで坎原さんを応援する。しかし――。

 

「くっ、も、もう、もたない……うああっ!」

「リングレット!」

 

 四度目の爆発で(つい)に円が割れ、その衝撃を食らった坎原さんが仰向けに倒れた。

 駆け寄る彼女。気を失った坎原さんが光に包まれ、変身が解けてしまう。

 カボチャ怪人が、その怪しく灯る目の赤い光を彼女に向けている。ところが、カボチャ怪人の頭上には、銀色の着物をまとった光の戦士がいる。

 銀色の戦士が、舞うように着物の裾をなびかせ、横に高速回転する。

 

「粉々にしてやる! 〝スレイブミルストーン〟!」

 

 そして、カボチャ怪人を上から高速スピンに併せて踏み付けた。

 真上からの強烈な一撃にカボチャ怪人が膝を折る。続けて、僕と彼女のそばを後ろから駆け抜けたビキニ姿の戦士が、

 

「今夜はカボチャコロッケと煮っころがしだぁ! 〝バーンダンク〟!」

 

 飛び上がって抱える火の玉をカボチャ怪人に叩きつけた。

 カボチャ怪人が炎上し、間もなくして消滅する。

 

「サンシャイン、ムーンライト。助かりました」

 

 地上に下り立った二人の先輩に彼女が礼を述べた。

 助かった。僕も続いて礼を述べようとする。ところが、カツッカツッ――と靴音が聞こえ、これに僕たちが顔を振り向けると、仮面をかぶった黒スーツ姿の女性が立っている。

 カボチャを操っていた宇宙海賊だろう。額から鼻までを覆った、鼻のとがった黒い仮面をかぶっている。

 

「やるわねあなたたち。これは確かに一味も二味も違うかしら」

 



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SDGs 国連が唱えた理想にして矛盾

「私の〝八分儀座(オークタント)〟が倒されるなんて。侮ってたわ」

 

 鼻のとがった仮面をかぶる黒のスーツ姿の女性が、陽さんと美月さんに言った。

 ウェーブのかかった長い髪を垂らし、着用しているスーツには(しわ)がない。デキる女性、といった様相だ。

 両手を革の手袋で覆い、そんな女性に陽さんが尋ねる。

 

「おーくたんと?」

「うふふ、OCTでオクトーバー、十月よ。十月と言えばハロウィンよね。(しゃ)()が効いてるでしょ?」

 

 カボチャに腕と脚を生やし、更に網タイツを履かせるなんて趣味が悪い。なんて思った僕だが、口を挟める訳がないので黙って聞く。

 女性が自己紹介する。顎をしゃくり、正面に立つ陽さんと美月さんを見下すようにして。

 

「私はヘイズの〝ウルカ〟って言うの。名紙を差し上げたいところだけど、これから戦う相手にそんな物は不要かしら」

 

 右手を腰に当てて余裕を見せつける女性に、

 

「うーん」

「どうしたの、サンシャイン?」

「ねえムーンライト、あの人の声って、どこかで聞いたことない?」

 

 腕を組む後ろ姿の陽さんが首をかしげていた。

 右のつま先を上下に動かしてもどかしさを表す陽さんに、女性の口元がニヤリと曲がる。

 そして、女性が正体を明かす。

 

「あら、知ってるなんて。いいわ、私のこと教えてあげる。私の本名は那家(なか)(むら)美也子(みやこ)って言うの。どう、思い出したかしら?」

「ああ、思い出した。この前テレビに出てたよね? えすでぃーじーずの」

「そう、(エス)(ディー)(ジー)()。覚えておきなさい、持続可能な開発目標って言うのよ。私は国内のSDGsを促進する新興の団体、〝CARRIER(キャリア) WOMAN(ウーマン)〟の代表を務めているわ」

 

 テレビに出ている有名人の登場に皆が驚いた。

 だが、僕は知らない。彼女に顔を向けると、彼女も首を横に振っている。陽さんの「テレビに出てた」の発言に僕たちは驚いている。

 お堅い評論番組などに出演しているのだろうか。いずれにしろ彼女いわく、ノリと勢いだけで生きている陽さんがそんな番組を観ているなんて。これは意外でビックリした。

 人は見かけに()らぬものだ。美月さんならともかく、伊達(だて)にお嬢様学校に通ってはいない、ということか。

 

「ムーンライト。この人が本当に那家村美也子なら、あたしたちとんでもない人と戦うよ」

「そうね。〝今をトキめく時の女性十選〟だったかしら? 雑誌の特集で紹介されてたのを見たことがあるわ」

「それだけじゃないよ。この人って、あたしらが生まれた頃はニュースキャスターだったみたいでさ、その学歴は東大卒業、五か国語を話すマルチリンガル美人キャスターって、当時写真集が発売されたくらい人気あった人なんだって」

「なにそれ。本当にとんでもない人ね。サインねだった方がいいかしら?」

「いや、それには及ばないかな?」

「どうして?」

「うーん、なんて言うかねー、テレビ観たかんじ言ってることは正しいんだけど、言い方がどこか押しつけがましくて鼻に付くんだよね」

「そうなの?」

「うん。SDGsと言えば何でも許される、みたいな? 上手(うま)く言い表せないんだけど」

 

 陽さんがテレビに出るような著名人を()じることなく評した。

 だが、上手く言い表せない所為(せい)か、相手が仮面で顔を隠していて確証がないためか、腕を組む後ろ姿の陽さんは首を傾けている。

 自信をいまいち持てない陽さんに、女性が顎をしゃくって言い渡す。

 

「あらあなた、国連が採択したSDGsに逆らうつもり?」

「そんなこと言ってないよ」

「ならば粛々と従いなさい。時代はSDGsなんだから」

「そう、その文句。あんた事ある毎に〝時代ジダイ〟ってテレビで連呼してたよね」

 

 陽さんが女性の口癖を指摘する。

 

「……ふふっ。あなた、頭悪そうに見えて考えられるのね」

 

 すると、女性が驚いたように一瞬だけ止まった後、口を押さえながら笑い声を上げた。

 楽しそうに笑う女性に陽さんが言い返す。

 

「〝イヌも歩けば?〟って()かれて〝ここ掘れワンワン〟って答えちゃったくらい頭わるいけど、時代って言われて納得するほどボケちゃいないよ」

「あははっ、これは失礼したわ。子供と思って侮ってたかしら。いいわ、態度を改めてあげる」

 

 僕には何が気に入ったのか分からないが、女性が陽さんを認めた。

 口角を上げている女性。反論した陽さんを(うれ)しそうに見つめている。

 女性が口を開く。侮るようだった先の顎をしゃくる癖を改め、

 

「ねえあなた、SDGsって何だと思う?」

 

 陽さんに問いかける。

 

「え? えーっと、なんだっけムーンライト」

「持続可能な開発目標」

「そう、それ。ジゾクカノーなカイハツもくひょー」

「それを訊いてるわけじゃないでしょ」

 

 指をさして的外れな回答をした陽さんに(あき)れる美月さん。

 

「うふふっ。あなたって、とっても面白いわね」

「いやー、それほどでも」

「ますます気に入ったわ。あなたが大人なら一緒に()みたいくらい。ねえ、SDGsなんて、正直なところくだらないと思わない?」

「へっ? あんた、自分の団体が推す目標をくだらないなんて言っていいの?」

「いいのよ。SDGsなんて国連が言ってるだけの無理難題なんだから。例えば〝Zero(ゼロ) Hunger(ハンガー)〟、飢餓を失くそうって目標だけど、併せて〝Affordable(アフォーダブル) and(エン) Clean(クリーン) Energy(エナジー)〟、全ての人々に安価かつ信頼できるエネルギーを、って目標も唱えてるの」

「へえ。それで?」

「飢餓を失くしたら死ぬ人がいなくなる訳だから、それだけエネルギーが必要になるわ。人が増えるのに安価で信頼できるエネルギーを皆に満遍なく、なんて矛盾してない?」

「へー、なるほど。エネルギーって限られてるからね」

「あれもこれもって、相反する目標ばかり立てて、現実を全く見ていないのよ。今日び子供でも言わない理想論だわ。だからどこの企業も自治体もSDGsをイメージアップか金を稼ぐ(ため)のお題目にしか使っていないじゃない。今やSDGsと言えば何もかもがまかり通る時代、レジ袋の有料化なんていくら(もう)かったのかしらね」

 

 女性が肩をすくめて国連の掲げる目標を腐した。

 無学の僕に難しい問題は分からない。でも、レジ袋の有料化。不便を性急に強いたこの施策にはみな反発を覚え、女性が非難めいた言及をするのも理解できてしまう。

 国連という権威がぶち上げた課題。黙って聞く美月さんの隣で陽さんが私見を述べる。

 

「ま、レジ袋は同調するよ。効果ないって言われてるくらいだし、意識付けしなければならないほど日本人にエコ意識がないとも思えないし」

「そうでしょう?」

「確かにSDGsって国連の権威を(かさ)に着た金儲けかもしれない。でもさ、SDGsをくだらないって言うのは違うんじゃないかな? あれは一人ひとりが意識することに意義があると思うんだよね」

「へえ。子供のくせに意見する気?」

「うん、意見させてもらうよ。あんたの言うとおり無理難題かもしれないけど、それでも一人ひとりが人に押し付けることなく心がければ、やがて差別や不平等がなくなってみんな優しくなると思うんだ」

「…………」

「みんなが優しい気持ちになったら、きっとステキだよね?」

「うふふっ、世の中を知らない子供の意見ね」

「あたしは子供だからね。ま、あたしみたいな子供はご飯を残さずに食べるくらいが精一杯なんだけどさ」

 

 真っ()ぐな意見を述べた陽さんを女性が鼻で笑った。

 だが、女性の口元がにんまりとしている。「子供の意見」と吐いた割にはとても嬉しそうである。

 話は続く。今度は陽さんが疑問をぶつける。

 

「ねえ。あんたが本当に那家村美也子なら、なんでブラックホール団に入ってるの?」

「つまらないことを訊くわね。この日本は変わるべきだからよ」

「変わるべき?」

「ええ。見ての通り私は女よ。女というだけで社会から軽んじられ、女というだけで男から奇異の目で見られる。今までに遭ったセクハラなんて数知れないの」

「なるほどね」

「忘れたくても忘れられないわ、あの、受けた屈辱は。だから私は無理難題って分かっていてもSDGsを推してるの。Gender(ジェンダ) Equality(イコーリティー)、男女は平等であるべきだわ。あなたも女なら思わないかしら?」

 

 女性の問いかけに陽さんのみならず美月さんも(うなず)いていた。

 SDGsの目標を挙げられない僕だが、目標の一つのジェンダーの平等なら知っている。

 無学の僕が知るほどの目標の一つ。日本における男女間の格差は著しいと聞く。詳しいことは分からないが、数値にするとヨーロッパの各国に比べてかなり劣っているらしい。

 女性というだけで尊厳が汚されてはいけない。男の僕ですら首肯してしまう。だが、ここから女性が本性を現す。

 きっかけは、更にぶつける陽さんの疑問。

 

「でもさ、だったらどうしてブラックホール団なんかに入ってるのよ。あんた頭がいいんだもの、自分でジェンダーの平等を(かな)えればいいじゃない」

「…………」

「どうして、戦ってまで」

「私が叶えたいのはそれだけじゃないの。あなたの身の周りにもないかしら? 女性のセックスシンボルを強調した気持ち悪い絵」

「絵? もしかして萌え絵のこと?」

「そう。男の醜い欲望を表した低俗で気持ち悪い絵。あんな女いるわけないじゃない」

「えっ。それは、関係ある?」

「関係あるわ。あんな絵があるからこの国では女性が軽んじられるの。それと、一度も彼女ができたことないような独身の中年男。あれがのさばっている以上この国はダメね」

「…………」

「女のことが分からないから気持ち悪い絵に夢見て、現実の女性をおとしめているのよアイツらって。アイツらから人権を奪えば、おのずと女性の地位向上につながってこの国が変わるわ」

 

 持論なのだろうか。急に怖いことをぬかす女性に僕は(おのの)いていた。

 世の中にはたまにいる、自分の気に入らないものを徹底的に排除しようとする人間が。ヒステリックな主張だと思うし、普段なら鼻で笑って聞き流せる。

 独身の中年男性から「人権を奪え」とはあんまりである。だが、この女性はテレビに出るような有名人で、しかも宇宙海賊から力をもらった人間だ。つまり、先に述べたヒステリックな主張を実際に施行できる力を持っている。

 しかも一応の正当性を図っている。女性のため、と言っているのが更にタチが悪い。老いたりして自分が排除される側に立ったら、などと思わないのだろうか。

 

「あんた、そんなことのためにあたしたちコスモスと戦おうって言うの?」

 

 陽さんがヒステリックな主張のために戦うのか女性に尋ねる。

 

「ええ。あなたたちみたいな子、もう何人も殺したわ」

「…………」

「止まれないの。一つ変わる度に嬉しくて仕方がないのよ。タバコ、ギャンブル、漫画、ゲーム。有害なコンテンツは全部切って、この国を清くしなくっちゃ」

「…………」

「あなたたちを殺せば、この国は更に変わる。私はあの人が残してくれた()の為に、醜い男どもを根絶やしにしてやる」

 

 気味悪く話す女性に、陽さんが息を吐いた。

 そして、陽さんが決心する。

 

「アリマニドがあるからそんな考えを。……決めた。あたし、あんたを倒す」

「倒す? うふふっ、本当に面白いわね。あなたみたいな子供が私を倒そうなんて」

「子供だから止めるの。あんたみたいな力に溺れてる人を」

「思い上がってないかしら?」

「うん。思い上がってるよ。どっちの思い上がりが上か、勝負しよう」

 

 陽さんが構え、美月さんも構えた。

 女性の胸が黄金色に輝く。

 

「ヘイズ随一と呼ばれる母の力、見せてやるわ。〝蠍座(スコーピオ)〟!」

 

 坎原さんが引っ越す前の、去年の十一月。メテオという人の武者と化した変身には驚いたが、今回はそれ以上の衝撃を受けた。

 女性の下半身が巨大な四角に変わっており、その左右には履帯が備わっている。そして正面には、長い砲身が座っている。

 下半身が戦車と化した女性を前に、陽さんが彼女に告げる。

 

「トゥインクル」

「はい」

「環ちゃんとスズキくんを連れて離れて。この人は、あたしたちが倒すから」

 



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妊婦への優しさと労りが生んだ無限軌道

 起動輪、転輪、遊動輪が連動する。戦車と一体になった女が、その下半身を駆動した。

 回る履帯。踏みしめるように進むそれは、ともすれば巻き込んだ小動物をミンチにする凶暴さを兼ね備えている。

 鋼鉄の車体がサンシャインとムーンライトに迫る。

 

()き殺してあげるわ!」

 

 腕を組む女が車上から殺意を明確に表した。

 だが、コスモスとして幾多の壁を乗り越えたサンシャインとムーンライトには脅威とならない。迫る戦車をムーンライトが飛んでかわす。

 飛んだ相方の一方でサンシャインは、

 

「発気用意」

 

 両脚を開いた格好で膝を曲げ、地に拳をつけていた。

 

「のこったぁ!」

 

 そして、サンシャインが飛び出し、戦車に正面からぶちかます。

 力士のような突撃に戦車が僅かに()ねる。続けてサンシャインが息を止め、肘から背の肉と、尻から足の(けん)に力を込める。

 押すサンシャインが、なんと戦車の前進を止めてしまう。それは先の宣言を体現したように。だが、敵は数多のコスモスを葬った実力者だ。

 

「さすがにやるわね。でも、これが全力ではないわよ。さあ、止められるものなら止めてみなさい!」

 

 回転を更に増す戦車の履帯に、サンシャインがじりじりと押され始める。

 

「サンシャイン、いま助けるわ!」

 

 ムーンライトが分の悪い親友を救うべく女に飛び掛かった。

 車上にて構える女の上半身に、ムーンライトが縦の弧を描く。この三日月のような斬撃を女が腕を振り払って弾くが、この攻防に履帯の駆動が弱まる。

 追撃はしなかった。ムーンライトがサンシャインの手を取り、そのまま飛んで宙に持ち上げる。

 

「助かったよムーンライト。思い通りにはいかないものだね」

「もう。相手は黄道の精霊を宿してるのよ。真正面からぶつかるなんてやめなさい」

 

 (おも)いに勇む腐れ縁にして親友をムーンライトがたしなめた。

 仕切り直しだ。二人が地に座る敵の女を(ちょう)(かん)し、長く伸びる砲身を危険視する。

 張子の虎、ということはないだろう。砲身の前に立つ事だけは避けなければならない。二人が女の後ろに移動し、正面と向き合わないようにする。

 

「サンシャイン。あの戦車、砲台が回転しないようね」

「そうだね」

 

 ムーンライトの言にサンシャインが首肯する。

 腰から下が戦車である女の下半身だが、その下半身は回転砲塔を持っていなかった。故に女は後ろに移動した二人に対して振り返ることができない。

 さらに鈍重な鉄の塊である。空に浮かぶどころか機敏な旋回もできないだろう。戦車というよりは自走砲と言った方が正しい()(たび)の敵。だが、そんな弱点など百も承知している女が、

 

「ふふっ、後ろにいれば大丈夫、なんて思っていないかしら?」

 

 二人に背を向けたまま不敵に笑い、

 

「黄道の精霊にして私の星座(スコーピオ)を見くびってもらっては困るわね。あなたたちみたいな子、もう何人も始末しているのよ。さあ、刮目(かつもく)しなさい!」

 

 己が宿す精霊が秘めし驚異のメカニズムを披露する。

 

「……え、うええっ!? うそっ、なにあれ!?」

「そんな、ことって」

 

 世にも奇天烈な敵のアクションに、二人が心から仰天した。

 四角い下半身が、なんと変形を始めている。履帯は足と(すね)となり、車体が左右二つに分かれて(もも)から肩を形作っている。

 装甲の一部が左腕へと変わり、三指の手を形成する。そして砲身が右腕となり、女自身が顔となる。

 戦車が一瞬にして全長10メートル程の人型巨大ロボットへと変化した。それはまさにアニメの世界。

 

「ちょっと、カッコイイんだけど」

「なに言ってるの!」

 

 見とれてしまったサンシャインをムーンライトが叱る。

 

「まずは景気づけに一発撃っちゃおうかしら!」

 

 鉄の巨体が旋回し、右腕の砲身を構えた女が、二人に向かって弾を放った。

 右肩から(やっ)(きょう)が排出される。迫る砲弾を二人が左右に別れてかわし、そのまま右と左から女が操る鉄の巨体に飛び掛かる。

 サンシャインが左腕を振りかぶり、ムーンライトが右の籠手を(とが)らせる。

 

「だああっ!」

「ええいっ!」

 

 そして、左の拳を打ち付け、右の籠手で斬りつける。

 攻撃は続く。二人が息を止め、()(とう)の連打連撃を(たた)き込む。だが、僅かなへこみと引っ()き傷を与えるのみで、女が操る鋼鉄の巨体を破るには至らない。

 有効打とならなかった結果に二人が一旦下がる。この距離を置く二人に、女が巨体の腰を落とす。

 ゴウッ――、と鳴る鋭い燃焼音に合わせ、巨体の足の裏から青白い炎が噴く。

 

「小鳥が! 潰してあげる!」

 

 炎の推力で巨体を飛び上がらせた女が、宙のサンシャインに接近した。

 三指の左手を握り締めて叩き込む。この打撃をサンシャインが腕を交差させて防いだが、その質量は城の門をこじ開ける衝角の(ごと)き一撃。吹っ飛ばされて建物の壁に激突する。

 背を強打したサンシャイン。剥がれるようにして建物の壁から落下する。

 

「サンシャイン!」

「ふんっ、(えん)(じゃく)鴻鵠(こうこく)に敵う訳ないでしょう! 叩き落としてあげるわ!」

 

 ムーンライトに巨体を振り向けた女が、右腕の砲身を振り上げた。

 そして殴りつける。それは家を支える柱が降りかかるが如し一撃。ムーンライトが地に叩きつけられる。

 二人のコスモスを地べたに寝かせた鉄の巨体が、足の裏から青白い炎を更に噴出させる。そうして宙高くに巨体を浮かせた女が、右腕の砲身を下方に構える。

 

「小うるさい小鳥は駆除するのみね。あははっ、乱れ撃ちよ!」

 

 右肩から次々に排出される薬莢。女が笑いながら砲弾を乱射した。

 間断なく放出された弾の狙いは甘い。二人に当たることなく地面に着弾する。

 飛び散る弾の破片と(ふん)(じん)、腕と背中の痛み、そして爆発のいぶすような煙に目を(すが)めるサンシャインが、

 

「いつつ……。こうなったら」

 

 黄道には黄道と考えるが、

 

「待ってサンシャイン。相手は黄道の精霊を使っているのよ」

 

 体を起こしたムーンライトが、叩き付けられた痛みを耐えつつも親友を止めた。

 

「今は我慢よ。我慢すれば、チャンスは必ず巡るはず」

 

 ゴーグルを外し、宙に浮かぶ鉄の巨体を見上げながら忍耐を呼びかける。

 黄道の精霊を体に宿す行為は、肉体にとてつもない負荷がかかる。長時間戦えるものではなく、現に千殻原(せんごくばら)で紬実佳と環を襲った男は()ぐにへばっている。

 同じ黄道の精霊を持つ二人も行使のリスクを承知している。だから敵が疲れるのを待つべき。そう考えるムーンライトだが、

 

「あら、あなたたち。もしや私が疲れるのを待っているのかしら? ナンセンスな考えね」

 

 そんな望みを女が高度を下げながら切って捨てる。

 

「私、努力は欠かさないの。キャスターを辞めた今でも語学は続けてるし、星座(スコーピオ)との融合も相性に頼らず訓練しているわ。ヘイズ随一なんて言われてる母の力、甘く見られては困るわね」

 

 努力に裏打ちされた確固たる自信を二人に告げた。

 女がふと思い出す。かつて受けた屈辱と、それを次代に持ち越さないためにやり遂げなければならない(ふく)(しゅう)を。

 

「これも全て、この国を清くするため。あの人をバカにした醜いウジ虫どもを皆殺しにするため……」

 

 独りつぶやく女の一方、諦める二人ではない。一発食らった程度でくじけるほど(やわ)くなく、しし座(レオ)やぎ座(カプリコーン)という切り札もまだ残っている。

 二人が立ち上がる。先に連打を与えた二人だが、鉄の体は破れなかった。それならば狙うはむき出しの顔の部分。ロボの顔だけは女の生身である。

 狙いを定めた二人が、視線を合わせて首肯する。ところが、二人が突如として膝を突く。

 全身が(しび)れ、力が入らない。

 

「ふふっ、効いてきたようね」

 

 膝を突いた二人に女がほくそ笑んだ。

 



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『時代』思考停止した日本人を従わせる一言

 チェックメイト。膝を突いたサンシャインとムーンライトに、女が勝利を確信した。

 戸惑う二人。体が(しび)れ、力が入らない。

 

「いったい、何が」

「どうして……」

 

 立ち上がることすら(まま)ならない自己の体に、何が起きているのか二人が(つぶや)く。

 

「さっきの乱れ撃ちに仕込んでおいたの。うふふっ、スコーピオの毒を、ね」

 

 すると、女が口角を上げて種を明かした。

 先に砲弾を乱射し、一発も命中することなく地面に着弾した女の砲撃だが、実は砲弾に毒素を仕込んでいた。二人はその破片と粉塵(ふんじん)を浴びたことにより、蠍座(スコーピオ)の毒を注入されたのである。

 まさか、さっきの当たらなかった砲弾に意味があったなんて――。()(じょう)(こい)と化した愕然(がくぜん)とする二人に、女が鉄の巨体を変形し、下半身を元の戦車に戻す。

 激しく回る履帯。戦車がムーンライトに向かって発進する。逃れようとするムーンライトだが、体に打ち込まれた毒によって逃げること敵わない。時速80kmを超す速度の超重量をムーンライトがまともに食らう。

 

「ムーンライト!」

「ふふっ、次はあなたよ。仲良くおねんねしなさい」

 

 突進する戦車を、意地と根性で立ち上がったサンシャインが押し(とど)めようとするが、毒が引き起こす痺れによって力が続かなかった。

 競り負けて倒れたサンシャインの、若くて健康的な()(たい)を、

 

「うああああっ!」

 

 戦車の履帯が容赦なく踏み潰す。

 間もなくして履帯を止めた女が、後ろに目を向けて踏み潰したサンシャインを確認する。

 

「うう、あ……」

「へえ、生きてるなんて。さすがにしぶといわね。ならば、とどめを刺してあげるわ」

 

 女が下半身を旋回させ、(ひん)()のサンシャインに砲身を向けたときだった。

 

「待って……」

 

 立ち上がっていたムーンライトが女を呼び止める。

 だが、崩れるように膝を落とすムーンライト。その唇がする呼吸はひどく荒く、端正な顔立ちは痛みに(ゆが)み、いま立ち上がったことが奇跡なくらいに傷付いている。

 女が砲撃を止める。コスモスはもはや虫の息、自身の勝利は揺るぎない。最期くらい話を聞いてもよいだろう、という勝者の余裕から。

 

「なにかしら?」

「教えてちょうだい。あなたは、なにが、憎いの?」

「…………」

「何のために、戦っているの……?」

 

 息も絶え絶えに尋ねるムーンライトの質問を、

 

「さっきの話を聞いてなかったのかしら? 私が目下戦う理由は三つ、ジェンダーの平等に、中年の独身男の排除と有害なコンテンツの廃絶よ。同じことを言わせないでくれる?」

 

 女がうんざりとした口調で答えるが、

 

「ウソ、言わないで」

「……うん?」

「それは建前でしょう? 〝あの人〟とか、〝()〟とか、誰かのことをつぶやいていたわよね? あなたには苦い経験があって、その経験を二度と起こさせないために、今の三つを唱えているように感じるの」

「…………」

「教えて。あなたが今の三つを願う源を、私は知りたいの」

 

 ムーンライトは女が望む願いの根源を訴求し、これに女が仮面に隠した眉を僅かに動かした。

 そして、しゃべる性質(たち)である女が口を閉ざす。内面を(のぞ)こうとするムーンライトに動揺している。

 ムーンライトは、女が何を糧に戦っているのか知りたかった。女がのたまう過激な主張、その根底には怒りや恨みなどの強い破壊衝動があると信じて。

 宇宙海賊が闇に身を落とす事情を各々(おのおの)抱えていることをムーンライトは知っている。宿敵メテオなら選挙の落選と日本への失望、このまえ戦った男なら家族を失った悲しみ。これはプライバシーの詮索になるが、今日が最期になるかも、と考えるムーンライトは純粋に知りたがっている。

 

「……はぁ、ヤになっちゃうわねー。こんな子供に見透かされるなんて」

 

 女が子供に看破されていた自身の未熟さを嘆いた。

 だが、今まで誰も味方しなかった孤独な過去を顧み、女が仮面に隠す表情を険しくして片膝のムーンライトに告げる。

 

「あなたの勘のとおり、本音は別にあるわ。この国に住む男のすべてを抹殺したいと願う本音が」

「やっぱり」

「でも、教えない。あなたみたいな子供に言ったところで理解してくれるわけないから、教える気はないの」

「…………」

「あなたが大人なら教えてもよかったけど。はい、この話はおしまい。時間がもったいないわ」

 

 女が下半身をおもむろに旋回し、長い砲身をムーンライトに向ける。

 

「あなたみたいな子供は苦手よ。先に殺してあげる」

「……くっ」

「子供は時代に従っていればいいのよ。私はあの人が残してくれた()のために、この腐りきった時代を変えてみせる。死になさい!」

 

 砲身の中が黄金に輝く。この輝きは女が宿す蠍座(スコーピオ)最大の毒。これを食らった者は全身が激痛に(さいな)まれる上に肺が麻痺(まひ)し、息ができなくなる。

 まさに地獄と言わんばかりの苦痛にのたうち回って死ぬ。数多のコスモスを葬った女の最大攻撃だが、その輝きが消えた。

 消えた輝きに(いぶか)るムーンライト。女は発射を止めており、履帯を逆に回して戦車の下半身を後退させる。

 女は危機を察知したから急にバックした。その勘は正しく、上から(けが)れし者を浄化するような白い光が女の前方を照らす。それで女が光の出所を見上げると、トゥインクルが建物の上から両手を突き出している。

 

「あの、子供」

 

 邪魔をしたトゥインクルを女がキッと(にら)むが、

 

「〝しし座(レオ)〟!」

 

 ムーンライトの問答に体を休めていたサンシャインが、この隙を好機と見た。

 立ち上がったサンシャインの胸間が黄金に輝き、その傷だらけの体が瞬時にしてパンプアップする。

 ムーンライトにはゴリラと揶揄(やゆ)される獅子座(レオ)を宿した肉体。ボディビルダー顔負けの体を披露したサンシャインが、

 

「ここで止めなきゃ女がすたる!」

 

 その増幅した筋肉を(もっ)て戦車に突入する。

 

「こ、この子!」

 

 走るサンシャインに、女が慌てて戦車を発進させた。

 進む戦車をサンシャインが押し返す。毒がもたらす痺れに悩まされながらも獅子座(レオ)の力で懸命に押す。

 せめぎ合うサンシャインと戦車。両者の力は拮抗(きっこう)して動かない。

 

「〝やぎ座(カプリコーン)〟!」

 

 そしてムーンライトも、膨らむ胸の間を黄金に輝かせ、銀の人魚へと変身した。

 ムーンライトが女の上半身を狙う。しかし、砲身の前に躍り出てしまう。

 

「バカね! 飛んで火にいる夏の虫よ!」

 

 すかさず女が砲身内を輝かせ、致死の毒をムーンライトに放った。

 だが、人魚と化したムーンライトは弾の軌道を捉えている。加えて自身を(むしば)む毒の痺れを「今だけは」と歯を食いしばって克己する。

 黄金色に迫る致死の毒を、宙を泳ぐムーンライトが体をねじ山のように回してすり抜ける。

 

「なっ、よけた!?」

「子供こどもって。気合いの一撃、見せてあげるわ!」

 

 女のみぞおちをムーンライトの籠手が突き刺した。

 ムーンライト渾身(こんしん)の一撃に、女が下半身の戦車ごと大きく下がる。宿す蠍座(スコーピオ)のおかげで斬られこそしなかったが、深く刺さったがために激しく(せき)をする。

 咳と激痛に(もだ)える女。変身が解け、下半身から戦車が消失する。

 

「ぐっ、覚えてなさい!」

 

 蠍座(スコーピオ)の力を失った女が、捨て台詞(ぜりふ)を吐いて逃げ始めた。

 飛び上がる女。だが、その先を立ちふさぐ者がいる。

 トゥインクルではなかった。リングレットでもなく、サンシャインとムーンライトは痺れのために追いかけられない。女の行く先を阻む者は、――新たな光の戦士。

 (あお)いドレスの上に、澄んだ衣をまとっている。

 

「まだいたなんて。どきなさい!」

 

 女が口角泡を飛ばして()けようとするが、

 

「〝フラッシュフロード〟!」

 

 蒼き光の戦士が手をかざし、そこから発した多量の水に女が()み込まれ、地面へと墜落した。

 



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形而上のスペキュレイティブフィクション

 多量の水がスコールのように(しの)を突く音を立てて落ちる。

 間もなくして仮面の女が墜落する。その様をしし座(レオ)の変身を解いたサンシャインとやぎ座(カプリコーン)の変身を解いたムーンライトが、(しび)れと痛みに苦しみながらも眺めていた。

 仮面がずれ落ちる。その顔はサンシャインがテレビで観た、SDGsを推し進める女と同一である。

 

「サンシャイン! ムーンライト!」

 

 トゥインクルが、坎原環を背負い、彼・鈴鬼小四郎を抱えて着地した。

 環が降り立ち、続いて彼が降りる。サンシャインとムーンライトはトゥインクルの助けがなければ危なかった。

 

「とぅ、といん、くる……」

「あり、ありが……」

「あ、しゃべらなくても」

 

 助けられた二人が礼を述べようとするが、痺れと痛みのために呂律が回らず、そんな二人をトゥインクルが気遣って止めた。

 そして、女にとどめを刺した光の戦士がゆっくりと地に下り立ち、これにコスモス四人と彼が振り向く。

 突如として現れた光の戦士は、裾と袖が幅広の(あお)いドレスを身にまとい、その上を水のように澄んだ衣が包んでいる。透き通った衣を表すとすれば、天女がまとう羽衣のよう。

 

「あなたは」

 

 サンシャインとムーンライトが口を利けないため、代わってトゥインクルが尋ねた。

 振り向く蒼い光の戦士。ボブカットを揺らしながら戦士としての呼称を名乗る。

 

「私は〝ブルーマリントリアイナ〟。海王星モデルのコスモスの戦士よ」

 

 長いまつ毛を備える切れ長い目に、美しい形をした薄めの唇と、引き締まった顔の輪郭。

 モデルのように美しい女性で、これに、トゥインクルが気おくれする。自分に自信がないトゥインクル自身の性格もあるが、背の高いブルーマリンの容姿は大人の女性そのものであった。

 一つ(とし)が上のサンシャインとムーンライトよりもずっと大人である。気になったトゥインクルが迷いながらも()く。

 

「あの、いくつなんですか?」

「十七。高校二年よ」

「え、高校生?」

 

 中学生と高校生。齢にすればせいぜい三つの差だが、中学生からして見れば大人にして雲上の人である。

 オトナな光の戦士の登場に四人と彼が驚く。

 

「お姉ちゃんと同じって。あ、私、トゥインクルスターって言います。十二です、三月生まれの中学一年なんです」

「ふふっ」

 

 そして、高校生からすれば、中学生など昔に通った(みち)であり、青臭さを思い起こさせる子供であった。

 子供なトゥインクルの自己紹介にブルーマリンが微笑(ほほえ)む。その一方で環は気になっていた。仰向けに気を失っている女のことを。

 女は目を覚まさない。黒い玉を壊すなら今しかないだろう。

 

「トゥインクル。あの女のアリマニド、早く壊さないと」

 

 玉の破壊を促した環だが、この言にトゥインクルがビクッと身を(こわ)()らせた。

 トゥインクルも分かっていた。弾を壊さなければならないことを。だが、宇宙海賊がその身に隠す黒い玉、見つけられる自信がなく、故に見て見ぬふりをしていた。

 新たに現れた蒼い戦士(ブルーマリン)、「やってくれないかな」なんて甘い考えを抱いていた程である。だが、急に現れた戦士に頼れる訳がなく、やるしかない。それに破壊しなければ、サンシャインとムーンライト決死の戦いが無駄になってしまう。

 トゥインクルが倒れている女に振り向くが、起きた事態を考えてしまって尻込みする。それで今いちど環に彼、サンシャインとムーンライトを見渡すが、やはり他にできる者が見当たらないため、意を決して女のそばにしゃがみ込む。

 

「ええっと、ううっ、どこだろう……」

「がんばれ、トゥインクル」

「ああん、見つからないよぉ。たまちゃん代わってー」

「それが出来ないから頼んでるんでしょーが」

 

 泣き言を訴えるトゥインクルに環が頭に手をあてた。

 親友が泣いている、環も一緒に探してあげたかった。だが、黒い玉は光の戦士だからこそ触れる。壊したことのある環は、黒い玉から常人が触れない異様な魔力を感じ取っていた。

 一度変身が解けてしまうとしばらく変身できない。だから環が、()れ物を触るようにして女の体をまさぐるトゥインクルをやきもきしながらも励ます。

 しかし、――お願い、見つかって。そう願うトゥインクルの思いとは裏腹に見つからない。体のどこに隠してあるのか、涙を浮かべながら探すトゥインクルの右手を、

 

「……あっ!」

「ふふっ、トロくて助かったわ」

 

 目を覚ました女が、体を起こしながらつかんだ。

 

「あなたたち、この子の命が惜しければ大人しくすることね」

 

 立ち上がった女がトゥインクルを盾に言い渡す。

 トゥインクルは首に腕を回されている。これに彼が、環が、サンシャインとムーンライトが動揺するが、そんな四人をブルーマリンが手で制した。

 任せなさい――。そうブルーマリンが四人に無言で背を向け、女に歩み寄る。そして、交渉を開始する。

 女は状況を分かっていなかった。蠍座(スコーピオ)を失ってもう戦えない自身の体と、ブルーマリンという健在な光の戦士がここにいることを。

 

「無駄なあがきはやめなさい。もう戦える状態じゃないでしょう?」

「…………」

「その子に何かして見なさいな。その時点であなたは終わりよ。言っておくけど、私は強いから」

「……クッ」

「その子を放して。放してくれるなら、見逃してあげてもいい」

 

 意外なブルーマリンの提案に女が驚いた。

 だが、にわかには信じられない。女が疑わしく見つめるが、この視線をブルーマリンが見つめ返す。

 やがて、ブルーマリンが静かに首を縦に振り、これに女が尋ねる。

 

「本当に、私を見逃すのね?」

「ええ。安心して」

「……分かったわ。放そうじゃない」

 

 先の水の噴出に反応できそうな位置まで離れた女が、半信半疑でトゥインクルを解放した。

 そして、女が後ずさる。用心に用心を重ねてブルーマリンを凝視するが、ブルーマリンは動かない。

 背を向けて跳躍する。再起を図って高く飛ぶ。そんな女の後ろ姿を見届けたブルーマリンが、

 

「大丈夫?」

 

 解放されたトゥインクルに尋ねる。

 

「はい。あ、あの、すみません」

「いいよ、謝らなくて」

「でも、大丈夫だったんでしょうか」

 

 女を逃がしてしまったことに不安を覚えるトゥインクルに、

 

「……平気よ」

 

 ブルーマリンが目を伏せながら答えた。

 逃げた女に一抹の不安を覚える四人と彼だが、ひとまず撃退には成功した。この結果に皆が息を吐く。

 

「久しぶりだベエ、ブルーマリン」

 

 すると、妖精が現れた。

 なに食わぬ顔してふよふよと浮かぶ妖精に、

 

「出たわね」

 

 と、ブルーマリンが目を鋭くする。

 紛れもない敵愾心(てきがいしん)。その抜き差しならぬ視線に四人と彼が驚くが、更に驚くべき衝撃の事実をブルーマリンが暴露する。

謎に包まれた妖精の正体が、今ブルーマリンによって明かされる。

 

「みんな、(だま)されないで。こいつの言ってること全部ウソ、こいつは私たちを利用しているの」

 

 ブルーマリンが妖精を指して非難した。

 更に続けるブルーマリン。憎しみと軽蔑が入り混じった、不信感にあふれる眼つきで。

 地球の侵略を目論(もくろ)む宇宙海賊、そして、それを阻むコスモス。妖精が説く二つの概念が根底から覆る。

 

「宇宙海賊なんてみんなこいつのデタラメ、ブラックホール団なんて存在しないの。みんな知ってるでしょう? ブラックホール団なんて言ってるのは私達コスモスだけなのを。こいつの正体は、タイムマシンが完成した未来から転送されてきた、日本を無くすためにやってきた自律型AIよ」

 



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未来の世界の●●型ロボットどんなもんだい


 もしタイムマシンという人類の夢が実現すれば、今まで語り継がれていた歴史の真相を暴く究極の真理となるだろう。歴史というものは勝者によって作られるものであり、勝者によって闇に葬り去られた真実や、なぜ起きたのか(いま)だ不明とされる事件の動機や背景が、次々と解明される。

 だが、()っていいのだろうか。歴史に介入する。この行為が有史以来築き上げてきた人の歴史にどのような影響をもたらすのか分からない。下手をしたら、あらゆる概念が覆るのではないか。過去に遡れたら、歴史を書き換えようとする野心家が必ずや現れるだろう。そして、上書きした歴史を目の当たりにした野心家は、己こそが世界の真理を知る神に最も近い者と思い上がり、世界の再構築に躍起となるだろう。

 未来など、誰にも読めるわけがない。予測がせいぜいである。先人が悩みぬいて下した決断や、苦労の末に築いた功績があるからこそ今がある。それを、未来を知っているという理由、否、(おご)りで踏み荒らしていいものだろうか。

 タイムマシンとは、希望すらないパンドラの箱にしか思えない。エゴに右往左往する人類に扱い切れる代物とは思えず、もし扱うとするならば、人は人を超越した何かに変わらなければならないだろう。

 

 ――妖精の正体は、未来から現れた自律型AI。

 光の戦士・ブルーマリントリアイナによる衝撃の発言に、同じ光の戦士トゥインクルスターこと(かのえ)()紬実佳(つみか)が、リングレットアークこと坎原(かんばら)(たまき)が、サンシャイン(いぬい)()(よう)とムーンライト(たつみ)(じま)()(づき)が、トゥインクル意中の彼・(すず)()()()(ろう)が、言葉を発せずにいる。

 妖精とは比喩ではない。今この場には、(はね)を生やしたウサギがふよふよと浮かんでおり、この奇妙なウサギが「妖精」と呼ばれている。

 ウサギのくせに日本語を話し、語尾になぜか「ベエ」と付ける癖がある。また、まるでテレポートのように瞬時に現れる。この今まで謎に包まれていた妖精の正体を、(あお)いドレスの上に透き通った衣をまとう光の戦士ブルーマリンが、タイムマシンが完成した未来から現れたAI、と暴露した。

 

「こいつは私たちに戦わせることで、未来の日本を(ほろ)ぼそうと企てているのよ」

 

 妖精を「こいつ」と指して知らしめるブルーマリンに、

 

「ちょっと待つベエ。この日本を無くそうと(たくら)んでいるのはブラックホール団の方だベエ」

 

 指される妖精が反論した。

 

 ――地球の侵略を企てる宇宙海賊・ブラックホール団と戦う、「コスモス」と呼ばれる光の戦士たちがいる。

 コスモスとは、妖精に戦士としての素養を見込まれた女の子たちの総称である。つまり、彼・鈴鬼小四郎を除いた先述の女の子たちは、みな妖精に選ばれたコスモスの戦士である。

 コスモスの戦士は日本の各地に存在し、なぜか中学ないし高校生の女の子によって構成されている。そして、例外なく変身する。トゥインクルスター、リングレットアークなど先の呼称は戦士に変身した姿の名であり、変身することで現代の科学では説明のつかない超常的な力を得て、その力を(もっ)て宇宙海賊と戦っている。

 妖精から託された変身するための鏡・ハロウィンズミラーと、時を止めるための装置・ユニヴァーデンスクロックを所持し、止めた時の中で変身して宇宙海賊と人知れず戦っている。

 

「なに白々しいことを。ここにいるような何も知らない子たちに、ウソをついてだましてるくせに」

 

 だが、その妖精に選ばれた一人のブルーマリンが、不信感あらわな()つきで宇宙海賊なんかいないと反抗していた。

 妖精が答える。ただし、一部の言は認めて。

 

「ウソをついてることは否定しないベエが」

「認めたわね、自分がウソつきであることを。みんな、今の聞いたよね? 宇宙海賊なんて始めからいないの。こいつはみんなに、彼らのことを宇宙海賊ってだまして戦わせてるの」

 

 言質を確認したブルーマリンが、続く妖精の言葉を遮って皆に妖精はホラ吹きと吹聴した。

 悪意あるブルーマリンの振る舞い。妖精がすかさず「それは違うベエ」と異議を唱えるが、この言い争う一人と一匹に、コスモス四人と彼は困惑している。

 両者に何があったのか。なぜ十七歳の高校生戦士ブルーマリンは妖精を邪険にするのか。

 

「〝(ちゅう)()(ろう)〟、あなたはウソつきよ。あなたに従うことが、この国を守るとは思えない」

 

 ブルーマリンが、妖精を「忠四郎」と呼んだ。

 妖精などと呼ばず名を付けるあたり、選ばれた以上の関係があることが(うかが)える。ちなみに他のコスモス四人は、その口癖から「べーちゃん」と呼んでいる。

 拒絶の態度を表すブルーマリンに、呼ばれた妖精が弁解する。

 

「ブルーマリン、家のことは気の毒ベエが、それとボクは関係ないベエ」

「ウソつかないで。あなたはあんな連中を守ろうとしてるんでしょ? 命を粗末に扱う守る価値もない連中を」

「ブルーマリン、それは勘違いだベエ。ボクは」

「もうやめて。あんな思い二度としたくない。だから私はもう戦わない、彼らに協力するの」

 

 取り付く島もない。ブルーマリンは妖精の言に耳を貸さなかった。

 弁明の余地すら与えられない妖精。だが、他のコスモス四人と彼は事情を()み込めずにいる。そもそも四人と彼は今日、ブルーマリンに初めて会ったのだ。

 ブルーマリンが妖精を否定し、未来から現れたAIと言われても信じられるはずがない。妖精は何を考えているか分からない謎の存在だが、その妖精を否定するブルーマリンの言も突拍子に過ぎる。

 このようなとき、尋ねるのは決まってサンシャイン、次いでムーンライトだが、この二人は先の戦いで負傷しているため、

 

「あの、ブルーマリン」

 

 トゥインクルが、四つ上の高校生におそるおそる尋ねる。

 妖精が生物らしい仕草をするところをトゥインクルは目にしており、それを頼りに真偽を問う。

 

「なに?」

「べーちゃんが、タイムマシンが完成した未来からやってきたAIって本当なんですか?」

「べーちゃん? 忠四郎のこと? うん、そうよ」

「でも私、べーちゃんがおいしそうにアイスティー飲んでるところ見たことありますよ」

「機械には見えないってこと? あのねトゥインクル、こいつはこんな見た目してるけど、タイムマシンが完成した未来のテクノロジーで作られた、私たちの想像のはるか上をゆくロボットよ」

「って、言うと?」

「信じられないと思うけど、こいつ機械のくせに、人と同じ物を食べ、人と同じ物を飲み、それを動力に変換してるロボットなの」

「えっ。人と同じ物を、ですか」

「そう。ロボットのくせに人と同じ物を食べて動いてるの。さしずめドラ●もんといったところなのよ」

 

 ガソリンや電気などではなく、人と同じ物を食べて動くロボット。妖精が以前に陽の家でアイスティーを飲んでいた訳をトゥインクルは理解した。

 しかし、驚きをもたらしただけだった。トゥインクルはぽかんと口を開けており、妖精の生態だけでは真の理解を得られないことを、説明したブルーマリン自身が分かっていた。

 今日初めて現れた自分がここにいる皆の信頼を勝ち取るためには。そう理解してもらうためにブルーマリンが、

 

「ねえトゥインクル。コスモスになってどのくらい?」

 

 と、トゥインクルに戦士歴を問う。

 

「え、私ですか? えっと、去年の五月だから、九か月です」

「私はね、もう三年()ってるの」

「三年」

「そう。まだ戦士になったばかりの頃、こいつのこの見た目に(だま)されて世話をしたこともあるの。だから、私を信じて」

 

 自分は妖精についてこの場にいる誰よりも知っている。そうブルーマリンがアピールして信用を求めた。

 トゥインクルの親友、坎原環が話に交じる。もしブルーマリンの言っていることが本当ならば、この世界は既に侵されている。

 

「ブルーマリン。あんたのいう事が本当なら、この時代には既に未来人がいるってこと?」

 

 AIが既にいるならば、既に人だっている。当然の疑問を環が投げかけた。

 疑問にブルーマリンが答える。ちなみに、環は先の戦いで変身を解かれており、戦士としての姿ではないのでリングレットではなく環と記述する。

 

「いいえ。それはいないみたい」

「どうして? タイムマシンができたなら、ロボットを過去に送り込むよりは人を直接送りそうなものだけど」

「そうね。でも、タイムスリップとは言い換えると過去へのデータ転送で、人を過去に送るとなると、天文学的な数字の転送量が必要になるみたいなの」

 

 インターネットからの画像やファイルのダウンロードを思い浮かべて欲しい。容量が大きければ大きい程ダウンロード、すなわち転送に時間を要するだろう。

 時間を要するということは、転送中に通信の切断などの障害が起こり得る確率が高くなる。結果、転送の成功率が低くなる。そのような理由で人を過去に送り込めない旨をブルーマリンが話し、

 

「人には喜びや怒りなどの感情があるわ。タイムスリップには不必要な。だから未来でもその感情ごと過去に転送するのは不可能で、こいつみたいな未来の日本を(ほろ)ぼすためだけに機能を絞り込んだロボットを送り込むことがせいぜいみたいなの。……ま、こいつから聞いた話なんだけど」

 

 妖精を指して環に説明した。

 未来の日本を「守る」ために機能を絞り込んだ。そう妖精が訂正を求めるが、ブルーマリンは聞き入れない。

 一応の納得を示すトゥインクルと環。そして、ブルーマリンが妖精に従うことの危うさを話し始める。

 

「みんな、〝時間の競合〟って言葉、こいつから聞いたことある?」

 

 ブルーマリンがこの場にいる皆を今一度見渡して()いた。

 初めて聞いた言葉に、トゥインクルと環が首を横に振る。

 

「やっぱりまだ聞いてないよね。それじゃ、私が忠四郎から聞いた未来をこれから話すね。パラレルワールドって知ってるよね?」

 

 SFならよく聞く単語に環が反応する。

 

「パラレルワールドって、いくつもの世界が同じ時間で枝分かれしているように存在してるっていう」

「そう。でも、実際はそんなことなくて、過去は遡って書き換えようとしても変えられないの。例えば、物騒な例えになるけれど、私が過去に遡って昔のあなたを殺そうとするじゃない? でも、昔のあなたは道を変えたりして私との接触を免れたり、私が何かしらのアクシデントに巻き込まれてあなたとの接触を果たせなかったりして、結局わたしはあなたを殺せないの」

「へー。そうなんだ」

「うん。あなたは死なない、世界はそういう風にできてるの。歴史を変えようとしても結局は変えられない。この定めとでも言うべき事象が、タイムマシンが完成した未来において判明してるの」

 

 過去は曲げられない。つまり、世界は常に一つでパラレルワールドなど存在しない。そうブルーマリンが説明した。

 耳を傾ける環とトゥインクルにブルーマリンが続ける。

 

「過去を変えられない。この事実に未来の人々は落胆しつつも(あん)()したみたい。もし過去を変えられるなら、今ある自分の存在が危うくなるからね」

「うん、そうなるね」

「そんなこんなで未来では、タイムマシンを使った過去を変える試みを一度は放棄するの。でも、ごく一部の科学者は諦め切れなくて、変えられない過去を何としてでも変えてみようとしたの」

 

 いつの時代も狂信的な人間はいる。周りに理解されずとも信じ続ける人が。

 そして、それは時として時代の常識を打ち破る。断っておくが、決して良い意味で言っているわけではない。秩序、道徳、因習、伝統。それら長らく信じられてきたものが否定されるのだから。

 狂信的な科学者が引き起こした未来の世界。その神も予想できない(いびつ)な有り様をブルーマリンが明かす。

 

「あらゆる手段を講じて過去を書き換えようとした結果、未来では今こんな事が起きているみたい。例えば、徳川家康(とくがわいえやす)は知ってるでしょ?」

 

 ブルーマリンがトゥインクルに視線を合わせて訊く。

 

「えっ。な、名前だけなら。たまちゃん、何した人だっけ?」

 

 歴史が大の苦手なトゥインクルが親友に訊くが、それを待たずにブルーマリンが続ける。

 

「名前だけ知ってれば十分よ。その日本人なら誰もが知っている徳川家康を、Aという日本人は当たり前のように知ってるけど、Bという日本人は全く知らない、記憶の片隅にもないっていう現象」

「えっ。何ですかそれ。どういう意味ですか?」

「みんなが常識で知っている物や人が、ある人は知っていて、ある人は全く知らないって現象が起きてるの。これが未来で起きてる〝時間の競合〟って現象」

 



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ビニール袋を有料化して牛は殺処分する都合のいいときだけSDGsとのたまう我らが日本

 『時間の競合』。皆が常識で知っている物や人物が、ある人は知っていてある人は記憶の片隅にもないという不可解な現象が、未来では起きていることをブルーマリンが話した。

 競合とは、言葉のとおり競り合うという意味だが、コンピュータの世界では、Aというユーザーがデータを書き換える目的でデータベースにアクセスし、まずはデータBを確認する。時を置かずしてCというユーザーも書き換える目的でデータベースにアクセスし、データBを確認する。このユーザーCがデータBを確認している裏で、ユーザーAがデータBをデータDに書き換えてしまう。すると、ユーザーCがデータBを書き換えようとしても、そのデータBはユーザーAがデータDに更新しまったために書き換えることが敵わない。これを競合(コンフリクト)と言う。

 ある者は知っていてある者は知らない。時間の競合とは、コンピュータの競合になぞらえた呼称なのだろうか。この、未来における不可解な現象を話したブルーマリンが、

 

「今の徳川家康は例えが極端だけど、タイムマシンが完成した未来では、世界共通で知っているはずの事柄が、ある特定の地域の人だけ全く知らないという現象が起きているみたいなの」

 

 自らの言にフォローを入れた。

 トゥインクルと環は、妖精を一貫して否定するブルーマリンを見続けている。その挙措に不審な点は見受けられず、妖精に「ウソをついてる」と自白させてもいる。

 妖精はそもそもが理解不能な謎の存在だ。外見はもちろんのこと、日本語をしゃべり、時を止める装置や変身するための鏡など、現代の科学では説明のつかない魔法のような道具を渡している。瞬時に現れることも異常である。

 未来から現れたAI、と言われて()に落ちてしまうブルーマリンの証言は、同じコスモスである二人にとって信用に足りた。しかし、それでも不可解な点は山ほどある。

 

「ブルーマリンの言っていることが本当として」

 

 トゥインクルが、まだ全てを信じたわけではないと前置きした後に、

 

「べーちゃんと、未来の日本が滅ぶって、どう関係するんですか?」

 

 話を初めに戻し、妖精を非難する訳を()いた。

 どうして妖精が、未来の日本の滅亡につながるのか。これにブルーマリンが、形の良い薄紅色の唇を引き締め、時間の競合で起きる事象を利用したプロジェクトを話し始める。

 それは、ある意味で過去、すなわち歴史を書き換える壮大な実験。しかも己の手を汚さずに大量の人間を駆逐する、歴史に名を残した虐殺者も真っ青の所業。

 

「時間の競合に話を戻すけど、ある物が人々から忘れられる、つまり、記憶から消失するって話をしたよね?」

「はい」

「この消失という事象に未来人が着目するの。世界の秩序を乱す、国や民族や宗教を消せるんじゃないかって。こいつのプロトタイプと言うべきAIを次々に作り上げ、始めは一人の人間、次は家族、一族に一つの村、一つの町。消失という現象を徐々にスケールアップさせる実験を繰り返したの」

「えっ。家族や町を消すって、そんなことできるんですか?」

「忠四郎が言うには成功したみたい。そして、(つい)に国を消失させる段階まで実験が進んだの。その標的となった国が未来の日本」

「日本?」

「うん。未来の人たちは、この世界から日本を消そうと実験しているの」

「え、ええっ! 日本を」

「うん。忠四郎は、その(ため)に現れたAI。こいつは私達コスモスを、宇宙海賊とか言って(だま)し、日本を消失させる(たくら)みに加担させてるのよ」

 

 妖精を指したブルーマリンに、この場にいる皆が愕然(がくぜん)とした。

 未来では、日本が消されようとしている。もし実験が成功して消されたら、日本は、世界は、自分はどのような有り様となるのだろう。照明が消されるように自分という存在が突然消えるのか。はたまた異次元の訳の分からない世界に突然飛ばされるのか。想像はできずとも得体の知れない恐ろしさを皆が抱く。

 皆の視線が妖精に注がれる。皆が妖精を驚きの目で見ている。

 

「ちょっと待つベエ。何度も言うけどボクは逆に、この日本を守るために送られたプログラムだベエ」

 

 しかし、妖精が異を唱えた。

 ブルーマリンが反抗する。その優れた容姿を再び険しくし、疑いと軽蔑に満ちあふれた眼つきで。

 

「ふん、もう騙されない。忠四郎こそ私たちの敵よ」

「日本を無くそうとしているのはブラックホール団だベエ」

「だから、彼らのことを悪く言うのは」

「今からそう遠くない未来、人類はラグランジュ3、つまり太陽の裏側にて、全てを吸い込むようなブラックホールの(ごと)き暗い物体を発見するベエ」

「…………」

「物体が無尽蔵に近いエネルギーを持つことを知った人類は、その暗い物体を〝トゥルーダークマター〟と名づけたベエ。そして、トゥルーダークマターが持つエネルギーを基に、人類はタイムマシンを完成させたベエ」

 

 妖精が、ブルーマリンの言葉を遮り、人類がタイムマシンを完成させるまでの経緯を簡潔に話した。

 遂にプログラム、すなわちAIと認めた妖精。これにブルーマリンを除いた皆が息を()む。

 トゥルーダークマターという単語は、前に妖精が「人間の欲を具現化する物質」と述べていたが、プログラムと自白した今となっては今更感があり、誰も驚かない。

 

「さっきブルーマリンが言ったとおり、タイムマシンでは過去の改変は敵わなかったベエ。でも、それでも未来の主要各国は、莫大(ばくだい)な国家予算を投じて極秘裏に過去改変の研究を勧めたベエ」

 

 妖精の言に環が声を上げる。

 

「あれ? べーちゃん、さっきブルーマリンが一部の科学者って言ってなかった?」

「一部の科学者も間違いではないベエ。過去を変えようとする狂気的な科学者に、国がひそかにパトロンとして付いたんだベエ」

「はー、なるほど。あたしは理解できちゃうかも」

「でも、やっぱり過去は変えられなくて、どの国も研究は行き詰まったベエ。どの国も疲弊して、過去改変の予算縮小を検討し始めたとき、日本の名も無きある科学者が〝時間の競合(タイム・コンフリクト)〟という論文を世界に発表したベエ」

 

 未来から現れたAIの妖精が、ブルーマリンも知らない未来の説明を皆に聴かせる。

 

「全く違うアプローチで過去の改変を提唱した論文に世界が目を見張ったベエ。それと同時に、出所が日本で安心したベエ」

「なんで日本で安心したの?」

「タイムマシンは世界の共有資産として管理されていて、日本にタイムマシンを独占できるほどの力がなかったからだベエ。研究に行き詰まっていたこともあって、普段いがみ合っている主要各国が一致協力して論文の実証を始めるベエ」

「へー」

「そして、論文の正しさが証明されたベエ。過去を変えられることが分かった主要国は、新しき世界の秩序を(ひょう)(ぼう)し、消失の実験を繰り返すベエ。あとはさっきブルーマリンが言ったとおりだベエ」

 

 妖精の説明に、相槌(あいづち)を打つ環が、トゥインクルと彼が納得した。

 ブルーマリンも()(ぜん)としながらも驚きを隠せないでいる。新しき世界の秩序、それがただの未来の主要国家に(あだ)なす存在の排除と言うのなら、なんと傲慢な考えだろう。

 だが、トゥインクルが疑問を呈す。未来の主要各国は、日本から生まれた「時間の競合」なのに、その時間の競合を使って日本を消そうとしている。

 

「ねえべーちゃん。その論文って日本が出所なのに、その日本を消そうとして大丈夫なの?」

「大丈夫なもんかベエ。日本を消してしまったら世界はどうなるか、もうボクにも想像が付かないベエ。未来の主要国は控えめに言って狂ってるベエ」

「ええっ」

「過去の改変に疑問を呈す人間もいて、時間の競合の出所である日本を消せば、過去の改変も逆説的に防がれるって考えに基づいてる節もあるベエが、それにしても滅茶苦茶だベエ」

 

 未来のAIである妖精が、独善的でやり方を問わない未来の主要各国に毒を吐いた。

 そして、妖精が皆にダメ押しする。皆の目が疑いから驚きに変わり、一定の信頼を取り戻したことを確信して。

 

「みんなが持つハロウィンズミラーにユニヴァーデンスクロック、ブラックホール団が持つアリマニドは、いずれもトゥルーダークマターから生成された未来のツールだベエ。この未来のツールを使って日本の消失を加速させようとするブラックホール団は、絶対に止めなくちゃならないベエ」

 

 コスモスと敵が持つ力の供給源が、未来の発明品であることを明かした妖精だが、一人納得していない立場のブルーマリンが妖精を問い詰める。

 

「だからと言って、あなたに従うことが日本を守ることにつながるの?」

「それは」

「つながらないよね? だって、あなた私に言ってたじゃない。先進国の地位から降ろされた未来の日本は、相変わらず大国にぺこぺこして、自国の産業を(ないがし)ろにしてまで大国の生産品を買わされ続けてるって」

「…………」

「今と変わらないじゃない。そのうえ消されようとしているなんて。……忠四郎、むかし一緒に暮らしてたあなたは知ってるでしょうけど、私の家は乳牛を飼っていたのよ。牛乳が余ってるから牛を殺せ、なんて言う国を、あなたに従って守る価値なんてあるの?」

「ブルーマリン、何度も言うけど勘違いしてるベエ。ボクは、世界が二つに分かれ」

「やめて! もう聞きたくない。私の家は、あなたが守れって言う国に潰されたの。あなたこそ日本を無くすAIよ。それだったら彼らと手を取り合って、今のこの国を壊して新しくするべきよ」

 

 ブルーマリンが、家業が国によって潰された過去を吐露した。

 数年前、ある感染症が世界を襲い、この被害を受けた我が日本は外出の自粛を国民に呼びかけた。

 マスクの常時着用、ソーシャルディスタンス。自粛は人々の生活に多大な影響を及ぼした。そして外出の機会が減ったことで生乳の消費が著しく落ち込み、これに国は乳牛の殺処分を酪農家に推奨する。

 酪農家にとって牛が要らないから殺せ、とはあんまりだろう。ブルーマリンの国に対する恨みを皆が理解する。

 

「あの、ブルーマリン」

 

 トゥインクルがブルーマリンの述べている呼称について尋ねる。

 

「ブラックホール団? へいず? ブルーマリンの言う彼らって」

「そう。彼らとは、ヘイズの人たちよ」

「な、なんで? 手を取り合うって、あの人たち敵なんじゃ」

「落ち着いて。みんながみんな敵って訳じゃないの。確かに彼らの中には私達コスモスを付け狙う人もいる。でもね、未来の力を人のために、みんなのために役立てようって人もいるの」

 

 敵をかばったブルーマリンに、トゥインクルが口をつぐんだ。

 今までトゥインクル達は、力に溺れた利己的な敵と幾度も相対している。故に利他的な敵もいる、と言われてもにわかには信じられない。

 特に環は、利己的な敵に友人を殺されている。なぜ敵の皆が皆そうじゃない、なんて言い切れるのか。

 

「なんでブルーマリンはそんなこと知ってるの?」

 

 疑問に思った環が訊くと、

 

「それは、ある人から教えてもらったの」

 

 と、ブルーマリンが答えた。

 



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便所の書き込みが人を殺す

「ある人、って」

 

 敵がコスモスを付け狙う悪い人間ばかりではないことを、「ある人から教えてもらった」。そう告げたブルーマリンに環が()き返した。

 環は信じられずにいる。身に宿した闇の力を、人の(ため)に役立てようとする敵がいることに。

 いったい誰なのか。その答えに環が固唾を()む。

 

「それは、そのうち紹介するわ」

 

 しかし、後日と、ブルーマリンは回答を控えた。

 肩透かしを食らって釈然としない環をよそに、ブルーマリンがトゥインクルに振り向く。

 トゥインクルの手を取り、一枚の紙きれを渡す。

 

「これ、私の連絡先。落ち着いたら連絡してね。待ってるから。それじゃ」

 

 自身の連絡先を記したメモをブルーマリンが渡した。

 そして、ブルーマリンが(きびす)を返し、飛び立つその(あお)い背を皆が見届ける。

 蒼き後ろ姿が彼方(かなた)に消え、渡されたメモに目を落としたトゥインクルが、

 

「ねえ鈴鬼くん、たまちゃん、どうしよう」

 

 (とし)が四つも上の人の誘いに乗るべきか戸惑ってしまう。

 トゥインクルに対しては物腰が柔らかだった。だが、妖精を終始批判し、敵をかばうような発言までした者を信用していいものか迷う。

 彼も悩んでいる。同じコスモスである環が、トゥインクルからメモを受け取り、連絡先に目を通したところ、

 

「連絡して欲しいベエ」

 

 妖精がトゥインクルと環に告げた。

 

「べーちゃん」

「ブルーマリンは、トゥインクルとリングレットを誘うはずだベエ」

「誘う? 何に?」

「それをその目と耳で確かめて欲しいベエ」

 

 妖精の頼みに、トゥインクルと環が目を見合わせた。

 誘いとは。そして、なぜ自分たちを誘うと分かるのか。疑問だらけで、そんな何が目的なのか分からない誘いに、妖精はひとまず乗って確かめろと言っている。

 妖精はこのようなとき、多くを語らないし教えもしない。それが分かっている環が追及を諦め、妖精とブルーマリンの関係の詳細、それとブルーマリンが「ある人」と言った人物について尋ねようとするが、

 

「べえ、ちゃん……」

 

 うずくまる格好のサンシャインが妖精を呼んだ。

 先輩の振り絞った苦しげな声に環が口をつぐむ。

 

「べーちゃんが未来からのAIって、今の人が、言ってたことってホントなの?」

「本当だベエ。ブルーマリンがバラさずとも、サンシャインとムーンライトにはそろそろ話そうと思ってたベエ」

「……なんで」

「だましていたことは謝るベエ。それで、サンシャインとムーンライトは、これからコスモスとしてどうするか、よく考えて欲しいベエ」

 

 妖精がサンシャインとムーンライトの前に移動する。

 膝を突く二人が、浮かぶ妖精を見上げる。

 

「二人は〝(ぬえ)〟を知ってるかベエ?」

「……ぬえ?」

「多様な動物をごちゃまぜにしたキメラのような妖怪の事ベエが、転じてつかみどころがなく、得体が知れない者を指すベエ。ボクの正体に、終わりの見えない戦い、誰も褒めない寂しさに、確かめることができない正しさ」

「…………」

「生き残るコスモスの子は、ヒト故に例外なく見返りを求めるベエ。ある子はボクの正体を、ある子はボクの真意を、またある子は誰かからの愛を、またある子は己が貫く正義の証明を、だベエ。そう思い始めた子にボクは、ボクの正体と、未来で起きてる時間の競合、この国の未来を明かすことにしてるベエ」

「…………」

「そして、あまり良いとは言えないこの国の未来を知り、それでもブラックホール団と戦ってくれるか、コスモスの一人ひとりに問うことにしてるんだベエ」

 

 褒めるということは重要である。人はそれで己の行動が正しいと確認できる。

 結果、人は迷いを捨てて行動する。人それを導きと言い、意思疎通の基本にして真理である。

 妖精を見上げる二人。つかみどころのない、得体の知れない鵺のごとき妖精を。余談だが、「誰かからの愛」と言われてトゥインクルが、「己が貫く正義の証明」と言われて環が妖精に目を向けている。

 

「ブルーマリンは残念だけど、未来の日本に失望して戦いを放棄したベエ。でも、それはそれで構わないベエ。ボクはボクの選んだ子の意志を尊重したいし、それにボクの正体を知った子にボクは先の戦いを強いることはしないようにしてるベエ」

「…………」

「だから、ここから先は降りるのも自由だベエ。二人ほどの素質を持った子は(まれ)だから戦って欲しいケド、降りるというなら仕方ない、諦めるベエ」

 

 最後に妖精が二人に告げる。

 

「二人がボクを信じられないことは承知してるベエ。でも、これだけは信じて欲しいベエが、ボクがこの国を守るために現れたことは本当だベエ。一つの世界を二つに、なんて絶対に止めなくちゃならないベエ」

 

 姿を消した妖精に、

 

「なに、それ。どうして、すぐにどこか行っちゃうの……」

 

 サンシャインが顔に悔しさを(にじ)ませて泣き、ムーンライトは放心したようにうつむいていた。

 

 ――場所は変わって、遠く離れた某都市の某所。デパートの屋上に黒いスーツ姿の女が降り立つ。

 女が周りを見回し、人がいないことを確認する。

 

「ここまでくれば、大丈夫かしら」

 

 先にサンシャイン及びムーンライトと死闘を繰り広げ、ブルーマリンから見逃されたウルカこと那家(なか)(むら)美也子(みやこ)が、息をつきながら腰を下ろした。

 ヘイズに所属する美也子は、この日本に住む全ての醜い男を排除したいと願っている。

 アリマニドと呼ばれる黒い玉をその身に宿すヘイズは、コスモスの子を殺すと願いを叶えられるルールがあり、それでヘイズに所属する者はコスモスを付け狙う。説明が遅れたが、ヘイズとは妖精の言うブラックホール団のことで、コスモスの敵である。

 

 今から十二年前、美也子は恋愛の末に結婚した。

 相手の男は、お世辞にも強いとは言えず、周囲から侮られるような頼りない男性だった。芸能通からは「なんであんな冴えない男が那家村美也子と」なんて言われていた程である。だが、自分が支えればいい。当時ニュースキャスターとして絶頂期を迎えていた美也子はその気概で籍を入れた。

 娘を授かり、美也子は幸せで充実した日々を送っていた。だが、そんな日々は早くも崩れ去る。芸能界の大物に目を付けられていた美也子は、強姦(ごうかん)されてその様子を撮影された。

 動画を流布されたくなければ従え、と脅迫される日々。そして、その事実を知った夫は、自分ごときと結婚したからだ、と首をくくってしまう。

 

 しかし、真実が白日の下にさらされるとは限らない。芸能界ならなおさらである。

 誰もが憧れるニュースキャスターの夫の自殺。このニュースをネットその他が面白おかしくなじった。特に匿名(とくめい)掲示板には「冴えない男の育て方w」「無相応な結婚をするからだ」といった書き込みがあふれかえる。

 愛する人の死を皆が嗤《わら》った。美也子に味方は誰もいなかった。こうしてキャスターを辞職し、酒におぼれながら自分と夫を中傷した有象無象の者たちを憎んでいたところ、「あのお方」が現れて彼女はヘイズ入りを果たす。

 体に植え付けた闇の力(アリマニド)をもって強姦した男は殺した。そして、中傷した者たちを全て独身男性とみなし、美也子はジェンダーの平等などと言ったSDGsという正当性を掲げて抹殺しようとしている。

 

「ここにいましたか、ウルカさん」

「エクリプス君」

 

 美也子の前に、顔の右半分を覆った仮面をかぶる青年が現れた。

 青年は、黒のコートをまとい、黒のスラックスを履いている。同じヘイズに所属する同志である。

 弟のように思っている同志に気を許す美也子。しかし――。

 

「よく私がここにいるのが分かったね」

「フフッ、後を()けましたから。追いかけるのは少々苦労しました」

「は? 後を、尾けた?」

 

 澄ました顔で吐いた不穏な表現に美也子が語尾を上げた。

 そもそも、何の用で現れたのか。意図を読めずにいる美也子を(しり)()に青年が告げる。

 

「今だから告白しますけど、僕はコスモスの子を殺してしまったことがあるんですよ」

 

 初耳だが、今なぜそんな話を、と美也子が(いぶか)りながら相槌(あいづち)を打つ。

 

「へ、へえー。そうなんだ、初耳なんだけど」

「知らないのも当然です。ウルカさんがヘイズに入る前の話ですから」

「それで?」

「とても後悔しました。どうして殺してしまったのだろう、どうして戦わなければならなかったのだろう、と。それからです、僕が戦わずにこの国を壊す道を模索し始めたのは」

「そんないきさつがあったんだ。でも、なんで今その話を?」

「ここで伝えておきたいことは、僕もあなたと同じく人殺しです。臆しているわけではありません、必要とあらば、僕はためらいませんので」

「……えっ?」

 

 青年が、美也子に襲い掛かった。

 美也子の着る黒のスーツを脱がせ、黒のシャツを無理やりひん剥く。

 

「いやっ! なっ、何をするの!」

 

 ブラジャーをさらけ出した美也子だが、劣情をもよおす青年ではなかった。

 狙いは別にある。青年の狙いは、美也子がその体に植え付けた黒い玉(アリマニド)。美也子の体を遠慮なくまさぐり、黒い玉を引きずり出す。

 そして、握り潰して破壊し、力を失った美也子の腕を引っ張って屋上の端まで強引に連れる。

 

「な、何のつもりよ!?」

「ヘイズ随一の強さを誇るあなたが、弱るのを首を長くして待っていました」

「……ま、まさかっ」

「そのまさかです。あなたみたいな人を葬るのにためらいはない」

「どうして!? こんなの納得いかないわ、私があなたに何をしたっていうの!?」

「あなたに殺された同志もそう思ったでしょう。僕は知っています、あなたの決して許されない行いを。あなた同志にまで手をかけていましたよね?」

 

 醜い男性を憎む美也子は、ヘイズの男も殺していた。

 黙る美也子を、青年が無慈悲な目で見つめる。

 

「僕が知る限りでも四人は殺してますよね? 同志に手をかけるのは見逃せません」

「エクリプス君、やめて、お願い! 私には娘のためにやらなきゃならないことがたくさんあるの!」

「フッ、今さら(ざん)()したところで遅いですよ。地獄で殺した同志に()びてください。それに、気に入らないものをことごとく排除しようとするあなたは僕が最も嫌う人の(たぐい)です。あの子からも許可は頂いています、すみませんが死んでください」

「やだっ、いやああぁっ!」

 

 青年がつかまえる美也子の腕を外に向かって放り投げた。

 



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トキメキを運ぶ リアルな時が止まる

 線路は続くよ、どこまでも――。なんてことはなくて、僕たちが乗る列車の路線は、山梨県の県庁・八代(やつしろ)()を終点とする。

 今は二月、列車が冷たそうな川を沿って進んでいる。ローカル線に乗る僕たちは、山梨県の南部に位置する()(おん)(ちょう)という町に向かっていた。

 

 僕の名前は(すず)()()()(ろう)明倫(めいりん)中学校に通う中学一年の男である。

 無味無臭。友人にそう言われる程パッとしない。趣味なんて言えるものは特になく、強いて挙げるならゲーム、だろうか。

 自分を上中下の更に上中下で表すと、勉強は中の下くらいだった。最近は勉強をしているおかげか、中の中くらいには成り上がったかな、と思っている。でも、運動は下の中、おまけに背はクラスの男で前から並べば二番目に低い。

 僕は、取り柄らしい取り柄など皆無な人間だ。人は何かになれる、なんて何かのキャッチフレーズで聞いた覚えがあるけどなれる気がしない。きっとこの先も平々凡々な人生を送り、他人に迷惑をかけないよう慎ましく生きるのだ、と思っていた、けれども――。

 

「ねえ鈴鬼くん、わたし山梨って行ったことないんだ。鈴鬼くん行ったことある?」

 

 ボックス席、僕の向かいに座る彼女が、川を眺めている僕に()いた。

 彼女に振り向き、八代に一度だけなら、と答えた僕。今日も度の強い眼鏡をかけている彼女は庚渡紬実佳さんと言い、僕がこの世で一番好きな女の子だ。

 クラスメートで、小さくて愛らしく、眼鏡を外したら更に可愛い。そして、なんと地球を守る変身ヒロインであることを僕だけが知っている。――いや、地球を守るという名目はこのまえ否定されたのだった。

 僕は五か月前に、彼女の変身した姿を偶然見て一目ぼれし、友達の関係を申し込んだ。まだ告白する勇気はないが、あと一月すれば半年だ。そろそろ進展するべきなのでは、と思っている。

 

「はー。紬実佳ー、トロピカらないよ、もう電車飽きたー」

 

 ローカル線に揺られること約一時間半、彼女の隣に座る坎原さんが長い旅路にぼやいた。

 坎原環さん。東京生まれ東京育ちのクラスメートで、彼女の親友にして相棒である。この坎原さんも彼女と同じく変身ヒロインだ。

 とても良い容姿をしており、一見ではクールな印象を人に抱かせる。故に学校の男子から人気のある子だが、そんな坎原さんが割とポンコツであることを僕は知っている。ピーマンが苦手だったり、変にオタクなところがあったり、お化けを怖がったり。断っておくが優越感などない。彼女といつも一緒にいるから目につくのだ。

 

「まあまあ。たまにはこういうのんびりとしたお出かけもよくない?」

「うー。特急乗ろうって言ったのにー」

 

 なだめる彼女に、坎原さんはぐずっていた。

 僕と彼女と坎原さんは、ローカル線に乗って先述した久遠町に向かっている。十時前には到着するだろう。

 彼女が「これをおかずにごはんが食べられる」と豪語する好物「中野こんぶ」を取り出し、それを坎原さんに差し向ける。坎原さんがパクッと(くわ)える。

 まるで餌付けみたいだ。そう思いながら外を眺めると、車内から、

 

「次はかぞね、(かぞ)()

 

 と、次の停車駅のアナウンスが聞こえ、電車が減速を始めた。

 程なくして電車が停止する。ローカル線のために扉は開かない。開ける場合は扉の横に備え付けられたボタンを押して降車する。

 中野こんぶを()み込んだ坎原さんが僕に尋ねる。

 

「鈴鬼くん、あと何駅ー?」

「えーと、四駅だね」

「まだ四駅もあるのー? はー、もーちょっとだけどまだまだだねー。こっちって、駅と駅の区間ながいしー」

 

 坎原さんが背もたれに背を預け、宙をだらしなく仰いだ。

 白い首を(あら)わに上を向く坎原さん。だが、思い直したように首を縦に振って体勢を直す。

 

「紬実佳」

「なに?」

「乾出さんと巽島さんなんだけどさ」

「あ、うん」

怪我(けが)は完治したみたいだけど、誘える雰囲気じゃなかったよね」

 

 陽さんと美月さんは、以前の戦いで病院通いの怪我を負ったが、それが完治した旨を坎原さんが伝えた。

 だが、体の怪我より心の傷が深刻のようで、付き合いの長い彼女から聞いた話では、妖精の正体と、妖精がいまだ何を考えているのか分からないのが余程こたえているよう。

 本当なのだろうか。妖精が、未来から現れたAIと言うのは。いまだ信じられず、夢のように感じる。

 

「やっぱべーちゃんに(だま)されてたことがショックだったのかなぁ」

「そうだね、ショックだったと思う。陽さんと美月さんって、コスモスになる前はすごい仲わるかったみたいだし」

「え、そうなの紬実佳? あの二人が仲わるかったなんて、ちょっと信じられないんだけど」

「いつもいがみ合ってて、顔も合わせたくないくらい仲わるかったんだって。でも、コスモスになったことがきっかけで仲良くなったみたい。だから、陽さんと美月さん、べーちゃんを信じたかったんじゃないのかな」

 

 彼女が明かした先輩二人のいきさつに僕も目を瞬かせた。

 あの先輩二人にとって妖精は(かすがい)なのだろう。だが、その鎹が、今は信じることができない。

 

「乾出さんと巽島さん、コスモス、やめちゃうのかな」

「分かんない。辞めて欲しくないけど」

 

 訊いた坎原さんに彼女が力無く答えた。

 どこまで本当なのだろうか。今までの妖精を(かんが)みると、未来のAIと言われて一応の納得を示せるが、それでもコスモスではない一般人の僕にはいまいち信じられない。

 僕は妖精と一対一で話したことがなければ、その恩恵、と言っていいのか分からないがそれも受けたことがない。常に傍観者である。妖精に見込まれた彼女や坎原さんなら信じられるのだろうか。

 そして、これ以上戦いを強いることはしない、と突き放した妖精。陽さんと美月さんは、あの(あお)い戦士と妖精のどちらを信じるべきか迷っているのでは。そう彼女は前に言っていた。

 

「久遠、くおんー」

「やっと着いたー」

 

 三駅を過ぎ、車内のアナウンスに坎原さんが立ち上がった。

 僕たち三人が電車を降りる。それから改札を抜け、駅前に出る。

 広いロータリーがあるだけで、特に目を引く建物は見当たらなかった。地元より田舎だ、なんて僕が同じ田舎育ちのくせに思ってしまう。

 

「あっ、ゆ●キャンのバス」

「ほんとだ」

 

 久遠町が舞台のアニメキャラが描かれたバスを僕たちが発見すると、

 

「紬実佳ちゃん、坎原さん」

 

 女の人の声が二人の名を呼んだ。

 振り返ると、ダウンジャケットにジーンズ姿の、落ち着いた格好をした女の人がほほえみながら手を振っている。

 

「無事着いたみたいね。よかった」

「〝伊井兌(いいだ)〟さん。こんにちは」

 

 彼女が「伊井兌」と呼んだボブカットの女の人が挨拶する。

 

「いつもの姿では初めましてね。私、伊井兌(いいだ)唯紗奈(いさな)。ブルーマリントリアイナよ」

 



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乙女の腹の虫 一箪のおもてなし

「はー。すごいトコだねここ、めちゃめちゃ山の中だね」

 

 ()(たん)なき感想を述べた坎原さん。バスを降りた僕たちを待ち受けていたのは、山々に囲まれた(へん)()な集落だった。

 口には出さないが僕も同感だ。家屋などの建物はほぼ古く、道路は所々がひび割れ、白線がかすれている。コンビニなどある訳がなく、限界集落といった様相を醸し出している。

 一度災害に見舞われたら孤立してしまうような集落。すごい所に来てしまった。そんな感想を僕が内心で抱くと、

 

「だよね。私もそう思う」

 

 僕たちを集落に連れた伊井兌という人が笑って告げた。

 僕たちは、久遠駅からバスに乗り、約一時間ほど揺られた場所のこの山間の集落で下車した。

 

「伊井兌さん。こんな所にあたし達を連れて来てまで会わせたい人って言うのは」

 

 伊井兌という人の案内で集落を歩くことしばらく、僕たちは大きな公園に到着し、その隅に建てられた(あずま)()のテーブルを囲むや否や坎原さんが尋ねた。

 こんな所、と腐した坎原さんだが、相手のことは考えているだろう。伊井兌という人はこの集落に住んでおらず、先に「久遠町に住んでいる」と言っていた。

 僕たち三人が横に並んで座り、伊井兌という人は向かい合って座っている。

 

「いたいた。おーい、唯紗奈さーん」

「唯紗奈ねえーさん」

 

 後ろの方から男の声と元気な声が呼んだため、僕たちは振り向いた。

 男が一人と女の子が二人、こちらに向かって歩いて来ている。男は部活で使うようなサーバー型の水筒を持ち、女の子の一人は紙袋を抱えている。

 程なくして、紙袋を抱える女の子が駆け始め、東屋に一番到着する。女の子はサンバイザーをかぶっている。

 

「うえっ!? なんでなんでなんで、男子がいるっスかぁ!? 聞いてないっス!」

 

 女の子が僕の姿を見るなり騒がしく驚いた。

 無理もない。今日、僕は彼女に呼ばれたわけだが、伊井兌という人を始めとする先方に僕が同行することを伝えてないのだろう。その証拠に伊井兌という人も自己紹介のあと驚いていた。

 クリスマスの前科もある。僕が横目で隣の彼女をじろりと見ると、彼女は苦笑いをしていた。彼女の悪い癖で、僕が()め息を()く。

 

「メンズが来るって知ってたら、こんな格好で来なかったっス……」

「ごめんね苗《なえ》、私もさっき知ったの。……みんな、この子は(きのと)()(なえ)。みんなと同じ中学一年で、この子もコスモスよ」

「ども! 唯紗奈ねえさんから紹介あずかりました乙木苗っス。戦士の姿を〝ハウメア・フェーティリティ〟って言いまして、草とか木とかを操る、人呼んで豊穣の戦士っス。どーぞよろしくっス!」

 

 サンバイザーの女の子が、朗らかな笑顔を浮かべてコスモスの戦士であることを明かした。

 申告どおり男と会うには(しゃ)()っ気のない格好をしている。紺の地味なジャケットの下に、農作業でもするようなジャージを着込み、厚手のマフラーを首にぐるぐる巻いている。着の身着のまま飛び出したような印象を受ける格好だ。

 伊井兌という人は白い肌の落ち着いた美人だが、女の子は肌の濃い元気な感じの子で、全く似ていない。先に女の子が伊井兌という人を「姉さん」と呼んだが、姉妹ということはないだろう。第一名字が違う。

 

「うおっ!? さっすがコスモス、超カワイイじゃん!」

 

 続けて水筒を置いた男が、彼女と坎原さんを目にするなり喜んだ。

 男は短髪で鼻が高く、シュッとした凛々(りり)しい形の眉を備えている。中々のイケメンで、僕が思わず唾を()む。

 前に躍り出た男が、彼女と坎原さんにまぶしい笑みを浮かべて自分の名を伝える。

 

「オレ()(ばやし)(なに)()。ナニワって名前だけど大阪関係ないから。君たち名前は?」

「やめなさい」

「あいたあっ!」

 

 サンバイザーの子とは異なるもう一人の女の子が男の頭を(たた)いた。

 

「うちのバカがごめんなさい。私、()(ばやし)(よし)()

 

 痛がる男を押しのけた女の子が、男と同じ名字を告げる。

 女の子も鼻が高く、凛々しい眉を備えている。男の姉、あるいは妹だろうか。

 

「私とこいつ、あなたたちの一つ上になるから」

「えっ、てことは」

「うん。双子。ちなみに私の方が先に生まれてるから」

 

 坎原さんの確認にうなずいた女の子が、男と双子であることを紹介した。

 

「いってえよ芳子。目から星が出たじゃねえか」

「盛りの付いたイヌみたいに話しかけるからよ。それに、コスモスなら苗ちゃんもいるじゃない」

「そうっスよ浪速さん。失礼っス、謝ってくださいっス」

「あー悪かったよ」

 

 男をとがめる女の子二人に、伊井兌という人がくすりと笑った。

 だが、この三人が、伊井兌という人が言う会わせたい人なのだろうか。違う気がする。

 

「二人のことは唯紗奈ねえさんから聞いているっス。金星と土星モデルなんスよね?」

 

 サンバイザーの子がテーブルに身を乗り出して彼女と坎原さんに()いた。

 彼女が返事する。初対面の所為(せい)か少し遠慮がちに。

 

「くうー、めっちゃメジャーランドな星がモデルでちょっとジェラっちゃうっス。あたしなんてハウメアって、検索しないと出てこない冥王星よりもマイナーランドな準惑星がモデルっスから。それはともかく、同じ(とし)のコスモスに会えるなんて、超チョーちょう感激っス。友達になってくださいっス」

 

 女の子が彼女の手を取って友人関係を申し込んだ。

 グイグイと迫るサンバイザーの子。彼女はこのような積極的な子をどう感じるだろうか。坎原さん以外の友達がいない彼女に、僕が気を()んでしまう。

 サンバイザーの子が、無邪気な瞳で彼女を見つめている。すると「ぐぅ~」と、彼女の腹から虫が鳴る。

 隣に座る彼女が僕に振り返る。

 

「え、えっと、鈴鬼くん」

「うん」

「聞いた?」

「うん、聞こえたよ」

 

 顔を真っ赤にした彼女が、両手で顔を覆ってテーブルに突っ伏した。

 恥ずかしがる彼女に僕が頬を緩める。だが、続いて坎原さんの腹からも「ぐぅ~」と虫が鳴り、

 

「はらぺこったー」

 

 整った容姿をしょんぼりさせてつぶやいた。

 詳しい説明は省くが、坎原さんの家は日本で類を見ない規模の大きな会社で、つまり坎原さんはお嬢様である。

 レディにあるまじき虫の音だ。上品であるはずのお嬢様がはしたない真似を、などと僕が思うと、

 

「苗」

「はい。皆さんどーぞどーぞどーぞ、召し上がってくださいっス」

 

 伊井兌という人に呼ばれたサンバイザーの子が、テーブルにクロスを広げて紙皿を並べた後、持参した紙袋からパンを取り出した。

 皿の上にスライスされた食パンが乗せられる。僕も腹を空かせていたため、頂こうと思ったが、サンバイザーの子はそれ以上ほかに何も取り出さなかった。

 マーガリンもジャムもない。このまま食べろと言うのだろうか。

 

「食パン、だけ?」

「はい。このまま召し上がってみてくださいっス」

 

 尋ねた坎原さんにサンバイザーの子が満面の笑みで勧めた。

 僕たちが見合わせた後、それぞれ手に取る。そして、食べてみる。

 

「……えっ? なにこの食パン、めちゃめちゃおいしくない?」

 

 坎原さんが口を押さえて驚いた。

 僕も彼女も同感で目を大きく開く。何も付けない生の食パンの信じられない(うま)さに、僕たちが仰天する。

 

「なんで。食パンって、こんなにおいしかった?」

「ビックリだよね。何も付けてないのに、すごく甘くておいしい」

 

 坎原さんと彼女が感想をありのままに述べると、

 

「ほうじ茶っす。あったまるスよ~」

 

 サンバイザーの子が茶を注いだ紙コップを僕たちに差し出した。

 茶をすする僕たち。二月の寒い陽気に冷えた体が(しん)から温まる。これが接待、いや、おもてなしというものだろうか。

 食パン一枚を食べ終わった僕たちが、続いてもう一枚を手に取る。正直、たかが食パン、と侮っていた。それと(ぜい)を尽くすのではない清貧なもてなしに、僕が驚きに併せて感服してしまう。

 

「ふふっ、おいしいって言ってもらえてよかった」

 

 伊井兌という人がうれしそうにほほえんだ。

 まるで自分の事のように喜んでいる。この食パン、伊井兌という人が作っているのだろうか。

 

「おーい、みんなー」

「あっ、〝(もち)(づき)〟さん」

 

 男の人の呼ぶ声が聞こえ、これに皆が振り返る。

 伊井兌という人が名を呼んだ、こちらに向かって歩く男の人だが、ツナギを着込んでタオルを首にかけている。まるで畑仕事をした帰りのような出で立ちだ。

 だが、180cm程の高い背丈に、切れ長い二重の目。大人のイケメンだ。齢は二十五歳くらいで、この男こそが「会わせたい」と伊井兌という人が言っていた人だろうか。

 

「みんな、紹介するね。この人は」

「待ってくれ唯紗奈くん。こういうことは自分の口から伝えたい」

 

 男の人が伊井兌という人を手で制した。

 そして、柔和な笑みを浮かべる。笑ってもイケメンだ、なんて僕が感じる。

 

「このような格好で失礼します。僕は(もち)(づき)好古(よしふる)と言いまして、君たちコスモスと敵対する、ヘイズに所属する者です」

 

 自らを敵と明かした望搗という人に、僕と彼女と坎原さんが息を呑んだ。

 



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薩長同盟? 食パンチートデイ

「ヘイズ」

「はい。ヘイズでは、〝エクリプス〟と呼ばれています」

 

 尋ねた坎原さんに望搗という人が首肯した。

 ヘイズとは、妖精が言うところのブラックホール団にして敵だ。口に出すと伊井兌という人の機嫌を損ねそうなため言わないが、彼女に陽さんや美月さんが苦しめられ、坎原さんに至っては友達を殺されている。

 現れた突然の敵に、僕たちが立ち上がって身構える。

 

「誤解しないでください。僕は君たちと争う気などありません」

「争う気が、ない?」

「はい。ですので、どうか警戒を解いて座ってください」

 

 しかし、敵は穏やかな笑みを浮かべて着席を促した。

 僕たち三人が互いに見合わせ、疑いながらも腰を下ろす。これを確認した望搗という人もベンチに腰掛ける。

 向かい合って座った望搗という人が、両腕をテーブルに乗せて手を組む。

 

「僕は君たちを誘いに来たのです」

「誘う?」

「はい。ヘイズとコスモス、未来の使者に選ばれた者同士が殺し合うなんてもったいないと思いませんか? 僕はそんな無益な争いを止め、この対立する両者が手を取り合う未来を作れれば、と願っているのです」

 

 敵同士が手を結んで協力する。望搗という人が、そんな(さっ)(ちょう)同盟(どうめい)(ごと)き提案を彼女と坎原さんに持ち掛けた。

 本気なのだろうか。だが、ここには伊井兌という人にサンバイザーの子がいる。少なくともこのコスモス二人は手を貸しているのだろう。

 手を結んで何をする気なのだろうか。そう思った矢先に坎原さんが、

 

「ちょ、ちょっと待って」

 

 望搗という人の言に声を上げる。

 

「今、未来の使者に選ばれた者同士、って言いました、よね?」

「はい」

「ってことは、ヘイズにもべー、いや、妖精みたいな存在がいる、ってコトですか?」

「そうですね。僕は君たちが言うその妖精に会ったことはありませんが、我々ヘイズにも、一目で未来から来た者だと分かる方がいますよ」

「……やっぱり、そうなんだ」

「はい。我々ヘイズは、その方に選ばれて力を授かった者たちの集まりです。畏敬を込めて〝あのお方〟なんて呼んでいたりしています」

 

 坎原さんの確認を望搗という人が認めた。

 妖精は以前「ブラックホール団は素質があれば誰かれ構わず力を渡している」と言っている。そしてこの前、敵が隠し持つ黒い玉が、コスモスの子が持つ鏡や時を止める装置と同じ未来のツールと言っていた。

 未来のツールと聞いてから予想はしていた、敵にも妖精に似た存在がいることは。だが、こうもあっさり明かすとは。僕が目を丸くする。

 断片的であった敵の情報がつながる。以前メテオと呼ばれていた()(とう)という人は、亡くなる前に会った妖精のことを「代理戦争の使者」と告げていた。コスモスは妖精に選ばれた光の戦士で、敵は敵側の使者に選ばれた人たち。井沓という人はこの戦い合う両者を指して代理戦争と表していたのだろうか。

 

「ヘイズとコスモス、僕たちは似た者同士。そう思いませんか?」

 

 似た者同士だから手を結ぶべきだ。そう問いかける望搗という人が、紙皿の上の食パンに目を向ける。

 

「その食パン、食べましたか?」

 

 柔らかな笑みを浮かべて彼女に()く。

 

「あ、はい」

「作った自分が言うのもなんですが、おいしかったでしょう?」

「はい。こんなにおいしいパン、初めて食べました」

「フフッ、それはよかった。それは、未来のコムギから作られたパンなのですよ」

「え。未来の、コムギ?」

「はい」

 

 訊き返した彼女に望搗という人がうなずいた。

 パンの正体に僕たちが衝撃を受ける。特に疑いもなく食べた食パンが、まさか未来に通じていたなんて。

 気泡を含んだ白いパンの生地に、焼けたキツネ色のパンの耳。一見では変わったところのない未来の食パンを、僕たちが凝視してしまう。

 そして、望搗という人が明かす。未来の食べ物がここにある理由を。

 

「未来のコムギは今よりはるかに品種改良が進んでいまして、雨の多いこの日本でも安定した収穫が見込めるのです。収量性、耐寒耐暑に耐虫性、そして味。僕はあのお方から未来のコムギの製法について聞き出し、この集落で耕作放棄された畑を使って生産に励んでいます」

 

 それは未来に通じる、未来からの使者に選ばれた者しかできない農業だった。

 僕が目を瞬かせる。この望搗という人は違う。今までに遭った暴力に頼るばかりの敵とは大きく異なる。

 けれど、いったい何がしたいのか。(うま)いパンを作りたいだけなのか。そんな訳ないだろう。未来の麦は分かったが、それを作ることによる狙いが分からない。

 何か深い(たくら)みがあるのでは。そう疑う僕を(しり)()に、

 

「ここに住む人にも試食してもらったのですが、ありがたい事に絶賛を頂いています。僕たちは近いうちベンチャー企業を立ち上げ、このコムギから作られたパンを売り出すつもりです」

 

 望搗という人が展望を告げた。

 思い出されるパンの味。とても旨くてびっくりした。あの味なら必ずや成功するだろう。

 しかし、得をする人がいれば損をする人がいるのが世の中だ。未来の麦などというある意味チートな食物を、果たして世に広めて良いのだろうか。

 

「あの」

「うん?」

 

 訊き返した望搗という人。僕がつい声を上げてしまった。

 

「どうしましたか?」

「ええっと、パンは確かにおいしかったです。ですが」

「ですが?」

「それだと、今ムギを作っている人の立場というか。そういうのは、いったいどうお考えなのでしょうか?」

 

 勇気を振り絞って話した質問に、望搗という人が目を大きく開いた。

 機嫌を損ねただろうか。言った後になって後悔する。失念していたが、目の前の男は僕など()(やす)くひねり潰せる恐ろしい力を持った敵なのだ。

 心臓のバクバクが止まらない。だが、望搗という人が表情を和らげ、

 

「フフッ、君の仰るとおりだ。いま一生懸命ムギを作っている農家からすれば、先の時代のコムギなんてずるいよな」

 

 と、砕けた口調で僕の意見を聴き入れた。

 

「その点は安心して欲しい、僕は金(もう)けがしたいわけではないんだ。僕たちの作るパンが旨いと世間に認められたら、未来のコムギの種子を日本中のムギ農家に提供するつもりだ」

「えっ。どうして? それでは、会社が成り立たないのでは」

「その心配も無用だ。未来のパンがこの国に広まったら、次は違う未来の作物を育てるさ」

 

 未練なくサラッと告げた答えに僕は驚いた。

 でまかせじゃなければ、未来の技術を一般に普及させるつもりらしい。それは私利私欲のない素晴らしい理念だろう。

 敵にまさかこのような人がいようとは。伊井兌という人やサンバイザーの子が信用をおくのも理解できてしまう。しかし、金儲けが目的ではないのなら何のために。ますます真意が分からない。

 

「ときに日本では、コムギの約九割を外国に頼っている事実を知っているかい?」

 

 いまだ疑いが晴れずにいる僕に望搗という人が尋ねた。

 

「いや、知らなかったです」

「僕の目的はこれにある。未来の麦を国内に広めることで、輸入コムギを駆逐することが目的なんだ」

「……どうして?」

「コムギの輸入は国家貿易によって定められている。政府は一定量のコムギを必ず輸入しなければならないんだ。このコムギの使い道がなくなればどうなるだろうか? 家畜の飼料に転用が考えられるが、いずれにしろ政府は打撃を被って輸入を見直さざるを得ないだろう」

「……そうなると、どうなるんですか?」

「輸出している国は怒るだろう。日本が買い取ることで見込めた安定的な収益が見直されるわけだからな。その結果日本政府の信用が落ちるわけだ。外交に支障をきたすだろう」

 

 風が吹けば(おけ)屋が儲かる。当てにならぬものの(たと)えだが、思わぬ結果が生じる喩えでもある。バタフライエフェクトとも言う。

 断言する。未来のパンの味に(うな)らぬ者はいない。過言とは決して言い切れない大きさの話に、僕が驚嘆してしまう。

 そして、望搗という人が敵らしい野望を明かす。

 

「このように輸入に頼っている作物を一つずつ駆逐することで、僕は今の日本を壊すつもりでいるんだ」

 

 やはり敵だった。この望搗という人も国を破壊しようとしている。だが、反対しようとは思わず、むしろ感心してしまった。

 僕は日本人だが、今の国にそこまで愛着があるわけではない。選挙権もないし。それに、これは破壊と言うより変革だ。力に頼らず国を変えようとしている。

 何よりも血を見ることがない。コスモスの子、とりわけ彼女を害さなければ僕としては文句はない。そして、日本人は食へのこだわりが強いと言われている。食の力を背景としたこの破壊、成功してしまうかもしれない。

 僕が望搗という人を改めて見直す。今までの敵とは異なる理性と賢さを感じる。()(えん)で時間の要る手段ではあるが、成功すれば今の国に大打撃を与えられるだろう。

 

「どうでしょうか? 君たちには、僕の事業に是非とも手を貸して欲しいのです」

 

 望搗という人が手を組み直して告げた。

 彼女と坎原さんに呼びかけている所為(せい)か口調を直し、改めて協力を申し込む。

 

「ヘイズとコスモス、僕たちは選ばれた者同士です。僕たちが主導となってこの国を作り直(リビルド)しましょう」

 



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三顧の礼 一つでも喜んでしまう安い心

 望搗という人の誘いに、僕たちが目を見合わせる。

 

「お願い、私達に協力して。この国は変わらなきゃダメなの」

 

 すると、伊井兌という人が、まるで我が事のように胸に手を当てて訴えかけた。

 

「聞いたと思うけど、私の家では牛を飼っていたの。でも、生乳廃棄のニュースは知ってるでしょ? (うち)は小さな牧場だったから、搾った牛乳を引き取ってもらえなくて……」

 

 伊井兌という人が悔しさを顔ににじませながらつぶやいた。

 数年前、ある感染症が日本に流行した。二十世紀初頭に世界を襲ったパンデミック、スペイン風邪(かぜ)彷彿(ほうふつ)させるその症状に人々は恐怖した。

 国は人々に外出の自粛を要請した。その結果外食は控えられ、生乳の消費が落ち込んだと聞く。また、学校はオンラインの授業が勧められて給食がストップし、給食に付き物だった牛乳が飲まれなくなったことで、牛乳が余る事態に陥ったと聞いている。

 これもニュースか何かで聞いた話になるが、僕がまだ小さなころ、バターを始めとした乳製品が品薄になる事態が発生した。それがあって政府は畜産を推奨し、生乳の増産を目指したのだが、その成果が出始めた矢先に感染症が流行(はや)った。余る生乳に政府は政策を一転し、牛の処分を酪農家に勧めている。

 

「牛乳が搾れるようになるまで私が育てた牛だっていたのよ? 追い打ちをかけるように飼料代まで高くなって……。もう、あんな思いは二度としたくない。お願い、私達に協力して、この国を一緒に変えましょう」

 

 伊井兌という人の、不本意ながらも処分せざるを得なかった無念な(おも)いが、同じコスモスの彼女と坎原さんを誘った。

 今、廃業する酪農家が多いと聞く。生乳の需要低迷に加え、飼料を輸入に頼る日本では、円安が原因で飼料の高騰が止まらないらしい。

 無学な僕の耳にも届くくらいだ。それほど逼迫(ひっぱく)しているのだろう。続いてサンバイザーの子が、

 

「あたしからもお願いするっス。あたし小さな頃からソフトボールやってて、オリンピックを目標に打ち込んでたんでスが、そのオリンピックが汚職にまみれてたなんて……。国は神聖なる祭典をなんだと思ってるんでスか、こんなの許せないっス、アスリートを侮辱してるっス」

 

 鼻息を荒くして国への批判をぶちまけた。

 感染症の流行と同時期に、日本では五輪が開催された。一部を除いて無観客で行われたことは記憶に新しい。

 あの東日本大震災の直後に決まった開催は、「復興五輪」と称し、低予算で済む金のかからない五輪のはずだった。だが、いざ始まってみれば、予算は倍に十倍と風船のように(とど)まることなく膨らみ、加えてロゴの盗用に主催側の失言など様々な不祥事を国内国外問わず糾弾され、極めつけは五輪に関われる国内のスポンサーが全て裏で決まっていた。

 世界が注目するスポーツにして平和の祭典を、一部の政治家と企業が私物化したのだ。サンバイザーの子にしてみれば、夢が大人によって汚された。その憤りは僕なんかが推し量れるものではないだろう。

 日本で開催したことに意義があるのかもしれないが、結局復興とは何だったのか、などと僕とて考えてしまった。

 

「俺からも頼むよ。俺と芳子はヘイズなんだけどさ」

 

 続けて枯林という短髪の男が、敵であることを明かした上で彼女と坎原さんを誘う。

 

「俺はヘイズじゃ〝アトラクト〟って言われてる。初めは願いを(かな)えてもらうためにコスモスを付け狙ってたんだけどさ、オレ気付いたんだ。望搗さんに協力すれば、コスモスと殺し合いなんかするより、ずっと大きな願いを叶えてみんなの(ため)にもなるんじゃ、ってさ。俺たちは選ばれたんだ、そんな俺たちにしかできねえことやって、この国の人を幸せにしてやりてえじゃん?」

 

 語った男の瞳は純粋に輝いていた。

 未来の使者に選ばれた者だけが抱ける夢。それは、国を変えることすら可能な期待。そんな思いに胸を膨らます男を、僕は羨ましく感じた。

 そして、みじめさを覚える。選ばれていない僕はレールに沿って生きるだけである。

 

「な? 俺たちが手を組めば、この暗くて先行きのない国を変えられるんだ。望搗さんの下で一緒に働こうぜ? それに、君たちみたいな子と殺し合いなんかするより仲良くなりたいし。オレ彼女募集中、なんつって」

「だからやめなさい」

「あいてっ!」

 

 双子の女の子が男を(たた)いた。

 みっともない、と吐いた後、代わって女の子が語りかける。

 

「うちのバカが何度もごめんなさい。でも、私からもお願い。この国を一緒に変えましょう」

 

 にこやかに笑って彼女と坎原さんを誘う。

 

「私はヘイズでは〝レポース〟って呼ばれてるわ。私達の他にもヘイズは三人、望搗さんの事業に参加しているの。伊井兌さんと苗ちゃんってコスモスの子もいるし、あなたたちも望搗さんの事業に参加して、大きな願いを私達と一緒に叶えましょ。ね?」

 

 他にも協力者がいることを女の子が告げた。

 望搗という人を含めて敵は六人、そしてコスモスが二人。未来の知識を(もっ)てこの国を変えようと意気込んでいる。

 熱烈な勧誘に彼女と坎原さんが顔を見合わせる。そんな隙を突くように一人年長者の向かい合う望搗という人が尋ねる。

 

「ときに君たちは、メテオという男の人を知っていますか?」

 

 その名に彼女と僕がビクリとした。

 彼女と陽さんと美月さんが死闘を繰り広げ、命を落とした井沓という人の名だ。まさか、つながりがあったのだろうか。

 見つめる望搗という人の瞳に、僕と彼女が息を()む。しかし――。

 

「あの人が君たちと戦って命を落としたことは知っています。ですがそれを責めるつもりはありません」

 

 恨まない。そう望搗という人が告げ、

 

「あの人は死に場所を探しているようでした。最期まで戦えて本望だったでしょう。ありがとう、あの人に付き合って頂いて」

 

 まさか礼を言われるとは思わず、頭を下げられて僕と彼女が呆然(ぼうぜん)とした。

 人間が出来ていると言うか、よくも割り切れるものである。本当に大人なんだな、などと感服してしまう。そんな僕をよそに、サンバイザーの子が紙袋から次の食パン一斤を取り出す。

 食パンをクロスの上に乗せ、次々にスライスする。

 

「さあさあさあ、もっとパン食べるっス」

「苗、もう十分でしょ?」

「まだまだっス。たらふく食べて、コスモスの話を聞かせて欲しいッス」

 

 サンバイザーの子が明るい笑顔でパンを二人に勧めた。

 妖精が言うとおり、本当に二人を誘った。妖精はなぜ分かったのだろうか。

 しかし、僕はコスモスではない一般人だ。お呼びではないのは分かっている。証拠に伊井兌という人もサンバイザーの子も双子の二人も、先から僕の方など見ていない。

 おまけ程度にしか見られていない。何故(なぜ)ここに一般人が、という思いをありありと(にじ)ませており、こうも露骨だといささか辟易(へきえき)する。

 

「ところで、君の名は?」

 

 ()ねた僕の心を突くように望搗という人が僕に尋ねた。

 

「僕ですか?」

「ああ。よかったら聞かせてくれ」

「は、はい。鈴鬼小四郎と申します」

「君はコスモスなのか? コスモスで男は聞いたことがないが」

「それは」

 

 僕がなぜか、敵とコスモスが戦う時が止まった空間内で動けてしまっていることを話す。

 

「なるほど、コスモスではないのか」

「おかしいですよね? コスモスではない僕なんかがここにいるなんて」

「いや、そんなことはない。むしろ僕は、君みたいな人を探していた」

「えっ?」

「君もぜひ、僕たちの仲間に加わってくれ」

 

 びっくりした。国を変えるべく事業を起こそうとする望搗という人が、コスモスでも何でもない僕なんかを誘った。

 

「コスモスでもヘイズでもない普通の人。そういう人からしか得られない意見が必ずあるはずだ」

「そ、そんなものですか」

「ああ。それに君は、中々賢い」

「かしこい?」

「うん。さっきの意見、中学生とは思えないな。事業を成功させるためには、ヘイズでもコスモスでもない君の意見が欲しい。鈴鬼くん、君もぜひ、我々の仲間になることを検討してくれ」

 

 僕を誘う望搗という人の目は真剣だった。

 コスモスでもない僕が、こんな賢い人に誘われるなんて。戸惑ったものの、少しうれしかった。

 



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振替休日 縁がなかった二日後のイベント

「ただいまー」

「おにいお帰りー」

 

 特に用もなく外出してから帰宅すると、玄関で小学六年の妹と鉢合わせした。

 妹への返事もそこそこに部屋へと戻る。今日は二月十二日の月曜日。昨日建国記念日で日曜だったため、今日は振替休日だ。

 僕は男であり、誘われるばかりではいけないと思っている。だから昨夜(ゆうべ)、「明日遊びに行こう」と僕の方から彼女を誘ったのだが、あえなく断られてしまった。

 勇気を出したのだが撃沈した。今日は坎原さんとどうしても外せない用事があるらしい。しかし、坎原さんということはコスモスがらみの用だろうか。あの一週前に電車で行った山梨の件が僕に不安を抱かせる。

 

 最近彼女と話せていない。山梨へ行ったときから距離を感じている。

 彼女はコスモスである。そして、山梨で会ったあの集まりには、伊井兌という人とサンバイザーの子、コスモスの女の子が二人いた。

 山梨からの帰り、彼女は「どうしよう」と迷っていた。満更でもないのだろうか。

 

 だが、コスモス二人や双子はともかく、山梨で食べたパンはおいしかった。

 山梨で会った望搗という人。あの人は、今まで遭った敵とは明らかに異なる。賢くて理性があり、暴力に頼らず国を変えようとしている。

 僕はいじけた男だ。コンプレックスを感じると、表には出さないように努めてるけれど心の中でねたんでしまう。僕は双子の男の方に、気後れしつつも(しっ)()してしまった。でも、あの望搗という人には悪い印象を感じない。むしろ憧れ、「あんな大人になりたい」と僕に思わせた。そして、そんな人に「仲間になることを検討してくれ」と誘われたことは純粋にうれしかった。

 僕がコスモスないし敵だったら間違いなく付いて行っただろう。彼女があの集まりに入る気なら、僕も追従するべきだろうか。望搗という人が夢見る未来を、そばで見てみたい気持ちが僕の中で芽生え始めている。

 

「はぁ」

 

 しかし、何にせよ彼女だ。もう一度述べるが、このごろ距離を感じている。

 いま彼女は何をしているだろうか。部屋であぐらを()く僕が、寝っ転がりながら息をつくと、

 

「スズキ、なにしけた顔してるベエ」

「うるさいな、ほっといてよ」

 

 つい悪態をついてしまったが、――ベエ?

 いやまさか。声のした方に僕が慌てて振り返る。すると――。

 

「はあっ!? ど、どどっ、どうしてお前がいるんだよ!?」

 

 その姿に驚くしかなかった。

 信じられない。(はね)を生やしたウサギのような外見。なんと僕の部屋に、妖精が現れている。

 彼女と一緒にいる時なら何度も顔を合わせている。でも、いま僕は一人だ。妖精はコスモスの子の前だけにしか現れるのではなかったのか。

 

「お前とはなんだベエ。スズキにお前なんて言われる筋合いはないベエ。いいか、よーく耳をかっぽじって聞けベエ。ボクの名前はアイテール・バラーハミヒラ・レギオモンタヌス・クドンシッタ・ジョン・ラザファード・チューシロー・ヴィレプロルトと言って」

「それは分かったよ!」

 

 動転のあまり、僕が声を荒げてしまう。

 

「おにい、誰かいるのー?」

 

 すると妹が部屋の外から呼びかけた。

 どうしよう。この不可解きわまりない自称未来のプログラムを、妹に見られるのは絶対にまずい。

 どうすれば。そうだ電話だ、電話ということにしよう。

 

「だ、誰もいない、電話だよ」

「ふーん。うるさいから静かにしてねー」

 

 部屋から遠ざかる妹の足音に僕が息を吐く。

 助かった。床に尻をつける妖精に僕が振り向くと、

 

「おいスズキ、ボクは客だベエ。少しはもてなしてもいいんじゃないかベエ?」

 

 妖精は図々しくも僕に接待を催促した。

 

「お前、急に現れといて」

「お前とはなんだベエ。何度も言うケド、スズキにお前なんて言われる筋合いはないベエ。いいか、よーく耳をかっぽじって聞けベエ。ボクの名前はアイテール・バラーハミヒラ・レギオモン」

「もうそれは分かったよ。じゃあ、何て呼べばいいんだよ」

「スズキが決めろベエ」

 

 決めろ、と言われて僕が考える。

 妖精の、彼女たちからの愛称は「べーちゃん」だが、これを男の僕が呼ぶのは少し恥ずかしい。

 何よりも(しゃく)に障った。僕は妖精を可愛いなどとは一度も思ったことがない。だから「べーちゃん」は却下だ。

 正直、どうでもいいと言うか何でもいい。あの伊井兌という人とかぶるがしょうがないだろう。

 

「じゃあ、〝忠四郎〟でいいかい?」

「ブルーマリンとかぶるケド、まあ、いいだろうベエ」

 

 妖精が偉そうにふんぞり返って認めた。

 

「スズキはボキャブラリーが皆無だベエ」

「そんなもの僕に期待するなよ」

「スズキ、外は寒いから温かい緑茶が飲みたいベエ」

「……本当にロボットかよ」

 

 仕方なく妖精のわがままを聞き入れ、台所で茶を沸かす。

 そして、茶と申し訳程度の菓子を運ぶ。

 

「菓子も持ってくるとは、スズキのくせに中々気が利いてるベエ」

「それはどうも。で、なんでコスモスじゃない僕の前に来たんだよ」

 

 僕の問いに、妖精が菓子を頬張りながら答える。

 

「スズキ、オマエの目から見てあの集まりはどうだったベエ?」

「集まり? 山梨に行ったときの件でいいんだよな?」

「それ以外に何があるベエ?」

「うーん、羨ましいなって思ったよ」

「羨ましいだベエ?」

「うん」

 

 望搗という人に魅力を感じたのも事実だが、それ以上に印象深かったのは、枯林という男が彼女と坎原さんを誘ったときに見せた目だった。

 夢を語る男の瞳は純粋に輝いていた。あの瞳は未来の使者に選ばれた者だからこそ見せられる混じり気のない瞳。望搗という頼れる大人の下で夢を追いかけられる喜びを、僕は羨ましいと感じた。

 僕はコスモスでも敵でもない一般人だ。望搗という人が誘ってくれたものの、未来の使者に選ばれたという資格はない。

 

「あそこで未来のパン食べたけどさ、あの味をまずいなんて言う人はいないよ。あれは絶対に成功する。そんな成功が約束されたような事業の下で働けるなんて、羨ましいとしか」

「ふふん、スズキらしい答えだベエ」

 

 妖精が僕を鼻で笑った。

 

「なんだよ、僕らしいって」

「ごまかしにしか聞こえないんだベエ。どーせ内心は、コスモスでもブラックホール団でもない自分は、っていじけてるんだベエ?」

「うっ、なんで分かるんだよ。それじゃ逆に()くけど、忠四郎の目から見てどう映ったんだよ? どうせあの集まり、陰から見てたんだろ?」

 

 妖精は山梨での集まりが、彼女と坎原さんを誘うことが分かっていた。

 全てお見通しなのだろう。そもそもどんな場所にも突然現れる。妖精の目が届かない所なんてあるのだろうか。

 僕の問いに妖精が答え、これに僕が耳を疑う。

 

「悪だベエ。それも、とびっきりのだベエ」

「悪?」

「うむだベエ。スズキ、オマエを誘ったあのエクリプスという男、野放しにするワケにはいかないベエ」

 



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批判するなんて誰でもできる 隣の芝生は青く見える

「いくら良い顔しようとも所詮はブラックホール団、必ず馬脚を現すベエ」

 

 僕が憧れを感じた望搗という人を、妖精は悪と断じた。

 なぜ悪いのか。いや、そもそも妖精は、敵を何故(なぜ)すべて悪と決めつけているのか。

 確かに敵は恐ろしい。僕自身暴行を受け、手術をした程の(おお)怪我(けが)を負っている。だが、あの望搗という人を(かんが)みると、全てがすべて悪と断じるのは違う気がした。

 

「なあ、忠四郎は」

「なんだベエ?」

「敵に関して何を知っているんだ? あの人らがこの国を壊そうとしているのは分かってるけど、それの何がいけないんだ?」

 

 敵の目的は日本の現体制を破壊することにある。だが、それの何が悪いのか分からなかった。

 この国の官僚や政治家らは国民に負担を課している。消費増税に物価の上昇は中学生の僕すら重荷に感じるほどだ。それでいて政治家らは自分の身を切りはしない。庶民に負担を押し付けて涼しい顔をしている。

 経団連の会長が、更なる消費増税を求めるニュースを最近耳にした。シングルマザーや生活保護受給者など、日々の生活に苦しんでいる人がいるにも関わらずだ。今の日本は控えめに言っても腐敗していると思う。そんな国を守る価値などあるのだろうか。

 伊井兌という人も嘆いていた。だが、妖精が息を()き、

 

「スズキ、国を壊すということがどういうことか分かっているベエ?」

 

 と、(あき)れた口調で()いた。

 妖精が僕の返答を待たずに僕を問い詰める。

 

「オマエが毎日三食食べれるのも、毎日学校にのほほんと通えるのも、全て今の国があるからだベエ。オマエはそんな平和が壊れた方がいいとぬかすベエ?」

「そんなことは言ってないよ。でも、ニュースでよく言ってるじゃないか。増税だの、海外へのバラマキだのって」

「確かに生活に困ってる人間は苦しいと思うベエが、それでもいま程度の増税で平和が保たれるなら安いもんだとボクは思うベエ。それにバラマキは外交の一環だベエ。日本は所詮東洋の小国、言い方は悪いケド金で信用を買って、日本は良い国って印象を他国に与えてるんだベエ」

「…………」

「スズキ、資本主義国家におけるニュース番組は、民営である以上いかに数字を稼ぐかに重点が置かれているんだベエ。例えば政治家は法律を作ったり予算を決めたりするのが仕事ベエが、そんな政治家にとっては普通の仕事をニュースに流しても誰も観ないベエ?」

「……そうだね。面白くなさそうだもの」

「逆に賄賂やスキャンダルなど不祥事が発覚すれば、エリートが糾弾される様を喜んで観るベエ? 資本主義国家におけるニュースは、視聴者の興味を()きそうな事柄を抽出して流してるんだベエ。だから誇張して言っていたり、取り上げる程でもない問題を悪しざまに評してたりするから、あまり真に受けちゃダメだベエ」

「…………」

「批判するなんて誰でもできるベエ。報道されないから知らないだけで、国はスズキが思ってる以上に仕事してるベエ。国が壊れるということは、警察や自衛隊など当たり前に身を守ってくれているモノがなくなり、いつ命が危険にさらされるか分からない状況に陥るベエ。こんな話をしている今この時も、理不尽な暴力の犠牲になってる人がいることはスズキ分かってるベエ?」

「ウクライナの人々や、ガザ地区の人々とかか?」

「そうだベエ。その他ニュースにはならないケド、理不尽な目に遭っている人は山ほどあって腐るほどいるベエ。スズキは日本に住んで、不満を好きなだけ垂れられるこの状況をありがたく思った方がいいベエ」

 

 たしなめられてしまった。

 僕は生活に困っているわけではないし、国を変えようという気概を持っているわけでもない。妖精の言うとおりだ。けれど納得がいかない。

 日本の現体制を丸ごとを壊す、などという極論をしたい訳ではない。僕が訊きたいのは、望搗という人の何が悪いのか、だ。あの人は暴力に頼らず国を変えようとしている。

 

「忠四郎、話を大きくして、論点をずらそうとしてないか?」

「分かってるベエ。体はって戦ってるわけでないスズキが、ボクに向かって国を壊すなんて軽々しく言って欲しくないから(くぎ)を刺したまでだベエ」

「そうか。悪かったよ」

「分かればいいベエ」

 

 妖精が偉そうにふんぞり返って告げた。

 言われてみれば軽率だった。それは認めよう。しかし、この妖精、全然可愛くない。

 彼女を始めとしたコスモスの子たちは、よくこいつに付き合えるものである。そんな(いら)()ちを覚えた僕に妖精が尋ねる。

 

「ボクはコスモスの子たちにこの国の体制を守って欲しいわけじゃないベエ。スズキ、この前ブルーマリンが話した〝時間の競合〟を覚えてるベエ?」

 

 時間の競合。前に伊井兌という人が話したことだが、それよりも僕は、妖精が「今のこの国を守れ」と言っているわけではないことに疑問を感じた。

 妖精は、今のこの国を守るのではないのなら、いったい何を守ろうとしているのか。真意が分からない。

 とりあえず妖精に答える。確か、徳川家康で例えていた。

 

「時間の競合って、未来の主要国が日本を消そうとしてるっていう」

「そうだベエが、ちょっと違うベエ」

「?」

「消そうとしてるんじゃなくて、忘れられようとしてるんだベエ。スズキ、日本が世界から忘れられた場合、どうなると思うベエ?」

 

 消すと忘れる。意味は全然違うが、この場合なにが違うのだろうか。

 

「どうなるのさ」

「世界が二つに分かれるベエ。日本が消えた世界と、日本だけが存在している世界と、だベエ」

「世界が、分かれる?」

「そうだベエ。ブラックホール団は、今の日本を壊すことで世界からの忘却を加速させ、そして日本だけが存在する世界を(つく)ろうとしてるんだベエ」

 

 どういうことなのだろうか。一つの世界が二つに分かれる、と言われてもピンとこない。

 日本が存在しない世界と、日本だけが存在する世界。――と思ったところで僕の脳内にひらめきが走った。

 それは、SFでよく聞く単語だ。ありふれたアイディアとして数多の作家が採用する多重の概念。フィクションに慣れ親しんだ者なら()ぐに理解できるだろう。

 箱の中のネコで例えられていた気もするが、よく理解できないから放っておき、その単語を妖精に伝える。

 

「それって、パラレルワールド」

「スズキ、オマエは中々察しがいいベエ。前にブルーマリンが世界は一つ、パラレルワールドは存在しないって言ってたベエが、ブラックホール団の狙いはここにあるベエ。日本が忘れられた世界と日本だけが存在している世界、世界を分けることで、今まさにパラレルワールド(並行世界)が生まれようとしてるんだベエ」

 

 何を考えてるのか分からない妖精だったが、ようやく理解した。

 日本だけが存在する、ある意味で取り残された世界。それがどんな世界なのか凡人の僕には想像もつかないが、少なくとも未来を知るAIにとって、あってはならない次元の世界なのだろう。

 時空がゆがむとか、物理法則が乱れるとか、そういった世界における概念の話だ。危機は抱けなくとも止めなくてはならないのだろう。

 

「分かったよ。忠四郎が守りたいって言ってるものが」

「分かったようで何よりだベエ」

「でも、あの望搗って人のやろうとしてることが、それとどうつながるんだ?」

「因果関係を訊いてるベエ?」

「うん。それだけじゃ納得できないよ。信用し過ぎかもしれないけど、あの人のやろうとしてることが、そのパラレルワールドとどうつながるのか説明してくれないと」

 

 話を元に戻し、望搗という人の破壊が、世界の分割にどう関係するのか妖精に訊いた。

 少なくともコスモスの子を害さない。それだけで僕は安心できてしまうし、かばいたい気持ちを捨てれなかった。

 ()(えん)な手段だけど堅実に一つずつ。「ウサギとカメ」で言うカメのような人を僕は応援したくなる。また、前に伊井兌という人が、望搗という人が現れて喜んでいたが、きっと好きなのだろう。だが、理解できてしまう。あの人は男の僕からして見ても魅力的である。

 土を耕して麦を育てて。イケメンのくせに畑帰りのような素朴さを漂わせ、しかも賢い。僕はあの望搗という人を信じてみたかった。

 

「確かにあの男、今は非の打ちどころがない人格者だベエ」

 

 しかし、妖精が前置きしたうえで悪と断じる。

 

「今は?」

「うむだベエ。あの男はいずれ変わるベエ。自分に逆らう者を眉一つ動かさずに処刑し、僅かな批判も許さない独裁者へと変わり果てるベエ」

「えっ。あの人が」

「全国民にIDチップを埋め込んだ厳戒な監視体制を敷き、そんな個人の人権など無視するディストピアな日本国の有り様に、未来の主要国家は危険とみなし、結果、時間の競合が早まることになるベエ」

 

 ()(ぜん)とする僕。妖精は僕がそばで見てみたいと思い始めた未来が、血塗られたものになることを予言した。

 まさか、あの人に限って。だが、妖精は未来からの使者だ。何度も言うが、妖精は彼女と坎原さんが誘われることが分かっていた。

 畳み掛けるように妖精が僕に告げる。誰にとっても、僕にとっても残酷な、慈悲も希望もない暗黒の未来を。

 

「スズキ、エクリプスという男が創る未来をこれから見せてやるベエ。これを見ればスズキは、絶対にあの男の破壊を止めなきゃ、って思うはずだベエ」

 



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絶望の未来 クローズマイドリーム

 妖精が、僕のノートパソコンを開き、電源ボタンを押した。

 立ち上がったパソコン。デスクトップ画面の表示を確認した妖精が、DVDドライブのトレイを開くと、

 

「うんせ、だベエ」

 

 思わぬアクションに僕が目を剥く。なんと妖精の腹が、僕のパソコンのDVDドライブと同じように開いたのだ。

 そして、腹から現れたのは一枚の光学ディスク。そのディスクを妖精が自ら取り出し、僕のパソコンにセットする。

 トレイが閉まり、なぞるような再生音がパソコンから響く。

 

「……なんだこれ」

 

 パソコンの画面には、波が荒磯(あらいそ)に向かって水しぶきを上げる映像が映し出されていた。

 間もなくして画面中央に、三角に囲まれた「藤映」という縦の文字がズームアップして映され、この意味の分からなさに僕が尋ねる。

 

「忠四郎、なんだよこれ」

「スズキは映画を観ないのかベエ? 映画は決まってオープニングから始まるもんだベエ」

「オープニングは知ってるけど、必要あるのか?」

「始まるから黙って観てろベエ」

 

 妖精の趣味のようだ。息を吐きながら画面を眺めていると、

 

「……えっ」

 

 映し出されたショッキングな映像に、僕が思わず声を上げた。

 

「やめてっス! あたしまだ死にたくないっス!」

 

 目を疑った。

 だが、間違いない。かのフランス革命で用いられていた処刑具ギロチンが、パソコンの画面に映っている。

 数え切れぬ数の人がギロチンを囲むようにして観ている。ある人はひそひそと隣人に耳打ちしており、またある人は嬉々(きき)として首が落とされる瞬間を今か今かと待っている。何よりも衝撃を受けたのが、首を差し出している子が、あの山梨で会ったサンバイザーの子だった点だ。

 顔つきが成長しているようだが違いないだろう。衆人が見守る中、あの山梨で会ったサンバイザーの子が、公開処刑されている。

 

「な、なんだよこれ」

 

 戸惑う僕が尋ねるが、妖精は無言で映像を見つめている。

 

「なんであたしが処刑されるっス! 厳しいからちょっと優しくした方がいいって言っただけじゃないっスか! ねえさん、聞いてるっスか!?」

 

 パソコンから響く金切り声に、僕が今度は耳を疑った。

 二人の仲は僕が見た限り良好だった。なのに、どうして――。首枷(くびかせ)をかけられているサンバイザーの子のそばには、軍服のような服を着た人が立っているのだが、その人に目を凝らすと、あの伊井兌という人だった。

 伊井兌という人が、「ねえさん」と呼び慕っていたサンバイザーの子を、冷めた目で見下ろしている。

 

「ねえさん、お願いっス! もう逆らわないから殺さないでっス!」

 

 悲痛な叫びもむなしく、映像の中の伊井兌という人が右手を上げた。

 すると、ギロチンの刃が落ち、僕が目を背けるが、

 

「ここから先は自主規制だベエ」

 

 ザー、という音が鳴り、これに僕が視線を戻すと、画面にはノイズ、通称砂嵐が映し出されていた。

 首が落とされる場面を目にせずに済み、僕が心から息を()く。

 

「忠四郎、なんなんだ今のは。なんで山梨で会った子が、殺されようとしてるんだ?」

「これがボクがシミュレーションした、エクリプスという男が(つく)る未来だベエ」

「…………」

「スズキが予想するとおり、未来のコムギを使った(やつ)の事業は大成功を収めるベエ。安くて(うま)い主食に庶民は大喜びし、輸入に頼るばかりだった日本の食糧事情を一変させた奴は、この男こそ腐敗した日本を変える真の指導者と(たた)えられるベエ」

「真の指導者って。そんなに成功するのか」

「うむだベエ。イケメン且つやましいところがない人格も功を奏し、民衆のみならず官僚や政治家を含めた全国民から絶大な支持を得て、あれよあれよのうちに日本のトップへと登り詰めるベエ。そして、権力を手にした奴は(ひょう)(へん)してしまうベエ。己が意に沿わぬ者を誰であろうと処刑し、全国民を徹底した管理の下に置く、共産主義国家も真っ青なディストピアを築き上げるベエ」

 

 妖精が予言する未来に、僕は空いた口がふさがらなかった。

 しかし、いくら妖精が言えども信じられない。たった十二年しか生きていない僕の目による洞察だが、望搗という人に私欲など欠片(かけら)も感じず、むしろ誠実さと利他的な思いを感じた。

 人は権力を得ると変わる。よく言われる言葉だが、そんな簡単に人は変わってしまうのだろうか。疑いたい僕に妖精が告げる。

 

「スズキ、あの男とてブラックホール団。もう何年も前の話になるベエが、コスモスの子を殺しているベエ」

「……そう、なのか」

「うむだベエ。それに奴には一つ、本人が隠したがっている致命的な(きず)があるんだベエ」

「致命的なキズ?」

「父親が反社会的な人物だったんだベエ。その父親はもうとっくの昔に死んでるベエが、故にあの男は誰からも避けられ、常に不当な評価しか得られなかったんだベエ。そこを付け込まれて奴はブラックホール団に入ったんだベエ」

「……今まで認められなかったから、権力を得たことで変わってしまう下地があるってことか?」

「そうだベエ。奴は世に、それも大多数の国民に初めて認められて、その信頼を失うことに恐れるベエ。ボクの見立てでは未来のコムギで成功を収めた後、あるジャーナリストが奴の父親を世に告発したことがきっかけで非情な独裁者へと変わってゆくベエ」

「…………」

「スズキ、次の映像が始まるベエ」

「まだあるのか」

「次はスズキにとって重大な映像を見せるベエ。今度は自主規制しないからちゃんと観るんだベエ」

 

 砂嵐が一転して観られる映像に変わり、次に映し出された映像は、白い壁が映える廊下だった。

 病院だろうか。締め切られた鉄の扉が映し出されており、廊下のベンチには、一人の男が手を組み、その傍らには一人の女性が座っている。

 座る男女に見覚えがあり、気付いた僕が、

 

「あっ」

 

 声を上げる。

 男女は山梨で会った双子の成長した姿だった。手を組む男は落ち着きなく右足を上下させ、それを女がたしなめている。

 程なくして、締め切られた扉が開き、飛び出した看護婦に併せて赤ん坊の泣き声が聞こえる。

 元気な赤ちゃんが産まれましたよ。そう伝えた看護婦に双子が立ち上がり、――僕の心臓が激しく脈を打った。

 

 ――なんとなく妖精の見せたいものが分かった。

 心臓が荒ぶるように脈を打っている。酸素をいくら吸っても全然足りないくらいに息苦しい。嫌な脂汗が僕の額と背筋を、先からまとわりつくように()っている。

 映像の視点は、扉に入る男に合わせて動き出し、泣き声を上げる赤ん坊が映される。――見たくない。外れてくれ。そう願う僕の(おも)いなど(むな)しく、嫌な予感は的中する。

 映し出された母親。成長しても相変わらず小さくて、とても満たされた笑みを浮かべている。そして、双子の男女が、――彼女と、彼女が産んだ赤ん坊を祝福している。

 

「……もう、やめてくれ」

 

 うつむきながら妖精に告げると、妖精は再生を停止した。

 どういうことだ。山梨で、彼女と枯林という男に交流なんかあったか。ずっとあの場にいたが、少なくともそのような交わりなど見受けられなかった。

 これから親交を深めるのだろうか。ひょっとしたら彼女が気に入っており、だから最近距離を感じているのか。

 涙が止まらない。こんなにも悲しいなんて。未来において僕は、彼女と結ばれない。

 

「なんでだよ。こんなことって……」

「スズキ、オマエは真っ先に殺されるベエ」

「殺されるだって?」

「スズキはコスモスとブラックホール団を知る唯一の一般人だベエ。奴はスズキを不穏分子とみなし、いの一番に殺しにかかるベエ」

 

 僕は、殺される。望搗という人が創る未来は絶望の未来だった。

 もうなりふり構っていられない。どんな手を使ってでも望搗という人の破壊を止めなければ。

 妖精に尋ねる。妖精が僕の前に現れたということは、こんな僕にでもできることがあるのだろうか。

 

「忠四郎。今の未来、ウソじゃないんだな?」

「未来のAIであるボクのシミュレーションだベエ。十中八九間違いないベエ」

「分かった。僕はどうすればいい?」

「まずはトゥインクルを止めるベエ」

「庚渡さんを?」

「うむだベエ。トゥインクルは山梨での集まりに迷ってるベエ。スズキ、オマエの口から言ってビシッと引き止めるベエ」

 

 涙をぬぐうと、唐突に周りから音が消えた。

 

「時が、止まった」

「スズキ、急ぐベエ」

「分かった」

 



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どくせん! 奪還作戦開始!

 家を飛び出した僕が、目をつむって耳を澄ませた。

 もう何度目になるだろうか、この時が止まった静かな空間内に僕が入るのは。初めて彼女と話をしたとき、妖精はこの空間を、時と時の隙間に挿入したコスモスだけが動けるプライベートな時空間と言っていた。

 うるう年にちなんで「リープゾーン」と名付けていた気がする。そのリープゾーン内では、全ての物、あらゆる事象が停止しており、その(ため)にいつもなら聞き逃す微小な音を漏らさずに感じ取ることができる。

 話し声がかすかに聞こえる。そう遠くない。そこに向かって僕が、全力で走る。

 誰よりも速く駆けろ。奪われる前に着け。彼女は、――僕のものだ。誰にも渡したくない、いや、渡さない。

 

「庚渡さん!」

 

 そして、彼女を見つけた僕が、息を切らしつつも大声で呼んだ。

 変身した黄色いドレス姿の彼女。お姫様のようでいて(りん)とした存在感も表すその姿に、僕が初めて戦う彼女を見た残暑の放課後を思い出す。

 彼女の前には、あの山梨で会った伊井兌という人とサンバイザーの子が、同じく変身した姿で立っている。サンバイザーの子は、葉と果実のような装飾に覆われた黄緑色の衣装をまとっているが、今それはどうだっていい。彼女だ、彼女を止めなければ。

 

「鈴鬼くん」

「ダメだ庚渡さん! その人らの誘いにのっちゃダメだ!」

 

 ありったけの声を喉から発して彼女を止めた。

 きょとん、とした顔を浮かべる彼女。コスモスの二人とどんな話をしていたのか。呼んだ後になって気付いたが、妖精は「急げ」と僕に勧めた。

 全てを見通す妖精の言うことだ、今まさに彼女は誘われていたのだろう。そして、その予想は当たる。

 結んだ(ひも)(ほど)けるように彼女が顔を緩め、

 

「うん、分かった。鈴鬼くんがやめろって言うならやめるね」

 

 僕の制止を快く受け入れた。

 彼女が伝える。僕がいつまでも見ていたい優しい笑顔を浮かべ。

 

「山梨から帰って、鈴鬼くんが迷ってたみたいだったから、私どうしようか迷ってたんだけど、……うん、鈴鬼くんが入らないなら私もやめる」

 

 そして、彼女がコスモス二人に振り向き、

 

「ということでごめんなさい。私なんかを誘ってくれてとっても(うれ)しいですけど、彼が入らないなら私も事業の参加は断ります。本当にごめんなさい」

 

 頭を下げて山梨で会った集まりへの参加を辞退した。

 何とか間に合ったようで僕が息を()く。しかし、どういうことだろうか。妖精は彼女が迷っているから僕に止めろと言った。ところが今の彼女の言では、僕の去就を待っていたようだった。

 妖精が僕を()かすためにウソをついたのだろうか。何にせよ彼女と久々に通じ合えて、その結果に不満などあろうはずもないが、妖精の言い分だけは()に落ちず首をかしげてしまう。

 

「本当に、入ってくれないの?」

「はい。ごめんなさい」

 

 彼女の前に立つ伊井兌という人が()き、これに彼女が答える。

 

「えー、そんなぁ。すごく残念っス。同じ(とし)だから一緒に仲良くやれるって思ってたのに」

 

 サンバイザーの子が彼女にぼやき、それから僕に目を向けた。

 蔑むような視線を感じる。なぜコスモスでもない一般ピープルのお前が邪魔を、という邪念を。だが、負けるわけにはいかない。

 誰であろうと彼女は渡さない。そう僕がにらみ返す。そして、口に出しても信じないだろうから言わないけど、君は未来において首を斬られて処刑されるんだぞ、と思いながら。

 伊井兌という人も僕を見ている。

 

「まったく、とんだ骨折り損っス。ねえさん、帰りましょうっス」

 

 サンバイザーの子がため息をついて帰りを呼びかけるが、

 

「なら、この男の子を消せば」

「……えっ?」

 

 戸惑いの声を上げたサンバイザーの子。伊井兌という人が僕に広げた右手を向けた。

 広げた右手から、――水だ。水があふれ出るように生まれている。

 

「答え、変わるかな。……〝フラッシュフロード〟!」

 

 水が、滝のような(ちょく)(ばく)が僕に襲い掛かる。

 

「うわあっ!」

「危ない鈴鬼くん! ……あうっ!」

 

 間一髪、彼女が飛び込んでくれたおかげで僕は助かった。

 転がる僕と彼女。思いもよらぬ攻撃に、僕がすかさず立ち上がるが、

 

「庚渡さん! 大丈夫か!?」

「あ、うう……」

 

 飛び込んだ際に食らってしまったようで、彼女は立ち上がれず左足をかばっていた。

 彼女が、痛みに顔をゆがめている。この苦しむ彼女を目にした僕の頭が、堪え切れない熱さに支配される。

 

「何をするんだ!」

 

 我慢できずに僕が叫んだが、伊井兌という人が冷めた目で僕と彼女を見ている。

 虫けらを見るような感情のない眼つき。下等な存在など消しても問題ない、と言わんばかりの視線。これが僕に、今も隣に立っているサンバイザーの子を慈悲なく処刑した、先に妖精が見せた映像を思い起こさせる。

 このままでは殺されてしまう。恐れる僕など構いなしに、伊井兌という人が広げた右手から再び水を生む。

 

「ま、待て! これは、望搗って人が命じてるのか?」

 

 とっさに思い出した僕が、相手が好意を抱いているであろう人の名を挙げた。

 試みは成功した。反応した伊井兌という人が右手から湧き上がる水を止める。やはりこの人、望搗という人が好きなのだろう。

 何よりも信じられなかった。あの望搗という人が、誘いを断ったくらいでこんなことを命じるのか。妖精の見立てでも今は非の打ちどころのない人格者と聞いている。

 

「……ううん、あの人は知らない」

 

 思ったとおりだ。独断と自白した。

 時間を稼ぐしかない。彼女が回復するときを、坎原さんないしは陽さん美月さんが助けに来るときを。

 相手の痛い点を突いてやる。彼女を苦しめた腹いせもあって僕が頭をフル回転させる。

 

「あの人は、ヘイズとコスモスは似た者同士って言ってただろ? なら、コスモス同士ってのも言えるはずだ。コスモス同士で争って、あの人が喜ぶと思ってるのか?」

「…………」

「それに僕だってあの人に誘われたんだぞ? 君の意見が欲しいって。そんな僕を殺そうとするなんて知ったら」

「うるさい!」

 

 伊井兌という人が激昂(げきこう)した。

 言い過ぎたか。たじろぎ下がる僕に、伊井兌という人が右手をかざして告げる。

 

「君みたいな子供があの人を語らないで。この前はじめて会ったくせに」

「……クッ」

「参加しないならコスモスだって敵よ。忠四郎にそそのかされて、いずれあの人の邪魔をする。……私はあの人に出会って決めたの。あの人に誰よりも忠実で、誰よりも鋭い剣になろうって。あの人の邪魔をする(やつ)は誰であろうと許さない、コスモスでもヘイズでも一人残らず消してやる」

 



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計算する女の子 期待してる男の子

 伊井兌という人の広げた右手から、水があふれるように生まれている。

 

「キミ、調子に乗り過ぎ。コスモスでもヘイズでもないくせに」

 

 吐き捨てたその表情には、侮蔑と不愉快さが入り混じっていた。

 だが、自分でも分からなかった。死を目前とした殺意を向けられているくせに、まさか自分がこのような行動をとるとは。

 僕は、自然と彼女をかばっていた。左足をかばってうずくまる彼女の前に僕は立ち、身を(てい)して水から守ろうとしている。

 

「鈴鬼くん」

「庚渡さん。君を、ま、守るよ」

「だ、だめ! 逃げて! 私は耐えてみせるから!」

 

 コスモスの彼女を負傷させた水だ。あれをまともに浴びたら以前の入院どころではない。体が大雨に打たれる砂城のようにもろく崩れるのだろう。

 足の震えが止まらない。気を抜いたら小便が漏れ出そう。でも、この身が砕けようとも、どれだけみっともない姿をさらしても、彼女を守ってみせる。これが無力な僕の、(あた)う限りの献身であり愛だ。

 こうなったら、あの枯林という男と結ばれたっていい。彼女を幸せにしてくれるなら誰だっていい――。そう諦めた僕だが、意外な人物が僕と彼女の危機を救う。

 

「〝アイヴィーチェイン〟!」

 

 葉を茂らせた緑色の縄が、伊井兌という人の右手に絡み付いた。

 

「ねえさん、やめるっス!」

 

 サンバイザーの子が両手からツタを生み出し、それを伊井兌という人の右手に絡ませていた。

 右手から水が引くように消え、この消えた水に僕が心から息をつく。

 

「ねえさんいったい何かんがえてるんスか! 攻撃するなんて、いくら何でもやりすぎっス! しかもコスモスでも何でもない男の子まで」

 

 止めるサンバイザーの子に伊井兌という人が目を向ける。

 

「ここで消しておけば、あの人に気付かれない」

「本気で言ってるっスか!?」

「もちろん本気よ。ハウメア、ここでトゥインクルを消さなきゃどうなるか分かってる?」

「……どうなるって言うんスか」

「生かしておけば、必ず私たち事業の脅威になるの。この子って虫も殺さないような大人しい顔してるけど、コスモスとしての才能は恐ろしいものがあるって(うわさ)よ。私達の事業に参加しないと言うのなら、ここでいま確実に息の根を止めるべき」

「ね、ねえさん」

「ハウメア、お願い、私に従って。あなたがアトラクトとレポースに殺されそうになってたところを助けたのは誰?」

「そ、それは……」

 

 言い(よど)んだサンバイザーの子。どうやらあの子は助けられた恩があるようだ。

 伊井兌という人が自由の利く左手から水を生む。生まれた水は、まるでガスバーナーのように噴き上がり、

 

「〝ハイドロソード〟」

 

 一目で高圧と分かる白き刃へと変化する。

 そして、右手に絡み付くツタを、白き刃が断ち切る。

 

「ねえさん」

「ハウメア、邪魔しないで。次に邪魔をしたら、あなたと言えど容赦はしない」

 

 ツタを切断した伊井兌という人が、再びこちらに振り向き、右手を広げた。

 だが、ようやく現れた。待ちに待った友人のヒーローガールが僕と彼女を救助する。

 

「〝ダイレクトオービット〟!」

「あぐっ!」

「ねえさん!」

 

 頭上から隕石のごとく降った物体が伊井兌という人を直撃し、これにサンバイザーの子が声を上げた。

 直撃した物体がガラスのように割れる。そして、僕と彼女の前に、土星のごとき環をたすき掛けした紫の戦士が颯爽(さっそう)と背を向けた姿で降り立つ。

 紫のドレスをまとう光の戦士が僕と彼女に首を振り向ける。

 

「ヒーローの出番です」

「リングレット!」

「坎原さん」

 

 親友の登場に彼女が歓喜の声を上げ、僕は心から息をついた。

 坎原さんが彼女に振り向く。

 

「リングレット、助かったよぉ」

「トゥインクルうちに来るの遅いなー、って思いながらオフロ入ってたら、時間止まったからもう大急ぎで来たよ。ところでさ、トゥインクル」

「なに?」

「チョコできそうなの?」

 

 坎原さんの発言に彼女が止まった。

 彼女の額から汗が滝のように流れている。足の痛みではなく、坎原さんの発言が引き金となって汗を流している。

 

「ちょ、チョコって、何のこと?」

「えっ、電話で言ってたじゃん。何回作っても脂が浮いちゃって、全然おいしくないって。んでもってこれじゃ渡せないから、最近ちょっと会いづらいって」

「わーわー! ちょっとリングレット、それ今いっちゃダメー!」

「どーして? ……あっ」

 

 僕を見た坎原さんが間の抜けた声を上げ、再び彼女に向いた。

 苦笑している坎原さん。これに彼女が、

 

「もーリングレット! 鈴鬼くん! 今の忘れて! キレイさっぱり忘れて!」

 

 顔を真っ赤にして僕に無理なことを頼むが、はて、チョコとはなんのことだろう。

 

「しっかしまさか、この人ら」

 

 坎原さんがコスモス二人に振り向く。

 伊井兌という人は先の直撃で倒れている。残るサンバイザーの子が、

 

「よくもねえさんを!」

 

 敵意をむき出しにして坎原さんに襲い掛かる。

 殴りかかるが、坎原さんが軽くよけ、そして自分の右足をサンバイザーの子の足に引っかける。

 バランスを崩したサンバイザーの子が転倒する。そして坎原さんが、

 

「ねえ。あたし、あんたたちの集まりには加わらないから」

 

 地べたに伏せるサンバイザーの子の言い渡す。

 

「あたしね、ヘイズに友達を殺されたんだ。そのヘイズを許して手を組むなんて絶対にムリだし」

「…………」

「それにあの望搗って人、血も涙もない人に変わっちゃう気がするんだよね。今は良い人でもヘイズだから、昔コスモスの子を殺してるかもしれないしさー」

「…………」

「あとさ、トゥインクルを傷付けたことは絶対に許せない。もう敵だよあんたたち、お覚悟はよろしくて? でも、パンとお茶はおいしかったよ。それはお礼いわせて。ありがとう」

 

 坎原さんは事業への参加を明確に拒否した。

 確かに、坎原さんは友達を殺されている。山梨での交流程度でその憎しみを忘れろというのは難しいだろう。

 そして、妖精と同じく、望搗という人が変わることを予言した坎原さんを、サンバイザーの子が立ち上がりながらにらみつけるが、

 

「ハウメア、下がってなさい」

 

 先に立ち上がっていた伊井兌という人が下がらせる。

 

「ねえさん、大丈夫ッスか?」

「大丈夫。それよりもあの人を悪く言うなんて許せない。この二人は、絶対に私がここで消す」

 

 静かな怒りを(にじ)ませる相手に、坎原さんと立ち上がった彼女が構えた。

 僕が邪魔にならぬ所へ下がると、伊井兌という人が金色に強く輝く。

 黄金色の光は以前も見ている。SDGsを唱えていた女性は下半身が戦車になり、メテオという人は武者に変身した。クリスマスの女の子もその胸に宿していた。

 陽さんと美月さんも姿を変えている。黄金色の光を放つ者は、決まって特異な力を行使する。

 

「〝てんびん座(リーブラ)〟! 私に力を貸しなさい!」

 



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星乙女が見放したカリ・ユガの時代

 戦士ブルーマリントリアイナの手に、金色に輝く三叉(みつまた)(やり)が現れた。

 柄を握り、穂先を前に向かって突き付ける。この鋭く(とが)った金色(こんじき)の刃にリングレットが、

 

「トゥインクル」

「うん。りーぶら、って言ってたね。てんびん座」

 

 親友に警戒を促す。

 

「でもさ、トゥインクル」

「うん?」

「あたしら、二人でふたご座(ジェミニ)をやっつけてるんだ。勝てないことはない。いや、きっと勝てるよ」

 

 二人はクリスマスの日、同じ黄道の精霊・双子座(ジェミニ)を宿した敵を撃破している。

 故に()じなかった。特にリングレットは、大好きな親友とならどんな敵でも打倒できる自信を持ち合わせていた。

 右手を広げたリングレットが大きな円を描く。彼女が描く円は、主に敵の攻撃を弾くシールドを形成するのだが、この時は異なってガラス玉のごとき透き通った球体を形成した。

 

「〝ダイレクトオービット〟!」

 

 そして、リングレットが、形成した透明の球を蹴り飛ばす。

 回転を伴った球体がブルーマリンを襲う。質量による単純な攻撃。だが、この球体が先にトゥインクルとその彼・鈴鬼小四郎を救っている。

 

「二度も食らうものか! ハアッ!」

 

 ブルーマリンが迫る球体を槍で突いた。

 球体が車のガラスを割ったように砕け、粉々に散る。しかし――。

 

「同じ攻撃が二度も通用するなんて思っちゃないよ! たああっ!」

 

 飛び込んでいたリングレットが回し蹴りを浴びせ、これをブルーマリンが槍の柄で受け止めた。

 攻め立てるリングレット。拳を突き入れ、刈るようなミドルキックを繰り出す。得意の連打でブルーマリンに反撃の余地を与えない。

 リングレットの攻撃にブルーマリンが防ぎながらも下がり、これを後ろで見守っている、葉と果実のような装飾に覆われた黄緑色の衣装をまとう戦士ハウメアフェーティリティが、

 

「ねえさん!」

 

 心配するが、全て()(ゆう)に終わる。

 リングレットもトゥインクルも、黄道の精霊を宿した者の真価を分かっていなかった。確かに二人は以前双子座(ジェミニ)を宿した子を倒しているが、このブルーマリンは違う。戦士として三年のキャリアを持つ強者だ。

 強者が黄道の精霊を宿したらどうなるか。それを二人はこれから身を(もっ)て知ることとなる。

 ブルーマリンが、繰り出されるリングレットの右拳を、

 

「あっ!」

 

 左手で受け止めて鷲掴(わしづか)みにし、これにリングレットが声を上げた。

 

「あなたの拳は軽い」

「は、離れない! ううっ、放して!」

 

 その鷲掴みは獲物に食らい付いた猛獣のごとし。引きはがそうとしても剥がせないリングレットが焦る。

 人が持つ腕力、動体視力、(りょ)(りょく)に回復力。黄道の精霊は相性が良ければ、無限と言っても過言ではない力を宿した者にもたらす。

 過去にブルーマリンは、妖精から天秤(てんびん)座の精霊を託されている。そのブルーマリンがリングレットの拳を左手でつかみながら、右手に握る槍の穂先をかざす。

 

「〝サンダーパルス〟」

「うっ、あああっ!」

 

 (きら)めいた穂先。すると途端にリングレットが絶叫を上げ、その場に倒れ込んだ。

 ぐったりと伏せた紫の戦士に、ブルーマリンが右拳を捨てるようにして放す。

 

「リングレット!」

 

 攻めるリングレットの後ろで、両手を突き出して光線を放つ準備をしていたトゥインクルだが、そのリングレットが倒れたために()めを中断した。

 ブルーマリンが握る槍の刃から、濃い雨雲の中で明滅するような光が籠っている。

 

「私のてんびん座(リーブラ)は、雷を操ることができる。さあ、あなたも食らって」

 

 (ひる)んだトゥインクルに、ブルーマリンが槍を振り払った。

 槍より(はし)る稲光。一瞬と言うにも短い刹那の間に迫る、まさに電光石火な紫電を避けられる訳がなく、

 

「〝ミリオンボルト〟」

「きゃあああっ!」

 

 触れた者を焦がし、灰にする稲妻を浴びたトゥインクルが悲鳴を上げた。

 トゥインクルが膝を突き、前のめりに倒れる。

 

「庚渡さん!」

 

 後方にて戦いを凝視している彼が、好きな女の子の倒れた姿を目にして思わず声を上げた。

 彼女は無事か。見ているだけなのか。何か自分にできることはないのか。そう彼が()れながらも思い悩む。

 

「トゥインクル」

 

 そして前方では、リングレットが地べたに手を突けて立ち上がる。

 (しび)れが抜けず、体に力が入らない。膝などは笑っていて気を抜いたら倒れそう。だが、倒れた親友と、ついでにその彼を守るべく己を奮い立たせる。

 もう友達を失いたくない――。その思いこそがリングレットを突き動かす。しかし、放たれる電気をどうすれば。対抗策が思い浮かばぬリングレットにブルーマリンが、

 

「しぶとい。そのまま寝てればいいのに。サンダーパルス!」

 

 再び槍をかざし、穂先を煌めかせる。

 

「〝リフレクティブサークル〟!」

 

 リングレットが破れかぶれで円を描き、シールドを張ったが、これが功を奏して電撃を防いだ。

 感電しなかった我が身にリングレットが勝機を見出す。すかさず円を大きく描き、いつかに敵の精霊を押し潰した圧迫する戦法に切り替える。

 ブルーマリンより一回り大きい円が形成され、リングレットが描いた円を盾に飛び込むが、

 

「電気が効かなくても」

 

 電撃を防げても刺突は防げず、ブルーマリンの突き入れた槍が円を砕いた。

 刺突による衝撃の余波を食らったリングレットが仰向けに倒れる。すかさず上体を起こすリングレットだが、ブルーマリンが穂先を突き付けて動きを制す。

 戦意を絶やさずに(にら)むリングレットにブルーマリンが告げる。

 

「あなたは一目見たときから感じてた。仲間にならず、敵になるだろうって」

「それは奇遇だね。あたしもあんたとは合わないって感じてたよ」

「この期に及んで減らず口を」

「未来の技術に頼ってこの国を変えようなんて、ホントどうかしてる。あんたあの望搗って人が好きなんだろうけど、はたから見れば変な宗教に入れ込んでるようにしか見えないよ」

「黙りなさい! あなたこそ、忠四郎のイヌのくせに。弱いイヌほどよく()える」

「ふん。……ワン!」

「このっ。……あなたは、今ここで絶対に消す。それじゃさようなら、土星の戦士リングレットアーク」

 

 リングレットの左胸を貫かんとしたブルーマリンだが、

 

「ねえさん!」

「ん? ……ぐっ!」

 

 ハウメアの注意を喚起する声にブルーマリンが止まると、上から突如として斬撃が現れた。

 縦の斬撃を、ブルーマリンが(とっ)()に槍を横に構えて防ぐ。ブルーマリンを斬ろうとしたのは、銀の大きな籠手。

 下がるブルーマリン。対してリングレットが見上げる。すると、人魚姿のよく知る戦士が真上に浮いている。

 

「あなたは」

「ブルーマリントリアイナ。私の後輩に何をしてるのかしら」

 

 ()いたブルーマリンに、山羊座(カプリコーン)を宿したムーンライトが訊き返した。

 救われたリングレットがその名を呼ぶ。ちょっと怖いけど、とても頼れて料理が上手な一つ上の先輩。

 

「ムーンライト」

「立てる? リングレット」

「はい。すみません」

 

 後輩を立ち上がらせたムーンライトにブルーマリンが問う。

 

「あなたも、あの人の邪魔をするつもり?」

「あの人? なんのことか分からないけど、この子を傷付けようとするなら容赦しないわ。それに私だけじゃない、もう一匹いるわよ」

「一匹?」

「ほら、やって来てるでしょう? あっちから筋肉モリモリの雌ゴリラが」

 

 ムーンライトが目で指し示す方にブルーマリンが振り向くと、恐ろしいまでに発達した筋肉を備える、まさにゴリラとしか言いようのない女が驀進(ばくしん)していた。

 オレンジ色のツーサイドアップをなびかせる黒ビキニ姿のゴリラ。ブルーマリンが初めて動揺する。

 

「ほんとにゴリラ!? ミ、ミリオンボルト!」

 

 焦ったブルーマリンが電撃を放ったが、これに先んじてゴリラが大きく跳んだ。

 電撃が外れる。そして、高く跳んだゴリラが両足の裏を向け、

 

「ウッホッホー! って誰がゴリラだぁ!」

 

 ゴリラ、もとい獅子座(レオ)を宿したサンシャインが、両足でブルーマリンを踏み付けにかかった。

 炎をまとった渾身(こんしん)のスタンプ。この両足をブルーマリンが後ろに跳んで回避する。

 

「くっ」

 

 更に現れた二人の戦士に、ブルーマリンが苦虫を()み潰したような顔を浮かべる。

 ブルーマリンは直感していた。この二人も黄道の精霊を宿している、と。同じ精霊を宿す者として感じ、そんな二人を相手にするのは、いくらブルーマリンが三年のキャリアを持つ戦士と言えども難しかった。

 覆された形勢にブルーマリンが退却を視野に入れる。

 

「ねえさん、ダメっス、退()きましょうっス!」

 

 するとハウメアが呼びかけたため、ブルーマリンが従った。

 (あお)の戦士と黄緑色の戦士がこの場から飛び立ち、これにサンシャインとムーンライトが黄道の精霊による変身を解く。

 窮地を救ってくれた二人にリングレットが礼を述べる。

 

「二人とも、ありがとうございます。助かりました」

「リングレット、謝る必要はないわ。……ハァッ!」

「うわっ!」

 

 急に描いたムーンライトの縦の弧を、リングレットが驚きながらも避けた。

 なぜ自分に攻撃を。理解できないリングレットが戸惑いつつも尋ねる。

 

「な、なんのつもりですか?」

「私たち、決めたの。もう何も信用できない。だったらこの世界からコスモスとヘイズを無くしてやるって」

「……どういう意味ですか?」

 

 問うリングレットと立ち上がったトゥインクルに、ムーンライトが銀の籠手を尖らせて告げる。

 

「コスモスとヘイズが無くなれば、もう誰も振り回されることもない。リングレット、トゥインクル、あなたたちにはここでコスモスをやめてもらうわ。もちろん、力ずくで」

 



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コブラツイストかけるレディなんているかよ

 力ずくでコスモスから()ろす。そう宣告したサンシャインとムーンライトが、後輩二人に襲い掛かった。

 サンシャインにはトゥインクルが、ムーンライトにはリングレットがあたった。だが、今のトゥインクルとリングレットが先輩二人に勝つなど無理な話であった。

 素質が違う。サンシャインとムーンライトは、妖精が選んだ戦士の中でも抜きん出た実力を備えている。更に経験も違う。コスモスとして一年以上のキャリアを持つ先輩の二人は、戦士として円熟した時期に差し掛かっていた。

 潜在能力ならトゥインクルも負けていないのだが、それが開花しているとは言い(がた)い。また、トゥインクルは左足を痛めた上に電撃を食らっており、リングレットも電撃を食らっている。万全の状態には程遠い後輩の二人は、先輩二人に打ちのめされていた。

 トゥインクルを、背から捕まえたサンシャインが、後輩の左脚に自身の左脚を絡め、更に後輩の右腕を自身の左脇に抱えて背を伸ばしている。

 プロレスのストレッチ技・コブラツイストを、サンシャインがトゥインクルに仕掛けていた。ねじれる右脇の激痛にトゥインクルが、

 

「いたいいたいいたい!」

 

 涙をあふれさせながら悲鳴を上げ、これにサンシャインが、

 

「気合いだ気合いだ気合いだぁぁぁっ!」

 

 何故(なぜ)か顎を前に突き出して叫んでいるが、色々と間違っているのは気のせいだろうか。

 

「はあああっ!」

 

 一方、リングレットが連打で攻め立てていた。

 コスモスにある種の生き甲斐(がい)を感じているリングレットは、先輩二人の一方的な要求に憤っていた。だから、何度打ちのめされてもくじけずに立ち上がっている。

 ボロボロの体に喝を入れ、両拳をマシンガンの(ごと)(たた)きつける。しかし、銀の籠手を構えるムーンライトに全て(さば)かれている。

 リングレットが右脚を上げ、刈るようなハイキックを仕掛けるが、それを見切ったムーンライトが体勢を低くしてかわす。そして、後輩の軸足となっている左足を、

 

「そこっ」

「うわあっ!」

 

 自身の右足で払い、これにリングレットが転倒した。

 仰向けに倒れたリングレット。コブラツイストから解放されたトゥインクルも伏せるように倒れ込む。

 立ちはだかる先輩二人を、背を向けるトゥインクルが後ろに振り向いて見上げ、リングレットは上体を起こした体勢で見上げている。

 

「終わりかしら。なら、今すぐハロウィンズミラーとユニヴァーデンスクロックを出しなさい」

 

 ムーンライトが後輩二人を見下ろし、コスモスのツールを出すように強要した。

 渡してしまったら破壊されるだろう。後輩二人が無言で提出を拒否する。

 理解できなかった。なぜムーンライトとサンシャインは、戦いから降ろさせようとするのか。

 

「なんでですか。こんなの納得できません。なんであたし達が、コスモスをやめなければならないんですか」

 

 承服できないリングレットが先輩二人に()く。

 反抗的な表情のリングレットに、ムーンライトが見下ろしながら答える。

 

「あなたたちに、普通の生活を送って欲しいからよ」

「……え?」

「だって、ふざけてるじゃない。あなたたちみたいな一年生が、日本の未来だかなんだかよく分からないことに巻き込まれて、命まで失うような戦いを強いられてるなんて」

 

 ムーンライトが、やり場のない怒りに顔をしかめており、涙を流していた。

 いつも表情を崩さないムーンライトが初めて(あら)わにした感情。それと、流れる涙から伝わる熱い思い。

 動揺して気の抜けた表情を浮かべるリングレットを、涙あふれる瞳で見つめるムーンライトが訴える。

 

「リングレット、あなたは友達を亡くしたんでしょう? だったら分かるわよね?」

「…………」

「お願いだから、私達にそんな悲しい思いをさせないで」

 

 顔を覆ったムーンライトに代わってサンシャインが説明する。

 

「べーちゃんは、あたしたちにこれからどうするか考えろって言った。だから、これがあたしたち二人の答え」

「……答え?」

「うん。コスモスもヘイズも全部倒して、何だかよく分からないことを一切合切おしまいにするんだ。だからお願い。後はあたしたちが戦って全部終わらせるからさ、ハロウィンズミラーとユニヴァーデンスクロックを出して」

 

 サンシャインが後輩二人に優しく語りかけた。

 穏やかな口調ながらも真剣な目で。だが、ここで思わぬ者が申し立てる。

 両手両膝を地面に突け、先輩二人と後輩二人の間に割って入った者。それは――。

 

「二人とも待ってください! 今とても大変なんです!」

 

 彼・鈴鬼小四郎が、土下座の格好でサンシャインとムーンライトに頼み込んだ。

 驚く先輩二人。サンシャインが、

 

「……スズキ君、どいて」

 

 コスモスでも敵でもない彼に不快な表情を浮かべる。

 なぜ彼が止める権利を持っている。いや、こういう事にでしゃばる男の子だったかと、()(げん)に感じるサンシャインをよそに、彼が頭を下げて申し立てる。

 

「二人は今、コスモスすらも味方に付ける恐ろしい敵に目を付けられているんです! いま二人が戦う力を失ったらとても危険です! だから降ろすにしても、もうしばらく待ってください!」

 

 彼は一般人の身ながら敵と話した経験がある。それに、先程は死を覚悟してまでトゥインクルを守ろうとした。臆するわけがなかった。

 まさに土下座で頼み込んだ彼に、サンシャインとムーンライトが顔を見合わせる。確かに、以前現れた(あお)い戦士が、なぜ後輩の二人を襲っていたのか気にはなっていた。

 事情が()み込めない。サンシャインが彼に尋ねる。

 

「スズキ君。キミ、何か知ってるの?」

「はい。実は忠四郎、あ、いや、べーちゃんから聞きまして……」

 

 顔を上げた彼が、望搗という男が(つく)る絶望の未来をサンシャインとムーンライトに話した。

 説得力を持たせるために若干の誇張をした。ただし私事になるため、トゥインクルが自分ではない男と結ばれる未来だけは伏せて。

 驚いた先輩の二人。まさかコスモスに接触を図る敵の男がいたなんて。そして、敵が目論(もくろ)む遠大な野望に、ただ事ではない旨を認識する。

 

「そんな人が」

「はい。その人による国の破壊は、なんとしてでも止めないとならないんです」

 

 話した彼の左でリングレットが、

 

「あたしからもお願いします」

「坎原さん」

 

 彼と同じく土下座の格好で先輩二人に頼み込んだ。

 

「鈴鬼くんが言ったとおり、あたしらすごいヤバい人たちに目を付けられちゃって、それにさっきケンカ売っちゃったんです」

「ケンカ売っちゃったんだ」

「はい。だからお願いします、あたしらを助けてください。それと、やっぱり納得できないです。自分たちのことは棚に上げて悲劇のヒロイン気取りなのが」

「…………」

「年上だからって思い上がらないでください。いなくなったら悲しいのはお互い様ですから。戦うなら、一緒に戦わせてください」

 

 そして、トゥインクルも、彼の右に土下座の格好で座り込み、

 

「私からもお願いします」

 

 彼と親友に続いて先輩二人に頼み込んだ。

 

「私はトゥインクルスターになって、初めて、見てもらえました。コスモスじゃなくなったら見てくれなくなりそうで、私、怖いんです」

「…………」

「それに私、お二人が大好きです。だからお願いします。一緒に戦わせてください」

 

 彼とトゥインクルとリングレットが顔を見合わせ、先輩二人に臨む。

 雁首(がんくび)そろえた格好の一年生三人。そして、深々と頭を下げ、

 

「お願いします!」

 

 声を合わせて改めて頼み込む。

 

「どうしようムーンライト。まさか、あたしらが悩んでる間にそんなことに巻き込まれてたなんて」

「仕方ないわね。コスモスをやめたからって狙われない訳じゃないし、この件は保留としましょう」

 

 折れた先輩二人にリングレットが、

 

「やった! お二人がいればもう百人力です! ヘイズと今の(やつ)ら、片っ端からやっつけてやりましょう!」

 

 立ち上がって喜ぶが、その一方で、

 

「鈴鬼くん」

「か、庚渡さん。ちょっと」

「ごめんね。(しび)れが抜けなくて。それに足も痛いの。このまま寄りかからせて」

 

 立ち上がったトゥインクルが彼によろよろと抱き着き、これに彼が照れながらも困った顔を浮かべた。

 親友と先輩二人は分かっていた。トゥインクルがいま彼に言った弱音は全て口実であり、ただイチャイチャしたいだけなことを。

 だが、こんな幸せこそ守らなければ。そう親友と先輩二人が、幸せそうに抱き付くトゥインクルに息を吐きながらもほほえみを浮かべた。

 



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人を祝わば愛二つ

 本日は、女性が気持ちをチョコレートに乗せて伝える日。バレンタインデーである。

 元はクリスマスやハロウィンと同じく西洋のイベントだ。そもそもチョコレートの原料であるカカオは中米が原産である。そんなイベントが日本で普及した原因としては、昭和中期にチョコレートを売り出したかった製菓業界による販売戦略と言われているが、令和になった今それを論じても詮無きことだろう。

 ある女の子は(はかな)い片思いを伝えるために。またある女の子は日頃の感謝を伝えるために。そんな女の子におけるイベント日に、庚渡紬実佳もチョコレートをしたためていたのだが、

 

(渡せなかった……)

 

 意中の彼・鈴鬼小四郎にチョコを渡せず落ち込んでいた。

 二月十四日水曜日。紬実佳が部屋の隅で、三角座りの格好でうつむいている。

 

「はー。紬実佳ー、どーすんのこれ?」

 

 椅子に座って足を組む親友・坎原環が、チョコレートの入った箱を手に()いた。

 ハート柄のピンクの包装紙にてラッピングし、リボンまで付けた箱を、環がカラカラと振って弄んでいる。

 ここは環の部屋。日本を代表する大企業のお嬢様である彼女だが、広さにして八畳のその部屋は庶民より少しグレードが上がった程度の内装である。エアコンにテレビに勉強机、テーブルの上のノートパソコン等々(などなど)、普通の女子中学生でも備えてありそうな家具や器具が部屋に(しつら)えてあるが、唯一違う点として環が大好きなヒーロー「()(めん)ライダー」のフィギュアやタペストリーが所狭しと飾られている。

 

「せっかく巽島さん()まで行って、チョコの作り方教わってまで作ったのに」

 

 ぼやいた環。昨日紬実佳は、同じコスモスの巽島美月の家に行ってチョコレートを作成した。

 バレンタインデー。二月に入って紬実佳は、自らの愛が詰まった手作りチョコレートを彼に渡そうと意気込んでいた。だが、実際に作ってみると全然上手(うま)く作れず、とても苦悩していた。

 彼が紬実佳に対し、距離を感じる、と思っていたが何のことはない。このままではチョコを渡せない、と紬実佳が、一人でビビッて避けていただけなのである。まあ、その彼も今まで縁がなかった故にバレンタインデーを喪失していたのだが、そこで料理に精通している美月に泣きつき、やっとのことで「おいしい」と言ってもらえるくらいのチョコレート作りに成功した。

 紬実佳には環が付き添い、美月の家に着いたら美月の腐れ縁にして親友・乾出陽がいたことは言うまでもない。

 

「だってぇ、今日水曜で部活ないから、鈴鬼くん、()(とう)くんと(たか)()()くんと一緒だったし……」

「まあ、あいつら邪魔だよねぇ」

 

 紬実佳の恋路を邪魔する彼の友人二人に対して環が悪口を垂れた。

 茶籐とは本名を()(とう)師泰(もろやす)と言い、高波市は(たか)()()(すすむ)と言う。クラスメートで彼の友人である。

 断っておくが、彼の友人は別に紬実佳の恋路を邪魔しているわけではない。邪魔と言うのは環の主観である。

 

「でも紬実佳ってすごいね。あの怖い巽島さんと調子よく話せるなんて。あたしあの人の前だと(いま)だにビビっちゃうのに」

「美月さん褒めれば大抵は喜んでくれるから。って、今は美月さんはいいの。どうしようたまちゃん、こーしてる間にも、鈴鬼くんが女狐からチョコもらって」

「メギツネって」

「そんでもって女狐から告白されちゃったりして。鈴鬼くん人が良いから断れなくて、そのままずるずると付き合うことになって……。ああ、そんなことになったら私もう生きてけない、お父さんお母さん、お兄ちゃんお姉ちゃん、先立つ不幸をお許しください」

「そんなわけないでしょ」

 

 彼のことになると()ぐ悲観的になり、今日もチョコを渡せなかった臆病な親友に環がため息を吐いた。

 どうしてだろう。クリスマスの日に自分に無断で彼を誘ったり、何かを口実として彼とイチャつく厚かましさはあるくせに、チョコはどうして渡せないのか環は不思議がっている。

 そもそも何故(なぜ)だろう。環は気になった。ちょうど良い機会だったので、

 

「ねえ紬実佳」

「なに?」

「鈴鬼くんのどこが良かったの?」

 

 どうして彼に執着するのか、環が紬実佳に訊いた。

 紬実佳は眼鏡を外せば引く手あまただろう。そう環は親友を評価しており、そんな紬実佳がなぜ背が小さくて特段イケメンという訳でもない鈴鬼くんを、と思っている。

 とは言え、彼に魅力がない訳でもない。環が彼に感心したことを挙げて紬実佳に問う。

 

「あの望搗って人に麦のことで訊いたときとか、あたし達のことで乾出さんと巽島さんに土下座してくれたりとか、確かに男らしいところあるって思ってるけど」

「でしょでしょでしょー? そうなのー、わたし頑張ってる鈴鬼くん見ると、胸がキュンキュンしちゃうの。あっ、でもたまちゃんダメだよ、鈴鬼くんは私のだから」

 

 彼を誉めて目を輝かせたと思えば(くぎ)を刺しに来た親友に、環が我慢することなく億劫(おっくう)さを表す。

 

「この世界一可愛くて知的で美人なあたしが、紬実佳みたいなめんどくさい子と張り合う訳ないでしょ」

「どこから来るのその自信」

「で、どうして鈴鬼くんがそんなに良いの? 昔あぶないところを助けられたりとか、捨て猫を拾ったところを見たりとか、そんな彼にまつわるエピソードが紬実佳の中ではあったりするの?」

 

 もし思い出があるなら合点がいく。恋に落ちてしまった原因があるのか環が尋ねた。

 環は興味があって尋ねた。彼のことが忘れられなくなる思い出があるならロマンティックだから。恋に落ちても仕方がない、そういった話を環は期待している。

 だが、紬実佳が上を向き、顎に人差し指を当て、

 

「うーん、そういったのはないかな?」

 

 苦笑いを環に浮かべる。

 

「えぇ、ないの?」

「うん。出会ったの、中学に入ってからだし」

「じゃあ、どうして鈴鬼くんを」

「一目ぼれ、というか本能なんじゃないかな? 初めて会ったときにキラッとひらめいたの、私この人とゼッタイ結婚するって」

 

 あっけらかんとした紬実佳の答えに環が()(ぜん)とした。

 しかし、環が妖精に紬実佳を紹介されたときを顧みる。――金星モデルの戦士で、金星は愛の象徴、と。運命という言葉もあり、愛の戦士ってこういうものなのか、と環が無理やり納得する。

 そして、亡くなってしまった友人を顧みる。――男を能天気に好きになって、あたしはそれにいつも振り回されて。(たい)()、紬実佳は本当によく似てるよ、と。

 いずれにしろこのままでは良くない。チョコ作りを手伝った者として権利はある環が、おもむろに椅子から腰を上げ、

 

「はい、紬実佳」

「え?」

 

 テーブルの上に置かれてある紬実佳のスマートフォンを手渡す。

 

「電話して今から会ってきなよ。勇気リンリン直球勝負、もう当たって砕けるしかないでしょ」

「砕けたくないよ! 他人(ひと)事みたいに言って。チョコ渡しちゃったら、今の関係が変わって気まずくなっちゃうかもしれないの、たまちゃん分かんないの?」

「……そりゃ、分かるけど」

 

 紬実佳の抗議に、環がチョコを渡せない理由を理解した。

 友達以上恋人未満。俗に言うこの関係は、お互いが「好き」を感じるだけで幸せな気分になれるとても甘い関係。熱くもなくぬるくもない湯船に()かるような居心地の良い関係。

 甘んじるのは楽だろう。勇気なんて必要なければ振り絞りたくないものだ。しかし、それは彼にとって飼い殺しとも言える。いつかは湯も冷めるものであり、環は両者の友人として紬実佳の気持ちを彼に表す必要性を感じていた。

 環は彼が紬実佳を好きなことを彼の口から聞いている。客観的な分だけ環の方が彼のことを分かっており、気まずくなる訳ないだろう、と確信している。だから、紬実佳に勇気を出して欲しいと願っている。

 

「うう、ごめんねたまちゃん、怒鳴っちゃったりして。私が、チョコ渡せなかったばかりに」

 

 泣いて謝りだした親友に環がしゃがみ込み、

 

「ねえ紬実佳」

 

 手を取って目を合わせて呼びかける。

 

「紬実佳が怖いの分かるよ。でも、付き合いたいんでしょ?」

「…………」

「結婚するんでしょ? それに、鈴鬼くんが紬実佳のチョコ、待ってるかもしれないじゃん?」

「たまちゃん」

 

 環が紬実佳の右手を握り締め、それから指を絡める。

 (てのひら)を合わせて指を絡める環と紬実佳。環が自分の願いを祈るように。

 

「勇気を出して。あたしと巽島さんが一肌脱いだんだし」

「…………」

「乾出さんは、〝甘い匂いがするモフ~〟って味見してただけだけど」

「……ふふっ。昨日、楽しかったね」

「紬実佳、頑張れ。未来は無限大、なんでもできる、なんでもなれる。フレッフレッ紬実佳。絶対うまくいくって、あたし信じてる」

「たまちゃん」

 

 見つめ合う環と紬実佳を(しり)()に、紬実佳のスマートフォンが着信を告げた。

 液晶を見ると、なんと発信者は彼。紬実佳が急いで手に取り、震える手つきで着信を押す。

 

「も、もしもし」

 

 まさか彼の方から連絡があるとは思わず、紬実佳が緊張した声で応答する。

 

「庚渡さん。えっと……」

「……なに?」

「あ、いや。いま何やってるかな、って思って。何でもないんだ。それじゃ」

 

 親友と彼の会話に耳をそばだてる環が、チョコをくれとは言えないよなぁ、と苦笑した。

 紬実佳が勇気を振り絞る。彼の声をもっと聞きたくて。彼の心ともっと通じ合いたくて。

 

「待って」

 

 彼を引きとめ、通話は続行する。

 

「鈴鬼くん、これから会える?」

「え? うん」

 

 そして紬実佳が、これから彼と会う約束を取り付けた。

 紬実佳が決心した顔で立ち上がる。

 

「たまちゃん、私いってくる」

「一人でだいじょうぶ? 付いて行こうか?」

「ううん、一人で頑張るよ。たまちゃん、励ましてくれてありがとう。たまちゃんがいてくれたから、私、頑張れそう」

 

 こうして紬実佳がチョコをバッグにしまい、環の部屋を後にした。

 一人残された環。彼に大好きな親友を奪われてしまって一抹の寂しさを覚えるが、親友の喜ぶ顔を明日の楽しみとして一人ほほえんだ。

 



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