青薔薇の恋(From:BanG_Dream!) (渋川ジュン)
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序章『出会いと結成』
美人の落とし物


 最近はどうも『大ガールズバンド時代』という言葉が流行っているらしく、現に実の妹であるつぐみもAfterglowというバンドをやっている。メンバーの全員が現役の女子高生であるにもかかわらず、チケット売り切れ続出の超人気グループだ。

 

 対して俺――羽沢桐也(はざわとうや)はどうなのかと言うと、別に表立って何かやっていることはない、いわば「大いなる普通」だ(本来つぐみの蔑称であるのだが、俺は決してそうは思わない。真にこの称号を与えられるべきは俺である)。

 

 俺のことは、まぁ、人生において決してスポットライトを浴びることのない、平凡な大学生だと思ってもらえればいい。

 

「ついに来てしまった……」

 

 自虐はこれくらいにしておこう。俺は現在、人気RPGゲーム『NFO』の屋外イベントに足を運んでいる。ドーム施設の内外に多く物販が並んでおり、辺りは人で溢れ返っている。この感動を分かち合える友人がいればよかったのだが……一人も悪くない。同じ好きなものを持っている人同士で集まっている空間だから、俺は孤独ではない。そう、思い込むことにする。

 

「さて、まずは限定グッズだな」

 

 胸が高鳴る。目に映る人間すべてが味方に見える。これほどに生を実感できる場所も、世の中にそう多くはないだろう。

 

「ん……?」

 

 しかし何やら嫌な予感がして、俺は顔を上げた。遠くから、物凄いスピードでこちらに走ってくる人がいたのだ。

 

「――!」

 

 俺も避けようと懸命に体を動かしはしたが──不幸にもそれはかなわず、左肩に強い衝撃が走った。

 

「痛って……」

 

「すみません。大丈夫ですか?」

 

 地面に放り出され、顔をゆがめる。俺は何とか顔を上げると、一人の女性が立っていることに気が付く。

 

 女性は肩で息をしながら、申し訳なさそうに眉間を寄せている。水色の髪は風にたなびいて、上品な雰囲気を醸し出していた。

 

「大丈夫ですけど……どうかしました?」

 

 俺は気丈に振る舞いながらそんなことを訊く。目の前の女性はとてつもない美女だったが、顔はやや強張っていて、何やら焦っているようだ。

 

「いえ。大丈夫ならそれでいいのですが……不注意でぶつかってしまい、申し訳ありませんでした。私はこれで失礼します」

 

 彼女はそう言って立ち去ろうとした。明らかな焦燥感がこちらにも伝わってくるようだった。トイレにでも行きたかったのだろうか――俺はそう思っていると、立ち去ろうとする彼女の視線が下に向けられていることに気が付いた。どうやら、足元を注視しながら何かを探している様子だ。

 

「落とし物ですか?」

 

 俺はそう訊く。彼女は慌ただしく振り向くと、頷いた。

 

「はい。バンドスコ……ファイルをどこかに落としてしまって」

 

 やはり、落とし物をして困っている様子だった。こんな美女が二次元カルチャーに染まっているとは到底思えないので、恐らくたまたまこの辺を通りがかったところで失くしてしまったのだろう。

 

「あの、俺で良ければ手伝いますよ」

 

 俺はそう申し出た。なぜかは自分でもわからない。

 

 しかし、彼女は首を横に振った。

 

「お気持ちは嬉しいのですが……今日は年に一度の祭典ですので。貴方の貴重なお時間を奪うことは出来ません」

 

 だが、俺は引き下がらない。一度決めたことは、簡単にあきらめたくない。

 

「いやいや。困ってる人を見逃す訳には行きません」

 

 一緒に探しましょう、と言って俺は歩き始めた。

 

「いえ、本当に結構ですので……」

 

「どれだけ断っても、俺は勝手に探しますよ。暇なので」

 

 俺が強引にそう言い放つと、彼女は堪忍したように頷いた。

 

「話を聞かない人ですね。全く……」

 

 すると、女性はわずかに口元を緩めた。正直、鉄の仮面というか、顔の怖い人ではあったが――その表情は素敵だった。

 

「では、一緒に探しましょう」

 

「も、もちろんです!」

 

 動揺したからか間抜けな返事になったが、かくして、俺は女性と二人でバンドスコア探しをスタートさせることとなった。しかし……この人ごみの中で探し物をするなど、そううまくいくはずもなく。

 

「見つかりました?」

 

「いえ。こっちは全く……」

 

 やはり人が多すぎて探し物どころではなく、はぐれないようにするのが精いっぱいであった。また運営の本部にも該当する落とし物は届いていないようで、彼女が立ち入ったというドーム施設の通路から、会場周辺の歩道まで。手当たり次第に探したがなかなか見つからなかった。

 

「今日は暑いっすね」

 

「……そうですね」

 

 しかも、季節はまだ春の真っ只中だというのに気温が高く、陽射しも熱い。厳しい暑さにだんだんと思考力も奪われていく……。

 

 そのうち空が茜色に染まり、だんだんと日が落ちてきた。見当のつく場所はもう既に回り尽くしている。……俺が余計なことを言いだしたからだ。

 

 部外者が介入していいことではなかったのだ。足を、引っ張ってしまった……。

 

 そう、自分を責め始めた時だった。

 

「あれ、もしかして──」

 

 もう一度イベントの入口付近に戻ると、門のそばに立っている警備員が何やらファイルのようなものを片手に持っていた。

 

「すみません。その書類、ちょっと見せてくれませんか」

 

「ん、これかい?」

 

「はい。まぁ、持ち主は俺じゃないんですが……」

 

 彼女のほうに振り返ると、俺は手招きをした。

 

「それっぽいものが見つかりましたよ!」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

 彼女は小走りでこちらにやって来ると、おじさんが持っていたファイルを見て頷いた。中には楽譜が閉じてあるらしく、表紙には[氷川紗夜]と記されていた。

 

「確かに、それは私のです──」

 

「どうぞ」

 

 おじさんから手渡しされ、彼女はホッと胸を撫で下ろす。

 

 そんな彼女を見て、俺は小さく息をついた。

 

「今日は本当にありがとうございました。何度お礼を言っても足りません」

 

「いえいえ。見つかってよかったですよ」

 

 彼女は何度も頭を下げていた。礼儀正しい女性だ、と俺は感心する。

 

 ――それにしても必死で探していたな。それだけ、大切な書類(バンドスコア)だったわけか。

 

「それと、すみません。手伝ってくださっているうちにイベントの方も終わってしまって……」

 

 女性は申し訳なさそうにそう言った。腕時計を見ると、時刻は夕方の六時を回り、あんなに混んでいたイベント会場も人がまばらになっていた。

 

「別に大丈夫ですよ。それ、大事なものだったんですよね?」

 

 俺は彼女の手にあるファイルを指さす。女性はそれを見つめると、やがて頷いた。

 

「はい。……大切なものです」

 

「そうですか」

 

 彼女の口元が緩む。それを見て、自然と笑みがこぼれた。

 

「そりゃあ良かった」

 

 それじゃ、と言って俺はその場を立ち去ろうとした。

 

「ま、待ってください!」

 

 その声がしたと同時に、後ろからパーカーの袖が引っ張られる。

 

「ど、どうしました?」

 

「良ければ、名前を教えて欲しいのですが」

 

 彼女は目に涙を浮かべながらそう言った。その姿が、不覚にも宝石のように思えた。芽生えたことのない感情である。どうにも、恥ずかしい。逃げ出してしまいたくなる。

 

「えっと、その──すみません!」

 

 俺はそう言うと、逃げるようにその場から立ち去った。こんな美人と長時間行動を共にすることは今まで無かったから、おそらく脳のキャパを超えてしまったのだろう。しかし、俺が臆病者だという指摘に関しては、ぐうの音も出ないと言わざるを得ないのが事実である。

 

 *

 

「あ、お兄ちゃん!」

 

 翌日。比較的俺が住んでいるアパートの近くにある実家に顔を出すと、エプロン姿の妹が出迎えてくれた。羽沢つぐみ、うちの店の看板娘だ。

 

 血は一応繋がっている。俺の実母とつぐみの母さんが姉妹であるからだ。いわゆるいとこというやつである。数年前、両親が他界したのを機に、俺は羽沢家に養子として迎えられることになったのだ。

 

「なんだか元気無いね。どうしたの?」

 

「あ、いや。なんでもない」

 

 そうは言うものの、脳裏にイベント会場で出会った女性の面影がへばりついていた。笑顔こそなかったものの、どこか大人びた表情と水色の髪をかき上げる仕草は印象的だった。そうした儚くもありいとおしくもある姿が、心に引っ付いて取れない。

 

「……つぐみ」

 

「うん?」

 

「俺さ。昨日、とあるゲームのイベントに行ってきたんだ」

 

 何故だか俺は、昨日の出来事を語り始めた。こうして妹に自分の話をするのも変な気分であるが、この思い出を思い出として消費するには、誰かに話さないではいられなかったのである。

 

「そっか。えぬえふおー……だっけ?」

 

「そ、そうだ! よく覚えてたな」

 

 俺は驚いた。しかし今更な話でもある。つぐみはそもそも性格が良いのに加えて、非常に優秀であるからだ。

 

 人の話をよく聞けるし、頑張り屋さんでガッツがあって、リーダーシップもある――自分と比べてがっかりするくらいには、つぐみは遠くに燦然と輝いて見えるのだ。こいつと釣り合う男など世の中に存在しないだろう。

 

「結局、目当ての商品は買えなかったんだがな。でも、そんなことがどうでも良くなるくらいの出会いがあったんだ」

 

「へぇー、どうしたの?」

 

 話しながら時計に目をやると、時刻は午前10時。既に開店の時間を迎えていたが、こうなると俺はもう止まらない。すまんな、つぐみ。

 

「会場で、とんでもなく礼儀正しい美人さんに会ってな。水色の髪で、めっちゃ大人びてるんだけどどこか同世代な感じがしてさ。どうやらバンドスコアを落としたみたいで、一緒に探すことになったんだけど」

 

「うんうん」

 

「その日のうちに見つかった。大事なものだったみたいだから、本当に良かったよ」

 

 こうして話してみると、実に小世界の出来事のようにも思える。しかし間違いではない。少し遠くから物事を見つめてみれば、だいたい些細に思えるものである。

 

「よかったね。でも、お兄ちゃんが女の子とそういう風になるなんて、なんか意外かも」

 

「女の子だから助けたわけじゃないが、ま、そうだな。もう会うことは無いだろうけど、だからこそいい思い出になっ──」

 

 ちりんちりん。店のドアが開いた。思わず俺は途中で口をつぐんだ(つぐみだけに)のだが――

 

「おはようございます。今日は相談があって――」

 

 お客さんが入り口付近に立っていた。俺は近づいて席に案内しようとしたが、その客の顔を一目見るなり、足を止めた。

 

「───え?」

 

 目の前に立っていたのは、昨日出会った水髪の女性だった。



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氷、珈琲。窓辺にて

 午前十時の喫茶店。俺は、例のバンドスコアを落とした美人と出くわしていた。

 

「えっ────は?」

 

 何とかごまかしていきたいところだったが、人間、本当に焦ると言葉が出てこないものである。実際に理解不能なシチュエーションと、二日連続でのハプニングに俺の思考回路は完全に崩壊していた。

 

 

「…………」

 

 店内に気まずい雰囲気が流れる。彼女は怪訝そうな目で俺を見つめていたが、やがて思い出したように、口元を隠した。

 

「貴方は昨日会った──」

 

「つぐみ。あとは頼んだッ!」

 

「えっ!?」

 

 俺はアイスコーヒーを爆速で淹れて二人に届けると、リビングの方へと走り去っていった。

 

 クソ、臆病者だとかキモオタだとか、そういった罵倒も今だけは受け入れてやる! 昨日のことは何とか思い出話に終わることができるはずだったのに、どうして彼女がここにいるんだ。まったく、人生とは思い通りにいかないものだ!

 

 *

 

 パニックになったお兄ちゃんが走り去った後。私、羽沢つぐみと紗夜さんはテーブル席で向かい合っていた。いつもと違う不穏な空気が流れている。紗夜さんが眉をひそめているのを見て、私はあわてて目をそらした。

 

「ええと、つぐみさんと彼はお付き合いを……?」

 

「ち、違いますよ!」

 

 何を言い出すのかと思えば。何やら紗夜さんは大きな勘違いをしているらしい。

 

「あれは、私のお兄ちゃんです」

 

「そうですか。……それにしては随分親しげにしていましたね」

 

「き、気のせいだと思います!」

 

 本当に気のせいです。

 

 それならいいんですが、と言って紗夜さんはコーヒーに口をつける。なんとか疑念を晴らすことができたようで、私は少し安堵した。

 

「驚きました。まさか、あの方がつぐみさんのお兄さんだなんて……」

 

「あはは……たしかに、あんまり似てないかもしれないですね」

 

「いいえ。そんなことはありませんよ。今にして思えば、髪の色や雰囲気は似ている気がします」

 

 紗夜さんはそう言った。真顔でジロジロ見られて、少し恥ずかしい。私は話を逸らすことにした。

 

「……そうそう、お兄ちゃんはさっきまで、『イベントで美人さんに会ってな。バンドスコア探しのお手伝いをしたんだけど、いやあ、実にいい出会いをしたよ!』みたいなことを話していたんですよ!」

 

「え、それって……」

 

「はい、紗夜さんのことです!」

 

「……! そ、そうですか」

 

 紗夜さんはフッと笑うと、小さな声でこう呟いた。

 

「素敵な方ですね」

 

 思わず私は呆気に取られた。

 

 彼女に自覚は無いのかもしれない。しかしその声色、表情は普段のものとは明らかに違った。絶対にないとは思うけど。そりゃあ、一日の出会いで恋に落ちるなんて、絶対にないとは思うけど。

 

 それでも、その可能性に期待しないではいられなかった。

 

「もしかして、紗夜さんって――」

 

「待ってください。さっき、バンドスコアと言いましたか?」

 

「はい。そうですけど……」

 

 やがていつものキリッとした姿に戻ると、紗夜さんはため息をついた。

 

「どうしてわかったのかしら……」

 

「あはは……」

 

 パッと見ただけでは楽譜としか思わないはずなのに、と紗夜さんは不思議がった。

 

「そういえば、彼は何か音楽活動をしているのかしら?」

 

「特には……あ、でもドラムは叩いているみたいですよ」

 

 あまり話してくれないからよく分からないんですけどね、と私は付け加えた。

 

「なるほど……」

 

 紗夜さんはしばらく顎に指を添えたまま長考していたが、やがて自分のこめかみをぐっと押した。

 

「野暮というものですね。金輪際、彼のプライベートに関心を向けないことにします」

 

 と言いつつも視線はお兄ちゃんが消えたリビングの方へと向けられている。身体は正直だなぁ……

 

「あ、そうだ。今度の休日にクッキーを焼くんですけど、よかったら紗夜さんも来ませんか?」

 

 気まずい雰囲気を跳ねのけようと、私は話題転換を試みる。

 

「……良いんですか? 実は近々、大学の友人に差し入れようと思っていて」

 

「なら、ちょうどいいですね。一緒に頑張りましょう!」

 

 ええ、と彼女は頷く。やはり紗夜さんはカッコいい。その凛とした姿を見て思う。

 

 真面目で一生懸命で、そして、誰よりも努力家で──。

 

「ところで、つぐみさん」

 

「はい?」

 

 話が落ち着いたあと、紗夜さんが深刻そうな面持ちで口を開いた。

 

「……好きな男性の理想(タイプ)は何ですか?」

 

 !? 

 

 突然、何!?

 

「ご、ごめんなさい! 私、そういうのあんまり分からなくて……!」

 

「そうですか。失礼しました」

 

 び、びっくりした……! 急に何を言い出すのかと思ったら! 

 

「そうだ。紗夜さんは、どんな人がタイプですか?」

 

「わ、私?」

 

「はい。人に訊いたんですから、自分も言わないと!」

 

 我ながらナイスな質問! 紗夜さんは照れたように俯いている。やはり人に何か尋ねる時は、まず自分の立場を表明してからじゃないとね!

 

「ええと、私は――」

 

 やがて、紗夜さんは震えるような声で呟いた。

 

「常識があって、清潔で、それから──」

 

 ごくり。私は固唾を呑んで、その言葉の続きに耳を傾ける。

 

「やっぱり、恥ずかしいのですが……」

 

「最後までちゃんと言ってください!」

 

 照れ隠しか紗夜さんはお茶を濁した。今もなお、本当にこの問いに答えるべきか葛藤しているみたいだ……。

 

 ――さて。この辺で少し考察をしたいと思う。

 

 まず、ここで一番重要なのは、紗夜さんの好きな男性のタイプがお兄ちゃんに当てはまっているかどうかだ。

 

 たとえば先ほど彼女が挙げていた『常識があって──』という点。お兄ちゃんは特に変なこともしないし、(多分)常識人だ。

 

 そして『清潔で──』についても当てはまっていると言えるだろう。茶髪でちょっと背が高くて……潔癖とまでは行かないが、見た目には人並みに気を使っているはずだ。

 

 ……結論を出すには時期尚早かもしれないけれど、暫定意見としてはお兄ちゃんが紗夜さんの理想の人かどうかはかなり黒に近いと言える、ということだ。本来喜ばしいことなのだろうが、なんとなく心にモヤモヤとするものがあった。

 

「ではわかりました。私の好きな男性の理想(タイプ)は──」

 

 やがて堪忍したのか、紗夜さんはゆっくりと口を開いた。

 

 不意打ちのようにそう言われたものだから、私は慌てふためいた。

 

 ――ま、待ってください!

 

 そう言おうと思ったが言い出せなかった。まだ心の準備ができていない。しかし簡単にできるものでもないのだろう。だから、どんな答えでも受け入れたいところだけど――。

 

「理想《タイプ》は、つぐみさんのように、親切な人────です」

 

 憧れの先輩は頬を赤らめてそう呟いた。

 

 ――そっか。そういうことか。

 

 普段は冷静な紗夜さんがここまで取り乱しているのだ。おそらくは()()()()()()だろう――恋バナに詳しくない私にも、それぐらいはわかる。

 

「恋って、いいですね!」

 

「だからそんなんじゃ……」

 

 彼女はブンブンと首を横に振った。なんだか可愛くて、笑みがこぼれた。

 

 よく、恋愛は人を変えると言う。紗夜さんに何か変わることがあるとすれば……いや、これ以上は考えても仕方がない。それこそ野暮というものだろう。

 

 とにかく、私に出来るのは応援することだけだ。恋愛に無頓着なお兄ちゃんと、憧れの先輩がどのように仲良くなっていくのか──少しでも近くから、見守っていたい。



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Roselia、活動休止……?

 東京の女子大生、今井リサは都内のスタジオでライブの練習をしていた。いかにもギャルというような茶髪と化粧に、赤く派手なベースがよく映える。

 

『ベースやってたんだけど、ブランクあるから初心者に近いんだ〜☆』……などという常套句はもう通用しない。20歳になったRoseliaのベーシストは、プロと比べても何ら遜色のない技術と自信を身に着けていた。

 

「……今井さん。ちょっといいかしら」

 

 リサはふと演奏を止める。同じバンド仲間である氷川紗夜に名前を呼ばれたからだ。

 

「どうしたの~?」

 

「宇田川さんのことなのですが」

 

「あこがどうかしたの?」

 

「あの子、最近はどうにもドラムに上手く音が乗らないようで」

 

 言われてみればたしかに、とリサは頷く。今年から高校三年生のあこには大学受験が控えており、その影響からか最近はどこか演奏に身が入らぬ様子であった。

 

「うーん……」

 

 リサが腕を組んで困っていると、入口のドアが開いた。

 

「こんにちは。……二人とも。深刻そうな顔をしてどうしたの?」

 

 友希那と燐子がスタジオに入ってきた。リサはちょうど良かった、と言ってから状況を説明する。

 

「あのね、あこのことなんだけど──」

 

 ☆

 

 翌日。リサはスマホをいじりながら、大学の正門を潜り抜けた。

 

 ちなみに、Roseliaはあこ以外のメンバー全員が同じ大学に進学している。リサだけキャンパスが違うので、残念ながら他のみんなには会えないというわけだ。

 

「あ、インスタの更新忘れてた……」

 

 また、現在はコンビニのバイトはしておらず、代わりにSNSの広告収入などで小遣いを稼いでいる。インフルエンサーのTOKO程では無いが、フォロワーは軽く10万を超えており、コアなファンもいるとのうわさだ。

 

「まぁ……それより」

 

 リサは携帯を閉じると、大きなため息をついた。正直、あこのことで頭がいっぱいだったからだ。彼女はこれからどうするのだろう。もし受験のために一時的に抜けるようなことがあれば、一体、Roseliaはどうなってしまうのか──

 

「……ん?」

 

 リサが難しい顔をしながら食堂を歩いていると、友人を見つけた。今日は珍しく一人で席に座ってご飯を食べているみたいだ。

 

 特に何も考えず、彼女は声をかける。

 

「やっほー、桐也♪」

 

「うおっ!? ……って、お前か」

 

 桐也は完全に一人モードに入っていたのか、驚きの声を上げた。しかし、声の主がリサとわかると、すぐに表情を緩める。

 

「そっと声をかけてくれよ。ビビるだろ」

 

「これでも小声で話しかけたつもりなんだけどね~。……そういえば、Afterglowが新曲出したんだってね! CDはもう買った?」

 

 リサはせわしなく話しかけながら、さり気なく桐也の前に座った。

 

 彼は小さく頷くと、スプーンでカレーをひとすくいする。

 

「とっくに買ったよ。妹がメンバーだからだとか、そういうの関係無しにアフグロは気に入ってるからな」

 

 不愛想にそう言うと、そのままカレーを口に運んだ。──その姿は、まったくもってつぐみには似ていない。

 

「『Damashii』だっけ。どうだった?」

 

「うむ。なんというか、筆舌に尽くしがたいというか――要はね」

 

 桐也は中途半端なところで言葉を切った。

 

 リサが不思議に思っていると、彼はゆっくりと顔を上げてから、答えた。

 

「めちゃくちゃ良かった……最高傑作だ!!」

 

 あまりにまっすぐな笑顔であった。リサは桐也の愛の強さに若干引きながらも、同時にアフグロが羨ましくなった。

 

「そっかー。やっぱりさ、昔からずっと仲良くて、大学生になっても好きなことやり続けてるのってなんか良いよね〜」

 

「あぁ。正直羨ましいな」

 

 桐也は小さく笑った。

 

「しかも全員、演奏がうまいんだよな。特に宇田川巴さんはすごい。あの手数を正確に捌ききるなんて、もうプロの域だ」

 

「うんうん。背も高いし様になってるよね〜」

 

 そうだな、と桐也は頷いた。やはり思うところがあったのだろうか。桐也はそのままコップの水を飲み干すと、恨めしそうにつぶやいた。

 

「……つぐみ達はいいよな。俺なんて、バイトと実家の手伝いだけで大学生活が終わりそうだってのに」

 

 いやいや、と茶髪ギャルは否定する。

 

「そんなことないでしょ~。まだ大学二年だし、R()o()s()e()l()i()a()()()()()()と、こうやって二人きりになれてるくらいには幸せだって!」

 

「Roseliaの今井リサ、ねぇ……」

 

 桐也は噛みしめるように呟いたが、そのまま苦笑いを浮かべた。

 

「悪いが、お前のバンドは苦手なんだ」

 

「!?」

 

 突然、彼はそう言い放つ。あの優しい桐也がそんなことを言うなんて──リサはショックを受けた。

 

「Twitterで変なファンに絡まれたからな」

 

「理由しょぼくない?」

 

 勘違いであった。しかし、冷静に考えてみれば、彼がそんなひどいことを素で言うはずもなかった。桐也はつぐみと血が繋がってるだけあって、非常に温厚である。若干表情の変化に乏しいところはあるが、テキパキ仕事が出来て、おまけに損得勘定を度外視して人助けもする、心優しい性格だ。

 

 それなのに、ちょっと奥手なところがあって……小心者というべきか、草食系というべきか。不思議な人なのだ──とリサは思う。

 

「……」

 

 しかし割と顔がいいのに、何かと自分に無頓着なところがある。今も現に全身に黒のスウェットを身にまとっており、休日のおじさんの恰好かと見間違うほどである。素直にGUで買った方がもう少しましなファッションができるだろう。

 

「ほら、カレールー付いてるよー?」

 

「え、どこだ!?」

 

「今取ってあげるから~」

 

 桐也は恥ずかしがって目をつむる。リサはあくまで親切心で、そのカレールーをふき取った。

 

 そう、思い込むことにしたのだ。

 

(そ、そうだ!)

 

 そして、リサはあることを思いつく。もし、あこが受験勉強でRoseliaとしての活動を休止する場合……桐也にその代わりを務めてもらえればよいのではないかと思ったのだ、

 

 しかし私情が絡んでいる以上、言いにくいことこの上ない。それに、バンドの未来に関わることを独断で決めていいものなのか……。

 

「そういえば、Roselia(ウチ)のドラマーが受験勉強であんまり来れなくなっちゃってさ~……」

 

 とりあえず、さり気なくバンド事情をほのめかしておく。もちろん、自分のやっていることが卑怯なのはわかっていた。しかし、今は彼をRoseliaに引き込もうとする自分を止められそうにもない。

 

「ホラ、接点って大事じゃん?」

 

「いや、まぁそうだけど……それがRoseliaの話となんの関係が?」

 

「ええと、諸事情でサポートのドラマーが欲しいんだけど~、なかなか見つからなくてさー、困ってるんだよね~……」

 

 桐也はドラムが上手い。そして、ある程度ガールズバンドに理解がある。こんな人材を放っておくわけにはいかない。

 

 あこの活動休止は寂しいけれど、桐也とバンドをすることで、Roseliaも得られるものが必ずあるはずだ。問題は、彼が首を縦に振ってくれるかどうかなのだが……。

 

「……何が言いたい?」

 

 察しが悪い。そこで、リサの決心がついた。

 

 はっきり言わないと、まともな回答は得られない。もう、遠回しにお願いするのはやめよう──と。

 

「桐也」

 

 彼女はその名前を呼んだ。桐也は何食わぬ顔で、リサの目を見る。

 

「お願い。Roseliaのサポートメンバーに……」

 

「お断りだ」

 

「なんで!?」

 

 食い気味に断った。桐也は鼻息をフンと鳴らすと、

 

「どこの誰かも分からない奴と演奏ができるか!」

 

 そう、少し強い口調で言ってみせた。

 

 ……やはり一筋縄ではいかないか。しかし、それでも彼の腕には確かなものがある。

 

 ここで引き下がる訳には行かない。

 

「……じゃあわかった。言い方を変える」

 

 リサは諦めなかった。こんなことで折れるメンタルではない。

 

「今度、Roselia(あたし達)のライブに来て。それで、決めて欲しい」

 

 彼女は全力で頭を下げる。断られるのは想定済みだ。覚悟は出来ている。

 

 それでも、桐也に来て欲しくて──ただ、それだけだった。

 

「わかったよ。チケットはどこで買えるんだ?」

 

 ……え? 予想外の返事に、リサは変な声が出た。

 

「教えてくれよ。早く取りたいからな」

 

 そう言ってポケットから携帯を取り出す桐也を見て、彼女は呆然としていた。

 

「えっと……ライブに来てくれるの?」

 

「そう言ったはずだが」

 

「……絶対だよね?」

 

 リサがそう訊くと、桐也は呆れたように息をついた。

 

「あのさ、お前が俺の事をどう思ってるかは知らないけども」

 

 桐也は拳を握りしめる。

 

「友達に本気でお願いされたら、断る理由がないだろ。誰かに望まれる限り、俺は観客にだって、ドラマーにだってなってやる。そういう男だ」

 

 桐也は立ち上がると、リサの肩に手を置いた。彼女は僅かに頬を赤らめる。

 

「その代わり、ライブは前の方の席にしてくれよ。俺は目が悪いから」

 

 そう言い残して、桐也はどこかへ消えていった。

 

「ま、待ってよ!」

 

 リサはその背中を追いかけた。彼の思考が理解できない。あんなに嫌がっていたはずなのに、どうして……? 

 

 桐也んことはよく分からない。あたしにはまるで分からない。

 

 もしやお願いしたら、本当に何でもしてくれるのでは――しかし、それ以上考えるのはやめた。顔が赤くなりすぎて、今朝塗ったチークの意味が無くなってしまう。

 

 あたしも、はやく昼食を食べなきゃ。



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もう、逃げ出したりなんてしない

『そりゃあよかった』

 

 ――時々、あの日の思い出が蘇る。

 

 練習の帰りに寄ったイベント会場で、あの人に出会った。

 

 そしてあの人は、まるで自分が落とし物をしたかのように、一緒に探してくれた。

 

 見つかった時も、自分のことのように喜んでくれて……

 

 ――ダメだ。妙な好奇心に身を奪われていてはいけない。

 

 Roseliaの氷川紗夜としてもっとふさわしい行動があるはずだ。ギタリストとしての責任があるし、使命もある。これまでいくつもの困難を乗り越え、ギターの音だけを追い求めてきた。

 

 邪念に心を乗っ取られるのは三流のやること。わかっているはずなのに──

 

 そうだ。今日はあの人がライブに来てくれる。私がいると分かったら、彼はどんな反応をするのかしら。

 

 ――思わずため息が漏れた。やはり、最近の私はどうかしている。

 

 ◾︎

 

 俺、羽沢桐也はRoseliaのライブに足を運んでいた。当然、場内は超満員。リサのよしみで席を最前列にしてくれたが、本当に良かった。五人が出てきたとき、会場は割れんばかりの歓声に包まれた。まだ演奏も始まっていないのに、思わず鳥肌が立った。

 

 ――そして、曲が始まった途端、会場のボルテージは一気に上昇する。重厚なサウンドが、観客を一撃でハイテンションに持っていったのだ。理屈ではないこの雰囲気に自我を持っていかれそうになるのを懸命に抑えながら、俺はドラムの音に注意してよく聴くことにしていた。

 

 しかし難しいことを考えるには、やはりこのライブは熱すぎた。

 

「……!」

 

 端的に言うと、俺は興奮していた。LOUDER、BRAVE JEWEL……心を震わすには十分なセットリスト。質が高いのはもちろんだが、会場の独特な雰囲気が唯一無二のRoseliaを感じさせる。

 

 二曲目が終わってからも、ノンストップで演奏は続く。

 

『FIRE BIRD』

 

 重厚なサウンドが会場を包んだ。ステージに炎が爆誕するようで、自分にも翼が生えたんじゃないかとさえ錯覚させてくれる。

 

 青い薔薇とはよく言ったものだ。『不可能』から『奇跡』へ。そこには前座も合間のトークもない。ただ、化け物みたいな音楽を大きな箱に響かせるだけである。

 

「私達、Roseliaのライブにようこそ」

 

 演奏が終わった瞬間、ボーカルの湊友希那さんはマイクを通さずに呟いた。最前列の俺と目が合う。そしてすぐに、彼女はすぐに視線を逸らした。気のせいだろうか。

 

『さて、ここでメンバー紹介を──と言いたいところだけど、貴方たちに伝えなければならないことがあるわ』

 

 会場がザワついた。まさか、解散か──最悪の事態まで想定したファンもいただろう。それもつかの間、奥にいた紫髪の女の子が立ち上がった。

 

『急な報告になってごめんなさい。私、宇田川あこは――』

 

 力強い言葉だった。『小さな体であれほどの力強い音を打ち鳴らしていたのか』――音源を聞いてから彼女の姿を認めた者は、例外なくそう感じることだろう。ツインテールで幼い印象はあるものの、ドラムの腕には確かなものがある。

 

 そして、彼女が活動休止を宣言してからというもの、場内から驚きの声が漏れた。しかし、壇上のメンバーは微動だにしない。

 

『期間は来年の三月まで。大学受験が終わり次第、正式に復帰する予定です!』

 

 重たい空気が流れた。誰か一人欠けても、RoseliaはRoseliaでは無くなってしまう──昔、リサが言っていたことだ。

 

 しかし、あくまで宇田川さんは気丈に振舞う。

 

『だけど、あこの代わりに超超かっこいいドラマーさんが来てくださいます! あ、もちろん女の子だから安心してね!』

 

「それなら良かったー!!」

 

「あこちゃん頑張って〜!」

 

 ……ん? 女の子だと? 

 

 その言葉が飛び出た瞬間、場内は一気に歓迎ムードに包まれた。

 

 大盛り上がりのまま、友希那さんにMCが移った。

 

『あなた達。Roseliaに全てを賭ける覚悟はある?』

 

 この日一番の歓声が響いた。

 

 その後は、何事も無かったかのようにライブが進行していった。ちょっと待て。確かに気迫に満ちた良い演奏だけれども。

 

 『もちろん女の子だから安心してね!』……どういうことだ。もうすでに女性のドラマーが加入することが決まったのだろうか。そうであれば、それに越したことはないのだが。

 

 もし、そうでなければ――俺に、女装をしろと……? 

 

『抱く意志が導くまま──』

 

 俺が困惑しているのをよそに、ステージ上ではRoseliaの中でも1、2位を争うほどの人気曲『R』の演奏が始まっていた。

 

『夢をヒトサジ 掬い取って──』

 

『纏う姿は毅然とし──』

 

 友希那さんだけでなく他のメンバーも歌が非常に上手い。息がぴったりで、さすがRoseliaだというほかない。

 

『飛び交う闇を跳ねのける──!』

 

 あと、もう一つ疑問に思ったことがある。これは俺の勘違いなのかもしれないが。

 

 こちらから見て右端に立っているギタリスト。どこかで見覚えがあるような……固い表情で。やけに大人びていて。水色の髪で。美しくて。

 

 つぐみの言葉を思い出す。『紗夜さんのギターはスゴくかっこいいんだよ!』

 

 ……いや、まさかな。イベント会場で出くわして、羽沢珈琲店で出くわして、ライブハウスでも出くわすなんてことがある訳ないだろ。我ながらバカなものである。

 

 でも、「紗夜」という名前。どこかで聞き覚えがあるような……。

 

『それじゃあ、最後の曲よ。でもその前に改めてメンバー紹介をしようと思うわ。この五人はいったん今日で終わりだけど、いつか来るその日まで待っていて――そして』

 

『今日のこの光景を、目に焼き付けて頂戴』

 

 会場は何とも言えぬ雰囲気に包まれた。それはそうだろう。この五人のRoseliaが今日を境にしばらく見れなくなってしまうという喪失感。そして、宇田川あこはいつか――おそらくは受験終了後――戻ってくるという安心感。それらの感情がごちゃ混ぜになっているからこそ、空気が重苦しく感じられるというわけだ。

 

『キーボード、白金燐子。ドラム、宇田川あこ。ベース、今井リサ』

 

 リサはいつもの笑顔を振りまきながら、こちらに向かって手を振っていた。まるで俺に向けられているような……いや、そんなことはどうでもいい! 

 

『ギター……』

 

 ゴクリ。俺は固唾を飲んで見守っていた。あのギタリストはだれなのか。他人であればいいなという事なかれな感情と、もし同じバンドに氷川さんがいれば嬉しいなという下心と、そんな自分を嫌悪する気持ちと――俺も俺で、様々な感情がごちゃ混ぜになっていたのだ。

 

『氷川紗夜』

 

 そして、その名前が告げられると、彼女は頭を深く下げた。

 

 あぁ、()()()()――あの人だ。名前がわからなかったとしても、この動作で――彼女が誰なのか、一撃でわかっただろう。

 

『最後に。ボーカルの湊――』

 

 リサのその声も、心のざわめきにかき消された。

 

 ……その後のことは、あまり覚えていない。ただでさえ難しい曲が目白押しだってのに、バンド内に例の人もいて、果たして俺はサポートドラマーなんてやっていけるのだろうか……。

 

『それじゃあ、最後の曲よ』

 

 友希那さんはタメを作った。刹那、場内が静けさに包まれる。

 

『陽だまりロードナイト』

 

 ベーシストが照れ隠しの笑みを浮かべていた。

 

 あぁ、そうか。この曲はそういうことだもんな。お前の顔を見ていりゃわかる。そして、こちらに手招きをするな。宇田川あこの抜けた穴を誰が埋めるのか――その答えが、もはや出たも同然じゃないか。

 

 ライブは最高だったが、女装するなんて聞いてない。とりあえず一週間ぐらいはリサの奴を呪うことにした。

 

 でも、――同時に感謝したいこともある。

 

 氷川さん──縁あって、再びあなたと巡り会うことになった。

 

 リサ、ありがとう。俺はもう逃げ出したりなんてしない。



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謎の猫耳ヘッドホン

「……良いライブだったなぁ」

 

 帰り道、俺は大きな独り言を吐いた。ライブ後、物販の行列に並んだせいで買えるのが夜遅くになってしまったが、それでもまだ余韻が残っていた。

 

 結局、リサがわざわざ俺を勧誘してきた意味は今でもわかっていない。フリーのドラマーなら、そこら辺に腐るほどいると思うし。

 

 しかし、頼られた以上は最善を尽くす。当然のことだ。

 

「何よ。アナタ」

 

 すると公園に入ったところで、甲高い声が聞こえた。

 

 目の前で猫耳のヘッドホンを付けた少女が、堂々とした様子でベンチに座っている。それを、俺がじっと見つめていたのだ。

 

「さっきから俺を尾行して何がしたいんだ?」

 

「べ……別にしてないわよ!」

 

 俺は立ったまま彼女を見下ろすと、わざとらしくため息をついた。

 

「まったく、物乞いか? 子供はお家に帰る時間だぞ」

 

「kidとは失礼ね!?」

 

 こいつ発音いいな。帰国子女かな。

 

「それにしても、よく気づいたわね。このワタシがRAISE A SUILENのproducerだってことに」

 

「気づいてないが」

 

 なにやら只者ではないらしい彼女は、薄い胸を張った。

 

「ワタシはRASのプロデューサー兼DJ、チュチュよ」

 

「……小学生はお家に帰る時間だぞ」

 

「失礼ね。もう16歳だわ」

 

 インターナショナルスクールの学生よ、と彼女はつけ加える。

 

 やれやれ。適当にあしらうのは無理そうだな。

 

「ところで、俺に何の用だ?」

 

「簡単な話よ。ワタシ……いや、RAS(ワタシ達)は『Roselia』と『Poppin’Party』を潰して、大ガールズバンド時代を終わらせるわ」

 

 そのために敵のリサーチをするのは当然のことよ、と彼女は付け加える。

 

「その話と俺になんの関係があるんだよ」

 

「関係も何も、アナタがRoseliaの新しいドラマーでしょう?」

 

 あぁ、クソ。勘のいいガキは嫌いだ。

 

「……チュチュと言ったな。どこでそれを知った」

 

「『ライブで最前列に立って、真剣にステージを見つめている男の人がいた』──って、パレオが言っていたわ」

 

「誰だよ」

 

 カラフルな髪色の女の子なら隣にいたが、そいつは別のアイドルバンドのグッズを持っていた。マナー違反だろ。ツイッターに晒されても知らんぞ。

 

「大体、潰すとかなんとか……物騒なこと言いやがって」

 

「何が悪いの? RASが最強のバンドになるためには、Roseliaを完膚なきまでに叩きのめす必要があるんだから」

 

 ヨユーだけどね、とチュチュは付け足した。少々ガキくさいが、あくまで音楽の面で勝とうとしている辺りは現実的でまともな考えを持っているようだ。

 

「本当なら、ここでアナタを潰してやることも出来るんだけど……」

 

「どうやってだよ」

 

「まずはそのprideをズタズタにしてあげる。そうしたら、Roseliaのドラマーはいなくなるわね」

 

 そうすればRASの覇権は目前……彼女はほくそ笑む。答えになってないし、俺のメンタルが木綿豆腐である前提で話が進んでないだろうか。

 

「あのな、一つ言っておく。俺は何も、自分からサポートドラマーに志願した訳じゃない」

 

「へぇ。それがなんだと言うの?」

 

「分かってねぇな」

 

 やっぱりこいつ、まだまだガキだぜ。

 

 頭はいいが、それ故に計算が狂うと一気に身を持ち崩すタイプだ。前提を積み上げた壁は一見強固だが、実は脆い。

 

「俺はベースのリサから勧誘された。そしてオーディションで既に、ボーカルの湊友希那さんから合格を貰っている」

 

「!?」

 

 わかりやすくチュチュは怖気付いていた。やはり「Roseliaに認められた」という部分を強調することで彼女の弱みを引き出すことができた――さっきから潰す潰すしつこい辺り、Roseliaを一方的にライバル視していると言ったところだろうが……スカウトを断られたとかそんな感じだろう。

 

「フン、湊友希那が認めたドラマーなのね。それは失礼したわ」

 

「わかったら、とっとと帰らせてくれ」

 

 俺は家の方角に向かって歩き始めた。こんなことに時間を割いている余裕はない。一刻も早くベッドに寝転がりたかった。

 

「それでも」

 

 チュチュは俺の進路に立ち塞がってから、叫ぶように呟いた。

 

「ワタシはアナタを認めない!」

 

 からかってやろう。そう思ったのだが、彼女の真剣な顔が見えて思わず口をつぐんだ。

 

「湊友希那は昔──『Roseliaは五人で成り立っているものなの。トップを目指すのにプロデューサーは要らない。私達の音楽は、私達で創る』──って言っていたわ。なのに、どうして……」

 

 チュチュはようやく年相応の表情を浮かべた。

 

「そうだったのか。うん、実は友希那さんとギター、そしてキーボードの人は話が持ち上がった当初、俺の加入に反対していたらしい」

 

 ギター担当が氷川さんだというのはさっき知ったが。

 

「Why? どうして?」

 

「お前が言った通りだ。元いた五人じゃなければ、Roseliaの演奏はできない。あこが抜けるなら、私も抜ける──キーボードの人はここまで言っていたそうだ」

 

 それでも、と続ける。

 

「俺は最終的にサポートメンバーとして任命された。リサの強い希望があったのもそうだが、様々なバンドが乱立してライブの出演枠を争っている『大ガールズバンド時代』において、Roselia全体で活動を停止するのはデメリットが大きすぎる」

 

「デメリット?」

 

「ファンが離れたり悲しんだりするのも原因の一つではあるが、いくら素晴らしい演奏を持っていてもそれを披露する場が無くなるのはキツイからな。ライブハウスだって客が入らなくなったら困る」

 

 チュチュは俯いていた。高飛車な女の子だが、年相応の可愛らしさもある。そして、本当はRoseliaの大ファンであるに違いない。

 

「勿論、最終的には自分たちで納得して活動続行を決めたらしいんだけどな。Roseliaはもう、五人だけのものでは無くなってしまったんだ」

 

 じゃあな、と言って俺は歩き始めた。

 

「待って」後ろから、猫耳ヘッドホンの少女が服の袖を引っ張る。うっとうしい。

 

「アナタ、名前は何?」

 

 それはまるで、紗夜さんと出会った時のような状況だった。ときめき度はそりゃあ、あの時の方が上回っているけど……。

 

「羽沢桐也。Roseliaのサポートドラマーだ」

 

 妙な肩書きがひとつ増えた。

 

 ロゼリアを名乗るのは、まだ照れくさい。

 

「……羽沢桐也!」

 

 チュチュは俺の前に回り込んだ。また邪魔をしてくるのかと思いきや、勢いよく胸ぐらを掴んできた。

 

「つまらない演奏をしたら、その時は────――殺す」

 

 本気の目だった。これだからアンチ気取りのファンは嫌いなんだ。

 

 俺はしばらく考えてから頷くと、

 

「あぁ。そうしてくれ」

 

 小さく笑ってみせた。そこでようやくチュチュは僅かに表情を緩めてから、フーっと息を吐いた。

 

 話が一段落して、俺は腕時計をちらりと覗く。

 

「もうこんな時間か。家まで送ってやろうか?」

 

「大丈夫よ。タクシーで帰るから」

 

 そう言うと、チュチュは小さい体をベンチに収めた。俺も少し離れた場所に腰を下ろす。

 

「……何よ」

 

「女の子を一人にしておく訳には行かないからな。タクシーが来るまでここで待つよ」

 

 勝手にして、とチュチュはそっぽを向く。どこか強がっているようにも見えた。

 

 それにしても……RASか。名前は聞いた事がある。若き天才プロデューサーが手がける、史上最強のガールズバンド。東京で行われるライブは超満員を記録する精鋭集団だ。

 

 しかし本当に、本気で夢中になれることがあるって良い事だな。俺はほとんど受け取る側だけど、新世界を知れるのって本当に楽しいし。

 

「あーもう。……思い通りに行かないわ」

 

 チュチュは目の前に落ちていた空き缶を思い切り蹴っ飛ばす。かと思えば、それを拾い上げてゴミ箱に投げ入れた。

 

 もしどこかしらで言葉を選び間違えていたら、今頃俺はあの空き缶のように潰されていたのかと思うとゾッとする。

 

 だが、心配ないだろう。こいつは自分に素直になれないだけの可愛いやつだ。

 

「ま、俺も一緒だが」

 

「?」

 

 きっと、俺はRoseliaのサポートドラマーになれることが嬉しくてたまらないんだと思う。もちろん緊張だってするし軽く夜中に2、3回は吐きそうになるが、誰かと音楽をするってこと自体がもう楽しさに満ち溢れていて。

 

 それって新世界に触れられるってことだよな。

 

「あ、来たわ」

 

 タクシーが目の前まで来て、停まった。公園が車のライトに照らされて、チュチュはそれに向かって歩いていく。

 

「シーユー。羽沢桐也」

 

 俺は立ち上がると、ポケットに手を突っ込んで呟いた。

 

「パーカーのフードに五千円札入れておいたから。それ使えよ」

 

 チュチュはフードに手を突っ込んでお札を手に取ると、クシャクシャになるほど強く握り締めた。

 

「……どこまでもバカね」

 

 その声は夜の風にかき消された。

 

 言ってろ。俺は伊達につぐみの妹をやっていない。お節介だろうが、放っておけないんだ。

 

「あと。俺が男だってこと、周りには内緒にしておけよ」

 

「Why? どうして?」

 

「仮にもRoseliaはガールズバンドだからな」

 

 チュチュは腑に落ちないようだったが渋々頷いた。そして、こちらを振り向く。

 

「じゃあね」

 

「あぁ。親御さんに怒られないようにな〜」

 

「うるさいわよっ!」

 

 フン、とそっぽを向いて、チュチュは乱暴にタクシーに乗り込んで行った。

 

 恐らく彼女はRoseliaが活動する上で強大な敵となりうる相手だ。きっと邪魔もしてくるだろうし、また俺の事をバカにしてくるかもしれない。

 

 だけど、なんだろう。とかくかわいいやつだったな。

 

 そう、思うことにする。



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青い春やら、青い薔薇やら

 ライブハウス『CIRCLE』にて、俺はRoseliaの全体練習に参加していた。実は前々からパート練習などには参加していたのだが、五人そろっての演奏は今回が初めてだった。

 

「じゃあまず、LOUDERを最初から。入りの部分を丁寧に」

 

 会話を必要最小限に留め、練習を進めていく。とかく、俺は絶対に足を引っ張るわけにはいかない。むしろこちらが先導して行くぐらいの気持ちで──ドラムは『縁の下の力持ち』なんかじゃない。そんな気持ちでやっていては、置いてけぼりにされてしまう。誰よりも支柱であれ。目立つ、際立つ、支柱であれ。

 

「……羽沢さん。最初よりずっと良いわね」

 

 練習の合間、湊さんが不意にそんなことを言ってきた。湊友希那――Roseliaのボーカルにして、リーダー。音楽への情熱が、尋常ではない。

 

「ありがとうございます。羽沢だとややこしいので、桐也でいいですよ」

 

「じゃあ私も、友希那でいいわ」

 

「……!」

 

 横から殺気――加筆するなら氷属性――を感じたが、俺は気付かないふりをした。

 

「最初は私達の音に合わせている感じだったけれど……今は違うわね。自らのドラムロールで牽引している。難しいフレーズも、そつなくこなす」

 

「細かいとこは改善点だらけですよ。独学だから、楽譜は読めないですし」

 

「あこも同じだったわ。あの子と違って貴方は耳コピができるし、特に問題ないんじゃないかしら」

 

 と言ってもまだまだだけれど、と友希那さんは付け加える。けん制してきたとはいえ、その顔はわずかに笑みがかっていた。

 

 再び横から氷の視線を感じたが、俺は気付かないふりをしてスティックを握る。そうでなければ、やられる。圧に。

 

「――」

 

 しかし、こんなに熱い演奏は初めてだ。スタジオで一心不乱に、仲間と汗だくになりながらも音を重ねていく──

 

 言葉にするのも野暮ってものだろう。そこに、理屈など存在しない。

 

「それじゃあ、さっきのところから……」

 

「待って。友希那」

 

 すると、茶髪のベーシストが手を挙げた。

 

「リサ。どうしたの?」

 

「いやー。桐也はライブ本番『女装』しなきゃ行けないから。今のうちから慣らしておいた方がいいんじゃないか、って思ってさ♪」

 

 やはり、世の中には愚かな人間がいるものである。

 

「それもそうね。紗夜、燐子。異論はある?」

 

「無い……です」

 

 常識人の白金さんにまで見捨てられてしまった……。全員、ハイカロリーの演奏で頭がいかれちまっている。

 

 そ、そうだ、氷川さん! あなたなら俺を助けてくれるはず!! 

 

「……」

 

 無言で俺は彼女に助けを求める。まさに藁にも縋る思いだ。

 

 氷川さんはフッと笑うと、ドアの方を指さした。

 

「早く女装させましょう」

 

「ええええええええええええええええええええええ」

 

「それじゃ、アタシがきっちりメイクしてあげるからね♪」

 

「ええと……衣装……持ってきました」

 

「よく分からないけど、頼んだわよ」

 

 呆れる友希那さんを置いて俺たちは廊下に出た。さすがに俺も言いなりにはなりたくないので逃走を試みたが、彼女らはそれも予想済みと言わんばかりに周りを囲んでいるので、諦めた。

 

「はい、そこに座ってね~」

 

 衣装室に到着した。目の前には大きな鏡がある。これから何十分も監禁されるのだろう。ここまで来たら、時の流れに身を任せるのみである。どうせなら、可愛くしてくれよ。そう思うほどに、俺は諦観していた。

 

 ……それからのことはもう思い出したくもない。気づけば、俺はRoseliaの衣装に着替えていた。黒を基調としたドレスに青い薔薇の加工が施されている。

 

 試作品とは思えないほどクオリティが高い。白金さんがオーダーメイドで作ってくれたのだと言う。俺が女性であれば、どんなに誇らしい気持ちでいられただろう。Roseliaの一員として認められたことの喜びに、どれほど打ち震えていただろう。

 

「……あっははは! 良い! めっちゃ最高!」

 

「ぷっ。羽沢さん。似合ってると思いますよ……!」

 

「予想より、ずっと……可愛く仕上がり…………ふふ」

 

 しかし俺はれっきとした男なのである。これは屈辱だ。かの高名なジョン王も真っ青の仕打ちである。俺の場合は領土ではなく男としての誇りを失ったわけだが。

 

「随分遅いわね──」

 

 すると、俺たちがそろそろスタジオに向かおうとしたところで、衣装室に入ってきた友希那さんと目が合った。

 

「え……」

 

 彼女は瞬きをパチリとすると、そのままこちらから視線を逸らした。

 

「さて。練習に戻るわよ」

 

「無視が一番辛い!!」

 

「それだけ『自然』ってことだよ♪」

 

「ポジティブすぎるだろ! 無敵かな?」

 

「いい気味です」

 

「氷川さん!?」

 

 その後、俺たちは再びスタジオに戻って練習を重ねた。途中でこのドレスを気に入り始めている自分がいることに気づき、寒気がした。

 

 他のみんなが私服なのも相まって、俺の羞恥心は限界点にまで達している。最悪だ。この姿は友達にはもちろん、つぐみにも絶対に見せられない。

 

 ◾︎

 

「ポテトLサイズを三つ」

 

 練習後、俺はバンド仲間と共にスタジオ近くにあるファミレスに来ていた。なんとか元の服装に着替えることができたものの、化粧が取り切れていないのか、顔の表面にすごく違和感を覚える。

 

 あと、視線も感じる。死にたい。

 

「じゃあ、俺はチャーハン大盛りで」

 

「かしこまりました~」

 

 注文が終わったあと、俺は大きなため息をついた。

 

「世界のすべてが敵に見える……」

 

「羽沢さん。どうしましたか?」

 

 向かい側に座っていた氷川さんが、無表情でそう訊いてくる。

 

「い、いや、すみません! ちょっと疲れただけで……凝った化粧とか、練習とか」

 

「フッ。それだけ歓迎されているという証ですよ」

 

 氷川さんはコップの水を飲んでから、俺と目を合わせた。

 

「ところで、貴方は今井さんと仲が良いみたいですね」

 

 彼女は突然、そう言ってくる。そりゃ、友達だしある程度は……しかし、なんだ? いきなり。

 

「まぁそうかもしれないですけど」

 

「なるほど……ひょっとして、彼女と何かあるのでは無いですか? そして、湊さんとも名前で呼び合っていますね。どういう了見ですか」

 

 紗夜さんの鋭い眼光は有無を言わせぬ強さがあった。

 

 言葉を選び間違えれば殺される──しかし、これは誰が何と言おうと俺の人生だ。

 

 チュチュ戦で守ったこの命、簡単に手放してやるものか!

 

「特に何も無いですよ。リサとは大学で同じ学部だから話してるってだけで」

 

「そうですか。湊さんは?」

 

「話の流れで名前呼びになっちゃったって感じです。まぁ、いちいち気にすることでもないですよ」

 

「はぁ」

 

 なんとも言えない反応をする。紗夜さんは水を飲むと、

 

「それならいいんですが」

 

 そう言ってコップをテーブルに置いた。なんとか、俺の命は奪われずに済んだみたいだ。

 

「お待たせしましたー」

 

 その頃、テーブルにポテトがやってきた。途端に氷川さんは慣れた手つきで、そのまま何本も連続で食べ始めた。

 

 また、我を忘れて頬張っている。うさぎみたいで可愛い。口に運ぶまでのスピードがえげつない。どんな高性能カメラでも捉えられないな、これは。

 

「あの、好きなんですか? ポテト」

 

「……あ、いえ! たまたまお腹が空いていただけで」

 

 彼女は嘘をつくのが下手なんだと思う。ていうか、そうこうしている間にLサイズのポテトが半分まで減ってやがる。信じられん。

 

「ハハ。氷川さんの意外な一面が見れて嬉しいです」

 

 思わず笑みがこぼれた。なんだか子供みたいで、そういう氷川さんも良いなって──

 

「……貴方はつぐみさんみたいなことを言いますね」

 

「そうですか?」

 

「ええ。その返答も彼女そっくりです」

 

 彼女は僅かに表情が緩んでいた。

 

「つぐみさんと羽沢さんはかなり似ています──あ、羽沢さんは貴方のことで。ええと……」

 

「俺のことは『桐也』って呼んでもらって大丈夫ですよ。同級生ですし」

 

 そう言うと、氷川さんは静かになった。あまりに黙り込んでいるので、思わず顔を覗き込んだくらいだ。

 

「どうしましたか?」

 

「え、えっと……名前呼び……ほ、本当に……?」

 

「はい」

 

「……っ。じゃあ、わかりました」

 

 紗夜さんは深呼吸をすると、ゆっくり顔を上げた。

 

「と、桐也……くん」

 

 俺は違和感の正体に気づき、しばらく黙り込む。

 

「どうしましたか?」

 

「いや、こっちだけ名前で呼ばれるのも変かなと……」

 

 我ながら気の利かないやつである。しかしながら許していただきたい。彼女の前では、なぜかうまくしゃべられないのである。

 

 紗夜さんは小さく息をついた。そして、言葉を吐く。

 

「では、私のことも『紗夜』と呼んでもらって構いません」

 

 特別ですよ、と言った。まるで罪状を言い渡す裁判官のように、毅然とした態度だった。

 

 まさか名前呼びが許可されるとも思っていなかったので、俺は少しタジタジになる。

 

「じゃあ……紗夜さんで」

 

 名前を呼ぶだけなのに、なんだか照れくさい。彼女はある程度他人との距離を保つタイプのようなので、ついこちらも釣られてしまったのだ。

 

「ええ。桐也くん、改めてよろしくお願いします」

 

「よろしく。紗夜さん」

 

「……なんだか照れますね」

 

 中々いい感じの雰囲気になってきたところで、頼んだ料理がテーブルに運ばれてきた。

 

「お待たせしましたー。チャーハン大盛りと生姜焼きセットAになります」

 

 おお。味噌汁とご飯、少しのお肉で構成されたそれに比べて、チャーハンのサイズは遥かに大きい。

 

「さすが桐也。男の子だねー」

 

 リサが箸を割りながらそう言ってくる。生姜焼きは彼女のものだ。他の三人はポテトで済ませるらしい。

 

「体力使ったからな」

 

 いただきます、と言ってから俺は熱々のチャーハンをまとめて口に放り込む。卵と胡椒の香りが口いっぱいに広がった。美味い。

 

「さて、ここからRoseliaの今後の方針について話そうと思うわ」

 

「このタイミングで!?」

 

「ごめんなさい。つい話が盛り上がって……忘れていたわ」

 

 歌姫は軽く詫びた。それを見て、リサがニヤッとする。

 

「しょうがないって~。だって、猫ちゃんの話だもん。友希那が食いつかないわけないもんねー?」

 

「り、リサ。それは内緒にしてって言ったじゃない!」

 

 友希那さんは赤面していた。クールな表情の隙間から覗かせるポンコツ成分が最高だ。

 

「……気を取り直して。今後の予定だけれど、大きなイベントが2つあるわ。一つは六月に出演が決まっている野外ワンマンライブ。そして、二つ目は『ガールズバンドパーティー』というフェスよ」

 

「今年はプロの主催するコンテストには出場しないのですか?」

 

 紗夜さんの言葉に、友希那さんは頷く。

 

「今はサポートドラマーを迎えている形だから、今年は参加を見送ることにしたわ。異論はあるかしら?」

 

「無いです」

 

「ないよ~」

 

「大丈夫……です」

 

 決まりね、と友希那さんは言った。それを見て、リサが手を挙げる。

 

「リサ。どうしたの?」

 

「ちゃんと桐也にも意見聞かなくちゃダメだよー。桐也も、立派なRoseliaのメンバーなんだから!」

 

 リサが俺の方に手をやったので、みんながこちらに注目する。俺は目のやり場がわからなくなって、何となく友希那さんと白金さんの間にある背もたれをぼんやりと見つめた。

 

「私も同意見です。彼の協力無しでは、Roseliaの活動を続けることは出来なかった」

 

「……失礼したわ」

 

 コホン、と友希那さんは咳払いをすると、対角線上にいる俺に目を合わせた。

 

「桐也。あなたはどう思う?」

 

「え!? あぁ、コンペ出場回避の話でしたよね。良いんじゃないですか。ただ、将来的に超一流のレーベルを考えてるなら、今年中に勝負する方がいいとは思いますよ」

 

「……と言うと?」

 

「仮に来年コンテストに失敗したら、バンド活動はほぼ停止してしまいますからね。みんなの就活もあるし、大学生活には限りがあります」

 

 あくまでプロを目指す場合ですが、と俺は補足した。友希那さんもまた口を開く。

 

「今まで何度も音楽プロデューサーや事務所に勧誘されてきたのよ。でも、その度に断り続けてきた」

 

「『自分たちの音楽でトップを目指すから』……ですよね?」

 

「よく知ってるわね」

 

 なら、と俺は続ける。

 

「やはり今年勝負する必要があるでしょう。大学を卒業してもRoseliaを続けたいなら、やはり考え直した方がいいと思います」

 

「一理あるわね」

 

「『WFF』──ワールドヒューチャーフェスですか」

 

 反発するのかと思いきや、意外にも素直な反応だった。やはり本音は大きな大会に出たいのだろう。

 

「あ、今のはあくまで個人の一意見です。俺はRoseliaのサポートドラマーとして、全力で演奏するだけですから」

 

 メンバーそれぞれが真剣な顔を浮かべていた。それはまるで練習している時のようだった。

 

「わかったわ。ありがとう」

 

 友希那さんはそう呟くと、何食わぬ顔で白米を口に運んだ。

 

 そうだ。Roseliaという名前はバラの『Rose』と椿の『Camellia』から取った造語だという。

 

 狂い咲く青薔薇。花言葉は『不可能を成し遂げる』──素敵じゃないか。

 

 茨道の中に見えた一寸の光。俺にとってそれが羽沢家であったり紗夜さんであったりするわけだが、今回はRoseliaだったのか。

 

「……どうしましたか?」

 

「いや、なんでも」

 

 俺は気まずさを跳ねのけるように水を飲み干した。少し遅めの、青い春が始まろうとしていた。

 

【序章 終】



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第一章『GBP(ガールズバンドパーティー)』
50% pinch,50% romance


「本日は『ガールズバンドパーティー』の会議に集まって下さり、ありがとうございますっ!」

 

 猫耳ヘアーの女子大生こと戸山香澄(とやまかすみ)は元気な声でそう言うと、会議室のテーブルに手をついた。

 

「六月開催の『GBP』には、Poppin’Party、Afterglow、 Pastel*Palettes、Roselia、ハロー、ハッピーワールド!、Morfonica、RAISE A SUILENの七組が参加します!」

 

 各バンドのボーカリストが集結する中で、彼女は元気よく宣言する。

 

「それぞれ持ち時間は15分で、会場はメットライフドームで行う予定です。以上、戸山香澄からのご連絡でした!」

 

 ~

 

「……という感じだったわ」

 

「規模が大きいね~」

 

 練習後、ライブハウス『CIRCLE』の前で友希那さんはそう言った。

 

 にしても豪華な面子だな、と俺は第一に思う。パスパレやRAISE A SUILENなど、一般人まで浸透している人気バンドが目白押しだ。メットライフドームで行うのも理解できる。

 

「ただ、ワンマンライブと重なってしまったわね。正式発表もまだだし、ワンマンは取り下げましょう」

 

「大変残念ですが……仕方ないですね」

 

 ということらしい。自分たちのソロライブよりもGBPとやらを優先するとは。まったく意外であった。

 

「あと、ワールド・ヒューチャー・フェスのことだけれど……次回開催は二月だわ」

 

 友希那さんはそう呟いた。ワールド・ヒューチャー・フェスとは大会形式のイベントで、優勝したバンドがプロデビューできるというものである。前回の話し合いではあこの不在も考慮していったん保留ということになった。

 

「二月ですか。少し先ですね」

 

 俺の言葉に彼女が頷いてから、妙な間があった。しかし、何かが来るだろうということは、バンドに加入して日の浅い俺にも分かったのである。

 

「私は、ワールド・ヒューチャー・フェスに出たい」

 

「!」

 

 友希那さんは力強い言葉でそう言いのけた。そうか。考え直したのか──。

 

「私も……賛成です」

 

「燐子?」

 

 先からずっと黙っていた白金さんも口を開いた。

 

 寡黙な人だが、演奏は熱く目には闘志が宿っている。ここぞという時に頼りになる存在だ。

 

「新生Roseliaの集大成を……あこちゃんに……見て欲しい」

 

「そうね。あこが認めないなら、それはRoseliaじゃないわ」

 

 プレッシャーが重くのしかかる。そうか。受験勉強の合間にもライブは見れるもんな。

 

「とにかく、私はWFFに出たいと思うの。どうかしら」

 

「俺は賛成です」

 

「アタシもOK。紗夜はどう?」

 

「良いと思います。やはり、自分たちの音楽を希求してこそです。バンドは」

 

 決まりね、と友希那さんは小さく息をついた。

 

「まずはガルパ杯に向けて、練習を重ねていきましょう」

 

「はい!」

 

「おっけー☆」

 

 ◾︎

 

「……痛てぇ!」

 

 俺はアパートまでの帰り道の途中、ズキズキと痛む両手に息をフーっと吹きかけていた。

 

 マメができること自体は日常茶飯事だが、まさかここまでの数になるとは……バンド活動というものを少々舐めていたかもしれない。

 

「どうしましたか?」

 

「──!」

 

 後ろから声をかけられて振り返る。そこにはTシャツの上に青のジャケットを羽織り、ジーンズを履いた紗夜さんがぶっきらぼうな顔で立っていた。

 

「酷い手ですね。きちんとアフターケアをしないとダメですよ」

 

「う……何も言い返せない」

 

 責め立てられて、俺はなんだかシュンとなった。優しさなのはわかっているが、いかんせん顔が怖すぎる。人を殺す目、といった感じ。

 

「仕方ないですね。きちんと手当てしてあげますから、私に着いてきてください」

 

「?」

 

 彼女は眉をピクリとも動かさずにそう言うと、ズンズンと歩いて行った。

 

「ま、待ってください!」

 

 いや、待て。何やら嫌な予感がする──俺の理性が叫んでいたが、聞こえないふりをした。

 

「ここです」紗夜さんはしばらく歩いたところで、帝都大学から徒歩数分の場所にあるマンションの前でそう言った。そのまま、外付けの階段を登っていく。

 

 そして、とある部屋の前で足を止めた。

 

「え?」

 

 俺はパチリと瞬きをして間抜けな声を出す。彼女はこちらの方を振り返ると、

 

「早く入ってください。冷えますよ」

 

 そう言って、ズカズカと奥の方へ入っていった。そこで、ようやくわかった。ここは紗夜さんの部屋だ。

 

 咄嗟に逃げようと思ったが、こちらを振り返る彼女の眼光に足がすくんだ。いつだって、俺は弱い。

 

「お、お邪魔します……」

 

 恐る恐るドアを開けると、そこには清潔で整えられた部屋のアンティークが広がっていた。

 

 テレビとキッチンと、その他生活必需品。一人で住むにしては少し広い気もするが、紗夜さんらしく簡潔な部屋だ。

 

「椅子に腰かけていてください。今、絆創膏を持ってきます」

 

「はい。ありがとうございます……」

 

 初めて異性の部屋に入った(妹の部屋は除く)ので、なおさら俺の頭はこんがらがっていた。部屋を見渡す度に、胸の鼓動が止まらなくなって……。

 

 よせ。あくまで自然体で行こう。それにしてもいい匂いが──いかん。俗物に惑わされるな。

 

「すみません」

 

 紗夜さんは帰ってきた。しかし、いまいち晴れない表情を浮かべている。

 

「どうしましたか?」

 

「絆創膏を切らしてしまって。ですから……」

 

 待て。嫌な予感がする。俺に一人で「留守番をしろ」というのか。俺には、どんな無茶ぶりよりも無茶な要求だ。

 

「薬局に行ってきます。少し待っていてください」

 

「……! あ、あの!」

 

 紗夜さんは俺の呼び掛けを無視して、玄関の方へと向かっていく。

 

 ダメだ。それ以上は――!   

 

 ドアを開けたところで、俺はもう一度叫んだ。

 

「……紗夜さん!」

 

「!」

 

 俺は気づけば、彼女の服の袖を引っ張っていた。

 

 今にも、服ではなく自らの右手の方がちぎれてしまいそうで。やるせなく、奥歯を噛みしめる。

 

「笑わないで聞いて欲しいんですが、その……」

 

「はい?」

 

 困惑する彼女をよそに、意を決して口を開く。

 

「……俺、留守番出来ないんですよ」

 

 情けなかった。もう二十歳だってのに、家に一人で誰かを待つことさえ出来ないのだ。目から熱いものが込み上げてきて、()()()()()を思い出してしまって。

 

 紗夜さん。笑うなら笑ってくれ。その方が、いい。

 

「そうでしたね。桐也くん」

 

 紗夜さんはうっすらと笑みを浮かべると、俺の背中に腕を回した。

 

 身動きが取れなくなったが、別に取ろうとも思わなかった。彼女の体は、有限でない温もりに溢れていた。

 

「つぐみさんから聞きました。『お兄ちゃんは中学生のころに実母を亡くして、再婚した両親も交通事故で戻って来なかった』──と」

 

 動揺しているからか、目の前がよく見えない。ぎこちなく触れる紗夜さんの両腕が俺の体を熱くさせた。

 

「それで留守番が出来ないのですね」

 

「……すみません。あの時みたいに、大切な人が帰ってこなかったら──そう思ってしまう自分がいて」

 

「そうですか。謝る必要はありません」

 

 体を締め付ける力が強くなった。「我慢しなくていいから」

 

 邪な気持ちなどない。ただ、抱擁で得られる安心感は計り知れなかった。

 

「あと、ずっと言おうと思っていたのですが……桐也くん、あまり寝ていませんね?」

 

「!」

 

 図星だった。最近は深夜に寝て早朝に起きることが多くなっていたからだ。

 

「決して簡単ではない大学の授業、実家の手伝い。バイト、バンド活動──明らかに頑張り過ぎです」

 

 紗夜さんは手を引っ込めると、俺の目を見た。

 

「……すみません」

 

「全く。貴方はもっと他人を頼ることを覚えるべきです。例えば大学の友人だとか、つぐみさんだとか──」

 

 ぐうの音も出ない。

 

 すっかり安心感に変わった涙を拭いて、俺は笑った。

 

「紗夜さん。目にゴミがついてますよ」

 

「!」

 

 彼女は顔をぺたぺたと触って焦っていた。ゆっくりと目に触れると、やがて分かったように紗夜さんは頷く。

 

「ええ。いつの間に流れていたようです」

 

 彼女はそれを咄嗟に袖で拭いとって、恥ずかしさからか視線を逸らした。

 

 それから、奇妙な沈黙が続いた。いや、必然と言うべきか。

 

 お互いに何も言い出せないまま、時間だけが流れていく。

 

「……」

 

 チラリと紗夜さんの顔を覗いた。彼女は違う方向を見つめている。

 

 いつまでも見つめているのも不自然な感じがして、俺もまた視線を逸らす。すると、何やら視線を感じた気がして──

 

 視線を戻すと、紗夜さんは小さく俯いていた。……もう、タイミングが合わないな。じれったい! 

 

「……紗夜さん!」

 

「!」

 

 俺は彼女の肩を掴むと、はっきりと目を見てこう言った。

 

「……紗夜さんと一緒に居られないのは寂しい! だから、二人で薬局に──」

 

「ただいまー♪」

 

 刹那。

 

 甘酸っぱい雰囲気を思い切りぶち壊す、甲高い声が聞こえた。

 

「……え?」

 

 紗夜さんはキョトンとした目で、その女性を見つめる。彼女は腑に落ちたように手をポンと鳴らすと、俺に目を合わせてこう言った。

 

「留守番ならあたしとしようよー♪」

 

「日菜!! さては隠れて聞いていたわね!?」

 

 紗夜さんが憤慨している。日菜と呼ばれた女性はるんるんと鼻歌を口ずさんで、ご機嫌だった。

 

 何者なのだろうか? 俺が疑問に思っていると、彼女は俺の隣に立った。

 

「おねーちゃんのカレシには手出さないからさ。早く絆創膏買ってきなよー♪」

 

 そう言い放った。『おねーちゃん』……ということは、紗夜さんの妹なのだろうか。水色の髪とニット帽がよく似合っている、自由奔放なこの女性が……

 

 紗夜さんの、妹だと?



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不思議っ子、日菜ちゃん

「それでね、おねーちゃんってばその時ね──」

 

「『えっ、人参なの!?』……ですか?」

 

「そうそう! よく分かってるね〜」

 

 ハハ。乾いた笑いが生まれた。

 

 俺は今、ソファに座りながら拷問を受けている。隣に座った水髪の美少女── Pastel*Palettesの氷川日菜に、永遠と紗夜さんの話をされているのだ。

 

 どうやら、二人は双子らしい。世界にどんなバグが起きたらこんな美少女が二人も出来上がるのだろうか。遺伝子とは非情なものである。

 

「でもおねーちゃんはね、あたしの代わりに人参を食べてたら、いつのまにか自分が嫌いになっちゃってたんだってさ」

 

 ほんとカッコイイよね! と言って日菜さんははにかむ。よし、素晴らしい情報を得られた。

 

「えっと……氷川さん」

 

「日菜でいいよ♪ ていうか、あたしたち同い年でしょー? タメ語で良くない?」

 

「そうは言いますけど……俺、紗夜さんには敬語なんですよ」

 

「えー。やっぱりヘタレじゃなーい?」

 

 ……どういう意味だ。察しの悪い俺には、図りかねる。

 

「まぁ、わかった。日菜さんにはタメで喋ろうかな」

 

「やったー♪ ……それにしても、アイドルを前にして物怖じしないってスゴイよね。やっぱりおねーちゃんのことが好きだから、身内には社交性MAXって感じ?」

 

 何を言ってるんだこいつは。わかりやすく他人に伝える努力をしろよ。

 

「てか、そんなことより……白鷺千聖って知ってるか?」

 

 俺は露骨に話題を変える。

 

「千聖ちゃんでしょ? 知ってるも何も、あたしと同じパスパレだよー」

 

「なるほど……これはお願いなんだが、出来れば彼女を俺に会わせないで欲しいんだ」

 

 その時、日菜さんの目から光が失われた。

 

「なんでー?」

 

「そんなのわかるだろ」

 

 俺はため息をつくと、見えないはずの大空を見上げた。

 

「実物を見たら自我が崩壊するってことくらい──」

 

「……あちゃー」

 

 ファンだったか、と彼女は安堵したように頷いた。

 

「違うんだ。別に顔やスタイルだけが理由じゃない。演技の上手さや仕事に対しての姿勢、ひいてはファンへの気持ちなど。全てが完璧だと思わないか?」

 

「うわぁ、ガチ勢……意外と見てるんだねー」

 

「昔からファンだったからな」

 

 とーくんって面白いー! と、日菜さんははにかんだ。変なあだ名つけてんじゃねぇよ。

 

「ところで、おねーちゃんとはどんな関係?」

 

「関係……?」

 

「うんうん。だってギター狂いのおねーちゃんが、あんまりパッとしない男の人を部屋に入れるわけないじゃん!」

 

 どういう意味だゴラ。

 

「えっと、それはだな……」

 

 そうだ。バンド仲間だなんて言えるはずもない。

 

 仮にもRoseliaはガールズバンドだ。俺の女装がバレても困るし、日菜さんに真実を告げるわけにいかない……! 

 

「……ば」

 

「ば?」

 

「バンドの雑用で……知り合った」

 

 俺はそう言い終えた後、唇を思い切り噛み締めた。一方、横で日菜さんは真面目に頷いている。

 

 誤魔化しきれたようだ。

 

「なるほどー」

 

 彼女は人差し指を立てると、ピンと来たように言った。

 

「Roseliaのサポートドラマーか!」

 

 なんでバレてやがる……!! 

 

「頼むから、他の人には内緒にしてくれ!」

 

「えー。なんで?」

 

「Roseliaのブランド力と社会的地位の為だ!」

 

 お願いします! と俺は全力で頭を下げた。

 

「しょうがないなー。その代わり、るん♪ って来るような演奏をよろしくね!」

 

「あぁ!」

 

 全力で頷いた。もうヤケクソだった。

 

 ……それにしても、紗夜さんの帰りが遅いな。他人(ひと)んちのソファに沈みながら、俺はそんなことを思う。

 

 一方、日菜さんは一ミリも気にしていないようだった。鼻歌を歌いながら分厚い本を読んでいた。『広辞苑』と見えたが、きっと気のせいだろう。

 

 何もしないのも気まずいので、俺は特に用もないのにスマホを取り出した。ついでに、TwitterもといXで『氷川日菜』と検索してみる。

 

『先週のパスパレTV、日菜ちゃんがとっても可愛かった!』

 

『氷川日菜ってアイドルっぽくないけどそれがまたいいよな』

 

『日菜サマ……控えめに言って結婚したいグフォ』

 

 最新のツイートが多く、人気の高さが伺える。

 

「さてと、飲み物飲み物……」

 

 ネットサーフィンをしていると、不意に日菜さんが立ち上がった。

 

 なんとなく危なっかしい人だと思っていたから、俺は無意識的に彼女を目で追いかけていた。すると、やはり心臓に悪い出来事が起こった。

 

「!」

 

 たしかに、彼女が微かにバランスを崩して、頭から床に落ちていくのを見た──させるか!! 

 

「くっ……!」

 

 俺はスマホを置くと、そのまま必死に体を投げ出した。

 

 絶対に間に合う! 間に合うと、言ってくれ!

 

「おっとっと」

 

「!?」

 

 ところが、床に落ちたのは日菜さんではなくこちらの方だった。

 

 彼女は平然と立って、キョトンとした顔で滑り込んだ俺を見下ろしている。

 

「だいじょーぶー?」

 

「それはこっちのセリフだ!」

 

 今、何が起こった? どうして、俺の方が焦っているんだ……!

 

「転びそうになったから、側転しただけだけど」

 

「だけって……」

 

 おかげさまですごく恥ずかしい思いをした。運動神経いいんだな、日菜さん。

 

「まぁ、無事でよかった」

 

 ただでさえ痛んでいた身体が、擦り傷によって悲鳴を上げている。ひでぇ骨折り損だ。

 

「あっはは。でも、おねーちゃんが好きになった理由がわかった気がする!」

 

「?」

 

 日菜さんは一人で笑っていた。何の話をしているのだろうか──?

 

 全く、やれやれ……ホコリを払って、俺はソファに腰掛ける。恥ずかしさで、目なんか合わせられねぇよ。

 

「ごめんなさい。遅れたわ」

 

 すると、玄関から物音がしたかと思えば、ようやく紗夜さんが帰ってきた。手には買い物袋が提げられている。

 

「おねーちゃん! 何してたのー?」

 

「絆創膏を買うついでに、晩ご飯を調達したの。今日はお客さんもいることだし、『しゃぶしゃぶ』をやろうと思って」

 

「わーい!! おねーちゃん大好きー!」

 

 日菜さんは姉に無心で抱きついていた。紗夜さんは引き剥がそうとしながらも、満更でもない顔を浮かべている。

 

 まったく、双子とはいいものだな。

 

「あの……紗夜さん」

 

「ごめんなさい。遅れてしまいました」

 

「いや、そうじゃなくて」

 

「?」

 

 彼女から受け取った買い物袋をテーブルの上に置いてから、俺は頭を下げる。

 

「わざわざ遠出させてすみませんでした!」

 

「大丈夫ですよ。ドラマーにとって手は生命線ですし」

 

 紗夜さんはにべもなくそう言い放つ。一見冷たい人なのに、なんて優しいのだろうか。

 

「本当にありがとうございます。じゃあ、そろそろ俺は帰り──」

 

 俺はそう言って、玄関の方に足を踏み出す。

 

「ダメですよ」

 

「ダメだよー!」

 

 しかし、思い切り腕を掴まれる。恐る恐る振り向くと、そこには流星の双子が肩を並べて立っていた。

 

「桐也くんがいることも見込んで、肉を少し多めに買ってきたのですから」

 

「あ、トイレしてくるねー☆」

 

「それは大変申し訳ない──ってこのタイミングで!?」

 

 行ってらっしゃい! と言っておいた。そして、日菜さんは手を振るとどこかへ消えていった。全く、自由な人だな……

 

 俺は堪忍すると、紗夜さんの前に立った。

 

「じゃあ、お言葉に甘えます」

 

「ありがとう。……桐也くん、しばらくじっとしていて」

 

 そう言うと、紗夜さんは俺の手の平を掴んで、ひときわ大きなマメに目掛けて絆創膏を貼った。

 

「……」

 

 俺はまじまじとそれを見つめる。不思議と痛くはない。

 

「小さいものは自然治癒で良いのですが、あまり大きいと日常生活に支障が出ますから」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「礼は沢山食べることで返してください。具材を切ってきます」

 

「あたしも手伝うー!」

 

 いつの間に帰ってきていた日菜さんが、エプロンを付けてそう言った。

 

「お、俺も手伝いますよ!」

 

「じゃあ3人で、下ごしらえしていこー!」

 

 その後、俺は氷川姉妹と一緒にしゃぶしゃぶを頂いた。肌寒い夜に頬張るお肉は格別である。豚肉と白菜、もやし、そして秘伝のタレを組み合わせるだけで誰もが唸る『ご馳走』の完成だ。

 

 それにしても、紗夜さんと日菜さんの凸凹コンビは見ていて楽しかった。性格は真反対だけど、マンションで二人暮らしをするほどには仲がいいんだな。

 

 あと、紗夜さんは妹に少しだけ甘い。彼女の意外な一面が見れたことが、なんだか嬉しかった。

 



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未完成シグナル

 俺、羽沢桐也にはどうしても妹に言わなければならないことがあった。

 

 はっきり言おう――妹に恋愛相談など、プライドを捨てなければ難しいことではあるが。自分だけの視点ではわからないことが、世の中にはいっぱいある。

 

 俺は意を決して、羽沢珈琲店のドアを勢い良く開けた! 

 

「つぐみー、大事な話があるんだけど──」

 

「えいえいおー!!」

 

 シーン。店は静寂を極めていた。

 

 三人の女子大生が真剣な面持ちでテーブルを取り囲んでいる。ピンク色の髪をした女の子は立ち上がったまま、目を> <にした。

 

「なんで無視するのー! もうー!」

 

「いや、他のお客さん来たし……」

 

「ある意味、これもいつも通りだよね~」

 

 ピンクの女の子が怒っているのを見て、赤メッシュのクール女子と銀髪美少女が笑っている。何だ顔面偏差値の高い空間は。これを拝めるなんて、俺は恵まれている。

 

 ……ん? この人たち、どこかで見たことがあるような──

 

「あ、お兄ちゃん! どうしたのー?」

 

「お、つぐみ。なんというか、お願いというか。そんな感じだ」

 

 つぐみは少し顎に手を当てて考えると、やがて腑に落ちたように頷いた。

 

「わかった! 蘭ちゃん達に伝えてくるね」

 

「?」

 

 彼女はそう言うと、一組の客がいるテーブル席に駆け寄った。

 

「ごめんね。お兄ちゃんが実家に戻りたいって言うから、ちょっと話し合いを……」

 

「待て待て待て待て!!」

 

 そんな話してねえだろうが! そう叫ぼうとしたところで、俺は我に返った。

 

「あ、もしかしてつぐのお兄さんですかー?」

 

 椅子に腰かけている銀髪の女の子が、俺に向かって挑戦的な笑みを浮かべていたのだ。

 

「……あ、うん。そうだけど」

 

「こんにちは~! つぐのお兄ちゃん、カッコイイね!」

 

 ピンクの女の子は目を輝かせながら、俺の手を握ってくる。

 

 シンプルに可愛かった。――いや、そうではない。

 

 この子、今、たしかに俺の手を――

 

「コラ、ひまり。お兄さんが困るようなことしない」

 

 赤メッシュの女の子が諭すようにそう言うと、ピンクの子はあわてて手を離した。

 

「あ、ごめんなさい……」

 

「ひーちゃんはいつもこうだからねー。いつか悪い男に騙されそう~」

 

「ちょ、モカー! 変なこと言わないの~!」

 

 彼女らが盛り上がっている中、俺は確かに動揺していた。それはそうだろう。出合い頭にやたらかわいい女の子に、手を握られたのだ。──いや、落ち着け。俺は曲がりなりにも酒の飲める年齢になった大学生だ。こんなことでいちいち動揺していられるか。

 

「その、さっきのは気にしないでくれ。いいな──」

 

「わー! 急に手握ってごめんなさいー!」

 

 ひまりと呼ばれた女の子は平謝りしていた。いかんいかん。この話題から離れないと。

 

「ところで、つぐみ。この人たちは友達か?」

 

「うん。私と同じバンド──Afterglowの蘭ちゃん、モカちゃん、ひまりちゃんだよ!」

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 俺はバッグを放り出して後ずさりすると、狼狽した。

 

「畜生……! 俺はどうして気づけなかったんだ……!」

 

「つぐのお兄さんって、ちょっとおバカさん~?」

 

「どうだろうね……」

 

 銀髪の子に悪口を言われながらも、俺は小さく咳払いをした。

 

「取り乱してすまん……俺は羽沢桐也。つぐみの兄で、ここに顔を出してはよく接客を手伝っている」

 

「そういえば何回か見たことあるかも」

 

「話すのは初めてだな~」

 

 美竹蘭さんと上原ひまりさんが相槌を打っていた。Aftergrowのことは楽曲しかほとんど知らなかったから、つい彼女らに気づくのが遅れてしまったのだ。

 

「本当は五時間ほどアフグロトークをしたいんだけど……あいにく、俺はこのあと用事があってな」

 

「そうなんですか。もっと話したかったなー」

 

「もしかしてRoseliaの人たちと練習? それなら駅まで──」

 

 つぐみが盛大に口を滑らせた。たまらず、俺は彼女の口を押さえる。

 

「バカ! それは内緒にしろと……!」

 

「むぐむぐ……」

 

「兄妹喧嘩も愛おしいものですなぁ~」

 

「Roseliaと練習って……どういう意味ですか?」

 

 案の定、美竹蘭さんが激しく反応していた。俺はすっかりお手上げで、何とかしてもらおうと妹に救いの手を求める。ひとしきり慌てた後、つぐみは思いついたように口を開く。

 

「そ、そうだ。お兄ちゃんは前からRoseliaが大好きで。よく曲のコピーをしてるんだよね!」

 

 上手い!! つぐみ、ナイス! 

 

「なるほど~」

 

 青葉モカさんは小さく頷くと、どこからか持ってきたパンを頬張りながらこう言った。

 

「Roseliaのサポートドラマーですか~」

 

 なんでバレてやがる……!! (二回目)

 

「そういえば、この前スタジオから出てきた時に男の人いたかも!」

 

「あれ、つぐみのお兄さんだったんだ……」

 

 ひまりさんや反骨の赤メッシュも気づき始めていた。

 

 どうやら、誤魔化すのは無理みたいだ。

 

「……頼む。Roseliaのファンや他の人には黙っててくれ」

 

「どうしてですか?」

 

「一応ガールズバンドだからさ。男がいるって公になったらマズいんだよ」

 

 チュチュや日菜さんにもバレてるし、もう手遅れかもしれないけど。

 

「わかりましたよ~。ところで、ステージ上では女装とかしてるんですか~?」

 

「お恥ずかしながら」

 

 まだ練習しかしていないとはいえ、そろそろ女の格好にも慣れてきた頃合いだ。こんなものには慣れたくなかったがな。

 

「別に、恥ずかしがる必要はないと思いますけどね~」

 

「青葉さん──」

 

 包容力に満ちている。カッコいいぞこの子。

 

「女装って、男の人にしかできないじゃないですか~」

 

「ま、まぁ……そうだけども」

 

 話の終着点が見えない。モカさんはニヤリとすると、俺の顔を指さした。

 

「だから、女装は一番男らしい行為なんですよ~」

 

「んなわけあるか!!」

 

「モカちゃんジョーク。なんちゃって~」

 

 彼女は、言うまでもなく変人だ。これだけは、間違いない。

 

「あと、女装はスタジオの外でもした方がいいと思いますよ~」

 

「なんで?」俺ではなく、美竹蘭さんが突っかかる。

 

「バンド関係者じゃない人に女装がバレたら、拡散が止められないと思いまして~」

 

「……たしかに」

 

「うんうん。SNSって怖いもんねー!」

 

 気づけば、『俺の女装をどれだけ上手く隠し通すか』ということで大いに話が盛り上がっていた。俺は本当につぐみに言いたいことが言えないまま、練習場に向かうことになった。

 

 ◾︎

 

「……というわけなんだ」

 

「はは。さすがに気にし過ぎだと思うけどね~」

 

 講義が無かった俺とリサは一足先にCIRCLEに乗り込んでいた。二人しかいないのにスタジオに入るのもあれなので、テーブルに座ってひたすらに駄弁る。

 

「いくらアタシたちが注目されてるって言っても、プロじゃないし。ていうか最悪バレてもおっけーじゃん?」

 

「俺の社会的地位は消滅するがな」

 

 ネットのおもちゃ確定だろ。

 

「それより、最近の練習かなりしんどくないか? 新曲のTAB譜がイジメみたいになっていたが」

 

「あー、あれね。リズム取るのが難しいよね」

 

「……上手くやれるか不安になってきたよ」

 

 そう。Roseliaは、プロにも引けを取らないくらい絶大な人気を誇るグループだ。演奏は学祭の有志バンドとは比較にならないほど激しいし、高い技術を要求される。

 

「何回も反復して、身体に覚えさせるしかないね~」

 

「わかってるんだけどさ。なかなか、身体が追いつかなくて」

 

 俺はそう言ってため息をついた。

 

「珍しいね。桐也が愚痴吐くなんて」

 

「あー、すまん。みっともないことをしたな」

 

「いいのいいの。たまには吐き出すことも大事だから」

 

 リサは自分のベースをタオルで綺麗に拭いていた。休日に愛車の洗浄をしている人みたいだ。

 

「でも、練習がきついのはしょうがないよ。その分、それを乗り越えた時の景色は最高にいいんだから!」

 

「そういうもんなのかな……?」

 

「うん。虹が見たいなら、雨を我慢しなくちゃね」

 

 これで良し、とリサは満足そうに笑った。膝の上には光沢のある赤いベースがある。

 

「んじゃ、今日も練習♪」

 

「あぁ。そうだな」

 

 俺は重い腰を上げた。たしかに、考えていても仕方ない。弱い自分を認めて、前に進んでいかないと。

 

「あ、そういえば聞き忘れてたんだけどさ」

 

 リサは振り向くと、不意に呟いた。

 

「桐也って、紗夜のこと好きなの?」

 

「!?」

 

 ……なんだよ急に。

 

「ずっと気になってたんだよねー。けっこう仲良いみたいだしさー」

 

 彼女がどこまで知っているのかはわからなかった。肩出しセーターの隙間から肌色を覗かせながら、憂い気な表情を浮かべている。

 

 すると、奥から男性のスタッフさんが歩いてくるのが見えた。しかし、気を使ったのかどこかへ消えてしまった。申し訳ないことをしたな。

 

「リサ。俺がどういう人間なのか理解した上でそれを言っているのか?」

 

「……どういう意味?」

 

「恋愛経験ゼロの俺にそういう自覚があると思うか?」

 

 確かに、と言って彼女は笑った。

 

 この機会だ。仮にもリサとは大学で出会った唯一の女子友達で、少しくらいは想いを打ち明けてもいいかなと思った。

 

「やっぱり、自分では分からないものなのかな~」

 

「あぁ。でも一つだけ言えるのは」

 

 俺はその続きを言わなかった。

 

 いや、言えなかったのだ。言葉にするには、あまりにも覚悟が足りず、震えていた。

 

 俺は急いで荷物を持つと、スタジオに向かって歩いた。

 

「ち、ちょっと待ってよ!」

 

「悪い。なんだか恥ずかしくてな」

 

「今更!?」

 

 仕方ないだろ、と情けなく呟く。あぁそうだ。俺は自分のことさえもよく分からないのだ。

 

 しかし、もう、どうとでもなれ。そう思っている自分がいるのも事実だ。

 

「今、一つだけ言えるのは──俺は、紗夜さんのことを心から尊敬してる。厳格さとかストイックさとか、俺には足りない部分が彼女にはあって──って、一つじゃないな」

 

「別にいいよ。聞かせて」

 

 渡り廊下のど真ん中で立ち止まって、俺は再び口を開く。

 

 心なしか、リサの顔が不安げに映った。

 

「叱ってくれるところとか、好きなものに真剣なところとか、面白いところとか──魅力が山ほどあって」

 

 話の途中で深呼吸をした。わかってる。いつか言わなきゃいけない時が来るってことは。

 

「……あのさ!」

 

 リサはまだ女装していない俺の服の袖を引っ張って、こう言った。

 

「嘘はつかないで────それだけでいいから」

 

 リサの言葉が骨の髄まで染み渡った。

 

 もうやめよう。自分に嘘をつくのは。

 

「俺は」

 

 震える声で、それでもその言葉を吐き出したくて。

 

 喉の奥に詰まったそれを、必死に引きずり出そうとしていた。

 

 色々理由をつけて、例えば逃げ出したり、話を逸らしたり、そう言ったことはいくらでも思いつく。

 

 とにかく恥ずかしいのだ。自分の想いを誰かに打ち明けるってことに慣れていなくて。今まで、ずっとひとりぼっちだったから。

 

 声に出したら言葉が死んでしまいそうで、それでも、それでも。

 

『桐也くん。我慢しなくていいから』

 

 こんな時に思い出す顔でさえも、好きな人のもので。 

 

 桐也くん、桐也くん──水色の髪が揺れて、それで抱きしめてくれて。

 

 ぬくもりを知ってしまった。何も無かった俺の人生に意味をくれたのは、紛れもなく彼女だ。

 

 あぁクソ! とっくに答えは決まっている! 

 

「紗夜さんのことが――好きだ」

 

 最初から答えは決まっていた。

 

 何を血迷っていたのか──最初からこれで良かったんだ。

 

「…………」

 

 リサは俺の後ろで、何も言わずにいた。

 

 顔は見えない。仕草も分からない。

 

 俺がこれを伝えることで、リサにとって何かが変わるのかと言われればそれはわからない。

 

 こんなことに意味があるのかさえも。

 

 ……そして、長い静寂を経て、彼女が呟いたのは。

 

「そっか」

 

 それだけだった。

 



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こっちに来ないで

「すみません。待たせてしまって」

 

「大丈夫よ。私も追試────用事があったから」

 

 見慣れた顔を見て少し胸をなでおろす。私、氷川紗夜は、湊さん、白金さんと一緒に帝大の理系キャンパス内に集合していた。

 

「一応理由を言うと、弓道部の活動予算の報告に誤りがあったようで」

 

「こちらも……衣装製作を……していました」

 

 白金さんは青薔薇のドレスを手に取って、私たちに見せてくれた。

 

「すごいわね」

 

「毎度、本当にお疲れ様です」

 

 黒を基調として、青薔薇で特殊加工をしたドレスだ。前見た時よりもずっと洗練されていて、よりRoseliaらしさが顕著に現れている。

 

「こうやって見ると、ガルパ杯が近づいてくるのを実感しますね」

 

「はい。楽しみ……です」

 

 白金さんは、僅かに口元を緩めていた。

 

「確か、一番良かったバンドを観客の投票で決めるそうですが」

 

「……私達は自分たちの最高のパフォーマンスをするだけよ。そうすれば自然と結果は着いてくるはずだわ」

 

 湊さんの言葉に、私と白金さんは頷いた。

 

 Roseliaは今年で結成四年目となる。『そんな上辺の数字に意味は無い』……かつての私なら、そう言っていたはず。

 

 重ねてきた年月が今この瞬間まで続いているのなら、それは無意味なことなんかじゃない。

 

 小さな目標を繋いで成長する。目標はゴールではない。これからも道は続いていく。

 

「すみません。遅れました」

 

 私たちはいつもの練習スタジオに乗り込んだ。

 

 桐也くんと今井さんは既に練習を始めていた。ドラムとベースはリズム隊として精密な連携が求められる。二人は私たちが入ってきたことに気づかず、新曲を合わせていた。

 

 演奏し終えてから、今井さんは顔を上げる。

 

「お、やっほー! 三人とも!」

 

「とてもいい演奏だったわね」

 

 友希那さんはポツリと呟くと、自前のマイクをセッティングした。

 

「ただ、リサ。あなたにしては珍しいミスもあったわ。修正していきましょう」

 

「おっけー☆」

 

 ミス? 私にはわかりませんでしたが。

 

 妙な言い回しだった。

 

「紗夜さん……具合が悪いんですか……?」

 

「!? だ、大丈夫です。すみません、集中します」

 

 白金さんに諭されると、急いでギターをアンプに繋いだ。

 

 そうだ。私はRoseliaのギタリスト、氷川紗夜なのだ。

 

 集中力を高めるために、ブツブツと唱える。

 

「練習は本番のように。本番は練習のように」

 

「……すげーいいこと言いますね」

 

 今日は女装していない桐也くんが、目を輝かせていた。

 

「練習で出来ないことは当然、本番では出来ません。ガルパ杯も近いですし、一打一打に魂を込めて行きましょう」

 

「わかりました!」

 

 桐也くんは腕をまくると、紫のスティックを持った。確か、妹のつぐみさんからのプレゼントだった気がしますね。

 

「よし」

 

 私は深呼吸をしてギターを持った。軽く試し弾きをして音量を調節する。

 

 もう一度詠唱した。練習は本番のように、本番は練習のように──

 

 準備万端だ。

 

 ◾︎

 

「今井さんに何かあったんでしょうか」

 

 練習後、私にはどうしても分からないことがあった。

 

 誤解の無いように言っておくと、演奏は上出来だった。慢心は良くないが、完成度はかなり高かった。

 

 しかし、なんだろう。この違和感の正体は。

 

「表情に……余裕が……ありませんでした」

 

 店外に出て、白金さんはそう呟く。

 

「いつも明るい今井さんが……あんな風に……」

 

「リサにも、色々あるのでしょう」

 

 人間なのだから、と湊さんはにべもなく言った。

 

「でも、不思議ですね。仮に落ち込むようなことがあっても、桐也くんが慰めていそうなものですが──」

 

「逆よ。桐也にも首を突っ込むことの出来ない事案が発生したとも取れるわ」

 

「歌以外で……、こんなに鋭い湊さんは……久しぶり……かも」

 

 外はすっかり日が落ちている。街の灯りがほのかに私達を照らした。

 

「そうですね。湊さん、何か心当たりでもあるのですか?」

 

「ええ。とっても」

 

 彼女は断言した。音楽以外のことに疎い、あの湊さんが。大変珍しい。

 

 今井さんのことを大切に思っているのでしょう。

 

「あの、私の勘違いだったら悪いのだけど」

 

 湊さんは、夜道で足を止めた。

 

 随分深刻そうな目をしていますが、なんでしょうか。

 

 きっと大事な話をするのだろう。今井さんか、もしくは──

 

「……?」

 

 おかしい。

 

 湊さんは私の方に指をさしていた。

 

 見当もつかなかった。何を言われるのか。私が何をしたのか。

 

 ギターか? 私の性格か?

 

『仲良しごっこをしたいのなら、ファミレスにでも行っていれば良いでしょう』

 

 数年前の嫌な思い出が甦った。ダメだ。思い出すな。

 

 私は、彼女たちを傷つけた──

 

 もう戻せない。やってしまったことはもう変えられない。

 

 せめて、私に今井さんのような人当たりの良さがあれば。どんなに良かったか。

 

「……訊いてもいいかしら」

 

「ええ」

 

 沈黙が、心臓の鼓動を早くさせた。

 

 白金さんは俯いて、服の裾をキュッと握っていた。

 

 もう覚悟は決めている。どんなことを言われたって、私は取り乱したりなんてするものですか。

 

「もしかして紗夜。あなた、桐也のこと──」

 

 え? 変な声が出た。

 

 驚きと動揺で続きは聞こえなかった。本当はずっと前から、わかっていたのかもしれない。

 

「……そんな訳が無いでしょう。何を言い出すのかと思えば」

 

 私は呆れたようにそう言い放つと、歩き始めた。

 

 大体、私が桐也くんに恋をしているだなんて。

 

 変なことを言いますね、湊さんは。

 

「それなら、良かっ──」

 

「こっちを見ないでください」

 

 絶対に、と私は付け加える。

 

 いつの間にか視界は滲んで一切見えなくなっていた。

 

 目から出たゴミが頬を伝って、冷めたアスファルトの上に落ちる。

 

 涙の行方なんて知りたくもなかった。

 

「……紗夜?」

 

「氷川さん?」

 

 あぁ、そうか。

 

 湊さんに言われて、こうして涙を流して。

 

 それでやっとわかった。

 

「──っ」

 

 私――――恋してるんだ。

 



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出待ちチュチュ、伏兵の贈り物

 あれから、一週間が経った。

 

 全く分からない。どうしてあの時、俺は『紗夜さんのことが好きだ』なんて言ってしまったのだろうか。

 

 しかも、リサに言ってどうするというのだ。いやはや、別にリサ以外に言っても仕方のないことではあるのだが……。

 

 ……いかんいかん。それより、新曲の練習だ。全ての神経を触覚と聴覚に集中させる。この瞬間だけは何もかも忘れられた。たとえ頭の中に水色の髪やピアスが浮かんでも、どうもしない。

 

 この手に握る、スティックとリズムとが自分の全て──

 

「ダメだ。今日は帰ろう」

 

 俺は堪忍すると、荷物を持って、スタジオを出た。

 

 GBP杯まで残り一週間。余計なことなんて考えてる場合じゃないのに。

 

 全く身に入らない。やはり最近の俺はどうかしている。

 

「あら。Hello、羽沢桐也」

 

 暗い気分でスタジオを出ると、スロープの手すりに寄りかかりながらこちらを見つめる女の子の姿があった。

 

「お、猫耳ヘッドホン、奇遇だな」

 

「チュチュと呼びなさいよ!!」

 

 相変わらずキレている。しかし以前会った時とは違い、多少の余裕が感じられた。

 

「今度はなんの用事だ? つまらない演奏だったから殺しに来たのか?」

 

 まさか、とチュチュは呟く。

 

「そもそもアナタの演奏は聴いたこと……まぁいいわ。それより、羽沢桐也。随分浮かない顔してるわね」

 

「そうか?」

 

 しまった。表情に出てしまっていたようだ。

 

 俺は無理やり真顔に戻す。チュチュが凝視してきた。

 

「あと、これ」

 

 彼女はバッグから紙袋を取り出すと、それを差し出してきた。

 

「……なんだ?」

 

「前のお返し。特別なんだからね」

 

 あー。確か、あの日はこいつに尾行された上にタクシーが来るまで待つ羽目になったんだっけ。そんなこともあったな。

 

「いや。お礼なんて要らないんだが」

 

「Shut Up! このワタシが頑張って選んだものよ。素直に受け取りなさい」

 

 チュチュの剣幕に、俺は頷くことしか出来なかった。

 

「……別にお返しを求めてた訳じゃないんだがな」

 

 4つほど年下の女の子に贈り物を貰うというのも、なんだか複雑な気分である。しかしまぁ、音楽プロデューサーからのビジネスライクなプレゼントだと思えばそっちの方が気持ちも楽か。

 

「じゃ、帰るわ。ありがとな」

 

 猫耳ヘッドホン、と吐き捨てて俺は足を踏み出した。いまは紗夜さんとRoseliaのことで頭がいっぱいだ。早く家に帰って、頭を冷やそう……。

 

「待ちなさい」

 

 チュチュは俺の帰路に立つと、人差し指をピンと立ててこう言った。

 

「アナタに見せたいものがあるわ」

 

 ◾︎

 

 一時間後。俺はRASの天才プロデューサーに連れられて、都内某所のタワーマンションに来ていた。

 

 最上階の50階にある部屋には、音楽の機材が大量に揃っていた。もしかしてだけど、これが──

 

「ここがRAISE A SUILENの練習スタジオよ」

 

「すげぇ……!!」

 

 スタジオと部屋が繋がっているのも驚きだ。こいつの率いるバンドはこんな立派な場所で鍛錬を積んでいるのか。

 

「あれ、チュチュ。知り合い?」

 

 しばらく周りを見渡していると、長髪の女性がベースを持ったまま近づいてきた。

 

「レイヤ。彼はRoseliaのサポートドラマーよ」

 

 ……え? お、おい。ちょっと待て。

 

 普通に正体バラしてんじゃねーよ!

 

「おい、チュチュ……!」

 

「いいじゃない。どうせいつかバレるんだから」

 

 畜生……後で覚えてろよ! 

 

「Roseliaの──あぁ。宇田川さんの代役ですか」

 

 物静かな女性は、頭を下げた。

 

「初めまして。私は和奏レイです。レイヤという名前で、RASのボーカルとベースをやってます」

 

 背が高くどこか大人びており、落ち着いている人だった。

 

 出会い頭に喧嘩を売ってくる、某帰国子女の問題児は見習った方がいい。

 

「よろしくお願いします。俺は羽沢桐也。Toyaって名前でRoseliaのサポートしてます」

 

「羽沢さん。よろしくお願いします」

 

 俺たちは常識的な初対面を成しえた。

 

「それじゃ、私は練習に戻……」

 

「チュチュ様〜♡ パレオはただいまやって来ました♡」

 

「よっしゃー! 今日もバシバシやってくぞー!」

 

「し、失礼します……」

 

 うるせえ!! なんだこれは! 

 

 部屋に入ってきたのは、ピンクと青色のツインテール女子、金髪スカジャンのヤンキー、そして青い髪にメガネをかけた大人しい女の子だ。

 

 個性が眩しすぎる。音楽やってる奴は派手なのが多いからなぁ……。

 

「ミンナ。今日は、Roseliaのサポートドラマーが練習を見学することになっているわ」

 

「ど、どうも……」

 

 俺は立ち上がって頭を下げる。すると、金髪の人が猛然とした勢いでこちらに迫ってきた。

 

「あたしは佐藤ますき。マスキングって名前でやってます。よろしくっス!」

 

 右手にはドラムスティックがあった。こいつが同士か。ドラマーはみんな友達。これ、世界の常識な。

 

「私はパレオと申します。チュチュ様がダイスキです♡」

 

「朝日六花……ロックです。よ、よろしくお願いします!」

 

 レイヤさんと金髪ヤンキーに比べれば幼い顔立ちをしている彼女らもまた、頭を下げた。異次元バンドのRAISE A SUILENは、挨拶ができる素敵な人たちで構成されていた。バンドマンは非常識な奴が多いので、これだけで好印象である。

 

 もっとも、演奏は一ミリも大人しくはないだろうが……それでいい。行儀のいい無能など現場には不要だ。

 

「羽沢桐也と言います。よろしく」

 

 軽く挨拶を済ませたところで、チュチュが不意に呟いた。

 

「早速今から、アナタのためにパフォーマンスをしてあげるわね」

 

 パイプ椅子に座った俺を、彼女はイカしたDJセットの後ろから急かすように見つめる。

 

「よーく見てなさい。これが、ガールズバンド時代を切り開くパーフェクト・サウンドよ」

 

 そう自信満々に言い遂げる。そうだ。彼女はかつて「RoseliaとPoppin’Partyを潰す」──こう言っていた。

 

 音楽に対するストイックさは誰もが認めるもので、友希那さんにも引けを取らない。そんな天才プロデューサーが、なぜ俺をここに連れてきた? 彼女に何のメリットがある? 

 

『~』

 

 しばらく考え事をしていると、キーボードの音が耳に入ってきた。繊細な響きで、俺は一気に引き込まれる。段々と音は重なって厚みを帯びてくる。

 

 音楽は肌で感じるもので、RASの演奏に理屈などなかった。先程抱いた疑問など、とうに消えていた。

 

 レイヤさんの歌声はパワフルで、年下とは思えないほどだった。ベースもブレがなく、安定感があった。ロックさんはメガネを外すと雰囲気が変わり、RASのメロディラインを牽引していた。ギターで人格が変わるタイプの人だ。

 

「……!」

 

 一番目を奪われたのは、マスキングさんだ。『狂犬』と呼ばれるほどのドラムロールは圧倒的で、心ではなく魂で叩いていた。

 

 俺との実力の差は歴然で、下手すりゃそこら辺のプロドラマーよりもイケてるんじゃないか──そう思わせるくらいだ。聴き手に煩雑なリズムを心地良く提供してくれるし、大胆なショットにも魅力があった。

 

 チュチュとパレオさんもパフォーマンス力に長けており、やはり全体がまとまっていて『圧巻』の一言だった。

 

「いい演奏だった」

 

 休憩中、俺はポツリと呟く。それを聞き逃さなかったのか、マスキングさんは目を輝かせて、

 

「あたしのドラム、どうでしたか?」

 

 そんなことを訊いてくる。見た目に反して腰が低い。

 

「いや、マジでアツかった。人間やめてるんじゃないかと思いましたよ」

 

「お褒めに預かり光栄です!」

 

 そう言って、マスキングさんは頭を下げる。この人はドラムの上手さも去ることながら、謙虚さと向上心が非常に魅力的だ。

 

 ……本当に良い音楽に出会った時、人は言葉を失う。

 

 それを体現した、RASの演奏だった。

 

「チュチュ。そろそろ帰るよ」

 

 RASのパフォーマンスを余すことなく堪能した後、俺は席を立った。

 

「羽沢桐也。もう満足かしら?」

 

「本当は、あと五時間ぐらい聴いていたいんだがな」

 

 でも、とチュチュの方を向いてこう続ける。

 

「こっちも負けてられないからな」

 

 失いかけた闘志が自らに宿っているのに気づいた。

 

 RAISE A SUILENの練習はさながら本番のようだった。表現力は桁違いで、技量もアマチュアの域をとっくに出ている。

 

「……あっそ。勝手にすれば」

 

「おう。ありがとな」

 

 チュチュは不機嫌になってそっぽを向いた。

 

「あと……お前のプレゼント、本当に使わなきゃダメか?」

 

「当たり前じゃない。ライブ当日、楽しみにしてるわよ」

 

 素っ気ない態度なのに、実際は優しさに溢れていた。全く。素直じゃないやつだ。

 

 青いバンダナなんて、およそ男に贈るものではないだろうに。何故だか、俺を奮い立たせてくれる!

 

「他の皆さんもありがとうございました。日曜日、GBPで会いましょう」

 

「羽沢さん。Roseliaの演奏も期待してますよ」

 

「先輩のドラミング、楽しみにしてます!」

 

 レイヤとマスキングさんに見送られる。俺は一礼すると、ゆっくりとドアを閉めた。

 

 廊下は、まるで世界から音が無くなったみたいに静かだった。エレベーターに向かって歩きながら、先程の演奏を思い返す。

 

 技術の集合体のようなパフォーマンスで、俺は呆気にとられた。失いかけていた自分の闘志を拾ってくれたチュチュには頭が上がらない。

 

 彼女らは本当に素晴らしいバンドだ。だが、こうも思った。

 

 俺たち、Roseliaも負けてない!

 



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プラチナ

「よっしゃー! 気合い入れてくぞー!!」

 

 ガルパ杯三日前。最後の練習で、例の彼は雄叫びを上げていた。

 

「随分気合いが入っているわね」

 

「はい! この湧き出るやる気を抑えられそうにもありません!」

 

 化粧してるにもかかわらず服装は普段着なので、少々笑いを誘っていたが。音楽に対するモチベーションは本物のようだった。

 

「チュチュさんに誘われて練習を見学したんですよね。何か、得られるものはありましたか?」

 

「ない!」

 

「!?」

 

 困惑する私たちを他所に、桐也くんは背筋を伸ばす。全く意味がわからない。

 

「思ったんですよ。『Roselia(俺たち)、全然こいつらに負けてないな』って!」

 

「それは得られることがあったということでは……?」

 

「羽沢さん、謎な人……」

 

「ヘイヘイヘーイ! 悪口はそこまでだぜー!」

 

「今日の彼、ずいぶんと元気ね」

 

「桐也がここまでうるさいのって中々だよね~」

 

 湊さんと今井さんの言葉に、私、氷川紗夜も賛同すると言わんばかりに首を縦に振る。

 

 ここ最近は彼に振り回されっぱなしだったが、久しぶりにドラム100%の桐也くんを見た気がした。──数日前のあれは、無かったことにする。とにかく、今はガルパ杯。みんなの情熱を、私一人の都合で潰すわけには行かない。

 

「羽沢さん……興奮してて……面白いです」

 

 白金さんが笑っているのを見て、何故だかこちらまでホッコリとする。

 

「とはいえ、ムキになって他人と勝負する意味はないと思うわ」

 

 湊さんはマイクの電源を入れると、そんなことを言った。

 

「最高の演奏ができたかどうかは、自分たちにしか分からないもの。そうでしょう?」

 

 誰一人として異論は無かった。そう。大事なのは、一年前、一か月前、一週間、一日前、一時間、一分、一秒前の自分たちより前に進んでいるか。

 

 そういうものだ。音楽というものは。

 

「準備はいい?」

 

「出来ました」

 

「おっけー!」

 

「大丈夫……です」

 

 湊さんの呼び掛けに、桐也くん、今井さん、白金さんは応じた。

 

 それを見て、私も口元を引き締める。

 

「──準備完了です」

 

 今井さんと目が合った。最近、彼女に避けられているような気がしていて。

 

 バンドに私情を持ち込んでいたからだろうか。仕方の無いことだ。邪念に囚われた私を非難する権利が彼女にはある。それでも、

 

「紗夜ー。今日も頑張ろう!」

 

 今井さんは私に向かってウィンクをした。あまりにもいつもと変わらない様子だったから、思わず笑みがこぼれてしまった。

 

 ──それから、私はひたすらにギターを弾いた。弾き続けた。気づけば恋などというものは忘れていた。些細なきっかけで人間は地獄にも天国にも向かうのだと、身を持って教えられたのだ。

 

 ◾︎

 

 俺たちRoseliaは、ガルパ杯の前日リハーサルを行うためにはるばる隣の県の会場まで来ていた。

 

 リサに恋心に勘づかれたことで一時はどうなるかと思ったが……友希那さんや白金さんがいつも通り接してくれたのと、チュチュが素晴らしい演奏を披露してくれたこと、そして紗夜さんとリサの頼もしい後ろ姿を見て、俺は調子を取り戻すことが出来た。

 

「広いね~」

 

「いい景色だわ」

 

 舞台はここ、メットライフドーム。名前の通りドーム型の施設で、プロが大型ライブをする時に使うような施設だ。

 

 GSP杯に期待する業界人は多いと聞く。ガールズバンド時代を牽引する七組のグループが参加するともあって、かなり注目されている大会だ。アピールにはうってつけの舞台である。

 

 初めての本番がドームか……とにかくデカい。自分がちっぽけであることを再認識させられる。

 

「緊張……してますか?」

 

 ステージの上に立って客席を見渡していると、白金さんが声をかけてきた。

 

 あまり彼女とは話したことがない。だから、話しかけられたのは少しびっくりだな。

 

「してますね。今は素の状態だから余計に」

 

「そうですか……でも……大丈夫です。『ライブは楽しまなきゃ損だよ』って……あこちゃんも……言ってました」

 

「そうですか。あの宇田川さんが」

 

 彼女は確か、明日のライブに足を運んでくれる予定だったはず。金輪際、中途半端な演奏は聴かせられないな。

 

「あの、羽沢さん」

 

 白金さんはこちらを振り向くと、

 

「自分だけの音……響かせて。ファンの皆さんが……あなたを待ってます」

 

 小さく笑って、そう言ってくれた。

 

 最初は無口で地味な人だと思っていたが、関わっていくうちに情熱的で一生懸命な人だと知るようになった。彼女はRoseliaにとって欠かせない存在だ。

 

「白金さん」

 

 俺は深呼吸すると、力強く言った。

 

「ありがとうございます。良いステージにしましょう!」

 

 彼女は口元を緩めて、

 

「はい……!」

 

 貴重な笑みがこぼれていた。俺という存在を、認めてくれている。この人を裏切るような真似だけは絶対にしないように誓った。

 

 ◾︎

 

「アタシたちが……」

 

「大トリ?」

 

 リサと友希那さんがそう呟く。機材のセッティングをした後、俺たちはガルパ杯主催者のPoppin’Partyボーカル、戸山香澄さんと話をしていた。

 

「はい! 本当は参加するバンド全員で集まって決めれたら良かったんですけど、都合がつかなかったみたいで……」

 

 勝手にくじで決めちゃいました、と戸山さんは笑う。

 

「でも、昔から交流のある皆さんとフェスで会えることはすごく嬉しいです! 私、キラキラドキドキしてます!」

 

「戸山さん。こちらも会えて嬉しいわ」

 

「キラキラ……?」

 

「『香澄語』って言われてるやつだね~」

 

 リサはそう言って笑うと、戸山さんの腕を掴んだ。

 

「香澄ー。最高のガルパ杯にしようね♪」

 

「はい! リサさん、友希那先輩、紗夜先輩、燐子先輩、Toyaさん、明日はよろしくお願いします!」

 

 俺たちは頭を下げた。不思議と戸山さんには人を惹きつける魅力がある。彼女の音楽に対する思いには敬意を払うと同時に、圧倒的な演奏で応えようと思った。本番は明日。

 

 今夜はよく眠れそうだ。

 

*

 

 ガルパ杯当日。ドームは超満員で、メディアや音楽関係者も多く駆けつけていた。

 

 全ての入場者が出場する全バンドを知っている訳では無いので、新規ファンを取り込むチャンスでもある。俺も曲を聴いたことがあるのはアフグロとパスパレ、RASだけであとは知らない。

 

 1.Morfonica

 2.ハロー、ハッピーワールド! 

 3.Afterglow

 4.Pastel*Palettes

 5.Poppin’Party

 6.RAISE A SUILEN

 

 このようなタイムスケジュールになっている。そして、お祭りの最後を飾るのは――もちろん、そう。

 

「あとは出番が来るのを待つだけね」

 

 待機室にて、友希那さんがそんな事を呟く。

 

「ええ。今井さん、調子はどうですか?」

 

 紗夜さんもリラックスしている様子。

 

「もうサイコー! 燐子は?」

 

「もちろん……ライブが楽しみです」

 

 各自、待機室で中継映像を眺めながら気持ちを高めている。

 

「──頑張ろうね、桐也♪」

 

「あぁ」

 

 かく言う俺もまた、椅子に座って小さく頷いた。お祭りのラストを飾るのは『Roselia』だ。



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Switch on now!

 フェスは順調に進んでいる。大きなトラブルもなく、二番目の『ハロー、ハッピーワールド!』までを終えた。

 

 Morfonica──通称モニカは月ノ森のお嬢様で構成されたバンドだった。バイオリンの音色は唯一無二で、ボーカルの声も良かった。トップバッターの重責を果たしてくれたと思う。

 

 ハローハッピーワールド──通称ハロハピは、なんかこう楽しそうだった。ちびっ子に人気があるらしく、入場者に子供が多くいたのはそういうことだ。

 

 観ているこっちまで笑顔になるようなパフォーマンスで、ボーカルのバク転がすごい。明るい演奏は、俺の心の汚い部分を洗い流してくれた。あとギターのシェイクスピア談話で会場が盛り上がった。

 

「次は、あたし達の番だね」

 

 美竹蘭はそう言った。本番を目前に控えたAfterglowが連絡通路で円陣を組んでいる。五人全員が同じ大学に進学しており、大変仲良しである。

 

「絶対成功させようね!」

 

「モカちゃんの超絶ギターテク、期待しててね~」

 

「アタシもかっ飛ばしていくぞー!」

 

「それじゃあみんな! えいえい、おー!!」

 

 

 

 

 

 

 

 シーン。ひまりさんは顔を真っ赤にする。

 

「もうー! なんでいつもやってくれないのー!」

 

「わざわざ口に出すことじゃないと思うし」

 

「時間も無いしな……」

 

「うわーん!!」

 

 何やら楽しそうだった。単身Roseliaの待機室から移動してきた俺は、声をかけるべきか悩んでいた。

 

 迷惑かな。でも、好きなバンドだし。妹もいるし。

 

 ここは行くしかないだろ! 

 

「つぐみ──と、アフグロのみんな!!」

 

 俺は笑顔で手を振った。ところが、

 

「……」

 

 反応が大変宜しくない。やはり邪魔になってしまったか──

 

「Roseliaにこんな人いたっけ?」

 

「でも、この声。どこかで聞いたことある」

 

「どなたでしょう~~?」

 

 不審者認定されていた。そっか、今女装してるんだっけか。

 

 これ以上追及されるのはマズい。さっさと戻るか……。

 

「あ、もしかしてお兄ちゃん?」

 

 赤黒のライブ衣装に身を包んだつぐみが、こちらに近づいてそう言った。

 

 まさか女装している兄貴に気づくとは。やはり俺の妹は出来がいい。

 

「そうだ。よくわかったな」

 

「あー! あの羽沢珈琲店で会ったお兄さん!」

 

 そう言ってから、ひまりさんは俺の服装を眺める。髪は紫のキャミソール。上から青いバンダナをつけていて、け〇おんの色違いりっちゃんみたいになっている。

 

 顔は化粧をしており、赤色のカラーコンタクトが入っている。黒色のドレスに青薔薇の装飾が施されていて……初見ではまず、男とは分からないだろう。

 

 喋らなければの話だがな。

 

「女装してるって話、ホントだったんですね~。つぐのお兄さん、女の子~」

 

「そうだな──いや、そんなことはいいんだ。これからアフグロの出番だろ? 俺、一ファンとして応援してるから! 期待してるぞ!」

 

 言ってから気づく。なんだか、妙に実直でらしくないコメントをしてしまった。

 

「ありがとうございます。あたし達のステージ、見ててください!」

 

「モカちゃんの超絶ギターテクに注目~」

 

「こら、モカは変なこと言わないの!」

 

「つぐみのお兄さんに応援されたら、なおさら演奏に熱が入りますよ!」

 

「はい――って、巴さうおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

「!?」

 

 巴さんがおる!!!!!!!! 

 

 背高い! ノースリーブ! 姉御肌! 

 

「俺、大ファンなんです!! 今日も最高のドラム期待してます!」

 

「ぶ、ぶちかましますから、着いてきてくださいよー!」

 

「巴ちん、照れてる~」

 

「さ、行くぞー!」

 

 こうして、Afterglowはステージへと羽ばたいて行った。みんな仲良しで何よりだ。

 

 Roseliaも昔はギスギスしていてどこか余裕がなかったと聞くが……真実は分からない。大切なのは今だ。

 

『〜♪』

 

 待機室に戻ると、既にライブは始まっていた。友希那さんは声出しで不在。白金さんはヘッドホンをしてキーボードを弾いている。

 

 一方、紗夜さんとリサは楽器を置いて、中継映像を眺めていた。

 

「お、桐也。もうアフグロの演奏始まってるよ~」

 

「妹さんが出ているのですから。きちんと見ましょう」

 

「わかってますよ」

 

 一応ファンですから、と言ってから俺は荷物からサイリウムとハチマキを取り出した。

 

「Hey Y.O.L.O! ハイ! ハイ! ハイ!」

 

「桐也……」

 

「想像を遥かに超える本気度ですね」

 

 美竹さんの歌には否応ない魂がこもっている。青葉さんのギターは正確でロックだ。ひまりさんもミスなくベースを弾いている。巴さんのドラムは相変わらずスゲェ。つぐみのキーボードも数年前に野外で聴いた時よりも遥かに上手くなっている。

 

 五人の音が合わさって、初めて最高の音楽ができる──それを体現した素晴らしい演奏だ。

 

「今度のワンマンライブも絶対行こう──!」

 

「本当に好きなんですね」

 

 隣の紗夜さんが何食わぬ顔で呟く。それを見て、俺はサイリウムを振る手を止めた。

 

「ただの一ファンですよ」

 

「……熱狂的なファンの間違いだと思うんですが」

 

「ほら、桐也! つぐみが挨拶してる!」

 

「なんだって~!?」

 

 俺は心からアフグロのライブを楽しんでいた。紗夜さんは半分呆れながらも、微笑んでいるように見える。

 

 そうだ。昔から、妹が友人と楽しそうにバンド活動をしているのが羨ましかった。俺にも熱中できるものが欲しくて、知人が誰もやってないPCゲーに手を出したりだとか、勉強に力を入れたり──それでもソロプレイだったから。

 

 今こうして、Roseliaのみんなと音楽が出来てることを本当に誇りに思っている。紗夜さんやリサには心を揺さぶられっぱなしだが、どちらも大切な仲間であることには変わりない。

 

『Afterglowです。ありがとうございました!』

 

 バンドって最高だな。

 

 五人の演奏を見て、心からそう感じた。

 

「いいライブだったねー! 次はPastel*Palettesかー」

 

「確か、桐也くんは白鷺さんのファンでしたよね?」

 

「はい。パスパレへの興味はイマイチですけどね」

 

「それは意外ですね。CDを全て買い揃えていそうなものですが」

 

「はい。アイドルってよりは、子役としての千聖さんが好きなので」

 

 俺はそう言うと、急ぐように席を立った。

 

「あれ、桐也ー。どこ行くの?」

 

「決まってるだろ」

 

 俺はドラムスティックを持って、ニヤリと笑う。

 

「打ち鳴らしだよ。パスパレの後のブレークタイム中には戻ってくる」

 

 出番はおおよそ一時間半後。そろそろ気合いを入れないとな。俺は他の誰でもない、Roseliaのドラマーなんだから。

 

「良い心がけです」

 

 紗夜さんもまた机に立てかけてあったギターを持って、立ち上がった。

 

「最高のライブにしましょう」

 

「はい!」

 

 彼女はとても真剣な顔をしていた。好きなんだ。笑っても怒っても、なんでもないような顔して佇んでいる時も。

 

 不思議と力が、湧いてくるんだ。



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ついにステージへ

「千聖さん、日菜さん」

 

 俺は独り言を呟いて、ドラムの前に座った。

 

「ごめんよ」

 

 気持ちを入れ直して、スティックを握る。鏡に映る自分はまるで他人のようだった。青いバンダナが繊細な髪を束ねていて、精巧な化粧は涙袋を強調する。衣装がボディラインを上手に隠しており肌面積は少ない。

 

「〜♪」

 

 新曲のメロディを口ずさみながら、ドラムを叩く。スネアとシンバルのリズムが、俺をランナーズ・ハイに引きずり込んでいく。重厚感溢れるバックサウンドに負けないように、全神経を研ぎ澄まして──

 

 心は青薔薇に染まっていく。

 

 ◾︎

 

「やべえ……集中しすぎた!」

 

 時計を見ると、結構な時間が経っていた。ついつい長くドラムを叩いてしまったようで。俺は慌てて待機室に戻った。

 

「ただいま────」

 

「宇田川さん。少し大人っぽくなりましたね」

 

「えへへー、そうですかー?」

 

 どうやら、待機室には先客がいたみたいだ。

 

「あこー。受験勉強、頑張ってるー?」

 

「もっちろん!」

 

「お久しぶりね。足を運んでくれてありがとう」

 

「あこちゃん……久しぶりに会えて……嬉しいよ」

 

「りんりんー! 友希那さん、紗夜さん、リサ姉! あこ、超感動してるよー!」

 

 うん、ちょっとタイミングが悪かったかな。

 

 宇田川さんの登場で、場が明らかに和んでいた。彼女と会うのはオーディション以来だろうか。

 

 少し大人っぽくなった気がする。相変わらずツインテールの厨二病スタイルではあるが。

 

「こんにちは」

 

 俺は小さく頭を下げる。すると、宇田川さんは一瞬キョトンとした。

 

「あ、えーっと」

 

「彼女はToyaよ。彼女、と言うには語弊があるかしら」

 

「……あー!! もしかしてとうちん!?」

 

「そんなふうに呼ばれるのは初めてだが──まぁそうだ」

 

 友希那さんナイスフォロー。さすが俺たちのボーカルだ。

 

「化粧してきたのー? すごく可愛いよー!!」

 

「ありがとう。えっと、宇田川さん、だよな」

 

「いいないいなー。あと、あこでいいよー!」

 

 あれ? こいつ年下だよな? 

 

「じゃあ、あこで」

 

「うんうん。とうちんのドラム、すっごく期待してるからねー! なんかこう、闇の炎がバーンとする感じの!」

 

「あっははは! だってさ、桐也!」

 

「意味わかんねぇよ!」

 

 闇の炎がバーンってなんだよ。

 

「……実際、プレッシャーは感じるがな」

 

 俺は思わずそう漏らす。これが初めての大舞台だから。

 

「なら、あこに叩いてもらうのはどう?」

 

「そ、それはいかんですよ!!」

 

「最近ドラムやってないから、あこにはちょっときついかな~」

 

 あこが苦笑しながらそう言った。すると、友希那さんが真顔で口を開く。

 

「桐也、今はあなたがあこの意志を受け継ぐドラマーよ。重圧を跳ね返して、ファンのみんなに認められなければいけない」

 

 そうだ。俺の加入は、実際のところあまり歓迎されていないのだ。

 

 好きなバンドのメンバーが得体の知れない人間に代わったと言えばわかるだろうか。ましてやガールズバンドの中に男が一人混じるんだから、リスクはなおのこと大きい。演奏面でのクオリティが下がることは許されないだろうし、正体がバレれば俺の命はないだろう。

 

「わかった。俺、あこの分まで頑張るよ」

 

「桐也ー、かっくい~!」

 

「からかうんじゃない!!」

 

 とりあえず、今日はポピパとRASの演奏を見るのはやめておこう。そりゃあ音は漏れてくるだろうけど、自分のことに集中しようと思う。

 

「それじゃ、頑張ってねー!」

 

「ありがとう」

 

「あこー、明日一緒に飲もうね~!」

 

「今井さん。彼女はまだ未成年ですから」

 

「あこちゃん……また遊びに来てね」

 

 宇田川さん──あこがやって来たことにより、俺たちの士気は明らかに高まっていた。

 

 五人の中に俺は必要ないみたいだった。……って、それは考えすぎか。

 

 彼女と俺とではあまりにも過ごした年月が違う。あくまで自分の仕事は、彼女が復帰するまでの時間、Roseliaのサポートドラマーとして任務を果たすこと。それだけだ。

 

『さぁさぁ、遂に大トリの登場です!』

 

 ──やがて、時が来た。Poppin’PartyとRAISE A SUILENのパフォーマンスは往々にして終わり、場内は最高潮の盛り上がりを見せている。

 

 二つのバンドの演奏時には控え室までファンの歓声が聞こえるほどで、思わず心臓の鼓動が早くなった。

 

 あの中に、俺が行くのか。

 

 ほんの数ヶ月前までは考えられなかったことだな。

 

「……間もなく始まるわ」

 

 Roselia(俺たち)は連絡通路で円陣を組んでいた。友希那さんが力の籠った瞳で語る。

 

「今日までの道のりは果てしないものだったわ。ハードな練習を何日も続けたし、特に新曲の完成には想像を絶する時間を要した」

 

 観客の声援が通路にまで響き渡っている。

 

「行きましょう。私たちはRoselia」

 

「頂点に狂い咲く、青い薔薇」

 

 気持ちの入った声で、紗夜さんが続けた。

 

「不可能を成し遂げ」

 

「それは……奇跡に変わる」

 

 リサと白金さんが後に続く。

 

 最後は俺か。

 

 拳を握りしめて口を開いた。ここで怖気付いて、何がRoseliaのドラマーだ! 

 

「潰えぬ夢へ、燃え上がれ────」

 

 全員で手を合わせる。一人一人の温度が伝わって、それは最高の熱意へと変わっていく。

 

「私たちは」

 

 合わせた手と手を、天へと突き出して。

 

 一点の曇りもない表情で、精鋭共は声を合わせる。

 

『Roselia』

 

 青い炎が咲いた。

 

 誇りと情熱を持って、最高のパフォーマンスを披露する。

 

 それが宿命であり本懐でもある。

 

 あの高いステージに向かって、一歩ずつ踏みしめて歩く。

 

 もう何も怖くない。頂点への道は目の前に見えている。

 



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狂い咲く青薔薇の

 ステージの上から見る観客席は果てしなく大きかった。顔も見えないファン達が、大トリの登場に湧いた。

 

「きゃー!!」

 

「友希那さん!!」

 

「氷川さーん!」

 

 思わずドラムスティックを持つ手が震える。

 

 あの日、観客として眺めていた時は想像がつかなかった。Roseliaのドラマーをやることが、どんなに重責であることかを。

 

 空席はほとんどない。紫のサイリウムが会場を包む。

 

 落ち着け、俺。練習のようにやればいいだけだ。

 

「桐也くん」

 

「!」

 

 顔を上げると、そこには紗夜さんが立っていた。

 

 かつてなく真剣な面持ちで佇んでいる。手には青く光るギターがあった。

 

「自信を持って。貴方なら出来ます」

 

 そんなことを言って、紗夜さんはそそくさと前を向いた。

 

 そうだ。彼女だけでなく、スタンドマイクを握る友希那さん、ベースを背負うリサの後ろ姿が、キーボードの前に立つ白金さんの横顔が、なんて頼もしいんだろう。

 

「はい!」

 

 俺なら出来る────。

 

 否、Roseliaのドラマー、Toyaなら出来る! 

 

『早速行くわよ』

 

 始まる前だってのにもう汗だくだ。ロングタイツが熱をこもらせて、ドレスはきつくて──

 

 つぐみから貰ったドラムスティックは傷だらけだ。塗装はところどころ剥げてるし、それでも叩きやすくて気に入っている。

 

 そういえば、思い出した。

 

『あら。羽沢桐也、ワタシのpresentはどう?』

 

 ここに来る途中、パフォーマンスを終えたチュチュはすれ違うなり真っ先にそう言った。ダブルミーニングだ。青いバンダナはもちろんのこと、先ほどステージで披露した最強の演奏はまさしく、プレゼントに相応しいものであったと言いたいのだろう。

 

 全く、笑わせてくれるぜ。

 

『聴いてください。FIRE BIRD』

 

 青バンダナは観客の声援に揺れた。

 

 不安定な俺の心を一つにまとめあげてくれる、大切な装身具。

 

『空がどんな高くても 羽根が千切れ散っても』

 

 チュチュ。お前のプレゼントは最高だよ。

 

 弱気な俺を大空に舞い上がらせてくれるんだから。

 

『翔び立つこと恐れずに 焦がせ不死なる絆』

 

 Roseliaの一員として、大空へと羽ばたかせてくれるんだから! 

 

『Fly to the sky, Fire bird──』

 

 ハイハットとスネアがウズウズしている。

 

 友希那さんの声は魂に満ちていて、それは嵐の前の静けさのようで。

 

「潰えぬ夢へ──燃え上がれ!!」

 

 ここで羽ばたくと決めた。だから、やってやる! 

 

 スティックを握りしめて……1.2.3.4────

 

「……!」

 

 ドラムは鳴り止むことを知らない。コーラスに急かされるようにして、けれども頭は冷静にリズムを刻んでいて。

 

 体が覚えている。成功する感触を。その重くのしかかるサウンドに規律を付ける喜びを。

 

 ひたすらにスネアの音が気持ち良くて。右手、右足。左足、左手。どれをとっても止まりそうになくて。

 

 楽しいなんてレベルのものじゃなかった。音の世界に溶け込み、アドレナリンが脳から溢れる。演奏している今、この瞬間──全てが輝いて見える。

 

『不可能』が『奇跡』になった。

 

 ◾︎

 

 私、羽沢つぐみは待機室からRoseliaのライブを観ていた。

 

 相変わらずと言ってはなんだが──その、すごかった。

 

 音と音とが融合して、革命を起こす。

 

 単純に比較できるものでは無いけど、演奏力は私たちより遥かに上だった。

 

「……」

 

 みんな喋らない。Roseliaのライブに圧倒されて、言葉が出ない。

 

 いつもはおしゃべりなひまりちゃんが黙りきっている。これはお兄ちゃんに見とれてるからかもしれないけど……それでも。聴き入る演奏であることは確かだ。

 

「つ、つぐ! お前の兄ちゃんすげーな!!」

 

 最初に沈黙を破ったのは、巴ちゃんだった。

 

「うん。想像以上だったね」

 

「あぁ。多分……あこには少しだけ及ばないかもしれないけどさ、すげぇよこれは!」

 

 興奮していて呂律があまり回っていなかった。そうかもしれないけど、巴ちゃん。

 

 お兄ちゃん、ひょっとしたらあこちゃんよりスゴいかもね。加入して一ヶ月半でこのレベルにまで達してるんだから。

 

 ──なんて、買い被りすぎだろうか。

 

「巴。確かに、技術的にはあこの方が上かもしれないけど」

 

 蘭ちゃんは腕を組みながら続ける。

 

「誰よりも演奏に魂がこもってた。Roseliaのメンバーとして、十分評価に値すると思う」

 

 ドラムのことはよくわからないけど。蘭ちゃんはそう言った。

 

「あぁ……それにしても、アツい演奏に対して表情はクールだな」

 

 巴ちゃんがそんなことを呟く。たしかに、昔からお兄ちゃんは感情を表に出す人ではなかった。親を亡くした影響からかどこか大人びていて、どんなことでも一人でやろうとしていた。妹である私との関わりも少なかったし、友人も数える程しかいなくて。

 

 それでも、リサ先輩や紗夜さんと関わるにつれて、お兄ちゃんは素直に自分の気持ちが言えるようになっていた。

 

 友情、恋情は人を変えるって。それが良い方向で何よりだと思っている。

 

『今日から、宇田川あこの代わりにサポートメンバーのToyaがドラムを担当しているわ』

 

 壇上の友希那先輩がそう言うと、女装して別人になったお兄ちゃんが可憐な動きで頭を下げた。

 

 観客の拍手が鳴り止まない。ドラムを意識して聴く機会なんて普段はほとんど無いけど、あこちゃんとお兄ちゃんは相当な身長差があるし。青バンダナも目立っていて、注目を集めるには十分だった。

 

「可愛いー!!」

 

「大人っぽい!」

 

「ゴーストノートが独特でいいねー!!」

 

 無論、それが男性だと知る者はいない。一部の関係者しか知らないはずだ。

 

『次の曲行くわよ』

 

 必要最小限のMCで場を繋ぐ。圧倒的強者のRoseliaに死角はない。

 

『THERE IS A REASON』

 

 なんと驚くことに二曲目はカバー曲だった。アニメソング歌手である鈴木このみさんのバラードだ。

 

『どこから話せばいいんだろう 待ちくたびれても』

 

 先程の激しい曲から打って変わって、場内が静かになる。友希那先輩の美声が会場中に響く。

 

『終わりだなんて言わせないから』

 

 Roseliaが他人の曲を歌うなんて、とても意外なことだった。

 

『何もかもを壊したら不可能を始めればいいんだ』

 

 今日ここで演奏された曲にはバラードが少なかった。アップテンポな曲とのギャップに酔いしれるファンも多いはずだ。

 

『So 愛のために泣けるのは 君がそこにいるから』

 

『君だけを呼び続けるから』

 

『愛のために歌うのは そして共に生き抜く事』

 

『ずっと 君と──』

 

 ピアノの音だけでアカペラみたいだったが、オーケストラのように各パートが加わりやがて広がっていった。終盤、アップテンポになる様は大変美しいものだった。

 

「最後は新曲を披露するわ」

 

 そうした力強い演奏の後に、友希那先輩はそう言った。もう最後かと惜しくなる。

 

 鳥籠の歌姫──こんな通称を聞いたことがある。それはもちろん彼女のことで、しかし今は鳥籠なんてものじゃない。

 

 聴いた者を魅了する、絶世の歌姫だ。

 

『それじゃあ、行くわよ!』

 

 半日に渡る超大規模フェス、ガールズバンドパーティー。

 

 総勢七バンド、計21曲のラストを飾る曲は。

 

6(シックス)

 

 新曲だった。ベースソロから始まり、四拍子で重厚なサウンドが鳴り響く。会場で直接聴けていたらもっとすごかっただろう。

 

 一音一音がテレビを前にする私たちに強く突き刺さった。そうか。6って、6って……! 

 

 友希那先輩、紗夜さん、リサ先輩、あこちゃん、燐子先輩、そして……お兄ちゃん。

 

「……つぐみ。これって」

 

「うん!」

 

 私は蘭ちゃんの問いかけに頷いた。

 

『6』は他の誰でもない。Roseliaの六人のことだ! 

 

 

《用語解説》

 

スネア……ドラムの小太鼓みたいな音が鳴るところ。

 

ゴーストノート……不規則にいい感じの音を入れたりするやつ。相当なセンスと努力が必要である。



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さわれない結果

 俺たちRoseliaは最高のパフォーマンスを披露することができ、大盛り上がりでライブは終わった。

 

 しかしまだガルパ杯は終わっていない。というのも、結果発表が残されているからだ。

 

 投票結果はもう少しで出るという。演奏を終えて待機室に戻ると、そこには沢山の他バンドの方がいた。

 

「ポピパ、Afterglow、パスパレ、ハロハピ、モニカ、RAS──」

 

 リサが読み上げる。それを聞いて、俺は戦慄した。

 

「全員いるじゃねぇか……」

 

「ここはRoseliaの待機室のはずですが」

 

 紗夜さんも困惑している。というか狭い。暑い。シンプルに出て行って欲しい。

 

「友希那せんぱーい!! スゴくいい演奏でしたね!」

 

 すると、人混みの中からポピパのボーカルさんが抜けてきた。

 

「戸山さん。Poppin’Partyも良かったわ」

 

「あたしも悪くなかったと思います」

 

 すると、今度は美竹さんが横からしゃしゃり出てくる。

 

「……『悪くなかった』?」

 

 友希那さんと美竹さんが視線でバチバチやり合っていた。それに気づいたのかはわからないが、戸山香澄さんが手をパンパンと鳴らした。

 

「もうすぐ結果が出るみたいです! フェスのTシャツに着替えましょう♪」

 

「!?」

 

 え……俺は嗚咽を漏らした。

 

 緑のシャツにオシャレなフォントで『GBP』と書いてある。いや──そんなことはどうでもいい! 

 

「Toyaさん? どうかしましたかー?」

 

「ちょっと……中に着るインナーを……」

 

 いや待て待て待て待て!! 

 

 何人かここで着替え始めてるんだが!? 

 

 そっか! みんな女子だから気にしなくていいってか! 

 

「すみません、ちょっとトイレに──!!」

 

「Toyaさん!?」

 

「放ってあげてください。きっと、彼女も恥ずかしがり屋なのでしょう」

 

 廊下に出た時に、紗夜さんのフォローが聞こえた。ナイスだ! 

 

 ていうか、戸山さんは俺が男だってことに気づいていないのだろうか。この女装は相当レベルが高い。普通、声で気づくと思うけどな。

 

「よし」

 

 俺はなんとかトイレで着替えることに成功し、生肌もインナーで隠してから再び廊下に出た。

 

「羽沢さん……もうすぐ……ステージに出るそうです」

 

 すると、俺を待ち構えるかのように白金さんが壁際に立っていた。

 

「わかりました。今日は素晴らしい演奏をありがとう」

 

 俺は一礼した。それを見て、彼女は頷く。

 

「すごかったよ、本当に」

 

「いえ、羽沢さんのドラムも……」

 

「出ますよー!! せーのっ!」

 

 わー!! 女子の黄色い声とともにみんながステージへと駆け出していく。置いていかれないように、俺もまた走り出す。

 

「……!!」

 

 再び躍り出た壇上から見えたのは、GBP杯のTシャツに身を包んだ観客席だ。

 

 どこまでも煌めいていて、夢と希望に満ちていて──これがフェスか。

 

『投票の集計が完了しました。それでは、結果発表〜!!』

 

 拍手が鳴り止まない。ポピパ、アフグロ、パスパレ、Roselia、ハロハピ、モニカ、RAS──

 

 口々に観客がバンドの名前を叫ぶ。

 

『まずは七位から──と言いたいところですが、時間が押しているのでTOP3だけ発表します♪』

 

 場内の盛り上がりは最高潮に達していた。えっと、一位のバンドには何かしらの賞品が与えられるんだっけか。

 

 旅行のチケットだったりしてな。

 

『三位──』

 

 ごくり。

 

『Poppin’Partyー!』

 

 戸山さんはそう言うなり、バンドのメンバーと共に一礼した。場内に拍手が鳴り響く。

 

 ポピパで三位か。プロ目前の本格派が優勝者でないとなると、一位、二位はどのバンドになるのだろう──。

 

『惜しい結果になっちゃったね、有咲♪』

 

『なんで私に振るんだよ!』

 

 こういうのは見ていて楽しい。仲良しなんだな。

 

『それでは、二位の発表です♪』

 

 小さい女の子に司会が代わった。えっと、牛込りみさんだっけ。とても可愛らしい声をしている。

 

『二位のバンドは──』

 

 頼む。ここで来ないでくれ。

 

 Roseliaには頂点が相応しい。いや、少なくともRASだけには負けたくない! 

 

 チュチュのほくそ笑む顔なんか見たくない。演奏が終わってから、目も合わせていないのだ。

 

 頼む、お願いだ。来ないでくれ。RASになんて、負けたくない! 

 

『二位は』

 

 ごくり。自分の唾を飲む音が聞こえた。

 

『RAISE A SUILENです!』

 

 おっしゃあああああ!! 

 

 どうだ、チュチュ! 

 

 ウチのボーカルを煽っているようじゃまだまだなんだぜ! 

 

「……」

 

 チュチュは不機嫌そうな顔でそっぽを向いた。やはり優勝以外見えていなかったのだろう。

 

『それでは、一位の発表です』

 

 ここで、またしても司会が変わる。先ほど戸山さんとイチャイチャしていた金髪ツインテールの女の子だ。市ヶ谷有咲さんだっけな。

 

『えっと……やべぇな。ちょっと緊張してきた──』

 

 やめてくれ。そんなこと言われたら、こっちまで手足が震えてくるじゃないか。

 

 友希那さんと紗夜さんは鉄の仮面を被っているけど、リサは先からあたふたしてるし、白金さんも無言で自分の爪を手のひらに突き刺してるぞ! 

 

『コホン。改めて、ごきげんよう』

 

『そのキャラまだ続けてたの?』

 

『う、うるせー!』

 

 イチャイチャは続く。今度はギターの花園たえさんが突っかかった。

 

『今度こそ改めまして、こんにちは。花園たえです。ええと、半日に渡るGBP杯、如何だったでしょうか。──七組のバンドの活動は続きますので、これからもどうぞ応援をよろしくお願いします!』

 

 場内に拍手が鳴り響いた。

 

 そうだ。俺たちなら大丈夫。

 

 Roseliaは最高のパフォーマンスをした。

 

 俺が足枷にならなければいいが。いや、本当になんでもいい。

 

 Roseliaに優勝させてくれ! それだけでいい。

 

『それでは、一位の発表です! 七組の頂点に立ったバンドは──』

 

 ─────時が止まったみたいだった。

 

 心臓が止まったのかもしれない。

 

 僅かな静寂は、確かな自信までも奪っていく。

 

『一位はAfterglowです!』

 

 この日、Roseliaは負けた。

 

 たしかに負けたのだ。

 



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未完成エンディング

 待機室にはかつてないほど重苦しい空気が流れていた。まるで死んだかのように、俺は椅子によりかかって天井を見つめる。

 

 気持ちの整理がつかない。どうして、Roseliaが負けた──? 

 

 現在、ステージ上ではAfterglowによるアンコールが行われている。

 

 納得がいかない。結局、俺たちは彼女らやRAS、Poppin’Partyよりも下だったのだ。

 

 こういう時につくづく思う。俺たちにとっての『完璧』ってなんだったのだろうか? と。

 

「……甘んじて受け入れましょう」

 

 最初にそう言ったのは、壁によりかかっていた友希那さんだ。

 

「私たちは全力を尽くしたわ。これで負けるのなら仕方が……」

 

「──私のせいです!」

 

 その時。椅子に座っていた紗夜さんが、机を叩いてそう叫んだ。

 

「皆さんに多大なる迷惑をかけました。個人の感情に踊らされて、100%の姿勢で望めなかった私の責任です!」

 

 誰も何も言えなかった。紗夜さんは目にうっすらと涙を浮かべている。

 

 心が震える。

 

 今にも崩れてしまいそうな。

 

 そんな顔。

 

 そんな顔が、大嫌いだ。

 

「──紗夜さん!」

 

「!」

 

 俺は彼女の体を起こすと、両手を肩に置いてこう言った。

 

「なんでこれで終わりみたいな言い方してるんですか!! 俺たち、まだ始まったばかりでしょう!?」

 

「桐也くん。何を言って──」

 

「何を言ってるのか分からないのはあんたの方ですよ!! 良いですか!」

 

 俺はひと呼吸置いてから、

 

「『ギターを辞めない』って、日菜さんと約束しましたよね!」

 

「……!!」

 

「例えば辛いことがあるならみんなに相談するなりして。それで、ギターは辞めないって! なのに、どうして──」

 

 叩きつけるように言った。

 

 俺だ。全ての原因は俺なのだ。

 

「感情に踊らされていたのはむしろ俺の方です。長い間続けていたRoseliaの進化を、たった一人で止めてしまった──」

 

 Roseliaは圧倒的な実力で、様々な逆境をくぐり抜けてきた。そしてこれからもそうするべき存在であったはずだ。

 

 このGBP杯では真の実力が試される。現にファンの数では圧倒的一位のパスパレでさえ、トップ3には入っていないのだ。

 

 純粋に力不足であったと認める他ない。その原因を作ったのは俺だ。もう少しまともなドラマーだったら、こんなことには──

 

「それは違うよ、桐也」

 

 ハッとして顔を上げると、そこにはリサが屈んで座っていた。

 

 彼女は紗夜さんと俺を交互に見ながら、優しい声色で続けた。

 

「今回一位を取れなかったことは残念だけどさ、もっと練習して上目指そうよ。全力でやった結果なんだから受け入れるしかないって♪」

 

 俺の論理が破綻していることはわかっていた。

 

 それでも、どこか体裁に甘えている自分がいたことに気づく。

 

「紗夜をかばいたい気持ちはわかるよ。でも、それが自分を卑下していい理由にはならないじゃん」

 

「その通りだと…………思います」

 

 白金さんが、重い口を開いた。

 

 かつてなく真剣な目をしている。

 

「羽沢さんは…………Roseliaのサポートドラマーとして……今井さんの……無茶ぶりに……応えてくれました」

 

「あはは~」

 

 リサは何も無理に笑っている訳じゃない。

 

 バカな俺にもそれくらいはわかる。

 

「知っての通り……Roseliaのドラム譜は難しいものばかりです……。中途半端なドラマーには……お願いできませんでした」

 

 彼女はおもむろに、立ち尽くす俺の手を取った。

 

「羽沢さん……この傷だらけの手が、何よりの証拠です……貴方は十分に努力をしていました……だから、もう自分を悪く言うのは……やめて」

 

 俺は間違っていた。自分のせいにしてその場から逃げるなんてことは、許されていなかったのだ。

 

「氷川さんも同じです……誰よりも努力家で……いつだってカッコいい……そんな存在……だから!」

 

「白金さん────」

 

 うつむいていた顔を上げて、紗夜さんはそう言った。

 

「本当ですか?」

 

「はい……自信の無かった私を……漠然とした不安を抱えていたあこちゃんを……正しい方向に導いてくれました」

 

「アタシも。紗夜に助けられたこと、いっぱいあるよ!」

 

「ええ。数え切れないほどあるわ」

 

「皆さん──」

 

 紗夜さんは目を真っ赤にしていた。相当思い詰めていたのだろう。

 

「すみません。取り乱してしまって……!」

 

「いいのいいの」

 

 リサは紗夜さんの涙をハンカチで拭いていた。それを白金さんが僅かに口角を上げて見つめている。

 

「助け合うのは当然でしょ? 友希那、紗夜、燐子、あこ、桐也、そしてアタシ──六人でやってきたんだから」

 

 ふと、観客のざわめきが聞こえてくる。しかし、そんなことは意にも介さずにリサは続けた。

 

「だから、今回のはみんなの責任。誰のせいとか、そういうのはナシ!」

 

 彼女はそう言ってはにかむ。何よりも安心感があった。

 

「リサの言う通りだわ。一人で抱え込む必要はない。みんなで悩んで、みんなで答えを出す。私たちはそうやって壁を乗り越えてきた」

 

 友希那さんはゆっくりと手を差し伸べた。

 

「紗夜、一緒に進んで行きましょう。私たちは」

 

 紗夜さんはゆっくりと顔を上げる。

 

 自分に問われていると気づいて。水色の髪が風に揺れた。

 

「……Roseliaなのだから」

 

 彼女はそう言い切った。

 

 喉から振り絞るような、そんな声だった。

 

 これにて一件落着、か。

 

「……」

 

 また誰かに救われてしまった。やはり俺はまだまだ子供だな。

 

「それじゃ、そろそろ帰るわよ。荷物を持って、戸山さんにお礼を──」

 

 その時。

 

 ざわめきが更に声量を上げた。歓喜が混じっているようにも聞こえる。

 

 ドアが開いたのだ。そこには二人の女性が立っていた。

 

「戸山さん、市ヶ谷さん。どうしたの?」

 

「あの、本当にすみませんでした!! このバカが……!」

 

 市ヶ谷さんは必死に頭を下げる。横で、戸山さんが頭をかいていた。

 

「……本当にどうしたのですか?」

 

「実は、その──」

 

 戸山さんはバツの悪そうな顔をして、

 

「私が桁を読み間違えてたみたいで~……RoseliaとAfterglowがそれぞれ70000票と96000票だったんですけど──」

 

「本当は700000票と96000票でした」

 

 その言葉を聞いて、思わず紗夜さんが立ち上がった。

 

「そ、それって……!!」

 

「はい!」

 

 戸山さんはマイクを手にした。

 

『GBP杯の優勝バンドは、Roseliaです!』

 

「「なんじゃそりゃああああああ!!!!」」

 

 えへへ、と戸山さんは笑っていた。

 

『それでは、壇上にどうぞ!』

 

「待ってください。まだ紗夜さんの涙が──」

 

「桐也くん!? 余計なことを……!」

 

「さぁ、早く行くわよ。勝者は堂々と胸を張って」

 

「……はい!」

 

 優勝────Roselia。



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打ち上げ

 大波乱の優勝者発表から、一夜が明けた。

 

 GBP杯の反響は凄かった。Twitter(現X)ではトレンド一位を獲得し、特設配信サイトには最大100万人ものユーザーが接続していたという。

 

 集計ミスによって余計に話題性が増した感じだ。また、AfterglowもRASやポピパを振り切って二位を獲得。大きな躍進を遂げたことで認知度が上昇した。

 

「それでは皆さん、せーのっ!」

 

『乾杯!!』

 

 大量のつまみがテーブルを彩る、都内の某飲み屋。打ち上げは二次会に突入し、GBPに参加した一部のメンバーのみが残っている。

 

 ポピパの戸山さん、アフグロの美竹さん、現役アイドルの丸山彩さん、日菜さん。Roseliaからは友希那さんとリサ、俺。ハロハピの弦巻こころさん、奥沢美咲さん。モニカの倉田ましろさん。

 

 本当はチュチュと紗夜さん、あこも来る予定だったのだが急用が入ってしまったらしい。

 

 酔っ払った紗夜さんを見てみたかった……無念。

 

「それでね、おねーちゃんってば知らない人に道端で声をかけられるようになったんだよー!」

 

「あら、紗夜も有名人になったのね! スゴいことだわ!」

 

「……」

 

 女装を解いた俺は、テーブルの片隅でちまちまとビールを飲んでいた。年上を平気で呼び捨てにする筋金入りの箱入り娘こと弦巻こころが喋っている。何となくこの人苦手なんだよな……。

 

「あっ」

 

 そんなことを考えながらジョッキを手に取ろうとすると、隣の人と腕をぶつけてしまった。

 

「あー、すみませ──」

 

「もしかして……つぐみのお兄さん?」

 

 うお、気づかなかった。

 

 赤メッシュの女の子こと美竹さんが、バツの悪そうな顔を浮かべていた。未成年なのでビールではなくアップルジュースを飲んでいる。

 

「美竹さん。いつもつぐみがお世話になってます」

 

 俺は小さく頭を下げつつ、強引にビールを飲み干す。実のところ気まずい。Afterglowは集計ミスで優勝を無かったことにされたのだ。代わって王者になったのがRoseliaで、そのメンバーが近くに座っているともなると……もうお分かりだろう。恨まれていても仕方ないのだ。

 

「……あたしのことは蘭って呼んでください」

 

 先輩だし、と美竹さんは呟く。

 

「桐也先輩と桐也さん、どっち呼びがいい──って、そんなにジロジロ見てどうしたんですか」

 

「あ、ごめん。昨日のこと気にしてないかな、と」

 

 俺は正直に言う。それを聞いて、美竹さんもとい蘭は頷いた。

 

「まぁ、最初はムカつきましたけど──Roseliaのパフォーマンスを思い返してみたらやっぱり仕方ないかなって。納得しました」

 

 そっか、と俺は頷いた。ずいぶん大人だな。

 

「それ、友希那さんにも言ってあげてくれ」

 

「……絶対に嫌です」

 

 蘭はそっぽを向いた。俺の周りには素直じゃない奴が多い気がする。

 

「それにしても、どのバンドもレベル高くて凄かったよね~! ね、ましろ!」

 

「えっ……? あっ、は、はい!」

 

 反対側の方で、白髪の女の子がリサにだる絡みされていた。それを見て、俺は苦言を呈する。

 

「おいおい、年下には優しくだな」

 

「ポピパの演奏も帰ってからちゃんと見たよー♪ 特にラストのCiRCLINGでお客さんと一緒に輪を作るのが──」

 

 無視すんじゃねぇよこのギャル野郎が! 

 

「Roseliaだってー、特にあの新曲がとっても良かったです!! ホラ、あの、ええと……」

 

「xxx(自主規制)ね!!」

 

 刹那。

 

 わいわいしていた部屋が一瞬で静まり返った。

 

「……こころ。6(シックス)だよ」

 

「そう、それだわー!!」

 

 奥沢さんのフォローが無ければ地獄の雰囲気が続いていただろう。何とかギリギリ、切り替えることが出来た。

 

「こころ……数字も読めないのにどうやって大学に入れたの?」

 

 蘭が呆れ顔でそう言った。

 

「何って、お父様が色々してくれたのよ!」

 

「裏口入学!?」

 

 弦巻家の闇は深い。もう触れないようにしておこう。

 

 しばらくしてから、未成年組が連日の疲れからかウトウトし始めていた。戸山さんはヨダレを垂らしながら寝ており、蘭もうたた寝している。

 

 さて、ここからは大人の時間だ──そう言わんばかりにリサがつまみを追加注文する。

 

「そういえば、彩はバイトしなくてもやって行けるようになったんだっけ?」

 

「そうだよ。仕事も増えたし!」

 

「良かったね~」

 

 俺の斜め向かいで、ピンク色の髪をした女性が勢いよくお酒を飲んでいた。意外とアルコールには強いタイプのようだ。

 

「大学生が羨ましくなる時もあるけ──!?」

 

「彩!?」

 

 彼女はどういうわけか、個室に音が響くほど思い切りジョッキを前歯にぶつけた。酔っているからか、すごくドジだ。

 

「彩ちゃん、だいじょーぶー?」

 

「痛た……今日はついてないよ~!!」

 

「いつものことでは……?」

 

 友希那さんが久しぶりに口を開いた。このような催し物に参加すること自体が意外だったが、やはりほとんど喋らない。

 

 蘭以外の誰とも会話をしていない俺よりかはマシだろうが……。

 

「ちょっとトイレに行ってくるわ」

 

「はーい!」

 

 そう言って友希那さんは席を立った。うむ、先からなにか引っかかるものがある。

 

「桐也くんは──」

 

「!?」

 

 不意に名前を呼ばれて、ガタッと音を立てて俺は後ろに仰け反った。

 

「あーごめん! 驚かせちゃった?」

 

「すごく……」

 

 丸山さんは俺を見て笑っている。この人すげえ美人だなぁ……などと思いつつ、三杯目のビールに口をつけた。

 

「まさかあの女の人が桐也くんだなんて思いもしなかったなー、日菜ちゃんと仲良いんだよね?」

 

「そうかな……」

 

「ちょっと距離ある感じするけどねー!」

 

 そう言って豪快に笑った。お前が近すぎるんだよ。

 

「あと、急に訊いて悪いんだけどさ」

 

「はい?」

 

「GBP杯の優勝賞品ってなんだったのかな? ずっと気になってて……」

 

「予算の大部分はライブの方に使っちゃったみたいで。賞品は25万円と楽器店の無料引換券でしたね。いつかRoseliaのみんなで旅行に行こうっていう話はしてますが」

 

「なるほどね~」

 

 それでも、GBP杯を優勝したことの反響は凄まじかった。知名度が上がったおかげで俺も体裁上はマネージャーとしての活動を余儀なくされているのだ。常に女装する訳にも行かないし。

 

 まぁその話はいい。俺はどうしても……彼女に頼みたいことがあるんだ。

 

「あの……丸山さん」

 

「彩でいいよー!」

 

「では、彩さん」

 

 俺はおもむろに上着を脱ぎ始めた。リサを初めとしたほかのメンバーがざわついている。

 

 これは彩さんだけに見せたいものなんだ。決して他の人には見せられない、俺の紋章──!! 

 

「お、男らしいかも……!」

 

「何言ってんの彩!?」

 

 俺は鍛えた身体を披露すると、彼女に向かって背中を突き出した! 

 

『千聖さんのサイン求む ~諭吉8枚まで出せます~』

 

「全然男らしくない!!」

 

「とーくん……プライドって知ってる?」

 

 彩さんや日菜さんが半ば呆れ返っていた。俺はTシャツを着直しながら、諭吉をちらつかせた。

 

「いつだって現金は素敵でしょう?」

 

「たしかに……!!」

 

「彩ちゃんダメ! 揺さぶられちゃダメ!」

 

 冗談だよ、と言ってから彩さんは姿勢を正した。

 

「桐也くん。千聖ちゃんにその熱意が伝われば、きっとサインなんてちょろいよ! お金なんて必要ないから!」

 

「あ、彩さん──俺、頑張ってみます!」

 

「うんうん。バンドやってたら、またいつか会えるし!」

 

 その言葉で俺はハッとした。

 

 これからバンドをずっとやっていく──厳密に言えばあこが復帰する3月頭まで、サポートをしていく訳だが。

 

 違和感がある。トイレに行ったはずの友希那さんが帰ってこない。

 

 ◾︎

 

「…………」

 

 居酒屋の前。古めかしいベンチに座って、友希那さんは暗い空を見上げていた。

 

「やっぱりここにいた」

 

「……桐也」

 

 俺は手を振って軽めに呟く。リサを連れてこようか迷ったが、深刻な事態を想定して敢えて置いてきた。

 

 肩に腕を回して、永遠と飲みに付き合わそうとしてくる……そんなレベルで、酔っ払っているリサは危険だ。

 

「あまり浮かない顔してますね」

 

「こればかりは本当に私の責任で──なんと言っていったらいいのか」

 

 ん? 友希那さんは独り言を吐くようにそう言った。頬は赤く、物憂げな瞳をしている。

 

 ガルパ杯で優勝したというのに。今更、何の悩み事だろうか。

 

「酔ってるんですか?」

 

「ええ。酔ってるからこそ、言えることもあるわ」

 

 友希那さんは空っぽの顔で、小さく呟いた。

 

「……はっきり言ってください」

 

 酒が入って上手く頭が回らない。だが、何か異常が発生している──それくらいのことは見当がつく。

 

 しかし、彼女から放たれた言葉は想像を絶するものだった。

 

「Roseliaを解散するわ」

 

 友希那さんは弱々しくそう言った。

 



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第二章『夏は短し 恋せよ乙女』
誰かが忘れているかもしれない夏祭りのこと


 GBP杯から一ヶ月半が経過した。やはり休息は大事なもので、バイトのシフトが減ったのも相まって劇的に体の調子が良くなってきた。

 

『すまん、つぐみ! しばらく店の手伝いには行けん!』

 

『伝えたかったことってそれ!?』

 

 何とか妹の許可を貰い、実家の手伝いも休止することに。夏休みへの準備を磐石なものにし、これでようやく一件落着────

 

 とはならなかった。

 

『Roseliaを解散するわ』

 

 酔った友希那さんが店の前でこぼした言葉だ。なんと驚くことに、本人は覚えていないようなのである。

 

 以前と変わらずロゼリアは活動している。友希那さんの欠席回数が増えたような気がするが──理由は分からない。

 

 やはりあれは酔っ払っていただけなのだろうか。それならいいけど。

 

「……それより夏休みだな」

 

 そうだ。俺は今まで忙しさからプレイ出来ていなかったゲームや、友人とバカ騒ぎをする予定があるのだ。去年は3つバイト掛け持ちでほぼ虚無の夏休みを過ごしたが、今年こそは充実したものにしてみせる。

 

 最初のイベントといえば、夏祭りか……。

 

 その日は友人のほとんどが帰省していたり補習だったりで不都合なのだ。やはり俺はオタクらしく部屋に篭ろう。

 

「そうと決まればカップラーメンを大量に──」

 

「あ、桐也くん!」

 

 近所のスーパーで即席麺を買い漁っていると、見知らぬ女性に話しかけられた。

 

 ピンク色の髪で、アイドルなのにアイドルっぽくなくて……。

 

「彩さんか。先から視線を感じると思ったら」

 

「い、いつ話しかけるか迷ってたんだよ~!」

 

 丸山彩は白のワンピースを着て、サングラスをかけていた。いかにもお忍びコーデと言った感じである。逆に目立つだろ。

 

「今日は紗夜ちゃんと一緒じゃないんだね」

 

 ん? 聞き捨てならない言葉が聞こえたぞ。

 

「なんで紗夜さんの名前を?」

 

「リサちゃんが『実は、紗夜と桐也って仲良いんだよね~』って言ってたから!」

 

 殺すぞあのギャル野郎!! 

 

「仲、いいんですかね……わかりませんけど」

 

 そんなことを言っていると、奥の通路から見覚えのある人がこちらに向かってきているのが見えた。

 

「桐也くんと……丸山さん?」

 

「紗夜ちゃーん! GBP杯ぶりだね!」

 

 彩さんは抱きつく勢いで紗夜さんに近づいていた。彼女は鉄の仮面を崩さずに、こちらを一瞥する。

 

「二人はお付き合いを……?」

 

「何故そうなる!?」

 

「ち、違うよ~!」

 

 ほっと息を着いていた。どこをどう見たら付き合っているように見えるのか。

 

「ちょうど良かった。紗夜ちゃん、明後日って予定空いてるかな?」

 

「空いてますけど……」

 

「じゃあ、夏祭りに行かない?」

 

 ずいぶん急な誘いだな。いくらなんでも断るだろう。紗夜さんも暇ではないだろうし……

 

「いいですよ」

 

 彼女はしばらく顎に指を添えてから、真顔で答えた。いいんかい。

 

 彩さんは顔をパーッと明るくすると、

 

「やったー! ありがとう、紗夜ちゃん!」

 

「そんなに感謝するほどのことですか……?」

 

 何やら良い感じの雰囲気を醸し出していた。ちょうどいい。この隙に俺もトンズラさせてもらおう──

 

「そうはさせませんよ」

 

 そう言って肩を掴んだのは、紗夜さんだった。

 

「逃がしません」

 

「やはりダメか……!」

 

「当然です。そもそもなんですか、その大量の即席麺は」

 

 彼女は俺の買い物カゴを指さした。

 

「さては、部屋にこもってゲームをやり続ける魂胆だったのでは?」

 

 その通りである。

 

「すみません……」

 

「Roseliaの活動も休止するとはいえ……不健康な生活は考えものです」

 

 紗夜さんはため息をついた。

 

「ちょっと待ってください。今、なんて?」

 

「貴方が無神経な人間だと言ったまでですが」

 

「言い方キツい! あとそこじゃない!」

 

 彩さんを置いてけぼりにしつつ、俺は紗夜さんを問い詰める。

 

「Roseliaの活動が休止するって……どういうことです?」

 

 紗夜さんは何食わぬ顔で、

 

「知らされていなかったのですね。理由は至ってシンプルです」

 

 淡々と語っていく。

 

「湊さんの声帯に腫瘍が出来てしまっていたみたいで。歌手生命が絶たれる一歩手前まで行ったそうですが、やはり彼女は歌姫ですね」

 

「と言うと?」

 

「そのままの意味です。湊さんはまた歌えるようになります」

 

 俺はホッと息を着いた。あの人は他の楽器のように替えが利かない。唯一無二の声だからだ。

 

「どれくらいで復帰できるんですか?」

 

「夏休みが終わる頃かしら。(じき)にあなたの方にも連絡が行くと──」

 

「あ、えーっと……二人とも?」

 

 彩さんはわかりやすく困っていた。

 

「ごめんなさい、話し込んでしまいました」

 

「大丈夫だけど……紗夜ちゃん」

 

「?」

 

 彩さんは耳を貸してもらい、コショコショと喋った。そして紗夜さんは顔を真っ赤にする。

 

「い、いきなり何を……そんな訳が無いのに」

 

「ごめんね。気になっただけだよ」

 

 困った人ですね、と紗夜さんは吐き捨てた。それを遠くから眺めていた俺は、相当なアホ面を浮かべていただろう。

 

「それじゃ。紗夜ちゃん、桐也くん。明後日に公園で集合ね!」

 

「本当に三人だけで行くのだろうか……」

 

「丸山さんのことですから。急に人が増える可能性は十分にありますよ」

 

「アクティブなバカっすね」

 

「なんか悪口言われてない!?」

 

 というわけで、俺は即席麺を買う必要が無くなった。浴衣姿の紗夜さんが見れるのか……それだけでウキウキだった。

 

 当日はりんご飴を買ってあげよう。その後は金魚すくいに的当て、と──そんな計画を密かに立てながら、カップラーメンを棚に戻した。

 



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丸山、スキャンダル疑惑

「チサトさん! 明日は久しぶりのオフですね!」

 

 パスパレの練習後。若宮イヴが開口一番にそんなことを言った。

 

「そうだけど……どうかしたの?」

 

「縁日を回りたいのです! 日本の祭りにはまだ行ったことがなくて!」

 

「そうね──」

 

 白鷺千聖は思考を巡らせる。明日の予定は特にない。これは奇跡である。本来ならば、多忙な彼女にとって休日など無いに等しいからだ。

 

 要は千聖もまた夏祭りに行きたかったのだ。しかしプライベートもパスパレのメンバーと過ごすのは……それはそれで悩ましい。

 

「どうしたのー? 千聖ちゃん、イヴちゃん!」

 

 すると、まんまるお山に彩り女が目の前に現れた。彼女の練習着はダサい黄色Tシャツから進化し、更にダサい赤ジャージになっている。

 

 素材の良さを殺しきる恐ろしい服装だ。後で説教しよう──そんなことを思いながら、千聖は応える。

 

「今、イヴちゃんと夏祭りに行く話をしていたのだけど……」

 

「そうなんだ~」

 

 どうせ彩ちゃんはすぐに行きたいと即答するだろう──そんな目論見が見事に外れた。

 

「それじゃ、練習お疲れ様~」

 

「!?」

 

 二人は戦慄する。何があったのか。お茶目担当こと丸山がこんなにも食い付きが悪いなんて。

 

「お、お疲れ様……」

 

「でした……」

 

 バタン。彩が練習場から去った後、二人は顔を見合わせる。

 

「あれは男が出来たわね」

 

「尾行しましょう!」

 

 かくして二人は一緒に夏祭りに行くことになった。イヴの勝ちである。

 

 ◾︎

 

「わぁ! チサトさんの浴衣姿、とっても可愛いです!」

 

「ありがとう。イヴちゃんも似合っているわ」

 

 夏祭り当日。まだ明るい場内を二人で歩いていた。今回の目的はそれぞれ違う。イヴは「ジャパニーズ祭りのご堪能」千聖は「彩ちゃんの彼氏チェック」だ。

 

 とはいえ千聖も祭りを楽しみにしていた。幼い頃から仕事仕事で、こういった催し事には参加出来ずにいたからだ。道行く人に勘づかれないように、警戒しながら歩く。

 

「後で花音とも合流するわ」

 

「カノンさん! GBP杯以来ですね!」

 

 イヴは目を輝かせながらそう述べた。千聖はこういった純粋無垢な部分が好きだ。

 

「彩さん。これ以上は──」

 

「ダメだよ、桐也くん……」

 

 !? 

 

 千聖は反射的に後ろを振り向いた。今の会話はなんだ? 絶対彩ちゃんだよな? 桐也って誰だ? というか、そもそも別人の可能性も──しかし、疑いがあるなら真実を追求するまで。人混みの中をかき分けて、二人は進軍する! 

 

 彼女の声には特徴がある。今のは完全に本人と一致していた。

 

「……逃してしまいましたね」

 

「私としたことが──」

 

 千聖は悲しみに沈んだ。体育があると思ってウキウキで学校に来たら全校集会に変わっていた──そんなレベルで萎える。

 

 しかし彼女もただでは倒れない。彩に芸能人としての自覚はあるのか──それを確かめなければ。スキャンダルが発覚したら危険で、かつそれがパスパレともなると尚更だ。

 

「ですから……!」

 

「桐也くん。これは大事なことなの──」

 

 千聖の耳はそれを捉えた。もう逃すまいと駆け出した足は、丸山の元へとたどり着いた。

 

「もう逃がさないわよ、彩ちゃん!」

 

「成敗です!」

 

「千聖ちゃん!? それにイヴちゃんも!?」

 

 木陰にいた彩を捕まえて、千聖はほっと息をついた。彼女はかなり焦っている。やはりクロか──

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 刹那。隣にいる茶髪の男性が雄叫びを上げながら後ずさりした。

 

 彩より驚いている。誰なんだこの男は──千聖は耳を抑える。

 

「彩さん!! ごめんなさーい!!!!!」

 

「桐也くん!?」

 

 超高速で逃げていった。千聖とイヴは不審に思いながらも、彩の方に視線を向ける。

 

「彩ちゃん。どういうことかしら?」

 

「ええと、その──」

 

「補陀落は許されません! せめて変装しないと!」

 

 浴衣姿の彩に言い逃れできる要素は無かった。それでも、彼女は大きく首を横に振る。

 

「これは勘違いだよー! さっきの人はAfterglowのつぐみちゃんのお兄さんで……」

 

「それで?」

 

「な、ナンパ避けに……ちょうど良くて」

 

「それで?」

 

「桐也くんは千聖ちゃんの大ファンで、会ったらヤバいって言ってたから逃げてたのー!」

 

 辻馬は合う。ただ、強引な言い訳にも聞こえる。

 

 そもそも名前呼びだし──千聖はため息をついた。

 

「潔白の証明としては少し弱いわね」

 

「うぅ……」

 

 すると、彩の目の前に救世主が現れた。

 

「丸山さん。こんな所にいたのですね」

 

「この前の練習ぶりだねー!」

 

 氷川姉妹がその場に登場したのだ。神様ー! と言わんばかりに彩は日菜に抱きついた。

 

「日菜ちゃんに紗夜ちゃん! 会いたかったよ~!」

 

「とーくんはどこに行ったのー?」

 

「先に来ていると言っていたはずですが……」

 

 千聖とイヴは顔を見合わせる。ますます状況がわからなくなった。

 

「日菜ちゃんに……紗夜ちゃん?」

 

「こんにちは。偶然会いましたね」

 

 紗夜さんはそう言った。別にそういう訳でも……千聖はそう言いかけた口を慌ててつぐむ。

 

「そうね。私たちは花音と三人で回ろうと思っていたの」

 

「そうなんだー。ホントはあたしもみんなで回りたいんだけどね〜」

 

「桐也くんの命が危険ですから」

 

 紗夜はにべもなくそう言う。イヴが疑問を呈する。

 

「どなたですか? トウヤさんというのは……」

 

「Roseliaのサポートドラマーだよー。千聖ちゃんの大ファンで、よく千聖様千聖様って騒いでるの!」

 

「GBP杯にいた綺麗な女の子のことかしら?」

 

「女の子っていうか……」

 

 この説明が面倒だ。日菜は、どうせバレるんだし別に言ってもよくなーい? というスタンスだったが、紗夜に圧力を掛けられ仕方なく黙っておくことにした。

 

「あのね、実は彩ちゃんが────」

 

 千聖は彩にかけた疑惑を二人にも説明した。すると、日菜は笑って手を横に振った。

 

「そんなわけないじゃーん。とーくんにはもう好きな人いるし」

 

「そうなんですね! てっきりアヤさんに彼氏が出来たのかと」

 

「桐也くんはつぐみちゃんのお兄さんで、ほら。さっき私が言ったでしょ?」

 

「あの話は本当だったのね……」

 

 思わぬ形で彩の潔白が証明されることとなった。

 

 ただ一人、紗夜だけはポカーンとしていたが。

 

「どうせだし、桐也くんを千聖ちゃんに会わせてみない?」

 

「それはいいですね。そろそろ挨拶しておかないと」

 

 あれ? 冗談のつもりだったのに……彩は首を傾げる。紗夜は彼のことが好きではなかったのか。

 

 好いている人ならば、わざわざ他の女性に会わせようとは思わないはず──いや、ただ単に恋愛観の違いか?

 

「とーくん捕獲は任せて! 左腕はあたしがやるね!」

 

「ミギウデは私にお任せ下さい!」

 

「拘束する部位の話!?」

 

「浴衣姿で少々歩きにくいですが……手分けして探しましょう」

 

 そう言って、紗夜はズンズンと人混みをかき分けて進んで行った。あんなに献身的な人物だったかしら? と千聖は首を傾げる。気難しくて尖ったイメージがどうしてもあったから。

 

「ここだけの話ね」

 

 彩は千聖とイヴの前に立つと、

 

「紗夜ちゃん。好きな人がいるの」

 

 バレバレだよねー、と言って彼女は笑った。

 

「そうなのね」

 

「あはは。それが誰なのかは、すぐにわかるよ」

 

 もうわかってるわよ、と千聖は小さく呟く。そうだ。彩ちゃんはいつもどこか抜けている。

 

 今回もわかった気になって、わかってないことがある。

 

 じゃあなんでお祭りに彼と二人で来ていたの? ナンパ避けは理由にならない。だってされている所見たことないし。

 

「彩ちゃん。ちょっと悔しいんでしょう?」

 

 千聖はそう言った。彩はパチリと瞬きをすると、

 

「な、何が……?」

 

 ポカンとした。どうやら本当に自覚していないみたいだ。

 

 やはり勘は当たっていたか。……けれど、ここまで鋭い必要は無いと思う。

 

 千聖は、気づく必要のない心の機微にさえ反応してしまう。それを自分だけが知っているのが嫌だ。この世界に一人であるような気がして。

 

 こんな大人にはなりたくなかった。

 

「あっ、千聖ちゃん」

 

 すると、彩が彼女の前に焼き鳥を差し出した。

 

「美味しそうだったから、買ってきちゃった。一緒に食べよ?」

 

 あまりに屈託のない笑顔でそう言うのだから、つい千聖は吹き出してしまった。

 

「ふふっ、そうね。頂こうかしら」

 

「な、何がおかしいの……!?」

 

 あたふたする彩を他所に、千聖はクスクスと笑っていた。

 

「何でもないわよ。ありがとう」

 

 やはり彩ちゃんは嫌いになれない。そう思いながら、ホクホクの鶏肉にかじりついた。

 

 美味しかったかどうかなんて、もはや言うまでもないだろう。



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友希那と蘭と

 湊友希那は病院から出ると、大きなため息をついた。

 

 唯一の生きがいだった歌が歌えなくなったからだ。声帯がやられていたのが原因で、彼女の歌声が戻るまでロゼリアは活動停止となった。

 

 まだ桐也にだけは休止を伝えられていない。早く言わなければ──彼女はそんなことを思いながら、駅の改札を出た。

 

「あっ……」

 

 すると、目の前で見覚えのある赤メッシュが柱に寄りかかっていた。ギターケースを背負い、スマホをいじっている。

 

「湊さん。……奇遇ですね」

 

 蘭は友希那に気づくと、小さく頭を下げた。

 

 何かと衝突しやすい二人だが、何も嫌い合っているわけじゃない。もしそうならば、顔を合わせた時点で去っている。

 

「その、喉……大丈夫なんですか?」

 

 別に気にしてる訳じゃないですけど、と蘭は付け加える。

 

 友希那はフンと鼻息を鳴らすと、

 

「大丈夫よ。心配してくれてありがとう」

 

「だ、だからそんなんじゃ……!」

 

「九月までに治すわ」

 

 そ、そうですか──蘭が赤面してそう言った。

 

 気づけば夜が満ちている。二人には祭りの音が鮮明に聞こえていた。

 

 ──湊さんの歌が聴けなくなるなんて、それは絶対に嫌だ。

 

 そう思っていたから、大事に至らなかったということが蘭にとっては本当に嬉しかった。

 

「そうだ。リサさんと花火見なくてもいいんですか?」

 

 音楽の話ならペースを握られてしまうが、リサの話ならどうだ。蘭は反撃とばかりにそう言った。

 

「リサ?」

 

 それでも、友希那は鉄の仮面を崩さない。

 

 崩さない……ようにしていたが。

 

「な、な、なんのことかしら──突然、変なことを」

 

 わかりやすく取り乱していた。

 

 蘭はそれを見て、わざとらしくため息をつく。

 

「あたし、湊さんが思ってるより勘いいですから」

 

 何食わぬ顔でそう言うと、今度は缶をプシューっと開けた。

 

「み、美竹さん。未成年にビールは──」

 

「サイダーですよ。これ」

 

 そう言って水色のカンを見せつける。友希那は唇を噛んだ。完全に動揺しているのがバレている……これは許されない。

 

「あたしは悪くないと思います。その……価値観も人それぞれだし」

 

 蘭の言葉を聞いた瞬間、友希那は深呼吸をした。それから、かつてないほど弱々しい声で語る。

 

「その……リサにはもう好きな人がいるから……あまり邪魔出来なくて」

 

「そうですか。花火ぐらい見に行ったって良いと思いますけど」

 

 そして、蘭はさらに畳み掛ける。

 

「……今、リサさんとモカがお祭りの会場にいるから。一緒に行きましょう」

 

 一旦家に帰ればよかった、と軽く後悔しつつも彼女はギターケースを背負い直した。

 

「え?」

 

「だから、二人はバイトが一緒だったから──」

 

「いや、そうじゃなくて。美竹さんも……その」

 

 彼女はタジタジしていた。友希那の言いたいことがわかった蘭は、猛然とした勢いで首を振る。

 

「ち、違います。モカとは幼なじみで親友ってだけですから」

 

「……そう」

 

 友希那が小さく肩を落としているのを見て、蘭は目を細めた。

 

 やはり湊さんとは馬が合わない。何を考えているか分からないし、時々自分が眼中にも入ってない感じが伝わってきて嫌になる。

 

 それが気に入らないったらありゃしない。

 

 ──それでも、こうして彼女をここで待ち続けていた。

 

 そんな自分がいたのだ。こんなのは『いつも通り』じゃない。きっとただの気まぐれだ。

 

 ◾︎

 

「あっはは。蘭ってば可愛い~」

 

「そうなんですよね~。素直じゃないのもまた良きかな~」

 

 今井リサと青葉モカは、私服姿で屋台を回っていた。特に何か目的がある訳ではなく、ひたすらに駄弁っていた。

 

 大抵は蘭と友希那の話であったりするのだが……お互いよりもお互いのパートナーのことに詳しいのだ。

 

「お祭りは楽しいねー!」

 

「そうですねー。蘭と湊さん、早く来ると良いな~」

 

 すると、ある屋台がモカの足を止めた。

 

「これは……『山吹ベーカリー』!」

 

 目をキラキラと輝かせて銀髪の戦士は歩いていく。嗅ぎ覚えのあるいい匂いに、誘われていく──

 

「ごめんね、たった今売り切れちゃって……」

 

「そんな……!!」

 

 沙綾が残酷にもそう告げると、彼女は膝から崩れ落ちた。モカちゃんの生きる源が──本気で落ち込む。

 

 リサはそれを見て苦笑いを浮かべる。モカはさっきも公園の前でパンを食べていたからだ。こんなに買ってもらえて、山吹ベーカリーは大喜びだろう。

 

「沙綾ー。GBP杯、お疲れ様!」

 

「ありがとうございます。リサさん、お久しぶりですね」

 

「そうだねー。折角だし、夏休み中に遊びに行こーよー! そうだ、ちょうど沙綾に似合いそうな服があって……」

 

 悲しみに沈む銀髪美少女を他所に、二人は談笑する。

 

 モカちゃんは地面の冷たさを知った。

 

「お待たせ」「待たせたわ」

 

 すると、彼女らの元に件の二人組が現れた。

 

 犬猿の仲とまで称された、美竹蘭と湊友希那だ。

 

「友希那~!! 久しぶり!」

 

「蘭。お久~」

 

 でかいギターケースを背負っていた蘭は、周りの注目を集めていた。

 

 いったん中庭の方に移動しようか──と四人は歩みを進めることに。

 

「え?」

 

 結果、沙綾は一瞬にして取り残されることとなった。

 

 久しぶりに知り合いが来てくれて楽しかったのに。まるで四人の中で何かが渦巻いているような……。

 

 これ以上は考えても仕方の無いことだ。私も香澄たちの所へ向かおう──そう思い、屋台の灯りを消した。



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リアル・タイムストップ

「桐也──!」

 

 四人で合流し、しばらくしてから今井リサは例の彼を見つけるなり駆け出して行った。

 

 友希那は、その後ろ姿を遠目で見つめることしかできずにいた。

 

「あれ……邪魔しようとは思わないんですか?」

 

「好きな人が他の男性と話してるのに~」

 

 蘭とモカはそんなことを言った。しかし、友希那は首を振る。

 

「別に邪魔しようだなんて思わないわ」

 

 白いロングスカートと紫の髪のコントラストが美しい。彼女は小さく息をつくと、

 

「愛する人の幸せを願うのは当然のことでしょう?」

 

 にべもなく言い放つ。その言葉に、モカは大きく頷いた。

 

「カッコいい──! さすが、青薔薇の女王様~」

 

「……やっぱり湊さんとは考えが合わないです」

 

「そう? 美竹さんも同じに見えるけれど」

 

「き、気の所為ですから!」

 

 蘭は怒り気味にそう吐き捨てる。

 

 すると、予想よりも早めにリサが三人の元に帰ってきた。

 

「ただいまー!」

 

「リサさん、お帰りなさい~」

 

 茶髪が揺れて、先程とは違う匂いがしている。

 

「ごめんねー。桐也の着付け直してたら時間かかっちゃって……」

 

 明らかな嘘に聞こえるが、実際あの男なら有り得る……友希那は否定しなかった。

 

「まぁいいわ。リサ、これからは二人で花火を見ましょう」

 

 !? 

 

 いきなり友希那が仕掛ける! 

 

「え!? えっと、それはどういう……」

 

 困惑するリサの手を引くと、友希那は離れた場所へ歩いていった。

 

 その後ろ姿を見て、モカは微笑む。

 

「形勢逆転、とはまさにこのことですな~」

 

「……これは脈アリかも」

 

 蘭は真顔で頷く。昔はリサさんの方が湊さんのことを気にかけていて、むしろそれしか見えなくなったって。そんな悩みも聞いたことがある。

 

 もしモカもそういう風に、自分のことを思ってくれていたのだとしたら──それ以上に幸せなことなんて無いのに。

 

「どうしたの、蘭?」

 

「いや、何でもない」

 

 モカが顔を覗き込んでくる。やめてくれ。あたしは誤魔化すのがあまり上手じゃない。

 

「さては、Afterglowに思いを馳せてましたな~?」

 

 珍しく外したね。

 

「そうかもね」

 

 本当は微妙に違う。それさえもわざとかもしれないけど。

 

「蘭が一人だけクラス離れちゃって、寂しい思いしてたから~。五人で集まれる時間を増やそう──そうやってつぐが提案したのが、バンド活動だったよね~」

 

「うん。何故かひまりがリーダーになって、みんなでたくさん練習した」

 

「巴ちんと蘭がよく喧嘩して、大変だったね~」

 

「……それは言わないで」

 

 もう大人だから、と蘭は強がってみせる。前髪が夏の風に揺れた。

 

「ねぇ。モカ」

 

 急に名前を呼ばれて驚いたのか、彼女は少し目を見開いた。

 

「何~?」

 

「今日だけ、あたしの我儘を聞いて欲しい」

 

 蘭がそう言うと、モカは口角を上げた。

 

「いつものことでしょ~。蘭のワガママ、常時発動中だもん~」

 

「真面目に聞いて」

 

 ほいほい、とモカは頷く。

 

「それで、ワガママって──」

 

「あたしも…………その…………」

 

 蘭が何かを言いかけて口をつぐんだ時。

 

 聞き覚えのある声が、彼女の頭に響いた。

 

「こんばんは、蘭ちゃんとモカちゃん~! GBP杯以来だね〜」

 

「ま、まりなさん! お久しぶりです」

 

 心臓が止まるかと思った。CIRCLEの敏腕スタッフだ。この人なら、別に大丈夫だけど──

 

 そんな動揺する蘭の心をさらにかき乱す女が、まりなの横から飛び出してきた。

 

「こんなところにいたのか、我が妹よ♡♡」

 

「ちょっと、止めてって──!」

 

 モカの目を疑うような光景が広がっていた。

 

 青メッシュの女性が、思いっきり蘭に抱きついていたからだ。

 

「えっと、いつの間にお姉さんができたの~?」

 

「こ、この人は親戚の人。断じて姉妹じゃないから」

 

 蘭の引き剥がそうとする手を押さえながら、その女性は口を開いた。

 

「やっほー☆ そちらは我が妹のお友達かな?」

 

「いかにも、いかにも~」

 

 なんだかんだでノリのいいモカはすぐに適応した。おそらくこの人はかなり年上だ。酒が入っているからか、蘭よりもよく喋る。

 

「あたし、青葉モカって言います〜。モカちゃんって呼んでくださいね~」

 

「モカちゃんよろしくぅー! 私は榎本(えのもと)冬優子(ふゆこ)。お姉さんって呼んでね♡」

 

 まるで蘭を真似ているかのような髪型だ。顔も結構似ている。ただ、背は高いし大人っぽいし何故かまりなさんと一緒にいるし……不思議な人だ。

 

「あ、冬優子は高校の同級生でね。私の親友なんだ」

 

 まりなが補足する。常識人とヤバい奴の対比構造が熱い。

 

「ご存知でしたか? 私と冬優子さんが親戚ってことは」

 

「いやいや、今日初めて知ったよ。冬優子は地方でライブハウスの経営をしてて、普段はあんまり会えないんだけど」

 

「まとまった休みを貰ったから、実家に帰ってきたってわけさ☆」

 

 がはは、と豪快に笑う。モカは悪い気分じゃなかった。

 

 この人、面白いじゃん。

 

「あのー、冬優子姉さん~。蘭のことどう思ってますかー?」

 

「ちょ、モカ。やめてよ……!」

 

 白いTシャツの下にピチピチのジーンズを履いていた冬優子は、ニタッとした笑みを浮かべると、

 

「好きだよー。どれくらいラブかって言うと──食べちゃいたいくらいカナ?」

 

「蘭ちゃん逃げて! 超逃げてー!!」

 

「も、モカ! 酔った冬優子さんはいつも以上に面倒だから、変な質問しないで!」

 

「わかりみ~」

 

 わかってないでしょ、と蘭は呆れ顔で言った。

 

 気づけば先程までの甘酸っぱい雰囲気はとうに消えており、残るは榎本冬優子とかいう爆弾の火薬臭であった。

 

「ところで、我が妹よ」

 

 冬優子はニヤリとした笑みを浮かべると、蘭の肩に腕を回した。

 

「私たちはもうすぐで行くからさ。モカちゃんと良い雰囲気作っちゃいなよ~」

 

「い、いきなり何ですか!」

 

 良い雰囲気を壊したのはそっちでしょ──そんな言葉が出てくる。

 

「蘭の恋愛は応援したいからね~。カワイイ妹だし☆」

 

「なんでわかって……っ! あと妹じゃないです!」

 

 二人はいとこ同士でイチャイチャしていた。

 

「なんだか楽しそうですね~」

 

「何の話だろう……」

 

 モカとまりなは遠巻きにそれを眺めていた。

 

「もうすぐで花火始まるしー。ついでに告っちゃえば?」

 

「そ、そういうのじゃないですから! モカとは友達ってだけで……!」

 

「はいはい。それじゃ、またネ♡」

 

 そう言って冬優子は去っていった。その後ろ姿をまりなが追いかける。

 

「急に邪魔してごめんね、二人とも~!!」

 

「大丈夫ですよー。祭りエンジョイ、エンジョイ~」

 

「……またCIRCLEで」

 

 その勇姿を見届けた後、蘭はどんよりとした瞳で頷いた。

 

「はぁ。今日はツイてない……」

 

「何言ってるのー。蘭ちゃん、世界一の幸せガールだよ~」

 

 そう言うとモカは彼女の耳を奪った。

 

「一緒に花火、見ようね」

 

「……っ!」

 

 蘭は赤面してモカの方を見つめる。

 

 銀髪美少女はイタズラな笑みを浮かべた。

 

「冬優子姉さんになってあげる~」

 

「それは絶対に嫌だ!」

 

 二人で顔を見合わせてから、クスクスと笑った。

 

 花火は、間もなく打ち上がる。



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二人だけの夜空のベンチ

「毎度あり~!」

 

 俺は慣れない甚兵衛を身にまとい、夜祭を歩いていた。独りを誤魔化すようにりんご飴に齧り付く。

 

「お母さん、あれ買って~!」

 

「いいわね。私の分も買っちゃおっと」

 

 下駄の音と焼き鳥の匂いが公園中を彩っている。たまにはこんな休日も悪くないなと思った。

 

 しかし……頭はまだ完全には冷えきっていない。彩さんと千聖さんのことで頭がいっぱいだった。

 

『やっぱりまだナンパ避けになってもらわないと!』

 

『桐也くんってカッコイイよね』

 

『別に、好きな人はいないけど……』

 

 現役アイドルと一緒に歩いた感想はというと、その時の記憶が吹っ飛ぶほどには強烈だった。その後に推しのアイドルである千聖さんが目の前に現れて、俺は超高速で逃げた。

 

 彼女に出くわしただけじゃ悲鳴ぐらいで済むだろうけど、丸山彩の一件もあったから……積もり重なった結果って訳だ。

 

「あいつらは連絡無しか」

 

 逃げ道として男友達にLINEを送ったが、既読すら付かず。そもそもこの町にいない可能性もある。

 

 一人でお祭りか……それもいいだろう。

 

 頭を冷やすにはちょうどいい。

 

「桐也くん?」

 

 その時。ベンチに座っていた俺の前に、水色の髪の女性が現れた。

 

「こ、こんにちは」

 

「『こんばんは』でしょう」

 

 紗夜さんは呆れ顔を浮かべて、俺の隣に座った。

 

「随分探しましたよ。なんでも、白鷺さんを見つけて逃げ出したとか……」

 

「どうして知ってるんですか!?」

 

「丸山さんが言っていましたから」

 

 おのれ丸山……俺は唇を噛む。

 

「ところで、彩さんと日菜さんは何処へ?」

 

「同じく貴方を探しています。今LINEを送ったところです」

 

 画面を覗く。『見つかりました』という一文とともに周辺がよく見える写真が添付されている。

 

 下手に動かない方がいいですね、と言って紗夜さんは小さく息をついた。

 

「しばらく二人で待ちますか」

 

 そう言うと、彼女は照れたような表情で頷いた。

 

「……まるで恋人みたいですね」

 

 紗夜さんはそう呟く。自分の心臓が脈打つのを感じた。いつもと違う格好だから、より緊張する。

 

 横顔が凛々しい。彼女は長い髪を束ねており微かな幼さを思わせる。今日は浴衣を着ていて、下駄を履いていた。

 

「そ……そうですね」

 

 もう少し距離が近ければ俺は昇天していただろう。クールな彼女が見せる、硬い表情と可愛らしい髪飾りのギャップが素晴らしい。

 

「もうすぐで花火が始まってしまいます」

 

 いつの間にかこちらに近づいていた紗夜さんが、そんなことを言った。肩が触れそうでドキドキする。

 

「日菜さん、『おねーちゃんと見るのー!』って張り切ってましたからね。きっと死に物狂いで来ますよ」

 

「あの子もいつになったら姉離れするのやら……」

 

 紗夜さんと話していると自然と心が落ち着く自分がいることに気がついた。

 

 緊張するのは一瞬だ。

 

「いくら姉妹だとしても、自分が必要とされることってなんだか嬉しいですよね」

 

「……そうですね。やはり貴方は、つぐみさんのようなことを言う」

 

 このセリフも何度聞いたことか。俺と妹は同居したことさえ無いってのに。

 

「でも、最近はこうも思います。彼女とは違うところもあるって」

 

「そうですか?」

 

「はい。桐也くんはつぐみさんほど笑いませんし、つぐみさんほどしっかりしてもいません」

 

 喧嘩なら買うぞゴラ。

 

「それでも……不思議ですね。貴方のことを知っていく度に──」

 

 その続きは聞こえなかった。

 

 花火が打ち上がったのだ。

 

 耳をつんざくほどの爆音とともに、夜空に大輪が咲いた。

 

 思わず見とれる。いつもは屋内にいて音しか聞こえなかった花火だ。

 

「あの、今なんて──」

 

「貴方のことを知っていく度に、好きになる」

 

 そう言いました、と紗夜さんは真顔で呟いた。

 

 じ……自分がどんなことを言っているのかわかっているのだろうか。

 

「俺もそうです。色んなことが知れて楽しい」

 

 花火の音は聞こえなくなった。

 

 紗夜さんしか見えていなかったからだ。

 

 目と目が合って。それ以外何も見えないようで。

 

 ある言葉がふと脳裏に浮かんだ。

 

 この感情がどんな名前かは分からない。知りたくもない。

 

 ただ、今は自分の思いのままに名前を付けてみようと思った。

 

「紗夜さん」

 

 彼女はゆっくりと俺の方を振り向いた。花火になど目もくれない。

 

 言うなら今しかないな。そんな予感がした。

 

「────」

 

 その言葉は喉から出てこない。あともうちょっとなのに。

 

 しかし一度だって言えない男に何が出来る。紗夜さんは二度も言ってくれたのに。

 

 周りの喧騒が僅かに収まった。伝えるなら、今だ! 

 

「──好きです!」

 

 言えた。

 

 吐き出した途端、いつの間にかゼェゼェと呼吸が乱雑になっていて。

 

 どうしたいかもわからないのに。自分の予感だけを信じて。

 

「……」

 

 ただ驚く紗夜さんの顔を、見つめることしか出来なくて。

 

 夏の風に揺られて。すぐに崩れ落ちそうな体で頷いた。

 

「ええと──すみません。こういう時、どう答えればいいのか」

 

 初めての経験で……と紗夜さんは申し訳なさそうに答える。

 

 俺だって分からない。好きって伝えて、だからどうして欲しいとか。

 

 何もない。ただそばにいて欲しいだけで──ワガママだな。

 

「か、勘違いしないでください。あなたの事は嫌いではありません」

 

 むしろ気に入っているぐらいです、と彼女は妙な言い回しをした。

 

 恋愛経験のない俺にもわかった。これはフラれる前兆だな、と。

 

 最初にちょっと褒めつつ結局断る……みたいな。別にそうだとしても構わない。自分の気持ちを伝えて、フラれるのなら本望だ。

 

「桐也くん」

 

 彼女は俺の名前を呼んだ。

 

 そして、僅かばかりこちらに近づいて──

 

「……!」

 

 全く予期していないことが起こった。肩と肩がくっついたのだ。

 

「今夜限りは良いでしょう。恋人の振りをしても」

 

 紗夜さんはそう言うと、今度は俺の右手を自分の方に引き寄せて。

 

 その柔らかい手で包んだ。

 

「……」

 

 表情がこちらに向けられることは無い。ただ耳の先まで真っ赤になっていて、うなじが見えて──それだけだ。

 

「紗夜さん……」

 

 俺はそう呟くと、その左手をギュッと繋いだ。

 

 新雪のような指を覗かせる。全く煩わしくない。

 

 正真正銘の『落ち着く』感覚だった。

 

「あの、桐也くん」

 

 紗夜さんは俺の手を強く握ると、

 

「返事はまだ待っていてくれますか。……いつになるかは分かりません。明日かもしれないし、一年後になるかもしれない」

 

 それでも、と続ける。

 

「準備が出来るその時まで、私を待っていてくれるなら──それなりの答えを期待して貰って構いません」

 

 難しい言い方だった。つまり……まだフラれると決まった訳では無いってことか。

 

「すみません。私、不器用で」

 

「知ってますよ。でも、そういうところも好きですから」

 

 紗夜さんは再び赤面すると、顔を背けた。

 

「もう。そういうのは軽々しく言うものではありません」

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 紗夜さんはマジ怒りの表情で戒めると、途端に手を離した。

 

「…………私だって」

 

 その先の言葉は聞こえなかった。

 

 彼女のものとは思えないほど小さい声で。花火の音にかき消されたのだ。

 

「紗夜さん?」

 

「な、なんでもありません!」

 

 そう言うと、紗夜さんはこちらに身体を預けた。

 

 乗せられた頭がやけにあたたかくて。俺は動揺を噛み殺して、背もたれに寄りかかった。

 

「…………」

 

 こんな幸せは二度と訪れないだろう。

 

 好きな人がすぐそばにいる。

 

 それだけで幸せだ。それだけで、力がみなぎってくる。

 

「こういう時、ギターがあれば誤魔化せるのかしら」

 

「じゃあこっちもドラムを……」

 

「私がメイクしましょうか?」

 

「恥ずかしいんでやめてください!」

 

 紗夜さんは小さく笑みを浮かべた。

 

 長い夜が花火に擬態して、心の中で鳴り続けている。お祭りはまだまだ終わらない。



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五分後のチュチュ

「……ふぅ♪」

 

 氷川日菜は、姉とその恋人の話を盗み聞きしていた。木に隠れながら興奮する気持ちを抑える。

 

 最初は落ち着かなかった二人が、やがて非常にリラックスした様子で交わる。そんな空気感が大好きだった。

 

「花火、終わっちゃいましたね」

 

「……そうですね」

 

 変わったことといえば、姉が肩をくっ付けて座っていることぐらいか。心底羨ましかったが、常に家でやっていることだ。ここは飛び出したい気持ちをグッと堪えよう。

 

「すみません、携帯の充電が切れてしまいました……」

 

 事も済んだ二人は彩&日菜と合流しようとしていた。そもそもはぐれたのは桐也のせいである。

 

「じゃあこっちの方で連絡を取りますね」

 

「ありがとうございます」

 

 一夜限りとはいえ恋人同士になったのに、なぜだか敬語だ。まぁその方が周りに勘づかれないし安全ではある。

 

 浮かれていると思いきや、妙に現実的だ──日菜は奥歯を噛み締める。

 

「あ、彩さんからだ……」

 

 桐也は露骨に嫌な顔をした。人当たりのいい彼に限ってこれまた珍しいことである。

 

『携帯落としちゃったみたい! そっちに行くの遅れるかも〜(。>__<。)』

 

「……」

 

「じゃあお前はどうやって俺にLINEを送ってるんだよ!!」

 

 桐也はマジツッコミをしていた。紗夜は呆れ顔を浮かべている。

 

 そろそろ潮時か……これ以上は自分が抑えられそうにもない。

 

「あっ、日菜さんはもうすぐ着くそうです」

 

 彼女は桐也宛にメッセージを送る。

 

 これなら、もういっそ付き合ってくれればよかったのに。そんな風に思ってしまう自分がいた。

 

「……そうですか」

 

 紗夜は眉をひそめると、桐也から距離をとって座り直した。

 

「日菜はそう言ってどこかに隠れていることがありますから。気をつけて行動していきましょう」

 

 紗夜は知っている……日菜の習性を。

 

 姿勢を瞬時に立て直すなんて、さすがお姉ちゃんだ──よし。出るなら今だな。

 

「おねーちゃんはすごいねー♪」

 

「日菜!? やっぱりいたのね!」

 

 彼女は笑いながら、木の裏側からひょこっと出てくる。一体いつから見ていたのだろう──桐也は戦慄した。

 

「もー、会えなくて寂しかったよー! 花火終わっちゃったし……」

 

「それについては本当に申し訳ない!!」

 

 桐也は土下座した。自分が千聖さんから逃げていなければ、今頃こんなことには……そう懺悔する。

 

「もー。千聖ちゃんもこんなに推してくれるなら、アイドル冥利に尽きるね♪」

 

「ふん。まったくだ」

 

「なんで他人事……?」

 

 ふと辺りに目を向ける。花火が終わったというのに、むしろ人の量が増えていた。

 

「じゃ、折角だし三人で回るか」

 

「いいねー!!」

 

「丸山さんは無視してもいいのですか?」

 

「千聖ちゃんと一緒にいるから大丈夫だよー!」

 

 それなら問題ないですね、と紗夜は頷いた。

 

 それぞれの夏が動き出す。せっかく一夜限りの恋人ごっこなのに、いつも通りの三人で屋台を回っていて。

 

「紗夜さん、射的上手すぎるだろ!!」

 

「桐也くんが下手なだけでは……?」

 

 金魚すくい。

 

「見てみて、おねーちゃん! ひとすくいで沢山取れたよー!」

 

「一匹も取れねぇ……」

 

 くじ引き。

 

「これは──化粧水ですか」

 

「あたしは手持ち扇風機!」

 

「……ティッシュ」

 

 ポテンシャルの高さが顕著に現れていた。

 

 ◾︎

 

「楽しかったね~」

 

「こんなハズでは……!」

 

 一通り回ったあと、俺たち三人は再び真ん中のベンチ付近に戻っていた。

 

 死ぬほど運が悪い。実力もないわけだが。

 

「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙……!」

 

「桐也くん。今日はたまたま調子が悪かっただけですよ」

 

 俺は紗夜さんに慰められるという情けない姿を晒していた。そして、日菜さんがとある屋台を指さした。

 

「あ、おねーちゃん! 恋愛占いだって!」

 

「いや、私は別に必要──」

 

「いいからいいから!」

 

 日菜さんがグイグイと押して、紗夜さんは半強制的に占いをやらされることになっていた。

 

 二人が遠くに行って見えなくなったところで、俺は小さなため息をついた。

 

 もちろん楽しかったけれど、その……あまりにもツイてない。

 

 紗夜さんと一日限定恋人ごっこする権利を与えられたことで、運を全て使い果たしてしまったようだ。

 

「はぁ……」

 

「Hello、誰かと思えばトウヤじゃない」

 

 その時、聞き覚えのある声がした。

 

 ゆっくり顔を上げると、そこには見覚えのある小柄な女の子が佇んでいた。

 

「GBP杯ぶりね」

 

 彼女は猫耳ヘッドホンの──ではなく。

 

 ヘッドホンを外した、浴衣姿のチュチュが立っていた。

 

「お前か。映像見たけど、凄かったな」

 

 そりゃあもう、身体がぶわっと──そう言いかけたところで、チュチュが俺の口に人差し指を突きつけた。

 

「シャラップ! 下手な慰めなんて要らないわ」

 

「別にそういう訳じゃ……」

 

 深読みしすぎなんだよこのガキは……しかし、今夜のチュチュはなんというか、ガキと言うには妙に大人びているような。

 

「アナタのドラムは良かったわ。ほんの少しね」

 

 チュチュはそう吐き捨てると、ベンチに座っていた俺の腕を引いた。

 

「な、なんだよ!」

 

「ここは周りの声がうるさいわ。移動するわよ」

 

 こっちには連れがいて──そんなことを言い返す間もなく、チュチュは屋台から少し離れた遊技場に俺を拉致した。

 

 ブランコがあった。鉄棒があった。でも特筆すべきはそれくらいで、後は祭りのやっている正面の広場へと続く道があるのみだ。

 

「……久しぶりだわ」

 

 チュチュは隣のブランコに座って、そう呟いた。

 

「俺は10年振りだな。家事をするので必死だったから」

 

「家事? そんなに追われるほどかしら、家族がいるじゃない」

 

 チュチュは純粋無垢な瞳でそう言った。

 

 振袖がブカブカで、いつも外国人チックな雰囲気を醸し出しているから。なんだか幼く見えた。

 

「……あぁ、俺には両親が居ないんだ」

 

「WOW、ごめんなさい。失礼したわ」

 

「大丈夫だ。言い忘れてた」

 

 未だに留守番できないんだけどな、と言いながら俺はブランコの鎖を両手で掴んだ。

 

「留守番ねぇ……そんな男がワタシのこと好きになっていいわけ?」

 

 ────は? 

 

「お前、いっぺん鏡見てこい」

 

「いつも通りの可愛いChuChuだけど?」

 

「まだまだ幼いって言いたいんだよ!」

 

 クソ。俺は息を切らしながら否定する。

 

「断じてお前のことなんか好きになってやるものか! だいたい、俺には好きな人が──」

 

「好きな人がいるの?」

 

 その時、チュチュの様子が豹変した。

 

 自信たっぷりの表情から、一気に俺を責め立てるような顔にシフトチェンジした。

 

「プレゼントまでしたのに……アナタは随分と強欲(グリード)ね」

 

「別にお前のことが嫌いなわけじゃないけど、だからって恋愛的に好きかどうかは別だ」

 

 四個下のガキに誰が恋なんてしてやるものか。俺には紗夜さんがいるのだ。

 

「この様子だと、まだ付き合っては無さそうね」

 

「まぁな。そもそも恋愛経験が皆無だ」

 

「フン。そうだろうと思ったわ」

 

 トウヤはパッとしないし、と彼女は吐き捨てた。悪口を言うんじゃない。

 

「多少強引に行った方が良さそうね。脳裏に焼き付けてやらなくちゃ」

 

「?」

 

 何やら企んでいる様子だった。

 

「目、つぶってなさい」

 

 チュチュはそんなことを呟いた。俺の方を凝視して、早くそうするように促している。一体何が目的で……僅かに薄目を開けていたが、依然として睨まれたので完全に閉じた。

 

 暗闇に落ちる。ただ遠くの歓声と、風で揺れる葉の音だけが聞こえる。

 

 紗夜さん、日菜さん、ごめん──不可抗力のはずなのに、いけない事をしてる気になっていて。

 

「……!!」

 

 その時、唇が触れる感触があった。

 

 チュッと音がして。目を開けた時にはもう手遅れだった。

 

「────」

 

 妖気を纏ったチュチュが、接物していた。

 

 柔らかい唇が触れて。

 

 そこから身体が溶けてしまうような気がして。

 

 逃げようにも、両手を掴まれていて逃げられなかった。ブランコが揺れたって構いはしない。

 

「……センキュー。良かったわ」

 

 夜だからだろうか。そう言って口を離したチュチュは、俺が今まで見てきたチュチュでは無かった。

 

 まるで大人のようだった。妙に色気があるというか、憂い気を纏った表情で目の前に佇んでいる。

 

 俺はそれを、アホ面を浮かべて見上げることしか出来なかった。

 

「ホントは、トウヤの初めてを奪う予定は無かったんだけど──」

 

 チュチュは袖をギュッと掴むと、

 

「ワタシは妥協しない性格だからね。覚えておきなさい」

 

 心が揺れかけた。

 

 一夜にして、彼女の恐ろしさを知った。これで見た目も可愛いのだからどうしようも無い。

 

「おい。お前、何考えて」

 

「アナタはワタシのそばにいればいいの」

 

 唇を触りかけた手を止めて、俺は俯いた。

 

 ……だめだ。紗夜さんに見せる顔がない。

 



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答えを出すために

「こんなところにいたのね」その声は、すぐに俺たちの耳に届いた。

 

「紗夜さん──」

 

「あら、サヨ・ヒカワじゃない」

 

 チュチュは悪びれるどころか挑発的な笑みを浮かべている。

 

 冷気を放つ紗夜さんを前にしてこの態度は──ホンモノだ。

 

「トウヤを借りたわ。少しくらいイイでしょう?」

 

「……駄目とは言いませんが。桐也くんに何のご用事で?」

 

「質問に質問を返すのはナンセンスね。それでもRoseliaのギタリストなのかしら」

 

 チュチュの煽りに、紗夜さんは一つも顔色を変えなかった。

 

 巧みな論点ずらしに、真っ向から立ち向かっていく。

 

「駄目ではないと私は答えたはずです。貴方こそ、人の話を少しは聞くべきではないかしら?」

 

「何よ。恋敵に牙を剥くのは当然のことで──」

 

「珠手ちゆ」

 

 紗夜さんがそう呟いた瞬間、チュチュは顔色を変えた。

 

「どうして、その名前を……!」

 

「天才プロデューサーの本名なんて、ネットを使えばすぐに出てきます」

 

 まぁそれはいいとして、と言って紗夜さんはこちらに近づいた。

 

「ちょっと。何するのよ」

 

「桐也くんを拾って妹に合流します。いいですか?」

 

 俺は立ち上がって、紗夜さんの後ろに立った。チュチュとバチバチやり合っている視線に介入することはさすがに気が引けた。

 

「なんでトウヤに固執するのよ。アナタはそのsisterと一緒に居ればいいじゃない」

 

「まだ子供のアナタにはわからないでしょうが、物事には道理というものがあるのです」

 

「こ、子供……」

 

 チュチュはプルプル震えてから、紗夜を指さした。

 

「誰がchildよ……!! 先から黙っていればシツレーなことばかり!」

 

 全然黙ってないだろうが──しかし、予想以上に険悪な雰囲気に俺は息を飲み込むほかなかった。

 

「もうすぐ祭りも終わるんでしょ。それなら、別にトウヤぐらいくれたって……」

 

「私は彼と一夜限りの恋人になっていますから。それだけで理由は十分でしょう?」

 

「……あぁもう、意味がわからないわ! 勝手にして!!」

 

 フン、と地団駄を鳴らしながらチュチュは走り去っていった。

 

 なんなんだよ──あいつ。

 

「あの、すみませんでした……」

 

「構いません。あなたが最後に私の元に来てくれれば、それでいい」

 

「!」

 

 すると、紗夜さんは俺の手を握った。

 

「駄目……ですか?」

 

 そんなわけが無い。むしろ何時間でもしたい。

 

「いいに決まってますよ。その……行きましょう」

 

 俺はその手を強く握り返すと、下駄のリズムに合わせて夜道を歩いた。

 

 手を取って、夏の夜を歩く。

 

 来年、再来年も同じ景色を見れるのかな。ふとそんなことを思った。

 

「最後にみんなで線香花火をするそうです。と言っても10人も満たない数ですが」

 

 紗夜さんはにべもなくそう言った。みんなが言う「かつての彼女」ならそうはいかなかっただろう。みんなと花火、なんてワードは天地がひっくり返っても有り得なかったはずだ。

 

 尖っていた頃に出会っていたら、俺たちはどうなっていたんだろう──多分、どうもしない。大事なのは現実だ。今この瞬間も続く現実こそが大切だ。

 

「チュチュさんは困った人ですね。高飛車で横柄で、生意気ばかり」

 

 しかし、と紗夜さんは続ける。

 

「彼女にはカリスマ性があります。音楽の才能、情熱、力量──」

 

 大きなため息をつくと、繋いでいた左手で俺の頬をツンと押した。

 

「何も無い私はギターを弾くしかありません。それで、貴方を認めさせてやります」

 

 どこか儚い声でそう言った。何を言ってるんだ、この人。

 

 認めるも何も、最初から好きなのは紗夜さんで……

 

「本当の桐也くんはどこにいるんですか?」

 

 彼女は突然、そう言った。

 

 俺が、どこにいるか……?

 

「…………」

 

 あなたの側です、みたいな気の利いた事を言えたら良かった。

 

 それでも言えなかった。何も思いつかなかった。

 

 グズグズしているうちに、「おねーちゃんととーくん! 花火しに行くよー!」そう言って手を振る、日菜さんと合流していた。

 

「日菜。いい子にして待っていたかしら?」

 

「ぜーんぜん!」

 

 俺は顎に指を添えて考えた。

 

 本当の自分がどこにいるか、なんて……

 

 紗夜さん、ごめん。今の俺には分かりそうもない。

 

◾︎

 

「………………」

 

 重たい瞼を開けると、窓から光が差し込んでいた。

 

 見慣れた布団の上からスマホに手を伸ばす。

 

 まだ朝の6時か……もうちょっとだけ寝させてくれ。

 

 というか昨日の記憶が無い。一体、俺は何を──

 

『桐也くん』『アナタはずっとワタシのそばにいればいいの』『本当の貴方はどこにいるのですか?』

 

「……」

 

 そうだ。俺は祭りに行っていたのだ。

 

 千聖さんから逃げて。彩さんが迷子になって。リサに着付けを直されて。チュチュに翻弄されて。

 

『今夜限りは恋人になってあげましょう』

 

 紗夜さんに告白をしたのだ。

 

 結局、返事は先延ばしになったけれど……即座に断られなかっただけマシか。

 

 想いが伝わっていれば、これ以上望むことは無い。

 

「けど──本当の自分がどこにいるか、ねぇ」

 

 俺は大きな独り言を吐くと、重たい体を起こした。

 

 そこで気づく。ここは自分の部屋ではないと。

 

 明らかに女子チックで。やたら清潔で、整理整頓されていて……

 

「あ、お兄ちゃん。やっと起きた!」

 

 そんな聞き覚えのある声がした。

 

 俺は咄嗟に顔を上げる。

 

「……は?」

 

 目の前に、エプロン姿のつぐみが立っていたのだ。

 

 線香花火のくだりからの記憶が一切ない。悲しいかな、GBP杯の出演者が沢山いただろうに何も覚えていないのだ。

 

 ビールか? でも、俺は特別アルコールに弱い訳では無いし。

 

「みんなでお兄ちゃんをここまで担いで……紗夜さんは、『呼吸はあるようです。疲れたみたいですね』って言ってた」

 

 つぐみは眉をひそめてそう言った。心配してくれているのだな。

 

 ますます紗夜さんに合わせる顔がない。しばらくは一人でいさせてくれ──

 

「ええと――答えは、お兄ちゃんの中にしかないと思う。知らない自分を認めて、また紗夜さんに会いに行きなよ」

 

 妹は、大真面目な顔でそう言った。

 

「つぐみ……?」

 

「ずっと夢でうなされてたよ。ホントの自分、ホントの自分──って」

 

 それでも、と妹はキリッとした表情で続ける。

 

「立ち上がるしかないよ。だってお兄ちゃん、今までそうしてきたでしょ」

 

 ……わかってる。

 

 そうするしかないのはわかってる。

 

 でも、一度折れかけた心だ。

 

 簡単に立ち上がらせてはくれない。

 

「──自信が無いんだ。ずっと紗夜さんを好きで、これからもそうしていくつもりだけどさ。それこそ妹のように思ってた奴がずっと大人だった。なんだか悔しかった」

 

 ごめん、つぐみ。

 

 上手く言語化できそうにない。

 

「そうなんだ」

 

 彼女は踵を返すと、もう一度こちらを振り向いて、

 

「大丈夫だよ。本当の自分がどこかなんて、すぐにわかるから」

 

 そうとだけ呟いて立ち去っていった。

 

 本当の自分、か……そうか。そうか!

 

 やっとわかった。

 

「気づくのが遅すぎだ」

 

 俺は自分のこめかみを押すと、勢いよく立ち上がった。

 

 やり切ってみないとわからない。今まで、最善を尽くさずに都合のいい言い訳ばかりを考えてきた。

 

 結論ありきで。最もらしい理由をつけるのが上手だった。

 

 そんな大人にはなりたくなかったって。ずっと心の中で思っていたけど。

 

 今だから言える。

 

「本当の俺は――」

 

 言葉に傷ついてばかりの自分が、言葉に救われていく。

 

 なんだか滑稽だな。俺は椅子に掛けてあったエプロンを付けて、勢いよく階段を下りていった。



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青薔薇の恋

 ひとしきり羽沢珈琲店の手伝いを終えたあと、俺は荷物を持ってCIRCLEに来ていた。

 

 全体練習がなかったから、著しくドラムの腕が落ちている。バンドが活動停止中の今がチャンスだ。バッチリ練習して、再び進化を遂げよう!

 

「……よし」

 

 誰もいないスタジオで、ドラムの音だけが響く。練習して、練習して。反省して。練習して。その繰り返し。

 

 この感覚だ。初めて音を刻んだ時の忘れられない思い出。

 

 自分から音が始まって、まるでここが世界の中心であるようにさえ錯覚させられる。ためしにギターフレーズを流してみた。その旋律に合わせてリズムを挿入する。

 

 ドラマーは縁の下の力持ちだと言う人がいる。……俺はそうは思わない。

 

 いつだって自分が主役だ。そういう気持ちで叩かなければ、良い音は生まれない。

 

 それから、俺はひたすらドラムを叩き続けた。自身の腕から鳴るリズムが愛おしい。手に汗握る演奏は鳴り止まない。キックとスネア、ハイハットにタム──それぞれが交わり合って。

 

 次第に、音楽に溶けていく。

 

 ◾︎

 

「お疲れ~、桐也くん」

 

「まりなさん。ありがとうございます」

 

 俺はスタジオから出て、ロビーでスティックの塗装を直していた。

 

「さては誰かさんを待ってる感じかなー?」

 

「勘が良いですね」

 

 もういい歳の大人だからねー! と言ってまりなさんは去っていった。

 

 なんなんだよ……と思いつつもドラムスティックを懐にしまった。練習が終わってもなお、俺がスタジオにとどまっているのには理由がある。

 

 Roseliaのメンバーとしての誇りを持ち、ドラムに勤しみ。再びあの人に会うためには。

 

「……!」

 

 この場所──CIRCLEしか無かったからだ。

 

「桐也くん? どうして……」

 

「会いたかったからです」

 

 俺はにべもなくそう言い放った。「少しでいいから、時間をくれると嬉しい」

 

 紗夜さんは頷くと、

 

「わかりました。用件は?」

 

 そう言いながら隣に座った。距離は一定に保たれている。やはりあの夜は幻想だったか。

 

「祭りの日、紗夜さんが俺に言ったことです」

 

「どれのことでしょうか……」

 

「『本当の貴方はどこにいるのですか』ってやつですね」

 

 あぁ、と曖昧に頷く。ギターケースを背負った紗夜さんは『可愛い』よりも『カッコいい』に近い。

 

「ま、それはいいんですが──羽沢珈琲店まで俺を運んでくれたこと、本当にありがとうございました」

 

「いえ、本当に心配しましたよ。まさかビール一缶で倒れるとは……」

 

「マジでごめんなさい!」

 

 はぁ、と紗夜さんはため息をつく。彼女は再びギターを背負うと、勢いよく立ち上がった。

 

「話は後にしましょう。折角ですから、練習に付き合ってくれませんか?」

 

 そう訊いてきた。俺もまた立ち上がって、

 

「もちろんです」

 

 そうとだけ答えた。

 

 ◾︎

 

「いやー、楽しかったですねー!」

 

「ええ。即興演奏も悪くない」

 

 練習を終えて、俺たちは近所のファミレスに来ていた。

 

 紗夜さんは無我夢中にポテトを頬張っている。

 

「楽譜に沿って行うモノとは全く違いました。より広い枠組みで奏でられる」

 

「そうですね。まぁでも、リズムを一定に保ちながら映えるドラムロールをするってのは中々難しかったですが」

 

 それが醍醐味です、と紗夜さんは満足そうに頷いた。

 

「やはり我々はミュージシャンですから。言葉よりも簡単な道具がある」

 

「……そうですね」

 

 深呼吸をしてから呟く。それでも、伝えなければならないことだってあるのだ。言葉は避けられない。

 

「あの時の話の続きなんですが……『本当の自分がどこにいるか』という問いに対する答えが見つかりました」

 

「何ですか?」

 

 紗夜さんはポテトへ伸ばした手を止めて、俺の顔を覗き込む。

 

 酷く緊張したが、それでも俺は答えるのを辞めなかった。

 

 チュチュに唆されて、紗夜さんを裏切った形になって。軽く自暴自棄になりかけたりもしたが、立ち上がるチャンスを妹から貰ったわけで。

 

 まったく、気付くのが遅すぎるんだ。

 

「俺は『ここ』にいます」

 

 胸を張って答えた。迷いなど無かった。

 

 これが一番だって信じていたから。

 

「……そうですか」

 

 紗夜さんは何食わぬ顔でポテトを口に運ぶ。

 

 それを飲み込んでから、こう言った。

 

「良かったです」

 

 僅かに表情を緩ませていた。ポテトの美味しさか、安心からか──理由はわからない。

 

「桐也くんらしい言葉ですね。抽象的すぎる」

 

「まさかのダメ出し!?」

 

 上げて落とすスタイルだった。

 

「あの、やっぱり良くなかったですか……?」

 

「『やっぱり』とは聞き捨てならない言葉ですね」

 

 彼女はそう言った。何を言われるのか分からなくて怖い。答えは見つかったけど、あれから若干自信を無くしていて……情けないことこの上ないが、似たような経験をしたことがある人もいるんじゃないだろうか。

 

 失敗が続くと、辛い。そこで立ち上がることの出来る人間は本当に強いのだ。

 

「聞いてください。私は」

 

 紗夜さんはため息をついてから、口を開いた。

 

「前から、素直で一生懸命な貴方がきっと輝けると信じていました。そういう人にこそ成功が与えられる。自分の中にある『揺るぎないもの』を手にした瞬間、人は強くなれる」

 

 そして、と彼女は続ける。

 

「貴方はそれを手にした。まだ中身は伴っていないかもしれませんが、確かな形として答えが存在する。それだけで、私が貴方を認める理由としては十分でしょう?」

 

 以上です、と紗夜さんは言った。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「そもそも……私はあの問いについてはどんな回答でも良いと思っていました。大事なのは自分の考えを持っていることでしたから」

 

 最後のポテトを掴むと、彼女は顔を上げた。

 

「桐也くん、貴方は答えるのに一晩かかりましたね。その時間を大切にしてください。人生は長いようで短い。夏は永遠には続かない」

 

「!」

 

 俺は戦慄した。夏休みのレポートを全くやっていないのもそうだが、Roseliaのメンバーとしていられる時間も……そう長くはないことに気がついたからだ。

 

「その言葉、身に染みます──」

 

「そうです。お祭りのそれも、一時の過ちですから」

 

 彼女はそっぽを向いた。ごまかすようにしてポテトを口に運ぶ。

 

 微かに頬を緩ませたかと思えば、それが最後の一個だったことに気がついて残念がった。

 

「しかし」

 

 彼女はコップの水を喉に流し込むと、

 

「恋人ごっこ──悪くありませんでした。出来れば、一日だけと言わず」

 

 赤面してから、こう続ける。

 

「ずっとしていたいですね」

 

 ご馳走様です、と言ってから彼女は立ち上がった。

 

「ちょちょ、ちょっと!? どういう意味ですか!?」

 

「分からないのもまた桐也くんらしいですね。もう少しお勉強をしましょう」

 

「またダメ出しかよっ!」

 

 クスクスと紗夜さんは笑っていた。

 

 忘れずに伝票を抜いて、俺はその後ろ姿を追いかけた。

 

 この人からは、まだまだ学ばなければならないことが沢山あるな。

 

 未知なるものを認めて前に進んでいこう。そう思いながら、俺は再び彼女の横に立った。

 

「ポテト『LL』サイズ一点で、お会計は──」

 

「あの、紗夜さん?」

 

 彼女はそっぽを向いていた。マジか、道理でボリューム満点だった訳だ。

 

「まずはポテト好きを認めるところから始めたらどうですか……?」

 

「珍しく正論を言いましたね」

 

「普段は言ってないとでも!?」

 

 依然として煽られているが、やはり紗夜さんは可愛い。今回の夏祭りを通して、彼女の知らなかったところが沢山知れたような気がする。

 

 例えば、俺に内緒で一番大きいサイズのポテトを頼んでいるところとか、

 

「……♪」

 

 八重歯を見せて、笑いかけてくれるところとか。

 

【完】

 



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