ヒロイン兼黒幕少女の暗躍 (PSコン)
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第1話「プロローグ」

暗躍して主人公を操る系の悪玉ヒロインもっと増えろ。


 全身麻酔から目覚めたら、胎児になっていた。

 

 麻酔は初めてだったし、こういう夢とか、幻でも見ているのかなと最初は思ったけど、生まれて1年も経てば、そうではないことに嫌でも気がつかされた。

 

 転生という言葉が脳裏をよぎる。

 私は腎臓移植の提供側だったのだけれど、手術失敗で死亡とか、そんなことってあるだろうか。前世そんなに悪いことしてないぞ。

 

 それに、提供された側がどうなったのかも問題だ。というかそっちの方が遥かに気になる。そっちも駄目だったら死んでも死にきれないぞ。

 

(何とか確かめないと)

 

 そうして私はベビーベッドで決意を固めたのだった。

 

 それから4年間。藁にも縋る思いだった私だけれど、不幸中の幸いか、この世界には超能力が実在しているらしいことを知った。

 

 しかも、人類発祥以来ほとんどの人が能力者だったらしい。

 どういう歴史を辿ったのかが不思議だが、どうも私たちの世界と相違ないように思える。日本だし、西暦も使われている。でも転生時に時代がズレたらしく今日は1989年である。昔のテレビってあんなに分厚かったんだね、ブラウン管ってやつ?

 

 それはさておき超能力である。

 まずは私の能力か。

 

 私の能力は2つだが、まずふつう能力は1人につき1つであるという前提がある。

 2つ持ちというのは大変珍しいもので、2000年前の例のあの人が、2つ持っているとのこと(眉唾話なので、ありえないと断じても良いのでは?)。

 

 1つ目の能力は成長。

 植えた種を急速に成長させることが出来る。対象は生物全般。人間につかえば赤ちゃんも一気にビールが飲めるお年頃になるだろう。

 ただしこの能力で成長したものは、緩やかに元に戻っていく。朝顔の花はつぼみになり、最終的には種へと戻る。

 成長速度はかなり自由度があり、花が咲くまで数秒から数分までコントロールできた。戻る速度はコントロールできない。

 また、対象が死んでいた場合にも戻る。ただし死んだという事実は変わらず、胴体を裂いた蝶は、胴体を裂かれた芋虫へとなっていた(蛹を経由する以上、胴体の状態が保存されるわけないのに、不思議なものだ)。

 

 そして2つ目は分身だ。

 自分と寸分たがわない自分を生み出せる。洋服もきちんとコピーされる。気がつかなかった服のほつれまで完璧にだ。ただし分身が使用できる能力は成長のみである。

 分身の視覚、聴覚から得られた情報はリアルタイムで本体に送信される。消えろと念じると一瞬で消え、分身作成後に手に入れた物はその場に取り残される。

 60m範囲に作成でき、持続時間は72時間。作成後は特に行動範囲に制限は無い。少なくとも東京から大阪までは問題ない。

 あと、数だけど、これがなんと最大500体まで可能である。

 

 調べた限りでは、これはちょっと異常な数字だ。

 分身能力は辞典にも載っていたが普通は片手で数えられる程度。

 

 ありえない2つ目の能力の、異常な性能。

 これを私は、いわゆる転生特典、チートだと判断した。

 

 せっかく素晴らしいプレゼントを貰ったのだから、もしいるのなら神様には恩返しするべきだろう。

 出会えたらだけどね。恩返しする前に、一発殴っておくけどね。誰のせいでこんな苦労するはめになったと思ってるんだ。

 

 まあしかし、残念ながらこの能力では世界の壁は越えられないだろう。

 

 つまるところ、私は最低限世界の壁を越えられる者を探す必要がある。

 

 それも可能な限り急ぎたい。

 同じ時が流れているのなら手遅れだけど、竜宮城みたいに、時の流れが異なるかもしれないのだ。早ければ"もしも"の時にも対応できるかもしれない。

 

 早く、早くだ。

 そのためにも、出来ることは全てするべきだろう。

 

 決意を新たに、私は能力を発動した。

 

 

 

 

 

 

 ネオン煌めく夜の街。

 蛾と同じように喧騒も光に集まるようで、路地裏は静かなものだった。遠くに響く喧騒が、まるでこの場がまどろみの中にあるようだと思われた。

 

 実際、中には酒をしこたま浴び、まどろみの中に居る者もいた。

 

 古びたスーツを気崩し、ふらふらと歩く男が正にそうである。

 

 彼は時代に乗り遅れた人間だ。やれ周囲の人間が土地だの株だので盛り上がっているなか、踏ん切りがつかず黙々と働いていた男である。

 別にそれが間違いだとは思わなかったが、羽振りの良い同僚を見ていると、それが本当に良かったのか不安になるし、妻にも「なぜあなたは臆病なのか」と馬鹿にされる日々である。

 

 いや、しかし、ネズミ講なる詐欺も流行っていると聞くし、自分のような人間には堅実が一番である筈だ。

 

 そう自分に言い聞かせるが、酒が進んでしまう日がある。今日がその日だった。

 

「あ、と、と。すみません」

 

 酒で千鳥足だし、そもそも路地裏は足場が悪い。座っていた人の足に躓いてしまった。

 不思議だった。なぜ自分はこんなところを歩いているのだろう。別段近道でもないのに。

 

 ちょっとしたアクシデントで酒が少し抜けた彼は、踵を返して元の道に戻ろうとした。

 

「あ」

 

 思わず声が漏れた。

 彼が躓いてしまった人の顔を、見てしまったからだ。

 

 その()()は、彼と違い酒に酔っているわけではなかった。

 白目をむき、ピクリとも動かない。

 

 聞いたことがある。最近流行りの、脱法ドラッグというやつの症状だ。

 こんな老人になってまで、そんな物に手を伸ばしてしまう人生とは、どんなに恐ろしいだろうか。

 

 彼は身震いした。

 視線を外そうとして、気付く。

 つい考え事をして、長く見ていたせいで気付いてしまった。

 

「お爺さん?」

 

 声をかけ、そっと、彼の首、動脈の辺りに触れる。

 彼の心臓は強く脈打っていた。だが、この老人は……。

 

「きゅ、救急車……!」

 

 彼は駆けだした。

 堅実で、真っ当な大人として、責務を果たしに行ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 怪奇、老死する若者。

 

 ワイドショーがおどろおどろしく報道するには、()()()()()変死死体が見つかったのだという。

 能力殺人自体はそう珍しくないとはいえ、流石に異常で、かつ視聴者の興味を引く題材として便利なのであろう。

 

「怖いわねえ」

 

 まっ昼間、居間でだらける母親が呟いた。

 第2子を妊娠中とはいえ、だらけすぎるのは如何なものだろうか。

 

 まあ、それはさておき。

 

 この事件の犯人は私だ。ちょっとしたアクシデントがあったのである。

 

 アクシデントについてもさておいて。

 

 私の能力は成長。

 成長は行き過ぎれば即ち老化である。100年も進めれば大概は殺すことができる。

 黒幕としてふるまう時は、成長を老化として使うつもりだ。

 

(この方法なら、捕まらないことも分かったしね)

 

 能力による捜査は、流石に予測がつかなかったので大きな賭けだった。初めて殺した夜は中々眠れなかったのを今でも覚えている。

 しかし蓋を開ければ、私に捜査の手が掛かることはなかった。賭けに勝ったのだ。

 

(いや、単純に年齢所以で捜査線上から外れただけかもしれないけど)

 

 だとしても、あと10年もすれば捜査状況が分かる地位の人間も味方につけられるだろう。

 

(分身500人による人海戦術。未来知識の犯罪、アイデアからなる財力、人材の確保)

 

 準備は着々と進んでいる。

 今はまだ半ぐれ集団でしかないが、いずれは真っ当な企業も立ち上げ、未来知識を存分に活かして支配を広げていくつもりだ。

 そうすれば、この世界にいる能力者を把握できる。

 

(でも、どうやって能力者に協力させようか)

 

 金で済めばそれで良いが。

 ううむ、展望が見えてくると別の問題が湧いてくるな。

 

(まあ、それは追々)

 

 分身から送られてくる情報を頭に叩き込み、当面の目標である資金繰りに精を出すこととした。

 

 

 

 *

 

 

 

 そして月日は経ち、舞台は移る。

 

 東京襟糸高等学校。

 

 能力科を有する高校は全国で8ほどあるが、この学院はその中で最も偏差値が高い。いわば能力者のエリートが通う学校である。

 

 今この学校では1年に1度の恒例行事が開催されていた。

 桜花びら舞い、期待と不安に興奮した声が幾重も重なる、入学式である。

 私も主役の1人であり、いつになく緊張していた。

 

「優子ー!」

 

 背後から私の名前を呼ぶ声に、緊張を悟られないよう、表情を整えてから返事を返す。

 

「おはよう、(はな)

「おはよー、やっぱ優子だった」

 

 私の後ろ姿は、ひどく凡庸だ。

 肩まで伸びた黒髪に、背丈も体格も、一般的な女学生と変わらない。

 よくもまあ、自信満々に名前を呼べたものだ。

 

 違っていたら、どうするつもりだったのか。

 まあ、華ならそれを切っ掛けに、その子と仲良く名乗るのだろうな。華はそんな子だ。

 

 入学式早々、髪を金に染めてしまった彼女は色々な意味で輝いていた。

 

「ラメスプレー、髪にかけてる?」

「うん、いいでしょ。優子にもかけてあげようか?」

「やめとく、目付けられるのも嫌だし」

「ふへへ、相変わらず良い子ちゃんだね。人生楽しまなきゃ損だよ?」

 

 少なくとも良い子ちゃんではない。鼻で笑い、私は「お互い入学出来て良かったね」などと祝辞を述べた。

 

 それから適当に中身のない会話を楽しみつつ、教室へと向かった。

 能力科は1クラスのみ、私と華は、掲示板で喜声を上げる新入生を横目にクラスへと向かう。

 華は「いいなあ」と羨んでいたが、正直私はクラス替えが嫌いなので、1クラスで良かったと思っている。

 

「でも、私は華は普通科に行くと思ってたよ」

「えー、親友に対して酷くない?」

「そういう意味じゃなくて。華は自分の能力が嫌いなのかと思ってた」

 

 華の能力は、竜化。

 ドラゴンに変身する戦闘能力に特化した能力である。

 

 部分的な変身も可能なので、中々使い勝手が良いと思うが、見た目が彼女のお気に召さないらしく、あまり使いたがらないのだ。

 

「やー、そうなんだけどさ」

 

 と、華は歯切れ悪く言った。

 

「私の能力は一応Aランクだしさ、将来のこと考えたら、活かさない方が損じゃん?」

 

 能力はその性能により、ランク付けがなされる。

 

 皆さんご存じの通り、人とは格付けがお好きなもので。能力者が自慢する時は、このランクを引き合いに出す場合が多い。

 

(噂では、入試基準もこのランクが基になってるらしいし)

 

 私の成長も、Aランクである。

 老化と分身は隠して、成長に絞っての査定だったが、特異な能力はそれだけでランクが上がりがちだ。

 

「でも活かすって、災害救助とか?」

「それなあ。戦闘系の能力はこれだから困る」

 

 優子はいいよねえ、と彼女は言った。

 確かに、成長の能力は研究機関にとっては喉から手が出るほど欲しい能力だろう。

 

 華が困っているように、戦闘系はあまり就活には役立たない。この世界は異能まみれの癖に中々平和だ。

 数年前までは冷戦下だったが、当事国の1つである大国が潰れ、少なくとも私たちにとっては、戦争はテレビの中だけの代物に成り下がってしまったからだ。

 

(とはいえ、水面下では争いの火種がたっぷりあるけどね)

 

 つい数年前にも日本でテロがあったし、世界のどこかではやはり戦争は現役だ。

 

 と、そんなことを考えつつ華との雑談をしていると、教室へと着いていた。

 

 教室にはクラスの半分ほどの人数、15人くらいが既に集まっていた。

 予鈴まで後10分ほど。3つの大きなグループと、2人3人の集まりが既に形成されている。

 同じ中学だったり、入試で仲良くなったり。もう少し時代が進んでいれば、SNSでの知り合いが一番多くなるのだろうか。ともかく、あらかじめ準備をしておくというのは大事なことだ。

 ちなみに私と華は小学校以来の友達だが、彼女は誰にでも気安く話しかけるきらいがある。当時はそれに救われたし、これから救われる人もいるだろう。

 

「あ、華おはよー」「時巡さんもおはよー」

 

 女子メインで構成されたグループに、私たちも混ざっていく。

 教室へ入った時に確認したが、まだ本命が現れていないようなのである。

 

 私がこの学校へ入ったのには当然理由がある。

 有益な能力は優れた環境に集まるからだと考えたからだ。

 

 裏でも収集しているが、表でも注意を払うべきだろう。

 特に学生は私の調査網から外れやすい。

 

 それともう1つ。

 私の頭を悩ませているこの世界特有の問題を解決するためである。

 

 時刻は25分。予鈴を示す音楽がスピーカーから鳴った。

 

 それと同時、()が教室の扉を開け、するりと人混みを抜けて、私の隣の席に座った。

 

 ()の名前は十字(じゅうじ)岳人(がくと)。能力は重力操作。能力由来の、夜空を映したような紫がかった黒髪と、同じ色の瞳(能力の強度種類によって体質が変わるらしい)、適度に鍛えられた体格。高校1年にして身長182cm、体重は82kg。顔も精悍で良し。8月20日生まれのO型。好きな食べ物はオムレツ、嫌いな食べ物は椎茸。趣味は特になしで、特技は……このあたりは重要じゃないか。

 

 彼は8年前の無差別テロにて両親を失っている。その後半年足らずで里親に引き取られ、特に問題行動もなく穏やかに暮らしている――というのが表向きの設定だ。

 

 彼はとある組織の一員である。

 合法、非合法問わず、あらゆる手段を用いて異能犯罪の取り締まりを責務とする、一応政府公認の秘密組織らしい。

 

 どういった経緯で勧誘されたのかは分からなかったが、件のテロ、能力を用いたテロであるからして。加入した理由はその辺りだろう。

 

 ちなみにそのテロを起こしたのは私じゃないよ。別の組織。非能力者団体の1つ『真世界』を名乗る組織である。

 

 この世界には能力者が溢れかえっている。しかし、全ての人間が能力者ではないのだ。

 

 彼らは共通して、生まれた時から能力を持たない。

 それ以外に共通点はなく、人種、性別、時代。一切の因果なく、唐突に産まれ落ちる。

 

 そのため非能力者は先天性の病気として扱われ、また”欠けている”と長らく考えられているために、酷く差別されやすい。

 

 そしてそのためにこの世界特有の問題が発生した。

 

 その『真世界』が画策している計画が『世界中の人間を非能力者に変える』というものなのである。私の計画にクリーンヒットしているそれを、許すわけにはいかない。

 残念ながら詳細までは知ることが出来なかったが、世界的な犯罪者組織である『真世界』。何をしでかすか分からない以上、早々に潰しておかなければならない。

 

『真世界』にご執心であり、その捜査員である十字岳人は仲良くしておきたいメンバーダントツの1位だ。

 

 それと重力操作は珍しいので確保しておきたいのもある。ワンチャン成長して世界に穴を開けたりできないかなと思ってる。3年間共に過ごすわけだし、上手いこと誘導してあげれば良いだろう。

 

 で、肝心のファーストコンタクトだが、彼は話しかけるなオーラを全開にし、全てを遠ざけるように孤立しているのである。

 

 予鈴から本鈴の5分間。彼は沈黙を貫くらしい。

 

 勿論私が許さない。笑顔で言った。

 

「ギリギリの到着だったね。計算してた?」

 

 私と彼の机は隣だ。工作を結構頑張ったので褒めて欲しい。

 その成果により話しかけることには成功したのだが、何と彼は私を無視。人の努力を無に還そうなんて許せないな?

 

 HR開始まであと5分。何としてでも振り向かせて見せる。

 

「入学式はHRの後なんだって、何話すんだろうね」

 

 正直私も興味ないので、返事がないのも納得といえば納得である。

 

 しかしこれでは埒が明かない。

 当初の予定とはズレるが、こちらも手札の1つを切ることにしよう。

 

 タイミングを見計らう。

 がらがらがらと、扉が音をたてて開いた。先生の登場である。

 生徒の意識がそちらへ向く、この一瞬。

 

「テロは怖いよね。もう起きないと良いね」

「――――何だと?」

 

 会話の流れ次第では自然な、しかしこの状況ではあまりにも不自然な発言。

 お前の過去を知っているぞ、と言外に告げられた彼は、睨みつけながらこちらを向いた。はい私の勝ち。

 

 軌道修正。何も知らない健気なヒロインから、ミステリアスなヒロインへと変更。

 はてさて、色々と計画に変更が必要そうだが、ただ1つはっきりと言えることがある。

 

 彼をからかうのは、結構楽しい。

 

『人生楽しく』

 

 華の助言通り、学生生活は楽しいものにできるかもしれない。

 

 私の胸は高鳴っていた。



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第2話「彼は今私について調べているのかな」

 十字岳人は異能取締課に所属する公務員である。

 仕事内容、立場は秘されているが、発行されたIDカードは正式なものであり、機密事項へのアクセス権も持ち合わせている(彼の立場では全てを閲覧することは叶わないが)。

 

 職場へいつも通り裏口からひっそりと入り、備え付けのPCを起動する。

 起動するまでの間、学校での出来事を思い出していた。

 

「テロは怖いよね。もう起きないと良いね」

 

 時巡優子。

 彼のクラスメイトである女が放った言葉だ。

 

 彼は自らの過去を語ったことなどないし、そもそも初対面である。

 万が一過去の彼を知っていたとしても、名字も変わっている。関連性を見出すことは難しいはずだ。

 にも関わらずである。あの女は挑発するようにこちらの過去に触れてきた。

 

(何者だ、あの女)

 

 一般人の調査などしないから、データベースからは大した情報は得られないだろう。しかし、何の用意もなしで対峙するよりかは遥かにマシだ。あれ以降話しかけてくることはなかったが、それはそれでこちらの考えを読まれたかのようで不気味だった。

 

「何……?」

 

 思わず呟く。

 彼女に対するデータが、予想以上に膨大だったからだ。

 

 一般人とは思えないデータ量。よほどの重要人物でなければ、これほどまでに調査はしない。

 

 それこそ、彼の探し求めた相手のような……。

 

「や、珍しいね。調べごと?」

 

 急に肩を叩かれ、椅子を蹴とばすように立ち上がり振り向いた。

 

「お、驚かせないで下さい。先輩」

「修行が足りないなあ」

 

 けらけらと軽快に笑うのは、現在同じ高校に通っている、2つの意味で先輩に当たるユリさんだ。

 小柄故にただでさえ長い緑髪が、ポニーテールに結い上げてなお腰まで伸びている。度どころかガラスさえない年季の入った伊達眼鏡を掛けているのも普段と同じだ。

 俺が子供の頃から今と変わりない容姿だったので、高校生の筈がないが……この思考は危険なので破棄する。

 

 俺の動揺など意に介さず、彼女はパソコンの画面を覗き込み、にんまりと意地悪な笑みを浮かべた。

 

「遂に、遂に岳人にも春が来たんだねえ、お姉さん感慨深いよ」

 

 そんなわけない。

 これ見よがしに溜息をつくと、彼女は「つまんなーい」と間延びした声を上げた後、真剣な表情へと一変させた。

 自然と背が伸びる。驚いて立ち上がって、そのままなのが幸いした。座ったままだったらさぞ居心地が悪かっただろう。

 

「君の権限の範囲での調べものなら咎める気はないから、気を楽にしていいよ」

 

 そう前置きされて、はいそうですかと姿勢を崩せるはずもない。

 彼女の見定めるような目の前で、隙を見せるのは憚れた。

 

 彼女はゆったりと言った。

「どうして時巡優子について調べているの」と。

 

 一瞬逡巡した後、”隠し事は後が酷い”という直感に従い、今日起きたことを話した。

 ユリさんはポーカーフェイスだ。俺では次の彼女の行動すら読めない。

 

 彼女は柔らかな笑みを浮かべて言った。

 

「優子ちゃんは、昔調査対象だったことがあったんだよ」

 

 昔、が何時の事を指すのかは聞かなかった。

 言っても良いことならば補足してくれるし、そうでなければ聞けることすら聞けなくなる。だから俺は黙って耳を傾けることにした。

 

「君も知っていると思うけど、『フューチャー』を名乗る犯罪者集団がいたでしょう?

 その発端、怪死事件の容疑者が彼女だったんだよ」

 

 『フューチャー』?

 確か、10年前にそんな組織が世間を騒がせていたと聞いたことがある。

 その首領は証拠不十分だとかで、しびれを切らせた当時の所長が暗殺を実行。流石に問題ありとされ、責任を追及される形で辞任したと聞いている。

 結局、その首領の男が本当に黒幕であったかは分からず仕舞いだ。未だ未解決の事柄も多く、発端とやらの容疑者もそうなのだろう。

 

 しかし、彼女はその時はまだ5歳か6歳。幼すぎる。ありえない話だ。

 

 俺の戸惑いが顔に出ていたのだろう。ユリさんはくすりと笑った。

 

「正常な判断だよ。私も当時、遂に所長の頭がおかしくなったのかぁと思ったもの」

 

 当時……10年前、年齢。いや、この思考は禁止したのだった。

 

「でも本当に、あの特異な能力殺人を実行可能な能力者が、彼女しかいなかったんだ」

 

 能力は戸籍に紐づけられた最重要情報だ。

 能力殺人の際は、全国民のデータが洗い出される。その際容疑者が1人になることも、あるのかもしれない。

 

「彼女の能力は『成長』。これを解釈すれば、老死させることも可能()()()()()()

 年齢の問題も、自分自身を成長させればクリアできる()()()()()()

 

 仮定に仮定を重ねた空論だ。

 当時の空気は知れないが、能力殺人を解決できないのは課の沽券に関わることだ。よほど追い詰められていたのだろう。

 

「だから異例ともいえる、1か月の張り込みが実施されたんだ。でも結果は白。事件は未解決のまま、膨大な資料だけが残されたのでしたとさ」

 

 ちゃんちゃん、と彼女はわざとらしく涙をぬぐう仕草を見せて話を打ち切った。

 

 しかし、疑問は残る。

 

「じゃあどうして俺の過去を知っていて、しかも仄めかしたんだ?」

「さあ? 偶然じゃないかな。深く考えると、その資料の山みたいになっちゃうよー」

 

 そう言い残し、ユリさんは部屋を後にした。

 

「む」

 

 しかし、そう言われても気になってしまうのが人のサガだ。

 せっかく開いたことだし、資料に目を通すことにした。

 

 調査内容は家族構成等の基本情報と、そして1か月の張り込みが全てだった。

 当時5歳の子供に過去の調査は不要だろうし、ユリさんが言った通り、調査を打ち切ってからのデータはない。

 

 その1か月のデータも大半は家を見張っているものだった。第三者との接触は皆無で、そこに特記すべき点はない。

 

 事件発生日も同様だ。

 確かなアリバイがある。

 

「分かり切っていたことだな」

 

 時間の無駄だった。

 パソコンの電源を落とし、部屋を後にする。

 

 無駄なことにこれ以上意識を割いても仕方がない。

 俺がするべきは仇を探すこと。そしてその時が来るまで、牙を研ぎ続けることなのだ。

 

 部屋を出ようとし、扉の向こうに人の気配があることに気がついた。

 一歩下がり、扉が開くのを見届ける。

 

「お、いたいた」

 

 扉を開けたのは中年の大柄な男。

 俺の上司である、高橋(たかはし)次郎(じろう)だ。

 

「お疲れ様です、仕事ですか」

「ん、まあ、そんなとこ」

 

「まあ、座ろうや」と高橋所長は言い、キャスター付きの椅子をゴロゴロと並べた。

 わざわざ資料室で話すことだ。さほど重要な要件ではないのだろう。

 

「闘技大会知ってるよな?」

「え、まあ、噂程度には」

 

 時代錯誤で、きな臭い噂ばかりの。

 関わりたくないことは確かだ。

 

「あれ、お前出なさい」

 

 嫌です、とは言えないのだろうな。

 

 俺の目的は復讐だが、達成までの道のりは随分遠いようだった。



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第3話「私の手下達」

 闘技大会とは、最強の能力者を決める戦いだ。

 

 ルールは大会によって細部は異なるが、大きくは()()()()()()。それだけである。

 

 野蛮なためルールを厳正化し、競技に落とし込もうという動きも活発だ。あと数年もすれば、どの能力が最も優遇されるか分かるだろう。

 しかしそれは今ではない。現在の闘技大会はコロッセウムを少しだけマイルドにしたようなものだ。

 

 その闘技大会をオリンピックの種目にしようという、とち狂った計画がなされているのである。

 

 そしてそれを推し進めているのが我らが日本である。ドン引きだね。

 

 勿論我らが首相にも考えがあってのことだ。

 それはひとえに、世界最強と呼ばれる能力者が日本人だからである。

 

 世界最強は伊達ではない。それこそ、個人にして軍事力に加えても問題ないほどのワイルドカードである。

 我らが首相は、オリンピックという世界の注目が集まる場で、正式に誰が最強かを諸国に示したいのだろう。

 

 噂ではオリンピックの開催国まで日本に変更しようともしているらしい。何とも頼もしい首相だ。ちょび髭がさぞ似合うだろう。

 

「で、予行演習かな。学生を対象に闘技大会を開催。十字岳人は学校代表として精進することになるらしいね」

 

 とある繁華街のビルの一室。景気の良い革張りの椅子に座りクスクスと笑う。

 私こと時巡優子は楽しくてしょうがないのだが、目の前に立つ少女にとっては違うらしい。随分と呆れた顔だ。

 

「これも全て『コレクター』。あなたの仕業でしょうに」

 

『コレクター』というのは私の別名だ。

 能力者を収集しているために付いた異名だが、気に入ったので自らそう名乗ることにした。

 

 そして少女は私の直属の部下である時枝(ときえだ)真希絵(まきえ)。白髪がコンプレックスの中学生だ。

 彼女は中学生なので、手下としては出来ることも少なく、期待もしていない。ただ回復能力があるため手元に置いているだけだ。ああ、私に依存させるための練習台でもあったか。

 

 でも依存については失敗だと思う。信用を得るにはこちらの情報をある程度開示する必要があろうが、私は名前どころか姿さえ見せていないのだ。

 

 今の私の姿は、分身体を成長させ、更に顔を黒のベールで完全に覆い隠してしまっている。変声機も使っているので、町でばったり出くわしても私だと認識できないはずだ。

 

「しかし、かの組織にもある程度干渉出来ることが分かった。これは中々使えそうな情報じゃないかな?」

「なるほど、確かにそうですね」

 

 真希絵は何も考えていなさそうな顔で頷いた。策略を任すのは無理だと確信する。

 

「ところで」と私は言い、彼女が抱えているファイルを指差した。

 真希絵はハッとして、大きな声で言った。

 

「そうだ、報告書を預かっていたんです。どうぞ『コレクター』」

「うん、君に渡したということは、結果には期待できなさそうだね」

 

 ファイルを捲る。やはり田辺(たなべ)だ。真希絵に渡せばとりあえずは怒られないで済むから、「やあ、これを『コレクター』殿に渡しておいてくれたまえ」「はい、分かりました」そして「ああ、忙しい忙しい」と足早に去っていく情景が目に浮かぶ。

 

 私は田辺の処分を考えながら内容を確認した。

 内容は、いつもの『真世界』への嫌がらせについてだった。

 今回は積荷を襲ったが、予想以上の抵抗に遭い、奪取に失敗。どころか積荷の中身さえ分からない状況だったらしい。

 

「なんて書いてあるんですか?」

「君は知らなくて良いよ。向こうで連立方程式と戦ってなさい」

 

 ぶうたれる真希絵を適当にいなし、報告書を読み進める。

 

「ううん……?」

 

 まさか虚偽の報告ではあるまいな。

 そう思ってしまうほど、相手の警戒が厳重だった。

 

 前情報は、安物の食料品だった。

 とはいえ嫌がらせしまくっていたので、護衛があることは想定内。

 

 失敗しても問題ない。だからこそ田辺に任せたのだが、何とも妙だ。配役をミスったか?

 

(いや、配役を変えたとしても、多くの戦力は割かないか。なるべくしてなった結果。情報戦での敗北だな)

 

 そういう点では田辺はよくやったほうだ。

 トラックを横転させたとあるし、警察の介入は免れない筈。

 決定的な物はなくとも、捜査資料を覗けばある程度は推察できるか?

 

(……いや、無理か)

 

 事前情報は完全に隠されていたのだ。既に情報は抹消されていると考えて良いだろう。

 

 尋常な方法では迷宮入りは不可避だ。

 だがこの世界は尋常ではなく、こういった事態への備えも私には用意がある。

 

 ポケットから携帯電話を取り出す。

 ワンコールきっかりで、相手が応答した。

 

「やあ、館長。悪いんだけど、()()()を持ち出したいんだ」

 

 さて『真世界』の皆さん。君たちは超能力者への備えは万全かな?

 

 

 

 *

 

 

 

「実技試験って何やるのかな」

 

 桜は全ての花を落とし、緑の葉を蓄え始めたころ。

 

 クラスでの各々の立ち位置も決まり、話す相手も固定化され始めた。

 華の呟きに鋭利な顔立ちの男、立花(たちばな)零次(れいじ)が自慢の青毛を整えながら答えた。

 

「ほとんど体力測定と先輩は言っていたね」

「何それ、優子とか超有利じゃない?」

「有利? 不利だろう時巡の能力じゃ」

 

 私の能力は運動向きじゃない。だから零次の疑問は最もだ。視線が刺さる。煽った華は「むふふ」と笑うだけで説明する気はないようだ。それと能力込みならお前がトップだろ。

 

 ……ともかく。能力科では中間試験に通常の筆記試験に加え、超能力も試験内容に加わる。

 個々で大きく異なるものを画一に評価できるのかは疑問だが、まあ抜かりはない。

 

 私は本を閉じ言った。

 

「明日になれば分かるよ。というか、実技より筆記でしょ、特に華は」

 

 華は「ガーン」と効果音を口にしてショックを表現していた。

 零次は苦笑いを浮かべ言った。

 

「確かに。時巡と、岳人は問題ないだろうけど」

 

 私たちは4人グループ。

 私、華、零次、そして十字岳人。

 

 話題を振られた岳人は「そうだな」と一言だけ言い、読書に戻っていった。

 

 私たちは基本的にこんな感じだ。

 華と零次が話し、私と岳人が時たま反応する。

 

 私と(多分岳人は)良いのだろうが、華と零次は楽しいのだろうか。

 

(まあ、気にする必要もないか)

 

 所詮は仮初の関係。

 崩れたところで、困ることもない。

 

「優子ぉ、勉強会開こうよぅ」

「……実技は明日だけど、筆記は来週だったか。ま、土日を挟んだ分中学よりは成長してるね」

 

 私は了承の意を伝え、男子2人に言った。

 

「君たちも参加しなさい。土曜と日曜どっちが良い?」

「強制なんだね。願ってもないから構わないけど。どちらも空いてるから君たちの予定に合わせるよ」

「優子さんアザッス! 頼りにしてマス! 私は土曜バイトなんで日曜でお願いしまッス!」

 

 全員の視線が岳人に刺さる。

 彼は苦い顔をして言った。

 

「俺は行かないぞ」

「良し、零次。氷漬けにしてでも連れてきなさい」

「了解、女王様。岳人、覚悟してもらうよ」

 

 時たまこういうことが起こる。

 口では嫌がっても、何だかんだで彼は来る。

 

(何だかんだで楽しいのかな? それとも、私がいるからだったり)

 

 流石にそれは自意識過剰か。

 

 そして時は流れ勉強会――の前に実技試験である。

 

 グラウンドには50mを示す白線が引かれている。

 つまりは徒競走だ。

 

「よーしよーし、頑張るぞ」

「靴まで脱いで、本気だね、華」

 

 華は竜に変身できる。

 部分的にでも変身すれば、人間を大きく上回る身体能力を得ることができるのだ。

 

「優子もさ、試験なんだし本気出しなよ?」

「えー」

 

 別に隠している訳じゃないが、そんなことに労力を割きたくない。

 

「えー、じゃないよ。闘技大会にも有利になるかもじゃん?」

「華が居る以上無理でしょ、闘技大会は。いや、でも……」

 

 ある程度進めて、能力者の情報を得る機会に出来るかな?

 

「よし、じゃあ一番は私が貰うね」

「言ったね。負けず嫌いの優子が悔しがるところ、見られちゃうな」

 

 さて、この世界には超能力が実在するが、しかし同時にエネルギーの保存則も存在するのである。

 即ち超能力というエンジンの他に、超能力用のガソリンもまた存在する。

 

 そしてそのガソリンは体中を巡り、時に髪色などの体質を変え、身体能力を上昇させる。

 

 私と華が横に並び、共に合図を待つ。

 

 ところで私は能力を2つ持つ。即ち――

 

 合図と共に、地面が類まれなる脚力によって爆発した。

 

 ――私のエネルギーは常人の2倍。ドラゴンにだって劣らない脚力を持つのだ!

 

 50mだ。勝負は一瞬だった。

 お互いに地面を削りながら、ようやく停止する。

 

 誰かが呟いた。

 

「う、そ……」

 

 その後、どっ、と歓声が沸く。

 

 私はその歓声に、大いに気分を良くした。

 

「ふふふ、何だい華。その苦そうな顔は」

「いや、勝てると思ってたから。……悔しぃー!」

 

 運動なら勝てるという自負があったのだろう。

 珍しく、華の顔から笑顔が消えていた。

 

 ただエネルギーが多かっただけなら負けていただろう。

 私は人よりも、この力の扱いに長けている自負もあった。

 

 私には異世界の記憶がある。

 この世界に満ちる、超能力を使う力が()()状態を知っているのだ。

 

 それがアドバンテージ。

 ないことを経験しているために、より精緻に力を感じ取れる。

 

 力のコントロール能力。

 これが勝負の明暗を分けたと言って良いだろう。

 

 さて、次の種目は何だろうか。できればパワー系じゃなければ良いのだけれど。

 

 

 

 *

 

 

 

 時巡優子は十字岳人の学友である――という客観的な視点に異存はない。

 

(個人的な)監視対象である時巡に対し、優れたポジションであると言えよう。

 それが時巡が目論んでいたことで無ければ更に良かった。

 

(未だ理由も正体も分からずか)

 

 内心でぼやいてみたものの、たかが一か月では尻尾を出すこともあるまい。

 だから休日の誘いに乗るのも仕方がないことである。

 

 呼び鈴がけたたましく鳴った。

 

 教材は一式揃っている。小テストの結果からして、俺と時巡は教える側になるだろう。

 

 となれば話す機会は限られてくるが……。

 

(……別に話す必要はない)

 

 首を振り、益体もない思考を振り払う。

 扉を開け訪問者に顔を見せた。

 

 氷結系能力者特有の青髪が、目元まで掛かった男。人に鋭利なイメージを持たせるであろうそいつは、狐のように目元を釣りあげて笑っていた。

 

「んじゃ、行こうか」

「……ああ」

 

 どこに、とは言わない。

 言葉が必要ない程度には、繰り返したやりとりなのである。

 

 俺と立花零次という学友は、それだけの関係を構築してしまっているということだ。

 

 部屋を出た後、そういえば場所は何処なのかを聞いていなかった。いや、断ったのだから当たり前なのだが。

 

「今日は時巡の家でやるんだとさ」

 

 時巡の家。

 それは、願ってもないことだった。

 

 調査対象の家となれば、より多くの情報が得られるだろう。

 

「へぇー。へぇ~」

「……何だ」

 

 俺の反応に何を思ったか、零次はニヤニヤと笑っていた。

 

「何だよ」

「べっつにぃ?」

 

 そうして何故か居心地の悪いまま歩き続け、時巡の家へと着いた。

 

 住宅地にある、建売の家だ。特段変わったところはない。

 

 零次がインターホンを鳴らし、ややあってから、扉の隙間から二つの顔が縦に並んだ。

 

「来たね」

「待ってたよぉ?」

「いやいや、何それ。どう反応すればいいの」

 

 言うまでもなく、時巡優子と小鳥遊(たかなし)(はな)である。

 ケタケタと笑う三人に、思わずため息が漏れる。どうにもこのノリにはついていけない。

 

「どうぞごゆっくり」

「お邪魔します」

「お邪魔しまぁす。いやあ、女の子の部屋に招待されるなんて男冥利に尽きるな岳人」

「は? キモ。つうか通さないから、リビングだからね」

「残念だったねぇ、岳人くん」

「何で俺なんだ」

 

 ……残念だったのは、否定できないが。何せ情報の宝庫はそちらだからだ。

 

 通されたリビングには既に勉強道具が広げられていた。

 それと同じくらいのお菓子が並べられていたのは目をつむることにする。

 

 既に順応していた零次が、紙コップにコーラを注ぎながら言った。

 

「リビング占領してって良いの?」

「良いよ。しばらく帰ってこないからね」

 

 机に向かってからは、意外にも全員が真面目にノートへと向き合った。

 シャーペンの芯が走る音に、度々質問が響く。

 

 今も小鳥遊が時巡に質問していた。

 

「この因数分解意味わからないんだけど……優子さぁーん?」

 

 時巡はピタリと動きを止めていた。小鳥遊の話も聞いていないように思われる。

 

 小鳥遊が肩に触れると、大げさに肩を震わせて「あ」と声を上げた。

 

「寝てた?」

「寝てない。ただちょっと、ぼうっとしてただけ」

 

 小鳥遊は普段と異なり、それ以上追及しなかった。

 俺の目から見ても、時巡が悲しみをこらえているように見えたからだ。

 

 

 

 *

 

 

 

『コレクター』が収集した特異な能力者集団『ミュージアム』。

 

 彼らはあくまで()()()。やるべきことはなく、己を維持していれば良い。

 

 ただ、もしも彼らが動くとすれば。それは常人には達成不可能な、第一級の密命を帯びたときである。

 

 展示No.8。ホークアイには為すべき使命があった。

 

 今彼は人気のない廃工場に蹲っている。

 足元には微量ながら血だまりが出来ていた。

 

 カツン、とわざとらしく、ヒールの音を彼の目前で鳴らせた。

 

 ホークアイは素早く視線を上げると、険しかった視線をいくらか和らげた。

 

「『コレクター』ですか?」

 

『コレクター』と呼ばれた覆面の女、つまり私はいくらか驚いた。私は口にする。

 

「君ともあろう者が、これほど接近しても気がつかず、まして布程度で私を識別できないなんてね。何があったんだい?」

 

 ホークアイの能力は千里眼。

 どれほどの距離があろうと視認し、視野を絞ればプランクトンすら視認できる。

 

 だがその程度ならば『コレクター』が収集するほどの能力には当たらない。

 彼の真価は、追跡能力にあった。

 

 彼は共感覚の持ち主だ。

 匂いを視覚として捕らえることが出来る。嗅覚は人並みでもリンクした視覚は別格。

 故に彼は警察犬が捕らえられない臭いを捕まえ、地の果てまでも追い詰める。

 

 その彼が、既知の匂いすら分からないとは何事だ。

 

「俺は現場に残った匂いをそれぞれ確認し、1つの不明な匂いを探り当てました。幸い、匂いが消えきる前でしたので、その匂いを追跡しました」

「その匂いの正体は1人の女でした」

「そいつは男の家に潜り込んでいるようでした。しかしその男の背後には何もなさそうでしたので、そのまま奪うつもりでした」

「ですが男が抵抗を示し、しかし予想通りの素人でしたので、撃破は容易でした。しかし」

 

 ホークアイは明らかに言い淀んだ。だが意を決したように続けた。

 

「女が、女が今まで閉じていた目を見開いたのです」

 

 声は震えていた。勇猛で、屈強なホークアイが、ただ1人の女に怯えている。

 しかしホークアイは言葉を続けた。

 

「すると、俺の世界は一変しました。俺の超能力が消失したのです」

 

 そう言い終えると、ホークアイはうなだれた。

 

 私は静かに驚愕した。

 彼の態度にも勿論だが、その女の能力にである。

 

「能力の抹消。なるほど、とんでもないジョーカーを隠し持っていたらしいね」

 

 しかもホークアイの言葉が確かなら、見るだけで効果がある。

 バロールやメドゥーサのような、神話の中の特異能力だ。

 

「とりあえず、住所と顔写真を――」

「既に用意してあります」

「……用意良いね。流石だよ」

 

 男の方は、金のツンツンヘヤーが特徴だが、ホークアイの報告通りなら気にしなくても良いだろう。一応過去は洗う必要があるだろうが。

 

 そして女は、目を閉じているのは能力の問題か。もしかしたら制御できていないのかもしれない。病的とも言える白さは、アルビノだろうか。どこか浮世離れしているように見える。

 

「お願いがあります」

 

 考えをまとめていると、ホークアイが言葉を挟んできた。私は苛立つより前に、意外に思った。

 彼とは付き合いが長い。こういった時、口を挟むような男ではないのだ。だから私は「何かな」と素直に聞いた。

 

 ホークアイは言った。

 

「俺を殺してください。こんな世界は耐えられない」

 

 私は彼の瞳を真っすぐ見つめた。

 既に能力を失った濃緑色の瞳は心なしか濁って見えたが、私は声を穏やかにして説得した。

 

「らしくないよ、ホークアイ。能力消失には不明点が多い。治る見込みは十分あるし、何もせずとも明日には元に戻っているのかもしれないよ」

 

 しかしホークアイは首を横に振った。

 

「いいえ、俺には分かるのです。既に俺の能力は死んでいる。何をしようとも、生涯このままだ。俺にはそんな人生は耐えられない」

「……ホークアイ。君、怪我しているだろう。だから気が弱くなっているんだ。だから今はゆっくり休もう。この話は怪我が治ってからだ」

 

 手を差し伸べると、ホークアイは私の手を握り、そして、自身の額に当てた。

 

「何のつもりかな?」

「あなたは『何もせずとも明日には元に戻っているのかもしれない』と言いました。怪我も自然治癒する程度のものです」

「だから、俺の時を進めてください。十年、いいや、百年先まで」

 

 私はため息をついた。いい加減苛ついてきたからだ。

 

「そこまで言うなら進めてあげるよ。泣いて後悔しろ」

 

 エネルギーを込め、能力を発動する。

 能力は人に向ける場合、相手のエネルギーにぶつかり相殺する。だから防御に集中されると、結構な消耗を伴うのだ。

 今回はかつてないほどスムーズに能力が行使された。本当に彼には、超能力のためのエネルギーが失われているのだ。

 

「十年進めた。傷の方はすっかり良くなっているね。気分は?」

「力は戻っていません」

 

 私は更に十年進めた。

 彼は同じ返事をした。

 

 十年、また十年。

 彼の返事は変わらなかった。

 

 もう何度目か。これが最後になるであろう能力の行使の前、しわがれた声で彼は違うことを言った。

 

「あなたに拾っていただき、俺は幸せでした」

「そう、良かったね」

 

 彼は倒れ伏し、その生命を終えた。

 結局、最期まで能力は戻らなかった。

 

 完全なる能力の抹消が証明されたわけだ。

 迂闊に手駒を近づけるわけにはいかない。

 きっと、件の組織も同じく頭を抱えていることだろう。

 

(ホークアイを解剖すれば何か分かるか? 女についてはあまり刺激したくないから、可能な限り監視に留めるが、生きた検体が必要なら適当なごろつきを使うか。『真世界』の計画を早めに暴かないといけないな。今までのような嫌がらせでなく、専用のチームを。派手になるなら公安対策だけど、それは本体が何とかするか)

 

 携帯電話から、本部にいる分身に電話を掛ける。

 分身間の情報共有が機械頼りなのが歯がゆいところだ。

 

 本体には情報がリアルタイムで共有されるから、機械を使うにしても、本体を介した連絡網の方が良いと思うのだが、あれは学生気分を謳歌する算段らしく、全くもって使えない。

 

(ま、一番大変なのは本部の分身か。残り寿命14時間。過労死しないと良いけど)

 

 電話の向こうから聞こえてくる引き攣った声に、私は心底同情したのだった。

 



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第4話「予選トーナメント」

 学生闘技大会には我が校から4席分用意されている。

 男女2席ずつだ。

 学内トーナメントの優勝者、準優勝者が学生闘技大会へと参加する。

 

 優勝は華だとして、私も頑張れば参加券を手に入れられるだろう。最悪一般枠から出るという事も可能なので、そちらを利用することになる。

 

「え、華出ないの!?」

「うーん、そこまで頑張りたくないかなって」

 

 そんな私の目論みは、意外な形で裏切られた。

 

 中間試験も無事終わり、ホッとしたのもつかの間。次なるイベントの闘技大会についての説明がされた。

 昼休み、参加用紙に記入していた時に、何気なく華が参加を否定したのだ。

 

「……まあ、ハイレベルな戦いなら全力出す必要あるかもだしね」

「全力って、何か問題あるの?」

 

 記入を終えたのか、それともこいつも参加の意志がないのか、零次が話に入ってきた。

 

「俺は授業中にもう書いたから。それで、全力って?」

 

 私は華に視線を向けた。

 案の定、華は説明をしたくないようだった。

 

 それはそうだろう。華の能力は竜への変身で、竜というのはかなり大きい。そして大きくなるのは自分だけなので、服が破けてしまうのだ。

 

 完全な変身には、全裸になるという多大なるリスクがある。

 彼女が話すのも嫌がるのは当然だった。なので親友として言った。

 

「それ以上詮索するなら殺す」

「え、えぇ。分かったよ」

 

 話を続けるのは止めたようだが、立ち去る気はないようだった。空いた席に適当に座ると、記入用紙に書き込んでいる岳人へと話を振った。

 

「意外だな、岳人はこういうのに興味ないと思ってた」

「……興味ない。興味はないが仕方がない」

 

 心底嫌そうに十字岳人は言った。

 

 彼は上官命令をしっかりと全うするようだ。

 

 彼の視線がこちらに向いた。

 不意打ち気味だったのでドキリとする。

 

「時巡も、興味がないと思っていたが」

「優子は負ける戦いはしないもんね。確かに意外かも」

「確かに負けず嫌いだもんね」

「うるさいよ。私だって、自分がどこまでやれるか興味あるの」

 

 実際、制限下でどこまでやれるかは興味ある。

 興味はあるが、やはり能力者探しが本命。自分の実力は3()()()だ。

 

(2番目は()()()との接触)

 

 ()()()。姓のない女。

 無効化能力を持つあの白い少女の名だ。

 

 結局のところ、分かったのは盗み聞きから得たその情報だけだ。

 おそらく真っ当な産まれではあるまい。

 

 彼女を匿っている男については詳細が知れた。

 

 水無月(みなづき)竜輝(りゅうき)。都内に2つある能力科のうち、私たちが通っていない方の高校に所属している1年生だ。

 

 雷の能力を持つが、完全な素人。

 ただ正義感が強く、そして喧嘩っ早い。

 

 中学2年生の折、いじめを止めるため電撃放射を用い、その場にいた者全てを病院送りにしている。無論、いじめられていた者も含めてだ。

 それからは能力に向き合うことにしたようで、能力科に進学することを決めた。

 といっても、我流であり大した強さでもない。

 

 だがもしも、闘技大会に出場できたなら、接触のチャンスになる。

 彼と仲良くすればアリスの確保もしやすくなるだろう。保護という形で。

 

(結局、能力のことはよく分からないままだし)

 

 思い出すのは、ホークアイの解剖に口出ししてきた館長(私が集めた能力者たちの管理者)とのやり取りである。

 

「解剖などと、正気ですか『コレクター』」

 

 どこから聞きつけたのか、館長が電話口で怒鳴ったのだ。

 

 私はてっきり展示品が失われたことに文句を言うのかと思ったが、意外にもそういった事に忌避感があったらしい。と感心したのもつかの間、こいつは言った。

 

「それではツギハギだらけの剥製になってしまうではないですか!」

「…………は?」

 

 つまりは、彼はホークアイの剥製を欲しがっていたらしい。

 

 彼はミュージアム、即ち博物館の館長であることに並々ならぬ拘りを抱いてしまったらしく、能力者の剥製を展示したいようだった。

 生死に拘らない筈である。むしろ死んだほうが都合が良いのではなかろうか。

 

 頭痛がした。あのサイコの上司だという事実にだ。

 私は悪人になることは許容したが猟奇犯になるつもりまではなかった。

 

 結局、彼の意思を尊重して皮は綺麗に剥ぎ取り解剖したが、能力の詳細は分からずじまいだった。哀れホークアイ。

 

 怪訝な顔をしているだろう私に華は言った。

 

「どしたの?」

「いや、ちょっと。嫌な事思い出した」

 

 何はともあれ。

 私は自分のやるべきこと――記入用紙への記載を終え、トーナメントへ想いを馳せるのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 応募者は三十人。つまりは5回勝利すれば優勝で、その一戦を俺は勝利で飾った。

 

 相手は3年生だったらしいが、俺からすれば所詮は素人。当然の結果だった。

 

「いやあ、トーナメント表を見た時は駄目かと思ったけど、危なげない勝利だったな岳人」

 

 零次の労わりに「当然だ」と返す。

 彼は呆れた表情を見せたが、特に苦言を呈するでもなく言った。

 

「女子の部は、次は時巡らしいぞ。見に行こうぜ」

「ああ、そうだな」

 

 男子は砂のグラウンドだが、女子は人工芝のグラウンドが会場だ。

 能力によっては人工芝が破壊されることになるだろうに、問題ないのだろうか。

 

 要らない心配をしている間に、目的地に着いた。

 ちょうど今から始まるようだ。

 

「小鳥遊は、どこだろう。人が多くて分からないな」

「探している間に試合が終わるぞ。ここでも十分見える」

 

 女子の部は、男子に比べて随分人が多いようだった。

 純粋に戦いを見に来たやつが少ないのは、男子どもの顔を見れば明らかだったが。

 

 困った奴らだが、素人など所詮はそんなものだろう。

 試合は両者向き合い、審判が手を上空に真っすぐ伸ばしていた。間もなく始まる。

 

 審判が手を勢いよく下ろした。

 

 空気が張り裂けたような爆音が響く。

 同時に、時巡は両腕を交差させ、大きく後退していた。

 

「風の放出、操作か」

「それも結構な威力に思えるけど。何今の音」

 

 確かに威力は高そうだが、今のは所詮初撃でしかない。

 真の恐ろしさを目の当たりにした零次が唸るように言った。

 

「えぐ。近づけないじゃん」

「……器用だな」

 

 対戦相手は、暴風を周囲に張り巡らせていた。

 まさに小型の台風である。

 

 しかもそれだけの操作能力を保ちながら、風の大砲を時巡に飛ばしているのだ。

 

 時巡は大砲を躱し、次の装弾が済むまでに台風を突破しなければならない。

 

(さて、どうする?)

 

 時巡は大砲を避けると地面に手を突き刺し……いや、あれは掴んでいるのか?

 

(まさか……)

 

 嫌な予感が的中した。

 時巡が人工芝を引きはがしたのだ。

 

 ここの人工芝は大きな一枚のシートだ。

 芝がうねり、大きな波となって風の能力者を襲った。

 

 大きく体勢を崩し、風の制御も解かれる。

 無論、その隙を見逃す時巡ではない。

 

 その驚異的な身体能力を発揮し、瞬時に距離を詰め突きを放った。

 鳩尾に命中し、相手は時巡へと力なくもたれかかる。勝負ありだ。

 

 

 

 *

 

 

 

「あんなに怒ることないと思わない?」

「いやあ、あれは流石に怒られるでしょ」

 

 機転を利かして勝った私だったが、先生にこれ以上はないほど怒られた。

 先生達の赤かったり青かったりする顔は大変おもしろかったが、怒られるのは不快である。

 

 そして愚痴すらも私の友人たちは許してくれないようで。

 ヘラヘラと笑う華と零次を私は半目で睨みつけた。

 

「おっ怖ぁ」

「流石の目力だね」

 

 零次はこれ見よがしに肩をすくませて、「でも」と続けた。

 

「あの対戦相手、優勝候補だったみたいだ。次からはグレーなことしなくても勝てるんじゃない?」

「だと良いけどね」

 

 問題は、ノーマークの相手が想定以上に強かったこと。

 私の知らない強者の可能性。

 

 それこそアリスのような、凶悪な能力者が隠れ潜んでいるのかもしれないのである。

 

 私は身震いした。

 

(それは同時に希望でもある)

 

 未だ影さえ見せない異世界への扉を開く能力者が、目前に現れるかもしれないのだから。



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第5話「進む策略とトーナメント」

 アリス達に動きが入った。

『真世界』が彼らに接触したと報告があったのだ。

 

 戦闘行為ではなく、あくまで匿っていた水無月家との話し合いであったらしい。

 彼らの家に仕掛けた盗聴器によると、

 

「アリスお嬢様は、皆様ご存じでいらっしゃるかもしれませんが、特異な能力をお持ちです」

「昨今、『コレクター』と名乗る者による能力者狩りが横行していることはご存じでしょうか。御屋形様にとってアリスお嬢様は宝も同然。故に過剰とも云える秘匿を行っておりました」

「お嬢様にとって不便であったのは、我々にとっても心苦しいことであったのは間違いありません。お嬢様が逃げ出したのも、無理からぬことでしょう」

「ですが、これも全て御屋形様がお嬢様を愛していたが故なのです。どうか、御屋形様をお許しし、戻ってきて頂けないでしょうか」

 

 ホークアイの敵対行為をまんまと利用されてしまった。

 相手が強硬手段に移らなかったのは、アリスの能力を恐れてか、計画に彼女の協力が必要だからか。

 

『真世界』の男に対する、彼ら家族の反応はこうだ。

 

「うん、私も親だ。子を愛する気持ちはよく理解できる。しかしねえ、ならばこそ当人が来るべきじゃないのかね」

「無理を言っては駄目よ。でもそうね、やっぱり直接お話したいわ。ご多忙であるようですし、赴けないのは仕方がないにしても、私たちが訪問するのは如何でしょうか」

 

 過ごした時間は短いだろうに、随分と彼ら家族はアリスを気にかけているようだった。

 それに対して男は暫し考える素振りを見せかのように唸った後言った。

 

「確かに、御屋形様が直接訪問すべきでした。知らず知らず()いていたようです」

「御屋形様は多忙の身ではありますが、お嬢様のためならお時間も作れましょう。それまでは心苦しいですが、お嬢様をよろしくお願いいたします」

 

 ですが、と男は言った。

 

「『コレクター』の魔の手がいつ襲ってくるか分かりません。こちらとしてはせめて護衛を住まわせたい。それだけは、お許ししていただきたいのです」

 

 その護衛とやらは家族に了承されたようだった。

 

 聞き覚えのある声で、護衛を名乗る女は言った。

 

「初めまして、青木(あおき)(こころ)と申します。短い間になるとは思いますが、よろしくお願いします」

 

 青木心。()()()()()()()()能力者。

 護衛としては、あまりにも不適切な存在だ。

 

 つまりはまともに話し合いなどする気はないのだろう。

 

(引き取りが難航すると踏んでか、親代わりを用意できないのか。何にせよ私にとっては都合が良い展開だ)

 

 そうと決まればこちらも能力者を派遣する。

 携帯電話を取り出し、

 

「私の用かな? 『コレクター』」

 

 そのままポケットに仕舞う。

 いつの間にか目前に現れた少女(少女といっても私と同い年だが)に視線を向けた。

 

 相変わらず酷いクマだ。焦点の定まらない瞳からは正気を感じられず、初めて会った時は青空のようだった髪もぼさぼさで、艶を失っている。

 彼女の名前は青木(あおき)霧江(きりえ)。青木心の妹である。

 

「真希絵を通せって、いつも言ってたと思うんだけどな」

「いなかったよ。補修中だったよね」

「……ああ、そうだった」

 

 霧江は続けて言った。「それに、あなたと私の仲でしょ!」と。

 

 霧江は私が5歳の時、活動を開始して早い段階で拾った。

 だからまあ、付き合いは確かに長い。

 

「まあいいや。ところで君は今日は何日眠ってないの?」

「3日ぐらい? まだまだいけるよー!」

「3日ね。じゃあ一番盛り上がってる時に当たってしまったわけだ」

 

 霧江は眠ることを極端に恐れている。

 それは彼女の能力が夢に入り込む力であり、制御が出来ていないために自らの力を恐れているからだ。

 

 夢とは深層心理、その人の心そのものだ。

 夢に入り込むとは、即ちその人の心を操ることを可能とする。

 

 彼女は無意識に姉の夢に入り込み、そして心を破壊してしまった。

 それからだ。彼女が眠ることを恐れるようになったのは。

 

 責任の一端は私にある。

 当時は彼女の能力を便利に使い、精神を消耗させていた。

 だから彼女自身、無意識に攻撃的になり、能力の暴発に繋がったのである。

 

「時期が来たら指示するよ。だからそれまで遊んでて」

「なんだ。じゃあさじゃあさ、何して遊ぼうか」

「うん、また今度ね。真希絵が来たら何処へなりとも連れて行って」

 

 能力を発動するには自発的に眠ってもらう他ないが……。

 

(また薬使うか。体に負担が掛かるけど仕方がないね)

 

 仕方がない。仕方がないのだ。

 

 

 

 *

 

 

 

 学生闘技大会の予選は順調に進み、男子の部ではこれより決勝戦が行われようとしていた。

 2回戦落ちの零次と、そもそも参加していない華がそれぞれ言った。

 

「前から薄々思ってたけど、やっぱ岳人強いのね」

「重力操作が弱い訳ないしね。これは行けるんじゃない?」

 

 私も決勝戦を控えているが、諸事情により同じグラウンドでの試合になるので、時間は被らない。こうしてゆっくり観戦できるのである。

 しかし決勝ともなれば相手もそれなりにやるのだろう。気になった私は零次に問いかけた。

 

「相手は何の能力なの零次?」

「変身能力だね。鉄のゴーレムに成るらしい」

 

 変身。それも鉄か。そりゃあ強い。

 

(でも私が欲しい能力じゃないね。戦力として勧誘するかは、この戦い次第かな)

 

 審判が手を下ろす。

 両者互いに能力を発動した。

 

 相手は全身を3mほどの黒鉄の巨人に変え、そして地面に足を埋めた。

 いくら鋼鉄の巨人とはいえ、それほどの重量はない。岳人が重力を強めたのだ。

 

「う、オオオオオォ!!!」

 

 ドシン、と。その巨体が咆哮と共に足を進める。パワーも相当にあるようだ。単純な重力操作では勝てる相手ではないようだが。

 

 ゴーレムが突如加速した。

 岳人が重力操作を解いたのだ。

 

 急速な変化に対応しきれず、ゴーレムは岳人を通り過ぎて倒れ込んだ。

 

 ゴーレムは立ち上がらない。それどころか、苦悶の声を上げている。

 

「どうしたんだ?」

「んー、ゴーレムって血も出ないんだね」

「それって……あ、足取れてるじゃん!」

 

 華の言う通り、ゴーレムには右足が欠けていた。

 岳人は右足にのみ加重を加え、ゴーレムの力を利用する形で引きちぎったのだ。

 

「む、ウゥ。……まいった、降参だ」

 

 一通り唸った後、ゴーレムは降参した。

 まだまだ戦えそうだったが、片足を欠いてでも戦うガッツがなかったか。

 

(あるいは、本戦を見越して手札を隠したか。勧誘は保留かな)

 

 準優勝でも出場権はある。

 ならば今無理をして戦う必要もないのは確かだ。

 

 そして私の戦いとなったが、1回戦の相手が優勝候補だったというのは確かな情報らしく、決勝戦も私が勝利を飾った。

 

 1年生が男女ともに優勝を飾ったのは多くの人にとって予想外だったようで、私たちは一躍有名人となった。

 

 

 

 *

 

 

 

 異能取締課のとある一室にて、2人の男女がテレビの前に行儀よく座っていた。

 その光景を見て、十字岳人は言った。

 

「何を、何を見ているんですか2人とも」

「岳人の学校でやってたトーナメントの決勝戦だけど。ちゃんと学校通ってる?」

 

 見れば分かる。

 一体何時、誰が撮ったのか。画面では時巡が縦横無尽に立ち回っていた。

 

 ユリさんの煽るような物言いに、俺の眉は釣りあがったようだった。

 口内で舌を噛み、精神を落ち着ける。

 

 俺はもう一人の視聴者である高橋所長に話しかける。

 

「で、何やってるんですか」

「そりゃあお前、身内の活躍はチェックしなきゃでしょ」

「所長、理由になってないです。時巡の試合を見る理由になってないです」

 

 振り返った所長は鼻の下を伸ばしていた。「このエロオヤジが」そんな内心を隠し、俺は努めて冷静に言った。

 

「それで、どうして隠し撮りを? 言い訳次第では隣の部屋に通報しますけど」

「ごめんね、真面目に話すからその目は止めて。あと通報も」

 

 所長は録画を一時停止し、すぐさまユリさんが再生した。

 

「ユリ君?」

「所長は十分堪能したでしょ。私は優子ちゃんの活躍もっと見たいの」

「まあ、良いけど……。で、岳人。理由だけどな」

 

 所長は明らかに録画に未練があるようで、視線がテレビと俺を往復していた。だが決心はついたらしい。話は進めるようだった。

 

「優秀な能力者はどこも喉から手が出るほど欲しいのは知ってるだろ?

 いつもなら就職活動を通して、向こうからアピールしてもらうことが多いけど、今回は別なわけだ」

 

 なるほど。闘技大会では(戦闘能力に限った話だが)優秀な能力者が浮かび上がってくる。青田刈りをしようということだ。

 そして、俺は自身の過去に思いを寄せた。

 

(俺の場合はかなり特殊なケースだったな)

 

 両親以外の身寄りがなかった俺は、あのテロの後孤児院に入ることに決まった。

 そこでたまたまユリさんに出逢い、偶然俺の能力が戦闘に向いていて、計らず人手が不足していた。そんな奇跡の産物はそうそう居ないだろう。

 

 所長は「それもあるが」と言い、続けてこう言った。

 

「欲しがるのは俺達だけじゃない。アングラな連中も欲しがるのが問題だ」

「……確かに、より戦闘能力を欲しがるのは奴らでしょうね」

 

 人目に付くのも一長一短だ。

 必要ならば俺達の方で保護することもあるだろう。そのためにも、俺達も出場者を把握しておく必要がある。

 特に俺達の高校は最も優秀な能力者が集まるともっぱらの評判だ。メディアの目に触れる前に確認の必要がある。

 

(そうか、だからユリさんは学生をやっていたのか)

 

 突然制服姿を見せた時は、何故コスプレをしているのかと思ったが、監視のためだったか。今流れている動画もユリさんが撮ったものだろうか。

 

「しかし、この子本当に凄いな」

 

 所長は既にテレビへと体を向けていた。

 食い入るように見ている姿から先ほどのエロオヤジ、という考えが頭をよぎったが、しかし所長はどうも本当に感心しているようだった。

 

「所長の目から見ても彼女は優秀ですか」

「おう、エネルギー量もそうだけど、コントロールが完璧だ」

 

 所長の能力は超能力を可視化する。

 通常見られることのない、エネルギーを可視化するのだ。

 

 時巡のエネルギーはその身体能力から膨大であることは分かっていたが、その制御能力まで高いのは予想外だった。

 

「ふうん、どれくらい凄いの?」

 

 ユリさんが俺も気になっていたことを質問した。

 

「いや本当に完璧だ。俺と同じくらいじゃないか?」

「いやいや、それはないでしょ」

 

 ユリさんが言うように、それはありえないだろう。

 可視化できる人間と同等の練度など、どうして得られるだろうか。

 

「本当なんだけどなあ」と所長はボヤいた。

 

「ま、画面越しじゃあ見え方も変わるでしょ」とユリさんは言い、続けてねっとりとした口調で言った。

 

「それより岳人ちゃんさあ」

「……何です」

 

 できれば聞きたくなかったが、逃げたところで後日追及されるだけだ。

 

「もうチューぐらいはしたのかな?」

「……俺と時巡はそういう関係じゃないです」

「いーまーはー、ね。でーもー?」

「お、何々。何の話?」

「何でもないです所長。お気になさらず」

「あのねー、所長ねー、岳人はねー」

 

 その後、根も葉もない話が所長に共有されたのは言うまでもない。

 

 

 

 *

 

 

 

「それじゃあ、作戦は大方上手くいったんだね?」

 

 電話口からの返答は肯定を示すものだった。

 

 青木霧江に任せたのは、水無月竜輝の夢に入り込み、青木心が敵だと理解させることだ。

 

 青木心の作戦は水無月家に入り込み、その能力により些細な悪意を増幅し、一家を離散させることだと当たりはついた。

 だから限界まで状況を悪化させた後、霧江の能力により心の悪行を認識させる。

 

 私の想定通り彼は正義感を発揮し、そして私の想定以上に上手くやったようだ。

 

 私はてっきりアリスの能力で心を排除するかと思ったが、策略を以て悪行を暴き、最後は力づくでアリスを取り戻そうとした心を追い払ったのだと。

 

(正直青木心は排除して欲しかった)

 

「ところで霧江は?」

 

 電話口の監視者は答えた。

 

「え、調子良いの。何で? いや、良いけどさ」

 

 何故か、霧江はトラウマを払拭したようだった。

 一部始終を監視していた監視者にも分からないようだったが、何かあったのか。

 

(いや、良いけど)

 

 機会があれば本人に聞けば良い。

 

 アリスの確保は一段と難しくなったのは否めないが、『真世界』の連中はより夢中になるだろう。我々が背後から迫っていることすら忘れて。

 

(私も本戦に進んだ。水無月竜輝の懐に入り込めば、対応も容易になる)

 

 アリスだけが気がかりだったが、青木心への対応を見るに、彼も使うのに忌避感があるのだろう。リスクはあるが、アリスに直接接触するのもありかもしれない。

 

(全ては大会で、だね)

 

 いや、その前に夏休みか。

 

(華と岳人、後零次でも誘って遊びに行こうか)

 

 私は夏休みの計画に想いを馳せた。



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第6話「夏休みの選択肢」

 夏休み。

 学生ならひと月もの間、羽を伸ばす期間だが、働き者の私たちには関係のない話だった。

 

 歓楽街のとあるビルにて、相も変わらず私は報告を聞いていた。

 

「随分と、派手に動いたね」

「ええ、いい迷惑です。我々も動きづらくなりました」

 

 街の景観に全くそぐわない喪服のようなスーツに、サングラスを掛けた男、『真世界』対策チームの代表、小野川が同意を示した。

 

『真世界』の馬鹿どもは大きく動いたのだ。

 

 ファミレス立てこもり事件。

 一見何の関係もないその事件で犯人はあるメッセージを報道に乗せた。

 

『ハートのクイーンはお怒りだ。でも、ギロチン送りはお前じゃない』

 

 不思議の国のアリスがモチーフか。

 しかし何とも分かりやすい脅迫だ。そのファミレスでは、水無月竜輝の友人がバイトをしていたのだから。

 

「しかも水無月竜輝が解決しちゃったものね。少し調べればアリスに辿り着いちゃうものね」

「ええ、しかし我々の介入が知られる方が問題だ。情報操作も控えています。よろしかったですね?」

「うん、それで良いよ。警察関係の動きはどうかな」

「彼らも()()()()()()()のようです。『真世界』に手を焼いているのは彼らも同じですから」

 

 3勢力に監視されて、水無月家可哀そう。

 しかもその内の1つは積極的に害して来るのだ。かわいそ。

 

「今回の犯人はどうやら使い捨てのようでしたが、一応留置所を襲撃しておきますか?」

「いやあ、そこまではやらなくて良いよ。過去接触したやつは?」

「取り調べによると、記憶操作の疑いが濃いようです。本人から得られるものはなく、どうにも元より所業も悪いようで、接触者を絞りきれません」

「そ、流石に向こうも対策してるか。膠着状態になりそうだね」

 

 小野川が退室した後、この件に岳人も関わっているのだろうかと、ふと疑問に思った。

 

(犯人は能力を使用していなかったから、彼の管轄じゃない。裏に『真世界』がいることに気がついていれば首を突っ込むだろうけど)

 

 リークさせるのも手かもしれない。

 彼は復讐者だ。事態をひっかきまわして、膠着状態を解消してくれるかも。

 

(まあ、それは膠着状態になってからだ。きっと彼にも夏休みは必要でしょう)

 

 時計を見る。

 時刻は11時30分。プールで遊んでいる本体が、そろそろ昼食を取ろうとしている時間だろう。

 

 私は隣室に居る真希絵を呼んで言った。

 

「真希絵、今日は寿司食べよう。出前頼んどいて」

 

 真希絵が大げさに喜声を上げた。

 どうだ。プールで寿司は食えんだろう本体め。

 

 

 

 *

 

 

 

 分身の一体が大トロを食べている時、私は湿った椅子に座りラーメンを食べていた。

 

「どしたの?」

「いや、ラーメンだなあって」

「うん、見るからに普通の醤油ラーメンだね?」

 

 華は不思議そうに答えた。

 私は分身と味覚と嗅覚の共有はされていない。目と耳だけだ。

 この場合、それが幸運だったのかは判断に迷うところだった。

 

 対面でオムライスを食べている岳人を見る。

 

(特に変わった様子はないし、やっぱり『真世界』の動きは掴んでないか)

 

 彼は私の視線に何を勘違いしたのか言った。

 

「……やらないぞ。欲しいなら自分で頼め」

 

 私そんなに物欲しそうだった?

 でも敢えて私はこう言った。

 

「えー、良いじゃん一口ちょーだい」

 

 身を乗り出して口を開ける。

 

「俺はやらないと言った」

「良いじゃないか岳人。一口くらい」

「そうだよあげなよ岳人」

 

 零次と華、2人の援護のかいもなく、岳人は決してオムライスを私の口には運ばなかった。

 

 

 

 *

 

 

 

 夕日がアスファルトを紅く染める。

 大地に沈みゆく太陽が、2つ並んだ影を大きく引き伸ばしていた。

 

 私は一歩大きく進み、太陽を背にして岳人へと振り返った。

 

「今日は楽しかった?」

 

 私たちの家は歩いていける距離だ。

 駅からの帰路は必然2人きりになる。

 

 岳人は苦そうな顔をした。

 特に返答はなかったが、それで十分私には伝わった。

 

「そ、良かった」

 

 私は再度半回転し、彼の隣に並ぶ。

 

「ねえ、岳人」

 

 私は言った。

 

「憎しみは、まだ消えてないかな?」

 

 彼の歩みが止まる。

 私は少し先行し、また半回転。彼に向き直った。

 

 彼はたっぷりと時間をかけて言った。

 

「お前は、何なんだ?」

 

 私は「今は秘密」と答えた。

 

『真世界』との闘争。

 本部の分身はあくまで慎重に振舞う方針のようだが、私は違う。

 

 待つのは嫌いだ。だから間接的にではなく、直接、彼に発破をかける。

 

「貴方が知りたいのは、私のこと? それとも」

 

 そこで言葉を切る。

 もしも、もしも彼が復讐ではなく、私の正体を優先するなら、それで良い。

 正体を明かす気は更々ないから、今まで通り、疑惑と共に友情を育むだけだ。

 

 果たして岳人は――

 

「知っているのか?」

 

 ――彼は、復讐を選んだ。

 

「『ハートのクイーンはお怒りだ。でも、ギロチン送りはお前じゃない』」

 

 彼は踵を返した。

 家に帰るのは取り止めらしい。

 

 私はその背中を眺め続けていた。

 

 

 

 *

 

 

 

 異能取締課へと赴いた岳人は所長に足止めを喰らっていた。

 

「今日は残念ながら閉店時間だ。明日来い」

 

 有無を言わせぬ口調だった。

 口調と同じく、ドアの前から彼は一切動かない。

 

 これは梃子でも動かないだろう。

 調べごとは多岐にわたる。用事はこの部屋だけではない。そういうことなら、彼が帰った後にまた来るだけだ。

 

 ならば留置所に行くか。

 多少怪しまれるだろうが、件の立てこもり犯はまだあそこに居る筈だ。

 

 踵を返すと、肩を掴まれた。

 努めて冷静を振舞い、所長へ向き直る。

 

「何でしょうか」

「まあ待てよ。閉店時間だが、コーヒーぐらいは出せる」

 

 頭の中に天秤を浮かべる。

 ここで逆らい留置所へ行くか、コーヒーを飲み部屋での目的を達成するかだ。

 

 目的(コーヒー)に傾いた。

 実のところ、比べるまでもないことだ。俺の権利は全てこの人が握っているのだから。

 

(……冷静になれ、俺)

 

 自分に言い聞かせる。

 

「ま、とりあえず座れよ」

「……はい」

 

 適当な椅子に座り、ユリさんからコーヒーを手渡される。

 ちょうど入れている最中だったのだろう。コーヒーはかなり熱かった。

 

 俺は覚悟を決めて、一息で飲んだ。

 喉が、次いで胃が焼けるように熱い。

 

「あ、お前。インスタントとはいえな、もっと味わって飲めよ」

 

 所長が言うが、知ったことではない。

 

 俺は立ち上がり、めまいと共に再び椅子に倒れ込んだ。

 

「……こ、これ、は」

「悪いな。睡眠薬だ。お前には休息が必要みたいだしな」

 

 やられた。

 しかも、ただ眠らせるわけではない筈だ。

 

 うちには眠った相手に自白させる能力者がいる。

 

「……く、そ…………」

 

 眠りには抗えず、俺の意識は落ちた。

 

 

 

 *

 

 

 

 眠りについた十字岳人の額に、恰幅の良い女性が手のひらを乗せた。

 

 彼女の手からエネルギーが岳人の脳内に流れるのを確認しながら、異能取締課所長の高橋次郎は言った。

 

「ユリさん、やっぱ優子ちゃんが原因だと思う?」

「だろうね。情報源そこしかない筈だし」

 

 時巡優子については、4月の時点で上層部から連絡があった。

 

 曰く『時巡優子への、十字岳人以外の接触を禁じる』だ。

 当然物申したが、有無を言わせぬ調子だった。

 

 岳人にとっても良い影響を及ぼしていると判断したからその場は引き下がったが、この様子ではもう一度挑むべきだろう。

 

「終わりましたよ、高橋さん」

「お、もうか。流石速いですね」

「ええ、依頼通り今日1日の記憶ですが」

 

 そして彼女の語った1日の最後、時巡優子に岳人が言われた言葉が問題だった。

 

「なるほどねえ、知らされちゃった訳か」

「その言い方、私にも黙ってたね所長」

 

 ユリさんには悪いが、秘密を知る人間は少ないほうが良い。

 

『真世界』の存在が岳人を暴走させることは明白だった。

 同じく理解しているであろう、時巡優子が敢えて知らせた意図はなんだ。

 

(正体が分からないんじゃ、予想も意味ないか。嫌だねえ、身内を疑うなんて)

 

「ユリさん、岳人のフォローよろしくね」

「はいはい、子供の面倒を見るのは年長者の役目だしね」

 

『真世界』そして時巡優子。

 その両者が動く前に、真相だけははっきりさせたいものだ。

 

 半場玉砕覚悟で別室――別名敵地へと足を運ぶのだった。



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第7話「『真世界』に迫る」

 私だけしか知らない情報網というのも重要だ。

 誰も知らない情報網を私が持っていると知らしめれば、裏切りも躊躇させられるだろう。

 

 そういった時はやはり分身能力が役に立つ。

 

 以前水無月家に青木心を送りこんだ『真世界』の男。

 そいつは家と会社を往復しているような男であり、家に仕掛けた盗聴器からは収穫0。つまりその会社に『真世界』に関する情報がある可能性が高かった。

 

 部下が潜入に難航しているのは報告に聞いている。

 なので、サクッと私1人で情報を入手し、私への畏怖の感情を高めてやろうということだ。

 

『真世界』の男の名は倉間洋一。

 ビル一棟をまるまる本社に所有する大手通信会社、その総務部に務めている。

 

 時刻は23時。

 チラホラと明かりがついていたが、これ以上は待てないだろう。

 

 私の現在の恰好は、28歳程度まで成長し、スーツに身を包み大きめのバッグを肩に掛けた状態だ。顔には伊達眼鏡と付け黒子。メイクも普段と変えている。

 私は路線用の地下連絡通路の壁にもたれかかって、周囲に人影がないことを確認する。

 

 ビルに潜入するには、当然厳重なセキュリティを潜り抜ける必要がある。

 だが、私は半径60m以内ならどこにでも分身を作成できる。コンクリート越しだろうと問答無用でだ。ここからならば、ギリギリビルに届く。

 

(瞬間移動と同じように扱える。同様の対策が取られかねないけど)

 

 能力者による侵入を感知するには、同じく能力者以外にない。そしてそれは感知系の能力者でなければならない。侵入側としては、感知の種類によって対策の対策も異なる。

 

(このビルの警備は熱源探知。3階より上が射程内)

 

 勿論その能力者が探知範囲を変更していたり、警備員が変わっていればその限りではない。

 だからこそリスクを踏まえ、潜入に難航している訳だが、私ならば大丈夫。

 

(分身は消せば何の痕跡も残さない。駄目元ならノーリスクというわけだ)

 

 作成した分身は予定通り、バッグから合成樹脂のマスクを取り出し被り、断熱スーツへと着替えた。

 分身を計10人作成し、用意が出来たところで各々が相談し役割を決めだした。

 

 もう本体がやるべきことはない。

 家に戻り、体が戻り次第待機中の分身と入れ替わるだけだ。

 

 

 

 *

 

 

 

 倉間洋一は職場のPCから『真世界』とやり取りを行っていたのだ。残念ながら、その会社自体は『真世界』と関わりが薄いようである。

 

 セキュリティが緩い時代故の行いだろう。

 私も悪用しているし、おかげで発見できたので感謝しかない。

 

 情報の精査は部下に丸投げしたが、彼らなら夏休みが終わる頃には整理できるだろう。

 

 そして現在8月30日になります。

 

「それで、何か分かった」

「ええ。『真世界』の奴ら、川崎に工場を持っているようです」

「へぇ! 良いね、襲撃しよう」

「お、お待ちください『コレクター』!」

 

 小野川が慌てて制止した。

 私は浮かせた腰を下ろし、彼の意見を聞く。

 

「現在『真世界』への監視が厳しいこともあり、工場は休止中です。正直旨味がありません」

「じゃあ放置するの? それは勿体なくないかい?」

「再開の予定はあるようですので、それを待ってから行うのがよろしいかと」

「工場が稼働中に襲うんだね。良いじゃないか」

 

 派手で楽しい祭りになりそうだと私は納得し、続けて言った。

 

「いつ襲撃するんだい?」

「10月の初旬。学生闘技大会の、開催中を予定しております」

「それは、うん。警備もそっちに集中するし、良い時期だね」

 

 どうせ分身が対応するので問題はないが、本体が気を取られたりしないだろうか。

 歯切れが悪かったのを気にしたのか、小野川がやや表情を硬くして言った。

 

「……気掛かりな点があれば、時期の変更を致しますが」

「いいや、変更は必要ないよ。闘技大会との、人員の配分を考えていただけさ」

 

 そう言うと、小野川は明らかにホッとしたようだった。

 

「ああ、確かに。我々にとっても重要なイベントでしたね。配慮が足りず申し訳ありません。計画自体は我がチームの人員のみで行う予定でしたので、『コレクター』の手を煩わせは致しません。お気になさらず、闘技大会にご集中ください」

 

 小野川が率いる『真世界』対策チームにも私が居るのは彼も知らない。

 だから見当違いではあるが、私は鷹揚に頷いた。

 

「それは頼もしいね。じゃあ、任せるよ」

「ええ、良い成果をお約束しましょう」

 

 

 

 *

 

 

 

 聞くところによると、岳人はより一層鍛錬に力を入れていたらしい。

 

 その一端であろうか。夏休み明け、登校していた岳人はハンドグリップを握っていた。

 その様子を見て小声で華が言った。

 

「……いや、やばくない? あれ何なの知ってる零次?」

「分からないな。夏休みはプール以降付き合い悪かったから。時巡は?」

「さあ、筋トレの秋とか?」

「秋というには早いかな……」

 

 しかし岳人の付き合いが悪くなったのは想定外だった。

 結局夏休みもプール以降は一緒に遊べてないし、これは何か対策を講じるべきか。

 

 私が悩んでいる間にも、話が進んでいたようだ。

 

「――やっぱり聞いても意味ないよね。尾行してみようか」

「良いじゃん、ちょっと楽しそうだし」

「え、尾けるの? 本気で?」

 

 本人に聞いても意味はないのはそうだろうけど、絶対まかれるだろう。

 

(なら良いか)

「そだね、双眼鏡は北村が持ち歩いてたから借りるとして、遠距離からの監視組と、予想ルートから先行しつつの近距離組にしよう」

「いいね、じゃあ私は久しぶりに飛ぼうかな」

「ああ、ドラゴンだし飛べるんだ。改めて凄いね。じゃあ俺は先行しておくよ」

 

 そして放課後。

 私は学校の屋上から双眼鏡を覗いていた。ターゲットは尾行には気付いていない模様。

 

「今のところは帰宅ルートか。職場には行かないのかな?」

 

 独り言。

 その筈であった言葉に返事が帰って来る。

 

「最近岳人は職場に来てないよ。というか来させないよ。自宅待機だからね」

「素直なんだね、じゃあ家で能力でも鍛えてるかな。重力操作のトレーニングって何だろう」

「お手玉が良いらしいよ。結構見てて面白いから、今度見せて貰いなよ」

「うーん。気になるけど、岳人は私の前でそういうのは見せないからなあ」

 

「ところで」と私は続けて振り返る。

 

 そこに居たのは度を越えて長い緑髪をポニーテールにした、伊達眼鏡の女学生。

 岳人の同僚であり、()()()()の能力者であるユリだ。

 

「初めまして、ユリさん。私には接触しないんじゃなかったかな」

「初めまして、優子ちゃん。破って良いルールと悪いルールがあるんだよ。先輩からのアドバイスね」

 

 どの時代から生きているのか、それすら記録にない女だが、倫理観のアップデートは済ませていないようだった。

 今接触してきたのは、遂にしびれを切らしたからか?

 

「それで、何か用事でも?」

「優子ちゃんの正体についてだね。何者?」

 

 ちゃん呼びが不快だけど、こいつは言っても辞めないだろうなと思う。

 

 それはそれとして、正体か。

 私は書類上では公安に所属していることになっているが、こいつはどこまで知っているだろうか。

 

(嘘も真実も教えてやる義理はないか)

「高校一年生で、学生闘技大会出場者だね」

「既知の情報ありがとう。これで私たちは友達だね」

「違うね、私はお前のこと嫌いだし」

「正直だね。私は優子ちゃんのこと好きだよ、優子ちゃん」

「……」

 

 こいつ、何が目的だ?

 私が取り付く島もないのは見せたが、だからって苛つかせても意味がないだろうに。

 

(そもそも接触禁止なのだから、情報を出す気がないことは事前に理解していた筈。……嫌がらせか? 流石にそれはないか)

 

 情報じゃない。排除はこの状況では難しい。

 

(……状況。まさか足止めか?)

 

 私は双眼鏡で改めて岳人を探す。

 案の定、既に彼の姿は見当たらなかった。

 

「……子供の遊びに対して随分な――」

 

 振り返った時にはもう奴はいなかった。

 

 私は唇を噛み、震える手で電話を掛ける。相手は華だ。

 

「……うん、見失った。華も? どの建物? ああ、あのビルね。……いや、もう良いでしょ、解散しよ。零次には私から電話しとく。……うん、じゃあまた明日。ばいばい」

 

 私は零次に電話を掛けたが、繋がった瞬間すぐに切られた。再度掛け直す。

 

「もしもし、こっちは見失ったけど、そっちは? やっぱり? うん、華もだよ。残念だけど、今日は解散ね。……また明日」

 

 零次も見失ったらしい。

 まあ、元から彼には期待していない。

 

「……」

 

 ユリが出張ってきたのだ。何か私の知らない密命を岳人は帯びており、そして零次もまた見失った。

 

(『コレクター』として、部下を動かす? いや、このタイミングでは私と『コレクター』の繋がりを示唆しているようなものか?)

 

 知らず知らず握っていた携帯に皹が入っているのに気がついた。

 多分、私は今冷静な判断が出来ていない。

 

(そもそもユリは本当に帰ったのか? 私が誰かと連絡して、その通話を傍受するつもりかも)

 

 疑えばキリがない。とはいえ、一度疑心暗鬼に取りつかれてしまえば、持ち直すには時間が必要だ。

 

 私は大人しく帰宅することにした。

 それで今日の出来事はお終いだ。

 

 

 

 *

 

 

 

「こっちも見失っちゃったよ、ごめん。小鳥遊も? ……分かった、それじゃあまた明日学校で」

 

 零次は電話を切りこちらを向いた。

 

「これで良かったのかよ岳人」

「ああ、問題ない」

 

 ビルに入った俺は、尾けてきていた零次に言った。

 時巡も本気で俺の後を追っていたわけではあるまい。今日のところはこれで良い。

 

「で、だ。友人としては、やっぱ気になるんだよね」

「……関係ないだろう、帰れ」

 

 目的地へと向かおうとする俺の肩を零次が掴んだ。

 

「……離せ」

「お前が話せよ、岳人」

 

 掴まれた肩に冷気が走る。

 これは意思表示だ。絶対に引く気はないのだと云う。

 

「……チ」

 

 舌打ちする。

 これが敵ならば楽に対処出来たものを。

 

 やはり人と関わるべきではなかったのだ。

 敵でも味方でもない。友人と名乗る者達は、俺にとって最も重篤な障害に成りうるのだとようやく理解した。

 

「……良いだろう、話してやるよ」

 

 ならば、俺は捨てる。

 最早この男などどうでも良い。そう自分に言い聞かせる。

 

「『真世界』と名乗るテロ組織について。そして奴らのアジトをな」



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第8話「本戦開始」

 学生闘技大会開会式が、東京ドームにて開催される。

 

 今は総理によるスピーチ中だ。それが終わり次第、控室に居る私たちが入場することになる。

 私は紫を基調とした学校指定のユニフォームに身を包み、同じ服を着た岳人へ言った。

 

「緊張してる?」

「……」

 

 最近岳人が何時にも増して冷たい。

 

 つと彼の視線があらぬ方向を向いているのに気がついた。

 視線の先に居たのは、水無月竜輝。

 

(じゃあ私のヒントは機能したわけだ。岳人もこの大会を通して彼と接触するつもりかな?)

 

 でも岳人コミュ障だし大丈夫なのかな。無理な気がする。

 

(それとも殴り合いが友情に繋がるとか、そういう?)

 

 無為な思考に意識を割いている間に、私たちの出番が来たようだ。

 

 能力科を有する学校指定枠から32名。そしてそれ以外の自由枠から2名。

 学生最強が、この34人の中から選ばれるのだ。

 

 私たちの登場に観客がわっと沸く。

 司会者が大音量のスピーカーを通して言った。

 

「試合形式はトーナメント! 男女別に戦い、それぞれのトーナメントを勝ち上がった者達が最強を競います!」

 

 そしてモニターに参加者の名前が浮かび上がり、線によって繋がれる。

 

「さあ、たった今組み合わせが決まりました! 名前が赤く浮かび上がった方は右のゲートへ! 青く浮かび上がった方は左のゲートから選手控室に移動願います!」

 

「ただし!」一層力強く司会者が言った。

 

「初戦を飾る名誉ある決闘者、時巡優子、荒木白百合両選手はそれぞれの色のついた、所定の位置へ移動ください!」

 

 互いに同じユニフォームを着た2人が向かい合う。

 

 荒木白百合。

 私と学内予選を勝ち進み、決勝戦を競い合った仲である。

 

 能力は茨の付いた蔦の生成と操作。

 前回、私は最初避ける素振りを見せ、相手の守りが薄くなった瞬間を狙い、茨によるダメージをこらえ一撃を与えて勝利した。

 

 今回は初めから自傷を覚悟で攻め続ける。

 ダメージレースで競り勝てる相手だ。

 

 私が試合を組み立てている間にも、司会者がルール説明を続ける。

 

「今両選手が立っている一辺80m、正方形の石畳がバトルフィールドになります! 石畳以外に体をつけたその瞬間、当選手は失格となり相手が勝利します!」

「そして、殺害した場合も失格となります!」

「以上がルールとなります! 選手両名、準備はよろしいでしょうか!」

 

 私と荒木白百合が同意を示す。

 

 審判がこちらに向かってくる間、荒木白百合が口を開く。

 

「時巡さん。もしも、私が以前と同じ戦法を取るとお考えなら、改めたほうがよろしくてよ」

「へえ、つまり君は、以前は実力を隠していたわけだ」

「ええ。そして、初戦が貴方で幸運でした」

 

 審判が配置に付く。

 間もなく戦端が開かれる。

 

 荒木白百合はそれに構うことなく続けた。

 

「貴方に私は倒せない」

 

 審判が手を降ろす。

 その瞬間、私は速攻をかけ、荒木白百合は自身を中心に茨を展開し、球体と化した。

 

 私は構わず蹴り飛ばし、しかし場外から余裕をもって止まった。

 

 だがもう二度三度で場外まで蹴とばせる。

 確かに決定打はないが、ルールが悪かった。倒せずとも私の勝ちだ。

 

 その私の予想、いや、思い上がりはすぐさま叩き潰される。

 

 球体は円柱に肥大化し、手足が生えた。

 比喩ではない。その蔦は正しく手を、足を象っていたのだから。

 

 10mはあろう、蔦の巨人は一歩踏み出した。

 石畳が悲鳴を上げたようにひび割れた。

 

()()()()2()……」

 

 意図せず口から漏れた。

 

 あの巨人は、明らかに蔦の操作などという段階(ステージ)を越えている。

 

 再定義による能力の更なる発展。

 天才が晩年に漸く至るというそれに、この女は到達しているというのか。

 

(そんなことが……可能、なんだろうな。切り替えるしかない)

 

 今は、この難敵に立ち向かわなければならない。

 

 巨人が手を振り上げる。

 怠慢な動きに見えるそれは、しかし終端速度は恐ろしい速さで、威力は想像を絶するものになることは容易に想像できた。

 

 その拳を私は余裕をもって大きく避ける。

 砕けた石畳が弾丸のように私を襲うが、それは大した問題ではない。

 

 蔦の巨人の拳の周囲が、不自然にひび割れていく。

 拳による衝撃ではない。それならば今も割れ続ける筈がない。

 見れば、巨人の足元も同様に、ひび割れが侵食していた。

 

「ッ!」

 

 その意味は理解できた。

 あれは、蔦が地面の中を伸びているのだ。間もなく姿を現し、フィールド全体を覆うだろう。

 

 無論、それは私に致命的なダメージを与えられない。

 動きを阻害するのが精々で、しかし十分な働きだ。

 

 動きを止めれば、巨人がとどめを刺すのだから。

 

「はぁ」

 

 私は大きく息を吐いた。

 覚悟を決めなければならないからだ。

 

「フフ」

 

 そして次の瞬間、勝利を確信しているだろう荒木白百合を嘲笑った。

 実力を隠していたのは、何もお前だけではないのだ。

 

 私はこの闘技大会で、初めて能力を使用する。

 

 本来使うつもりはなかった。

 だが、流石に一回戦敗退では格好がつかないだろう。

 

 私は巨人の腕を駆け上る。

 ここにきての特攻は読めなかったのか、動きが止まる。

 

 巨人が再起動した瞬間、私は跳躍し、巨人の頭部に着地する。

 そして茨が手に喰いこむのを構わず手をつき、そして叫んだ。

 

「朽ちろ!」

 

 能力を発動する。

 蔦の巨人は限界まで成長している。ならば、後は枯れるだけだ。

 

 巨人全体が瞬く間に茶色く枯れ、力を失い地面に倒れ込む。そして粒子となって消えていった。

 

 後に残るのは、目を見開いた荒木白百合と、その首を握る私だけ。

 

「ま、参りました」

 

 その言葉を以て、私の勝利が決定した。

 

 

 

 *

 

 

 

 初戦が会場に与えたダメージは深刻だった。何せフィールド全体を蔦が這ったのだ。表面だけでなく、内部までボロボロである。

 だがものの数分で修復されることになる。優秀な能力者のアピールに余念がない奴らだ。

 初戦では大した活躍は見られなかったが、回復持ちの能力者も相応に優秀なのだろう。即死でもなければ、回復させられるのではなかろうか。

 

 問題といえば、私が能力を使用し老化させたことについてだけれど。

 実際能力の解釈によって可能であろう、という推察を裏付けただけで、10年前の殺害事件を今更掘り返しはしないだろう。岳人は疑いを深めるかもしれないが、それだけである。

 勿論使わないに越したことはないし、予定もなかったが、あくまでも遊びのようなものである。今ではトーナメントの方が重要だ。

 

 試合終了後、私は控室に戻ったが、岳人も水無月竜輝も青グループの控室だった。

 

 今日の試合が全て終了し、私たちは宿泊施設に案内された。

 違う色のグループと話すなら、ここの談話室を使う事になる。私はそこで水無月竜輝と接触するつもりだ。

 ちなみにこの施設自体は、試合に負けても大会が終わるまでは使用可能だ。

 

(やっぱり負けたほうが良かったんじゃ?)

 

 水無月竜輝は誰かと既に話していた。

 あれは確か、彼と同じ学校の村田晴路だったか。

 

「やあ、隣良いかな?」

 

 多少強引でも構わない。何故なら私は美人だからだ。

 

 私は水無月竜輝の隣に座る。

 

「君は水無月竜輝君で、奥の君は村田晴路君だよね。逆シードの。私は時巡優子。よろしくね」

 

 人数の関係上、試合数が1つ多くなる組み合わせがある。ただの場繋ぎだったが、村田晴路は予想以上に喰いついてきた。

 

「そうなんだよ、昔から俺って運が無くて。あ、よろしくね、優子ちゃん」

「優子で良いよ、晴路」

 

 ちゃん付けはつい最近不快な思い出が出来たので否定する。ついでに私も君呼びは止めることにする。

 

「まずは竜輝、一回戦突破おめでとう。晴路はもう2戦して、やっと対等だね」

「ちょいちょい、もっと優しくしてくれよぉ」

「私の優しさは高いけど?」

「んー、じゃあ食後の一杯を」

「そこはご飯そのものを奢れよ」

 

 私たちの間からくすくすと笑いが漏れた。水無月竜輝だ。

 随分と控え目に笑うんだな。私のイメージでは、彼はもっと粗暴だと思ったのだが。どうにも伝え聞いた彼とギャップがある。

 

「会ったばかりなのに、随分と仲良しだね」

「私は竜輝とも仲良くなりたいな」

「逆ナンじゃん。竜輝様は流石のイケメンでございますね」

 

 確かに顔は良いが、私としてはもう少し鼻が小さいほうが良い。

 

「おい」

 

 ドスの効いた、聞き覚えのある声が背後から響く。

 振り返ると、そこに居たのはやはり岳人である。

 

「やあ岳人、随分と機嫌が悪そうだね」

「ええ、と。知り合い?」

 

 晴路が萎縮するのも分かる。

 私は機嫌が悪いと言ったが、それは過少申告である。率直に言って、岳人は殺気立っていた。

 

「君は……」

 

 竜輝が意味ありげに呟いた。

 面識があるにしろ、ないにしろ、少し奇妙な呟きである。

 

「彼は岳人。私のクラスメイトだよ。竜輝は何か知ってるの?」

「前にちょっと……」

「前に? その時岳人何か面白い事でもしてたのかな?」

「時巡。俺のことは良いだろう」

 

 そのまま岳人は"俺は機嫌が悪い"と言わんばかりに行儀悪く私の隣に座った。

 そして私の苦情を遮り言った。

 

「俺も水無月竜輝。お前のことは知っている。以前立てこもり事件を解決していたな」

「うん、でも君も――」

 

 と、また妙な間を竜輝は持たせた。

 しかし本当に控え目な男だ。自身の手柄は誇りたくなるものだろうに。

 

 それにしても、"君も"?

 

「立てこもり事件、岳人もその場に居たの?」

「いや――」

「そうなんだ、彼が居なければ解決できなかったよ」

「へえ」

「え、何々、それ初耳!」

 

 岳人の制止を振り切って、竜輝は話し始めた。

 

 あの時、あの場所に岳人も居たのだと。

 そして彼こそがその能力により、犯人を取り押さえ、自分はただ徒に騒ぐことしかできなかったのだと。

 にも関わらず、岳人は自分に手柄を譲ったのだと。

 

 それはまるで罪の懺悔のようで、予想だにしない重い空気が私たちを覆った。

 

「岳人、何でそんなことしたの?」

「いや、俺はただ目立ちたくなかっただけで……」

 

 言いようのない罪悪感が岳人を襲ったのだろう。史上初の素直な回答が返ってきた。

 

「そ、そういえばさ。竜輝はもう戦ったけど、どうだった? 会場の雰囲気とか、相手とか」

 

 これもう戦った私がする質問じゃないな。ちょっと動揺したせいだ。

 だが竜輝以外の2人が同調したお陰で、それが気にされることはなさそうで安心した。

 

「うーん、そうだね。やっぱり緊張したかな」

「あきらかキンチョーしてたもんな。でも最後は調子戻ってたろ」

「それどころじゃなかったからね。相手強かったから」

 

 何とか危機を脱したようだ。

 そろそろ本命について触れても良いだろうか。

 

「みんなは、どうしてこの大会に参加したの?」

 

 水無月竜輝の目的は、アリスを守れる男になることだ。彼女を守れる強さを得るため、この大会に参加したのである。

 初めに答えたのは、特に裏はないであろう晴路である。

 

「ぶっちゃけノリで参加したからなあ。強いて言えば、出会いを」

 

 晴路は最後まで言い切る前に目を逸らした。

 

(? まあ、こいつはどうでも良いか)

 

「岳人は何でだっけ?」

「え、あ、ああ」

 

 岳人はあからさまに動揺していたが、すぐに気を取り直して言った。

 

「俺は自分の実力が知りたかったからだな」

「俺も似たようなものかな」

 

 よし、予想通り竜輝は含みを持たせた言い方をした。後は深掘りし、アリスと会えるように会話を誘導すれば良い。

 

「似たようなものかあ。岳人のとは違うの?」

「え、うん、そうだね。今俺がどこまでやれるか、が正確かな」

「今の自分の強さを知りたかったんだね。上昇志向なんだ。理由がありそうだね」

「強くなりたい理由は……うん、あるよ」

 

 ……何か、またしんみりしてきたな。でも今回は引くわけにはいかないのだ。

 

「どんな理由?」

「守りたい人がいるんだ。だから、俺は強くならないと」

「あぁ、それってアリスちゃん?」

 

 ダイレクトな答えは、晴路の口から出た。私もアリスの動向を全て把握しているわけじゃない。彼と知り合いということは、アリスは意外と出歩いているのだろうか。

 

「……アリス」

 

 岳人が小さく呟いた。私も気を付けていなければ、聞き逃していただろう。

 

 この様子なら、きちんとアリスと『真世界』に関わりがあることは調べがついたようだ。

 さあ、どうする岳人。忠犬を気取るなら。上司の命令を守り、『真世界』への接触を避け、この場は私の妨害をすべきだ。でも復讐者なら、自分の属する勢力も、命令も無視して。『真世界』に一歩でも近づくため、私に同調したくならないか?

 

「……」

 

 岳人は何も言わなかった。

 彼の牙は折れていない。それが、私にはとても愛おしく思えた。

 

「アリス、外国の人? 気になるな、その子と竜輝の関係が」

 

 会話を進め、私はアリスと出会う約束を取り付けた。



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第9話「アリスとの遭遇」

 闘技大会は3日目を終え、一回戦の全てが消化された。

 ひとまず大会は1日の休息を挟む。

 

 休息日には、何やら超能力を用いた芸術祭が催されるようだ。

 大会参加者には息抜きとなるのだろうが、私は相も変わらず事情が違った。

 

 今日はアリスと会う約束の日だからだ。

 

「うわ、待ち合わせ場所。駅の方が良かったかな」

「この様子じゃ、駅も大して変わらなそうだけどな」

 

 私と岳人は、東京ドーム前広場が人でごった返しているのを、呆然と見ながら言った。

 

「大会の時はこんなに人居なかったのに」

「所詮は一回戦だからな。それに今日は展示ブースもある」

 

 誰と待ち合わせしているかと言うと、アリスは勿論だが華と零次、竜輝たちともである。

 お互いの友達同士で交流しようという感じだ。

 

「しくったなあ。もっとちゃんと決めとけば良かった」

「そうだな、それは俺も――」

 

 私に誰かがぶつかり、思わず前に倒れかける。

 岳人が私の腕を掴み支える。

 

「危ないな。お前は離れるなよ」

「……それ、もう一回言って?」

「あ? 何でだよ」

「良いから」

「……言わない」

「言って」

「言わない」

 

 とにかく。

 

 集合にはもうしばらく時間が必要なようだった。

 

 

 

 *

 

 

 

「あー、ムカつくぜ」

「僻むなよ。人生には3度モテ期があるって言うだろ」

 

 人混みをかき分けながら、相棒を嗜める。

 道中のカップルを見ての発言だ。

 

 艶やかな黒髪の少女と、体格の良い男。恐らく高校生くらいだろう。絵にかいたような美男美女だった。

 

 相棒は人差し指をじっと見つめていた。

 モテ期は既に一度消化済みらしい。それも彼の意にそぐわない時期なのは、不満な顔を見れば明らかだった。

 

「ま、そう気を落とすなよ。今日はハッピーデイだろ?」

「ヒヒ」

 

 相棒は、歯ぎしりにも似た、卑屈な笑い声を漏らす。

 

「ああ、今日はボケカス共にとって、忘れられない日になるな」

 

 相棒は機嫌を直したようだ。

 心の底から安堵し、誰にも悟られぬよう鞄に視線を移す。

 

 相棒の能力なしに、この爆弾は十全の威力を発揮できないのだから。

 

 

 

 *

 

 

 

 待ち合わせ場所を変え、何度も電話で確認し、私たちはようやく合流した。

 

「アリス、電話持ってない……」

 

 1人、アリスという少女を除いて。

 

 竜輝の絶望的な発言に、私たちの間に緊張が走る。そもそも竜輝はアリスの回収のため、晴路と共に家に帰った筈なのだ。それがどうしてこうなった。

 

「トイレに行ってたら、居なくなってたんだ」

 

 と言う事らしい。

 

 零次が困り顔で言った。

 

「どうしようか。別れたら二の舞になりそうだし、みんなで一緒に探すべきだと思うけど」

「その前に迷子センター行くべきでしょ」

 

 華が提案したのが正道だ。零次の懸念も最もだったので、私たちはぞろぞろと連れ歩き迷子センターに行く。が、結果は空振り。アナウンスを出し、一応は知り合いである晴路が残ることになった。

 

 そして再度私たちは頭を抱えることになるのだが。

 

(アリスは監視対象の筈。分身に現状さえ伝えられれば、すぐに居場所が分かるんだけど)

 

 電話なら一発だが、流石にそれは私の正体に繋がるので無理だ。

 

 会場には分身が居ない。

 だから視覚聴覚の共有による情報源は、本部の分身になる。その分身はちょうど電話を終えたところだった。

 

「本体も聞いてたと思うけど、念のためリピートするね」

「爆弾が会場のあちこちに仕掛けられているから、巻き込まれないよう会場を離れること。爆弾テロは、私たちはノータッチで決定したから」

 

 最悪だった。

 爆弾を発見した班と、アリス監視中の班、横の連携が出来ていない。

 

(監視中の班に分身が注意喚起すれば問題ないけど、あいつの中では、アリスは私が会場から離すことになってるはず。ちょっと分の悪い賭けだなあ)

 

 結論。

 

(私たちが何とかするしかないじゃん……)

 

 それにはまず、この場の全員で爆弾を発見しなければならない。

 

(爆弾の設置場所は報告されている。近くで、全員が行ける場所……)

 

 私は提案する体で、目的地へと誘導する。

 

「とりあえず、人気のない場所探そうよ。目が見えないなら、人のいる場所は避けるんじゃないかな」

「そうだね、アリスはあまり人混みが得意じゃないし」

 

「でも目は閉じてるけど、周囲の状況は把握できているみたいだよ」と竜輝は不思議な言葉を付け加えた。

 

 目的地はフロアから展示ブースとは真逆の位置にある、従業員用通路出口。その近くの茂みの中だ。

 

 私は当然のように先頭を歩き、目的地を目指す。

 探しながらの道行ゆえ、移動は緩やかだ。私に別の目的があることを悟られぬよう、逸る気持ちが足に反映されぬよう、細心の注意を払う。

 

 実際爆発までの時間も、爆弾の威力も不明だ。

 

(私も直接見ればある程度の事は分かるけど、不安だ)

 

 随分と長く感じられた移動を終え、目的地へと着く。そこは思った通り、人の気配がまばらだった。アリスが居ないことはすぐにわかった。

 

「うーん、ここにも居ないね」

「意外なとこに座ってたりしてね」

 

 私はそう言って茂みを掻き分ける。

 

「いや、そんなとこには居ないでしょ、流石に」

 

 華がそう言って笑いかけるが、私は返事をせず、爆弾に意識を集中させた。

 

(時限式の信管。時計を改造したのか。後40分で爆発する。……何だこれ?)

 

 小指ほどのカプセルが側面に張り付いていた。それは何の装置とも繋がっていないらしく、指で簡単に引きはがせた。

 

「それ、爆弾?」

 

 後ろから覗き込んだ華が言った。

 私が肯定すると、華は「わお」と言った。

 

「どうしたの?」

「爆弾と聞こえたが」

「え、爆弾? おもちゃとかじゃなくて?」

 

 ぞろぞろと竜輝、岳人、零次が集まってきた。

 私は半歩右にズレ、それを見せる。

 

「プラスチック爆弾だな……」

「でも何でこんな場所に? ここじゃあ大した被害は出ないと思うけど」

「そんなことよりさ、こんなカプセルが張り付いてたんだけど」

「え、ちょ、なんで君たちそんな冷静なの!?」

 

 零次の混乱をよそに、岳人がカプセルを手に取る。

 

「見ただけじゃ分からないな」

 

 そう言って、岳人はカプセルを無理やり引きちぎる。

 内部には黒い粉が入っていた。岳人は指でつまみ、その匂いを嗅いだ。

 

「黒色火薬だな」

「爆弾に関係ある、よね。それで起爆するのかな?」

 

 竜輝はそう言うが、外側に僅かに貼り付けた黒色火薬では雷管の代わりにはならないだろう。だが無関係であるというのも考えづらい。

 

「無理だな」

「なら超能力だね。理論を考えても仕方がない」

「だろうな。時限式の他に、遠隔起爆の手段として貼り付けたのだろうさ」

「なるほど、超能力にはこういう使い方もあるんだね。あまり良い気はしないけど、勉強になった」

 

 恐らく当初の計画には、その能力者は居なかったのだろう。雑な仕掛けがその証だ。

 

 議論する私たちを他所に、白けたように華が言った。

 

「で、それどうすんの?」

「小鳥遊がどうしてそんな雑なのか分からないけど、俺もそれを早くどうにかするべきだと思うな」

 

 零次の発言も最もである。

 竜輝が真っ先に言った。

 

「多分、爆弾はこれ1つじゃないよね。どう考えても場所が悪すぎる」

「ああ、しかも遠隔でも爆破できるなら、騒ぎになるのは不味い。焦った犯人が起爆させるかもしれない」

「なら――」

 

 私は笑みを浮かべて言った。

 

「私たちで解決するしかないね」

「うん、そうだね」

「そうだな」

 

 責任感の強い竜輝と、一応警官の岳人が同調した。

 

「まじかよ……」

「それで、どうやって犯人探すの?」

 

 華が爆弾を鼻に近づけて言った。

 

「爆弾の匂いは辿れるけど、犯人は分からないね」

「むしろ何で辿れるんだ、警察犬か。だがお手柄だぞ小鳥遊」

 

 華は爆弾の匂いを嗅いでからずっと鼻を抑えている。鼻だけの変身は彼女の美的感覚から外れているらしい。

 

「2チームに別れる」

 

 岳人が言った。

 

「爆弾探しと、犯人捜しを並行して行う。小鳥遊は勿論爆弾班だ」

「私解除方法知らないけど?」

「……俺は出来るが、時巡は?」

「無理。そんな技能あるの岳人だけでしょ」

「逆になんで岳人君は出来るの……?」

「じゃあ岳人と小鳥遊は爆弾班だね。残り3人が犯人探しかな」

「ああ、そっちは人数が多いほうが良いだろう。爆弾も被害の多い箇所だけ取り除いたら、俺達もそっちに合流する」

 

 華と岳人が移動を始めた。その足取りに迷いはない。あの2人ならすぐに合流できそうだ。

 

「私たちはどうしようか」

 

 竜輝は顎に手を当て、真剣な顔で言った。

 

「爆弾はむき出しだったから、犯人は多くの荷物が入りそうで、それも中身の少ない鞄やリュックサックを持ってる筈だよ」

「す、凄いな。そんな事思いつきもしなかった」

「そうだね、お手柄だよ竜輝」

 

 正直私も、素直に関心した。

 私が提案するつもりだったけど、必要なさそうだ。本当は私が提案するつもりだったけど。

 

 私たちは別れ、それぞれ人の多いであろう場所へ移動した。私はドーム内の正面エントランスだ。

 

(一応、岳人にも犯人の考察は伝えたから、一通り見回れるはずだけど)

 

 今は待つしかないだろう。

 私は自販機で買った謎の炭酸飲料を口に運んだ。

 

 

 

 *

 

 

 

 爆弾は一通り設置し終えた。

 

「ああ、やっと軽くなった」

 

 俺を相棒と呼ぶ男は、肩を回しながら愚痴を漏らした。

 

「だいたい、あんな重いものを1人で持たせるなんて、上の奴らは何を考えてんだか」

 

 愚痴る男に、声と共に缶を投げた。

 

「ほれ」

「何だ、これ」

 

 ラベルには見たことのない商品名が書かれている。一応炭酸飲料らしいが。

 

「知らね、でもまあ、大丈夫だろ」

「無責任だな」

 

 男は一口飲み、眉をひそめた。

 

「どうだ?」

「コーラ。でも嫌な甘さだ。口ん中がねばつく」

 

 まずそうだな。自分の分は買わなくて良かった。

 

 歩きながらも男はちびちびと飲み続け、ドーム正面エントランス、そろそろ建物から出ようという辺りだ。ついに男は音を上げた。

 

「だめだ、捨てるわ」

「仕方ねえなあ。あっちにゴミ箱が――」

 

 ゴミ箱の前には、男と同じ缶を持っていた少女が、今にも缶を手放そうとしていた。

 

「やあ、君もこのコーラにやられたのかい?」

 

 男の行動は早かった。

 すぐさま相手と自分の共通点に目を付け、ナンパを始めたのだ。こういうのがモテる秘訣なのだとしたら、俺には一生無理だ。

 

「はぁ?」

 

 少女は不快感を隠そうともしない。

 だが男は動じなかった。

 

「このコーラだよ。珍しい物好きは――」

「おい」

 

 男の肩を掴む。

 ナンパは構わないが、今すべきでないのは俺にも分かる。

 

 男は小声で言った。

 

「大丈夫だって、時間まで後30分もある。それまでに決めるから」

「……10分で決めろよ」

 

「その鞄」

 

 突如少女が口を開いた。

 先ほどとは打って変わり、楽し気な声だ。

 

 何故か悪寒が走る。だが男はそう感じなかったらしく、笑顔でこう返した。

 

「ああ、これは何でもないよ。お土産を買おうと思ったんだけど、欲しいものがなくてね」

 

 聞いてもいない事情まで男は言った。確かに聞かれた際の、事前に決め合わせていた内容だが。

 

 少女は鼻で笑い言った。

 

「そう、私はてっきり爆弾でも入れていたのかと」

 

 俺は悪寒の正体を察し、胸ポケットから発煙筒を取り出した。そして能力により着火する。

 

 俺の能力は爆発。

 マーキングした任意の爆発物を爆発させ、そしてその能力での爆発は()()()()

 

 俺がテロ犯に雇われたのは、この誘爆能力を買われてだ。時限式では不安が残るため、俺の能力を遠隔式の雷管に変えようという算段である。

 

(爆弾が見つかったらすぐに爆発させろと言われてたが、敷地から出ねえと俺も巻き込まれる!)

 

 悲鳴をバックに俺は全力で走る。だが、逃げた方向が悪かった。敷地どころか建物からも出られていない。

 動揺し過ぎだ。この混乱なら、追えやしない。俺は走るのをやめ、背後を振り向いた。

 

「嘘だろ!?」

 

 あの少女は、既にこちらに向かって真っすぐ走っていたのだ。

 

(速い! 追いつかれる!)

 

 今いるのは従業員用の通路だ。人質に出来る人間も居ない。だが、少し行けば丁字路に着く。

 

(誰か居てくれ!)

 

 必死の願いが通じたのか、そこには1人の少女が居た。

 雪のように白い肌と髪。そして、閉じられた目が――

 

「あ」

 

 世界が崩壊していく。全身の熱という熱が奪われていく。

 

 逃げなければならない。視線を逸らさなければならない。その虹彩も、結膜も、目に名づけられた全ての部位が、黒く染まった異形の眼球から。

 

「あ、ぁぁぁ……」

 

 だが、それは叶わず、俺の意識は闇に溶けた。

 

 

 

 *

 

 

 

 爆弾テロの犯人は力なく倒れた。

 

 私は男が倒れる前に感じた悪寒に冷や汗を流しながらも、その男が倒れた丁字路に着いた。

 

 そして――

 

「こんにちは、お姉さん」

 

 声を掛けられた。鈴のようでいて、脳髄に直接刻み込まれたかに錯覚させる不快な音色。

 

 私は声の主に向き直る。努めて冷静さを装い答えた。

 

「初めまして、アリス」

 

 私は自分の選択に後悔した。

 

 会うべきではなかったのだと、この目で見てようやく理解したからだ。

 

 怪物は利用することも、排除することも。そして、近づくことさえしてはならなかったのだと。



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第10話「2回戦」

 テロは未然に防げたので、大会は予定通り進行されることになった。

 私たちは重要参考人として、警察に努めて協力的な態度を取り、夕方には宿泊施設に帰ることができた。

 

 岳人は警察関係者なのでもう少し長引きそうだった。

 華と零次、そしてアリスは自宅へと帰った。

 

 なので私たちは今三人だ。談話室で私はあることに気がつく。

 

「……私の試合朝一じゃん」

「はは、災難だね」

 

 竜輝が笑いながら言った。だいぶ心を開いたように思えるが、今となってはどうでも良かった。

 

 私はアリスを使わないことに決めたのだ。

 極力関わらない。問題になった時はできうる限り避けるし、どうしても排除が必要になれば、十分情報が集まったと判断してから行う。

 

 だから彼とはそこまで親密になる必要はない。勿論関係を悪化させる理由もないので、それなりに愛想よく振舞う。

 

「いやでも、今日は濃い一日だったな。今日はぐっすり眠れそうだぜ」

「晴路は何にもしてないじゃないか」

「濃すぎて君の存在忘れてたよ。誰だっけ」

「晴路! 村田晴路だよ、竜輝の同級生の! 頼むよ優子ちゃあん」

「ちゃん付けは要らないって言わなかったっけ?」

「覚えてるじゃあん!」

 

 一回戦はかなり苦戦した。一応、次の相手について調べておいた方が良いだろうか。

 

「次の優子の対戦相手だけど」

 

 竜輝が遠慮がちに言った。

 

「知ってるの、竜輝?」

「うん、同じ学校だしね」

「剣崎だっけ。名は体を表すって奴だよなあ」

「は? ええ、と。ああ、思い出した。確か剣を使ってたね」

 

 一応一回戦は全て見ている。特に興味を引かない相手だったので、思い出すのに時間が掛かった。

 

「そう、剣を生成する能力だよ。2本は手に取って、もう2本は宙に浮かせて操作しているね」

「4本作れるわけだ。でもこの大会向きじゃなさそうだね」

「うん、()()()()()()()()()。一回戦も相手の降参待ちだったからね」

 

 思い出した。確かに攻めあぐねていたように思える。ルールが違えば、戦い方もガラリと変わりそうな相手だ。

 

(勧誘相手の査定も案外難しいな)

 

「確か防具は、許可が下りれば使えたよな。優子は登録したか?」

「してあるよ。使う気はなかったから、一応だけどね」

「準備が良いね、流石だよ」

 

 硬質樹脂製で、手の甲まで覆う分厚いアームプロテクターだ。華の爪にも(ちゃんと受け流せば)耐えられるので、並大抵の攻撃では破損しないだろう。

 

「……一応、手入れしてくる」

「そうだね、いざという時壊れたら大変だ」

「えー、優子行っちゃうかあ。ま、仕方ないかあ」

 

 何処かに移動しようと相談している2人から離れ、私は自室に戻ることにした。

 

 

 

 *

 

 

 

 そして大会当日。

 

 目前には剣崎(けんざき)亜美(あみ)。鋼のような癖の強い銀髪は、櫛すら通さないように思えるほど硬質だ。

 

 私はプロテクターの調子を再度確認し、合図に備える。

 

 審判が手を上げた。

 

「……」

「……」

 

 互いに言葉はない。私は足に力を込め、速攻を狙う。

 

 手が降りた。次の瞬間、4本の剣が宙を舞い襲い掛かる。

 

「ッ!」

 

 私は一度大きく距離を取る。剣の追撃はない。

 

 前情報と違う。相手は距離を置き、剣の操作のみで戦う算段のようだ。

 

(……そっか。前の試合で老化を見せたから、近づいて欲しくないか)

 

 考えてみれば当然だ。触ったら終わる相手に、近づく道理もない。

 それに攻めにも随分と勢いがあった。この大会での回復能力者の力量を把握し、即死でなければ問題ないと判断したか。

 

 剣を受けたプロテクターを見る。貫通こそしていないが、大きな傷がついている。防具なしでは骨まで届くだろう。無視して突っ込むのは現実的とは言えない。

 

「と言っても、近づかないことにはどうしようもないか」

 

 敢えて言葉にし、奮い立たせる。歩きながら間合いを詰める。

 

 相手は剣を、自身を中心に回転させている。

 

 そして、射程範囲に私は足を踏み入れる。およそ5m。

 まず2本の剣が襲い掛かるが、私は力強く弾き剣を明後日の方向へと飛ばす。

 

 私は距離を詰めるが、相手は後方に飛ぶ。だが私の方が速く、届くのは時間の問題だ。

 相手は飛んだ剣を無視し、再生成した剣2本と展開していた2本。4本で同時に襲い掛かる。消去と生成のラグは驚くほど少ない。随分と鍛え上げているようだ。

 

 左右上下から横なぎに剣が振るわれる。

 姿勢を下げ上2本を回避、下2本はプロテクターで受ける。前進は止めず、剣を滑らせる。プロテクターが摩擦を受け、樹脂が焼け溶けていく。

 避けた上2本の剣が私の前に躍り出る。思わず足を止めた。プロテクターで受けた剣が独りでに滑り、背後に回る。

 側転し、包囲網から抜ける。剣同士がぶつかり合う音が右から響く。

 駆けようとし、前方に剣崎がいない事にようやく気がつく。右に移動している。攻めるにはまた剣戟を凌がなければならない。

 

(でも、今ならまだ!)

 

 移動はまだ完了していない。私たちの直線上に剣が重なるまで、僅かな間がある。

 右前方から4本の剣が回転しながら襲い掛かる。左回転が3本。右回転が1本だ。左手を盾にし3本を受け、右回転の1本を右手で弾く。

 左手に衝撃が走る。骨身が軋む。受けきれず、刃が頭、頬、首に触れる。だが足は止めない。

 剣を置き去りにし、遂に私の射程圏に到達した。右手を伸ばす。

 だが、剣崎の手にはもう剣が握られていた。

 

(再生成!? 速過ぎる!)

 

 想定外、しかしもう後には引けない。右手で振り払い、痛む左手を無理やり伸ばす。熱を持った痛みが左手を襲う。

 

「ア”ア”!!!」

 

 叫び、痛みを燃料にし進む。左手、中指が、剣崎の右手に僅かに触れる。

 

 それが限界だった。

 背後から襲う4()()の剣を躱し、射程外まで避難する。

 

 少し時間を稼ぐ。

 左手の調子が整うまで、成長により自然治癒を促進させる必要がある。私は口を開いた。

 

「……あくまで、精密操作の限界が4本なだけで、生成はもっといけるみたいだね」

 

 剣崎の手に1本。そして旋回する4本の剣が何よりの証拠だった。

 

「……当たり。貴方の能力は、恐ろしいね」

 

 剣崎はここにきて初めて言葉を発する。彼女は自身の、骨と皮だけになった右腕を興味深く眺めていた。

 

 あの一瞬では、右腕を奪うのが限界だった。

 だが、次は確実に勝てるという確信がある。

 

「……この戦い方じゃ、わたしは勝てない」

 

 私の言葉なき意思は、戦意を通して伝わったのだろう。彼女は言った。

 

「だから、こうする」

 

 彼女の上空に、20本の剣が浮かび上がる。その剣先は、全て私に向いていた。

 

「それが私を襲うわけだ」

「そう。20の刃が、貴方を切り刻む」

 

 時間稼ぎは十分。これ以上時を稼げば、剣崎の右手が使用可能なまでに戻りかねない。私の能力は、元に戻るスピードはコントロール出来ないのだ。

 

「フッ!」

 

 息を整え、足に力を込める。

 開幕と同様、一気に距離を詰める。やはり5m、剣が私に到達する。

 

(実際に対処すべきは20本ではない。8本は私に当たらず、残り12本のうち4本が精密操作に切り替わる)

 

 極度の集中状態に入る。意識が引き延ばされ、全てがスロー状態になった。

 身じろぎ、僅かな動きで直撃を避ける。3本がそのまま通過し、足元の1本が回転する。私は靴裏で受ける。鉄板入りの安全靴だ。そして、右手、左手の剣各1本が回転する。それらはプロテクターで受ける。残る操作は1本。脇腹を狙ったそれを、プロテクターの貼っていない右腕の内で受ける。腕に剣が喰い込み、骨がストッパーになる。脇腹は守られた。

 右腕に刺さった剣が、肉に喰いこんだまま、私の動きを妨害しようと操作される。

 ぶちぶちと肉を引きちぎり、私は前進する。右腕はもう動かず、そして無防備な私に5本の剣が直進し、その内の1本が右足に刺さった。

 この足では、大きくは移動できない。どんなに気合を入れても、剣崎には後1m手が届かない。

 

 チェックメイトだ。()()()()()()()()()

 

 私は左脇を通り過ぎ去ぎた剣を掴む。この直進した剣は、今この瞬間、彼女の操作を受けていない。

 

 これで、私の射程範囲に剣崎が届いた。

 

 剣を横なぎに振るう。その一閃は、剣崎の背骨を断ち切った。

 次の瞬間、私の背後から4本の剣が突き刺さる。血を盛大に噴き出し、私の意識はそこで落ちた。

 

 

 

 *

 

 

 

 大会は一時中断となった。

 いくら闘技大会というものを知識で知っていようと、現代人は血みどろの闘争とは無縁なのだ。混乱を収めるには暫しの時間が必要だった。

 

(時巡はともかく、あの対戦相手もイカレているな)

 

 最後、あれは回避が間に合わないことを悟り相打ちを狙ったのだ。

 2人は回復能力者の実力から、死には至らない攻撃を選んだのであろうが、流石にやり過ぎだ。

 

 対戦結果も審議中となっている。引き分けでなければ、先に致命傷を与えた、時巡の勝ちになるだろう。

 

 当の2人は入院中だ。怪我は問題ないとのことだが、まだ意識は戻っていない。

 

 ノックをした後、引き戸を開ける。

 

「遅いぞぉ、岳人」

 

 僅かに真剣さの残った声で、緩やかに小鳥遊が言った。

 

 病室に居るのは彼女と、ベッドで眠る時巡だけだ。

 

「狭いからね。他のみんなはとっとと帰しちゃったぜ」

「そうか。なら俺もすぐに出よう」

 

 そう言ったのだが、小鳥遊は「ダメ」と言い俺を無理やり椅子に座らせた。

 そうして彼女は出口に陣取った。どうあっても返す気はないのだろう。

 

 仕方がないので時巡の様子を見る。

 

 見たところ、きめ細やかな白い肌には、怪我1つない。眠っている故か、僅かに乱れた黒髪が、うっすら赤らむ頬に差さっている。

 豊かな胸は規則正しく上下を繰り返しており、呼吸にも問題ないことが伺える。

 

 そこまで考えて、目を閉じた。

 

(何をやっているんだ、俺は)

 

 彼女が健康体であることは、医師が証明している。ことさら俺が見る必要もないはずだ。

 

「ん……」

 

 艶めかしい声に、思わず心拍が乱れる。

 

 時巡は緩やかに瞼を起こし、ルビーのような紅い瞳をこちらに向けた。

 

「……岳人、何で?」

「ここは病院だ。対戦後お前が倒れたから、緊急入院だな」

 

 時巡は徐々に思い出し始めたのか。「あー」と唸り体を起こした。

 

「勝てたかな」

「審議中だ、寝てろよ」

「そうそう、負けず嫌いも今は引っ込めた方が良いって」

 

 小鳥遊も追撃する。

 

 時巡は「分かったよ」と言いつつ横になる気はないようで、そのままベッドに背を預けた。

 

「お見舞いは華と岳人だけ?」

「いんや、クラス代表で零次、あとは竜輝君と晴路、アリスちゃん、荒木先輩と、あぁ……ゴーレムの人、後ユリって人が来てたね」

 

 ユリさん来ていたのか。それは奇妙だったが、それ以上に、見舞客にあるべき人物がいないことに疑問を感じた。

 

「ご両親はまだ来てないのか」

 

 なら俺は早めに退場しておくべきか。

 そう考えていたが、空気が妙に冷たくなったのに気がついた。

 

「ああ~……」

 

 時巡は面倒くさげに唸った。

 冷気の元は、彼女ではない。

 

「……」

 

 小鳥遊が俺の背中を無言でつねる。歪みそうになる顔を必死に抑えた。

 だが、時巡には何が起きているか分かっていたのだろう。ため息をついて言った。

 

「華、私は気にしてないんだからさ、やめなよ。岳人も悪気があった訳じゃないんでしょ」

 

 小鳥遊の指が離れる。背中はまだヒリヒリしていた。

 

「いや、俺が無神経だった」

 

 改めて、時巡のことを何も知らないなと痛感した。

 俺が知っていたのは10年前の調査記録だ。

 

 10年。それだけあれば、人は変わるというのに、全く失念していた。

 

「聞かないの?」

 

 時巡はいじわる気に笑った。

 

「聞けるわけないだろう」

 

 彼女は俺の苦々しい顔が面白かったらしく、けたけたと笑い、軽い調子で言った。

 

「私は()()()()()()()()()、お父さんは年頃の娘にどう接して良いか分からないらしくてね、顔を合わせようとしないんだ」

 

 俺の観察眼では、彼女が嘘を付いているとも、強がっているようにも見えなかった。ただ、そこには軽蔑のような、暗い感情が込められている。だが表面上は、ただただ面白い事実を共有しているような素振りを示していた。

 

「もう! 笑い事じゃないでしょ優子! ちゃんと話し合えってずっと言ってるじゃん」

「えー、だって逃げるんだもん。情けなくって情けなくって、追うのも忘れて笑っちゃうよー」

 

 軽快に、笑い事のように彼女は言った。

 小鳥遊の言葉から察するに、昨日今日の問題ではない。もっと、もっと根深い何かが埋まっているのだと感じた。

 

(俺に、彼女の家庭に踏み込む資格はあるだろうか)

 

 無論、ない。

 

 だから、この話は、もう俺には関係のないことだ。

 

 今は、時巡が無事で良かった。それだけで、良い筈だ。

 

 

 

 *

 

 

 

 十字岳人は、かつて友情が邪魔になると理解し、捨てる覚悟を決めた。

 

 だが彼は気がつかない。それが再び彼の懐に転がり込んでいる事実に。

 

 そして――

 

 かつて捨てた覚悟が牙をむくことに。

 

 十字岳人は、気がつかない。

 

 時巡優子は、知る由もない。

 

 

 

『真世界』工場の襲撃日へと、時は進む。



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第11話「工場襲撃日」

「岳人がいない?」

 

 大会は無事再開され、岳人の試合が迫っていた時、大会スタッフが言ったのだ。

 

「ええ、何かご存じありませんか?」

「……いえ、申し訳ないですけど」

 

「こちらこそ申し訳ない」と礼儀正しいスタッフが頭を下げ、小走りで去っていった。

 

(まさか……)

 

 今日は工場の襲撃日だ。まさか感づかれたのか?

 

 襲撃の指揮を取っているのは小野川だ。私の分身では全体の流れが分からない。

 

 電話が鳴った。私は素早く名前を確認したが、残念ながら目的の人物ではなかった。

 

「華、どうしたの?」

 

 電話先の華は困ったように言った。

 

『零次と連絡取れないんだけど、何か知らない?』

 

 ……一体、何が起きているというのか。

 

 

 

 *

 

 

 

「零次、分かってるだろうな」

「分かってる。慌てず騒がず、だろ?」

 

 零次の軽い返事に一抹の不安を抱えつつも、所詮は電話番なのだから問題ないかと考え直す。

 

 今俺達は、本来居るべき東京ドームから遠く離れ、川崎湾岸の工場に来ている。

 

(焦るなよ、俺)

 

 何度でも自分に言い聞かせる。

 

 目前に『真世界』の重要拠点があるのだ。

 それが仮に事実だとしても、警察としては確たる証拠がなければ踏み込めない。

 

(それが事実かは分からなかったが)

 

 ある日俺の自宅に届いた、一通の手紙だけが頼りだった。

 それが真実か調べたかったが、もし所長にバレれば蚊帳の外に追いやられてしまうだろう。

 だから俺の代わりに手足となる存在が欲しかった。そんな時、この男と2人きりになれる良い機会が訪れたのである。

 結果は灰色。証拠は望めなかったが、確かに怪しい場所ではあるのだ。俺は手紙を信じることにした。

 

 そして今日が計画決行日である。今日だ。()()()()()()()()()()()

 

「もう一度確認するぞ。爆発があれば、公衆電話から通報しろ。その時自分のことは何も言わない。分かったか?」

「大丈夫だって。それより気を付けなきゃいけないのは岳人だろ。大丈夫か?」

 

 俺は不安を感じさせないよう、時巡のように不敵に笑ってやった。

 

「問題ない、俺はプロだぞ。大船に乗ったつもりでいろ」

 

 そうして俺は工場へと侵入した。

 

 

 

 *

 

 

 

 本当は彼を止めたかった。

 でも彼はヒーローだから、自分の力が届かなかったことを知れば、深く傷つき、泣きそうな笑顔で、逆に私を慰めようとしてしまう。

 

 だから計画が必要だ。

 水無月竜輝が活躍し、かつ負担をなるべく減らせるような。

 

 そして私、青木霧江の能力は、『コレクター』が太鼓判を押すほど暗躍に向いている。

 

「『ミュージアム』が展示No.7『深層心理(ディープサイキ)』。気張るよお」

 

 と言っても、もう3者の夢に入り込み、計画決行日を揃え終えたので、後は結果を見るだけなのだけど。

 

 

 

 *

 

 

 

 そしてまた1人、雷髪の少年、水無月竜輝が工場を見上げていた。

 

「ここが『真世界』のアジト」

 

 裏に精通しているという霧江から教えてもらった大事な情報。無駄にする訳にはできない。それに――

 

「アリスの自由のため、負けられない」

 

 侵入場所を探していると、怪しげな人影が目に入った。

 

「あれは、岳人?」

 

 彼は警察官だと言っていた。

 となると、彼もアジトを突き止め侵入しに来たということだろうか。

 

(どうしよう)

 

 彼は、すごく真面目な人だ。

 今会えば、無理やりにでも追い出してしまうだろう。

 

(協力したかったけど、仕方がないか)

 

『真世界』は勿論、警察にも気を付けなければならないというのは、何とも幸先が悪かった。

 

 

 

 *

 

 

 

「どうしますか、リーダー」

 

 部下の1人が、先に侵入した2人の処遇について指示を仰ぎにきた。

 

(あれは、十字岳人と水無月竜輝)

 

『コレクター』の差し金であることは疑いようがなかった。信用していただけなかったのは非常に残念ではあるが、頂いた戦力を無駄にすることなど、それこそ『コレクター』への反逆だ。

 

「彼らを陽動に侵入します。折を見てブザーを彼らに届けてやりなさい」

「ハッ、承知しました」

 

 自衛隊上がりの見事な敬礼を見届け、計画の修正に入る。

 

(本来は脚力強化の能力を持つ田中(たなか)可子(かこ)に任せるつもりでしたが、彼女には先行して機密の奪取に努めていただきましょう)

 

「田中さん」

 

 声をかけると、艶やかな黒髪の少女が、軽快な足取りでこちらに来た。

 

「計画を変更します。あなたは先行して侵入し、機密資料を確保してください」

「え、はあ。分かりましたけど、陽動はどうするのです?」

「そちらは『コレクター』より頂いた方達にしていただくことになりました」

「え”!? 『コレクター』が!?」

 

 彼女は大げさに驚いた。

 一介の構成員では、名前が挙がることさえ驚きに値するのだろうか。

 

(フフ、私が『コレクター』と直接話す間柄だと知ったら、彼女はどれほど驚いてくれるでしょうね)

 

 それは後の楽しみとして、彼女に陽動役の顔写真を見せる。

 

「こ、この2人ですか」

「ええ、ですが彼らは完全な味方ではないので、決して近づかないように」

「わ、分かりました。ええ、絶対に回避します!」

 

 彼女の力強い回答に満足し、全体の監督に意識を傾けた。

 彼女はやる気たっぷりのようで、既にその自慢の脚力で工場へと向かっていた。

 

 

 

 *

 

 

 

 田中可子こと時巡優子の分身は、全力で思考を巡らせていた。

 

(何この状況、おかしいでしょ! しかも私今、カラコンだけの超シンプルな変装なんだけど。いや、侵入時は覆面するからバレないかもだけど、いや、何この状況!?)

 

 状況を察した本体がヘルプしてくれれば良いが、その前提では必ず失敗する。

 

(大丈夫、大丈夫。やることは変わったけど、むしろラッキーだ。最初に機密に触れられれば、誰かが隠蔽してもすぐに分かる)

 

 少し、落ち着いた。

 だが落ち着くと、やはりこの状況が不自然だと感じる。

 

(岳人、竜輝、小野川。3つの勢力が同じ日に襲撃はどう考えてもおかしい。誰かが謀った可能性が高いな)

 

 まず3勢力に顔が効くとしたら、私以外にはいない。というか岳人と竜輝、この2点だけでも難解だ。小野川が私の差し金だと勘違いしたのも無理はない。

 

(なら、超能力だ。直接顔を合わせることなく、この状況を作れるのは……)

 

 ……1人、心当たりがいた。

 寝る場所さえ分かれば彼女には可能で、そして3人の住所を調査できる女が。

 

「青木霧江」

 

 敢えて言葉にする。

 本体に私の見解を伝えるためだ。

 

(良し、すっきりした。後は仕事をするだけだね)

 

 私の残り寿命は14時間。これが最後の仕事になるだろう。

 

 

 

 *

 

 

 

 異変が起きたのは、侵入して間もなくだった。

 

(……罠か)

 

 内心で岳人は毒づいた。

 突如足元に、騒音をまき散らす機械が放り込まれたのだ。

 

 近くを巡回していた警備員に見つかり、無力化するも侵入自体はバレてしまった。今は物陰に身を潜めているが、見つかるのも時間の問題。続々と警備員が集まってきている。

 

 恐らく、体よく囮に使われたのだろう。それが俺に手紙をよこした人物の目的だ。

 

 携帯の電源を入れた。しかし、画面に表示された文字は"圏外"。

 外部との連絡を絶つ能力者の仕業だろう。

 

(勝手な真似はするなよ、零次)

 

 頼むから、早々に通報しその場を去ってくれと祈る。

 

(チッ。そんな事を考えてる場合じゃないな)

 

 そう、零次の事などどうでも良い。()()()()()()()こそ巻き込んだのだ。

 

 物陰から身を晒し、重力操作により崩し、体術で倒していく。

 残り1人、拳銃を構えた男が、視界に入る。

 俺は能力を発動しようとし、しかし男は雷撃により倒れ伏した。

 

「竜輝!?」

「岳人――」

 

 何故そこに。

 そう疑問を挟む間もなく、竜輝が叫んだ。

 

「避けろ! 後ろだ」

 

 右に転がるように倒れこむ。俺がいた場所に、剣が突き刺さっていた。

 

 振り返り、敵へと視線を投げる。その剣には見覚えがあった。

 

「剣崎亜美!」

 

 大会にて時巡に破れた女だ。

 この状況なら、奴がどういった存在かなど、聞くまでもない。

 

「2対1は、無理」

 

 そう言うと、剣崎は走り去ろうとした。

 

「待て!」

「岳人!」

 

 追う俺に、水無月竜輝が追従する。

 

「岳人! 色々言いたいことはあるだろうけど、1つだけ確認させてくれ。君は1人で来たのか!?」

 

 嫌なところを突いてきた。だが、今はこの男の協力が必要なのは確かだ。

 

「ああ、増援はない。まずはあいつを倒すぞ!」

「了解。共闘はファミレス以来だね! 今度は足を引っ張らないぞ!」

 

 竜輝の言葉に、思わず笑みが漏れる。

 

「それは楽しみだ」

 

 追いかけた先には、何もない空間が広がっていた。何かの実験場か。

 

「ヌオおおおおおお!!!」

 

 雄たけびと共に、膨大な水が上空から降って来る。

 

「これで、2対2」

 

 剣崎の呟きと共に、大男が彼女の隣に着地する。

 

 その男は奇妙な恰好だった。

 背には直径30cm、高さは1mにもなりそうな銀色の円柱を4つ背負っていたのだ。

 

 その男は叫ぶように言った。

 

「侵入者共、覚悟しろ! この工場長が直々に始末してくれるわ!」

 

 そしてその男は右手を突き出し、()()()()を繰り出した。

 

「な!?」

 

 あの男は、水の能力者ではなかったのか。

 混乱する俺達へ、次の瞬間には男は巨石を打ち出していた。

 

「訂正」

 

 剣崎が目を細めて笑った。

 

「2対6だった」

 

 

 

 *

 

 

 

 岳人と竜輝が派手に暴れてくれているのか、警備の薄い通路を私は走る。

 

「ん」

 

 鍵付きの扉を見つけたので、私はとりあえず蹴りを入れ、へこんだ際に出来た扉の隙間を無理やりこじ開ける。

 

 その一室は、小さな計測器や、薬品が小分けにされた、研究室のようだった。

 どうやら工場の中に研究所もあったようだ。これは予想以上の収穫である。

 

 研究室には老人が1人。それなりに大きな音を立てて侵入したにも関わらず、老人は今なお目前の装置に目を向けていた。

 

 だが気がついていない訳ではないらしく、老人は振り返ることなく言った。

 

「ここで暴れるなよ。放射線発生装置もあるのだ。死ぬぞ」

 

 老人が目を向けている、この部屋の4分の1を占めるであろう装置のことだろう。

 

「ご忠告どうも。悪いけど、同行してもらうよ」

「これが終わったらな」

 

『真世界』への帰属意識など欠片もないのであろう。老人は快諾した。

 私は司令部へ連絡し、人員を要求した。おそらくこの部屋がこの工場で入手できる情報の核であろう。

 

 手持ち無沙汰になった私は、適当に棚でも漁ることにした。

 そこで、この場に相応しくない奇妙な物を見つけた。

 

 砂のない砂時計。

 円柱の台座に()め込まれたガラスの中には、あるべき筈の物がなかった。

 

「これ何?」

 

 老人の目の前に持っていき尋ねる。

 

「そいつは……」

 

 老人の視線が険しくなった。

 老人が決して目を離すことのなかった装置から視線を外し、こちらを睨みつける。

 

「お前、それを何処で見つけた?」

「どこって、そこの戸棚だけど」

 

 老人は不快そうに鼻を鳴らし言った。

 

「そいつは魂の集積機だ」

「魂?」

 

 思わず言葉を繰り返す。

 超能力のある世界でも、魂というものはオカルトだ。何かの比喩表現だろうか。そう問うと、老人は否定した。

 

「言葉通りの意味だ。持ち主が人を殺した時、砂が落ちるように、魂を集積する」

 

 おかしな事を言う。

 だがまあ、所詮は暇つぶしだ。もう少し話を聞いてやろう。

 

「それで、集めてどうするの? 砂時計替わりにしては、価値が釣り合わないね」

「砂が下半分を埋めた後、それこそ砂時計のようにひっくり返す」

 

 そして老人は言った。

 

「すると願いが叶う」

「……」

 

 私は暫し押し黙った。そして所詮は妄言だと自分に言い聞かせて言った。

 

「砂が溜まるにはどれくらいの魂が必要なの?」

「人類の9割程度だな」

「…………はあ」

 

 まあ、元より期待はしていない。

 しかし老人は、どのような理由で、そんな試しようもない代物の性能を語るのだろうか。

 

「神の啓示、というやつだ」

「それ、邪神だから関わらない方が良いよ」

 

 老人は再び鼻を鳴らし、装置に目を戻した。

 ちょうど回収部隊も到着したので、私も雑談を終え搬送を手伝うことにした。

 

 

 

 *

 

 

 

 水、火、土、風。

 この4つを放出するのが男の基本戦術だ。

 

 操作精度は悪いが、出力は人を殺すのに余りある。

 

(付け焼刃、だな)

 

 最終的な評価はそこで落ち着いた。

 この場で最も脅威なのは、剣崎だ。

 

 恐ろしくも、正確に首を狙った一閃を避ける。

 剣崎の剣速は超重力下でなお鋭く精密だ。おそらく、直接手に持つことで、自身の身体能力と能力による操作を併用し、爆発的に剣速を速めているのだ。

 

 そして、その立ち回りも見事だった。

 

「竜輝! また来るぞ!」

「ああ!」

 

 男の高出力の攻撃が、俺と竜輝に襲い掛かる。

 竜輝と距離が取れず、2人して男の攻撃に四苦八苦する羽目になっているのだ。この動きをさせているのが剣崎である。

 

 パシャリ、と濡れた地面を駆ける。

 

 この水も竜輝と相性が悪い。

 彼の能力は電撃。自分自身は耐性があるだろうが、もし放射すれば、彼と最も距離が近い俺が被害を被るのは間違いない。

 

「ヌン! やはり火の能力が最も効果が高いか!」

「でも水が蒸発しちゃう。次善の石礫で行こう」

「ウム! 了解した!」

 

 舌打ちする。あの程度の攻撃ならば重力で叩き落とせる。だがそれをするには、剣崎に掛けている圧力を弱める必要があった。

 

 だがその圧力も、効果が薄い。行動不能にするほどの重力場が必要だった。

 

(物体指定の重力は、対象の抵抗力を受けて減衰する。だから効果が弱い。しかし座標指定の重力場は、減衰を受けないが避けられる可能性がある。)

 

 前者の効果が薄い以上、後者に切り替えるべきだが、タイミングは測る必要がある。

 

「竜輝、一瞬で良い。剣崎の動きを止められないか」

「分かった。少し痺れるかもだけど、我慢してほしい」

 

 意識を強く保つ必要がありそうだ。

 

 竜輝が剣崎へと特攻する。

 異変を察してか、剣を手放し遠距離攻撃に変えた。だがその攻撃ならば問題ない。剣に重力をかけ、叩き落とす。

 

 男が石礫を飛ばした。だが、一手遅い。竜輝が電撃を放射する。

 

「ん」

「グッ!」

「ムウ!?」

 

 電撃は濡れた地面を伝い、竜輝以外の3人に襲い掛かる。俺は痺れる意識へ喝を入れ、剣崎の居る空間を超重力場へと変貌させようとし、気付く。

 

 そこに剣崎はいなかった。今も帯電している剣だけが突き刺さっていたのだ。

 

(剣を避雷針に!?)

 

「岳人!」

 

 竜輝が叫ぶ。

 

 剣崎は俺の真上に居た。

 その手には剣。痺れの残る体では回避は間に合わない。

 

(だが、跳んだのは失敗だったな)

 

 通常、重力操作は真上の相手には行えない。

 当然だ。その重力は枷として機能せず、相手の攻撃の手助けにしかならないのだから。

 

(窮鼠猫を嚙む、だ)

 

 俺は自分自身の座標を超重力場へと変貌させる。俺の上空にいる剣崎も、その影響を免れない。

 

「ガッ!」

「う!」

 

 剣が右肩をばっさり切り裂き、重量物と化した剣崎が俺を圧し潰す。飛びかける意識を、奥歯を噛み砕くほど喰いしばり、能力を維持する。

 

「岳人!」

「行け! 竜輝ィ!」

 

 駆け寄ろうとする竜輝に最後の力をふり絞り、責務を全うしろと叫び返す。

 

「おのれええええ!!!」

 

 石礫が竜輝を襲う。だが、肉体を電撃により活性化し、高度な運動能力を獲得した竜輝には何の問題にもならない。

 

 威力だけの攻撃など、通用する段階に奴はいないのだ。

 

「おおおおおおお!!!!」

「ギッ、ギャァアアア!!!」

 

 竜輝の拳から直接流し込まれた雷撃を受け、男はこの世のものとは思えない悲鳴を上げる。

 

 そうして男は倒れた。勝負はついたのだ。

 

 

 

 すぐに駆け寄った竜輝により剣崎も拘束され、俺も最低限の応急処置を終えた。

 

 流石にこれ以上は無理だ。竜輝に派手に電撃を打ち上げてもらい、零次への合図にした。

 動けない俺は、ある疑問を口にする。

 

「結局、その男は能力を使わなかったな」

 

 竜輝の攻撃を受ける土壇場でさえ自分の力を使わないのは不可解に思えた。

 その疑問は、剣崎の口から答えられた。

 

「工場長は無能力者。『真世界』は無能力主義なのだから、上層部が無能力者なのは当たり前」

「じゃあ何でお前は『真世界』に加担している」

「親がそうだったから。家族の絆は絶対」

 

 剣崎は何とも言えない顔で言った。良いとも、悪いとも判断しかねる顔だ。

 竜輝が「あれ」と疑問を口にした。

 

「じゃあ2体6じゃなくて、2体5だったんじゃ? 能力の話だよね?」

「女の嘘は許すのが良い男の条件。細かいことは気にしない」

 

 要はただのブラフだ。

 警官隊が駆けつけて来るのを見届け、俺は遂に意識を手放した。

 

 

 

 *

 

 

 

 緊急入院の後、俺は病室にて取調べを受けた。

 

 報告を怠り、個人での無断侵入。許されることではない。

 だが俺はさほど後悔はしていなかった。何せ『真世界』が秘密裏に開発していた、超能力発生装置を発見し、その工場の破壊まで成功したのだから。

 もしこれが秘されたままだったのなら、途轍もない被害が出ていたことは明白だ。

 

「事情は大方理解した」

 

 知らない刑事がそう言って、こちらを睨みつけた。

 それは心底軽蔑している目だった。

 

「お前たちは未成年だし、厳重注意だけで済むだろう。最も、お前の警察としての立場は、今後無くなると思っていた方が良い」

 

 その程度は覚悟の上だ。何も問題はなかった。

 

 男は「最後に確認することがある」と言い、1つの写真を取り出した。

 そこに写っていたのは零次だ。俺は零次については秘していたが、どうやら逃げ切れなかったらしい。

 

 俺は努めて動揺を押し隠したが、相手は熟練の刑事だ。俺の仲間であると認識したらしい。零次には悪いが、一緒にお叱りを受けることになるだろう。

 

 刑事が言った。

 

「俺達は通報を受けてあの場所へと言った」

 

 零次はきちんと仕事をしたらしい。

 続けて刑事が言った。

 

「『電話ボックスで人が倒れている』という通報を受けてな。友達だろうに、大したもんだよ、お前さんは」

「………………え?」

 

 刑事は俺の返事を待たず部屋を出て行った。

 

 俺は、あの刑事が軽蔑していた理由を、漸く理解した。

 



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第12話「十字岳人について」

 超能力発生装置。

 それがあの工場で生産されていた物の正体で、『真世界』の切り札であることは疑いようがなかった。

 

 現物と設計図、そして設計者まで押さえたのだ。当然私たちにも、設備さえ整えればこの装置の生産が可能だ。

 自社の工場を改造すれば、およそ一月で生産可能になるとのことだ。

 

 ただあの工場自体は警察に押さえられてしまっている。つまり彼らもその気になれば使えてしまうのが懸念点だったが、装置の仕組みを知ればそれが問題ないことが分かった。

 

 装置には人間の脳から脊髄までが必要なのだ。

 つまり人体を改造し、その人の超能力を、他者が使えるようにしているということだ。

 

 倫理的に大きな問題があり、政府関係者がこれを生産どころか使用することさえ現実的ではない。

 

 私は希少な能力を集める『コレクター』だったが、これを知ってからは、希少でなくとも汎用性の高い能力者を収集し始めたのは当然の帰結だった。

 

 そして『コレクター』の名が、大衆にとって恐怖の代名詞として知れ渡ったことも。自明の理だったのである。

 

 だがそうなってしまうのは、闘技大会決勝戦、そこでの戦いが終わった後での話である。

 

 

 

 *

 

 

 

 さび付いて、所々に穴の開いた階段を登る。

 私は(勝手に作った)合鍵を鍵穴に差し込み、何度も感じた錠の動く感覚を楽しむ。

 

「入るよ、岳人」

 

 定期的に掃除しているので、別段汚れてはいない。

 それでも暮らしていればゴミは出る。それを片付けながら、窓際に座る彼を盗み見る。

 

 彼はぼんやりと空を見上げていた。

 

 闘技大会から失踪した日、工場を襲撃してから彼はずっと上の空だ。

 

 理由は分かっている。岳人と協力していたらしい零次が、現場で殺されたからだ。

 下手人は、私の部下か『真世界』の連中か、分からない。私の部下は態々目撃者を排除した等という報告はしないし、『真世界』の連中ならば尚の事不明だ。

 

 彼がこのまま折れたままだとは思わない。時間が経てば、彼も心の整理を終えて、牙を研ぎ直す筈だ。

 

 掃除を終え、窓際にいる岳人の隣に座る。

 

「……」

 

 特に話す気はない。

 ここに来始めてから数日、彼と交わした言葉はほとんどない。

 

 昼間にぶらりと来て、夕方になったら帰る。その繰り返しだ。

 

「時巡は」

 

 そして、どういった訳か、彼が口を開いた。

 私はまだ返事をしない。彼の言葉を待つ。

 

「自分の目的に他人を巻き込めるか?」

 

 彼は、私が岳人の事情を知っている前提で話しているのだろう。そして私がどう考えているかも。

 

「岳人」

 

 私は彼の手を握った。

 今の岳人は弱りきっており、きっと彼の望む答えを言えば、私にとって都合が良い駒が手に入るように思えた。

 

 でも――

 

「岳人、自分の戦う理由を、私に決めさせないで」

 

 そこで私が答えれば、彼に逃げ道を用意してしまえば、その程度の人間になってしまう。

 だから、なんというか、答えは彼自身に決めて欲しかったのだ。

 

 それは苦しいことだ。厳しい決断だ。でも、自分自身の心で決意してこそ、戦い抜くことが出来る。……私はそう信じている。

 

「ねえ、岳人はどうして戦うの?」

 

 

 

 *

 

 

 

「ねえ、岳人はどうして戦うの?」

 

 時巡の紅い瞳が、俺の心を射抜く。

 

 俺は楽になりたかった。

 時巡なら、俺の理想の答えを返してくれると思った。

 

 何者にも縛られない、復讐を果たすだけの機械になってしまいたかったのだ。

 

 なのに時巡は、答えてはくれなかった。

 

「岳人」

 

 時巡が俺の手を握る。

 不思議と、心が落ち着いた。俺は何の憂いもなく、過去に思いを巡らせる。

 

 かつて俺は『真世界』の起こしたテロにより、家族を失った。

 俺から家族を奪った『真世界』を滅ぼすと、そう決意したのだ。

 

『本当に?』

「……ッ!」

 

 時巡が発したわけではない。彼女は紅い瞳を向けるだけで、口を開いていない。

 

 ただの幻聴。

 だからきっと、これは俺自身の言葉なのだ。

 

(違う、のか?)

 

 俺は更に深く潜り込む。

 

 かつて捨てた筈だった、家族と過ごした日々。

 既に失われ、絶対に戻ることのない日常。

 

 動悸が激しくなる。意識が遠のく。五感が失われていくようだ。

 

 だが、温かい熱だけは、乗せられた手のひらから伝わり続ける。

 

 その熱を頼りに、意識の奥底にあった、家族の記憶を掬い出す。

 しわくちゃになったそれを、丁寧に、丁寧に広げていく。

 

 駅近くに建てられたマンション。

 

 俺はエントランスに入り、自動ロックを解除する。

 自動ドアが開き、目の前にはエレベーターがある。

 

 俺は一階に止まっていたエレベーターに滑り込み、階層を示すボタンを眺める。

 

 ……何階だっただろうか。

 俺は何気なくポケットを漁り、硬いものに触れた。

 

 鍵だ。502号室を示す鍵。それが、かつての俺の家だったのだ。

 

 俺は5階を押す。僅かな浮遊感と、振動。エレベーターが止まった。

 

 部屋はすぐそこだ。

 俺は鍵穴に鍵を差し込んだ。引っ掛かりもなく、鍵が回る。

 

 俺は扉を開けた。

 

『お兄ちゃんおかえりー!』

 

 

 

「……ッ!」

 

 気がついたら、俺は元のボロアパートに戻っていた。

 シャツが汗で張り付く不快感。夏はとうに過ぎたというのに、俺は全身から汗を吹き出していた。

 

「岳人」

 

 時巡が、俺の汗など意に介さず抱き着く。

 さわやかなミントの香りが、俺の鼻腔を満たす。

 

 少しずつ、動悸が収まっていく。

 

「俺には、妹がいたんだ」

 

 言葉が自然と漏れた。

 

「俺は、守れなかった。兄貴なのに、守ってやれなかったんだ」

 

 時巡を強く抱きしめる。

 彼女も、力を強めた。

 

 俺は言葉を止められなかった。

 意思を介さず、勝手に吐き出されるのだ。

 

「目の前に居たのに、俺には何もできなかった」

 

 あの日、俺達はデパートに出かけていた。

 

(つばき)の誕生日だったんだ」

 

 子供の小遣いでは、大した物は買えない。

 だからその時の俺は、居た堪れない気持ちで、少しだけ家族と離れた場所にいた。

 

(つばき)が少しだけ離れていた俺に気がついて、近くに寄ってきた」

 

 その時、

 

『お兄ちゃん、あのね、ツバキ』

 

「建物が、倒壊して」

 

『ツバキ、これが欲しいの』

 

「親は、一瞬で見えなくなったけど」

 

『こんなのが欲しいのかよ、どうせならもっと高いのにしろよ』

 

(つばき)は、床が崩れない場所にいて。でも瓦礫が崩れてて」

 

『ううん、ツバキ、これがいい!』

 

(つばき)はその下敷きになってしまったんだ」

 

『こんな人形の何がいいんだか』

 

「俺は、(つばき)の冷たくなっていく手を、握りしめることしか出来なかったんだ!」

 

『だって、お兄ちゃんみたいなんだもん』

 

「だから、俺はその事件を起こした『真世界』に」

 

『どこが?』

 

「復讐を、誓ったんだ」

 

『だって、お兄ちゃんはヒーローだもん!』

 

 そう言って、椿(つばき)はソフビで出来た、変身ヒーローの人形を掲げた。

 

「……俺は」

「目の前に居たのに、俺には何もできなかった」

 

『ねえ、お兄ちゃん』

 

 俺はどうしようもなく取り乱していて、でも何も出来なかった。何かを言おうとしている妹の、最期の言葉にすら、耳を傾ける余裕もなかった。

 

『お兄ちゃんは』

 

 だから、これは俺が捏造した記憶かもしれない。

 

 (つばき)は言った。

 

『お兄ちゃんは、ツバキのヒーローだから』

 

 

 

「俺は、」

 

 喉はカラカラだった。

 全身の水分を汗やら涙やらで流し尽くしてしまったのだろう。

 

 抱きしめてくれた時巡から身を起こす。

 彼女は微笑を浮かべ、俺を見つめている。

 

「俺は、『真世界』を許せない」

 

 それは偽りざる俺の気持ちだ。

 どうして家族を奪った『真世界』を許せよう。

 

 それでも――

 

「俺は、(つばき)のヒーローで、居続けたいんだ」

 

 それが俺が記憶の底に沈めていた、決して変わることのない真実である。

 

「岳人は」

 

 時巡が言った。

 その声は穏やかで、まるで俺を包み込むように思われた。

 

「正しい道を進み、その目的を目指すんだね」

 

「――――ああ」

 

 俺は万感の思いを、その一言に込めた。

 

 時巡は一転して、凍えるような平坦な声で言った。

 

「零次はもう戻らないよ。君に正道を歩む資格はあるのかな」

 

「……分からない」

 

 零次は俺のせいで死んだのだと、時巡は改めて突きつける。

 俺はその答えを持っていない。

 

「それでも俺は、正しい道を模索し続ける」

 

 例え既に正道から外れてしまったとしても、道なき道を掻き分け、必ずや正しい道へと合流してみせる。

 

「例え誰が何を言おうと、零次があの世から非難してこようと、これだけは譲れない」

 

 それが俺の決意だ。

 時巡はしかし、また一転してクスクスと笑いながら言った。

 

「岳人の決意は理解したよ。でもね、零次はきっと責めないよ」

 

 時巡は決して適当なことを言っているのではないと、(これは俺の願望が混ざっているのかもしれないが)そう思える調子で言った。

 

「死者はね、意外と自分よりも、生者の心配をしているものだから」

 

 時巡は立ち上がり、そのまま玄関へと向かった。

 そして俺が何か気の利いたことを言う前に靴を履き終えると、こちらに振り返り言った。

 

「明日は闘技大会決勝だ。お互い棄権しちゃったけど、それだけは一緒に見に行こうね」

 

 俺は「ああ」と短く答えた。

 時巡には迷惑をかけた。棄権していたのも初耳で、自惚れでなければ、きっと俺のせいなのだろう。

 

 だからではないが。

 

「また明日」

「ああ、また明日」

 

 寂しげに見えるその笑顔が、幸せで満開になる様を見たいと思った。

 それはこの世の誰よりも、素敵な笑顔になるだろうから。



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第13話「闘技大会決勝戦」

 決勝戦は流石に観客も多く、私たちは恥を忍んで選手出入り口席から観戦することにした。

 

「岳人!」

 

 竜輝が大声で岳人の名を呼び、こちらに走り寄ってきた。

 

「心配してたんだよ。あの後どれだけ連絡しても出てくれないから」

「ああ、悪かったな。竜輝」

 

 岳人が素直に返事をしたのがよほど意外だったのか、竜輝は目を丸くして言葉を失っていた。

 だが再起動すると、こちらも釣られて笑いそうな笑顔で言った。

 

「良かった。元気になったみたいだね」

「ああ、ところで、こんなところで油売ってて良いのか?」

 

 何を隠そうこの竜輝こそ決勝戦出場者である。まさか勝ち進むとは私も思わなかった。賭け試合に熱中してた奴らにとっては発狂ものだろう。

 

「それが、解説の人がまだ会場に来ていないらしくてね。待機中だよ」

「解説? 誰だ」

「岳人知らないの? 今日の解説は最明(さいみょう)蓮華(れんげ)だよ」

「ああ、世界最強の」

 

 世界最強の能力者、最明蓮華。

 今日の客入りが良いのは、彼女の影響もゼロではあるまい。

 

 最明蓮華が時間にルーズだとは聞いたことがないが、まあ、そういう事もあるだろう。

 

 談笑していた私たちに、何の前触れもなく、爆炎が襲い掛かる。

 

「時……!」

「え」

 

 岳人が私を押し倒し、盾になる。

 

「く!!!」

 

 竜輝がすかさず電撃を放ち、その爆炎を齎した能力者を打ち倒す。

 

「岳人!」

 

 直撃を喰らった岳人の背中は酷い火傷だ。今すぐ治療しなくては。

 

 だが、そうも言っていられない状況のようだ。ドームから悲鳴が響き渡る。

 何があった。混乱する私と対照的に、竜輝が酷く冷静に言った。

 

「時巡さん。岳人を連れて早く逃げるんだ」

 

 そのお陰か、私も少し冷静になった。そして漸くその下手人を視界に入れる。

 

 その男は、巨大な酸素ボンベのような、銀の円柱を背負っていた。

 

(超能力発生装置……!)

 

 あれを現在実用化しているのは『真世界』だけだ。工場の襲撃でいくらかは裏に流れたかもしれないが、ドーム内の混乱を考えれば組織的な襲撃であることは間違いない。

 

(最明蓮華がいないのも、『真世界』の仕業か。そこまでのリスクを犯したのは……)

(……分からない。でもここをピンポイントで先行して攻撃したということは、この場に本来居るはずだった竜輝を狙ってのことだ。とうとう後が無くなって、報復だけでもしようという事かな)

 

 それが分かったところで、私の行動が変わることはないのだけど。

 

「気を付けてね」

「勿論。俺は強いんだ」

 

 竜輝も自分が狙われていることは分かっているだろう。それでも彼はこちらを元気づけるように言った。

 私は気絶した岳人を背負い、会場を後にしようとする。

 

 だが当然、敵は1人ではないのだ。私はすぐに接敵した。

 

 敵は2人。こちらに気付いたが、反応が鈍い。私が触れる方が速い。

 

 だが2人は、こちらが触る前に突如として倒れ伏した。床がひび割れる程の勢いで倒れた彼らは、明らかに気を失っている。

 重力操作による攻撃。岳人が目を覚ましたのだ。

 

「岳人、大丈夫?」

「……ああ、大丈夫だ。降ろしてくれ」

 

 私は少し迷ったが、彼の言う通りにした。

 

「岳人、分かってると思うけど、戦える体じゃないよ」

「……かもな」

 

 彼は言葉では肯定したが、逃げるつもりなどないらしい。

 

「……じゃあな。逃げ切れよ」

 

 私は、岳人を止めなかった。

 

 色々理由はある。

 

 残るのは危険だから。『コレクター』として状況を把握し、動きたいから。そして――

 

『それでも俺は、正しい道を模索し続ける』

 

 彼の決意を聞いた。

 

 今この瞬間こそが間違いなく『真世界』との決着の時となる。その大事な瞬間から、どんな理由であれ逃げてしまえば、彼の決意は露と消えてしまうと理解してしまったからだ。

 

 私は彼の背中から目を逸らし、会場を後にする。

 私も、私自身が決めた道を歩み続けなければならないからだ。

 

(と、カッコつけたは良いものの)

 

 会場の方はまだ混乱しているが、既に職員用の通路は制圧済みのようだ。嫌に静かで、何時接敵するか分かったものじゃない。

 

(分身を先行させる、のはリスクが高すぎるか)

 

 最も不味いのは、焦って私の分身能力が露呈することだ。

 今の私は変装していない。もし分身が見つかってしまえば、例え見失わせたとしても、あらぬ疑惑を寄せられるかもしれない。

 

 乱雑に置かれたダンボールの裏に隠れる。

 

 見通しの良い通路に、銀の筒を1つ背負った男がいた。

 

(悲鳴は許さない。能力による瞬殺がベスト)

 

 まず靴を脱ぎ、なるべく足音が出ないよう工夫する。

 

 そして男が背を向けた瞬間、慎重に、しかし速攻で駆け寄る。

 

 男は背を向けたまま、顔だけをこちらに向ける。

 

 その顔は、醜い笑顔で歪んでいて。次の瞬間、私の視界は炎で埋まった。

 

「あ」

 

(発火能力。この火力は耐えられないな。ていうか私に気づいてたな。感知系の能力か。そっか、装置があれば、2つ能力使えるもんね)

 

 炎の勢いは強く、通路を埋め尽くしてるわけで、横に避けることも、速度から後ろに逃げるのも駄目そうだった。

 

(まじか。こんなとこで死ぬの、私)

 

 心は意外にも平穏に、死を受け入れていた。

 

 炎が迫る。死が訪れる。

 

 

 

 その時。

 カチリと、私の中の何かが切り替わった。

 

 ()()()()()()()()()

 

 

 

 私は即座に分身を作成。場所は炎の向こう側、敵の前だ。

 

 そして意識を俯瞰させる。

 

 私は本体ではなくなり、分身を本体へ変更する。

 

 分身は燃え尽き、私は敵をその手に掛ける。

 

(……今まで、どうやっても進展はなかったのに、どうして突然)

 

 分身能力のステージ2。それは分身を本体へ、本体を分身へ変える能力。

 それが死を目前にして、発現したのだろうか?

 

(まあ、便利だから良いか)

 

 とりあえず私は、本部の分身を本体へ変更する。

 同時に本部の分身が持っていた記憶が流れ込んだ。

 

(そういえば、本体が本部に来るのは初めてだな)

 

 ここってこんな匂いなんだ、と。そんなどうでも良いことを考えつつ、私はドーム内部の情報を部下に伝えることにした。

 

 

 

  *

 

 

 

 会場は酷い有様だった。

 観客席の一部は燃え、凍り、倒壊し、血塗られていた。

 

 死体の中には、観客の他に例の機械を背負っている人間も大勢いた。

 だが、既に生きている人間はいない。会場の中心、コロッセウムを除いて。

 

 戦っていたのは竜輝と、6本の円柱を背負った壮年の男だ。

 

 戦況は竜輝が押されていた。既に左手をやられているのか、動きがぎこちない。

 

 龍を象った氷の塊が竜輝を襲う。

 それを俺は、能力を以て地に伏れさせる。

 

「岳人!?」

「要らない心配はするなよ。敵の事を教えろ」

 

 竜輝はやや躊躇していたようだが、すぐに俺の意を汲んで答えた。

 

「金縛り、衝撃波、氷の操作精製、後は筋力も増強されているかも」

「不明な能力は最大4つか」

 

 筋力の増強が能力で、男自身が無能力者なら残り2つだが。

 

「相談は終えたか?」

 

 男は厳かとも言える調子で言った。

 

「随分な余裕だな」

「無論だ」

 

 男は変らぬ調子で答えた。

 

「世界は変わったのだ。能力者は使い捨ての道具に堕ちた。道具を恐れるは矮小である」

 

 男は指差し、爪の先に氷が凝縮する。

 

「真世界の幕開けを、身を以て知るが良い」

 

 弾丸が射出される。回避――

 

(体が動かない。金縛りか)

 

 だが問題はない。重力場を作成し、弾丸を無力化する。

 

「重力操作、良い能力だ。部下に使わせてやろう」

 

「だが」男は続けて言った。

 

「雷は間に合っている」

「くっ!」

 

 側面から回り込んでいた竜輝を衝撃波で吹き飛ばし、更に回り込んで、背後から襲った雷撃を氷の壁で防ぐ。

 

(背面から防いだ!? 視線は完全にこちらに向けていた。感知系の能力か)

 

 以前戦った工場長は4つの能力だが、全てが単純な能力だった。

 だがこの男はバリエーションを揃えている。感知系も備えていると考えて間違いないだろう。

 ただ1人にこれだけ希少度の高い能力を集めるとは、よほど『真世界』が信頼する――

 

(まさか)

 

 疑念がよぎる。口にしないわけにはいかなかった。

 

「お前が、『真世界』の頭領か」

 

 男は答えた。

 

「それがどうした」

 

 さも当然のように出された答えに、俺の心は不思議と凪いでいた。

 思い出すのは、昨日、時巡に解された俺の願い。

 

(ああ、そうだな。復讐はする。だが、それは俺の全てじゃない)

 

 俺はヒーローであるために、憎悪に支配され、暴力を振るう訳にはいかない。

 だから、俺は当然のようにこう返した。

 

「なら御用改めってやつだ。諸々の罪、きっちり償ってもらうぞ」

 

 男は、ここに来て初めて表情を崩した。思い通りの返事が来なかったことに、不快感を露わにするような。

 

「私の真世界に、(わたし)を裁く法などない」

 

 地面を這うように氷が伸びる。これならたしかに俺の能力では止められない。

 

 だが逆にこれは好機だ。

 俺の能力を、攻撃に使えるのだから。

 

「お前の世界なんぞ」

 

 敵の遥か上空へと飛んだ、竜輝を加速させる。

 

「来るわけないだろう!」

「来るわけがない!」

 

 稲妻を纏った強烈な蹴りが、分厚い氷のドームを粉砕する。衝撃波と氷では、今の竜輝を止めるには不十分だ。

 

 まさに雷が落ちたような衝撃音が響く。

 石畳は崩壊し、土煙となって着弾点を覆う。

 

 金縛りは、未だ解けていない。氷の侵攻が再開する。

 

「グ、オオオ!!!」

 

 金縛りを強引に振りほどき、氷から逃れる。全身の疲労が酷い。この方法での脱出は、出来てあと2回か3回だろう。

 

 土煙から飛び出してきた竜輝を受け止める。

 

「グッ!」

 

 凄まじい勢いだ。

 膂力の強化とは言っていたが、これほどの物だったのか。

 

「岳人、済まない。多分、あれが6つ目の能力だ。見誤った」

 

 土煙が晴れる。

 竜輝の言葉の意味は、すぐに分かった。

 

「変身能力!」

 

 数ある能力の中でも、最も戦闘に適した能力群だとされる能力。

 

 考慮してしかるべきだった。しかし、無意識に候補から外していた。本来の能力者ならば、戦いが始まればすぐに変身するからだ。

 

 多数の能力を持つが故に取れる戦略。それに俺達はまんまと嵌っていた。

 

「褒めてやろう」

 

 男、いや、今となっては狼男と呼ぶべきか。

 変身能力の中でも最も有名で、幾つかの物語にも現れる、戦闘能力が確約された異形。その姿へと変えた狼男が鋭い牙を剥き出し、大きく裂けた口を開いた。

 

「使う予定のなかった能力を使わせたことを」

 

 そして狼男は忌々しく言った。

 

「何せ私の美意識に反するのでな」

 

 変身能力者の決まり文句であろうか。聞き覚えのあるフレーズは、しかし殺意が乗せられると途端に身が震えるようになる。

 

「褒美だ。死ぬがよい」

 

 殺意の言葉に相応しい獰猛さで、狼男が迫る。

 

「竜輝!」

「分かってる!」

 

 俺は最も効果的であろう、座標指定の重力操作を行う。同時に竜輝が電撃を地面に這わせる。

 

 だが。

 

「何だと!?」

 

 敵は多少勢いを落としつつも、駆け続ける。

 

(コンクリートさえ自重で陥没する重力場だぞ!?)

 

 増強能力と変身の組み合わせ。圧倒的な暴力は、俺の予想を遥かに超えていた。

 

(まずい。打撃を喰らえば、タダでは済まないぞ)

 

 間もなく敵は重力圏を抜ける。

 

()()()使()()()() だが、どうやって躱す?)

 

 決断を下す前に、竜輝が前に出た。

 

「岳人! クッションよろしく!」

 

 竜輝が前に出て、右腕を盾にしようとする。その全身からは雷が漏れ出ていた。

 

(電撃により筋肉を収縮させているのか? だが、その程度では)

 

 しかし今更何を言っても遅い。

 狼男は雷に構うことなく、強烈な爪を突き出した。

 

(チッ!)

 

 俺は内心で舌打ちをして、せめてとばかりに能力を発動する。

 

 俺達は吹き飛ばされ、壁に激突する。

 

 意識は、何とか失わずに済んだ。視界が明滅するが、些細な問題だろう。

 

「岳人……」

 

 竜輝は驚きを露わにするように呟いた。

 竜輝も辛うじて死を免れた。だが右手は見るも無残な有様で、左手は俺が来た時から使えず、蹴りを放った右足も骨が突き出ていた。

 

 だが、竜輝の戦意は衰えていない。

 

「もし君が俺の想像通りなら、作戦があるんだけど」

「何だ」

 

 敵は電撃が堪えたのか、数瞬の間はありそうだ。作戦を聞く時間なら取れそうだった。

 

「あいつは、能力者じゃない。問題は、あのでっかいカプセルだと思うんだ」

 

「だから」と竜輝は言った。

 

「あの機械。君なら外せるんじゃないか?」

 

 水無月竜輝。勘のいい男だ。

 ()()()()()()()()()()()()

 

「ああ。だが、少なくともあいつに触る必要がある。もうひと働きできるか?」

「きついね。でも、やらない訳にもいかないよね」

 

 正直、俺も背骨が折れていないのが奇跡みたいな状況だ。でも竜輝が言うように、やらない訳にもいかない。

 

「小賢しい! だが、これで終わりだ!」

 

 敵が瞬く間に接近する。

 先ほどの焼き直しのように、俺は重力場を生成する。

 

 だが同じ結果には決してならない。

 竜輝は右手が使えないし、背中は壁だ。()()()()()()()、逃げることもできない。

 

 同じように右手が突き出される。まともに喰らえば、竜輝共々貫通する。先の攻撃もそうだが、本来なら絶対に吹き飛ばされたりしないのだ。

 

 必殺の一撃である。だが、それが予測できていたなら、対処も可能だ。

 

 同じ攻撃だという確証はなかった。だからこれはただの賭けで、だが俺達は勝利した。

 

 竜輝の圧縮された雷撃と、俺達の渾身の回避行動が実り、爪は空振る。伸びた腕を俺はすかさず掴んだ。能力を発動する。

 

 ボルトの軋む音。それは一瞬で破断音に変わり、敵の能力の源が遥か遠方に吹き飛ばされた。

 

「……は?」

 

 狼男は、ただの人間へと戻る。状況を把握出来ていない男に重力を浴びせる。

 

「な、なんだ、今のは?」

 

 男はまだ俺の能力を把握出来ていないようだった。

 答えてやる義理はないが、教えてやる。

 

「ステージ2。俺の能力は、引力と斥力を操る」

 

 時巡のお陰で開けた俺の新たな能力。斥力を操ることにより、本来なら貫く筈だった爪から逃れ、体に頑丈に取り付けられていた装置を吹き飛ばした。

 

「能力は再定義され、その姿を変える。無能力者には、難しい話だったか?」

 

 敵は黙り込んだ。顔が伏せられているので、その表情は伺い知れない。

 だが、これで俺達の『真世界』との戦いは――

 

「岳人!」

 

 竜輝が俺と共に倒れ込む、次の瞬間、俺達のいた場所に何者かが着地する。

 

「導師様。ここは撤退を」

 

 新手、しかも今奴は何と言った。

 

「逃がすか……!」

 

 声を振り絞るが、体がついていかない。とうに限界など越えていたのだ。

 

 新手の男は俺に一瞥すらせず、導師と呼ばれた男を抱える。

 導師と目が合った。

 

「覚えていろ、この恨み、必ず……!」

 

 そう言い残し、導師と新手の男は去った。

 

「……望むところだ」

 

 俺は、消えていく背中を睨み続けた。

 

 

 

  *

 

 

 

 湿気が籠り、刺激臭が鼻をつく。

 下水道とは、おおよそ人が居るべき環境ではないが故、逃走経路に最適だった。

 

「おのれ、おのれ、おのれ」

 

 言葉が止まらない。能力者風情に、後れを取ったという事実が口を止めさせない。

 

「十字岳人、水無月竜輝……!」

 

 あの2人には、工場を襲撃され、そして今、このような場所を移動させられる羽目になった。許せない、絶対に許さない。

 

「殺す、殺す、殺す」

 

 呪詛が止まらない。恨みは幾ら吐き出そうと、心の内から湧いて出る。

 

「砕いてやる、刻んでやる、磨り潰し「それは無理だね」

 

 呪詛の言葉が、この場ではありえない筈の、女の言葉によって遮られる。

 

 部下は足を止めていた。それは当然、目の前に邪魔者がいたからだ。

 

 その女は、その血のように紅い瞳以外は、取り立てて特徴のない女だった。だが、記憶の片隅には、その女の名前があった。

 

「……時巡優子。貴様、何者だ」

 

 大会に参加していた、十字岳人と水無月竜輝の仲間。

 この場所に居るはずなどない人間。疑問は至極あっさりと答えられた。

 

「その名前は、この場合では相応しくないね。私は一応、君のライバルだったつもりだよ。『真世界』の導師様」

「まさか」

 

 この、まだ20にも満たない女が。

 

「『コレクター』、貴様が!」

「正解。初めまして、お互い苦労させられたね」

 

 その言葉に、冷静でいることは不可能だった。

 

「苦労、だと!? 貴様、貴様のせいで! そうだ、十字岳人も水無月竜輝もどうでも良い! 貴様さえいなければ!!!」

 

 そう、敵はこいつだ。こいつさえ消せば、全てが上手くいく。

 

「殺せ、いますぐこいつを殺せぇ!!!」

「仰せのままに、導師様」

 

 部下は俺の前に繰り出し、静かに構える。

 この男は俺の側近。その実力は、最明蓮華にすら見劣りしない!

 

「見誤ったな、『コレクター』。護衛もつけずに現れるとは」

「まさか、君の実力はよぉく知ってるよ。その上で、私はここにいる」

 

 部下はその能力を発動しようとし、突如膝をつく。

 

「ば、馬鹿な……」

 

 呆然と、部下が倒れゆくのを眺める。

『コレクター』がいた。部下の目前、背後、そして、元の場所にも。

 

「ど、どういう……」

 

 2人目の『コレクター』が、笑いをこらえて言った。

 

「良い顔だ。私はね」

 

 そう言って、『コレクター』は俺の額に触れる。最早抵抗する気力も失せていた。

 

「君が欲してやまなかった超能力を、2つ持って産まれたのさ」

 

 自らが、老い衰えていくのが分かる。

『コレクター』が続ける。

 

「さようなら。超能力発生装置は、私が上手く使うから、安心していいよ」

 

 最早怨恨は心になく、あるのは後悔だけだった。

 こんな奴がいると知っていれば、あのような装置など作らなかったのに。



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第14話「侵食する悪意」

 超能力発生装置について、少し困ったことが判明した。

 

 それは耐用年数が1年ほどしかないということだ。

 

 超能力は持っているだけでは意味がない。

 修練をして、初めて実用に耐えうるものである。

 

 複雑な能力は、訓練に要する時間を考えれば、1年というのはあまりにも短い。だから装置に入れるのは、替えの効くよう多くの人間が持ち、かつシンプルな能力がメインになるだろう。

 

「それで、青木霧江の処分は如何様にいたしましょうか」

 

 小野川が言った。

『真世界』が実質的に滅んだ今、霧江の処分が彼に残された最後の仕事になるか。

 

(ううむ、小野川は有能で、信用もできるしな。能力者狩りも彼に任せてしまおうか)

 

 それはそれとして、霧江の問題だ。

 

 彼女が私に裏切りと取れる行為を働いたことはすぐに分かった。

 本来なら豚のエサにしてやる所だが、彼女の能力はあまりに有用過ぎる。

 

 装置に組み込んでも、特異過ぎるために十全に能力を行使できるか分からない。出来たとして、装置の寿命は限界でも1年だ。

 

 彼女自身はそれほど私に悪感情を向けていない。より竜輝を優先しているだけで。だからまだ使えるとは思うが、裏切りを許すのは私の体面的にも問題がある。

 

(水無月竜輝は中々問題人物だな)

 

 アリスは勿論、彼自身の戦闘能力も馬鹿にできないラインまで引きあがっている。こんなことになると知っていたなら、早々に排除していたのに。

 

(……いや、いや。状況が変わった今、どちらにせよアリスは確保する必要が? なら竜輝はどう転んでも……)

 

 悩む私に、小野川が控え目に催促する。

 

「……超能力発生装置に入れる。その辺りは宮田に任せてるから、引き渡しだけよろしく」

「承知しました。それでは私は『真世界』の残党処理に戻ります」

 

 退出しようとする小野川を引き留め、先ほど考えていた能力者狩りについて私は説明した。

 

 

 

  *

 

 

 

「おはよう、岳人」

 

 時巡に挨拶を返し、俺は席に座った。

 

 色々なことがあったが、大会も終わり俺達は日常に戻っていた。

 

(結局、『真世界』の頭領は捕まっていない)

 

 ドームでの戦闘は苛烈だった。

 奴らはあの時日本で最も警備の厚かった施設を制圧したが、下手人はほぼあの世か牢獄に送られた。

 それほどの人員を消費したのだ。実質的に『真世界』は再起不能だろう。だがしこりの残る終わりであることに変わりはなかった。

 

 ホームルームが始まった。

 教師が酷く張り詰めた顔で説明する。

 

 クラスメイトの1人、佐藤鈴音が行方不明だと。

 

 クラス中がざわめく。

 まことしやかに囁かれるのは、『コレクター』と呼ばれる存在。

 

 既に一般にも周知され始めたその存在は、以前は特異な能力者を集めていた者の名で、そして今は強引な手で汎用能力を収集し始めた者だ。

 

 その変化の理由は、超能力発生装置と呼ばれる機械であることは間違いない。

 

 俺が『真世界』の工場を襲撃したその日、同じく『コレクター』の配下も襲撃していたのだ。そして研究資料を奪われていたことは、当時から分かっていたことである。

 

『真世界』が滅び、『コレクター』が大々的に動き出した。盛者必衰とは言うが、このような形で実感したくはなかった。

 

 複雑な気分だ。現状を考えれば、『真世界』が暗躍していた時の方が遥かにマシだった。

 

(しかし、『コレクター』はどうやって最明蓮華に対処するつもりだ?)

 

 あの日、世界最強たる最明蓮華もまた『真世界』の刺客3人から襲撃を受けていた。

 

 相手は彼女が現れるまで最強と呼ばれていた、ジェニファー・ペトケビッチ。暗殺成功率100%、暗殺者ヨアヒム・プレヒト。1人大隊、傭兵ハミルトン・フレッカー。

 錚々たる面々が超能力発生装置まで用い、同時に襲撃した。

 

 結果は、彼ら3人以外の人的被害はゼロ。人々が行きかう街中での襲撃であったにも関わらずだ。

 

 誰もが最明蓮華が最強だと思いつつも、それすら過小評価であったことを思い知らされた。

 圧倒的という言葉すら生温い。何人(なんびと)も足元にすら及ばない異次元の強さ。

 

(可能性があるとすれば、超能力そのものを無効化するアリス)

 

 俺も彼女がどの程度の力を持つかは知らないが、僅かにでも可能性があるのは彼女以外にないだろう。

 

 教師の簡易な説明の後、日常はつつがなく送られた。授業を受け、昼食を取り、また授業を受け、気がつけば放課後だ。

 

「それじゃあ、また明日、岳人、華」

 

 俺はそれに同じく挨拶を返す。

 

「ねえ」

 

 時巡が去った後、小鳥遊が俺に言った。

 

「優子、何かおかしくない? なんか、なんか違う気がする」

 

 それは俺も感じていた違和感だ。

 俺は零次が俺のせいで欠けてしまった影響だとも考えたが、それも違う気がする。

 

(……そうだ、この違和感は、あの大会の日、俺と別れるまでは感じなかった)

 

 無事あの地獄と化した会場から逃げられた彼女と再会してから。あの時から妙な違和感を感じていなかっただろうか。

 

(分からない。だが、俺が踏み入って良い問題かどうか)

 

 その考えを、首を振って否定する。

 

 違うだろう。俺は、もし彼女に何かあったのだとしたら、例え彼女が否定しようと解決するべきではないのか。

 

(それが、ヒーローだろう)

 

「なあ、小鳥遊」

 

 だから俺は言った。

 

「俺が知らない時巡の事、教えてくれないか」

 

 それが、解決の糸口になる気がするのだ。

 

 

 

  *

 

 

 

 分身能力の強化は私の生活に劇的な変化をもたらした。

 以前は本体に一貫性を持たせるため、本体が『コレクター』として活動することは稀だった。しかし分身と本体が誰に悟られることなく成り代わることが可能になった以上、本体である私が本部務めになるのは自然なことだった。

 

(うん、学校に行った分身も、特に問題はないな)

 

 どちらも私なのだから当然と言えば当然だが、やはり不安ではあったのだ。

 しかし数日の観察の後、特に問題はないだろうことが分かった。

 

「真希絵」

 

 私は部下の1人、常にそばに置いている少女を呼んだ。

 

「は、はい。何でしょう、『コレクター』」

 

 緊張した様子の真希絵が返事をする。

 

「大した用事じゃないよ。木村からの報告が来てないけど、そっちに来てたりする?」

「木村さんですか……? いえ、私の方は特に」

「そう、真希絵の方にも来てないか」

 

 真希絵の緊張は解けていないようだった。

 最近はずっとこんな調子だ。真希絵なりに、最近の情勢の変化に思うことがあるのだろう。

 

(悪いことをしているのは知っていただろうけど、最近はニュース番組でも話題に上がるしね)

 

 最初期の『フューチャー』時代以来だろうか。あの時は派手にやり過ぎて、組織自体を解体せざるを得なかったのだ。主要メンバーは逃がせたが、あの時はまだ真希絵はいなかった。

 

 悪事の実感が今更湧いてきたというのも、ありえない話ではない。対策が必要か?

 

(そうだね、折角だし)

 

 青木霧江の件もある。私にとって残す能力者を、分かりやすく示すべきだろう。

 

「真希絵、唐突だけど、君にお願いがあるんだ」

「お願い、ですか?」

 

 幸い、そのための組織は既にある(ケチがついてはいるけれど)。

 

「うん、君には『ミュージアム』に所属してもらう。それだけの価値を『コレクター』が認めていると、そう考えておいてよ」

 

 

 

  *

 

 

 

 剣崎亜美は元『真世界』の構成員であり、現在は政府に属している。いわゆる司法取引というやつで、協力の見返りに罪を軽くしようと日夜努力しているのだ。

 

(これもママとパパのため)

 

 亜美に兄弟はいない。いなくて良かったと思っている。こんな重しを背負うのは自分だけで十分だから。

 

 亜美は今『コレクター』と呼ばれる犯罪者について調査している。

 10年前から活動しているらしいが、ドーム襲撃後『真世界』の勢いが落ちてから急速に勢力を拡大している者だ。

 

 廃ビルに屯している半ぐれが勢力の一員らしく、たった今制圧を完了したところだ。戦闘はわたしの得意分野である。『真世界』でのノウハウを活かせる職に就けたのはありがたい。

 

「亜美ちゃん」

 

 同行していた(というか監視である。流石にまだ信用はされていない)、高橋さんが声をかける。

 

「ご苦労様。でもね」

 

 彼はスプラッター映画さながらの一室を見回しため息をついた。サラウンドなうめき声も良い感じのアクセントになっていると思う。

 

「やりすぎ。次からは後処理のことも考えようね」

「ん、了解。政府は万年金欠。失念してた」

 

 いつもなら、相手の心を折るために派手に戦う。だが確かに言われてみれば掃除が大変だ。それなりの出費になるのだろう。

 

「そういうことじゃないんだけどな」と高橋さんはボヤく。

 

 彼は元々わたしも所属させられた異能取締課の所長だったらしい。だがわたしの前任者がやらかしたことで、降格処分を受けたのである。

 そのやらかし野郎の名前は十字岳人。退職し今はただの学生のようだ。引継ぎもなしに辞められたので非常に困っている。しかも当の本人は、のほほんと過ごしているのだからクソでございます。

 

 高橋さんは電話を手渡し言った。

 

「木村所長へ報告しておいてよ。その間に、俺は情報収集しておくから」

「了解」

 

 木村所長は『コレクター』特別対策室と、異能取締課の両方の長である。

 というより、ユリさんによれば異能取締課は実質的に特別対策室の下位組織のような扱いらしい。そのため重要な情報は流れてこず、今のような使い走りのような仕事しか回ってこない。

 そのような事態になったのは、現在異能犯罪の9割が『コレクター』傘下の者の仕業というのが表向きの理由らしいが、わたしとしてはチンピラをシバく方が性に合っているのだから問題はない。

 

「……」

 

 電話はいつまでたってもコール音が鳴りやまない。数十秒もたって、ようやくプツリという音が耳に入る。しかし電話口からは機械的な音声が。

 

「あ、圏外」

 

 電話を見ると、画面に表示されている文字は圏外。

 ここは街中である。圏外など通常であれば起こりえない。それ即ち――

 

「亜美ちゃん、気を付けて」

「了解」

 

 気がつけば窓から差し込む光が、赤黒く染まっていた。

 割れた窓から見える世界は、とてもこの世のものとは思えない、一面の血の海。流れる風は、既に濃かった血の匂いをより濃いものへと変貌させていく。

 

(スプラッターじゃなくて、ホラーだった)

 

 既に再起不能となっていた筈の、不良たちが立ち上がる。

 その表情は青白く、まるっきり生気が抜けていた。

 

「まるでゾンビみたい。そういう能力?」

「いいや、超能力エネルギーは感じない。信じがたいが、これがこの世界のルールだな」

 

 高橋さんは、見えざるものを見ることが出来る。それは超能力に用いられるエネルギーも例外ではなく、あれが能力によるものならば看破できる。

 

「つまりは一種の転送能力だな。異世界にビルごと飛ばされたってこった」

「それあり?」

「ありえない、と言えないのが超能力だな」

 

 のんびり話している時間はそれまでだった。ゾンビらしく、彼らは襲い掛かってきたのだ。

 

 ゾンビの足を両断し無力化する。流石に高橋さんも苦言を呈さない。

 

「屋上だ。ここに来る前、でかい力がそこからビルを包み込んだ!」

「了解」

 

 ゾンビは所詮ゾンビ。ちゃちな拳銃でも対処できる相手など問題にはならない。

 だが、次に現れたのは羽の生えた醜悪な怪物だった。

 

 窓から飛び込んできたそれを、4つの剣を駆使して切り刻む。肉片と変えてもなお、それは蠢いていた。

 

「不味いぞ。どんどん数が増えていく!」

 

 高橋さんの言う通り、窓から続々と侵入してくる。そしてそれは羽の生えているもの限定だ。それ以外は、血の海を泳ぎビルへと入って来る。泳いでくるものの数は、飛ぶものの数の比ではない。

 

 わたしは剣を手に持ち、操作能力により自らを加速する。高橋さんは当然のようにわたしのスピードに付いてくる。密かながらスピードには自信があったが、以前の大会で戦った時巡優子といい、わたしのスピードに迫る相手がどんどん出てきて自信を失いそうだ。

 

 四苦八苦の末、漸くわたしたちは屋上に辿り着く。

 そこにいたのはこの世界で初めて出逢った人間らしい人間。雨傘を差し鉄の手すりに腰掛けた、レースだらけのロングドレスを纏ったゴスロリファッションの女。

 

「貴方方の能力で、ここまで来られるとは思っておりませんでしたわ」

「……」

 

 女の言葉に耳を貸す必要などない。何せ怪物どもが今もこの場を目指しているのだ。

 

 この超能力は複雑怪奇だ。ならば通常の能力と異なり、制約があるのは間違いない。戦略的に、本人もこの空間に居る必要などないのだ。

 

(つまり能力者の無力化が、この能力の解除条件)

 

 その点においては、高橋さんとも意見が一致した。

 

 斬撃は跳躍により躱され、女は羽虫の怪物の背に着地する。

 そして同時に、別の怪物の相手を私はせざるを得なくなる。

 

「礼儀のなっていない娘ね。名乗りぐらいはさせなさいな」

 

 怪物の処理を終え、剣を足場に女へと肉薄する。

 

「『ミュージアム』が展示No.4『黄泉戸喫(インフェクション)』。以後お見知りおきを」

「ん、死んで」

 

 足場の怪物ごと切り上げる。中心線より左にずらして斬る。そうすることで、女は余裕のある方向へ避けるのだ。

 そしてその先には、驚くべきことに、怪物を足場に宙を駆けてきた高橋さんがいる。

 

「あら」

「手荒だが、許してくれよ!」

 

 高橋さんが女に抱き着き拘束する。後はわたしが斬撃を叩き込めばそれで終わりだ。

 

 剣を遠隔操作し、女だけを切り裂くような軌道を作る。

 

 剣は、女を中心に発生した雷に阻まれる。雷をもろに浴びた高橋さんの拘束も解け、屋上へと叩きつけられる。

 

「……!?」

 

 驚愕が収まらないうちに、てすりに着地した女がスカートをめくりあげる。

 そこにあったのは、わたしも良く知る銀の筒。だが、それは本来の長さの半分程度しかない。私が知るそれなら、スカートの中に隠すことなど不可能なはずだった。

 

「小さいでしょう? これは試作品です。()()()()()()()()()()、大きさは変えられますからね」

「おま、え。それがどういう意味だと……!」

 

 雷を受けた高橋さんが、絞りだすように言った。わたしも理由は理解できた。素材のことはよく知っている。だが、まさか、本当にそんなことが人間にできるのか。

 

(……なるほど、『コレクター』。これは許しちゃ駄目だ)

 

 わたしはこの時、生まれて初めて正義感というものを胸に抱いた。

 

 屋上の扉が吹き飛ばされる。泳いできたものたちの、第1波が辿り着いてしまったのだ。

 

 わたしは剣を生成する。

 だが今から作る剣は、今までの剣とは違う。

 

 荒木白百合、十字岳人。彼らはその領域へと辿り着いている。わたしでも届く領域だと、わたしは知っている。

 

 そして今、正義という歯車が、わたしを完成させた。

 激情が体を巡り、一点に集約するイメージ。新たな能力の土台が構築される。

 

 高ぶる想いを注ぎ、その剣を現出させる。

 

 刀身だけでわたしの身長を越える大剣。それは、光の粒子を纏い、更に肥大化する。

 ぐるりと回るように剣を振るう。屋上全体を覆う、光の刃が、怪物たちを切り払う。

 

 圧倒的な破壊。剣の規模を越えたその力こそ――

 

「……ステージ2。随分と大雑把な力ですこと」

「うん、これはエクスカリバーと名づけよう」

 

 わたしは大剣を消し、新たな剣を生成する。今度はレイピアのように細い、刺突向きの剣。

 女は既に晒した手札、雷撃で追撃する。わたしの剣も同時に、雷撃を放ち相殺する。

 

「んな……!」

「ええと、サンダーブレード」

 

 わたしは使い慣れたただの剣を2本生成し、挟むように斬撃を振るう。

 

 「くっ……!」

 

 女は広げた傘を盾に受ける。意外と硬い。逃げるだけの猶予を持たれてしまった。

 

 ……硬い?

 

(違う。普段のわたしなら、殺しきれた)

 

 いくら強固な素材だとしても、たかが傘に手こずる筈がない。

 思えば、屋上を駆けるわたしの足は、何か遅くなかったか。

 

「亜美ちゃん!」

 

 高橋さんが叫ぶ。

 

「超能力エネルギーが減っている! この世界じゃ、使っても補充されないんだ!」

 

 聞いたことがある。

 強力な超能力は、エネルギーの自然回復を上回ってしまう。その時体中を巡るエネルギーも減少するから、身体能力が下がるのだと。

 

 わたしには無縁な話だと思っていた。

 でもこの世界ではそもそも自然回復が発生せず、そしておそらく。わたしのステージ2は燃費が悪い。

 

「……あと何回使える?」

「光の剣は、後2回が限界だろうね」

 

 後2回。

 

「ふ、ふふ。いいえ、後1回よ?」

 

 女が半笑いで言う。地上の第2波が屋上に着いたのだ。わたしは大剣を生成し、再度薙ぎ払う。

 

「あら、地上の敵は消えたけど、空から来ていることも忘れていないわよね?」

 

 女の言う通りだった。空にはもう大群と言って差し支えない怪物達が犇めいていたのだ。

 

 剣が重い。身体能力の低下が深刻なラインまで来ている。果たしてこれで戦えるだろうか。

 

「亜美ちゃん」

 

 高橋さんの手がわたしの頭に置かれる。ぽんぽんと、軽く叩かれた。

 

「後はおじさんに任せなさい。最後の一撃は、任せるかもだけどね」

「あら、非戦闘能力のおじ様に、何が出来るのかしら」

「そりゃあ」

 

 高橋さんが構える。

 

「今から確認する。若いもんにはまだまだ負けられねえよ」

 

 怒りが。

 一線を超えた者達への。

 彼らに対して無力な自身への怒りが。

 

 能力を新たなステージへ引き上げる。

 

「ステージ2。俺の能力は、俺にしか見えない」

「は? ――あぁ”!?」

 

 突如、女が吹き飛ぶ。

 

 高橋さんは動いていない。だが、彼の能力が原因であることは歴然だった。

 殺到した羽付き達も、同様に不可視の何かによって吹き飛ばされていく。

 

(元は、見えないものを見る、目の超能力だった筈。ならあれは、視線を媒介にした攻撃能力?)

 

 推測しかできない。見えない攻撃だ。それがどういった代物かなど、高橋さんにしか分からない。

 

 女は鼻が潰れ、血を勢いよく流していた。顔面にモロに食らったのだろう。叫び声も息がつまったような鼻声だった。

 

「ざけるなよ!」

 

 女は言葉の勢いとは裏腹に、屋上から飛び降り逃げた。

 

 正しい選択だ。高橋さんの攻撃は恐らく視線が通る必要がある。階下に降りるのは合理的。()()()()()()()()()、怪物たちが下から来る以上、逃げるならそちらが合理的。

 

 だからそれは、わたしが屋上へ来る前から描いていた絵と同じで、そのための仕込みは当然してあった。

 

「ぎゃ!!?」

「チェックメイト」

 

 階下に潜ませていた剣群6本を射出した。そのうちの一本から、確かな手ごたえが返ってきた。

 

 羽付きたちがまたも迫る。残された力は少ないが、女の死までは十分凌げる――

 

「弾けろォ!!!」

 

 ひときわ大きな声が響く。それと同時、羽付きたちが膨れ上がり、炸裂した。

 

「キャハハハハハハハ!!!!!」

 

 炸裂音に耳がやられる。だが、その不快な笑い声と、水に落ちる音だけは、奇妙にも耳に届いた。

 

 爆音にやられた耳が、元に戻る。

 

 女は死んだのだろう。

 体が浮遊感を感じ、あるべき世界へと戻ろうとする。

 

 しかし、

 

「戻らない」

「うん、原因は、これだろうね」

 

 そう言って、高橋さんが腕に着いた肉片を拭う。

 

 それは先ほど破裂した怪物の欠片だ。

 自爆しただけあり、わたしたちにも少なくないダメージがあった。

 

 その肉片が、体に喰いこむくらいには。

 

 体に入り込んだこの世界のものが、帰還を阻害しているのだ。

 

「インフェクション、と名乗っていたね。なるほど、俺達は感染してしまったわけだ」

「でも仲間判定じゃないみたい」

 

 階下から登ってきた怪物たちが殺到する。空からも変わらず、怪物たちが集っていた。

 

「最期まで戦う覚悟はできた?」

「最初からそのつもり」

 

「頼もしい限りだよ」と高橋さんは言って、不可視の打撃を放った。

 わたしも剣を手に、怪物たちへ斬りかかる。

 

 この命果てるまで、わたしたちは戦い続ける。



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第15話「『ミュージアム』」

「報告が遅れた事情は理解したよ」

「幸いです。ついでに展示品を紛失したことを、館長に伝えていただければ助かるのですが」

「嫌だね。死体すら残ってないとか何言われるか分かったもんじゃない。自分で言って」

「残念です。気が滅入りますよ、本当に」

 

 いけしゃあしゃあと木村が言った。

 

 こいつは掌握できない部下を始末しようと画策し、『ミュージアム』の展示品の使用許可を求めてきたのだ。

 それは特に問題なかったので承諾したが、結果は相打ちだった。

 しかもNo.4の性質上、死体が見つかることはない。普段なら大歓迎なのだが、館長相手は別だった。あいつ面倒くさい。

 

(それにしても、これでNo.4、7、8を失ったことになるのか)

 

 No.7は正確には能力は失われていないが、今まで欠けることのなかった『ミュージアム』の人員にも死者が出始めた。

 

(一度招集するべきかな)

 

 展示品どもが何を考えているのか正直分からないが、私だったら不安になるだろう。

 

 工場の方も予定通り進んでいる。もうじき超能力発生装置も量産が始まるだろう。大々的に行動を開始するし、そうなれば『ミュージアム』も動かすことになるだろう。その時を見据え、装置の訓練も彼らに課さなければならない。

 

(……うん。色々、当初描いていた『ミュージアム』の在り方から外れるね。説明は必要か)

 

 当初は強力だけど、使い勝手の悪い決戦兵器どもを囲うための制度だった。

 まあ、それも少しずつズレていったが、原点はそこなのだ。

 

 私は木村に言った。

 

「館長に伝えておいてよ。"開館の準備をしておけ"、てね」

「……承知しました。流石は『コレクター』。館長への用事の押し付け。見事な手際でございます」

「でしょう? 私も部下から学ぶんだよ」

 

 木村は笑って「人は学びの連続ですね。それでは失礼します」と、やはりいけしゃあしゃあと言って退室した。

 

 

 

  *

 

 

 

「もう皆集まっているかな?」

「当然です。貴賓に対して展示品が遅れる筈がない」

 

 館長の先導の元、扉があけられる。

 私は悪趣味な人形から意識を外し、7人の男女へ視線を向けた。

 

「そ、それでは。まず私から紹介させていただきます」

 

 ほとんど毎日顔を合わせている、時枝真希絵がトップバッターらしい。

 緊張を隠しきれない真希絵がつっかえながら言った。

 

「No.10『雷鳴蘇生(セイム)』。改めまして、よろしくお願いします」

 

 そして次に、()()()()が言った。

 

「No.9『老若断定(ブリーダー)』。私が一番の新人になるのかな。初めまして『コレクター』」

 

 大会にも出たし、そろそろ私自身がフリーなのは不自然に感じたのだ。だから私の分身を『ミュージアム』に所属させることにした。

 そして『コレクター』とNo.9の関係を知っている、枯れ木じみた長身の男が続けて言った。

 

「新人ね。よろしくな、No.9。今更自己紹介もないと思うが、彼女のために言っておくぜ」

「No.6『第六感(プレコグニション)』。常人よりも少しだけセンスのある男さ」

 

 No.6が、だらりと寝転み煙草を吹かす女に対し、目線で催促した。

 女は気だるげに

 

「No.5『煙霧障害領域(テンペスト)』」

 

 最低限の言葉のみ吐き、煙草をくわえ直した。

 

「……ん? ああ、次俺か」

 

 暫しの静寂の後、逆立った赤毛の男が言った。

 

「No.3『極小恒星(フレア)』。よろしくなあ!」

 

 隣にいた神経質そうな男が耳を抑えた。

 

「No.2『幻獣大狼(フェンリル)』。少し黙れ、No.3」

「ああ、耳良いもんな。忘れてたよ、悪かった」

「……うむ」

 

 そして最後の1人、『ミュージアム』を創立するに当たった、強力かつ希少。しかし死蔵せざるを得ない能力者。

 

「No.1『終焉を告げる者(アポカリプス)』。ハハ、相変わらず愉快だな『ミュージアム』!」

 

 快活な笑い声をあげて、褐色白髪の男が最後に自己紹介を締め括った。

 

「うん、みんな変わりないようで何よりだよ。聞いてると思うけど、『ミュージアム』の方針を変えることにしたんだ」

「マジかよばーちゃん、俺ぁ初耳だぞ」

「うん、じゃあ改めて説明しようか」

 

 絶対にNo.3が上の空だっただけだと思うが、No.5も怪しそうな雰囲気を感じたので説明することにした。

 

「『真世界』から素晴らしいプレゼントを貰ってね。君たちには試運転をして欲しいんだ」

「お、良いぞ。どんな道具だ?」

「黙ってろ。『コレクター』、それはNo.4が使っていた超能力発生装置というやつでしょうか」

「うん、その通りだよ」

 

 No.4は何処からか聞きつけ強請(ねだ)ってきたのだ。

 ちょうど良かったので渡したが、役に立ったのだろうか。

 

「特にNo.1は能力を使う感覚に慣れておいてね」

「それは、俺の能力が必要になるということですか『コレクター』」

「そうだね。場合によっては、だけど」

 

 最明蓮華と戦うのに、戦力が不足するということもない。

 

(アリスを確保できれば、その限りでもないけど)

 

 あれとは関わるまいと思っていたが、事情が変わった。殺してから能力を回収できるようになったのだ。そして彼女の能力ならば、戦わずして世界を取れる。

 

 真世界がその手法を選ばなかったのは、制圧に時間を掛ける前提だったからだろう。しかし一度蹂躙してしまえば、私の場合、後は手持ちの能力者だけで占領できる。

 

(『真世界』は非能力者による統治を望んだからだろうけど、私には関係ないね)

 

 正直、私にもこの世界が歪に思える時がある。それこそ世界を滅ぼせる能力者も存在するのだ。そのような個人を許容すべきではないという考えは妥当だ。

 

「できれば使いたくはないが、備えだけはしておきます」

「良い心がけだね。他のみんなも、戦いに備えておこうね」

「おう、戦いなんて久しぶりだな。腕が鳴るぜ!」

「俺が出るまでもないとは思いますが、『コレクター』が仰るのならば」

「あー、あんま良い予感はしないけど、仕方がないね」

「わ。私もですよね。頑張ります」

「ほどほどに気負っておくよ」

「すはー」

 

 それぞれが思い思いの返事をし(最後は返事か? 煙草やめてほしい)、『ミュージアム』は閉館の時間となった。

 

 

 

  *

 

 

 

 さて、やるべきことは早々に行うべきである。

 

 アリスの能力は目視することで発動する。ならば話は簡単だ。能力の関係ない攻撃で殺傷すれば良い。

 

 私のフロント企業が所有する港の倉庫に、ずらりと並べられているのは様々な銃器である。

 

「おお、壮観だね」

「『コレクター』のためでしたら、この程度の装備いつでも差し上げますとも」

 

 慇懃な態度は、私が大枚を叩いただけではあるまい。

 この男、野村は時勢をよく読んでいる。

 

『コレクター』は『真世界』亡き今日本の裏を掌握したと言って良い。それをいち早く察したこの男は、私が欲した物をすぐさま用意して見せた。

 

「しかし求めておいて何だけどね、能力者に銃はどの程度効くんだい?」

「相手に寄ります。しかし一定レベルの能力者ならば、9mm程度では内臓まで届かないでしょう」

「一定レベルね」

 

 能力者は持っているエネルギー量により身体能力が一変する。問題はそのエネルギー量が測れないという事だ。

 

(思った以上にその手の能力は希少だった。能力の偏りを感じる)

 

 私の手駒で辛うじて測れるのが、No.6の第六感だけである。それによれば、アリスのエネルギー量は人の域を遥かに超えている、らしい。

 

「最明蓮華を殺すなら、どの武器を君は選ぶ?」

 

 ならば私が把握している最強を想定すれば良い。

 

(それで足りるとは、私の勘は囁いていないけど)

 

 こればっかりは仕方がない。というか私の苦手意識が判断の邪魔をしている気がする。

 

(やだなぁ、関わりたくないなぁ。でもなぁ)

 

 使わない、理由がない。私の目的のために、私の心が邪魔ならば。それをまずは殺さなくては。

 

 しかし私の懸念は野村の想定を超えていたらしく、一瞬だけ怪訝な顔を見せてから素早く笑顔を張り付けた。

 

「最明蓮華ならば、私はこの武器を使いますね」

 

 野村は陳列された銃器ではなく、その奥に隠されるように置かれていたアタッシュケースを取り出した。

 

(こいつ、読んでたな。やるわ)

 

 となると、先ほど一瞬見せた怪訝な顔は演技か。単純な強さ以外の力を持つやつは、これだから困る。

 

「それは?」

「無色透明、無臭の毒ガスを半径100m内にまき散らす、いわゆる化学兵器というやつですよ」

「……個人相手だよ?」

「個人を超えた相手には、この程度は必要……いえ、私が用意できる武器で、最も可能性があるのがこれになる、というだけなのですがね」

 

 つまり正攻法では、携行可能な武器では勝ち目がないということか。何やらこいつには他に目的がありそうだが……。

 

「参考になったよ、ありがとう」

「いえいえとんでもない。正直、確実に勝てる兵器をお渡しできないのが心苦しいのです」

「勝ち目があるだけで十分さ。これからも何かあればよろしく頼むよ」

 

 そうして私たちは握手を交わし、取引を完了した。毒ガスは最終手段だ。先ずは銃器での制圧を試みよう。

 

(世界を相手にする前哨戦。ケチがつかないと良いけど)

 

 アリスよ、お願いだから早々に死んで、私の不安を掻き消してくれと。身勝手な願いを託しながら、武器の搬送を眺めていた。



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第16話 北の大地へ

 時巡優子は幼い頃に母を失っている。

 理由は小鳥遊にも分からないそうだ。彼女が出逢った頃には既に亡くなっており、父との関係もどこかぎこちなかったそうだ。

 

美姫(みき)ちゃんなら、何か知ってるかも」

 

 彼女達の中学までの同級生であり、時巡とは幼稚園から同じだったらしい。中学二年生の折、北海道に転校したのだとか。

 

「ええ、と。そう、このお店だよ」

 

 何でも親が脱サラしてジンギスカン屋を始めたのだとか。幸いにも、情報誌に載る程に繁盛しているらしい。小鳥遊が本屋で見せた雑誌には、ジンギスカン特有の鍋に、食欲をそそる肉と、もやし中心の野菜が盛り付けられていた。

 

「連絡はもう取ってないのか?」

「あの時は携帯無かったし、色々ごたついてたみたいだからね、ないよ」

「そうか、じゃあこの情報誌だけが頼りになるのか」

 

(……電話、じゃ少し聞きづらいな)

「まさか岳人」

 

 小鳥遊が信じられないものを見るような顔で言った。

 そのまさかである。

 

「ああ、北海道に行く」

「ええ……」

 

 そうとなれば善は急げである。

 絶句する小鳥遊を尻目に、俺は情報誌をレジへと持っていった。

 

 

 

  *

 

 

 

 千歳空港に降り立った俺に、声をかける女が居た。

 

「おっスー、岳人、久しぶりだね!」

「何で居るんですか、ユリさん」

 

 その人は今も東京で業務に就いている筈の年齢不詳、自称肉体年齢18歳のユリさんだった。

 

「左遷されたんだよぅ。色々あってねえ」

「そうですか。高橋所長はやっとユリさんから解放されたんですね」

「そうだねえ、今頃バカンスを楽しんでるんじゃないかな」

「バカンスって、この忙しいだろう時期に」

 

 なにせ『コレクター』と呼ばれる悪党が絶賛暴れている最中なのだ。公僕が休んでいる暇などあるのだろうか。

 

「ま、今まで頑張って来たし、それぐらいは許されるべきだよ。そう言う岳人君は学校サボって旅行かな?」

「いや……まあ、そうです。俺だって頑張って来たでしょう?」

 

 完全な私情だし、バカンスと言えばバカンスだろう。

 

(でも態々着陸時間に合わせて来たぐらいだし、事情は知っているんだろうな)

 

 一体どういう情報網を持っているのだろうか。だが厄介事を押し付けてくるだろうことは容易に想像もできた。

 俺はどんな顔をしていたのか、少なくとも内心が透けていたのだろう。ユリさんは意地悪い顔で言った。

 

「バカンスを堪能するなら、もうひと踏ん張りしてからだよ。さ、行こうか」

 

 俺がもう部外者等という常識は、彼女の中では存在しないのだろう。当たり前のように俺の手を引き、車へと押し込まれた。

 

 

 

  *

 

 

 

 2時間ほどのドライブを終え、ようやく車から降ろされた。だがそこが目的地ではない。これから先は車が使えないだけなのである。

 

「さあ、山登りの時間だよ!」

「いや、ユリさん。俺そんな装備持ってないですけど」

「ちょっとだからへーきへーき」

 

 そう言ってユリさんは、山道を逸れ歩き出した。これは本格的に命の心配をする必要があるかもしれない。

 

「そろそろ事情を話して欲しいんですけど、せめて」

「あーん? 仕方ないなあ」

 

 不承不承に語るには、山火事が起こったのだそうだ。

 雪山で火事。どういうことかと詳細を尋ねても、見れば分かるの一点張りだった。

 

 恐ろしいことに日が暮れ始めたころ、ようやく目的地に着いた。後先考えず逃げるべきだったという思考は、すぐさま隅に追いやられる。それほどの光景だったのだ。

 

 山火事等という表現は不適切だ。確かに木々は黒焦げで炭化しているけれど、それは外周部だけ。中心部には抉れた地面だけが顔を覗かせていた。

 直径100mはあろうかというその窪みは、クレーターそのものだった。

 

「おやユリさん、おかえりなさい……ってその少年は?」

「ただいまマー君、これは私の助手です」

「助手て、部外者連れてきちゃ駄目じゃないですか……」

 

 マー君と呼ばれたその男は、20代頃だろうか。線の細い体に、気弱な風体を隠しきれない男だった。

 

「あー、君。ユリさんに無理矢理連れてこられたんだろう。今日はもう遅いから泊まるとして、明日はちゃんと帰るんだよ」

「すいません。ご迷惑をおかけします」

「いや、君は悪くないからそう畏まらないで」

 

 以心伝心とはこのことか。きっとテレパシー持ちなのだろう。そうとしか思えない程スムーズに現状が伝わったようだ。単純にユリさんが迷惑大王なだけかもしれない。

 

「何さあ、私が悪いのかよ」

 

 悪いに決まってんだろ。

 面倒ごとを避けるように、俺達は内心でツッコミを済ませた。

 

 

 

  *

 

 

 

 簡易テントには都合よく一人分の余裕があった。全部ユリさんが悪いのだろう。

 

「それで、結局あれは何なんですか?」

 

 視線をクレーターに向ける。態々雪山で寝泊りしている程の異常事態だ。巻き込まれたからには、少しぐらい事情が知りたかった。

 

「あー……。正直ね、僕らもあれの事情を全く知らないんだ」

 

 マー君こと前田さんが言うには、管理者から通報を受け駆けつけた時には、もうあの状態だったらしい。

 突如として(それこそ隕石が落ちるよりも唐突に)あれは出来上がったらしい。

 

「……能力者、なんてことがありえるんですか?」

「可能性は、ゼロじゃないよ。正直僕は、某国が開発した新兵器だと睨んでいるけどね」

「確かにそっちの方が現実的かもですね」

「いやそれなら何でここなんだよ。自分の国でやるだろ」

 

 そう言って笑うのは、林さんである。こちらは前田さんとは対照的に、大柄で大雑把な人だった。

 

「ははは、どっちにせよ迷惑千万だね」

 

 中性的な女性である田村さんが同意を示し、現状を笑いあう。

 

 いずれの3人も署内では若手であり、雪山に泊まるという貧乏くじを押し付けられた同士である。

 

「ああ、さぶさぶ。みんな楽しそうだねえ」

 

 トイレから帰還したユリさんが焚き火の前にしゃがみ込む。

 手をこする様子は、何というか、妙に年寄りくさかった。

 そして恐れを知らぬ田村さんが口にする。

 

「ユリさんは節々が痛む年頃だろう。無理をしたら駄目だよ」

「いい度胸してんじゃん。心配ご無用そんな年齢はとっくに過ぎてますぅ」

 

 ぶつくさと文句を言う様はやっぱり年寄りくさかった。

 ユリさんにはどうにも頭が上がらなかったが、彼女に勝てる相手が居ることを知れたのが、今日の何よりの収穫だったに違いない。

 

 そして眠りにつき、凍え死にすることなく夜を越えて、朝食の準備中、それは起こった。

 

 耳を潰さんとばかりの爆音。地を揺らす振動。明らかな異常事態。

 

「な、何だあ!? 空爆か!?」

「さあね! でも()()と無関係ということもないだろう!」

 

 空は快晴。林さんが言う敵襲ではないだろう。田村さんが示す通り、このクレーターは無関係ではあるまい。

 いや、そんな事はどうでも良い。

 

(今は……!)

「よっしゃ! じゃあ私先に行ってくるぅ!」

「ユ、ユリさん単独行動は! まずは本部に連絡して応援を!」

「おっしゃ前田任せた! 田村、十字、ユリさんに続くぞ!」

「林さぁん!?」

 

 前田さんに任せ、俺も駆けだす。

 

「2人とも、乗れ!」

 

 林さんは、言い終える頃には全身を白い毛で覆った、大柄なばんえい馬へと姿を変えていた。

 変身能力。しかしその巨体ながら、途轍もない速度で駆ける林さんに乗り、途中ユリさんを回収して現地へと辿り着いた。

 未だ黒煙がくすぶり、地面は冬とも思えない熱気を吐き出していた。

 

 そして、そこに居たのはたった一人の人間。

 

「おお、でっけえ馬」

 

 雪山をなめ切ったTシャツとジーンズ。燃え盛るような赤髪の男。

 そして、見覚えのある巨大な筒。

 

「お前がこれやったのか?」

「喋ったあ!? ……あ、そっか変身能力か。焦って損したぜ」

 

 特に緊張を感じさせない男は気前よく「そうだ!」と回答した。

 

「それじゃあ、事情を聞かせて貰えるかな」

「あー、それは意味ないだろ」

「どうしてだい? 理由次第では許されるよ。うちは柔軟だからね」

「いや、そうじゃねえ。目撃者は消せって言われてるから、事情なんて聞いても意味ないって話」

 

 事も無げに、男は言った。

 絶句する俺達に、更に男は言葉を続ける。

 

「『ミュージアム』が展示No.3『極小恒星(フレア)』。修行の成果を見せてやるよ!」

 

 言葉と共に、火球が放たれる。流石にそれは問題にならない。だが俺は注意を促した。

 

「あいつが背負ってるのは、超能力発生装置だ! あいつは能力を2つ使える!」

「あれが……!」

「ていうか『ミュージアム』って言った!? ちょっとやばいかもね! 突っ込んでくる!」

 

 そう言ってユリさんは、止める間もなく飛び降り、宣言通り真っすぐ男へ向かった。

 

「こいやあ」

「よし行くぜ! ファイヤーーボール!」

 

 先ほどと同じ火球を放たれ、あろうことかユリさんは正面から受け、そして押し切った。

 

「お、ナイスパワー!」

「死ぬほど痛かったからお返しするね!」

 

 実際、常人ならば死んでいただろう。不老不死。そのステージ2である超再生能力が故に可能な特攻だ。

 

(これであいつは何らかの手札を切る筈)

 

 だが、男はユリさんの拳を、防御すらせずに受けた。

 その意外な行動に、真っ先に口を動かしたのは男自身である。

 

「あ? 何だ大したパワーじゃねえな。じゃあ火がシケてただけか」

 

 ユリさんは一度大きく後退すると、困り気に言った。

 

「結構いいパンチだったと思うけど。防御系の能力持ち?」

 

 何らかの硬化能力。そう考えるのが自然だった。

 だが、この男は、この巨大なクレーターを作り出した男である。

 

「いや発火能力だろ。目玉(めんたま)付いて……、あ、これかあ」

 

 そう言って、男は背中の装置を思い出したかのように触った。

 

「そりゃあ勘違いするよな、悪かった。こっちも俺も、同じ発火能力だよ」

「同じ? 何で?」

「火力の調整用に、練習だな。でも上手くいかねえな。あんなシケた火しか出せねえ」

 

 肉体の強さは、持っている超能力エネルギーに比例する。

 もしも本当に発火能力しかなく、男の肉体が専用の能力に比重する頑強さを持つのなら、奴が持つエネルギー、ひいては能力も――

 

「よし! じゃあ俺の炎を見せてやるよ!」

 

 発火能力の域を越えた――

 

「いくぜ! これが俺の! 最小火力だ!」

 

 ――惑星規模の力(太陽フレア)に迫るという事なのか。

 

 

 

 空が、業火で埋め尽くされた。

 

 

 

「危ないところでしたね」

 

 死んだと思ったその瞬間、森の中に居て、目の前には前田さんが居た。

 

「こ、ここは?」

「近くの森です。僕の瞬間移動では100mほどしか移動できませんが、何とか間に合いましたね」

 

 瞬間移動。

 比較的知名度があるが、実際に見るのは初めてだ。彼は謙遜するが、100mも連れを連れて移動できるなら十分だろう。

 

「このまま逃げてしまおう。あれは私たちの手に負える相手じゃない」

「癪だが、その通りだな。見つかる前にとっとと「いや、逃がさねえよ?」

 

 背後には、既に男が立っていた。

 この数秒で、正確にこちらを捕捉し、忍び寄る。やはり常人の身体能力ではない。

 

「あ、変な気を起こすなよ。ばっちり会話は聞こえてたからな、瞬間移動は100mが限界なんだろ?」

「っ……! ですが、あの炎を避けるぐらいならできますよ……!」

「あの程度ならな。でも言ったろ。最小火力だって。俺だってむやみやたらに燃やしたい訳じゃないのよ」

 

 確かに男は言っていた。最小火力だと。そして、背の発火能力は火力の調整、練習用だと。

 

(鵜呑みにするわけにもいかないが……)

 

 無視して背を向けるのは、あまりにもリスキー過ぎた。男が嘘をついているようにも思えないのだ。

 

「じゃあ何か。黙って俺達は焼け死ねってことかい」

「あー……、どうすっかなあ。そんなこと言ったらお前たち逃げるだろ?」

 

 男は呑気に頭を掻いていた。そして「そうだ」と名案かのように言った。

 

「俺は能力を使わない。それなら多少は勝ち目もあるだろ」

「は?」

 

 返事をする間もなく、男は装置を降ろした。それが意思表示だと言わんばかりである。

 

「作戦タイムいいかな?」

「いいぞ。じゃあ俺耳塞いでるから」

 

 田村さんの馬鹿げた提案に、男は快く同意した。そして耳に指を思いっきり差し込んでいた。流石にあれでは聞こえないだろう。というか痛くないのだろうか。

 

(……ちょ、調子が狂う!)

 

 だが提案者の田村さんとユリさんは特に気にした風もなく、作戦会議を行うようだった。

 

「ぶっちゃけカッチカチだったから、物理じゃ難しいと思うよ」

「うん、確かにあの熱量を生み出すエネルギーならカッチカチだろうね。マー君はこう、瞬間移動の応用で、空間をねじ切れたりできないかな?」

「む、無茶言わないでくださいよ。そんなの出来ませんって」

 

 どうやらこの間抜けな会議が一番現実的な対策になってしまうようだ。俺は観念して会話に混ざることにした。

 

「応援呼んだんですよね。それが来るのはどれくらいですか?」

「早くても3時間だろうな。耐久戦は現実的じゃないだろ。スタミナだって向こうが上だ」

「うん、どうだろう。このまま作戦タイムを3時間やらせていただくのは」

「流石にそれは無理でしょ。ていうか応援来たら能力使われない?」

「いざとなったら使うでしょうね。なら倒すにしても、負けを悟られないように倒す必要がありそうですね」

「そ、それは可能なんでしょうか?」

「無理だろうね。そこは賭けよう。相手の単純(ばか)さに」

「……マジかよ。でもそれしかねえのか?」

 

 そもそも現状が相手の好意に甘えているようなものである。不甲斐ないが、最後まで相手に甘える他ないだろう。こちらもスポーツマンシップに則り正々堂々と戦うが、それは相手が誰であれ同じである。そう誓ったからだ。

 

「とりあえず、能力を教えて欲しいです。俺は引力と斥力を操れます」

「私は知ってると思うけど、不老不死だよ。ていうか岳人、ちょっと見ない間にステージ上がったの?」

「ええ、まあ」

「マジかよ。ステージ2が2人とか、最強の部隊じゃねえか? あ、俺は見ての通り変身能力だ。身体能力には自信があるが、俺が突っ込んでみるか?」

「それは向こうのパワーを見てからにしよう。わたしの能力は水の操作だ。生成も出来るけど、雪も操作対象だから、必要なさそうだけどね」

「僕の能力は瞬間移動です。先ほども言いましたが、全員を移動できるのは100mが限界です。人数が減ればもう少し伸びますが」

「ユリさん抜かせばどのくらいです?」

「150mほどでしょうね。相手の出力が分からない以上、やはり無理はできないでしょう」

「ちょっと君たち? なんで私を見捨てる前提なのかな? そんな事したら末代まで祟るよ?」

「俺達が末代にならなきゃいいけどな。ま、最悪ユリさんが生き残るから何とかなるだろ」

「私はこれ以上死に別れは嫌なんだよなあ。というわけで君たち頑張りなさいよ」

「うん、わたしも死ぬのはごめんだから頑張るのは賛成だ。具体的にはどう頑張ろうか」

「攻撃性が高いのは、岳人と林の能力じゃない?」

「善処はしますが、作戦は?」

「……頑張る?」

「せめて疑問形はやめてくれねえかなユリさん」

「じゃ、じゃあ、僕と田村さんでサポートするので、お二人が攻撃というのはどうでしょう」

「……まあ、ないよりましか」

「私は?」

「肉壁」

「酷くない? みんな私に対する敬意が不足してるよ」

「よし、まとまったところで戦いに行こうか。頑張ろう」

「はぁ~~~~~。しょうがないなガキどもめ」

 

 そして林さんと俺、ユリさんが前に出る。

 男が耳から手を引き抜き言った。

 

「準備終わったか?」

「おお、待たせたな。んじゃ、早速行かせてもらうぜ」

 

 蹄を響かせ、林さんが一息で間合いを詰めた。巨体を持ち上げ、前足を勢いよく振り下ろす。

 常人ならばミンチになる一撃。だが、男は落ちてきたボールを掴むような仕草で、右手で受け止めようとする。

 

(――今!)

 

 重力場を生成。必殺の一撃を、更に強化する。

 

 大地が揺れ、周囲に積もった雪がどさりと落ちる。

 

「お?」

 

 男は声を漏らす。

 だがその程度。一切ポーズを変えず、その一撃を受けきって見せたのだ。

 

「少し痺れたぜ。じゃあこっちの番だな!」

 

 左手を握り拳へと変える。それは、きっとどんな兵器よりも恐ろしい凶器だろう。

 しかし 田村さんが雪を操り視界を塞ぐ。

 

「よ、と!」

「うわ、目に雪が」

 

 男は呑気にも手で雪を払う。明らかに油断しているが、戦力差を考えればそれも当然か。しかしどうしたものか。

 

「岳人君」

 

 前田さんが小声で話しかけてくる。

 

「ゲートを設置しようかと。何とか潜らせられないかな」

 

 エネルギー差の問題で、直接の転移は難しいが、ゲートを作成し潜らせることは可能という事か。

 しかしこちらもエネルギー差がありすぎて、能力を直接作用させることは難しい。

 

(斥力操作は座標指定では使用できない。しかし重力操作では動かすことは出来ない)

 

 俺の能力は、基本的には止める能力だ。ステージ2により斥力操作が可能になってからは、能動的に動かすことが出来るようになったが、相手が相手だ。

 

(……それでも、俺の能力なら。やはり斥力操作を軸に考えるべきか)

 

 小石を拾う。これを射出してみるか。

 

「前田さん」

「よし、行くぞ」

 

 男の背後の空間が歪む。そして空模様が映し出された。上空に広がる疎らな雲と同じ景色だ。

 俺は小石に限界までエネルギーを注ぎ、反発力を発生させる。

 

 弾丸もかくやと思われる速度で射出される。それは狙い違わず男の額に命中し、しかし命中と共に砕け散った。

 

「痛ってぇな」

 

 その程度の攻撃。後退させるどころか、薄皮一枚破けない。

 

(駄目、か)

 

 やはり基礎能力に差がありすぎる。これは、本格的に不味いかもしれない。

 

「少しはやれるやつがいたか?」

 

 男と目が合う。一瞬の弱気が隙となり、強烈な死の風が胸に入り込んだ。凍えた体が硬直する。

 

「はい、ぼさっとしない!」

 

 突き飛ばされる。突き飛ばしたユリさんが入れ替わるように俺のいた場所に滑り込み、そして、俺が喰らう筈だった一撃をその身に受けた。

 鮮血が舞う。鳩尾を狙った男の貫き手は貫通するどころか、肉も、骨も容赦なく吹き飛ばしたのだ。心臓も当然のように吹き飛んだ。人間ならば、間違いなく即死。しかしユリさんは男の腕を掴んだ。

 

「うお、何だ!?」

 

 驚愕する男の腕が、再生したユリさんの肉に沈む。

 

「キモち悪!」

「どっこいしょお!」

 

 腕を起点に、男の体が持ち上がる。

 

「前田ぁ!」

「は、はい!」

 

 新たなゲートがユリさんの目前に広がる。男は投げ込まれる寸前、ユリさんの頭部を破壊する。ユリさんの体が揺らぐ。その気を逃さず、男は離脱した。

 

「何でフォローしないの!」

「す、すみません」

 

 そうだ、ボケっと見てる場合じゃなかった。今のは千載一遇のチャンスだった筈だ。

 

「今ので分かったでしょ。いくら力があっても体重は変わらない。投げ飛ばすくらいは余裕でしょ。例え能力が使えなくても、出来ることなんていくらでもある」

「うん、わたしの能力なら目くらましはできるね。近づくのは絶対にごめんだけど」

「俺は、近づかなきゃいけないけどな。ユリさんフォロー頼みますよ、マジで」

 

 全員が戦う前と同じ調子で言った。

 一瞬でも諦めたのは、どうやら俺だけだったらしい。

 

「ああ、ビビったわ。再生能力ってやつか? しかも何かやばそうなもん作ってたな。瞬間移動の応用か?」

「ありゃりゃ、狙いがバレたか。でもまあ、それならそれで、やりようがあるね」

 

 ユリさんは最後に「どうやら、戦い慣れていないみたいだし」と付け加えた。

 言われてみれば、男はこちらの能力に対しあまりにも無防備だ。強者故の油断かとも思ったが、単純に経験が不足していると考えたほうが腑に落ちる。

 しかし狙いはやはり前田さんの転移だろう。彼にはどうやらまだ考えがあるようなので、俺は次の手を歪曲した形で口にし、相手の思考を攪乱する。

 

「田村さん、雪だるまを作ってみませんか。なるべく大きいのを」

「うん、いいね。勿論君も手伝ってくれるんだろうね」

「ああ、勿論」

 

 俺の狙いを察したのか、田村さんは笑みを浮かべ雪を集積する。

 

 斥力操作による射出は発想としては悪くない。問題は、弾丸だ。小石では小さく、脆過ぎた。

 だから田村さんと俺の能力で雪を固め、巨大で強固な砲弾を作り出す。

 

「何だか分からんが、もう好きにはさせねえよ!」

 

 男は相も変わらず恐ろしい速度で繰り出してきた。だが、流石にもう目が慣れた。今となっては対処の容易な、馬鹿の一つ覚えでしかない。

 

「こっちのセリフだ!」

「ぬお!」

 

 だから林さんは、横やりからの突進が可能になった。速度は男が上だが、質量は林さんが上だ。男は無様に吹き飛ばされる。

 だがそれもつかの間。大したダメージもないのだろう。男はこちらに駆け寄った。しかし俺達に手が届くことはない。男が触れる前に、俺達は瞬間移動した。

 

「うぜえ!」

 

 男に苛つきが出始めた。良くない兆候だ。もしも男が約束を反故にしてしまえば、全てがひっくり返る。

 

(……まだだ。ギリギリまで引き付けろ!)

「後、少し!」

 

 焦る気持ちを押さえ、雪玉の作成に注力する。この攻撃は致命傷には至らない。だが無視はできない。この場で最も相応しい攻撃なのだ。

 

 男は地面に手を突き刺し、大きく手を振るった。雪と、土や小石が襲い掛かる。俺が先ほどした攻撃と遜色ない速さ。そして、比較にならない攻撃範囲。

 

「林!」

「おう!」

 

 林さんとユリさんが身を挺して俺達を庇う。

 ユリさんはともかく、林さんは無視できないダメージを負った。これで()()()()()()()()()()形になる。

 

「良し、いきますよ田村さん!」

「了解」

「はっ! ならそれが最後の攻撃だな!」

 

 引力と斥力、そして水の操作により生み出された常軌を越えた砲弾が、男を襲う。

 

「オラぁ!」

 

 男は避けなかった。それが()()()()()()()()、問題にならないことは誰の目にも明らかだったからだ。

 あの雪玉では、正面から当てても大きなダメージは期待できず、例え不意打ちが急所に当たっても、致命傷には至らないだろう。だからこれも、所詮は陽動でしかないのだ。

 

 男は砲弾を受け止め、少しだけ後退した後、突如として体勢を崩した。断崖絶壁から一歩踏み出したかのようであり、しかしそれは決して比喩表現ではなかった。

 

 ある筈の大地が、男の足元から消えていたのだ。

 前田さんのゲートが、足元に展開されていたのである。今まで横方向にしか展開されていたそれが、落とし穴のように出来上がったのだ。

 男は虚を突かれ、雪玉と共に落ちていく。そのゲートが繋がるのは、遥か上空。

 

「岳人君、田村さん!」

「「了解」」

 

 声をそろえて能力を発動する。

 男は、自由落下程度なら楽に耐えるだろう。

 だが高重力下ならば。落ちた先に、鋭利な氷の柱が突き刺さっていたならば。

 

 それは、紛れもなく致命傷である。

 

「ガッ!!!」

 

 人間が落ちたとは思えない衝撃音が山に響きわたる。辺りに散った血は赤く、そこでようやく、この男も人間なのだと胸を撫で下ろした。



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第17話「時巡について調べてみました!」

 件の男を倒した後(信じられないことに生きていた。やはり化物)、俺はそそくさとその場を後にした。

 一応はこれで義理を果たしたはずだ。まあ、何だかんだで、また協力が必要なら手伝うのもやぶさかではないが。

 

 それはさておき。

 

 遅れに遅れて目的地であるジンギスカン屋に着いた。時刻は午後3時。昼には遅く、夕には早い、営業時間外である。

 電話によれば、勝手に入っていいとのことだったので、扉を開ける。扉に取り付けてあったベルが鳴った。

 

「いらっしゃーい。遅かったね」

 

 エプロンを着けた、巻き毛の女が椅子に座ったまま出迎えた。

 

「すみません。色々あって」

「良いよぉ。どうせ暇だったし」

 

 座るよう催促する女に従い、対面に座る。

 

「それじゃあ自己紹介から始めようかな。私は松本(まつもと)美姫(みき)。ジンギスカン屋さんでーす」

「俺は十字岳人。今日はありがとう」

 

「早速だけど」と続けて言う。

 

「時巡について、知ってることを教えて欲しい」

「んー、事情は華から聞いてるけど、私もそんな詳しい訳じゃないよ? これも伝えたと思うけど」

「構わない。藁にも縋る状態なんだ」

「そ。じゃあ順を追って話そうかあ」

 

 初めて会ったのは、幼稚園の入園式だ。皆がそわそわと落ち着かない中、1人だけ気だるげにしていたのが印象的だった。

 それから暫くの間、優子は孤立していた。子供ながらに、近寄りがたい雰囲気だったからだ。

 

「んー、確か、病気なんじゃないかって噂だったかな」

「病気?」

「そ。何かいっつも顔色悪くてねえ。浮いた子だったなあ」

 

 だから、幼稚園時代ではほとんど関わりがなかった。

 関係が変わったのは、小学校に上がった後だ。ぼこぼこにされて半泣きの優子が、華と一緒に居たのを見つけてからだ。

 

「いやー、面白かったなあ。それから怪我した2人を治し始めたんだった」

 

 反応に困る話だった。小鳥遊からは何でもない出会いだったと聞いていたが、そんな事があったとは。

 2人の決闘ごっこ(ごっこ?)はそれからも続いたらしい。時巡が妙に戦いなれている理由が思わぬ形で判明した。

 

「……そう、なのか。それはそうと、幼稚園では、特に気になることはなかったのか?」

「うー……。そういえば、優子のお母さんが死んだのはその時期だっけ?」

「ああ、2月頃、卒園間近の頃だな。どんな様子だった?」

 

 それぐらいの時期だと聞いた。

 そうだ、帰ったら当時の新聞でも探してみよう。何か手掛かりがあるかもしれない。

 

 そして松本美姫が当時の時巡について答えた。

 

「別に? いつもと同じ、青白い顔だったよ。今考えたらおかしいよねー」

 

 松本美姫は、「それも優子らしいかな?」と言って笑った。

 

 

 

  *

 

 

 

 結局のところ、無駄足だったのだろうか。

 確かなことは分からず、逆に無くしたはずの疑惑が再浮上してきた。

 

(母親の死に、何も思わなかったのか?)

 

 そんな筈はない。

 昔は明らかに顔色が悪かったと言っていたし、もう少し家庭に踏み入れる必要がありそうだが……。

 

(父親か……)

 

 残された手掛かりはそれしかない。時巡本人の手を借りるわけにはいかないし、家を張るしかないか。

 

「それは無理だと思うよ?」

 

 だが小鳥遊が否定した。

 

「どうしてだ?」

「優子が父親と仲悪いのは知ってるでしょ? 家にも帰ってないみたいだよ」

「……そこまで深刻なのか?」

 

 確かに以前そんな話を病院でしていた。

 しかし家に帰らない程とは、尋常ではない。

 

「何があったんだよ」

「優子は知らないの一点張りだったね。頑固な時はとことん頑固だからね」

「父親に聞くしかないが……」

 

 小鳥遊は首をすくめて降参の意を示した。これっぽちも心当たりはないらしい。

 

「……調査、探偵か」

「とうとうプロに頼むんだ。金あんの?」

「ある。伝手もないわけじゃない」

 

 あまり大事にはしたくないが、こんな所で止めるわけにもいかないだろう。

 俺は携帯を取り出し、アポを取り付けた。

 

 

 

  *

 

 

 

 時巡優子とやらの、父親の所在を調べるだけの簡単な依頼だ。

 

 旧友からの久々の依頼はすぐに解決しそうだった。

 閑古鳥が鳴く探偵事務所、その主はほくそ笑んだ。

 

 父親の名前は時巡小太郎。5年前まで水道局に勤めていた男だ。

 だがそれ以降の足取りは掴めなかった。探偵の笑顔も消えた。

 

 退社の理由は不明だったが、退社直前の様子を聞き込みしたところ、精神疾患の類であろうことが予想された。しかし通院していた様子もなく、やはり足取りは掴めない。

 

(こりゃあ、どっかでおっ死んでるんじゃねーかね)

 

 となれば樹海でも探すか?

 自嘲して益体もない考えを振り払った。5年ものの仏さんじゃあ本人確認も出来やしない。

 

(こうなりゃあ、次の当てが外れたら適当に死人を仕立て上げるか)

 

 と、依頼を流す決意を固めたところで、最後の抵抗である手掛かりに視線を向けた。

 

 そこに居るのは時巡優子。目標の娘だ。

 

 依頼者からは時巡優子には感づかれないように、とのことだったので、直接には接触しない。しかし彼女ならば知っているだろう。仮にも親子なのだ。

 

 時巡優子は学校から帰宅する際、真っすぐに家には帰らず、近くの商店街に繰り出した。1人暮らしとのことだし、買い物をしてから帰るつもりなのだろう。

 時巡優子はふらりと骨董品店に入った。狭い店だ。一緒に入るわけにはいかない。店の外で待機していたが、10分経っても出てこなかった。

 

 まさか、と思い店に入ろうと足を進めた時、背後から声を掛けられた。

 

「お前、何者?」

 

 そこに居たのは、時巡優子だった。

 

「あそこの店主とは顔見知りなんだ。だから裏口から出させてもらったよ」

 

 背後に回っていた理屈は、ご丁寧にも説明してくれた。

 そして言外に、尾行に気がついていたとも告げられたのである。

 

「俺は探偵で、ある人の依頼であんたの父親を探していたんだ。それだけだ、本当だ」

 

 あまりにも鋭い眼光に、命の危機を察した口は速やかに目的を告げた。商売柄後ろめたい連中とも絡むことはあるが、これほど冷や汗をかいたのは産まれて初めてだった。

 

「ふうん。で、誰の依頼?」

「そ、それは……」

 

 口をつぐむ。命は惜しいが、これでも探偵としての矜持ぐらいは持っていた。自分でも驚きの事実だ。

 

 時巡優子は1つ舌打ちをした後、素早く周囲を見渡した。

 

「まあ、いいでしょう」

 

 そう言って、時巡優子はいくらか雰囲気をやわらげた。そしてようやく、ただの女子高生が本職にも勝る殺気を放った事実に慄いた。

 

「言っておくけど、私も父の行方なんて知らないよ。だから鬱陶しい真似は辞めてよね」

「そ、そうか。ご丁寧にありがとな。じゃあ帰らせてもらうわ」

 

 今日の事は胸に秘めておこう。そして金輪際あれに関わるまい。

 そう心に決めて、帰路に着いた。

 

 

 

  *

 

 

 

「嘘はなかったんだよね?」

「ええ、間違いなく」

 

 私は骨董品店に戻り、店主に再度確認した。

 

 この男は嘘を探知する能力を持っている。

 そのせいで私が『コレクター』だと知られたわけだが、殺さなかったのは英断だったに違いない。

 

「どう思う? 正直私は混乱してるけど」

「そうですねえ。私も同感ですので、No.6に相談してみては?」

「……まあ、どっちでも良いならあいつに聞いてみるのも良いか」

 

 誰が、何故、私の父親を探しているのか見当もつかなかった。

 私はてっきり最近所属することになった『ミュージアム』関連の探りかと思った。万が一私が『コレクター』だとバレたのなら最悪だったが、それはないようで安心した。

 

 相談は本体に任せれば良いだろう。私はそのまま帰路に着いた。

 

 

 

 そして本体である私はNo.6の近場の分身を本体に変え、彼のバーに足を踏み入れた。

 変装を解き、椅子に腰かける。

 

「やあ優子。まだ店は開いてないけど、君のためならすぐに用意するぜ」

「未成年だからジュースで良いよ」

 

 判断力が落ちるので私は酒は飲まない。

 彼は私の適当な理由に相槌を打ち、グラスへオレンジジュースを注いだ。

 

 この男もまた、時巡優子が『コレクター』だと知る人物だ。しかも私が2つの能力を持っていることすら看破した。

 その真実に至った根拠などなかった。彼の驚異的な超能力(かん)に依るものだ。だから私は彼の能力を信じざるを得なかったが、やはり何の根拠も示せない予言など当てにはできない。

 なので彼を頼るのは、重要度が低かったり、他にどうしようもない神頼みの時ぐらいだ。

 

 私は今日会った探偵について話した。

 

「気にしなくて良いんじゃない?」

「あんたがそう言うならそうかもしれないけど、気になるじゃん」

 

 彼は気にするなと言うが、私もこのままでは寝つきが悪くなりそうだ。

 

「俺が思うに、個人的な理由だと思うぜ? 優子の正体じゃなくて、優子自身に興味があるのさ」

「私自身? なるほど、その線があるか」

 

『コレクター』とは関係がなく、私自身に興味がある人物。かつ探偵を雇うような発想を持つとしたら、岳人か?

 

(理由は分からないけど、私について探るなら、美姫にも話を聞いている可能性があるか?)

 

 私は久々に美姫に連絡を取り、そして最近岳人に会ったことを突きとめた。

 当たりだ。後は理由だけど……何だろう、全く分からない。

 

「言ったろ」

 

 No.6が言った。

 

「優子自身に興味があるのさ。モテると大変だよな、お互い」

「……あんたモテるの? でも、まあ、それなら良いけど、いや良くないな。後ろめたいこといっぱいあるし」

 

 対策が必要だが、大々的に駒は動かせない――

 

「――そういえば、No.3を倒したのも岳人だったな」

 

 あの馬鹿は無事回収できたが、部下を動かす理由にはなる。

 岳人には別のことに頭を悩ませてもらうことにしよう。

 

「No.6。君護衛欲しいって言ってたよね?」

「最近物騒だしな、戦うのも苦手だし」

「うん、じゃあ『警備員』の面接を始めよう」

 

 面接方法は、勿論戦闘だ。

 



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第18話「怒れる私」

 十字岳人が奇妙な気配を感じたのは、アパートの扉を開けた時だった。

 

「……」

 

 甘ったるい匂いと、すえた臭いが混じった嫌な臭いだ。断じて時巡ではない。扉を勢いよく開け、土足のまま踏み入る。

 男が居た。自分の家のようにくつろいでいる男は、饅頭を食べながら言った。

 

「この家は茶も出ないのか?」

「ああ?」

 

 思わず声が出た。

 若干毒気が抜かれたのは確かだが、不法侵入者なのは確かだ。何時でも重力を掛けられるよう構える。

 

「ああ、これお土産ね。それで茶は?」

 

 男は意に介さず、既に半分は男の胃に消えたであろう、饅頭の箱を差し出した。

 

「……誰だ、何の用だ?」

 

 素性も目的も不明だ。他に仲間がいないか、素早く周囲を確認する。

 

「だから、茶はねえのかって!?」

「出すわけないだろうが! 何なんだよお前は!?」

 

 男は「何だこの家は」と勝手な事を言いながら、鞄からペットボトルを取り出した。

 

「……」

 

 いっそのこと倒してしまおうかと思ったが、ぐっと堪え様子を見ることにした。

 

「全く、せっかく助けてやろうと思ったのに」

 

 助ける?

 

「……」

「おーおー、興味津々ってか? 俺は優しいから、お前の無礼も許してやるわ」

 

 男は包装紙を開け、饅頭を口に入れた。

 そのまま租借を続け話し続ける。

 

「お前北海道で『ミュージアム』に手ぇ出したろ。『コレクター』に完全に目ぇ付けられたぞ」

 

 不可抗力だった。等という言い訳は、『コレクター』は勿論この男にも通用しないのだろう。男は続けた。

 

「で、俺が仕入れた情報によると、『コレクター』が本格的に反乱分子を排除することにしたらしい」

 

 なるほどそれは大変な状況だ。

 

「で、お前が『コレクター』から俺を助けてくれるのか?」

「半分正解だなぁ」

 

 男はペットボトルのお茶を勢いよく飲み込んだ。

 

「俺はこれでも愛国者だ。この国を『コレクター』の好きにはさせたくない。だから戦力が必要だし、仲間を守るためならいくらでも手を貸す」

 

 つまり

 

「お前の手駒になれば助けてやるか? くだらない」

「手駒じゃねえって、仲間だよ。それにもう1つ、俺にはカードがあるんだな」

 

 男は写真を取り出した。

 見知らぬ男。垢の浮いた浮浪者だ。その男が何だというのだ。

 

「時巡小太郎。探してるんだろ、知ってるぞ、居場所」

 

 ……随分と、俺について調べたらしい。

 探偵も結局役に立たなかった。今の俺にとっては、自分自身の生死よりも、ある意味では関心のある情報だ。

 話が旨すぎるようにも思えるが、今は乗るべきだろう。

 

「分かった。俺は何をすれば良い?」

「話が早くて助かるぜ」

 

 そして男は立ち上がり、手を差し伸べた。

 

榎木(えのき)文太(ぶんた)だ。長い付き合いになるだろうよ」

「十字岳人。そうならないよう努力するさ」

 

 握手を交わしたが、すぐに手を離した。

 

「おい、べたつくぞ」

「油かな? さっきバイク弄ってたんだよ」

「あぶ……! お前ふざけんなよ!」

 

 べたべたと辺りの物を触っていないだろうな、と注意深く周囲を見渡しながら洗面台へ向かう。

 蛇口をひねり、手を洗った。石鹸ならなんとか落ちそうだ。

 

「……?」

 

 水を止め、気がついた。水が下水道へと流れ落ちない。

 それどころか、水位が上昇している。

 

「おい!」

 

 榎木に声をかけ、大きく後退する。その瞬間水が間欠泉のように噴き出した。

 

「敵襲か!? 気が早えーな、おい!」

 

 榎木は水が噴き出したのを確認すると、躊躇なく窓を破りベランダから飛び出した。俺も続いて窓から飛び降りる。

 

「守るんじゃなかったのか!」

「いや流石にこれは想定外だ。あと今の俺は分身だから、戦闘力は期待しないで欲しい!」

「ああ!?」

 

 分身能力なら、どんなに大きく見積っても半分だ。分身能力は自身を分ける能力。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「俺は仲間に連絡してくる! 1人で頑張ってくれ!」

「そうしとけ!」

 

 水は今も溢れだしているようだ。ベランダからは既に滝のように流れ出ている。

 

(臭いはない。下水じゃないな)

 

 水の能力者。

 しかし下水から侵入できるとなると……。

 

(マンホール!)

 

 案の定だった。

 背後にあるマンホールが轟音を立て吹き飛び、水が溢れだす。

 

 自身と水に対し斥力を発生させ、水鉄砲を防ぐ。爆発したように水飛沫が周囲にたちこめた。

 

 霧散した水は再度集結し、人型となる。人型が口を開き、空気を震わせた。

 

「失敗した。失敗」

 

 それは紛れもなく人間の言葉だった。水の操作では収まらないその異能。

 

(ステージ2。厄介だな)

 

 しかし、何故敢えてステージの情報を漏らしたのか。単純な馬鹿なら良いが――

 

(……なんだ?)

 

 途端、周囲がぐにゃりと曲がる。歪んだ地面に立っていられない。狂った平衡感覚が吐き気をもたらす。

 これは、毒だ。おそらく水そのものが。僅かな飛沫ですら効果がある。

 十分に観察し終えただろう水の人型が再度口を開いた。

 

「嘘だよん。これで俺の勝ち。昇進けってーい」

 

 苛つき紛れに水を重力で圧し潰す。

 だが元より水なのだ。何ら効果はない。再度人型へと再生した。

 

 本体を倒さなければならない。それも速やかにだ。

 

(幸い、意識はクリアだ。敵も離れた場所には居ない筈)

 

 最も可能性が高いのが、マンホールの中、下水道になるか。

 

(近づけないがな。なら、仕方がない)

 

 ステージ2に上がったことにより、能力の基礎出力も上がっている。

 だから地上から下水道を潰すことすら可能だ。

 

 アスファルトの地面が埋没し、毒でやられていることもあって、倒れ込んでしまう。

 

(どうだ……!)

 

 水が再度集結する。

 

「あっぶね。でも外れだよん」

「……くそ」

 

 思わず悪態が漏れた。倒れ込んだ際、びしょ濡れになってしまった。それがどういう意味かは、これから嫌というほど思い知らされるだろう。

 

(だけど……!)

 

 腹に喝を入れる。膝を震わせ立ち上がる。

 

「諦めねえぞ……!」

 

 窮地でも絶望するなと北海道で教わったではないか。水に濡れたから何だというのだ。そんなに水が恐ろしいなら、皮膚が弾けるほどの斥力で吹き飛ばしてしまえば良い。

 こいつは『コレクター』の配下。悪の怪人。ならばどうしてヒーローが膝を突くというのだ。

 

「良い啖呵だ。仲間に申し分ない」

 

 肩に手を置かれる。気がついたら、としか言いようがない。隣に見知らぬ男が居た。

 男は濡れるのも構わず、俺を抱えるように肩に手を回す。

 

「毒……!」

「問題ない。もう終わってる」

 

 男が言い終えた瞬間、背後から雷鳴が響く。俺のアパート、それも隣の部屋だ。そして同時に、水の人型が霧散した。

 

 そして、アパートの窓から出てきたのは、水無月竜輝。

 

「岳人! 生きてる!?」

 

 どうしてお前がここに、という言葉は口から出てこなかった。

 如何せん毒が抜けたばかりで、まだ眩暈が残っているのだ。

 

 

 

  *

 

 

 

 あの場には居られないということで、休む間もなく、車に乗り込んだ。

 

「事情を説明すれば良いだろ」

「『コレクター』の手は警察にも及んでいるから駄目だってさ」

 

 竜輝が答えた。

 それが本当なら俺が想定した以上に不味い状況だが、今はひとまず脇に置いておいた。不明点が多すぎる。最も簡単に解決できそうな疑問から解消することにした。

 

「それで、どうしてお前がここに?」

「それは勿論岳人を助けに……って嘘々、そういう事じゃないよね」

 

 竜輝も、いや正確に言えば、アリスも『コレクター』に襲われたらしい。俺の時とは異なり、銃器で武装した集団だったらしいが。よくも凌げたものだ。

 

「うん、頑張ったよ。お陰でステージが上がったよ」

 

 ピースをして自慢気に言うのは、空元気だと傍目にも理解できた。

 

「……結局、アリスに平穏が訪れることはないのは、よく理解できたよ」

 

『真世界』が潰れた矢先の出来事だ。

 アリスの能力は強力無比。世界を狙う連中にとっては、何としても押さえておきたい能力なのだろう。

 

「それでも守るんだろう?」

「……そうだね。その通りだ」

 

 確かな決意を感じる言葉だった。俺も彼のように強くならねばならないだろう。

 

「青春してるとこ悪いけどな、そろそろ到着だ」

 

 先ほど俺の肩を支えていた、名前を成田(なりた)アンディと言うらしい男が運転席から言った。

 

 停まったのは住宅街にある、何の変哲もない一軒家だった。

 

「ここは支部だ。本部は山奥だから億劫だろ?」

 

 それなりに大きい組織なのだろう。

 

「よく帰ってきたなお前ら」

 

 玄関では榎木文太が出迎えていた。

 時巡小太郎について聞きたいところだが、残念ながら、今は『コレクター』について優先すべきだろう。

 

「早速で悪いんだが――」

「分かってる分かってる」

 

 榎木は手を水平に差し出し、俺の言葉を遮った。

 

「時巡小太郎だろ? ちゃんと教えるって、今すぐ」

「いや」

「今は写真通りホームレスしてるってよ、場所は――」

「違う! 今は『コレクター』優先だろうが!」

「ははは、榎木さんは相変わらずだね」

 

 竜輝が他人事のように笑った。

 

「岳人。今は探りを入れている最中らしいから、君の目的を優先する時間はあるよ」

 

 それどころか、『コレクター』についてはほとんど分かっていないと竜輝は続けた。

 俺が警察に所属していた時も、『コレクター』は謎の人物だった。あの時から大きく動いたというのに、相も変わらず謎の人物とは。

 

「これ言うと竜輝は怒るかもしれないけどな、今はチャンスなんだってよ」

 

 成田は続けた。

 

「アリスには『コレクター』もご執心らしい。彼の手駒は銃を所持していたが、あれは足がつきやすい。取引先の特定ももう完了した。『コレクター』の喉元までそう遠くない」

 

 朗報と言えば朗報だが、それはつまりアリスを囮にするということだろう。

 竜輝を盗み見る。彼に変わった様子はない。

 

(意外だな。そういう判断ができるのか)

 

 俺には、できるだろうか。少し前なら迷うことなく頷いただろうが。

 

「何で俺を無視して話進めちゃうかなあ」

 

 榎木は特に気にした風もなくぼやき、続けて言った。

 

「岳人ぉ、お前はとっとと心残り無くして来い。この支部には他に何人かいるが、顔合わせは別に後でも良いだろ」

 

 本当に、今はやるべきことはないらしい。ならば厚意には甘えておこうと話に耳を傾けた。

 

 

 

  *

 

 

 

 岳人襲撃の数日前のことである。

 

「あのさあ、この作戦は失敗できないって言ったよね?」

 

 正座したアホに向かって言った。

 

「……」

「何黙ってんだ殺すぞ」

 

 アホは何かよく分からない鳴き声を垂れ流した。

 

「はぁーーーーーー……」

 

 いや、落ち着け私。

 アリスの排除に失敗したのは、まあ、何となくそんな事になる気はしていた。

 勿論必要な戦力は揃えたし、細心の注意を払って寝込みを襲ったのだ。

 

 それが何故かいつもは眠っている筈の深夜2時にも起きていて、しかも前情報になく水無月家の両親が家を出ていた。しかもしかも竜輝が銃に有利なステージ2に開花して、しかもしかもしかもしかも! この馬鹿は部下を置いて逃げたのだ。何の! 隠蔽もなく!

 

 

 

 落ち着いて私。

 

(……後半部分はイレギュラーとカスが悪いが、前半はどういうことだ?)

 

 完全にこちらの襲撃を読まれたということになる。

 

 裏切者。青木霧江は始末した。だが他にもいるのだろう。

 

(炙り出すしかないか。そのためにも、盤上を動かす必要がありそうだ)

 

『ミュージアム警備員』の選出。裏切者の炙り出し。そしてアリスの確保。急にやるべきことが増えた気がする。

 

(計画を早めた弊害か。仕方がない)

 

 これも全て、あの子の平穏のためだと思えば、まだまだ頑張れると思えた。



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第19話「致命的な失敗」

「大した事ないな」

 

 反『コレクター』、仮に『レジスタンス』とでもしようか。それが彼らに対する感想だった。

 そもそも圧倒的に人員が足りていない。あくまで急造の組織だということだ。

 最明蓮華が属していると聞いた時は血の気が引いたが、所詮は暴力装置でしかない。

 

「なのに何でまだアリスが捕まってないのかなあ」

 

 現在アリスは『レジスタンス』に保護されている。

 動向も分かっているのだ。なのにどうしてか、アリスはのらりくらりと私の手をすり抜ける。

 

 小野川が答える。

 

「……裏切者、でしょう」

「それ」

 

 私は小野川を指差す。

 

「アリスに逃げられたのは3度目だよ。そろそろ絞り込みは済むんじゃないかな」

 

 逃げられるたびに、こちらも消耗しているのだ。

 少しでも時間を稼がれると、最明蓮華が現れる。その時は尻尾切りして凌ぐしかないのである。

 

「それは……」

 

 小野川が言い淀む。彼にしては珍しい、が。

 

「お前は今までよく働いたけど、これ以上の失敗はお前が()()ではないのかと、判断せざるを得なくなるよ?」

「ち、違います! 『コレクター』、決してそのような事は!」

 

 小野川が血相を変えて言った。

 

「私もそう思う。だから、君に残された選択肢は2つだ」

 

 私は二本指を立て、片方を折り曲げる。

 

「現状通り、裏切者を探っていく」

 

 もう一本の指を折る。

 

「もう1つ、『レジスタンス』共を先に潰してしまう。本拠地さえ分かれば、『ミュージアム』が対処する」

 

 裏切者など関係ない。組織の核そのものを潰せば、それでゲームセットである。私としては後者の方が好みですらある。

 

「ああ、もう一つあるだろうけど。それがどんなに愚かな選択肢か、付き合いの長い君なら分かってるよね?」

 

 私は優しく問いかけたが、彼の顔からは血の気が引いたままだった。

 

 

 

  *

 

 

 

 時巡小太郎は新宿でその日暮らしをしている。

 

「ほら、あいつだよ」

 

 ホームレス仲間の男に礼品を渡し、俺はその男に話しかけた。

 

「時巡小太郎だな?」

 

 その男は、なるほど確かに時巡優子の面影があった。

 脂ぎってはいるが、深い黒髪。瞳の色は緑だが、目元は似ている。襤褸を纏わず、清潔にしてスーツでも着ていれば、彼女の横に並ぶ姿が目に浮かぶ。

 

 男は面食らっているようだった。知らない男に名前を呼ばれたら、そうもなるだろう。

 

「俺は時巡優子の――」

 

 そこまで言った所で、遮られる。「帰ってくれ」と、悲鳴のような金切り声で。

 彼は明らかに怯えていた。理由は明白だ。時巡優子という言葉で怯えていたのだから。

 

「落ち着いてください。俺は彼女の指示で来たわけではありません。むしろ逆です」

 

 自分は味方だと、ゆっくりと言い聞かせる。

 続けていくうち、彼は幾分か落ち着いてきたようだった。

 

(……何なんだ)

 

 決して外には出せない悪態を内心で呟く。

 実の娘だぞ。それがどうして、これほど怯える相手となりうるのだ。

 

「俺は時巡優子を調査しています。彼女の過去について、貴方に話を聞きたい」

「……」

 

 時巡小太郎は押し黙った。

 過去に何かがあり、今の彼を形作っているのは分かる。そしてそれが――

 

「貴方の奥さんの死。その時のことについて、お話して頂きたい」

 

 おそらくは、その時が契機であろうことも。

 

 彼の口を閉ざされたままだ。

 もう一つ、俺の言葉が必要だ。

 

 それが何か、確かな証拠はない。だが状況を踏まえれば、推測は十分できた。

 

 だがその言葉は、俺の心が否定する。そんなことが、彼女に限ってはありえないと告げる。

 

(ただの言葉だ)

 

 ありえない、ありえない。

 

「その死の真相。事故ではなく、事件の犯人を捕まえるために」

 

 時巡優子が、実の母親と、そのお腹にいた胎児を殺したなど。そんなことがありえて良い筈がないのだ。

 

 

 

  *

 

 

 

 当時、ただの事故として処理されたことだ。だがそれなりに話題性があると見えて、小さいながらもその記事は存在した。

 

『階段から転落か。妊娠女性、胎児と共に死亡』

 

 時巡凛明(りんめい)、時巡優子の母親は妊娠していたのだ。

 

「女の子だったよ」

 

 時巡小太郎が言った。

 

「優子……は、おとなしい子だった。夜泣きなんて一度もなかったし、成長してからも、我儘なんて聞いたことがなかった」

「ただ」

 

 彼は身震いした。

 

「時々、視線を感じるんだ。心底冷えるような、おどろおどろしい視線」

「視線の元には、いつもあの子がいた。そして決まってあの子は視線を逸らしていた」

「あれが勘違いであって欲しかった」

「契機が、妹が産まれれば」

 

 彼の声は震え、涙さえ流していた。

 だが、肝心なことがまだ、聞けていない。

 

「小太郎さん。一体、あの日に何があったのですか」

 

 あの日、彼の自我が限界に達した日。時巡凛明の命日。

 

「分からないんだ」

 

 その日は、何でもない日だったのだそうだ。

 

「全部、全部終わっていた。残っていたのは――」

 

 時巡小太郎は、最後絞り出すように「あれだけだ」と言った。

 

 

 

  *

 

 

 

「あ、蹴った」

 

 母親が微笑んでいた。

 

(……うん)

 

 意識は明瞭。最初の私の疑問は、これが()()()()という事だ。

 

 私、時巡優子には2つの人生がある。

 

 超能力のない私と、ある私。前者が真であり、後者が偽。

 

 しかし母親を見ても、判断がつかない。

 ()()()()()()()では然もありなん。

 

(はて?)

 

 いや、そんな事はないだろう。

 偽物の母親は、もっと不自然な感じではなかっただろうか。

 

 改めて母親を見る。

 彼女は膨らんだ腹を愛おしそうに撫でる。そしてこちらへ顔を向けた。

 

「優子ちゃんも触る?」

 

 だらけた顔だ。警戒心を忘れきった、久しぶりに見た母親の顔。

 

(記憶通り……でも)

 

 自分の手は、この時からこんなに大きくなかった。

 私は当時の姿ではなく、今の私の姿だったのだ。

 

 不自然な状況。だからこれは追憶ではなく、夢だ。

 

(今更、なんでこんな夢を)

 

 今の私はもちろん、前世の私だって、この平和な世界の延長線上には居ない。

 

(……だから、せめて、妹だけは。そう考えてたんだっけ)

 

(あい)ちゃんもお姉ちゃん撫でてえって言ってるよ」

 

 半場強引に、お母さんが私の手をお腹に持っていく。

 

 手がめり込み、吸い込まれるように私は胎内へと落ちていった。

 視界がぐるりと回る。

 

 目を開けると、私は外にいた。

 公園の出入口。公園と道路の間には階段があり、あまり人通りが多くない。

 

(何、罪悪感でも感じてるの?)

 

 見下ろした先には、血に塗れた偽物の母親の姿。

 

 万が一ということがあったからだ。

 

 あの胎の中に居るのは、偽物の妹に違いない。

 だが、もし私と同じように本物だったら。

 

 それは本物の世界であの子が死んだということになってしまう。

 

 だが産まれてさえいなければ。

 この世に生を受ける前ならば、間に合うはずなのだ。

 

 もぞりと、女が動いた。

 

(糾弾でもするつもり? くだらない。もう一度殺してやるよ)

 

 階段を降りる。そしてどうも、想像とは違っていたことに気が付いた。

 

 動いていたのは、女の股。今、そこから産まれ出でようとしている者がいるのだ。そいつの髪は()く――

 

(ああ)

 

 そういえば、これは()だったなと、思い出した。

 

「『コレクター』が私と同じくらいの女の子だったなんてビックリだよ。ちょっと幻滅」

 

 這い出してきた見知った少女が、羊水に塗れたまま立ち上がる。

 

「青木霧江……!」

「会いたかったぜ、ベイベー」

 

 既に死んだはずの女が、私の夢に侵入していた。



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第20話「死闘の末に」

 超能力発生装置なるものを支給された。

 

 中の能力は夢に侵入し、深層心理を操る能力らしい。

 

 ……複雑な能力だ。

 あたしの能力は触れた相手が最も意識しているものを幻視する能力。頭の上に出てくる。はっきり言って何の役にも立たない能力だ。むしろ邪魔。

 同じ相手の脳に干渉する能力だからと抜擢されたらしいが、身に余りすぎる代物である。

 

 しかしあまりにも報酬が魅力的だったのだ。

 

「かんぱーい!」

 

 真っ当な仕事の十倍はある報酬!

 おかげであたしは今日も彼のお店に顔を出せた。

 

「今日も良い飲みっぷりだねえ、久美ちゃん?」

 

 アルク君はいつも通り笑っていた。でもいけないぞ、女の子の名前を間違うなんて。

 

「もう、私は霧江だよ、誰と間違えたの?」

「え、あれ?」

 

 彼はビックリするほど慌てていた。そんな姿も絵になるのだから、ちょっとずるい。

 

「そ、そうだったね、ごめんね霧江ちゃん」

「じゃあチューしてくれたら許してあげる」

「じゃあ、チュー」

「チュー!」

 

「あははははははははははは」

 

 

 

 ……………………。

 

 

 

「あ、あれ?」

 

 気が付いたら横になっていた。というか眠っていたらしい。少しぼんやりとしていて――

 

「え、や! 時間!」

 

 慌てて時計を見る。遅刻する!?

 

「……今日土曜か」

 

 慌てて損した。

 でも一度慌てたせいで、完全に眠気が吹き飛んでしまったらしい。

 顔だけでも洗っておこうと洗面台に向かった。

 

 洗面台には、当たり前だが鏡がある。

 

「…………誰?」

 

 鏡には、一重で、傷んだ茶髪。肌もガサガサの冴えない女がいた。

 

 どうやら、まだ夢の中らしい。

 

 

 

  *

 

 夢は現実を侵食し、身も心も塗り替える。

 

  *

 

 

 

 唇を強く噛みしめ、痛みにより覚醒した。

 夢はガラスが割れるように崩れ去り、目前に居た青木霧江も消滅した。

 

 代わりに現れたのは、象のような鼻を持つ獣。

 

 反射的に蹴り飛ばす。それは壁に激突し、棚に置いてあった書類が落ちた。獣は特に堪えた様子もなく四足で立ち上がる。

 

(……獏、かな?)

 

 全長は2m半ほどだろうか。顔は人間の面影を残しているが、特徴的にそう呼ばれる生き物だろう。

 

「『コレクター』、また会えたねえ?」

 

 そして、あり得ないことだが、これは青木霧江のようだった。

 

(変身能力? な筈ない。霧江はもちろん、装置の持ち主もそんな能力じゃない)

 

 悠長に考えている時間はなさそうだった。

 瞼が異常に重いのだ。耐え難い眠気が体を襲う。

 

(この、体は、もう無理か)

 

 背に腹は代えられない。この私は破棄し、別の分身を本体へ再設定した。

 意識はクリアになった。改めて思考する。

 

(眠らせる能力。持っちゃいけない奴が発現しやがった……!)

 

 おそらくはステージ2。いや、あれの()()()()()からして、青木霧江はステージ3だ。

 

 超能力の更なる進化。

 三段目のそれは、副作用を伴うものらしい。

 

 人間の領域を超えた肉体の変異。

 

 通常の能力者も、能力に対応するため肉体が変異している。

 火の能力者は火傷をしにくいし、氷の能力者は南極でも半袖で過ごせる。

 

 だがその変異も、人間の姿を留めたものだ。

 ステージ3ではそのストッパーが外れてしまう。能力が暴走状態になる、らしい。

 

 私もステージ3を見たのは初めてだ。というか、現代で初めての人間かもしれない。

 それほど希少な存在なのだ。先の副作用も、数少ない実例が皆そうだったからそうなのだろう、程度の憶測だ。

 

「ショットガンじゃ、無理か……!?」

 

 しかしステージ3の考察などは後だ。

 あれは私の深部に踏み入った。可及的速やか()つ秘密裡に処理しなければならない。

 

 ステージ2に上がるとエネルギー量も倍増する。ステージ3もきっとそうなのだろう。事実、エネルギー量の多い筈の私が、奴の能力に抵抗できなかった。

 そしてあの巨体。身体能力は当然人間以上だろう。素手ではどうあっても勝ち目がない。

 

「グレネード、ガトリング、火炎放射器と……」

 

 武器庫をひっくり返し、有用そうな物を漁っていた手が止まる。

 掘り出したのは、いつか売人が渡したアタッシュケース。

 

「毒か」

 

 売人は最明蓮華に使うならこれと言っていた。

 もしかしたら、これが一番有用かもしれない。

 

(100mだっけ。範囲が広すぎるけど仕方ない)

 

 私はアタッシュケースを開け、中の筒をポケットに押し込んだ。

 

(ガスマスクも用意して……良し!)

 

 私は『コレクター』の居城へと歩を進めた。

 

(眠りへ落ちる時間は、およそ3分。分身を取り替えながら、可能な限り一人だと思わせる)

 

 いつかはバレるだろうが、有効打が見つかるまで時間を稼げればそれで良い。

 

 部屋には異変に気づき、入り込んだ部下が倒れていた。

 

「やっぱり一人で戻ってきた」

 

 私は青木霧江に回答せず、火炎放射器のトリガーを引いた。

 業火が部屋全体を覆いつくし、仕込んでいた証拠隠滅用の燃料に引火する。

 

 洪水のような火から、一足先に廊下へと逃れた。

 

 騒ぎになった以上この拠点はこうする他ない。第一の証拠隠滅はこれで完了だ。

 

 火災探知機がけたたましく鳴り響き、スプリンクラーが作動する。当然その程度で鎮火する炎ではなく、怪物もまた、燃え尽きる筈もなかった。

 

「そっちがその気ならさあ!」

 

 目立った外傷はなし。表皮に生えた毛が僅かに焦げているくらいか。

 

 グレネードを投擲し、別の部屋に避難する。

 その間に分身の入れ替えを行い、睡眠時間をリセットする。

 

「うらあ!」

 

 青木霧江は壁を難なく粉砕し、私に一直線に迫る。

 ガトリングを起動する。これは航空機に取り付ける物を無理やり手持ちに改造した一品だ。さあ、どうだろうか。

 

「キャアアアアアア!!!」

 

 流石に堪えたか。弾丸から逃れようと大きく迂回する。その際側面に向かって打ち込んだが。

 

(効いてはいるけど、殺しきれるか?)

 

 頭に当たった弾は頭蓋骨に弾かれていた。腹を狙った攻撃も、どうにも分厚い皮膚に威力を殺されている気がする。

 

 霧江が逃げた方向から、彼女のではない悲鳴が起きる。

 このビル全てが『コレクター』の物ではない。更に言うなら、外も無人の荒野ではないのだ。もはや騒ぎは止められまい。

 

「チ」

 

 ガトリングを抱えたまま、霧江を追う。何にせよ、見失うわけにはいかない。

 

 眠る人々を尻目に、霧江が開けたであろう階下への穴を飛び降りる。下はドラッグストアだったか。天井の穴以外は、棚に陳列された菓子やら何やらが落ちているくらいで、化け物が通った形跡はない。

 

「おい」

 

 私は隅で蹲っていた店員に話しかける。怯えているのは、さて、私か霧江かどちらだろうか。

 

「ここに怪物が――」

 

 背後からの衝撃。

 

(馬鹿な!?)

 

 首をひねり、その姿を見て驚愕する。

 体の一部が透けていた。巨体を物陰に隠すこともなく、姿を隠していたのだ。

 

(あんたの能力と全然関係ないでしょ!? この化け物が備えた特性ってこと!?)

 

 変身能力が、変身した生物の機能を余さず持っているのと同じなのだと理解した。だからあんな姿でここまで来れたのだろう。もう少し考えるべきだった。

 しかしそれが光学迷彩だなんて悪い冗談だが、そういうものとして飲み込むしかない。

 

(この体は、駄目そうだな……)

 

 無防備に背中から受けたのだ。どうも脊髄をやったらしく、下半身の感覚がない。壁に顔面を思いっきりぶつけた、というより壁を粉砕したので、ガスマスクも壊れただろう。

 

「終わりだね、バイバイ!」

 

 霧江の前足が私の胸を押しつぶす。

 最後の一息で、私は叫んだ。

 

「お前がな!」

 

 化学兵器。毒ガスのスイッチを、私は押した。

 

 毒ガスの放出は凄まじいものだった。

 多分だけど、何らかの超能力を利用したものだったに違いない。そうとしか思えないほど、ガスは速やかに、周囲の生物を殲滅した。

 

「お、おげぇえ”ァ」

 

 直近で浴びた霧江は嘔吐しつつも死んではいなかった。事が終わったらクレームを入れておこうか。

 

(しないけど)

 

 残念ながら、青木霧江はここに居なかったことになるのだから。

 

「あ、え、なに、()()

 

 霧江は最早立ち上がる気力もなさそうだった。足をがくがくと震わせ、しかし腹が地面から離せない。

 そしてまるで夢でも見ているように呟いたのだ。

 

 総勢10人の私が、ナイフを手に持つ姿を見て。

 

 ざくりと傷穴へ向けナイフを突きつける。何度も何度も突き刺し続ける。それも繰り返すと、ナイフの方が先に音を上げた。ナイフの折れた分身は消滅し、次の私に居場所を譲る。

 

「お姉……」

 

 霧江が何やらうわ言のようなものを呟いたが、私には耳を傾ける理由がなかった。

 そして、遂に霧江は動かなくなったのだ。

 

 

 

  *

 

 

 

 1999年、今世紀最悪と呼ばれたテロ事件 東京ドーム襲撃から半年も経たずにそれは起こった。

 都心にて毒ガス散布による無差別テロ。被害者は300人を超え、その大体数が死亡したおぞましき事件だ。

 犯人は今なお不明。これといった声明もなく、ただの小規模な実験だったとも噂された。人々の間に漂う重苦しい空気はより一層陰鬱なものへとなっていた。

 

「『コレクター』だ」

 

 誰かが囁いた。

 それが真実であることなど、その誰かは知る由もないであろうが。

 

 だが確かに、『コレクター』を追う者たちの脳裏には、無意識にだが刷り込まれていたのだろう。

 

「映像を入手した」

 

 榎木が言った。

 例の毒ガス事件は、一切事前に情報を入手できず、また世間一般と同じように、目的すら不明なままだった。

 

「監視カメラは破壊されていたはずでは?」

 

 竜輝が言った。

 街中には多くのカメラがあったが、その全てが破壊されたと、確かにそう聞いていたが。

 

「これは携帯電話の写真だ。撮ってた奴がいたんだよ」

 

 逃げもせずとは危機感がない。最も、範囲を考えれば逃げたところで無駄だっただろうが。

 

「画質は粗いが、これでも本部の連中が見やすくしたもんだ」

 

 そう前書きして、榎木が写真を机に置いた。携帯電話のカメラ機能だ。それを拡大したのだから、見れたものじゃなかった。だが、それは確かに映っていた。

 

「これは、変身能力者と、軍人、ですか?」

 

 そう。そこには確かに巨獣と、巨大な銃を持った人間が佇んでいた。

 

「軍人ではないだろうな。こんな馬鹿でかいガトリングを採用している軍隊なんて存在しない」

 

 そして榎木は巨獣の腹、おそらく弾痕を指差した。

 

「弾痕のあった死体は見つかっていない。つまりこのデカブツは、現場から運ばれた」

 

 生死は不明だが、残しておくことはできなかったということだ。

 

「そしてもう一つ。この人間の方はガスマスクをつけている」

 

 顔には、確かにそれらしきものが見えた。

 

「……つまり、この人が犯人だと?」

「そうとしか考えられない、それと」

 

 この現場近くのビルが二棟崩壊している。おそらく一棟はダミー。本命の方にはただの火災では考えられない焼け跡が残されていたのだという。報道されていなかった情報だ。だが、だとすると。

 

「証拠隠滅。しかし、あまりにも粗すぎる」

「そうだ。だから、これは下手人にとっても想定外であった可能性が高い。そして」

 

 核心に迫るように言った。

 

「この辺りは『コレクター』の拠点があったと推察されていた」

 

 榎木は興奮を隠しきれないようだった。

 

「これだけの規模、秘密兵器を事故に投入してみせた! そんなことが一構成員に出来る筈がない!」

 

 写真に爪を立て、穴が開きそうになるほど何度もたたく。

 

「この女が、『コレクター』であると、本部は推察している!」

「ええと」

 

 興奮した榎木に若干引きながら、竜輝が言った。

 

「女なんです?」

 

 その問いには、今扉を開けて帰宅した成田が答えた。

 

「そうそう。骨格とかからな。あと榎木さん声でけえって。キャラも崩れてるしさ」

 

 成田の指摘に、榎木は唸り顔を抑えた。

 

「……顔洗ってくる」

 

 ばつが悪そうに、そそくさと榎木は退室した。

 

「榎木さん、意外と熱血なんですね」

「あの人は『コレクター』に恨みがあるからな。で、どこまで話聞いてたんだ」

 

 女が『コレクター』だと考えられていることを伝えた。

 

「そかそか。ちなみに本部には変な能力者が居てな、見ただけで年齢が分かるそうな」

 

 それは、何とも局所的な能力者だ。どんな能力が役に立つか分からないものだ。

 

「年齢は、15歳。ま、『コレクター』は年を誤魔化せるみたいだし、参考程度な」

 

 十年前、『コレクター』が台頭し始めた時期。奇妙な死体が作られたために、そう推測されている。

 

(だが、それも時を進めるだけ。もしも逆ができないなら、同い年になるのか)

 

 その黒髪の女を、じっと眺める。

 

(………………………………まさか)

 

 生物の時間を進める能力。同い年。黒髪。女。そして、つい先日出会った男とした、時巡のあってはならない疑惑。

 

(……嘘だ)

「岳人?」

 

 何も考えたくなかった。

 飛び出し、ただ走り続ける。

 

 走って走って走って。ありえざる記憶を消耗させる。

 

「はあ、はあ、はあ」

 

 息が切れ立ち止まった。記憶の摩耗より、スタミナ切れの方が速かった。

 無意識に走っていたが、帰巣本能とでも云うのか、自分のアパートに着いていた。

 

「は、はは……」

 

 思わず笑ってしまう。

 今になって、急に飛び出した言い訳を考えないといけないと、理性的に状況を俯瞰していたからだ。

 

 ドアノブに手を掛け鍵を差し回す。ドアには鍵が掛かったままだった。締め忘れていたのだ。

 もう一度鍵を回し、ドアを開ける。

 

「おかえり、岳人」

「時巡……」

 

 時巡優子が部屋の真ん中に座っていた。

 

「久しぶり、だな。部屋に来るのは」

 

 自分でも分かるほど、言葉がぎこちなかった。

 時巡は僅かに首を傾げたが、言及せず手招きする。

 

「そうかもね。最近は、ちょっと忙しかったからかな」

 

 何故、とは勿論口にしなかった。

 時巡に促されるまま隣に座る。

 

 彼女はごろりと転がり、俺の膝に頭を乗せた。

 

 心臓が止まったかと思った。

 

「――――最近、昔のことをよく思い出す」

 

 時巡がぽつりぽつりと語りだした。

 瞼は半場閉じ、微睡んでいるように見える。

 

「私、妹が居てね。愛って言うんだけど」

 

 産まれることがなかった妹のことは知っている。彼女の言葉に耳を傾けた。

 

「私と違ってくせっ毛で、要領が悪くて、止めろって言ってるのにニキビ潰しちゃうどうしようもない妹だったよ」

 

 散々な言いようだが、そもそも妹は産まれていない。

 だから彼女が語るのは、ありえたかもしれない夢の話だ。

 

「でも、だからかな。私にとっては目に入れても痛くない大事な子だったよ」

 

 その気持ちは、俺にも分かる。そして理解できるからこそ、改めて思った。

 

(時巡は、『コレクター』なんかじゃない。母親も、殺してなんて、いない)

 

「だから、腎臓の一つくらいあげたって構わない。それで、あの子が幸せになれるなら」

 

 腎臓?

 一体彼女の中ではどういった設定が練られているのだろうか。

 

「だから、邪魔をするなら……」

 

 最後の方は、聞き取ることはできなかった。彼女の瞼は完全に降り、今では穏やかな寝息を立てている。

 慎重に膝とクッションを入れ替え、立ち上がった。

 その時電話がけたたましく鳴った。慌てて電話に出る。

 

「も、もしもし」

 

 時巡を起こさないよう、外に出た。

 

「岳人、落ち着いて聞いてほしい」

 

 電話先の人物は竜輝だった。

 そうだった。飛び出した言い訳を考えないといけないのだった。

 

 だが、そんな心配などすぐに吹き飛んだ。

 

「組織は、時巡さんが『コレクター』だと断定した」

 

 吹き飛んだ思考の替わりなどなく、ただただ頭が真っ白になった。



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第21話「私と彼の逃避行」

「時巡さんの能力が『コレクター』と類似した能力だと思われているのは、岳人も知ってるね?」

 

 竜輝は言った。

『コレクター』の能力は老化を加速させる能力だとされている。彼が台頭し始めた時期に、誇示されるように使われたからだ。

 時巡の能力でもそれが可能であることは大会で分かっており、過去の警察の調査では、老化に関する能力は時巡だけだとされていた。同時に彼女には確かなアリバイがあることも。

 

「時巡さんは俺たちよりも遥かに早く、ステージ2に覚醒したのではないか、とされている」

 

 ステージ2への覚醒は、より発展した能力を齎すとされる。

 

「成長のステージ2。それは自分のクローンを産み出すことが可能なんじゃないかとね」

 

 ……確かに、それならば一応の説明はつくかもしれない。しかし

 

「あり得ない。10年前だぞ。そんなに早くから覚醒している筈がない」

 

 本来、ステージ2は達人が晩年に発現するとされる能力の極地だ。俺たちの年齢で覚醒していることすら、奇跡に近いのである。

 

「その通り、俺たちの年でも本来あり得ない」

 

 竜輝がそう前置きして続けた。

 

「俺たちには分かり辛いけど、例の大会は、大人たちが想定した以上にハイレベルなものだったらしい」

「環境なのか、遺伝的な蓄積なのか、理由は分からないけど。少なくとも既存の常識はもう通用しないと考えられないかな?」

 

 だから。

 

「時巡が10年前にステージ2に覚醒していることも、考慮すべきだと?」

「そう。だけど俺も、それを理由に時巡さんが『コレクター』だと決めつけるのはおかしいと思う」

 

 それに、と竜輝は続けた。

 

「今の榎木さんは、多分本部の人も、ちょっと冷静じゃなさそうだ。今は逃げた方が良い」

「……分かった。ありがとう」

 

 礼を言い、電話を切る。

 しかし誰を頼るべきか。

 

 信頼できて、かつアウトロー気味な人物となると。

 

「……ユリさんかあ」

 

 

 

  *

 

 

 

 何か知らないところで面白いことになってるな。

 というのが私の正直な、そう正直な感想だった。

 

『レジスタンス』が私に感づいたのは、甚だ不愉快で最悪だけど、予想の範囲内ではある。要は確かな証拠がなければ良いのだ。人々には納得できる理由が必要で、奴らにはそれが薄い。

 

 ただ想定外だったのは、様子見かっ飛ばして私を拘束しようと考えていることだろうか。しかしそれは私に不利を齎さない。

 

 私は『コレクター』でなくとも、『ミュージアム』の一員なのだ。『コレクター』が守る理由には十分だ。

 そして私は分身能力により『コレクター』として問題なく活動でき、追う『レジスタンス』を背後から強襲できる。

 ちょうどアリスを追う『真世界』を潰した時のようにだ。

 

「でも何で北海道?」

 

 事情を(ある程度伏せられていたが)説明し終えた岳人に聞いた。

 

「ユリさんに頼ろうかと……嫌だったか?」

 

 しまった。顔に出ていたか。

 

「あの人苦手」

「気持ちは分かる。でも我慢してくれ」

 

『レジスタンス』がどう出てくるか分からないため、飛行機は使わず車で行くらしい(逃避行とか超楽しそうと思っているのは秘密だ)。

 

「レジ……組織とやらは公的機関じゃないんでしょう? なら検閲とかもなさそうね」

「そうだな。だからこそ出方が分からないのもある」

 

 しかし逃避行も『レジスタンス』の本部が見つかるまでか。見つけ次第粉砕してしまうし。

 

(……岳人との関係も、これが最後か)

 

 流石に事が済めば、私が『コレクター』と関係があることは隠し通せないだろう。だから私たちの関係も、これが最後だ。

 

「時巡、不安なのは分かるが」

 

 当然私の真意など知らない岳人は見当違いなことを言う。

 

「俺は何があっても時巡を守る。だから安心してくれ」

 

 岳人の言葉に、私は「ありがとう」とだけ返した。

 

 

 

  *

 

 

 

「……判断の早い男だ」

 

 十字岳人と時巡優子が共に逃げたという報せを聞いて、榎木文太は逆に感心してしまった。

 

 こちらの行動は迅速だったはずだ。彼にも混乱があったはず。にも関わらず超えてきたのは賞賛に値する。それが敵対行動でなければ完璧だった。

 

「いやあ、連絡が来たタイミングが絶妙だったな榎木さん。間が悪いってのはこういうことを言うんだな」

「言っている場合か成田。俺たちが責任取るんだぞ」

 

 成田は能天気に笑っているが、本部の人間が何を言ってくるか。

 

 電話が鳴った。

 恐る恐る受話器を手に取る。

 

「……はい」

「やあやあ。事情は丸っと把握しているから言い訳も弁明も必要ないですよ」

 

 その声には、聞き覚えがあった。

 

「みんなご存じ最明蓮華が解決するから、座して待っていてくださいな」

 

 世界最強。この世の正義の切り札が、遂に動くと宣言した。

 

 

 

  *

 

 

 

 さてさて、本体がお楽しみ中の頃、新本部の私の方は大変な状況だったのは想像に難くないと思う。

 

「――以前の騒動により発生した離反者の排除は完了しました。こちらがリストになります」

「後で見る。もう下がっていいよ佐藤君。小野川『レジスタンス』は?」

「時巡優子を追跡中ですが、未だ足取りをつかめていないようです」

「そんな事はどうでもいい。本拠地は?」

「……もう暫しの時間を頂きたく」

 

 前回の事故は大方片付いたか?

 リストの人物を精査するのは時間が掛かる。こっそり分身に確認させるべきか。

 

(いや、しばらくは事態は停滞する筈。なら大丈夫か)

 

 電話が鳴った。

 机の上を確認するが、私のではなさそうだ。小野川に視線を向ける。

 

「出ていいよ」

「は、ありがとうございます」

 

 彼が電話している間にリストに目を通す。

 

(うげ、亜門もだったか。手土産にNo.5の首持ってかれなかったのは幸いだな)

 

 奴は『警備員』として登用したが、今度からはもっと信用を大事にすべきかもしれない。

 

(でも雑魚を登用してもな……)

「『コレクター』、『レジスタンス』についてですが……」

 

 小野川の声は、隠しきれないほど震えていた。

 

「時巡優子を捕捉したようです」

「速いね。まあ、このまま新年を迎えても困るけどさ」

「ええ、まあ、そうですね」

 

 ……ん?

 

「……」

「……」

「…………それで?」

「その、追手がですね」

 

 小野川は意を決したように言った。

 

「最明蓮華、のようでして」

「…………ん?」

 

 最明蓮華。世界最強の?

 

(飛ばしすぎだろ……様子見とかなさらないんです?)

 

 いや計画全部吹き飛んだんだけど。どうしてくれんだおい。

 

「し、しかしですね。同時にアジトのおおよその位置も把握しました!」

「先言え馬鹿! 場所は!?」

 

 それが分かれば何とかなる!

 

「そ、それが奥多摩の山中のいずれかで、正確な場所までは……!」

「必要ない!」

 

 こんな時のため、『ミュージアム』は何時でも動かせるようにしてあるのだ。

 館長へ電話を掛ける。

 

「No.2、No.3を奥多摩へ! 計画通りだ!」

 

 元より奴らの本分は広域殲滅。小細工など不要。全てを滅ぼしてしまえば良い。

 

「No.5を小野川に渡せ。予定にない貸出? 黙れ殺すぞ!」

 

 電話を切り言った。

 

「小野川聞いてたな! 何としてでも最明蓮華を足止めしろ!」

「しょ、承知しました『コレクター』!」

 

 これからは時間の勝負だ。

 

「遊んだ分、きっちり働けよ、本体!」

 

 

 

  *

 

 

 

(いやそんな事言われても)

 

 分身の無茶ぶりに私は内心で愚痴った。

 

 横目で岳人を盗み見る。

 長時間の運転で疲れているようだった。

 

 次いでバックミラーを確認する。

 以前から追跡には気を付けていたが、私は気づかなかった。

 

(まずは追跡者の炙り出しから、だね)

「岳人、運転変わるよ」

「え、ありがたいが、運転でき――ちょっ、今すぐか!?」

 

 岳人と強引に席を代わり、アクセルを思いっきり踏み抜いた。

 

「時巡!? 時巡!?」

「大丈夫大丈夫。私に任せなさい」

 

 舗装された道路を抜け、あぜ道へ突っ込む。

 後続の車が一台。同じく加速してあぜ道を進んだ。

 

「……追手か!?」

「Yesだよ! カーチェイスの時間だ!」

「テンション上がってるだろ!」

 

 畑を超え林に突っ込み時には庭を素通りし、カーチェイスは続いた。

 

「撒いたんじゃないか!?」

「ん、そだ……おお?」

 

 急に車が動かなく、というか浮いてる?

 

「おいたはそこまでにしましょう」

 

 空中から、その女は降り立った。

 オーロラのように移り変わる、極彩色の眼光と足元まで伸びる髪。()()()()()()()()()

 

「……最明蓮華。お早い到着で」

「……本物、だよなあ」

 

 相手の力量など、見ただけで判る筈がない。

 その筈なのに、最明蓮華の圧倒的な存在感が、これが世界の頂だと、確かに信じさせた。

 

 急激な浮遊感と共に、車が落下した。

 車から降り、何とかならないものかと思案する。

 

(……戦ってみるか)

「やるのか?」

「やるでしょ」

 

 案外大したことないかもしれないし。

 

 サイドミラーをへし折り、全力で投擲する。それに岳人が能力を加え、さらに加速させる。

 

「斥力操作でしたっけ? その程度なら私にもできますが」

 

 サイドミラーは静止することなく、投げた勢いのまま返ってくる。それを弾き飛ばしながら走り出す。

 

 体に異様な負荷がかかった。まるで全身に重りでも着けているようだ。

 

「動けるのですね。私を上回る、素晴らしいエネルギー量です。ですが」

「あ……」

 

 意識が薄くなる。これは……

 

「時巡!」

 

 岳人の声が、どうしようもなく遠のく。

 

「貴方の周囲から酸素を取り除きました。まだ聞こえていると、二度説明せずに済むのですが」

 

 私と貴方の実力差を。薄れゆく意識の中、彼女はそう言っているように聞こえた。

 

 

 

  *

 

 

 

 遠くの空には灰色のスモッグが轟いていた。

 

 あれはNo.5の能力だろう。足止めの務めを珍しく、真面目に果たそうとしているのだ。

 

(あと5kmぐらい? この調子だと1分で着くな)

 

 そして私たちは今、最明蓮華の能力により超高速で飛行していた。

 

「最明さん、最明さん。このままだと私たちあれにぶつかります。明らか怪しいので迂回しましょう」

「いいえ突っ切ります。貴方たちなら大丈夫ですよ」

「無茶苦茶だ……!」

「誰かー! 助けてー! 最明蓮華に殺されるー!!!」

「……ッ!!!」

 

 No.5の能力は広範囲に煙を放出する能力だ。粒子の一粒まで彼女の意思が行き届いており、妨害から探知までなんでもござれだ。

 非常に目立つことと、本人のサボり癖が欠点ではあるが、並の能力者では束になっても敵わない。

 問題は最明蓮華が並とはほど遠く、そしてあの煙は、鉄以上の硬度にできるということである。

 

 目前に迫った煙の壁に、思わず目をつむった。

 

 衝突はあまりにも静かだった。目前で停止したのではないかと思われる程に。恐る恐る目を開けると、先ほどと変わらず灰色の壁。否、四方全てが煙となっていた。周囲の空気ごと、煙中に潜り込んだのだ。

 

(最明蓮華の念動力で煙を押しのけている?)

 

 いくらエネルギー量が多くとも、操作精度は特化型が上回る筈だ。それにNo.5は私が選りすぐった能力者だぞ。

 

(……手を抜いてるわけじゃないだろうな)

 

 そう思わずに、いいや、思いたくなってしまう。これに喧嘩を売ったなど、考えるだけで震えてくる。

 

「面倒ですね」

 

 しかし、現状の評価すら――

 

 煙が晴れる。

 太陽が一瞬顔を見せた。しかし地上にはすぐに大きな影が被さってしまっていた。

 

 一塊になった煙の塊が、巨大な天蓋となって空に浮かんでいるからだ。

 

「これは……」

「……悪夢だな」

 

 味方であるはずの岳人にすら、信じがたい能力者。

 

 これを倒すには。

 

(能力そのものを無効化するか、世界を破壊する力をぶつけるより、他にない……)

 

 ならば予定通りだ。何の問題もない。

 今、最明蓮華は足を止めているのだから。



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第22話「損失と切り札」

『コレクター』と推測された時巡優子を捕縛。同時に逃亡の手助けをした十字岳人についても身柄を取り押さえた。

 現在は拠点の1つである廃旅館に監禁中。

 

 今後の処遇については本部壊滅のため無期限保留。

 

 

 

  *

 

 

 

「この3日間、『レジスタンス』の活動は見られておりません。最明蓮華が健在なのは気がかりですが、最早組織としての体を成していないかと」

「最明蓮華が立て直しに労力を注いでくれれば、時間稼ぎになるね」

 

 一息つける、とはいかないか。最明蓮華が目の上のたんこぶなのは変わりない。アリスの確保を急がなければ。

 その旨を小野川に伝える。

 

「……はい。足取りは掴めておりますので、暫しお待ちを」

 

 また歯切れの悪い。

 

(内通者はまだ残っている? 流石に小野川ではないか。スパイにしても『レジスタンス』の壊滅はやりすぎだ)

「多少派手になっても構わないから。確実に確保しなさい」

「承知しました。それと、No.5とNo.9の奪還は如何しましょうか?」

 

 No.9つまり私だが、正直現状維持で構わない。

 

 分身の制限時間は定期的に分身を本体にすることでリセットできる。ステージ2には事実上制限時間はない。

 むしろ私が『コレクター』でないことを証明してくれるので、助かるまである。

 

 No.5は助けても良いが労力に見合わない気がする。

 

(でも『ミュージアム』の展示品を助けないのもそれはそれで問題あるかな。館長もうるさいし)

「……最明蓮華の動向に注意して、『警備員』を中心に組織する。人員の管理は館長で、現場指揮はNo.2にやらせるよ。君はアリスの確保に注力しなさい」

「承知しました」

 

 No.2はそういうのをやりたがっていたし、ちょうど良いだろう。装置の生産も安定しているから、そっちから宮田を引き抜いて補助をさせよう。

(まあ、引き際さえ勉強させればいいしね)

 

 失敗しても問題はないのだ。既に大勢は決した。これからは世界に向けて力をつける時だ。

 

 あ、それと時巡優子は死んだことにした方が良いか。

 

 

 

  *

 

 

 

 水無月竜輝は自身の力不足に無力感を感じていたが、決して表に出すまいと努めていた。

 とはいえ所属していた組織が壊滅したのは、中々に堪えた。それも自分に責があるのだ。しかし懺悔はできない。秘密は胸に仕舞わなければアリスを守れない。

 

 そんな竜輝の様子を見て、真相を知らないであろう、一時的に同行していた最明蓮華が彼に声をかけた。

 

「竜輝はアリスの護衛。貴方が気に病む必要はないのですよ」

「……ありがとうございます。でも、1人で時巡さんの監視なんて大丈夫なのですか?」

 

 岳人と時巡さんは彼女に捕らえられ、現在は拠点の1つに拘束されている。

 もしも時巡さんが『コレクター』ならば、その拠点は本部以上に危険な場所になるだろう。そこを1人で抑えるなど、流石に世界最強といえど無茶ではないか。

 

「大丈夫だから、私は世界最強なんです」

 

 気負った風もなく、最明蓮華は言った。

 

 

 

 だが最明蓮華は嘘をついていた。

 彼女は時巡優子を放置するつもりなのだ。

 

『コレクター』がアリスに執心しているのも、自身にとって彼女が脅威であるのも理解していた。

 だから抑えるべきはアリスである。時巡優子の正体が何であれ、『コレクター』が問題なく活動できているのも3日間で確認した。

 

 組織の力が弱まった今、『コレクター』は確実にアリスを確保しようと深追いする。私が人質のそばに居ると思わせれば、なおさらだ。

 

(追手は手練れ。都合3度逃げられましたが、次はありませんよ)

 

 そして、敵はまんまと餌に食いついた。

 

 

 

  *

 

 

 

 アリスの確保は失敗。最明蓮華に嵌められたと気づいた時には、全てが遅かった。

 

(……最早アリスは諦めるしかないか)

 

 アリスは痛いが、代用は効く。致命的だったのは、小野川が死んだことだ。

 

 奴は最明蓮華の手に落ちる際、自ら命を絶ったという。持っている情報が桁違いだったので、それを考えてのことだろうが。

 

(……失くしたものを数えても、仕方がないか)

 

 私は受話器を手に取った。彼は予約していないので、館長に連絡する必要があった。

 

「No.1を使う。異論はないよな?」

 

 世界を滅ぼす能力者。

 今こそ彼を使うべきだと、遅すぎた決断を下した。

 

 

 

  *

 

 

 

『ミュージアム』展示No.1『終焉を告げる者(アポカリプス)

 

 3年前イスラエル()()外郭で発見した能力者だ。

 

 イスラエル跡地、と言うように。現在イスラエルという国は存在しない。あの地は最早人が住める環境にないのだ。

 衛星写真からは濃い霧で遮られ観測できず、踏み込んだ探検隊は1人の例外なく帰ってこなかった。慎重を期し霧の境界線から観測器を差し込んだところ、大気の大部分が気化した鉄で構成されていることが分かった。しかし気温は摂氏マイナス10度、気圧も3000hPa程度であり、鉄の沸点にはほど遠かった。

 まさしく異界という表現が相応しい。

 

 それをたった1人が(複数でもおかしいが)(おこな)ったというのは信じがたいことだった。

 

 私が信じられたのは、この目でその瞬間を見ていたからに他ならない。

 あの男を中心に、世界が変革していったのだ。如何なる能力者も無力となる、絶対なる異界が。

 

 きっかけはよくあることだった。彼は暴漢に襲われ、ナイフを突きつけられていた。私は何とはなしに眺めていたが、私のほかにも目撃者がいた。

 その男は警官で、すぐさま暴漢を取り押さえようとした。暴漢は半場恐慌状態に陥り、ナイフを彼の首筋に突き立てた。皮膚が裂け、一滴の血がナイフに沿って流れ落ちた。

 

 そして彼は自らの身を守るために、能力を発動した。

 

 その結果が国1つの消滅である。

 彼が国際社会に残した影響は大きく、私の庇護下にあることは知られていない。

 

 当然それが知られれば、『コレクター』は世界を敵に回すことになるだろう。例えNo.1が死んだ後でもだ。だからこその最終手段。使ってはならない切り札なのだ。

 

 それをただ一人の人間に切るというのは、勿論あってはならないことだ。どう計算しても割に合わない。例えそれが世界最強でもだ。世界には彼のような能力者が、隠れ住んでいる可能性も大いにありうる以上は。

 

(だけどこれ以上最明蓮華を放置すれば、必ず私に辿りつく)

 

 あってはならないが、そうしなければならない。敗戦国の血迷った指導者の気持ちが分かってしまった。気がする。

 

(まずは、No.1を説得しないとな)

 

 以前確認した時、やはり能力の使用に否定的だった。彼が使う気になる状況を作らなければならない。

 

 

 

  *

 

 

 

「私の言いたいことは分かるだろうし、君の意見もあるだろうけど。まずはこの記事を見てよ」

 

『コレクター』はそう言って、新聞を手渡してきた。

 

 彼女は俺の命の恩人だ。

 祖国を滅ぼした後、彼女の助けがなければ俺はとうの昔に死んでいたことだろう。

 

 生物の時を操る能力を持ち、そしておそらくもう1つ、写し身を作る能力がある。

 

 最も、それは些細なことだ。重要なのは俺は彼女のためならば、身を粉にする覚悟がある()()()()ということ。

 

(それも、結局は上辺だけの決意なのだろうか)

 

 今こそ恩を返す時だというのに、未だ決心がつかなかったのだ。

 躊躇するのは、世界を思ってのことではない。もしそうなら一度だって発動している筈がないのだ。

 

 憂鬱な気分を誤魔化すように、新聞に目を通す。

 そこに記されていたのは、まさしくイスラエルについて。

 

 フランス社民党代表が、イスラエル奪還を掲げたと報道されていた。

 

「選挙に向けたアピールだとは思うけどね」

 

『コレクター』が言った。

 

「こんな時期に言うくらいだから、何か有力な手掛かりでも見つけたんじゃないかな」

 

 続けて言う。

 

「君の能力は決して攻略できない訳じゃない。だからそう気負うなよ」

 

 それは確かに希望だっただろう。

『コレクター』は世界には不可逆な影響はないと言ってくれているのだろう。実際はこの能力が普通――使おうとも追われる心配がない――かもしれない可能性に胸を撫でおろしたのが事実だが。

 

 それに僅かに鬱々としていたが、『コレクター』は気が付くことなく話を進める。

 

「それでも一応ね、発動地点は人気のない場所にしようと思うんだ」

 

 地図を取り出し続けた。

 そして太平洋の、ある一点を指した。

 

「ここに氷雪系の超能力発生装置で足場を作る。この辺りの公海は島もないし、船も飛行機も通らない」

「……分かりました。しかし、最明蓮華は誘いに乗るでしょうか」

「来るよ。最明蓮華はこちらが追い詰められているのを知っている。だけどNo.2とNo.3は健在。その気になれば日本を壊せるのは示している」

 

 今までの悪行によって、何をせずとも国1つを人質に取れるということか。

『コレクター』は「それに」と愉快げに言った。

 

「最明蓮華は自らが最強であるという自負がある。だから薙ぎ払えば良い。そうでしょう?」

 

 同意を示すように、彼女は問いかけた。

 確かに自分の負けは想定していない。

 

 

 

  *

 

 

 

「悩みますね」

 

『コレクター』から座標と果たし状が送られてきた。

 

「挑発に乗る必要はないと思いますが」

 

 同行していた水無月竜輝が言った。

 確かに普通に考えれば、誘い込んだ間に何らかの目的を果たすのだろう。

 

「ですが無視はできません。本拠地壊滅の現場から、『コレクター』は少なくとも2人は大規模破壊能力者を保持しています」

 

 東京と大阪で同時に破壊行為をされてしまえば、私1人では防げない。

 

「貴方が離れれば、二か所が破壊される可能性があるのでは?」

「意味がないですね。『コレクター』はテロリストではありませんから。無差別な破壊はあくまで交渉用の手札でしかないです」

 

 だからやはり『コレクター』の目的が何かということだが、やはりアリスだろうか。

 

(アリスを連れて行けば良い。でもそれを『コレクター』が予測できないでしょうか)

 

「『コレクター』は」

 

 アリスが私と行動を共にして初めて、意見を言おうとしていた。

 

 彼女は今でも慣れない。強力無比な能力を持っているというのもあるが、それ以上に、言葉では言い表せない異物感がある。

 確かに彼女は人の姿で、人の言葉を話している。しかし、人とは明らかに心の在り方が異なるのだ。

 彼女は自らの危機的状況にも無関心に思えた。だから意見を述べるのは意外だった。

 

「蓮華を倒すつもりだよ。小細工はしない」

「何を言うかと思えば」

 

 だが、確かに『コレクター』が思いあがっている可能性もあった。

 

「なら折檻案です」

 

 アリスを何時でも助けられる範囲まで運び、『コレクター』の刺客を倒す。

 

「アリスの護衛は、竜輝君は今回お休みです」

 

 船での移動、停泊になる。

『コレクター』が船ごと破壊する可能性がある以上、護衛役は飛行能力が必須だ。

 

「小鳥遊華さん。頼んでも良いですか?」

 

 先日新しく仲間になった能力者。亡き友人の敵を討つという、やや後ろ向きな動機ではあるが、実力は確かだ。

 彼女は不満げではあるが、同意を示した。

 

「そうと決まれば、『コレクター』にお返事をしましょうか」

 

 

 

 この決戦後、『コレクター』の名は世界に轟くことになる。

 時巡優子は覚悟の上で、最明蓮華には想定できない。

 

 アリスは常と変わらず、ただ微笑んでいた。



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第23話「致命的な失敗その2」

 正直なところ、No.1が最明蓮華に勝てるかは定かではない。

 当然勝つのが最良だが、それを座して待つ選択肢はない。ただの時間稼ぎと割り切ってサブプランも同時並行する。

 

 まずは国会を襲撃する。

 

 色々と国に対して工作をしてきたが、もう限界を迎えている。No.1を使うとなれば尚更だ。

 だからここらで手ゴマの整理をし、国に混乱をもたらす。仮に最明蓮華が勝ち残ってもそちらに意識を割かせる。私はその間にトンズラだ。

『ミュージアム』も大半は使うことになる。私の最終目的も遅延は避けられないだろう。

 

「さて、どうなるかな」

 

 計画決行日は12月24日。楽しいクリスマスにしよう。

 

 

 

  *

 

 

 

「もうすぐクリスマスじゃんね」

 

 小鳥遊が言った。

 

 最近は2人でいることが多い。

 零次が死に、時巡も行方不明となっている。元々4人で居たのだが、随分と寂しくなってしまった。

 

 俺たちは最明蓮華に捕まった後、拠点の1つに軟禁されていた。その時には既に本部が『コレクター』の襲撃により壊滅しており、混乱した状況を立て直すためか、尋問もなくほとんど放置状態だった。

 そしてこちらが立て直すよりも速く、『コレクター』が俺たちが居た拠点を襲撃。為すすべなく共に捕まっていた『コレクター』の配下が奪還され、そして時巡もその日を境に行方不明になった。

 

 当然だが、俺も抵抗した。だが1人だけ、突出した強さを持った相手が居たのだ。

 

 変身系能力。犬か狼の爪を部分的にだけ展開した、手を抜かれた戦い。変身系能力は部分展開が可能だが、その戦闘力は完全変身に対し10分の1程度が限界だという。

 舐めた真似をされた。それでも敵わなかったのだ。

 

 手加減してなお圧倒的な戦闘力。以前戦ったNo.3を名乗る相手もそうだった。

『コレクター』の配下は、明らかに戦闘力の次元が違いすぎる。ステージが上がった程度では太刀打ちできない才能の暴力。

 

「ねえ、聞いてる?」

「あ、ああ」

 

 また小鳥遊が言った。そういえば、小鳥遊も変身系能力で、高い身体能力の持ち主だった。

 

(その小鳥遊と時巡は戦いになっていたんだよな)

 

 小学、中学時代はよく模擬戦を行っていたという。

 よくよく考えれば凄い話だ。圧倒的な身体能力を体験した今だからこそ実感できる。単純に時巡の超能力エネルギーが多かったのもあるだろうが、果たしてそれだけであろうか。

 

(聞いてみる……か?)

「いきなりで悪いんだが」

「話ぶった切るよね」

 

 小鳥遊はぶつくさと言いながらも俺の言葉に耳を傾けてくれるらしい。それが何というか、とても心地よかった。

 悩みがあっても、相談できる相手がいるというのは良い。

 

(……ああ、やはり友達が出来たのは、悪いことな筈ない)

 

 復讐を決意してから、それは不要なものだと思った。

 それでも出来てしまった友人を失ってから、自分は途轍もない愚か者だと自分を責めた。

 

 だが今は、少しだけ、友情を切り捨てなかったことだけは、自分を肯定できるような気がした。

 

 

 

 その後何故か戦闘訓練をすることになり、思っていたより遥かに強い小鳥遊の実力に青ざめることになるのだが。それもまあ、後から振り返れば良い思い出になってしまうのだろう。

 

 

 

  *

 

 

 

「小鳥遊さん、準備は良いですか?」

 

 最明さんに肯定の意を返す。

 私たちはこれから、『コレクター』が指定した座標に向かう。

 

 私は自身の能力である竜の翼で。最明さんは念動力で飛行して向かう。船での移動よりも安全だと判断されたためだ。アリスは最明さんが運ぶとのこと。

 

(多分、優子は居ないだろうな)

 

 時巡優子は『コレクター』に殺された――などとは当然思っていない。表向きはその方が都合がよかっただけだ絶対。

 私はあいつの親友だ。組織間の抗争に巻き込まれて死ぬような間抜けではないと断言できるし、理由があれば悪に付くとも知っている。

 行方不明? 単にその理由とやらに本腰を入れるため姿を晦ましただけだ。あの馬鹿は軽い気持ちで取り返しのつかないことをする女なのである。

 

(とんでもない親友がいたものだよ)

 

 私の仕事は、あいつの脳天をぶっ叩いて事の重大さを叩き込むことだ。

 しかし今度の舞台は、明らかにあいつが出る幕じゃない。だから本当は行きたくなかったが、今この組織を抜けるのはちょっと都合が悪い。

 

(岳人の馬鹿が馬鹿じゃなければなあ)

 

 あいつが馬鹿して組織を追い出されていなければ、私はもっと自由に動けた筈なのだ。

 

 そう、十字岳人は今回蚊帳の外だ。

 今までは(甚だ遺憾だが)私がそうであったが、この組織に入って色々なことを知った。今まで遊んでいた私も馬鹿だ。弱いのに首突っ込んだ零次も馬鹿だ。私たち4人は全員馬鹿だった。

 

(馬鹿螺旋から抜け出すのに、ちょっとは本気出さないとね)

 

 私は自分の能力が嫌いだ。可愛くない。戦いでしか使えないなんて現代日本では役にも立たない。

 そう思っていたが、考えが変わった。私はこの無益な争いを終わらせるために、この能力を与えられたのだ。

 

 翼を生やし、特別強く羽ばたいた。

 

「……む、これは私は休んでいた方が良さそうですね。抱えてもらって良いですか?」

 

 了承し、最明さんとアリスを抱え込む。

 音を置き去りにする前に、最明さんが呟いた。

 

「世界には隠れた強者がこんなにもいる。全くだから油断できないんですよ」

 

 

 

  *

 

 

 

 華が向こうに付いちゃってる!

 

 遂に恐れていた事態が起きてしまった訳だが、状況としてはそこまで悪くない筈。

 

 あちらにはNo.1の他に、異界化した世界でも生存可能なNo.2も付けている。あいつなら華は問題にならない筈だ。アリスについても一度異界化してしまえば、それは能力ではなく環境になる。アリスの能力は効かない。そもそもアリスの能力は効果が強引すぎて1人でないと使えないのだ。

 まあ、何はともあれ華、最明蓮華、そしてアリスの移動は確かに確認した。前回の二の舞を防ぐために常に観察は続けるが。予想外のところに最明蓮華が現れる事態は絶対に防がねば。

 

 国会も今は開会されていないし、それほど手間はかからないだろう。『コレクター』としての分身が無理難題を国に要求して時間を稼ぎ、その間に精鋭は国外に逃げる。

 

 精鋭は、『ミュージアム』からはNo.6、10を選抜する。他No.3、5、9は顔が割れているのでお留守番だ。とにかく逃げたと思わせないことが重要である。

 No.9である私の分身は適当なところで消滅し消息を絶つ必要があるだろうが。『レジスタンス』の残党に不穏な動きがあるから、そこで適当に使い潰せば良いだろう。

 

 逃亡先はメキシコだ。基盤を一から作るなら暴力が一番で、あそこなら隠れ蓑だらけである。最終的にはアメリカへの足がかりにもしたいし。

 

『姉さん』

「……チ」

 

 幻聴だ。最近特に多い。事態が悪くなって、精神的に弱くなっているのだろうか。

 

(これも霧江が妙な夢を見せた……)

 

 ……霧江の、()

 

「『コレクター』」

「……!?」

 

 不意打ちだった。体が条件反射的にびくりと震える。

 声の主は、私以上に驚いた様子だった。

 

 No.10、時枝真希絵。治療能力者で、今の私には不要な存在だ。彼女は彼女で逃亡用に準備を整えていたはずだが。

 

「だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫、何の用かな」

 

 平静を取り戻し、彼女に向き直る。

 彼女のことだ、きちんとノックして部屋に入っただろう。気が付かないとは本当にどうかしている。

 

 彼女は躊躇いがちに、次のように言った。

 

「本当に、大丈夫なんでしょうか。あなたが残るだなんて、もしものことがあったら」

 

 本当は残らないので要らない心配だ。

 どうして私の部下を続けているのか不思議なくらい、彼女は優しかった。

 私はなだめるように言った。

 

「問題ないよ。私は強いからね。それよりメキシコは治安が悪いんだから、気を付けなきゃ駄目だよ」

 

 何せ真希絵は要領が悪くて、どんくさいところがある。

 

 

 ――ノイズ

 

 

「そ、それは気を付けます。でも私、心配なんです」

 

 意外に頑固だな。そんなところも

 

 

 ――ノイズ

 

 

「心配性だな。どうしてそんなに気にかけるのさ」

 

 しまったと、訳も分からずそう思った。

 撤回する理由も、その間もなく、彼女は言った。

 

「だって、あなたは私にとって、()()()()()()()()()()()

 

 体が勝手に動いた。

 彼女の首をつかみ、壁に押し付け能力を発動する。

 

 彼女は見る間にしわくちゃになっていく。

 

 見ろ。私の妹はババアだったか?

 違うだろう。あの子は違う。時枝真希絵は妹ではない。

 

「あ」

 

 正気に戻った時には、全てが遅かった。真希絵は力なく四肢をぶら下げ、眼球は乾ききっていた。

 

 ことりと、壁にぶつかった衝撃で、棚から何かが落ちた。

 円柱状のそれは、そのまま転がり続け、私の足にぶつかり止まる。

 

 その物体はいつかオカルトかぶれの科学者が渡してきた、砂のない砂時計だった。何気なく持ち帰った後、この部屋の棚にしまい込んでいたのか。

 

 砂時計には当時なかった筈の砂が、ほんの少し溜まっていた。

 そして今、砂が僅かに量を増した。



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第24話 一方その頃

 座標まで後20kmほど。水平線の彼方に小舟を発見した時、霧が突如発生した。

 霧が体に纏わりつき、体が重くなる。まるで岳人の重力操作を受けたかのようだ。

 

「……ここからは歩いて行きましょう」

 

 最明さんは何を言っているんだ。

 下は海なのだ。

 

 ……海の筈だったのだが。

 

 果たして堕ちるように着地した場所は、確かに地上だったのだ。

 たまたま孤島が真下にあったのだ、等という妄言は吐かない。

 

 海というフィールドそのものを塗り替える能力者。それが最明蓮華を倒す『コレクター』秘蔵の刺客なのだろう。

 

 最明さんは地面に手を触れた。

 ひび割れ、ぺんぺん草1つ生えない荒野。だがその土は金属光沢を放っており、明らかに普通の大地ではないことが察せられた。

 

「鉄の地面と霧。聞き覚えがあります。とりあえず空気は猛毒ですので、私がフィルターを掛けています。あまり離れないでください」

「……多分、私は大丈夫だと思うんですけど」

 

 この体は毒全般が効かない。竜の体は特別なのだ。

 

「万が一がありますので。可能な限り――」

 

 最明さんはそこで言葉を切った。

 それが難しいであろうことは最明さんも感じ取ったのであろう。

 

 奇妙な気配が複数。周囲を取り囲むように点在しているのだ。人間の気配ではない。それより遥かに強大だと感じた。

 

「まずは視界を開きます。アリスさんは何があっても目を閉じ続けてくださいね」

 

 最明さんが言った。アリスの能力が暴発すれば、こちらも窮地に立たされる。私としてもこの場で人間に戻るのは非常に困る。

 アリスは頷き、最初と同じように私に抱きついた。特に不安がる様子もない。肝が据わっているのは良いことだ。

 

「今広がっているのは厳密には霧ではありません。ただの空気です。この世界の空気は有色なのです。ですが、クリアにすることもできるんですよ、と!」

 

 宣言通り、霧――最明さんが言うに有色の空気は遠方に押しのけられた。

 

 現れたるは全身を錆で覆った巨人。だが巨人は錆付きなど微塵も感じさせない滑らかな動きで悠々と歩いている。

 巨人の一体が口を開いた。口内が光り輝く。

 

 光線が発射された。

 

「ビーム!?」

「視線を開けたのは失敗だったかもですね」

 

 最明さんが不思議な力で弾いたが、弾いた先の地面がドロドロに溶けていた。速度、威力共に人間に対して向けるには明らかに過剰な攻撃だった。

 

 最も、それは私には過少だったが。

 

「うらあ!」

 

 翼と両足を推進力に駆け、巨人を切り裂いた。錆付いた皮膚がひしゃげ、内部のよく分からない機構ごと粉砕する。

 

 たかだか鉄の兵器にやられるようでは、モンスターなどやってられない。

 

「小鳥遊さん! 護衛なんですからあまり前に出ないでください!」

「それじゃ駄目でしょ。囲まれてるんだから、私はともかく2人が危ないよ」

「は、2人?」

 

 迫っていた3体の巨人が身をかがめ、ぎちぎちという不協和音を奏でながら更に小さく丸まっていく。

 燃料が爆発したのか、巨人は跡形もなく爆発した。

 

「私はアリスさんの心配をしているのです。最強でも守り切れないことがありますからね」

 

 そう言った彼女の表情からは、言葉からは想像できないほど自信に満ち溢れていた。

 最初は面食らったが、この程度ならば問題なく進軍できそうだった。

 

 

 

  *

 

 

 

「世界最強は伊達ではないか」

 

 No.1が小さく呟いたのを捉えた。

 

「状況を共有しろNo.1」

「ああ、そうだったな」

 

 No.1は軽く謝罪し、相手が順調に進軍している状況を伝えた。

 

(数キロ先の状況も詳細に把握できる。これが世界の支配者というやつか)

 

 No.1の能力は厳密には異界の主――あるいは神との契約能力だ。本人はあくまで契約を交わすだけであり、その能力の規模と内包するエネルギー量が比例しない、特異な能力者。

 No.4も同様の能力だったが、奴は異界へ転送させる契約しか交わせていないのにも関わらず、No.1には侵食させた世界を支配する権限すら与えられている。

 

 異界の主の性格の差か、あるいはNo.1がそれだけ特別なのか。『コレクター』が切り札と呼ぶに足る能力であることは納得した。

 

(……ふん。最明蓮華とNo.1をぶつける『コレクター』の采配は流石と言うべきか)

 

 だが、あの最明蓮華に付いてきた竜の能力者は『コレクター』の想定から外れていよう。

 

 生意気だ。我が物顔で自らの力を誇示しているトカゲ女。

 

(奴だけは俺が倒す)

「あまり離れないでくれ。この世界の空気を濾過するのは結構な手間なんだ」

「必要ない」

 

 No.1が注意を促すが、俺がどういった存在か理解が及んでいないようだ。

 

「俺は終焉世界の獣。この程度の環境が枷になるわけないだろう」

 

 変身する。

 爪は伸び硬度が増し、牙が生える。全身に白銀の毛を纏わせ、両手を前足へと呼び変える。

 

 最強の獣である俺に適応できぬ環境などない。

 

 

 

  *

 

 

 

「獣の臭いがする」

「獣ですか。世界観にそぐわない敵ですね」

 

 この世界は全てが鉄で構成された世界なのだ。最明さんが調べたが、炭素が一切存在しない。私たちの世界で言う生物が存在する筈がなかった。

 

「最明さん、アリス任せます」

「貴方の強さは理解したので尊重しますが、それほどの相手ですか?」

「んー」

 

 確かに強そうではある。だが正直に言ってしまえば、2人で協力すれば問題なく勝てそうだ。

 

「でも私が倒したいんです」

 

 臭いがするのだ。

 己が無敵だと、強烈な自己を主張する獣の臭いが。

 

 その思い上がりを叩き潰したいと、強烈に本能が刺激されるのである。

 

「仕方がないですね。手早く倒して合流してくださいよ」

「ありがとうございます」

 

 アリスを託し飛翔する。獣もまっすぐこちらへ向かっている。

 

(あれか)

 

 全長10mほど、白銀の毛色の狼か。サイズはあまりこちらと変わらないが。

 

(少し挨拶してやろうか)

 

 炎のブレスを飛ばす。

 狼は生意気にも、氷のブレスで返答してきた。

 

 爆発的に水蒸気が発生し、瞬時に鉄の世界を塗り替える。

 

 爆風を突き抜け狼に噛みつく。相手も同じように噛みついた。

 だがこちらの牙は体毛に阻まれ、あちらの牙は鱗を貫けない。

 

「オオオオオオオオオ!!!」

 

 吠えたのはどちらだったか。おそらく両方だろう。

 

 小鳥遊華と『ミュージアム』がNo.2。二体の怪物が最強を決しようとしていた。

 

 

 

  *

 

 

 

「『ミュージアム』が展示No.9『老若断定(ブリーダー)』。ここで死んでね、水無月竜輝」

「時巡さん。君と戦うことになるとは思わなかったよ」

 

 水無月竜輝と交戦することになったが、特に問題はないだろう。あれば本体が何かしらの干渉をしてくる筈だし。

 とはいえ今後の活動を考えて、衆目の中で姿を晒すわけにもいかない。戦場は廃工場。国会襲撃を防ごうとした『レジスタンス』に先制攻撃を仕掛けた形になる。今頃は別の分身が目的を遂行しているだろう。

 

(しかし敵戦力が低いな。上手いこと殺されないといけないけど)

 

 電撃を全身に浴びたが、構わず竜輝を殴りとばした。

 

「能力者の戦いは、エネルギーのぶつけ合いだ。雷撃も結局はエネルギーが形を変えたものに過ぎないからね」

 

 超能力エネルギーは反発する。だから一見全く異なる能力でも、ぶつかり合い相殺する。

 防御側が相手の攻撃エネルギーを大きく上回る力を持っているのなら、全ての攻撃を無視できるわけだ。

 

「だから能力者は! 副次的に能力を使うんだろう!?」

 

 竜輝が血を吐き出しながら叫び、磁力で操った鉄くずを飛ばしてきた。

 

 彼の言う通り、エネルギー同士のぶつけ合いではなく、能力を使い起こした現象を攻撃に利用すればその限りではない。

 飛ばした鉄くず自体にはエネルギーは含まれておらず、エネルギーの相殺は起こらない。

 

「超能力エネルギーは、身体能力を強化する」

 

 だが竜輝の間接攻撃では私を倒せない。彼が飛ばせる鉄くず程度では、私の肉体強度を上回れない。

 再び竜輝を殴る。今度は地面に叩きつけた。

 

「勝ち目がないよね。諦めたら?」

 

 竜輝は歯を食いしばっているが、まだ諦めていないようだ。

 

(それにしても)

 

 苦し紛れに放った雷撃をあえて受け、竜輝を蹴り飛ばす。

 何というか、こう――

 

(程よい雑魚を嬲るのは、超楽しいな!)

 

 最近変なのばっかり相手してたから余裕が無かったが、やはりこういう相手が一番楽しい!

 諦めが悪いのが最高だ!

 

(おっと負けなきゃいけないんだった)

 

 楽しいが、それは困るのだ。

 

(何とか逆転の目を用意してあげたいけど。けど)

 

「ぐ、ああああああ!!!」

「おっとっと、うっかり右肩を踏みつぶしてしまった。立てるかい、竜輝」

 

 右手を握り強引に振り回す。何と右手が取れてしまったではないか!

 

「ぷ、くく」

 

 思わず漏れた笑い声を必死に堪える。しかしこれはどう逆転されたものか!

 

(駄目だねこりゃ。竜輝は諦めて他の手を考えよう)

 

 そうと決まれば遊びは終わりだ。

 思えば竜輝には今まで散々迷惑を掛けられてきた。だがそれももう終わりだと思うと、感慨深いものがある。

 

 竜輝は血みどろになりながらも立ち上がった。全身の骨も内臓も大変なことになっているだろうに、よくもまあ、そこまで頑張れるものだ。

 

「アリスのためかな? 血も繋がってない他人のために良くそこまでやれるね」

「オ、ガ、ガ」

 

 どうやら言語能力を失ってしまったらしい。だいぶ頭もぶつけたし、とどめを刺す必要もないかもしれない。

 

「ガガガガガガガガガガ」

「うっさ。殺せば止まるかな」

 

 機械がきしむような声を上げる竜輝が不快だったので、やはり殺しておくことにした。

 次第にボリュームが上がっているように感じるのは、私が近づいているからだけではないだろう。不協和音は既に不快では済まない段階に進んでいる。

 

「ギャギャギャギャギャギャギャ」

「何だよもう」

 

 殴れる距離まで近づいても叫ぶだけだ。今までの殴り心地からして、全力で頭を叩けば潰せるだろう。

 右手を振りかぶったところで、妙な点が気になってしまった。

 

(……喉が震えてない。口から出ているだけで、異音は発声が原因じゃない?)

 

 この時さっさと殴るべきだったと、数瞬後に後悔した。

 

「起きて、竜輝」

 

 鈴のようでいて、脳髄に直接刻み込まれたかに錯覚させる不快な音色。

 その言葉は正しく脳髄、いや心、魂? に直接刻まれたのだ。聴覚を通した声ではなかった。まさしくテレパシー。

 

「オオオオオオオオ!!!」

 

 その言葉と共に、今度は確かに喉を震わせて竜輝が叫んだ。同時に()()を振るい私を突き飛ばす。

 

「痛った!」

 

 咄嗟に盾にした左腕は、どうやら折れてしまったらしい。熱を持ったように痛む。

 

「う、嘘でしょ!?」

 

 竜輝の捥げた右肩から、巨大な機械が生えていた。その機械は二本の真っすぐな鉄柱が隙間を開けた構成となっており、開いた中心には小さな筒のような物があった。

 それらがバチバチと放電しており、照準を定めるように、こちらへ向けられていた。

 

「ア」

 

 不味い。何が不味いって、このままでは竜輝の()()()()()が本体に伝わらない。私が本体へフィードバックしているのは視覚と聴覚。あの声は伝わらない。

 だから私自身が言葉にしなければ!

 

「ガアアアアアアア!!!」

 

 たった3つの音節すら口にできず、竜輝の咆哮と共に、私の意識は断絶した。



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第25話「神が実在するのなら」

 過去があふれ出す。

 前世、時巡優子の第一の生。

 

 産まれは普通。共働きの両親だったから、妹の面倒を見ている時間が多かったかもしれない。別に大して手の掛かる妹ではなかったから、やっぱり私は普通の女の子で居られたと思う。

 

 私の転機は高校一年生、両親が離婚してからだ。

 

 やっぱりか、って感じだった。子供ながらに両親の仲が冷え切っていたのは知ってたから、意外性はなかった。

 でも破局の直接の原因が、父親の不倫というのを知って凄くショックを受けた。裏切られたと感じた。

 

 信じられない。せめて離婚してからヤレばいいのに。最悪だ。誠実さがない。

 私と同じことを思ったのか、母親もそれからヒステリックになってしまった。

 細かいことでキィキィと喚くのだ。鬱陶しくてしょうがない。

 

 でも私は頑張った。だってそこで逃げたら父親と同じだ。

 ただひたすら実直に。それが私のモットーだった。泣きたくなるほど大変だったけど、努力は実を結び、大学に進学する頃には、母親も昔の穏やかさを取り戻していた。

 

 そこで私は自らの()()()を誤認した。

 

 妹が体を壊し、腎臓を交換しなければならなくなった。私は真っ先に右手を掲げた。不幸にもドナーとしての適性があったから、それは受け入れられた。妹のための献身、大した美徳ではないか。吐き気がするほど正しい行為だ!

 

 その結果私は死に、妹の安否も不明な状況だ。

 

 私はリスクを冒すべきではなかった。誰か私ではない他人の腎臓を妹に入れ、確実に状況を見極めるべきだったのだ。

 

 愚直さなど要らない。

 他者を踏みにじり、利用し尽くせ。それが正しいのだと考え直したのだ。

 

「その結果が、これか」

 

 使い潰した青木霧江に意識を弄られ、利用価値の無くなった水無月竜輝を始末しようとすれば致命的な進化を促した。何より世界を敵に回す羽目になっている。

 私はまた間違ったのだろうか――何て考えはしてたまるものか。

 

「……まだ、終わってない」

 

 自らを奮い立たせる。

 まだ私は生きている。霧江に弄られたと言っても目的を大きく阻害するものではない。妹への感情がちょっと大きくなっただけだ。竜輝も強くなっただけ。分身の最期を見るに、正気を保てているかも怪しいものだ。世界を敵に回すのだって、覚悟の上だった筈だ。

 

(そうだ、想定外はあれど、対処は可能。こんな所でふらついている暇はない)

 

 今私は、本体がするべき仕事を分身に投げ出し、夢遊病者のように町を彷徨っていた。

 無意識は私を例の公園に導いたらしいが、そんなことはどうでも良い。

 

 だが悪いことは重なるものなのだろう。信じられない不運(ありえないじょうきょう)が私を襲った。

 

「ゆ、優子……?」

 

 私に呼びかける不快な声が耳を通る。父親がそこに居た。

 

 

 

  *

 

 

 

 家庭からも、社会からも、全てから逃げ出した。

 だがそれでも世間の混乱ぶりは時巡小太郎の目に耳に入った。

 

 その混乱の元が『コレクター』と呼ばれる存在で、我が娘が絡んでいることは何とはなしに理解できてしまった。

 昔から能力を良からぬことに使っている事だろう事にも、気がついていなかった訳ではないからだ。

 

 時巡小太郎の能力は能力の使用を感知する能力。

 

 ある時期から――娘が自宅から出てはいないが、毎晩能力を使用していることを知っていたのだ。その時期から『コレクター』の活動が始まったことも。

 

 関連性を疑ったが、疑問には蓋をし、日常を保つことに努めた。

 

 だってそうだろう。

 娘が外で何をしようと、それが家庭に何ら関わらないなら目を逸らしたって良いじゃないか。

 

 それから程無くして、妻が死んだ。

 外のことが内に入り込んできたのだ。

 

 それでも、いや、だからこそ。現状の維持に努めるべきだったと思ったのだ。

 それは理屈のない、何もしないだけの言い訳だった。限界はすぐに来た。

 

 5年前、とうとう矜持も何もなく逃げ出した。

『コレクター』の噂は度々耳に入った。それでも意識を逸らし続けていたが、もう限界だった。確かトリガーは部下の身内が不幸にあったことだっただろうか。いや、最早どうでもいい。

 

 とにかく。このまま野垂れ死ぬまで時巡優子とは他人のふりをし続けたかった。

 それが叶わぬ願いだと、十字岳人という訪問者に思い知らされた。

 

 それでも逃げ続ける選択を選んだ。今度は名を捨て、彼女が訪れる筈のない僻地に逃げようと決意した。

 

 持っていく物は、僅かな金と痛んだ衣服だけ。名前は捨てる。捨てるのも勇気がいる作業だった。相応の場所でなければならないと思った。

 相応しいのは、おそらく家族の崩壊が表層化したあの場所だ。

 

 妻が死んだ公園。妻が娘と度々訪れていたという、自分にとってはただ通り過ぎるだけの場所。

 

 そこに居た先客に、思わず声が漏れてしまった。

 

「ゆ、優子……?」

 

 それはまさしく時巡優子だった。

 

 彼女は最後に見た時から何一つ変わっていない視線をこちらに向け、何とか冷静さを保とうとするような、僅かに震えた声で言った。

 

「お前はそこで何をしている?」

 

 剥き出しの敵意に息を吞む。

 何一つ変わってない? そんな訳がなかった。歳月は確かに彼女を変えていた。

 

 口を開くことさえできないこちらに何を思ったか、彼女はこう続けた。

 

「ああ、そう。また私たちの邪魔をするわけね」

 

 何を言っているのか理解できなかった。彼女には最大限気を使った。彼女の邪魔をしたことなんて一度としてなかった。

 

 それを言葉にしようと何とか口を開くが、吐き出されるのは息だけだった。

 近づいてくる彼女に堪らず腰が抜ける。

 

「最初から、こうしておけば良かった……!」

 

 憎悪の込められた言葉と拳が、襲い掛かってきた。

 

 

 

  *

 

 

 

 一歩遅かったことを、これほど悔やんだのは妹を救えなかったあの時以来だ。

 

 十字岳人の中では既に、時巡優子は妹にも匹敵する存在であることは既に疑いようがなかった。

 

「ど、どうして……」

 

 だから、彼女が自らの父親を殺す場面など見たくなかった。あと一歩、あと一声。それだけで防げた筈だったのに。

 

「岳人」

 

 時巡は僅かに眉をひそめた。悪戯を咎められた、その程度の反応。

 

「どうしてこんな所に居るのかな?」

 

 時巡はこの状況の弁解もなく、質問を投げかけてきた。その間にも然して動揺した様子もなくハンカチで血を拭っていた。

 

 どうしてこの場に居るのかと言えば、時巡を探していたからに他ならない。

 組織から追いやられた俺にはもう何の手がかりもなかった。行方不明の時巡がどこに居るのかなど皆目見当もつかない。

 

 そんな時、竜輝と共に居たアリスにこう助言されたのだ。

 

「彼女が行きそうな場所に行ってみると良いかもね」

 

 だからまずは学校の隅々まで探した。次は彼女が良く行っていたという商店街、デパート。何かないかと注意深く観察した。

 何の成果も得られず、次は彼女が過去行っていた場所に赴くことにした。

 

 それがこの公園だ。

 時巡優子が母と妹を失った忌むべき場所。

 

 果たしてそこに、時巡優子は居た。父親へ拳を振り下ろした姿で。

 

「どうして、そんな事を……」

 

 だがそんな状況説明をしている余裕はなかった。

 なぜ、このような事になってしまったのか。

 

「どうしてって」

 

 時巡は鼻で笑った。

 

「どうしてだと思う? 岳人は私の何を知っているのかな」

 

 父親を殺すに足る背景など知らない。

 俺が知っているのは、父親が時巡を恐れ、全てを投げ出し逃げたことだけだ。

 だがそれが殺す理由になるのだろうか。

 

 押し黙るしかなかった。続けて時巡は言った。

 

「これ何だと思う?」

 

 そう言って掲げたのは、砂時計だ。だが妙に砂が少ない気がする。

 これ以上黙っているのは不味い。俺は正直に「砂時計」と答えた。

 

「外れ! あははははは。知るわけないよねえ!」

 

 何がそんなにもおかしいのか。時巡は腹を抱えて笑っていた。

 

「じゃあさ。私が『コレクター』だってことも知ってるかな?」

 

 そして時巡はおよそ信じがたい、だが多くの人が信じている言葉を口にした。

 

 数日前、小鳥遊が何気なく言った言葉が脳内に再生される。

 

「優子が『コレクター』? あるかないかで言えばあるかもね」

 

 時巡の親友である小鳥遊ですら否定しなかった。

 

 時巡が続けて言った。現実に無理やり引き戻される。

 

「私がこいつだけじゃない。他にも沢山! 母親も殺してることも!」

 

 

 

 ――ああ、それだけは、聞きたくなかった。

 時巡が『コレクター』であること以上に。それだけは事実であって欲しくなかった。

 

 意識が遠くなる。足元が覚束なくなる。

 

 それを、強引に意思の力で押さえつけた。

 

「その理由、話してくれるか? きっと」

 

 俺にも何か出来ることがある筈だという言葉を、時巡が遮り否定した。

 

「ないよ。岳人に出来ることなんて何もない。でもそうだね」

 

 幾分冷静になったのか。時巡は笑みを浮かべ、如何にも悪役然として言った。

 

「秘密を知ったからには、死んでもらうしかないかな」

 

 肌を刺すようなこの感覚は、殺気と呼ばれるものだ。

 時巡の本気が否応にも伝わってくる。

 

「……させない」

 

 これ以上、彼女に罪を重ねさせてなるものか。

 

「時巡に何があって、こんなことをしているかなんて知らない。それでも、やり直せる筈だ、償える筈だ。俺も一緒に背負うから」

 

 だからこの戦いには負けられない。

 

 時巡は穏やかに笑った。

 

「そういうところ、好きだったよ。本当に」

 

 彼女の言葉に、俺は万感の想いを込めて返す。

 

「俺は、時巡にどんな過去があったとしても、好きだ」

 

 ――いや、好きという言葉はきっと相応しくない。

 

「愛してる。当然、本当だ。」

 

 時巡の殺気が僅かに緩んだ。しかしすぐに持ち直す。

 

「だったらどうした。私は『コレクター』。真実を探求する者! そのためなら全てを切り捨てる!」

「……十字岳人。異名なんてないが、時巡を止めるため、守るために戦うと誓う」

 

 

 

 その戦いは、ただ衝動のままに。



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第26話「もしも」

 時巡の能力は、生物を成長させる能力だ。成長は成熟を指すものではなく、死まで含めてが成長なのだろう。少なくとも時巡の能力はそうなっている。

 能力発動の条件は接触。この手の能力としてはオーソドックスな条件だろう。触れるだけで相手を死に至らしめると聞くと恐ろしいが、実際は特異ではあるが戦闘向きな能力ではない。

 

 恐ろしいのは時巡のエネルギー量、そして操作精度だ。

 

 相手に直接能力を作用させるのは、かなりの抵抗を伴う。こちらのエネルギーとぶつかり合うからだ。

 にも拘らず即死に匹敵する能力に昇華されたのは、時巡の能力を通すエネルギー量と緻密な操作精度故である。

 

 恐らく、俺にも通る。過去の『コレクター』の被害者には、俺以上の能力者が存在した。

 

 そしてもう1つ、時巡は分身に近いステージ2を発現していると考えるべきだろう。

 

 ステージ2は既存の能力から大きく外れるものではない。俺のステージ2が重力に関係する斥力と引力の操作であるようにだ。

 だから時巡の分身も、成長を発展させた能力。クローンのような、自分の欠片を急成長させる能力ではないだろうか。

 

 警戒は必要だ。()()()()()()()()()()、これにも接触が必要。相手を観察していれば何時分身させたかわかる筈。

 

 勝てる。いや、勝たなければならない。ここで負ければ時巡を救うことなどできないのだから。

 

 そして十字岳人は能力を発動した。

 

 

 

  *

 

 

 

 十字岳人の能力は重量操作からステージ2を経て斥力と引力の操作へと発展している。

 エネルギー差を考えれば私の能力は通り岳人は通らない。しかし岳人は空間そのものに能力を掛けることでエネルギー差での能力軽減を無視できる。

 身動きが取れなければ流石に私の負けだ。だから不可視の範囲攻撃を躱し何とか接触する必要がある。

 

 中々きつい相手だ。無法な分身能力さえなければ。

 

「な、に?」

 

 私の分身能力の生成射程は60mだ。リスクなく一瞬で接近できる。

 そして前途の通り、触れば私の勝ちである。

 

 念のため二体分身を作成したが、それも不要だった。私の二つ目の能力の子細が割れていない時点で、岳人に勝ち目なんてなかったのである。

 

「何ぼんやりしてんの。感傷にでも浸ってる?」

 

 控え用に作っていた分身の一体が私に話しかけてきた。

 

「別に感傷なんてないわ」

 

 わざわざ言う必要もなかったが、答えてやると分身が鼻で笑った。こいつ妙に私をイラつかせてくるな。

 

「言いたいことあるなら言えば?」

「じゃあ言うけどさ、遊んでないでやることやりなよ。この戦闘だって無駄だったでしょ」

 

 無駄?

 

「……無駄じゃないでしょ」

「無駄だよ、馬鹿か」

 

 無駄な筈がない。岳人が――岳人と戦ったことは。こいつ私の分身の癖にそんなことも

 

「無駄じゃない!」

「うるさい。唾飛ばすのも止めてくれる? とっととこの場から」

 

 心が乱れる。衝動が抑えきれない。

 

「消えろ、消えろぉ!」

 

 しょうもない反論など聞きたくない。有無を言わさず分身を消滅させる。静かになった。だからこれで解決。これで良い。このやり方が正しい!

 

 私は自らのやり方を肯定するように呟き続ける。

 

「私は正しい。私は正しい。私は正しい」

 

 いつの間にか乱れていた呼吸を整える。動機を抑えるように、拳を胸に押し付ける。

 

「私は正しい。私は正しい。私は正しい」

 

 気がつけば膝をついていた。

 いったいどれほどの時間そうしていただろうか。喉がやけに乾いていた。

 咳き込むように、私はしかし繰り返す。

 

「私は、正しい……」

 

 私は正しい。私の行動に間違いはない。だからその結果も受け入れるべきだ。

 

「私は」

 

 目の前の躯に視線を投げる。目の奥がじくりと痛む。だが、逸らしてはいけない。

 

「正しい。私は、正しい」

 

 そうだ。私は正しい。だから証明しろ。

 ()()()()()()()()のが正しいのだと。

 

「私は正しい」

 

 ふらりと立ち上がる。膝が震える。ちょっとでも気を抜けば崩れ落ちてしまいそうだ。

 

 そして、足を大きく持ち上げた。

 

「わた、私は」

 

 走馬灯?

 何故か今までの思い出が、脳裏を走り去っていった。

 その多くは高校生になってから、岳人との思い出だった。

 

 ああ、あの頃は楽しかっ――

 

「私は、正しい!」

 

 ぐちゃりと、膝まで血に染まった。

 血しぶきが頬に当たり、それが何らかの引き金を引いたのだろう。私の中の何かが確かに切り替わった。

 

 成長のステージ2。その超能力と共に、私の中の認識が確かに切り替わった()()

 

「……命も、それ以外の全ても、この世界のあらゆるモノは平等だ。私の能力が、それを証明する」

 

 私の能力のステージ2。それは命あるものにしか作用しないという制約を、取り払うこと。万物は流転する。不可避の変化を急速に促進させる。

 

 痛いほど握りしめていた拳を開く。気がついていたら握りしめていた砂時計を見つめる。

 

 その砂時計のような物の力は、絶滅にも等しい人類の命を糧にし、願いを叶えるという。

 

 ただのオカルト。与太話だ。でももし条件を満たすのが、これから『コレクター』の態勢を整えるよりも速いならどうだろう。やってみる価値はあるのではないか。

 

 私の成長の能力は無機物にも適用できるようになった。それでも加速できる時間には限界がある。しかし分身全てが同じ対象に能力を発動したら?

 

 出来るのではないか? 人類を滅ぼす行為が。

 

「私は、そう誓ったんだっけ……?」

 

 疑問符を飲み込み口角を上げ、また崩れていた足をもう一度立たせた。

 

 

 

  *

 

 

 

 1999年12月25日AM1:30。『コレクター』率いるテロリスト集団が最明蓮華により制圧された。国会襲撃は事前に防がれたが、集団は最明蓮華が到着した際には既に統率が失われており、『コレクター』と思われる存在は確認できなかった。何らかのトラブルがあったことは確かだが、『コレクター』は逃亡したと考えられ、最明蓮華をトップとする捜査本部が設立された時、それは起きた。

 まず棚が揺れた。次いで大きな揺れ。地震は治まらず、次第に大きくなっていった。それが全世界規模で起こっており、尋常の地震ではないことが判明したのは朝方になってからだ。

 地球規模での地震の原因。それは急速な地殻変動によるものだった。地球の活動が急速に加速していたのだ。いや、元凶の存在から考えれば、成長と呼ぶべきか。

 人間の社会はそのような変革に耐えられるようできてはいなかった。人間自身も、耐えられる者は非常に少なかった。ある者は崩れた建築物に押しつぶされた。津波に飲み込まれた。溶岩に焼かれる者さえいた。しかしそれらに耐えうる超人も確かに存在した。だが超人との境界線上に居る者、辛うじて超人の庇護下に在った者たちは時間経過と共に徐々にその命を落としていった。

 そして七日間続いたそれは、突如として止まった。誰もがその災害が止まった事を認識できなかった。ようやく認識できたのは、その日も終わり、朝日が見え始めた頃だった。

 

 2000年1月1日。生き残った人類は、終末が訪れた様を目の当たりにした。




次回最終話になります。


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第27話 時巡優子について

 プツリと、見えない糸が切れた。

 自分の中から分身の核となる力が消えたのを、時巡優子の分身であった少女が自覚した。

 

 砂時計の砂が溜まりきったのだ。時巡優子は如何なる理由でか、この世界から旅立った。

 腰から力が抜ける。初めに感じたのは、()()だった。

 

(……何で?)

 

 この結果は想定したものではない。だから安堵ではなく焦燥が正しい反応だったのだが、何故だろうか。

 

(……うん)

 

 状況に反して、心は異様なほど穏やかだった。時巡優子の内心について考察する。

 

(……大変だったもんなあ)

 

 散々人に迷惑を掛けておいてあれだが、もうとっくに嫌になっていたのだ。生来の負けず嫌いと罪の意識が私の足を進めさせていただけだ。

 でももう私には関係ないし?

 本体がこれからも苦しみ続けようと、私に出来ることはない。

 

(……今までの分身って)

 

 そう思うと、今まで作っていた分身が妙に過酷な環境でも働いていたのが理解できた。自分には72時間という制約があったから(それもステージ2が発現するまでだけど)、協力していたのだ。

 身勝手な奴らだ。何て最低な奴らなんだろうか。親の顔が見てみたい。

 

「ふ、ふふふふふ」

 

 しょうもない冗談だ。

 

「こんにちは、お姉さん」

「ああ、アリス。こんにちは」

 

 音もなく、隠れ家だった筈の場所へアリスが現れた。どうやってって感じだけど、今の私なら穏やかに挨拶を返す余裕がある。

 

(……いや流石にそれはないわ)

 

 冷や水をぶっかけられたように、茹っておかしくなっていた頭が締まった。おかしいだろ。何でこの場所に現れた? どうやって? 何故?

 

「答えが欲しい?」

 

 アリスが内心を透かしたように問いかけた。答えは欲しいが、できれば自分で出したい。

 

(アリスという少女は何者か)

 

 今更の問いだが、今だからこそ分かることもあるだろう。

 

 まずこの隠れ家だが、私以外に知る人間は居ない。だから私の部下から情報が漏れた線はない。

 ならば超能力か。アリスの能力では出来ずとも、この広い世界のどこかに私を探知できる能力者が居るかもしれない。その超能力者がアリスと出会い、何故かアリス1人が接触してきた?

 

(ないな、それはない)

 

 アリスが1人で来る理由がない。それも全てが終わった後に。来るにしても私を捕らえるため有無を言わさず大勢で来るはずだ。

 

 だからこれはアリス1人の功績だ。アリスの能力では考えられない。しかしてアリスの超能力である筈だ。能力は1人につき1つという常識がその考察に矛盾を発生させる。だがその常識を。能力が1人につき1つしかないという前提を崩した例外を1人知っている。

 

「能力を消失させる以外の能力を、お前は持っている。読心、じゃない。予知能力かな」

 

 私と同じ2つの能力を持つのではないか。それが私の答えだ。

 

「半分、ううん。8割くらいは正解かな」

 

 私は舌打ちした。8割なら及第点だ。諦めて答えを待つ。

 

「私の2つめの能力は"全知"。過去現在未来。この世界の全てを知る事が出来る」

「…………は?」

 

 それは、何というか。ズル過ぎない?

 

「それでもこの場面に辿りついちゃう。全知であって全能ではないから、お姉さんの願いには負けてしまうみたい。時期は今がベストだったけど、選べたのはそれだけ」

 

 内心を透かしたように。いや実際に知っているのだろうな。悩まし気に言った。彼女しか知る由もないが、限界はあるようだ。

 

 しかし全知か。

 

「私は知らないよ。この世界の外のことは分からない」

 

 もしかして(あい)のことも知っているのだろうかと、考えるより先に答えが返ってきた。

 ホッとした。もし知っていたなら、今までの私は何だったんだという話だ。それを悟られたくはなかったが、無駄な抵抗か。

 

「私では解決できない。この世界では解決できない。だから砂時計で別の世界に旅立ったんだよ」

「慰め――だよねえ。うん、素直にお礼を言ってあげる」

 

 心に残っていたしこりが解消された気分だ。私は穏やかに最期を迎えることが出来るだろう。

 

 ただ、本体は。

 

 本体は知らない。

 

 どこかの世界で最後まで足掻き続けるのだろう。苦しみながら。その苦しさを否定しながら。どこまでも悪意を振りまき続けて。

 それは不幸な生き方だが、今更変えることもできないだろう。

 

 だから願わくば、とっとと正義の味方に滅ぼされますように。

 

「ひどいね」

「ひどいよ。それが悪役の最後に相応しいからね」

「そっちじゃないけど」

 

 勿論、彼女が言いたいことは分かる。でもひどいのは当然だ。悪役とは身勝手なのである。

 

 だが何にせよ、これが物語の終幕だ。黒幕気取りの悪役の勝利だ。それは何とも味気ない終わりになってしまうものだが、そういうものだと納得してほしい。

 

 

 

 完

 

 

 

  *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

最終話「幾千の時空を巡り」

 

 歯車とモニターがあった。

 歯車の動力はモニターへ続き、モニターに映し出されるのは1人の人生。1つのモニターに対し歯車は数えきれない程あり、そのモニターもまた、限界のない空間を埋め尽くさんばかりに点在していた。

 

 ここには生きとし生けるもの全ての生の記録があり、しかし生者はただの1人だけだった。

 

 たった1人の生者は、血に濡れた手をそのままに1つのモニターの前に座り込んだ。

 

 モニターに映し出されているのは、時巡愛の生涯。

 姉を医療事故で亡くしたものの、周りの支えにより立ち直り看護師となった女だ。

 

「医者にはなれなかったかあ」

 

 映し出された光景に、生者――時巡優子は、くすりと笑った。

 

 時巡愛は職場で知り合った男性と交際を開始し、2年後に結婚。そのまた半年後に第一子をもうけた。その二年後には第二子、三年後には三人目まで産んでしまった。

 それからは流石に自重したようで、働きつつも育児に苦労させられていた。彼女の母親も大いに育児に貢献したようだった。

 そして月日は流れ、89歳。病床で家族に看取られ息を引き取った。

 

 時巡優子は立ち上がり、別のモニターに目を向けた。

 ノイズが走り、歯車の動きもぎこちない。モニターの主(時巡優子)の人生がどれほど歪だったか示しているようだった。

 

 原因となる歯車を注意深く探っていく。

 このモニターの歯車は他よりもかなり多く、原因の発見には幾分か時間が掛かってしまった。

 原因の歯車()は、どうにもあるべき位置からズレているようだった。手を伸ばし、元の位置へ戻そうと手を掛ける。しかし掛けた手に力を込める前に、引き戻してしまった。歯車はズレたまま、モニターにもノイズが走ったままだった。異音が耳を打つ。

 

 だがそれでも構わないと、時巡優子は1人笑みを浮かべた。

 

 

 

  *




以上で完結となります。ご愛読ありがとうございました。
次からは本編で拾わなかった設定を垂れ流そうと思います。
次回作含め、ご要望等あれば気軽に書き込みください。もちろん感想も。


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