声優目指して (こしあんあんこ)
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実績求めた配信者


声優って凄いなっていうのを感じて妄想して書いた。モブ視点スタート。
マチネとソワレみたいなの書きたいなって思って書いた。






 

 

――仕事上がり、眠気のせいでやる気が出ない

 

 それでも家に帰らねば、強くそう思う。家のベッドで寝なければ、使命感にも似た執念はまさしく鬼気に迫るものだった。

 

――何せ、明日は休み

 

 寝坊をしても文句は言われないし、上司の粘着とした説教も聞かずに済む。そう思えば気持ち悪さも幾許かマシになるというモノだ。帰路に着くため、残業明けの肉体に鞭を打つ。帰りに近場のスーパーで半額になった残り物の弁当と翌日の朝食、何本かのお酒を買い込み我が家へと。ガンガンと錆びた階段を上り、二階の根城へ辿りつく。鍵で扉を開ければ散らかった室内が目の前に広がった。

 

「……ただいま」

 

 足元には飲み掛けのペットボトル、それからくたびれたジャージが何枚もあちこちに散在し、テーブルの上にはカップ麺の残骸ばかり。室内は酷い惨状だと思いつつも片付ける気力はない。慣れたように足元に散らばるモノを蹴飛ばし、その場に腰を下ろした。ふう、と息を吐けばようやく休めたような気がした。暫くそうしていたが口元寂しく煙草で一服。リラックス出来れば風呂も入らずにパソコンの電源を付けた。

 

――五連勤明けの久方ぶりの休日だ

 

 ならば家でゴロゴロしたいものだが、それはまだもう少ししてからだ。今は夜更かしをしたい気分だし、面倒なことも全て後回しだ。貴重な一日を無為にしている自覚はあるが動かない日も大切だ。兎にも角にも今は癒しが欲しい。最近もっぱら見ている動画サイトを開いて、お気に入りチャンネルの最新の投稿動画を追った。暫く追いかけるが進展は昨日とさほど変わりはない。

 

――ならば、新規開拓だ

 

 ランキング上位も見飽きて気まぐれに新着を探れば、見慣れぬタイトルがあることに気付いた。タイトルは【声優目指して実績求む】、動画の時間はたった45分。半端な時間で長くも短くもない。サムネイルも見るからに大きな見出しの文字もない。編集としてはまだまだ未熟で荒さのある動画だった。チャンネル名はりつチャンネル、アカウント画像はデフォルトのままの初心者だということが窺えた。

 

――まあ、45分くらいならば

 

 好奇心に駆られてマウスでクリックして動画を再生してみる。クルクルと回る見慣れたそれを眺め、暫くすれば動画は滞りなく再生された。画面は静止画で動くことはなく、声だけが聞こえてくる。

 

『えっと、初めましてですね。りつと名乗っています』

 

 柔らかくも年若い、声は女のようだった。時折マイクから漏れる環境音。フリー音源すらも使わない様子がまだまだといったところ。勝手に評価しつつも次の言葉を待った。

 

『なんだか、マイクの前で挨拶というのも変な感じ』

 

 そんな感想を述べてつらつらと動画の趣旨を説明し始めた。話を聞く限りタイトル通り彼女は実績を求めているようで、足掛かりとして動画を上げたらしい。初めてなこともあり挨拶もたどたどしい。若干恥ずかしがっているような声色も可愛らしさすら覚えた。

 

『実績ってどんなモノなのか分からないけどさ、夢は大きくチャンネル登録者100万人!』

 

 意気込みは大きく、声も張り上げる。人差し指を大きく頭上に突き立てている光景が浮かぶようだった。思わず飲んでいたお酒を噴き出してむせる。100万人って、目標登録者数に内心突っ込みつつも本気で目指す意気込みも相まって好感が持てた。問題はといえばその声の演技なのだが。下手でも応援したいとも思えて、もう既に45分だけならという感情は無くなった気がした。

 

『いつか小説の読み上げもしたいけど、今回はアドリブで』

 

 集中しすぎるし最初の内は大体30分で切り上げます、ゆくゆくは時間も伸ばしていきたいです。そう続けてリツは沈黙する。

 

『…………』

 

 集中しているのか、あるいはアドリブの内容を考えているのか。何にせよ長い間の沈黙が流れる。聞こえる音と言えば周囲の環境音と室内の無音、訳の分からない緊張感に胃が痛む。沈黙は、会社のことばかり思い出すから余計に音が欲しい。切実な願いが通じたようにようやく息を吸いこんで彼女は口を開いた。

 

『……どうして、毎日彼女は駅のホームに居るのだろう』

 

 最初の一声で、瞬間的に脳に衝撃が走る。良く通る中性的な声だった。無理なく出てくる低い声は、男性であることが窺えて。

 

『ホームの待合席に座る彼女は、誰かを待っているようだった』

 

 先程の女性の声と同一であることに気付くことは瞬間的に出来なかった。隠れてもう一人居たのではないのか、そんな疑いも持ってしまったが息遣いは一つだった。

 

『座席は常に左端、毎週木曜。始発から終電まで座り続ける彼女を眺めるのは僕の日常の一部だった』

 

 ポツリポツリと呟く【彼】の独白は静かだ。淡々と事実を述べるそれは不思議とその世界にのめり込むようだった。何故【彼】は眺めているのか、そんな疑問を持って聞き入る。最早マイクが拾う雑音がどうでもよくなっていた。

 

『僕の仕事は乗客の切符を切る仕事なので、彼女に視線が向かうのは至極当然のようにも思えた』

 

 切符を切る、つまりは駅員なのだろうとあっさりと答えを言われる。疑問が解消されてしまえばまた続きが聞きたくなった。

 

『まだ入社したばかりの僕は彼女を見てしまうことに戸惑いを覚えた』

 

 これは終電まで残る人たちを最後まで責任を持たねばならない義務なのだろうけれども。そう言って【彼】は心底嫌悪した様子で続ける。女性を不躾に見ることの罪悪感、そういった感情があると言葉のニュアンスで伝わってくる。

 

『それでも彼女は視線に慣れているようで特に気にも留めることもないようだった。……人間は薄情な生き物だ、そうなると罪悪感は不思議と薄れるようだ』

 

 僕の視線は暇があれば彼女を眺めるようになった、独白にも近いそれは次第に彼女を眺める日々をつづった。

 

『彼女は電車が駅に着く度に開く扉を眺めて、乗客の一人一人を見る。それでも目的の誰かが居なければ落胆したような素振りで静かに目を伏せてまた元の姿勢に戻るのだ』

 

 まるで、置物と変わらぬそれに親近感が湧いた。そう言った【彼】の言葉に何処か喜びを含んでいるのを聞いて感じた。

 

『僕も切符を切るだけ、彼女も誰かを待つだけ。きっと大差はないのだろう。……当初の義務は何処へやら、僕はそう思うだけで彼女を見ることが楽しくなった』

 

 ああ、これは彼女のことが好きなのだ。言わぬ心は言葉の声色によって伝わってくるようだ。ただただそれに圧巻されるだけとなった。

 

『だけど、ある日僕が駅に入れば見知らぬ男がそこに居た』

 

 彼女の座るその場所の前に男は一人佇む、始発もまだ来ては居ない時間帯だった。何処かおどろおどろしい、粘着性のある陰湿さが節々と伝わる。

 

『始発前ですよ、僕はその人に聞けば男は答えた』

 

『私は、この席に座っている女性を待っているだけだ』

 

 また声色を変えて別の男が現れる。……ああ、この男がそうなのか。納得と共に【彼】の出方を待った。

 

『…………僕は、長いこと言葉を忘れたように口に出せなかった』

 

随分と間が置かれた言葉は葛藤しているようだった。

 

『……この座席に、そんな女性座ってはおりませんよ』

 

 実際に葛藤していたのだろう。酷く掠れた声で【彼】は嘘を付いた、付いてしまった。

 

『……僕は、彼女をずっとずぅっと見ていた。雨の日も雪の日もずっと一人座る彼女を長いこと見ていた』

 

 きっと魔がさしてしまったのだろう、僅かに嗚咽を漏らすが大袈裟にも思えた。

 

『長年の恋人であったかも知れぬその人に、なんて惨いことを』

 

 次第に喉がくつくつと鳴れば、ようやく笑っていることにも気付いた。ああ、可哀想に彼女は置いて行かれてしまった、その言葉の白々しさに胸がきゅっと締め付けられた。

 

『僕は心配で彼女に寄り添ってあげようと思う。だってこれこそ僕が出来る彼女の贖罪なのだから』

 

 互いに似た者同士。きっと似ているのだからきっと、もう寂しくはないよ。そう言ってしばらくまた静かになった。

 

『……とりあえず、今日は此処まで』

 

 ご視聴ありがとうございました、女性の声に戻ればまた世界が戻る。動画も終わり、周囲を見渡しても自室のゴミばかりが視界に入るばかりだった。暫く考えて、ようやく現実に戻ればチャンネル登録を終えて動画をまた再生させた。

 

――その後も何度も繰り返して動画を見る

 

 没入感のある演技にただただ圧倒された。まるで沼に浸かるような多幸感、コメントをするのも何年振りで何だか若返ったような気がした。自然と彼女の最新の動画が上がれば他の動画よりも先に見るようにもなる。

 

――彼女のSNSアカウントが出来れば最初にフォローした

 

 動画編集も初心者もあってかそういう悩みをよくTLで呟く。知っている限りでアドバイスすれば返信されて少しばかり舞い上がる。決して師匠面をするという訳ではない、彼女の技術が少しでも上がれば嬉しいのでそういうことなのだろうと言い訳をする。

 

――彼女の技術が向上すればやはり周囲も放ってはおかなかった

 

 彼女の突出した才能と声の演技訳の幅。評価されて然るべき素質は十分で、次第に登録者数も増えて彼女の返信は減っていく。

 

――これが成長かと、しみじみと思う

 

 有名になっていく彼女の初期を知る自身にとってやはり寂しさがあるのも事実だ。古株ぶったよく聞くそんな感情、まさか自分でも感じるようにもなるとは思わなかった。愕然と思うも存分に振るわれる彼女の世界に魅入る。生配信があれば有休を使い可能な限りリアルで追いかけた。

 

――また有給か、この給料泥棒が

 

 上司の恨み言を聞き流せる程には精神的に摩耗されなくなる。そもそも有給は労働者の権利なのだ、洗脳された脳は冷静に悟り仕事をやめてもっとクリーンな職場に転職した。良いこと尽くめである。彼女が所謂【推し】なる存在になったと実感した。

 

――とうとうそんな少女も登録者が100万人になった

 

 大願成就、有言実行。まさか、そんなことが出来るとは。目標を達成した彼女にただただ敬服せずにはいられず、100万人記念の動画配信を生で見る。まだ配信時間ではないので待機の段階ではあるがこれからのことを考える。

 

――100万人になったら彼女は何をするのだろう

 

 感無量でこれからに思いを馳せる。彼女は収益化も出来る筈なのに習作だからと決してスパチャをさせてくれなかった。もしかしてしてくれるかもしれない、そんな期待。期待に胸がドキドキと高鳴る。

 

――いやいやもしかしたらボイス販売も

 

 気が早すぎるにも程がある。妄想しすぎるきらいはあるがそういう期待だってしたくもなる。だって100万人である、推しに貢げるチャンスには目を光らせたくなるのも至極当然にも思えた。時間は既に午後8時、配信時間になればマイクのスイッチが入った。

 

『えっと、こんばんは。初めましての方は初めまして。りつと名乗っています』

 

 聞き慣れたいつもの挨拶、適度な雑談で緊張をほぐしてりつはようやく本題に入る。

 

『さてご存じでしょうが、タイトル通りチャンネル登録が100万人になりました』

 

 何だか現実感はないです、ボンヤリとした感じで言うがそれは正当な評価なのだ。この場でこの動画を聞いている数字は皆彼女に魅入られた。

 

『もしかして夢かもと思っていたけどやっぱり数字を見たらそうなってたので現実を受け入れます』

 

 意外と凄いね、私。声だけでそこまで上り詰めたのだから凄いとしか言いようがなかった。勿論決して容易くはない、一握りしかいないその人数を増やすには何年も掛かった。思わず目に涙が溢れそうになるが堪えて彼女の話を聞いた。

 

『これからの話をすると同時にお知らせです』

 

 何だろう、食い入るように耳を傾けて次の言葉に言葉を失う。

 

『私りつはこの100万人を記念とし、実績としてこれで引退します』

 

 最初から実績欲しさに始めちゃったことだし、そもそもこのまま動画配信で食っていけそうなのも嫌なんだ。実に彼女らしい、さっぱりとした言葉だったが、ガラガラと心境の何かが崩れた感覚がする。

 

『記念である今日が私の命日です』

 

 耳を疑ったがやはり周囲の反応も似たり寄ったりの阿鼻叫喚のコメントで埋め尽くされた。

 

『最後の語りはどうしようか悩んでますが……。そうですね、初期の頃みたいにアドリブでやりますか』

 

 待って、待って。制止するリスナーの言葉が心情と一致する。勿論、アドリブは最高だったが淡々と別れを告げる彼女を誰も呼び止められはしなかった。

 

『それでは、またいつか何処かで』

 

 さようなら、そう言って彼女は配信を閉ざした。

 

「うわぁぁあああァァああああああああああッ!!!何で、なんでッ!!りつちゃあああああああああん!!」

 

 独り叫ぶ男の真横の壁からドンと、煩いと苦情を告げる殴打が叩きつけられた。

 

 

――――――――――――――――――

 

 

――深雪律は高校生である

 

 徒歩5分の駅まで歩き電車に揺られ15分、更に歩いて5分。おおよそ25分の片道を費やして辿り着く高校の女学生である。今月来る誕生日を迎えれば年齢は数えて18。所謂大学受験や就職活動を知らなければならないこともあり律は進路相談の紙と向かい合っていた。

 

「ううん……」

 

 シャープペンシルで何度もトントンと紙を叩く。第一志望から第三志望、そう書かれた隣の空欄は一向に埋まる気配はないようだ。トントンと何度も紙をペン先で叩けば点ばかりが増えるばかり。

 

「まだ決まってないんだ」

 

「うっさいわ、もう決まってたけど担任に考え直せって言われただけ」

 

 茶化す同級生に律は進路希望の紙を隠す。訂正前の紙には第一志望だけ空欄が埋まりそれ以外は全くといって書かれてはいなかった。

 

「……え、これだけ」

 

 同級生の友人はその文字を追い、眼を瞬かせ沈黙。幾許かの時間を要して発した声にそうだよと律は返す。

 

「冗談でしょ……?」

 

「……大真面目に書いたけど」

 

 不思議そうに首を傾げる律に、やはり困惑するばかり。

 

「……待って、律。あんたさ、成績は悪くないじゃん。どうして【これ】な訳?」

 

 もっと、別の良い所あるでしょ?そう言って考え直しを求める。それは友人としての優しさであり忠告ではあったが律はいつもの調子で返すだけだった。

 

「え、【これ】以外目指してないし」

 

 成績だって文句言わさないためにやっていただけだもの、そう言って律は第一志望を見下ろした。第一志望には一つの役職のみが掛かれる。文字にすればたった二文字、声優と書かれたそれが律の目指す進路だった。

 

――声優、と言われても想像出来るものはそれ程多くはない

 

 最初に浮かぶ映像といえば子供向けの映像ばかりが脳内で蘇る。声だけで演じる役者といえば聞こえは良いが、花形とも言える俳優と比べれば地味という印象があるのは間違いないだろう。大袈裟な身振りも無ければ動きもない、映像のアニメーションは芸術的ともいえるが声というモノはどうしたって代替出来るものだ。

 

――地味という印象は拭えないのも事実だ

 

 声優の何人かを挙げろと言われても指で数える程度、俳優の知名度で言えばやはり狭い世界であることは間違いない。想像すればどうにも、という印象があるのは偏見故だろう。オタク達で騒がれて、一般人には浸透されない職業。不遇ともいえるその職に就きたがる友人を心配するのは当たり前なことだが、律はそんなことは気にしてはいなかった。

 

「本人がやりたいのに、どうして皆そういうのかなぁ?」

 

 挑戦してもいいじゃない、そんな軽く言われてしまえばその友人も少しばかり考える。夢を追うことも悪いことではない。それでも人生設計を思えばどうしたって待ったを掛けたくなるのだが、自分は彼女の親ではない。

 

「……でもさ、そういうのって経験とか実績とか必要なんじゃないのかな?」

 

 やんわりと、そう言うしかなかった。せめてもう一度考え直そうという、あわよくば精神。そんな願いを込めた言い方だが、律はそう捉えなかった。

 

「……それだ、……それだよ!!」

 

 顔をガバっと上げた律の目がキラキラと輝く。目から鱗といった様子で律は何度もそっかと繰り返し呟いた。

 

「陽菜、私は気付いたよ」

 

「気付いた……?」

 

 陽菜と呼ばれた少女が、呆然とオウムのように繰り返した。待っていましたと言わんばかりに律は答えた。

 

「経験に実績。私が足りなかったのはそういう全てなんだよ!!」

 

「へ……」

 

「だから早速実績とか作りますとも!否定出来ない程の実績があれば文句は言えまいよ!」

 

 そう宣言する律に陽菜は慄く。これは、何か不味いことを言ったかも。そんな不安と後悔も知らず律はこれからのことを思案する。

 

「まず、一番手っ取り早く動画を上げようか。マイクと、編集ソフト。そういうの買えば何とかなるかな、動画編集詳しい人とかいないかな?」

 

 まずは本の読み上げとかでもいいかな、次から次へとそんなことを聞く友人に、陽菜はただただ困惑するだけだった。

 






多分少しずつ声優目指すきっかけとか書けたらいいなって思ってつらつらと見切り発車な感じで書くかな。

配信者として書くの結構難しかったです。



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起源



サブタイトル気になったら変えるので二話目だなって思って下さい。
データ消えていたので焦ったけど別の所に残っててホッとした。




 

 

――小説を読む、つまりは活字を目で追いかける行為

 

 活字で書かれた文字で情景を浮かべてその光景を想像すること。読書、閲覧、拝読、書見。文字にして言い換えれば表現は多々あるが行動は常に変わらない。本を開き文字を追い、ページを開く。そんな行動をするのは二人の人間で、年端のいかぬ少女だった。真新しい赤いランドセルたちがそのままの少女達の年齢をさす。

 

「そろそろ、この本も飽きちゃったなぁ……」

 

「……そう、それなら別の本を探したら」

 

 一人は退屈そうにペラペラと本を捲り、向かい合うもう一人はノートで文字を書いていた。すらすらと書き慣れた様子でページの行間を埋めて、時折悩んだ素振りで辞書を開き目的の単語を探す。飽きたと言う少女はそれを眺めるがどうにもそれにも飽きたようだ。うつ伏せになれば、さらりと長いポニーテールの髪が机に落ちた。

 

「ねぇ、そろそろかえろーよぉ。アカリ」

 

「……あなただけ帰ればいいじゃない、リツ」

 

「だって、アカリと一緒にかえりたいもん!!」

 

 がばり、と顔を上げて髪を振り上げて声を荒げた。癇癪を起こした子供のようだ。一気に室内に反響して辺りに虚しく轟いた。アカリと呼ばれた少女はうるさそうに耳を塞ぐ。

 

「……あ、」

 

 思いのほか大きい声が出た自覚はあるらしい。しまったといった様子でリツと呼ばれた少女は顔を僅かにしかめた。はぁ、とため息を吐いたアカリが鉛筆を置いて顔を上げた。眼鏡を上げながらリツを静かに睨んだ。

 

「……図書室では静かに、リツ」

 

 アカリの冷たい声がリツを咎める。二人以外に人は居ないが、それでもやはり図書室なのだ。その場所にある規律は守らなければならないだろう。アカリは特にそういうことには厳しい。常識でマナー、当たり前のそれは間違いなく正しい。反論しようものなら正論がその倍以上に戻って来るのだから堪ったものではなかった。何せ悪いことも自覚があるからそれを指摘されて聞かされるのはリツ自身が得意ではないのだ。まるで母親のようだ、とも思いながらもリツはバツの悪そうな顔で眉を下がらせた。

 

「ごめんってば、アカリ……!」

 

 思わず大きい声が出ちゃって、リツは途切れ途切れにそれを言葉にして必死に頭を下げる。実際思わず出てしまった声だ、悪いことも十二分に承知している。それでも怒られてしまうのは幼さ故かまだまだ許容は出来ない。僅かに眉を顰めて泣きそうになる顔をそっぽ向けた。態度でいえば反省はしていないようにも見える。はあ、とアカリは重く息を吐き出して俯いた。

 

「……全く」

 

 その手はノートを閉じて辞書を本棚に戻している。片付けているようにも思えるアカリの動きにリツの表情が明るくなった。ガバッと顔を大きく上げたリツの目がキラキラと輝く。リツの顔にアカリはどうにも弱い。弱弱しい表情を見れば許したくもなるし、楽しそうな表情を見せればこちらも楽しくなる。友人だからある程度はという思いもあるのかもしれないが。とにかく、アカリも何かするというやる気がなくなったのは事実だった。

 

「……帰ろうか、リツ」

 

「うん!!」

 

 大体片付け終えたらアカリは微笑めば満面の笑みでリツが返した。

 

 

―――――――――――――

 

 

 帰路に着きながら、リツとアカリは隣り合った。ランドセルを背負い、歩く。歩道の真横では車が勢いよく走り、その衝撃で生じた風が衣類を揺らす。木々の陰も相まって余計に涼しくも感じた。

 

「ねぇ、アカリ」

 

「……なぁに、リツ」

 

 リツよりも短く切り揃えられた髪が揺れて此方に顔が向けられる。ゆっくりとアカリを見たリツの瞳がキラキラと輝いた。

 

「今日は、何処まで書いたの?」

 

「……読みたいの?」

 

「うん、勿論!!」

 

 だって私はあなたの初めてのファンだから、大袈裟な身振り手振りでいかに自分が好きなのかを表現する。そんなリツを見てアカリは笑う。

 

「いいよ、途中の公園で読んでみる?」

 

「うん!!」

 

「早く帰りたいって言っていたのに?」

 

 呆れた様子で、アカリがリツを見れば「いいから、いこいこ」と背を押して二人は歩き出した。

 

――帰り道も同じで、家も隣同士

 

 所謂幼馴染という間柄の二人は何をするにも一緒だった。そうはいっても互いに違う人間でもあるから好きなモノも嫌いなモノも異なる。互いに一致する趣味と言えば、アカリの書く小説だろうか。アカリは小説を書くことが好きで、リツは彼女の書く作品のファンだった。

 

「……今日は、そんなに書けていないけど」

 

 公園に入った第一声。出し渋った様子でアカリはノートを取り出す。嬉しそうに受け取ったリツはノートを開いた。文字を追うリツの目が左右に動く。瞳がキラキラしたように輝き、目尻は柔らかく弧を描いた。本当に楽しそうに読んでくれている、そう思うだけでアカリの心臓が高鳴る。ドキドキと、恥ずかしさにも高揚にも似た感覚を感じて頬が紅潮した。ああ、読まれているそんな羞恥心も蘇って普段の調子が出なくなりそうだ。

 

「……どう?」

 

 熱くなった頬を誤魔化すように俯いてアカリは返答を待つ。長い沈黙の末に、リツの口が開いた。

 

「『どうして、逃げるの?』」

 

「……えッ?」

 

 言葉を聞いてアカリは思わず聞き返す。だって、リツの発した言葉は自分の書いた台詞だったからだ。

 

「『どうして、避けるの?どうして返事をしてくれないの?』」

 

 また口を開けばやはり聞き間違いではないようだ。最初に読まれている恥ずかしさは何処かへと消え失せ、唖然とした表情でリツを見た。それでも彼女の音読は止まらない。

 

「『わたしはただ君と居たいだけなのに』」

 

「『だけど、ぼくは君と違うから』」

 

 声色を僅かに変えた。無理のない低い声、少年の声にも近いそれは音読には必要も無い筈だが感情の色すら伴った。勝手に読み上げないで、そんな怒りも消え失せて不思議とリツの言葉に聞き入った。

 

――……ああ、そうか

 

この時アカリは初めてリツが音読をしていないことに気付いた。彼女は、芝居をしているのだ。

 

「『君とわたし、何が違うというのかしら』」

 

 お喋りだって出来るのに、考えていることだって一緒じゃない。切実で必死に感情を込める。そこにアカリの知るリツは居なかった。

 

「『確かに、ぼくは君と一緒だ』」

 

「『だったら、いいじゃない』」

 

「『だけど、駄目』」

 

 代わる代わる切り替わる声と性格、まるで別の人が複数居るようにも思える。確かにそこには自分の書いた登場人物が目の前に居た。イメージが鮮明になって、アカリは世界にのめり込む。

 

「『だって、君は』……ああ!!此処で終わってるッ!!」

 

 続きは、そう叫ぶリツの言葉で、ようやく現実に戻った。拍子抜けしたような様子で肩を揺らし、アカリの手がリツの頭を軽く叩いた。

 

「いたッ!」

 

「うるさい、そして勝手に読み上げるな」

 

「……うう、だってさ」

 

 アカリの小説が凄いから、またしどろもどろになるリツの様子を無視してアカリはノートを取り上げる。手元に戻ったノートを開き文字をなぞるもやはり見慣れた自分の字ばかりがそこにあるだけだった。

 

「…………、」

 

 リツはただ台詞を言っただけで、この空間の世界は変わったように錯覚した。声を入れるだけでこうも印象が変わるものなのか、いっそ感動すら覚えてそれにゾクゾクとした寒気が背筋に走る。同時に脳裏に浮かぶ小説の構想が沸き上がった。

 

「ええッ!!ちょっと、アカリ!!此処で!!?」

 

 帰るって言ったじゃん、叫ぶリツの言葉にアカリは眉を顰める。

 

「リツ、うっさい!!」

 

 鉛筆を取り出してガリガリと書く。今を逃せば恐らくこの構想も消えてしまう、リツの声すら煩わしい。アカリは浮かぶ脳内の構想が消えぬように思うまま筆を滑らせた。

 




 
こっち始まりで良かったやん、って思ったけどもう手遅れでござる。


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