己を徹底的に痛めつけるのが大好きな超絶ドMウマ娘は周りから世界一の努力家と勘違いされている (座敷猫いおり)
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一章 登場!白い毛色のウマ娘
プロローグ


 

 ――それはとあるゲーム会社のスタッフと、とある馬主の会話の記録。決して表に出ることもないような些細な打ち合わせの1ページ。

 

「繁殖牝馬も引退した今だから言えるんですけどね……あの子、実は苦しいことだとか痛いことが大好きだったんですよ」

 

「えっ! そうなんですか!? 確かに現役中の彼女のトレーニングは凄まじいものがあったと聞いていましたけど……そういう性格だったから耐えられた、と? それはどういう風に……」

 

「そうですねぇ、例えば坂路ですよね……普通馬って、基本的に坂路は嫌がるんですよ。生き物ですからね、勾配ついた坂を何度も走らされるんですからそりゃしんどい。でもあの子は違いました。もうね……登る。とにかく登るんですよ、それも楽しそうに。どれだけ息が上がろうとくたくたになろうと騎手や調教師(せんせい)達が無理にでも止めないと、絶対にやめない」

 

「おぉ、そうやってあのミホノブルボンを彷彿とさせるような体躯が造られたわけですね」

 

「そりゃ牝馬のブルボンだとか、ゴリラとか言われますよねあのバキバキのトモ……ははは。いや調教の度にほぼオーバーワークになってしまっていたわけですから笑い事ではなかったんですけどね。他にも色々と困ったものでしたが、とにかく何をやらせてもそんな調子なもので体のあちこちが鬱血してしまって笹針治療を増やさざるを得なかった。麻酔はかけますけども、笹針だって馬によっては本当に嫌がるし、痛がる。けどあの子はもう笹針の先生を見つけた瞬間猛スピードで詰め寄って早く針を打ってくれ! って有様でしたからね。というか何度か自分で麻酔針破壊して、麻酔なしで打たせようとしたこともありまして」

 

「嘘でしょ……」

 

「動画ありますよ。これなんですけどね……気持ちよさそうでしょう」

 

「ち、血まみれでかなり痛そうですけど……完全に弛緩して、リラックスしてますねこれ」

 

「先生も言ってましたからね。これほど笹針のやりがいがある馬はこの世に居ないって」

 

「いやぁ、これは本当に……失礼な言い方になっちゃうと恐縮なんですが…」

 

「いえ。こちらも思ってることですからはっきり言っちゃっていいですよ、はは」

 

「マゾ――って奴なんですかね?」

 

「はい。間違いなくあの子は他に類を見ない程のマゾヒズムを持った競走馬でした。ですので――『ウマ娘』としてあの子をキャラクターデザインするときは世間の華々しい三冠牝馬というイメージ……黄金世代の白雪姫ではなく、私達をほとほと困らせて……そして愛させたありのままのデザインでお願いしたいのです」

 

 

 

■■■

 

 

 

 初めて彼女と出会ったのは、日本一を目指して田舎からトレセン学園にやってきて間もない頃でした。

 見るものすべてが新鮮で、華やかで、素敵でしたけど――それでも、そのすべてが彼女を更に際立たせる為の前振りだったと思わざるを得ないほど、彼女はスズカさんと同じくらい美しかった(・・・・・)んです。

 北海道の初雪を思わせるような白い、どこまでも白くて綺麗な髪色と柔肌を持った彼女が、まるで絵本から飛び出してきたお姫様のような彼女が大きな坂路を走っているだけなのに……その表情があまりにも楽しそうで、そして心地よさそうなものだから――。

 

 どうして私は彼女を見て息を飲んでいるんでしょうか。

 どうして私は初めて見たはずの彼女を見て懐かしさを覚えてしまうんでしょうか。

 どうして私は――どうして私の心は、私の“魂”は。

 

 彼女を求めているのでしょうか。

 

 私はそうして、しばらくぼーっと彼女に見惚れてしまっていました。

 何度も坂を全力で駆け上がっては、また全力で下っての繰り返し。

 

 何セットも何セットも繰り返した末に、滝のように流れる汗を拭う姿と、小刻みに震えてしまっている脚を見れば彼女が限界だということは誰でもわかることでした。

 

 それでも、彼女の笑顔が崩れることはなくて――ああ、そうか。

 彼女が美しいのは白い彫刻細工のような造形だけじゃなくて、走ることは楽しいのだと、走れるのが嬉しいのだと――そういった走ることへの素晴らしさを全身で体現してるからなんだ。

 

 限界なんてないんだって。

 限界なんて超えられるんだって。

 そこに道がある限り、いつまでも走り続けられるのだと。

 

 走ることが大好きな私が…私達(ウマ娘)が羨ましくなるほどの走りへの情熱。

 それが彼女にはきっとあって……だからこそ私は――。

 

 

 

 今思えば、その感情は一言で言い表せるようなシンプルなことだったんです。

 

 私、スペシャルウィークは……このトレセン学園で誰もが満場一致で認める、学園で一番――否、世界で一番努力家のウマ娘に一目惚れしてしまったんですね。

 

 同性のウマ娘同士でおかしな話だとは思うんですけど……好きになってしまったものは、好きなんですよ。

 

 『ホワイトグリント』。

 

 それが私の好きな世にも珍しい白毛を持った彼女の名前。

 

 これは後に日本総大将と黄金世代の白雪姫と呼ばれるようになる、私達の物語です。

 

 

 

 ■■■

 

 

 

 98年、秋華賞。

 

 その馬は2つの伝説を蘇らせ、新たな伝説をターフに刻んだ。

 

 三冠牝馬の再誕。オグリキャップ伝説の再興。そして――白毛という誰もが未知の景色と記録。

 

 “黄金世代の白雪姫”その馬の名は…




 以下ネタバレ
 黄金世代とかしらないけどたぶん全員抱かれた(名牝)

 初投稿です拙い文章と遅い更新頻度になるとは思いますがよろしくお願いします。


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一話『ホワイトグリントの入学面接(表)』

 

 どうにも私が他の皆と違うのは毛色(しろげ)だけじゃないらしい、と気づいたのはまだ物心もつかないような幼い頃だった。

 それほど昔の記憶だから、諸々がおぼろげになってしまっているけれど――あの時の異常な物(・・・・)を見るように私を見る皆の目だけは、今でもはっきりと覚えている。

 

 当時住んでいた場所の地元のウマ娘達と一緒にかけっこか何かをして遊んでいたのだけれど、そこで私は張り切りすぎて全力疾走のまま盛大に電柱にぶつかってしまったのだ。

 傷が残るような大怪我ではないのが残念だったが、鼻から勢いよく血が垂れ流れていたから多分折れていたのだろう。そんな私に気づいた地元のウマ娘達は顔面を真っ青にしながら私の身を案じてくれた。

 

『グリントちゃんだいじょうぶ!?』

 

『わたし、おとなのひとよんでくる!』

 

『ああ……ちがこんなに』

 

『いたそうだよぉ……かわいそう……』

 

 そんな風に彼女達が何を心配してくれていたのかが自然と理解できるようになったのは、一般常識というものを覚えた後のこと。

 当時の私には、それが特定個人だけの異質な感覚だなんてわからなかった。

 

『……みんな、なんでそんなにあわててるの?』

 

『え?』

 

『わたしいま、とってもきもちいい(・・・・・)のに』

 

 だって皆も、怪我をしたら嬉しいでしょう?

 痛みって――こんなにも痛気持ち(ここち)良いんだから。

 

 そう言って、鼻血まみれで心の底から気持ちよさそうに笑う私(・・・・・・・・・・・・・・・)は、彼女達の目にはさぞや不気味な存在(いきもの)に映ったことだろう。あれ以来彼女達から遊びに一切誘って貰えなかったどころか完全に避けられたのも残念ながらさもありなん。

 

 

 

 遅ればせながら自己紹介をしよう。

 

 私の名前は“ホワイトグリント”。

 

 肉体的苦痛が快楽にしか感じないという摩訶不思議な(さが)を持ってこの世に生まれてしまった、奇妙な白毛のウマ娘だ。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 私は寡黙がすぎる上に喋ったところで言葉が足りない、と地元で唯一の友――友? 友達なのかなぁ、友達だといいなぁ……と勝手に思っているウマ娘によく忠告されているが別に話すのが嫌いなわけじゃない。

 上記で語ったように私は自覚あれども自分でもどうしようもない程の異質(・・)なウマ娘であるがゆえに、変なことを口にして周りから白い目で見られたくないのだ。

 それは多少なりともあの日の出来事がトラウマに近いものになっているのだろう。肉体的苦痛が大好物でも精神的苦痛はそこまで好きなわけでもないし……まあ嫌いとも言えないのがつくづく(マゾ)なのだが。

 

 そんなこんなで幼少の頃からできるだけ他人と会話も触れ合いも避けてひたすらハードトレーニング(気持ちいいこと)に明け暮れてきたものだから、私はすこぶるコミュニケーションが下手だし苦手。家族以外とまともな会話をしたのが、なぜか向こうから構ってくれる唯一の友以外ここ数年まるっと思い出せないほどである。

 表情筋は(きもちよ)さを感じる時だけ思わず笑顔になってしまうオート機能だけがかろうじて生き残ったぽんこつと化しているレベルで動かない。私事ながらよくそんなコミュ力で全寮制のトレセン学園に入ろうとしたものだ……穴があったら埋め戻したい。体が悲鳴を上げるまで無限に。

 

 相手の気持ちを(おもんばか)ることがうまく出来ないし自分の気持を他人に伝えることだって上手くいかない私がどれだけコミュニケーション下手かというと『おはよう、今日は暑いね』という風に挨拶をされたとして『おはよう』と返せてもそこから続けられるグッドな返答が思いつかない程である。

『こんな暑い日は水分を断って熱中症寸前になるまでマラソンしたいよね』なんて言ったらきっと多分引かれるでしょう? それもドン引きで。急募・私とマゾトークで盛り上がれるウマ娘or一般的な会話術を教えてくれるウマ娘(時給1000マニー)。

 

 しかしながらウマ生というものは、いやおそらく人であったとしてもそうなのだろうけど一切のコミュニケーションを取らずに生きていくことは不可能だ。

 ウマも人も皆が支え合って暮らしているのが社会というものだ。この国に住まう一市民として最低限の社会性を持つことは義務である。苦手だろうが嫌いだろうがやらなければいけない時はやるしかない。

 

 ――だって、こんなダメダメの私にも2つの目標(ゆめ)があるのだから。

 

 一つは中央トレセン学園に入って、昔はトレーナー業をやっていたという子供の頃私を鍛えてくれた大好きなおじいちゃん(・・・・・・)の為に花の三冠(トリプルティアラ)を取ること。

 もう一つはウマ娘に必要な物すべてが揃っているという日本最大級の施設を利用して、いっそ本気(ガチ)で死ぬくらいのトレーニング(気持ちいいこと)を思いっきりすること!

 

 それを叶えるためにはまず、眼前に並び立つ並々ならぬ面接官に示さなければならない。

 私、ホワイトグリントは中央トレセン学園に入学するに相応しいウマ娘であるということを!

 

 

 そう現在の私は入学テストの実技・筆記を共に終えて最後の関門である面接の渦中であった。

 

 

 実技と筆記は問題なくやれたと自己採点で花丸を押せるのだけれど、こと苦手なジャンルである面接となると、いやはや体は牝ゴリラ、中身はズブウマと唯一の友に断言される私でも中々緊張するものである。

 なにせ目の前には日本ウマ娘界の伝説――『Eclipse first, the rest nowhere.(唯一抜きん出て並ぶものなし)』に最も近いと称される七冠ウマ娘“皇帝”シンボリルドルフを筆頭に、幼い見た目とは裏腹に数々の優れた手腕で学園と競バ界を牽引する理事長秋川やよいなどトレセン学園の著名人達がずらりと並んでいるのだから。

 

 いやーさすがの中央トレセン学園となると面接一つ取ってみてもこれほど本腰を入れるものなのか、と感嘆するばかりだ。

 いくら生徒会長とはいえ生徒であるはずのシンボリルドルフまで入学試験を担当しているのは些か妙な話ではあると思うのだが多分そういうものなのだろう、きっと。

 

 数々の瞳から刺すような視線でじっと見つめているこの状況、普段ならまともに呂律が回らなくなって気持ちよくなってもおかしくない程の威圧感だが、実をいうと無礼さえなければ実はあっさり面接はクリアできるに違いない、という魂胆が私にはあったのでなんとか平常心を保てている。

 

 なぜなら私は推薦を受けて入学試験に挑んでいるからだ。

 それも誰に入学を推薦されたかというと知名度でいえばシンボリルドルフを超えると言われた日本屈指のアイドルウマ娘“芦毛の怪物(シンデレラグレイ)オグリキャップ”さんである!

 

 なぜ私がオグリキャップさんに入学を推薦される程の面識があるのはまた別の機会に語るとするが、とにかくあのオグリキャップさんの推薦であるからには面接のハードルが跨いで通れるくらいには下がっているのが道理のはずだ。

 トレーナーや生徒といった立場の個人推薦というのは下手をすれば学園の縁故採用の温床になりかねないので実はそれほど効力のあるものではないんじゃないか? と唯一の友にも言われたが、いやでもあのオグリキャップさんだよ? 学園だって考慮せざるを得ないはず……おそらく。

 

 そんな理由もあって私は比較的すらすらと面接官達の質疑応答に答えることができていたのだが――。

 

「一つ、いいだろうか。君は……()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 というルドルフさんの質問で少し、固まる。

 どうにも私の普段のトレーニングというのは誰がどうみても明らかにオーバーワーク(異様)に映るらしく、常に誤魔化す(・・・・)のに苦労する。多分、前の学校からの履歴書にもその旨が書かれているのだろう。

 

 基本的に私は自分を鍛えたいから激しいトレーニングをしているわけではなく単に痛気持(ここち)良いから徹底的に自分を痛めつけるようにしているだけなのだ。

 トレーニングという体であればどれだけ自分を痛めつけても他人からは“ギリギリ理解できる”合法的行為なのだから。これを正直に暴露したらまたあの日のように異質なものを見るような目で見られて、疎外されてしまうだろう。

 

 その辛さは――“気持ちよくない”。

 一人で居ることは気にならないが独りになることは避けたい。元来ウマ娘というのは群れの中でしか生きられない性質を持った生き物だと授業で学んだ。私だって特殊な性癖を持っていてもただのウマ娘の一人なのだ。

 

 であれば、ここは前もって考えていたテンプレート(誤魔化し方)パートBで行くのがベストの選択だろう。

 

“花の三冠”(トリプルティアラ)を勝ち取って、証明する為に」

 

「――ほう?」

 

「決して()()()()()()()()()()()()()()()()()という、証を立てます」

 

 とても優しくて格好いい大好きな私のおじいちゃん。必要なこと以外はあまり語ろうとしない物静かな人だったけど、一度だけその優しい目で私を見ながらおじいちゃんはこう呟いた。『俺はな、トレセンに居た頃トリプルティアラを制覇するウマ娘を育てるのが夢だったんだ』って。

 だから、おじいちゃんの夢であるトリプルティアラを私は勝ちたい。その為に強くて早いウマ娘になりたいという思いが勿論あるので決して嘘ではない。

 

 そして何よりおじいちゃんの教育は、私にとってまるで夢心地のように安らげる一時だったのだけれど周りから見れば些か厳しすぎた(・・・・・)らしく、ある日を境に私達は離れ離れにされてしまったのだ。

 

 おじいちゃんの現在の行方すら、私は教えられていない。

 

 酷い話だと思わないだろうか? おじいちゃんは私が憎かったわけじゃない。純粋に私の将来を思って強くしたいからこそ厳しく指導していただけなのに!

 だから私は勝って証明するのだ。おじいちゃんのやり方は少なくとも私にとって正しかった(ごほうび)と。不当に貶められたおじいちゃんの名誉を回復させることが私がトリプルティアラを勝ちたい理由である。

 

 ……のだが、あれれ? どうにも反応がよろしくないぞ?

 祖父の為に頑張るなんてなんておじいちゃん思いの良い子なんだ! 入学許可! と想定ではなるはずだったのだが…ルドルフさんなんて眉間に皺を寄せて目を閉じているし、理事長なんてなんか可哀想なものを見るような目で涙目になっている気がするし、悲痛な面持ちで沈んでいる面接官もちらほら。

 

 ……これは、やってしまったか!?

 なんか変なこと言ったか私!? 言ってなくない!? 私何か間違えたかなぁ!?

 

 ――その後、なんとか失言を挽回しようと努力をしたけれど、なんだが重苦しい雰囲気のまま面接は終わってしまった。

 

 面接室をでてからすかさず頭を抱える。

 嘘でしょ……ごめんなさいオグリさん……せっかく推薦してくれたのにまさかの面接で落ちたかも……。

 

 実技と筆記はかなり手応えがあったのだが、そこでカバーできていない限り駄目なような気がする!

 

 私の前途は実に多難である。

 

 その多難すらどうにも“気持ちよく”感じてしまっているのだから、私はもうウマ娘というより実に救いがたいマゾ娘であった。




次回、面接試験の舞台裏(勘違いパート)


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二話『ホワイトグリントの入学面接(裏)』

 

 おそらくは未来永劫語られ続けるであろう伝説を、その“芦毛の怪物”は生み出した。

 芦毛の怪物に立ち並ぶ数々の好敵手達との名勝負。人々はオグリキャップという存在に、そしてその時代に熱狂し夢を見た。

 

 そして有マ記念、トゥインクルシリーズにおけるオグリキャップのラストラン。

 神はいる――三女神さえもオグリキャップを愛した(・・・)のだと誰もがそう思ったことだろう。

 

 オグリキャップの時代は終わり、新たなスターウマ娘がその夢と熱を受け継いで走り出していく。その繰り返される歴史の積み重ねに誰も彼もが魅了されるのだ。

 

 だからこそ、思う。

 だからこそ、願う。 

 だからこそ、見たい。

 

 終わってしまったはずの伝説の続きを。

 彼女の魂を受け継ぐ伝説の再誕を。

 

 人々は待っている。

 

 オグリキャップ伝説から続く新たな物語を。

 

 

■■■ 

 

 

 中央トレセン学園は素質があればどのようなウマ娘でも受け入れる。

 優等生であれ問題児であれ強く、そして速く……もしくは走ること以外の“特別な才能”が見受けられれば入学する資格が誰にでもあり、競走ウマ娘にとって日本最高峰のサポートを受けられる。

 

 才能こそすべて。

 

 持たざるものにはその地に足を踏み入れることすら許されない、あるいは残酷とも言えるシステムだ。しかしながら競争社会というのは文字通りそういうものだろう。

 

 入学へのハードルは普通(・・)のウマ娘にとっては巨大な山頂のように高い。

 もっとも重要視される実技であれば地元では負け知らずだったウマ娘すら規定タイムに足りず脚切りという憂き目に合うことも珍しくはないのだ。

 

 完全なる実力主義。たとえどこぞの権力者がぜひこのウマ娘を中央へ、と強引に申し出たところで入試がパスなんてされるはずもない。全国から集められた2000人規模の天才ウマ娘達の中で勝利を目指すもの、そして輝けると判断された物だけがその場所に立ち入ることを許される。

 

 それを知るからこそ、トレセン関係者は安易な気持ちで“入学推薦”など行わない。推薦だけで入学結果が変わらないことを知っているからだ。だが、そんな中で――彼女は威風堂々と生徒会室に乗り込み胸を張って言った。

 

「今度の新規入学試験を受けるウマ娘の中にホワイトグリントというウマ娘がいるんだが、絶対に彼女を中央へ入れたいんだルドルフ」

 

 あのオグリキャップが推薦するウマ娘がいる。

 オグリキャップというその者の人柄と実績を知るものであればそれは青天の霹靂でありちょっとした事件であった。

 

「ふむ、君が推薦するウマ娘か……それだけで興味津々ではあるが、入れろと言われて簡単に入れるほど中央の門は広くはないぞオグリ?」

 

「そんなことはわかっている。普通に試験をしてくれればいい……そうすれば能力面(・・・)に関しては何も問題なく受かるだろう」

 

「ほう。孔明臥竜――君がそういうのであれば、名は聞かないが余程の才を持ったウマ娘のようだな。しかしつまるところオグリ、君の心配は能力面ではなく性格面(・・・)での問題だということか?」

 

 問題なく受かる能力があるならこうやってオグリキャップがわざわざ生徒会室に乗り込んでくる必要もない。

 しかしながらそのホワイトグリントいうウマ娘は余程の気性に難のある問題児なのだろうか? と思案しつつルドルフは数年来の友人となって長い来客者を持て成す為に紅茶を淹れる。

 

 確かに能力があってもゲートに入ることを嫌がってしまうなどの問題を抱えるウマ娘は実のところ中央ですらそう少なくない。

 だがその程度の問題ならば訓練を続ければいずれ解決する話。トレセン学園はそのようなことでダイヤの原石を逃したりはしない。

 

「どうぞ。丁度君の好きな銘柄の差し入れを頂いてね」

 

「ありがたくいただく……ズゾゾゾ」

 

 口をすぼめ音を立てて啜る様はちょっと品がないとは思うが、相変わらずオグリキャップの紅茶の飲み方は面白いものだとルドルフは苦笑して、自らも紅茶に口をつける。

 

「ズゾゾ……性格の問題、なのは間違いないが……端的に言うと彼女は努力(・・)をしすぎるんだ」

 

「オーバーワーク、か」

 

「さすがルドルフは察しがいいな。だが、そこじゃないんだ。オーバーワークをすることも問題だがそれ以上にそれをやる理由(・・)だ――ルドルフ。私は彼女を助けたい(・・・・)

 

 

 ■■■

 

 

 オグリキャップとルドルフのあの会話から少しの日々が過ぎ去り、トレセン学園に夢と情熱を持ってやってくるウマ娘達の入学試験はつつがなく執り行われた。

 今期の新入生はまさに大豊作と言っても過言ではないだろう。特にセイウンスカイ、キングヘイロー、グラスワンダーといった面々は歴代の新入生の中でも頭一つ飛び抜けている印象を抱かせる。

 

 この世代は確実にレベルが高い。幾人ものスターウマ娘が生まれ(いず)るだろう。皇帝シンボリルドルフをしてそう直感させるには十分だった。

 

 そんな中でまずその白さ(・・)という異彩にて目を引く存在が一人。彼女こそがオグリキャップが直々に推薦した白毛のウマ娘ホワイトグリントである。

 

(――やはり似ているな、オグリキャップに)

 

 一目でそう連想させるくらいには、彼女とオグリキャップの面影が重なる。

 容姿自体も部分部分で似てはいるのだが、それ以上に彼女が纏った雰囲気(・・・)がとても似ているのだ。

 

 行雲流水。雲や水があるがまま穏やかに流れるように、彼女の在り方はウマ生の分岐路と成り得るかも知れないこの試験会場において尚自然体だった。皇帝シンボリルドルフという偉大な存在の前では多くの者が緊張し背筋を正す中、何も動じず対等に接することのできたオグリキャップのように。

 

 ただ、オグリキャップの顔つきはどちらかといえば愛らしくも凛々しい面持ちだったがホワイトグリントは西洋人形のように美しいと顔立ちで、オグリキャップは動じずとも感情表現が豊かだったがホワイトグリントは感情をどこかに置き忘れてしまったのかと思えるほどに無表情ではあるのだが。

 

(しかも似ているのは姿形だけではなく――走法(フォーム)までとは)

 

 白毛という毛色の珍しさゆえに目立つことには慣れているのか、今も周囲のウマ娘達から見つめられ、ざわざわと噂話をされていてもどこ吹く風。

 その噂話に耳を傾けてみれば、やはり彼女とオグリキャップの関係性、そしてまだ本格化を迎えていないのにも関わらず鍛え上げられた(・・・・・・・)彼女の肉体が主な内容だった。

 

『あの白毛の子、オグリキャップの親族か何かなの? なんだか似てるよね』

 

『さっきのあの子の走り方みた!? 超速かったよ!』

 

『しかもオグリさんと同じ超前傾姿勢(・・・・・)! なんであんなフォームで走れるんだ!?』

 

『見なよあの(トモ)……すっご……ムキムキじゃん……』

 

『スレンダーなのに全体にしっかりと筋肉がついてて……本当に同年代なのかよあいつ』

 

『あれがまだランドセル担いでるって嘘だろ……』

 

『胸おっきい』

 

 つい先程行われたホワイトグリントの入試レース。距離は1000mと比較的短いが未成熟のウマ娘の安全性を配慮した上で素質を見るのには十分な距離であろう。

 

 そこで見せた彼女の走りは、ルドルフですら軽い衝撃を覚える程のものであった。地面を這うような超前傾姿勢での疾走はオグリキャップだけの“唯一無二(アイデンティティ)”。それをオグリキャップとは別の走法(・・・・)で自分のものとし使いこなしているのだから。

 

(オグリキャップの超前傾姿勢というフォームは筋肉の柔らかさとダートを蹴り割るようなパワーがあってこそ成立する走法だと思っていたが……まさかあんな(・・・)方法で行うとは……にわかには信じられない身体能力だ)

 

 周囲のウマ娘達はさもオグリキャップと同じ走法だと思っているようだが、ルドルフだけは見た目は似通っていたとしてもあの走りが全く別のアプローチによって生み出されたものだと瞬時に理解する。数多のスターウマ娘達を見届けて来たその観察眼の(たまもの)である。

 

(なるほど……あれが、彼女の祖父による“児童虐待(トレーニング)”の果てに生み出された肉体、か)

 

 ルドルフは目を窄めて思い出す。

 彼女の入学願書に付属された調査書につらつらと書き綴られていた彼女の過去を。

 

 ホワイトグリントの母方の祖父にあたるその男は、かつて中央トレセン学園に勤めるエリートトレーナーだった。

 若かりし頃の彼は競争だけでなくスポーツ全般が根性論でなんでもできると信望されていた時代の例に漏れず、現代では考えられないような非効率のスパルタ教育を担当に施すことで有名であったらしい。

 

 彼の指導についていけず脱落や脱退するウマ娘も多かったがそれでも重賞ウマ娘を何人も生み出すことに成功していたので中堅以上のトレーナーとして一定の評価はされていたのだが、根性万能の時代は終わり科学的なトレーニングや効率、合理性、安全性、自主性が重視される時代が来ると彼の指導は古い(・・)以外の何物でもなく時代に取り残されウマ娘はおろか学園にすら必要とされなくなってしまったのだ。

 

『無念だ。俺の手で“花の三冠”を取れるウマ娘を生み出せずに終わるのは』

 

 彼はそう言い残して学園を去り隠居した――はずだった。

 

 果たしてそれは幸か不幸か。

 彼の娘の子、つまりは孫に珍しい毛色を備えたウマ娘が生まれて来た。それこそがホワイトグリントである。

 

 彼とホワイトグリントの間にどのような経緯で“師弟関係”が結ばれたのかは本人達だけしか知りようもないが、周囲の人々が気づいた時にはすでに彼の指導の下でホワイトグリントがトレーニングを始めていたようだ。

 

 ホワイトグリントの母親は人間だがかつての鬼のような厳しさでウマ娘を指導する父親の姿を知っていたから、大恩ある実父とはいえそんな彼に可愛く幼い我が子を預けるのは不安だった。しかしホワイトグリントから弱音や苦言など一切聞いたこともなくむしろ日々のトレーニングを楽しそうに受けに行っていたものだから父も変わったのだろう、と安心していたのだが――。

 

『――何を! 何をしてるのお父さん!?』

 

『トレーニングの邪魔をするなら帰れ。グリントはいずれ偉大な――』

 

『ッ! ふざけたこと言わないで! こんなの! ただの虐待(・・・・・)じゃない!』

 

 母親が目撃したのはもはやトレーニングというのもおこがましいような常軌を逸した()()であったという。

 

 母親は自らの父親を児童虐待の名目で法的に訴え、彼はその訴えに対して何一つ弁解することもなく粛々と受け入れ、執行猶予つきの有罪判決が下されたあと人知れず消えた。

 

 彼の行方は、今では誰も知らないらしい。

 

 己の父親という取り替えも取り返しもつかない唯一無二の存在と引き換えに母親は娘を守ったのだ。

 こうしてホワイトグリントにはまともな日常が戻って――。

 

『なんで、おじいちゃんはいなくなったの? 私もっと、おじいちゃんとトレーニングしたかったのに』

 

 来ることは、なかった。

 

 

 

 願書に付属されていた母親の手紙にはその思いが綴られている。

 

『あの子が今でも毎日のように血を滲ませるような無茶なトレーニングを続けてるのは、きっと父の間違った教えが正しいと信じているのでしょう。どうかトレセン学園のお力で――あの子を、父の呪縛から解き放ってください』

 

 一説に、虐待を受けた子供はそれが虐待であると気づかないか、むしろそれこそが愛だと信じて疑わない(・・・・・・・)子達がいるらしい。おそらくはホワイトグリントもまた――それが祖父との不純のない“絆”であったと思いたいのだろう。

 

『ルドルフ。私は彼女を助けたい』

 

 オグリキャップの言葉を思い出す。どうやってオグリキャップが彼女の境遇を知り助けたいと願うようになったのかまでは聞かなかったが、それはすべてのウマ娘の幸福を願うルドルフや秋川やよい理事長にとっても同じ思いだ。

 

 入学試験の実技と筆記が終わり残すところは面接だけ、というところでルドルフは理事長へ願い出た。

 

『ホワイトグリントの面接試験――どうか私も加えてくださらないでしょうか』

 

 生徒会長として様々な権限を持つルドルフと言えど本来は生徒である。入学試験の担当までさせられるはずもないのだが、ルドルフはどうしても直に、今の段階で彼女に問い質したいことがあった。ウマ娘の為ならいくらでも無理を言うし頭を下げよう。それこそが誰もが憧れ慕う生徒会長シンボリルドルフなのだから。

 

 

 ■■■

 

 

「一つ、いいだろうか。君は……何のためにそこまでして己を鍛える?」

 

 その嘘偽りは許さないという気迫を込めたルドルフの質問に、先程まですらすらと質疑に答えていた彼女がその鉄仮面のような無表情は崩さないにせよ初めて言葉を詰まらせた。

 

 少しの沈黙と静寂が面接室を支配したあと、彼女は覚悟を決めたように力強い口調で答える。

 

“花の三冠”(トリプルティアラ)を勝ち取って、証明する為に」

 

「――ほう?」

 

「決して祖父の教えが間違ってなどいなかったという、証を立てます」

 

 やはり、そういうことなのか。 

 彼女にとって祖父は尊敬し愛してやまない正しい(・・・)偉大な人物であり、間違っているのは周囲の方なのだ。

 祖父から教わったトレーニングを止めないのは、止めれば祖父が間違いであったと、その絆は偽物だったということを認めることになるのと同意義なのだろう。

 

 思わずルドルフは目を閉じ顔をしかめてしまう。

 この哀れな少女を救いたい。しかしさすればこの少女の心は深く傷つくに違いない。

 

 なにせ常人ならば数時間とやり遂げられないであろう苦痛にまみれたトレーニングを、居なくなった祖父の教えと絆を守るという思いだけで彼女は何年もの間毎日続けているのだ。

 

 その思い、その覚悟の重さは果たしてどれほどのものだというのだろうか。

 グスりグスりと涙を堪える音がする。おそらくは理事長が慟哭の涙を流すことに耐えているのだろう。

 

 ルドルフとて生徒会長や皇帝といった肩書のないただのウマ娘であるのならばこの少女の為に涙したい。

 

 だが、彼女は生徒会長シンボリルドルフ。

 

 ホワイトグリントの実力は入学試験でもトップクラスである。

 中央トレセン学園への入学は何の問題もない。もはや同じ学園の仲間になるのは決定的。

 

 なればこそ、シンボリルドルフが彼女の為に泣いていいのは、真に彼女を救ってからであるべきだ。

 

 ルドルフは願う。

 

 三女神よ――どうか、己が為ではなく誰かの為に死中求活の努力(・・)ができるこの優しきウマ娘を見守りください、と。




ネタバレ

          ーーオグリキャップ
         ┃
ホワイトグリントー
         ┃
          ーー???????


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三話『ホワイトグリントとオグリキャップ(表)』

 

 結局の所、物事が想定通りに上手く運んで掴んだ成功よりも何かしら致命的失敗をやらかしたと落ち込んでいたら実は成功していましたというどんでん返しの方が感情の揺れ幅が大きい分尚の事嬉しいのだと思う。

 こんな地味なトレーニングで本当に(きもちよ)くなれるのか? と疑って試してみたら実ははめちゃくちゃ痛くて気持ちよかった的な。えっ例え話がよくわからない? そうかまだわからないかこの領域(レベル)の話は。

 

 まあとにかく、私が何を言いたいのかというと完全に落ちたと思っていた中央トレセン学園から届いた合格通知書によって私のテンションは今最高潮だということだ。

 

 いやっっったああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!! おじいちゃん! オグリさん! お母さんお父さん唯一の友! 私はやったよ!

 

 夢ではないかと自分の頬を思いっきり引っ張ったら気持ちよかったから夢じゃない。ウイニングライブにそこまで興味のない私ですら思わず通知書を握り締めてうまぴょい伝説を踊ってしまう程の嬉しさだった。

 完全に面接でやらかしたと思っていたからな……実技が評価されたのだろうか? 筆記は可もなく不可もなくだったし……それともやはりオグリさんの推薦のお力か? ともすれば私は一生涯オグリさんに足を向けて寝れないな。もともと足を向ける気もないけれど。

 

 それにつけてもオグリさん。そう、オグリキャップさんだ。

 

 オグリさん程の大スターがなんで私のような取るに足らないウマ娘をここまで気にかけてくれるんだろう。

 確かにオグリさんと初めて出会った()()()から、私の方は生まれて初めて背筋に電流が走ったかのような運命的な何かを感じ続けているのは事実だが……。

 

 早速オグリさんに合格の報告とお礼をスマホのチャットアプリに書き込みながら、私は思い出していた。

 

 そう、あれはまもなく景色も吐息も私の毛色の如く変わるような季節の訪れを伺わせる寒空の下――でハードトレーニングが祟って痛気持ちよくなりすぎ意識が朦朧としていた時のこと――。

 

 

 ■■■

 

 

 お父さんの匂いがする。

 

 薄れる意識の中で感じたのは私の体を支える誰かの暖かさ……そして、どこか懐かしいような父親の香りだった。

 

 私のお父さんは大きい商社で働いていて日本中はおろか世界を飛び回ってとても忙しく、今は年に数回会えれば多い方という有様だ。

 だけど私の誕生日だとかクリスマスだとか正月だとか、記念日には忙しい合間を縫って帰ってきてくれたりそれが叶わないなら必ずプレゼントや電話をくれたから十分愛されている実感はできたけどそれでも少し寂しいのが本音だった。

 

 そんなお父さんが、今そこにいるのだろうか?

 疑問に思いながら重い瞼を開けると――。

 

「大丈夫か?」

 

 心配そうに、しかしとてもとても優しい目で私を見つめる、綺麗な芦毛のウマ娘がいた。

 

 突然だが、ウマ娘は総じて()()というものを信じる者が多いらしい。赤い糸だとか、前世からの繋がりだとか……ウマ娘がそういう壮大な因果的何かを感じるのは、未だ目下研究中の“ウマソウル”に関係しているという学者もいる。

 私はどちらかと言えば運命なんて信じていなかった。理由は単純で運命を感じるような相手にも出来事にも出会ったことがなかったからだ。それに出会いも別れも運命で決まっているならつまらないじゃないかって――。

 

 私は心の中で目にも留まらぬ速さで手の平を返し運命論者のウマ娘達に頭を下げる。

 

 ごめんなさい。

 運命はありまぁす!

 

 そう一瞬で心変わりしてしまうほどに私は目の前の芦毛のウマ娘……否、日本一のアイドルウマ娘“オグリキャップ”に対して、運命レベルの何かを感じてしまったのだから。

 

「……大丈夫です。ありがとう、お父さん」

 

 ――あ。

 

 それは出会ったというよりは倒れそうになっている所を助けられた上に相手をお父さんと呼び間違えるという羞恥心(きもちよさ)で実に死にたくなるようなファーストコンタクトであった。

 

 

 

 しかしその出会いは実のところ運命でも偶然でもなんでもなくて、オグリさんの目的は最初から私に会うことだったらしい。

 六平さん、という昔オグリさんが中央に移籍してお世話になっていたトレーナーの方がどうも私のおじいちゃんの知り合いだったようで、私の様子を見に行って欲しいと頼まれた――とのこと。

 

 いやはや、今はトゥインクルシリーズから引退して多少は時間の余暇があるのかも知れないけれど、それにしたって恩があれども元トレーナーに頼まれただけでよく私ごときに会う為に、観光名所も名産品も何もないような場所へオグリさんのようなスーパーアイドルウマ娘が足を運んでくれたものだ。

 

 されどオグリさんみたいな凄いウマ娘を担当するトレーナーさんが知り合いなんて、やっぱりおじいちゃんは凄いトレーナーだったのだろうなぁ。中央でトレーナーをやっていた時の話は聞いてもほとんど答えてくれなかったから、おじいちゃんが現役の頃の話はあまり知らないんだよね……いずれぜひその六平さんという人におじいちゃんの話を聞かせて貰いに行きたいものだ。

 

 ちなみにこうして私と出会ったことによってオグリさんの目的はレコードタイムで達成されたはずだったのだが、何故かオグリさんはその後私の練習をつきっきりで見てくれた。なぜに…?

 ただでさえ私のような者に会い来てくださったというお手数をかけているのにその上練習も見てもらうなんていくら私が無表情鉄仮面ドMウマ娘でも遠慮という言葉くらい知っている。けれどもだ、日本一のアイドルウマ娘との併せという甘美な役得にいったい誰が抗えようか――いや、もっともらしい理屈をつけて言い訳するのは止めよう。

 

 私はオグリさんともう少し一緒に居たかっただけだ。

 人付き合いもコミュニュケーションも苦手な私が、おじいちゃんや家族以外の相手にこんな気持ちになるなんて自分自身で驚いている。

 

 運命の出会いって、本当にあるんだな。

 

 そんなこんなで私とオグリさんは一緒にトレーニングをしていたのだが――。

 

 オグリさんの走りを見るのが嬉しかった。

 私の走りを見て貰えるのが楽しかった。 

 オグリさんと一緒に併せるの気持ち良すぎでしょ!

 

 心が――いや“魂”が満たされていくみたい。痛みによる気持ちよさと比べたってそりゃオグリさんと居る方が……いや……でもオグリさんと一緒に居るのが布団乾燥機でふかふかになったベッドで眠るような居心地の良さだとしたら、痛みという快楽で満たされるのは大好物の美味しい料理をお腹いっぱいに頬張る気持ちよさというか……ごにょごにょ……まあとにかく楽しかった!

 

 けれども、だ。オグリさんが本当に優しいウマ娘だからこそ相容れなかった出来事が1つ――。

 

 オグリさん、私の“生き甲斐(ハードトレーニング)”を止めようとしてくる……!

 普段どんなトレーニングをしているんだ? と聞かれたからある程度内容を話したら顔を真っ青にして「そんなことを毎日やってるのか!? ターフを走る前に身体が壊れてしまうぞ! まさかあの時倒れそうになってたのも……!」って。

 

 うーむ……これでもおじいちゃんと一緒にトレーニングしていた頃よりは()()()()()ようなトレーニングしてないんだけどなぁ……おじいちゃんが見ていてくれたからいくらでも安心して無茶できた時と違って今は一人でやってるから下手すると本当に死んじゃうし……。

 

 私はドMだが別に死にたくはない。死を迎える程の致命傷(きもちよさ)というものに興味がないわけじゃないのは事実だが。

 死んだらこれから先の人生で沢山出会えるはずの痛みと苦痛というご褒美に出会えないじゃない? それはもったいないよね。

 

 けれどもだ。オグリさんと同じくらい心配してくれているはずのお母さんでもお父さんでも唯一の友でもなく――オグリさんにだけは、出会ったばかりのはずのこの芦毛のウマ娘にだけは誤魔化し(・・・・)たくなかった。

 

 痛いことが好き(ほんとうのわたし)を……伝えるべきだと、思ってしまったから。

 

 あるいは本当に運命というもので私とオグリさんが繋がっているのなら、きっと納得してくれる。

 

 だから私は――。

 

「痛くないと、意味が無いんです」

 

 おじいちゃんにしか話してない私の秘密を。

 

「苦しくないと、意味が無いんです」

 

 私はオグリさんの綺麗な青い瞳をしかと見据えて……打ち明けることにした。

 

「だって私は……そうじゃなきゃ、満たされないから――!」

 

 ――ああ、言ってしまった。オグリさんだって出会って少し一緒にトレーニングしただけの相手にそんな性癖(セクシャリティ)暴露されても困るだけろうに。

 

 私のそんな告白にオグリさんは目を白黒させて、しばらく考え込んだあと悲しい目をしながら私に問う。

 

「……それは、自分を()()()()()()気がすまないということ、か」

 

 こくり、と私は頷く。私を見透かしたかのようなその言葉はさすがはオグリさんだ……自分を罰するように鞭打つようなトレーニングじゃなきゃ……気持ちよくなんてなれないから。

 

「だが……それは()()()()()んじゃ……」

 

 がつん、と心にハンマーを叩き込まれたような気分になった。必死に零れそうになる涙とオグリさんに気味悪がられているという事実に恐怖と悲しみとちょっとの気持ちよさが渦巻きそうになる心中を落ち着けて、震えそうな声を必死に絞り出す。

 

「……そうやって生きていくことしか私はできないんです」

 

 自分だってわかってる。あるいはこの体質がたとえ生まれついてのものであったとしても……親から貰った大事な身体なのに、それを己の快楽の為に傷つける行為(・・・・・・・・・・)がやめられない自分自身が。

 

「許せない」 

 

 脳を焼き焦がすようなドラッグの依存から抜け出せないジャンキーのようだ。

 情けないと思う。やるせないと思う。だけど……変えられない、それが私という(・・・・)ウマ娘だから。

 

 だから、私は――。

 

 

 ふと、私はオグリさんに抱きしめられていた。ぽたりぽたりと私の肩に溢れ落ちるものはオグリさんの涙だと理解するのにしばらくかかった。

 

「……たとえ、君が自分を許せなくても……私は……私が……君を許すよ」

 

 許された。

 

 許されてしまった。

 

 ――私は、あるいはおぎゃあとこの世に少し(・・)間違えて生まれてしまったその日から初めて――思いっきり、泣いた。

 

 

 ■■■

 

 

 うん、思い出しただけで顔が真っ赤になりそうだ。

 出会ってからオグリさんには恥ずかしい部分しか見せていない気がする。

 

 その日以来私とオグリさんの間に繋がりができて今に至るわけだ、まる。

 オグリさんは本当に律儀な方で、迷惑しかかけてない私に毎日のようにアプリや電話で連絡をくれるし、推薦のことだって、中央に来るんだろう? 中央に来るんだ中央以外許さないルドルフに推薦出しとくからな……といった具合である。

 

 オグリさんは優しさの化身か?

 おじいちゃんは真に強いウマ娘は皆総じて優しいものだ、と言っていたがオグリさん程の強いウマ娘であれば優しさも世界レベルだということなのかも知れないな……いやいっそ優しさの神とすらいえよう優しさと芦毛を司るオグリキャップ神である――あっ、返信が返ってきた。

 

『おめでとう。学園で君が来るのを心待ちにしてる』

 

 にへら、とその短いながらもシンプルで温かい返信にめったに動かないはずの顔がだらしなくなった気がする。

 おじいちゃん以外で初めて本当の私を知ってくれて、なぜかお父さんみたいな匂いがして、誰よりも優しくて、そして私を肯定してくれたウマ娘――オグリキャップ。

 

 ああ明日すらが愛おしい。

 はやくトレセン学園に入りたい。

 

 オグリさんの返事をもう一度だけ眺めて、心からの感謝を心の中で告げる。

 

 オグリさんのおかげで……まだ他の人には言う勇気はでないけど……胸を張って、特殊(ドM)な自分を肯定できそうです。

 

 本当にありがとう、オグリさん。




 ウマソウルが親子関係の子達がとても尊敬し合ってたり仲良くしてるのが本当に尊くて好き。


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四話『ホワイトグリントとオグリキャップ(裏)』

「よう怪物――急に呼び出して悪かったな」

 

 オグリキャップが個室のドアを開けると、そこにはニヒルに笑顔を浮かべるかつての恩師(トレーナー)・六平銀次郎の姿があった。

 以前とは少し(・・)だけ違う所があれど、その研ぎ澄まされた日本刀のような雰囲気と鋭い眼光は依然として健在で、オグリキャップもまた懐かしさからか微笑みを浮かべて言葉を返す。

 

「久しぶりだな、ろっぺい。気にしないでくれ今はお互いに引退した身だ」

 

「いよいよ身体にガタが来た迎え(・・)を待つ老いぼれと次の(ステージ)に向かう為の引退は一緒にできねえだろう」

 

 と、六平は指で己が座る車椅子(・・・)をコンコンと小突いて、寄る年波には勝てねぇもんだと大げさに溜め息を吐く。

 

「そのサングラスの下でギラついてる眼で睨まれたら、迎えなんてあと20年は近寄りもしないと思うが」

 

「くくっ……あの地方から来た天然ウマ娘も冗談が上手くなったもんだ。とりあえずは――茶菓子でも食っていけ」

 

 冗談のつもりはないんだが――とオグリキャップは独り言ちて、六平の後ろへ山のように積まれた茶菓子にきらりと目を光らせた。

 

 

 

「なるほど……つまりそのろっぺいの旧知に虐待されていた(・・・・・・・・・・)というウマ娘の様子を私に見に行って欲しい、と。色々言いたいことはあるが……最終的に事の責任も果たさず蒸発するなんて最低すぎないかその男」

 

 もしゃりもしゃりと高級茶菓子の空箱を何十何百と積み重ねながら、穏和なオグリキャップには珍しい他者への攻撃的な批判と不機嫌な顔を隠すことなく彼女は問う。

 

「それが事実(・・)であれば返す言葉もねぇな」

 

「ろっぺいは真相は違う、と考えているのか?」

 

わからん(・・・・)――というのが本音だ。旧知であれ心根知れた親しい仲というわけでもなかったしな……この話だって最初は人伝で偶然知ったくらいだ。だが奴なら指導(スパルタ)が過ぎて周囲に誤解を与えたのではと思う所もあれば、あるいはついぞ狂気(・・)にも似た妄執に取り憑かれたか……と思う所もある」

 

 視界を遮るように深々と帽子を被り直しながら、六平はかつて中央で鎬を削った同朋の姿を思い出す。

 その男は学園を去る最後まで決して名伯楽や名人などという秀でた者に与えられる敬称で呼ばれることはなかったが――その見るものすべてが震え上がるような畏怖を宿した目つきを持つその男を多くの者がただシンプルに、たった一文字にて喩えた。『鬼』()――と。

 

「妄執……?」

 

トリプルティアラ(・・・・・・・・)……普段は寡黙な男が珍しく熱く語る程にはそれに拘っていたよ。いつか自分で花の三冠を取れるウマ娘を育てるんだとな……だがかの“魔性の青鹿毛(メジロラモーヌ)”と他のトレーナーによって史上初のトリプルティアラが成し遂げられて以来、奴は……いかんな、歳を食うと余計な話ほど長くなりやがる――話を戻そう」

 

 仕切り直しとお茶を一口飲み込んで潤しながら、六平は机の上に置かれたファイルから数枚の写真を取り出す。そこに写っていたのは感情(・・)というものを何処かに置き忘れてしまったかのような白毛の美しい無表情のウマ娘だった。

 

「これがその例のウマ娘――ホワイトグリントだ」

 

「――」

 

「本来は俺が直接出向くか『ジョー』の奴に任せるのが筋ってもんだろうが……生憎と俺はこんな有様(・・)で、ジョーも今じゃ中央の有望なウマ娘から逆スカウトされる程の売れっ子トレーナーになっちまったからな……」

 

「――」

 

「だがセンシティブな話だけに適当な奴に任せるわけにもいかん……それにこれは長年トレーナーを続けて来ての経験則(・・・)だがこの子の雰囲気はお前に妙に似ている(・・・・・・)……そういうウマ娘ってのは得てして肌が合いやすい……できれば頼まれてやって……オグリ?」

 

 先程からどうにもオグリキャップの反応がない。食べ掛け(・・・・)の茶菓子にすら手を付けず一心にじっと写真を見続けていた。食事を中断するオグリキャップなど、長い間彼女に目をかけ続けていた六平ですら見るのは二度目(・・・)である。そう――かつて世界を変えたウマ娘(ワールドレコード)“ホーリックス”をオグリキャップが初めて見た時以来の――。

 

「――受けた(・・・)、取り敢えず早速会いに行ってくる」

 

「今からか!? いや、引き受けてくれるってんならありがてぇ話だが……」

 

 資料とこの茶菓子は駄賃代わりに貰っていくぞ、とオグリキャップはせっせと口に茶菓子を詰め込んで頬袋をいっぱいにしたリスのようになりながら帰り支度を整え始めて。

 

心配するなろっぺい。(しんふぁいふるなふぉっへい)私に任せておけば大丈夫だ(ふふぁしまふぁふぁふぇぇほへだいふぉふだ)

 

 もごもごと口を動かし六平に向けぐっと親指を立てサムズアップしながら、オグリキャップは軽快な足取りで去っていく。何言ってんのかわかんねぇよ……という六平のツッコミもバ耳東風の有様である。

 

 遠ざかるオグリキャップの背中を眺めながら、六平は静かに呟いた。

 

「頼んだぜオグリ……奴の呪い(・・)が残ってねぇってんならそれが一番だが、もしも俺の不安通り(・・・・)の状況だとしたらそれを変えられるのは……」

 

 規則(ルール)や時代すら変えたウマ娘“芦毛のお姫様(シンデレラグレイ)”くらいかも知れねえからな――と六平は帽子を深く被り直して、オグリキャップが残していった膨大な数の茶菓子の空き箱と包装紙から目をそらすようにお茶を含んだ。

 

 

 ■■■

 

 

 件の少女――ホワイトグリントの写真を見た時、一目でオグリキャップはその感覚を理解した。これは運命なのだろうと。運命的な何か(・・・・・・)というものを今までのウマ生で感じたのはこれで二度目(・・・)なのだから間違いない。

 

 かつて食事をするのも忘れて見惚れてしまった彼女(ホーリックス)もそうだったが、運命とはやはり心がふわふわしてわくわくするものなのだな、とオグリキャップは期待が湧き上がり浮つく気持ちが抑えられなかった。

 

 今でも目を瞑れば鮮明に思い出せる。ホーリックスと触れ合った思い出も、ジャパンカップで命を削るような激走を繰り広げたあのレースも……オグリキャップはレースを通して沢山の大切な人達が出来たが、その中でもホーリックスというウマ娘はトレーナーや最大のライバルであり最高の理解者(ゆうじん)である白い稲妻(タマモクロス)達に並ぶ程心の中で今も尚輝いている。

 

 しかしどうにも今回の感覚はホーリックスの時とは少しだけ異なっていて、わくわくよりもふわふわする気持ちが強い。うまく言葉にできないが、彼女(ホーリックス)との運命が“情熱”であったとしたなら彼女(ホワイトグリント)との運命は“温かさ”と言うべきだろうか?

 

(早く会ってみたいな……)

 

 資料に載っていた彼女の住所を示すスマートフォンの地図アプリによれば、もうそれほど遠くない場所にたどり着いているらしい。冬が近づき吐息が白くなるこの季節でも体の芯が温かくなるような気持ちを抑えるように、六平から預かった資料に目を通す。

 

 虐待、という言葉の字面の悪さにはいつ見ても気分が悪くなってしまう。

 六平はそれがスパルタが過ぎて誤解を与えたのかも知れない、とは言っていたがしかしながらそもそも虐待にしか見えない(・・・・・・・・・)レベルの指導(スパルタ)はただの虐待に他ならないのではなかろうか。

 

 オグリキャップが普段行っているトレーニングとて普通の競争ウマ娘に比べてもハードすぎる気はあるし、トレセン学園にはそんな彼女を上回る激しいトレーニングを行っている者だって存在する。

 だが――それはあくまで“それに耐えうる身体”が出来上がっているからこそ実践に耐えうるのだ。いかな種族・ウマ娘とて本格化が近づく年頃にならなければ幼少期は人と比べてもそこまで差異はない。

 

 にも関わらず、資料によれば彼女は推定3歳前後(・・・・)から――彼の祖父の指導を受けていたという。彼女の祖父が起訴されて行方不明になるその時までずっと。下手をすれば取り返しのつかない負傷を負ってもおかしくはなかったはずだ。彼女が今でも無事健康でいられるのは運がよかったか余程彼女が頑丈(・・)だったかだろう。

 

 私が3歳の頃は何をしていただろうか、とオグリキャップは物心もつかないような時代に思いを馳せる。

 生まれた頃から膝が悪く、満足に歩くこともままならなかった……母親による日々のマッサージをして貰えていなかったら――まず走ることすら夢物語であっただろう。

 

 オグリキャップにとって走れる(・・・)ことそのものが奇跡であり……母親から与えられた()の証明だった。

 

 だからだろうか……それを潰しかねないことをする輩が人一倍許せないという義憤を湧き上がらせるのは。

 無論、あるいはそのスパルタとて祖父の愛ゆえに、というものであったかも知れないのは否定できないし……そのスパルタをホワイトグリントが自ら(・・)望んでいたという可能性もないわけではない。

 

 いずれも、すべては会って確かめてみなければ始まらないな――とオグリキャップが考えていると。

 

 オグリキャップの横をふらふらと、今にも崩れ倒れそうに蛇行しながら過ぎ去る影が1つ。

 ピコピコと揺れるウマ耳と淡雪のように白い髪がその人物を白毛のウマ娘であることを告げていた。

 

 ドクン、と鼓動が大きく高鳴ることを感じながら、とっさにオグリキャップは大地を蹴って追いつき様に彼女を抱きかかえ、彼女の顔を見てみれば――。

 

(ああ、やっぱりこれは運命(・・)だな)

 

 運命レベルの繋がりを感じるウマ娘――ホワイトグリントその者であった。

 

「大丈夫か?」

 

 オグリキャップが不安そうに尋ねると、意識が朦朧としているのかぼーとしたままその少女はオグリキャップの顔を見つめていた。そしてしばらくして彼女は静かに口を開き――。

 

「……大丈夫です。ありがとう、お父さん」

 

 そう言った。

 

 ――お母さん聞いてほしい。私はウマ娘(おんな)なのにいつのまにか一児の父親になっていたらしい。

 

 しかしむしろこの子に対しては母親というより父親と呼ばれる方が何故かしっくりくるな――と普通とは少し思考がずれているのがオグリキャップという天然のウマ娘であった。

 

 

 ■■■

 

 

「わざわざ私の為にありがとうございます」

 

 六平に頼まれて君を訪ねて来たんだ、という件を掻い摘んで話すと眉一つ動かすことなくそんな率直な返事だけがあっさりと返って来た。

 

 しかしこうして一目見たからそれでミッションコンプリート、トレセン学園に帰還する――で済ませるわけには当然いかないのだ。

 つまるとこ六平が心配しているのは虐待(・・)と疑わしき指導を受けた結果、彼女の精神的な現状(・・)が問題ないか調べる為なのだから。

 

 というわけでオグリキャップは先程彼女がふらふらと走っていたのも心配だったし、単純に彼女の能力も気になったのでこのあとトレーニングするのなら一緒にやらないか、と誘ってみたわけだが――彼女はしばし黙り込み、やはり無表情でわかりましたと静かに答えるだけだった。警戒されているだとか嫌われている……というニュアンスの嫌悪感はおそらくだが感じられないので、どうにも単純に彼女は感情表現が苦手なのかもしれない。

 

 そして彼女が普段よく利用しているという運動公園へ移動し、ひとまず彼女の走りを見学してみたが――オグリキャップは素直に驚いた。

 自身と同じ超前傾姿勢(フォーム)に走り方が似ている(・・・・)のもそうだが、それ以上にトレセン学園に入学前だというにも関わらず彼女の走りは完成度(・・・)が異様な程高い。

 

 特筆すべきは体幹のブレなさ(・・・・)だ。オグリキャップが日本が誇るアイドルホースになってからというもの、彼女に憧れてその走りを真似するウマ娘は多かったがほぼすべてのウマ娘が挫折してフォームを元に戻した。その理由は至ってシンプルでまずまとも(・・・)に走れないのだ。

 

 その理由は様々だが一例をあげると地を這うような前傾で速く(・・)前に進むには、それは人間の能力を遥かに超えるウマ娘であっても尚要求されるバランス感覚は筆舌に尽くしがたい。もはや走っているというよりも飛んで(・・・)いる事に近い走法である。

 

 それを彼女は完璧に近い精度で行っている……オグリキャップにとっては母親の献身的なマッサージのお陰で非常に柔らかくなった筋肉によって自然(・・)と出来上がった走法スタイルだったが、彼女もそうなのだろうか?

 

(違うだろうな……先程抱きしめた時も思ったけれど彼女の筋肉はむしろ硬い(・・)この体(・・・)でこの走り方を成立させているのは凄まじいバランス感覚だ……これは――)

 

 才能や素質がどうのこうのでやれることじゃない。おそらくは気が遠くなるような膨大な練習の果てに作られた異能(のうりょく)とも言うべき賜だろう。

 

(これが祖父から虐待に匹敵するトレーニングを与えられ続けたウマ娘、か)

 

 少なくともオグリキャップには一体どのようなトレーニングを続ければまだ小学校(・・・)も卒業していないウマ娘がこうなる(・・・)のかわからなかった。この結果だけ見れば彼女の祖父はトレーナーとしてもしや優秀だったのか? と思ってしまいそうな程だ。

 

 淡雪のような綺羅びやかな長い髪を持ち、人形細工のように整った美貌と豊満な胸を持つこのどこぞの名家(メジロ)のお嬢様と言われても不思議ではないような少女が、いったいどれほどの――。

 

「オグリさん。私の走り、どうでしたか」

 

「――ああ、すごく凄いと思う」

 

「そうですか……すごく嬉しいです」

 

 なんだか語彙が壊滅(ナリタトップロード)したような会話であった。

 だがオグリは心から思ったことをそのまま告げたのであったし、ホワイトグリントもまたそれが通じたのか心なし嬉しそうである。無表情ではあったが。

 

「次は併せてもいいだろうか?」

 

「……はい、喜んで」

 

 

 

 楽しい(・・・)

 

 本当に素晴らしいことがあった時の感情とはその言葉以上の物が出てこなくなるのかも知れない。

 どうして彼女に接しているとオグリキャップはこんなにも多幸感(こうふく)な気持ちになれるのだろう。確かにそういう気持ちはホーリックスにも感じたものだが……。

 

 ホーリックスに対する思いが“恋情”であったとするなら、ホワイトグリントに対しての思いは“親愛”だった。

 出会って間もなく、そもそも会話だって数えられるほどなのに……いや、もしやそれ以前からあるいはオグリキャップは彼女のことが好きだったのかも知れないと錯覚するような感覚。まるで()が愛しい我が()を見守っているような……。

 

 もしもこれが三女神に与えられた運命であるというのならば――オグリキャップは両手を握って神様に感謝したい気持ちになる。

 

 少し飛ばそうか、と言ってはやる気持ちを表現するかの如くオグリキャップは加速する。

 さすがに本格化(ピーク)を終えてしまっているし、全力の6割にも満たない余裕を持たせた走りではあったのだが彼女は芦毛の怪物(シンデレラグレイ)

 

 その速度はトレセン学園のウマ娘であろうと下から数えた方が手っ取り早いような者では併せて走ることすら難しいだろう。

 しかし彼女は併せて(ついて)来た。本格化もしていない少女のその追走はちょっとした異常事態といっても過言ではない。

 

(本当に凄い……)

 

 オグリキャップは頭を撫でて褒めたくなる気持ちが芽生えるが、だからこそ同時に気になってしまう。

 

 彼女は普段――どんなトレーニングをどれだけ(・・・・)積み重ねているのだろう、と。 

 

 走り終わってから二人で一息吐いて、オグリキャップはおもむろに口を開く。

 

「君は……普段どんなトレーニングをしているんだ?」

 

「――そうですね。最近は息を止めたまま全力ダッシュを動けなくなるまでやったりとか」

 

 ――は?

 

「祖父の家にある大型タイヤに向かって全力タックルを出来なくなるまでやったりとか」

 

 ――まて。まてまてまて。

 

「バランスボールの上でバーベルスクワットを立てなくなるまでやったりとか――」

 

「そんなことを毎日やってるのか!? ターフを走る前に身体が壊れてしまうぞ! まさかあの時倒れそうになってたのも……!」

 

 思わず彼女が喋り切る前にオグリキャップは大声を上げた。対してホワイトグリントは無表情のままきょとんとしていて小さく「ぁ」と零す。

 

「……駄目でしょうか?」

 

「駄目に決まってるだろう!? なんだその無茶苦茶なトレーニングは!? 何の為にそんな……!」

 

 少なくともオグリキャップには意味がわからなかった。

 

 息を止めたまま全力ダッシュを動けなくなるまで? タイヤに向かって全力タックルを出来なくなるまで? バランスボールの上でバーベルスクワットを立てなくなるまで……そんなものトレーニングではなく“自虐(・・)”しているのと一緒だ。

 

 オグリキャップとて必要ならば時には激しいトレーニングをする。するが少なくとも出来なく(・・・・)なるまでなんて出鱈目なことはしない。かつてヤエノムテキのトレーナーが休息とは走れなくなった時にするものではない、と己に教えてくれたのだと語っていたのを聞いたことがあるがその通りだ。

 

 過剰なオーバーワークは()でしかない。筋肉は細胞がトレーニングによって破壊され修復という過程を経て初めて成長するように鍛錬と休息とは相互関係なのだ。それを無視しても大した効果がないのは科学的に証明されているとトレーナーも言っていた。

 

 それ以上に――いつ故障して走れなくなるかわからないようなトレーニング、まともな精神(・・)をしていたら絶対にしない。続け(・・)られっこない。

 

 何の為にどれだけ辛い思いをして。

 何の為にどれだけ痛い思いをして。

 何の為にどれだけ苦しい思いをして――

 

 彼女は今日という今を迎えているというのか。

 

 オグリキャップの理解を超える現実がぐるぐると脳内を駆け回る。

 そんなオグリキャップをじっと見つめ、ホワイトグリントは鉄仮面のようだった表情を辛そう(・・・)にして、意を決したようにぽつりぽつりと語りだした。

 

「痛くないと、意味が無いんです」

 

 何故?

 

「苦しくないと、意味が無いんです」

 

 何故だ? 

 

「だって私は……そうじゃなきゃ、満たされないから――!」

 

 ――満たされ、ない? どういう……ことだ?

 

 オグリキャップは必死に混乱する頭で考える。彼女の言葉の真意を。満たされない……つまりは彼女は己を徹底的に痛めつけることで何かを満たしていることだ。

 何を……何を満たしているんだ? まさか痛みや苦しさで心地よいから心が満たされる、というわけでもないだろう。

 

 こんな自虐的な行いで……。

 こんな自罰的(・・・)な行いで何が――。

 

 まさか、とオグリキャップは思いざまに言葉を絞るように吐き出した。

 

「……それは、自分を罰しなければ気がすまないということ、か」

 

 彼女は――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のか?

 

 その疑問を肯定するかのようにホワイトグリントはこくりと頷いた。

 

「だが……それは君が悪いんじゃ……」 

 

 どうしてそれがホワイトグリントの罪になるというのか。

 そこに本当に祖父の愛があったとしても、絆があったとしても彼は客観的に虐待を行っていたと見做される程のことを彼女に行っていたのだ。

 

 気にするな、なんて軽口は決して挟めない。

 けれども――君は何も悪くない。罪の意識が満たされるまで己を自罰する必要なんてどこにも――。 

 

「……そうやって生きていくことしか私はできないんです」

 

 そのオグリの考えを否定するかのように、涙ぐみながら彼女は言った。

 

 違う。祖父が悪いんじゃない。すべては敬愛する祖父を犯罪者にまで貶めた自分が悪いのだから――己を罰しながら生きていくことしかできないのだと。

 

「許せない」

 

 それは紛れもなく己に対しての強い怒りだった。彼女はきっと――祖父が居なくなってからずっと、ずっとずっと――自分を痛めつけることなんて大したことがない(・・・・・・・)くらい――。

 

 

 苦しかったんだ。

 

 

 自分の両目から流れてくる涙を拭うことも忘れオグリキャップは彼女を抱きしめた。どんな言葉であれば彼女を苦しみから救ってあげられるのかわからない。

 それでもオグリキャップは伝えたかった。これだけは言ってあげたかった。

 

「……たとえ、君が自分を許せなくても……私は……私が……君を許すよ」

 

 今しがた出会ったばかりのウマ娘から与えられた免罪符に何の意味があるというのか。

 そうわかっていても、言わずにはいられない。

 

 ホワイトグリントは、泣いた。思いっきり、泣いた。

 それはおそらく祖父に対しての謝罪の涙であり――同時にきっと、許されたい(・・・・・)という彼女の心の底の願いだと信じたかった。

 

 

 ■■■

 

 

「――そう、なっちまってたか」

 

「ああ……彼女は、重症(・・)だ。多分……私一人じゃ彼女は救えないし……変えられない」

 

 六平の元に戻ったオグリキャップは憔悴した顔つきのままことの有様を告げる。しかしその目には、絶望は見られない。かつての大レースに挑む時のような強さが宿っていた。

 

「それでも……私がそうであったようにトレセン学園に来て、大切な人達が沢山できれば……彼女は自罰以外でも、満たされるかも知れない」

 

「……俺も、ガタが来たなんて言ってられねぇな。できることは少ねえが、あの子の祖父を――リンドウ(・・・・)を探して見る。必ず見つけて、ぶん殴ってでも引きずり連れて来てやる」

 

「頼む……彼女が自分を許す為には、その男もきっと必要だから」

 

 おそらくオグリキャップは彼女の祖父(リンドウ)が許せない。

 呪いを残して彼女の前から身勝手に去っていったその男を。

 

 だが、同時にホワイトグリントがどれだけ祖父のことを思っていたのかがわかるから――。

 

(きっとこの運命は、私が学園を卒業する前に成すべき最後の使命なんだ)

 

 オグリキャップはそう確信する。

 

 だからオグリキャップはもう泣かないと決めた。泣いていいのは、彼女が心から自分を許せる日を迎えた時だ。

 

 お母さん、見てて欲しい。

 

 お母さんのようにはいかないかも知れないけど……。

 

 かつて無償の母の愛によって禄に立ても走れもしなかったウマ娘が1つの伝説を時代を作り上げる程のウマ娘に成長したように。

 

 私も愛で――。

 

 あの子を、救って見せるから。




 これまでの勘違い

 シンボリルドルフ
 祖父の名誉を回復させる為に身を削るようなトレーニングをしていると思っている。

 オグリキャップ
 自分のせいで祖父が逮捕されてしまったから自罰的な行いをしていると思っている。

 ホワイトグリント
 オグリキャップには性癖カミングアウトが済んだと思っている。

 ネタバレ
 ろっぺいさんは実は足を怪我しているだけ。
 速く怪我を直したいなら車椅子に座って安静にしてください! とキタハラとベルノに無理やり座らされている。ありがてぇが爺扱いすんじゃねえよ……爺だけどよとは六平の談。


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五話『ホワイトグリントとオグリキャップとタマモクロス(裏)』

「21番テーブルにジャンボ人参ハンバーグと人参ご飯大盛り! 20辛カレーライス大盛りと娼婦風パスタ(プッタネスカ)“キャロライナリーパー”*1トッピング大盛り追加! 急いで!」

 

「もう定量で作らなくていい! 5人前ずつ作れ!」

 

「2000を超えるウマ娘達の胃袋を支えるこの中央の厨房が2人(・・)の大食らい如きに根を上げてられないよ! 頑張りなお前達!」

 

 はいっ! と壮年の女料理人である主任の飛ばす激に部下のコック達が額に汗を伝わせ気合を入れる。場面は打って変わってここは中央の大食堂。

 現在の時間は食い盛りのウマ娘達が腹の虫を鳴らす昼飯時で、忙しさはピークに達しており厨房はまさに戦場さながらの鉄火場である。だがここは日本最高峰にして最大のウマ娘達の教育施設。従来ならたとえピーク時であっても創立から何十年も数多のウマ娘達の胃袋を支え続けて来たこの厨房の調理が追いつかなく(・・・・・・)なるなんてことはなかったしコック達の誇りに賭けてあってはならない――のだが。

 

「21番テーブルヤサイニンニクマシマシ味噌ラーメンと人参炒飯大盛り! 麻婆豆腐激辛大盛りにジャンボピザ“ドラゴンズブレスチリ”*2トッピング追加ァ!」

 

「嘘だろまだ食うのか……!」

 

「オグリちゃんはいつものことだけどあの白毛の子もオグリちゃん並に食ってる……!?」

 

「というかずっと激辛ばっか食べてるけど大丈夫なのかあの子! キャロライナリーパーの辛さ指数(スコヴィル)ってハバネロの6倍くらいじゃなかったか!?」

 

「ドラゴンズブレスチリは10倍だよ……滝みたいな汗掻いてたけどバクバク食べてた……」

 

「むしろそんなもん常備してるトレセンがおかしいな!?」

 

「喋ってないで調理に集中しな!」

 

 次々と途切れることなくいつもの倍の速度(・・・・)で同じテーブルから注文が飛んでくるこの状況に動揺するコック達。檄は飛ばせども料理主任ですら内心驚きを隠せないのだから仕方ないのかも知れない。

 食いしん坊怪獣(オグリキャップ)が学園にやって来てからというもの学園の食料消費量を彼女一人でゆうにウマ娘数十人分は跳ね上げたことは衝撃だったが、だからといって彼女が在学してからそれなりの年月が経過している現在、もう慣れた(・・・)

 

 慣れたが――オグリキャップのブラックホールのような食欲に匹敵(・・)するウマ娘がもう一人増えたというのであれば動揺もするというものだ。

 なにせオグリキャップほど食欲旺盛なウマ娘などあと十年は出現しないであろう――と長い間学園の厨房に勤め主任も任された己の経験則からそう判断していたのだから。

 

 料理を作る手を休めることなく、ちらりと天を突くかのように皿が山積みになったテーブルを眺める。

 そこに居たのは学園にやって来た時と相も変わらず幸せそうに料理を食べるオグリキャップと、大量の汗を流してはいるが同じくらい幸せそうな笑顔(・・)を浮かべながら食べる珍しい毛色(しろげ)のウマ娘――そしてもう一人(・・・・)の姿が。

 

 

 ■■■

 

 

 普段、己を鍛えるというよりも痛めつけていると言っていいようなハードトレーニング以外では、感情をどこかへ置き忘れてしまったかのように無表情を崩さない彼女(ホワイトグリント)が学園の食事でこれほど笑顔になるのはオグリキャップにとって良い意味で予想外だった。

 

(そうか……こんな風に笑顔になれることが、ちゃんと彼女にもあるんだな)

 

 (さなが)ら真夏日の炎天下で熱々の鍋でもつついているかのような汗を噴き出すように流しつつ、しかしとても美味しそうに食事を取るその姿。彼女の祖父が自分のせいで自分の側から居なくなってしまったことを気に病み日々自罰的に生きてる*3彼女にもこうしてちゃんと幸福を感じられることが確かにある。それは彼女の心を救いたいオグリキャップにとっても救いになる話だった。

 

 しかもそれが自身と同じく沢山食べることが好き、という共通点であることが尚のことオグリキャップの心を気持ちよく弾ませる。ただ、どうにも味の好みは自身とは少し違うようで先程から彼女が注文している料理は真っ赤っ赤(げきから)ばかり。ホワイトグリントはきっと辛党という奴なのだろう、次は私も同じものを頼んでみようか……などと考えていると、先程からオグリキャップの横で苦い顔を続けていた一人のウマ娘がぷるぷると震えだし――彼女(タマモクロス)は突然立ち上がって叫んだ。

 

「あかん! もう我慢できへん! ()()()()()()()が多すぎやろこの空間!」

 

「突然どうしたんだタマ」

 

「どうしたもこうしたもないわっ! お前らどんだけ食うねん!? いや、オグリはいつものことやけどもいつも以上に食っとるし! 皿! 皿の山! 皿で通天閣でも作る気なんか!? うちの家族親戚一同で寿司(回るヤツ)食べにいったってこんなに積み重らんわ! こんな大量の料理全部どこに消えてんねん!? 明らかにその妊婦さんみたいなぽっこりお腹以上に料理食べてるやん!? っていうか腹ぁ! なんやその二人してだらしない腹! 産婦人科かここは!」

 

「落ち着いて聞いて欲しいタマ、ここは産婦人科じゃなくてトレセン学園だ」

 

「知っとるわ!!! しかも新入生(グリント)! 赤い! 食っとるもんが赤すぎるやろ! もう見た目が! 見た目から辛い! 空気が辛い! 辛党にも限度ってもんがあるわっ! 汗だくだくやん! ホンマ大丈夫なんか!?」

 

「……別に(ふぇふに)

 

「舌痺れて呂律回ってないやないか!!! 水飲め水!」

 

 取り急ぎタマモクロスから差し出されたコップを受け取り、ごくりごくりと一気に飲み干して体から熱を取り除くようにふぅ、と一息ついて、いつもの無表情に戻るとホワイトグリントは静かに言った。

 

「ありがとうございます……タマモクロスさん……でも、辛味の成分は水で洗い流されなくて……むしろ味覚を鋭利にしてしまうので、辛さを和らげようとする時はむしろ逆効果なんですよね……」

 

「知っとったんなら飲む前に言えや! 普段辛いもんなんてあんま食べんから知らんかったわそんな豆知識!!! ごめんな!?」

 

「私も知らなかったな。確かに、言われてみれば水を飲んでもあまり辛さが消えてない気がしていたがそういうわけなのか……その場合は何を飲むといいんだ?」

 

「牛乳などの乳製品、ですね」

 

「なるほど――ちょっとクリーク呼んでくる」

 

「待てや!? いくら母親(ママ)キャラのクリークでも()()でぇへんわ!?」

 

「いや、クリークならミルク入りの哺乳瓶とか常備してそうだから借りようと思っただけなんだが……タマ……」

 

「がああああああぁぁぁ!!!!!」

 

 びたーん、とタマモクロスは顔を朱色に染めながらさながら勇者に討伐された魔王のような断末魔をあげテーブルにゴチン、と音を立てながら勢いよく突っ伏す。そんな慌ただしい吉本新喜劇もかくや、という光景を眺めながら……ホワイトグリントは小さくだが確かに、笑っていた。

 

 

 ■■■

 

 

 なんや、確かにオグリ並の大食いだとか尋常ならざる辛いもの好きだとか、食べてるとき以外はほぼほぼ無表情だとか確かに変わった(・・・・)ところもあるウマ娘ではあるけれど、しかし思っていたよりは普通(・・)のウマ娘やないか――と、意外と強く打ち付け過ぎてヒリヒリとする額を撫でながらゆっくりテーブルから頭をあげて、自分とオグリキャップの漫才(ボケとツッコミ)に小さくとも可憐な笑顔を浮かべている彼女を見てタマモクロスはそう評した。

 

 つい先日トレセン学園に入学したばかりのピチピチの新入生ホワイトグリント――彼女は入学する少し前からかなり話題になっているウマ娘だった。なにせ現状間違いなく日本で一番の知名度を誇るスターウマ娘灰色の怪物(オグリキャップ)が太鼓判を押している白毛(・・)のウマ娘であるらしい――というのだから。

 

 あのオグリキャップが目をかけているなんて、どれほどの素質を持ったウマ娘であることか。オグリキャップはその功績と人柄から多くの後輩達に慕われていて、本人も先輩らしく別け隔てなく後輩達の面倒を見る方ではあるものの、特定個人を推したり吹聴して歩いたりといったことなど今まで無いに等しかった。それだけにトレーナー陣や学園側の関係者は無論のこと一生徒だって気になるのは至極当然の流れで。

 

 辺りを見回せば、ちらちらとこちらに目線を忍ばせ、他人の井戸端会議を盗み聞きしている者達がかなりの数ひしめいている。これだけ大声でコントを繰り広げたり二人大食い大会をやっていれば意識せずとも気になってしまうのは当然の結果ではあるので責められまいが。

 

 それにオグリキャップのかけがえのないライバルであり親友の一人で、さらには同室でもあるタマモクロスは本人の口から話を聞くことも多かったから、ホワイトグリントというウマ娘はなおのこと興味深い対象だった。

 

(普段クールというか天然というか動じないというか……そんなオグリをああもやきもきさせとるウマ娘いうからどんなもんかと思っとったけど)

 

 最近のオグリキャップといえばスマートフォンがピコンと着信を告げる度に食い入るように見つめては、彼女の返信と思わしき文面を見て笑顔になったり青くなったり考え込んだり何故か表情が曇ったり……気に入っている後輩の入学を楽しみにしている先輩というよりは、もはや我が子の入学を心待ちにしていた母親のような有様である。

 

「グリント、学園にはもう慣れたか?」

 

「いえ……まだ……」

 

「新入生の入学式終わったの昨日やぞ」

 

 慣れるもクソもないやんけと普段の5割マシくらい天然ボケとニコニコの笑顔が加速している芦毛の親友にツッコミを入れる芦毛。

 

「そうだ、遅くなったが紹介しよう。彼女は有名だからすでに知ってると思うがタマモクロスだ。私のライバルで、親友なんだ」

 

「数十分遅いわ! 紹介が!!! 飯食う前のいただきますよりも先に済ますことやろそれ!?」

 

 ……いや、天然が入ってるのは間違いないけど半ばわざとやなこれ、とタマモクロスは分析する。彼女(ホワイトグリント)が打ち解けやすいように必要以上におどけて見せているのだろう。そもそもこの昼食会にわざわざ自分が呼ばれたのだって、どうにもコミュニケーションが苦手らしい彼女がはやくトレセン学園に馴染めるようにとオグリキャップの気遣いなのだ。

 

(ホンマにこの子のことが大好きなんやなぁ……ちょっと妬けるわ……)

 

 ターフで魂と魂をぶつけ合いレースを通してお互いを理解し合った間柄の親友が、自分の知らないウマ娘にご執心というのは中々に面白くない部分もある。しかしそんな親友がそこまで大切にしたい相手なのであればいくらでも協力してあげたいし自分だって可愛がってあげたいという気持ちも勿論タマモクロスにはあった。

 

 時折、何故かオグリキャップと会長(シンボリルドルフ)が彼女について話しているとやたら表情が暗くなったり、普段は明るく彼女のことを語るのに特定の話題になると口を濁らせたりするものだから、おそらく()()()()()()()()が彼女にはあるのだろうとなんとなくは感じていた。だが知り合ってもいないウマ娘の深い事情(プライベート)を根掘り葉掘り尋ねるのは憚られる。もう解決(ハッピーエンド)したことだし今はレースに復帰したとはいえタマモクロスとて見知らぬ他人に有マ記念後の()退()()()()()()()()()()を興味本位だけの軽い気持ちで聞かれたら握った拳で殴りかかってもおかしくはないだろう。人だろうとウマ娘だろうと触れてはならぬ(いたみ)が大なり小なり誰にでもあるのだ。

 

 その痛みを知るのはもっと仲良くなってからにすべきだろう。

 今は、食事以外では大体無表情で辛党の彼女が早くトレセン学園に馴染めるよう、この天然ボケで大好きな親友と共に面白おかしく触れ合ってやればいいのだ――。

 

 まあ、ただ。

 

 小学校(ランドセル)を卒業した身でこのスタイル抜群(おっぱいでかい)の体はちょっと超えて大分許せへんけどな!!!

 

 あとで揉んだろ――と密かに誓う面白い稲妻(タマモクロス)であった。

 

 

 

 

 

 

 だが、タマモクロスは知らない。意外と普通と判断した彼女が普通とはあまりにも逸脱(・・)した存在であることも、彼女の心に深く刻まれている()も。

 

 

「――ところでグリント、大切なことだからよく考えるべきだし、実際に今日の放課後あたりに見学して貰ってからとは思っているんだが……勿論私の()()トレーナーのチームに()()()()()()()?」

 

 

 オグリキャップが、周囲の想像を遥かに超えて彼女に()()していることさえ――まだ知る由もない。タマモクロスもまた、大いなる()()()に巻き込まれる運命を持った哀れなウマ娘の一人なのだから。

*1
2013年にギネス記録に認定された世界一辛い唐辛子のようななにか。

*2
2017年にキャロライナリーパーを抜いてギネス認定されそうになった世界一辛い唐辛子のようななにか。

*3
とオグリキャップは勘違いしている。



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六話『ホワイトグリントとオグリキャップとタマモクロス(表)』

 

 (いた)い。

 

 (いた)い、(いた)い、(いた)(いた)(いた)(いた)い――!

 

 一口料理を頬張る度に、口の中を鋭利なメスで抉られているようなこの快感(いたみ)。噛みしめる度に口の中でダイナマイトが爆発しているようなこの爽快感(いたみ)! 五臓六腑をガスバーナーで直火焼きされているようなこの熱さ(いたみ)! それすなわち、私にとって辛さは最高の気持ちよさ(スパイス)であることの証明であった。

 

 トレセン学園の激辛料理、美味し(きもちよ)すぎるよぉ!!!!

 

 いやぁ、メニュー表を見て驚愕したよ本当に。私の好きな超のつくほどの激辛料理とかあるかなぁ、でもここは料理屋さんじゃなくてエリートウマ娘の養成所だからなぁとさほど期待してなかった自分を殴ってやりたい。殴った。気持ちいい。

 

 ずらりと2ページに渡って写真入りで特集されている激辛料理シリーズ……! しかも辛さも甘口中辛激辛(ごく)辛と選べる至れり尽くせりという(マゾ)仕様。トッピングにハバネロどころか辛さのギネス記録に乗っているようなキャロライナリーパーやドラゴンズブレスチリまで用意されているなんて……もうこんなのトレセン学園じゃなくてマゾセン楽園でしょ正体見たりって感じだな。うおォン私はまるでウマ娘火力発電所だ。

 

 ……いかんいかん食欲と性欲(リビドー)を同時に満たすという奇跡的相性(マリアージュ)にテンションが上りすぎて頭がおかしくなり始めて来た。私がおかしいのは生まれつきではあるのだけれど。

 

 まあそれは置いておいて、はてさて皆様ごきげんよう。

 春風が踊り桜が舞い、つまるところすっかり春がやってきて道行く人もウマ娘もぽかぽか陽気に皆ご機嫌のこの季節。大好きで大恩人のオグリさんとその親友兼ライバルのあの(・・)白い稲妻タマモクロスさんにランチを誘われ激辛料理に舌鼓を打って全身から汗水を垂れ流しているのは何を隠そうこの私、痛みが快楽にしか感じない摩訶不思議体質な白毛のウマ娘ホワイトグリントです。

 

 あの合格通知が届いてから指折り数えて待ちわびたこの瞬間。

 ついに昨日! 不肖私ホワイトグリントはトレセン学園へと入学を果たすことができました! やったよおじいちゃん! これから始まるんだ、私の物語が!

 

 ――え? 普通物語は入学した日から始まるものじゃないのかって? くっくっく……それが初日から()()()()()()()()()()()()

 いや、大したことないといえばないのかも知れないのだが、僅か初日にして発生した真っ白毛色な私の黒歴史(青春の1ページ)をこの口から語るのはその……ごにょごにょ……閑話休題閑話休題(まあいいじゃないか細かいことは)

 

 そんなことよりもオグリさんとタマモクロスさんだ。

 昨日は入学式やらクラス割りやら入学案内やら寮の振り分けで忙しく(ちなみに私はオグリさんタマモクロスさんと同じ栗東寮だったよ! 三女神様にマジ感謝)触れ合う時間がなかったけれど今日はこうしてわざわざランチをお誘いして貰うという至高の権利を拝領しているのだ。

 

 オグリさんったらお昼が近づく度に『一緒にランチを食べないか?』『いい機会だから私の親友を紹介したいんだ』って感じで一分刻みくらいにチャットを送ってくれるものだから、私みたいな木っ端ウマ娘にさえ無限大の優しさで接してくれるオグリさんの御心を感じるだけでもうお腹と心がいっぱいになりそうだったよ……。

 

 というわけで今現在ランチをご一緒させて貰っているわけなのだけど、オグリさんとは何度も触れ合っている間柄だからコミュ障の私でもそれなりに落ち着いていられるが、タマモクロスさんはそうはいかない……。

 

 “白い稲妻”タマモクロス。オグリさんに並ぶ伝説的(レジェンド)ウマ娘の一人。

 

 彼女は一時期、オグリさんと死闘を繰り広げたあの伝説の有マ記念を最後のレース(ラストラン)にすると宣言してターフを去っていたのだけれど、引退を決心せずには居られなかった諸事情が無事に解決したのか「トゥインクルシリーズは引退したけどこれからはオグリンと同じ()()()()()()()()()()()()で走るで!」とターフに帰ってきた。

 

 タマモクロスさんの復帰は大々的にメディアで報道されて、ファンは両手をあげて彼女の帰還を喜んだし何より彼女の一番のライバルであるオグリさんがむせび泣きながらタマモクロスさんを抱きしめ歓迎したという芦毛の美しい友情物語には日本どころか全世界が泣いた。私も泣いた。無表情のまま泣くという逆に器用なことをしながら涙が枯れるまで泣いた。

 

 そんな凄いウマ娘とご飯を一緒にするというのは勿論天にも登るような栄誉であるし嬉しいのは間違いない。間違いないが……話かけづれぇ~~~~~。

 

 ただでさえ私は自分から話題の振り方なんぞ1ハロンもわからないのに会話が良バ場のターフのように弾むわけもなく適当に相槌を打ったり黙々と美味しい料理を口に運ぶしかない無様さ。

 

 なにせ今現在こうしてランチタイムに入ってから数十分ほど立っているが未だお互いの自己紹介すら済ませていない体たらくっぷりである。いや、オグリさんが「この子は新入生のホワイトグリントだよろしくしてやってほしいタマ」と一応の説明はしてくれたのだけれど私はぺこりと頭を下げるだけですませてしまった……痛恨の出遅れ(ミス)である。

 

 タマモクロスさんに対して無礼すぎるし、彼女を紹介してくれたオグリさんに対しても無礼で無礼無礼(めっちゃ失礼)すぎていっそ舐めていると取られてもおかしくはない。『ウチを無礼(なめ)るなよ』と冷たい目で睨まれたところで文句を誰がつけられようか。そうなれば恐怖と後悔と羞恥で気持ちよくなってしまうだろう。

 

 ――と、そんなことを考えているとタマモクロスさんが立ち上がって、吠えた。

 

「あかん! もう我慢できへん! ツッコミどころが多すぎやろこの空間!」

 

「突然どうしたんだタマ」

 

「どうしたもこうしたもないわっ! お前らどんだけ食うねん!? いや、オグリはいつものことやけどもいつも以上に食っとるし! 皿! 皿の山! 皿で通天閣でも作る気なんか!? うちの家族親戚一同で寿司回るヤツ食べにいったってこんなに積み重らんわ! こんな大量の料理全部どこに消えてんねん!? 明らかにその妊婦さんみたいなぽっこりお腹以上に料理食べてるやん!? っていうか腹ぁ! なんやその二人してだらしない腹! 産婦人科かここは!」

 

 い、いかん……タマモクロスさんが怒っている……!

 確かに今の私はアスリートにあるまじきどっぷりとお腹が肥えたウシ娘。しかしこんな辛くて痛くて苦しくて美味しい料理を前にしたら食べずにはいられないのが私なんですよ……! と言うべきだろうけど、実をいうと私はいわゆる大食漢(おおぐらい)である――と()()()()()()が、別に食欲旺盛だから食べているというわけではない。

 

 というか今、とっくに満腹で死ぬほど苦しい(きもちいい)し。

 

 如何(いかん)せん強引にでも大量に胃に詰め込まないとどんどん体重が減っていく(ガレる)んだよね。もっと極端に言うと()()()()()()()()()。体が嬌声(ひめい)をあげるようなハードトレーニングに日々明け暮れている思わぬ弊害だった。根本的に一日の消費カロリーが多すぎて普通の食生活じゃとてもじゃないがこの肉体を維持できないのだ。

 

 だったらどうすればいい? 沢山食べればいいじゃん! というだけの理由で私は普段からフードファイターも顔負けに大量の食事を取っている。

 

 苦しければ苦しいほど気持ちよさを感じる私にとって満腹中枢がこれ以上胃に物を送ってくんじゃねえ! と発する警戒信号すら快楽(バフ)だから限界を超えて食事を取るなんて満腹なのに朝飯前さ。まあ流石にいくらでも限界を超えて食べられるとはいえガチで()()()()()()いかに優れたウマ娘の身体であろうと諸々の問題が発生してしまうのでラインの見定めは必要なのだが。小さい頃それで数回()きかけた。

 

 だから私は特別食べることそのものが好きだ、というわけではない。勿論、美味しい食事に舌鼓を打って幸せな気分になれるのは間違いないし、こうしてオグリさんとタマモクロスさんと一緒に食事ができるなんて、コミュ障を拗らせている食事は一人で取りたい派(ぼっち気質)の私であっても最高にハッピー! なのは間違いないけどね。

 

「落ち着いて聞いて欲しいタマ、ここは産婦人科じゃなくてトレセン学園だ」

 

「知っとるわ!!! しかも新入生グリント! 赤い! 食っとるもんが赤すぎるやろ! もう見た目が! 見た目から辛い! 空気が辛い! 辛党にも限度ってもんがあるわっ! 汗だくだくやん! ホンマ大丈夫なんか!?」

 

 怒りつつもこんな私を心配してくれるなんて、タマモクロスさんもオグリさんと同じなんて優しいウマ娘……。

 大丈夫どころか今とっても口の中で剣山を噛み砕いているように痛くて食べたものが逆流しそうになるくらい苦しくて気持ちいいよ!

 

 だから私はそれを伝える為に意を決して、言う。

 

「……別に(ふぇふに)

 

 舌痺れてた。

 

 

 

 

 

 

 それからしばらくテーブルに頭を打ち付けて気持ちよさ(いた)そうなタマモクロスさんを見ては羨ましくなって思わず笑ってしまったり、食事が一通りすんだ辺りでタマモクロスさんの紹介をされてタマモクロスさんが遅いわ! とツッコミを入れたりする楽しい時間が流れて(相変わらず私は舌が痺れてなくとも上手く喋れなかったが)いたのだけれど。

 

「――ところでグリント、大切なことだからよく考えるべきだし、実際に今日の放課後あたりに見学して貰ってからとは思っているんだが……勿論私の()()トレーナーのチームに()()()()()()()?」

 

 と、笑顔を浮かべながらもどこか圧のある口調でオグリさんが告げる。

 

 私なんかをあのオグリさんのチームに!? そんなのむしろこっちが土下座をしてお願いしたいくらいだよぉ!

 

 と、()()()()()()()()()

 

 正直、悩む。

 

 オグリさんと一緒にいられることは、オグリさんと一緒に走れることは私にとって苦痛を感じて気持ちよくなるのと同じくらい幸せなことなのだけれども!

 

 オグリさんと一緒にいたら、間違いなく死ぬほどキツイ練習(ハードトレーニング)がやり辛くなる気がする……!

 

 オグリさんには出会った日に私が痛ければ痛いほど快楽を感じるドM変態ウマ娘であることはカミングアウトしているし、そんな私を許してくれてはいるのだが、それはそれとして『ハードトレーニングをするのであればちゃんとしたトレーナーが見ているところでやるべきだ』とぐうの音がでない程の正論も頂いている。

 

 いやまあ、そうだよねぇ……未熟なウマ娘が一人だけでキツイ練習やってたら、如何(いか)に苦痛が快楽にしか感じないからといっても、むしろ()()()()()下手をすれば身体のどこかが記念すべき初出走(メイクデビュー)を迎える前に壊れてもおかしくないわけで……私は歴とした元トレセン学園のエリートトレーナーだったおじいちゃんに()()()()()()()()()()()()()しかしてないから大丈夫! なんて言ってもオグリさんからしたらそりゃ心配だろう。

 

 あと単純にオグリさんはあまりにも優しすぎてさ……それこそ天使のように、聖母のように! 三女神様のように! 優しいから! そんな彼女に己を痛めつけているかのようなトレーニングに励む私自身を見せたくない気持ちがあるのも事実なわけで……。

 

 私はウマ娘に生まれたのなら誰もが一度は夢を見て、そしてその夢の難しさに誰もが目を覚ますというクラシック三冠、もしくはトリプルティアラを()()()と良いように言えば自信があって悪いように言えば自惚れてはいるが、それは普通(・・)のウマ娘なら()()()()()()ようなハードトレーニングを日夜続けているからの自信だ。鍛えに鍛えなきゃそんな夢は見れないし届かない。私は苦痛を快楽に感じる体質と珍しい白毛という体毛を除けば()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 トリプルティアラウマ娘になりたい。

 

 例えそれがトリプルティアラという対象レースが設立されてから今まで()()()()()しか成し遂げられていない果てしない偉業であってもだ。

 

 だってそれは、こんなへんてこで気味の悪い()()()()()()()()()()()()()()()()()()()おじいちゃんの夢だから。

 

 私の大好きなおじいちゃん。今はどこかへ行ってしまったおじいちゃん。

 

 いつも死ぬほど辛くて厳しいトレーニングで私を笑顔にしてくれたおじいちゃん。

 

 そんなトレーニングが終われば優しくて、そして神妙というか味わい深いというかなんだか不思議な表情をして私の頭を撫でてくれたおじいちゃん。

 

 『グリントなら、できる』っておじいちゃんが言ってくれたから。

 

 おじいちゃんの夢は、私の夢だ。

 

 だから……。

 

「放課後伺わせて貰います。それから、考えさせてください」

 

 とだけ、私ははっきりと告げた。

 その言葉に「えっ……」と一言漏らして私でもはっきりとわかるくらいにしゅん、とウマ耳も表情も落ち込むオグリさん。心が死ぬほど痛い。この痛みは気持ちよくない。とっても死にたい。

 

「い……いやいや、オグリ。トレーナーの話なんて今はまだ早すぎるやろ。グリントも即答できへんて。そりゃトレーナーが付くのは早いに越したことあらへんけどまだ入学二日目やで?」

 

 そんなオグリさんに見かねたのかタマモクロスさんがすかさずフォローに入ってくれる。本当になんっっって優しい人達なのだろう。芦毛ウマ娘は天使しかいないのか。  

 

「それはそうだが……」

 

「大体、オグリのトレーナーさんはそりゃええ腕しとるしサブトレーナーも豊富な立派なチームやけど、だからってグリントとウマが合う*1かはわからんやん? ちゃんとグリントとトレーナーさんと話おうて、それから決めた方がええやろ。な?」

 

 

 ■■■

 

 

 かくして、幸せと悲しみが混ざった昼食が終わり、どことなーく重くなった私の足取りを気にも止めることなく時間は進む。

 午後の授業もつつがなく終わったところで私は一度運動服(ブルマ)に着替える為に栗東の自室に戻る。チームの見学をするんだから運動服の方がいいだろうからね。

 

 トレセン学園には中等部ならここ、高等部ならここってシャワーとか個人のロッカーとか洗濯機とか快適な備品完備の豪華な更衣室があって本来ならそこで着替えてトレーニング場に向かうのだがまだ荷物を移してないのだ。なにせまだ体育の授業すら受けてない入学二日目だから。決して初日の()()()()で荷物を移し忘れていたわけでない。決して。

 

 がちゃりと部屋の扉をあけると、私より先に帰っていた同室のウマ娘がいた。私は授業が終わってから真っ先に教室を出たはずなのだがいつの間に先に帰っていたのだろう。

 

「おかー」

 

「……ただいま、です」

 

 トレセン学園に入学するにあたってコミュ障な私の最大の難関(ネック)()()()()()()()()()だった。他人と話すことさえ時にはガタガタと震えかねない私が他人と同じ部屋で暮らしていけるのか? というある意味でトリプルティアラを取ることよりも難しい命題である。

 学園は別に全寮制というわけではない。通学可能であれば尞に入らずともいい、しかし私の実家はトレセン学園からはかなり遠い為尞に入るしかなかったのである。

 

 流石に通学でトレーニングの時間が減るのは困るし、学園の近場のアパートだとかマンションを借りるという手段も当然頭をよぎったが、普段私一人で実家のエンゲル係数を跳ね上げ蹄鉄だとか運動靴だとか消耗品で家計を圧迫していた身の上では口が裂けても言えなかった。私の家はかなり裕福な方だけど、これ以上金銭面で家族に苦労をかけてしまうのはちょっとさ……。

 

 希望としては一人部屋がよかったのだが原則として寮生活は二人部屋の共同生活がデフォルト。明確な理由がなければ一人部屋の一人暮らしは認めて貰えない。他人とのコミュニケーションが苦手って理由じゃ駄目なんだってさ……コミュニケーションが当り前のように取れる奴らいつもそうだ! コミュ障をなんだと思ってるんだ……!

 

 まあそんなわけで同居人と反りが合わなければ最悪こっそりどこか近場でテント生活でもしようかと考えていたのだけれど、奇跡的(ラッキー)にも同居人は存外反りが合いそうなウマ娘であった。

 

 同居人の名はハッピーミークさん。

 

 私と同じ珍しい白毛のウマ娘である。ちなみに同じ新入生。

 

 ……毛色で部屋選んでない? トレセン学園の偉い人。まあ私としてはとても助かったのだから感謝しかないけれど。

 

「……」

 

「……」

 

 彼女は基本、口数が少ない。先程のように部屋に帰ればおかえりと言ってくれたり、必要なことは喋ってくれるのだがこうして何もない時はぼーっと虚空を見つめていたりしていて、静かに過ごすのが好みのウマ娘らしい。

 

 なにせ、昨日一日ミークさんとは一言二言自己紹介したくらいでほぼ会話をしなかったにも関わらず、彼女は何も気にしていないようだった。

 

 助かる。マジ助かる。彼女が同室で本当によかった……珍しい白毛同士というシンパシーもあるし、お互いゆーーーーーーーーーーーっくり分かり合っていこうね、ミークさん。学園生活は長いんだからさ。

 

「……ミークさん、ありがとう」

 

「……よくわかんないけど、ぶい」

 

 ゆっくり腕を胸元でクロスさせ、ダブルピースをしながらミークさんは答えた。

 

 かわいすぎかこの白毛?

 

 ――さて、着替えも済んだところでそろそろ行こう。

 

 偉大なオグリさんの偉大なトレーナーさん。

 

 オグリさんの後を追うようにカサマツから最多勝(リーディング)トレーナーという確かな実績を引っ提げて現在中央でも大躍進中のスーパートレーナー……北原穣(きたはらじょう)の元へ。

*1
【ウマが合う】。ウマ娘とトレーナーの呼吸がぴったり合うの意から生まれた慣用句。稀に隠語としても使われる。




ネタバレ
この作品の北原穣トレーナーは元ネタの一人と言われているアンカツの愛称でお馴染みなあのトップジョッキー成分多め。
ただし本来彼が中央に移籍するのは98世代よりもう少し後の年代ですがこの時空では移籍が前倒しになっています。


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七話『ホワイトグリントとチーム【ジョーンズ】』

「「「ようこそ! チーム【ジョーンズ】へ!」」」

 

 ババーン、とあるいは特撮ヒーローショーよろしく背後で大爆発さえ幻視できそうな独自のポーズを三者三様に取る三人組が、声を揃えて高らかと宣言する。真ん中に陣取っているのがトレーナーの北原穣さん、左にはウマ娘でありサブトレーナー見習いでもあるベルノライトさん、そして右には私の尊敬する大先輩オグリさんである。

 

「……」

 

 おそらく歓迎されている、きっと歓迎されているのであろう……! しかしながらこの眩しい名乗り上げに対しての最適解が全くわからないのでとりあえずぱちぱちぱちと拍手で応対する。というかいつもクールで格好いいオグリさんがこんなにはっちゃけるの初めて見た。フフンとドヤ顔で格好良さげなポーズを取るオグリさんもまた素敵である。心の中のオグリさんフォルダにまた一枚宝物が収まってしまったな。

 

「ねえジョーさんこれ滑ってないですか? これやっぱり滑ってないですか!?」

「しかしだな……初対面でインパクトと打ち解けやすい雰囲気作りは大事だろ」

「私は良いと思うが」

 

 ポーズを解いて円陣を組むように腰をかがめてひそひそと話し合うオグリさん達。人と比べて耳の良いウマ娘には丸聞こえの井戸端会議(ナイショバナシ)だった。

 

 

 ■■■

 

 

 北原穣トレーナー。ハンチング帽がトレードマークで40代後半のイケオジさん。かつては地方のトレセン学園カサマツに在籍し、そこで数多の強豪ウマ娘を育てあげた実績を掲げて中央へと移籍してきた名トレーナーで、そして何よりもあのオグリさんをカサマツで最初に見出し導き、そして中央へと送り出したのが何を隠そう彼である。ある意味でオグリキャップ伝説の始まりを作った立役者の一人と言っても過言ではあるまい。勿論私も彼のかなりのファンであると自負している、故郷に残した唯一の友くらいにしか語ったことのない自負だけど。

 

 そして何よりも凄いのは中央への移籍に至る経緯だったりする。カサマツでトレーナーとして偉大な成績を残した彼が再び*1中央トレーナー免許試験を受ける、と宣言した時は月間トゥインクルなどの各種雑誌で『北原穣トレーナー、中央移籍確実!』という煽り文句と共に大々的に謳われていたのだがなんとその結果は()()()

 

 中央トレーナー免許は日本の数ある資格試験の中でもトップクラスに難しいと言われるほどのハイレベル。その壁に北原穣さんはまたしても中央移籍を阻まれてしまった――のだが、それに怒ったのは当人よりも彼の躍進を望む日本全国のファンと競バ界に纏わる関係者達だった。

 

『彼のような素晴らしい能力を持つトレーナーを中央へ移籍させないのは損失でしかない』

 

『特例を設けてでも彼の中央移籍を認めるべきだ』

 

『オグリキャップがクラシックに出られなかった悲劇をトレーナーでも繰り返すのか』

 

 などといった声が多数どころか数多に上がり、協議を重ねた結果――地方在籍中に多大な実績を収めたトレーナーに対しては中央トレーナー試験に置いて基礎的事項は問わない、という新制度が発表され、無事に彼は中央への移籍が叶うに至ったとさめでたしめでたし。

 

 後に『キタハラルール』と呼ばれることになるそれは、オグリさんの活躍によって生み出された『クラシック追加登録制度』*2と同じように……まさしく競バ会の“常識”も“ルール”も実力でぶっ壊して見せた二人なのである。

 

 北原さんとオグリさん、格好よすぎかよぉぉぉぉぉぉぉぉ……!

 

 まさに生きる伝説、全日本ウマ娘の憧れの的。それが北原穣トレーナーであり彼が中央で作ったチーム【ジョーンズ】だ。結局オグリさんのトゥインクルシリーズでのラストランまでに再び担当するのは叶わなかったのだけれど、今はこうしてドリームトロフィーリーグでの担当をやっている……眩しすぎる……オグリさんだけでも眩しいのに北原さんまで揃ったら偉大さのレーザービームで失明しちゃうよ私。

 

 しかしながらそれはそれとして。

 

「……チーム名が星に関係する名前じゃないの、珍しいですね」

 

 なんて思わず聞いてみた。中央のチームは星に関する名前が多い。有名なところでいえばあのシンボリルドルフさんが在籍してるトレセン学園史上最強とも名高いチーム【リギル】がそうだろう。リギルってケンタウルス座のα星のことらしいよ。そう名付ける理由はさだかではないけど夜空に輝く星々のように輝かしいチームになって欲しいとかそんな理由な気がする多分。対して北原さんのチームは星がついてない。ジョーンズ…ってなんだ? 鮫? 鮫は好きだよ小さい頃将来の夢に鮫に齧られたいって書いたらふざけるなって怒られたくらい。

 

「ああそれはなぁ、俺も最初は星に関する名前を考えてたんだが、どうもしっくり来なくてな」

 

 と北原さんはトレードマークのハンチング帽の位置調整をするように触りながら呟いて、続いてベルノライトさんが答える。ちなみにこのベルノライトさん、今はまだサブトレーナー見習いという立ち位置で一般ファンの知名度は中々広まってないのだけれど、私のような熱心なファンにはオグリさんとカサマツ時代からの付き合いでオグリさんのトゥインクルレースをサポートし続けたというその確かな手腕は有名で、いずれ名のあるトレーナーになること間違いなしと評判のウマ娘だったりする。

 

「だからいっそ、ジョーさんが思い入れ深い名前にしちゃえってことでジョーンズになったんですよ! でも、ジョーンズはあくまで略式! 私達のチームの本当の名前は――」

 

 ばっ、と手を大仰に広げて力強く、そして笑顔を浮かべながらベルノライトさんは言う。

 

「Jones for winning! その意味は――()()()()()()()()()()! 私達はその名の通り、貪欲に勝利を掴みにいくチームになりたいの!」

 

「まあ本当は英語の文脈としてはちょっとおかしいんだけどな……そこはご愛嬌ということで……ん? どうしたグリント?」

 

 ――はっ。ベルノライトさんのあまりの眩しさに一瞬気絶していた。私のような日陰のウマ娘にはあまりにもこのチームは放つ光が眩しすぎる……! 私は苦痛はご褒美だけどこういう純粋な光には耐性がないんだよぉ!

 

「……いえ。とても素晴らしいチーム名だな、と」

 

 なんとか気を強く保って私は答えた。頑張れ、頑張れ私……! オグリさんのチームの人達に失礼だろ! こんなんじゃ三冠ウマ娘なんかになれないぞ!

 

「――そうか! それは嬉しいな!」

 

 にこっ、と優しい笑顔を浮かべる北原さんを見て私は再び意識を失った。

 

 

 ■■■

 

 

「君のことはオグリからよく聞いている。本格化も始まってないのにオグリとまともに併走できるなんて、すげぇよ。ウマ娘をスカウトするのは最初の選抜レース*3が終わってから、ってのが常識だが……なにこのチームに居る奴らなんてみんな常識外れだし、名家生まれや有望株のウマ娘なら入学前や入学直後に担当がもう決まってるなんてザラにあることだ。だから……」

 

 北原さんはそっと手を私に差し出して告げる。

 

「俺で良ければ、君の担当をさせて欲しい」

 

 控えめに言って、その誘いは至福の喜びだった。オグリさんのトレーナーさんが私のトレーナーさんになる。オグリさんと同じチームで一緒に走れる。そう思っただけで心中に何かポカポカ温かいものが溢れかえって、あるいは大好きな気持ちよさ(苦痛)よりももしやこっちの方が素晴らしいものなのではないかって思ってしまうくらいに。

 

 しかし、だ。だがしかしだ。

 

 こうしてちょっと触れ合っただけでわかる。

 

 理解(わか)ってしまう。

 

 北原さん、めっっっっちゃ優しい人(ドSじゃない)ってことを! そりゃオグリさんの担当トレーナーだもん! 宇宙一優しいウマ娘のトレーナーなんて宇宙一優しい人に決まってる!

 

 だから! この人は! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 いやそりゃカサマツで担当を何百勝もさせて中央でも移籍からそれほど経ってないのにすでに結果を出しまくってる人だから頼めば私の望みに近い相応のトレーニングメニューを作ってくれはするだろう。能力のあるトレーナーとはそういうものであるはずだ。

 

 科学的だとか、効率的だとか、合理的だとか――普通のウマ娘ならばきっとまともに強く、そして健康的に速くなれるトレーニング方法を私に与えるだろう。いっそ今までのトレーニングは捨てなさい、と言われてしまうかも知れない。

 

 だからこそ私はこの手を取れない。

 

 北原さんの元でならトリプルティアラを…三冠ウマ娘になる夢は叶うかも知れない。だけどこの手を取ってしまったら……もう一つの夢である本気で死ぬくらいのトレーニングをして気持ちよくなりたいって夢が叶わないかも知れないのだから――!

 

 どうする私。どうするよ私! オグリさんが、そして北原さんがせっかく私なんかにかけてくれた温情を無下にするのか? 唾を吐くのか!? だからって(痛み)を捨てられるのか!? この苦痛ジャンキー(ドM)の私が!?

 

 誰か、誰か教えて……どうするのが正解なの? どうすることが正しいの? 私に必要な答えのすべてを与えてくれたおじいちゃんはもう居ない。自分で考えなきゃ、自分で決めなきゃ……!

 

 ――オグリさん(しあわせ)苦痛(しあわせ)の究極の二者択一なんて選べないよおおおおおおぉぉぉぉ!!!!!

 

 

 

()()()()

 

 

 

 それは、凜として透き通った綺麗な声でありながら、どこか拒絶と嫌悪がありありと混ざったような声だった。

 その声のした方向に視線を向ければ、むすっとした表情で壁際にもたれかかって、片手をあげるウマ娘が一人。

 

 私は彼女を知っていた。

 

 なぜなら彼女はこのチームで……否、()()()()()()から言っても上から数えた方が早いくらいの有名なウマ娘だったから。

 

「ど、どうしたんだフリート?」

 

 戸惑いがちに北原さんが彼女の名を呼ぶ。『ライジングフリート』。トゥインクルシリーズで今年クラシック級になった芦毛のウマ娘であり――7戦4勝、内重賞(G2)勝ち、朝日杯(G1)ジュニアステークスでは惜しくも2着という立派な戦績で間違いなく今年のクラシック戦線を盛り上げるであろう一人と注目されているのが彼女である。

 

「選抜レースの結果もなし、入学前の小学生レースでの情報もなし。いくらオグリ先輩の()()だって言っても、そんな奴がいきなり()()()()()()()()ってのは――納得いかねぇんですけど」

 

 ギロリ、と右耳の稲妻模様を描く耳飾りを揺らしながら彼女は私を睨みつける。

 

 ――怖っ!

 

「いや、フリート……それは……」

 

「オグリ先輩との併走なんて、私もできる」

 

「――フリートはG1(レベル)のウマ娘なんだからできて当り前でしょそれ!?」

 

 ベルノライトさんのツッコミにむしろ出来なかったらあなたどうやってG2勝ったんだよと同意する。

 しかしどうして私はこうも見ず知らずの彼女に敵意を向けられているんだろう――なんて考えなくても答えは一つだ。

 

 ()()()()()

 

 いや、わかるよ。ライジングフリートさんの気持ちすっごくわかる。むしろ今まで日本で一番のアイドルウマ娘であるオグリさんにこんなに優しくされてて明確に敵意向けられたのが今日が初めてなのがおかしいくらいだよ!

 

 だって面白いわけないもん。仮にオグリさんが私じゃなくてよく知らないウマ娘を特に可愛がってたとしよう――。

 

『いぇ~いグリントちゃん見てる~? これからオグリさんは私だけのオグリさんになりま~す❤』

 

『そういうわけなんだ。これからはグリントの面倒なんて見てる暇はないんだすまないな』

 

 ――そ、そんなの嫌だ! オグリさんを独占するウマ娘がいるなんて……! せめてあと3年くらい……いややっぱりトレセン卒業(6年)くらい、あわよくば一生私に構って欲しいいいいぃぃぃぃぃ!!!! あっでもこれはこれで脳がゾクゾクする――!

 

「つーわけで、白毛(お前)。私はお前のチーム入りに納得できねぇ、だったらどうするか……」

 

 短いグレーのかかった綺麗なポニーテールを揺らしながら、彼女は凄みを増して私の前に近づいてくる。

 

「私と()()()()()()で実力見せてみろよ。勿論トレセンに入学したてのお前とクラシック級の私じゃ格も違えば桁も違うが、勝負になるようにハンデ(・・・)はいくらでもくれてやるから――」

 

 ついに、彼女の額と私の額がスレスレになるくらい接近して、ある者にとってはとてもチャーミングに映るであろう()()()を開いて彼女は吐き捨てるように言う。

 

 

 

「負けたら、このチーム入りを諦めろ」

 

 

 

*1
北原穣は中央トレーナー試験に数度落ちている。

*2
クラシック登録をしていなければ例えG1級ウマ娘であっても出走が許されないクラシックレースに、実績があれば追加登録で出走できるようになった制度。

*3
年に4回開催されるトレセン学園での一大行事。




ネタバレ
彼女に他のウマ娘のチーム入りを決める権限は普通にない。

・『ライジングフリート』
 チーム【ジョーンズ】に所属する芦毛の若手エース各のウマ娘。
 名前でわかる人はわかる通りに元ネタとなった競走馬は存在しますがほぼオリジナルウマ娘となっています。


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八話『ホワイトグリントとライジングフリート』

 

 ライジングフリートにとって大げさでもなくオグリキャップは()()()()()を“救ってくれたウマ娘(ヒーロー)”である。

 

 かつて『()()()()()()()』というくだらない通説(ジンクス)があった。実際は芦毛であろうと能力的に他の毛色のウマ娘と何も変わらないのにか関わらず、だ。その通説が(うそぶ)かれるようになった背景はそもそも根本的に芦毛のウマ娘が少ないことが原因であろう。日本のウマ娘の半分は鹿毛という髪色を持って産まれ、さらに他の2割以上は栗毛が占め――芦毛は全体の7%程しかいない。

 

 しかし時の移ろいで美しい白みが毛色にかかる芦毛のウマ娘はとても目立つ(・・・)。それなのにその総数の少なさゆえ大レースで勝った芦毛がほとんど見かけない、というのであれば人々がきっと芦毛のウマ娘は走らないのだろう――などとつい口にしてしまうのもあるいは無理からぬことだったのかも知れない。

 

 フリートは幼い頃から高い能力を持ったウマ娘だった。地元で同世代の中で行われるかけっこではいつも一番だったし、初等部(リトル)の大会で優勝したこともあった。

 

 私もいつかは、頂点(G1)のレースに勝って立派なウマ娘に――。

 

 走ることに自信があるウマ娘は――いや、きっと自信がなかったとしてもウマ娘に生まれたからには一度は誰もがそんな夢を見るものだろう。しかし周囲の心無い者達はこんな陰口をボソりと呟いた。

 

『今は凄いけど、あの子は芦毛だからきっと勝てなくなるんだろうな……可哀想に』

 

 それが単なるライジングフリート本人への侮辱だったらどれほどマシだったか。ただの妬みからくる負け惜しみならばどれほど気が楽だったか――芦毛だから走らなくなるという哀れみ(・・・)は、フリートの心をズタズタに切り裂いていた。

 

 いつしか芦毛であることが“呪い(トラウマ)”となって、どんどん彼女はうまく走れなくなっていった。そんな言葉一つで調子を落とす者がそれこそ大レースで勝てるはずもない、と厳しい評価を下すものもいるだろう。しかしメンタルというものは高い身体能力に比例するわけでもないし、特に繊細な者だって当然いる。

 

 ライジングフリートは言葉のナイフ一つで(かげ)ってしまう程に、心が弱いウマ娘だった。

 

 もう走るのを止めてしまおうか――そんなウマ娘として絶望の境地にフリートが陥っていた時……そのヒーローは現れた。

 

 芦毛の怪物“オグリキャップ”。

 

 自身と同じ毛色を持った彼女はまさに伝説をその走りで作り上げて見せた。日本中が一人の芦毛のウマ娘に熱狂し魅せられたその激動を五感で体感したフリートは、泣いた。大粒の涙を流しながらオグリキャップの走りに感動し、そして自分の心の弱さを恥じた。

 

 芦毛が走らないなんて、ただのくだらない世迷い言じゃないか!

 

 オグリキャップという太陽がフリートの心の影を払ってくれた。オグリキャップが居たからフリートは再び走れるようになった。オグリキャップがいたから――芦毛であるという“呪い(トラウマ)”が“誇り(プライド)”となった。

 

 だからこそ、ライジングフリートにとってオグリキャップは単なるチームの尊敬する先輩ではない。自分を救ってくれた恩人であり、ヒーローであり、憧れであり――そして愛おしい(・・・・)ウマ娘である。

 

 オグリキャップのような偉大なウマ娘になりたくて、そして近づきたくて――これ以上やったら死ぬ、というような血の滲むような努力を重ね中央トレセン学園に入学し、必死に選抜レースで結果を出してアピールし、オグリキャップを追うように中央へやってきた北原穣が作ったチーム【ジョーンズ】に入れた時の喜びと来たら、重賞レースで勝てた時よりも嬉しかったとフリートは思う。

 

 だからこそ。

 

 だからこそ、ホワイトグリントというオグリキャップに()()()()されている白毛のウマ娘の存在が妬ましくて、そして同時に羨ましくてたまらなかった。

 

 丁度4ヶ月くらい前だっただろうか。オグリキャップの様子が明らかに変わったのは。やたらとホワイトグリントという見知らぬウマ娘の話をするようになって、彼女と連絡を取り合っているのだろうスマホを眺めながら一喜一憂するようになって――。

 

 そんなオグリキャップを見る度に、フリートは嫉妬で心が灼かれる気がした。

 

 別段、いくら意中のウマ娘がオグリキャップの元に現れたかといって、ずっとそのウマ娘にかまけているわけでもなかった。ちゃんとフリートを含めたチームメンバー全員のことの面倒や練習を見てくれていたし、いつも通り優しくしてくれた。でもだからこそいつも通り()()()()オグリキャップのその態度が自分たちトレセン学園の外のウマ娘に向けられているという事実が心を揺らす。

 

 それが、あるいはもう一人の尊敬する芦毛のウマ娘であり、オグリキャップの最大のライバルであるタマモクロスだったのならば。

 それが、あるいはオグリキャップに匹敵する存在感と実績を持ち互いに尊敬し合っている生徒会長“皇帝”シンボリルドルフだったのならば。

 それが、あるいはジャパンカップという大舞台で世界を震撼させた世界レコードという記録を共に作り上げた芦毛のウマ娘ホーリックスだったのならば――納得できた。悔しいけれどそんな彼女たちならばオグリキャップの特別なウマ娘になったとしても……()()()()()

 

 ()()()()

 

 勿論頭ではフリートもわかっている。オグリキャップが誰を好きになろうが誰を特別扱いしようがそれはオグリキャップの自由だ。特別目をかける後輩ウマ娘がいたところで誰に文句をつける権利があるというのか。けれども、どうしても心が納得してくれない。

 

 再び、ライジングフリートは子供時代のように心のバランスが取れなくなっているのをひしひしと感じていた。その乱れが不調となりレースにも影響を及ぼすほどに。惜しむらくも2着に終わった朝日杯から次いで出走した共同通信杯(G3)では高い前評判と人気が嘘のようにボロ負けで終わった。

 

 共同通信杯に挑む前からトレーナーもオグリキャップもこれはおかしい、と気づいていて何かあったのか? 話をさせてくれと心配してくれたのは嬉しかったがフリートは言えなかった。将来的に可愛いチームの後輩になるのであろう一人のウマ娘に対する()()()()()()()で調子を落としている、など。いくら北原が優秀であっても担当ウマ娘が対話を拒むのであればメンタルケアなどできない。そして優秀だからこそ担当ウマ娘が自分に腹を割って話してくれない力の無さを悔やむのだろう。勝たせることが仕事であるトレーナーに申し訳ないとすらフリートは思っていたしこのままでは今後のレースも無茶苦茶になってしまうと理解もしている。否――すでにもうなっている(・・・・・)。この調子では出走しても間違いなく掲示板入りすら無理だ、と自分自身でわかってしまっているからこそウマ娘の一生に一度の晴れ舞台、クラシックシリーズを占う大事な初戦の皐月賞(G1)すら回避してしまっているのだから。

 

 それでも、何も言えないままその日は来てしまった。

 

 オグリキャップが優しげな表情で、そして嬉しそうな仕草でチームの部室に連れてきた謎のウマ娘、ホワイトグリント。

 

 息を呑みそうになるほど、綺麗な子だった。誰もが容姿端麗で生まれてくるウマ娘の中であってもそう思ってしまうほど。純白の白くて長い髪を靡かせて、彼女は精巧なマネキン人形であると言われたら信じてしまいそうなほどの無表情で立っている。本当に白毛なんだ、とフリートは心の中で独り言ちた。芦毛がウマ娘の中で少ない毛色というのなら、白毛のウマ娘は更に超えて希少(レア)である。その割合、実に0.04%と言われる確率で生まれてくる毛色が白毛なのだ。実際、フリートの地元には一人も居なかったしこのトレセン学園でさえ過去には在籍していたかも知れないが去年までは一人もいなかった。それが今年は白毛のウマ娘が二人も学園に入学してくる――というのだからその事実だけでかなりの話題(ニュース)になる程である。

 

 そして、どこかオグリキャップに似通った雰囲気が彼女にはあった。彼女達が血の繋がりのないただの赤の他人であることを知らないものが見れば妹だとか従姉妹だと勘違いしてしまうかも知れない。

 

『……いや、似てない。オグリ先輩はこんなつまらなそうな表情しない。というかなんでトレーナーやオグリ先輩と触れ合っててこんなに無表情なんだよこの娘……』

 

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、とはこのことだろうか。気に入らない。目の前の白毛の何もかもがフリートは気に入らない。彼女は何も悪いことなんてしていない、そんなことはわかってる。わかってはいるがわかりたくないのが心の底にある本心で――。

 

「俺で良ければ、君の担当をさせて欲しい」

 

 北原のその言葉を聞いてフリートは思わず異議あり、と声に出してしまっていた。

 

 実のところ――()()()()()()とフリートはその突発的で勢い任せの言動を後悔してはいた。元々ホワイトグリントをチームに入れたいのだがどうだろう、とちゃんと事前にオグリキャップはトレーナーとチーム全員に相談していたし許可も取っているのだ。それについてフリートは嫌だとも言えず流れるままにしてしまった。

 

 つまりフリートが今この場で反論しても彼女のチーム入りはどうしたところで既定路線だし、そもそもフリートにホワイトグリントのチーム入りに口を出せる権利があったのはオグリキャップがチーム入りを相談していた時だけで、嫌だというならその時に言っておけという話である。この行動は何も意味を成すこともないし、トレーナーやオグリキャップの心証が悪くなるであろう悪手(わがまま)でしかない。いや、心証が悪くなれば可愛い方で、最悪嫌われてチームにいられなくなるのは自分の方かも知れない。

 

 そんな当然の理屈を、しかしフリートも頭ではわかってはいる。それでも、それでも。

 

「選抜レースの結果もなし、入学前の小学生レースでの情報もなし。いくらオグリ先輩の()()だって言っても、そんな奴がいきなり()()()()()()()()ってのは――納得いかねぇんですけど」

 

 自分が死にものぐるいに頑張って、そして血反吐を吐く思いでやっと入れたチームに。

 

「私と()()()()()()で実力見せてみろよ。勿論トレセンに入学したてのお前とクラシック級の私じゃ格も違えば桁も違うが、勝負になるようにハンデ(・・・)はいくらでもくれてやるから――」

 

 オグリキャップの()()()()()だというだけで、何の実績もないウマ娘があっさりと入れてしまう目の前の現実に。

 

「負けたら、このチーム入りを諦めろ」

 

 ――仄暗い嫉妬の炎が、彼女を突き動かしていた。

 

 

 ■■■

 

 

「あのね、フリート。あなたオグリちゃんがグリントちゃんをチームに入れたいって相談してきた時に、何も言ってなかったよね? なんで今さらそんなこと言うの!? それにいくらマッチレースって言ったって、昨日入学したばっかりのグリントちゃんにさせられるわけないでしょ!? レースの勉強なんてまだ何もやってないんだよ!? というかいくらハンデつけたって本格化前のウマ娘とG1クラスのウマ娘でレースになるわけないでしょ! そして! 一番重要なのは! あなた! 休養中(・・・)でしょ!? 今のままじゃレースにならないからって、生涯に一度の大事な大事な皐月賞を回避までしたんだよ!? 意味わかんないレースしてさらに調子崩したらどうするの!」

 

 言葉の洪水をワッと正座させられたライジングフリートさんに浴びせるベルノライトさん。ああ、あんな美少女に言葉責めされるなんて羨ま――いや可哀想なフリートさん……。

 

 心底申し訳ないと思う。私が原因で彼女はチームのサブトレーナーに怒られてしまっているわけで……私の今の境遇、特別対応すぎてフリートさんが怒るのもそりゃ無理ないでしょうと。

 

 事実、フリートさんが言ったように今の私は実績ゼロのなんか三冠(トリプルティアラ)ウマ娘になりまーす! とほざいてるだけの名も無いただの新入生ウマ娘である。初等部(リトル)の大会どころか地元の草レースにすら出たことないからね、私。まあウマ娘とのレース自体は私の地元の唯一の友と一年ほどみっちりやりまくっていたから、マッチレース自体の経験はむしろ豊富なのだけど。色々条件(ハンデ)つけて走ったなぁ……小学校卒業して離れ離れになったのはつい最近だけど、元気にしてるかな……あの子。

 

 まあそれはさておき、そんな実績のない子がオグリさんの特別扱いでチームに入ってしまうことに(多分)怒ってるフリートさんが一方的に悪者にされてしまっているのは絶対に駄目だ。フリートさんのように素敵なギザ歯が似合うウマ娘に悪いウマ娘なんていない。悪いのは私だ。心の中で深呼吸をして、勇気を出して挙手をしながら――。

 

「……私、フリートさんとレースしてみたいです」

 

 そう告げる。

 

「……っ! へぇ、その無口な表情に似合わず、意外と乗れるじゃねぇか」

 

 正直、興味はものすごくある。負けたらチーム入りの話はなし、というのはひとまず置いておいてだ。今の私とG1レベルのウマ娘とでは()()()()()()があるのか……オグリさんとは出会った時に併走して貰ったけど、勿論目一杯(めちゃくちゃ)手加減してくれてたしあれは参考にならないからね。まあとはいえベルノさんが言うようにいくらハンデをつけても()()()()()()()()まともなレースになるわけがないのだが。

 

 通常、ウマ娘のいわゆる成長期が始まるのはおおよそ中等部二年生くらいからで、そこからどんどん著しく成長しスピードもスタミナも桁違いになるほど本格化(ピーク)に近づいていく。そして三年生辺りで晴れてメイクデビューを迎えジュニアシーズンが始まる……というのが一般的、とおじいちゃんに習った。

 

 ウマ娘の同世代って同じ年代に生まれたウマ娘達じゃなくて、本格化を迎えて初出走(メイクデビュー)をした年で決まるんだよね。勿論ウマ娘にもそれぞれ個体差もあって、早熟タイプと呼ばれる成長が早いウマ娘ならば中等部一年生の時点でメイクデビューしたって問題ないし、逆に晩成タイプと呼ばれるウマ娘なら高等部に入ってからデビューするウマ娘もいる。

 

 重要なのは本格化だ。これをトレーナーが見誤って不適切な時期にデビューしてしまうとかなーり辛いレース生活を送ることになってしまうという恐怖のメカニズム。新人だとまれに見誤る人がいるらしくて、新人トレーナーが最初のぶち当たる壁なのだとか。実際、かなり難しいらしいねぇ本格化を判断するのって。本格化しました、なんて合図がウマ娘の身体からでるわけでもないし。

 

 でもおじいちゃんの見立てによると私が本格化するのは一般的なウマ娘と同じく中等部三年生くらい。おじいちゃんクラスのベテラントレーナーとなれば幼少期の成長具合だけでウマ娘の成長タイプがわかるんだって。さすが私の世界一の自慢のおじいちゃん。誰にもあげないよーだ。

 

 故に、そういうわけで同じウマ娘であっても成長期すら迎えていない私と中央レースの最前線で戦うフリートさんでは文字通り桁が違う。例えるならば原付バイクとスポーツカーくらい違う。ベルノさんがハンデをつけてもレースにならないと言うのは一般論としては紛うことなく事実なのである。

 

 ――まあ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それは決して根拠なき自信ではなく、フリートさんが勝った重賞レースであるデイリー杯も、接戦だった朝日杯のレースもチェックしている上での判断だ。

 

 だから、私は彼女と走ってみたい。

 

「え、えぇ……? いや、いくらグリントちゃんがそういっても……」

 

 ベルノさんが困ったように眉を潜めて、横目でオグリさんにSOSを求める。

 

「グリント――速いウマ娘と競ってみたい気持ちは、わかる。君が速いのも知ってる。しかし併走なら許可できてもレースは早すぎるだろう……それに、フリートもどうしてグリントに酷いことを言うんだ……私は、君もグリントのチーム入りを認めてくれているものだとばかり……」

 

 しょんぼりとした声色で、そしてやはりしょんぼりとした顔でオグリさんはフリートさんに尋ねた。ションボリラグレイである。

 

「……チーム入りを相談してたとき、何も言わなかったのは、すみませんでしたオグリ先輩、ベルノさん、トレーナー……でも……私は、今頃になって、やっぱり……」

 

 ぎゅっと、フリートさんは拳を握りしめ、視線を落として小さく震えていた。く……空気が重い……! 居た堪れない! もう私的にはいっそその握った拳で私を殴って欲しかった。フリートさんはすっきりするだろうし私もすっきり気持ちよくなれてwin-winだと思うのだが。

 

「――レース、してみるか」

 

 その空気を打ち破ったのは、他の誰でもなくこのチームのトレーナーである北原穣その人である。

 

「ちょっ、ジョーさん!?」

 

「キタハラ……!?」

 

「併走じゃ、駄目なんだろう二人共?」

 

 こくり、とほぼ同時に私とフリートさんは頷く。併走はあくまで併走であって、レースじゃない。無論マッチレースも二人で走るのだから客観的にみれば似通っていても、やっぱり全く違うと確信できる。レースとは全身全霊をかけて()()をするものだから。互いのプライドだとか、今まで長い年月をかけて培ってきたものだとか……そういう大切なものをぶつけ合う儀式なんだ。それがウマ娘という生き物の性――まあ私はちょっと変わり種(ドM)だが。

 

 ベルノさんが心配してくれる気持ちは、とても嬉しい。オグリさんが心配してくれる気持ちも、すごく嬉しい。でも大丈夫。私はちゃんと走れるから。だって私には――。

 

「大丈夫です。レースに必要なことはすべて――祖父から教わってますから」

 

 おじいちゃんの教えがあるからね! ドヤァ、と私の表情筋がまともに機能していればそれは見事なドヤ顔を披露できていただろうな!

 

「……」

 

 ――あれ? なんか今、一瞬オグリさんが見たこともないくらい怖い顔をしたような……そ、そんなに私の発言信用ないかな……? いやぁ、そりゃ18人立て(フルゲート)ってんならまだしもマッチレースだしそこまで危険なことないと思うんだけど……。

 

「ああ、君の祖父は昔ここでトレーナーをやっていたんだったな。オグリから聞いたよ、よかったら名前を教えてくれないか」

 

「――吉城竜堂(よしきりんどう)

 

 中央トレセン学園という日本で一番のウマ娘を育てる学校でトレーナーをやっていた凄いおじいちゃん。全くそんなおじいちゃんを持てる孫はさぞや幸せものだろうなぁ! おっとその孫私だったわ。

 

「吉城、竜堂……」

 

 うーん、と何かを思い出すようにハンチング帽に手を添えながら考える北原さん。いやぁ、残念だけど多分北原さん知らないと思うな……おじいちゃんがトレーナーとしてぶいぶいいわしてたの日本の競バ界が()()()()()導入する前の時代らしいし……それこそトレーナーがかつて“調教師”と呼ばれていた頃の話らしいからなぁ……ちなみになぜ私のおじいちゃん知識がらしいらしいとふわふわしているかといえばおじいちゃんが昔のこと全然話してくれなかったからである。悲しい。おじいちゃんの現役の頃の話、沢山聞きたかったのにな。

 

「祖父がトレーナーなんて随分エリートの家系で羨ましいね――と思ったが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――ぶちっ

 

 と、フリートさんの発言で明らかに私の中で何かがキレた。おじいちゃんを侮辱したことに北原さんやベルノさんがフリートさんをかなりの剣幕で叱っているような気がするが頭がぐわんぐわんしてて聞こえない。

 

 いや。

 

 いやいやいやいやいや。

 

 いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや。

 

 ()()()()()()()()()()()()()。さすがにそれはライン超えてるだろ……! この素敵なギザ歯ウマ娘がぁ……! 私が気に入らないのはいい。私に対してなら悪口だろうと軽口だろうとむしろご褒美だ――それがただの煽りなのはわかる。フリートさんにおじいちゃんに対しての悪意があるわけでもなくただただ私の敵愾心を引き出す為だけの発言なのだろうというのはわかる。

 

 だがそれでもおじいちゃんの悪口だけは許せない――!

 

 正直、つい先程までハンデ付きのマッチレースをした結果別段負けるつもりで走る気はなかったけれど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……とは思ってた。

 

 撤回だ。

 

「私が負けたら、チーム入りを諦める――では、フリートさんが負けたら……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――そうこなくっちゃな。そういうギラギラした目、できるんじゃねーか」

 

 全力でぶっ潰してやる、この野郎……!

 

 

 



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九話『ホワイトグリントのマッチレース①』

 

「――えっ? 今からこのコースで模擬レース……?」

 

「でもここ……新入生向けの800m(ミニコース)だけど。新入生同士が走るのかな」

 

「いや、確かに一人は新入生みたいなんだけど……相手は重賞ウマ娘の先輩らしいよ」

 

「……うん?」

 

 巨大なトレセン学園のグラウンドに存在するコース場は当然ながら一つや二つではない。ガヤガヤと噂話を囃し立てる彼女達(新入生)の眼前に(そび)えるそのコースは、ラチやハロン棒にゴール板など必要な物は取り揃っているけれど、トラックをぐるりと一周しても800mほどしかない他と比べれば小さなコースである。

 

 主な用途はまだ長い距離を走れない、又は芝コースに不慣れな新入生が走ることを想定していて、坂や勾配もなく平坦で――それこそミニコースというよりはむしろ芝の生えた巨大なパドックと言った方が相応しいだろう。

 

 そして――そのコースをお目当てにやってきたとある2人のウマ娘は、今から模擬レースの為にしばし使用禁止という報を耳にしてがっくしと肩を落とした。

 

「ありゃりゃ、今から貸し切りか~」

 

「もう! せっかく一流の走りを見る権利をあげようと思っていたのに。タイミングが悪かったわね」

 

 さながら青空を流れる雲のような雰囲気と毛色を携えるウマ娘は『セイウンスカイ』。凛とした力強い目つきと気品を携えながらもどこか隠しきれない優しさが滲みだしているウマ娘は『キングヘイロー』――共にトレセン学園に晴れて入学してきたピカピカの新入生だ。

 

「でもレースが終われば使えるようになるんじゃないかな~? それまでレース見学でもしてく?」

 

 とセイウンスカイは尋ねて、キングヘイローも仕方ないわね、と不承不承にその提案に同意する。彼女達は学園に入学する前からの旧知の仲――というわけでもなく全く知らない間柄ではあったのだが、入学してから昨日の今日という僅かな期間にも関わらず少しの会話を交わしただけでなんだか彼女とは気が合うな……とお互いに感じ入っていて、じゃあお近づきの印に放課後に併走でもしようじゃないか――という流れを経て今に至るのだけれど、突如開催されることになった模擬レースで出鼻を挫かれてしまった形である。

 

 併走をするだけなら別段コース場じゃなくてもいいが、せっかくのトレセン学園に入学したのだからちゃんとした芝コースで走りたいというのはウマ娘なら当り前の感情で――しかしこの時期は大切な重賞レースがいくつも控えていて、大概のコース場は上級生達の使用予定で埋まってしまっているので、新入生が自由に使って良さそうなめぼしいコースがここしかないのだ。

 

 だったらまあ――待つ。模擬レースなれば公式レースのような出走までの段取りも対してないだろうし、開始から終了までかかっても数分。待ってもそう時間はかかるまい。単純にレースそのものも気になるし――と思っての判断だった。

 

「さぁて、レースの主役は誰かな~? ……って、あの子……」

 

「あら、あの毛色(しろげ)()()()()()()の方の――ホワイトグリントさんね」

 

 ゴロゴロとスタートラインに向かって運ばれる簡易ゲート*1と共にターフを歩くホワイトグリントという白毛のウマ娘は、新入生の間でもかなり話題になっているウマ娘の一人である。

 

 まず彼女は極めて希少な純白(しろげ)、しかも容姿端麗で美しいウマ娘、というだけで目立つ存在であり、そんな白毛の子が今年は二人も同時にトレセン学園に入学して来たものだから相乗効果でさらに注目度を上げていて――セイウンスカイとしても今までテレビや本の中でしか見たことがなかった白毛のウマ娘が複数同級生……しかもクラスメイトにいるというのは釣りをしていたらシーラカンスが群れで泳いでいるのを発見してしまった、というような妙な気分だった。

 

 他にも今日の昼頃にあの有名なアイドルウマ娘オグリキャップと食事を共にして、その際に山のような量の激辛料理を食べ尽くしただとか噂話に事欠かない彼女であったが、彼女とクラスメイトになったウマ娘の間で最も語り草になっているのは入学後のクラスミーティングで行われた自己紹介での『無敗三冠宣言』である。

 

『ホワイトグリント、です。トレセン学園には()()()()()()()を超える為に来ました。それまで誰にも負ける気はありません――以上です』

 

 あっけらかんと、まるで大したこともない目標を口にするかのような軽さで宣言されたその言葉を聞いて、クラス中のウマ娘が一斉に目を見開いて押し黙った。かの三冠(トリプルティアラ)ウマ娘であるメジロラモーヌを超えるまで誰にも負ける気はないということは――つまり()()()()()()()()()()()()()()()()()()()になる、と口にしたのと同意義なのだから。

 

 実のところ、夢は三冠ウマ娘です! だとかトリプルティアラウマ娘になります! といった目標(ゆめ)を自己紹介で語るウマ娘はそう少なくない。それはウマ娘に生まれたのならば誰しもが一度は夢見る憧れだから。そうなりたいと思う、そうあれたらどれほど幸せか――だからその夢を心から応援するロマンチストのウマ娘もいれば鼻で笑うリアリストのウマ娘もいるだろう。しかし……無敗三冠宣言は、違う。

 

 それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 無敗三冠を成し遂げたのは、日本の歴史上たった一人のウマ娘しか存在しない。皇帝シンボリルドルフというウマ娘の一種の到達点、ただ一人。クラシック路線とトリプルティアラ路線では当然勝手が違えども、どちらにせよシンボリルドルフと肩を並べようというものならば常識も歴史もぶっ壊す覚悟と実力と運が備わった完全無欠のウマ娘でなければ不可能。だからこそ、その宣言を聞いたクラスメイト達は一同にシーンと言葉を発せずにいた――というか()()()()()()()()

 

 ホワイトグリントというウマ娘は余程の現実を見れない()()なのか、それとも本当にそれができると思えるほどの実力を備えた()()なのか。おそらく前者なのでは……と大抵のウマ娘達が感じていた中で、しかしセイウンスカイはちょっと驚きながらも、にっと口元を緩め――。

 

『面白い娘じゃん』

 

 口にするのも憚られる天井知らずの高すぎる目標を事もなげに、夢見がちにでもなく自信たっぷりでもなくその覚悟が伝わってくるような悲壮感があるわけでもなく――無表情(ポーカーフェイス)で言えるミステリアスな彼女。セイウンスカイにとって芦毛の自分よりも尚白いウマ娘ホワイトグリントへの第一印象はそれである。

 

 そんな彼女が、おそらく模擬レースをするためにターフへ向かっている。これは見逃せませんねぇ~とテンションがウキウキと高鳴っているのを抑えるようにそそくさと、しかし抑えきれない尻尾とウマ耳をくるくると揺らしながらセイウンスカイはレース場の特等席(さいぜんれつ)へと足を伸ばし――ふぅん、見せて貰おうじゃない。無敗三冠を口にしたあなたの実力を! でもゲートまで使うなんてあの子ゲート訓練してるのかしら……練習もしないでゲート出走なんて怪我するわよ……と心配しながらキングヘイローも後を追う。

 

 尚、余談だがホワイトグリントの自己紹介はあくまでメジロラモーヌを超えるくらいのつもりで頑張る、できれば誰にも負けたくないという程度の意思表示にすぎず、トリプルティアラを取るつもりなのは間違いないが別に無敗三冠宣言をしたつもりなど毛頭なくて、シーンと静まり返って自分を見つめるクラスメイトと教師の視線に内心滑った! と盛大に頭を抱えこの時の自己紹介は彼女の中で“黒歴史”と化したことをこの時点では当人しか知るよしもなく――後々この発言によって”魔性の青鹿毛” から目をつけられることも、当人すら知るよしもない。

 

 

 ■■■

 

 

 春先の陽気に包まれたターフに立つと、否応もなしに気分が高揚してしまうのはああやはり私もウマ娘なんだと実感するなぁ。丁重に管理されているのであろう芝の感触を一歩一歩確かめながら、私は先程のフリートさんとのマッチレースの取り決めを思い出していた。

 

『ハンデその1。新バ戦(1000m)スプリンターズ(1200m)朝日杯(1600m)日本ダービー(2400m)――公式芝レースの距離ならなんでもいい、お前が選べ。そして私はその距離を()()()()()()()

 

 ハンディキャップとして提唱されたルール内容その1。つまり距離によるレースプランが立てられない、という枷である。これはかなりのハンデだろう。当然ウマ娘というのは距離に対してペース配分を変えなければならない。“特例”を除けばどんなウマ娘だろうと初っ端から最後まで全力疾走なんて出来ないからね。

 

 とはいえさすがにゴールがわからない、というのはレースの体を成していないのでゴール地点に北原さんに立って頂いてラスト1ハロン(200m)になったら手を上げて貰う、ということになった。それまではフリートさんは私と、いつゴールになるかわからないという距離という二つの敵と戦わなければならないのだ。

 

『ハンデその2。タイムオーバーは当然知ってるな? お前はデビュー前だから新バ戦(メイクデビュー)に則って1400m以下なら4秒、2000m未満なら5秒、2000m以上なら6秒――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ルール内容その2。一着でゴールしたウマ娘から定められた時間内で後続のウマ娘がゴールできなかったとき、その者は競争において能力が足りていないと見做されてしばらくの間レースに出場できないというペナルティを与えられる規則がタイムオーバーというのだけれど、今回はハンデとしてタイムオーバーにならなければ私の勝ち、ということらしい。ざっくりとした目安ではあるが、1秒差でつく距離はおよそ6バ身(14.4m)。よって長距離の場合であれば36バ身(86.4m)ほど猶予があるということだ。

 

 ふむ、これもまたとてつもないハンデである。このルールならばメイクデビューウマ娘であっても展開如何で十分に勝機はあるだろう。

 

『さて――で、あと()()()()()()()()()()()? 丁度、トレーニング用にシンザン鉄*2もあるし、それを履いてやろうか?』

 

 しかしながら、ここまでハンデをつけられても尚デビュー前どころか()()()()のウマ娘と重賞ウマ娘のマッチレースという勝負においては、常識的に考えてまるでハンデが足りていないのも事実である。

 

 例えレースプランが立てられなくても、36バ身(86.4m)の猶予があろうとも――全く関係ないくらいそこには絶望的な能力差があるのだから。人間で言えばインターハイに出場するような高校生アスリートと小学生がマラソン大会で勝負するようなものである。フリートさんが単純に私を舐めている、というわけではない。たったこれだけのハンデで成長前のウマ娘が勝ったらそれはもはや()()だ。

 

 まあ、それは私じゃなく()()()()()()()()()だが。

 

 さてどうする? 距離は公式の芝レースならなんでもいい、か……走るコースは入学してから学校の各所を案内された時に紹介された新入生向けの一周800mの小さなコースだという。そこしか今空いてないんだとか。

 

 ――少しの間だけ熟考して、私はおもむろに口を開いてそれを伝えた。

 

『では、一つ加えて――1()0()0()()()()()()()()()()()()()()()、ということで』

 

『――あ?

 

 ビキッ、と音が聞こえてくるくらいこめかみに血管を浮きあがらせるフリートさん。まあハンデを要求しているのにあたかも自分が不利になるようなルールを格下側が付け足してきたらそれは誰でも()()()()()()()と取るだろう。私は決してフリートさんを舐めてない、というか重賞ウマ娘を舐める奴なんて多分余程の頭空っぽなウマ娘しかこの世にはいない。

 

 全国各地から“天才”だとか“神童”だとか呼ばれるようなウマ娘がこのたった一つの学園に集められレースで鎬を競い合う。重賞を取るどころか1()()すらできずに涙を流し学園を去っていくウマ娘の方が圧倒的に多い厳しすぎる世界。そんな伏魔殿で重賞を取るということはいかなることか――まごうことなくライジングフリートは()()()()()()()()()()()()()である。

 

『100バ身も差がつくような相手であれば――それこそ、フリートさんもレースをする意味がないですよね』

 

『……上等じゃねーか』

 

 だから私は舐めない――このルールを付け足したのはあくまで私が()()為だ。まあフリートさんも怒りが収まった今では私がなぜこのルールを足したかもう察している頃合いだろう。

 

 ふふふ……100バ身差勝利(マンノウォー)やってみろ、と遥かに格下に言われて、受けないわけにはいかないよねぇ?

 

 ――簡易ゲートの運搬が終わって、いよいよまもなくレースが始まる。

 

 不安そうな顔を浮かべるオグリさんや、私が選んだ距離を聞いて()()()()で不安そうな北原さんが私達を見守っている。大丈夫、私はちゃんとレースだって、ゲートだってできるから。全部、おじいちゃんに教わった。 

 

 目を瞑れば思い出せる……おじいちゃんと一緒にトレーニングができて毎日が幸せだったあの日々を――おじいちゃんがわざわざ私の為に広いお屋敷を改造して作ってくれた私だけの秘密のトレーニング基地での思い出を。

 

『グリント。今の踏み込みと思いきりはよかった』

 

『ばい゙』

 

『だがゲートが開くのはスターター*3、そしてゲートに入るウマ娘の面子次第で変わる。それは一定じゃない――集中して開く寸前を察するのはいい、だが予見で行くな。さもなくば今のように鼻から激突して可愛い顔が血まみれだ』

 

『ばい゙』

 

『鼻血が止まったらもう一度だ。ゲートが開く瞬間を覚えるまで何千でもやらせる――いけるな』

 

『ばい゙! お゙じい゙ぢゃ゙ん゙!』

 

 ふふっ、気持ちよかったなぁ……ゲート訓練。あの後も何度も何度もぶつかって――最終的にはゲートの方がボコボコに変形しちゃったからな……。

 

 おじいちゃん、私は勝つよ。おじいちゃんを大したことないだなんて酷いことを言うような人には絶対に負けないから。絶対に謝って貰うから。

 

 

 

 さあ、勝負(レース)だ。ジャイアントキリング(大物食い)の時間だよ!

 

 

 

*1
主にゲートの訓練で使われる簡易的なスターティングゲート装置。少人数用で人力でも運べるほどの小型サイズだが使用感は本物のゲートと変わらない。

*2
伝説の五冠ウマ娘シンザンの為に作られた特性の蹄鉄。普通の蹄鉄の2倍くらい重いが、ウマ娘のトレーニングに利用するトレーナーも多い為レプリカが販売されている。

*3
ゲートの発走を管理する役割の人。



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十話『ホワイトグリントのマッチレース②』

 

「えっと……つまりフリート先輩は距離を知らずに走って、ゴールした時にタイムオーバーになってなきゃグリントの勝ちだけど、レース中に100バ身差離されてもその時点で負け……?」

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!? ハンディキャップってそれだけ!? しかもなんで100バ身差で負けなんて不利な条件もついてるのよ! グリントさんはもう本格化が始まってるウマ娘なのかしら!? そうじゃなきゃそんな条件――()()()()()()()()()()()!」

 

 今からなにか新入生のレースが始まるらしいぞ、それもあの話題の白毛の片割れ(やばい方)だ……という話が人伝(ひとづて)に伝わってそれなりの数の見学者が集結し始めていた最中、セイウンスカイとキングヘイローを筆頭に輪を作るように集まった新入生集団は、もう一人の白毛(やばくない方)のウマ娘から明かされたマッチレースの詳細に戸惑いを隠せないでいた。

 

「仮に1000m(スプリント)だったとしたら、フリート先輩の後に4秒差以内じゃないと駄目で……いや、無理じゃん……先輩、重賞レース勝ってるウマ娘なんだよ。最低でも57秒辺りは絶対に出してくるでしょ」

 

「……去年の秋の小学生ウマ娘全国大会(インタージュニア)の1000mの優勝タイムって、1()()4()()だったよね……」

 

 つまるところこのマッチレースが1000mだった場合、予想の範疇であるにせよグリントがタイムオーバー以内にゴールするという勝利条件を満たす為には去年の全国大会優勝ウマ娘よりも2秒以上速く走らなければならない――という果てしない絶望具合が漂うレース内容にえっ、どうやったら勝てるのこのレース……? と新入生達のほとんどが頭を抱えずには居られない。

 

「短距離でも無理なら中距離以上だったらもっと無理だよ……」

 

「距離が長い分単純にもっとタイム差も開くし……スタミナだって持つわけないじゃん……こんなのレースになってない……」

 

「――あの、というかハッピーミークさんはなんでそんなに詳しく知ってるの……? あっ、もしかしてホワイトグリントさんとさっきまで一緒に居たとか」

 

 その疑問にふるふると首を横に揺らしてその白毛のウマ娘(ハッピーミーク)は答えた。

 

「……グリントが部屋を出る時、なんか困ってそうで……気になったから……跡をつけて……こうした」

 

 右手を自身のウマ耳の傍に垂直にして、ウマ耳をそっと押し付けるようにぴとっ、と重ねる。

 

「盗み聞きだったの!?」

 

「ミークさん! 盗み聞きなんて一流のウマ娘のやることじゃないわよー!」

 

「まあまあキング、抑えて抑えて(どうどうどうどう)

 

 私は牛じゃないのよー! と闘牛のように荒れ狂うキングを宥めながら、セイウンスカイはふむ、と一人熟考する。

 

(まずこんなレース普通にやったら新入生は絶対に勝てない。勿論グリントがもう本格化に向けて身体の成長が始まってるウマ娘だったら、ギリギリ――なのかな? でもそうじゃなかった場合……私ならどうする? 普通にやって絶対に勝てないなら、()()()()()()ことを当然するよね。距離は公式芝レースならなんでもいい……相手は走る距離を知らない……実力差のある相手なら本来は距離が伸びれば伸びるほど不利。100バ身差で負けなら尚更……ん~?)

 

 ふと、頭に浮かんだ疑問をセイウンスカイは口にする。

 

「ねえミーク。その100バ身差で負けって条件さ――()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 同意するように、こくりとミークは小さく頷くと、ええ!? と新入生達の驚く声が多数あがる中、セイウンスカイは腑に落ちたようになるほどなー、と独り言ちた。

 

「なんでそんな自分から不利になるようなルールを……」

 

「いや、でも100バ身差って240m……つまり20秒くらいだよね? そりゃ先輩と私達とじゃ自転車と自動車とか以上に実力差があるだろうけど、よっぽど長い距離じゃないと20秒差はつかないんじゃ」

 

「スカイさん! もしかして何かわかったの!?」

 

「いや~さすがにただの推測だから当たってるかはわからないけど……多分、あの二人が走るのは()()()()()()と思う」

 

 それはどうして、とセイウンスカイの考えを尋ねる前に「みんな! そろそろ始まるみたいだよ!」と言う掛け声によって全員の意識がレース場へ――ゲートの中で発走を待つ二人のウマ娘へ向けられる。

 

 今までの喧騒が嘘のように消え失せて、ごくりと固唾を飲む音すら風に乗って聞こえて来そうになるほどの静寂。

 

 たった一握りの強者だけしか持ち得ない重賞勝利という肩書を持つウマ娘と、未だ何者でもないピカピカの白く輝く新入生という格違いで桁違いで場違いな程に実力差があるであろうマッチレースが今――ガシャン、とゲートの開放と共に始まった。

 

 

 ■■■

 

 

 それは、鏡合わせのように揃った“完璧”な好スタートだった。どちらもまるで開いた寸前の残像を残すゲートに掠ろうが構わない、と言わぬばかりのアグレッシブさが迸った出走である。

 

()()()! ――が、まあこれくらいはやるだろうさ。予想外でもなんでもない……!)

 

 ライジングフリートは真横で追走する彼女(ホワイトグリント)をそう断ずる。新品の体操服(ブルマ)から伸びる鍛え上げられた(トモ)を筆頭に、これが本当に去年までランドセルを背負っていたウマ娘の身体つきか、と彼女を気に食わぬライジングフリートすら感嘆しそうになるほどの肉体。わずかこの(よわい)でどんなトレーニングを積み重ねたら()()()()のか想像もつかない。

 

 ――想像はつかないが、しかしそこには気が遠くなるほどの積み重ねがあったのだろうということはわかる。だからこそ新入生であっても完璧な好スタートを切っていく彼女の走りには驚かない。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 しかしそれでも尚、4コーナーのポケットから出て10mほど進んでコースに合流したほんの僅かな刹那の間にぐんぐんとライジングフリートとホワイトグリントの距離が開いていく。どれほどグリントが鍛えあげていようとも、本格化を迎え肉体のピークに至ったウマ娘と成長期すら迎えていないウマ娘の間には悲しい程に超えられない壁がそこにはあるのだ。身体の成長だけは、トレーニングのしようがない時間という誰もが平等に訪れる刻を待つしかない。

 

(100バ身差がついた時点で奴の負け――最初はイラッと来たが、これが()()()()()()()だということは今は理解している)

 

 かつて、マンノウォーという偉大なる栗毛(ビッグ・レッド)の異名を持つ伝説のウマ娘がアメリカにいた。数々の伝説をアメリカ史に刻み込んだ彼女だが、その一つの代表的な偉業にローレンスリアライゼーションステークスの100バ身差勝利というものがある。マンノウォーがあまりにも強すぎて、そして速すぎて他のウマ娘が(ことごと)くレースを回避してしまい唯一名乗りを上げた勇敢なる挑戦者(フードウィンク)というウマ娘とのマッチレースになったその勝負。

 

 実際にはこの100バ身差勝利とはとんでもないくらいに着差が開いてしまったものだからまともに測定ができておらず、だったらもう100バ身差でいいだろう、となげやりに決まったものであると一部では伝えられていて正確には何バ身差開いていたのか定かではないらしいが、まあそれは余談だとして実力差が開ききったマッチレースという点においてはホワイトグリントとライジングフリートの現状にとてもよく似ていた。

 

 だからこそはるか格下のウマ娘から100バ身差をつけてみろ(マンノウォーやってみろ)、と言われれば胸を貸す立場であるライジングフリートは()()()()()()()()()()である。

 

 そしてグリントがなぜそんな挑戦をしたのか? それは――。

 

(いくら速さに差があっても100バ身という大差をつけるには私は最初から相応のハイペースで相応の距離を走り続ける必要がある。奴の狙いは――()()()()()()()()()()!)

 

 あの鍛え上げられた肉体から察することができるように、おそらくホワイトグリントは体力(スタミナ)に余程の自信があるウマ娘なのだろう。ともすれば彼女の脚質は長距離ウマ娘(ステイヤー)なのかも知れない。ウマ娘には生まれ持った適正距離というものがある。どれだけの距離の間ならば己のパフォーマンスを100%発揮できるかというその指標。適性距離は生まれつきの不変の才能。無論努力で走れる範囲を増やす、というのは可能ではあるがそれにも限度がある。

 

 短距離ウマ娘(スプリンター)が長距離の舞台では活躍できないように、長距離ウマ娘(ステイヤー)は短距離の舞台では活躍できない。競バというレースの世界で重要なのは己の能力(ポテンシャル)()()()使()()()()()()という部分が肝心要。絶対値ではなく相対値、決して平等ではない多種多様の神から与えられたカードを如何に上手く切るかだ。その為世の中には自分の愛バである担当ウマ娘を騙してでも適正距離を走らせようとするトレーナーだっているのだ。

 

 グリントが知ってか知らずか定かではないが、北原譲の見立てではライジングフリートの適正距離はダービーが限界(2400m)だろう、と判断されている。実際その通りにライジングフリートは長距離が苦手で、もしダービーの出走が叶って良い結果を残したとしても菊花賞(3000m)には出ないと決めていた。

 

(100バ身差を目指してハイペースで走り続ければ中距離以上は脚が持たない。ゴールまでペースを維持するどころか確実に落ちる)

 

 つまり――中距離までの間に100バ身差で勝利という条件をフリートが()()()()()()()()()()、そこからは体力に自信があるのであろうグリントが有利になるということである。しかも長距離レースであればタイムオーバーの条件は6秒と増え実に理に適った作戦だ、重賞ウマ娘の()()()()()()()()()()()()()()()()()という無理難題に目を瞑ればだが。

 

(そしておそらく――いや、確実にこのレースの距離は……)

 

【挿絵表示】

 

 ちらり、と後ろを振り向くと相も変わらず無表情というポーカーフェイスで追ってくる白毛と、スタート地点のゲートとほぼ一直線上にある、4コーナーの終わり際の内ラチの傍に立っている北原とオグリキャップ、そしてスターター役を担ったベルノライト。ゴール地点が北原の立っている場所であるという取り決めから逆算してスタート地点がゴール地点ということであるのなら、一周が丁度800mであるこのコース場において距離は800の倍数なのは確定で、4()()()()()()()()()()()()()()()という変則的なレースの様相だ。

 

(……オグリ先輩に口走ったのは失敗だったぞ、白毛)

 

 それが聞こえてしまったのは本当にたまたまで、ライジングフリートが盗み聞きをしていたというわけではないのだがそもそも人と比べて圧倒的に耳の良いウマ娘は例え小声で会話していても意図せず内緒(コソコソ)話が聞こえてしまう、という事案は多々ある。ターフに向かう最中にグリントと彼女を心配するオグリが会話の中で『大丈夫ですよオグリさん。私、()()()()には出たいと思ってて……本番に向けていい経験をさせて貰えますから』――と発した声がやけに耳に残った。

 

 春の祭典――それはつまり国内長距離レースの二番目に長い距離であり、そしてステイヤー達の最高峰のレース天皇賞・春(3200m)の意であるのは間違いない。

 

(この800m(コース)を右回り4周――3200mがお前が選んだ距離だ!)

 

 距離を知らずに走る、というハンデが完全に消滅してしまった瞬間だった。とは言え北原の立ち位置で走る距離が800mの倍数であることがわかってしまう以上、最初からあまり意味のないハンデではあったのだが。現在公式芝レースで800mは存在しない、故に最低距離は2周の1600mとなり短距離ではスタミナ切れ狙いが出来ないので必然3周4周を前提としたレースになるは必定。

 

(お望み通りつけてやろうじゃねえか100バ身差。その()()()()()()()()()()()()()()()()――ついて来れるものならついて来てみろ!)

 

 フリートが更にペースを上げる。

 

 脚の回転数が増し力強くターフを蹴る度に絶望的な差が開いていく。

 

 懸命に走るホワイトグリントがホームストレッチ側の直線を走り終え1コーナーに突入する頃には――すでに、ライジングフリートと30m近くの距離が広がっていた。

 

 

 ■■■

 

 

 まるで機械みたいに正確で綺麗で――そして自身にとっても特別なウマ娘であり大切な親友でもあるオグリキャップとよく似たフォームだ、とベルノライトはホワイトグリントの走りを見て、ときめく心とハラハラとした不安を隠せなかった。

 

「本当に、オグリちゃんにそっくりな超前傾姿勢で……そして、速い」

 

 さながら虎やチーターといった大型の猫科の動物を思わせる、まるで地を這うかのような独特な走法。誰にでも真似ができるわけではないそのフォームを完璧に近い完成度で巧みに操り走る彼女の非凡さはいかなるものか――そして注目すべきはフォームだけではなかった。

 

「恐ろしい程に正確なライン取りだな――限界まで内ラチを攻めて、文字通り最短距離でターフを走り抜いている。無理をしているようだったらこのレースを止めるとこなんだが……完全コントロールできる自信と実力を持ってるな、あれは……」

 

 もはや身体の一部が内ラチに当たっているのではないか、と見てる側が心配になりそうなほどインを攻めるのがホワイトグリントというウマ娘だった。ライジングフリートもかなり内を回っているが、それでもラチに接触しそうになるほど攻めてはいない。正式なコースで走る経験が少ない新入生であそこまで内側を攻められるウマ娘は北原の知る限り見たことがなかった。

 

 単純にラチと接触しそうになるほど接近するのは()()()()のだ。

 

 ラチと、それを支える支柱はぶつかってもウマ娘が大怪我を追わないように比較的柔らかい素材で出来ている。しかし如何に柔らかいとは言っても最高速度70キロを叩き出すウマ娘のスピードで接触すれば、当たりどころが悪ければ決して軽くはない怪我は免れない。それ以前に近づけば近づくほど障害物が自分の視線の真横にある、というのは視覚的にも恐怖でしかないだろう。それを彼女は全く意に介していないというのだから、驚きを通り越して彼女には恐怖を感じる機能が欠落しているのでは、とさえ思ってしまう。

 

「……」

 

 オグリキャップは喋らないが、しかしその面持ちは決して穏やかではない。静かに握りしめた拳がその心中の不安を物語っていた。

 

「……それでもやっぱり差が開きますね……グリントちゃんがフリートのスタミナ切れ狙いなのは私もわかりますけど……これじゃ100バ身差のマージンを守るなんて無理ですよジョーさん」

 

「――いや、そうでもないかもな」

 

「えっ!? いやでももうあんなに距離を離されて……っ!?」

 

 コーナーに突入したグリントを見て、ベルノは北原の言葉の意味を理解する。このコースのコーナーは120mほどである。中京レース場のように入り口が緩く出口がキツい(スパイラルカーブ)があるわけではないが、しかし距離が短いほどカーブの角度は鋭利になる。当然、コーナーに入ったら遠心力で膨らまないようにスピードを落とさざるを得ない――だがホワイトグリントは()()スピードを落とさない。直線と同様の速度で侵入し、その速度を維持したままスパーンと内ラチとの距離を詰めるのを忘れることもなく、ロスを限界まで減らしながら軽々と突破してしまった。

 

「え、ええぇ!? なん……で!? どうやったの、今……!?」

 

「技術もあるが、一番の要因は超前傾姿勢の強みを活かしたんだよ」

 

「それはどういう……?」

 

「地を這うように進む超前傾姿勢ってのは、普通のウマ娘よりもさらに()()()()()()()。重心が低くなればなるほどコーナーリングも加速力も上がるんだ。F1カーみたいな、スピードとコーナーリングを追求する乗り物が限界まで車高を低くするのと同じでな。オグリはコーナーリングも位置取りも、ラインの移動も抜群に上手いだろ? それはあのフォームの重心の低さを活かしてるからなんだ」

 

 ――まあしかし、とてもじゃないがあの年齢で出来る走りじゃない、ってのは確かだけどな……と小さく付け加えて、北原は目を細める。

 

「すごい、ジョーさん……まるでベテラントレーナーみたいです!」

 

「ベテラントレーナーだよ?」

 

 もうこの道ウン十年である。そしてそれを横目で聞いていたオグリキャップは――。

 

(……そうだったのか……知らなかったな……)

 

 膝の悪かった自分が母親の愛のマッサージによって自由に走れるようになってから会得したこの走りの極意を地味に初めて知っていた。

 

「――しかし」

 

 北原は顎に手を添えて、考える。

 

 ()()()()()()()

 

 努力で届かない才能という煌めきは、間違いなくある。努力でどうしたところで埋められない天性という輝きは、間違いなくある。当然そんなものはウマ娘だけでなく人間も生きとし生けるすべての生物がそうだろうが――能力の上限、スピードの限界値、スタミナの豊富さ――センスに運。勝負の世界に努力すればなんでもできるなんて()()()()()()。特に日本全国から天才秀才を集めたここトレセン学園においては才能があることは絶対条件である。

 

 ホワイトグリントにも勿論才能はあると思う。あるとは思うが――それが天才や秀才と呼ばれる特別なものが備わっているとは、感じない。

 

 北原はあえてオグリとベルノには語ってはいないが――彼女の異様さの一端をにわかにではあるが理解していた。オグリキャップは身体がとても柔らかいという特能があるからこそ超前傾姿勢というバランス取りの難しい状態を維持し加速し走れている。

 

 柔軟だからこそ、姿勢が崩れる前に次の脚の回転が間に合う。崩れそうになっても柔軟さで無理な姿勢を維持出来る。崩れてしまったとしてもその柔軟さでカバーができる――だからこそ走り続けられるし、超前傾姿勢で走ることが()()()()

 

 だがホワイトグリントは一見、普通に走れているように見える――いや、実際に素晴らしい精度で走れているのだが……おそらく驚異的なバランス感覚と筋力だけであの走りを()()()()()()()()()()()

 

 端的に言えば、多分一度回転が崩れたらフォローが出来ずに()()()()

 

 あの走りを完璧にできるという自信がなければ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 (吉城竜堂(よしきりんどう)……彼女の祖父は――)

 

 自分の孫に、いったい何をやらせればこんな()()()()()()()()()()()()()が出来上がる?

 

 ゾクリ、と北原はトレーナーとしての技量を知らなければ顔も知らない彼女の祖父を思い――少しだけ、恐怖した。

 

 



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十一話『ホワイトグリントのマッチレース③』

 翠緑に染まるターフを駆ける純白(まっしろ)なウマ娘とはここまで美しい存在(もの)なのか――そのレースを見守る見学者達は改めて感じ入っていた。古来より白という色は幸せ(ポジティブ)の象徴として扱われている。多くの国で白い鳥が平和の象徴であるように、幸福に包まれた美しい花嫁のウェディングドレスのパーソナルカラーであるように……()()()()()()()()

 

 人だけではなく当然ウマ娘にもそれはある。一説には、まだ人もウマ娘も別々に暮らし石斧や草木を使って日々を過ごす文明の開花さえ程遠い古の時代――白という目立つ色は外敵に狙われやすく長生きできるウマ娘が少なかったことから、白毛で長寿のウマ娘はそれだけで尊敬と敬意を集める存在とされていた。

 

 それが現代でも彼女達のDNAに刻まれているのか、白く美しいウマ娘は特別であると感じるウマ娘も多いのだ。だからこそ刻の重なりで白く染まっていく芦毛は誰も彼も問わず人気があり、その人気が仇となってかつては絶対数が少ない故に勝ち鞍が少ないというだけで『芦毛は走らない』と誤解を与えてしまったのだが。

 

 しかし今、目の前でターフを走るウマ娘は芦毛ではない。灰かぶりの姫(シンデレラ)ではなく白雪姫(スノーホワイト)の白毛だ。一切の穢れすら知らないような無垢なる純白のウマ娘。共に走っている芦毛のライジングフリートも白みがかったとても美しい毛並みであるけれど、だからこそ尚更痛感してしまう。

 

「綺麗――」

 

 ぽつり、と誰かが自然と零してしまったその言葉を。

 

 そして熱を帯びた視線が増えつつある観客席の中で、新入生集団は違うベクトルで熱が入っていた。ライジングフリートとホワイトグリントがハロン棒を過ぎる度にポチポチと(せわ)しなくスマートフォンのストップウォッチアプリを押しながらタイムを計測してる者達がいればパシャパシャと動画やカメラにその勇姿を写す者達がいて実に姦しい。

 

5ハロン(1000m)回った! 今フリート先輩のタイム何秒!?」

 

「59.2秒……あれ? 思ったより遅くない?」

 

「おバカ! 速い(ハイペース)に決まってるでしょ!? コースのことを考えなさいよ! 直線が短くてスピードが上げられないキツイコーナーを回るこの場所でそのタイム叩き出せるのは普通にやばいわよ!」

 

「さすがG1級のウマ娘って感じだよね……先輩は確か逃げて勝つウマ娘のはずだったから序盤からかっ飛ばすのは得意だとしても……」

 

 レースは根本的に良いタイムが出しづらい。ゲート枠の有利不利から位置取り、ブロック、馬場の状態エトセトラ……様々な不確定要素が加わり本来出せる実力が出しきれなかった為に苦渋を舐めるということも多々ある。練習ではレコードを更新するような走りが出来たとしてもレースとなれば練習通り走るのがまずもって難しいのだ。

 

 それに比べて今はどうか? マッチレースとは銘打たれていても二人の根本的能力が違いすぎて競い合いにすらなっていない。つまり実質レースというよりはほぼタイムアタック――何の気兼ねもなく自分のベストを叩き出せるだろう。

 

「白毛ちゃんも回ったよ! コーナーワーク速すぎてやばたん……足にローラーでも付いてん……? ってタイム何秒!?」

 

「1分6.5秒……このコースでこれは新入生(わたしたち)からしたら、ベストタイムってくらい凄いけど……」

 

「もう100mは離されてる……あんなに頑張って内を攻めてるのに……」

 

 内ラチに限界まで近づいて距離のロスを減らす文字通り身を削るその行為。ホワイトグリントはいつも通りの無表情(ポーカーフェイス)で、機械仕掛けのような正確なフォームで走り続けているけれど、額から迸る汗が彼女がサイボーグやアンドロイドの類でないことを証明している。あそこまでラチに接近してきっと怖くないはずがないのだ。特にオグリキャップの走法(フォーム)に酷似した、地を這うようなあの超前傾姿勢ではラチにぶつかるならまだマシで、下手をすると()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 なんでそこまで危険を犯してまで必死に走るのか。ハッピーミークからこのレースに勝てなければ彼女がオグリキャップが所属するチーム【ジョーンズ】に入れないとは聞いているけれど――いや、確かにそれはこれからのトゥインクルシリーズを走り抜けていく学園生活を考えれば死活問題ではある。

 

 今や飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進する北原トレーナーが率いるジョーンズは学園でもウマ娘達の憧れの的で、無理をして入れるのならば無理をするウマ娘は決して少なくないどころか多いだろう。しかしそれにしたって半ば入部試験を兼ねたようなこのマッチレースはあまりにも難易度(ハードル)が高すぎる。

 

「スカイさん……あなたが推察してた100バ身差負けという条件を利用しての先輩のスタミナ切れ狙い……上手くいくと思うかしら?」

 

 ここまで不利な条件が揃っているとやはり現役のトゥインクルシリーズで栄誉ある活躍をするライジングフリートよりも、例え白毛の片割れ(やばい方)と噂されていようとも、会話も碌にしたことがなくたって――同じ新入生であるホワイトグリントを応援したくなってしまうのが心情というもので。

 

 キングヘイローとしては、無表情という仮面の下で恐怖と戦いながら身を削るような思いで走っていることが想像に容易い彼女が心配でたまらないのだ。それはセイウンスカイも、そして周りの新入生達も同じ気持ちだった。

 

「……1000m走って約7秒差は、マージンとしてはいいペースで残ってる。先輩がいくらG1級だからってハイペースでずーと走り続けられるはずがないよね。必ずペースは落ちる……この後のどこかでくる全力疾走(スパート)さえ乗り切れれば――」

 

 勝機は、ある。

 

 と()()()()()()()()()()()()()()

 

(……やっぱり無茶だ。先輩がハイペースで走るようにグリントだって100バ身差のマージンを守らなければならない以上かなりのハイペースで走ってるはず……そもそもグリントはコーナーリングが異様に速いからコーナーでもペースを落としてない、つまり全く()()()()()()()。距離適性と勝負根性だけは本格化したウマ娘とする前のウマ娘で差がつきにくい部分だけど、それにしたって……)

 

 最後まで、持つの? セイウンスカイとてスタミナ勝負には自信がある。ひょっとしたら自分の脚質は長距離ウマ娘(ステイヤー)なのかも、と薄っすら自覚している程に……だからこそわかる。いくらステイヤーだからといっても無限にハイペースで走り続けられるわけじゃない。仮にホワイトグリントが物凄い豊富なスタミナ持ちのステイヤーだったとしても、すでに本格化に向けて成長が始まっている早熟タイプのウマ娘だったとしても――彼女はまだ未熟な新入生なのだ。ライジングフリートが必ずスタミナ切れでペースを落とすというならホワイトグリントだって必ず()()()()()()()()()()()()()()

 

 100バ身差負けのギリギリのラインを死守できたとして、19秒近く開くであろう距離の差を長距離レースとは言えども残った距離で勝利条件のタイムオーバー(6秒)内にゴールタイムを縮めることはあまりにも険しい道程だ。やっぱりこのマッチレースは――奇跡でも起きなきゃ、絶対に勝てない勝負じゃないか……。

 

「あ、あのさ……あたしずっとフリート先輩とグリントちゃんの区間(200m)タイム測ってたんだけど……」

 

 ふと、引き攣りがちに訝しげな顔つきをして一人の新入生がスマートフォンの画面を周囲に晒す。思考の渦の中に陥っていたセイウンスカイも一端考えるのをやめて注目してみると――。

 

「多分偶然……いや、観客席(ここ)からコースは少し遠いし、ハロン棒を目安にしててもちょっとくらいストップウォッチ止めるのがズレるだろうから、ミリ秒あたりは正確に測れてるわけじゃない。だから間違いなくこうなったのは()()()なんだろうけど、それでもグリントちゃんのタイム――」

 

「――え、なにこれ。()()()()()()()()()()?」

 

 13.3 - 13.3 - 13.3 - 13.3 - 13.3 - 13.3 - 13.3

 

「びっくりするくらい均一(ゾロ)ってんだけど」

 

 

 ■■■

 

 

「はぁッ! はぁッ! はぁ――!」

 

 二人のウマ娘が同じコースで別々にタイムアタックをしているような、孤独なマッチレースという矛盾を抱える展開でレースはひたすらに進み、800mを3周目してホームストレッチ側の直線を抜け、1コーナーに入り……走破距離が2700mに差し掛かったあたりで、ライジングフリートはすでに己の体力(スタミナ)の限界が近いことを感じ取って焦りが生まれ始めていた。

 

 想定以上に、はるか後方に置き去りにしたはずのホワイトグリントと()()()()()()()()のだ。

 

(今――おそらく2分40秒あたりはとっくに超えているのは確かだが……クッソ、ペースが滅茶苦茶だから上手く体内時計の把握ができねえ……)

 

 ライジングフリートは別段コーナーが苦手なウマ娘ではない。しかしコーナーの距離が120mしかない急な角度のついたキツイカーブではどうした所で幾ばくかのペースダウンは免れないし、そこで仕方なく僅かでも息を整えて、そして短いと有名な中山レース場の最終直線より更に短い280mの直線でスパート気味に加速しタイムを稼ぐという手段を取らざるを得ないのだ。それを3周も繰り返してペースが安定するはずがない。

 

(どうせもうタイムなんて意味ねぇ、従来のコースだったらはるかに遅ぇのは確かだろうが……しかし……この変則コースだったらとっくに100バ身差がついてるハイペースで走ったはずなのに……なんでまだ奴は()()()()()()()()!)

 

 そもそもこのコースは本格的なレース場に触れる機会が少ない新入生を()()()走らせる為に用意されたコースである。根本的にスピードが出すぎないように設計されているのだから従来の基本的なコースの平均よりタイムは大幅に下回る。だからこそ2400mまでが適正距離と診断されているライジングフリートがハイペースを維持して2700mを超え――そして2800mが近づいてもまだ僅かに脚が持っている理由の一つなのだが。

 

 2800m目のハロン棒の真横を経過した時、一瞬だけフリートは後ろを振り向いて確認する。

 

(――いや、理由はわかってる。あいつのコーナーを曲がる速度が異常すぎるのと、途中でペースを上げてそれを維持したってだけのシンプルな理由だ……どんな体力(スタミナ)と脚してんだよ……! 本当に一ヶ月前までそのでけぇおっぱいぶら下げてランドセル担いでた小学生だったのかお前は……!)

 

 そこには丁度一つ前のハロン棒の少し後ろを通過する白いウマ娘。自分と同じかもしくはそれ以上に大量の汗を吹き出しているということを除けば()()()()()()クールで機械的で、敗戦濃厚だと言うのに走るのも止めず、その表情に何の感情も宿さないその姿。

 

(もっと直線が長かったら……くっ、それでももう210m差……くらいか。あとたった、たった30mほど差をつけるだけでいいんだ――スパートはもう掛けれない、そんなスタミナ残ってない……でも少しだけ、ほんの少しだけ今よりペースを上げられるはずだ――距離は3200m(ゴール)間近までかかってしまったが100バ身差つけて勝利できる――)

 

 だがそれは――ホワイトグリントがこれ以上ペースを上げて来ないというのが前提条件の話。だがもはやこれだけ距離が開いてしまっては残り400mしか残っていないこの距離で6秒以内のタイムオーバーにならなければグリントの勝ちという条件を満たすことは()()()だ。

 

 白毛(ホワイトグリント)はライジングフリートのスタミナ切れ狙いという大胆不敵な作戦を見事に失敗したと言わざるを得ない。それはグリントの想定よりもフリートのスタミナが残ったこと――そしてグリント自身のスタミナとスピードが残らなかったことが決定的な敗因で、もうホワイトグリントにこれ以上頑張って走る理由がない――フリートはそう考える。

 

 しかし、頑張ってペースを上げる理由が薄いのはフリートも同じだった。

 

 ――ここでペースを上げれば3200mを走り切る前に()()()()()()()()()()()。もしグリントが最後の力を振り絞りペースを上げて追いかけて来て100バ身差勝利ができなかったら万が一にも億が一にも、()()()()()()()()()()()()。別段、スタミナが付きたとしてもそれでゴールが出来なくなるくらい完全燃焼してしまう程ヤワな鍛え方などしていない。スタミナの残り具合からしてペースを上げれてもせいぜい100mが限界だが、例え体力をすべて使い果たして著しくペースを落とそうとも完走はできる、意地と気合と根性で残る300m6秒差を守ったまま走ってみせる。

 

 ……だが、ここでペースを上げても99%問題ないだろうが――ペースを上げるどころかペースを落としほどほどに400m走り切れば100%問題がなくなる。

 

 99%と100%。勝つべくして勝つなら選ぶのは――。

 

(――否。否否否! 何を考えてんだ私は! なんで私は()()()()()()()()()()()! オグリ先輩が言っていたことじゃないか! ――あいつはまだまだ本格化が遠い、将来が楽しみなウマ娘なんだって……! 悔しいけど、死ぬほど悔しいけど、()()()()! あいつはこの先、絶対にとんでもないウマ娘になる! 本格化もしてない内にこれほど走れるウマ娘なんて、紛れもない()()で――その才能を活かせる()()()だよ! けど! だけど!)

 

 今はまだ――(ライジングフリート)の方が速くて強い!

 

(あの白毛は――もう負けが決まってんのに、きっと必死の思いをしながらついてきてるじゃねえか! あの無表情の下できっとものすげえ疲労の苦しみに耐えてるはずなんだ! もう限界のはずなんだ! これだけ走れたのが奇跡なんだ! ペースを上げても絶対についてこれるはずがない! それに……!)

 

 100バ身差をつけてみろ(マンノウォーやってみろ)という条件はこの余りにもグリント側に勝ち目が薄いレースで唯一フリートに投げかけた挑戦(じょうけん)である。それを無視して勝ってどうなる、負ける要素がないようなレースでただ勝ってどうする――そんな勝負に何の意味があるというのか。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! だったら最後まで悪党(バカ)貫き通せ私! ……行け、行け、行け、行け――行けっ!)

 

 最後のスタミナを振り絞り、ライジングフリートはターフを蹴る。

 

「ああああぁ――!」

 

 気力を最後の一滴まで出し尽くすように咆哮と共に加速する。スパートと言えるほどの切れ味なんて残ってない。決してその脚は豪脚や弾丸と名のつくような末脚を宿す脚ではないけれど――中央レースで何度も勝利を重ねた自慢の脚だ。

 

 それが決して遅かろうはずがない。

 

 ――20m。

 ――50m。

 ――80m。

 ――100m。

 

 ――まだ、行ける。

 

 100mまでしか持たないと思っていた脚が、自分を運んでくれる。限界を超えて走ってくれる。

 

 脚が振り上げられないくらい重い。腕だって痺れてもう両腕がちゃんとついてるのかすらわからない。肺と心臓が信じられないほどの爆音の悲鳴をあげている。

 

 真っ白く視界が狭まる中で、3000mのハロン棒が僅かに見えた時――フリートの脚は紐の切れた凧のようにガクッとペースを落とした。

 

(ハァッ、ハァッ――勝った……)

 

 そうしてフリートは勝利を確信しながら、逆再生のムービーの如く視界に景色がゆっくりと戻るのを確かめながら、フリートは静かに後ろを振り返って――。

 

(――あぁ、お前って奴は、本当に――)

 

 ホワイトグリントとの距離が、開いていないどころか()()()()縮まっていたその光景を目にした。全身汗だくで、びしょびしょになった体操服が透けかけていてそんな些細なことなんてどうでもいいというような無表情なのに目の奥だけはギラギラしてて――。

 

(本当に凄い奴だよ、白……いや、()()()()()()()()……100バ身差――つけれなかったな……)

 

 ここまで無表情の裏に隠された負けん気と根性を見せられては、問答無用にこの白く美しく輝く毛並みを持ったウマ娘を認めてしまう。ホワイトグリントという才能に溢れるウマ娘を受け入れてしまう。

 

 先程まで荒んでいたフリートの心が、この純白の色に洗い流されたような気分だった。オグリ先輩を独占する羨ましくて忌々しいとさえ思っていたこの白毛のウマ娘と共に走れたことが――今は幸福すら感じるようで。

 

(――レースが終わったら、みんなにきっちり頭下げて、謝ろう。散々酷いことを言っちゃったから、グリントは許してくれないだろうけど……オグリ先輩や北原トレーナー、ベルノさんにも失望されただろうな……なんなら、このあとチームを追い出されるまであるかも知れないけど……でも、それだけのことをやったのは私だからな……)

 

 レースには、多分勝った。もう残り200mだ。ここからホワイトグリントが伸びてくることはもうない、それができるならもっと速い段階でスパートをかけているはずだから。しかし100バ身差勝利というホワイトグリントの挑戦には届かず――心中に訪れた虚しさと謙虚さと罪悪感を抱えながら、フリートは視線を前に戻して、ゴール際に待つチーム【ジョーンズ】の面々の顔を見た、レース中は怖くて怖くて、とてもじゃないが見ることのできなかった顔を。

 

 オグリキャップ、北原穣、ベルノライトの3人の顔にあったのは、怒りでも悲しみでも喜びでもなく――まるで、辛かったらいつでもレースを棄権して、こっちに飛び込んで来ていいんだ――と言わぬばかりの優しさと心配が混ざりあったような表情だった。それはきっと――後ろのホワイトグリントに向けられているもので――。

 

(本当に、ジョーンズは優しくて、あったかくて――良いチームなんだよ……追い出そうとして、ごめんグリント。ジョーンズは――お前の居場所に相応しい)

 

 自分に向けられたものではないとは思いつつも、もしかしたら少しくらいは私のことも心配してくれているのかな、なんて淡い期待を胸に懐きながら――フリートは3000mのハロン棒を超え、ラスト200mを走る為に、蝋燭の最後の炎を燃やすように、濡れた手ぬぐいから最後の一滴の雫を絞り出すように限界の限界を振り絞ろうとして――。

 

(……あれ?)

 

 ある違和感に、気付いた。

 

 レース前の取り決めでは――確か――ラスト1ハロン(200m)になったら、そこがゴールであると知らせる為に()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 北原の手は――()()()()()()()()()()

 

「――ふぇ?」

 

 意図せず、フリートの口から風船から空気が漏れだようなすっとぼけた声がこぼれて出た。北原トレーナーが、周回数を数え間違えてる? いや、四周だなんて小学生でもちゃんと数えられる数だ。そんなもの間違えようが……。

 

 そんなことを思った、瞬間だった。

 

 背後から、今まで経験した中央のレース中にすら覚えのない――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 三度(みたび)、フリートは後ろを振り向く。

 

 そこで見たものは――。

 

 己の策略が成功した折に策略家が浮かばせるような笑みではなく。

 今からお前を殺してやるぞ、というような攻撃的な笑みではなく。

 明日には養豚場に運ばれる豚を目にしたような冷たい笑みでもない。

 

 

 

 それはそれは、まるで見る者すべてを虜にしそうな程に幸せそうで、これでもかというくらいの多幸感を感じているような――()()()()()()()()()()()()()()

 




次回、マッチレース編完結。


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十二話『ホワイトグリントのマッチレース④』






 

 実を言えば――私の体力(スタミナ)は2400mを超えたあたりから()()()()()()()()()

 

 まあそれも当然の話で、普段からどれだけハードなトレーニングを積み重ねようとも私の身体がまだウマ娘として未成熟である以上、どうした所で年齢相応の限界値という超えられない壁がある。最初からハイペースで飛ばしてたのに、途中からフリートさんとの100バ身差のマージンを守る為に更にペースを上げたのだから、普段なら3000mくらいならスタミナの範囲内で余裕を持って走れる私であっても体力の枯渇が早くなるのは道理だ。

 

 だからずっと我慢して、走った。

 

 必死に我慢して、耐えて耐えて耐えて――走った。

 

 でも――2800mに差し掛かった瞬間、フリートさんは更にペースを上げる。その加速は力強い物ではあったけれど決してキレがない、フリートさんだってもうスタミナが残ってないのだろう。現在私とフリートさんの距離はざっくり215mほど。私もペースを上げなければ100バ身差がついて負けてしまう。

 

 もう形振(なりふ)りなどに構っていられない。

 

 私はフリートさんを追って限界を超えて脚の回転を上げる。

 

 50m、100m、150m――3000mのハロン棒が間近に迫った時、フリートさんは燃え尽きた蝋燭のようにペースを著しく落とした。ついにスタミナが尽きたんだ、私の唯一とも言える勝ち筋であったスタミナ切れ作戦は完全に成功したと言えるだろう。

 

 けれど私もフリートさんのペースアップについていく為に限界を超えた代償は大きく――。

 

 もう無理だ。

 

 もう限界だ。

 

 もう耐えられない。

 

 もう――()()が我慢ができない!

 

 

 きっっっっっっっっもちいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!

 

 

 一歩一歩ターフを蹴る度に脚に雷が落ちたような苦痛(きもちよさ)が来る! 腕を振る度に万力で締め付けられるような激痛(かいらく)が奔る! 呼吸をする度に今にも破裂しそうな肺が! 悲鳴を上げる心臓が奏でるそれはまるで豪華なオーケストラが奏でる地獄(てんごく)のようなハーモニー!

 

 汗でびしょびしょに濡れて肌に纏わりつく体操服と下着の不快感(かいかん)ときたらもう極上のシルクで仕立て上げられた最高級の新品のお洋服を来ているかのよう! 濡れちゃいけない場所まで濡れそう!

 

 やっぱり本気のレースは最高だ……走ることは最高だ! ハードトレーニングとはまた違う、これほどの痛気持(ここ)ちよさを私に与えてくれるのだから!

 

 スタミナが尽きたはずの身体にドーパミンだとかエンドルフィンだとか多分そんな感じの快楽物質が埋め尽くす! 喜びと快感が合わさり混じって弾けて数多の多幸感が私に身体を動かし続ける気持ちよさをくれる!

 

 もっと。

 

 もっと!

 

 もっともっともっともっともっともっと――もっと欲しい!

 

 そんな風に頭がバカになりそう*1な快楽の渦に身を委ねれば本当にどこまでもどこまでも無限に走れそう――だけど、そんな幸せの絶頂の中でも笑顔を我慢しきれなかったことの一抹の不安が募る。

 

 レース中の自分の笑顔なんて見たことはないけけれど、きっととんでもなくだらしない顔をしているだろう――必死に走っている途中でそんな顔をしながら走るウマ娘なんて多分人の目には気持ち悪い存在に映るかもしれない……小さい頃のように周りから()()()()()()()()()目で見られるのは、怖い……凄く怖い。

 

 でも。でも! ()()()()()! 私は――己を徹底的に痛めつけるのが大好きな超絶ドMウマ娘だから! それだけはやっぱり偽れない! あとでどうにかランナーズハイになっちゃったとかでなんとか誤魔化そう!

 

 だからこの瞬間瞬間を、この幸せを大切に大切に噛み締めながら、私を気持ちよくしてくれるすべての苦痛をたった一つでも疎かにしないように――走ろう。そして勝とう!

 

 とはいえ流石に私もペースを落とさないと気持ちよくなりすぎて失神しかねないから()()()()だけど――フリートさんのスタミナが切れてペースを激しく落としたこの状況なら200m差はあるだろう残った距離も十分覆せる。 

 

 やっぱりレースはタイムオーバー以内だったら私の勝ちだとか特殊ルールで勝つんじゃなくて――抜いて勝ってこそだよね!

 

 ああ、本当に――こんなにも気持ちのいいレースがあとたった1()0()0()0()m()しかないのが残念すぎる――!

 

 

 ■■■

 

 

()()()()――」

 

 一瞬だけ、セイウンスカイはその笑顔に見惚れてしまった。あまりにも楽しそうなその素敵な笑顔に、あまりにも幸せそうなその綺麗な表情に。否、見惚れてしまったのは彼女だけではなくその場でそれを目撃したキングヘイローや新入生達も同じだった。なぜか()()()()を感じてしまうその笑顔から目が離せない。

 

「……はっ! あ、あれ!? っていうかこのレース…天皇賞・春(3200m)なんじゃないの!? ゴール間際になったらトレーナーさんが手を上げるはずだよね!? 上げてないんだけど!」

 

「どういうこと!? 春天じゃなくて中山のステイヤーズステークス(3600m)だった!? ……いやでもゴールがスタート地点の直線上なんだから距離は800mの倍数しかないはずだし――4000mなんて芝のレース、()()()()……あっ」

 

 騒いでいた一人の新入生から呆けたような声がまろびでた。現在日本の最長レースは3600m*2、しかし()()()()それよりも長いレースが複数存在する。

 

「うん、グリントが選んだ距離は間違いなく()()()()()だ」

 

 その一つが今しがたセイウンスカイが答えたように、パリ・ロンシャンで開催されるフランスの長距離最強古馬決定戦として位置づけられた伝統と歴史ある距離4()0()0()0()m()のレース――『カドラン賞』である。

 

「海外レースじゃん!? ありなのそれ!?」

 

「いやだって、選ぶ距離は()()()()()()()()()()()()()()()んでしょ? カドラン賞はURAにもちゃんと公認されてる芝レースだよ。日本からちょっと一万kmほど遠くで開催されてるだけで」

 

「全然ちょっとの距離じゃないんですが」

 

「でも本当にカドラン賞(4000m)なの……? 障害競走とかならもっと長いレースあるよね」

 

「芝レースならなんでもよくたって、障害物もないこのコースで障害競走の距離を主張するのはさすがに無理筋」

 

「そういえばカドラン賞ってあったね……海外レースなんて凱旋門とかブリーダーズカップみたいな有名なレースしか頭になかったや」

 

 確かに、とセイウンスカイは思う。カドラン賞は伝統と歴史のある偉大なG1レースではあるが日本ではあまり馴染みがない。そもそも近年高速化していく日本競バの世界で長距離レース自体が軽視されがちになっていて、わざわざ長距離レースへ挑みに海を渡る日本ウマ娘がほとんどいないことからカドラン賞やゴールドカップといったレースの一般知名度が日本ではそこまであるわけではないのが現状だ。

 

 セイウンスカイとて長距離が得意分野であるから世界の長距離重賞を調べていたというだけで、そうでなければ自分だって聞いたことのある海外レース程度のふわふわした知識しかなかったかも知れない。

 

「いくら距離はなんでもいいって言ったってふつー選ぶ!? 3200mでも私達には長すぎるのに4000mだよ4000m!?」

 

「なんでまだ走り続けられるの……スタミナが豊富だとかそういう問題じゃ……」

 

「でもさ、グリントちゃん――すごく楽しそう」

 

 最後の気力を振り絞ったかのようなライジングフリートのペースアップが終わってから、両者の速度は格段と落ちている。フリートは言わずもがな完全な失速だが、しかしホワイトグリントだってペースは格段に落ちていた。両者とももうスタミナが無くなって限界のはずなのだ。糸の切れた風船のような拙い二人の走りが、最後の最後に残された意地と気合だけで走り続けていることの証拠だった。

 

 片や、フリートの表情にはありありと苦悶と苦痛が浮かんでいて、呼吸だって絶え絶えで、もう走るのをやめたっていいじゃないか、もう無理をしなくたっていいじゃないかといっそレースを止めてしまいたくなるほどの苦しさがあるのに。

 

 片や――どうしてホワイトグリントはあそこまで楽しそうに走れるのか。全身から汗を垂れ流して、あれほど機械のように正確だったフォームだってもうガクガクと崩れ始めているのに。

 

 作戦がうまくいったから? あと少しでレースに勝てるから? 奇跡的な大番狂わせ(ジャイアントキリング)に酔いしれているから? 勝てばチームジョーンズに入れるから――?

 

 違う。そのいずれもきっと違う。それが何なのかわからない、上手く言葉にできない。

 

 だけど、その表情に目が奪われる。

 

 だけど、その走る姿から目が離せない。

 

 彼女を見つめ続ける程に胸が熱くなっていく、心の奥から情熱を帯びた衝動が溢れてくる。

 

 どうしてこんなにも、今の彼女が()()()に見えてしまうのだろう――。

 

「……羨ましいわね」

 

 ぽつり、とキングヘイローが身体の内側から溢れる熱を吐き出すように言葉を零す。

 

「キング……?」

 

「オグリキャップさんみたいに走れることだとか、恐れを知らないようなライン取りだとか、とてつもないスタミナだとか、芸術的なコーナーワークだとか、精密なラップタイムを刻めることだとか――」

 

 そういう技術に裏付けされたものが、羨ましいんじゃない。むしろそういった完成度の高すぎる走りが出来なくなるくらい消耗していくほどに、ホワイトグリントというウマ娘からむき出しに感じられるたった一つの思いこそが、羨ましいのだとキングは続ける。

 

「一歩一歩、地面を蹴れば身体が前に進む。風が身体を包んで、風景が流れていく――今、彼女が全身全霊で示しているのは私達ウマ娘が誰もが持ってる根源的欲求なのよ」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「だからこそみんな目が離せない――彼女を見てると、つくづく実感できるもの。私達ウマ娘は――」

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

「――もう! あんなに楽しそうに走るのを見せられたら、こっちも走りたくなって堪らないじゃない! ずるいわよ! 私達も混ぜなさいよね! 4000m走はまだちょっと勘弁して欲しいけど!」

 

 ああ、だからか。そういうことだったのか、たったそれだけのことだったんだ。その場にいたウマ娘達は理解する、彼女に惹かれていく自分の心を。その確かな理由を、そのシンプルな答えを。

 

「……頑張れ」

 

 誰かが、そう小さく呟いた。それに呼応して熱の入った声援が、次々と火口を切って荒ぶり始める。

 

「頑張れ……頑張れ! ホワイトグリントー!」

 

「負けるなーーー! 白毛ちゃあああああああん!」

 

「いけるぞ新入生ーーーーーー!」

 

「差せー!」

 

 真っ白なゲレンデを転がる雪玉が大きさを増していくように、情熱がウマ娘も人も、誰も彼もを巻き込んで伝播する。観客席いたほぼすべての者が、白毛のウマ娘に声を出す程夢中になっていく――。

 

 

 ■■■

 

 

『大丈夫ですよオグリさん。私、春の祭典には出たいと思ってて……本番に向けていい経験をさせて貰えますから』

 

(何が春の祭典だ……! 確かに昔はカドラン賞は5月くらいに開催されてたけど――()()1()0()()()()()()()()()()()*3 完っ全にハメられた!)

 

 そもそもグリントは春の祭典に出たい、と言っただけで別にこのレースの距離が春天の3200mだと言ってはないし、カドラン賞の4000mという超長距離が春天の為のいい経験になるのは間違いないのだからライジングフリートが()()()()()()()()のはまごうことのない事実。というかその言葉はオグリキャップに向けられたものであり、()()()()()()()()()()()()()だけでフリートに向けられたものですらないのだ。

 

(そりゃ耳に残ったわけだよ……たまたまじゃない。確実に()()()()()()()()()()()()()()……!)

 

 しかしそれがフリートに距離を誤認させる為に仕組んだことであることはあからさまである。フリートのような高等部の生徒は海外レースだってちゃんと勉強しているし、レースの距離が800mの倍数であるならば、ひょっとして3200mではなく更に上の4000mの海外レースなのかも知れない――というのは十分考察できた。

 

 それが春の天皇賞を匂わされたせいで、すっかりこのレースは3200mであると思考がロックされてしまって――さらに言えば3200mの距離でも本格化してスタミナを有り余す長距離ウマ娘(ステイヤー)ですら全力で3分間以上レースを走り続けるのはっきりいって()()()のだ。なればこそ、それ以上の距離を未成熟のウマ娘が選ぶのは尚更ありえないと考えてしまうのは道理である。

 

 距離が4000mなのかも知れない、という考えがわずかに頭の片隅にでも残っていれば――こんな展開にはならず、もっと違ったレースになっていただろう。

 

(あんなかわいい顔してエゲツねぇ……)

 

 ジョーンズの部室でレースの内容と走るコースを聞いたあの僅かな時間で、この展開を読んで作戦を思いついてそれを実行したというのか? ホワイトグリントというウマ娘は――いったいどんな化け物(・・・)だ。白雪姫(スノーホワイト)のように白く美しいウマ娘の中身は、飛んだ白い怪物(ホワイトファントム)だった。

 

(……勝てない、勝てないよ……)

 

 レースをする前にフリートの心の中にあったホワイトグリントへ対する負の感情は、すでに消えている。それどころかホワイトグリントという一人の白毛のウマ娘の実力を心から認めた事によるリスペクト精神さえ芽生えていた。だからこそ、まるで少し速いジョギング程度までしか速度が出せないボロボロの状態になった今となっては、更に一周(800m)走ってグリントの追走を振り切るのは無理(・・)だと理解してしまう。それどころか完走だって、もう――。

 

「いっけー! グリントーーー!」

 

「もう少しだぞーーー!」

 

 先程からドカンドカンと破裂するような、彼女に魅せられた観客達の熱い応援がフリートの耳に届いていた。ただの物見遊山で集まっただけの観客をここまで虜にしてしまうホワイトグリントに驚きを禁じ得ない。すでに彼女は――日本中を熱狂させたオグリキャップのような()()()()()()()()()()としての片鱗を表している。

 

 最初から――器が違った、格が違った。例え圧倒的な能力差があったとしても私なんかが勝てる相手じゃ、なかったんだ――。

 

 もうこの場所で、きっとライジングフリートの勝利を望んでいる者なんて、一人も……いや、()()()()……。

 

(……これ以上、走れない。負けたくない、負けたくない……走りたい……でも、もう……無理……だ……)

 

 絶望がフリートの心を覆い尽くし、走るのを止めようとした――その瞬間。

 

 

「頑張れ!!! ライジングフリートォーーー!!! 走れ! 走るんだァアアア!!!」

 

 

 間違いなく、その日で一番の魂が籠もった声援がターフに木霊し、フリートの脳を揺さぶった。その声の主は、いつでも優しくて、いつでも楽しそうに私達を見守ってくれるライジングフリートの北原穣(トレーナー)

 

「顔をあげて! 前を向きなさいフリート! 息を整えて! 腕はコンパクトに振って! 脚はピッチで! まだ、まだ走りたいんでしょ!? 勝ちたいんでしょ!? だったら、諦めるな! 最後まで頑張れぇぇぇ!」

 

 ゆっくりと、フリートは視線を後ろに向ける。先程通り過ぎたゴールラインの地点で、必死にフリートを応援する北原とベルノライトの姿がそこにはあった。

 

「――ぁ、ぅぁ」

 

 本来、このマッチレースに北原達は不測の事態でも起きなければ口を挟むつもりはなかった。いくらフリートから無茶苦茶なことを言いだしたとはいえ、お互い合意の上で開催された勝負である。心情的には思うことがあれどどちらかに肩入れするのは立場的にフェアではない。

 

 しかもライジングフリートが勝ってしまったらオグリキャップイチオシの期待の新人ホワイトグリントがチームに入れなくなるという取り決めをしているのだからチームとしてはマイナスでしかならないだろう。しかしそんなことは関係ない、関係ないのだ。

 

 自分の担当が勝ちたいと思っているのならば、諦めという絶望の淵に立たされているのなら――それを応援しないトレーナーなど()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ぽろぽろと汗と一緒にフリートの目から涙が溢れてくる。レースが終わったら、ひょっとしたらチームを追い出されるかもしれないなんて少しでも考えた自分が恥ずかしい。こんなにもチームは自分を大事にしてくれているのに。

 

 そして――フリートが心底から敬愛するオグリキャップもまた、フリートとグリントの二人をしっかりと見据えながらその目で語りかけていた。『どっちも頑張れ!』と――グリントがオグリキャップの特別ならばまたフリートとて特別なのだ。そこに差別も不公平もない、オグリキャップにとって二人は平等に愛すべき後輩である。

 

 さらに目線をずらして、後ろから凄まじいプレッシャーを放って追いかけてくる白毛のウマ娘を見る。

 

(負けたくない…負けたくないッ……オグリ先輩が大好きって気持ちも――! 私だって、私だって――)

 

 笑ってる。本当に綺麗で素敵な笑顔で――きっとそれは走ることそのものを心底から楽しんでいる笑顔――走るのが大好きだから、このウマ娘はこれほどまでに速く、そして強くなれたのだろう。

 

 その笑顔を見ていると小さい頃を思い出す――芦毛は走らないなんて言葉に傷つけられる前、ただただ走るのが楽しかったあの日々。ほとんどのウマ娘がきっと、あんな素敵な表情をしていたはずなのに。時が経つにつれて、上を目指せば目指すほど勝つことの重圧や負けることの怖さが勝っていって、走り終わったあとは充実感はあるけれど、楽しいと思えることが少なくなっていった。

 

 だけど、これだけは間違いないはずなのだ。

 

「私だって! ()()()()()()()()!」

 

 もはや限界の限界すら超えたフリートの背中を、トレーナー達との信頼が押す。走るのが好きだという気持ちが彼女を支える。

 

 走る、走る、走る。

 

 もう無理だと思っていたラスト一周(800m)の距離が見る見る埋まっていく。

 

 そして――ラスト200mに差し掛かって北原がここがゴールだと手を上げた時――あれだけあったフリートとグリントの距離の差はなくなって併走状態に移行している。

 

 そこからは、完全に意地と意地のぶつかり合いであった。

 

 もう二人共まともなフォームで走れてすらいない。

 

 がたがたで、くだくだで、ぼろぼろで――まるでそれは年端も行かぬ子供同士(とねっこ)の追いかけっこ。

 

(クソッ、クソッ、クソッ! ()()()()()! ()()!)

 

 気づかぬ内に、フリートも浮かべてしまったその笑顔は――ホワイトグリントにも劣らない、素敵な笑顔だった――。

 

 

 

 

 

 

 

 うおおおおおおおぉ――そんな大声援に包まれて、ほぼ同時にゴールした瞬間二人は倒れるようにターフへ突っ伏した。

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

「ふぅ……ふぅ……」

 

 すべてを出し尽くした。もう一ミリとも走れと言われても走れない程に。大丈夫か!? と一目散に駆け寄るジョーンズの面々に介抱されながら、フリートは力ない声で勝者を称える。

 

「ホワイトグリント――お前の、勝ちだ。完敗だよ……本当に」

 

「……とても気持ちいいレースでした。こちらこそ――ありがとうございます、フリートさん。また、走りましょうね……今度は、ちゃんとした重賞で」

 

 ――いや、お前が本格化してシニアクラスのレースに出れるようになるまで現役で居ろ、と――? それ何年かかんだよ、とは思いつつも。

 

天辺(G1)取って待ってるから、できるだけ速く来い。ウマ娘の現役(ピーク)は短いんだ」

 

 フリートは目を瞑りながら、そんな先の先の未来に思いを馳せ静かに答えた。

 

 

 ■■■

 

 

 そんな掛け合いをする二人を眺めながら、オグリは、北原は、ベルノは――にこやかな表情で見守っていた。今の二人にもう、レース前の遺恨なんて残っていないだろう。これほど激しく長い激走を繰り広げたのだ、きっとこの二人はレースを通して分かりあえたんだ――。

 

「さて……フリートさん。それはそれとして……()()()()()()()()()()

 

 と、思っていたのだが――。

 

 ベルノから渡されたタオルで丁寧に右手を拭きながら、再び無表情に戻ったグリントは問いかける。約束とは当然、グリントが勝ったら何でも一つお願いを聞いて貰うという権利である。

 

「――ウマ娘に二言はねぇ。私にできる範囲のことなら、なんでも言え」

 

 負けるつもりはなかった故の約束だったけれど、しかしこうして負けてしまった以上速やかに約束の履行を果たすのは筋である。ライジングフリートは粗暴だが約束事を守らないほど卑怯者ではない。

 

 何をさせられるのか(いささ)か不安だが、しかしどんな無茶な願いであれフリートは出来る範囲なら本当になんでも言うことを聞くつもりだった。ジョーンズから脱退しろと言われればするだろうし、トレセン学園を辞めろと言われれば従う。自分から負けたらチーム入りを辞めろと条件を出したのはこちらである。その代償は甘んじて受けねばもはや何が何やらわからない。それくらいの覚悟はして望んだレースだ。

 

「では――」

 

 ふらりふらりと、グリントは幽鬼のように頼りない足取りでフリートに近づいて。

 

「少し、口をあけて貰えますか」

 

「……?」

 

 言われた通り、フリートは口をあーんと上げると――。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

(え!? えっえっえ!? 何これ!? 私今から何させられんのこれ!?)

 

 突然の行動に困惑するフリートを尻目に、グリントは静かに告げる。

 

 

 

「それではお願いを聞いて貰いますね――そのまま、思いっきり――その素敵なギザ歯で――()()()()()()()()()()()

*1
もうなってる。

*2
かつては日本にも日本最長距離ステークス、中山四千米という4000mのレースが開催されていたが現在は無くなっている。

*3
史実世界ではカドラン賞は1971年からグレード制が導入されると同時に5月下旬に開催されていたが、1991年から10月に変更されている。




次回、一章完結。


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十三話『ホワイトグリントは周りから不器用で優しいウマ娘だと勘違いされている』

今回暴力的な表現や流血描写が挟まりますのでタグにR-15を追加しました。
苦手な方はどうかご注意ください。


 

 ぐちゅり、と己の口の中に侵入したホワイトグリントの白い美肌に包まれた小さな四本の指の異物感に多少の嗚咽を感じながら、頭の中が大混乱中のライジングフリートはそれでもどうにか冷静に努めようと先程の『お願い』を思い返してた。

 

(噛ん……いや、聞き間違いじゃないよな!? 今、こいつ――思いっきり私の手を噛んでください、って言ったよな!?)

 

 何? 何なのそのお願い? フリートはそのお願いの意図がまるで意味不明で――否、その場でその光景を見ていたジョーンズのメンバーも、レースが終わって二人の元へ集ってきた観客達も全員が頭に疑問符を浮かべて(かし)げるような思いである。

 

 フリートの歯は鮫のような――と言ってしまうと過剰表現ではあるけれど、しかしそれでも尖ったギザ歯であることは間違いないのだ。フリートが密かに若干コンプレックスを感じているその歯で力強く噛んでしまっては間違いなく指に()()()()()最低でも流血は免れないだろう。

 

 いったいホワイトグリントは何を考えているのか。まさか、フリートに傷害事件を起こさせて立場を悪くさせよう、とでも? そんな遠回しで陰湿なことをするだろうか? そもそもこの状況でグリントが怪我をしようともそれをやれと命令したのはグリントであるからしてフリートに咎があるとは誰も思わないだろう。

 

「グ、グリント。どういうつもりなのか全くわからないが――それは駄目だ。私も昔、寝ぼけてご飯と間違えてタマモクロス(タマ)の手を噛んでしまったことがあるけど死ぬほど痛かったって、2日間一切口を聞いて貰えなくなった。それくらい噛まれるのは痛いんだ」

 

 白い稲妻(タマモクロス)のことが気の毒になりそうな体験談を交えながらオグリキャップがその奇行を止めようとする、しかし、すっ…とグリントはオグリを(さえぎ)るように左手を差し出して拒絶の意を見せる。

 

「痛いのはわかってます、()()()()()――なんでも言うことを聞くって約束しましたよね……絶対に守って貰います。もしここで噛んで貰えなかったとしても――後で、誰も止めない場所で()()()()()()()()()()

 

 普段寡黙気味な彼女が似つかわしくないほどそう果敢に捲し立てる。このお願いからは逃げられない――誰がなんと言おうと誰がなんと止めようと絶対に噛ませる(・・・・)という確固とした意志がそこにはあった。

 

「いや、しかしだな……」

 

 敗者にはデメリットがなく、そして勝者にはデメリットしかないまるであべこべなその願い。しかもここで無理やり取りやめてもあとで自分達の見知らぬ場所で実行すると宣言されては、オグリや北原達も何も言えなくなってしまう。

 

 ちらり、とフリートはこのレースに備えてベルノライトが持参していた救急箱を見る。ここで噛まなかったのなら、誰も止めない場所で噛むことになる――どっちにしろ逃げられないのなら、すぐに手当をして貰えるこの場所で噛んでしまった方が――そう思案しフリートは言う。

 

「……本当に、いいんだな(ほんふぉふふ、いふぃんばば)

 

 口に指を突っ込まれている為にまるで聞き取れない日本語ではあったが、その意を汲んでグリントはこくりと頷く。

 

 ならば、もう噛むしかないじゃないか。勝者はグリントで敗者はフリート。その間になんでも一つお願いを聞くという契約があるのならば、意味がわからない願いであろうともフリートにはそれを行う義務があるのだから。

 

「――いくぞ(いふふぉ)

 

 意を決したようにフリートは大口を開けて――。

 

「まっ! 待ってフリート……!」

 

 オグリが止めようとするもそれは止まらず、()()()とフリートの口が閉ざされた。

 

「ひっ!」

 

 フリートの口が閉ざされた瞬間、()()()と大きく震えたグリントの姿を見た目撃者から小さな悲鳴が上がる。

 

 フリートは望み通り思いっきりその指を噛んだ。とはいえ噛みちぎる程の力を込めたわけでもなく、加減はしたが――しかし自分のギザ歯がグリントの指に食い込んだ瞬間に、口内から全身へ伝播していく他人の肉体を傷つけたという罪悪感が、そして他人の肉を噛むという生理的嫌悪感がフリートを包み込む。

 

(――()()()()()……)

 

 フリートは比較的粗暴なウマ娘ではある。しかしそれはその己の弱い心を虚勢で覆って誤魔化しているだけで、別に他人を傷つけることが平気へっちゃらな乱暴者というわけではないのだ。喧嘩くらいはしたことはあるけれど、他人に血を流させたことなど一度もないし、むしろ相手が自分のせいで怪我しようものなら数日は凹むだろう。

 

 歯が食い込んだ先から自分の舌に滴っていくぬめりとして生温かい()()()を感じて吐きそうになりながら、フリートは思う。()()()()()()()()? つまり色々とやらかしてしまったフリートの罰則(おしおき)のつもりで、このような行為をさせたのでは――。

 

 グリントの顔を見れば、どこか呆けたような顔をして、その両方の瞳から涙を零している。泣いてる――そりゃ歯が指に食い込むほど噛まれれば誰だって泣くほど痛いに決まっているのだ。

 

 ぐちゅり、と湿り気のある音を立ててグリントは指をゆっくり抜く。唾液と血が混ざりあった粘り気のある液体が糸を引き、ドクドクと鮮血が滴る四本の指。

 

「うああああ!? 何やってるの本当に――!」

 

 青い顔をしてすぐさま手当をする為にオグリや北原、救急箱を持ったベルノライトが一目散にグリントに駆け寄った。すぐさま消毒液や包帯を取り出して、テキパキと治療が行われていく。

 

「あ、うぁ……そ、その……グリント……」

 

 彼女のお願い通りに実行したとはいえ、目の前の美しい白いウマ娘の柔肌を自分が傷つけてしまったことにぐわんぐわんと景色が歪みそうになるほどの罪悪感がフリートの脳内を駆け巡る。

 

「……痛い。痛いな……でもね、フリートさん。私――これだけはわかって欲しかったんですよ」

 

 治療を受けながらグリントは、まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を浮かべて、静かに告げた。

 

 

 

 

「あなたが私のおじいちゃんのことを馬鹿にした時――私は、こんな怪我よりもずっとずっと……もっと、痛かったんだって」

 

 

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、フリートは――いや、フリートだけでなくジョーンズの部室で彼女達のやり取りを知っていた者達すべてがやっと彼女の行動の意図を理解する。

 

()()()()()()()()()()()――!)

 

 彼女はずっと、()()()()()()()()

 

『祖父がトレーナーなんて随分エリートの家系で羨ましいね――と思ったが、そんな名前聞いたことねえな。お前のじいちゃん、大したことなかったんじゃねえの?』

 

 フリートが虚勢を張ってイキがったゆえに、関係のない彼女の祖父にまで悪口を言ってしまったあの一言。彼女にとってその一言がどれだけ痛くて辛かったのだろう。

 

 目に見える外傷なんかより、言葉のナイフで傷つけられた心の方がもっともっと痛かったのだと()()()()()()()()()()()()――グリントは自分の手を噛ませて見せたのだ。

 

 器用なレースをする癖に、なんて――()()()()()()()()()()

 

 きっとその一言を言われた瞬間、そんなことない! おじいちゃんは凄い! そう叫んでしまいそうになる程の怒りがきっとあって、殴ったり蹴ったり思わず手を出してしまいたくなる程の悲しみがきっとあって――。

 

 だけどこの目の前の白いウマ娘は、そんなことをすることが出来ない程に優しい子なのだろう。

 

 ()()()()()という手段でしかその思いを伝える(すべ)を持たない程に――誰かを傷つけることができないんだ。

 

(――いつから、いつから私は忘れてた)

 

 『芦毛は走らない』という言葉のナイフで――走れなくなるくらい()()()()()()()()()()()()()()()()()はずなのに。自分だって同じはずだったのに。言葉の重みと鋭さを心から自覚していたはずなのに。

 

 そんな私が、どうして――他人の気持ちを考えてやれなくなってしまったんだ。

 

 ――自分よりも何歳も年下なのに、ホワイトグリントには本当に――レースに大切なことを、そしてウマ娘として大切なことを教えられる。

 

()()()()()()

 

 ライジングフリートは、そう言って深々と頭を下げる、それは心からの謝罪だった。

 

「お前のじいちゃんは、本当に凄いトレーナーだ――ホワイトグリントって白毛のとんでもないウマ娘を育てあげてみせたんだから」

 

 それだけ告げてフリートが顔を上げれば、そこに広がっていた光景は――ならばよし、と言わぬばかりに左手でサムズアップを決める――。

 

 

 

 誰よりも不器用で、そして優しい笑顔の白毛のウマ娘の姿だった。

 

 

 

 ■■■

 

 

 実は密かに、フリートさんとジョーンズの部室で対面するずっと前から、ライジングフリートというウマ娘を知った時から心の中で思っていることが一つだけあった。

 

 あの素敵なギザ歯で噛まれてみたい――!

 

 というギザ歯をみたら世の中で誰もがきっと一度は思うであろう根源的欲求! そんな願いを叶える機会(チャンス)が残り長い人生とは言えどもいったい何回あるというのだろうか?

 

 この機だけは、絶対に――絶対に逃したくない。トリプルティアラと同じくらいそれは大切なことだから――!

 

 というわけで、私が勝ったら何でも言うことを一つ聞くという条件を出したわけであるが――しかし本当にうまい具合にレースが進んだなぁ。長距離レースによるスタミナ切れ狙いの後の我慢合戦しか私には勝ち目がほとんどなかっただけに、結構な綱渡りだった。

 

 もしもフリートさんが100バ身差つけようとせずにスタミナを温存して4000mきっちり完走するくらいのペースで走られたら、まず間違いなく()()()()()()を切らなきゃどうにもならない。現状そのどちらもまだまだ未完成なだけに使いたくなかったからね。

 

 いやぁ本当に私の唯一の友には感謝だな。なにせ私と唯一の友では実力差が大きすぎて、こういうハンデ戦は何十回も何百回もしたものだからレースに応用できそうな経験はいくらでもあった。あの子、マジで負けず嫌いだからあの手この手で勝とうとするからなぁ。まあでもいずれ私の唯一の友はきっととてつもない偉業を成すようなウマ娘になると思う間違いなく。

 

 ちなみになぜここまで私と友の差があるかというと向こうはまだ小学校低学年(ロリ)だからである。いやもう今年から三年生に上がったから中学年か。

 

 まあそれは置いておいて、さあドキドキワクワクの夢を叶えるときだ――! 勿論客観的に見たらただの変態行為なこのお願いではあるが、大丈夫。どうにか誤魔化す方法はばっちり考えてあるからね。

 

「少し、口をあけて貰えますか」

 

「……?」

 

 無警戒に言われた通り口を開くフリートさん。その口からきらりと鈍い光を放つギザ歯達。はぁん、とあまりの素敵な光景に嬌声を上げてしまう。私にとってこの素晴らしい口内の中は夢の国に等しい楽園に見えて仕方ない。

 

 すかさず、ズボッと私は右手の指を入れる。ぬるりとした感触と温かい体温が私の指を包み込む。うわぁ……フリートさんの中、すごくあったかいよぅ……。

 

「それではお願いを聞いて貰いますね――そのまま、思いっきり――その素敵なギザ歯で――私の手を噛んでください」

 

 ――何言ってんだこいつ!? とあからさまに混乱した様子でそう目で訴えかけてくるフリートさん。まあそれは仕方ない、誰でもいきなりこんなことを言われればびっくりするだろう。

 

「グ、グリント。どういうつもりなのか全くわからないが――それは駄目だ。私も昔、寝ぼけてご飯と間違えてタマモクロス(タマ)の手を噛んでしまったことがあるけど死ぬほど痛かったって、2日間一切口を聞いて貰えなくなった。それくらい噛まれるのは痛いんだ」

 

 そう言ってオグリさんが止めようとしてくるが私は左手で遮って、ここで噛んでくれなかったら邪魔が入らないとこで噛んでもらうよ? と伝えて、止めても無駄だということをアピール。

 

 というか何だその羨ましいエピソード。オグリさんと同室だったら噛んで貰えるの? 私ならいくらでも噛んで貰っても構わないのに。 

 

「……ほんふぉふふ、いふぃんばば」

 

 まるで何を言っているのかわからないけれど、しかし多分本当に噛んでいいんだな的なニュアンスだと思われるので私はコクリと頷いた。

 

「――いくぞ(いふふぉ)

 

 はい、来てくださいフリートさん――! ゆっくり大口が開いていく光景は今にも遊園地の絶叫マシンがスタートするようなワクワク感。ああ、速く、速く、速く噛んで――誰かに噛まれる痛みとはいったいどれくらい気持ちいいのだろう。今まで他人はおろか動物にだって噛まれたことなんてないし、まさに夢の初体験だ。

 

「まっ! 待ってフリート……!」

 

 オグリさんが止めようとするも、それは叶わず――。

 

 ()()()()、という肉に歯が突き刺さる感触が手を貫いた。

 

 

 

 ――え?

 

 

 

 気持ちいい(いたい)。それは間違いない。びくんと大きく身体が震える程で、私が人生で今まで味わって来た痛みの中でも上位に来るくらい。さながら年代物で高級なワインをテイスティングするような甘くて濃厚な気持ちよさだ。ワイン飲んだことないけど。

 

 ――しかし、それは私の想像していた痛みと違っていて……いや、違っていたというより――なんだろう、なんなんだこの感覚は。

 

 私の(ソウル)が叫んでいた。私が、私の魂が求めているのは()()()()()()()であると。

 

 そして同時に――だけど、欲しいものは()()()()()()

 

 この嚙み方じゃない(このウマじゃない)

 

 ぽたり、と知らない内に私は涙を流していた。まだ12年しか生きていない私の脳裏に溢れ返るこの私の()()()()()()()()()()()。あまりの懐かしさとこの痛みは違う、違うんだという悲しい魂の叫びが全身に溢れかえってくる。

 

 なんなのこれ。

 

 こんなにも気持ちいいのに――()()()()()()()()()()()。 

 

「うああああ!? 何やってるの本当に――!」

 

 はっ、と別次元(どこか)へトリップしていた意識がベルノライトさんの悲鳴で現実に戻される。今のはいったい、なんだったのだろう?

 

 知らないうちに私は指をフリートさんの口から引き抜いていて、ドクドクと指から血を流していた。さながらハイテンションのロックンロールみたいなビートを刻むこの痛みの気持ちよさが、瞬時に私の顔を笑顔にしようと強制していく――。

 

 あっやっべ! やばいやばいやばい!

 

 ここで普通に笑うのはまずいのだ! ここでただ笑顔になってしまっては普通に変なウマ娘(やべぇ奴)だ! だから私はレース中のように必死に笑顔を我慢する――! できてるかな!? できてるかなぁ――! 

 

「……痛い。痛いな……でもね、フリートさん。私――これだけはわかって欲しかったんですよ」

 

 そしてそんな絶頂を我慢しながら、私は事前に用意していたセリフを口からひねり出す。

 

「あなたが私のおじいちゃんのことを馬鹿にした時――私は、こんな怪我よりもずっとずっと……もっと、痛かったんだって」

 

 つまりそういうことだった。何度も愛するおじいちゃんをダシにして申し訳ないが、しかしおじいちゃんのことは謝って欲しい故の誤魔化し方(さくせん)である。

 

 これはとある芸能界で活躍するウマ娘のドMエピソードを参考にしたものだ。そのウマ娘は今ではソロで活躍しているが昔はとあるグループに所属していたのだけれどやりたいことの方向性がどうにもならないくらいに違ってしまって、グループへ「私は今のこのグループでやっていくのはこれくらい嫌なんだよ!」と激情のあまり自分のフサフサの尻尾の毛を引きちぎって叩きつけて訴えたそうな。

 

 つまり自分の意をわかりやすく示す為に自傷を行ってみせたのだ。

 

 自らを傷つけるほど私はこんなにも怒ってるんだ! ということを見せてみればだいたいの人が納得するだろう。そうか! ホワイトグリントはおじいちゃんを貶されて、その怒りを示す為に噛まれてみせたんだ! と思ってくれる()()()()()

 

 私はフリートさんに噛まれて気持ちいいし、フリートさんはそこまですればおじいちゃんを馬鹿にしたことを訂正してくれるであろうという二段構えの一石二鳥!

 

 さあ、どうなる!? とフリートさんを見つめれば――。

 

「ごめんなさい」

 

 と頭を下げてくれていた。

 

「お前のじいちゃんは、本当に凄いトレーナーだ――ホワイトグリントって白毛のとんでもないウマ娘を育てあげてみせたんだから」

 

 ――許す、許すよフリートさん。

 

 一緒に4000mのレースを走った私にはわかる。フリートさんは口が悪いだけで決して悪いウマ娘じゃない。いや口が悪いのは間違いなく改善すべき悪癖ではあると思うけど。

 

 ベルノライトさんが消毒液で私の傷を拭いたことによってさらなる気持ちよさが発生してしまい、笑顔が我慢しきれなかったがもういいだろう。

 

 私はグッ、と空いた左手でサムズアップをしてみせた。

 

 あれほど気持ちいいレースをしてくれて、なんだか不思議な感覚にはなったけど、こんなにも気持ちいい嚙み傷をくれたウマ娘を――そして何よりも私と同じオグリさんを嫉妬で暴走しちゃうくらい大好きなウマ娘を――嫌いになれないよ。

 

 私は推しの同担歓迎(OK)だから――!

 

 

 ■■■

 

 

 はたしてどうなるかと思われた重賞ウマ娘ライジングフリートと新入生ホワイトグリントのマッチレースは、衝撃的な大番狂わせ(ジャイアントキリング)で幕を閉じた。

 

 二人のウマ娘のレースの前の不満や怒りが募った隔たりさえもすっかり解消されて、最後に流血騒ぎが起こってしまったが、しかしそれを含めてまさしく大団円といったハッピーエンドである。

 

 グリントの指の手当が終わってワイワイと一息ついたあと、北原は改めてホワイトグリントの前へ向き合っていた。

 

「レースの途中、俺は君よりもフリートを優先した――それに思うところもあると思う」

 

「いえ……オグリさんに誘われただけで、私はただの部外者です……あそこで部外者を優先して自分の担当を応援しないトレーナーなんて……そんなトレーナーを……私はトレーナーだと思いたくありません」

 

 そうか、と北原はハンチング帽を丁寧に被り直し、グリントの両手を握りながら、真っ直ぐにキラキラとした優しい目を輝かせながら声をあげる。

 

「改めて言わせて貰う! 俺は北原穣! 俺と一緒に天下を取らないか!? 君ならクラシック三冠だろうがトリプルティアラだろうが夢じゃねぇ! 絶対に後悔させねぇ! だから――俺のチームで! 一緒にやろう!」

 

 もういい歳だというのに、まるで宝物を見つけた少年(こども)のように興奮しながら北原は叫ぶ。しかしいつまでも情熱を失わない男、それが北原穣の良さでもある。

 

 オグリも、ベルノも、フリートさえもその光景を見て笑顔を浮かべ――レースが終わったというのに未だ解散していない見学者達も尊いものを見るかのように眺めていた。

 

「――チームジョーンズは、本当にいいチームだと思います……トレーナーさんは情熱的で……サブトレのベルノさんはサポートに必要なことが的確になんでもできて……フリートさんは口は悪いけど速くて強いウマ娘で……口は悪いけど……そして何より尊敬するオグリさんがいる……オグリさんもトレーナーさんも、私なんかを誘ってくれて、本当に嬉しいです――()()()

 

 グリントは優しく北原の手を振り払い、心底申し訳無さそうにしながらターフに座って――。

 

「ごめんなさい」

 

 すっ、と頭を地面につけて土下座した。

 

 やっぱり私――北原さんのようなとっても優しい目をしたトレーナーさんより――もっと冷たい(クール)な目をしたトレーナーさん(ドS)がいいから――!

 

 という声に出せない思いを胸に秘めて。

 

 

 

 第一章『登場!白い毛色のウマ娘』 完

 

 第二章『ギャンブル・トレーナー』へ続く――。




ネタバレ
スペシャルウィーク(馬)は種付けの時に牝馬の(たてがみ)がボロボロになるくらい首を激しく噛む癖があった。

 一年ものエタ期間を経てやっと第一章の完結をすることができました。復帰した時に祝ってくれた方や待っていたくれた方、新しく読み始めてくれた方、いつも誤字脱字の修正をしてくださる方などの読者さんは本当にありがとうございます。
 これからも投稿に時間がかかる時はあるかも知れませんがなんとか続けていこうと思いますので何卒長い目でみて、そしてこの話を楽しんでいただけたら幸いです。
 あともしよかったら高評価や気軽に感想やここすきなどを投げて頂いたらとても励みになります!

 どうかこれからもよろしくお願いします!


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番外編『【三冠牝馬】ホワイトグリントを語るスレ』

次章に入る前に番外編として馬の方のホワイトグリントのことを掲示板形式でお送りします。


225:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

【朗報】竹優、かつての最強のライバルホワイトグリント号の元へ訪れ無事二足歩行で歓迎される

https://www.mytube.com/watch?v=14864894864……

 

226:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

 

227:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

>>225

芝生える

 

228:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

>>225

竹さん歓迎されてるんじゃなくて威嚇されてるだろこれ

 

229:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

ホワグリが二足歩行でのそのそ竹のとこに歩いてくるまでは耐えられた

そのあと流れるように逆立ちに切り替えたとこで爆笑した

 

230:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

馬って二足歩行で歩けるんだ…

 

233:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

ゴルシも立って歩いたことあるしシンザンもジョッキー背中に乗せて歩いてたって話があるから足腰が強い馬は多分わりと出来る

 

234:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

竹さんガチでビビってて芝

 

235:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

馬とか四足歩行の動物が立ったりするのって自分の体を大きく見せて威圧してるんじゃなかったっけ

 

236:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

なんで竹優グリコにこんなに嫌われてるんや

 

237:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

逆立ちはikzeの前でドリームジャーニーがやってたけど逆立ちしながら歩いてる馬初めて見た

 

238:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

>>236

何故か競馬関係者で竹だけ異常にホワグリから嫌われてるらしいんだよな…

普段ずっと真顔だけどすげー温厚なのに

 

240:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

女の嫉妬なのでは?グリントはスペシャルウィーク大好きだから

 

241:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

つーか竹さん若いな…画質も古いしいつの動画なんだこれ?

 

242:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

>>237

逆立ちしながら歩けるのはさすがのバランス感覚だわ

現役の時からずっとバランスと体幹の良さは言われてたもんな

 

243:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

>>241

まーた白雪姫ホワイトグリントのイメージ戦略で闇に葬られた動画が発掘されてしまったのか

 

244:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

繁殖引退してから実はドMのマゾ馬だったって衝撃の真実が明かされて情報解禁OKになってからグリントの変な動画がどんどん出てくる…

 

 ︙

 ︙

 ︙

 

268:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

ウマ娘でのホワイトグリントのキャラ設定頭おかしすぎて芝

 

269:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

史上最も美しく最も速い三冠牝馬と言われた競走馬の擬人化の姿か?これが…

 

270:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

キャラデザはかなりいい方だろ!?

 

271:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

デカパイ感謝

 

272:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

行動原理のすべてが絶対的なマゾヒズムの上に成り立つ白毛のウマ娘とか攻めすぎだろ

 

273:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

元の馬の要素抽出したらそうなるんだから仕方ないよなぁ

 

274:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

苦痛が快楽にしか感じないのは馬の方もそうだったらしいから…陣営が頑張って隠してたけど…

 

275:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

育成実装される日が楽しみすぎる

 

276:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

>>272

サポカのイベントで出てくる度に周りから勘違いされまくってるのは笑うわ

 

277:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

客観的にみたら栄光に溺れることなくどこまでもストイックにハードトレーニングを重ね続ける立派なウマ娘だもんな

なお中身

 

278:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

当時の競馬ファンがホワイトグリントの真の姿を全く知らなかった=勘違いされてるって解釈でひたすら勘違いされるキャラになったのかな?

 

279:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

実はドMで苦痛や困難が大好きだったとかどう気づけっつーんだよ!!!

 

280:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

何回故障してもトウカイテイオーみたいに不屈の精神で復活してきた姿に当時何百万人のファンが涙を流したと…

 

281:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

>>280

まあ本人…つーか本馬が怪我して苦しい思いどころかむしろ喜んでたのは逆にいいことなんじゃねえかな…

 

282:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

頑張ってたのは事実なんだからあの時の涙は無駄になったわけじゃないんだそう思うことが尊いんだ絆が深まるんだ

 

283:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

いくらドマゾでも偉業を成したのは努力の成果だからな

 

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318:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

ジャパンカップで展示馬として来てくれたパッパとマッマと再会するホワグリの動画何回みても良いよな…

https://www.mytube.com/watch?v=9684844……

 

319:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

脳破壊兵器持ち出してくるのやめろ

 

320:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

あぁ^~この脳細胞が一つずつ破壊されていく感覚がたまらねぇぜ

 

321:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

普段レースの時以外表情が変わらないグリントのこの甘えたような顔よ…

やっぱ親だって本能でわかるのかなぁこういうの

 

322:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

オグリはともかくマッマよくまたニュージーランドから連れてこれたよなこの時

 

323:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

JRAと馬主が協力して全部こっちで用意させて貰うからどうか来てくれ!って必死にお願いしたらOKでたんだよな

 

324:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

>>318

この時のジャパンカップはマジで死人でる寸前の大惨事でヤバすぎる

失神者出しすぎて府中の救急車じゃ足りないから東京中から出動したとか迷惑すぎて芝

 

325:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

スペシャルウィークとの大一番であの結果だもんな…神はいる そう思った

 

327:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

>>323

グリコブームで競馬界盛り上がってる最中だったとはいえバブル弾けて大変な時にようやってくれたわ本当に

 

328:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

かつて両親が世界を変えたジャパンカップでその子供と最大のライバルが再び世界を変えればそうもなろう

 

329:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

生でみて見たかったなぁこのジャパンカップ

もう少し速く生まれたかったよおおおお…

 

330:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

>>323

ヘイスティングズ震災のときのやりとりで馬主さんは日本に恩を感じてくれてたんだよなぁ

まああの時はまた日本が金に物を言わせて名馬を攫っていった!ってニュージーランドの競馬ファンからボロクソに言われたんだが

 

331:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

ちゃんとマッマは約束通り数年でニュージーに返したし…

 

332:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

オグリ関連の話はこの世はオグリキャップを主役にしたフィクション世界だって言われても納得できるくらい何もかもが奇跡的すぎる

 

 ︙

 ︙

 ︙

 

 

428:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

漫画のゴールデンプリンセスに出てきたライジングフリートってあれオリキャラ?

 

429:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

オリキャラ

 

430:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

アンカツのお手馬だったライデンリーダー+マックスフリート+レジェンドハンターを足して3で割ったキャラだとは考察されてる

 

431:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

ほーんリアルには居なかったのね

 

432:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

ライジングフリートは居ないけどこのエピソードの元ネタはあるんじゃなかったっけ

 

433:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

グリントがトレセン入った時に同じ厩舎の馬と訓練中ちょっと目を離したら勝手に併走が始まってて先輩馬を根性負けさせたって話かな

優駿かなんかのコラムで調教師が語ってたと思う

 

434:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

そのあと足噛まれたんだよなグリコ

 

435:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

噛まれたの!?

 

436:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

>>434

 

437:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

なんか併走が終わったあとグリントがグイグイしつこく突っかかって来るから苛ついて噛んじゃったらしい

 

438:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

メスガキが…噛むぞ…

 

439:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

そのあとうっきうきでグリコが先輩に絡むようになったって話は笑うわ

 

440:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

噛まれたり喧嘩したら普通仲悪くなるんじゃ…

 

441:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

ドMかな?

 

442:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

ドMだろ

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 ︙

 ︙

 

 

507:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

ホワイトグリントの夫と言えば!

 

508:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

スペシャルウィーク!

 

509:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

エルコンドルパサー!

 

510:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

スペシャルウィーク!

 

511:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

グラスワンダー!

 

512:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

セ…セイウンスカイ…

 

513:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

キングヘイロー!

 

514:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

スペシャルウィーク!

 

515:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

>>512

もっと自信もって声だせや!!!

 

516:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

スペシャルウィークステイステイ

 

517:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

スペちゃん多いよ!

 

518:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

なんでウンスみたいな血統的に魅力ない上に子出しも悪いダメダメちんちんグリコみたいな超のつく名牝に付けれたんだろうな…

 

519:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

お前それグリントの両親の前でも同じこと言えんの?

 

520:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

オグリは特別だろ…

 

521:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

馬主が黄金世代に脳を焼かれていたという説が有力です

 

522:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

血統的に日本の種牡馬のほぼ誰でも付けれるのも強いよなぁ

 

523:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

ウンスとグリントの子はちゃんと重賞取っただろうが!!!

初のセイウンスカイ産駒重賞制覇なんですよ!!!!

 

524:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

怒らないで聞いてくださいね

グリント産駒重賞勝ち上がり率100%じゃないですか

 

525:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

グリコはポニーが種付けしたってG1ホース産めるだろあいつ

 

526:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

>>524

何度聞いても重賞勝ち上がり100%は頭おかしすぎて芝

 

527:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

おかしいのは頭じゃなくてグリコの肚なんだよなぁ…

 

530:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

11年毎年きちんと受胎して毎年元気な仔産んで毎年重賞取らせる名牝の鏡

 

531:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

今年もホワイトグリント産駒の兄弟喧嘩の季節がやって参りましたってアカシマアナの実況すき

 

532:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

ビャクウン格好いいよビャクウン

 

533:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

最強はウィンターウィークなんだよなぁ

 

534:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

喧嘩しかならない最強議論やめろや!

 

535:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

黄金世代産駒だけじゃなくて他の種牡馬の子でも強かった子いる!

 

536:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

まあこういう時は獲得賞金で黙らせればいいから

 

537:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

>>536

中東不敗の名前出すのやめろ

 

538:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

中東不敗マスターアラブは禁止カードだから駄目

 

539:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

ドバイワールドカップ三連覇は卑怯過ぎるからやめやめろ!

 

540:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

あいつ日本じゃ全然勝てないのになんでドバイだと無敵になるんだろうな…グリコのお腹はどうなってんだ…

 

 ︙

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 ︙

 

618:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

今度グリントの馬主さんがグリントの写真集に今まで明かされなかったグリントのエピソードと関係者のインタビュー付けて発売するらしい

 

619:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

マジかこれでグリコの写真集何冊目よ

 

620:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

5冊目?

 

621:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

うわぁ秘密のエピソード付きとかまた商売がうまい…悔しいっ買っちゃうビクンビクン

 

622:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

先代馬主のグリントの動物虐待疑惑とかの話もついに明かされるのか!?

 

623:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

主戦の生の話聞きて~ 自伝は出してたけどあれも大分検閲入っててグリントの部分は当たり障りのない内容になってたからな

 

624:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

当時の事は実はこうだったって話は結構明かされてるけどまだまだいくらでもあるだろうしなー

 

625:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

欲しいわこれ

 

626:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

三冠達成したあとの謎の空白期の謎を知りたい

 

627:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

いやぁしかしグリントは引退してもまだまだファンを楽しませてくれるな…

 

628:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

ここまで逸話はともかく秘話が多すぎる馬なんていねえよ!

 

629:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

一生をかけて全身全霊でファンを笑顔にさせる競走馬の鏡

 

630:競馬で有り金全部溶かした名無しの顔

笑顔にさせるベクトルがおかしいんだよなぁ…

 



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二章 ギャンブル・トレーナー
十四話『ホワイトグリントの慌ただしい日常』


 

「君は未来のスターウマ娘だ! 俺なら君という一番星を一際(ひときわ)輝かせることができる! 是非俺のチームへ来てくれないか!?」

 

 うーん、違うなぁ……お誘いは嬉しいですがごめんなさい。

 

「あなたなら日本初の……いえ! 世界初の白毛のG1ウマ娘になれるわ! 誰も見たことがない未到の景色(シンデレラストーリー)を私にプロデュースさせて欲しいの!」

 

 この人もなんかこう、違う……そのお言葉だけありがたく頂きます。

 

「僕はトレセン学園(ここ)に来る前はイギリスへ留学していてね。まだまだ日本は設備も技術も意識も多くの物に根本的な差があると世界を見て実感したんだ。僕はそんな日本を強く、気高く変えたい! 君ならその偉大な一歩目を共に歩むウマ娘に相応しい! 僕と一緒に日本を変えよう!」

 

 夢が……夢が壮大すぎるっ! いや、私もトリプルティアラウマ娘になるんだってでっかい夢はありますけれども、さすがに一緒にやっていくにはちょーっと意識が高すぎるかなー……って……。

 

「凄いマッチレースだったなぁ……楽しそうに走る子だったなぁ……帰ろ」

 

 論外。

 

 

 

 ――はてさて、あのライジングフリートさんとのマッチレースから早くも一週間ほど経ちまして、私を取り巻く環境は劇的に慌ただしくなっていた。大きな変化点は二つあり、その一つが上記のように学園のトレーナーさん達からひっきりなしに熱心なスカウトをかけられるようになったことだろう。

 

 曰く、入学したばかりなのに4000mのマッチレースを完走した上に相手の重賞ウマ娘を追い抜いて先着した白毛のウマ娘がいるらしいぞ。しかもその場で土下座してチーム入りを断ったって――という噂が小波を飲み込みながら巨大化していく津波のように、背びれ尾びれがついて学園中に広まりまくった結果であった。

 

 いや勿論私がフリートさんに勝ったことは紛う事のない事実だしそれ自体は私も誇らしいことではあるけれど、あくまでハンディキャップを最大限活用しての戦略勝ち――強いて言えば私が勝ったというよりはほとんど相手の自爆負けに等しい勝利だ。現状ではまともに走ったら100回レースしても100回負けて100回チームジョーンズから追い出され100回脳が破壊(ゾクゾク)することだろう。

 

 それなのに重賞ウマ娘(フリートさん)に勝った勝ったと祭り上げられるのは私としても不本意なんだけど。

 

 まあ私は自分の性格に関してはかなり卑屈気味ではあるけれど、だからと言っておじいちゃんに鍛えて貰ったこの身体と走りが同年代のウマ娘と比べて一回り飛び抜けているのはちゃんと自覚している。でなきゃトリプルティアラを獲るなんて夢みれないしね。

 

 だからトレーナーさん達が今のうちに素質のあるウマ娘を青田買いをしておこう、という気持ちになるのはトレーナーさん側の立場から考えれば想像に容易いし、普通なら選抜レースに出走して結果を出し、実力をアピールし、その果てにようやくスカウトされるという険しい道程(みちのり)を経なければトレーナーに担当なんてされない。にも関わらずトレーナーさん側からあちらこちらと誘って頂けるこの現状は恵まれているなんてレベルじゃないほどラッキーなことであることもわかる。

 

 しかしだ。しかし――。

 

 いないんだよ! 私の求める冷たい目つきをしたサディスティックなトレーナーさんが! 一人も!

 

 どうなってんだトレセン学園は。なんで私の元にこんなにも沢山のトレーナーさんが来てくれたのに一人もSっ気(オーラ)を纏った人がいないんだ。みんな如何(いか)にも僕達私達はウマ娘が大好きだから絶対に大切にしてみせる! という優しい目をして温かい光を纏った人達ばかりじゃないか。

 

 トレセン学園、濃い人はいてもまともなトレーナーしかいねぇ……! これが中央……!

 

「日本ウマ娘の未来は安泰だな……」

 

 そんなことをボヤきながら私は喧騒を逃れる為に学園のあまり人気のない中庭に設置されたベンチに腰掛けて、オヤツの青唐辛子をポリポリと(かじ)る。はーやっぱりオヤツは生で食べる青唐辛子に限りますなぁ。この適度な痛味(いたあじ)が落ち着くというか、(ソウル)に響く故郷の味というか……ずっと昔からなんか好きなんだよね青唐辛子。

 

 ふと、懐のオヤツ袋から追加で取り出そうとした折に目に入ったのはまだ生新しいカサブタが目立つ自分の指。ベルノさんのお医者さん顔負けの治療のお陰で化膿などもしないでバッチリ回復に向かうその噛み傷をじっと見つめてつくづく思う。

 

 ――本当に痛気持ちよかったなぁ、この噛み傷……。

 

 あの時はよくわからない寂しさや悲しさで胸がいっぱいになってしまって十全に痛みだけを感じることはできなかったのが勿体ない。とっても気持ちよかったはずなのに、何かが違う、これじゃないって気分になって――。

 

 ……嚙まれ方や、噛んでくれる人に何か違いがあったのか?

 

 生まれて初めて知ったこの刺激(いたみ)。そして生まれて初めて気づいた私が真に求めていたのはこれなのだと思わされたこの快感(いたみ)

 

 そう、噛まれることこそがまさに運命的な私のマゾ欲求で――。

 

「……もしかして」

 

 これが運命というのなら、私を噛んで完璧な気持ちよさをくれる相手こそが()()()()()()()……ってコト!? わぁ……ぁ……そんなもんどう探せと!? 見つけられるわけないでしょ!

 

 フリートさんに噛んで貰えたのはそれこそ一生に一度あるかないかの『勝ったら何でも言うことを聞く』って再現性のないシチュエーションがあってこその結果でどうにか誤魔化す算段があったから出来たこと。

 

 そんな特殊な状況でもなければ噛んで貰うには単純(シンプル)に次々と代わる代わる私を噛んでください! 一嚙み! 一嚙みだけでいいですから! と土下座でもしてお願いするしかない。これじゃあまるで私が変態みたいじゃん。

 

 シンデレラが落としていったガラスの靴から持ち主を探そうとした王子様より、私が運命の相手に出会う方が遥かに難易度高いな?

 

 まあ愛だ恋だ運命だなんてものはトゥインクルシリーズを走り切ってから考えるとして、だ。

 

 現状の早急に解決しなければならない問題はトレーナーさん探しである。

 

 通常日本で一番のウマ娘教育施設であるトレセン学園であっても入学してから一年近くは中学生としての義務教育とレースの勉強や基礎訓練をみっちりやって本格化に備える。入学から一週間とちょっとしか経過しておらずまだ本格化の兆しも見られない私のようなウマ娘がトレーナー探しを考えるには早すぎるのは確かなのだが、こうも日常的にスカウトされてお話を聞かないといけないとなるとプライベートな時間が無くなる。

 

 つまり気持ちいいこと(ハードトレーニング)ができない! トレセンの豪華な施設を使って沢山痛気持ちいいことをするって夢を叶えにここに来たのに全然叶ってない!

 

 そもそもオグリさんが早々と自分のチームへ入って欲しい、とジョーンズへ招待してくれたのは身体を壊しかねないハードトレーニングをするのならちゃんとしたトレーナーさん監修の元でやるべき、という思いやりからである。私も身体を壊すくらいのトレーニングをしたいのは山々だがトリプルティアラを取る前に壊れて走れなくなるのは困るし確かに正論だ。

 

 それに施設を利用するにはトレーナーさんや教官さん*1、施設の管理人さんなどの許可を得なければ使えないのがまた一手間かかってネックになる。まー勝手に施設利用して怪我でもされたら目も当てられないのだからしっかりしてるなぁと個人的には思うけど。

 

 あっ、ちなみに土下座してジョーンズへの加入を断った後は結構一悶着あった。北原さんとベルノさんは「考えなおして」と両手で顔を覆ったりターフに横になってメソメソ泣いてしまって、フリートさんは「私か!? 私のせいか!?」と私を噛んで貰った時より顔を青くして吐きそうになっていたし、オグリさんに至っては反応がなくてあれ? と思っていたらその場で立ったまま気絶していた。

 

 さらにジョーンズに入らないならうちへ! いや俺のチームに! とたまたまレースを見ていたトレーナーさんから詰め寄られるし今度は私と走ろう! 私も一緒に! とウマ娘からはわちゃわちゃと併走に誘われるし何故かいつの間にかレース場にいたミークさんはその後ろで仁王立ちしてうんうん、と後方同室白毛面をしていたりとまさしくカオスの権化。

 

 いや本当に申し訳なかった……! 何一つ気持ちよくなれない心の痛さがやばかった!

 

 どうにかジョーンズの皆様には、優しさと頼もしさを合わせ持った方々が集まっていてジョーンズは本当にいいチームだけれど、ここまでいいチームだと精神的に甘えてしまいそうになるのが目に見えている、申し訳ないがもっとストイックに出来るチームの元でトレーニングに励みたい、という理由で納得して貰い、併走に誘ってくれたウマ娘とは学園生活が落ち着いたらその時は是非ご一緒にと落ち着かせて、他のトレーナーさんはあとで一人ずつお話を伺ってその時考えさせて貰うということでなんとか事なきを得て今に至る……。

 

 特に意識を取り戻したオグリさんの説得は本当に大変だった。私のことが嫌いなのか……? と、ウルウルと涙目になるのはあんなもん卑怯(チート)や! 何度コロっとやっぱりジョーンズに入るの辞めるの辞めます! と言いそうになってしまったことか。タマモクロスさんが取り成してくれなかったらどうなっていたことだろう。ありがとうタマモクロスさん――好き。まあ他にぐっと来るトレーナーさんが居なければやっぱりジョーンズに入って欲しいし、他のチームに所属してもこっちへ遊びに来て欲しいと言われてしまったが。ありがたい話である……オグリさんにチーム入りの話を蹴るという大失礼を重ねても私をこんなにも思ってくれるなんて――やはりオグリさんは優しさの化身だな……。

 

 ちなみに私の環境の変化点その二があれ以来、クラスメイトを含めた同級生のウマ娘達がやたらと私を構おうとしてくることである。私なんかに構ってくれるのは嬉しいけれど、元来のぼっち気質のコミュ障には辛いものがあってね……寡黙なミークさんと一緒にいるくらいがホント丁度いいんだけど……手紙でやり取りをする、という小学生時代では不可能だった女の子らしいやり取りを出来ているのは素晴らしいのだが、特にセイウンスカイさんという芦毛のウマ娘と、キングヘイローさんというアメリカ生まれの鹿毛のウマ娘の二人はぐいぐい来るので嬉しい反面緊張してとても辛い……私の唯一の友とだけは、普通に接してても別に何の気疲れもしなかったのになぁ。

 

 はぁぁぁ……何も難しいことなんて考えずに、ひったすら痛気持ちいい(ハードトレーニング)してたいよ……。

 

「こんにちは、オヤツ休憩中にすまないね。それ、唐辛子かい?」

 

 ギョッ、と不意に投げかけられた言葉に思わず身体が一瞬跳ねる。はっと思考の海から意識を現実へ戻してみれば、そこに居たのはとても私好みの壮年のお爺様(ナイスミドル)であった。

 

「俺も昔は辛いものが好きだったけれど、こうも老体になると中々ね」

 

「……はぁ。あの、失礼ですがあなたは」

 

「おっと失礼。初めまして俺は大森稔(おおもりみのり)――トレーナーだよ」

 

 

 ■■■

 

 

 大森さんが声をかけてくれた要件は他のトレーナーさんと違わずスカウトの話だった。どうにも彼のチームのサブトレーナーさんが私のレースの動画を撮ってたらしく、それを見て大いに私を気に入ってくれたのだとか。

 

 俺のチームはこういう感じ、俺ならこういう風に君を育てる――と具体的なビジョンを恙なくPRしてくれたその内容はさすが年齢相応のベテラントレーナー、間違いなく凄腕なんだろうなとわずかな会話するだけで感じ入ってしまう程だ。

 

 しかし、やはりこの人も――()()。おじいちゃんよりちょっと若いけど皺の入ったいぶし銀と言った風体は間違いなく好みなんだけど、チーム方針の話からしてもやっぱり優しそうな人で、求めているトレーナーさんじゃないなーって……。

 

「ありがたい話ですが……ごめんなさい」

 

「そうか――いや、急な話で悪かったね。担当ができないのは残念だけれど、一介のトレーナーとして君のこれからの活躍を祈ってるよ」

 

「ありがとうございます――」

 

 深々と私は頭を下げる。自分の誘いを振った生意気なウマ娘相手にこんなにも優しい言葉を投げかけてくれる――これだけで大森さんが人としてどれだけ素晴らしい器を持ったお人なのかがにわかでもわかるというものだ。本当にごめんなさい!

 

「……最後に一つだけ。君はもしかして――()()()()()()なのかい?」

 

「っ――! はい! おじいちゃんを、ご存知なんですか?」

 

「そうか……懐かしいな、竜堂さんの孫がこんなに大きく……俺も歳を取ったわけだ」

 

 大森さんの口から出た意外な言葉に思わず食いついてしまう私。大森さん、おじいちゃんのことを知ってる人なのか! そうか、年齢的に昔のトレセン学園で一緒に仕事しててもおかしくないんだ!

 

「昔、竜堂さんの孫に白毛のウマ娘が生まれたという噂を耳にしたことがあってね。白毛のウマ娘はとても珍しいから、まさかとは思ったが」

 

「大森さんは、おじいちゃんとはどういうご関係だったんですか?」

 

「親しい間柄ではないよ。大昔のトレセン学園で一緒に働いていたというくらいさ。竜堂さんは……あまり孫の君の手前で言う事ではないかも知れないが、気難しくて、他人と壁を作るような人だったからね……」

 

 ああ、なんか凄いわかる。おじいちゃん私にはとっても優しかったけど、あんまりお父さんとかお母さんとさえもベタベタ親しくする人じゃなかったからなぁ。

 

「それにあの目つきがね……怖くてね……やくざ者さえ彼の前では背筋を伸ばすだろうともっぱらに言われていたよ」

 

 わかるー! でもあの目つきが本当に私は大大大好きでぇ……! もうトレーニング中にあの鋭い目つきで見つめられてたときはそれだけでゾクゾク興奮できたもん……!

 

「だから彼の詳しい話はできないんだ。ごめんね」

 

「いえ……おじいちゃんのことを知っていてくれる人がトレセン学園に居た。それだけで私は――嬉しいです」

 

「――君は竜堂さんのことが本当に好きなんだね。安心したよ、彼が学園を去っていく背中は、とても寂しく見えたから……君が生まれて、きっと竜堂さんは幸せだったんだろうね」

 

 ――う、ううぅ。マジで泣きそう。本当かなぁ、おじいちゃん私が生まれて、私と過ごせて幸せを感じてくれてたかなぁ……! 私はいつもいつも気持ちいいことも嬉しいことも楽しいことも貰うばっかりで、結局最後は色々あって今は離れ離れになっちゃって……会いたいよぅ……おじいちゃん……。

 

「しかしそういうことなら――老婆心に一つだけ、よかったら推薦させて貰えないかい」

 

「推薦……?」

 

「君と話して感じたことだが、君はおそらく――ストイックにトレーニングをさせて貰えるトレーナーを望んでいるんだろう?」

 

「……はい、その通りです」

 

「だったら()()だったら、うってつけかも知れないな」

 

「彼女――女性トレーナーさん、ですか?」

 

「ああ。前に所属していたチームから独立したばかりでまだ目立った活躍はないけれど、彼女はいずれ立派なトレーナーになると俺は思ってるんだ。ただ、少し()()()()()があるものだから、あまり彼女に担当をされたがるウマ娘が少なくて――」

 

 特殊な主義? それ故にウマ娘から避けられるほどの主義って何……?

 

「彼女は――自分の担当を決して()()()()()()ことを徹底している。そしてその独自の主義から付いたあだ名は――『()()()()()()()()()()()沙藤哲夜(さとうてつや)』。もしよかったら――彼女と話をしてみないかい?」

 

 ギャンブル・トレーナー沙藤哲夜――その名前を聞いた時、私は不思議と胸の奥が熱くなって――。

 

 ゾクゾクした。

 

 

*1
まだトレーナーと契約していないウマ娘たちの指導をまとめて行う自分の専属を持たないトレーナー。立場的には教師に近い。



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十五話『ホワイトグリントとギャンブル・トレーナー』

 

 当たり前だがウマ娘達が身体一つで鎬を削る競バはスポーツであって賭博(ギャンブル)ではない。

 

 しかしその絶大な人気故に()()()()()()()()()()()()()()()()以上、沙藤哲夜(さとうてつや)という一介の女性トレーナーはそう断言して(はば)からない――競バは“ウマ娘の未来を左右するギャンブル”であると。

 

 その思想の根底には“応援バ券”という存在が関与している。

 

 競バはレースの見学だけならレース場事に定められた入場料を払えば自由にできる。しかしレース後のウイニングライブは開催される場所がレース場の傍に併設されたライブ会場なので別個にライブチケットを購入しなければ見ることは叶わない。入場料もライブチケットも値段的には数百円とアイドルグループのコンサートやロックバンドのライブなどに比べれば破格の安さではあるが、問題はライブチケットの購入と同時に行われる()()()()だ。

 

 一着を取ると思うウマ娘、もしくは単に好きなウマ娘――投票する理由は人の数だけあるだろうが、とにかくレースに参加する最大三名までのウマ娘を選んでからライブチケットは受け取れる。

 

 そしてその選んだウマ娘が見事レースで三位内に入着した暁には“マニー”と呼ばれるポイントの配当を貰えるのだが、マニーはURA主催の競バに(まつ)わる特典を得る為に使用可能。例えばぱかプチと呼ばれるぬいぐるみを貰えたりだとか、ウイニングライブの席を指定したりだとか使い道は様々だ。

 

 だからこそ競バのライブケットはその通称を車券*1や舟券*2のように“応援バ券”と呼ばれている。

 

 ()()()()()()()()というだけで概要としてはまあ競輪なり競艇なりのギャンブルに近いシステムだ。得る物が金かポイントかという違いだけに相違ない。そういうシステムを採用しながらも、しかしだからこそ競バを完全な賭博(ギャンブル)にさせない為にURAも国もこぞって健全化に励んではいる。マニーを金銭との交換を全面的に禁止したり、ライブチケットの複数買いを禁止にしたり、当たりバ券のトレードを禁止したり……。

 

 しかし健全化に目を光らせていてもどうしたところで反社ややくざ者といった悪用する(やから)は出てくるのだが、それは今は関係がないので置いておくとして――そんなこんなで実際に金は賭けておらずともやっていることがギャンブルの様相を成しているのなら競バはギャンブルである、と沙藤哲夜は考える()()()()1()である。

 

 その1があるなら当然その2はあって、もう一つは競バは世界中で行われる一大興行(エンターテイメント)であり、そこで成功したウマ娘は掛け替えのない“スター”としての知名度と実績を得るということである。

 

 レースで活躍したスターウマ娘はどこの企業も広告塔として欲しがるので引退後の就職先など基本的には選びたい放題だし、本人のその後の努力も必要だが将来が約束されていると言ってしまっても決して過言ではない。勿論レースに青春を捧げるウマ娘の皆が皆将来の為に走っているわけではないが。

 

 しかしそんなスターになれるウマ娘は一握りである。レースに心血と情熱と青春すべてを注ぎ込んでも1勝もできないウマ娘がいる、栄光の裏にはその何十倍も多くの輝けなかったウマ娘がいる。

 

 努力は必要だがレースに勝つにはさらにそこから()()が必要だ。

 

 かつて、沙藤哲夜がトレーナーになることを志すに至った()()()()()()()()()が己のファンに――否、世に向けて放った言葉がある。

 

『――世界は残酷だ。みんな生まれた瞬間から、配られるカードが決まっていて、選べない。そのカードがどんなに弱くても、少なくても、汚れていても、それで戦うしかない。それがルールだって現実は、あたしたちに突きつけてくる。でも――配られたカードを受け入れて、遠くの眩しい景色を『別世界』だと諦めて、立ち止まるか! 運命に抗って、勝ち筋を探して、『別世界』なんてないって叫んで、必死に前に進んで戦うか! どちらを選ぶのか、決めるのは――あたしたち自身なんだ! あたしは選ぶ! 戦うことを! 不可能なんて、『別世界』なんてないと! 誰だって戦えるんだと! 戦い続けられるんだと! 運命をぶっ壊す、反逆の“エース”として! このあたしの走りで! 証明し続ける! そして――今戦おうとしている誰かを! 運命に抗いたい全ての物を! あたしが全部、応援する! 一緒に、この時を戦おう! あたしもここで、みんなと――戦い続けるから!!!』

 

 勝負の世界は公平ではあっても平等ではない。人にもウマ娘にも生まれ持った格差というものは絶対に存在する。“スペードのA(エース)”や“JOKER”という切り札を与えられたウマ娘がいるのなら“クローバーの2(ブタ)”という最弱を配られたウマ娘がいる。

 

 それでも走りたいと、勝ちたいと願って頼りないカードを握り締め運命をぶち壊しに勝負の世界に足を踏み入れるのなら――その偉大な一歩は間違いなく深い谷と谷の間を飛び越すような、無事に向こう側へ辿りつけるかわからないような()()()()()だ。

 

 ならば沙藤哲夜はそこから目を背けない、そして逃げない。

 

 競バはギャンブルであることを肯定する。強いウマ娘も弱いウマ娘も速いウマ娘も遅いウマ娘も肯定する。

 

 一着になれないのなら二着に。二着になれないのなら三着に入ることを目指させる。応援バ券の中に入り続ける限りそのウマ娘のファンは増えるし喜ぶし人気にもなれる。

 

 そして――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということを証明する。

 

 ウマ娘とファン双方を()()()()()()()()()()。それが“ギャンブル・トレーナー”沙藤哲夜の矜持(スタンス)だった。

 

 その矜持を貫く為に――愛しいウマ娘を()()()()()()()()()というもう一つの矜持を己に律して。

 

 

 ■■■

 

 

 ああ、またこの夢か。

 

 人気(ひとけ)のない深夜のバーのカウンター席に自分とすでにトレセン学園を()()()はずのかつての同僚と飲んでいる光景を目にして、哲夜はそう思った。グイッと銘柄のわからない酒を煽っても味がしない。夢なのだからそんなものだろう。

 

「――俺は、トレーナーを辞めるよ」

 

「……そうか」

 

 何度夢の中で繰り返したかもわからないこのやり取りには正直いい加減に辟易するが、しかし結局こうやって今でも夢に見るのはそれほど未練があった証左であろう。

 

「俺はもう、ウマ娘を()()()()()()……」

 

 その同僚はとても心優しく細かいことにも気が効いて、男女問わず人気があるものだから人の輪ができればいつもその中心にいるような男性だった。トレーナー学校でもその知識と技術は高く評価されていてあいつはいずれ名トレーナーになるべくしてなる男だろうともっぱらの評判で――それが恋心だったのかは定かではないけれど、哲夜もまた彼のことを好いていた。

 

 しかしその男は数年でトレセン学園を辞める。

 

 担当ウマ娘を勝たせられなかったから辞めたわけではない。むしろしっかりデビュー戦で勝ち上がらせるとこもできたしあわよくば重賞だって手の届く位置まで駆け上がっていて、新人トレーナーとしては理想的とも言える好スタートだ。仲も良好で担当ウマ娘は心底トレーナーを信頼していたしトレーナーはパートナーとして彼女を可愛がり愛していた。

 

 しかし、彼の担当ウマ娘はある日を堺にレースに出る度に次々順位を落としていく。

 

『トレーナーさん……ごめんなさい。私、もっと、もっと頑張りますから……!』

 

 敗走を重ねる度に悔し涙を流し謝る彼女の姿が彼の心をハンマーで叩きつけたような痛みが襲っていた。怪我でやる気を失っただとか、走りに情熱を失っただとかそんな理由ならまだ納得できたし相応の処置を取れる。しかしそのウマ娘は必死にやっていた。トレーニングだってダンスの練習だって必死に頑張っていた。レースに青春を賭けていた。

 

 彼女の才能はここまでだったのか――? いや、才能だなんて言い訳だ。彼女を腐らせているのは紛れもないトレーナーである自分自身。トレーナーである自分の腕が悪いから彼女は苦しんでいるんだ。彼女は悪くない。

 

 しかし敗走を重ねる理由が他のウマ娘に比べて能力不足なのは明らかだった。ならば彼女を勝たせる為にはトレーニングを見直し、増やして更に過酷に追い込むくらいしか手がない。

 

 だけど――敗走のショックで精神は参っているしそもそも普通なら十分なトレーニングをやらせていてもう彼女はボロボロだ。それを更に()()()()()のか?

 

 ハードトレーニングだのなんだの言うのは簡単だ。しかしそれを実際にやらせられるかは別問題である。どれだけ走るのが好きなウマ娘でもレースに勝ちたいウマ娘でも過酷なトレーニングは当たり前に()()()

 

 担当は愛バである。その文字通り()()()()()()なのだ。そんな彼女を苦しめるようなことが――いや、しかし彼女は勝てずに今苦しんでいるんだ、だったら勝たせられるように結果厳しいトレーニングをさせることになったとしてもトレーナーとして……。

 

 その後、どうなったかは語るまいがトレーナーを辞めると決心に至った彼の心情を思えば想像に容易いだろう。

 

 彼のそれは優しさではなく甘さ(・・)である、とばっさり切り捨てるトレーナーは多数だ。無論辛く厳しいトレーニングを愛バに施すことを是とするわけではないけれど、勝利を欲するのなら、今のままでは勝てないのならば千尋の谷に愛バを突き落とすような覚悟と残酷さも時にはトレーナーには必要で、それでも尚勝てないのが競バの世界なのだ。

 

 彼にはその覚悟がなかった。割り切れる勇気もなかった。ウマ娘に対して()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「俺も少しは――君の矜持を見習うべきだったな。もう、遅いが……さようなら哲夜。俺みたいな半端者に祈られても迷惑かも知れないけど――君のトレーナーとしての成功を祈ってる。君ならきっと上に行ける」

 

「ああ――さようなら、■■」

 

 去っていく男性を尻目に、哲夜は再び酒を煽る。

 

 今度は味がした。ほろ苦い不味い酒だった。

 

 

 

 ぱちり、と哲夜が目を覚ますと視界の先には見慣れたトレーナー尞の天井。

 

「……大丈夫さ。私がウマ娘を可愛いなんて思う日が来るのは――きっと引退する時だから」

 

 そんな日はあと数十年は来ないよ――そう呟いて、哲夜はベッドから起き上がりパチパチと自らの頬を軽く叩く。今日も()()()()()()()()()であるウマ娘をビシバシ指導してトレーナー業を頑張ろう、と気合を入れるのだった。

 

 

 ■■■

 

 

 沙藤哲夜は最近までとあるベテラントレーナーのチームでサブトレーナーをしていたが『君はそろそろ独立して新しい環境でやってみた方が伸びるだろう』と太鼓判を押され、晴れてフリーのトレーナーとして旗揚げをした女性若手トレーナーである。

 

 競バはギャンブル、ウマ娘はビジネスパートナーと断言して憚らない中々――かなり癖の強い彼女ではあるがその手腕は他のトレーナーからも評価されていて、複数のベテラントレーナーからこの子の担当をやってみないか? と誘われる程だ。

 

 そんな縁で紹介された一人のウマ娘は――ごちゃごちゃと出しっぱなしにされた書類や参考本で散らかっている机をテキパキと片付けながら、トレーナー室にやってきた哲夜にテンション高めの挨拶をした。

 

「おはようございますトレーナーさん! 今日は晴れ模様(マックス)ないい天気ですね! トレーニングも捗りますよ!」

 

 彼女こそは現在哲夜の唯一の担当ウマ娘『マイネルマックス』である。鹿毛と右の耳飾りを揺らしながら明るい口調でウキウキと哲夜に話しかけるその姿はどこか飼い犬のような愛らしさと人懐っこさを感じさせるウマ娘だった。

 

「――おはようマックス。机の片付けをしてくれるのはありがたいんだが、そういうことはしなくていいと前にも言ったよね? 私達はGive and Take(ギブアンドテイク)の関係で結ばれたビジネスパートナーだろう? ()()()()()()()()()()()

 

「でも! トレーナーさんが机を片付ける時間が無くなればその分ボクを見てくれる楽しい(マックス)な時間が増えるので!」

 

 それってギブアンドテイクですよね! と太陽のような笑顔でマイネルマックスがそう伝えれば、瞬時に身体の内から湧き上がる何かに耐えるように哲夜は右手で口元を、左手で心臓を押さえつける。

 

(かっ、かわ……鋼の意志(いやなんでもない)……)

 

 危うく担当を可愛いと思って引退する所であった、不覚不覚と強靭な鋼の意志でその感情を抑え込み、できるだけ愛バ(マックス)を視界に入れないようにしながら哲夜は机に向かってPCの電源を入れる。トレーナー室に来たらまずはメールの確認が彼女の日々のルーティーンだ。すると新着の数件のメールの中に珍しい差出人の名前があった。

 

(大森先生(トレーナー)から……? ふむ、例の話題になっている白毛のウマ娘に私を紹介したからもしかしたら尋ねてくるかも知れない……か)

 

 大森先生のような実績も貫禄もあるベテラントレーナーが自分を紹介してくれた上にわざわざそのことに一報いれてくれるとはなんともありがたい話である。早速返礼のメールを書きながら、哲夜は件のウマ娘について思いを馳せる。

 

 例の話題になっている白毛のウマ娘、といえばホワイトグリントとハッピーミークのことだろう。というか現在トレセン学園にいるウマ娘の中で白毛はその二人しかいない。

 

 特にホワイトグリントは先週に行われたチームジョーンズのエース格ウマ娘であるライジングフリートを4000mのマッチレースで叩き潰しただのそのあと自分の手を噛ませて流血騒ぎになっただのちょっと何を言っているのかにわかには信じられないようなことを入学早々行っておりトレーナー達の中でも色んな意味で注目されている新入生だ。

 

 哲夜も話には聞いていて興味はあったのだけれど今は独立しフリーのトレーナーとして旗揚げしてから間もない時期であるし、担当はマイネルマックスがいるのでスカウトは控えていたのだが――彼女が私の元にやってくる? いや、もしかして白毛のやばい方(ホワイトグリント)ではなく白毛のやばくない方(ハッピーミーク)かも知れないが。

 

(どちらにしても競争率が高すぎて私のような若手には縁がないと思っていたが)

 

 白毛のウマ娘というだけで雑誌モデルなどに起用されることがある程白毛とは希少な毛色である。それも入学のハードルがすこぶる高いトレセン学園に入ってこれるような素質を持ったウマ娘とくれば喉から手がでるくらい担当したいトレーナーで引く手数多だろう。

 

 そんな状況にも関わらず、未だ担当がついてない上に自分の元へやってくるかも知れないなんて。

 

(チャンスだな――いやいや、しかし本当に競バの世界はギャンブルだ。こんな風に一寸先に何が待っているのかわからないんだから)

 

 と、改めてしみじみと己の矜持を思い出すかのように耽っていると――唐突にコンコンとトレーナー室の扉をノックする音がした。

 

「お客さんかな? トレーナーさん! ボクが誠実(マックス)に応対しますよ!」

 

「いや、私が出る。マックスは座ってて」

 

 はーい、と大人しく言われた通りにちょこんと行儀よく椅子に座るマックスにまた内から湧き上がる何かに耐えながら哲夜は扉に向かって歩きだす。もしや例の白毛のウマ娘が早速尋ねに来たのだろうか? 期待感に内心胸を踊らせてガチャリ、と扉を開けると――。

 

「――あなたが、沙藤哲夜トレーナーですか? 私は、ホワイトグリントと申します」

 

 そこにいたのは、無表情であるが故に一種の芸術性を感じる麗しい人形ような雰囲気を醸し出し。

 

 ぺこり、と名乗りながら優雅さというオーラを感じるお辞儀をする。

 

 初雪が覆い尽くした一面真っ白のゲレンデの如く、白く、どこまで白く美しい毛並みを携えた――。

 

(――かっ、かわわわわわわわわ!!!!!)

 

 とても引退の危機(かわいらしさ)を感じるウマ娘であった。

*1
競輪やオートレースの投票券の通称。

*2
競艇の投票券の通称。



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十六話『ホワイトグリントとビジネスパートナー』

 

 コミュ障(わたし)にとって見ず知らずの人が居る部屋の扉を叩くというのは、それはもう42.195km(フルマラソン)を完走することなんかより遥かに高いハードルだ――いや別によく考えるとそれはただのご褒美だから困難に対する例え話としては間違ってる気もするのだが、とにかくここで行動を起こさねば物事が前進も後退もしない以上勇気を絞り出さねばならない。そうして5分くらい扉の前で直立不動のまま固まっていた私はようやく意を決してトレーナー室の扉をノックする。

 

 不安に高鳴る心臓の音をバックミュージックにガチャリと開かれた扉から現れたのは、若い女性のお姉さんで――。

 

 身長は160cmくらいだろうか。レディース用にメンズライクされたのであろうかっこいいビジネススーツに身を包み、胸がない(スラッとした)シルエットは中性的だけど髪は少し短めのセミロングで整った綺麗な顔でバリバリ仕事ができそうなキャリアウーマンといった風貌だった。

 

「――あなたが、沙藤哲夜トレーナーですか? 私は、ホワイトグリントと申します」

 

 そう言って私はお辞儀する。何故か、私を見てぽかんと呆けているような様子の彼女だったけれど、少しタレ目でチャーミングなその瞳がキリッとした厳しい目つき(サディステック)に変わると、やはりその見た目通りのハキハキとした力強い口調で声を出した。

 

「君がホワイトグリントか。大森先生から話は聞いている――よく来てくれた、私が沙藤哲夜だ。Time is money(タイムイズマネー)、レースもビジネスも時間のロスは少ない方がいい。さぁ、中に入りたまえ。商談(・・)を始めようじゃないか」

 

 ――か、かっけぇ……! まさにクールでデキる大人の女性って感じだ! 私が哲夜トレーナーに抱いた第一印象は、概ねそんな感じだった。

 

 

 ■■■

 

 

「すまないが今はインスタントコーヒーしか無くてね。砂糖とミルクはあるが?」

 

「いえ、ブラック(そのまま)で頂きます……」

 

 私は部屋の中心にぽんと置かれた椅子と机に座りながら哲夜トレーナーから渡されたコーヒーに口をつける。むっ、とても苦いけど苦さより先にくる美味しさとコーヒー特有のいい匂いが際立っていてとても美味しいし火傷しそうになるくらい熱いのもまた素晴らしい。インスタントでもこれかなりお値段張るやつなのでは……? うーむさすが中央のトレーナーさんだ。嗜好品一つとっても高級志向。このままぐいっと一気に飲み干して熱くて苦くて美味しいコーヒーで食道を焼く感覚を味わいたいのは山々だけれど初対面の前なのでぐっと我慢する。

 

「コーヒーくらいボクが淹れるのになぁ……トレーナーさんのコーヒーは美味しいですけど」

 

 そう呟くのは壁際の椅子に行儀よく座って哲夜トレーナーが淹れてくれたコーヒーを味わう、現在哲夜トレーナーの唯一の担当ウマ娘だというマイネルマックス先輩だ。腰まで届く長い鹿毛を靡かせ前髪にY字のメッシュが入った可愛らしい方だった。

 

 インスタントなんて誰が淹れても同じだよ、と哲夜トレーナーはそんな前置きをいれて、デザインにも優れた洒落たオフィスデスクに座り両肘を机の上に立て、両手を口元を隠すように組む。厳しい目つきも相まって威圧感が強い。ゾクゾクしてしまいそうになる心を抑えつけるのが大変だ……!

 

「さて早速本題に入ろうか。君がここに来たのは、将来的に自分の担当トレーナーとして私に興味がある、ということで相違ないかな?」

 

「――はい。大森トレーナーから哲夜トレーナーの話を聞いて、お話をさせて貰いたいと思いました」

 

「結構。私も君に興味があってね、建設的な時間になりそうで嬉しい限りだ。ではまず君が(トレーナー)に期待する方針を聞こうか」

 

 なんかトレーナーとウマ娘の対談というより就職面接みたいだった。実際似たようなものなのだろうけど。

 

「私は……ストイックに、甘やかされることなく厳しいトレーニングをさせて貰いたいです――その上で()()()()()()()()()()()()()ラインを見定めて欲しい――」

 

 身体がバラバラにぶっ壊れるようなハードトレーニングがしたい! でも本当にトリプルティアラを取るまでにぶっ壊れたら困るのでその限界を見定めてくれるトレーナーさんがいい! その上で哲夜トレーナーみたいなSっ気を感じる人ならなお良し! なんともまあ自分で言っててあれだけれどわがままな要求である。

 

「なるほど――そういうことなら私は確かにうってつけだと自負できるな。丁度、そこにいるマックスも同じような理由で私と担当契約を結んでいる」

 

「うんうん! グリントちゃんもボクと一緒で自分を追い込みたいタイプなんだね! それだったらトレーナーさんは完璧(マックス)に応えてくれるよ! 本当にトレーニングに関しては情けとか容赦とかないんだよトレーナーさん! でもでも! ただ厳しいだけじゃなくて! 本当に細かくボクのことを見てくれてね! 大切にしてくれるのがわかるんだ! だからボクは心から信頼して――」

 

「マックス――余計なことは言わないように」

 

 ハイテンションで熱く語るマックスさんを止める哲夜トレーナー。うーむ、マックスさんのあの熱の入った目と言葉を見るだけで、相当に自分のトレーナーを信頼してるのが感じられるというものだ。

 

「では次はこちらから私が担当するウマ娘に求める要素の話をしようか。大森先生から聞いているだろうが、私は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そしてこれからも君達を可愛がるつもりもない」

 

 トゥンク、とその言葉を聞いて私の心が跳ねたような気がした。

 

「基本的に多くのトレーナーはウマ娘を可愛い存在だと思っているし愛しい存在だと思っているし尊い存在だと思い普段から接している。それを(よこしま)だと思うつもりもないし軟弱だと揶揄するつもりも一切ないが、私はウマ娘(きみたち)に対してそういう感情は徹底して持たないように努めている――しかしだからと言って君達を自分の名声を上げる為の道具や結果を出す為の機械として利用することを意味しないし、大切にしないわけでもない。そういう情愛がなくとも信用関係は結べる、と私は信じている――私がトレーナーとウマ娘との関係性に求めるものは“Give and Take(ギブアンドテイク)”だ。意味はわかるかな?」

 

「利益を与える代わりに、別の形でその分の利益を貰う――ビジネス、ですね」

 

「その通り。私は情愛の上ではなく互いの利益で信用を結びたいと思う。これから出会う全てのウマ娘とそうできればと思う。私と担当契約をするのならば、()()()()()()()()()として君を大切にして、育てる。私が君に利益を与えられなくなった、と思ったらその時点で契約を解消してくれても構わない。そういう関係性だ」

 

 ある意味で、それはまだ小学校を卒業したばかりの身分である自分に投げかける言葉としては()()()と言える言葉なのかも知れない。トレセン学園は教育機関である、競バという興行の側面も強いスポーツをやっているにしても決してビジネスの場ではない――と思う。しかしどうしてか私はそのビジネスパートナーという言葉に惹かれて堪らなかった。

 

 哲夜トレーナーの言葉の一つ一つが耳に入る度に、ワクワクしてドキドキして――そしてゾクゾクしちゃうから。

 

「1つ、聞かせてください。トレーナーさんと違って――いえ、トレーナーという職業の中にもそれはあるかも知れませんが……ウマ娘には、()()()というものがあります。もしも、私のピークが過ぎて――哲夜トレーナーに利益を(もたら)すことができなくなったら――その時は、どうなりますか?」

 

 私が簡単に契約解消をできるなら、その逆は当然――。

 

「私が利益を貰えるように()()()()()()()()()()()()()()。私はチームを大きくしていくつもりだからサブトレーナーとして今後の経験の為に働いて貰ってもいいし、競バの世界から離れるつもりなら就職や進学になるだろうが、就職活動でも進学活動でも私が手伝えばいくらでも利益になることは山程あるからね」

 

 君がもしも大企業や有名大学に行けば私の評判だって鰻登りさ、と哲夜トレーナーは厳しさを感じる目つきとは真逆のような優しい微笑みを浮かべて――。

 

「ウマ娘の方から契約を解除されない限り私はウマ娘を最後までビジネスパートナーとして扱う。ビジネスという言葉はどこか冷たいように聞こえるかも知れないが」

 

 ビジネスの()()Win-Win(ウィンウィン)()()()()()()()()ってことなんだぜ、と言葉を続けた。

 

「……」

 

 この人だ。

 

 この人しかない。

 

 私は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 私は! 沙藤哲夜という人にトレーナーになって欲しい!

 

 心から、そう思った。きっとこの人は本当に私を可愛がったり甘やかしたりなんかせず――Sっ気のあるその目で私を見守りながら最高のハードトレーニングで最高の苦痛(しあわせ)を与えてくれるはずだから!

 

 

 ■■■

 

 

 沙藤哲夜という人物は他のトレーナー陣から評価はされているがあまりウマ娘からトレーナーとしての人気がない。

 

 普段から競バはギャンブルと言い放ちウマ娘はビジネスパートナーであると断言して更に目つきは険しく怖そうだと思われていればある意味で当然のことかも知れない。ウマ娘とトレーナーは契約を結んでも比較的パートナー解消は容易いけれど、しかしじゃあものは試しに契約を……と気軽に結べるものではないからだ。

 

 トレーナーはウマ娘の競バ(レース)における()()()()()()()()()()である。それが基本原則。

 

 競バは過酷なスポーツ。どんなスポーツでもそうではあるが死者は出る、必死にやればやるほど命が燃え尽きることもある。それは競バも例外ではない。レースを走るウマ娘の安全は隅々まで考慮されているが()()()()()()()()。それは決して目を背けてはならない事実。

 

 だからウマ娘はレースに全身全霊で挑む為にも信頼できそうな者にトレーナーになって欲しいし、トレーナーとて信頼できそうなウマ娘の担当をしたい。当然信用だの信頼だのはお互いに触れ合ってみて、育みあってみて初めて生まれるものではあるけれど。

 

 軽薄そうだとか、冴えなさそうだとか、ウマ娘を道具だと思ってそうだとか、目つきが怖いだとか――そういう雰囲気を持つ者達は実際の内面はどうあれ避けられる。さらに目立った実績すらないとくれば役満(フルコンボ)である。基本的に担当を選ぶ権利があるのはトレーナー側ではあってもウマ娘の方から避けられれば担当も何もない。

 

 実の所、哲夜が前のチームから独り立ちしてフリーのトレーナーとしての活動を初めてからそれなりの数のウマ娘と契約の話をしたが実現したのはマイネルマックスだけだった。

 

 哲夜とてまずい、と思わないでもないのだが、しかし己の信条とチーム方針を包み隠して騙し討ちのような形で契約を結ぶのは望ましくない。というかそんな形で契約してもまずまともな信頼関係なんぞ望むべくもないだろう。

 

 競バはギャンブルでありウマ娘はビジネスパートナー。それは哲夜にとって絶対に曲げてはならない主義である。

 

 以前、トレセン学園から去った優しい同僚からは『君はせっかく美人なのに目つきが鋭すぎる。それ、意識してあえてやってるだろう? そんなに睨むように見つめなくてもいいじゃないか』と(たしな)められたことがあるが、しかしそれもできない。

 

 何故なら気を抜くとウマ娘を優しく愛おしい目で見つめてしまいそうになるからだ。

 

 勿論哲夜はトレセン学園でトレーナーを初めてから一度もウマ娘を可愛いなどと思ったことはない――思いそうになったことはあっても思ったことは一度もない。多分。ウマ娘のことが大切な存在であるのは間違いないが情が湧いてしまっては厳しく彼女達を追い込めない。それでは彼女達の為にもならないし自分の為にもならない。そうなる可能性は僅かであっても排除せねばならないのだ。

 

 己はファンの為にウマ娘をギャンブルに勝たせ、ひいてはそれがウマ娘を勝たせることになると信じるギャンブル・トレーナーなのだから。

 

「すまないが今はインスタントコーヒーしか無くてね。砂糖とミルクはあるが?」

 

「いえ、ブラック(そのまま)で頂きます……」

 

「コーヒーくらいボクが淹れるのになぁ……トレーナーさんのコーヒーは美味しいですけど」

 

 自分の淹れたコーヒーをそっと静かに味わう白毛と鹿毛のウマ娘を見て自然と口角が上がりそうになる口元を気合で押し込めると、哲夜は自分の机に座って口元を隠すように手を汲んで早速商談(ビジネス)を開始する。

 

「結構。私も君に興味があってね、建設的な時間になりそうで嬉しい限りだ。ではまず君が(トレーナー)に期待する方針を聞こうか」

 

「私は……ストイックに、甘やかされることなく厳しいトレーニングをさせて貰いたいです――その上で()()()()()()()()()()()()()ラインを見定めて欲しい――」

 

 ふむ、愛ら――美しい見た目に反して中々の克己的*1なウマ娘である。トレセン学園は全国各地から天才秀才の集まる実力者が跋扈(ばっこ)する世界。その中で勝利を掴みたい、と熱望するウマ娘ならストイックな環境に身を置きたい、と望むものは少なくはないが()()()()()までもを覚悟するウマ娘はそうはいない。

 

 面白い、と哲夜は素直に思った。目の前の白毛のウマ娘は重賞も制したことがある相手を4000mで追い抜くことが出来るほど己を鍛え上げてこの学園にやってきた傑物の類である。その言葉が嘘やハッタリや甘い見通しで口から出たものでは決してないだろう。どこまでも己を鍛え上げることに一切の容赦も甘さもないウマ娘など滅多にいるものではないのだ。

 

 この時点ですでに哲夜はホワイトグリントというウマ娘の担当をしたい、という確かな気持ちが心の中に渦巻いていた。この子を育ててみたい。この子がどこまで行けるのか見てみたい。トレーナーとしての本能が彼女を求めている。

 

 しかしだからこそ哲夜は己と信条やスタンスを包み隠さず彼女に伝える。

 

 大森トレーナーから話を聞いてここに来たということは哲夜の主義をある程度聞いていて、それをわかった上でここに来ているのだろうけれど、ビジネスライクな関係性などここトレセン学園でははっきり言ってマイナス要素である。

 

 トレーナー側もウマ娘側も、双方心からの無償の愛という固い絆で結ばれた関係性を求めたがるものだ。哲夜は別にそれを否定はしない。間違っているとも思わない。他人は他人、他所は他所。

 

 だからこそビジネスパートナーという関係性を否定されてもそれはそれで仕方がない。縁がなかったということで、目の前の大いなる可能性を秘めたウマ娘を逃すのは歯がゆいどころか歯を噛みしめる勢いで悔しいだろうがすっぱり諦めるつもりである。

 

 それがギャンブル・トレーナーという沙藤哲夜の生き様だ。

 

 ビジネスの根源はWin-Winである、とある程度まで話したところで――ホワイトグリントは無表情を崩さず、しかしどこか哲夜の言葉に感嘆したかのようなまっすぐな瞳で目の前のトレーナーを見つめてこう言った。

 

「――私は桜花賞、オークス、()()()()()()()()……トリプルティアラ路線全ての勝利という()()を、哲夜トレーナーにテイクします」

 

 その言葉に危うく口に含んだコーヒーを零しそうになったのはマイネルマックスだった。別段マックスは他人の夢を笑ったりバカにしたりするようなウマ娘ではないが、しかしそこまでさらっとトレーナーさんにトリプルティアラをプレゼント、と言ってのけるウマ娘は初めて見たからだ。しかし哲夜は微動だにしない。一人の人間と一人のウマ娘は、お互いを真剣な目でまっすぐ見つめ合っていた。

 

「だから――トリプルティアラを勝てるトレーニングを、私にギブしてください」

 

「――それを成すには、まさしく地獄のようなトレーニングを課すことになる。()()()()()()()()?」

 

「はい。その為に私はトレセン学園(ここ)に来ました」

 

 ――嘘偽りなく、その言葉は事実なのだろう。彼女は本当に三冠ウマ娘(トリプルティアラ)になる為にここにやってきたのだ。あたかもそれ以外はいらない、それさえ手に入ることができれば()()()()()()()()()、それすら覚悟してきっと今この場にいるのだ。

 

 その覚悟の重さはいかなるものか――マイネルマックスは目の前のウマ娘は()()()()()()()()()()()なのかを疑ってしまいそうだった。

 

 ()()

 

 彼女は何かが違う。何かが――。

 

「契約成立だ。ホワイトグリント――今から君も、私のビジネスパートナーだ」

 

「よろしくお願いします。私のトレーナー(ビシネスパートナー)

 

 こうして、沙藤哲夜とホワイトグリントはお互いが利で結ばれたパートナーとなった。これが後に、数多の伝説をターフに刻み込んでいく二人のファーストエピソードである。

 

「しかしだグリント。一つ間違ってる」

 

「間違い、とは?」

 

「実は来年からエリザベス女王杯はシニアクラスのウマ娘も出走できるように改定されることになってね。その代わりトリプルティアラ路線最後のレースは()()()という新しいG1になるんだよ」

 

 だから別にエリザベス女王杯は取らなくていい、と哲夜が言うと――。

 

え゛!?

 

 と無表情でクールな彼女が初めて見せたびっくり顔と共に部屋中に響いた汚い悲鳴に似た声を聞いて――。

 

(かっ…かわ……!)

 

 哲夜は再び心中に湧き上がる“何か”に鋼の意志(必死)で耐えていた。

*1
己の欲望を抑えようとし、強い気持ちで物事に向き合うこと。




 今作のウマ娘世界はスマートフォンなどが登場する現代ではありますが98世代を中心とした年代のエピソードが融合してとても不思議なふわふわ時空になっています。全世代のウマ娘が集結している世界なので諸々ご了承ください。


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十七話『ホワイトグリントとその異常性』

 はてさて話題の白毛のウマ娘ホワイトグリントと担当契約を結べたことでギャンブル・トレーナー沙藤哲夜は外面には(おくび)にも出さないけれど、しかし内心ではガッツポーズを決めたくなるような陽気なテンションで、ホクホクと契約書類を学園の上層部へ提出した翌日。哲夜は理事長秘書であり関係者のサポートを日々献身的に行っている『駿川(はやかわ)たづな』から理事長がお呼びです、とにこやかな笑顔で呼び出しを受けた。

 

 はて何かやらかしたか? と哲夜はここしばらくの己の行動を振り返って見たけれど、思い当たる事といえばどうしてクレーンゲームにマイネルマックスのぱかプチがないのだ、とトレセン学園のウマ娘のグッズ化のほとんどを取り仕切っている『サトノ・エンターテイメント・グループ・エージェント』、略して“SEGA”にクレームを入れた所『まだデビュー前のウマ娘のぱかプチ化はちょっと……』と一悶着あったくらいのことしかない。

 

 そのくらいで問題になるわけもないしなんだろう、と首を傾げながら、新たな彼女(ビジネスパートナー)の望むままに三冠ウマ娘(トリプルティアラ)に成れるようなトレーニングメニューをひたすら考えて居たらいつの間にか夜が明けていた為に襲い来る睡魔を噛み殺して、哲夜はキリッと背筋と表情と目つきを正し学園長室へ入室する。

 

「陳謝ッ! 急に呼びつけてすまないな沙藤トレーナー!」

 

 そこに居たのはパシャっと『激熱ッ!』と書かれた扇子を開く、理事長という肩書とは真逆のような、未だ少女と呼んで差し支えない年齢の可愛らしい美少女――秋川やよいであった。

 

「いえ、秋川理事長の召集とあらばすぐにでも駆けつけます」

 

 しかし自分より遥かに年下であるからといって年功序列を盾にして舐めた態度を取るような哲夜ではない。そもそも哲夜は若くして先代の理事長からその座を(うけたまわ)り、どこか保守的であった先代とは打って変わってウマ娘のことを第一に考えながら次々と革新的な改革を推し進める若き革命家秋川やよいを上司として心から尊敬しているのだ。その見事な手腕や実力を敬う事に年齢など何の関係があるというのか、あと可愛い。重要なことである。

 

 己の矜持からウマ娘の一切を可愛いと思うことを良しとしない哲夜だがしかしウマ娘でないなら話は別で、存分に可愛がっても問題ない秋川やよいという人物は実に心休まるありがたい存在であった――表立って可愛がるような真似はしないが。実は密かに理事長やその秘書である駿川たづなは人前であまりにも帽子を取らないことからウマ娘ではないのか? という噂が学園内で流れていて哲夜もそれは耳にしていたがその噂を一笑に付している。確かに彼女達の口から我々はウマ娘ではない、という言葉こそ聞いたことはないけれどウマ娘であることを隠す意味なんてないし、そもそも彼女達にはウマ娘特有の尻尾が見当たらないではないか。よって二人は人間(ヒトミミ)に決まっているのだ、証明終了(QED.)

 

「うむ! 助かる! 要件は昨日(さくじつ)提出された担当契約のことなのだが、ホワイトグリントと契約を結んだのは間違いないな?」

 

「はい。彼女は私のビジネスパートナーです」

 

「奉祝ッ! 君はその独自の物言いと矜持(スタンス)から誤解を受けやすいが、わたしは君が誠実にウマ娘達に向き合ってるのをわかっている! 他のトレーナーからも注目されるその手腕も疑う余地なし! 君になら大切な学園のウマ娘を安心して任せられるというものだ!」

 

「多大な評価、有り難く思います」

 

 学園のトップ――それも可愛らしい彼女からの絶賛に、哲夜は嬉しさを隠すことなくウマ娘達の前ではできるだけ見せることを控えている素直な笑顔で返した。

 

「だが――問題は君ではなくウマ娘(ホワイトグリント)の方だ」

 

「……彼女が何か?」

 

 はて、ホワイトグリントに何か問題でもあるのだろうか。確かに入学してから今日という僅かな間に様々な話題を生み続ける独特な価値観を持った少女だとは思うが、こうして態々理事長室に呼び出され忠告を受けるような問題を起こすようなウマ娘には哲夜は到底思えない。

 

「彼女の面接を担当した時、君は居なかったのだから知る由もないのは当然だが――我々は彼女に()()()()()()()()()を持っている」

 

 スッ、とやよいは『ホワイトグリントに関する報告書』と銘打たれた資料を哲夜の前に静かに差し出した。

 

「これを読んで――どうか彼女と真に向き合い、誠の相互の理解を経て――その心を救って上げて欲しい」

 

 

 ■■■

 

 

 『祖父によるホワイトグリントの()()()()、それを起因とする()()()()()()()がホワイトグリントに見受けられる――』

 

(……虐待による精神異常、か)

 

 その報告書の内容は睡魔なんぞどこぞの彼方へ消え去る程の衝撃だった。

 

 あれから報告書を読みふけって時は流れて放課後――本格的なトレーニングを始める前にまずは持ち前の運動能力(スペック)を把握する為に測定テストを行っている彼女(ホワイトグリント)の姿を見守りながら、哲夜は考える。

 

(祖父の教えが間違っていなかったと証明する為に――例え自分の身体が()()()()()()祖父の為にトリプルティアラを目指す、と)

 

 担当契約を結んだあの時、彼女から感じたトリプルティアラが取れるのならば自分はどうなっても構わないという確固たる意志を感じたが、その理由の裏付けにはとんでもない爆弾があったということだ。

 

(間違いや勘違い、ではないだろうな――()()()()()、才能があるだとか努力家だとかそういう問題じゃない)

 

 彼女がテストを行う度に更新されていく運動能力データを見て、哲夜は若干目眩がするような気分だった。

 

驚愕(マックス)……す、凄いねグリントちゃん……15-15*1の3セットやって、ラップの誤差、0.1秒だよ…」

 

「トレーニング、しましたから」

 

 頬を若干引きつらせながら、マイネルマックスはストップウォッチが示す嘘偽りのない結果に驚愕しながら用紙に記録していく。普通のチームと違い我々はビジネスパートナーなのだから自分の分野以外のことはしなくていい、と哲夜はマックスに伝えたのだか、例えボク達がビジネスパートナーでもこれからはお互いに切磋琢磨して併走などで協力してトレーニングをすることもあるのだからお互いのことを早めに知っといた方がボクの為にもなりますよね! ギブアンドテイクです! と押し切られてしまっては何も言えなかったのだが――少しマックスには刺激が強すぎたのかも知れない。

 

(まさに精密機械だな……本当に、祖父に()()()()()()()()()()()()()この子は)

 

 当然の事ながらレース中に腕時計だのストップウォッチなんて持ち込めないので、レースのタイムの確認は体内時計に頼る必要がある。レース中に走行タイムを知って走るのと知らずに走るのでは当然ペース配分などの観点から天地の差だ。だから体内時計を秒刻みで調整するのは中等部1年生のカリキュラムでも履修するくらい重要視されている分野の一つである。

 

 今年の夏頃晴れてメイクデビューを予定している中等部三年生のマイネルマックスとて三年間でキッチリ体内時計の調整を済ませた。19-19で走れ、と言われたら勿論ぴったり19秒で合わせること自体は出来るけれど、しかしコンマ秒まで()()()()となると途端にその難易度は天井知らずに跳ね上がる。普通にやっても0.5秒前後は違ってくるし、数セット繰り返して体力の消耗が重なれば更に誤差は大きくなるだろう。心拍数が上がり脳に酸素の供給が減って思考がぼやければ普段出来ることだって中々出来るものではない。

 

 しかしホワイトグリントは()()()()()()。基本的に誤差はほぼ0秒(無し)。3セット目でようやく0.1秒ほど違って来るような病的なまでに正確な体内時計を備えていた。実は彼女はロボットで時刻情報を受信している、と説明されたら哲夜とマックスはやはりか、と納得してしまうだろう。

 

 次にやった平衡(バランス)感覚の測定は更に輪をかけて凄まじい。「バランス感覚には自信があります。バランスボールの上でも立てます」と物静かでクールな彼女が珍しく熱く語るので、どんな物かと備品のバランスボールを引っ張り出して来た所、彼女はその言葉通りきっちりと立って見せた。()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――ピンッと垂直に両足を伸ばして、ピクリとも微妙だにせずに、である。

 

平衡感覚(これだけ)は沢山トレーニングして――唯一、祖父に褒めて貰えた、自慢です」

 

「立つってそういうこと!?」

 

 思わずマックスが突っ込んでしまったのもさもありなん。というかこれだけびっくりするくらいの身体能力を叩き出しているのに、唯一褒めて貰えたことがそれだけなのか? どんだけ自分の孫に対して厳しかったんだよ君のお爺さん――となんだか目の前の少女がとても可哀想になって哲夜は少しだけ涙ぐんだ。

 

 そんな風に驚愕と衝撃が混じり合って全ての測定が終了し――彼女の数値的な能力が示すことは一つである。

 

 ホワイトグリントは()()であり、()()であるとしか言えないウマ娘であった。

 

 その全てが高水準。あまりにも完成された身体能力――本格化の兆しはまだまだ遠いであろう未成熟の身体で、ここまで己を鍛え上げた彼女の半生を想像するだけで筆舌に尽くしがたい物がある。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ウマ娘は走る為に生まれてきた、と誰かが言った。当然、例外はいるだろうがそれでもウマ娘はその大勢が走ることが大好きだ。しかしだからと言って身体を鍛えることも好きだ、と言うと答えはノーである。

 

 早く走る為には身体の隅々も鍛えなければならない。下半身だけ強化すればいいというわけでもなく上半身のウェイトトレーニングだって必須だし、筋肉を増やせばそれでいいというわけではないので、時には摂生して体重管理も必要だろう。

 

 三冠ウマ娘になりたい、G1ウマ娘になりたい――その為に沢山走り込んできた、というウマ娘は大勢いる。しかしそんなウマ娘でさえトゥインクルシリーズを走る鍛え上げられたウマ娘達が立ちはだかる険しい壁を知って初めて()()()()を得る。ただ走るだけでは届かない、走ること以外でも身体を鍛えるという苦行に耐えられる()()()()()を得られる。

 

 本格化が近づけばどんどん縮まるタイムや、理想通りに身体が動く喜びという目に見える結果があるからこそ()()()()()

 

 あるいは――小学生(ジュニア)レースなどで勝つ喜びや周りから称賛される喜びを知るのであれば、もっと速くなりたい、もっと強くなりたいと鍛える事に対する貪欲さが生まれるのかも知れない。

 

 だがホワイトグリントは――()()()()()()()()()()()()。資料によれば、記録が残るような公式レースに出たことは一度もないと断言されていた。大勢の観客から称賛と拍手の雨が振り注ぐ喜びも知らないまま地道に、ひっそりと陽に当たることもなく――祖父に与えられたおそらく地獄のようなトレーニングを黙々とこなし続けてこの異能とも言える能力を得たウマ娘なのである。

 

「トレーナーさん、どうでしたか? 私は、トレーナーさんから見て――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼女は何もその表情に映さない。これだけの異常な身体能力を見せて、唯一少しだけ誇ったことは祖父から褒められたというバランス感覚だけである。おそらくは、本当に他人の称賛だとか、栄光だとか、そんなものは()()()()()()()()()()

 

 彼女にとって大切なのは、祖父の栄誉を守るため、取り戻す為に必要なトリプルティアラを取れるか取れないかだけなのだ。

 

 その為だけに――どんな地獄の日々を送ろうが、一切合切構わない、と。

 

「君は現段階だったら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()だと断言しよう。しかしトゥインクルシリーズで重要なのは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。だから今の段階で君がトリプルティアラを取れる、とは約束できない。レースに絶対はないからね」

 

「――はい」

 

「しかし、これだけは約束する――君が望む限り、このトレセン学園の()()()()()()()()()()()()()()()()()を、私は君に与えるよ」

 

 君が壊れないギリギリを見定めてね。そう哲夜が呟くと、一瞬だけ()()()とホワイトグリントは身体を小さく震わせて――。

 

「それこそが、私の望みです」

 

 かすかな笑顔を浮かべて、言葉を返した。

 

(……ああ。この子は、私達トレーナーにとって間違いなく運命のウマ娘(ファム・ファタール)だな)

 

 運命のウマ娘(ファム・ファタール)という言葉がある。それは赤い糸で結ばれたような運命的に出会うウマ娘を指す言葉であり――同時に()()()()()()()()()()()()()()()()()()のことである。

 

 その魅力に全てを奪われ、狂わされ、時には国家や文明さえも崩壊させてしまう傾国の美女。彼女は間違いなくそういった類の、あるいは()()とさえ形容してしまっても間違いではないような存在。

 

 哲夜には、彼女の祖父が虐待と断言され断罪される程の、健気な少女のその精神性に異常を(きた)すようなスパルタトレーニングを彼女に与えてしまったとて――()()()()()()()()()()()()()()

 

 どんなトレーニングをさせても、それを全てこなし、吸収して――成長し、能力として結果に出せる。

 

 目の前にいるウマ娘は――数十年に一人か二人産まれてくるような奇跡。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだから。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(――この子のトレーナーになったのが、私でよかった)

 

 ウマ娘に情がない自分ならば――限界までトレーニングをさせることが出来ても、決してラインを超えることがないのだから。ウマ娘にビジネスパートナーとしての関係性を望むギャンブル・トレーナー沙藤哲夜であるからこそ、目の前の運命のウマ娘(ファム・ファタール)に狂うことはない。

 

 理事長に頼まれた彼女の心を()()()()は、正直哲夜にはわからなかった。

 

 しかし――トレセン学園はウマ娘のアスリートとしての育成機関であると同時に、ウマ娘の健全な成長を育む()()()()である。

 

 だからこそ――やれることはやらねばならない。

 

 トレーナーは教鞭を取る学徒の教師では決して無いが――しかし人生の師として、うら若い彼女達ウマ娘を導く義務があるのだから。

*1
1ハロン(200m)を平均して15秒程度で走る軽いトレーニングの競バ用語。本格化も遠い新入生には15秒で数セットを繰り返すのはかなりの大変。




ネタバレ
秋川やよいと駿川たづなはウマ娘である。


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十八話『ホワイトグリントとオグリキャップの心配』

 

 ブルルルル――と枕元に置いたスマートフォンの振動を感知した瞬間、私の身体と脳はこの時を待っていましたと言わぬばかりに活性化し瞬時に目が覚めた。目覚まし機能の微かな振動音といえども同室の愛らしい寝顔で安らかに眠るミークさんを起こしてしまって迷惑をかけたくないから、即座に目覚ましアプリを停止させる。

 

 スマホの画面で時間を確認すれば現在朝の4時ジャスト。お天道様が顔を出すにはもう少しかかりそうで、窓の外はまだ薄暗い。でも普段何かと騒がしいトレセン学園も今はとっても静かで早朝トレーニングに集中できそうでいい感じ。本当ならあと4時間は早起きして沢山(たの)しいトレーニングに精を出したいところではあるけれど、しかし睡眠と休息は決して無下にはできない。単純に栗東尞の門限とかもあるしね。

 

 トレーニングで傷ついた筋肉はしっかりとした休息を得て再生させないと強く成長しないし、寝不足の気だるいダルさは足湯に浸かってのんびりとしているような心地よさで嫌いではないけれど、やっぱりそれじゃ刺激が足りないしすぐに慣れてしまう。(たのし)みや苦痛(きもちよさ)という物には鮮度があるからね、ずっと同じような小波がダラダラと続くよりも劇的な一回の大波(ビッグウェーブ)の方がより苦しいしより気持ちいいじゃん? きちんと体調を整えて回復し、そして目一杯傷つけるというメリハリが大切なんだ。これが先天的ドM体質(生まれついてのマゾ)の私がおじいちゃんの指導の元で編み出したきっついハードトレーニングで幸せに()つ強くなれる無限ループを続ける秘訣さ。だから早朝トレーニングで疲れた後はどこかで休息がてら仮眠して、その後登校するよ。

 

 しかしこれまでのトレセン学園生活では色々な要因でハードトレーニングをするのは難しかった……だが今は違う! 私にはクールでかっこいいトレーナーさんが付いた! よってトレーナーさんがストップをかけるまでは今日からハードトレーニングし放題! やったぜ……もはや気分的には禁酒法が解禁されて酒を浴びながら「Yaaaaaaa!」と叫んで空へ銃を撃ちまくる1930年代のアメリカの人だよお酒飲んだことないけど。

 

 抜き足差し足忍び足で静かにそっと部屋のドアを開けて、私は中等部1年生のロッカー室に向かい体操服(ブルマ)に着替えてグラウンドに向かう。さあまずは古代インド発祥の神秘的エクササイズであるヨガを参考にした準備運動(ストレッチ)で硬い身体を強引にひん曲げて、更に曲げちゃいけない角度まで曲げたくなる欲求をグッと我慢した後は手始めに軽く20kmくらいジョギングだ!

 

 ふっふっふ、軽くとはいえ勿論ただのジョギングじゃないよ。じゃじゃーんと私が体操服のポケットから取り出したのは昔おじいちゃんがプレゼントしてくれたお手製厚手のフェイスマスク! 伸縮素材で作られたこれは目元から顎部分まですっぽりと覆って私の顔にばっちりとフィットし通気性最悪(さいこう)の優れ物。数分も走れば湿ったマスクはさらに通気性が悪化し呼吸を止める勢いで空気をシャットアウトし意識を朦朧とさせてくれる私の自慢の相棒だ。

 

 おじいちゃんがこれをプレゼントしてくれたのは多分呼吸を制限することにより肺活量を強化する為とかの理由もあるんだろうけど、本当の理由はハードトレーニングをしていると気持ち良すぎてついニタニタと笑ってしまう私って気持ち悪くないかな……? と相談した所ならマスクで隠せばいいだろう、可愛い顔が半分しか見えなくなってしまうのは残念だがなと渡してくれてね? このマスクはおじいちゃんの優しさそのものだよ……このトレセン学園ではこのマスクだけがおじいちゃんの温もりを与えてくれるんだ……。

 

 おじいちゃん、私いっぱいトレーニングして速いウマ娘になって、そしておじいちゃんの夢だった三冠(トリプルティアラ)ウマ娘になるよ……そしたらどこかにいるおじいちゃんの耳に私の名前が届くくらい、日本中が私のことを話題にしてくれるはず……。

 

 そうなればきっと、私に会いに来てくれるよね――おじいちゃん。

 

 

 ■■■

 

 

「ルドルフは、沙藤哲夜と言うトレーナーを知っているか?」

 

 まだ登校時間にもならないような朝早くから生徒会室に颯爽と現れたオグリキャップは一目散にそう切り出して、シンボリルドルフは「勿論だ。彼女は色々と有名だからね」と返しいつもの様に風来坊を持て成す為に紅茶を入れようと用意を始める。

 

「通称ギャンブル・トレーナー……先日、君の昼想夜夢のウマ娘ホワイトグリントの担当になったトレーナーでもあるな」

 

「そうなんだが……彼女は()()()なトレーナーなのか? その、グリントからはとてもクールで頼れる人だ、とは聞いた……だがギャンブルだとかビジネスだとか、なんだかトレセン学園には似つかわしくないような不穏な単語が聞こえて来て……グリントは怪しいセミナーみたいなのに入ったんじゃないよな……?」

 

 普段は威風堂々と何事にも動じないオグリキャップの珍しくソワソワと耳と尻尾までもを振るわせるその姿が何だかおかしくて、ルドルフは思わずクスッと小さく笑ってしまう。

 

「学園でそんな悪徳を働くトレーナーが居たら理事長や理事会と結託してとっくに追い出しているさ。とはいえ、少し前の私も彼女のそんな噂を聞いて不安になったのは同じ気持ちだった。だから当時彼女がサブトレーナーとして所属していたチームの代表者に彼女の人柄を聞いたり、一対一で腹を割って直接対話もしたな」

 

「そうなのか……それで、ルドルフから見て彼女はどう映ったんだ?」

 

「謹厳実直、彼女は誰よりもウマ娘に対して真摯。()()()()()“ビジネス”という言葉を用いてウマ娘との一定の距離を保とうとしてるのだろう。時には私や君のようにウマ娘から疑心を持たれ不利益を招こうともだ。彼女は若くして心に一本の真っ直ぐな矜持があって、それにきっと殉ずることができる有望なトレーナーだよ」

 

「……ルドルフがそこまで言うのなら、真面目な良いトレーナーなんだろう……いや、でもどうしてトレーナーなのにウマ娘と距離を取ろうとする? 別に、仲良くしたって何も問題ないというか仲を深めるのが普通じゃないか?」

 

 中央で行われるトゥインクルシリーズのレースは過酷極まる勝負の世界だ。類まれなる身体能力と勝負根性を持つオグリキャップであっても、間違いなく“独り”では走りきれなかったと断言できる。北原譲や六平銀次郎(むさかぎんじろう)という全幅の信頼を寄せられるトレーナーが居たから、ベルノライトのような一般常識などに疎い自分を必死にサポートしてくれた者達が居たから、最後までトゥインクルシリーズでライバル達と鎬を削り高め合うことができた。

 

 簡略に一言でいえば――“絆”が、オグリキャップに実力以上の力をくれた。

 

 それなのに担当と距離を置いてしまってはそういう絆は生まれないのだろうか? 勿論、どのトレーナーとウマ娘が皆々仲良しではないし、ある程度サバサバした関係性の方がやりやすいし強くなれる、という者達だっているだろうけれど。

 

「情が深ければ深いほど、思いが強ければ強いほど盲目的に見えなくなってしまうこともあれば出来なくなってしまうこともある――例えば」

 

 ルドルフは握り込んだ拳を人指し指と親指だけピンっと立てて、ピストルのような形を作ってオグリキャップに向けた。

 

「今の君のようにな。彼女のことが可愛い気持ちはわかるが――大分、()()()()()()()()オグリ? 聞けば先に行われたマッチレース、強引にグリントを自分のチームに引き入れようとしたから起こったそうじゃないか」

 

「うっ……いや、あれは事前にチームの皆に許可を取っていて……その、勿論フリートのことをちゃんと見てやれてなかった私が悪かったんだが……でも二人共乗り気で……なんでああなってしまったのか、私も予想外すぎて……」

 

 オグリキャップはしどろもどろになりながら狼狽えて、目線を反らす。こんな彼女を見るのは生徒会室に備えてあった来客用のお菓子を思わず全て食べてしまって謝る機会(タイミング)を見計らっていた時以来だった。

 

「それで最終的に流血騒動になってしまっては世話がない」

 

「……」

 

 まあ流血騒動については、ホワイトグリントの不器用な優しさ故のことだったのも聞いているが――と付け加えたけれど、オグリキャップはもう泣きたくなりそうな表情でプルプルと震えていたので、ふぅっとルドルフは一息ついて、出来上がった二人分の紅茶を持ってテーブルへ戻った。

 

「すまない、君を虐めたいわけじゃないんだ。気持ちはわかると言っただろう? 君にとってホワイトグリントは()()()()()()()()()()()()()――ウマ娘の間ではそういうオカルトめいた話が多いし、私にも経験がある」

 

「ルドルフにも……?」

 

「私のレースやライブをキラキラした目で熱心に見てくれた子達が居てね。不思議と彼女達が私を応援する姿だけはレースに集中してる時でさえ流れる景色の中でもクリアに映って、その声援は私に力をくれた……名前はツルマルツヨシにトウカイテイオー……私はトレセン学園の生徒会長として、ウマ娘の幸せを願う者として全てのウマ娘を平等に、そして誠実に接しようと努めている――しかし今は私と古琴之友である君しか居ないから、包み隠さず言おう」

 

 一口だけ紅茶を含み香りと味を味わい、静かにコーヒーカップを起いてルドルフは力強く、しかしちょっとだけ照れながら断言した。

 

馬鹿正直(ぶっちゃけ)、ツヨシとテイオーが滅茶苦茶(めっちゃ)可愛くてしかたない。病弱なツヨシが今年トレセンに頑張って入学できたとの報を聞いた時は生徒会室(ここ)で思わず号泣してしまったし、テイオーが『ボクも来年絶対にトレセン学園に入るからねー! 生徒会室にはボクのティーカップを用意しといてね!』と言った当日に急いでカップを買っていた。しかも急ぎすぎて間違ってコーヒーカップを選んでいたものだから後日また買い直した。あの二人の事になると、何故か愛しい我が子を前にした父親のような感覚になってしまう……ウマ娘(おんな)なのにな」

 

 ぶふぉっ、とオグリキャップは思わず吹き出した。常に冷静沈着で公明正大な皇帝シンボリルドルフから放たれたその言葉の数々があまりにも衝撃的だったからだ。ぶっちゃけだのめっちゃだの砕けた口調や、あからさまに特定のウマ娘を依怙贔屓しているのも友人となってもう長いオグリでさえ初めて彼女の口から聞いた言葉である。

 

「入れ込みすぎだなんて、よくも人のことを言えたな……?」

 

「ホワイトグリントが受かったと、ウェディングケーキのような巨大なケーキをここで食べながら2時間ほど私に自慢して帰った君ほどではないと思うが……まあ何が良いたいかといえば、“愛は人を盲目にする”ということだ。そうならない為にも、沙藤トレーナーは一歩引いた立場でウマ娘達を導こうとしているのだろう」

 

「むぅ……そういうものか……」

 

「ウマ娘が千違万別であるように十人十色のトレーナーがいるさ。一度、君も沙藤トレーナーと話してみればいい」

 

「ああ、それは勿論、そうするつもりなんだが……まだ通信販売(Umazon)で注文した品が届いてなくて」

 

「……品?」

 

「登り鮎というお菓子なんだ。岐阜県で銘菓といえばこれ、というくらい人気があって、美味しいんだ。担当契約を解約しない限り、グリントがこれから先ずっとお世話になる人なのだから、お土産くらい持参して挨拶しないと失礼だろう?」

 

 ――私以上に先輩後輩関係通り越して()()?っと思うくらい()の気持ちになってるな、と言ってから苦笑いを浮かべ、ルドルフは再び紅茶を口に運んだ。

 

 

 ■■■

 

 

 入れ込みすぎている、というのはオグリキャップも自覚はしているのだが、しかし自覚したからと言ってどうにかなるような気持ちでもないということもまたはっきりと自覚できる。オグリキャップにとってホワイトグリントとは自制心がどこか彼方へ斜行していってしまうような、それほどの大切な存在にすでに()()()()()()()()()のだから。

 

 シンボリルドルフがツルマルツヨシとトウカイテイオーが可愛くて仕方ないと思うように、オグリキャップはホワイトグリントが同じく可愛くて仕方がない。いや、きっと間違いなく()()()()だろう。

 

(……ルドルフが有望と認めているトレーナーだぞ。きっと良い腕をしているし、真っ当な人。そもそもグリントが自ら望んで入ったチームだ……)

 

 そう言い聞かせるも、やはり不安の種は浜の真砂の如く尽きない。沙藤トレーナーはちゃんと、ホワイトグリントが無理をしてハードトレーニングをしないように見てくれるだろうか? 不安で、心配で、気がかりで……ふと気づけば、そうやって常にホワイトグリントのことを考えている自分がいる。

 

 いくらホワイトグリントのことが大切だからといって、余りにもその接し方は異常(・・)と言えるほど。原因は、わかっている。彼女の祖父が与えた呪い――その一点に尽きた。

 

 祖父が自分のせいで逮捕され、汚名を着せられ――その事で自分で自分を許せなくなったホワイトグリントは己を痛めつけるようなハードトレーニングで己を罰し続けながら生きつづけていると確かに語った。祖父が虐待容疑で逮捕されたのは彼女のせいじゃないのに、彼女をこんな風にしておきながら蒸発した彼女の祖父吉城竜堂をオグリキャップは到底許せるものではない。

 

 しかし、あの偶発的に行われた大切な後輩の一人であるライジングフリートとのマッチレースで、少しだけオグリキャップはそのことに疑問を感じる余地が生まれていたことに気づいのだ。

 

 ――ホワイトグリントは、本当に自分を罰する為だけに生きているのだろうか?

 

 彼女にとって、自分の手を噛ませて流血させ、祖父を馬鹿にされたのはこれ以上に痛かったのだと見せつけてみせる程に祖父の事が大切なのは、わかる。でもそうしたら――あのレース中に見せた、見るもの全てを魅了するような素敵な笑顔を浮かばせることが、果たしてあるのだろうか。

 

 あれは間違いなく――走ることそのものを楽しんでいた。おそらくは4000mという余りにも長い距離を走る苦しみを感じ、己を罰することが出来て満たされ思わず笑顔になってしまった――という理由もあるのだろうが……まだ短い付き合いではあるけれど、そういう時彼女が笑みを浮かべるのをオグリキャップは知っている。

 

 でも彼女はそれだけじゃなくて――純粋に走ることも好きで、トレーニングをすることも好きなんじゃないのか?

 

 愛が人を盲目にするとしたら――彼女の祖父は、意図的に虐待したのではないんじゃないか? ホワイトグリントを愛するが故に()()()()()()()()()()()()()()()()()なのではないか?

 

 勿論、虐待と客観的に証明されて逮捕されることをしていたのは事実なのだから、愛ゆえに周りが見えなくなってしまっていたという理由があったとしても許されるものではないが――。

 

 祖父、吉城竜堂は果たして本当にオグリキャップの思うような“()”なのか? 彼女にかかった祖父の呪いを解くにはまず――そこから理解していかないと駄目なのでは――。

 

「……うん?」

 

 ふと、オグリキャップの視界の端に()()()()()()が映って、先程までぐるぐるしていた思考の渦が止まる。

 

「――グリント!?」

 

 その白く大きい物は、ベンチに仰向けで横たわっている体操服姿の白毛のウマ娘――ホワイトグリントであった。彼女の身に何かあったのか!? と一目散にオグリキャップはベンチに駆け寄ると――すやすやと安らかな無表情で寝息を立てていたと姿と、彼女の耳元に置かれたスマートフォンにテープで貼られた『仮眠中です。登校時間になったら目覚ましが鳴るので起こさないでください』と紙に書かれた内容をみてガクリ、と安堵して肩を落とした。

 

(寝てるだけか……びっくりした……)

 

 何もこんなところで寝なくても、とオグリは思うけれどここはグラウンドと中等部のロッカー室の近い場所で、おそらくは彼女は早朝トレーニングをグラウンドでしていて、移動時間が勿体ないだとかそんな理由で時間までここで寝ることにしたのだろう。合理的というか、大胆不敵というか、やはり大物だと褒めていいやら呆れていいやら……しかし季節は春とはいえまだ早朝は肌寒く、このままでは風邪を引いてしまうかも知れない。

 

 せめて中等部のロッカー室に運んで、室内で寝かせた方がいい。オグリキャップは彼女のスマホをポケットに入れた後、まるでシャボン玉を割らないように手で掴むが如く優しく、そっとホワイトグリントをお姫様抱っこで抱え上げてゆーっくりと歩き始めた。

 

「……」

 

 こうして自分の腕の中で眠る彼女を間近で見ていると、本当にホワイトグリントは美しいウマ娘だと再認識する。綺麗に整った顔を雪景色のように白く輝く白毛が覆うその(なり)は芸術作品だ。だからだろう、だからこそ尚更オグリキャップは思うのだ。そんな彼女に傷ついて欲しくない――と。

 

(――アスリートは、上を目指せば目指すほど、本気であれば本気であるほど……大なり小なり()()()()()()()()()()。私だって、ルドルフだって、タマだって、他の皆も――例外なく、だ。彼女からしてみれば、私の過度の心配なんて余計なお世話なんだろうが……)

 

 それでも、君の事が心配で――大切なんだよ、グリント。

 

「う……うぅ……」

 

 突然うめき声を上げたグリントに、しまった起こしてしまったか、とオグリキャップは思ったがそうではなかった。

 

「おじい……ちゃん……おじいちゃん……」

 

 ――祖父の夢を見ているのだろう。その苦しそうな声から察するに、ひょっとして祖父が逮捕されて離れ離れになった時の夢を見ているのかも知れない。

 

(どれほど――グリントにとって、どれだけ……祖父の存在は重い物なのだろう)

 

 例えば、ホワイトグリントと自分、そして彼女の祖父と自分の母親の立場を置き換えて考えてみるとしよう。膝を満足に動かすこともままならなかった自分の脚を毎日何時間も丁寧にマッサージしてくれて、決して裕福ではなかった――どころか貧乏でさえあった家庭にも関わらず大食漢の自分を満足するくらい美味しいご飯を食べさせてくれた愛する母親に、今日から大変だけど未来のG1ウマ娘を目指して厳しいトレーニングをして欲しいと頼まれたら――勿論あの優しい母親がそんな事を子供にやらせるなんてありえない仮定ではあるけれど……断ったか? いやそもそも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? きっとそれが母親の為になるなら喜んでやっただろう。

 

 ……全ては、想像でしかない。

 

 全ての真実を明らかにするにはちゃんと腹をかっ開く勢いで彼女と、そして祖父を交えながら対話しなければならない。

 

 もしも、そこにちゃんと“愛”があったのならば。

 

 もしも、そこにちゃんと“絆”があったのならば。

 

 全ては――“愛”故に起きた事ならば――。

 

(私は、私は……吉城竜堂を許――)

 

 

 

 

 

「おじいちゃん――私、頑張る……頑張るから………捨てない、で……まだ……私……使える、よ……」

 

 

 




お父さん(ウマソウル)と祖父の和解フラグを寝言でへし折っていくドマゾ。


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十九話『ホワイトグリントと大好きな二人』

 

 夢を見てた。

 

 おじいちゃんに指導して貰いながら気持ちよくトレーニングができて幸せだったあの日々の――突然訪れた、とても悲しい()()()()を。

 

「フォームが甘い! そのお前の走法は一つでも歯車が噛み合わなければ即破綻する! 例え()()()()()()()()()力を入れすぎるな!」

 

 耐震構造の住宅建築ですらブルブルと震えそうなおじいちゃんの怒声と共に空気を切り裂く鋭い音が響いて、“それ”がバシィっと私の身体を()()と、その箇所から甘くそして痺れるような快楽が水面に広がる波紋のように私の身体に広がって思わず漏れそうになる喘ぎ声の代わりに、「はいっ!」っと気合を込めた返事で返す。

 

 その時の私は秘密のトレーニング基地に改造されたおじいちゃんのお屋敷で、フィットネスクラブだとかスポーツジムに設置されてそうな業務用ルームランナー……を4台ほど強引にくっつけて魔改造されたビックリドッキリメカの上で走り込んでいた。ガッシャンガッシャンガッシャンガッシャンと蹄鉄付きのシューズを何百何千何万と叩きつける反響音と巨大ルームランナーの駆動音は、お屋敷を防音工事してなかったら周りから苦情が来るくらいうるさかったと思う。

 

「3000mだろうが4000mだろうが10kmだろうが天候や体調のコンディション関係なくどんな時もゴールラインを割るまで理想のフォームを保てるよう身体に刻め! 常日頃自ら心臓を意識して動かす生物はいるか!? 否! フォームは心臓だ! 意識しているうちはレースのスタートラインにすら立てないと思え!」

 

「はい! おじいちゃん!」

 

 幸せだった。本当に本当に、楽しくて嬉しくて――気持ちよかった。特性マスクで呼吸困難になりながら、心臓をバクバクと痛めつけながら、四肢を軋ませながら、おじいちゃんの怒声と優しさと厳しさが合わさった鋭い視線に見つめられながら――そして時々飛んでくる()()()の叱咤が、至上の喜びを私にくれたんだから。

 

「今度は腋が僅かに開いている!」

 

 再びヒュンと風を切る競バ鞭の音がして私の身体を打ち付けて――。

 

「あっ」

 

 多分、ウマ娘生(じんせい)で一度か二度くらいしか聞けないと思うプレミア感のあるおじいちゃんの呆けた声が――バキっと真ん中からへし折れた競バ鞭の音と共に私のウマ耳に届いた。

 

 

 

「最後に買い替えてから、十数年か。長い付き合いだったが――寿命だな。これはもう使えない」

 

 一旦トレーニングを中断して、ポッキリと折れてしまった競バ鞭を寂しそうに見つめながらおじいちゃんは言う。10年以上という年月は当時の私とおじいちゃんよりもずっと長い付き合いで、もはや相棒と呼んでも過言ではない愛用品。それが私のせいで壊れてしまったと思うと、どうしてもやりきれなかった。

 

「ごめんなさいおじいちゃん……」

 

「謝るようなことは何もないよグリント。こいつはな、己の役割という長いレースを今終えたんだ。それも、最後にホワイトグリントという未来の名バの指導(レース)でな。こいつにとってそれは幸せな大往生さ」

 

「うん……」

 

「まぁ、ただ……こうなると、もう俺も鞭を振るのは辞めかな」

 

「――え゛」

 

 おじいちゃんの言い分はこうだった。競バ鞭は古い時代からトレーナー達に代々伝わるウマ娘用の指導道具で、それを模倣して昔の古い学園ドラマなんかでよく出てくるような教師が持っている教鞭だとかが生まれるくらいには由緒正しい品なのだけれど、時代の変化で近年体罰が厳格化され始め教鞭が消えたのと同じように、いくらウマ娘が人よりも頑丈で競バ鞭自体が一般的な鞭と違って全力で振ったって殺傷力なんて微塵もない叱咤激励用の“見せ鞭”であっても『由緒があろうが今の時代にウマ娘を鞭打つのは人道に反するだろう』と全面的に禁止――されたわけではないのだが、それでも多くの世界中のトレーナーが自主規制を初めて競バ鞭も歴史から姿を消した。

 

 もはや競バ鞭を使ってウマ娘を指導するトレーナーなんておじいちゃんのような古い時代に取り残され新しい時代に適応できなかった、と自虐するごく僅かな古い人達や、私には口が避けても言えないという()()()()()()()()でしか使われていないらしい。

 

「ずっと俺はこうやってウマ娘を指導して来たが……まあ今はそういう時代だ。トレーナー御用達の専門店にすら()()()()()()()()()()。詰まる所――競バ鞭(これ)はもう、俺達(トレーナー)の商売道具とすら認められていないのさ」

 

 寂しいし、いくら新しい時代に馴染めなかったとしても――売ってすらない物は俺のような過去の遺物とてもう()()()しかないだろう? もはや新しい()()を探す気にはなれないのさ……としんみりとした声でおじいちゃんは私の頭を撫でなからそう言うけれど……。

 

「……やだ。やだやだやだ!」

 

「グリント……」

 

「おじいちゃん――私、頑張る! 頑張るから! 捨てないで! まだ私に使えるよ! ずっと! ずっと! 私に使ってくれなきゃやだ! 叩いてくれなきゃやだ! 売ってないなら直して!」

 

「いや、お前が頑張ってもどうにもならなくてだな……お前が()()()()()()なのはわかるが、消耗品は役割が終われば捨てる物だ。大体、競バ鞭なんて対して(きもちよ)くないだろう? それに俺が作ったそのマスクだって、手入れしてくれてはいるようだがもうクタクタだし衛生的にもそろそろ変え時だぞ? 俺が新しいのを作ってあげるからそれももう捨てろ」

 

「やーーーーーだーーーーーーー!!!!!!」

 

 普段私はわがままなんて滅多に――嘘、トレーニングもっとやりたい、とかそういうわがままは結構言っていたけれど、しかしそれ以外で泣きわめいて、地団駄を踏んで、駄々をこねたのはその時が初めてだった。

 

 だって到底諦められるものじゃなかったんだもん。確かに競バ鞭は対して痛くない。いや、痛いっちゃ痛いのだが、普段のハードトレーニングなんかに比べれば僅かな気持ちよさしかないのは事実である。しかし気持ちよさの大小が問題なんかじゃなくて、その鞭は文字通り私にとっておじいちゃんが与えてくれる()()()だったのだから。鞭打たれる度におじいちゃんの私を思ってくれる気持ちが伝わって来て――それが何よりも私には()()()()()()()嬉しかったから。それにこのマスクだってそうだ。古くなったとか、クタクタになったからだとか――そんな理由でおじいちゃんがくれたものを無下になんてしたくない。

 

 結局、それからああだこうだと押し問答が繰り返されたが――。

 

「はぁ……わかった。俺の負けだ、だからもう無表情で泣き叫ぶのはやめろ。逆に器用だな、お前は」

 

「っ!」

 

「トレーナーの専門店には売ってないが……まあ、当がないこともない。今日の夜あたり、探してみるさ……マスクも……新しいのは作るが、まあ使い続けるならちゃんと洗って、天日干しして、綺麗にするんだぞ」

 

「ありがとう……おじいちゃん!」

 

「……売ってるとしたら、ウマ娘向けのSMクラブだとかアダルトショップだよなぁ。かつてのトレーナーのトレードマークも、今じゃもう水商売のプレイ用品か……」

 

 おじいちゃんがため息を吐きながら、ぼそっと消えるように呟いた言葉はおじいちゃんの優しさに感動し新しい競バ鞭にワクワクしてわーい! と騒いでいた私には聞こえなかった。

 

 悲しい別れがあれば、嬉しい出会いがある。だからきっと、おじいちゃんとだってもう一度――。

 

 

 ■■■

 

 

「グリント。起きて、グリント」

 

 はっ、とおじいちゃんと同じくらい大好きな声色と、優しい手付きでゆさゆさと身体を揺らされる振動で私は目が覚めた。その大好きな声を間違えるはずもなく私を起こした相手は――。

 

「……オグリさん?」

 

「おはよう、グリント。仮眠中で悪いと思ったけど、(うな)されてたから、起こした。あとグリント、春先に――いや、他の時期でもだが、ベンチで寝ちゃ駄目だ。風邪を引く」

 

 ……魘されてた? ゆっくり周囲を見渡すと、私はどうやらオグリさんにお姫様だっこされていて、どこかに運ばれている様子。ああ、きっとベンチで仮眠していた私をたまたま見つけて、どこか寒風の当たらない場所にでも運ぼうとしてくれているのだろう。どこまで優しいウマ娘なんだオグリさん――抱っこされてオグリさんの綺麗で素敵な美しくて格好いい顔が近くて視力が上がりそう! 私の大好きな人達はこうまで優しい人達ばかりなの! 私だけ幸福すぎて絶対いつかバチが当たるぞこれ! 私の元だけに局地的な地震が起きるとか、雷が直撃したりだとか、火事に巻き込まれたりだとか! ……バチか、ご褒美(それ)

 

「はい、ごめんなさいオグリさん。トレーニングで、火照っちゃって……」

 

 朝の冷たい春風が気持ちよかったからついうとうとして手頃なベンチで寝ちゃったんだけど……いやいや、しかし冷静に考えると朝方にベンチで寝てるって、絵面とか生活態度だとか、そういう面でも全くよくないな確かに。素行が悪いなんてもんじゃない。反省反省。小学生の頃は基本一人で疲れたら適当な場所で仮眠してたし、私の唯一の友と一緒に並走していた時でさえ、一緒に雑魚寝してたからなぁ……何故か起きたら抱きまくらにされてたりおっぱい枕にされて胸揉まれてたりしたけど。もう私は子供じゃなくてトレセン学園の名誉ある生徒なのだから、それに相応しい行動を取らなくちゃオグリさんやトレーナーさんにも迷惑がかかってしまう。

 

「わかってくれれば、いい。それとな――先程、つい君の寝言を聞いてしまったんだが……」

 

 ――う、うあああああああああああぁ! オグリさんに寝言聞かれてた! は、恥ずかしいいいいいいいいぃぃぃぃぃ! やばい、私寝言で何ほざいちゃったんだろう!? オグリさんは私がドM(クソマゾ)だって知っていてもバラさずに黙ってくれているから別に問題はないけど! それでもやっぱり恥ずかしいもんは恥ずかしい!

 

「君にとって、辛いことかも知れない。辛いなら、そう言って欲しい。でも……でも、聞かせて欲しいんだ――祖父に、使()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ああああ、やっぱりあの夢のこと寝言で言っちゃってたかぁ。なんだが、若干……というかかなり? オグリさんの声色が強くてどこか怒っているようにも聞こえるけれど……うぅ、やはりベンチで寝てたのはオグリさんのような仏のウマ娘さえ怒らせるような不品行か……本当にごめんなさい……。

 

「……はい。でも、おじいちゃんは悪くありません。悪いのは、私です……応えられなかった、私……」

 

「っ――!」

 

 まあねー、正しいのはそりゃ、おじいちゃんだからなぁ。壊れた競バ鞭だとか、古びたマスクだとか……ぽっきりと壊れた鞭なんて、補修したとしてもきっといつか再び折れて先端が明後日の方向に飛んでいくかも知れないし、そうなったら私が怪我をするならいいけれどおじいちゃんが怪我をするかも知れなかった。マスクだっておじいちゃんとの約束通り綺麗にして衛生に気遣って使ってはいるけど、やっぱり限界はあるとは思う。

 

 それでも、捨てろというおじいちゃんの言葉には、応えられなかった。応えたくなかった。間違っているのは私だとしても。

 

 新しい競バ鞭を迎え入れて、古い競バ鞭はおじいちゃんがゴミ箱に入れてしまったけれど実はこっそり回収して私の実家の宝箱の中に入れているし、クタクタを通り越して破れたりしてしまったお古のマスクも同じ様に取って置いてある。

 

 物を大切にすることと、壊れた物を捨てないことは違うと、わかっていても――。

 

 私にとって、おじいちゃんの愛を沢山感じさせてくれた古い鞭も、おじいちゃんの温もりを感じさせてくれたマスクも――それは、それは。

 

「なん、で……そうなる……! 君は! 悪くない!」

 

 オグリさんの震える声が、木霊する。

 

「使えないとか! 捨てるとか! どうしてそういうことが言える!? まるで物みたいに! 違うだろう!」

 

 涙ぐんだように、悲しさを宿した声が木霊する。

 

()()()()()()()()()

 

 ――そうだ。()()なんだ。オグリさんの言う通りなんだ。競バ鞭も、マスクも、ただの物なんかじゃなくって――私にとって、掛け替えのない()()()なんだ。おじいちゃんと一緒に過ごして()()()()()()だから――私は……捨てたくなかったんだ。

 

 いつもいつも、いつもいつもいつもオグリさんはこうして私の事を思ってくれて、そして私が欲しい答えを与えてくれる。私をわかってくれる。なのに私は、何も返せていなくって――本当に、情けない。

 

「はい――はい……! 物じゃ、ただの物じゃ、ないですっ!」

 

 多分、私はまたオグリさんの前で泣いていた。おじいちゃんに逆に器用と言われた表情のままで。オグリさんの為なら、何でもできる。なんでもしたい! 今は、今の私なんかじゃ何もできないかも知れないけど……でも、きっといつか、必ずいつか、この恩を返したい。いや、したいじゃない! 絶対に返すんだ!

 

「頼む、グリント……自分が悪いだとか、もう言わないでくれ――悪いのは、悪いのは……()()()()()

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……。

 

 いや。

 

 いやいやいやいや。

 

 いや~~~~~~~~~~~~~~~~~~~……。

 

 …………それはこう……違わないですか? オグリさん?

 

 おじいちゃんとの思い出の品は、確かにただの物じゃなくて、オグリさんが正しいんだけど。

 

 でもやっぱり壊れた物はちゃんと捨てなさい、っていうおじいちゃんが間違っていると言われると、やっぱり違うなぁ……って……。

 

 まあ、だからどっちが正しいかと言われると……。

 

 

 

 大好きな二人がどっちが正しいかなんて、選べないよおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!

 



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二十話『ホワイトグリントとセイウンスカイ』

 

 トレセン学園に入学してから数週間が経過して、そろそろ新しい学園生活だとか初めての寮生活といった慌ただしい日々にもなんとか慣れ始めたそんな折――寝坊癖のあるセイウンスカイには珍しく、たまたま早く目が覚めたものだから折角だし早朝ランニングにでも精を出しますかーと、セイウンスカイはまだ若干肌寒い春先の薄暗い空の下でせっせとランニングをして少しだけ白く霞む息が目に映ると、ふとホワイトグリントという白毛のウマ娘の事が脳裏に浮かんだ。

 

 彼女は()()()()()()であるとは思うのだけれど、しかし同時に()()()()()()()()()()()だともセイウンスカイは思う。所謂(いわゆる)“不思議ちゃん”、という奴だろうか?

 

 数週間もあればクラスの中で気が合ったり趣味が合ったりウマが合ったり、友達付き合いが始まってすでにグループがポツポツと形成されて行く中、彼女は孤高に徹していた。ホワイトグリントは基本的にいつも一人で居る事を好んでいる――ように見える。

 

(まー。多分キングが止めてなきゃ、今でも質問攻めで囲まれてたんだろうけどなー)

 

 というのも、初日の自己紹介でかの皇帝シンボリルドルフに立ち並ぶ伝説的(レジェンド)ウマ娘魔性の青鹿毛(メジロラモーヌ)を超え無敗三冠ウマ娘(トリプルティアラ)になる、という悪く言ってしまえば()()()()な大胆発言でクラス中を困惑させたかと思えばその翌日。

 

 今度はあのオグリキャップの後を追うようにカサマツからやってきたスーパートレーナー“北原穣”が中央で結成し飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進するチーム【ジョーンズ】の重賞ウマ娘ライジングフリート先輩と何故か4000mという超々長距離マッチレースを繰り広げ、まるで無敗三冠宣言の裏付けをするようにいくつかのハンデ付きとは言えども真っ向勝負で()()()()()()()というのだから、新入生を含めた数多くの者達が彼女を気になって仕方がない、というのも無理のない話だった。

 

 というより元々最初から皆々、白毛(・・)という世にも珍しく美しい毛並みと美貌を持つ彼女と話してみたかったのだ。けれども(くだん)の無敗三冠宣言を堂々と全くの()()()で言い放つ彼女の独特な雰囲気に気圧(けお)されて、気軽に喋りかけるのも(はば)かれてしまって――という状況の中で新入生なのにクラシックシリーズのG1戦線で戦うウマ娘に勝った、という奇跡的な偉業の勢いが背中を押して、それはもうマッチレースの翌日からは日本一のアイドル(オグリキャップ)に群がるマスコミや記者の様にひっきりなしにクラスメイトから朝から授業が終わるまで質問攻めで囲まれ続けていた。

 

「ねぇねぇ! 今までどんなトレーニングして来たの!? クラシック級の先輩に勝つとか凄すぎない!? もしかしてフリースタイルレースの経験あったり!?」

 

「好きな距離は!? やっぱり長距離!? 私はマイラーなんだけど長距離にも興味があってさ! 長距離の走り方教えて!」

 

「胸のサイズ聞いていい? あと揉んでいい?」

 

「ふぇー、綺麗な白毛……すっごいサラサラ……どんなシャンプー使ったらこんなに滑らかに……?」

 

「オグリキャップさんとの関係は!? オグリキャップさんやタマモクロスさんと一緒に食事できるなんて羨ましいなぁ!」

 

「どうしてチーム入り断っちゃったの!? ジョーンズなんて今トレセンでもトップレベルの有名チームなのに勿体ない!」

 

 ()く言うセイウンスカイもまたそんな彼女に惹かれている一人だし話してみたい気持ちはわかるけれど、しかしそのあまりにも熱狂的で、もはや騒乱と言っても過言ではないその状況にこれは()()()()んじゃないかなぁ、と感じてどうしたものかと思案していると()()()と大仰に机を叩いて教室中に反響するような大きな音を奏でウェーブのかかったセミロングの鹿毛を(なび)かせながらキングヘイローは立ち上がり叫んだ。

 

「静まりなさい!」

 

 まさに鶴の一声とはこの事で、先程までの喧騒が嘘のように静まり返る。質問を投げ続けていたクラスメイトや、無表情で分かりづらいけれども当のホワイトグリントさえどこかポカン、とした表情でキングヘイローの次の言葉を静かに待っていた。

 

「グリントさんとお話をしたい貴方達の気持ちはわかるけれど、彼女は怪我をしているのよ? そうも騒がしくされたら傷が痛むかも知れないし、治りも遅くなってしまうじゃない」

 

 ――あっ! とその言葉でクラスメイト達はホワイトグリントの包帯に巻かれた傷を見て、キングヘイローが言わんとする事を察した。彼女はマッチレースの後に右手を()()()()怪我を負っているのだ。そもそも怪我の事があってもなくても、いくら彼女の事が気になるからといってこうもしっちゃかめっちゃかに周りを囲んで好き放題騒いでいいはずがない。

 

「ご、ごめんなさいキングさん……」

 

「謝る相手は私じゃないでしょう?」

 

 と、今度は優しい声色で諭すように言うと、クラスメイト達は打って変わって傷に響かないように静かにごめん、ごめんねと謝罪しながら蜘蛛の子を散らすように自分の席に戻っていった。

 

 ――キングって、カリスマ性っていうか、そういうのあるよねぇ……とセイウンスカイは何かと気が合う彼女を内心でそう評していると、ホワイトグリントはキングヘイローに向かってペコリ、と一礼をする。

 

「……ありがとうございます、キングさん」

 

「――っ! べ、別に貴方の怪我や身体が心配だとか、そういうのじゃないわ! ただ一流のウマ娘に相応しくない行いを咎めたかっただけよ!」

 

 だからお礼なんて言わなくていいの! と顔を真っ赤にしてプイッと顔を背けるキングヘイロー。「ツンデレだ…」「ツンデレだわ…」「リアルでツンデレ初めて見た」といった彼女を褒め称えるかのような微かなざわめきの中で、ホワイトグリントは立ち上がって、くるりとゆっくり見回して、クラスメイト達に静かに言った。

 

「……私なんかを気にしてくれて……嬉しかった、です。ただ、私は話すのが苦手なので――もし私に質問があったら、紙などに書いていただければ――返事、返します、から……」

 

 それだけ告げて、ホワイトグリントは椅子に座る。口ぶりはたどたどしかったけれど、しかしそれとは裏腹に一挙一動が何だが優雅で堂に入っている彼女であった。

 

 そして、瞬時カリカリカリカリカリカリ……と教室中に一心不乱にペンを走らす音が聞こえて来て、キングヘイローさえも物凄い勢いできっとホワイトグリントに渡す質問だとかの手紙を書いているものだからセイウンスカイは思わず吹き出しそうになるのを堪えながら、自分も小学生の時から使っているお気に入りの魚の姿を模したメモ用紙にペンを走らせた。

 

 

 ■■■

 

 

 ――ということがあって以来、基本的に彼女とそれを取り巻くクラスメイト達は概ね会話よりも文通で関わる事が多かった。

 

 しかし文通も今のデジタル時代全盛期では逆に乙で良いものではあるけれど、やっぱり花の乙女であるウマ娘なのだから女子トークをしたい欲求もあって、主にセイウンスカイとキングヘイローは無理強いしない程度によく話かけているのだが、あまり会話に華が咲くとは言い難い。

 

 決して会話や対話を拒絶されているということはないのだけれど、会話が苦手というのはどうにも本当でしかも割りかし致命的らしく、うまく言葉のリレーが続かないのだ。

 

 天は二物を与えずというけれど、すでにクラスで一番の人気者の彼女には勿体ない話である。

 

(うーん……別に、セイちゃん本来は……こういうことにガツガツするタイプじゃないんだけどな~)

 

 だけど、ホワイトグリントと仲良くなりたいという思いが不思議と尽きない。セイウンスカイは友情だとか友愛を軽視する、悪く言えば薄情というタイプでは決して無い。しかし青空に浮かぶ誰にも束縛されることもない雲の様に自由に在りたいとは思うのだ。付かず離れず、そんな距離感が彼女には心地よかった。この先、自分にも付くであろうトレーナーにも、そういうタイプを求めたいと思う程に。

 

(まーでも……()()()()()()()って一点は、本当にシンパシー感じるんだよねぇ)

 

 セイウンスカイはあの激闘と呼ぶに相応しいマッチレースの後に、勝った報酬として自分の右手を“噛ませた”というちょっとした――否、かなりの異常的な行動について掻い摘んではあるもののなぜそのような行動に至ったのかを文通を通して理解している。全ては――()()()()()()()()()であったのだと。

 

 全ての発端はライジングフリートがホワイトグリントに発破をかける為とはいえ、彼女の昔中央でトレーナーをやっていたという()()()()鹿()()()()からだ。それがどれだけグリントにとって()()()()()()()()ということを伝える為に右手を噛ませて見せたという。

 

 返答が書かれた手紙には、口下手な彼女と裏腹にどれだけ自分の祖父が素晴らしい人物だったか、どれだけ自分を気にかけてくれたのか――そういうことが書き綴らていて、思わずセイウンスカイはああ、グリントは本当にじいちゃんが大好きなんだろうなと笑みを浮かべる程に心が優しい気持ちになって、そして同時に自分の祖父を思い出していた。

 

 セイウンスカイの祖父はがっはっはと大口を開けて笑うような豪快な性格で、ノースリーブの白シャツに麦わら帽子という田舎っぽいスタイルがやけに似合うおじいちゃんで――そして大好きな、家族だった。

 

 今や自分の人生に欠かせない釣りだって祖父が教えてくれた物だし、走りの才能自体は地元の子には負け知らずだったけれど、それでも中央レースという偉大で険しい勝負の世界で()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! と初めて、そして心から断言してくれたのは祖父が唯一の人だった。

 

 走る理由は祖父の為だけではきっと決してないけれど――しかし勝負に勝ちたいといういつも飄々してほがらかなセイウンスカイの心の底に隠された負けず嫌いで熱い勝負根性を支える思いは、やはりそこまで自分のことを認めてくれて、そして愛してくれた祖父への思いがあるのだと思う。

 

 デリカシーがないだとか、いつまでも子供扱いしてうざいだとか、会う度に頭をぐしぐし撫でて痛いだとか(うそぶ)くこともあるけれど――。

 

 セイウンスカイは、祖父が大好きだった。その思いは同じく祖父が大好きなホワイトグリントに負けないくらいに。

 

(……うちのじいちゃんはさ~とか……話したいな……グリントと……)

 

 例えば一緒にボートに乗りながら釣り糸を垂らして……多分グリントは釣りだとかやったことないと思うから、教えたりなんかして――そういう光景を想像するだけで、セイウンスカイの心はなんだがポカポカして来て、幸せな気持ちになってくる。

 

 気が合って、一緒に居て居心地がいいキングヘイローとはまた違うこの思い。こういう気持ちを抱くウマ娘は、ホワイトグリントが初めてで――。

 

(――あれ? いや、何というか……この気持ちって……友達とかそういうのじゃなくて……あ、あれぇ~? いや、私はあれだよ? 同じおじいちゃん子だから、グリントが気になるだけで……そのはずで……でもこれじゃまるで私、グリントのことが……)

 

 セイウンスカイの心に浮かんだグリントへ思いが、なんだか()()()()()()()()()うっすら気づきそうになった瞬間――であった。

 

「物なんかじゃない!」

 

 その怒声とも取れる声がセイウンスカイの元へ届いたのは。

 

(え!? なになに!? こんな朝っぱらから喧嘩!? いや、でもこの声って――オグリキャップ、さん?)

 

 テレビやネット動画なんかでも常に引っ張りだこな日本一のアイドルウマ娘オグリキャップの声を聞く機会は多い。だからその声の主がオグリキャップだと断定するのに難しいことはなかったけれど……なんでオグリキャップさんが叫んでいるのだろう? という疑問については一切わからない。何かあったのかも知れない、と慌ててセイウンスカイは声のした方向へ走り出すと――。

 

 そこで目にしたものは、ホワイトグリントをお姫様抱っこしながらプルプルと震えているオグリキャップの姿だった。

 

(――何、この状況?)

 

 思考が停止(バグ)ったセイウンスカイだったが、しかし止まっていたのも束の間、()()を見てすぐに思考は回転を始める。

 

 ホワイトグリントが、泣いている。

 

 無表情だけど――しかし、どこか悲しそうに涙を流している。

 

 なんで、泣いてるの?

 

 誰が、泣かせたの?

 

 そんなの、一人しかいない。

 

「悪いのは、悪いのは……()()()()()

 

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()

 




ネタバレ
ホワイトグリントとセイウンスカイとヤエノムテキは後に【おじいちゃんっ子同盟】を結成する仲である。


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二十一話『ホワイトグリントの困惑』

 どうして、どうしてこんなことになってしまったんだ……!

 

 私の左腕をがっしりと摘むオグリさんと私の右腕をこれまたがっしりと掴むセイウンスカイさんにサンドイッチの(ハム)のように挟まれた私は心の中で慟哭する――いや本当にどうしてこうなった!? 将来的に進路の候補の一つとしてやぶさかではないのだけれどハムになるにはまだ早すぎるよ!

 

「初めまして、オグリキャップ先輩……私、彼女と同じクラスメイトで()()のセイウンスカイって言うんですけど……とりあえず、グリントを離してくれませんかね~?」

 

「グリントの友達だったか。オグリキャップだ、いつもグリントが世話になっている……これからも是非グリントのことをよろしくお願いしたいところだが……今は君が離すべきだ」

 

 いつも私なんかに声を掛けてくれる優しいセイウンスカイさんが何故かこんな朝も早い時間に突然現れたかと思いきや、瞬時にオグリさんの腕の中で抱かれていた私の腕を掴んで引きずり降ろしたかと思うとバチバチと火花が散りそうな目つきでオグリさんにそう言って、オグリさんも私を逃すまいと腕を取って静かに目を細めて言い返す。空気が、空気が重い……ここ一帯だけ重力が増しているというか布団乾燥機を使っても布団乾燥機の方がびしょ濡れになりそうなくらい湿度が高くなっているというか!

 

「いやいや~、理由はわからないですけど~……友達が泣いてるのに引けるわけないじゃないですか」

 

「君は優しいんだな……だが私も同じく引けない。理由は話せないがグリントを泣かせてしまったのは私だから、涙を拭うのは私がすべきだ」

 

「へぇ? 誰かに話せない程のことをした、ってことですか? 例えば――グリントの大切な家族を悪く言った、とか」

 

「……グリントのプライバシーに関わる内容だ。例え友達でもそれこそ()()()()()()には言えない」

 

「……友達が他人なら、()()だって他人じゃないんですかね~」

 

 ギスギスして氷柱(つらら)のような鋭く冷たい言葉の応酬が終わると、二人はしばし無言になって、私の腕を掴む力が増していく。その力強さときたらミシッと骨の軋む幸せな幻聴が聞こえてきそうな程で、こんな状況じゃなかったらスイーツの様に甘い痛みにハッピーな気分で浸れていたに違いない。

 

「――手を離してくれ」

 

「――手を離してください」

 

 ミシミシミシ、という音が今度は幻聴ではなく本当に聞こえた様な気がする。工作室の机に設置してあった万力に手を入れてゆっくり締め付けるドM行為(あそび)って全国の小学生がきっと一度はやるよね? 今あの楽しさと気持ちよさを数倍にした感じ。このまま際限なく二人の腕を握る強さが増していくと両腕がポキっとご臨終(ハッピーエンド)を迎えそうなんですが! 気分(せいへき)的にはハッピーエンドでも競走バ的にはバッドエンドなので流石にちょっと困るんですが! どどどどどーすんのどーすんの!?

 

 

 

 

 

 結論から言おう。神はいる。そう思った(どうにかなった)

 

「あんな? かわええ子の涙を見たら慌ててしまうのは仕方ないかもしれへんけどな、肝心の泣いてる子を放って二人で喧嘩してどないすんねん。本末転倒やろ。まずオグリ、そりゃプライバシーで言えへんことはあるやろうし、オグリが大事にしとるグリントをイジメやイビリで泣かすなんてありえへんことはウチらはようわかっとるけど、そんなもんメディア(テレビとか)でオグリのことを知っとるだけの新入生にはわからん。傍から見たらオグリがグリントを(かどわ)かすように見えてしまってもしゃーないやん? トレセンの何個も年上の先輩としてやな、落ち着いてちょっとでも話せる部分の事情は話して説明すべきやった」

 

「すまないタマ……」

 

「次に、セイウンスカイ――やったな? 友達思いなんはホンマにええことや、泣いとる友達の為にオグリみたいな大先輩にも怖気づかんその心意気は買うし、ウチもスカイみたいな子は好きやで。せやけど事情もよくわからんままに鼻息を荒くしたらあかん。先輩を立てぇなんて体育会系の縦社会を押し付ける気はあらへんけど、上のモンに対する礼儀や敬意いうもんはレースだけでなく日常でも必要や。まあ言うとるウチも結構気性難(アレ)やから礼儀に関しては褒められたもんでもないんやけどな?」

 

「はい……タマモ先輩……」

 

 オグリさん、セイウンスカイさんについで三度たまたま通りかかったタマモクロスさんの大岡裁きならぬ玉藻裁きが炸裂し一触即発の雰囲気を纏っていた二人はどうにか落ち着きを取り戻してくれたようで私もホッと胸を撫で下ろす。彼女が来てくれなかったら一体全体どうなっていたのか恐ろしくて想像すらしたくない。しかしウマ娘全体で見てもそこまで多くないはずの芦毛が三人も偶然通りかかるなんてこの道には芦毛を引き寄せる何かがあるのだろうか? これからはその道(Just a way)を芦毛通りと名付けよう。一部のウマ娘からは観光名所扱いされるかも知れない。

 

「最後にグリント。誰にも得意不得意はあるし、口下手かて裏を返せば口堅いって長所や、悪いなんてことはあらへんで。せやけど喧嘩の発端が己で二人に喧嘩して欲しくないんやったらおどおどしてないでそれは口にださなあかん。いずれ三冠(トリプルティアラ)ウマ娘になるんいうなら世代の頂点の一つに立つ者としてどっしり構えるようにならんとな」

 

「言葉もないです……」

 

 この中で誰が一番悪かったといえばそれはまさに二人を止めなかった私だからな……レース後だとか、トレーニング後だとかテンション上がってる時はわりとスラスラ話せるんだけど、どうしても平常時は人前に立つとうまく口が回らない。コミュ障だなんだ言い訳してないでしっかりしなきゃとは思ってはいるのだけれど、変なことを言ったら()()()みたいに白い目で見られてたり、そうでなくても場を白けさせてしまわないかと思うだけで言葉が詰まる……! うううぅ……本当にごめんなさぃぃぃぃ。

 

「まっ、喧嘩自体はそう悪いもんでもあらへん。雨降って地固まるいうやろ? ウチの弟妹(チビ)達も喧嘩なんてしょっちゅうしとるけど、最後には喧嘩前より仲良うなっとる。大切なのは喧嘩した後の仲直りやで――そろそろ食堂も開くええ時間やし、このまま皆で同じ釜の飯でも食べに行こうやないか。な?」

 

 そう言いながら涙目になっていたであろう私の目元を優しく拭ってくれるタマモクロスさん。格好良すぎかよ……好き……。

 

 

 ■■■

 

 

「さっきはすまなかった、スカイ。お詫びにこのにんじんハンバーグのメイン(にんじん)を受け取ってくれ」

 

「いえいえ、私も頭に血が登っちゃって憧れの先輩に失礼なこと……じゃあこちらはこのにんじんステーキのメイン(にんじん)を」

 

「それは実質同じにんじんがぐるぐるしただけやないか……?」

 

「あの……なら、私は、このメイン(ハバネロ)を……」

 

「グリ子。それメインちゃう香辛料(スパイス)や」

 

 朝方のギスギス感などどこ吹く風。オグリさんとセイウンスカイさんも和解してくれたようで、和気藹々とした団欒が広がっていた。辛くて美味しい食事に舌鼓を打ちながら綺麗な三人の芦毛を見て眼福も味わえる……至福とはまさにこのことだろう。芦毛のウマ娘ってさ、結構な人達が歳を重ねるにつれて髪色が私みたいに白くなったり色濃くなったり変化するんだよ、知ってた? つまり彼女達の美しく淡いグレーがかかった髪色は一刻一刻と今この瞬間にも変化していて二度と同じ髪色は見れないんだよ……! それが芦毛ウマ娘の美しさと切なさなんだよ……! 芦毛ファンはぜひともそのことを念頭に置いて楽しい芦毛ライフを送って欲しい。

 

「さて、少しは落ち着いたところで、泣いてた理由って聞いてもええか? スカイもそこらへん聞いとかんとしこりが残ってまうやろ? ああ、でもあんま人に言いいたくない理由ってんなら聞かへんで」

 

 ピクンとセイウンスカイさんの耳が揺れ動く。これはタマモクロスさんが投げてくれたフォローだ! 今度はちゃんと私が自分の言葉で伝えなきゃ!

 

「……その、具体的な内容はちょっと恥ずかしいので省きますが、オグリさんが私を思って言ってくれたことがとても、とても嬉しくて……思わず、嬉し泣き、しちゃっただけなんです……」

 

 そう、おじいちゃんとの思い出が残った物はただの物じゃないと、オグリさんのその至言(ことば)に痛く感動したというだけでセイウンスカイさんが心配してくれたような出来事は皆無なのである。

 

「セイちゃんやっちゃいました!」

 

 ビターン、と両手で顔を多いながらテーブル席に頭を打ち付ける勢いで伏せるセイウンスカイさん。

 

「その……私、おじいちゃんっ子と言いますか……小さい頃からじいちゃんによく面倒見て貰ってて……グリントも祖父の事を凄く尊敬してるって聞いてたから……オグリ先輩がグリントの祖父を悪く言ったんだと勘違いして……ごめんなさいぃぃ……」

 

「そう、だったか……いや、多くは話せないが確かに色々あって、彼女の祖父を悪く言ってしまったのは事実だ。だからその点に関しては勘違いじゃない……家族を悪く言うような奴がいたら……誰だって、怒る、よな……たとえ、()()()()()()()()()()……私は……」

 

 只今の空模様晴れのち多湿(どんより)。回復したと思った雰囲気が再び暗黒に染まろうとしている……! ほら私! 強い心でもう一丁(リトライ)! こんな時にフォローしないでいつも二人に優しくして貰ってる恩をいつ返せるというのか! 

 

「でも、スカイさんの気持ち……とっても、嬉しいです……私、地元じゃ友達って呼べるのは、歳の離れた一人のウマ娘の子しかいなくて……だから……同年代のスカイさんが、友達って言ってくれたの……大好きなおじいちゃんの為に怒ってくれたの……本当に、嬉しかった……」

 

「グリント……」

 

 パァァァと光り輝く擬音が見えるような笑顔を浮かべてくれるスカイさん。おじいちゃん……私いつの間にか初めて同年代の友達出来てたよ……! 友達! なんて甘美な響きなのだろう! 私の唯一の友のことは勝手に友達とは思ってるのだけれど、向こうは私の事を友達だと思ってるか悲しいかな怪しいからな……!

 

「そして、オグリさんも……私と、おじいちゃんの間には()()()()()()()……オグリさんが心配するのは、当たり前で……でも、そんなオグリさんが心から私を安じてくれてるのが伝わってきて……」

 

 だから、悲しい事にオグリさんがおじいちゃんの事を()()()()ってのは、なんとなーくわかってしまう。やっぱりなぁ、周囲の誤解とはいえどもおじいちゃんが虐待行為をして罰を受けた――ということに()()()()()()()()()のは事実なわけで……いくら私がおじいちゃんは悪くないと言っても、その事実を知っている仏の様に心優しいオグリさんからすれば認めるのが難しい問題だとは思う。

 

 でも! でも! だからこそ! きっと私が三冠(トリプルティアラ)を取って証明してみせるから! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! そうすればオグリさんのおじいちゃんに対する誤解も解ける!

 

 大好きなオグリさんと大好きなおじいちゃん! 私は大好きな二人に仲良くして欲しいから――!

 

 そういう思いを込めて、ギュッとオグリさんの手を掴み私は言った。

 

「オグリさん、大好きです」

 

「――えっ! そ、そうか! 奇遇だ! 私も、グリントが大好きなんだ!」

 

 そう言って頭がハッピーセットになりそうなくらい幸せなことをオグリさんは言ってくれて、私の手を握り返してくれた。その手はとても温かくて……よかった……オグリさんが元気を取り戻してくれたみたいで……。

 

「……」

 

 そんな私達を見て、ぐりんぐりんと何故か左右の耳をバラバラに動かしているのはセイウンスカイさんだった……どうしたんだろう?

 

 

 ■■■

 

 

「そういえば、1年生はあと2週間もすれば初めての選抜レースの時期なんやなぁ」

 

 食事も終わってデザートをパクつきながら、タマモクロスさんは思い出したようにそう呟いた。

 

「選抜レースかぁ……私、ゲート苦手だからそもそも出走できるか怪しいんですよね……」

 

 苦手なゲートに思いを馳せているのか、遠い目をしながらセイウンスカイは苦々しい口調で天を仰ぐ。スカイさん、ゲート苦手なんだ……なんか意外だ。私は好きだけどなぁゲート。閉所に閉じ込められるあの束縛感も、開いたゲートが顔を掠めるあのゾクゾク感もあって二度美味しいのに。

 

「ああ、心配せんでもええで。新入生の最初の選抜レースは、まあ歓迎会みたいなもんやからな。上級生とも走らず1年生だけでやるし、確か人数が集まって希望すればゲート無しでレースも出来たはずや」

 

「そうなんですか!? うわぁセイちゃん良いこと聞いちゃいましたね~」

 

 うってかわってウキウキ顔な彼女。そこまで嫌いか……。

 

「そもそも入学から一ヶ月で何ができるんやっちゅー話やし。ウチらの時もまだ長い距離は走れんって、希望者集めて600m(3ハロン)でレースをやっとった子らも居たなぁ。規定数希望が集まれば自由なレースやってええねんで。細かいルールもトゥインクルレースみたいな公式ルールとは違ってかなりゆるゆるやしな」

 

「そうなのか……私はカサマツから途中入学して、すぐにろっぺいがトレーナーになってくれたから、選抜レースには出たことがなかったな」

 

「あー、そういえばオグリはせやったな。選抜レースも走らんとええトレーナーがつくなんて、オグリもグリントも羨ましいで……いや、グリントはある意味選抜レースよりきついもんこなしたけどな……ウチなんて昔は気合が空回りしたり転倒に巻き込まれてバ群の中が怖くなったりダメダメやって苦労したわ」

 

「懐かしいな……あの頃のタマはよくシワシワの干物のようになっていた」

 

「ただでさえ食が細いのに水分までなくなったらホンマに背中とお腹がくっついて……ってその頃オグリは中央におらんかったやろうがい!」

 

 相変わらずキレのあるオグタマ漫才劇場を堪能しつつ、タマモクロスさんの言葉に引っかかる。『選抜レースも走らんとええトレーナーがつくなんて』――そうか私、選抜レースって別に出なくてもいいんだな。選抜レースは()()()()()()()()()()()()()()のアピール場。すでに哲夜トレーナーと担当契約を結んでる私が出る必要性ゼロ、というよりむしろ他のウマ娘からしたら担当がついてるのに走られたらアピールが薄れてしまうかも知れなくて逆に迷惑だろう。

 

「……でも、本気のレースして見たかった、です。同級生のみんなと――デビューまでは、長いから」

 

 順当に行けば、私が本格化を迎えジュニア級ウマ娘としてデビューするのは二年後の中等部三年生。トゥインクルシリーズまで模擬レースなんかは出来るかも知れないけど、選抜レースのように将来のかかった本気(ガチ)の場所でレースをすることは叶わない。

 

 寂しい……。 

 

「せやけどなぁ……多分、()()()()()()()()()()そもそも。スカイや他の新入生には悪いけどな、グリントは現状、他の新入生と比べて基礎スペックが高すぎる。特殊なハンデ付きとはいえ現役重賞ウマ娘にマッチレースで勝ったんやで? グリントは負けるはずのないレースやっても意味ないし、他のもんも勝てるはずのないレースやっても意味ないやろ。一回目の選抜レースは歓迎会言うてもトレーナーもちゃんと見に来る貴重なアピールの場所なんやで」

 

「うーん……セイちゃんもグリントとはレースしたいけど――()()普通にレースやったんじゃ、どうやっても勝てるビジョンが浮かばないかなぁ」

 

 そっかー……。鍛え続けた弊害がこんなところにあるとは思いもよらなかった……。

 

「ふむ? なら一回目は普通に走って、二回目で希望者を集めてグリントを交えたハンデ戦とかをやったら駄目なのか?」

 

「それもあかん。一回の選抜レースで出場してええレースは1レースだけやからな」

 

 考えれば考えるほど私がレースできる可能性が詰まれていく……いいんだ、いいんだよ……私は運良く担当がついてラッキーなウマ娘なのだから、他の皆の邪魔をしちゃいけないよね。選抜は、応援するだけにしとくのが吉でしょう。

 

「……1()()()()()()? あれ、でも……キングが確か――それに、例えば走るレースが()()()()()()()()()……」

 

 顎先に指を当て、スカイさんはなにやら考え込むように独り言ちたかと思うと、目を輝かせながら少しテンションの上がった口ぶりで私に訪ねた。

 

「ねぇグリント! グリントって1ハロンの自己ベスト何秒!?」

 

「それだったら、12.8秒ですね」

 

「――そっか。グリントが凄いって言っても、まだ本格化してるわけじゃないんだから最高速度(トップスピード)は……! オグリ先輩! タマモ先輩! グリント! ごちそうさまでした! 私ちょっと調べ物してくる! また今度ご飯、ご一緒させてくださいね!」

 

 びゅん、と風を切って走るスプリンターウマ娘のようにスカイさんは慌ただしく食堂から去っていった。スカイさんっていつもゆるふわで優しい面持ちをしたウマ娘なのに、熱くなるとなんだが激しい気性を感じるというか……調べ物って、何か思いついたのかな?

 

「セイウンスカイ、か――グリント、良い友達が出来たんだな」

 

 こくり、と私はしっかりと頷いて答える。心の底からそう思う、セイウンスカイさんは私にもは勿体ないくらいの――とても優しくて素敵な友達だって。

 

 

 ■■■

 

 

「注目ー! ねえ皆! 今、1年生で一番(ターフ)で速いウマ娘って誰だと思う――? うん。多分、ほとんどのウマ娘が今、一人の白毛のウマ娘の事を思い浮かべたと思う。でさ――走ってみたくない? 本気の場所で。勝負してみたくない? ハンデなんて無しで! 私達はきっと皆地元じゃ負け知らずのウマ娘で、きっと一番速いウマ娘になれるって、きっと一番強いウマ娘になりたいって、トレセン学園(ここ)に来たんでしょ。わかるよ、だって()()()()()()()! それなのに――あのマッチレースを見て、聞いて、知って! ()()()()()()()()()()って思って諦めてない? ――情けないけど、それもわかる! 私だって同じことを思った! はっきりいって――ここに来るまで()()()()()()()()()()()()()()()、ってのがわかっちゃう! どれだけ途方もない努力をしてきたのか想像もつかない相手と肩を並べられるなんて気軽に言えるほど、私達は()()()()()()()()()()()()()()()()()でしょ! 頑張って来たからそれがわかるんでしょ! でも、それでも! 彼女を一人トップで走らせてていいの!? ()()()走らせてていいの!? あなたのライバル(・・・・)はここに居るって、私達はここにいるって、証明しようよ! 今から提示するレースは変則的で、王道でもない特殊な距離! だけど――今の私達ができるハンデなんてない公平(フェア)()()()()()()()()()()()()()()()()()()! 選抜レース()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()でグリントと勝負したいって(ターフ)のウマ娘がいるのなら、名乗り出て! 種目は()()()200m(1ハロン)の、超短距離(スーパースプリント)だ!」 

 

 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉ!!!! とスカイさんの熱い大演説を聞いて大歓声を上げるクラスメイト達の熱気が吹き荒れる教室で私は静かにこう思った。

 

 どうして、どうしてこんなことになってしまったんだ……!

 




ネタバレ
 選抜レースに出走していいのは原則一回だが、それは馬場が同じ場合のルールであり馬場を変えれば2回出走できる。(アグネスデジタルのストーリーより)
 セイウンスカイがわざわざ二戦することを選んでいるのは普通のレースでトレーナーへのアピールをする選抜をやっておかないとグリントとレースをしようとするウマ娘の希望数が減って規定数に届かずダートレースが出来ないかも知れないという憂いを無くすのと、グリントが他のウマ娘のアピールの場を奪いかねないという気後れを無くす為である。かしこい。


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二十二話『ホワイトグリントと新入生達①』

 トレセン学園では四季に合わせて年4回、『選抜レース』と銘打たれた大規模イベントが開催される。芝、ダート問わず根幹距離*1から非根幹距離*2まで多種多様の条件からなるレースを数日かけて消化していくその催しは、日本最大の競バの祭典トゥインクルシリーズへ参加する為の重要なステップレースだ。

 

 極一部の例外はあれど、基本的にトゥインクルシリーズで出走できるのはトレーナーと担当契約を結んだウマ娘達だけである。よって未契約のウマ娘達はこの選抜レースで実力を示し、金の卵を探して真剣に観戦するトレーナー達からのスカウトを受けなければまずスタートラインにも立てない。

 

 そういう意味で、トレセン学園に携わる者達からすれば選抜レースは決して気楽な遊びの場ではなかった。トレーナーだけではなく記者やカメラマンといったマスメディア関係者どころか熱心な競バファンの一般人さえ後のアイドルウマ娘を一足早く目に収めようと押し寄せて来るほどにその注目度は高いのだから。

 

 選抜レースは間違いなく真剣勝負なのである。そこで多くのウマ娘達は――高く(そび)え立つ実力と才能の違いという壁を知り、()()()()()を味わうことになる。

 

 通年、夢と希望を持ってトレセン学園へやって来た新入生もそんな選抜レースの重要度と過酷さは見聞で知っているから、時期が近づけば新生活になんとか慣れ始め、落ち着きを取り戻しつつあった心の平穏が再び浮足立つというものだが今期の新入生達は通年とは少し違っていて――輪をかけて()()に色めき立っていた。

 

 あの話題の白毛のウマ娘ホワイトグリントが選抜レースを利用して()()()()()()()()をやろう――というのだから。

 

 

 ■■■

 

 

 今年のトレセン学園の新入生ウマ娘はきっちり400人。それを40人ずつクラス分けするので一学年10クラスにもなる賑やかなマンモス校である。それも全国から険しい倍率を勝ち抜いて集った優秀なウマ娘達ばかりなのだから、入学からまだ2週間という短い期間で10クラスを股にかけて特定個人が有名になる――ということは通常滅多にない事例ではあるのだが、今年は違う。

 

 白毛のやばい方(ホワイトグリント)。その話題性(ネームバリュー)は間違いなく新入生なら誰でも知っているようなウマ娘だった。そもそも彼女はハッピーミークと共に世界的にも珍しい白毛のウマ娘という個性(アイデンティティ)で入学早々、物珍しさから何かと話題になるウマ娘だったのだけれど、日本一のアイドルウマ娘ことオグリキャップが所属するチーム【ジョーンズ】の重賞勝利(ホルダー)ウマ娘ライジングフリートにハンデ付きとはいえ4000mマッチレースで勝ってしまった――という大物食い(ジャイアントキリング)は同じ新入生からすればとても信じられないようなまさに未曾有の出来事である。

 

 その話がG1レースのラストスパートよりも速くトレセン学園中を掛け巡っていったのも当然だろう。そうしてホワイトグリントというウマ娘は、現段階で新入生最速のやべぇウマ娘である――という思いが当人を除いた399人の新入生の中で概ね共通認識だった。

 

 さりとて、この()()()()()()()()大活躍し話題を独占する存在がいるのが面白くないウマ娘も中にはいるわけで――。

 

「面白くないヨ……そうは思わないジハードクン! 新入生最速? どう考えてもそれはボクのことだヨ!」

 

「――そういうことはG1級の先輩に勝ってから言うことじゃないかな、ラヴ」

 

短距離(スプリント)ならボクも負けねーヨ!」

 

 部分部分がどことなく()()で聞こえる口調でぷんすかとご立腹に、濡れ羽色という表現がしっくりときそうな黒髪を靡かせる青鹿毛のウマ娘はマイネルラヴ。そして気だるそうに聞き耳を立てるのは春の季節に噛み合ったお洒落(しゃれ)さを感じるバケットハットを被った鹿毛のウマ娘エアジハードだった。

 

「大体、珍しい白毛だからってチヤホヤされてるのが最初から気に入らなかったんだヨ!」

 

「――つい先日まで『すっごい綺麗な白毛の子だったよヨ! かわいいヨー!』とか『先輩に勝っちゃうなんてミラクルだネ! 同年代にとんでもないライバルが居てワクワクするヨ!』とか『黒髪のボクとお似合いだネ! ボクと彼女が立ち並んだらそれだけで一種の芸術作品だヨ!』って騒いでたじゃない」

 

 マイネルラヴの口調を真似しながらエアジハードがそう言えば、顔を赤くしてラヴはバンバンバンと机を叩きながら「気の所為だよ!」と吠える。

 

「何より気に入らネーのはマックスクンを(たぶら)かしてることだヨ! 凄い後輩がチームに入って来ただのとても努力家で尊敬するだの! 何だよヘラヘラ(とろ)けた笑顔でよりにもよってボクの前で言いやがってヨ! マックスクンはボクだけ見てればいいんだヨ! クラブ“ラフィアン”の絆はどこにいったんだヨ!? “マイネル軍団”の誓いはどうしたんだヨ! ()()が泣いてるヨ! 面白くないヨー!」

 

 叫び続けながら床に転がってジタバタと暴れだす様はさながらポニーちゃん(こども)のようである。

 

「気持ちはわからないでもないけど、チームの後輩なんて大抵可愛いもんだと思うけどね。クラブの子とは別腹で」

 

 マイネルラヴとエアジハードはトレセン学園で初めて出会ったばかりで別段心根知った仲、というわけではないのだがわがままで気性が荒いマイネルラヴとクールで落ち着いているエアジハードという正反対の二人でもあるのにも関わらず不思議と距離感というかなんだか居心地がよくて、比較的他のクラスメイトに比べればよく一緒に会話する間柄だった。

 

 その会話の中の情報を整理すると、最初は白毛の彼女をべた褒めしていたマイネルラヴの心情の変化を察するに、どうにもマイネルラヴは元々アメリカ生まれのウマ娘であったのだが“岡村総帥”という通称で親しまれている彼が立ち上げた【ラフィアン】と呼ばれるウマ娘クラブを通して是非日本で走らないか? とスカウトされ遥々(はるばる)海を超えて日本にやって来たらしい。

 

 そこで先程名前が出てきたマックスクン――マイネルマックスというウマ娘の家でトレセン学園に入学するまでホームステイをしていたようで、彼女にとってマイネルマックスはクラブの仲間だとか先輩後輩関係を超えて特別な存在であるようだ。

 

 そんな特別な存在が、新入生で誰よりもいち早くトレーナーと契約を結んだホワイトグリントと同じチームになってしまって、件のマイネルマックスはそんな新しい後輩にご熱心な様子――まあ早い話が某芦毛の先輩(ライジングフリート)と同じくただの()()()()()()()であった。

 

「こうなったらこの最速決定戦(選抜レース)で直に教えてやるんだヨ! 白毛のやばい奴(ホワイトグリント)よりボクの方がもっとやばい奴だってヨ!」

 

 とある芦毛のウマ娘が置いていった『求む! 新入生最速決定戦挑戦者!』と大体的に書かれたチラシを叩きながら、マイネルラヴはふんと鼻息を鳴らす。

 

「張り合う部分はやばいのところなの……? まあそれはいいとしても――勝てる? 相手は4000mを完走して重賞ウマ娘の先輩を追い抜ける怪物(バケモノ)だよ」

 

「……ハッ。なんだジハードクン、君は出ないつもりなのかヨ? ボクは、君とも勝負をしたかったんだがネ。あれか、君はひょっとして()()()()()()()()()()()()()()()()()タイプかヨ? 君はこの先、G1(でけぇ)レースにマンノウォーやセクレタリアト*3が出走するからって、勝てるわけがないから回避しますっていうのかヨ。確かに身の程知らずって言葉はアメリカだってあるけどネ――」

 

 ()()()()()()()()()がどうやって身の程を知るってんだヨ、と真剣な顔でマイネルラヴは問い、短い付き合いだけれけど君はそういうタイプじゃないと思っていたヨ、と付け足した。

 

「――まさか。速ければ速いほど、強ければ強い程、全身全霊を傾けられる相手こそが」

 

 エアジハードはゆっくりと椅子から立ち上がる。ふとそんな彼女の膝を見れば、普通のウマ娘より少しばかり()()()()()とはっきりと感じる程の()()があった。

 

聖戦(ジハード)には相応しい。私も出るよ、その最速決定戦って奴に。あわよくば――()()()()()()()とも走れるだろうから」

 

 

 ■■■

 

 

 新入生で一番話題性があるのがホワイトグリントならば、二番目に話題に上がるウマ娘は間違いなく彼女だった。

 

 それは、かの“BNW”と称されるウマ娘達の中でも最強の一角と呼ばれる“勝利の探求者”ビワハヤヒデ、そして“シャドーロールの怪物”と謳われる三冠ウマ娘ナリタブライアンの()が、今期の新入生の中にいる――彼女の名前はビワタケヒデ。偉大な二人のウマ娘と同じ血を持ち、その期待を一身に受けるウマ娘――だったのだが。

 

「今日もパンヤちゃんのパンはとっても美味しい……」

 

「えへへ、ありがとうタケヒデちゃん! でもわざわざ()()()()()食べなくてもいいんじゃないかな!」

 

 実家がパンの移動販売を行う家業を営んでいる栗毛のウマ娘、ロバノパンヤが持ち込んだテラテラと輝く見た目だけでもぽっぺたが落ちそうなバターロールをもぐもぐと()()()で身体を縮こませながら頬張るウマ娘こそ、かの話題の黒鹿毛のウマ娘ビワタケヒデであった。

 

「そんな所で食べたら折角の美味しさも半分だよタケちゃん――うん、美味しい」

 

「うぅ……ここから出たくないよファレちゃん……人目が怖い……」

 

 全身から自信なさげな気弱いオーラを(かも)し出すビワタケヒデを嗜めながら、優雅な手付きでバターロールを食すのは彼女とは真逆に自信満々で威風堂々といった面持ちで、水も滴るばかりの腰まで届く長い髪を持った黒鹿毛のウマ娘、ファレノプシスだった。

 

 ビワタケヒデとファレノプシスは従姉妹(いとこ)同士の関係で、幼少期を共に過ごしビワハヤヒデとナリタブライアンという憧れの存在を共有する固い絆で結ばれた幼馴染である。従姉妹だけあって見た目も重なる部分が多く、ナリタブライアンで例えるなら女性ではあれど男前なブライアンをひ弱にしたような雰囲気なのがビワタケヒデで、ブライアンをさらに女性的にしたような雰囲気なのがファレノプシス――といったところだろうか。

 

「教室でさえ人目に怯えていたら、選抜レースなんてとてもじゃないけど出れないよ? 記者や一般のファンだって見に来るんだから」

 

「またあんなウマ娘があの二人の妹……? って、期待してくれた人達をがっかりさせるのは嫌だよぉ……」

 

「タケヒデちゃんネガティブすぎるよ!? そんな酷いこと言う人いないって!」

 

 どんよりとしたネガティブなオーラを纏うビワタケヒデを慰めるように心優しく清らかなウマ娘であるロバノパンヤは言うが、しかし心無い言葉で相手を無自覚に傷つける輩が現実にはいることを、幼馴染であるファレノプシスは知っていた。

 

 ビワタケヒデは決して貶されていいようなウマ娘ではない。入試の前は絶対に私なんて落ちるよぉ……と自信なさげにしていてもあっさりとトレセン学園に入学出来るくらい現状でも能力は高いし、その身体に秘めたるポテンシャルは間違いなくビワハヤヒデやナリタブライアンと引けを取らない物である、とファレノプシスは信じているが――如何(いかん)せん姉二人が残した偉業という名の爪痕はあまりにも深すぎた。

 

 何せナリタブライアンなど日本史上5人目の三冠ウマ娘として日本競バ史に名を刻み、日本ウマ娘で最強は誰か? という議題があればまず名前が上がってくるようなウマ娘であったし、ビワハヤヒデとて不幸が重なって実現はしなかったがブライアンとの史上最強の姉妹対決を日本中から渇望されていた程のウマ娘。

 

 だから、ビワタケヒデは幼い頃からずっとそんな姉達と比べられて、期待されていた。だがその期待に応えるには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()では――難しかった。

 

 ジュニアレースで頑張って一着をとっても『あの二人の妹なんだからあの程度のレースなら勝って当然』だとか『もっと圧勝劇を期待していたんだが……』と言われ二着(シルバー)三着(ブロンズ)になろうものなら、十分立派な戦績であるはずなのに『がっかりだなぁ』だとか『血は同じでも走りの才能まで同じじゃないか』という酷い陰口が投げかけられることも決して少なくはない。

 

 そんな()()とも言える周囲の期待の中で育っては、健全であったはずのウマ娘がどうなるか――ビワタケヒデはすっかり自分の才能に自信を無くし、人目に怯えながらこうして机の下で引き籠もってパンを頬張るようなウマ娘になってしまった。

 

 救いがあったのは、両親やビワハヤヒデやナリタブライアンなどの家族はそんな身勝手な期待を投げかけることもなく等身大のビワタケヒデを愛していたことだろう。酷い陰口を叩く者がいればハヤヒデは論理的にロジックを説いて黙らせて、ブライアンは殺気を宿らせながら睨みつけて黙らせタケヒデを守る。だから家族仲はすこぶるよくて、タケヒデはよく姉二人に甘えることが出来ているし姉二人はとてもタケヒデを可愛がっていた。こんなにも素晴らしい家族が居なかったらタケヒデの心は壊れてしまっていたかも知れない。

 

 故にビワタケヒデは、走ることを止めないのだ。そんな姉達に、家族に走りで報いたかったから。

 

 身勝手な期待に傷つきながらも、無慈悲な言葉に影で涙を流そうとも、自信がなくて苦しくても――トレセン学園にやって来た。だからファレノプシスはこうして何度でも何度でもタケヒデに伝える。

 

「タケちゃんは、強いよ」

 

 昔から言い続けて来たその言葉を。

 

「タケちゃんなら、選抜レースでもきっと勝てるし……こっちの最速決定戦(レース)でもいい結果を出せると思うんだけどな」

 

 マイネルラヴやエアジハードが見ていた同じチラシを眺めるファレノプシスの目は――奇しくもその目は、実妹であるビワタケヒデよりもシャドーロールの怪物(ナリタブライアン)を思わせる好戦的な眼光だった。

 

「選抜は頑張るけど……そっちは無理ぃ――でも、でも……きっとファレちゃんなら」

 

 ビクビクとしながらビワタケヒデは机の下から這い出して、ファレノプシスの手を取り、その目を真っ直ぐに見つめて――。

 

「ホワイトグリントちゃんにも勝てるって、信じてるから……!」

 

 そう、自信の籠もった言葉で告げた。

 

「同じクラスメイトの友達として、私もファレノちゃんを応援してるからね! 当日には縁起よくカツ(勝つ)サンドとウィンナー(WINNER)ロールを作ってくるから!」

 

「タケちゃん、パンヤちゃん……ありがとう。私、勝つよ」

 

 ファレノプシスは友の心遣いに(いた)く感動して、優しい微笑みを浮かべて感謝を告げる。

 

 負けられない理由なんて、数多くある。ファレノプシスは自分が活躍することで間接的にでも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と少しでも彼女が自信を取り戻せるようにしたかったし、そして愛する幼馴染の為だけでなく同じくらい大切な()の為に。

 

(――負けられない。どんなにあなたが凄くても、同じ夢を掲げるホワイトグリント(あなた)だからこそ)

 

 トリプルティアラウマ娘になって――憧れのナリタブライアンお姉様に立ち並ぶのは、この私なのだから。

*1
400mの倍数のレース

*2
400mの倍数以外のレース

*3
1973年のベルモントステークスで31バ身差つけて勝利したアメリカの伝説的ウマ娘。血の代わりにガソリンが流れていると讃えられた。



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