東方琉輝抄・暁 (日立涼)
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第一話『無能なウサギ』


本作品は、ニコニコ動画に投稿されている作品『東方琉輝抄-星-』の続編です。
第47話から地続きのお話となっておりますので、まずはそちらをご視聴して頂くことをオススメしますが、もちろん、本作からでもお楽しみ頂くことは可能です。
まだまだ勉強中の身ですので、至らぬ点は多々あると思いますが、少しずつ改善していきます。どうぞごゆっくりお楽しみください。

更新ペースは不定期となっております。ご了承下さい。


  1

 

 私の師匠・八意永琳様は実に有能な人物である。

 元より月の頭脳と呼ばれ、幻想郷においてもパワーバランスの一端を担う御方。その博識さは言わずもがな、戦場においても、一級の戦士すら軽く凌駕する実力をお持ちだ。

「最初から、師匠に任せておくのが得策でしたね」

 永遠亭の一角。畳座敷の病室で、私はポリポリと頬を掻いた。

 手術を始めたのは梟の鳴く真夜中だったけれど、終わる頃にはすでに朝日が障子を突き抜けていた。

 やかましいセミの鳴き声が聴覚を占領し、開け放った障子から涼しい風が入り込んでいくる。

「すみませんでした、師匠。お呼び立てしてしまって」

「引き継ぎは見事だったわよ、鈴仙。お陰で手術もスムーズに進んだ」

 労うような微笑みで、師匠はそう言った。

「そんな、やめてください」

 私は胸の前で両手を振った。憧れのひとに褒めてもらえた喜びよりも、お世辞なんてやめてくれ、という思いが勝ったからだ。

 ベッドに横たわる彼女を見つめる。

 今回の患者は、人間でも妖怪でもない、神様だった。それも、見知った幻想郷の神様ではなく、ここより次元の壁を一枚隔てた異界──《グランロロ》の神様だ。 

 光導12宮と呼ばれる星座神の一柱。牡羊座を司る神、アリエス。

 昨晩、彼女は他の神との戦闘に敗れたうえ、身動きが取れなくなったところに、殴る蹴るの暴行を加えられた。

 惨たらしく血を吐き出す彼女を見たとき、最初は助からないと思った。ただ、今にも泣き出しそうな顔で、彼女を抱きしめる彼──スコーピオンの姿を見て、私は居ても立っても居られなくなったのである。

「本当にすまなかった。なんてお礼を言ったらいいのか」

 スコーピオンが頭を下げるのは、これで何回目だろう。

 彼はアリエスの傍らに腰を掛け、何度も、何回でも「よかった」「本当によかった」と繰り返す。

 彼の表情は心底幸せそうだが、そんなものを見せられているアリエスは、恥じらうように口元を布団で隠していた。 

「もう。スコーピオン、二人とも見てるよ。恥ずかしいからやめて」

「いいだろべつに。記憶も戻ったんだし、ちょっとくらい喜ばせてくれよ」

 からかうようなスコーピオンの言葉に、私はハッとなった。

 まだ、あのことを師匠に話していない。

「すみません、師匠。私、許可もなく記憶をカードを返してしまって……」

 そう言って、深々と頭を下げる。

 最初、手術は私が主任となって行われた。

 言い出しっぺは私だったし、なにより、数年前から永遠亭の〝医師〟は私ということになっているからだ。

 治療を開始するにあたって、私はまず、二人に記憶のカードを返却することを決めた。記憶のカードとは、彼ら光導12宮の記憶を閉じ込めたカードである。

 何者かの手によって、彼ら12宮は記憶を失っている。そしてその記憶は、それぞれが一枚のカードとなって、幻想郷のどこかへ散らばっていったのだと言う。

 その記憶のカードのうち、二枚。蠍座と牡羊座のカードは、私たち永遠亭が所持していた。協力者である藤原妹紅氏の働きによって発見されたものだ。

 しかし、アリエスとスコーピオンはそもそも敵対勢力の仲間。このカードを二人に返却するか否かは、まだ結論が出ていなかったのである。

 それを私は、あろうことか無許可で二人に返却した。

 とくにアリエスに至っては、本人の許可すらない完全な独断である。もちろん、これには「神様である以上、本来の力を取り戻せば、常人を凌駕する自己再生能力があるのではないか」という私なりの推測があったのだけれど、それにしたって、師匠の許可くらいは必要だっただろう。

 雷を落とされる覚悟で、私はキュッと唇を結ぶ。どんな罰を受けたって、仕方がないだろう。

 師匠の手が小さく振り上げられる。

 ゲンコツだ! 私は思わず目をつむった。

 ──しかし次の瞬間、私の頭を触れたものは、石のように固いこぶしではなく、柔らかな手のひらの感触。

「えっ」と声を漏らして、顔を上げる。見れば、師匠は慈悲深い眼差しで私を見つめていた。

「英断よ。ありがとう」

 月明かりのように優しい微笑みだった。

 胸が痛い。

 こんなにも優しい師匠の手は、私に気を遣っているんじゃないかと、疑わずにはいられなかったからだ。

 なぜなら今回の手術、私は言い出しっぺにもかかわらず「やっぱり私じゃダメだ」と即刻さじを投げ、師匠に交代してもらったからである。

 自分で言ったことすら実行できない、無能なウサギ。そんな私が凹まないようにと、師匠は気を遣ってくれたのではないだろうか。

 私が疑心暗鬼になっているうちに、師匠は白衣を脱ぎ去り、普段の装いに戻っていく。赤と青から成るツートンカラーの中華服で、頭にも、同じく赤と青の二色から成るナース帽をふわりとかぶる。

 日常が返ってきたと実感したのか、師匠は両手を組んでうんと背伸びをした。

「それじゃあ鈴仙、あとはお願いね。私は他にやることがあるから」

 え! 私は思わず叫んだ。

「師匠、このまま働くおつもりですか? なにかあるなら私がやりますし、師匠は休んでください。私の代わりはいくらでもいますけど、師匠の代わりはいないんですよ」

 手術は夜中に開始され、朝まで続いたのだ。

 当然、眠る暇なんてなかったから、彼女の今日の睡眠時間はゼロである。このまま働くなんて、いくら不死身の師匠でも酷だろう。

 まともな感性の人間なら、まずは一睡挟みたくなるというもの。

 しかし、なにが可笑しいのか、師匠はからからと笑ってみせた。

「私を誰だと思っているのよ。でも、そうね。お言葉に甘えて、湯浴みくらいはさせてもらおうかしらね」

 それは休んだうちに入らないのでは? 私の言葉を待たずに、師匠は手を振って、部屋を去ってしまった。

 師匠の背中を呆然と見つめる私。激務をこなしたあともケロッとしていられる彼女は、本当にタフな女性だと思う。

 さて。この部屋に他にいるのは、患者のアリエスと、付き添いのスコーピオンだけだ。

 とりあえず、あとは任されたのだから、仕事はこなさなければいけない。まずなにをしようかと考えていると、ベッドの上でアリエスがゆっくりと上体を起こした。

「あの、ボクからもありがとね。鈴仙」

 彼女は背中を丸めて、こちらを覗き込むように言った。レイセン(私ではなく、綿月姉妹のお付きのレイセンだ)の姿を模倣している彼女は、コピー元と同じように温和そうな表情をしている。

 どこか、憑き物が落ちたような感じだ。私はなにも出来なかったが、彼女が助かったことは心からよかったと思う。

自然と、安堵の笑みが零れた。

「無事でよかったわ。ごめんね、私なんにも出来なくって」

「そんなことねーだろ」

 割り込むように言ってきたのは、スコーピオンだ。豊姫様の姿を写した彼は、身を乗り出して言葉を続けた。

「あんまり謙遜すんなよ。あのセンセーも言ってただろ? 『見事な引き継ぎだった』って。アリエスが助かったのは、間違いなくお前のお陰だよ」

「ううん。私なんて、師匠と比べたら全然ダメだもん」

「いいや、お前は本当に頑張ってくれた。マジでありがとうな」

 屈託のない笑顔だった。

 記憶を取り戻す前は、どこかネガティブな印象を受ける男だったけれど、こちらが本来の性格なのだろう。

 記憶を取り戻したことによる再生。それが見られたことで、私の心は僅かに軽くなった。

「ああ、そうそう」スコーピオンが人差し指を立てた。

「センセーにあんなこと言ってたんだから、分かると思うけど……。お前もちゃんと休めよ? アリエスのことはオレが見てっから、な」

「そうだね。それがいい」

 二人は揃って私を見やった。

「……」

「……」

 そして、沈黙。

 口をぽかんと開けたままの私を、二人は不思議そうに見つめている。

 まずい。どう返事をしていいのか分からないことが、表情に出てしまっている。

「あー、あの」心理を悟らせまいと口を開く私だったが、時すでに遅し。

「もしかしてさ」スコーピオンが、恐る恐るといった表情で口を開いた。

「お前も、寝ずに働くつもりだったのか?」

 

  2

 

「あはは。それでなにやら揉めていたのですね」

 来客として病室にやって来た男が、愉快そうに口をおさえた。

 私とスコーピオンが「休む」「休まない」の話で揉めていたところにやって来たのを、タイミング悪く見られてしまったのだ。

 男の名はアクエリアス。スコーピオンたちと同じ光導12宮の一柱で、水瓶座だ。

彼は墨を垂らしたように真っ黒な髪で、同じくらい真っ黒なライダースジャケットを羽織っている。顔のラインは細く、鋭い。目つきも狩人のように鋭利だけれど、微笑みを絶やさないお陰か、喋ってみると、それほど威圧的な印象は受けなかった。

 病室へはリブラが案内してくれたのだけれど、なんの前触れもなく「客だ」のセリフとともに襖が開け放たれたので、一瞬反応が遅れてしまい……。

「お二人のキョトンとした顔、とてもかわいらしかったですよ」

「ええい、やめろやめろ! 恥ずかしいったらねえ」

 スコーピオンは腕を組んでそっぽを向く。あれは不可抗力だ、と私も訴えた。

 なにせ、オデコがくっ付くくらい顔を寄せて言い合っていたのだ。そんな場面を見せられてフリーズしたリブラは、なにを思って踵を返したのか……。

「たいへん失礼いたしました。リブラ様には謹んでご説明いたしますので」

「ちゃんと頼むわよ」

「承っております。このアクエリアスめに、どうかお任せください」

 念を押す私に、アクエリアスは丁寧に一礼した。

 紳士的な立ちふるまいだ。

 カプリコーンの前例はあるものの、彼は大丈夫だと直感が告げる。それだけ、アクエリアスの仕草は細部まで柔らかく、湖のように穏やかであった。

「あの、そろそろ本題に入らない?」

 アリエスが申し訳なさそうに切り出した。

「アクエリアス、キミの〝その姿〟はずいぶん久しぶりに見た。キミがここへやって来たのは、そういうことなんじゃないかな?」

 その言葉を聞いたアクエリアスは、待ってましたと言わんばかりに頬を吊り上げた。

「お心遣い感謝いたします、アリエス様。おっしゃる通り、このアクエリアスは上白沢慧音様のお力添えにより、記憶を取り戻すことができたのです。かつての【能力】も、問題なく使用可能。本日は、そのご報告のために参上いたしました」

 二人は顔を見合わせると、嬉しそうに目を開いた。

 いや、ちょっと待ってほしい。私には意味がわからなかったけれど、今、友人の名前が出てきたような?

「慧音? アナタ、慧音と一緒だったの」

「いえ、一戦交えただけですよ。強かった。私の完敗で御座いました。にもかかわらず、彼女は私に、見つけた記憶と力を返却してくださったのです」

 彼女を慕うように微笑むアクエリアスを見て、私は高揚した。

 上白沢慧音。アルティメット使いでない彼女は、今回の異変には干渉してこないと思いこんでいた(実体のない裏12宮はアルティメット使いにしか見えなかった)。しかし、慧音はどうにかして異変について調べ上げ、彼らの記憶を探してくれていたらしい。

 お人好しで責任感の強い、彼女らしい選択だと思う。

 陰ながら私たちを支えようとしてくれた友人に、私は感謝の言葉を贈り、その健闘を称えた。

「でさ、アクエリアス。優秀なキミのことだ。ボクらのボディも、すでに用意してくれてるんじゃないかな?」

 嬉々とした表情で、アリエスが尋ねる。

「ぼでぃ?」対して、私はすっとんきょうな声をあげた。

 そう言えば、アクエリアスの容姿は他の12宮と異なり、少なくとも私たちの誰かを模倣したものではない。もちろん、私たち以外の、知らない誰かの容姿をコピーしたという考え方もできるが、どうもコレは違う気がした。

 小首を傾げる私。すると、アクエリアスはしなやかな指で自身の胸をさして言った。

「この体、私が創ったんですよ」

「……え?」

 言っている意味がわからない。

 アクエリアスは得意げな顔で続ける。

「幻想郷での我々は、本来の姿を維持できません。ですので、お二人のように、誰か似た性質を持つもののお姿を模倣するか、リブラ様のように、協力者に憑依させていただく必要がございます。ですがこれ、正直不便ですよね? そこで、私の出番です。私は元より〝器の神〟と呼ばれた男でして──」

 話が長くなったので、要約する。

 現在のアクエリアスの姿は、彼が丹精込めて制作した器──言わば、極めて精巧にできたお人形のようなものだそうだ。人形と言っても、驚くことに、内臓も血管も脳みそも、全部入っているらしい(もちろんソレも彼の手創りだそうだ)。

 もともと彼ら12宮は、下界へ降りる際、変装も兼ねてこうした〝ボディ〟を使っていたそうだ。空っぽの器であれば、それに憑依するのは容易い。おばけが人形に取り憑くのと同じようなもんです、とアクエリアスは言っていた。例えが怖い。

「記憶が戻ったから、またそれが創れるようになったと」

「左様でございます」

 アクエリアスは左右の手をそれぞれ胸と背にあてると、畏まって一礼した。

 恐ろしいことに、これらはすべて『土と水』から創られているらしい。まさに【無から有を生みだす程度の能力】とでも言うべき才能だ。

 私は興味津々で、彼のボディをまじまじと見つめる。

 肌に触れた感触は人間の皮膚そのもので、流れる髪一本、潤った瞳、浮き上がる血管のひとつひとつまでもが、生物のソレを完璧に再現していた。

 私も、人並み以上にはモノ作りにハマっているつもりだったけれど、彼の『作品』と比べてしまっては、あんなもの下手の横好きだ。

「優曇華院様、顔が近いです」

「え?」

 気がつくと、私はアクエリアスの創った瞳を間近で見つめていた。

 危ないあぶない、と姿勢を正す。今のシーンを誰かに見られていたら、また変な勘違いをされたに違いない。

 私とは反対に、アクエリアスは平気そうにしていて、話をもとに戻した。

「さて。お二人とも、ボディは今すぐにでもご用意できますが、どうなさいますか」

 アリエスと、スコーピオンに問いかける。

「もちろん。っていうか、そのためにキミは来たんだろう? 受け取らなきゃ失礼だ」

「その変わらぬ優しさ、誠に恐れ入ります」

 アクエリアスは嬉しそうに頬を緩めた。

 あとで聞いたけれど、彼はヴァルゴが敷いていた監視網から、アリエス負傷の一報を受け取ったらしい。傷ついた仲間の身を案じたアクエリアスは、一旦ヴァルゴのもとを離れ、二人にボディを届けるべく馳せ参じたそうだ。

 言うが早く、アクエリアスたちは別室へと移っていく。

 私も「ボディに乗り換える瞬間を見たい」と好奇心で懇請したが、アリエスが意味深に頬を赤らめたのを見て、辞退した。

 襖が閉じられ、私一人だけが取り残される……。

 ──いやめっちゃ気になる‼

 襖一枚で隔てられた部屋の向こうは、驚くほど静かだ。夜の静けさ。そんな言葉が似合うような、沈黙。

 アリエスはどうして赤面したのだろう。なにかやましいことでもあるんじゃないか?

 いけないと思いつつも、私は全神経を集中させて聞き耳を立てる。ぬけ足さし足で襖に耳をピッタリとあてて、目を閉じる。

 いや、襖に防音効果なんてない。なにも聞こえないということは、なにも起きていないということだ。なにをやってる私!

 どんなに言い聞かせても、脈はどんどん早くなる。

 この襖の向こうで、いったいどんなことが行われているというのだろう? だって男と女だぞ? 変に妄想が膨らんでしまう。そう、私は助兵衛なのだ。

「いや、でもやっぱりこういうのってよくな──」「鈴仙」

「うへえあっ⁉」

 前触れもなく襖が開いたので、私は飛び上がって元の配置についた。

 この間わずか0.2秒。

「は、はー。ビックリした……」

「なにが?」アリエスが不思議そうに言った。

「いや、なんでもないわ……」

 どうやら気付かれなかったらしい。うつむいたまま、私はふぅとため息をつく。

 どう反応してやればいいのか、さぞや迷っただろう。アリエスは「えーっと……?」と言葉を濁しつつも、思い切って、というように口を開いた。

「ねえ! この格好、どうかな……?」

「え?」

 言われて顔を上げた私は──しばらく言葉を失った

 金糸の髪を持つ、小柄な少女がそこにいた。

 その体は純白のワンピースとブルーのジャケットに包まれており、瞳は飲み込まれそうなほど碧い輝きを放っている。

 どこか浮世離れした美しさ。その少女は、まるでおとぎ話のプリンセスであった。

「……その、似合ってるかな」アリエスは手足を寄せて言った。頬が赤い。

「あ……うん。とっても!」

「あ、ありがと……。でも、やっぱ恥ずかしいや、コレ」

「いやいやいやいや!」

 私は首を左右に振りまくった。

 どうして恥ずかしがる必要があるのだろう? 女性の私でさえ、目にしただけで緊張する。同じ部屋にいることをおこがましいとすら感じる美貌。それは紛れもなく、誇るべき長所だ。なのに──?

「アリエスはその姿が苦手なんだよ」

 声のするほうを見ると、スコーピオンが顔を覗かせた。

 彼も器への憑依を終えたらしく、その容姿は、深い紺色の頭髪を丁寧に撫でつけた、精悍な顔立ちの色男になっていた。唯一、声だけはもとのままだったことが、彼らを判断する材料になっている。

 ひとまず、スコーピオンの感想はあとに置いて、私はアリエスに問いかけた。

「苦手って……どうして?」

「苦手っていうか……ボクが使うには可愛すぎて……」

「ずっと使ってるだろ? つーか、アクエリアスが届けてくれたとき、喜んでたじゃん」

「それは……あんな身体じゃ、しばらく鈴仙に迷惑かけると思ってたから。だから安心してさ。でも、いざとなったら恥ずかしくて……。よくよく考えたら、キミたち以外にこの姿を見せるのは初めてだし……」

「あれ? 地上に降りるときに使う姿なのよね。だったら、地上の民にも見られていたんじゃないの」

「うん。だけど、地上の民にはボクだってことが分からないだろ? だからまだ平気だったんだ。でも、みんなにはボクの〝イメージ〟ってあるだろうし……」

 なるほど。合点がいって、私はポンと手を叩いた。

 アリエスは女性だ。しかし、その性格や言動は、やや中性的。加えて、「ボク」という一人称が、そのイメージを完璧に後押ししてしまっている(事実、レミリアは最初アリエスを野郎だと勘違いしていたそうだ)。

 実際、アリエスは意図的にそうしているのだろう。自分に〝かわいい〟は似合わないと思っているのか、なにか他に理由があるのか。とにかくアリエスは、自分のイメージを意図的に男性に寄せている。だから、浮世離れした美しさを持つこの姿が苦手なのだ。

 頬を赤らめていたのは、そういう理由だったのだ。なんというか──。

「アリエスってかわいいわね」

「うっ⁉ そういうのやめて! ホントに! 無理だから!」

「そーゆー反応がかわいいってゆーんじゃねーの?」

「スコーピオン!」

 小さな拳が、スコーピオンをポカポカ叩く。しかし彼は微動だにしない。華奢な体に違わず、パワーはあんまりないようだ。

 対して。

「スコーピオンの方は、いかにも〝鍛え抜かれた男性〟って感じね」

「お、そうか?」

 微笑ましく悶えるアリエスを尻目に、スコーピオンは胸をはった。

 華奢な彼女に比べて、スコーピオンの器はさながら格闘家、あるいは軍人のようだ。無駄のない絞られたフォルムで、服の上からはシャープな印象を受ける。

 しかし、着崩した襟元から見える盛り上がった大胸筋が、嫌でも期待させる──コイツは脱いだら凄そうだ。

「スコーピオン様のテーマは『誠実な軍人』でございます」

 いつの間にか戻っていたアクエリアスが、自慢げに腕を組んだ。

 というか、二人に遅れて、今までなにをしていたのだろう?

 気にはなったが、ひとまず私は話を続ける。

「誠実な軍人、ね。たしかに彼のイメージにピッタリだわ」

 事実、スコーピオンは紺色の軍用制服を見事に着こなしている。

「素敵でしょう?」

「ええ。……ちなみにアリエスのテーマは?」

「そちらは『少女の美しさの限界』に挑戦しております」

「他でやってよ! ヴァルゴとかさぁ!」

 アリエスが叫んだ。顔が真っ赤で、りんごか唐辛子みたいだ。

「あはは。ごめんなさい」

「もうっ、鈴仙までボクで遊んで……。アクエリアスもいい加減にして」

「申し訳ございません。もっとボーイッシュに仕上げるつもりが、創っていたら楽しくなってしまいまして」

 爽やかな笑みで答えるアクエリアスは、疑いようのない紳士であった。

 まあ、正直アリエスの優しさも、彼らのこうしたからかいを助長させているのだろうとは思うけれど……リアクションもかわいいし……。

 ところで、だ。

 内心で彼にサムズアップを贈りつつ、私は話を切り替える。

「そういえばアクエリアス、戻ってくるのが遅かったけれど、なにしてたの?」

「ああ、そうそう」

 アクエリアスの返事は、嬉々としたものだった。

「申し遅れましたが、つい先ほど、私の〝分身体〟から連絡がございました。戻ってくるのが遅れたのは、そのためです」

「ぶんしんたい?」

「ええ。ヴァルゴ様にご用意して頂きました。彼女の護衛用に一体、はぐれた仲間の捜索用に、もう一体。連絡があったのは後者です。ご報告いたします」

 彼は優雅に一礼すると、喜び溢れんばかりの声色で、その内容を口にした。

「〝地底にてピオーズ様御一行を発見。ただちにそちらと合流する〟」

 

 

 永遠亭の内装は、言わば大昔の日本屋敷そのものだ。

 板張りの廊下と、無数に並ぶ障子に襖。そして畳敷きの私室。例外的に、私や師匠が使用している診察室だけは、廊下と同じ板張りになっている。

 来客を招く応接間も畳敷きだ。二十畳ほどの広々とした和室で、頭上に長押の走る開放感溢れる空間。そして中央には、昭和の頑固親父が見たら大喜びでひっくり返しそうな、大きなちゃぶ台が設置されている。

 しかし、今この空間に、そんなメチャクチャをしでかす輩はいないだろう。

 セッティングを終え、役者の揃った〝会議室〟を覗いて、私はそう思った。

「12宮の皆、そして幻想郷の戦士たち。急に呼び立ててすまなかった。だが、事態は急を要する。一秒でも早く、このような席を用意する必要があると考えたのだ。もはや我々が争う理由はない。この争いの影に潜む〝黒幕〟を炙り出し、みなで協力して、そやつを討つ! そのために、どうか知恵とチカラをかしてほしい」

 深々と頭を下げたのは、薄紫の羽織に身を包んだ男だった。中華の貴人を思わせる、中性的で美しい顔立ちだ。

 各陣営の代表たちが並ぶ中央のちゃぶ台(以降、このちゃぶ台を私は『円卓』と呼ぶことにする。カッコいいから)の前に鎮座している。

 アリエスやスコーピオンをはじめとした他の12宮も、それぞれ部屋の隅で話を聞いている。幻想郷側の戦力も然りだ。

「最初に、初対面の者には、この場をお借りして名乗らせていただく。我が名はピオーズ。光導12宮の〝13番目〟。蛇遣い座を司るものだ」

「12宮の13番目って、おかしくない?」

 彼の対角線上に鎮座していた巫女が、すかさずツッコミを入れた。

「混乱させてすまない。昔は『光導13星座』などと呼ばれていたのだがな。やんちゃしたオレが長いこと封印されていたせいで、光導12宮の呼び名が一般的になったのだ」

「ごめんなさい、無礼な詮索だったわ」

「気にしないでほしい。それより、初対面のものも多い。初めて発言をする際には、それぞれ名前を名乗っていただいてもいいだろうか?」

 円卓に座す者たちは、皆一様にうなずいた。

 始まった──『幻想郷・12宮合同会議』が。

「じゃ、いま口を開いちゃったし、まずは私からね」紅白服の巫女が言った。

「博麗霊夢よ。12宮の子たちはほとんど初対面かしら? この幻想郷で、博麗の巫女ってのをやってるわ。よろしく」

「よろしく霊夢。ピスケスが世話になったと聞いている」

「まあね。ピスケスには、ピースと一緒に十二神皇を探し回ってもらってるわ。《亥の十二神皇》もあっという間に発見してくれたし、あの子、中々優秀ね」

「あら? ピースったら、そんなことしてたのね」

 ラフな黒シャツに身を包んだ、赤髪の女性が反応する。

「おっとごめんなさい。私はヘカーティア。地獄の女神、ヘカーティア・ラピスラズリよん。よろしくね、みんな」

「よろしく。まさかアンタが味方になってくれるとはね」

 小さく手を上げた霊夢に、ヘカーティアさんは気安い感じで手を振った。

 一応、彼女は私の知り合いでもある。

 現世染まりしたオフショルダーのTシャツといい、チェックのミニスカートといい、私の中の〝神様〟の印象がくつがえった存在だ。

「でも、ピースが無事で良かった。地獄に置いてきたはずだったのに、戻ったらいなくなっていたんですもの。本当にビックリしたのよ?」

「それにしては、ずいぶん落ち着いているように見えましたけど……?」

 小首を傾げて女神を見つめるのは、桃色の髪をポニーテールにまとめた女性だ。

 直後、しまった、と言うように目を見開いた彼女は、咳払いをして言葉を続けた。

「綿月依姫と申します。一応、月の都代表ということで」

 そして、丁寧にお辞儀をする。

 綿月依姫様は、私のかつての主人でもある月の姫君だ。見ての通り生真面目な性格の御仁だが、最近ちょっと丸くなったのか、本来敵対関係にある地獄の女神にも、温和に接するとこができているように見える。

「改めてよろしくね、依姫ちゃん」

「はい。ですが、ヘカーティアさんやタウラスさん、それにサジタリアスさんには、多大なご迷惑をおかけしてしまいました」

 改めて謝罪させてください。そう付け加えた彼女は、オデコと円卓がキスするくらい、深々と頭を下げた。

「わ、わ、やめて! 迷惑だなんて思ってないから! むしろゴメンね? 赤の邪神、逃しちゃったから」

「いえ。それでも、助けていただきましたので」

「アンタたちなにがあったのよ?」

 霊夢が眉をひそめる。私も、陰ながら……。

「いや、ちょっと色々、ね。ね! 依姫ちゃん」

「え、ええ! ちょっと色々、ですね。ヘカーティアさんの言うとおりです」

 あははと苦しい笑みを浮かべる二人に、疑いの目はますます強くなる。

 なにがあったの? いやホントに。

 襖の間から覗く私も、二人から目が離せない。

「そう! で、ピースのことよ。なんか私が落ち着いてたって話!」

 ヘカーティアさんが手を叩いて話を切り替えた! ホントになにがあったの⁉

「そう! それです! あれはどうしてなんですか⁉」

 いや棒読み! 依姫様、アナタ演技下手すぎでしょ⁉ 

 私はあやうく突っ込みかけたが、寸前のところで体を引っ込めた。会議の邪魔をするわけにはいかない。

 私が勝手に盛り上がっていると、ヘカーティアさんもひとつ咳払い。

「なにを隠そう、私はクラウンピースのご主人だからね。あの子が自分の身も守れないほど軟じゃないことは知ってるのよん」

「なるほど。ですから、ビックリはしたけど、取り乱すまでではなかったと」

「そゆこと♪」

 そう言って、ヘカーティアさんは可愛らしくウィンクしてみせる。

 強引に話を戻されたけど、なるほど彼女らしい意見だった。

「信頼というわけね」

「純狐ったらわかってるー!」

 赤と黒の袍服を身にまとった女性が理解を示すと、ヘカーティアさんは嬉しそうに彼女の肩を叩いた。

 仲睦まじい光景。「純狐」と呼ばれた彼女は、ヘカーティアさんの昔からの友人なのである。

 ついでに言うと私の知り合いでもあり、さらに言うと、つい先日まで私が担当していた患者さんでもある。

 本人が「もう大丈夫」と駄々をこねて聞かないので、晴れて(?)退院となったけれども。

 あれ、なんだろう。思い出しただけで腹が立ってきた……。

 ともかく。

「でも、信頼というなら、私も信じていたわよ? 依姫ちゃんなら、きっとサジタリアスと分かり合えるってね」

「純狐さん……」

 慈母のような優しい笑顔に、依姫様は頷いた。

 思えば、依姫様にサジタリアスの記憶を託したのは純狐さんだった。かつてはいがみ合っていた敵同士が、こうして信頼し合える仲になったのは、不思議な話である。

「あれ? そういえば」

 部屋の隅で正座していたアリエスが、室内を見回す。

「サジタリアスはどこ? 一緒だったんだよね」

「ああ、すみません。たしかにここに」

 そう言って、依姫様は自分の胸に手をあてた。

「じつは私、先の戦いで怪我をしてしまって。サジタリアスさんと痛みを分け合っていないと気絶してしまうんです。ですが、彼の言葉は私を通じて皆さんにお伝えしますので、ご心配なく」

「ちっ、アイツのしわざか」

 舌打ち。アリエスの傍らで、スコーピオンが目に角をたてる。

「アリエス、あとで治してやってくれるか?」

「もちろん。今なら寿命を削らなくても、治癒できるからね」

 もうちょっと魔力が回復しないとダメだけど。アリエスは頬を掻いて付けくわえた。

 ──あの依姫様が、そんな怪我を? 

 いったいなにがあったのだろう。

 急に不安がのしかかってくる。襖をつかむ手に、汗が滲んだ。

 月の使者で誰よりも強く、頼もしい存在だった依姫様。彼女が苦戦するような相手と鉢合わせでもしたら、私なんかが勝てるわけがない。

 背筋を冷たい汗がつたう。しばらく外出は控えたほうがいいかな……。

「ここに集まっている皆が、それぞれ苦労を重ねてきたみたいね」

 円卓に座していた、我らが永遠亭の永琳様──つまり、私の師匠が口を開いた。

 彼女は自己紹介も程々に話を続ける。

「でも、本当に無事でよかったわ、依姫。豊姫がいなくなってしまった今、アナタが帰ってきてくれたことは、皆にとって大きな支えになっているわよ」

「もったいないお言葉です」

「仲間もたくさん引き連れてきたしな!」

 部屋の隅(こちらはヘカーティアさんの後ろあたりだ)で胡座をかいていた、赤髪の大男が豪快に笑う。

「邪神が復活して、争いもどんどんわけのわからねえことになってる! だがな、わしら全員が手を組めば、さして問題じゃあない! だろ、ヘカーティアよ」

「その通りねタウラス。頼りにしてる」

「おう!」タウラスと呼ばれた男は、そのゴツい親指を突き立てた。

彼は、チャンピオンシップにて存在が明らかになった牡牛座の12宮だ。発見当初からヘカーティアさんと一緒にいて、その仲は相変わらずのようである。

悪さをするやつではないし、実力も折り紙付きだから放置しておいて大丈夫。

 かつて、リブラは彼をそう語った。その発言に偽りはなかったらしい。

「手を組むとは言ったが、役割分担は必要だぜ」

 円卓に座していた、七人目の男が言った。

「青の姫さんのことは、オレたちでなんとかする」

 そう宣言するのは、赤と茶の混ざった頭髪に、虎柄の羽織りを身に着けた傾奇者だ。

「利家? 珍しいわね」

 師匠が目を丸くした。

 炎利家は、八雲紫が現世から呼び寄せた〝赤の六武将使い〟だ。

 かつて再戦を誓いあったライバルに勝利するため、あえて危険なイクサバに身をおき、自らを鍛えるワイルドな男である。

 しかし、彼はバトルをしに来たのであって、異変解決にはさほど積極的ではなかったはずだが、はて、どういう心変わりだろう。

「まあ、あのチビが『どうしても』って聞かねーからな」

 利家は顎でうしろを指し示す。

「なあ、レイセン」

「は、はい!」

 呼びかけられた女の子が、上ずった声で返事をする。

 私と同じ、兎耳の少女だ。ついでに言うと、名前も同じ。危うく私も返事をするところだった。

「その、豊姫様……いいえ、イマージョでしたっけ。私、追いかけたけど、けっきょく取り逃しちゃって。豊姫様は、私がお守りしないといけないのに」

 制服の胸ぐらを握りしめた彼女は、悔しそうに奥歯を噛み締めた。

 昨晩、突如として豊姫様が青の邪神に取り憑かれ、永遠亭を離れた。そのとき、真っ先にあとを追ったのがレイセンだった。彼女に続く形で、利家も駆け出した。

 もっとも、結果は散々なものだったようだ。なにせ、痕跡すら掴めなかったのだから。

「ですがレイセン、あまり気に病むことはないのですよ。今回の件はアナタの責任ではありません。留守にしていた私にも非があります」

「依姫様は違います! 依姫様はちゃんと帰ってきてくれました。仲間も大勢引き連れて、十二神皇とか、三龍神とか……ホント、すごいです」

 まくし立てるような勢いで、彼女は続ける。

「でも、だからこそ、今度は私の番です。私だって、依姫様に鍛えられた月の使者──それに、豊姫様と同じ、戦国六武将に選ばれた戦士ですから!」

 覚悟に満ちた眼差しだった。

 不思議な感覚だ。

 同じ種族、同じ制服。同じ属性、同じ名前。性格だって、似たり寄ったりだった。レイセンと私には、共通点が五万とあるはずだったのに。

「そうですか。よく言いましたね、レイセン」

「はい! だから、その……豊姫様のこと、任せていただけますか? 依姫様」

「もちろん。お姉さまのことは、レイセンに託します」

 依姫様の真っ直ぐな瞳は、レイセンへのこの上ない信頼を表しているようだった。

 私と同じ名前を与えられた彼女が、ずいぶん遠くにいるような気がする。

「ちょっと待て。豊姫のことなら、オレたちにこそ責任があるぜ」

 スコーピオンが立ち上がった。アリエスも頷き、それに続く。

「そうだね。スコーピオンは豊姫に毒を与えちゃってるし、最後のダメ押しを食らわせたのはボクだ。責任がないとは言わせない」

 ボクたちにも、協力させてもらえないかな?

 アリエスはそう付け加えると、レイセンに歩み寄った。そして、その細くしなやかな手を、彼女に差しだす。

「キミの覚悟は分かった。だけど、ボクたちにも償いたい思いがある。どうか、ボクたちにチャンスを与えてほしい」

「〝一緒に戦う〟ってことですか……?」

 アリエスは頷いた。「ボクたちは、キミの決定に従うよ」

 差し出された手を、レイセンはしばらく見つめていた。

 複雑だろう。アリエスとスコーピオン。紆余曲折を経た二人は、今でこそ私たちの味方となってくれている。けれど、豊姫様に青の邪神が取り憑いたのは、二人がまだ敵だった頃の行動にも原因があるのだ。

 今さら「償いたい」などと言われても、都合が良すぎるのではないか。レイセンは、そんなことを考えているのかもしれない。

 それでも、レイセンにとっては、やっぱり豊姫様の御身が最優先のようで。

「わかりました」

 彼女は力強く、アリエスの手を取った。

「だけど私、青と緑、使ったことないですから。訓練が必要です」

「もちろん付き合うよ。大丈夫」

「そーだな。オレもアリエスもくせが強いけど、なんとかなるだろ」

 よろしくな。そう言ったスコーピオンは、気さくな感じでレイセンの肩を叩いた。

「利家さん、練習相手をお願いできますか?」

「しゃーねー。ただし、やるからには半端じゃ終わらせねえからな」

「はい!」

「……」

 なんか──。

 レイセンの周り、いっぱいひとがいるな。

 私はふと、そんなことを思った。

 しかし、何故そんなことを思ったのか。それについては考えないことにした。

 そっと襖を閉じて、客間に背を向ける。

 あの空間に集まっているのは、レイセンも含めて、全員が歴戦の猛者だ。

 会議は彼女たちによって進められる。

 異変──と呼べるかも怪しい──今回の件も、すべて彼女たちの手によって解決されることだろう。

 邪神を討伐するのも、黒幕を炙り出して討ち取るのも、すべて彼女たちだ。

 であれば、私にこれといった役割はない。私は皆のサポートに徹し、陰ながら異変解決を支援することにしよう。

「……お昼ごはん、用意しようかな」

 皆、お腹空いてるだろうし。

 私は小さくため息をつくと、ふらつく足取りで台所へと向かうのだった。

 

 

 永遠亭の土間台所は、木陰に面した涼しい位置にある。

 風通しもよく、夏でも過ごしやすい環境。そのぶん、はしゃぐ蝉の鳴き声には耳を塞がなければならないけれど、これがまた風流だったりする。

 障子を開けると、漆塗りのテーブルや収納、お釜などの調理器具たちが私を出迎える。

 床の張られていない土間には、外履きの靴も一足だけ用意されている。

 何故一足だけなのかと言えば、どういうわけか、この永遠亭でまともに料理をするのは私だけだからだ。

「さてと」

 私は収納棚から割烹着を取り出すと、素早く袖を通して襟紐を結びはじめる。

 あの人数の料理を用意するのは、相当骨が折れるだろう。だとすれば、一秒でも早く、一品でも多く、準備を急がなければならない。

 そう思っていると、自然と動作が早送りになる。

 とはいえ、まずはなにを作ろうか。

 割烹着に着替えた私は、氷冷蔵庫(上部に大きめの氷を設置するタイプのやつだ)の前でしゃがみ込んだ。

 なにせ、あの人数だ。全員の好き嫌いまでは考慮できない。

 博麗神社で行われる宴会のように、豊富な種類の料理を並べることが出来れば文句なしだろう。

 しかし、あれは各々が一品二品ずつ用意した料理が積み重なって、初めてあの量と種類になるのだ。

 あれを一人で用意するのは、さすがに。

 どうしよう。お昼までには、もうそんなに時間がないというのに。

 私が頭を抱えていると、ふと。

「……すぅ」

 ──ん?

 なにかが聞こえた。

「……」

 呼吸の音だ。規則正しいリズムで、何者かが静かに呼吸している。

 土間台所に、私以外の誰かがいる。

「……だれ?」

 振り向いて、尋ねる。空間にいる何者かに。

「……」

 返事はない。開け放たれた台所には、湿った空気と静寂が漂うばかりだ。

 改めて、意識を集中してみる。目を凝らして空間を凝視する。

 漆塗りのテーブルの下、上がり框の影、和室の隅、外へ出る勝手口。

 誰もいない。

「誰かいるの?」

もう一度、問いかける。

やはり返事はない。私の発した声だけが、虚しく三和土に吸い込まれていく。

 しかし、確かにある。この空間の中に、何者かの気配を感じる。

「……っ」

 動悸を治めるために、いちど深呼吸をする。

 静かに、右手で銃の形をつくる。

 魔力や妖力といったエネルギーを射出して攻撃を行う場合、指先などの細い部位にそれらを集中させたほうがよい。竹筒の水鉄砲と同じで、水の発射口が小さいほうが、水はより速く、より強く、より遠くに飛んでいく。

 つまり、右手の人差し指が銃口。

 心臓の鼓動に合わせて、手が震える。動悸を抑えるため、深呼吸を繰り返す。

 今、ここには私一人しかいない。

 仮に敵がいたとして、私はソイツに勝てるのだろうか?

 もしソイツが、依姫様を苦戦させた相手だったりしたら?

 なんにせよ、答えは「無理」だ。

 だって、弱いから。

 月面戦争から逃げ、六武将に認められず、チャンピオンシップは予選落ちした。

 私は、弱い。

 銃を形どった右手を、左手で抑え込む。

 ダメだ。震えが止まらない。

 こめかみから流れ出た汗が頬を伝い、水滴となって三和土に吸い込まれていく。

 師匠のような冷静さが欲しい。

 依姫様のような力強さが欲しい。レイセンのような勇敢さが欲しい。

 どうしようもなく、無いものをねだるけれど。

「誰なの⁉」

 精一杯強がって、震える声を発する。それが、今の私にできる唯一の行動だった。

 すると──。

 がさ。

「っ!」

 音が聞こえ、咄嗟に銃口を向ける。

 見てみれば、そこは調理にも使う流し台。

 どうやら、アレの下のスペースから聞こえてきたらしい。

 ──って……。

「え?」

 流し台の下?

 それに気が付いた途端に、体中の神経を駆け巡っていた緊張が歩みを止めた。

 思えば、もともと涼しい土間にあって、流し台の下のスペースはもっと涼しい。

 私たちが横になるには狭い(身を縮めれば一応入ることはできそうだ)けれど、まん丸くって小さい、うちの兎たちが暑さを凌ぐには丁度よい環境だ。

 もともと、毎年夏になると、兎たちはしょっちゅうここを寝床にしているし……。

「なーんだ……」

 安堵のため息とともに、私はストンと肩を落とした。

 がさ、という音の犯人は、流し台の下で休憩中の兎だったのだ。

 まったく驚かせてくれる。いや違うか。私が神経質になりすぎていただけだろう。

 恥ずかしさのあまり、私は頭をかいて苦笑した。

 私が今いる土間の隅からでは、流し台の下は影になって見えない。だけどあそこには、暑さを逃れてきた丸っこい兎が眠りこけているはずだ。

「驚かさないでよ、もう。ごはんの準備するから、どいてよね」

 そう呟いて、私は流し台の下を覗き込んだ。

 

 ブロンドの髪を持つ青年がいた。

 

「きゃああああああ──っ⁉」

 腰が砕けた。

 三和土の上に尻もちをつき、身動きがとれなくなる。

 その青年は、白のワイシャツと深緑色のレザーパンツに身をつつみ、流し台の足に丸めた背中を預けていた。

 どうやら眠っているらしい。すぅ、すぅ、と規則正しいリズムで寝息を奏でている。

「だ、だ、だ、誰よアンタ⁉」

 思わず、汚らしい言葉で問いかける。が、返事はない。青年は相変わらず、今にもヨダレを垂らしそうな表情を浮かべていた。

「誰だって聞いてんのよ!」

 もうヤケクソだ。罵声のように、目いっぱいの大声を発する。すると──。

「んが……」

「うあ、お、起きた……?」

 青年が、重たそうな目蓋をゆっくりと開いた。

「……」

 そして、じっと私を見つめる。

 彼の瞳は爽やかなスカイブルーで、見惚れてしまいそうな清涼感がある。しかし、寝起きのだるそうな目つきのせいだろうか? 見た目通りの爽やかな好青年というイメージはこれっぽっちも浮かんでこない。

「あ、アナタは誰?」

「……」

 返事を待つ。敵意はなさそうに見えるが、どうだろう?

 腰の砕けた私は、なんとか四つん這いの姿勢になって、彼にずり寄った。

 そして、返事のない彼に向けて、もういちど。

「ア・ナ・タ・は・だ・れ・で・す・か!」

 一語一句、丁寧に強調して言ってみた。

 すると、彼はその唇をしずかに開き──。

「なんだおまえ」

「……」

 また、目蓋を閉じてしまうのであった。

「……」

 ──は?

 呆気にとられて、言葉を失う。

 今すぐには襲ってこなさそうという安堵と、やっと反応してくれたという喜び。そして、「第一声がそれ?」という驚きと呆れ。……最後に。

 いや、こっちのセリフなんだけど。それ。

 様々な感情にタコ殴りにされた私の表情筋は、ギリギリのところで微笑みをキープしつつも、たしかに痙攣を起こしていた。

 口角と眼輪筋のあたりが、小刻みにピクピクと揺れ動く。

 や、でも確かに。ひとに名乗らせるときは、まず自分からとはよく言うし。

 そう思い直した私は、できる限りの笑顔をつくって、まずは自分が名乗ることにした。

「ごめんなさい。私の名前は鈴仙。鈴仙・優曇華院・イナバよ。アナタは?」

「……」

「…………」

「………………」

 反応、なし。

 彼は一瞬、ダルそうな瞳で私を一瞥した──が──それで終わり。

 しかし、私は見逃さなかった。

 ほんの僅かに開かれた彼の瞳が、「だからなに?」と訴えかけているのを、私はたしかに聴き逃さなかったのだ。

 それを理解した瞬間、ふと、私の中でなにかが切れる音が聞こえて──。

「さっさと起きろって言っているのが分からないの?」

 私は左の手で彼の襟首を掴み寄せると、銃を形どった右手を、そのこめかみに押し当てた。

 表情も、いつもより冷徹にしているつもりだ。

「……なんなのおまえ」

 気怠げな瞳が私を捉える。

「こっちのセリフよ。アナタは誰? なんでここにいるの。目的はなに」

「しらねーよ。アイツらが行くってゆーから、付いてきただけだ。んで、暇だったんで寝てた」

「アイツら……?」

 まさかと思って、私は尋ねた。

「アナタ、名前は?」

「レオ。獅子座の12宮」

「……」

 吐き捨てるようなその言葉に、私は全身の力が抜けて、彼を手放した。

彼の名前は、すでにアクエリアスから聞いていたのだ。

「もっとはやく言ってよ……」

 特大のため息とともに、私はその場にへたり込む。

 本日、二度目の勘違いだ。

 どうやら、彼はピオーズたちと一緒に永遠亭へやって来た〝御一行様〟の一人だったらしい。

 光導12宮・獅子座のレオ。会議に参加していると思いこんでいたが、冷静に考えると、人数が一人、足りていなかったような気がする。

「なんでこんなところにいるのよ? みんな会議に参加してるわよ」

「しらねー。作戦会議なんかしたって、眠くなるだけだろ」

 レオは「よいしょ」と立ち上がると、特大のあくびとともに、両手を高く突き上げた。

「んん~」

 ぐぐぐ、と背を伸ばして、気持ちよさそうに唸る。

「ん~、じゃないわよ。ピオーズ言ってたわよ? みんなの知恵とチカラを貸してほしいって。アナタのチカラは貸してあげなくていいの?」

「いいんだよべつに。そんなに言うならお前がいけよ」

「私はいいのよ。弱いし。あそこにいたって皆の役には立たないから」

「なんだよそれ。それならオレも行かなくていいだろ」

 肩でも凝っているのか、首を左右に数回倒す。その様子からは、まるでやる気を感じられなかった。

 私はムキになって言う。

「アナタ12宮でしょ? 弱いわけがない。アナタにはなにか、代わりようのない役割があるはずなのよ」

「だろうな。オレ、12宮で最強だし」

 レオは気怠げな瞳のまま、サムズアップした親指で自分を差した。

 本心なのか冗談なのかは判断に悩むが、ここまで堂々と言い切れることには多少の羨ましさを感じる。

「だったら、行ってあげてよ」嫉妬半分で言った。

「なんでだよ」

「最強なんでしょ?」

「そうだけど、それとこれとは話がべつだろ」

「そんなことないわよ」

「そんなことある」

「ない」「ある」

「ない!」「ある」

「……」「…………」

 キリがないような気がして、私は彼を恨めしく見つめた。

 他の12宮は話の通じる者がほとんどだったが、彼にはそういう側面が欠けているように見える。

 仮に、話し合いに参加しなかったとしても、彼がいれば認否を下すことは出来る。レオが本人の言う通り12宮最強なのだとしたら、彼を軸した作戦を考えることも多いのではないだろうか。そういった案がでる度に、彼はその場でOKあるいはNOを出す。それだけでいい。

 些細なことだが、それだけでも話は円滑に進むのだ。レオが会議に参加しなければいけない理由は、これで十分だ。

「……本当に参加しないの?」

「おまえしつこいな」

「乱暴したことは謝るから」

「それはいいよ、気にしてねーし」

「じゃあ……」

「それとこれとは話がべつ」

「……」

残念そうに見つめる私に、レオは決まりの悪い表情を見せた。

「あのさ……オレはピオーズたちの決定に従うだけなんだよ。アイツらが作戦たてて、オレが実行する。そーゆーことにしてんの。だからオレが会議に出る必要はないだろ」

「その場に居るだけでいいのよ。そうすれば皆も、アナタを軸にした作戦がもっと立てやすくなると思うから。『かまわないか?』って、すぐに許可がとれるし……ね?」

「……」

「おねがい」

 食い下がって、深々と頭を下げる。乱暴したことへの謝罪も込めて。

 あの会議には、この不毛な争いの収束がかかっている。ならば、役割のある人物には、一人でも多く会議に参加してもらい、事態の収束に協力してもらいたいのだ。

 獅子座が最強の12宮だと言うのなら、なおさら。

 私が頭を下げて、数秒。しばしの沈黙のあと、レオは深々とため息をついた。

「……しゃーねー。オレ、会議室わかんねーから、お前が案内しろよな」

「っもちろん!」

 私は顔を上げると、レオの両手をがっしり掴んだ。

 ずっと半開きだった彼の目が、一瞬だけ丸く見開かれる。

「ありがとう」

 心の底から声が出た。表情も、自然とにこやかになる。

 12宮最強だというレオが会議に参加してくれるなら、私も、より安心してサポートに徹することができるだろう。

 私は意気揚々と、レオを会議室へ案内した。

 

  5

 

 会議室の襖を開けると、メンバーが増えていることに気が付いた。

 それは、中央の円卓にちょこんと正座させられている女の子。見た目では十歳にも満たない女の子のように見える。ピンクのナイトキャップを頭にかぶせ、同じくピンク色のレース服を身にまとっている。なにより印象的なのは、彼女の背中から鋭く突き出た一対の黒い羽だった。

 レミリア・スカーレット。紅魔館の主であり、幻想郷のパワーバランスの一角を担う重鎮の一人だ。

 もっとも、彼女は昨晩から意識を失っているはずなのだが……。

「やぁレオ! キミも来たんだね!」

 彼女は満面の笑みを浮かべると、太い紐で縛られた両腕をじたばたと振り回した。

 もしかして、手を振っているつもりなのだろうか……?

「……だれアイツ」

 ってかどうしたのアレ。レオは私に耳打ちした。

 正直、コレについては私もそれほど明るくない。

 ただひとつ分かるのは、今、あの体の主導権を握っているのは──。

「昨日、霊夢が捕まえてきた紫の邪神よ。マグナって言うらしいんだけど……紐で両手を結ばれてるのも、それが理由ね」

「ああ、敵なのかアイツ」

「たぶんね。あ、ちなみにあの紐はフェムトファイバーといって……」

「……」

「レオ?」

 フェムトファイバーについて語ろうとした私をよそに、彼はマグナの顔を訝しげに睨みつけていた。

 敵だろうとは私も言ったけれど、あんなに笑顔で手を振っている彼女をそんな目で見るのはちょっと可哀想な気が……。

 いや、もしかして、レオには野生の本能みたいなものが備わっていて、縄張りに侵入してきたよそ者には厳しいのかもしれない。

 そんなふうに私が考えていると、ふと。

「おや。来てくれたのか、レオ。細かいことは順を追って説明するから、入ってくれ」

 円卓から、ピオーズが優しい笑みを見せた。どうやら、仲間のサボタージュを咎めるつもりはないらしい。

 温厚な性格ゆえなのか、単にレオのサボタージュに慣れすぎてしまったのかは、付き合いの短い私には判断しかねる。ただ、レオがこの会議において歓迎される存在であることは、ここにいるメンバーたちの反応からうかがい知ることが出来た。

「じゃあ、私はここで。頑張ってね」

 レオの入室を確認した私は、手を振って彼に別れを告げる。

 昼食の準備もあるし、私はここで。

 急ぎ準備に取り掛かろうと、襖に手をかけた、その瞬間だった。

「おい」

 眉を寄せたレオが、私の手首を掴んだ。

「えっ……⁉」

 咄嗟の出来事に、一歩後ずさろうとする。だが、レオの力は想像以上に強く、それを許さない。

 ずい、と室内に引き寄せられる。

 思わずバランスを崩した私は、彼の胸に抱きかかえられる形で会議室への入室を果たした。

 直後。

「っ」「え」

 舌打ち。

「クソアマが。逃げよーなんて、そうはいかねえからな」

 からの、耳打ち。

 腹の奥深くまで響いてくるような、不満げで威圧的な声だった。

「……!」

直感的に悟る。彼はなにか、怒っている。

 全身から嫌な汗がにじみ出る。

 本能的に逃避行動をとろうとするも、彼の右腕はすでに、私の肩をしっかりと抱いていた。

 私が彼から離れようともがくと、彼もまた腕に力を込める。まったく逃してもらえる気配がない。

 傍目に見れば、ブロンド髪の美青年に抱擁されているように映るのだろうか?

 だが、当の本人はそれどころではなかった。

 なにか、やばい。

「食われたくなかったら言うこと聞け。あと喋んな」

 その囁きに無言で頷く。同時に呼吸も止めた。

 きょ、脅迫だコレ……。

 理解はできていても、抗いようのない恐怖があった。

 彼の声には、生物の〝本能〟を刺激するような圧力があるのだ。

 顔色が真っ青になっていくのが分かる。。

 食物連鎖のピラミッドにおいて、トラやライオンのようなネコ科の肉食動物は、生態系の上位に君臨している。対してウサギは、ヘビやキツネといった中型の捕食者にすら怯えなければならない、か弱い生物だ。

「おいレオ、危ないだろ。なにやってる?」

 ピオーズの声が聞こえてくる。しかし、視線を動かせない。

 動いたらヤバい。

 逆らったらヤバい。

 今はとにかく黙ってやり過ごせと、脳が警鐘を鳴らしていた。

「ああ、わりぃ。人数多いほうがいいんだろ? コイツにも出てもらおうと思って」

 な? その言葉とともに、体を押さえつけていた圧迫感が消え、身動きが取れるようになる。

 どうやら開放してもらえたらしい。

 忘れていた呼吸を、慌てて繰り返す。動悸が凄まじく、胸に手を当てる。

 あれ?

 レオは今、なんて言った?

 ハッとなって、四方に目をやる。視界を巡らせると、会議室にいたメンバーは、不可思議そうに私とレオを見つめていた。

 嫌な視線だった。

 以前、人里へ薬の交換に出向いた際、寺子屋の授業を少しだけ見学させてもらったことがある。そのときに見た、読本の音読するページを間違えた生徒に向けられていた周囲の視線が、ちょうどこんな感じだったのを覚えている。

「参加してくれるのか?」

「いや……あの……」

 ピオーズが首を傾げ、私は一歩、後退る。

 すぐ後ろには、開きっぱなしの襖。

 適当に理由をつけて、このまま出るのは容易いのではないか。そうだ。だって私は昼食を用意しなければいけない。ここで皆にくるりと背を向けて、「飯を持ってくる」と一言添えておけば誰の反感も買わないだろう。

 ただ一人を除いて。

「……」

 気怠げな瞳は、確実に私を捉えていた。

 どうやら、怒らせてしまったらしい。さっきの、土間でのやり取りのなかで。

 彼はピオーズを顎で差している。「返事をしてやれ」という意味だろう。

 逆らったらヤバい。

「その……お邪魔じゃなければ」

 命令に従い、私はうつむき加減に言った。

 言うまでもないが、正直、本心ではない返事だ。

「邪魔などとんでもない。ひとりでも多く力を貸してくれるなら、オレは嬉しい」

 ピオーズはニコリと微笑んでくれているが、実際はどんな風に思っているのだろうか。

 各陣営の代表やグランロロの神々が集うこの場において、私の存在は極めて浮いている。

 企業の重鎮ばかりが集まる会合に、入社一年目の平社員が呼ばれたような感覚だ。

「よし、決まりだな。鈴仙、お前そこ座れ」

「……はい」

 レオに促されるがまま、部屋の四隅に正座させられる。彼も隣で胡座をかいた。

 私がこんな会議に私が参加したところで、なんの役にも立たない。きっと、レオはそのことを分かっていて、私に嫌がらせをしているのだろう。

 誰かに助けを求めよう。そう思った私は、レオの目を盗んでゆっくり視線を回す。すぐにアリエスと視線が交わったけれど、彼女はふんわり微笑むだけだった。

 違う。気づいてくれ。

 必死に目で訴える。

 しかし、無情にもピオーズが口を開いたことで、アリエスを含めた皆の視線は、円卓へと向けられてしまった。

 私のことなんて、誰も見ていない。

 都合のいい話だけれど、今だけは、誰かに私を見ていてほしかったのに。

「では、話を続ける。〝邪神討伐チーム〟の振り分けについてだ。レオ、ここまでの流れを簡単にまとめるので、説明を聞いてくれるか?」

「たのむ」

 レオが頷くと、ピオーズは淡々とした口調で説明をはじめる。

 私はただ、彼らの話を、押し黙って聞き入れることしかできなかった。

             

  続




はじめまして。最後までご覧いただきありがとうございます。
白熊すずむです。
動画投稿者としては「kyabetu」という名前で活動しております。
最初、東方琉輝抄という作品は動画という形式で投稿しておりました。
ですが何度かの挫折(というか失踪)を経て、今回、小説という新しい形で続編を描かせていただくことにしました。
動画の頃から見て下さっている皆様。媒体が変わってもお付き合いくださり、本当にありがとうございます。ご迷惑をおかけしております。
本作で初めて東方琉輝抄に触れたという皆様。得体の知れない作品を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。話、わかったかな……?
兎にも角にも、続きもゆっくり投稿していきますので、鈴仙とレオのこれからにご期待ください。
それでは。また次回、お会いできることを祈っております。


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第二話『獅子座の子落とし』


 お疲れ様です。白熊すずむです。
 今回は行間を空けてみました。読みやすくなっていれば幸いです。
 あと、数字についてなんですが、12宮の表記とカードのステータス(レベルやBPなど)を表わすときにはアラビア数字を、それ以外では漢数字を使用してます。
 読みづらかったら教えてください。


 

 逆立ちしたって、ウサギにライオンの気持ちはわからない。

 永遠亭の広い庭を舞台に、利家の《レオンランサー》とレイセンの《スコル・スピア》がぶつかり合うさまを見て、そんなことを思った。

 今朝の12宮会議のあと、午後一時を回ったころのことである。

 照りつける太陽が肌を突き刺し、バトルフィールドで槍と槍とぶつけ合うスピリットとアルティメットの熱気が、どうしようもないほどに体を火照させる。

 

「こんなに熱いのに、あの二人すごいなあ……」

 

 縁側に腰を下ろしていた私は、うちわを仰ぎながら呟いた。

 もちろんこれは利家とレイセンに向けた言葉であるが、二人はバトルに夢中になっていて気づかない。

 それだけ真剣に打ち込んでいるのだろう。なにせ、今日だけでもう四回もバトルしているのだ。それも、ノンストップで。

 

 対して、開け放たれた座敷の陰に目をやれば、霊夢がカードを広げたままでうたた寝をしているのが見える。

 彼女はたしか、咲夜・リブラ(魔理沙)と一緒に、マグナを監視する役割の『紫の邪神対策チーム』のメンバーに抜擢されたはずだが……。

 まあ、昨晩も遅くまで起きていたようだし、きっと疲れたのだろう。

 優秀なメンバーが揃ったチームだし、少しくらい休ませてあげても問題ないはずだ。

 

 一人で納得し、戦場と化した庭に視線を戻す。

 どうやら、レイセンはなんとか《レオンランサー》を撃破したようだが……。

 

「いいねえ……! やっぱオレとバトルするやつは、これぐらい強くなくっちゃあ面白くねえ! 出てこい! オレの《センゴク・タイガー》!」

 

 利家が叫ぶと、戦場に巨大な火柱が出現する。その内側から聞こえてくるのは、烈火をまといし獣の咆哮。

 利家のキースピリット、《センゴク・タイガー》が姿を現した。

 

「来ましたね! ここからが正念場ですよ、スコーピオンさん!」

『おう!』

 

 キースピリットの登場にも動じないレイセンと、フィールドで歓喜するように牙を剥き出す《スコル・スピア》。まさに強者の余裕だ。

 真夏の太陽と相まって、なんというか、本当に暑苦しい……。

 正直、彼女たちも霊夢のように涼しい場所でカードを広げればいいのに……。とも思うけれど、あれだけ熱心に打ち込んでいるのに、水を差すのは野暮というものだろう。

 それに、レイセンを筆頭にした『青の邪神対策チーム』には、しっかり者のアリエスもいることだし、大事が起きる前に彼女が制してくれるはずだ。

 

 ……というよりも。

 

「ひとの心配より、自分の心配よね……」

 

 それを思い出した瞬間、私は特大のため息とともに、ぐったりと背中を丸めた。

 これからのことを考える必要がある。

 

「あはは、なんだか参ってるねえ、鈴仙」

 

 うなだれた頭をなんとか持ち上げると、白いワンピース姿のアリエスがいた。

 彼女はコップ一杯の水を持って、苦笑の混じった微笑みを浮かべている。

 

 あれ? というか、レイセンのデッキに入っているはずでは……?

 

「まずはスコーピオンだけで試すんだってさ。はい、これ」

 

 眉をひそめる私にコップを渡しながら、アリエスは腰を下ろす。

 涼しい顔をして心を読まないで頂きたい……。

 ますます眉間にシワを寄せる私に、彼女は続けた。

 

「青も緑もはじめて使うもんだから、初めにそれぞれの強みと弱みを把握したいんだって。混色にするのは、そのあとみたい」

「へえ……。レイセンが言ったの?」

「うん。あの子、頑張って色々考えてるみたい」

 

 アリエスは嬉しそうに頬をゆるめた。

 自身の〝使用者〟となるであろうカードバトラーへ、彼女はすでにある程度の信頼を寄せているようだ。

 レイセンは戦国六武将にも認められた強豪であるし、やはり、スピリットたちを惹き付けるなにかがあるのだろう。

 私にはないソレを持っている彼女が、ほんの少しだけ羨ましかった。

 そんなことを考えながら、コップに口をつけていると、ふと。

 

「そういえば鈴仙、レオとなにかあった?」

「げほっ⁉」

 

 飲み込みかけていた水を、あやうく気管支に流し込むところであった。

 激しく咳き込みながら、恨めしくアリエスを見上げる。すると、彼女は「ごめん」と笑って私の背中をさすってくれた。

 確信犯のくせに、力加減がやたら上手だから言い返しづらい……。

私がなんとか呼吸を落ち着けると、それを確認したアリエスが続けた。

 

「水、もう一回飲んでみて」

「ええ……?」

 

 かなり怪しいが、むせが落ち着いてから水分をとるのは正しい対処法だ。

 私は、アリエスがなにを言い出しても動じないよう精神を強く整えてから、コップに注がれた水を改めて口へ流し込む。

 

「……?」

「どう?」

 

 おいしい。

 

 もっと言えば、これまで飲んできた水のなかで一番おいしい気さえする。

 山のつめたい雪解け水を百杯用意して、そのおいしさのすべてをコップ一杯に凝縮したような……。わかりづらいだろうが、そんな水だ。

 とにかくそれくらい、咄嗟に言葉が出てこないほどに、その水は美味しかった。

 

「おいしいでしょ」

「うん。……なにこれ?」

「普通の水だよ。ただし、ボクの魔力をすこしだけ混ぜてある。まだ病み上がりだし、依姫の治癒にほとんど魔力を割いてしまったから、本当に少しだけね」

「アナタの?」

 

 アリエスははにかんで笑った。

 

「癒やしを司る牡羊座の魔力は、水に混ぜて体内に取り込むだけでも効果がある。頭がスッキリしたり、たまった疲れが多少とれたりとかね」

「へえ……」

 

 たしかに、徹夜明けでぼーっとしていた頭が、すこしスッキリした気がする。心なしか体も軽い。

 これ、全部飲んだらどうなるんだ……? 

 気になってコップを凝視する私に、アリエスが続けた。

 

「ぜんぶ飲んでいいよ。キミのために用意したんだから」

「あ、ありがとう……。でも、他のみんなは?」

「あとで順番に。キミが最優先だと思った」

「どうして?」

 

 アリエスは肩をすくめて苦笑する。

 

「キミ、これからレオと一緒に行動するんでしょ?」

「うっ……」

 

 彼のことを思い出して、苦虫を噛み潰したような顔になる。

 

「あはは! その顔、やっぱり脅されたんだ」

「気づいてたの⁉」

「そりゃもう、目が合ったときから」彼女は満面の笑みで肯定した。

 

 12宮会議での一幕。もともとソレに参加する予定のなかった私は、どういうわけか、レオの脅迫を受けて無理やり会議に参加させられたのだ。

 そのとき、唯一目が合ったアリエスに助けを求めたのだが……。

 

「気づいてたなら助けてよ……」

「無理だよ。ヒツジがライオンに勝てると思う?」

「うぐぐ……」

 

 ごもっともである。ウサギだってライオンには勝てない。

 己の非力さゆえに、逆に、本来参加資格のない会議に出席する羽目になったことを考えると、強さとはなんなのかを考えさせられる。

 私は改めてため息を漏らすと、弱りきった声で不安を吐露した。

 

「ほんとーに怖かったんだから……『クソアマ』とか『食われたくなかったら言うこと聞け』とか言われてさぁ……。力は強いし、声も低いし、命の危機を感じたわよ……」

「あはは! わかるわかる!」

 

 なにが面白いのか、アリエスは足をパタパタと揺らして笑い始めた。

 

「こっちは真剣なのよ!」

 

 カッとなって言い返す。私は本気で悩んでいるのだ。

 

「わかってる、わかってるよ。あはは」

 

 ひとしきり笑い尽くした彼女は、「はー」と息を整えてから話を再開した。

 

「レオってさ、怖いところいっぱいあるんだよね。いつも不機嫌そうっていうか、眠たそうな顔してて感情読みづらいし、百獣の王なだけあって馬鹿みたいに強い。それに、なんと言ってもあの声! 本能的に死を悟るってゆーの? 耳元でささやかれるとヤバいよね。ボクも昔は震え上がったもんだよ」

「そ、そうなのよ……。もう従うしかないって理解したわ」

 

 アリエスが共感してくれるせいか、抑え込んでいた不安が次々と溢れてくる。

 実際、あのあと私はレオの命令に黙って従っている。私の属する『捜索チーム』だって、レオの進言で無理やり結成されたものだ。

 

 チームとは言ったものの、メンバーは私のレオの二人しかおらず……。

 

 さらに言うと、このあと二人で行方不明メンバーと未発見の記憶のカードを捜索しに出なければならない……。

 

「はあああぁ……。私、これからどーなるんだろ……」

 

 私は両手で顔を隠して、その場にうなだれた。不安すぎて涙が出そうだ。

 レオのことをよく知らない私は、今ある情報で彼を判断するしかない。

 分かっていることと言えば、彼はひどく寝不足(?)でつねに睡魔に襲われているということと、私が言うことを聞かなければ食い殺しに来るかもしれないということだけだ。

 あと──やけに自信満々で、自分を12宮最強と断言していること。そして、それに見合った実力を持っているらしいということか。

 とにかく色んな意味で、私とは相容れない存在だ。

 

「まあ、不安なのはわかるよ。でもさ──」

 

 そんな悩める私に、アリエスが救いの手を差し伸べた。

 

「レオがキミにそんな態度をとったのには、理由があるはずだよ」

「理由……?」

 

 思わずオウム返しになる。だが、そんなもの考えてみればわかりきっていることで。

 

「それは……最初に出会ったときに、なにかしら逆鱗に触れたんじゃないの。彼の態度に腹を立てて、色々と乱暴なこと言ったし」

 

 土間での一件を思い出して、自責の念にかられる。あのとき私は、なにかしら彼の逆鱗に触れるようなことをしているはずなのだ。

 それこそ、思い当たるフシは沢山あるのだが……。

 

「んーん、それはないと思う」

「へ?」

 

 アリエスのあっさりとした返事に、私は阿呆な声をあげた。

 

「ないって……どうして?」

「だってレオ、怒ってないもん」

「はあ?」

 

 怒ってない?

 

「いや、いやいやいや! こっちは脅迫までされたのよ⁉」

「あんなの、キミを自分と一緒にいさせるための口実だよ。レオはそーゆーの下手くそだから、ああやって強引な手段をとるしかなかったんだと思う」

「……?」

 

 呆気にとられる私に、アリエスは真剣な眼差しで続けた。

 

「いいかい? キツイ言い方になるよ。レオがこうして誰かを側におくとき、大抵の場合そのひとは、ある重大な『欠陥』を抱えているんだ。今でいうと、キミがね。土間でなにを言ったかは知らないけれど、その一件で彼はキミの欠陥に気づいたはずだ」

「重大な……欠陥……?」

 

 ひとすじの汗が、こめかみを伝った。

 私のなかにあるというソレは、ありずぎて判断がつかないのが現状だった。

 

 例えば、なにをやらせても中途半端で、いつも誰かの劣化にしかなれないこと。

 

 あるいは、雑魚のくせに見栄だけは一丁前なこと。

 

 ことが上手くいくとすぐに調子に乗ること。大抵の場合は、あとで痛い目をみる。

 

 他にも、色々あるけれど──。

 

「でも、それがどうして……」

「鈴仙」「ひゅっ」

 

 その声が聞こえた瞬間、私は呼吸することをやめた。

 アリエスも、目を丸くしてうしろを振り向く。私も遅れて背後に目をやると、そこにはやはり彼がいた。

 

「れ、レオ……さん」

 

 ブロンドの髪、白いワイシャツ、深緑色のレザーパンツ。気怠げな瞳で私たちを見下ろす長身の男。

 いつの間にかこちらの背後をとっていた彼は、眠たそうにあくびをしながら呟いた。

 

「なんで敬語なんだよコイツ」

「──ッ⁉」

 

 いきなりダメ出しされて、大きく目を見開いた。

 なにか言ってやりたい気持ちにはなったものの、如何せん呼吸をとめているので言葉が出てこない。

 いや、そうでなくても怖くて言い返せないか……。

 一応、私とレオは二人きりの『チーム』なわけで、つまり、言いかたを変えればパートナーという扱いになるはずなんだけれど……。

 すでに幸先不安しかない。かと言ってなにも言い出せない。

 なんだか虚しくなって、私の視界はぐわんぐわん揺れまくった。

 すると、そんな私を哀れに思ったのか、アリエスがおもむろに立ち上がる。なにか言い返してくれるつもりなのか──。

 

「レオの顔がこわいからじゃない?」

「──……ッ!?!?!?」

 

 面と向かってなんてこと言うんだコイツ⁉

 さっき『ヒツジがライオンに勝てるわけない』なんて言っていたくせに、アリエスは罪悪感とか恐怖心のない満面の笑みで言葉を続ける。

 それどころか……。

 

「もーちょっとさ、こう……表情筋を柔らかくしてー」

「ふ──ッ!?!?!?!?」

 

 まるでお団子でもこねるかのように、彼女はレオのほっぺたをぐにぐにと弄り始めた。

 一方レオは、自分の頬を捏ねくり回すアリエスを相変わらずのダルそうな目でじーっと見つめている。

 

 く、食われる……。アリエスがレオに食われる……。

 

 パニックになり両手をあわあわと震えさせることしか出来ない私をよそに、アリエスはトドメの一撃をレオに食らわせる。

 

「で、こう!」

 

 両手の人差し指で、レオの口角をぐい──っと持ち上げる彼女。

 対して、彼は──。

 

「ひ、ひぇ……」

 

 情けない声が出たが、それくらい気味の悪い光景だった。

 柔らかく吊りあげさせられた口角に対して、目が笑ってない……。

 しかし、それに気づいていないのか、アリエスは満足そうに「よしよし、そんな感じ」と呑気に頷いている。

 

 よくない……。全然よくない……。

 

 私が恐怖に震えていると、レオはおもむろに彼女の指に手を伸ばした。

 あ、さよならアリエス。最初は指からだね……。

 短い付き合いの友人に別れを告げた刹那、レオは、

 

「こうか?」

 

 アリエスにつくられた笑顔を、その両手で固定した。

 

「……???」

 

 はい?

 

「おっけー、少しはマシになったんじゃない?」

 

 レオの両手が彼の頬に添えられたことを確認すると、アリエスは一歩引き下がる。

 

「うーん、目が笑ってないね」

「それはしらん」

 

 無理やり頬を吊りあげているせいで、声がこもって聞こえる。

 そんな彼は、相変わらず不気味にしか見えない表情をそのままに、私の方を向いて言った。

 

「どうだ、少しはマシになったか」

「いや……ぜんぜん……」

 

 思考が追いつかずに、思わず本音が漏れる。

 しまった! と私が口をふさぐと同時に、レオも自らの頬を両手から開放した。

 そして、どことなく残念そうに。

 

「だってさ、アリエス」

「んー、やっぱり目が笑ってないのが良くないね」

「だからしらねーって……」

 

 レオはバツの悪いような表情で頭をかくと、改めて私を向き直した。

 

「オレのなにが怖いのかは知らねーけど、敬語はやめろ。なんかきもい」

「き、きも……」

「言葉遣いにも問題ありだね」

「お前さっきからなんなの……」

 

 自身の言動をことごとく指摘するアリエスに、彼は「はあ」とため息をついた。

 意外と効いているのだろうか……?

 

「……わかった。オレも気をつける。だからさ、敬語はやめてくれ。マジでき……じゃなくて……なんかムズムズする。最初に出会ったときの感じで、いいから」

 

 言葉を探るように会話する彼は、これまでの無神経で強引な雰囲気とは少し違った印象を受けた。

 アリエスの言う通り、本当に怒ってはいないのかもしれない。

 だとすれば、ほんの少しくらい警戒をといても問題はないのだろう。

 

「わ、わかった。じゃあ……レオ。えっと、なんの用事?」

「ああ、出発の準備ができたから、声かけに来た。それだけ」

 

 軽く、唇を噛んだ。

 行方不明の12宮の捜索、そして記憶のカードと十二神皇の回収。それは本来、私が担当するはずのなかった任務なのだ。

 とくに取り柄のない私よりも、適任者は他にいそうなものである。はたして、私なんかに務まる仕事なのだろうか?

 だが、今の私は彼に従うと決めている。強者に服従するのは動物の本能だ。

 拒否することはできない。私は立ち上がって続けた。

 

「私も、準備できてるわ。いつでも行ける」

 

 なんとか笑って返事をする。もちろん空元気。

 

「よし。とりあえず、最初に会わなきゃいけねーやつがいるから、まずはソイツのところに行くぞ」

「わかった」

「鈴仙、ちょっと待って」

 

 レオに続き外へ向かおうとする私の手を、アリエスが掴んだ。

 

「なに?」

「ううん、大したことじゃないんだ。ただ……」

 

 彼女は穏やかな微笑みを浮かべて言った。

 

「きっと大丈夫だよ。とだけ、言っておくね」

「……?」

 

 小首を傾げる私に、アリエスは「いってらっしゃい」と手を振った。

 今の私には、その言葉の意味なんて、さっぱり分からなかった。

 

 

 

 

 問題が山積みの私たちは、利家の進言により、役割を分担することとなった。

 彼の発言と、レイセンを筆頭にした『青の邪神対策チーム』の発足を皮切りに、会議はスムーズに進行した。

 

 チームは大きく分けて六つ。

 

『赤の邪神対策チーム』『青の邪神対策チーム』『魔侯対策チーム』は、読んで字のごとく、それぞれの邪神を討伐するために組まれたチームである。

 どのチームも、各邪神に因縁のあるメンバーで構成されており、様々な感情や思惑をはらんでいることもあってか、各陣やる気が漲っている様子がうかがえた。

 

 対策チームのなかで唯一イレギュラーなのは、『紫の邪神対策チーム』だろう。

 なにせ紫の邪神であるマグナは、博麗霊夢の活躍により早くも囚われの身。本人も今のところ反撃してくる気配がないため、その監視に徹底する役割を担っている。

 構成は、咲夜、霊夢、魔理沙、リブラの四名。粒揃いのメンバーである。

 

 八意師匠とアクエリアス、その他のメンバーで構成されたのが『支援担当チーム』。

 こちらも読んで字のごとく、戦場に赴く戦士たちの生活支援・体調管理などを行い、全面的にバックアップする役割のチームであり……できれば、私もそこに収まりたかった。

 師匠の指示に従っていれば間違いないのだから。なんて、嘆いても仕方ないが。

 

 さて。そんな私が所属することになってしまったのは、レオ率いる『捜索チーム』だ。

 このチームの役割は多岐にわたる。

 行方不明の12宮の捜索、未発見の記憶のカードと十二神皇の回収、そして、未だ存在が確認されていない『緑の邪神』の発見などなど……。

 

 

「……なんか、私たちだけ仕事多くない?」

 

 竹林を抜けて、人間の里に向かう田舎道を通るさなか、私はレオに問いかけた。

 夏の日差しで乾ききった砂利道の隅には、里に向かって用水路が走る。

 体中の水分が蒸発してしまいそうな猛暑日にも関わらず、となりを歩くレオは涼しげな表情で言った。

 

「いわゆる〝その他もろもろ〟を請け負うチームだからな」

 

 頭のうしろで腕組して、なんでもないことのように大きく欠伸をする。

 このチームは、会議の中でレオ自身が考案して結成されたものなのだが、当の本人にはやる気があるのかないのか、その辺の判断は相変わらず出来ない。

 飄々とした彼の態度に惑わされながらも、私は言葉を返す。

 

「でも、仕事量と人数がつり合ってないような気が……」

「他のチームと違って、オレたちには明確な〝脅威〟がないんだよ。強いて言えば緑の邪神の存在だけど……」

「み、緑の邪神……」

「心配すんなよ」

 

 そこはオレの出番だろ、とレオはサムズアップする。未発見の脅威に対してすら、その自信を貫けるのは本当に羨ましい。

 

「それに、行方不明のメンバーを探すって言っただろ。ソイツら見つけたら、このチームに取り込んでやればいい。そのためにまず、人間の里ってとこに向かってんだ」

「行方不明のメンバー……」

 

 私は、指を一本ずつ立てながら、会議で名前の挙がった〝捜索対象〟たちの氏名を陳列していった。

 

「キャンサー、ジェミニ、ヴァルゴだっけ」

 

 それぞれ、蟹座、双子座、乙女座だ。

 いずれも、私にとっては未知の12宮である。レオいわく、この中の誰かが人間の里にいるということらしい。

 

「そーだな。けど、キャンサーは心配しなくても自分で合流する。だから、オレたちが探さなきゃいけねーのは残りの二人だ」

「わかるの?」

「あのジジイは耳がいいんだよ。だから、ピオーズが一声かければすぐ飛んでくる。この会話もどっかで盗み聞きしてるかもしれねーな」

「そ、そうなんだ……」

 

 それはそれで心配だが……。

 ただ、キャンサーについては、華扇が口にしていた言葉を覚えている。

 

 ──彼なら話を聞いてくれるんじゃないかと思って。

 

 彼女はそう言って、キャンサーを探しに出ていったのだ。ならば、キャンサーについては彼女を信じて任せればいい。

 そう納得した私は、話をもとに戻す。

 

「じゃあ、残りの二人は、発見さえできれば協力してくれるってことでいいの?」

「……」

 

 突然、レオが黙りこくった。相変わらずの仏頂面で。

 

「え?」

「いや、ジェミニはいいけどさ。ちょっと頑固なところはあるけど、話せば聞いてくれるだろーし、なにより好戦的なヤツじゃないからな。ただ……」

 

 問題はヴァルゴだ。レオは立ち止まって私を見つめた。

 

「な……なに?」

「正直、アイツはお前次第としか言いようがない」

「へっ⁉」

 

 彼の思わぬ回答に、私の肩が跳ね上がる。

 

「ど、ど、ど、どうして⁉」

「素直にひとの言うこと聞くようなヤツじゃねーんだよ、あのクソアマ。それに、オレとアイツはどーもウマが合わない」

「そ、それと私になんの関係が……?」

「んなもん、決まってんだろ」

 

 瞬間──真夏だと言うのに全身を寒気が駆け巡り、私は眉をしかめた。

 気のせいだろうか? 

 仏頂面のレオが、ほんのわずかに口角を吊りあげた気がして……。

 なにかやばい、と思って一歩引き下がったころには、時すでに遅し。

 

「今からソイツに会いに行く。鈴仙、お前がヴァルゴを説得しろ」

「っ──……」

 

 

 それからしばらく、記憶がない。

 

 レオが、ヴァルゴという人物について教えてくれたような気もするけれど、それどころじゃないくらいに頭がいっぱいで、なにも覚えていない。

 

 ──お前次第としか言いようがない。

 

 彼の言葉が、ぐわんぐわんと頭を駆け巡っていたのだ。

 レオをして「素直にひとの言うことを聞くようなやつじゃない」と言わしめる、乙女座の12宮。

 その人物を、私なんかが説得して、仲間に迎え入れる?

 無理だ。私にそんな話術はない。会話療法なら輝夜様が適任だ。彼女のほうが私の何倍も話術に優れている。私なんかじゃなくて輝夜様を連れてくればよかったのに……。

 異変の黒幕をあぶり出し、対抗するためには、12宮の集合は不可欠。乙女座の説得は超重要な任務のはずなのに。

 本当に、レオはイジワルだ。

 ただひたすら、そんな考えばかりが脳内を支配していた。

 ただ、気がついたときには人間たちの喧騒が遠くに聞こえてきて、ああ、もうすぐ里につくんだな。と理解することができた。

 

「うあっ……」

 

 慌てて、ポケットに丸めて突っ込んでいたベレー帽を取り出し、兎耳を隠すようにしてかぶる。

 人里に妖怪がいることがわかれば、それだけで問題になってしまう。

 騒ぎを起こさないようにと努めるだけの精神力が残っていたことは、私にとって唯一の救いだった。

 

「あっ……れ、レオ?」

 

 慌てて顔を上げる。

 相当ノロノロ歩いていた気がするけれど、レオの背中は私の目の前にあった。

 歩調を合わせてくれていたのだろうか。だとしたら、イジワルなのか親切なのか、なんだか判断に困ってしまう。

 いや、違うか。

 私を逃さないように貼り付いてるだけ、というのが正解だろう。

 彼はイジワルだから。

 

「もーすぐだぞ」

 

 私があれこれ考えているうちに、レオがこちらを一瞥して言った。

 もうすぐ、がなにを意味しているかは、推して知るべし。体がこわばり、キリキリとお腹が痛んだ。説得するのはいいが、もっと具体的な方法を教えて欲しいところだ。

 人里と外とを繋ぐ八脚門をくぐり、人間のテリトリーへと侵入していく。

 

「アクエリアスからの情報だと、昼過ぎに突然、ヴァルゴのそばに置いていた分身体が消滅したらしい」

 

 どんどん先へ進みながら、レオはそう説明する。

 アクエリアスの分身体とは、〝ヴァルゴの護衛用〟と〝仲間の捜索用〟に用意された、その名の通り、彼を形どった分身だ。

 それらすべてはヴァルゴの能力で創られたもの、らしいのだけれど……。

 

「消えたって、どういうこと……?」

「ヴァルゴが消したんだよ。分身体はアイツの魔力で動いているから、ヴァルゴがエネルギーの供給を止めちまえばすぐに消滅する」

「邪神とかに襲われた可能性は……」

「可能性としちゃーなくはないけど、場所が場所だったからな。だからアクエリアスは、『ヴァルゴ様がご自分で消されたのでしょう』って」

「場所……?」

 

 わざわざ、自分を守ってくれるナイトを引き離す必要がある場所……?

 私が首を傾げていると、レオが立ち止まった。

 

「ここだな」

 

 彼が指差す先を見つめれば、そこにあるのは一件の古びた木造住宅。

 

「甘味処……〝天露掬(てんろすくい)〟……?」

 

 私は口をぽかーんと開けた。

 天露掬は、里でもそれなりに人気のある甘味処である。

 羊羹やお団子、お汁粉といった甘みの数々はもちろんのこと、甘ったるくなったお口をリセットしてくれる軽食(椀子うどんとか味噌汁とか)も中々に美味しいと評判だ。

 じつは私も、里へ薬の交換に出向いた際にはこっそり寄っていくことがある。

 お値段もかなり良心的なので、お小遣いの少ない私でも無理なく買えてしまうのがまた魅力的。まさに庶民に愛されるお店というわけだ。

 ただ、今回はべつに甘みとか軽食をいただきに来たわけではないので……。

 

「あの……レオ?」

「ああ、ここだ。間違いねえ」

 

 犬みたいに鼻をスンスン動かしながら、レオは言った。

 

「かなり濃い〝魔力〟の匂いがする。ヴァルゴで間違いない」

「え?」

 

 私は目と耳を疑った。

 ここに乙女座の12宮が? まるでイメージが湧いてこない。

 失礼ながら、ここは『庶民の味方』というイメージのお店であって、ハッキリいってオシャレさや神々しさとは程遠い場所だ。

 仮にも〝女神〟である乙女座の12宮が、わざわざここを羽休めの場所に選ぶものだろうか?

 店主に失礼極まりない疑念をふくらませる私をよそに、レオは続ける。

 

「分身体が消えたのも納得だな。自分の食事を見られたくなかったわけだ」

「そう……なの?」

「まあ、見ればわかるだろ」

 

 入るぞ。なんの躊躇いもなく暖簾をくぐろうとするレオを、私は咄嗟に引き止めた。

 

「ま、まって!」

「なに?」

「その……こ、心の準備が……」

「……」

 

 レオが静かになったのを見て、神経がこわばる。

 どうせ言っても無駄だろう。

 だが、すでに自分の無力さを嫌というほど思い知ってきた私には、どうしてもこれが最善だとしか思えなかった。

 

「や、やっぱり無理……! ごめんなさい!」

 

 とにかくありのままを伝えて、深々と頭を下げる。

 お願いだ、わかってくれ。

 こんな小心者のウサギに、そんな重要な任務を預けるのは無謀なんだと、理解してほしい。

 

 自分でなにかを考え、責任をもって行動する。そういうのが一番無理なのだ。

 

 例えレオとヴァルゴが相性最悪だったとしても、こんな私よりはマシだ。

 私は天に祈るように、恐る恐る顔を上げた。

 

 すると──。

 

「あっそ。じゃーいいよ、オレがやるから」

「へ?」

 

 意外すぎるあっさりとした返事に、私はまた阿呆な声を漏らした。

 レオが、暖簾の奥へと姿を消していく……。

 

 あ、それでいいんだー……ふーん……。

 

 ──いやいやいや!

 

「えっ、あの、あの⁉ ちょっと待って!」

 

 レオのあとを追って、大慌てで甘味処へ駆け込んでいく。

 私、ものすごーく真剣だったつもりなんだけど……。

 出会って半日程度だが、私はすでに、レオを理解することを諦めかけていた。

 

 

 

 

「うあ……」

 

 店内の異様な雰囲気を感じ取り、そんな声が漏れた。

 古びた外観に反してそれなりに人気のお店なので、店の中にはいつもどおり、年齢も性別もバラバラのお客の姿が散見される。

 奇妙なのは、そのお客たちがちりぢりになって、壁際の席に座っていること。そして全員が、店の奥にあるカウンター席に視線を集中させているということだ。

 

 奇異の目でそれを見つめるもの。

 

 畏怖の目でそれを見るもの。

 

 あるいは、愛でるようにそれを見守るもの。

 

 里の甘いもの好きたちの視線を総なめにしているのは、小柄な女の子だった。

 肩甲骨まで伸びた美しい白銀の髪、白を基調とした制服、黒のミニスカート。

 肩に巻き付く白いマントも相まって、私の脳裏には『少女騎士』という単語が浮かび上がった。

 

 ただ異常だったのは、彼女の席に乱雑に積み上げられた木皿の数々である。

 

 一心不乱にという他ない様子で、少女が甘味を平らげていく。

 華奢な体躯とはあまりにもかけ離れた食欲に、私の顔は思わず引き攣った。

 

「お……お嬢ちゃん、よく食べるねえ~」

 

 男性客の一人が、そろりそろりと少女に近づく。

 

「甘いもの、好きなのかい……? 近くにもっといい店がある。よかったら、オレと一緒に遊びに行かないか?」

 

 ニヤついていて、しかしどこか恐怖心を孕んだ笑顔だった。

 異常な雰囲気に威圧されながらも、ナンパ根性が出たのだろう。彼女の愛らしい容姿には抗いきれなかったと見える。

 野良犬にでも近づくような姿勢で、彼は一歩ずつ、少女に歩み寄っていく。

 すると、彼女は男性客を一瞥し……。

 

「あ?」

「ひッ⁉」

 

 瞬間、男性客は跳ねるように店から逃げ出していった。

 

「な、なにあれ……?」

 

 私も、反射的に一歩後ずさる。

 たったひと言……それも、表情は見えなかったけれど、凄まじい威圧感だった。

 マグマのように怒りを溜め込んだ、ヤンキーという表現がよく似合いそうな声。

 それをきっかけに、他のお客たちも、私たちの脇を通って足早に店を去っていく。ここにいるのは危険と判断したのだろう。

 正直、私も逃げたいのだけれど……。

 

「あ、あれがヴァルゴ……?」一応、確認のために。

「おう、間違いないな」

 

 嘘でしょ……。

 なんというか、乙女座って、もっとおしとやかな淑女を想像していたのだけれど……。

 あ、やばい。なんか緊張で吐きそう……。

 

「まあ見てろ」

 

 彼に待機するよう促された私は、お店の隅でギリギリまで気配を隠すよう努めた。ここで命を失うのはさすがに惜しい。

 

「おい、ヴァルゴ」

 

 対して、レオは堂々と彼女に歩み寄っていく。

 すると彼女は、今まさに三色団子を口へ運ぼうとしていた手を止め、彼を振り返った。

 

「ちっ」

 

 うわぁ、レオの存在を認識してから0.1秒くらいで舌打ちしてきた……。

 

 しかも、見てみればけっこうな童顔であり、切れ長の大きな目は翡翠のように輝いている。美しくもかわいらしいだけに、尚更もったいない。

 レオはとくに動じていないようで、かまわず言葉を続けた。

 

「久しぶりの再会なのにつめてーやつ」

「アンタ、レオでしょ? それじゃあ出会えても嬉しくないわね」

 

 そう吐き捨てて、三色団子を全部いっぺんに口の中へ抱え込む。

 頬いっぱいに詰め込まれたソレを、ゆっくり、ゆっくり咀嚼しながら、彼女はまたレオを睨みつけた。

 会話をする意思はない……と、そういうことだろうか? 久しぶりに仲間と再会したというのに、これではたしかに冷たい気がする。

 なるほど。レオの言ったとおり、素直にひとの話を聞くような人物ではなさそうだ。

 

「あっそ。じゃあいいや、手短に要件だけ伝える」

 

 レオが切り替える。表情一つ動かさないのは、率直にスゴいと思った。

 

「オレたちと一緒に来てほしい。邪神の脅威から互いの身を守るためにも。そして、未発見の記憶のカードと十二神皇を発見し、いずれは黒幕の正体をあぶり出すためにも」

「……」

 

 ふんっ。ヴァルゴは鼻で笑うと、口に含んでいた団子を一気に飲み込んだ。

 

「まだそんなところで足踏みをしていたとはね」

 

 彼を嘲るように、眉を寄せる。

 

「黒幕なんて、おおよそ見当がついてるでしょうに」

「……なに?」

 

 レオの表情が僅かに歪んだ。そして、私も。

 

 ──黒幕に、心当たりがある?

 

 あまりにも平然と放たれた言葉に、私たちは困惑していた。

 

「どーゆーことだ?」

「言葉通りの意味よ。私はとっくに黒幕の正体に気づきかけてる。そして、ソイツが勝てる見込みのある相手じゃないということにもね」

 

 ──勝てる見込みがない? どういうこと?

 

「くわしく。オレたちと一緒に来て、みんなにも説明してくれ」

 

 レオの「オレたち」という発言を受けて、ヴァルゴが私を一瞥する。

 

「……パートナーを捕まえたのね。アナタらしくもない」

「話を逸らさないでほしい。オレたちと一緒に来てくれるか?」

「イヤよ。私はこれから大切な用事があるの」

「用事?」

「そう。とってもとっても、と──っても大切な用事がある」

「それは、争いを止めるよりも大切なことか?」

「当たり前でしょ?」

 

 ヴァルゴは力強く言い切った。

 

「むしろ、これ以上に大切な用事なんてないわ」

「それはいつ終わる?」

「今日の黄昏時。それ以前でも以降でもなく、黄昏時の間にきっちり終わらせる」

 

 真剣な表情で告げる。その瞳は、どこか覚悟を帯びているように見えた。

 

「それは、オレたちが一緒にいたら出来ないことか?」

「……できない」

 

 一瞬、ヴァルゴが返事をためらった。その隙きを見逃すことなく、レオが続ける。

 

「用事って、なんだ?」

「……」

「具体的な内容を教えてもらえると助かる。これ以上すれ違うことはだけは避けたいからできる限り同行したい。危険だから単独行動もやめてほしい」

「……ちっ」

 

 また舌打ち。

 レオは構うことなく要件のみを伝えていくが……。

 

「お前の用事は──」

「しつこい!」

 

 ガタンっ! と椅子を蹴飛ばしながら、ヴァルゴが立ち上がった。

 私は思わず小さな悲鳴を零す。

 

「アンタは無神経にひとの心を踏み荒らしていくから嫌いなのよ。私にかまわないでと言っているのがわからないの?」

「オレも。お前のそーゆー喧嘩っ早いとこ、きらいだ。オレたちがお前を心配していることがわからないのか?」

「あ? やんの?」

 

 メンチを切る彼女。小柄な体躯ゆえにレオを見上げる形になっているにもかかわらず、その瞳にはものすごい迫力があった。

 同じく女性の12宮であるアリエスとはひとが違いすぎる。

 ハッキリ言って、怖い。やはり私が説得するには無理のある相手だったと悟った。

 

「ちょ、ちょっとお客さん困りますよ! これ以上騒ぎを起こされちゃあ……!」

「うるさい‼」

「ひいぃっ⁉」

 

 丸顔の、いかにもひとの良さそうな店主がケンカの仲裁に入るが、健闘むなしくヴァルゴに一蹴されてしまう(物理的には蹴っていないので安心して欲しい)。

 しかしだ。ここまで来ると、レオの強さにも視線を奪われる。

 あれだけヴァルゴに威嚇されているにも関わらず、未だに表情が動かないのだ。

 まさに強者の余裕。羨ましい限りで、嫉妬心にすら駆られてくる。

 

「もういちど言う。ヴァルゴ、オレたちと一緒に来い」

「いやだ」

「どうしてもか」

「絶対に、イヤ」

「……」

 

 中々譲らないヴァルゴと瞬きすらせずにらみ合いを続けるレオ。

 両者、一歩も引き下がる気配がない。

 息の詰まる光景。私の手にも思わず力が入る。

 

 だが──。

 

「はあ~~~っ」

 

 不意に聞こえてきたのは、ため息だった。

 睨み合っていたヴァルゴから視線を反らし、レオが大きくため息をついていた。

 その表情からは「やれやれ」と言わんばかりの……呆れのだろうか。どこか疲れのような感情が見てとれた。

 

「……なによ?」

「わかった。オレはおりる」

「え⁉」私は目を見開いた。

「……?」

 

 ヴァルゴも不可思議なものを見るように眉を潜めている。

 

「今日は……やけに素直ね……? いつもはもっとしつこいのに……」

「まあ、無理なもんは無理だからな。オレだって諦めるときは素直に諦める。適材適所なんて言葉もあるくらいだし……。アレだ、オレは12宮で最強だけど、お前を説得するには力及ばずだったってことだ」

「……???」

 

 レオの〝らしくない〟発言に、ヴァルゴも困惑しているらしい。

 しかしだ。私には、そんな彼の発言に込められた意図が分かりかけてしまった。

 

「え……あの……レオ、ちょっと待って」

 

 最悪のケースが脳裏をかすめ、レオに駆け寄ろうとする。

 しかし、当然ながら彼がそれを待ってくれるわけもなく。

 

「選手交代だ。鈴仙、あとは〝任せる〟」

「──っ⁉」

 

 彼は振り返って言った。

 その言葉を聞いた瞬間、私の足がピタっ──と止まる。

 思考も止まる。頭が真っ白になる。

 

 白。

 

 真っ白。

 

 ただひと言、頭の中に響いてくる言葉は──。

 

 あとは、〝まかせる〟?

 

「む、無理……!」

 

 振り絞って、出てきた言葉はやっぱりこれだった。

 

「オレも無理だった。あとはお前しかいない」

 

 レオが歩み寄ってくる。

 

「あ、アナタですら無理だったのよ? 私なんかにできるわけない」

「オレですら、じゃない。『オレはダメだった』と言え」

「なにも違わないじゃない!」

「ちがう。まったく意味がちがう」

「同じよ! だいたい、アナタさっき『オレがやる』って──」

「あとお前、『私なんか』って言うのやめろ。ウザい」

「う、うざ──⁉」

 

 あまつさえ私の発言を無視しておいて、なんて言い草だろう。

 これには流石の私もカチンときて──。

 

「そんなこと言ったら! アナタのそういう無神経なところだって、ものすっごく腹が立つんだけど!」

「そりゃ悪かった。オレもお前がウジウジしてるのに腹を立てていたんだ」

「はあ⁉ 誰がウジウジしてるって⁉」

「だから、お前だって」

「私はウジウジなんかしてないわよ! 身の丈に合わないことをしたくないだけ!」

「それをウジウジしてるって言うんじゃねーの?」

「言わない! アナタだって赤ん坊にダンベル持ち上げろなんて言わないでしょ⁉」

「いわねーけど、お前はダンベル持ち上げれるだろ?」

「できるけど! そういうことじゃなくて!」

「逆に聞きたいんだけど、お前はなにがそんなに不安なんだ?」

「そんなの──」

 

 そして、私はハッとなった。

 

 ──なにがそんなに不安なんだ?

 

「……」

 

 返す言葉が出てこなくなり、途端に黙りこくってしまう。

 彼の気怠げな瞳と視線を交わらせたまま、私は考える。

 なにが、不安なんだ?

 

 恐怖に打ち負けて、月面戦争から逃げ出して。

 それで、自分の無力を思い知って。

 

 戦国六武将に選んでもらえず、それっぽい言葉を並べてレイセンに全部押し付けて。

 それで、自分が無能だと気づいてしまって。

 

 依姫様に惨敗して、チャンピオンシップに予選敗退して。

 それで、身の丈に合わないことを、したくなくなって……。

 

 私は……?

 

「ケンカなら他所でやってもらえる?」

 

 睨み合う私たちの間に、ヴァルゴが割って入った。如何にも「迷惑なんだけど」と言いたげな顔をしている。

 はたして、彼女はやれやれとため息をついた。すると今度は、吟味するように私をじろりと見つめてくる。

 

「な……なんですか」

「アナタ、コイツのパートナー? だったらご苦労さまね」

 

 彼女は肩をすくめると、まるで同情するかのように苦笑した。

 パートナーという表現にはいささか疑問を感じるが、それよりも。

 

「無神経よね、コイツ。ひとの事情とかなにも考えてないもん」

 

 その表情に、若干の優しさが垣間見えたのは意外だった。レオのときと比べて「話が通じそう」という印象を受ける。

 

「そっ……」

 

 優しさに甘えて、「そうなんですよ」と同調しかけた、そのときだった。

 

 私の脳裏に閃くものがあった。

 

 今、私とヴァルゴには『レオに腹を立てている』という共通点がある。

 これを活かさない手はないのではないか?

 

「そう……ですよね。ヴァルゴさん、でしたっけ。アナタから見ても、彼はずっとあんな調子なんですか?」

「そうね。私たちは記憶をなくしてるから、ソレ以前のことは分からないけれど」

「それは大変でしたね……」

「ほんとね。ピオーズたちもよく付き合ってやれるなって関心するわ」

「なんかひでー言われようだな……」

 

 不満げに呟くレオを見て、ヴァルゴがニンマリと笑う。

 勝ち誇ったような笑み。

 ここまで見られなかった彼女の表情を見て……。

 

──いけるかもしれない。

 

 私の〝スイッチ〟が入った。

 掴めるかもしれない。彼女の性格の本質を。

 

「ピオーズですか。彼もずいぶん温和なひとですよね。レオが会議をサボタージュしたってひと言も怒らないんですから」

「ああいうのを甘いとも言うけどね」

「同感です。ちなみに、ピオーズさんも以前から……?」

「私の知る限りはね。アイツ、チームの輪を人一倍大切にしてるから……。まあ、そのせいでときどき怖いんだけど」

「こわい?」

「そうそう、たまーに私が〝冗談〟を言うとね、すっごく怒るのよ。そのときの目がもう怖いのなんのって」

 

 クスクスと笑いながら、「アレは私が悪いんだけどね」とフォローを入れる。

 

「お前のアレは冗談に聞こえないのが悪い」

「うっさいわね。アンタは黙ってなさい」

 

 ……変えた。

 

 さっきまで理性的に会話していた彼女が、レオに声をかけられた瞬間、また最初の暴力的な口調に戻ってしまった。

 急いで、しかし焦ることなく会話をもとに戻さなければいけない。

 

「あの、ヴァルゴさん」

「あら、ごめんなさい。えーっと……」

「鈴仙です。私の名前は鈴仙・優曇華院・イナバと言います」

「鈴仙ね。うん、覚えた。それで、なんだっけ?」

「冗談が通じないと辛いよねって話です。私もよくお師匠様に怒られるので……」

 

 相手に気を遣わせないように、バカっぽくにへらと笑う。頭の後ろを掻くというアクションをつけることで、リアリティを持たせたつもりだ。

 

「ねー、ほんともう大変。あーでも、カプリコーン……じゃないわね。あのクソ野郎にも言われたのよ、『殺意が剥き出しすぎる』って。」

「かお、怖くなっちゃう感じですか?」

 

 聞くまでもない。レオと会話しているときのヴァルゴは死ぬほど怖かった。

 というか、今もしれっと「クソ野郎」って言ってたし……。

 

「らしいわ。ふとした瞬間に出ちゃってるらしくてねえ。本当は早急になおしたいのだけれど、全然ダメ……」

「なおしたい? なにか不便なことでもあるんですか?」

「ええ、ちょっと大切な用事があるから……」

 

 言いかけて、ヴァルゴは「あっ」と声を漏らした。

 慌てた様子で口を塞ぎ、訴えるように私を見つめる。見てみれば、頬のあたりがほんのり赤く染まっていた。

 

 ──ん?

 

 顔が怖くなってしまうことと、

 

 その悪癖をなおしたいことと、

 

 このあと控えているという大切な用事。

 

 そして、赤く染まった頬……。

 

「……え、ヴァルゴさん用事ってもしかして」

「うわーっ⁉ だめだめだめだめだめ‼」「はぷっ⁉」

 

 口を押さえられた私は、攫われるように店の外へと連れ出されてしまった。

 道行く人々の視線が若干気になるが、まだ許容範囲内だ。

 

「あ……あぶなかった……」

「はほ、ふぉふひふぁんふぇふはふぁふふぉふぁん」

 

 口を押さえられているので上手く喋れない。

 ちなみにこれは「あの、どうしたんですかヴァルゴさん」と言っている。正直期待していなかったけれど、どうやら彼女には普通に通じたようで。

 

「どうしたじゃないわよ! なんてこと言うの! もう!」

 

 そう言って、手を放す。

 

「私まだなにも言ってませんよ⁉」

「う……⁉」

 

 ヴァルゴは目を見開いた。奥歯を噛み締めているのか、口角がよくわからない形に歪んでいる。

 なにも言っていないとは言ったけれど、どうも図星らしい。

 墓穴をほって頭を抱えているヴァルゴを見れば、それは一目瞭然である。

 

「うう……やってしまったわ……。〝女の子〟だからと……うっかり口を滑らせてしまうだなんて……」

 

 またひとつ理解できた。ひと言あれば十分だ。

 

「レオとの態度の差は、そういうことだったんですね」

「……」

 

 恨めしそうに頬をふくらませたのは、肯定という意味で受け取っておく。

 なんにせよ、わかった。

 ヴァルゴの凶暴な一面は、男性に対してのみ出てしまう悪癖らしい。単に男性が苦手なのか、過去にトラウマでもあるのか、はたまた別の理由か……。

 その辺は、これから判断するとして。

 

「大丈夫ですよ、レオさんには言いません」

「……」

「一応、確認するんですけど……気になる相手が?」

「…………いる」

「やっぱり」

 

 思わず微笑みがこぼれた。頬を真っ赤に染める彼女の、なんと可愛らしいこと。

 

「じゃあ、このあと控えている用事というのも……」

「呼ばれたのよ、ソイツに。……あっちから呼び出してくるなんて、初めてだわ」

 

 アクエリアスが受け取ってきたという手紙を、ヴァルゴは控えめに差し出した。

 

 

〝十五夜の月が上る日、誰そ彼時に、霧の湖でキミを待つ〟

 

 

 手紙には、極めて流暢な筆跡で〝Gemini〟と銘打たれている。どうやら彼女を呼び出したのは、双子座の12宮・ジェミニらしい。

 

 十五夜の月が上るのは今日。

 それも、指定された時刻は誰そ彼時。

 

 私が真っ先に連想したのは、『黄昏時効果』だ。

 ひとの思考や判断能力は、夕方になると疲労や周囲の暗さなどが相まって低下するとされている。これを黄昏時効果という。

 それを利用して、黄昏時に告白すると成功しやすくなる──というのが、黄昏時効果を使った恋愛のテクニックだ。

 

「えーっ! 黄昏時って……じゃあじゃあ、もしかして告白されちゃったりとか?」

「ええい! 知らないわよそんなもん! 黄昏時効果がなによ! 私の頭は夕方になってもバッチリ覚めてるんだから!」

 

 わざと大げさに反応してやると、ヴァルゴはかわいらしく手を払い、言葉を遮ろうと必死になる。

 どうやら黄昏時効果についてもご存知のようで。

 しかし、なんだ。理解してしまえば、なんてことはないじゃないか。

 最初こそ、凶暴なヤンキーだと誤解していた乙女座の12宮。そんな彼女も蓋を開けてみれば、ひとりの恋する乙女に過ぎなかったというわけだ。

 そろそろいいだろう。そう思った私は説得に入る。

 

〝行ける流れ〟だ。

 

「あの……本当に、差し支えなければでいいんですけど、その告白の瞬間を見守らせてもらうことは出来ませんか?」

「こっ──⁉」

 

 見る見るうちに、ヴァルゴの顔が真っ赤になっていく。真夏だというのに、彼女の両手は氷の上にいるかのように震え上がっていた。

 

「じょ、じょじょっじょお、冗談じゃないわよ! っていうか、誰が告白なんか!」

「アナタからしなくても、向こうからしてくるかもしれませんよね?」

「んっ⁉」

 

 という話は、さっきしたはずなのだけれど……。

 

「そっ……ないないないないないない……いや……でもそうだとしたらふつうにうれしいいやでもそんないやいやべつにわたしそんなじゃないしいやいやいやいやでもそうよねきゅうによびだすなんていままでなかったのにあのこそういうことなのいやでも……」

 

 面白いくらいに早口。しかも小声。聞き取るのも精一杯である。

 畳み掛けるなら今がチャンスだ。

 

「まあ、告白云々が私たちの思い込みという可能性もありますけど……。ただ、ハッキリ言って、ヴァルゴさんがその調子だと私まで不安になっちゃいます」

「えっ」

「もう十分思考能力が落ちているとは思いませんか? 食べすぎて、お腹に血液が集中しているせいでしょうか」

「はあ⁉ いや、わ、私の能力は魔力の燃費が悪いのよ! めっちゃくちゃお腹すくのよ⁉ アクエリアスの分身を二体も創って、もうお腹と背中がくっつくかと思ったんだから!」

 

 私は悪くない! と、ヴァルゴは拳を握りしめた。

 あのドカ食いにはそんな理由が。なるほど。

 

「黄昏時までそれほど時間もありませんし、このまま一人でいくのは色んな意味で危険だと思います。レオの肩を持つわけじゃないですけど、邪神に襲われる可能性だってあるんですよ。そうなったら告白どころじゃありません」

「っ……! っう……!」

 

 頭を抱えて悶える彼女。ついに「告白」というワードを否定しなくなってきた。

 これには私もしめしめとほくそ笑む……。

 

 ──そのときだった。

 

 彼女の手の震えが、ピタリと止まる。

 何事かと思い、眉を寄せる。すると、彼女はゆっくり顔を上げて、しっかりとこちらを見据えた。

 

 その目は──。

 

「ひっ⁉」

 

 レオに見せていた、あの目だった。

 

 ヤバい。怒らせた。一歩引き下がって間合いをとる。

 そりゃそうだ、これだけ羞恥心をいじられたら、誰だって理性を失うだろう。

 レオに助けを求められるように、大声を出すための空気を肺に溜め込んでおく。

 また一歩後ずさる。華奢な体躯の女神だが、仮にも12宮の一柱。私なんかが素手で勝てる相手ではないだろう。

 

「勝負よ……!」

「へ……?」

 

 鋭く突きつけられた人差し指は、当然のことだが私を捉えている。

 

「しょ、勝負って……」

「私とバトルしなさい! アナタが勝ったら、私についてくることを許可するわ!」

「バトル……?」

 

 つまり、バトルスピリッツでの対戦ということだ。

 このまま殴りかかってくるものとばかり思っていたので、内心ほっとする。

 

「でも、私が負けたら……?」

「んなもん決まってんでしょ! ついてくんな! レオと一緒に帰れ!」

「で、でも……!」それは困る。ここまでの努力が水の泡だ。

 

 しかし。

 

「いーよいーよ、そうしようぜ」

 

 緊張感のない軽口が聞こえてきて、私は目を見張った。

 

「レオ⁉」いつの間にか店から出ていたようだ。

 

 いや、そんなことはどうでもいい。

 

「なに言ってるの! 負けたら説得が水の泡なのよ⁉」

「いや、すげー進歩だって。話すら聞いてくれなかったのに、バトルでの賭けにまで持ち込んだんだからさ」

 

 あとは勝つだけじゃん。彼はそう言って、私の肩をバンと叩いた。

 

「か、勝つだけって……そんな簡単に」

「なに言ってんだよ。そのためのオレだろーが」

 

 レオは親指で自身の胸を指すと、ヴァルゴを振り向いて言った。

 

「バトルをするのは鈴仙って言ったけど、オレがデッキに入るのは問題ないな?」

「上等じゃない。精々その子の足を引っ張らないようにすることね」

 

 鼻で笑う彼女との間に、一陣の風が舞う。

 こんなの私でも分かる。もう後に引けないところまで来てしまっている。

 

「鈴仙」

 

 レオが言った。

 

「任せたぞ」

 

 私がもっとも苦手な言葉を。

 異変が始まって数週間。図らずも、私は12宮とのバトルを初めて体験することになってしまった。

 

 

 

 

 私とヴァルゴの戦いは、人里から少し外れた林の中で行われることになった。

 

 戦場として使用しているのは、チャンピオンシップの予選で用いられた模擬バトルフィールド。使用感は本物のソレと相違ないが、ライフ減少による身体へのダメージがないことが大きな特徴だ。

 加えて、〝自分たちが今いる場所がバトルフィールドになる〟という特徴もある。どこかの別次元にある、あの薄暗い空間に飛ぶ必要がないので、気分が数倍楽だ。

 これらの特徴はすべて私にとっては大きなメリットなのだが、血気盛んな幻想郷の住民たちには少々物足りなく感じるらしい。

 

 私にはわからない次元の話だ。痛くないから物足りないなどと語っている連中は、彼女の猛攻を食らっても同じことが言えるのだろうか?

 

 ヴァルゴのプレイスタイルはとにかく〝攻め〟だ。

 

 私の先攻で始まったバトルは、序盤からお互いのプレイスタイルの差が如実に表れていた。

《ノーザンベアード》のブロック時効果や、白の防御マジックを使用して守りを固めるばかりの私に対して、ヴァルゴは最初のターンから徹底的にフルアタックの姿勢を取り続けていた。

 主に使用されるのは、《白猿のシャラバ》や《壬の火猿ニーラ》といった低コストのスピリットたちと、手札を切らさないための《夢中漂う桃幻郷》。そこにアクセルやマジックカードを織り交ぜることで、白属性の防御網をするりと抜けてライフを奪う。

 実際、四ターン目にもなれば私は残りライフ二つにまで追い込まれ、ひたすら防戦を強いられる状態になっていた。

 基本的に〝勝ちを確信するまで動かない〟私とは対照的なバトルスタイル。こちらはすでに息が切れかけていたけれど、第六ターンでさらに大きな動きがあった。

 

「轟け! 《申の十二神皇ハヌマーリン》をレベル2で召喚!」

 

 ヴァルゴの詠唱とともに、上空に雷雲が立ち込める。そこから降りてきた巨岩が落雷に打たれると、中から巨大な猿の姿をしたスピリットが出現した。

 

「十二神皇⁉」

 

 私は目を見張った。十二神皇は私とレオの捜索対象のひとつであり、大昔に12宮が自分たちから切り離した〝本来の力の一部〟だ。

《申の十二神皇》がすでにヴァルゴと合流していたのは予想外だ。本来喜ぶべきことなのだが、今の私には立ちはだかる強敵としか認識できない。

 その後、《桃幻郷》の効果でデッキから一枚ドローしたヴァルゴは、すぐさまアタックステップを宣言した。

 

「《ハヌマーリン》でアタック!」

 

 金色の猿が雄叫びをあげる。

 なにか仕掛けてくることは間違いないので、素早く盤面を確認した。

 

 私のフィールドでは、レベル1の《イグア・バギー(RV)》、レベル3の《戦機皇ライドフェンサー》、レベル2の《丁未機グロリアス・ラクーン》が相手の攻撃を見て迎撃態勢をとっている。

 そのうち、《ライドフェンサー》と《グロリアス・ラクーン》は異魔神ブレイヴ《幻魔神》と合体中だ。《ライドフェンサー》は右側、《グロリアス・ラクーン》は左側。白の光線がスピリットとブレイヴを繋ぎ、エネルギーを分け与えている。

 ネクサスやバーストはなく、手札は二枚。ソウルコアは《ライドフェンサー》に置かれている。

 

 一方、ヴァルゴのフィールドではさっき召喚されたレベル2の《ハヌマーリン》が攻撃の真っ最中。あらかじめ展開されていたレベル1の《白猿のシャラバ》二体が後ろから手を叩いてエールを贈っている。ネクサスは《夢中漂う桃幻郷》があり、バーストはなく、手札は四枚。ソウルコアは《ハヌマーリン》が抱えている。

 

 ヴァルゴが自分の手札に触れた。

 

「《ハヌマーリン》の効果! お互いのアタックステップ中、私は手札の【アクセル】をコストを支払わずに使用できる!」

「なっ⁉」

 

 嫌な予感がして身構える。

【アクセル】は、一部のスピリットやブレイヴが持つ能力だ。マジックカードのようにコストを支払うことで、手札からメインまたはフラッシュ効果を発揮する。

 嫌な予感というのは、それらはマジックカード同様にコンボ性が高いことだ。普段は使用コストの観点からある程度リミッターがかけられた状態になっているが、《申の十二神皇》がソレを解除してしまっている。

 

「手札から《猿道士オンコット》の【アクセル】を発揮! このターンの間、私の黄のスピリットすべてに黄のシンボル一つを追加!」

 

 さらに、ヴァルゴは使用した《オンコット》を盤上に叩きつける。

 

「《ハヌマーリン》のさらなる効果! 【アクセル】の効果発揮後、そのスピリットをコストを支払わずに召喚できる!」

 

 不足コストを《白猿のシャラバ》から頂戴し、《猿道士オンコット》がバトルフィールドに現れる。恐ろしいのは、今召喚された《オンコット》にも黄のシンボルが追加されているということ。こんなもの誰だって表情が引き攣るだろう。

 

「まだ続くわよ」

 

 ヴァルゴが不敵な笑みを浮かべる。

 

「フラッシュタイミング! 《甲の猿王スグリーヴァ》の【アクセル】発揮! このターンの間、系統『想獣』を持つ私のスピリットすべては、相手によって破壊されたとき、回復状態でフィールドに残ることができる!」

 

 そして召喚。威厳ある赤顔の大猿が、バトルフィールドに出現する。例によって《シャラバ》からコストを確保しており、二体目の白猿も消滅した。

 

 なるほど、厄介なコンボだ。

 

 最初に使用された《オンコット》がシンボルを増やし、続く《スグリーヴァ》でBPの低いスピリットたちのチャンプアタックを威圧的なものに激変させている。

 

「っ……《イグア・バギー》でブロック!」

 

 事実上の回復を防ぐため、よりBPの低いスピリットを差し向ける。勇んで駆け出した機獣は、ハヌマーリンの剛腕にあっさりと殴り飛ばされ、爆散した。

 

「次は《スグリーヴァ》でアタック!」

 

 間髪入れずに、赤顔の大猿が噴煙の向こうから飛び出してくる。BPは7000。こちらのすべてのスピリットを下回ってしまっている。

 

「《ライドフェンサー》でブロック!」

 

 大猿に立ち向かうのは巨大なロボットだ。背部のブースターから高出力のエネルギーが噴射され、《スグリーヴァ》との距離を一瞬で詰める。

 

「ブロック時効果で、BPプラス5000! さらに、ネクサス《夢中漂う桃幻郷》を手札に戻す!」

「ふーん、BPを上げてしまうのね……」

 

 バウンスされた《桃幻郷》を手札に加えながら、にたりと笑う。言わんとすることがわかるだけに、奥歯を噛みしめるしかない。

 実際、今にフィールドでは《ライドフェンサー》が大猿との取っ組み合いを征してしまっており……。

 

「《スグリーヴァ》の効果で、破壊された『想獣』は回復状態でフィールドに残る」

 

 爆炎の中から、何事もなかったかのように大猿が姿を現した。こちらを挑発しているのか、ニヤついた顔で白い歯を見せつけてくる。

 これには《ライドフェンサー》も後退するしかない。

 

「もう一度、《スグリーヴァ》でアタック!」

 

 ヴァルゴのスピリットが全員ダブルシンボルである以上、残りライフ二つの私に「ライフで受ける」という宣言はできない。

 私は、二枚しかない手札のひとつを切った。

 

「フラッシュタイミング! マジック、《スクランブルブースター》を使用! このバトルの間、私の《ライドフェンサー》は疲労状態でブロックできます!」

 

 マジックカードの恩恵を受けた《ライドフェンサー》が、疲れた身体にムチを打つようにして立ち上がる。

 

「守って! 《ライドフェンサー》!」

 

 彼は大猿の前に立ちはだかった。

 

「無駄よ? だって《ライドフェンサー》は《スグリーヴァ》に勝ってしまう」

「わかってます!」

 

 狙いはそこではない。私はもっと〝先〟に賭けているのだ。

《スグリーヴァ》が《ライドフェンサー》殴り倒され、再び爆散する。当然、自身が放った【アクセル】の効果により、《スグリーヴァ》はフィールドに残るが……。

 

「《スクランブルブースター》の効果! このマジックの効果を受けたスピリットが、BPを比べて相手のスピリットを破壊したので、私はデッキから二枚ドローできます!」

 

 デッキトップから浮かび上がった二枚を手に取る。白属性には貴重なドロー効果だ。

 私の狙いはこっちだったのだが……これは──……?

 

「他にやることがなかったと」ヴァルゴは鼻で笑った。「いいカードは引けたかしら?」

 

 感情を悟らせないために、目つきを鋭くして彼女を睨みつけた。

 

「……いいわね。答えは《スグリーヴァ》に聞いてもらうとしましょう」

 

ヴァルゴがカードを横に倒した。《スグリーヴァ》の三度目の攻撃だ。

 

「……フラッシュ! マジック、《ラークドライブ(RV)》!」

 

 カードを提示すると、上空から雨のように水が降り注いだ。

 身を挺して私を守ってくれた《ライドフェンサー》から、ソウルコアを含む三つのコアを貸してもらい、その効果を読み上げる。

 

「このバトルをただちに終了させ、さらに、コストにソウルコアを使用していたとき、相手のスピリット一体を手札に戻します!《猿道士オンコット》、戦場から去れ!」

 

 雨にやる気を削がれたのか、《スグリーヴァ》が表情を曇らせて歩みを止める。道士服を着た小猿もまた、濡れることを嫌ったのか戦場からそそくさと逃げ出してしまった。

 

「レオのカードね……。いいわ、ターンエンド」

「やっぱり……」

 

 さっきから、《ライドフェンサー》やら《幻魔神》やら、入れた覚えのないカードが紛れ込んでいると思っていたけれど、どうやらレオのカードだったらしい。

 なにはともあれ、お陰でこのターンを凌ぐことは出来た。そして──。

 

「私のターン」

 

 無事にターンが回ってきたことを噛み締めながら、盤面を操作していく。

 

「スタートステップ」

「コアステップ」

「ドローステップ──」

 

 手札に加えたカードを見て、思わず動きが止まった。

 

 ──《獅子星鎧レオブレイヴ》。

 

 レオだ。

 

「今までなにやってたのよ」

 

 カードの姿になった彼に、嫌味を飛ばした。

 正確には、カードは〝窓口とスピーカー〟の役割を果たしているだけであり、彼らはこの窓の〝向こう側にある部屋〟にいるらしいのだけれど。

 

『頃合いを見てたんだよ』

 

 レオの声が聞こえてきた。カードからというよりは、脳内に直接響くような感覚。

 

『つーかお前、マジでぜんぜん攻めねーじゃん。なんなの』

「悪かったわね。〝負けないバトル〟がプレイスタイルなのよ」

『物は言いようだな』

「……どういう意味?」

『だってお前、自分じゃ攻めるタイミングが決めらんねーだけだろ?』

「……は?」

 

 私は眉を寄せた。カードを持つ手にも、自然と力が加わる。

 ひとの数だけプレイスタイルがあり、私の場合はそれが〝負けないバトル〟だったというだけの話なのに、コイツはなにを言い出すのだ。

 アリエスの言う通り、レオは言葉の選び方に難がある。いちいち反応していたら埒が明かないだろう。

 私は下手に追求することを避け、ターンを進めることにした。

 

「リフレッシュステップ」

「メインステップ」

 

 癪に障るが、彼を出すしかない。

 

 ──それに。

 

「……アナタ、私が『自分じゃ攻めるタイミングを決められない』と言ったわね」

『おう』

 

 あっけらかんとした返事が、ますます堪忍袋を刺激してくる。

 いかん。冷静になれ。

 私は頭をぶんぶん横に振り、彼に問いかけた。

 

「じゃあ、アナタなら、いつ攻める?」

『〝今〟』

「……言質とったからね」

 

 それを聞いた私は、安心して手札のカードを盤面に送り出した。

 

「《砲凰機神フェニック・セイザー》をレベル1で召喚!」

 

 フィールドに、鋭利なフォルムをした美しいロボットが舞い降りる。

 

「召喚時効果発揮! 私の手札にあるブレイヴカード一枚を、一コスト支払って召喚することができる!」

「〝一コスト支払って〟……なるほど、来るわね」

 

 彼女の目つきが、より鋭く、より真剣になる。

 アイツが来ると理解したのだろう。

 

「星の光をその身にまとう、凶暴凶悪な百獣の王! 《獅子星鎧レオブレイヴ》召喚!」

 

 フィールドに出現した星雲から、雄叫びを上げてレオが飛び出してくる。細身な人間態と比較してかなり巨体で、全身に武装を施した機械仕掛けの獅子だ。

 

「《ライドフェンサー》と《幻魔神》の合体を解除して、新たに《フェニック・セイザー》を《幻魔神》の右側に合体させる!」

 

 私の後方に鎮座する《幻魔神》とフィールドの《ライドフェンサー》を繋いでいた光線がほどけ、新たに《フェニック・セイザー》へと接続される。

 

「そして、《獅子星鎧レオブレイヴ》を、《戦機皇ライドフェンサー》に合体!」

 

 はるか上空に飛び上がった二体が、複雑な変形合体を経て一つのスピリットになる。もともと巨体だった二体は、合身することでさらに巨大なロボットへと変貌を遂げ、大地を隆起させるほどの勢いで地上に飛来した。

 

 裏12宮合体スピリット──これで、レオが本領を発揮できるようになった。

 

「アタックステップ! 合体スピリットでアタック!」

 

《ライドフェンサー》と《レオブレイヴ》の合体スピリットが、ロケットブーストとともに戦場を駆け抜ける。レベル2の合体時効果でBPプラス5000。合計で16000のダブルシンボル。しかも、ヴァルゴのフィールドにブロッカーはいない。

 

 チャンスだ。

 

 しかし、ヴァルゴはまるで焦る様子もなく、

 

「ライフで受ける」

 

 極めて冷静に、合体スピリットの攻撃をその身に浴びる。

 彼女の前方に二つのバリアが展開され、合体スピリットの攻撃がソレを砕いた。

 あまりに落ち着いている。やはり手札になにかあるのだろう。

 

 しかし──。

 

「《グロリアス・ラクーン》でアタック! 《幻魔神》との合体で、BP9000のダブルシンボルです!」

 

 勇んで次の一手を仕掛ける。とにかく圧力をかけて、次のターンからヴァルゴ側のブロックを誘うつもりだ。そうすれば、《レオブレイヴ》の『相手のスピリットが疲労したとき回復する』効果を発揮することができる。

 なにより、あの冷静さがハッタリという可能性も捨てきれない。レオの言質をとっている以上、攻めに失敗しても責任は半々。いらぬ心配をする必要はなかった。

 

「フラッシュタイミング! 【アクセル】発揮! 《レーシングペンタン》!」

 

 しかし、ヴァルゴが投げたカードがフィールドに展開され、《グロリアス・ラクーン》にビームを発射する。《レーシングペンタン》の【アクセル】効果は、スピリット一体のシンボルを0に固定する強力なものだ。

 しかも《ハヌマーリン》の効果でコストを支払わずに効果を発揮し、フィールドにまで駆けつけてくるのだから厄介極まりない。

 

「……ターンエンド」

 

 力なくへたり込む《グロリアス・ラクーン》を見て、深追いはするまいと決断する。やはり彼女の冷静さはハッタリでなかったのだ。

 

『ふーん……』

 

 レオが唸ったので、反射的に反応する。「なによ?」

 

『いいや、悪くないと思ってさ。やれば出来るじゃん』

「なにそれ」

 

 口が悪いくせに、急にひとを褒めだすのだから意味がわからない。

 

「私のターン」

 

 私がレオを訝しんでいる間にヴァルゴがターンを進め、疲労していたスピリットたちが立ち上がる。

 メインステップになり、彼女はすべてのスピリットが最大レベルになれるようコアを分配した。恵みの雨を受けた獣たちが、歓喜の咆哮をあげる。

 

「……ひとつ、聞いておきたいことがあるわ」

 

 不意に、ヴァルゴがゲームを進める手を止めた。

 

「なんですか?」

「私は言ったわよね。この争いの黒幕に心当たりがあること。そして、それが私たちの力の及ぶ存在ではないことも」

「レオと話していたやつですね」

 

 願ってもないチャンスだった。私も、おそらくレオも、彼女のその発言が引っかかっていたのだから。

 

『ヴァルゴ、オレは今回の争いの黒幕が、カプリコーンに取り憑いているヤツだと考えていた。違うのか?』

 

 好機とばかりにレオの声が響く。

 

「違うでしょうね。あんなの黒幕の手駒にすぎない。将棋の歩兵、チェスのポーンのような存在だと、私は考えてる」

『アイツは邪神の一柱が創った存在だ。黒幕は邪神の中にいると?』

「それも不正解」

 

 ヴァルゴは一瞬うつむいたが、すぐに顔を上げて言った。

 

「おそらく、邪神も私たちと同じ。タダの被害者にすぎない」

『なんでそう言える? オレもお前も、まだ記憶を取り戻していないのに』

「わかるわよ」

 

 どこか自嘲気味に、彼女は笑う。

 

「私はね、記憶を失くしてからずっと調べていたのよ。自分は何者だったんだろうって、不安で、心細くて仕方がなかったから。だから、過去を知りたいって思って。アルティメットと戦争になったときのこと、ピオーズのこと、十二神皇と邪神の争いのこと。全部ぜんぶ調べたのよ。……だから知っているの」

「……」

 

 返す言葉がなかった。記憶を失った恐怖など、当人たちにしか分かるはずがない。

 

「だけど、調べていくうちに違和感に気がついたの」

「違和感……?」

「ええ」

 

 ヴァルゴの表情がますます真剣になる。

 

「永いながい年月をかけて、グランロロから〝積み木のパーツ〟が一本ずつなくなっているということよ」

「積み木の、パーツ?」

 

 私は顔をしかめた。いったいどういう意味なのだろう?

 ヴァルゴは続ける。

 

「最初にアスクレピオーズが失われてからというもの、グランロロは立て続けになにかを失い続けている。邪神も、そして私たちの記憶も、戦争で消えた数多の命もすべて、グランロロが失った、あるいは〝奪われた〟積み木のパーツのひとつ」

『……ヴァルゴ、つまりお前はなにが言いたい?』

 

 レオが結論に迫った。

 

「大いなる存在が、グランロロと幻想郷を崩壊に導いているとしか思えない」

「大いなる存在……?」

 

 ヴァルゴが小さく頷く。

 

「おそらく、なんらかの〝創界神〟が争いの影にいる」

「──……」

 

 瞬間──。異常な寒気が全身を駆け巡った。

 

「っ⁉」

 

 誰かに見られている感覚。とっさに周囲を見渡すが、草木の生い茂る林には人っ子一人見つけられない。

 フィールドのスピリットたちに目をやる。彼らもまた、何者かの気配を感じ取ったかのように首を振っていた。

 

「……グランウォーカー……って?」

 

 恐る恐る、その名を口にする。

 また、誰かに見られている気配があって、頬を汗が伝った。

 

「……話を戻すわ」

 

 ヴァルゴもまた、大粒の汗を額に滴らせている。

 とてつもない気配から逃れたくて、私も無言でうなずいた。すると、誰かの視線は瞬く間に消え去ってしまった。

 

「今のは……」

「〝大いなる存在〟とだけ言っておくわ」

 

 おそらく、ヴァルゴの言っていた《創界神》なる存在だろう。ソレが、この争いの影にあるというのか?

 

 存在を口にすることすら憚られる存在とは、一体なんなのか。

 

「勝ち目はないわよ。アレは、私たちも、邪神も、ダイオリジンやデスピアズにすら超えられない存在。……アナタたち、負け戦をしたいと思う?」

「……それが、アナタの聞きたかったことですか」

 

 彼女がうなずき、私は黙りこくった。

 答えはとっくに決まっている。私に負け戦をするような趣味はない。そもそも戦いそのものが嫌いなのに。そうでなければ、月面戦争から単身逃げ出したりはしない。

 それでも答えに詰まってしまうのは、他でもない、依姫様やレイセンの存在があるからだ。彼女たちはなんて答えるだろう?

 

 多分──答えはこうだ。『負けるかどうかではない。やるかやらないか』

 

 わかってる。そんなことはわかってる。

 

「私は、負け戦なんてしたくないわ」

 

 私が答えるよりも先に、ヴァルゴが口を開いた。

 

「もしソイツに世界が滅ぼされるとしても、負けるとわかっているなら、わざわざ戦ったりはしない。その時間を、やり残したことに費やしたほうがよほど有益でしょう?」

 

 そう言って、自虐のように笑みを浮かべる。

 

 ──だから、レオの要求よりもジェミニとの約束を優先したのか。

 

 彼女の気持ちには共感できる。私の考えも似たようなものだから。

 

「わかってくれるなら、アナタもレオも、今後、私には関わらないでほしい」

「……」

 

 ここで口を開いて、「YES」と答えてしまえば楽だろう。彼女のことは彼女自身に任せてしまえばいい。なんなら、私に共感した彼女がレオを追い払って、私を自由にしてくれる可能性だってあるのではないか? 

 それなら、私にとっても都合がいい。そもそも私がこうして戦うハメになったのはレオのせいなのだ。最初から、私自身に戦おうという気持ちは微塵もなかった。

 

 だから──。

 

「レオ」

 

 私は、うつむきがちに口を開いた。

 

「アナタなら、どうする?」

『〝戦う〟』

 

 即答だった。

 

 私はうなずいて、顔を上げる。見れば、ヴァルゴは驚いたような、呆れたような表情で私を凝視していた。

 

「……レオに委ねると言うの? アナタの意思は?」

「理由や経緯がなんであれ、今の私は、レオに従うだけですから」

 

 そうだ。

 昔から、そうだったのだ。

 前向きであれ後ろ向きであれ、私が自らの意思を遂行しようとしたときは、大抵ロクなことがなかった。

 今回だってそうだ。戦いに出ることを拒み、皆のサポートに回りたいと考えていたはずなのに、けっきょくレオに台無しにされてしまった。

 私が意思を持つと、いつもそうなのだ。

 だったら、最初から誰かに従っていれば、そこに間違いはない。私のような無能が自らの意思でなにかを成そうとすることが、そもそも間違っているのだ。

 レオが繰る《ライドフェンサー》の背中を見つめれば、なんと大きく、なんと頼もしいことだろう。私の行動のすべてを、彼に一任してしまえばいい。

 レオが、もっと具体的な指示をくれるのなら。

 ただ〝言われたことをやってればいい〟としたら。

 そうすれば、なにも考えなくていい。不安を抱くこともない。

 自分の判断が正しいかどうかなんて、悩む必要がなくなるのだ。

 

「……そう。そうなのね」

 

 ヴァルゴは残念そうにうつむくと、盤上のカードに手を伸ばした。

 

「なら、勝利してわからせるわ。《ハヌマーリン》でアタック!」

 

 彼女の指示を受けて、金色の猿が雄叫びを上げる。だが、アタックそのものは本命ではない。このあと来るフラッシュタイミングで、《申の十二神皇》の本領が発揮されるのだ。

 ならば、あの十二神皇がいる状態で、フラッシュタイミングを回してはいけない。

 

『鈴仙』レオの声が響く。

『〝勝て〟』

「ラジャー」

 

 頭がス──っと冴えていく。欲を言えばもっと具体的な指示が欲しいが、ことバトルスピリッツにおいてはコレで十分だと思えた。

 

「フラッシュ! マジック、《ドリームバリア》!」

 

 足りないコア一個ずつを、レベル2の合体スピリットと《グロリアス・ラクーン》から分けてもらう。すると、フィールドに《ドリームバリア》のカードが展開され、そこから一筋の光線が《ハヌマーリン》めがけて発射された。

 

「《ドリームバリア》の効果で、《申の十二神皇ハヌマーリン》を手札に戻す!」

「っ!」

 

 手応えあり。《申の十二神皇》の退却を受けて、ヴァルゴがわずかに頬を歪ませた。

 

「さらに、私の異魔神ブレイヴ一つにスピリット二体が合体しているなら、このターンの間、私のライフは減りません!」

 

 後方から《幻魔神》がエネルギーを放出し、私を守るようにバリアを展開する。これで私の手札は0だが、このターンは守りきれるはずだ。

 

「……ターンエンド」

「よし」

 

 静かに頬を吊りあげた私は、素早く自分のターンを進行する。ヴァルゴと同じようにすべてのスピリットを最大レベルにまで引き上げると、クールな機械兵士たちは静かに拳を握りしめた。

 

 命令を遂行するだけなら、自分で考える必要はない。ただひたすら攻めるだけだ。

 

「アタックステップ! 合体スピリットでアタック!」

 

 号令のもと、レオの繰る《ライドフェンサー》が大地を蹴る。【合体中】のアタック時効果によるBP上昇を含めると、そのBPは18000。ダブルシンボルと回復効果も相まって、彼のかける圧力は半端なものではない。

 

「フラッシュタイミング! 二枚目の《レーシングペンタン》よ!」

 

 前のターンと同様に、ヴァルゴが提示したカードから合体スピリットに向けて光線が発射される。いくらダブルシンボルの裏12宮合体スピリットとは言え、シンボルを奪われてしまっては赤子同然。ダメ元で肩の砲身からビームを発射するも、その光がヴァルゴのライフを砕くことはなかった。

 ただし、前回とは違うところもある。今回は《ハヌマーリン》の不在によりコストを支払っているし、《レーシングペンタン》がそのまま召喚されることもない。

 やはり、このターンがチャンスだ。

 

「《砲凰機神フェニック・セイザー》でアタック!」

 

 大地に膝をつく合体スピリットの頭上を、白き翼が飛翔する。彼もまた《幻魔神》と合体しているため、白のダブルシンボル。さらに、

 

「アタック時効果で、ターンに一回、このスピリットは回復します!」

 

 このシンプルな能力が、彼の攻撃性能をぐんと引き上げる。

 

「《レーシングペンタン》でブロック!」

「でも、BPはこちらが上です!」

「なめんな! フラッシュタイミング!」

 

 焦った様子のヴァルゴが乱暴にカードを投げつけた。

 

「《壬の火猿ニーラ》の【アクセル】発揮! このバトルの勝利条件を、〝BPが高い方〟ではなく〝BPが低い方〟に変更する!」

「──!」

 

 どこからともなく降り注いだ火の粉が《フェニック・セイザー》に襲いかかり、自慢の機動力をことごとく削ぎ落とす。次の瞬間、「隙あり」と目を光らせたペンタンが自慢のゴーカートもろとも彼に突っ込むと、白き翼は呆気なく爆散してしまった。

 

「どうよ! 破壊してしまえば、回復なんて意味がないのよ!」

 

 自慢気に私を指差すヴァルゴ。しかし──。

 

「それはどうでしょうか?」

「……え?」

 

 明確にヴァルゴを捉えて、彼女を睨みつける。

 この瞬間、私の勝利が確定したのだ。

 

「《グロリアス・ラクーン》でアタック!」

 

 豪華な武装を施された機獣が、勇み足でヴァルゴに向かっていく。その様子を、彼女は信じられないという様子で見つめていた。

 

「な、なんっ……《スグリーヴァ》の方がBPは上なのよ⁉」

「かまいません! フラッシュタイミング!」

 

 任務遂行のために、一枚しかない手札をここで切る。

 

「マジック、《バルムンクショット》! 相手のスピリット一体を、手札に戻す!」

 

 宣言とともに、《甲の猿王スグリーヴァ》が光に貫かれ、フィールドから姿を消す。

 これで、彼女を守るスピリットはいなくなった。

 

「だからなに……? 私のライフはあと三つ! アナタの《グロリアス・ラクーン》はシンボル二つ! これじゃあ……!」

「とどめを刺すのは《グロリアス・ラクーン》じゃあないです」

「え──」

 

 突如として、《ライドフェンサー》が微かに光を放ち始める。

 このマジックカードの真の能力は、ここからなのだ。

 

「《バルムンクショット》のさらなる効果。私の合体スピリットを好きなだけ分離させることができ、分離したブレイヴ一体につき、相手のスピリット一体をデッキの下に戻すことが出来ます」

 

 ただし、メインステップでは使えない効果ではあるが──今は些細なことである。

 

「《ライドフェンサー》から《レオブレイヴ》を分離」

 

 白き巨人を構成していたパーツが分離され、複雑な変形工程を経て、一体のスピリットと一体のブレイヴに分かたれる。

 獣の姿を取り戻したレオが咆哮をあげる。その波動はフィールドを走り、《レーシングペンタン》をデッキの下へと吹き飛ばしてしまった。

 

《グロリアス・ラクーン》の攻撃がバリアを砕き、彼女のライフは残り一つ。

 

「《レーシングペンタン》の効果を受けたのは《ライドフェンサー》。つまり、《レオブレイヴ》はシンボルを奪われていません。そして──」

 

 それを警戒していたはずのヴァルゴなら、とっくに理解しているだろうけれど──。

 

「《ライドフェンサー》と《レオブレイヴ》は、さっき《レーシングペンタン》が疲労したことで回復しています」

「──……」

 

 それは、《フェニック・セイザー》が破壊された、あの一幕。戯れのようにも見えたバトルの影で、『相手のスピリットの疲労』という条件を満たした合体スピリットは、静かに立ち上がっていたのである。

 

 これが、獅子座の裏12宮ブレイヴの能力。

 

 すべてを理解したのか、わなわなと手を震わせるヴァルゴ。だが、もう遅い。その手に握られている四枚のカードは、《夢中漂う桃幻郷》、《猿道士オンコット》、《甲の猿王スグリーヴァ》、そして切り札の《ハヌマーリン》なのだから……。

 

「アナタの手の内は、文字通りすべて視えています」

「……」

 

 返事を待つことはなく、ただ盤上に手を伸ばす。

 

 ただ、勝てばいい。

 

 これは命令なのだから。

 

 他のすべては二の次で良いのだ。

 

「──《レオブレイヴ》でアタック!」

 

 機械仕掛けの獅子が吼える。駆ける。宇宙の輝きをその身にまとい、ひとすじの光となって大地を蹴るその姿は、さながら地上の流れ星だ。

 

「……はぁ。ほんっと、これだからレオは嫌いなのよ」

 

 彼女は諦めたように肩を落とすと、飛びかかるレオを静かに見据えた。

 

 不思議と、穏やかな目で。

 

「ライフで受ける」

 

 そのラストコールは、まるで鈴の音のように響き渡った。

 

 

 

 

「勝敗に則り、アナタの同行を許可するわ」

 

 バトルフィールドが解除されるなり、開口一番、ヴァルゴはそう告げた。

 私とヴァルゴ、そしてスピリットたちが火花を散らすほど睨み合い、狼だって近づくことをためらうような緊張感に包まれていた林も、普段の静けさを取り戻す。

《レオブレイヴ》の姿になっていた彼も、いつの間にかブロンド髪の青年の姿へと戻り、私の後ろに突っ立っていた。

 

「あの……い、いいんですか?」

「いいもなにも、そういうルールだったでしょ?」

「いえ、まあ、そうなんですけど……」

 

 阿呆のように、手をオロオロと震わせる。

 ヴァルゴの対応が想像以上にあっさりしたものだったので、逆になにかあるのではないかと勘ぐってしまったのだ。

 すると、ヴァルゴは呆れたように肩を落として、小さくため息を付いた。

 

「こうなった以上、もうジタバタしないわよ。諦めが肝心ってね。だから、ほら」

 

 彼女が手を差し出す。私も恐る恐る手を差し伸べると、細くしなやかな指の感触が手のひらを伝った。

 それほど強くなく、包み込むような優しい握手だった。

 

「強かったわよ、アナタ。レオが側に置くだけのことはある」

「そんなことないと思いますけど……」

 

 首を傾げながら、眉をひそめる。事実、勝利できたのはレオが紛れ込ませたカードの存在が大きい。

 ともあれ、これでヴァルゴに認めてもらえたことは確かだろう。

 

「じゃあ……これから、よろしくお願いします」

「よろしく。レオのことは気に入らないけど、レオが目をかけたアナタのことは信じてあげるわ」

「素直じゃねーなぁ……」

 

 大きく欠伸をしながら、レオがボヤいた。

 

「んで? オレが勘定してる間に話が進んでたからわかんねーんだけど、けっきょくお前の用事ってなんなんだ」

「ああ、それは……」

「いいのよ鈴仙、こんなやつに説明してやる必要ないの」

 

 ヴァルゴは私の口を人差し指で押さえると、意地悪な笑みをレオに浮かべた。

 

「レ~オ~? アナタねぇ、なにか勘違いをしているんじゃなぁい? 私が〝同行を許可する〟と言ったのは鈴仙だけよ」

「「は?」」

 

 私とレオの声が重なる。

 どういうことだ?

 

「最初から、二人の同行を許可するとは言ってないでしょう? 都合よく勘違いしたのねアナタたち。私が連れて行くのはこの子だけ」

 

 ヴァルゴはそう言うと、強引に私を引っ張って抱き寄せた。

 なるほど、してやられたらしい……。

 

「女の子なら心配ないだろうし。残念だったわねえレオ」

「……?」

 

 愛おしげに私の頭を撫でる彼女。その言葉に、閃くものがあった。

 もしかして、ヴァルゴが男性を過剰に拒絶するのは──。

 

「ジェミニさんに勘違いさせないため……?」

「んー?」

 

 ポツリと呟くと、私を抱きしめる彼女の腕がわずかに力を増した。これ以上は言わないほうが身のためだろう……。

 

「……まあ、オレは一人でも大丈夫だから、べつにいいけどさ」

 

 レオが言った。

 そう言わずに助けてよ。……と言ってやりたかったけれど、生憎、ヴァルゴにガッチリ掴まれているのが怖くて声が出せない。

 

「わかった。付いていくのは鈴仙だけだな? ただし、自分の身はちゃんと守ることを約束してくれ。んで、用事が終わったら永遠亭に集合してほしい」

「はいはい、わかりましたよーっと」

「それから」

「まだなにかあるの?」

「……鈴仙にも、無理をさせないようにしてくれ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ヴァルゴの腕の力がふっと抜けた。慌てて離れて見ると、彼女はポカーンと口を開けてレオを見つめていた。

 

「……驚いた。アナタがそんなこと言うなんて」

 

 心の底から「意外だ」と感じているのが、声色でわかった。

 

「当たり前だろ。強引に結んだ契約とは言え、ソイツはオレの下僕なんだぞ」

 

 下僕になった覚えはない。

 ともあれ、驚いたのは私も同じだった。レオの口からそんな言葉が聞けるとは思わず、私もただ黙って彼を見つめていた。

 

「二人揃ってひでーな。本当なら下僕を守るのは王様の役割なんだぞ? だから、もしなにかあったら、そのときはお前がオレの代わりに鈴仙を守れ。これは絶対だ」

「〝げぼく〟って言い方を除けば、珍しく良いこと言ってるわね……」

 

 引きつった表情のまま、ヴァルゴが言った。

 私も〝げぼく〟という言い方には疑問を感じたけれど(あとレオを王様と思ったこともない)、言っていることは比較的善良である。

 

「鈴仙もだ。お前も、なにかあったらヴァルゴを守れ。いいな? 互いを守り、互いに無理をさせるな。これは命令だぞ」

「わ、わかった……」

 

 意外にも真剣な表情でそんなことを言うので、私はひとつ返事をしてしまった。

 少なくともコイツは暴君ではない。そう思った。彼の治める国が、豊かで平和な楽園になることは想像に難くない。

 

 しかし、離れる間際に命令を残してくれたことはありがたいけれど、そんな重大な責任を私なんかが背負えるだろうか?

 

 私が自問していると、レオはなにかを察したように肩を落とした。そして、ゆっくりこちらに歩み寄ると、私の頭にポンを手を置いた。

 

 彼の剛腕からは想像もつかないほどのソフトタッチで。

 

 赤子を撫でるような、臆病な手付きで。

 

「鈴仙」

「なに」

 

 しばらくの沈黙のあと、彼は言った。

 

「……ありがとな。バトルやってくれて。ヴァルゴにも、付き合ってくれて。迷惑かけるけど、頼むぞ」

「…………」

 

 ひとつひとつ、言葉を選んでいるようだった。私が目を丸くしていると、レオはバツの悪い様子でそっぽを向いた。

 

「仕方ねえだろ。アリエスが『言葉遣いが悪い』とか言うんだからさ」

「………………」

 

 彼なりに、アリエスの言葉を真摯に受け止めているらしい。そう言えば、アリエスのダメ出しを受けたときも、彼なりに言葉を選んで会話してくれていたっけ。

 

 レオは続ける。

 

「今回ヴァルゴの言う通りにしてやるのは、鈴仙、お前を信じてるからだ。さっきのバトルでお前が強いってことはわかった。だから信じる。オレの下僕としてな」

「……下僕になった覚えはないけど」

 

 まだまだ言葉遣いには難ありだ。

 レオは大きく咳払いすると、言葉を続けた。

 

「とにかく、そういうことだ。鈴仙もヴァルゴも、くれぐれも無理すんなよ」

「……うん」

 

 私が頷くと、レオはそっと手を離した。そんな彼を、ヴァルゴもまた不思議そうに見つめていた。

 

 よくわからない男だ。

 

 会議をサボって昼寝していたかと思えば、私を巻き込んで強引に「捜索チーム」を発足したり、ヴァルゴの説得を私に任せたかと思えば、今度は自分が引き受け、失敗したらまた私に押し付け、かと思えば私のことを心配したり、褒めたり……。

 

 ──大丈夫だよ。

 

 アリエスの言葉が、耳底に反響する。

 彼女は、レオのことをわかっているようだった。彼の行動に一定の理解を示していたからこそ、私にああ言ったのだろう。

 つまり、彼の意味不明な行動の数々には、なにかしらの意図があるはずなのだ。

 

 レオとヴァルゴは、集合場所や他のメンバーの状況を口頭で確認しあっていた。互いに悪態をつきながら。それでも、必要な情報は真剣に引き抜いていく。

 なんだかんだ言って、協力的なのだ。

 

「……しまったな」

 

 二人には聞こえないように、小さく呟く。

 

「レオのこと、もっとアリエスから聞いておくんだった」

 

 彼のことをもっと知りたい。

 彼の行動を理解したい。

 ソレが出来たとき、こんな私にも、なにか小さな変化があるのではないかと思った。

 

「それじゃあ鈴仙、行きましょう。時間に遅れてしまうわ」

 

 話を終えたヴァルゴが、レオに背を向けて歩き出す。彼女に置いていかれないよう駆け出してから、私はちらっと後ろを振り返った。

 そこにいた彼が小さく頷く。言葉はない。もっとも、口を開いても「行って来い」とか短い言葉で済ますのだろうけど。

 しかし、そこには彼なりの、相手への信頼や心配が込められているのだろう。

 口が悪ければ、言葉も足りない。だから無神経だと思われてしまう。

 予想でしかないけれど、今の私が思う「レオ」という男は、そういうヤツだ。

 

 ……そんなことを思っているうちに、ふと、不思議な感覚に襲われた。

 

 最初は彼と一緒に行動することを不安に思っていたはずなのに、今は、彼と離れることを酷く不安に感じている。

 この気持ちの正体はなんなのか、今の私にはわかるはずもなかった。

 

 

  続

 




 お疲れ様です。ここまで閲覧ありがとうございます。
 作者の白熊すずむです。
 ご意見・ご感想などお待ちしておりますので、お気軽にコメントしてくだされば幸いです。
 なんとなく予想がつくとは思いますが、次回は彼の出番です。
 楽しみにお待ちください。

⚫︎追記(7/16)
 誤字報告ありがとうございます。必要と感じた箇所について修正させて頂きました。
 ただ、漢字・ひらがなの件(例:「ともに」ではなく「共に」、「いる」ではなく「居る」の方が良いのではないか?)につきましては、もうしばらく様子を見てから決めさせて頂きたいです。ご協力をお願い致します。


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第三話『夏は短し恋せよ乙女座』


お疲れ様です。白熊すずむです。
動画版でも説明させていただいた内容ですが、《辰の十二神皇ウロヴォリアス》や《申の十二神皇ハヌマーリン》などが持つ『召喚時にリザーブのソウルコアを使用するタイプの封印』について、本作品では一貫して、その十二神皇の上に置かれているソウルコアを封印することとしております(アニメ『ダブルドライブ』と同じ仕様です)。
当初は動画の演出上の都合だったのですが、折角なので小説版でも引き継がせていただきます。
ご理解・ご協力をお願い致します。



 

 

  1

 

 

 湖面に反射するその姿が、どうも男のものではないような気がして、ぼくは大きくため息をついた。

 

 幻想郷に高く聳える妖怪の山の麓に、その湖はある。昼間だというのに深い霧に覆われていて視界が悪く、そのせいか、水場のわりにひとの気配をまるで感じない。

 誰が呼んだか、霧の湖。なるほど、そのままだが実に的確なネーミングだ。折角だから、その濃霧でぼくの姿も隠してくれないものだろうか。

 

 不安である。こんな姿で、彼女になんて思われるだろう?

 

 肩につかない程度に伸びた白銀の髪、白を基調とした制服、黒いショートパンツ。肩に巻き付く白いマントと相まって、なんとなく『少女騎士』という単語が脳裏に浮かぶ。

 顔立ちは完全に「女の子」のそれだ。整った目鼻立ちは美人とかわいいの中間くらいで、切れ長の大きな目は翡翠のように輝いている。

 

「……おねーさんは、どう思う? これ」

 

 ため息を飲み込んだぼくは、湖を背にして問いかける。

 目線の先で、倒木に腰を下ろしている少女が小首を傾げた。

 

「かなり“かわいい”んじゃない? うん、かわいいし、美人だ」

「オーノー……。やっぱりそうなるんだね」

 

 好意的な感想だけど、少なくとも男の子には見えないらしい。

 自分の抱いていた不安が間違っていなかったことを思い知り、眉間を揉む。仮にも男神であるぼくに、アクエリアスはなにを思ってこの器を贈ったのだろう。

 

 12宮の双子座・ジェミニ──つまりぼくは、来たる〝大切な用事〟に備えなければならないというのに。

 

「どうしたものかな……」

「前から使っていた体なんだろう? だったら堂々としていればいいさ」

 

 彼女はなんでもないように笑う。

 少女の名は、九十九弁々。楽器の琵琶に宿った付喪神だ。チャンピオンシップの予選大会で偶然ぼくと出会い、それ以降、なにかと世話を焼いてくれている。

 ショートヘアと二つ結びを合わせたような特徴的な青紫の髪に、白のシャツと淡黄色のワンピース。裾の部分がかなり透けているので見ていて心配になるけれど、本人は気にならないらしい。

 元々、細かいことを気にするような性格ではないし、だからこそ、男であるぼくがこんな女々しい恰好をしていても、笑って流してくれるのだろう。

 

「っていうか、今までも女の子の体をコピーして使っていたじゃない」

「うっ」

 

 痛いところを突かれて、体が縮こまる。たしかに、実体を維持できずにいる間、ぼくはクラウンピースという少女の容姿をコピーして使用していた。

 

「でも、あれは不可抗力っていうか……ぼくたちは波長が合う相手の容姿しかコピーできないから、仕方なくやってたんだよ。それだったら、ヴァルゴも納得はしてくれるかなと思っていたんだけど……」

 

 指先をこねくり回しながら、うつむき加減に弁明する。ちなみにだけど、ぼくとクラウンピースという女の子の間にどんな共通点があったのかは、未だにわかっていない。

 

「それ。そーゆーリアクションもちょっと女々しいよ」

「えっ、そうなの……?」

 

 ぼくが顔をあげると、お姉さんは「うん」とひとつ首を振った。女々しいという単語が心臓に突き刺さって、けっこう痛い。

 面倒見の良い大人びた人物には違いないけれど、良くも悪くもさっぱりした性格なので、こうしてぼくのメンタルを抉ってくることはままある。

 もっとも、それは紛れもなく彼女の良さではあるので、ぼくは受け入れて一緒に行動してきたわけだが。

 

「ううう……。ヤバい、お腹痛くなってきた……」

 

 腹を抱えて円背になる。それなりに覚悟はしていたつもりだったけれど、まさかアクエリアスがこんなイレギュラーを持ち込んでくるとは思わなかったのだ。

 そもそも、呼び出したはいいけど、彼女が〝星座の間〟を抜け出すこと自体、大丈夫なのだろうか? アクエリアスはちゃんと一緒にいるのか? なにか事件に巻き込まれていないといいけど……。

 ひとつ不安が生まれれば、連鎖的に次々と不安が浮かび上がってくるのがひとの真理である。これじゃあ胃が何個あっても足りない。

 

「あはは、なんだそれ。そんな調子で〝告白〟なんて出来るのかい?」

「わかんなくなってきた……」

 

 本当にわからなくなってしまった。

 

 彼女に手紙を出した時点では、それなりに勇気も覚悟もあった。だけど、自分の容姿ひとつでここまで自信を失うことになるなんて……。

 先のことを考えれば考えるほど不安になって、吐き気さえしてくる。脈打つ鼓動は不規則なリズムを刻み、手足が小刻みに震えているのがわかった。

 黄昏時まで、もう時間がない。早くメンタルを整えなければ確実に終わるというのに、一度流れ出した不安は際限なく溢れてきて止まる様子がない。

 

「ヴァルゴは、あの手紙を受け取って、なにを思ったかな……」

「そりゃあ、色々と想像はするだろうね」

 

 お姉さんは指折り数えながら、その「色々」を羅列する。

 

「まずは無難に遊びの誘い、私たち楽器系の付喪神なら練習の誘い、男同士……じゃなくてもあるだろうけど、果たし状って線も想像する。だけど──」

 

 人差し指をビシッと立てて、一番言ってほしくないことを口にする。

 

「男が女を、黄昏時なんかに呼び出したんだ。普通はなにかあるって思うんじゃない?」

「だよねぇ……」

 

 うずくまるしかなかった。

 ぼくの知る限り、ヴァルゴはそういうのに興味を示すタイプではない。だけど、さすがに想像くらいはするんじゃないかとは思っていた。

 しかし、しかしだ。レオやピオーズのような男性に対しても、まったく同じ立場でものを言ってみせるヴァルゴのことである。精神的にタフな彼女なら、これからなにが起こるかを予想したうえで、堂々と過ごしているに違いない。彼女が余裕を欠くさまを、ぼくは一度しか見たことがないのだ。

 そんな彼女の前で、こんな挙動不審な姿を見せるわけには……。

 

「おねーさん! ぼく、どうしたらいいと思う⁉」

 

 ガバッと顔を上げて、藁にもすがる思いでお姉さんに問いかける。天女と見紛う美貌を持つ彼女のことだ。そういう経験の一つや二つあるだろう。だったら、なにか適切なアドバイスを貰えるのではないか。

 しかし、ぼくの予想とは裏腹に、お姉さんは腹を抱えて笑いだし……。

 

「むりむり! 私はコイバナなんて縁のない生活を送ってきたからわかんないよ」

「そんな……」

 

 嘘でしょ? こんな美人が恋の話題にあがらないなんて、どうなっているんだ幻想郷。

 愕然と立ち尽くすぼく。すると、お姉さんは「うーん」と唸り、折り曲げた人差し指で自身の唇を押さえた。

 

「正直、『見た目が女々しいのがなんだ』って気がするけどね」

「へ……?」

 

 その発言に、思わず上ずった声がでた。

 女々しいのがなんだ……?

 

「だってさ、確かにかわいい見た目してるけど、ジェミニが男だという事実は変わらないだろう? それに、かわいいってのは間違いなく〝魅力〟じゃないか。なんでそれを悩む必要がある? かわいかったら女の子にフラれるのかい?」

「そ、それは……」

「私はむしろ、今のジェミニがフラれる要素は見た目以外のとこにあると思うよ」

「……」

 

 それはそうだ。誰だって、こんなウジウジした男とは付き合いたくないだろう。お姉さんが言っているのはそのことに違いない。

 

「……だけど、どうしたらいいのさ? ぼくは、今のぼくに自信がないんだ。今からものの数十分で、ソレを手に入れることなんて出来ないよ」

「なに言ってんだよ」

 

 お姉さんがぼくの背中をバコンと叩くので、思わず情けない声が出た。彼女、腕に重たそうな鎖を巻いているだけあって、それなりに力が強いのだ。

 

「やめてよ。怪我したらどうするのさ」

「ごめんごめん、気合い入れてやろうかと思って」

「気合い……?」

 

 首を傾げるぼくに、お姉さんは「ああ」と指を突きつけた。

 

「今から自信をつける必要なんてない。アンタ、本業は道化師だろ? だったら演じてみせな。魅力的に、堂々と。ヴァルゴが惚れてしまうような〝男〟ってやつをさ」

「演じる……?」

「ああ、そうだ。演じるだけなら、今からでも出来る。理想の自分を思い描いて、あたかもソレが実現したように振る舞うんだ。結果はあとからついてくるよ」

「…………」

「アンタにはそれが出来るはず。違うかい?」

 

 彼女の真っ直ぐな瞳は、まるで魔法のようにぼくの心にス──っと入り込んできた。

 

 そうだった。双子座の12宮・ジェミニは、嘘と実を司るエンターテイナー。皆を楽しませるために、痛くても怖くても、ずっとピエロを演じてきた。

 ぼくはお姉さんの言葉を反芻した。魅力的に、堂々と、ヴァルゴが惚れてしまうような男を演じる。ただ、それだけ──。

 

「……なんだ、そんなことか」

 

 そんなことなら、ぼくにだって出来る。いいや、ぼくだからこそ出来る。

 虚勢をはり、汗をかくし、笑顔の仮面を身につけて。ただ──今日のお客様が、ぼくの恋した女性だというだけのこと。

 

「いいね、いい目だ」

 

 どんな目かな? お姉さんの満足げな笑顔を見れば、少なくとも、そんなに情けない目はしていないだろうと思えた。

 

「サンキュー、お姉さん。ぼく、やってみるよ」

「その意気だ。頑張りなよ、ジェミニ」

 

 お姉さんはぼくの胸をドンと叩いた。力強いけど、決して痛くはない。

 

「それじゃあ、私は先に永遠亭に向かってるよ。アクエリアスの情報が確かなら、あそこには異変解決に奔走している連中が集まってるはずだからね」

「え! 行ってしまうのかい?」

 

 思わず詰め寄った。覚悟が決まったとは言え、ここまで一緒に行動してきた彼女が急にいなくなってしまうのは心細い。

 しかし、お姉さんは皮肉っぽく笑うと、かなりごもっともな意見でぼくを黙らせにきた。

 

「女と一緒にいるのを見られたら、あらぬ誤解を招くだろ?」

「う……」

 

 それは、確かにそうかもしれない……。

 繰り返しになるが、彼女は相当な美人だ。自分に告白してきた男がこんな女性と一緒にいるのを見たら、なにをどう誤解したって仕方ないだろう。

 ぼくはうつむいて考えたけど、彼女の言うことは正しく思えた。ヴァルゴの気分を害するのは不本意だし、ここはぼく一人で頑張るしかない。

 

「そうだね……。それじゃあお姉さん、少し寂しいけど、またあとで会おう」

「ああ。あっちでいい報告が聞けることを期待してるよ、ジェミニ」

 

 二人で固い握手を交わしたあと、お姉さんは黙って湖から立ち去ってしまった。

 カッコいい背中だと思った。短い間だったけど、彼女と二人でいられた時間は、ぼくにとって大切な宝物だ。

 

 彼女の背中を見送ってから、ぼくは大きく深呼吸する。

 

 黄昏時まで、もう時間がない。彼女が百パーセント来てくれるという保証もないけど、今は信じて待つんだ。

 不安な気持ちは、もうどこにもない。

 

「はやくキミに会いたいよ。ヴァルゴ」

 

 

 

 

 黄昏時になると、ひとの思考や判断能力は低下すると言われている。

 

 一時的にレオと別れ、幸いにもなんのトラブルもなく霧の湖へと辿り着いた私は、数時間前に脳裏をよぎった言葉を思い出していた。

 幻想郷の夕刻は、美しく焼けた空が視界いっぱいに広がる。昼でも夜でもない幻想的な薄暗さが脳を痺れさせ、蓄積された疲労が夢と現の境界線を曖昧にさせていた。

 雑木林の影から、ヴァルゴを見守る。「一人でいいから、鈴仙は引っ込んでなさい」と言ったのは彼女。だから、私は悪くない。

 

「…………」ジェミニと対面したヴァルゴが硬直している。

「…………」彼もまた、「困ったな」と言うようにこめかみの辺りを掻いていた。

 

 美しい白銀の髪、白を基調とした制服。切れ長の大きな目は翡翠のように輝いており、肩に巻き付く白いマントも相まって、『少女騎士』という単語を連想させる。

 

 さて、ここで問題です。

 

 私は今、二人のうち〝どちらの容姿〟について述べたでしょうか?

 

 

 正解は両名である。

 

 

 驚くべきことに、二人はほぼ似通った容姿をしていたのである。

 

 美しい白銀の髪、白を基調とした制服、切れ長の大きな目、白いマント。

 違いがあるとすれば、髪型とボトムスだ。ヴァルゴは髪が肩甲骨に被さるまで伸びているし、ボトムスには黒のスカートを着用している。対して、ジェミニの髪は肩にかからない程度のスッキリしたもので、動きやすそうなショートパンツを身に着けていた。

 とは言え、微々たる差である。だからこそヴァルゴは硬直しているのだろう。

 

「それにしても、アレで男だって言うんだから驚きよね……」

 

 ひとの容姿をとやかく言う趣味はないが、どう見ても女性としか思えない彼こそが双子座の12宮・ジェミニ。ヴァルゴの言う〝気になる相手〟であり、待ち合わせに黄昏時の湖を指定したロマンチスト。

 見た目からは気の優しそうな少年という印象を受けるが、さて……?

 

 固唾を呑んで、二人の動向を見守る。

 沈黙を破り、最初に口を開いたのはジェミニだった。

 

「……ソーリー。あんまり綺麗だったから、言葉が出てこなかったよ」

 

 細くなった目が、三日月のように緩やかな弧を描く。台詞自体は中々キザだが、それでも彼にそうした印象を抱かずに済んだのは、照れくさそうに丸まった頬のおかげだろう。

 

 ヴァルゴはなにも言わない。

 

「言うのが遅くなってゴメン。久しぶりだね、ヴァルゴ」

 

 両手を後ろで組み、温かな微笑みを湛える彼。両手を後ろで組む姿勢の真理は、女性であれば『落ち着いているサイン』として捉えることが出来るが、男性だと逆に『緊張しているサイン』になってしまう。

 ジェミニのソレがどちらか見当がつかないのは、その愛らしい容貌のためだろう。

 

 ……ヴァルゴは、なにも言わない。

 

 彼は続ける。

 

「会えて嬉しいよ、ヴァルゴ。ずっとキミのことを考えていたんだ」

 

 前のめりになって笑みを浮かべる彼からは、意外なほどの攻めっけの強さを感じる。

 こんな擽ったい台詞をさらりと口にできるのは、皮肉なしでスゴいと思うのだが……。

 

 はたして、ヴァルゴはなにも言わない……。

 

「……ヴァルゴさんはなにをしているの?」

 

 焦れったくなって、木陰から僅かに身を乗り出した。

 せっかくジェミニが好意を口にしてくれているのに、返事の一つもないのはどういうことだろう。緊張しているのは分かるが、無視を決め込むのは完全に悪手だ。

 なんでもいい! ひと言でいいから返事をしろ! 私が強く念を送れば、どうしたことだろう。ヴァルゴは静かにため息をついた。テレパシーが通じたとでも言うのか。

 

「……久しぶり。早速で悪いのだけど、少しだけ待っていてもらえる?」

「おぉ」ついに口を開いた彼女に、驚嘆の声が溢れた。

 

 結構クールな返しだ。表情も落ち着いているように見えるし、想い人の前でも冷静さを失わなかったのは高得点である。

 なるほど。ここまで黙っていたのは、自分を落ち着けるためだったのか。納得した私が満足げに首を振っていると、スタスタスタ……と、誰かが近づいてくる足音が聞こえた。

 

「え……」

 

 なぜか、ヴァルゴがこちらに戻ってくる。彼女は無言で私を連れ去ると、湖からほんの少し離れた位置にある大木まで歩みを進めた。

 

「あのっ、ヴァルゴさん? なに? どうしたんですか?」

 

 湖側から見て、大木の裏手側。夕日が零れ落ち、静寂の世界が広がる。

 立ち止まった彼女は、私の両腕をガッチリと掴んだ。

 

「む……無理……」

「は?」

 

 なにが?

 

「か……カッコよすぎて、無理ぃ……!」

「……」

 

 は?

 

 寂しく漂う風に、一枚の木の葉が舞った。

 何を言っているのか分からない。その真っ赤な顔は夕焼けのせいか?

 

「あの……もう一回いいですか? なにが無理ですって?」

「だ、だから……! じぇ、ジェミニが……あ、あんなカッコいいこと言うから……!」

「……無理?」

「無理ぃ……ポーカーフェイスできない……」

 

 泣きじゃくる彼女を前に、思わず眉間を揉みまくった。

 

 付いてきて良かったと心から思う。数時間前に「私の頭は黄昏時になってもバッチリ覚めている」などと言っていたのは誰だったか、今となっては見当もつかない。

 しかし、はて。どうしたものか。あんなキザな台詞の数々を自身満々に口にできる彼の姿は、ヴァルゴが感じた程ではないにせよ、私の目にも魅力的に映った。

 となれば、元々彼に好意を抱いているヴァルゴには破壊力が強すぎる。これでは黄昏時効果もなにも関係ない。早朝だろうが真っ昼間だろうが、彼女はジェミニと対面した瞬間に正常な思考と判断能力を失ってしまうだろう。

 

「かと言って……このまま帰るわけにはいきませんからね……」

「ううう……分かってるわよぉ……」

 

 ハナミズを拭け。

 ヴァルゴにティッシュを渡す傍らで考える。とりあえず、黙っていればボロが出ることはなさそうだが、それでは彼が報われない。

 初めて、レオの存在を恋しく思った。こんなとき彼がいてくれたら、なんだかんだ道を示してくれたに違いない。それを彼女が聞き入れるかは別の話だが……。

 ここは、前提から変える必要があるだろう。

 

「……そもそも、『彼がこれから告ってくるかもしれない』なんて思っているから、過剰に意識してしまうのかもしれません」

「ううっ……つまり……?」

 

 私は指を立てた。

 

「手紙には、霧の湖でアナタを待っているとの旨が記されているだけでした。要件までは書かれていなかったわけです。つまり、黄の12宮同士の因縁で、決闘を申し込まれたりする可能性だってあると思います」

「け、決闘……?」

 

 ヴァルゴはポカンと口を開けた。

 突拍子もない推理だが、この際、内容はどうでもいい。要はヴァルゴを焚きつけてやることさえ出来ればいいのだ。

 私は続ける。

 

「ええ。よく考えたら、黄昏時効果ってバトルにも応用できると思いますし。それに彼は男です。常に上を目指したがるのは、殿方の性でしょう? 同じ黄の12宮として、自分の方がアナタより優れていることを示したいという気持ちはあると思います」

 

 偏見も甚だしい理論である。だが、ヴァルゴはこれをすんなり聞き入れ……。

 

「な、なるほど……?」

 

 多少の疑問符は付いているが、その目は微かに輝きを帯びていた。

 決闘、決闘……。と、私の言葉を反芻するように繰り返す。やがて、彼女は泣きじゃくるのを止めたかと思うと、唐突に私の両手をガシイっ! と掴んで引き寄せた。

 

「それなら平気だわ! 私の方が黄の12宮として優れてるってとこ、見せてやる!」

「あの、あくまで『それくらいの気持ちで行け』って意味ですからね? ヴァルゴさんから本当に決闘を申し込んだりしないでくださいよ」

 

 彼女の目に闘志が宿っているのが見え、慌てて補足する。「わかってる! 大丈夫!」と駆け出して行く彼女。はてさて、本当に大丈夫なものか。

 しかし、あれだ。黄昏時効果というのも案外ばかにならないものである。レオのようにはいかないが、私も条件さえ揃えばひとを動かせるんだなぁ……。

 

 ヴァルゴのあとを追って、再び湖へ到着する。ちょうど、ヴァルゴがジェミニの前に戻ろうというところだ。適当な木陰に身を潜め、私は成り行き見守ることにしよう。

 彼は湖を見ている。ヴァルゴが戻ってきたことに気づいていない。

 

「待たせて悪かったわね、ジェミニ」

 

 待ち人の声に、ジェミニが肩を震わせた。

 彼女が浮かべる余裕たっぷりの表情に、期待が膨らむ。どうやら、今度こそまともに会話が成立しそうだ。

 

 ──と、思っていた。

 

「やあ、ヴァルゴ。用事は済んだのかい?」

 

 私たちは思い知らされた。

 この世界には〝見返り美人〟という言葉がある。振り返って横顔を見せる後ろ姿が美しい女性を指す言葉で、有名な浮世絵版画のタイトルになっていることでも有名だ。

 彼は──いや、彼女か──……? とにかく、それにピタリと当てはまっていた。

 振り返った彼女──ではなく彼──が見せた笑顔の、その凄まじい攻撃力たるや。

 風にそよぐ白銀の髪、整った目鼻立ち、彼の後ろで夕日を反射させ煌めく水面。遠目から見ていた私でさえ、あまりの美しさに顔が熱くなっていく。

 まて。私でさえコレだ。ということはつまり……。

 

「~~~~っ!?!?!?」

 

 はい。

 

 一目散に逃げ帰ってきたヴァルゴが、私を掴んで大木の裏まで再び突っ走る。予想通りというか、もう何も言うまい。

 

「むっ……! 無理ムリむり無理無理むりムリ無理ぃ!!!」

 でしょうね。「あれは確かに卑怯です」

 

 今回ばかりは、顔を隠してうずくまるヴァルゴに同情せざるを得ない。彼の見返り姿を思い出すだけで顔が熱くなる。アレ、本当に男か?

 むしろ、アレで男という事実があるからこそ、彼がより魅力的に映るのだろうか。

 

「かふっ……か、かか、かわいすぎる……げほっ……」

 

 かわいすぎて咳き込むひとを初めて見た。

 これはいけない。対策。早急にアレの対策を考えなければ。このままだとヴァルゴがのぼせ上がってしまう。

 

「頑張りましょう、ヴァルゴさん。遅くなるとレオに心配されますよ」

「うう……」

「黄昏時の間にキッチリ終わらせるんでしょう?」

「で、でもぉ……」

 

 ヴァルゴは瞳いっぱいに涙を溜め込んで、情けない声をあげる。

 あんなヤツに心配されるなんて! と立ち上がることを期待したが、無理。差し伸べた私の手を、彼女は中々とってくれない。

 そもそも、ジェミニの用事がなんなのかも判明していないのに。今ここでは私が困っているが、彼だって何が起こっているのか分からず困っているに違いない。

 ついでに言うと、このままでは帰りが遅くなってレオも心配する。なんだか時間をドブに捨てるような気分だ。

 

 仕方ない。奥の手だが、正攻法が通じない以上は私の【能力】で……。

 

「ヴァルゴ? 大丈夫かい?」

「えっ」

 

 ヴァルゴの瞳を覗き込もうとしたとき、大木の影からジェミニが顔を覗かせた。

 

「ん!」うっかり彼と目が合い、慌てて能力を解除する。感情の波長を操作してヴァルゴを落ち着かせる算段だったが、彼に使用しても意味がない。

 それにマズい。私の存在が彼にバレてしまった。別にやましい事はないが、事が済むまでは影に隠れているつもりだった。まさか彼の方から追いかけてくるなんて……!

 だが、冷静に考えれば、待ち人がいきなり走り去ってしまったのだ。心配して後を追いかけるのは自然な流れ。そんなことも思いつかないとは、これも黄昏時の影響か?

 いや何でも黄昏時効果のせいにするのやめない? いやいや、実際に今日は徹夜明けであって、アリエスのお陰で普通に動けてるけどそりゃ頭だってぼんやりしますとも。

 

 脳ミソの中で意味の分からない問答が展開されていく。

 思考がやられてパニックになっている私に、ジェミニはこくんと首を傾げた。

 

「ヴァルゴのお友達かい?」

「え! あ! はい!」

 

 なぜか姿勢を正しての返事。恐るべきは、やはり彼の仕草と笑顔の愛らしさよ。

 ヴァルゴもそれにやられたのか、両手を口を抑えて「かわいい~~っ!」のサイン。

 二人とも挙動不審に関わらず、彼は気に留める様子もなく「そっか」と呟いた。

 

「ぼくはジェミニ。双子座の12宮だ。ナイストゥーミーチュー」

「ど、どうも……」

 

 ジェミニと軽く握手を交わす。細くしなやかでありながら、ヴァルゴよりも線にやや厚みのある手。男女の性差を超越したような握り心地だ。

 しかも、近くで見ると尚更にかわいい。ヴァルゴもそうだが、顔だけでも一生食うに困らなさそうである。少年のような声からも温和な人柄が伝わって──。

 

「はっ」ヴァルゴの視線を感じ、すぐに手を離した。凄まじいプレッシャーだ。こんなことで命を失うのは惜しい。とりあえず弁解を……。

 

「あの……。私、単独行動は危険だからって、レオに言われて。それで、色々あったんですけど、ヴァルゴさんに付いていくことになって」

 だいぶ省いてはいるが、概ねその通りに伝える。「二人の邪魔をするつもりはなかったので、隠れて見守っていたんですけど……」

「そうなんだ」

 

 余計なことを言ったと思い、私は口を塞いだ。見守っていたと言えば聞こえはいいが、実際はただ覗き見ていただけだ。そんなものは騒ぎに群がる野次馬となにも変わらない。だというのに。

 

「サンキュー。ヴァルゴを守ってくれていたんだね」

 

 彼はまるで意に介する様子もなく笑顔を浮かべた。聞き漏らした線も考えたが、彼は明確に「そうなんだ」と返事をした。だから私も気付いた。

 

「呼び出しておいてなんだけど、ぼくも少し心配していたんだ。でも、キミというボディガードがいてくれた。本当によかったよ」

 

 ほっと胸を撫で下ろす彼は、心底安心したという顔をしている。なんて純朴な少年だろう。彼はひとの無礼を寛大に許す度量を持っているだけでなく、来たる待ち人の心配をする心優しさを兼ね備えているのだ。ヴァルゴが想いを寄せるのも頷ける。

 ……逆に、こんな彼を前にして、今も顔を真っ赤にして黙りこくっているだけの彼女には少し腹が立ってくるが。

 

「あの、それでジェミニさん」

「なんだい?」

「ヴァルゴさんを呼び出した理由って、結局なんなんですか?」

 

 彼の優しさに触れて、逆に黒い心が芽生えてくる。後ろで逃げ出そうとする彼女の腕をガッチリ掴み、無理矢理にでも話を進めてやろうと思い至った。

 

「二人きりの方がいいなら、私は席を外しますよ」

 

 邪悪とも受け取れる笑顔で、ジェミニに問いかける。これ以上、この心優しい少年を待たせることは許さない。ヴァルゴには腹をくくってもらおう。

 もはや答えを待つまでもない。彼は完全に〝脈あり〟だ。それはここまでの言動からして明白。呼び出し理由も告白で決まり。私はすぐにでも席を外すことになるだろう。

 

「いや、構わないよ。キミもここで見ていてほしい」

「ええ、それじゃあ私はお暇して──」

 

 ……え?

 

「「え?」」

 

 私とヴァルゴの声が重なる。

 すると、彼は制服の胸ポケットから、黒いカードの束を取り出した。

 

 ──バトルスピリッツだ。

 

「ヴァルゴ。ちょっと、ぼくと勝負しないかい?」

「勝負……?」ヴァルゴが呟くと、彼は柔らかく頷いた。

「お互い、緊張しているみたいだし」

「…………」

「ぼくの口から言いたいことがあったんだけど、やっぱり緊張しちゃって。でも、バトルフィールドでなら、ハッキリ言える気がするんだ」

「…………」

「キミも緊張してるってゆーのは、予想外だったけどね」

 

 そう言って苦笑を浮かべる。バトルスピリッツでの対戦を所望するのはお互いの緊張を緩和するためだというが、私には彼が緊張しているようには見えない。

 やはり、気を遣って──? だとしたら、どこまで心優しいのだろう。

 

「どうかな。この辺りはね、いつもは暗くなると妖怪たちが遊び場にするんだ。なのに、今日は誰も来ない。まるで誰かが舞台をセッティングしてくれたみたいだ」

 

 言われてみればその通りで、いつもなら妖怪たちが遊び場にする場所なのに、今日は誰もいない。夕焼けの映える静寂の森……。実に神秘的で神々しい空間だ。

 運命という他ないが、ヴァルゴは恥ずかしそうにそっぽを向いている。覚悟を決めるには少し足りなかったらしい。野次馬たちが寄ってくる前にけりをつけた方が身のためだと思うのだが……。

 仕方ない。こうなれば私が、レオを見習って彼女を焚きつけるしかないか。

 

「それに、同じ黄属性の12宮同士。ここで優劣を決めてしまうのもありだろう?」

 

 ──なんてことはなかった。ジェミニは口角を吊り上げて悪い笑みを浮かべる。こうして焚きつけるのが一番手っ取り早いと考えたのは、彼も同じだったのだろう。

 

「優劣……?」ピクリと、ヴァルゴの肩が震える。

「……上等じゃない!」

 

 途端に躍起になったようで、彼女もまた胸ポケットからデッキを取り出した。承諾してくれたということで一安心だが、なんだろう。意外と乗せやすいぞ、この負けず嫌い女神……。

 

「アンタの用事がなにか知らないけど、そーゆー話ならノッてやるわ! 私を相手に優劣をつけようとしたこと、後悔しなさい!」

「サンキュー! 勝負してくれるんだね、ヴァルゴ!」

「うがーっ! そのスマイルが腹立つのよ! もう! さっさと勝負するの!」

 

 真っ赤な顔で拳をブンブン振り回すヴァルゴ。ダメだジェミニ。余計なことは言わず、さっさとバトルフィールドに移った方がいい。

 ともあれ、これでようやく話が進むはずだ──進む──のか? 本当に?

 前途多難。ごめんねレオ、帰りは少し遅くなりそう。額を押さえる私を他所に、二人の叫び声が茜の空に響き渡った。

 

「「ゲートオープン、界放!」」

 

 

  3

  

 

 ヴァルゴとジェミニのバトルは、前回と同じく簡易型フィールドを使って行われることになった。

 夕暮れの森を舞台に、両者はデッキから四枚のカードを手に取る。

 盤上には、透き通った青色の宝石。『コア』と呼ばれるものだ。バトルスピリッツの主役となるスピリットたちの召喚や、ネクサスの配置、マジックの使用などを可能にする代物で、まさにゲームの要と言うべき存在である。

【カード+コア】で繰り広げられるこのカードゲームは、数年前に幻想郷へ持ち込まれて以来、今やスペルカードルールにも並ぶ『新しいルール』として皆に受け入れられている。

 

「キミの先攻でいいよ」

「ふ、ふんっ、その澄まし顔、すぐにへし折ってやるわ」

 

 ヴァルゴが慌ててそっぽを向く。ジェミニの爽やかな微笑みは、どうも彼女が直視するには眩しすぎたらしい。

 ときとしてこんな状態で行われるのも、バトルスピリッツの面白さの一つである。まともなバトルが展開できるかという疑問については、目を瞑って頂きたい。

 

 さて、先攻はヴァルゴだ。

 

「私のターン。スタートステップ」

 

 バトルスピリッツの一ターンは、スタートステップ→コアステップ→ドローステップ→リフレッシュステップ→メインステップ……と進行していく。ただし、一ターン目だけは例外的にコアステップがない。

 

「ドローステップ」

 

 デッキから一枚ドローしたヴァルゴは、「むむむ……」と難しい顔を見せた。手札に嫌われたのだろうか? だとしても顔に出すのは頂けない。

 彼女は二秒ほど手札とにらめっこした後、「メインステップ」を宣言した。

 

「《白猿のシャラバ》をレベル1で召喚」

 

 提示されたカードが盤面に置かれると、白毛の小猿が戦場に出現する。ヴァルゴは黄の12宮なだけあり、使うデッキも黄属性がメインとなっている。

 

「さらに、ネクサス《夢中漂う桃幻郷》を配置」

 

 さらにカードを提示すると、彼女の背後に霧深い仙境が現れる。《夢中漂う桃幻郷》は優秀なドロー効果を持つネクサス。序盤に配置できたのは大きいだろう。

 しかし、彼女はどうも浮かない様子だ。

 

「……ターン、エンド」

 

 向かい合うジェミニを視界に入れぬまま、なんとも歯切れの悪い宣言。手札は悪くなさそうだし、単に正面切っての対話に緊張しているのだろう。

 伝えたいことがある──なんて言われた手前、余計に意識してしまうのも無理はない。

 

「ヴァルゴさん、大丈夫です! 落ち着いていきましょう!」

「ふぎっ⁉ う……わ、わかってるわよ!」

 

 ガクッと震えた彼女を見て、しまったと思う。エールを贈るつもりが、逆に緊張させてしまったらしい。

 

 しかし正直、正面に〝好きな人〟がいる感覚なんて分からないのだから仕方ないと言わせてほしい。私は殿方に恋情を抱いたことがないのだ。

 さっきのジェミニのような美しいものを目にして、頬が熱くなることはある。ただ、そこからどうしても「好き」という感情に繋がらない。

 友情、憧れ、信頼。そういう関係との違いは何なのだろう?

 胸の前で腕組みする。ひとの気持ちを汲み取ることが上手な輝夜様なら、こんなときなんて言うだろう? 自分には理解できない感情を持ち、あまつさえソレに振り回されている相手を落ち着かせることなど、私なんかに出来るのだろうか。

 

「いいかい? それじゃあ、ぼくのターン」

 

 今度はジェミニがドローする。そうだ。私やヴァルゴがいくらジタバタしたって、彼は待ってくれない。

 今は深く考えずに、バトルの流れに身を任せてしまうのもありだろう。

 

「メインステップ。《メロフーリン》と《果物人ストロ・ベリィ》、カモン!」

 

 ジェミニがスピリットを召喚する。イチゴとメロンとは、なんとも女の子の喜びそうなラインナップではないか。やっぱり意識してるのかな?

 

「《果物人ストロ・ベリィ》の召喚時効果、【増食】発揮! 自分のデッキを上から二枚オープンし、その中の系統「漂精」を持つコスト2以下のスピリットカード一枚を、コストを支払わずに召喚できる!」

 

 彼の宣言に合わせて、デッキの上からカードが捲られる。その中に。

 

 ──《子の十二神皇マウチュー》。

 

「十二神皇⁉ まさか、アンタも……!」

「……ナイスだ! よく来てくれたね!」

 

 そのカードを手に取ったジェミニは、声高に叫んだ。

 

「それでは皆様! 当デッキのエースにして、本日最高のサプライズをご覧に入れましょう! ショウ・マスト・ゴー・オン! カモン! 《子の十二神皇マウチュー》!」

 

 突如暗闇に包まれるフィールド。その一点を、無数のスポットライトが照らし出す。そこへ闇を弾くようにして現れたのは、シルクハットをかぶり、マジシャンを思わせる奇抜な衣装に身を包んだ人型のネズミであった。

 

「これが……《子の十二神皇》……?」

 

 私は目を見開き、予想打にせぬ小ささのスピリットを凝視していた。

 正にサプライズ。ヴァルゴの《ハヌマーリン》に続き、今日だけで二枚目の発見である。これはかなりの好ペースだし、レオや皆にもいい報告ができる。

 

「ふんっ、なにが《子の十二神皇》よ。ただの小型スピリットじゃない」

「オーノー。なんだかツレナイ反応だねヴァルゴ。言っておくけど、《マウチュー》は小さくても戦士としては超一流だよ。キミを満足させるだけの実力があることは約束しよう。むしろ──」

 

 ジェミニが、口角を高く吊りあげた。

 

「油断していると、すぐに戦いが終わってしまうかも」

「──っ?」

 

 対するヴァルゴは、警戒するように一歩後ずさる。彼の眼光は、それまでの温和な態度からは想像もつかないほどに鋭かったのだ。

 それは、蛇に睨まれた蛙のように。ヴァルゴはどこか恐怖を孕んだ表情で、額に汗を浮かべていた。

 

 

 それからは一進一退──と言えれば良かったが、明らかにジェミニが優勢でバトルが進んでいった。

 ヴァルゴがカウンターしてみせても、ジェミニがさらなる一手を仕掛ける。【増食】やそれに紐づいて発動する能力によってスピリットが大量に召喚され、次々と彼女に押し寄せてくるのだ。その様子は、どこか餌に群がるネズミを連想させた。

 ヴァルゴは〝攻め〟のプレイスタイルを得意としているが、ジェミニはさらにその上を行っている。完全に彼女を手のひらで転がしているように見えた。

 

「《子の十二神皇マウチュー》でアタック!」

「ここで《メロフーリン》の効果発動。バトル終了時、残念だけどこのスピリットは破壊されてしまうんだ」

「《ロボロフ》の効果で、ライフのソウルコアと《ロボロフ》のコアを入れ替えて一枚ドローするよ」

「フラッシュタイミング! マジック《マジシャンズポーション》! キミの《シャラバ》をBPマイナス2000して、ぼくの《トラペイズマウス》を回復させる!」

 

 結果、あっという間にヴァルゴのライフは残り一つになってしまった。

 しかし、ヴァルゴもなんとか彼に食らいついていく。

 

「《白猿のシャラバ》でブロック! マジック、《バトルキャンセル》! BPを比べずにこのバトルを終了させるわ!」

「《申の十二神皇ハヌマーリン》を召喚! 【封印】の効果でソウルコアをライフへ!」

「フラッシュタイミング! 《猿道士オンコット》の【アクセル】で黄のスピリットにシンボルを追加! さらに《美食の妖精ロゼット》の効果で一枚ドロー!」

「《ハヌマーリン》の効果で、《庚の猿王ヴァーリン》をノーコスト召喚! コイツも《オンコット》の効果でダブルシンボル! さらにフラッシュタイミング──」

 

 激しい攻防のために、振りすぎた首にそろそろ痛みを感じ始めた頃、再びヴァルゴにターンが移った。

 現在、第五ターン。ジェミニのフィールドにはレベル3の《マウチュー》とレベル1の《トラペイズマウス》が一体ずつおり、手札は二枚。ネクサスやバーストはなし。ソウルコアはフィールドとライフを数回往復した後、現在はマウチューが抱えるに至った。

 そして、残りライフは三つ。

 

 対するヴァルゴのフィールドには、レベル2の《ハヌマーリン》一体が存在するのみ。ネクサスは《夢中漂う桃幻郷》が配置されており、手札は、このターンのドローステップで引いてきたものも合わせて四枚。バーストはなく、ソウルコアは、最後のライフとして【封印】されている。かなり追い詰められている印象だ。

 

「《白猿のシャラバ》をレベル2で召喚。《桃幻郷》の効果で一枚ドロー」

 

 引いたカードを確認したヴァルゴが、小さく「来た……」と呟く。それは僅かな震えと極まった喜びを帯びているように思えた。

 彼女は、引いてきたカードを堂々と天に掲げる。

 

「見せてやるわ! 天地を切り裂く魔神の力! 異魔神ブレイヴ、《天魔神》召喚!」

 

 戦場に出現した二つの魔法陣が重なり合い、強烈な光を放つ機械天使が降臨する。私とのバトルでは召喚されなかった異魔神ブレイヴの登場に、驚きを禁じえない。

 

「隠し玉って感じね……」

「マーベラス! キミにピッタリな美しい異魔神だ!」

「うつくっ……! ああもう! 《ハヌマーリン》を《天魔神》の右側と合体!」

 

 なにに動揺したのかは疑いの余地もないが、とにかくヴァルゴは《天魔神》のカードと《ハヌマーリン》を重ね合わせる。〝合体〟と聞けばメカメカしいが、その実態は機械天使と大猿が一筋の光線で結ばれるという神々しいものである。

 

「アタックステップ! 行きなさい《ハヌマーリン》!」

 

 ヤケクソ気味に放たれる指示。それでも、巨猿の雄叫びは勇ましく響き渡る。駆け出した《ハヌマーリン》に合わせるように、《天魔神》の手のひらで魔法陣が展開された。

 

「天魔神のアタック時効果で、BP6000以下の《マウチュー》を破壊!」

 

 放たれたレーザーが奇術師を貫く。「さらにフラッシュタイミング! 《猿道士オンコット》のアクセルを使って、黄のスピリットすべてにシンボルを追加するわ! さらにさらに《ハヌマーリン》の効果で、《オンコット》をレベル2で召喚!」

 

 その《ハヌマーリン》で《オンコット》を使うパターンが、ヴァルゴの十八番なのか。

 

「だけど! 今回はこれだけじゃないのよ! ここで《ハヌマーリン》の【封印中】の効果発揮! ジェミニ! アンタのレベル1と2のスピリットはブロックが出来ない!」

 

《ハヌマーリン》の剛腕から放たれる電撃が、ジェミニのスピリットを痺れさせる。

 

「ナイスだ! 上手く《トラペイズマウス》を封じてきたね」

「だーもう! そのスマイルをやめろ! いちいち褒めるな! 追い詰めてる感がなくなるでしょーが!」

 

 さもありなん。

 私に言わせれば、ヴァルゴの愛らしいリアクションも原因の一端ではあるが。

 

「と・に・か・く! これで《ハヌマーリン》はトリプルシンボル! そしてアンタはブロックできない! ライフは残り三つ! 私の勝ち! いい⁉」

 

 ヴァルゴは人差し指を突き立てて、何度も何度も腕を振りまくる。その姿はまるで癇癪を起こした稚児のごとし。頼むからちょっと落ち着いてほしい。

 

 ともあれ──。

 

「どうかな? フラッシュタイミング! マジック、《ディフェンスネビュラ》!」

 

 やはり、ジェミニの方が数枚上手なようで。

 どこからともなく伸びてきた鎖が、《ハヌマーリン》に纏わりついた。

 

「《ディフェンスネビュラ》の効果は、このターンの間、キミのスピリット一体のレベルを1に下げてしまうというものだ。当然、ぼくは《ハヌマーリン》を指定するよ」

「──ってことは」

 

 みるみるうちに青ざめていくヴァルゴの顔を見て、私も状況を理解した。

 

「そう。キミの《ハヌマーリン》が持つ『ブロックできない』能力は、レベル3にならないと発動しないよね」

 

 これが狙いか。

 

《トラペイズマウス》が痺れる体を振り払い、弾むように飛び跳ねる。「これでぼくのスピリットたちは自由の身だ。《トラペイズマウス》にブロックしてもらおう」

 十二神皇の剛腕は、小さなネズミであろうと全力全開で殴り飛ばす。まるでゴムボールのようにボヨンボヨンと転がりまわったあと、《トラペイズマウス》はボフウッと大量の煙を撒き散らして消えた。が、しかし。

 

「《トラペイズマウス》の破壊時効果! ぼくの手札かトラッシュから、系統「漂精」を持つスピリットカード二枚までを、コストを支払わずに召喚できる! カモン! 《メロフーリン》、《子の十二神皇マウチュー》!」

 

 ジェミニの大振りなアクションに合わせて、粉塵の中から、手品のようにスピリットたちが飛び出してくる。

 

「っ──また」

「【封印】! 《子の十二神皇マウチュー》のソウルコアを、ぼくのライフへ! そしてこの瞬間、トラッシュにいる《トラペイズマウス》は、ソウルコアが封印されたことで復活する!」

 

《マウチュー》がソウルコアをジェミニへ投げ渡し、最後に《トラペイズマウス》が煙から舞い戻る。三体のスピリットはじゃじゃーんと言わんばかりにポーズを決めた。

 なるほど、《ハヌマーリン》の強烈な一撃すら、ギリギリのコア捌きでエンターテイメントに昇華したというわけか。小さくても戦士として超一流とは、まさに言葉通りの意味だったわけである。

 

「っう……っ、ううううううううう……‼」

「……え、ヴァルゴ⁉」

 

 ぎょっとした。楽しそうなネズミたちとは正反対に、ヴァルゴは文字通り全身を震わせ、弾けんばかりに拳を握りしめている。いけない。あまりに攻撃が決まらないものだから、ついに臨界点を超えてしまったのか。

 

 き、キレる……。このままだとおつむよりも先に血管が千切れる……‼

 

 私は大慌てでヴァルゴ側のテーブルへと駆け寄った。

 

「ちょ、ゔぁ、まっ……‼ そ、そんなことで怒ったらカードバトラーの恥よ⁉ 落ち着いて話を聞いて! 愚痴ならあとで聞いたげる──」

「なんっっっなのよアンタああああああああああああああああああ!!!」

 

 ああ──っ、これはダメだ……。ヴァルゴの背中に真っ赤な炎が立ち上っている。下手に近づかないのが身のためだ。ここは黙って踵を返すとしよう。

 

「さっきから何回も何回も何回も! ずっと私の攻撃をのらりくらり避けてばかり!」

「え──……あの、ヴァルゴ?」

 

 流石のジェミニもこれには困惑のご様子。そりゃそうだ。

 

「っていうか! 今日に限った話じゃないわよ! こっちに来てから今日まで、ずっと私のこと避けてたでしょ⁉ のらりくらりのらりくらりのら()くらり……‼」

 

 いかん、あえかなる美少女がご乱心だ。自分が噛んだことにすら気づいていない。

 

「なのになに⁉ 言いたいことがあるって急に呼び出して! 結局こうしてバトルして、また手のひらで転がして! 遊んでんの⁉ なにがしたいのよもう‼ 言いたいことがあるならさっさと言いなさいよ‼」

「ちょ、ヴァルゴ、落ち着いて……! ぼくはキミのこと避けてなんか」

「落ち着いてられるかあああああああああああああああああああああああああっ⁉」

「──…………」

 

 ……耳をつんざくような爆音が彼女の叫びだと気づくのに、多少の時間を要した。

 

 

 しばらく、耳をふさいでいた。

 

 ──静寂。

 

 ものすごーく、静かだった。

 ヴァルゴが叫んでからの数秒間、茜の森を奇妙なまでの静けさが支配していた。ここが我が城だと言い張るように。

 草木すらざわめくことを止めてしばらく。

 

「……悪かったよ」

 

 後頭を掻いたジェミニが、ソイツを除けた。なんともバツの悪そうな表情に、私も同情せざるを得ない。

 

「ただ、その……。嘘じゃないんだ。キミのこと避けてるつもりはなかった。むしろ、その……ぼくの方が避けられてるもんだと……思ってて。でも、ぼくの勘違いだったんだね。本当にごめん」

「え……?」ヴァルゴが眉根を寄せた。

「……どゆこと?」私も小首をかしげる。

 

 そもそも、避ける避けないとはなんのことだ。二人の間になにがあった?

 ジェミニは恥ずかしそうに視線を逸らす。

 

「ヴァルゴ。キミとぼくはこっちに来てからしばらく一緒にいたけど、一度もぼくと目を合わせてくれなかっただろう?」

「…………あっ」

「それに、喋ってても全然笑ってくれなくて……だから、その……避けられてるもんだと思ってしまって……。なにか、無意識のうちにキミを傷つけたんじゃないかと」

 

 彼の背がどんどん丸まっていき、さっきまでの余裕さは見る影をなくしていく。

 

「ち、ちがっ……」慌てて手を振りまくるヴァルゴに、彼は続けた。

「だけどね、今日のことは、違うんだ。勘違いしないで? ぼくは、その……キミで遊んでたつもりはなくて……、ただ、その……、好きな子と久しぶりに会うもんだから、見栄を張りたくなっちゃって……。だから、本当にごめん……」

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………ん?

 

「えっ」ヴァルゴが目を見開くと、

「あっ」ジェミニはしまったと顔を上げた。

 

 

 黄昏の森に佇む二人を、真っ赤な夕日が照らしている。互いの顔が酷く紅葉して見えるとて、それが茜に染まる陽光のせいでないことは言うに及ばない。

 夕暮れに吹く風って、こんなに熱を帯びていただろうか? 見ているだけで、なにもしていないのに、体中から汗が吹き出して止まらなかった。

 再び訪れる静寂を──今度はヴァルゴが振り払った。

 

「い、今……す、好きって言った……」

 

 とっくに欠いていた冷静さは今度こそ塵となったようで、わなわなと震える手からはカードが滑り落ちていった。歯の上下が噛み合わないのか、ガチガチガチと小刻みなリズムが耳に響いてくる。

 

「いっ……いった……わよね……?」

「……あはは、しまったな」

 

 最初の対面を思い出させる仕草で、彼はポリポリと頬を掻く。頼りなく笑う彼の姿は、なんとなく、これが本来の表情なのだろうと思わせるものがあった。

 

「本当は、もっとカッコよく言うつもりだったのになぁ。キミが振り向いてくれるようなカッコいい男になりたくて、修行のつもりで皆のそばを離れたっていうのに……」

 

 彼は小さく咳払いすると、これまでのような微笑みを取り戻した。ヴァルゴを真っ直ぐ見据える。

 

「な……なによ……」強がってはいるが、ヴァルゴの声は今にも消え入りそうだ。

「今さら締まらないと思うけど、ちゃんとやり直していいかな。告白」

「……っ」

「キミの返事を、ちゃんとしたカタチで聞いておきたいんだ。キミがなんて言うとしても、ぼくはぜんぶ受け入れるから。……ダメかな?」

 

 本当に、全てを受け入れてくれると容易に思わせるその笑顔は、ただの見栄っ張りには思えないほど輝いていて。

 

 ──だからこそ。

 

「……そんなだから、顔が見られないのよ」

「……え?」

「アンタがそんなカッコいいことばっかり言ってるから! 優しい言葉ばっかりかけてくるから! 眩しくて恥ずかしくて顔が見られないって言ってんの!」

 

 だからこそ、彼女はそっぽを向いていたのだ。

 

「覚えてる……? 私たちが記憶をなくしてすぐの頃に、アンタ、言ったわよね。『強がるキミも可愛いけれど、弱い一面も見せられたらもっと可愛くなるよ』って」

「…………」

「あれ……すごく、嬉しかったのよ。記憶がなくなって、不安で、心細くて、でも、戦争中にそんな弱音は吐けなくて。誰か助けて! って、心のなかで叫んでたんだから……」

「…………」

「そんなとき……アナタだけが、私の声に気づいてくれた。アナタにだけは私の不安を吐き出せた。いっぱい話を聞いてくれた。だから、嬉しくて……」

 

 彼女の声が、彼女の瞳が、熱を帯びる。

 

 力も記憶も失い、気がつけば戦火のど真ん中にいたとき、彼女たちはどんな気持ちだったのだろう。

 何者かに企てられた、裏12宮とアルティメットの戦争は、乙女の不安を表に出すことすら憚らせた。それが心に生えたカビのように彼女を蝕んだとしても、日々を生きることで精一杯な人々が部屋の四隅に生えたソレに気付かないのと同じように、誰も、仲間たちでさえも、彼女の心の異常に気が付かなかったのだろう。

 仲間たちに非があったわけではない。レオも、アリエスもスコーピオンも、皆が同じ不安を抱いたはずだ。自分はなにものだったのだろう。なぜ戦っているのだろう。しかし、そんな不安に気を取られる余裕もないほどに、仲間の心音に耳を傾ける時間もないほどに、彼女たちの落とされた戦場は悲惨だったのではないか。

 そこに差し込んだ一筋の光明こそが、ジェミニだった。争いの中で、彼はヴァルゴの声に耳を傾けた。彼女の不安を受け入れてくれた。

 仕事でもプライベートでも、なにか不安やストレスがあるとき、そのはけ口があるかないかでは精神の安定は大きく変化してくる。だからこそ、ヴァルゴはギリギリのところで壊れずに済んだのだ。

 それは、他ならぬ私自身もよく知るところである。

 

 ヴァルゴは続ける。震える声で。

 

「やり直すって、なによ。私の返事をちゃんとしたカタチで聞きたいって、そんなの、何回言われたって私の返事は一緒なんだから、やり直すだけ時間の無駄だわ」

 

 潤んだ瞳がどんなに眩きを直視できないとしても、彼女はもう、光差す方へ向かおうとする意思を固めている。おそらく、いや確実に。ずっとずっと最初から決めていた。

 

「……それじゃあ、聞かせてもらってもいいかい?」

「……うん」

「それと、出来ればちゃんと、ぼくの目を見て言ってほしい、かな」

「…………わかった」

 

 その微笑みに、彼女は何度救われてきたのだろう。胸に手を当て、目を閉じ、深くふかく深呼吸する。

 

 その目を再び開いたとき、彼女は真っ直ぐジェミニを見つめていた。

 

 あまりに子供っぽく、あまりにも純粋な理由で見られずにいた目を。そのせいで、避けられていると勘違いまでさせてしまった相手を。

 

 微かに震える目も、血色のよい唇も、そのすべてがこの世の何より美しく見える。

 

「私も、アナタのこと好きよ。ジェミニ」

「……ありがとう。嬉しいよ、ヴァルゴ」

 

 二人とも、溢れんばかりの笑顔だった。

 

 恋する乙女って、こんなにも綺麗なものだったのか。

 

 

  4

 

 

「最初から、ずっと負けっぱなしだったのよ」

 

 バトルが終わったとき、彼女は私にそう言った。結果はジェミニの勝ちだった。

 

 告白が終るや否や、二人は張り合うように攻防を再開した。テクニックのジェミニとパワーのヴァルゴ。ロマンチックな雰囲気はどこへやらだ。

 最終的には、ジェミニの情熱の炎──という名の《火龍果ピタージャ》がヴァルゴの《ハヌマーリン》を突破し、今に至る。

 

「だけど、キミも強かった。《ハヌマーリン》に何度ヒヤリとさせられたことか」

「当たり前でしょ? でも、アナタの《マウチュー》も悪くなかった」

 

 互いの健闘を称え合う二人の間には、もう奇妙な隔たりは見られない。

 

「だからこそ、これでしばらく見納めなのが残念」

 

 ヴァルゴはそう言って、マントの内側から一枚のカードを取り出した。

 はい、これ。差し出されたカードには光がない。色もない。だからこそ、それが〝記憶のカード〟なのだと理解するのに、そう時間はかからなかった。

 カードには、《魔導双神ジェミナイズ》の姿が映し出されている。

 

「え、ヴァルゴ、持ってたの?」私は思わずカードを覗き込んだ。ジェミニもビックリしたと言わんばかりに目をパチクリ。どうやらサプライズだったらしい。

 彼女は胸を張っていう。

 

「《マウチュー》の仕返し。んで、ジェミニ。アナタも持ってるんでしょ? アクエリアスからちゃんと聞いてるわよ」

「ああ、もちろん。アクエリアスは約束を守ってくれたんだね」

 

 はにかむ彼も、マントの内側から一枚のカードを取り出す。《戦神乙女ヴィエルジェ》の記憶だ。奇妙なことだが、お互いがお互いの記憶を守っていたというわけか。

 この記憶が譲渡されれば、二人はそれぞれの神皇も取り込んで〝本来の力〟を取り戻せるのだ。即ち〝再生〟の瞬間。アリエスやスコーピオンのように、本来の彼、本来の彼女に戻ることになる。なんだか肩の力が抜けて、ため息が出る思いだった。

 

「元通りになっても、さっきの言葉を取り消さずにいてくれるかい?」

「もちろん。むしろ……」

 

 ジェミニが小首をかしげると、ヴァルゴはくすりと笑った。

 

「アクエリアスから聞いたの。私たち、記憶を失くす前も付き合ってたんだって」

「「え?」」ジェミニと私の声が重なる。

「だから、アナタの告白は二回目。私の返事も二回目。記憶を失くしても、また同じひとに恋をするだなんて、もう運命よね、こんなの」

「……」

 

 顔が熱くなった。

 

 恍惚としていて、それでもやっぱり照れくさそうに笑う彼女は、ジェミニの見返り姿よりも美しく輝いて見えたのだ。

 そりゃあ、ジェミニも惚れるわ、こんなの。きっと、最初にヴァルゴの不安を受け止めたときにも、同じ笑顔を見たのだろう。遠い日を懐かしむような、彼の穏やかな目こそが、なによりの証拠だった。

 この笑顔が見たくて。この笑顔を守りたくて。だからこそ、避けられていると勘違いしたときはショックだっただろうし、仲間たちのそばを離れて修行の旅にすら出た。

 

 恋には、人も妖怪も、神様すらも突き動かす無限のエネルギーがあるのだろう。

 

「これからもよろしく、ジェミニ」二人はカードを差し出し合うと、

「こちらこそ、ヴァルゴ」誓いを立てるように、それを受け取った。

 

 淡い光が二人を包む。記憶のカードが、十二神皇のカードが、それぞれ霧散する。還るべき場所へ、在るべきところへ戻っていく。

 

 もうすぐ夜が来る。夕暮れの森の中、無数の星が二人を祝福しているようだった。

 

 

  5

 

 

 ──。

 

 夢見心地になっていた思考に冷たい風が吹きつけて、私は我に返った。

 

「──……?」

 

 ふと、違和感を覚えた。

 

 夕暮れの森が、あまりにも静か過ぎる。普段は妖怪が遊び場にするこの森で、この時間になっても誰一人として姿を見せないのは異常ではないか?

 再生の瞬間に奪われていた視線を、周囲の草木や岩陰に送る。

 

 いない。

 

 ない。

 

 誰もいないし、誰の気配もない。

 夏になれば水を求めて多数の妖怪が集まるこの場所に、誰の影も見られない。

 

 ──この辺りはね、いつもは暗くなると妖怪たちが遊び場にするんだ。

 

 ジェミニの言葉が脳裏に去来する。その通りだ。なのに、あのときはロマンチックな雰囲気が強調されて良いな、と思うばかりで、それ以上なにも考えることをしなかった。

 バトルスピリッツは幻想郷全域で大ブームを巻き起こしているカードゲームだ。なのに、いつもは当たり前にいる野次馬たちが、一人も寄ってこないのは何故だ。

 

「どうしたんだい? 鈴仙──」

「しずかに!」

「鈴仙……? なに? いったいなにを……」

 

 再生を終えた二人も、私の動作を不審に思ったらしい。だが、おかしいのは私ではない。それは確か。おかしいのは、この森全体だ。

 

 ──まるで誰かが舞台をセッティングしてくれたみたいだ。

 

 風が頬を撫でる。思えば、ここに来るまでになんのトラブルもなかったのは何故だ。誰とも出会わなかったからではないか。

 

 おかしい。急に風が強くなっていく。頬を撫でる優しい風でない。刃のように肌を突き刺しながら、四方八方から降り注いでくる。

 

「な、なに……⁉」風が吹き荒れる。悲鳴にも近い声をヴァルゴがあげる。

「ヴァルゴ、こっちへ!」ジェミニは彼女を抱き寄せ、得体の知れないなにかから恋人を守ろうと牙を立てた。

 

 瞬く間に、風はどんどん強くなっていく。

 

 立っているのがやっとの猛風。しかし、嵐ではない。でなければ、茜の空が眼前に広がるこの景色に説明がつかない。雲ひとつないこの空は、紛れもなく快晴の証だった。

 

 今ここにあるのは、清涼と静寂さの化身たる、夕暮れの風ではない。自然が作り出した大空の恵みでもなければ、鳥たちの旅立ちを祝福する追い風ですらなかった。

 

 

 ──ならば、この邪悪な風は、いったい何者?

 

 

  続

 

 




末尾までご覧いただきありがとうございます。
次回も気長にお待ち頂ければ幸いです。

一応、『白熊すずむ』の名前でツイッターを再開しておりますので、モノ好きな方はフォローしてくだされば幸いです。
ただ、作品を投稿したことを報告するだけのアカウントですので、なんの面白みもないことだけは先に申し上げておきます。

追記:2022/08/13
皆様、誤字報告いつもありがとうございます。非常に助かっております。
ただ、申し訳ございません。ひらがな・漢字の件や、台詞から地の文への移行など、一見誤りのように見えても私自身は意図的にそうしているという箇所もあります。
そうした箇所については、ご報告を頂いたとしてもとくに修正せず、そのままにしておきたいと考えています(後に、過去の自分の文章と現在の自分の文章のレベルの差を確認するためです)。
ですので、お気に召さない表現もあるとは思いますが、どうか寛大に見守って頂ければと思います。


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第四話『見栄っ張りと勇気』

難しい……リアルファイト描くの難しすぎる……。
……はっ。

お疲れ様です、白熊すずむです。
遅くなってしまい申し訳ございません。
第四話が完成致しましたので、投稿させていただきます。


 

 

 あのとき、私はたしかに絶望していた。

 

 血を吐き倒れたジェミニたちと、それを見て狂ったように笑い転げるヴァンディールを前にして。

 

 この赤い景色のなかに居ながら、なにも出来なかった自分に。

 

 ジェミニに庇わせてしまった自分に。

 

 そして、なにより。

 

「……ふたりを連れて、逃げてくれるか?」

「でも……っ、でも……!」

「オレは大丈夫だ。なにせ、最強の12宮だからな」

 

 らしくもなく、優しい笑顔を見せつけてきたレオに、ただ泣きじゃくることしか出来なかった自分に、絶望していた。

 

「レオよォ~~~っ、お前はオレを楽しませてくれるよなァ~~~っ⁉」

「鈴仙、ふたりを頼む」

 

 ヴァンディールに向かっていく彼の背中を、泣きながら見つめるしかなくて。

 

 自分の無力さを、無能さを、改めて思い知ることになった私は。

 

「……っ」

 

 カードの中に戻ったふたりを抱きかかえて、一心不乱に逃げ去ったのだ。

 

 駆けつけてくれたレオを、ひとり残して。

 

 

 暗い夜の廊下を走って、病室の襖を開け放つ。空間を漂う重苦しく痛々しい空気に一瞬気圧されながら中に入ると、どろりと濃厚な鉄のにおいが鼻腔を貫いた。

 見渡せば、五人のメンバーが室内にいることが分かる。なのに、誰も口を開こうとはしない。石油ランプに照らされた薄暗い室内と相まって、不謹慎だがお葬式という地上の文化が脳裏をかすめた。

 いったい何があったのだろう。事情を把握しようとして、メンバーを順に見回す。丁度振り向いたアリエスと目があって、助けを求めるように視線を送った。

 

「レイセン……」

 

 私の名前を呼んだ彼女は、かなり疲れているように見えた。額からは大粒の汗を流し、呼吸をする度に肩が大きく上下している。

 アクエリアスとともに、何者かの眠るベッドの傍らにいることからも、そのひとを治癒していたことは分かる。仲間の傷や疲れを癒やすという大変有り難い能力を持っているアリエスだが、彼女自身の脆さと能力の高燃費さが相まって、能力を使ったあとはいつもこうなるそうだ。

 

「ごめん、今……」

 

 立ち上がったアリエスが、ふらあっとバランスを崩して倒れそうになる。「あっ」と私が声をあげた直後、彼女はスコーピオンに抱きかかえられていた。

 

「無理すんなよ。昼に依姫を治したばっかだろーが」

「……ごめん」

 

 酷く、か弱い声だった。

 彼女の能力は燃費が悪いだけでなく、魔力の回復にもそれなりに時間がかかるらしい。長所と短所は表裏一体のもの。心配したところで「大丈夫ですか?」としか言えない自分を、歯がゆく思った。

 

「八意先生を呼ぼう。ふたりの様子も見て欲しいし」

「……オレが行ってくる」

 

 スコーピオンの発言を受け、四隅の壁にもたれかかっていた利家が静かに席を外した。

 八意先生は月の頭脳とも呼ばれる天才で、どんな怪我や病気も彼女の手にかかればたちまち治ると評判だ。ただ、先ほど客人があり、しばらく自室から出てきていない。

 

 改めて、室内を見回す。残されたのは私と、アリエス、スコーピオン、アクエリアス。──そしてもう一人。

 

「……鈴仙?」

 

 鈴仙・優曇華院・イナバ。彼女は皆からほど近い位置にある空きベッドにうずくまり、酷く怯えた様子で全身を震わせていた。荒くなった呼吸も怖気を帯びており、見ているだけで、なにか得体の知れない不安感に襲われてくる。

 見れば、彼女のブラウスは所々切り裂かれたように破れており、頬や腕など、全身の至るところにも同様の切り傷や青あざが見られた。

 鈴仙は、レオと一緒に捜索チームとして外で動いていたはずだ。

 震える鈴仙と、となりあう二つのベッドを交互に見回す。傷だらけの彼女と、室内を漂う重苦しい空気。そして、鼻をつく鉄のにおい。

 

 違う──、なんだ……、なにがあったと思えばいい?

 

「──……なにがあったんですか?」

 

 ほとんど答えを提示されているのに、私はソレが勘違いであることを祈って、アリエスたちに問いかけた。

 誰も、なにも答えてくれない。ほとんど肯定されてしまったようなものだ。

 

「……さっき、レオさんが飛び出していきましたけど」

 

 返事はない。

 アリエスはバツが悪そうにうつむき、しばらくして、ようやくスコーピオンが重たい口を開いてくれた。

 

「……相当、怖い目にあったらしいな」

「……そのようですね。おふたりの状態を見れば、なにが起こったのか、容易に想像することができます」

 

 アクエリアスもベッドを見やる。そこには、二人の少女が傷だらけで横になっていた。

 ともに白を基調とした制服を身にまとい、銀糸の髪を持つ可憐な少女だ。だが、苦しそうに浅い呼吸をくり返す様は見ていて痛ましく、顔や腕など、確認できる範囲だけでも、おびただしい数の斬撃痕が見られた。

 

「このふたりは……」

「オレたちの仲間だ。髪の短いほうがジェミニで、長いのがヴァルゴ」

 

 スコーピオンは伏し目がちに言った。

 話だけは聞いていたので、理解するのに時間は必要なかった。鈴仙がレオと一緒に探しに行ったという、あのふたりだろう。

 一応、当初の目的通り、彼女たちを見つけられたということらしい。それは大変喜ばしいことである。

 

「でも……これって……」

 

 この惨状はなんだ? あの12宮がここまで追い詰められたという理解しがたい現実に、強烈な悪寒が走る。

 だって、こんなの、まるで。

 

「……誰かに、襲われたってことですか?」

「はい。おそらく、緑の邪神に」アクエリアスが言った。

「緑の邪神……?」

「〝ヴァンディール〟だ」

 

 スコーピオンが答えた瞬間、鈴仙の肩が大きく跳ね上がった。体の震えがますます強く激しくなり、今にも泣き出しそうな声色で荒い呼吸を繰り返す。震えを抑え込もうとしているのか両腕を抱いているが、なんの意味もなしていないのは明白だった。

 

「わ……わりぃ……、軽率だった」

 

 あまりの怯えように、スコーピオンも眉を寄せる。私だってどうすればいいか分からず、ただオロオロするばかりだ。

 しかし、ただひとり表情を動かさない人物もいた。

 

「決まりですね。ここまで凄惨な裂傷は、ソレ以外にないとは思っておりました」

 

 アクエリアスだ。彼は酷く淡々とした口調で鈴仙に歩み寄り、彼女の前で片膝をついて顔を覗き込む。

 

「失礼。優曇華院様、なにがあったのか、詳しくお聞かせ願えますか?」

「ちょっと、アクエリアス……!」

 

 鈴仙を庇うようにして、アリエスが割って入る。同意だ。なにがあったかは私にも分からないが、こんな状態の鈴仙からそれを聞き出そうとするのは残酷ではないか。

 

「あ……、あの……、わ、わだし……」

 

 実際、彼女はこうして声を出そうと努力しているが、上下の歯が明らかに噛み合っていない。ガチガチと不規則な音が鳴り響き、ここにいる者たちの恐怖心を無闇に増大させるだけだった。

 

「あの、鈴仙、無理に話さないほうがいいと思います。皆さんも、なにがあったのか理解してくれているみたいですし」

 

 思わず口走った。鈴仙を庇ったのはもちろんだが、個人的な感情もあった。

 彼女の隣に座り、驚かさないように優しく背中をさする。

 出来ることなら、私に勇気を与えてくれた彼女がこんなにも弱っているところなんて見たくなかった。

 アクエリアスは、明らかに鈴仙の返事を待っている様子だ。空気読めと怒鳴りたくなる気持ちを抑え、私はスコーピオンに目線を送った。

 

「なあ、アクエリアス、今はさすがに……。いくらなんでも惨いだろ」

「そうだよ。それに、キミらしくもない」

 

 素早く察してくれたスコーピオンに、アリエスも続く。彼らはやんわりアクエリアスに警告してくれたが、それでも彼の表情が動くことはなかった。

 

「ですが、事態は一刻を争います」

「アクエリアス!」

 

 冷たいまでの淡々とした口調に、アリエスが声を荒らげる。「なんで分かってくれないの」と言いたげな悲愴を孕んだ瞳にも、アクエリアスが動じることはなかった。

 

「アリエス様、どうかご容赦ください。わたくしめには、皆様をお守りする責務がございます」

「わかってるし、助かってるよ! だけど、それとこれとは話が別だろ!」

「大いに関係ございます。現状を把握しなければ、次なる敵の行動を予測することは極めて困難です。戦力の過半数が出払っている今、負傷者を含めたこの場の全員をお守りするためには、敵の行動を事前に知り尽くしておくことが不可欠なのです」

「……っ」

 

 ──言葉を失い、冷静になったのは、私も同じだった。

 

 永遠亭の現状は、あまり良好とは言えない。依姫様を含めた大多数の戦力は、各々の役割を果たすべく行動を起こしており、不在。ここを離れる必要がないと思われていた『紫の邪神監視チーム』ですら、邪神の力がないと〝龍魔侯〟を消滅させられないと判明したために、マグナを依姫様に貸し出すという形で出払っているのだ。

 

 今ここに残っているのは、デッキ構築にもたもたしていた『青の邪神対策チーム』と、永遠亭に留まることが前提の『支援担当チーム』のメンバーのみ。

 自分たちの身を守る、というだけであれば、戦力的には事足りていただろう。だが状況は変わってしまった。ここには負傷者が三人もいて、私たちは彼女らの安全も確保しなければならなくなったのだ。

 

 加えて──彼自身はあんなこと言っているが──アクエリアスとアリエスの存在も私には不安である。ふたりは今日一日、互いの能力をキャパシティ限界まで使い続けており、外傷はなくとも体力的にはとっくに限界を迎えているはずだった。

 

 こんな状況で、もし邪神が攻め込んできたら。

 

「でも……それじゃあ、可哀想じゃないか……」

 

 それ以上の言葉が出てこず、アリエスは唇を結んで目線を逸らした。

 

 同情。彼女は最後にそれを求めた。

 

 聞くところによると、四魔卿一人を討伐するには、本調子の12宮が最低でも三人は必要とされている。だが、四魔卿たちの強さには明らかに序列が存在しており、実際に三人がかり程度で倒せるのは、名ばかりの最弱と呼ばれる獄海だけだそうだ。

 永遠亭の戦力は、それすらも遥かに下回っている。満足に戦える12宮はスコーピオンただひとりであり、八意様のチカラをお借りしたとしても、戦力はわずか二名。

 哀れみに揺らされて、悠長に足踏みしていられる状況でないことは確かだ。

 

 でも……、だからって……。

 

「……ぼくが、話すよ」

 

 突然ベッドが音を鳴らしたので、私は小さく悲鳴をあげた。

 ジェミニが目を覚ましていたのだ。彼女はまだ激痛が走っているはずの体を無理やり起こそうとしていて、見かねたアリエスに急いで支えられた。

 

「ジェミニ! まだ起きちゃダメだって……!」

「サンキュー、アリエス。でも、もう大丈夫だから」

 

 明らかに嘘だった。彼女の笑顔は作られたことがハッキリ分かるほど苦痛に歪んでおり、まだ体を動かすには早すぎるように見える。お腹をさする手が、妙に力なかった。

 それなのに、彼女はゆっくりと拳をグーパーさせて動作確認を行い、今度は苦痛のない完璧な微笑みを浮かべてみせた。

 

「素晴らしい手当だね。これは……アクエリアスかな? サンキュー、キミには助けられてばかりだね」

「もったいないお言葉です。ですが、まだ修理は行き届いておりません」

「あはは、いいよいいよ。だけど、キミが魔力切れを起こすなんて珍しい」

 

 面目次第もございません。深々と頭を下げるアクエリアスに、ジェミニは両手をパタパタさせた。なんというか、少年のような声と仕草だ。

 

「……ジェミニ、お願いだから無理しないで。もう少し眠って」

「サンキュー。でも、ぼくはもう平気さ」

 

 周囲に心配をかけまいとする彼女の笑顔は、かえってアリエスを不安にさせているようだった。

 

「……なんでだよ」小さく肩を落とし、弱々しいため息をつく。

「ソーリー。すぐに元気になって、キミを安心させると誓うから。それから……キミは、鈴仙のお友達かい?」

「え」

 

 不意に向けられた視線に、阿呆な声が出る。ジェミニは明らかに私を見ていて、私に問いを投げかけているようだった。

 恐るべきは小首をかしげる仕草の愛らしさで、一瞬、胸がとくんと高鳴る。

 

「あ、あの……、えっと、はい。そうです。私もレイセンといいます」

「ワォ、彼女と同じ名前なんだね。ぼくはジェミニ、双子座の12宮だ。ナイストゥーミーチュー」

 

 親しげな笑顔で差し伸べられた、その傷だらけの手を、そっと握る。細くしなやかな指先には想像していた以上の力が込められており、意図せず固い握手となってしまった。

 

「……」痛い。

 

 深読みすれば強烈な意思表示とも捉えられるその行為に、私は思わず頷かされる。

 

「サンキュー」

 

 ──どうやら、素早く手を打たれたらしい。私はこれからジェミニがすることを、ただ黙って見ているしかなくなったわけだ。

 明るく親しげな雰囲気とは打って変わって、意外と厳かな人物らしい。

 

「では、ジェミニ様。なにがあったのか教えて下さいますか」

 

 早速、アクエリアスが淡々と話を切り出す。

 

「もちろん。とは言え、優秀なキミたちのことだ。おおかた見当はついているんじゃないかな?」

「……兄ちゃんの仕業、だよな」

 

 言いづらそうに口を開いたのはスコーピオンだ。かなり言葉を探ったらしいが、隠語として使う言葉にそれを選んだのは何故なのか。

 

「うん。……やられたよ。さすが兄さんだね。ぼくとヴァルゴで敵う相手じゃなかった」

「やはり、兄様が」

 

 口裏を合わせていたかのように、みな口々に「兄」という隠語を使う。なんだか違和感のある光景に早くも困惑させられたが、ひとまず口を挟むのはやめておいた。

 

「……レオが来てくれなかったら、ぼくらは三人とも死んでいたかもしれない」

 

 ジェミニは自嘲気味に肩を落とすと、隣で眠るヴァルゴに優しく微笑みかけた。

 

「キミに万が一のことがなくて良かったけど、正直、肝を冷やしたよ」

 

 

  2

 

 

 ジェミニは、自分と鈴仙が出会った経緯、ヴァルゴとの関係などを簡単に説明した後、事の顛末を語り始めた。

 

 ヴァルゴと和解してすぐに、ヴァンディールが不意打ちを仕掛けてきたこと。

 彼は、射命丸文という新聞記者の少女に憑依していること。

 自分たちも必死に戦ったが、ジェミニの剣も、ヴァルゴの魔法もまるで当たらず、惨敗を喫したこと。

 自分たちの傷は、そのときの戦いで彼に付けられたものであること。

 とくに、鈴仙の身に起きた事柄については、詳しく説明してくれた。

 

 そもそも大前提として、神様と並の妖怪では、実力差が開きすぎていたようだ。

 鈴仙も一緒に戦おうとしてくれたが、攻撃の構えをとる前に吹き飛ばされた。立ち上がれないほどに痛めつけられ、『三にんで楽しく遊んでいたのに邪魔をされた』と理不尽な怒りをぶつけられ、『次に動いたら──』と脅された。

 

「でも、そのときの彼女は、まだ折れていないように見えた。冷静に、攻撃のチャンスを伺っているようだった」

 

 ジェミニは力なく肩を落とした。

 

「だけど、相手が悪すぎたんだよ。けっきょくはその一言に尽きる。なにせ兄さんは四魔卿最速の戦士で、ぼくたちですら遠く及ばない戦闘能力の持ち主なんだからさ」

「ゔぁ…………、そのお兄さんは、そんなに強いんですか?」

 

 言いかけてハッとし、私もとっさに隠語を使う。

 

 今さら聞くまでもないことだったが、具体的な戦闘力を知りたかった。ジェミニ以外の意見も聞いておきたかった私は、スコーピオンに視線を送る。

 彼は目を伏せた。

 

「ああ。兄ちゃんは四魔卿の中でも間違いなく最強の戦士だ。目で追えないくらい動きが素早くてさ……、悔しいけど、オレの攻撃は一度だって当たったことがない。風を殴ろうとするようなもんだぜ、あれは。当たりっこねえし、向こうの攻撃だって避けられねえ」

「正直、ジェミニ様やヴァルゴ様が抵抗を許されたのも、手加減されていたからと見て間違いなさそうです。本気の兄様に対抗するには、我ら12宮の半数近い戦力が必要になりますので」

 

 アクエリアスが付け加えた情報こそ、私が最も欲しがっていたもので。

 つまり、こういうことか。

 

「二度目の攻撃のあとで、鈴仙はそれを思い知ってしまった、と?」

 

 ジェミニは首肯した。

 

「……だけど、ぼくが思うに、それだけじゃ彼女は折れなかったはずだ。どうやら彼女、自分の身に万が一があったとしても、仕方ないと受け入れてしまうようだから」

 

 良くも悪くも、ね。憂わしげに鈴仙を見やったジェミニは、眉をひそめる私たちに言葉を続ける。

 

「最終的に彼女の心を折ったのは、ぼくたち三にんなんだ。ぼくと、ヴァルゴと……、助けに来てくれたレオが、彼女の心を折ってしまった」

「……どういう意味ですか?」

「おい、レイセン……」

 

 スコーピオンに窘められて初めて、自分が顔をしかめていることに気がついた。

 場合によってはあなた方への態度を改めねばなりません。そんな怒りの感情が、とっさに滲み出ていたらしい。

 

「……すみません」やりづらくなって目をそらす。

「気にしないで。むしろこれで、キミが信頼に足る人物だって理解できた」

「……なんですかそれ」

「キミは仲間思いな子だね。ってこと」

 

 仲間思いというか、これは個人的な感情。

 

 しかし、穏やかに微笑むジェミニを見ているとなおさら言いづらく、私はだんまりを決め込むことにした。目線で話の続きを促しておく。

 

「……鈴仙の二度目の攻撃も、兄さんにはまるで届かなかった。そして、警告を無視されたことで怒りが頂点に達したのか、曰く『遊び』を邪魔されたからなのか、とにかく兄さんは鈴仙を滅多打ちにしたんだ。身動きが取れなくなるまで彼女を蹴りに蹴って、最後に大鎌を振り上げた。このままじゃマジで殺される──って、思って、ぼくは」

 

 それが鈴仙の心を折ることになるとも思わずに。

 

「鈴仙を庇ったんだ」

 

 ジェミニはそう言って、腹部を隠していた制服のボタンを外した。

 

「ひっ……」

 

 思わずあげそうになった悲鳴を、奥歯で無理やり噛み殺す。

 

 そこには本来あるはずのものがなく、ただポッカリと空洞が出来上がっていた。アリエスの能力か傷口は僅かに光をまとっており、出血はしていない。どうやら自然治癒を早める魔法をかけているようだが、それにしたって惨たらしい光景だった。

 

 ジェミニが神でなければ、間違いなく致命傷になっていたであろう攻撃の痕。

 

 これが、鈴仙を庇ったときにできた傷。そしてこの部屋に充満している、濃厚な鉄のにおいの正体に違いなかった。

 

「レオから聞いたんだけど……、彼女、ひとに迷惑かけたくないって。自分は無能だから、せめて人様に迷惑をかけないように生きたいんだって。まあ、レオが『そう思ってるように感じる』って言っただけだから、本当のところは分からないけれど」

「…………」

 

 それは、私も知らないところであった。

 つまり彼女は、ジェミニに庇われたことで、その『迷惑』とやらを──それも、極めて残酷な迷惑をかけたと思って、精神を病んでしまったということか?

 なんなら、そのまま自分が死んだほうがマシだったと、そう思ったということか?

 私は鈴仙を見やる。だが、彼女は震えたまま、なにも答えない。

 

「もちろん、無闇に庇ったわけじゃないよ。ぼくなりに考えがあってしたことだ。だから鈴仙が責任を感じる必要はない」

「考え……って?」

「……好きな子の前だったから、見栄を張りたくなって」

「は?」真面目に話してください。

「そんな顔しないでよ。怖いよ」

 

 あれ、抑えてたつもりが。どうやら私、けっこう簡単に表情に出てしまうらしい。

 ジェミニは可愛らしく咳払いをすると、話を続けた。

 

「まあ、真面目な話。ぼくが体ごと兄さんの攻撃を受け止めて、彼を捕まえる。そのすきにヴァルゴが攻撃を当ててくれれば……って、思いついたんだけど」

「…………」

 

 なんだそのメチャクチャな作戦。控えめに言ってバカなんじゃないか。

 とは思うものの、ソレ以外に自分たちが助かる方法を思いつかないほどに、三人は追い詰められていたということなのだろう。

 

「正直……、最初、やったと思った。ぼくが兄さんを捕まえて、ヴァルゴがフルパワーの破壊光線を打ち込んだとき、それが彼に当たったように見えて。助かったんだって」

 

 しかし、現実は目の前で証明されている。

 

「……血液が足りなくて、判断が鈍っていたのかな。ぼくもヴァルゴも。兄さんがいなくなったことを、きっと逃げたんだと都合よく解釈してた」

 

 ──ヴァルゴが背後から突き刺されたのは、その直後だったと言う。

 

 当たっていなかったのだ、ヴァルゴの全身全霊をかけた破壊光線とやらも。四魔卿最速の名をほしいままにする風の神には、掠りもしなかったのだ。

 ジェミニは鈴仙に視線を送る。

 

「……鈴仙、キミが状況を悪くしたと思うなら、それは間違いだ。ぼくもヴァルゴも、自分の意思で勝手にああしたのだから、キミが気に病むことなんてないんだよ」

「…………ごめん、なさい」

「……謝らないでおくれよ」

 

 膝に置かれた両手を見下ろしたまま、ジェミニは黙り込んだ。彼女の発言はかえって鈴仙を追い詰めているように見えるし、実際、ジェミニもそれを感じたのだろう。

 私も黙りこくった。今の鈴仙にはなにを言っても逆効果だ。

 仮に、鈴仙が人様に迷惑をかけたくないと思っているのなら、私たちの気遣いすらも彼女にとっては『迷惑をかけた』うちに入ってしまうだろう。慰めれば慰めるほど鈴仙は自分を追い詰めてしまい、負のループに陥る。

 

 この場の雰囲気も相まって、病室がやけに暗く感じた。

 窓から空を見上げれば、なるほど、どうりで。月が雲に隠れているらしかった。

 

「──レオは」

 

 不意に、鈴仙がつぶやいた。その呼吸は相変わらず震えを帯びていて、今にも消えてしまいそうなほど儚げだ。

 皆が黙っていると、彼女は絞り出すように言葉を続けた。

 

「レオは、いま、どこにいるの……?」

「──……」

 

 ジェミニは目を見開くと、困惑した様子でアクエリアスに目線を送った。

 

「……レオ様は、まだ帰っておりません。どこにいるのか、把握もできておりません」

 

 それは、ありのままの現状だった。

 

 あとのことは鈴仙とヴァルゴに、と言って戻ってきたはずのレオが、血相を変えて飛び出していったのが、今日の黄昏時のこと。

 そのあとはこの通りだ。鈴仙たちだけが戻ってきて、連れ帰ってきたジェミニとヴァルゴは瀕死の重傷。そして鈴仙はなにかに怯え、まともに会話できる状態ではない。

 

 レオは──。

 

「レオは、兄さんの相手を引き受けてくれた。鈴仙が逃げ切るまで時間を稼ぐって」

「えっ……」

 

 思わず漏れた声を、両手で塞ぐ。

 さっき、アクエリアスはヴァンディールの強さを『12宮の半数近い戦力に匹敵する』と説明した。だからジェミニとヴァルゴの二人では勝てなかった。

 そんなヤツを相手に。

 

「たったひとりで……ですか?」

 

 なるほど、合点がいった。鈴仙がなにに怯えているのか。

 きっと彼女は、可能性に怯えているのだ。レオが帰ってこない限り感じ続ける万が一の可能性に。それはジェミニたちのような重傷であったり、あるいは──。

 

「レオ、死んでないよね……?」

「…………」

 

 ──そして厄介なことに、鈴仙はそれを自分のせいだと感じている。

 

 自分がしくじったから、ジェミニたちに致命傷を負わせた。自分がしくじったから、レオがひとりで時間を稼ぐハメになった。

 

 自分がしくじったから、レオをおいて逃げることになった。──と。

 

「……お言葉ですが、たとえ相手が兄様であったとしても、レオ様が後れを取ることは有りえません。彼は12宮最強の戦士です」

 

 一瞬、アクエリアスが顔をしかめたように見えた。

 

「でも……レオ、『ふたりを頼む』って……なんか、遺言みたいで……」

「考えすぎだよ、鈴仙。レオはキミに『ぼくらを連れて逃げろ』って命令をしただけだ。ちょっとした言葉の綾だよ」

「じゃあなんで笑ったの……」

「……え?」

「なんで、レオ、あんなときだけ笑うの……」

「…………」

 

 鈴仙の声は今にも消え入りそうで、震えだけが強くなっていく。

 おそらく鈴仙だけが見た、その表情が、彼女の不安をより一層強いものにしているらしかった。

 

 誰も、なにも言えまい。レオのそれを見たのは彼女だけなのだから。

 

 暗い病室を、嫌な静けさだけが漂い続ける。

 

「……失礼。優曇華院様」

 

 ふと、沈黙を破るように、アクエリアスが鈴仙の前で片方の膝をついた。

 

「…………なに」

「少し、お顔を上げて頂けますか」

「…………?」

 

 次の瞬間──おそらく、この場にいた全員、なにが起こったか分からなかっただろう。

 

 ピシャん。と、なにかを叩くような音が響いて。

 わけのわからない様子の鈴仙が、赤く腫れた自身の頬に手を触れるまで。

 

「…………?」

 

 私も、アクエリアスの平手が、鈴仙の頬をはたいていたことに、気が付かなかった。

 

「……………………」

 

 全員なにが起こったのかわからず、ただ呆然とふたりを見つめている。

 虫のさざめきも草木の擦れ合う音も耳に入ってこず、時が止まったのかとすら思った。

 

「……取り消していただけますか」

「…………?」

「先の発言は、レオ様への侮辱にあたります。速やかに、取り消していただけますか」

「…………」

「──なにやってんだよ⁉」

 

 ここまで努めて無言でいたアリエスが、怒鳴りながらアクエリアスに掴みかかった。

 

「いくらなんでもやりすぎだろ! 鈴仙にも悪気があったわけじゃ──」

「失礼ながら、彼女の発言はレオ様への最大限の侮辱にあたります。我が王への侮辱は何者であっても赦されません。赦しません。ビンタ一発食らっていただきます」

「なにが侮辱だよ! 心配してるのに!」

「彼女は、既にレオ様が負けたかのようにおっしゃいました」

「相手はヴァンディールなんだぞ! そんな風に思ったって仕方ないだろ!」

「ではアリエス様も一発食らって頂けますか?」

 

 目を見開くアリエスに、アクエリアスが再び平手を振り上げる。

 

「おいやめろ、アクエリアス」

 

 しかし、その手が振り下ろされることはなかった。

 スコーピオンの剛腕が、彼の腕を掴んで離さないからだ。

 

「スコーピオン様、ご理解ください」

「ご理解できねーよ。お前がレオを信頼してるのは百も承知だけどよ」

「では」

「ダメだ。アリエスに手ェ出すのは赦せない」

「おやおや……、やはり我々は似た者同士のようですね」

「似てねーよ、気色わりい」

 

 にらみ合うふたりの間に火花が散り始めたころ、私はようやく我に返った。慌てて鈴仙の背中をさすり、「大丈夫ですか?」と声をかける。相変わらずテンプレートな構文しか述べられない自分が、どうしようもなく情けなかった。

 私と、そして放心状態の鈴仙を交互に見て、ジェミニが気まずそうに口を開く。

 

「……あまり気にしないで。偶然にも逆鱗に触れてしまっただけだ。アクエリアスは普段めったに怒らないけど、彼の主であるレオを侮辱されるとああなるんだよ。向こう数千年は見なかったから、驚いたけど……」

「……わたし、そんなつもり、なくて」

「わかってるよ。キミはただレオの心配をしただけだ」

 

 ジェミニは、相変わらずスコーピオンと睨み合っているアクエリアスを見やる。

 

 どこか不可解な面持ちで、彼女はつぶやいた。

 

「……それにしたって、今日はちょっと沸点が低すぎやしないかな」

 

 

 

 

 雨が降り始め、夜の闇はますます濃いものになっていく。外に目を向ければ、打ち付ける雨水が大地を濡らし、雨樋からはサラサラと水が流れ出ていた。

 八意様が手術を行いやすいようにと持ってきた追加のランプのおかげで、私たちのいる病室は比較的明るいままなのが救いである。

 

「ふたりとも処置は施したけど、くれぐれも無理はしないように。レイセンも、しっかり見張っていて頂戴ね」

「はい、わかりました」

 

 美しい手さばきで怪我人の処置を終えた八意様は、神妙な面持ちで警告した。

 一触即発な空気の中、利家が八意様を連れて戻ってきたことで、事態は一旦の幕引きとなっていた。

 ヴァルゴも遅れて目を覚まし、今はジェミニのベッドでふたり肩を並べている。

 位置的には、私と鈴仙が座っているベッドのちょうど目の前なわけだが……。

 

「ありがとう。……ふふふ、ジェミー、お揃いの包帯ね」

「ホントだね。ペアルックみたいだ」

 

 いやそりゃ包帯なんだからお揃いになるに決まってるでしょうに。

 さっきからこんな惚気を堂々と見せつけられて、私はなんだかむず痒い気分である。

 

「ああ、でもジェミー、まだ少しフラフラするわ」

「それはいけないね。今はまだ休んでいたほうがいいよ」

「うん」

 

 ここぞとばかりにジェミニの肩に頭を預けるヴァルゴ。いや横にならんのかい。

 なんだか呆れてしまうほどの惚気っぷりだったが、彼女の振る舞いに助けられているのも事実であって、私は引き攣った笑みを浮かべるしかなかった。

 

 あのあとの重っ苦しい空気を綺麗に換気してくれたのは、他でもないヴァルゴである。

 

 目を覚ましてすぐ、12宮たちがなにやら危ない雰囲気になっていることを察したらしいヴァルゴは、そのあっけらかんとした態度で場の空気を和ませてくれたのだ。

 スコーピオンとアクエリアスがバチバチしていれば楽しそうに野次を飛ばし、鈴仙が沈んでいるのを見れば「無抵抗だから好き放題できる」と舌舐めずりし(冗談でもやめてほしいのが本音である)、しょーもない話題を彼女に振り続けた。

 そのおかげか、鈴仙の震えも僅かながらに落ち着いたように思う。会話には中々参加してこないが、顔も比較的上がるようになってきたようだし。

 

 まあ、だからこの惚気もその一環だと思って……。

 

「ジェミー、あなた血のにおいがするわ」

「キミもだよ、ヴァルゴ」

「そう? でもいいわね。まるでお揃いの香水を使っているみたいで」

「マーベラス。それは素敵な考え方だね」

「はぁ~~、私たち、二人ならなんでも幸せに感じてしまうのね……」

「…………」

 

 我慢だわたし。多少腹は立つが、まだ許容範囲内である。

 

「……二人とも惚気けてる場合じゃないよ。そんな大怪我したってのに」

 

 とは言え、これが神助というものか。コップ一杯の水を持ってやってきたアリエスに後光が差して見えた。

 おお、牡羊大明神様。どうか私をこのお惚気女神からお救いください。内心で合掌。

 

「はいこれ、ヴァルゴのぶん」渡したのは多分、彼女の魔力が込められた水だろう。

「ありがとうアリエス。……スコーピオンたちは?」

 

 チラリと部屋の四隅を見れば、さっきまでバチバチしていたふたりもヴァルゴのせいで調子が狂い、今は普通に会話しているらしかった。

 なんだかんだ、あの一触即発の空気を入れ替えた彼女の功績は大きいのだ。

 

 ただ──。

 

「知らない」

 

 どういうわけか、アリエスはご機嫌斜めな様子で、近くのベッドに腰を下ろした。

 

「……?」

 

 私とヴァルゴが首を傾げていると、彼女はうつむき加減に体を揺らす。

 

「ちょっと今は、その、あの、無理。スコーピオンが見られないから、知らない」

「……ああ」ジェミニが目を細める。

「カッコよかったもんね?」

 

 ああ、そういう。

 

「っ……」

 

 なるほど図星らしい。伏せた顔は熟したリンゴのように真っ赤だった。

 

「ず、ズルいんだよアイツ。きゅ、急にああいうこと言うから」

「〝アリエスに手ェ出すのは赦せない〟……いいね。ぼくも言ってみたいよ」

「ジェミニお願いだからやめて……」

 

 耳をふさぐアリエスが、いつも以上に小さく見える。

 言われてみれば、常に一緒にいる二人。なんとなく付き合ってるのかなーくらいには想像していたが、なるほど、意外と青々しいカップルのようで。

 

「あーもう、なんであんな恥ずかしいこと平気で言えるかなぁ……」

「どうかなぁ、平気ではないと思うけど」

「いいよ、そういうの」

「いや、慰めとかじゃなくってさ」

 

 両の眉を上げたアリエスに、ジェミニは頬を染めて答える。

 

「好きな子の前では見栄を張りたくなるのが、男なんだよ。だからスコーピオンのアレも、ぼくのと一緒で、とっさのカッコつけだと思うよ」

 

 それはちょっと暴論が過ぎるのでは。私は眉をひそめて思う。

 っていうかアナタ、女性ですよね?

 

「お前と一緒にすんじゃねーよ」

 

 どうやら聞こえていたらしく、怪訝な顔のスコーピオンが話に割って入る。彼はジェミニの隣にドスンと腰を下ろすと、彼女の脇腹を肘で突いた。

 

「なんでオレがお前と同類扱いされなきゃいけねーんだ、このっ、このっ」

「あだっ、いたっ。スコーピオン、痛いよ。やめてよ」

「お前が発言を撤回するまで続けるっつーの。おらっ、おらっ」

「いっつ、でも事実だろ? いだだ。照れ隠しのつもりかい? いだい。アリエスにいいとこ見せたかったくせに、いだだだだ!」

「んなわけあるか! なんでオレがアリエスのためにカッコつけなきゃいけねーんだ」

「いだだ、へー、ふーん。いたっ。じゃーキミは、いって。アリエスに『万が一のときに自分を助けてくれないクソダサい男』だって思われていいんだ?」

「うっ……」

 

 スコーピオンの眉間にシワが寄ると、ジェミニは満面のドヤ顔を浮かべた。

 

「ぼくの勝ちだね。最初っから素直になればいいのにー、このこの」

「ったく。相変わらずいイヤな性格してるぜ……」

 

 ため息交じりに言いつつも、私の目には、スコーピオンがそんなやりとりを懐かしんでいるように見えて仕方がない。

 12宮って、本当に仲がいいんだなぁ……。

 

 ……いや。というか、私にはソレ以上に気になることがひとつ。

 

「あの……、おふたりとも」

「なんだい?」「どうした?」

「その辺にしておかないと、そろそろアリエスさんが……」

 

 チラリと視線を動かせば、そこには悶えて死にそうになっている金髪の少女がひとり。

 

「「……あ」」

 

 じゃねーですよ。

 こんな連中とずっと一緒にいたアリエスは、さぞ大変な思いをしてきたことだろう。

 

「……盛り上がっているところ、申し訳ございませんが」

 

 冷たい目線をふたりに送ってしばらく、奥から控えめに現れた男がいた。

 アクエリアスだ──……。

 

「──ッ⁉ レイセン顔! かおっ……っていうか目が! こわいから!」

「え?」

 

 慌てた様子のジェミニが両手をばたつかせる。見れば、アクエリアスもなんか私を見て引き攣った笑みを浮かべていた。

 

 ……え、なに。私の顔がなに。

 

 そりゃまあ、さっき鈴仙を引っ叩いたヤツに送る目線なんて〝そんなもん〟だろうとは思うけども……、ああ、思い出しただけで腹が立ってきた……。

 

「あの、レイセン、私、気にしてないから……。アクエリアスも、気にしないでね」

「畏れ入ります」深く一礼する彼。

 

 ええ? 鈴仙までなにを言い出すの……。とは思いつつも、私の袖を力なく引っ張る彼女がもう可愛いのなんので。

 

「まあ……、鈴仙が言うなら」

 

 そんな感じでアクエリアスを赦してしまうあたり、私もヴァルゴと大差ないのかもしれない。

 

 

 

 

 鈴仙の了解もあって、それから話は本題に戻る。この場にいるメンバーだけで、邪神対策会議が執り行われたというわけだ。

 

 重要なのは、今この状況で、私たち自身の身を四魔卿の襲撃からどう守るのか。おそらく鈴仙がもっとも気にかけている『レオの安否』については、アクエリアスやジェミニの「心配する必要がない」という言葉を信じる形で、一旦保留になった。

 

 各自ベッドに座るなり壁にもたれるなりして、満足に会話ができるよう配置につく。

 

 問題点は二つ。

 

 ひとつ、怪我人がいること。

 

 ジェミニとヴァルゴ、鈴仙はもちろんのこと、ここまで能力を使い続け、魔力切れを起こしているアリエスとアクエリアスも戦わせるには不安がある。

 五人を責めるつもりはないが、これは承知しておくべき事実であった。万が一のときは、この五人を守りながら残りのメンバー(と言っても、四魔卿に太刀打ちできそうなのはスコーピオンと八意様くらいのものである)で対処する必要性があるのだ。

 

 ふたつ、主要な戦力が不在であること。

 

 私たち側で言えば依姫様、霊夢、ヘカーティア、純狐など。

 12宮側から名前が挙がったのはサジタリアス、キャンサー、レオ。

 要するに「戦闘センスがずば抜けている面子」が揃いも揃って不在なのである。決してスコーピオンら残りの12宮が弱いとは言わないが、今挙げたメンバーと比較すると、どうしても見劣りするものがあるとのこと。

 こんな状態で四魔卿の誰かが攻め込んできたら、話にならない。

 

 会議はかなり難航した。昼間ピスケスが来たとき残ってもらうべきだったとか(実は鈴仙たちと入れ替わりになる形でここを訪問したのだが、用事だけ済ませるとまたすぐに飛んでいってしまった)、過ぎたことでございますとか、ならば耳のよいキャンサーを呼ぶのはどうだとか、さっき呼んだけど来ない(こんなことは初めてらしくアリエスがかなり心配していた)とか、まあ次々と意見が出ては消えていくものだ。

 

「……そもそも、兄さんがフェアプレイを欠いてくるとは思わなかった」

 

 会議が難航している理由は、ジェミニの一言に尽きた。

 そもそも私たちは四魔卿との直接的な殴り合いを想定しておらず、互いの世界で機能しているはずだった決闘のルール、即ちバトルスピリッツでの戦いを前提にしていたのだ。

 だが、ルールがルールとして機能するためには、お互いがソレをリスペクトする精神を持ち合わせている必要がある。

 

「だけど、冷静に考えれば当たり前のことだよね。兄さんたちは大昔、突然何者かに暴走させられて……、結果、ぼくらが十二神皇を犠牲にして封印した。だけど、ぼくらは暴走をおさめたわけじゃないんだ。ただ緊急時対応として封印しておいたに過ぎない」

「暴走したまま無理やり寝かされて、暴走したまま目覚めたってことだな」

 

 スコーピオンはいかにも参ったように頭をかく。

 

「暴走してるヤツが、フェアプレイ精神なんざ持ち合わせてるわけねーわな。むしろ寝かされたことを根に持って、手段を選ばずブッ殺しにくるってのが妥当だぜ」

「……あれ? でも」アリエスが言った。

「兄ちゃんは、ジェミニたちに手加減していたんだよね」

「うん。ぼくにはそうとしか……」言いかけて、ジェミニも「ん?」と眉を寄せた。

「暴走しているのに、手加減……?」

 

 たしかに、なんとも微妙な響きだ。そもそも邪神が暴走している云々のところも私にはよく分からなかったが、暴走ってそんな簡単に制御できるものなのか?

 

「私も薄々思ってはいたわ。ジェミニもヴァルゴも、たしかに大怪我したことに違いはないけれど、どちらも急所は外れていた。それもすべて」

 

 二人に処置を施した八意様は、懐疑的な表情を浮かべて言った。

 

「まるで狙ってやったみたいに見える。暴走していると言う割には、あまりに正確すぎるわね」

「……えーっと、つまり『ルールは破るし急に襲いかかりはするけど、アナタたちが死なないよう、最低限の保証はしますよ』ってことですか?」

 

 我ながら頭の悪いまとめである。

 

「……言葉にしてみると、ますます意味がわからんな」

 

 スコーピオンに首肯を送る。私自身、言ってて意味がわからなかった。

 

「単に遊びのつもりだったから? それとも、なにか大きな意図があるとしたら……、私たちになにかしらの認識をもたせつつ、私たちを生かしておくことに……? 意味……」

 

 貫かれた胸をさすりながら考えを巡らせるヴァルゴは、ほとんど思考を放棄している私とは正反対に見える。

 

 やがて、彼女は「それとも──」と続けた。

 

「夢見がちなことを言うようだけど、攻撃を加える一瞬、兄さんが正気に戻ったとか」

「……だったら宜しいのですが」

 

 アクエリアスがためらいがちに口を開く。

 

「ヴァルゴ様、その可能性には期待しないことを推奨致します。無闇に情を抱いて、もしものときに命を落とすのはアナタなのですよ」

「……わかってるわよ、バカ。可能性のひとつとして提示しただけだもん」

「でしたら、不貞腐れたようにそっぽを向くのをお止めください」

「…………」

「期待したところで、過去には戻れないのです」

「……うっさい」

 

 ヴァルゴのその言葉を最後に、12宮たちは黙りこくってしまった。

 

 妙に暗く感じるこの部屋で、雨音だけが聴覚を占領し始める。

 

 12宮たちが会話するとき、彼らは時折、内容の百パーセントを私たちに理解されないように喋っている。それは学のない私の目線からも明白だった。

 

 なにかを恐れるように。

 

 いったい何を──……?

 

「──まるでお葬式だなァ?」

 

 嫌に間延びした声が響き渡ったのは、そのときだった。

 

 一瞬、私たちの誰もが呼吸を止め。

 

 耳底にまとわりついていた雨音すらも止まり。

 

〝ソイツ〟のほうを見た。

 

 

 5

 

 

「──ッ!」

 

 私がソレを認識し、立ち上がったときには、すでにスコーピオンが殴りかかっていた。

 直後、彼の剛腕はソイツの細い腕にスルリと捉えられ、柔道を思わせる流動的な腕捌きで簡単に押し返されてしまう。

 一瞬のことだった。すぐに体勢を立て直すスコーピオン。その姿を見たソイツが、にたりと笑みを浮かべる。

 

「今のはいい反応だったなァ、スコーピオン」

「……一発ぶん殴りたくて仕方なかったからな」

 

 いつの間にか、この病室に音もなく侵入していたソイツ。

 よりによって、豊姫様の御体を借りている、この男の名を。

 

「イル・イマージョ……!」恨めしく呼んで、私は拳銃を構えた。自分の影に鈴仙を隠すことも忘れていない。

「おいおい、そんな顔すんなよォ。こええよ」

 

 両手を肩の高さまで上げつつも、彼のにやついた表情に反省の色はない。

 姿かたちは、全身に青黒い闇が纏わりついていることを除けば完全に豊姫様で、ヤツの言動ひとつで豊姫様の温かなイメージが台無しになる。マジでやめて欲しい。

 

「……っ、……っ」

 

 小刻みな呼吸が聞こえて背後に目をやれば、例のトラウマを刺激されたのか、鈴仙が怯えたように震えていた。

 

「鈴仙、大丈夫です。私がいます」

「っ……、は……っ、う、うん……」

 

 無理もない。あの12宮をも凌駕する四魔卿のひとりが、今、目の前にいる。

 私自身、恐怖で手が震えそうだ。が、励ました手前、気合いで無理やり抑え込んだ。

 やればできるじゃん私! とは、紛れもなく空元気だが、こんな私にだって出来ることはあるはずだ。

 

「……鈴仙。見ていてくださいね」何故か、そんな言葉が口からこぼれていた。

「レイセン……?」

 

 とろけるような彼女の声が、耳を伝って脳にまで入り込んでくる。体が熱く、灼熱を帯びていく。

 

「なにしに来た。なんで戻ってきた」

 

 スコーピオンが頼もしく立ち塞がり、彼を睨みつける。すると、ソイツは上げた両手をだらりと下ろして病室を見回した。

 その視線が、ジェミニとヴァルゴを捉えた時点で静止する。

 

「ヴァンディールのヤツが……ボロ雑巾ふたりを逃しちまったらしくてよォ……」

 

 怖気すら感じる、狂気としか言いようのない笑みで。

 

「オレが代わりに殺しにいけってさァ!」

 

 畳を蹴り、駆け出した。

 とっさのことで反応が遅れた私とは違い、スコーピオンは彼を止めるべく拳を振るっていた。受け止められはしたが、イルがふたりのもとへ到達することはない。

 

「邪魔すんなよォ」

「永いこと寝てたせいでバカになったのか? 仲間に手ェ出されそうなのに黙ってみてるわけねーだろ。オレたち12宮が……!」

「ひははっ、それもそうだなァ」

 

 イルは拳を振り払い、庭へと場所を移す。

 雨が強く足場はぐちゃぐちゃになっていて、室内の灯りが漏れてなお視界は最悪だ。

 

「単体で他者を圧倒できるよう創られたオレたちに対して、お前らは仲間同士での連携を前提に創られたんだもんなァ……。つまりなんだ? お前らは数人がかりでオレと戦わなくっちゃいけねーってことなんだけどさァ……」

 

 試合開始前にするウォーミングアップのような動きで両手をブラブラさせ、小さく跳ねるように全身を揺らしたあと、彼は、

 

「……誰がお前と一緒に戦えんだァ? そこのボロ雑巾どものよォ」

 

 半開きの両手を胸の高さで構え、挑発的な笑みを浮かべた。

 やはりヴァンディール同様、私たちのルールでやり合うつもりはないようだ。

 

 この場にいる12宮は、みな先の戦いで怪我を負っているか、度重なる能力の使用で魔力が底を尽きているかのどちらか。

 ただひとり、スコーピオンを除いて。

 

 だけど、私にだってサポートくらいはできるはずだ。

 

「……スコーピオンさん。頼りないかもしれないですけど、私だってサポートくらいはできます」

「ああ、頼む。……アリエス、それに八意先生。ふたりは怪我人を」

「ええ」

「待ってスコーピオン! まさか戦うつもり⁉」

 

 アリエスが駆け寄ろうとするのを、八意様が止める。体の心配はもちろんだが、今の彼女が戦いに出たところで足手まといになるのは明白だった。

 

「心配すんな。一発ぶん殴って、オレたちを怒らせたらヤベーってことを分からせるだけだからよ」

「一発でも当たればいいけどなァ……」

「その言葉、ヴァンディールみたいにスピードを極めてから言えよ」

「ヴァンディールか……」

 

 彼は深く、深くふかく、ため息をついた。

 

「アイツも偉そうにリーダー気取りやがって……。戦いにおいて重要なのは、パワーでもスピードでもねーのにさァ……、ホント哀しくなってくるよなァ……」

「負け惜しみなら、本人に言えばいいじゃねえか」

 

 イル同様に庭へと降りたスコーピオンは、重ね合わせた拳をバキバキ鳴らしながら彼に近づいていく。さらに肩を回し、首を回す。

 敵を見下すような目線は、ヤンキーそのものと言う他なくて。

 これまでの印象とはかけ離れた彼のオーラに、ほんの少しゾクリとさせられる。だが、臆している暇はない。私も銃口をヤツに向けて、精一杯の威嚇をした。

 

「…………」

 

「……………………」

 

 両者、睨み合い。私たちは固唾を呑んで見守る。

 雨音だけが聞こえる。沈黙が、プレッシャーが。脳を、全身を、空間を支配する。

 

 そして、ほんの一瞬。ほんの一瞬だけ、降りしきる雨が力を弱めたとき。

 

「ッしゃらァ!」

 

 スコーピオンの拳が突き出された。

 

 イルのような格闘家らしい動きでなく、ステゴロとも言うべき豪快な腕振りで。

 だが、彼の剛腕はまたしても、イルの流動的な腕捌きに流される。流されて、避けられて、受け止められる。続けて繰り出す拳もすべて、無に返されていく。

 ときにアッパーカットを繰り出し、ときに肘打ち、あるいは蹴りも交えて、イルに休む暇を与えぬよう、スコーピオンは攻撃を繰り出し続ける。

 

 彼の攻撃の隙間を埋めるように、私も弾丸を打ち込む。だが、恐ろしいことにイルはそのすべてを、目視もせずに、指で挟んでつまみ取ってしまうのだ。

 イルはずっと嘲笑うような表情のまま。スコーピオンだけを見つめていて。

 

 余裕。

 

 私なんか相手にされていない。見向きもされていない。

 そうとしか言いようがなかった。

 

「ッ……!」

 

 舌打ちした。一箇所から撃ち続けても結果は同じだ。私も庭に下り、左へ右へ、走り回りながら弾丸を発射し続ける。

 髪や制服が雨に濡れるのは気持ちが悪いが、こっちの方が、スコーピオンを避けながら狙撃するにも都合がよかった。

 なのに──なんで当たらない? どうして全部、避けられる? つままれる?

 そうこうしているうち、一瞬、スコーピオンに隙が生まれる。

 

「おらァ!」

 

 今度はイルが、スコーピオンの土手っ腹目掛けて拳を突き出した。

 あっ──、と私が声をあげたときには既に、ヤツの正拳突きがスコーピオンのみぞおちに直撃していた。鈍い悲鳴はすぐに雨音にかき消される。

 ここまで絶え間なく攻撃を繰り返してきたことで、スコーピオンもかなり消耗していたのだろう。明らかに、最初よりも反応が遅くなっているようだった。

 

「どうしたどうしたァ? 隙ができるにはまだ早いんじゃねえかァ!」

「ッ──!」

 

 スコーピオンが表情を歪めたのを確認すると、今度はイルが攻め始めた。

 

 ヤツの拳にはスコーピオンのようなパワーはないが、動作の一つひとつがとにかく洗練されていて素早く、素人目に見ても押し引きの切り替えが異常なほどに素早い。

 まるでオウム返しのように、蹴りやアッパーカット、ときには頭突き。あらゆる打撃がスコーピオン目掛けて飛んでくる。

 彼もなんとか攻撃を受け止め、押し返し、反撃の機会を伺っているように見える。しかし私が見る限り、それらはイルがやっていたほど上手くはいっていない。

 

 やはり、単体での戦闘能力には明らかに差があった。

 

 私の銃を撃つ手も止まる。闇雲に撃ったところで、限りある弾丸をやたらと消費するだけだと悟ったのだ。

 一度冷静になり、一歩下がってヤツの観察に努めるのが得策ではないか。

 雨の降りしきる戦場で、青の蠍は泥にまみれながら戦い続ける。その中で、なにかイルの弱点が見えてこないかと私は目を凝らす。

 スコーピオンの攻撃は当たらない。イルの攻撃だけが彼の体を捉え、痛めつけ、皮膚を裂いて赤い血液を表出させていった。

 

 やがて、私のなかに一つの違和感が生じた頃──。

 

「……やめだ」

 

 イルが、その手を止めた。

 

「……あ?」

「なんで……」

 

 スコーピオンとふたりで、イルを睨みつける。もっとも、ヤツの見ている世界に私はいないも同然だろうが。

 イルは呆れたように口を開く。

 

「スコーピオンお前はァ……、パワーはあるのに動きが大ぶりすぎるんだよなァ……。無駄が多くて、隙がある。だから避けられる……」

「……だったらなんだよ」

「わかんねーかなァ……。お前たちじゃ、オレに勝てねーってことが」

「…………」

 

 勝てない。腹立たしいことに、彼はそう言い切った。

 

「オレも疲れるのは嫌いなんだァ……。降参してくんねーかなァ……、疲れるってのは哀しいことだ。無益なことだ。だからオレは嫌いなんだよォ……」

「知るかよ。なんて言われよーが、少なくとも今は降参しねえ」

 

 腹の底から同意して、こくりと頷いた。ヤツの好き嫌いなんて私にはどうでもいいし、戦えば疲れるのは当然の摂理だ。そんなことのために降参なんてするものか。

 

 それに、私には何よりも大きい二つの理由がある。

 

「なんでだァ? お前このままだと死ぬぜェ?」

「どっちにしろ死ぬだろ」

「降参すれば、お前だけは助けてやる」

 

 その言葉を発する一瞬、イルが真顔になった気がした。

 ヴァルゴの言葉を借りるなら、まるで正気に戻ったような感覚。

 

「だとしたら……。なんで、お前は戦うんだろうな?」

「…………なんで、ねえ」

 

 スコーピオンはイルから目を離し、静かにアリエスを見やる。

 その瞳には、強い決意が込められているようだった。

 

 当のアリエスは何事かわかっていない様子で、ただ心配そうに彼を見つめ返すだけ。

 そんな彼女に肩をすくめたスコーピオンは、呼吸を整え、再びイルに向き直った。

 

「……ジェミニが言っていたことだが、どうやら男ってのは〝好きなヤツの前では見栄を張りたくなる〟らしくてさ」

「……はァ?」

「そして。面倒くさいことに、どうやらオレも、そういうことらしい」

 

 スコーピオンは挑発的な笑みを浮かべ、堂々と言い放った。

 

「オレはどうしても、アリエスにだけは、カッコ悪いとこを見せたくない」

「……!」

 

 アリエスは頬を赤らめ、ぎゅっと胸を握りしめた。

 なるほど、ズルい。こういうときに〝ああいうこと〟言っちゃうんだあのひと。そりゃアリエスも惚れるわこんなん。

 

 私も、見習わないと。

 

「アリエスねえ。あんな守ってもらうだけのガキ、どこがいいんだか」

「オレもアリエスに守られてる。オレたちの関係は一方的じゃない、支え合いだ。それに、アリエスが見てくれてなきゃ、オレはお前とここまで張り合えない」

「…………」

「オレは、アリエスのためなら、どこまでも見栄っ張りになれる自信がある」

 

 ピィー。誰かが茶化すように口笛を吹いて、私は振り返った。

 それはジェミニだった。彼女は傷だらけの体にも関わらず、曲芸のような動きで華麗に飛び上がり、戦場に美しく舞い降りる。

 そしてスコーピオンの傍らに立って、ジェミニは言った。

 

「言うじゃん。見直したよ、スコーピオン」

「……何しに来たんだよ。っつーか、オマエを失望させた覚えなんかねえ」

「たしかに。ぼくは一度だって、キミに失望したことなんかない」

 

 悪戯っぽい笑みは、まるで男友達をからかっているようで。

 

「でも、キミばかりがカッコいいのはズルいよね?」

「…………」

「ぼくも、一緒に戦うよ」

 

 ジェミニは、魔力で創り出した双剣を逆手に構えて、イルを威嚇する。

 

「……やめとけェ、ボロ雑巾が。一瞬で終るぜェ」

「やってみれば?」

 

 無茶だと言う気にはなれなくて、私は立ち尽くした。ジェミニの眼光は、ただの見栄っ張りと切り捨てるにはあまりにも鋭すぎたのだ。

 そして、彼女の原動力になっているものも、私にはよく分かってしまうから。

 

「見惚れている場合ではありませんよ」

 

 不意に肩を叩かれて、ドキッとした。

 声の主は私のよこを通りすぎ、規則正しい足音を立ててふたりのもとへ向かっていく。

 

「男というものは、好意を寄せる御方の前では見栄を張りたくなるもの……。わたくし、ジェミニ様のお言葉には、大変感銘をお受け致しました」

「……お前もかよォ、アクエリアス」

「ええ。僭越ながらわたくしも、少々〝見栄〟を張らせていただきます」

 

 アクエリアスは両手にサーベルとマグナムを握りしめて、ムカつくほどに爽やかな微笑みを浮かべていた。

 お前は誰に見栄を張るんだよ。とは、内心にとどめておく。

 

「我ら12宮三名に、レイセン様を加えて。……これで四名です。多少はマシになったかと思いますが」

「お前らが本調子だったらなァ……」

「現在の我々は、普段よりも高いパフォーマンスを発揮できますよ」

 

 なにせ見栄っ張りですので。彼の言葉に、イルは呆れを通り越した感情を見せた。

 

「……マジで、くだらねえ。どーせ勝ち目なんかないだろーに」

「そうでもないっぽいよ?」

 

 ジェミニが、私を見て言った。釣られるように、スコーピオンとアクエリアスの視線も私に向けられて、なんだか萎縮してしまう。

 

「……え、なんですか」

「いや。キミは兄さんの動きを見て、なにか気づいたことがあるみたいだったから」

「…………」

「でしょ?」

 

 どうやら、気づかれていたらしい。

 確信はなかったので、これを伝えるのは控えておくつもりだったのだけれど。

 

 私は前に出て、ジェミニの言う〝気づき〟を説明した。

 

「……そうですね。私、思ったんです。イル・イマージョはスコーピオンさんの攻撃がくるよりも前に、すでに攻撃が飛んでくる位置を防御できるよう構えをとっているなって。最初、未来予知かなにかかと思ったんですけど……、きっと違う。これは恐らく、五感から得られる情報を頼りに、私たちの攻撃を捌いているんじゃないでしょうか」

 

 五感から得られる情報を頼りに、次の攻撃を予測する。

 それは、あまりにも当たり前のことであり、

 

「ただ、その〝情報処理能力〟が異常なほどに高いんです。スコーピオンさんの僅かな筋肉の動きを見て、それによって生じる気流の変化や微細な音をすべて受け取り、瞬時に〝いつどの方向から、どんな攻撃が飛んでくるのか〟を予測している」

 

 そして、誰にも真似できない芸当であった。

 

 敵の動きを一切見逃さない集中力、観察力。そして、圧倒的な情報処理能力。それが、四魔卿に名を連ねるイル・イマージョの、最大の武器なのではないか。

 

「つまり、五感のいずれかを阻害してやれば、アナタの防御にはほつれが生じる」

 

 これこそが私の予想である。

 

「違いますか。イル・イマージョさん」

「……お前、何者だァ?」

 

 どうやら、暗に正解を認めたらしい。

 

 私は彼をまっすぐに見据え、小さく呼吸を整える。

 

「レイセンと言います。月の都のウサギであり、軍人であり……」

 

 そして、なによりも。

 

「アナタが体を乗っ取っている、綿月豊姫様の、ペットです」

 

 雨が、制服を染みらせていく。髪を伝い、瞼に流れ込んでくる。

 

 ようやく私を見つめた彼は、どこか物憂げな表情をしている気がした。

 私を見ていて、だけど、どこか遠くを見つめている。そんな瞳で、私のことをじーっと見つめること、数秒。

 

「……あァ、お前がかァ」彼は言った。

「…………?」

 

 私のことを、知っている?

 疑問を口にするよりも前に、イルは言葉を続ける。

 

「なら丁度いいなァ……。おまえ、ひとつ提案をしてやるよ」

「提案?」

「お互いにメリットのある提案だァ」

 

 イルは懐を探ると、そこからひと束の黒いカードたちを取り出した。

 

 ──バトルスピリッツだ。

 

「お前、コイツの腕は立つかァ?」

「……それなりには」嘘だ。今日だけで利家に十連敗かましている。

 

 だが、私にはこう言う必要があった。

 イルは続ける。

 

「ならよォ。お前、オレと戦ってくれよ」

「…………」

 

 こちらの土俵に上がろうとしている?

 双方にメリットがある。イルはそう言っていたが。

 

「……アナタへのメリットは、疲れないことですか」

「そうだァ」彼はニヤリと笑った。

 

 願ってもない提案だが、即答はしない。まだ探りを入れる段階だと思った。

 私は続けて質問を飛ばす。

 

「では、私たちへのメリットは」

「コイツの方が、まだ勝算があるだろォ?」

 

 真顔だった。……ハッタリが筒抜けになっている?

 だが、目線を逸らすわけにはいかない。そうしている内、彼が続けた。

 

「それに……、今回は特別に、このフィールドを使ってやるよォ」

 

 雨に濡れた指をパチンと弾く。

 すると、見る見るうちに視界を覆う暗闇が晴れ、岩肌を剥き出しにした谷のような景色が広がり始めた。

 雨は止み、代わりに深い霧が立ち込める。風の流れる音が谷底に反射して、この世のものとは思えぬ幻想的なメロディが奏でられていた。

 だが、見惚れている場合ではない。慌てて周囲を確認すると、どうやら皆も一緒に連れてこられたらしく、皆一様に周囲の様子を伺っていた。

 鈴仙もいる。彼女と目線があって、私はホッと息をついた。

 私はイルに向き直って問いかける。

 

「ここは?」

「邪神域。オレたち専用のバトルフィールドだなァ」

「邪神域……」

 

 その言葉に、聞き覚えがあった。

 

「マグナさんが言っていたヤツですか。邪神を消滅させる手段のひとつ」

「……話が早くて助かるぜェ」

 

 彼はくつくつと笑った。

 

 

 それは、今日の昼過ぎ。鈴仙たちが出ていったあと、依姫様たちが〝龍魔侯をどう倒すのか〟という主旨の話をしていたときのことだ。

 不意に、話を盗み聞きしていたらしいマグナが、

 

『アイツを消滅させたいなら、オレたちの邪神域が必要じゃないかな』

 

 と言った。

 

『邪神域、ですか』眉を寄せる依姫様に、マグナはこう続ける。

『うん。簡単に言うと、オレたちだけが使える特殊なバトルフィールド。そこでのバトルは負けたほうが死んじゃうんだけどさ』

 

 マグナは無邪気としか言いようのない笑顔で、ハッキリと言った。

 

『もちろん、オレたち邪神も例外じゃないんだよね。だからマコーもこれで消せるよ!』

 

 ──邪神って、12宮と違って仲間意識とかないのだろうか。

 

 

「お前らのもう一つのメリット。それは、オレが負ければ、オレは死ぬってことだァ」

 

 ニンマリとした笑顔。

 あのとき思ったことが、今、違う形で、こうして私の目の前にある。

 

 邪神って、自分の命をなんだと思っているのだろうか。

 それとも、こちらでも負ける気はないという、自信の表れなのだろうか。

 

「……最後の質問です」私は口を開く。

「いいぜェ」

「……何故、私なんですか」

「お前が一番、面白そうだからだァ」

「…………」

 

 その言葉の奥にあるものを推し量ろうとしても、彼の表情はずっとニヤニヤ笑っているだけで。

 

「レイセン」スコーピオンに声をかけられるまで、私はずっと黙りこくっていた。

「……なんですか?」

「お前がそんな危険を冒す必要はない。バトルするなら、オレがやる」

「それは大丈夫です」

 

 無礼にも彼の厚意を一蹴し、私は続ける。

 

「バトルをするというなら、私がやります。最初からそのつもりでした」

「だけど……」

「豊姫様を取り戻す。この瞬間のために、アナタとアリエスさんで戦えるよう、訓練をしました。アナタが戦ってくれると言うなら、それは、デッキの中でお願いします」

 

 制服のポケットからデッキを取り出し、スコーピオンに向けてソレを掲げた。

 変わらない。最初から、ヤツとはバトルをするつもりでいたのだ。その意思は変わることがなく、誰になにを言われようと不滅なのだ。

 ただ少し、理解の及ばない存在が、ほんの少し怖いというだけのこと。

 もしも私が見栄っ張りでなかったら、今ごろ、手が震えていたに違いない。

 

「……わかった」

 

 私の意思を汲んでくれたらしく、スコーピオンが折れたように頭を掻いた。そんな彼の後ろから、アリエスが駆け寄ってくる。

 

「話は聞いてたよ、ふたりとも。ぼくも一緒にたたかう」

「アリエス……」

 

 次に口を開けば、「でも……」なんて言い出しそうな顔で、スコーピオンは彼女を見つめていた。

 相変わらず、アリエスのことになると慎重なのだ。

 彼女が発した言葉には、そんな心配性な彼への、牽制の意味もあったのだろう。

 

「ぼくたち〝支え合い〟なんだろ?」

「…………」

 

 緑が芽吹いたような笑顔だった。

 オレたちの関係は一方的じゃない、支え合いだ。見栄を張った彼の言葉が、そっくりそのままスコーピオンに返ってきて、

 

「……そうだな」参ったと言うように、彼もまた苦笑した。

 

「レイセン、頼むぞ」

「気負いすぎないでね」

 

 ふたりはカードの中に戻り、私のデッキへとその身をおさめる。

 

「ええ」

 

 これで、役者は揃った。

 

「……ぼくらの出る幕じゃなさそうだ」

「そのようですね。では、カッコつけはまたの機会に」

 

 ジェミニとアクエリアスが分かったように一歩下がり、私たちだけが残される。

 

 もう、引き返せない。引き返すつもりもない。

 私はイルを睨みつけた。

 

「お待たせしました。お望み通り、私が相手をします」

「……マグナじゃないが、嬉しいぜェ」

 

 互いにデッキを構え、私たちは緊張入り交じる叫びを挙げた。

 

「「ゲートオープン、界放!」」

 

 

  続 




最後まで読んでいただきありがとうございます。
今回はいつもと違うレイセン視点のお話でしたが、いかがでしたでしょうか?
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第五話『勇気の証明』

サブタイがモンハンになってしまった……。


 

  1

 

 結論から言って、地味なバトルだった。

 

 鈴仙たちが固唾を呑んで見守る中で、私とイルの戦いは静かに進行していく。

 派手な一手があるわけではなく、大きな逆転劇があるということもなく。ただお互いに、相手の次の手を読み、罠を張り、ときに細やかな攻撃を仕掛ける。

 ただ、「焦ったほうが負ける」という確信だけはあった。

 

 私の展開した作戦は、スピリットと異魔神ブレイヴを中心に、イルの得意とするバーストを妨害しつつ攻めるというもの。《黒獣皇ケフェウス(Rv)》と《超・風魔神》で攻撃しつつ、《緑の世界》などのネクサスでアドバンテージを稼いでいった。

 

対する彼の戦いぶりは実に堅実で、破壊耐性を持つ《砂海王子ナミルネス》で軽減シンボルを稼ぎつつ、《獄海提督スキッドメン・アドミラル》を召喚。そのUトリガーで、こちらのスピリットを一体ずつ順に破壊してきた。

 

 現在、バトルは第五ターン。私のフィールドには《緑の世界》が配置されているのみで、スピリットやバーストはなし。ライフは残り四つで、手札は五枚だ。

 

 対するイルのフィールドには、レベル3の《砂海王子ナミルネス》が二体と、レベル4の《獄海提督ナミルネス》が一体。ネクサス《暁の寺院城アルン》が配置されており、バーストもある。ライフは残り三つ。手札は一枚だが、油断はできなかった。

 

「私のターン」

 

 デッキからカードを手に取りながら、ここまでのバトルを振り返っていた私は、自分の方が劣勢を強いられていると痛感していた。

 私のデッキは、イル・イマージョの戦術に対して有利に動けるよう構築してあるはずなのに、結局ヤツは私の予想していなかった方向に〝流れ〟を変えてくるのだ。

 

 それなら──こちらも彼の予想していない流れを見せつけるしかない。

 

 私は手札の一枚を切った。

 

「異魔神ブレイヴ、《海魔神》召喚します!」

 

 青き水底から、タコのような異形のブレイヴが姿を現す。

 

「召喚時効果! 私の手札から、系統「異合」、「殻人」を持つスピリットカード一枚ずつを、コストを支払わずに召喚できます!」

「ほォ……〝異合〟か」イルが満悦そうに笑みを浮かべる。

 

 どうやら読まれているらしいが、ここは召喚させてもらう!

 

「鋭き尾に毒持つ、甲殻の王者! 《天蠍神騎スコル・スピア(Rv)》召喚!」

 

 天空から降り注いだ光が、バトルフィールドに蠍座の紋章を描き出す。

 輝く門のようなソレを砕き、地の底から、鋭利な槍を携えた青き蠍が姿を現した。

 

「来たかァ……! スコーピオン……!」

 

 挨拶代わりにと、《スコル・スピア》は巨大な雄叫びをあげた。

 だが、これで終わりではない。

《海魔神》は、「殻人」のスピリットも呼び寄せることが出来るのだから。

 

「さらに! 汚れた世界に終わりをもたらし、未来に希望をつなぐ再生の神! 《終焉の騎神ラグナ・ロック(Rv)》召喚!」

 

 真に神々しいのは、一瞬、視界がまばゆい光に包まれた直後。

〝ソレ〟はいつの間にかそこにいて、当然のようにイルを見下ろしていた。

 

「《ラグナ・ロック》だとォ……?」

 

 彼が目を丸くしたのを見て、思わず頬が吊り上がる。

 隠し玉、入れておいて良かったと。

 

「アレって……アクエリアスの」

 

 外野のヴァルゴが呟いた。その視線は当然、黄金の武装を身にまとった巨大な騎士に向けられている。

 彼女の疑問に、アクエリアスが首肯する。

 

「ええ。どうやらレイセン様は《海魔神》をデッキに組み込んでいながら、優れた殻人のスピリットをお持ちでないようでしたので、一旦お譲り致しました」

「マーベラス。これは、兄さんにとっても予想外の一手になりそうだね」

 

 ジェミニも満足げに首を振る。そう、ここからは彼にとっても予想外の流れのはず。

 

「召喚時効果! ボイドからコアの恵みが六個、《ラグナ・ロック》にもたらされ、レベル3にアップします!」

 

 上空からかコアの雨が降り注ぎ、《ラグナ・ロック》が力を蓄えていく。

 この破格のコアブースト能力こそが、アクエリアスがこのスピリットを「優れている」と高く評価した理由のひとつだ。

 この能力を起点に、さらなる後続の動きに繋げることができるだろう。

 

 しかし、ことはそう上手くも進まなかった。

 

 イルは意味深に「なるほどなァ」と呟くと、

 

「相手スピリットの『召喚時』効果発揮によりィ、バースト発動!」

 

 伏せてあったバーストカードを公開したのだ。

 

「マジック、《キングスコマンド》! バースト効果で、デッキから三枚ドローしたあと、自分の手札を一枚破棄するぜェ」

 

 ミスった。と思ったのは、バーストを使わせたことはもちろん、その感情を表に出してしまったことだ。

 当然、あの獄海がソレを見逃しているはずもなく。

 

「表情……歪めたなァ?」

 

 さっきの仕返しと言わんばかりに、イルは頬をニタリと吊り上げた。

 

「コストを支払うことで、フラッシュ効果も使用するぜェ。このターンの間、コスト4以上のお前のスピリットすべては、アタックできねェ!」

 

 不足コストとして《ナミルネス》一体を消滅させながら、彼は王の号令をかける。

 この戦場にある限り、スピリットたちはカードの効果には逆らえないのだ。

 

『ちっ……、出鼻を挫かれちまったな、レイセン』

 

 フィールドの《スコル・スピア》が、私を振り返る。全くもってその通りではあった。

 だが、私は首を縦に振りつつも、あくまで前向きな意見を口にする。

 

「メインステップが続いているだけ、まだマシというものです。あんなヤツが相手なんですから、ターンそのものを吹き飛ばされたって不思議じゃなかった」

『……いいね。んで、どうする?』

「こうします」

 

 呼吸を整え、私は盤面に触れる。

 

「《海魔神》の左右に《ラグナ・ロック》と《スコル・スピア》を合体。さらにコアを移動させて、《スコル・スピア》をレベル2にアップさせます」

 

《スコル・スピア》には、元々コアを二つ乗せてあったので、《ラグナ・ロック》のコア二個を移動させる形でそれを実行した。

 

「さらに、《辛酉鳥ゲイル・チキンナイト》のアクセルを使用します。コストは再び《ラグナ・ロック》から確保し、レベル2にダウン。デッキから3枚オープンして、その中にある異魔神ブレイヴ一枚と、系統「神皇」か「十冠」を持つスピリットカード一枚を手札に加えます」

 

 デッキからカードがめくられ、対戦相手にも見えるよう提示されていく。

 

 カードは……。

 

《丁騎士ウェッジテイル》

《白羊樹神セフィロ・アリエス(Rv)》

《超・風魔神》

 

 なるほど。私は当然のように、そのカードに手を伸ばした。

 

「……ここで来ましたか、アリエスさん」

『ごめん、完全に出遅れた。読みが甘かったみたいだ』

 

 カードというスピーカーを通して、アリエスの声が鼓膜に伝わってくる。出遅れたということは、イルの次の一手を、彼女はすでに分かっているのだろう。

 とは言え、それは彼女を責める理由にはならない。

 

「大丈夫です。頼りにしてますよ」

 

 私は《セフィロ・アリエス》と《超・風魔神》の二枚を手札に加え、《ゲイル・チキンナイト》を手元に置いた。

 

「ターンエンド」

 

 私がしたこととは、要するに、次のターン以降の下準備である。地味なことだが、こういう小さな積み重ねが、最終的な〝結果〟に結びつくのだ。

 

「やっぱりアリエスも来たなァ……。それなら……」

 

 それは、獄海もよくよく理解しているらしい。彼は、アタック出来なかった私を嘲笑うことなく、真剣な面持ちでゲームを進行していった。

 

「《砂海王子ナミルネス》をレベル4にアップ。さらに……」

 

 ふと──。

 

 手札の一枚に触れた瞬間、彼の雰囲気が変わった。

 

「……いくぜェ」

 

 察知して、身構える。

 イル・イマージョは狂気の笑みとともに、一枚のカードを高々と掲げた。

 

「降臨せよ! 第参ノ闇、悲哀の濁流! 《獄海の四魔卿イル・イマージョ》、レベル4で召喚!」

 

 バトルフィールドを、ドス黒い雲が覆い尽くす。次の瞬間、フィールドは淀んだ海水に満たされ、雷鳴とともに、一体の異形がその姿を現した。

 

「ついに来ましたね……《イル・イマージョ》」

 

 挨拶代わりに、思いっきり睨みつけてやった。フィールドの《スコル・スピア》もギチギチと歯を鳴らしている。

 

 イル・イマージョが《イル・イマージョ》を召喚するという、なんとも奇妙な構図。説明しておくと、召喚されたアレは、バトルフィールドがカードから情報を読み取って作り出したイルの〝分身〟、つまりコピーであって、本体ではない。

 

 だが、何故このタイミングなのだろう。《イル・イマージョ》の必殺技である【ソウルドライブ】は、手札のバーストの枚数に応じて威力を増していくもの。しかし今、彼の手札は三枚であり、お世辞にも潤沢とは言えない。

 ならば、やはり《超・風魔神》を警戒して【Uハンド】用に召喚したのだろうか。

 それなら猶予はあるし、次のターンの作戦を練るのもいいだろう。

 

 しかし、甘かった。

 

「アタックステップ! 《獄海の四魔卿イル・イマージョ》でアタックだァ!」

「──ッ⁉」

 

 咄嗟に自制が利かず、私は目を見開いてしまう。

 イルが、《獄海の四魔卿》をけしかけてきたのだ。

 

「アタック時効果! オレの魂、受け取れ父上ェ!」

 

 彼は《獄海の四魔卿》に乗せていたソウルコアを手に取ると、それを天高く放り投げた。

 

 まさか、もう使うつもりなのか。

 

「ソウルドライブ! 発揮ィ!」

 

 拳を握りしめる動作に連動して、天に輝くソウルコアが、音をたてて砕け散る。

 それと同時に、イルが苦しそうにうめき声をあげた。

 

「《イル・イマージョ》はアタック時、ソウルコアをゲームから除外することで、手札にあるバーストカードを、条件を無視して好きなだけ発動できる! オレは手札から、二枚の《双翼乱舞》を発動するぜェ!」

「えっ……」

 

 私が両の眉を上げたのは、驚異を見せつけられたからではない。むしろ逆だった。

 

 ハッキリ言って〝拍子抜け〟したのだ。

 

「《双翼乱舞》二枚のバースト効果で、オレはデッキから四枚ドロー」

「それ……だけ?」

 

 そう。それだけだったのだ。

 

 四枚ドローというのは、アドバンテージ面で見れば優良ではある。

 だが、ソウルドライブは本来、ソウルコアというゲーム中にひとつしか使えない貴重な代物を除外して発動する必殺技。

 他人のプレイングにケチをつけるのはカードバトラーの恥だが、こんな雑に扱っていい能力ではないはず……。

 

「……とか思ってんだろォ?」

「……え?」

 

 あ、ヤバい──。表情を隠すのが難しくなってきていることに、私は気がついた。

 確実に今、動揺が顔に出てしまっている。

 そしてイルは、その表情の変化から〝心〟そのものを見透かしてくる……!

 

「フラッシュタイミング! マジック、《インファナルウィンド》!」

「《インファナルウィンド》だって⁉」

 

 緑の嵐が吹き荒れる中、最初に声をあげたのはジェミニだった。

 

「そうだぜェ! 直訳すれば〝獄風〟! あんなヤツからの御駄賃なんて気に食わねェけどよォ! 使えるもんは全部使ってやるぜェ!」

「獄風……? ヴァンディールのカード……⁉」

 

 顔を覆い隠さざるをえないほどの強風。それは、紛れもなく予想外の一手だった。

 イルやマグナが見せてきた態度から、邪神には仲間意識がないと思いこんでいただけに、なおさら。

 

「《インファナルウィンド》の効果! オレのソウルコアが除外されているなら、相手のスピリットすべてを疲労させ、ボイドからコア三個ずつを自分のアルティメットすべてに置くことができる!」

「はぁ⁉」

 

 いかん、素が出た。

 

 現状、イルのフィールドにはアルティメットが三体。つまり合計で九コア得ることが可能であり、私の《ラグナ・ロック》によるコアブーストを大きく上回っている。

 しかも、強風にやられて《スコル・スピア》と《ラグナ・ロック》が膝をついてしまったこともマズい。

 

 外野の鈴仙を横目に見れば、足を小刻みに震わせて後退りする姿が見えた。《インファナルウィンド》にトラウマを刺激されたのだろう。

 

 ……私に勇気を与えてくれた彼女に、今度は私が、勇気を示さなければ。

 

 私は、テーブル横についているグリップを握りしめた。

 

「……ライフで受けます!」

 

 イル・イマージョが展開した魔法陣から衝撃波が発せられ、バリン、という音をたてて私のライフを砕く。

 全身を地面に強く打ち付けたような、強烈な痛みが襲ってくる。一瞬息が止まった。

 だが、現状、唯一できる選択であった。手札にカードが無かったわけではないが。

 

「続けてェ! 《獄海提督スキッドメン・アドミラル》でアタック!」

 

 異形の剣士が、刃を構えた。

 

「アルティメットトリガー、ロックオン!」

 

 私に向けて、イルが人差し指を突き出す。同時に、私のデッキから一枚のカードが吹き飛び、彼に見えるよう提示された。

 

「……コスト〝3〟の《ダンデラビット(Rv)》です」

「ヒット!」

 

 指先から放たれた光弾が、ソレを貫いた。

 アルティメットトリガーは、相手のデッキの一番上のカードをトラッシュに置き、置いたカードのコストが、効果を発動しているアルティメットよりも低ければ発動するというものだ。

 発動にランダム性がある分、その効果はコスト不相応に強力なものであることが多い。

 

「《アドミラル》の効果で、最もコストの低い相手のスピリット一体を破壊! コストの低さが仇になったなァ! 《天蠍神騎スコル・スピア》ァ!」

 

 青い光に纏わりつかれた彼が顔を上げた刹那、《スコル・スピア》は爆散する。その一瞬、悲鳴をあげなかったのは、アリエスに見栄を張りたかったのだろうか。

 

「……すみません、スコーピオンさん」

『気にすんなよ。それより、今は勝つことに集中しようぜ』

「はい」

 

 フィールドから聞こえていた彼の声は、今やトラッシュに落とされたカードから聞こえている。

 だが、彼の言う通り、今は勝つことに集中しなくては。

 

「……《アドミラル》のUトリガーは厄介ですが、ここで阻止します!」

 

 私は手札の一枚を手に取った。

 

「フラッシュタイミング! マジック、《アドベントスター》! 私の手札にある、系統「光導」を持つ、コスト7以下のスピリットカード一枚を、コストを支払わずに召喚することができます!」

 

 提示したカードは粒子となって、もう一枚の手札に吸い寄せられていく。

 

「万物に生命(いのち)もたらす、祈りの神獣! 《白羊樹神セフィロ・アリエス(Rv)》、レベル3で召喚します!」

 

 大地から放たれた光が、天空に牡羊座の紋章を描き出す。

 巨大な角を携えた緑の神獣は、輝く門をくぐり、天空を駆け抜けて地上に降臨した。

 

「アリエス……、お前がオレと、ねェ。やれんのかァ?」

 

 皮肉っぽく笑う彼を、《セフィロ・アリエス》は静かに睨みつける。

 

『出来る、出来ないじゃない。ぼくは自分のしたいことを、精一杯やり遂げるだけだ』

「《白羊樹神セフィロ・アリエス》で《獄海提督スキッドメン・アドミラル》をブロックします!」

 

 否定も、肯定もしなかった彼女に、私は指示を飛ばした。《スコル・スピア》の真似事のように雄叫びをあげ、異形の剣士に突進していく。

 最初は多少もたつきながらも、彼女は見事、後肢を蹴り上げて《スキッドメン・アドミラル》を破壊してみせた。

 

「……ふゥん、いいぜェ。ターンエンドだァ」

 

 イルはまだまだ余裕そうだ。

 分かっている。彼はこのターン、勝負を決めに来たわけではない。攻めようと思ったわけでもない。前のターンの私と同じ、次のターン以降の下準備として利用したのだ。

 だから、攻撃を防がれたところで痛くはなかった。

 

「……このターン、アリエスがレベル3で召喚されることも、兄さんは分かっていたんだろうね。だからこそ、《イル・イマージョ》のソウルドライブを、必殺の切り札としてではなく、後続の展開のために発揮した」

「……《セフィロ・アリエス》のコアロックね」

 

 ジェミニの発言に、八意様も理解を示す。

 

 そう、《セフィロ・アリエス》には、他のスピリットにはない強力なコアロック効果が備わっているのだ。

 

「レイセンたちは最初、《セフィロ・アリエス》の〝誰もスピリットやアルティメットからコアを取り除けなくなる〟効果で、《イル・イマージョ》のソウルドライブを発揮させずに勝負を終わらせるつもりだった。だけど……」

 

 なんとも耳が痛くなるお話である。

 

 八意様の言う通り、私たちは作戦会議の段階で、《セフィロ・アリエス》のコアロック効果を存分に利用して「ソウルドライブを発揮させないうちに勝つ」と決めていたのだ。

 

 だが、コアロックは自分にも作用する都合、ある程度コアが集まってから実行に移す必要がある。自由に使えるコアが減る以上、それは自分にとってもデメリットだ。

 

 だからこその《ラグナ・ロック》。その効果でコアを稼ぎ、次のターンにはと考えていた矢先、イルはソウルドライブを〝繋ぎ〟とする形で、早々に切ってしまった。

 アリエスが「出遅れた」と言ったのは、そういうことだったのだろう。

 

「自らを切り札とするのではなく、あくまで勝利のための潤滑油とする。四魔卿に名を連ねながらも、最弱の汚名を着せられている彼が、自身をどう受け止めているのか。今のプレイングが、それをよく表しているわ」

「……自分の弱さを受け入れられるって、相当な精神力が必要よ」

 

 八意様の言葉を、ヴァルゴも首肯して受け入れる。

 

 ……自分の弱さを受け入れられるひと。

 

「──……」

 

 今一度、彼を見つめ直した。余裕そうに頬を吊り上げているのは相変わらずだが、その瞳は間違いなく、私だけに捧げられている。

 

 敵ではあるが、歪なプライドに囚われない、一流の戦士の目だと思った。

 

 こんな彼が相手だからこそ、私たちの作戦は、暗き濁流に押し流されてしまったということなのだろう。

 

 だけど。

 

「……私も、負けられません」

 

 私は自分のターンを進める。

《ラグナ・ロック》をレベル3にアップさせ、《セフィロ・アリエス》と《海魔神》を合体させ、そのままアタックステップに入る。

 

「《ラグナ・ロック》でアタックします!」

 

 私がカードを疲労させると同時に、《ラグナ・ロック》は全身に力を込める。背部には蝶を思わせる巨大な羽が出現し、神々しい羽ばたきとともに戦場を舞い上がった。

 

「アタック時効果で、《ラグナ・ロック》はターンに一回、無条件で回復できます!」

 

《海魔神》との合体でトリプルシンボルになっている《ラグナ・ロック》が、ターンに二回アタックできる。単純だが、この上なく強力な動きである。

 

 だが、やはり簡単にはいかない。

 

「マジック、《シシャノショドリーム》! このターン、相手の効果と、コスト4以上のスピリット、アルティメットのアタックでは、オレのライフは一以下にならねェ」

 

 金色の騎士が大剣を振りかざす。その一撃はたしかにイルのライフを捉えたが、与えたダメージは微々たるものであった。

 

 残りライフ、二つ。

 

「ここで、《イル・イマージョ》のUハンドの効果発揮ィ! オレのライフが減少したことでェ、手札から、《獄海将軍スキッドメン・ジェネラル》のバースト発動!」

 

 イルの提示したカードが、フィールドに出現する。

 

「《スキッドメン・ジェネラル》のバースト効果は、アタックしているお前のスピリット、アルティメットのコストと同じ枚数分のデッキ破壊! つまりィ! 《ラグナ・ロック》と《海魔神》のコスト合計、十五枚! お前のデッキを破棄だァ!」

 

 バーストの力を受けた《イル・イマージョ》が、かざした手から衝撃波を放つ。青い波動は嵐のようにデッキのカードを攫い、瞬く間に私の山札を薄っぺらいものにしていく。

 

「ひい、ふう、みい……」

「残り〝九枚〟だろォ?」

「……」それもお見通しかよ。

 

 思えばここまで、《ゲイル・チキンナイト》のアクセルや《アドミラル》のUトリガーで少しずつ山札を減らしてきたものだ。

 

「……よくぞ、ここまで耐えてくれたものです」

「そうだなァ……、だが、すでに限界は近そうだぜェ」

 

 イルは歯を見せて笑うとともに、バースト効果を発揮し終えた《ジェネラル》を戦場に送り出した。

 コアがあるのにレベル1で召喚したのは、きっと《アリエス》対策だろう。

 

 最後の最後まで、相手を甘く見ることをしない男である。

 

「……ターンエンド」

 

 私のターンが終わる。

 

 改めて思うのは、やっぱり地味なバトルだということだ。

 

 派手な一手があるわけではなく、大きな逆転劇があるということもなく。ただお互いに、相手の次の手を読み、罠を張り、ときに細やかな攻撃を仕掛けてきた。

 

「残りのデッキは九枚……、レイセン様、ここが正念場でございます」

 

 アクエリアスが呟いた。わかってる。ゲームエンドまで、あと数分もかからない。

 ヤツの小さな積み重ねで、ここまで追い詰められたのだ。

 

 そして、私も追い詰めてきた。

 

「オレのターン……」

 

 イルがターンを進めていく。手札をつつき、コアを数え、小声でなにか(おそらくこのターンどう動くか)を呟いている。

 彼も、バトルが終わりつつあることを理解しているのだ。

 

 そして判断を下す。

 

「行くぜェ……《鉄の覇王サイゴード・ゴレム(Rv)》を、レベル1で召喚!」

 

 バトルフィールドに、青い巨人が現れる。《サイゴード・ゴレム》は、アタック時に大量のデッキ破壊を行える強力なスピリットだ。

 そしてこの召喚は、このターンで勝負を決める気があるという意思の表れ。

 

「ですが、《白羊樹神セフィロ・アリエス》の効果で、《サイゴード・ゴレム》は疲労状態で召喚されています!」

 

 フィールドに立ち込める霊気は、あらゆるスピリットの自由を奪う。それは造りものの兵士である《サイゴード・ゴレム》とて例外ではなく、彼は召喚された時点で膝をついていた。

 これもまた、《アリエス》の持つ能力。

 

 しかし。

 

「分かってるよォ……、だから、こうする」

 

 やはり想定済みだ。イルだって、この程度のことは。

 

「マジック、《爆砕轟神掌(Rv)》を使うぜェ。オレのスピリット一体を回復させ、このターンの間、そのスピリットをひとつ上のレベルとして扱う。《鉄の覇王サイゴード・ゴレム》を回復だァ」

「回復……、しかもレベル2になった。状況はあまり良くないね」

 

 ジェミニが固唾をのむ。

 

 これでも、ダメか。

 

「アタックステップ……! 行け、《サイゴード・ゴレム》!」

 

 青の巨人が拳をかち合わせ、走りだす。彼が一歩踏み出すたび、大地が音をたてて割れ、振動が足場を揺らしていた。

 

「アタック時効果、大粉砕! お前のデッキを上から、このスピリットのレベル1につき五枚! つまり、合計で十枚破棄するぜェ!」

 

 彼の宣言に合わせて、《サイゴード・ゴレム》が力を込めた衝撃波を放つ。砂塵が舞い、思わず目を閉じる。バラバラバラと音が聞こえる。デッキが、カードが、吹き飛んでいる。

 

 残り九枚しかないのに。十枚破棄って。

 

 こんなの、もう。

 

 

「──レイセン!」

「──……」

 

 

 鈴仙の声が聞こえて、私は目を開いた。

 

 不安そうに私を見つめる目が、儚くて、切なくて、愛らしくて、愛おしくて。

 

 こんなの、もう。

 

「……ふふっ」

「……あァ?」

 

 笑うしか、ないじゃないか。

 

 ──だって、デッキはまだ五枚も残っているのだから。

 

「……え?」鈴仙がか細い声をあげれば、

「……どういうことだ」対戦相手たる彼もまた、眉を寄せて問いかけてくる。

「そんなの、決まっているじゃないですか」

 

 私はニヤリと頬を上げた。その手には、今しがたトラッシュに落ちた一枚のカードが握りしめられている。

 そのカードを、イルに見せた。

 

「……なるほどなァ」

「ええ。……《パラスト・ゴレム》です」

 

 どこか、嬉しそうな表情を見せる彼。

 

 そのカード──《パラスト・ゴレム》は、相手の「デッキ破棄効果」で破棄されたとき、そのターンの間、自分のデッキを破棄効果から守ってくれるのだ。

 ピンポイントメタはあまり好かないが、イルがデッキ破壊をしてくることは分かっていたので、今回だけ入れておいた。

 

 本当に、よくぞここまで〝耐えてくれた〟ものだ。

 

「さらに、《パラスト・ゴレム》のもうひとつの効果。このカードが相手の効果でデッキから破棄されたとき、私のトラッシュにあるカード三枚までを、デッキの上か下だけに戻すことが出来ます」

 

 私は、もはや山札よりも厚くなってしまったトラッシュから、〝あのスピリット〟を探し出して提示する。

 

「私は、《天蠍神騎スコル・スピア》を、デッキの一番上に戻します!」

「……へえェ」

 

 スコーピオンの帰還を、イルは満足げに首肯する。

 

「けどよォ……《サイゴード・ゴレム》の大粉砕が破壊するのは、お前のデッキだけじゃねェんだぜェ! 破棄したカードの中に、バースト効果を持つカードがあれば、お前のスピリット一体を破壊できる! 見逃してねェ、オレはァ……!」

 

《パラスト・ゴレム》を含む、破棄された四枚が改めて提示される。

 その中には、バースト効果を持つ《絶甲氷盾(Rv)》のカードも含まれていた。

 

「やはりあったなァ! 《終焉の騎神ラグナ・ロック》を破壊させてもらうぜェ!」

 

《サイゴード・ゴレム》のロケットパンチが《ラグナ・ロック》を貫き、爆散させる。

 本来はアクエリアスのスピリットなのに、よくぞ一緒に戦ってくれた。

 

「ありがとうございました、《ラグナ・ロック》。あとは……!」

 

 私は盤上のカードに手を重ねる。

 

「《サイゴード・ゴレム》のアタックは、《セフィロ・アリエス》でブロックします!」

 

 緑の神獣が再び雄叫びを上げる。霊気を固めた魔弾を、空中から次々と発射する。それらを浴びせられた《サイゴード・ゴレム》が歩みを止めたところに、彼女は強烈な頭突きを一発、彼の土手っ腹に食らわせた。

 

 青の造兵が爆散する。元々、この攻撃に私のライフを減らしたり、スピリットを破壊するような意図はなかったはずだ。だからこその勝利。

 

「……」

 

 イルは改めてフィールドを見直している。彼のアタッカー三体に対して、私のフィールドにブロッカーはいない。ライフは残り三つ。数としては丁度に見える。

 だが、私のフィールドには《緑の世界》が配置されていることを忘れてはいけない。

 このネクサスは転醒という能力を持ち、相手スピリットの疲労に反応してスピリットに変身する変わり者だ。

 

 彼に──これを除去するカードがなければ、あるいは……。

 

「ターンエンド」

「……!」

 

 イルの下した判断は、ターンエンドだった。

 

「よし……!」

「あの子たちにターンが回ったわね……!」

 

 ジェミニとヴァルゴが、口々に喜びの声をあげる。私だって同じ気持ちだ。

 だが。だからこそ、ここで冷静にならなければいけない。勝利を目前にした瞬間が最も油断しやすく、命を落とす可能性が高いのだ。

 

 胸に手を当てる。静かに呼吸を整える。

 

 私の残りデッキ枚数から考えて、このターンが最後のチャンス。

 

「……私のターン」

 

 デッキからカードをドローする。当然、そこには彼がいる。

 

「……メインステップ」

 

 私たちが勝つのは、このターンしかない!

 

「再び降臨せよ、青き太古の神よ! 《天蠍神騎スコル・スピア》、レベル2で召喚!」

 

 光り輝く蠍座の門を砕き、再び、《スコル・スピア》がフィールドに出現する。

 盤上のカードとしては《アリエス》の効果で疲労しているのだが、当の本人はアリエスに気を遣わせないためか、なんでもないように立ったままの姿でいた。

 

『悪かったな、アリエス。お前にばかり頑張らせちまって』

『ううん。戻ってくるって、わかってたから』

 

 ふたりは顔を見合わせて頷くと、私を静かに振り向いた。

 私も頷き、新たなカードを掲げる。

 

「さらに召喚! 異魔神ブレイヴ、《超・風魔神》!」

 

 フィールドに緑の風が巻き起こり、その中心から烈風の騎士が出現する。

 先のターンでも召喚していたが、《アドミラル》のトリガーで破壊されてしまった異魔神ブレイヴ、その二体目だ。

 

「《海魔神》を《セフィロ・アリエス》から合体解除して、新たに、《超・風魔神》と《セフィロ・アリエス》、《スコル・スピア》を合体!」

 

 青の異合同士を繋いでいた光線が途切れ、今度は《超・風魔神》から二体の12宮へ、一筋の光が接続される。

 

「さらに、《海魔神》にコア一個を追加して、アタックステップ!」

 

 私の宣言に合わせて、《海魔神》が青い光に包まれた。

 

「《天蠍神騎スコル・スピア》、アタックステップの効果! コア一個以上が置かれているスピリット状態の私の異魔神ブレイヴすべてを、コスト10、系統「神皇」、BP20000として扱い、ターンに一回、アタックできるようにします! さらに──」

 

《超・風魔神》が、両手に携えた巨大な槍を重ね合わせる。二振りの刃は風に包まれ、さらに巨大な槍へと姿を変貌させた。

 

「これは……」恐らく初めて、イルが呆けたような顔を見せた。

「行きます! 《白羊樹神セフィロ・アリエス》でアタック!」

 

 ここまで防御に徹していた彼女が、雄叫びをあげてイルに向かっていく。その背後で、緑の騎士が巨大な槍から風を巻き起こし、発射した。

 

「《超・風魔神》のダブルドライブ! 相手はバーストを発動できず、さらに、このブレイヴの左右に系統「神皇」を持つスピリットが合体している間、手札のカードも使用することができません!」

「やるなァ……だが《砂海王子ナミルネス》の効果で、オレの手札が四枚以下の間、オレの手札は相手の効果を受けねェ!」

「っ……!」

 

 ここでも抜かりなしか。

 

 だが、攻めるしかない!

 

「《天蠍神騎スコル・スピア》の効果! 系統「神皇」を持つ《セフィロ・アリエス》がアタックしたので、そのスピリットのコスト以下の、相手のスピリットかアルティメット一体を破壊できます! 破壊するのは──」

 

《スコル・スピア》はすでに、ソイツに狙いを定めている。

 

「《獄海の四魔卿イル・イマージョ》です!」

 

 青い蠍が、巨大な槍から鋭いビームを発射する。その一撃は《イル・イマージョ》の心臓を正確に捉え、抵抗も許さぬままに彼を葬った。

 

「ナイスだ!」

「あの四魔卿をやっつけた!」

 

 ジェミニとヴァルゴが、誰よりも嬉しそうにハイタッチをかます。私が感情を抑えているぶん、ふたりがソレを代行してくれているような気がした。

 

 役割を果たした《スコル・スピア》も、アリエスが見ていないことを確認してから膝をつく。彼女の前では膝を折らない姿勢にアッパレ。お疲れ様でした。

 

「行ける……! レイセン……!」

 

 鈴仙の声に、小さくうなずく。

 

「《セフィロ・アリエス》! ここからがメインのアタックです!」

「《スキッドメン・ジェネラル》! ブロックしろォ!」

 

 いくら将軍の名を冠するスピリットと言えど、司るもののある神獣には敵うはずもなく、《ジェネラル》は瞬く間に《アリエス》に追い詰められていく。

 

「フラッシュタイミング! マジック、《ラピッドウィンド》を使用します! 系統「光導」を指定! 指定した系統を持つ私のスピリット二体を回復!」

 

 おいかぜが霊気を払い除け、《スコル・スピア》も元気を取り戻す。フィールドで奮闘中の《アリエス》もまた、風を味方につけて《ジェネラル》に体当たり。ふっ飛ばした。

 どうだ! と言わんばかりに、《アリエス》がひと鳴き。

 

「《アリエス》さん! もう一度アタックを!」

 

 元よりそのつもりだったのか、彼女はそのままの勢いで飛び上がった。

 

「《ナミルネス》! 頼む!」

 

 戦闘態勢を取ろうとした《ナミルネス》の前に、《アリエス》が飛び降りてくる。コストやBPの観点からもサイズ差がある二名の優劣は決定的だった。

 王子様がビビっている間に、《アリエス》は彼をあっさり蹴飛ばして爆散させる。効果破壊への耐性はあっても、いざ戦闘となれば呆気ないものであった。

 

 これで、イルのフィールドにブロッカーはいない。

 

 あとは、あの三枚の手札になにもなければ。

 

《スコル・スピア》のカードに手を添える。呼吸が浅く、小さく、小刻みになる。

 

 この一撃で勝てるかもしれない。

 

 負けるかもしれない。

 

 イルを睨みつける。彼は無言で私を見つめている。

 

 その頬がつり上がっている。やはり、なにかあるのか。あるいはハッタリか?

 

 ジェミニが、ヴァルゴが、アクエリアスが、八意様が、そして鈴仙が。不安そうに私を見つめている。

 

 怖い。

 

 だが、攻めないわけにはいかない。どのみち、このターンで決めるしかない。

 

 だって私、もう手札ないし。

 

 

 攻めろ。

 

 

 やれ。

 

 

 勇気を示せ!

 

 

 

「──……《スコル・スピア》でアタック!」

 

 荒波のような怒号をあげて、《スコル・スピア》が突撃する。

 

 

 イルは──。

 

 

「……!」

 

 私の目に飛び込んできたのは、力なく腕を垂れ下げ、手札を足元に散らしていく彼の姿。

 

 そしてイルは、両手を大きく広げると、

 

「──ライフで受ける」

 

 いやに清々しい笑みを浮かべて、ラストコールを告げるのであった。

 

 

  

 

 敗軍の将はなにも語らず、ただその場に膝をついていた。

 豊姫様の御体にまとわりついている闇が──恐らくイル・イマージョの本体と言っていいだろう──それが、ズブズブと音をたてて崩れ落ちている。

 

 邪神域も、それに合わせて崩壊をはじめていた。

 

 彼はゆっくりと顔をあげ、私を見つめる。相変わらず笑みを浮かべるその顔が、今はどこか、慈愛に満ちているような気がした。

 

「……やるじゃん、お前」

「…………」

 

 私はその場に立ち尽くした。こういうとき、なんて返せばいいのだろう。

 傍らに立つスコーピオンとアリエスも黙りこくり、彼の崩壊を、思うところあるような瞳で見つめている。

 私は、私たちは。勝ったはずなのに、喜びとは正反対の感情に襲われていた。

 だってそうでしょう? 敵とは言え、目の前でひとつの生命が失われようとしているのだから。

 だというのに、彼は、気が晴れたような瞳を私に向けている。

 

「いいかァ……、よく聞けェ。早く、残りの四魔卿も……ぶっ殺すんだ……簡単じゃねえだろーけどなァ……。だが、その先に、この争いの答えが、ある。……っ」

「兄ちゃん!」

 

 体を支えるだけの力がなくなり、地に倒れ込みそうになったイルを、アリエスが抱きかかえる。彼女の発した声は、酷く震えを帯びていた。

 今にも泣きそうなアリエスに、彼は力なく微笑みかえす。

 

「なにやってんだお前ェ……、オレを倒したんだぞォ……? もっと喜べよ……」

「……無理だよ、そんなの」

「ホント、変わんねえなァ、お前……。甘いとこも、泣き虫なとこも全部……」

「喋っちゃダメ! 今、治すから……」

「やめとけェ……」

 

 アリエスがかざそうとした手を、イルは押し返した。

 

「邪神域のルールは絶対だ……。もう覆せねえ……。それに、敵に情けをかけられたなんて知られたら、アイツらに笑われちまうからなァ……。これは……、オレの〝見栄〟だ」

「でも……!」

「魔力……、ねェんだろ……? その力は、仲間のためだけに使うんだ……」

 

 アリエスの体を支えに、イルはゆらゆらと立ち上がる。私はと言えば、相変わらずその場に立ち尽くしていて、ただ、ふたりのやりとりを「兄妹みたいだ」と感じていた。

 

 泣きじゃくる妹と、それを諭す兄。

 

 ……。

 

 兄妹──。

 

「レイセン……、と言ったなァ」

 

 私は思い至りそうになったが、イルの声がそれを遮った。彼は今にも倒れてしまいそうな不安定な足取りで、ゆっくりこちらに近づいてくる。

 警戒したスコーピオンが、拳を握りしめる。

 もっとも、彼はどうこうする以前に、再び力尽きて私にもたれ掛かる形となった。

 慌てて彼を抱きかかえた、そのとき。

 

「これ……やるよ……。オレが持ってても、仕方ねェから……、あとで、アイツに渡してやってくれ……」

 

 手渡されたのだ。

 色素の抜け落ちた、一枚のカードを。

 

《獅機龍神ストライクヴルム・レオ》の記憶を。

 

「……! なんで……」

「探したに決まってんだろォ……なにかあったときのためによォ……」

 

 自嘲気味の笑い声にすら、もはや力は残っておらず。

 彼は続けた。

 

「ここに来るまえ……、ヴァンディールと出会ったんだ……。アイツ……体中、傷だらけでさァ……。レオに、やられた……〝全員〟に逃げられたって……。ダセェよな……」

「…………」

 

 その言葉の中に、一筋の光があって。

 

「なんで……そんなことを……」

 

 私は思わず問いかけた。彼を抱える腕に込めた力が、自然と優しいものになっていく。

 

 彼は、彼は。

 

「なかまの不始末を、片付けるのも……、オレの、しごと……だか、ら」

 

 ──その言葉を最後に、完全に力尽きてしまった。

 

 豊姫様を覆っていた闇は、灰のごとく塵となり、風に乗って、どこかへと飛んでいく。

 邪神域が晴れたとき、幻想郷の大地を湿らせていた雨は、すでにあがっていた。

 

 

  3

 

 

 雨雲に覆われていたはずの空を見上げれば、そこには満点の星空があった。

 思うに、あの雨はイル・イマージョの化身みたいなものだったのかもしれない。大自然の海──即ち〝水〟を司る、彼の化身。

 

 豊姫様は八意様に抱えられて、病室へと運び込まれる。彼女が無事に目を覚ませば、私の当初の目的は、ひとつ達成だ。

 

 ひとまず驚異は去ったはずなのに、お葬式みたいな雰囲気に変わりはない。むしろ、本当に死者が出たことで、より一層、それっぽさが増してしまった気がする。

 とくに12宮は、彼の最期を目の当たりにしてから、誰も、一言も喋っていない。

 

 アリエスが見せた、あの態度。

 

 彼女を諭すような、なだめるような、イルの表情。

 

 邪神たちは暴走している──つまり、今の彼らは、本来の彼らではないという事実。

 

 そして、死に際に見せた、彼の優しさ。

 

 私はひとつの考えに思い至りながらも、口をつむった。

 

「……レイセン」

 

 後ろから声をかけられて、振り返れば、そこには鈴仙がいた。彼女は心配そうな表情を覗かせたが、最初に比べてかなり落ち着きを取り戻しているようだった。

 

「……なんですか?」

 

 努めて笑顔を作り出し、応える。彼女の前では、弱い自分を出したくないのだ。

 

「その……ありがとう」

「……? なにがですか?」

 

 私は首を傾げた。イルと戦ったことなら、豊姫様のためでもあるし、鈴仙に感謝されるようなことではない。

 しかし、鈴仙は小さくかぶりを振ると、ようやく見せてくれた笑顔で、こう言った。

 

「レイセン、私に『見ててください』って言ったでしょ?」

「え……、あ、ああ」

 

 うわっ、それ、無意識に口に出たやつ……。

 

「レイセン、私が完全に怖気づいてたから、勇気を示そうと思って、あんなに頑張ってくれたのかなって思って。でね、私も、その、レイセンのおかげで元気出たって言うか、頑張ろうって思えたって言うか、だから……」

「違いますよ」

「……え?」

 

 そんなにカッコいいもんじゃないです。そう言って、私は背中で手を組んだ。

 照れくさくって、不器用な笑みを浮かべずにはいられなくなる。

 

「あれは……そんな立派なものじゃなくて」

「……」

 

 今度は鈴仙が小首をかしげる。長い薄紫色の髪がふわりと揺れ、視界に映る首筋が、なんだかとっても色っぽく見えた。

 

 ギュッと握りしめた手に汗が滲んで、こんなの鈴仙に見られたら気持ち悪いとか思われるのかなあ、いや鈴仙に限ってそれはないか。とか、一瞬のうちに色々な考えが頭の中に浮かんでは消えた。どうやら私、思った以上に動揺しているらしい。

 

 でも……こんなにいい機会ってないし、勇気を出して言ってしまおうか。

 

「あれは……ただの、見栄っ張りです」

 

 後ろから、アクエリアスたちの「おや……」とか「ワォ」とか「あらまあ……!」とかいう声が聞こえてくる。うん、お願いだから見栄っ張りーズは黙っててくれ。

 そして、当の鈴仙はと言えば。

 

「……えっ、レイセン、誰か好きなひとがいるの?」

 

 

 …………。

 

 あちゃー、伝わらなかったかぁ。

 鈴仙って、意外と鈍いんだなぁ。

 

 声を忍ばせる彼女に、私は思わず苦笑した。決して間違ってはいないので、この中にいますよ、とは答えておいた。

 そんな私の肩を、ヴァルゴがポンと叩いて一言。

 

「今夜は朝まで飲み明かすわよ」

 

 だまらっしゃい。てゆーか、ワイルドな感じに親指を立てるんじゃない。その澄まし顔はなんだ、このお惚気女神。

 私はムスッと頬を膨らませた。まあでも、そんな彼女の気遣いが嬉しかったのも事実であって。

 

「うあっ……」気が抜けた私は、その場で立っていられなくなってしまった。

「レイセン⁉」

 

 咄嗟に鈴仙が抱きかかえてくれて、私はなんとか倒れずに済んだ。

 ああー……緊張から開放されたせいか……。

 

「うええ……怖かったぁ……。勝ててよかったよぉ……」

「れ、レイセン……?」

 

 鈴仙に包容されたことで、なんかもう、色々と溢れ出てしまって。

 私は泣き言をいいながら、豊姫様と同じく病室に担ぎ込まれた。鈴仙がお姫様だっこしてくれたので、今回の頑張りの報酬としては上々だろう。

 

 鈴仙の腕で目を閉じながら、私は、今夜のことを振り返る。

 僅か数時間の出来事だったけど、これからずっと、夜に雨が降るたびに、私は、この夜のことを思い出すのだろう。

 

 それからもうひとつ。

 

 

 めちゃくちゃ疲れるから、見栄っ張りはもう、こりごりかな。

 

 

 

 

 夜明け。竹林に遮られながらも僅かにこぼれ落ちる陽の光が、永遠亭を照らす。疲れ果てて眠ってしまったレイセンに別れを告げて、私はここを出立した。

 

 雨上がり特有の湿った匂いが鼻をくすぐる。早朝ということもあり、夏真っ盛りにしては涼しい風が吹いていた。

 

 ちなみに、今日はすこし気分を変えて、半袖のブラウスにオレンジのスカートという身軽な出で立ち。いわゆる勝負服である。

 

「優曇華院様」

 

 永遠亭の門の影から、私の名を呼ぶ声がして、立ち止まる。私の前に立ちふさがるように現れたのは、12宮の騎士、アクエリアスだった。

 彼の優雅な一礼に合わせて、真っ黒な髪がサラリと垂れ下がる。同じくらい真っ黒な革製のライダースジャケットを見事に着こなす姿からはワイルドな印象を受けるが、彼の一挙一動は揺れる水面のように優雅であった。

 

「……アクエリアス」

「まずは、昨晩の無礼をお詫び申し上げます。誠に申し訳ございませんでした」

「昨日も言ったでしょ? 気にしてないって」

 

 昨日のことを思い出して、私はかぶりを振った。けっこう強く振ったせいで、長い薄紫色の髪がふぁさーっと揺れてアクエリアスに当たる。

 

「あ、ごめんなさい……」

「いえ、お気になさらず」

 

 アクエリアスが再び頭を下げる。こんなに穏やかな彼に頬をハタカれたなんて、昨晩のアレは、やっぱり夢でも見ていたんじゃないだろうか……。

 とは言え、痛かったのは事実であり、目の前で彼は謝罪の言葉を口にしていて、あれは現実だったんだなあって思わされる。

 

 ただ。

 

「……怒っていなかったのは、アナタも一緒なんでしょ?」

「……」

「わかるよ。私がレオを侮辱したなんて、ホントは思ってなかったくせに」

「……何故、そのように思うのです?」

「私、ひとの〝波長〟が視えるから」

 

 自分の目を指さして、私は僅かに微笑みを浮かべる。

 自慢しようとは思わないが、この能力だけは、私の特権だと思う。

 

「アナタの波長は、ずっと長いままだったから」むしろ「ちょっと、罪悪感みたいなものを感じていたんじゃない?」

「……畏れ入りました」

「ううん、全然」

 

 むしろ凄いのはアクエリアスの方で。

 

「アナタこそ、私の目を覚ますために、わざとあんなことしたんでしょ?」

「…………」

 

 口でダメなら、物理的に目を覚まさせるしかない。朝寝坊を起こすときの常套手段だ。

 いわゆる、アメとムチというやつ。

 

「けっこう効いたわよ。おかげで目が覚めたし、なにより、レイセンの言葉が耳に入るようになった。本当にありがとう」

 

 そして、ごめんなさい。私も彼に頭を下げる。私の目を覚ますためにしたことが、アリエスやスコーピオンたちの目にはどう映ったのだろうか。

 私のせいで、12宮たちの彼に対する信頼が、これまでと違うものになってしまったかもしれない。そう思うと、心が痛んで仕方がなかった。

 その旨をアクエリアスに伝えると、彼はくすりと笑って見せた。

 

「ご安心ください。この程度のことで、12宮の絆は揺るぎません。アリエス様も口ではああ言っておいでですが、わたくしの行動には理解を示してくださっているはずです」

「……信じてるのね、仲間のこと」

「はい。……今のアナタと、同じようにね」

「…………」

 

 さすが12宮。アリエス然り、ジェミニ然り。彼もまた、中々に鋭い。

 アクエリアスは微笑み首を傾げた。

 

「……レオ様のこと、探しに行くのでしょう?」

「うん」

 

 即答した。昨晩のイル・イマージョの言葉が確かなら、ヴァンディールはレオに深手を負わされた上、私たち〝全員〟を逃してしまっている。

 

 おそらく、レオも。

 

 私は、胸ポケットから一枚のカードを取り出す。昨晩レイセンから託された、《獅機龍神ストライクヴルム・レオ》の記憶だ。

 カードに眠る、記憶の彼と目を合わせて、私は小さく頷いた。

 

「無事だって、わかってるから」

 

 アクエリアスは首肯した上で口を開く。

 

「ですが、それならば彼の帰りを待てばよいとは思いませんか?」

「アナタだって、アイツのこと分かってるでしょ?」

 

 下手くそなりに、私は、悪戯っぽく笑って答えてやる。

 

「アイツ、誰かが迎えにいかないと、ずっとどこかで昼寝してるわよ」

「よくご存知で」

 

 満足げに頷いた彼を見て、なるほど、試されていたんだなと思う。

 昨晩レイセンの勇姿を見せられた手前、私に引き下がるという選択肢はない。

 

 身の丈に合わないことだとしても、やってみないと結果は分からないらしいから。

 

 そして、身の丈に合わないことだからこそ。

 

「アクエリアス、お願いがあるんだけど」

「承知しております」

「まだなにも言ってないんだけど?」

「付いてこいと仰るのでしょう?」

「……」うーん、バレてた。

「そのために、ここで待っておりました」

「……どうして、私のためにそこまでしてくれるの?」

 

 ひとりは怖いので付いてきてほしい。それは率直な要求であったし、もちろん、彼が付いてきてくれるというなら、有り難いことこの上ない。

 スコーピオンやアリエスが、レイセンに力を貸してくれたように。

 

 ……でも、彼が私にここまでしてくれる理由って、いったいなんだろう。

 

 眉を寄せて問いかける私に、アクエリアスは片膝をついて頭を垂れた。

 

「アナタ様は、あのレオ様がお気に召された御方でございます。であれば、アナタ様もわたくしの主のようなものでございましょう」

「うえっ⁉ あ、あるじって……! 大げさよ、そんなの」

「いいえ。12宮の騎士アクエリアス、アナタ様に忠誠を尽くさせていただきます」

 

 よ、予想外すぎる答えが返ってきた……。

 

 目を見開いて見つめる先には、なおも頭を垂れ続けるアクエリアスの姿があって。

 遣える側の私にとっては、こんなの未知の経験である。

 

「諦めたほうがいいよ、鈴仙。アクエリアスはこうなったら引き下がらない」

 

 後ろから、中性的な少年らしい声が聞こえてきた。

 

 振り返れば、そこにはやはり、銀糸の髪を持ち、騎士か魔法使いのような出で立ちをしたふたり組の姿がある。

 ふわりと揺れる柔らかそうな髪からは、甘くていい匂いが漂ってきた。

 

「ジェミニ、それにヴァルゴも……」

「ふふん、悪いけど、ふたりだけに行かせないわよ」

 

 ふたり組の髪の長いほう──ヴァルゴが、ドヤ顔気味に胸を叩いた。

 

「なにせ、レオのことは私にも責任があるからね!」

「……ヴァルゴ、それ、得意げに言うことじゃないからね?」

「わ、わかってるわよ!」

 

 髪の短いほう──ジェミニに窘められて、ヴァルゴは顔を真っ赤にする。

 

「と、とにかく! ふたりだけには行かせないから! ねっ! わかる?」

 

 胸の前で小さくガッツポーズを繰り返すヴァルゴは、なんだかとってもアホの子のように見えて。

 でも、本当は思慮深くて優しい人物だということを、私は知っている。

 

「……えっと、真面目な話なんだけど、ぼくらも付いて行っていいかな? アクエリアスがいるとは言え、戦力は多いほうが安全だと思うんだ。それに、ぼくとヴァルゴの能力があれば、ひと探しだって多少は楽になる」

 

 短く苦笑したあと、ジェミニは真剣な面持ちで話を切り出した。感情豊かで明るい性格のヴァルゴと、穏やかで冷静なジェミニ。いい感じにバランスのとれたコンビだ。

 

 ふたりが付いてきてくれると言うなら、こんなに嬉しい話は他にないが……。

 

「でも……いいの?」

 

 ふたりの怪我のこととか、永遠亭の戦力のこととか。心配事はたくさんある。

 だが、ふたりは顔を見合わせて笑うと。

 

「ノープロブレム」

「今朝、とっておきの助っ人が来てくれたから」

 

 そう言って、永遠亭の庭に面した外廊下を見やる。

 

 そこには、私と同じくらいの背丈の男の子がいた。

 黒色の髪をボブカットにした中性的な容姿をしており、白色のシャツに灰色のショートパンツという装いである。

 彼はこちらと目が合うと、元気よくピョンピョン跳ねながら手を振ってきた。

 

「みんな! オレ、ここちゃんと守る! だから、行ってらっしゃい!」

「ええ、ありがとう」

 

 ヴァルゴも笑って手を振り返す。

 

「えっと……誰?」

 

 私はジェミニを見やった。当然の疑問、だよね……?

 

「ピスケスだよ。昨日、皆で話し合いをしたときに言った……」

「へえ、あの子が……?」

 

 昼間に霊夢も口にしていた、12宮の魚座だという。どうやらまた、永遠亭に来てくれたらしい。

 皆が頼りにしているようだったし、あの博麗の巫女も太鼓判を押していたので、もっと大人っぽいのを想像していたのが事実ではあるが。

 

「ああ見えて、かなりの実力者なのですよ。加えて、我ら12宮の中では最も運勢の強い御方でもあります」

「へえ……」アクエリアスの説明に、私は小さく首を振った。

 

 実際、霊夢の依頼を受けてすぐに《亥の十二神皇》と遭遇し、数時間後には《天秤造神リブラ・ゴレム》の記憶も発見したという功績があるらしい。

 永遠亭にはスコーピオンも滞在しているし、これで戦力問題はクリアした、ということなのだろうか。

 

「でも、ふたりとも怪我は……」

「そっちもノープロブレム」

 

 ジェミニは、腹部を隠していた制服のボタンを外す。

 そこには、きめ細やかな美しい肌があった。

 

「キミも知ってるだろうけど、これでも神様だからね。アリエスの自然治癒を高める魔法と組み合わせて、一晩眠れば全快できる」

「右に同じく、ね。見せないけど」

 

 ヴァルゴも得意げにウインク。かわいい。なんだか少しドキッとした。

 とにかく。これで、ふたりの怪我を心配することもなくなったというわけか。

 

「鈴仙、ぼくらは準備できてるよ」

「あとは、アナタ次第ってことね」

 

 ふたりの言葉に、私は静かに頷いた。

 昨日のことといい、私なんかが、本当によい仲間たちに恵まれたと思う。

 

 あとは私次第ということだが──そういうことなら、もうすでに、心は決まっている。

 

 私は三にんと順に目を合わせ、小さく息を吸い込んだ。

 

 

「レオを探しに行くわ。みんな、私にチカラを貸して!」

 

 

  ○

 

 

 永遠亭の二階。開け放たれた障子から外を眺めていると、ジェミニが仲間たちとともにここを離れていくのが目に入った。

 彼の横顔は愛らしいくせに男らしくて、永遠亭に背を向けたときの後ろ姿なんて、華奢な体躯に反して、やけに大きく見えたものだ。

 

 私──つまり、九十九弁々とふたりで行動していたときは、心配性で頼りない少年に見えたものだったが。

 

「声、かけなくていいのか?」

 

 後ろから、声をかけられた。

 見れば、そこには派手な羽織を身にまとった傾奇者がいる。名前は炎利家と言っただろうか。いかんせん昨日出会ったばかりなので、まだうろ覚えである。

 だが、思わず笑ってしまったのは。

 

「アンタがそれを言うのかい?」

「は?」

「アンタだって昨日、オレの出る幕じゃないって、引き下がったくせに」

「……」

 

 ──そう。誰しも、引き際というものを弁えている。私も、そして、この男も。

 

 八意永琳に聞いた話だが、この男、昨日の昼間はレイセンという少女の特訓にひたすら付き合ってやっていたそうじゃないか。戦い、デッキ構築を議論し、また戦って、プレイングを見直させ、もう一度戦い、バトラーとしての心構えを説き、また戦って……。

 

 そうして昨晩、そのレイセンが戦場に立ったとき、彼はひとりその場を離れた。

 

 いわく、「どっちが勝つかなんて、見るまでもねえ」だそうで。

 

 そこが、彼の引き際だったのだろう。

 情熱を持って戦いに向かうものを最大限叱咤激励してやり、最後は、そのひとを信じて立ち去ってしまう。

 そんな彼が言ったからこそ、あの言葉が可笑しく思えて。

 

「私にとっては、ここが引き際なんだよ」

 

 言うまでもないと思っていたことを、澄まし顔で呟いた。

 

「私が異変に首を突っ込んだのは、ジェミニを守るためだった。だけど、今のアイツは誰かを守る側に立ってる」

 

 もう、私の出る幕じゃない。それが私の出した答えだった。

 

「……これからどうするんだ?」

義妹(いもうと)のとこに戻って、いつも通り音楽に打ち込むつもりだよ」

 

 私は琵琶を出現させると、短く音色を奏でる。琵琶の音は繊細なのに力強くって、世界中に届きそうなくらいよく響くのだ。

 

 ──不意に、竹林の影に消えつつあったジェミニが、永遠亭を振り向いた。

 

 彼は柔らかく微笑むと、すぐに背を向けなおして竹林の奥へと姿を消していく。

 

 ……私の音が聞こえたのだろうか。

 

 一瞬、彼のもとへ走って声をかけたい衝動にかられたが、唾とともに喉の奥へと流し込んだ。そうしなければ、昨日、霧の湖で別れたあとから、彼の前に現れないようにしていることの意味がなくなってしまう。

 

 彼はもう、守られる側ではないのだから。

 

「ヴァルゴのこと、ちゃんと守ってやりなよ、ジェミニ」

 

 私は微笑んで、彼の背にはなむけの音色を奏でた。

 

 

  続 




末尾まで閲覧いただきありがとうございます。
最後の会話シーンはちょっとしたオマケというか、番外編みたいなものです。ふたりとも、もう本編中で活躍させるのが難しいと判断致しましたので……。

こんな調子ではありますが、次回もごゆっくりお待ちいただければ幸いです。


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第六話『巡る因果・前編』


申し訳ございません、遅くなりました。
第六話です!


 

 

「自業自得だねえ。酔っ払って崖から落っこちたそうじゃないか」

「まだ若い男なんだろう? なにをしているんだか」

 

 道行く老婆たちがそんな話をしていたので、私もつい聞き耳を立ててしまった。

 働き盛りの若者たちが、やれ飯だ、昼寝だと言いながら午後の仕事に備える、昼間の人里での出来事だ。

 レオを探しに永遠亭を出立してから半日ほど、どうも五感を研ぎ澄ませすぎたせいか、些細な事にさえ目や耳を奪われてしまう。そんな自らのはしたなさに首を振っていると、もっとはしたない女神様が、嬉々とした表情で私の顔を覗き込んできた。

 

「鈴仙、聞いた? 酔っ払いが崖から落っこちたんですって!」

「うわっ、やめてよヴァルゴ。聞き耳立てるなんて行儀が悪い」

「えー、だって耳に入っちゃったんだもの。仕方ないでしょう?」

「あのねぇ。まあ、気にはなるけど。……って言うかヴァルゴ、まさかいつもこんな調子とか言わないよね?」

「なにが?」

「聞き耳立てるのが趣味なのかって話」

「ああ、なんだそんなこと」

 

 満面の笑みを浮かべるヴァルゴに、私は酷く嫌な予感を覚えた。

 

「そりゃもちろん。なにせ私は、恋愛を司る女神でもありますからねー」

「いやどういう理屈なのそれ?」

「恋バナには噂が欠かせないでしょう?」

「そういうもんなの?」

「そーゆーもんなの。なんなら、さっき鈴仙とジェミーが小声でなんか話してたのも聞いてたんだから」

「……マジで?」

「マジで。……ふふっ。ジェミーったら、疲れたの一言も言えないなんて、本当にかわいいんだから」

「……まったくもう」

 

 思わず、胸に手を当てた。小声での会話というものは、聞かれたくないから小声でするのだ。そんなものに聞き耳を立てて噂というカタチで流したりすれば、ソレは巡り巡って自分のもとへ返ってくるに違いない。

 私はヴァルゴの肩越しに、ジェミニに視線を送った。

 

「だってさ。バレちゃったし、もう休憩にしましょうか、ジェミニ」

「……ソーリー、お言葉に甘えさせてもらおうかな」

 

 張り詰めた様子だったジェミニが、参ったと言うように苦笑した。彼はつねに笑顔を絶やさない美青年だが、今だけはどうしても頬を下げているように見える。

 ここ数時間、レオを発見するために私たちが実施していた作戦。それは、アクエリアスが作成した《小型監視衛星》を、ジェミニたちの能力で複製し、彼らの魔力を持って幻想郷中へ飛ばすというものだった。

 発案者のヴァルゴ曰く、〝数撃ちゃ当たる作戦〟。シンプルな内容だが、監視衛星は目立たないように鳥の姿を模して創らせたし、広い範囲を一気に捜索できるということもあり、正直期待値は高かった。

 しかしだ。

 

「数撃ちゃ当たる作戦を実施してから、早くも半日が経過しましたか。ジェミニ様、なにか収穫はございましたか?」

「いや、なにも。ヴァン兄さんと戦った霧の湖を中心に探していたんだけど、痕跡ひとつないや」

「左様でございますか……」

 

 アクエリアスは不可解そうに眉を寄せ、ヴァルゴも腕を組んだ。

 

「意外と見つからないものね……。いい作戦を思いついたと思ったんだけど、レオよりも先にデメリットが顔を見せるなんて」

 

 そう、この作戦にはデメリットがある。

 それは、監視衛星を飛ばす者の魔力消費が激しいということだ。

 

「まさかジェミニ様に弱音を吐かせるとは。やはり、魔力の消費量は半端ではありませんでしたね」

「飛ばした数は十六個。そんな数を一気に操作すれば、流石のジェミーもねえ」

「アハハ……聞こえてたんだ?」

 

 こめかみを掻くジェミニを見て、ヴァルゴが満足げに頷いた。

 

「ジェミーが鈴仙に、小声で『疲れた』って言ったのが聞こえたのよ。最初、聞き間違いかな? って思ったんだけど、そのあと鈴仙が『人里に行こう』なんて言い出したから、ああ、間違いないなって」

「私の発言もセットで見抜いたってわけね」

 

 私は嘆息を漏らしたが、これはこれで都合が良かった。

 

「でも、それなら話が早いわね。ここらで休憩ってことで、異論はない?」

「さんせーい! 甘いもの食べに行きましょう! 疲れたときは甘いものが一番! そうだわ、また昨日のお店に──」

「それは却下」

 

 即答した。あの店に行かれるのだけは困る。

 

「えー、どうして?」

「んなもん説明しなくても分かるでしょ……」

 

 眉を顰めるヴァルゴには、本当に心当たりがないように見える。昨日あれだけ騒ぎを起こしておいてのこの図太さに、私は平手でおでこを覆った。

 

「……とにかく、今日は私の行きつけに行くから。昨日のとこはダメ。いい? 絶対にダメだからね? わかった?」

「えう、う、うん。わかった」

 

 肩をガッシリ掴んで説得したおかげか、案外簡単に折れてくれた。

 そうして私たちは、昨日の店とは真反対の方向にある甘味処へ足を運んだ。里医者の奥様が営んでいる、老舗ながらも小綺麗な印象のお店だ。

 向いには旦那様の経営する病院がある。彼の気さくな人柄もあって、平時からひとが集まりやすい場所だ。今日は件の男性が担ぎ込まれたためか、はた迷惑な野次馬たちが一段と賑わいを見せていた。

 

「噂話が好きなのは、ウサギに限った話じゃないわね」

「優曇華院様、またため息をついておられますよ」

「そんなについてないわよ」

「そんなことはございません。先ほど『里へ向かおう』と言い出した辺りから、間違いなくため息が増えております」

 

 一瞬、心臓がバクンと音を鳴らした。

 慌ててつばを飲み込むとともに、ちからづくでソイツを黙らせる。

 

「……ここまで成果なし。そりゃ、少しはメンタルにくるってもんでしょ」

「心中お察し致しますが、まだ半日です。焦る時間ではございませんよ」

「さっき、『早くも半日』って言ったのはアクエリアスでしょう?」

 

 言われたばかりなのに、またため息が出た。私にはその半日間、捜索をジェミニたちに頼り切っていたという情けない事実がある。ロップイヤーは地獄耳だが、それをどんなに澄ましても、探しびとの声は一向に聞こえてこなかった。

 

「レオ、きっと怪我してる」

「あのレオ様のことです。唾でもつけて眠れば全快することでしょう」

 

 アクエリアスの穏やかな瞳には緊張感がなくて、ヴァルゴもそうだが、少しはジェミニを見習ってほしいと思う。欲張りだろうか?

 

「いらっしゃいませ」

 

 そんなことを考えながら暖簾をくぐると、見たことのない若い店員に頭を下げられた。正直、ドキッとした。確かこの店の店主は、おまんじゅうのようにまん丸くて柔らかそうなほっぺたが特徴の、ふくよかな高齢の女性だったはずだ。

 それがどうだろう。目の前にいるこの女性は、二十代前半くらいに見える。肩甲骨の辺りまで伸びた灰色の髪と、幼さの中にも知的な印象を併せ持った顔立ち。容姿に大した拘りのない私でさえ、僅かに嫉妬心を擽られるほどの美女である。

 

「ど、どうも……?」

 

 自分の瞳が揺れているのが分かった。行きつけと言ってしまった手前、知らない店員がいるとあっては、ヴァルゴとアクエリアスにどんな言い訳をしたものか分からない。

 とりあえず、この女性とは当たり障りのないやり取りに留めておいて、下手なことを口走らないのが得策だろうか。そんなことを考えていると、

 

「永遠亭の、鈴仙・優曇華院・イナバさんですよね。本日は店主が留守でして、大変申し訳ありません」

 

 なんと女性の方から声をかけてきたので、私は面食らった。

 

「あ、いや、気にしないでください。……あの、アナタは?」

「今日だけの臨時のお手伝いです。リリィナと言います」

「あ、ああ! 臨時の! それで!」

 

 私は拳で手のひらを叩いた。今日だけの臨時ということなら、仮に私が常連客だったとしても、彼女を知らないことに疑問の余地はない。

 

「ビックリした。知らない店員さんがいたから」

「すみません。本日、店主は旦那様のお手伝いで向かいにある病院へ行ってしまいまして。ですが、お店を空にするのは気が引ける……と。そこで、私が」

「へえ……でも、なんで私のことを?」

「店主よりお話を伺っています。厄介な患者だろうと嫌がらずに引き受けてくれる、真面目で優秀なお医者様だと」

「……それはちょっと言い過ぎかな」

 

 不意打ちのように飛んできた褒め言葉に、私は頬を掻いた。師匠に代わって永遠亭の医師を勤めるようになり数年が経過したが、未だこういう言葉には耐性がない。

 彼女は微笑んで言葉を続ける。

 

「店主は、いつも厄介な患者ばかりをアナタに押し付けてしまって申し訳ない。感謝してもしきれないと、そう言っていましたよ」

「とんでもないです。うちの負担が少ないのは、里にお医者様がいるおかげですから」

「ご謙遜を。ですが、今日もひとり、優曇華院先生に診てもらわないといけない患者さんがいるみたいなんです」

「はあ」

 

 キョトンとした。もしかして、件の若者だろうか?

 訪ねてみればその通りで、どうも先生は「この若者の体はおかしい。あまりにも手の出しようがない」と嘆いているそうだ。

 

「私も医者ではないので、なにもお力になれず……。あ、それより優曇華院さん、なにか召し上がっていきますか?」

「あ、ああ。そうですね。それじゃあ……」

「お姉さん! 白玉あんみつと豆かんを二つずつ頂戴な! ジェミーも食べるでしょ?」

「うん。サンキュー、ヴァルゴ」

 

 隣を見れば、緊張感の欠片もない笑みを浮かべるヴァルゴと、そんな彼女を見て微笑むジェミニの姿があった。ここへ来たのは戦略的休憩という名目のはずだが、彼女らは単純にデートを楽しんでいるようにしか見えない。

 

「ありがとうございます。……おや? おふたりとも、外の世界のひとなんですね」

「お姉さん、わかるの?」

「まあ、変わった格好をしてますし、雰囲気で。あの患者さんもそんな感じでしたし、今流行ってるんですかね。外の世界のひとが幻想郷に遊びにくるのが」

「……?」

「ねえキミ、ひとつ、好奇心で聞いていいかい?」

 

 ヴァルゴが首を傾げているうちに、ジェミニが一歩前に出た。心なしか、彼の目つきは普段見るソレよりも鋭く光っているような気がする。

 

「もしよければ、その患者さんについて、詳しく聞かせてもらいたいんだけど」

「はぁ。プライバシーに関わらない範囲でなら構わないと思いますが」

「どうしたのジェミニ。なんでそんなことを聞きたがるわけ?」

「鈴仙」

 

 私の言葉を遮るように、彼は唇の前で人差し指を立てた。

 

「……件の患者さんがレオって可能性はないかな」

「──」

 

 また心臓が、バクンと音を鳴らす。

 そういうことかと、アタマで理解できた。

 

「外の世界の身なりってことなら、レオにも共通してるよね。兄さんとの戦いで傷を負った彼が、身を隠すために、崖から転落した若者を装って里に逃げ延びた……。そういう可能性も、なくはないんじゃないかな」

「……ある、かも」

「だろう? キミ、少し悪いんだけど……」

「いいえ、ジェミニ様」

 

 そう言って、訝しげな目で店の出入り口を見やったのは、アクエリアスだった。

 彼は、普段よりも一オクターブほど低い声で、言葉を続けた。

 

「どうやら、希望的観測に過ぎなかったようです」

「え?」

 

 ──古風な男がいた。

 痩せ型で長身の体に、エクソシストを思わせる黒い制服を纏った男だ。黄金色の頭髪と、角張った顎、とがった鼻が印象的であった。

 どこか怪しげな風貌の彼は、里でただひとりの医者に肩を支えられて、私たちに力なく微笑んでいた。

 

「……すみません。期待を、裏切らせて、しまい」

「ぶっ飛べ」

 

 そして吹き飛ばされていた。

 幸いにも(?)隣の医者は無傷で取り残されて、長身の男だけが、砂利を巻き上げて里の大通りに叩きつけられる。

 何事かと思い、視線を左右に振りまくった私は、長さ三十センチくらいの魔導杖を男に向けて突き出している、小柄な少女の姿を見た。

 それはヴァルゴだった。

 彼女が魔法で、言葉通り男をふっ飛ばしたのだ。

 

「な……なに、やってんの……⁉」

 

 無意識に一歩前に出たが、殺気すら感じさせる彼女の瞳に睨まれた瞬間、足の指先から脳ミソまで、全身が怖気づいて歩みを止めた。

 

「ご、ごめん……」

 

 反射的に出た声が震えていた。もちろん、体も。私だけじゃない。ヴァルゴの傍らに立つジェミニすら、見開いた目で彼女を凝視していた。

 誰もが呆然とヴァルゴを見つめる中、彼女はドシドシという音すら聞こえてきそうな足取りで、男に近づいていく。

 

「……ゔぁるご、ですか。すこし、はなし、を」

「うっさい!」

 

 そして、獣の唸るような声とともに、その土手っ腹を思いきり踏んづけた。

 

「ゔはぁ⁉」

「よくもヌケヌケと私たちの前に顔を出せたわね! この邪神モドキが!」

「ゔぁ、ヴァルゴ! ちょっと待って!」

 

 これ以上はダメだって! と私が叫んだ直後には、ヴァルゴはジェミニに組み付かれていた。間一髪、彼女が二発目の魔法を放とうと構えた瞬間であった。

 

「ストップだ! 落ち着いてヴァルゴ!」

「ジェミー放して! まだコイツ生きてる!」

「まって! 状況が飲み込めないよ! どうして彼を攻撃する⁉ 彼は──」

 

 次に彼が発した言葉に、私は耳を疑った。

 

「彼はカプリコーンだろ! なんで仲間を攻撃する必要がある⁉」

「違う!」

 

 即座にヴァルゴが否定する。

 

「コイツは魔侯よ! ジェミーは私たちと一緒にいなかったから知らないだろうけど、コイツはカプリコーンじゃないの! アイツに取り憑いてる邪神モドキなのよ!」

「は? 取り憑いてる……?」

「そうよ! どうやって器まで用意したのか知らないけど……アクエリアス⁉」

「ま、まさか! そのようなことは致しません!」

 

 頭を垂れたアクエリアスを睨みつける、その目すらも悍ましかった。今のヴァルゴには敵味方の区別なんてついていない。そんな風に見える。

 

「とにかく、コイツは今ここでぶっ殺さないと! 次の被害が出る前に……!」

「す、すとっぷ! ストップ!」

 

 ジェミニを振り払い、ヴァルゴは男の眉間に魔導杖を押し付ける。しかし、その腕もまたジェミニが握りしめた。ふたりにはかなり力の差があるらしく、ジェミニは抵抗すらさせないうちに、ヴァルゴの杖をあっさり取り上げた。

 

「なんでよ! 杖返して! コイツの脳ミソぶち抜いてやるんだから!」

「すぐに返すよ。ただし、ぼくにも説明はして欲しいかな」

 

 子供を諭すような穏やかな声で、ジェミニは続ける。

 

「それに、彼もあんな状態だ。いくら邪神モドキだとしても、今からなにか悪さを出来るとは思えないよ。彼が敵だと言うのなら、ここは一先ず拘束しておいて、なにか有益な情報を貰うってのが、賢い選択なんじゃないかな」

「……」

「この杖を返すのは、そのあとでもいいだろ?」

「……ふんっ」

 

 ヴァルゴがそっぽを向くや否や、ジェミニは微笑んでその白い髪を撫でた。どうやら肯定の意味らしく、私もひとまず、胸をなでおろすことが出来た。

 

「よしよし、いい子だね」

「……ジェミーの言うことは、いつも正しいから」

 

 目を伏せて発せられたその言葉は、どうもジェミニに向けられたものではないような気がした。

 そんな彼女を後目に、ジェミニは右手の指を鳴らす。すると空間に光の鎖が現れ、瞬く間に彼の腕を縛りつけてしまった。

 

「ソーリー。これでも慈悲深いと思って」

「いえ、ありがとう……。本当に、助かりましたよ、ジェミニ」

「ぼくはべつに。……ところでお医者様、しばらく彼を預かってもいいかい? そこにいるアクエリアスが、彼の主治医なんだ。お察しの通り、人間じゃないけどね」

「えお、お、おお……。かまわないけれど……」

 

 笑顔で人外を宣言してしまう辺り、ジェミニも意外と強かだと思う。

 そのあと、医者は力なく首を振り続けていた。目の前で繰り広げられた一連の出来事に理解が追いついていないのかもしれない。対して、臨時のお手伝いだという女性は「外の世界のひとってスゴイんですねえ」と呑気な感想を述べ、満面の笑みを浮かべていた。

 

 やがて集まってきた野次馬たちを避けるように、私たちは、男を連れて里の外へと向かうことにした。

 

 

 

 

 人間の里の裏通りで、黒い制服を身にまとった男が取り押さえられていた。相反するように輝く黄金色の頭髪に砂を被りながら、男は叫んだ。

 

「サジタリアス……! 話を、聞いては、いただけませんか……!」

「ダメだ。この邪神モドキめ、今さらカプリコーンのモノマネなぞしおって」

「ち、ちがっ……なんの、こと」

 

 邪神モドキ。そう呼ばれた男が弁明すればするほど、サジタリアスの腕に力が加わっていく。

 彫りの深い精悍な顔立ちに、清潔感漂う白の軍服をきっちり身につけた彼は、傍目にはどう見ても軍人として映る。幻想郷にそんな職業は存在しないが、この構図を見た通行人たちは、誰もがサジタリアスを〝怪しい男を取り押さえる若き正義漢〟と認識しているらしかった。

 

「生憎だが、ここに貴様の味方はいないようだぞ?」

「いづっ……なにが、起こって、いるのです……?」

「それはこちらのセリフだ。ひとまず、話を聞かせてもらおうか」

 

 サジタリアスはそう言って、男を仲間たちのもとへ連行していった。

 

 

 

 

「なるほど。ぼくがいない間に、そんなことがあったんだね」

 

 男を連れて、里の門を潜った私たち。

 真夏の太陽を遮る森の中。その場の空気は実にヒンヤリとしていて、私の両手は寒さに堪えるように小さく震えていた。

 

「つまり彼は、魔侯という名前……仮称に近いのかな。で、キミたちを散々騙して利用した挙げ句、仲間たちにまで怪我まで負わせた大罪人だと」

「そうなのジェミー。もうとんでもないクソ野郎なんだから。わかってくれた?」

「うん、話を聞くだけでも酷い男だってよくわかったよ。でもヴァルゴ、そんな汚い言葉を使うのは感心しないかな」

 

 腕を拘束され、正座させられ、項垂れている男を前に、ヴァルゴの説明にも熱が入る。

 魔侯の悪行三昧については私も把握していたので、説明を要求したのはジェミニただひとりだった。

 ヴァルゴの口から語られるのは、聞いているだけで腸が煮えくり返るような、魔侯の悪事の数々。幻想郷とグランロロ、両者を焚き付けて争いを起こし、ときには敵、ときには仲間を利用しながら、邪神たちが復活するよう立ち回り続けた。その過程で仲間が死にかけたとしても、ヤツには関係なかっただろう。

 

「むしろ、コイツにとっては死んでくれたほうが好都合だったでしょうね。ピスケスも、スコーピオンもアリエスも……!」

「ヴァルゴ。気持ちはわかるけど、落ち着いて」

「落ち着いてる……わよ。うん、落ち着いてる」

 

 小さな拳を握りしめるヴァルゴに、ジェミニは目を細めた。

 

「ならいいけど。さっき話した通り、今ここで彼を殺すってのは無しだよ」

「……」

「大丈夫。ことが済んだら、キミの望みどおりにしよう。話を聞いただけだけど、ぼくも脳ミソが沸騰しそうな気分だから。魔侯には、然るべき罰を与えるさ」

「ことが済んだら。って?」

 

 これは私。ふたりの会話に割り込む形だった。

 ジェミニのいう〝こと〟がなにを意味するのか分からず、というのは勿論だが、ソレ以上に、ヴァルゴがジェミニと目を合わせていないのが気がかりだった。

 奥歯を強く噛み締めている彼女は、今なにを思っているのだろう。想像すると背筋が冷えた。

 

「いくつか、気になることがあるよね」

「気になること? 例えば、その体のこととか?」

「イグザクトリー。よく分かっているね」

 

 ジェミニは指を弾くと、アクエリアスに目線を送った。

 

「彼の器……カプリコーンが使っていたものと全く同じだけど、誰が創ったのかな。まさかアクエリアスなわけないよね」

「有り得ません。たしかに、よく再現はされていますが……。失礼」

 

 アクエリアスは片膝をついて屈むと、男の手の甲を静かに指でなぞった。

 

「えっ」その光景に私が目を見開けば、

「……これって」ヴァルゴも声を震わせる。

 

 アクエリアスの触れた部分が削り取られ、砂山のようにザラザラと音を立てて崩れていく。彼の指先に残った僅かな粒を見て、ジェミニが唇をすぼめた。

 

「土、だね」

「ええ。ジェミニ様の仰る通り、土です。ですが……」

 

 立ち上がったアクエリアスの喉から、小さな唸り声が聞こえてくる。

 

「正直、驚きましたね。土だけでここまで精巧な器を再現できるものなのかと」

 

 なにを今さら驚くのだろう。私は眉を上げて尋ねた。

 

「アクエリアスも、土と水から皆の器を創ったんでしょう?」

「ええ。ですが、水があるのとないのとでは、まるで話が違ってきます」

「そうなの?」

「簡単に言えば、モノと生命体の違い……でしょうか。わたくしの創る器は、血管も内蔵も生殖器もある、魂が入っていないだけの完全なる〝生命体〟。一方こちらは、形以外は人体としての条件をなにも満たしていない、ただの〝土人形〟……つまりはモノなのです。水は生命の源ですから、それを使っていないと、こういう仕上がりになる」

「それじゃあ、彼は今、ただの土人形に魂を宿して動いてるってゆーこと?」

「そうなりますね」

「うわー、なんか心霊小説の設定みたいね……」

 

 私は両腕を抱きしめて、震えそうだった体を無理やり黙らせた。

 

「申し訳ございません。……ですが、わたくしとしては、土だけで創った人形が、神々の器として耐えられていることのほうが末恐ろしゅうございます」

「どうして?」

 

 小首を傾げる私に、アクエリアスは目を細めて言った。

 

「そのような土人形を創れるお方を、わたくしはマグナ様以外に存じ上げないので」

「……マグナぁ?」

 

 開いた口が塞がらなかった。彼はこの土塊をマグナが創ったと考えているのか。

 

「いや……ないない。だってアイツは、霊夢たちが監視しているのよ?」

「左様。……だからこそ、聞く必要がございます。ジェミニ様が仰ったのは、つまりはこういうことでしょう」

 

 アクエリアスは改めて片膝をつくと、さっきから黙り込んでいる男の顔を覗き込んだ。

 

「アナタにお伺いしたいのは、この器を何者から頂戴したのかということです」

「……ああ」

 

 男は力なく顔を上げた。

 よかった、と私が息をついたのは、彼がずっと項垂れていたせいで「もしかして意識ないんじゃね?」と密かに心配していたからだ。

 

「すみま、せん。わたしには、なにも」

「本当ですか?」

「ええ、ほんとう、です。ここしばらくのことを、なにも、覚えていない」

「では、記憶がないと? 一体どこから?」

「グランロロで、アルティメットと、戦争して、そこまでは……」

「やや具体性に欠ける回答では御座いませんか。どこから記憶がないのか、より細分化してお聞かせ頂けると嬉しいのですが」

「……」

 

 男が黙りこくると、ヴァルゴが大きく舌打ちした。

 

「自分が不利になる情報は吐けないってことでしょ。クソ野郎の脳ミソの中なんて知れてるもの。自分の身を守る、欲求を満たす。その程度のことしか考えられないんだから」

「……ヴァルゴ、そんな言い方あんまりなんじゃ」

「なによ鈴仙、コイツの肩を持つの?」

「いや、そういうつもりじゃないけど……」

「じゃあなによ?」

「ヴァルゴ、やめなって」

 

 私を庇うように、ジェミニが間に割って入る。

 

「彼を捕まえておくよう提案したのはぼくだ。不満があるならぼくに言いなよ」

「じゃあ言うわね、ジェミー。確かにアナタの意見には一理あると思ったわ。だけど状況が変わったの。この器は多分マグナ姉さまが創ったもの。ってことはコイツには姉さまの息がかかってると思った方がいい。私たちの前に現れたのも偶然じゃなく姉さまの指示だろうし、ボロボロに見えるのも全部演技。違う?」

「ボロボロのフリしてぼくらに近づいて、なにを狙うっていうんだい?」

「命に決まってるでしょ」

「なるほど、それは納得だ。だけど、そうなると最初に殺されるのはキミだろうね。感情的で隙だらけだもの」

「はあ⁉」

 

 ブチンッ! ……と、なにかが切れる音が聞こえた気がした。

 

「ジェミー、今なんて言った?」

「キミが感情的で隙だらけだと言ったんだよ」

「そう、隙だらけ。なるほど。だったらアナタも隙だらけじゃない? 無駄にお人好しで無意味に優しいものね。何億年経っても攻撃の瞬間に力を抜く癖が抜けない。そんなんだからキャンサーに序列三位の座を譲る羽目になったんでしょう?」

「七位のキミに言われたくないな。仮に魔侯が攻撃を仕掛けてきても、ぼくは即座に打ち返してやれる自信がある」

「私だってそのくらいわけないわよ! なんならジェミーの攻撃だって捌けるもん!」

「ワォ、すごいね。それじゃあここで見せてもらおうかな?」

「ちょっと、ふたりともやめてよ!」

 

 洒落にならない空気に、私たちはたまらず止めに入った。私がヴァルゴを抑え、アクエリアスは今にも剣を抜きそうなジェミニに組み付いていく。

 

「優曇華院様の仰る通りです! おふたりとも、どうか静粛に!」

「どいてくれないかなアクエリアス。ぼくのスピードを捌けるという彼女の技をどうしても見てみたいんだ」

「なんかヤバいわよこの状況! もしも敵がなにかを狙っているんだとしたら、まさにこの状況をつくりたかったんじゃないの⁉」

「鈴仙の言う通りよ! だからさっさとソイツ殺さないと!」

「キミは話が飛躍しすぎる!」

「ジェミーは生やさしすぎるのよ!」

「いい加減にしてよ!」

 

 しまった。と思ったのは、咄嗟に苛立ちを抑えきれなくて、つい、ヴァルゴを突き倒してしまったからだ。

 尻もちをつく形で地面にへたり込んだヴァルゴは、そのまま人形のように項垂れて動かなった。パンパンに膨れ上がった風船が、針ひとつで消えてなくなるように。真夏の太陽すらも恋しく思える冷え切った空気が、私たちを包んでいた。

 

「ご、ごめんなさい……」

「……いい。べつにきにしてない」

 

 俯いたまま発せられる抑揚のない声が、ひどく不気味だった。ほんの十秒前までの喧騒はどこへやら、ジェミニもアクエリアスも、今は呆気にとられたように黙り込んでいる。

 気まずくなって明後日の方向へ視線を逃がせば、夜のように黒い小鳥が一匹、私をじーっと見つめているのが見えた。今に「うわー、いっけないんだー、八意先生に言いつけてやろー」とでも言い出しそうな気がする。

 

「……ごめん」

「……」

 

 明らかに落ち込んでいるヴァルゴを見て、それ以上の言葉が出てこなかった。

 

 どうすんの、これ。

 

 どうすればいいの、これ。

 

 日光を遮る木々も、風に揺れる草葉の囀りすらもすらもうっとおしく感じる。

 

「やけに騒がしいと思えば……。なにをしているんです? 鈴仙」

 

 聞くだけで背筋が伸びるような、美しい声が聞こえてきたのは、そのときだった。

 見れば、桃色の長髪を黄色のリボンでポニーテールにまとめた女性が、なにやら訝しげな表情でこちらを見つめている。傍らには白い軍服の男と中華服の貴人がおり、ふたりも私たちに不可思議そうな目線を送っていた。

 

「依姫様……」

 

 綿月依姫。かつての私の飼い主であり、月の都の防衛組織《月の使者》のリーダーだ。

 呆ける私に、彼女は以前と比較にならない温かな笑みを浮かべた。

 

「偶然ですね。12宮たちの捜索は順調ですか?」

「は、はい。順調……っていうか、なんて言うんですかね……」

「どうしたのです?」

「いや……えっと」

 

 泳いだ目を誤魔化すべく、視線を逸らす。言うべきことは分かっているのだが、かつての上司を前にして、私の緊張は言語を絶していた。

 いや、普段ならここまで緊張しないんだけどさあ! 状況が状況だからさあ! と内心で地団駄を踏んでいると、やけに明るい道化師の声が耳に滑り込んできた。

 

「ワォ、サジタリアスじゃないか。それにピオーズも。久しぶりだね」

「ジェミニ! お前どこに行ってたんだ。心配したんだぞ」

「ソーリー、サジタリアス。ぼくなりに色々あってさ」

「色々だと? まったく、お前というやつは……」

「まあいいじゃないか、サジタリアス。無事でなによりだろう」

「サンキュー。キミも元気そうで安心したよ、ピオーズ」

「なんとかな。……おお、ヴァルゴとアクエリアスも一緒か! 相変わらず三にん仲がいいものだな」

「おふたりとも、ご無事でなによりで御座います」

 

 ジェミニたちが、仲間同士の再会を喜んでいる声だった。客観的に見ると、ヴァルゴが距離をとっているところに空気の層を感じるが、これを見て依姫様は、

 

「順調そうですね」

 

 と笑ったので、私は「見ての通りです」と返しておいた。

 よく考えたら依姫様はヴァルゴがどんな人物かなんて知らないし、違和感を感じなくてもおかしくはない。それに気がついた瞬間、背筋を伝う冷や汗が素早くひいていった。

 

「ただ、ひとつ気になることがあります」

 

 そんなことはなかった。

 

 

 

 

「……どういうことだ?」

 

 しばしの沈黙を、この場にいる殆どのメンバーが思っていそうなセリフで破ったのは、サジタリアスだった。

 私たちの目線の先にいるのは、地に正座をさせられたふたりの男性。

 ひとりは、エクソシストみたいな黒い制服に身を包んだ、金髪の男。後ろで組まされた両腕を黄色い光の鎖で縛られている。

 もうひとりは、エクソシストみたいな黒い制服に身を包んだ、金髪の……つまり、隣に座るもうひとりと全く同じ容貌をした男。こちらは、両腕をフェムトファイバーで拘束されている。

 全く同じガワを被った男が、ここにふたり存在していた。

 

「見ての通りですが……。鈴仙、彼はいったい何処で?」

 

 依姫様が首をひねったので、私は正直に答えた。

 

「里の病院です。正確には、その正面にある甘味処で。酔っ払って崖から落ちた若者という設定で、身を潜めていたらしいですよ」

「ああ、件の男性ですか。私たちも噂は耳にしましたよ」

「そうなんですか?」

「私たちも、さっきまで里にいましたから」

「えっ! じゃあ、そっちの魔侯も?」

「ああ。里でコソコソしていたので、とっ捕まえたんだ」

 

 話に入ってきたサジタリアスは、右腕を曲げてガッツポーズをする。

 

「ここまで散々苦戦させられた割には、少々呆気なかったがな。どういうわけか、すでに満身創痍の状態だったんだ」

「同じく、だね。ぼくらが捕まえた方も、最初からボロボロだったよ」

「かなり消耗している様子で、わたくしどもの質問にも中々答えていただけません」

 

 困ったものです。アクエリアスのその発言に、ピオーズが腕を組む。

 

「それも同様か。……だが、ここにふたり揃った以上、見分けるのは造作もないだろう」

「ん? なぜそう言える?」

「簡単なことだろう、サジタリアス。我々にはジェミニがいる」

 

 ピオーズがそう言うと、一同の視線がジェミニに集まった。

 

「ジェミニ、お前は虚構を司る神であり、芸能や演技の成功をもたらす神でもある。ふたりのうちどちらがカプリコーンのふりをしているのか、見分けが付くんじゃないのか?」

 

 なるほど。私は固唾を飲んだ。

 確かに、何者かの〝ふりをする〟という行為は、立派な演技にあたる。仲間の特性を理解しているピオーズらしい指摘だが、この鋭い質問にジェミニは、

 

「……ソーリー」

 

 なんとも呆気ない答えを差し出した。

 彼は首を横に振り、両手を肩の高さまで上げて「参った」のポーズ。これを見たピオーズは心底驚いた様子である。

 

「信じられん。お前ともあろうものが」

「今はまだ、と付け加えておくけどね。これはプライドの問題だ」

「それだけ、魔侯のスキルが高いってことですよね」

 

 私も会話に割って入る。

 

「相手は邪神ですし、12宮にすら推し量れないことの一つや二つ、あっても不思議ではないと思います」

「ぬぅ、それもそうだな」

「あの、すみません」

 

 控えめに挙手したのは、依姫様だった。

 

「依姫様? どうしたんですか?」

「今のピオーズさんの発言で、私もひとつ思いつきました。……鈴仙、アナタならもしかして、どちらが偽物か見破れるのでは?」

「わ、私ですか⁉」

「ええ。アナタには波長視の能力がありますよね? それを使うのはどうでしょう」

 

 んひい。喉から変な音が出た。そんなの責任重大じゃないか。しかも、

 

「なるほど。優曇華院様はイル兄様やヴァン兄様とも遭遇しておりますし、邪神特有の波長というものを見分けられるかもしれませんね」

 

 アクエリアスの後押しもあって、早々に逃げられない盤面を構築されてしまった。

 一同の視線が、今度は私に降りかかる。もしかして皆さん、私がプレッシャーに弱い生き物だということをご存知でない?

 

「えう……え……や、やってみます……けど……」

「お願いします」

 

 冷や汗は止まらないが、上手くやるしかないだろう。

 私は深く息を吸い込み、目を閉じた。慣れたもので、両の瞳にチカラを集中させるには一秒とかからなかった。酸素が全身を巡るにつれて心拍数が上昇し、吐き出す息も熱を帯びていく。それとともに、脈打つ鼓動が外に漏れてしまうような気がした。

 そうして、文字通り瞳を真っ赤に染めた私は、深呼吸するようなスピードで、左右のまぶたをゆっくり持ち上げた。

 視界に広がるのは、ノイズの混じった真っ赤な世界。

 あらゆるものの精神の波。それらをノイズとして視ることが出来る、私の能力。

 その力を持って、私はふたりの男性を見つめた。

 

 ……。

 

 これは……。

 

「……どう、ですか」

「……すみません、依姫様」

 

 私は再び目を閉じると、小さくかぶりを振った。

 

 瞬間。

 

「はあっ……!」

「優曇華院様!」

 

 突然カラダの制御がきかなくなり、私は膝から崩れ落ちた。幸いにもアクエリアスに抱えてもらえて、ギリギリ倒れずには済んだ。

 

「うあ……ご、ごめん……」

「いったいどうされたのですか。まさか、能力の負担が?」

「い、いや、違うの。皆の視線が集まったら、なんか緊張しちゃって……」

 

 私は引きつった笑みを浮かべた。情けないもので、頭頂から足の裏まで、ぐっしょり汗をかいているようだ。温和になったとは言え、かつては鬼教官と呼ばれた姫の御前。こんなことして緊張しないはずがなかった。

 恐る恐る、私は彼女を見上げた。すると、

 

「ありがとう鈴仙、無理を言ってすみませんでした」

 

 依姫様は膝をついて、私と目線を合わせてくれた。月のように緩やかな弧を描いた瞳が、彼女の優しさをよく表していると思った。

 本当はもう、彼女の前で緊張する理由なんてないはずなのだ。

 

「すこし休んでください。あとは我々でなんとかします」

「ありがとうございます……」

「よし! こうなれば詰問攻めだな」

 

 サジタリアスの物騒な言葉を背中で流しつつ、私は依姫様たちから距離をおいた。アクエリアスが肩を貸そうとしてくれたが、大丈夫だと断った。

 やらなきゃいけないことがある。アクエリアスに付いてこられると困るのだ。

 ふと空を見上げれば、相変わらず木々が日差しを遮っていた。ずっと邪魔だなと思っていたけれど、案外、丁度いいのかもしれない。

 

 

 

 

 皆から十メートルほど離れた位置で、彼女は倒木に腰をおろしていた。

 俯いた顔は白の長髪に遮られて見えず、その体は、生きていることを疑うレベルで微動だにしていない。完成された容姿も相まって──不謹慎だが──今の彼女を、私はお人形さんのようだなと思った。

 こうなる前、彼女は「疲れたから休む」なんて見え透いた嘘をついていた。あの段階で彼女についていかなかったことを、私は心から後悔した。

 変わり果てた様子の彼女を驚かさないように、そっと声をかける。

 

「ヴァルゴ」

 

 ローブをかけた肩が小さく震えたのを見て、私は安堵の息をついた。もちろん、彼女には聞こえないように。

 

「ここ、座っていい?」

「……いいよ」

 

 すぐ隣に腰をおろすと、ヴァルゴは静かに顔を上げた。

 どうしたの、と力なく微笑む様はじつに儚げで、普段の彼女からは想像もつかないほど痛々しくて。なにより、もっと迷惑そうな顔をするものと思っていただけに、私は少々面食らっていた。

 

「その……さっきはごめんなさい。突き飛ばしたりなんかして」

「ああ。そんなこと、気にしてないわ。私こそごめんなさい、感情的になってしまって。身内の喧嘩なんて、巻き込まれる方が一番大変だったでしょう?」

「いや、全然……。えと、なんて言うか、意外だったわ。ヴァルゴとジェミニって、喧嘩とかする印象なかったし」

 

 棘のある言い方をすれば、バカップルみたいなもんだと思っていた。失礼極まりない印象を抱いていた私に、ヴァルゴはか細い声で笑った。

 

「ね。私もビックリしてる」

「え?」

「実はね、あんまり喧嘩したことないのよ。もう一万年以上はしてなかったかも」

「そ、そんなに?」

「うん。だから、余計にショックだったのかも」

「……」

「今はね、反省してるの。落ち着いたらジェミーに謝るつもり」

 

 それに、アナタにも。ごめんなさい。と頭を下げるヴァルゴを前にして、私のなかで繋がるものがあった。

 彼女は里で、ジェミニを「いつも正しい」と評した。私はあれをジェミニに向けた言葉ではないように感じていたが、その考えに間違いはなかったのだろう。

 恐らくあれは、ヴァルゴが自分を納得させるために、自分自身に言い聞かせた言葉だったのだ。

 私は唇を結ぶ。感情的だとか、図太いだとか、彼女に抱いていた印象がすべて泡のように消えてしまい、眼前に座る臆病な少女に塗り替えられていった。

 彼女は今、あの喧嘩のすべてを自分のせいにすることで終わらせようとしている。ジェミニが正しいと信じたいから、自分を押し殺している。

 そうだとしたら、それは実に臆病で、本当に後ろ向きな選択ではないか。

 

「……私たちの方が悪いとか、思わないの?」

「どうして? アナタたちは悪くない。私が先に怒り始めたのよ」

 

 そうではないと思う。

 今なら分かるが、あれは「じゅうぜろ」で私とジェミニが悪い。しかし、そんなことすら口にできない自分が情けなくて、私は奥歯を噛み締めた。

 かと言って、黙って見過ごすわけにもいかない。なにか、他の言い方で彼女に示せないものかと逡巡すること、数秒。

 

「……ヴァルゴは、もっと他人を責めていいと思う」

「え?」

 

 絞り出せた言葉は、結局そんなもんだった。

 私は彼女の顔を覗き込むよう、前かがみになって話を続ける。

 

「なんか、全部自分のせいにしようとしてない? ジェミニとの喧嘩とか、私に突き飛ばされたことも」

「……してないわ。していたとしても、それは事実だから」

「そうかな? その考え方が、私には危険に見えるけど」

「なんで?」

「ヴァルゴは、表面上のことを信じすぎてる気がするの」

「は?」

「少なくとも、私にはそう視える」

 

 ジェミニのことも、そして私のことも。ヴァルゴは現状敵視している相手には凶暴としか言いようのない振る舞いを見せるが、仲間に対してはどうも甘くなりすぎる節がある。

 その純真さは彼女の魅力であり、最大の弱点なのではないだろうか。

 彼女は眉を寄せて言った。

 

「なにが言いたいの?」

「じゃあ、問題を出すわね。さっき、私はアナタを突き飛ばしたけど、なんで私がアナタを突き飛ばしたかわかる?」

「それは、私が感情的になってたから、止めようとして」

「そんなんじゃない。あのときは、私もカッとなってたのよ」

「……え?」

 

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔だった。

 

「私、アナタが思っているほど温和な妖怪じゃないよ。くだらないことで簡単に怒るし、焦ってるときは他人のことなんて考えられなくなる。さっきだって……」

 

 私の声が途切れたことを不審に思ったのか、ヴァルゴが眉を顰めた。

 

「……つまり、私たちのこと美化しすぎなのよ」

「……そんなつもりは」

「なくて七癖って言うでしょう。癖って、考え方にも表れるものなのよ」

「……」

 

 なんとか声を振り絞っていたら、ヴァルゴがまた俯いた。私も小さく息をつく。

 しばしの沈黙。数メートル向こうでは、サジタリアスたちが魔侯たちに詰問を浴びせている。かなりヒートアップしている様子だし、そろそろ片方がボロを出すだろう。

 私は思い切って、話の舵を切ることにした。

 

「ジェミニが、心配だったんでしょう?」

「えっ?」

 

 弾かれるように顔をあげたヴァルゴは、小さな口をポカンと開けていた。あっ、と右手で口を抑えるが、その挙動のすべてが私の言葉を肯定しているように見える。

 

「隠さなくていいわよ。ヴァルゴが意外と臆病な女の子だってことは、今日のことでよく分かったから。……普段は気丈に振る舞ってるくせにね」

「……たかが二日もないくらいの付き合いなのに、どうして分かるの?」

「これでも目には自信あるから」

 

 私は、赤く染まった己の瞳を指さして見せる。アクエリアスにそうしたように。

 心が読めるわけではないが、感情の波さえ視れば、あとは医者としての経験から大抵のことは判断がつくのだ。

 

「私に隠し事なんてやめることね。今日のこと、アナタはジェミニを心配していて、だからあんなに余裕がなかった。違う?」

「それは……」

 

 彼女はまたも俯いてしまった。覗き込んでみると、艶のある頬が赤く染まっているのが分かった。

 

「ま、そうよね。だってジェミニは魔侯のヤバさを体験してなくて、逆にアナタはそれを知っているんだもの」

「……」

「だから、ジェミニが判断を誤る前に──彼が魔侯の犠牲になる前に、ヤツを彼から遠ざけたかった。……それこそ、自分の手を汚してでもね」

 

 すべては臆病さの裏返しだったのではないか。私はそう考えたのだ。

 見つめられて流石に参ったのか、観念したかのように、彼女は深くため息をついた。

 

「……ジェミーは、私の気持ち、わかってくれてるのかな」

 

 私は無言のまま、話の続きを促した。

 

「わたし、ただ心配で。なのに、ジェミーはアイツのこと、庇ってて、もちろん、それはあの子の優しさで、私も、あの子のそういうところが好きで、だけど……」

「うん」

「……だけど、まさか、怒らせちゃうなんて」

「うん。……辛かったよね」

 

 ぽつり、ぽつりと不安を吐露する彼女は、神様とは思えぬほどに儚げで、か弱くて。

 私は彼女に寄り添って言った。

 

「大丈夫、ジェミニはわかってくれてるはずよ。それに、彼が珍しく怒った理由だって、すぐにわかると思う」

「どうしてそう言えるの?」

「私の見立てでは、って話よ。信用できない?」

「そうじゃないけど……」

 

 心配なのは、その事実を知ったとき、彼女はまた傷つくかもしれないということ。

 

 私はチラリとジェミニたちを見やった。

 詰問攻めは続いている。ひとりの男はたどたどしい口ぶりではあるが弁明を続け、もうひとりは、真相が暴かれる瞬間を静かに待っている様子だった。

 ジェミニは、そんなふたりを慎重に観察しているように見える。

 

「……鈴仙?」

「ねぇ、ヴァルゴ。あとでさ」

 

 私が彼女の耳元に唇を近づけた、直後だった。

 

「ち、ちがっ……誤解です!」

 

 金髪の男のひとりが、初めて声を張り上げた。

 

 

   

 

「どうしたの?」

 

 私とヴァルゴが駆け寄ると、サジタリアスが真っ先に振り返った。

 

「ああ。今しがた、片方がボロを出したところだ」

 

 そう言ってサジタリアスが指をさしたのは、黄色い鎖で腕を拘束された男──私たちが捕らえた方の魔侯だった。

 この場にいる全員の視線を浴びせられて、彼は酷く憔悴しきった顔で首を振った。

 

「誤解があります……! 言葉の綾なのです!」

「言葉の綾? アレをどうやって誤解したらいいのかなぁ」

 

 皮肉るように笑ったのはジェミニだ。ヴァルゴがなにか聞きたげにソワソワし始めたので、私がかわって前に出る。

 

「ジェミニ、ボロを出したって、彼はなにを言ったの?」

「実に単純なミスだよ。彼らはふたりとも、幻想郷に来てからの記憶を〝ない〟と証言していたんだけど、僕らが捕らえた方の魔侯がうっかり漏らしちゃったんだ」

「ああ、ジェミニが気づいてくれた。コイツ、依姫が我ら三龍神を従えていることを、どうしてか知っていたんだ」

 

 サジタリアスが拳を鳴らした。

 

「それをどう聞き間違えれば、言葉の綾ということに出来るんだ?」

「確かに私は彼女を〝三龍神に認められた〟と言いましたが、なにも三体すべてを指したつもりではありませんでした。サジタリアス、アナタと一緒にいたから、そう呼称したまでなのですよ」

「なぜがオレが三龍神としての力を取り戻していると断言できる? 幻想郷に来てからの記憶がなく、ソレ以前の記憶はあるのなら、オレが裏12宮のままでいる可能性も考慮できるだろう。第一オレは、お前を捕まえたあと、記憶が戻ったことを悟られるような発言は一言もしていない」

「念のため、しないようにしていましたからね」

 

 依姫様が口を添える。

 彼は諦めきれないと言った様子で、膝を擦りながら前に出た。

 

「制服のポケットに、私のデッキがございます。その中にある私のカードを見れば、私が本物であると分かっていただけるはずです」

「それが証拠になるのであれば、最初からそうしていますよ」

 

 アクエリアスが目を細めた。

 

「カードは所詮、我々の霊体を休める宿に過ぎません。増やそうと思えば何枚でも複製できてしまう」

「しかし、出入りできるのは本物の一枚だけ……」

「盗用はいくらでも出来ると思うよ」

 

 ジェミニが前のめりに割り込んだ。

 

「キミらふたりとも、目が覚めたら今の状態になってたって言ったじゃん。カプリコーン本人の意識がないうちに、本物の一枚を盗んで懐に入れておく。それくらいはいくらでも出来たんじゃないの」

「っ……」

 

 男の眉間にしわが寄る。なにか、しでかしそうな予感がした。

 

「でしたら……」

「あ、ちょっと待って」

 

 追い詰められた様子の男がなにか言おうとしたが、私が止めた。

 私は全員の背が見えるよう、ヴァルゴよりも後ろに下がった。安置についたことを確信してから、もうひとりに尋ねる。

 

「アナタは、どうして喋らないの?」

「……下手に口を開かぬのが、最善と判断しておりますので」

「それはどうして?」

「先程から、となりの彼が色々喋ってくれていますので……弁明など、みっともない」

「なるほどね」

 

 私はうなずいて、もう一歩、後ろに下がった。

 靴が砂利を擦って、ザラザラと音を鳴らす。その音に反応したのか、ヴァルゴがピクリと肩を揺らし、チラリとこちらを振り向いた。

 

「──鈴仙あぶない!!!」

「……へ?」

 

 悲鳴のような声をあげて駆け出す彼女。反対に、阿呆な声とともに後ろを向いた私は、上空から木々の草葉を吹き飛ばし、こちらに向かって一直線に飛んでくる黒い塊を見た。

 エネルギー弾。そうとしか言いようのない、どす黒い塊。内部で鋭い刃状のオーラが螺旋を描いていることから、恐らく〝撃つ〟ではなく〝抉る〟ことに特化したヤツ。

 食らったらまず命はないだろうな、と瞬時に分かった。

 魔侯の攻撃だ。それに気づいた直後、私は地面に仰向けで押し倒された。続けて、私の体を覆うようにヴァルゴが倒れ込む。

 鈍い唸りが、ふたつ響いた。ひとつは私、もうひとつはヴァルゴ。

 咄嗟とは言え、決死の行動だったのだろう。その表情は死を覚悟しているように見えた。固く閉じた目、額から吹き出す大粒の汗が、それを物語っていた。

 ただ、それは私も同じことで。

 死の間際って、周りの景色がスローに見えるって言うけど、ホントなんだなあ。あれを食らったらどれだけ痛いのかなあ。肉が抉れるときってどんな音がするのかなあ、なんてぼんやり考えながら、私は──。

 

「間に合ってよかったわ」

 

 直後、一筋の光が、私の視界を貫いた。

 

 

 真夜中を思わせる静寂が、あたりを包み込む。

 ヴァルゴは相変わらず目を閉じたまま、長い白髪を私の頬に垂らしていた。吐く息はいずれも震えを帯び、彼女の心臓の鼓動がこちらにまで伝わってくるようだった。

 

「……ヴァルゴ」

「っ……うう」

「ねえ、ヴァルゴ」

「うううううううううううう……っ」

「ヴァルゴってば!」

 

 今にも泣き出しそうな彼女の頬に触れると、彼女はバランスを崩した積み木のおもちゃみたいにガタンと崩れ落ち、私にのしかかってきた。急に乙女の全体重を受け止めることになった私は、「んふう⁉」という、少女にあるまじき低い悲鳴をあげる。

 

 ヴァルゴの名誉のためにこれだけは言っておくが、彼女はそんなに重くなかった。

 

「ごめん……っ、鈴仙……っ、私、一番近くにいたのに、気づけなくって……!」

 

 私にもたれかかったまま、相も変わらずうーうー唸り声をあげる彼女に、私は安堵と呆れの入り混じった息をもらした。

 どうやら、なにも見えていないらしい。私は彼女の髪を二・三回撫でると、子供をあやすような優しい声で言った。

 

「怪我してないよ、ふたりとも」

「ううううう……」

「もう大丈夫だから」

「ううううううううううう……」

「ヴァルゴ、目をあけて。生きてるから」

「ううううううううううううううううう……。……う?」

「ふたりとも生きてるよ」

「……え?」

 

 ヴァルゴはパチっと目を開くと、体を起こして辺りを見回した。

 

「なんで……?」

 

 彼女は自分の体や頬をペタペタと触る。どこにも異常はない。

 ようやく自由が得られた私も、仰向けのまま首を動かし、周囲の状況を確認する。

 咄嗟の出来事に、目を見開いて警戒する者。

 私たちを心配して駆け寄ってくる者もいる。

 そんな中、さして驚きもしない様子で、微笑みを浮かべて私を見つめる者がいた。

 

「……ジェミニ」

「ありがとう。おかげで上手くいったよ」

 

 彼は拍手とともに、私の視線を顎で誘導した。

 体を起こして視認する。眉間を貫かれ、仰向けで地に倒れている男の姿を。

 痩せ型で長身の体に、エクソシストを思わせる黒い制服。

 黄金色の頭髪と、角張った顎、とがった鼻。

 怪しげな風貌に違わず罪を犯したのか、両腕を後ろで組まされ、拘束されている。

 その腕に巻き付いているのは、依姫様が持ち込んだフェムトファイバーだった。

 

「どういうことだ……? 上手くいった、だと? ジェミニ、なにを言ってる?」

「全部、台本通りに進んだんだよ。サジタリアス」

 

 呆気にとられるサジタリアスたちを前に、ジェミニはもうひとりの魔侯に歩み寄った。必死に弁明を続けていた、もうひとりが言うところの「みっともない男」。

 明らかに、この場にいるほぼ全員が、警戒の目でジェミニを睨んでいる。だが、彼はどこ吹く風と言った様子で言葉を続けた。

 

「多少のイレギュラーはあったけどね。でも想定内のイレギュラーだった。彼女はぼくが希望した通りの役割を、見事に演じきってくれたよ」

「ジェミニ、サジタリアスの質問に答えてくれ。お前は……」

「ガハッ! ゲボッ! ゴホッ!」

 

 ピオーズの言葉を遮るように、誰かが激しく咳き込んだ。ジェミニを捉えていた全員の視線が、そちらに向き直る。

 

「はァーッ……ハァー……ゲホッ! ゲホッ! みょう、ですね……。なぜ、バレたのでしょうか……ケホッ、ケホッ。演技はァ……完璧、だった。はずなのですが……」

「っ……お前は……!」

 

 崩れ落ちた土人形の中に見える、その邪悪な龍の魂に、ピオーズをはじめ全員が警戒心を顕にした。

 ただひとりを除いて。

 

「完璧な演技って? それ、誰の前で言ってるのかな?」

「はァーッ……あはははァ……やはり、気づいていたのですね……ェハハハ……流石は、虚構を、司る、双子座の神! ジェミニ様だァ……」

「そーゆーこと。いいかいピオーズ、これが質問の答えだよ」

 

 ジェミニは残された男の前で膝をつくと、彼を拘束していた鎖を指で撫でた。瞬く間に鎖は光となって霧散し、男は晴れて自由の身となる。

 

「この、みっともなく弁明を続けていた男こそが、本物のカプリコーンだ。手を貸すよ」

「ありがとうございます」

 

 笑顔で差し出されたその手を、男は嬉しそうに受け取った。

 ジェミニは続ける。

 

「最初から、答えは知っていたんだ。知ったうえで役を演じていた。ぼくも、彼女も」

「彼女……?」

「この舞台における、ぼくのパートナーさ。紹介しよう」

 

 ジェミニに促されるように、全員の視線が、ひとりの人物に集中した。

 もうひとり、最初から答えを知っていて、役を演じていた人物。

 

「鈴仙……?」

 

 ヴァルゴの問いかけに、私は黙って頷いた。

 

 もうひとりは、わたしだ。

 

 全員の視線が私に集中している。疑念と警戒心の入り混じった視線。苦手だ。私は視線を避けるように、俯いたまま立ち上がった。

 ゆっくりと顔をあげ、真っ赤に染めた瞳で、改めて確認する。

 私の弾丸が捉えた相手を。

 眉間からひび割れた体で、哀れ地に倒れ伏した魔侯の姿を。

 

「ホント、間に合ってよかったわ」

「では……さっき、彼の脳天を貫いたのは」

「はい、私のものです。依姫様」

 

 彼の眉間を捉えた、あの一筋の光は、私の弾丸だった。エネルギー弾なので実体はすでに消失してしまったが、地面には焼け焦げたあとが残されている。

 対して、あの一撃で魔力の発生源を失った魔侯のエネルギー弾は、大地に掘削跡を残すこともなく、空中で霧散した。

 私は、木々に隠された青空を指さして続ける。

 

「あらかじめ、私のエネルギー弾を上空に何発か配置しておいたんです。誰かが攻撃されそうになったとき、すぐに発射できるようにと思って。もっとも、私がターゲットになるのは予想外でしたけど」

「へェーー……そォうですか、アナタが……ァハハハ……」

 

 愉快とも、屈辱を噛み締めているともとれる、狂気的な笑みだった。

 

「私もォ……予想外、でしたね……ェ。自分の身を、自分で守れる。それくらいの強さは持っていたわけだァ……アハハハ……」

「狙いは、わたくしどもの誰かに優曇華院様を庇わせることでしたか」

 

 アクエリアスが剣を強く握りしめる。

 なるほど、と息を呑んだ。事実、ヴァルゴは私を守るために駆け出したのだ。その場合12宮の誰かに狙いを絞ることは出来ないが、彼に言わせればランダムにひとり殺せればそれで良かったのだろう。

 

「ですが、さっぱり分かりません。ジェミニ様」

「なんだい?」

「最初から知っていたとは、一体どこからなのですか? それに、優曇華院様も……」

「最初からだよ」

 

 ジェミニは満面の笑みを浮かべて言った。

 

「疲れたって、言っただろう?」

 

 

  6

 

 

 今から二~三時間ほど前のことになる。

 レオを捜索するため、妖怪の山へ通じる畦道をジェミニたちと歩いていたとき、ふと、彼に肩をつつかれた。

 

『鈴仙、すこしいいかい?』

 

 不思議だったのは、彼は声を発していないらしいのに、その言葉が明確に読み取れたことだ。私に読唇術の心得はないが、彼の唇の動きは妙に鮮明で、彼が無言でなんと言っているのか、一語一句、逃さず聞き取ることが出来た。

 

『黙って聞いていてほしい。……ヴァルゴたちには内緒にしておきたいんだ。それにね、ヴァルゴは内緒話を盗み聞きする悪癖があるから、こうして唇だけで喋ってる。協力してほしいことがあるんだ』

 

 とりあえず、私は首を縦に振った。

 見たところ、ヴァルゴはアクエリアスとの会話に夢中になっているようで、私たちがなにか会話していることには気づいていないらしかった。

 ジェミニは声に出さぬまま、次のように語った。

 

『今ね、監視衛星を飛ばしてるだろ。あれのひとつが仲間を見つけたんだ。うん、ぼくの大切な親友のひとりさ。

 名前を、カプリコーンって言うんだけど。

 ……あはは、やっぱり苦い顔をするんだね。彼から聞いた通りだ。

 事情は本人から聞かされたよ。恐らくキミだけじゃなく、誰もが自分を信じてくれないだろうと言っていた。

 でも、安心してほしい。ぼくが見つけたカプリコーンは本物だ。ぼくは演技の神でもあるからさ、わかるんだよ。嘘ついてたり、ふりをしていてもすぐに看破できる。

 偽物に取り憑かれていたという彼が、どうして今は自由の身なのか。彼の器は誰が用意したんだろう? ……嫌な予感がするけど、その話はまたあとでするね。

 で、ここから先が本題なんだけど……。

 まず、結論から言うね。彼にお願いされてさ、協力してほしいんだ。

 鈴仙。キミには、ぼくが手掛ける舞台の演者になってほしい。

 ……あはは! その驚いた表情、かわいいね。レオが気に入ったのも頷けるや。

 最初から説明するから、安心して。

 まずこの作戦は、カプリコーンの偽物──魔侯と言ったかな? 彼を〝騙しきった上で倒す〟ために実施するものだ。

 魔侯は今、人間の里の裏通り潜伏しているらしい。あそこは人気もないから、丁度いいと思ったのかもしれないね。

 そして今、カプリコーンも里に向かっている。

 ぼくたちは妖怪の山を目指して歩いているけど、それを今から自然な形で里に向かうよう変更して、カプリコーンと合流したいんだ。

 ……大丈夫。レオとはぐれた霧の湖には、ぼくらの監視衛星を何機か向かわせたよ。なにか収穫があれば、すぐに報告する。

 そして、ここからがポイントだ。ぼくたちはカプリコーンと合流してからも、事実をなにも知らないように装わないといけない。

 敵を欺くにはまず味方から、だよ。

 ヴァルゴとアクエリアスには悪いけど、ふたりは嘘をつくのが上手じゃない。本当のことを知ったうえで嘘をつけば、言動が固くなる傾向にある。

 いいかい? 魔侯を騙すためには、ぼくらがヴァルゴたちの行動や感情を、上手にコントロールしないといけないんだよ』

 

 そこまで言われて、私は首を振りまくった。無理な相談だからだ。

 

『黙って聞いてれば好き放題言って! 第一わたし、演劇とかやったことないし!』

 

 口パクでそう訴える。

 カプリコーンのこと、魔侯を倒すための作戦に協力してほしいこと。言いたいことはわかっても、「はいそうですか」と受け入れられない。私は演劇ド素人なのだ。

 

『ものすっごく棒読みの大根演技になるわよ!』

『平気さ。ぼくはキミに演技をしてほしいわけじゃない。ただ適切なタイミングで、簡単な嘘をついてもらいたいだけなんだよ』

『う、うそを?』

『ああ、とっても簡単な嘘をね』

 

 ジェミニは指を立てながら、その『簡単な嘘』とやらを羅列した。

 

『例えば、人里に行く理由だとか、目的の場所に近づくための方便とか。カプリコーンは〝酔っ払って崖から落ちた若者〟を装って里に入り込むらしいから、間違いなく病院に担ぎ込まれるだろう。その病院に近づくための言い訳も欲しいかな』

『いや、これっぽっちも簡単じゃないんだけど?』

『そうかい?』

 

 真顔で首を傾げる彼にため息を付いてやりたくなったが、今は黙っていないといけないのでソレすら出来ない。

 確認のため、チラリとヴァルゴを見た。相変わらずアクエリアスとの他愛もない会話に花を咲かせている様子だ。こっちはソレどころじゃない雰囲気なのに。

 そう思ったら、ふと、意地悪でふたりの波長を覗いてやろうという気になった。ヴァルゴはともかく、アクエリアスの波が強くなっているのが視えたので、「もしかしてアクエリアスはヴァルゴに気があるのかな」なんて思ったりした。

 

『どうかした?』

『……んーん、なんでも』

 

 ライバルの存在も知らずに、呑気なものである。私はジェミニに向き直した。

 

『んで、なんだっけ?』

『嘘をつくのが難しいって話だね。……それじゃあ鈴仙、ぼくがひとつ手本を見せるよ。いいかい? 今から見せるのは、里に向かうためにつく〝嘘〟の一例だ』

 

 ジェミニは小さく微笑むと、コホンとひとつ咳払い。そして……。

 

「うーん、流石にちょっと〝疲れた〟のかもしれない」

 

 小声で、そんなことを言った。

 

 私は僅かに首をひねったが、違和感の正体はすぐに分かった。今のジェミニの言葉には、明確な音があったのだ。

 しかし、今のが嘘とはこれ如何に。

 

「えーっと……? それのどこがう」

『静かに!』

 

 うぎゅう。彼の人差し指が私の唇を押しつぶした。コイツ自分だけ喋っておいてひとには喋らせないとかどういう了見だコラ。

 

『……気づいたかい? 今、ぼくの言葉にヴァルゴが反応したよね』

『えっ、そう? 全然気づかなかったけど』

『したんだよ』

 

 彼はしめしめと言った様子で笑った。あとで聞いた話だと、このときヴァルゴが見せた反応とは、呼吸のリズムが変化したことだったらしい。……わかるかそんなもん!

 

『こうなればあとは簡単だ。鈴仙、今から一分経過したら、何食わぬ顔で里に行くことをふたりに提案してくれるかい。アクエリアスは首を傾げるかもしれないけど、ヴァルゴは喜んでオーケーしてくれるだろうから』

『う、うん? いいけど、そのあとは?』

『里に向かいながら説明するよ』

 

 そのあとは知っての通りで、私たちは〝自分は魔侯じゃないと主張する魔侯のフリをしたカプリコーン〟という、ややこしい演技をするカプリコーンと難なく合流できた。

 ヴァルゴの反応も、大方、ジェミニが予想した通りのものだった。悔しいけど、全ては彼の台本通りと言わんばかりにことが進んでいくのが分かった。

 依姫様たちと合流する直前に起きたふたりの喧嘩も、私には予想外の出来事で混乱させられたけど、今思えばアレすらも、ジェミニの台本に描かれたワンシーンに過ぎなかったのだろう。

 

 双子座の12宮が敵でなくて良かったと、私は心からそう思った。

 

 

 

 

「じゃあ……本当に、最初から、ずっと」

 

 震えを押し殺すような声色で、ヴァルゴが呟いた。ジェミニのもとを後退する足取りはフラフラとしておぼつかず、顔面も真っ青になっている。

 虚構を司る神とはいえ、ジェミニは彼女の恋人である。ここ数時間、信頼する想い人に嘘をつき続けられていた上、その行動や感情すらも、都合のいいようにコントロールされていたという事実は、純粋な乙女座の女神には酷だっただろう。

 

「ソーリー、必要なことだったんだ」

 

 そして、こんなときでも崩れないジェミニの微笑みは、そんな今のヴァルゴには毒でしかない。華奢な体が貧血を起こしたように大きく揺れるのを見て、私は駆け出した。

 

「ヴァルゴ!」

 

 背後から抱えた小さな体が、とても重たかった。意識を失う一歩手前だ。彼女が傷つくことは予想していたが、まさかここまでとは思わなかった。

 迂闊だった自分を呪う。この作戦にヴァルゴを利用するのは間違いだった。

 ジェミニも僅かに肩を震わせたのが見えた。だが、彼はひとつ息を吐くと、すぐに魔侯と対面し直した。一度始めたら、カーテンが降りるまで舞台は続くのだ。

 

「勝負はぼくらの勝ちだ、魔侯。キミはぼくの仲間たちを散々騙してきたから、こうして虚構の神に騙し返される羽目になった」

「因果応報。そう、言いたいわけですね……」

「それがカプリコーンの望みだ。こうして勝たないと、本当の意味でキミを打倒したとは言えないだろうからね」

「そォ……でしたか……」

 

 魔侯はフラフラと立ち上がった。

 彼が少し動くたびに、その体から土がパラパラと崩れ落ち、内側にある邪悪な龍としての姿が顕になっていく。顔の大部分は人間のものを維持しているが、崩れ落ちた右上部からはうねった金色の角や、黒く鋭い魔物の目、刺々しい紫の鱗が薄く見えていた。

 ジェミニは警告する。

 

「動かないで。それ以上動けば、ぼくは容赦なくキミを滅多刺しにする」

 

 両手に逆手持ちした剣を構え、その一振りを魔侯に突き出した。

 だが、これを見て彼は、まだ笑っていた。

 

 その直後──どこにそんな力が残っていたのだろう。

 

「……ッ⁉」

 

 驚愕させられた。彼の全身からどす黒い闇が放出され、瞬く間もなく辺りを包み込んでしまったのだ。

 この場にいる誰もが反応できない速度で、瞬く間に闇が広がっていく。

 

「まだ……抵抗。させて、頂きますよ。あの御方、の、名を、汚す、わけには……」

 

 最期の抵抗。暗闇に響く彼の声から、そんな強烈な意志を感じ取った。

 そして何故だろう。なにもかもが闇に覆われ、抱えたヴァルゴさえ見えなくなる一瞬。私は、魔侯の怒りに満ちた目が、紛れもなくこちらを捉えているのを、確かに見たのだった。

 

 

 続




最後まで閲覧いただきありがとうございます。
次回も楽しみにお待ちいただければ幸いです。


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第七話『巡る因果・後編』

 

 

 気がつけば戦場に立たされていた。

 夜のような黒い空間に、満天の星が広がる壮大な景色。ここが戦場であることを忘れてしまうほどの静寂。

 しかし、私と、私の抱えていたヴァルゴは、紛れもなく戦場にいた。

 

「鈴仙……? これは……」

 

 ヴァルゴが意識を振り絞るようにして、私の腕から離れていく。現状を理解しようと試みているのか、彼女はしきりに首を振り回していた。

 荒廃した大地。埃っぽい風。私がここへ来たのは、これで二回目である。

 彼女はこわばった表情で私に向き直った。

 

「……ここって」

「戦場に来ちゃったみたいね、私たち」

 

 私は顎でヴァルゴの目線を誘導する。剥き出しの岩肌が円を描いてつくられた広場の向こう側に、傷だらけの男がひとり立っていた。

 殺気立った目で私を睨むその男は、息も絶え絶えに両腕に力を込める。すると、あろうことかフェムトファイバーが輪ゴムのようにブチブチと千切れ、呆気なく男の自由を赦してしまった。月の都が誇る最強強度の組み紐だが、邪神の力の前には無力だったらしい。

 うっわ。顔を引きつらせた私の隣で、ヴァルゴが小さく呟いた。

 

「魔侯……」

「ごめん。アイツは多分、私をバトルフィールドに引きずり込むだけのつもりだったんだろうけど……」

「……そっか。私、鈴仙に抱えて貰っていたから、一緒にフィールドへ入ったのね」

 

 ヴァルゴは、私たちの目の前にあるテーブル──これからカードを並べることになるものだ──に手を添えると、大粒の唾をひとつ飲み込んだ。

 

「戦うの?」

「選べないわよ。やるしかない」

「どうして……」

 

 まだなにか言いたそうだったが、ヴァルゴの言葉はそこで途切れた。彼女は一瞬、外野に弾き出されたジェミニとカプリコーンを睨んだ気がした。

 ああ。と私は声を漏らす。

 

「別にいいのよ。事故みたいなものって言うか、この状況がジェミニの台本にないことくらい、私にも分かるもん」

「だから納得がいかないのよ」

「どうして?」

「だって、ジェミーの不手際のせいで、鈴仙が危険な目に遭っているのよ?」

「不手際って」

 

 私はクスリと笑った。

 

「むしろ嬉しいわ。全部ジェミニの台本通りってのも、癪だったし」

「そういうものなの?」

「そーゆーもんなの。ずっと燻っていたんだから」

「……」

 

 笑顔を浮かべていたのが、逆にヴァルゴを心配にさせたかもしれない。彼女はそっぽを向くと、あの、自分に言い聞かせるような声色で呟いた。

 

「……鈴仙は、優しいのね」

「そんなことない」

 

 即答した。私は真剣な表情のまま続ける。

 

「わたしは、優しくなんかないよ」

「ジェミーを庇っておいて、よくそんなこと言えるわね」

「庇ってなんかいない。全部本当のことなの」

「……」

「信じて。ヴァルゴ」

「……信じていい?」

「信じてほしい」

 

 覗き込むような瞳で、ヴァルゴは私を見つめた。「もう騙されたくない」という切なる願いが、透き通った水晶の奥に視えた気がした。

 一分。本当は十秒くらいだったかもしれないけど、不意にヴァルゴが微笑んだ。

 

「約束、守ってくれるよね」

「もちろん」

 

 女に二言はない。ヴァルゴが静かに差し出した手を、私は強く握りしめた。

 

「でも、まずは目の前の敵を倒そう。ヴァルゴ」

「わかってる」

 

 深く頷いた彼女は、そう言って《戦神乙女》のカードへと戻っていった。彼女のカードをデッキに加えた私は、魔侯を睨むようにして、フィールドの向こう側を見た。

 

「いちおう聞いておくけど、どーして私なのかしら」

 

 待ちわびていたかのように、彼は顔を上げる。

 

「たかが、野うさぎの、分際で、神の使いに、傷を負わせた、罪は、重いのですよ……」

 

 そんなもんだろうとは思っていた。小さくため息をついた私に、彼はひび割れた顔面で口角を限界まで吊り上げ、不気味な笑みを浮かべた。

 

「粛清。させて、頂きます」

「やれるもんならね。……今日の私は優しくないわよ」

 

 哀れなものを見ている。そんな気分だった。仲間たちを散々傷つけられ、私自身も命を狙われたというのに、どうして私は、こんなにも力ない表情しか出来ないのだろう。

 テーブルに設置したデッキから、カードを四枚手に取る。いい手札だ。負ける気はしないが、だからと言って気分が高揚することもなかった。

 

「「ゲートオープン、界放」」

 

 開戦の狼煙は、鈴音のように静かに響き渡るのだった。

 

 

 

 

「ネクサス、《氷結都市リースグラード》を配置」

 

 正直言って、完璧な出だしだった。

 第一ターンから必要なネクサスを配置し、荒廃した大地を凍りついた街に変貌させることに成功した私は、次のターンには、キースピリットである《月光龍ストライク・ジークヴルム(Rv)》を召喚。機械仕掛けの白龍が睨みを利かせ、魔侯を激しく威嚇した。

 対する魔侯も、展開そのものは早かったように思う。第二ターンから《魔界の聖杯》でトラッシュに魔界七将を送り込み、第四ターンには《ベルゼビートX》の召喚時効果でそれらを蘇生。早くもフィールドに《ベルゼビートX》、《デストロード(Rv)》、《パンデミウム(Rv)》と三体の魔界七将を並べてみせた。

 ただ、紫属性である彼らの効果は、いずれも【契約装甲】を持つ《ストライク・ジークヴルム》には効き目がなく、その殆どが不発に終わっていた。勇んで仕掛けた攻撃も、月光龍がことごとく受け止める。私が信頼をおく《ストライク》シリーズには、相手が疲労したりアタックしてきたタイミングで回復する効果を持つものが多く、魔侯のデッキにはその効果が十分に刺さっているようだった。

 相性不利という他ない展開に、魔侯はその澄ました顔を何度も歪ませ、ときとしてテーブルを乱暴に叩いたりした。そして、その度に「……失礼しました」とかぶりを振った。

 正直ザマアミロとも思ったが、私の口角が上がることは一度だってなかった。

 

 第五ターン。バトルフィールドは私にさらなる追い風を吹かせる。

 

「契約煌臨! 《月光神龍ルナテック・ストライクヴルム(Rv)》!」

 

 高く掲げたカードから光が放たれ、白銀に染まる海から、高貴なる龍がそのおもてを上げる。《ストライク・ジークヴルム》に煌臨し地上へと舞い降りた機械龍は、その美しい咆哮で、魔界七将たちを揃って怯ませた。

 

「煌臨時効果で、《魔界七将デストロード》をデッキの下に戻す!」

「っ……! なんと情けない! 《デストロード》よ!」

「《メカニポリス》のミラージュをセットして、アタックステップ! 《月光神龍ルナテック・ストライクヴルム》でアタック!」

 

 機械龍は攻撃の構えに転じると同時に、身につけた装甲の色彩を変化させた。あっという間に周囲の景色と同化した彼は、カメレオンのように見えなくなる。

 

「き、消えた……⁉」

「オーバーカウントの効果で、このスピリットはブロックされない!」

 

 慌ただしく首を動かす魔侯。次の瞬間、音もなく目の前に現れたソイツに、彼は目を見開いた。

 

「ライフで、受けます! ……ッ!」

「オーバーカウントの効果はこれで終わりじゃないわよ。バトル終了時、ターンに一回、《ルナテック・ストライクヴルム》は回復出来る!」

「ほぉ……ッ!」

 

 オーバーカウントは、自分の〝カウント〟が一定以上溜まっているときにのみ発動できる効果だ。カウントはカードの効果によって増やせる他、スピリットやネクサスが転醒することでも少しずつ増加していく。カウントが貯まるまでは力を出しきれない分、一度条件を整えてしまえば、強力無比な効果の数々で使用者を勝利に導いてくれるだろう。

 

「《ルナテック・ストライクヴルム》で、もう一度アタック!」

 

 魔侯の目の前で雄叫びを上げた機械龍は、その鋭い鉤爪を天高く振り上げる。先のターンに減らしておいた分と合わせて、私は魔侯を、残りライフ二つにまで追い込めた。

 

「ターンエンド」

 

 攻撃を終え、自陣に帰還した《ストライクヴルム》の背中越しに、私はフィールドを見つめ直す。

 

 こちらにはレベル1の《ルナテック・ストライクヴルム》と《WG―7》、《氷結都市リースグラード》、そして《メカニポリス》のミラージュがある。カウントは既に九まで到達しており、これ以上は無理に増やす必要もないだろう。

 対する魔侯のフィールドには、《魔界の聖杯》とレベル1の《ベルゼビートX》が存在するのみ。

 ライフ差は、私が五つすべて残っているのに対して、魔侯が残り二つだ。

 

「圧倒的だな」

 

 バトルの様子を外から眺めていたサジタリアスが、そんなことを呟いた。

 

「流石、依姫の元部下と言ったところか。戦いの中でも息を切らしていないし、瞳が揺れることもない。……優秀だ。お前の育て方が良かったのかな」

「いえ、鈴仙は元々優秀な子でした。ですが……」

 

 依姫様をチラリと見ると、彼女は困惑したように眉を寄せていた。

 

「ここまでというのは、正直初めて見ました。あれほど積極的に攻撃をしかける子ではなかったと思いますし、デッキも以前使っていたものとは違います。……それに、目つきが全然違う」

「目つきが違う?」

「なんて言うか……よくわからないんですけど……」

 

 眉間を揉む依姫様に、アクエリアスが言った。

 

「恐らくですが、〝遠くを見ているから〟ではないかと」

「……はい?」

「流石によく見ているね。アクエリアス」

 

 依姫様は眉をひそめ、ジェミニは彼の言葉を首肯する。

 

「鈴仙は今と同時に、もっと遠くを見てる。……遠くにいる彼を見つめてる。だから強くいられるんだと思う」

「はい。……これほどまでに美しいものなのですね。遠くを見つめる乙女の瞳は」

 

 ……次のターンも、魔侯はかなり積極的に仕掛けてきた。

 

《魔界七将ベリオット(Rv)》の効果で《デスペラード(Rv)》を召喚し、その効果で互いのスピリットを消滅させたり、手札とコアを増やして、次のターンに備えてみせたり。

 とくに大きかったのは、《ベルゼビートX》を転醒し、《魔界七将アスモディオスX》を出現させたことだ。彼が転醒時に放った波動は《ルナテック・ストライクヴルム》には呆気なく跳ね返されてしまったものの、私の手札を二枚も奪っていった。白属性のデッキは手札を増やす手段に乏しいため、これはかなりの痛手と言える。

 

「あれが【転醒】ですか。噂には聞いていましたが、実際に見るのは初めてですね」

 

 依姫様が前のめりに言うと、ピオ―ズがコクリと頷いた。

 

「強力な効果を持っている反面、扱うには少々難易度が高いからな。鈴仙のカウントを増やす戦術や【ミラージュ】もそうだが、手練れのバトラーが好んで使用する傾向にある」

「……リスキーな戦い方は、あの子が一番嫌っていたもののはずなのに」

 

 依姫様の、食い入るような視線を感じる。

 しかし魔侯が動いたことで、私の意識はすぐにバトルフィールドに戻された。

 

「《アスモディオスX》で、アタック! レベル3の、アタック時、効果で、相手のスピリットから、コア二個を、ボイドに置く!」

「【契約装甲】の効果で、《ルナテック・ストライクヴルム》はその効果を受けない!」

 

 最強の魔将が放った斬撃を、機械龍は難なく片手で受け止めてみせた。

 

「さらに、契約煌臨元の《ストライク・ジークヴルム》の効果で《ルナテック・ストライクヴルム》は回復し、自分のカウントを三つ増やす!」

「だから、なんだと、言うのです! 我が、《アスモディオスX》のBPは、あなたを守護するドラゴンと、同じ、なのですよ!」

「だからなんだと言うの?」

「は……?」

「《ルナテック・ストライクヴルム》でブロック!」

 

 機械龍が、轟く咆哮とともに駆け出した。

 

「ブロック時効果発揮! 自分のカウントをひとつ増やして、ターンに一回、相手のスピリット一体をデッキの下に戻せる!」

「ッ⁉」

 

《ルナテック・ストライクヴルム》の口から放たれた青白い光線に焼かれ、《アスモディオスX》は戦うことなく戦場から姿を消してしまう。煌臨時、アタック時と効果を発揮してきたので、流石にブロック時には何もないと踏んだのだろうが、私の月光神龍に死角なんて存在しないのだ。

 

「ターン……ッ、エンド……」

 

 魔侯の息切れが、激しくなってきている。

 話に聞いていた、嘲笑うかのような余裕あるプレイングも見られない。感情も人並みに読み取れるし、傍観するジェミニから警告が入る気配もない。

 体力的に余裕がないのは明白だった。

 ただの土人形に、魂を無理やり宿して動いている彼。体中を震わせるあの姿は、おそらく演技ではなく本物なのだろう。

 最初から苦しんでいたはずだ。そこに、私の弾丸がダメ押しのごとく突き刺さった。

 

「やめるつもりはない?」

 

 考えるより早く、私は口を開いていた。

 

「はァ……?」

「この戦いを、やめるつもりはないかと聞いているの」

「……ははァ……ァははは。なにを、言い出すのかと、思えばァ」

 

 その嫌味っぽく浮かべる笑みすらも、今の私には痛々しく見えた。

 

「もう、戦える体じゃないでしょう? アナタだって分かっているはず」

「戦える、とか、戦えない、とか。そういう、問題では、ないのですよォ……くゥふふふふふふ……」

「それって、どういう……」

「やめておけ鈴仙、ソイツになにを言ったところで無駄だ」

 

 サジタリアスが野次を飛ばしてきた。邪魔をしないでほしいと思いつつ彼を見やると、サジタリアスは眉間にシワを寄せて言葉を続けた。

 

「お前だって分かっているだろう? ソイツにひとの心なんてものはない。あるのはただの防衛意識と、自分の欲求を満たしたいという本能だけだ」

「その欲求ってなんですか?」

「なに?」

「彼の欲求って、なんなんですか」

 

 私はサジタリアスの警告を無視する形で魔侯に向き直り、問いかけた。

 

「アナタはなんで戦ってるの? 邪神が復活した今、アナタが戦う理由ってなによ」

「理由がァ……必要、ですかァ」

「意味もなく戦うひとなんていない。アナタは、なんの……誰のために戦っているの?」

「……」

 

 一瞬、魔侯の顔から表情が消えたが、彼はすぐさま、あの怒りのつぼを押してくるような、心の底からイラッとくる笑みを浮かべ直した。

 

「言うと、思いますかァ?」

「……あっそ。じゃあいいわ」

 

 怒りを我慢すれば我慢するほど、私の顔からも表情が消えていくのが分かる。サジタリアスの言う通り、なにを言っても無駄なのだろう。

 だけれど、感情的になることだけは避けなければいけない。

 諦めることだけは、投げ出すことだけは。

 もう、二度としたくない。

 

「──《突機竜アーケランサー》を召喚!」

 

 戦場に、巨大な槍を携えた機械の竜が出現する。召喚と同時に《魔界の聖杯》を爆撃した彼は、次の指示を理解しているかのように、月光神龍の周囲を飛び回った。

 

「赤のブレイヴだと……?」

「ええ。……そして、見せてあげるわ。《突機竜アーケランサー》を、《月光神龍ルナテック・ストライクヴルム》に合体!」

 

 白き龍と赤き竜が上空へ飛び立つ。《アーケランサー》はその身を《ルナテック・ストライクヴルム》の翼とし、巨大な槍を得た月光神龍は、大地を裂かんほどの勢いで力強く地上へと降り立った。

 月光神龍の青白い装甲が、瞬く間に赤と金色に染まっていく。私の心の色をそのまま映し出した、真っ赤なドラゴンへと姿を変える。

 

「ブレイヴアタック! オーバーカウントの効果でブロックされず、バトル終了時、ターンに一回、このスピリットは回復する!」

「ライフで、受けましょう!」

 

 巨大な槍を振り下ろし、月光神龍は荒ぶる咆哮とともに再び天空へ舞い上がった。

 

「もう一度、ブレイヴアタック!」

「フラッシュ、タイミング! マジック、《オーバーチャリオット》!」

 

 傷だらけの魔侯を守るように、白の防壁が築かれる。

 

「このターン、私のライフは、コスト4以上のスピリットの、アタックでは、0にはなりません」

 

 月光神龍が防壁を崩しにかかるも、しばしの攻防の後に、彼は跳ね返されてしまった。

 

「ターンエンド」

「酷い、御方ですねェ……。私を、心配するようなこと、言っておいて……ェはは。まるで容赦がない、のですから……」

「助けてほしかったら、サレンダーすりゃいいのよ」

「できかね、ますねェ……」

 

 益々ボロボロになっていく体で、彼はゲームを進める。

 痛々しい。正直見ていられないのに、目をそらすことすら出来ない。カードを握る私の右手が、ひどく力んだ。

 

「誰が、アナタをそこまで突き動かすの」

「……《魔界軍師イノゲラトゥ》をォ……レベル2で、召喚……」

「アナタの後ろには、一体だれがいると言うの?」

「誰がァ……ァはははっ。私にとって、誰よりも恐ろしい、御方ですよ……」

 

 彼が嗤うとともに、フィールドが闇に包まれた。

 

「《イノゲラトゥ》の召喚時効果、発揮……! 私のデッキを、上から、《魔界神デスフェルミオン》が出るまで、オープン! そして、そのスピリットを、一コスト支払って、召喚でき、ます!」

「……なにか来る!」

 

 バラバラと崩れ落ちていくデッキの中に、一枚、ひときわ黒い輝きを放つものがいた。魔侯はソレを手に取ると、狂気としか言いようのない奇声をあげた。

 

「誰も、あの御方には勝てない! あの御方に逆らうことはァ! できない! ならば何故ェ! 最初からすべて、すべて! 捧げてしまわぬのか! 私も! この魔界神でさえもそうしたとォ言うのに! ェあははははは!」

「あなた……」

「我らが創造主の恩義に報いよ! 召喚! 《魔界神デスフェルミオン》!」

 

 魔侯がソレを天高く掲げると、フィールドを包んでいた闇が集約し、巨大な魔神の姿となって現れる。

 魔界七将たちを歪に縫い合わせ、繋ぎ止めたかのような、異形の神。

 

「《魔界神デスフェルミオン》……」

「なんですか⁉ あのスピリット!」

 

 依姫様が叫んだ。私だけでなく、《ルナテック・ストライクヴルム》すらも天を仰ぐほどの巨体だ。だれが驚いたって不思議に思わない。

 12宮たちすらも青白い顔をする中で、魔侯は続ける。

 

「魔界神の召喚時効果ァははははは! このスピリットを、無色として扱い、相手のスピリット一体の、レベルコストを、三つ増やす!」

「っ!」

 

 無色化。

 という効果がバトスピにはあり、これをされると、私のスピリットたちの装甲は途端に脆くなってしまう。なにせ、装甲は特定の〝色〟から受ける効果を遮断するという効果なので、相手に色がなければ効果を防ぐことは出来ないのだ。

 そして、私の《ルナテック・ストライクヴルム》にはコアが三個しか乗っていない。

 つまりは。

 

「ようやく消えて貰えますねェ! 目障りな月光神龍にィえははははは!」

 

 魔界神の手から放たれた極太の破壊光線が、《ルナテック・ストライクヴルム》を貫き消滅させる。

 

「ここまでありがとう。……煌臨元の《ストライク・ジークヴルム》は、魂状態でフィールドに置かれるわ。さらに《アーケランサー》はコア四個を置いてフィールドに残す」

「今さらァ! コアを多く置いたところで、どうにも、なりませんよォ!」

 

 魔侯は盤面のカードに手をかざす。

 

「《イノゲラトゥ》でアタック! アタック時効果で、手札にある《魔界神デスフェルミオン》を好きなだけ、一コストずつ支払って召喚できる! 現れよ!」

「おい、嘘だろ……⁉」

 

 サジタリアスの声につられて、私も空を見上げる。正直、身震いした。暗雲立ち込める天空からふたつの闇が渦巻き、大蛇のようにうねりながら地上へと降臨してくるのだ。

 

「まさか……」

「二体の! 《魔界神デスフェルミオン》を、召喚!」

 

 異形の神が、新たに二体降臨した。

 

「それぞれの召喚時効果が《突機竜アーケランサー》を蝕み、消滅させる!」

「……ありがとう《アーケランサー》。よく頑張ってくれたわね」

「ィはははは! 感傷に浸っている暇がありますか⁉ 《イノゲラトゥ》のアタックは継続中なのですよ! しかも……!」

「っ……マズい! 優曇華院様!」

 

 私は、アクエリアスが見つめる先を見やった。暗闇の中、並び立つ三体の《デスフェルミオン》。その傍らに、彼らの所有するシンボルがギラギラと輝いていた。

 その総数、九つ。

 

「ブレイヴなしでトリプルシンボルだと⁉ オーバーキルにも程があるぞ!」

 

 手札を見る。私が思っていたことはサジタリアスが代弁してくれたので、勝つための戦略を練ることに専念できた。

 

「フラッシュタイミング! 《メカニポリス》のミラージュ効果発揮! 手札から、コスト六以上の白の契約スピリットカード一枚を、コストを支払わずに召喚できる!」

「コスト六以上の契約スピリット……そうか、アイツが!」

 

 ピオ―ズが拳を握りしめる。私は声高に口上を述べた。

 

「蒼白なる月よ、闇を照らす牙となれ! 《月光龍ストライク・ジークヴルム》召喚!」

 

 暗闇の中、ひときわ輝く白いドラゴンが、再び降臨する。

 

「《メカニポリス》のさらなるミラージュ効果! このターンの間、私のライフはコスト四以上の相手の攻撃では減少しない!」

「我が《デスフェルミオン》の攻撃を、防ぐつもりですか……!」

「《イノゲラトゥ》もよ! 守って! 《ストライク・ジークヴルム》!」

 

 月光龍が翼のロケットブースターから大量の熱を放出し、音を置き去りにするほどの速度で《イノゲラトゥ》の横を通過する。戦場が静まり返った刹那、魔界の軍師はその姿を表舞台から消した。

 

「くそがァ……! 二体の《デスフェルミオン》でアタック! 効果で、月光龍のレベルコストを合計プラス六! 消滅して頂きましょうかァ!」

「ありがとう《ジークヴルム》。……アタックはライフで受けるわ」

 

 ドス黒い破壊光線が月光龍を消滅させ、そのまま私に飛んでくる。だが、私のライフが減少することはなかった。魂だけの姿になっても、《ストライク・ジークヴルム》がその翼で私を守ってくれていたのだ。

 

「──ターン、エンド」

「防ぎきった!」

 

 驚愕したように目を見開くサジタリアスの隣で、依姫様が首肯した。

 

「かなり余裕を持って捌き切りましたね」

「ええ。ですが、ここからが正念場でございます」

「すべてレベル1とは言え、三体の《デスフェルミオン》は全員健在だからね。あの二枚の手札と、次のドローで処理しきれるかどうか、かな。それと……」

 

 アクエリアスの意見を肯定しつつ、ジェミニは目を細めた。

 

「ヴァルゴは何をしているんだろう」

「……」

 

 手札を見る。

 そこにはすでに、《戦神乙女ヴィエルジェ(Rv)》のカードがあった。実は最初から来てくれていたのだが、私はこの切り札を使うタイミングを、ずっと見計らっていたのだ。

 カードにそっと触れると、彼女の声が聞こえた。

 

『鈴仙』

 

 今ではすっかり聞き馴染んだ声が、私の精神を真っ白な世界へと誘う。

 目の前には、長い白髪の少女としての彼女。不服そうに頬を膨らませるその姿を見て、私は小首を傾げた。

 

「なんか、怒ってない?」

「そーよ、怒ってるわよ。また嘘をつかれたんだもん」

「へっ、嘘って? もしかして、私に?」

 

 間抜けっぽく自分を指させば、ヴァルゴは腕組みして目を細めてくる。威圧的な態度をとりたいのだろうか。それにしたって可愛いので、あまり恐怖心はそそられなかった。

 彼女は口をすぼめて言う。

 

「鈴仙、バトル前に自分が言ったこと、もう忘れちゃったの?」

「え、ええ? なにか言ったっけ?」

 

 全く心当たりがない。困惑する私に、ヴァルゴは頬をもっとぷくーっと膨らませる。

 

「自分は優しくないって言ったのに。……けっきょく優しいじゃん」

「あ……ああ、それ?」

 

 思わずこめかみを掻いた。嘘をついたと言うのは誤解だ。彼女はバツの悪そうな顔をして続ける。

 

「鈴仙は、アイツのこと……、魔侯のこと、助けてやりたいの?」

「できれば。……そう思ってるかな」

「どうして? あんなヤツ助けてなんになるの」

「わかんない」

「わ、わかんないって……」

 

 愕然とした表情で、ヴァルゴは私の肩を掴む。

 

「鈴仙、それは流石にお人好しが過ぎるわよ。理由のない優しさほど美しいものはないかもしれないけれど、それって危険なことでもあるのよ」

「それは、わかってる」

「わかってない!」

 

 彼女の声は不安の色に染まり、また震えていた。私を心配しているらしい。なんだ、意外と母性的なところもあるじゃないか。と私は妙に感心してしまった。

 

「……ありがとう、ヴァルゴ。でも、私にはどうしても、諦めきれないから」

「どうして……」

 

 これ以上は堂々巡りになってしまう気がして、私は首を振った。

 

「私の仕事は、ひとを傷つけることじゃないから」

「……」

 

 悟ったように、ヴァルゴは呆然として言葉を失った。やがて、彼女がようやく絞り出した言葉は、「でも、そこまでなんて……」だった。

 困惑するヴァルゴと反対に、私は微笑んだ。

 

「あの話、よく覚えていてくれたね」

「ここまで来ると病気よ。アナタこそ、医者に診てもらった方がいい」

「かもね。……でも、これが私だから」

 

 笑みを崩さない私を、ヴァルゴはしばらく睨みつけていた。だが、やがて根負けしたかのようにため息をつくと、彼女は肩をスンと落とした。

 

「……アナタに付いてきて良かったわ。放っておいたら、どんどん危険な道に入っていくんだもの」

「そのときは、止めてくれるの?」

「止まってくれるならね。……でも、鈴仙って言い出したら聞かないでしょう?」

 

 その碧色の双眸は、これまでにない輝きを帯びていて。

 彼女は微笑んだ。

 

「だから、どこまでも付いていくの。鈴仙が危ない道を行ったら、私もその道を行くわ」

「……ありがとう」

 

 最後に一つ、私はヴァルゴにお願いをしてから、その意識をバトルフィールドに戻していった。ヴァルゴの理解が得られなければ出来ない、とても大切なお願いだ。

 

「メインステップ。《ギュウキ》をレベル1で召喚」

 

 フィールドに、白と黄の架け橋となる、小さな蜘蛛が出現する。

 

「黄色のスピリット……まさか!」

 

 ピオ―ズが歓喜の声を上げる。私は一枚のカードを手に取り、掲げた。

 

「光導13星座より、乙女座の光をここに! 《戦神乙女ヴィエルジェ》を、レベル2で召喚!」

 

 カードから放たれた光が、天空に乙女座の紋章を描き出す。門から大地に降り注ぐ光の中で、天使の羽を持つ乙女が目を開いた。

 

「来たね、ヴァルゴ!」

 

 土壇場での恋人の登場に、ジェミニも拳を握りしめた。

 神の姿をとって戦場に降臨した彼女に、私は厚かましくも指示を繰り出す。

 

「《ヴィエルジェ》の召喚時効果! 私のライフが5以下のとき、ボイドからコア一個を自分のライフに置き、相手のスピリット一体を手札に戻す!」

 

 魔侯のフィールドには、三体の《デスフェルミオン》以外にスピリットがいない。その中から、私は唯一回復状態で存在していた魔界神にターゲットを絞った。

 

「バーストをセットして、アタックステップ!」

「手札を使い切った!」依姫様が眉を上げれば、

「このターンで決めるつもりらしいな!」サジタリアスが両の拳を握りしめる。

「《戦神乙女ヴィエルジェ》でアタック!」

 

 乙女座の女神が空に羽ばたき、天高く杖を振り上げる。

 光が収束していく。魔侯の最後のライフを破壊する、その攻撃の準備だ。

 

「ブロッカーがいない今、アナタを守れるのは、その三枚の手札だけ!」

「甘く見て、もらってァ! 困りますねェ! フラッシュタイミング! 煌臨発揮ィ! 《魔界幻龍ジークフリード・ネクロ》を、《魔界神デスフェルミオン》にィ!」

 

 禍々しい書物を携えた龍が、魔界神を依り代に煌臨する。手札に戻した《デスフェルミオン》がソウルコアを持っていた辺り、除去されることも想定内だったのかもしれない。

 だが、疲労状態の《デスフェルミオン》に煌臨したことで、紫の《ジークフリード》も同様に疲労状態となっている。となると、狙いは……。

 

「煌臨時、効果で! トラッシュから、甦れ! 《魔界七将ベリオット》よ! 召喚時、効果で、デッキから、六枚オープンさせて、頂きます! その中の《魔界七将》を、一コスト支払って、召喚できる!」

 

 流れるような効果の連続発揮で、紫の魔神が魔侯のデッキをめくっていく。

 その中には、最後の魔将である《魔界七将ベルドゴール(Rv)》の姿があった。

 

「よくぞ、来てくれ、ましたねェ! いでよ、《魔界七将ベルドゴール》! 不足コストとして、《魔界幻龍ジークフリード・ネクロ》と、《魔界神デスフェルミオン》、二体のコアを、使わせて頂き、消滅させます!」

 

 魔界神のコアを食らい、その内側から、獣の腕をもつ黒き鬼が姿を見せる。

 

「魔界神を自ら消滅させ、ブロッカーを手配しましたか」

「《デスフェルミオン》の召喚に燃料を割きすぎて、使えるコアを僅かにしか残していなかったからね。作戦と言うよりは、〝そうせざるを得ない〟ってところじゃないかな」

「それだけ、優曇華院様が彼を追い詰めているということでございますね」

 

 アクエリアスとジェミニが真剣な目で語り合うなか、魔侯は続けた。

 

「《ベリオット》のォ、さらなる、効果で、《魔界騎士パンデガイズ》も、手札に加えさせて、頂きます。そして! 《魔界七将ベルドゴール》の召喚時効果!」

 

 最後の魔将が黒煙を撒き散らすと、私の《ギュウキ》が苦しみの声をあげて消滅した。

 

「コスト4以下の、スピリットから、コアを除去! いかがですかァ、これで、あなたの攻撃をふせげ……」

「相手のスピリットの召喚時効果発揮により、バースト発動!」

「ッ⁉」

 

 私のセットしたカードが、飛んだ。

 

「《リューマン・ポラリス》のバースト効果で、デッキから2枚ドロー! この効果を発揮した後、このスピリットをノーコストで召喚する!」

「赤のスピリット! 手札補強のために入れていたんですね!」

 

 と依姫様。

 だが、今このカードの真の価値は、『このスピリットの召喚時』効果にある。私は手をかざしてソレを読み上げた。

 

「《ポラリス》の召喚時効果で、BP12000以下の相手のスピリット一体と、シンボルひとつの相手のスピリット一体を破壊! 二体の《魔界七将》を破壊するわ!」

「魔界を、支配する、お前たちが、情けない……! ですが……!」

 

 魔侯が手札の一枚を乱暴に投げつけると、黒いモヤを纏った死神が墓穴から這い出るように出現した。

 

「《魔界騎士パンデガイズ》は、私の〝魔界〟スピリットが、破壊されたとき、一コスト支払って、召喚できます! そして、召喚時効果で、アナタは、自分のスピリット一体を選択し、破壊、しなければならない!」

「《リューマン・ポラリス》を破壊するわ」

 

 出たばかりで申し訳ないと思いつつ、私は赤の竜人を選んでトラッシュに置いた。攻撃中のヴァルゴに触れられることは、絶対に許してはならないのだ。

 あと、一歩なのだから。

 

「これでェ! アナタのスピリットは攻撃中の12宮のみ! そのアタックを《パンデガイズ》でブロックすれば、私は──」

「フラッシュタイミング」

「……ェ?」

 

 私の背後から、魂状態の《ストライク・ジークヴルム》が天高く飛び立った。

 

「闇を照らす銀輪、夜を統べる高貴なる龍! 契約煌臨よ! 《月光神龍ルナテック・ストライクヴルム》!」

 

 月の水面から、美しくも勇ましい機械龍が姿を現し、月光龍の魂と自らを重ねる。あの二枚ドローで、私は彼を引き当てていたのだ。

 

「煌臨時効果で、《魔界騎士パンデガイズ》をデッキの下に戻す!」

 

 高出力レーザーを全身に浴び、最後の砦たる魔界騎士もが、戦場から姿を消した。

 

 使えるコア一個。

 手札、二枚。うち一枚は《魔界神デスフェルミオン》。

 フィールドにはなにもなく、バーストもミラージュもセットされていない。

 

「…………」

 

 棒立ちのまま、彼はただ、呆然と天を仰いでいた。彼の視線の先にあるのは、その杖に十分な光を蓄えた、乙女座の女神の姿。

 

「私たちの、勝ちよ」

 

 私の言葉とともに、ヴァルゴが杖を振り下ろした。

 

 

 

 

 私たちがバトルフィールドから戻ってくると、木にもたれかかってだらんとしているマコーの姿があった。どうやら、フィールドから吹き飛ばされた弾みで打ち付けられたらしい。

 息を殺して近寄ると、微かに呼吸をしているのが見てわかった。敵ではあるが、目の前で命が失われることは避けられたようだ。安堵した私は、ホッと息をついた。

 

「鈴仙、お疲れさま」

 

 ヴァルゴの声がして振り向くと、みんなが私を見つめていた。一安心とでも言うように私を見ているものもいれば、誇らしい目で見つめてくるものもいる。

 そんななかで、一番近くにいるヴァルゴはと言えば、心配と警戒の入り混じった表情を浮かべて、項垂れる魔侯を睨みつけていた。

 

「生きてる?」

「生きてるよ。苦しそうだけど、呼吸もちゃんとしてる」

「そう」

 

 それ以上は、なにも言わなかった。

 彼女はすこしの間、目を閉じたり、そっぽを向いたりしていた。言葉はなく、風のざわめく音だけが耳をかすめる。やはり、色々思うところはあるだろう。

 

「……しかし、鈴仙。お前の戦いは見事なものだったな」

 

 沈黙に耐えかねたのか、サジタリアスが私に歩み寄ってきた。

 

「圧倒的だった。久しぶりに闘志を擽られたよ」

「ありがと。でも、私なんてまだまだ」

 

 第一回チャンピオンシップで、私はベスト8としては最下位だった。数日前に開催された第二回では予選落ち。私よりも強いひとは大勢いるのだ。

 

「そう謙遜するな。サジタリアスが手放しで褒めるヤツなどそうは居ない」

「ピオ―ズ様の仰る通りでございます。明日も雨がふるやもしれませんね」

「あはは、そうかもね」

 

 ピオ―ズが、アクエリアスが、ジェミニが、口々に私をべた褒める。照れくさくなった私は、ヴァルゴみたいにそっぽを向いた。褒められることには本当に耐性がない。

 そんなとき、ふと、ジェミニが、

 

「ヴァルゴ、キミもいいタイミングで召喚されたね。図っていたのかい?」

 

 なんでもないように、気さくにヴァルゴに近づいた、その瞬間だった。

 

「──ひゅい」

 

 彼は、鳴らし損ねた口笛みたいな音を喉元から発して、顔を引きつらせた。

 同時に、パリン。となにかが割れる音が聞こえた気がする。

 

「どうしたの? ジェミニ」

「……あ、あー、えと、あはは」

「……?」

 

 青い。ジェミニの顔が真っ青になっている。基本的に戦闘中以外は微笑みを崩さずにいた彼が、うだつの上がらない男の子のような、情けない笑みを浮かべていた。

 どうしたのかとジェミニの視線を追った私は、ソレですべてを理解した。

 

「ヴァルゴ……? なんか、怒ってる?」

 

 とジェミニ。

 ゴキブリを殺す瞬間のような冷たい目で、ヴァルゴが彼を睨んでいた。あの、敵に向ける殺意剥き出しの目のほうが遥かにマシと思えるような、凍りつく眼差しだった。

 

「あの……うそついてたことなら、謝るからさ……」

「……」

「傷つけるつもりはなかったんだ。本当だよ?」

「お言葉ですがジェミニ様、言い訳はお見苦しゅうございます。もっと誠意を込めて謝罪なさったほうが宜しいかと」

「あ、アクエリアス、言い訳なんてそんなつもりは……」

「承知の上ですが、引き際というものがあるでしょう」

「う、うぐぅ……」

 

 おお、ジェミニがたじろいでいる。彼も皆のためにしていたことなので、正直この仕打ちは可哀想とも思えるが、私には手出し出来ない理由があった。

 

「ご、ごめん! この通りだ! 本当にごめん!」

 

 両手を合わせ、必死に頭を下げるジェミニ。それでも満足出来ないのか、ヴァルゴの瞳は変わらず冷たいままだった。

 しかし、あのジェミニにここまで情けない姿を晒させるなんて。ヴァルゴの目にはそこまでの効果があると言うのか。

 

「……弱点なのですよ」

 

 ふたりの様子を傍観していると、アクエリアスが小声でそんなことを言った。

 

「おふたりは愛し合うがゆえに、お互いが弱点になっているのです。ヴァルゴ様はジェミニ様を過大評価して自分を押し殺してしまうときがあるし、ジェミニ様はヴァルゴ様に〝ああいう顔〟をされると、瞬く間にピエロとしての仮面が割れてしまう」

「ふーん」

「仲裁には入られないのですか?」

「うん」

 

 私がしれーっと言ってのけると、アクエリアスは小さく眉を上げた。

 

「おや、意外でしたね。アナタ様はああいうのを好まれないかと思ったのですが」

「そうなんだけど、今回はそういう約束になってるから」

「約束?」

「そ、約束したの」

 

 身内にいる意地悪兎みたいに、くすくす笑ってみた。

 

「ヴァルゴがジェミニに仕返しするときは、なにも口出ししないってね」

「はあ。いつの間にそんな約束を?」

「ふたりきりになる時間ならいくらでもあったもん」

「なるほど。ジェミニ様に負けず劣らず、アナタも油断ならない御方だ」

「そういうアクエリアスこそ、止めてやらないの?」

「とんでもない。ああいうのは、遠目から眺めてやるのが一番楽しいのですよ」

「へえー、アナタもそういうところあるのね」

「お褒めに預かり、恐悦至極でございます」

「褒めてないよねェ?」

 

 とは言え彼も、どこまで本気で言っているのか分からないところのあるヤツだ。適当なタイミングで止めに入ってくれるだろう。

 

「……じゃあ、もう二度と、私には嘘をつかないって約束できる?」

 

 相変わらず平謝りを続けるジェミニに、ヴァルゴは冷たく言い放った。途端にジェミニの顔がぱあっと明るくなり、「もちろん」を連呼し始める。

 

「ふーん……じゃあいいわ。このことは許してあげる」

「ほ、ほんとかい⁉」

「ホントよ。私もごめんなさい。ちょっとやりすぎたわね」

 

 ようやく、その曇天が晴れ渡るような笑顔を、ヴァルゴが見せてくれた。

 

「……だけどねジェミー」

 

 と思った次の瞬間には、ヴァルゴの目はあの凍りつく眼差しに戻っていた。不意打ちを食らった私の背筋も一緒に凍りつく。あと多分ジェミニは全身凍りついたと思う。なんだこの女神、表情の変化が激しいぞ。

 

「もうひとつ、謝ることがあるわよね?」

「も、もも、もうひとつ……?」

 

 ジェミニは手を震わせながら目を見開いた。私もキョトンとした。嘘ついてヴァルゴを利用した以外に、そんなに怒ることがあっただろうか?

 だが、そんなジェミニに、アクエリアスは慌てた様子で駆け寄った。

 

「ジェミニ様、まさか『心当たりがない』とはおっしゃいませんよね?」

「え……あの、えと……?」

 

 挙動不審のジェミニに、アクエリアスは「嘘だろお前」みたいな顔をしたあと、人差し指と親指で眉間を揉みしばいた。私にはなんのことか見当がつかないので、一先ず黙っておくことにした。

 

「〝アレ〟を無自覚に仰ったのなら、相当なものですよ。あのですね、ジェミニ様……」

「アクエリアス?」

 

 答えを言いかけたアクエリアスに、ヴァルゴが接近する。その笑顔の冷たさと言ったら筆舌に尽くしがたく、アクエリアスも額に汗して頭を垂れるのみだった。

 どうやらヴァルゴは、ジェミニ本人に気付かせたいらしい。

 

「ジェミー? アナタは私という女がありながら、言ってはいけない一言を口にしているのだけれど……」

「え? えぇ? な、なんだろう……あは、あはははは……」

「ヴァルゴという女がありながら……? ああ! なるほど!」

 

 しばらく顎に手を当てていたサジタリアスが、拳で平手を打った。

 

「回想シーンのアレだな!」

「「回想シーン⁉」」

 

 これはジェミニと私。ジェミニが種明かしをして、私がことの成り行きを語って聞かせたときのことを言っているのだろうか?

 ヴァルゴが首を縦に振ったのを見て、サジタリアスは続ける。

 

「ジェミニ、あれはオレにも分かったぞ。男として如何なものかとな」

「ええ⁉」

「ピオ―ズさん、皆さんはなんの話をしているのでしょう?」

「いや、オレにはさっぱりわからん……」

 

 依姫様とピオ―ズもよく分かっていないらしいので、私も安心して首を縦に振った。

 

「意外と、鈍感な方が多いようですね……」

 

 自分に肩を貸してくれているピオ―ズを見やりながら、カプリコーンが久しぶりに口を開く。恐らく体力面を考慮して大人しくしていたのだろうけれど、引きつった笑みを浮かべられる程度には回復してきたらしい。

 ……っていうかコイツにも理解出来てるのか! なんの話なんだ本当に。

 

「鈴仙! ボケーっと見てるけど! アナタにも関係ある話なんだからね⁉」

「えっ⁉」

「アナタも被害者なんだからね!」

「ええええ⁉」

 

 急にヴァルゴが私を指さしてきた。私も被害者ってなんだそれ。マジで心当たりがないぞどうしよう。

 

「ヴァルゴという女がいながら……回想シーン……男として……鈍感……鈴仙……」

 

 ジェミニは口に手をあてて、それぞれの言葉をパズルのように繋ぎ合わせていく。目は大きく見開いていて、頬には大粒の汗が伝っていた。必死だ。時限爆弾の解除作業を任された作業員ってこんな感じなんだろうな、と私は思った。

 実際、はやく爆弾を解除しないと、いつ爆発してもおかしくはないわけで……。

 

「ああ!」

 

 答えを閃いたらしいジェミニが、ガバッ! と顔を上げる。

 

「鈴仙を〝パートナー〟って言ったことか!」

 

 嬉々としてヴァルゴを指さした瞬間、彼は大きく後ろに吹き飛んだ。私のすぐ横を猛スピードで通過し、木々を数本巻き込んでへし折ったあと、そこそこ太めの大木に勢いよく叩きつけられて静止した。彼の散り際の一言は「きゅう……」だった。

 

「大正解! 私というパートナーがいながら、アナタって本当にィ……!」

「ち、ちがっ、まってヴァルゴ!」

 

 あ、生きてた。

 ズンズン接近してくる狂乱の乙女に、ジェミニは両手をバタつかせる。

 

「誤解だって! アレはあくまで舞台をする上での話で! 本気で愛してるのはキミだけなんだから!」

「本当に?」

「本当に! 鈴仙に乗り換えたとか、そんな意味じゃないから!」

「乗り換えるとは、失礼な物言いをするやつだな」

 

 おーっとサジタリアス選手がここで横槍を突きつける。

 

「あの、私は気にしてないですよ」

「甘いな、鈴仙。だが、純真な乙女の心を弄んだことは重罪だぞ、ジェミニ」

「うう……わかってるよ」

「あとお前、オレの昼げ返せ」

「んあぇ⁉」

「……どーゆーこと?」

 

 サジタリアスが妙なことを言い出したので、私は首を傾げた。

 

「妙だと思ってたんだが、ここまで話が進めば、流石にすべてを理解出来たな。あの黄色い鳥め……オレが昼飯に買った握り飯を持ち去るわ、生意気にもオレの矢を避けるわで、本当に頭にキタものだったが」

「あ、あは。そうなんだ、大変だったね……」

「黄色い鳥って、あのアクエリアスに創ってもらった監視衛星のこと?」

「れいせん!」

 

 私の名を呼ぶジェミニの声が、面白いくらいに裏返っていた。

 

「まあ、あの鳥が逃げたさきに魔侯がいたんで、そんなことすぐに忘れてしまったがな。……誘導していたんだろう? ジェミニよ」

「……ぅう」

「となると、あの喧嘩の声も、私たちを自然な形で呼び寄せるためのフェイク……?」

 

 眉を寄せて問いかける依姫様。どうやら、皆の中で話が繋がってきたらしい。

 魔侯を貶める計画を実行する前から、ジェミニは魔侯とカプリコーンが里にいることを知っていた。私たちはふたりのうちカプリコーンと接触。残る魔侯はどうするのだろうと思っていた矢先、依姫様たちが魔侯を連れて現れた。

 最初、私はこれを偶然の幸運だと思いこんでいた。たまたま里にいた依姫様たちが魔侯を運よく捕らえていて、ジェミニはソレを利用したのだと。

 だが、考えてみればジェミニは「監視衛星のコントロール権」という圧倒的な情報アドバンテージを持っている。里に依姫様たちがいることも事前に把握していて、彼女らが魔侯を捕まえて自分のもとに連れてくるよう操作するのは造作もなかった筈だ。

 

「一緒に居なかったメンバーの動きすら、コントロールしていたのね……」

 

 私は驚嘆の息も漏らした。あらゆる演者の動きをコントロールする、まさに芸能の神の御業である。

 ジェミニは依姫様たちを見て、申し訳無さそうに眉を寄せた。

 

「……キミたちの中じゃ、サジタリアスが一番喧嘩っ早いと思ったんだ。握り飯を一個でも盗んでやれば、小鳥相手でも容赦なく追いかけてくるって分かっていた。だから」

「実際、その通りだったわけだしな」

 

 ピオ―ズがクスリと笑った。

 

「サジタリアス、あのときのお前の顔、傑作だったぞ?」

「侮るなよピオ―ズ。食べ物の恨みは、ワンショットキルより恐ろしいんだぞ」

「それは私も同感です。食べ物の恨みは恐ろしいです」

 

 何故かしたり顔の依姫様が仰る。このひとも結構な大食いなのだ。

 

「……本当に悪かったよ」

 

 ジェミニはしんみりした顔で、地面におでこがつくほど深々と頭を下げた。

 

「今回のことは、やりすぎだったと思ってる。本当にごめん」

「……あの、ジェミニにこれを依頼したのは私です。これ以上のことは、どうか私に」

 

 ピオ―ズの腕を離れ、カプリコーンがジェミニの隣に並んで頭を下げる。

 うっかり忘れていたが、今回の一件はカプリコーンからの依頼があって始まったのだ。きっかけを作ったカプリコーンと、作戦を立案・実行したジェミニ。そして協力者の私。

 

「……あの、私も、ごめんなさい」

 

 自分だけが逃れるのは絶対におかしいと思い、私も、ふたりに並んで頭を下げた。

 

「ヴァルゴ、どうする?」とサジタリアス。

「……うーん」

 

 しばらく考え込むように唸ったあと、ヴァルゴは言った。

 

「もう良いわよ。ほんの少しだけ、ジェミニに仕返しがしたかったってだけだもん」

「……本当に?」

「本当に。……ただし」

 

 顔をあげたジェミニに、ヴァルゴは満面の笑みを浮かべてみせた。

 その顔は晴れ晴れとして、天女と言うに相応しい光を湛えていた。美しさと色気の中に幼い無邪気さが見え隠れする、極上の笑顔だった。

 

「ジェミーは、この戦いが終わったら私とデートすること。いいわね?」

「……お、おうとも! もちろんだよ!」

 

 ヴァルゴらしい、甘い条件だ。

 ようやく許しが貰えて肩の力が抜けたジェミニと、彼とのデートを想像して顔を綻ばせるヴァルゴ。改めて、ふたりがそういう関係であることを、このとき私は理解した。

 

「デート、楽しみにしてるね。ジェミー」

「うん!」

 

 このふたり、やっぱりバカップルなんじゃないか?

 そう思いはしたが、楽しそうに笑いあう彼女たちを見ていると、呆れる思いもどこか遠くへ吹き飛んでいくような気がした。

 こっちの問題は解決した。とりあえずそう認識して良いだろう。

 私はそっと後ろを振り向く。

 泥まみれのソイツが、静かに目を開いていた。

 

 

 

 

「さて、あとはコイツをどうするかだな」

 

 サジタリアスの言葉で、全員が一斉にソイツを見る。大木にもたれて息を切らし、文字通りボロボロの体で、それでも嫌味っぽい笑みを崩さないアイツ。

 

「今度こそお前の負けだな? 魔侯よ」

「ェハハハ……そのようですね……まァ、最初から、勝つとか、負ける、とか。どうでもいいんですけどね……ゥははは……」

「どこまでも気に障るヤツだ。天才とすら思うよ。お前にはひとを怒らせる才能みたいなものがある」

 

 サジタリアスはその手に弓矢を出現させると、寸分狂わぬ動作でソレを引き分ける。

 

「さて。オレはコイツをこの場で始末すべきと思うが、皆の意見はどうだ」

 

 返事をするものはいない。複雑な表情をするものは数名見られたが、皆が魔侯の悪行を知っているせいで、誰もその行為を止めようとしないのだろう。

 それに加えて、サジタリアスの瞳から伝わってくる烈火の如き怒りが、なによりも皆を圧倒しているようだった。

 

「無言は肯定と見なすが、よいかな」

 

 ヴァルゴが、訴えるような目で私を見た。慌てているのだろう。しかし、私もこの場の空気に気圧されてしまい、中々一歩を踏み出せなかった。

 

「ということだ、魔侯。残念だがやはり、この場所にお前を庇うものはいないらしい」

「でしょうねェ……ははは」

「……この場に邪神がいないんでって、余裕ぶってるらしいが、この矢はマグナの魔力で固めた土から出来ている。お前の生をここで絶つことは十分に可能だ」

「余裕……? 違いますよ……余裕なんて、とんでもない」

 

 魔侯は皮肉るような笑みを浮かべて、吐き捨てるように言った。

 

「余裕なんて、この世に生み出された直後から、一度たりとも感じたことがない」

「……!」

 

 その言葉を聞いて、私の体は自然に動き出していた。

 

「おい鈴仙、なにをしている?」

「……すみません。聞いてほしいことがあって」

 

 気がつけば、私はサジタリアスの前に立ち塞がるようにして立っていた。真っ直ぐ彼を見つめると、その鋭い目が、かつての依姫様に似ていることに気がついた。

 私は固唾を飲み込む。

 

「彼にとどめを刺すのは、なしにしませんか」

「……は?」

 

 ざわめきが、巻き起こった。

 

「鈴仙、お前いま、なんて言った?」

「聞き逃しましたか? 彼を殺すのはやめてほしいと言ったんです」

「……なにを言っているのか、意味がよく分からないのだが」

「彼を。マコーを殺さないでくれと言っています」

「……」

 

 サジタリアスは弓を構えたまま。その射るような鋭い視線は、この瞬間をもって魔侯でなく私に向けられることとなった。

 

「聞いてほしいことと言うのはソレか。だが、どうして? コイツはオレたちにとってもお前たちにとっても憎むべき相手。生かしておけば次の被害が出るかもしれない。ここで始末するのが、もっとも賢い判断とは思わないか?」

「憎むべき相手だとは、私も思います。でも……」

 

 私はマコーを見やった。咲夜を傷つけ、依姫様の相棒の命を奪い、ピスケスを利用して邪神の封印を解き、アリエスやスコーピオンをも絶望の淵に追いやった仇敵の顔。

 憎むべき相手である。顔を見るだけで腹が立つし、殴ってやりたいと今でも思う。

 でも。

 

「──サジタリアスさん。私は、医者なんです」

 

 サジタリアスの目が、一層鋭くなる。

 狩人の目だ。悪さをする動物を狩るべく、山に登った狩人の目。となると、獲物は私か。それを理解すると益々冷や汗が止まらないが、私は続けた。

 

「医者は、ひとの命を救うことを生業としています。働き盛りの若者が、未来に希望を抱いて頑張れるように。所帯を持つ男性が、守るべき家族を養えるように。母親の静かな優しさが、この世から失われないために。そして……」

 

 私は拳を握りしめた。

 

「たとえソイツが、救いようのない悪人だとしても、やり直す機会を与えるために」

 

 魔侯は、呆気にとられたような目で、私を見つめていた。自分に救いの手を差し伸べるバカがいるとは、彼にも予想できなかったのかもしれない。

 反対に、サジタリアスの鋭い視線は、相変わらず私を射抜いている。怖い。このままだと心臓が破裂して死んでしまいそうな気がする。

 視界がグルグルする。頭の中で鉄を引っ掻くような音が聞こえて、脳みそがトンカチで叩かれているような錯覚に襲われた。

 でも、逃げるわけには。

 

「ご意見よろしいでしょうか。サジタリアス様」

 

 そんなとき、アクエリアスの声が聞こえた。彼はゆっくりこちらに歩み寄りながら、言葉を続ける。

 

「わたくしは、行方不明になられたレオ様を探しに行きたいという、優曇華院様の優しき御心に感銘を受け、彼女に同行致しました。その気持ちに変わりはございませんし、戦いが終わるまでの間、わたくしの命は優曇華院様に捧げる覚悟でございます」

 

 アクエリアスは私を庇うように、サジタリアスの前に立ち塞がった。

 

「それは、この状況でも違いありません。優曇華院様が彼を救いたいと願うのであれば、わたくしは彼女を信じて、尽くします。ですので、どうか一度だけ、猶予を与えては頂けませんか」

「アクエリアス……」

 

 彼は、私を振り向いて穏やかに微笑んだ。思わず涙がにじみ出そうになる。

 

「ま、そのために私も、最後の攻撃を手加減したわけだし……」

 

 いつの間にか、ヴァルゴが私の腕に抱きついていた。彼女は上目遣いに私を見ると、意地悪っぽい笑みを浮かべて見せた。

 

「ラストアタックを手加減してほしい、なんて。やっぱり優しいのね。この嘘つき」

「ヴァルゴ……」

「でも、アナタのそーゆーとこ、私は好きよ。……なんかね、分かったの。私って、優しい嘘をつけるひとが好きなんだなって」

「ありがと。でも、これは優しさとかじゃないから」

「はいはい。仕事だって言いたいのよね。だって鈴仙は、厄介な患者でも文句ひとつ言わずに引き受けてくれる、真面目で優秀なお医者様だもんね」

「……アレは言い過ぎだから」

 

 臨時の店員が言っていた言葉だ。やはりヴァルゴは覚えていた。

 

「ジェミーはどうするの? サジタリアス派? それとも鈴仙?」

「生憎だけど、ぼく個人としては、魔侯への恨みとか全然ないんだよね」

 

 ジェミニは肩をすくめて笑った。いつものピエロスマイルだ。どうやら、ヴァルゴにかち割られた仮面は無事に付け直せたらしい。

 

「じゃあ、ジェミーもこっちね」

「そーゆーことだね。……サジタリアス、ぼくらは本気だよ」

 

 私たちの傍らに歩み寄って、ジェミニはサジタリアスを見据えた。

 

「もう十分痛めつけただろう。心も、体も。これ以上、なにをするって言うんだい?」

「……」

 

 サジタリアスは弓を納めた。複雑な表情で奥歯を噛み締め、射るようだった視線は、今や木々の隙間に生えた雑草たちに向けられている。

 

「……オレとしては、ソイツを殺してやりたいほどに怒り狂っている」

「わかるわよ。私もそうだったもん」

 

 ヴァルゴの声は切実だった。

 サジタリアスは続ける。

 

「ソイツは依姫の仲間たちを傷つけ、オレたちを傷つけ、あざ笑い、挙げ句の果てには依姫の相棒の命を奪った。……赦せない。だから、ソイツがジェミニに騙されていたのだと知ったときには、正直、興奮した。オレの心の中で、オレの知らないオレが、どす黒い愉悦の笑みを浮かべているのが分かった。ざまあみろ、因果応報だ。あらゆる因果が巡り巡って、今、お前を殺しに還ってきたのだ。……そう思った」

 

 サジタリアスは拳を震わせていた。ただでさえ仲間意識の強い12宮だ。彼の中にいたという〝どす黒い何者か〟は、ここにいる皆に巣食っているに違いない。

 やがて、彼は拳の力を抜き、依姫様を見やった。

 

「……依姫。お前は、大切な相棒をコイツに奪われている。正直、オレはお前に決定権があると思う。……お前はどうしたいんだ」

「私が決めていいんですか?」

 

 どこか覚悟を帯びたようなその目を見て、依姫様は愉快そうに笑った。

 

「私は、『鈴仙が優しい女の子に育ってよかったなー』と思っていますけど」

「……やはりな」

 

 彼は脱力した様子で苦笑すると、私に向き直った。

 

「オレとは違い、憎むべき相手にすら手を差し伸べようとする。……お前のような存在が、この戦いに奇跡をもたらすのかもしれないな」

「……じゃあ」

「ああ。魔侯のことは、お前に任せる。ピオ―ズもカプリコーンも、それでいいかな」

「構わぬよ。お前が譲るほど、珍しいこともあるまい」

「右に同じですね。怒りなど、後に引きずるものではありませんし」

 

 私は頷いて、魔侯の正面に立った。土で創られた体はボロボロで、今にも崩壊を始めそうだ。彼はひび割れた額に手をあてて、嫌味っぽく笑った。

 

「お人好しも、ここまでくると愚かですねェ」

「かもね。だけど、アナタよりは愚かじゃない自信があるわ」

「ェははは……ァー。残念ですが、私は、アナタの言いなりになるつもりは、ございませんよ……。協力など、もってのほかだ……」

 

 その目が鈍く光ったのを見て、私はため息をついた。今日で何度目だろうか。

 

「裏切るのが怖いなら、素直に言いなさいな」

「……はァ?」

 

 珍しく、彼が眉を上げた。その様がおかしくって、私は頬を吊り上げる。

 

「あの御方とやらを裏切るのが怖いんでしょ。アナタにとって最も恐れ多い存在で、アナタからあらゆる余裕を奪った、あの御方が」

「……なにを、言い出すかと思えば」

「ほら、そうやって皮肉っぽく笑うの、やめなさいよね。……ホント、私の周りには強がりしかいないから困るわ」

「ぷっ!」

 

 アクエリアスが吹き出し、ヴァルゴは頬を染めてそっぽを向いた。ジェミニも照れくさそうに苦笑している。どうやら自覚はあるようなので、そこだけは安心できた。

 

「まあ、優曇華院様も大概だとは思いますが……」

「なんか言った? アクエリアス」

「いえ、なんでもございません」

 

 すました顔で首を振るアクエリアスを後目に、私は続けた。

 

「……今のところ、アナタを信じてくれるひとは、ここにはいない。私も含めて、全員がアナタに対して思うところがある。一緒に戦ったところで、連携はとれないと思う」

「また、ですか。助けるようなふりして、酷い御方だ」

「事実を言っただけよ。……でもね」

 

 この権利だけは、あらゆる生命にあるべきだ。

 

「私は、アナタにだって、生きる権利があると思ってる」

「……」

「その権利だけは、誰からも奪うべきではないと思うから。だから、アナタを殺さないでくれって、私はそう言ったのよ」

 

 マコーが、黙りこくった。その表情に、あの皮肉っぽい笑みは欠片もない。

 

「もう一度言うけど、ここに、アナタを信じてくれるひとはいない。依姫様の相棒から、生きる権利を奪ったアナタを、誰も赦してはくれないと思った方がいい」

「…………」

「だけど、償ってほしい。生きて、私たちと一緒に戦って。アナタが恐れるあの御方に、私たちと共に立ち向かって。誰も信じてくれないとしても、せめて、私だけは、アナタのこと守ってあげるから」

「………………」

「そうして、あの御方とやらを、私たちと一緒に倒せたのなら」

 

 私は、皆を順番に見つめ直した。

 情に厚い者がいる。仲間を信じてくれる者がいる。仲間の成長を喜べるものがいる。

 ここには、いいヤツしかいないから。

 

「……誰かひとりくらいなら、アナタのこと信じてくれるかもね」

 

 マコーは、長くながく沈黙した。探るような目で、私をじっと見つめていた。

 疑り深いとも、臆病ともとれる顔だった。ジェミニも、ヴァルゴも、そしてマコーも。今の私だって、それぞれの顔に仮面を貼り付けて、強がっていたに過ぎない。

 その気持ちを、私なら、理解してあげられるはずだ。

 因果は既に巡った。ジェミニが言ったように、これ以上、彼を傷つける理由はない。

 

「立てる? 手、貸すよ」

 

 私は小さく屈むと、彼を怯えさせないように、そっと手を差し伸べた。マコーの視線は私の目から外れ、差し出された小さな手に向けられた。

 

「……なんて、愚かな御方だ」

「同じこと言わないの。さ、手をとる? とらない? ここでも強がっちゃうのは、愚かなヤツのすることだと思うけどなぁ」

「ふんっ……。御免だ。アナタと同類にだけは、絶対になりたくない」

 

 マコーは意地悪く笑うと、力なく地べたに垂らした手を、ゆっくりと持ち上げた。

 その手は静かに、そっと、私のほうへ運ばれていく。傷だらけの手だ。これから時間をかけて向き合い、穏やかな時間の中で、少しずつ癒やしていかねばならないだろう。

 私はその手に、そっと触れ──

 

「ですが、その手をとることは叶いません」

 

 

 

 

 木に叩きつけられた衝撃で、目が覚めた。どうやら吹き飛ばされたときに、一瞬だけ気を失ってしまったらしい。

 激しく咳き込みながら、フラフラと立ち上がる。正面から受けた、あの衝撃波。疑いたくはないが、マコー以外にありえなかった。

 私は多少声を荒らげて言った。

 

「ッ……アンタ、この期に及んで……!」

 

 ……え?

 

「……え?」

 

 頭の中でそう思い、声に出して、また、そう思った。

 目の前に広がる光景を、脳が理解出来ずにいたらしく、私は呆然と立ち尽くした。

 奥歯を噛み締めて、理解しがたいこの状況を、順番に理解することに努めた。

 木々がへし折られ、閑散とした広場。森の一角であったはずのこの場所から、緑が失われているのが理解できた。

 依姫様も12宮たちも、それぞれ吹き飛ばされて散り散りになっている。唯一安心出来たのは、皆うなり声をあげており、苦しみながらも意識を保っているということだった。

 怪我は浅いように見える。出血もそんなにしていないし、多分、吹き飛ばされた衝撃で体を打ちつけ、痛がっているだけだろう。

 次に、私のいた場所は大地が酷く抉れている。あのままあの場所にいたら、きっと死んでいただろう。想像ではなく、現状を見て確信させられた。それだけ、大地は深く抉れていたのだ。

 唯一、マコーがいた場所には、そのまま彼がいた。違うのは、私が居たはずの場所に、私ではない誰かがいて、ソイツがマコーを見下ろしていたということ。

 そして、マコーの体には、大地を抉った犯人であろう巨大な槍が、深々と突き刺さって──貫通していたということ。

 

「ッ──⁉」

 

 悲鳴は出なかった。本能だった。悲鳴をあげれば、ソイツがこちらを振り向くことが、容易に想像出来てしまったから。

 ソイツは、レースの服についた泥を払いながら、妙に明るい声色で言った。

 

「意外だったなあ。キミは、こーゆーことをするヤツとは思わなかったんだけど」

 

 ケラケラと笑う彼女に、まだ意識のあったマコーは、力ない笑みを浮かべて言った。

 

「……さいごに、いいゆめを、みせて、いただきました、ので」

 

 その言葉を最後に、彼はだらりと崩れ落ちる。

 直後、空気を振動させるほどの怒号が、森に響き渡った。

 

「マアアアアグナアアアアアアアアアアアアああああああああああああああッ!!!」

 

 サジタリアスが、巨大な剣を両手に握りしめ、ソイツに──レミリア・スカーレットに憑依した四魔卿・マグナに突撃していく。天まで届く怒号は、彼の悲鳴だった。

 大剣の一撃を、マグナは大地から出現させた盾で防ぐ。怒り狂う射手座の神と対峙する大地の女神は、心底嬉しそうに、たまらなく愉快そうに、笑っていた。

 

「よぉサジタリアス! 相変わらず元気そうだね!」

「貴様ああああああッ! よくもッ! よくも貴様あああああああああッ!」

「おいおい、どうしたんだい? いつになくキレてるじゃないか!」

「どの口が言うつもりだあああああああああああああああああああああああッ!」

 

 サジタリアスが怒り任せに大剣を振るうと、マグナの創った盾が岩のように砕け散り、本体である彼女を襲った。だが、その一撃が彼女の胴体を分かつことはなく、鈍い金属音とともに、ただマグナを吹き飛ばすに留まった。

 

「うおっ! すごいパワーじゃん!」

「笑うなあああああああああああああああああああああああああああああああッ!」

 

 受け身をとり、すぐに体勢を立て直すマグナ。だが、サジタリアスの怒涛の剣撃は止むことを知らず、反撃の隙を与えない。マグナはその都度盾を創り出しては攻撃を防ぐが、いずれも使い捨てに終わり、防戦一方という状況だった。

 ガキンッ! ゴキンッ! 金属で岩を叩くような音が、延々と鳴り響く。攻撃の手を止めぬまま、サジタリアスは問いかけた。

 

「貴様ァァァ! なぜアイツを殺した⁉」

「アイツって、龍魔侯のことかい? 逆に聞きたいんだけど、あんなヤツ生かしといてなにか得があるのかい?」

「オレには分からん! だが、あんなヤツにも『生きてほしい』と願った者がいたことは、疑いようのない事実だった! オレは彼女を信じたいと思った! なのに!」

「ふーん。じゃ、次はオレの番ね」

 

 マグナが大地を踏み込むと、地盤が隆起するように、巨大な槍がサジタリアスに向けて飛び出した。間一髪、これを躱したサジタリアスは、大剣を構えたまま距離をとる。

 マグナは言った。

 

「アイツはさ、〝黒〟だったんだよ。どす黒い思想に心を染められて、グランロロ崩壊を手助けした黒の存在だ」

「黒だと……?」

「ああ、そうさ。オレたち紫属性は闇の存在だが、黒じゃない。カプリコーンなら分かるよね? 『紫は闇にあって黒にあらず』だよ。自分たちが闇の存在だとしても、その心は黒に染まらず、つねに高潔にあらねばならない。アイツは、紫属性の面汚しなんだよ」

「……だから、殺したのか。鈴仙が、生きていてほしいと願った、アイツを」

「そーだよ? ついでにその子も殺しちゃえって思ったけど、まさか魔侯のヤツがひとを庇うなんて思わなかったなあ」

 

 戦慄した。あの一撃はマコーだけでなく、私の命もついでに奪うために放たれたのだ。

 

「……お前こそが」

 

 笑いながら自分の思想を語るマグナを、サジタリアスは血走る眼で睨みつけた。

 そして、再び駆ける。

 

「お前こそが黒だろうがああああああああああああああああああああああああッ!!!」

「嬉しいよ! 本気でキミと殺り合える日が来るなんて、思わなかったからね!」

 

 剣と盾のぶつけ合いから、剣と槍のぶつけ合いに。火花を散らすふたりを漠然と見つめる私に、ジェミニとヴァルゴが駆け寄ってきた。

 

「鈴仙、アクエリアスと一緒に、マコーを診てやってくれるかい」

「アイツまだ生きてるわよ! 急いで!」

 

 ヴァルゴのその言葉に、意識がハッとなる。目を凝らして見れば、項垂れた体で浅い呼吸を繰り返しているマコーの姿があった。

 まだ、生きてる。

 

「でも、アナタたちは……⁉」

「キミたちがマコーを診てる間、邪魔されないように時間を稼ぐさ!」

「それに、いくらサジタリアスが強いって言っても、ひとりじゃ心配だもんね」

 

 ふたりは顔を合わせて頷くと、サジタリアスの戦場に身を投じていった。ふたりの背中は、私の目に本当に頼もしく映った。

 サジタリアスは大剣、弓、重火器、鈍器とあらゆる武器を出現させては使い分け、正面から堂々とマグナの守りを粉砕していく。ジェミニは、曲芸のような素早い身のこなしでマグナの防御網をすり抜け、双剣による波状攻撃を仕掛けた。

 そこに、ヴァルゴが遠距離から放つ光弾が援護射撃として加わり、ふたりの攻撃の極僅かな隙間を縫う。正に一糸乱れぬ連携。マグナは余裕ぶって笑っているが、まるで反撃してくる気配がない。単体で敵を圧倒する邪神に対して、仲間との協力を前提に生み出されたという12宮の真価を、私はここに見た。

 

「アクエリアス! 私たちも!」

「承っております!」

 

 マコーのもとへ駆け寄ろうとした瞬間、それを予見していたかのように、マグナの槍が私たち目掛けて飛んできた。間一髪、駆けつけてくれた依姫様によって攻撃は跳ね返され、私もアクエリアスも無傷で済んだ。

 

「大丈夫ですか、鈴仙」

「あ、ありがとうございます。依姫様!」

 

 彼女に感謝する傍ら、恐ろしい考えが脳裏を過った。マグナは、ジェミニたちの波状攻撃の極々僅かな隙をついて、あれだけ正確に槍を投擲してきたというのか?

 戦慄する私には見向きもせず、マグナは依姫様に微笑みかけた。

 

「いいね。キミのことは前から気になってたんだ。12宮じゃないくせに、すげー強そうな雰囲気が全身からみなぎっててさ」

「……ひとつ、聞きたいことがあります」

「んー?」

 

 惚けたように首を傾げるマグナに、依姫様は静かな口調で尋ねた。只ならぬ雰囲気に、サジタリアスたちも一時的に手を止める。

 

「今朝まで、私たちは一緒に行動していましたよね。中々マコーが見つからず、効率を考えて二手に分かれましたが……」

「そうだね」

 

 そうだったのか。と私は眉を上げた。昨日、私とレオは他のチームよりも早くに永遠亭を出ていたので、他のチームの動向を詳しく知らなかったのだ。

 依姫様は続ける。

 

「でもそのとき、アナタには霊夢たちが付いていたはずです。霊夢と、魔理沙さんと、咲夜さんと、リブラさん」

「うんうん。そうだね、確かにそうだった。それで?」

「……聞きたいことというのは」

 

 依姫様は、刀を強く握りしめて言った。

 

「霊夢たちは、どうしたのかということです」

「……どーしたと、思う?」

 

 嘲笑うような笑顔だった。そのあまりにも挑発的な表情を前にしたとき、依姫様の足元から爆炎と雷が巻き上がる。

 八百万の神々をその身に宿せる、依姫様の能力だ。恐らく、数多いる神々の中から、炎や雷に関連のある、選りすぐりの神を降臨させたに違いない。

 

「うはは……! スゴイすごい! これは最高に張り合いがあるね!」

 

 相対するマグナは、その光景に狂喜していた。

 

「今日は本当に嬉しいことばかりだ! 本気のサジタリアスたちと戦えるし、見たことのない能力とも殺り合える!」

 

 違う。依姫様はきっと、マグナと殺り合うつもりはない。ただ、友人に手を出されたことに対して、ご自身の断固とした意思を示そうとしているだけのはずだ。

 依姫様はなにも言わずに大地を蹴った。それを戦闘再開の合図に、サジタリアスたちも各々の武器をマグナに振るう。

 私がマコーの前にたどり着くまでには、戦いはもう、誰も手出しが出来ないほどに激しさを増してしまっていた。

 射手座の神と大地の女神の能力により、無尽蔵に現れては破壊される武器具の数々。飛び交う光弾、鳴り止まない金属音、爆熱と雷による激しい閃光。不殺を誓ったばかりなのに、私はもう、自分にはこれを止められないと全身で理解していた。

 

「優曇華院様、お気を確かに。今は彼を優先するべきです」

 

 私の考えを表情で察したのか、アクエリアスが肩を叩いてきた。こんなときでも冷静さを失わない彼の存在は、今の私にはなによりも大きく、頼もしいものだった。

 私はコクリと頷き、マコーの手首に触れる。

 

「マコー、わかる?」

 

 彼は薄く目を開いた。なんてか弱い瞳だろう。

 呼吸があることは確認済みだったが、これで意識消失がないことも判断できた。だが、怪我の程度は計り知れない。

 損傷が激しすぎるのだ。頭の怪我は私が付けたものとして、問題は胴体。マグナに貫かれた胸部を中心に激しい亀裂が走り、左腕は無惨にもぎ取れている。首筋は文字通り皮一枚で繋がっている状態で、両足はそれぞれ、あらぬ角度に捻じ曲がっていた。

 人間や妖怪であれば、まず間違いなく死んでいるだろう。文句なしに、私が診てきた患者の中で一番の重傷。きっと師匠でさえ……。

 そう考えるが早く、私は他力本願な結論を出した。

 

「アクエリアス、お願い。彼に、新しい器を創ってあげてほしいの」

「……」

 

 返事はなかった。黙り込んでマコーを見つめる彼に、只ならぬ違和感を覚える。

 

「アクエリアス……?」

「……失礼。すこし、確認させてください」

 

 そう言って彼は屈むと、魔侯の胸部に手を伸ばした。ボロ布と化した衣服に隠れている部分が曝け出されたとき、私は「ヒッ」と短く悲鳴をあげた。

 

「なに、これ……?」

 

 ぽっかり空いた胸の奥に、赤と銀に輝く宝石──バトスピで使うソウルコアのようなものが見える。ただし、恐らく原形は留めていない。バキバキに割れた水晶体の多くは崩壊し、とっくに失われているのだから。

 

「申し訳ございません。……すでに、手遅れです」

「え……?」

 

 苦虫を噛み潰したようなアクエリアスの言葉に、思わず目を見開く。どういう意味かと問いただす前に、後ろからピオ―ズの補足が入った。

 

「魂の核をやられている」

「……狙って撃ったに違いないと思います」

 

 カプリコーンも一緒だ。ピオ―ズに肩を抱えてもらって、彼は言葉を続ける。

 

「魂の核は、噛み砕いて言えば魂の心臓部です。そこをやられたとなると、もはやアクエリアスでは……最強の治癒能力を持つアリエスにさえ、修復は出来ません」

「むしろ、輪廻転生すら怪しいと言える」

 

 私は絶句した。魂という概念に詳しいであろう紫属性のふたりが、揃って苦い表情をしていることが、その推測を正しいものとして認識させてくる。

 

 助けられない?

 

 この一瞬だけでなく、未来永劫、彼を救うことはできないと言うのか?

 

「でも……なにか、他に方法が……。ほ、ほら、ピオ―ズは昔、死者を蘇らせたことがあるって、レオから聞いているわ」

「……そうだな。昔のオレになら、可能だったかもしれない」

「じゃあ……!」

「無理だ。はるか昔、封印を受けたときに、あの能力は剥奪されてしまった。……本当にすまない」

「か、カプリコーンはどんな能力を……」

「私はただのまじない師です。ご期待に添えず、なんと言えば良いのか……」

「でも、でも……!」

「優曇華院様」

 

 アクエリアスに肩を掴まれて、我に返る。

 どうして私は、ふたりに謝らせているのだろう。

 死者を蘇らせたために封印されていたピオーズに、その能力をここで使ってほしいだなんて、もう一度封印されろと言っているようなものではないのか。

 支えがないと立ち上がれないほど疲弊しているカプリコーンに、その原因をつくった彼を助けてほしいなんて、自分勝手が過ぎるのではないか。

 

「……なんて、無様な、顔だァ」

 

 考えがまとまらずに俯いていると、そんな嫌味な声が聞こえてきた。

 

「……マコー」

「アハッ……ァああ~、いいです、ねェ……。その、情けない顔が、見られたなら、アナタを庇った甲斐が、ある。……という、ものです」

「……ふざけないで」

 

 悲しみを超えて憤る私に、彼はニヤけた顔のまま続ける。

 

「最初から、こうなることは、決まっていたんですよ……。なにせ、駒として用意された存在ですからね……。わかり、ます? チェスでも、将棋でも、不要になった駒は、捨てます。そんな私を……助けよう、だなんて、愚かなひとだァ……本当に」

「ふざけ、ないで……笑わないで……」

 

 なにか言いたいことはあるのに、言葉にならなかった。ただ俯いて、同じ言葉を連呼することしか、私には出来ない。

 

「……教えてくれないか。お前の言う〝あの御方〟のことを」

 

 なにも言えない私に代わって、ピオーズが口を開く。その問いかけに、マコーは僅かに表情を歪ませた。

 

「お前は以前、自分が邪神に生み出されたと言った。だが、あれはどうせ、オレたちと邪神の対立を煽りつつ、自分の真の主を隠すための嘘だったんだろう」

「……やはり、聡明な御方ですねェ」

 

 魔侯は口角を吊り上げたが、すぐに真剣な表情を見せた。その表情には、どこか主への忠誠心のようなものが垣間見えた気がした。

 

「残念ですが、言えません……。あの御方は、確かに、恐ろしい御方ですが……。我が創造主であることに、違いはない。恩義が、あります」

「……そうか」

「ですが」

 

 ピオーズの言葉に被せるようにして、彼は言った。

 

「我が世界の……〝創界神〟であることくらいなら……教えてしまっても、いい」

「……!」

 

 ピオ―ズが、カプリコーンが、アクエリアスが。揃って目を見開いた。

 創界神。その名は以前、ヴァルゴの口からも聞いたことがある。

 彼女の推測が、事実に変わった。それが恐るべき事態であることを証明するように、グランロロの12宮たちは揃って、険しい表情で口をつぐんでしまった。

 マコーも暫く黙っていたが、やがて、ときが来たとでも言いたげに嗤った。彼は魂の核がある胸部に静かに手をあてると、振り絞るように、指に力を込めた。

 その目は真っ直ぐ、私に向けられている。

 

「そのアホ面……できれば、もうすこし、見ていたかった……ですねェ」

「っ……なに、してんの……。ダメ。動いたらダメ……!」

「あァ~……いい顔だァ……。その顔ですよ……その、涙をグッと堪えてる感じの、その顔がねェ……。たまらなくソソるんです……」

 

 意味の分からない台詞を吐き出しながら、彼はその指で、壊れかけの核を、ほんの一欠片へし折った。その行為に私が眉をひそめると、マコーはまた、愉悦の笑みを浮かべた。

 

「私を、助けたかったと、言うのなら……。これ、受け取ってくださいますよねェ……。ほんの小さな、欠片ではありますが……これも、我が魂の一部なのですから……」

 

 震える手で差し出されたソレを、私もまた、震える手で受け取った。

 

「これ……」

 

 私は問いかける。カードのような形のソレと、マコーを交互に見やりながら。

 

「それは……呪い、です。この世に、未練なんか、ないはずだったのに……。アナタのせいで、ソレが出来てしまった……。だから、アナタを、呪います」

「呪い……」

「ソレを見るたび、思い出してください……。アナタのせいで、未練がましく消える羽目になった、邪神がいたこと……。そして、我が名の通り、蝕まれてしまえばいい……」

「アナタの、名前……」

「ヴェルム。……〝蝕むもの〟という、意味です」

 

 私は頷き、その名前を心に深く刻み込んだ。

 それが、魔侯という仮称ではない、彼の本当の名前。

 

 蝕むもの。

 

「とは言え……。甘い幻想に、蝕まれたのは……、私も、同じか……」

 

 その言葉を最期に、彼は本当に動かなくなった。だらんと垂れ下がった手が徐々に崩壊していき、やがて全身が崩れ、風に乗ってどこかへ飛んでいく。

 消えてなくなる直前、彼が最後に見せた笑みだけは、どこか穏やかなものだった。

 

 

 

 

 マコーを見送った直後、激しい衝撃音が大地を震わせた。同時にヴァルゴの悲鳴が聞こえたかと思うと、声の主が凄まじい勢いでこちらに吹き飛んできた。

 

「ヴァルゴ⁉」

 

 私はすぐさま駆け寄った。地面に叩きつけられ、鮮血を垂れ流しながら苦しそうに唸り声をあげる彼女は、すでに瀕死の重傷を負っているように見える。人間なら生きているのも奇跡という他ない量の血が傷口から溢れ、抱きかかえると、私の手も同じように真っ赤に染まっていった。

 

「うんうん、すごく綺麗だね。ヴァルゴは素材がいいからかな? 真っ赤に染めて表情を歪めてやると、本当によく映えるね」

 

 ゾクリとして顔を上げる。

 目の前に、マグナがいた。血塗れの大槍を片手に私たちを見下ろすその顔は、悪意を微塵も感じさせないほどの笑顔に満ちていた。

 一瞬絶望しかけたのは、そんな彼女の向こう側に、傷だらけで倒れ伏したジェミニたちの姿を見てしまったからだ。

 四対一でもダメだったと言うのか? 四魔卿の実力とは、それほどのものなのか?

 恐怖以上の感情が湧き上がってくる。だが、逃げるわけにはいかなかった。

 

「けど、映える姿になったってことは、もう戦えないってことかあ。それは嬉しくないことだよね。だって、喜ぶべき時間が終わってしまったということだもの」

「なに……言ってるの……!」

 

 どうしても声は震えていたが、怒りに満ちた視線だけ逸らさなかった。依姫様がしてみせたように、私も、断固とした意思だけは示さなければならない。

 

「だ……め。れいせん、にげて……」

「ヴァルゴ様の仰る通りでございます。優曇華院様、ここはお下がりください」

 

 自分が最後の砦だと言わんばかりに、アクエリアスが前に立ちふさがる。マグナは、そんな彼をあからさまに嘲笑した。

 

「キミと戦えるってなら嬉しいけど……。勝てるの? これ以上ガッカリさせないでほしいんだけどさ」

 

 アクエリアスが剣を強く握りしめる。マグナはこれを鼻で嗤った。

 

「ガッカリといえば……、カプリコーン、キミもそうだ。せっかく魔侯を殺すチャンスを用意してやったのに、キミはあと一歩のところで彼を赦してしまった」

「……どういうことです?」

「キミから魔侯を切り離してやったのはオレなんだよ?」

 

 マグナはコロコロと笑い出した。

 

「最初は嬉しかったんだ。目を覚ましたキミが、ジェミニたちまで巻き込んで魔侯への仕返しを始めたもんだからさ。ああ、オレの手紙を読んでくれたんだって。あの手紙を信じてくれたんだって。だから、あとは全部任せようと思っていたのに」

 

 マグナは深くため息をついた。

 

「本当に残念だよ。……キミがこんなに甘い男だとは思わなかった」

「……取り憑かれたことは、私の落ち度に他なりません。彼はただ、主上の名に従い動いていた、駒のひとつに過ぎなかった」

「だからって赦す理由にはならないだろ?」

「赦したいと思った理由なら、あります」

「……」

 

 マグナは顎に指を添えると、何か考え事をするかのように明後日の方を見たが、やがて思い至ったように、口角を吊り上げた。

 

「なるほど、サジタリアスも言っていたね。『彼女を信じてみたい』とかなんとか」

 

 マグナの殺意に満ちた視線が、私に突き刺さる。貼り付けたような笑顔が、その邪悪に満ちた瞳を、より一層ギラギラと輝かせていた。

 

「理解した。もう〝ついで〟じゃないな……。今、明確に。キミを殺したくなったよ!」

「させません!」

 

 マグナとアクエリアスが同時に大地を蹴る。しかし、槍と剣がぶつかり合う、あの耳を痛めるような金属音が響くことはなかった。

 代わりに数回、シュンッ、シュンッとなにかが空を切る音が聞こえた。マグナは飛んできたソレを腕で弾き飛ばすと、素早く後ろへ退いていった。

 

「これは、ナイフ……」

 

 このとき初めて、マグナの顔に苦悶の色が滲んだ。突然の攻撃にダメージを受けたのではない。ただそこに現れた人物に、彼女は困惑しているようだった。

 

「……十六夜、咲夜」

 

 槍を下ろしたマグナの見つめる先に、そのメイドはいた。私もよく知るその人は、怒りを蓄えた静かな瞳で、マグナを見据えていた。

 十六夜咲夜──マグナが憑依しているレミリア・スカーレットの、従者である。

 

「やっと見つけたわよ。よくもヌケヌケと逃げ出してくれたわね」

 

 マグナは明らかに混乱していた。言葉を失い、棒立ちになっている。ふと、霊夢や魔理沙が傷だらけの依姫様たちを介抱しに向かう声が聞こえたとき、マグナはハッとした表情になって周囲を見回した。

 

「……っ」

 

 マグナが息を呑んだ。私も、状況が変わったこの空間を見回す。

 静かだったはずなのに、突然として戦場に変えられ、荒れ果てた森。傷だらけの依姫様たちと、彼女らを介抱しに向かう霊夢たちの姿。見知らぬ黒髪の男もいたが、魔理沙が彼を「リブラ」と呼ぶ声が聞こえて、すぐに理解が及んだ。

 みんな無事だ。私も依姫様も、マグナにすっかり騙されていたらしい。

 

「さて……。逃げ出した以上、もうアナタを生かしておく理由はないのだけれど」

「……やめよう、十六夜咲夜。キミではオレに勝てないんだ」

 

 言葉を交わしながら歩を進める咲夜に対して、マグナは逆に退いていた。なにか様子がおかしい。あの好戦的で、無邪気と錯覚するほどの邪悪さが鳴りを潜めている。今のマグナに、余裕らしい表情は見られなかった。

 

「もう……冷めてしまった。キミと戦ってもダメだ。オレの喜びは、満たされない」

「まちなさい!」

 

 マグナは槍を土に還すと、逃げるようにその身を翻して飛び立った。誰がなにかを言う隙も与えぬまま、咲夜もそのあとを追う。

 私は、ふたりが消えていった空を、ただ呆然と眺めていることしか出来なかった。

 

 

  続

 




最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
次回も楽しみにお待ち下されば幸いです。


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第八話『譲れないもの』

 閲覧ありがとうございます。読者の皆様にひとつ、お願いが御座います。
 本作品中、登場人物のひとりが2023年5月より禁止カードに指定されたカードを使用します。
 理由としましては、新しい禁止制限が発表された時点で、すでにそのシーンを執筆してしまっていたということが挙げられます。
 対戦棋譜を書き直すことも考えたのですが、これはこれで面白い偶然かな……(錯乱)とも思い、棋譜を変更せず投稿させて頂くこととしました。
 皆様のご理解とご協力をお願いします。


 

 

 もう随分と大昔の話である。

 

「それはつまり、ジェミニ様の勇気を称えてほしいということでございますか?」

 

 従者がそんなことを言い出したので、僕は「はあ?」と顔をあげた。

 

「告白にはさぞ膨大な勇気が必要でしたでしょう。ジェミニ様はよく頑張りました」

「キミさ……、もしかして、僕のことバカにしてる?」

「とんでもない。私はただ、ジェミニ様のことを称賛したまででございます」

 

 彼が微笑んで差し出してきた紅茶を、僕は自棄気味に口内へ流し込んだ。爽やかな香りが鼻腔をくすぐる、彼お得意のハーブティーだった。

 

「……美味い」

 

 適温だった。心地よい舌触りから、かなりいい水を使っていることも分かる。

 もっと香りを楽しんでから飲むべきだったと後悔し、顔を伏せる。僕の心を見透かしたように笑った彼は、「おかわりも御座いますよ」とカップに二杯目を注いでくれた。

 

「少しは冷静になられたようですね」

「そうだね。キミの淹れてくれるお茶が一番落ち着く」

 

 それに、環境も整っている。僕が座っている椅子や、カップを置くテーブルも含めて、彼の部屋はアンティークな雰囲気の家具でまとめられている。いわゆるクラシックインテリアと呼ばれるスタイルで、彼が趣味で集めたというハーブの香りもまた、この部屋の上品で優雅な空気感を演出するのに一役買っていた。

 彼は向かいの席に座ると、興味深そうに僕の瞳を覗き込んで言った。

 

「それで、ヴァルゴ様のお返事は?」

 

 手元に置かれたカップからは、もくもくと湯気が立ち上っている。

 

「保留中。急なことだったから、彼女も混乱しているみたい」

「では、現在は〝待ち〟の期間ということで御座いますね」

 

 その言葉を聞いたとき、僕の喉から唸り声が響いた。完全に無意識だったので、思わず眉をあげた。

 

「……欲張りなことに、僕はなにかしら行動を起こしたがっているらしいんだ」

「なるほど。それでわたくしの元へ、どうすれば良いか相談に来たと」

「そういうことになるのかな」

 

 僕はテーブルに顔を突っ伏すと、特大のため息をひとつ吐いた。

 

「自分の気持ちが分からないよ」

「神様とて生き物ですから、そんなものでございましょう」

 

 彼はそう言うと、ハーブティーの奥ゆかしい香りをじっくりと楽しみ、柔らかな笑みを浮かべて見せた。爪の先まで洗練された優雅な立ち振る舞いに、一瞬、僕の視界から彼以外のあらゆるものが消失したような錯覚を覚える。

 

「……キミならどうする? キミだって、ヴァルゴを好いていた頃があっただろう」

「なんとも大昔のお話をされますね」

「僕らにとっては、ついこの前の話なんだよ」

 

 言ってから、その発言の残酷さに気づき、僕は「あっ」と声を上げた。

 

「ごめん。心無い発言だと言われても、言い逃れできない」

「どうかお気になさらず。──ですが、切ない思い出では御座いました」

「僕の知らないことなんだ。あのときキミは、どんな選択をしたんだい?」

「ご存じなかったのですね。そう言えばあのあと、しばらくアナタ様とは御顔を合わせずにいましたが……」

「ダメだったらしい。って噂だけ聞いたもんだから、なんて言葉を掛ければいいのか分からなかったんだよ」

「あはは。やはり噂とは、当初とは形を変えて伝わるものなのですね」

「つまり、本当のところは違うってことかい?」

 

 僕が眉を寄せた頃、彼はハーブティーを静かに飲み終え、空になったカップを、優しくテーブルに添えた。

 親が子を諭すときのような、本当に穏やかな表情をしているな、と思った。

 

「なにせ、わたくしは従者で御座いますから。──譲らせて頂きました」

 

 

 

 

「咲夜! ちょっと待って!」

 

 私が彼女に追いついたときには、もう人里まで逆戻りしていた。

 里の人間たちはすでにお昼の休憩を終え、慌ただしく動き回っている。大通りは人混みで溢れかえっていたが、そこから一歩、裏通りに足を踏み入れれば、どこか浮き世離れした静けさが私を出迎えた。

 

「咲夜! ねえ咲夜!」

 

 返事はない。銀糸の髪を荒っぽく揺らし、薄暗い通りを突き進んでいく彼女の肩を、私は慌てて掴んだ。

 

「待って!」

「しつこい! さっきからなんなのよ、鈴仙!」

 

 乱暴に腕を払い除けつつ、彼女は振り向いた。目玉が飛び出しそうなほど見開かれた目は獣のように生々しい輝きを放っていて、普段の彼女が纏う、完璧で瀟洒な雰囲気はどこにも感じられなかった。

 小さくかぶりを振った私は、真っ直ぐに彼女を見つめ直す。

 

「……ひとりじゃ危ないよ。誰かと一緒に行動しないと」

「必要ないわ。マグナは私がやる」

「でも」

「いいから邪魔しないで!」

 

 咲夜は声を荒らげると、細く白い人差し指を私に突きつけた。

 

「第一、ひとりが危ないと言うのなら、今のアナタはどうなの? 一緒にいた連中はどこに行ったのよ」

「そ、それは……」

 

 思わず声がどもる。説明すれば長くなるが、どうしたものか。なんて目を泳がせているうちに、咲夜はたちまち姿を消してしまった。

 

「……はあ」

 

 膝からガックリ崩れ落ちて、特大のため息をついた。どうやら時間停止の能力を使ったらしい。卑怯だぞ、と内心で悪態をついていると、誰かに後ろから声をかけられた。

 

「逃げられてしまったようですね」

「……アクエリアス。早かったわね」

 

 いつの間にか追いついていた、私の従者──何故かそうなっている──に、私は眉を上げた。

 

「ヴァルゴたちは?」

「修理は無事、完了致しました。すでにこの通り……」

「鈴仙!」

 

 アクエリアスの背から白い人影が飛び出してきて、私に強く抱きついた。かなりの勢いがあったものの、軽くて華奢な体を受け止めるのには大した力を必要としなかった。

 

「ひとりで先に行ったって聞いて、心配したんだから……」

 

 それはヴァルゴだった。血にまみれていない彼女の、安定した心拍が耳底を刺激する。よかった、と私も心から安堵し、彼女を強く抱きしめた。

 

「ごめん、ヴァルゴ。急ぎの用事があったの」

「分かってるけど、あまり心配させないで。心臓がいくつあっても足りないわ」

「誰かを追いかけていたみたいだけど……」

 

 ジェミニが、アクエリアスの影から顔を覗かせた。肩に乗せた黄色い小鳥は、レオを捜索するために用意した監視衛星だ。どうやら、今回は私を探すために使ったらしい。

 私は首肯して言葉を返す。

 

「うん、私の友達。マグナを追いかけてひとりで行っちゃったから、危ないと思って」

「鈴仙はひとのこと言えないわよ」

「ごめんって」

「笑って誤魔化さないの!」

 

 ヴァルゴの指摘が耳に痛い。

 話を変えたくなった私は、助けを求めるようにアクエリアスを見やった。

 

「アクエリアス、他の皆は?」

「綿月依姫様率いる『対魔侯チーム』は、一旦永遠亭に引き返すことになりました。依姫様もサジタリアス様も重傷ですので、アリエス様に治癒を依頼するとのことです。カプリコーン様も、護衛として皆様にご同行なされました」

 

 私は頷いた。補足として、カプリコーンには正規の器を渡したこと、サジタリアスの怪我はアクエリアスにも修理可能だったが、魔力を温存しておくようにと、サジタリアス自身に止められたことも教えてもらった。

 アクエリアスは続ける。

 

「博麗霊夢様のチームは、優曇華院様同様、咲夜様とマグナ様を探しておられます」

「そっか。ありがとう、アクエリアス」

「勿体ないお言葉でございます」

 

 微笑みかけただけなのに、アクエリアスは胸に手を添えて頭を垂れた。従者というものを持ったことのない身としては、なんだかむず痒くなる光景である。

 

「とにかく、咲夜を探さないと。霊夢たちも探してるって言うなら、また見つかるのは時間の問題かもしれないけど……。ここは皆も協力してくれない?」

「もちろん。監視衛星を使ったほうが効率もいいからね」

 

 ジェミニはそう言って、監視衛星を空に羽ばたかせた。アレの優秀さはマコーの一件で証明されているので、咲夜を見つけるのに時間はかからないだろう。

 問題は、見つけたあとのこと。私が眉間を揉むと、

 

「どうかなさいましたか?」とアクエリアスは眉を上げた。

「咲夜、かなり焦ってるみたいで。私の話を全然聞いてくれなかったの」

「ふむ……? 思えば、マグナ様も十六夜咲夜様に対しては態度が違うようでした。優曇華院様、おふたりはどのような関係なのですか?」

「うーん、なんだろ。あのふたりって言うか、マグナが憑依してるレミリアは、咲夜の御主人様なんだけど……」

 

 なので、咲夜が焦っている理由は明確だ。そのことをアクエリアスに伝えると、彼はいつになく真剣な面持ちで頷いた。

 

「十六夜咲夜様にとっては、主を取り戻すための戦いなのですね」

「うん。だからこそ焦ってるんだと思う」

「心中お察しいたします。……ですが、優曇華院様の警告が耳に入らぬ程となると、かなり危険な状態と言わざるを得ませんね」

「警告を聞かないってゆーのは鈴仙も一緒だけど。まあ、鈴仙には私たちがいるし」

「だから悪かったってば」

 

 乙女座の女神様がご立腹そうに頬をふくらませる。赤の他人である私にすらこれなのだから、彼女が年頃の娘なんか持った日には、その苦労は想像に難くない。

 

「とにかく! 問題は、咲夜をどう説得するかってことなわけよ」

「そうみたいだね。……だけど、説得して、そのあとはどうするの?」

「え?」

 

 ジェミニの思わぬ指摘に、私は眉を上げた。

 

「主を取り戻そうとする十六夜咲夜を説得して、独断での行動を控えさせて……。そのあとはどうするの?」

「……えっと」

 

 言葉に詰まった。咲夜をひとりにしないことに必死で、そこから先のヴィジョンがまるで無かったことを、私はここに自覚する。

 ジェミニは続けた。

 

「今のままだと、マグナ姉さんと戦うのは十六夜咲夜だ。キミが彼女を説得し、独断での行動を控えさせたところで、最終的に行き着く先は変わらないんじゃないかな」

「……確かに、そうなんだけど」

 

 俯いているうちに、色々な考えが頭の中を渦巻いた。

 焦っている今の彼女では、マグナとの戦いでも判断を誤る危険がある。しかし無意味に説得を試みて、彼女を余計に苛つかせるのも良くないか。ならばいっそ、私が黙ってマグナと戦ったほうが安全なのではないか。しかしそうなると、問題はそのあとだ。戦いのあとで咲夜との関係に亀裂を走らせるのは避けたい。彼女は私の友人で、従者としての憧れも微かに抱いていて、神様が許してくれる限りは付き合いを続けていきたい人物だ。

 

「でも。それじゃあ、どうしたらいいのよ」

 

 平手でオデコを覆った。出来ることなら全員が納得できる選択をしたいが、その「全員」のなかに自分を含めてしまうのは、私の弱さだろう。

 

「考えるって、決めるって。……本当に難しいことだわ」

 

 だから、避けてきた。他人に委ねてきた。

 裏通りの闇が濃くなっていく。軒の隙間に見える空を見上げれば、真夏の太陽が雲で覆い隠されていた。

 なんだか薄暗いな、と私が眉をひそめていたとき。

 

「そんなお困りのア・ナ・タに♪」

「……へ?」

 

 気配もなく音もなく、誰かが私の肩に触れて、耳元で囁いていた。

 

「うわあああああああああああああっ!」

 

 理解してからは本当に早かった。私は勢いよく地面を蹴って飛び跳ねると、アクエリアスに背中からもたれ掛かる形で大きく後退していた。

 囁き声の正体は、すぐに視界に飛び込んできた。灰色の長髪と黒いローブを夏風になびかせ、意地悪っぽく笑う美女が、そこにいたのだ。

 

「り、リリィナ、さん?」

「はい、リリィナです! 覚えていてくれたんですね」

 

 マコーとの一件で出会った、若い女性だった。甘味処で臨時のお手伝いとして働いていたときの給餌服とは打って変わって、今は怪しい占い師みたいな格好をしている。

 

「な、なんでこんなところに……。っていうか、いつの間に……?」

 

 アクエリアスたちに目配せしたが、皆一様に、警戒した様子でかぶりを振った。敵襲に備えて私なりに気を張っていたつもりが、彼女の接近にはまるで気づけなかった。

 第一、アクエリアスたちは私を正面して立っていたのだから、私の背後が見えていたはずだ。いくら彼女が小柄とは言え、気がつかないものだろうか?

 警戒心を露わにする私たちに、リリィナはくすくす笑ってみせる。

 

「ごめんなさい。こんな界隈で生活していると、気配を消して歩くのが癖になってしまいまして」

「こ、こんな界隈って?」

「あらあら、裏通りは魔境ですよ。か弱い女性がひとりでいては、いつ殿方に連れ込まれてしまうか分かったものではありません」

「裏通り……。その、リリィナさんって、普段はなにを?」

 

 距離を取りつつ問いかける私に、リリィナは懐からカードの束を取り出して見せた。

 

「見ての通り、怪しくて妖しい占い師です。タロットカード占いと占星術が得意なんですけど、最近は水晶占いの練習もしてますね」

「怪しいって自分で言う?」

「そのほうが占い師って分かりやすいと思いません?」

 

 したり顔のリリィナは続ける。

 

「ところで、この辺は私の縄張りなんですよ。私に言わせれば、優曇華院さんたちがいることにビックリしているんですけど」

「それは……」

「それに、なんだかお困りのご様子ですし。……そこで、宜しければ、私が占って差し上げようかと思いまして。だから声をかけたんですよ」

 

 言うが早く、リリィナは手にしたカードの束を、滑らかにシャッフルし始めた。

 私はジェミニを見やる。彼女が嘘をついているようなら教えて欲しかったが、彼は小さく首を振ると、「それらしい様子はないよ」と小声で言った。

 私はリリィナに視線を戻す。

 

「あの、べつにいいです。急いでるので」

「そんなに時間はかかりませんよ。ほんの一分もあれば大丈夫。私はいま、カードの束をかき混ぜていますよね? 適当なところでストップと言ってください。そのとき一番上にあったカードが、アナタの悩みを解決するヒントを与えてくれるんです」

「……うーん」

 

 もし時間が食われそうだったり、金銭を要求されることがあれば、逃げてしまえばいいか。私は逡巡ののち、それだけならと頷いた。

 リリィナがカードの束をかき混ぜ始め、私はそれを見つめる。裏面のデザインは上下左右ともに対称に描かれていて、どうやらカードの向きが逆転しても分からないようになっているらしい。マットな質感の黒色は、バトルスピリッツのカードに酷似しているように思えた。

 

「ストップ」

「出ました」

 

 寸分の狂いなく手を止めたリリィナは、一番上のカードを素早く捲った。

 姿を見せたのは、エジプト神話のスフィンクスのような顔をした、女性姿の亜人だ。

 

「わあ……! 《運命の車輪(ホイール・オブ・フォーチュン)》! それも正位置ですね!」

 

 リリィナが、頬を綻ばせて近寄ってくる。私は引き気味に返した。

 

「ほ、ほいーる・おぶ・ふぉーちゅん……?」

「はい! 運命の車輪は、一時的な幸運・分岐点・運命の出会いと言った、現状の好転を暗示するカードなんです。そう悩まずとも、素敵な出会いがアナタを助けてくれますよ!」

「そ、そうなんですね」

 

 引きつった笑みを浮かべる私に、リリィナは捲し立てるような早口で言葉を続ける。カード一枚でそんなことが分かるものかと思いもしたが、明らかに興奮状態のリリィナに、私は完全に気圧されていた。

 語りに語り尽くしたあと、私の気持ちを表情で察したのか、リリィナはハッと口を押さえて頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい! このカードは私のお気に入りなので、つい興奮して……」

「いえ、私こそすみません。……お気に入り、なんですか?」

「はい。だって嬉しいじゃないですか。前向きで、希望があることを伝えられる」

 

 リリィナは優しく微笑んだが、すぐに真剣な表情を見せた。

 

「ただし、注意も必要です。運命の車輪がもたらす幸運は、あくまで偶発的なもの。アナタの実力ではないのです。そこを勘違いしたひとの多くが、この出会いをモノにできず、元いた混迷の世界に逆戻りしています」

「綺麗事ばかりじゃない。ってことですか」

「はい。占いは未来を予測し、それに備える時間を与えるためのものですから」

 

 リリィナは、どこか惜しそうな顔で空を見上げる。

 

「星が出ていれば、より正確な助言をして差し上げられるんですけどね」

「そこまでしてくれなくても大丈夫です」

 

 私は短く手を振った。近くチャンスが訪れるなら、それを逃していけない。それを知れただけでも十分だろう。

 不思議と満足感を得ていた私に、リリィナは警告するような顔で言った。

 

「優曇華院さん。私はどんな物語も、ハッピーエンドが好きです。だって、最終的に皆が報われて終わるなら、その過程にどんな苦しみがあっても、許してしまえるから」

「リリィナさん? 急になにを……」

「分岐点が、来ます。あとはアナタたち次第ですよ」

 

 今まで以上に深刻な面持ちだった。そんな彼女に私が眉をひそめたとき、後ろからソイツが現れた。

 軒下に伸びた木柱を握りしめて、苦しそうに息を切らしながら、おぼつかない足取りで近づいてくる小柄な影。

 

「やっと……ァあ。見つけたよ……」

 

 ソイツのうめき声が聞こえたとき、私の背筋はゾクリと冷えた。

 

「マグナ……!」

 

 レミリア・スカーレットに取り憑く四魔卿。マグナ・マイザーそのひとが、私たちの数メートル先に立っていた。

 

「優曇華院様、お下がりください」

 

 アクエリアスが前にでる。私は彼に首肯を返しつつ、リリィナに声をかけた。

 

「リリィナさん! はやく逃げ──……あれ?」

 

 いなかった。

 

 数秒前までそこにいた女性はすでにおらず、砂埃だけが静かに舞っている。

 

「り、リリィナさん……?」

「鈴仙、今は目の前の敵に集中して!」

「……う、うん」

 

 ヴァルゴに言われるがまま、視線を前に戻す。気を取られている場合ではない。ジェミニたちを四対一の状況でも圧倒してみせた邪神が、ほんの数メートル先にいるのだ。

 だが、なにか様子がおかしい。

 大粒の汗を流しながら、浮浪者のように力ない足取りで近づいてくる彼女は、明らかに本調子ではないように見えた。

 

「……随分と苦しそうだね、姉さん」

 

 剣で威嚇しつつ、ジェミニが言った。

 

「あはは……わかる? そうだね。オレは、疲れているんだ」

「なにがあったんだい?」

「……説明する、時間が惜しいよ。それより、鈴仙、だったかな? キミに頼みたいことがある。あの龍魔侯を圧倒したキミにしか、頼めないことなんだ」

「……なに?」

 

 マグナが一歩近づき、私たちは一歩退く。また一歩、もう一歩。

 彼女の手足は酷く震えていて、今にもほつれて転んでしまいそうなほどだった。それでも警戒心を解けなかったのは、あの圧倒的な戦闘能力を見せつけられた後だからか。

 やがて絞り出すような声で、マグナは言った。

 

「……してくれ」

「……え?」

「オレと、バトルしてくれ。あの邪神域で、命を賭けた戦いを……!」

 

 私は困惑した。マグナは膝をつくと、息も絶え絶えに言葉を続ける。

 

「このままだと、咲夜と殺りあうことになるんだ……。わかる。咲夜は本気でオレを殺すつもりで、本気でレミリアを取り戻そうとしてる……。当たり前だよね、レミリアは咲夜の大切な主人なんだもの……。だけど、ダメなんだ。初めて出会ったあの夜に、レミリアと約束してしまったから……」

「約束って……?」

「……咲夜とは、もう絶対に戦わない。体を貸してくれたお礼に、そう約束したんだ」

 

 私は目を見開いた。これまで見てきた邪神たちの態度からは、とても想像がつかない言葉だったから。

 マグナは、すがるように私を見上げる。

 

「頼む! もう限界が近いんだ! オレには、イルやヴァンのように、暴走を長時間抑え込むほどの精神力はない。次に咲夜と出会ったら、オレは、このレミリアの手で、彼女を殺してしまうかもしれない! レミリアとの約束が、譲れない、騎士の、誓いが、守れなくなる……! その前に……!」

 

 か細い声で懇願する彼女の瞳には、鈍い光が蓄えられていた。けれど、すぐにマグナは目を見開いて、怯えるように周囲を見回し始めた。

 

「どうしたの?」

「いる……! 近くに咲夜がいる……!」

 

 マグナは震える足で無理やり立ち上がると、私たちの脇をフラフラ通り過ぎていく。

 

「お願いだ……! オレがここにいたことは、どうか黙って……! そして、次に会うときまでに、覚悟を決めておいてくれ……!」

 

 振り向きざまにそう言った彼女を、私は呆然と見つめることしか出来なかった。

 ただひとつ、私の中にあった疑惑を、確信に変えて。

 

 

 

 

「まさか本当に黙ってるなんて」

 

 直感かなにかで突然戻ってきた咲夜を誤魔化したあと、ヴァルゴが言った。やはりと言うべきか、咲夜は私の説得に応じることなく、マグナを探して再び姿を消してしまった。

 

「マグナの言ってること、どこまで本気にするつもりなの?」

「……わかんない」

「ほら出た。無条件の優しさは危険だって、さっき言ったばかりなのに」

「わかってる」

「わかってません。……まあ、どーせ警告しても意味ないから、これ以上言わないけど」

 

 ヴァルゴは目をつむった。珍しく敬語を使ったあたり、怒っているのだろう。

 悪いと思いつつも、私は俯いて考える。べつに落ち込んでいるのではない。こうしていると、邪魔な情報を遮断できて、思考が整理されるのだ。

 

「マグナの願いを聞き入れれば、咲夜を裏切ることになる。だけど、咲夜をマグナと戦わせるのは正直危険だし、マグナと……それに、レミリアの想いを無視することになるのよね」

「……ねえジェミー、マグナが嘘をついてる可能性はないの?」

「ないね。姉さんは本気で咲夜と戦いたくないんだ。虚構の神であるぼくが保証するよ」

「完全に板挟みじゃないの……」

 

 ガックリ肩を落としたヴァルゴは、ため息交じりに私を見る。

 

「鈴仙は、正直どっち派なの?」

「それは……」

 

 私はしばらく黙っていたけれど、やがてポケットに手を突っ込み、仕舞っていた二枚のカードを取り出した。イルから託された《ストライクヴルム・レオ》の記憶と、マコーから託された彼の、真っ黒な魂のカケラだ。

 

「優曇華院様の中には、すでに答えがお有りなのですね」

 

 カードを見て、アクエリアスが言う。

 

「ですが、その答えが正しいものなのかと、判断しかねている」

「うん。……イルもマコーも、最期に見せてくれた表情は、穏やかだったから」

 

 だからこそ、救えなかったものかと考えてしまう。

 無意識のうちに奥歯を噛みしめる。カードを握る手にも、力がこもった。

 

「アクエリアスの言うとおり、私の中で答えは出てるの。……でも、その答えが正しいのかが分からない」

「優しい御心ゆえの葛藤ですね」

「違う、臆病なだけだわ。咲夜を裏切るのが怖いの。それに……」

 

 私は顔をあげると、アクエリアスたちと順番に目を合わせた。

 

「昔のマグナは、どんなひとだったの?」

「っ……」

 

 一番に反応したヴァルゴが、ごくりとつばを飲み込む。

 

「知るわけ、ないわよ。なんで邪神のことなんか」

「今さら隠さなくていいよ。兄さんとか姉さんとか、アレが隠語じゃないことくらいわかるもん」

「鈴仙、なにを言って……」

「優しいひとだったよ」

 

 一歩前に出かけたヴァルゴを、ジェミニが静止させた。

 

「ジェミー、なに言ってるの!」

「優しいひとだった。四魔卿の騎士と呼ばれていて、ぼくらもよく、稽古をつけてもらっていたんだ」

 

 遠い昔を懐かしむような、儚げな笑みだった。彼は、まだなにか言いたげなヴァルゴにかぶりを振ってから、話を続けた。

 

「ごめん。隠しているつもりは無かったんだ。ただ、余計な情報を与えると、キミたちが邪神と戦いづらくなるんじゃないかって」

「……本当に、兄弟なの?」

「血は繋がっていないけど、同じ創造主に創られたんだ。それに、何億年もずっと一緒にいたから、みんなお互いを兄弟みたいなものだと思ってる」

「事実、我々は血よりも濃い絆で結ばれておりました」

 

 補足したアクエリアスが、私を見つめる。

 

「それに気づいてしまったからこそ、優曇華院様は苦しんでおられるのですね」

 

 私は頷き、目を伏せた。

 邪神は被害者だ。グランロロを狙う何者か──恐らく、マコーの創造主である創界神だろう──に無理やり暴走させられ、苦しみながら私たちと戦っている。

 

「〝あの邪神域で、オレとバトルしてくれ〟……。マグナはそう言ったわ」

「ええ。……殺してくれと、彼女はそう言っているのです」

 

 私はかたく目を閉じた。なんて残酷な願いだろう。宿主との誓いを守るため、仲間たちをこれ以上傷つけないため、彼女は自らの死を望んでいる。

 

「暴走を解く方法は、ないの?」

「現状、殺すしかありません。だからこそ当時の我々は、半身を犠牲に、マグナ様たちを封印するという選択肢をとったのです」

 

 アクエリアスが小さく拳を握ると、ジェミニが首を縦に振った。

 

「未来に希望を託そうとしたんだ。原因が突き止められれば、いつか暴走を解けるはずだって。……だけど、姉さんたちは最悪な形で復活してしまった」

「……もうこれ以上、幻想郷に迷惑はかけられないわ」

 

 ヴァルゴの目は一見すると沈んでいたが、反対に、恐ろしく強烈な覚悟を宿しているようにも見えた。ジェミニと、それにアクエリアスの目にも、ギラギラと輝く決意のようなものが漲って見える。

 

 黙って立ちすくんでいるのは、私だけだった。

 

 軒を見上げて考えるのは、咲夜を裏切ってまで、アクエリアスたちの義姉を殺す意味はあるのかということ。いや違う。こうして立ち尽くしている間にも、マグナはまた暴走を始めて誰かに襲いかかるかもしれない。それは私たちだけでなく、マグナ自身も望まないことである。

 ふと、軒の隙間から見える空が、鉛色に染まっているのが分かった。今にも落ちてきそうな重厚な雲からは、もうすぐ雨が降り出すだろう。

 

「……少し、昔の話でもしましょうか」

 

 突然、アクエリアスがそんなことを言い出したので、私は眉を上げた。

 

「どうしたの? アクエリアス」

「いえ、ふと思い出したことが御座いまして」

 

 アクエリアスは穏やかな微笑みを浮かべると、後ろに立つジェミニを振り向いた。

 

「もう何億年も昔のお話ですが、わたくしとジェミニ様には、周囲が呆れかえるほど仲が悪い時期が御座いました」

「「……へ?」」

 

 その言葉に、私だけでなく、ヴァルゴも目を丸くした。突然なにを言い出すのかと呆ける私たちと対照的に、ジェミニは妙に納得した様子で「ああ」と口を開いた。

 

「あったね。あのときのキミは本当に嫌なヤツだった」

「その言葉、そのままお返し致しますよ。わたくしもあのときばかりは、アナタ様のことを本気で嫌っておりました」

「だろうね」

「そう、なの? わたし、知らないんだけど……」

 

 クスクスと笑うジェミニに、ヴァルゴは眉をひそめていた。私はなにがなんだか分からなかったので、とりあえず、黙って話を聞くことにした。

 

「ヴァルゴ様はご存知ないでしょうが、あのときの我々は、目を合わせれば睨み合い、言葉を交わせば、そこに皮肉を交えずにはいられないほど険悪な仲でした」

「本気で殴り合ったこともあるよ。あとで悔やんだけどね、キミ固いから」

「わたくしも後悔いたしました。最高傑作と自負していたアナタ様の器を、自ら傷つけてしまったことをね」

「待って。ちょっと待って」

 

 話についていけない様子のヴァルゴが、ふたりに平手を突き出した。

 

「なんでそんなことになってたの?」

「原因は至極シンプルで、しかし、男にとって譲れないものでございます」

「譲れないもの……?」

「ええ。……ひとりの女性を取り合ったのです」

 

 私は「あ」と声をあげた。なるほど、確かにシンプルな理由である。

 思い出すのは、里に向かう途中で視た、アクエリアスの波長だ。彼とジェミニが喧嘩してまで奪い合う女性なんてひとりしかいないが、肝心のそのひとは、どうやら言葉の真意に気づけていないらしく、黙って小首を傾げていた。

 アクエリアスは大げさな身振りを交えて話を続ける。

 

「どうしても、その女性を我がものにしたい。男たちの譲れない想いが激しい火花を散らし、やがて燃え盛ったのです」

「それだけ、ぼくらはそのひとのことが好きだったんだよね」

「ええ。……ですがある日、その戦いは唐突に終わりを迎えます」

「どうして?」

 

 と私。合いの手くらいのつもりで、首も傾げておいた。

 

「アクエリアスがぼくに譲ってくれたんだ。彼にもチャンスはあったのにね」

 

 私は目を丸くした。

 昼前に視たアクエリアスの波長は、紛れもなくヴァルゴに好意を抱いていた。それは、何億年経った今でも、彼女に対する想いが変わっていないことの証明である。

 

「でも、どうしてそんなことを……?」

「簡単な理由でございます、優曇華院様」

 

 アクエリアスは胸に手をあてると、穏やか極まる表情で、こう言ってのけた。

 

「なにせ、わたくしは従者で御座いますから」

 

 意味がわからず沈黙した私に、アクエリアスは構わず続ける。

 

「厳密には、そのときは従者では御座いませんでした。ですが、いずれは皆様の従者となることを決めていた身……。ならば、これはそのための儀式だと受け入れたのです」

「譲った……? 従者だから、御主人様のために身をひいたってこと?」

「左様。ですが優曇華院様、ここからが、このお話の最も重要なトコロです」

 

 なにか、空気がひんやりとする感覚を覚える。アクエリアスの表情は、物悲しいとも、なにかに怒っているともとれる、複雑怪奇なものになっていた。

 

「お恥ずかしい限りですが、わたくしは、そのことを未だに後悔しております」

「……え?」

「後悔しているのです」

 

 彼が真剣なのは、その鋭い目つきから容易に理解できた。しかし、あまりにも予想だにしない展開だったので、私はしばし唖然としていた。

 

「……それ、ジェミニの前で言って大丈夫?」

 

 眉を寄せて問いかける。他にも言いたいことは色々あったが、纏まらなかった。

 

「ええ。すでに何度も申し上げていることですので」

「本人に⁉」

「ふたりきりになると大体この話が出るんだよ。参っちゃうよね」

 

 肩をすくめて苦笑するジェミニ。なるほど確かに、随分と聞きなれた様子である。

 

「申し訳ございません。ですが正直、今でも想像せずにはいられないのです。あのとき、この譲れぬ思いを貫いていたら、今頃どうなっていたのだろうと」

「それは……」

 

 言いかけて、思わず顔を伏せた。仮にアクエリアスが譲らない選択をしていたとして、今は変わっていたのだろうか。どちらにせよ、結論を出すのは当時のヴァルゴだ。アクエリアスが彼女に告白をしたとして、果たしてヴァルゴは、彼の手をとったのか。

 もしダメだったとしたら、そのときはまた、べつの後悔がアクエリアスを襲うだけなのではないか。

 

「……あれ?」

 

 ふと、私は顔をあげた。目が合ったアクエリアスは一瞬眉を上げたが、すぐに微笑みを浮かべて見せた。

 

「気付かれましたか?」

 

 小首を傾げるだけの動作が、妙に色っぽかった。黒髪の先端まで洗練された優雅な立ち振る舞いに、一瞬、私の視界から彼以外のあらゆるものが消失したような錯覚を覚える。

 

「……どっちにしても、後悔はするのね」

「お見事です」

 

 彼は満足気に首肯した。

 

「どの道、選択するという行為には後悔が付きまといます。フラれればそれだけで辛い。だったら告白なんて最初からしなければ良かった! と壁を叩くこと請け合いで御座いましょう。では、仮に成功したとしたら? 今度は『従者として恥ずべきことをした』と頭を抱えたかもしれませんね。なにせ、わたくしは従者で御座いますから」

 

 私は呆然と、彼を見つめていた。面倒くさいことこの上ない思考にも思えるが、これは事実だと思った。

 選ぶという行為には後悔がつきまとう。何故なら、過去には戻れないのだから。選択はその都度一回しか出来ないのだ。

 

「ならばせめて、自分がどうしても譲れないと思うものがあるのなら。それを選んでみるのは如何でしょうか」

 

 どうせ後悔はするのですから。アクエリアスは最後にそう付け加えた。

 

「私の、譲れないもの……」

「答えはすでに出ているのでしょう? ……大丈夫。優曇華院様の選択がどのような結果をもたらしたとしても、わたくしはソレを喜んで受け入れ、支えます。従者ですから」

「……ありがとう」

 

 思わず顔がほころんだ。愛想笑いでない笑顔を男性に向けるのは初めてかもしれない。彼という存在が、臆病者の私にとって大きな心の支えになっていることを、私はここで理解した。

 

「──……十六夜咲夜様を探しに参りましょう。優曇華院様」

 

 その言葉を発する直前、彼が一瞬目を見開き、すぐにかぶりを振ったのには、一体どんな意味があったのだろうか。

 

 

  

 

「勝ったほうがマグナと戦う。負けたほうは決して邪魔をしない。異論はないわね?」

 

 十六夜咲夜が、遠目からでも分かる鋭い目つきを見せ、私は静かに頷いた。

 決断するが早く、咲夜を見つけた私たちは、彼女にバトルを申し込んだ。賭けの内容は咲夜が言った通りで、マグナとの対戦権を奪い合うものだった。

 鈍色の空の下。里の薄暗い裏通りの一角で、私たちは簡易型のバトルフィールドを展開する。〝あちら〟のフィールドを使うことも考えたが、どうもあそこは埃っぽくて好きになれない。それには咲夜も共感してくれ、ここを戦場とすることで意見が纏まった。

 すでにフィールドは展開され、両者、四枚のカードを手にしている。ジェミニとヴァルゴは病み上がりなので見学だが、代わりに、アクエリアスがデッキに入ってくれた。

 

「アナタの先攻でいいわ、鈴仙。時間がもったいないから早くしなさい」

「うん。……じゃあ、行くね」

 

 言葉通り、バトルは素早く進んだ。

 第一ターンを、ネクサス《バチマン・ド・ゲール―戦艦形態―》の配置のみで終わらせた私に対して、第二ターンで咲夜は《キャメロット・ポーン》二体と《キャメロット・ナイトX》を召喚。手札を増やしつつ《カクメイミラージュ》までセットしてきた。

 そして、準備だけで終わらないのが彼女だ。咲夜はそのまま、召喚した三体のスピリットで一斉攻撃。私はそのすべてをライフで受けた。

 この時点で、ライフ差は五対二だ。咲夜が鼻でふんと笑う。

 

「紫の速攻デッキを相手に、悠長なことしてるからよ。そんなんでマグナを倒そうっていうなら笑いものね」

「……挑発してるつもり?」

「事実を挑発と受け止めてしまうのなら、相当追い詰められている証拠だわ」

「……」

「どうしたの? なにか言い返してみせなさいな」

「うん。……今日はよく喋るね」

「はあ?」

 

 咲夜が眉を上げたのを確認し、ターンを進める。

 

「メインステップ。……力をかしてね、アクエリアス」

 

 私は一枚のカードを手にとり、咲夜に向けて突き出した。

 

「天と地を潤す命の源! 《宝瓶神機アクア・エリシオン(Rv)》を召喚!」

 

 カードから放たれた光が、天空に水瓶座の紋章を描き出す。門から湧き上がる清らかな水とともに、白き巨神がバトルフィールドに降臨した。

 

「白の12宮……」

 

 咲夜が目を細める。私は続けて《メカニポリス》のミラージュをセットすると、迷うことなくターンエンドを宣言した。

 

「スピリット一体を召喚しただけでターンエンド? そんな守りで私の攻撃を防ぎきれると思っているの?」

「試してみればいいんじゃない?」

 

 私が小首を傾げると、咲夜は小さく舌打ちした。低い声でターンの開始を告げ、乱雑にカードをドローした彼女が、リフレッシュステップを宣言したとき、私の《アクア・エリシオン》が動いた。

 

「な、なに……?」

 

 彼が突き立てた二振りの剣を中心に、バトルフィールドが水で満たされていく。乾いた戦場はまたたく間に潤いに包まれ、水面の揺れる美しい湖へと姿を変えた。

 

「《宝瓶神機アクア・エリシオン》の効果。合体していない相手のスピリットすべては、リフレッシュステップで回復出来ないの」

「っ……」

「敬愛する主の御前だ。アクエリアス、そう簡単には敵に頭をあげさせないだろうね」

 

 ジェミニが呟くと、ヴァルゴもそれに首肯した。敬愛する主、なんて呼ばれてむず痒い気分だが、本当に頼もしい限りである。

 攻撃の手を止められた咲夜は、このターンを《闇騎士ラモラック(Rv)》の手札交換とバーストセットのみで終わらせた。とても納得のいく動きでは無かったようで、彼女が奥歯を噛み締める音が、私の耳にまでよく聞こえてきた。

 

「一ターン止まってみて、すこしは冷静になった?」

「馬鹿にしているの? 次のターンこそ仕留めてみせるから覚悟しなさい」

 

 そんなに血走った目で睨まれると、流石に萎縮してしまう。

 だがこれで一つ、ハッキリしたことがあった。

 

「……やっぱり、今の咲夜がマグナと戦うのは危険だわ」

「は?」

「私のターン」

 

 私は手札の一枚をフィールドに送りだす。

 

「《サポートロボ ピック》を召喚。召喚時効果で、私の手札にある白の契約スピリットカード一枚を、1コスト支払って召喚できる!」

 

 瞬間、フィールドに月が満ちた。

 

「蒼白なる月よ、闇を照らす牙となれ! 《月光龍ストライク・ジークヴルム(Rv)》を、レベル1で召喚!」

 

 震撼する大気とともに、月の化身たる気高き龍が降臨する。その後、《ピック》の効果でドローとカウントアップを行った私は、手札から《白魔神》を召喚した。

 

「《白魔神》を《ストライク・ジークヴルム》と《アクア・エリシオン》に合体! さらに《ピック》のコアを使って、《アクア・エリシオン》をレベル2にアップ!」

 

 白の機械兵が両手から光を発し、二体のスピリットにチカラを分け与える。異魔神ブレイヴの合体は通常のものと異なるので、接続という表現が正しいかもしれない。

 

「トリプルシンボルのスピリットが二体⁉」

「アタックステップ! アクエリアス!」

 

 12宮の騎士が、悠然たる足取りでフィールドを征く。すると、彼の動きに合わせるように、《白魔神》は肩部の装甲を展開し、数発のミサイルを発射した。

 

「《白魔神》の追撃で、《闇騎士ラモラック》を手札に戻す!」

「ブロッカーを消してきたわね! ライフで受ける!」

 

 その一撃は、華麗にして苛烈だった。剣の一振りで咲夜のライフを三つも破壊したアクエリアスは、落ち着き払った動きで咲夜に背を向け、私のもとへ帰還しようとする。

 

「待ちなさい!」

 

 咲夜が叫んだ。

 その直後、いつからそこにいたのか、アクエリアスの背後に砂埃が舞ったかと思うと、白銀の甲冑を身にまとった紫黒の騎士が煙のように姿を現し、彼に斬りかかった。

 アクエリアスは振り向きざまに、危なげなくそれを受け止める。私は情けなくも、大粒のつばをゴクリとのみ込んでしまったのだが。

 どうやら、咲夜の伏せていたバーストを踏み抜いてしまったらしい。私はその名を無意識に読み上げた。

 

「《ソーディアス・アーサー(Rv)》……!」

「ちっ……なんで効いてないのよ!」

 

 それは、彼女のキースピリットだった。攻撃を受け止められた彼は、剣を振るうことを止めて数歩後退する。

 

「《ソーディアス・アーサー》のバースト効果は、相手のスピリットからコア3個を奪い取るというもの。アクエリアスじゃなければ、やられていたかもね」

 

 ジェミニが口にすれば、

 

「アクエリアスは12宮の騎士だもの。守ることにかけては最強なんだから!」

 

 ヴァルゴも両の拳を握りしめる。

 

「……『装甲』の効果ってわけね」

「うん。合体している《アクア・エリシオン》は、紫属性の効果を受けないの」

「……そう」

 

 咲夜はその鋭い視線を、今度は《ストライク・ジークヴルム》に向けた。《アーサー》もシンクロしたかのように彼を睨む。しかし、残念ながら《ストライク・ジークヴルム》も、アクエリアス同様に紫属性の『装甲』を持つスピリットだ。

 

「……私のライフが減少したことで、手札の《絶甲氷盾(Rv)》をコストを支払わずに使用できるわ」

 

 動き出さない《アーサー》を見て理解したのか、咲夜は小さなため息とともにカードを提示した。白のマジックカード《絶甲氷盾》は、相手のアタックステップを強制的に終了させる優秀な効果を持っている。

 

「ターンエンド」

 

 私の宣言と同時に、アクエリアスが双剣を重ねて大地に突き立てた。攻撃を終えた今の彼は疲労状態のはずだが、どうやら、主以外に膝をつく気はないらしい。

 

「随分と、立派なナイトを従えたものね」

 

 皮肉っぽい表情で、咲夜が言った。

 

「アナタのなにが良くて、そんなことをしているのかしらね」

「……アクエリアスがそうしてくれているだけよ。私には、彼を従えている自覚なんてないんだもの」

「理解に苦しむわね。カリスマ性なんて微塵もないアナタに、どうして遥か格上の存在である12宮が頭を垂れるのか」

「それは……」

 

 言いかけて、私は口を噤んだ。ここはそうするべきだと思った。

 

「だけど、レミリアお嬢様には命をかけて従うだけのカリスマがあり、力がある」

「……知ってる」

「だったら何故、私の邪魔をするの? 私がマグナと戦うことに、私がお嬢様を取り戻すことに、なんの問題があるというの?」

「危険だからよ」

 

 射るような目で答える。咲夜をまっすぐ見つめて。

 

「今の咲夜は冷静じゃないから、危なっかしくて任せられない。それが全部よ」

 

 咲夜の目が益々鋭くなり、眼輪筋がピクピク痙攣する。発せられる怒気に思わず怯みそうになったが、ここで『マグナの誓いを守るため』などと正直に言えば話がややこしくなるに違いない。それに、私の脳裏には想定しうる最悪のケースも浮かび上がっていた。

 

「……私のターン」

 

 咲夜の静かな怒りを、五感すべてで感じ取る。これでいい。私は僅かに目を瞑った。

 咲夜の怒りは今、私だけに向けられている。

 そしてこれからも、その怒りと絶望は、私だけに向けられればいいのだ。

 

「《ソーディアス・アーサー》をレベル3にアップ。さらに、《竜騎士ソーディアス・ドラグーン》をレベル1で召喚。不足コストは《キャメロット・ナイトX》から確保」

 

 戦場に、竜を象った鎧の騎士が現れる。《アーサー》と似た容貌をしているが、こちらは黒を基調とした、ダークヒーローのような姿が印象的だった。

 

「トラッシュの《キャメロット・クイーン》の効果。私の《ソーディアス・ドラグーン》が召喚されたとき、このこのスピリットを、コストを支払わずに召喚できる。二体の《キャメロット・ポーン》からコストを確保し、レベル2で召喚するわ」

「前のターンに《ラモラック》で破棄したスピリット……。このためだったのね」

 

 ヴァルゴが眉を上げる。

 その後、《キャメロット・クイーン》の効果でデッキから二枚ドローしたのち、咲夜は信頼する《ソーディアス・アーサー》に手のひらを重ねた。

 

「《ソーディアス・アーサー》でアタック!」

 

 紫黒の騎士が大剣を薙ぎ払う。その衝撃は空気の刃となって戦場を駆け抜け、アクエリアスに牙を剥いた。

 

「アタック時効果で、疲労状態の相手のスピリット一体を破壊する!」

「《アクア・エリシオン》の【超装甲】の効果!」

 

 結果は先程と同じだ。空気の刃を全身に受けながらも、アクエリアスはよろめくことすらなく戦場に立ち続けていた。

 

「だけど《ソーディアス・アーサー》のBPは21000よ!」

「なるほど。鈴仙のフィールドで唯一回復している《ストライク》より高いわけだね」

 

 真顔で状況を分析するジェミニ。おそらく分かってのことだろう。私はこれに首肯を返したのち、声をあげた。

 

「《ストライク・ジークヴルム》の効果発揮! 相手のアタックステップで、相手のスピリットが疲労したとき、私のスピリット一体を回復させる!」

「えっ?」

「私が回復させるのは、当然《アクア・エリシオン》よ! 守って!」

 

 突き立てた剣を引き抜き、アクエリアスは堂々たる姿で覇王の前に立ちはだかる。

 彼は一太刀で《アーサー》の剣を上空に弾き飛ばし、流れるような回し蹴りで膝をつかせると、あっという間に首筋に刃を突きつけた。直後、《アーサー》は落下してきた自らの剣に心臓を貫かれ、頭を垂れるような姿勢で爆散してしまう。

 咲夜は青ざめた顔で息を呑んだ。信頼するエースの惨敗を目の当たりにしたのだから無理もないが、抱いていた感情は私も同じだった。

 

 恐怖。……美しすぎることが、逆に恐ろしかった。

 

「圧倒的な美しさは、ときとして恐怖の対象にもなる」

 

 不意に、ジェミニが呟く。

 

「ジェミー?」と声を潜めて問いかけるヴァルゴに、彼は続けた。

「アクエリアスの恐ろしいところだよ。……圧倒的な美しさが、ときとして恐怖の対象になり得ることを、彼は誰よりも知っているんだ。神々の従者として、神々の顔に泥を塗ることを嫌うあまり、彼自身が、誰よりも神様らしくなってしまった」

 

 こめかみを汗が伝った。そんな彼を私が使役していることに、今さら畏れを抱かされる。

 神々に仕える従者が誰よりも神様らしいとは、なんという矛盾だろうか。しかし、そんな矛盾を内包していることがまた、皮肉にも彼を神足らしめているように思えた。

 

「……けど、私にはコイツがいるわ。《ソーディアス・ドラグーン》でアタック!」

 

 黒の竜騎士が曇天へ舞い上がる。同時に、地上では《キャメロット・クイーン》が杖を天高く掲げていた。

 

「《キャメロット・クイーン》の効果発揮! 私のカウントが5以下なら、《竜騎士ソーディアス・ドラグーン》はアタックしたときに【転醒】できる!」

 

 光が収束し、《ソーディアス・ドラグーン》を包み込む。それが弾け飛んだとき、漆黒の竜に跨がる新たな騎士王が姿を現した。

 

「《竜騎士王ソーディアス・ドラグーン・ケーニヒ》! 転醒時効果でこのスピリットは回復し、私のトラッシュから紫の『騎士』一体をノーコストで召喚できる!」

 

 騎士王が槍を掲げると、巨大な盾を携えた聖なる騎士が姿を現した。

 

「《聖杯の闇騎士ギャラハッド》か……。あれも《ラモラック》の手札交換でトラッシュに送っていたカードね。でも!」

 

 私は再び《ストライク》の効果を使い、回復したアクエリアスを《ケーニヒ》に差し向ける。しかし、咲夜が口角を吊り上げたのを見て、早計だったと自覚した。

 

「《ギャラハッド》の効果発揮! 私の『騎士』がブロックされたとき、相手のライフのコア一個をリザーブに置く!」

「うあっ⁉」

 

 前触れもなくライフが砕け、バリンという音の衝撃に目を瞑ってしまう。

 アクエリアスは相変わらずの強さで《ケーニヒ》を圧倒したが、音もなくライフを奪う紫の戦術にまでは、流石に反応できない。

 

「続けて《キャメロット・クイーン》でアタック! 《ギャラハッド》の効果は『キャメロット』にも有効! あとが無くなってきたようね、鈴仙!」

「《ストライク・ジークヴルム》の効果で、《アクア・エリシオン》を回復! さらに、フラッシュタイミング!」

 

 咲夜が目を見開いたときにはすでに、第二の月が戦場を照らしていた。

 

「《メカニポリス》のミラージュ効果で、二体目の《ストライク・ジークヴルム》を手札からノーコスト召喚! そしてこのターン、私のライフはコスト4以上のスピリットのアタックでは減少しなくなる!」

 

 私の背後から二体目の月光龍が飛び立ち、戦場の空を駆け抜ける。その軌跡がカーテンのように《キャメロット・クイーン》を包み込むと、彼女は攻撃の手を止めてしまった。

 

「どうしてっ!」

 

 舌打ちとともに、咲夜はトラッシュを見やる。なにかがあることを確認したかったようだが、残念。そもそも彼女のトラッシュは大して肥えておらず。

 

「……ターンエンド」

 

 苦渋の表情で、そう宣言するしか無かったようだ。

 

 拳を震わせる咲夜を尻目に、私は静かにターンを進行した。

《白魔神》と合体している《ストライク・ジーク》に、《月光神龍ルナテック・ストライクヴルム》を煌臨させ、《キャメロット・クイーン》をデッキの下に戻したり。

 もう一体の、合体していない《ストライク・ジーク》に《騎士王蛇ペンドラゴン》を合体させて《ギャラハッド》を消滅させたりした頃には。

 

「……」

 

 咲夜の顔から生気は消え去り、戦意を失っていることが明白になった。

 私はアクエリアスのカードに手を重ね、首を傾げて問いかける。

 

「咲夜、わかってくれた?」

「……わからない」

 

 咲夜はかぶりを振る。

 

「わからないわ。どうして私じゃダメなの? 私がマグナと戦うことに、お嬢様を救おうとすることに、なんの問題があるの?」

 

 マグナが、レミリアが望んだから。とは言えまい。

 私は、一瞬伏せかけた目を見開く。

 レミリアを救い、マグナを救い、咲夜も救う。彼女がレミリアにあらぬ感情を抱かないようにするために、咲夜の怒りを買ってでもマグナと戦う。そう誓ったのだ。

 

「私のほうが強かった。……それだけのことよ」

 

 アクエリアスが剣を振りかざし、戦場に水しぶきが舞った。

 

 

 

 

「お辛かったでしょう。よく頑張りましたね、優曇華院様」

 

 アクエリアスの慰めの言葉に、私は目を閉じて首を振った。

 夏なのに風が冷たい。上空を覆う鉛色の雲が、太陽の光を遮っているせいだろう。髪を撫でる冷風で頭を充分に冷やしてから、私はようやく口を開いた。

 

「辛いのは咲夜だよ。私はべつに平気だもん」

「だと良いのですが。……自分の辛さに正直でいられる女性も、魅力的だと思いますよ。守って差し上げたくなってしまう」

「……ありがと。でも本当に平気だから」

 

 私は微笑んだ。咲夜の無力感に比べれば、こんなの、なんでもない。

 

 咲夜とのバトルのあと、私たちは意気消沈の彼女を置き去りにして、マグナ探しを再開した。隠れるには持って来いの人里を出ることはしないだろうし、咲夜がいないことさえ分かれば、あちらも自ら私たちの前に姿を現してくれるはずだ。

 

「でも、あれで良かったの? もっと正直に伝えれば良かったんじゃない?」

 

 ヴァルゴが顔をしかめた。

 

「マグナの話、なんで隠したりしたのよ。あれじゃ鈴仙が怒りを買うだけだわ」

「話がややこしくなると思って。それに、咲夜が変な勘違いをするといけないから」

「変な勘違い?」

「レミリアがマグナに『咲夜とは戦わないでほしい』って言ったこと、咲夜はどう受け取るのかなって思ったら、怖くなって」

「どうして? 従者と戦いたくないなんて、いい御主人様じゃない」

「みんながヴァルゴみたいに純粋なら良いんだけどね」

 

 ジェミニが口を挟んできた。流石に彼は理解がはやい。それとなく私に目配せして、話の続きを促してきた。

 

「重要なのは、今の咲夜が冷静さを失ってるってこと。それに、咲夜はレミリアを自分が助けることに執着してる。マグナを倒して、ね。そんな状態で、レミリアが咲夜とマグナの戦いを望んでいないと聞かされたら……」

「……拒絶してるみたいに聞こえる?」

「なんなら、『アナタじゃ勝てない』って言ってるようにすら聞こえるかも」

 

 私の立てた予想に、ヴァルゴは小さなため息を漏らした。地上の民の面倒くささに呆れ返って、ものも言えないのかもしれない。

 

「他人の主従関係に亀裂を走らせないために、自分が犠牲になろうってわけね……」

 

 あ、違う。呆れられているのは私のほうだった。

 なんかもう色々諦めた感じの目でこちらを見つめるヴァルゴに、私は引きつった笑みを浮かべることしか出来なかった。

 

「でも、保険のかけかたは上手だったと思うよ」

 

 そんな私に、ジェミニが助け舟を出す。

 

「どういうこと?」

「すぐに分かるよ、ヴァルゴ。ことが済んで、皆が落ちつきを取り戻した頃、十六夜咲夜もそのことに気がつくだろうさ」

「う、うーん……?」

「簡単な話、鈴仙も咲夜との関係を終わらせるつもりはないってことさ」

 

 だから、キミが心配するようなことは起こらないよ。イマイチ意味が分かっていない様子のヴァルゴに、ジェミニはそう笑いかけた。

 私は、そんな予想もしていなかったジェミニのフォローに若干困惑しつつも、アクエリアスに目線を送る。バトルのお礼がしたかったのだ。

 

「アクエリアス、バトルありがとね。すごく強かったわ」

「勿体ないお言葉で御座います。わたくしはただ、優曇華院様の指示に従っただけ。わたくしを強かったと思うのなら、それは使用者であるアナタ自身が強かったのですよ」

「そ、そんなことはないと思うけど……」

 

 顔が熱くなって、思わず頬を掻いた。褒められることにはやはり耐性がない。

 

「……ときに、優曇華院様」

 

 ふと、アクエリアスが立ち止まったので、私も立ち止まる。ジェミニとヴァルゴは気づいていないようで、ふたりとの距離が離れていくのが分かった。

 

「どうしたの?」

 

 私は眉を上げて問いかけた。ヴァルゴたちとの距離がどんどん離れていく。焦るような距離ではないが、なんとなく、離ればなれになるのは良くなさそうだと感じていた。

 アクエリアスは黙って俯いていたけれど、すぐに顔を上げてこちらに歩み寄ると、急に片方の膝を折って、私に跪いた。どうしたのかと困惑する私に、彼は顔を上げた。

 

「突然申し訳ございません。ふと、まだアナタ様に、忠誠の誓いをしていなかったことを思い出しまして」

「あ、ああ! アクエリアス、騎士だもんね。やっぱりそういうのがあるの?」

「……はい」

 

 緊張して損した。と私は息をついた。

 って言うか私、主とかの器ではないし。そういうのは別にいいのだけれど……。と言いかけたときにはもう、アクエリアスは私の左手を握っていた。なにするつもりだろう?

 あれ、そう言えば忠誠の誓いってなにをするんだろう? 永遠亭の主従はかなりフランクなものだからよく分からないや。まあでもそんな特別なことしないよね。ん? どうして手を顔の高さまで持ち上げるの? その覚悟の決まった目はなに? いやでも違うなんかそれらしい言葉を並べて誓いとする的な感じなんだろうな忠誠は命がけだからそりゃ真剣な目にもなりますよってだけれどああダメ待ってやっぱ緊張して……。

 

「──レオ様には、黙っていて頂けますか?」

 

 次の瞬間、アクエリアスの艶やかな唇が、私の手の甲に触れていた。

 

「ひゅっ」

 

 ……完全に声を失った。なんか顔が熱いのだけれど、なにこれ。唇や頬ではないにせよ、殿方からそういうのを受け取るのは初めてのことだから仕方ないよね?

 こともなげに立ち上がった彼と、自身の手の甲を交互に見回す。えっと、手の甲へのキスってどんな意味があるんだっけ?

 呆然とする私に、アクエリアスは意地悪な笑みを浮かべて見せた。

 

「手の甲への口づけは、尊敬の証でございます。再三申し上げていることですが、優曇華院様の優しき御心を、わたくしは心から尊敬しておりますよ」

「そ、尊敬……」

 

 肩がストンと落ちた。

 安心したような、ガックリ来たような感じだ。だから忠誠の誓いだって言ってるのに、私は一体なにを考えているのだろうか。

 

「おーい、ふたりともなにしてるの? 置いてくわよー」

 

 私たちが付いてきていないことに気が付いたらしく、すこし離れた位置から、ヴァルゴが大きく手を振ってきた。隣にいるジェミニは、早くもなにかを察したような顔で眉を上げている。勘弁してくれ。

 

「ええ、すぐに! ……では参りましょうか。優曇華院様」

「え、あ、ああ。うん」

 

 まだ柔らかい感触の残る手を見つめてから、私はアクエリアスのあとに続いた。彼の言葉通り、これは忠誠の証に過ぎない。と何度も自分に言い聞かせながら。

 

「優曇華院様」

「……なに?」

「手の甲への口づけには、尊敬以外にもいくつかの意味があることをご存知ですか?」

「……そうなの?」

「ええ。……例えば、独占欲とかね」

「どっ……⁉」

 

 変な声が出た。目玉が飛び出そうなほど目を見開く私に、彼はまた、あの意地悪な笑みを浮かべて見せる。いや独占欲て。それはつまりそういうことなのか。

 出てくれない声の代わりに、目で訴える。彼は言った。

 

「お返事は結構。アナタ様は、あのレオ様がお気に召した御方ですからね。わたくしが出しゃばるのは畏れおおい話です」

「じゃ、じゃあ、なんでこんな……」

「譲れないと思うものがあるのなら、それを選んでみろ。なんて、ご立派に説教をしたものですから、わたくしもそうしておかないと面目が立たないかと思いまして」

「あの、あの、つまり、アクエリアスは、その、私のこと……」

 

 頬を真っ赤にして問いかける私に、彼は口元で指を立てた。

 

「ですから、申し上げた通りですよ。〝レオ様にはどうかご内密に〟とね」

 

 

 

 

「……じゃあ、僕も譲ることにするよ」

 

 従者の話を聞いたあと、僕はそう答えた。

 

「よろしいのですか? アナタ様がわたくしを真似る理由はないのですよ」

「いいや、これは必要なことだよ。僕はキミのあとを継ぐものだからね。この世界の誰よりも謙虚で素晴らしい従者であるキミを、生涯をかけてリスペクトし続けるつもりだ」

「……なんということだ」

 

 彼は驚愕した面持ちでかぶりを振った。何事にも動じない彼のこんな顔が見られたのだから、僕の決断も無駄じゃなかったなと確信できた。

 

「本当に、よろしいのですね?」

「ああ、いいとも。これっきりヴァルゴのことは、ジェミニに(・・・・・)譲るよ」

「……美々しい覚悟で御座います。アクエリアス様(・・・・・・・)

 

 およよと涙をぬぐう彼に、僕は「よせやい」と笑いかけた。

 

「なんだよこれくらいで。ホロロ・ギウムって案外涙もろいんだね」

「わたくしは従者でございますので、主上の御心を尊重させて頂きます。ですが、これまで承ってきたお言葉の中で、これほど嬉しいものはなかった」

「そりゃどうも。僕も頑張るからさ……」

「ですが」

 

 突然、彼の口調が強くなったので、僕はピシャリと口を閉じた。

 彼は鋭く真剣な目つきで、言葉を続ける。

 

「わたくしのあとを継いで、13星座の従者となるおつもりでしたら、もっと優雅な立ち振る舞いを心掛けて頂かねばなりませんね」

「うぐっ」

 

 彼の言葉は正拳突きの如く、僕の腹に深々と突き刺さった。確かに、今の僕は優雅さとは縁遠い存在だ。お気に入りのバイカージャケットは基本前開きにしているし、彼に話を聞いてもらっていた今までの時間も、ずっと頬杖をついて過ごしていた。

 狼狽える僕を見て、彼はたまらなく愉快そうに笑う。

 

「冗談で御座いますよ。ただ、なんとなくそれっぽい言葉遣いと、それらしい礼儀作法みたいなのをしておけばいいのです。あとは雰囲気で誤魔化せますよ」

「ぬぬぬ……。もしかして、キミもよく分かってない?」

「もちろん。ただし、これだけは肝に銘じてくださいませ。……相手を不快な気持ちにさせぬこと。それが、優雅というものだと」

「……ふぅむ」

 

 僕が静かに頷くと、彼はニコリと微笑んだ。

 彼の温和な人柄には、僕だけでなく、他の星座神全員が救われてきた。そもそも、絶望的に仲の悪かった僕たちが上手く纏まることが出来たのも、彼がみんなの間に立ち、緩衝材のような役割を果たしてくれたからに他ならない。

 

「ため息など吐いて、どうなさいました」

「……え?」

 

 言われて気がついて、目を見開いた。

 完全に無意識だった。ふと思うことがあって、僕はため息を吐いていたらしい。なんて返事をしたものかとたじろいでいると、彼はわざとらしく「あー」とニヤけた。

 

「ヴァルゴ様を譲ったこと、早速後悔しておりますね?」

「してないよ! これからは従者として、あのふたりの恋路を応援するつもりさ」

「だと良いのですが。……まっ、次に誰かを好きになることがあれば、戦うことを推奨しますよ。正直、どうしても譲れないと思うことがあるなら、その声に従うべきです」

「だーから違うってば! 僕はただ……!」

 

 そこで言葉が途切れる。どうしても、この先が口に出来なかった。僕は顔を伏せて黙り込むばかりだ。

 しばらくの沈黙ののち、彼は静かに口を開いた。

 

「そうですねえ……。わたくしは、大半のスピリットが数年か数十年で生を終える中で、畏れ多くも千年近く、皆様の御側に置いて頂きました。ですので、そろそろお暇せねばと思っているのですよ」

 

 どうやら気付かれたらしい。僕は大粒のツバを飲み込んだ。

 

「……本当に、ピオーズの術を受け取るつもりはないのかい? 寿命を延ばすことが法に触れると思っているなら大丈夫だ。父様のお許しが出ている。母様はまだ渋ってるけど、あの調子なら父様がすぐに言いくるめてくれるだろうし」

 

 そうだ。無限に等しい寿命を持つ僕たちとは違い、彼の寿命は精々千年程度。そこいらのスピリットと比べれば凄まじい長寿だが、僕らに言わせればあまりに短い。

 祈るように問いかける僕に、彼は首を振った。

 

「ええ。もう十分に長生きしましたし、それに……」

 

 彼は遠くを見つめるような目になり、酷く辛そうな表情を見せる。

 

「このまま生きていると、なにか、良くないことをしてしまう気がするのです」

「良くないこと……?」

「ええ。……もしかしたら、既にしているのかもしれませんが」

「なに言ってるんだ。キミがこれまでに、何かミスをしたことがあったかい?」

「一度。躓いたところをデスピアズ様に受け止めて頂きました」

「ただの凡ミスじゃないか!」

 

 そんなことを気にするなんて、どれだけ完璧主義なんだこの従者。呆れ顔の僕を見て、彼はフフフと笑った。

 

「とにかく、そういうことで御座いますよ。寿命がくれば、わたくしはそれを受け入れて生を全うします。このような老いぼれがジタバタと生き長らえるのは、優雅とは言えませんからね。そこんところは譲れません」

「僕より歳下だろ、キミ」

「皆様は肉体が成長しないのですから、わたくしが歳上と言ってもいいのでは?」

 

 しばらくの間、彼は愉快そうに笑っていたが、やがて静かに席を立った。次の仕事があるそうだ。彼の仕事は13星座全員のサポート。その業務内容は多岐にわたる。

 

「後日、紳士としての作法をレクチャーして差し上げますよ。アクエリアス様」

 

 彼はそう言い残して、部屋を出ていった。

 ひとり残された僕は、ハーブティーを喉に流し込んで考える。

 彼の心配する「良くないこと」とは、一体何だったのだろう。剽軽なようで多くを語らない彼の心理には謎が多い。

 

 まあでも、そんなミステリアスなところが魅力的なのだけれど。

 

 僕も席を立つと、彼の部屋をあとにした。あと数年であの部屋の主がいなくなり、僕が憧れたその名を呼ぶものがいなくなるとしても、なにも恐れることはない。

 

「なってみせるよ、ホロロ・ギウム。僕は、キミのような素晴らしい従者になる。たとえキミが心配するようなことが本当に起こったとしても、僕が皆を支えるから」

 

 この想いだけは、未来永劫、絶対誰にも譲らない。

 

 

  続

 




 末尾まで読んでくださりありがとうございます。
 この場を借りてひとつ、皆様に謝罪しなければならないことがあります。
 次回の投稿ですが、私の都合で少々お時間を頂くことになってしまいました。投稿日は年内を目標としておりますが、今のところ未定と言わざるを得ません。
 ただ、必ず投稿しますので、気長にお待ちいただければ幸いです。


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第九話『私が』

 

 

「何度言えばわかるのですか? 鈴仙、アナタの逃げ癖はですね……」

 

 また始まった依姫様のお説教にうんざりしつつ、私は「申し訳ありませんでした」と頭を下げる。私の中に謝罪の気持ちなんて微塵もなく、ただ心の中にあったのは、「私の逃げ癖を把握していながら、月の使者に勧誘したのはそちらだろうに」という、責任転嫁も甚だしい考えだけであった。

 

「とにかく以後、気をつけるように。わかりましたね?」

「はい。本当にすみませんでした」

 

 今日もこうして、口先だけでその場をやり過ごす。月のお姫様は大変優秀な御方に違いないが、お説教があまりに長いのが瑕だ。しかも、檄を飛ばすのではなく、反論の余地もないガチガチの理詰めで攻めてくるから萎えてしまう。

 

「第一、なんで私なのよ……」

 

 長いながい廊下を渡って自室に戻る最中、私は口を尖らせた。

 私が玉兎兵──月の都の防衛部隊『月の使者』にスカウトされたのは、ほんの半年ほど前のことになる。どうやら、私のもつ波長操作の特殊能力に目をつけられたらしい。

 正直、最初は嬉しかった。自分の存在が特別なのだと認められた気がして、餅をついてばかりの退屈な日常から抜け出せるのだと思って。私は、喜んでその申し出を受けた。

 それが思い上がりだったと分からされたのは、入団してすぐのことだった。

 姫様直属の部隊なだけあって、月の使者の玉兎たちは皆精鋭揃い。私の波長を操る能力なんて霞んで見えるほどの才能を持った子が大勢いて、「お前は大して特別な存在ではないのだよ」と言われたような気さえした。

 加えて、リーダーの依姫様。彼女はとにかく厳しくて、理性的で、ひとを見る目のある御方だ。私の逃げ腰な態度とやる気の無さはすぐに看破されてしまい、あっという間に、私はお呼び出しの常連にされてしまった。

 ああくそ、こんなの全部、周りのやつらのせいだ。

 なんて、呪いのようにアタマの中で唱えながら、私は毎日を過ごしていく。かと言って他人のせいにする自分もまた嫌いで、この半年間で、私の自己肯定感は地の底に墜落してしまったように思う。元々自分のことが好きだったかと言われれば怪しいが、少なくとも今は、自分が大嫌いで仕方がない。

 ……ふと、すれ違ったふたりの玉兎が、こんな会話をしているのが耳に入った。

 

「ねえ聞いた? 近いうちに、地上の奴らが攻めてくるかもしれないんだって」

「えー、タダの噂じゃないの?」

「いやいや、これが結構ガチらしいのよ。ここ最近、依姫様のご指導がものすごーく厳しくなったでしょう? あれも、地上との戦争に備えてのことなんだって」

「ふーん。地上のやつらと戦争かぁ……」

 

 自分の手足の先が、小刻みに震えているのが分かった。地上と戦争? どんなヤツらが攻めてくるのかは知らないが、そんなの、貴族でもなんでもない私たちは、使い捨てのコマみたいに前線で戦わされて消耗されるに決まっているじゃないか。

 

 嫌だ。……死にたくない。

 

 私は自室に駆け込むと、慌ただしく荷造りを始めた。

 どうせ私に役割なんて無いんだ。能無しの私がいなくなったところで、月の使者に大きなダメージはないはずだ。その事実は、戦いが始まってからも変わらないはず。

 

「私がここにいる意味なんてない。私に出来ることなんてない!」

 

 自分に言い聞かせるように呟いた私は、その日のうちに月から逃げ出した。

 その行為こそが、私の自己肯定感を殺す、トドメの一撃になったのである。

 

 

 

 

 這々の体で逃げ回っていたマグナと再会したとき、私はなぜか、そんな昔のことを思い出していた。

 彼女は酷くやつれた顔で地べたに這いつくばっていたが、私たちの顔を見るなり、その瞳孔に光を取り戻して立ち上がった。

 

「嬉しいよ。来てくれたんだね」

「……うん」

「じゃあ……してくれるかい? オレと、バトルを」

 

 そのためにここへ来たのだと、私は頷いた。彼女を暴走から解き放ち、レミリアも解放する。咲夜は私を恨むかもしれないが、そこんところも全て受け入れるつもりで来た。

 

「優曇華院様、わたくしめも」

「ううん。……このバトルは、私ひとりでやるわ」

「な、なぜ?」

 

 まさか忠誠の件を引きずっておられるので? とでも言いたげな、不安そうな目を見せた彼に、私はクスっと笑う。

 

「変な意味じゃないから、安心してよ。ただ、今回は私ひとりでやりたいの」

「ですが……」

「やらせて。……お願い」

 

 極めて真剣な目で、そう訴える。

 マグナは、私に殺されることを望んだ。敵ではあるが、彼女は私に「キミにしか出来ないお願いだ」と言った。……マコーを終わらせた私を、信じているのだろう。

 ならばこそ、私はその気持ちに応えたい。

 

「……承りました」

 

 私の覚悟が伝わったのか、アクエリアスはしばらく考える素振りを見せたあと、いつもの優雅な礼を見せた。

 

「鈴仙、本当に大丈夫?」

 

 ヴァルゴも強張った視線を私に向ける。僅かでも隙を見せれば彼女の心配性は止まらなくなるので、私は堂々と笑って「ありがとう、大丈夫だよ」と回答した。その様子を見ていたジェミニが肩をすくめたので、ギロリと睨みつけておいた。

 

「オーディア。これなら本当に大丈夫そうだね、ヴァルゴ」

「……うん」

 

 ふたりの会話を背に、私は一歩、前に出る。マグナも私の正面に立つ。

 ふと、思うところがあって、私はポケットに手を突っ込んだ。そこから一枚のカードを取り出し、私は〝ソイツ〟に呼びかける。

 

「……マコー」

 

 消滅の直前に託された、彼の真っ黒な魂。この一戦は、一応彼への弔いにもなるのかもしれない。そう思うと、私はコイツをデッキに忍ばせずにはいられなかったのだ。

 

「準備はいいかい?」

「うん。……始めましょう」

 

 開戦を告げる言葉を、私たちは静かに発した。

 

 

 

 

 邪神域に立ったマグナは、もはや暴走を抑える必要はないと踏んだのか、あるいは「本気で来ないとお嬢ちゃんが死ぬぜ?」というアピールなのか、はたまた限界を迎えただけなのか、必死に抑え込んでいた暴走を解き放ち、あの好戦的な態度を見せてきた。

 

第一ターンを《機巧城》の配置のみで終わらせた私に対して、マグナは第二ターンから《ナイト・ブレイドラ》、《パイオニア 吸血鬼アンジィ》、《相棒武者オボロ》を召喚。手札を増やしつつ、バーストセットして一斉攻撃を仕掛けてきた。

 一ターン目から、こちらのライフを二つにまで減らしてくる。という点で咲夜と共通しているわけだが、マグナの場合そこに、攻撃し終えた《アンジィ》を《オボロ》の効果で破壊して手札を増やす、という一手間が加わっている。同じ紫の速攻デッキでも、やはりプレイングは微妙に異なっているらしい。

 

 次のターンからは、私も負けじと攻撃を仕掛けて行く。中心になるのは、《天王神獣スレイ・ウラノス(Rv)》や《月光龍ストライク・ジークヴルム(Rv)》、赤属性の異魔神ブレイヴ《真・炎魔神》だ。攻防を兼ねた陣形だったが、『魔影』を中心とした、マグナのテクニカルかつ攻撃的な戦術を前に、中々勝機を手繰り寄せられない。

 気がつけば、すでに第六ターン。私のフィールドには、レベル2の《月光神龍ルナテック・ストライクヴルム(Rv)》と、彼に合体している《真・炎魔神》、そしてネクサス《機巧城》が存在している。バーストエリアには《メカニポリス》のミラージュと一枚のバーストカード。手札二枚に対して、コアは九つ。カウントは未だ二止まり。そして、残りのライフも二つである。

 

 対するマグナのフィールドには、レベル1の《相棒武者オボロ》が存在するのみ。前のターンまでは《飛電の竜騎士長ジャンヴァルジャン》の転醒時効果で召喚された《ソーディアス・ドラグーン(ドラゴニック・アーサー)》とか《スグライヴァー》とかにフィールドを埋め尽くされていたが、《ルナテック》と《真・炎魔神》がなんとかやってくれた。

 バースト等はないが、手札は六枚もあり、コアも九つ。ライフ三でカウントも四。まだまだ油断は禁物だ。

 現状を見てか、ジェミニが顎をいじる。

 

「鈴仙のプレイングがおぼつかないね」

「そう?」と私が口にする前に、ヴァルゴが同じことを言った。

 

 ジェミニは続ける。

 

「なんとなくだよ。攻めっ気がないと言うか、迷ってる感じがある。スピリットの除去は入念にしているけど、ライフを打つことには積極的じゃないみたいだ」

「迷ってる……ってことは、やっぱり鈴仙は、マグナを殺すことを躊躇っているの?」

「多分ね」

 

 唇を噛むほか無かった。ヴァルゴたちの視線に、酷い喉の乾きを覚える。

 自分なりに覚悟を決めていたつもりだったが、いざ、目の前にいるひとを殺すのだと意識すると、どうしても手が伸ばせない。私は医者。本来はひとの命を救うべき存在だ。

 こんな私の甘ったれた思考に、マグナは唇を震わせていた。

 

「おいおい、ふざけないでくれよ。キミに出来ないと言うなら、オレは他の誰に、こんなオツムの逝ってるお願い事をすればいいって言うんだ?」

「それは……大丈夫。私が、やってあげるから」

「だといいけどね」

 

 鼻先で笑った彼女は、これ以上は話すだけ無駄とでも言いたげに、ターンを進行した。

 

「《獄土の騎士レフティス》を召喚。召喚時効果で一枚ドロー。……そして」

 

 彼女の背からどす黒い覇気が放出され、私は本能的に身構えた。

 やばい。……なにか来る!

 

「《獄土の騎士レフティス》の効果、スピリットソウル発揮! オレがアルティメットを召喚するとき、このスピリットに紫のシンボル一つを追加する!」

「アルティメット……!」

 

 彼女は、一枚のカードを鋭く大地に突き立てた。

 

「降臨せよ! 最初ノ闇、狂喜の大地! 《獄土の四魔卿マグナ・マイザー》を、レベル3で召喚! 不足コストは《レフティス》から確保だ!」

 

 大地が裂け、底の見えない地下深くから、大量の闇が湧き上がってくる。深淵からその姿を見せたのは、禍々しくも凛々しい甲冑に身を包んだ、人馬一体の騎神だった。

 

「ついに現れましたね」

 

 アクエリアスが拳を固く握りしめる。外野にいても伝わってくる絶対的な威圧感と恐怖は、私自身も《イル・イマージョ》のときに経験済みだ。

 そしてソレは、真正面から対峙したとき、最大限に高まる。許されるなら今すぐ山札に手を置いて、サレンダーしてしまいたい。レイセンはこんなのを相手に冷静さを保ち続けていたのか? 心臓どうなってるんだあの子。ヤバすぎだろ。

 ひとり脳内でレイセンへの驚嘆を述べる私に、マグナは容赦なく、指で象った銃口を突きつける。

 

「アタックステップ! 《獄土の四魔卿マグナ・マイザー》でアタック! トリプルアルティメットトリガー、ロックオン!」

 

 私のデッキから、三枚のカードがはじき出された。

 

「弾いたカードのコストが、この《マグナ・マイザー》よりも低ければヒット。効果を発動できる。さあ、コストはなにかな?」

「……コスト1の《イグア・バギー(Rv)》と、コスト5の《砲凰竜フェニック・キャノン(Rv)》、そして、コスト9の《秩序龍機νジークフリード》!」

「む……? これはあまり喜べないな。ダブルヒットか……」

 

 途端に肩を落とした彼女は、折れ曲がった指先から粗雑な感じで光弾を発射する。

 

「まあいいや。ダブルヒットの効果で、キミの《ルナテック・ストライクヴルム》からコア4個をトラッシュに置き、相手のライフを一つ破壊する!」

「うあっ……!」

 

 バリアの砕け散る衝撃が、心の臓まで伝わっってくる。思わず閉じた目を開けてみればキースピリットは消滅しているしで散々だが、今は苦心している場合じゃない。

 

「自分のライフ減少により、バースト発動! 《クリアウォール》のバースト効果でカウントを二つ増やして、私のライフをひとつ回復する!」

「それがどうしたんだい? オレのアタックはまだまだこれから! キミのライフを削り切るには十分過ぎるんだぜ」

「まだよ! 私のライフが減少したことで、手札の《ディメンションシフト》が効果を発揮できる! その効果で、アナタの《相棒武者オボロ》を手札に戻すわ!」

「ッ……!」

「《マグナ・マイザー》の攻撃はライフで受ける!」

 

 巨大な槍の一撃が、私のライフを重々しく貫く。だが、これで戦闘不能になったわけではない。ライフは一つ残っているのだ。

 未だ戦場に立ち続ける私に、マグナは瞳を大きく広げた。狂喜するように釣り上がった広角。ただ、その呼吸はひどく乱れているようにも見える。

 

「まだやれるんだね。嬉しいよ! ターンエンド!」

「な、なんとか防いだわね……」

 

 ヴァルゴが大きく息を吐きだすと、アクエリアスもこれに首肯した。

 

「ですが、ここからが正念場でございます。なにせ優曇華院様のライフは残り一つ。次に《マグナ・マイザー》のアルティメットトリガーがダブルヒット以上してしまえば、その時点で敗北は免れません」

「手札も残り少ないわ。どうするの? 鈴仙……」

 

 追い詰められたと断言できる展開に、カードを繰る私の動作もぎこちなくなる。

 次のターン、私は《サポートロボ ピック》の効果で魂状態の《ストライク・ジークヴルム》を召喚し、ドローとカウントアップを行う。ありったけのコアを二体のスピリットに乗せ、《真・炎魔神》を《ストライク・ジーク》に合体。バーストもセットした。

 

「アタックステップ! 《ストライク・ジークヴルム》でアタック! 《真・炎魔神》の追撃で、BP20000以下の相手のアルティメット、つまり《獄土の四魔卿マグナ・マイザー》を破壊するわ!」

 

 逆巻く炎の魔神が、その拳を超高速で回転させ、発射する。炎の鉄拳に貫かれた《マグナ・マイザー》はたちまち爆散するが、私はどうしても喜ぶことが出来なかった。

 なにせ相手は、蘇生効果に長けた紫属性。一度破壊したところで、またすぐに復活してしまうのではないかと思ったのだ。

 

「やるね! オレはライフで受ける!」

 

 月光龍が電撃を放ち、マグナのライフが二つ破壊される。そのタイミングで。

 

「ただし、このライフ減少はコイツのトリガーになる」

 

 と、マグナが一枚のカードを提示してきた。

 

「《キャバルリースラッシュ》の【覇導】の効果は、相手によって自分のライフが減ったとき、コストを支払わずに発揮できる。キミの《サポートロボ ピック》のコア3個をリザーブに置かせてもらうよ」

「っ……」

 

 軽率だったと後悔する。キースピリットを守ることに必死で、余ったコアのうち、実に7つものソレを、私は《ストライク・ジーク》に割いていた。その結果、《ピック》にはコアがたったの3個しか置かれていなかったのだ。

 マグナは続ける。

 

「それだけじゃない。この効果でスピリットを消滅させたとき、このマジックカードはスピリットカードに【転醒】することが出来る!」

「えっ⁉」

 

 マグナが宙に放り投げたソレに闇が纏わりつき、白銀の甲冑を身に着けた騎士となって戦場に降臨する。その姿は、咲夜の使う《騎士の覇王》に大変酷似していた。

 

「コイツが《ソーディアス・アーサー・オリジン》だ。転醒時効果で、トラッシュからコスト7以下かつ紫一色のスピリットカード一枚を、ノーコストで召喚できる! さあ出てきなよ! 《竜騎士皇アヴァルケイン》!」

 

 掲げられた聖剣のもとに、新たな竜騎士が姿を現す。抜かり無いことに、ソレは随分とターン、マグナが《アンジィ》の効果でトラッシュに送っていたスピリットだった。

 自分のライフ減少をトリガーにする戦術。条件自体は私と同じなのに、どうしてここまで差が出てしまうのだろう。

 

「……ターンエンド」ああ、彼女のライフは残りひとつなのに。

「じゃあ、オレのターンだね」

 

 歪な笑みでターンを進行するマグナは、メインステップをスピリットのレベルアップのみに費やした。ギラつく瞳で私を見据え、喜々とした表情で舌を舐めずると、彼女の唇は不気味なほど真っ赤に染まった。

 

「アタックステップ! 《ソーディアス・アーサー・オリジン》でアタック!」

 

 白銀の騎士が、怒涛の勢いで戦場を駆け出した。

 

「アタック時効果で、疲労状態の相手のスピリット一体を破壊!」

「《ストライク・ジークヴルム》は、契約装甲の効果で紫の効果を受けません!」

「知っているとも! だから、《ソーディアス・オリジン》の第二の効果! 自分のカウントが3以上あるとき、相手のライフのコア一個をボイドに置ける!」

「っ?」

 

《ソーディアス・オリジン》が剣を一振りすれば、衝撃波が刃のごとく私に迫った。

 私の目はまばたきすることを忘れ、その刃を甘んじて全身で受け止める。一つしか無いライフが音をたてて崩れ始め、震撼する大気に膝をつかされる。

 

 あ、ヤバ──。

 

「鈴仙!」

 

 ヴァルゴの、悲鳴にも近い叫び声が聞こえた。次の瞬間、私を捉えていた紫の刃はバリバリと音をたてて凍りつき、宝石にも見える結晶を撒き散らして霧散していく。

 

「ん……?」

 

 マグナが大きく首を傾げる。フラフラ立ち上がる私を、おかしいな、どうして生きているんだろう。とでも言いたげなその顔で見つめている。

 そんな彼女に、私は一枚のカードを提示した。

 

「《白晶防壁(Rv)》の効果……! 相手の効果で自分のライフが減るとき、手札からこのカードを破棄することで、減少するライフの数を一つ、減らすことが出来る!」

「へえ……。そういえばあったね、そんな効果。だけどこのアタックは──」

「相手スピリットのアタックにより、バースト発動!」

 

 私は乱雑にテーブルを叩いた。

 

「《煌星銃ヴルムシューター》のバースト効果で、デッキから一枚ドローする!」

 

 そのカードを手札に迎えた瞬間、私は思わず口を開いていて。

 

「え……?」

 

 しかしそれ以上は、なにも言葉に出来ない。

 真っ黒な、魂の欠片だった。彼への弔いを兼ねたこのバトルで、お守りのつもりで入れていただけのそれが、なんの気まぐれなのか、ここにある。

 

「ここで手札を増やしてきたか……。けど、フラッシュタイミング! 《邪神再臨》を使用して、トラッシュから《獄土の四魔卿マグナ・マイザー》をノーコスト召喚!」

 

 ハッとなって顔を上げる。再び大地が裂け、深淵から純黒の騎士が這い上がっている。防御に使える札を切ってしまった今、アイツのアタックを許したら終わりだ。

 

 どうして、いまなの。アナタがここへ来たことに、なにか理由があるの?

 

 ここにいないヤツに問いかけをする辺り、どうやら私は、自身の敗北を本気で悟ったらしかった。

 

 ……そんなときだ。

 

『やはり、どうしようもなく愚かな御方なんですね』

「……?」

 

 錯覚を覚えた。周囲が真っ暗になって、私の眼の前にアイツがいる感覚。

 

「マコー……?」

 

 視界のど真ん中でぼやつく影に問いかけると、彼は口角をニンマリ歪めた気がした。

 

『相変わらず、命を守ることでしかひとを救えないと思っている辺りが、大変度し難い』

「は……?」

『アナタがマグナ様に託された願いは、彼女を終わらせることのはず。望まぬ暴走を繰り返し、不本意にひとを傷つけ続ける彼女が切望する、一番の救済。……そのことに、アナタはいつ気がつくのですか』

「……それは」

『自分がやると言ったはずです』

 

 アイツの声が、これまでにない真摯な鋭さを帯びた気がした。

 

『彼女を終わらせる。……そのために必要な〝闇の心〟を、なぜアナタは未だに持っていないのですか』

「闇の、心……」

 

 口に出すのも躊躇われる、そんな言葉に思えた。それを受け入れてしまったら最後、なにもかも変わってしまいそうな気がする。

 マコーは続ける。

 

『本心を言えば──私は、アナタにはそうなって欲しくなかった。アナタは私にすら手を差し伸べたほどの愚か者であり、私が初めて見た、光だから』

「……マコー? なにを言って」

『で・す・が!』

 

 唐突に声を張り上げられて、私の背筋はシャンと伸びる。なんなん? ホントに。

 

『……コホン。さっき言った通り、アナタは自分で宣言してしまったのです。自分がやるのだと、自分が彼女を解放するのだと』

「……うん」

『ならばその時点で、私に選択を歪ませる権限はない。アナタにも、逃げる選択肢はないはずなのです』

「……わかってる」

『ならば何故うつむくのです』

「……これは現実の問題なの」

 

 私はマコーに、今の手札を見せつける。

 

「迷ってるうちに、こんなに追い詰められちゃって……。もう、手札にいるのはアナタだけなの。マグナの攻撃を防ぐ手段がないんだもん」

『ふーむ。言い訳とはいい度胸ですね』

「はあ?」

 

 胸の前で腕組する彼に、私は目を見開いた。

 

「いや、言い訳ってなに? 大体、この状況でくるアナタにも問題があると思うけど!」

『あー、あー。見苦しいみぐるしい。女の言い訳は本当に見苦しい』

「はなし聞いてんのかコラ!」

『聞いてますよ』

 

 ズイズイ近寄る私を、彼は、その冷たい人差し指で静止させた。

 

『つまり、私がこの状況を、何とかすればいいのでしょう?』

「……え?」

 

 また、目を開かされる。今なんと言った?

 口をポカンと開けたままの私に、彼は深めのため息をついた。

 

『私の本来の名前は《龍魔侯オーバーヴェルム》。ですが、アナタが手にしているソレは、私の魂のほんのひと欠片に過ぎず、今はまだ白紙の状態にあります』

「真っ黒だけど……」

『あー、おホン、おホン。……とにかく、ソレには無限の可能性があります。アナタが望むのであれば、私は邪龍にも聖龍にもなってみせる。……言い訳はさせません。アナタが本当に、マグナを終わらせたいと願うのなら、私はそのための牙になりましょう』

「……私が」

 

 私は、そのカードをしばらく見つめていた。真っ黒なくせに白紙の一枚。私が勝ちたいと願えば叶えてくれるという、言い訳を許さない嘘みたいな切り札。

 そして残酷にも、その願いが叶うとき、目の前にいるひとが終わりを迎えるのだ。

 

 だけど。

 

「……私が立ち止まってたから、一緒に歩いてくれるために来たって、初めから言ってくれればいいのに」

『……そう言えば、アナタは前に進めるのですね?』

 

 顔を上げて、マコーを真っ直ぐ見つめる。薄ぼんやりとしか分からなかった彼の表情が晴れて見えたとき、初めて、彼が微笑んでいることを知った。

 濁りのない、優しい笑みだと思った。

 

「うん。……一緒に来てくれる?」

『ええ。──罪を犯すことには、慣れてますから』

 

 だからどうか、彼女を救ってくださいませ。

 その言葉を最後に、私は錯覚から目を覚ます。視界を覆っていた闇が晴れたとき、私の手札には一枚の〝スピリットカード〟があった。

 顔を上げれば、マグナの《ソーディアス・オリジン》が目の前まで迫っていた。

 息遣い荒く、マグナが叫ぶ。

 

「さあ、どうする! 次に《マグナ・マイザー》のアタックを許したら、キミは今度こそ終わってしまうんだぜ!」

「鈴仙、なにかカードを!」

 

 ヴァルゴの祈るような声に、手札の彼も淡い光をもって同調した。

 使え。……そう言っているんだと分かった。

 

「うん。……一緒に行こう、マコー」

 

 そよ風にすらかき消されてしまいそうな声で、私は囁いた。

 そして、そのカードを天に掲げる。

 

「フラッシュタイミング! 契約煌臨!」

「契約煌臨……? だけど、《ルナテック》の煌臨は自分のターンだけのはず……」

「そうよ! でもこれは、私の新しい仲間だから──!」

 

 そのとき、邪神域に闇が充満した。地上の砂粒ひとつから、空に浮かぶ雲も切れっ端に至るまでのすべてが覆い隠される。

 その暗闇の奥底から、一体の光が羽ばたいた。

 

「聖と邪をその両翼に宿し、闇を蝕む龍魔侯! 《超月光神龍ストライクヴルム・エクリプト》を、《月光龍ストライク・ジークヴルム》に煌臨!」

 

 白銀の機械龍が闇へ飛び立ち、暗黒の彼方から舞い降りた光と交差する。真っ黒な帆布に白い絵具が染み込むように、闇が光に蝕まれていく。

 次の瞬間、目を開けていられないほどの閃光が走ったかと思うと、ソイツが邪神域の上空から私たちを見下ろしていた。

《ルナテック・ストライクヴルム》に酷似した、神々しい白銀の龍。しかし、その鋭利な六枚の翼は、この世界のなによりもドス黒い輝きを放っていた。

 

「──マコー……?」

 

 天を仰いだままの姿勢で、ヴァルゴが声を震わせる。

「いやしかし」「アメイジング」と、残るふたりも静かに頭を振る。姿かたちは変わっていても、やはりかつての怨敵。その気配を感じ取れないなんてことは無かったらしい。

 私は天高く、彼に向けて手を伸ばした。

 

「《蝕むもの(エクリプト)》……。アナタの新しい名前、気に入ってくれるかな」

「冗談だろ? 龍魔侯の執念か……? 魂レベルで消滅させたはずなのに、なんで」

 

 小刻みに体を振るわせ、浅い呼吸を繰り返す彼女に、私は向き直った。

 

「《エクリプト》の煌臨時効果! 相手のスピリット・アルティメットすべてをデッキの下に戻す!」

「ッ⁉」

 

 私は右手で銃を象り、マグナに突きつける。その動きに合わせて、エクリプトがビームランチャーと思われる武器を構えた。六枚の翼が変形し、彼の背で円環を成していく。

 円環が、光を蓄え始める。邪神域の荒んだ景観が闇に染まり、周囲から奪った光エネルギーを充分に蓄えた彼だけが、遥か大空の彼方で、満月のように美しく輝いていた。

 

「──撃って!」

 

 私が指先をバンッと弾いた瞬間、マグナのフィールドに、想像を絶する量の光が降り注いだ。大地を抉ることなく、ただ静かに、ただ眩く。

 光が霧散し、邪神域がもとの埃っぽい景観を取り戻したとき、そこに《ソーディアス・アーサー・オリジン》や《マグナ・マイザー》の姿は無かった。

 

 光が、闇を蝕んだ。

 

「四魔卿を……こんなに呆気なく……」

 

 ポカンと口を開けるジェミニは、その圧倒的な能力を前に、持ち前の冷静さを若干欠いているように見えた。反対にマグナは、困惑と興奮の入り交じる目を輝かせ、鼻息荒く言葉を吐き出した。

 

「だけど、一掃とはいかなかったようだね! オレの《アヴァルケイン》は、自身の効果で相手のスピリットの効果を受けない!」

「《エクリプト》の効果は、まだ終わってないわ」

「え……」

 

 エクリプトがその翼を羽ばたかせ、ゆっくりと、私の後ろに舞い降りる。彼は放出した光の僅かな残りを、私に向けて静かに吐き出した。

 

「《エクリプト》の煌臨時効果には続きがあるの。相手のフィールドに残っているスピリットとアルティメット一体につき一個、私のライフを回復できる」

「おお……! ターン……エンドだ……!」

 

 吊り上げた口角をワナワナと震わせ、マグナはターンを終了する。

 

 回ってきた。

 

「私のターン!」

 

 もはや自分に出来ることは少ない。私はメインステップをなにもせずに終えると、エクリプトのカードに手を重ねた。

 

「《エクリプト》でアタック!」

「《アヴァルケイン》でブロックだ!」

 

 空を駆ける大罪龍の前に、気高き竜騎士が立ちはだかる。だが、エクリプトの容赦ない砲撃の嵐に、彼は成すすべなく爆発四散した。

 巻き上がる黒煙の中から、エクリプトがその銃口をマグナに突きつける。

 

「《エクリプト》のアタック時効果。ターンに一回、バトル終了時に自分のスピリット一体を回復させ、さらに、相手のライフのコア一個をリザーブに置ける」

「……《エクリプト》が出た時点で、キミの勝ちは決まっていたってことか」

 

 わからないけど。そんなふうに黙って首肯する私に、マグナは喜び溢れんばかりの笑顔を浮かべた。今は、暴走を抑えているのだろうか。その表情は胸が締め付けられるほどに穏やかで、優しくて。瞳孔の奥が、ひどく、熱を帯びてしまった。

 

「……ごめんなさい」

「謝らないでおくれよ。オレが頼んだことなんだから」

 

 エクリプトも、本当によくやってくれた。ありがとう。そしてごめん。

 彼女はそう言って両腕を大きく広げると、まるで我が子を抱きしめるときの、「おいで」の言葉のように、愛情あふれるその一言を放った。

 

「ライフで受ける」

 

 

 

 

「ありがとう、鈴仙。おかげでやっと終われる」

 

 バトルを終え、息も絶えだえに膝をつくマグナは、私にそう笑いかけた。そのままにしておけばいつ倒れてしまうかも分からない彼女を、私は慌てて支える。

 

「……ごめん。随分と、気を使わせてしまったね」

 

 私の顔を覗き込んで、落ちくぼんだ顔で言う。違う。かつての仲間たちを傷つけたくなくて、ずっと死を望み続けていた彼女こそが、誰よりも周りに気を使っていたはずだ。

 なにも言えず、ただ首を左右に振り続ける私に、彼女は力なく微笑みかえす。

 

「キミにお願いして、本当によかった。キミにしか出来ないことだと思ったんだ。オレを殺して、この苦しみから解放してくれるのは、キミだって。キミがマコーを倒したときに確信したんだ」

 

 そんなことない。そう言おうとして、だけど、言葉に詰まった。

 レミリアを包んでいる黒いモヤが、ブチブチと音をたてて崩れていく。

 不意に、誰かが私たちの名前を呼んだ。

 

「鈴仙! マグナ!」

 

 顔を上げれば、裏路地にかけてくる霊夢の姿があった。魔理沙と、リブラと、それに咲夜も一緒だ。どうしてか、咲夜は霊夢に手首をガッチリ掴まれていて、半ば引きずられるような形で歩かされていた。

 

「霊夢……」

「アナタが咲夜の代わりにマグナを倒しに行ったって聞いて、心配したんだから」

「え。ご、ごめん……」

 

 なんかヴァルゴみたいなこと言うなことひと。

 私に抱き抱えられ、崩れ落ちる寸前のマグナを見て、霊夢は続ける。

 

「でも、良かった。啖呵切っただけあって、ちゃんと倒したのね」

「……うん」

 

 煮えきらない反応しか出来ない私になにかを感じたのか、霊夢は眉を上げたまま黙りこくった。それから、マグナが震える声を発するまで、しばらく沈黙が続いた。

 

「……咲夜」

 

 今にも事切れそうな、掠れた呼びかけだった。

 

「……なに」

 

 咲夜がそっぽを向いて返す。なんて素っ気ない返事だろう。それでも私は、真実を伝えることが出来ずにいた。

 そんな彼女に、マグナは続ける。言葉を選ぶように、慎重に、一言ひとこと。

 

「ごめん、ね。キミと、戦えなくて。オレ、どうしても、キミとだけは」

「……知ってるから、言わなくていいわ」

「え?」

 

 声をあげたのは、私だった。マグナも、私の腕のなかで目を丸くしている。

 

「咲夜? らしいわねって、どうして……?」

「……リブラが気づいたのよ。鈴仙の能力が『波長を操る』ことなら、私を無理やり落ち着かせることくらい、いくらでも出来たはずだって。でも、アナタはそれをしなかった。それは何故なのか。なにかのっぴきならない理由があるはずだって」

「……」

「そしたら、マグナの昔話を聞かされて、それで多分、お嬢様と騎士の誓いを交わしたんじゃないかって、それで……」

「……ああ」

 

 合点がいった。ジェミニが言っていた「保険」とは、このことだったのだ。結果的には彼の勘違い(むしろ私の凡ミス)だったわけだが。それにしても、私の能力名ひとつからそこまで推測してみせるリブラも中々の知恵者である。そしてその結果、私が過去のマグナを知ったように、咲夜たちもまた、かつてのマグナを知るに至った。

 咲夜は、うつむき加減にボソリと呟く。

 

「ごめんなさい」

「……え?」

「その、お嬢様のことで、頭がいっぱいで。アナタなりに色々考えてくれてたのに、全部否定するようなこと言っちゃって」

「そんな。私のほうこそ、もっと正直に伝えておくべきだったのよ」

 

 私の謝罪を受けとるつもりはないらしく、咲夜は静かに頭を振る。こういうところは相変わらず強情なのだ。でも、それが彼女の強さでもある。

 咲夜は次に、膝をついてマグナと目線を合わせた。

 

「マグナも、ごめんなさい。お嬢様との約束を必死に守ろうとしていたなんて、思いもしなかったわ」

「……レミリアは、素晴らしい、従者に、恵まれたね」

 

 マグナは小さく首を振ったあと、閉じかけの瞳で私に手を差し出した。

 

「これ……、キミに。イルも、マコーも、なにか遺しただろ? だから、オレも」

「……これは」

 

 彼女の手にあったのは、白く輝く《未の十二神皇》のカードだ。

 

「……いいの?」

「これから、キミは……ヴァンと戦うことになる、はずだ。そのとき、きっとこいつが必要になる……」

 

 水面のように光を反射する瞳。振り絞るように、彼女は震える声を発した。

 

「ヴァンと、ブラムを、殺して。そうすれば、きっと……」

 

 

 

 

 マグナを看取ったあと、私たちは、ある人物を探していた。

 月に仇なす仙霊、純狐。今回の異変にも深く関与していて、一応、幻想郷側の勢力という扱いで会議にも出席していたひとだ。

 それは、霊夢たちと互いの持ちうる情報を交換していたときのこと。行方不明になったレオを探しているという話をしていたとき、リブラがふと呟いた。

 

「……霧の湖に痕跡ひとつ無かったと言うのは、かなり奇妙だ」

「どういうこと?」

 

 ヴァルゴが反応した。ジェミニも興味深げに首をひねっている。

 

「考えてみてほしい。オレたち12宮の中で最強を誇るレオと、同じく四魔卿で最強を誇るヴァンディール。ふたりが激突したあとに、痕跡一つないのは奇妙でしかない」

「……たしかに」

 

 これは不注意だったな。顎を撫でるジェミニに、リブラは真顔で続ける。

 

「オレが思うに、誰か、意図的に痕跡を消して回ったヤツがいる。だが、それはレオでもヴァンディールでもない。イルの証言では、ヴァンディールは満身創痍と言って差し支えない状態だったらしいな。だが、彼をそこまで追い詰めるのに、レオが十分な体力を残せていたとは考えにくいし、なにより、アイツはそこまで小回りが利く男ではない」

「じゃあ、誰なんだよ?」

 

 魔理沙が、頭の後ろで手を組んで問いかけた。リブラは12宮たちを順番に見回す。

 

「ひとりいる。オレたち12宮の中に、負傷したレオを抱えつつヴァンディールから逃げきり、さらに、他の連中に追跡されぬよう一切の痕跡を消して回れるだけの速さを持った剣士が」

「キャンサーか……!」

 

 ジェミニは拳で平手をうった。リブラもこれに首肯する。

 

「だが、流石にキャンサーひとりですべてをやったとは考えづらい。誰か、アイツに協力した者がいれば、あるいは……」

「……いるわね。ひとり、キャンサーと一緒にいそうなひとが」

 

 私が呟き、魔理沙も「ああ」とうなずく。

 

「華扇だな。アイツはキャンサーを探しに行くと言っていたぜ」

「……話が繋がってきたわね」

 

 私は霊夢を見やった。

 

「霊夢、茨木華扇の仙界はどこにあるか知ってる?」

「……なるほど。確かにあそこなら、誰からも干渉されずに傷を癒せる」

 

 だけど。と霊夢は首を左右に振った。

 

「ごめんなさい。私も行ったことはあるんだけど、どうやって行ったかまでは覚えていないのよ。華扇に無理やり引きずられる形だったから」

「そう……」

「でも、知ってそうなヤツはいる」

「えっ!」と目を見開いた私に、霊夢は人差し指を立てて言った。

「小野塚小町みたいに、華扇の仙界をしょっちゅう出入りしてるヤツはいるわ。それに、これは私の予想だけど、自分の仙界を持っているヤツなら、華扇の仙界を見つけることくらい簡単にできるかも」

「自分の仙界を持ってるやつ……?」

「ええ。例えば、純狐とか……」

「あのひとか!」

 

 あの入院中に脱走する常習犯か! 興奮して霊夢を指差す私に、彼女は「それは知らないけど」と困惑気味に笑ってみせた。

 

「彼女はたしか、ブラムが隠れられそうな場所として、妖怪の山を探ってみるって言っていたわ。ヘカーティアとタウラスも一緒にいるはず」

「うん。……うん! わかった! 探してみる!」

 

 だからこうして、私たちは妖怪の山へ向けて歩を進めているわけである。

 

 レオを見つけ出せる。ようやく掴んだ、その希望を抱いて。



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