サイコパすいちゃんは今日もかわいい (なゆなん)
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サイコパすいちゃんは今日もかわいい
標的は体内を電気が徘徊しているかのようにブルブル震える。胸を確実に捉えた銀色の鈍い輝き。その冷たさが無慈悲に身体の熱を奪っていくのが寒くて耐えられないのだろうか。流れ出る血はナイフを熱くしようと必死に纏わりつく。
放っておけば癖になりそうなその感触が少し嫌で、ナイフを抜こうとするがどれだけ引き絞っても微動だにしない。抜くにも力がいるのだなとナイフの不便さに改めてため息。
しかし腐ってもお気に入りの得物。回収しなくては困る。
標的をナイフ越しに部屋の壁まで押しやって、足でその身体を壁に固定する。腕に思い切り力を込めると目の端でパチパチと火花が舞う。
「ぁ゙……ぁ゙……」
「しょーがないよねー、悪いことしちゃったんだから」
もう人とは到底思えない鳴き声。獣がその時を悟ったかのように呻くのが鼓膜を揺らしてたまらない。
「ん〜♪」
すっとする胸に心地よさを感じて私は鼻唄を歌う。はっきり言って目の前の男の素性など知らない。けれど命じられたのだからお仕事をする。
「よいしょっ」
もう瞳は黒く染まってる。血の混じった息を吐けるだけ吐いて最後は少し吸っていた。人間の死ぬ瞬間。生き物が終わる、その一瞬。
その光景は私しか知らない。
私しか知らなくていい。
◇
「ぃぃぃぃぃっっっっっっ!!!!!」
空気を裂いて耳をつんざくような標的の悲鳴。生物は死ぬまでに時間をかけたほうがより絶望を感じるらしい。私はどこぞの本でちらっと目にしたことを思い出しながら笑った。
「ん〜♪」
難しいのは目元だ。どうしても眼球まで取り出してしまいそうになる。慎重に、丁寧に、皮を剥いでいくんだ。ぷつりぷつりと1mmずつ取り除いていくんだ。赤黒く染まった肉が姿を表すまで決定的に削るんだ。
「ぎぃぃががぁ、ぎぃ、ぁぃぃぁぁぁ、っっっっっ!!!!!」
「もー、観念してよー。そんなに痛いのが嫌ならお金目的に人なんて殺しちゃだめじゃんバカだなー」
バタバタと煩い。馬乗りになって動けなくしてから続ける。ぶじゅる、ぶじゅるとナイフを沈み込ませて皮を浮かしていく。標的は荒い痙攣を繰り返す。
激痛なのだろう。さっきから尿が漏れている。私の腕を掴む手は物凄い力で握りしめられていてそこにも赤色が生まれている。
決死の抵抗。虫の息の生物が生を貪るために他者を必死で喰らい倒そうとする。もはや執念。
「、……あ゙ぁ゙…!!」
だけどもう終わりが来た。領域を超えた痛みを経験し続けたことで脳が生命活動を止めてしまう。ショック死に似ている。やがて微動だにしなくなる。
◇
標的は呑気に私に背中を向けていた。
距離は30mもない。私は思わず笑みを浮かべながら、だけど静かに走り寄った。あと少しの距離まで接近する。
「ばーにん、ばーにん、ば、ば、ばばーにん♪」
聞き覚えのあるメロディーを住宅街に溶け込ませながら、標的はスキップをしている。桜のように舞い踊るピンク色の長髪とぴょんぴょんと跳ねるアホ毛。後ろ姿だけでも分かる華やかな巫女装束。鼻唄を紡ぐ天使のようなふわふわした声。
軽い足どりで両手を広げながら駆け回る標的はさながら純真無垢な子供のよう。でも隙だらけだ。
私は気づかれないよう息を潜めて、もっと近づいていく。もう息遣いすら感知できるほどの至近距離。手を伸ばせば簡単に触れることができる。
私はそこまでいって、やっと得物に指をかけて―――
「うわっ!?」
―――ただ抜きはせずに柄から指を離し、両腕を背中から回して、掌で標的の目を塞ぐ。その瞬間標的、彼女の肩がビクビクっとするのを知覚した。
「えっ!?なになにぃ!?」
「ふふ、だーれだ」
「ぇ、だれ!?」
「ヒント、ホロライブ」
「んぇ!?」
笑いたくなるところをぐっと堪えて、私はこれで何回目だろうかというイタズラを続ける。大分声を変えているから彼女もすぐには分かるまい。
「あれ、分かんない?」
「ぇ、ぁ、わ、分かるよ!みこはエリートだもん!」
「そっか、じゃあ、だーれっかな♪」
ニヤリとほくそ笑みながら彼女の耳元に唇をもっていく。さりげなく脚を彼女のに絡めて身体もくっつける。これで唇と耳とはほぼゼロ距離。
私はそのまま、吐息交じりに囁いた。
「す、い、ちゃ、ん、………は?」
「っ!……あぁー!すいちゃんー!?」
「……ぷ、ははははっ、せいかーい」
このやろー!と言わんばかりの高いテンションに、私は思わず吹き出してしまった。いつもこうだ。一緒にいて楽しくないことがない。
「むー、いつもイタズラばっかするじゃん!」
「あー、それはさ、うん、みこちがそういう概念してるのが悪い」
「なんだよ概念て!みこはイジられキャラじゃないにぇ!」
私の扱いに口を尖らせて、彼女、さくらみこは悔しさの詰まった握りこぶしをブンブンと振り回す。抗議の意を表してるだけだからこちらに被害はないけど、微笑ましすぎて目に毒だ。
「ごめんごめん、よしっ、焼肉食べ行こー」
「えーまたぁー!?」
「えーいいじゃーん」
「すいちゃん、みこの育てたお肉食べちゃうじゃん!」
「今日は食べない食べなーい」
「いーや絶対食べるにぇっ!」
「え、信じてよ」
「それ、前も言ってたで」
「うーわっ、ツレねー」
「ぬぬ……んもー分かったよぉ……」
「ふふ……やった」
私は心からの喜びの声と共にみこの肩に手を置いてそのまま引き寄せる。こちら向かってぽけーっとしながら近づいてくる顔に私は静かに目を閉じて、そこにあるべく唇に自分のを押し当てる。
「んむっ……」
「ん……」
ビクッと震えるみこちの身体を抱き締めて、より密着させる。唇を介して伝わる熱が徐々に二人の意識を繋げて溶かしていく。ふわふわなみこの身体との境界線が曖昧になって、一つに溶け合ってしまうような感覚。多幸感に陶酔しながら、みこちの後頭部を優しく支えて逃さない。
そうするだけで、この子は大人しく私とのキスに全てを委ねてされるがままになってくれる。それをいいことに、私は少し強引に唇を動かした。
「ん、ちゅ、ん……ぅ、む……」
もっと強く、もっと濃密に。
みこちの抵抗がないのをいいことに、私は背中に回した腕で、手で、指でみこの身体をしっかりと抱いて感じる。鼓動が激しくなっているのが分かる。
「ん、は、ぅ……」
息が少しずつ苦しくなっていったみこが一息忍ばせると、どこまでも甘く蕩けるような声が漏れる。それと同時にふわりと何かが鼻孔をくすぐった。
女の子の香り。私を空っぽにして満たしてくれる嫋やかで甘酸っぱい香り。
離したくない気持ちでいっぱいになって、もう少し、あと少しと引き摺りこまれる。
そうして一歩先の世界に踏み出しそうになって―――
「ん、ぷはっ……」
―――それに気づいて、やっと私はみこの唇を解放した。
「す、い……ちゃ、ん……」
長い間自分のものじゃなかった唇は思い通り動かないのか、幾分か妖しげな音色を纏った言葉を紡いだ。それは先を期待しているようでも、ただ行動の意味が分からないと訴えているようにも見える。
ただ、その瞳は蠱惑に囚われて煮え滾っていた。
「……不意打ちだよ」
「ぁ、ぇ……」
「これが本番、ね」
まだ状況を把握できてないらしい彼女の唇は無防備だ。それにつられるように私は愛しの存在へと顔を近づけていく。
どこかでサイレンが聞こえる。
遺体が見つかったのかもしれない。
悪いことをしていたとはいえそれは人間で、私は人間を殺している。彼女とずっと一緒にいるためだけに。
けれどいいんだ。それでいいんだ。
それが私にとって一番幸せなことだから。
罪悪感を振り切るように私、星街すいせいはさくらみこともう一度、濃密な口づけを交わした。みこの純真な心が私の罪を忘れさせてくれることを願って。
―――なにより、ずっとこうしていたくて。
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