Mikasa (asabuki)
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Mikasa

Mikasa

 

 

 私はあまり文章を書くのがうまくない。箇条書きみたいだと笑われたこともある。兵団の座学ではいい点をとれたのだけど。

 まずみんなが訊くことから答えようと想う。なぜ私がジャンと結婚したかについて。

 ジャンがプロポーズしてくれたから。終わり。

 これでは「残念なのはお前の語彙力だ」と云われそうだから、もう少し書く。

 昨日街をジャンと歩いていると、ヒッチ・ドリスに逢った。今もまだ憲兵団に所属しているヒッチは私たち二人をしげしげと見て、お似合いだと笑顔を向けた。

「良かったじゃん」とも。

 それは私に云ったのかジャンに云ったのかは分からなかったけれど、私とジャンも微笑んでヒッチに手をふった。

 ヒッチの言葉には嘘はない。私たちはあまりにも多くの同期や知人を亡くしてしまった。だから、知り合いに逢うだけでも格別に嬉しかった。戦場の焼け野原や大災害の後に知り合いと出逢うと嬉しいものだ。ヒッチもマルロを失った。誰に逢っても、誰の倖せをみても私たちは

心底嬉しかった。良かったと心からそう想う。

 

 コニーから野菜が届く。コニーは村に帰って畑をやっている。とても美味しい。いつかコニーが生き残りの面々を見廻して、

「この中の誰とでも俺は乱交できそうな気がする」と云ってみんなに小突き回されていたことがあったが、私もそう想う。

そこにはもう男女を超えた友愛があって、私たちは誰とでもきょうだいのように付き合っていたし、誰の近くにいても半分は私と溶け合っているような気すらした。戦友とはそういうものだ。

 私たちはあの天と地の大戦を経て、生きている者も死んだ者ももう一つになってしまった。女王陛下ヒストリアも、アニも、アルミンも、ライナーも、その他大勢の104期生も、みんな同じ気持ちだった。私たちの周囲には亡くなった仲間たちがいつでも傍にいて、生者と死者の区別なく彼らの声を今しがた聴くようにして私たちは親しく聴いていた。

「ヒストリアの娘、あれはエレンの子なんじゃ……」

 云いにくそうにアニが云っているのが背後からきこえた。そうなのかも知れない。似てるといえば似てる。眉のあたりとか。

 真偽は不明だが、エレンがこの世に生きた証を遺そうとしたのだとしたら、私にはそれは歓迎すべきことに想われた。なぜそれが私じゃ

ないのとはやはり少し想うが、王家の血をひくヒストリアが適任だったと納得もした。

 この世界にエレンの血が遺っているのは素晴らしい。素直にそう想える。何も遺さずにエレンが死んでしまうよりはずっといい。もし何も遺せなかったら、エレンがあまりにも可哀そう。

 

 セントラルではあちこちで新式の建造物が建築中で、そのうち私たちも引っ越すかもしれない。

 私とジャンは愛というよりは大切な人としてお互いを伴侶にした。

 兵士同士のセックスはわりと派手。行為の最中は、私もジャンも、闘ってきた日々のことを想い返していたと想う。お互いの肉体には無視できないほどの傷があちこちにあったし、長く共に闘ってきた同期生と触れ合っているだけでも、私たちには想い出がありすぎた。

 

「結局、消えなかったな」

 ジャンが指で辿る私の頬の傷。

 今、ジャンはセントラルの夜景を見下ろす露台でお酒を呑んでいる。その姿はかっこよくて見惚れてしまう。訓練兵であった頃の彼はエレンと同じくまだがちゃがちゃとした少年らしさが残っていたが、次第にその性格は男らしさと渋さを増して、私には過ぎた夫といえた。

「俺はエレンと込みで俺んところに来いなんて云うつもりはない。俺はお前と子どもだって作るつもりだ」

 というのがジャンのプロポーズだった。かっこ良かった。そんな云い方で、ジャンなりに私の覚悟を促してくれたのだろう。

 こういう時に、たとえばエレンのことを忘れなくていい、エレンと一緒でいいから嫁に来いなどと云わないのも彼らしかった。

 それでいて誰よりもジャンがエレンを惜しんでいた。エレンのお墓にも彼はよく通って、大樹の陰で熱心に草むしりをやっていた。

 ぶつぶつと何かを云っているジャンの独り言に耳を澄ませてみると、

大抵はエレンの悪口を云っていた。

 あん時ゃ俺が絶対に勝ってたよな、とか、人類を救うとかカッコつけすぎだろお前、とか。

 私とジャンのあいだに子どもが生まれた時にも、真っ先にジャンはエレンのお墓に報告に行っていた。

「よう。ミカサが赤子を生んだぜ」

 まるで他人の子どもの誕生のようにエレンの墓に教えていた。

 

「結局ミカサが一番のリアリストだったよね」と仲間が云う。

 そうかな。

「そうだよ。ほら、助けるのはエルヴィン団長かアルミンかになった時にも、あいつはいつまでも往生際悪く駄々こねてたけど、ミカサは

辛い現実を受け入れて諦めたじゃないか」とも。

 そうだった。

「だからこれで良かったんだよ。エレンとの想い出に浸っていつまでも泣き暮らしながら一生を送るなんてことにならなくて。

 そんなミカサをエレンが望んでいたと想う?」

 そうかな。

 私はまだ湿っぽくなる日もあったけど、考えてみたら、あの人の存在が私に今の人生を選ばせてくれたのかもしれない。あの人。

二千前の始祖ユミル。

 ユミルはいつも私に訊いていた。貴女はどうするの。教えて。私たちはどうすればいいのと。

 報われない愛に囚われていつまでも糞野郎のフリッツ王を断ち切ることが出来なかった始祖ユミル。もう一人の私のよう。私たちはお互いに

変人を愛し過ぎてしまった。

 ユミルは私を見ていた。貴女はどうするの。自分の意志をもたぬ王の奴隷のユミルは、エレンに尽くす私にいつも問いかけていた。

 その愛を貴女はどうするの。

 長い間私はアッカーマンの血のせいでエレンに従属しているのだと想っていた。そうでないことを証明するには、私は私の意志でエレンから離れてみせなければならなかった。愛を証明するのにその人を殺さなければならないなんて究極の辛さだったけれど、幸い、私には人類を進撃の巨人から救うという大義名分があった。

「ミカサは大人だった」

 あいつ誰。ああ、フロック。

 リアリストかどうかは自分では分からない。でも私は世界とエレンを天秤にかけた時に、エレンを捨てる方をあの時選んだのだ。

 私はあなたに操られていない。アッカーマンの血に支配されてはいない。私があなたを好きなのは私が決めたこと。だから私はあなたにこうする。それを私はエレンに告げてエレンを屠った。そんな私をユミルは満足して見ていた。

 奴隷のユミル。貴女はエレンに対する私の振る舞いを見て、糞野郎のフリッツ王を捨て、あの糞野郎のフリッツ王から護るべきだったあなたの娘たちを糞野郎のフリッツ王から護ることが出来たのだろうか。

 そんな私の想いがエレンに通じていたかは分からない。けれど、エレンのことだから私に頸を斬られる未来を透た時にも、

「ミカサに殺られるんなら、まあいいや」と考えていたような気がする。

 

「あそこを飛び回っていたなんて信じられないな」とマーレから遊びに来ている仲間たちが私たちの街の空を仰ぐ。ヒストリアの保護を受けて彼らはマーレとエルディアをある程度自由に行き来できるようになっていた。たまには「お前たちのせいで世界にエルディアの敵が残った」と罵られることもあったけれど、アルミンがそのあたりの国交調整を忙しくやっているみたい。

 戦わなければ勝てない。でも勝った後のほうが実はたいへん。

 巨人がいなくなってしまった新世界では、街の上を飛行する兵士はほぼ必要がなくなった。崩壊した壁の瓦礫は今では積み上げられて観光名所になっている。巨人の物語はふたたび伝説になっていくのだろう。

 私たちは仲間と集まっては、いつかの日のように愉しく呑んだ。

 誰が一番強かったかという話になると、ジャンは俺と云うし、アニはあんたじゃないと云うし、ライナーは俺? と云うし、兵長でしょとおしのびで参加しているヒストリアが云って、巨人とアッカーマンは外そうぜとコニーが云う。

 私はベルトルトだと想う。地味な男だったけど私の必殺の二襲撃目をあいつは受けて避けたから。 

104期生は初陣から死者が多かった。まだ訓練兵だった同期がこの街でたくさん死んだことを想うと今でも哀しい。

 

 

「誰からの葉書」とジャンに訊かれた。

「オニャンコポンから」

 私は届いた葉書を夫に見せた。絵葉書で、裏面には雪山と森林と湖が描かれている。内容は他愛のない観光報告。

 オニャンコポンは今、兵長と、マーレのあの子たちと一緒に世界のあちこちを旅している。兵長とオニャンコポンが望んで、それにマーレのあの子たちが便乗した。

「お前らも来るのか」兵長が云うと、彼らは、

「その脚だと人手は多いほうがいいですよ」と必死に同行をねだったらしい。

 政界に踏み入ってるアルミン。いずれは店を持ちたいと望んで費用稼ぎに護身術の教室をひらいたアニ。お母さんの介護を経て医療の道にいったライナー。料理店を開いたニコロ。ニコロの店で出す野菜はコニーから仕入れてる。

 世界は美しい。私は絵葉書を眺めた。

 雪の山は白と青で薄く塗られ、手前の森林は黒いほどの緑で塗り分けられていた。静かな湖のほとり。

 ジャンには秘密だけど、私はエレンとこの絵葉書のような処で一緒に暮らしていたことがある。ほんの短い間、この世界線の何処かにエレンが作ってくれた架空の現実で、私はエレンと新婚のような生活を送ったことがある。

 なぜそれが分かるのかといえば、その世界では私の例の頭痛がなかったからだ。

 あの想い出はエレンが私のために、そしてこの世界から去るしかないエレンがエレン自身のために作ってくれたのだと想う。優しいエレン。

 

 私たちはまだみんなが不在なことに馴れていない。そういえばハンジさんは何をやっているのかなとか、シャーデス教官は元気かなとか、想いついては落ち込むことがあった。兵団本部に行けば彼らの氏名の横には「戦死」のスタンプが押されているはずだ。死んだ状況が詳しく分かる者ばかりではなく、行方不明のままの同期もたくさんいる。巨人が吐き出す死者の繭玉の中に姿が見当たらなければ何処かに行って

しまったきりだった。

 そういえばジャンと結婚した後すぐ、私たちは二人で昔わたしが両親と住んでいた家に行ってみた。父がそこで殺され母もその後すぐに殺されて死んだから、今まで一度も帰ったことがなかった。

私の養父になってくれたイエーガーのおじさんが管理してくれていたけれど、巨人が壁を破って街に入って来たあの日からは放置されていたはずだ。

 私は子どもだったから分からなかったが、ずいぶんと寂しい人里離れた処に家はあった。父と母がいたから明るく想えただけ。今みると、鬱蒼と茂る草木に半ば覆い尽くされて、とても近づけるものではなかった。純潔のアッカーマンではなかったのか想い出される父は柔和で、東洋の王族の血をひく母もいたって庶民的だったから、私の子ども時代は平穏そのものといえた。

 あの日、イエーガーのおじさんは母の診察に来たのだ。あまり憶えてはいないけれど、母は妊娠していたのだと想う。

「ここで暮らしてもいいぜ。手入れはいるが、そう悪くない」

 ジャンが気を遣って勧めてくれたが、私は断った。一人娘を遺して死んだ父母は私のことが心配だっただろう。でももう隠れて暮らす必要はなくなった。

 私はジャンの腕に手をかけた。ジャンがいてくれて良かった。

 ミカサ・キルシュタインという名が変だと云って、私はまだジャンの希望でアッカーマンのままでいる。もう私たちは怯えて隠れて暮らすことはない。

 父母の小屋はすでに屋根が崩れ、そこに鳥が巣を作っていた。

からまる蔦と野苺がいずれはすべてを覆い尽くして木片と煉瓦の破片に変えてしまうだろう。そしてふと、エレンが最後に私と過ごす場所に山小屋を選んだのは、エレンがこの家を覚えていてくれたからかも知れないと想った。あの山小屋は私たちが出会った最初のこの場所に似ていた気がするのだ。

 

「ちょうどいいから、みんな観に来てよ」

 仲間が集まっていたのはヒストリアの記念式典があったからだった。女王みずから巨人を斃して街を救ったなんて末代までの語り草だ。だから女王が巨人をやっつけた辺りに、崩壊した壁の破片を利用した記念塔が建てられることになり、その除幕式に招待されたのだ。

「斃したっていっても、父親だからね。ちょっと複雑」

「あのレリーフ、お前に全然似てないよな」

「ヒストリア女王っていうかウォール教団の魔女みたい」

「でしょう?」

 ヒストリア・レイスはぶつくさ云っていたが、本番では立派だった。

 王冠をかぶった彼女には威厳があり、ヒストリアはヒストリアでクリスタだった頃に仲間のユミルに誓ったちかいを履行しているのだ。

 騎馬隊が上を走れるほど分厚かった壁はすっかり崩れ去っていた。私たちがいつも観ていた壁は、空に、野に、森に、そしてその先の海に続いていて、最初はがらんとして足許が覚束ないほどに広々と果てしがない空間に浮いているように想えたものだ。頼りない気持ちから始まった新しい国づくり。そこにエルディアの民をユミルの呪いから解き放った真の英雄の名はない。

「ミカサじゃないの?」

「え」

「そういやそうだな。真の英雄はあいつじゃない。ミカサだ」

「討伐数は実は兵長を上まわってないか?」

「私の隣にあなたの銅像を……」

「やめてよ」

 私は赤くなり、私たちは兵舎で過ごしたいつかの日々のように笑う。エレンが護ってくれたのは世界じゃない。エレンが護ってくれたのは

私たちなのだ。私たちはエレンに胸をはって生きていく。死んでいった彼らにもそうする。

 お前、胸はって生きろよ。

 

 

 蒼い山脈に囲まれた静かな山の小屋。角灯の照らす夕闇のような光の中で、私はエレンと毎晩愛し合った。

 私は寂しかった。倖せの中にもずっとお別れの気配があって、朝の光の中で元気いっぱいに働いているエレンを眼の前にしていても、私は別れが怖かった。

 エレンは何かに苦しんでいて、私を見る時の眼はもう昔のエレンではなかったけれど、心の奥では私と一緒にいたいと希っているって分かっていた。「お前がずっと嫌いだった」と云われた時もエレンは変わりなく私のことが好きだったはず。男は女の愛を都合よく勘違いしても、女は男から好かれているかどうかを間違えることはないのだから。

 エレンはもう為すべきことを決めていて、それに向かって進むしかなかった。私は云うしかなかった。

 いってらっしゃい、エレン。

 山小屋で二人きりになれた時、私たちは泣きそうな気持ちでどちらからともなく、しっかりと抱き合い求め合った。なぜかその世界の中でのエレンは髪の毛が短くて、少し前のエレンの

ような姿をしていた。エレンが私に憶えておいてもらいたいのは闇落ちする前のこの頃のエレンなのかなとちょっと想った。

 子どもの頃から一緒にいたから少し恥ずかしかったけれど、私たちは暖かな寝床でなんだか懐かしいような気持ちで結ばれた。エレンも私も、少しだけヒストリアとついでにジャンのことが脳裏をよぎったかも知れないけれど、前にも書いたとおり私たちは同期のみんなと一体化しているようなところがあったから、もう気にならなかった。

 朝起きるとエレンはもう目覚めていて、暖炉の傍で膝を抱えて何かを考えこんでいた。

「あいつはお姫さまかよ、毎回誘拐されやがって」とジャンが云うように、エレンはいつも何処かへ行ってしまい私はそれを追いかけ続けてきた。誘拐されなくてもエレンは何処かに行ってしまう人だった。だからそこにエレンがいるだけで、私はもう何も要らなかった。

 あの山小屋で私たちはパンを焼き、薪をわり、魚を釣って焼いて食べた。牧歌的な日々。

 忘れてくれとあなたは云ったけれど、忘れるわけがない。私に忘れさせてあなただけがあの想い出を連れて行くなんてひどい。だから私は忘れない。俺を忘れて倖せになってくれというのなら、そうするね、エレン。でも倖せになっても忘れない。

「結局、消えなかったな」

 お別れの前の晩のことだ。エレンはジャンがそうするように私の頬の傷を指先で辿った。憶えておいてくれとエレンの眼が云っていた。私には分かった。だから無言で頷いた。

 

 あと何十年か後になったら、仲間たちの訃報を私もきくだろう。女のほうが長生きするというから、まずは男性から死ぬのだろう。私はジャンを見送るつもりでいる。でも私から死ぬかもしれない。そして私たちも忘れられていくのだろう。

「つまり、この俺だ」と夫が何か威張ってる。赤子相手に、母親にプロポーズしたことを威張ってるのだ。

 うん、威張っていいと想う。ジャンはそれに値する。

 私は自分の頬に手をやる。私はこの傷があることを一度も気にしたことがないのに、エレンもジャンもやたらと気になるみたい。男の人って変。

 ヒストリアの子どもがエレンの子なら、私はそれも嬉しいし、そうでなくても、ヒストリアが立派な女王になって嬉しい。

「俺は兵長の子だと思うぜ」アニにコニーがそう答えていたから、その可能性もあるのかも。大きくなったらもっとはっきりするだろう。

 104期生はほとんどが死んだ。私は彼らを忘れない。エレンを忘れない。

 いつか遠い何処かで、私たちはまた逢うだろう。サシャ、起きて。肉ならベルトルトとユミルが採ってきて、あっちでニコロが美味しく料理しているから。そこにはエレンもいて、私がまだあなたにもらったマフラーを持っていることに呆れているのだ。

 

 

 

「了]

 

 

 



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