モンスターハンター ~流星の騎士~ ( 白雪 )
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EPISODE ZERO ~プロローグ~

はじめに

閲覧ありがとうございます。この作品を投稿します、作者の白雪です。
本作品は、モンスターハンター2ndG、3rd、3G、以上3つのゲームの要素を含んでいます。また、本作オリジナルの要素や独自解釈も多く含まれています。以上が苦手な方、気分を害した方などはすぐにブラウザバックを推奨します。
以上の注意を踏まえまして、本作品の閲覧をお願いします。


 ――霧が深い。

 辺りには高い山々が連なっている。だが、それも霧が立ち込めているためほとんど見えない。視界に入ってくるのは、ただ真っ直ぐに続く獣道だけである。

 無論、こんな獣道の道中には民家と呼べるものなど存在しない。辺りは静寂している。

 いや、その静寂も永遠のものではなかった。静寂した空間をガーグァと呼ばれるモンスターが牽く荷車が、ガタガタと派手な音を立てながら突っ切っていく。

 そのガーグァの牽く荷車には多くの荷物が積まれている。その中、一人の青年が自分の荷物であろう物に寄りかさって目を瞑っている。左右にその身を揺らされてもお構いなく体勢を維持し続けるところを見ると、どうやら眠っているわけではないらしい。

 ガーグァの荷車はしばらく走り続ける。長く続く獣道を、辺りの静寂を断ち切るかのように。

 すると、しだいに霧が晴れ視界がよくなってきた。上空には黎明の空が広がっているが、既に東の空には太陽が昇り始めている。

 やがて、太陽が地平線の彼方からその姿を覗かせる。そして、眩い太陽の光に眩惑される。目を瞑っていた青年もやや顔をしかめ、その目蓋をゆっくり持ち上げた。

 蒼眼。まるで、海の底を思わせる深い知性と冷静さを湛えた蒼の瞳。その視線の彼方には、白い煙が立ち上っている赤い建造物が映し出されている。

「あれが、ユクモ村……」

 青年が囁くように呟く。

 見うる限り、青年の年はおよそ二十歳ぐらいだ。直立すれば長身と言えるすらっとした体格。何よりその目を惹くのは、首元の辺りで揃えられた銀髪に均整する容姿。その印象的な容姿に映る表情から、彼の感情を読み取ることは難しい。

 青年の隣に立て掛けられているのは、ハンターと呼ばれる者が扱う武器の一種である太刀。

 鞘は青年の髪と同じ銀色。陽光を反射し、触れた者全てを斬り裂くようなそれは、今し方姿を覗かせる太陽のように煌めき輝く。

 この太刀が鋭角なフォルムなのは、素材として使用しているモンスターの鱗や甲殻をそのまま生かしているためである。鞘から引き抜き、一度(ひとたび)一撃を浴びせれば、相手はその斬撃と共に放たれる炎の餌食となる。

 空の王者、リオレウス。火竜(かりゅう)の、その更に上位種である銀火竜――リオレウス希少種の貴重な素材から作られている太刀。その銘を飛竜刀(ひりゅうとう)椿(つばき)】と言う。

 そして、ハンターが扱うもう一つの特徴的な物。それが防具である。

 彼のそれは、一見してただの服に見える。しかし、これは服などではない。ましてや、誰もが装備できるという物でもない。

 全体は落ち着いた蒼色で統一されている。ゆったりとした作りのベストやブーツには、装甲と共に金色の刺繍が施されている。羽根飾りの付いた洒落た作りの幅広帽。そして、ベストに縫い付けられている紋章は、ギルドと呼ばれるものの紋章である。

 ギルドガード(あお)シリーズ。ハンターの中でも選ばれし存在、ギルドナイト。そう呼ばれる者のみが身に纏うことを許された代物である。

 ――ギルドナイト。言うなれば、ギルド直属の精鋭部隊である。その中でも、ギルドナイトの階級はいくつかに分けられる。下から順に5th(フィフス)4th(フォース)3rd(サード)2nd(セカンド)、そして最上位の階級、1st(ファースト)。もちろん、階級とは自らの実力とギルドからの信頼を表すものであり、階級が上がるにつれより困難な依頼が回ってきたり、あるいは遠方への派遣任務に派遣される頻度も上昇する。

 この青年の太刀、飛竜刀【椿】はG級と呼ばれる最上位ランクに分類される武器だ。それを手にすることが出来る者は、無論多くはない。そこから察するに彼はギルドナイトの中でも階級は上から数えたほうが早いだろう。

 そう。まさしく、彼の階級は《クラス. 1st》。まさに、ハンター界、ギルドナイト界においても随一の腕を持つ実力者だ。

 しかし、ギルドナイトという役職に就くだけでも険しい道のりが待ち構えている。膨大な専門の知識を身につけ、様々な条件下で過酷な演習を行う。それらの数多の鬼門を超えた先にようやくギルドナイトという座を手にすることが出来る。

 だが、この青年はどうだろうか。《クラス. 1st》に属するギルドナイトは極端に限られる。そのほとんどがベテランと呼ばれる域に達する者ばかりだ。しかし彼は、若くしてギルドナイトの座を勝ち取り、そして《クラス. 1st》にまで駆け上がって来た。“もはや数十年に一人の逸材といっても過言はない”。そこまで言わしめるほどの実力者が、この青年なのである。

「ニャ。もうすぐユクモ村に到着ニャ!」

「そうか……」

 御者を務めているアイルーが、朗らかな笑みを浮かべて青年に報告する。

 アイルーとは獣人族に属するモンスターの一種だ。個々の力は微力ながらも、彼らは人間と同じように独自の文化を持っている。

 見た目こそ愛らしい猫のように見えるが、その知能は人間にも引けを取らない。武器を扱う知恵。そして、人間社会に溶け込めば人語さえも理解する。アイルーとは、人間とは似て非なる存在なのだ。

 御者のアイルーがそうであるように、町で商店を開いたり、ある村ではクエストを紹介してくれるアイルーもいたりする。考えてみれば、アイルーとは面白い生き物である。

「ヴァイスさんも大変だニャ~。任務でユクモ村へ来たんだから観光する余裕も無いんだからニャ」

 ヴァイスと呼ばれた青年は「そうでもないさ」と素っ気ない様子で返した。

 ヴァイス・ライオネル。それがこの若きギルドナイトの名だった。

 彼がハンターになったのは、かれこれ五年近く前のことだった。ドンドルマでハンターとしての技術を学び、そしてギルドナイトへと転向した。

 それからは多忙な日々が続いた。毎日のように転がり込んでくる任務。それは階級が上がるにつれ過酷なものへとなり、いつしか《クラス. 1st》まで昇格していた。

 そして、今も。

 ヴァイスはドンドルマから海を渡り、このユクモ村へ遥々やって来た。そう、それが今回の任務なのだ。

 ドンドルマとユクモ村間は陸続きではなく、広大な海を隔てている。そのためか、ドンドルマとユクモ村間での交流は行われていなかった。ましてや、ドンドルマの位置する旧大陸とユクモ村の位置する新大陸間での交流も滞っていた。

 もちろん、この間には文化の違いが存在する。未知な技術や文化が海を隔てた先に存在している。それを聞いたギルドの首脳陣達は動いた。

 ギルド直属のハンター、ギルドナイト。彼らをその地に送り込み、ドンドルマに、いや旧大陸に新たな技術などを伝える。それを任務とし、ギルドナイトを遠方へ送り出した。

 このヴァイスもその一人であった。《クラス. 1st》のギルドナイトともなれば上からの信頼は厚い。ギルドナイト内でも屈指の腕を持つヴァイスは、その任務において相応な人材であった。

 しかし、当のヴァイスは悩んでいた。

 元々ヴァイスはドンドルマを拠点として活動していた。任務で遠方の調査に赴いた経験もある。だが、そのどれもが長期的なものではなかった。今回の任務では何年かかるか分からない、まさに終わりの見えない任務なのだ。

 より正確な技術や文化を伝えること。そして、未知のモンスターの生態調査。それらに要する時間は莫大なものになる。

 そこで浮上する問題は、その大役が自分に務まるのかどうかということだった。

 だが、自分はギルドナイトである。そう腹をくくってみれば決意は自然と固まった。今に至っては、プレッシャーなどというものは全く感じていない。むしろ、これから先の行く末がどうなるのか。そちらの方に意識が傾いていた。

 ヴァイスは、傍らに置かれた飛竜刀【椿】に目をやった。

 出発する寸前、ヴァイスはこちらの大陸の太刀捌きを身体に叩き込んできた。大陸間では武器の扱いが若干異なるらしい。太刀の扱いに至っては大きな変化はないが、実践経験は一度も無い。それを早く実践してみたいという自分でも子供らしいと思う思考がヴァイスの頭の片隅にあった。

 そうしているうちに、目に映るユクモ村の姿が次第に大きくなっていく。

 ユクモ村。ロックラックからはるか東の山岳に位置する村である。

 山岳に築かれた村にも関わらずユクモ村を訪れる者は多い。それは、ユクモ村名物、温泉の影響だろう。その噂は遠方にも伝わり、湯治客が絶えないのだという。

 しかし一方で、ユクモ村は専属ハンターの少なさに悩まされていた。と言うのも、ユクモ村付近にモンスターが頻繁に出現するようになったことはつい最近のことなのだ。最近では村専属のハンターをギルドに要請しているらしい。

 ヴァイスもその一人であった。ギルドナイトの任務の一つとして、専属ハンターのいない村などに派遣されるというものがある。ヴァイスは、生態調査などの任務と別に、ユクモ村の専属ハンターとして派遣される任務を掛け持ちすることになったのだ。

「……それもそれでいいかもな」

 ヴァイスが静かに呟いた。

 普段とは違い、任務という言葉に縛られているような意識はあまり無い。重大な任務な一方、それとは反対で開放感がありヴァイスはリラックスできていた。

 それに、以前からヴァイスはユクモ村に興味を持っていた。そういう意味では、今回の任務はヴァイスにとっては苦ではないのかもしれない。

「さっ、着いたニャ! ここがユクモ村ニャ!」

 御者のアイルーが嬉しげに告げた。

 その言葉につられヴァイスが顔を上げた。

 山岳に位置する村にしては規模が大きい。それだけこの村が賑わっている証拠だろう。

 そして、ヴァイスの視線の先には先ほど見えていた赤い建物の姿があった。遠くからでも分かる通り、その建物はかなりの高さを誇っている。感情豊かな人が見たならば素直に「凄い」と口にしていたはずだ。

「お疲れ様ニャ、ヴァイスさん。目的地に着いたニャ!」

「ああ、ありがとう。長い間世話になったな」

「これくらいお安い御用ニャ」

 御者のアイルーが自慢のヒゲをピンと張って会釈する。

 荷車から自分の荷物を下ろす。その荷物も然程嵩張るものでもない。一人で運ぶことは十分可能だ。

「ところで、これからヴァイスさんは村長に会いに行くのかニャ?」

 御者のアイルーの問いにヴァイスが首肯した。

「一応、これから世話になるからな。礼儀として、それくらいは当然だ」

「なるほどニャ。たぶん、村長さんはこの石段を登った先の紅葉の木の下の腰掛けにいるはずニャ。村長さんは竜神族だから一目で分かるはずニャ」

「ああ、分かった。道中気を付けろよ」

 ヴァイスが改めて御者のアイルーに礼を言う。そして、御者のアイルーは再び荷車を走りださせた。

 御者のアイルーに別れを告げたヴァイスは村の入り口に向き直る。そこにある赤い鳥居がヴァイスを迎えてくれていた。

「行くか」

 決意を新たに、ヴァイスは新しい生活への一歩を踏み出した。



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第一章 交差する運命
EPISODE1 ~その村の名をユクモ村~


 ユクモ村を訪れた者を最初に迎えるのは、荘重な紅い鳥居である。

 自然と背筋が伸びるような感覚に浸りながら、一歩を踏み出し鳥居を潜る。そうした途端「ここまで遥々やって来たんだ」という感情が一気に込み上げてくる。

 鳥居を潜った先には、見上げる限りの石段が長きに渡り敷かれていた。ふと見上げれば、それは村から突き出すように聳える、この村の最も高い場所に位置した建物まで続いている。

 ユクモ村は起伏の激しい山間に造られている。そのため村の中で高低差があるのは当然であり、村の通路も自然を生かした形になる。そうした作りはドンドルマと共通する点が多く、どこか懐かしさを覚える。

 建造物の配色にも留意している点も、ユクモ村とドンドルマには共通している。しかし、ユクモ村の建物は朱色一色で統一され、落ち着いた雰囲気を感じさせる。

 建造物の配色で朱色が使用されているのは旧大陸ではあまり見慣れない光景であるが、これこそがユクモ村独特の文化なのだろう。

 そんな光景を一瞥すると、ヴァイスは、一段、一段とゆっくりとした歩調で石段を登り始めた。

 季節は秋。村の至るところにある木々はその枝に紅葉を抱き、風に吹かれた紅葉はひらひらと舞い落ちる。紅葉はまるで村全体を包むかのように辺りを彩り、そして澄み渡った秋空に舞い踊る。

 ヴァイスの視線が、青い空に舞う紅葉を見上げる形で追いかける。

「……綺麗だな」

 それは息を呑む光景だった。

 標高が高いとは言え、この辺り一帯は四季の変化がはっきりしているようだ。

 ヴァイスが紅葉を見るのは、これが初めてではないのだが、ユクモ村の雰囲気と風情ある建物が紅葉をより一層美しくさせているように見える。それが、ヴァイスの目を奪った。

 しばらく見ていても飽きそうにない。心のどこかで、思わずそう考えてしまう。

 だが、まずは先に済ます事がある。名残惜しいさを胸にしながらも、ヴァイスは再び歩を進めた。

 長閑な温泉郷であるユクモ村には、ハンター以外にも多くの観光客が訪れるようだ。行き交う人々は、この辺り一帯の独特な衣装を纏った者、洒落た格好をした者、防具を着込んだ者などさまざまだ。

 秘境とも呼べる場所に位置するユクモ村だが、村内は多くの人で賑わい、活気に溢れている。この村がここまで発展したのは、様々な人々が訪れ、その評判が人づてに伝わり……。そんな循環過程を繰り返した賜物なのだろう。

 そんなことを考えながらしばらく石段を上っていくと、

 ――カツーン、カツーン。

 と、規則正しいリズムで槌音が聞こえてきた。

 聞き慣れたその音の方向へヴァイスが目をやる。

 そこは工房だった。小柄で、顎に豊かな髭を蓄えた爺さんが、その体型に不釣合いな槌を振るい武器を鍛えていた。周囲にはその弟子と思しき者の姿もあり、今も何らかの武器を鍛えているようであった。

 今度はその反対側、向かって斜め後ろへ視線を向ける。

 そこは市場になっていた。幾店もの露店が立ち並び、店主と思われる者が客引きを行っている。

「なるほど。この辺りには雑貨屋や工房が集中しているのか」

 ハンターには武器や防具の他にも、各種さまざまなアイテムが必要不可欠な存在だ。こうやってハンターが利用する施設を一点に集中させることで無駄な時間を省く。確かに、効率的なものだと思う。

 視線を戻し、ヴァイスは再び石段を上る。

 商業エリアから少し上った先は、先ほどの場所と同じくらいの開けた作りになっていた。ここから道は別れ、宿屋や住宅などのスペースがある区域へ向かう道などが目立つ。

 そんな中ヴァイスは、村の入り口から遠目で見えた、高く聳え立つ建物を見上げた。その建物へは真っ直ぐ石段が続き、多くの人が行き来しているようだった。白い煙が立ち昇っている。

 ふと視線を近場に移してみれば、近くに湧いている池のようなものからも白い煙が揚がっている。

 この白い煙の正体は湯気である。さすが温泉郷とも言うべきか、村の至るところから温泉が湧き出ているようで、人の目も気にせず温泉に浸かっている者も中にはいたりする。

 と、ヴァイスの視線がある場所で停止する。

 紅葉の木の下。落ちてきた紅葉を手で掴んでいる女性は、静かで優雅な笑みを浮かべている。そう、この女性こそがこの村を治める村長なのだ。

 近づいてみると、その優美で淑やかな姿が実によく分かる。

 ユクモ村の村長は人間ではない。竜人族と呼ばれる種族である。特徴としては、人間に比べ大きな耳。人間を遥かに凌駕する高い知能などが上げられる。その知能を生かし、他の村や街でも竜人族の者が重要な役職に就くことは多い。

 また、人間も竜人族を尊重している。姿は違えど、はるか昔からこの二種族は互いに協力し、調和して生きてきた。それが現在にまで繋がっているのだ。

「あら、こんにちは。ユクモ村へようこそ、ヴァイス様。お話はギルドより伺っております。こんな山奥の村にようこそおいで下さいました」

「ええ、こちらこそ」

 ギルドガードロポス蒼を軽く持ち上げ会釈する。

 さすが、と言ったところだろうか。村長は一目でヴァイスだと見破った。と言っても、この目立つ格好も多少は影響しているのかもしれないが。

 その村長が、ヴァイスを頭からつま先まで一瞥し、そしてその特徴的な蒼眼を見つめた。

「ふふっ、綺麗な瞳をしておられますね。噂は常々聞いております。お若いながらも、高い実力を持ったお方だと」

「買いかぶりすぎです。俺はまだまだ未熟者ですよ」

「あらあら。意外と謙虚なお方なのですね」

 村長はそう言って、にこやかに微笑んだ。

 村長というだけあってか、その雰囲気に相応しい優雅な気品を漂わせる着物を纏っている。端整な顔立ちをしている村長にはとても似合っている。

 赤い布を敷いた腰掛に座ったまま、村長が紅葉が舞い落ちる木を見上げる。すると、一枚の紅葉が、村長の手に納まるようにひらひらと舞い落ちた。手に収まった紅葉を見つめながら村長が口を開く。

「今回、ヴァイス様はギルドの任務でいらしたと聞いております」

「ええ、その通りです。生態調査という面目で長期的な任務になります。おそらく、長居させていただくと思います」

「もちらん大歓迎ですわ。ヴァイス様のご活躍をお祈りします。私からできることは、借家をご用意することしかできませんが……」

「まさか。それだけでも十分です」

 正直、それには本当に驚いた。ハンター一人のために借家を用意してくれるなどということは今までなかった。基本的に宿屋で寝泊りするのが今まで一般的だった。代金はギルドが負担する形になっているが、自分の部屋ではないだけあって幾分使い勝手も悪かった。長期滞在ということを考えれば、このような厚意は普通なのかもしれない。だが、そうだとしても村長には感謝しなければならない。

「感謝します」

 ヴァイスは、素直に礼を言った。そうすると、村長も優雅な所作で頭を下げた。

「長旅で疲れていることでしょう。どうぞ、ごゆっくり疲れを癒してください」

 そうして村長に挨拶を済ませたヴァイスは、借家の位置を教えてもらった。優雅に微笑みながら、村長はヴァイスを見送ってくれた。

 

 

 

 借家の位置は村長と話した場所からはそう遠くはなかったため、荷物を運ぶ手間も大きくはなかった。

 教えられた借家の扉を開ける。

 中へ足を踏み入れた時には若干の違和感を覚えたが、これから生活してけばすぐに慣れるだろう。

 だが、それ以上にヴァイスの関心は別のものに向けられていた。

 借家と言われていたそれは、どちらかというと昨日まで誰かが住んでいた家をそのまま譲り受けたような感じだった。生活するのに必要なベッド、台所などは手入れが行き届いており、室内を彩る小物も幾つか置かれていた。

「凄いな……」

 ただ、そう言うしかなかった。

 ヴァイスの想像していた借家は、もっと質素な作りだった。だが、それはいい意味で期待を裏切られたことになる。

 この家自体はそこまで狭くはなく、二階へ上がる階段も見受けられる。道具類や武器の置き場所に困る心配は無さそうだ。台所も整備されているため、調理に支障はない。ドンドルマに住んでいた借家に比べれば不便な点もあるかもしれないが、それでも十分すぎる程の厚意だった。

 荷物――と言っても武器やアイテム類がほとんどだが、それらを運び込む。飛竜刀【椿】を肩から下ろし、荷物の整理を始める。愛用の武器には砥石を当て、アイテム類は備え付けの道具箱にしまった。

 そうして、整理を終えた頃には日が暮れ始めていた。

 長旅のせいか、いつもより身体が重く感じられる。加えて、荷物の整理を行ったため疲労も溜まってきているようだ。大人しくベッドに寝転がり、目を閉じる。

 しばらく経つと、意識がぼんやりしてきた。睡魔に身を委ねようとしているのが自分でもよくわかった。

「ユクモ村、か……」

 ヴァイスがぽつりと呟いた。そうしてから短く息を吐き、仰向けになる。明日にやるべきことを考えていると、どんどん睡魔が増してくる。

 そして、それから意識が落ちるまでに時間は対して要さなかった。ヴァイスの意識は夢の中へと落ちていく。ぼんやりとした、淡い夢の中へと。



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EPISODE2 ~厄介な頼まれごと~

 ぼんやりとした意識の中、小鳥のさえずりが聞こえてくる。そして、頭の中が徐々に覚醒していく。もう、朝がやってきたのだ。

「……んん」

 どうやら夢を見ていたようだ。内容は漠然として覚えていないが、大した内容ではないだろうと自己解釈する。

 まだ眠たい目をこすりながら、ヴァイスはベッドの上で伸びをする。

「朝か……」

 そう言って窓から見える景色を見る。朝とは言っても、まだ日が昇りきっていない時間だ。早い時間に寝たためか、かなり早い時間に起きてしまったようだ。

 元々、ヴァイスは朝に強い方である。仕事柄か、早朝から起きていることも珍しくはなかったため、二度寝してしまおうという気にはなれなかった。

 まだ重たい身体を起こし、ベッドから起き上がる。布団から抜け出すと、若干肌寒かった。山間にある村のためか、朝方や夜中は冷えるらしい。

 銀髪を掻き揚げ、ヴァイスは洗面所が位置する部屋に向かった。

 本来なら、昨日の内にギルドに顔を出しておきたかったが、どうも疲れが溜まっていたらしく大人しく睡眠を取ることにした。そして、今に至る。この時間帯でもギルドは運営している。だが、寝起きの顔でギルドに顔を出しても失礼なだけだ。最低限の準備を整えてから挨拶しに行けばいいだろう。

 冷たい水で顔を洗い、眠気を一気に飛ばす。ついでに、朝食の準備をしようと考える。とりあえず台所へと向かった。

「朝食は……、簡単なものでいいか」

 起きてから時間が経っていないため食欲はあまり湧いていない。取り合えず、短時間で作れるもので満足できるだろう。

 台所には、ご丁寧なことに食材が用意されていた。ヴァイスが見たことあるようなもの、この村で採れたであろう野菜などさまざまだ。

 取り敢えず、近くにあったシモフリトマトを手にすると、それを一口サイズにカットしていく。ついでに村で採れた葉菜も大きめに切り、皿に盛っていく。最後に、粉末状にした幻獣チーズを振りかければシモフリトマトのサラダが完成する。

「こんな感じか」

 他から見れば物足りなく見えるかもしれないが、今のヴァイスにはこれだけで十分腹を満たせそうだった。

 早速食べてみる。幻獣チーズ独特の風味とシモフリトマトの甘酸っぱさが絶妙に合わさっておりとても美味しい。葉菜の方も、食感、味、共に満足できるものだった。

 食べ終えて、後片付けをする頃には辺りも明るくなってきた。

 後片付けを終え、ヴァイスはギルドへ挨拶をしに家を出て行った。

 

 

 ユクモ村の人々の朝は早い。

 家を出たヴァイスは、この村のギルド――集会浴場へと向かうべく石段を上っていた。その中、村人を多く見たヴァイスはそう感じた。

 ヴァイスは今、ギルドガード蒼シリーズを身に纏い飛竜刀【椿】を肩に背負っていた。これからすぐに狩猟に向かうかのような装いである。

 挨拶ついでにここでのハンター登録を済ませるつもりだが、すぐに狩猟に向かうわけではない。ハンターにとって、武具は自分がどれだけの実力を持っているか証明するものの一つである。すなわち“自分はこれほどの実力を持つハンターだ”と強調する役割も持っているということだ。

 集会浴場は、村の一番高くに位置する場所にある。昨日ヴァイスが見た、聳え立つような建物が集会浴場なのだ。近くに来ると、その大きさがよくわかる。一体どうやって、こんな場所にこのような高い建物を建てたのだろうか。おそらく、高い技術を持った建築士たちの成せる業なのだろう。

 集会浴場の入り口には赤い暖簾が掛けられていた。どこか、宿屋のような雰囲気を感じさせる。

 その暖簾を潜り、中に足を入れる。その途端、身体が熱気に包まれた。無論、火山や砂漠の比ではない。外が涼しい分、この場所も暖かく感じる程度だ。

 集会浴場とあってこの村のギルドは大浴場と併設されている。足を踏み入れた途端に気温が上昇したのもそのためで、今も何人かの人が温泉に浸かっているようだった。

 時間が早いせいか、辺りには温泉に浸かっている人以外の姿は見られない。がらがらの集会浴場をヴァイスは一人、カウンターへと向かった。

「おはようございます! ハンターズギルド・ユクモ村出張所へようこそ! どういったご用件でしょう?」

 カウンターの向こうに腰掛けた受付嬢の一人が、やって来たヴァイスに対応する。

「ああ、この村でハンター登録をしたいんだ」

「ハンター登録ですね。では、ギルドカードの提示をお願いします」

 ヴァイスは、懐からギルドカードと呼ばれるものを取り出し受付嬢に渡した。

 ギルドカードは、持ち主の役職やこれまでの活躍といった個人情報が記されている。言ってみれば、ハンターの身分証明書のようなものだ。他の街や村で狩猟に出る場合は、ハンター登録をする際このようにギルドカードの提示を要求される。

「はい、ヴァイスさんですね。登録が完了しました。ギルドカードをお返しします」

 登録を完了しギルドカードを受け取った。すると、

「ひょっひょっ。この若武者がヴァイスかね。……ほう、思っていた通りいい面構えをしてるぜ」

 手続きをしてもらった受付嬢の左隣、大胆にもカウンターの上で瓢箪に入った酒を煽っている小柄な老翁がそう言った。若武者、とこの老翁は言っていたが、察する限りでは自分以外にその言葉が当てはまる人物はいない。

 老翁は人を品定めするような鋭い眼差しから、柔和のものへと変えた。そして、「ひょっひょっ」と笑うと再び酒を煽り始めた。

 一体、あなたは何者ですか。ヴァイスはそう言おうとでも思ったが、それより先に手続きをした受付嬢が口を開いた。

「この方はこのギルドのマネージャーです。いつもこういった感じですが、とても優しい人です。どうか気を悪くしないで下さい」

 おそらく、この老翁――ギルドマネージャーの態度がヴァイスの気に触れたのではないかと不安になり、フォローを入れたのだろう。別にヴァイスも不快ではなかった。それよりも、この老翁がギルドマネージャーだったということに驚いている。カウンターの上を一人陣取り、尚且つこんな朝早くから勢いよく酒を煽っていればそう思えても仕方がない。

「大丈夫、気にしていない」

 ヴァイスも誤解を招いてしまわないように努めた。

 取り敢えず、気持ちを切り替えたヴァイスがギルドマネージャーに頭を下げた。

「初めまして。ヴァイス・ライオネルです。今回、ドンドルマのギルドから、こちらの大陸の生態調査という目的でやってきました」

「おう、話は聞いてるぜ。まあ、まずは頭を上げておくれ。アタシは堅苦しいのはあまり好きじゃないんだ。だから、アタシのことは爺さんとでも呼んでくれ」

「ええ。では、そのお言葉に甘えさせてもらうことにします。爺さん」

 頭を上げ、ヴァイスは素直にギルドマネージャーの施しに甘えることにした。受付嬢の言うとおり、根は優しい性格の持ち主だと感じる。

「しかし、チミもまだだいぶ若いじゃないか。その年でギルドナイトの《クラス. 1st》になるのも酷なものじゃないのかい?」

「まあ、多少はそうかもしれません。ですが、俺は周りに比べれば苦労はしていないはずです。本当に酷なのは、これから先です」

「ほう、そう思っているのかい。なら一つ、頼みのごとをしてもいいかね?」

「頼みごと? 何です、改まって」

 突然のことだった。だが、自分に困難でなければ、どんな頼みでも聞きたかった。これから世話になる分、今から力になってもいいだろう。

 だが、そう考えるヴァイスの目の前でギルドマネージャーは首を横に振る。

「その頼みごとはアタシからじゃなく、本人から聞いてくれると助かるんだ」

「本人?」

 唐突なギルドマネージャーの発言に、ヴァイスもすぐさま理解が及ばず、話についていけなくなりそうだった。

 本人。つまりは、ギルドマネージャーがその人物に、ヴァイスに頼みごとを聞いてくれるようにでも言ったのだろう。

「ああ、そうだ。……と、ちょうどその本人がやってきたみたいだ」

 ギルドマネージャーが集会浴場の入り口の方向を指差す。反射的にヴァイスもギルドマネージャーが指差す方向に身体の向きを変えた。

 “誰か”が集会浴場の入り口に立っている。ちょうど朝日と重なってしまい、その姿はよく見えない。だが、相手側は自分の存在に気づいているらしく、こちらに向かい走り寄ってくるのが窺えた。

 その人物がヴァイスの目の前に来た時、ようやくその姿がはっきりした。

 小柄な、十六歳くらいの年の少女だった。黒い髪はショートカット。茶色の瞳がしっかりとヴァイスを見据えている。肩を上下させているのは、ここに来るまでの石段を駆け上がってきたためだろう。

「爺さん、この()が?」

 ヴァイスの問いにギルドマネージャーは頷く。

 それを皮切りにするかのように、少女が口を開いた。

「あ、あの! あなたが、ヴァイスさん、ですか!?」

「ああ、そうだが……」

 半ば気圧される形でヴァイスが少女に答える。

 この人物がヴァイスだと理解出来た途端、少女の顔には微かな喜びと大きな緊張の色を浮かべた。

「爺さんから話を聞いた。俺に頼みごとっていうのはなんだ?」

「そ、それは……」

 少女が口ごもる。別にヴァイスは何もおかしなことは言っていない。おそらく、この様子から察するに、少女の頼みごとというのは、口では言いにくいものなのかもしれない。

 だが、ついに少女は意を決したのか、顔を上げるとヴァイスにこう言い放った──。

 

 

「お願いします! 私を、あなたの弟子にしてください!」



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EPISODE3 ~憧れの人~

「……弟子?」

 あまりにも素っ頓狂に発した自分の言葉に、ヴァイス自身も情けなくなった。醜態を晒さずに済んだのは、周りに人がいなかったことも幸いした。

 だが、それ以上に、問題は別にある。

 この少女、出会ってから僅か一分も経たずに「弟子にしてください」などと言ってきた。こんな唐突に弟子入りを志願されても困惑するだけである。相当なお人好しでなければ「ああ、いいよ」などと言わないだろう。

 それに、ヴァイスにはこの少女を弟子にする理由がない。だが、だからと言って、即座に断るのも気の毒な話である。故にヴァイスも、この返答には困り果てる。

「そんなことを突然言われてもな……。俺もギルドの任務でユクモ村に滞在する身だ。いきなり弟子入りを志願されても、素直に即断することは出来ない」

 ヴァイスがありのままの本心を話す。だが、少女も負けじとヴァイスに食い下がる。

「そ、それはわかってます。私が無理を言っていることも十分理解しています。でも、ヴァイスさんしかいないんです。ヴァイスさんなら、私は憧れの人に近づけるかもしれないんです!」

「君の、憧れの人?」

「はい!」

 少女が力強く頷く。

 憧れの人、という言葉に若干戸惑ったヴァイスだが、すぐに頭を切り替え少女に質問した。

「よければ教えてくれないか。君の言う憧れの人について」

 もしかしたら、とヴァイスはふと思う。

 この少女がどんな人物に憧れたのか、はたまたどんな理由で憧れたのか、などという理由を聞けば少女の思考を理解できる気がしたのだ。そうすれば、唐突な弟子入りを志願してきた彼女のことを知ることができるかもしれない。

「そう、ですね……。それだけだと、確かに分かりづらいですよね」

 そう言った彼女の表情が僅かに曇った瞬間を、ヴァイスは見逃さなかった。

 だが、ヴァイスがそんなことに構っている暇もなく少女が話し始めた。

「元々、私はこの村で育ったわけではないんです。私の父は行商人で、幼い頃は両親と一緒に遠くまで旅をしました。ある日、私たちはいつもと同じように旅をしていました。その道中、リオレウスに襲われたんです」

 リオレウスは火竜の異名を持つ。テリトリーに入った者には容赦しないことでも広く知れ渡っている。つまり、旅の途中で知らぬうちにリオレウスのテリトリー内に入ってしまったのだろう。

「何とかリオレウスから逃げることに成功しました。でも、私だけは逃げる途中で荷車から振り落とされて、両親とは離れ離れになってしまったんです」

「っ……」

 ヴァイスが奥歯を噛み締めた。

 彼女の話を聴いているだけで、その光景は容易に想像がつく。リオレウスのテリトリー内と考えるならば、少女が取り残されたのは狩場のど真ん中。年端のいかない少女がそんな場所に独り取り残されれば孤独感に押しつぶされ、恐怖に怯えるのは当然だろう。

「私はどうしようもありませんでした。右も左も分からない場所に独り置いてかれたんですから」

 それが、ハンターならば話は別だ。だが、ハンターでもない少女はそんな中でどうすればいいかわからなくて当然だ。

 少女の話す内容は、聴いているだけのヴァイスの心を締め付けた。

「しばらく何もできないでいると、そこにリオレウスが下り立ったんです。私に目掛けて炎ブレスを放ってきて……。もちろん、私には回避しようとか、そういう考えより恐怖の方が大きくて動くことができませんでした」

 炎ブレスは、リオレウスの得意技の一つだ。

 体内で圧縮された高温の炎を球体状にして吐き出す。その破壊力は凄まじく、並みの防具では耐え切れない。無論、防具などを着込んでいない者が受ければ即死だ。

「私はあの時、もう死んじゃうのかなって、そう思いました。でも、私の目の前にあるハンターが現れて、私を身を挺して守ってくれたんです」

 ヴァイスの表情が若干憮然とする。だが、すぐに表情を戻して口を開く。

「なるほど。憧れの人っていうのは、その人物のことなんだな」

「はい。説明下手でしたけど理解できました?」

「ああ、十分だ」

 ここまで話してくれれば理解に苦しむことはない。おそらく、思い出すのも辛いことなのでできれば繰り返し尋ねるといった真似は避けたかった。

 しかし、とヴァイスは考える。

 先ほどから、妙に引っ掛かるものを覚えている気がして仕方がないのだ。単にヴァイスの気のせいかもしれない。しかし、この話自体にも妙に感傷的になれるのが不思議に思えた。

 と、改めて少女の顔を見る。

 あどけなさが残った顔に、どこか見覚えがあるような気もする。思い出そうにも、まるでその記憶に霧がかかったように曖昧な感じで、ぼんやりとしか浮かんでこない。

「ん?」

 だが、ここでヴァイスの視線が、彼女のある部分を捉える。

 首から提げてるであろうネックレスが胸の辺りに輝いている。それは十字架を模した銀色のネックレスだ。その中央部には蒼く煌く宝石が刻まれている。

「あれは……」

 まさか、とヴァイスは思う。

 ある理由で今は手元にないのだが、ヴァイスは数年前までこれと同じものを所持していたのだ。

 いや、それとはもっと別のところに、ヴァイスの視線を釘付けにした理由がそこには存在していた。

「すまない。その銀の十字架のネックレスを見せてくれないか?」

「これ、ですか? いいですよ。あ、でも私にとってはとっても大切な物なので大事に扱ってくださいね」

 少女はそう言うが、ヴァイスにはそんな言葉は耳に入ってこなかった。

 手渡されたネックレスをまじまじと見つめる。見間違えようがない。これは、数年前までヴァイスが所持していたものに違いない。証拠に、このネックレスの裏側にとても小さくヴァイスの名前の綴りが“V,L”と刻まれている。

「このネックレスは、どこかで買ったものなのか?」

 少女にネックレスを返しつつヴァイスが尋ねる。少女は首を横に振り、そのネックレスを大切そうに握り締めて見せた。

「いえ。このネックレスは、さっき話した人から貰ったものです。だから、私にはこれがとても大切な物なんです」

「そうか……。まだ名前を訊いてなかったな。教えて欲しい」

「あっ、ごめんなさい。すっかり忘れてました。私は、クレア・メーヴィスっていいます」

「クレア・メーヴィス……」

 名前を聞かされたとき、ヴァイスの中に引っ掛かっていたものの全てがようやく紐解かれた。

 そして、大切なことも思い出した。あの時に約束した、とても大切なことを。そう、その約束は今まさに果たすべきものだった。

「どうかしたんですか?」

「いや、何でもない」

 遠くを見るような目をしていたヴァイスにクレアが疑問を抱いた。だが、それは僅かなことで、すぐに表情を引き締め直した。

 そして、ヴァイスがクレアを真っ直ぐに見据え、口を開いた。

「……事情は理解できた。クレア、今日からお前は俺の弟子だ」

「本当ですか!?」

「ああ」

 クレアが目をアイルーのように爛々と輝かせ、依頼を成功させた時のように飛び跳ね喜びを露わにしていた。

「ありがとうございます! 私、頑張ります! だから、これからよろしくお願いします!」

 よほど緊張していたのか、先ほどまでの印象とはがらっと変わった。

 ヴァイスもその様子に苦笑いしながら「こちらこそ」と言う。だが、クレアには忠告しておかなければならないことが幾つかあった。

「先に言っておくが、俺はギルドナイトだ。依頼は厳しいものが多いだろうし、中にはクレアを同行させられないような依頼もあるかもしれない。それは理解してくれるな?」

「もちろんです!」

 案の定の返事、と言ったところだろうか。

 ヴァイスは元々、ギルドの任務でやってきた身だ。ある程度の自由は利くが、それでも完全に縛られないわけでもない。師として弟子のクレアの面倒を見るのもそうだが、一番の目的を忘れることはできない。

 しかし、今回の任務自体に期間などというものはない。気長な気分で臨むつもりだったこともあり、ある意味クレアには丁度いいタイミングだったのかもしれない。

「さて。となれば、早速明日から狩猟に出る。詳しいことは明日伝えるから、今日はゆっくりしていてくれ」

「了解です!」

 ヴァイスがそう言い残して集会浴場を去る。

 ギルドマネージャーはにやにやしながらその始終を見守り、受付嬢もヴァイスがどんな反応をするか興味津々だったらしい。クレアに至っては、ヴァイスの姿が見えなくなるまで直立不動の体勢だったようだ。

 

 

「はぁ」

 大きく息を吐き出し、ベットに仰向けに寝転ぶ。

 唐突な出来事だったとはいえ、弟子入りを許可したのはそれなりの理由がある。それが、今になって時が訪れるというのも、神の悪戯のようだった。

「フフッ、世の中は案外狭いものだな」

 自分でも年寄りくさいと思うが、そう言わずにはいられなかった。目元を手で覆うと、そんな発言に自然と苦笑いしてしまう。

 あれから、どれほど時が流れただろうか。否、大したほどではない。

 それは、二年前のあの日に交わした“二人の約束”。その時から今に至るものなのだから。



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EPISODE4 ~空の王者~

 その日、ヴァイスはアルコリス地方――通称、森丘に赴いた。森丘はドンドルマから遠く離れた地に位置しており、行き来するだけでも苦労する。

 しかし、いざ森丘へ足を踏み入れてみれば、そこには広大な自然が眼前に広がる。

 森丘の地形としては、西側にはシルクォーレの森が、東側にはシルトン丘陵がそれぞれ位置している。シルクォーレの森は見通しが悪く動きも制限される。シルトン丘陵は見通しや動きに害は然程ないが、一歩間違えれば崖下へ真っ逆さまだ。

 薄暗く閉塞感のある森丘の拠点(ベースキャンプ)は、地上からのモンスターからの進入を防ぎ、上空からハンターを発見するのも困難である。まさに、拠点を置くには絶好の条件が整っている。

 今回の依頼内容はリオレウスの討伐。そのために持ち込んだ太刀が、森の間隙から差し込む日の光を反射してぎらりと輝いた。

 鬱葱としたこの森のような濃い緑色で全体が統一されている。刀身は、まるで十手のように二股に別れている。これには薬品加工したカンタロスの素材を使い、切れ味を更に高めている。その太刀の銘を黒刀(こくとう)参ノ型(さんのかた)】と言う。

 主に剣士が使用する武器にはモンスターの素材により属性が追加されることがある。例えば、今回の狩猟対象であるリオレウスの素材を用いて作られた大抵の武器には火属性が追加される。

 黒刀【参ノ型】は無属性のため、リオレウスに対しては良くも悪くもないといったところだ。今回ヴァイスが、属性を帯びた太刀をあえて持ち込まなかったのには理由がある。

 現在、ヴァイスのギルドナイトのランクは《クラス. 3rd》。ちょうど、中間のランクだ。この辺りまで昇格すると、遠方への調査に派遣されることも珍しくない。

 遠方への調査は、基本的には未知のモンスターの情報収集が主だ。その際、闇雲に武器を選択するのは賢いとは言えない。そうなれば、属性には頼らず己の技量と知識で挑むことになるだろう。

 相手の弱点を突けないのは、力関係の差が大きいハンターにとってかなり不利に働く。だが、ギルドナイトにとってそれは当然のことでもある。今回の狩猟は、その予行演習と言っても過言ではない。

 ようやく着慣れてきたギルドナイトシリーズは、他人から見れば派手な格好だ。洒落たこの格好で狩猟するのは不釣合いだろう。始めはヴァイスもそう思っていたものだが、慣れれば悪くないものだ。

「やはり届いていないか」

 支給品ボックスを覗いたヴァイスがやれやれと首を横に振る。

 ヴァイスが期待していたのはギルドからの支給品だ。応急薬や携帯砥石など、質は劣るものの所持していて損のないアイテムだ。だが、届いていないならば諦めるしか他ならない。

 嵩張る大タル爆弾Gやシビレ罠は拠点に置いておき、身軽な状態にする。

「……行くか」

 無愛想に呟きながら拠点を後にした。

 拠点から続く道は薄暗く、人一人が通るのがやっとといった状態だ。しばらく歩くと、日の光が差してきた。そして、途端に視界が広がった。

 眼前に広がるのは雄大な景色。

 豊かな自然の恵みを受ける場所。それが、この森丘だ。

 気温は暑くもなく、寒くもない。己の力を存分に引き出すには十分な条件だ。まさに、ハンターの実力が問われる屈指の狩場の一つだろう。

 このエリア1から続く道は二つあるが、その内ヴァイスはエリア2へと続く道を進んだ。

 エリア2に出る。この辺りから丘陵地帯になってくる。周りにモンスターがいないことを確認すると、ポーチからオレンジ色の液体が入った瓶を取り出し、それを飲み干す。

「……リオレウスはエリア5か」

 千里眼の薬というこの道具は、第六感が研ぎ澄まされ一時的にモンスターの居場所を把握できるようになる。相手がどこにいるか検討の付かない狩猟開始際では役に立つアイテムだ。

 エリア2も先に続く道は二つある。向かって左側の蔦を上りエリア6へたどり着いた。

 まるで、岩山が聳え立っているようだ。目指すエリア5へはこの崖を登らなくてはならない。

 身軽な動きで岩山を登っていく。もちろん、命綱と呼べるような物はなく、自力で頂上を目指した。

 やっとのことで頂上にたどり着く。先ほどまでいた場所が崖下に見える。目の前に広がる景色は素晴らしいが、今は見惚れている場合ではない。

 軽く深呼吸をして呼吸を整えると洞窟のような岩場の合間を進んだ。

 エリア5は薄暗い洞窟のような形をしている。エリア4から見えた岩山の中にぽっかりとできた空間なのか、頭上にある穴から太陽の光が届いている。これで、視界はある程度確保できる。

 普段ならランポスなどが屯しているエリア5には小型モンスターの姿はない。その代わり、今回の標的がそこに佇んでいた。

 最初に目に留まるのは鱗や甲殻の赤。それはまるで燃える炎を模しているような赤色だった。長い首先には硬い甲殻で覆われた頭。人で言う手の部分は、その巨体を浮かび上がらせるほどの大きな翼に発達し、太い尻尾の先端には幾本もの棘が生えている。

 そのどれもが、飛竜種の標準的な体つきをしている。奴こそ空の王者と畏れられるリオレウスなのだ。

 リオレウスはヴァイスには背を向けており、こちらの存在には気が付いていない様子だ。そのうちに最初の一撃を決めるため、ヴァイスはリオレウスとの距離を少しずつ詰めていく。しかし、足音を聞きつけたのか、はたまた偶然なのか、運悪くリオレウスが振り返りヴァイスの存在に気が付いた。

「ゴワアアアアアァァァァァァァァァァァァァァッ!」

 リオレウスは、ヴァイスをテリトリー内に侵入した邪魔者と判断したらしい。猛々しい咆哮を上げると、ヴァイスを睨みつける。

「チッ……」

 黒刀【参ノ型】の柄にやっていた手を戻し、リオレウスの様子を窺う。

 リオレウスは、咆哮を上げたその場から突進を繰り出してきた。しかし、それほど接近していたわけではないため回避は容易に成功した。

 突進を空振りし勢いを殺しきれなかったリオレウスは、その巨体を投げ出すようにして急停止させる。硬い鱗や甲殻に全身が覆われているため、削れるのはむしろ地面の方だ。リオレウス自身は、この程度かすり傷にもならないだろう。

 この瞬間、ヴァイスはリオレウスに接近を試みた。リオレウスが突進を終えてから体勢を立て直すのに時間がかかる。一撃を浴びせることぐらいは可能だ。

 しかし、動きが勝ったのはリオレウスだった。立ち上がると、身体をその場で回転させる。その勢いで遠心力が加わった尻尾が風を切って薙ぎ払われる。

 これではリオレウスに接近することは不可能である。しかし、ヴァイスは動きを止めようとはしない。尻尾が薙ぎ払われる際、リオレウスは身動きが取れなくなる。尻尾を薙ぎ払う瞬間を見極め、前転してリオレウスの懐に飛び込んだ。

 黒刀【参ノ型】の新緑の刃が、リオレウスの脚を斬り裂く。突き、斬り上げ、斬りつけると斬り下がりで一旦距離を取る。

 今の斬撃は決して深手とは言えない。だが、現状ではそれで十分だ。本格的に仕掛けるのはまだ先。道具を駆使し、リオレウスの体力を一気に削り取るのだ。

「フン……」

 リオレウスが再び突進を繰り出す。それを、ヴァイスは抜刀したままで回避する。

 今度は、リオレウスが動き出す前にヴァイスが懐に飛び込んだ。先ほどと同じように黒刀【参ノ型】を一閃させる。高い切れ味を持つ黒刀【参ノ型】でも、それほど深くへは斬り込めない。

「ゴアアアアアアアアアアァァァァァァァッ!」

 その巨体の故、リオレウスからは懐に飛び込んだヴァイスの姿は見えない。だが、攻撃されているのは確かだった。闇雲ではあるが、突進を繰り出しヴァイスを振り払おうとする。

「くっ……」

 予想していなかった動きにヴァイスも若干戸惑う。だが、ハンターとして馴染んできた身体はヴァイスの思考よりも咄嗟に動き、これを回避した。

「深追いしすぎたか……」

 自分の過ちをヴァイスは素直に認めた。ダメージを受けなかったことが幸いなことだ。以後、注意すればいい。

 黒刀【参ノ型】を鞘に収めると、ヴァイスはリオレウスの背中を追った。



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EPISODE5 ~烈火の炎~

「ガアアアアアアアアァァァァァァァァァァァッ!」

 ヴァイスはリオレウスの背後から接近を試みた。だが、ヴァイスの目の前でリオレウスは方向転換を行い、突進を繰り出してきた。しかし、ヴァイスとリオレウスとの距離が開けていたこともあり回避は容易だった。無人の空間をリオレウスが土煙を巻き上げながら突っ切った。

 だが、この影響でヴァイスとリオレウスとの距離が再び開いてしまった。先ほどと同じようにリオレウスの背を追う。リオレウスが立ち上がる隙を付けば、斬撃を浴びせることが可能だ。

 ヴァイスが黒刀【参ノ型】の柄に手をかける。しかし、ヴァイスが太刀の間合いに入るより早くリオレウスが動いた。身体を持ち上げ体勢を立て直したかと思うとその場で周囲を薙ぎ払った。

 ヴァイスは、この動きをつい先ほど目の当たりにしている。だが、今回のヴァイスは、リオレウスの懐に飛び込むことなく様子を窺った。現段階では深追いせず、安全かつ着実にダメージを重ねていく算段だ。

 薙ぎ払いを終え、リオレウスが正面にヴァイスを捉えた。そして、再び突進を繰り出してくる。ヴァイスも同じようにそれを回避する。

 今回は、先に動いたのはヴァイスだった。立ち上がろうとするリオレウスに向かって黒刀【参ノ型】を振り抜いた。上段から斬りつけ、突き、斬り上げ、斬り下がる。太刀を振るう基本的な型で斬撃を浴びせ、一旦後退した。

 斬り下がったヴァイスの目の前で、リオレウスは薙ぎ払いを行う。あの場に留まっていれば回避は困難だった。相手の攻撃を回避しつつ斬撃を浴びせる、という太刀の長所をヴァイスは上手く生かして立ち回っている。

 しかし、リオレウスもヴァイスの動きに翻弄されているわけではなかった。ヴァイスとの距離を詰め、頭を突き出すようにして噛み付いてきた。

「くっ……」

 無論、リオレウスの鋭利な牙の餌食となれば無事では済まない。黒刀【参ノ型】を鞘に収める余裕すらなく、ヴァイスは抜刀したままその場で回避行動を取った。ギルドナイトスーツに砂が塗れるものの、そんなことは気にせず安全圏まで距離を取った。

「ゴアアアアアァァァァァァァァァァッ!」

 だが、リオレウスも簡単にヴァイスを逃そうとはしない。ヴァイスが回避した方向に向かってリオレウスが突進を行ったのだ。

 ヴァイスも、何とか回避する。立ち上がり、リオレウスの位置を確認すると走り出す。背後からリオレウスに接近し、右脚に黒刀【参ノ型】の斬撃を放つ。

「ガアアァァァァァァァッ!」

 しかし何を思ったのか、リオレウスはいきなり突進を繰り出したのだ。予想外の動きにヴァイスも対処が遅れた。蹴り出した脚に引っ掛けられ、ヴァイスは地面を転がる。

「うっ!」

 だが、狙った攻撃ではなかったのだろう。それ故、ダメージは浅いものだった。この程度の傷なら回復の必要はない。

「やはり、内面の守りは甘いか……」

 立ち上がり、黒刀【参ノ型】を鞘に収めながらヴァイスは呟いた。

 鱗や甲殻に覆われた外面は硬く容易に痛手を負わせることは難しい。しかし、内面となれば話は変わる。鱗や甲殻に覆われていない箇所が多いため肉質は軟らかくなる。そこに斬り込めば、より大きな痛手を負わせることが可能なはずだ。

 リオレウスとの距離はだいぶ広まってしまった。ヴァイスはその距離を縮めつつ、リオレウスの攻撃に備えた。突進か、薙ぎ払いか、それとも別の手段か。

 リオレウスがこちらに向き直った。そして、その巨体を宙に浮かべたかと思うと、リオレウスは物凄い速度でヴァイス目掛けて滑空してきた。

 ヴァイスは、咄嗟に進行方向を変えようと試みた。辛うじて、リオレウスの滑空に巻き込まれることはなかった。だが、滑空の際に生じる風圧にヴァイスの身体が押し流される。その場に踏ん張ろうにも転ばないようにするのがやっとだった。

「くそっ!」

 自由の利かない身体に焦れ、荒い舌打ちをする。

 ようやく身体の自由を取り戻したときには、地面に着地したリオレウスが真正面にヴァイスを捉えていた。

「ガアアアアアアアアアァァァァァァァァァッ!」

 上体と共に顎を大きく反らしたリオレウスが大きく息を吸い込む。ヴァイスには、この後に起こる事が即座に理解できていた。まずい、と脳内に響き渡る危険信号がヴァイスの身体を突き動かす。

 刹那、リオレウスは上体を振り下ろし紅蓮に染まった火球を放った。

 それは、薄暗いエリア5を紅に染め、無人の空間を高速で突っ切り、ヴァイスが元いた場所にピンポイントで着弾し、弾け散った。

 緊急回避で直撃を間逃れたヴァイスの背筋に冷たい汗が流れる。

 炎ブレス。人々には火竜として畏れ知られているリオレウスは、その名の通り炎ブレスを得意としている。

 リオレウスは、火炎袋と呼ばれる内臓器官でこの炎ブレスを作り出している。

 高炎熱の炎ブレスは自身の喉をも焼き払ってしまうほどの威力を誇る。しかし、リオレウスに備わる驚異的な再生能力により、短時間で何発ものブレスを放つことが可能な技だ。

「厄介な……」

 ベテランハンターでさえも、リオレウスの炎ブレスは厄介物である。ヴァイスも例外ではない。

 ヴァイスは、リオレウスに接近することを諦め一旦距離を取る。

 しかし、リオレウスはそんなヴァイスの動きに対して悠然と羽ばたいてみせた。一瞬、エリアを移動するのだろうかと思った。

 だが、違う。ヴァイスはそう察するや否や、リオレウスから更に距離を取るのではなく、逆にリオレウスに接近するよう走り出した。

 舞い上がったリオレウスが、上空で静止する。器用に身体の向きだけを動かすと、ヴァイスを眼下に捉えた。そして、先ほどと同じ、炎ブレスを三連発で放った。

「ゴアアアアアァァァァァァァァァァァァァァッ!」

 まるで隕石が落ちてくるようだった。炎ブレスは、地面に着弾したとほぼ同時に爆音と爆風を撒き散らす。ヴァイスは、リオレウスの真下に潜り込むことで炎ブレスをやり過ごした。

 炎ブレスが不発に終わったリオレウスは、ゆっくりと下降してくる。その際、リオレウスは無防備な姿を晒す。ヴァイスは、風圧に影響されにくいリオレウスの後方から尻尾を狙いと定めた。

 黒刀【参ノ型】を鞘から引き抜き、上段から斬り付け、突き、斬り上げる。そして、リオレウスが着地する寸前で斬り下がることで、着地時に生じる風圧を回避する。

「……そろそろか」

 ヴァイスが呟く。

 黒刀【参ノ型】を鞘に収め、リオレウスから距離を取るとポーチからある物を取り出す。そして、ヴァイスは徐にそれをリオレウス目掛けて投げつけた。

 それは、命中すると乾いた音を響かせて弾け、遅れて独特な臭気を撒き散らす。

 リオレウスが翼を広げる。今度こそ、リオレウスは高度を上げていきエリア5から姿を消した。

 先ほど投げつけた道具――ペイントボールの臭気が、リオレウスの行き先を教えてくれる。リオレウスは、ここから北に位置するエリア4に向かって行ったようだった。

「フッ……」

 ヴァイスは、静かに冷笑していた。その笑みは、他の誰でもない自分に向けたものだった。

「弱いな。本当に……」

 黒刀【参ノ型】に砥石を当てながらヴァイスが呟いた。しかし、その言葉に答えてくれる人などこの場には存在しない。ただ静かに、乾いた風がヴァイスの頬を撫でるだけだった。

 回復薬を一本飲み干すと、ヴァイスはエリア4とは正反対の方向に歩き出す。一旦拠点に戻り、温存していたアイテムを取りにいくためだ。その際、下手にリオレウスを刺激しないよう別の道を選んだのだ。

 エリア6の崖を下りていく。登るのに比べればだいぶ楽な道のりだろう。その分、高さという恐怖は倍増されるのだが。

 しかし、ヴァイスにはそんな感情など一欠けらもなかった。胸の内にあるのはただ一つ。

 

「――奴を、殺してやる」

 彼は無表情を装っていたが、その冷酷な言葉の中には、明らかな殺意が宿っていた。



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EPISODE6 ~疑問~

 ハンターの中には、自分の思うように狩猟が進めば自然と優越感に満たされる者もいる。強大な存在であるモンスターに勝っていると思えば、そのような感情は持って当たり前かもしれない。

 そうでないハンターは、確実に依頼を達成できるよう冷静沈着に立ち回る。

 だが、今のヴァイスは前者でも後者でもなかった。

「はああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 リオレウスの懐に飛び込んだヴァイスが黒刀【参ノ型】を振るう。その動きに、もはや冷静さなどというものは微塵も存在していなかった。斬って、斬って、斬りまくる。一瞬の隙さえも見逃さない。隙あらばリオレウスの懐に飛び込み斬撃を放つ。

 その無慈悲な動きからは、人間の情というものが感じられない。まるで、悪魔か何かに取り付かれたようにヴァイスは動いていた。

「……いい加減、失せろ!」

 ヴァイスの放った一撃がリオレウスの頭部に命中する。斬撃の嵐に限界を迎えたリオレウスの頭殻が弾け飛ぶ。

「ウオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォッ!?」

 リオレウスが悲鳴を上げる。

 しかし、ヴァイスは止まらない。奴を殺すその時まで、黒刀【参ノ型】を振るう手を休めようとはしなかった。

 空の王者として人々に畏れられるリオレウス。そのリオレウスが現在、圧倒的に不利な状況に追い込まれている。体力は荒削りされ、いつ力尽きても不思議ではない。

 ヴァイスは、今この場で空の王者を仕留めようと黒刀【参ノ型】を握る手により一層の力を込めた。だが、リオレウスは上空に舞い上がり、ヴァイスの斬撃は空振りに終わった。

 閃光玉を使おうにも、もう効果の及ばない高さまで逃げられてしまった。リオレウスは、そのままエリア9から姿を消した。

「チッ、逃げられたか」

 木が生い茂り、まるで木々のトンネルと化したエリア9にヴァイスの冷たい声が響き渡った。

 狩猟を開始してから時は経った。

 支給品を入手したのを皮切りにヴァイスの動きは激しさを増した。太刀で斬撃を放つ一方、大タル爆弾Gやシビレ罠を駆使し、リオレウスの左右両翼爪を破壊した。その間も、ヴァイスの動きは尋常ではなかった。そして、今に至る。

 ヴァイスは、リオレウスを追跡するのではなく、拠点へ帰る道を進んだ。

 何故、と言われても分からない。ただ、無意識に身体がそちらの方向に動くのだ。

 拠点へと戻ってきたヴァイスは、黒刀【参ノ型】に砥石を当て切れ味を回復させる。太刀の刀身から反射して見えた自分の瞳は、とても暗い。自分でもそう思えてしまった。

 支給品ボックスに残っていた応急薬をポーチに詰めると、ヴァイスはテントに備え付けられているベッドに身体を投げ出した。

 一息付けたのか、徐々に冷静さを取り戻してきた。そうすると、自分がいかに無謀なことをしていたのかということがよく分かる。

「馬鹿野郎……」

 目元を手で覆いながらヴァイスが呟いた。無論、馬鹿野郎というのは自分のことである。

「どうして、いつもこうなる? 本当は、自分でもよく分かっているはずだ……」

 ヴァイスは自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。

 ヴァイスも、最初からこのような荒々しい動きをするようなことはなかった。ただ、ある一つの出来事をきっかけにこのようになってしまったのだ。それが、ヴァイスの全てを変えた。

 それからというもの、この世界が憎かった。モンスターが憎かった。そして何より、自分自身の力の無さが憎かった。リオレウスを殺す。それは、そんな憎い感情が溢れ出し、止められなくなった末路であった。

 だが、それが八つ当たりだということが分からないほどヴァイスは子供ではない。

 ただ、どうしようもないのだ。力無き弱者の自分が、どうやって『あの人』に償えばいいのかということが。

 そう思い耽っていると、ふと数年前の自分の姿がぼんやりと浮かんできた。自分の目標にただ真っ直ぐで素直だった、まだ子供だった自分の姿を。

 何故だろうか。そのことを思い出すと、自然と苦笑いしていた自分がいたことに気が付く。

「俺は、どうすればいいんだろうな……」

 テントの骨組みとそのテントを覆う地味な色合いの布を見つめながらヴァイスはそう言った。

 燻った気持ちの中で、自分が置かれている状況を思い返す。

 ヴァイスはギルドナイトである。ヴァイスの行動については、ギルド側でも頭を抱えており、それ相応の処分が下ってもおかしくはない。だが、ヴァイスの実力を鑑みると、ギルド側としてはとても優秀な人材なのだ。それ故、ギルド側もなかなか処分が下せずにいたのだ。まだ十八という若さで、『クラス:3rd』という階級まで上りつめたのだからギルド側が低迷しているのも理解できなくはない。

 しかし、ヴァイスは処分を下されることこそ覚悟しているものの、処分が中々下らない理由は理解できていない。

 ヴァイスはどこかで、自分と向き合うことを恐れていた。それ故、処分が決定した後のことは全く考えていない。ギルドナイトを辞めるもよし。そもそも、ハンターを辞めるもよし。そうやって、まるで他人事のように考えていた。

 そう。ヴァイスは自分の愚行に対しても、既にどうしようもないと半ば諦めているのだ。口でこそ理由を模索しているが、本心では逃避しようとしている自分がいる。

「ハハッ。だからこそ、俺は弱者なんだろうな……」

 ヴァイスが嘲笑した。

 現実から逃避しているからこそ。自分が弱者だと理解しているからこそ、感情を剥き出しに力を求めようとしているのだろう。そして、それがどうしようもなく愚かなことだということも理解している。

「本当に、いつからなんだろうな」

 このように思うようになったのはいつ頃からだっただろうか。すると、ヴァイスはあることに気が付いた。

 自分がここまで堕落したことはよく覚えている。だが、それを投げ出した時の記憶が全く思い出せないのだ。無意識にそう思うようになっていた、と言えば済む話だが、どうにも引っ掛かるものがあった。

 どうして、ハンターになろうと思ったのか。どうして、ギルドナイトを志したのか。そのような無関係な疑問も一遍に押し寄せてきた。それは気まぐれなのか。誰かに憧れていたのか。

 そして、最大の疑問がヴァイスの頭に浮かんだ。どうして、自分はそこまでして力を求めようとしていたのか、ということだ。今思えば、ヴァイスはその理由を明確に理解していなかった。

 あの人に償うためなのか。現実から逃避しているからなのか。自分が弱者だからなのか。ヴァイスは、それすら理解しようとしていなかった。

「馬鹿馬鹿しい……!」

 その疑問を振り払うようにヴァイスは勢いよく立ち上がった。切れ味を回復させた黒刀【参ノ型】を型に背負う。

「俺は、俺の任務を遂行するだけだ」

 冷淡にそう言い捨てたヴァイスは拠点を後にした。未だに理解できない疑問を胸にして――。



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EPISODE7 ~騎士の条件~

 ペイントの臭気は、未だにその役目を果たしていた。拠点を後にした途端、その臭気が一層強まったように感じられた。

 現在、ペイントの臭気が指す限りでは、リオレウスはエリア5――ヴァイスが最初に対峙した場所に腰を落ち着けているらしい。

「眠っているのか?」

 体力を極限まで消耗してしまったモンスターは、人間と同じように睡眠を取り体力の回復を図ろうとする。強大なモンスターも一種の生物なのだと改めて感じることができる。

 だが、ヴァイスはそんなことを考えてはいなかった。寧ろ、先ほどの疑問が何なのかということに意識を注いでいた。

 しかし、身体だけは動く。エリア1からエリア2を通過し、エリア3へと出る。

 エリア3は、この森丘で最も身動きが取りやすい場所の一つだろう。視界を妨げるものはほとんどなく、エリア自体もある程度の広さがある。

 そういえば、とヴァイスは思う。

 リオレウスと対峙してから時間は流れたが、このエリア3でリオレウスと対峙する機会が今まで一度もなかったのだ。気まぐれなのか、はたまた偶然なのか。ヴァイスには理解し難い。だが、そんなことを気にも留めないのが今のヴァイスであった。

 ――奴を仕留める。

 ヴァイスにとって、それが最重要事項だった。

 エリア3で暢気に草を食べているアプトノスたちにも用はない。元々気性が大人しく、こちらから攻撃を仕掛けない限りは攻撃を行わないモンスターだ。野放しにしていても害を及ぼすことはない。

 ヴァイスが歩を進め始める。

 そして、ヴァイスがエリア4に向かう道を向かおうとしたその時だった。確実にエリア5を示していたペイントの臭気が動き出した。それは、北東に向かって進路を取り、真っ直ぐにこちらに飛来してきていた。

「寝ている訳ではなかったか」

 大して残念そうでもなくヴァイスはそう呟いた。

 ヴァイスにしてみれば、逆にエリア5まで移動する手間が省けたのだ。奇襲を仕掛けられないことは痛いが、それでもリオレウスを仕留めることなどこの場所で十分だった。

 ペイントの臭気が次第に近づいてくる。

 ――来る。

 ヴァイスは、黒刀【参ノ型】の柄に手を伸ばした。だが、その動きが突然、ピクリと止まった。

「何だ?」

 この時、ヴァイスは妙な違和感を感じていた。

 モンスターのものではない。何か、別のものの気配がする気がしたのだ。しかし、辺りを見渡しても何も見当たらない。

 本来、狩場で、そして狩猟の最中にも関わらず、こういった行動を取ることは愚行とも言える。だが、ヴァイスはどうしても意識を逸らすことができなかった。否、意識を逸らしてはいけない気がしたのだ。

 もう一度、神経を研ぎ澄ます。そして、微かながらそれは聞こえてきた。

「……か、……けて……」

 それは音だった。だが、何の音なのかは分からない。少なくとも、それはこの場にいるモンスターの鳴き声ではなかった。ヴァイスは、更に神経を研ぎ澄ませた。目蓋を閉じ、その音に耳を傾けた。

「ひぐっ……。誰か……、助けて……っ!」

 その“音”は泣いていた。それは、今にも掻き消されてしまいそうなほどか細いものだった。

 それは確かに、人の声だった。この場にヴァイス以外の何者かがおり、助けを求めている。そのことをヴァイスは瞬時に理解していた。

「くそっ!」

 この時のヴァイスからは、リオレウスをどうしようという感情は失せていた。助けなければならない。そんな感情がヴァイスに押し寄せてきていた。

「どこだ……! どこにいる!?」

 ヴァイスが必死に辺りを捜索する。だが、人影は見つからない。その間にも、リオレウスはエリア3に接近してきていた。

 早く見つけなければ。焦る気持ちがヴァイスの頭を更に混乱させていく。

 ヴァイスはエリア3の北西側、エリア9、10へ続く分かれ道がある場所を目指して走った。

「この辺りのはずなんだ……!」

 既に、アプトノスの群れがリオレウスの気配を察知し、他の場所へと移動を開始していた。声を張り上げて捜索しようにも、それではリオレウスに居場所を教えているようなものだ。

 ついに、リオレウスがエリア3へと舞い降りてきてしまった。今のヴァイスにはリオレウスを他のエリアに移動させる手段がない。つまり、リオレウスがヴァイスを捕捉してしまえば、助けを求めている人物も煽りを食らい更なる危険に晒されることとなる。

 そんな中、ヴァイスは急に足を止めた。

「あれは……」

 エリア3の北西側には、一本の木が生えている。その木の幹の下、木陰に身を蹲せている人影があった。

「見つけた――!」

 その声を遮るように、リオレウスが咆哮した。リオレウスが、ヴァイスたちの姿を捉えたのだ。

「くっ!」

 ヴァイスは、その人物に向かって走りだそうとする。だが、その意思に反して身体が動こうとしなかった。

「俺は、人を助けられるのか……?」

 無意識にヴァイスはそう口にしていた。

 自分は、何も出来なかった弱者だ。そんな自分に、人を助けることなどできるのだろうか。だが、今この場にその人物を助けられるのはヴァイス一人だった。無残に命を散らせる真似などできない。だが、自分は“人を守るのに値する人間”なのかとヴァイスは自問した。

「今はそんなことを考えている暇じゃない。俺は、あの人を必ず、命を賭してでも助けなければならないんだ!」

 その瞬間、ヴァイスはあることに気が付いた。否、思い出したのだ。

 自分は、目の前の人を守ることができなかった。ただ守られるだけで、決してその人を守ることをできなかった。

 だから、ヴァイスは決意したのだ。誰かを守るために。力がなく、人を守れないという真似をもう二度としないために。ヴァイスは、誰よりも力を求めた。ただ、人を守るために。それが自分の中であの人に対する一番の償いなのだと分かったから。

 ヴァイスの迷いは消えていた。目の前に守らなければならない人がいる。その決意が、ヴァイスを突き動かした。

「こっちだ!」

 ヴァイスが声を張り上げた。すると、その人物は弾かれたようにこちらを振り向いた。

 それは、少女だった。何故こんなところに一人で、という疑問は残る中、ヴァイスはそれを押し殺し手を伸ばした。

「さぁ、早く!」

 少女は、ヴァイスの言われるがまま、ヴァイスに走り寄ろうとした。だが、それを許すほどリオレウスは甘い存在ではなかった。

 リオレウスは、しばらくの間ヴァイスの様子を窺っていたようだ。だが、それに焦れたのかリオレウスは攻撃を仕掛けてきた。上体を大きく反らし炎ブレスを放つ体勢に入る。あろうことか、それはヴァイスではなく少女を狙っていた。

「まずい!」

 その異変に、威圧感に少女の動きが思わず止まってしまった。

「あ……、あ……」

 少女から途切れ途切れのか細い声が漏れていた。

 少女は、リオレウスに圧倒され身動きが取れないようだった。仮に今から動き出したとしても、炎ブレスを回避することは不可能だ。

 無情にも、炎ブレスがリオレウスの(あぎと)から放たれた。それは、少女に向かって一直線に飛来する、少女にとっては死を(いざな)う炎だった。

 少女が目を瞑って衝撃に耐えようとした。だが、それが無意味だということを少女は理解していたはずだ。つまり、生きるということを諦めかけていた。

「死なせない。絶対に、見殺しになんてさせるか……!」

 もう二度と目の前の人を失うわけにはいかない。その想いが、決意が、ヴァイスを駆り立てた。

 少女との足りない距離をヴァイスは跳躍して一気に殺した。少女を押し飛ばしたとしても炎ブレスの爆風に巻き込まれてしまうだろう。ヴァイスは、飛来してくる炎ブレスに背を向け、少女を抱きかかえるようにした。刹那、ヴァイスの背中に凄まじい衝撃と痛みが走った。あまりの衝撃に、ヴァイスの身体は後方に大きく吹っ飛ばされた。

「うわあぁっ!」

「きゃぁっ!?」

 ヴァイスと少女はもんどりうつように地面を転がった。地面に叩きつけられた衝撃によりヴァイスの身体が更なる悲鳴を上げた。

「う……、くっ……」

 背中が焼けるように痛い。おそらく、火傷を負ったのだろう。だが、少女には擦り傷一つすら付いていなかった。それを確認したヴァイスは、不思議と背中の痛みが和らいだ気がした。

 少女が目を瞑っている間にヴァイスは閃光玉を投擲した。

 目蓋を通じて、眩い光が弾けたのが分かったのだろう。少女がゆっくりと目を開けた。少女は、まるで夢を見ているように朧げな表情をしていた。

「大丈夫か?」

 立ち上がり、少女の様子を確認する。少女は何かをヴァイスに伝えたいようである。だが、思うようにそれが言葉にできないようだった。

 その様子を見て、ヴァイスが静かに微笑した。

「俺は、お前を必ず守ってみせる。だから、俺を信じてくれ」

「は、はいっ……」

 少女は、まだ覚束無い様子ながらも返事を返してくれた。

 先ほど、エリア9には害を及ぼすモンスターの姿はなかった。ヴァイスは、少女をエリア9に逃し、リオレウスに向き直った。

 黒刀【参ノ型】を鞘から引き抜き、身構える。

「ようやく、目が覚めた」

 その言葉と同時に閃光玉の効力が切れた。リオレウスがヴァイスを捕捉する。

 そして、ヴァイスも射抜くような視線でリオレウスを捉えていた。

「……そうだ。俺は、決意したんだ」

 ヴァイスは、一気に走り出した。そこには、モンスターに対する憎しみの情はない。

 今は、人を守るために。ヴァイスは、リオレウスとの最後の対峙に動き出した。

 

 

「ひぐっ……。誰か……、助けて……っ!」

 ここがどこか分からない。いや、狩場というモンスターの巣の真ん中だということだけは唯一理解していた。

 元々、自分は泣き虫とまではいかないが、同年代の人と比べてしまえば泣き虫と言えることができた。もう十四歳になろうというのに、孤独に押し潰されそうになり、ただ泣くことしかできなかった。

 そこに、奴は現れた。

 巨躯を支えるほどの巨大な翼。燃える炎のように彩られた紅い鱗や甲殻。自分をこんな状態に追いやったモンスターが、そこに現れたのだ。

 確か、あれはリオレウスと呼ばれるモンスターだったはずだ。性格は凶暴。自身のテリトリーに侵入した者は容赦なく排除しようとする。

 リオレウスがけたたましい咆哮を上げ地上に降り立った。そして、リオレウスと目が合った気がした。瞬間、身体が硬直する。あまりの威圧感に、声すらも出てこなくなりそうであった。

 しかし、早く逃げなければならない。そうしなければ、自分はリオレウスに殺される。だが、ハンターでない自分がリオレウス相手に逃げ切れるかというと、それは絶望的だった。

 そんな時だった。この場に、知らぬ人の声が響いた。

「こっちだ!」

 弾かれたように、その声のした方を向いた。

 赤い服のようなものを纏った男性ハンターだった。彼がハンターだと分かったのは、背中に携える武器が目に入ったからだ。

「さぁ、早く!」

 そのハンターが、こちらに逃げるよう指示してきた。足取りは覚束無いが、そのハンターに走り寄ることはできそうだった。そうすれば、きっと自分は助かる。

 だが、リオレウスはそれを許そうとはしなかった。

 ハンターではなく、自分目掛けて攻撃態勢に入った。

「あ……、あ……」

 本当は、泣き叫びたかった。怖かった。だが、それすらも許されなかった。それほどの威圧感に圧倒され、まともに言葉すら発せられなかったのだ。

 身体も硬直して動かない。無防備な自分目掛けて、ブレスは放たれた。

 ――死ぬ。

 あんな攻撃をまともに喰らえば、生きていることの方が不思議だ。死へと(いざな)う炎が、一直線に飛来してくる。

 自分の意志ではなく、本能的に目を瞑って衝撃に耐えようとした。いや、実際はそれが無意味だということは分かっている。目を逸らせてしまえば。そうすれば、死という恐怖から逃れられる気がしたから。

 大きな衝撃の、あるいは衝撃すらまともに感じないほどの威力のブレスに身構えた。しかし、その身体を包んだのは痛みではなく、人の温もりだった。刹那、凄まじい爆音と衝撃が身体を襲った。

「うわあぁっ!」

「きゃぁっ!?」

 その時は頭が混乱しており、“別の人の悲痛”に気が付かなかった。

 しばらくして、目蓋を閉じていていてもなお眩い閃光が走った。一体何が起こっているのだろうかと、恐る恐る目蓋を開ける。

 目の前には苦渋の表情を浮かべた男性――いや、青年のハンターがいた。長身だったため、二十代後半くらいに思われたが、実際に顔つきを見てみるとかなり若かった。

 そう。この青年がリオレウスのブレスから身を挺して自分を守ってくれたのだ。

「大丈夫か?」

 平然を装い、その青年は何事もなかったようにそう尋ねてきた。

 青年にはちゃんと「はい」と答えたかった。だが、思うように言葉が出ない。

 そんな自分の様子を見てか、青年が静かに微笑しこう言った。

「俺は、お前を必ず守ってみせる。だから、俺を信じてくれ」

 その言葉にどれだけ勇気付けられたことだろうか。一度は死すらも覚悟したというのに、この青年は身を挺してまで自分を守ってくれた。

 今の自分に、一つの希望を与えてくれた。この人なら、必ず守ってくれると。そう、信じることができた。

「は、はいっ……」

 未だに呂律が覚束無いが、そう返事をすることができた。

 青年に促され、彼が示した方向へと走った。

 後ろは振り向かない。振り向いてしまうと、青年の言葉を信じることができなくなってしまいそうだったから。

 今の自分にできることは、青年の言葉を信じること。そして、青年の無事を祈ることだったのだから。



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EPISODE8 ~奥義~

 焼けるような背中の痛みを堪えつつ、ヴァイスは黒刀【参ノ型】を片手にリオレウスに接近していく。

 既に、少女はエリア9へと逃がした。この場にいるのはヴァイスとリオレウス。まさに、一騎打ちという状況だ。

 しかし、ヴァイスは先ほどの炎ブレスのダメージを回復出来ていない。その隙が無かったのだ。

 閃光玉を使えばその隙を作るのは簡単だ。だが、ヴァイスはポーチから閃光玉を取り出すことはなかった。

 感覚が麻痺し背中の痛みでさえその感覚が失われつつあった。だが、それでもヴァイスは止まらない。止まってはいけない気がしたのだ。

「ゴワアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァッ!」

 リオレウスが再び炎ブレスを放ってくる。その数は三発。それらを掻い潜り、ヴァイスはリオレウスに肉迫した。

 黒刀【参ノ型】を上段から斬りつけ、そのまま基本の型に繋ぎ斬撃を浴びせる。

 しかし、リオレウスも黙ってはいない。ヴァイスの斬撃を振りきり、上空へ舞い上がった。

「くそっ……」

 剣士のヴァイスにとって、上空へ逃げられたリオレウスを攻撃する術はない。黒刀【参ノ型】を鞘に収め、リオレウスの様子を窺う。

 リオレウスは、上空から炎ブレスを繰り出すかと思われた。だが、リオレウスはヴァイスに見向きもせず滑空を始めた。

 それは、エリアを移動するためではない。空の王者という異名通り、上空からヴァイスを捕らえるつもりなのだ。

「どこから来る……?」

 ヴァイスは注意深くリオレウスを目で追った。

 エリア3上空を悠然と滑空する姿は、まさに空の王者と言うのに相応しい。そのリオレウスに上空から捕らえられればどうなるだろうか。毒性の爪の餌食になるか、そのまま体当たりされるか。どちらにせよ、警戒を解くわけにはいかなかった。

 そして、リオレウスが突然動きを見せた。

 北へ向かっていたリオレウスはその身を翻し、ヴァイスに狙いを定めた。上空から一気に滑り降り、ヴァイスに突撃していく。

「くっ!」

 その精密かつ的確な攻撃は走って回避できるものではない。身体を投げ出す形で緊急回避する。

「ガアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァッ!」

 飛び退いたヴァイスの背を掠めるようにリオレウスが通過して行った。緊急回避を行っていなければ、毒を含んだ爪の餌食になっていただろう。

 滑空攻撃が不発に終わったリオレウスはエリア中央に舞い戻ってきた。地響きと共に、リオレウスが着地する。

 その瞬間を、ヴァイスは狙った。

 着地時に生じる風圧に飛ばされないよう注意しつつ、リオレウスの背後から斬り込む。突き、斬り上げ、斬りつけ、斬り下がる。リオレウスの反撃に備え、ヴァイスは余裕を持って立ち回る。

 肉迫されているのに気付いたリオレウスは、ヴァイスを蹴散らすべく尻尾で薙ぎ払おうとする。しかし、それを先読みしたヴァイスはリオレウスの足元に飛び込み、逆に反撃に転じる。

「ウオオオオオオォォォォォォォォォォォッ!?」

 蓄積したダメージの影響か、リオレウスが悲鳴を上げる。その隙に、ヴァイスはリオレウスから距離を取る。

 リオレウスの討伐には、そう時間を要すことはない。だが、ここで焦るのは禁物だ。深追いせず、着実に討伐に持ち込む。それこそが、ヴァイスの本来の狩猟スタイルだ。

 薙ぎ払いが空振りに終わったリオレウスは、ヴァイスを正面に捉え突進を開始した。

 それも危なげなく回避したヴァイスが、ふとこんなことを口にする。

「あの尻尾を斬り落せられれば……」

 緩慢に揺れるリオレウスの尻尾に視線を向けながらヴァイスは呟く。

 リオレウスは、自身の尻尾を自分の意志で動かしているのではない。身体の動きに合わせて尻尾も付いてくるといった形だ。それこそ、リーチの長い尻尾を斬り落せたならば、リオレウスに攻撃を繰り出すことが容易になるはずだ。

 ヴァイスがポーチに手を突っ込む。

「閃光玉は……、あと一つか」

 既に、持ち込んだシビレ罠は使ってしまった。リオレウスの動きを止める手段として残されたのは、この閃光玉。だが、それもあと一つしか残されていない。

 動き続ける尻尾一点に攻撃を集中させるのはなかなか容易ではない。加えて、ヴァイスもリオレウスも手負いである。つまり、この閃光玉一つでリオレウスの尻尾を切断出来なければ、それは尻尾の切断が失敗に終わるということを意味する。

「賭けてみるか」

 その一言にヴァイスが決断した意思が込められていた。

 リオレウスがこちらに振り向いた瞬間を狙って閃光玉を投擲する。白い閃光が辺りを塗り潰し、遅れてリオレウスの悲鳴が聞こえてきた。

 ヴァイスは閃光玉が効いたかどうか目視せず、一気にリオレウスに走り寄った。

 リオレウスの背後に回り込み、黒刀【参ノ型】を振るう。視界が潰されても、敵に攻撃されているのはリオレウスも分かっている。必死になって振り払おうと、闇雲に尻尾で薙ぎ払う。

 しかし、ヴァイスも食い下がる。黒刀【参ノ型】の軌跡はリオレウスの尻尾を確実に捉える。

 そして、その時が来た。

 ヴァイスの放ったうちの一撃がリオレウスの尻尾に命中する。その一撃は、リオレウスの尻尾を見事に先端から斬り落とした。

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァッ!?」

 今日一番となるリオレウスの悲鳴が轟いた。

 尻尾を切断され、地面に倒れ込むリオレウスの姿は無残なものだった。ボロボロになっても、ハンターに向かってくる。

 そう。モンスターも生きるために、その命を賭けている。例えその身が傷つけられても、自分が生き残ればそれこそ大勝利だ。

 ハンターも、同じである。

 名声か。莫大な賞金か。それとも、別の理由か。ハンターを駆り立てる意志は人それぞれだ。

 リオレウスは生きるために、戦う。

 だが、ヴァイスはこの戦いでの勝利に名声も、莫大な賞金も望んでいない。

 目の前にいる人を。守ると決めた人を、ただ守りぬくために。今、ヴァイスはリオレウスと戦っている。命を賭すこの戦いに、その意志に駆り立てられる。

「うっ!?」

 接近したヴァイスがリオレウスの突進に吹っ飛ばされた。突然の動きだったために回避が間に合わなかった。

 ヴァイスの方も、状況は決して楽だとは言い難い。

 先の炎ブレスのダメージを始め、疲労が蓄積している。ヴァイスの体力が底を突くのは時間の問題だ。

「取りあえず回復を……」

 リオレウスが更なる追撃を行ってこないことを確認し、応急薬を二本飲み干す。身体は幾分か楽になった。これなら、まだ動けると判断する。

 突進を終え、体勢を立て直そうとするリオレウスに再度接近を試みる。

 リオレウスは、そのヴァイスの接近を許さんと炎ブレスを放ってきた。それは、リオレウスの前方三方向に着弾したが、ヴァイスがそれを回避する。

 黒刀【参ノ型】を鞘から抜き放ち、斬撃を繰り出す。

「ゴワアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァッ!」

 リオレウスが周囲を薙ぎ払う。だが、今まで勢いよく薙いでいた尻尾は、そこにはない。リーチの短くなった攻撃を回避することなど、ヴァイスには容易だった。

 立ち位置を変えつつ、着実に斬撃を浴びせるヴァイス。リオレウスには、もう打つ手は無かった。

「オオオオオオォォォォォォォォォォォォォッ……」

 身の危険を感じ、リオレウスがこのエリアから立ち去ろうとする。ボロボロになった、その身を引き摺るようにして。

 その様子を見たヴァイスは、黒刀【参ノ型】を握る手により一層の力を込めた。

「逃がすか!」

 この場所で、全て決める。ヴァイスはそう決心していた。

 背を向け懸命に立ち去ろうとするリオレウスにヴァイスは斬撃を浴びせ続けた。

 そのヴァイスの意志が、リオレウスに打ち勝った。

 脚部に斬撃を集中させていたためか、リオレウスの脚から突如として力が抜け地面に崩れ落ちた。

 これ以上の好機はない。ヴァイスは、すぐさまリオレウスの頭部を捉え直し斬撃を放った。

 突き、斬り上げ、斬りつけ。仕込まれた太刀捌きで以ってリオレウスに挑みかかる。

 刹那、リオレウスと目が合った。その蒼眼がヴァイスを睨み付ける。人間としての本能か、恐怖が込み上げ身体が震えている。だが、ヴァイスは怯まない。

 未だに生きる意志を宿した瞳の持ち主を目の前に怯むことなど許されない。

 偉大なモンスターに。この空の王者に敬意を表しつつ、ヴァイスが決めにかかる。

「いい加減、終わらせよう」

 その一言と共にヴァイスが大きく息を吐き出す。気を集中させ、それを黒刀【参ノ型】の刀身に伝わせる。裂帛の気合いと共に、その斬撃を放つ。

 今までとは違う、大きな弧を空中に描き斬りつける。直後、その切っ先を逆回転させ再び斬りつける。続けて、小さく斬り払うかのように斬撃を繰り出す。そして、黒刀【参ノ型】を大きく振り上げた。

「はああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 紅き流星の如き軌跡が、大上段から尾を曳いて閃いた。その一撃は、リオレウスの頭殻を穿ち、同時にこの狩猟に終止符を打つ一撃となった。

 これが、太刀使いの奥義とも呼べる技。気刃斬(きじんぎ)りだ。裂帛の気合いを太刀に込め、斬撃を放つ。それは、太刀使いの如何なる斬撃を凌駕する威力を持つ。

「ウオオオオォォォォォォォォォ……」

 地面に伏していたリオレウスが力なく咆哮する。そして、リオレウスが立ち上がることは二度と無かった。

「終わっ、た……」

 ヴァイスは、思わずその場にへたり込んだ。

 辛い狩猟であった。だが、この狩猟で自分が目指すべき道を思い出すことが出来た。

「あの()は無事だろうか……」

 リオレウスを無事に討伐できたとはいえ、それだけは気掛かりなことだ。皮肉な出来事ながらも大切なことを思い出させてくれた彼女の安否が。

 リオレウスと斬り落した尻尾から剥ぎ取りを行ったヴァイスは、少女を逃した場所――エリア9に向け急いだ。

 



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EPISODE9 ~二人の約束~

 薄暗く、閉塞感のあるエリア9。

 無論、ここは狩場であり、一般人が立ち入ることは滅多にない。だが、そのエリア9には、本来そこにいるはずのない人影があった。

 肩口の辺りで揃えられた黒髪。まるで、誰かの身を案じるかのような心配そうな瞳の色は茶色。年はまだ十五にも満たない少女。そんな少女がこの場所に一人で佇んでいる。もちろんのこと、この少女はハンターではないため、何とも奇妙な光景となっている。

「大丈夫、かな……」

 心配そうに少女が呟く。

 何も、少女は自分の意志で一人ここにいるのではない。

 時は数時間前に遡る。少女の両親は共に旅商人である。その両親と共に、少女はこの近辺に位置するという街を目指していた。そんな時、あのモンスターに襲われた。

 辛うじて振り切れたものの、その際に少女だけ馬車から振り落とされた。そして、少女はそのままこの場に取り残されたのだ。

 ここはモンスターのテリトリー内。戦う術を持たない者が踏み込めばその命を簡単に散らすこととなる。

 このまま何も出来ずに。もう二度と両親と会えないままなのか。そう思っていた時に“あの人”は現れた。

 ハンター。この世界に住まう、モンスターを狩る者達である。彼も、その一人であった。あのモンスターに狙われた自分を、彼は自身の身も顧みずに庇ってくれた。そのハンターに助けられたのだ。

 

『俺は、お前を必ず守ってみせる。だから、俺を信じてくれ』

 

 死に恐怖したあのモンスターの攻撃と共に、そんな彼の言葉がフラッシュバックする。

 信じれば助かる。その確信は無い。だが、少女には信じるしかなかった。否、信じることが出来れば、それは希望から確信に変わる気がした。

 守られるだけの自分に出来ることは二つ。自分を守ろうとしてくれる彼を信じること。そして、そんな彼の無事を祈ることである。少女は彼のことを想い、必死に祈り続けていた。

 その時だった。

 

 ――ガサッ。

 

 遠くで何かが動いた音がした。

 

 ――ガサッ。

 

 もう一度。

 これは足音だ。何かが、少女が逃げてきた方向から近づいてきている。

「ひっ……!?」

 人間の本能なのか、それとも先ほどまでのこともあるのか。少女はその物音に敏感に反応した。身体は強張り、途轍も無い恐怖に身体が支配される。

 まさか、彼は負けてしまったのだろうか。あのモンスターは彼を蹴散らし、逃した獲物――要は自分を捕らえに来たのだろうか。

 いや、それはないと信じている。彼の言葉を信じると心に誓った。だから、彼を信じて待ち続ける。例え、あのモンスターが舞い戻ってこようとも。

 その足音はもう近くまで迫っている。そして、その足音の主の姿が露わになる。

「よかった。無事か」

「えっ……?」

 それは紛れも無く、自分を助けてくれた青年だった。

 

 

「よかった。無事か」

 ヴァイスがエリア9に入ってすぐ、少女は見つけられた。ヴァイスは安堵の溜め息をついていた。

「えっ……?」

 その少女は安堵からか途端に力が抜け、へなへなとその場に崩れ落ちる。ヴァイスは少女を優しく受け止めた。

「大丈夫か?」

 ヴァイスの問いにこくこくと頷いて答える。

「一人で立てるか?」

「はい。もう、大丈夫です」

 少女は、何とか自力で立っていられるようになった。そうして、辺りをきょろきょろと見渡しヴァイスに質問した。

「えっと、あのモンスターは……」

「モンスター? ああ、リオレウスのことか。奴ならもう討伐してきた」

「そうですか……」

 少女が安堵の溜め息を漏らす。余程リオレウスに対し恐怖心を抱いていたのだろう。

 と、少女の様子が落ち着いたのを確認したヴァイスが今まで疑問に思っていたことを質問する。

「ところで、君はどうしてこんなところにいるんだ?」

「そ、それは……」

 少女は言いよどむ。

 この青年は自分を助けてくれた。だが、彼が見ず知らずの人物であることに変わりはない。果たして、自分の話をどこまで理解してくれるか。それが気がかりだった。

 と、少女が迷っているうちにヴァイスの方が先に口を開いた。

「まあ、君が俺を信用できないのも無理はない。知らない人間に自分の私情を話しづらいのはよく分かる。だから、無理して話せとは言わない」

 そう言ったヴァイスの言葉に対し少女が首を横に振る。

「い、いえ、そんなことないです! だって、あなたは私を助けてくれた。それだけで、私はあなたを信用できます!」

「……それは、ありがたいことだな」

 ヴァイスが思わず苦笑いする。

 それは、この少女が生粋な性格の持ち主だと理解したのもそうであるが、何より自分のことを信用してくれることが嬉しかったのだ。

 もちろん、ヴァイスはその信用に応えるつもりである。自分のできる範囲で、少女の力になるつもりだ。

「じゃあ、一旦拠点へ戻ろう。そこなら安全だ」

「は、はいっ!」

 ヴァイスは少女を連れ立って拠点へ向かった。その途中、少女からこれまでの経緯を訪ねた。

 それは、ヴァイスが森丘の拠点へやって来るほんの数十分前のことだった。

 少女は、少女の両親と共にこの森丘にやって来た。と言うのも、少女の父親は行商人であり、ここから向かって南東の街へ向かおうとしていたのだ。

 その最中だった。突如、上空から轟音が聞こえたかと思うとリオレウスが姿を現したのだ。その街へ向かうルートはリオレウスのテリトリー内だったのだろう。

 リオレウスから逃れるため全速力で荷車を走らせた。その際に少女は荷車から振り落とされてしまった。リオレウスから逃れることだけを考えていたためか、両親が気づいた時には手遅れだった。結局、少女は両親と離れ離れになってしまい、それをヴァイスが発見したのだ。

「そう、だったのか……」

 拠点へと戻り、その全容を知ったヴァイスは言葉を失った。

 この少女は両親と離れ離れになった。もし、あの場に自分がいなかったら。それは、少女と少女の両親との永訣を意味する。想像するだけでも心が痛む。

 こうして少女を助けられたのは不幸中の幸いとも言える。だが、もっと早く少女を見つけることは可能だったことに変わりない。その事実がヴァイスを後悔させる。

 その、償いとして。いや、当然の事として。ヴァイスにはこの少女を無事に両親に送り届ける義務がある。それが、少女が一番望んでいるこのなのだから。

「君は、もう一度君の両親と会いたいんだろう?」

 ヴァイスの問いかけに少女が弾かれたように即答した。

「もちろんです……っ! もちろんですっ!!」

 少女の瞳は潤んでいた。その瞳はヴァイスに訴えている。「自分を両親の元へ連れて行ってくれ」と。

「……分かった。約束しよう」

 ヴァイスが静かに口を開いた。

「俺は、君を必ず送り届ける。君が帰る場所へ、君の両親の元へとな」

「ほ、本当ですか!?」

「何を驚いているんだ。当然のことだろ?」

 夢でも見ているかのような縹緲とした表情の少女にヴァイスが言う。

 だが、少女にしてみれば、これは夢のように思えて当然かもしれない。一度、死を覚悟しているのだ。しかし、ヴァイスに助けられ、尚且つ両親とも再会させてくれるのだと言う。これが夢だと言わずに何と言うべきであろうか。

 ヴァイスには、少女のその気持ちが理解できる気がしたのだ。

「まあ、落ち着けよ。君の両親も森丘から逃れ、きっと君を探しているはずだ。おそらく、旅程通りの街へ向かうだろう。そこで捜索願いを出すはずだ」

「捜索願い?」

 あまり聞き慣れぬ単語だったためか、少女は頭に疑問符を浮かべていた。

「誰かが行方不明になった場合、ギルドという施設に捜索願いを出す。そうすれば、俺たちギルドナイトなどが捜索に向かうんだ」

「ギルドナイト……? じゃあ、あなたは私の捜索願いを受けてここへ?」

「いや、俺は偶然ここで狩猟をしていた。その途中で君を見つけたわけだ」

 使わなかった道具や素材を片付けつつ、少女の疑問にヴァイスが答えた。少女は納得したのか小さく頷いていた。

「……さて、準備は整った」

 荷物を荷車に乗せ終わったヴァイスが呟いた。

「えっと、これに乗っていけばいいんですか?」

「ああ、そうだ」

 少女を促し荷車に乗せようとする。すると、荷車を牽くアプトノスがゆっくりとこちらを振り向いた。

「ひっ……」

 少女が身体を震わせて怯える。やはり、モンスターに対する恐怖は残っているようだ。

 ヴァイスは、少女の恐怖を振り払おうとアプトノスの頭を撫でて見せた。

「こいつはアプトノスというモンスターで大人しい性格の持ち主だ。何もしなければ人に危害は加えないんだ」

「そ、そうなんですか……?」

 涙目になりなりながら少女が問いてくる。

「ああ。大丈夫だ」

 ヴァイスの言葉を信じ、少女は意を決してアプトノスの頭を撫でてみた。アプトノスは嫌悪感を見せることなく、気持ちよさげに目を細めた。

 少女の顔から恐怖感が薄れていく。

「言った通りだろ?」

「はい。まるで犬みたいですね」

「確かにそうかもな」

 少女の純粋さにヴァイスが笑みを浮かべた。

 全てのモンスターに対する恐怖が薄れるには時間がかかるだろう。だが、少しずつでもいい。多くの時間を要しても、少女から極度の恐怖心を取り除けられればいい。ヴァイスはそう願っていた。

「行こう。君を待っている人の元へ」

「はい!」

 少女と共にヴァイスは森丘の拠点を発った。彼女との約束を果たすために。

 

 

 

 アルコリス地方から南東へ四日。メタペタットと呼ばれる村を経由し、ヴァイスたちはジォ・ワンドレオへ辿り着いた。

 ジォ・クルーク海と外洋との海峡に築かれたその街は東西の貿易を支える拠点の役割を担っている。そして、その独特な技術は、現在愛用しているハンターも多い双剣を生み出した。双剣発祥の地とも言えるこの場所は、ヴァイスもよく訪れる土地であった。

「さて、とりあえず街の中心部へ行ってみよう」

 この街の中心には湖がある。その湖には筏が連結されており、その上に交易品を扱う市を開いている。

「すごい……」

 その光景に少女は思わずそう口にしていた。

「ここに来たのは初めてなのか?」

「はい。まだ、この辺りのことは分からないことばかりなので」

「そうか」

 二人はしばらくの間、街を歩き続けた。しかし、目的の人物を見つけることは出来なかった。

「メタペタットにいないと聞いたから、ここにいるはずなんだが……」

 ヴァイスが溜め息をつく。

 もちろん、このジォ・ワンドリオは街と言うだけあってそれなりに広い。探し回ってもなかなか見つからないのは致し方ない。

「仕方ない。一旦ギルドに行ってみるか」

 ヴァイスは少女を促し、この街のギルドへ向かおうとした。

 と、その時。

「……クレア?」

 誰かの名を呼ぶ声がヴァイスの後方から聞こえた。そして、少女が弾かれたようにその声のした方へ振り向いた。

 そこにいたのは夫婦と思しき二人組だった。

「お父さん……? お母さん……?」

 少女がその二人を捉えると確認するように小さな声を絞り出した。

 すると、目の前の人物たちの瞳が潤んでいく。

「あぁ……! クレア……。やっぱり、クレアなんだね……?」

「……うん、そう。私だよ……」

 互いにその表情は涙ぐんでいた。

 それこそ、最初は少女はそれを我慢していた。しかし、その我慢にも限界が訪れた。少女が二人の元へ駆けていく。

「お父さんっ! お母さんっ!」

 クレアと呼ばれた少女が母親の胸へと飛び込んだ。その胸の中で声を殺して嗚咽する。

 ――クレア。

 それが、この少女の名であった。

「本当にごめんな……。辛い思いをさせてしまって……」

 父親も目に涙を浮かべて謝罪した。しかし、少女は首を横に振った。

「……ううん、大丈夫。あの人がいてくれたから、私は大丈夫だったから……」

 それを聞いた彼女の両親がヴァイスに視線を向ける。

 涙を拭い、二人は深く頭を下げた。

「ありがとうございます……! 貴方の御蔭で、こうして娘と再会できました。貴方は、娘の命の恩人です」

「本当に……、本当に何とお礼を言ったらいいものか……」

 周りの人が何事かと注目している。

 口々にお礼を言われるのは悪くない気分だが、この状況では焦りを隠せなくなる。

「と、とりあえず頭を上げてください。俺は何もしていません。お二人が娘さんと再会できたなら、それで十分です」

 ヴァイスは慌ててクレアの両親に頭を上げてもらうよう頼んだ。

「し、しかし……」

「お礼は十分です。それよりも、今は娘さんと……」

 ヴァイスがそう言って身を屈めた。そして、クレアに向かって「じゃあな」と笑って見せた。

「では、俺はもう行きます。次の任務もあるので」

「ええ。この度は、本当にありがとうございました」

 クレアの両親が再び頭を下げる。ヴァイスもギルドガードハットを軽く持ち上げ会釈した。

 そして、クレアたちに背を向けヴァイスは歩き出した。

 ジォ・ワンドレオからドンドルマへはおよそ三日の旅路だ。この間には主要な街道も通っているので、その道を辿って帰還する。

 ドンドルマへと戻れば、また次の任務が待っているだろう。もちろん、これまでのヴァイスの行動の影響で上層部から何らかの処分が下る可能性も否めない。だが、これまでの失態を取り戻す働きをしてみせようとヴァイスは決心している。それこそが、ヴァイスの新たな旅路なのかもしれない。

 街の入り口で待機させていたアプトノスの荷車が見えてきた。荷車に乗り込み、出発しようとしたその時だった。

「待ってください!」

 不意にその声は聞こえてきた。

 ヴァイスは当然の如く、その声のした方向を振り向いた。そこには、肩を上下させているクレアの姿があった。息遣いもだいぶ荒い。ここまで全力で走ってきたことが窺える。

 荷車から飛び降りたヴァイスがクレアに声をかける。

「どうしたんだ?」

 当然の質問をヴァイスが投げかける。

 クレアは呼吸を整えると、ヴァイスに向かって顔を上げ、口を開いた。

「あの、あなたはハンターなんですよね?」

 至って平凡な質問にヴァイスがきょとんとする。

「ああ。俺はハンター……、ギルドナイトと呼ばれているハンターだ」

 ヴァイスが答える。すると、クレアは顔を俯かせた。

「ど、どうしたんだ?」

 意味が分からずヴァイスも心配になる。何もまずいことは言っていない。いや、先ほどの発言はクレアにとって悪い要素は何一つもないはずだ。

「そ、その……」

 歯切れ悪くクレアがもじもじと指を交錯させる。

 一体どうしたんだ。そう問いかけようとしたヴァイスの目の前で、クレアが意を決したように顔を上げ言い放った。

「お願いします! 私がハンターになったら、私をあなたの弟子にして下さい!」

「なっ!?」

 ヴァイスは愕然として、すぐには言葉が出なかった。その間に、尚もクレアの強い視線が浴びせられている。

「お、おいおい……。一体何を言ってるんだ?」

 どうにかしてヴァイスは言葉を紡いだ。

 クレアは強い意志の籠った瞳でヴァイスに言う。

「私は、あなたのような人になりたい……。命を賭してまで誰かを守ろうとするあなたの姿に私は憧れたんです!」

 未だに混乱しているが、ヴァイスは何となく状況が読めてきた。

 クレアが唐突に「ハンターになったら弟子にしてほしい」と言ったのは自分に憧れの念を抱いたため。まだまだ子供らしい――いや、子供なら誰もが抱くその気持ちを、クレアは同じように抱いたのだ。

 だが――、

「だから、お願いします! 私がハンターになったら――!」

 ヴァイスはクレアの言葉を手で制した。

「……君も見ていただろ。ハンターは常に生と死の狭間にいる。それこそ、軽はずみな気持ちなんかでハンターになれば、いたずらに命を落とすことにもなりかねない」

 ヴァイスは今までとは嘘のような冷たい声で現実を突き付けた。

 もちろん、クレアも最初は言葉を失った。だが、負けじとクレアも自分の想いをヴァイスにぶつける。

「私は軽はずみな気持ちじゃない。本気なんです! だからこそ、私はあなたのような人に、ハンターになりたいんです!」

「……」

 今度はヴァイスが言葉を失った。

 クレアが生半可な気持ちで、このような発言をしているわけではないことをヴァイスは理解している。

 だからこそ、ヴァイスはこの少女に知ってほしかった。ハンターという危険な立場を。幾多の危険と巡り会わなければならないその事実を。

 まだ幼い、いや、だからこそ知る余地のないクレアにヴァイスは事実を語り掛けようとした。だが、それを知っても彼女の決意が揺らぐことはないだろう。その意志の強さはヴァイスも認めてあげたい。

「……そうか」

 ヴァイスが静かに溜め息をついた。そして、今度はクレアを厭うような声色で語り掛けた。

「……でも、無理なんだ。俺はギルドナイト。ギルドから指令を受ければ遠方の秘境にだって飛んでいく。過酷な防衛戦にだって送り出される。俺には、君を育てられるような時間もなければ、君の師に相応しい器も持ち合わせていないんだ」

「そ、そんな……」

「……本当にすまない。だが、これは仕方のないことなんだ」

 ヴァイスの前半の発言は至極当然のことを、そして後半の発言は自分の力の無さを理解しているからこそ言ったことなのだ。

 ヴァイスも、ここまで決意の固いクレアの力になってやりたいと思っている。だが、こればかりはどうしようもなかった。

 クレアもがっくりと肩を落とし顔を俯かせてしまった。

「でもな、君を弟子にすることは無理でも、君のせめてもの力になってやることはできるかもしれない」

 ヴァイスは首からあるものを外した。銀色に輝くそれは十字架を模したネックレス。十字架の中央部分には蒼色に煌く宝石が埋め込まれている。

 それを、クレアの手の中にそっと収めさせた。

「……これは?」

「俺が子供の頃から身に着けてきた幸運のお守りだ」

「幸運のお守り……」

 静かに煌めく蒼色の宝石を見つめながらクレアは呟いた。

「俺と約束しよう。君がハンターになって成長した暁に狩場で会おうと」

「はい……。はい……っ!」

 ヴァイスから受け渡されたネックレスをクレアは大切そうに握りしめた。

 何故ならこれは、二人を繋ぐ、約束の証なのだから。

「頑張れよ」

 ヴァイスはクレアの肩を優しく叩いた。クレアは満面の笑みでヴァイスに応じて見せた。

「……また、逢えますよね?」

「……ああ。必ずな」

 二人は約束を交わした。

 いつかはハンターとなり、また狩場で会おうという約束を。それは、ヴァイスの託した物と同じくクレアの力になるはずだ。

「あの――」

 クレアが何かを訪ねようとしたその時、遠くからその名を呼ぶ声がした。おそらく、両親が探しているのだろう。

 クレアが声の聞こえた後方を振り向いた。その瞬間、ヴァイスは踵を返して荷車に乗り込んだ。

 荷車は、すぐに動き出し街の外へ向かっていった。

 クレアが気づいた時、そこにいたヴァイスの姿は既に消えていた。まるで、夢を見ているかのような感覚。だが、その手に握られていた幸運のお守りが、それが夢ではなく現実だったということを証明してくれていた。

「……必ず、追いついて見せます!」

 強い決意を胸に、クレアは自分の想いを口にした。

 大切に握られた幸運のお守りが、陽光を反射して煌びやかに輝いた。



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EPISODE10 ~初陣~

「そうか、あの時の……」

 ヴァイスは寝ころんだまま、そう呟いた。

 二年前。ヴァイスはリオレウス討伐のため、アルコリス地方へ赴いた。その時、少女を助けたことを記憶していた。そして、少女を送り届け、あのネックレスを渡したことも。

 しかし、当のヴァイスは、クレアに言われるまでその記憶は欠落していた。

 どうして忘れてしまっていたのだろう。たった二年。その期間で忘れることがないであろう出来事だったのに。

 何かきっかけはなかったかとヴァイスは思考を巡らせる。しかし、思い当たる節は見つからなかった。

 だが、他にも疑問に思うことはある。

 それはクレアのことだ。確かにヴァイスはあの時クレアを助けていた。今までその記憶を欠落させてたとはいえ、そのことは明確に思い出せた。しかし、クレアは、彼女の憧れている人物が自分であると気が付いていない様子だったのだ。

 もちろん、クレアが気づいていないふりをしているという可能性もある。だが、その行動に意味があるかと言えば、それは否だ。加えて、クレアはそういった振る舞いをする人物には見えない。

 つまり、クレアは本当に気が付けていないのだ。憧れの人が目の前に現れ、しかもその人に弟子にしてほしいと乞ったことを。

「……」

 そこまで考えて、ヴァイスは急に居心地が悪くなった。まるで、自分がクレアを騙しているように思えてしまったのだ。

「……はぁ」

 溜め息をつきつつ、ヴァイスがベッドから立ち上がる。そして、洗面所へと向かうと、そこに置いてある鏡を見つめた。

 元々、ヴァイスは鏡で自分の姿をまじまじと見るような性格ではない。妙な違和感と嫌悪感を抱きつつ、ヴァイスは自身の銀髪に手を伸ばした。

 考えてみれば、二年前と今ではヴァイスは髪型が違っていた。今でこそ肩口で髪を切りそろえているが、その頃は大して伸びきっていない後ろ髪を洒落っ気に結っていた。顔つきも今思えば、現在と違っているように見える。

 そんなことを考えていたヴァイスだったが、ここでハッと我に帰る。

「……何を考えているんだか、俺は」

 やや自嘲的に溜め息をつき、ヴァイスが鏡から目を逸らした。そして、ヴァイスは自身の装いに視線を移し、ある程度納得した。

 現在ヴァイスが纏っているものはギルドガード蒼シリーズ。一方、あの時に身に着けていたのはギルドナイトシリーズ。どちらを身に纏うかによってその者の印象が大きく変化してしまう。

 そして、ギルドナイトが防具を変更しているという知識を持つ者は一般人はおろか、一般的なハンターたちも数少ないだろう。

 つまり、クレアが新人ハンターだからという理由ではなく、それらの知識を持たないクレアが自分の記憶の中の人物とヴァイスとが合致しないため、このような結果を生んだのだろう。ヴァイスはそう推測した。

 だが、その方がヴァイスにとって都合がいい。

 仮にクレアがヴァイスという人物が自分の憧れの存在と気が付けば、彼女は自分に依存するかもしれない。そして、自分の力量に合わないことを遣って退けようと無茶をし、仕舞には最悪の結果も起こり得ない。

 『ハンターになって成長した暁に狩場で会おう』。ヴァイスとクレアはそう約束した。

 そう、クレアはまだ駆け出しハンターである。だから、クレアに真実を明かすのは、彼女が成長したと自信を持って言えるようになった時だ。ヴァイスはそう思っている。

 ヴァイスにはクレアの師として彼女を導く義務がある。だが、彼女を騙すということは正直居心地が悪い。しかし、これが彼女のためになると判断したからには、ヴァイスはその時まで真実を明かさないよう決心したのだ。

「まったく……。厄介な事を引き受けてしまったものだ」

 口でこそ、そうは言っているヴァイスではあったがその表情は不機嫌という訳ではなさそうだった。

 ヴァイスは明日の狩猟をどうするか頭の片隅で考えつつ仕事机へと向かうのだった。

 

 

 ユクモ村に夜が訪れる。

 時刻は夕餉の時間帯を過ぎ、窓から覗く景色に子供の姿は見受けられない。だが、酒に酔って騒いでいる者、湯治客であろう者たちの姿は昼間よりも多く見られた。

「すっかり日が暮れたな」

 ヴァイスは仕事に没頭し時間の経過を忘れていたようだ。その表情にも、そこはかとなく疲労の色が見え隠れしている。

 しかしヴァイスは、窓から望むユクモ村の様子を静かに見つめ続けていた。

「これが、ユクモ村の夜の姿なんだな」

 昨日は旅の疲れのため、早々に眠りに落ちてしまった。そのため、ユクモ村の夜の姿を見られなかったのだ。

 だが、こうして初めて見てみると親近感を抱くのだ。それは、今の人々の様子が、村の雰囲気が、ドンドルマのそれに近いように感じるからだろう。

 そう考えていると、ヴァイスはあることを思い出す。それは、この村の温泉のことである。ユクモ村の温泉にはヴァイスも興味を持っているわけだが、未だに湯治に行っていないことに気が付いたのだ。

 おそらく、この時間帯は混みあっているだろう。だが、ヴァイスはこれといってすることが他にないのも事実だ。

 加えて、明日はクレアを同行させ狩猟に向かう予定だ。今日のうちに疲れを癒しておきたいものだった。

「そうしよう」

 潔く自分の考えに従い、ヴァイスは集会浴場へ向かうため家を後にした。

 先ほど窓越しに見た景色が目の前に映る。外に出たことで喧噪も聞こえてくるようになり、より親近感が沸いてくる。

 ヴァイスはその景色を横目に集会浴場に続く石段を登っていった。そして、集会浴場に足を踏み入れる。

 やはり、この中は普段から熱気に包まれているようである。温泉が隣接しているため仕方ないことだが、その中に長時間留まっている受付嬢たちは平然とした顔をしている。

 そして、その受付嬢は依頼の受注を行っている様子だ。カウンター越しに四人組のハンターたちが受付嬢に依頼書を渡していたのだ。ハンターたちはヴァイスの存在に気が付くこともなく村を後にしていった。

 ヴァイスはその様子を眺めつつ、集会浴場入り口の右側にある暖簾へ向かって歩いていく。

 近づいていくと、座布団の上にちょこんと座り、扇子片手に着物を着ているアイルーがヴァイスの存在に気が付いた。

「これはこれは。ユクモ温泉にようこそいらっしゃいましたニャ。私はこの温泉の番台を務めている者ですニャ。以後、お見知りおきを」

 番台アイルーが律儀に頭を下げる。

「ヴァイス・ライオネルだ。これからしばらく世話になると思うが、よろしく頼むな」

「ええ。私も存じ上げております。こちらこそ、当温泉をよろしくお願いしますニャ」

 ヴァイスが名乗ると番台アイルーは再びぺこりと頭を下げた。

「今日は温泉に浸かりに来たのですかニャ?」

「ああ、そのつもりだ」

 ヴァイスが首肯すると、番台アイルーは髭をピンと伸ばす仕草をして見せた。

「左様でございますか。今宵の湯はまた一段と素晴らしいものとなっていますニャ。疲労回復などの効能も然る事ながら、金色(こんじき)の月を背景に美しい紅葉を拝むことができますニャ。どうぞ、ご緩りとお過ごしくださいませニャ」

 さすが、口の達者なアイルーだ。この温泉の宣伝も完璧にこなしてみせる。ヴァイスは「そうさせてもらうよ」と番台アイルーに返した。

「なお、当温泉は混浴になっておりますニャ。奥の更衣室でインナーの上からユアミタオルを巻いて入浴をしてくださいますようお願いしますニャ」

「ああ、分かった」

 番台アイルーとの話を終えたヴァイスは暖簾を潜る。すると今度は、赤と青の暖簾が掲げられていた。ヴァイスは青い暖簾を潜り更衣室へ向かう。そこでインナーの上からユアミタオルと呼ばれる物を腰に巻き、湯治場へ向かった。

 そして、もう一度暖簾を潜ると目の前の視界が一気に開けた。

「これは……」

 屋内にあるとは思えないほどの大浴場。奥の方へ目をやれば、その辺りの天井や壁は取り払われており外の景色が一望できるようになっていた。

 温泉には多くの人の姿が見られた。湯船の中で晩酌を交わす者。外の景色を堪能している者。この温泉の湯にただ浸っている者。皆、それぞれの方法でこの湯治を楽しんでいる様子だった。

 ヴァイスは向かって奥の方向へ向かい、そこで湯船に浸かった。

 身体全体が柔らかい絹に包まれたかのような感覚。身体の芯から温まり、疲れが取れていく。それはまるで、身体がとろけてしまいそうなほどの心地よさだった。

 ヴァイスは無言でそれを堪能する。そして、外の方に目をやった途端、ヴァイスは今度こそ言葉を失った。

 夜空に輝く月がユクモ村を照らす。その下で木々が風に吹かれると、紅葉が良夜に舞った。

「凄い……」

 無意識にヴァイスはそう呟いていた。

 他に形容する語が見つからないほどの光景。その様子はまさに、絶景と呼ぶに相応しいものだった。この絶景を眺めつつ温泉に浸かる。番台アイルーの言っていた事はこのことなのだろう。

 この温泉は素晴らしい。村人が口々に自慢するユクモ温泉の凄さをヴァイスはようやく理解できた。

「いい湯だな」

 ヴァイスは物静かに呟き、夜空に輝く月を見上げた。

 ユクモ村の夜は静かに深けていった。

 

 

 翌日の正午。ヴァイスはギルドガード蒼シリーズを着込み、その背に飛竜刀【椿】を携え集会浴場を訪れた。

 と言っても、これからすぐに出発するのではない。これから、クレアと共に受注する依頼を決定するためだ。

 ヴァイスは何気なくクエストボードを眺めていた。すると、ヴァイスが待っていた人物がやって来た。

「すいません。お待たせしました、()()!」

 クレアが頭にかぶった笠をちょこんと持ち上げ頭を下げた。

 クレアと師弟関係になったとはいえ、やはり“師匠”と呼ばれるのは違和感を抱く。しかし、これは至極当然な事のため時期に直に慣れていくことだろう。それまでの辛抱だ。

 そのクレアの装いは昨日出会った時のものと変化無かった。

 彼女が扱う武器は片手剣。その片手剣はユクモ村で使用されている鉈を狩猟用に鍛え直したものだ。そのため比較的安価で入手でき、主にこの辺りの新人ハンター専用の武器と言っても過言ではない。その名をユクモノ(なた)という。

 防具も同じである。主な素材のユクモの木に鉄鉱石などで補強を加え、ある程度の衝撃にも耐えられるようになっている。これは、ユクモノシリーズと呼ばれる。

「気にするな。それより、受注する依頼を決めるぞ」

「はい!」

 クレアがヴァイスの横からクエストボードを覗き込んだ。

 依頼にはさまざまな種類がある。討伐、撃退、採取などがその主だ。時には護衛依頼、防衛依頼などという変わり種な依頼を受け付けていることもある。

 ヴァイスも依頼内容を一通り目を通す。これまでヴァイスが対峙してきたモンスターの名や、資料でしかその名を見たことのないようなモンスターの名がちらほら存在していた。今回の場合はクレアの実力をある程度知り、依頼を決定する必要がある。

「クレアは訓練所でハンターの知識を学んだんだろう? 具体的にどんなモンスターと対峙したことがあるんだ?」

「そうですね……。大型モンスターを討伐した経験はないですけど、ジャギィくらいなら討伐したことはありますよ」

「そうか」

 クレアの返答にヴァイスが考え込む。

 やはり、予想通りといったところだ。ならば、最初はこの辺りに現れるというドスジャギィの討伐辺りが妥当な線だろう。しかし、クエストボードにはドスジャギィの討伐依頼は掲示されていなかった。

 どうするべきか、とヴァイスは頭を働かせる。すると、ヴァイスの後方から声がかかった。

「ヴァイスさん。ちょっといいですか?」

 振り返ってみると受付嬢が手招きをしている。どうやら、彼女がヴァイスに声をかけたらしい。

 ヴァイスはカウンターへ向かっていく。

「どうした?」

「実は今、新たな依頼が入ったんです。どうやら、依頼主はドンドルマの王立書士隊らしいです」

「ドンドルマの?」

 ヴァイスは受付嬢から手渡された依頼書を確認する。

 そこに表記されていたのはアオアシラの討伐。依頼主は確かにドンドルマの王立書士隊であった。

 王立書士隊とは、モンスターの生態を観察、研究している組織のことを指す。彼らはギルドナイトと同じく、遠方へ派遣され生態調査を行うこともある。

「名指しの依頼なのか?」

「いえ、そういう訳ではないらしいです。ですが、一応ヴァイスさんの耳に入れておこうと思いまして」

「なるほどな」

 ヴァイスは、今一度依頼書に目を通した。

 場所は渓流。アオアシラも渓流もヴァイスは資料上での知識しか持ち合わせていない。だが、アオアシラは飛竜種まで手強くはないと聞く。ならばこの依頼は、ヴァイスにとって好都合かもしれない。

「よし。この依頼を引き受けよう。同行者は一人だ」

「はい、分かりました。では、手続きを行いますね」

 受付嬢が受注の手続きを行う。契約金を引き渡し、狩猟に向かうことが可能になった。

「クレアは構わないか?」

「はい、大丈夫です!」

「分かった。なら、すぐに準備を整えここで待ち合わせだ」

「分かりました!」

 ヴァイスとクレアは狩猟の準備のため一旦解散した。そして、二人が準備を終え集会浴場に集合すると、渓流に向けて村を発ったのだった。



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EPISODE11 ~立ち塞がる者~

 辺りは高い山々に囲まれ、人の気配は全く無い。上空へと目をやれば、普段より済んだ青空が顔を覗かせている。そこに漂う雲も、まるで手の届く距離にあるように思えてしまう。

 しかし、その下――地上の方へと目をやれば山間を縫うように深い谷が長くに渡って続いている。

 

 渓流。ユクモ村から最も近距離に位置している狩場である。比較的温暖かつ湿潤な気候のためキノコの群生地をよく見かける。狩場に指定されている場所も広く、狩場内に流れている川を下っていけば海へと繋がる。温暖な気候故、生息している小型モンスターの多くも他の狩場で目撃されているものが多い。

 なお、特殊な大型モンスターの目撃情報は無い。

 

 渓流についての簡単な資料を改めて一目したヴァイスは、それを備え付けの道具箱の中へとしまう。

 渓流の拠点(ベースキャンプ)は岩山の中程の棚のように開いた空間を利用して設けられている。加えて地上から高くに設けられているため、モンスターが侵入してくる危険性は無い。そのため、エリア1に進む際は山を下りていくことになる。

「さて、準備はいいか?」

 ヴァイスがクレアに確認を取る。

 既に支給品はそれぞれに分けてある。ヴァイスは応急薬が三つ、携帯食料が二つ、地図といった支給品をポーチに詰めた。

 一方、クレアには残る全ての支給品を渡した。応急薬は九つ、携帯食料は六つ、携帯砥石が四つ、地図といった物である。

 それは、狩猟経験が浅いクレアが充分に動き回れるようにというヴァイスなりの配慮である。それこそ最初はクレアは躊躇いを見せた。しかし、ヴァイスが説得し結局クレアが折れる形となった。

 確認を一通り終えたクレアが頷く。

「はい、大丈夫です!」

 その反応にヴァイスは顔に苦笑いを浮かべつつ「そうか」と返した。

 村を発つ以前から、クレアという人物ははつらつとした明るい性格の持ち主だとヴァイスは思っていた。それはあの時と変わっていないだろう。だが、狩場に入れば少しは緊張するだろうとも思っていた。だが、こうも明るく振る舞われるとヴァイスも無駄な心配を抱いてしまうのだ。

「元気なことは結構だが、あまり力みすぎるなよ」

 少しおどけたような感じでヴァイスが言った。クレアもヴァイスに対し「大丈夫ですよ!」と変わらぬ調子で返してきた。

 今回のアオアシラの狩猟に対しヴァイスが持ち込んだ太刀は飛竜刀【椿】である。事前の調べによりアオアシラの弱点が火属性だということは分かっていた。気に掛けるべき点があるならば、アオアシラに対し火属性がどこまで有効なのかということだ。

「クレアは渓流に対する知識をどれだけ持っているんだ?」

 ヴァイスの問いにクレアが難しげな顔をして答える。

「うーん、どれくらいと言われましても、渓流の隅々まで知っているわけではないです。でも、訓練では渓流にはよく訪れているので、どこに何があるかということは理解しています」

「そうか」

 そうして、ヴァイスは渓流の地図に視線を落とす。

 渓流に指定されているエリア数は九つ。ヴァイスも事前に情報を得ているとはいえ、やはり自分の目で見なくては意味が無い。時間は掛かるが、渓流のエリア一つずつを回るのが理想だろう。

「俺としては、この渓流のことをよく知りたい。だから、まずはエリアを一つずつ簡単に見て回る。仮にその最中にアオアシラに遭遇した場合はアオアシラとの狩猟に持ち込む。それでいいか?」

「はい、大丈夫です」

「肝心のアオアシラだが、俺も資料上の知識しか持ち合わせていない。クレアは最初のうちは一撃離脱を心掛けてくれ。余裕を持って立ち回ってほしい」

「分かりました。それを心掛けます」

 ヴァイスの具体的な方針にクレアも同意を示した。

「詳しいことは今後の状況を見てから話すことにする」

 ヴァイスは飛竜刀【椿】の刀身に刃こぼれが無いことを確認すると、それを鞘に納め肩に担いだ。

 地図をポーチに収め、最終確認を行う。

 現在は身軽な格好だ。また狩猟が進めば罠などを使用することになるだろう。必要な道具類はポーチに詰められている。

 クレアの方も確認を終えたようだ。いつでも準備万端という表情をしている。

「よし、行くぞ」

 ヴァイスは、ギルドガードロポス蒼を目深まで被り拠点から続く道を歩き出した。一歩後にクレアが続き、二人は山道を下りて行った。

 目の前には急な獣道が続いている。足元を掬われないよう気を付けて獣道を辿っていくと、やがて川の流れる音が聞こえてきた。

 ヴァイスは地図で確認し、ここがエリア1であることを認識する。

 エリア1は大して広いエリアではない。大型モンスターがこのエリアに侵入してくることはなさそうだ。今もガーグァが地面を流れる川で魚を漁っているだけだ。

 ヴァイスはここで採取できる物を確認した。キノコ類や薬草などといった見慣れた物を入手した。それらをポーチに納め、ヴァイスは再び地図を広げた。

「この後はどうしますか?」

「エリア2だな」

 クレアの問いに答えつつヴァイスは地図をしまい込む。そして、向かって左側から続いている道を進み、エリア2へと向かう。

 エリア2は岩肌が剥き出した場所だ。エリア1に比べ標高もだいぶ高くなっており、右手からは渓流を望むことができる。人間がここから下っていくことは到底不可能だ。だが、強靭な脚力を備えたモンスターならばそれは可能な話だろう。

 エリア2には採掘ポイントも存在していた。周囲に害をなすモンスターがいないことを確認したヴァイスは、マカライト鉱石で作られたピッケルグレートを振るった。鉄鉱石、大地の結晶などといったお馴染みの鉱物が採取できた中、一つだけ見慣れない鉱物が転がり出てきた。

 慎重にその鉱物を確認したヴァイスがクレアに尋ねた。

「これが花香石だな」

 クレアにもその鉱物を手渡してみる。クレアは迷いなく首肯した。

「はい、そうです」

 花香石。その名の通り、表面を擦ると花のような香りを発することからその名前がつけられている。

 ヴァイスが入手したのはその中でも一回り小さい物、花香石のかけらという鉱物だ。これを納品ボックスに納めればゼニーに精算される。比較的容易に入手できるため、金銭面で苦労させられる初心者ハンターなどにとっては狙うべきアイテムの一つだろう。

「よし、先に進もう」

 エリア内を探索し終わったヴァイスが促し、再び歩を進めた。

 次にやってきたのはエリア6。渓流の中でも標高の低い場所に位置しているためか、上流から流れてきた川が滝のように流れ込み、それこそ川のように流れを成していた。

 左手には、その滝のようなものが水しぶきを上げて流れ落ちてきている。地図によれば、その滝を潜った先にエリア8があるようだ。

「クオォ、クオォ、クオォォォン!」

 その中、ジャギィとジャギィノスと呼ばれる小型モンスターがヴァイスたちを威嚇してきた。その数五匹。紫の皮と鱗に覆われ赤い線が一文字に走った色をしており、集団で獲物を狩る習性がある。ジャギィはオスだがメスのジャギィノスに比べ一回り小さい体つきをしている。

「どうしますか?」

 クレアがヴァイスに判断を委ねてくる。

 ジャギィたちは非常に縄張り意識の高いモンスターだ。放っておけば、仲間たちをその独特な鳴き声で呼び集めヴァイスたちを包囲してくるだろう。このままエリアに留まるならば、奴らはかなり厄介な存在となる。

 討伐経験の無いヴァイスでもそれは十二分に理解している。この場合どうすればいいのか、クレアにどういった指示を出すか、その答えは既に導き出されていた。

「あいつらは厄介だな。討伐するぞ」

 飛竜刀【椿】を鞘から抜き放ちながらヴァイスは言った。戦闘態勢に入ったヴァイスの様子を見てジャギィたちの牙が唸りを上げた。

「俺は左の群れを狙う」

「では、私は右ですね!」

 短く言葉を交わした二人が同時に動き出した。

 ヴァイスの狙う群れにはジャギィノスが二匹、ジャギィが一匹だ。

 そのうちの一匹、ジャギィが持ち前の跳躍力を生かしヴァイスの首筋目掛けて飛び掛ってくる。だが、ジャギィの牙がヴァイスを捕らえる前に飛竜刀【椿】が一閃した。その身は飛竜刀【椿】の斬撃と共に放たれる炎に焼かれ呆気なく絶命した。続いてやって来たジャギィノスもヴァイスの太刀捌きに簡単に蹴散らされた。

 仲間の敵を討とうと思ったのか、残されたジャギィノスがヴァイスの左側から体当たりの体勢に入った。だが、ヴァイスもその動きは見透かしていた。ジャギィノスが動き出すと同時にヴァイスは飛竜刀【椿】を振り上げた。その場で立ち止まって斬るのではなく右側に移動しつつ、がら空きの左側の空間をなぎ払った。空振りに終わるかと思われたその斬撃は、体当たりが不発に終わり、一時的に行動不能となったジャギィノスを斬り裂いた。

「私も!」

 凄い。やはり凄い。

 小型モンスターと相手取るとはいえ、あの立ち回りを至近距離で見せつけられると鳥肌が立ってくる。ただ上手いだけではない。その太刀捌きから優美さをも覚えさせるかのような動き。それは、ヴァイスが今までの経験で積み重ねられてきたこその賜物なのだろう。

 ならば、自分も負けられない。クレアも負けじと気を引き締めジャギィたちを見据えた。

 ユクモノ鉈を腰から抜き放ち、ジャンプしつつ斬りつける。斬り上げ、斬り下ろし、真横に斬る。更にそこから剣と盾とを駆使し群がるジャギィたちを吹き飛ばした。クレアが一息ついている頃には、既にヴァイスは剥ぎ取りを終えている様子だった。

「こっちの方からも剥ぎ取っておけよ」

 平然とした面持ちでヴァイスが言った。

 モンスターとはいえ、彼らもこの世に生を受けた生物だ。ヴァイスはこのモンスターを斬るとき、何の躊躇いも見せなかった。それはヴァイスが冷徹な人間だからではなく、長い狩猟生活に身を置いた結果なのだと思う。

 クレアはまだモンスターという一つの命と対峙することに若干の躊躇いを抱いていた。いや“恐怖を抱いている”と言った方が正しいだろうか。

 あれからクレアは自分の過去の恐怖からなかなか立ち直れずにいた。だが、折れそうな自分を支えてくれる存在があった。目標があった。完璧とまでは言えないが、こうしてモンスターと対峙することにも過大な恐怖を抱くことはなくなった。だが、恐怖を抱いていることに変わりはないのだ。こうしてモンスターを討伐する度、改めて思う。

 ヴァイスは“恐怖”という感情を感じていないのだろうか。彼が感情を表に出すような性格ではないことは分かっている。だからこそ、クレアは知ってみたかった。彼はモンスターと対峙し、命のやり取りをする時、何を思っているのかということを。

「このエリアも魚が釣れる以外は特に変わった場所はないな」

 エリアを探索し終えたヴァイスがクレアの元へとやって来る。

「さあ、行くぞ」

 ヴァイスは北に向かって歩みを始めた。その背中をクレアが追う。

 狩場だとはいえ、今は害を及ぼすモンスターは近辺にいない。クレアは、意を決して自らの疑問を口にしようとした。

「師匠」

 クレアがヴァイスを呼ぶ。すると、ヴァイスはぴたりと立ち止った。疑問を口にしようと思った時、クレアはヴァイスの様子がおかしいことに気が付いた。

「……師匠?」

 小首をかしげるクレアの前でヴァイスは振り返って「しっ」と口の前に人差し指を一本立てた。

 ヴァイスの行動を不思議に思っていると、クレアもその異変を感じ取った。

 ドス、ドスと何か重量のあるものが近くで動いている。次第にその音は大きさを増していく。音はヴァイスたちの正面、エリア7の方向から聞こえてきていた。

 既にヴァイスは飛竜刀【椿】の柄を握り、すぐさま行動ができるよう身構えていた。

 ゆっくり、ゆっくりと。それは、二人の前に立ち塞がるのだった。



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EPISODE12 ~油断~

 ドス、ドスと地響きを立てつつ、それは近づいてきていた。既にヴァイスは飛竜刀【椿】の柄を握り身構えている。そして、二人の前にそれは姿を現した。

 四足歩行をするモンスターだ。その身体は鮮やかな青色の体毛で覆われている。しかし、前脚は物を掴めるように発達しており、その腕は体毛ではなく甲殻に守られていた。一目見ただけでその部位が他に比べて強固だということが理解出来る。ヴァイスの飛竜刀【椿】ならともかく、クレアのユクモノ鉈の刃は弾かれるかもしれない。

「奴が、アオアシラ……」

 警戒を緩めずヴァイスが呟く。

 アオアシラはこちらの姿が視界に入ったのだろう。散り落ちる紅葉を踏み行き、それは後脚で身体を持ち上げ二人の前に立ち塞がる。

「大きい……っ」

 呆気に取られたようにクレアが声を漏らした。

 しかし、アオアシラはそんなことを気に留めようともしない。目の前に現れた人間を鋭い相貌で睨み付けてみせた。

「グオォォォォォォォォォォッ!」

 自らの存在を誇示するかのように、己の両腕を広げ咆哮して見せる。

 強い。アオアシラというモンスターの強さがひしひしと伝わってくる。クレアの身体の震えは、単なるアオアシラへの恐怖だけではなかった。

「来るぞ。事前の取り決め通りに動いてくれ」

 ヴァイスの声色も緊張の色を帯びていた。それは、先ほどよりも更に張りつめた声に聞こえた。

 場の重圧感に押しつぶされぬようクレアも頷く。そして、それを合図にするかのようにヴァイスが一気に動いた。飛竜刀【椿】は鞘に納めたままヴァイスは走る。その動きに一歩遅れてクレアも散開した。

 アオアシラは先に動いたヴァイスを追おうとする。しかし、その動きにアオアシラは付いていけなかった。ヴァイスは一瞬のうちにアオアシラの背後に回り込むことに成功したのだ。

 ヴァイスは飛竜刀【椿】を握る力を更に強めた。そして、何の躊躇いもなく、鞘から飛竜刀【椿】を抜き放った。

 曇りの無い銀色の刃が空中に弧を描く。陽光を反射し一瞬その刃が輝いたかと思うと、鋭い一撃がアオアシラの臀部に走った。

「ガアアアアアァァァァァァァァッ!?」

 斬撃と共に弾けた炎がアオアシラの体毛を焼く。予想だにしない一撃を喰らったアオアシラが驚いたように悲鳴を上げる。

 だが、アオアシラの見せた油断もほんの一瞬だった。再び四足歩行の体勢に戻ると、アオアシラはその四肢を駆使しヴァイスに襲い掛かった。

 しかし、ヴァイスもその動きは予想の範疇だった。例えアオアシラの狩猟経験が無くとも、ヴァイスには多くのモンスターの狩猟から培った経験がある。それを生かしヴァイスはアオアシラの攻撃をある程度予想していたのだ。余裕を持って立ち回っているヴァイスはアオアシラの突進を楽々と回避することに成功する。

 アオアシラがヴァイスを狙っている隙を突き、クレアが一気に接近した。腰からユクモノ鉈を引き抜き一閃させる。だが、狙いが甘かった。臀部を狙ったはずの攻撃はアオアシラが身を翻したために前脚に命中してしまう。ジャンプしての一撃はアオアシラの甲殻の前に鈍い音を立てて弾かれてしまった。

「やっぱり硬い!」

 ユクモノ鉈を握る手は痺れ、身体ごと易々と弾き飛ばされた。一瞬の出来事にクレアの判断が遅れる。

「立ち止るな。常に動き続けろ!」

 そんな時、一時後退していたヴァイスが声を上げた。

 クレアは弾かれたようにアオアシラから距離を取る。頭でヴァイスの言葉を理解したというよりは、身体が反射的に反応したような感じだった。だが、その行動は功を奏しアオアシラの攻撃を回避することに成功した。

 アオアシラとの位置関係を確認し、クレアは自身の左手の感触を確かめる。

 あの一撃が弾かれたその瞬間、電撃のような痺れが走った。だが、それはむしろ痛いという感覚ではなく悔しいという感情を抱かせた。狩猟を始める最初の一手、その一撃がこうもあっさりと通じなかったのだ。出端を折られたクレアに焦りが募り始めていた。

「……ううん。まだ、狩猟は始まったばかり。最初の一撃が決まらなかったからって落ち込んでいられない!」

 そう。まだ、狩猟は始まったばかりだ。例え自分のペースを乱されたとしてもここから徐々に巻き返していけば問題はない。

 クレアは自らを鼓舞しアオアシラに向かって走り始めた。

 アオアシラは厄介な存在だとでも感じたのだろうか、先ほどからヴァイスを追い回し続けている。そのためクレアに背を向けているアオアシラには隙が生じている。その好機を生かし、クレアが再びユクモノ鉈を振り抜き臀部にその軌跡を描かせた。

 以前とは違う、確かな感触。クレアは立て続けにユクモノ鉈を振るった。その全ての斬撃がクレアの想像した通りの軌跡を描き、アオアシラの体毛を引き裂いた。

 ヴァイスばかりに気を取られていたアオアシラが一瞬驚いたように動きを止める。そして、一旦ヴァイスからは目を逸らし睥睨しながらクレアの方へ身体を向けた。

「っ……!?」

 アオアシラから感じる威圧感がこの時には更に強烈なものに思われた。そのあまりの強大さを打ち付けられたクレアは身体を動かすことをも忘れてしまった。ヴァイスの声で我に返った時、アオアシラは後脚で立ち上がり両腕を大きく広げているのが視界に入った。

 この時、ヴァイスは何かを言っていた。だが、それはクレアの耳にまで届かなかった。否、聞き取ることができなかったのだ。そして次の瞬間、アオアシラが両腕を振り下ろした。

「きゃっ!?」

 今までに感じたことがないような鈍い痛みが身体に走る。自分の身体が宙を舞っていることに気が付いた直後、背中から地面に叩きつけられ、身体が更なる悲鳴を上げる。

「チッ……!」

 荒い舌打ちをしつつ、ヴァイスは飛竜刀【椿】の柄に手を掛けた。一瞬ポーチに手を入れかけたヴァイスであったが、クレアが立ち上がったのを見てアオアシラの注意を逸らすための行動に切り替えたのだ。

 飛竜刀【椿】を真横に薙ぐように振り抜き、そのまま基本の型へと繋げ斬撃を繰り出す。それはユクモノ鉈の刃を弾き返した前脚に命中し、飛竜刀【椿】の刃はその甲殻を易々と貫いた。

「ゴアアアアァァァァァァァァッ!?」

 さしものアオアシラも、その斬撃の威力の前に大きく怯んでしまう。ヴァイスはその隙にアオアシラから離れ、クレアの元へと駆けつけた。

「大丈夫か?」

 ヴァイスが飛竜刀【椿】を鞘に納めながら訪ねてくる。

 クレアは支給された応急薬を一本飲み干し、ヴァイスに返答する。

「何とか大丈夫です。すいません、注意不足で……」

「あまり気に病むな。今まで大型モンスターと対峙したことがないんだろう? だったら、そんなことを悔やむより、このことを教訓として生かすんだ」

 申し訳なさそうな表情を浮かべているクレアにヴァイスが言った。そうして、ヴァイスは再びアオアシラの方へ目をやった。

「本当に辛いのはここからだ。行くぞ」

 そう言い残し、ヴァイスはアオアシラに向かって走りだした。

 クレアはその後ろ姿を見つめ、大きく深呼吸する。

 ヴァイスの言うとおり、失敗を悔やんでいても仕方がない。身を以て体験したことを次に生かしていくことが重要なこともクレアは十分に理解している。それをもう一度確認する面目でリラックスしてみたのだ。

「よし!」

 恐怖に背を向け、立ち止っているわけにはいかない。ヴァイスの後を追いクレアも走りだした。

 既にヴァイスがアオアシラを惹き付けてくれている。その隙を突き、クレアはアオアシラの背後から接近した。

 ユクモノ鉈を腰から引き抜き、アオアシラの臀部目掛け斬りつける。狩猟前にヴァイスに言われたとおり、一撃離脱を心掛けつつもユクモノ鉈を振るった。やはり、手数で稼ぐ片手剣では、この立ち回りでは働きが落ちてしまう。だが、それと引き換えに余裕を持って動くことができる。すると立ち回りにも余裕が生まれ、アオアシラの動きにより注目することができた。

 そのおかげで初見の動きにも対応できたのだ。

 アオアシラは前方にいるヴァイスばかりに気を取られていると思っていたがそうではなかったようだ。後方にクレアがいることを認識すると、立ち上がった体勢から後方に体重をかけそのまま倒れ込んだ。ヴァイスも忠告を飛ばしたが、それ以前にクレアは盾を構えアオアシラの攻撃から身を守ることに成功したのだ。

「何とか、ガードした、けどっ……」

 だが、やはりその威力は想像を遥かに超えるものであった。片手剣の盾は大型モンスターの攻撃を完全に殺し切るには小さすぎるのだ。クレアは踏ん張ろうとするものの、その小さな身体はいとも簡単に押し流されてしまう。

 アオアシラは続けてクレアを狙う。両腕をクロスさせるように前方を引っ掻く。クレアはその攻撃も右手に装着した盾で受け止める。だが、ガードに一転したクレアのスタミナは底を付きかけていた。次の一撃を受け止める程の余裕が無くなっていたのだ。

「くっ……」

 ガードの体勢を解いても瞬時に後退することができない。しかし、アオアシラの攻撃に備え再び盾を構えようとしたクレアの目の前で、アオアシラの背後に回り込んでいたヴァイスが斬撃を放った。そのおかげでアオアシラの注意がクレアから逸れ、その隙にクレアは後退した。

 クレアと入れ替わったヴァイスは落ち着き払って斬撃を繰り出す。決して深入りはせず、だが斬撃を外すことなく器用に立ち回りをしてみせる。

 その動きに焦れたアオアシラはいきなりヴァイス目掛けて飛び掛かった。だが、ヴァイスも冷静である。咄嗟に回避行動を取り、アオアシラの攻撃を難なく避ける。

「まだ余裕があるか……?」

 アオアシラの攻撃を回避したヴァイスがそう思案する。

 ヴァイスとて、別に慢心しているわけではない。ただ、現段階でアオアシラと自分の立ち回りの間にどれだけの余裕があるかを見極め、それに応じて自身の立ち回りも変えていこうとしているのだ。守るばかりでなく、時には攻めに一転するのもまた狩猟には必要なことなのだ。

 体勢を立て直し、ヴァイスは改めて周囲の位置関係を確認する。アオアシラは前方、ちょうどヴァイスに背を向けている。そこに左斜め後ろからクレアが接近している。ヴァイスはそれを目にするとアオアシラの側面に回り込むために走りだした。

 クレアがユクモノ鉈から斬撃を放つ。ヴァイスの予想通り、アオアシラはクレアに向き直った。アオアシラの注意を少しでも逸らすためにヴァイスは位置関係を確認した後に動き出したのだ。

 クレアもアオアシラが自分を正面に捉えたことは理解していた。すぐさま立ち位置を変え、アオアシラの死角に潜り込む。そして、再びユクモノ鉈を振るい始めた。だが、手に伝わってくるその感触が先ほどまでとは違う。ユクモノ鉈の切れ味が低下し始めたのだ。

「こんな時に……」

 クレアは斬撃が弾かれることを恐れ一旦後退する。そして、十分距離を取り安全圏に到達するとポーチに手をつっこみ、携帯砥石を取り出そうとした。

 アオアシラから注意を逸らしたのはほんの一瞬のことだった。だが、その一瞬でアオアシラはクレアの予想以上の動きをしていたのだ。

「そっちに行ったぞ!」

 クレアが砥石を使用しようとしていることにすぐさま気づいたヴァイスが警戒を促す。クレアもハッとなって意識をアオアシラに戻したのも束の間、鋭い痛みが身体を走った。

 攻撃を受けたのだということは分かった。また、すぐに後退し体勢を立て直さなければということも。だが、クレアの意志に反し身体が言うことを利かない。身体が石化したように、全く動くことができなかった。

「ガアアアアアアァァァァァァァァッ!」

「っ!?」

 咆哮したアオアシラがクレアに飛び掛かり、その身体を両腕で拘束し宙へと持ち上げた。アオアシラの腕力にはクレアも抵抗する術がなく、成すがままに身体を締め付けられる。

「くぅぅっ……、うぁ……っ!」

 痛みというよりも苦しさという感覚に身体が支配される。身体を強く圧迫され、徐々に頭の中も真っ白に染まっていく。

「クレア!」

 ヴァイスは走りだす。

 アオアシラは相変わらずヴァイスに背を向けている。そのため、閃光玉を投擲しアオアシラの視界を潰すにはかなりの距離を走らなければならない。飛竜刀【椿】で斬撃を放とうにも、それでアオアシラが怯まなければクレアを解放することはしないだろう。

 考え得る最悪の状況。だが、ヴァイスの思考の中では、この状況を打破する秘策が既に浮かんでいたのだ。

 アオアシラに接近し、その背中目掛けてヴァイスはある物を投擲する。閃光玉大のそれは、空中で破裂すると甲高い音を撒き散らした。金属音のようなその異音は、人間であるヴァイスも耳を塞ぎたくなるほどのものだった。だが、アオアシラはヴァイス以上にその音を嫌い、拘束していたクレアを投げ飛ばした。

 これは音爆弾という物だ。その名の通り、破裂すると今のような音を発生させる。特に耳が発達しているモンスターには相当な衝撃になり、アオアシラのように一時的に行動不能になってしまうモンスターもいる。

 アオアシラが怯んでいる隙に駄目押しでこやし玉をぶつけ、アオアシラをこのエリアから遠ざけることに成功した。

「クレア、大丈夫か!?」

「うぅっ……」

 肩を叩いてクレアに声を掛けてみる。はっきりとした返答はなかったものの、幸い意識を失っているだけの様子である。

 おそらくクレアは大きなダメージを負っただろう。ヴァイスはクレアを拠点で休ませるべく、背中にクレアを担いだ。防具を着込んでいるとはいえ、クレア一人くらいを運ぶことなどヴァイスには容易いことだった。

 そうして拠点に戻ろうと身を翻した時、ヴァイスは川の中にある光る物体を発見した。

「これは……」

 水中からそれを拾いまじまじと見つめてみる。

 それは幻獣のナミダという結晶化した宝石だった。モンスターを怯ませた際、このように結晶化した涙を落とすモンスターがいるのだ。

 それをポーチにしまい込み、ヴァイスは背中越しにクレアの様子を確認する。相当な衝撃を身体が受けたのだろう、そのクレア表情は如何にも苦しげに見えた。

 想定外の事態ではあるものの、ヴァイスは別に大したことではないと考えていた。

「……初めてにしては上出来だな」

 クレアにしてみれば、最初の実践でアオアシラを討伐するというのは酷なものだろう。それを視野に入れれば、彼女はヴァイスの想像以上の動きをしていたのだ。

 ヴァイスは未だに意識が無いクレアに語り掛けるように言うと、拠点へ続く道を歩き始めた。



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EPISODE13 ~師弟関係~

 エリア6から拠点へ続く道が通る場所、エリア1と2には幸いなことに害を成すモンスターの姿が見当たらなかった。そのため、ヴァイスはクレアを背中に担ぎながらも早々に拠点へ戻ることができたのだ。

 渓流に設置されている拠点にもベッドは存在する。ヴァイスは背中からクレアを下ろし、ベッドに寝かした。

「出血などは……、見当たらないな」

 多少の傷が目立つものの、クレアの容体は命に別状はない。これなら、しばらくクレアを寝かせておけば回復するだろう。

「はぁ……」

 安堵の溜め息を漏らしつつ、ヴァイスは飛竜刀【椿】を鞘から引き抜いた。曇りの無いその刀身をヴァイスが指先でなぞる。刃毀れしていないことを確認すると、ヴァイスは再び飛竜刀【椿】を鞘に納めた。

 手持ち無沙汰となり、加えて若干の空腹を覚えたヴァイスは、支給された携帯食料を取り出し口に運んだ。食感や味はこんがり肉などとは違い何とも質素な物だ。だが、多少の空腹ならこの程度の質素さの方がちょうどよく思えるかもしれない。

 携帯食料を食べ終えたヴァイスはクレアの様子を窺う。

 まだ意識は無い。時機に目を覚ますだろうが、それまでヴァイスは時間を弄ぶ必要があった。

 そんな中、ふと頭を過った光景を思い返す。それは、自分が初めてユクモ村を訪れ、そこでクレアに弟子にしてくれ、と言われた時のことだった。

 今思えば、彼女と師弟関係になったことはかなり衝撃的なことだった。それは、ヴァイスの人生を変化させる大きな要因に違いない。にも関わらず、ごく自然に、そして当たり前のようにその出来事を受け入れている自分がいることに気が付いた。そんな自分に思わず苦笑いしてしまいそうになる。

 ――師匠と弟子。その師弟関係が意味するものについてヴァイスは考えさせられた。

「師匠、か……」

 ヴァイスは過去の出来事を思い返す。

 かつて、自分も同じような目で見ていた人がいた。その人は、自分にとって憧れであった。少しでも憧れの存在に追いつくことを目標に、日々鍛錬を続けた。そんな子供らしい日々が、自分にもあったのだ。

 その頃に比べて、随分と遠くに来てしまった。それほど昔のことではないはずなのに、不思議とその頃が遠くに感じられる。

 そう。その時の自分は、将来的に自分がこのように成長しているとは思いもしなかったのだ。

「し、しょう……」

 突然聞こえた声にヴァイスがはっとなって振り向いた。そこには、未だに意識の無いクレアの姿があった。

 夢でも見ているのだろうか。ヴァイスがそう思っていると、クレアの身体がゆっくりとベッドから持ち上がった。

「う……ん……?」

 まだ意識がはっきりしていないのか、ぼんやりとした表情で辺りを見回す。

「ここは拠点……? あれ……? 私は確かアオアシラと……」

「気が付いたか?」

「し、師匠!?」

 ヴァイスが声をかけるとクレアが弾かれたように声を上げた。そして再び辺りをキョロキョロと見回し、自分の身に何が起こっているのか理解した様子だ。クレアの表情が、今度は悄然としたものに変わっていく。

 クレアが言いづらそうに言葉を絞り出した。

「私はあの時、一体どうなったんですか……?」

「奴に拘束されたことを覚えているか? あの後、クレアは意識を失ったんだ。俺はそのクレアを担いでここまで来た。あれから大した時間は経っていないぞ」

 淡々とした口調で話したヴァイスは「理解できたか?」と付け加える。

 別にヴァイスは、クレアに対し怒りや落胆などといった感情は全く抱いていない。ただクレアが現状を理解できるよう普通に話したつもりだった。だが、クレアはそう受け止めていなかったのか――、

「も、申し訳ございませんでした!」

 と、深々と頭を下げて謝罪した。

 この様子を目の当たりにしたヴァイスが思わず「はぁ……」と溜め息を吐いた。

「“一応”聞くが、どうして頭を下げてまで謝罪しているんだ?」

 一応という単語を不自然に強調しながらヴァイスは尋ねてみる。するとクレアは――、

「師匠に迷惑をかけたからですっ!」

 と、即答した。

 このやり取りを行ったヴァイスは再び溜め息を吐く。これではまるで、自分がクレアを苛めているみたいではないかと忌むしたのもその理由の一つである。

 ヴァイスは肩を竦め、未だに頭を上げようとしないクレアの肩を優しく叩いた。

「別に、俺はそんなこと気にしていない。だから謝るなんて真似は止してくれ」

「……師匠?」

 思ってもいないヴァイスの発言に、クレアも驚きを隠せないような表情をこちらに向けた。

「私は師匠に迷惑をかけたんですよ? それなのに、どうして……」

 表情とは裏腹に萎れた声がクレアの口から発せられた。それほどクレアは、ヴァイスに迷惑をかけたということを自覚し、そして悔やんでいるのだろう。

 だが、当のヴァイスはクレアの謝罪などを望んでいるわけではないのだ。勘違いをしている彼女の頭を、ヴァイスは笠の上から優しく叩く。

「クレア、俺たちは仲間だ。それに、師弟という関係だ。人間なら失敗くらい誰だって起こす。勿論、俺もな。だからこそ、失敗した時はそいつをフォローするのが仲間の役目だ」

 笠に隠れたクレアの表情は、今は窺うことはできない。だが、ヴァイスは続ける。

「失敗を悔やむならそれを次に生かせ。そして、俺を頼れ。お前一人くらい、俺はフォローして見せるさ。……それとも、お前にとって俺はそこまで頼りない師匠か?」

 すっと、ヴァイスの手が離れる。

 ヴァイスは表情を変えないままクレアの返答を待った。そして間髪を容れずクレアが僅かに微笑んだ。

「師匠は、意外といじわるな性格なんですね……。私が師匠を頼りないなんて思っているわけないじゃないですか。むしろ思いっきり頼りにしてます!」

「自分では俺が意地悪だという自覚が無くてな。次回からはなるべく気に留めておくことにするよ」

 ヴァイスがあからさまに白を切って見せる。

 その様子を見たクレアが再び笑みを浮かべる。

 普段は冷静沈着で感情表現をあまりしない人だと思っていたヴァイスが、実際はこのような一面も持っているのだということを知れたことがクレアは嬉しく思えたのだ。

「さて、休憩もここまでだ。狩猟を再開するぞ」

「はいっ!」

 クレアは力強く首肯する。

 この様子なら大丈夫だろう。そう確信したヴァイスは何も口にすることなく拠点を後にした。すぐ後ろにクレアが続き、再びエリア1へ続く獣道を進んでいった。

 

 

 

「ここで最後だな」

 エリア4に足を踏み入れたヴァイスが地図に目を落としながら言った。

 エリア4。今まで訪れたエリアの中で最も広く、最も見通しの良い場所だと言える。他のエリアと異なった点を挙げるならば、それはエリアの中央部辺りに古い木造の建築物が存在していることだろう。

 支柱の状況を一目見れば、この建物がだいぶ前に建てられた物だと推測できる。それほどこの建築物の支柱はボロボロに朽ち果てており、強い衝撃を与えればいとも簡単に崩れ落ちてしまうだろう。

 ヴァイスは朽ち果てた建物に歩み寄り、自らの手でその建物に触れてみる。

「これはユクモの木だよな……」

 クレアが身に着けているユクモノシリーズにも使われているユクモの木は上質で頑丈な作りをしているのだという。そのユクモの木がここまで朽ち果ててしまっているのだ。余程長い年月を隔てなければこのように朽ち果てたりはしないだろう。

「……ん?」

 そんな中、ヴァイスは建物の上部へと目をやった。

 屋根があったと思しき場所も、今に至ってはその面影も無い。しかし、その柱は、まるで何か強い衝撃を受けたかのようにへし折れていたのだ。他の場所も、所々であるがそのような跡が見られた。

「大型モンスターの攻撃で破壊されたか? ……いや、ならばこの建物ごと崩れるはずだ。だが、これは老朽化したというよりはむしろ……」

 様々な推測がヴァイスの頭の中を駆け巡る。だが、クレアの声でヴァイスは現実で引き戻されることになる。

「師匠!」

 クレアがエリア2の方向を指さしながら声を上げる。その行動を理解したヴァイスの表情が更に引き締まる。

「ああ、来たな」

 ヴァイスも願ってもないと飛竜刀【椿】の柄を握りしめる。

 この狩猟の真の目的、討伐対象であるアオアシラがこのエリアにやって来たのだ。

 表情は引き締まっているものの、ヴァイスは依然として自然体でいる様子だ。過度に緊張しているわけでもなく、かと言って油断しているわけでもない。そんなヴァイスの気を感じ取ったクレアの身体に緊張が走る。

 ヴァイスは失敗を恐れるな、と言った。だが、アオアシラに対し今の自分がどこまでやれるのか。それが不安であり、怖くもあった。

「っ……」

 左手に握っているはずのユクモノ鉈の感触が、いつもより薄れているように思える。そして、その手が僅かに震えていることもようやく理解した。その途端、今まで感じていた不安や怖さが溢れるように押し寄せてきたのだ。

 耐えられない。この緊張感に、この重圧に。そして、逃げ出したい。さまざまな負の思考がクレアの頭の中を支配する。

 だが、クレアが苦しんでいることはヴァイスも見通していたのだろう。顔の向きは変えずヴァイスが口を開いた。

「……怖いか?」

「えっ……?」

 あまりに唐突なヴァイスの言葉にクレアが素っ頓狂な声を上げてしまう。思わず彼の表情を窺ってしまったが、ヴァイスはそれを気にしなかった。

「今までの経験と自分を信じろ。俺がフォローする」

 たったそれだけ。それだけを言い残してヴァイスはアオアシラに向かっていった。

 だが、その言葉でクレアの緊張は嘘のように治まっていった。

 そうだ。彼なら、師匠なら、必ずフォローしてくれる。絶大な信頼を寄せることができる。

 自分らしくやればいい。今自分ができることを師匠に見て欲しい。そんな強い気持ちがクレアを突き動かした。

「……よしっ!」

 頬を叩き、らしくなかった自分に喝を入れる。そして、アオアシラを見据える。

 単身アオアシラに向かったヴァイスが飛竜刀【椿】を鞘から引き抜いた。迷いの無いその動きを目の当たりにしたクレアの士気が更に高まっていく。

 ヴァイスが気を惹きつけているうちにクレアがアオアシラの背後に回り込んだ。そして、自らの迷いを振り払うように勢いよくユクモノ鉈を振り抜いた。

「てりゃあっ!」

 臀部に向かって初回の一撃を放ち、そのまま立て続けにユクモノ鉈で斬りつける。

 アオアシラがクレアの存在に気が付き、振り払おうとする。だが、今度は正面に回り込んだヴァイスがそれを許さなかった。大胆にもアオアシラの懐に飛び込み、飛竜刀【椿】から斬撃を放った。

「ガアアアアァァァァァァァッ!?」

 ヴァイスの動きはアオアシラも予想していなかったのだろう。驚いたようにその身を震わせた。

 クレアはこの好機を生かす。臀部の一点に狙いを付けユクモノ鉈で斬りつける。その度にアオアシラの鮮やかな体毛が空しく宙に舞い上がる。

「ゴワアアアァァァァァァァッ!」

 アオアシラも黙っている訳でもなく、その蹄でヴァイスたちを捉えようとする。しかし、その一撃が彼らに命中することはなく、一方的に攻撃を仕掛けれれている状況を打破するまでに至らなかった。

 そのアオアシラにクレアが追い打ちを掛ける。

「はあぁっ!」

 既に相当なダメージが蓄積していたためであろう。アオアシラはクレアの一撃でバランスを崩し、そのまま前のめりに倒れ込んだのだ。

 突然目の当たりにした状況にクレアの動きが一瞬止まる。だが、自分がアオアシラに打ち勝ったのだということ、そして狩猟がまだ続いていることをすぐさま理解し、クレアは気持ちを瞬時に整理し直しアオアシラに最接近した。

 倒れ込んだアオアシラの元には既にヴァイスが斬り込んでいた。クレアも反対側から接近し、一気に畳みかける。

「うぐっ!?」

 アオアシラが立ち上がる際に動かした脚にクレアが蹴り飛ばされる。と言っても、それは狙いすました攻撃ではなかったため大きな痛手にはならなかった。

「痛ぁ……」

 派手に尻餅をついてしまい、軽い痛みが身体を走る。

 斬撃を中断したヴァイスもクレアの元へと駆け寄った。

「大丈夫か?」

「はい、身体は全然大丈夫です」

 ヴァイスの手を借りながらクレアは立ち上がる。

「奴の動きにもそろそろ慣れてきたか?」

 ヴァイスは再びアオアシラの様子を確認し、クレアに尋ねた。クレアはその問いに若干迷いつつも返答する。

「えっと……、大体慣れてきたと思います」

「そうか。それならいいんだ」

 ヴァイスはほんの少しだけ表情を緩めそう言った。

 だが、それは一瞬のことでヴァイスの表情は再び真剣なものへと移り変わる。その視線の先には無論、アオアシラを見据えている。

「行くぞ」

 ヴァイスの言葉にクレアが無言で頷き、再びアオアシラに接近を試みる。しかし、二人の目の前でアオアシラは突進を開始し、先ほどよりも距離が開いてしまう結果となった。

 クレアがいち早く反応しアオアシラを追う。背後から接近し間合いに入ると、躊躇うことなくユクモノ鉈を振りかぶる。一撃一撃を着実に命中させることを意識しつつも、アオアシラの様子を窺うことも怠ってはいない。

「狙われているぞ、気を付けろ」

「分かっています!」

 クレアとは逆方向に回り込んでいたヴァイスから忠告が飛ぶ。無論、クレアもアオアシラの異変には気付いていた。クレアはユクモノ鉈を振るう手を休め、代わりにガード体勢に入る。そしてすぐさま、アオアシラがクレアを引き裂こうと両爪を振り下ろした。だが、その一撃は辛うじてガードに成功する。

 クレアはガードを解こうかと一瞬考えた。だが、身体がその思考を否定する。アオアシラは振り下ろした爪をもう一度振りかぶり、今度はクレアを薙ぐように引っ掻いたのだ。突発的な動きでガードはし続けたものの、クレアのスタミナが徐々に消耗していく。

「くっ、しつこい……っ!」

 このままではクレアの体力が尽きるのは時間の問題になる。だが、ヴァイスはその様子を黙って見ているわけではなかった。瞬時にアオアシラの背後に回り込み上段から飛竜刀【椿】を振り下ろす。

「ガアアアァァァァァァァァァァァッ!?」

 斬撃が走ったと共にアオアシラが悲痛の叫びを上げる。クレアはこの隙に後退しスタミナの回復を待った。

 しかし、アオアシラはこれ以上二人に追撃してくることなく、逃げるようにエリア4から姿を消していった。

「大丈夫か?」

 再度訪れた静寂の中、ヴァイスがクレアに問いかける。

 クレアは息切れしつつもヴァイスの問いに答えて見せる。

「大丈夫です。私はまだまだ行けます!」

「そうか」

 ヴァイスはそれ以上のことは口にしなかった。本人が大丈夫だと言っているため、それ以上の口出しは無用だと判断したのだろう。

 ヴァイスは飛竜刀【椿】を鞘に納める前に砥石を使用し切れ味を回復させる。それに倣ってクレアもユクモノ鉈に砥石を当てた。そして応急薬を一本飲み干し一息入れる。

「あと少しだ。気を緩めるなよ」

「はい!」

 ヴァイスの言葉にクレアは力強く首肯する。

 二人は体勢を整えた後アオアシラの去っていった道を進んで行った。

 この時、クレアは確かに確信していた。このまま、この流れを維持できればアオアシラに勝てる、と。



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EPISODE14 ~称揚~

 アオアシラを追ってヴァイスたちがやって来たのはエリア7。背の高い草木がエリアの大半に茂っており見通しが悪い。小型モンスターが茂みの中に入ってしまえば、肉眼でどこにいるか判断するのは難しいだろう。

 アオアシラも大型モンスターの中では小柄な部類に入る。そのため、やはりと言うべきか、アオアシラの姿は見受けられない。だが、ヴァイスは躊躇うことなく茂みの中に足を踏み入れペイントボールを投擲した。その直後、パチンとペイントボールが弾けた音が聞こえ、遅れてペイントの臭気が漂ってきた。

「来るぞ」

 ヴァイスは茂みの中から飛び出しクレアに警告を促した。そして、すぐさま二人は散開する。

 茂みの中に身を隠していたアオアシラがそれを掻き分けるように突っ走り、ヴァイスたちが今までいた場所を少し通り過ぎたところで急停止した。

 背を向けたアオアシラにクレアが斬り込む。ジャンプ斬りから斬り上げ、斬り下ろし、水平斬り、斬り返し、回転斬りと片手剣の基本的な連続攻撃でアオアシラを着実に追い込んでいく。

 ヴァイスもクレアに続く。前脚目掛けて飛竜刀【椿】を振り下ろし、そこから突き、斬り上げ、再び上段から斬りつけた。

 対して、アオアシラも黙っているわけではない。アオアシラは後脚で立ち上がり、周囲に纏わりつく二人を蹴散らそうと鉤爪で引っ掻いた。

 二人は後退してそれを回避するが、アオアシラの動きは止まらない。再び四つん這いになると、今度はヴァイス目掛けて飛び掛かっていく。ヴァイスは回避に成功したものの攻撃に転じられない。アオアシラが執拗にヴァイスを追い回すからである。

「くっ、しつこい奴だ」

 突進を回避したヴァイスがそう漏らす。

 突進が空振りに終わったアオアシラはその身を方向転換させるために急停止する。その隙を突いてヴァイスはアオアシラに肉薄し、飛竜刀【椿】で斬りつけた。

 側面に回り込んだクレアも加わる。クレアは前脚にユクモノ鉈の刃が命中しないよう慎重に狙いを定め、後脚を斬りつける。

 直後、アオアシラは後脚で立ち上がると周囲を引っ掻く。ヴァイスは斬り下がって距離を取り、クレアは盾でガードして攻撃を防いだ。

 ヴァイスはクレアに生まれた隙をアオアシラに突かれぬよう援護する。臀部に向かって飛竜刀【椿】を振り下ろす。

「ガアアアアアァァァァァァァァッ!?」

 突然アオアシラの身体が大きく揺らぐ。ヴァイスの一撃が功を奏し、アオアシラを怯ませることに成功したのだ。

 クレアはその間に体勢を立て直し、再度アオアシラに接近する。四つん這いになったアオアシラの頭部に狙いを定めクレアは空中からユクモノ鉈を振り下ろした。

 怯んでいたアオアシラも動きを見せる。クレアの一撃から頭部を守るために、強固な前脚を顔の前に迫り出した。

 無論、クレアの一撃は前脚の甲殻によって阻まれる。だが、その甲殻も今回は無事では済まなかった。今まで耐えてきた斬撃の衝撃がここに来て限界に達したのだ。ユクモノ鉈が弾かれた金属音より派手な音を立て、強固な甲殻が砕け散った。

「グアアアアアアアァァァァァァァァァァァァッ!?」

 アオアシラが苦痛の叫びを上げる。

 だが、その中でもクレアは無意識の内にガッツポーズしていた。あの強固な、ユクモノ鉈の刃を一切受け付けなかった甲殻を、ヴァイスの力を借りて破壊させるまでに追いやったのだ。それは、この狩猟が着実に進んでいるという証拠でもあった。

 しかし、クレアにとっては更に大きなことであった。初の狩猟で、初めてモンスターの部位破壊を成功させた。それは、今後大きな自信となっていくに違いない。

 同時にクレアの気持ちがこれまでになく高ぶっていく。

 だが、そんな興奮した状態の中で、クレアはアオアシラの異変に気が付いた。口からは白い息を吐き出し、まるで殺意に似たような雰囲気を覚えた。クレアは直前からは一転し総毛立った。

「な、何、これ!?」

「奴が怒ったんだ。……来るぞ!」

 困惑しているクレアにヴァイスが警告する。

 アオアシラは後脚で立ち上がり、怒りに満ちた鋭い眼光でこちらを睨み付ける。

「ガアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァッ!」

 この咆哮にもアオアシラの怒りという強い感情が乗り移っている。今まで以上の気迫を見せるアオアシラにクレアは先程までの平常心を保てなくなる。

 クレアの頭の中でも警戒信号がけたたましく鳴り響いている。近寄って来たアオアシラに対し、咄嗟にガードの体勢に入り衝撃に備える。

 アオアシラが振りかぶっていた腕を振り下ろす。だがそれは、今までとは比べ物にならない速さで振り下ろされ、目の前の空間を引き裂いた。

 段違いなのは速度だけではない。その威力も今までの比ではなかった。盾で受け止め衝撃を和らげたのにも関わらず激しい衝撃がクレアを襲う。衝撃を完全に殺しきれなかったクレアの身体は大きく後退させられてしまう。クレアも必死でつま先に力を籠め負けじと踏ん張るが、その行動も虚しく土を抉るだけに過ぎなかった。それほど、怒り状態となったアオアシラの破壊力は飛躍的に向上しているのだ。

「なんて威力……っ!」

 ようやく踏み止まったクレアがガードを解く。

 既にヴァイスがアオアシラに肉薄し気を惹き付けてくれている。クレアは背中を向けているアオアシラに接近し、無防備となっている臀部に向かってユクモノ鉈を振り上げた。

 しかし、アオアシラはその動きを見抜いていたかのような行動を取る。その場で身体の向きだけを変え、クレアには臀部を曝け出さぬようにする。狙いが逸れ、加えてユクモノ鉈は砕けた腕甲を斬りつけてしまう。当然ユクモノ鉈の刃は通らず弾き返される。

 クレアが体勢を崩したところにアオアシラが畳みかける。

 先ほど同様、アオアシラが腕を振り上げる。何とか身体の自由が戻ったクレアも、ほぼ反射的に盾を顔の前に覆い被せるように突き出そうとした。だが、アオアシラの方が一歩早くクレアを捕らえた。クレアの身体はいとも簡単に吹き飛ばされ地面を転がった。

「くそっ……!」

 ヴァイスは立ち位置を変え、アオアシラの真正面――倒れたクレアとの間に割り込むような位置で斬撃を繰り出した。さしものアオアシラも、ヴァイスの裂帛を帯びた斬撃の前には後退せざるを得なかった。

 何とか立ち上がったクレアは痛む身体に鞭を打ってアオアシラから更に距離を取る。アオアシラがヴァイスに気を取られている間に、ポーチから取り出した応急薬で体力を回復する。一本では足りずにもう一本。これでようやく身体が楽になってきた。

 空になった瓶をポーチにしまいつつ、クレアはヴァイスとアオアシラ、その両者の様子を窺った。

 アオアシラは相変わらず怒り狂った様子でヴァイスにがむしゃらに攻撃を仕掛けていく。しかしヴァイスは、そのアオアシラの様相を冷やかな目で見ているようだった。がむしゃらに動いているだけでは俺を捉えることはできない、そのような雰囲気である。

 アオアシラはヴァイス以外は眼中に無いようであった。それはクレアにとって絶好の好機である。クレアはアオアシラに悟られないよう背後から接近していく。その様子を確認したヴァイスが、巧みにアオアシラを惹き付け続ける。

 そして、間合いに入る直前、クレアは思いっきり地面を蹴った。空中に飛び上がり、その一撃を自身の体重に乗せて放つ。クレアの狙い通り、ユクモノ鉈の一撃はアオアシラの臀部を引き裂いた。

 クレアの存在を忘れていたアオアシラは戸惑いを見せる。ヴァイスとクレアのどちらを狙うか迷った挙句、ヴァイスを眼中から振り払おうとした。

 だが、ヴァイスは既にアオアシラの視界から消えていた。動きを躊躇った一瞬の隙を逃さず、ヴァイスはアオアシラの背後に回り込んだのだ。

 ヴァイスがどこに行ったのかアオアシラが確認していていると臀部に鋭い斬撃が放たれる。アオアシラの背後を取ったヴァイスが飛竜刀【椿】を抜き放ち斬撃を繰り出しているのだ。

 クレアもヴァイスに続く。同じくクレアも臀部に向かってユクモノ鉈を振るう。

「ガアアアアァァァァァァァァッ!?」

 方向転換しようとしていたアオアシラが悲鳴を上げる。二人が繰り出す斬撃の数々にアオアシラも太刀打ちできないようだ。だが、アオアシラは尚も諦めようとはせずヴァイスたちに挑みかかって来る。

 怒りに任せてアオアシラが正面に捉えたヴァイスを引き裂こうとする。だが、ヴァイスも事前に斬り下がって後退していたため回避は容易だった。アオアシラは再度ヴァイスを捕らえようと動く。

 クレアは再びアオアシラの背後に回り、臀部に向かって斬撃を放った。この動きはヴァイスに対する援護である。ヴァイスはその場をクレアに任せ一旦後退し体勢を整えようとする。そしてアオアシラの関心がクレアに映った瞬間、ヴァイスが再度アオアシラに肉薄した。

 クレアは反転したアオアシラの腹にユクモノ鉈を捻じ込むような形で斬り上げ、斬り下ろした。そして、アオアシラが攻撃する素振りを見せるとすぐにガード体勢を取る。アオアシラは三度、その腕をぶん回しクレアを引っ掻こうとする。ブン、ブンと風を切って薙いだ鉤爪は盾に阻まれクレアを捉えるまでには至らない。

 クレアもスタミナが辛くなってきた。アオアシラの攻撃を三度連続で受け止めるとなると、スタミナの消耗は無視できない。一旦後退し体勢を整えようとした時、クレアと入れ替わるようにヴァイスが斬り込んだ。

 上段から斬りつけ、突き、斬り上げる。ヴァイスが放った斬撃は全て命中しアオアシラを追い込んでいく。

「……あと、少し!」

 アオアシラの体力は残り僅かだとクレアは悟った。

 スタミナが回復したクレアは大胆に動く。アオアシラとの距離を一気に縮め、厳しかったこの狩猟に終止符を打つためユクモノ鉈を振り上げた。

 ジャンプしてから斬りつけ、そこから斬り上げ、斬り下ろし、水平斬りへと繋げる。だが、まだクレアは動きを止めようとしない。そのままユクモノ鉈を斬り返し、クレアの身体を軸に渾身の力を込めて回転斬りを繰り出した。

「はああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 クレアの雄たけびからは、その狩猟を決めにかかる意志の強さが確かに伝わってきた。その想いを乗せた一撃が、アオアシラに一閃した。

「ガアアアアァァァァァァァァッ……」

 力無くアオアシラが声を上げる。そして、その巨体が遂に揺らいだ。

「やった!?」

 その瞬間、クレアは確信した。

 終わった。長かった狩猟がようやく終わったのだ、と。

 

 ――だが、アオアシラは、クレアの予想を遥かに超える存在であった。

 

「クレア、まだだ!」

 突然聞こえてきたヴァイスの声。その声に我に返ったときには既に遅かった。一瞬の気の緩みが、全ての決定打だった。

「クレア、退け!」

 聞こえてくるヴァイスの警告。だが、クレアは動くことができなかった。突然の出来事で、クレアの頭の中は真っ白になっていたのだ。

 体勢を立て直したアオアシラが腕を振り下ろす。クレアはアオアシラの鉤爪の一撃をまともに喰らってしまい吹っ飛ばされる。受け身も取れず背中から地面に叩きつけられた。

 クレアは確かに確信していた。目の前のアオアシラから力が失われていくのを。もう二度と起き上ってくることは無いのだと。そう確信していた。そのはずだった。

 だが、アオアシラは地に足を着いて立っている。クレアの前に依然として立ち塞がっている。

 それは、モンスターの生きることに対する漠然とした執念であった。それをまざまざと見せつけられたクレアの意識は遠退いていく。

「し、しょう……」

 意識が失われる寸前、クレアは無意識にそう呟いていた。どうしてそう呟いたのか。頭が理解する以前に、クレアの意識は失われた。

 

 

 

 遠くに聞こえてくる沢の音。風が木々を揺らす音。何気ない物音のはずなのに、それらに安らぎを覚えている自分がいる。

「……」

 しかし、そんな中でも目に浮かんでくるのは自分が子供だった頃の姿。憧れの人に追いつくため、必死に努力していた自分の姿が浮かんでくる。

「――クレア……」

 そんな中、自分を呼ぶ声がうっすらと聞こえてきた。

 私の名前を呼ぶのは一体誰?

 そう疑問に思っていると、目の前の景色が一転する。

 ああ、あの時。狩場の真ん中で途方に暮れていたあの時。自分に手を差し伸べてくれたあの人の姿だ。だが、その姿は霧に紛れていくようにぼんやりとしている。そう、まるで夢を見ているかのような感覚だった。

「――クレア……!」

 自分の名がもう一度呼ばれたとき、徐々に意識が浮上していくのが分かった。

 視界が暗転してからしばらくして、ぼんやりと目蓋を持ち上げてみる。未だピントの合わない視界の中、自分が渓流にいるのだとようやく理解する。そして、徐々にクレアの思考回路も回復していく。

 はっとなって身体を持ち上げたとき、そこにはヴァイスの姿があった。

「無事か……」

 安堵したようにヴァイスが溜め息する。

 クレアはヴァイスのこのような表情を初めて目撃した。その時、クレアはヴァイスが安堵した理由を理解した。途端に頭の中が真っ白になっていく。

 また、やってしまった。またもやヴァイスの足手まといとなってしまった。

 失敗を次に生かせ、とは言われたものの、クレアは同じ失敗を二度も冒してしまったのだ。クレアにしてみれば悔しい気持ちで一杯だ。いや、それ以上にヴァイスの足を再び引っ張る形になってしまった事実は否めない。それも、自身の気の緩みが原因という最悪の結果だ。クレアの頭は空っぽになる。

「し、師匠。す、すいません! 私が気を緩めたからまた師匠の足を引っ張ってしまって……。だ、だから――!」

 ただ夢中に、クレアはヴァイスに詫びようとした。

 だが、ヴァイスはクレアの言葉を遮って彼女の被る笠に手を置く。突然の出来事にクレアも言葉を失ってしまう。

「いいから、気にするな。言っただろう? 失敗は誰にでもあると」

「……」

 クレアは言葉を出せない。これからヴァイスに何を言われるか不安であったというのも要因の一つだが、それ以上に申し訳無さで一杯のクレアはヴァイスに言葉を返すことができなかったのだ。

「今回はお前にとって初めての狩猟だった。そして、その相手はアオアシラだった。アオアシラを相手取るには相当苦労するだろうと考えていたが、想像以上の動きを見せてもらった」

 ヴァイスが笠から手を離し、クレアと視線を合わせるためにしゃがみ込んだ。そして、彼女の肩を優しく叩く。

「……今回はよくやった。辛かっただろうが、初めてにしては上出来だ。もう、十分だ」

 その瞬間、クレアの身体から力が抜け落ちる。そして、今までの心苦しさが嘘のように消え失せていく。

 クレアはヴァイスに叱られるのを覚悟していた。だが当のヴァイスはクレアを叱ることなく、むしろ彼女を褒め称えた。

「師匠……」

 僅かに涙ぐみながらクレアがそう言う。泣くつもりなどなかった。だが、どうしてだろう。ただ自然と涙が流れてきてしまうのだ。

「泣くのはまだ早いぞ。泣くなら、せめてこの狩猟が終わってからだ」

 ヴァイスはそう言って僅かに口元を緩め立ち上がる。そして、クレアに右手を差し伸べる。クレアは涙を拭うと、その手をしっかりと掴み地面に立ち上がった。

「アオアシラはエリア9に逃がした。後は俺に任せてくれ」

 静かな口調でヴァイスが言う。だがその言葉の裏にはヴァイスの強い意志が込められているのをクレアは感じた。

 ヴァイスはクレアの体力が回復するのを待ってエリア9へと移動を開始した。

 ヴァイスが事前にペイントボールを再び投擲していたのだろう。エリア9の方向からは強いペイントの臭気が風に乗って漂っている。

 ヴァイスたちがエリア9に足を踏み入れた時、アオアシラは地面に座り込んでいた。近くにあるハチミツを貪っている様子だ。

「クレアはここにいてくれ」

 ヴァイスの言葉にクレアは無言で頷き、彼の後姿を見送る。

 アオアシラはヴァイスの存在には気が付かず尚もハチミツを貪っている。ヴァイスはこの好機を生かし、背後から一気に接近し飛竜刀【椿】を一閃した。

 驚いたアオアシラが手に持っていた蜂の巣を投げ飛ばす。そしてすぐさまヴァイスに向き直り、鉤爪でもって引き裂こうとする。

 しかし、ヴァイスは危なげなく回避し再び斬撃を繰り出す。クレアの目にもアオアシラの動きは今までになく緩慢に見えた。

「そうか。アオアシラは疲労しているんだ」

 先ほど怒った際にアオアシラも多大な体力を消費したのだろう。口からは涎を垂らし、身体も思うように動かせない様子である。

 ヴァイスはアオアシラの突進を回避する。アオアシラも急停止しようとするが、疲労したアオアシラは身体の自由が利かない。平坦な場所で足を絡ませ地面に倒れ込んでしまう。

 倒れもがいているアオアシラの臀部にヴァイスが飛竜刀【椿】を斬りつける。基本の型で斬撃を繰り出し、気を溜めていく。

「ガアアアアァァァァァァァァッ!?」

 アオアシラが苦痛の叫びを上げる。

 ヴァイスはここが勝負時だと踏んだ。溜め込んだ気を飛竜刀【椿】の刀身を伝って放出する。

 半円を描くように一閃し、直後に逆回転の一撃を叩き込む。切っ先で二度斬りつけ、上段に飛竜刀【椿】を振り上げた。ヴァイスの裂帛の気を帯びた斬撃――気刃斬りが繰り出される。

 だが、ヴァイスの動きは止まらない。

 もう一撃。そう、新たに取得した必殺の一撃をヴァイスは叩き込むつもりなのだ。

 身体を捻るように体勢を低くし、大上段から振り下ろした飛竜刀【椿】を再び構える。そして、自らの身体を軸として飛竜刀【椿】を横一文字に振り抜いた。その一撃はヴァイスの前方を広範囲に一刀両断し、アオアシラの臀部に銀色の軌跡が走った。

 ――気刃大回転斬り。それこそがこの斬撃の、太刀使いの用いる究極の一撃であり、ヴァイスが新たに習得した切り札だった。

 アオアシラに気刃大回転斬りを避ける余裕は無かった。その一撃を喰らったアオアシラの身体からは力が抜け、地面に崩れ落ちる。今度こそ、アオアシラが立ち上がってくることは二度となかった。

 白銀に輝く飛竜刀【椿】を鞘に納め、ヴァイスが短く息を吐き出す。そこから読み取れるのは「終わったな」というヴァイスの思考だった。

 だが、クレアはそんなことはどうでもよかった。

 ヴァイスの太刀捌きを改めて目の当たりにしたクレアは愕然とした。

 クレアが気刃斬り、気刃大回転斬りを目の当たりにしたのは、これが初めての事ではない。だが、ヴァイスが繰り出したその斬撃は、クレアに大きな衝撃を与えた。

 太刀使いではないクレアでも理解できた。ヴァイスの斬撃は優美だった。そして、絶大な威力を誇っていた。ギルドナイトとして培ってきた知識にヴァイスの技量が上乗せされた太刀捌きは、それこそ完成形と言っても過言ではないだろう。とても彼が初めてあの一撃を繰り出したとは思えない。

「さて、早いところ剥ぎ取りを済ませるぞ」

 ヴァイスに促されクレアはアオアシラから剥ぎ取りを行う。

 クレアの頭には、ヴァイスの太刀捌きが新鮮に焼き付けられている。その光景を思い返すだけで鳥肌が立ってきそうになる。

 クレアは改めて理解した。師匠は――ヴァイスという人物は本当に凄い人なのだ、と。

 それから拠点に戻ると、二人は持ち込んだ道具の片付けを行った。そうこうしているうちに、日が徐々に傾き始めてくる。

 片づけをしている最中、ヴァイスは地平線の彼方に沈み行く夕日を眺めていた。

「とても綺麗ですよね」

「そうだな」

 ヴァイスの隣に、一通りの片付けを終えたクレアもやって来た。

 二人はそれからしばらく、何も話すことなく夕日を眺めていた。辺りは静寂していたが、二人はそれを不快には思わなかった。

「師匠」

 辺りも暗くなってきた所でクレアが口を開いた。

 ヴァイスがそちらに顔を向けると、そこには笑みを浮かべた――しかし熱意の籠った視線を向けてくるクレアの姿があった。

「私、これから頑張って行きます! だから、師匠。これからもよろしくお願いします!」

 力強く言い切ったクレアは頭を下げる。その様子を見たヴァイスもまた、口元を僅かに緩める。

「ああ。しっかり付いてこいよ」

「はいっ!」

 クレアは顔を上げ、快活な笑みを浮かべて見せる。

 そんなクレアの横顔を、温かい夕日の日差しが照らし出していた。



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EPISODE15 ~宿屋の看板娘~

 無事にアオアシラの狩猟を終えた二人は、数日をかけてユクモ村へと帰還した。二人が村に到着した頃には、既に日が傾き始めていた。

「ヴァイスさん、クレアさん。お疲れ様でした!」

 カウンターで手続きを済ませ、受付嬢から二人分の素材と報酬金をそれぞれ受け取る。

 ヴァイスは報酬金が入った麻袋のうちの一つをクレアに渡す。ヴァイスにしてみれば、この程度の報酬は今でこそ簡単に集められる。だが、クレアにしてみれば、これは大きな報酬なのだ。

 加えてこの報酬の他にも、狩猟中に入手したジャギィやアオアシラの素材、鉱石などもある。今回は上々の収穫と言っていいだろう。

「師匠、今回はお疲れ様でした。また次回も、よろしくお願いします!」

「ああ、お疲れ。次も期待しているからな」

「はいっ!」

 今回の狩猟で、このクレアという新人ハンターには強い意志があるのだとヴァイスは理解した。次の狩猟でも苦戦を強いられることになるだろうが、再び粘り強い執念と意志を見せて欲しいとヴァイスは密かに思っていた。

「さて、その次回の狩猟についてだが……」

 そうして言いかけた言葉をヴァイスは途中で静止した。

 集会浴場にある人物たちがやって来た。いや、正確に言うならば三人のハンターと、二匹のアイルーだ。別にそれだけならヴァイスも必要以上に気に留めることはない。だが、その内の一人の女性がこちらに向かって来ているためにヴァイスは言葉を止めたのだ。

 その女性が纏っているのはクレアと同じ、ユクモノシリーズ。否、見た目はそれこそユクモノシリーズと変わらない。だが、それを纏うこの女性から感じられる雰囲気から察するに、この防具はユクモノシリーズの一つ上――ユクモノ(てん)シリーズというものだろう。

 そして、彼女の武器はヴァイスと同じく太刀。その太刀の外見もユクモノ太刀とは違いないが、これも新人ハンターの使うそれとは一味も二味も違う。その太刀の銘を霊刀(れいとう)ユクモ・真打(しんうち)という。

「シュット先生、こんにちは!」

 クレアが女性を見るや否や突然頭を下げた。するとクレアの様子を見たシュットと呼ばれた女性が満足げに頷いた。

「ああ、久々だね。その様子だと、どうやら初陣は無事に成功したようだね。おめでとう」

 そうして女性――シュットがクレアと握手を交わす。

 しかし、ヴァイスには目の前の状況が把握できていない。すると、シュットは改めてヴァイスの方に向き直って口を開いた。

「あなたがヴァイス、……でいいかな?」

「ああ、俺がヴァイス……、ヴァイス・ライオネルだ。しかし、どうして俺の名前を?」

 ヴァイスは至極当然の疑問を口にした。シュットはヴァイスの問いかけに肩を竦めて答える。

「何でも、この村に凄腕のギルドナイトが専属ハンターとして配属される……。そんな噂を耳にしていたからね。そこでヴァイスの名を聞いたわけだよ」

 ヴァイスもそれを聞いて納得する。

 そんな中、ヴァイスの隣にいたクレアが思い出したように突然口を開いた。

「師匠。この人は、私が訓練所で研修を受けていた時に教官役を務めていたシュットさんです」

「自己紹介が遅れたね。改めて、私がシュットだ。クレアの言う通り、以前はここの訓練所の教官を務めさせてもらっていたよ」

 それを聞くとクレアがシュットのことを「先生」と呼んだ理由も理解できる。

 そこまで聞いて、ヴァイスは改めて、シュットの後方にいる二人のハンターの存在に興味を示した。

「そうすると、後の二人も教え子という訳か?」

「いや、彼らは教え子と言うよりかは愛弟子と言った方がいいかな。ともかく、紹介しようか」

 シュットが後方にいた二人を手招きする。

 今一度その二人の姿を確認してみる。二人ともまだ若い。おそらく、ヴァイスよりも二つ三つ年下くらいの年齢だと推測できる。

「リリーとハリスだ。先程も言った通り、私の一番の愛弟子たちなんだ」

 二人が揃って頭を下げる。そのうちの一人――リリーと呼ばれた少女がクレアに駆け寄る。

「クレア、久しぶり! 元気にしてた?」

「はい! リリーさんもお久しぶりです!」

 クレアはリリーとの面識もあるらしい。クレアがリリーに敬語を使って話しているところを見る限り、リリーの方がクレアよりも年上らしい。

 この二人とクレアが親しい仲ならば、残りの一人――ハリスとも親しいと思ったのだが……。

「何だよ。オレのことは無視かよ」

「本当に久しぶりですね、ハリスさん」

 妙に“本当”という単語を強調してクレアが言う。彼女は笑みを浮かべていたが、その笑みもどこか引きつっているようにも見える。

「嫌味ったらしい挨拶をどうもありがとう」

 と、ハリスの方も皮肉を皮肉で返す。

 ヴァイスは、チラリとシュットの方へ視線をやる。その視線に気が付いたシュットは呆れたように肩を竦めた。

 どうやら、クレアとハリスの仲は決して良いとは言い難い様子である。シュットの様子を見る限り、これが数日間だけの話ではなかったことが窺える。

「確か、ハリスさんは私には興味無いとか言ってましたよね? それなら、私に突っかからなくてもいいと思うんですけど」

「あぁ。俺も子供みたいなお前には興味ないさ」

「な、なっ!? そこ鼻で笑うところですか!?」

「おっと、悪い。そのつもりはなかったんだが……」

 互いに煽り合い、二人の言い争いが激化していく。

 顔立ちこそ、ハリスは整っていると思う。だが、こうして二人の言い争いを外野から聞いていると、意外と口が悪いのかもしれない。

「先生やリリーさんは良い人なのに、それに比べてハリスさんは……」

 一方のクレアも、ハリスをまるで残念な人だとでも言いたげな口調になる。そんな彼女の言葉を受けて、ハリスが初めて悔しそうな表情を浮かべた。

「くっ、お前にオレの何が分かるって言うんだ! 俺は強い……! 誰よりも強いんだ!」

 この言葉を聞いて、ヴァイスにはハリスという少年がどんな人物なのか分かったような気がした。

 それもそうである。まるで、過去の自分に瓜二つなのだから。シュットやリリーという存在がいるからこそ、ハリスはこのような感情を――それこそ焦りに近いものを抱いているのかもしれない。

「さて、二人とも。そこまでだよ」

 シュットがタイミングを見計らって二人の間に制止に入る。ヴァイスもそれに乗じ、さっさとクレアを回収した。

「ところで、三人ともどうしたんだ? 装いを見る限りだと、これから狩猟に向かうのか?」

 三人の装いを改めて眺めてみてヴァイスは口を開いた。

 リリーはブラッドクロスという毒属性を持つ太刀に、身軽さを追求して作られたナルガシリーズを纏っている。

 ハリスが使用する武器はスラッシュアックスと呼ばれる特殊な武器だ。竜姫(りゅうき)剣斧(けんぷ)と呼ばれるその武器はリオレイアの素材を元に作られる。防具はディアブロシリーズで、リリーとは一転、如何にも重装備と言った形だ。

「実は、ある人から手紙をもらって村を出て行こうか迷っていてね。そうしたら、丁度そこにヴァイスが来るということを耳に挟んだんだ。だから、これで心置きなく村を出て行けると思って、私の愛弟子と一緒に行こうとしていたわけなんだ」

「その口ぶりだと、俺が教官役を引き継ぐみたいな感じなんだが?」

「それに関しては心配無用だよ。既に代わりが来ているからね」

「なるほど」

 さすがのヴァイスでも、今の状態で教官役まで引き受けることは不可能だ。代わりの教官を呼んでくれた方がヴァイスとしては大いに嬉しい。

 だが、そこまで考えて、ヴァイスは疑問を抱く。

「教官役を代わりを呼んでおいて、俺がこの村に来ることを理由に村を出ていくのか?」

 シュットが教官の代わりを呼んだというならば、それで心置きなく村を発つことができるはずだ。だが、彼女はヴァイスが来ること耳にして、村を発つ決意をした。

 普通に考えれば、そこにヴァイスがユクモ村に来る来ないかは関係が無いように思える。

「最近、この辺りでもモンスターの出現頻度が上昇したのはヴァイスも知っていると思う。それを考えると、頼れる人が村に居てくれた方がいいと思ってね。この村は、専属ハンターの少なさに悩まされていることだから、尚更の事だよ」

「ああ、そういうことか。俺の方も、どうやら考えが浅かったらしい」

 悪いな、とヴァイスは肩を竦めつつもシュットに理解を示す。

 この村が専属ハンターが少ないことで悩まされていることは承知している。だからこそ、こうしてヴァイスがこの村に派遣されることになった。シュットは教官であると同時に、この村の数少ない専属ハンターだったのだ。その自分が村を離れるとなれば、彼女の考えも納得できる。

 考えてみれば、単純かつ簡単なことだった。

「私は、ヴァイスのように凄いハンターじゃない。既に前線を離れてから時間も経ってしまった……」

 囁くようにシュットは言う。だが、そんな彼女の様子も、ヴァイスには謙遜しているように見えた。

「……シュット=ドゥフードゥル=サンダーボルト。かつて『落雷』と呼ばれた凄腕太刀使い。俺もギルドナイトである前に太刀使いだ。同じ太刀使いの名前くらい、簡単に覚えられる。ましてや、名の知れた奴の名なんて尚更さ」

 ヴァイスの口にした言葉に外野が、啀み合っていたクレアとハリスさえもが食い付いた。

 二つ名を持つハンターとなれば、その大半が実力者であると容易に認識できる。無論、シュットとて例外ではないはずだ。

 自分の尊敬する人、あるいは教官が名の知れたハンターだということを理解し、改めてシュットという人物が凄い人だと認識したのだろう。三人は――特にリリーは嬉しそうな表情でもある。彼女の様子を見ると、どうやら彼女はその異名を耳にしたことがあるように思える。

「……じゃあ、後を頼むよ」

 照れ隠しにそう言い残し、シュットたちは村を発って行った。

 クレアが最後に「またいつか帰ってきて下さい」と言った時、シュットもまた無言で頷いた。また、必ず帰って来ると。

「落雷、か……」

 彼女の二つ名の意味を、ヴァイスは噛み締める。

 シュットは一度もこちらを振り向くことはなかった。その背中が勇ましくもあり、どこか悲しげなものにもヴァイスは思えてしまった。

 

 

 

「行っちゃいましたね……」

「またいつか帰って来るさ。シュット自身も、お前の言葉にそう答えていただろう?」

「そうですね。またいつか、帰って来る……」

 シュットたちが村を出ていく理由は定かではないが、彼女は旅先の村でも多忙な日々を送ることだろう。ユクモ村に再び帰って来るまでは長い年月が経つかもしれないが、それでも彼女はまたユクモ村に戻って来るだろう。

 ヴァイスには、シュットという人物がそんな風に思えたのだ。

「クレア、お前は先に帰ってくれてもいいぞ。俺は爺さんと話がしたいんだ」

「いえ、外で待ってますよ。いいですよね?」

「別に構わないが、俺を待ってどうするんだ?」

 ヴァイスが疑問に思っていると、当のクレアは嬉しそうな表情で「付いて来てほしい場所があるんです」と言う。クレアはそれだけを言い残すと、相変わらず上機嫌で集会浴場を後にした。

 クレアを見送ったヴァイスは改めてギルドカウンターへと向かった。今日は珍しく、酒仙であるギルドマネージャーが酒を呷っている光景は見られなかった。

「よう。狩猟が成功したようで何よりだ。王立書士隊の奴らも喜ぶだろうぜ」

 ひょっ、ひょっ、と大仰に笑いながらギルドマネージャーは言った。

「どうだ? クレアと共に狩猟に出た感想は?」

「なかなか粘り強い信念の持ち主だとは思いました。まさか、あそこまで真っ直ぐな性格だとは正直思いませんでしたよ」

 ヴァイスが苦笑いを浮かべるのとは対照的に、ギルドマネージャーは尚も高らかに笑い声を上げる。

「ひょっ、ひょっ、ひょっ。そいつは楽しみなことだぜ!」

 ギルドマネージャーは「これからも期待しているぜ」とやや乱暴にヴァイスの肩を叩いた。

 クレアを一人前のハンターに導くのは無論のこと、ヴァイスにはギルドナイトとしての任務がある。その両方に、ギルドマネージャーが望む期待に応えてみせる。ヴァイスは自然と、そんな強い想いを抱いていた。

「ところでチミ。一つ、ある用事を頼まれてくれないか?」

「用事ですか?」

 ヴァイスが聞き返すと、ギルドマネージャーは「うむ」と頷き、懐から一枚の便箋を取り出した。

「チミには、この便箋を届けてほしいのさ。紅葉(もみじ)荘という村一番の宿屋の店主宛てなんだが、アタシは少し忙しくなるから時間がないのさ」

「分かりました。構いませんよ」

 ヴァイスは嫌な顔を一つせず、ギルドマネージャーから便箋を受け取った。

 いくら飄々とした爺さんだとはいえ、仮にもギルドマネージャーを務めているような人だ。ヴァイスよりも忙しことも少なくはないだろう。

 それに、届け先は村内だ。五分もかからずに届けられることだろう。ヴァイスが断る理由は無かった。

「いやぁ、すまないなぁ。紅葉荘の場所は分かるか?」

「ええ、大体は」

「そうか。それじゃあ、よろしく頼むぜ」

 ヴァイスは軽く会釈し、集会浴場を後にする。

 外に出ると、近くに設置された横長の木製椅子に腰を下ろしているクレアの姿が目に入った。

「悪いな。こんな所で待たせて」

「いえ、全然大丈夫ですよ。それよりも師匠」

「付いて来てほしい場所がある、だったか?」

 ヴァイスが確認すると、クレアは嬉しそうに頷いた。

 クレアは椅子から立ち上がると、足早に石段を降りて行った。ヴァイスも付いていかないわけにはいかず、クレアの後を追いかけた。

 しばらくしてやって来たのは、露店が立ち並ぶ広場だ。クレアはそのうちの工房に向かって行く。それを見たヴァイスが「なるほどな」と理解したように呟いた。

 ハンターにとって、武器とは欠かすことの出来ない狩猟道具の一つだ。愛用の武器を強化する際、ほとんどのハンターは胸の高鳴りを感じるに違いない。

 新たな武器の性能を確かめてみたいという気持ち。早く狩猟に向かいたいという気持ち。抱く思いは人それぞれである。

 そして、武器の強化というものは、クレアのような新人ハンターにとって大きな一歩である。武器の強化を行うということは、それだけ自分が力を付けた証であり、また自分がどれだけ努力したのかという証明にもなる。クレアが上機嫌になるのは無理もない。

「おう、クレアか。いよいよ、お前さんの片手剣も強化させる時が来たのか」

 槌を振るっていた小柄な爺さんが感慨深そうに言う。

「はい! それで、私のユクモノ鉈をソルジャーダガーに強化したいんです」

「よし、ソルジャーダガーだな? 三日ほど掛かるが構わないか?」

「はい、お願いします!」

 強化に必要な素材とゼニーを爺さんに渡し、そしてユクモノ鉈も共に預ける。

 助手が素材とゼニーを確かに確認すると、工房裏にユクモノ鉈が運ばれていった。次にここを訪れるのは三日後。その時には、クレアの新たな武器が仕上がっていることだろう。

「いやぁ、楽しみです!」

 工房を後にしたクレアが笑顔を浮かべながら言う。ちなみに、ヴァイスが寄る所があると言ったところ、クレアも付いていくと言いだし今に至るわけだ。

「そんなに喜ぶことか?」

 ヴァイスが苦笑いしながら訪ねると、クレアは「当然ですよ!」と即答した。

 まあ、当の本人が嬉しいと言っていることだ。ヴァイスが首を突っ込むところではないだろう。

「ところで、師匠はギルドマネージャーから何か用事を引き受けたんですよね?」

「ああ。この便箋を届けてほしいということらしいんだが」

 そうしてヴァイスたちは石段を降りていく。

 そして、村の入り口にある赤い鳥居が見えてきたところでヴァイスは視線を左横に向けた。そこには“紅葉亭”と書かれた赤い暖簾が吊り下げられている建物が目に入った。

「師匠。もしかして、その手紙の届け先って……」

「爺さん曰く、この紅葉荘という宿屋らしい」

 ヴァイスは便箋の宛名を見ながら言う。

 実際、ヴァイスはこの時気が付いていなかった。クレアが今までの嬉々とした雰囲気から一転、嫌悪に満ちた表情をしていたということを。

 暖簾を潜り、宿屋の扉を開ける。

 中に足を踏み入れてみると、そこは落ちついた雰囲気の宿屋だった。内装も落ち着いた紅葉色に統一され、村の雰囲気に実に合っている。

「少しお待ちください。今向かいますね~」

 扉を開ける音が奥にも聞こえたのだろう。若い女性の声がカウンターの向こうから聞こえてきた。

 しばらくして現れたのは、女性と言うよりは少女だった。茶色がかった黒髪を後ろで一つに結っている。服装は村人のそれとほとんど変わらないが、宿屋に務めていることもあるのか若干見た目が違う。

「こんにちは。宿屋紅葉荘にようこそ。お泊りですか?」

「いや、そういうわけではないんだ。ギルドマネージャーから手紙を預かっていて、それを届けに来たんだ」

「あぁ、そうだったんですね。わざわざありがとうございます」

 ヴァイスが便箋を渡すと、少女が律儀に頭を下げた。見た目から察するにクレアとほぼ変わらない位の年齢だろうが、宿屋で接客をしているだけあって丁寧かつ礼儀正しい所作を身に着けている様子だった。

「ところで、あなたはハンターですよね。この村には、どういった経緯で来たんですか?」

 少女が興味ありげに尋ねてくる。

 この宿屋にはハンターも多く宿泊するのだろう。そのハンターたちの話す武勇伝などにこの少女が興味を示しているとすれば、ヴァイスからも話を聞きたいと思っているのかもしれない。

「俺はギルドの任務でこの村にやって来たんだ。この村の専属ハンターになることも兼ねてな」

 ヴァイスは事の経緯を簡単に話す。すると、少女が納得したかのように手を叩いた。

「なるほど。では、あなたがヴァイスさんですね?」

「知っているのか?」

「ええ、お父さんから聞きました。この村に、ギルドから専属ハンターが配属されると」

 少女曰く、村人たちにもヴァイスがやって来るということは知れ渡っていたらしい。

 この村は、専属ハンターが少ない。だからこそ、ギルドから派遣されることになったヴァイスに村人たちも期待を寄せているに違いない。

「じゃあ、知っているだろうが改めて。ヴァイス・ライオネルだ。ギルドナイトの任務でこの村にやって来た。しばらく長居することになるだろうし、これから世話になると思う。よろしく頼むな」

「私はレーナ・セレナーデと言います。こうして、この紅葉荘で宿主である父の手伝いをしています」

「そうらしいな。それじゃあ、俺もここに屯していると仕事の邪魔だな。帰らせてもらうよ」

 ばつが悪そうにヴァイスが言う。

 紅葉荘も、この時間帯では営業しているようだ。見たところ繁盛している様子のため、宿泊客がやって来るのは時間の問題だろう。そこでヴァイスがレーナと話していては、彼女の仕事の邪魔になるだけである。

「いえいえ、大丈夫ですよ。手紙を届けてもらったわけですし。何かお礼をしたいんですけど、また今度紅葉荘に来てください。と言っても、私には料理を振る舞うとかそれくらいのことしか出来ないんですけどね」

「いや、むしろその気持ちだけでも十分だ。……だが、時間が空いたらまた来させてもらうよ」

「ええ。楽しみにしていますね。その時には、ギルドナイトのお仕事のこともぜひ聞かせてくださいね」

 レーナが笑顔に見送られ、ヴァイスは紅葉荘から表に出た。すると、何とも嫌そうな表情をしたクレアがヴァイスを待っていた。

「ど、どうしたんだ?」

 先程までとは打って変わったクレアの雰囲気に若干気圧されながらヴァイスが尋ねてみる。クレアは「別に、何でもないです……」と、途轍もなく不機嫌そうに言う。何でもないとは言うものの、この様子を見る限り何でもないということはないだろう。

 思い返してみても、クレアが不機嫌になる理由が見当たらない。別にヴァイスが、彼女の気に障ることを言ったわけでもないのだから。

 ヴァイスは思わず溜め息を吐く。そして、背中から感じる重いオーラの発生源からはあえて気を逸らして歩き始めた。

 その後もクレアの機嫌が戻ることはなく、ヴァイスは変な疲れを感じながら一日を終えることとなった。



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EPISODE16 ~クレアの料理特訓~

 翌日、ヴァイスは面倒そうな表情をしながら歩を進めていた。

 昨日クレアと別れた時、彼女は未だに不機嫌な様子だった。

 理由も分からぬまま不機嫌でいられては、ヴァイスとしても気にしないわけにもいかなかった。加えて、次回の狩猟の事もある。余計なお節介だと自分でも理解しつつも、ヴァイスはクレアを訪ねようとしていたのだ。

 頭の中で色々な事を考えると、いつの間にかクレアの住む家が見えてきた。

 クレアが子供の頃から変わらず、彼女の両親は今も行商人として世界を旅しているのだという。単身ユクモ村にやって来たのは、この村の訓練所でハンターの知識を学ぶためだという内容の話も、先日渓流からの帰路の途中で聞いたことだった。

 外観はヴァイスの過ごしている借家と変わりない、普通に一人暮らしするならば大きすぎる建物だった。

「クレア、俺だ。いるか?」

 扉をノックし、ヴァイスは声を出してみる。だが、しばらく経っても返事はない。

 太陽はもう高くまで昇っているとはいえ、まだ寝ているかと諦め踵を返そうとした。だが、ヴァイスはその足を突然止めた。

 焦げ臭い。いや、ただ焦げ臭いだけならヴァイスも気に留めたりはしない。だが、その臭いはヴァイスの後方、クレアの家から臭ってきていた。

 まさかとは思いながら、ヴァイスは改めて扉をノックする。案の定、今回も返事はない。だが取っ手を引いてみると、その扉はいとも簡単に開いてしまった。途端、今しがた感じた焦げ臭さがより一層強まった。

「悪いと思っているが入るぞ……!」

 無論、ヴァイスは邪な感情を持った上でクレアの家に入ったわけではない。と言うより、家内から焦げた臭いがするとなれば、誰だって心配になるはずである。

 この臭いの元となる要因を考えれば台所がすぐ浮かぶ。家の作りはヴァイスの使用している借家と同じだったため、迷うことなく台所に辿り着くことができた。するとそこには、頭を項垂れさせ、こちらに丸く背を向けたクレアの姿があった。

「お、おい……。大丈夫か……?」

 状況が全く飲み込めず、思わず怖ず怖ずといった口調で尋ねてしまった。その声がクレアの耳に届いたのか、彼女は緩りと顔をこちらに向けてきた。

 その表情は何とも疲弊に満ちたものだった。こちらに向けられているその眼差しも、どこか気怠そうなものにもヴァイスは感じ取れた。

 それからしばらくして、クレアは目の前にヴァイスがいるとようやく認識したのだろう。それまでの表情からは一遍し驚きに満ちたものとなった。あまりに予想だにしない来客だったためか、クレアはまるで幽霊でも見たかのように壁際まで身を退かせてしまった。

「し、師匠!? ど、どうしてここに!?」

「家の中から焦げ臭い臭いが漂ってきていたから、心配になって見に来たんだが……」

 ヴァイスは半ば呆れながらそう説明し、そして納得した。

 どうやらクレアは料理の最中だったようだ。そこで失敗し、火にかけていたものを焦がしてしまったらしい。

 冷静さを取り戻し、改めてヴァイスの表情を窺ったクレアは思わず苦笑いを浮かべる。

「ははは……。私、また失敗しちゃったみたいですね……」

 どこか悲しそうにクレアが言う。彼女の口調から察するに、今回のようなことが珍しいことではないらしい。

 そして、クレアは申し訳なさそうに頭を下げた。

「師匠。昨日はすいませんでした」

「ああ、機嫌を直してくれたようでなによりだ」

 クレアの様子を見る限りでは、昨日のようにご機嫌斜めという状態ではないようだ。ヴァイスにしてもひとまずは安堵する。

「私は、レーナとは子供の頃から仲が悪いんです。それこそ、昔はいつものように口喧嘩していました」

 そこまで聞いたヴァイスが納得する。

 思い返してみれば、クレアは紅葉荘に行くと言った途端に機嫌を損ねていた気がした。紅葉荘で働いているレーナと仲が悪いならば、クレアの反応もある程度は理解できる。

 しかし、ヴァイスも改めて思い返してみて安心した。あのまま二人が口喧嘩に発展しているならば、それこそ昨日のハリスと似たような事態に成りかねない。正直言って、他人の口喧嘩という面倒事に巻き込まれるのは、ヴァイスとしても御免蒙りたい。

「まぁ、俺もそこまで気にしていないから気にしなくても大丈夫だ。すると、気晴らしに料理でも作ろうと思ったのか?」

 改めて辺りを見回してみてヴァイスが言う。しかし、クレアは首を横に振った。

「私、料理がどうも苦手なんです。でも、レーナはそんな私とは正反対で料理ができます。仲が悪いとは言え、私はレーナが羨ましいんです。そう思うと、私も負けられないって思うんですけどね……」

 そう言ってクレアは乾いた笑みを浮かべる。

 レーナが料理ができる、というのはヴァイスにも容易に想像が付く。宿屋で働いている以上、彼女の料理の腕前はクレアの言う通りかなりのもののはずだ。一方、そんなレーナとは正反対でクレアは料理が苦手だと言う。

 人には得手不得手があり、ハンターであるクレアとそうでないレーナを同じ物差しで比べることは無理もある部分がある。しかし、料理と言うものは、人間であるならば誰でも行うことができる行為である。実際、ヴァイスも幼初期に料理を習い、それなりの物を作ることができた。

「なるほど。それで料理か……」

 ヴァイスが理解したように、それでいて呆れたように苦笑いを浮かべる。

 話の脈絡を考えれば、クレアがレーナによる対抗心から料理をしていたことが理解できる。クレアの負けず嫌いな性格も、ここまでくればある意味関心できてしまう。

 しかし、この様子を見る限りでは、クレア一人では無事に一品作れるかどうかでさえ心配に思えてしまう(実際、彼女には失礼だと思ってはいるのだが)。

「仕方ない。俺が少し教えるよ」

「ほ、本当ですか!?」

 悄然としていたクレアが突如、目をアイルーみたいに爛々と輝かせて言う。相変わらず忙しなく感情を上下させるクレアに、ヴァイスは「あ、あぁ……」と若干引き気味に頷く。

「とりあえず、一旦この場所を整理するぞ。そこからだ」

 溜め息を一つ吐いてヴァイスは言った。

 ということで、ヴァイスによるクレアの料理特訓が開始されるのだった。

 

 

 

「し、師匠! 次はどうすればいいですか!?」

「次はそれを……、今切った白菜の芯の部分を炒めるんだ」

 慌てふためくようなクレアとは一転、ヴァイスは冷静に指示をする。

「それで、芯の部分に軽く焼き色がついてきたら白菜の葉を加えて炒め合わせるんだ」

「は、はい!」

 クレアもクレアで、何とかヴァイスの指示に付いてきてはいる――ものの、やはりその動きはたどたどしいものだった。見ているこちらが思わず不安を覚えてしまう。

 訓練所でも料理は教えたりするものだと思っていたのだが、クレアの様子を見る限りではそれは間違いだったようだ。「はぁ……」と一人溜め息を吐き、ヴァイスは次なる指示をクレアに伝えた。

 

 

 

「うぅ~……」

 机にクレアが突っ伏している。それだけならまだ良かったのだが、彼女はその状態で先程からずっとこのように唸り声を上げている。誰の目から見ても分かるとおり、これは明らかに落ち込んでしまっている。

 その様子を見たヴァイスは再び溜め息を吐く。

 今作っていたのは野菜炒めだ。ヴァイス自身、野菜炒めを作ることはそれほど難しいとは思っていない。

 そのはずだったのだが、どうやらクレアにしてみればそうは思えなかったようだ。完成した野菜炒めも食感がグニャグニャしていた。火の入れすぎである。味付けに関しては問題無かったのだが……。

「師匠の指示通りにやったつもりなんですけどねぇ……」

 こちらも溜め息を吐きながらクレアが言う。

 確かにクレアは、ヴァイスの指示通りにできた。できたのだが、やはり慌てふためいていた様子を見ていて分かるとおり、その動きは一歩遅れていた。

 ヴァイスも、その辺りは考慮していたはずなのだが……。

「訓練所では、料理――とまではいかないが、肉焼きくらいは教わるだろう?」

 訓練所の役割は、ハンター志望の者に最低限のハンターの知識を授けることである。

 希望する武器の扱い方はもちろん、身体能力の向上を図るためのトレーニング、モンスターや狩場に対する知識、調合などといったハンターには必要不可欠な知識を訓練所では教わるはずだ。

 かく言うヴァイスは訓練所で知識を蓄えたわけではない。ドンドルマにある学術院でそれらの知識を学んだのだが、それはまた別の話である。

 ともかく、訓練所を卒業する――つまりはハンターになるためにはそれらの事を学び、教官に認められる必要がある。その中の一つに、初歩の初歩中である肉焼きが存在しているのだ。

 クレアを教えた教官はシュットだと断定できる。彼女は、クレアに肉焼きの方法を教えているはずである。

「教わったには教わったんですけど……。シュット先生にも、肉焼き位なら何とかなるだろうってことで免除してもらったんです」

「実際何とかなる気配が無いんだがな……」

 クレアに聞かれぬよう小声でヴァイスが嘆いた。

 シュットもどうやら、彼女の肉焼きの指導に関しては諦めざるを得なかったようだ。これは、ヴァイスにとっては非常に厄介な要素である。

「ご、ごめんなさい! 私なんかのためにつき合わせてしまって!」

 困窮としたヴァイスの表情を見たクレアが頭を下げる。

 無論、クレアに悪気があるわけではない。だからこそ、見ているこちらが彼女のことをかわいそうに思ってしまうのだ。

「……とにかく、今日は俺が有り合わせで何か作ろう。お前の料理特訓は、また別の機会にでも行うさ」

「は、はい! よろしくお願いします!」

 その言葉でクレアの表情が明るくなる。

 悲喜交々至るといったクレアの様子を見たヴァイスが再三溜め息を吐く。

 なかなか厄介な仕事が増えてしまったと思う。だが、これも彼女の師として与えられた使命だろうと腹を括り、彼女の料理の腕前の向上を手助けしようと決意するヴァイスであった。

 

 

 

 その翌日。集会浴場にヴァイスの姿はあった。

 結局昨日は、ほとんど進展がないままクレアの料理特訓(一回目)は幕を閉じた。だが、ヴァイスたちの本来の目的は狩猟にある。料理云々の話は一旦置いておき、次の狩猟の準備をしなくてはならない。

 昼餉の時間帯を過ぎ、集会浴場にもちらほらとハンターの姿が見受けられた。最近になって、ユクモ村を訪れるハンターの数も増加したのだという。

 そのうちの新人ハンターと思しき三人組のハンターがひそひそと話しているのが目に入った。盗み聞きするつもりはなかったのだが、その内容はヴァイスも聞き取れた。案の定、その話の内容が自分のことだと分かると、ヴァイスは周りを一瞥することもなくカウンターに向かって行った。

「この依頼を頼む。同行者は一人だ」

「はい。分かりました! 手続きを行いますので、少々お待ちください」

 受付嬢が手際良く手続きを行っていく。その間、いつもの通りカウンターに座ったギルドマネージャーがヴァイスを冷やかす。

「ひょっ、ひょっ。チミは人気者だな」

「そうでもないですよ」

 と、ヴァイスも冷静にギルドマネージャーの冷やかしを受け流す。

 ヴァイスにしてみれば、この程度の冷やかしでは動揺などしない。ギルドマネージャーも関心したように飄々と笑い声を上げる。

「次の依頼が決まったようだが、一体何の狩猟依頼なんだい?」

「孤島でロアルドロスの狩猟です」

 ヴァイスが言うと、ギルドマネージャーは「チミも厳しいな」と笑う。

「将来有望だとは言え、もうロアルドロスの狩猟か。クレアにとっては、アオアシラ以上に辛い狩猟になるだろうな」

 ギルドマネージャーは何かを見透かしているかのような口調で言った。

 確かにギルドマネージャーの言うとおりである。ロアルドロスはアオアシラよりも手強いモンスターだ。クレアにとっては、先日以上に苦戦を強いられる要素がいくつもあることが事実である。

 だが、クレアなら大丈夫だとヴァイスは確信していた。だからこそ、あえてこの依頼を受注することを決定したのだ。

「まぁ、チミのことだ。何か考えがあるんだろう」

「ええ、それなりには」

 そこで受付嬢がヴァイスに声を掛ける。どうやら手続きが終了したようだ。

 依頼書を受付嬢から受け取ろうとしたとき、ギルドマネージャーが口を開いた。

「ああ、チミに一つ忠告だ。最近、ギルドでも未知のモンスターが目撃されたという報告が多数ある。チミの行く孤島での目撃報告は無いが、その可能性がゼロだとは断言できない。いざと言う時にはチミ、クレアの事を頼むぞ」

「……なるほど。なら、依頼書とは別のこの用紙は、その件に関することだな?」

 ヴァイスが尋ねると受付嬢が重々しく首肯した。

 依頼書とは別に受け取った一枚の用紙にヴァイスは簡単に目を通す。しばらくして、ヴァイスは静かに「分かりました」と言う。

「ああ。くれぐれも、気を付けて行けよ」

 ギルドマネージャーもまた物静かな口調で言った。

 二人の間に漂った重々しい雰囲気が、事の重大さを物語っているようだった。



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EPISODE17 ~暗海に宿る瞳~

 星々を散りばめた暗闇の夜空に、白月が浮かんでいる。刹那、その隣に一筋の流れ星が煌めく。見上げる夜空はどこまでも高く澄んでおり、暗闇の中で煌々と光を放つ星々も美しい。

 普段の生活の中では、このような空を見ることはまず不可能だ。そう、この場所は普段の生活からかけ離れた場――狩場である。普段そこには存在しない、あるいは見ることの無いものが、ここならば見ることが出来る。

 孤島。その名の通り、他の島から孤立した場所に位置した狩場だ。気候は比較的温暖であり、食料もある程度は確保出来る。そういう意味では、大型モンスターにとっても孤島という場所は暮らしやすい土地なのだ。ドンドルマ地方に位置する狩場と比べると、アルコリス地方、テロス密林が近い環境だろう。

 他との関わりが絶ったこの地では、今も多くの自然が残っている。もちろん、鉱物やキノコ類、素材として用いられる昆虫類も採取可能だ。そういう意味では、孤島はハンターが己の知識と実力を存分に振るえる狩場であろう。

 例によってヴァイス達は、エリアの調査を進めていた。

 ヴァイスの装いは、前回のアオアシラの狩猟の際から変わっていない。背中に背負う太刀は飛竜刀【椿】。身に纏っているのはギルドガード蒼シリーズである。

 今回の標的であるロアルドロスの弱点は火属性。それを踏まえた上でのヴァイスの装いがこれである。

「島全体が狩場に指定されているだけあって、孤島は広いですね」

「そのようだな」

 ヴァイスもクレアと同意見なのか、素直に頷いた。

 クレアの言う通り、孤島は広い。前回訪れた渓流のエリア数は九。一方、孤島のエリア数は十二。エリア数だけで直接比べられるものでもないが、それを差し引いても孤島は一つ一つのエリアが広大だった。空を自在に飛び回れるモンスターの移動範囲も、広範囲になるものと安易に予想が付く。

「エリア4にはアイルー達の隠れ家があって、エリア6には鳥竜種の巣、エリア8には飛竜種の卵がありましたからね。かなり多くのモンスター達が孤島に巣くうんでしょうね」

 今まで回ったエリアの様子を思い出すようにクレアは言った。

 そんな彼女の装いも、前回とは大きく変わらない。だが、彼女が腰に装着している片手剣だけは、唯一の変化が見られた。

 ソルジャーダガー。ユクモノ鉈の刃を大地の結晶を用いて強化を施し、刀身以外の部分もジャギィから剥ぎ取れる皮や鱗で補強した。これによって切れ味は増し、より強い衝撃に耐えることも可能になったのがこの武器だ。

 真新しい三日月形の刀身は、月光を反射してギラギラと輝いていた。

「やはりいない、か……」

 エリア9にやって来たヴァイスが溜め息交じりで言う。

 ロアルドロスは水獣(すいじゅう)とも呼ばれる。その名の通り、ロアルドロスは水中での行動も可能なモンスターだ。否、水中は言わばロアルドロスの庭だ。水中戦になだれ込めば、こちらが圧倒的に不利になるのは目に見えて分かっている。

 もちろん、この辺りの訓練所などでは水中戦の訓練は行われている。だが、水中は地上とは勝手が違う。身体の動きは極端に制限され、加えて武器の特性や間合いそのものが変化してしまうものもある。

 ヴァイスも事前に訓練を受けてきたとは言え、実戦経験は無い。それを考えれば、地上である程度ロアルドロスの動きを見てから水中戦へと持ち込みたい。そう考えていたのだが、そう甘くないのが現実であり、狩猟なのである。

「仕方ないな。移動しよう」

 歩を進めるごとにパシャパシャと音を立てる地面。エリアに海水が流れ込んでいるため、その足音を消すのも難しい。奇襲を仕掛ける際は、細心の注意を払う必要がありそうであった。

 万が一の事も考え、なるべく音を立てないように歩いていると、

 ――ザザーン、ザザーン。

 と、前方から波音が聞こえてきた。

 エリア10。指定されているエリア内の半分以上の面積が水中を記している。陸地も無いわけではないが、そこまで広くない上に、その表面も海水で覆われているため足元も悪い。大型モンスターと対峙するエリアにしては、不利な場所の一つになる。

 白銀に輝く月の光が海面で反射し、その海は幻想的な雰囲気を漂わせている。しかし、そこにあるのは幻想的な雰囲気ばかりでなく、危険な空気も満ち満ちている。気を抜くわけにもいかず、ヴァイスは辺りを見回す。だが、肝心のロアルドロスの姿はここでも見受けられない。

「陸地にはいないようですね」

「ああ。やはり、水中にいるんだろう」

 眼前に広がる海を見ながらヴァイスは言う。

「行くぞ」

 大きく息を吸い込み、ヴァイスは海へと飛び込む。クレアも意を決してヴァイスの後に続く。ひんやりと冷たい水に身体が包まれたが、スタミナが奪われるほどでもない。身体を動かしていれば自然と慣れていくだろう。

 水中エリアがエリア10の大半を占めていることもあり、ロアルドロスを探すのには苦労する。加えて、現在は日も落ちている。地上にいれば月光が辺りを照らしてくれるが、水中では海面付近までしか光が届いていない。只でさえ動きが制限されるというのに、深くまで潜水するとなると視界の悪化も無視できない。

 結局、エリア10でロアルドロスを発見することは出来なかった。水中では会話を交わすことが困難なため、ヴァイスは「移動するぞ」という意思をジェスチャーで伝えた。それにクレアも了解し、ヴァイスの後を追う。

 やって来たのはエリア11。ここも水中エリアだ。

 エリア10と大きく違うのは、エリア11全てが水中に位置しているということだ。水深もエリア10と比べるとかなり深い。海面付近から海底の様子を見ようにも、その先の視界はぼんやりと闇に包まれているようではっきりしない。

 二人は一旦呼吸を整えるため、水面から顔を上げた。

「これは、かなり厄介な場所だな」

 溜め息と共にヴァイスが大きく息を吐き出す。

「底の方はほとんど見えませんし、ロアルドロスがいても分かりづらいですよね。それに、酸素切れだって起こしかねませんよね」

「ああ。だが、その辺りは自分の判断で動くしかない。クレアも、一歩先の事を考えて動くようにしてくれ」

「分かりました」

 もう一度大きく息を吸い込み、二人は海中へと再び潜水する。

 ゆっくりと海中を進みつつ、周囲を警戒する。しかし、深い青に染まった一面の景色に変化は見られなかった。

「(ここにもいないか……?)」

 水中に長時間留まっていては酸素切れを起こしてしまう。ロアルドロスがエリア11にもいないとなると、また別の場所――エリア12に向かった方がいいだろう。地図上では、エリア12は狭いながらも地上に位置しているエリアだったはずだ。

 そうして指示を出そうとしたヴァイスの目の前で、突然ある変化が起こった。

 エリア11の奥、今しがた向かおうとしていたエリア12へと続く抜け穴から、黄色い物体がゆったりとした動きで現れたのだ。暗い海中のためか、その物体は暗闇の中で映えるように見えている。それがより一層、その存在の不気味さを醸し出している。

 海竜種に分類されるモンスター、ロアルドロス。四肢を駆使し、海中を緩慢な動きで進んでいる。

 中でも目を引くのは、後頭部から広がる鬣とも思える海綿質の鱗だ。保湿能力のある鱗が変形してできた物であるらしく、そこに大量の水分を蓄えることが可能なのだという。乾燥に弱いルドロス種でありながらも長時間地上で活動できるのは、その鬣の恩恵なのだろう。

 水中はロアルドロスのテリトリーだ。ここで対峙するのは明らかに分が悪い。だが、ロアルドロスを地上に引き出すことが出来れば形勢は逆転する。言葉にすれば単純に思えることも、ヴァイスはその苦労と困難さを重々承知していた。ヴァイスも渋い表情になる。

 クレアの方も、ロアルドロスの存在には気が付いていた。ヴァイスはクレアに、人差し指を立ててからロアルドロスを指差した。これにクレアも頷く。

 水中ではコミュニケーションを取ることは不可能である。頼れる物もそう数は多くない。そこでヴァイスは、水中戦になった時に用いる合図を事前にクレアに教えていた。

 人差し指を一本立てる動作は様子見、つまりは深入りするなという意味だ。

 ヴァイスも頷き返し、背中を見せているロアルドロスに慎重に近づいていく。

 陸地なら一瞬で詰めることの出来る間合いも、水中では倍近くの時間を要してしまう。だが、ヴァイスは焦らず、着実に先手を打つことを意識していた。そして、太刀の間合いに入った瞬間、ヴァイスは飛竜刀【椿】を鞘から抜き放った。

 纏わりつく水を引き裂き、その軌跡はロアルドロスの背中に縦一直線に走る。

「キュアアアアアアアアァァァァァァァァァァッ!」

 直後に響くロアルドロスの咆哮。それは水中を文字通り波のように伝わり、ヴァイスたちにもその威圧と共に押し寄せた。

 大きく身体を仰け反らせていたロアルドロスが体勢を立て直し、鋭い眼光でヴァイスを睨み付ける。

 ヴァイスはロアルドロスの動きに注意しつつも、クレアの方にも意識を向けていた。クレアはロアルドロスの背後に回り込むつもりのようだ。ソルジャーダガーを引き抜いたクレアが、ロアルドロスの背中目掛けて斬りかかる。しかし、狙いすました一撃は水中を空振りする。

「(っ!?)」

 想定外の出来事にクレアも動揺してしまう。

 だが、クレアもすぐさま気を取り直し、再びロアルドロスの背後から近づいていく。しかし、繰り出した一撃はまたしても空振りに終わる。

 ロアルドロスも、何度もクレアに背中を向ける程甘い存在ではない。身体を反転させ、球体状のブレスを吐き出した。

「(くっ!)」

 ロアルドロスとの間合いが近かったため、ブレスの着弾までの時間も短かった。しかし、クレアは間一髪のところでガードに成功する。

 だが、それと引き換えに、クレアは肺の中に溜めていた酸素を一気に吐き出してしまった。たちまち息苦しさを覚えたため、急いで海面を目指す。

 必死になって海面を目指すが、その距離は驚くほど遠くに思えてしまう。辺りの景色が明るくなってきた頃には、既にスタミナも酸素も切れかかっていた。

「ぷはっ……!」

 海面から顔を出すと同時に大きく息を吐き出す。直後、肺が締め付けられるような感覚を覚えた。相当な量のスタミナも消費してしまったらしい。

 呼吸を整えていると、先程の出来事を冷静になって思い返している自分がいることに気が付いた。

 あの時、間合いを見間違った感じは無かった。だが、ソルジャーダガーの刃がロアルドロスに命中することはなかった。

 どうやら、クレアの思っていた以上に、水中での片手剣の操作は難題なもののようだ。元々、リーチが短いという短所を手数で補うのが片手剣の一般的な扱い方だ。だが、水中では間合いを測るのも難しく、加えて水圧の影響も受け手数も減少してしまう。片手剣の長所が、水中では上手く生かすことが出来ないのだ。

「どうすれば……」

 しかし、頭で考えているだけでは何も解決には至らない。クレアは再び海中に身を沈め、ロアルドロスに向かって行く。

「(とにかく、やらなくちゃ!)」

 クレアは、改めて自分に活を入れる。

 最初は、地上での片手剣の操作も儘ならなかったのだ。だが、試行錯誤を繰り返すうちに、徐々にその動きも身についてきた。

 今回だってそうだ。水中戦の経験は、地上でのそれにに比べて圧倒的に経験値が足りない。だが、その経験の差を埋めることはどうやっても不可能だ。

 ならば、自分で見つけるしかない。自分で戦い方を、水中での片手剣の使い方を改めて習得するしかないのだ。

「(そうだ。あの時、師匠が……)」

 ロアルドロスとの間合いを徐々に詰めていく最中、クレアは孤島の拠点(ベースキャンプ)で持ち込んだ道具の整理をしている時のことを思い出した。

 

 

 

「師匠。今回の狩猟で、何か注意する点はありますか?」

 孤島の拠点に辿り着いた二人は、持ち込んだ荷物の整理や武器の手入れをしていた。そんな中、準備を終えて暇を弄んでいたクレアがヴァイスに問いかけた。

 しばらく思考するような表情をしていたヴァイスが、やがて口を開く。

「……そうだな、水中での武器操作だな」

「武器操作? 水中での、ですか?」

 確認のためにもう一度訪ねてみると、ヴァイスは「ああ」と頷いた。

「クレアも、水中戦の訓練は受けているんだよな?」

「はい。と言っても、訓練内容は基本的な動きが中心で、対大型モンスターの訓練は受けていないんですけどね」

 クレアもやや遠慮気味にそう話す。それを聞くヴァイスの様子も予想通り、と言った感じだった。

「それは別に構わないさ。経験が少ないのは俺にも言えることだからな。だが、俺が言いたいことはそれとは別にある」

 一旦間を置いて、ヴァイスは話を続ける。

「訓練を受けているから分かると思うが、水中での武器の操作は地上とはだいぶ勝手が違うだろう?」

「そうですね。何と言うか、身体全身に重りを付けているみたいで上手く動かすことが難しかったです」

 訓練内容を思い返しながらクレアは答える。

 地上と水中での武器の操作の勝手は、ヴァイスの指摘する通り確かに違う。だが、それに加え、水中では身体を思うように動かすことも簡単なことではないのだ。普段とはまるで違う感覚に、訓練には相当苦戦した記憶がクレアにも根強く残っていた。

「地上と違い、水中は極端に動きづらい。武器やモンスターの間合いを測るのも、まるで遠近感が麻痺していると思えてしまうほど難しく感じてしまう」

 ヴァイスの口から発せられる言葉は、クレアの気持ちを代弁しているようなものだった。

 実際、ヴァイスも水中戦の経験は少ない。ギルドナイトという職業柄、それでもクレアより多くの訓練をこなしてきているはずだ。だが、それでも。そのヴァイスでも水中戦には慣れきっていないのだろう。

 G級の、更に言えばギルドナイトのヴァイスでさえも苦労している要素こそ、この水中戦なのだ。まだ新人ハンターと呼ばれる部類に入るクレアにしてみれば、更に荷の重い要素に違いない。

「大剣や太刀と比較すれば、片手剣のリーチは相当短い。おそらく、相手に一撃を与えるのも相当苦労すると思う」

「師匠の言うとおりです。私の場合は、ゆっくりと動く小型モンスターでも攻撃を命中させるのは苦労しました」

「最初は誰だってそうさ。偉そうなことを言ってきた手前、俺も人の事は言えないんだがな」

 それでも苦労して当然だ、とヴァイスはフォローを入れる。

「ある程度モンスターの動きに慣れるか、水中戦に馴染めれば自然と身体の動きや武器の操作も分かってくるはずだ」

「結局、習うより慣れよってことですよね」

 その言葉にヴァイスは無言で頷く。

「それまではもどかしい思いをするだろう。だが、そこで急き込むのは禁物だ。苛立ち、焦りを覚えても結局何も変わりはしない。大切なのは慣れることだ。今回の狩猟では、それをクレアに覚えていてもらいたい」

 ヴァイスの言う言葉の意味は理解できる。だが、ヴァイスの言ったその意味は、自分で自分を制御しろ、ということだ。

 理解こそしているものの、それを実行できる自信が無い――と言うよりは、漠然としたものだった。

 逸る気持ちを抑えて、ロアルドロスの狩猟を行っていく。それこそ先日のアオアシラの狩猟においても経験しているが、今回はそれとはまた別の話なのだ。ロアルドロスがどんな相手なのか、そのロアルドロスに自分がどこまで食い下がれるのか。それをまだ把握していないため、その時のクレアには漠然としたもののように思えてしまったのだ――。

 

 

 

「(そうだ。今は、我慢しないと……)」

 こうしてロアルドロスと水中戦になだれ込み、ヴァイスの言った意味を本当に理解できた気がした。

 さすがは水獣と呼ばれるモンスターだ。遠目から見ていても、その動きに付いていくのは難しいと思ってしまう。そして、攻撃が命中しないという焦りも徐々に膨れ上がってくる。

 だが、今は耐える時だ。

 誰しも、最初から水中での戦闘において自在に動けるわけではない。試行錯誤して、そして慣れることで、ようやく自分の思い描く理想の立ち回りが可能になる。当然のことのようで、実際はそうではないそのことを事前に理解していなかったら。もしかしたら自分は、疾うに我慢を切らしていたかもしれない。クレアはそう思い、同時に現在はロアルドロスを惹き付けているヴァイスに感謝する。

 それを言葉で表すことは出来ない。だが、それに応えることは、今のクレアなら出来る。

「(……ッ!)」

 ソルジャーダガーを引き抜き、クレアはロアルドロスの背中に向かってその一撃を放った。



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EPISODE18 ~苦戦~

 目の前でロアルドロスが反撃を試みる素振りを見せたため、ヴァイスは一時後退する。もちろん、ロアルドロスをこちらに引き寄せるような動きでだ。

 ロアルドロスはヴァイスのその動きに釣られ、その場から突進を繰り出す。水の中を自在に駆け回るロアルドロスであっても、ヴァイスの動きに誘い込まれた状況下で繰り出した突進は不発に終わった。一方、突進を回避したヴァイスは、転じて斬撃を繰り出す。

 先程からこのような展開が続いている。もちろんヴァイスはロアルドロスには細心の注意を払っていたが、そんな中でもクレアの様子も気に留めていた。

 片手剣の長所は、その手数の多さと、軽快な立ち回りを可能とする軽量さ。盾を用いれば攻撃を防ぐことも可能で、更には抜刀したままアイテムの使用も出来る。だが反面、他の武器に比べてリーチが短いという短所も持つ。

 地上での立ち回りなら、立ち位置を調整することでその短所を補うことが出来る。だが、今いるのは水中。加えて長所である手数の多さも、水中では影をひそめてしまう。地上にいる感覚で片手剣を振るっても、狙いすました一撃が当たることは少ない。

 それはどんな武器にでも言える話だった。ヴァイスの使う太刀にしても、その感覚は地上と水中でとは全く異なる。まるで、初めてその武器を振るうかのような感覚を、ヴァイスも以前までは覚えていたのだ。

 しかし、今は違う。日々訓練を積み、ヴァイスは完全とまではいかないものの、水中での太刀の扱い方を身体に叩き込んだ。

 クレアが現在、片手剣の操作に苦しんでいるのは目に見えて理解できることだ。使いやすさに定評のある片手剣が、水中では一転し扱いづらい武器になってしまうこともクレアは分かっているはずだ。

 しかし、今は慣れるしかない。片手剣を用いる際の水中での立ち回りはこうだ、という決まりきった型などない。だからこそ、自分なりの立ち回りをクレアが見つける他ないのだ。

 ヴァイスは再度ロアルドロスに接近する。暗海を照らし出す銀色の刃が一閃されると、ロアルドロスは驚いたように身体を仰け反らせた。その隙にヴァイスは続けざまに飛竜刀【椿】を振るい、ロアルドロスの動きを封じる。

「(今なら!)」

 ロアルドロスがヴァイスに足止めされているのを好機と見て、クレアが一気に接近する。ソルジャーダガーを引き抜き、ロアルドロスの背中目掛けて斬りつける。繰り出した二度の斬撃は、その手応えは浅いながらも狙った場所に命中した。

「(やった!?)」

 苦労したが、ようやく一撃を決めることが出来たクレアの士気が上昇する。

 しかし、そんな中でもクレアの思考は冷静だった。クレアが苦労している中、ヴァイスは淡々と斬撃をロアルドロスに命中させ、ダメージを与えていた。本来ならば、クレアはヴァイスの援護を行わなければならないのだが、それが行えていないのが現状だった。

「(こんな調子じゃ駄目だ……!)」

 焦るな、とは言われたものの、この現状ではそれすらも難しい。クレアにとって、厳しい現状なのは確かだ。それが、少しずつクレアの冷静さを削いでいく。

 そんなクレアを尻目に、ヴァイスは尚も飛竜刀【椿】を振るう手を抑えない。そこには余分な動きは見受けられない。最小限の動きで以て太刀を振るい、ロアルドロスを翻弄する。

 一方、ロアルドロスもヴァイスに向き直ると牙を唸らせて突っ込んできた。その動きをヴァイスも先読みしていた。だがヴァイスは、飛竜刀【椿】を鞘に納めることなく、斬り下がって立ち位置を変えることでその一撃を回避した。

 目の前で見せつけられた一連の動きに、クレアは鳥肌が立った。

 経験が少ないとは本人も口にしていたが、それすらも感じさせないような立ち回りだ。地上であろうと水中であろうと太刀の長所を生かし、短所は自らの力量で補う。ヴァイスの動きは基本の理に適った、それこそお手本とも言えるものであった。

 ならば、自分にもできるはずだ。

 ヴァイスとの実力差には霄壤の差があると言っても大袈裟ではない。扱う武器も違う。それでも、現状の打開策が、片手剣の短所を補う何らかの手立てがあるはずなのだ。

 クレアはロアルドロスに一気に詰め寄ると、そこから至近距離でソルジャーダガーを振り下ろす。ロアルドロスがこちらに注意を向けていなかったことも幸いし、その斬撃は自分の望むものとなった。

 しかし、これにはリスクが伴う。相手に接近すれば斬撃が命中しやすくなるのは当然だ。だが反面、相手の返り討ちを喰らいやすくなってしまう。クレアにしてみれば、その一発さえもが大きな痛手に成りかねない。

 ロアルドロスがこちらを振り返り、前脚を振り上げた。盾を突き出してその一撃を防ぐが、これの連続では長続きしそうにない。これでは無謀な立ち回りをしているに過ぎないのだ。

「(っ……、酸素が……!)」

 頭の中でそれを理解すると、途端に息苦しさを覚える。

 ロアルドロスはヴァイスに任せ、クレアは水面を目指して浮上していく。そして水中から顔を出すと、本能が求めるままに酸素を肺一杯に吸い込む。

「やっぱり、難しいな……」

 自分でも知らぬ間にそう口にしてしまう。それほどクレアは苦戦を強いられているのだ。目の前にヴァイスという人物がいることもあり、それは尚更だった。

 見ると、少し離れたところにヴァイスの姿もあった。ヴァイスも相当長い間潜水して、酸素と共にスタミナも消費していたのだろう。肩を上下させ、荒い呼吸を整えていた。そしてしばらくすると、ヴァイスは再び水中へと姿を消した。

 ヴァイスは現在、一人でロアルドロスの関心を惹き付けている。そのヴァイスが前線を離脱すれば、ロアルドロスと対峙する人物がいなくなってしまう。そうなれば、体勢を整えているクレアが狙われている可能性も上昇する。

「早く戻らないと!」

 いくらヴァイスと言えども、水中ではロアルドロスの方に分がある。体力的な事を考えても、ヴァイス一人で持ちこたえるのも限度がある。

 逆に足を引っ張ることになるかもしれなかったが、今のクレアの頭にはそんな思考は微塵も無かった。

 ロアルドロスに突っ込み、ソルジャーダガーを上段から振り下ろす。その一撃が命中し続けざまにもう一撃を繰り出そうとした直後、ロアルドロスが向きを変えソルジャーダガーの刃は空振りに終わる。それどころか、ロアルドロスはクレアに向き直りそのまま突っ込んできた。

「(っ!?)」

 予想外の動きにクレアも瞬時には対応できなかった。体当たりを喰らったクレアの身体はいとも簡単に吹き飛ばされる。

「キュアアアアアァァァァァァァァァァァァァッ!」

 突進を終えたロアルドロスは体勢を立て直そうとしていたクレアを睥睨し、その独特な鳴き声で以て威圧した。

 だが、そんな隙を見せたロアルドロスの背後からヴァイスが斬り込む。今度は逆に意表を突かれたロアルドロスが驚いたように怯んだ。

 その間にロアルドロスから距離を取ったクレアは改めてロアルドロスと、それと対峙するヴァイスの様子を窺ってみた。

 ロアルドロスは水中の利を生かし、ヴァイスを翻弄すろうとする。現在はロアルドロスが優勢に思えるが、ヴァイスに焦りの色は見られない。巧みな太刀捌きで以てロアルドロスに対し着実に一撃を浴びせていく。

 やはり、攻撃を喰らう覚悟でロアルドロスに突っ込むというのは愚行である。自分だけでなく、ヴァイスさえも危険に晒しかけないのだ。

 どうすればいい? どうやって立ち回ればいい? クレアの頭の中に、そんな疑問が過る。

 しかし、いくら頭の中で思考しようと、その問いに答えてくれる人もいなければ、その答えも見つからない。自然と踟躕する身体を突き動かし、再びロアルドロスに向かう。

 背後から近づき、片手剣の間合いに入ったところでソルジャーダガーを抜刀し、振り下ろす。縦、横と十字を描くように斬りつけると、ロアルドロスもそれに反撃を繰り出す。右脚を振り上げ、クレアを殴りつけようとする。だが、クレアも今回は冷静に状況を見極め盾でガードする。

 そこに一旦後退していたヴァイスがやって来る。深入りしすぎぬよう注意しつつも、ロアルドロスの背中に斬撃を放つ。水中で器用に身体を動かして斬り下がりを繰り出すと、ロアルドロスはその動きに釣られるように突進を繰り出す。それをやり過ごし、ロアルドロスが瞬時に攻撃に転じてこないのを確認すると、ヴァイスはクレアの方に目をやった。

 狩猟開始当初に比べれば、少しづつではあるが水中エリアとロアルドロスの動きにも慣れてきたようにも思える。だが、それと同時にクレアから感じられるのは焦りだった。

 狩猟前に拠点で言ったことはクレアも覚えているだろう。しかし、言葉で容易に表されることも、それを実際に行うとなると話は別だ。現状を考えれば、彼女が焦りを覚えるのは無理も無い。経験が極めて浅い中、この狩猟は厳しいものだろう。

 一息置いたヴァイスはロアルドロスがこちらに接近してくるのを待って太刀の間合いに入り込む。一歩遅れてクレアも再度ロアルドロスに肉薄した。

 だが、ソルジャーダガーを振り下ろそうとしたクレアに突如ロアルドロスが動き出し、振り向きざまに噛み付いてきた。辛うじて致命傷は逃れたが、それでもその衝撃で後方に吹き飛ばされる。

 加えて、無造作に振り払われたロアルドロスの尻尾の先端がヴァイスの横腹にも命中してしまい、斬撃を繰り出す手が止まってしまう。

 時間的にはほんの一瞬の隙。だがロアルドロスはその一瞬の隙を掻い潜り、二人の包囲網を突破した。水中を滑るように泳いでいくと、その姿は一瞬にして闇の中へと消えて行った。

 いとも容易くロアルドロスを逃がしてしまい、ヴァイスもどこかしら腑に落ちない様子だ。陸上にいるならば溜め息一つくらいは吐いているだろう。

 だが、狩猟を続けていればこういうこともある。そう言い聞かせ飛竜刀【椿】を鞘に納めると、ヴァイスはゆっくりとした動きで海面を目指し浮上し始めた。クレアもそれに倣い、ヴァイスの後を追う。

「はぁっ……!」

 水面から顔を出すと、互いに大きく息を吐き出す。それなりに潜水時間が長かったため、しばらくしても息苦しさが消えることは無かった。

 ようやくクレアの呼吸が落ち着いてくる頃には、一足先に浮上したヴァイスがクレアの元に近づいてきた。

「だいぶ苦戦しているようだな」

「え~っと、まぁ、そうですね。ははは……」

 クレア自身も痛感しているのだろう。その証拠にクレアは、ヴァイスの言葉に力無く笑うだけだった。

 こうして表情を見ているヴァイスにもそれはよく分かる。だが、それをヴァイスが助けてやることはできない。彼女自身で打開策を見つけ、それをものにしなければならないのだ。

「時間的には余裕が十分ある。だから焦らず、そして粘り強く耐えることだ。近いうちに何かが掴めるはずさ」

 ヴァイスも全てを語るのではなく、あえて彼女に考えさせる。そうすることで、自分なりの考え、立ち回り方、様々なことが見えてくるはずだ。

 まだ時間はかかるかもしれない。だが、彼女なら、クレアならそれを掴めるだろう。ヴァイスは既に、そう確信していた。

「まだしばらくは様子見を続けてくれて構わない。本格的に動き出すかどうかは、クレアの判断に任せる」

「分かりました」

 方針を改めて確認した二人は、ポーチから砥石を取り出し互いの武器の切れ味を回復させる。高い切れ味を誇る飛竜刀【椿】でさえも、この短時間でその斬撃の手応えは浅くなってしまった。

 ヴァイスもロアルドロスの動きには着いていけていたが、やはりまだ完全には勝手が合わないようだ。切れ味の低下が普段より著しいのは、狙った箇所に正確に斬撃を繰り出すことができないが為に生じていることだった。それはヴァイス自身でも自覚しているようだ。

 ついでに携帯食料を食べた後、ヴァイスがロアルドロスが姿を消した方へと目をやった。その方向はエリア10。今まで対峙したエリア11に比べれば、幾分かはこちらとしても戦いやすくなるだろう。

「さて、移動しよう」

 互いに体勢を整えたことを確認したヴァイスがクレアに促す。それにクレアも首肯してヴァイスに続く。

 二人は月明かりで照らされた海を渡り、ロアルドロスの後を追った。



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EPISODE19 ~恐怖の予兆~

 エリア10にやって来た二人が目にしたのは、地上に出ていたロアルドロスがそのまま背を向け、更に奥へ――エリア9へと向かって行く姿だった。

 地上へ上がった二人も、その後を追う。

「でも意外ですね。ロアルドロスが自分から地上へ上がるなんて」

 水中はロアルドロスの庭だ。それは先ほどロアルドロスに翻弄された二人を見ても明らかだ。だが、地上ともなればロアルドロスの脅威は、多少ではあるものの薄れるだろう。

 願っても無いチャンスだとでも言いたげな表情のクレアにヴァイスが口を開いた。

「ロアルドロスは雌のルドロスを従えてハーレムを形成する習性があるそうだ。今まで見てきた限りなら、今日は陸上にルドロスが多くいる。奴はそのルドロスたちを従えて、俺たちを翻弄しようとしているのかもしれないな」

 ヴァイスの推測にクレアも「なるほど……」と相槌を打つ。

 言い換えればそれは、例えロアルドロスが地上に上がりこちらに有利な状況に傾こうとも油断するな、というヴァイスの忠告だった。

 そうするうちに、エリア9にやって来た。ロアルドロスはこちらに背を向けており、奇襲を仕掛けるという手も有効だ。

 だが、ヴァイスはすぐさま奇襲を仕掛けようとはせず、周囲――特に水で溢れかえった地面を注意深く見渡した。

「どうかしました?」

「背後から仕掛けるというのも手だが、それは難しそうだと思ってな」

 足元を見ながらヴァイスは答えた。

 海水の流れ込むこのエリアでは、歩を進めるごとにパシャパシャと音を立てる。それはつい先ほども確認したが、こうしていざ奇襲を仕掛けようと思い至ってみると、この状態でそれを成し遂げるのはなかなか容易ではなさそうだと感じた。

 ヴァイスの言葉の意図をクレアも察したらしい。ロアルドロスとヴァイスとで視線をやり繰りした後「どうしますか?」と尋ねた。

 するとヴァイスは、腰に取り付けてあった投げナイフを一本引き抜いた。

「それは、支給品の投げナイフ、ですよね?」

 クレアの言う通り、ヴァイスが手にしたそれは支給品の投げナイフだった。その名の通り投擲目的で作られた小型のナイフであり、軽い素材を用いつつも、モンスターに対しダメージを与えられるよう鋭利に研がれた刃が特徴だ。

 しかし、投げナイフで与えられるダメージはごく僅かなものだ。確かに剣士が遠距離から攻撃を仕掛ける際には有効なアイテムではあるものの、奇襲を仕掛けるのに対して有効なアイテムかと言えば、それは疑問に思われるのだ。

 だが、ヴァイスはクレアの言葉に頷くだけだった。そして、何の躊躇いも無く、その投げナイフをロアルドロスに向かって三本投擲した。月光を反射し輝く銀の軌跡は、寸分狂わずロアルドロスの背中に命中した。

 むろん、ロアルドロスはそれに反応する。こちらを振り向いたロアルドロスの様子は、既に臨戦態勢だった。

 だが、こちらに接近を試みようとしたロアルドロスの動きが突然止まる。ただその場で苦しげに鳴き声を上げているだけで、無防備な姿を晒す。

 その様子を見たクレアもようやく理解した。

「師匠、あれって!」

「ああ、どうやら毒が回ったらしいな」

 そう。ヴァイスが投擲したのはただの投げナイフではない。毒テングダケの毒素をナイフに付着させた毒投げナイフだった。

 その毒素は非常に強力であり、大型モンスターでさえも傷口から入った毒素が身体を循環すれば、しばらくの間は毒状態に陥ってしまう。

 おそらく、孤島のエリアを回っている間に採取した毒テングダケを投げナイフと調合したのだろう。そのヴァイスの行動力にはクレアも驚かされた。

「さあ、行くぞ」

 ヴァイスの言葉に頷き、クレアも気を改め地面を蹴った。

 ロアルドロスは未だに苦しみ悶えている。この好機を逃すまいと背後に回り込んだヴァイスが斬撃を放つ。クレアもまたロアルドロスの側面に向かい、ソルジャーダガーを振り下ろす。

「キュアアアアァァァァァァァァァァッ!」

 しかし、毒状態のロアルドロスも応戦する。クレアを正面に捉えると、右前脚を振り下ろす。しかし、これはクレアも盾で防ぐことに成功する。やはり、水中に比べれば圧倒的に動きやすく、無理な立ち回りをする必要が無くなる。すると、余裕を持った立ち回りが可能になり、狩猟のペースも握りやすくなる。

 だが、ロアルドロスもそう易々とこちらに主導権を握りさせてはくれない。

 体内に入り込んだ毒素の解毒が済んだのだろう。軽やかな動きで一旦後退したロアルドロスが咆哮した。

「キュアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」

 その咆哮に応じるように、何処からもなくルドロスたちが姿を現した。その数は計六体にもなる。

「ルドロス!?」

「やはりか……。先にルドロスを片付けるぞ!」

 瞬時に判断を下したヴァイスが閃光玉を投擲する。

 ロアルドロスと一部のルドロスは、閃光玉の影響で視界を失ったようだ。だが、残ったルドロス――その三体は二人目掛けて突進してくる。

 そのうちの二体にヴァイスは狙いを定める。鞘に納めていた飛竜刀【椿】を振り抜き、上段から一閃する。紅焔が爆ぜ、その一撃でルドロスは絶命する。続くもう一体の討伐もすぐさま完了させる。

 一方のクレアもルドロスの討伐に成功させる。続いて閃光玉の影響を受けたルドロスに狙いを付けようと視線を動かした。だが、視線を向けた方向――今しがたロアルドロスがいた位置にその姿は無かった。

 まずい。頭の中でクレアも瞬時に理解する。

「どこ!?」

「真後ろだ!」

 いつの間に閃光玉の効力が切れていたのだろう。クレアがルドロスに気を取られているうちにロアルドロスが背後に回っていた。

 そこからロアルドロスは突進する。それも、周囲に水ブレスを放ちながらの突進だ。クレアは緊急回避を行いこれを回避する。だが、ロアルドロスは尚もクレアに狙いを定め、再び突進してくる。

「間に合わなないっ!」

 ようやくクレアが体勢を立て直した頃には、ロアルドロスはもう目の前に迫っていた。緊急回避を行う余裕も、盾でガードする余裕も無く、クレアは前転回避をすることで、突進の進路上から逸れる。

 辛うじて直撃を免れたクレアであったが、頭から妙な液体を被ってしまう。

「か、身体が……」

 ロアルドロスから距離を取ったクレアが違和感に気付く。

 どうやら、ロアルドロスの水ブレスに何らかの物質が含まれていたようだ。海水に比べて粘性のあるそれは、まるで身体に纏わりつき、動きを制限されるかのような感覚に陥る。

 加えて、妙な疲労も覚えてきた。このまま狩猟を続行するのは危険かもしれない。

「そうだ! 確か、あれがあったはず!」

 何かに思い至ったクレアが弾かれたようにポーチの中を探る。そして、ポーチから取り出した一口大の木の実を手に取ると、躊躇することなくそれを口に運んだ。すると、今まで感じていた奇妙な感覚が嘘のように消えていった。

 クレアが口にしたのはウチケシの実と呼ばれる物だ。果実には特殊な成分が含まれており、それがロアルドロスの水ブレスによる異常――水属性やられを、その名の通り打ち消したのだ。

 ロアルドロスとの位置確認をすると、クレアは念のために応急薬も飲み干す。これならば狩猟続行に害は無い。

「よし!」

 気を取り直し、クレアはロアルドロスに接近する。

 クレアの様子がおかしかったことをヴァイスも把握していたのだろう。残ったルドロスを掃討した後、ロアルドロスの注意を自分に集中させ、クレアが体勢を立て直すのに十分な余裕を確保してくれていた。

 その背後から接近したクレアが、先程のお返しだと言わんばかりにソルジャーダガーを振り抜いた。浅く斬り込むのではなく、今回はやや肉薄して斬撃を放ってみる。

 それを理解したヴァイスもクレアとの息を合わせるように斬撃を繰り出す。特徴的な鬣に狙いを付け、その一点に飛竜刀【椿】を振り下ろす。

「ウオオオオォォォォォォォォォォッ!」

 さしものロアルドロスも、挟み撃ちにされることに苛立ちを覚えたようだ。強引に二人を振り切ろうと再び突進を繰り出した。

 それを回避すると、ロアルドロスとの間合いはあっという間に開いてしまった。

「地上での動きも、なかなか厄介だな……」

 疲労知らずのロアルドロスを見てヴァイスが思わず呟く。水中での動きも俊敏で厄介であったが、やはり地上でも一筋縄ではいかない。

 ヴァイスは間合いを詰め、飛竜刀【椿】を鞘から引き抜く。

 その狙いは頭部。ロアルドロスの放った水ブレスを回避したヴァイスが正面から斬りつける。当のロアルドロスも、ヴァイスを蹴散らそうと攻撃を繰り出す。

 だが、今回はヴァイスの方が優勢だ。繰り出されたボディプレスを回避し、頭部を再び正面に捉えたヴァイスが気刃斬りを繰り出す。

「キュアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!?」

 この連撃には、ロアルドロスも耐えることはできなかった。その巨体は大きく揺らぎ、苦痛混じりの悲鳴を上げる。

 事前に肉薄していたクレアも、この隙を逃さない。ロアルドロスの後方に回り込み、緩慢に揺れ動く尻尾目掛けてソルジャーダガーを振るう。

 ようやく体勢を立て直したロアルドロスは、二人の間を掻い潜り、こちらに向き直った。そこには、怒りに目を染めたロアルドロスの姿があった。

「キュアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」

 怒りに任せ、大きく咆哮する。それに応じ、またしてもルドロスたちが姿を見せる。

「ちっ、またか……」

 ルドロスたちを一瞥したヴァイスが舌打ちする。

 先ほどと同じように閃光玉を使おうとポーチに手を入れかけた。だが、そうはさせまいとロアルドロスは突進を繰り出す。

「師匠!」

 ヴァイスも間一髪のところで直撃は逃れる。だが、そこにルドロスたちが群がって来る。結託してヴァイスを仕留めるつもりらしい。

「くっ!?」

 個々では大したことのないルドロスたちも、こういう状況では大きな脅威となった。ヴァイスはルドロスたちに包囲され、身動きが取れなくなってしまった。

 むろん、ロアルドロスもそれを狙っていたのだろう。飢えた狼が、まるで眼前の獲物に飛びつくかのような勢いでヴァイスに迫って来る。

「そういうことなら、やってやる……!」

 ヴァイスも包囲網の突破を諦め、すぐさま別の行動に移す。

 飛竜刀【椿】を振り抜き、そのまま気刃斬りを繰り出す。それで全てのルドロスを、またロアルドロスをどうすることはできない。だが、続けざまに繰り出した気刃大回転斬りは、周囲のルドロスたちを薙ぎ払い、加えて接近してきたロアルドロスを捉え、頭部に生える角さえをもへし折ったのだ。

「ウオオォォォォォォアアアアアアァァァァァァァァァァァッ!?」

 それはさすがにロアルドロスも予想外だったのだろう。苦痛と共に面食らったかのような咆哮を上げる。

「師匠! 大丈夫ですか!」

 一旦後退したヴァイスの元にクレアが駆け寄る。

「ああ。多少の傷は負ったが、それ以外は大丈夫だ」

 力尽くであったものの、それが功を奏したようだ。包囲網を形成していたルドロスたちも、ヴァイスの繰り出した気刃大回転斬りで全て吹き飛ばされた。

 一方のロアルドロスもヴァイスを捉えることを諦め、再びエリア10へと姿を消していった。その様子を見る限りでは、着実に追い込んではいるだろう。

 二人は砥石を当て武器の切れ味を回復し、ヴァイスは加えて応急薬も一本飲み干す。手短に体勢を整えた二人は、足早にロアルドロスの後を追い始めた。

 だが、ヴァイスの足が急に止まる。何を思ったのか、ロアルドロスが姿を消した方向とは真逆の方向、エリア5へ続く道へ顔を向けていた。

「どうしたんですか?」

 不審に思ったクレアも尋ねる。

 その言葉に振り向いたヴァイスは再び歩を進めだした。

「いや、何でもない。行こう」

 ヴァイスに促されクレアも再び歩き出す。

 しかし、エリア10に向かうヴァイスは一種の危惧を密かに覚えていた。

 そして、まるでそれに呼応するかのように、そこから離れた孤島の一角に、不気味な地響きが轟き始めた。



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EPISODE20 ~混沌の獄獣~

 二人はエリア10にやって来た。だが、そこにロアルドロスの姿は無い。代わりに、ルドロスたちが二人を待ち構えていた。

「全く、手厚い歓迎なことだ」

 半ば嫌気が差すような口調で言いつつも、ヴァイスは行動に移す。後々妨害をされぬよう、事前にルドロスたちを狩猟しておくのだ。

 もちろんクレアも協力し、地上に屯していた三体のルドロスの討伐を完了する。

 しかし、この間もロアルドロスは地上に姿を現さなかった。

「出てきませんね……」

 そう口にしたクレアの表情は浮かないものだった。やはり、まだ水中戦に対しては抵抗があるのだろう。

「そこまで気に病むな。落ち着いて、いつも通りやればいい」

 そんなクレアの肩をヴァイスは軽く叩く。そして、注意深く水面を確認すると、躊躇うことなく海中へと飛び込んだ。

 クレアも一旦深呼吸を行い、気を入れ直す。

 落ちついてやればいい。そう自分に言い聞かると、ヴァイスの後に続いて自身も海中に飛び込む。

 するとそこには、こちらを待ち構えるかの如くロアルドロスが佇んでいた。尚も怒りに染まった様子で、こちらを睥睨してくる。

「キュアアアアァァァァァァァァァァッ!」

 その咆哮を皮切りに、ロアルドロスはこちらに突っ込んでくる。二人はすぐさま散開し、そして攻撃に転じようと肉薄する。

 ヴァイスはロアルドロスの背後から接近し、鬣目掛けて飛竜刀【椿】を振り下ろす。同じように背後から接近したクレアは尻尾を狙う。

 ピンポイントで斬撃を命中させることは叶わなかったが、それでも繰り出した斬撃は全てロアルドロスを捉えた。狩猟開始時から比べ、クレアもようやくロアルドロスの動き、水中での立ち回りにも慣れてきたのだ。

 しかし、ロアルドロスも甘くは無い。後方のクレアに振り向くことなく、尻尾を薙ぎ払った。水中にも関わらず勢いよく振り払われたそれはクレアの横腹を殴りつける。

「(くぅっ!?)」

 想像以上の衝撃にクレアの身体は悲鳴を上げる。薙ぎ払われたというより叩きつけられた衝撃により、クレアは肺に溜め込んでいた酸素を吐き出してしまう。

 水中に入ってままならないにも関わらず息苦しさを覚えたクレアは海面を目指す。エリア11に比べ水深が浅いことが幸いし、すぐに地上に到達することができた。

 しかし、一息ついたのも束の間。クレアの真下、揺曳と映っていたロアルドロスの姿がこちらに突っ込んでくるのが見えた。

 ここからでは回避することは不可能だ。クレアはそう判断し、すぐさまソルジャーダガーと盾を構えガード体勢に入る。

 それから間を置かず、ロアルドロスが突っ込んできた。地面なら踏ん張りが効くが、ここではそれもいかない。ガードしたのにも関わらず、それで勢いを完全に殺すことはできず、クレアの身体は宙に軽く持ち上げられる形となる。

「なぁっ!?」

 想定外の事態にクレアも冷静さを一瞬失う。

 だが、身体が宙に持ち上げられたと言ってロアルドロスが追撃を仕掛けてくるわけでもなかった。再び着水するまでの時間もほんの僅かなものであり、背中から着水すること以外は大きな傷を負うことはなかった。

 応急薬を飲み干した後、クレアは改めて水中に身を沈めロアルドロスの様子を窺ってみる。

 一旦酸素を補給したヴァイスが、ロアルドロスと対峙している。ここに来てロアルドロスの頭も冷静になったのか、先ほどのような切れた動きではなくなっていた。

 それを理解したクレアも接近を試みる。

 ロアルドロスはこちらの接近に気付いた素振りを見せるが、ヴァイスが尚も斬撃を繰り出し、その意識を無理やり遠退けようとしていた。それもあり、クレアは容易にソルジャーダガーの間合いに入り込むことに成功する。

 上段から振り下ろし、斬り上げ、横一文字に振り抜く。手数は少ないが、着実に一撃浴びせることを心掛け立ち回る。

 正面からヴァイスも一撃を繰り出すと、ロアルドロスは二人の間を掻い潜って海中を泳いでいく。一瞬はエリアを移動するのかと思ったが、ロアルドロスはそこから身を翻し突っ込んでくる。

「(速いっ!)」

 やはり水中でロアルドロスの動きに着いていくのは難しい。武器を納めた二人はギリギリのところで回避に成功する。

 しかし、そこから反撃に転じることができない。ロアルドロスは瞬時に体勢を立て直すと、二人を威嚇するかのように水ブレスを放ってくる。間合いが開いた遠距離からの攻撃では、水中では回避することだけでも精一杯なのだ。

 ようやくロアルドロスに接近したクレアもソルジャーダガーを引き抜く。だが、ロアルドロスもクレアの接近を理解していた。華麗な動きで身を翻し、ソルジャーダガーの刃を軽々と回避して見せる。

 そうなると、今度はクレアに隙が生まれる。ソルジャーダガーを空振りし、守りが薄くなった瞬間を見計らって水ブレスを立て続けに放つ。

 クレアにもその動きは見えた。何とか体勢を立て直したクレアは右手の盾を突き出して水ブレスを防ぐ。しかし、ロアルドロスは今度は突進を繰り出し、尚もクレアを追い回す。埒を明けない連続攻撃に、クレアのスタミナも底を付きる。

 そこにヴァイスが接近した。ロアルドロスに追いついたヴァイスは正面に回り込み、飛竜刀【椿】を振り下ろす。それが功を奏したか、ロアルドロスはヴァイスの一撃に怯み、ようやくその動きが止まる。

 ヴァイスは更に仕掛ける。怯んだ隙を突いてロアルドロスの真下に回り込む。ロアルドロスの死角に潜り込んだヴァイスは飛竜刀【椿】を構え直し、気刃斬り、気刃大回転斬りを繰り出す。

 その一撃の手応えは、今までとは全く異なるものだった。真横に振り抜かれた飛竜刀【椿】はロアルドロスの尻尾の付け根を捉え、その一撃で限界を迎えた尻尾はいとも簡単に断ち切られた。

「ウオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォッ!?」

 死角からの攻撃に、そして尻尾を切断されたことへの驚きと悲痛が入り混じった咆哮が水中に轟く。

「(やったか)」

 表情には露わにしないが、内心ではヴァイスも微かな喜びを抱いていた。

 しかし、それも束の間だ。ヴァイスはすぐさま気を改め、再び飛竜刀【椿】を振り抜いた。

 狙うのは鬣。ロアルドロスの存在を誇示するその鬣を最後に破壊しようという試みだ。ロアルドロスが怯んでいたうちに立ち位置を改め、狙った箇所に斬撃を集中させる。

 スタミナを回復させていたクレアも、ヴァイスの意図は把握したようだ。後方から接近し、ヴァイスと同じく鬣目掛けてソルジャーダガーを一閃させる。

「キュアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」

 怒りの咆哮が水中に轟く。

 後方に身を翻したかと思ったロアルドロスは、そこから一気に速度を上げ突進を繰り出す。それは何とか対処できたものの、続けざまに繰り出した水ブレスにクレアはその餌食となってしまった。

「(くうっ!?)」

 その苦痛の悲鳴の代わりに、クレアは口から気泡を吐き出す。更に、身体が途端に気怠くなったかのような感覚に襲われる。またもや、水属性やられ状態に陥ってしまったのだ。

 つい先ほど肺に溜め込んだ酸素も、今しがたの一撃でほとんどを吐き出してしまった。こうなれば、再び地上を目指すほかない。

 しかし、ロアルドロスもそのクレアの考えを先読みしたかのような動きを見せる。体勢を低くし、再びこちらに突進を繰り出してくる。盾でガードしこれを凌ぐが、それに時間を取られたことはクレアにとって致命傷となった。

 真上を――月の光が差す水面を、徐々に薄れゆく意識の中で見上げる。が、そこはまるで、遥か彼方にあるかのように遠い。

 ――間に合わない。

 本能的にそれを悟った。だが、朦朧としたクレアの意識に一筋の光が走った。武器を構えたまま、それこそロアルドロスに無防備な姿を晒しポーチの中を探る。そして、目的の物を手に掴むと、それを問答無用で口に押し込み飲み込んだ。

 するとどうだろうか。今までの息苦しさが嘘のようかのように、途端に意識が覚醒した。

 酸素玉。その名の通り、内部に大量の酸素が詰め込まれたアイテムである。これを口に含むことで、水面から顔を出さなくても酸素を補給できるという優れものだ。

 この酸素玉は、今回のクエストで支給されたアイテムのうちの一つだった。まさに僥倖と言って過言ではない。

 後方で光が弾けた。どうやら、ヴァイスが閃光玉を投擲したらしい。そのヴァイスはロアルドロスに追撃を浴びせるわけでもなく、クレアの様子をしばらく窺っていた。クレアが「大丈夫です」と軽く手を上げると、ヴァイスも軽く首肯しロアルドロスに向かって行った。

 念のためにクレアは応急薬も一本飲み干す。これでまたしばらくは水中で立ち回ることが可能だ。ヴァイスに続く形でクレアもロアルドロスに肉薄する。

 ソルジャーダガーの刃が通りそうな箇所を選びながら慎重に斬撃を繰り出す。一方のヴァイスは、クレアとは対照的に大胆に動く。尚も鬣を狙い続け、そして閃光玉の効力が切れる寸前で気刃斬りを叩き込んだ。

 大上段からの一撃は、今までに聞いたことの無い鈍い音を立てて鬣を穿った。その一撃でロアルドロスの鬣はズタズタに破壊される。今までスポンジ状に形作られていたそれが破壊されると、ロアルドロスの姿は何とも無残なものへと変貌してしまう。弱々しく、そして痛ましい。ルドロスの群れの長として君臨するものとして、これ以上の辱めはあるまい。

「キュアアアァァァァァァァァァァァァッ……」

 しかし、今の追い詰められたロアルドロスには、そんなプライドはもう存在しなかった。ロアルドロスはゆらゆらと海中を漂うようにこのエリアを立ち去ろうとする。

 しかし、ヴァイスたちにしても、この好機を逃がすわけにはいかない。

 あの威勢も、今では影を潜めたロアルドロスの動きにヴァイスが先回りし、足止めに入る。蓄積した気を再び放出させ、気刃斬り、気刃大回転斬りを繰り出す。裂帛の斬撃に、ロアルドロスも堪らず動きを止めてしまう。

 その瞬間にクレアが滑り込んだ。正面に肉薄し、そこから己の持つ全ての力を籠め、ソルジャーダガーを一閃する。狩猟開始当初はあれだけ苦労した水中での片手剣の扱いも、コツを掴み始めたクレアにはその心配は消え去っていた。

 只今は、目の前の存在を狩る。それだけをクレアは見据えていた。

「(行け、クレア!)」

 直接耳に届いたわけではない、だがそのヴァイスの想いはクレアは確かに感じ取った。

「(はあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!)」

 クレアと、そしてヴァイスの想いを乗せた一撃がロアルドロスに一閃された。その一撃でロアルドロスが一瞬痙攣したかと思うと、それから二度とこちらに向かってくることはなかった。

 長かったようで短かった狩猟が、今終わったのだ。

 

 

 

「はぁ……、疲れました……」

 剥ぎ取りを終え、拠点へと戻る道を進んでいた最中クレアが呟いた。隣を行くヴァイスも思わずといった感じで苦笑する。

「悪かったな。経験が浅い中、水中戦を強いられるロアルドロスの狩猟はかなり厳しかったはずだ」

「いえ、良い勉強になりました!」

 拳を夜空に突きあげながらクレアは言う。

 その様子に「疲れた」などという様子は見受けられず、ヴァイスはまたもや苦笑いする。

「だが、そう言ってもらえるなら俺としても何よりだ。この狩猟で何かが掴めたのなら、俺はそれで満足さ」

 淡々としたヴァイスの口調に対して、クレアは尚も嬉しそうな声色で続ける。

「いやぁ、これも師匠のおかげです! ありがとうございます!」

 そんな様子を見て、ヴァイスも内心相変わらずだなと無意識に思う。別に大したことはしていない、といった決まり文句も、ヴァイスはここでは控えるようにした。

 そうこうしているうちに、二人はエリア5へと戻ってきた。すると、クレアが突然歩を止めた。何事かと振り向いたヴァイスは、彼女が上空を仰いでいる様子を見て素直に納得した。釣られるようにヴァイスも満天の夜空を仰いだ。

「ここは、星がきれいですね……」

 クレアの感嘆とした感想にヴァイスも同意を示す。

 現在も自然が残ったこの地では、星々の光を遮るものは無い。澄んだ空気の夜空は、ただ見上げているだけでも吸い込まれるかのような感覚を覚えてしまう。

「……さあ、早いところ拠点へ戻ろう」

 ここが狩場でなければ、とは誰もが抱く感想だった。水を差したヴァイスに、クレアも大人しく従う。

 そして、改めて拠点へ向かおうとヴァイスは一歩を踏み出した。だが、そこでヴァイスの足は止まる。

「師匠?」

 不審に思ったクレアも尋ねてみる。だが、ヴァイスからの返答は無い。代わりにヴァイスは、拠点へ続くエリア2の方向ではなく、エリア6の方へ視線をやった。

 そして、その瞬間だった。

「ゴアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」

 地獄の底から湧き上がってきたかのような咆哮。今までの物静かな雰囲気からは一変し、異様な不気味さと、そして絶大な恐怖が辺り一面を支配した。

「な、何!? 何ですか、これっ!?」

 突然訪れた状況に、クレアも不安と恐怖、そして戸惑いの様子が見受けられた。しかし、今はそんなクレアの気持ちを宥める余裕など、ヴァイスには微塵も無い。

「……クレア、お前は先に行け」

 予期していなかったヴァイスの言葉に、クレアが呆気に取られた表情を浮かべる。

「えっ!? で、でも――」

「いいから行け! これは命令だ!」

 今まで聞いたことの無い、怒号のようなヴァイスの言葉にクレアも成す術はなかった。

 そう。クレアの実量では到底叶わない、凶悪なモンスターが今まさに姿を現さんとしているのだ。クレアが何と言おうが、ヴァイスはそれに耳を貸さないことは明らかだった。

「……さぁ、早く行け」

 クレア最後に小さく頷き、そして地面を蹴った。全速力でこのエリアから立ち去ろうと、必死で足を動かした。

 そして、クレアがエリア5から姿を消してから程なくして、ついにそれは姿を現した。

「こいつは……」

 ヴァイスも、最初はその姿に呆気に取られてしまった。

 その巨大な大柄は暗緑色の鱗に覆われている。肢体の筋肉は異常とも言えるほどにまで発達しており、一歩を踏み出すごとに大きく躍動するそれは、人間の存在など遥か貧弱な程にまで霞んでしまう。

 背中に走るのは無数の傷跡。それはこの厳しい自然環境を生き延びた証であり、この自然界の頂点に達する存在を誇示するには十分な勲章だ。

 そして、何より不気味なのはその頭。首元にまで裂けた口と、鈍器のような顎。見る者全てを戦慄させ、そして絶望させる。その存在は、まさに地獄の獣そのものだった。

 血に飢えた獄獣が、その視界に獲物を捉えた。

「グオオォォォォォォォォアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」

「くっ!?」

 他を大きく圧倒するその咆哮に、さしものヴァイスも背筋が凍り付いた。こいつがどれだけ危険な存在なのか、ヴァイスは身を以て痛感することとなった。

 それは躊躇うことなくヴァイスに突っ込んでくる。ギラギラと不気味な光を帯びる牙を剥き出しにし、そのままヴァイスを喰らわんと頭を突き出してくる。

「っ!」

 ヴァイスも瞬時に反応する。咄嗟に回避行動を執り、そして上手い事死角に潜り込むことに成功すると、発達したその脚に向かって飛竜刀【椿】を振り下ろした。

 確実にその一撃は捉えた。だが、手応えが浅い。否、正確には飛竜刀【椿】の刃が通ったというものではなく、一撃としての重みがほとんど感じ取られなかったのだ。

 その現象に、ヴァイスもすぐさま一つの考えが導かれる。

「炎が利いていないのか……!」

 目の前の存在は、ロアルドロスとは何もかもが違う。だが、今までのヴァイスの経験は、こいつに対して飛竜刀【椿】が不利なのだという結論を出させることは容易だった。

 ヴァイスは前転して下腹部から抜け出すと、改めてそいつの様子を窺ってみる。

 炎が利かないと判断した相手に対し、無理に斬撃を繰り出す必要など無い。比較的容易に斬撃を命中させられそうな箇所を短い時間で見極める。

 一方、それは地面に顔を突っ込んだかと思うと、そのまま地面を抉り取り、巨大な岩石をこちらに放り投げてきた。飛竜刀【椿】を鞘に納める暇も無い。ヴァイスはそれを回避すると、足元目掛けて今度は斬撃を放つ。

 やはり、先程と感覚は変わらない。炎が効いていないのだ。

 それは、尚も荒々しい攻撃を繰り出してくる。鋭い牙を剥き出しにし、周囲の空間を右、左と引き裂く。

「くそっ……!」

 距離を取って回避しようにも、それでは間に合わない。ヴァイスは飛竜刀【椿】を鞘に納め、緊急回避で何とかこれをやり過ごす。

 その後、ヴァイスはすぐさま体勢を立て直し、背後からの接近を試みようとした。だが、それはヴァイスの接近を見透かしていた。ヴァイスが接近してきた右脚を高く持ち上げ、そのまま地面に振り下ろした。地鳴りのような轟音が聞こえたのと同時、地面が持ち上げられ隆起するかのような衝撃がヴァイスにも伝わってきた。

「くっ!?」

 直撃は回避したものの、衝撃でヴァイスの身体の自由が一瞬奪われる。その一瞬の隙を逃しはしないと、それはその巨躯で以て体当たりを敢行する。

 だが、何とか体当たりを回避し、ヴァイスは今度こそ反撃に転じる。右脚に接近し、鞘から振り抜いた飛竜刀【椿】を上段から一閃する。続けざまに突き、斬り上げ、斬りつけと基本の型で着実に斬撃を命中させる。

 すると、それもヴァイスが自身にとって厄介な存在になり得るとようやく判断したのだろう。自らの力を誇示するかのように、強大な咆哮を撒き散らす。

「ゴワアアアアアアオオオオオオオオォォォォォォォォォッ!!」

「うっ!?」

 あまりの大きさに、ヴァイスも身動きが取れなくなる。そして、咆哮の余韻が徐々に薄れヴァイスの身体も自由を取り戻した時、彼も思わず絶句した。

 全身の筋肉であろう部分は血のように真っ赤に染まり、それは大きく隆起する。今までに受けた痛々しい古傷の数々が全身を駆け巡り、そしてその傷からも生々しく、不気味な赤の滴が零れ落ちた。

 口元は、こちらも不気味な程に赤黒く燻ぶり、耳障りな異音がヴァイスの鼓膜を貫く。

 それが、それこそが。こいつの、真の姿なのだ。

 ヴァイスは動く。こいつの真の力がどれほどのものなのか。それを少しでも目に焼き付けておこうと飛竜刀【椿】で斬りつけた。紅蓮の炎が斬撃と共に爆ぜるが、それをものともしない。

 数歩後ずさった後、前進しながら身体を回転させ、その牙と尻尾で周囲を薙ぎ払った。正面に捉われたヴァイスは、尻尾に身体を掠める格好となり体勢を一瞬崩す。

 その一瞬の隙でさえ命取りとなる。頭を大きく持ち上げたそれの、口内の赤黒い物質の運動が盛んになる。刹那、稲妻のような閃光が走ったかと思うと、ブレス上の赤黒い物質が周囲を焼き尽くした。

「うぐっ!?」

 ヴァイスの身体も赤黒い閃光に飲まれ、そして吹き飛ばされる。身体に電撃が走ったような、それこそ雷撃に直撃したかのような鋭い痛みに身体が蝕まれる。

 だが、ヴァイスはそれで屈することはなかった。追撃を掻い潜り、そいつの隙を突いて再度飛竜刀【椿】で斬りつけた。しかし、ヴァイスは直後目を疑う光景を目の当たりにした。

 炎が、爆ぜない。

 飛竜刀【椿】の刃は確かにそいつを捉えた。ならば、その斬撃からは炎が爆ぜるはず。だが、今しがたの一撃では、それが起こることはなかったのだ。

 ヴァイスは続けて斬撃を繰り出す。やはり、炎が爆ぜることはない。

 一瞬、飛竜刀【椿】が壊れてしまったのではないかと疑問を抱いた。だが、ヴァイスはそれをすぐさま否定した。身体に、今までに感じたことの無い妙な違和感を覚え始めたのだ。

「あのブレスの影響か……」

 考え得る可能性はそれしかない。あのブレスに含まれる何らかの物質が、飛竜刀【椿】の性能を封じ込める何らかの影響を与えたのだろう。

「はぁ……」

 ヴァイスは溜め息を吐き、そして飛竜刀【椿】を鞘に納めた。

 時間は短かったが、得られた収穫は大きい。それを思ったヴァイスが閃光玉を投擲する。孤島を揺るがす苦痛の咆哮が聞こえてくると、ヴァイスは全速力で駆け出した。

 背後から聞こえる凶暴な咆哮を、その姿を改めて脳内に焼き付け、ヴァイスは拠点へ続く道を急いだ。



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EPISODE21 ~厄介な任務~

 その後、ヴァイスは何とか拠点へ辿り着くことができた。

 身体の方は痛手を喰らったが、命に別状はない。しかし、全身を土埃に塗れさせたヴァイスが拠点に帰って来ると、クレアの表情は更に不安を帯びたものへと変化した。

「し、師匠! どうしたんですか!?」

 そうやって声を上げるクレアに、一方のヴァイスは「大したことはない」と右手を軽く上げてそれに答える。

「なに、少しばかりあいつの攻撃を喰らっただけさ」

「で、でも……!」

 しかしクレアも、その様子が大したことないわけがない、と言わんばかりだ。

 実際、ヴァイスも強がっていた。クレアに無駄な心配はさせまいと平然を装っているつもりだった。だが、それも無意味だったらしい。それを悟ったヴァイスは短い溜め息を吐く。

「……心配をかけて悪かったな。いくらクレアを逃がすためとはいえ、少し無茶をしたかもしれない」

 そのヴァイスの言葉にクレアもいよいよ押し黙ってしまう。

 そう。クレア本人も分かっていたのだ。どうしてヴァイスはあの場に留まり、あえて危険な存在に立ち向かったかということを。

 何を言っても、自分のわがままにしかない。それを分かっているからこそ、クレアはヴァイスに対し何も返す言葉が無い。

 しかし、そんなクレアの心境を知ってか、ヴァイスが「だが」と言葉を続ける。

「俺はあのモンスターがギルドでも把握しきれていない未知の存在であること、そしてそれが孤島に出現する可能性があることを事前に知っていた」

「だったら、どうして――!」

「それが、俺たちギルドナイトの仕事だからだ」

 クレアの言葉を遮るようにヴァイスは言った。そして、ヴァイスは尚も続ける。

「最初に言っただろう。俺がギルドナイトである限り、クレアを同行させることのできない依頼もあると」

「……」

 今度こそクレアは何も言えなくなってしまう。

 そうだ。それはヴァイスと初めて対面したあの日――弟子にしてほしいと願い出た際に言われた一言だった。

 クレアは未熟なハンターだ。あんな危険な存在に手も足も出ないことは火を見るよりも明らかだ。いや、例えクレアが新人ハンターではなかったにしても、ヴァイスの反応は変わらなかっただろう。

 それは、クレアを守るためであり、そして自分の任務を遂行するための選択。

 あの場に残りたい。

 もう、自分のために誰かが犠牲にならないでほしい。

 守られるだけで、ただ無事を祈るのだけは嫌だ。

 だが、例えそれをクレアが願おうと、それを実現させることは許されなかった。

「師匠……」

 その心の叫びが言葉になることはない。行きようのない様々な感情を抱いていては、それしか発することができない。

 そんな時、ヴァイスがふとクレアに問いかけた。

「クレア。お前はどうなりたいんだ?」

「えっ……?」

 あまりに唐突な問いかけに、クレアも意表を突かれる。

「どうなりたい、ですか?」

「ああ。具体的に言うと、どんなハンターになりたいんだ?」

 その問いかけに、クレアは思考を巡らせる。

 どんなハンターになりたい? いや、そんなことは訊くまでもない。

 たった一つ、“あの人”に認められるようなハンターになりたい。そして、いつか共に同じ狩場で渡り合いたい。それがクレアのハンターを志すきっかけであり、いわば今に至る願いでもある。

 そんな気持ちを抱くクレアのことをヴァイスは知っている。ほんの少しばかり口元を緩めてみせ、そしてそんな弟子の肩を優しく叩く。

「その気持ちがあれば十分だ。お前は必ず強くなれる」

「師匠……っ!」

 その言葉が、クレアの心を徐々に晴らす。

「今は俺を頼れ。そして、いつか一人前になれ。その時にまた奴に、共に挑もう」

 ヴァイスの言葉に深く首肯し、そしていつものような快活な笑みを浮かべて見せる。

「はい! 改めてよろしくお願いします、師匠!」

 今はまだ未熟者だ。だが、一歩ずつでいい。一歩ずつ、着実に前へと進んで行けば、そこには道が続いているはずだ。自分の目指す、遥か高みへの道が。

 時間はかかるかもしれない。幾多の困難に遭遇するかもしれない。だが、それを乗り越えてようやく目指す自分になれるのだ。その想いを共に胸に抱き、クレアは深々と頭を下げる。

 そして、ヴァイスも「ああ」と頷く。

 改めて師弟という関係を誓い、そしてまたいつかあのモンスターに挑むことを決意し、二人は孤島を後にした。

 

 

 

 それからもう十日以上が経った。

 無事にユクモ村に帰還したヴァイスはロアルドロスの狩猟の件、そして未知のモンスターと対峙した件についてギルドマネージャーと話をした。

 そうすると、どうやら向こうもある程度のことは把握できたらしい。そのモンスターに対する何枚かの資料を、ギルドマネージャーはヴァイスに提示した。

 それに記されたことは被害状況や、どこで目撃されたなどといったものばかりで、肝心なモンスターの生態などに対する記述は予想通りのものだった。

 ヴァイスはあの短時間での対峙の間に得たこと、そして未だ未解明なことも含め自分なりにまとめ始めた。資料から得た情報も元に、それを記す。

 

 

 

銘:イビルジョー

種族:獣竜種 竜盤目 獣脚亜目 暴竜上科 イビル科

 

 発見はつい最近とされる。

 非常に凶暴な性質かつ異常なまでの食欲を擁する。この異常な食欲は、自身の生態を保つ所以である。故に一部地域では、特定のモンスターがこの活動により絶滅したとの報告も挙がっている。

 その捕食対象は、ほぼ全ての生命体。そこには自身も含まれ、共食い、また切り落とされた自らの尻尾さえをも捕食することが確認されている。

 身体つきとして特筆すべきは、全身が発達した筋肉の塊であること。故に甲殻を持つモンスターに比べ肉質は柔らかくなるが、他に類を見ない圧倒的な運動能力を実現させる。また、前述の通り捕食活動が異常に活発であるため、咬合力の発達は他の大型モンスターを圧倒する。

 怒りを露わにした際は、その全身の筋肉が活性化されることで隆起し、更なる凶暴性と攻撃が明らかとなる。

 また、その際に発するブレスに含まれる何らかの物質は、ハンターの携える武器の性能を劣化させる(厳密に言えば武器に伴う属性を封印する)。原因は不明だが、ウチケシの実を食べることにより、この症状は回復可能なのだという。

 活動範囲の特定は不可能。温暖湿潤地域を始め、砂漠、火山地帯、氷雪地帯でも目撃報告は挙がっている。

 ハンターズギルドでは、これを最重要調査対象モンスターとし、万一狩場にこの存在が確認された場合は、相応の実力が認められる者でも、狩猟許可を下さない場合もある。

 以降、ハンターズギルドでは、この存在をイビルジョー(恐暴竜(きょうぼうりゅう))と命名する。

 

 

 

「こんなところか」

 溜め息を吐いたヴァイスは、そう呟くと改めて椅子に深く座り込んだ。

 目を通した資料の中で重要だと思われるもの、そして自らの体験を踏まえた上でこれを記した。簡略ではあるが、それでも未知のモンスターの情報をここまで得られたと考えれば上出来である。

 元々ヴァイスは、これをギルドに提出する目的でこれを記そうとしていたわけではない。自身の資料としての使用を目的をして執筆していたが、しかしこれをギルドに提出しても損はあるまい。ただでさえ情報が不足している相手だ。むしろギルド側も、ヴァイスに対して情報の要求をすることは大いにあり得ることだった。

 その部分も考慮し、ヴァイスは今一度内容を読み返してみる。そうして不明慮な箇所、誤った記述が無いことを確認したヴァイスは椅子から腰を持ち上げ、そしてベッドに寝転んだ。

 仰向けに身体の向きを変え、そして目蓋を閉じる。

 思い返せば、ヴァイスがユクモ村にやって来てからまだ一ヶ月と経っていない。それこそ当初は、ただギルドの任務を全うするのだと考えていた。だが、今に至る生活は、その頃に思い描いていたそれとは全く異なる。

 赴任先で「弟子にしてくれ」といきなり乞われ、尚且つそれが昔自分が助けた少女だったなどと。そんなこと、一体誰が想像できるだろうか。今見てるものは全て夢だ、と言われても何ら不思議ではない偶然。だが、その偶然は、あの時のヴァイスが“望まなかった”ことであり、それが今こうして実現してしまった。

 本当に摩訶不思議なものだ。

 後ろめたさを覚えたあの日は、日付で言えばもう二年近く前の話だと言うのに、その記憶はまるで遠いもののようには思えない。その時の自分が、何を抱き、あの言葉を発したなどというのは……。

「フフッ……」

 自嘲気味にヴァイスが口元を緩ませる。その様子は「相変わらず馬鹿だな」とでも自分に投げかけているかのようにも見える。

 しかし、それを教える相手もいなければ、それを話そうとするヴァイスでもない。身体をベッドから持ち上げ、そして近くに立て掛けてあった飛竜刀【椿】を掴んだ。

 何かの呪縛を振りほどこうかとするように首を横に振り、ヴァイスは飛竜刀【椿】を手に持ったまま家を出た。軽い鍛錬をし、気分をリフレッシュしようとするつもりだ。

 家の裏側へと回り込んだヴァイスは、ぐるりと辺りを一見する。

 回りは木々に囲まれ、人の気配は全く無い。かと言って狭い空間ではないため、余分な気を遣わずに鍛錬に励むことができる。

 飛竜刀【椿】を鞘から引き抜いたヴァイスが、淡々とした様子で素振りを開始する。

 突き、斬り上げ、斬りつけ。太刀の基本の型とも呼べる動きを中心に鍛錬を行うのが、ヴァイスの日課だった。この日も余分なことは省き、基本の型の素振りを続けた。

 昼下がりに始めた素振りも、いつしか日が傾き始めてきた。木々の陰は伸び、その間から指す日光が飛竜刀【椿】の銀の刃を反射しその影を照らす。

「ふっ……!」

 ヒュン、と風を斬る音が静寂に響いた後、ヴァイスが肩の力を抜いた。

「今日はこんなところか」

 額に滲んだ汗を拭いながらヴァイスは言った。

 先日受けたイビルジョーの攻撃の傷は完全に癒えたようだ。太刀を振るう際に支障は無く、普段通りの感覚で身体を動かすことができた。

 今日は上々だろう。そう思って踵を返したヴァイスの目の前に、見知った顔が現れる。

「あっ、師匠。ここにいましたか」

 ヴァイスを見つけたクレアがこちらに駆け寄って来る。様子からして、どうやらヴァイスのことを探していたらしい。

「悪いな。探させてしまったらしくて」

「いえいえ、それは全然大丈夫です。それよりも……」

 ここで突然、クレアの歯切れが悪くなる。

 その様子を目の当たりにしたヴァイスも先程とは違う汗を流し始める。いつもハキハキと振る舞うクレアのことだ。こう歯切れの悪い時には、何か面倒な事を言うに違いない。たかが一ヶ月もない付き合いの中で、ヴァイスはそんなことが分かるようになってしまっていた。

 そしてクレアも、案の定“面倒な事”を口にする。

「料理、を作ってみたんですが……」

「お前一人で、か?」

 詮索するようなヴァイスの問いにクレアがこくりと頷く。

 クレア。料理。その二つの単語だけで、数日前の“あの光景”が目に浮かぶのは想像に難くない。ヴァイスもヴァイスで、クレアに対しては様々な事を言いたげな様子である。

「……それで、無事に作れたのか?」

 そもそも、こんなことを尋ねる時点で、彼女に一人で料理をさせることが間違っているのだとヴァイスも重々理解している。もちろん、あの時の出来事を振り返れば、それを尋ねずにはいられないことは確かなのだが。

 一方、そんなヴァイスの問いかけに嫌悪のけの字も見せない様子で「こ、今度こそは大丈夫です!」などと言うのだ。

 料理を作ってみた。そしてクレアは、それをわざわざヴァイスに報告に来る。ならば、次に考え得る行動はただ一つ。

 ヴァイスはそれを先読みし「分かったよ」と渋々承諾する。

「あ、ありがとうございます!」

 この反応を見れば、ヴァイスの解釈が誤ったものではないと確定される。

 どうやら、クレアの料理特訓(二回目)が今から開始されるらしい……。

 

 

 

「う、ぐっ……」

 狩猟で横腹を思い切り殴られたかのような呻き声が上がった。

 いや、それも仕方がなかろう。何故なら、二日ほど前に「大丈夫です」と言われて食べてみた料理(?)が全然大丈夫ではなかったのだから(今回は見た目的には大丈夫ではあった)。

 一体何を加えたんだ、と訊くまでもない。どうせあの彼女のことだ。何か調味料を加える際、誤って何か別の物を加えてしまったのだろう。食べた者の胃袋に、途轍もない苦痛と衝撃を与える何かを。

「くそっ、まだ違和感が残っていやがる……」

 腹部を摩りながらヴァイスは言った。

 今は集会浴場に向かって石段を登っている最中なのだが、その一歩一歩の振動で胃の辺りが痛むような気がするのだ。

 逆にどんな物を加えればこんなことになるのだろうか。これは大型モンスターにも有効なのではないか、とヴァイスは本格的に疑い始めている頃だった。

 そんなこんなで、どうにか集会浴場の暖簾を潜る。

 時刻は間も無く正午を迎えようかという時間帯だ。集会浴場にも、湯治客の他にも数人のハンターの姿が見受けられる。

 ここ最近ではハンターの姿も多少ではあるが増えている気がした。村長やギルドマネージャーが、その辺りの対策を入念に進めている証拠だろう。

「よぅよぅ、チミ。散々だったな」

 カウンター近くにやって来たヴァイスに対し、ギルドマネージャーが愉快そうな様子で言う。

「ええ、全くですよ」

 肩を竦める仕草をしたヴァイスがその場を後にする。その背後からは、尚も「ひょひょっ」と高らかで抑揚のある独特な笑い声が聞こえていた。

「さて……」

 掲示板(クエストボード)の前にやって来たヴァイスは、ざっと提示された依頼書に目を通す。

 名の知れたモンスター。はたまた資料の中でしかその名前を見たことのないモンスターなど、各種様々な依頼が今日もぎっしりだ。

 どの依頼が適当だろうか。それを常に頭の中に置き、そして様々な依頼と天秤に掛け一つを選択する。

「これだな」

 その中から一つ。悩んだ末にヴァイスは一枚の依頼書を掲示板から持ち出し、それをカウンターの受付嬢に手渡す。

「これを頼む。同行者は一人だ」

「はい、分かりました! 手続きが完了するまでしばらくお待ちください」

 そうして受付嬢が手続きを開始すると、いつものようにカウンターで酒を呷るギルドマネージャーがヴァイスに視線を向ける。

 クレアのことも、よろしく頼むぜ。ギルドマネージャーは、確かにそれを視線で伝えた。

 そして、それに答えるように。ヴァイスは口元を僅かに緩めて、そして首肯した。

 言われるまでもない。今ここに自分がいるのは、ギルドナイトとしての任務を完了するため。そして、クレアを一人前のハンターに育て上げるためだ。

 そこに迷いは無い。ただ、それだけを成し遂げればいいのだ。それこそが、自分に与えられた使命なのだ。

「はい、手続きが完了しました! 依頼の方は今日中に出発してもらえれば大丈夫ですよ」

「ああ、分かった。ありがとう」

 受付嬢から手続き書を受け取ったヴァイスが踵を返す。

 彼女との約束を果たすため。

 ヴァイスの“厄介な”任務は、まだ始まったばかりに過ぎない――。



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第二章 指揮者を目指す者
EPISODE22 ~青の挽歌~


この回より第二章となります。タイトル名は『指揮者(カペルマイスター)を目指す者』です。
それでは、第二章スタートです。


 ――その世界は、静寂してした。

 時は凍てつき、まるでその流れを忘れてしまったかのように。風が頬をなでる音も、近くを流れる川音さえも、この静寂に飲まれては、耳に届くことはない。

 そして、見渡す限りの銀世界。

 地面に降り積もる純白の雪。それは夜空から降り注ぐ月明かりに照らし出され、星のように輝いている。

 飲み込まれてしまいそうな程に美しき世界。だが、そこに油断を見せれば、文字通り人間はその自然に飲まれてしまう。

 人の住むことなど決してない極寒の地。だが、こんな過酷な地にもモンスターは存在する。この過酷な環境で生き抜くために順応し、進化したモンスターは驚異の一言に尽きる。

 太陽が昇っていないこの時刻では、その寒さも更に厳しさを増す。拠点(ベースキャンプ)から一歩外へ踏み出した氷雪地帯は、ホットドリンク無しでは耐えられない冷気に身体を蝕まられる。

 美しく、そして過酷な環境。その狩場の名は凍土。

 その凍土の拠点には現在、ヴァイスとクレアの二人の姿があった。

「クレア、準備はいいか?」

 ヴァイスの問いかけに、クレアは寒さに負けない溌剌とした笑みを浮かべ「はいっ!」と返事をする。

 こんな極寒の地でさえも、クレアが普段通りに振る舞えるわけには、彼女が身に纏う防具に理由があった。

 言うなれば、それは凍土に降り積もる雪と同じ、純白色のコートだ。しかし、腹部や肩にはアイシスメタルを初めとする素材を用いて強度を確保してある。

 そして何より、この防具の一番の特徴は頭部だ。兎のような可愛らしいたれ耳――いわゆるウサミミに目を惹かれる。その見た目から、女性ハンターの間では人気のある防具の一つである。

 この防具はウルクシリーズ。この凍土に住まうモンスター、ウルクススの素材を用いて作られた防具であり、『寒さ無効』という実用的なスキルを兼ね備えている。凍土での狩猟において、これほど有能な性能を持つ防具には数が限られる。

「私はいつでも大丈夫ですよ!」

「この強烈な寒さを感じない、というのが何とも羨ましいな」

 口から白い息を吐き出し、明らかに寒そうな様子でヴァイスが言う。

 そう。拠点での寒さは、狩場に指定されているエリアに比べればまだ生温いが、それでも寒いことに変わりはない。こうして身体の動きを止めていると、ほんの数十秒で身体の芯まで凍り付いてしまいそうになる。

「師匠もこういう装備にすれば、それは解決しますよ」

「それができたら苦労はしないんだがな……」

 いつまでも希望的観測を述べ続けても仕方無い、とヴァイスは自分に言い聞かせ、軽く身体を動かす。

「武器の切れ味の方も大丈夫か? 砥石を使っている余裕は無いと思うぞ」

「はい。ばっちりですよ!」

 クレアは自らの武器を掲げてヴァイスに見せてみる。

 その片手剣はコマンドダガー。以前までクレアが用いていたソルジャーダガーを、ドスジャギィの素材を用いて更に強化した武器だ。見た目こそソルジャーダガーと大差無いが、コマンドダガーの攻撃力、そして切れ味はソルジャーダガーよりも大いに強化されている。これによりクレアの動きにも、以前にも増して切れが出てきていた。

 一方、ヴァイスの太刀は飛竜刀(ひりゅうとう)椿(つばき)】。防具はギルドガード(あお)シリーズと、ギルドナイトの威厳を保った装いに変わりはない。

「さて、そろそろ行こう。これで終わらせるぞ」

「はい!」

 ヴァイスがホットドリンクを飲み干し、入念な準備を終えた二人が拠点を後にする。

 拠点の隣を流れる川に沿って道を辿ると、急に開けた場所に出る。

 エリア1。強烈な寒気はこの先の方から流れ込んでくるため、エリア1では既にホットドリンクが必需品となる。もちろん、クレアのような『寒さ無効』というスキルを持つハンターを除いての話だ。

 身を縮こませる寒気に乗り、エリア1から続く道の奥からペイントの臭気が漂ってくる。注意深く臭いの方向を把握し、そして今回の標的の位置を割り出す。

「エリア2ですね」

「ああ。行こう」

 続いて二人が足を踏み入れたのはエリア2。そこで圧巻されるのは、真正面に見える、まるで天を摩するかのように聳え立つ巨大な氷柱だ。

 一体どれだけの年月をかければ、あのような自然の建造物が造り上げられるのだろうか。そんなことを考えたいという気も過るが、そうはさせじと二人の視界を一匹のモンスターが横切った。

 あの氷柱と同じ、全身が青白い鱗や皮などで覆われており、鳥竜種ながらも巨大かつシャープな体型をしている。

 群れの長に君臨する者としてその存在を誇張するのは、頭部の巨大な鶏冠。奴が指示を出せば、群れを成すモンスターたちはそれに的確に応答し、そして獲物を食らう。

 眠狗竜(みんくりゅう)、ドスバギィ。それがこのモンスターの名だ。そのドスバギィが、二人の存在を認識する。

「ウオオォォ、ウオオォォ、ウオォォォォォォォン!!」

 その独特な鳴き声を辺りに響かせると、何処からもなく群れのバギィたちが出現する。もちろん、それらは二人目掛けて一直線だ。

 ドスバギィはしばらく動こうとはせず、下っ端のバギィたちに二人の相手をさせるようだ。そして、二人が油断を見せた瞬間に仕掛ける。このような狡猾な手段を用いて相手を追い詰めるのがドスバギィの戦い方であるのだ。

「バギィたちを先に片付けるぞ」

 ヴァイスの指示により、クレアも動き出す。

 コマンドダガーを腰から振り抜くと、接近してきたバギィ目掛けて一閃する。それを討伐すると、続けざまにやって来たもう一体も片付ける。

 その時、ドスバギィもようやく動きを見せる。

 バギィの処理に手間取っていたクレアに照準を合わせると、必殺のサイドタックルを繰り出す。クレアもこれにはすぐさま反応し、右手に装着した盾でガードする。

 一方、隙の生まれたドスバギィにヴァイスが斬り込む。上段からの斬りつけ、突き、斬り上げと斬撃を繰り出す。

 炎を嫌うドスバギィにとって、ヴァイスの斬撃は厄介だった。分が悪いと察したドスバギィは、持ち前の跳躍力を生かして一時後退する。そして、またしても咆哮する。

「ウオオオオオォォォォォォォォォォッ!」

 この咆哮に応じ、バギィたちが再び現れる。更に、ドスバギィはバギィたちに攻撃命令を下すかのように再度喉を鳴らす。

「気を付けろ。バギィたちも仕掛けてくるぞ」

 動きが活発になりつつあるバギィたちを見据えながらヴァイスが警告を促す。

 先に動いたのは向こうだった。ドスバギィの命令により、召集されたバギィたちがヴァイスたちに突っ込んで来る。

 ヴァイスとクレアは散開し、それぞれバギィの討伐を試みる。

 だが、今回はドスバギィはバギィたちが一掃されるのを黙って見ているわけではない。ドスバギィはまたしてもクレアに接近していくと、ブレス状の物体をクレア目掛けて放った。バギィたちに気を取られていたクレアは、その物体を諸に浴びてしまう。

「しまっ、た……!」

 眠狗竜の二つ名の通り、ドスバギィは体内で睡眠を促すような物質を生成し、それをブレスとして吐き出し獲物を魔の眠りに陥らせる。

 睡眠液を浴びたクレアも、徐々に意識が遠のいていく。

 このまま眠りに落ちれば、クレアが目覚めることは二度とないだろう。しかし、ドスバギィが睡眠液を用いることはクレアも事前に理解していた。そのため、しっかりと対策も用意していた。

 何とかドスバギィから距離を取りつつ、クレアはポーチから元気ドリンコと呼ばれる液体を取り出し、それを一気飲みする。眠気覚ましの効果を持つ元気ドリンコにより、クレアの意識も一瞬で覚醒する。

「ウオオオオオォォォォォォォォォォォォォッ!?」

 一方、ドスバギィはクレアを捕らえることができなかった。すぐさまヴァイスが駆けつけ、彼の繰り出す斬撃により追撃を阻まれたためである。

 ここでクレアも合流する。ドスバギィに肉薄すると、コマンドダガーを振りかぶり斬撃を浴びせる。

 しかし、ドスバギィもやられ倒しではない。ヴァイスを何とか振り切ると、後方に立つクレアを狙い、振り向きざまに噛み付こうと牙を唸らせた。クレアがその牙の餌食になることはなかったが、その巨躯に軽く体当たりされる形となり、クレアは吹き飛ばされ尻餅を着いてしまう。

「いたっ!」

 突然の出来事に思わずクレアも叫ぶ。だが、そのクレアの目の前にドスバギィが接近する。

「狙われているぞ、退け!」

 ヴァイスの警告を受け、クレアも痛がる身体に鞭を入れ危機を逃れる。

 だがドスバギィも、その程度では諦めない。執拗にクレアを追い詰めることで、彼女に回復の隙を与えないつもりだ。

 しかしながら、ドスバギィはヴァイスの妨害により、またしてもクレアを仕留め損ねてしまう。そこでドスバギィは、転じてヴァイスを屠ろうと試みるも、苦手とする紅焔の刃には正面から太刀打ちできない。逆にカウンターを喰らう形になってしまう。

「ウオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォン!」

 怒りに染まる咆哮が、凍土の空気を揺るがす。

 単独で獲物を仕留めるのは不可能だと察したドスバギィが、バギィたちを召集する。彼らに攻撃指示を下し、そして自らも二人に襲い掛かる。

「ウオオォォォォォッ!」

「ウォォォ、ウオオォォォォン!」

 周囲から巻き起こるバギィたちの鳴き声、そしてドスバギィの咆哮。まるで挽歌とも思える聞き苦しい嘶きの数々に、二人も思わず悪感する。

「まるで、何かの生贄に捧げられているようだ……」

 こちらを睥睨するドスバギィやバギィたちを見ると、思わずそう口にしてしまう。人間が抱くモンスターに対する恐怖ではない、もっと別の恐怖を胸に抱くのだ。

 その胸の内を見透かしたかのように、ドスバギィは合図を下しバギィたちをこちらに放つ。

 目障りなバギィたちを相手にしていると、ドスバギィも隙を見計らっては二人に奇襲を仕掛けてくる。ようやく邪魔者を片付けたと思っても、ドスバギィは更なる援軍を呼び寄せる。

「しつこい!」

 さすがにクレアも苛立ちを覚えてくる。

 こうなっては、ドスバギィはいずれ凍土中の全てのバギィを呼び集めるだろう。だが、そんなに多くのバギィの相手をしていれば、こちらの体力も限界を迎えてしまう。

 それならば、やられる前にやるだけである。そう思い至ったヴァイスがクレアを呼ぶ。

「ドスバギィを優先して動こう。邪魔になるバギィだけ相手にして、他の奴には注意だけ向けろ。できるか?」

「分かりました、やってみます!」

 手短に方針を伝えると、ヴァイスとクレアは散開していく。

 案の定、二人の後を追うようにバギィたちが付いてくる。だが、それは今回無視し、ドスバギィに接近した。間合いに踏み込んだ二人は抜刀し、斬撃を繰り出す。

「ウオオォォォォン!」

 次第に後方から無数の足跡と鳴き声が聞こえてくると、二人は一旦ドスバギィからは後退し、そしてバギィたちを振り切る。

 このような展開をドスバギィも予想していなかったようだ。標的の二人を捉えられない下っ端たちを見ては、怒りを露わにする。

 ここでドスバギィは、自ら二人を仕留める判断を下す。群がるバギィたちさえをも蹴散らし、標的目掛けて全力で駆ける。

 一方、目を付けられていたヴァイスは踵を返し、ドスバギィの頭部を狙って飛竜刀【椿】を振り下ろした。一瞬怯んだ隙を見計らい、クレアも同様にドスバギィの懐に飛び込む。

 肉薄する二人を振り払おうと尻尾を薙ぎ払うが、それでも二人はドスバギィに食い付く。

 ここで、バギィの群れが二人に追いついた。

「来たか」

 周囲を一瞥したヴァイスが斬り下がって間合いを取り、意識をバギィたちに向けた。

 向かってくるバギィを蹴散らしては、タイミングを計ってドスバギィにもまた斬撃を浴びせる。クレアも同じように、ヴァイスに言われた通りに立ち回っている。

 そして、最後のバギィを討伐すると、ここで二人が一気に畳みかける。

 ヴァイスはドスバギィの正面に陣取り、そこで気刃斬りと気刃大回転斬りを繰り出す。クレアは側面に回り込み、渾身の連撃をドスバギィに浴びせる。

 気刃大回転斬りが命中し、その衝撃で頭部の鶏冠が弾き飛ばされると、ドスバギィが苦痛の叫びを上げる。

「ウオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォッ!?」

 狩猟も終盤に差し掛かったところで、ドスバギィの体力も限界を迎えつつあった。

 この凍てつく大地を、あれ程縦横無尽に駆け回っていたドスバギィの姿も、ここに来て影を顰める。痛めつけられた身体を庇うように、ドスバギィがエリアの端に存在する巣穴に向かおうとする。

 巣穴に逃げ込まれてしまっては、そこからドスバギィを追うことはヴァイスたちにはできない。何としても、ここで決着を付けなければならない。

「クレア。手筈通りに頼むぞ」

「任せてください!」

 ヴァイスの言葉に首肯したクレアが駆け出す。ヴァイスも彼女の背中を追うが、ドスバギィにある程度追いついたところで閃光玉を投擲する。

 眼前に閃光玉を投げ込まれたドスバギィは、その閃光を防ぐことができない。視界を失ったドスバギィが、闇雲な動きで周囲を薙ぎ払い続ける。

 そして、閃光玉の効力が切れる寸前、クレアの声が前方から上がる。

「シビレ罠の設置、完了しました!」

 ヴァイスは頷き、そして飛竜刀【椿】を鞘から引き抜く。ドスバギィに斬撃を浴びせ、こちらに注意を向けさせる。

 一方のドスバギィも、最後の力を振り絞ってヴァイスに食って掛かる。しかし、それが罠であるということをドスバギィはもちろん知らない。

 設置されたシビレ罠を踏みつけると、周囲に特殊な電流が走り、それがドスバギィの身体の自由を奪う。

「クレア、今だ!」

 ヴァイスの合図で、クレアは手に持っていた捕獲用麻酔玉を二つ投擲する。二つ目の捕獲用麻酔玉が弾けると、ドスバギィの身体から力が抜け落ちた。

「捕獲成功だな」

 深い眠りに落ちたドスバギィを見下ろし、ヴァイスが呟いた。

 凍てつく静寂が、凍土に再び訪れた。



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EPISODE23 ~期待の若者たち~

 ドスバギィの狩猟を終え、二人がユクモ村に帰還する。

 そんな中、ヴァイスがふと思いを馳せる。

「そうか。もう二ヵ月前になるのか……」

 ポツリと呟いたヴァイスに対し、クレアが小首を傾げる。

 そんな彼女を見る限り、その事はあまり意識していないのだろう。ヴァイスはそう理解して苦笑いを浮かべる。

「俺とクレアがここで初めて会った時の話さ。それがもう二ヵ月前の出来事なんだ」

 そこまでヴァイスが言うと、クレアの方もようやく理解に至る。そして、ヴァイスと似たような心情を抱いては、その時を反復するかのように頷く。

「本当にあっという間でしたね。あの日がつい昨日のことのように思えてしまいますよ」

 二ヵ月前。それはあの日、クレアがヴァイスに対して、自分を弟子にしてほしいと願い出た時のことだ。

 日付だけを見て言えば、その時間は長いようで短いものだろう。だが、師弟関係となってから経過した時間の流れは、体感では驚くほど早く過ぎ去ってしまった。

 そんな一瞬で過ぎ去った時の流れの中で、二人は様々な狩猟を経験し、クレアに至っては多くのことをヴァイスに学んできた。遠い出来事のようにも思えてしまうあの日に交わした誓いは、クレアを、そしてヴァイスをも成長させてくれていた。

「お二人がそう感じるのは、それだけ熱心に狩猟に取り組んできたという証拠だと思いますよ」

 二人のやり取りを眺めていた受付嬢が、報酬を渡しつつそんな発言をする。

 確かに、それには一理ある。そして、ヴァイスにとってそれを促したのがクレアという弟子の存在だった。

 自らの目指す高みへ。その願いを叶えるために。クレアという少女は、必死になってヴァイスに付いてきて、そして多くの事を学習しようとしていた。

「私にとっては、本当に勉強になる二ヵ月でしたよ」

 クレア本人もそれは自覚していた。

 まだまだ未熟であるクレアにしてみれば、様々な狩猟の中で多くの難題にぶつかってきた。しかし、それでもクレアは強大なモンスターに屈することなどなかった。

 技術的な面では、クレアはまだまだ発展途上だ。だが、その不屈の精神は、ヴァイスをも驚かせるものがあった。

「俺にしてみれば、何とも妙な気持ちだ。こうしてクレアと師弟関係になるなんてな」

 ヴァイスもそうして、様々な思案に入り浸る。

 偶然か必然か。そんな二人の運命が交差して、二人は師弟という関係を結んだ。それを改めて思った時、運命の気まぐれというものにつくづくと神秘を感じるのだ。

「でも、後悔はしていないんですよね?」

 僅かに笑みを浮かべつつ、クレアはそうやって意地の悪い質問を投げかけてみる。対して、彼女の師匠は「当たり前だ」と口元を緩める。

 クレアを一人前のハンターに育て上げるのだと決意した。そこに存在するのは、むしろ彼女のその先の姿への期待なのだ。だから、後悔などするはずがない。

 それを聞いたクレアも、今度は満面の笑みを浮かべる。自分がどれだけ期待されているかを改めて知ったとき、彼女自身も更に精進しようと意気込むことができる。それこそがクレアの強さだった。

「それでは師匠。私はこれで失礼します。お疲れ様でした!」

 ご機嫌な調子で挨拶をして、クレアが足早に集会浴場を去って行った。

 その後ろ姿を見送ったヴァイスも「相変わらずだな」と短く息を吐き出す。

 さて、これからの時間はどう過ごそうか。そんな事を頭の中で考えを巡らせていると、不意に後方から声が掛かる。その声の主はギルドマネージャーであった。

「よぅ、チミ。調子はどうだい?」

 相変わらずの調子で問いかけてくるギルドマネージャーに、ヴァイスも慣れたように会釈をする。

「ええ。ドスバギィの捕獲も無事成功しましたし、俺もクレアも満足しています。調子も何ら問題ないですよ」

「ひょひょっ。そいつはいい事だ」

 ヴァイスから近況を聞いたギルドマネージャーも、二人の活躍には十分満足している様子だった。また、クレアに対しては、最近はギルドマネージャーも大きな期待を寄せているのだという。

「チミのおかげで、クレアも良い経験ができている。このまま着実に行けば、彼女が一人前になるのも時間の問題かもしれないねぇ」

「それは俺が保証しますよ」

 ギルドマネージャーの言葉に、ヴァイスが迷わず頷く。すると、ギルドマネージャーも頷き、自慢の口髭を弄ぶような動作をする。

「ほぅ。チミもなかなか大きく出るじゃあないか」

「そうは言いますが、爺さんも俺同様――いや、もしかしたらそれ以上にクレアには期待しているでしょう?」

 軽い調子でヴァイスが尋ねてみると、ギルドマネージャーも陽気な様子で首肯する。

「それは当然さ。もちろん、アタシはチミにも期待しているぜ。なんせ、将来有望な若者たちなんだからな」

「それは恐縮なことですね」

 それこそ素っ気ない口調でヴァイスは返すが、ギルドマネージャーもそんな彼の胸の内を見透かしていた。そのヴァイスの様子を見て、ほくそ笑むような表情を浮かべる。

「期待していると言えば、先日紅葉荘にとあるハンターが訪れてきたらしい。何でも、チミに会って話をしたいそうで、わざわざやって来たそうだ」

「俺にですか?」

「うむ。その類の話の相手となれば、チミ以外に該当する人物はいないだろうに」

 そこまで言われて、ギルドマネージャーの表情が指す意味をようやく悟る。

 ギルドマネージャーのこの反応はクレアの時――弟子にしてほしいと乞われた時と同じ雰囲気だ。となれば、その人物がしたいという話の内容も“その類”なのだろう。つまりはそういうことだ。

「えぇ、でしょうね。俺以外には該当者はいないですから」

 ギルドマネージャーの言葉を自ら反復しつつ、ヴァイスが踵を返した。

 集会浴場を出ようとする前に、「詳しいことはレーナに聞いてくれ」というギルドマネージャーの言葉が背中に投げかけられた。それを確かに受け取った証拠に溜め息を一つ残し、ヴァイスが集会浴場を後にする。

 石段を下っていき、村の入り口に設置された鳥居が見えてくる頃には、目指す紅葉荘がすぐ目の前に映る。

 暖簾を潜って中に入ると、カウンターの向こうでレーナが自らの仕事をこなしていた。その挙措は如何にも宿屋の看板娘に相応しく、手慣れた手つきであった。

「あら、ヴァイスさんじゃないですか。こんにちは。どうされたんですか?」

 ヴァイスが扉を閉めると、カウンターの向こうからレーナの顔がひょいと出現する。手元にあった書類の束をそこに置くと、レーナはこちらに歩み寄って来てそう尋ねた。

「実は、爺さんから俺に会いたいハンターがいると聞いたんだ。詳しいことはレーナに訊くよう言われたからここに来たんだが……」

 そこまでヴァイスが言うと、レーナがポンと手を打つ。その様子を見る限りでは、どうやら思い当たる人物がいるようだ。

「なるほど。それなら多分グレンさんですね。今はここに宿泊してくれているんですよ。少しだけお待ちになってもらえますか? グレンさんは今部屋にいると思うので、あたしが呼んできますね」

「そうなのか。そういうことなら頼むよ」

 レーナが二階に続く階段を小走りに上がっていく。彼女の姿が見えなくなってから間を置かず、レーナとグレンと呼ばれるハンターと思しき話し声が僅かに聞こえてきた。

 そうして二人の会話が途切れてからしばらくして、レーナが戻ってきた。

「お待たせしました。グレンさんはもうすぐで来ますよ」

 レーナが言い終わったのと重なるように、そのハンターの姿が露わとなる。

 ゆっくりとした歩調で階段を下りてくると、ハンターはヴァイスの前で直立する。

「ヴァイスさん。こちらがグレンさんです」

 ――グレン。そう呼ばれたハンターが律儀に一礼する。

「初めまして、ヴァイスさん。グレン・グリークと言います。武器は狩猟笛を使っています」

 真剣さ、そして緊張が籠った声色でグレンは自らの名を名乗った。

 彼のその姿は、正直言ってヴァイスの予想を凌駕した。

 凌駕したという意味では、それはグレンの容姿だった。どちらかといえば少年という表現が相応しい顔立ちと雰囲気。

 栗色の髪はきちんと手入れを施しており、綺麗に切り揃えられている。

 ヴァイスの視線を堅固なまでに受け止める紫水晶(アメジスト)の双眸。そのどれもが、ヴァイスの予想とかけ離れている。

 そこから徐々に視線を落としていく。

 現在のグレンの装いはペッコシリーズと呼ばれる防具で統一されている。

 鮮やかな色彩の身体と、独特な鳴き声で知られる彩鳥(さいちょう)クルペッコ。派手な見た目と色合いはそのままに、使える素材をふんだんに用いて補強を加え、その長所は生かしておく。

 どこかの民族衣装とも思えるその防具には、『風圧無効』や『笛吹き名人』といった特殊なスキルを備えている。

 そして、このペッコシリーズの実力を余すことなく使用できる武器こそが狩猟笛だ。

 相手を斬ることに特化した太刀や凡庸性のある片手剣と比較すると、この狩猟笛の扱いは複雑だろう。しかし、振り回せば破壊力抜群の鈍器に、演奏すれば仲間をサポートする援護役を行うことのできる優れものだ。

 その狩猟笛をどれだけ自分のものにしているのか。早くもヴァイスは、グレンという名の少年の実力がどれほどものなのかということに興味を抱く。

「ヴァイス・ライオネルだ。宜しく頼むな、グレン」

 そうしてヴァイスが右手を差し出すと、グレンもその手をしっかりと握り返す。

「えぇ。よろしくお願いします」

 もう一度グレンが一礼すると、二人は握手を解く。そしてグレンをしっかりと見据えたまま、ヴァイスは本題を切り出そうとする。

 しかし、ここでレーナが二人に席を勧めてきた。立ち話もなんだからということで気を利かせてくれたのだ。

 お茶を淹れて二人に差し出すと「あたしもご一緒して大丈夫ですか?」と二人に問いかけてきた。二人はそれを快く承諾して同席を促す。そして、レーナが席に着くのを待ってからヴァイスが改めて口を開いた。

「見る限りでは随分と若いな」

「今は十八です。それでも、ハンターでの経歴で言えば一年もありませんよ」

 十八という年齢でハンターをしているなら、それは勿論若い部類に入る。しかし、言動や雰囲気を窺う限りでは、若いからといって血気盛んな性格というわけでもなさそうだ。

 なるほどな、とヴァイスは頷き、そして本題を切り出す。

「さて、グレン。俺に会いたいということでユクモ村を訪れたらしいが……。それは間違いないんだな」

「はい。その通りです」

 そこまで確認して、ヴァイスがふむと頷く。

「もしよければ話してくれないか。どうして俺に会いたいと思ったか、その辺りを具体的に」

「それはただ単純な理由です」

 それだけ言って、グレンは一旦間を置いた。そして大きく息を吸い込むと、意を決して自らの想いを口にする。

「ヴァイスさん。俺は自分の力がどれほどなのか知りたい。だからあなたには、俺を採点してほしいんです」

 今一度ヴァイスを真っ直ぐに見据え、グレンはそう言い切った。



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EPISODE24 ~流麗な旋律~

「俺に採点してほしい?」

「えぇ、そうです」

 若干の戸惑いを見せるヴァイスとは裏腹、グレンははっきりとした口調で言い切った。

「それにしてもいきなりだな。どうして採点なんかをしてほしいと思い至ったんだ?」

 居住まいを改めて、ヴァイスはそんなことを尋ねてみる。

 グレンはその質問にしばらく考え込む素振りを見せ、そして口を開く。

「――ただ単純に自分の実力が知りたいと思った。その理由では納得できませんか?」

 グレンの回答は、ここでもヴァイスの予想を裏切ることになる。

 確かに自分の実力を知るのに、他人の目から判断してもらうことは何ら不思議ではない。ヴァイスに採点してほしいと言ったグレンの思考も理解出来ないことはない。

 ただ、それでは何かが欠けているように思えたのだ。このグレンという少年は、もっと別の何かを求めてユクモ村にやって来たのではないか。頭の何処かではそう思ってしまう。

「なるほど。そういうことならグレンの言いたいことも分かる」

 短く息を吐きだし、ヴァイスはその内容に理解が及ぶことをグレンに伝える。だがヴァイスは「しかし」とその言葉に続ける。

「仮に俺が採点したとして、グレンはどうするつもりだ?」

 ヴァイスが問うても、グレンは尚も真っ直ぐな視線をぶつけてくる。こちらが生半可に揺さぶろうが、その程度では動じない決意をグレンは既に持ち合わせているのだ。

 グレンは臆することなく、ヴァイスの問いかけに淡々とした口調で答える。

「もちろん、その点を生かして今後の狩猟に役立てていくつもりです」

「それは、俺が適格な批評を与えられると仮定して、か?」

「ヴァイスさん、あなたの実力は正直に凄いと思います。その若さでギルドナイトにまで登りつめる実力者なんです。そんなあなたなら、俺を正確に採点してくれると考えています」

 ここまで聞いてくると、話の全容も大体把握できる。

 自分の実力を知りたい。それを正確に把握するには、適任となる採点者が必要となる。その適任者としてグレンが思い描いたのがヴァイスであった。故にユクモ村に行こうと決心したのだ。

 グレンの言いたいことは分かった。自分の実力を知るためにヴァイスに協力を仰ぐことも一理ある。

 しかし、グレンの話を聞く限りでは、彼はやはり重大な欠点を見落としているように思える。ヴァイスの思考もようやくそこまで至る。

「確かに、俺はグレンの実力を見て、狩猟の運び方や立ち回りに関しては批評できるだろう。だが、自分の欠点は自分で見つけなければ無意味だ。他人に言われてその欠点にようやく気付くようなら、それを克服するにはまだ実力が足りていないと俺は思う」

 辛辣なヴァイスの言葉に、グレンも静かに頷く。その瞬間、決意の籠ったグレンの双眸が僅かに揺らぐのをヴァイスは見逃さなかった。

 しかし、それはほんの一瞬だった。改めて向けられたその視線には、揺らいだ決意などどこにも存在していなかった。

「ヴァイスさんの言うとおりですね。ですが、俺はあくまでアドバイスをもらいたいと思っているだけです。多少の助言を与えるなら、それはむしろ相手にはいい影響を及ぼしますよね?」

「まあ、そうだな」

 グレンにそう言われると、自分がグレンの申し出を断ろうと婉曲的に言葉を発しているように思えてしまった。

 別にグレンの申し出に関して言えば、ヴァイスもそれを断ろうとする気はなかった。ただ、自分がまだ未熟だった頃に同じことを言われた時の事を思い出し、つい熱が入ってしまっていた。

「すまない、言葉が悪かったな。別に俺も、グレンの申し出を断ろうとしているわけじゃない」

 自分の非を易々と認めるとヴァイスは肩を竦めた。

「取り敢えず、次回の狩猟には同行してもらう。そこでグレンの狩猟に関して思うことがあれば、俺もそれを伝えようと思う。それで大丈夫か?」

「はい。ありがとうございます」

 ヴァイスが狩猟に同行を認めると、グレンは深々と頭を下げた。

 話を聞いている時から思っていたが、グレンは生真面目な性格なようだ。それを考えてみて、おそらくグレンは理論的な狩猟スタイルなのだろうと推測してみる。そうなれば、ヴァイスとしても似たような傾向で狩猟を運ぶため、グレンにも明確な助言を与えられるかもしれない。

 そんなことを早々に考えていると、隣に座っていたレーナが口を開いた。

「それにしても、グレンさんも大変ですね。故郷の村からわざわざユクモ村にやって来るんですから」

「大したことじゃないよ。ヴァイスさんがここにいなければ、俺はドンドルマを訪れることも考慮していたから」

「おいおい、それは本気か?」

 それを聞いたヴァイスもさすがに驚きを隠せない。

 聞けばグレンの故郷の村は、ユクモ村からはそれほど遠い場所にあるわけではない。しかし、山々の間に造られたユクモ村を訪れようとするには、幾つもの山を越えてこなければならない。交通の便も芳しくないため、それほど離れた場所からでなくても、ユクモ村を訪れるには苦労する。

 だが、ドンドルマを訪れるというならば、話の規模は大きくずれてくる。港のある街や村まで出た後、広大な海を横切って旧大陸に渡る。そこから陸路を進み、高大な山を登った先にようやくドンドルマに到着する。

 ユクモ村を訪れるには苦労するだろうが、ドンドルマにまで足を運ぼうとするならば、その苦労は更に計り知れないものになってしまう。

 しかし、偶然にもヴァイスは任務でユクモ村に滞在することになった。それを考えれば、グレンにしてみればそれは好都合に違いない。わざわざドンドルマを訪れる手間を省けるのだから当然だ。

「それ程ヴァイスさんには会ってみたかったということです。そういうヴァイスさんも、ユクモ村に留まっているそうじゃないですか」

「俺の場合は、ギルドの任務でユクモ村に滞在している。おそらくしばらくは、ドンドルマに戻ることはないだろう。仮にその機会があっても、一時的な帰還みたいなものだろうな」

「それは、精神的にかなり辛いですね。任務とはいえ、慣れ親しんだ街を出て、遠方の村にまで派遣されるんですから」

 グレンが歯痒そうな表情になる。おそらく、ヴァイスの内心を想像してみて、それを自分に置き換えた時のことを考えているのだろう。

 しかし、ヴァイスは辛いという感情を微塵も抱かなかった。いやむしろ、ヴァイスはユクモ村を訪れることにある種の感謝を抱いていた。

「そうでもないな。職業柄、元々遠方まで飛んでいくことは少なくなった。今回に至っては確かに辺境にまで派遣されたとは思っている。それでも、俺は満足している」

「満足、ですか……?」

「ああ。俺はこの村を訪れてまだ短いが、その中でも様々な出会いや経験をしてきた。そうして自分が置かれた状況を考えてみると、俺は恵まれているんだと改めて感じるのさ。こうして様々な人や物に触れて、その中で自分も成長できることに」

「……」

 呆気に取られたか、意表を突かれたか。グレンはしばらく黙り込む。

「……凄いですね。俺だったら、そんな風には考えられられない」

「こういった任務にはいい加減慣れたからな。それだけのことさ」

 ようやく言葉を振り絞ったグレンに対して、ヴァイスも淡々とした様子で答えた。

 グレンもこの時、改めて思い知る。このヴァイスという人物は、やはり只者ではない。自分など遠く及ばない、遥か高みに立つ実力者なのだということを。それを理解すると、自分の力の無さには自然と“憤り”を覚える。

「まぁ、グレンはまだ深く考えない方がいい。見たところでは、狩猟を組み立てる能力は高いようだからな」

 グレンの装いを改めて見直しながら、ヴァイスは彼が持つであろう才能を称えた。

 狩猟笛と相性の良いペッコシリーズを選択している辺り。そして、彼の言動や雰囲気を窺う限りでは、少なくともヴァイスはグレンも秘めた実力の持ち主だと確信した。そういう意味では、まだまだグレンのような若いうちなら試行錯誤した方が伸びるに違いない。

「ともかく、今は長旅の疲れを癒してくれ。依頼に関しては、後ほど俺の方から伝える」

「分かりました」

 そこまで伝えて、ヴァイスは椅子に深く座り込む。

 何か伝えていないことはないか。それを頭の中で反復していく。その中で一つ、重大なことを言い忘れていたことに気付く。

「一つ確認したいが、グレンはしばらくは紅葉荘に世話になるのか?」

「いえ、泊まらせてもらうのは今日までになっています。明日には村長の方から空き家を貸してもらうことになっているので、そっちに移る予定です」

 それを聞いて、ヴァイスも「そうなのか?」と尋ね返してしまう。

 グレン曰く、しばらくはユクモ村に滞在する予定らしい。それを知った村長は、グレンに対し自ら空き家の貸し出しを申し出たのだという。

 ヴァイスがユクモ村に居座ることになった故、当初問題視されていた専属ハンターの件については解消したのだが、それでも村長は心の広い人物だ。長期滞在により狩猟に支障が出ないことを考慮して、わざわざ空き家の貸与を申し出るなど、そうそうできることではないだろう。

「そういうことなら、明日その空き家を訪れても大丈夫か?」

「えぇ、それは全然構いませんよ」

 その空き家の位置をグレンに教えてもらうと、ヴァイスは席を立った。

 取り敢えず、明日の午後にそちらに訪ねることを再度確認してから、ヴァイスは二人と別れた。

 帰り際、ヴァイスは教えてもらった空き家の位置を確認した。どうやら、ヴァイスの借家からほど近い場所にその家は位置しているようだ。その位置を確かに記憶して、ヴァイスは自らの借家へと身を翻した。

 

 

 

 翌日の午後、ヴァイスはクレアと連れ立って昨日確認したグレンの借家に向かっていた。

「そういう事情で、次の狩猟にはグレンが同行することになる」

 グレンがどういった人物なのか。どうして狩猟に同行することになったかを簡単にクレアに話す。彼女もまた、ヴァイスの言葉には終始興味津々であった。

「へぇ~、狩猟笛使いですか。狩猟笛を使う人とは実際に狩りに出たことがないので、どんな狩猟をするのか楽しみですね!」

 訓練所でハンターの知識を培ったクレアは、他のハンターと狩場に赴いたことがあまりないのだという。教官であったシュットや、その弟子のリリーなどとはその経験があるらしいが、それ以外は少なかったらしい。片手剣を使用するクレアにしてみれば、狩猟笛という特殊な武器に興味を抱く気持ちはヴァイスも理解できなくはなかった。

「その辺りは、狩猟が始まってからのお楽しみだな……。さて、着いたぞ」

 しばらく歩くと、昨日確認したグレンの借家に辿り着く。一見して彼がこちらに移ってきているかは定かではないが、午後に訪れると伝えているからには、さすがに家にはいるだろう。

 取り敢えずヴァイスは扉をノックしてみる。するとしばらくして、扉の向こうからグレンが現れる。

「あぁ、どうもヴァイスさん。それと、そちらは……」

 クレアの方に視線を向けたグレンが言葉を詰まらせる。

「狩猟に出る前にクレアのことを伝えておこうと思ってな。それで今日は訪れさせてもらったんだ」

「そういうことですか。それなら中へどうぞ」

 二人はグレンに召し入れられ、中へお邪魔する。

 紅葉荘から移ってきたばかりらしいが、彼の荷物は既にこちらに運ばれていた。狩猟に使う武具や道具が視界に入る中、それとは異なる別の物に視線が行く。

「これはバイオリンですよね?」

 近くに立て掛けられてあった楽器を見てクレアが言う。するとグレンも近づいてきて、そしてそのバイオリンを手に取った。

「そうだよ。昔から音楽に興味があったから、その影響でね」

 グレンの言うとおり、バイオリンの他にも多種多様な楽器が辺りに見受けられる。そうして見ると、グレンは弦楽器を好き好んでいるようだ。

 部屋を一通り見渡すと、二人はグレンに勧められた椅子に腰を下ろす。そして、彼が運んできてくれた紅茶を一杯頂くと、ヴァイスが口を開いた。

「グレン、紹介する。俺の弟子のクレアだ」

「弟子、ですか?」

 弟子という単語に、グレンも思わずポカンとした様子になる。

 それも致し方ないだろう。ギルドナイトであるヴァイスに弟子がいるなどと言ったら、それは誰しも驚くに違いない。

「しかし、ギルドナイトであるヴァイスさんも、よく彼女の弟子入りを認めることができましたね」

「それだけ私の熱意が師匠に通じたっていうことじゃないですかね?」

 横から割り込んでクレアが言う。すると、ヴァイスは苦笑いを浮かべ、一方のグレンは呆気に取られる。

「こういう性格なんだ。上手くやってくれると助かる」

 クレアの扱いに慣れてきたヴァイスも、そこは気を利かせる。後日狩猟を共に行うことを考えれば、パーティー内の仲を深めておくことは重要だからだ。

「グレン・グリークだ。これから宜しく」

「クレア・メーヴィスです。こちらこそよろしくお願いしますね、グレンさん」

 互いに右手を差し伸べ二人は握手を交わす。

「ところで、グレンさんは毎日のように楽器を演奏したりするんですか?」

 今一度部屋に置かれた楽器を見返してみて、クレアが尋ねる。その問いに対して、グレンは頷く。

「上達するためには、やっぱり練習しないといけないから。俺も上手く演奏するようにないたいから、基本的に暇な時間は楽器に触れている時間が多いね」

「そうなんですね」

 自己の技量を高める努力を怠らないグレンの姿勢にクレアも関心を示す。

 一方、ヴァイスはそれとは他の点に疑問を抱く。

「だとすると、どうしてハンターになろうと思ったんだ?」

 正直なところ、ハンターと兼業で演奏をするというのは、どうしてもバランスが悪いように思えてしまう。

 ハンターをしているとなると、どうしてもそちらに多くの時間を取られてしまう。例え楽器の購入や手入れの資金の収入源としてハンターをしていても、それではリスクが高すぎる上、他の仕事にも当てはある。

 演奏が個人の趣味なら何ら問題は無い。だがグレンの場合は、趣味の領域を超えているように思えるのだ。だからこそ、グレンがわざわざハンターをしていることに疑問を抱いてしまう。

 その疑問は、グレン本人にも思い当たるところがあるのだろう。苦笑いを浮かべつつ、ヴァイスの疑問に答える。

「俺の生まれ育った村は、ユクモ村のようなギルドも設営されていませんでした。加えて専属ハンターと呼べる人もいません。いざ村の近辺にモンスターが出現すれば、村長がギルドに要請してハンターを派遣してもらっていたほどです。だから、俺は幼い頃から村の役に立ちたい。そう思うようになったんです。それがハンターを志した理由ですよ」

「なるほど。そんな事情があったのか」

 ヴァイスも神妙そうに首肯する。

 ギルドナイトであるヴァイスには、グレンのような人々の気持ちも理解できる。

 村にギルドが設営されていないこと、そしてわざわざ別のハンターに要請を求めることは苦労を要する。そんな村の人々の役に立ちたいと、子供たちもいつからかハンターに憧れ、志すようになる。グレンもその中の一人だった。

「楽器に関しては、両親の影響で幼い頃からずっと触れ続けてきました。ハンターになっても、演奏だけは続けようと思っていて、こうしてユクモ村にもいくつか持ち込んだんです」

 自宅にはまだたくさんあるんですけどね、とグレンは付け加える。

 幼い頃から楽器に触れてきたグレンにしてみれば、いわば演奏というものは生活の一部と化しているのだ。ハンターになって今尚楽器に触れ続けているグレンの気持ちも、そういうことなら理解できる。

 すると、ここでクレアが何かを思い付いたように手をポンと叩く。

「グレンさん。もしよければ、何か演奏してくれませんか?」

 クレアが頼み込んでみると、グレンも待ってましたと表情を綻ばせる。

 どうやらグレンは、ただ演奏するだけではなく、その演奏を他の人に鑑賞してもらうことも好んでいるようだ。今までとは違い、意気揚々とした口調で話をしているところを見ればそれは明らかだ。

「そうだな。もしグレンがよければ、俺も鑑賞させてもらいたい」

「ええ、全然構いません。むしろ、俺からお願いしたいくらいですよ」

 三人は部屋を移動し、グレンがこれから演奏を行っていくだろう部屋に通された。ヴァイスとクレアは勧められた席に腰を下ろす。グレンは先ほどのバイオリンを持ち、二人の正面に位置付けられた譜面台に向かった。

 楽譜を広げて譜面台に設置すると、グレンが二人に向かって軽く一礼する。

 右手に持った弓を、ゆっくりとした動作で弦に運ぶ。口から短く息を吐き出し、そして滑らかな動作で演奏に入る。

 演奏される曲はクラシック調。奏でられるバイオリンの音色は、二人の心を安らかにする。

 美しく、流麗なグレンの演奏に、次第に二人は溶け込まれていった。



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EPISODE25 ~凍てつく闇~

 グレンの演奏に惚れ込んでからしばらく経つと、外もだいぶ暗くなってきた。上空を見上げてみれば、いつの間にか星々たちが顔を出し始めていた。

「はぁ、素敵な演奏でした……」

 クレアがうっとりとした様子で言う。そうすると、グレンも笑顔で「それは何よりだよ」とご機嫌な調子で返す。

 しばらくはこの話で持ち切りになるかもしれない。ただ、そうなっては本来の目的が果たせなくなってしまう。それを思ったヴァイスが、名残惜しいながらもグレンにとある提案する。

「グレン。もしよければ、これから温泉に行ってみないか?」

「温泉ですか? それは構わないですが、どうしてまた唐突に……」

「依頼の確認も兼ねて、集会浴場に行こうと思ってな。それに、グレンはまだユクモ村の温泉に浸かったことはないんだろう?」

 実は先日、ヴァイスは紅葉荘で、グレン本人がここの温泉に行ってみたいと口にしていたのを聞いていた。温泉自体はギルドと併設されているので、この機会に丁度良いと思ったわけだ。

 実際にグレンも、ユクモ温泉には行きたいとは考えていた。ただ、最近この村にやって来たグレンにしてみれば、その機会を得るのが難しい部分もあった。

 しかし、こうして借家に移り住んだ今ならばその機会もある。加えて、しばらくすればヴァイスたちと狩猟に赴くことになる。未だに抜き切れない長旅の疲労を癒すには、ユクモ温泉はピッタリだ。

「そうですね。そういうことなら、俺にも断る理由はありません」

 グレンの快諾を受けると、今度はクレアに同じ質問をしてみる。彼女もそれにはお供すると即答し、三人連れ立って集会浴場に向かう形となった。

 集会浴場の暖簾を潜ってみると、そこには既に多くの人の姿があった。その大部分は村人や湯治客のようだが、中には武具を纏ったハンターの姿も見受けられる。集会浴場はそんな人々の熱気で溢れ返っていた。

「日が落ちると、ここまで賑わうものなんですね。凄い人だかりだ……」

 半ば呆気に取られていたグレンが素直な感想を口にする。

「でも、普段から皆さんはこんな感じですよ。毎日のようにお祭り騒ぎなんですから」

 一方、移り住んでから長いクレアも言う。そうすると、グレンも堪らず驚きを見せる。

「そ、そうなんですか」

「あぁ。俺のいたドンドルマの酒場もこんな感じだったな。真夜中でも関係なく、酒場ではどんちゃん騒ぎさ」

 自分が初めて集会浴場を訪れた時のことを思い出しつつ、ヴァイスもドンドルマの酒場の話を持ち出す。規模の大きさで言えばドンドルマの酒場が明らかに勝るのだが、人々の熱気と勢いはユクモ村も引けを取らないものがあるのだ。

 さも当然の光景だと揃って口にした二人を前に、当のグレンはやや困惑の色を見せる。

「何というか、羨ましいです。俺の故郷の村は、こんなに盛り上がる機会なんてそうそうなかったですから」

 グレンの発言も致し方ないだろう。彼の村にはギルドに当たる施設が存在していないのだ。故に人の交流が盛んになることも少ないわけだから、村を挙げての祭りでもない限りこのような光景を目の当たりにすることはないだろう。

「まぁ、じきに慣れてくるさ。今はユクモ村に滞在しているわけだから、この雰囲気を楽しめばいい」

「そうですよ、グレンさん。師匠の言うとおりです!」

 二人に背中を押されつつ、グレンもそれに頷く。

 ヴァイスは先に掲示板を見てくるということで、残った二人が先に更衣室に向かう。

 着替えを済ませて更衣室から外に出てみると、そこは哄笑の渦で満たされていた。饒舌に会話を交わす者もいれば、挙句の果てに酩酊しているような者まで見受けられる。とにかくそこは、グレンにしてみれば衒われた空間に変わりなかった。

「ほら、グレンさん。ボーっとしてないで、早く湯船に浸かりましょうよ!」

 いつの間にか着替えを済ませていたクレアに促され、グレンは湯船に足を入れる。

「あぁ、気持ちいい~……」

 身体の表面だけでなく、肺腑までをも包むような心地よいお湯加減に、グレンも呑気な調子でそう漏らす。

 グレンの隣にクレアもちょこんと座り、二人は温泉を満喫する。

 そうしてしばらくは、居心地悪さを感じない無言の時間が続いた。するとそこに、遅れてやって来たヴァイスが合流する。

「ヴァイスさん、依頼の方は決定したんですか?」

 グレンがそう問うと、首だけをこちらに向けてきたヴァイスが「ああ」と頷き返した。

「色々考えてみたが、今回はギギネブラの狩猟に凍土に向かう」

「ギギネブラ、ですか……」

 そのモンスターの名を噛み締めるが如く、グレンが難しそうな表情でそれを反芻した。

 毒怪竜(どくかいりゅう)の名で知られるギギネブラ。その名に違わず、ギギネブラは体内で毒素を生成し、それを用いて獲物を捕らえるモンスターだ。

 その毒素は、あらゆるモンスターの中でも群を抜いて強力だ。並みの人間がその毒素を食らえば、僅か数分足らずで命を落とすのだという。

 つまり、ここでポイントになるのは、ギギネブラの毒素に対し如何に対処していくかということになる。

 そこで鍵を握るのが、狩猟笛を使用するグレンだ。攻めを重視しギギネブラの弱点である火属性の狩猟笛を選択するか、演奏による援護に回ることを踏まえた狩猟笛を選択するか。グレンにはその選択が迫られる。

 相変わらず気難しい表情を浮かべているグレンを見て、ヴァイスも「そこまで気難しく考える必要はない」と肩を竦める。

「武器の選択はもちろんグレンに任せる。その上で自分の立ち回りも考えてくれ」

 彼の武器の選択をヴァイスが助言するという手も確かに存在する。だが、今回の目的はあくまで“グレンの採点”だ。実戦での能力もそうだが、狩猟を組み立てる能力もハンターには不可欠である。グレンにその選択を課したのは、その能力を見極めるためである。

「師匠。私はどうすればいいですか?」

 グレンを挟んで向かいに座るクレアもそう尋ねてくる。

「そうだな。クレアについても、俺から何かを言うつもりはない。自分なりの考えで狩猟に臨んでみてくれ」

 クレアに関して言えば、ギギネブラの狩猟経験は無い。そんな中で、クレアもここ二ヵ月の努力の成果を発揮できるかどうか。それが重要になるだろう。

「出発は明後日の早朝だ。それまでに準備を整えておいてくれ」

 手短に予定を伝えると、ヴァイスもしばらくは温泉を堪能した。

 その後、ヴァイスは先に戻っていると伝え、立ち上がった。未だに気難しい表情で考えを巡らせている二人はその場に残し、ヴァイスは集会浴場を後にした。

 

 

 

 凍土の凍てつく空気は、相変わらず身体に凍みる。

 時間帯で言えば、現在は正午を少し過ぎたくらいだ。だが、上空には重い曇天の空が広がり、太陽の光が届くことはない。代わりに降り注いでくるのは、ひんやりと冷たい白の結晶である。

 純白の雪を踏みしめやってきた凍土の拠点は、前回と変わらず閑散としている。加えて、凍土のこの極寒にも身体を蝕まれる。ここで気を抜いてしまうと、静止した無為の時に永遠と飲まれてしまうのではないか。無意識にそんなことを想像してしまう。

「うぅっ…、相変わらず寒いですね……」

「あぁ。だが、それも仕方ない……」

 男性陣二人は、この極寒の中で何とか体温を上げようと試みている。だが、その二人の隣に、この寒さを物ともしない少女がいるのは何とも不思議な光景である。

「やっぱり、この防具は凍土では便利ですね~」

「こういう時には、本当にウルクシリーズは羨ましいよ」

 初めて雪を目の当たりにした子供のように振る舞うクレアを横目に見て、グレンが思わず溜め息を漏らす。

 しかし、無い物ねだりをしたところで状況が改善するわけではない。ヴァイスとグレンもまた、凍土に持ち込んだ道具の整理を開始した。

 今回の標的であるギギネブラは火属性が弱点である。それを踏まえたヴァイスは、ドスバギィの狩猟の際と同じく飛竜刀【椿】を携えてきた。

 一方、その際にコマンドダガーを使用していたクレアも防具に変更は見られない。しかし、以前と唯一異なるのは、武器に更なる強化を加えてきたことだ。

 紺碧を帯びた鋭い刃。その刀身には、先のドスバギィの狩猟で得られた素材を用いた特殊な加工が施されている。それこそが、睡眠毒の付与だ。睡眠袋に含まれる睡眠毒をコマンドダガーに付着させたことで、相手モンスターさえをも魔の眠りに陥れる。

 その他にも、アイシスメタルでコマンドダガーの刀身に磨きをかけ、峰や柄も更なる衝撃に耐えられるようドスバギィの素材をここでも用いている。

 攻撃力、切れ味、その他性能を見ても大幅に強化された片手剣。それがこのレムナイフだ。

 睡眠属性の付与のため、このレムナイフは他の武器と比較してもかなり特殊な部類に入る。それをクレアがどのように使いこなせるのか。その辺りは大いに見物になるだろう。

「解毒薬は……。よし、大丈夫だな」

 ギギネブラの狩猟の際には必須のアイテム、解毒薬も今回は調合分を含め多めに持ち込んだ。

 それ以外にも回復薬やホットドリンクという必需品の確認も怠らない。大タル爆弾やシビレ罠も拠点に置かれた手押し車に乗せて、雪が積もらない位置にまで運んでいく。

「グレン。そっちの準備は大丈夫か?」

「ええ。丁度終わったところです」

 持ち込んだ狩猟笛を担ぎ直したグレンが答える。

 結局、グレンは防具はペッコシリーズのまま。また、選択した狩猟笛はドロスヴォイスと呼ばれるものだった。

 ロアルドロスの素材が用いられたドロスヴォイスには水属性が付与されている。しかし、水属性を帯びた一撃ではギギネブラに対して効果を望めない。それと引き換えにしたのは、ドロスヴォイスの演奏効果の一つ『体力回復【小】&解毒』だった。

 毒素を用いた攻撃がギギネブラに対し、この演奏は大きな威力を発揮する。例え解毒薬が底を突いたとしても、この演奏があれば解毒に関しては心配することはないのだ。

 他にもドロスヴォイスは『スタミナ減少無効【小】』、『防御力強化【小】』、『風圧無効』など、援護的な演奏を奏でられる。これを見れば、グレンがこの狩猟でどう立ち回ろうとしているかが見て取れる。

「なるほどな」

 頭からつま先まで、グレンの装いを改めて見回したヴァイスが小さく頷く。

「えぇ。今回の狩猟では、俺は援護に回ろうと思ったので、この狩猟笛を選択しました」

 自分の選択に後悔は無い、とグレンは改めて断言する。

「そういうことなら、俺とクレアでギギネブラの体力を削っていく。後方援護と小型モンスターの討伐はグレンに任せるぞ」

「分かりました」

 初めてパーティーを組むとは思えない、手短な狩猟方針を確認すると各々は互いの獲物を肩や腰に装着する。

 先日伝えた通り、今回の狩猟ではクレアとグレンには好きなように動いてもらう。そうすることで、二人の実力を改めて確認するという狙いだ。

 自らの装いを確認したヴァイスが短く息を吐き出す。集中力を高め、そして鈍色の上空を仰ぐ。

「……もしかしたら、荒れるかもしれないな」

 囁くようにそれだけを呟くと、クレアとグレンの方へ身を翻す。共に二人の準備が整っていることを確認すると、ポーチから取り出したホットドリンクを飲み干す。

「さて、行こう。狩猟の開始だ」

 空になった瓶は拠点に置かれた木箱に納め、ヴァイスが静かに首肯した。

 罠や爆弾類は拠点に置いておき、身軽な状態で三人が歩を進め始める。

 川沿いに道を進んでいると、降り頻る雪の勢いが徐々に強まっていくように感じた。エリア1に辿り着く頃には、視界の悪化も懸念される程にまで天候は荒れてきていた。

「くっ……。この天候だと、まともにギギネブラを発見することもままならない」

 そうしている間にも、天候は更に悪化していく。風も次第に強く吹き荒び、瞼を開けていることさえも辛い。こんな状況でギギネブラと対峙するのはあまりにも危険である。

「師匠! 今はとにかく、エリアを移動しましょう!」

「あ、あぁ……!」

 クレアの提案にはヴァイスとグレンも素直に従う。

 そのクレアを先頭にして、吹雪の中をとにかく進んでいく。

 エリア3に出ても、吹雪の勢いは収まらない。どうやらギギネブラもエリア3には姿を見せていないようだ。それを幸運に思いつつ、三人は尚も足を進める。

 そして、何とか洞窟の中――エリア5にまで到達した。

「はぁ……。ここなら、まだ何とかなりますね」

 周囲を見渡したクレアが胸を撫で下ろす。

 エリア5は、岩場の間にぽっかり空いた洞窟になっている。相変わらず容赦無い冷気はここにも流れ込んでくるが、少なくとも吹雪の影響は受けずに済みそうである。

「だが、油断するな。どこにギギネブラが潜んでいるかは定かではないからな」

 慎重に辺りを一瞥したヴァイスが、緊張を帯びた静かな声色で注意を促す。それを受けて、クレアも「そ、そうですよね……!」と小声で頷く。

 凍てつく風が吹き抜ける音だけが響くエリア5。妙に張り詰めた雰囲気に、グレンもじっとしていられなくなる。

 とりあえず、前方に真っ直ぐ伸びる洞窟をゆっくりとした足取りで進んでいく。そして、突き当りの岩盤が視界に入ってくるのと同時に、別の物体も目に飛び込んでくる。

「あれは……」

 遠目から見ただけでは、それが何か判別することはできない。ただ、蜘蛛の巣状に張り巡らされた糸のように細い物体に、上部が欠けた白い卵型の何かが付着している。

 見ただけでも不気味な光景。だが、それ以上に、一体これが何なのかということに興味を持っていかれる。

「これは、まるで――」

 そうしてもう一歩それに近づこうとした時、グレンの身体に強烈な寒気が走った。これは凍土の寒さによるものではない。もっと違う――言うなれば、身の危険を感じた時に起こる心地悪い寒気だ。

 背中に感じる恐怖の正体を明らかにしようと、グレンが首だけを後ろに向けた。

 太陽が昇っている時間帯であっても、洞窟内は薄暗く、目の前の岩壁も黒一色に染まっているはずだ。だが、その黒に染まるはずの一部だけが、不気味に白く浮かび上がっている。

 よく目を凝らしてみると、それは天井から釣り下がり、グレンの背後の岩壁に吸い付いた“何か”だった。そして次の瞬間、二つの薄紫の閃光がグレンの視界に移り込んできた。

 一定のリズムで行われる息遣いらしき音。それが静まり返った周囲の空間に反響し、グレンの鼓膜を震え上がらせる。

「うあ……、あぁ……っ!」

 恐怖で言葉が出てこない。思考は凍りつき、身体も震え上がって言うことを利かない。

 だが、それでもハンターとして培ってきたグレンの身体は無意識に動いた。それに背中を向けて、瞬時に距離を取る。それから間髪を入れずに、それが地面に落ちてきた。

 沈黙の空間に響き渡った突然の地響きに、ヴァイスとクレアも瞬時に警戒態勢に入る。そして、地面に下りた白のそれが目に入ると、二人もまた背筋を舐められたような悍ましい感覚を覚えた。

「ギギネブラ……!」

 ただそれだけ。まるで、人間が抱く恐怖と不気味という感情の権化であるその名を噛み締めると、そいつもこちらに身体を向けてきた。

 だが、その次の瞬間に覚えたのは、途轍もない違和感だ。

 モンスターといえども、それには頭部があり、そしてまたそこには眼が存在しているはずだ。だが、このギギネブラにはその眼らしきものが見受けられない。その為に、ギギネブラがこちらに向けているのが頭部なのか尻尾なのかすらも見当がつかない。

 眼の代わりになるように、ギギネブラの頭と尾には毒々しい紫色の二筋の閃光が浮かんでいる。これこそが、ギギネブラの不気味さを醸し出す正体、毒腺なのだ。

 他のモンスターとは似ても似つかないグロテスクな外見。それを目の当たりにすると、今までとは違う寒気が全身を支配する。

 凍てつく闇に舞い降りた毒怪竜が、こちらに身体を向けた。洞窟にその咆哮が轟く中、ヴァイスたちはギギネブラを見据え、各々の獲物に手をかけた。

 身を切るような荒れ模様の狩猟の火蓋が、今ここに切って落とされた。



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EPISODE26 ~戦慄の毒怪竜~

「オオオオオォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」

 身を切るかのような鋭い咆哮が、凍てついた洞窟内に響き渡る。その咆哮のあまりの威力に、周囲の空間は揺らぎ、天井から雨のような氷柱が降り注ぐ。

「く、うっ……!」

 ギギネブラから距離を取っていても、その威圧に思わず気圧される。

 頭と思しきものをこちらに向け、そしてギギネブラは地面を蹴った。

「速い!?」

 散開したクレアが我知らず声を上げた。

 見た目からは、ギギネブラはとても俊敏な動きをするようには思えない。だが、大蛇の如く地面を這うようなその速度は、クレアの予想を大きく上回っていた。

 呆気に取られているクレアを狙い、ギギネブラは更なる動きを見せる。突進を終えたギギネブラが、その場で大きく跳躍した。暗澹としたギギネブラの影が、途端にクレアの身体を飲み込む。

「退け!」

 ヴァイスの警告と共に、クレアは身を翻し、身体を前方に投げ出した。そして、クレアが飛び退いてから間髪を入れずに、ギギネブラが地響きを立てて地面へ降り立った。

 しかし、ギギネブラも執拗にクレアを追い回す。その様子を見たヴァイスがすぐさま判断を下す。

「グレン、援護を頼む。俺が前に出る」

「わ、分かりました!」

 それだけの会話を交わして、ヴァイスは駆け出した。

 後方からギギネブラに接近すると、翼状の前脚に狙いを付けて飛竜刀【椿】を鞘から引き抜き一閃する。深々と刻まれた飛竜刀【椿】の刀身から、紅の炎が爆ぜ薄暗い洞窟内を照らす。

「オオオォォォォォォォォォッ!?」

 予想外の一撃。そして、苦手とする炎の一撃に、ギギネブラも驚いたような様子を見せる。

 しかし、それも一瞬だ。ギギネブラはすぐさま体勢を立て直し、ヴァイスに向き直る。

 ヴァイスも、ギギネブラに正面を取られぬよう、立ち回りを休めることはない。斬撃の合間を縫っては常に立ち位置を変更して、ギギネブラを翻弄する。

 そうしているうちに、グレンは後方で援護演奏を行っていた。『風圧無効』、『防御力強化【小】』を伴う演奏を終えたグレンが、再度ギギネブラとヴァイス、クレアの様子を窺う。

 丁度クレアが、ギギネブラの尻尾に目掛けてレムナイフを振り下ろしたところであった。だが、コマンドダガーから更なる強化を施されたレムナイフを以てしても、その一撃は鋭い金属音を上げて弾き返されてしまった。

「か、硬いっ……!」

 弾かれたことによる衝撃も相当なものらしかった。クレアが一旦距離を取り、レムナイフを握っていた左手の手首の感触を確かめている。

「ヴァイスさんの飛竜刀【椿】なら刃が通るかもしれない。だけど……」

 片手剣のような斬撃を浴びせる武器よりも、狩猟笛のような打撃を与える武器の方が硬い表皮や甲殻を貫きやすいことは事実だ。だが、クレアの様子を窺う限りでは、グレンの持つドロスヴォイスでも一撃が通るとは考えられなかった。

 前脚や頭部を狙えば話は別かもしれないが、それにはリスクも伴う。様子見の段階としては、援護を担当するグレンも大胆に動こうとは考えていなかった。

「そういうことなら――」

 グレンはドロスヴォイスを再び構え、演奏体勢に入る。

 しかし、今回奏でる演奏は周囲に恩恵を与えるものではない。演奏者へ与えられる恩恵、すなわち自身強化の演奏を奏でるのだ。この自身強化の演奏により、『はじかれ無効』という特殊な能力を発動させることができる。これによって、どんなに強固な表皮や甲殻に対しても一撃が弾かれるということは回避できる。

 一方、グレンの考えを飲み込んだヴァイスとクレアも、彼をアシストする。共に左右の前脚付近に陣取り、飛竜刀【椿】とレムナイフで斬りつける。

 そして、グレンが演奏を終えて前に出ようとした瞬間、ギギネブラは更なる動きを見せる。

 ギギネブラは再び大きく跳躍した。だが、それはこの場の誰か押し潰さんとするためではない。洞窟の天井付近まで舞い上がったギギネブラが身体を翻し、そして天井に張り付いた。

「なっ!?」

 信じ難い光景に、グレンの動きも止まる。

 ギギネブラは、グレンのその隙を見逃さなかった。天井を蜘蛛のように這い回ると、グレンの頭上付近まで移動してきた。そして次の瞬間、ギギネブラがグレン目掛けて飛び降りて来た。

「うわっ!?」

 グレンも判断が遅れ、この一撃を食らってしまう。身体を立て直そうにも、うっすらと凍り付いた地面ではまともに受け身を取ることもままならなかった。

 何とかグレンが立ち上がった頃には、既にギギネブラは周囲に纏わりつくクレアに気を取られていた。

「くそっ、あいつ……!」

 不意を突かれたグレンも、さすがに頭に血が上る。だが、そのグレンを制したのは、いつの間にか彼の元までやって来ていたヴァイスだった。

「落ち着け、まだ狩猟は始まったばかりだ。まずは体力を回復するんだ」

「……そうですね。すいませんでした」

 ヴァイスの指示に素直に従い、グレンはポーチから応急薬を一本取り出し、それを飲み干す。

「焦る必要は全くない。気分を楽にして立ち回るんだ」

 グレンが一息吐いたところを見計らって、ヴァイスはそう告げる。そして、すぐさま身を翻しクレアの応援へ向かって行く。

 次第に遠ざかるヴァイスの背中を、グレンはしばらく黙って見つめていた。

 焦る必要はない。ヴァイスにそう言われた時、グレンは一種の違和感を覚えた。

 別に、自分が焦っているという感覚は全くない。だが、何故だろうか。ヴァイスのあの言葉は自分の心の内を見透かしているかのような、居心地の悪さを感じたのだ。

 そう。まるで、“自分の全て”を知っているかのように――。

「……いや、今は狩猟中だ。余計なことは考えるな」

 狩猟から離れていた思考を元に戻そうと、グレンは頬を軽く叩き、気合いを入れ直す。そして、軽く呼吸を整えてからギギネブラに向かって駆け出した。

 一見しただけでは、こちらに頭を向けているのか尻尾を向けているのか見当が付かない。だが、グレンはその疑問を押し込み、ドロスヴォイスの一撃が届く範囲内まで接近した。

 走り込んだ勢いをここで殺すように、グレンはドロスヴォイスを手に掛け、そして上段から叩きつけた。

 直後に伝わって来たのは、ドロスヴォイスを握る手の痛み。そして、一撃が通らなかったという明確な手応えだった。

「こっちは尻尾なのか!」

 ヴァイスの話から、ギギネブラは頭部と尻尾では肉質が異なるということは耳にしていた。尻尾に比べ頭部の肉質が柔らかいらしいが、まさかここまで極端な差があるとは思ってもみなかった。

 しかし、事前に『はじかれ無効』のスキルを発動させておいたことは大きかった。部位によって肉質が異なるという知識を頭に入れていようとも、その判断が難しく、加えて武器が弾かれてしまっては意味が無い。

 グレンは、ドロスヴォイスの打撃が弾かれることはお構いなしに、尚もギギネブラに叩きつける。

 しかし、ここれギギネブラが身体の向きを変えてきた。これにより、ギギネブラはグレンに対しては頭部を向ける形となる。

 さすがに頭部目掛けて攻撃を繰り出すのは危険が伴う。グレンはそう判断し、ギギネブラから十歩くらいの距離を空けた。

 ギギネブラの後方では、飛竜刀【椿】を振るっていたヴァイスも同じく距離を取ろうとしていた。

 そこから目を離して、グレンはもう一度ギギネブラに注意を向けようとした。だが、次の瞬間には、グレンの意識は再びヴァイスの方へと向けられていた。

 グレンの視界からヴァイスが外れようとした時、鋭い金属音が洞窟内に響いた。遅れて、鈍い衝撃音のようなものも耳に届いた。

 見遣ると、ヴァイスの姿がかなり後方にあった。いや、その光景を見なくとも、グレンは傍目では何が起こったのかを理解していた。

 単純なことだった。ギギネブラが尻尾を駆使して、後方を薙ぎ払った。その一撃をヴァイスが食らったのだ。

 だが、尻尾の長さを考えれば、後退していたヴァイスの身体までを薙ぎ払うのは不可能に思える。しかし、ギギネブラはそこから一歩も動いてはいない。

 グレン自身も、その光景は信じ難いものだった。だが、ギギネブラの尻尾は、周囲を薙ぎ払おうと擡げた瞬間に引き伸ばされていたのだ。

 尻尾が伸び縮みする。そんな非常識な光景に、グレンのみならずクレアも戦慄を覚える。

 一方、ギギネブラに吹き飛ばされたヴァイスはすぐさま体勢を立て直した。飛竜刀【椿】を地面から拾い上げると、もう一度ギギネブラに向かっていく。

 それを見たクレアも、恐怖を内に押し込み動き出す。

「てりゃあっ!」

 余計なことは考えるなと自分に言い聞かせ、レムナイフを振り下ろす。

 初手の一撃が命中し、続けてもう一撃をお見舞いしようとするものの、またしてもギギネブラは宙に舞い上がり天井に張り付いた。

 先ほどのように誰かの頭上まで移動するかと思ったが、ギギネブラはそこから動き出す素振りを見せない。

「何をするつもりだ……?」

 三人にとって厳戒を要するこの状況下で、ギギネブラはついに動きを見せる。

 突然、ギギネブラの身体から力が抜け落ちたように感じた。すると、天井に張り付いていたギギネブラの身体がぐらりと反れた。

 地面へ落下する。

 そう確信したのは尚早だった。何故なら、ギギネブラは尻尾を利用して天井に張り付いたまま、しかしながら頭をそこからぶら下げて、こちらに向けてきたのだから。

 生物の域を超越したギギネブラの行動の数々に、クレアやグレンは圧倒され尽くす。

「その場に止まるな、走れ!」

 突如、ヴァイスの警告が響き渡った。

 言葉の意味を理解しようとはせず、二人はただ言われるがまままに地面を蹴った。

 その直後、ギギネブラは口内から濃紫の球体を吐き出した。その球体は地面へ着弾すると、毒々しい紫煙を周囲に撒き散らした。共にそれらの球体は、今しがたクレアとグレンのいた場所に着弾しており、その周囲に紫煙が霧散していた。

 クレアが風に乗って漂ってきた紫煙を吸い込んだ途端、焼けるような肺の痛みと息苦しさを覚えた。

「こ、これって……!」

「あぁ、これがギギネブラの生成する猛毒だ」

 ヴァイスはクレアを連れて、一旦退避する。

 猛毒の紫煙は風に流され、すぐに消えてしまった。クレアの方も、直接に毒を浴びたわけではないため、解毒薬を使う必要はなかった。

「念のため回復薬を使った方がいい。違和感はあるかもしれないが、まともに毒を浴びたわけではないから、それで問題はない」

「はい。ありがとうございます、師匠」

「これくらい大したことないさ」

 ヴァイスはそれだけを告げて、ギギネブラに視線を戻した。

 呼吸を整えているクレアはその場に残していき、ヴァイスは地面に降り立ったギギネブラに再度接近を試みる。

 背後から近づき、尻尾に狙いを定めて飛竜刀【椿】を上段から振り下ろす。

 レムナイフやドロスヴォイスで阻まれる表皮であっても、この飛竜刀【椿】の刃を以てすればそれを穿つことは容易い。ヴァイスは続けざまに斬撃を繰り出し、着実に痛手を負わせていく。

 しかし、ギギネブラもただやられているわけではない。背後で動き回るヴァイスを煩わしく思い、ギギネブラは尻尾を動かし始めた。

「くっ……!」

 ヴァイスもすぐさま異変を感じ、その場から斬り下がって距離を取った。

 背中を丸め、ギギネブラは尻尾にも位置する口を盛んに働かせていた。口内からは粘着質状の妙な異音が発せられており、不気味さと気色悪さから身体もぞっと竦み上がる。

「オオオッ、オオオオオオオォォォォォォォォッ!」

 やがて、ギギネブラが苦し気に呻いたかと思うと、口内から半透明の粘体物を吐き出した。

 爆弾の如く地面に設置されたその粘体物からは、ギギネブラの弱正体にも思える生物が生まれ出てきている。いや、この生物こそ、ギギネブラの弱正体で間違いないのだ。

「うっ、あれは……」

 グレンも思わず顔を青ざめさせる。

「ギギネブラの卵。そして、あの白い生物がギギネブラの幼虫、ギィギだな……」

 声色では平然を装うヴァイスも、表情ではにが虫を嚙み潰したようなものになっていた。

 粘着質の卵から生まれてきたそれは、ぶよぶよとした乳白色の生物だ。そんなものが何匹も地面を這って、こちらに向かってくる光景は、とても気持ちの良いものとは言えない。

「どうしますか、師匠?」

 体勢を整えたクレアが、ヴァイスの元まで走り寄って指示を仰ぐ。

 ヴァイスもギギネブラと、またギィギとその卵とで視線をやり繰りして、そして判断を下す。

「俺がギギネブラを惹き付けておく。その間にまずは卵から排除してくれ。あの卵をどうにかしなければ、ギィギたちも増える一方だ」

「そうですね、分かりました。任せてください!」

 遅々と迫り来るギィギたちの合間を擦り抜けて、クレアがギィギの卵の元へ向かう。クレアの様子を見たグレンもまた、一歩遅れて彼女に続いた。

 ヴァイスがギギネブラの気を惹いていることを改めて確認すると、クレアは卵に向かってレムナイフを振り下ろす。卵と言うだけあって軟弱な物だとクレアは思っていたが、斬撃を数発浴びせただけではそれを破壊するごとができない。

「意外と打たれ強いっ!」

 斬撃を与える度にぶよぶよと変形する卵を睥睨しながらクレアが声を上げる。

 グレンもここに協力し、二人掛かりで卵の排除に掛かる。

「いい加減に、しろ!」

 グレンが上段から振り下ろしたドロスヴォイスの一撃で、ギィギの卵はようやく弾け飛んだ。

 だが、これで終わりではない。卵の排除に手こずった二人の背後に、小さな不気味な影が幾つも近寄って来た。

「グレンさん、後ろに!」

「しまっ――!?」

 そうして振り返った時にはもう遅い。グレンの背後から近づいたギィギが、彼目掛けて飛び掛かった。ギィギはペッコシリーズの上からグレンの左腕に噛み付いてきた。

 さすがに幼虫とだけあってか、噛み付かれて強烈な痛みに襲われることはない。だが、このままでは体力は削られる一方で、かつ動きも制限されてしまう。

 グレンは何とかしてギィギを振り解こうとする。だが、ギィギもその見た目からは想像もつかない咬合力で、グレンの腕から離れようとはしない。

 こうしている間に、クレアの元にもギィギたちが群がってくる。飛び掛かってくるギィギたちを盾でやり過ごしては、レムナイフで斬り付けて討伐していく。クレアが卵から孵化したギィギたちを全て討伐した頃には、グレンもようやくギィギを振り解き、討伐に成功する。

「何とかなりましたね」

「あ、あぁ……」

 余程スタミナを消耗したのか、グレンの呼吸は荒く、肩を上下させていた。クレアが一旦後退するかと提案したが、グレンはそれを断り、自らもギギネブラに向かって行った。

 クレアにはグレンを止める隙も与えられず、彼女もまたグレンの背中を追った。

 二人が前衛に戻って来ると、ヴァイスは斬り下がってギギネブラから距離を取った。

「今はこのまま様子見を続けるぞ。だが、気を抜くな」

「もちろんですよ!」

 ヴァイスの言葉にクレアは答え、グレンは沈黙を貫きつつも行動で以てそれに応答した。

 二人の様子を窺ったヴァイスは頷き、そして再びギギネブラとの距離を詰めた。飛竜刀【椿】を前脚に振り下ろすと、ギギネブラも怯んだ様子で咆哮した。

 ヴァイスはその瞬間、一瞬だけ洞窟の外から届く光の方へ視線をやった。

 どうやら、吹雪の方は無事に収まったらしい。これなら、外へ出ても問題はないはずだ。そう思い、ヴァイスは視線を目の前の敵へと戻した。

 だが、この狩猟が本当の意味で荒れ始めるのは、まだこれから先の話であった。



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EPISODE27 ~暗鬱の遁走曲~

 それからしばらくの時間が経過した頃、ヴァイスたちの姿は拠点にあった。

 この短時間の間に、ギギネブラの行動を目に焼き付けてきた。様子見はここで終わり、後は本格的に仕掛けていくのみだ。

「さて、どうするか……」

 拠点に置かれた道具類を眺めながら、ヴァイスは思考を巡らせる。

 今回持ち込んだ道具は、シビレ罠や落とし穴。大タル爆弾などのお馴染みのものばかりだ。これらの道具をいつ、どのタイミングで使用するか。それが、狩猟を有利に運ぶ重要なポイントである。

 すると、考え込むヴァイスの元へクレアがやって来た。

「師匠。この後はもう、一気に攻めていくんですよね?」

「あぁ、そのつもりだ」

 クレアの問いかけに頷いたところで、ヴァイスがふと思い出す。

 暖を取っていたグレンを手招きすると、今後の方針を二人に伝えた。

「次にギギネブラと対峙する時も、二人は自分の思うように動いてくれ。俺も出来る限り、二人をフォローしていくつもりだ」

 ヴァイスの言葉にクレアは頷くが、一方のグレンは彼から視線を逸らして、大タル爆弾などが積まれた荷車に向けた。

「あの道具類を使用するタイミングはどうしますか?」

「その判断も、今回は二人に委ねることにする。だが場合によっては、俺のタイミングで使用することもあるかもしれないから、その辺りは頭の片隅に入れておいてくれ」

「なるほど。基本的には、自分たちで判断して動け、ということですね」

「その通りだ」

 そうしてグレンも、ようやく納得したようだった。

 それを確認したヴァイスは、支給品ボックスまで足を運ぶと、その中からホットドリンクを何本か取り出した。そのうちの二本をグレンに渡す。

「クレアの分は必要ないから、代わりに補充しておいてくれ」

「ありがとうございます」

 ウルクシリーズを身に纏うクレアにはホットドリンクは不要なため、支給品のホットドリンクも余分に残っている。その分をヴァイスとグレンがありがたく頂戴することにした。早速二人は、ホットドリンクを一本飲み干す。

 最後に携帯食料で若干の空腹を満たし、出発する準備は整った。

 大タル爆弾などの積まれた荷車はヴァイスが引いていき、そのヴァイスを挟み込むように先頭をクレア、後方をグレンで固める。風に乗って漂ってくるペイントの臭気を頼りに、三人はギギネブラの元へ向かうべく拠点を後にした。

 狩猟の開始時には凍土も吹雪いていたが、今は天候も落ち着いている。エリア1には、先程まで見られなかったポポの群れの姿があった。

 しかし、肝心のギギネブラの姿はそこには見当たらない。改めてペイントの臭気を嗅ぎ分けてみて、ギギネブラの位置を割り出す。

「凍土の北側にいるみたいですね」

「あぁ。この感じだと、エリア4だな」

 ある程度の目星を付けると、そこへ向かって進み出す。

 しばらくしてやって来たエリア4もまた、洞窟内が狩場となっている。相変わらず外から流れ込んでくる冷気は容赦無いが、その分だけ視界も確保出来ている。

 そのおかげもあってか、三人は天井に張り付いていたギギネブラを容易に発見することが出来た。

 しかしそれでも、ヴァイスの表情は苦いものだった。

「厄介だな……」

 ヴァイスの視線は、地上に植え付けられた卵と、その周辺を徘徊しているギィギたちに向けられていた。他のモンスターの姿が見当たらないことは幸いだが、ギィギたちを排除しなければいけないことに変わりはない。

「ギィギは私たちで何とかしましょうか?」

 クレアの提案にヴァイスが頷く。

「分かった。それならギィギたちは二人に任せる。だが、ギギネブラにも常に注意を払ってくれ」

「もちろんです」

 短く言葉を交わし、三人がそれぞれの役目を果たそうと行動を開始する。

 荷車を端に置いてから、太刀の間合いに入り込んだヴァイスが卵を目掛けて飛竜刀【椿】を振り下ろす。

 その斬撃が卵を捉えると、ギギネブラも三人の存在に気が付く。天井に張り付いたまま静止していたギギネブラがついに動き出し、地上へ下りてくる。

「思いのほか俺たちに気が付くのが早かったな」

 卵の排除が完了したヴァイスが身を翻し、ギギネブラに飛竜刀【椿】の刃を向けるとそう口にする。しかし、その短時間の間にも、ヴァイスたちは成すべきことを成し遂げた。

 ギィギの討伐を終えたクレアとグレンが、ヴァイスより先にギギネブラに仕掛ける。

 ここからは様子見ではなく、全力で挑む。その方針に則り、二人は先ほどよりも間合いを詰めて立ち回る。

 ギギネブラはそれを好機と見たか、二人を諸共押し潰そうとする。だが、結局それは空振りに終わり、一転してギギネブラは反撃を食らう形になる。

 空振りした隙を逃さず、ヴァイスが肉薄して斬り込む。大胆にもギギネブラの正面から放った斬撃は、そのギギネブラを怯ませるまでに至る。

「オオオオォォォォォォォォォォォォォッ!?」

 ヴァイスも感じ取った、確かな手応え。肉質の柔らかい頭部による斬撃は、ギギネブラに対して大きな痛手を負わせた。

 ギギネブラが体勢を立て直す頃には、ヴァイスは斬り下がって距離を取っていた。そこに入れ替わるようにして、後方からクレアとグレンが再び仕掛ける。

「こいつ!」

 二人の攻撃を浴びながらも平然としているギギネブラを見て、グレンも血の気を増していく。

 ギギネブラの側面から正面に回り込み、頭部を目掛けてドロスヴォイスを振り下ろす。しかしそれでも、ギギネブラは怯まない。のこのこと正面にやって来た獲物を逃すわけもなく、ギギネブラはグレンを吹き飛ばす。

「ぐっ!?」

 背中から地面に叩きつけられ、グレンも言葉にならない苦痛を上げる。

「舐めやがって……っ!」

 のろのろと立ち上がったグレンは、ギギネブラを鋭い視線で射貫く。

 だが、ギギネブラは疾うにグレンから関心を失っていた。当のギギネブラは、そのグレンを援護しようとするヴァイスとクレアを標的としていた。

 それを頭で理解した途端、グレンの頭の中の“鎖”が千切れ始めた。

「――まだ、終わっていないんだよ!」

 感情の赴くままに声を張り上げ、そしてギギネブラに肉薄する。

 側面に陣取り、ドロスヴォイスを振り抜く。武器に宿る属性の相性の悪さなど関係ないと言わんばかりに、グレンはドロスヴォイスを振り回し続けた。

 しかし、ギギネブラにしてみれば、冷静さを欠いたグレンは格好の獲物だった。

 グレンがその“異変”に気が付いたのは、今一度ドロスヴォイスを上段から振り下ろそうとした直前だった。グレンの足元、ギギネブラの周囲を覆うようにして、紫煙が充満していたのだ。

「退け、グレン!」

 ヴァイスが警告を飛ばすが、既に手遅れだった。ギギネブラを包み込んだ紫煙が、何の前触れもなく“爆発”した。グレンの身体は一瞬にしてその紫煙に飲まれ、その姿が暗鬱の中へ消える。

 ようやく毒霧が晴れ、視界が開ける。そこには、地面に膝を屈し、苦しげに呻くグレンの姿があった。

「まともに毒を浴びたか……!」

 ヴァイスはすぐさまグレンの元へと駆け寄り、ギギネブラから引き離す。

 クレアは二人が離脱する間、何とかギギネブラを惹き付けようと前に出て行った。彼女の頑張りもあって、二人は何とかギギネブラから距離を取ることが出来た。

「うぅ……っ、くそっ……!」

 グレンは意地になって、目に角を立ててギギネブラを見遣る。しかし、こんな状態で前線へ戻ったとしても、容易くギギネブラに蹴散らされるのは誰の目から見ても明らかだった。

 それを理解しているヴァイスも、やや声色を強めてグレンに言う。

「落ち着け。とにかく今は解毒することを優先しろ」

「え、えぇ……」

 ヴァイスに促されて、グレンもようやくポーチから解毒薬を取り出す。すると、次第にグレンの呼吸も落ち着いてくる。

「体力も回復しておけ。前に出るのはそれからだ」

 しばらくグレンの様子を確認してみても、どこか異常があるわけでもない。それを確認したヴァイスが、一足先にギギネブラの元へ向かう。

 一時的に孤軍奮闘となったクレアだったが、それでも彼女は自らの任務を成し遂げる。ギギネブラを相手に、何とか食い下がって見せた。

「クレアは一旦下がってくれ」

「分かりました、お願いします!」

 クレアを後退させ、今度はヴァイスがギギネブラの相手を買って出る。

 正面から斬り込むような大胆な動きは控え、十分な間合いを保ちつつ前脚を狙って飛竜刀【椿】を振り下ろす。

 しかし、ギギネブラもしぶとい。ヴァイスの繰り出す斬撃を浴びながらも身体の動きを休めることなく、自身に纏わり付く獲物を捕らえようとする。

「ウオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」

 耳を聾するような歪な咆哮。それは洞窟内に反響し、凍り付いた周囲の空間さえも揺らめかせる。

「う、くっ!?」

 咄嗟にヴァイスも後退しようと試みたが、これだけの咆哮を頭上から叩きつけられるように浴びてしまい、身動きが取れなくなってしまう。

「師匠!」

 クレアが警告の声を張り上げる頃には、ヴァイスも身体の自由を取り戻していた。しかし、既にギギネブラはヴァイスの眼前まで迫って来ていた。

 どう仕掛けてくる。そんなことを頭で考える暇も与えられず、ヴァイスは直観的に身を翻し、前転して地面を転がった。その直後、ギギネブラは後方へ大きく跳躍し、その勢いそのままにブレス状の毒球を吐き出した。毒球の着弾点は紫煙に包まれるも、それをヴァイスが浴びることは辛うじて避けられた。

「間一髪、か……」

 飛竜刀【椿】を鞘に納めつつ、ヴァイスは額に滲んだ心地悪い汗を拭う。

 ヴァイスとしても、あのブレスを浴びることは何としても避けたいところだ。そんなことを改めて感じつつ、ヴァイスは再び前衛に躍り出る。

 しばらくその場に佇立していたギギネブラに接近し、今度は頭部に斬撃を放つ。クレアもそこに合流して、二人掛かりでギギネブラの動きを封じに掛かる。

 後方に下がっていたグレンも、果敢に攻める二人を見て触発される。

「俺も、ただ傍観しているだけじゃ駄目だ!」

 上擦った声を張り上げ、グレンもまたギギネブラに肉薄した。

 しかし、ギギネブラはその三人を哄笑するかの如く咆哮した。三人は身動きを封じられ、ギギネブラに無防備な姿を晒す形となってしまう。その隙を逃さんと、ギギネブラは尻尾で周囲を薙ぎ払った。ヴァイスは寸でのところで回避、クレアはガードに成功したものの、またしてもグレンの身体は後方に吹っ飛ばされてしまった。

「くそっ!」

 立て続けにギギネブラに蹴散らされてしまい、さすがにグレンも手持ち無さを痛感する。

 立ち上がってすぐさま反撃に転じようとするが、結局それはヴァイスに遮られる形となり、叶わないままで終わる。

「もどかしい気持ちは分かるが、冷静になれ。蟻の穴から堤も崩れるということもある。攻撃を食らったら、前線に戻るよりも体力の回復に専念しろ」

 ヴァイスの発言は、極めて言いえて妙である。それ故に、グレンは彼に対して何も反論出来ない。不はむきな態度を取りつつも、促された通りに回復薬を飲み干し、体力を回復する。

 空になった瓶をポーチに押し込んだ頃には、既にヴァイスはギギネブラと対峙していた。

「ちっ!」

 荒く舌打ちをして、グレンが地面を蹴る。

 冷静になれ、とヴァイスには言われたものの、グレンの憤懣は募る一方である。既にグレンは、冷静さを保とうとすることを放擲してしまっていた。

「グレンの奴……!」

 ヴァイスの方も、グレンが冷静さを失いつつあることは把握していた。事前に取り決めた援護に徹するという立ち回りも、角の立った今のグレンにはまさに絵に描いた餅である。

 ギギネブラに対するというより、自身に対する怒りに肖られたグレンは、脇目も振らずにドロスヴォイスを振り回す。しかし、有耶無耶な攻撃を繰り出したところで、ギギネブラに大した痛手を負わせることは不可能だ。

 結果的にグレンは、ギギネブラの反撃に遭う。身体は呆気無く吹っ飛ばされ、凍り付いた地面に叩きつけられる。

「ぐぅっ!」

 再びグレンは立ち上がるが、ギギネブラの度重なる攻撃によるダメージに身体が蝕まれていく。このようにやられ通しでは、先にグレンの方が力尽きるのは明らかである。

 だが、グレンの思考は、そんな当然のことまでにすら至らなくなっていた。

 回復薬を使用するのも忘れ、ドロスヴォイスを振り下ろす。しかし、そんな無謀な一撃を繰り出しても、ギギネブラはぴくりともしない様子で、グレンに頭を向けた。

「オオオォォォォォォォォ……ッ!」

 毒球を頭から浴びて、遂にグレンも地面に突っ伏す。何とか立ち上がろうと手足を動かそうとするが、体力を消耗している上に身体に毒が回っている状態では、思うように身体が動くはずもなかった。

「グレンさん!」

 クレアも、グレンが相当危険な状態にあることは既に理解していた。ヴァイスの指示を仰ぐ前に、単独でギギネブラに向かって行く。

 ギギネブラは再びクレアに任せて、ヴァイスはグレンの助けに入る。肩を貸して地面に立たせると、ギギネブラからなるべく距離を取れるようエリアの端まで移動した。

「ほら、解毒薬と回復薬だ。早いところ回復しないと手遅れになる」

 ヴァイスの差し出した解毒薬と回復薬を、グレンは無言で受け取り一気に飲み干す。

 荒れていた呼吸は徐々に正常になっていく。何度も痛手を食らっているが、この様子を見る限りではそれでも気力は尽きていないようである。

 ――いや、最早グレンには“気力”という言葉を用いるのも不適切であった。今の彼を突き動かしているのは、気力でも何でもない。彼の身体は、心の内から溢れ出た怒りという感情に支配されている。

「……ここでしばらく様子を見るか、またギギネブラに挑みかかるか。それはお前の判断に任せる」

 それを理解して尚、ヴァイスはグレンを引き留めようとはしなかった。否、正確にはそう言うしか他ならなかった。

 今のグレンにどんな言葉を掛けようと、それが彼に届くことはないだろう。だから、例え深追いしないよう忠告したとしても、それを実行することなど有り得ない。

 “自分がそうであった”が故に、ヴァイスは理解してしまっていた。彼がここまでしてギギネブラに――いや、モンスターに執着する理由が。

 そして、グレン本人にも、本当の意味でそれを自覚させ、それが“無意味”だと理解させる方法はただ一つ。

 

「――りゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 ――目の前の現実を見せしめ、思い知らせる。それだけだ。



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EPISODE28 ~長い悪夢~

「――りゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 凍り付いた凍土の洞窟に轟いた雄叫びに、クレアは呆気に取られてしまう。

 その雄叫びを上げた張本人であるグレンは、開いていたギギネブラとの距離を一気に詰め寄り、その頭部を狙ってドロスヴォイスを振り下ろした。

「グレンさん、一体何を――!?」

 そうして彼の元へ駆け寄ろうとしたクレアを、ヴァイスが制する。思ってもみなかったヴァイスの静止に、クレアの表情にも困惑と焦りの色が同時に現れる。

「師匠! グレンさんを止めないと!」

「……ああ、分かっているさ。でも、今は止めるべきではない」

 ヴァイスが口にした言葉で、クレアは言葉を失ってしまった。

 今のグレンは、危険を顧みるつもりなど全くなく、ただギギネブラを討伐することだけを頭に置いて行動している。そのような無茶な真似をしていれば、いずれ取り返しのつかない事態に成り兼ねない。だが、そのことを三人の中で最も理解しているはずのヴァイスがグレンを放置すると言うのだ。

 一体どういうつもりなのか。クレアはその言葉を口にしようとして、だが寸でのところで飲み込んだ。と言うのも、クレアに有無を言わせぬかのように、ヴァイスがタイミングを見計らって言葉を紡いだからだ。

「あいつがどれだけ危険な行動をしているかは俺も理解している。だが、それでも今は、あいつを止めるべきではない。この狩猟の目的は、“グレンの採点”なんだ」

 ――グレンの採点。

 その言葉を目の前にして、クレアも反論出来なくなる。

「いざと言う時は俺がどうにかする。だからクレアは今まで通り、自分の思うように動いてくれ」

「……分かりました。グレンさんの援護、よろしくお願いします」

「ああ。任せてくれ」

 ヴァイスにここまで言われては、クレアもそれ以上の言葉は出てこなかった。

 言われたとおりグレンのことはヴァイスに任せて、それでいてクレアは出来るだけ自然体でいることを心掛けながら、ギギネブラに向かって行った。

 仕掛けたのはギギネブラの右前脚。ちょうどグレンと反対に位置する場所に狙いを定め、レムナイフを一閃する。

 クレアに続いてヴァイスも動き出す。こちらに注意を向けることを優先して、危険を承知の上でギギネブラの正面に飛び込む。鞘から飛竜刀【椿】を振り抜き、上段から一撃を繰り出す。

 そこから更に、続けざまに斬撃を浴びせる。本来なら退くべきところを、ヴァイスはそんな素振りを全く見せぬままに休むことなく飛竜刀【椿】を振るう。

 懸命なヴァイスの、いやギギネブラにしてみれば厄介極まりない斬撃の数々に反撃を試みる。

 上体を起こし、そこから身体ごと地面に倒れ込む。ギギネブラにとっては、先程よりも間合いを詰めて来るヴァイスを仕留めるのは容易だと判断したのかもしれない。しかし、ヴァイスもその辺りは手慣れた捌きでギギネブラのボディプレスをやり過ごす。

 ボディプレスを繰り出した際に生じる風圧を避けるために後退していた三人が、再びギギネブラとの距離を詰めた。クレアは安全な間合いを保っての立ち回りだが、残るヴァイスとグレンは猪勇のある大胆な動きを再度慣行する。

「ちぃっ!」

 特にグレンの場合は、それが顕著に表れている。向こう見ずにギギネブラに接近し、自らの危険を顧みる様子など微塵も感じさせないようにドロスヴォイスを叩きつける。

 しかしそれは、更なる二人の焦りを追い立てる。グレンの援護を引き受けたヴァイスにしてみても、目の前であのような危なっかしい動きを見せられては、自然と冷や汗が湧いてきてしまう。

 だがそれでも、自分が援護するのだと決意したからには、ヴァイスもそれを遂行する。今一度ギギネブラの懐に潜り込み、飛竜刀【椿】を横一文字に薙ぐ。

 しかし、そこから追撃を加えようとしたところで、ギギネブラも新たに動きを見せる。再びヴァイスを標的に定めたと思われたギギネブラであったが、しかしそこで一転し後方にいたクレアを狙った。薙ぎ払われた尻尾には瞬時に対応することが出来ず、クレアの身体が地面を滑る。

「平気か?」

 横目でグレンとギギネブラに注意を向けながら、クレアの元に駆け付けたヴァイスが容態を尋ねた。

 そのクレアはというと、身体は吹き飛ばされたものの、大した痛手にはならなかったらしい。すぐさま体勢を立て直し、ヴァイスの問いかけに答える余裕を見せた。

 それを確認してから、ヴァイスはまた眼前で展開される、喫緊としたやり合いに意識を戻す。

 ギギネブラとグレン。両者の瑣末な動きに対してもヴァイスは敏感に反応し、そして対応する。無暗にグレンの動きを妨げるのではなく、あくまで援護という名目を保ったままヴァイスは立ち回る。そこに僅かな隙が生じれば、ヴァイスは一気に攻め込む。

 脚の付け根から足元、比較的に斬撃が通りやすい部位を袈裟斬りの要領で斬り裂く。狙い通りの部位に気刃斬りを叩き込むと、ギギネブラのその巨躯も大きく揺らいだ。

「オオオオオオオォォォォォォォォォォッ!?」

 悲痛を叫ぶ咆哮にさえも気を向けず、ヴァイスとクレアが畳み掛ける。

 だが、その勢いもここで途絶える。

 のそのそと地面から這い上がったギギネブラの身体が、突如として闇より深い黒に染まる。蠢く毒腺は更なる不気味さをその身に湛えさせ、目覚めることのない悪夢へと誘う。

「ウオオォォォォォ―――――――――――――――――――ッ!」

 闇に浮かび上がるような白色の表皮も何とも不気味であったが、この闇に溶け込むような常闇の黒を纏ったギギネブラには、また別の恐怖を抱く。

「向こうも我慢の限界か……」

 平静な声色でそう言ったヴァイスではあるが、彼の表情も厳しいものだった。

 タイミングを見計らったかのように、ギギネブラは自らの怒りを爆発させた。それはまるで、こちらの焦燥と不安を扇動しているようである。

「師匠」

「分かっているさ。クレアも無茶はするなよ」

「はい。師匠も無理しないでくださいね」

 何も告げなかったクレアではあるものの、ヴァイスはそんな彼女の気持ちを理解していた。

 クレアの懸念を裏付けるように、グレンが行動を開始した。それに合わせてヴァイスも動き出す。

「グレン、正面には回るな!」

 ギギネブラは怒り状態になることで、頭部と尻尾の肉質がまるで逆転する。通常であれば頭部を攻撃することが最も効果的なのだが、闇に染まったギギネブラに対して同じ手を用いれば、その一撃は呆気無く弾かれるだけに終わる。

 凍土に足を踏み入れる以前に、その旨の話はクレアとグレンに伝えていた。しかし、今のグレンがそのことを覚えているかと言えば、それは否だろう。

 そう考えていたヴァイスの目の前で、グレンは案の定ギギネブラの頭部を狙ってドロスヴォイスを叩きつけた。しかし、先程行った演奏の効果も切れていたのだろう。上段から振り下ろしたはずのドロスヴォイスは、鈍い音を撒き散らして弾き返された。

「っ!?」

 その瞬間、グレンの頭からも血の気が引いた。

 体勢を崩したグレンを、ギギネブラが見逃すはずがない。後方に飛び退いた勢いをそのままに、口内から毒球を吐き出すとそれをグレンの足元に叩きつけた。グレンの身体は一瞬にして紫煙に包まれ、そして空気中に霧散した毒素を吸い込んでしまう。

「ぐっ……!? く、くそ……っ!、げほっ、げほっ!」

 微量でもその毒素が身体に回れば、途端に息苦しさを覚える。全身の感覚が麻痺したように身体が痺れだし、地面に立っていることでさえも覚束なくなる。

 それでも何とか立ち上がろうとするが、いよいよ眩暈すら感じてきた。こうなると、グレンも身体の自由を利かせることは不可能だった。

 しかし、ギギネブラの後方に回り込んでいたヴァイスが、尻尾に向かって飛竜刀【椿】を振り下ろした。グレンに止めを刺そうかとしていたギギネブラも、水を差してきたヴァイスにその注意が向く。

 そのうちに、駆け付けて来たクレアがグレンを後退させる。

「グレンさん。早く解毒しないと……!」

「あ、あぁ……。分かってるよ、そ、そんな事は……!」

 呂律も回らなくなった口調でありながら、グレンは尚もギギネブラに目を据えていた。

 そんなグレンの有様を見たクレアも、彼に掛ける言葉を見失ってしまう。

「グレンさん、どうして……」

 しかし、やっとのことで振り絞ったクレアの言葉にすら、グレンは聞く耳を持たなかった。解毒薬と回復薬で体勢を整え直すと、グレンは独行してギギネブラに向かい出す。

 二人のやり取りは、ヴァイスからも確認出来ていた。

 だが、それでもヴァイスはそれ以上のことをしようとはしない。彼が遂行することと言えば、前衛に戻って来たクレアとグレンの援護だけである。

 しかし、怒ったギギネブラを凌ぐにも限度がある。三人の包囲網を用意に突破してみせると、そのまま宙に舞い上がり天井に張り付いた。こうなると、ギギネブラが地上に降りてくるまでは手の施しようがない。

 それにも関わらず、グレンは身体を休めようとはしなかった。ギギネブラの真下にまでやって来ると、地上に子タル爆弾を設置する。打ち上げられた子タル爆弾がギギネブラの背中に命中すると、そのギギネブラも予想外の衝撃に驚いたか、地面に降りて来た。

 その瞬間を見計らって、グレンが一目散に駆け出す。今度は背後に回り込んで、尻尾を目掛けてドロスヴォイスを振り下ろした。

 ヴァイスとクレアも続く。共にギギネブラの前脚を狙える位置に陣取り、それぞれの武器を振るう。

 その中で、クレアはある手応えを感じ始めていた。レムナイフの刃には睡眠毒が(まぶ)られている。一撃で付与することが出来る睡眠毒はほんの僅かなものであるが、それでもギギネブラの体内には徐々に蓄積されてきているはずだ。

 ここでギギネブラを眠らせ、持ち込んだ爆弾類を使用すれば、ギギネブラには大きな痛手を負わせることが出来る。

 それを確信し、クレアは地面を蹴り上げる。空中に舞い上がらせた身体の勢いをそのままに、頭上からレムナイフを一閃する。振り下ろした刀身を上段に突き上げ、横一文字に振り抜く。更に二度斬り付け、身体を捻らせて渾身の一撃を叩き込む。

「ウオオオォォォォォッ!?」

 立て続けに繰り出されたクレアの斬撃に、ギギネブラも怯んだ。

 残念ながらギギネブラを眠らせようとするクレアの狙いはここでは失敗に終わる。しかしながら、まだチャンスは大いにあった。一瞬の隙を見計らって、クレアが再度地面を蹴ろうとする。

「そこ!」

 狙いとしては申し分ない。体勢を崩したギギネブラに対して更なる追撃を試みようとすることは、大胆でありながらも賢明な判断であると言える。

 しかし、つま先に力を込めたクレアの視界に、突如グレンの影が飛び込んで来た。このまま直線状に跳躍すれば間違いなくグレンと衝突してしまう、そんな距離感での出来事である。

「まず――っ!?」

 それでも身体は咄嗟に動き、直前に跳躍する方向を僅かに逸らすことに成功した。だが、そうなってしまうと、クレアの一撃はギギネブラの頭部に命中する。ギギネブラの頭上から振り下ろされたはずのレムナイフは、鋭い音を撒き散らして弾かれる。

 クレアの身体も衝撃で体勢を崩し、地面に倒れ込んでしまう。すぐさま後退しようとクレアは試みるが、それでもギギネブラの腹から発生した紫煙にその身体が飲み込まれる。

「クレア!」

 ヴァイスも思わず声を張り上げた。

 想定していなかった事態ではない。しかし、その想定していた中では最悪に近い形で実現してしまった。

「クレア、無事か?」

 クレアの元に走り寄ったヴァイスが尋ねる。クレアもヴァイスの肩を借りながら立ち上がり、その問いかけに答えるべく頷く。

「はい、何とか……。すいません、グレンさんの動きを見ていませんでした……」

「ああ、それは気にしなくていいさ。とにかく、今は解毒を優先しよう」

 ヴァイスはそう言って、肩越しにグレンに顔を向け、そして声を上げる。

「グレン! 一旦退くぞ!」

 ヴァイスのその声は、何とかグレンの耳へと届いたらしい。潔くギギネブラから距離を取ると、ドロスヴォイスを肩に背負った。

 そのグレンの様子を見ながら、ヴァイスも先を急ぐ。

 背後から近づいて来るグレンとギギネブラの気配を感じながら、クレアと連れ立ってエリア4を後にした。



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EPISODE29 ~遼遠の好機~

 ギギネブラとの戦闘からは一時離脱し、三人はエリア3へと転がり込んだ。拠点からエリア4にまで運び込んだ罠類なども何とか無事である。

「どうにか撒いたか……」

 たった今やって来た道を振り向きながら、ヴァイスは短く息を吐いた。

 さすがのギギネブラも、そこまでしつこく追い回す真似はしないようであった。その事に安堵しながら、ヴァイスはクレアの元へと歩み寄る。ポーチから解毒薬を一本取り出すと、それをクレアに差し出した。

「これで解毒するんだ。このままだと、体力も削られる一方で危険な状態だ」

「はい。ありがとうございます、師匠……」

 クレアは多少の躊躇いこそ見せたものの、差し出された解毒薬を素直に受け取り、そして一気に飲み干した。しばらくするとクレアの呼吸も落ち着きを取り戻してくる。その様子を見て、これで大丈夫だろうとヴァイスも頷く。

「二人とも、入念に態勢を整えておけよ」

 クレアとグレンにそう促し、荷車をエリアの隅へと運ぶ。そうしてから、ヴァイスは鞘から飛竜刀【椿】を引き抜いた。見たところ刃毀れした様子はないのだが、斬撃を通じて感じる手応えは若干浅いものへとなった気がしたのだ。自分の感覚に従い、ヴァイスは砥石を取り出して刀身にそれを当てる。

 飛竜刀【椿】の切れ味を回復すると、回復薬と携帯食料も使用して万全を期す。

 そうしてから、何気無くクレアとグレンの様子を改めて窺ってみる。クレアも同じように、体力を回復してから携帯砥石を使用している。一方のグレンは、渋々といった様子ながらも携帯食料を口に運んでいるようだった。

 それを確認したヴァイスは、グレンの方へと向かっていく。手を伸ばせば届きそうな距離にまで近づいた時、グレンもようやく顔を上げて、その視線をヴァイスに向けた。

「グレン。今のうちに演奏を頼む。ギギネブラと対峙している最中に演奏するわけにもいかないからな」

 ヴァイスから命じられた初めての指示に、グレンは逆らうことなく頷き返した。

 その場に立ち上がると、ドロスヴォイスを構えて演奏体勢に入る。『防御力強化【小】』、『スタミナ減少無効【小】』、『風圧無効』の効果を及ぼす演奏を行ったところで、何処からもなく呻き声が轟いてきた。

 グレンの演奏に釣られるようにして、ギギネブラがエリア4からその姿を現したのだ。

「来たか」

 天井に張り付いたギギネブラを見据えながら、ヴァイスは静かに呟く。

「今まで通りでいい。思うように動いてくれて構わない」

 それだけを告げると、ヴァイスは地面を蹴った。そのヴァイスに一歩遅れて、クレアとグレンも続く。

 既にギギネブラの怒りは冷めたようである。それを理解したクレアとグレンがギギネブラの背後に回り込む。一方のヴァイスは、正面から斬り込むつもりのようである。

 側面からではあるが、クレアも果敢に攻める。数々の斬撃を繰り出して、ギギネブラの体力を削っていく。

 だが、片手剣の斬撃により与えられる一撃はそうは重くない。クレアの目的は、ギギネブラに睡眠毒を付与すること。そして、眠らせたギギネブラに対して大タル爆弾を使用し、一気に畳み掛ける。

 クレアの意図を理解したヴァイスも、グレンに目をやりながらその援護に入る。再びギギネブラの眼前に躍り出て、飛竜刀【椿】を頭部に振り下ろす。その一撃で、ギギネブラの身体が揺らいだ。

 しかし、これでは決定打には至らない。ヴァイスは斬り下がって一旦距離を取り、入れ替わるようにグレンが前衛へ出る。

 ギギネブラは首の向きを変えてグレンを追おうとするが、それを振り切る勢いで立ち回る。そして、ギギネブラの見せた一瞬の隙を突いて、グレンがギギネブラに肉薄した。

「そこだ!」

 ドロスヴォイスを振り下ろし、そのままぶん回す。翼を狙った攻撃は全て命中し、僅かな時間ではあるがギギネブラの動きを止めることに成功する。

 そこを見計らって、ヴァイスが再度接近を試みた。今度はギギネブラの側面から斬り込み、続けざまに斬撃を放つ。

 またしてもギギネブラの巨体が大きく揺らぐ。しかし、それでも決定打には至らず、レムナイフによる睡眠を誘発することは出来ていない。

「根気強く踏ん張るだけ、か……!」

 そう割り切って、ヴァイスが再び前に出る。ギギネブラの繰り出す攻撃を掻い潜って間合いに入り込み、飛竜刀【椿】を頭上から振り下ろす。

 一方のクレアも、ヴァイスより更にもう一歩分だけ接近した位置でレムナイフで斬り付ける。睡眠毒の付与を狙いとしているのは理解出来るが、だからと言って危なげな様子は見受けられない。周囲の状況を多角的に把握して、冷静な立ち回りを続けている。

 クレアとパーティーを組むようになってしばらくが経ったが、最近の彼女の成長は目を見張るものがある。ヴァイスが具体的な指示を出さないことも度々あるが、その中でもクレアは自分の出来る最大限の仕事を遂行している。その姿は、以前の彼女には見られなかった。

 ギギネブラと対峙する中で、ヴァイスはその視線をクレアからグレンへと移す。

 近頃の様子を見れば、クレアが大きく成長していることが目に見えて分かる。一方で、今回初めてパーティーを組んだグレンの実力は未知数だ。

 だが、その中でヴァイスは一つだけ理解に至った。それは、グレンが実力を発揮しきれていないということである。

 薄々とではあるが、確かに感じていた妙な違和感。そして、不可解なまでの際どい立ち回り。ヴァイスとしても全てを理解したわけではないが、それでも何となくの目星は付いた。

 ――“自分の実力を知りたい”。その言葉の裏に隠された本当の真意。それが脳裏にちらついた時、ヴァイスの視界がぐにゃりと歪んだ。

「くっ、これ以上余計な事を考えるな」

 自らを苛め、逸れかけていた注意をギギネブラへと戻す。

 取り敢えずは決着をつけてからだと、ヴァイスが一際ギギネブラに対して肉薄した。周囲の者を蹴散らそうとギギネブラがバインドボイスを放とうと、その影響から身体の自由を取り戻せば同じように斬撃を食らわせる。

 相手の自由を奪い取る手段は効果的でないと判断したか、今度はギギネブラは得意の猛毒で仕留めようとする。腹部から霧散した紫煙がギギネブラの近辺を覆いつくすが、接近していたヴァイスとクレアは距離を取って回避した。

 辺りから紫煙が消え失せると、三人が一斉にギギネブラに詰め寄ろうとする。ギギネブラもそれを許すまじと尻尾で薙ぎ払うが、それは足止め程度にしかならなかった。薙ぎ払いを回避したクレアが真っ先に斬りかかり、少し遅れてヴァイスとグレンも加わる。

「師匠、翼を狙いましょう! 体勢を崩して、一気に畳み掛けます!」

「よし、了解だ」

 クレアの提案に賛同し、ヴァイスが立ち位置を変更する。クレアの反対側に回り込み、翼に狙いを定めて飛竜刀【椿】を閃かせる。

「ウオオオオォォォォォォォォォォォォ……ッ!」

 ギギネブラも、ヴァイスたちに対して次なる一打を講じてくる。背中を丸める動作の後、例の卵を地面に植え付けた。

「また寄生なのか!?」

「俺が片付ける。グレンは俺の代わりに奴の翼を狙ってくれ」

 若干の動揺を見せたグレンに代わり、ヴァイスが卵の排除を買って出た。ギギネブラの横をすり抜けると、地面に植え付けられた卵と、その卵から這って出現するギィギたちをまとめて駆除しにかかる。

 飛竜刀【椿】を鞘から引き抜き、上段から斬りつける。放たれた斬撃は産み落とされた卵に命中し、それと共に燃え上がった炎の共に弾け飛んだ。そこから再び太刀を構え直し、右方向にステップを踏みつつヴァイスの左方向を振り抜いた。ヴァイス目掛けて飛び掛かろうとしていたギィギたちはその斬撃の餌食となり、あっさりと地面に倒れ伏す。

 卵とギィギの討伐を完了すると、ヴァイスがすぐさま身を翻す。グレンと入れ替わるようにして、今度はヴァイスがギギネブラの翼を狙って斬撃を繰り出す。

 ここまでギギネブラも、三人の攻撃を何とか耐え凌いできた。しかし、ここに来てそれも限界に達する。ヴァイスの一撃でギギネブラの巨体が揺らぎ、地面に崩れ落ちた。

「この隙、逃さない!」

 赤子のようにのたうち回るギギネブラを目の前に、クレアが一気に踏み込んだ。無防備に曝け出された腹部目掛けて、レムナイフを一心不乱に一閃させる。

 そして、ギギネブラがようやく地面に起き上がった時、その効果が表れた。

 今まで、あれほど暴れ回っていたギギネブラが突然静まり返る。身体から力が抜けたように地面に倒れ、そのまま動きを見せることはない。辺りに響き渡るのは、規則正しい寝息のような息遣いだけである。

 ここまで追い詰めて、やっとのことでギギネブラを眠らせた。それを理解した時には、三人は既に次に成すべき行動を取っていた。

 ギギネブラに破壊されないよう、安全な場所に置いておいた荷車の元まで走り寄り、そこから大タル爆弾を運び出す。合計六個の大タル爆弾をギギネブラの頭部付近に設置すると、三人は爆風の及ばない位置にまで後退した。

「よし。頼むぞ、クレア」

 ヴァイスに促され、クレアが頷く。

 今回、爆弾を起爆する役を引き受けたのはクレアだ。クレアは腰ベルトに装着していた投げナイフを一本取り外すと、右腕を大きく振りかぶって投げナイフを投擲した。

 投げナイフがタルに命中したような物音の後、鼓膜を劈くような爆音が轟き渡る。熱を帯びた爆風が周囲に巻き起こり、それが三人の身体を押し退けるように吹き抜けた。

「オオオオオォォ――――――――――――――――ッ!?」

 爆音が響動めく中、ギギネブラが一際大きく咆哮した。爆発によって発生した黒煙が晴れて尚、苦し紛れに身体を持ち上げ低い呻き声を上げている。頭部の毒腺は弾け飛び、見るも痛々しい姿であった。

「やったか!?」

 呻き苦しむギギネブラの様を見て、グレンも拳を握る力にも自然と力が入る。対して、ヴァイスは冷静にギギネブラの様子を窺っていた。

「……いや、そうとも限らないようだ」

 ヴァイスの言葉の後、ギギネブラは翼を大きく広げ、上空に飛び立った。

 あれだけの痛手を受けてながらも、ギギネブラは未だに倒れない。その事実を目の当たりにして、グレンの熱も徐々に冷まされる。

「まだまだってことか……」

「でも、エリアを移動したってことは、私にとってはチャンスかもしれないですよ。あともと一押しのはずです」

 グレンに対して、クレアは前向きだった。そんな彼女に、ヴァイスも同意する。

「クレアの言うとおりだ。あれだけの攻撃と大タル爆弾を食らっているんだ。ギギネブラにとっても、あまり余裕はないだろうな」

 ヴァイスがそう言うと、クレアもやる気に満ちた表情で頷き返す。相変わらずだな、と普段と変わらぬやり取りの後、ヴァイスはグレンに顔を向けた。

「急ぐ必要は無い。手堅く立ち回ればいいんだ」

 その言葉を受け、グレンもおずおずといった様子で小さく首肯した。

 グレンの返答を確認すると、ヴァイスは飛竜刀【椿】の切れ味を目視で確かめる。斬撃を通して感じられる手応えに違和感はないが、念のために砥石を当てておく。ヴァイスに倣い、クレアとグレンも砥石や携帯食料を使用し、万全の体勢を整える。

 準備が終えれば、後はギギネブラを追いかけるだけである。僅かに漂ってくるペイントの臭気を頼りに、三人はギギネブラの追跡を開始した。



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EPISODE30 ~募る不安~

 上空に姿を消したギギネブラを追いかけ、三人は再びエリア5に戻って来た。

 狩猟を開始した当初も、ギギネブラはこの場所に佇んでいた。それを考えると、このエリアはギギネブラの休息エリアなのだろう。

 そうと分かれば、ギギネブラを休ませるわけにはいかない。暗闇の中に浮かび上がる白い物体を視界の中に捉えると、三人は一斉に走り出す。

「オオオォォォォォォォォォォォォォォォッ!」

 対して、ギギネブラもこちらの存在に気が付く。身を翻して三人の方へ身体の向きを変えると、けたたましい咆哮を放つ。

 その余韻が残る中、まず最初に斬り込んだのはヴァイスだった。ギギネブラの側面に回り込み、翼に向かって飛竜刀【椿】を振り下ろす。

「後ろに回ります!」

「あぁ、援護は任せろ」

 クレアがギギネブラの背後から接近するための隙を、ヴァイスが作り出す。

 側面からわざとギギネブラの正面に躍り出て、挑発するような立ち回りで揺さ振りを掛けてみる。すると、ギギネブラもまんまとヴァイスの罠に嵌ってしまう。のこのこと真正面に出てきたヴァイスを押し潰そうとするが、それはあっさりと回避されてしまう。反対に、ギギネブラは背後からの反撃を食らう形になる。

「はあぁぁぁっ!」

 ギギネブラの後方に位置取っていたクレアがタイミングを見計らってレムナイフを振り下ろした。ギギネブラも瞬時には対応することが出来ず、無防備な状態でかなりの斬撃を浴びてしまった。

 二人が後退して、ギギネブラもようやく反撃体勢に入る。頭部の口から迫り出した牙を不気味に光らせ、周囲の熱源を頼りに突進する。しかし、ギギネブラは散開した無人の空間を突っ切っただけに終わってしまう。急停止したギギネブラの元に、ヴァイスとクレアがもう一度接近を試みる。

「援護します」

 一方、グレンは二人の様子を観察するように後方で援護に徹していた。演奏の効果はまだ持続するだろうが、『スタミナ減少無効【小】』と『風圧無効』のスキルを発動させる演奏を念押しで行う。

 すると、その音色に反応したか、はたまた気まぐれなのか。ギギネブラがグレンのいる方へ身体の向きを変えた。ギギネブラは後方に大きく跳躍しつつ、その勢いを生かして毒液玉をグレンに向かって発射した。

「毒液玉だ、気を付けろ!」

「分かっていますよ!」

 言われるまでもない、とグレンは声を上げる。ドロスヴォイスを肩に背負い、横っ飛びで難を逃れる。両者の距離は十分に開いていたため、これは余裕を持って回避することが出来た。

 前に出ていた二人は再度ギギネブラに向かって行くが、そのギギネブラは着地した場所に留まり腹部から毒霧を噴射する。下腹から放たれる毒はギギネブラ周辺を覆い込み、剣士である二人を寄せ付けない。こうなってしまうと、二人にはこれ以上接近する術が無い。

 やがて、毒霧が霧散したことを確認して二人が動き出す。先に間合いに踏み込んだヴァイスが飛竜刀【椿】を振り上げたのとギギネブラが動きを見せたのはほぼ同時であった。熱を帯びた白銀の刃は闇を斬り裂き、ギギネブラの頭部を貫く。一太刀目は切っ先で浅く斬りつけただけであったが、二太刀目の突きは抜群の威力を発揮する。

「オオオオオォォォォ―――――――――――――――――――――――――ッ!」

 斬撃と共に紅炎が弾けると、ギギネブラが一頻り咆哮する。その身体は暗黒に溶け込み、漆黒に浮かび上がる尻尾の毒腺が不気味に尾を曳いた。

「また怒ったか……!」

 頭上から凄まじい音量の咆哮を食らいながらも、ヴァイスは僅かな笑みを浮かべていた。

 ギギネブラはだいぶ追い込まれ、体力もかなり消耗しているはずだ。この怒り状態も、生命の危機を感じたギギネブラの防衛本能が怒りという形で現れたのだろう。ヴァイスは、この状況をそう汲み取っていた。

「ここで決めるぞ!」

 仲間と、そして自分自身に言い聞かせるように。ヴァイスは飛竜刀【椿】の柄に手を掛け、そして走り出す。

「師匠、ギギネブラの足止めをお願いします!」

 その言葉に口で答えることはない。だが、行動では確実に応えてみせる。怒り状態のギギネブラの正面に陣取り、太刀を鞘から振り抜く。

 先ほどとは違う、手応えの浅い一撃。しかし、それでもヴァイスは斬撃を浴びせる手を休めない。基本の型で立ち回り、ギギネブラを攪乱する。

 ギギネブラの動きが鈍っているうちに、クレアがその隙を突く。後方まで回り込んだクレアが肉薄し、尻尾を目掛けてレムナイフを振るう。軟らかくなった尻尾の表皮はレムナイフの刃でも易々と通る。ジャンプ斬りから続けて斬撃を放ち、最後にレムナイフを横薙ぎに振り抜いた。

 瞬間、レムナイフの刃が表皮を捉えるのとは異なる音が洞窟に響く。ガラスが砕け散るような鋭い異音が巻き起こると、ギギネブラの尻尾から僅かながらの紫煙が浮かび上がる。

「オオォォォォアアアアァァァァァァッ!?」

 奇声を上げたギギネブラの身体が、その痛みに耐え兼ねて反り上がる。尻尾の毒腺までもが破壊されたギギネブラは、しばらく身動きを取ることが出来ない。

 ようやく立ち直った頃には、既にかなりの痛手を負っていた。しかしそれでも、ギギネブラは退こうとはしない。正面に捉えたヴァイスを狙って毒液玉を吐き出す。

 毒腺が破壊されたために分泌される毒素は低下したはずだが、それでも猛毒であることに変わりはない。ヴァイスは慎重に毒液玉の軌道を読み取り、十分な余裕を保った上でそれを回避する。

 毒液玉を放つ前後の時間はギギネブラも身動きを取れなくなる。そこを狙ってクレアとグレンが接近した。

 しかし、ヴァイスに毒液玉を回避されると、ギギネブラが大きく息を吸い込んだ。この時点で、次の瞬間に何が起こるかは嫌でも理解出来る。だが、それでも肉薄して攻撃を浴びせようとした身体を止めることは不可能だった。

「しまっ――!」

「オオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」

 グレンの声を掻き消すように、ギギネブラの咆哮がエリア5に反響する。後退する余裕さえ与えられなかったクレアとグレンが、ギギネブラの近辺で身体の自由を失ってしまう。

「早く、後退しないと……!」

 そうは言うものの、ギギネブラはそれを許さなかった。頭を二人の方へ向け、前方を薙ぎ払う。回避もガードですら不可能な状況で繰り出されたそれに、二人の身体が吹っ飛ばされる。

「クレア! グレン!」

 ギギネブラから離れた位置にいたヴァイスも、目の前の状況を目の当たりにして焦りを露わにした。

 このままでは相当危険だ。当たり前のように思考が語り掛けてくる中で、ヴァイスがギギネブラの正面から肉薄する。

 極限までギギネブラの懐へ踏み込み、飛竜刀【椿】を振り下ろす。二人が後退するまでの時間を、ヴァイスはたった一人で作り出してみせた。

「ありがとうございます、師匠!」

 ギギネブラから一旦距離を取ったクレアが礼を述べる。

 ヴァイスもそれに答えようかとしたところで、ギギネブラが邪魔をする。視界の中にヴァイスを捉えて、そのまま突進しようとする。

 ――避けられない。

 クレアとグレンがそう悟った目の前で、ヴァイスは二人の予想を裏切る。

 突進しようと一歩を踏み出したギギネブラに対し、ヴァイスはすぐさま反応して横方向にステップする。その反動を利用して、がら空きになった空間を飛竜刀【椿】で斬り裂いた。その一撃は緻密に計算されていたように、丁度頭を出してきた形になったギギネブラの頭部に命中した。

「すごい……!」

 クレアは感嘆の声を上げるが、一方のヴァイスは僅かな笑みこそ浮かべているものの、その表情は硬い。

 一度ギギネブラから距離を置いたヴァイスの元に、クレアが駆け寄る。

「師匠。大丈夫ですか?」

「ああ。怪我はしていない。だが、あれは運が良かっただけさ」

 彼の表情は、今し方の出来事に対する危機感を表していた。偶然にも回避に成功したものの、一歩間違えれば大怪我をしていた可能性を考えれば、ヴァイスの反応も理解出来る。

「それよりも、今は目の前の敵に集中しよう。ここで決着をつけるためにもな」

「はい!」

 ヴァイスの言葉に応じて、クレアが首肯した。

 突進を回避されたギギネブラは、その場で跳躍して天井に張り付いた。一人ギギネブラとやり合っていたグレンであったが、『風圧無効』の演奏効果のおかげで跳躍の際に生じた強風の影響を受けずに済んだ。グレンもギギネブラの真下から抜け出し、様子を窺う。

「どう来る……!?」

 誰か一人を狙って飛び降りてくるか。それとも毒液玉を吐き出してくるか。次に繰り出すであろうギギネブラの動きに備え、三人が身構える。

 そんな中で、ギギネブラは毒液玉を吐き出す体勢に入る。クレアを標的に定め、口内から三発の毒液玉を放つ。しかしクレアも、長い狩猟の中でギギネブラの立ち回り方を理解している。毒液玉はクレアに命中することなく、無人の空間に着弾し虚しく弾け飛ぶ。

 毒液玉が空振りに終わったことで、ヴァイスたちも反撃の体勢を取る。しかし、ギギネブラは未だに地上には降りてこない。天井を這って進み出し、ヴァイスの頭上まで移動してきた。そのままヴァイスを押し潰そうと天井から落下してきたギギネブラだったが、それすらも回避されてしまう。

 回避に成功したヴァイスが、ここで反撃に転じる。左翼を狙って飛竜刀【椿】で斬りつけ、突き、斬り上げ、再び上段から斬りつける。

 ヴァイスに少し遅れて、クレアとグレンも加勢する。三人でギギネブラを包囲したところで、ヴァイスが仕掛ける。

 身体に蓄積させた気を飛竜刀【椿】の刀身に乗せ、必殺の気刃斬りを放つ。大上段からの一撃を振り下ろし、追い打ちを掛けるように気刃大回転斬りを叩き込む。銀炎の軌跡が横一文字に走ると、ギギネブラの身体が地面に崩れ落ちる。

 腹部の毒腺を無防備に曝け出したギギネブラに対して、今度はクレアが大胆な動きで攻めに出る。開いていた距離をジャンプして詰め、その勢いそのままにレムナイフを振り下ろす。肉薄した状態で、暴れ回るギギネブラの翼に掠っても斬撃を繰り出す手を休めない。そして、最後に繰り出した会心の手応えの一撃が腹部の毒腺を引き裂き、破壊した。

「あと少し!」

 確実にギギネブラを追い込んできているはずだ。しかしそれでも、ギギネブラも最後の意地を見せる。傷だらけになった身体を持ち上げ、三人に突っ込んで来る。

「まだそんな力が残ってるのか!?」

 動きが衰えるどころか、更に激しさを増す。地面に散らばっていた小型モンスターの骨を蹴散らし、凄まじい速度で大蛇の如く這い回る。

「ちっ、これだと近づくことさえままならない……!」

 そうは口にするヴァイスであったが、激しく動き回るギギネブラの動きを冷静に見極め、そして肉薄する。

 ギギネブラも止まらない。接近してきたヴァイス目掛けて毒液玉を吐き出し、地面に叩きつける。しかし、腹部の毒腺が破壊されたために、生成される毒素の量も減少したのだろう。着弾したはずの毒液玉から発生した毒霧は、今までのそれに比べて狭い範囲に留まっていた。

 ギギネブラの最大の武器であったはずの毒液玉が、ここに来て致命的な弱点となってしまう。毒液玉を易々と回避してみせたヴァイスがギギネブラとの距離を一気に詰め寄り、斬りかかる。クレアとグレンも駆け寄り、共に左右の翼を攻撃する。

 三人に袋叩きにされる中で、ギギネブラも反撃に転じようかという姿勢を一旦は見せた。だが、ギギネブラもそれまでだった。不意にギギネブラがか細い鳴き声を上げると、漆黒だった体色が元の白へと戻る。ずしん、と重々しい音を立てて地面に崩れ落ちると、それから二度と立ち上がることはなかった――。

 

 

 

「何とか終わりましたね……」

 ギギネブラから剥ぎ取りを終え、拠点に戻って来たクレアが息を吐く。その表情は、やり切ったという清々しいもので、実に彼女らしい。

 対して、そんな彼女の隣に佇むヴァイスの表情には影が差していた。その様子を見たクレアも、彼の様子を不審に思う。

「師匠、どうかしましたか?」

「あぁ、少しな……」

 歯切れの悪い様子を見て、ますますクレアも妙な違和感を覚える。言葉で表すとすれば、この状況で打倒なのは“不安”の二文字。

 それからしばらくの間、二人の間に会話が生まれることはなかった。

 どれくらいの時間が経過しただろうか。やがて、ヴァイスが上空に広がる――今にも落ちてきそうな曇天の空を一瞬だけ見上げると、重い足を動かし始めた。

 そして、目的の場所――グレンの目の前にまでやって来たヴァイスの足がそこで止まる。

「……グレン」

 殊更にゆっくりとその名を呼ぶと、視線の先でグレンが顔を上げる。並々ならぬ強い意志が宿った、紫水晶を思わせる双眸の視線を受け止め、ようやくヴァイスが口を開く。

「“採点”の結果を、この場で伝えようか」

 採点。ヴァイスがその言葉を発した時、場の空気が一段と重くなったように感じたのは、気のせいではない――。



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EPISODE31 ~採点者の苦難~

 ギギネブラ討伐の依頼を無事に遂行した三人は帰路につき、数日をかけてユクモ村に帰還した。

 しかし、凍土からユクモ村までの道中、三人の間――特にヴァイスとグレンの間には、何とも言い難い重苦しい空気が漂っていた。二人の間に会話が無かったことはもちろん、グレンに至っては一言も言葉を発することさえなかった。

 そのグレンは、ユクモ村に到着するや否や、依頼報酬を受け取って足早に集会浴場から姿を消した。そんなグレンの様子を、ギルドマネージャーは渋い表情で何も言わずに見つめていた。

「こちらが、お二人の分の報酬になります」

「ありがとうございます」

 ヴァイスの代わりに礼を述べたクレアが、受付嬢から麻袋に入った二人分の報酬を受け取った。

 すると、受付嬢が遠慮がちに口を開いて言葉を続ける。

「あの……、グレンさんは一体どうされたんですか? 一人で集会浴場に戻って来て報酬を受け取ったら、そのまま一目散に出て行ってしまったんですが……」

 グレンの様子を当然のように不審に思った受付嬢の問いかけに、しかしながらヴァイスとクレアは即答出来ない。ヴァイスはどう伝えるべきか、と迷いを見せているようにも思え、クレアは居心地が悪いのか受付嬢から視線を逸らしてしまった。

 二人の反応を目の当たりにして、まずいことを訊いてしまったかと受付嬢が謝罪しようとした時だった。

「まぁ、今はそっとしておいてやろう。なに、アイツも取り乱してるだけだろうさ。そうだろう、チミ?」

 珍しく朗々とした声で、ギルドマネージャーが口を挟んできた。この口ぶりから察するに、このパーティーの間に何があったか、ある程度は感付いているのだろう。

「……ええ。大方、そんなところです」

 一方のヴァイスも、多くを語ろうとはしない。

 ヴァイスの言葉に首肯し、ギルドマネージャーは真っ直ぐに彼の蒼眼を見据える。そこに見え隠れしているのは罪悪感とも言えるものだが、それでもその瞳に迷いの色は無い。

 それだけで、ギルドマネージャーは理解した。満足気に高笑いして、ヴァイスの肩を思いっきり叩く。

「ひょっひょっ! チミの様子を見る限り、アイツはチミに任せておいて大丈夫そうだ。面倒事を押し付けて申し訳ないとは思っているが、チミなら大丈夫だ。自信を持つといい」

 ギルドマネージャーの手厚い激励を受けて、ヴァイスも思わず苦笑する。それでも、内心ではギルドマネージャーの言葉に勇気づけられたことは確かだった。

「ありがとうございます。面倒事だとは思っていませんが、それでも俺に出来ることなら最善を尽くします」

「うむ。期待しているぜ」

 最後にヴァイスの背中を押しやり、前を――集会浴場の出口へと身体を向かせる。

 集会浴場を後にする直前にヴァイスは振り返り、そして無言で首肯する。ギルドマネージャーも、それに応えて頷き返した。

 ギルドマネージャーの鞭撻を確かに受け止め、ヴァイスは集会浴場から一歩を踏み出す。そのヴァイスから少し遅れて、その背中にクレアも付いて来る。

 集会浴場から続く石畳の階段を下りて行き、村の中腹辺りにある広場にまで出てきた。すると、後ろを無言で付いてきたクレアが不意にヴァイスを呼び止めた。

「師匠。グレンさん、大丈夫でしょうか……」

 ヴァイスが振り返った時には、クレアは不安げな表情を浮かべながらそう口にしていた。

 彼女が一体何を言いたいのか、そんな事は誰に言われなくとも理解している。クレアの言葉に、ヴァイスは深く首肯する。

「大丈夫さ。あいつなら、もう一度立ち直ることが出来る。俺はそう信じている」

 迷いなくそう答えたヴァイスに対し、クレアは「でも……」と歯切れ悪い様子で返した。

「師匠が大丈夫だって言うなら、私も大丈夫だと信じたいです。でも、あれだと、グレンさんはおそらく師匠のことを……」

 その先は言葉にするのが憚れるのだろう。クレアも、それ以上は口にしようとはしない。

 だが、クレアが一体何を言おうとしたのか。ヴァイスにはそれが理解出来る。

 最悪の場合、クレアの想像した事態が現実になってしまうのかもしれない。だが、それでもいい。グレンが自分の力で立ち直ることさえ出来れば、それでいいのだ。グレンにとって、自分は踏み台として利用してくれて構わない。所詮は、憎まれ役で構わない。

 ヴァイスは、そうした決意を既に心に決めていた。そしてそれは、彼の弟子であるクレアにも伝わってしまったのだ。

「師匠は、どうしてそこまでして、グレンさんに手を差し伸べようとするんですか?」

 それこそ最初は、当たり障りのない返答で誤魔化そうとした。だが、ヴァイスに向けられる彼女の瞳は、曇りの無い真っ直ぐとしたものだ。その双眸を目の当たりにして、ヴァイスも適当にごまかしてあしらうことなど不可能だった。

「……あいつのことを見ていると、まるで鏡を見ているような感覚に陥るんだ」

「鏡、ですか?」

 唐突に繰り出された単語を反芻して、クレアがその意味するところを尋ねる。

 クレアの言葉に静かに頷いたヴァイスは、どこか遠くを見遣るような視線で空を仰いだ。

「あいつは、昔の俺によく似ているように思うんだ」

 囁くように口にしたヴァイスが、首を下ろして再び歩を進め出す。もちろん、クレアもヴァイスの背中を追う。

「一人で全て抱え込もうとして、だがそれに失敗して、空回りする。全てが悪循環で、負の連鎖を受け入れようとしている。そう、そんな愚かな昔の俺に、まるでそっくりだ」

 自嘲気味な笑みを浮かべるヴァイスであったが、その様を目の当たりにしたクレアは言葉を失う。

 師弟という関係になり、短い時間の中でありながらもヴァイスのことは理解していたつもりだった。常に落ち着き払った態度で振る舞いながらも、肝心な場面ではフォローをしてくれる。

 言うなれば、頼れる兄のような存在。実生活においても、狩猟においても、そんな風に感じていた。

 そう。理解したつもりだったのだ。

 だが、たった今、目の前にいるヴァイスはどうであろうか。感情、特に負の感情を表に出すことなど一切なかったはずのヴァイスは、まるでこの世の全てに絶望し、諦観を受け入れたかのような虚耗な瞳をしている。

「同じ過ちを犯そうとしている奴を見逃せないのか。あるいは、あいつを助けることで、過去の罪滅ぼしをしようとしているのか。……いや、そのどちらもか」

 相変わらず、どうしようもないな。今度こそ囁いたであろうその言葉と共に、ヴァイスが短く息を吐く。

「し、師匠……?」

 この人は、一体誰だ?

 ほんの一瞬でも、そう疑問に思ってしまった自分がいる。クレアは、はっと理解してしまった。

 だが、そう思った時には、そこにいたはずの“誰か”は既に消えていた。クレアのよく知るその人が、「だからこそ……」と言葉を紡いだ。

「俺は、自分が正しいと思う方法であいつを助ける。あいつが鏡に映る昔の俺なら、俺はあいつの道を示すべきなんだ」

 淡々と、しかしながら強い決意が込められた迷いない言葉を発するその人は、紛れもないヴァイスその人だった。

 ならば、大丈夫だ。ヴァイス自身が「大丈夫だ」と言うのだ。ならば、今のクレアに出来ることと言えば──、

「私も信じてますよ、師匠のこと!」

 誰よりも頼りになる、唯一の師匠。そんな彼を信じることだ。

 グレンのことは依然として不安に思うが、それでもヴァイスなら何とかしてくれるはずだ。

 クレアはそう確信して、変わらぬ足取りで歩いて行くヴァイスの背中を、クレアはいつもの調子で付いていく。

 

 

 

 ――周りの景色が、流れるように移り変わる。

 辺りを彩るはずの美しい色彩は、しかしながら今は、自分の心を蠱惑する不気味な模様にも思える。

 そんな世界を、ただひたすら走り抜ける。相変わらず周囲の景色は淡々とその姿を変え、まるで自分がこの世界から逃げているかのような錯覚に陥る。

 だが、一時でも頭の中でそんなことを考えてしまえば、目の前の世界は歪み捻じれる。身体が酸素を求めるのとは別の働きで激しい動悸を覚え、途端に息苦しくなる。

「ち、違う……っ! そんな、お、俺は……!」

 言葉にならない叫びを上げながらも、その足を止めることはない。それこそ、何か悍ましいものから逃れようと必死になって足を前に出し続ける。

 やがて、最近になって村長から借りた借家が見えてきた。道行く人を掻き分け掻き分け、ようやくグレンは自身の借家へと飛び込んだ。

「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」

 いくらハンターとはいえ、集会浴場からここまでの道のりを全力で駆け下りて来れば、身体も大量の酸素を要求してくる。しばらくは玄関扉に背中を預け、呼吸が落ち着くのを待った。

 ようやく呼吸が落ち着いてくると、武器や防具、ポーチなどをその辺りに放り投げ、覚束ない足取りでベッドまで歩き、そしてそのまま倒れ込んだ。

「ぐっ……!」

 行き場のない怒りを、自らの拳に乗せベッドに叩きつける。勢いよく振り下ろされた拳とは反面、ベッドに叩きつけたその衝撃は大したことはなく、ボンッと虚しい音を立てて部屋に響く。

「畜生……」

 何もかもが、自分を嘲笑うようだ。

 そんな激しい虚無感に襲われ、グレンは力無く身体を仰向けにした。

 ぼうっとした意識の中、天井を見上げてみる。何の変哲もない木製の天井のはずだが、日の影で薄暗くなったそれを見上げていると、あの時凍土で見た曇天の空が脳裏に過ってしまう。

「……」

 その瞬間、怒りと同時に妙な冷静さが意識を支配した。

 矛盾した意識の中で、グレンは空ろな瞳で天井を見上げていた。

 

 

 

「――採点の結果を、この場で伝えようか」

 それは、ギギネブラの狩猟を終え、拠点に戻ってきてしばらくが経った後のことだった。グレンの元までやって来たヴァイスが唐突にそう切り出した。

 採点。その言葉の重みを、グレンは誰よりも感じている。

 ヴァイスに自分の狩猟を採点してもらう。それこそが、遥々ユクモ村に訪れ、ヴァイスと共に狩猟に赴いた理由だ。

 重い空気がこの場を支配する中、グレンがそんなことを気に留めない様子で口を開く。

「随分と突然ですね。てっきり、ユクモ村に戻ってから伝えられるかと思っていましたよ」

 含みのあるグレンの発言に、ヴァイスは「まあな」と淡泊に返す。

「それとも、ここで結果を聞くよりも、ユクモ村に帰るまで待った方がいいか?」

「いえ。そういうことなら、ここで構いません」

 ヴァイスに負けず劣らず、淡々とした口調でグレンは首肯する。

 その様子を見て、ヴァイスは短く溜め息に似た息を僅かに漏らす。

 そんなヴァイスの心中をいざ知らず、グレンはじっと彼を見据える。さて、この優れた慧眼の持ち主は、自分をどのように見てきたのだろうか。グレンにとっては、それだけで頭が一杯になる。

 その場を沈黙が支配する中、やがてヴァイスが重い口を開く。

「先に尋ねよう。――グレン、何がお前を突き動かす?」

「は――っ?」

 余りに唐突な問いかけに、グレンは我にも無く素っ頓狂な声を上げてしまう。

 しかし、例えグレンが、その問いかけに対し驚いた様子を見せながらも、ヴァイスはグレンを見据えるだけで、それ以上は語ろうとはしない。

「質問の意図が理解しかねますね。一体、どういう意味ですか?」

 ヴァイスの言葉の真意が把握出来ないグレンは、我に返るや否や思ったことをありのまま言葉にして投げ掛ける。

 一方、グレンの返答を聞いたヴァイスも、質問の仕方が悪かったとすぐに認め、謝罪した。だが、間髪を置かず、ヴァイスはもう一度口を開く。

「質問を変えよう。グレン。何故、そこまでして力に拘る?」

「なっ……!?」

 外野からその会話を聞いていたクレアにしてみれば、相変わらずヴァイスの問いかけの意味するところは分からない。

 だがグレンは、言葉を失うほどまでに面食らってしまった。

 問いかけの内容があまりにも由無いものだからといった、そんな理由などではない。むしろ、ヴァイスの言葉はその逆だった。全ての本質を的確に突いた、グレンにしてみれば虫酸が走るほどの凌辱的な言葉であった。

「ははっ、ヴァイスさん。一体何を言っているんですか。俺が力に拘るなんて、そんな――」

「そんなことはない。そう断言出来るのか?」

 虚勢を繕って振り絞った言葉も、ヴァイスの前では到底太刀打ち出来ない。

 この人は、自分の全てを知っている……? いや、そんなことはない。あるはずがない。だが、かくも核心を衝いた発言は、一体何を意味するのか……。

 目の前のヴァイスという存在を改めて考えさせられた時、グレンの頭は忽ち混乱した。

 グレンが何も言葉を返せずにいると、これまで呆気に取られていたクレアが我に返り、遂にヴァイスに対して口を挟んだ。

「師匠。それは一体、どういう意味なんですか? グレンさんが力に拘るなんて……」

 かく言うクレアも、状況が飲み込めずにいるようである。

 しかし、クレアを一瞥したヴァイスは、ゆっくりと首を横に振った。

「クレア。お前には、何のことか分からないのも無理はないと思う。だが、俺には多少なりとも分かるんだ。今のグレンが、どう状況に置かれているのかということがな」

 重々しくそう口にしたヴァイスを目の前にして、クレアも言葉を詰まらせてしまう。

 これ以上、何も言う事は無いよな。視線だけでそう語ったヴァイスが、首をグレンの方へと改めた。

「グレン、俺には分かる。お前が、強欲なまでに力に拘ろうとしていることがな」

 全てを見透かされているかのように、ヴァイスは淡泊に告げる。

 ここまで言われてしまっては、グレンもこれ以上隠し通すことなど不可能だった。遣る瀬無い感情をどうにか押し殺し、震える口から言葉を振り絞る。

「俺は、どうしても強くなりたかった……。どうしても強くならなきゃいけなかった……! ええ、そうです。ヴァイスさん、あなたの言うとおり、俺は力が欲しい! 俺には力が無いから! でも、あなたに何が分かると言うんですか!? “強者”であるあなたには、“弱者”の気持ちなんて微塵も理解できないでしょう!!」

 内に秘めていた感情が爆発し、気付けばグレンはありありと自分の心持ちを暴露していた。

 しかし、一度我慢の壁が決壊してしまえば、もう抑えは利かなくなる。

 全てを看破しているかのようなヴァイスに対し悪寒を覚えながらも、グレンは今にも食って掛かりそうな勢いで更にまくし立てた。

 だが、そこまで言われても、ヴァイスは大した反応を見せない。グレンに対して何を言い返すわけでもなく、彼の口にした“強者”と“弱者”という言葉を反復し、その意味を噛み締めているようだった。

 やがてヴァイスは、その重たい口をようやく開いた。

「そうだな。まず、グレンの言葉を借りてその疑問に答えるなら、俺も昔は弱者だったから、今のお前の気持ちを多少は理解できる」

 そう言ったヴァイスに対し、グレンは反論を試みようとするが、それよりも先にヴァイスが言葉を続けた。

「だが、グレン。今のお前の考えは甘い」

「――っ!?」

 その言葉を聞かされた時、グレンの視界がぐらりと揺らいだ。

 “また、否定される”。頭の中でそう理解してしまうと、たちまち身体から力が抜け落ち、目の前の景色が絶望に染まる。

 その時のヴァイスの言葉が、冷徹に、酸鼻なまでに頭の中を駆け巡る。

「過去に囚われ、歩みを止めた者は“弱者”だ。常に前に進み続け、決して諦観することのない者。それこそが“強者”だ」

 現実を、突き付けられた。

 諦めを受け入れ、現実から目を逸らしていた自分。それこそが弱き者の姿であると、自分でも理解していたはずなのに。それすらも見て見ぬふりをし、全ての事実を弁明し、ここまで逃げて来た。

 ああ。だからこそ、自分は弱者なのであろう、と。

 頭の中で妙に冷静な思考が、初めてその事実を受け入れていた。

「──採点の結果だが」

 冷然とした声が、尚もグレンの思考を凍て付かせる。

「今はまだ、“保留”にしておこう。お前が渇望する力の意味。お前にとっての強者とは一体何者か。それが理解出来たときに、改めて判断させてもらう」

 それだけを告げて、ヴァイスは身を翻す。

 クレアはヴァイスの背中を一歩遅れて追いかけ始め、その場には、氷雪に撓垂れるグレンだけが取り残された。 



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EPISODE32 ~それぞれの憂慮~

「──へぇ、そんなことが……」

 紅茶の淹れられたカップを口元に運びながら、ヴァイスは「まぁな」といつもと変わらぬ口調で返した。

「……美味いな、これ」

 カップから口を離したヴァイスが思わずといった様子で漏らす。

 それを聞き逃さなかったレーナの口角が上機嫌な様子で持ち上がる。

「そう言ってもらえると嬉しいです。拘りに拘り抜いた茶葉を使っていますので」

 レーナも伊達に紅葉荘に勤めていない。

 些細なことでも宿泊客を満足させる。この紅茶からは、そういったレーナなりのプロの意識をひしひしと感じる。

 その琴線に触れた影響なのか。はたまた、ただ単に紅茶を味わっているだけなのか。ヴァイスが短く、「ほぅ……」と息を吐く。

 そんなヴァイスの様子を、レーナがじっと見つめていた。

「どうした?」

「あ、いえ……。ただ、珍しいなと思いまして」

「珍しい?」

 怪訝そうな表情を浮かべるヴァイスに対して、レーナが小さく頷く。

「そうして、どこか明後日の方を向くような眼をして、物思いに耽っているヴァイスさんの様子ですよ。今日みたいなヴァイスさんの表情は、初めて見ましたから」

「そうか……。いや、そうかもしれないな……」

 レーナに指摘されると、ヴァイスもやれやれといった様子を見せ、そして腰かけている椅子の背もたれに身を投げ出した。

「そういえば、昔も似たようなことを言われた気がするな。まったく、何年経っても結局変わってないんだな、俺は」

 どこか自虐めいた表情をして、肩を竦める。

 だが、それも一瞬のことで、次の瞬間にはいつもの涼しい表情をしているヴァイスの姿に戻っていた。

「悪いな。見苦しい物を見せてしまって」

「見苦しいだなんてそんな。物思いの一つや二つ、誰だってしますよ。もちろんあたしだって……」

 ふと、レーナの顔に影が差す。

 見ていると、どこか胸が締め付けられるような、そんな儚げで切ない表情だった。

 だが、レーナもすぐさまはっとなって、ぶんぶんと勢いよく首を横に振った。

「す、すいません! なんかあたしも、らしくないところ見せちゃって……」

 つい先ほどレーナから指摘を受けたヴァイスであったが、間髪を置かずに立場が逆転していまっていた。それを滑稽だと感じてしまったヴァイスが小さく噴き出す。

「お互いにお相子ってことで、この話は終いにしよう。このままだと、埒が明かなくなりそうだ」

 自分で言っておいて余計重苦しい空気を作り出していまったレーナにとって、ヴァイスの提案は渡りに船であった。

 それこそレーナらしくない──照れ隠しの意味も含まれたぎこちない笑みを浮かべると、「紅茶淹れ直してきますね」と言い残し、そそくさとカウンターの裏手へと姿を消してしまう。

 一人その場に取り残される形になったヴァイスは、手持ち無沙汰な現状のむず痒しさを誤魔化すように、やや乱雑に前髪をかき上げた。

「少しは注意しないとな……」

 何か悩みごとがあると、人眼も憚らずあれこれ思い詰めてしまうのが悪い癖だ。

 それこそ、昔に比べれば自覚しているつもりであったが、人という生き物はやはりそう簡単には変われないものらしい。

 自分に都合の良いように自分に言い聞かせながらも、今後は自重するべきだと改めて戒める。

 そうしていると、紅茶を淹れ直したのであろうレーナが足早に戻ってきた。

「どうぞ、ヴァイスさん」

「ありがとう」

 淹れたての紅茶から感じる味が、どこか甘酸っぱく感じるのは気のせいだ。

 まるで素直になれない子どもみたいだと自分で思う。だがそうやって開き直ってしまえば、幾分か心も晴れやかになるものだった。

 カップをソーサーに戻したことで空虚になった右手を、ヴァイスはじっと見つめた。

「やっぱり、あいつと俺は似た者同士なんだろうな」

「似た者同士って、それは一体……」

 口では疑問を口にするレーナであったが、彼女もある程度は察しが付いていた。

 だが、それでもヴァイスの言葉の真意を理解したいと思ったレーナは、テーブルを挟んで向かいの椅子に腰を落ち着けようとする。

 そんなレーナの心の内を悟ったのか。彼女が椅子に腰かけるのを待って、それからヴァイスは言葉を続けた。

「それこそ、俺も昔は一人で悩み続けて。挙句の果てには常人では考えられないような行動に走って……。まるで、理性を失った獣のそれだったな」

 失意、諦観、後悔。

 言葉こそ、そうして自分に刃を向け虐げるようなものであったが、それを口にするヴァイスの様子はどこか吹っ切れたようだった。

「自分でも、このままだと駄目だということは分かってる。だが、分かっていても止めることができない。一度止まってしまうと、自責の念に駆られて今度こそ自分を許せなくなる。あいつは、自分で自分を追い込めながらも、相当焦っているんだ」

「ヴァイスさん……」

 彼はまるで、過去に自分が経験した痛みを打ち明けるように。否、経験したからこそ分かる、心の奥底に封じ込めた悲痛の叫びを代弁している。

 その痛みはレーナの心を貫き、同様に彼女のそれをも蝕んでいく。

「だが、それでも受け入れないと駄目なんだ」

「えっ……?」

 迷いない口調で言ってみせたヴァイスの言葉が、その痛みを和らげる。

「どれだけ道を間違えたと思っても、どれだけ後悔したとしても……。それでも、そんな弱い自分の全てを受け入れることができて、ようやく前に進むことが出来るんだと思う」

「道を間違えて、後悔したとしても、それでも受け入れる……」

 その言葉を、レーナは自分に言い聞かせるように反芻する。

 叶えたくて、叶えたくて仕方がなかった願いを、どうしても諦めざるをえなかった一人の弱い少女。

 心の底に閉じ込めたはずの少女が、今更になって鎌首をもたげようとしてくる。

 だが、それでも“ソレ”を抑えこむことが出来たのは、ヴァイスの言葉に救われた自分がいたことに他ならなかった。

「ヴァイスさんは──それでも受け入れることは出来ましたか?」

 口を挟むつもりはなかった。だが、そんな意思は他所に、本能が求めるように言葉を紡いでいた。

「……どうだろうな」

 目を伏せながら答えたヴァイスの返答は、レーナの求めていたそれとは異なっていた。

 しかし、それでいて大した感想も浮かべられなかったレーナに対して、ヴァイスは続ける。

「だが、少なくとも俺は、あれから変わることができたと思ってる。まあ、それもただの自己満足かもしれないけどな」

「いえ。こうして客観的な視点に立つことができているんです。あたしは、それがヴァイスさんの自己満足から得られたものではないと思います。ちゃんと自分と向き合って、そして前に進むことができたんですよ」

「そう言ってもらえると嬉しいよ」

 面と向かって言われると、どうにもこそばゆいものだったが、ヴァイスは素直に礼を言う。

「だからこそ、俺は余計にあいつが放っておけない。間違いなく余計なお節介だと思われているだろうけどな」

 面倒くさい性格をしているな、と自分に重ね合わせて肩を竦める。

 しかし、内心そう思うヴァイスの声色には、憐憫の情が見え隠れしていたことにレーナは気付いていた。

「……グレンさんは、立ち直ることができると思いますか?」

「それは、あいつ次第さ」

 核心を突いてくるレーナの問いかけに、ヴァイスは肯定も否定もしない。それは、彼女の予想していたものと一言一句違いのないものであった。

「もちろん、俺はグレンが立ち直るために最善を尽くすつもりだ。それでも、最後は自分の力で立ち直らなければ、またいずれ打ちのめされてしまう」

「ええ、それは分かっています。でも……」

 レーナとて、ヴァイスが口にした言葉の意味を理解できないわけではない。

 だが、レーナにしてみても、グレンとはもはや赤の他人という言葉で済ませられる程度の関係ではない。

 数日の間の宿泊客だったといえど、彼女にしてみれば尊敬するハンターの一人なのだ。今更になってグレンが抱える悩みから目を逸らし、素知らぬふりをして振るまうことなど、レーナには到底できないことだった。

 そんなレーナの心情を察して、ヴァイスが「心配するな」と穏やかな口調で言った。

「俺はグレンのことを信じてる。どれだけ遠回りしたとしても、もう一度立ち直ることができると。だから、レーナもあいつのことを信じてやってくれ」

「それは、もちろんです!」

 そんなこと、ヴァイスに言われるまでもない。レーナは深く首肯する。

「ヴァイスさん。あたしが言うのは変かもしれませんが……」

 様子を改め、姿勢を正したレーナはそう前置きして、そして頭を下げた。

「どうかグレンさんのこと、よろしくお願いいたします」

「ああ。任せてくれ」

 短く、そして力強く返すと、ヴァイスは椅子から立ち上がる。

 自然とレーナの視線は、そんなヴァイスを見上げる形になり、その表情──特にその双眸に目を奪われた。

 魅入られるような彼の瞳は、彼に託した想いをも孕ませた、迷いや淀みの無い澄んだ蒼をしている──そんな風に見えた。

「紅茶、ご馳走さま。また機会があったら、今度は俺がご馳走するよ」

「はい。楽しみにしていますね」

 屈託のない、柔和な笑みを浮かべたレーナに見送られ、ヴァイスは紅葉荘を後にする。

 そして、自宅に戻ってきたヴァイスは、手荷物を整えるとその足で集会浴場へと向かった。

 

 

 

「──ひょっひょっ。チミもなかなか頑張っているようじゃないか」

 集会浴場にやって来たヴァイスを迎えたのは、普段の調子と変わりないギルドマネージャーの陽気な笑い声だった。

「色々と抱えてるものも多くて、こちらも大変ですよ」

 苦笑しながらそう口にするヴァイスに対して、ギルドマネージャーは大仰に頷く。

「なぁに、それはお互い様さ」

 ギルドナイトであるヴァイスも大概だが、ユクモ村のギルドを総括する存在にあるギルドマネージャーも多忙な日々を送っているはずだ。

 と言っても、当の張本人は温泉に入り浸り、挙句の果てに朝から浴びるように酒を飲んでいたりするのだ。一般の湯治客やハンターたちがギルドマネージャーの言葉の意味をそのまま信じるかと問われると、素直に首肯するのは難しい。

 もっとも、ギルドと繋がりの深い、ギルドナイトという立場にあるヴァイスには、ギルドマネージャーの言葉の重さを重々と承知していた。

「こちらが、先日お話させていただいた資料になります」

「おう。お疲れさん」

 ヴァイスから受け取った書類の束に軽く目を通すと、ギルドマネージャーはニッと口角を吊り上げた。

「さすがチミだ。仕事が早い」

「ありがとうございます」

 ギルドマネージャーはそうして褒めたてるが、ヴァイスはそれに一喜一憂することなく、淡々とした様子で返す。

 その様子を間近で目の当たりにしたギルドマネージャーが、どこか呆れたように苦笑いを浮かべた。

「チミは相変わらずだな。少しは感情を表に出しても、誰も文句は言わないぜ?」

「と言われましてもね」

 今度はヴァイスが苦笑いする番であった。

 子どもの頃から、あまり感情を露わにするような性格ではなかった。そうすることが苦手だったとか、恥ずかしかったわけではなかった気がする。ただ単に、そうする必要がなかったからしなかっただけ。

 これといって特に深い意味は無いため、そこを追究されると弱ったものである。

「それを言われるのは、爺さんで何人目になりますかね……」

 自分に対して似たようなことを口にしてきた者の顔を思い浮かべてみる。その中でも特に鮮烈に思い出せるのは、お調子者で飄々とした──それこそギルドマネージャーのような者たちばかりであった。

「まぁ、チミも若いわりには苦労しているようだしな。ただの老いぼれた爺であるアタシが言うと説得力が無いかもしれないが、チミなら大丈夫さ。これからも上手くやっていける」

「まさか、全然そんなことはないですよ。その言葉に救われます」

 まるで、父が息子を見守るかのような慈愛に満ちた瞳が、じっとヴァイスを見据える。

「『女神の騎士』、チミはアイツに認められた唯一の存在なんだ。自信を持て」

「『女神の騎士』ですか。その二つ名は、本当に久々に聞いた気がしますね……」

 ──『女神の騎士』。

 その二つ名を、文字通り噛み締めるようにして、ヴァイスは頭の中で反芻する。

 かつて憧れ、そして今でも尊敬する者。それこそが『女神の騎士』その人であった。

 その二つ名は驚くほど自然に身体に馴染み、いつの間にか忘れていた胸の高鳴りと、そして謂れもない“後悔”の念がごちゃ混ぜになって押し寄せてくる。

 ──嗚呼、やはり自分はまだ縛られているのだ。

 レーナに対して、「あれから変わることができたと思ってる」と言ったのはどこの誰であったか。

 所詮はただの強がりで、本当に焦っているのは自分ではないか。

 もしかしたら、目の前にいる明哲の翁は、ヴァイスの胸の内を全て見透かしているのかもしれない。

「大丈夫。チミなら上手くやれる」

 ほんの一瞬だけ。それを口にしたギルドマネージャーの姿が、そんな“あの人”に重なって見えたのは気のせいか。

 いや、それはきっと気のせいだろう。

 いつまでも後ろ向きではいられない。

 何度も自分に言い聞かせ、自分の中に住まう、もう一人の煩わしい自分を頭の中から振りほどく。

「ええ。やってみせます」

 今はそれで十分だ。

 そう言いたげに、だが決して口にはせずに、ギルドマネージャーは満足げに頷いた。

「期待してるぜ」

 背中を乱暴に叩く荒療治でヴァイスを前に向かせる。

 文字通り痛いほどの期待をその身に受けるが、それでいて心地良いものだった。

 そんなギルドマネージャーに背を押され集会浴場から外に出る。風が吹き抜け、それがヴァイスの頬を撫で上げる。

 雲一つないの蒼昊の元、ユクモ村を吹き抜ける冬季の風は、どこか暖かく感じた。

 

 

 

 太陽は西に沈み、空が赤みを帯び始める。

 この冬の時期でも、山間にあるユクモ村では日の入りが遅いように感じる。

 だが、村の喧騒は、昼間のそれから夜のそれへと徐々に移り変わっていく。

 夜になると、仕事を終えた村人たちや暇を持て余している湯治客たちの姿がより一層際立つようになる。胃袋を刺激する食事や酒の匂いが村中に溢れ、誰もが時の流れを忘れるように楽しむ。

 周りを見渡してみれば、既に宴会の準備に取り掛かっている者たちの姿もちらほらと見える。

 道行く間にすれ違う人々は皆楽しげで、それに釣られるようにして自分の心までもふわふわと浮かれてしまいそうになる。

 ユクモ村出身でない者が初めてこの光景を目の当たりにすると、皆誰しもが驚くのである。そして、それはクレアとて例外ではなかった。

 ユクモ村に来て数年にもなるクレアにしても、昼間とは違う顔を見せるユクモ村の光景が相変わらず好きであった。

 そうして、どこか浮き足立ってしまいそうな自分を自制しながら、クレアは目的の場所へ進む歩を止めなかった。

 商業区から程外れた居住区の一画。ここまで来ても村の喧騒は耳に届いてくるが、それでもどこか物寂しさを覚える。

 この空間だけが切り抜かれたような奇妙な感覚を覚えるのは、きっといらぬ緊張を覚えているからだろう。

 そうクレアは解釈しながら、目的の住宅までやって来た。

「たしかここで合ってる、はずだけど……」

 不安に駆られる思考を振り払い、控えめに扉をノックする。

 しかし、反応は無い。

 もう一度。今度は家の中にいるであろう人物にも聞こえるよう、気持ち強めにノックしてみた。

 これでも反応が無かったらどうしよう。

 またもや憂いを覚えるクレアの目の前で、その扉からカチャリという音がした。そして、開け放たれた扉の向こうには、気だるげな様子をしたグレンの姿があった。

「クレア……」

 クレアがここに来るとは予想していなかったのだろう。呆けるようなグレンの装いは、狩猟に出ていた時の物ではないとはいえ、その様子からまるで別人のようにクレアは思えてしまい、身体が硬直する。

「何の用なんだ」

 むすっとした様子でグレンが口を開くと、途端にクレアも我に返る。

 懐から一枚の紙切れを取り出すと、それをグレンに差し出した。

「次回の依頼の内容です。相手はボルボロスになります」

「ボルボロス……」

 クレアから渡された、詳細な依頼内容が記された用紙を見ながら、グレンはそのモンスターの名前を口にする。

 まさか、昨日の今日で狩猟へ連れていかれるとはグレンも想像していなかった。

 未だに凍土の拠点でヴァイスに言われたことが脳裏から離れず、あれからやりようのない気持ちを燻ぶらせては悶々とした日々を過ごしていたのだ。

 こうして思い出すだけでも気が引けてくる。

「……ヴァイスさんは?」

 そうして、少し考える素振りを見せた後、尋ねるべきか否か迷っていたその疑問をグレンは口にする。

 対して、クレアはおずおずとした様子で首を縦に振った。

「もちろん師匠も同行します。ただ、グレンさんには私から伝えておこうかと思いまして。それで、私が師匠の代わりにお邪魔させてもらいました」

 クレアの返答に、グレンも「なるほどね」と素直に納得した。

 先日、ちょっとしたいざこざがあった二人だ。その二人を対面させることを躊躇われたのであろうクレアが、こうして自分の元を訪ねてきているのだろう。

 グレン自身も、今ヴァイスと向き合うのは憚れるところがある。だが、クレアには申し訳ないとは思いつつ、どうにも余計なお節介を掛けられているように感じてしまい、思わず溜め息を吐いてしまった。

「……分かった。依頼の内容にも異論はない。出発の日までには準備を整えておくから、またその時によろしく頼む」

「はい。分かりました」

 それだけ言い残して、グレンは家の中に閉じこもってしまう。

 その様子を見届けたクレアも、自宅に向かって踵を返す。

 自宅までの道中、クレアの頭の中は次の依頼のことで頭が一杯であった。

 自分自身としては、今までの成果を発揮できれば、相手がボルボロスであっても立ち向かえるだろうと思っている。

 しかし、グレンのあの様子から、果たして何も問題無く依頼を達成することができるかどうか。

 それがしこりのように残り、クレアの心をざわつかせていたのであった。



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EPISODE33 ~解せない思考~

 砂原。昼間は、はるか上空に燦燦と太陽が輝き続け灼熱地獄と化す。だが、夜はその姿を変貌させ、寒冷に覆われた大地となる。どちらもクーラードリンク、ホットドリンクが必需品となりハンターの頭脳と腕が試される。寒暖の差が激しい砂漠特有の過酷な自然の脅威に容赦なく叩きのめされるハンターは数多い。

 ヴァイスたちが砂原を訪れたのは太陽が最も高くなる昼時。同時に気温が最も高くなる時間帯だ。

 拠点(ベースキャンプ)に覆いかぶさるように隆起した岩肌が日差しを遮ってくれてはいるが、それでも身体中から噴出してくる汗は止まることを知らない。

「暑っ……」

 澄み切った青空を見上げながらクレアは呟く。

 クレアの装備には変化はない。元々、ウルクシリーズには暑さ倍加のマイナススキルが付く。それを、装飾品で調整してあるため暑さ倍加は打ち消されている。

「仕方ないさ。ここは、砂原だからな」

「わかってますけど、やっぱり暑いものは暑いんですよ。この暑さに慣れればいいんですけどね」

「そんなことできる奴は相当図太い神経の持ち主だな。できる奴がいるなら、俺も尊敬するよ」

 道具の整理をしていたヴァイスは肩をすくめて言った。

 普通の人間ならこの暑さに慣れるということはまず不可能な話だ。この暑さの中で暮らしている人間がいるとするなら別の話だが。

「図太い神経の持ち主って、例えば誰ですか?」

 何やら考え込んでいるような表情をしたクレアがヴァイスに尋ねてきた。その質問にヴァイスはため息を付く。

「……お前だよ」

「はいっ!?」

 心底驚いたのか、クレアは大きく身体を仰け反らせる。

「ハハッ、冗談さ」

 涼しい笑みを浮かべながらヴァイスはギルドガードフェザー蒼を被りなおす。呆気に取られているクレアを放置し、近くに立てかけてあった太刀を掴む。

「ヴァイスさん、お遊びもここまででいいでしょう。そろそろ話してもらえませんか」

 準備を整えたグレンがヴァイスの掴んだ太刀に視線をやりながら言う。

 全てヴァイスの予想通りだ。

 この狩猟にグレンは同行することになった。『答え』を求めているからという理由が大半を占めているだろう。だが、本当にそうだろうか。

 グレンは、答え以外の何かも求めているような気がする。それが強さなのか、それとも別の何かなのかはわからないが漠然とした強い彼の想いは確かにヴァイスには伝わってくる。村を発ってからその想いは日に日に強くなっていったようにも思える。

 依然として彼の心のうちは理解できない。しかし、これだけは言える。この狩猟を終えたとき、彼の漠然とした想いが理解できる、と。

「そうだな」

 手に持った太刀をしばらく見つめた後「ヴァイスは話してもらいたいもの」の内容を話し始めた。

「コイツはアトランティカと呼ばれる太刀だ。グレンが知らないのも無理はない。旧大陸……、ドンドルマ地方の技術で作られたものだからな」

 金色の縁取りを施した斬新なデザインの太刀だ。というのも、この太刀の剣身には厚みがあり太刀特有の反りがない。だが一方で、どこか神秘的な雰囲気を感じさせる一品でもある。

 一説によれば、このアトランティカは古代技術で作られたというものらしい。まさに、謎が謎を呼ぶ太刀だ。

「グレンが一番聞きたいことはわかっている。この太刀の属性だろ」

「ええ。俺にはどう見てもその太刀がボルボロスに対して威力を発揮するとは思えませんからね」

 はっきりとした物言いでグレンは言い切った。だが、当のヴァイスはそんなことを気にしている様子は窺えない。

「さすがだな。コイツはボルボロスに対する威力は期待できない。何故なら、アトランティカは水属性だからな」

「なっ、水属性!?」

 グレンは驚愕した。ボルボロスの弱点は火属性だと最初に言ったのは他でもないヴァイスなのだ。さらに、ヴァイスは火属性以外の属性はあまり期待できないとも言っていた。だからこそ、グレンは火属性の狩猟笛を持ち込んだ。

 グレンの纏う防具――ペッコシリーズと同じ鮮やかな色合いに統一されている。特徴的なのは素材に使われたへんなクチバシをそのまま用いていることだ。それはトランペッコと言われる狩猟笛である。

「ますます理解できません。ヴァイスさん、あなたがボルボロスの弱点は火属性だと言った。それがわかりきっているなら飛竜刀【椿】でも十分よかったはずです。何故無意味と言ってもいい水属性の太刀なんかを――」

「俺もそこまで馬鹿な人間じゃないさ」

 グレンの言葉を遮りヴァイスは口を開いた。そのタイミングでクレアも割り込んでくる。

「グレンさん! 師匠には何か考えがあるんですよ!」

「そうだとしても、俺は理由が知りたい」

 険悪なムードがその場に漂い始めた。だが、それは引き金となったヴァイスによりあっさりと沈静化されることとなる。

「その理由はいずれわかるはずだ。それに、お前は答えを知りたいんだろ? この理由が理解できれば、答えは簡単に求められるはずだ」

 その言葉でグレンは黙り込んだ。まるで人が変わったかのような激変ぶりであった。それほど、グレンが答えに対する執念が強いということだろう。

「……すいません。少し、熱くなり過ぎました」

 生意気な態度をとったことは反省しているのか素直に謝罪してきた。

「別に気にするな」

「ええ。……少し、一人にさせてください」

 そう言い残すとグレンは拠点の近くに止めておいたアプトノスの荷車の方向へと姿を消した。無言で立ち去る背中が、彼の心境を物語っているようだった。

「師匠。私、今回も心配なんですけど……」

 いきなりのクレアからの問いかけに「何がだ?」と返す。

「ほら、今のこともそうですよ。この調子だと、私たちとグレンさんの間に大きな亀裂が生まれてしまいます。そんなことになったら狩猟どころじゃありませんよ」

 仲間同士が決裂している状況下で狩猟を続けるのは当然危険である。このまま行けばクレアの指摘どおり、三人が決裂する可能性がある。

 だが、そんな心配もヴァイスは計算済みであった。

「まあ、あれが普通だろうな。あいつが俺に対して怒りを示すのも無理はない。あいつを否定したのは俺なんだからな。俺も同じ状況だったら怒りを露わにしているさ」

「じゃあ、今回の狩猟はそれも見据えて……」

「そうだ」

 たとえ計算どおりであったとしてもグレンが仲間内で孤立しているのは否めない。このまま狩猟を開始しても二人が危険に晒されることに繋がりかねない。

 クレアは、グレンが姿を消した方向へと目をやる。

「一つ、質問します。今回の狩猟は、師匠の思惑通り進むと考えていますか」

 一瞬の沈黙。しかし、ヴァイスは躊躇うことなくその質問に答えた。

「無論だ。そうでなければあいつを狩猟には同行させない」

 ヴァイスの物言いと輝く蒼い瞳がその言葉を裏付けている。彼のその眼からは、揺ぎなき決意が感じられる。

「でも……」

 そう言われてもクレアは不安な事に変わりはない。

 ギギネブラとの狩猟で、グレンのあの姿を目の前で見せ付けられてはヴァイスの判断であっても気は抜けない。

「心配するな。いざという時は俺が出る」

 その言葉はとても重たいことを意味していた。万が一グレンの身に何かが起こっても、ヴァイスは責任を負う必要があるかもしれないからだ。

「……わかりました。くれぐれも無茶はしないで下さい!」

「ああ」

 二人は、依然として輝き続けている太陽を睨むようにして仰ぐ。

「さあ、長い狩猟の幕開けだ」

 

 砂原は全11のエリアで構成される狩場だ。その内クーラードリンクを必要とされるエリア数は三つ。一部には迫り出した岩が日差しを完全に遮るエリアも存在している。

 ジャギィ、ジャギィノス、リノプロス、デルクスといった数多くの小型モンスターもこの砂原では脅威の一環の内である。大型モンスターに気を取られている際に不意打ちを喰らってしまうことも多々ある。適切な状況判断と周りへの気配りを気をつけ臨機応変な行動を取らなければならない。

「くっ……。陽炎が邪魔だ」

 陽炎による影響もまた厄介だ。砂漠地帯ではエリアが広大になる。遠くにいる大型モンスターの姿でさえもまともに捉えることができない。

 今いるエリア4でさえも、そこまで広くないエリアなのだが陽炎による影響が確実に現れている。

「やっぱりエリア3でしょうか」

 支給された地図によれば、エリア3には泥沼が広がっている。土砂竜の異名を持つボルボロスは、おそらくそこを好んでいることだろう。それを考えれば可能性は高い。

「よし、行こう」

 ヴァイスを先頭にエリア3へと進む。

 幾分低地に位置しているエリアのためか、どこからもなく水が流れ込みエリア上に泥沼を形成しているのだろう。

 だが、肝心のボルボロスの姿は見受けられない。

「外したか?」

 何匹のブナハブラがエリアを五月蝿く低空飛行しているだけで他のモンスターの姿はない。

 エリア中央付近まで歩いてきたところでグレン一人が泥沼を目指していく。怪しいものがないか確かめるつもりなのだろう。泥沼自体は浅いものなのか、問題なく足を進めていく。

「あれは……?」

 勘違いなのだろうか。泥沼の鉛色とは別の何かが浮かんでいるように見える。土色をした何かだ。いや違う。あれは――、

「退け、グレン!」

「なっ!?」

 ヴァイスの言葉が届き、グレンが動き出したのと泥沼からそれが姿を現したのはほぼ同時だった。ヴァイスの言葉がなければ間違いなくグレンは不意打ちを食らっていた。

 腕はやや退化しているように見えるが、それに比べて脚の筋肉が目立って発達しているのが一目でわかる。頭部から背中にかけては剥き出しの岩肌のように鋭いつくりをしている。全身に泥沼を纏い、ボルボロスは三人の前に立ち塞がった。

「オオオオォォォアアアアアアァァァァァッ!」

 頭上から降り注がれるバインドボイスに堪らずグレンは耳を塞いでしまう。

「来ます!」

 モンスターの目の前で行動不能になるのは最大の命取りだ。

 ボルボロスが繰り出した頭突きを回避できずに直撃してしまう。さらに、飛び散った泥がペッコシリーズに付着し、それはあっという間に乾燥し身動きが制限されてしまう。

「退避して消散剤を使え!」

「わかってます!」

 消散剤は付着した泥を弾き飛ばす効果を持つ。これで泥をペッコシリーズから落せば身体の自由が戻る。

「くっ……、どこにある!?」

 手元が焦って肝心の消散剤がポーチから取り出せない。

 と、ボルボロスが視界から消えた。

「後ろだ!」

 アトランティカを構えていたヴァイスの危険信号が飛んでくる。だが、まともに回避することも難しい今の状況ではなす術はなかった。

 数歩後ずさったかと思うと、そのまま猛進して突っ込んできた。必死に回避を試みるが無駄に過ぎなかった。

「うわっ!?」

「グレンさん!」

 吹っ飛ばされた衝撃で付着していた泥は弾け散った。すぐさま立ち上がりボルボロスから距離を取る。

 この時点で早くも一つ目の応急薬を消費してしまった。グレンのポーチには、回復薬が手付かずで十個、応急薬は五つしか入っていない。このままのペースでは、回復薬が切れるのは時間の問題だ。

「だったらこれだ!」

 背中からトランペッコを引き抜く。そして、すぐさま演奏モードだ。

 【白】、【緑】、【白】の音の順に演奏していく。それは体力回復【小】の演奏効果だ。さらに、【水色】の音を三連続で繰り返す。この対ボルボロスとの狩猟ではかなりの助けになる耐雪&耐泥無効のスキルだ。

「よしっ! これで泥は無視して行ける!」

 背後からレムナイフを構えたクレアが斬りかかる。

 取り決めどおり一撃離脱を行う。いくら耐泥無効だとしてもボルボロスには、まだ隠された攻撃手段があるかもしれない。油断することはできないということだ。

 ボルボロスは尻尾で周囲をなぎ払う。三人とも尻尾が及ぶ範囲外にいたため無傷だ。

「リーチはそこまで長くないか」

 同じような攻撃を繰り出してくるリオレウスなどは、尻尾自体の長さがあるため一度になぎ払う範囲は大きい。しかし、ボルボロスの尻尾はそれほど長くはない。

 ただ気をつけたいのは、ボルボロスの尻尾は高い位置にあることだ。片手剣のクレアでは狙うのは難しく、打撃攻撃が主となるグレンにも尻尾切断は不可能だ。

 ならば、残るはヴァイスだ。

 リーチの長い太刀なら容易に届く距離だ。アトランティカの刃がボルボロスの尻尾を貫く。

「グオオオオォォォォォォォッ!」

 破壊力のある一撃にボルボロスはヴァイスに照準を合わせる。目の前にヴァイスを捕らえるやいなや突進の体勢に入る。

「遅いな」

 しかし、ヴァイスの方が上手であった。移動斬りによる立ち回りによりボルボロスの正面から一瞬で逸れてみせる。突進は空振りに終わりボルボロスは無人の区間を突っ切った。

 突進を終えた瞬間は無防備になる。その瞬間を狙ったのはグレンだ。トランペッコを振り回し上段から叩きつける。それは、確かにボルボロスの左脚に命中した。だが、

「炎が効かない!?」

 もう一度、今度はトランペッコで殴りつける。命中と同時に炎が上がるが、それにはボルボロスはまるで無反応である。

「火属性が弱点じゃないのか!?」

 グレンは一旦後退して様子を窺ってみる。

 特殊な睡眠属性を持つクレアのレムナイフは論外だ。重要なのはヴァイスのアトランティカである。あの太刀は確かに水属性だ。それも、ボルボロスの前には効いていない様子である。

「どういうことなんだよ……」

 グレンの嘆きが虚しく風に流されていく。

 突進を繰り出し続けているボルボロスだが、それは一向に命中していなかった。浅く斬り込んでいるヴァイスとクレアは余裕を持って動いているためボルボロスを翻弄している。

「グオオォォォッ」

 ボルボロスが短く吼える。異変を感じ取った二人はすぐさま散開する。

 全身を身震いさせるようにボルボロスはする。その影響でボルボロスの身体に付着していた泥が周囲に撒き散らされた。これを浴びれば、泥だるま状態は間逃れないだろう。

「師匠」

「ああ、わかっている」

 互いに頷くと二人は大胆にも、ボルボロスに接近していく。

 そう、対泥無効のスキルの加護を受けた二人にはこの攻撃は無意味に近いのだ。つまり、多少のダメージは覚悟して攻撃を試みようというのだ。

「なら、俺は援護だな!」

 【水色】、【水色】、【緑】、【白】の音を奏でる。これは、耳栓スキルと同等の効果を発揮するものだ。万が一のことを考慮したグレンの行動である。

 その援護に応えるるような動きを両者は見せていた。

 クレアは左脚、ヴァイスは右脚をそれぞれ狙う。片手剣のクレアは一撃一撃を着実に命中させていくが、ヴァイスは違った。様子見の段階でも斬撃を多く叩き込むことも時には必要なことだ。

「りゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 すでに溜まっていた気を放出し気刃斬り。続いて気刃大回転斬りを繰り出す。凄まじい威力の斬撃の猛攻にあったボルボロスの右脚は、それを覆うように守っていた泥が弾け飛び土色の甲殻が姿を表した。

「アアアアァァァァァァァァァッ!?」

 水属性が効かないとしても、アトランティカ自体が持つ高い攻撃力はボルボロスには通用しているらしい。一度斬り下がり、再び様子見に専念する。

 恨むような視線でヴァイスを睨みつける。圧倒的なモンスター特有の威圧感。全身にビリビリと伝わってくる。

 ヴァイスがアトランティカを鞘に収めるのと、ボルボロスが動き出したのは紙一重の差だった。ヴァイスは走って回避するのではなく横っ飛びで回避した。ボルボロスとの距離感が微妙だったことが要因でそう判断したのだ。

 逆に、クレアとグレンにしてみれば好機である。

 泥が消え、露わになった甲殻目掛けトランペッコをぶん回す。左、右と交互に振るうと攻撃の手を一旦休めボルボロスの様子を窺う。

 念のため一度距離を取る。グレンの抜けた穴にヴァイスが入れ替わるようになった格好だ。

「……気のせいか? さっきよりも、炎は効いていたようにも感じたんだよな」

 別に属性強化の演奏をしたわけでもなく、防具のスキルが発動したわけでもない。だとしたら、最初に感じた手応えは単なる勘違いだったのだろうか。

 直後、ガキンッ、と金属が擦れる乾いた音が響く。クレアが盾でボルボロスの攻撃をガードじた証拠だ。しかし、片手剣の小さい盾ではそう何回も攻撃を凌げるわけではない。

「クレア、援護する!」

「お願いします!」

 ボルボロスの真横から、頭部目掛けてトランペッコをぶん回す。基本的にほとんどのモンスターは頭部が弱点となっている。が、ボルボロスの場合は弱点どころか肉質がとにかく硬かった。トランペッコは弾かれ握っていた手に電撃のような痛みが走る。

「硬い!」

 しかし、ボルボロスの注意を引きつけるにはそれでも十分だったらしく、追い回していたクレアを見逃す。新たな標的となったのはグレンであった。

「さぁ、俺に突いて来いよ!」

 トランペッコを肩に背負い、ボルボロスに背を向け走り出す。人間が全速力で走る分なら、ボルボロスの歩くスピードより速い。見る見るうちにグレンとボルボロスとの距離が開けていく。

 そして、安全圏までたどり着くとポーチに手を突っ込み閃光玉を取り出す。

 投擲された閃光玉は見事にその役目を果たし、ボルボロスの視界を潰すことに成功した。

「オオオオアアァァァァァァァッ!?」

 悲鳴交じりの咆哮を上げている時には、既にクレアが真っ先に駆けつけていた。遅れて、グレンとヴァイスも続く。

 クレアは、片手剣でも比較的狙いやすい腕を狙う。グレンは泥が消えた右脚。ヴァイスは頭部だ。

「グオオオォォォォォォォォ!」

 ボルボロスが直感に任せて尻尾を振り回す。狙った攻撃ではないが、不意を突かれやすいこの手段はどんなにベテランであっても避けることができない。ヴァイスもその一人で、運悪く尻尾に引っ掛かる形になってしまった。

「二人とも大丈夫か?」

 受け身を取って素早く立ち上がっているところを見ると、ヴァイスも掠った程度なのだろう。残りの二人の身を案じる。

「はい。私はガードに成功しましたし、グレンさんはボルボロスの足元にいましたから」

「そうか、わかった」

 敵が動きを止めたのを確認してから、ヴァイスは再び頭部へとアトランティカを振り下ろす。高い切れ味を誇るアトランティカの刃は弾かれることなく狙った部分へと命中する。連続して突き、斬り上げ、斬りつけてから気刃斬りをもう一度繰り出す。

 ボルボロスが閃光玉の影響から回復するのと、ヴァイスが気刃大回転斬りを繰り出したのは、ほぼ同時のタイミングだった。しかし、明らかな深手を負ったのはボルボロスでこの狩猟で初めて大きく体勢を崩した。

「まだこの段階での深入りは禁物だ。集中して行くぞ!」

 この言葉に二人は頷き一層気を引き締める。

 今はまだヴァイスの予定通りに狩猟を組み立てていけている。

 これが一体いつまで持つか。それこそ、今回の狩猟の大きなポイントの一つになることは間違いなかった。



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EPISODE34 ~婉曲な配慮~

「オオオオォォォアアアアアアアアァァァァァッ!」

 怒りの矛先をヴァイスたちに向ける。

 蓄積していったボルボロスの怒りがここで爆発し、それが攻撃にも垣間見えるようになる。

「無理に近づこうとするな!」

 ヴァイスが二人に警告を飛ばす。それもそのはずで、怒り状態になった途端にクレアとグレンはボルボロスの動きについていけなくなっていたからだ。

 ボルボロスの突進が繰り出される。それは先程よりも格段に速さを増している。直撃すれば大ダメージは避けられない。

「クレア、行ったぞ!」

 突進の軌道上にいたのはクレアだ。だが、今からレムナイフを収め横っ飛びをしても間に合わない。そこでクレアは、盾でガードする選択を取った。無事に成功するがそれでも無傷では済まない。

 大きく流されたクレアの身体は、運良くボルボロスの視界から外れた。その隙にクレアは体勢を立て直すために後退する。

「グレン、お前も援護に回れ」

「し、しかし――!」

「いいんだ。奴は俺一人で引きつける」

 何故かグレンは必死に反論しようとする。折れないグレンにさしものヴァイスも手間取る。

「っ!?」

 咄嗟にヴァイスはグレンを弾き飛ばした。遅れて、ヴァイスも横っ飛びをする。その場所を、ボルボロスが物凄い速さで突っ切った。

 意表を突かれたグレンが、目を見開き動けずにいた。

「……わかっただろ。今は、奴の速さについていけてない。危険だから援護に回ってくれ。そういう意味だ」

 やっとのことで立ち上がったグレンが無言で頷く。しかし、未だに納得できていないのか、苦い表情をしている。

「もう一発来るぞ」

 ヴァイスに促されボルボロスに視線を移す。彼の言うとおり、ボルボロスは、今まさに突進の体勢に入ろうとしていた。

 距離は十分に開いていた。そのため、走ってでも容易に回避できた。

 不発に終わった突進の速度が緩む。見る見るうちにヴァイスがボルボロスに接近していく。あと、数歩。その距離で太刀の間合いだ。

 だが、アトランティカの柄を握ろうとしていた右手を即座に引っ込め踵を返すように前転した。前転で低くなったヴァイスの頭上をボルボロスの尻尾がなぎ払う。

 再びアトランティカの柄を握った時には、ボルボロスはこちらに向き直っていた。

「チッ!」

 荒い舌打ちが思わず出てしまう。

 リズムに乗れずに焦っている自分がいる。だからといって、それを無理やり直そうとするのはかえって逆効果だ。

 ポーチからペイントボールを取り出し、投げつける。放物線を描いたペイントボールはボルボロスの頭部に命中した。これでしばらくは、砂原中にペイントの臭気が漂う。

 突進が繰り出される寸前、レムナイフを構えたクレアがボルボロスの左脚を斬りつけた。その一撃でボルボロスはよろけてしまう。怒り状態でなければダウンを奪えていたはずだが、今は少しでも時間が必要だっためこれで十分だった。

 ボルボロスは、小さく迫り出したような腕で土を掘り始めた。すぐに、ボルボロスの姿は土の中へと消えていった。

「下から襲ってくるのか!?」

 誰もがそう予想し、それぞれの武器を納め身構えた。だが、いつまで経ってもボルボロスは飛び出してこない。やがて、ペイントの臭気が隣のエリアへと移っていった。

「移動しただけ、か」

「ボルボロスは、エリアを移動するときに土の中を移動する習性があるんですね。初めて知りました」

 都合上、何らかの原因があるからこそ、そういった移動方式をとるのだろう。それは後々、調べる価値がありそうだとヴァイスは密かに思う。

「俺が体力を回復します」

「ああ、頼む」

 この先何が起こるかわからないので、なるべく回復薬類は温存しておきたい。手間はかかるが、それでもこの行動はヴァイスたちを後半で楽にさせてくれる要素になるはずだ。

 体力回復【小】の恩恵を受け幾分楽になってきた。三人はそれぞれ小休憩をいれることにした。

 アトランティカの切れ味は、まだ高い。それでも、ここまでで気刃大回転斬りを二回繰り出してきた。砥石を使って損はないはずだ。クレアとグレンもそれに倣い砥石を使用する。

「今回の狩猟、正直言ってかなりつらい状況ですね。特に、怒った時のボルボロスの速さは危険です。ついて行くだけでも精一杯でした」

 クレアが忠直に意見を述べる。

「だからといって焦る必要はない。これから慣れていけばいいからな」

 携帯食料を取り出していたヴァイスがそう返す。言葉にするのは簡単だが、それを実際に行うのは難しい。誰より、ヴァイスが一番よくわかっている。

「グレン、閃光玉は残りいくつだ?」

「え、閃光玉ですか」

 いきなり話を振られたグレンは多少動揺しながらも、ヴァイスの質問に答えてくれた。

「えっと、一つ使ったので残りは四つです」

「四つ、か……」

「それが、どうかしたんでしょうか」

 しばらく考えるような素振りをヴァイスは見せた。やがて、考えがまとまったのか一つため息をついて口を開いた。

「俺が合図したら閃光玉を使ってくれ。合図は主に奴が怒り状態のとき二回か三回出すと思う」

「師匠、どう使うんですか?」

 クレアはヴァイスの考えに興味津々なのか、身体を乗り出してまで話に耳を傾けていた。

「やや荒削りになるが、この段階で一気に奴の体力を奪う。二人には、その援護をしてもらいたいんだ」

「任せてくださいよ!」

 クレアが胸を張って言う。だが、グレンは対照的に困惑しているような面持ちだ。

「まだ狩猟は始まったばかりです。いつものヴァイスさんなら、ここから着実に敵を追い込んでいきます。今回は何故そういった方法を?」

 ごもっともな質問だ。

 ヴァイスは普段、一時的にしか大胆に攻撃を仕掛けることがない。今回は閃光玉を何個か使ってまでもボルボロスを追い込もうとしている。グレンは、それが不思議で仕方がなかったのだ。

「俺もこの方法はあまりよくないと思っている。だが、そうも言ってられないようだからな」

 対してヴァイスは曖昧な回答をする。理由を追求してみようかとグレンは考えたが、頭の片隅にクレアの言葉が浮かんできた。

『師匠には、何か考えがあるんですよ!』

 それが、グレンの言いかけた言葉を封じ込めた。

「考え、ですか……」

 その言葉の意味ををグレンは噛み締めた。ヴァイスの行動は、いつも自分たちにとって優位に立てるものばかりだ。アトランティカの件も、今の件についても同様だろう。だとしたら、自分が口を出す必要は全くない。

「……わかりました。閃光玉と狩猟笛による演奏。この二つで援護すればいいということですね」

「ああ、そういうことだ。頼むぞ」

「私はどうすれば?」

 役目を聞かされていないクレアが問いかけた。

「クレアは一撃離脱でボルボロスに斬りつけてくれ。無理はしなくていい」

「はい!」

 役目を与えられたクレアは勢いよく立ち上がり、背筋を伸ばし直立不動の体制になる。その様子を見たヴァイスは苦笑いを浮かべる。

「……エリア4に移動したか。そろそろ行くぞ」

 ヴァイスとグレンも立ち上がり、それぞれの武器を背中に背負う。小休憩の中で今後の方針を決めることが出来たのはそれぞれにとってプラス要素だ。

 体勢を整えた三人は再び気合を入れなおし、隣接しているエリア4へと向かった。

 

 砂原のエリア4にはオルタロスの巣がある。三人がエリア4に足を踏み入れた時は、ボルボロスはそれを破壊してボルボロスを捕食している真っ最中であった。

「他にモンスターはいない、か……」

 現在、エリア4に害を齎す小型モンスターの姿はない。つまり、ヴァイスは注意をボルボロス一点に向けることが出来る、そう考えた。

 ボルボロスが捕食する手を休める。もう十分回復したのだろうか。

「方針通りに頼むぞ、二人とも」

 ヴァイスのその言葉が、狩猟が再び再開される合図となった。

 目を怪しく光らせボルボロスが詰め寄って来る。ヴァイスとクレアのみが左右に散り、グレンはその場に止まった。

 ヴァイスがボルボロスの後ろに回りこむ寸前、ヴァイスが手を上げた。合図だ。

 方針通り、グレンが手に持った閃光玉を投擲する。

「オオオオアアアァァァァァァァァァァァァッ!?」

 ボルボロスの悲鳴を突き抜け、ヴァイスがアトランティカを引き抜いた。放った全ての斬撃がボルボロスの左脚へと命中する。

 一撃離脱の方針をとるクレアは、ボルボロスの様子を窺いながら左脚に狙いを定めているようだ。あまり深く入り込まず最低限の余裕を保つ。

「グオオオオォォォォォォォォォォォォッ!」

 視界を潰していてもやはり大型モンスターを侮ることは出来ない。

 纏わり付く二人の気配を察知したか、それともただの勘か。ボルボロスが攻撃態勢に入った。

「なぎ払いです。気をつけて!」

 グレンからの警告。だが、二人もそれはわかっていた。

 大胆に攻めるヴァイスは、狭い空間ながらも人ひとりがやっと潜り込めるボルボロスの真下に前転回避する。クレアは余裕があったため後退するだけで回避できた。

「そろそろ演奏効果が切れてもおかしくない……」

 トランペッコを演奏モードに切り替え二人を援護する。耐雪&耐泥、聴覚保護【小】の効果が延長される。そのグレンの判断は正しかった。

 なぎ払いが不発に終わった直後、ボルボロスは身震いをして身に纏う泥を撒き散らした。

 範囲外に後退しているクレアはいいが、ヴァイスはその場に止まりアトランティカを振るう手を休めなかった。演奏効果がここで仮に切れていたら、ヴァイスは危険な目に遭っていた。

 いや、ヴァイスもグレンがそう行動することを先読みしてあの場に止まったのかもしれない。

 ボルボロスの視界が回復する。怒り状態は既に解けており、動きも幾分緩やかなものへと変化した。

「クレア。この状態なら付いていけるか?」

「当然です!」

 ある意味予想通りの返答で、ヴァイスも本日何度目かの苦笑いする。

「なら、思い通りに動いてみろ。フォローはする」

「わかりました。お願いします!」

 クレアとグレンは、ボルボロスが怒り状態になった時にその動きに付いていけなくなった。だが、それまでは普通に対処しきれていた。それを考慮するならば、怒り状態時のみヴァイス主軸で狩猟を進める。そうすることで二人に掛かる負担を減らそうとした。

 しかし、それはグレンも同じだ。このままグレンを攻撃に移らせても問題があるかどうか、判断は難しい。

 彼も一人のハンターである以上、狩猟中ヴァイスに指示され、ほとんど援護に回ることは屈辱かもしれない。そして、彼を信じるならば攻撃に回したいと思う。

「グレン。深入りせず、お前も自由に動け!」

 その言葉が出たのは一瞬。だが、ヴァイスにとっては長く、言葉の意味以上に大きな責任を背負っていた。これが賢明な判断なのか、あるいは愚昧な判断なのか。その結果全てがグレンに委ねられている。

「そういうことなら、お言葉に甘えさせてもらいますよ!」

「くれぐれも無茶はするな!」

 ボルボロスはクレアと対峙するのに夢中になっていた。クレアも宣言どおり、一人でも遺憾なく力を発揮し一対一の状況下でもボルボロスに食いついている。

 本来なら、グレンはクレア以上の力を発揮できるはずだ。それを制してでも、まずはグレンの問題を解決することが先決だ。

 背後からヴァイスが斬り込む。アトランティカの刃がボルボロスの尻尾を貫く。突きは命中させられないが斬り上げ、斬りつけは確実に命中する。

 グレンも加勢する。甲殻が剥き出しの右脚にトランペッコを叩きつける。左右にトランペッコをぶん回すと上段から振り下ろす。爆ぜた炎がボルボロスに確かな痛手を負わせる。

「りゃああぁぁぁぁぁぁぁ!」

 クレアの振り下ろしたレムナイフがボルボロスの左脚に命中する。泥に亀裂が走ったかと思うと一瞬で弾け飛んだ。

「よしっ!」

 怯んだ隙に三人は距離をとる。突進を警戒しての行動だ。

 しかし、ボルボロスはヴァイスが視界に入るとそのまま開いていた距離を詰めその勢いそのままに噛み付こうとしてきた。

「危ない!」

 アトランティカを引き抜いたままのヴァイスは前転回避で難を逃れる。だが、ボルボロスは再びヴァイスを狙う。そして、今度は突進である。

「くっ……」

 前転回避では巻き込まれる。そう判断したヴァイスはアトランティカを鞘に収め、すぐさま横っ飛びの緊急回避を行う。紙一重の差でヴァイスは回避に成功した。判断が遅れていれば突進に巻き込まれていたに違いない。

 グレンがボルボロスの正面から叩き込む。ヴァイスに気を取られていたボルボロスはそれに気づかず易々と攻撃する隙を与えてしまった。

 はじかれ無効の演奏効果を付けていなかったため攻撃は弾かれたが、注意を逸らすだけならそれだけでも十分だ。

「すまない、助かる……!」

「いえ、それよりもっ!」

「ああ、わかっている!」

 グレンが作ってくれた隙をうまく使いヴァイスはボルボロスを振り切る。そして、代わりに狙われることになったグレンの援護へと急ぐ。

 突き、斬り上げ、斬りつけと基本の型で斬撃を浴びせる。

「オオオオオォォォォォォッ!」

 片手剣による連続攻撃と太刀による重い一撃の連携がボルボロスを追い込む。動きを完全に止め、ヴァイスとクレアによる包囲網からの脱出を試みる。

 しかし、それを易々とさせるがままにさせないのが二人の連携力だ。互いに意思疎通し相手の自由を奪う。まだまだ成長過程だが、それには光るところが垣間見える。

「この隙を使えば、俺も役に立てる!」

 そうは言うが、まだ耐雪&耐泥と聴覚保護【小】の演奏効果が切れるまで十分な時間が残っている。

 トランペッコを横なぎにし、演奏体勢に入る。【白】、【白】と同じ音を二回繰り返すことではじかれ無効のスキルが。更にもう一度続ける。今度は、移動速度が上昇するスキルが発動した。

 この両方のスキルは、演奏者のみに発動する。このスキルを発動させることによって狩猟笛使いは、攻撃役としても更に活躍できる。

「クレア、俺が変わる!」

「すいません。お願いします」

 やや息切れぎみだったクレアと交代する。

 そのことはヴァイスも理解していた。立ち回りのテンポをクレアの時よりもやや速める。

「はぁっ!」

 大胆にも、グレンはボルボロスの頭部を狙う。通常なら弾かれる攻撃が演奏効果による後押しを受け、弾かれることなく命中していく。

 左側にトランペッコをぶん回してから、上段に振り上げ、その重量を生かして叩きつける。すぐさまボルボロスの正面から逸れ一撃離脱の方針をとる。

 その動きに合わせ、ヴァイスが立ち回りをする。

 ヴァイスの読み通り、グレンの立ち回りテンポはクレアに比べやや速めだ。いや、二人の間に基本的に大差はないが、経験の差だろうか。それが二人立ち回り違いだろう。

 人の個性や武器の種類によってそれは大きく左右される。時には、自分と真逆のような立ち回りをするようなハンターと共に狩猟することもある。冷静に狩猟を組み立てていき冷静に立ち回るタイプと猪突猛進するような大胆なタイプが典型的だろうか。

 いくらベテランハンターであろうと、組みなれていないハンターと瞬時に息を合わせられる者はなかなかいない。ヴァイスもその内の一人ではあるが、クレアやグレンの立ち回り方には覚えがあるのだ。だから、二人に合わせることはそこまで難しい話ではなかった。

「ガアアァァァァァァァッ!」

「なっ!?」

 突然繰り出したボルボロスの突進がグレンに命中した。とりあえずグレンに大きな怪我はないようだ。不運、というよりは、グレンが無理をしてヴァイスに合わせているように見える。

 これにより包囲網は崩れてしまった。そのためヴァイスも、ボルボロスの様子を窺いつつ吹っ飛ばされたグレンの元へと急ぐ。

「大丈夫ですか!?」

 後退していたクレアが先に駆けつけた。既にグレンは自力の力で立ち上がろうとしていた。

「あ、ああ。なんとか……」

「とりあえず回復しておけ」

「はい」

 遅れてきたヴァイスに促されグレンは応急薬を使う。

「ボルボロスは――」

「……ちょうど、エリアを移動していくようだな」

 三人の前で、ボルボロスは地中へと姿を消す。ペイントの臭気がエリア4から離れていくのに時間はかからなかった。

「クレアの方は、体勢は整っているか?」

「はい。グレンさんと交代した時に整えておいたので」

「なら、あとは俺たちだな」

 おもむろにポーチから砥石を取り出すとアトランティカを研ぎ始める。

 グレンがトランペッコで攻撃を繰り出した回数は少ないが、弾かれることを無視していたため切れ味の消費もその分大きい。ヴァイスを見習いグレンも砥石を使用する。

 研ぎ終えたアトランティカを鞘に収める際、ヴァイスが口を開いた。

「グレン、無理して俺に合わせなくてもいい」

 その言葉にグレンは覚えがあるらしい。瞬時に言い返そうと身体が動く。

「し、しかし、それでは……」

「俺にかかる負担が大きい、と思っているならそれは違う。俺がグレンに合わせて動くから俺に合わせる必要はない。これは命令だ」

 命令。その単語でグレンが黙り込む。

「クレアも同様だ。いいな」

「はい!」

 この快活さこそクレアが普段どおりだと証明している。これならヴァイスも普段どおりのクレアに合わせた指示を出すことができる。

「時期に奴も怒り始めるだろう。その時は、取り決めどおりに動いてもらいたい」

「えっと、私は一撃離脱……、でしたよね」

「そうだ」

 時間がそれほど経っていないのに忘れられていたらそれこそ厄介だが、その心配は杞憂に終わり密かに安堵の息をつく。

 こうやって心配してしまうのも普段の行いが全てだろう。

「……行きましょう。ヴァイスさん。狩猟はまだまだ、ここからです」

「……と、そうだな。そうしよう」

 危うく頭が狩猟から離れそうになった。

 どうやらクレアという人物は、どうも自分のペースを乱すのが得意らしい。無意識だとわかっていても、だ。この感覚も久しぶりなように感じる。

「師匠、グレンさん。がんばりましょう!」

 他人の心配を察する術がないクレアはこの様子である。

 先陣を切ってクレアがエリア3へと向かう。ヴァイス、グレンと後に続く。無論、三人とも気合は十分だ。

 だが、この時グレンには沸々と湧き上がる想いを抱いていたことは誰も知らない。「次で必ず終わらせてやる」という以前にも増した強い信念のようなものを――。



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EPISODE35 ~一筋の光~

 ボルボロスは再びエリア3へ移動した。

 地中から飛び出したときには、既にヴァイスたちも追いついていた。

「ガアアアアァァァァァァァァァァァァッ!」

 沸々と湧き上がってくる怒りの感情がボルボロスから伝わってくる。怒りが我慢の限界を超えた途端、こちらも立ち回りを変えざるを得なくなる。ならば、今の内にできることは実行しなければならない。

「俺は尻尾の切断を試みる。二人は援護を頼む!」

「了解しました!」

「任せてください」

 そう言うやいなや、ヴァイスは走り出していた。

 闇雲に繰り出し続ける突進を回避し、アトランティカを鞘から引き抜いた。

 だが、突進を終えたボルボロスはいきなり方向転換をしてしまう。尻尾に命中するはずだったアトランティカが空振り地面を抉る。

「チッ、外したか……」

 今までの様子を見る限り、ボルボロスはそこまで知能が高いとは考えがたい。だが、その分、野生の勘は働くらしい。計算に計算を重ねているこちらの動きを、ただ「勘」だけで回避されてしまったのが響いた。

 さらに、ボルボロスの尻尾は高い位置にある。例えリーチの長い太刀でも動き回る尻尾一点に命中させ続けることは難しい。連携がうまくとれなければ尻尾を切り落とすだけでも時間を食われてしまいかねない。

「師匠!」

 だが、あくまでそれは連携がうまくとれなければの話だ。ここにいる仲間との連携は、そこまで生半可なものではない。

「ああ、行くぞ!」

 クレア、グレンがボルボロスの懐に飛び込んだ。二人とも常に動きを止めずにボルボロスを翻弄する。

 動きを止めている今なら尻尾に当てるのは容易いことだ。

 振り下ろしたアトランティカは、今度こそ尻尾に命中した。突きは命中しないが、斬り上げ、斬りつけは狙い通りの場所に吸い込まれていく。

「ガアアァァァ、ガアアァァァァッ!」

 しかし、今度はボルボロスが反撃を試みる。

 自身を囲むような形で動き回っている三人を尻尾で一気になぎ払う。

「ダメだ、避けきれない!」

 クレアが盾を迫り出す前に、なぎ払いは繰り出されてしまった。

「わぁっ!?」

「うわっ!?」

 咄嗟の判断でヴァイスは逃れることが出来たが、クレアとさらにグレンまでも避けきれずになぎ払いの餌食になってしまう。

「クレア! グレン!」

 ヴァイスの方向に飛ばされたクレアへと駆け寄る。グレンは、何とか受け身が出来たのかすぐに立ち上がった。

「大丈夫か?」

 クレアを助け起こし、怪我がないか窺う。

「大丈夫です。なんとか……」

 幸い目立った怪我は見られないが、体力的には辛い状況に見える。ここは、クレアに回復薬を使わせる隙を作らせる必要がある。

「無理はしなくていい。お前は、出来る範囲で俺を援護してくれればいい」

 肩をポンと叩き「頼むぞ」と頷く。クレアも頷き返すと、ヴァイスは踵を返して走り出した。クレアに回復する隙を与えるためにだ。

 様子を窺い、クレアは回復薬を使用する。念のためにもう一本飲み干し体力が全快に回復する。

「よしっ、私も役に立たないと!」

 空になった瓶をポーチの中に押し込みレムナイフの柄に手をかける。

 ボルボロスに肉迫する二人の間に割って入り、クレアも助勢する。背後から歩み寄り、ジャンプ斬り、斬り上げ、斬り下ろし、横斬り、水平斬りと連続で斬撃を浴びせる。

「師匠、グレンさん、ありがとうございます!」

 隙を作ってくれた二人に対し、クレアは礼を言う。

「身体の方は大丈夫なのか?」

 グレンも心配してくれていたようだ。ボルボロスに注意を向けつつグレンに返答する。

「はい、おかげさまで」

「そうか」

 それきり、グレンは話さそうとはしなかった。

 一旦ボルボロスから距離をとったグレンは、タイミングを窺い頭部に向かってトランペッコを振り下ろした。

 手が痺れるほどの硬い頭殻を、演奏効果による後押しを受けつつ攻撃する。目の前に迫るボルボロスから一歩も退かずトランペッコを振り回す。

「ゴオオォォアアアアァァァッ!」

 目の前で攻撃を仕掛けるグレンをハエ虫を振り払うかのように威嚇する。

 だが、グレンは退かない。

「グレン、無防備すぎる。退け!」

 その言葉がグレンに届いたのかはわからない。だが、どちらにしてもあの場に止まれば攻撃を喰らってしまう。先程のダメージが残っている上に更に攻撃を喰らってしまえば致命傷だ。

 ボルボロスの牙が怪しく光る。あの位置では回避することは出来ない。

 怯ませられれば攻撃は止まるが、この状況でそこまで都合の良い事はない。ただ、このまま黙って見てることしかできないのだ。

「くそっ!」

 ヴァイスもアトランティカを振る手を止めなかった。攻撃が命中するその時まで、まだ終わりではない。だが、それも無意味に終わろうとしていた。

「お願い、止まって!」

 もう駄目だとヴァイスも思った瞬間であった。

 目の前で、ボルボロスの巨体が揺らいだ。全身から力が抜けていき、派手な音と土煙を立てて地面に倒れ込んでゆく。

「眠った、だと……」

 そう、クレアの放った一撃が偶然にもボルボロスの睡眠属性の耐性値を越えたのだ。奇跡と言っても過言ではない。あるいは、クレアが相当な幸運の持ち主なのか。どちらにしてもこの窮地はクレアに救われた。

「グレン、深入りしすぎだ。あのまま攻撃を喰らっていれば、下手をしたら動けなくなっていたかもしれないぞ」

 呆然と立ち尽くしていたグレンの元へ歩み寄り、念のために忠告をした。

「……すいません。周りが見えていませんでした」

 ヴァイスは「はぁ……」とため息をつきながらグレンに言う。

「自覚があるならいいが、次は気をつけろよ」

「はい……」

 ヴァイスの忠告の意味を悟ったグレンは応急薬を取り出し体力を回復する。ついでに、切れ味の消耗が激しかったトランペッコに砥石を使用する。

「あの、師匠……」

「すまない、助かった」

 強引に話を逸らし、ヴァイスは淡白に礼を言った。だが、状況があまり芳しくないことがクレアにも悟られているらしい。

 大きな鼾をかいて眠っているボルボロスとグレンとを見比べる。そして、握っていたアトランティカを一層強く握り締めた。

「……」

 無言で背中から伝わってくるクレアの視線が何を言いたいのかも手に取るように理解できる。だが、この狩猟をいつまでもとめていることは不可能だ。

「……狩猟を再開する」

 掲げたアトランティカがボルボロスの尻尾に振り下ろされる。刹那、驚いたようにボルボロスは飛び起き、ヴァイスたちを睨みつけた。

「ゴオオオアアアアアアァァァァァァァァァァァッ!」

 頭から白煙を巻き上げ、辺りにバインドボイスを響かせる。

 鬼門とも言うべきボルボロスの怒り状態。事をうまく運ばなければ、最悪の場合この狩猟自体をリタイアすることになってしまう。そのためにも、指揮をとるヴァイスがリードしなければならない。

「閃光玉だ。閃光玉を使ってくれ!」

 グレンが合図の話を覚えているか不安だっため直接口で閃光玉を使うタイミングを教えた。

 閃光玉がボルボロスの眼前で炸裂し眩い光が走る。めまいを起こして動けないボルボロスを尻目にグレンを見る。ちょうどトランペッコで演奏をしようとしているところだった。どうやら、ちゃんと方針は覚えてくれていたらしい。

「はあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 控えめな立ち回りから一転、ヴァイスも派手さが増した立ち回りをする。

 気が溜まればとにかく気刃斬りを繰り出し、ボルボロスに大きな痛手を負わせる。大まかな狙いを尻尾だと選択しても、その他の部位にアトランティカの斬撃は多く命中した。

 だが、ヴァイスの狙いは成功した。

 遠心力によって振り回されていたボルボロスの尻尾は、根元から切り落とされた。さすが、気刃斬りというべきである。

「すごい! さっすが師匠!」

 やはり、G級ハンターでありギルドナイトでもあるヴァイスの腕は確かなものだ。誰が見てもその凄さが理解できる。

 クレアなどの経験の浅いハンターにしてみれば、ヴァイスの立ち回りから学べることは数多い。

「……」

 演奏を終えたグレンは、ヴァイスの動きを無言で見つめていた。

 一目瞭然だ。自分と、ヴァイスという天才ハンターとの差は大きい。20歳という若さなのに手の届かないような高みにいる。そんな彼を、最近、心のどこかで嫉妬している自分がいた。理不尽なこの世界の理(ことわり)を恨んだ。

 

 ――あの時と同じように……。

 

「ガアアアアァァァァァァァァァァァァァッ!?」

 尻尾を切り落とされ悲鳴交じりの咆哮を上げる。

 依然として纏わりつくヴァイスを振り払おうとなぎ払いを仕掛けるが、尻尾は切り落とされリーチはかなり短い。命中するはずもなく、ヴァイスに攻撃を許してしまう。

「グレンさん、私たちもできることはやりましょう!」

 クレアがグレンに話し掛ける。だが、グレンは人形のように動かない。ただ、一点だけに視線を集中させている。

 その眼が、悲しげな様子をしているのは気のせいだろうか。……いや、今はそんなことを気にしている時ではない。目の前にある状況に対応しなければ、モンスターにやられてしまう。

「……グレンさん!」

「わっ!? ク、クレア?」

「もう、グレンさん。私たちも何か出来ることをしないと。師匠だけに押し付けるわけにはいきませんよ」

「そ、そうだね……」

 そう言い残し、クレアはボルボロスの元へと向かった。

 グレンは、しばらくヴァイスの様子を傍観していたが、ついに我慢できなくなり気が付けばボルボロスが目の前に立ち塞がっていた。

「くっ!」

 強くならないといけない、そんな気持ちが溢れてきている。ヴァイスを見ていればわかる。自分は、やはり弱者なのだと。

 トランペッコを振り下ろし、右ぶん回し、左ぶん回しと続ける。もう一度振り下ろしを繰り出したが、それは空振りしてしまった。

「一体どこに……」

 クレアも動きを止めてボルボロスの行く末を見つめていた。二人とも、別のエリアへ移動すると考えたのだ。

 だが、ボルボロスはエリア移動はせず、代わりに泥沼で犬のように転げまわる。

「随分と余裕な……」

 唖然としていたクレアだったがその理由はすぐに理解できた。

 ボルボロスは、三人による攻撃によって弾けとんだ泥を再び身体に付着させていたのだ。泥は見る見るうちに固まり狩猟開始当初のような状態に戻っていた。

「いくら泥を纏おうが結果は同じだ」

 足場の安定しない泥沼をヴァイスは全力で駆け抜ける。一気にボルボロスに接近し右腕を狙う。気刃大回転斬りを叩き込みアトランティカの攻撃力が上昇する。

 ボルボロスも負けじとづ頭突きを繰り出す。振動で宙に舞い上がった泥をヴァイスは回避する。そのため、ボルボロスとの間合いがやや開けてしまった。だが、その隙間にクレアが入り込んだ。

 レムナイフによる攻撃でボルボロスを眠らせることは期待できない。つまり、武器自身の攻撃力に頼って立ち回るしかないのだ。

「狙われているぞ!」

 ヴァイスの警告がなくてもクレアはわかっていた。だが、足場の悪い泥沼での対峙はかなり不利な要素であった。激しく動き回るとなると、如何せんこの場も本性を現してくるようだ。

「オオオオォォォォォォォォォォッ!」

 野生の勘でそれを悟ったのか、ボルボロスは得意の突進を繰り出す。泥沼でもその速さは健在だ。

「避けきれない!」

 走っても突進に巻き込まれる。そう判断したクレアは突進をガードする選択をした。だが、泥沼では踏ん張りが利かず身体はいつも以上に衝撃を流しきれなかった。

 グレンも援護しようとするが泥沼の対処に手間取っているようだった。

「奴を泥沼の外へ誘き出せ。ここでは不利だ!」

 怒り状態、泥沼とこちらに不利な要素が揃いクレアとグレンは苦戦を強いられている。地上へボルボロスを誘き寄せてから攻撃を与えたほうが得策だ。

 いち早く泥沼から抜け出したヴァイスがペイントボールでボルボロスの注意をこちらに向かせることに成功した。その後に続いてクレアとグレンも続けて泥沼を抜け出すことが出来た。だが、スタミナの消耗は大きく、二人とも荒い呼吸を繰り返している。

「俺が惹きつけているうちに回復をしろ!」

 二人とボルボロスの距離がどんどん開いていく。ヴァイスが器用にボルボロスと対峙してくれているおかげだ。

 ヴァイスも体力的には少なからず辛くはなってきているだろう。ここは、少しでもヴァイスを援護し耐え抜く必要がある。

 当初は手付かずで残っていた回復薬類がだんだんと減ってきている。もう、あまり無理はできそうにない。一撃離脱の戦法でヴァイスを主軸に狩猟を続けていくことが主になりそうだ。

「グレンさん、早く回復しないと。いつまた襲われるかわかりませんから!」

 クレアがグレンに回復を促す。しかし、グレンはそれに答える素振りも見せない。無言のまま俯いているだけだ。

 さすがのクレアもむっとくる。

「グレンさん、どうしたんですか!? グレンさん!」

「……なんで、……だよ……」

「……グレンさん?」

 何を言ったのかクレアはよく聞き取れなかった。もう一度聞き直そうかとクレアがグレンに近寄った時だった。

 ついに、グレンの溜まった想いがここで爆発した。

「なんで……、なんで俺はいつもなにもできないんだ!! だから俺は、俺は……」

 完全に気が動転してしまっている。狩猟中にこうなってしまっては仲間全員の危機に繋がってしまう。どうにかしなければ取り返しのつかないことになってしまいかねない。

「グレンさん、どうしたんですか!? しっかりしてください!」

 必死にクレアが正気に戻そうと試みる。

 しかし、それは皆無だった。もう、彼を止めることは出来なくなっていた。

「うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 その絶叫にヴァイスが気を逸らしてしまったのは他でもない。

 ヴァイスらしからぬこの行動はボルボロスにしてみれば好機であった。首を持ち上げ頭突きを繰り出す。寸前でヴァイスは気づいたが手遅れだ。ヴァイスは派手に吹っ飛ばされ地面を転がる。

「師匠!」

 今にも泣きそうな表情をしたクレアがヴァイスの元へと駆け寄ってきた。

「俺はいい! それより、グレンの奴、どうしたんだ!?」

「わ、私にもそれが……。早く何とかしないとグレンさんが!」

「わかっている!」

 グレンは単身ボルボロスへと突っ込んでいく。もう、それは自殺行為と言っても過言ではない。

 無防備に突っ込んでくる無謀なハンターをボルボロスは無論狙う。

 しかし、その前にエリア3に閃光が走る。閃光玉だ。ヴァイスが攻撃を繰り出す直前のタイミングで閃光玉を投擲したのだ。

「どうするんですか!? あのままだと、グレンさん大怪我してしまうかもしれません!」

「大怪我で済めばいいがな。とりあえず、奴は拠点へ連れて帰る」

「どうやって……!」

「念のために閃光玉を渡す。出来ればこれで奴を惹き付けてくれ。後は、俺がどうにかする!」

 ヴァイスは、クレアの有無を聞かずに残っていた四つの閃光玉を押し付けた。そして、すぐさまグレンを連れて帰るべく走り出した。

「ガアアァァァァァァァァァァァァッ!」

 グレンもボルボロスも闇雲に攻撃しているだけだ。本能に任せた動きではなく感情に任せた動き。それが、奴らの共通点であった。

 その闇雲な攻撃が不運にもグレンに、しかももろに命中してしまった。グレンの身体は軽々と吹っ飛ばされてしまう。さらに、視界は潰れているのにも関わらずボルボロスはグレンの元へと近寄ってくる。野生の勘がここでも発動してしまっている。

 さらに、グレンは今までの傷を回復しきっていない。それがかなり身体に堪えているはずだ。

「そんな……、このままじゃグレンさんが!」

 クレアも距離を詰めるが閃光玉は無意味だ。冷たい汗が背中を伝って流れる。

 グレンもなかなか起き上がれずにいた。ようやくぐらぐらと立ち上がっても今にも倒れてしまいそうだった。

「うぅっ……」

 死ぬ。そんな気がした。目の前にいる強大なモンスターに殺されるのだと。何も出来ないまま野垂れ死んでいくのだと。

 ボルボロスが体勢を低くした。突進を繰り出す合図だ。

 

 ――これで、終わりなのか……?

 

 ゆっくりと眼を閉じようとした。そうすれば楽になれると思って。ようやく全て終わるのだと思って。

 これで全て……。

 

 ――まだ、終わりじゃない!

 

「っ!?」

 目の前に誰かが割り込んできた。

 金色の縁取りをした太刀を持ち、蒼い服のようなものを纏った銀髪の青年が。

「はああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 それは、一瞬の出来事だった。

 ボルボロスに振り下ろされた太刀が命中すると同時に、ボルボロスは大きく揺らぎ確かな苦痛の叫びを上げたのだ。

 目の前に現れた青年がやった。まるで、自分の命を顧みない騎士だ。守るべきもののためなら、自分の命さえも散らす覚悟を持つ騎士。

 おそらく、それこそがこの青年であることの証だろう。

「……ヴァイス・ライオネル……」

 青年の名を呼ぶ。彼は答えない。だが、彼の背中は物語っていた。「お前を必ず生きて帰す」と。

 それから身体に限界がやってきた。力が全身から抜けていき、ゆっくりと崩れ落ちていった。そして、それから意識が遠のいていくのにそれほど時間は要さなかった。だが、目の前の出来事は脳裏に鮮明に記憶された。

 暗闇の中、一筋の淡い光が差し込んだ瞬間だった。



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EPISODE36 ~目覚めの瞬間~

 どうしてこうなったのだろう。

 自分は、この場所に来て何をしたかったのだろう。

 朦朧とした意識の中で考える。しかし、導き出される答えは所詮同じ。哀れな自分が、ここに来ても何も出来ることはなかった。

 

 ――弱者だから……。

 

 

――本当に行くのか?

 

――はい。俺は、もっと強くならなきゃいけない。これは、強くなるための旅なんです。

 

――……そうか。なら、止めはせんよ。

 

 

 弱者の自分は、現実から逃れるためにここへ来た。現実から逃げて楽になるためにここへ来た。ヴァイスというハンターと出会って、彼から色々と知恵を授かれば弱者の自分は消滅する。そう考えた。

 だが、現実は甘くはなかった。

 過去を受け入れられない者が永遠に弱者だという言葉が胸に突き刺さった。自分が逃れようとしていたことをよりにもよってヴァイスに痛感させられた。

 それは屈辱だった。

 過去の出来事がどうしたというんだ。過去を引きずっていようがそうでなかろうが強者と弱者の差は一目瞭然だ。

 そして、強者である彼のことを妬んだ。自分のことなんて理解できないヴァイスは敵だと思った。弱者を食らう強者はその気持ちを考えたことがあるわけがない。

 だが、そんな同情も何もいらない。ただ一つ、望んでいただけだ。

 こんな自分に、頼ってほしいと。

 そう、だから強くなりたかった。強くなって、頼られることによって自分の居場所があることを自覚するために。

 だから……。

 

「うぅっ……」

「し、しっかりしてください! グレンさん!」

 力尽きたグレンをヴァイスは拠点へと連れて帰った。体力の消耗も激しく、先程からこのように魘され続けている。

 額にはびっしりと汗を浮かべ、耐えるような痛々しい表情で拠点のベッドに横になっていた。

「どうなんですか、師匠! グレンさんの容態は!?」

 グレンの容態を確認しているヴァイスの隣からクレアの焦り交じりの声が浴びせられる。それを余裕の無さからやや聞き流していたヴァイスであったが、しばらくして「安心しろ」と声をかけた。

「体力的消耗は大きいかもしれないが命に別状はない。今は魘されているだけだから目覚めれば大丈夫だろう」

「そう、ですか。よかった……」

 安堵の息がクレアから漏れる。

 それはヴァイスも同じだ。ボルボロスがグレンに止めを差そうとしたとき冷や汗が背中を伝った感覚が今も残っている。間一髪のタイミングで間に合ったのはいいが、こうなったのは自分に落ち度がある。

「俺の責任、だな……」

「師匠?」

 珍しいヴァイスの後ろめいた発言にクレアが驚きを表した。

「責任って、一体……」

「今まで、グレンには色々なことを言ってきた。それが今回、裏目に出てしまってこういった結果をもたらした。グレンに正面からどう詫びればいいんだか」

 本心を隠そうとヴァイスが苦笑いを浮かべる。それが繕っているものだということはクレアには一目で理解できた。そのため、クレアもヴァイスにかける言葉がすぐには浮かんでこなかった。

 本当にヴァイスに責任はあるのだろうか。この件は、「事故」という言い方が正しいような気がする。

 何が起こるかわからないものが狩猟というものだ。それが、今回はめぐり合わせが悪くこういったことになってしまったのではないだろうか。

「そんなことないですよ。師匠に責任はありません」

 真っ直ぐと、自分の正直な想いを口に出していた。だが、悪い気などはしない。寧ろ、ヴァイスを励ましたかった。

 今まで自分はヴァイスに支えられっぱなしだった。一人の人間として、何か恩返しがしたかった。それをこういった形で表す。

「師匠は良かれと思って判断したんです。それは、グレンさんもきっとわかってくれます。今回は、こういったことになってしまいましたがそれが狩猟です。そうやって、師匠も私に教えてくれたじゃないですか」

「クレア……」

 らしくない台詞だが、それが自分のために必死になって考えたクレアなりの慰めの言葉だった。クレアの想いは、確かにヴァイスの元へと届いた。

「だから、大丈夫ですよ!」

 満面の笑みをこちらに向けてクレアが言った。

 沈んでいた気分がクレアのおかげでだいぶ楽になった。いつまでも過ぎたことを引きずることはない。それは、クレアにもグレンにも教えたことだ。

 事故、と考えるのはグレン次第だが取り合えずお咎めなしということにしておこう。

「……そうだな。何が起こるか予測不可能。それが、狩猟というものだったな」

 改めて言い聞かせるようにその言葉を噛み締める。

 これが事故ならば、次からは出来る限り柔軟に対処できるよう方法を考えるまでだ。そうしていって自分のスタイルに磨きを掛けていく。

 クレアにも、それを教えていきたい。そして、グレンにも。

「借りが出来てしまったな……」

「何か言いました?」

「いいや、何も」

 いつかこの借りを返さねばと頭の片隅で考えつつ、携えるアトランティカの切れ味を調べた。念のために砥石を使用し携帯食料も口に入れる。

 そうして体勢を整えていると、あっという間に時間が過ぎてしまった。

「うっ……、ここ、は……?」

 ヴァイスは、仮眠用のベッドに背を向けている形になっていたのだが、背後からゴソゴソと物音が聞こえてきた。

 振り向くと頭を抑えながらグレンが立ち上がろうとしていたところだった。

「いてっ……。あれ、ここは拠点……?」

「気が付いたのか」

 やや錯乱状態気味だが、様子を窺う限りでは大事には至っていないらしい。

「グレンさん、大丈夫ですか?」

「ああ、なんとかね……」

 クレアの問いに答えながらも立ち上がろうとする。だが、身体を動かしてみると予想以上に重く感じられた。

「立てるか?」

 自力では難しいと考え差し伸べられた手を掴みグレンは立ち上がった。勢いを付けすぎたせいか視界が少しだけ揺らぎバランスを崩す。

 ヴァイスに支えてもらい倒れるところまではいかなかったが身体の調子は本調子から程遠く感じる。もうしばらく時間が経てば幾分楽になるだろうが、その時にどれだけ時間の猶予があるかによって狩猟を続けられない可能性がある。

「俺、どれだけ気を失って……」

 申し訳が立たない気持ちが大きく、謝ろうにもそれを口に出せる勇気が振り絞れなかった。心が張り裂けそうなほど辛かった。

「時間に関しては、心配はいらない。それよりもお前は体力の回復を優先しろ。まだ全快じゃないだろ」

「はい……」

 言われるがままにグレンは回復薬を二つ飲み干した。

 念のために砥石、携帯食料も使っておく。その間、ヴァイスは無言で暑い日差しが降り注ぐ空を見上げているだけだった。

 上空を飛ぶ鳥の鳴き声のみが辺りに響き渡る。一瞬の出来事が長く感じられてしまう沈黙。何ともいえない空気が流れ始めた。

「えーっと……」

 何とかしなければいけないのはわかるが、何も出来ないのが現状だ。クレアが話題を変えようにもこの沈黙を破る勇気はない。

「うぅ、気まずいよ……。この雰囲気」

 グレンはグレンで下手に慰めることが出来ず、ヴァイスはヴァイスで何かを考えているように見える。ここは、何も話さず時間の流れに任せるのが得策なのではないだろうか、そう考える。

「……ヴァイスさん」

 しかし、その沈黙をグレンが破って話し出した。重い口を開き、必死に何かを言いたそうなのが見て取れる。

 グレンの呼びかけにヴァイスは振り返らずに答えた。

「どうした」

「どうして……、どうしてあの場で俺を助けようとしたんですか」

 それは野暮な詮索ととってもいいかもしれない。あの場でヴァイスが助けてくれなければグレンは間違いなく大怪我か、あるいはもっと最悪な運命を辿っていたかもしれない。ヴァイスがグレンを助けることに理由など必要ないのだ。

 それは自分がよく理解している。だとしても知りたかった。そこまでして、足手まといの自分を守ろうとする理由が。

「どうして、と訊かれても具体的な理由はない。強いて言うならばお前が仲間だと思っているからだ」

「俺が、仲間……?」

 それは全く予想外の答えだった。

 今まで自分は仲間として認めてもらったことはない。さらに、ここに来てからヴァイスには迷惑をかけっぱなしであった。愛想を尽かされても当然だと思っていたのにヴァイスはなおも仲間だと言う。

 いきなりのことに頭が混乱してくる。

「な、何をいきなり。そんな気を使った優しい言葉なんて、俺は――」

「気を使っているわけでも、優しいわけでもない。これは俺の本心だ」

「ヴァイスさんの本心……?」

 言われれば言われるほど頭が混乱する。自分が何を求めていたのかさえもわからなくなってくる。

 その張本人であるヴァイスは、肩をすくめて言った。

「そんなに驚くことか?」

「驚くも何もありません。俺はどうしても信じれない。あなたが、俺のことを仲間だと思っていることが!」

「おいおい、心外だな。そこまで俺のことが信用できないか?」

 グレンは気づいていないが、ヴァイスは笑みを浮かべている。つまり、この言葉は冗談交じりということになる。

 相変わらず心の奥底で何を考えているのだろうと、クレアはこういうやり取りを見て思いを馳せる。もっとも、自分からなかなかその本心を明かしてくれないのがヴァイスという人物であるのだが。

「そうじゃありません。俺は、今まで多くの迷惑をあなたにかけてきました。幾つかは言葉に出来ないほど大きなものもあります。さっきの事だってそうです。そんな俺を、どうして危険を冒してまで助けようとするんですか」

「グレンさん……」

 それは、自分で殺してくれと言っているのと同じようなものだ。例え迷惑をかけてきた相手であっても見す見す見殺すような真似はできない。ヴァイスのような人物であったら尚更だ。

 そのことを深くまで追求する必要などない。だが、グレンは違う。

 呆れたようなヴァイスのため息がクレアの耳には届いた気がした。しばらくの沈黙の末、ヴァイスは口を開いた。

「まともなことを言っても理解してくれそうにないからな、少し所感的な話をするぞ」

 その発言にややむっとした表情を見せるグレンだが、それに気づかぬ振りをしてヴァイスは静かに話し始めた。

「今から数年前、ちょうどお前くらいの年の頃だった。その頃の俺は、今のお前と同じだった」

「俺と、同じ?」

「そう、同じだ」

 言葉の真意が読めないグレンは困惑した表情を見せる。

「……俺も、お前と同じで力を求めていた。漠然としているが動かぬ事実さ。お前と同じ、ということはそういうことだ」

「え……」

 それは、グレンにしてみれば身体に大きな激震が走る内容だった。

 ヴァイスは天才だ。それが、子供の頃から発揮されていたと今まで思っていたのだが、それを根底から覆すような一言だった。

 だが、ヴァイスほどのハンターがどうして、ただ漠然に力を求めたのだろう。その理由も自分と同じなのだからだろうか。

「信じられませんね。ヴァイスさんが俺のように力を求めるなんて想像しがたい。あなたは、その頃から才能を発揮していたと思うのですが」

 グレンの発言にヴァイスはこそばゆい顔をする。

「その時の俺をどう評価するかは他人しだいだと俺は思っている。俺の口からは何とも言えない」

 そういった評価をグレンから与えられても複雑な心境になる。それはどんな人物からであっても同じはずだ。自分のことでも気恥ずかしい。

「話を戻すぞ。とにかく、その頃の俺は力を求めていた。自分を捨て、生き方を捨て、ついには力を求める理由も消えうせた」

 やはり想像しがたい話である。

 話に出てくるヴァイスは、今とはまるで別人だ。彼はその才能をもって苦難の道など体験してこなかったと思った。だが、実際は違った。彼の物言いを見る限り、それはかなり苦難の体験だったと思われる。

「たぶん、そのままだったら俺の命は長くなかっただろうな。だが、ある一人の人物が俺の目を覚まさせてくれた。力を求める理由なんてないと。自暴自棄になっていた俺にそう教えてくれた人がいた」

 一通り話し終わったのか、ヴァイスはこちらに向き直った。この空気に不釣合いな、どこか清清しいような顔をしている。

 しかし、グレンには返す言葉もない。自分の勝手な勘違いでヴァイスに迷惑をかけてきた。それに、自分の思っていたものとは真逆の過去を背負っていた。やはり、この人は強者なのだと改めて痛感させられる。

「だから、グレンが力を求めている理由は俺には何となくわかる。そうなった原因がどうあれな」

 涼しい笑みを浮かべながらヴァイスは言う。それは、自分のことがお見通しだったということを裏付けているようにも感じる。

 一体、自分は何をしたかったのだろうか。

「……俺、まだ納得でいません。ヴァイスさん、あなたはどうして力を求めようと思ったんですか。それだけ聞かせて下さい」

 この時、確かにクレアには見えた。

 グレンがそう言った途端、ヴァイスは途端に表情を戻しどこか影があるような表情に豹変してしまったのを。ヴァイスはグレンに再び背を向け空を見上げてしまったため、おそらくグレンには見えていない。

 だが、クレアが見る限りヴァイスにも並々ならぬ理由があったのだと受け取ることが出来る。

 何度かその理由を口に出そうか躊躇していたヴァイスであったが、意を決めたのか静かにそして、呟くように言った。

「……自分の目標だった大切な人を失ってしまった、という理由が一番近いだろうな」

「なっ……」

 風に流されて聞こえなくなってしまいそうなほどか細く、弱弱しい声は確かにヴァイスのものだった。そこには、普段の面影は全くない。

 クレアもグレンも、今度こそ言葉を失った。

「……」

 沈黙。

 この場にいるだけでヴァイスの苦痛の想いが理解できる。だとしても、それを二人がどうこうできるはずもなくただ傍観しているしかできない。

 澄み切った高く蒼い空をヴァイスは仰ぐ。

 その時、ヴァイスが何かを言ったように聞こえた。だがそれは、今度こそこの沈黙と風に流され二人の耳にはっきりと届くことはなかった。

「悪いな。あと味悪い話なんかして」

 そう言いながら振り返ったヴァイスは苦笑いを浮かべていた。さきほどとはまた違う、繕った表情は彼の心の内を表している。

 無理に振り払おうと、ヴァイスは話題を変えようとする。

「まあ、俺の話はこれで終わりだ。他に知りたいことはもうないだろう」

 やや明るい声でヴァイスが言う。

 それは、この話はここで終わりだという証拠でもあった。

「(俺は、一体何をしたかったんだろう……)」

 心の中でグレンは自問自答する。

 ヴァイスの話を聞いて、尚も虚勢を張ることは出来ない。

 今まで、ここに来た理由を誰にも話そうとは思ってなかった。だが、今なら言える気がする。同じ経験をしたというヴァイスだから。ヴァイスなら、自分のことを心から認めてくれるだろうと思ったから。

「……俺は、ユクモ村からほど遠い小さな村で生まれ育ちました。もちろん、ユクモ村みたいに人が集まるわけではないのでハンターズギルドといった設備はありませんでした。でも、俺は村の唯一のハンターとして近くの狩場に赴いて、村のみんなの手助けをしていました。褒めてもらうのが嬉しくて、また頑張ろうって気持ちになって……、そんな日々を俺は過ごしてました」

 いままで黙っていたと思っていたグレンがいきなり話し出したため、二人は意表を付かれた。

 だが、ヴァイスはそれでも、案外驚いていない様子だった。グレンの過去が何とかとヴァイスは以前言っていた。それもあって、グレンが腹を割って話をするのは時間の問題だとわかっていたのだ。

 ヴァイスは、真っ直ぐグレンを見据える。その視線をグレンもしっかり受け止める。一息置いてグレンは話の続きを始めた。

「ある日のことでした。村長が俺に言ってきたんです。村の近くに大型モンスターが現れた。村の物流も断たれてしまっているから何とかしてほしい、と。もちろん、俺は村のために、みんなのためにモンスターと対峙しました。……でも、結果は惨敗でした。俺は全治数週間の怪我をして身動きが制限されてしまいました」

 グレンの口から発せられる一言一言の言葉が重々しいのがよくわかる。

 そして、グレンのその気持ちはクレアにもよくわかった。手を伸ばせば届きそうなところにあるのに、結局自分は何もできない無力さを。言葉にできないほどの辛さを。

「このままでは村は壊滅。見かねた村長は近くの町に救援依頼を出しました。結局、そのモンスターは依頼を受けたハンターが討伐し、ハンター自身も村に居座ってくれると言ったのです」

 もしものことがあったとき、実力のハンターがいてくれれば村人たちは心強い。だが、グレンにしてみれば、そのハンターは邪魔者でも何でもなかった。

「そのハンターは、俺よりも一枚も二枚も上手の人でした。……つまり、俺は自分の居場所を失ったんです。俺に力が無いせいで……。俺が弱者だったせいで……!」

 グレンがどうして漠然と力を求めていたのか今まで疑問だった。しかし、その理由がいまようやく明らかになった。

 胸が張り裂けそうな想いをグレンは抱えていた。並々ならぬ決意を持ってグレンはユクモ村を訪れた。ヴァイスがいるから。ヴァイスという人物なら何とかしてくれるだろうと思ったから。

「……なるほどな。俺にわざわざ会いに来た理由はそういうことか」

「はい。俺はみんなに旅に出るといって村を発ちました。旅の途中、ヴァイスという凄腕ハンターの噂を聞きました。その人なら何とかしてくれる、と俺は思ったからです」

 グレンはそれきり口を閉ざしてしまった。

 わずかな希望に望みをかけグレンはヴァイスの元を訪れた。そういうことならばヴァイスも出来る範囲で協力してやりたい。

 だが、その前に気がかりなことが一つ。

「お前はそれでよかったのか、グレン。慣れ親しんだ生まれ故郷を捨てて、ただ力を求め続けたことは」

「いいんです。言ったとおり、俺は居場所を失ったんです。故郷なんて、今ではただの称呼に過ぎません」

 ヴァイスの問いに、グレンはきっぱりとこう言い切った。それが、それだけの決意を決めていたという証である。

「例えそれが誰の原因でなかったとしても、お前はただ勘違いをしているだけだ」

 それは、グレンに語りかけるように言った。当然、グレンは勘違いしていると言われ困惑した様子を隠せなくなる。

 何か物言いたそうな顔をしている。だが、それを遮るようにヴァイスが先に口を開いた。

「誰かがお前の居場所は無いと言ったか。お前は必要ないと言われたか。よく考えてみればわかるはずだ。自分が勘違いをしていると」

「そんな……! 何も出来ない俺を誰かが必要とするわけがない。みんなは、俺を頼ろうとはしなかった!」

「人を頼ることが、その人の存在する理由にはならないさ」

 ヴァイスの言っていることは正しい。誰からも「必要ない」とは言われていない。行き過ぎた自分の焦りが、こういった誤解に誤解を生んでいったのだ。

 更にヴァイスは続ける。

「旅に出るといったとき、誰かが見送りに来てくれなかったか?」

 グレンは少しだけ考え込み、ありのままの事実をヴァイスに伝えた。

「……来てくれました。みんな総出で。……あっ」

 そこまで自分で言ってようやく気が付いた。

「だろ。ということは、村の奴らはお前を必要ないとは思っていなかったのさ。ましてや、寂しかったんじゃないか。故郷を旅立っていくお前の背中をどう見ていたか。考えればわかるはずだ」

 グレンは、ゆっくりと目蓋を閉じる。

 今でも、脳裏にはっきりと浮かんでくる。家族の顔、村長の顔、友人の顔、村人の顔。やってきたハンターも見送りに駆けつけてくれた。

 みんなは、自分の存在を認めてくれていた。自分を必要としてくれていた。旅に出る寸前の時まで。

 

――本当に行くのか?

 

 それは、本当に行ってしまうのか、という意味だった。

 そうだ。そうだったのだ。それなのに、自分は……。

「みんな……っ」

 想いに馳せれば馳せるほど懐かしく、そしてそれ以上に苦しくなる。でも、もう時間をまき戻すことは不可能だ。今になって何を言おうと後の祭りなのだ。

 これは強くなるための旅。そう、自分は確かに強くならなくてはいけない。

 だが、それは力だけではない。精神的にも、肉体的にも。その限りない困難を乗り切った者こそが真の強者となるのだ。

「……ヴァイスさん。俺、ようやくわかりましたよ」

 届いてくる声はか細いものだ。しかし、それは今までとは違う。か細い中にも揺るがぬ決意と信念を持っている。

 そう、今こそ目覚めの瞬間なのだ。

「本当の強者は力だけが全てじゃない。肉体的、精神的にも強く逞しい。自分独りの力じゃなく仲間の力を借りて共に困難を乗り切っていく。そして、過去の出来事さえも力に変えていく。それが出来てこそ、真の強者だということが……!」

 徐々に、その声には覇気を帯びてきた。

 確かな自信と内に隠れたる秘めた力を宿したグレン。この姿こそ、彼の真の姿なのだ。

「ヴァイスさんが言っていた『答え』はこのことだったんですね。過去を受け入れることが俺にとっての答え。ありがとうございます。おかげで目が覚めました」

 まだ若い、少年らしい真っ直ぐな物言いでヴァイスに礼をう。そう言われると、言われた本人であるヴァイスも照れくさくなる。

「それはお前自信が見出した答えだ。俺がどうこう口出しする理由はないさ」

 照れ隠しに静かな笑みを浮かべる。

 だが、ヴァイスがグレンに教えたかったことはまさにこのことだ。この答えを自分で導き出した辺り、やはり隠れた才能の持ち主なのだろう。

「俺、今までとは別の意味で強くなりたい。だから、改めてお願いします。あなたが学んできた知識を俺に教えてください!」

 グレンはそう言って深々と頭を下げた。

 さすがにそこまでされてもこちらが困惑するので、取りあえず顔を上げさせる。そして、ゆっくりと右手を差し出した。

「俺も、グレンがどれだけ興味があるからな。喜んで引き受けるぜ」

「……はい! ありがとうございます!」

 差し出された手をグレンはしっきりと握り返した。

 互いに視線が交錯する。

 

――これからよろしくお願いします!

――付いてこいよ。

 

 口で言わなくても互いが言いたいことは理解できた。

 隣にいたクレアもグレンにペコリと頭を下げる。

「改めてよろしくお願いしますね。グレンさん!」

「ああ、こちらこそ。よろしくなクレア!」

 どちらからもなく手を差し出し、同じく握手を交わす。

 これで、グレンは正真正銘ヴァイスのパーティーだ。これから先、彼がどれだけ伸びていくのか。ヴァイスは興味津々だ。

「さて、行くとするか? 野放しになっている奴をそろそろ片付けないとだからな」

 ヴァイスの言葉に二人は力強く頷き返した。

「ええ。そうですね!」

「はい!」

 今ならわかる。グレンは目覚めたと。その力は、このわずかな時間であっても見せ付けてくれることであろう。

 自然に力の入ってくる身体を押さえつつ、ボルボロスを探しに向かう。

「今度こそボルボロスに見せ付けてやりましょう! 私たちの真の力を!」

 そのクレアの言葉が、今の三人の意気込みを裏付けていた。

 長かったこの狩猟も、ついに終わりを迎えようとしていた。

 



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EPISODE37 ~延長戦~

 ボルボロスを探す最中、ヴァイスは今回狩猟に持ち込んだアトランティカについて話してくれた。

 ボルボロスに対しては火属性が有効であり水属性は無効に等しい。だが、それはボルボロスの甲殻や鱗に対しての話だ。身体に泥が付着している場合、今度は火属性が無効になり水属性が有効になるという逆転現象が起こる。

 ギルドが正式に認めたとはいえ、この情報がどこまで当たっているかどうかは不明だった。それを独自で調査しようとヴァイスは試みたのだ。

 狩猟開始当初、クレアが言ったとおりヴァイスにはヴァイスなりの考えをもってこの狩猟に望んでいた。もちろん、G級ハンターであろうヴァイスが何も考えずに武器を選択したとは今思うと到底考えがたいことなのだが。

 そう思うと、ヴァイスがいかに優れているのかが理解できる。そのヴァイスに食い下がっていた自分を思うと恥ずかしい限りだとグレンは思う。

 先程切り落とした尻尾から剥ぎ取りを行い、三人は再びボルボロスを探し歩く。

 エリア1、4、3、2という順でボルボロスの移動範囲を一周したが残念ながらボルボロスと遭遇することはできなかった。

「いませんね。ボルボロス」

 正直なところ、今はボルボロスを探す時間すらも惜しい。めぐり合わせが悪いとはいえこのままでは設けられた狩猟時間には間に合わない可能性が出てくる。

「ああ、なるべく急がないとな」

 逸る気持ちを抑えヴァイスは冷静になる。

 そう、まだボルボロスが移動したと思われるエリアが一つだけ残っている。

「すいません。俺のせいで……」

「大丈夫だ、これだけ時間があればどうにかなる。気にする必要は無い」

 申し訳ないというグレンを「それよりも」と制す。

「エリア8。おそらく、その辺りだろう」

 現在、ヴァイスたちはエリア4にいる。向かって目の前から吹く乾いた風が頬をなぞる。

 砂原、という過酷な地に存在する以上、砂原に生息するほとんどの生物は灼熱の砂漠地帯でも行動することができる。火属性には弱いといえど、ボルボロスも砂漠地帯には足を踏み入れることが可能だろう。

「ひょっとして、熱に強い泥があるからボルボロスは砂漠地帯でも生活できる、ということなんでしょうか」

「いい推理だな。そういう理由も十分考えられる」

 グレンの推理にヴァイスも関心を示す。

「うーん、私はそういうのあまり得意じゃないかな……」

「ああ、よくわかる」

「えー、そんなきっぱり言わなくてもいいじゃないですかー」

 むっとしたクレアに冗談だとヴァイスは苦笑いを浮かべる。

「いつも、こんなお気楽なんですか?……」

「こっちに来てから、大体こんな感じだ」

 緊張感の欠片も無いように思えるやり取り。それでも、二人は今は狩猟中だということを承知している。

「そんなにピリピリすることないですよ。私たちは、私たちらしくすればいいんですから!」

 グレンは内心、それはクレアだけだろとツッコミたくなるところを我慢し「そういうものかな」と曖昧な返事をする。これがクレアらしいといえばらしい。

 その内にヴァイスはクーラードリンクを飲み干していた。手付かずで残っていたクーラードリンクだが、ここにきてようやく使い時だ。クレアとグレンも遅れてクーラードリンクを使用する。

「行きましょう」

 ここにきて二人から緊張感がピリピリと伝わってくる。クレアもやるときはやる人間だ。そこは二度の狩猟でわかったことだ。ヴァイスについては言うまでもない。この二人はいつも通りにやってくれる。

 グレンを先頭に砂漠地帯へと抜ける通路を進んでいく。一歩一歩進むごとに身体に降り注ぐ日差しが強くなっていく気がする。

 そして、しばらく歩くと殺風景な景色が広がる場所に出た。その真ん中に佇む大型モンスターの陰。ボルボロスだ。

「やはり、ここにも移動するんですね」

 グレンは、鋭い眼差しでボルボロスを見つめる。自分のせいだとはいえ、命の危機まで追い込まれた相手だ。油断はできない。

 トランペッコを抜き放ち演奏体勢へと入る。

「俺が援護を。二人は前線でボルボロスを惹きつけてくれませんか」

 グレンの注文にヴァイスとクレアは共に頷いた。

「了解。俺たちに任せな」

「グレンさん、援護よろしくお願いしますね!」

「ああ!」

 互いの役割を手短に決め、前線でボルボロスを惹きつけるヴァイスとクレアが足音を忍ばせて近づいていく。

 グレンの緊張感も徐々に高くなっていく。いつ気づかれるかわからないこの状況下、心臓の鼓動が妙にはっきり聞こえる気がした。でも、自分に言い聞かせ続ける。

 ――大丈夫、行ける、と。

 先に動いたのはヴァイスだ。太刀の間合いに入ったと同時にアトランティカを鞘から引き抜いた。上段から振り下ろされた一撃がボルボロスに命中したと同時に狩猟が再開された。

 グレンは動く。【水色】、【水色】、【緑】、【白】の音を奏で聴覚保護【小】の演奏効果を発動させる。

 刹那、ボルボロスのバインドボイスがエリア8に響き渡る。だが、ヴァイスもクレアもそこから退こうとはせず、寧ろそれを好機と見て斬撃を繰り出していた。グレンが何をやるか二人はわかっていた。その信頼にグレンは応えたのだ。

「やあぁっ!」

 もうレムナイフの睡眠属性に頼ることは難しい。こうなれば、片手剣の長所手数の多さで攻めていく。狙いやすい左足に向かって斬り上げ、斬り下ろし、横斬り、バックナックル、回転斬りと片手剣の持ち味を存分に生かす。

 一方のヴァイスはクレアと息を合わせて斬撃を繰り出している。クレアとは逆側の場所に位置取り付着した泥を狙う。突き、斬り上げ、斬りつけと基本の型で斬りつける。

「バインドボイスの体勢から立ち直ります。気をつけて!」

 一歩後ろで状況を窺うことのできるグレンが二人に警告を飛ばす。

 その言葉が届き、二人はボルボロスから距離を取る。武器を納めずとも身動きがとりやすいクレアがレムナイフを抜刀したままペイントボールを投げつけた。

 ペイントボールほどの小さな衝撃でもモンスターは敏感に反応する。ボルボロスは頭突きでクレアを狙う。しかし、緩慢な動作であるそれを回避するのは容易でクレアは前転でやり退ける。

「まだ狙われてる!」

 耐雪&耐泥とはじかれ無効の演奏を終えたグレンは再び警告を飛ばす。

 基本的には、これはガンナーの役目になるが今はそれにかわるのが狩猟笛を使うグレンしかいない。状況を把握し、それを伝えていかなければならない。

「させるか!」

 そこに割り込む形でヴァイスがアトランティカを振り下ろした。偶然にもその一撃でボルボロスは転倒し無防備な姿を晒す。

「今だ!」

 言われるまでもなく、全員が動き出していた。

 ヴァイスは背中側に回り込み、斬撃で溜まった気を放出し気刃大回転斬りを繰り出す。クレアは邪魔をしないよう腹の辺りを狙い、攻撃を弾かれないグレンが頭部を狙った。

「ガアアアアアアァァァァァァァァァァッ!」

 ボルボロスはすぐさま体勢を立て直した。時間にすれば5秒あったかなかったくらいのわずかな時間だ。だが、その短時間の間にも確実にダメージを負わせることができている。

 そして、それはボルボロスの体力にも現れていた。ヨダレを垂らし、疲れきっているのかその場から動こうとはしない。

「よし、チャンス!」

 再び大胆に肉迫し、そこから各々の武器で攻撃を浴びせる。

 ヴァイスとクレアは左右の足を狙うがグレンも頭部に狙いを集中させている。おそらく、狩猟笛の打撃攻撃を頭部に集中させめまい状態を誘発させるつもりだろう。

 他にもハンマー、徹甲榴弾などの弾丸、さらに片手剣の盾攻撃でもめまいを起こすことができる。しかし、リーチの短い片手剣を、ましてや盾のみの攻撃で一点の場所を狙うのは至難の業だ。それを考えるとグレンにしかできない役目になる。

 白銀の光を纏ったアトランティカがボルボロスの足を斬りつける。気が最大限まで溜まったら再び気刃大回転斬りを繰り出し、その攻撃力をさらに高めていく。

「オオオオオオオオォォォォォォォォォォォッ!」

 それまで成す術なしの状態だったボルボロスがいきなり動き出した。誰に狙いをつけたわけでもなく突進を繰り出し、三人の包囲網から脱出する。

「くっ、うまくいってたのに」

「大丈夫だ。焦らず、今のようなことを積み重ねていけばいい」

 軽く舌打ちするグレンの心境もわかるが、ヴァイスはそれをどうにか宥める。

 一旦アトランティカを鞘に戻し、ボルボロスの突進に備える。

「突進が来ます!」

 やはり、距離が開いた位置取りではボルボロスは突進を多様してくる。

 しかし、さすがのボルボロスも今は疲れ果てている。繰り出された突進には先程までの勢いが嘘のように感じられず、追尾性能もだいぶ劣っている。

「遅い……。これなら!」

 突進を終えてから体勢を立て直すまでの隙をクレアは狙う。

 散開したヴァイスとグレンの間を突っ切りボルボロスが停止する。背後からクレアが近づき、ジャンプ斬りを浴びせる。続けて斬り上げ、斬り下ろし。そこで斬撃を止め、ヴァイスに場所を譲る。

 アトランティカを振りかぶり上段から斬りつける。ここで突きを放とうとするが、ボルボロスの様子を見て移動斬りで距離を取る。

 背後から感じる気配を悟ったのか、ボルボロスは振り向くことなく泥を撒き散らす。それを潜り抜け、改めて三人でボルボロスを包囲する。

 頭部を狙うグレンに撒き散らされた泥が降り注ぐ。だが、それに構わずグレンは頭部を攻撃し続けた。多少のダメージならトランペッコで回復できる。今は、守りよりも攻めを重視している。それは、ヴァイスもクレアも同じである。

「はああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 ヴァイスも多少のダメージなど気にしていない。左脚に向かって気刃大回転斬りを繰り出す。

 斬りつけるごとにアトランティカの刃に宿る水属性が唸る。短時間で三度の気刃大回転斬りを喰らったボルボロスはたまらず仰け反る。

「オオオオオオアアアアァァァァァァァァァァッ!?」

 そして、狙っていた左脚の泥を弾き飛ばすことにも成功する。

 ここでは不利だと悟ったのか、追い詰められたボルボロスはそれ以上反撃する様子もなくエリア8から姿を消した。

「まだ倒れないんですね。ボルボロス……」

 クレアが肩を上下させつつ言う。

 時間的にはそれほどボルボロスとは対峙していない。だが、今回は色々とあったため狩猟が長引いているように感じる。

 残り時間もそれほど余裕は無い。次で決める勢いでいかなければならない。

「体勢を立て直す。次で、今度こそ終わりにするぞ」

 ヴァイスの言葉に二人は無言で頷く。

 それぞれが消耗した切れ味などを回復させる。特に、弾かれ無効のスキルを付けていたグレンの切れ味が短時間だったとは言えど消耗が大きい。念入りに切れ味を回復させる。

 準備を整え、三人はボルボロスの後を追いエリア8を後にする。

 砂漠地帯ではないエリア4にボルボロスは移動した。ヴァイスたちもその分楽な環境での狩猟ができる。

 先程、ボルボロスはこのエリアでオルタロスを捕食してしまった。そのため、今回は捕食する獲物がおらずボルボロスの体力は回復していない。畳み掛けるなら今がチャンスだ。

 今度はボルボロスが先に動く。

 緩慢な動きでヴァイスたちとの間を詰めていく。

「二人とも、目を瞑って!」

 グレンの声が背後から聞こえた。言われたとおり、ボルボロスに接近していたヴァイスとクレアは咄嗟に目を庇う。

 直後、閃光が走る。グレンが閃光玉を投擲したのだ。

 ヴァイスがクレアに渡した分とグレンの持ち込んだ閃光玉の残りの数は五つ。これだけあれば怒り状態の足止め目的に使っても十分足りる。

 視界を潰されたボルボロスはいとも簡単に二人の接近を許してしまう。

 グレンが頭部を狙っていることを考慮し二人は左右の脚を狙う。案の定、グレンは頭部に狙いを定める。

 頭部を狙うことのリスクは大きい。だが、先程までの危なっかしい動きではない。攻めの体勢でありつつ、最低限の余裕を保つ。それをグレンは行っている。元からそれだけのことをできる力を兼ね備えているのだ。

 その力にヴァイスは賭けている。どこまで彼が高見に昇っていくかということを。

「てりゃああぁぁぁぁっ!」

 力を振りしぼり渾身の力でレムナイフを振るう。それでも、ボルボロスはびくともしない。

 アトランティカを振るうヴァイスも多少肩を上下させている。攻撃力が跳ね上がっているアトランティカで泥が付着している右脚を集中して狙うが、そこで運良く泥がはじけ飛ぶということはない。

「ガアアアアァァァァァァァァッ」

 全く動く素振りも見せていなかったボルボロスが力任せに辺りをなぎ払う。尻尾は切り落とされているため脅威はそれほどない。だが、やはり命中すればダメージは大きい。

「くっ!?」

 微妙な位置にいたクレアが咄嗟のガードでなぎ払いを受け流す。ボルボロス正面で踏ん張っていたグレンも溜まらず距離を取る。

 ここに来て、ボルボロスが最後の力を振り絞ってきたのだ。

「でも、ここで負けたら駄目なんだっ!」

 もうすぐ閃光玉の効果も切れる。

 グレンは自分を鼓舞し持てる力の全てをボルボロスに向かい解き放つ。

 トランペッコを握る手により一層力をいれ振りかぶる。左から右にぶん回し後方に向かって振り上げる。再び左右にぶん回し、渾身の力を込めた一撃を振り上げた。

「いっけえええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」

 その一撃はボルボロスの脳天に向かい叩きつけられた。直前に閃光玉の効果が切れていたボルボロスに対してそれは抜群の一撃であった。

「ガアアアアアアァァァァァァァァァァァァァッ!?」

 衝撃でボルボロスはめまいを起こしその場に倒れ込んだ。これは全てグレンがやった成果である。

「グレン!」

「グレンさん!」

 よくやったな、と二人が自分の名を呼ぶ。だが、その喜びに浸っている時間はない。既にグレンは次の行動を起こしていた。

 どこかで目にした資料では、ボルボロスは頭部に一定の打撃攻撃を与えると頭部を破壊できるのだという。この隙にそれを成し遂げようと試みる。

 めまいによるダウンは、通常の閃光玉による足止めよりもかなり長い。グレンが切り開いた好機を無駄にはできない。

「俺も、一気に決める!」

 普段は届かない背中にも倒れ込んでいる今なら攻撃が可能になる。素早く背中へ回り込みアトランティカを振るう。

 突き、斬り上げ、斬りつけと斬撃を浴びせた後、気刃大回転斬りを繰り出す。刀身が真紅に染まり、アトランティカの攻撃力が最大限まで上昇する。

 一撃の重さよりも手数で勝負するクレアはボルボロスの足元に向かいレムナイフで斬りつける。片手剣の長所を生かし華麗に連撃を決めていく。

 トランペッコを振るう手は、ボルボロスの頭殻により痺れてしまっている。それでも気にしない。今は、自分ができる最大限の仕事をこなすまでだ。

 共に戦い、共に協力する仲間。そうやって切磋琢磨し自己の力を更に伸ばす。それが、この二人とならできる気がした。

 そう、既にグレンは新たな居場所を見つけていたのだ。

「うおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 覇気に満ちたグレンの雄たけびが響き渡る。

 ぶん回したトランペッコがボルボロスの頭部に命中する。その一撃で頭部にわずかな亀裂が走り、更に次の一撃で亀裂は大きく広がった。そして、派手な音を立てボルボロスの頭殻が剥がれ落ちた。

「オオオオオオアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!?」

 今まで聞いたこともないような悲鳴をボルボロスが上げる。

 自らの存在を誇示させていた王冠のような頭殻が剥がれ落ち、先程よりもボルボロスがひ弱に見える。

「俺が……、やった……!?」

 半信半疑で剥がれ落ちたボルボロスの頭殻を見つめる。それこそが全て証明していた。

 グレン自身の力で、強大で強靭なモンスターの部位を破壊させたのだ。

「でも、まだ終わらせてくれないようだな!」

 ヴァイスのその一言がグレンを現実に引き戻した。

 めまいから回復したボルボロスは、脚を引きずりながらこの場を去ろうとする。もう、ボルボロスには打つ手がないのだ。

「ここまで追いつめておいて、見す見す逃がすわけにはいかなんだ!」

 ここでボルボロスを逃がしたくはなかった。

 最後の一つとなった閃光玉を投擲する。効果が現れたかどうかも確認せずグレンはボルボロスに接近する。

 詰め寄った勢いそのままにトランペッコを振り下ろす。切れ味が落ちたせいで脚に攻撃してもまともなダメージを与えられない。だが、もうここで退くわけにはいかなかった。

 遅れてヴァイスたちも駆けつける。ヴァイスは背後から、クレアは腕に向かって斬撃を放つ。

 そして、誰の一撃かはわからない。ボルボロスの身体から力が抜けその場に倒れ込んだ。今度こそ、ボルボロスが立ち上がってくることはなかった。

「終わった、のか……」

 訪れた静寂の中、グレンは誰に向かうわけでもなくそう言っていた。

「ああ、終わったよ。ようやくな」

 その問いに答えてくれたのはヴァイスであった。未だに信じられないというグレンの肩を叩きよくやったなと褒め称える。

「終わった……。これで、ようやく……」

「そうですよ! 私たち、やったんですよ!」

 疑いを帯びていた声色が徐々に喜びに満ちたものへと変わってゆく。

「そうだ。俺、やったんだ……!」

 気づかぬうちにグレンはガッツポーズをしていた。その様子を見ていたヴァイスが冗談交じりにこう言う。

「感情表現の仕方が素直じゃないな。お前は」

 その言葉を聞いたクレアが今度は口を開く。

「師匠は人のこと言えませんよ」

「まったくな」

 自分もそうだと認めている辺り、ヴァイスはクレアに怒るわけでもなく苦笑いを浮かべるだけであった。

 だが、そうやって言われることがグレンは嬉しくて仕方がなかった。ここまで心の底から喜ぶことができたのはいつ以来だろうか。

「とりあえず、剥ぎ取りをしておきましょうか」

「そうだな」

 グレンが破壊した頭殻とボルボロス本体からの剥ぎ取りを合わせかなりの素材を入手することができた。苦労した甲斐があったというものだ。

 だいぶグレンの興奮も治まってきて彼も冷静になってきた。それを見計らいヴァイスは拠点へ帰るかと提案する。

「そうですね。もうクエストは達成したわけですから、師匠の言うとおり拠点へ帰りましょうか」

 グレンもそれに同感なのか無言で頷く。

 三人は、手に入れた素材をまとめ拠点へ向かい歩き出す。

 帰路の最中、グレンはヴァイスに向かって話し始めた。

「ヴァイスさん、俺思うんです。ヴァイスさんに会えてよかったって」

「いきなり何を言うかと思えば……」

 ヴァイスは返す言葉に迷いそんなことを言っていた。

 グレンは気にすることなく話を続ける。

「ヴァイスさんやクレアのおかげで俺は目が覚めました。ありがとうございます」

「別に礼を言われるほどでもないと思うけどな」

 誤魔化しを利かせてヴァイスはこそばゆい心地を跳ね除けようとする。しかし、グレンから改めて面と向かって礼を言われると気恥ずかしい。

 だからといって悪い気はしなかった。

 砂原のエリア1まで戻ってきた。目指す拠点は、目の前の緩やかな坂を上ればすぐだ。

 だが――、

「ガアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」

「何だ!?」

 聞こえていた咆哮に三人は咄嗟に構える。しかし、このエリア1に大型モンスターの影はない。しかも、今の咆哮は――、

「今の、間違いなく……!」

「ああ、ボルボロスのものだったな」

「でも、今倒したばかりじゃないですか!」

「わかっている。ということは……」

 乱入された、ということになる。

 数ヶ月前のロアルドロス狩猟の際もそうであったように、他のモンスターが狩猟中、あるいは狩猟終了後に乱入してくることがある。

「とりあえず、拠点へ戻ろう。話はそれからだ」

 ヴァイスに促され、大急ぎで拠点へと戻る。

 拠点にたどり着くと、ヴァイスは支給品ボックスの確認を行った。そして、「やはりか」とため息混じりにそう言った。

「やはりっていうことは……」

「ギルドは追加の支給品を持ってきた。ということは、向こう側は乱入されることを見込んでいたわけだ」

「依頼書で確認したとき、確かに狩猟環境は不安定でしたね」

 狩猟環境が不安定と依頼書に記されている場合、その狩猟で他のモンスターに乱入される可能性があるということだ。

 ヴァイスは、剥ぎ取った素材をボックスの中にしまう。そこからは躊躇などという感情は全く感じられない。

「師匠?」

 不思議に思ったクレアが首を捻る。

「この際引き上げてもいいんだがな……。俺はとりあえず奴と対峙することにする。奴の情報は多いほうがいいからな。……お前達はどうする?」

 この様子を見る限り、一人でも行ってくるという様子だ。さすがG級ハンターというべきか、狩猟に対する姿勢が違う。

 ヴァイスの問いに二人は即答した。

「もちろん! 師匠が行くなら私だって!」

「俺もまだまだ行けます。やってやりますよ!」

 一方の二人もまだまだ行ける、とアピールする。その二人を見ていたヴァイスは苦笑いを浮かべることしかできなかった。タフとうか打たれ強いというか。でも、それが今は心強い。

 追加された支給品を二人に均等に分け与え、確認をした。

「言っておくが無理はするな。あくまで俺のわがままに付き合ってもらってるだけだからな」

 ここまでで蓄積している二人の疲労は大きいはずだ。無理をして怪我をしてしまえば元も子もない。いざという時に備え撤退を視野に入れる。

「そんなこと、俺は気にしてませんよ。ただ、やってやるってだけです」

「そういうことです。師匠は気にしなくていいんですよ! 散々私のわがままにも付き合わせてしまいましたし」

 クレアが言うと妙に説得力がある。それに、本当にまだまだ物足りないというようなことさえも感じさせる。

 それにやや呆れながらも、ヴァイスは念入りに準備を整えるよう二人に指示する。

 乱入された相手がボルボロスならそれほど心配はない。今までどおりの立ち回りで対処できる。

「さあ、延長戦の始まりだ」

 それが、二回目の狩猟開始の合図となる。

 長い狩猟になったが終わりが見えないわけではない。確実に、そして手の届く場所に終わりは確実に見えていている。



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EPISODE38 ~狩場の指揮者~

 既に体力の消耗は激しい。追加の支給品が用意されたとはいえ、どこまで二体目のボルボロスに食い下がれるかはやってみなければわからない。

 勢いでヴァイスの問いに即答してしまったが、足手まといにならないようするのが精一杯かもしれない。疲労した身体に鞭打ちグレンは歩を進める。

「早いところ仕留めたいところですね」

 だが、一方的に不利な状況というわけではない。

 先のボルボロスとの立ち回りをそのまま生かすことができる。それを考えればかなり短時間で決着を付けることは十分可能だ。

「そうしたいところだ。……どうやら、相手もお出ましみたいだ」

 ヴァイスが顎をしゃくった先にボルボロスが佇んでいる。

 現在はエリア4。クーラードリンクは無論必要なく、広いエリアで自由が利く。倒したボルボロスの亡骸も何処かへ消えており邪魔するものはいない。

「どうしますか、師匠」

 クレアがヴァイスに判断を仰ぐ。

「身体が大丈夫、というなら思いっきり動いてもいいんだが……。どうだ?」

 ヴァイスは先程から念入りにグレンたちの身体の様子を訊いてくる。それだけ、ヴァイスは二人のことを気にかけているという証拠だ。

「大丈夫ですって! 心配しすぎですよ!」

「ならいいんだが……」

 乾いた笑いを漏らしつつヴァイスが言う。

「グレンはどうだ。行けるか?」

「はい、俺も大丈夫です」

 そうか、とヴァイスが理解したように呟く。

 そして、彼も携えるアトランティカの柄に手を伸ばした。

「なら、思いっきりやってこい!」

 そのヴァイスの一言が合図だった。三人は散開しボルボロスに接近していく。

 背を向けているボルボロスに対して、直線状にヴァイスが接近していく。向かってクレアは左、グレンは右だ。

 足音を聞かれてもおかしくない位置まで来た。もう気配を隠す必要はない。

 大きく踏み込み、鞘から引き抜きざまアトランティカで斬りつけた。突き、斬り上げと斬撃を繰り出しアトランティカを振る手を止める。

 ボルボロスがヴァイスの方へ向き直り、大きく息を吸い込んだ。バインドボイスの予備動作だ。だが、ヴァイスは退かない。クレアも接近してくる。

 バインドボイスが放たれる寸前、トランペッコの演奏効果、聴覚保護【小】が発動した。先程同様、ヴァイスたちはグレンがどう動くかを意思疎通だけで理解していた。グレンもそれに応え見事な連携となる。

「ガアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」

 普段なら耳を塞がなければ耐えられないような轟音も、聴覚保護のスキルがあればまるで意味を成さない。

 ヴァイスは、一体目のボルボロスであまり狙わなかった前脚に向かって斬撃を繰り出す。

 耐雪&耐泥の演奏を終えたグレンもボルボロスに接近してくる。だが、グレンがたどり着く前にボルボロスが動いた。

 ボルボロスが最も得意とする突進。やや離れ気味だったグレンを標的とし猛スピードで走り出す。

「行ったぞ!」

 斬り下がりで距離を取り、狙われたグレンに警告を飛ばす。

「わかってます!」

 走って回避するのはリスクが高い。そう判断したグレンが身を翻し横っ飛びをする。

 ボルボロスの突進でも、そこまでの追尾性能は兼ね備えていない。グレンを捉えることができずもぬけの殻となった空間を突っ切る。

 すぐにグレンも立ち上がりボルボロスに向かう。しかし、今度はなぎ払いだ。

 冷静に動きを読み、一瞬の隙を付いてボルボロスの懐に飛び込んだ。狭い空間だが、構わずトランペッコで殴りつける。

 火属性の効果を最大限に生かすため泥を纏っていない腹部を狙う。左、右とぶん回し上段へ振り上げる。

 ここでボルボロスが動き、グレンの身体がボルボロスの真下からずれてしまった。同時に、死角がなくなったボルボロスが再び無防備なグレンを狙う。

 頭突きか、あるいは突進か。どちらにしても避けるのは難しい。

 そう考えていたグレンの背後からまばゆい光が走った。この光は閃光玉だ。クレアが閃光玉を投擲してくれたのだ。

「クレア、助かった!」

「いえいえ!」

 これで再びこちらが優位に立つ。

 はじかれ無効のスキルを付けていないため腹部を狙う。クレアは後脚。ヴァイスは尻尾だ。

「ガアアアアァァァ、ガアアアアァァァァァァァァッ!」

 周りから攻撃を受けていることは目が見えなくてもわかる。身震いをし、ボルボロスが泥を撒き散らし始めた。

 それでも攻撃は止まない。耐雪&耐泥のスキルがある限りこの手の攻撃で相手の行動を制限させることは不可能だ。

 素早い動きでクレアがレムナイフを振るう。この固体はまだ睡眠状態を誘発させていない。レムナイフの刃に宿る睡眠属性が蓄積すれば効果は必ず現れるはずだ。そう信じ、斬り上げ、斬り下ろし、水平斬り、斬り返し、回転斬りと連続で斬撃を放つ。

「このっ!」

 狩猟笛という大柄な武器を振り回す中で一点に攻撃を集めることは容易ではない。腹部を狙った攻撃の一部が腕などに命中してしまう。これは、今後のグレンの課題だろう。ヴァイスは、位置的には更に難しく、かつ常に動いている尻尾を着実に捉えているのだから。

 ボルボロスが頭を持ち上げる。閃光玉の効果もここまでだ。

 さらに、ボルボロスが脳天から白煙を吹き上げた。

「オオオオオオォォォォォアアアアァァァァァァァァァッ!」

 怒り状態。一体目のボルボロスで苦戦した厄介な状態だ。足止めをしない限りあの不規則で激しさを増した動きには付いていけない。

 だが、その閃光玉もあと三つしか手元には残っていない。残念なことに、この砂原では閃光玉の素材が入手できない。つまり、使うタイミングをよく考えなければいけない。

「師匠!」

「構うな。使え!」

 躊躇うことなくヴァイスはクレアに対して閃光玉を使うよう指示した。

 破裂した衝撃で閃光玉がその光を発する。わずかな間を空け、ボルボロスの悲鳴が聞こえてくる。ということは、閃光玉の効果が現れたということだ。

 ヴァイスが真っ先に動き出す。太刀の間合いに入り込み、アトランティカで突き、斬り上げ、斬りつけと斬撃を浴びせると気刃斬りを繰り出す。続けて気刃大回転斬りも繰り出そうと構えるが、ボルボロスはそれを許さなかった。

 ある程度離れている位置にヴァイスがいると判断したボルボロスがなぎ払いを繰り出す。気刃大回転斬りを繰り出そうとしていたヴァイスは、瞬時に斬撃を止め前転してボルボロスの真下に潜り込んだ。

 その隙に、グレンははじかれ無効の演奏を行っていた。動きが止まっているボルボロスの頭部目掛けてトランペッコを振りかぶる。狙うはめまいだ。

 ならばとクレアも考えた。グレンとタイミングを合わせてボルボロスを眠らせれば大きな痛手を与えることができる。レムナイフの力を信じボルボロスに斬撃を繰り出す。

 この間、ボルボロスはその場から動こうとはしなかった。だが、閃光玉の効果は先程より短かった。この調子では閃光玉が底を尽きてしまう。

 何か打開策がないかとグレンは必死に思考をめぐらせる。それでも有効な手立ては見つからない。

 一体、どうすれば……。

「大丈夫だ。閃光玉が無くても奴の動きに付いていけるはずだ!」

 そこに割り込む声。ヴァイスだ。

 しかし、実際そんなことを言われても不安が残る。目の前でボルボロスが突進を繰り出す。これも何とか回避できるくらいだ。

「でも、そんなのどうやって!?」

「今まで、奴の動きは十分みてきたはずだ。その自分を信じろ!」

 ボルボロスの背後から接近したヴァイスがアトランティカを鞘から引き抜いた。上段から斬りつけた後、突き、斬りあげと繰り出し移動斬りで距離を取る。

 その動きは、まるでボルボロスの行動を先読みしているようだった。

「まさか、そのことを……!」

 ヴァイスの口にした「自分を信じろ」。言い換えれば、それは今までで学んだボルボロスの癖を自分の考えを信じて生かせということだ。

 ボルボロスの動きはある程度偏っているように思われる。それが癖かどうかはわからない。だとしても、それを利用しない手はない。ヴァイスはそれを言っているのだ。

 それを言葉にするのは容易い。だが、実行するとなれば話は別だ。

 ボルボロスが再び突進を行い距離が開いてしまった。そこにグレンとクレアが接近していく。

 この状況で、ボルボロスが頻繁に繰り出す攻撃といえばなぎ払いか、あるいは泥撒き散らしか。

「クレア、一旦止まれ!」

「えっ、あ、はい!」

 一瞬戸惑った様子を見せたクレアであったが素直にグレンの指示に従っていた。

 直後、ボルボロスがその場でなぎ払いをする。見事にグレンの読みが成功したのだ。あのまま接近していればなぎ払いの餌食になっていたかもしれない。

「すごい、なぎ払いを読んだんですね! さすがです!」

 感嘆の声をもらしたクレアは既にボルボロスに向かって走り出していた。

 実際のところ読みというよりは勘といった方が正しい気がする。だが、あの激しい動きに喰らいつくにはボルボロスの行動を先読みしなければならない。仮に読みを外しても危険にならないような程度にだ。

 なぎ払いが空振りに終わったボルボロスが数歩後退する。これも、グレンの読みどおりの行動であった。

「クレア突進だ。突進が来るぞ!」

 グレンの言葉を信じてクレアはレムナイフを腰に納めた。そこから突進の範囲外になるよう真横に走り出す。クレアが突進の範囲外に出るのとボルボロスがその場を突進で突っ切ったのはほぼ同時であった。

「次は……、また突進か?」

 これも的中する。ボルボロスが再びクレアに向かって突進を繰り出したのだ。今度はクレアもだいぶ余裕を持って回避に成功する。

 ヴァイスがやはりな、と呟く。

 グレンは周りの状況を見るのがうまい。それが彼の感性だといえばそれで済むが、その一言では収まらないように思える。ガンナーのそれとある程度同じであり、また違う。だが、彼にとっては、それは漠然とした要素の中で何かを結びつけた上での結論なのだろう。それも一種の才能の一つだ。

 まさに、彼は狩場の指揮者(カペルマイスター)と言われても過言ではない。まだ未成熟であるが経験と自信を兼ね備えればそれは確かなものへと変貌していくだろう。

 自らに怒りを露わにするボルボロスが暴れまわる。怒りに任せた無茶苦茶な攻撃で辺りをなぎ払う。それと同時にボルボロスの攻撃は単調なものとなり回避がしやすくなった。

 ボルボロスに気づかれないよう背後から近づいたヴァイスがアトランティカで斬りつける。一発、二発と立て続けの斬撃がボルボロスの尻尾を捉える。

「ガアアアァァァァァァ、ガアアアアアァァァァァァァァ!」

 怒りの矛先を攻撃を仕掛けていたヴァイスに向ける。

 素早く振り替えると力任せに頭突きを繰り出す。動作が短く素早い動きであったがさすがヴァイスである。あっけなく回避してみせ次の攻撃に転換する。

 それはボルボロスに向けての挑発でもあった。弄ばれているかのようなヴァイスの動きにボルボロスの怒りが更に増す。周りが見えなくなり、ただヴァイスのみを狙うようになった。

 その隙はクレアとグレンが好機だと踏んで攻撃を仕掛ける。

 ボルボロスの攻撃に巻き込まれないよう、二人は背後からの攻撃を試みた。共に脚を狙いそれぞれの武器で斬り、叩きつける。

 それでもボルボロスの動きは止まらない。ヴァイスを直線上に捉えるとすぐさま突進を繰り出す。クレアたちは振り切られ、完全に武器の間合いから外れてしまった。

「もう一度来ます!」

 やはりグレンはボルボロスの習性や癖を掴んでいるのか、ボルボロスの行動を先読みする。これもヴァイスはやり過ごし、ここでようやく余裕ができた。

 アトランティカを鞘に収め、開いた間合いを再び詰める。

 しかし、振り返ったボルボロスはまたも突進を繰り出す。ヴァイスは身を翻し真横へ横っ飛びをする。

 突進で開いた間を詰めようとクレアが近づいていく。背後から接近しているためボルボロスはクレアの存在に気が付いていない。そのはずだったのだが、ボルボロスはその場でいきなりなぎ払いをする。予想外の動きにクレアも対処できずなぎ払いを喰らってしまう。

「くそっ!」

 自分が気がつけていれば、と自らに怒りを表しつつも頭の中ではグレンは冷静だった。即座に演奏体勢に入り、体力回復【小】の演奏を行った。

 吹っ飛ばされたクレアはすぐに立ち上がっていた。そこにヴァイスが近寄ってくる。

「大丈夫か」

「はい、ひっかけられただけですから。今度からは気をつけます」

 傷も軽いものだった。安堵のため息をしながらヴァイスは「無理はするなよ」と念押しする。

 相変わらずボルボロスは暴れまわっている。無造作に繰り出す攻撃を掻い潜りつつヴァイスが太刀の間合いへと入った。

 既にアトランティカの刀身も白銀の光を帯びた状態に戻ってしまっている。だが、ここで無理をして気刃大回転斬りを叩き込む必要はない。今は、確実にこちらが優位な状況だ。この状況で求められるのは多くの痛手を与えることではなく、確実に一撃一撃を決めていくことだ。

 走り寄ったかと思うと、アトランティカで横一文字に斬る。これは、気刃斬りの一撃目だ。そこから突き、斬り上げ、斬りつけと基本の型へとつなげ移動斬りで距離を取る。回避しながら斬撃を浴びせる太刀の典型的な立ち回りである。

 身震いをしながらボルボロスが泥を散乱させる。ヴァイスも空けた距離を詰め寄ろうとはせずに様子を窺う。

 攻撃が収まると三人は一斉にボルボロスに肉迫する。

 互いが狙いやすい場所に位置取りそれぞれの武器を振るう。中でもグレンは一番危険な頭部を集中して狙う。切れ味が落ちることを関係ないとばかりにトランペッコをぶん回した。

「アアアアアアァァァァァァァァァァァッ」

 目の前に無防備な姿を晒す獲物がいるのにボルボロスがそれを狙わないわけがなかった。牙を唸らせグレンの首筋目掛けて噛み付く。

「うわっ!?」

 間一髪の差でグレンが身体を反らし回避に成功する。だが、その影響でグレンは体勢を崩してしまった。

 突進を繰り出す体勢に入り、グレンも必死に回避しようと試みる。それでも一足遅く、防具を引っ掛ける形でボルボロスの突進に巻き込まれてしまった。

「グレンさん!」

 受け身を取り衝撃は少なからず和らげることができた。クレアに手を上げて大丈夫だとアピールする。しかし、回復薬を使いたかった。

 視線でヴァイスに訴える。それだけでグレンが何を言いたいか、ヴァイスにはすぐ理解できた。

「グレンが回復薬を使う隙を作るぞ」

「はい!」

 ヴァイスは背後からボルボロスに近寄るのではなく、あえて真正面から近寄って行った。無防備な姿を曝け出すことによってこちらに注意を惹きつけるためだ。

 ヴァイスの罠にボルボロスはまんまと陥る。

 誘うような動きでボルボロスをグレンから遠ざけていく。クレアも加わり、ボルボロスは完全にグレンから注意を逸らしてしまった。

 怒り狂う大型モンスターを足止めするのは難しいことだが、二人の連携はそれを可能にした。互いに一撃離脱し、ボルボロスを翻弄する。

「俺はもう大丈夫です!」

 回復を終えたグレンが叫ぶ。

 役目を果たした二人はボルボロスから距離を取る。しかし、ボルボロスも地響きを立てて接近してくる。相手はヴァイスだ。

 アトランティカを抜刀したままではボルボロスを振り切ることは出来ない。そこでヴァイスは、身を翻し頭突きを繰り出してきたボルボロスとすれ違うような形で前転をした。回避は成功し攻撃のチャンスも生み出せた。

 左前脚めがけてアトランティカを振り下ろす。突き、斬り上げと放った後で斬り下がりで一旦退く。

 前脚の肉質は他の部位よりも軟らかい。アトランティカから伝わる感触がそう教えてくれる。ならば、前脚の破壊も困難なことではない。

 こちらに向かってこないことを確認した上でヴァイスが再びボルボロスに接近する。

 泥を撒き散らすボルボロスだがヴァイスには命中しない。その隙にヴァイスは気刃斬り、気刃大回転斬りを繰り出した。

 その全てが吸い込まれるように命中する。が、ボルボロスは怯んだだけで破壊にまでは至らなかった。

「だが、あともう一押しのはずだ……」

 そうなれば立て続けに前脚を狙う。ヴァイスの意図を察したクレアも前脚を狙う。リーチの短い片手剣であってもボルボロスの前脚は狙いやすい位置にある。

 ジャンプ斬りから斬り上げ、斬り下ろし、横斬りと連撃を繰り出す。次の攻撃はボルボロスが移動してしまったために空振りに終わるが手応えは掴めた。

 グレンは、向かってきた突進を回避し後脚にトランペッコを叩きつける。頭部を狙いたいところだがこの短時間では一撃も繰り出せない。

 ヴァイスとクレアが向かうが、ボルボロスはそれを尻目に動き出す。誰を狙うということはなく、ボルボロスはエリア3へと進む道へと消えていった。

 緊張が解かれ、溜まっていた疲れが一気に表に出てきた。クレアもグレンもその場に座り込んでしまった。

「さ、さすがに連続狩猟は身体に堪える……」

「師匠は……、まだまだ大丈夫って顔してますね……」

 それも経験の差だろう。

 ギルドナイトという役職に身を置くヴァイスは、この程度の相手でへこたれるわけにはいかない。

「それも経験さ。慣れればどうにかなる」

 砥石でアトランティカの刃を研ぎながらヴァイスは言う。

 二人も何とか身体を起こし、切れ味の落ちた武器に砥石を当てる。

 もうそろそろこの砂原の日差しも傾いてくる時間帯だ。夜になれば砂原は昼とは一変、寒冷な狩場へとその姿を変える。二体目のボルボロスも時間との闘いになってしまった。

「今度は、先に演奏しておきます」

 ボルボロスとやり合う以前に演奏効果をつけておけば時間のロスを防ぐことができる。

 耐雪&耐泥、聴覚保護【小】、はじかれ無効のスキルを延長させ準備を整える。

「次で終わらせたいですね」

「終わるさ。必ず」

 その言葉には強い説得力があった。つまり、ヴァイスには次のエリア3で勝負を決められる自身があるということだ。

 それは、クレアとグレンをも奮い立たせた。疲れは感じるが、それ以上に気力が満ちている。

 一行はエリア3を目指した。



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EPISODE39 ~始動への鎮魂歌~

 砂原の日差しも傾き始めている。長きに渡る狩猟が今ここで終わりを迎えようとしている。

 しかし、狩られる相手――ボルボロスはそうはさせぬと立ち塞がる。生きるという信念がある限り負けられない。この命が続く限りこの砂原に君臨していなければならない。それが、大型モンスターとしてのプライドなのか。ボルボロスからはそんなことを感じさせられる。

 無論、こちらも退くわけにはいかない。本当に強くなるのならばこの壁は越えなければならないものなのだ。

 既にボルボロスの怒りは治まっている。睡眠の誘発を狙うクレアが真っ先に斬り込んだ。

 レムナイフを勢いに乗せ斬りつけ、斬り上げ、斬り下げる。ここで一旦距離を取り、ボルボロスの反撃に備える。焦らず、そして着実にボルボロスを追い込んでいく。

 ボルボロスがクレアへ向き直る。その真横からヴァイスとグレンが攻撃を仕掛ける。誰を狙えばいいかわからなくなったボルボロスはその場から動けない。その隙にクレアがボルボロスの死角へ飛び込んだ。

 それはボルボロスの真下。筋肉の躍動がここからだとはっきり目視できた。

 裏を返せば、そこは鱗や甲殻に覆われていない肉質が軟らかい部分となる。クレアはその部位に向かってレムナイフを振り下ろす。

「ガアアアアアアァァァァァァァァァァァッ!」

 ボルボロスも黙ってはいない。数歩真横へ移動するとクレアを捉えることに成功した。突進の体勢に入り、地面を抉りながら突っ切った。

「くぅっ!?」

 クレアも間一髪にガードに成功するが、そこはボルボロスの突進だ。片手剣の小さな盾で衝撃を吸収しきれるはずがなく、クレアの身体が大きく流された。

 体勢が崩れたクレアを狙い打ちにするかと思われたボルボロスは、気が変わったのか標的をヴァイスに変更した。

 ヴァイスもボルボロスに接近しようとしていた。そこにボルボロスの突進がやってくる。即座に横っ飛びを行い難を逃れる。

「くそっ! ここに来て流れが掴めてない!」

 怒り状態が解けたとはいえ、決して油断しているわけではない。それが、ここに来てボルボロスが反撃を繰り出し自分たちは一方的に押されている状態だ。これは、早く打開策を見出さなければならない。

「だったら、動きを止めるまでさ」

 そう言ったのはヴァイス。彼は、体勢を立て直した後、向かってくるボルボロスに肉迫した。

 噛み付きを回避すると後脚目掛けてアトランティカを上段から振り下ろした。突き、斬り上げ、斬りつけと基本の型で斬撃を繰り出す。

 付き纏うヴァイスが厄介だと踏んだボルボロスは、ヴァイス目掛けて頭突きを繰り出す。それを、ヴァイスは移動斬りだけで回避してみせ再び後脚へ斬撃を浴びせる。

 そして、ボルボロスの左後脚に付着していた泥がヴァイスの斬撃に耐えられずに弾け飛ぶ。その瞬間、ボルボロスが大きく怯み動きを止めた。

「今だ!」

 時間にすればほんの一瞬だが、それだけでも形勢は逆転する。

 グレンがボルボロスの頭部へと接近し、トランペッコで叩きつける。左右に力の限りぶん回し、勢いをつけた上段からの一撃をお見舞いする。頭部にも泥は付着しているがそんなことはお構いなしとグレンはトランペッコで叩きつける。

 ボルボロスが身震いを始める。泥が辺りに散乱するが、グレンはその場に留まり続ける。そして、トランペッコの打撃がボルボロスの我慢の限界を超えた。

 めまいを起こしたボルボロスが崩れ落ち、必死にもがき始めた。絶好の好機に三人の気力が溢れ出てくる。

 グレンは引き続き頭部一点を狙い、クレアは背中に向かってレムナイフを振るった。

 アトランティカの刃がボルボロスの尻尾を捉える。突き、斬り上げと繰り出すとそこから気刃斬り、気刃大回転斬りを浴びせる。

 白銀の光を帯びたアトランティカの水の刃が尻尾に付着した泥を弾き飛ばした。

 さらにもう一度繰り出す。黄金色の刃が、今度は真紅に染まる。同時に、その斬撃はボルボロスの尻尾を真っ二つに切断した。

「ガアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!?」

 体勢を立て直そうと必死にもがいていたボルボロスであったが、尻尾を切断された瞬間苦痛の叫びを上げながら再び地面に突っ伏した。

 ようやくめまいから回復したが、その間に大きな痛手を負ってしまった。尻尾は切断され、弱点の火属性から守る泥の一部も失った。

 ヴァイスが再び斬り込む。今度は前脚に真紅の刃の軌跡が走る。

「オオオオオォォォォォォアアアアアアァァァァァァッ!」

 ここまで痛めつけた相手をボルボロスは逃がそうとはしない。ヴァイスに振り向きさ際、噛み付こうと試みる。だが、それも読まれていた。ヴァイスは斬り下がりで退くと、噛み付きは空振りに終わってしまう。

 ならばと今度は突進を繰り出す。これも虚しく空振りに終わる。

 攻撃が命中せず、外れた隙を付かれてしまうジレンマにボルボロスの怒りが徐々に溜まっていく。

 もう既に、ボルボロスは冷静さを失いかけている。そのため、クレアとグレンの接近を易々と許してしまう形になった。

 狙う部位が限られる片手剣では、クレアはやはり狙いを付けやすい後脚を狙う。泥が付着していない右脚をだ。

 頭部を集中攻撃していたグレンは、一転して前脚にトランペッコを叩きつけた。一つ目的を達成した今、リスクの高い頭部よりも前脚を狙ったほうがよいと判断したのだろう。

 尻尾を切り落とされたことを忘れたかのように、ボルボロスがなぎ払いをする。無論、リーチが短くなったなぎ払いを避けるのは容易で、両者共に回避されてしまった。

「その攻撃はもう当たらない!」

 ここまで来ると、あのなぎ払いの攻撃範囲がどれ程のものなのかということが大体想像できるようになる。それを照らし合わせれば、尻尾を切り落とした状態でのなぎ払いの回避はそれほど難しいことでもない。

 しかし、ボルボロスも懲りずに再びなぎ払いを繰り出す。

 回避して、クレアが攻撃に転じようとした瞬間、グレンが叫んだ。

「まて! もう一回連続で来る!」

 刹那、ボルボロスが間髪を入れない間になぎ払いを繰り出した。あと一歩前に進んでいれば、命中は避けられなかっただろう。

「すいません! 少し、気を緩めてしまって……」

「大丈夫。それに、怪我してないなら俺は何も言わないよ」

 グレンが何も言わなくても、ヴァイスはどうだろうか。彼もあまりうるさく物事を言う性格ではないが、注意の一つは浴びせられそうだ。

「まあ、自覚しているなら大丈夫だな。次は気をつけろよ」

 案の定、ヴァイスは注意一つでそれ以上は何も言わなかった。気を改めボルボロスに向かっていく。

「あと少し……。頑張りましょう!」

「ああ!」

 こうなれば自分ができる限りのことを遂行するまでだ。そのために、二人はヴァイスに続き大胆な動きを取る。

 先にクレアが眠らせるのが先か、グレンが頭部を破壊するのが先か。どちらにしても、こちらにとっては優位に立てる状況だ。

 レムナイフがボルボロスの後脚を捉える。何度か斬撃が命中する中で、ボルボロスに睡眠毒を与えているはずだ。今までの分も蓄積していると考えれば、あともう少しで効果が現れると信じる。

 グレンも負けずとトランペッコでボルボロスの頭部を叩きつける。目の前で泥が弾け飛んだがそんなのことに意識を逸らしているほどの余裕はない。

 無論、眼中で動き回るグレンが厄介なボルボロスは彼に向かって攻撃を試みる。だが、それを許さないのがヴァイスだった。グレンの反対側に回り込み、同じく頭部にアトランティカを振り下ろす。高い切れ味を兼ね備えるアトランティカにとってボルボロスの頭殻を貫くのは容易い。破壊力のある一撃一撃にさしものボルボロスも退くをえなかった。

 その一瞬の隙を見せたボルボロスに、クレアが勝負をかけた。ジャンプ斬りの勢いそのまま、斬り上げ、斬り下ろし、横斬り、水平斬り、斬り返しと連撃を繰り出し、遠心力を上乗せした回転斬りを放つ。

「ガアアアアァァァァァァァァァ……」

 その一撃が、蓄積された睡眠毒を確実なものへと変化させた。

 唐突に訪れた強烈な睡魔にボルボロスも耐えることが不可能であった。緩慢な動きで地面に崩れ落ち大きな鼾をかき始めた。

「やっと……!」

 待ち望んでいた瞬間が訪れたクレアの気が昂る。それを、ヴァイスは冷静に制した。

「まだまだ、奴は倒れてくれないはずだ」

 その一言でクレアの熱が冷めていく。だが、悪い気などはない。寧ろ、冷静になれたので感謝している。

 ヴァイスはグレンに一撃を任せることにした。アトランティカの方が断然攻撃力が勝っているが、頭部を破壊するという方針を考えた上こういった判断を下した。

「ここからが本当のクライマックスさ!」

 その一言を合図にグレンがトランペッコを叩きつける。

 派手なモーニングコールで叩き起こされたボルボロスが驚いたように飛び起きる。ヴァイスたちを視界に捉えると溢れ出す怒りと共に咆哮を上げた。

「オアアアアアァァァァァァァァァァァッ!」

 この怒りを発散させる相手は、もはやこの場にいる三人の他ない。怒りに任せた頭突きでヴァイスを狙い打つ。

「チッ」

 攻撃に転じようとしていたヴァイスは、ボルボロスの動きを見て回避行動をとる。続いてやってくるであろう突進に備え、アトランティカを抜刀したまま前転をしてボルボロスの直線状から退く。

 案の定ボルボロスは突進を繰り出し、そして虚しく空振りに終わる。

 クレアは、ボルボロスが振り向いた瞬間を狙って閃光玉を眼前目掛けて投げつけた。閃光が辺りを塗りつぶし視界が白に染まる。

 それをまともに喰らったボルボロスは目を眩ませてしまう。

 闇雲に頭突きを繰り出してみるが、近くにあった岩石を粉砕しただけでそれ以上は何も感触がなかった。

 ヴァイスがボルボロスの元へと走り寄る。上段からアトランティカを振り下ろし、突き、斬り上げと斬撃を浴びせ気刃斬りを繰り出す。余裕があると見たヴァイスは、更に気刃大回転斬りも繰り出す。黄金色の光を纏うアトランティカの刀身が再び真紅に染まった。

 前脚へその斬撃が命中する。だが、破壊するまでには至らない。

 しかし、ヴァイスも諦めない。破壊できなければ、破壊するまで粘り続けるのみだ。

 アトランティカの切っ先がボルボロスの前脚を捉える。斬りつけて貯まった気を再び放出する。最大の攻撃力に跳ね上がったアトランティカによる気刃斬りの威力は絶大だ。ついに、限界を超えたボルボロスの前脚の甲殻が吹き飛んだ。

「オアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!?」

 ボルボロスが苦痛の叫びを上げる。先ほどよりもさらに苦しそうな咆哮をだ。それだけ、ボルボロスは追い詰められている。あと少し。あと少しの攻撃でボルボロスは倒れるはずだ。

 いや、こちらの体力も消耗が激しい。せめても、倒れると信じたいものだった。

「決めるぞ。クレア! グレン!」

「はいっ!」

「もちろんです!」

 ヴァイスがアトランティカを振るう手を止め、グレンに向かって叫ぶ。決める、とは勝負を決めにかかるということだ。

 止めていた手を再び動かし、今度は頭部に向かってアトランティカを振り下ろす。破壊をできるのは打撃攻撃のみだが、太刀などの切断攻撃でも頭部破壊の手助けにはなる。

 突き、斬り上げ、斬りつけと基本の型で斬撃を繰り出す。横からグレンもトランペッコを振るう。左右にぶん回し、上段に振り上げると勢いと重さ任せに叩きつける。

 クレアは、ボルボロスの気を惹きつけるように斬撃を浴びせる。こうして、二人が狙われる危険性を少しでも低くしようという方針だ。

 そして、それは見事に役目を果たす。頭部を集中して狙ってくる二人を捉えようとするボルボロスであったが、クレアの斬撃がその行動を阻害させる。誰を狙えばよいか困惑しているうちに、さらに二人が攻撃を叩き込んでいく。

「もう少し……。あともう少しのはずなんだ!」

 祈るような思いでグレンはトランペッコを振るい続ける。この破壊が終えたとき、ようやく狩猟の終わりが掴めるような気がした。それが、今のグレンを突き動かす。

 なぎ払いを回避すると、上段からトランペッコを振り下ろす。その後、後方へ振り上げる。

 わずらわしげにボルボロスが頭を振ると、そのまま突進の体勢に入った。これもギリギリの間合いで回避し再びボルボロスに肉薄する。

 今度は、背後からトランペッコで殴りつける。左後脚の泥は既にヴァイスが破壊しているため火属性も通用する。小さい的だがそこを狙い、確実にダメージを負わせていく。

 ボルボロスがグレンの方へと向き直る。噛みつきを繰り出したが、グレンはそれを読んだ。後方にうまく後退すると、無防備になった頭部をトランペッコが捉えて逃がさない。

 左右からヴァイスとクレアが斬り込み、ボルボロスの注意がグレンから一瞬逸れた。

 グレンは、それを見逃さなかった。大きく一歩踏み込むと、自分が無防備になるのもお構いなしに最大の一撃を浴びせようとトランペッコを振り上げた。グレンの様子に気が付いたボルボロスと視線が交錯する。身体の底から溢れてくる恐怖。だが、もう退かない。ここで退くわけにはいかない。

 重量と力に任せたトランペッコの一撃がボルボロスの脳天を殴りつける。それが決め手となり、ボルボロスの頭部の破壊にまたしても成功したのだ。

「やったか!?」

「いや、まだだ!」

 逸るグレンをヴァイスが制す。そう、例え頭部の破壊に成功したとはいえどボルボロスはまだ倒れていない。まだ気を抜くのには早い。

 一旦距離を取り三人は散開する。

「ガアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」

 頭部を破壊されたボルボロスは、再び怒りを爆発させる。バインドボイスを辺りに轟かせ、怒りで目をぎらつかせる。

 最後の閃光玉をクレアが投擲する。

 眩い閃光を背中に浴びながらヴァイスがボルボロスへ接近する。頭突きを繰り出しているが、そこにはヴァイスはおろか障害物の一つもない。ボルボロスにとっては、もう誰を狙うという冷静さすらも残ってはいない。それはただ、自分を守ろうという自己防衛の一つなのかもしれない。それが、ボルボロスの生きることに対しての信念でもあった。

 しかし、それに翻弄されるほどのヴァイスではない。一気に開いていた距離を詰めるとアトランティカを引き抜いて斬りつける。そこから突き、斬り上げと繋げ最後に気刃斬りへと持ち込む。

 たまらずボルボロスは怯んでしまう。

 移動斬りでヴァイスが距離を取った。いや、場所を空けたという言い方が正しい。空いた空間にクレアとグレンが加わる。この二人も、残された最後の力を振り絞り各々の武器を振るう。

「てりゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 ボルボロスの生きる信念が勝るか、クレアとグレンの気力が勝るか。目的は決して違えど、互いに持てる力の全てを捧げた。

 そして、その結末は唐突に訪れた。

「オアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァ……」

 この熾烈な激闘を制したのはクレアとグレンであった。

 力尽きたボルボロスはぐらりと倒れ込むんだかと思うと、そのまま二度と動くことはなかった。今度こそ、本当に終止符を打ったのだ。

「お、終わっ、た……」

 一方の二人も、力を出し切ったのか倒れ込むように地面へ座り込んだ。肩を上下させ、荒い呼吸を繰り返している。

 その二人に、アトランティカを鞘に納めたヴァイスが歩み寄ってきた。

「終わったな。二人とも、お疲れさん」

 互いの背中を叩き、よくやったと二人を褒め称える。

「長い狩猟でした。だけど、これでようやく……」

 クレアが狩猟を振り返りながらそう言った。そのクレアに対し、ヴァイスは意味ありげな言葉を返す。

「どうだろうな。これで本当に終わりとは限らないさ」

「ちょっ、それって一体どういうことなんですか!?」

 疲れていることも忘れて、クレアは勢いよく立ち上っていた。まだ他にモンスターがいるのだろうかとクレアは驚きのあまり目を見開いた。しかし、ヴァイスは「安心しろ」とクレアを宥める。

「この狩猟は確かに終わりを迎えた。だが、俺たちにとってはどうだ?」

「私たちにとって……?」

「そう。グレン」

 ヴァイスはグレンの名を呼ぶ。

 彼も何とか立ち上ったところであった。ゆっくりとした足取りでこちらへ向かってくる。

「大丈夫か」

「ええ、何とか……」

 本題に入る前に、ヴァイスはグレンの様子を確認した。相変わらず息は荒いが、それは疲労からきているものだ。何日か休めば問題はない。

 大丈夫だと判断したヴァイスが本題を切り出す。

「グレン。お前はこれは終わりではなく、始まりなんだ。そう考えていないか?」

「ええ。その通りです」

「グレンさんが……。あっ……」

 短い、しかしたったその一言で、クレアは全て理解できた。

「俺は、ここから新たなスタートをきりたいと思っています。ヴァイスさんたちと一緒に……」

 そう、グレンを加えたこのパーティーは新たなスタートを迎えようとしていた。それは、まだ始まってすらもいない。未だにスタートラインに立っただけの状態だ。ヴァイスの言う「自分たちにとっての終わりではない」ということはそういうことだ。

 だから、ここで終わりではない。ここから、ようやく始まるのだ。

「ああ、大歓迎さ」

 二人は、改めてグレンと握手を交わす。

 そこには、ギギネブラとの狩猟で見せたただ強さに拘っていたグレンの姿はない。一人のハンターとして、覚悟を決めた勇ましい姿がそこにあった。

 これからは、ただの仲間ではない。背中を任せる一人のパートナーとして、グレンという少年と行動を共にするのだ。今の彼なら託すことができる。

 大きな信頼と期待を受け、グレンは迎えられた。このパーティーに。

「さあ、行こう」

 この先、グレンにどんな未来が待ち受けるかは神のみぞ知る。だが、一つだけ言えることがある。彼は将来、隠れ持った才能を開花させる。ヴァイスはそう確信していた。

 剥ぎ取りを終えると、新たに結成されたパーティーはユクモ村へと帰還するのであった。



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EPISODE40 ~想いと決意~

 長く、そして辛い狩猟が終わった。

 ここまで長いと感じた狩猟は今までになく、その分ユクモ村に僅かながらの懐かしさを抱いてしまう。

「皆さん、お疲れ様でした!」

 集会浴場のカウンターの向こう側から受付嬢の笑顔が送られる。

「だいぶ大変だったようですけど、無事に依頼も達成されたのでよかったですよ」

「だいぶどころか、かなり大変という感じだったな」

 ヴァイスが苦笑いを浮かべながらそう言う。

 おそらく、その主な原因となったと感じているグレンは「すいません」とこちらも苦笑いを浮かべながら謝罪する。

「まあ、いいじゃないですか。無事に帰ってこられたんですから。終わりよければ全てよし、っていうことです!」

 色々と問題が勃発した狩猟ではあったが、クレアの言うとおり無事に帰って来ることが重要なのだ。それを思えば、こんな問題は大したことはない。

「では、こちらが報酬になります。依頼を達成した分と乱入された分を含んでいます」

「ああ、すまない」

 三人分の報酬が入った麻袋を受付嬢から渡される。

 ゼニーが入った麻袋は予想よりもずっしりとした感触がある。

「こんなにもらえるんですか?」

「はい。乱入された場合は、その分報酬も上乗せされる取り決めになっていますので」

「そうなんですか」

 クレアやグレンにしてみれば、この報酬はかなり実りのあるものとなるだろう。武器や防具を新調することを考えればとても嬉しいことである。まさに、苦労した甲斐があったというものだ。

「取りあえず、これからどうしましょう」

「二人とも疲れているだろ。今は疲れを取ることだけを考えるんだ。しばらくは狩猟には出ないつもりだから」

「そうですね。では、俺は温泉にでも……」

 ここの温泉は疲労回復などといった効能には大いに期待できる。疲れた身体もすぐに癒されるはずだ。

「ふふっ、楽しそうですね」

 受付嬢がさぞかし楽しそうに笑う。

 以前と比べ、ぎくしゃくした雰囲気が無くなり互いに本心をさらけ出せるようになったことで仲がいいように見えるのだろう。

「じゃあ、私は行きますね。私も早く温泉に入りたいなって思っているので」

「ああ、お疲れ」

 そう言い残すとクレアは集会浴場の外へと歩いていった。

「では、俺もこれで。今回はありがとうございました」

 生真面目なグレンも、クレアと同じく集会浴場を後にする。

 残ったヴァイスが、それまで三人の様子を傍観していたギルドマネージャーへと向き直る。

 ヴァイスとマネージャーはクレアたちが集会浴場を後にする時を待っていた。この会話はあまり他人には聞かせられないためである。

「さて、ようやく話せますね」

 ヴァイスが切り出す。そうすると瓢箪の酒を呷る手を止め、マネージャーが口を開いた。

「ああ、やはり今回もアタシの予想通りの展開だったぜ」

「と言うと?」

「なぁに、チミならグレンという少年の道を正してくれると確信していただけさ。そしてチミは、見事にその期待に応えてくれた」

 マネージャーが満足げに頷く。

 しかし、ヴァイスには妙な違和感があった。

「その物言いからすると、まるでグレンが俺のところへ来るということも予想済みという感じですね。あなたが俺とグレンを引き合わせようとしたんじゃないですか?」

「さぁ、アタシは何もしてないぜ?」

 ヴァイスの問いにマネージャーは惚けてみせる。しかし、張本人がこの人物であるということに変わりはないようだ。

「まったく……。クレアといいグレンといい、厄介な頼まれごとが俺のところには流れ込んできますね」

 口でこそ、そうは言っているヴァイスだが彼の表情は険しくはない。寧ろ、少しばかりか喜びを帯びているようにも見える。

「チミなら容易いことのはずだ。現に、チミはアタシの期待に応えてくれたじゃないか」

「容易いかどうかは、正直微妙なところですね」

 ヴァイスが肩をすくめる。

 容易いかといえば嘘になるが、だからといって困難というわけでもない。だが、それが厄介なことであることは変わらない事実だ。

「……でも、俺も嫌々頼まれているわけではありません。自分の意志で動いている部分もありますからね」

「なら、これからも頼もうかのう」

「人使いが荒いですね」

 冗談交じりにそう言ってみせる。マネージャーはかっかっか、と豪快に笑うばかりである。

「まあ、これからは二人の跳躍に期待しようかのう。無論、チミにもするわけだが」

 マネージャーが意志の強い瞳でヴァイスを見つめる。そこから、マネージャーがどれだけ自分に大きな期待を寄せているかが理解できた。

 ヴァイスは迷うことなく即答した。

「前にも言ったとおりです。俺は、あなたの期待には必ず応えてみせます」

「さすがじゃのう。それでこそ、『女神の騎士』の意志を継ぐ者だぜ」

 そう、ヴァイスの最初の目的はそれだった。それが故に、今までただ漠然と力を求めていた。

 だが、今はどうか。

 ここに来て、新たな仲間ができた。守るべきものができた。この地に赴き成すべきことがある。それこそが、真の目的なのではないだろうか。

「ええ。でも、もう俺は昔の俺ではありません。今の第一の目的はそれではありません」

 ヴァイスの言葉に、マネージャーはわずかながらに表情を曇らせた。

「……彼との間に何が起こったのかアタシにはわからない。だが、チミ一人で全て背負うことじゃないと思うが」

「その件については、時が来れば話します」

 暗い瞳がヴァイスにはあった。だが、それをマネージャー以外の誰かに見られるわけにもいかず、すぐに表情を引き締める。

「話が逸れましたね……。とにかく、俺はあなたや村人の期待には応えてみせます。今、俺が言いたいことはそれだけです」

 そう言い残すと、ヴァイスは集会浴場から立ち去った。

 マネージャーは、ヴァイスが消えた扉の先を自愛に満ちた様子でいつまでも見つめ続けていた。

 

「はぁ、やっぱり最高だなぁ」

 高い天井に向かって白煙が立ち上る。それが、外に向かって流れ拡散していく。集会浴場は、普段どおりのにぎわいを見せていた。

 狩猟も終わり、疲れた身体を回復させるためにグレンはここへやってきた。

 首筋までゆっくりとお湯に浸かる。全身に纏わり付くような鎖が一気に解かれたように、身体の疲労が嘘のように消えていく。

 まるで、全身がとろけていくようだった。程よい心地よさがローブのように優しく身体を包み込んでくれる。

「あっ、グレンさん」

 更衣室へと続く道からクレアが現れた。彼女も、グレンと目的は同じだ。

「隣に失礼しますね」

 一言断ってクレアがグレンの隣に腰を下ろす。

 その時、グレンはクレアの首筋に光る何かを捉えた。

「なあ、クレア。その首飾り取らなくていいのか?」

 グレンに言われようやく気づいたのか、クレアは大慌てで更衣室へと戻っていく。しばらくして戻ってきたクレアの首筋には、ネックレスの姿はなかった。

「案外抜けてる所あるんだな。クレアって……」

「そ、そんなことはどうでもいいじゃないですかぁ!」

「冗談冗談」

 おどけた様子のグレンに、すっかりクレアはペースを握られてしまった。「ぐぬぬ」と唸り声を上げるクレアを尻目に、グレンは話を別の話題に逸らす。

「けど、クレアもああいう洒落た小物を好むのか。でも、あんまりクレアがそういうのを好きっていうイメージがないから正直驚いたよ」

 グレンが自分をどういった見方をしていたかは気になるところだが、それは聞かなかったことにする。

「あれ、元々は私の物じゃなかったんです」

「へぇ、じゃあ誰かから貰った物?」

「はい」

「ヴァイスさん?」

「し、師匠があんなものをプレゼントしてくれるわけがないじゃないですか」

 クレアの言葉に対してグレンは「うーん、どうかな」と首を捻る。

「ヴァイスさん、結構洒落た人じゃないか。それこそ、女の子の喜びそうな小物の一つや二つくらいはプレゼントしてるんじゃないか?」

「そ、それは……」

 言われてみればその可能性も否定できない。

 ヴァイスほどのルックスの持ち主なら、過去に女の子の好むものをプレゼントしていても不思議ではない。だが、このネックレスは好む好まないの問題でプレゼントされた物ではない。

「で、でもでも。これはそういった用途で渡された物じゃないですから!」

 クレアは、このネックレスを貰った経緯をグレンに洗いざらい話した。

 一通り話を聞き終えたグレンは納得した様子で頷いていた。

「なるほどなぁ。クレアはその人に憧れてハンターを目指すようになったのか」

「はい。あのネックレスも、その人が御守り代わりに私に授けてくれたものなんです」

 

『あなたみたいな人に私はなりたいんです! 命を賭してまで生きる希望を与えてくれたあなたみたいに。だから――!』

 

 それが、まだ現実の厳しさを知らなかった自分の想いだった。

 成長するにつれ、自分が目指しているものがいかに困難を極めているかが理解できるようになっていった。だが、それでも決して諦めようとはしなかった。あの人の言葉を信じ、ここまで歩いてきた。例え困難な道のりだとしてもいつかたどり着きたい。

 そして、いつか目的を達成した時、あの人に面と向かい合って言いたい。「ありがとう」と。

「あの人には感謝しきれません……」

 この様子を窺う限り、クレアがどれだけその人物に感謝の意を示しているのかが理解できる。それだけ、道を示してくれた彼のことを尊敬し憧れの人物としてその背中を追っているのだ。

 だが、少しだけ引っ掛かる気がした。

「なぁ、クレア……」

「はい、なんですか?」

 じっとクレアに見つめられる。そうさせるとなかなか話しづらくなる。

「えっと、いや、その……」

「?」

「な、なんでもない! ごめん、気にしないでくれ」

 場を紛らわせようと、グレンは勢いよく湯船から立ち上がり温泉から上がろうとする。

「俺、もう上がるよ」

「あ、はい」

 状況が飲み込めずきょとんとしたクレアを残し、グレンは更衣室へと向かっていった。

 そして、真実を確かめるためグレンは集会浴場を飛び出した。

 

 一方、ヴァイスはレーナのところにいた。

 今回の狩猟の報告とグレンについて話すためである。元々、レーナはグレンの様子を気にしていたところもあったので、グレンのことは話しておこうと思ったのだ。

「そう、大変だったんですね……。でも、よかったです。ヴァイスさんも、グレンさんも無事で。さすがはヴァイスさんです」

「別に、俺は大したことはしていない。これは、グレン自信が見つけ出した答えさ」

 レーナに淹れてもらった紅茶を口に運び喉の渇きを潤す。程よい甘さと苦味が絶妙に合わさり上品な風味を引き立てる。

 以前、グレンにも紅茶を淹れてもらったことがあるが、それとはまた別の風味がある。

「どうですか。この辺り一帯では手に入らない茶葉で淹れた紅茶は」

「甘みと苦味のバランスが取れていて飲みやすい。美味しいよ」

「そうですか。気に入ってくれてよかったです」

 どうやら、この紅茶は宿屋に宿泊客に出しているものらしい。その分、紅茶にも高級感を求めこのような上品なものを出せるのだ。

 無論ヴァイスはこの宿の宿泊客ではないが、レーナの頼み事を引き受けてくれたお礼としてこの紅茶をもらっている。

「これからグレンさんと本格的にパーティーを組むことになるんですよね」

「そういうことになるな」

 彼に期待を寄せているのはヴァイスだけではない。クレアやレーナ、マネージャや村長などといったさまざまな人々がグレンに期待している。その期待に応えられるほど成長させることがヴァイスの役目となる。

「楽しみにしてますね」

 ヴァイスは無言で頷いただけだが、レーナにはその決意が読み取れた。

 ヴァイスもまた期待を寄せられている人物の一人であり、まだ未熟のグレンたちを成長させる役目を負っている。そして、その重圧にヴァイスは平然と耐えている。人としても見習う部分が幾つもあり、レーナはいつしかヴァイスに微かな憧れの意を抱いていた。

「さて、俺もやらなきゃいけないことがそろそろ行くな」

「あ、はい。お疲れ様でした」

「紅茶、ご馳走様」

 そろそろ宿泊客が入ってきてもおかしくない頃合いなので、邪魔にならないようお暇させてもらうことにした。

 見送ってくれたレーナに礼を言い自宅へと戻る道を行く。

 相変わらず人の行き来が激しい。ドンドルマのそれには到底及びはしないが、村としての活気には十分過ぎるものであった。

 道行く人とぶつからないよう気をつけつつ、これからどうしようかと考え始める。

 こちらとしても疲労の回復を優先したいところだがボルボロスについての資料も纏める必要がある。疲労を回復してからでも遅くないが記憶が新しいうちに書き記したいことは多々ある。優先順位は、どうやらこちらにあるようであった。

 続けて資料に記す内容を頭で交錯させていると、目の前からグレンが走り寄ってくるのが見えた。方向的にもヴァイスに用があるらしい。

「どうした」

 石段を駆け下りてきたせいか、グレンは肩を上下させている。一旦呼吸を整えさせ用件を聞き出す。

「突然すいません。実は、ヴァイスさんに一つだけ窺いたいことがあるんです」

「俺に?」

 わざわざヴァイスに訊かなければならないことというならば、それだけ重要な用件だという解釈ができる。確信はないが、そんな気がした。

「こんな道の真ん中で話すのも何だ。俺の家で話そう」

 ヴァイスはグレンと連れ立って自宅へと向かっていった。

 武器や入手した素材などをボックスに納める。そして、話を聞ける体勢を整えグレンの話を聞く。

「先ほど、クレアがどうしてハンターを志すようになったのか、その経緯を聞きました。その中で、クレアはある一人のハンターに憧れを抱いているようです」

「そうらしいな。それが、どうかしたのか」

 一旦間を空けると意を決して切り出した。

「そのハンター……、それはヴァイスさん。あなたではないんですか?」

 その瞬間、まるで凍りついたかのような沈黙が場を制圧した。ヴァイスは無言を貫き、グレンはヴァイスの返答を待っている。

 しばらくの後、駄目か、と考えたグレンであったがヴァイスがついに口を開いた。

「……そう、その通りさ」

「やはり、そうでしたか……」

 事実を述べたヴァイスが大きなため息を漏らす。

 本当は何となくわかっていた。このことについてヴァイスが容易に触れられて欲しくないと思っていることを。だが、どうにも腑に落ちない。

「勘が鋭いな。クレアの奴、感づいているかもしれないが、まだ俺だとは断定できていない様子だ」

 さすがだな、とヴァイスが半ば呆れ半分に、だがどこか関心しているような佇まいでそう言った。そして、そのままベッドに腰を下ろす。

「理由、聞いてもいいですか。どうして、クレアに真実を伝えないのかということを」

 もしかしたら、ヴァイスに怒られるかもしれない。そんな恐怖に晒されながらもグレンは質問を続けた。

 今度は、思いのほかヴァイスも即答してくれた。

「それがあいつのためだからさ」

「クレアのため? どうして、真実を隠すことがクレアのためになるんですか」

「フフッ、それはいずれわかるさ」

 意味ありげに静かな笑みを浮かべる。

 それ以上、ヴァイスは何も話そうとはしなかった。だが、これはある意味予想以上の収穫だった。真実を確かめられただけでも大きい。

 これ以上、グレンも話すことがなくヴァイス宅を後にした。

 一番重要な部分は聞き出すことができなかったが、それはもう気にしない方針で生活することにした。ヴァイスなりの考え、というものがそこには存在するのだろう。

 翌日からもヴァイスの態度は変わらない。彼の表情には影がなく、至って普段どおりだった。

 グレンは待つ。ヴァイスが真実を語ってくれるその時まで。

 

 それから数日が経った。

 ユクモ村はいつもと変わらない平穏な雰囲気に包まれている。幾人ものハンターがこの地を訪れ、その噂が更に人を呼び込む。そうした無限の連鎖が続きユクモ村は今に至る。

 ここのところヴァイスたちは狩猟に出ていない。皆がそれぞれ、好きなことをして過ごしている。

 ヴァイスは最近家の中に篭もりがちだ。何でも、ギルドから調査書のような物を纏めてほしいという旨の通達が来たらしい。狩猟に出なかったのも、それが主な原因であった。

 その間、クレアは凝りもせず料理の練習を行っていた。独学で練習しているらしいが、時折クレアの家の中から彼女の悲鳴が聞こえるのは余談である。

 さて、グレンはどうだろうか。

 グレンのことだから朝から夜まで楽器で演奏しているだろうと思ったが、どうやらそうではないらしい。机に突っ伏しうーうーと唸っているばかりである。

「うぅ……、書く内容がない……」

 目の前に広げられているのは一枚の紙。多少文章が綴ってあるが、あとはまっさらな白紙である。どうやら手紙を書いているらしい。もちらん、故郷の村の人々に宛てて書く手紙だ。

「はぁ、何を書こうか。内容があっても、中身は問題だらけだからなぁ……」

 作曲などのセンスはあってもこの手の文章の製作はあまり得意ではないようだ。

 実際、問題だらけというのも強ち事実である。変なことを書けば、それこそ誤解を招きかねない。だが、事実は述べておくべきだ。

「うん。取り合えず頑張ってみるか」

 迷っているだけでは何も進展はしないと理解したグレンは、頭の中からいいアイデアを振り絞ろうと努力する。そして、浮かんでは書き直し、浮かんでは書き直しという作業を繰り返す。そうして徐々に一枚の手紙として完成が近づいていった。

 そして――、

「できた……!」

 それほど長い文章を書いたわけでもないがすっかり日も暮れてしまっていた。だが、それだけの時間を費やしただけの甲斐はある。

 グレンは、今までこんな手紙を書いたこともなく、出来栄えがどうだということはわからない。だが、肝心なのは相手に気持ちを伝えるということだ。それができれば、今のグレンには十分だった。

 丁寧に二つ折りにすると、苦労して書いた手紙を便箋に入れる。

 家の外へと飛び出し、いざ出発しようとしていた郵便屋をどうにか寸前で止めることに成功した。

「これ、頼みたいんだ。よろしく」

「任せるニャ!」

 郵便屋のアイルーに手紙を託し、グレンはその姿が見えなくなるまで佇んでいた。

 手紙を書き、現在の自分の心境を語ることで俄然やる気が漲ってくる気がした。グレンは、自然に握りこぶしを作っていた。

「よし、頑張ろう!」

 輝く星たちがグレンを淡い光で照らす。まるで、その決意を最後まで見届けるかのように。その加護を受け、グレンは自分の目指す場所へと歩み続けていくだろう。

 

 後日、グレンの故郷の村に手紙が届いた。

 宛て先はこの村人全員。差出人がグレンだと知り、村人たちはどんな内容なのだろうかと期待を膨らませる。

 内一人の村人が、その手紙を読み始めた。

 そして、一通り読み終えた村人が穏やかな笑みを浮かべた。中には安堵の息を漏らす者、嬉し泣きをする者もいた。

 彼の手紙は、十分すぎるほどの想いと決意を村人たちに伝えたのであった。

 

 拝啓 

 

 皆様、お元気ですか。

 今、僕はユクモ村という村に腰を下ろしていますが元気に過ごしています。そこで、僕は別大陸ではかなり有名な方とそのお弟子さんとチームを組ませてもらっています。やや厳しい一面もありますが自分のためだと思うと頑張ることができます。

 何度か狩猟に同行させていただきましたが、その方の狩猟に対する知識や動き全てが新鮮でした。その中で僕もまだまだ未熟者だと改めて痛感させられました。足を引っ張って僕が道を誤ってもその方々は正しい道を示してくれました。本当に素晴らしい方々に回り逢え僕は幸せ者です。

 僕が目指す場所までの道のりはとても険しいものです。でも、いつか必ず強くなりたい。強くなって皆様に恩返しをしたいと思います。そして、村に持てる力全てを尽くしたいです。

 その時まで待っていてください。必ず僕は強くなって帰ります。

 最後に、村に滞在してくれている方によろしくお伝えください。

 皆様のご健康とご多幸を心よりお祈りいたします。                             敬具



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第三章 蒼穹に舞う天使
EPISODE41 ~予兆~


 ――どこまえも高く、澄み切った青い空。その中に白い雲が美しい模様を描き蒼穹に溶け込んでいる。

 何故、空はあれほどまで神秘的であり、そして幻想的なのだろう。上空に広がるこの蒼穹を見上げればいつもそう考えるようになった。そう、いつだってその思案に浸っている。

 そして、少女はいつものように空を見上げる。

 その瞬間、一羽の白い鳥が、少女の視界を横切った。“彼”がこの大空に舞う姿を少女は目線で追い続けた。いずれ、その純白の羽を一枚残し彼方へと姿を消したその時まで――。

 自由の象徴と呼ばれる鳥。人はどうして、彼らを自由の象徴と呼ぶようになったのか。本当に、鳥は自由なのだろうか。少女の見うる限りでは、あの鳥は何者にも縛られることなく本当に自由に見える。

 自分も鳥のようにあの自由な空に“もう一度”飛び立ちたい。少女はそう思う。例えそれが叶わぬ夢物語だとしても、やはりあの鳥のように自由に飛びたい。いつからかそう決心していた。

 ――そして、少女は歩き出す。

 自らが決めた道。自分が追い求めるその答えを知った人物の元へ……。

 

 

 

 ユクモ村に、もうすぐ春が訪れる。

 この地域一帯のユクモ地方は四季の変化がはっきりしており、四季折々の絶景を楽しむことが出来る。村を吹き抜ける風も幾分温かなものとなり春の訪れを感じさせていた。

 燦燦と輝く太陽は実に心地よく、昼下がりの午後にはウトウトと眠気を誘う。

 集会浴場に戻ってきたグレンもその眠気につられ大きな欠伸をする。狩猟から戻ってきただけあって身体も疲れきってしまっている。致し方ないだろう。

「ふぁ~……。気持ちいい天気だなー……」

 などと珍しく能天気なことを言うグレンの顔は実に眠たそうな表情である。

 仕方ないな、と言わんばかりにヴァイスがため息を漏らし、そのままカウンターへと向かっていく。しばらくして戻ってきたヴァイスの手には二人分の報酬金と素材がぶら下げられていた。

「ほら、グレンの分だ」

「あっ、わざわざありがとうございます」

「これくらい構わないさ」

 相変わらず眠たそうに目蓋を擦るグレンに報酬金と素材を何とか手渡す。

「しばらくは休息が必要か……」

 疲労しているグレンの様子を見ながらヴァイスは呟いた。

 ヴァイスはギルドナイトに所属するハンターだ。ギルドナイトは選ばれたハンター達の集い。その中で、ヴァイスは《クラス. 1st》と呼ばれるランクに属する。彼が全身に纏うギルドガード(あお)シリーズがそれを裏付けている。無論、それ相応の武器も携えている。

 ヴァイスの身長を遥かに凌ぐ細身のフォルムが印象的だ。ドンドルマ地方では金獅子と畏れられるラージャン、古龍に分類される美しくも逞しいキリンと呼ばれるモンスターの素材が使用されている。どちらも雷属性を司り、この太刀もまた高い雷属性を宿していた。銘を鬼哭斬破刀(きこくざんばとう)真打(しんうち)という。

「取り敢えず、しばらくは休息を入れるか」

「そうしてくれると嬉しいですね」

 ヴァイスの提案にグレンも素直に承諾した。

 グレンと初めて出会ったのは、もう三ヶ月ほど前の話になる。その頃は色々と抱え込み自分を見失っていたグレンだが、最近では見事な活躍を何度も見せていた。

 グレンの防具は全身を暗い色で統一している。鎖骨の辺りから迫り出している爪が何とも言いがたい不気味な雰囲気を生み出してる。アームやグリーヴもモンスターの素材の他、竜骨やライトクリスタルで補強を施してある。ネブラシリーズと呼ばれるこの防具は、グレンがヴァイスと初めてパーティーを組んで討伐したギギネブラの素材を主として作られている。

 背中に背負っている重量感ある狩猟笛は一見してバグパイプのように見える。だが、これも列記とした武器だ。狩猟笛と呼ぶにはまさに相応しい見た目で、なかなかの破壊力を誇る。へビィバグパイプと呼ばれる狩猟笛だ。

「それなら、クレアにもそのことを伝えないと。俺が行きましょうか?」

 しばらくヴァイスは考えるような素振りを見せた。その後、首を横へと振った。何故なら、その手間は省けたからである。

 集会浴場の入り口から一人のハンターがやってきた。そのハンターはヴァイスたちを見つけるとこちらへ駆け寄ってきた。そして、そのハンターの顔が明らかになる。

「師匠、グレンさん。お疲れ様でした」

「なんだ、わざわざ出迎えてくれたのか」

「いやー、今回の狩猟に同行しなかったのは私のわがままなのでこれくらいはしておかないと、と思いまして」

「ありがとな、クレア」

「そんな、お礼なんていいですよ」

 照れているのか、やや頬を赤らめながらクレアが笑みを浮かべた。

 彼女はクレア。ヴァイスの弟子にあたる。弟子になった経緯は複雑だったが、現段階でヴァイスはクレアを一人前に成長させてやろうと決心している。そしてクレアもまた、ボルボロスの狩猟の際に比べ腕を上げてきている。

 腰に下げている剣はレイピアのように細身の刀身を持つ。その刀身の一部が血のような赤を帯びており、斬りつけた相手にこの剣が宿す毒属性が牙を剥く。グレンのネブラシリーズと同じくギギネブラの素材から作られており、シャドウサーベル改と呼ばれる片手剣である。

 防具も以前のウルクシリーズから変更していた。動きやすさを重視して作られた防具のためかそれほどの重装備ではない。だが、打たれ弱い部分は甲殻で覆われているため十分な防御力を誇る。凍土に住まうモンスター、ベリオロスの素材を使ったベリオシリーズをクレアは纏っている。

「俺たちの留守の間に何かかわったことはなかったか」

「いえ、特に何も」

「そうか」

 今回の狩猟、クレアは同行しなかった。現在、この村にはヴァイスたちの他にもハンターは多くいるため狩猟に出ている間クレアが留守をしなければならないという必要はない。それに、クレアはどちらかというとついて行きたかったという顔をしている。

「あっ、そういえば妙な噂が最近流れていますね」

「妙な噂?」

 グレンが顔をしかめる。それもそのはずで、二人が狩猟に出る前まではそんな話など聞いた覚えがなかったからだ。

「何でも、ユクモ村の近辺で妙に雷光虫が活発になっているらしいんです」

 雷光虫とは、普段の生活の中でも広く利用されている昆虫の一種だ。衝撃を与えると防衛本能のためか放電を行い攻撃を仕掛けてくることもある。

 しかし、雷光虫はユクモ村近辺でなくても孤島や凍土にも出現している。ヴァイスたちが狩猟に赴いた水没林でも雷光虫は出現したが普段どおりの動きを見せているだけだった。

「俺たちも向こうで雷光虫には遭遇したけど、別に活発っていう感じはなかった気がするけどなぁ」

「うーん、どうもその話も曖昧なんですよね。他のハンターも別にそんなことはなかったって言ってますし」

「その話の根源がハンターではなく、商人や旅人だったら話は別かもしれないな」

 雷光虫を見慣れたハンター達ならまだしも、商人などはそういった勘違いをすることが少なからずある。それだけの要素では、どうも話の信憑性は高いとはいえない。

「それだけなら確かに師匠のような考え方もできると思います。でも、まだ他にも噂はあるんです」

「そうなのか?」

 てっきり、噂話が一つや二つだと思っていた二人は多少驚いたような面持ちでクレアの話を聞いた。

「これもユクモ村近辺らしいんですけど、最近狼のような竜のような、とにかく異様な雰囲気を発しているモンスターの影を見たという人が後を立たないんです」

「それも商人たちが?」

「いえ、私もそこまではよくわかりません」

 それがハンターたちが見た、ということならまた話は変わってくる。だが、現段階ではそれがわかっていない。どうにも信憑性に欠ける話だ。

「その話、一体いつ頃から流れ始めているんだ?」

「師匠たちが村を出発してから二、三日後からでした」

「なるほど。道理で俺たちが知る余地がないわけだ」

 これにはただ間が悪かった、としか言いようがない。

 しかし、それだけの目撃情報や異常現象を見たという人が多いのならこの話はかなり重要性が高まってくる。こういった場合、率先してギルドナイトが動くことになっていることは言うまでもない。

「少し爺さんの所へ行ってくる。二人は先に戻っていてくれ」

「あ、はい」

 爺さん――ギルドマネージャーなら何か知っているだろうと踏んだヴァイスは、相変わらず飽きもせず酒を飲んでいた小柄な人物の元へと急いだ。

 

 

 

 先ほどまで眠気に襲われていたグレンであったが、クレアの話のおかげで嘘のように眠気が消えてしまった。ある意味残念ではあったが、今はそれよりも重要なことが眼前に迫っていた。

 一旦家へと戻ったその足で、グレンは詳しい事情を聞くべくクレアの元を訪れていた。だが、これ以上の収穫は今はなかった。

「雷光虫……? 一体何と関連しているんだ?」

 最近ヴァイスから借りていた資料を読み漁っているが何も手がかりは見つからない。それどころか、調べれば調べるほど謎が深まるばかりである。

 ページをめくっていくとシビレ罠と書かれた欄が目に入りその手が止まる。

「シビレ罠……。そうか、雷光虫だから雷に関連しているのかもしれないけど……」

 推測を立てては誤っているのではないかと考え込んでいるのが続いてしまっている。髪を乱暴にムシャムシャと掻き毟る。

「グレンさん、一回休んだらどうですか? 狩猟を終えてすぐなんですし疲れも溜まっていることですから」

 クレアが淹れてくれたお茶を受け取りながら、それもそうだなと思う。

「うん、そうだよな。ありがとう」

「どういたしまして」

 絶妙な苦味がグレンのムシャクシャした気持ちを洗い流してくれるようだった。気分が落ち着き頭の中も整理しようかと考える。

 すると、玄関の方からドアをノックする音が聞こえていた。

「はーい、今行きます」

 クレアが応答にあたるために玄関へと急ぐ。

 ドアを開けるとそこには知った顔が目の前に立っていた。

「あ、師匠。お疲れ様でした。グレンさんも中にいますよ」

「そうか。家にいなかったからここだと思ったけど、予想通りだったな」

 家へと上がり資料を読み漁っているグレンが目に入ると、ヴァイスは思わず苦笑いしてしまった。

 相変わらず勤勉な性格だなと関心する一方、少しは休んだらどうだと呆れる感情が浮かんでくる。

「ところで、何か分かったことはありますか」

 グレンが期待するようにヴァイスに問いかけてくる。だが、ヴァイスは首を横に振る。

「あまり詳しいことはわかっていない。ギルド側も、既に調査に乗り出しているようだ。俺たちが動くかどうかはその後だな」

「そうですか……」

 グレンは安堵しているのか、気落ちしているのか複雑な様子だった。

 だが、それだけ彼が未知の何かに傾ける情熱は確かに伝わってきた。

「しばらくは休息を入れよう。クレアも精神的には疲労しているだろ?」

「すいません。私が不甲斐ないばかりに……」

「今は別に構わないさ」

 今回、クレアがヴァイスたちに同行しなかったのは、標的のモンスターにその原因があった。水没林でのリオレイアの狩猟。それが今回の依頼内容であった。このリオレイアがその原因だ。

 クレアは数年前、旅の途中で両親と逸れリオレウスに襲われた。その時に死というものが目前に迫っていたクレアにすれば、リオレウスがトラウマの対象になってしまうのは致し方ないことかもしれない。そんなことならハンターを辞めればいい、というのが早い話だ。だが、クレアにはその程度では退けない想いがあるのだ。

 違いはあれど、リオレウスとリオレイアは夫婦火竜(めおとかりゅう)と呼ばれており、その姿は似つくものがある。リオレウスに対する恐怖がリオレイアに乗り移っても無理はない。

 最初はクレアもついて行くと言っていた。だが、ヴァイスはそれを止めた。今のままではクレアは何も出来ずに終わるだけだと考えたからだ。だが、いずれその高い壁を乗り越える日がやってくるだろう。その時のために、今はまだ成長段階のクレアを止めたのだ。

「まあ、近いうちに何か分かるだろう。噂話として流布している現状では、何もせずにただ真相を待てばいい」

「そうですね。まずはこの話の真偽が分かってからでないと、何も始まらないですからね」

「ああ、そうだ」

 話を終えるとヴァイスはゆっくりと立ち上がる。急な用件だったため、ヴァイスの方も疲労が溜まってきていることだろう。

「あ、そうだ!」

 クレアが何かを思いついたようにポンと手を叩く。

「せっかくだから私が何かご馳走しますよ! ……そうですねぇ。私の料理なんでどうでしょう? これで疲労回復もバッチリですっ!」

「え゛っ!?」

「り、料理か……」

 クレアに決して聞かれることとないよう、二人は悲鳴を上げた。

 クレアの料理を食べる。それは即ち、地雷を自ら踏みにいくというものだ。いや、彼女には悪気はないはずだ。現に、今浮かべている笑顔も生粋のものであろう(と信じたい)。

「? どうかしましたか?」

 クレアが小首を傾げる。

「い、いやー! 俺今さ、なんと言うかさ、腹が減ってるわけでは――」

「いや、なんでもない。ありがたくいただくことにするよ。そうだろう、グレン?」

 調子を合わせろ、と言わんばかりの禍々しいオーラがヴァイスから漂ってきた。それに気圧され、グレンもそれに逆らうことができなかった。

「あ、あぁ! 俺も楽しみだなー! クレアの手作り料理!」

 二人がそう言うと、クレアはパアァッと顔に花を咲かせた。

「はい! 任せてください!」

 クレアは「ふんふふ~ん♪」と陽気に鼻歌を歌いながら台所へと去っていった。

 その途端、二人は大きなため息をする。そして、グレンに至っては今にも涙目になりそうにヴァイスに迫ってきた。

「何言ってるんですかあなたは……!? 俺たち、死にに行くようなものですよ……!?」

 小声になりながらもグレンはどうしてこうなった、と諦めと絶望の表情を浮かべていた。

 先日、グレンはクレアの料理を初めて食べた。その後グレンがどんな反応をしたかということは、それぞれの想像に任せるとしよう。

「お前、あの状況下で断ったら鬼だぞ」

「うっ、それはそうかもしれませんが……」

 確かに、現状から逃れるためだとはいえ、あの状況のクレアを断ることは可哀想にも程がある。だが、それではこちらの身が持たない。

「でも、それとこれとは事の重大さが違います……!」

 グレンの言い分も理解できる。

 ヴァイスも、ユクモ村を訪れクレアを弟子にしてから早々“アレ”にやられてしまった。それが後を引きずっていないかと言われれば嘘になる。

 しかし、それでもヴァイスはグレンを止めた。それも自分自身をも巻き添えにして。

「大丈夫さ。今回は」

「大丈夫って、一体何を根拠に……」

「最近、あいつの料理の腕は日に日に上昇しているんだ。案外、期待できなくもないぞ」

「……」

 ヴァイスらしくないが、明らかに顔を青く染めていた張本人が言っても説得力は皆無である。しかし、ここまで言われてはグレンも言い返せない。

 だったら、腹をくくって倒れる時は潔く倒れてやるだけだ。

「……わかりましたよ。そこまで言うなら、一緒に付き合ってもらわないといけませんね」

「ああ、そのつもりだ」

 そうして、しばらくの間家には台所の方から聞こえてくる物音以外、何も聞こえることはなかった。暫時、二人が喋ることもなかった。

 そうして、しばらくの後、「できましたよー!」と本来ならば喜ぶべきなのに恐ろしい呼び声が聞こえてくるのであった。

 

 ああ、終わったな。と思った。

 この料理を食べた後、自分は無慈悲に現実から意識が遠のいていき、後は全ての苦痛などから解放されるのだと。少なくとも、料理を一口運ぶ前まではグレンはそう思っていた。

 だが……、

「あ、あれ……? 意外と、いける……?」

 ついに自分の味覚が狂ってしまったのではないかと第一に考えた。

 試しにもう一口。やはり普通に食べられる。というより、普通に美味しかった。チラリとヴァイスのほうへ視線を向ける。

「この短期間でよくここまで腕を上げたな」

「そんな、まだまだですよ」

 どうやら、ヴァイスも普通に食べられている様子だ。つまり、グレンの味覚は正常だということである。

「言ったとおりだろ」

 ヴァイスがクレアに気づかれぬような小声で言ってくる。

 以前食べた時は、確かに倒れるくらいのとんでもない味だった。だが、それがどうだろうか。今、目の前に広がっている料理は、品数は少なく質素でありながらも食べられる。何故だろう。グレン自身の方が嬉しかった。

「一体、何が起こったんですか」

 マジックを目の当たりにしたような物言いでヴァイスに問いかける。

「さあな。俺にも詳しいことはわからない。だが、最近のクレアの様子を見ると何故かこうなることが予想できる気がしたんだ」

「結局、一か八かの賭けじゃないですか……」

 グレンが冗談半分に呟いた。だが、普通に生還できることなのでよしとする。

 だが、まさかとは思うが、本当に一か八かの賭けに出たのではないだろうか。仮にそれが本当だとしたら、料理が失敗していた時どうなってしまっていたのだろうか。考えるだけで鳥肌が立ってきそうだ。

「ご馳走様」

 取り合えず完食して、大きな安堵のため息がグレンの口から漏れ出した。

「この様子なら、しばらくは大丈夫そうだな」

 何が大丈夫なのか皆目検討も付かないが、少なくともヴァイスは今回の出来に満足しているようだった。

 まあ、この事を考えれば次に作ってくれた時も食べることはできそうだ。この影響でさすがに次回こそはグレンも拒否するような真似もしないだろう。

「さて、そろそろお暇させてもらおうか」

「そうですね。長い時間世話になりましたし」

 二人は立ち上がると、クレアに礼を言って立ち去った。帰り際「また作って欲しいときは言ってくださいねー」とクレアが言っていたが、次からは料理の味ではなく“クレアの料理”という単語に慣れておこうと思うグレンであった。

 

 

 

 黎明の空に月がまだ輝いている。

 山間に位置するユクモ村は、朝方になるとよく霧が発生する。山沿いの獣道の視界は制限され、見えるのは月の光に照らされ光る白一色の景色ばかりである。

 小鳥のさえずりが響く中、ガタガタと一台の荷車が派手な音を立てて突っ切っていく。その荷車はユクモ村の鳥居の前で止まると、一人のハンターとその荷物と思われる物を置き去りまた霧の中へ消えていった。

「ここが、ユクモ村なのですね……」

 聳え立つよな高い塔を見るような目でハンターが呟いた。

「……」

 暫時、ハンターは黙り込む。瞳を閉じゆっくりと深呼吸を行う。

 そして、深呼吸を終えると近くに置いてあった荷物を担ぎ赤い鳥居の下を潜り抜けた。

 このハンターがユクモ村を訪れた理由。それは、このハンターの願いでもあり、そして希望そのものでもあった。



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EPISODE42 ~翼を失った天使~

 東の空に太陽が輝き始める。まだ、時間帯からすれば夢の中を彷徨っている人も多いはずだ。だが、ユクモ村には既に多くの人々の姿があった。そのほとんどが村人である。

 グレンも、ユクモ村の人々の生活習慣に慣れてきたためか最近は朝が早い。表へ出ると大きく伸びをする。

「う~ん、気持ちのいい朝だなぁ」

 自分でも暢気だなぁ、と思いながらもついついそう口に出してしまう。

 肺一杯に大きく息を吸い込む。清清しい空気が肺の中に取り込まれ気持ちが落ち着いてくる。

「さてと。朝食でも作ることにしますか」

 休養を取るとは言いつつも、この時間からやることといえば一部に限られる。やや空腹感を覚えていたのでちょうどいい頃合いだろう。

 さて、朝食は何を作ろうか。宿屋で働くレーナや、自炊生活の長いヴァイスほどでもないが、グレンも多少の物なら作ることが出来る。そんなことを未だに覚醒しきってない頭の中で考えていた。

 すると――、

「すいません。ちょっといいですか~」

 不意に間延びした声が背後から聞こえてきた。その声の主が自分に対して言葉を発しているのだということはしばらく経ってから理解した。

 慌ててその声のした方向を振り向いた。すると、そこには小柄なハンターが立っていた。

 頭部を含め全身に防具を纏っているため性別は判別しにくいが、兜は顔が窺える作りになっており、先ほどの声からしても女性だろう。見うる限りではかなり若く見える。

「すいません。ここの村の人でしょうか?」

「いや、この村の人って訳じゃなけど……。俺に何か用でも?」

「その、ちょっと道をお尋ねしたいのです」

「は、はぁ……」

 まるで村長相手に話をしているようだった。

 ユクモ村の村長は物腰の柔らかい人物だ。いつものほほん、とした口調でどうもこちらのペースが崩れてしまう。この女性ハンターも村長と同じ――とは言わないが、このハンターの独特な雰囲気にグレンも躊躇いを抱く。

「えっと、一体どちらに?」

「この村に有名なハンターがいると聞いたんですけど、その人に会ってみたいのでどこにいるか教えてほしいのです」

 それは道ではなく人を訪ねるのでは? と心の中でグレンは突っ込む。

 しかし、この女性ハンターが言う有名ハンターというものも気がかりだ。あてになる人物は一人しかいないが、一体彼に会いたい理由は何だろうと考え込んでしまう。

「わからなかったらいいんですけど~……」

「あぁ、いや、大丈夫。分かるよ」

 思えば、彼女が言う人物――ヴァイスに会う理由などグレンにしてみれば関係のない話だ。きっと、彼女なりの理由があってヴァイスに会いたいとここまで来たのだから。

「案内するよ」

「そうですか。ありがとうなのです~」

 ヴァイスの家が位置している場所は、グレンの家から石段を何回か上がった場所にある。

 元々ヴァイスも朝に弱いわけではなく、朝早くから素振りをしていることもあるので疾うに目を覚ましていることだろう。

 しばらくして、目的地が見えてきた。

「ほら、あの家だよ」

 わかりやすいように指で指し示す。その指先には確かにヴァイスが暮らしている家が建っていた。

 ハンターが声色をやや興奮させながら礼を言った。

「ありがとうなのです!」

「あはは、別にお礼なんかいいよ」

 グレンもついつい笑みを浮かべてしまう。

 しかし、当のハンターときたらそんなことも気にかけない様子で家の前へと走っていく。そして、今度は打って変わってやや控え気味にドアを二回ノックした。だが、しばらくまっても返事は聞こえてこない。まだ寝ているのではないかとハンターは考える。

 と、ここで何か思い出したのかグレンが口を開く。

「そういえば、ヴァイスさん。昨日、確かギルドマネージャーに尋ねたいことがあって朝早くから家を留守にするって言っていたような……」

「え?」

 もちろん、その言葉をハンターが聞き逃すわけがなかった。

 ここまで連れてきておいて無駄足だったというのは、このハンターにしてみれば迷惑なことだと感じてしまうかもしれない。いや、頼んでおいてそれはないだろうと信じたいものなのだが、生真面目なグレンの思考にはその考えが巡ることはなかった。

「そ、そうだ。ヴァイスさんなら集会浴場にいるよ。きっと」

 きっと、という単語は余分だったかと思うがもう遅い。事実、この話が本当なのかもわからないので自信がなかったのだ。

「そうですか。なら、私でもわかりますよ。わざわざありがとうなのです~」

「そ、そうかな? お役に立てて何よりだよ」

 ははは……、と乾いた笑いが出てくる。

 ハンターは、グレンの案内に従って集会浴場へと続く石段を一人駆け上がって行った。

 その様子をグレンはしばらく眺めていた。そして、ため息を付く。朝から妙な疲れを覚え、このまま再び寝てしまおうと思うグレンであった。

 

 

「ふっ! はぁっ!」

 シャドウサーベル改の軌跡が、何もない前方の空間に走る。

「てやあっ!」

 今度は身体を捻るようにして回転斬りを繰り出す。ヒュンッ、と風を切る音が見事に響く。

「ふぅ……、今日はこんな所かな」

 額の汗を拭いながらクレアが呟く。

 最近、クレアはこの素振り練習に一層気合を入れて望んでいる。というのも、クレアにも上位クラスという壁が見えてきている。今のままでは歯が立たない、そう考えたクレアの意志がこの行動を起こさせた。

 少しずつではあるが、着実にその成果は出てきている。片手剣の長所である連続攻撃の立ち回りにも磨きがかかり、基礎である剣の腕も上達した。

「もしかしたら、師匠に褒められたりして~」

 それはそれでとても嬉しいことであり、クレアとしても自信が湧いてくる。

「……なんてね」

 だが、この程度で満足していけないことは重々承知している。だからこそ、もっと練習や実践を積んで目的へ近づこうと努力している。今は、それがヴァイスに認められればそれでよかった。

 家の中に戻るとシャドウサーベル改をボックスにしまう。

 朝からいい汗をかき、温泉に浸かりたくなる。この時間なら人も少ないことだろう。広い湯船を一人いじめにできることもある。

「じゃあ、行きますかっ!」

 それまで素振りをしていたとは思えないような軽やかな足取りで石段を駆け上がる。暖簾を潜り番台アイルーに一言挨拶を交わしてから着替える。

 案の定、クレアの他に今は誰も温泉にいない。広々とした温泉の真ん中にクレアは腰を下ろした。

「あはは……、これはこれでちょっと寂しいかも」

 広い空間の真ん中に少女がポツリと一人。端から見ればクレアは「友達のいない悲しい少女」に見えるかもしれない。が、本人はそんなこと気にも留めない様子である。

 しかし、静かに過ごすひと時もいいものだが、やはりクレアはわいわいと賑やかな方が好きだった。そうして、しばらく一人の時間が続いた。

 どれくらい経った頃だろうか。誰かが集会浴場に人が入ってきたかと思うと、いきなり辺りをキョロキョロと見回していた。そして、クレアを見つけるとその人物がこちらに近寄ってきた。

「あ、いたいた。探したよ」

 いつもと違ってラフな格好をしたグレンがそこに立っていた。

「グレンさん。どうかしたんですか?」

「ヴァイスさんが話したいことがあるらしいんだ。それで、クレアを探していたわけなんだけど。家にいなかったから手間取ってさ」

 どうやら入れ違いになったらしい。余計な手間をかけたグレンには悪いが、その分だけこちらはリラックスすることができた。

「そういうことなら、すぐ着替えてきますね」

「ごめん、助かるよ」

 まだ湯船に浸かっていたいがそうもいかない。クレアは、やや後ろ髪を引かれる思いで集会浴場を後にした。

 

 

「ヴァイスさん、連れてきましたよ」

 ドアをノックしながらグレンは言った。

 クレアが連れてこられたのはヴァイスの家。話したいこと、というものを伝えるのにはやはりこの場所が最適だろう。

「ああ、すまなかった」

 扉の向こうから現れたヴァイスが礼を言う。

 そして、すぐさま家の中に案内された。

「少し待ってくれ」

「はい、わかりました」

 そうしてヴァイスが奥へと去っていく。

 家の中を見回せば、彼の愛用のする武器。そして、数々の資料などギルドナイトらしい彼の生活が窺えた。

 机の上にまとまっている資料をクレアは覗き見する。

 そこには、先日のリオレイアの狩猟についてまとめられていた。習性や癖の違いなど、おそらくドンドルマに送る資料だと思われるものだった。その他にもクレアの知らないモンスターの様子が細かく書かれた資料が幾つもあった。

「さすが、ヴァイスさんだよな」

 隣からグレンが割り込んできた。

 そういえば、グレンはヴァイスから借りた資料をここ最近持ち歩いていた。勤勉なグレンにしていれば、それは教科書といっても過言ではないだろう。

「やっぱり、ギルドナイトって大変なんですね……」

 この資料の山を見うる限りでもそう断定できる。それ以上に他の依頼や任務をこなすのだから、ギルドナイトは本当に多忙な職業なのだ。

「ん? これ、肖像画……?」

 資料に隠れて見えなかったが、机の角辺りに二枚の肖像画が額縁に飾られていた。一枚目はある四人の少年少女たちが。二枚目には二人の人物が描かれていた。どちらの肖像画にもどこか見たことのある気がする少年が描かれている。

「これって――」

「悪い、待たせたな」

 クレアの手が額縁に触れようとした直後、家の奥からヴァイスが戻ってきた。と、彼の後ろにはある人物が連れられていた。その姿はヴァイスの陰にちょうど隠れる形になってしまっており、二人の位置からでは確認できない。

「どうした?」

「な、何でもないですっ!」

 ヴァイスはそれ以上詮索する様子はなく、変な奴、とでも思っているような表情を浮かべた。

「それより、その方は?」

「と、そうだな。自己紹介は本人から聞いてくれ」

 ヴァイスが一歩退く。そこで、彼の後ろにいた人物の姿が露わになった。紛れもない、その人物はハンターであった。

「ッ!?」

 グレンが驚きを隠せない様子だ。それもそのはずで、このハンターの纏う防具とハンター自信が何とも不釣り合いに見えてしまうからだ。

 レイアシリーズ。全身を緑色の鱗や甲殻から作られ、鉱石などで更なる補強を加えてある。その耐久性は陸の女王、雌火竜リオレイアの素材を用いているだけあって折り紙つきだ。作り自体は剣士のそれではなくガンナーのものだった。それ故、そのハンターがガンナーであることは一目瞭然だった。

 このハンターは背中にライトボウガンを背負っていた。こちらもレイアシリーズと同じ、リオレイアから作られたものでヴァルキリーファイアという。ロングバレルに可変倍率スコープと、ガンナーながら攻めを重視して調整が行われている。

 ライトボウガンの大きな特徴は、それぞれのライトボウガンに速射という機能が備わっていることだろう。援護に回ることの多いガンナーは、この一つの要素で戦況を大きく変えることが可能だ。このヴァルキリーファイアはLv2通常弾が対応している。

 この装いを見る限り、このハンターは高い実力の持ち主だ。だが、その持ち主側にやや問題があった。

 小柄なクレアより、さらにやや小さめの身長。年もクレアと同じくらいだ。短く二つに括られた水色の髪。翠玉(エメラルド)のような瞳が印象的で、何とも愛らしい出立ちをした少女だった。

「ソラ・アーレンです。これからよろしくお願いするのです」

 ヴァイスはともかく、クレアとグレンは呆気に取られていた。それからしばらくして、グレンはある事に気が付く。

「き、君って、確か今朝の……!」

「はい、その件についてはお世話になったのです」

「や、やっぱり……」

「そ、それより師匠! これからよろしくって、一体どういうことなのか……。ちゃんと説明をお願いします!」

 クレアも落ちつかない様子でヴァイスに迫ってくる。

 一応ヴァイスは落ち着くよう宥めた。そして、クレアが落ち着くのを待って話し始めた。

「まあ、彼女の言ったとおりだ。これから俺たちはパーティーを組む。それは理解できるだろ?」

「は、はい。私としても、それは歓迎しますけど……。また、どうしていきなり……」

「それは、本人から訊いた方がいいだろう……」

 ヴァイスの語尾がだんだん小さくなっていく。何故なら、グレンがボーっと放心状態のようになっていたからだ。

 はあ、と見かねたヴァイスがため息をつく。

「おい、グレン。戻って来い」

 ヴァイスが指をパチンと鳴らす――俗に言うフィンガースナップをグレンの顔の目の前で行った。すると、催眠術が解けたようにハッと我に返った。

「す、すいませんっ!」

「気にするな。取り合えず、彼女の話を聴いてやってくれ」

「は、はいっ……」

 何とも素っ頓狂な声でグレンが返事をする。

 再びため息をつきながらも、ヴァイスはそれを見てみぬ振りをして頼む、と一言言った。それを合図に少女――ソラが話し始めた。

「まず、わたしがここに来た経緯から……。私、元々ロックラックでハンターをしてたんです」

「ロックラックって、あの大都市の?」

「はいです」

 ロックラック。砂漠の中心に位置するその街は砂上船や飛行船交易の要衝として多くの人々が訪れていた。この地方では名の知れた大都市であり、そこでハンターをしている人物の多くが高い実力を持ったつわものたちが揃うと聞いていた。

「へぇ~、ロックラックから。ということはソラさん、やっぱり実力が高いんだ」

「そんな、大したほどじゃないです……」

 口ではそう照れ隠しを言っているソラだが、どこかクレアの言葉に落ち着かない様相だった。

「でも、なんでソラさんがわざわざユクモ村に?」

「ああ、そのことなんですけど……」

 途端にソラの声が小さくなっていった。

 何かまずいことを口走ったのかとクレアは慌てて口を塞いだが後の祭りだ。そんな様子に苦笑いを浮かべながらソラが「大丈夫ですよ~」と言った。

「元々、これはわたしに原因があるんです。だから、クレアさんが心配する必要なんてないですよ」

「う、うん……」

 そう言われてしまうとこちらも気まずくなる。ソラもソラでそのことはわかっていることだろう、話を続けた。

「さっきも言ったとおり、わたしはロックラックでハンターをしていたんですけど……。みんなからの期待が大きくて自信なくしちゃったみたいです……」

「え……」

 それに反応したのはグレンだった。まるで、数ヶ月前の自分を見ているようだった。そう思うと胸が苦しくなってくる。

「……そ、そうなのか」

 グレンが重々しく頷く。

「あの、それでわたしは思うのです。人はみんな翼を……、自信という翼を持っているって」

「自信、という名の翼……」

「だから、みんな羽ばたいていけると思うんです。先が見えない未来へ。鳥のように、羽ばたいて……。わたしはそれを無くしてしまったんです。だから、未来が怖いんです……」

「……」

 クレアもグレンも衝撃のあまり黙り込んでしまった。特に、グレンには一際大きな衝撃が身体全体を走った。

 あの時、自分を見失ったグレンはユクモ村へ流れ込んだ。そこでヴァイスに会うために。彼なら、この状況を打破できる策を考えてくれると信じたから。そう、結局この二人も似た者同士だった。

 ――だから、

『それが、ヴァイスさんの元を訪れた理由』

 見事にグレンとソラの声が被った。

 まさかグレンも、自分が声に出してそんなことを言うとは思ってもおらず、穴があったら入りたいほどの赤っ恥をしてしまった。

「ご、ごごご、ごめん! 決してわざとじゃないんだっ!」

 必死にグレンが弁解する。ソラも困り果てている様子だった。そこに救世主が現る。

「と、グレンもソラと同じような経験を経ている身だ。案外、グレンに相談してみるのも一つの手立てだな」

「そうだったんですか?」

 ソラがグレンの顔を覗き込むように表情を窺う。

 目を合われることができないグレンは身体が捻じれるのではないかという勢いで身体を捻った。

 無論、その様子をソラは不自然に思う。

「どうかしたんですか?」

「べ、べべべ、別に!」

「そうですか。なら、よかったです」

 なんともまぁ、グレンが手玉に取られている様子がまた面白い。ソラ自体にその意識がないことからグレン一人で空回りしているだけに過ぎないが。

「とにかく、グレンさんの言うとおりです。わたしがここを訪れた目的はそういうことです」

 一通り話し終えたソラが大きく息を吐き出す。まるで、中に溜め込んでいたストレスを発散させることができたような様子だ。

 ほぉ~、とクレアは関心したように頷いている。

「ということだ。これからしばらく、ソラとパーティーを組むことになる」

 この「しばらく」という単語が引っ掛かった。

 つまり、ソラとパーティーを組むのは一時的だ、と断言しているようなものだ。疑問に思ったクレアが問いかける。

「ソラさんとパーティーを組むのは一時的なんですか?」

「いや、それは本人しだいだ。ソラがロックラックに戻りたいという希望なら俺は止めるつもりはない、ということだ」

「なるほど」

 あまり難しいことを言ってもクレアが理解に苦しむことは容易に想像できる。本当は複雑な事情が込み入っている訳なのだが、今はそのことを隠しておくことにする。

 だが、その一時的という短い期間でソラの悩みの種を解決するというのも厄介な話だ。

 簡単に言えば彼女の自信を取り戻させればそれで解決する。しかし、そこが一番の問題である。ソラは周りからの期待という重圧に気圧され自信を失ってしまった。それをどうやって取り戻すのか、その方法を模索する。

「そういうことなら。ソラさん。これからよろしく!」

「はい! こちらこそよろしくです」

 一方、彼女たちはすっかり打ち溶け合っているようだ。実際、ヴァイスとしてもそちらの方が動きやすくて助かる。

「まあ、ソラの件についてはこれからゆっくり考えるとしよう。時間の猶予は、まだある」

「私たちも協力します。ソラさんの自信を取り戻せるように!」

「ありがとうなのです。とても助かるのです」

 今回の件。案外、グレンの他にもクレアに任せるのも一つの方法かもしれない。同じ年頃の二人なら何か分かり合える部分が少なからずあるはずだ。そこを上手く使えば――。

 と、そこで先ほどから沈黙を保っていたグレンが突然口を開いた。

「ソ、ソラ!」

「はい、なんです?」

「そ、その……」

 何か言いたいことがあるのはわかる。だが、何かが邪魔をしてそれを許さない。

「お、俺が……」

 ソラは気にしない様子でグレンの言葉の続きを待っている。だが、そのグレンは歯を食いしばり何かを我慢している。

 そして、グレンが感情任せにこう言った。

「俺が、ソラの翼になるから!!」

 いきなりの発言にヴァイスは虚を衝かれ、クレアは驚きのあまり目を大きく見開いた。二人とも、グレンが何を言っているのかわからなくなり静寂が流れた。

 そしてしばらくの後、ユクモ村にクレアの愕然とした絶叫が響き渡った。



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EPISODE43 ~力になりたいから~

「あぁ……。俺、何とんでもないこと口走ったんだろ……」

 真っ青な顔で、絶望した瞳でグレンが一人嘆いている。

「いや、言い出したのはお前だからな?」

 と、ヴァイスも救い様がないとでも言い放つ。

 いや、実際この状況を招いたのはグレンなのであり、結局は自分で自分の首を絞めただけの行為なのだ。ヴァイスがフォローしないのも無理はない。

「でも、“ソラの翼になる”ですか……。ふふっ、グレンさんも意外とロマンチストなんですね」

「い、言わないでくれ!」

 レーナの冗談にグレンは過剰に反応する。

 時刻は昼前だ。レーナの父親が営む紅葉荘もこの時間帯では客が入ってくることはない。仕事の方も一段落し、休憩中の時間を割いてレーナが話を聞いてくれていた。

「まぁ、人にもよりますけど、あたしはそう言ってもらえるととても嬉しいですね。ソラはどうでしょう? 性格的に……」

 レーナの考えもヴァイスは理解できなくはない。あの天然でほんわかしたソラが、グレンの言葉をどう受け取ったのか。ある意味とても興味がある。

「でも、また思い切った発言ですよねえ。その様子だと何も策はないようですし……。他に何か理由が?」

「えっ!? い、いや。それは……」

 グレンは、妙に慌てた様子を見せる。

 それを見たレーナが、何かを察したように「ふーん」と目を輝かせた。

「もしかして、ソラに一目惚れしたとか」

 これまた冗談半分のつもりでレーナが言う。だが、グレンはその途端弾かれたように背筋を伸ばした。

「は、はい!? お、俺がソラに一目惚れ!? そ、そそそ、そんなことがあるわけないじゃないか!」

 顔を真っ赤にしてグレンが必死に否定する。

 だが、その様子を二人は白い目で見つめていた。

「な、なんだよ……? レーナも、ヴァイスさんも。その目……」

「……図星か」

「……図星ね」

 二人が全く同じ反応をするものだから、グレンは居心地が悪くなる。加えて、そんなことが疾うにばれていたことが衝撃的だった。

「う、うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「グ、グレンさん落ち着いて!」

「やれやれ……」

 しばらく、グレンの絶叫が響き渡った。しかし、それを気にする人はヴァイスたち以外に他いなかったことが救いだった。

 

「とりあえず、このハーブティーで落ち着いてくださいな」

「あ、ありがと……」

 ようやくグレン静まったところだ。レーナが淹れてくれたハーブティーのおかげでだいぶ落ち着くことができた。

「さて、グレン。色々話したいこともあるからそろそろいいか?」

「は、はい」

「まず、(くだん)の事についてだ。具体的に何か策は浮かばないのか?」

 ヴァイスの問いかけにグレンは返すことがでいない。何故なら、その時は勢いであんなことを言ってしまったため具体的な策など考える余裕がなかったからだ。そして、それは今になっても変わることはなかった。

 様子だけを見て察したヴァイスが「そうか」と一言だけ言うと椅子に深く腰掛けなおした。

「ソラに直接聞いていたらどうでしょう。何かしてほしいこととか」

 レーナの案もいいかもしれない。だが、それには一つ問題がある。

「無理だよ。まず、今はソラがどこにいるのかわからない。せめて泊まっている場所さえわかれば……」

 そう、その本人の居場所が断定できないということが大きな問題だった。

 ソラが宿屋に泊まっているのか空き家を借りたのかさえも知らない。どっち道、それでは話は進まない。

 しかし、レーナはそんなことを気にせずにカウンターの方へと歩いていった。そして、何かリストのような物のページを捲り始める。

「えっと、ソラの部屋はと……」

「ちょっと待ったっ!」

「わっ、いきなりどうしたんです!? 大声でびっくりするじゃないですか」

「ご、ごめん。……じゃなくて! ソラはここの宿に泊まっているのか!?」

「あぁ……、そういえばあたし、そのこと言ってなかったかも」

「そ、そういうことは先に言ってくれよ」

 などと茶番を二人で繰り広げている。少なくとも外野にいたヴァイスにはそう見えた。

「あ、見つかった。えっと、部屋番号は……」

「言わなくていいから!」

「……はぁ。グレンさん慌てすぎ」

 冗談ですよ、冗談。とレーナが首を振る。

 生真面目な面があるグレンには、こういった手の冗談を本気にしてしまっても致し方ない。が、そんなグレンはとても不憫に見えてしまう。

「レーナも、グレンを弄るのは気が済んだだろう。ここは、俺が何とかする」

 さすがに話が進展しなさすぎるのでヴァイスが助け舟を出す。

「簡単な話、ソラの自信を取り戻せばいい。そうすれば万事解決だ」

「と言っても、実際それは難しい話かと……」

「引き受けた張本人が言っても説得力が皆無ですね」

「うぅっ……」

 痛いところを突かれグレンは黙り込む。まるで、レーナに弱みを握られているようでグレン自身そこはかとなく苦手意識が湧いてきそうであった。

「次の狩猟にソラを同行させる。そこで自信を取り戻すか、あるいは俺たちの動きから何か感じるかもしれない」

「やっぱり、その方法しかないんですね」

 グレンが大きくため息をつく。

 少ないとはいえ、ソラの自信を取り戻す方法があることに取り合えず安堵しているのだろう。

「俺たちも最大限の協力はするつもりだ。だが、いざという時はグレン、お前の出番だ」

「わ、分かっています」

 以前、グレンも自分を見失い途方に暮れていた。そこに手を差し伸べてくれたのは目の前にいるヴァイス。今度は、グレンが同じ事をソラにしてやるのだ。そうして、彼女の自信を取り戻し、グレンの役目は終わる。

 おそらく、ソラも何事もないように振舞っているがそれは虚勢なのだろう。同じような体験を持つグレンには、ソラがとても痛々しく見えてしまう。グレンは、ただ彼女を救ってやりたいと思っている。もう、あんな顔はさせたくなかった。

「それでグレンさんの好感度が上がる、とは限りませんがいいチャンスですね。頑張ってくださいね。応援してますよ~」

「人事だと思ってさらっと……」

 実際レーナにしてみれば人事ということに変わりはないのでグレンは反論できない。

「やれやれ……。一難さってまた一難だな……」

 ヴァイスの呟きは誰の耳に届くこともなく、ガヤガヤと賑やかな喧騒の中へ飲み込まれていった。

 

 

 

 一方、クレアとソラは温泉に浸かっていた。

 ユクモ村と言えば温泉。温泉と言えばユクモ村である。村人たちも自信を持って自慢するユクモ村の温泉の良さをソラに知ってほしかったのだ。

 と言っても、クレアはつい先ほどまでこの温泉に浸かっていた。別に何度入っても飽きることはなく、寧ろ心地よいのでクレアも気にしてはいなかった。

「ふぁ~、本当に気持ちいいのです~」

「でしょ? やっぱり、ユクモ村の温泉は最高だよ~」

 ソラの間延びした声に釣られ、ついついクレアも暢気な声を出してしまう。

 仲間とはいえヴァイス、グレンとは年がやや離れている。更に、二人とも男性だ。こうやって同年代の同姓の子と話すのはまた別の楽しみがあり知らぬ間に話が弾んでしまう。

「ソラさん、いつからハンターになったの?」

「十五歳くらいだったと思います」

「へぇ~。じゃあ、ハンターの経歴だけでいったらソラさんは私より先輩だね」

「そんなことないです。クレアさんも十分実力は高いと思いますよ」

 クレアはあまり調子に乗るタイプではないが、褒められて嬉しくない訳がない。それに、最近ではヴァイスやグレンを始め多くの人々からもそうやって褒められている。

 だが、それと同時に劣等感を覚え始めているのも事実である。まだまだヴァイスは手の届かないような高みにおり、グレンも目に見える進歩を見せている。例えクレアの実力が上がっても周りから見ればクレアが劣っているように見えてしまう。しかし、ヴァイスたちに追いつくということは極めて過酷であることもまた事実であった。

「でも、わたしはクレアさんがとても羨ましいのです」

「どうして?」

「だって、クレアさんの周りにはたくさんの頼もしい仲間がいます。ヴァイスさんも、グレンさんも……。たぶん、クレアさんならわたしなんてすぐ追い抜きますよ」

 そう言ってソラが笑みを浮かべる。

 だが、何故だろう。その言葉を聞いて妙に胸が苦しくなった気がした。こんなことを言われれば普通嬉しいと思うのに、心の中では全くそのように思えなかった。

 もしかしたら、とクレアは考える。

 ソラはこの若さでロックラックの人々から注目を集めていた。そして、その重圧に耐えられなくなった。もし、ソラの傍らに誰かがいれば。誰か支えてくれる人がいたら。あるいは、ソラは自信を失わなかったのかもしれない。

 そう。ソラは長い間、孤独の中で生きてきたのではないか。そうして全てを自分で背負い込もうとして結局どうしようもできなくなってしまった。

「あ……」

 それはクレアにも理解できる。

 脳裏によぎる岩場の草原。数年前、僅かな時間ながらもクレアは狩場に一人、孤独な状態に陥った。頼れるものは何もなく、周り全てが恐怖そのものだったあの時。それは、忘れたくとも決して忘れることのできない記憶として刻み込まれていた。

「ねえ、ソラさん。私と友達になろ?」

「友達、ですか……?」

「そっ、友達。今は、私たちは仲間だけどそれじゃあ物寂しいでしょ? それに私も同年代の友達欲しかったもん。ソラさん、いいでしょっ?」

 孤独の寂しさが理解できるからこそのクレアの行動であった。

 クレアの無邪気な行為に、ソラの表情も綻びてきた。

「はい! よろしくなのです!」

「友達なんだから、そんなに固くならなくていいんだよ?」

 そうやって互いに笑い合う。その時のソラの笑顔は、先ほどのそれとはどこか違って見えた。

「そうだ。ソラさん、料理できる?」

「一応できますけど、それがどうかしたのですか?」

「恥ずかしいけど私、料理苦手で……。最近は結構上達したと自分でも思うんだけどまだまだで……。だから、ソラさんに教えてほしいなって思って」

 この所、クレアはこう思うようになった。自分が誇負できるようになりたいものは狩猟と料理だと。とにかく、このままでは料理のほうは正直絶望的なので色々な人の知識が欲しかった。

「私でよければ力になるですけど……」

「本当!? じゃあ、ソラさん。時間がある時によろしくね!」

「は、はい!」

 やや動揺気味だが、何とかソラも引き受けてくれた。

 これでいつかレーナを負かしてやりたい! と気合が入るクレア。無論、これが目的でソラと友達になったというわけではない。だが、ソラの方も不快には思っていない様子だ。仮にソラの滞在が一時的なものだとしても、クレアはソラと少しでも仲良くなりたいと心から願っていた。

「そろそろ上せちゃうし上がろうか。ソラさん」

「そうするのです」

 頭の中も立ち上る湯気のようにぼんやりとしていた。湯中りして体調を崩しては元も子もないので足早に温泉を後にした。

 防具を着込み、二人は太陽が沈み始めた表に出て行った。

 村の一番高い場所に位置している集会浴場からは西の空に沈む夕日が一望できる。真っ赤に染まった夕日がユクモ村を照らしている。頭上には夕焼けの空が広がっている。その景色にソラは心奪われていた。

「わぁ~、とってもきれいです……」

 まるで夕日を始めてみたかのような反応だった。だが、それはあながち間違いではない。ロックラックで見る夕日とユクモ村で見る夕日は別物だ。ユクモ村の場合、周囲の自然と和風な建造物とまみえ夕日がより美しく見えるのではないか。

「秋になるともっと綺麗だよ。紅葉が舞い散る中に浮かぶ夕日は格別なんだ」

「へぇ~、そうですか。ぜひ、見てみたいのです」

「じゃあじゃあ、私と約束しよっ! 秋になったら、この夕日を一緒に見るって!」

 そうやってクレアが右手を差し出す。同じくソラも差し出し、互いに小指をつなぎ合わせた。そして、クレアが陽気にリズムを刻み始めた。

「指切りげんまん、嘘ついたら針千本の~ます! 指切ったっ!」

 まるで小さい子供のようだった。しかし、そんなクレアの様子がなんとも面白おかしく、そして楽しそうだったので見ているソラも同じ気持ちになってくる。

 余談だが、「げんまん」とは握りこぶしで一万回殴ることを意味している。この二人に限っては、そのような血で血を洗う修羅場、という状況には発展しないだろう。更に言えば、この二人はそのような恐ろしい意味を知らないのだから。

「約束、ちゃんとしたからね!」

「はいです!」

 そして、再び二人は互いに笑いあう。

 地平線の彼方へ沈み行く夕日が、そんな二人を優しく見守るように輝いていた。

 

 

 

 太陽が沈み、辺りは次第に暗くなってきた。それを待っていたかのように、夜空に星々たちが顔を出す。

 ユクモ村の喧騒もまた更なる賑わいを見せている。ある人は温泉に浸かり、またある人は陽気に酒を呷っている。例え不幸なことがあってもこうやって楽しみ気を紛らわせる。そして、明日の幸せを無意識に祈りながら静かに夜は更けていく。

 そんな陽気な喧騒の中、一人だけ浮かない表情をした女性が集会浴場に続く石段を上っていく。その人物が集会浴場を訪れることは珍しいので、カウンターに座っていたギルドマネージャーも思わず酒を呷る手を止めてしまった。

「おっと、村長じゃないか。珍しいねぇ。アタシに何か用かい?」

「ええ、お尋ねしたいことがありまして」

 おもむろに村長は切り出した。

 ギルドマネージャーもさすがにふざける様子はなく、村長の話を注意深く聴こうとしていた。

「やはり、最近は目撃情報が後を絶ちません。おそらく、村の近辺に出現するのは時間の問題でしょう」

 それだけ聞いてギルドマネージャーは内容を理解したのか、珍しくため息をついた。

「そう。アタシたちも調査団を派遣したが奴は日に日にこちらに接近する一方だ」

「やはり……。ですが、あれを討伐できる者はそうはいません。万が一に備え、少しでも対策を練っておきたいと思いまして」

「ふぅむ。あるほど」

 ギルドマネージャーは自らの髭を弄ぶような仕草で何かを考え始めた。だが、すぐにその手を止め村長に向かってニヤリと不適な笑みを浮かべて見せた。

「アタシは思い当たる奴らがいるけどねぇ」

「それは、ヴァイス様のことでしょう?」

「ああ、そうだ。それにクレアとグレンもアタシにしてみればその対象だぜ」

 G級のハンターであり、且つギルドナイトであるヴァイスの腕は信用できる。クレアとグレンも実力を高めてきているのは事実だが、まだ実力不足ではないかと村長は心配してしまう。

「ここはヴァイス様一人の方が賢明なのではないでしょうか。まだ、お二人にはあのモンスターの相手は早い気がしますわ。以前討伐してくださった方々でさえ苦労したのですから」

 数年前、同じようにそのモンスターがユクモ村近辺に現れた。その際、この村に滞在していた三人ハンターと一匹のアイルーたちによって危機は間逃れた。彼らの実力もなかなかのものだった。だが、立ち塞がったモンスターはその力を凌ぐほどの強大な存在だったのだ。

「まぁ、それも二頭相手で内一頭はサイズが一回り大きかったという話だろう。今回確認されているのは一頭のみだし、何よりヴァイスが付いている。アタシはそれほど心配はしていないぜ」

 以前モンスターが襲撃したときは、ギルドマネージャーの言うとおり二頭であった。正確には、一頭目は討伐できたが二頭目を逃してしまいユクモ村にまでやってきてしまったのだ。だが、そのハンターたちの活躍があったらからこそ今のユクモ村が存在している。

 しかし、そうは言っても村長の心配の種が消えることはなかった。いくらヴァイスが付いているとはいえ危険だということに変わりはない。

「それに、ヴァイスはまだ“本来のアイツの姿”を誰にも見せていない。だからこそ、心配は無用ってことさ」

 ギルドマネージャーが意味ありげな表情を浮かべる。

 それは、村長も薄々感づいていたことではあった。だが、それを何故、と問うことは決してなかった。

 何故ならば、それをしてはいけない気がしたから。もしそれを訊いてしまうと、彼の中の“何か”が壊れてしまいそうな気がしたから。

 噂をすれば影をさす、とはこのことだろう。するとそこに当のヴァイスが顔を出してきた。別に二人のことを不振に思うことなく、おもむろに掲示板の方へと歩いていく。

 無表情で掲示板に視線を注いでいるヴァイスの横顔を村長が見つめる。何の変哲もない、ただの青年に見えるのだが内に秘める力は他者を圧倒的に凌駕するほどだ。彼が本気になれば、あるいはこの状況がひっくり返るかもしれない。

 しばらく無言で掲示板の前に立ち尽くしていたヴァイスだったが、不意に身体の向きを変え集会浴場を去っていった。

 その後姿を村長は期待と不安が入り混じった視線でじっと見つめていた。

 

 

 

 それから数日後、クレア、グレン、ソラの三人はヴァイスの家に呼び出された。

 彼の家に上がるとテーブルの上に一枚の依頼書が置いてあるのが目に入った。どうやら、次の依頼が決まったらしい。

 そのテーブルを囲むように四人は腰を下ろす。

「これが次の依頼だ。場所は砂原で昼。標的はティガレックスだ」

「ティガレックス……。性格は極めて獰猛とされる轟竜(ごうりゅう)ですよね。おそらく、かなり手強い……」

「それに、私たちはティガレックスの動きを知らない。それも大変ですね」

 グレンの問いかけにヴァイスが無言で頷く。

 グレンの言ったとおり、ティガレックスの気性はかなり荒々しい。その乱暴な捕食行為はギルドからでさえもかなり危険視されている存在だ。

 ティガレックスを狩猟するのが初めてなため、情報が少ないまま交戦状態になったとしても圧倒的にこちらが不利な状況になる。クレアの言うことも一理あるがヴァイスは気にかけていない様子だ。

「確かに手強い相手だということに変わりはないな。だが、ティガレックスは旧大陸でも出現している。過去に俺も何度も狩猟経験がある。多少の違いはあれど情報がないよりはましだろう」

 G級ハンターともなればティガレックスと対峙したことは少なくとも一度はあるはずだ。その体験談が生かされるとなればこちらも楽になる。だが、先日のリオレイアのように習性や癖の違いが見受けられるため参考程度にしかならないのが痛手でもある。実際の動きと比較し、照らし合わせることで慣れていくしか方法はない。

「詳しいことは現地に向かいながら話すとして、奴は雷属性が弱点だった。あと、罠肉もそこそこ有効だったな」

 どうやら、弱点などは共通しているらしくこの情報だけは確実らしい。弱点の属性や道具がわかるだけでも大きな救いとなる。これで持ち込む武器や道具を選択し、少しでも狩猟を有利に進めることが出来る。

「まぁ、俺もティガレックスとは多少の因縁があるからな。狩猟を行うからには、もちろん万全を期すつもりだ」

 意外なことを口にしたヴァイスに、クレアが「そうなんですか?」と問いかけた。しかし、ヴァイスはそれについて多くは語らず、軽くクレアをあしらってから話を続けた。

「出発は明日の昼前だ。それまでに各自、準備を整えておいてくれ」

 そうして本日はそのまま解散となった。互いに準備を整えるためにそれぞれの家へと戻っていく。

 ヴァイスは今回も鬼哭斬破刀・真打を持ち込むつもりだ。高い雷属性を秘めているため、ティガレックスに対し痛手を負わせることができるに違いない。その他にも、道具箱から過去の経験を生かし必要な道具をポーチに詰めていく。

 そうして準備をしているうちに、あっという間に日が傾き始めてくる。仕事を早めに切り終えて眠りにつき、そして翌朝を迎える。

 鍛錬などで時間を潰し、予定の時刻が迫ってくるとポーチに詰め込んだ道具を再確認し、そして集会浴場に向かった。

 そして、クレア、グレン、ソラの三人が揃うと、カウンターにいる受付嬢に昨日受注したティガレックスの依頼書を手渡した。

「これを頼む。同行者は三人だ」

「砂原でティガレックスのクエストですね。お気をつけて!」

 受付嬢に見送られ四人は集会浴場を後にしていく。

 アプトノスの牽く荷車に揺られながら一行は砂原を目指す。四人パーティでの始めての狩猟の幕が上がろうとしていた。



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EPISODE44 ~砂原に轟く咆哮~

 相変わらず容赦ない日差しが砂原を照らしている。日陰にいても身体中から噴出す汗は止まることを知らない勢いである。気を抜けば意識が朦朧とし、狩猟どころではなくなってしまいそうだ。だが、そうなれば残された運命は一つ。炎天の日の本に倒れ、力尽きるだけだ。

 拠点(ベースキャンプ)に設置されているテントの裏にアプトノスと荷車を置き、四人は必要な荷物を持ち出していく。といっても、それは罠などのポーチに収まらないものばかりでそれほど時間を要することもなかった。最初に持っていかない道具類は支給品と交換で無骨な作りのボックスに入れていく。

 支給品の応急薬、携帯食料は四人で均等に分け携帯砥石はクレアとグレンに、弾丸類はソラに渡す。残ったクーラードリンクは後ほど同じように均等に分けるつもりだ。

「さて、ティガレックスの動きは道中で話したから大丈夫だな?」

 ヴァイス以外の三人が無言で首肯する。それを一瞥したヴァイスも「よし」と同じように頷いた。

「ならいいな。じゃあ、これを見てくれ」

 ヴァイスが手に持っていた紙を広げる。それはどうやら地図のようだ。だが、この砂原の地図ではなく、クレアたちが見慣れない狩場のものであった。その地図を囲むように車座を描いて三人が腰を下ろす。

「これは旧大陸の一部、セクメーア地帯に位置する砂漠――セクメーア砂漠の地図だ」

 見慣れぬ地図を目の前に広げられやや困惑気味になる中、一人だけそうではない人物がいた。

「聞いたことがあります。“渇きの海”を意味する砂漠で、その名の通り温暖期になると、ハンターを除いて原則立ち入ることができなくなる地域……。そうですよね」

「さすがだな、グレン。その通りだ」

 ヴァイスも関心した様子だった。だが、それ以上の反応を示したのはソラだった。

「すごいです。グレンさん、物知りなんですねぇ……」

「いや、これくらい大したことないよ。この前にヴァイスさんから借りた資料で目にしただけだから」

 とは言うものの、たかが一度目にした項目をここまで記憶しているというのはさすがである。グレンもあっけらかんとした様子で変わらず地図を眺めている。

 と、そこでクレアが口を開いた。

「でも師匠。このセクメーア砂漠の地図と今回の狩猟にどう関係があるんですか?」

 ごもっともな質問だ。三人からしてみれば、ここでセクメーア砂漠の地図を持ち出して何の意味があるという話だ。気を取り直してヴァイスが話を続ける。

「セクメーア砂漠にもティガレックスは出現する。そして、地図上に表記されたエリア番号で言うと1、2、3、5、7、9という感じだ。そして、エリア1、2、5は砂漠地帯で残りのエリアは岩場で囲まれた場所が多い」

 そこまで言ってグレンとソラが何か感づいたように顔を上げた。

 おそらく、二人が考えていることは正解だ。だが、クレアは一人取り残されたように首を捻っている。そこでヴァイスが助け舟を出す。

「分からないか? ティガレックスは砂漠地帯には出現し、極端に狭いエリアには足を踏み入れない。ということは――」

「そうか!」

 ここに来てようやくクレアが理解したようだった。この砂原の地図を取り出しそれを広げる。

「砂原でいう砂漠地帯は8、9、10。狭いエリアは5と6。つまり、ティガレックスの行動範囲が限られてくる。そういうことですよね!」

 興奮気味に話してくるクレアにやや苦笑いを浮かべながらヴァイスは首肯した。

「まあ、あくまで参考程度さ。俺はエリア1も行動範囲外と考えている。案外広いようで大型モンスターにしてみれば動きづらい場所だからな」

「なるほど。そうやって対照することでティガレックスの行動範囲に予測を付けるためにセクメーア砂漠の地図を……。さすがです」

「あまり信憑性はないけどな。これもギルドに提出する資料に書き込む予定だったから、せっかくだから活用してみようと思っただけさ」

 セクメーア砂漠の地図をボックスの中にしまい込み、鬼哭斬破刀・真打を肩に背負う。そうして次第に、これから狩猟が始まるという感覚に無意識ながら囚われていく。

 フッ、と短く息を吐き出し適度な緊張感を保つ。もう、いつティガレックスと対峙しても問題ない。普段の、狩猟中のヴァイスがそこにあった。

「ペイントがなくても、これである程度は目星が付く。……さあ、そろそろ行くとするか」

 いつもと変わらぬ口調でヴァイスが言う。無駄な緊張感を含まないことで初めてパーティーを組むソラが落ち着けるよう配慮したのだろう。互いに立ち上がりそれぞれの武器を肩、腰に装備する。

 ぎらぎらと陽炎が揺れる中、四人は灼熱の地に向かって歩を進め始めた。

 

 

 ――暑い。

 拠点を出てしまえば容赦なく降り注ぐ日差しを遮るものはほとんどない。乾いた風が頬を撫で、砂漠特有の空気が身体に纏わりつく。

 加えて防具を着込んでいるため、中の空気が防具内に篭もり余計に暑さが増している。『暑さ無効』のスキルがあれば話は別だが、四人が纏う防具で発動するものではないため虚しい想像に終わる。

 ヴァイス以外の三人も、以前から武具を変更せずに狩猟に望んでいる。クレアはシャドウサーベル改にベリオシリーズ。グレンはヘビィバグパイプにネブラシリーズ。ソラはヴァルキリーファイアにレイアシリーズといった構図だ。

 砂漠地帯に入り、エリア8からエリア9へと抜ける。エリア9はエリア8以上に広大な砂漠が広がっている。砂の海ともいえる場所をデクルスが群れで跳ね回っていた。

 そして、揺れる陽炎の先。そのフォルムがぼんやりと浮かび上がっている。小型モンスターのそれとは比ではない。

「いましたね。ティガレックス」

 その言葉にヴァイスが無言で頷く。

 ヴァイスたちに背を向けながらティガレックスは佇んでいた。この状況なら背後から奇襲を仕掛けることもできる。となれば、他のエリアに移動されない内に攻撃を仕掛けなければならない。

 開いている距離を少しずつ詰めていく。グリーブが砂を踏みしめ静かな物音を立てる。

 と、そこでティガレックスがいきなり宙に舞い上がった。存在を気づかれたと思った四人が反射的に武器を構える。だが、ティガレックスはお構いなく高度を上げていく。

 このままでは、どこへ移動したのか検討が付かない。剣士であるヴァイスたちの攻撃は届くはずもなく、ガンナーであるソラも狙撃しても命中するかどうかは微妙な距離だ。

 しかし、ソラは動いた。スコープを覗き込み高度を上げていくティガレックスに標準を合わせる。そして、何の躊躇いもなくヴァルキリーファイアの引き金を引いた。それはティガレックスに向かって真っ直ぐ飛来し、着弾と同時に独特の臭気を漂わせた。

「今のはペイント弾!?」

「この距離で命中させられるなんて!」

 そのソラの行動は、クレアとグレンの呆気を取るのに十分足るものだった。

 距離的には弾丸が届くか届かないか紙一重のところだろう。だが、ソラはそんなことを物ともせずにペイント弾を命中させてみせた。これがG級ハンターなどというベテランならば話は違う。が、ソラはまだ下位ハンターであり、それに加えかなり若い。そう考えれば、クレアやグレンの反応は当然といえば当然である。

 ティガレックスも、ペイント弾が命中した瞬間に周囲を警戒する素振りを見せたがそのまま別のエリアへと姿を消した。

「皆さんどうかしたのですか?」

 当のソラ本人は、命がけの狩場にいるとは思えない緊張感のない、ぽかんとした様子で尋ねてくる。ヴァイス以外、何も言い返すことができない。

「ああ、何でもない。ティガレックスを追うぞ」

 未だに呆気に取られている二人はさておき、ヴァイスが指示を促す。

 ペイント弾はその役目をしっかり果たしており、別のエリアに移動しても独特の臭気がティガレックスの居場所を教えてくれる。エリア9に隣接しているエリア10へと向かったらしい。また移動されても面倒なので先を急ぐ。

 エリア10も砂漠地帯の一つだ。エリア9とほぼ同等の広さで障害物となるものがあまり存在していない。そのため見通しはよく、初見のモンスターと対峙するのには丁度いい場所だ。

 リノプロスが数体巡回しているようだが、まだ害をなす存在でもないので無視して進む。

 その中、エリア10の真ん中に位置する場所にティガレックスはいた。ペイント弾が命中しているとは知らず、ヴァイスたちの存在には気づいていない様子だ。

 黄色い外殻に青の縞模様を持ち、飛竜種に分類されるティガレックス。特徴的なのはその外見だろうか。飛竜種とはいえ、その翼は飛行に適しているとは言いがたい。変わりに歩行に適したつくりをしている。体型からして飛竜種の始祖と考えられるワイバーンレックスに近い存在だ。現に、リオレウスなどはワイバーンレックスの進化した姿だと言える。

 狩猟の方針は既に決まっている。相手の様子を見つつ一撃離脱を基本にして動く。決して無理はしないようにすると。

 ガンナーのソラのみがその場に止まり弾丸を交換する。あとの三人は気配を殺しながらティガレックスに接近していく。

 ヴァルキリーファイアの弾倉からペイント弾を取り出しLv3通常弾を装填する。あとはヴァイスたちのタイミングに合わせ引き金を引くだけだ。

 だが、何を思ったのかティガレックスがいきなりこちらを振り向いた。こちらの存在に気がついたのか。否、ただ方向転換をしただけかもしれない。どちらにしろこちらの存在が知られてしまった以上、奇襲を仕掛けることは不可能となった。

「ガアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァッ!」

 砂原に轟く轟竜の咆哮。あまりの大きさと迫力に背筋が凍りつく。事前に聞かされていたとはいえ、やはり実際に遭遇してみると恐ろしい存在だ。

 咄嗟にバインドボイスの範囲から退いていたヴァイスは動けるがクレアとグレンは身動きが取れない状況だ。

 そこへ援護が入る。ガンナーというポジションを生かしソラがティガレックスの気を逸らそうと試みたのだ。撃ちだされたLv3通常弾は的確にティガレックスの左前脚に命中し役目を果たす。

 同時にティガレックスも動く。右前脚で地面を抉ったかと思うと、ソラに向かって岩石を飛ばしてきた。それも三方向に。

「くっ!?」

 初見の動きに一瞬身体が強張る。しかし、それを無理矢理押し込み岩石と岩石の間を潜り抜けるように前転回避をする。

 既にヴァイスたちも動き出していた。鬼哭斬破刀・真打を鞘から抜き放ち上段から斬りつける。雷属性を帯びた鬼哭斬破刀・真打の斬撃にティガレックスは煩わしげに首をこちらに向ける。

 ヴァイスが斬り下がりで距離を取る。ティガレックスもその動きにつられて飛び掛ろうとするが、そこにクレアのシャドウサーベル改の斬撃が降り注ぐ。ヴァイスに気を取られていたティガレックスは予想外の攻撃に一瞬動きが止まる。その隙は僅かだが、ヴァイスとクレアは再び距離を取ることに成功する。

 どうやらティガレックスはこの二人に狙いを付けたようだ。この好機にグレンは演奏を試みる。この武器の音色は名の通りバグパイプそのものだ。エリア10にバグパイプ独特の音色が響き渡り、風圧無効、防御力強化【小】の効果を得る。

「相手の動きを見極められれば、まだ援護できる……」

 暴れるように動き回るティガレックスから視線を逸らさないままグレンが呟く。

 数ヶ月前のボルボロスの狩猟の際、グレンはほぼ完璧といえるほどに相手の動きを見極めていたのだ。それは誰にでも真似できるものではなく才能の一つだとヴァイスは言っていた。だが、それを使うためには相手の動きや癖を見抜くことが大前提となる。

 例え動きや癖を見抜けたとしよう。だとしてもデメリットも存在する。グレンの見切りが100%的中するならまだいい。だが、そんなことは才能であっても不可能だ。相手が生物である以上、予想外の動きをすることは当然だ。

 それがただの"勘”から来るものか、あるいは“見える”のか。前者は無謀だと思われるだろう。それに比べ後者は紛れもない才能だ。

 ヴァイスはこんなことも言っていた。例え偶然でも、それが“勘”か“見える”かは天と地の差だ、と。つまり、どちらにせよ、それを伸ばすのは自分次第だ。俺たちはその指示に可能な限り従うだけだ。という内容の話をヴァイスはしていた。

「っ……」

 目の前でティガレックスと戦っている三人の仲間たち。きっと三人ともグレンの指示に従ってくれるに違いない。だからこそ、一つの間違いでとても危険な目を遭わせてしまうかもしれない。そう思うと自信が失われていく。

「っ! そんなことじゃ駄目だ!」

 頭に浮かんできた思考を振り払う。

 自信を失ったソラの手助けをすると言い出した人物は誰だ。それは、他ならぬ自分だ。ならば、その自分が自信を失ってどうする。それでは数ヶ月前の悪夢を繰り返すだけだ。

 ティガレックスがヴァイス目掛けて岩石を飛ばす。その際、ティガレックスはグレンに背を向ける形になった。無防備なティガレックスにグレンが接近する。

 へビィバグパイプを左右にぶん回し上段から叩きつける。まだ踏みとどまることも可能だが大人しく距離を取る。

「そうだ。そうやって冷静に動けばいいんだ」

 自分に言い聞かせるようにそう呟く。まだ狩猟は始まったばかりだ。焦る必要など、どこにもない。落ち着いて、なおかつ時間をかけながら相手の動きを見極めればいいのだ。

 距離を取ったクレアは再び接近しようと試みる。だが、ティガレックスもそうはさせじと動く。その場でティガレックスがかなりの速度で回転する。他のモンスターに当たるなぎ払いのような動きだが、ティガレックスの場合は巻き込まれただけで桁違いの痛手を負ってしまいそうであった。

 ソラによる援護射撃は続いている。が、ティガレックスは気にも留めずクレアに突進してくる。

「速い!」

 強靭な脚力から生み出される突進はかなりの速度であった。突進を得意としていたボルボロスと同じか、あるいはそれ以上か。だが、ティガレックスの突進はただ真っ直ぐ突き進むだけのものだったため回避は容易であった。

 ソラもこちらに気を牽きつけようとLv3通常弾を撃ち続けた。無尽蔵に弾丸があるわけではないため、ここでLv2通常弾に弾丸を変更する。スコープを覗き込み標準を合わせる。

 しかし、ここでティガレックスがソラの方に頭を向けた。問答無用で岩石を飛ばしてくる。

「間が悪いです!」

 そうは言うものの、この動きは既に見た。前転回避で岩石をやり過ごす。また狙われると思ったが、その時にはヴァイスたちがティガレックスに斬撃を浴びせていた。

 気を取り直し、再び標準を合わせる。そして、引き金を引く。銃口からLv2通常弾が三発連続で撃ちだされる。これがライトボウガンの速射機能だ。速射は魅力的な機能だが、反面身動きが取れなくなる時間が増加するというデメリットも存在する。使うタイミングを見極め、最初はLv2通常弾を温存しておいたのだ。

 一方、ヴァイスは斬撃を浴びせることより様子見を優先しているようだ。突き、斬り上げ、斬り下がりという基本の型を繰り返しながらある程度の余裕を保つ。太刀使いの理にかなった立ち回りだ。

「今のところ大した違いはなし、か」

 動きを止めずにヴァイスが呟く。様子見を優先するとはつまり、ティガレックスの動きや癖の違いを観察しているためだ。

 纏わりつくハンターたちを振り払おうとティガレックスが回転攻撃を繰り出す。誰も巻き込まれることもなく、無事に攻撃を避ける。

 クレアが、背後からシャドウサーベル改を引き抜き斬りつける。緩慢とした動きの尻尾に斬撃が走る。それを援護するようにソラが正面からLv2通常弾を打ち込む。

「グオォォォォォアアアァァァァァッ!」

 低い唸り声を上げながらティガレックスがティガレックスが飛び掛ろうとする。しかし、それは大した飛距離ではなかったためソラも気を緩めてしまう。それが命取りだった。

「気をつけろ!」

 ヴァイスが警告を飛ばすがもうソラに回避できる術はなかった。ティガレックスはそこから回転攻撃を繰り出した。近距離にいたクレアではなく、中途半端な距離にいたソラが巻き込まれる形になった。

「ソラ!」

 剣士の防具に比べ、ガンナーの防具は耐久性に劣る。そういった意味では、更なる攻撃を加えられれば危険だ。

 グレンの近くにまで吹っ飛ばされていたソラは自力で立ち上がった。

「ソラ、大丈夫なのか!?」

「はい。わたしの計算違いです。心配かけてごめんなさいです」

「そう。身体が大丈夫ならよかった」

 短く言葉を交わし再び持ち場に戻っていく。

 援護はソラに任せグレンもティガレックスに密着する。ヴァイス、クレアと協力しティガレックスの動きを封じる。その隙に、ソラは体力を回復することができた。

 相変わらずヴァイスは必要最低限の斬撃しか繰り出さない。おそらく、様子見を終えれば存分に力を振るってくれることだろう。

 他の三人も無理をする必要はない。時間は多く残されている。その時間の中で、確実にティガレックスを追い込んでいければいいのだから。

 グレンは左後脚に狙いをつけた。頭部に打撃を与え気絶させたい気持ちも少なからずあるが、今はそれを抑える。前方にへビィバグパイプを振り上げ後方に持ち上げる。そこから上段に振り上げ叩きつける。

 クレアも同じく後脚を狙う。ジャンプ斬りから斬り上げ、斬り下ろす。横薙ぎに斬り裂き盾で殴りつけた後、回転斬りを繰り出す。

 しかし、ティガレックスは二人の攻撃を掻い潜りヴァイスに向かって突進を始めた。警告を飛ばすまでもなく、ヴァイスは余裕を保ちつつ回避する。

 立ち上がりにしては上々の滑り出しだ。ここから自分たちのペースにどれだけ持っていけるか。それが狩猟を優位に進める鍵になる。



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EPISODE45 ~及ばぬ力~

 エリア10での攻防は続く。

 今までのモンスターとは違い、ティガレックスは通常でも暴れまわるような動きをする。その動きに対処するのに四苦八苦し、様子見とはいえなかなか攻撃を仕掛けられずにいた。

「ガアアアアアァァァァァァァァァッ!」

 ティガレックスが時計回りに高速で身体を捻る。ティガレックスの巨体が遠心力の力に上乗せされて飛んでくる。

「くっ!?」

 右手に構える盾で何とかやり過ごすことの出来たクレア。だが、想像以上の破壊力に現実味が薄れていく。

 目の前にいるティガレックスは、今まで対峙してきたモンスター以上に獲物を捕獲しようと執拗に襲い掛かってくる。これが、飛竜種に分類されるモンスターの力なのだ。

「わたしが援護するです!」

 ヴァルキリーファイアの銃口からLv2通常弾が撃ちだされる。速射された弾丸全てがティガレックスの後頭部に命中する。

 低い唸り声を上げながらティガレックスがソラを睨みつける。両者の視線が交錯すると同時、ティガレックスが前脚を振り上げ飛び掛ってきた。後退しても巻き込まれる。そう判断したソラが真横に回避行動を取る。深入りしているつもりはないが、こうやってギリギリの立ち回りを強いられている。すぐ体勢を立て直さなければ、また攻撃を仕掛けられるという手に負えない状態だ。

「くそっ! 速い!」

 何とか食らいつこうと試みるグレンも吐き捨てるようにそう言う。

 二本ではなく、四本の脚を駆使しティガレックスは獲物を追い詰める。強靭な脚力は例え激しい動きにも対応し、安定感がある。何か一瞬の隙で体勢が崩せればいいが、今それが上手くいくほどの強運は生憎持ち合わせていない。

「閃光玉でも、完全には動きを止められないし……」

 つい先ほど、グレンは一度閃光玉を使用してみた。その効果は確実に得られた。だが、ティガレックスは動きこそ止まるものの、その場で噛み付きだの回転攻撃だのを繰り出すのだ。闇雲に繰り出されるそれらの攻撃を回避するのはおそらく至難の業。こんな方法では後半まで持たない。

 ちらりとヴァイスを一瞥する。彼は幾度となくティガレックスを討伐してきたハンターだ。何か参考になるものが欲しい。

 だが、その期待も儚いものだった。ヴァイスは、ティガレックスと対峙し始めて斬撃を浴びせた回数は少ない。相手の攻撃を回避しつつ斬撃を浴びせるのが定石の太刀では、こういった場面では大きな強みになる。そう、ヴァイスは巧みな太刀捌きでティガレックスの攻撃を余裕を保ちながら回避して見せる。

 つまり、この状況を打破する策は自分で導き出すしか他はない。

 一体どうすれば。三人の思考が交錯する。

 だが、ティガレックスは自問する時間を与えてくれるほど甘い存在ではない。目に入ったクレアに向かって岩石を飛ばす。咄嗟の判断でクレアは盾を突き出し直撃を間逃れる。

「今は、そんなことは気にしなくていい!」

 相手の動きに付いていけないなら、せめて相手の動きを観察し行動を見切ることが先決だ。

 グレンに背を向けているティガレックス。本当ならばヘビィバグパイプで殴りつけたいところだがそれを堪える。反撃を食らわないようにするためだ。

 案の定、ティガレックスがこちらに向き直る。怪しく輝く鋭利な牙を剥き出しにティガレックスがグレン目掛けて飛び掛ってくる。武器を納めた状態のため回避するのはそこまで困難な話ではない。横っ飛びで回避に成功する。

 一度はグレンを見失ったティガレックスであったが、またすぐにグレンを視界に捉え低い唸り声を上げる。

 クレアとソラが援護を試みるがティガレックスはお構いなしに動き続ける。突進の体勢に入る。しかし、グレンは問題なく回避する。そして、こちらも反撃に転じようと背後から接近する。だが刹那、そう考えた自分の油断を呪う羽目になる。ティガレックスは突進を終えた直後再び突進を繰り出してきた。さすがにこの行動が読みきれなかったとは言いがたい。

「なっ……!?」

 虚を突かれたグレンは対処が遅れてしまう。回避しようと身体を動かした時にはもう遅くティガレックスの突進に巻き込まれていた。

「うわっ!?」

 身体中に激痛が走る。今までのモンスターとは比べ物にならない、強大な破壊力を持つ突進だった。そのまま背中から砂漠に打ち付けられ肺の中の酸素が一気に吐き出される。

「グレンさん!」

 その声が安否を問うものと、まだティガレックスに狙われているという意味を合わせ持つことは何となく理解できた。ティガレックスが開いた距離を詰めようと飛び掛ってくる。間一髪で回避できたが、体力を回復させなければかなり辛い状態だ。

 弱った獲物は優先して狙う。それがティガレックスの行動であった。逃げる余地さえ与えようとはしない。

 だが、その動きを呆気なく止めたのは他でもない、ヴァイスであった。一瞬の隙に懐に飛び込むとそのまま気刃斬りを繰り出したのだ。比較的肉質の軟らかい頭部に斬撃を集中させるとティガレックスは苦しげに咆哮する。

 そのままヴァイスは距離を取り、ティガレックスを上手いこと誘導する。

「先に拠点へ戻れ!」

 ヴァイスは、ティガレックスの気を惹いている内に拠点へ戻る指示を出した。無論、グレンたちにはその指示に従うしか選択肢はない。

「は、はい!」

 返事をするやいなや、ティガレックスに気がつかれないよう急いでエリア10を去っていく。

 その様子を確認したヴァイスはペイントボールを投擲し、難なくティガレックスを撒くことに成功した。

 

 

 

「はぁ……」

 大きなため息をつきながら、グレンは拠点に設けられているテントに横になる。緊迫していた雰囲気が徐々に解かれ、失われていた現実味が込み上げてくる。

 ティガレックスは予想以上に強敵だった。執拗に獲物を狙う執着心、それを可能にする運動能力。どちらも、これまで見たことがないほど強大なものだった。クレアも同感なのか、拠点に帰って来てから無言を貫いている。

 そこに、ヴァイスが姿を現した。まるで、何事もなかったの様な平然な顔つきで。

「無事に帰ってこられたようだな」

 そう言って、ようやくヴァイスの身体から力が抜けていく。

 鬼哭斬破刀・真打を鞘から引き抜き砥石に当てる。切れ味を回復させ鞘に収めようとする最中、ヴァイスは口を開いた。

「クレア、グレン。二人とも力みすぎだ」

 ヴァイスに名指しされた二人は予想外だったのか納得できない表情だった。

「えっ……、そんなに俺たち力んでいるように見えたんですか?」

「自分では力んでいるつもりはなかったんですけど」

 口をそろえて二人が言う。ヴァイスも、そんなことだろうと思っていたのか肩をすくめる。

「まあ、自覚がないのも無理はない。奴が今までに比べ手強いことは確かだ。それをどうにか対処しようと力んでいる様に俺には見えた」

 言われてみればその通りである。自分の動きが出来ないことに焦り始め、どうにかしようと対処法ばかりを考えていた。ヴァイスはそのことを言っているのだろう。

「焦る必要なんてない。今までどおり、少しずつ自分たちのペースに持ち込んでいけ」

 それに答えるように二人は首肯する。

 本当のことを言えば、ヴァイスには二人が力んでいる本当の理由が大方検討がついていた。二人ともソラのことを心配し無意識にどうにかしようと試行錯誤するうちに気が狂ってしまったのだろう。他人を心配する心がけは結構だが、それでペースを乱し狩猟で怪我をされては意味がない。心配するその心がけが大きな代償を生み出してしまうのだ。

「ソラも引き続き援護を頼む」

「はいです」

 やはり、この場をまとめる統制力もヴァイスは持ち合わせている。クレアにしてみれば、彼は弟子として、仲間として、とても尊敬できる存在だ。彼の弟子で本当に幸せだとつくづく思わされる。

 四人はそれぞれ体勢を整える。Lv2通常弾が多少消耗気味のソラだが、支給品で支給される分を足せばまだまだ心配の必要はない。今度は、再びLv3通常弾を選択する。

 支給された四つのクーラードリンクを均等に分け準備は整った。ペイントの臭気からしてティガレックスはエリア3に移動したようだ。今回は大タル爆弾Gなどの道具も持っていき、本格的に体力を削り取りにいく作戦だ。

 四人は、足早にエリア3を目指す。

 

 

 

 沼地が広がるエリア3。標高も低く、洞窟から湧き出ている水が流れ込み幾分涼しくなった。

 ヴァイスたちがエリア3に足を踏み入れると足早で逃げ去っていくアプトノスの後姿が見えた。内一匹のアプトノスをティガレックスは捕食している。ティガレックスの牙がアプトノスの皮を引き裂く生々しい音がこちらにも聞こえてくる。聞いているこっちもぞっとする。

 今度はこちらから仕掛ける。ソラがLv3通常弾を装填したヴァルキリーファイアの引き金を引く。着弾と同時にティガレックスがピクリと動きを止める。それを合図にヴァイスたちも散開する。

 アプトノスの亡骸を蹴散らし、ティガレックスが突進してくる。直進するだけの突進は回避するのは容易い。だが、先ほどの予想外の動きに備えソラは更に距離を取る。

 予想に反してティガレックスはそれ以上進路を変更することはなかった。慎重にそれを確認し背後からクレアが斬り込んだ。ジャンプ斬り、斬り上げ、斬り下ろし。手数で勝負する片手剣では様子見ではこれくらいの斬撃を与えるのがクレアの中では基本だ。

 冷静にグレンも演奏の体勢に入る。防御力強化【小】、風圧無効の演奏を終える頃にはティガレックスも次なる行動を取っていた。向かって正面にいたヴァイスに噛み付こうと赤く染まった牙が唸る。しかし、ヴァイスも落ち着いた様子でこれを回避する。

 そこから鬼哭斬破刀・真打を引き抜きティガレックスの右脚目掛けて斬撃を放つ。太刀の特性と巧みな技量を用いてティガレックスを翻弄する。

 移動斬りでヴァイスが立ち位置を変える。すると、ティガレックスは誘い込まれるように突進を繰り出し空振りに終わってしまう。

 突進を終えた時にはちょうどクレアが正面にいる形になった。正面に立つのは危険と判断しクレアが後退する。そのクレアをティガレックスは追いかける。クレアを正面に捉えると体勢を低くし身構える。そして、クレア目掛けて突っ込んでくる。

「くっ! ダメ、避け切れない!」

 走って回避するのは不可能。クレアは咄嗟に盾を構えガードの体勢に入る。

 しかし、所詮人間とモンスターの力関係だ。ガードに成功しても受け止められる衝撃には限度がある。受け流せなかった分の衝撃がクレアの身体に走る。

「なんて、強さ……!」

 ヴァイスが言っていたように、ティガレックスはこれまでとは桁違いの強さを誇る。一つの落ち度が命の危機に繋がってしまいかねない。

 グレン、ソラの二人がティガレックスの気を逸らそうと奮闘する。が、ティガレックスは執拗にクレアに迫り続ける。ティガレックスが先に折れるかクレアの体力が先に尽きるか。時間の問題に思われた。

「クレア!」

 自分の名を呼ぶ声。それは背後から聞こえてきた。

「こっちに誘き寄せろ!」

 声の主はヴァイス。彼は、ティガレックスがクレアに気を取られているうちにシビレ罠を仕掛けていた。どうやら、クレアを囮にティガレックスをシビレ罠に誘導しろといのだ。

「は、はい!」

「わたしたちも手伝うです!」

 ティガレックス相手にクレア一人で誘導するのは危険である。ここは仲間で連携して上手いことシビレ罠に誘導すればいい。

 ソラが立ち位置を変え、ティガレックスの正面から狙撃する。クレアとグレンも連携しティガレックスとシビレ罠との距離が縮まっていく。

 ティガレックスが体勢を低くした。突進を行う合図だ。狙撃してきたソラを排除するつもりのようだ。進行方向にいたソラはそこから外れ、クレアとグレンは巻き添えを喰らわないよう一旦退く。そして、ヴァイスの思惑どおりティガレックスがシビレ罠に突っ込んだ。途端にティガレックスが痙攣したように小刻みに身体が震えていた。

「かかった!」

 言うが早いか、四人が一斉に攻撃を仕掛ける。

 頭部に斬撃を放つのはヴァイス。今まで封印していた気刃大回転斬りをここで繰り出す。

 クレアは尻尾を狙う。ジャンプ斬りから斬り上げ、斬り下ろす。更に水平斬り、斬り返してから回転斬りと練習どおりの連撃が決まる。

 グレン、ソラは共に前脚を狙う。鋭い爪目掛けてグレンはヘビィバグパイプを叩きつけ、ソラはLv3通常弾で狙撃する。

「ガアアアアアアァァァァァァァァァァッ!」

 シビレ罠の効果が切れ、四人は瞬時に距離を取る。ヴァイス以外はティガレックスの背後に回りこむ構図だ。

 ティガレックスもシビレ罠から解放され自由になる。すると、ティガレックスはいきなりバックジャンプをした。その動きは俊敏で、気がついたときにはティガレックスが三人の背後に回り込む形になった。やられる。そう覚悟した。

「なっ……!?」

 だが、ティガレックスが視界に入った途端、三人は身動きを取ることも言葉を発することも出来なくなった。

 頭から両腕にかけて、複雑な形を描く血のように赤い模様がティガレックスに浮かび上がっていた。否、あれは血管だ。血管が浮かび上がり、まるで模様のように見えているだけだ。

 ぎらつかせる鋭い双眸。口から漏れる息は微かに生臭かかった。そう、これがティガレックスの怒り状態――。そして、真の力――。

「奴から離れろ!」

 この動きもヴァイスからは聞かされていた。どう行動すればいいかも心得ている。それにも関わらず、心の奥底からこみ上げる恐怖が三人の思考を、身体をも凍りつかせてしまった。

 まずい、とようやく理解したときにはもう手遅れだった。

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」

 頭上から発せられた桁違いの咆哮。それは、例えるのならば音の衝撃波であった。耳がどうこうの問題以前に全身に鋭い衝撃を受けた感覚が走り、気がついたときには身体が宙を舞っていた。

「今のは、何なのです……?」

 何とか立ち上がったソラは無意識にそんな言葉を口にしていた。

 予想していたものとは全く違ったもの。確かにあれはモンスターが使う咆哮の一種であった。しかし、そのどれもが聴力に対する影響のみであった。だが、ティガレックスの咆哮は衝撃波となって鞭のように身体に打ち付けられた。

 見ればクレアとグレンも同じように吹っ飛ばされていた。体力を回復したいのは山々だが、ティガレックスに無防備な姿を晒せば狙われるに違いない。

 刹那、辺りに閃光が走る。ヴァイスが閃光玉を投擲し、回復できる隙を作ったのだ。

 その間、ティガレックスは接近されないよう闇雲な攻撃や咆哮を繰り返す。ヴァイスも斬り込むことは考えず傍観することを決め込んだようだ。

 閃光玉の効果が消え、ティガレックスが視力を取り戻す。怒りの矛先を向けたのは視界に入ったヴァイスであった。

「ガアアアアアアアァァァァァァァ!」

 ティガレックスが動き出す。その動きは今まではとは比べものにならなかった。何故なら――。

「速い!?」

 そう、怒り狂ったティガレックスは感情を剥き出しに襲い掛かってくる。人間で例えるなら、力の制御が困難になり、自我を忘れ感情に任せて暴れまわるという状態だろうか。

 咄嗟の回避行動でヴァイスが突進を回避する。だが、ティガレックスは回避されても関係ないようだった。次なる標的を定め再び突進を開始する。

「狙われてるぞ、ソラ!」

 その標的はソラ。ソラは狙撃を試みようとヴァルキリーファイアを構えていたが、ティガレックスに狙われていることに気づき回避行動を取る。間一髪で突進を回避すると再びヴァルキリーファイアを構えスコープを覗き込む。

 今までの行動から見れば正しい動きだったかもしれない。そのソラの読みをティガレックスは覆した。

 ティガレックスは突進が空振りに終わり静止すると思われた。しかし、ティガレックスは急激な方向転換でソラを真正面に捉える。

「っ!?」

 これも、ヴァイスから指摘があった行動だ。冷静に考えればわかっていたことだが、それはもう言い訳に過ぎない。

 回避することもままならず、ソラはティガレックスの突進の餌食になる。

「ソラッ!」

 この場にいた誰もが背筋を凍らせた。

 ガンナーの防具は剣士に比べ耐久性に劣る。それ故、受けるダメージも剣士に比べ深刻で、剣士では耐えられる一撃がガンナーでは耐えられないというケースがある。

 真っ先に駆けつけたグレンがソラを助け起こす。

「何とか、大丈夫です……」

「あ、ああ。よかった。だけど――」

 そう、依然としてティガレックスは暴れまわっている。

 クレアがティガレックスの気を惹きつけようと背後に回りこむ。そして、シャドウサーベル改を一閃させようと左腕を振り上げた。

 ティガレックスはそれを許さない。時計回りに回転しクレアを蹴散らそうとする。クレアもガードで踏ん張り、斬撃を浴びせようとガードの体勢を解いた。

 しかし、それはティガレックスに通用しなかった。先ほどのものとは程遠いが、それでも強烈な咆哮を放つ。身体が勝手に動き自然に耳を塞いでしまう。無論、同時に無防備な姿をティガレックスに晒すことになる。

 ティガレックスが咆哮を終えた。もう動き出すのは時間の問題である。その途端、クレアはある衝撃によって身体が飛ばされていた。

 訳がわからず頭が混乱したまま派手に尻餅をつき地面に叩きつけられた。一体何が起こったのか確認しようと顔を上げた。そこに、ティガレックスの噛み付きを紙一重で躱すヴァイスの姿があった。

「えっ……」

 自分がどういう状況に置かれているか理解した瞬間、やってきたヴァイスに促されエリアを移動することになった。

 辺りを見渡すがグレンとソラの姿が見当たらない。どうやら二人は先にエリアを移動したようだった。

 クレアは、複雑な心境に囚われる胸を押さえながらヴァイスと共にエリア3を去っていった。



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EPISODE46 ~葛藤~

 エリア2はエリア3に隣接しているエリアだ。今までとは打って変わって何とも平凡な光景だった。

 ティガレックスもエリア2には移動してくるだろう。そうなれば、一時的にティガレックスを撒いたとしてもただの気休め程度にしかならない。

 既にグレンとソラがエリア2に移動していた。二人とも回復薬を飲むなり携帯食料を食べるなり小休憩をとっていた。

 二人に合流するためヴァイスが歩を進める。やや遅れてクレアも続く。が、その足取りは重く、途中で足が止まってしまう。

 全速で走ったためか、クレアの息は荒く心臓の鼓動も早まっていた。否、それだけではない。目の前で見た一部の光景が、脳裏に断片的に広がっていた記憶を呼び覚ます。

 数年前、この目で見た。自分を助けようとした人物が身代わりになってリオレウスの攻撃を受けた瞬間を。それと今の光景が重なって見えてしまう。蘇るのはモンスターに対する恐怖ではなく、守ってくれた人物が怪我をしてしまうのではないかという恐怖であった。

「どうした?」

 異変に気づいたヴァイスが声をかける。だが、クレアは答えない。正確には、クレアは答えられなかったのかもしれない。

 ヴァイスのみならず、グレンやソラまでもクレアの様子に疑問を抱いた。怪我でもしたのかとヴァイスが歩み寄る。

「……もう、嫌……」

 クレアが発した言葉は、今にも消えてしまいそうなほどか細いものだった。だが、その声が震えていることは理解できた。

 ヴァイスが声をかけようと更に歩み寄る。

「……もう、嫌。私のせいで……。私のせいで誰かが傷つくのは、もう見たくない……!」

 その台詞がいつも元気で無邪気なクレアが発したとは到底考えたくもなかった。

 ただ見ているだけなのに。らしくないクレアの様子をただ見ているだけで胸が締め付けられそうな気がした。

「ダメ……。みんな、いなくなっちゃう……」

「お、おい! クレア!」

「クレアさん!」

 見ていられなくなった二人が体勢を立て直すことも忘れ、クレアの元へと駆け寄る。

 ふらふらと、おぼつかない動作でクレアが立っている。無論、ヴァイスも黙って見ているだけではなかった。

「落ち着け! 俺は……。俺たちは、お前の目の前から消えたりしない」

「ぇ……?」

 まるで夢から覚めたような虚ろな瞳と目が合った。その途端、クレアが崩れるようにその場に倒れ込む。ヴァイスは、それを抱きかかえる形で受け止めた。

「し、しょう……?」

「ああ。俺は、お前の傍にいる」

 そうして、クレアの身体から力が抜けていく。慌てたグレンとソラだったが、ヴァイスが「大丈夫だ」と制す。

「気を失っただけだ。大事はない」

「そうですか。よかったです」

「でも、このままじゃさすがに……」

 クレアが意識を取り戻すまでここで待っているのはリスクが高い。いつティガレックスがやってくるかわからない以上、拠点へ戻るのが最善の選択だろう。

「ああ、わかってる。クレアを休ませるついでに、俺たちも体勢を立て直すぞ」

 二人とも同意し、拠点へ戻る道を行く。

 クレアはヴァイスが背負い、身動きの出来るグレンとソラが先行し周囲を警戒する。

 二人のおかげもあってか、無事に拠点へと戻ってくる。備え付けのベッドにクレアを寝かし、ヴァイスが大きく息を吐き出す。

 鬼哭斬破刀・真打の切れ味は衰えていない。砥石を使う必要はないだろう。ヴァイスは若干の空腹を覚えているが、とても携帯食料を口にする気にはなれなかった。

 もう一度大きく息を吐き出し、隣で寝息を立てているクレアに目をやる。無表情で横になっているだけなのだが、クレアの顔を見るとどうしても先ほどの様子が脳裏に蘇る。どうするべきか、とヴァイスも思いふける。

「あの、ヴァイスさん」

 不意に声をかけられた。ゆっくりとした動作でそちらの方向を向くとグレンとソラが目の前に立っていた。両者とも、その表情は不安の色を帯びていた。

「大丈夫です? さっきから、ずっと難しい顔をして何かを考え込んでいるようだったです」

「俺たちに出来ることなら力になります」

 ああ、そうか。この二人は自分のことも心配してくれていたのか。

 余裕がなくなり冷静さを欠いているヴァイスを見るのは珍しく、二人が声をかけてくれたのだろう。自分でも馬鹿だな、と思えてしまう。

「その気持ちだけで十分だ。これは、俺とクレアの問題だからな」

「やっぱり、クレアの過去が関係しているんですね」

「ああ」

 重く、ヴァイスが頷く。

 そして、ヴァイスは考えた。これは、確かに自分とクレアの問題だ。だが、それを暗黙にしては事は解決しないのではないかと。

 ヴァイスは「あいつには言わないでくれ」と前置きをしてから話し始めた。

「クレアは、あるハンターに憧れてハンターを志した。皮肉なことにそのハンターは俺で、あいつはそれを知らない」

「そ、そうだったんです?」

 クレアの経緯を初めて聞いたソラは愕然としただろう。ヴァイスは、それに無言で頷くだけだった。

「俺のせいで、あいつが妙に高い目標を掲げるようになったんだよな。まあ、それは別に構わないんだが……」

 確かに、クレアの言っていた目標というのは高い。「志を高く持て」とはよく言うが、それでもハンター界の無慈悲な洗礼に成す術なく諦めていく者たちも多く存在している。

 今もヴァイスは、そんな世界に挑んでいくクレアを手助けしようと努力している。

「……だが、あいつには無理があるかもしれない」

 その言葉に二人は耳を疑った。

 あのヴァイスが、そんな後ろ向きな発言をしたのだ。そして、その発言自体にも大きな衝撃を受けた。

「待ってください! いきなりどうしたんですか! らしくないこと言って――」

「なあ、グレン。グレンを突き動かすものは何だ?」

「そ、それは……」

 いきなりの問いにグレンが口ごもる。だが、その質問は答えられる。数ヶ月前とは違う、明確な理由がそこにはあるから。

「それは、俺はいつか故郷の村の役に立ちたいからです。強くなって、みんなの力になる。それが、俺を動かす理由です」

 それを聞いたヴァイスが満足したように頷いた。だが、すぐに表情を引き締め言葉を紡いだ。

「俺は、憧れのハンターに追いつくという気持ちがクレアを動かしているのだと思う。だが、それは同時にクレアを苦しめている」

「どうして……」

「俺があいつを守ろうとした時、身を挺して庇うしか選択肢はなかった。クレアは目の前でその光景を見た。その時を境に、クレアは自分を守ってくれた誰かが傷つくのは見たくないと思うようになったんだろう」

 つまり、クレアの言う憧れの人物――その頃のヴァイスを思い出そうとすれば、必然に辛い過去を思い出してしまう。

 人は、たった一つの目的があるか否かで意識は変わる。ハンターに限らず、偉大な存在となった人物は皆、目的意識がはっきりしていた。だが、クレアの場合は、目的を思い出そうとすればトラウマも蘇ってくる。自身の重圧に耐えられるかどうかについて、ヴァイスはやや後ろ向きな発言をしたのだ。

「現実から目を逸らそうとしているのか、ただ単に怖いだけなのか。俺にはそこまで理解できない。だが、クレアはその壁に直面する時が必ず巡ってくる。その壁を越えられるまで、俺があいつを助けてやる。それが、俺とクレアの交わした約束なんだ」

 全てを話し終えたヴァイスがため息をつく。

 その表情に迷いはない。あるのは、誓った約束を守ろうとする強い意志だ。

「約束を果たした時、ヴァイスさんの役目は終わる。つまり、その時が訪れればヴァイスさんはドンドルマに帰ってしまうんですか」

 グレンの問いにヴァイスは肩を竦めて答えた。

「さあ、どうだろうな。見ての通り俺はギルドナイトだ。任務としてユクモ村を訪れた以上、自分の意志でその選択をすることはできない」

「そ、そうですか。当然ですよね……」

 グレンとしても、ヴァイスは師のような存在だ。まだまだ未熟者のグレンは、まだヴァイスから多くのことを学びたい。多くのことを授けてもらいたい。そんな気持ちがあるのだ。

「でも、ヴァイスさんなら大丈夫です。自分の気持ちをしっかりと伝えれば、きっとどうにかなるですよ」

「だといいんだがな」

 ソラの天然発言にヴァイスも苦笑いする。

 出来ることならヴァイスもそうしたい。しかし、それが簡単な話なら苦労はしない。上層部に背くことは許されず、ただ従うしかないのだ。それに、ギルドナイトの能力を必要としている街や村も多くある。今のヴァイスと同じように、遠方に派遣されたり、未知のモンスターの調査する任務などは後を絶たない。

「これから、どうするべきか……」

 誰にも聞こえないような声でヴァイスが呟く。さまざまな思考が入り混じってくる中、やはりクレアとの約束は守らなければならないものなのだと確信する。

「ん……」

 ベットからもぞもぞと物音が聞こえてくる。遅れて人の声も聞こえてきた。

「……あれ? ここ、拠点? どうして?」

 まだ錯乱しているのか、クレアは疑問ばかりを抱いている。

 事情を説明してやろうと、ヴァイスがクレアの元へ向かう。

「よう、目が覚めたか」

「し、師匠!? それにグレンさんにソラさんも。……え、えっ? どうして私ここで寝てたんですか?」

「えっと~。クレアさん、途中で倒れちゃって、それでここまで運んできたです」

 記憶にないのか、クレアはぽかんとした顔になる。

 先ほどまでとはまた別の心配をする羽目になってしまった。

「覚えてないのか?」

「うーん、覚えてないと思います……?」

 クレアは質問を質問で返してしまった。その様子から三人ともクレアが嘘をついているとは思っていない。

 だが、それはそれで心配する必要もないだろう。今は、狩猟の真っ只中。ティガレックスは、砂原のどこかでヴァイスたちを探し回っていることだろう。

「気にする必要はない。覚えてないなら無理に思い出すとしなくてもいいさ」

「そうですか。師匠がそう言うならそうします」

 体力はばっちり回復しているのか、クレアの動きには躍動感が戻っていた。砥石でシャドウサーベル改の切れ味を回復させ、小腹の空いた胃袋に携帯食料を押し込む。

 クレアが準備をしている最中、ヴァイスは拠点まで持って帰ってきた罠と爆弾をチェックしていた。一通り目を通すと、ヴァイスは「よし」と頷いた。

「さて、これからの方針を話すぞ」

 その一言で、この場にいた全員の表情が引き締まる。苦戦を強いられている以上、ここはヴァイスの策に頼るしかない。

「幸い、罠と爆弾の数は多い。その二つを駆使してティガレックスの体力を削る。そして、最後は捕獲に持ち込む」

「捕獲ですか? でも師匠、麻酔玉なんて誰かが持ってましたっけ?」

 元々、今回の狩猟では討伐することを目的としていた。そのため、ヴァイスたちは捕獲用麻酔玉を持ってきてはいない。それが無ければ捕獲することなどまず不可能だ。

 案の定、ヴァイスは首を横に振る。だが、何か考えはあるらしい。

「麻酔玉は確かに無い。でも、大丈夫さ。ソラ」

「はいです」

 名を呼ばれたソラは、ポーチからある弾丸を取り出した。一見して、普通の弾丸と見た目の変化はない。だが、勘の鋭いクレアやグレンはもう理解してた。

「捕獲用麻酔弾ですね」

 捕獲用麻酔弾。捕獲用麻酔薬と呼ばれる特殊な薬品とカラ骨【小】を調合することで作ることのできる弾丸だ。文字通り、モンスターを捕獲することのできる弾丸であるため、ヴァイスの言っていた方針は理論上可能になる。

「しかし、捕獲用麻酔弾なんて都合よく持っているものなんだな」

「わたし、麻酔弾はいつも持っていくようにしているです。いざという時に備えているです」

「さすがソラさん」

 今回は、ソラの準備の良さに助けられたと言っても差し支えないだろう。

 ペイントの臭気は疾うに消えており、ティガレックスの位置を断定することはできない。根気よくエリアを捜し歩くしかないようだ。

 次に拠点に戻ってくるときは狩猟が終わってからだと決意し、四人は再び灼熱の太陽の下へと戻っていった。

 

 

 

 砂漠地帯、エリア8に足を踏み入れた時、ティガレックスが佇んでいるのが目に入った。

 エリア中央に石柱のようなものが立っている。人間が衝撃を与えてもびくともしないだろうが大型モンスターをもってすれば石柱の一つや二つ、破壊することは容易いことだ。

 事前に狩猟笛の演奏効果、攻撃力強化【小】、防御力強化【小】、風圧無効のスキルを発生させてある。グレンに至っては、移動速度UPとはじかれ無効も発生させてある。まさに万全の体制でティガレックスを迎え撃つことができる。

 皆が散開していく中、ヴァルキリーファイアからペイント弾が撃ちだされる。それがティガレックスの背中に着弾するのと、ヴァイスの鬼哭斬破刀・真打が尻尾に命中するのはほぼ同時だった。

 もちろん、ティガレックスは奇襲を受けた途端にヴァイスたちの存在に気がついた。ティガレックスの放ったバインドボイスが辺りに響き渡る。これで動きを封じられた者はいない。

 バインドボイスの余韻を振り払うようにクレアとグレンがティガレックスの懐に飛び込んだ。互いにシャドウサーベルとヘビィバグパイプを斬りつけ、あるいは叩きつける。

 既に、ソラは弾倉からペイント弾を取り出しLv1毒弾を装填していた。

 クレアの持つシャドウサーベル改と同じく毒属性を帯びた弾丸だ。剣士の武器との大きな違いは、Lv1毒弾は短時間で標的を毒状態にすることが可能なのだ。それは毒弾だけでなく各種状態異常の属性を帯びた弾丸に共通して言えることだ。

 ソラが引き金を引く。装填されていた弾丸がLv1毒弾だということはクレアにも理解できた。

「ソラさん、お願いします!」

「任せるです!」

 二人は協力しティガレックスを毒状態にしようと試みる。ヴァイスとグレンはその援護に回る。

 ヴァイス、グレンの二人はしばらくの間ティガレックスを足止めすることができた。が、突進を繰り出されてしまったがためにティガレックスとの間合いは広がってしまった。

 しかし、互いの連携行動は実りを結ぶことになる。突進を終えたティガレックスの足取りが妙に怪しい。自分の存在を誇示しようと威嚇してくるが、それは虚勢だろう。苦し紛れの行動だとは誰が見ても明らかだった。

「やったです!」

 これでティガレックスは毒によってその身が蝕まれていくはずだ。

 モンスターの完治能力は人間のそれを遥かに凌ぎ、短時間で毒は分泌されてしまう。より大きな痛手を与えるためヴァイスは動き出した。

「アリ塚か」

 エリア中央に立っている石柱はアリ塚のようだ。通気孔のような小さい穴からオルタロスが出入りしている。

「……行けるか?」

 そのアリ塚の真正面、自分とティガレックスとアリ塚が一直線上になるような位置でヴァイスは立ち止まった。

 鬼哭斬破刀・真打を鞘から引き抜き、片手で構えの姿勢をとる。その切っ先はティガレックスに向けられる。ティガレックスも挑発してくるような行動をとるヴァイスに目をつけた。

「さあ、かかってきな」

 ヴァイスがそう告げた途端、ティガレックスが弾かれたように突進し始めた。

 言葉は通じない。だが、ティガレックスはヴァイスの行動を自信に対する挑発行為だと受け取ったのだろう。生意気な人間を喰らおうとティガレックスは目をぎらつかせ牙を唸らせる。

「師匠!」

 それは、外野にしてみれば無謀な行動だと見て取れる。自ら挑発するような行為を行い、相手の気をこちらに惹きつけるのだから。

 ヴァイスは、そんな心配の声を他所に動こうとはしない。

 一歩、また一歩とティガレックスとの距離が縮まってくる。

 クレアが閃光玉に手をかける。だが、それを制したのは意外にもソラだった。

「ソラさん!?」

「ヴァイスさんは、大丈夫です」

 その言葉の意味はすぐさま理解できた。

 ヴァイスはやや左側に動いた。そして、鬼哭斬破刀・真打をわざと空振りさせるように突きを繰り出した。そして、そこから移動斬りに派生させる。刹那、鬼哭斬破刀・真打が命中した証拠に雷らしきものが走った。そして、ヴァイスの右隣すれすれをティガレックスが通貨していった。

 ティガレックスは停止することができず、石柱に牙が突き刺さった。かなり深々と突き刺さっているのか、抜くのに相当苦労している様子だった。

「す、すごい……」

 走り寄りながら、クレアは思わず感嘆の声を出していた。

 ティガレックスの恐怖に打ち勝つ精神力。あの行動をやってのける技量。それは、見るからにG級と呼ばれるハンターのものであった。

 ソラはその場で射撃を行う。Lv2通常弾に入れ替え、速射でティガレックスの頭部を撃ち抜く。

 身動きの取れないティガレックスにヴァイスたちの接近を阻む術はない。

 ヴァイスは左前脚に鬼哭斬破刀・真打を振り下ろす。気を極限まで高め気刃斬り、気刃大回転斬りで一気に放出する。白銀に染まった刀身は、更に破壊力を増す。

 グレンはヴァイスとは逆の脚にヘビィバグパイプを叩きつける。左から右へぶん回し、上段から振り下ろす。それを繰り返し着実にダメージを与えていく。

 リーチの短い片手剣では常に動き回るティガレックスの尻尾を捉えるのは難しい。だが、今は容易に斬りつけられることができ、その好機を逃さない。ジャンプ斬り、斬り上げ、斬り下ろし、水平斬り、斬り返してから回転斬り。どれも、素振りで練習した成果が出ていた。

「ガアアアアアアアァァァァァァァァァッ!?」

 派手に悲鳴を上げ、ティガレックスは何とか石柱から牙を抜くことに成功した。

 怒りそのままに、その場で回転攻撃を繰り出す。誰にも命中することはなかったが、衝撃を受けた石柱が勢いよく崩れ落ちてきた。

「まずい!」

 慌てて三人が距離を取る。一歩遅れていれば、崩れ落ちてくる石柱の下敷きになっていたかもしれない。

 この間も、ソラはティガレックスの気を惹きつけようと奮闘していた。Lv2通常弾を撃ちつくしては装填する作業を繰り返し、追撃を許そうとはしない。

 何発撃ちだした頃だっただろうか。ティガレックスの左前脚の鋭い爪がソラの射撃によって弾け飛んだのだ。

 再び怯むティガレックス。狩猟開始当初から苦戦を強いられてきたが、着実に追い込んできてはいる。瀕死状態に追い込むにはまだ程遠いが、この調子で行けば捕獲は無事に成功するだろう。



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EPISODE47 ~反撃~

 左前脚の爪を破壊されたティガレックスは、その怒りをぶつけるように攻撃を仕掛けてくる。残された右前脚の爪で岩石を抉り飛ばす。

「くそっ!」

 ターゲットであるグレンはすぐさま回避行動を取る。しかし、ティガレックスはグレンを逃そうとはしない。大きく一歩踏み込むと回転攻撃を繰り出してくる。これは紙一重の差で横っ飛びに成功した。しかし、これでは埒が明かない。

「そうはさせません!」

 この状況を打開しようと動いたのはソラだった。

 ヴァルキリーファイアの銃口が火を噴く。頭部に着弾した二発の弾丸は数秒の後、爆発を起こす。その威力に気圧されたティガレックスが大きく怯んだ。

「助かった!」

「どういたしましてです!」

 ソラが撃った弾丸はLv1徹甲榴弾。爆発性のある素材から作られる弾丸で、着弾点で爆発する仕組みになっている。

 その徹甲榴弾の影響もあるのか、ティガレックスは口から涎を垂らしている。疲労状態に陥ったのだ。その証拠に、突進の方向転換に失敗し大きく体勢を崩している。

 この疲労状態はヴァイスたちに大きな好機をもたらす。ティガレックスが体勢を立て直すまでの一瞬の隙でそれぞれがダメージを与えていく。ようやくティガレックスが立ち上がった時には、既に大きな痛手を与えられていた。

 ティガレックスが傷を付けたハンター達に牙を剥く。だが、意思に反して身体が言うことを利かない。ティガレックスは再び転倒してしまう。

 クレア、グレン、ソラの三人が更なる攻撃を仕掛ける。ヴァイスは、今度は鬼哭斬破刀・真打で斬るのではなく、ある物を地面に仕掛けた。

 懐に飛び込んでいた剣士の二人が同時に距離を取る。二人が退いた隙間から見えたのは無造作に転がっている生肉であった。空腹状態のティガレックスは迷うことなくその生肉に齧り付く。無論、それがヴァイスの仕掛けた罠だとは到底思いもしなかっただろう。

「ガアアアアアアアァァァァァァァッ……!?」

 生肉を平らげるのに夢中になっていたティガレックスの動きが突然止まった。金縛りにでもあったように身体が小刻みに震えているのがわかる。

「かかった!」

「よし、畳み掛けよう!」

 クレア、グレンが好機とばかりに武器を振るう。動けないティガレックスの正面から、ソラがLv1徹甲榴弾を撃ち込む。

 ティガレックスの食べたのはただの生肉ではない。マヒダケに含まれる強力な麻痺性の毒を生肉に塗り込んだシビレ生肉だ。

 ティガレックスに生肉を食べさせるには空腹状態を誘発しなければならない。その時を待って、ヴァイスはシビレ生肉を今まで温存しておいたのだ。

 クレアとグレンがティガレックスに肉迫してダメージを与える。互いに斬り、あるいは叩き、なるべく多くのダメージを与えようと武器を振るい続ける。しかし、これだけダメージを与えてもティガレックスの体力は底知れない。

「ガアアアアアアアアアアアアァァァァァァァッ!」

 身体に纏う痺れから解放されたティガレックスが回転攻撃を繰り出す。避ける術のなかったクレアとグレンが攻撃を喰らってしまう。

「くそっ……!」

 グレンは、尻尾で打ち付けられ、痛む場所を押さえながら何とか立ち上がる。クレアも同様だ。疲労状態にあっても、ティガレックスに無防備な姿を見せ回復薬を使うことは出来ない。

「皆さん、目を瞑ってください!」

 追撃の恐れを考えたソラが射撃を中断し閃光玉を投擲する。

「ソラさん、ありがとう!」

「いえいえ、どうってことないですよ」

 賢明なソラの行動に感謝しつつ、ダメージを負った二人は回復薬を使用する。ソラは、ティガレックスに攻撃をしようとはせず、様子見で終えるようだ。

 閃光玉の効果が切れた。視力の回復したティガレックスは、視界に入ったグレンをターゲットにする。へビィバグパイプは担いでいたため、回避するのは容易い。だが、グレンが動き出そうと振り向いた瞬間、今までグレンの背後にいたヴァイスと目が合った。

 地面に仕掛けられた二つ目のシビレ罠。近くに置かれている大タル爆弾を積んだ荷車。おそらく、ティガレックスの目が眩んでいる間にヴァイスが移動させたのだろう。当然、その二つを見ればヴァイスが何を考えているか理解できる。

 グレンは、走り出す。疲労のため速度の鈍っている突進だとはいえ、その速度は人間の走る速度を遥かに凌駕する。もう少し。もう少しでシビレ罠が仕掛けてある位置に到達する。

 シビレ罠を横に避ける余裕はない。グレンは、シビレ罠を飛び越えるような形で身体を投げ出した。身体が地面にぶつかる寸前、ティガレックスの悲鳴が聞こえてきた。無事に囮役を全うしたグレンは、安堵する余裕などなくすぐに体勢を立て直す。

 ヴァイスと駆けつけたクレアが大タル爆弾の配置を終えていた。グレンが見たのは、ソラが大タル爆弾を今まさに撃ち抜こうとする瞬間だった。

 装填されていた弾丸はLv1通常弾。威力に欠けるその弾丸であっても、撃ち抜かれた2つの大タル爆弾は凄まじい爆音と爆風を撒き散らすことに成功する。

 爆発音の余韻が響き渡る中、黒煙の向こうからティガレックスのシルエットが浮かび上がってくる。これで倒せるほど甘い相手でないことは承知している。だが、確実に追い込んでいるのは確かであった。

 顔面に一筋の傷跡が深々と走っている。耳のようなものは跡形もなくへし折れてしまっている。見るも痛々しい無残な姿であった。

「ガアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァッ!!」

 それがティガレックスの怒りを買った。血管が浮かび上がり、口から吐く息が白く染まる。

 数十分前、ヴァイスたちパーティーを一瞬で追い詰めたティガレックスの怒り。特に、ヴァイスを除く三人は警戒の色を濃くする。

「来る!」

 身を屈めたティガレックスは空いていた距離を一気に殺し飛び掛ってくる。着地点にいたクレアとグレンが咄嗟に回避する。ティガレックスも一度ならず二度までも飛び掛ってきた。狙われたのはソラだったが、飛び上がる寸前に生じた風圧にグレンの身体が流される。

「くそっ! もう効果が切れたのか!?」

 演奏効果の風圧無効【小】がこんな時に切れてしまった。立ち回りを考えれば再び発動させたほうがいいだろう。他の演奏効果も、もういつ効果が切れても不思議ではない。だが、グレンには演奏を行えるほどの余裕がなかった。

「ゴアアアアアァァァァァァァァァァッ!」

 凄まじい速度で繰り出される攻撃の数々。これをどうにか封じなければ演奏どころではない。回避するだけで精一杯なのだ。

 刹那、閃光玉が弾ける。投擲したのはヴァイス。それは、この隙に演奏を行えという意味だ。

 グレンが演奏を行っている間、ヴァイスは鬼哭斬破刀・真打で斬撃を繰り出す。ソラもLv3通常弾で援護する。苦労しながらもティガレックスの尻尾を狙っていたクレアは、シャドウサーベル改を全力で尻尾に向かい振るう。

 グレンが演奏を終えたときには、既に閃光玉の効力は切れていた。加えて、怒り状態も解けていない様子である。しばらくは耐え凌ぐしかない。

 ティガレックスに肉迫しているのはヴァイスのみ。そのヴァイスを蹴散らそうとティガレックスは大きく息を吸い込んだ。先ほどクレアたちを容赦なく吹き飛ばした桁違いのバインドボイスを繰り出すつもりらしい。ヴァイスがバインドボイスの影響が及ぶ地帯から飛び出すのと衝撃波のような咆哮が届いたのは同時だった。

 咆哮を発している間は、ティガレックスは身動きが取れない。動かぬ標的目掛けソラはペイント弾を装填し狙撃する。バインドボイスの余韻が残る中、ペイントの臭気が確かに漂ってくる。

 しばらく耐え凌いだ結果、ティガレックスの身体に浮かんでいた血管が消えた。ここに来て怒り状態がようやく解けた。

「よし、これなら!」

 怒り状態ではないティガレックスに食い下がることはクレアたちにも出来る。隙を付いて、背後からシャドウサーベル改を一閃する。

 飛んできた岩石を回避しながらグレンがティガレックスの頭部を狙える位置取りをとる。太刀や片手剣では不可能な気絶をさせようとしているのだろう。

「ソラ! 援護を頼む!」

 それはライトボウガン使いのソラにも言える。一部の弾丸にはモンスターを気絶させるものがある。それが先ほど使用した徹甲榴弾なのだ。

「任せてください!」

 弾倉からペイント弾を取り出し、残っていた二発のLv1徹甲榴弾を装填する。狙いを定め一発。続けてもう一発。着弾の後、爆発が起こりティガレックスは一瞬グレンから気を逸らした。

 狙撃してきたソラに向かって飛び掛ろうと両脚に力を込める。

「お前の狙う相手はこっちさ!」

 裂帛の気合いと共にグレンが上段からヘビィバグパイプを叩きつける。衝撃に耐え切れなかったティガレックスの身体が地面に崩れ落ちた。

「ガアアアアアァァァァァァァァァッ!?」

 必死に体勢を立て直そうとティガレックスは足掻く。だが、うまく身体が動かず体勢を立て直すのに時間を要してしまう。

 それは、ヴァイスたちには好都合なのだ。グレンとソラが続けて頭部を狙い、クレアが右前脚、ヴァイスが尻尾をそれぞれ攻撃する。特に、気刃大回転斬りを喰らった尻尾への負担は大きいだろう。

 他のモンスター同様、ティガレックスの尻尾も切断が可能だ。尻尾の切断に成功すれば、いくつかの攻撃のリーチが短くなる。そうなれば、流れは更にこちらに傾くはずだ。だからこそ、クレアはシャドウサーベル改で苦労しつつも尻尾を狙っていた。

 今回も同様に、ティガレックスの背後からクレアが接近する。しかし、ティガレックスはそれを読んでいた。その場で回転攻撃を繰り出し、クレアの接近を許さない。回避することが不可能だったクレアは何とか盾で攻撃を防ぎきった。体勢を立て直したときには、ティガレックスは突進してしまい距離が開いてしまった。

「くっ、やっぱり難しい……」

 リーチの短い片手剣で緩慢な動きをし続ける尻尾を狙うのは、やはり他の剣士の武器に比べて不利な部分がある。

 閃光玉で動きを止めるべきだろうか。的確な数は把握できないが、幸い閃光玉は手元に多く残っている。

 片手剣は抜刀したままアイテムを使用できる。盾を装着している右手をポーチに突っ込み閃光玉を探す。だが、すぐにその手をポーチから引き抜き、逆に盾を構えた。直後、三方向に飛ばされたうちの一つの岩石がクレアに飛んできた。

 スタミナをごっそりと削られ、体勢を崩す。ティガレックスも、まだクレアに目をつけている様子だ。そして、突進を繰り出してくる。

「回避は……、出来ない!」

 そうなれば、やはり盾で攻撃を受け止めるしか方法はない。だが、直前にスタミナを削られている以上、完全に防ぎきれるかどうかは微妙なところだ。閃光玉を投擲しようにも、ポーチを弄っている間に突進の餌食になる。

「くっ……」

 衝撃に備え、身体に力を入れる。

 しかし、衝撃は襲ってこない。変わりに、目蓋を通して眩い閃光が走った。そっと、閉じていた目蓋を開ける。

 目の前に目を眩ませているティガレックスの姿。そして、閃光玉を投擲したソラの姿。ソラが咄嗟に閃光玉を投擲したのだ。その二つが視界に入ると、クレアは頭で考える前に身体が動いていた。

 閃光玉の効力も短い。急いでティガレックスの背後に回り込みシャドウサーベル改を引き抜いた。

 ソラもクレアを援護する。斬裂弾と呼ばれる弾丸を装填し、ソラは狙撃を行った。

 徹甲榴弾は、ハンマーなどという打撃系の武器と同じくモンスターを気絶させることができる。それと同じように、この斬裂弾はモンスターの尻尾を切断することの出来る弾丸だ。

 クレアのシャドウサーベル改とソラの斬裂弾。この二つの攻撃がティガレックスの尻尾に集中する。

「ゴアアアアアァァァァァァァァァァァッ!」

 くるりとクレアに向き直ったティガレックスが二連続で噛み付きを繰り出してくる。回避しそこねたクレアはダメージを受けてしまう。

「くそっ! 俺が援護を!」

 咄嗟に、グレンがティガレックスに接近しヘビィバグパイプで叩きつける。と、そこにソラから水が差される。

「あまり熱くならない方がいいです、グレンさん!」

「っ……!」

 言われてみればその通りである。グレンは、すぐに距離を取り安全圏へ脱する。

 仲間を援護しようとはいえ、そこで冷静さを欠けば自身がダメージを食らってしまう。さすがに、援護するということに慣れているソラだ。

「ごめん、助かった」

「いえいえです」

 短く言葉を交わし再びティガレックスへ接近する。

 今度は、ティガレックスの一瞬の隙を付いて懐に飛び込むことに成功した。反対側からヴァイスも斬り込んできた。ティガレックスが二人に気を取られないようソラも援護を再開する。

 しかし、ティガレックスもこちらの思う壺というようには動いてくれない。ソラの援護も虚しく、ティガレックスは回転攻撃を仕掛けてくる。ぎりぎりの間合いで回避できるが、判断が遅れれば直撃は間逃れない。やはり、閃光玉で動きを止め、一気に畳み掛けるのが得策な判断なのかもしれない。

「やっぱり、一筋縄じゃ行かない」

 閃光玉を投擲しながら、クレアが噛み締めるように呟く。

 ティガレックスが手強いことは承知の上だった。そして、クレアやグレンは、実際に対峙してみて力の差を思い知ったことだろう。

 ここで立ち止まっては駄目なことはわかっている。苦戦してでも前に進まなくてはならない。それを、今回改めて痛感した。自身の力の無さに苛立ってきそうな自分がいる。

「はあぁっ!」

 感情を剥き出しに狩猟をしていては危険極まりない。そんな感情を無理やり押し込みシャドウサーベル改を斬り下ろす。

 閃光玉の効力も僅かながらではあるが弱まってきている。ティガレックスの視力が回復する時間も早くなってきた。着実に追い詰めているものの、それと同時に、こちらの状況もだいぶ苦しくなってきているのだ。

 クレアとグレンが距離を取ったが、ヴァイスはその場に粘った。

 突き、斬り上げ、斬りつけという基本の型を数回続け、斬り下がりで一旦退く。やはり、気刃斬りは使わない。いずれにせよ、この狩猟でヴァイスは太刀使いの奥義と言ってもいい気刃斬りを数えるほどしか繰り出していなかった。

 一方ヴァイスは、鬼哭斬破刀・真打を鞘に収めティガレックスの様子を見る。ティガレックスは、ヴァイスに飛び掛ろうかという素振りを見せた。それを先読みしていたヴァイスは安易に回避する。

 地面に着地したティガレックスに剣士の三人が接近する。

 クレアが尻尾に斬り込み、ヴァイスとグレンが左右から前脚にダメージを与えていく。二人は、尻尾の切断を試みようとしているクレアの援護をしているのだ。

「わたしも手伝います!」

 やはり、片手剣による尻尾の切断には高い技術が必要になる。ソラの援護が加われば、多少は切断しやすくなるはずだ。

「ありがとう、ソラさん!」

 クレアの感謝の言葉に答えるようにソラが笑顔で頷く。そして、すぐに表情を引き締め狙撃に集中する。

 ここにヴァイスの支援があれば、どれほど楽なのだろうか。だが、ヴァイスは尻尾の切断をクレアたちに任せているようである。ならば、そのヴァイスに応えうる働きをするまでだ。

「ガアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァッ!」

 ティガレックスも動き出す。

 方向転換すると、前脚を狙っていたグレンに向かって噛み付く。距離を取ろうとしていたのが功を奏し回避は容易かった。だが、予想外だったのは、ティガレックスが再び二連続の噛み付きを繰り出したことだった。

「わっ!?」

 身体を捻り、咄嗟の回避に成功する。

 あのままその場に止まれば、身体の一部分がティガレックスの鋭利な牙に引き千切られていたに違いない。そう考えるだけで背筋に冷たい汗が流れ落ちる。

「大丈夫ですかっ!?」

 ソラも珍しく声を張り、グレンの身を心配する。そのせいか、斬裂弾が一発、尻尾に命中することなく空振りに終わった。貴重な斬裂弾だが、それでも無駄にしたのは一発だけで済んだのが幸いだ。

 そして、グレンも自分の身が無事であることを告げる。

「ああ。ソラ、大丈夫だよ! 俺のことは大丈夫だから狙撃に集中してくれ!」

「わかりました。任せてください!」

 既に、ティガレックスはその場から移動してしまっていた。こちらが間合いに入る前にティガレックスの方が動き出すことは明白だった。

 短く吼え、ティガレックスが突進を始める。派手に砂煙を上げながらヴァイスとクレア目掛けて突っ込んでくる。互いに抜刀していなかったため、緊急回避をするまでもなかった。だが、またこれで間合いが開いてしまった。

「くっ、これじゃ埒が明かない!」

 やはり、尻尾という一点を狙うならば、相手に行動されては厄介だ。クレアが閃光玉を投擲しティガレックスの動きを止める。手元に残っている閃光玉の数はわからない。だが、今は使い惜しんでいる状態ではないのだ。

「てりゃあぁっ!」

 体重を乗せシャドウサーベル改を振り下ろす。斬って、斬って、とにかく斬る。幾度となく、ティガレックスの尻尾にシャドウサーベル改の閃光が走った。ソラも加勢し、追い討ちをかける。

 そして、渾身の力を込めた一撃を繰り出す。

「行けっ!!」

 今までとは全く違う手応えがシャドウサーベル改を伝わり感じた。片手剣の刀身の何倍もあるティガレックスの尻尾が、クレアの一撃によって見るも無残に斬り落された。

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァッ!?」

 悲痛の叫びを上げるティガレックス。数歩前のめりに倒れ込んだ後に体勢をようやく立て直したティガレックスの姿は、先ほどまでとは違い衰弱したように見えた。

 確実に追い詰めてはいる。だが、まだ決定打にはなっていない。その証拠にティガレックスの双眸が怒りに染まる。身の毛が弥立つようなその咆哮は、この身を傷つけたハンター達を喰らってやろうという意思表示でもあるようだった。

 ソラは自分とティガレックスの位置関係を確認する。仮に自分を狙うならば、突進か岩石投げ。他の誰かに狙いを定める可能性もある。怒ったティガレックスは厄介だ。どんな動きをしようとも対応できるよう身構える。他の面々も同様だ。

「ゴアアアァァァァッ!」

 しかし、ティガレックスは、その場で飛び上がったかと思うと再び地上に降り立ってくることはなかった。エリアを移動していったらしい。

「さあ、今の内に体勢を整えておくぞ」

 誰もが呆気に取られ、言葉を失った。ティガレックスが消えていった空を見上げていたが、ヴァイスの一声で、皆が現実に引き戻された。

 武器の切れ味は落ちてきていた。このタイミングで砥石を使えたのは幸運と言える。他にも回復薬や携帯食料など、各々がそれぞれ準備を整える。

「怒ったモンスターでも、あんな風に襲い掛かってこない場合もあるんですね」

「長く狩猟をやっていればそんなこともあるさ。疲労していれば、怒り状態であっても睡眠を取ることもある」

 クレアの言葉にヴァイスが素っ気無く返す。

 冷たい反応のように思えるが、普段の狩猟中のヴァイスだ。最低限の緊張を保っているためにこういったやり取りも少なくはない。

「行きましょう。ティガレックスはエリア7に移動したようです」

 ペイントの臭気からグレンがティガレックスの移動した場所を割り出す。

 ヴァイスもグレンに承諾し、鬼哭斬破刀・真打を鞘に収めると移動を開始しする。

 目的はあくまで捕獲。その鍵を握るソラは、捕獲用麻酔弾がポーチにあることを確認してからあとに続いた。

 乾いた風に乗って漂ってくるペイントの臭気を辿り、四人は灼熱の砂漠地帯を後にする。先ほどまでのティガレックスへの反撃は、着実に光明へと繋がるはずだ。



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EPISODE48 ~絶対強者~

 斬り落した尻尾から剥ぎ取りを行い、四人はエリアを移動していた。その最中、ヴァイスが口を開いた。

「エリア7は、モンスターが休眠する場所の一つだ。おそらく、ティガレックスの体力はそう多くは残っていないはずだ。体力を回復するために睡眠を取っても不思議ではない」

 ティガレックスがエリアを移動する以前で、足を引きずるような様子は見受けられなかった。怒った故の虚勢かもしれないが、まだ捕獲できるほどティガレックスを追い詰めてはいないということになる。しかし、疲れて睡眠を取るという可能性も否定できない。

 流れは確実にこちらに来ている。討伐とは違い、捕獲するだけなら相手を極限まで追い込み倒す必要はない。そういう意味なら、現在の状況は悪いとは言えないだろう。

「罠は、誰が仕掛けるのですか?」

 ソラの問いにヴァイスが答える。

「閃光玉で奴の動きを止めているうちに俺が落とし穴を仕掛ける。仕掛け終わったら落とし穴まで誘導してもらいたい」

「任せてください!」

 早速、クレアがやる気を見せている。しかし、これもいつもの光景なのでヴァイスもグレンも特に突っ込むこともなく、歩を進めた。

 しばらくして、四人の足が突然止まる。

「……と、いましたね」

「ああ」

 視界にティガレックスが入った途端、四人の顔つきが変わる。ティガレックスの怒り状態はまだ解けていない。ここまで、ティガレックスの怒り状態がどれだけ厄介なのかを痛感してきた。一瞬の油断が取り返しのつかない事態を招いてしまいかねない。それが、全員の緊張を更に高めたのだ。

 ヴァイスが辺りを見渡す。

 エリア7は岩場の間にぽっかりと空いた空間のようになっている。灼熱の日差しは遮られ、水が湧いているであろう場所には池ができており魚が泳いでいた。

 地面を足で軽く小突いてみる。やはり、砂漠地帯に比べれば硬い作りをしている。だが、落とし穴を仕掛けれないということはなさそうである。

 それぞれが互いの獲物に手を伸ばす。ソラは、弾丸をLv2通常弾に変更しリロードを行う。そして、リロードを終えたソラが頷いた。それが、合図だった。

 ティガレックスの背後から真っ先にクレアが斬り込む。続けてグレン、ヴァイスも互いの武器を引き抜き、斬り、殴りつける。

 怒りに染まったティガレックスの赤い双眸がこちらを睨みつける。その巨躯で体当たりしてくるように、ティガレックスが突進を開始した。一回、二回と方向転換をし、三度目の突進でソラを捉えようと砕けた左前脚の爪を振り下ろした。もちろん、ソラもティガレックスの標的が自分であることを理解していた。既にヴァルキリーファイアは肩に背負い、回避できる体勢になっていた。

 突進が空振りに終わり、ティガレックスが鬱陶しそうに体勢を立て直す。突進は通用しないと悟ったのか、今度は砕けていない右前脚の爪で岩を抉り飛ばす。だが、この時には既にヴァイスとグレンがティガレックスの懐に飛び込んでいた。

 後脚を攻撃しているグレンに対し、ヴァイスは右前脚に鬼哭斬破刀・真打を振り下ろす。雷撃のような斬撃にティガレックスも思わず退いた。ティガレックスは一旦体勢を整えると、また舞い戻るように飛び掛ってきた。二人は、上手く着地点から退き回避する。

「まだ、演奏の効果は切れないよな」

 グレンは、エリア7に来る途中で演奏効果の延長を行った。重ねがけで再び効果を延長する必要は今のところない。

 そこでグレンは動く。ティガレックスとの距離を空け、へビィバグパイプで演奏体勢に入る。そして、自身の移動速度を速める旋律を奏でた。グレンは、援護ではなく剣士として攻めるという選択肢を選んだ。そして、援護はソラに任せる。

 ティガレックスの攻撃を掻い潜りグレンが懐に飛び込む。まだ破壊できていない右前脚の爪目掛けてヘビィバグパイプを叩きつける。

「ガアアァァァァァァッ!」

 煩わしげにティガレックスが短く吼える。グレンの存在を鬱陶しいと感じたのか、追い払おうと噛み付いてきた。しかし、移動速度がアップしたグレンにとってそれは大した脅威にはならなかった。

 隙を見せた一瞬のうちに、今度はクレアが肉迫した。それを後押しするように、ソラもLv2通常弾を速射する。

 グレンを追い払うことに成功したティガレックスだったが、クレアに接近を許してしまった。また同じように追い払おうと時計回りに回転攻撃を繰り出した。

「避けられない!?」

 クレアが盾を構え、回転攻撃を受け流す。

 それと同じタイミングで、ティガレックスの怒りが静まった。ちょうど視界に入ったヴァイスを捉えようと突進を行うが、最前までの蹂躙するような勢いはない。

 突進を終えたティガレックスにヴァイスが仕掛ける。鬼哭斬破刀・真打を鞘から引き抜き、突き、斬り上げ、斬りつける。高い雷属性を帯びる斬撃の数々にティガレックスが大きく怯んだ。ヴァイスはその隙に斬り下がりで距離を取り、入れ替わるようにクレアがシャドウサーベル改で斬りつけた。

 ソラが続けて援護していてくれていたおかげで、ティガレックスもクレアの接近には気がつかなかったようだ。クレアも思う存分シャドウサーベル改を振るう。

 ようやくティガレックスがクレアに向き直った時には、ティガレックスの身体は再び毒に蝕められていた。苦しげに吼えると突進を仕掛けてくる。

 散開して回避すると、ヴァイス、クレア、グレンの三人がティガレックスを取り囲むように接近する。ティガレックスが正面に捉えていたのはヴァイスだったため、接近しているクレア、グレン、援護しているソラも動きを止めなかった。

 ソラが弾倉に残っていたLv2通常弾を全て撃ちつくし、再装填する。そして、狙撃を続ける。

 ティガレックスはヴァイスを標的として動こうとした。だが、狙撃してくるソラが気に食わなかったか、ヴァイスの横を通り抜けるようにして飛び掛りから回転攻撃を繰り出した。

「きゃあっ!?」

「ソラさん!」

 それは、寸分狂わずソラに命中した。薙ぎ払われた尻尾に命中した形となったソラの身体が吹っ飛ぶ。

「くそっ、止まれ!」

 グレンが閃光玉を投げつける。ティガレックスは閃光玉をまともに喰らい一時的に視力を失ってしまった。そのうちに、クレアがソラを助け起こし距離を取った。

「ソラさん、大丈夫!?」

「はい、何とか大丈夫です」

「そっか。よかった……」

 クレアが胸を撫で下ろす。

 見れば、ヴァイスとグレンがティガレックスを惹きつけてくれている。閃光玉の効果があるとはいえ予断を許さないことに変わりはない。クレアは、ソラに無理をしなくていいのだと状況を呈し、ティガレックスに向かって走り去った。

 クレアの言葉も最もだとソラは思った。ポーチに残っていた応急薬を二本飲み干し体力を回復する。それと、弾丸をLv3通常弾に変更する。狙撃時の隙を減少させるには速射できるLv2通常弾よりもこちらの方がいいと考えたのだ。

「ガアアアアアアアアァァァァァァァァァァァッ!」

 ティガレックスが首を振り、ちらつく閃光を振り払う。

 惹きつけていた剣士三人が退き、ソラの狙撃が再開される。銃口から放たれるLv3通常弾がティガレックスの眉間に命中する。

 ティガレックスがこちらから気を逸らした一瞬の隙にヴァイスが動いた。開いていた距離を一気に詰め、鬼哭斬破刀・真打で斬りつける。ティガレックスもヴァイスに気がついたが、もう遅い。前転回避で噛み付きを回避され、カウンターを喰らう。

 ヴァイスがここぞと気刃斬りを放つ。狙うは右前脚。左前脚と同じように、こちらの脚の爪も破壊するのだ。

 ティガレックスが退こうと体勢を低くする。だが、ヴァイスの方がやや早い。大上段から放たれた気刃斬りは、確実に右前脚の爪を捉える。鋭利なティガレックスの爪は気刃斬りによって呆気なく砕け散った。

「ゴワアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァッ!?」

 大きく怯んだ隙に、再度グレンが閃光玉を投擲する。

 クレアとグレンが共に武器を放ち、ティガレックスに畳み掛ける。

「てりゃああぁぁぁっ!」

「おおおおおぉぉぉぉぉっ!」

 視覚を失ったティガレックスは、現在、自分が取り巻かれているのはわかる。だが、相手がどこにいるのか検討が付かない。そのためか、ティガレックスは攻撃を仕掛けようとはしてこない。荒々しい動きが目立つティガレックスには珍しく思えた。

 グレンが頭部を殴りつける。あわよくば気絶状態を狙いたいところだが、そう上手くいかないと冷静に対処している。クレアはリスクの少ない後脚を斬りつけている。

 ヴァイスも接近を試みるが、その足が反射的に止まる。逆に肉迫しているクレアたちに忠告をする。

「バインドボイスが来るぞ。気をつけろ!」

 余裕があればその言葉に返事はできる。だが、そんな余裕などない。ガードが不可能なグレンが即座に反応し後退する。クレアも同様にその場から後退る。

「ガアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァッ!」

 その咆哮に離れているヴァイスでさえも渋面する。ティガレックスのバインドボイスが治まるまでヴァイスはその場で待機する。

 バインドボイスを終え、ティガレックスが動き出す。淡々と狙撃を続けていたソラ目掛け突進してくる。ソラも、もう無理はしようとしない。ヴァルキリーファイアを背中に背負い、横っ飛びで突進から逃れる。

 そこに、クレアが真っ先に斬り込む。既にティガレックスの体内の毒は解毒されたようだ。ソラも毒弾は撃ち尽くし、これから毒状態にさせるのは難しいか。そうなれば、後はシャドウサーベル改の刃に託すしかない。

「これで!」

 ジャンプ斬りから派生させ剣と盾のコンボへ。水平に斬って直後に斬り返し、回転の勢いを乗せた一撃を放つ。

「ガアアアアアァァァァァァァァァッ!?」

 ティガレックスの巨体がよろめく。この間隙を縫ってヴァイスとグレンが加勢する。

 頭部に回り込んだグレンがヘビィバグパイプを叩きつけ、背後に回ったヴァイスが鬼哭斬破刀・真打で斬りつける。二人の巧みな連携でティガレックスを圧倒する。

「わたしも、負けていられません!」

 その様子は、ソラのガンナーとしての闘争心を奮い立たせた。角度の悪い位置ながら、的確な射撃を行う。Lv3通常弾は、明後日の方向に弾かれることなく背中に命中する。

 ここで、ティガレックスが攻撃の素振りを見せる。一番危険の及ぶグレンが即座に退いた。

「まだ捕獲できないのか!?」

 ダメージは確実に与えている。だが、ティガレックスは未だ健在である。底が見えないティガレックスの体力にグレンが思わず叫ぶ。

「あと少しだ。もう少しだけ耐えてくれ」

 誰に向けたわけでもないグレンの言葉に答えてくれたのはヴァイスだった。皆を焦らせないよう、ヴァイスは配慮して答えたのかもしれない。

「くっ……!。はい、分かりました!」

 自分でも、それはわかっている。だからこそ、逆に焦ってしまう。「あと少しだ」と自分に言い聞かせなければ冷静さを失ってしまいそうだった。

 グレンが再び間合いを詰め、へビィバグパイプで殴りつける。ティガレックスが反応し、グレンに顔を向ける。頭を突き出し、牙を剥き出しに向かってくる。

「くっ!?」

 武器を納めている暇はない。前転回避でティガレックスの正面から逃れる。完全な回避は叶わなかったが、軽く爪に引っ掛かった程度で済んだためそれほど支障はなかった。

 グレンを追い払い、ティガレックスが低く唸りながら威嚇してくる。まるで、「かかって来い」とでも言っているようだった。おそらく、まだ余裕はあるのだろう。そう考えると、こちらとしては気が重い。

「はあぁっ!」

 だからといって、ここで立ち止まるわけではない。相手が余裕と言うなら、こちらは相手を追い詰めるまで一歩も退かない。その証拠に、クレアが一番に動き出す。

 ティガレックスの皮膜にシャドウサーベル改の剣閃が走る。クレアは、一撃、また一撃と確実に手数を稼ぐ。回転攻撃を盾で凌ぎきると、止めていた斬撃の手を動き始める。

 その様子に鼓舞されたグレンもクレアに続いた。頭部を思いっきり殴りつけ、大きな痛手を与える。

「ゴアアアアアァァァァァァァァッ!」

 しかし、ティガレックスも大人しくはしていない。先ほどと同じように回転攻撃を繰り出す。グレンは回避しようと試みたが、安全圏に一歩届かず吹っ飛ばされる。タイミングが悪かったか、クレアもガードに失敗してしまった。

「痛っ!?」

 身体が軋んでしまうのではないかという勢いで背中から地面に叩きつけられる。

 二人とも身体を何とか起こす。どうやら、元々いた位置から数メートル吹っ飛ばされていたようだった。今は、ヴァイスが回復薬を使う隙を作ってくれている。加えて、ソラの援護も続いている。二人の負担は大きいはずだ。ダメージを受けた二人が急いで回復薬を飲み干す。

 と、狙撃していたソラが顔を顰める。

「っ……、弾切れ。厄介です……!」

 Lv3通常弾がついに底をついた。こちらも残り少ないLv2通常弾を装填する。今回は調合分も含め、通常弾を幾分か余分に用意してきた。だが、弾数は到底足りなかったようだ。ポーチには貫通弾も手付かずで残っているが、ティガレックス相手では大した効果は見込めそうにない。加えて、射撃する場所を選ぶのに手間取る可能性もあった。そのため、残ったLv2通常弾で援護することにしたのだ。

 ヴァルキリーファイアの銃口からLv2通常弾が速射される。それらは、全てティガレックスの眉間に吸い込まれるように飛弾する。ヴァイスが惹きつけてくれているおかげで、ティガレックスはソラに気を回すことが困難らしい。狙撃する側としては、この状態が一番いい。一点の的に対して極限まで集中させられることができる。

 体力を回復し終えたクレアたちも来た。ティガレックスの動きを封じ、一気に畳み掛ける。互いに牽制しつつ、決して無理はしない。

 このままいけば、ティガレックスを追い詰めることはそれほど苦労しなかったはずだった。しかし、ティガレックスは、こちらの予想を遥かに上回る存在だった。

 ティガレックスの身体の至るところが赤く染まる。一旦退いたかと思うと、地響きのような咆哮を撒き散らしたのだ。

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァッ!!」

 岩場で囲まれたエリアのため、余計にその咆哮が反響した。だが今は、そんなことは気にもならなかった。

「あいつ、また怒ったのか!? いくら何でも早すぎる!」

 そう、ティガレックスの怒り状態はつい先ほど解けたばかりだ。にも関わらず、ティガレックスは、またすぐに怒りを露わにしたのだ。早い、というのは怒るのが早いということ。ようは、グレンはティガレックスが短期だ、と言っているようなものだ。事実、ティガレックスは体力が残り僅かになると怒る頻度も上昇する。

 咆哮したティガレックスが低く唸り、こちらを睨みつける。

 ティガレックスは、自身の体力が残り僅かなのは承知のはず。だが、今まで相手には決して弱みを見せようとはしなかった。これが、絶対強者と呼ばれる者の究極のプライドなのかもしれない。

「来るぞ!」

 ヴァイスが危険を促す。

 ティガレックスの連続突進が繰り出される。散開する四人の間を、ティガレックスが縦横無尽に疾駆する。

 ヴァイスが接近し、鬼哭斬破刀・真打を引き抜いた。斬撃と共に稲妻が走り、ティガレックスの身体に深々と傷跡が刻まれる。

 ソラも援護を再開する。回転攻撃を空振りし、がら空きになった隙にLv2通常弾を叩き込む。激しい攻撃を掻い潜り、クレアとグレンも懐に飛び込むことに成功する。

 しかし、ティガレックスがすぐに飛び掛りを繰り出してしまったため、間合いが開いてしまった。ティガレックスが威嚇しているうちに剣士の三人が再び懐に飛び込む。ヴァイスが、ここで気刃大回転斬りを決めティガレックスが大きく怯んだ。

「ゴワアアアアアアアアアァァァァァァァァァァッ!?」

 反撃に備え、三人がティガレックスから離れる。武器は納め、いつでも回避できる状態だ。

 方向転換したティガレックスがゆっくりと歩き出す。足を引きずり、苦しそうな呻き声を上げている。それでも、ハンターたちを喰らおうという執念は衰えていない。その意地の強さには感服できる。

「クレア! グレン!」

 ヴァイスが二人の名を呼ぶ。それと共に閃光玉を投擲した。それが合図するのは、落とし穴の設置。重大な任務を任された二人がティガレックスに攻め寄る。

「ソラも引き続き頼む」

「はい!」

 ヴァイスは、急いでエリアの中央を目指した。

 近くに置いてあったスコップを掴み、できる限り早く穴を掘っていく。大型モンスターほどの巨体の動きを封じるにはかなり深くまで掘る必要があった。ティガレックスの気を惹き付けてくれている三人を信じ、手を休めることなく淡々と仕事をこなしていく。

 しばらく穴を掘り続けていると、ティガレックスの閃光玉の効果が切れたようだ。それからまもなくして、ヴァイスも十分な深さの穴を完成させた。中央に罠をセットすると、しばらくしてネットが展開される。これで、落とし穴の存在は隠すことができる。

「師匠!」

 クレアが待ってました、とばかりに声を張り上げる。

 ソラも狙撃を中断し、罠を仕掛けた位置にやってくる。

「さあ、付いてこいよ。ティガレックス!」

 一瞬の隙を突いて、クレアとグレンが武器を納め走り出した。もちろん、罠目掛けて一直線にだ。

 遅れて、ティガレックスも突進を開始する。動き出したのはティガレックスが後だが、その差は見る見るうちに縮まっていく。

「グレンさん!」

「ああ!」

 そして、罠まであと少しそいうところで二人が走っていた方向を急変させる。ティガレックスは、その巨体の故小回りが利かない。落とし穴の存在など知るはずもなく、一直線に突っ込んだ。

 そして、

「ガアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!?」

 ティガレックスの重みでネットが裂け、落とし穴が作動した。ティガレックスが罠から脱出しようと必死で足掻く。だが、さしものティガレックスも簡単には抜け出せない。

「ソラさん!」

「はい、分かっているのです!」

 ソラがヴァルキリーファイアの引き金を引く。無論、装填されているのは捕獲用麻酔弾だ。二発目の捕獲用麻酔弾が命中した時、それまで足掻き続けていたティガレックスが嘘のように大人しくなった。捕獲に成功したのだ。

 風が吹くだけの静寂の中、誰も喋る者はいなかった。だが、しばらくして誰かが「終わった」と呟いたとき、初めて依頼を成功したという実感が湧いてきた。

「やった……。ついに、捕獲できた……!」

 集中力が切れると共に、今まで感じられなかった疲労が湧き上がって来た。クレアは、その場にへたり込んでしまう。そんなクレアの肩をヴァイスが「お疲れさん」と軽く叩く。グレンとソラにも同様に声をかけた。

 しばらく三人を休ませてからヴァイスがクレアを立たせた。そして、グレン、ソラと連れ立って拠点へと戻り始める。

 帰り際、ヴァイスが眠っているティガレックスに振り返り「苦労させられたもんだな」とため息交じりに囁いた。



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EPISODE49 ~失った自信~

 捕獲したティガレックスをギルドに任せた後、四人は砂原を後にした。

 何日もかけてユクモ村に戻ってきた頃には、既に日は落ち辺りは暗くなっていた。視線の先に映るユクモ村は、家々の灯りのおかげで暗闇の中でぼんやりと浮かび上がっている。何とも幻想的な光景だった。

「帰ってきましたね……」

「ああ」

 クレアは先ほどから転た寝しており、グレンとソラはこうやって話をしていた。

 ヴァイスはというと、特にすることもなく夜空を見上げていた。雲一つない夜空に月や星たちが綺麗に煌いている。

「ヴァイスさん」

 不意に声をかけられ、顔を下げる。声を掛けてきたのはグレンだ。

「どうした?」

 ヴァイスが答えると、しかしながらグレンは首を横に振る。

「いえ、特に何も。ただ、ヴァイスさんは先ほどから何をしているのかと」

「ああ、ただ星を見ていただけさ」

「なるほど」

 納得したようにグレンが頷く。

 そうして、ヴァイスが再び夜空を見上げる。釣られて、グレンも顔を持ち上げた。

「……綺麗ですね」

「そうだな」

 しばらく、二人は無言になった。喋る話題が無くなったというより、寧ろこの夜空に見惚れていただけであった。

「俺、感謝しています。ヴァイスさんには」

 唐突にグレンが切り出した。

 ヴァイスにはその言葉の意味が分からなかった。ヴァイスにしてみれば、感謝されるようなことをした覚えはないからである。「何のことだ?」と尋ねようとしたが、ヴァイスの疑問を理解したグレンが先に付け加えた。

「ヴァイスさん。あなたは、俺の目を覚まさせてくれた。あなたのおかげで今の俺がいるんです。そのことに俺は感謝しているんです」

 ヴァイスもようやく理解する。

 確かに、グレンの目を覚ましてやろうとしたのは他でもないヴァイスだ。だが、ヴァイス本人は、それはグレン自身で変わろうとしたのが大きかったと思っている。それに、面と向かってそんなことを言われても気恥ずかしく、居心地が悪くなる。

 そんなことを誤魔化そうとヴァイスもぶっきらぼうに答える。

「さあ……。前にも言ったとおり、俺は何もしていない。当然のことだが、俺にはグレンの運命を定める権利は無いんだ。だから、自分決めた運命を歩めばいい。その時には、俺も少しは手伝ってやる。そういうことだ」

 グレンが笑みを漏らす。その様子はどこか嬉しそうである。

「ヴァイスさんらしい答えですね。そう言うと思いました」

 どうやら、この回答はお見通しだったらしい。そこまで分かりやすい性格なのか、とさすがにヴァイスも苦笑いしてしまう。

 実は、ヴァイスも当初、自分の発言に対して嫌悪の情を抱いていた。グレンのためだとはいえ、さすがに冷酷すぎたのではないかと。ただ、それがグレンにはプラスに働いたらしい。グレンも感謝しているのだが、本当はかなり冷や冷やさせられたものだ。

 一番気に食わなかったのはやはり自分だった。グレンに対して偉そうな御託を多く言っていたが、自分も他人のことを言えるほど偉くはない。

 と、グレンが笑みを引っ込め真剣な顔つきになる。

「それより、気になることが一つあります」

「随分と急だな。……それで、一体何だ?」

「ソラのことについてです」

 グレンは声を低くし、ソラ本人には聞かれないようにしている。

 当のソラは、荷車に揺られながらユクモ村の方向をじっと見つめていた。声量を絞ればソラの耳に届くことはないだろう。そう判断した結果がこれだろう。

「ソラは最初にこう言ってました。自分は自信を失った、と。でも、今回の狩猟では、到底そうには思えない。ましてや、もっと高い才能を持っている気がします。自信を失ったとしても、もう取り戻しているのではないか……。俺はそう思ってしまいます。そのことについて、ヴァイスさんに訊きたいんです」

 グレンが淡々とした口調で用件を話す。

 どうやら、ソラの言葉と行動が矛盾しているのを疑問に思っているらしい。実際はグレンの言うとおりで、ヴァイスもソラが自身を失ったようには見えなかった。

 だが、ヴァイスはすぐに肯定できなかった。ソラが無理に隠し込んでいるのか、はたまたグレンの思案が的中しているのか。ヴァイスには判断できない。

「正直なことを言えば、俺はどちらであろうと構わない。グレンの言うとおりだったとしても、ソラが俺たちから学べることがあればそれでいいさ」

「そういうものですかね」

「まあな。それに、仮にソラが手助けを求めているとすれば、クレアやグレンだろうからな。その時は頑張れよ」

「そ、そんな……。俺ですか?」

「ああ、言い出しはグレンだからな」

「うっ……」

 ヴァイスがあっさりとグレンを論破する。言い返しようのないグレンは言い淀む。

 しかし、グレンもそれは承知の上。彼のことだ、自分で言ったことを放り出すような無責任な人間でないことはヴァイスも知っている。クレアも、こういう時にはとても頼りになる。同年代ということもあってか、クレアも張り切っている。この二人になら、ヴァイスは安心してソラのことを任せられることができる。

「……さて、もうじき到着か。クレアも起こしてやらないとな」

 すうすうと寝息をたてているクレアの肩をヴァイスが優しく揺らす。狩猟を終え何日も経過したが、道中で疲れたのだろう。起きる様子は窺えない。

 さすがに寝ているところを背負っていくのは色々な意味で勘弁だった。ヴァイスが、今度は声を出してクレアを起こそうと試みる。

「クレア。もうユクモ村だぞ」

「う~ん……、あと五分だけぇ……。ふにゃぁ……」

「はぁ……。お決まりの寝言だな」

「それほど、今回はクレアも頑張ったってことですよ」

「まあ、そうだな」

 ヴァイスも、やれやれといった感じだ。

 荷車に揺られながらも、気持ちよさげに寝ているクレアの寝顔をソラが覗き込む。

「クレアさん、気持ちよさそうに寝ていますね。起こすのがかわいそうです」

「……着くまで寝かせといてやるか」

「そうですね」

 ソラの発言でヴァイスの気も変わった。グレンも同様のようで、ヴァイスの提案に賛成した。

 それから五分程度経った頃だろうか。ヴァイスたちを乗せた荷車がユクモ村に到着した。集会浴場に直接向かいたいため、降ろしてもらったのは正面の鳥居がある場所とは向かって反対側にある入り口だった。

 先にグレンとソラを行かせ、ヴァイスが今度こそクレアを起こそうと試みる。

「さあ、五分経ったぞ。いい加減起きないと、このまま運んでいってもらう羽目になるぞ」

「は~い、起きます……」

 渋々といった感じでクレアが身体を起こす。まだ眠たそうな目をしょぼしょぼさせている。見ていて危なっかしいので、荷車から降りるのにヴァイスが手を貸す。

 荷物を確認し、ヴァイスが皆を代表して御者に礼を言う。

「悪いな。わざわざ乗せてもらって」

「気にすんなって。じゃあな。あんたらも頑張ってくれよ」

「ああ」

 実は、今回は途中の小さな村まで御者が付いてくれていた。というのも、砂原に向かう道中にあるその村で用事があったらしく、護衛を兼ねてヴァイスたちは乗せてもらっていた。そして、砂原からの帰路で用事を済ませた御者と合流し、帰ってきたというわけだ。荷車もその人物が所有している物らしく、これから別の地域に向かうのだという。

 寝起きのクレアと共に、ヴァイスが集会浴場を目指す。集会浴場に到着すると、既にグレンたちが報酬を受け取ってくれていた。

「ヴァイスさん、ご苦労さまでした。これが、今回の報酬です」

「悪いな、手間かけさせて」

「いえ、これくらい大丈夫です。ほら、クレアの分も」

 まだ寝足りないせいか、ぼんやりとしているクレアに報酬を手渡す。

「そんなに眠いなら帰っていいぞ」

「……わかりました。皆さん、お疲れ様でした……。ふみゃぁ~……」

 アイルーのような欠伸を最後に残してクレアが去っていった。残った三人はその様子に苦笑いするしかなかった。

 三人はしばらく軽い雑談をした。そして、そろそろ頃合いになったというところでソラが質問した。

「皆さんは、これからどうするですか?」

「そうだなぁ。俺は温泉にでも浸かろうかな。結構疲れ気味だし。ヴァイスさんやソラもどう?」

「いいですよ~」

 ソラが快く返事をする。

「ヴァイスさんはどうしますか?」

 グレンの誘いも魅力的だった。だが、ヴァイスは首を横に振る。

「悪い、俺は遠慮させてもらうよ。他にやりたいことが多いからな」

「そうですか。じゃあ、またの機会に」

 グレンも仕方ないと悟ったようだ。如何せん、ヴァイスの仕事柄だ。多忙なのことはわかりきっていることである。

「じゃあ、ヴァイスさん。お疲れ様でした」

「お疲れ様です~」

「ああ、お疲れさん」

 互いに労いの言葉を交わし、ヴァイスとはここで別れる。

 残った二人も、一旦荷物を降ろしてくるために互いの家へと戻っていった。

 

 

 着替えを済ませたグレンが、浴場へと移動した。

 現在の時間帯からしても、対して混むことは滅多にない。だが、グレンは中央に居座るのもどうかと思い端っこにちょこんと座る。

「はぁ、癒されるなぁ……」

 やはり、狩猟を終えてから浸かる温泉は心地よい。何度もこの温泉に浸かっているが、やはり止められないものだ。

 と、ソラも着替えを終えてきたようだ。ソラがグレンの隣に座る。

「っ!……」

 この温泉で、混浴する人々を見るのは日常茶飯事だ。誰もが平然としているのだが、グレンは本当にどうしようもなかった。彼の場合、純情ということもあるが、それ以上にグレンはソラに一目惚れをしてしまっているのだから。

 それもあってか、ソラを誘ったのはいいものの、やはり温泉で混浴するのはどうも慣れない。身体にタオルを巻いているため見るに耐えないということはないが、色白のソラの肢体は嫌でも見えてしまう訳で……。

「(……って、何考えてるんだよ、俺!)」

 グレンがぶんぶんと首を振る。冷静になれ、冷静になれ、と自分に言い聞かせる。

「気持ちいいですね~」

 すると突然、ソラが話し掛けてきた。そのため、グレンがビクッと肩を震わせる。結局、全く冷静になれていないグレンだった。

 グレンも何とか言葉を取り繕うと声を絞り出す。

「あ、ああ。そうだね……」

「どうかしたですか? グレンさん、さっきに比べて様子がおかしいです」

「つ、疲れてるんだよ、俺も。ハハハ……」

 否、これは真っ赤な嘘だ。しかし、ソラは不審に思うことなく「そうですか」と答えた。ここにヴァイスやクレアがいたならば、きっときつい指摘を受けるに違いない。

 ソラに気づかれないようため息を漏らす。

 そう、こんな下らない一人芝居をするために温泉に来たのではない。なるべくソラが視界に入らないよう目線を調整し、グレンが話し出す。

「な、なあ、ソラ。こんなことを言ってもソラのためになるか分からないけど、それでも俺は一つだけ言っておきたいことがあるんだ」

「はい、なんです?」

「俺は、今回の狩猟でソラを凄いハンターだと思った。突然パーティーを組んだのに、俺たちの援護をきっちりこなしてくれた」

 ティガレックスと対峙した中でグレンは実感した。ソラはハンターとしての実力もあり、才能もある。

 ソラは、何らかの影響で自身を失ったのは確かかもしれない。グレンや他の面々がそれを解決できるかは分からない。だが、ソラの支えることくらいはできるのではないだろうか。だから、グレンは続けた。

「こんな俺が言うのも何だけど、ソラは自身を持ってもいいと思う。ソラは、十分凄いハンターだよ」

「そう、ですか?」

「ああ、そうだよ。でも、ソラが自身が無いと言うなら俺はソラを全力で手伝う。ソラが満足するまで、俺はソラに付き合うよ」

「グレンさん……」

 ソラは年齢から考えても、他人に誇ってもいいのだ。だが、彼女自身がそうでないと思うならば、グレンは彼女を支える。彼女が満足できるその時まで。それが、ソラの翼になるということのグレンなりの答えだった。

 そう言って気恥ずかしくなったグレンは、後頭部をぽりぽりと掻く。

「まあ、俺も人のこと言えないんだよなぁ。俺も、最初は色々と抱えてるものがあったから」

「グレンさん、その頃に何かあったですか?」

「大したことじゃないよ。俺が生まれ故郷の村から旅に出た理由を言い訳に狩猟で無謀なことをするな、ってヴァイスさんに言われたんだ。あの時は本当に目の前が真っ暗になったよ」

 今となっては、その時のことをあまり気にしていない。寧ろ、その時の自分が懐かしいとすら思えてくる。こうやって自分の口から今までの経緯を軽々と話せるようになったことは、昔の自分は考えてもいなかった。

 でも、こうやっていられる今の時間が本当に嬉しく思える。

「けど、俺も変わることができた。もちろん、俺はソラの意志を尊重するよ。その上で、俺はソラに協力したい」

 グレンの言葉には熱意が篭もっていた。真っ直ぐとソラを見据える瞳は、その意志の強さを物語っている。

 ソラは思う。グレンの言うとおり、自分は自信を持ってもいいのかもしれない。だが、どうしてもそれが叶わない。それでも、グレンを始めヴァイスやクレアもソラに協力してくれるはずだ。それに、グレンの事も聞いてしまった。だったら、こちらとしてもおあいこという形にしたかった。

「わたしは……」

 ソラが言い淀んでしまう。しかし、それでもグレンたちには教えなければならなかった。自身を失ってしまった原因を。

「わたしは、ある日他の人と組んで狩猟に出かけたです。だけど、わたしはその人を怪我させてしまった……。全部、私のせいです……」

 ソラと、その若い男性ハンターは初対面という関係だった。だが、彼がどうしても手伝ってほしいと言うのでソラは協力することになった。

 依頼は、二人で臨んだとしても十分達成できるであろうはずだった。しかし、そうはいかなかった。狩猟が大詰めに差し掛かった頃、ソラは気を抜かぬよう自分に言い聞かせていた。

 それが、逆に仇となった。彼がモンスターの攻撃を回避するところを一瞬見落としてしまったのだ。彼にしてみれば、ソラを信頼しての立ち回りだった。だが、ソラはボウガンの引き金を引いてしまった。直線状にモンスターと、そのハンターを挟んでいる状況で。

 間一髪、弾丸を回避することには成功した。だが、そちらに気を取られたせいでモンスターに致命傷を負わされてしまった。

 狩猟は中断され、急いでロックラックへと戻った。ハンターは全治数ヶ月の大怪我。自分が悪かった、とソラは謝られた。本当は違う。悪いのは自分だ。ガンナーとしてあってはならない誤射をソラはしてしまった。それ故に、彼を怪我させたのは自分だと。

 それは、ロックラックでは「不運な事故」と見られていた。しかし、ソラは到底そうだとは思えなかった。

 結局、その影響はずるずると後にまで引きずった。ついには、自分がガンナーでいる自信をも失ってしまった。

 もう、どうしようもない。ある日のソラは、一羽の白い鳥を見ながら途方に暮れていた。そんな時だった。ソラの耳にあるギルドナイトの噂が流れてきたのは。

 それは、単なる偶然だった。だが、ソラはどうしても諦めたくはなかった。鳥が自らの翼で蒼穹を翔けるように、もう一度自信を持って自分も高くまで飛び立ちたいと思った。

「ソラ……」

 グレンは、言葉を失った。かける言葉すら見つからず、ただ彼女の名を呼ぶしかできなかった。

「……お先に失礼するです!」

「おい、ソラ!」

 グレンがソラを止めようと手を伸ばす。しかし、ソラはグレンの静止には目も呉れず、集会浴場から姿を消した。

 取り残されたグレンは、大きなため息をつく。それは、自分の無力さに腹が立っている自身へ向けられたものだった。

「俺は、ソラを止めることもできないのかっ……!」

 グレンが歯を食いしばる。あの時、ソラを静止させることはできたはずだった。ソラの苦しみを和らげることができたはずだった。しかし、結局駄目だった。

 疲労など、グレンはとっくに忘れていた。

 しばらく、ソラとはぎくしゃくするかもしれない。だが、近いうちに必ず伝えたいことがある。「俺は、ソラを信じている」と。自分の本心を、もう一度ソラに伝えなければならない。

 理解し難いのは、ティガレックスと対峙して見せたソラの動き。やはり、ソラも想いは同じなのかもしれない。

 グレンは、再び決心を固め湯船から立ち上がった。

 

 

 夜が更ける。

 この時間帯になれば、多くの人は眠りについているのが当然だ。だが、ヴァイスはそんな時間にも関わらず椅子に座りペンを走らせていた。ヴァイスも当然の事ながら眠たいのだが、こういった資料は早めに記しておく癖があった。

 資料とはティガレックスについてだ。ドンドルマ周辺のティガレックスの動きや癖と参照させ、内容をまとめていく。流れは順調だった。かなり短時間で、資料をここまでまとめることができたのだから。それには、ヴァイスがティガレックスに関する知識を豊富に持ち合わせているのも関係していることだろう。

「やはり、多少は違う程度か」

 一段落したヴァイスが呟く。それと同時に、今まで然程ではなかった眠気が一気に襲い掛かってきた。

 それも当然だ。狩猟を終え帰ってきた日に、夜更けまで仕事をしていたのだから。

 無論、日付は変わってしまっている。だが、何故か大人しく寝ようという気にはなれなかった。理由は色々ある。だが、大きな要因を占めているのが仲間のことだった。

 今回、ヴァイスはいつもと違い援護的な位置で狩猟が進行された。その影響か当初とは違った方針を取ることになった。やはり、彼らはまだ未熟なのだ。そのことは、正直些細なことだった。問題はそれと関連した別のものだ。

 夜風がヴァイスの頬を撫でる。書物としてまとめた資料の一部のページが風の影響で音もなく捲れる。そして、栞が挟んであっただろうページが自然に開いた。

 大切な資料のため、書物を閉じようとする。すると、必然的にそのページに視線を落すことになる。

「……ジンオウガ」

 そのモンスターの名を言う。

 ヴァイスの追い求めるモンスターの内の一体。それが、このジンオウガというモンスターだった。

 ヴァイスが書物を閉じる。そして、ベットに横になった。

 

 ――ジンオウガ。

 そいつは、確実に近づいてきていた。人々を恐怖させる蒼雷と共に。



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EPISODE50 ~一つの決断~

 自信を失ったのは、些細な事がきっかけだった。

 あるハンターとパーティーを組み、狩猟に赴き、そして怪我をさせてしまった。それも、自分の失態のせいで。

 それからというもの、他人と狩猟に臨むのが怖くなった。モンスターへと恐怖ではなく、相手に怪我をさせてしまうかもしれないという恐怖に太刀打ちできなかったのだ。

 その先の時間はいとも短く過ぎ去ってしまった。たった一人で狩猟に臨んでも、所詮は下位クラスのガンナー。前衛でモンスターの気を惹きつけてくれる仲間がいなければ、まともな結果は出せなかった。

 例えパーティーを組もうとも、本来の立ち回りをすることはない。援護に徹し、攻撃を仕掛けようとすることはほとんどなかった。

 自分でも情けなかった。あれだけ注目を浴びていたにも関わらず、無様な結果は周りに大きな変化を呼んだ。見損なった、所詮はその程度、などという目があれば、その立ち回りを別の意味で取った人々もいる。周囲から浴びる期待が大きければ大きいほど、堕落した時に浴びる視線は冷たい。そんなことを、いつの間にか痛感していた。

 そんな時だっただろうか。いつからか口にされてきた『天使』の姿を初めて理解したのは。

 ハンターを辞めたい。その頃からそんな気持ちが心の内で芽生えだし、日々が憂鬱になっていた。

 そんな時だったのだ。ヴァイスの名を聞いたのは。

 聞けば、ヴァイスは若くしてギルドナイトになった天才らしい。そんな彼なら、何か助言をくれるかもしれない。小さな希望に賭けたのだ。ユクモ村を訪れ、彼とその仲間たちと狩猟に出た。

 ――そして、ある一つの結論にたどり着く。

 

 

「はぁ……」

「珍しいね。ソラさんがため息なんて」

「そ、そうですか?」

「うん。あっ、私が付き合わせちゃってるせいかな? だったら本当にごめんね」

「そんなことないです! わたしも、こうやってクレアさんを手伝えるのは嬉しいです」

 もうすぐ正午になろうかという時間帯、クレアとソラは二人並んで台所に立っていた。当然、ソラがクレアに料理を教えるためである。

「ソラさん。次はどうするの?」

「えっと、これをこうして切るです」

「へぇ~」

 ソラが実際に食材を切り、クレアはそれを観察する。そして、見様見真似でクレアが覚えようとする。ソラは、その間もアドバイスを続ける。

 クレアも食材を切るところまでは何とか出来たようだ。だが、ソラのものと比べると若干形が不恰好に見える。

「う~ん、案外難しいんだね」

「大丈夫です。クレアさんも練習すればすぐにできるようになりますよ」

「うん、ありがとう! でも、やっぱりソラさんは頼もしいな」

「えっ?」

 不意に発したクレアの言葉にソラが驚きを露わにする。

「そ、そんなことないのです。わたしなんて、褒められるほど立派な人間じゃないですよ……」

「そうかな。私はソラさんは十分立派だと思うな。それに、実際頼もしかったのは事実だもん。ソラさんのおかげでこの前の依頼も成功させることができたんだから」

「そんな、大したことじゃありません……」

 ソラの結論。それは、言ってしまえば自分はハンターには不向きだったということ。

 ソラも、最初から自分の実力に自信が無かったわけではない。だが、ハンターとして必要な集中力、精神力などが欠けている。自分はヴァイスなどを始めとする天才とは違う。才能があるかどうかの問題なんだということだ。

 ハンターを辞めたいと思ったのも、それに繋がる。人にはそれぞれ相応、不相応というものが必ずしもある。理不尽なことに、この世界は才能があるか否かの違いが自分の運命を左右してしまうことがほとんどだ。

「……」

 気まずくなったソラが黙り込む。何か喋らなくてはいけない、そうは思っても何も別の話題は浮かんでこない。

 すると、クレアがふと疑問を口にした。

「そういえば、ソラさん。グレンさんと何かあったの?」

「へっ!?」

 またもや、ソラは意表を突かれた。

 先日、グレンが話した内容が脳裏に蘇ってくる。その時、ソラは自分がユクモ村にやってきた経緯をグレンに明かした。そして、ソラはグレンの前から立ち去った。それは、グレンに何を言われるかを恐れたからの故である。誤射をしてしまったガンナーなど、グレンは信頼してくれないだろうと思ったからだ。

 いずれ、ここにいるクレアやヴァイスにも話さなければならない。自分は信頼するに足らないハンターなのだと。

「別に、何でもありませんよ……」

 ソラは静かに告げた。クレアも何かを察したのであろう。このことについては、何も闡明しようとはしなかった。

 そして、無事にクレアに料理を教え終わったソラは帰路についた。

 

 

 時は、昨日に遡る。

 グレンは、複雑な心境で朝を迎えた。夜更けまで寝付けず、まだ若干眠り足りなく感じる。しかし、グレンは身体を起こし身支度を整える。

 昨日のソラの話を未だに鮮明に覚えている。誤射をしてしまったのは紛れも無い事実だ。しかし、そのせいで同行していたハンターが怪我をしてしまったわけではない。そう、グレンは教えたかった。だが、結局それは叶わず今に至るのだ。

 朝食を済ませたグレンは、まだ太陽も昇りきっていない内から家を出た。しばらく石段を上り、ある人物の元を訪れた。

「ヴァイスさん、俺です。いますか」

 グレンが目的としていた人物、ヴァイスからの返事はない。ヴァイスのことだから既に起床していると思ったのだが、読み違えたのだろうか。

 と、その時、グレンは自らの家へ戻る道ではなく、ヴァイスの家の裏に回るような道に歩き出した。そして、すぐに開けた場所に出た。そこには、鍛錬をこなしているヴァイスの姿があった。

「おはようございます。朝から鍛錬ですか」

「ああ、グレンか」

 グレンの存在に気づいたヴァイスが太刀を振るう手を休める。

「鍛錬と言っても、軽い運動程度だけさ」

「そうですか」

 グレンが納得したように首肯する。

「ところで、どうしたんだ? こんな時間から」

 太刀を鞘に収めたヴァイスが、額に浮かんだ汗を拭いながらグレンに問いかける。

「ヴァイスさんに聞きたいことがありまして」

「俺にか? 答えられる範囲のものなら答えるが……。とりあえず家に上がってくれ。立ち話も何だ」

「ありがとうございます」

 グレンを家に上げ、ヴァイスは素早く格好を整えた。机を挟み、グレンと向かう形でヴァイスは腰を下ろした。

 早速、グレンが本題に入る。

「聞きたいことは単純なことです。ヴァイスさんの自信はどこから湧いてくるのか知りたいんです」

 単刀直入にグレンが切り出す。その質問を聞いたヴァイスがふむ、と頷く。

「それは、ソラのことに関係していると捉えていいのか?」

「ええ、そうです」

「なるほど」

 ヴァイスは椅子に深く座り直し居住まいを正す。そして、一つ息を吐くと口を開いた。

「自信、か……。俺もあまり深くは考えたことはない。強いて言うならば、俺には自信を与えてくれる人がいたということだ」

「自信を与えてくれる人、ですか?」

「ああ。俺がハンターになる前の仲間。そして、ギルドナイトという道を示してくれた人。特に後者の人は、俺の尊敬するハンターだった」

「尊敬ですか。じゃあ、ヴァイスさんはその人に憧れてハンターを志したということですか?」

「違う、とは言い切れない。だが、その頃の俺には、ハンター、いや、ギルドナイトを志す明確な理由なんてなかった。その人を尊敬し、ギルドナイトを志すようになっていたのは、気づいた時からだった」

 そう言ってヴァイスは肩をすくめる。

「俺は、あることをきっかけにその人から知恵を授けてもらった。グレンの言う自信とは程遠いかもしれないが、俺はその人に授かった知識があるからこそ、自信があるんだと思う」

 ヴァイスには、クレアやグレンの姿がその頃の自分に重なって見えるときがある。

 憧れや尊敬という気持ちは、ハンターを志すのに大きな力となる。どんなに辛かろうと、その気持ちがあるからこそ挫けずに進むことだってできる。そう、それはヴァイスが見てきた“彼女たち”から初めて理解できたことなのだ。

 数年前の自分も、今の自分から見れば同じように映るはずだ。

「ヴァイスさんがそこまで言うなら、本当に凄い人なんだと思います。俺は、その人の名前も気になります」

 グレンの真っ直ぐな問いにヴァイスが苦笑いを浮かべる。

「悪い、今は話せない。話すべきではないと思うんだ……」

「そうですか」

 表情では平静を装っているヴァイスも、本心では歯がゆさを覚えていた。だが、そんなヴァイスの内心など知る余地もないグレンは、大層残念そうな表情をする。これにはヴァイスも、申し訳なく思ってしまう。

「その人は『女神の騎士』という異名を持つ。今教えられるのはこれくらいなんだ」

「女神の騎士……」

 グレンは、その異名を噛み締める。

 ヴァイスの憧れた存在。ギルドナイトを志したその人がどういった人物なのか知りたい。だが、今はそれ以上に大切なことがあるのを忘れてはならない。

「ありがとうございました。おかげで、答えが見えてきました」

「役に立てたなら何よりだ。それに、今度はお前の番だからな」

「えぇ、分かっています」

 ヴァイスの言いたいことは理解できる。

 おそらく、グレンは自分の言ったことを参考にソラの自信を取り戻そうとするだろう。集会浴場での出来事もヴァイスの耳には流れてきていた。ならば、ヴァイスは当初の思案どおりグレンの手助けをするだけだった。

「幸運を祈る」

 そんなヴァイスの言葉に見送られ、グレンはヴァイスの家を後にした。

 何となくではあるが、ソラの自信を取り戻す手立ては見えてきた。必ず、ソラとの約束を果たす。グレンの足は、自然と早足になっていた。

 

 

 それから、一日が経った。

 グレンは現在、ソラの泊まる紅葉荘に来ていた。レーナに頼み込みソラの部屋の場所を教えてもらったのだ。さらに、レーナ曰くソラは宿に戻ってきているのだという。これ以上の機会はない。

 グレンの表情は強張っていた。だが、迷ってる暇ではない。意を決して扉をノックする。

「はい、誰ですか?」

 中からソラの声が聞こえていた。

 グレンは、一旦深呼吸すると自分の名を述べた。

「グレンだ」

「グレン、さん……?」

「ソラは俺と顔を合わせたくないかもしれない。だけど、俺の話を少し聞いてほしい。本当に少しでいいんだ」

 すると突然、扉が勝手に開いた。扉の隙間から申し訳なさそうなソラの顔がでちょこんと出てきた。

「あの、グレンさん。先日はすいませんでした……。わたしも、あの時は動揺してて……」

「いや、俺の方こそごめん。ソラに辛い思いをさせて」

 両者が互いに謝罪する。

 とりあえず、ソラはグレンに対して閉塞した様子ではない。これで、ほんの少しだが安堵できた。

 ソラに招き入れられ、グレンは部屋の中に足を踏み入れた。

 この宿の部屋自体、それほど狭い作りをしてるわけではない。だが、ソラの場合、狩猟に使う荷物などにスペースを取られており、あまり広いとは言えない状況だった。

「話したいことって一体なんですか?」

 ソラに勧められ椅子に座ると、早速ソラが本題を切り出してきた。

「……ソラ。俺はお前を信頼している」

「き、急にどうしたんです!? わたし、そんなこと言われても……」

「俺は本気だ。ソラが自信がないのは俺だってわかってる。だけど、今のままじゃ駄目だ! 一昨日言ったとおり、俺はソラに協力したい」

「グレンさん……」

 ソラは黙り込んだ。

 グレンの気持ちは嬉しい。彼が、心から自分の自信を取り戻そうとしてくれているのは目に目えて理解できる。だが、ソラはその施しを受けようとは思えなかった。

「気持ちは嬉しいです。でも、わたし……」

 ソラが思い悩んでいる選択。だが、それをグレンに最初に伝えることには大きな決断が必要だった。

 こうやってグレン、クレアも自分に協力しようとしてくれている。それを断ってまでこの選択肢を選ぶならば、それは二人に対して不行儀なことだろう。

「……わたしは、ハンターを辞めようと思っているです」

「なっ!?」

 グレンは大きな衝撃を受けた。一瞬、ソラが何を言っているのかすら理解できなかった。

「お、おい。冗談だろ……? 突然ハンターを辞めるなんて、一体どうしたんだ?」

「わたしは、人に迷惑をかけてばかりです。ろくに護衛もできないわたしは、どうすれば分かりません。ハンターを辞める、それがわたしの思い至った一つの決断です」

 静かに、そして淡々とソラは理由を告げた。

 ソラは、もう人に迷惑をかけたくないのだ。いずれ、それは取り返しのつかない事故を招いてしまうかもしれない。そんなことは、どうしても避けなければならなかった。

 だが――、

「何言ってるんだよ……! そんな理由でソラがハンターを辞めなくたっていいじゃないか!」

 だが、グレンは納得するわけがなかった。

 先日の狩猟から、ソラが他人の足を引っ張るような真似はしていないと分かっていた。ソラの発言をグレンは真っ向から否定できる自信がある。

 それに、このままではソラはきっと後悔することになるはずだ。このままハンターを辞めたとしても、後に残るのはもやもやした心残りと後悔だけだ。ソラに、そんな思いはさせたくない。

「ユクモ村に来た理由は何なんだよ! 自信を取り戻したいんじゃなかったのか!? そんな簡単に諦めたら、後で後悔するだけだ!!」

「そうだとしても、わたしは他の人に迷惑をかけたくないんです!!」

 互いの意志が真っ向から衝突する。

 しかし、グレンもソラも自分の言っていることが正論ではないと分かっていた。

 グレンは、ソラの決断を自分の意志で変えるのは見苦しいということを。

 ソラは、自分の言っていること自体が苦しい言い訳で、単に現実から目を逸らしているということを。だが、二人とも退けなかった。互いに退くに退けない理由があるのだ。

 部屋に沈黙が流れる。どちらとも、自分からその沈黙を破ろうとはしなかった。

 

 ――その時、

 

「た、大変だあああああああ!!」

 宿屋の外、村の広場の方から男の声が聞こえてきた。その男が何とも慌てた様子だったため、村人たちも何事かと集まってきていた。

 グレンも、その様子を窺おうと窓際へと向かおうとした。しかし、それよりも早く、何者かが部屋の扉を開け放ち中へ入ってきた。

「レ、レーナ!? どうしたんだよ。そんなに慌てて」

 やってきたのはこの宿屋の娘、レーナであった。

 グレンの言うとおり、レーナも相当慌てた様子である。呼吸は荒く、肩を上下させている。

 レーナは、グレンの問いかけには答えなかった。そんな余裕がなかったのだろう。その代わり、レーナが用件を述べる。

「二人とも、ヴァイスさんが呼んでるわ! すぐに集会浴場に来てほしいって!」

「ヴァイスさんが? どうして」

「理由は、あたしよりもヴァイスさんから聞いた方がいいと思います。それよりも、急いで集会浴場に向かってください!」

 結局、詳しい話は聞きだせず、言われるがまま二人は集会浴場にやってきた。

 既に、ヴァイスとクレアは集会浴場に来ていた。他にも、複数の村人、村長の姿もあった。そのほとんどの人は、暗い表情をしていた。

 二人は、ヴァイスとクレアの元に歩み寄った。

「悪いな。急に呼び出して」

「いえ、構いません。それで、一体何があったんですか?」

 グレンの問いにヴァイスは一旦間を空け、こう切り出した。

「単刀直入に言おう。この村にジンオウガが接近している」

「ジンオウガ?」

 グレンもソラもジンオウガについては知らないらしい。

 そこで、村長が補足する。

「ジンオウガとは、雷狼竜(らいろうりゅう)と畏れられているモンスターです。普段は、霊峰と呼ばれる場所に生息しているらしいのですが、現在はそのジンオウガが渓流に下りてきているのです」

 霊峰。渓流のさらに奥深くに位置している場所だということは、グレンも一応知っていた。

 しかし、ジンオウガというモンスターがどれほどの存在なのかよく分からないのは確かだ。古龍に分類されるモンスターなら、ユクモ村は大きな被害を受けてしまうだろう。

「師匠。ジンオウガは、それほど手強い相手なんですか?」

 同じことを思ったのか、クレアがそう質問した。実際、ヴァイスは首を横に振った。

「俺にもよく分からない。だが、ジンオウガは以前、この村に入り込んだらしい。何とか撃退したらしいが、村人たちにはジンオウガの恐怖が根付いているはずだ」

「撃退って、一体誰が……」

「シュットたちだ」

「えっ、シュット先生たちが!?」

 クレアが心底驚いた様子だった。

 しかし、それも無理はないだろう。クレア曰く、シュットの実力を目の当たりにしたことはないらしい。訓練所の教官であったとしても、ある程度の実力は把握できるが詳しいところまでは理解できなかったらしい。

 シュットの話が持ち上がった所で、ギルドマネージャーもかっかっと笑った。

「アヤツたちには本当に世話になったものだ。まぁ、シュット以外の者の実力も高く評価できるがな」

「そ、そうだったんですか」

 確かに、村にまで入り込んだジンオウガを撃退したのは名誉なことだ。しかし、今回も同じような結末を辿り、同じように撃退できるかどうかは分からない。ならば、渓流に居座っている今の内に討伐、あるいは撃退してしまうのが上策だろう。

 しかし、肝心のジンオウガの情報は不足していた。現地に派遣された調査団も細かな詳細は掴めずじまいだったようだ。これでは、こちらが一方的に不利なのは明確だ。

 しかし、ここでグレンがあることに気がつく。

「先日の雷光虫の噂。もしかして、それはジンオウガに関連しているものなんでしょうか」

 そう。ジンオウガの二つ名は雷狼竜。雷と相性のいいモンスターだと推測するならば、雷光虫の一件も多少は紐解くことができる。

「グレン様の推測は正しいと思いますわ。調査団によれば、渓流には雷光虫が大量発生していたらしいですわ」

「やっぱり……」

 情報は限りなく少ない。だが、ジンオウガが雷属性の攻撃を得意としているのはこれで確実だろう。現状では、少しでも分かること多いほうがいい。

「決まりだな」

 ヴァイスが静かに呟く。

 緊急に張り出された依頼書をカウンターに持っていき、依頼を受注しようとする。

「師匠!」

 そのヴァイスをクレアが止めた。理由は、グレンにも分かっていた。

「私たちも行きます!」

 ヴァイスが「やはりか」と言いたげにため息をついた。

 危険なことは承知している。だが、クレアも、もちろんグレンもこの狩猟には同行したかった。

 この狩猟にはユクモ村の安危がかかっている。同じハンターであるのにも関わらず村の存続をヴァイス一人に託すことはしたくなかった。

 ヴァイスは、観念したように今度は深いため息をついた。

「わかった。同行を許可する。だが、危険だと判断したら無理矢理にでも連れて帰るからな」

「わかりました」

 ヴァイスの許可は下りた。

 残るはソラの意志。グレンがソラに向き直る。

「ソラ。さっきはごめん。俺は、ソラの意志を尊重すると言ったのに……。でも、これが最後で構わない。ソラの力を貸してくれ」

 グレンが頭を下げる。

 ソラも多少は躊躇う様子を見せた。だが、しばらくの後、ソラは力強く首肯した。

「わかったです。村のみんなの為にも、わたしは頑張るです」

「……ありがとう。ソラ」

 グレンは嬉しかった。ソラが村の為に力を貸してくれたことに。

 これがソラの最後の狩猟になるかもしれない。だが、その時は、笑顔で「お疲れ様」と言ってやりたい。それが、ソラの意志を尊重することならば。ソラには、ソラ自信の運命があるのだから。

「同行者は三人だ」

 ヴァイスは、その言葉と共に依頼書を受付嬢に手渡した。

「皆さん、くれぐれもお気をつけて」

「私からも、お願いします。どうか、無事に帰って来てください」

「ええ。わかっています」

 村長を始めとする人々は、口々にヴァイスたちの無事を願った。それは、命を賭して村を救おうとするハンターたちを尊敬しているからでこその感謝の気持ちであった。

 四人は手短に準備を整え村を後にした。遠雷が轟く中、村人たちに見送られながら一向は渓流へと急いだ。



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EPISODE51 ~強襲~

 ユクモ村から数日、ヴァイスたちは渓流に赴いた。

 普段は穏やかな渓流も、今日だけは違った。風はまるで騒めくように吹き荒れ、昼間にも関わらず不気味な雰囲気すら漂ってくる。

 拠点に辿りついた四人は、早速狩猟の準備を整える。

 ティガレックスとの狩猟から四人に目立った武具の変化は見られない。唯一、ヴァイスだけが武器を変更していた。

 太刀特有の刀身に窺える反り。ヴァイスの身長を凌ぐ細身のフォルム。見た目は鬼哭斬破刀・真打と大差ないだろう。しかし、その刀身に宿す属性は氷属性。一度鞘から引き抜けば、相手の傷口をも凍てつかせてしまうほどの冷気が一閃される。氷刀(ひょうじん)雪月花(せつげっか)】。それが、この太刀の銘だ。

 ジンオウガに対し氷属性が有効かどうかは明確ではない。しかし、ヴァイスの調べでは、氷属性が弱点ではないかという推測らしい。

「何だか、不気味ですね……」

 普段は物怖じしないクレアが、そう告げた。

 それは、クレアだけが感じ取ったものではない。ここにいる全員が、その感情を抱いている。

「ああ、確かにな」

 クレアの言葉にヴァイスが静かに答えた。

 まだ、ジンオウガと対峙したわけではない。にも関わらず、重い威圧感が感じられる。大抵のハンターだったら感じることができる。ジンオウガは、とても手強い相手なのだと。

 準備を整えたグレンが、ヴァイスに問いかける。

「ヴァイスさん。今回はどう動きますか」

 地図を眺めていたヴァイスは、グレンの問いかけに頷いた。

「今回は、俺から指示することはあまりない。ただ一つ、絶対に深入りしないことだ。それを心がけて欲しい」

 ヴァイスの言葉にグレンの他、クレアとソラも重々しく首肯する。

 ジンオウガに対する情報は限りなく少ない。雷属性の攻撃を得意としている、氷属性が弱点ではないかという目星は付いた。だが、肝心の立ち回りについてなどは一切不明だった。

 以前、ジンオウガがユクモ村を襲撃したことがあった。その経験から、何か打開策は考えられないものかと思った。しかし、実際にそれは叶わなかった。ギルドマネージャー曰く、ジンオウガの動きは予測不可能だという。収穫はその程度だった。

 情報は、実際に対峙して得ることになるだろう。クレアたちに掛かる負担が大きくなることもヴァイスは覚悟している。こちらの立ち回りも、考えることは難しい。

 あと一つ。気掛かりなことはソラだった。

 ここに来る途中でグレンから聞いたのだが、どうやらハンターを辞めたいという意志があるらしい。生半可な気持ちでジンオウガに挑めば、自らを危険に晒すことになる。ソラは、ユクモ村の人々の力になりたいと言っているらしいが、いざという時はパーティーから除外することも考えておかなければならない。

「さて、準備は整ったか?」

 ヴァイスが三人に問いかける。互いに無言で頷き、準備が整っていることを告げた。

 そして、ヴァイスは最後の警告を促す。

「何度も言うが、絶対に無理は禁物だ。相手の実力は未知数だからこそ尚更だ。無理を感じたらすぐに撤退してくれ」

 ヴァイスから言えることはもうない。

 先陣を切って、ヴァイスが拠点を後にした。クレアたちもヴァイスに続き、拠点を出る。

 エリア1。普段は、このエリアにはガーグァやケルビなどの気性の大人しい小型モンスターのいることが多い。だが、エリア1には小型モンスターの姿は見られなかった。

 不審に思ったが、取り合えずエリアを移動する。

 岩肌が剥き出しの斜面を下りていき、エリア4へ辿りつく。ここには、ジャギィとジャギィノスの群れが屯していた。しかし、肝心のジンオウガと思しき姿はない。

「いませんね」

「ああ。だが、油断するな。いつ出てきても不思議じゃない」

 ヴァイスは辺りを一瞥すると、再び歩を進めた。今度は、エリア5へと続く道を行く。

 木々が生い茂ったこの場所は昼間でも薄暗い。遠くから聞こえる羽音は、おそらくブナハブラのものだろう。だが、ヴァイスたちはそんなことなど気にしていなかった。何故なら、標的となるジンオウガを視界に捉えたのだから。

 こちらには背中を見せている。その背中は青い鱗と黄色い甲殻で覆われている。

「あいつが、ジンオウガ……」

 誰かが、無意識のうちにそう呟いた。

 その声に釣られるかのように、ジンオウガがこちらを振り向いた。身体が強張る。だが、ジンオウガのその姿から視線を逸らすことはなかった。

 頭部に生えている二対の角。腹や首などに生えている白い体毛。強靭に発達した四肢。この場にいる誰もが見たことのない、まさに未知のモンスターだった。

「来るぞ!」

 氷刀【雪月花】を抜き放ちながらヴァイスが叫ぶ。三人も、その言葉に反応するかのように散開した。

 ジンオウガがヴァイスを見下ろす。ゆっくり、ゆっくりと確実にヴァイスに近づいていく。

「ウオオオオオォォォォォォォォォォォッ!」

 先に動いたのはジンオウガだった。頭部の角を突き出し、頭突きを繰り出してくる。

 ヴァイスは、抜刀したまま前転回避を行い、その攻撃をやり過ごす。しかし、ジンオウガはヴァイスを逃がそうとはしない。

 体勢を低くすると、その四肢を駆使し突進してくる。

「くっ」

 氷刀【雪月花】を鞘に収める暇はない。ヴァイスは、この攻撃も前転回避で回避に成功する。

 ジンオウガが、身を翻して身体を停止させる。その背後から、クレアが接近した。

 シャドウサーベル改を抜き放ち、ジンオウガの尻尾に一閃させる。だが、その一撃は、呆気なく弾かれてしまう。

「か、硬い!」

 シャドウサーベル改の切れ味は決して低くはない。だが、その斬撃が弾かれるほどジンオウガの甲殻は硬いものなのだ。

 ジンオウガがクレアに振り向く。斬撃を弾かれたクレアは、完全に体勢を立て直せていない。このままでは、無防備なクレアをジンオウガが攻撃してしまいかねない。

 だが、そうはさせじと動いたのがグレンとソラだ。グレンは、ジンオウガの前脚にヘビィバグパイプを叩きつけ、ソラが頭部にLv3通常弾を撃ち込む。

 ジンオウガの注意がクレアから一瞬逸れた。その隙に、クレアが安全圏に後退する。

 グレンも続けて後退し、入れ替わるようにヴァイスがジンオウガに斬撃を放つ。シャドウサーベル改では通らなかった斬撃も、氷刀【雪月花】を持ってすれば関係ない。ジンオウガの尻尾の先端部分に氷刀【雪月花】の軌跡が走る。

 だが、ジンオウガは動きを止めない。射撃を続けているソラを正面に捉えると、勢いよく飛び掛ってくる。発達した四肢から繰り出される跳躍力は凄まじく、開いていた距離を一気に殺してきた。

 ソラも、寸でのところで回避する。立ち上がると背中を向けているジンオウガに対し照準を合わせる。背後からなら、安全に射撃ができる。そう判断したソラの前でジンオウガは動いた。

 ジンオウガは、その跳躍力を生かし身体を宙に浮かべた。空中で身体を反転させると、その勢いと自らの体重を乗せ尻尾を振り下ろした。

「そんな!?」

 意表を突かれたソラはその場から動けなかった。ジンオウガの尻尾がソラの身体に向かって叩きつけられる。

「きゃあっ!?」

 衝撃。そして、遅れてやってくる身体の痛み。ソラは成す術なく、攻撃を喰らってしまった。背中から地面に叩きつけられ、肺の中の酸素が逆流し息苦しさを覚えた。そして、その一撃だけで身体の自由が利かなくなった。

「ソラ!」

「ソラさん!」

 クレアとグレンが、ソラを助け起こそうと走り寄る。だが、ジンオウガがその二人の前に立ち塞がるように動いた。

 ジンオウガが身体を捻ったかと思うと、再び空中にその身体を舞い上がらせた。その時の勢いで尻尾が薙ぎ払われ、二人を打ち捉えた。

「きゃっ!」

「うわぁっ!?」

 ヴァイスが荒く舌打ちする。ポーチから閃光玉を取り出すと、躊躇いなくそれを投擲した。眩い閃光が辺りに走った後、ジンオウガの悲鳴が聞こえてきた。

 どうやら、閃光玉はジンオウガに対して有効らしい。しかし、ヴァイスはそのことに安堵せずソラを助け起こす。残りの二人は自力で立ち上がることができている様子だ。

「大丈夫か?」

「はい。なんとか大丈夫です……」

 ヴァイスがジンオウガの様子を窺う。

 閃光玉の影響から回復したジンオウガは、まるでヴァイスたちを見下すようにこちらを睨んでくる。そして、ヴァイスたちを捕らえるために動き出す。

「ちっ……」

 ヴァイスは舌打ちしつつ、氷刀【雪月花】を鞘から引き抜きジンオウガに接近する。あえてジンオウガの目の前を横切り、こちらに気を逸らす。案の定、ジンオウガは狙いをヴァイスに変更したようだった。

 一旦後方へ身を翻すと、そこからヴァイスに向かって突っ込んでくる。

 しかし、ヴァイスはそれを冷静に回避する。そして、ジンオウガが反転して停止した隙に斬撃を繰り出す。突き、斬り上げ、斬りつけ、斬り下がる。手応えは浅い。だが、確実にダメージを負わせてはいる。

 体力を回復したクレアが、ジンオウガの尻尾に斬り込む。今度は尻尾の先端ではなく、その付け根にシャドウサーベル改を振り下ろした。それは、弾かれることなくジンオウガの尻尾に斬撃が走った。

 ソラも援護を再開させると、今度はグレンも動いた。へビィバグパイプを演奏体勢に構え、攻撃力強化【小】、防御力強化【小】のスキルを発動させる。

「オオオオオォォォォォォォォッ!」

 ジンオウガも止まらない。先ほどと同じく体勢を低くして身構えた。突進を繰り出すのかと身構える。だが、ジンオウガは突進するのではなく、その巨体ごとタックルを行ってきたのだ。

 並みのモンスターなら対応できた動きだったかもしれない。しかし、ジンオウガの動きは俊敏で対処が間に合わなかった。その影響を受けたのがクレアで、盾でガードする前に吹っ飛ばされた。

「くぅっ!?」

 何とか受け身を取ることに成功したが、受けたダメージは大きい。先ほどの薙ぎ払いといいタックルといい、剣士の防具でここまでのダメージを受けてしまうと現実味が薄れてきてしまう。

「とりあえず、回復を――」

 そうしてポーチに手を伸ばしたとき、クレアは咄嗟にその場から退いていた。遅れてクレアの元いた場所に、淡い光を帯びた何かが通過していった。

「今のは!?」

 驚きのあまり、狩猟中にも関わらずそんな言葉を発していた。

 先ほどの物体が飛来してきた方向にはジンオウガがいる。先ほどの物体はジンオウガが繰り出した攻撃の一つだということだろう。

 もう一度ジンオウガの様子を確認すると、クレアは回復薬を一本飲み干した。

 既に、ヴァイスとグレンがジンオウガの気を惹きつけてくれている。さすがと言うべきか、ヴァイスの動きには余裕があるが、一方のグレンは精一杯といった感じに見える。

 その様子を察したのか、ジンオウガはグレンを標的としたようだ。空中に飛び上がり、尻尾を叩きつけてくる。グレン、そして同じくジンオウガに肉迫していたヴァイスも回避行動をし、辛うじて回避することに成功した。

 遠目からクレアは安堵しつつ、ジンオウガに接近しシャドウサーベル改を抜き放った。

 片手剣の常套手段は連続斬り。一撃の重さではなく手数の多さで勝負する。しかし、慎重に攻撃を行うとなると大剣や太刀に比べ働きが幾分か落ちてしまう。クレアは、ジンオウガの注意を惹きつけるべく手数をなるべく多くし、かつ深入りしないよう心がけ斬撃を放った。

 ソラの援護の助けもあって、ジンオウガの追撃を阻止することができた。

 後退していた二人も加わり、ジンオウガを囲む形でそれぞれの武器を振るった。

 さしものジンオウガも、これで翻弄することができるのではないか。しかし、ジンオウガの力は、その予想を遥かに上回った。

 ジンオウガが後脚だけで立ち上がる動作を見せた。それだけで、ジンオウガが自分たちを押し潰そうとしていることが理解できた。誰もがそう判断し早目の回避行動を取る。しかし、ジンオウガはそれでも獲物を逃がそうとはしなかった。適当な一人――クレアに狙いを付け、回避した後もホーミングを行った。

「何っ……!?」

 そのジンオウガの能力には、ヴァイスをも驚愕させた。

 無論、クレアは避けきれず、ボディプレスの餌食になってしまう。

「くそっ……!」

 近くにいたヴァイスが、クレアを助け起こしたいのは山々だ。しかし、このボディプレスの影響でジンオウガの周囲に強い風圧が生じた。それを防ぐスキルは発動しておらず、ヴァイスとグレンの身体が風圧で押し流される。

 その様子を見ていたソラは、射撃を中断しクレアの元へと向かった。どうやら、大した痛手ではないらしく自分で起き上がることができている。

「クレアさん、大丈夫ですか!?」

「うん、私は大丈夫だよ。それよりも、ソラさんは援護を!」

「はいです!」

 クレアはその場に留まって回復を行い、ソラだけが場所を移動し射撃を再開した。

 風圧の影響を受けた二人は、どうやら一旦距離を取ったらしい。その中で、グレンがヴァイスの元へと走り寄っていった。

「すいません。俺が演奏して風圧を防げれていれば……」

「そのことは大丈夫だ。気にするな」

「はい。わかりました」

 短く言葉を交わすと、二人は再び散開した。

 グレンはそこから更に後退し、演奏体勢に入る。先ほどの教訓を生かし風圧無効のスキルを。ついでに、攻撃力強化【小】、防御力強化【小】の旋律効果を延長させた。

 グレンが演奏を終えたとき、ジンオウガはグレンに向かって背を向けていた。ジンオウガに走り寄ると、へビィバグパイプを尻尾に向かって叩きつける。太刀などの斬撃とは違う、狩猟笛の打撃攻撃はジンオウガの尻尾に弾かれることはなかった。

 数回殴りつけたところで、一歩後退する。最前のジンオウガの攻撃手段として、ジンオウガの後方はあまり安全ではないと判断する。グレンは、ジンオウガの右後脚辺りに場所を移すと再びヘビィバグパイプを叩きつける。

 しかし、ジンオウガが標的としたのはグレンではなく、その反対側に位置する場所にいたクレアだった。低く身構えると強烈なタックルを繰り出してくる。

 だが、クレアも同じ轍を踏むのではない。一度見た動きのため、身体が反射的に動く。右手に装着された盾を突き出し、その衝撃を受け流す。

「くぅっ……」

 やはり、盾で防御したとしてもその衝撃は大きかった。クレアの身体は押し流され、その影響でジンオウガに無防備な姿を晒してしまう。

 ジンオウガがクレアに向き直ろうとする。そのジンオウガの頭部に、ヴァイスが携える氷刀【雪月花】の斬撃が走った。ジンオウガも不意を突かれたのか、ここは身を翻し後退した。

「師匠!」

「今のうちだ」

 ヴァイスに促され、クレアは体勢を立て直すために一時後退する。

 身を翻し自身も後退したジンオウガは、その場から突進してくる。進行方向にはソラがいたが、冷静にヴァルキリーファイアを背負いその場から退く。

 ジンオウガが動きを止めたその瞬間、グレンが真っ先に攻撃を行う。へビィバグパイプを上段から叩きつけ、左右にぶん回す。

「ガアアアアアアアァァァァァァァァァァァァッ」

 先ほどから執拗に纏わり付いてくるグレンが目障りなのか、ジンオウガはグレンを標的と定めた。

 身体を捻ると、強靭な右前脚をグレンに向かって振り下ろしてきた。初見の動きだったが、後方に回避し難を逃れたかと思った。だが、ジンオウガの動きは止まらない。空振りに終わった右前脚を地面から抉り抜くと、今度は左前脚を振り下ろしてきた。それも、回避したグレンを追尾するような動きで。

「なぁっ!?」

 さすがに、この動きに付いていくのは不可能だった。身体を捻り急所は外したものの、ジンオウガの前脚がグレンを容易く吹っ飛ばした。

「くそっ……」

 グレンは、何とか自分の力で起き上がる。

 その様子をまるで見下すような形で見ていたジンオウガは、ようやく気が済んだのかエリア5から姿を消した。

 その途端、身体から力が抜けてしまったのかグレンがその場にへたり込んだ。

「だ、大丈夫ですか!?」

 ソラが駆け寄ってくる。グレンは、ソラの問いかけに苦笑いしながら答えた。

「大丈夫、脇腹に命中しただけだから。この防具は頑丈だし、回復薬を飲めば痛みはすぐに治まるよ」

「そう。よかったです……」

 ソラがほっと安堵する。

 遅れて、ヴァイスとクレアがやって来た。

「どうやら大丈夫そうだな」

「ええ。これくらいでへこたれてられませんから」

「そうか」

 ヴァイスはそう言い、ジンオウガの去っていった方向――エリア4へと続く道に目をやった。

 ジンオウガは上空を飛んでエリアを移動するモンスターではないため、ペイントの臭気が無くともどこに移動したかの見当が付く。ジンオウガがエリア4に向かったのは間違いないはずだ。

 その間に、クレアとグレンは各々の武器に砥石を当て、ソラが残りの弾丸の数を確認する。

 狩猟序盤だというのに回復薬の消耗が著しく激しい。それほどまでにジンオウガの破壊力が高いということもあるが、何よりもジンオウガの攻撃に対処できないということが一番の要因だった。

「さて、行くぞ」

 三人の準備が整ったところでヴァイスがそう切り出した。

 状況はあまり芳しくない。これから先のことをどうするかとヴァイスは頭の片隅で考えつつ、ジンオウガの後を追った。



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EPISODE52 ~無双の狩人~

 エリア4。森林の中に位置するエリア5に比べれば、エリアは比較的広く見通しが良い。

 だが、そのエリア4には、唯一動きや視界を制限する物がある。無骨な作りをした廃屋がエリア上に点々としているのだ。エリア4では、それを考慮した上で立ち回る必要があるだろう。

「いましたね……」

 クレアの言葉に各々が頷く。

 四人の視線の先にジンオウガの姿があった。屯していたジャギィたちを蹴散らし、別の場所へ追い遣っているようだった。

「今のうちに!」

「ああ」

 ジンオウガは、ヴァイスたちの存在には気がついていない。ジンオウガの後方から接近したクレアがシャドウサーベル改を一閃させた。

「ガアアアアァァァァァァッ!」

 また来たのか、とでも言いたげにジンオウガが煩わしげに吼えた。

 クレアに続きヴァイス、グレンがジンオウガに肉迫し、ソラも射撃を開始した。

 ジンオウガは、誰を狙うべきか戸惑う様子を見せた。しかし、それもほんの一瞬にすぎなかった。すぐさま身体を方向転換させると、狙いに絞ったヴァイス目掛けて尻尾を叩きつけた。

 ヴァイスは、その動きを冷静に見切り回避する。と、ここでヴァイスの注意がジンオウガから逸れた。エリアの端に固まっていたジャギィたちが、少数の群れを成して接近してきているのをヴァイスは捉えていた。

「くっ、厄介な」

 小型モンスターも、大型モンスターと対峙している状態では厄介な存在になりかねない。それが、縄張り意識が高い上に仲間を呼び寄せるジャギィたちになれば話は更に加速する。

「ソラ! ジャギィたちを頼む!」

「はいです!」

 ヴァイスは、後方で援護していたソラにジャギィたちを任せた。

 ジャギィたちの殲滅を請負ったソラは弾丸を変更する。Lv3通常弾を弾倉から取り出し、ポーチから取り出したLv1散弾を装填する。

 散弾は、文字通り砕け散った弾頭の破片を広範囲にばら撒く弾丸だ。動きが俊敏なモンスター、群れで行動するモンスターには絶大な威力を発揮する。ただし、弾頭を砕くために火薬の量が多く他の弾丸に比べ反動が強い。そして、射程が短いという二点に注意しなければならない。

 ヴァルキリーファイアの銃口をジャギィの群れに向ける。散弾は、大まかな狙いを付けるだけで標的に命中してしまう。だが、それは裏を返せば、誤射の可能性も上昇するということになる。

「っ……」

 ソラにしてみれば、もう二度と誤射などという真似はしたくなかった。

 しかし、今は自分の意識に苛まれ、射撃を躊躇している場合ではない。ジャギィたちの周囲に仲間がいないことを確認すると、ソラはおもむろに引き金を引いた。

 引き金を引いた回数はたったの二回。しかし、それだけでジャギィたちの群れは壊滅した。

 その様子を確認したヴァイスが、軽く手を挙げる。それに答えるようにソラも頷く。標的をジンオウガに戻すと、再びLv3通常弾を装填し、射撃を開始した。

 一方、剣士としてジンオウガに肉迫しているクレアとグレンは苦戦を強いられていた。

 ジンオウガの予測不可能な動きに何とか対応しつつ、攻撃が通る部位を探す。特にクレアの場合は、まともに斬撃を浴びせられる部位が極端に限られてしまっていた。

 身を翻したジンオウガが突進してくる。散開した三人の横をジンオウガが疾走していく。

「どうすればいい……!?」

 突進を終えたジンオウガに接近しつつ、グレンは思案する。閃光玉が有効なのは幸いだが、ジンオウガは視界を潰され大人しくしているようなモンスターではない。それでは埒が明かない。となれば、罠が有効なことに望みを託す他無いのだろうか。

 グレンと共に、ヴァイス、クレアがジンオウガに接近した。各々の武器を振るい、ジンオウガにダメージを与えていく。

 普段なら、ジンオウガは反撃に転じる。だが、今回はジンオウガがそのような様子を見せることはなかった。

「ウオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォン!」

 ジンオウガが天に向かい吼える。そのジンオウガの身体が、時間が経つにつれ淡い光を帯びてきている。不可解な現象に、接近していた三人は警戒心からか咄嗟に距離を取っていた。

「一体、何なんだ?」

 結局、ジンオウガにはその後、大した変化は見られなかった。不審に思いながらも、それぞれがジンオウガに注意を戻していく。

 その中、クレアが動いた。

「師匠。私がシビレ罠を仕掛けます」

 本来のヴァイスならば、シビレ罠はまだ温存しておくだろう。だが、今回は状況が状況だ。ヴァイスも、クレアの策に同意した。

「ああ。ジンオウガは、俺たちに任せろ」

「はい!」

 クレアは、エリアの中央にシビレ罠を仕掛けるつもりなのだろう。一旦離脱し、エリアの中央へと急いだ。

 そうなれば、ジンオウガの注意は確実にこちらに向けなくてはならない。ヴァイスは、グレンと視線を交錯させ、頷いてみせる。グレンも、ヴァイスの意図を読み取ったらしい。二人は、ジンオウガの左右から同時に攻撃を繰り出した。

 どうやら、最初からジンオウガも背を向けて遠ざかっていくクレアに大して興味はなかったようだ。排除すべき存在だと認識したヴァイスとグレンを捉えようと動き出した。

 身体を宙に持ち上げ、尻尾を叩きつける。正面にいたヴァイスと共に、グレンをも踏み潰さんと落下してくる。だが、二人は即座に反応し回避をしていた。ジンオウガの尻尾は、地面を深々と抉るだけに終わる。続いて繰り出した頭突きも、空振りに終わってしまった。

「師匠!」

 クレアがヴァイスを呼ぶ理由はただ一つ。シビレ罠の設置が完了したのだ。罠を設置するだけだとはいえ、なかなか手早い作業だった。

 そう思いつつ、ヴァイスはシビレ罠の位置を確認する。ちょうど、ヴァイスの後方に仕掛けられているらしい。上手く誘導し、罠に誘い込まなくてはならない。

 そこで、ヴァイスは数歩後退し、氷刀【雪月花】を構えた。それは、ティガレックス狩猟時にも行った挑発行動である。ジンオウガがこの挑発に乗るかどうかは五分と五分といったところだった。

 そして、ジンオウガはヴァイスの罠にまんまとジンオウガも陥ってしまう。

「ガアアアアアァァァァァァッ!」

 どうやら、ジンオウガも挑発されるのには頭に来るらしい。視界に捉えたヴァイスを踏み潰さんとばかりにジンオウガが突進を開始した。

「掛かったな」

 ヴァイスは氷刀【雪月花】を鞘に収め、踵を返して走り出した。

 強靭な脚力で疾駆するジンオウガの速度には、ヴァイスも太刀打ちできない。だが、ヴァイスの方が一歩早かった。罠を飛び越えるような形で身体を投げ出す。地面に着地する寸前、ジンオウガの悲鳴が聞こえてきた。どうやら、無事に誘導は成功したようだった。

 受け身を取り、ヴァイスは瞬時に体勢を立て直す。

「よしっ!」

 我知らず、グレンがガッツポーズを取った。今までは翻弄され続けてきたが、今度はこちらの番だと身体が動く。

 グレンはジンオウガの頭部を狙い、ヴァイスとクレアが後脚をそれぞれ狙う。ソラは連射が可能なLv2通常弾に変更し狙撃を行った。

 時間にすれば十秒程度だった。ジンオウガはシビレ罠から抜け出し大きく後退する。

 剣士の三人が、ジンオウガとの間合いを詰める。だが、ジンオウガは再び天を仰ぎ、咆哮し始めた。ジンオウガの身体は一頻りに淡い光を帯びていき、体毛や甲殻が青白く輝き始める。

「一体何をしているんだ……」

 先ほどと同様に、三人は間合いの外でジンオウガの様子を窺っていた。観察すれば観察するほど、その行動の不可解さが増していく。

 ジンオウガは、ゆっくりと体勢を低くした。ジンオウガ自体に大きな変化はない。だが、所々ではあるが、ジンオウガの身体の一部が光り輝いて見える。おそらく、ついさっきの行動に関連しているのだろう。

 動揺しつつも、クレアとグレンは前に出る。それを見越していたヴァイスがジンオウガの気を惹きつけ、二人から関心を逸らす。ソラの援護も続き、クレアとグレンは安全に攻撃を仕掛けることができた。

 ジンオウガが二人の存在に気が付いたのは、二人からの攻撃を受けた後であった。

 その内の一人、クレアが視界に入ると、ジンオウガの注意はヴァイスからクレアへと移り変わる。

 身体を捻り、前脚を振り上げる動作。それは、グレンを吹き飛ばした攻撃方法であった。クレアは盾を構え、ガードの体勢に入る。

 一発、二発、と続いた連続攻撃の餌食になることなくガードに成功した。

「なんて、威力……っ!」

 だが、クレアも決して安堵している状況ではなかった。

 一撃が重いにも関わらず、それが二連続で繰り出される。この強烈な攻撃をガードするにも限度がある。どうにかして回避方法を探らなくてはならない。

 体勢を立て直しきれていないクレアがジンオウガに狙われては危険だ。ヴァイス、グレンが咄嗟に援護に入り、どうにか一瞬の隙を作り出すことに成功した。

 ヴァイスは、その場に留まり氷刀【雪月花】を振るう。突き、斬り上げ、移動斬り。ジンオウガからの攻撃を回避しつつ、着実に斬撃を浴びせる

「ウオオオオォォォォォォォッ!」

 焦れたジンオウガが、ヴァイス目掛けて突然突っ込んできた。

 ヴァイスも、それは計算外だったらしくダメージを受けてしまう。しかし、すぐに受け身を取ると痛む場所すら確認せず、もう一度ジンオウガに斬り込んだ。

「やってくれる……」

 攻撃を喰らってしまったことは悔しいが、かっかして冷静さを失うべきではない。ヴァイスも、自分を宥めるよう慎重な動きで斬撃を繰り出した。

「師匠!」

 近くに、クレアが駆けつけた。シャドウサーベル改で斬りつけつつ、ヴァイスの安否を問う。

「大丈夫ですか?」

「俺のことは気にするな。それより、今はジンオウガに集中しろ」

「はい、わかりました!」

 クレアは、ヴァイスが大事無いことを悟ったらしい。目の前にいるジンオウガのことだけに集中するよう意識を高める。

 ヴァイスも、これ以上仲間に無駄な心配をかけさせるわけにはいかない。その場から一歩だけ後退し、深追いしないよう心掛ける。突き、斬り上げ、斬り下がり、と基本の型で立ち回り十分な余裕を保つ。

「ガアアアアァァァァァッ、ガアアアアァァァァァッ!」

 身を翻したジンオウガがソラ目掛けて飛び掛ってくる。ヴァルキリーファイアを型に背負い、横っ飛びを行いソラは難を逃れた。

 ジンオウガはグレンの近くに着地していた。そのチャンスを生かそうと、グレンはジンオウガに対して攻撃を敢行しようとする。だが、グレンの身体はその意志に反して動きを止めた。

 今までで二度見せたジンオウガの不可解な行動。そう、ジンオウガが天を仰いだまま再び咆哮し始めたのだ。ジンオウガの発する青白い光は徐々にその輝きを増していく。

「一体、何をするつもり――」

 刹那、クレアの言葉を遮るように雷鳴が轟いた。

 天に向かい咆哮していたジンオウガの角や蓄電殻が上向きに展開される。間髪をいれずに、ジンオウガの身体から雷光が迸る。

「ウオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーン!」

 ジンオウガが一際大きな咆哮を上げた。それは、まるで雷鳴のように辺りに轟いた。

 何が起こったのか。今一度確認しようと、クレアはジンオウガの姿に目をやる。

「なっ……」

 クレアだけではない。この場にいた誰もが、ジンオウガの姿に言葉を失った。

 蓄電殻や帯電毛のみならず、全身に青白い光を帯びている。甲殻が開いているためか、ジンオウガの姿は先ほどまでよりも一回り大きく見える。

 まるで、ジンオウガはその身に、雷そのものを鎧のように纏っているようだった。

「あれが、超帯電状態のジンオウガ……」

 ただ一人、ヴァイスだけがそう口にしていた。

 超帯電状態。自らの電力を、周囲を飛び交う雷光虫に分け与えることで雷光虫を活性化させる。その活性化した雷光虫を自身の身体に纏うことでこの状態に移行することができる。

「その場に止とどまるな!」

 ジンオウガが一歩を踏み出すのと同時、ヴァイスが三人に促す。それを聞いた三人は弾かれたように動き出した。攻撃を仕掛けるのではない。ジンオウガの動きを観察するためだ。

 ジンオウガが更に一歩踏み出した。そして、強靭な四肢を駆使し、勢いを乗せるとそのまま突進してくる。標的として狙われたクレアは回避し、次の攻撃に備えようとした。だが、先に動いたのはジンオウガだった。右脚を振り上げ、クレアに叩きつける。

「速いっ!!」

 クレアは回避するのではなく、咄嗟に構えた盾でガードに成功した。

 ジンオウガの連続攻撃は、地面を抉ると同時に雷が迸った。これも、超帯電状態特有の能力なのだろう。その威力は、今までのそれとは段違いだった。

 クレアは、二回の攻撃を防ぎきった。だが、クレアはガード状態を解かなかった。ジンオウガは動きを止めず、その前脚を合計で三度も叩きつけてきた。クレアも、過去の教訓を生かし確実に成長していた。

 だが、今回はそのクレアよりもジンオウガの方が勝った。強烈な連続攻撃をガードしたクレアはスタミナを消費していた。そこに、ジンオウガが更なる追い討ちを仕掛けたのだ。

 一瞬、背中の蓄電殻が光を帯びたかと思うと、そこから無数の雷撃が放たれる。それは地面を這い、緩やかに曲線を描きながらクレアに迫った。

「くっ!?」

 雷撃が緩やかに進行方向を変更していることに驚愕し、クレアの判断が一歩遅れた。

 咄嗟にクレアは、雷撃をガードして受け流そうと盾を構えることができた。しかし、クレアのスタミナは底を付いていた。結局、四発のうちの一発の雷光弾を喰らってしまい、そのまま吹っ飛ばされた。

 幸い、大きな痛手にはならなかった。この場から後退しようと起き上がろうとする。だが、

「か、身体が、痺れる……」

 雷光弾の影響だろうか、全身に若干の痺れを覚えた。動けなくなるほどのものではないが、ジンオウガと対峙しているこの状態では痺れを消さなければ危険に及ぶ可能性も否定できない。

 ジンオウガはクレアを仕留め切れてないことに気付き、止めを刺そうと身構えた。

 しかし、ソラが閃光玉を投擲してくれたおかげでジンオウガの動きは止まった。

「クレア!」

 ヴァイスがクレアを呼ぶ。

 声のした方にクレアが振り向くと、ヴァイスが自分目掛けて何かを放り投げたのが窺えた。危うくキャッチし損ねそうになったが、無事にそれを受け取ることができた。

 ヴァイスが放り投げたのはウチケシの実だった。その名の通りモンスターの属性攻撃の影響を打ち消すという特殊な成分を含んだ植物の実だ。

 ヴァイスに礼を言おうと、再びヴァイスの方を向いた。その直後、クレアはヴァイスに対して礼の言葉ではなく、警告の意味を持って彼の名を叫んでいた。

 ジンオウガは視界を潰されている。さらに、超帯電状態まで加わっておりジンオウガはより興奮している。敵がどこにいるか検討が付かない中、ジンオウガは闇雲に攻撃を繰り出し続けた。その内の一撃が廃屋の柱をなぎ倒す。無論、老朽化した木造の柱ではジンオウガの一撃には耐え抜くということなど不可能だ。自らの重みに耐えられなくなった廃屋が屋根などに設置されていた柱をも巻き込み崩れ落ちてくる。それらは全て、ヴァイス目掛けて落下してきた。

「師匠!」

 この柱の下敷きなったとき、恐ろしいことはダメージではなく身動きが取れなくなることだろう。実際、モンスターの攻撃を防ぐハンターの防具ならば掠り傷程度で済むかもしれない。しかし、それはあくまで可能性の一つであり、命の危険に及ぶ可能性があるというのまた事実であった。

 ヴァイスは動く。咄嗟の判断で身体を地面に投げ出すように後方に飛び退いた。間髪を入れず、廃屋の残骸が落下してきた。

「ヴァイスさん!」

 グレンの顔から一瞬で血の気が引いた。残骸に巻き込まれてはいないようだが、傷を負った可能性もある。

「グレンさん。私はシビレ罠を仕掛けるです!」

「分かった。俺が時間を稼ぐ!」

 時間稼ぎと共にヴァイスの援護も兼ねたグレンはへビィバグパイプを構え、ジンオウガに向かっていく。

 背後から接近しヘビィバグパイプで叩きつける。この隙を窺い、ヴァイスはジンオウガから距離を取ったようだった。見た目では傷を負ったようには見えない。

 だが、予断を許さない状態は続いた。グレンの攻撃を物ともせず、ジンオウガはソラに向かって突進する。

「ソラ!」

 グレンはソラの様子を窺う。ちょうど、シビレ罠を仕掛け終わったところであった。

 ソラはヴァルキリーファイアを構え、いつでも射撃が行えるよう身構えた。

 ジンオウガがソラの仕掛けたシビレ罠を踏みつけた。だが、それはジンオウガの動きを止めることはなく、逆にシビレ罠が呆気なく爆ぜただけに終わった。ジンオウガの動きが止まることを想定し身構えていたソラは突進の餌食となってしまう。

「ソラさん!」

 吹っ飛ばされたソラは、何とか起き上がろうとしている。だが、ダメージが余程大きいのか、身体の自由が利いていない様子だ。

「くそっ!!」

 ジンオウガを力ずくで止めようとグレンは動いた。ジンオウガの懐に飛び込み、へビィバグパイプをぶん回す。

 しかし、この時グレンは完全に冷静さを欠いていた。我に返ったときには、ジンオウガが身体を持ち上げているのが視界に入った。そして、ボディプレスで吹き飛ばされると同時、激しい痛みに身体が襲われた。

「チッ……!」

 荒い舌打ちをしつつも、ヴァイスの頭は冷静さを保っていた。

 閃光玉を投擲しジンオウガの動きを止める。その隙に、クレアに指示を出す。

「クレア、ソラを頼む。俺はグレンを助け起こしてくる」

「わかりました」

 素早く指示を出し、あるいは指示を受けると二人は動き出した。

 ヴァイスが駆けつけると、グレンはゆっくりと身体を起こした。その顔からは悔しさが滲み出ている。

「大丈夫か?」

「ええ、何とか。すいません。頭に血が上って……」

「あの状態なら無理もないさ」

 ヴァイスは、そう言いつつクレアの様子を窺う。どうやら、ソラは無事らしい。クレアに肩を借りつつ、何とか立っている状態だ。

 その様子を見て、ヴァイスはある一つの決断を下す。

「グレン。クレアたちと先に拠点に戻っていてくれ」

「拠点、ですか?」

「ああ、そうだ」

 グレンはしばらく考え込むような素振りを見せた。だが、ジンオウガが閃光玉の影響から回復したのをきっかけにグレンは首肯した。

「分かりました。ヴァイスさん、くれぐれも無茶はしないで下さい」

「ああ、分かっている。さあ、早く行くんだ」

 ヴァイスはグレンを見送り、再び閃光玉を投擲した。

 仲間を無事に逃がすためには、少なくともジンオウガを足止めする必要があった。そのような役回りは、ヴァイスには慣れたものだった。

 氷刀【雪月花】を鞘から引き抜き、走り出す。ジンオウガの攻撃を喰らわないよう注意しつつ、懐に飛び込み斬撃を放つ。

 気力が充実したところで閃光玉の効力が切れた。ジンオウガはヴァイスを視界に捉えボディプレスを繰り出した。幸いなことに、グレンが奏でた旋律のおかげで風圧の影響を受けずに済んだ。

 突進も回避したところでエリア1に続く方向に視線を移す。そこには、三人の姿は無かった。どうやら、無事に拠点へと向かえたようだ。

「俺の役目もここまでだな」

 ヴァイスは四つ目の閃光玉を投擲した。氷刀【雪月花】を鞘に納めると、踵を返して走り出す。ヴァイスもまた、拠点へと戻る決断を下したのだ。

「無双の狩人、か……」

 その二つ名を意味をヴァイスは改めて痛感させられた。

 背中越しにジンオウガの姿を一目すると、ヴァイスはエリア1へと続く道を急いだ。



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EPISODE53 ~敗走と決意~

「一旦ユクモ村へ帰還しよう」

 拠点に着くなり、ヴァイスはそう切り出した。そして、その言葉の真意を誰もが疑った。

「師匠。今、なんて……」

「そのままの意味だ。俺は、ユクモ村へ帰還する決断を下した」

 ヴァイスは、ユクモ村に帰還するということをきっぱりと口にした。だが、ジンオウガを討伐はおろか撃退すらできていない。ヴァイスの決断には、誰もそう簡単に納得できなかった。

 皆を代表して、グレンが口を開いた。

「確かに、俺たちはジンオウガに敵わなかった。でも、もう一度チャンスを下さい! 俺たちは、何としてでも、ジンオウガを討伐したいんです!」

 グレンを始め、ヴァイスがこういった決断を下したのは、自分たちがジンオウガを討伐するに値しない実力なのだと判断したからだと思っていた。それでも、ユクモ村の危機に黙って敗退するということは納得できない。だから、ヴァイスが何と言おうとも、ジンオウガの討伐を続行したかった。

 対して、ヴァイスは何も言わず首を横に振っただけだった。

「そういうことじゃない。この判断は、狩猟を開始する以前から考えていたことだ」

「狩猟を開始する以前? 一体、どういうことですか?」

「元々、ジンオウガの情報は不足していた。俺は、情報をある程度入手した上で、再度ジンオウガに挑もうと考えていたんだ。だから、そこにお前たちの実力の有無ということは、俺の判断に介入していない」

「そうだったんですか……」

 ほっとしたのか、クレアは胸を撫で下ろした。

「それに、お前たちの怪我も、ここでは応急処置しかできないからな。村で治療した方がいいだろう」

 ヴァイスの発言に三人が言葉を詰まらせた。

 確かに、回復薬で傷を回復することができるとはいえ、ヴァイスの言うとおりあくまでそれは応急処置に過ぎない。怪我の具合を考えれば、撤退という選択肢も致し方ない。

「でも、それだとジンオウガは」

 そう。一旦撤退するということはジンオウガを野放しにするということになる。ジンオウガがこの間にユクモ村へ更に接近するという危険性も十分あった。

 だが、ヴァイスは「安心しろ」と口にする。

「ジンオウガの様子を窺ったが、すぐにこの場から大きく移動する様子はなさそうだ。いざというときは、俺が何とかしてみせる」

 その言葉が全てだった。クレアを始め、手負いとなったパーティーは一度撤退することを決意した。現状を考えれば致し方ない決断だっただろう。

 拠点に置いていた荷物をまとめ、荷車へと積んでいく。

「今度こそ、絶対に成功させてみせる……!」

 次こそ、必ずジンオウガを討ってみせる。そう決意を固めたクレアの拳は、自然と力が込められていた。

 

 

 それから、三日という時が流れた。

 渓流から一旦撤退――いや、それこそ敗走とも捉えていたグレンは「はぁ……」とため息をついた。

「ジンオウガには、手も足もでなかったなぁ……」

 自室に篭もっているせいか、そういった本音も知らぬ間に口にしてしまう。それほど、ジンオウガに歯が立たなかったことが悔しいのだ。

 加えて――、

「っ痛ぅ……」

 上半身を軽く動かしただけなのにも関わらず、強打した脇腹が悲鳴をあげ思わず顔を顰めた。

 ジンオウガと対峙している際には気が付かなかったが、脇腹へのダメージは思いのほか大きかったようだ。特別に調合された薬草を塗り薬として脇腹に塗ってある。数日もすれば痛みは引くはずだ。

 痛む脇腹を押さえながらグレンは武器をしまっているボックスを開いた。

 先日のジンオウガとの狩猟で感じたのは、グレンの役割は前に出ることよりも援護に徹するということだった。へビィバグパイプは属性耐性にこそ囚われないものの、ジンオウガに対しては旋律効果は相性がいいとは言い難かった。ジンオウガとの相性を鑑みると、雷属性の耐性を高める旋律を奏でられる狩猟笛の方がいいだろう。

「よし。これにしよう」

 グレンは選び抜いた狩猟笛を掲げ、そう呟いた。

 すると、家の扉がノックされた。武器をしまい玄関へと向かう。

「ソラ……」

 そこにいたのはソラだった。ソラはおずおずといった感じで口を開いた。

「あの、グレンさん。怪我は大丈夫ですか……?」

「ああ。大丈夫。これくらい、大したことないって」

「そう。よかったです」

 ソラはグレンの身を案じて尋ねてきてくれたらしい。その心遣いは、グレンにとって嬉しかった。

「俺はともかく、ソラこそ大丈夫なのか?」

 グレンの方もソラの身を案じる。ガンナーの防具は剣士のものに比べて耐久力が劣る。ソラも何度もジンオウガの攻撃を喰らっていた。少なくとも、ソラは身体に痛みを抱えているに違いない。

 心配そうに尋ねてきたグレンの表情を見て、ソラは微笑んだ。

「わたしは大丈夫ですよ。心配してくれてありがとうございます」

「そう。それならよかった」

 グレンは安堵のため息を吐いた。しかし、グレンは同時に、ソラの笑みに僅かばかりか影があるように見えたことを疑問に思った。

「じゃあ、わたしはこの辺りで……」

 そんなグレンの疑問を知らず、ソラは身を翻しグレンの家を後にしようとした。

「ソラ」

 そのソラをグレンは引き止めた。歩を止めたソラがグレンの方に向き直る。

「俺は、またジンオウガに挑もうと思う。例え、ヴァイスさんに反対されても……。それは、クレアだって同じだと思う。でも、俺には……、俺たちにはソラの協力が必要なんだ。だからお願いだ。本当に、これが最後で構わない。だからソラ。もう一度だけ、俺たちと狩猟に出てくれないか」

 紫水晶(アメジスト)のような輝きを湛えているグレンの瞳には強い意志が篭もっていた。このグレンという人物は、心の底から自分の力を必要としてくれている。否、グレンだけではない。クレアもヴァイスも自分のことを信頼してくれている。彼らのためなら、自分の力が役に立つのなら、ソラは全力で協力しようと決意した。例えそれが、自分たちよりも遥かに強大な存在に立ち向かうことだとしても。

「はい。皆さんの役に立てるなら、わたしは出来る限りの努力をしてみせます」

 ソラはそう言い残し、その場を立ち去った。

「そうだ。笑顔でソラに『お疲れ様』って言ってやるんだ」

 そのためにも、ジンオウガを討たなければならない。もちろん、村の存続も自分たちに掛かっている。

「よし。やってやる!」

 グレンが気持ちを引き締める。

 次こそは、必ずジンオウガを討ってみせるという強い決意を胸にグレンは鍛錬を開始した。

 

 

 

「当時、ジンオウガは人間の敵う存在ではないとされた。討伐に乗り込んだハンターたちを悉く返り討ちにすることから『無双の狩人』という二つ名さえ付けられた――」

 机の上に広げられた資料の記述をヴァイスは読み上げた。その隣から、クレアがちょこんと顔を出す。

「なるほど。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことですね!」

「あ、あぁ……」

 何と言うべきか、ヴァイスはクレアの神経の図太さには感心していた。こんな状況にも関わらず、普段と同じように振舞ってみせる。実際のところヴァイスも、うかうかしていられない状況だ。これがクレアの長所だと言えばそれで済むが、今回に限ってはそれが羨ましくすら思えた。

「まるで、好奇心旺盛な子供だな」

 現実的なことを考えない小さな子供だとヴァイスが率直な感想を呟いた。だが、クレアにはその独り言が聞こえたらしい。顔をこちらに向け、クレアが口を開いた。

「別にいいじゃないですか。それに、いっつもピリピリしてるのは私らしくありませんから!」

「お前の後半の発言は同意できるが、俺の発言に対しては否定してほしかったな……」

 満面の笑みでそう返されたヴァイスは「やれやれ」とため息をつく。そう思いつつも、“好奇心旺盛な子供”という言葉でヴァイスの思考を汲み取ったクレア自体に驚嘆していたりもした。

 と、暢気なことを思いつつもそろそろ本題に移る。

「まず、ジンオウガには氷属性が有効だということ。これは間違いないだろう」

 これは、ヴァイスが直接試したことだ。ヴァイスにはジンオウガが氷属性の攻撃を嫌っているように見えた。

「二つ目は奴の攻撃だ。ガードで受け流すよりも、回避した方がいいはずだ」

「やっぱり、ジンオウガの攻撃を抑えるにはガードはあまり有効な手段ではないんですね」

 クレアがそれに同意する。

 実際のところ、クレアが愛用する片手剣の盾では完全に衝撃を受け流すことは難しい。ランスやガンランスならまだしも、あの小さい盾でガードを続けてはスタミナを浪費するだけだ。

「ああ。だが、どうしてもというなら手段がないわけではない」

「と、言うと?」

「強走薬だ」

「あっ、その手がありましたか!」

 クレアがポンと手を打つ。

 強走薬とは、使用した者のスタミナを一時的に無尽蔵にしてしまうというアイテムだ。これにより、スタミナを浪費する行動を取ってもスタミナが底を付く心配がなくなる。ガードでスタミナを消費する際には役に立つが、基本的に片手剣と強走薬を組み合わせるということは珍しい。

「強走薬を使用するかどうかはクレア自身が決めればいい。それよりも、問題は超帯電状態だ」

 攻撃力や俊敏性が飛躍的に上昇した超帯電状態のジンオウガに成す統べがなかった。この超帯電状態をどうにかしなければ、ジンオウガの討伐はまず不可能だ。

「閃光玉が有効なのはいいものの、効果は短い。おまけに、シビレ罠まで無効になる」

 閃光玉を使ってもジンオウガの動きは止まらない。そして、超帯電状態になればシビレ罠すら無効となってしまう。そうなれば、己の力量と武器を頼りに立ち回る他ない。だが、超帯電状態のジンオウガには、ろくに攻撃を仕掛けることもできない。

 落とし穴を使用するという選択肢もあるが、素材を含め持ち込める個数が限られている。更に、実際にジンオウガに効果があるのかが不明だという不安も残っていた。

「どうするべきか……」

 珍しく、ヴァイスが憮然とした表情になる。

 そんなヴァイスの様子を見ていたクレアがふと、あることに気が付く。

「そういえば、師匠。いくらジンオウガが相手でも、師匠一人なら討伐は可能だと思うんですけど」

 そう。ヴァイスはギルドナイトであり、G級の言わば一流ハンターである。聞けば、今まで何度か古龍と対峙した経験があるのだという。そんなヴァイスなら、ジンオウガは大した相手ではないのではとクレアは思ったのだ。

「ついさっき、ジンオウガの討伐に連れて行ってくれと言って乗り込んできた奴は、どこの誰なんだか……」

「そ、それは確かにそうですけど……」

 ヴァイスが意地悪く言う。

 そう。ヴァイスの言った内容こそ、クレアがヴァイスの元を訪れた理由だった。

 このまま引き下がる訳にはいかない。一人のハンターとして、ユクモ村を守るためにジンオウガを討伐しなければならなかった。

「まあ、いいさ。確かに、俺一人でもジンオウガの討伐は可能だろう。だか、それだと駄目なんだ」

「駄目? 一体、何がですか?」

「それは、ジンオウガを討伐した時にでも話すさ」

 ヴァイスはそうはぐらかし、この話を切り上げた。

 仕事机に仕付けられた椅子に座り、ヴァイスが資料を捲っていく。

 ジンオウガに関する情報は相変わらず少ない。そんな中、あるページの記述がヴァイスの興味を惹いた。

「数年前。かの雷狼竜の首を落雷の如き一閃で落したとされる人物がいた。そこから、その人物には『落雷』という異名が付けられた――」

 そこには、それだけのことしか記述がなかった。だが、ヴァイスはそれだけで全てを理解した。

「……なるほど。落雷というのはそういう意味だったか」

「どうかしましたか?」

「いや、何でもない。こっちの話だ」

 ヴァイスは引き続き資料に目を通していった。だが、有力な情報はこれといって見つけられなかった。

 椅子の背凭れに寄り掛かり、目蓋を閉じる。何か、有効な手段はないかと自分なりに模索してみる。しかし、これといった決定打が見つからない。

「師匠」

 不意にクレアが声をかけてきた。ヴァイスは目蓋を開き、クレアに向き直った。

「どうした?」

「よければ、その資料を私にも見せてくれませんか?」

「ああ。別に構わない」

 ヴァイスはクレアに席を譲る。資料を目の前にしたクレアは、興味津々といった様子でページを捲っていく。

 資料には、この地方に生息するモンスターからそうでないもの、別地方の文化などさまざまなことが記してある。ハンターならば興味が湧くことは不思議ではない。

「でも、本当にいいんですか? ギルド側で極秘にしなきゃいけない情報なんかも載っているかもしれないのに」

「それなら大丈夫だ。その資料にギルドが黙秘すべき内容は記されていない」

「へぇ~。なら、安心ですね」

 極秘すべき内容のものは別にまとめてある。いくら師弟関係のクレアでも、そんなものは見せるわけにはいかない。

 しかし、クレアが部屋を虱潰しにしてまでそれを探すような真似はしないことをヴァイスは十分理解していた。それもあってか、ヴァイスはある決断を下す。

「すまない。グレンのところに行ってくる」

「分かりました。留守は私に任せて下さい」

 視線は相変わらず資料に向いているが返事は良かった。

 別の部分で心配が残るところもあったが、ヴァイスはクレアに留守を任せ家を後にした。

 

 

 

 やってきたのはグレンの元だった。彼の家を訪ねたところ、ちょうど家にいたようだった。

「あ、ヴァイスさん。どうも」

「悪いな、いきなりで。今、大丈夫か?」

「ええ。もちろん。中へどうぞ」

 相変わらず手入れの行き届いた清潔感のある部屋だ。辺りを見渡せば大切そうに保管されている楽器や楽譜の数々。グレンの性格が一目で窺える。

「茶菓子でも出しましょうか?」

「いや。さすがにそこまでされると悪い。それに、今日は手短な話をするためにきたんだ」

「と、言うと?」

「グレンは、ジンオウガに再度挑みたいと考えているか?」

 予想外の問いにグレンはどう返すか戸惑った。だが、すぐに気を改め力強く首肯した。

「もちろんです。ユクモ村のためにも、そして、ソラのためにも、俺はジンオウガにもう一度挑まなければいけないんです」

 敢然と言い切ったグレンに対し、ヴァイスは素直に感服していた。

 あれだけ圧倒的にジンオウガに痛めつけられ撤退した。だが、グレンは失意に苛まれることなく、自らの決意を貫こうとしている。その姿は、明らかに数ヶ月前グレンとは違っていた。

「ヴァイスさんは反対するかもしれない。でも、俺は何としてでもヴァイスさんについて行きたいんです」

「そうか……」

 ヴァイスは静かに言った。少しの沈黙の後、ヴァイスはグレンにある問いかけをした。

「グレン。覚えているか? 俺がグレンに対して、何がお前を突き動かすのか、と問いただしたときのことを」

「ええ。覚えています。絶対に忘れるわけがない……」

 それは、グレンがヴァイスたちと初めてパーティーを組み、狩猟した際のことだ。ヴァイスがグレンに対し、何が故に狩猟をしているのか問いただした。

「あの時、グレンを突き動かすものは漠然としたものだった。だが、今は違う。今のグレンには決意がある。この村を守りたい。ソラの力になりたい。そういった強い決意がお前を動かしているんだ」

「俺の、決意……」

 あまり釈然としない様子のグレンだったが、その言葉の重みは十分に理解していたようだった。

「もちろん、クレアも、ソラも、俺だってそういった決意をしているつもりだ。でもな、ソラはおそらく迷っているはずだ」

「ソラが迷っている?」

「自分勝手な理由でハンターを辞めようとしている人間が、この村を守る資格があるのか。ソラにはユクモ村を守りたいという決意があっても、それは漠然としていて簡単に揺らいでしまう」

 決意の揺らぎ。それが、ソラが自信を失った根本的な理由ではないかとヴァイスは言った。

 ソラには、道を示してくれる人がいなかったから。決意は揺らぎ、自分を見失い、そして自信までも失った。閉塞した感情は、ハンターを辞めるという結論を出させた。それが、今のソラの姿なのだと、グレンは今更知ったのだ。

「グレン。お前には、ソラの道を示してほしい」

 ヴァイスは簡潔に述べた。あまりにも唐突な一言に、グレンは驚きを隠せなかった。

「そ、そんなこと俺が……。だったら、ヴァイスさんの方が適任じゃあ――」

 今まで、こういった役目はヴァイスがこなしていた。というよりも、先輩であるヴァイスがクレアやグレンに助言をするのは当たり前だ。もちろん、ソラに対してもそうするべきであろう。

 だが、ヴァイスは「それは違う」と首を横に振った。

「ジンオウガの出現という俺の誤算で、こうやって押し付けてしまっているのは申し訳ない。だが、今回は俺では駄目なんだ。だから頼む」

「ヴァイスさん……」

 グレンは戸惑いを隠せなかった。

 ジンオウガを何とかしなければならないのは変わらない。だが、ソラの力になるということは、より一層の努力をしなければならなくなる。

 本当に、自分がソラを導くことができるのか自問する。

 だが、答えはすぐに出た。

「やります。俺は、ソラの力になる。そう、決めましたから」

 それは、自分が幾度となく口にしてきた言葉だ。だが、それもこれで最後だ。今度こそ、ソラの力になってみせる。

 ソラの苦しむ姿を、もう見たくないから。自分と同じ思いをさせたくないから。グレンはそう、誓ったのだから。

「ありがとう。感謝する」

 ヴァイスが礼を述べる。

「ジンオウガの方もあまり猶予はない。おそらく、あと二日が限度だろう。明日、俺の家で色々と確認を行いたい」

「分かりました」

 無理ばかりを押し付けているグレンには申し訳がない。ヴァイスの役目は、ジンオウガの対策を練ること。そして、グレンたちの手助けを出来る限りすることだった。

 ジンオウガから村を守ること。ソラの道を示してやること。すべきことは多く、それも時間は限られている。

 ヴァイスは、遣り切れない思いを噛み締めつつ、グレンの元を去った。



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EPISODE54 ~再戦を誓う者~

「はぁ……」

 赤く彩られた反り橋の上でソラがため息を漏らした。

 皆、ジンオウガに敗退を喫したものの、それでも村を守るために再度ジンオウガに挑もうとしている。

 もちろん、自分もそのつもりである。だが、ハンターを辞めようとしている自分が村を守れるのだろうか。ヴァイスたちに同行したところで、足手まといになるだけではないだろうか。そういった考えが無意識に浮かんでくる。

「だからと言って、逃げるわけにはいかないです……」

 この状況から逃げ出せれば、どれほど楽になれるだろうか。だが、それは許されない。そうしてしまえば、今度こそ自分を見失ってしまう気がしたからだ。

 いや、ハンターを辞めようとしているという時点で、自分は現実から逃避しようとしている。ジンオウガを討ったところで、その選択が誰も望まないことに変わりはない。

 それは、信頼されているから。

 信頼されているからこそ。自分の力を必要としてくれるからこそ、ハンター辞めると言った自分を彼は引き止めようとした。

 しかし、それでも無理だった。ハンターを続けたいという意志よりも、自信を失ったがためにハンターを辞めたいという感情が勝っている。

 もう少しだけ、意志の強い人間だったら、とつくづく思う。反り橋の下にある池の水面(みなも)に映っている自分の表情は何とも暗いものだった。

「はぁ……」

 再び、ため息が漏れる。

 ジンオウガが渓流に出没したためか、時刻は夕方にも関わらず人の姿はほとんど見られなかった。

 薄暮の空が広がる上空を仰ぐ。そこには、憎らしいほどの高い空が変わらずに広がっていた。

 もう一度。もう一度、あの高い空に舞い上がれる自信を取り戻せるのならば。そうすれば、きっと強くなれる気がした。

「ソラさん?」

 その声にはっと我に返る。そして、ソラは思わずその声のした方を振り向いた。

「クレアさん……」

 そこにいたのはクレアだった。ベリオシリーズを纏っているわけではなく、ラフな格好をしている。おそらく、買出しか何かの途中だったのだろう。

「あっ、やっぱり」

 ソラだと認識したのか、クレアが駆け寄ってきた。

「こんな所でどうしたの?」

「へっ!? そ、それは……」

 いきなり痛いところを突いてくる。物思いに耽っていた、と馬鹿正直に返す勇気はソラにはなかった。

「ちょっと風に当たりたいな~、と思ったんです」

「そうだったんだ」

 クレアがそれ以上追及してくることはなかった。その代わり、クレアはある物に心奪われていた。

「綺麗……」

「綺麗、ですか?」

「夕日のことだよ。ほら、前も一緒に見たでしょ?」

 クレアに言われ、ソラは思い出した。

 それは、ティガレックスの狩猟に赴く前のことだった。温泉に浸かった帰りに、集会浴場から夕日を一望した。そして、秋になったら、また二人で夕日を見ようという約束を交わした。

 ユクモ村に秋が訪れるのは、だいぶ先のことになる。その時にもう一度、クレアとこの夕日を見られたなら、確かにそれは素晴らしいことだろう。

 そうソラが思い耽っていると、クレアが小首を傾げた。

「ソラさん。何か悩み事でもあるの?」

「ど、どうして分かったのですか!?」

「えっと……。何となく、かな」

「な、何となく……?」

 勘が鋭いクレアにとって、自分が悩んでいることはお見通しだったらしい。そう思うと、少しだけ恥ずかしくなってくる。

「ねぇ、ソラさん。私でよかったら、ソラさんの悩み事話してくれないかな。もしかしたら、力になれるかもしれないし」

「で、でも。それだと、クレアさんは迷惑じゃあ……」

 困惑した様子で言ったソラにクレアが微笑んだ。

「大丈夫だって! 私たち、友達でしょ?」

「友達……」

 友達。その言葉は、ソラにとって嬉しくもあり、苦しくもあった。

 クレアは、自分の悩み事を聞いてくれようとする。それが、ただ同情するためでなく、悩みの種を消そうとしてくれている。

 おそらく、クレアに「ハンターを辞める」と告げれば「どうして?」と問われることだろう。それが理由で、友達という関係が崩れてしまうかもしれない。せっかく築いた関係が、たった一つの悩みの種で跡形も無く崩れ去ってしまう。それが、怖かった。

 本当のことを言うのが怖いのだ。

「……クレアさんは、ある人に憧れてハンターになったんですよね」

 ソラの突然の一言に、クレアは最初こそ驚きを隠せなかった。静かに頷いたクレアの口元が緩む。

「そうだよ。師匠かグレンさんに聞いたんだね」

「はい」

 クレアがハンターを志した経緯は、以前にヴァイスから聞かされていた。そして、彼女の憧れの人物が、他でもないヴァイスだということも。

 憧れの念を抱きハンターになったクレアに、ソラは質問してみたいことがあった。

「クレアさんは、子供のころにリオレウスに襲われたと聞いたのです。その時に助けてくれた人に憧れたということも。……でも、クレアさんは、それでもモンスターの存在を怖いと思わないんですか?」

 辛い過去の経験があるクレアにこんなことを訊くべきではないということは重々承知している。

 しかし、ソラはどうしても知りたかった。モンスターの存在を怖いと思っているのかどうかを。

 クレアは相変わらず微笑みながら、しかし、僅かに陰のあるような表情で口を開いた。

「怖くない。そう言えたら、嬉しいんだけどね……」

 やはり、クレアはモンスターの存在を怖いと思っているのだ。死の恐怖に追いやれたことを考えれば、それは当然のことだ。

 だが、クレアは「でもね」と言葉を紡いだ。

「でも、怖いのは誰でも同じだと思う。みんな、命がけで狩猟をしている。そんな中で、私一人だけ怯えてるのは嫌だったから。あの人に追いつくには、怖がってちゃ駄目だって分かったんだ」

「怖がってちゃ、駄目……」

 その言葉は、表面的なもの以上に大きな意味を持っているような気がした。

 クレアにとって、モンスターの存在は怖い。それが、これから先で変わることはないはずだ。だが、クレアはそれを自分の力で乗り越えようとしている。恐怖の先にクレアがハンターを志した理由がある。クレアの憧れたハンターがそこにいる。

 その人物のようになりたい。ただ、それだけの理由で。いや、クレアには十分過ぎるほどの理由で、彼女は現実から目を逸らすのではなく、現実と向き合う決心をしたのだ。

「私はその人に、ありがとうって言いたい。いつか、また逢えることを信じてるから……」

 そう言って、クレアは首元からあるものを外した。それは、夕日の赤光を反射して輝くネックレスだった。十字架を模した中央部には、蒼く輝く小さな宝石らしきものが埋め込められていた。

「クレアさん。それは……」

「うん。これは、あの人から貰ったものだよ。これを見るたびに、私はあの人のことを思い出すんだ」

 クレアがそのネックレスを翳す。そのネックレスを見つめるクレアの瞳は、その時のことを思い出しているようだった。

「クレアさんにとって、とても大切なものなんですね」

 ソラの言葉にクレアが無言で頷いた。

「これは、あの人と私の約束の証……。そうやって、私は一方的に思い込んでいるんだよね。でも、私はこれのおかげで少しは強くなれた気がする」

 クレアとそのハンターを繋ぐ約束の証。辛い時も、苦しい時も、これを見れば乗り越える気がするのだという。今も、そして、これから先も……。

「ごめんね。なんか、感傷的な話になっちゃって。ソラさんの相談に乗りたかったのに」

 声のトーンを普段通りに戻したクレアがそう言った。

「そ、そんなことないです。わたしは、クレアさんとお話できてスッキリできたのです」

「そうかな? よく分からないけど、ソラさんの力になれたならよかったよ」

 クレアが屈託の無い笑みを浮かべる。ソラも、それに釣られて自然と笑みがこぼれてきた。

「じゃあ、ジンオウガの狩猟。頼りにしてるからね!」

「はい!」

 そうして、クレアは自宅の方へ向かっていった。

 その場に一人取り残されたソラは、しばらくその場に立ち尽くしていた。

「……やっぱり、羨ましいのです」

 すっと口元を緩めソラが呟いた。

 地平線に沈みゆく夕日が、そんな彼女の横顔を照らしていた。

 

 

 

 日付は跨ぐ。

 太陽が高くに昇り、現在は昼餉の時間帯である。普段なら、この時間帯は多くの村人や観光客で村の広場はごった返す。しかし、今日に限っては人の姿は見られず、ユクモ村は不気味なほどに静まり返っていた。

 それもそうであろう。ユクモ村は過去にジンオウガに踏み込まれてしまっている。その恐怖は、今でも人々の心に強く根付いている。

 物寂しさはおろか不気味さを感じる広場を抜け、クレアがやって来たのはヴァイスの元であった。

「師匠。いますか?」

 扉をノックしてしばらくすると、扉の向こう側からヴァイスが現れた。普段と変わらない、ギルドナイト蒼シリーズを着込んでいる。

「悪いな。こんな時間に呼び出して」

「いえいえ。全然大丈夫ですよ」

 クレアは「お邪魔します」と言って家へ足を踏み入れた。

 既に、グレン、ソラの二人がクレアより先に来ていた。しかし、その表情はあまり明るいものではない。

「揃ったな」

 ヴァイスが三人を一瞥するとそう言った。そして、三人を呼び出した理由――ジンオウガの狩猟について話し始めた。

「……見ての通り、最近はユクモ村は活気を失っている。その理由はもちろんジンオウガの出現だ」

「そうですね。これだと、今までの面影が全く感じられない……」

 グレンの言葉には誰もが同意出来る。あの活気溢れていたユクモ村がここまで衰退しているのだ。この状態を知らない者に、以前は観光客などで賑わっていた、などと言っても信じてもらえないかもしれない。

「ああ。この状態は速急に対処する必要がある」

 ヴァイス達がジンオウガを討伐し、ユクモ村を脅威から退ける。それしか、この状態を打破することは出来ない。

「俺も、自分なりに色々な思考をしてみた。結論から言えば、ジンオウガは討伐ではなく、捕獲するという方針で行く」

 その決断は致し方なかった。

 ティガレックスの狩猟の際も、狩猟方針を討伐から捕獲へと途中で変更している。それは、標的に対してあまりにも苦戦を強いられ、討伐が難しいと考えられた時の選択である。ジンオウガも例外ではなく、ましてやティガレックスを上回る強さを誇っている。ヴァイスの決断には納得出来る。

 しかし、それはあくまで狩猟方針の変更に過ぎない。ジンオウガを狩猟するという意味では、何ら意味が変わったわけでもない。討伐でも捕獲でも、ジンオウガの脅威を退ければいいのだから。

「分かりました」

 三人を代表して、クレアがその決断に同意したことを表す。

「よし。次は具体的な狩猟内容を話す」

 ヴァイスは一旦その場を離れ、仕事机とも言える場所から何枚かの紙を持ってきた。おそらく、ジンオウガの情報を独自に調べ記したものだろう。

「色々と調べてみたが、ジンオウガの弱点は氷属性で間違いないだろう」

 弱点となる属性の確定。それは、こちらにとって大きな情報だ。弱点を突き、より大きな痛手を与える。狩猟を有利に進めるには定石な手段である。

「そして、クレア以外の俺達はジンオウガの攻撃を受け止める手段がない。そこで、グレンとソラは基本的に援護に回ってほしい」

「わかりました」

「はい。任せて下さい」

 二人がヴァイスに了解する。

 そんな中、具体的な立ち回りを指示されなかったクレアが口を開いた。

「師匠。私はどうすればいいですか?」

「お前は自由に動いて構わない。俺がフォローする。だが、深追いだけは禁物だ」

 クレアは思い思いに動き、それをヴァイスがフォローする。それは、二人で狩猟をする際の方針だった。

 もちろん、クレアはヴァイスのことを心の底から信頼している。ジンオウガが相手でも師匠なら任せられる、と。

「分かりました。師匠も、私のことをちゃんとフォローしてくださいね」

「もちろんだ」

 そうして、細かな立ち回りの方針を決めたところでヴァイスが二枚目の資料に目を通す。

「次に、使用するアイテムだ。基本的な回復アイテム類や砥石など。そこに、ウチケシの実、閃光玉、大タル爆弾Gや罠。捕獲用の麻酔球か弾丸。個人で必要ならば鬼人薬や硬化薬など。それくらいだ」

 ウチケシの実は、先の実体験から必要不可欠と判断したアイテムだ。雷を纏ったジンオウガの攻撃で「雷属性やられ」という状態に陥った際に回復することが出来る。

 もちろん、大タル爆弾Gなどは調合素材分も持ち込む必要があるだろう。そうなれば、持ち込む道具はかなり嵩張ることになる。

「罠は落とし穴だけでいいですよね?」

 クレアがヴァイスに問う。

 それも、ジンオウガに対しシビレ罠が効かなかったのを目の当たりにしているからこその考えだった。シビレ罠がジンオウガに無効な以上、持ち込むのは落とし穴だけでいいというのは常識な考え方だ。

 だが、ヴァイスは首を横に振った。

「いや。俺はシビレ罠と落とし穴の両方を持ち込むつもりだ」

 さすがにクレアもヴァイスの言葉を疑った。

 この目で、ジンオウガがシビレ罠を呆気なく破壊したのを確かに見た。にも関わらず、ヴァイスはシビレ罠を持ち込むのだという。

 ヴァイスのことだから、何も考えなしにそう言っているのではないと分かっている。しかし、何を根拠にシビレ罠を持ち込むことを決めたのかが疑問だった。

 ヴァイスも、これに関して補足をする。

「確信はない。だが、ある一定の状況下でそれまで効かなかった罠が効果を発揮するというモンスターも存在する」

 つまり、ジンオウガが何らかの状況になった時シビレ罠が効果を発揮する。ヴァイスはそう推測したのだ。

 そして、その特殊なモンスターについて、グレンは身に覚えがあった。

「もしかして、ナルガクルガのことですか?」

 グレンの言葉にヴァイスが「そうだ」と頷く。

 ナルガクルガは飛竜種に分類されるモンスターだ。特徴的なのはその速さ。他のモンスターを遥かに凌ぐ俊敏性は、その動きを目で追うことも難しいことから、ナルガクルガは迅竜とも呼ばれる所以となっている。

 この辺りの地方でも、度々目撃されているらしい。しかし、ヴァイス以外の者は狩猟経験がないため、その詳しい詳細は分かっていない。

「ナルガクルガは、通常では落とし穴が効かない。だが、奴が怒り状態になった途端、落とし穴が有効になるんだ」

「怒っただけで、落とし穴が効くようになるんですか?」

「ああ」

 俄には信じられないが、これは事実だ。

 実際のところ、詳しい説は分からない。だが、怒りで我を忘れ、冷静さを欠き落とし穴の存在に気が付けずに罠に掛かってしまうと考えられるだろう。

「でも、ジンオウガを怒らせればシビレ罠が効くってことじゃないですよね」

 ヴァイスの言うとおり、特定の状況でシビレ罠は有効かもしれない。しかし、ジンオウガとナルガクルガの生態は明らかに違う。怒らせたところで罠が有効になるという保証はない。

 そんな内容のことを口にしたクレアにグレンが口を開いた。

「それに関しては大丈夫じゃないかな」

「大丈夫? 何がですか?」

 グレンの言っている意味が分からず、クレアが質問する。

「シビレ罠は雷光虫を素材として作られてる。一方で、ジンオウガはその雷光虫を活性化させる能力を持っている。もし、ジンオウガが雷光虫を活性化して帯電状態になった時、そこにシビレ罠を仕掛けても効かないのは当たり前じゃないかな」

「つまり、ジンオウガが超帯電状態になる前なら、シビレ罠は有効かもしれないってことですか?」

「まぁ、簡単に言えばそういうことだね」

 確かに、グレンの言っていることは間違いではないだろう。しかし、そこに疑問を抱いたソラが口を挟む。

「でも、それだと通常の状態でもシビレ罠は効かないように感じますけど……」

 ジンオウガは通常の状態でも雷光虫を集め、そこから超帯電状態に移行することが出来る。それなら、シビレ罠の持つ雷光虫のエネルギーはジンオウガに吸収され、シビレ罠は結局効かないのではないか。ソラはそう考えた。

「それは……、上手く言葉で表すのは難しい。多分、ヴァイスさんの方が上手く説明できると思う」

 途端にヴァイスに注目が集まる。

 バトンを受け取ったヴァイスがグレンの考えの捕捉をする。

「確かに、ソラの言うような考えも出来る。だが、ジンオウガは自分の意志で雷光虫に自らの電力を分け与えなければ帯電状態にはなれない。電力を分け与え帯電状態になった時、初めて雷光虫に対する耐性ができる。つまり、帯電状態でないジンオウガは、元々雷光虫に対する耐性は少なくシビレ罠は有効である。だが、帯電状態となり雷光虫に耐性ができた状態ならシビレ罠は効かないと判断出来る」

 ヴァイスの説明に納得したクレアが「おぉ~」と感嘆の声を上げた。

「さすが師匠! 確かに、師匠やグレンさんの言うとおりかもしれませんね」

「ああ。だが、必ずしもシビレ罠を持ち込む必要はない。あくまでこれは推測であって、おまけに嵩張るからな」

 剣士のヴァイス達はともかく、ガンナーであるソラは各種弾丸を持ち込む必要がある。弾丸だけで道具類はかなり嵩張るため、持ち込む道具は適宜に決定しなければならない。

 今回の場合、ソラがシビレ罠を持っていくことは不可能だろう。剣士の三人がシビレ罠を持っていくことになる。

「でも、シビレ罠が有効ならこちらにとってはプラスですね。落とし穴は設置に手間がかかりますから」

 シビレ罠と落とし穴の違いは単純だ。

 シビレ罠はその場に設置し、モンスターを誘導するだけで構わない。だが、落とし穴は一旦モンスターの動きを止めるだけの穴を掘り、そこに仕掛けをする必要がある。

 その分、落とし穴の方が効果は大きいが、落とし穴の設置を邪魔されないよう援護する必要もある。シビレ罠に比べ、ハンターに掛かる負担が大きいということだ。

「なら、次へ移ろう。先も言ったように、ジンオウガは捕獲する方針で狩猟を進める。そこで、誰が捕獲用の道具を持ち込むかだが……」

 モンスターを捕獲するのに必要なものは捕獲用麻酔玉。もしくは捕獲用麻酔弾である。ティガレックスの捕獲時に使用したのは後者だ。

「捕獲すると決定している以上、その数が多いに超したことはない。ソラは余裕があればで構わない。俺達は捕獲用麻酔玉を持っていこう」

 ヴァイスの提案にクレアとグレンが共に首肯する。そして、ソラもそれに続いた。

「大丈夫です。わたしも余裕があるので、麻酔弾は持っていきます」

「そうか、分かった。なら、次だが……」

 そうして、ヴァイス達は夕刻まで話し合いを続けた。

 ジンオウガの捕獲を何としても成功させる。その気合いがあったからこそ、さまざまな作戦を練ることが出来たのだ。

 明日の出発に備え、皆が帰路についた。ヴァイスはその後も、自らの仕事を進めた。

 そして、時刻は夜を迎える。

 ヴァイスは一人、集会浴場を目指した。本当は村長に顔を出しておきたかったのだが、「お気に入りの場所」に姿が見えなかったため、ここを訪れることにしたのだ。

「おう。珍しいな。この時間にチミが来るなんて」

 出迎えてくれたのはギルドマネージャー。そして、その傍らに村長が佇んでいた。

 やはり、二人の表情にも心配の色は表れている。それだけ、村全体がこの状況を緊急事態として捉えている証拠だった。

「俺達は明朝に村を発ち、渓流へ向かいます」

 ヴァイスが単刀直入に切り出した。二人の表情が更に歪んでいく。

「そう、ですか……。明日には既に……」

「ええ。この状況はなるべく早く打開しなければなりませんから」

 ヴァイスが躊躇いなくそう言う。

 そんなヴァイスに、ギルドマネージャーが申し訳なさそうに口を開いた。

「……すまないな。アタシ達には、何も出来なくて」

 だが、ヴァイスは肩を竦め「大丈夫ですよ」と平然とした面持ちで言った。

「これが俺達ギルドナイトの……いや、ハンターの仕事ですから」

 ハンターは、ただモンスターを狩猟することが仕事ではない。時には人々を護衛し、またある時は街などの防衛に務める。

 特に、ギルドナイトとしてこのような任務をこなしてきたヴァイスは、この状況には既に慣れている。自分が何をすべきなのか。そこで、本来の自分の持てる力を発揮する。そのことをヴァイスは熟知している。

「今日は、挨拶に来ただけです。では、俺はもう行きます」

「……待ってください」

 家に戻ろうと身を翻して歩を進めたヴァイスを、村長が突然呼び止めた。

 ヴァイスは村長に向かって振り返らず「何でしょうか」と口にする。その言葉にしばらく間を置いて、村長が()()()()()に向けて言った。

「……必ず、無事に戻ってくると信じてますわ」

「ええ。約束します。俺達は、全員無事で帰って来ると」

 そして、ヴァイスは集会浴場から静かに立ち去っていった。

 村長とギルドマネージャーは、それでも心配なことに変わりはなかった。かつてのジンオウガの恐怖を知っているからこそ。ハンターとして、一番の危険に晒されるヴァイス達の身を案じたのだ。

 月明かりが照らすユクモ村の夜は静かに更けていった。



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EPISODE55 ~月に吠えし雷狼竜~

 金色(こんじき)の満月が夜空に輝いている。

 これが狩場でなければいつまでも月を拝んでいたい、そうクレアは思った。しかし、その思考も束の間、クレアは頭の中を切り替える。

「今日もまた、不気味だな……」

 グレンが渋い顔で呟く。

 そう。この渓流にはジンオウガが依然と潜んでいる。以前、力が及ばなかったモンスターが。分かっていても、自然に身体は強張ってきてしまう。

「そうですね……」

 誰かに向けたわけでもないグレンの言葉にソラが答えた。

 皆、グレンの言うとおり、途轍も無い不気味な雰囲気を感じ取っている。以前体験したはずのこの感覚は、その時より更に強く感じられた。

 やはり、ジンオウガの出現により仲間の雰囲気も危機感を帯びている。

 そんな中、クレアはヴァイスに視線を移した。既に荷物の整理を終えていたヴァイスは、一人空を見上げていた。

「師匠、どうしたんですか?」

 クレアの問いにヴァイスが振り向き、答えた。

「月を見ていたんだ。あまりに綺麗だったから、な」

「そうですか。……何だか、いつもの師匠らしくないですね」

 クレアの思わぬ言葉に、ヴァイスが訝しげな表情になる。

「何がだ?」

「いえ、いつもの師匠だったら、狩場に入ったらあまりそういうことはしないように思ったので」

 ヴァイスは「そんなことか」と言うと再び金色の満月を仰いだ。

「……まあ、確かにそうかもな」

 ヴァイスは誑かすように言った。

 実際は、クレアはヴァイスの核心を突いていた。

 こういった重要な依頼にはギルドナイト同士で承ることがほとんどだった。だが、こうしてクレア達と共にジンオウガの撃退という重大な依頼を受けてみると、自分が彼女たちを守ってやらねばならないという意志に駆られる。

 いや、クレア達はもう子供ではない。その上、ハンターである。自分の身は自分で守るということを重々承知している。そうなると、最大限の手助けをしなければならないという言葉の方が適格だろう。

 ヴァイスが一人満月を仰いでいたのは、その決意を固めるためだったのかもしれない。

「……さて、準備はいいか?」

 ヴァイスの雰囲気も次第に変化してくる。そこにいるのはまさに、狩場を駆ける一人のギルドナイトとしてのヴァイスであった。

 その雰囲気に気圧されないよう、三人も気合を入れる。

 以前から、ヴァイスは武器を変更していない。今回も氷刀【雪月花】を携えている。しかし、他の三人は武器を持ち替えてきた。

 クレアの片手剣はアイシクルスパイクという名を持つ。その名の通り、刃には冷気が宿された氷属性の武器である。防具と同じくベリオロスの素材で作られたため、盾には氷牙竜の棘が使用され、ベリオロスの頭を模したようにも見える。

 ソラは愛用のヴァルキリーファイアからブリザードカノンへと変更した。

 これもアイシクルスパイクと同じくベリオロスの素材を用いて作られている。ソラはブリザードカノンに可変倍率スコープとロングバレルを装着させ、ガンナーながら攻めを重視させている。そして、このブリザードカノンは氷結弾の速射が可能なライトボウガンでもある。

 ヴァイスの氷刀【雪月花】、クレアのアイシクルスパイク、そしてソラのブリザードカノン。これらの武器は、ジンオウガの弱点である氷属性を突いている。ジンオウガに威力を発揮するのは明らかだろう。

 しかし、グレンの携える狩猟笛は攻めを重視したものよりも援護を優先させるために選択したものだった。

 見た目はそれこそコントラバスのようにも見える。しかし、その胴体は鮮やかな模様が描かれている。

 ブナハブラの素材を主として使い、脆い部分はシーブライト鉱石で補強を施した。それにより、強い衝撃にも十分耐えることが可能になった。

 セロヴィウノ。それが、この狩猟笛の名である。

 ヘビィバグパイプに比べ、このセロヴィウノの攻撃力は心許ない。しかし、グレンが着目したのは一撃の攻撃力ではなく、演奏によって得られる効果だった。

 このセロヴィウノは体力回復【小】、回復速度【小】といった旋律を奏でられる他、雷属性防御強化【小】という旋律も奏でられる。

 この雷属性防御強化【小】は、文字通り雷属性への耐性を高める効果を持つ。これにより、雷属性を帯びたジンオウガの攻撃を少しでも軽減しようという考えなのだ。そのグレンの判断力はさすがと言うべきだろう。

「大丈夫そうだな」

 クレアたちは無言で頷く。

 ヴァイスがその三人の様子を窺う。

 皆、気合の籠った顔つきをしている。同時に、撤退を余儀なくされたジンオウガを相手取ることに対し、緊張しているかのような表情もしていた。

「俺から言えることは少ない。落ち着き、深入りせず、自分らしく動き回ってくれ」

 ヴァイスの言葉に対し、それぞれが「分かりました」と返す。

 そして、ヴァイスは満月の照らす空谷を見下ろした。

 いつも以上に不気味に静まり返った渓谷だ。それは以前、昼間に渓流を訪れた時も同じだった。だが、ジンオウガによる脅威、威圧感はより強く感じられる。

 何より、今度こそジンオウガの撃退に成功しなければユクモ村――いや、その近辺の集落までもが危険に晒されることとなる。

 それだけは阻止しなくてはならない。その決意がヴァイスを突き動かす。

「……はぁっ」

 思考から余分なことを取り除くようにヴァイスが短く息を吐く。

 プレッシャーは当たり前のように感じている。だが、似たような場面を幾度となく経験してきた。ヴァイスはそのプレッシャーに押しつぶされるほど、軟な精神の持ち主ではなかった。

「行くぞ」

 歩き出したヴァイスに、その他の三人が続く。ヴァイスに続き、クレア、ソラ、殿はグレンが務めることになった。

 拠点を後にしてからしばらくして、グレンが前を行くソラに声をかけた。

「ソラ。ちょっといいか」

「なんですか?」

「俺は一つだけソラに質問したいことがあるんだ」

「質問、ですか?」

 ソラは疑問に思いながらも、グレンの言葉に耳を傾けたのだった。

 

 

「……ここにはいないようですね」

 エリア4。ここは、以前にもジンオウガと対峙したエリアだ。そこには、ジンオウガの姿は見られなかった。

「そうだな」

 グレンの言葉に同意し、ヴァイスが辺りを見回す。そして、ある一点に意識が集中した。

 エリアの真ん中辺り。そこに廃屋が点々としていることに変わりはない。だが、ジンオウガの攻撃によって倒壊した一部の廃屋の残骸は、そのまま残されていた。

「あれ、まだ残っているんですね。普段なら、ギルドの人が処理を行うのに」

 ヴァイスの視線から、その意図を読み取ったクレアが言った。

 狩場は区域別に分けられ、ギルドが管理している。ギルドは各狩場に人員を派遣させ、捕獲したモンスターの処理、拠点の整備なども行う。その一環として、狩場で障害物となり得る物を可能な限り撤去しようと努力をする。

 しかし、ジンオウガの一件でギルドも手一杯なのだろう。狩場の環境整備までは手が追い付いていないようだ。

「仕方ないな。この短時間でどうにかできるものでもない。狩猟中は注意しておけ」

「分かりました」

 ヴァイスは仲間に注意を促し、エリア5の位置する方向を向いた。

 以前は、エリア5でジンオウガと遭遇したのだ。今回もその可能性があるとして、ヴァイスたちはエリア5へ向かった。しかし、そこにもジンオウガの姿はなかった。

「外れか」

 だが、気を落とす暇など無い。ヴァイスたちはエリア5を抜けエリア6へ向かう。

 上流から降りてきた川がエリア上に流れているエリア6。水がエリアに存在し、かつそれが流れを成している。それだけで、ハンターの動きを制限するには十分な要素だった。

 できれば、このエリアでジンオウガと遭遇したくない。しかし、その思いが通じることはなかった。

 ヴァイスたちの前方。そこに、見覚えのある巨体がこちらに背を向け佇んでいた。

「ジンオウガ……!」

 改めてその姿を捉えると、自然と身体が震えてくる。誰もが、ジンオウガの強烈な攻撃の数々が脳裏を過った。

 しかし、ヴァイスは冷静に状況を判断し、クレアたちに指示を下す。

「俺が最初に斬り込む。クレアは俺の後に続き、グレンとソラは援護を頼む」

 三人が頷いたのを見て、ヴァイスは静かに動き出した。

 川の中を突っ切るのが一番効率が良い。だが、それではジンオウガに気づかれてしまう。ヴァイスは川の流れを避けるようにジンオウガに近づいていった。

 ちらりと背後の様子を窺う。クレアが少し距離を取りヴァイスに続いており、グレンが演奏体制に、ソラはブリザードカノンに弾丸を装填していた。

 準備はできた。自分が一撃を浴びせた瞬間、狩猟が始まるのだ。

 一歩、また一歩、ジンオウガとの距離を縮めていく。そして、あと数歩で太刀の間合いに入ろうかというところでヴァイスが動きを見せた。氷刀【雪月花】を鞘から引き抜き、足りない間合いを一気に詰め、その一撃を放った。

 氷刀【雪月花】の刃がジンオウガの甲殻を貫く。ヴァイスは更に斬撃を繰り出し、ジンオウガにダメージを負わせていく。

 ジンオウガもヴァイスの存在に気が付いた。振り返ると、ジンオウガはヴァイスを見下すかのように睨み付けた。

 また、懲りずにやって来たのか。ヴァイスには、ジンオウガの視線がそう物語っているように思えた。

 ヴァイスは動く。ジンオウガの注意を自分に向けさせつつ、間合いを取る。

 ジンオウガはその間合いを詰めようと一歩を踏み出そうとした。その寸前、後方に回り込んでいたクレアがアイシクルスパイクで斬りつけた。

「はあぁぁぁぁっ!」

 氷の刃がジンオウガの尻尾を捉える。

 ジンオウガは、標的をヴァイスからクレアに移した。クレアに背を向けたままジンオウガは大きく飛び上がる。

 この動きを見たクレアもすぐさま反応した。武器を納める暇がないと判断したクレアは前転をしてその場から退避する。遅れて、空中から振り下ろされた尻尾が地面を抉った。

 回避に成功したクレアはジンオウガから距離を取る。その穴を埋めるため、ソラが狙撃を開始した。

 ブリザードカノンは氷結弾の速射が可能だ。だが、この状況では、まだ氷結弾は温存しておくべきである。そのためソラはLv2通常弾を装填し狙撃を行った。

 銃口から放たれたLv2通常弾がジンオウガの胸部に命中する。その瞬間、ジンオウガの意識がソラに向けられた。クレアはこの隙を突き、ジンオウガに再び接近した。

 ジャンプして斬り込み、続けざまに斬撃を繰り出す。回転斬りが決まると、クレアはすぐさまジンオウガから距離を取った。

 そのクレアと入れ替わるようにヴァイス、グレンがジンオウガの懐に飛び込んだ。グレンは既に雷耐性強化【小】を発生させる演奏を終えていた。一旦は援護から攻撃に転じようということらしい。

 最初に一撃を与えたのはヴァイスだった。氷刀【雪月花】をジンオウガの左後脚に向かい斬りつける。一歩遅れて、グレンがヴァイスと逆の位置に回りセロヴィウノを叩きつけた。

「ウオオオオォォォォォォォォォッ!」

 しかし、ジンオウガは俊敏な体捌きで自身を取り巻くヴァイスたちから距離を取った。そして、低く身構えるかのような姿勢から一気に突進した。

 標的となったソラにグレンがいち早く警告を飛ばす。

「ソラ、狙われてるぞ!」

「分かっているです!」

 ソラもジンオウガの動きは冷静に見極めていた。狙撃を中断し、ブリザードカノンを肩に背負うと横っ飛びで突進をやり過ごす。

ジンオウガは突進が空振りに終わったことを気にも留めず、代わりに今度はヴァイスを標的とし動き出した。

 ジンオウガはヴァイスとの間合いを詰めると右前脚を持ち上げた。そして、力任せに振り下ろすと、続けざまに左脚を振り下ろしてきた。

 ヴァイスは自分がジンオウガに狙われていることを瞬時に察していた。事前に距離を取ろうと動いていたこともあり、ジンオウガの攻撃を無傷でやり過ごすことができた。

 だが――、

「しかし、これだと長続きしないな……」

 ヴァイスはジンオウガによって抉られた地面を見つめながら呟いた。

 と言うのも、ヴァイスはジンオウガが攻撃を繰り出すよりも以前に回避行動を取っていた。にも関わらず、ジンオウガの攻撃を避けるのにあまり余裕はないように感じられたのだ。つまり、ジンオウガが動いてから回避行動を取っては、回避が間に合わないということだ。

「チッ、何か打開策が必要だな」

 氷刀【雪月花】を鞘に収め、ヴァイスは後退する。

 そのヴァイスに代わって、クレアとグレンがジンオウガに接近した。互いに武器を抜き放ち、攻撃を開始する。

 一方、接近を許したジンオウガは尻尾を攻撃していたクレアに目を付けた。

 先ほどと同じように、ジンオウガはクレア目掛けて右脚を振り上げた。もちろん、その動きを見たクレアは距離を取ろうと後方へ回避行動を取る。一撃は何とか回避に成功する。だが、続けざまに繰り出されたもう一撃は回避できるほどの余裕が無かった。

「くっ!」

 そのことは、クレアも理解していた。

 クレアは瞬時に体制を立て直し身を翻した。そして、右手に構えた盾をほぼ反射的に突き出した。ここでは、紙一重の差でクレアに軍配が上がった。ジンオウガの振り下ろした左脚はアイシクルスパイクの盾に阻まれ、クレアを捉えることはできなかった。

 攻撃を完全に受け止めることは不可能で、クレアは若干ダメージを受けてしまう。しかし、その程度の傷は動きに害を及ぼすことなく、クレアはすぐさま後退した。

 ジンオウガは捕らえ損ねたクレアに追撃を加えようとする。だが、背後からヴァイスに攻撃を仕掛けられるとジンオウガの気は変わった。

 ジンオウガはヴァイスに向き直り頭突きを繰り出す。しかし、ヴァイスはそれを回避する。

「オオオォォォォォォォォォッ!」

 ジンオウガは、自分に敵対する者たちの中でヴァイスが最も厄介な存在だと認識したのだろう。ジンオウガはヴァイスを執拗に追い回す。

 距離を取ったヴァイスにジンオウガが飛び掛かる。だが、ヴァイスはこれを容易く回避して見せた。

 ジンオウガも逡巡としているわけではない。だが、そうでなくてもヴァイスを捕らえることは難しいと判断した。

 そこで、ジンオウガは再び標的を移す。今度は、遠距離から狙撃を行っているガンナー――ソラに目を付けた。

 一方、ソラは異変に気づき、すぐにでも動き出せるよう身構えた。そのソラの目の前でジンオウガは動いた。

 背中の蓄電殻が淡い光を帯びたかと思うと、そこから一発の雷光弾を繰り出した。

「やっぱり、あれはただの雷撃じゃない!」

 クレアは以前、この雷光弾が緩やかに進行方向を変えてくることに驚愕しダメージを受けてしまった。あの時は確信を持てなかったが、改めて見てみて分かった。

 あれは背中に集積させた雷光虫だ。ジンオウガは雷光虫を飛び道具として用いソラ目掛けて放ったのだ。

 ブレスが意志を持ったように、その雷光弾はソラに吸い込まれるよう進行方向を変えていく。

 だが、ソラも冷静だった。雷光弾の動きを見極めると横っ飛びを行った。これで難を逃れたとソラは思った。だが――、

「ガアアアアァァァァァァァァァァァァッ!」

 ジンオウガは、ソラの動きを先読みし動いていたのだ。ソラに接近したかと思うと、ジンオウガは空中に身を躍らせ反転し、そのまま尻尾を叩きつけた。

「っ!?」

 ソラもジンオウガのこの動きには意表を突かれた。無意識の内に身体が動くことを止めてしまう。

 だが、それも一瞬だった。ソラはその時、何も考えていなかった。しかし、頭では考えられなくとも身体は勝手に動いていた。以前、驚愕のあまり同じ攻撃を喰らったことを、その痛みを身体は覚えていたのだ。

 尻尾が地面を抉る寸前、ソラは横っ飛びを行っていた。まさに、間一髪の差で回避に成功したのだ。

「はぁ……、はぁ……」

 短時間でスタミナを消費してしまい息遣いが荒くなる。だが、ソラは身体に鞭打ちジンオウガから離れる。

 後退する間にソラが狙われぬよう他の三人がジンオウガに接近した。

 ジンオウガは早々にソラに興味を失ったようだ。代わりにグレンを正面に捉え突進する。

「くそっ!」

 重量のある狩猟笛を構えていると幾分と動きは衰えてしまう。グレンはセロヴィウノを背負わずに突進を回避する。そして、ジンオウガが追撃してこないことを確認すると演奏を開始した。

 自身を強化する演奏効果、移動速度UPとはじかれ無効を発生させる演奏を行った。これにより、グレンは攻撃面でも活躍できるようになることを狙っているのだろう。

 突進を終えたジンオウガが身を翻した。剣士の三人はジンオウガに接近しつつ、ジンオウガがどう仕掛けてくるか警戒した。

 呼吸を整えたソラは既にブリザードカノンを構え狙撃を開始していた。そして、ソラが弾丸を装填しようとした刹那、ジンオウガは動きを見せた。

 攻撃を仕掛けてくるのではない。ジンオウガは暗鬱の空に浮かぶ満月に向かって咆哮した。それを合図にジンオウガの身体が青白く発光していく。

「ウオオオオオオォォォォォォォォォォォォン!」

 ヴァイスたちだけではない。この空間にいる生物を、渓流を恐れ戦かせるかのような咆哮が響き渡る。木々は揺れ、風が騒めく。以前も体験したあの感覚が全身を走った――。

 その矢先、視界が真っ白に染まった。反射的に目を庇ってしまう。ジンオウガが一際強く発光したわけではない。

 この光は閃光玉だ。ヴァイスが閃光玉を投擲したのだ。

「冷静になれ。まだ、狩猟は始まったばかりだ」

 ヴァイスの一言で、それまで震えていた身体は嘘のように治まった。

「そうか。閃光玉か」

 グレンが納得したように頷く。

 ジンオウガは帯電行動を行う際、行動出来なくなるらしい。最も、これは最大の好機である。この隙を逃さずジンオウガの懐に飛び込み、一気に畳みかけるのも一つの手段だ。

 だが、ジンオウガが超帯電状態となった場合、逆にこちらが不利な状況に追いやられてしまう。ヴァイスはそれを避けるため、ジンオウガを超帯電状態へと移行させない――つまり、一気に仕留めるのではなく、より確実な方法でジンオウガの体力を削っていこうという魂胆なのだ。

「ガアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァッ!」

 視界を潰されたジンオウガが闇雲に攻撃を繰り出す。しかし、それがヴァイスたちに命中することはなかった。

「さあ、行くぞ」

 この時間もそう長くは続かない。ヴァイスは先陣を切って無茶苦茶に動き回るジンオウガに接近していった。後にクレアとグレンが続き、ソラが援護射撃を開始した。

 月下にジンオウガの咆哮が再び轟いた。



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EPISODE56 ~少女の想い~

「ウオオオオォォォォォォォォォォッ!」

 閃光玉で視力を失ったジンオウガが暴れまわる。迂闊に近づけば闇雲に振り下ろされる前脚の餌食になってしまうだろう。ソラは既に射撃を開始している。ヴァイスはジンオウガの背後に回り込み氷刀【雪月花】を抜刀した。

 上段から斬り、突き、斬り上げ、ジンオウガの真横に回り込むように移動斬りを放つ。そうしてその場に留まることがないよう立ち回る。

 遅れてクレアとグレンの二人も駆け付けた。やはり二人も慎重に立ち回っている。正面からは決して接近せず、無理のない動きを心掛けている。

 ジンオウガが閃光玉の影響から回復する。怒りに満ちた相貌がヴァイスたちを見下す。だが、怯まない。前転をして再びジンオウガの背後を取ったヴァイスが斬撃を繰り出す。そして、ヴァイスの作り出した隙をクレアとグレンが突く。

 だがしかし、ジンオウガは自身の一瞬の隙を反撃の好機と捉え身体を宙に舞い上がらせた。

「くそっ!」

 俊敏かつトリッキーな動きをするジンオウガの行動を先読みするのは難しい。観察眼の鋭いグレンであっても、その動きを頭の中で汲み取ることは容易ではない。

「ガアアアアアアアァァァァァァァァァァァッ!」

 空中から振り下ろされた尻尾が地面を深く抉る。無事に回避できた剣士の面々は再び接近することはなく、ジンオウガの様子を窺った。

 周囲を尻尾で薙ぎ払い地面に着地する。薙ぎ払いの影響が及ばない範囲まで後退していた三人が一気に肉薄した。

 深入りはしない。注意深く、慎重に立ち回ることを常に意識する。好機はいずれ訪れる。それを今は信じ、各々は武器を振るう。

 それは狙撃を行っているソラも同じであった。ガンナーの視点からなら、ジンオウガの動きをよく観察することができる。しかし、ジンオウガの動きに無駄は無い。それこそ、迂闊に接近すれば返り討ちにされてしまう。そのジンオウガを討伐するには、今は耐えなければならない。耐えて、好機を待つ。その好機をどう生かすかが狩猟の行方を左右する。ソラはそう思っていた。

「はああぁぁぁっ!」

 跳躍したクレアがジンオウガに斬りかかる。しかし、ジンオウガが動いたことにより狙いが逸れた。運悪くクレアの斬撃は尻尾に命中し、その一撃は弾かれた。

 ジンオウガはそれを見逃さない。体勢を崩したクレア目掛けて前脚を振り下ろした。

「くっ……!」

 身体が衝撃を覚悟するのよりも先に右手に装備していた盾を反射的に構えた。振り下ろされた前脚を何とか受け止める。そして、ジンオウガの追撃を振り切るためクレアは前転をして距離を取る。

「はぁ……、はぁ……っ!」

 身体が酸素を要求し、途端に喉の渇きを覚えた。やはり、片手剣の盾で攻撃を凌ぎ切るのは相当厳しい。まだ狩猟は序盤だ。攻撃を防ぐのではなく、回避することに徹する。それを意識しなければならない。

 スタミナの回復を待って、クレアは前線に復帰する。他の仲間たちの助けもあり、ジンオウガがクレアに追撃を仕掛けてくることはなかった。

 ジンオウガはヴァイスを標的にしたようだ。抜刀して動きの制限されているヴァイスをジンオウガが執拗に追い回す。突進や頭突き、あらゆる手段でヴァイスを追い詰めようとしている。

「チッ……、しつこい奴だ」

 さしものヴァイスも余裕はあまり無い。回避に専念しているため、スタミナの消費が激しいのだろう。

 このままでは埒が明かない。そう判断したヴァイスはジンオウガから逃れるのではなく、逆に肉薄した。そして、斬撃を放ちながらヴァイスは自分の立ち回りを保ってみせる。相手を翻弄しながら斬撃を繰り出す太刀。その理に適った動きでもってヴァイスはジンオウガと対峙しようというのだ。

 ヴァイスの思惑通り、ジンオウガはその動きに翻弄される。攻撃を躊躇ったジンオウガにヴァイスが更なる追い討ちを仕掛け、同時にクレアとグレンも加わった。

 正面でジンオウガの気を惹き付けたヴァイスは斬り下がりで距離を取る。それも、ジンオウガを誘き寄せるための行動であった。それに釣られたジンオウガが突進を繰り出す。肉薄していたクレアとグレンは、突進に巻き込まれぬようすぐさま距離を取った。

 ジンオウガは川の流れを突っ切るように疾駆する。そして、突進を終え身を翻したかと思うと、ジンオウガは再び天を仰いだ。

「ウオオオオオオォォォォォォォォォォォォン!」

 猛々しい咆哮が渓流に轟き渡る。その咆哮に釣られるかのように、ジンオウガの周囲を雷光虫が纏わり始めた。

「させるか!」

 確実にジンオウガを仕留めるためには、ジンオウガが超帯電状態になってしまうことはこちらにとって相当不利に働く。それを避けるためにグレンが閃光玉を投擲した。

 眩い光に遅れて轟くジンオウガの苦痛の叫び。光が治まり、煩わしげに首を振っているジンオウガの姿が目に入ってきた。

「よし!」

 だが、喜んでいる暇はない。既にヴァイスたちはジンオウガに向かっていった。グレンもすぐさまジンオウガとの距離を縮めていく。

 しかし、視力を失ったジンオウガの野性の勘は恐ろしいものだった。グレンが接近してくるのを先読みしていたかのように頭突きを繰り出す。咄嗟の判断で何とかグレンも回避に成功する。スタミナの回復を待つためグレンは一旦後退した。

「ガアアアアァァァァァァッ」

 ジンオウガが首を持ち上げて吠えた。どうやら、視力を取り戻したようだ。

「やはり、効果は薄れているな……」

 冷静な表情とは裏腹に、ヴァイスの声色はやや緊張の色を帯びていた。

 ジンオウガが唸りながらこちらに身体を向けた。その様子を見ていたヴァイスとクレアはジンオウガの足止めに掛かる。だが、ジンオウガはそれをすり抜け後退したグレンの更に後方、ソラとの間合いを詰めた。そして、身を翻したジンオウガがソラ目掛けて真っ直ぐ跳躍した。

「っ……!?」

 射撃を中断したソラが回避行動を取る。だが、続けざまに繰り出したボディプレスの影響で風圧が生じた。それに身体の自由を奪われたソラはジンオウガの追撃から逃れられなかった。小柄な身体は簡単に吹き飛ばされ、背中から地面に叩きつけられた。

「ソラさん!」

 アイシクルスパイクを抜刀したままクレアが閃光玉を投擲した。その隙にアイシクルスパイクを腰に納めソラの元へと急ぐ。

「くぅっ……!」

 自力で起き上ったソラの身体に激しい痛みが走った。ガンナーの防具の強度では、やはりジンオウガの攻撃を受けきるのは難しい。ソラがポーチから回復薬を取り出したところでクレアが駆けつけてくれた。

「ソラさん、大丈夫!?」

「は、はい。何とか……」

 クレアに返答しつつソラは回復薬を飲み干す。加えてもう一本回復薬の瓶を空にしてようやく身体が楽になってきた。

 心配しそうに見つめてくるクレアの顔を見てソラは申し訳なさそうな表情になる。

「すいません、わたしの不注意のせいで……」

「大丈夫だよ。それより、早くしないと」

「はいです」

 ソラも表情を引き締め直し首肯した。

 ジンオウガはヴァイスたちが注意を惹いてくれていた。だが、いくら彼らでもジンオウガの注意を一点に止めておくことは難しい。クレアは急いで前線へ戻る。

 そこに、ジンオウガから一旦距離を取ったヴァイスが近づいてきた。

「ソラは大丈夫か?」

「はい。回復薬も飲んだし、本人も大丈夫だって言っています」

「そうか」

 短く言葉を交わすとヴァイスは再びジンオウガとの距離を詰めていった。しばらくはこの状態を維持するつもりなのだろう。

「ガアアァァァァァァッ!」

 ジンオウガが顔を持ち上げて嘯く。そして、ヴァイスを踏み潰さんとばかりにジンオウガが飛び掛かった。

「くっ……」

 ヴァイスとしてもタイミングが悪かった。太刀の間合いに入る寸前に気配を察知され、斬撃を繰り出すとこはできなかった。だが、それが幸いしジンオウガの下敷きにならずに済んだ。

 その間にグレンとクレアがジンオウガに肉薄し、そして体勢を立て直したソラが援護射撃を再開した。

 ジンオウガは三人の攻撃から逃れるために身を翻し、そして天を仰いだ。

 その動きに瞬時に反応しクレアが二つ目の閃光玉を投擲する。今回も閃光玉は役割を果たし、ジンオウガの視力を一時的に失わせることに成功した。

 だが、ヴァイスとしてはこの状況は芳しくなかった。パーティー内で使用した閃光玉は既に四つ目。渓流には閃光玉の素材を持ち込んでいるため、調合で閃光玉を作ることは可能である。しかし、それを差し引いても、このまま閃光玉を使い続けては埒が明かず、いずれ閃光玉の数は底を付くだろう。

 どうするべきか。それを考える暇もなく、ヴァイスはジンオウガに走り寄り氷刀【雪月花】を引き抜いた。

 上段から斬りつけ、突き、斬り上げ、斬り下がる。四回放った斬撃全てがジンオウガの後脚に命中する。そうしてジンオウガの注意を自分に向け、他の三人はジンオウガに仕掛けてもらう。

「グアアアアァァァァァァァァァッ!」

 しかし、視力を失っているジンオウガもやられているばかりではない。無暗矢鱈に周囲を薙ぎ払い邪魔者を寄せ付けない。

 それから僅かな時間を置いてジンオウガが視力の視力が回復する。矜持に満ちた蒼瞳でヴァイスたちを睨み付ける。身近にいたグレンに急接近し、そして右脚を振り上げる。

「くそっ!」

 演奏効果の恩恵を受け普段よりも俊敏に動くことはできる。だが、やはりセロヴィウノを構えたままではその動きはかなり制限されてしまう。グレンはジンオウガがこちらに振り向いたのと同時、既に後退し始めていた。その甲斐あってグレンは何とか安全圏に到達した。

 ヴァイスとクレアはすぐさま反応しジンオウガに接近する。ソラも遠距離から援護する。それを確認したグレンは更に距離を取り演奏体勢を取る。そろそろ効果が切れると考えられる雷属性防御強化【小】を延長させるためだ。

 無事に演奏を終えた目の前でジンオウガが雷光弾を放った。その軌道上にいるのはソラであったが、ソラは問題なく対処したようだ。その隙にジンオウガに再度接近を試みる。

「りゃあぁぁぁっ!」

 その反対側からはクレアが斬り込む。

 ジャンプ斬り、斬り上げ、斬り下ろし、横一文字に薙ぐ。そして右手の盾で殴りつけ、回転した勢いを乗せ斬り払う。

「ウオオオオォォォォォォォォォッ!?」

 ジンオウガが驚いたように吠える。どうやらクレアの斬撃で怯んだらしい。その隙を突き、今度はグレンが攻撃を仕掛ける。

 左、右とセロヴィウノを振り回し、そのまま上段に振り上げ叩きつける。斬撃では通りにくかった尻尾の甲殻を弾かれることなく捉える。

「やっぱり、硬いな!」

 尻尾の先端にセロヴィウノを叩きつけた感触としては手応えは浅い。打撃でここまで手応えが感じられないとなると、尻尾の甲殻を貫くには相当な斬れ味を持つ武器ではならない。

 そして、その武器を持つ者はこの場でただ一人のみ。

「ヴァイスさん!」

 グレンが一旦後退し、入れ替わるようにヴァイスが斬り込む。

 ヴァイスの携える氷刀【雪月花】ならば尻尾の甲殻を貫くことが可能だ。ジンオウガの真後ろから接近したヴァイスが氷刀【雪月花】から斬撃を繰り出す。

「確かに刃は通る。だが……」

 ヴァイスは氷刀【雪月花】から伝わってくる感触を改めて実感し思った。

 ジンオウガの甲殻は硬い。特に、尻尾の先端の甲殻は群を抜いている。例え高い切れ味を持つ氷刀【雪月花】であっても、その刃が易々と甲殻を貫いているわけではなかった。

「ヴァイスさん、気を付けてくださいっ!」

 後方から射撃を行っているソラから警告が飛ぶ。無論、ヴァイスは瞬時に立ち位置を変えた。直後、飛び上がったジンオウガが尻尾でヴァイスが元いた場所を叩きつける。

 ヴァイスはその一瞬の隙を突き、再度ジンオウガの背後に迫った。そして、今度はジンオウガの尻尾の付け根辺りを狙い斬撃を放つ。先ほどはまた違う手応えがヴァイスの手に伝わってくる。やはり、ジンオウガの尻尾の先端はかなり硬い作りをしている。尻尾の切断を狙うなら、リスクを冒してジンオウガに接近する必要がありそうだ。

「ガアアアァァァァァァァァァッ!」

 突如、ジンオウガが走り始めた。しかし、その方向には誰もいない。ジンオウガは一旦このエリアから移動するようだ。川の中を突っ切りジンオウガはエリア2の位置する方へ姿を消した。

 そして訪れる静寂。それは今までの出来事が嘘のような静けさである。突然のことに茫然とし、やがて張りつめていた緊張の糸が途切れてしまう。

「はぁ……!」

 グレンが大きく息を吐いてその場に座り込む。クレアとソラも同様であった。だが、三人はそんな中でも体勢を整えることを忘れてはいなかった。武器に砥石を当て、あるいは弾丸の補充を行う。

 ヴァイスも砥石を取り出し氷刀【雪月花】の刃に当てる。そうして武器の切れ味を回復させ、携帯食料を半ば強引に胃に流し込んだ。そして、他の三人の様子を窺う。

 三人とも口を開こうとはしない。ただ無言のまま体勢を整えている。それを見たヴァイスが三人のいる方向に向かう。

「大丈夫か?」

 ヴァイスが問う。三人を代表してクレアが答えた。

「大丈夫です。まだまだ行けます」

 それを聞いたヴァイスは「そうか」とだけ言い、彼もまたそれ以上は口にしなかった。

 小休憩を挟みヴァイスたちはエリア2へと向かった。その道中ソラは狩猟が始まる前、拠点を後にした時のことを思い返していた。

 

 

 

「ソラ。ちょっといいか」

 拠点を後にしてからしばらくして、ソラは後方から声をかけられた。声の主はグレンである。

「なんですか?」

「俺は一つだけソラに質問したいことがあるんだ」

 どうしてこのタイミングで、とソラは疑問を持った。この状況で質問しなければならないことなのだろうかと思考を巡らせる。

「質問、ですか?」

 それと同時に、どんな質問なのだろうという思考が無意識に言葉を返していることに気が付いた。

 グレンはソラの言葉から一拍おいてその「質問」を口にした。

「ソラ、大丈夫か?」

「へっ……?」

 予想外の問いにソラは思わず素っ頓狂な声を出してしまった。幸いにも前方を行くヴァイスとクレアは気づいていない様子だった。

「えっと、大丈夫とは……?」

 相変わらず質問の意味が分からず困惑するソラ。だがグレンは、その真剣な表情を崩さす、そして迷いなく言った。

「さっきから気分が悪そうだ」

「えっ……?」

「渓流に入ってから何か様子が変に見えたんだ。顔色もあまり良くないように見えるし……」

 言われてソラは自分がそこまで気分が悪かったかどうかを思い返してみた。

 確かに普段に比べれば、あまり気分が良いとは言えない。だがそれは、これからジンオウガを相手にするからである。この狩猟は成功させなければならない。その重みをソラはひしひしと感じていた。気分が悪いと感じたのはそのためではないのだろうか。

 そして、ソラはグレンがどうしてこのような問いかけをしてきたか何となく理解してきた。

 出発前グレンは言った。力を貸してくれ、と。もしかしたら、その言葉のせいで自分が無理しているのではと心配しているのだろう。それ以前にもグレンとの間には色々とあった。そのため、そのような勘違いしてしまっても不思議ではない。

 グレンの真剣な面持ちが若干曇る。それを見て、ソラは僅かに微笑んでグレンに答えた。

「わたしは大丈夫です。ちょっと緊張しているだけです」

 それを聞いたグレンは表情を和らげた。

「そうか。でも、辛くなったら無理をしないで俺やヴァイスさん、クレアを頼ってほしい。余計なことを聞いて悪かったよ」

「いえいえ、大丈夫です」

 それから二人は言葉を交わすことは無かった。

 実際この時、ソラは緊張から気分が優れないのだろうと思っていた。だが、ジンオウガと再び対峙した今ならはっきりと理解できる。

 自分は今、無理をしている。無理をしてここに立っている。それはグレンに促されたためではない。自らの意志で再び渓流にやって来た。

 もう、逃げてはならないと思った。逃げてしまえば、もう二度と取り戻せない気がした。周りの人たちが勇敢に立ち向かうというのに、自分だけが逃げるのは嫌だった。

 だから、ここにいる。ジンオウガを討伐するため。ユクモ村を守るため。そして、弱い自分に打ち勝つため。自分の意志で再び立ち向かうことを決意した。

 ならば、もう後ろは振り返らない。この狩猟を仲間たちと共に達成し、そして少しでも強くなれればそれで良かった。

 例えこの狩猟が最後であったとしても、自分と向き合い、自分を認めることができるのならそれで良いと思った。

 だからこそ。だからこそ、この狩猟は成功させたい。否、成功させなければならない。

 こうしてモンスターと真っ向から対峙するのは辛い。だが、そんな自分を支えてくれた仲間たちがいる。その仲間たちに報いようとするならば、自分は今できる精一杯のことをしなければならない。

 それが今、自分のすることのできる唯一の恩返しなのだから。

 

 

 

「いたぞ」

 ヴァイスの声ではっと我に返る。

 ここはエリア2。剥き出しの岩肌と崖に挟まれるような場所である。そして、そこにはジンオウガが佇んでいる。

 既に準備は整っている。先頭のヴァイスが振り返ると、他の三人は無言で頷いた。それを合図にヴァイスが先陣を切ってジンオウガの背後から接近する。その後を追うようにクレアとグレンも続いた。そして、ソラは射程距離にジンオウガを捉えブリザードカノンを構えた。

 迷いはあるか。そう問われ、完全に迷いが無いと肯定する決意は自分には無いのかもしれない。だが、ソラはその思いを振り払うようにブリザードカノンの引き金を徐に引いた。



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EPISODE57 ~蒼の衝撃~

 ブリザードカノンの銃口から放たれたLv2通常弾が着弾したのを合図に、ヴァイスがジンオウガに斬り込んだ。一歩遅れ、クレアとグレンもジンオウガの側面に回り込んだ。

 しかし、側面に回り込んだ二人が攻撃をしかける寸前ジンオウガは後退した。そして、ソラの真正面に背を向ける形でジンオウガは唸りを上げた。

「ガアアアアァァァァァァァァッ……!」

 静かな闘争心をその瞳に宿し、ジンオウガはヴァイスたちを威嚇してきた。それはまるで、その程度では自分を仕留めることは不可能だ、と見下しているようでもあった。

 だが、ヴァイスもその挑発には乗じない。ソラが後退したのを確認すると、大胆にも正面からジンオウガに向かっていく。ジンオウガの繰り出す攻撃を掻い潜り、一瞬で背後に回り込む。そしで氷刀【雪月花】を抜刀し尻尾に向かって斬撃を放つ。

 大胆な動きを見せたヴァイスに驚かされたものの、クレアとグレンの二人も再度ジンオウガに接近を試みる。互いに逆方向から接近し、同じタイミングでもって各々の武器を振り下ろした。

「てりゃあっ!」

「はあぁっ!」

 クレアは右後脚に向かってアイシクルスパイクを振るい、グレンは左前脚に向かってセロヴィウノを叩きつけた。

 纏わりつく三人のハンターを蹴散らそうとジンオウガは一歩を踏み出した。だが直後、ジンオウガはその三人からあっさりと興味を失うことになる。

 ジンオウガが動きを見せようとした直後、頭部に三発の弾丸が立て続けに撃ち込まれた。それはジンオウガが嫌う氷属性を帯びている弾丸であった。ジンオウガは弾丸が飛来してきた方向を睨み付ける。

 そこには一旦後退して体勢を立て直したソラの姿があった。ソラはLv2通常弾から氷結弾へと弾丸を変更したのだ。氷結弾の速射が可能なブリザードカノンの本領をここで発揮するつもりなのだ。

 ソラは構わず引き金を引いた。放たれた三発の氷結弾全てが、その存在を誇示する角に命中した。

「グルルルル……」

 煩わしげにジンオウガが首を振る。そしてジンオウガはソラ目掛けて、緩慢な動きでもって突進を開始した。射撃を的確に命中させるソラの存在を厄介だと感じたのだろう、徐々にその速度を速めていく。

 ブリザードカノンを肩に背負い、ソラは緊急回避を行い突進を回避する。

 だが、ジンオウガも執拗にソラを追う。突進が回避されてもお構いなしに身体の向きを変え、背中から二発の雷撃を放った。緩やかな弧を描きながら、うち一発の雷撃はソラ目掛けて飛来する。

「っ……!?」

 体勢を整えられていないソラには雷撃の進路を見極める余裕が無かった。

 このままでは、回避は間に合わない。体勢を立て直すよりも先に雷撃がソラの身体を吹き飛ばすだろう。

 そうして衝撃を覚悟しようとしたソラの目の前に何かが割り込んだ。刹那、鋭い金属音が響いたのと同時、無理やり進路を変えられたのであろう雷撃がソラの目に入った。雷撃は岩壁に着弾し、光屑を撒き散らしながら呆気なく弾け飛んだ。

「ソラさん、大丈夫!?」

 突然の出来事にソラの頭は理解が追い付かなかった。目の前に割り込んだクレアが声を掛けてきたとき、初めてその状況を理解した。

 クレアは雷撃の進路上に自ら割り込み、雷撃を盾で防ぐことによってその進路を捻じ曲げたのだ。かなりの荒技ではあるものの、直感の冴えるクレアでこそ成せる技だった。

「はい、わたしは大丈夫です」

「そう、なら良かったよ」

 クレアも何事もなかったような振る舞いでソラ答えた。

 雷撃を外したジンオウガは、ソラから興味が失せたようだ。纏わりつくヴァイスとグレンを標的に定める。

「クレアさん。その、えっと……、ありがとうございます」

 こういう時、クレアにどのような言葉をかけるべきかソラには曖昧だった。辛うじて口にできたのは、クレアに対するお礼の言葉だった。

「大丈夫だって。仲間だから当然だよ!」

「仲間、だから……」

 ソラはその言葉の重みを噛み締める。

 クレアは何も言わずにジンオウガに向かっていく。その姿を見たソラもブリザードカノンを構え直し、射撃を再開する。

 ソラの援護を受け、クレアがジンオウガの背後から斬り込む。尻尾に向かってアイシクルスパイクを抜き放ち斬撃を放つ。無論、尻尾の先端部に斬撃が命中してしまえばアイシクルスパイクの刃は弾かれてしまうため、クレアは尻尾の付け根辺りを集中して狙った。

 一方、ヴァイスは先ほどから時折、大胆な動きを見せるようになった。リスクを冒しジンオウガの懐に飛び込み、狙いづらい二対の角に向かって氷刀【雪月花】の軌跡を走らせた。

「ゴアアアァァァァァァァァァァッ!」

 ジンオウガもやはり、大胆な動きを見せるヴァイスに気を取られる。右前脚を持ち上げ振り下ろし、すぐさま逆脚で同じように地面を叩きつける。

 ヴァイスもその攻撃を掻い潜るが、深追いしている分だけその動作にはあまり余裕が感じられなかった。いや、むしろその立ち回りは、他の人から見れば危険にも思えたのだ。

 だが、ヴァイスは気にしない。なぜならば、彼は冷静だったからだ。ジンオウガがどのように動き、その動きに対しどのように対処するか。そのことを意識しつつヴァイスは立ち回っている。

 実際、この時のヴァイスは自分自身を試していた。ジンオウガの動きに対し、自分がどれほど対処仕切れるのか。その余裕を見極めるためにヴァイスは敢えてリスクを冒すような立ち回りをしているのだ。

「はっ……」

 斬り下がって一旦間合いを取ると、ヴァイスは短く息を吐き出した。

 正直なところ、楽な状況とは言えない。いや、大型モンスターを相手取る際に楽な場合など存在しないことはヴァイスも承知している。だが、ジンオウガの場合には、更に過酷な状況に追い込まれているのだ。

 前回の経験もあり、ヴァイスはジンオウガの動きに慣れてきた。だが、ヴァイスだけがジンオウガの動きに慣れても意味は無い。同行する仲間に的確な指示を出さなければならないのだ。

 おそらく、ヴァイスがクレアたちに的確な指示を出すことはできるはずだ。彼女たちもヴァイスの指示に沿って動けるだろう。

 しかし、この状況が長引けばそうはいかなくなる。まだクレアたちは超帯電状態となったジンオウガの動きに付いていけない。ジンオウガが超帯電状態に移行すれば、こちらの消耗は著しく加速するだろう。そうなる前にジンオウガを討つという手もないわけではない。

 だが、それでは駄目なのだ。

 ヴァイスは単独であっても、ジンオウガを討伐できるほどの技量と知識を持ち合わせているのは事実だ。だが、それに縋ってジンオウガを討伐しては、ヴァイスがクレアたちと共に狩猟する意味が無くなってしまう。

 強くなりたい。その想いはクレアもグレンも、そしてソラも抱いている。ならば、その想いを抱く三人にとって、このジンオウガという存在は非常に大きな壁なのだ。そして、その壁を越えた先に見えてくるものが必ずあるはずなのだ。

 だから、ヴァイスはその()()()をする。三人が目の前に立ち塞がる大きな壁を越えるためにヴァイスは彼らに手を貸している。

 無論、現在の状況下で、このような悠長なことを言っていられる場合ではないことをヴァイスは理解している。だからこそ、ヴァイスは「最後の手段」を行うことも視野に入れていた。ヴァイスがリスク冒すことのもう一つの意味は、仮に「最後の手段」を行うことになった場合のためでもあった。

「……よし」

 ヴァイスは氷刀【雪月花】を握り直しジンオウガに向き直る。攻撃の際に生じた一瞬の隙を突き、ヴァイスはジンオウガの死角に入り込んだ。そして、上段から氷刀【雪月花】を振り下ろす。

 斬りつけ、突き、斬り上げ、移動斬りで立ち位置を変える。それと同時にグレンが一旦後退したのがヴァイスの目に入った。ヴァイスは追撃を行うことを諦めグレンの元へと向かった。

 肩を上下させ、やや呼吸が荒れているものの、グレンはジンオウガに食い下がっている様子だった。少憩を入れるグレンの元にヴァイスがやって来る。

「辛そうだが、大丈夫か?」

「ええ、これくらい、どうってことないですよ」

 そう言ってグレンは不敵に笑って見せる。

 見たところ、グレンは無理をしている様子はない。だが、念には念を入れてグレンに忠告をする。

「だが、無茶は禁物だ。しばらくはグレンも様子見のような形で立ち回ってくれ」

「分かりました」

 会話を終え、ヴァイスは再びジンオウガの元へと走っていく。呼吸を整えたグレンもヴァイスの後に続く。

 ヴァイスはジンオウガの後方から接近を試みていた。だが、ジンオウガも目敏い。ヴァイスの気配を感じ取るとすぐさま向き直り、そして前脚を振り下ろした。

 その攻撃を見定め、ヴァイスは回避行動を取る。同時に、その動きはグレンへの援護でもあった。背中を向けたジンオウガの元にグレンが駆けつける。深入りはせずに、尻尾に向かってセロヴィウノを叩きつけた。

「ウオオオォォォォォォ……」

 ジンオウガは一旦後退し、煩わしそうにヴァイスを睨み付けた。

 やはりジンオウガも、向かってくる四人の中でヴァイスが最も厄介な存在だと認識しているのだ。ヴァイスの相手の気を器用に惹き付ける立ち回りは、ジンオウガにとっても厄介極まりないだろう。

 だが、ヴァイスも逡巡と立ち回っていられるわけではない。自ら行動に迷いが現れれば、ジンオウガはその一瞬の隙に確実に付け入れてくる。気が抜けないのは両者も同じに違いないのだ。

「っ……!」

 ヴァイスが先に動く。開いてしまった距離を一気に縮めようとする。ヴァイスの動きに乗じて、別方向からクレアとグレンも距離を縮める。

「ウオオオオオオォォォォォォォッ!」

 ヴァイスの他にも接近してくる者の気配を感じ取ったジンオウガが周囲を薙ぎ払う。異変に気付いた三人は動きを止め、薙ぎ払いの範囲外でその攻撃を見送った。

 宙に身を躍らせたジンオウガが地面に着地したと同時、三人は各々の武器を抜き放ち、攻撃を繰り出した。

 その動きは、ガンナー視点から見ていたソラには無駄の無いように見える。ソラは前衛の三人とジンオウガの様子に気を配りつつも、着実に自分の仕事をこなしていた。そしてソラの放った氷結弾によって、ジンオウガが一瞬怯んだようにその身を仰け反らせたのだ。

「ガアアアアアァァァァァァァァァァァッ!?」

 今まで薄れていた現実味が、ここに来てようやく感じられるようになってきた。少しずつではあるものの、確実にジンオウガを追い詰めているという実感がようやく掴めたのだ。

「よし!」

 グレンが手応えを感じたように頷く。

 初めて見せたジンオウガの弱みに、クレアたちの士気も上昇していく。

 ヴァイスが最初に飛び込み、クレアとグレンが後に続く。ヴァイスは尻尾の付け根に狙いを定め斬撃を放つ。クレアとグレンは用心深く後脚を狙った。遠距離からはソラの射撃が行われる。

「ガアァァァァァ、ガアアァァァァァッ!」

 ジンオウガも押されるのではなく、更に興奮してきたのか咆哮する。

 身を翻した後、三人まとめて吹っ飛ばそうとボディプレスを繰り出してくる。位置的にクレアとグレンが巻き込まれそうな状態であったが、クレアは衝撃で生じた風圧を盾でガードし、グレンも辛うじて風圧の影響が及ぶ範囲外に免れた。

 前転回避で距離を取ったヴァイスにジンオウガが追い打ちを仕掛ける。瞬時にヴァイスを正面に捉え頭突きを行った。

 ヴァイスも素早く周囲の状況を把握した。既に体勢を立て直したクレアとグレンがジンオウガに肉薄しているのがヴァイスの視界に入ったのだ。ヴァイスは再度ジンオウガを惹き付けるような動きで距離を取る。そして、飛び掛かってきたジンオウガを回避し、その隙を突いて前脚に氷刀【雪月花】を振り下ろした。

 手に伝わってくる感触は薄い。だが、ヴァイスは氷刀【雪月花】を振るう手を休めようとはしない。

 後方からはクレアとグレンが攻撃を行い、ソラの射撃も的確にジンオウガの角に命中していた。

 そんな中、ジンオウガは唸るように咆哮し三人から距離を取るように身を翻した。そして、ヴァイスたちに背を向け走りだす。

「もうエリア移動するつもりなのか?」

 グレンが予想していなかったとばかりに口を開く。

 だが、ヴァイスはグレンの言葉をすぐさま否定した。

「いや違う。あれは……!」

 ヴァイスが全てを言い切る前にジンオウガが動きを見せた。

 エリアを移動するかと思われたジンオウガは突然その動きを止め、代わりに天を仰いだ。その動きが意味するものは一つであった。

 異変に気付いたヴァイスが瞬時に反応し、ジンオウガの後を追った。他の面々も後に続く。だが、既に距離が広がりすぎていた。背を向けているジンオウガに閃光玉は通用しない。今回ばかりは成す術が無かった。

「くそっ!」

 グレンが舌打ちした直後、鼓膜を突き抜けるかのような咆哮が渓流に轟いた。そして、その姿を目の当たりにしたグレンの表情が焦りから驚愕のそれへと変化する。

「超帯電状態……」

 あの時。最初にジンオウガに挑んだ時。

 全く歯が立たなかった奴が。

 今、目の前にその姿を再び現した。

 蒼雷をその身に纏ったジンオウガがこちらを蔑視するように睥睨する。

 その姿に誰もが背筋をぞっとさせた。それほどジンオウガの印象は、威圧感は凄まじいものだったのだ。

 だが、ヴァイスは。ヴァイスだけは氷刀【雪月花】を抜刀したまま、ジンオウガの姿を冷静に窺っていた。そして、ヴァイスは振り返ることなく口を開いた。

「……立ち止っているだけならば、何も変わりはしないさ」

 そう言って、ヴァイスは単身ジンオウガへと向かっていく。

 すぐさま冷静さを取り戻したクレアがグレンとソラに声を掛ける。

「グレンさん! ソラさん!」

「ああ、分かってるよ」

「任せてくださいです」

 ヴァイスの後を追ってクレアとグレンも超帯電状態となったジンオウガに接近を試みた。

 ソラは弾丸を氷結弾から、残り僅かとなったLv2通常弾へと再び変更した。スコープを覗き込んで微調整をし、引き金を引く。弾丸はヴァイスが斬りかかったと同時にジンオウガの胸部に命中した。

 ヴァイスは前脚に斬り込む。だが、すぐにジンオウガとの距離を取り様子を窺う。

 ジンオウガはヴァイスではなく、接近してくるクレアとグレンに狙いを定めた。背中が青く発光したかと思うと、計四発の雷撃がそこから放たれた。

 一発や二発ならまだしも、四発の雷撃の進路を瞬時に見極めることは困難であった。グレンは横っ飛びで何とか回避し、クレアは盾で二発の雷撃を防いだ。

 しかし、ジンオウガの動きは止まらない。まだ体勢を立て直していないグレンに急接近し、そこからサマーソルトを繰り出す。雷を帯びた鞭のように薙ぎ払われた尻尾にグレンが餌食となる。

「ぐはっ!?」

 受け身を取る余裕もなく、背中から地面に叩きつけられる。他の面々がジンオウガの気を惹き付けることに成功し、グレンが追撃を喰らうことはなかった。

 しかし、身体を起こしたグレンはすぐに身体の異変に気付く。

「うっ……、身体が痺れる……」

 これが雷属性やられだと理解した時には、既に口にウチケシの実を口に運んでいた。加えて応急薬も使用しようとするが、ジンオウガがこちらに向かって突進してくるのを確認したため、グレンはその場所を離れた。

 セロヴィウノで奏でられる雷属性強化【小】は、重ねがけすることで雷属性を無効化できる。事前にそれは奏でておいたはずだが、タイミングが悪い時にその効力が切れてしまったらしい。

 自分のミスを心の中で反省しつつも、グレンは体力を回復した後、セロヴィウノを構えて演奏体勢に入る。

 一方、ヴァイスとクレアはジンオウガの後を追う。しかし、ジンオウガはすぐさま身を翻し前脚でクレアを殴り飛ばそうとする。回避が間に合わないと判断したクレアは右手に装備した盾でもって、その打撃を防ごうとした。

 続けざまに三度ジンオウガが前脚を振り下ろす。地面を抉ると同時に雷が迸り、それを盾で防ぐクレアのスタミナを根こそぎ奪っていく。クレアは何とか凌ぎ切ったものの、続けて繰り出されたショルダータックルを防ぎきることができず吹っ飛ばされてしまう。

「くぅっ……」

 クレアは受け身をとることに成功し、何とか衝撃を和らげる。

 ジンオウガに目を向ければ、既にヴァイスと回復を終えたグレン、ソラが援護をしてくれている。クレアは応急薬を一本飲み干し体力を回復した。体勢を整えたクレアは再びジンオウガに向かっていく。

 そのクレアの姿がソラの目に入った。ソラは狙いを胸部から頭部に変更した。より激しくなった動きの中、頭部に射撃を集中させることは難しい。何発かは命中しんかったり、角度が悪く弾き返されたりしたものの、ジンオウガの注意をこちらに向かせるには十分であった。

 狙い通り、ジンオウガは肉薄してくる剣士の面々ではなくソラに関心を移した。その場所から勢いよくソラ目掛けて飛び掛かる。だが、ソラも今回は冷静に対処し無事に回避に成功する。

 ジンオウガの背後から接近したヴァイスが尻尾に向かって斬撃を放つ。今回は深入りせず、注意深くジンオウガの様子を窺いながら氷刀【雪月花】を振るった。

 ジンオウガもヴァイスが背後に回ったことは察していた。反転して空中から尻尾を振り下ろし、ヴァイスを叩き潰そうとする。ヴァイスは寸前に移動斬りを繰り出し立ち位置を変えていたため回避できた。近くにいたクレアやグレンも巻き込まれずには済んだようだった。

 しかし、立て続けに繰り出した薙ぎ払いに対応できなかったグレンは吹っ飛ばされる。クレアも回避は間に合わず、間一髪ガードしたという状態だった。

「一旦体勢を立て直すべきか」

 ヴァイスは氷刀【雪月花】を振るう手を休めそう判断した。そして、氷刀【雪月花】を鞘に納め閃光玉を投擲する。閃光玉が無事に仕事を果たしたことを確認すると、ヴァイスは三人に声を掛けた。

「一旦体勢を立て直す。エリア1に向かうぞ」

 その言葉に渋々ながらも三人は頷いた。

 ソラは最後に、弾丸をペイント弾に変更した。ブリザードカノンの銃口から放たれたペイント弾は無事にジンオウガに命中した。

 ペイントの臭気が徐々に強まっていく中、ソラとジンオウガの様子を窺っていたヴァイスは先に移動したクレアとグレンを追ってエリア1へと急いだ。



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EPISODE58 ~消耗戦~

 ヴァイスとソラがエリア1に滑り込んだ時、既にクレアとグレンの二人は体勢を整えようとしていた。

 険しい表情をした二人を横目に、ヴァイスとソラも一旦小休憩を入れる。ヴァイスは氷刀【雪月花】の切れ味を回復させると同時に携帯食料を口に運ぶ。ソラは残り僅かとなったLv2通常弾を調合して補充する。

「やっぱり、手強いですね……」

 誰も口を開こうとしなかった中、クレアがその沈黙を破る。それを合図にソラも重たい口を持ち上げる。

「はい。でも、ここで諦めるわけにはいかないのです」

「うん、分かってる。分かってるよ……」

 クレアはその言葉を自分に言い聞かせているように見えた。

 ジンオウガという存在はクレアたちにとって非常に大きな壁だ。彼女が、その存在に怯みそうになっている自分を何とか保とうとしているのが、ヴァイスにはよく分かった。

「安心しろ。奴がいくら手強い存在だとはいえ、着実に追い込んではいる。奴の動きに慣れることができれば、後は自分の経験と知識を信じて挑むのみだ」

 ヴァイスの言葉に他の面々が無言で首肯する。

 ヴァイスの言う通り、いくら苦戦を強いられているとはいえ、ジンオウガを追い込んでいることは確かな事実である。ジンオウガに喰らい付き、一瞬の隙を突く。言葉に表せば地味だが、リスクを伴う立ち回りをしなければならないだろう。だが、それを続ければジンオウガを討伐できる。ヴァイスはそう確信していた。

 クレアだけではない。グレンもソラも不安を覚えているのはヴァイスも理解している。その一抹の不安を和らげようとヴァイスも気を遣う。

「これからは使える物は全て使っていく。罠や爆弾の数は十分だ。それらを上手く利用して、ジンオウガの体力を一気に削る」

 幸い今回は罠や爆弾を多めに持ち込んでいる。ジンオウガの気を惹き付けることは極めて難しいだろうが、上手く誘導して罠や爆弾が機能すればジンオウガに大きな痛手を与えられる。

「クレアとグレンは落とし穴を、俺はシビレ罠を持っていく。タイミングは各自に任せる。ここぞという時に罠を仕掛けてくれ。ソラは引き続き援護を頼む」

「分かりました」

 三人を代弁してグレンがヴァイスに同意する。

 ヴァイスが拠点に戻り罠と爆弾を乗せた荷車を牽いて持ってくる寸前、ペイントの臭気がエリア2から移動した。その間に、グレンがセロヴィウノの音色を奏で旋律効果を重ねがけした。

「……奴が移動したようだな。さて、行くぞ」

 演奏を終えたグレンとクレアが落とし穴を起動させる円形状の装置を背中に担ぎ、シビレ罠をヴァイスが担ぐ。荷車を牽引するのもヴァイスが買って出た。

 四人が向かったのはエリア4。どうやらジンオウガは、エリア2の崖を飛び降りてここまでやって来たらしい。超帯電状態のまま、ジンオウガがエリアの中央に佇んでいる。

 ソラがLv2通常弾を装填したのを確認すると、剣士の面々はジンオウガの背後から接近する。そして、真っ先に太刀の間合いに入ったヴァイスが先制する。

 氷刀【雪月花】の刀身がジンオウガの尻尾に一閃する。しかし、ジンオウガは泰然とした様子で身を翻し、ヴァイスを睥睨する。ヴァイスはジンオウガを誘き寄せようと後退していく。

 ジンオウガは後退していくヴァイスとの距離を少しづつ詰めていく。そして、ジンオウガが動きを見せようとした瞬間、その間隙を縫ってクレアとグレンの二人がジンオウガの後方に攻撃を仕掛けた。その前方からはソラが狙撃を開始する。

 剛健な肉体と甲殻を持つジンオウガであっても、研いだばかりのアイシクルスパイクとセロヴィウノの一撃を防ぐことは不可能だ。思いもよらぬ二人の一撃にジンオウガは一旦後退する。

 だが、尚も挟撃するような形で立ち回る二人をジンオウガは煩わしく思う。尻尾で薙ぎ払おうとしたものの、その時には既にヴァイスが正面から斬り込んで来ていた。

「グアアアァァァァァァァァッ!」

 それならばとジンオウガも動く。

 三人の包囲網から身軽な体捌きで脱出して間合いを取ると、遠距離から雷撃を四発放つ。

 雷撃は三人を的確に狙った軌道だった。ヴァイスとグレンは辛うじて雷撃の進路から後退し、回避が難しい位置にいたクレアは盾でガードして雷撃を防いだ。

 だが、ジンオウガはそれを狙っていた。ガードして身動きの取れなくなったクレアとの間合いを瞬時に殺すと、ボディプレスを繰り出しクレアを押し潰そうとした。しかし、クレアも冷静に判断し、ボディプレスも何とかガードし耐え凌ぐ。

 クレアは後退し、入れ替わるようにヴァイスとグレンが肉薄する。

 ジンオウガの注意が自分から逸れたことを確認すると、クレアは抜刀したままポーチの中に手を入れる。そしてポーチの中から強走薬を一本取り出した。

 以前、ヴァイスとジンオウガの対策を練っていた時、彼が提案したのがこの強走薬だった。

 ジンオウガの熾烈な攻撃の数々を片手剣の盾で受け止めることは難しい。完全に勢いを殺しきれない上、スタミナを浪費していくばかりである。そこでヴァイスは、強走薬でスタミナの消耗を抑え、ジンオウガの攻撃を避けるのではなく、あえて盾でガードする策を提案したのだ。

 クレアはおもむろに強走薬の入った小瓶を飲み干す。すると、今まで感じていた疲労が嘘のように消えていた。

「よし、これなら大丈夫!」

 クレアは改めてジンオウガの姿を見据える。

 サマーソルトを繰り出そうとしたジンオウガから、肉薄していたヴァイスたちが後退しようとしていた。

 クレアはヴァイスたちよりも早くジンオウガに一撃を決めようと動く。ソラが援護してクレアから気を逸らしているうちに、ジンオウガの背後に回り込んでアイシクルスパイクを振り下ろす。

 ジンオウガがクレアの存在に気が付く。クレアは攻撃を中断すると右手に装着した盾を突き出した。それから間を置かず、ジンオウガが前脚を勢いよく振り下ろした。

 押し流されようとする身体を懸命にその場に踏み止めさせつつも、ジンオウガの攻撃を全て受け流す。普段ならスタミナが底を付いて後退することもままならないが、今回は別だ。強走薬のおかげで、ジンオウガの攻撃を全て受けきっても問題なく後退できる。

「ガアアアアアァァァァァァァァァァッ!」

 予想外の動きを見せたクレアに、さすがのジンオウガも苛立ちを覚えた。

 動きに躊躇いを見せたジンオウガの隙を突き、ヴァイスが後方から斬り込む。尻尾の切断を図ると同時に超帯電状態の解除を狙う。そうしなければシビレ罠を仕掛けても意味が無いからだ。

 側面からはグレンと、一旦後退したクレアが再び肉薄する。二人ともアイテムや狩猟笛の旋律効果の恩恵を受け、その動きは俊敏だった。超帯電状態のジンオウガを相手取っても、二人は何とか食い下がっている。

 一方、三人に包囲されたジンオウガは身を翻し突進の体勢に入る。それが命中することは無かったが、ジンオウガは自身の矜持を保つかのようにこちらを威嚇する。向こうもまた、そう易々とはくたばってくれない。

 アイシクルスパイクを腰に納めたクレアがいち早く接近を試みる。ジンオウガはそのクレア目掛けて飛び掛かった。彼女を拿捕し、そのまま喰らうつもりなのだろう。

 この攻撃を盾でガードしてもジンオウガに捕らえられる可能性がある。そう判断したクレアは緊急回避を取り、ジンオウガをやり過ごす。事前にアイシクルスパイクを納刀していたことが幸いした。身体をすぐさま起こすと、クレアはジンオウガの様子を窺おうと後退した。

 クレアと入れ替わるようにヴァイスが斬撃を繰り出す。それを見たグレンが動きを見せる。

「俺は落とし穴を仕掛ける。ソラは続けて援護を頼む!」

「了解です!」

 落とし穴を仕掛けるには、いわんやジンオウガの気を他の面子で惹きつける必要がある。そして現在、ジンオウガの注意はヴァイスに向けられている。

 ヴァイスなら上手く立ち回ってくれるはずだ。そう確信してグレンは落とし穴を仕掛けるためにエリアの中央へ急いだ。

 グレンの動きを見て、ヴァイスとクレアも彼の意図を悟る。ヴァイスはジンオウガの正面に躍り出て、頭部に生える角に斬撃を集中させる。クレアもヴァイスを援護しようと、後方からアイシクルスパイクを振るった。

 ソラの援護射撃も受けて、何とかジンオウガの気を惹き付け続けることに成功する。しばらくして、ヴァイスとクレアの後方からグレンの呼ぶ声が聞こえてくる。

「よし、何とかなったな」

 声のあった方向に一瞬目を移したヴァイスが言う。

 見たところ、グレンは罠の設置に加え大タル爆弾Gを積んだ荷車も近くまで牽いてきていたようだ。短時間で、グレンは自分のできる最大限の仕事をこなして見せた。

「クレア。お前は先に行ってくれ」

「はい。後はお願いします!」

 ジンオウガはヴァイスとソラに任せ、アイシクルスパイクを腰に納めたクレアは設置された落とし穴を目指した。

 そんな中、ヴァイスは尚もジンオウガの注意を惹き付け続ける。ソラの援護も見事だが、剣士一人でジンオウガの注意をこちらに向かせ続けるのはさすがである。

 少しずつ、少しずつヴァイスは後退していく。無論、ジンオウガを惹き付けながら。

 そしてジンオウガが突進の体勢に入ったのを見計らい、ヴァイスが移動斬りで突進の進路から外れる。突進が不発に終わったジンオウガは、身を翻そうと大きく一歩を踏み出した。だがその瞬間、ジンオウガの踏みしめた地面がいとも簡単に崩れ落ちる。グレンの仕掛けた落とし穴に掛かったのだ。

「よし! このまま大タル爆弾Gを!」

 事前に大タル爆弾Gを仕掛けることは確かに可能だった。だが万が一、ジンオウガの放った雷撃の流れ弾が大タル爆弾Gに命中してしまえば爆発し、他に仕掛けた爆弾も誘爆してしまう。

 無駄な動きのように思えるが、ジンオウガが落とし穴に掛かってから大タル爆弾Gを仕掛けるのが今回は得策だ。クレアとグレンがジンオウガの頭部周辺に大タル爆弾Gを計四つ設置する。

「ソラさん、お願いします!」

 大タル爆弾Gを設置し、爆風の範囲外に後退したクレアが合図を出す。ソラは彼女の言葉に無言で頷き、ブリザードカノンの引き金を引いた。

 銃口から放たれたLv2通常弾が大タル爆弾に命中する。刹那、響き渡る爆音と立ち上る火柱。黒煙の向こうから轟く、ジンオウガの惨苦の咆哮。それはヴァイスたちに、今までにない手応えを覚えさせた。

 黒煙が晴れ、ようやくジンオウガの姿が現れる。

 爆発の影響で、ジンオウガの二本の角のうち右角が先端から折れていた。先程までの超帯電状態も解かれ、その姿は幾分衰退したようにも思える。

「やった!」

 まだ、狩猟が終わったわけではない。しかし、ジンオウガをここまで追い詰めているのだという実感は、確実に強いものへとなった。

 落とし穴からようやく脱出したジンオウガは、息切れをおこしながら疲弊したように鳴き声を上げる。ここに来て、蓄積したジンオウガの疲労が限界に達したのだろう。

 呼吸を整えたジンオウガがエリアを後にしようと方向転換した。だがソラが、ジンオウガの眼前に閃光玉を投擲しその動きを制止させる。

「今のうちに、一気に追い込むのです!」

「ソラさん、ナイス!」

 この絶好の好機を逃してはならない。誰もがそう思い、疲労して緩慢な動きとなったジンオウガに畳みかける。

 ヴァイスはジンオウガの真正面に陣取り氷刀【雪月花】を振り下ろす。残ったもう一本の角を破壊するつもりなのだ。一方クレアは尻尾の切断を狙ってアイシクルスパイクを、グレンは左後脚に向かってセロヴィウノをそれぞれ振るった。

 ソラも弾丸を氷結弾に変更し、ジンオウガの右前脚を集中して引き金を引き続けた。

 閃光玉の効果が消え、ジンオウガが反撃を開始しようとする。だが、今一度左後脚にセロヴィウノが叩きつけられた瞬間、ジンオウガの身体が崩れ落ちた。ここでも、溜まっていた疲労が露わになった。

「ガアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァッ!?」

 疲労している中、ジンオウガは必死に体勢の立て直そうとするがなかなか上手くいかない。

 ソラ以外の剣士三人は立ち位置を変え、ジンオウガに再び肉薄する。部位破壊までには至らなかったが、この短時間で大きな痛手を与えることができたはずだ。

 ようやく体勢を立て直したジンオウガがヴァイスに飛び掛かる。こちらを捕食するつもりなのだろうが、単調な動きとなった今ではヴァイスもそれを回避することは容易い。そこから体勢を立て直すのにもジンオウガは時間を要し、その間に再び剣士の三人が肉薄した。

「ウオオオオォォォォォォォォォォッ!」

 身を翻し、何とか包囲網から脱出したジンオウガは雷光弾を放つ。だが、その雷光弾の威力も衰えていた。通常では二発、超帯電状態にもなれば四発放ってきたその雷光弾は、疲労状態の今では一発を放つのが精一杯の様子だった。

 雷光弾の進路上にいたのはグレンだったが、その攻撃は何度も見てきた上、現在では雷光弾の数さえもが減少している。こちらも容易に回避できた。

 グレンはその後後退し、セロヴィウノを構えて演奏体勢に入った。

 先程エリアを移動する際に演奏したばかりだが、ジンオウガの動きに隙が多くなった今に演奏しておいた方が後のためだ。万が一のことも考えられる。ここでは雷耐性強化【小】を重ねがけし、雷属性やられを無効化できるようにした。

 ボディプレスが不発に終わったジンオウガは、頭を項垂れさせてその場で動きを止めてしまう。超帯電状態で余程スタミナを消耗させていたのだろう。今までの激しい動きからは考えられない姿である。

 無論、こちらの消耗も確かに激しい。だが、ここで攻撃の手を緩めるわけにもいかない。ヴァイスはソラが狙撃している反対側、左前脚に狙いを定め氷刀【雪月花】を振り下ろす。

 冷気を帯びた一閃が、ジンオウガを再度怯ませる。しかし、今回はジンオウガも何とかその場に止まって見せた。そして、反撃に転じようとヴァイスに向き直った。

 ヴァイスが斬り下がりを繰り出して後退した直後、ジンオウガが左前脚を振り下ろした。だが、ヴァイスが事前に後退していたこと、そしてジンオウガが疲弊していたこともあり、続けて繰り出した右前脚もヴァイスを捉えるまでには至らなかった。

 そこにクレアとグレンの剣士二人が仕掛け、立ち位置を変えたソラがブリザードカノンを構えスコープを覗き込んだ。

「はぁ……、はぁ……っ!」

 ガンナーだとは言え、ソラの疲労もかなり蓄積していた。いや、剣士である三人の疲労の方が大きいのはソラも理解しているつもりだ。だが、それでも疲労が――特に精神的疲労は大きかった。

 今はそうでもないが、先程まであれほどトリッキーな動きをしていたジンオウガに対し、狙った一部分に狙撃を行うのは凄まじい集中力を要していた。それだけならまだいいかもしれないが、ジンオウガの動きに合わせ、剣士三人も忙しく立ち回る。

 ここでのガンナーの役目は援護。しくじれば仲間を危険に晒すこととなる。そして、仮にも誤射を起こしてしまった場合、誤射によるダメージは防具がある程度は防いでくれるだろうが、それによって生じた隙にジンオウガに付け入れられてしまう。

 ジンオウガの威圧。狩猟による肉体的、精神的疲労。そして何よりも、この狩猟を絶対に成功させなければならないという決意。

 様々な要素がソラの身体を蝕み、かつ今にも立ち止まってしまいそうなソラを動かしている。ソラが受けている負担は、前衛として立ち回る三人のそれと比べてもかなり大きなものだった。

「っ!?」

 氷結弾を再装填しようとしたソラは前転回避でその場から退く。いつの間にかこちらに狙いを付けていたジンオウガが突進して来ていたのだ。

 今は無駄な事は考えてはいけない。そう自分に言い聞かせ、体勢を整えたソラがブリザードカノンを再び構える。

 スコープを覗き込んで照準を合わせ、引き金を引く。速射した氷結弾は狙い通りジンオウガの右前脚に命中した。

 同時に、ソラの反対側からヴァイスが、ジンオウガの後方からクレアとグレンが接近していくのがスコープ越しに見て取れた。

 ジンオウガは後退しようと試みるが、ヴァイスの放った一撃が左前脚を捉えた刹那、その部分の甲殻と爪を弾き飛ばした。

「ウオオオオォォォォォォォッ!?」

 ジンオウガは悲鳴を上げ、何とかその場から退く。しばらくはその場に佇んでいたジンオウガであったが、突如としてその身体を疾駆させた。向かって行ったのはエリア7の方向だ。不利な現状を何とか脱し、加えて消耗したスタミナを回復させようという目論みなのだろう。

 もちろん、ここでジンオウガを逃すことは痛い。クレアも閃光玉を投擲しようとしたが、既にジンオウガはこちらに背を向けてしまっていたためその動きを止めてしまう。

 ジンオウガは四人の追撃を振り切り、エリア7へと立ち去ってしまう。しかし、これまでにジンオウガを大きく追い詰めることができたのは事実だ。現状で悲観することはないはずだ。

 各々が回復薬で体力を回復したり、砥石を使用して武器の切れ味を回復させる。ソラも残り僅かとなった氷結弾とLv2通常弾の調合を行う。調合素材の方も僅かではあったが、それなりの弾数を確保することができた。まだ手付かずで残っている貫通弾もあるため、弾丸が底を付くということはないはずだ。

「三人とも、一つだけ確認しておきたいことがある」

 他の面々が体勢を整えたのを見計らい、ヴァイスが口を開いた。

「ジンオウガを捕獲するためには、まだかなり体力を削る必要があるだろう。今のようにエリア7で落とし穴を仕掛け、一気に畳みかけるという手もある」

 一旦言葉を区切り、ヴァイスは三人の表情を窺う。そうしてから、再び言葉を紡ぐ。

「だが、奴を最終的に捕獲すると考えた場合、超帯電状態では残ったシビレ罠を使用することはできない。超帯電状態を解除しようにも、その以前にどちらかの消耗が限界に達するだろう。そこでだ。俺は次のエリア7でシビレ罠を仕掛け、一気に畳みかけようと思う」

「確かに、ヴァイスさんの言う事は一理あります。確認というのは、そのことですか?」

 事前に取り決めておき、後に行動に移した方が効率良く動けることは確かだ。だが、シビレ罠を仕掛けるという話が、グレンにはヴァイスの言う提案には思えなかったのだ。

 一方ヴァイスも、グレンの予想通り首を横に振る。

「シビレ罠が超帯電状態のジンオウガに効かないのは先日話した通りだ。だが、もし仮に、超帯電状態でないジンオウガをシビレ罠に仕掛けられたとしよう。その場合、ジンオウガは仕掛けたシビレ罠からも雷光虫の電力を受け取ることが可能なはずだ」

「……つまり、シビレ罠にジンオウガが掛かったとしても、その代償に超帯電状態になってしまう、ということですか?」

 気遣わし気に結論を導き出したグレンに「そこまでは言っていないさ」とヴァイスが肩を竦める。

「シビレ罠に使用する雷光中の電力は、ジンオウガの超帯電状態の電力に比べてもかなり微力だ。シビレ罠一つで超帯電状態になるようなことはないだろう」

 ジンオウガを追い詰める手段は何通りかある。だが、そのうちの一つである落とし穴を捕獲のために使用するならば、次に候補に挙がるのはシビレ罠だ。

 ジンオウガを捕獲するためには、まだまだ体力を削る必要がありそうなのはヴァイスも言った通りだ。長期戦を覚悟で安全策を執るか。リスクを承知でジンオウガを追い詰めに行くか。ヴァイスは三人に、その諾否を問っているのだ。

「このまま長期戦になっても、私たちの体力も底を付く可能性がありますよね……」

「ああ。それに、いくらリスクがあるとは言え、シビレ罠を仕掛けて爆弾で体力を一気に削る方が確かに効率が良い。まだ超帯電状態のジンオウガに食い付くことだってできる」

 クレアとグレンが互いに意見を述べる。

 ヴァイスはちらりとソラの方に目をやる。彼女も、無言ながらも頷いてくれた。それは承認の首肯と捉えていいだろう。

「決まったようだな」

 ヴァイスが短く息を吐き出しながら言う。考えていることは、この場にいる誰もが同じだった。

「何度も言うが深入りと慢心は禁物だ。冷静になって動けばジンオウガの動きに付いていくことは可能だ。さあ、行くぞ」

 ヴァイスの呼びかけに三人が頷く。

 残った大タル爆弾Gを乗せた荷車をヴァイスが続けて牽き、その前方を三人が行く。

 どちらの消耗が先に限界に達するか。ここからは我慢比べになる。それぞれが疲労を感じつつも、クレアを先頭に四人はエリア7へと急いだ。



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EPISODE59 ~空穿つ蒼雷~

 四人がエリア7に辿り着いた時には既に、ジンオウガがエリア内にいたガーグァを捕食していたようだった。その場に佇み、まるで四人を待ち構えていたかのように睥睨する。

「俺はシビレ罠を仕掛ける。三人は援護を頼むぞ」

 三人は頷き、クレアとグレンがジンオウガを惹き付けるために躍り出た。ジンオウガも、最初に動きを見せたその二人をターゲットとした様子だ。

 一方、ソラはジンオウガの背後を取ることに成功し、Lv2通常弾を装填したブリザードカノンの引き金を引く。

 ヴァイスはその三人の様子を窺った後、ようやく仕事に取り掛かる。

 エリア7のおよそ半分は、茂みのように生えた背の高い草木が一帯を占めている。シビレ罠を仕掛けるには見通しが悪いため好都合かもしれないが、そこに爆弾を仕掛けるとなると話は別だ。爆発の影響で、周りの草木に引火してしまっては大変な惨事である。

 そのためヴァイスは、敢えて茂みの無い場所を選びシビレ罠を設置する。落とし穴とは違い、その場に仕掛けて作動させるだけでシビレ罠の設置は終了する。その様子を、三人はジンオウガを相手取りながらも確認していた。

 先程と同じように、ソラが巧みに援護を続けつつ、剣士の二人がジンオウガを徐々にシビレ罠へと接近させていく。そしてタイミングを見計らい、二人が散開する。直後に繰り出したショルダータックルは不発に終わり、加えてシビレ罠に足を取られてしまう。

「ウオオオオオォォォォォォォォォォッ……!?」

 突然身体の自由が利かなくなったことに、さしものジンオウガも動揺の色を見せた。だが、すぐさまシビレ罠から抜け出そうと激しくもがき始めた。

 そのうちにヴァイスも大タル爆弾Gを二つ設置する。クレアとグレンも互いに一つずつ大タル爆弾Gを仕掛け、計四つの爆弾をジンオウガの頭部付近に設置する形になった。

 ソラは弾丸をLv1通常弾に変更し、スコープ越しに覗いた大タル爆弾Gに照準を合わせ引き金を引いた。

 再び爆音が轟いた後、しばらくしてシビレ罠が爆ぜる音が聞こえてきた。どうやら頭部の左角を破壊させることは出来なかったようだが、代わりに右前脚の部位破壊に成功したようだ。

 苦痛の表情を浮かべつつ、ジンオウガは後退する。茂みの中に足を踏み入れ、月だけが輝く暗夜の空に吠えた。

「ウオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォン!」

 その突如、ジンオウガの周囲が発光し始める。茂みの中では、多くの雷光虫から電力を受け取ることが可能なのだろう。猛々しく咆哮するジンオウガに応えるように、その光は一段と強くなる。

「チッ……!」

 閃光玉を投擲できる位置にまで移動したヴァイスが、すぐさまジンオウガの動きを止めにかかった。閃光玉はその仕事を果たしたのだが、ジンオウガの背中が青白い光を帯びていた。今しがたの帯電行動で、それなりの電力を得ることができたのだろう。

 ヴァイスはそのままジンオウガの背後に回りこみ、氷刀【雪月花】を鞘から抜き放つ。しかし、その直後にジンオウガは僅かに身体の向きを変える。それだけならまだいいが、ジンオウガは誰かを狙ったわけでもない薙ぎ払いを繰り出した。太刀を振るう手を早々に止め、後退しようと試みていたヴァイスに薙ぎ払われた尻尾が掠める。

「ぐっ!?」

 回避を諦め、事前に衝撃に備えていたのが功を奏した。衝撃で身体は吹っ飛ばされたものの、受け身を取ってダメージを最小限に抑える。

「師匠、大丈夫ですか!?」

 同じく後方から接近を試みていたクレアがヴァイスの元へと駆けつける。ヴァイスは「平気だ」と土埃を払いながら立ち上がる。

「すまない。俺の誤算だ」

 身体の具合を確認しつつもクレアの言葉に答える。

 痛みは然程感じられない。この程度の傷なら回復薬を使用するまででもないと速決する。

「そういうこともあります。大丈夫ですよ!」

「……ああ、そうだな」

 僅かに表情を緩めながらヴァイスは答えた。

 だが、それも一瞬だ。一人前に出て、視力を取り戻したジンオウガの攻撃をやり過ごしているグレンの援護に駆けつけようと二人は急いだ。

 ヴァイスは今一度、ジンオウガの背後から接近する。今しがた不発に終わったヴァイスの一撃が、今回は狙い通り緩慢に揺れ動く尻尾に一閃される。それだけでなく、先程のお返しと言わんばかりに続けざまに斬撃を繰り出しつつ、ジンオウガを牽制する。

 しかし、いつまでもジンオウガが大人しくしているわけではない。背後で立ち回るヴァイスの動きを正確に読み取り尻尾を振り下ろす。精密に狙った一撃は、しかしヴァイスを打ち捕らえることが出来なかった。ジンオウガがどのような動きを繰り出し、どのような被害を被るか。ヴァイスも既にそれを解している。

 ヴァイスを見切ったジンオウガは再び後退する。また帯電行動を行うつもりなのだ。

「くそっ……!」

 グレンが舌打ちする。

 またしてもジンオウガは、エリアの地形を上手く利用して帯電行動を行う。加えて、先程蓄積させた電量も多分なものだったらしい。一際強くジンオウガが咆哮した刹那、その身体が青白い光を帯びる。再び超帯電状態へと移行したのだ。

 そのジンオウガの姿を見た面々が苦渋な表情を浮かべる。だが、ヴァイスは違った。

「今までだって奴に食い付いてこれたんだ。今更尻込みしても意味はないさ」

 依然冷静さを保ったままヴァイスが言う。

「……ええ、そうですね!」

 その言葉に、クレアが物怖じした様子も無く答えて見せる。

 もう一方的に追い込まれるわけではない。今までだって、ジンオウガには食い下がってこれたのだ。ならば、今度こそ。それは誰もが心に思っていることだった。

「よし」

 全員の様子を一瞥したヴァイスが氷刀【雪月花】を鞘から抜き放ち先行する。リスクを伴う提案をしたのは自分なのだから、とヴァイスは囮役を買って出たのだ。

 再び正面に現れたヴァイスを身の程知らずな奴だとでも思ったのか、ジンオウガはそのヴァイスを狙う。

 蒼雷を帯びた右脚を高く持ち上げ、そして勢いよく振り下ろす。これを回避したとしても、次の一撃で確実に捉えられてしまう。しかし、ヴァイスにはそれをガードする術が無い。

 ――ならば、やはり回避するしかない。ヴァイスの思考は、瞬時に判断を下した。

 右脚が地面を抉り飛ばす寸前、氷刀【雪月花】を抜刀したままヴァイスは前転回避をする。だがそれは、ジンオウガから距離を取るのではなく、振り下ろされた右脚を文字通り潜り抜けるように回避した。そう、ジンオウガの死角に潜り込むことで攻撃をやり過ごすという荒技をヴァイスは成功させたのだ。

 死角に入り込まれ、ジンオウガも続く一撃を繰り出すのが若干遅れた。ヴァイスは冷静にジンオウガの動きを見極め、続けざまに繰り出された左脚、右脚の一撃も同じように掻い潜り回避して見せた。

「す、凄い!」

 攻撃をやり過ごしたヴァイスが反撃に転じたのを見て、グレンが思わず賞賛の声を上げる。

 回避する方法が思いつかなかったあの攻撃を、ヴァイスは一瞬の判断の中で隙を見つけ回避を成功させた。

 いや、これは恣意的な判断による行動ではない。ヴァイスはずっとジンオウガの動きを注意深く観察していた。その中で、あの攻撃をどのように対処するのか、その段取りを組み立てていたに違いない。

「……ッ!」

 瞬時に体勢を立て直したヴァイスは氷刀【雪月花】を上段から振り下ろした。そこでジンオウガが一瞬怯み、その隙を突いて立ち位置を変えたクレアとグレンが再び肉薄する。グレンは大胆にもジンオウガの正面に陣取り、ジンオウガを気絶させるつもりらしい。

 ジンオウガの攻撃を再び掻い潜ったヴァイスが、尻尾を狙って気刃斬りを放つ。しかし、気刃大回転斬りで一気に畳みかけようとしたヴァイスは、その意志とは正反対にジンオウガから距離を取った。

 ――空気が変わった。

 今までになく張り詰めた雰囲気を、ヴァイスは身体で感じ取った。ぴりぴりと、それこそ痺れを覚えるかのような感覚。そして、ヴァイスが無意識のうちに執った行動が意味するものは、それが途轍もなく危険な信号だったということになる。

 同じように後退したジンオウガが佇んでいる。いや、ただ佇んでいただけなら誰もが不振に思う程度だった。だが、違う。ジンオウガの身体は蒼く――まさしく蒼雷を帯びていた。その姿を見たヴァイスでさえもが息を呑んだ。

「ウオオオオオオオオォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

 轟いたのは猛々しく、聞いた者全てを恐怖させる咆哮。そのあまりの大きさに、近くにいたクレアとグレンは耳を塞ぎ込んでしまう。

 余韻が残る中、ジンオウガは離れた場所にいたソラを睥睨した。

「……っ!?」

 その瞬間、ソラは言葉を失った。そして、その威圧感に身体が束縛される。

 それほどにまで。目の前に突然現れたジンオウガのその姿は衝撃的で、胸の内から込み上げてくる恐怖を感じたのだ。

「……ついに、怒ったか」

 静かに、ヴァイスはそう呟いた。

 ティガレックスがそうであったように、怒りによって爆発的な力を発揮したり、感情的になってハンターに向かってくるモンスターもいる。

 だが、ジンオウガから感じる雰囲気は、ティガレックスのそれ以上のものだった。

 ――もう逃がしはしない。確実に息の根を止めてやる。

 獲物を狙うハンターの怒りの眼が、四人を睥睨していた。無双の狩人と恐れ戦かれるジンオウガが、遂に本当の姿を現したのだ。

「くっ!」

 身体の自由を取り戻したクレアとグレンがすぐさま後退しようとした。ジンオウガはその二人に目を付け、地面を蹴った。

 今までとは比べ物にならない速度で二人の行く手を遮る。そして、そこから瞬時に体勢を立て直したジンオウガが身体を舞い上がらせ、前方を尻尾で薙ぎ払った。

「くぅっ!?」

「きゃぁっ!?」

 二人の身体が呆気なく吹っ飛ばされる。互いに何とか立ち上がろうとするものの、二人の受けたダメージはかなりのもののようだった。身体を上手く動かせていない様子だ。

 そんな二人がジンオウガに狙われては危険なのは見ての通りだ。とにかく今は、二人には後退し回復してもらわなければならない。ヴァイスは一人、ジンオウガに挑む。

「ガアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァッ!」

 目の前に現れたヴァイスを鬱陶しく思ったか、ジンオウガもヴァイスを追い回す。

 ヴァイスの方も、ジンオウガの僅かな隙を突いて斬撃を繰り出しつつ、繰り出される攻撃を回避していた。しかし、連続で振り下ろされた前脚の一発にヴァイスも吹っ飛ばされる。

「ぐっ!?」

 前のめりに吹っ飛ばされてしまったため、衝撃を完全に受け流すことは出来なかった。だが、それでも咄嗟に身体が動き最小限のダメージを受けただけで済んだ。

「くっ、タイミングが合わなかったか」

 自身を苛むようにヴァイスが舌打ちする。

 やはり、ジンオウガの動き一つ一つが先程とは比べ物にならないほど強力に、かつ高速になっている。ヴァイスもそれを考慮して回避行動をした。だが、ジンオウガはヴァイスの想像以上の動きを見せたために回避が間に合わなかった。

 受けたダメージも大きい。先程受けたダメージも蓄積し、身体に影響が及ぶかもしれない。ここは素直に回復した方がよさそうであった。

 しかし、ヴァイスは寸でのところでその動きを止めた。否、ある光景が視界に入った途端、無意識に動きを止めてしまった。

 ソラが、動かない。

 別に回復薬を使っているわけでも、弾丸を変更しているわけでもない。ただその場に、茫然と立ち尽くしていた。

 無論、ここは狩場だ。そんな所でこのような大きな隙を見せては、そこに付け入れられるのは誰もが理解しているはずだ。だが、ソラは動かない。動こうとしない。

「ソラさん!」

 回復を終えたクレアも思わずと言った様子で声を上げる。その声でようやく我に返ったのか、ソラは後退しようとする素振りを見せた。

 だが、ジンオウガは既に動いていた。今までまるで動き出す様子が無かったソラに対し、計四発の雷光弾を繰り出す。判断が遅れたために回避が間に合うわけがなく、ソラはうち一発の雷撃に吹き飛ばされる。

「くそっ!」

 このままではソラが危険である。グレンはすぐさまそう判断し、吹き飛ばされたソラの元へ向かおうとした。

 しかし次の瞬間。グレンは異変に気が付く。

 地面が、蒼く光っている。これは雷光虫の光でも、もちろん月明かりでもない。

 一体、何が起こっているんだ。思わずそう言おうとしたグレンの背後から、ヴァイスが警告の声を張り上げた。

「今すぐ退け!」

 それが何を意味するか理解する間も無く、グレンはヴァイスに言われるがまま後退する。

 刹那、今しがたグレンのいた場所がより一層輝いたかと思うと、上空を一筋の蒼い光が貫き、地面に“何かが落ちて”きた。

 驚きのあまり、グレンも言葉を失う。だが、思考が回復してグレンは脳裏にある似たような光景を思い出す。そう、それは正しく――、

「なっ、今のは落雷なのか!?」

 グレンが驚愕の声を上げる。

 そう、目の前に落ちてきたそれは落雷そのものだった。思い返してみても、今目撃した光景が信じられない。突如地面が光ったかと思うと、そこに落雷が落ちてきた。綺麗に抉り取られたかのように地面に空いた穴が、その衝撃の凄さを物語り、そして落雷を繰り出したのがジンオウガだということを裏付けていた。

「でも、一体どうやって――」

 そう言おうとした直後、グレンは絶句した。

 虚空を貫き落ちてくる落雷は一発ではなかった。ジンオウガの周辺から広範囲にまで幾筋もの落雷が、まるで雨のように降り注いだ。

 そして、そのうちの一発が。

 空気をも揺るがす咆哮と共に放たれた落雷の一発が。

 蒼雷が、ソラの身体を穿った。

「なっ――!?」

 その瞬間、誰もが言葉を失った。

 落雷に直撃したソラはゆっくりとその場に崩れ落ち、それからぴくりとも動かない。

 余った電力を自身の身体から放出するかのような動きを見せた後、ジンオウガは低く唸って見せた。その様子は如何にもこちらを蔑み、そこからは強者の余裕さえも感じられた。

「くっ!!」

 堪りかねたグレンがジンオウガに突っ込んでいく。その光景を見ていたヴァイスも、その表情を顰めてクレアに指示を出す。

「クレア! お前はソラを!」

「は、はいっ!」

 そうしてヴァイスも全力で駆け出す。閃光玉を投擲して、ジンオウガの視力を奪うつもりだった。

 だが、ジンオウガも動き出す。ヴァイスの魂胆を察して後退したというよりは、未だに体勢を立て直せていないソラに止めを刺すつもりのようだ。

 ここからまた距離を詰めたとしても間に合わない。クレアも位置が悪い。ソラもようやく立ち上がったが、そこから動けないでいる。そのソラに、ジンオウガが徐々に接近してくる。

「――っ!!」

 もう、駄目だ。ソラも自由の利かない身体を無理に動かそうとすることは、そこで止めてしまった。

 だが、諦めかけていたその時、地面を踏みしめる足音が聞こえてきた。普段なら聞こえないような足音が、今では鮮明に聞こえてきた。何故だろう。そんな事は分からなかった。だが、それは別にどうでもよくなった。

 何故なら、いつしかその足音は、別の音へと変わったからだ。

「おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 聞こえてきたのは雄叫び。それを理解した直後に響き渡る鈍い衝撃音。続けざまに、ジンオウガの咆哮が轟いた。

 一体何が起こっているのか理解が追い付かない。ソラは顔を上げ、目の前の様子を確認した。

「あぁっ……」

 視界の先に、グレンがいた。彼は一人ジンオウガに突っ込み、正面からセロヴィウノを叩きつけたようだった。

 普段の彼なら考えられない、無謀とも言える行動。だが彼は、そんな無謀な行動を執ってまでも、ジンオウガの気を逸らせようと――。

 いや、そうではない。

 ソラを、助けるために。

 彼は、グレンは窮地に追いやられたソラを救うために、決死の覚悟でジンオウガに単騎で挑みかかったのだ。グレンのその意志が、強大な存在――ジンオウガにも打ち勝ったのだ。

「あああ……っ」

 力無く、ソラはその場に崩れ落ちる。直後、ヴァイスが閃光玉を投擲した。やや遅れて、ソラの元にクレアが駆けつける。

「ソラさん、大丈夫!?」

 クレアの問いに、ソラは答えることが出来ない。

 この短時間で、様々なことが起こった。それを理解し、受け止めることが不可能だった今のソラには微塵の余裕さえも無いに等しかった。

 すると、クレアはソラを立ち上がらさせ、彼女に肩を貸す。

「今からエリアを移動するから。ソラさん、歩ける?」

 クレアの言葉に何とかソラは頷いて、二人は連れ立ってゆっくりと歩き出した。

 その間、クレアは後ろを振り向こうとはしなかった。それは、クレアがヴァイスを、グレンを信用しているからこそだった。

 背後から聞こえてくるのはジンオウガの咆哮。二人の声は届いてこないものの、それでも彼らが懸命にジンオウガを足止めしているのは感じられた。

 未だにソラの思考は混乱している。加えて、受けたダメージもかなり大きなものだった。それはクレアも理解していた。

 残ったヴァイスとグレンの二人は、怒り状態となったジンオウガを懸命に押え込んだ。二人とも軽い傷こそ負ったものの、大事に至るものではなかった。

 その二人のおかげもあって、ソラはエリア7から無事に離脱することに成功した。ヴァイスとグレンも、先に離脱した二人を追ってエリア7を後にした。



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EPISODE60 ~希望という名の翼~

「はぁ……、はぁ……。何とか、なりましたね……」

「あぁ……」

 近くの岩場に凭れ掛かりながら、ヴァイスとグレンは呼吸を整えていた。二人とも肩を上下させており、防具も埃塗れになっていた。表情にも、かなり疲労の色が現れている。

「でも、あの二人も無事に逃れてくれたみたいで何よりです」

 グレンの言葉にヴァイスは「全くだ」と同意する。

 ヴァイスとグレンは、大きなダメージを負ったソラと、その彼女を無事に退避する手助けをしたクレアの二人を別のエリアに逃すべく、今までジンオウガを惹き付けていた。グレンの言う通り、幸い二人は無事に逃れられたらしく、残ったヴァイスたちも今はエリア6へとやって来ていた。

 今までの激闘がまるで夢だとも思えてしまうほど、エリア6は静寂していた。月の明かりさえ、今は雲に阻まれ差し込んでこない。唯一特殊なのは、先程投擲したペイントボールの臭気が微かに漂っていることくらいだ。それらが、言いようもない不気味さを辺りに醸し出している。

 そんな中グレンがやや躊躇いがちに口を開いた。

「突然どうしたんでしょうね、ソラは……」

 グレンの問いかけに、ヴァイスもしばらくは答えようとはしなかった。

 それはヴァイスには、グレンの口ぶりから察するに、彼もまたある程度は分かっているようにも思えたのだ。どうしてソラが、突然動きを止めてしまったのかということを。

 グレンは、ヴァイスの回答を催促するようなことはしなかった。だがやがて、木々の合間から再び月がその姿を覗かせた時、ヴァイスはようやく口を開いた。

「……それは、俺が言うべきことではないだろうな。おそらく、彼女自身から聞き出すべきだ」

 言葉を選ぶようなヴァイスの返答にグレンも「そうですか……」とだけ答えた。

 グレンも改めて理解した。やはり、これはヴァイスからではなく、本人の口から切り出してくれるのを待つしかない。だからこそ、ヴァイスは闇雲な憶測を口に出すのは避けたのだろうと。

 ヴァイスが身体を起こすと、グレンもそれに倣う。そして、今一度周囲を見渡してみた。

「二人は、拠点に戻ったんでしょうか」

 目視していた限りでは、クレアとソラの二人もエリア6に向かっていったはずだった。この場に二人の姿が無いとなれば、一旦拠点へと戻ったことは容易に想像が付く。

「おそらくな。ここに留まっていてもジンオウガがやって来る可能性も否めない」

 ヴァイスも周囲を警戒するように一瞥し、それから拠点へ向かう道を進み始めた。

 グレンもヴァイスの後を追って拠点へ向かって歩き出す。その足取りは、仕舞いにはグレン自身でも驚くほど早歩きになって、拠点に続く道を急いだ。

 

 

 

 拠点へ帰ってきた時、再び辺りが薄暗くなったように感じた。空を仰ぐと、そこにあった金色の満月が暗鬱な雲に覆われてしまっていた。今夜は満月だけあって、余計に辺りが暗闇に包まれたように感じてしまう。それがグレンを更に落ち着かなくさせていた。

 急かす気持ちを何とか抑え、二人はようやく拠点へ辿りついた。そこに置かれている篝火が遠目に見えてくると、その隣に自分たちの帰りを待つクレアの姿もまた見られた。

 彼女にもこちらの姿が確認できたのだろう。こちらに走り寄ってきた。

「良かった。二人とも、大丈夫そうで何よりです」

 肩を上下させつつも、クレアは安堵した表情を浮かべる。だがその表情も、今は曇り気に見える。

「俺たちは大丈夫だよ。今はそれよりも――」

「はい、分かってます」

 クレアも頷き、ゆっくりとした歩調で三人は歩き出す。その途中、クレアはソラの容体について伝える。

「大きなダメージを負ったみたいなんですが、意識はしっかりしています。今は拠点のベッドに横になっているので、しばらくすれば回復すると思いますよ」

「それならよかった……」

 意識があるのならもう大丈夫だろう。グレンも安堵し、胸をなで下ろす。

 しかし、安堵したのはそれこそ一瞬だ。この目でソラの無事を確かめない限りはやはり安心などできない。ヴァイスとクレアをその場に置き去りにして、グレンはソラの元へと向かって行った。

「グレンさん……」

「余程心配だったんだろうな。ソラのことが……」

 二人も、徐々に遠くなっていくグレンの背中を追うように地面を蹴った。

 二人が辿り着いた時には、ソラは上半身だけをベッドから起こしている状態だった。クレアの言う通り大きな痛手は喰らったようだが、命に別状は無いようだ。

「ヴァイスさん、グレンさん……」

 ソラの方も申し訳なさそうに二人から視線を逸らす。そうすると、これから何を切り出せばいいのか、それに悩みグレンとクレアはソラに声を掛けあぐねていた。

 そんな二人を横目に、ヴァイスが口を開いた。

「身体の方は大丈夫か?」

「は、はい。少し休んでいたので、だいぶ楽になりました」

「そうか」

 それだけ言って、ヴァイスはちらりと背後を――クレアとグレンのいる方を見て、そして頷いた。二人には、そのヴァイスの様子が「頼むぞ」と語り掛けてくるようにも思えた。

 そして、ふと思い出す。

 元々ソラとパーティーを組むことになったのは、彼女の自信を取り戻すためという面目だった。

 当初は、ヴァイスが彼女の悩みを聞き入れ、そして解決してやろうと思っているのだと考えていた。それこそ、自分たちと同じように。

 だが、それは違った。それはヴァイス本人も「ソラはクレアやグレンを頼るだろう」と言っていた通りだ。ヴァイスは最初から、ソラの事を二人に任せようとしていた。

 クレアとグレンも、最初からそのつもりだった。ソラを助けてやりたい。似たような思いを、経験をしてきたからこそ、その二人の想いは断固たるものだ。

 例え、互いが彼女に抱く個々の想いは違えど、根底にあるそれは同じなのだ。それが、二人を突き動かし、そして今に至る。

 グレンは決心し、一歩を踏み出した。途端にヴァイスとクレアの視線が痛いほど突き刺さる。だが、そんなことはグレンには関係無い。意識は目の前にある、まるでかつての自分を連想させる少女だけに向けられていた。

「――ソラ」

 何を言うべきか。何を言葉にすれば、彼女に伝えられるだろうか。身体が先行し、頭の中で言葉が見つけられていない。だがそれでも、グレンは無意識の内に何かを伝えようとした。

 だがグレンを口を開きかけた直後、先に言葉を発したのはソラだった。

「ごめんなさい……」

 ただ、それだけ。今にも消えてしまいそうな程までに弱々しい口調でソラは謝罪の言葉を述べ、頭を下げた。すると、彼女の肩が小刻みに震え出した。

 その光景にグレンは面食らっていまい、思考も、身体すらも凍り付いてしまう。

「あっ……」

 だがその瞬間。クレアの頭の中には“あの時”の光景が蘇った。

 それは、初めてヴァイスと狩猟に出た時のことだ。あの時も、この渓流やって来て、そしてクレアは何度も失敗してしまった。だがヴァイスは、そんなクレアを責めることなく、逆に慰めてやった。その時のヴァイスの言葉は、今でも鮮明に覚えている。そして、その言葉にどれだけ勇気づけられ、励まされたかということも。

「――ソラさん」

 クレアもまた一歩踏み出し、彼女の名を呼ぶ。できる限り穏やかに、そしてその言葉に自分の想いを乗せるように。

「ソラさんは本当に頑張ってくれてる。ジンオウガを相手に一人で私たちの援護をして……」

 まだソラは顔を上げてくれない。だが、クレアは続ける。ソラの前にしゃがみ込み、そして、彼女の肩に自分の手を乗せた。

 大丈夫、気にしなくていいよ。

 それを、伝えるために。

「失敗は誰だってするものだよ。私だって、最初は失敗だらけだった。辛い体験も何度もあった。でも、私は……、私には師匠がいてくれた。師匠が私を励ましたり、慰めたりしてくれた。その時、本当に嬉しかったんだ」

 こうして話しているとよく分かる。ソラは泣いている。自分の失敗を悔やみ、そして仲間に迷惑を掛けたことが申し訳なくて、その感情に押しつぶされて泣いている。

 それは本当に、かつての自分の姿そのものだった。目を背けたるほどの、だが放っておけないこの有様を目の当たりにして、クレアは心が締め付けられるような思いを感じた。

 だが、一番辛いのは当のソラだということは、クレアは痛いほど分かっている。

 だから、ソラを助けたい。力になりたい。その強い想いをクレアは改めて言葉に乗せて言う。

「ソラさんは一人じゃない。私たちが一緒だから。だから、私たちを思いっきり頼って。迷惑だなんて、私たちは全然思ってない。むしろ、ソラさんには感謝してるんだから。それに、ソラさんを心の底から信頼してる。だから、ソラさん。顔を上げて、ね?」

「クレアさん……」

 そうして、ようやくソラが顔を上げる。目が若干赤みを帯びているのを見ると、やはり泣いていたのだろう。そんなソラに、クレアが優しく微笑みかけた。

 しかしそれでも、ソラの表情が浮かぶことは無かった。

「それでも、わたしは……」

 内心、ソラも嬉しいのだ。自分を頼りにしてくれていることをクレア自身から伝えてくれて。

 しかし、ソラは未だに自信が持てずにいた。ジンオウガの強大さの前に打ち拉がれ、自分だけでなく同行する仲間をも危険に瀕しさせてしまった。このまま自分が再びジンオウガと対峙し、果たして仲間の期待に応えられるだろうか。足手まといになるだけでなく、仲間を再び危険に晒してしまうのではないかという不安がソラには未だに残っていた。

「わたしは、もう――」

 期待に応えることはできない。そう言おうとした。

 だが、それをさせなかったのがグレンの放った言葉だった。

「――ソラ!」

 グレンは先程まで何を言うべきかと悩み、そして躊躇ってしまった後、クレアの言葉の前に一言も言葉を発そうとは思わなかった。何故なら、クレアの言ったことは、自分が言いたかったことを代弁したようなものだったからだ。

 だが、それはすぐに変わった。再び頭を下げようとしたソラに、そうはさせまいと声を張り上げ、そしてこちらにその顔を向けさせた。

 その時に見たソラの表情は、グレンの脳裏を焦がす程までに悲哀なもので、そして見ているこちら側も心が痛んだ。

 もう、そんな表情(かお)を、姿を見たくない。させたくもない。彼女が辛いと思うなら、それを少しでも和らげてやりたい。力になりたい。だから、彼女に道を示す。そう、誓ったのだ。

 不器用な自分に今できることは、こうして自らの想いを言葉に――感情の赴くままに乗せて伝えることだけだった。

「ソラは何も悪くない。むしろ誤りたいのは俺の方だ。無理にソラを説得して、ジンオウガを討伐しようと言ったのは他でもない俺なんだ。だけど、ソラは決心してくれた」

「そ、それは……」

 そこまで言われて言葉が詰まる。

 確かに、本当はジンオウガの討伐に向かうことにソラは乗り気ではなかった。だが、グレンの説得の前にソラは折れる形となり、そしてこの地を訪れて今回が二度目なのだ。

 そう、次は。三度目は無い。今度こそジンオウガの討伐に失敗すれば、それこそユクモ村だけでなく、近隣の集落にも甚大な被害を及ばすことになる。それだけは、絶対に阻止しなければならない。

 しかし、今の自分には自信が無い。ジンオウガの討伐を成功させるという自信が。

「正直、俺もソラの自信を取り戻すことは難しいって分かってる。だけど、それでも俺はソラを信じてる」

「……」

 グレンの言葉にソラは押し黙る。何かを言いたそうで、だが意志に反して言葉を発することができない。そのもどかしさはグレンにも伝わってきた。

「でも、ソラがそれでも自信を取り戻せないって言うなら――」

 グレンも、ここで再び、この先の言葉を言うことを躊躇った。

 だが、それでは駄目だ。ソラに約束した張本人が躊躇っていては、ソラを導くことなど不可能だ。だからこそ、言う。今まで秘めていた、真率で自分勝手な、だが揺らぐことのなかった自分の本心をソラに投げかける。

「俺は、ソラの翼になってやる!! 一人で駄目なら、俺が――、いや俺だけじゃない。クレアもヴァイスさんだっている。悩んでるなら、俺たちに打ち明けてほしい。迷ってたら、いつだって頼ってほしい。俺は……、俺たちはソラを導くための翼になりたいんだ!!」

 その言葉にはグレンだけではない、クレアの伝えきれなかった想いも、ヴァイスの秘めた想いも込められていた。

 ソラはグレンの方を見遣り、そして、その瞳に、表情に視線を奪われた。

 澄んだ紫水晶のような瞳には、彼の断固たる意志が見て取れた。

 真剣な面持ちの表情は、自分勝手で、でもこんな哀れな自分を助けてくれようと必死になっている想いが見て取れた。

 そう。彼だけではない。みんな、いい意味で自分勝手すぎるのだ。

 助けを求めてやってきたのは自分なのに、その自分は自発的にどうしようという意志はほとんど持ち合わせていなかった。迷惑だって散々かけてきた。

 自分は依然閉塞的なままで、怯えの殻から抜け出そうとしなかった。だが、目の前にいる三人は、そんな自分を救おうと悩み、行動してくれた。こんな自分勝手な人間を助けてくれる人が目の前にはいる。

 その彼らの熱意と想いが、ソラの中にもようやく伝わったのだろう。分厚い氷壁は熱で徐々に溶かされ、彼女の本心がようやく露わになってきた。

「うぅっ……」

 ソラは俯き、肩が再び小刻みに震え出す。そして、微かな嗚咽も耳に入ってきた。それから間を空けず、ソラが再度顔を持ち上げた。

 瞳には涙を浮かべ、それは今にも頬を伝って流れ落ちようとしていた。だがそんな中でも、ソラは何とか声を絞り出す。

「クレア、さん。グレン、さん。ヴァイス、さん……」

 一言一言、覚束無い口調ながらも三人の名を呼ぶ。すると、三人は頷き返しソラの視線を受け止めた。

「わたしは、わたしは……っ」

 懸命に涙を堪えようとしているソラだが、その意志に反してついに一筋の涙が頬を伝って流れ落ちた。

 そうなると、もう止められない。未だに懸命に堪えようとしているソラの前に、クレアとグレンが歩み出た。そして、どちらからでもなく、彼女に手を差し伸べた。

「ソラさん、大丈夫。私たちがついているから」

「一緒に行こう。だから――」

 そう言って、二人は笑みを浮かべた。

 今のソラに、その笑みはとても羨ましく、そして安心させられるものだった。

 自分もいつか、この人たちのように強い人になりたい。誰かに助けの手を差し伸べることができるような、そんな強い意志と自信を持った人になりたい。心の底で、ソラは無意識にそう思ってしまっていた。

 そして、今差し伸べられた救いの手に。ソラは自分の手を重ね合わせた。すると、二人はその手をしっかりと握り返し、そしてソラを地面に立ち上がりさせた。

 自分を失意の底から引き上げようとしてくれた二人のありがたみを改めて痛感し、ソラは涙を流した。だが、それは先ほどの苦悩の色に染まったものではない。三人に対する感謝と、そしてこれからもう一度頑張って行こうという意志が秘められたものだった。

 そして、今できる限りの笑顔を作って見せた。

「皆さん、ありがとうございます……!」

 夜空に輝く金色の月が再び顔を覗かせ、ソラの横顔を眩しいくらいに映し出した。

 依然として溢れる涙は止まらないまま、だがそんなことも吹っ切れるくらい清々しい気持ちで、ソラは感謝の意を込め三人に頭を下げた。

 そのソラの表情を見た三人もつられて笑みを浮かべる。

 クレアはソラの肩を優しく叩き、そして顔を上げさせてから言った。

「泣くのは狩猟が無事に終わってからだよ。まだ、私たちにはやるべきことが残ってる」

 優しさの裏に真剣味を帯びたクレアの言葉に、ソラの涙もようやく治まった。

 そう、ここで感謝しているだけでは駄目なのだ。クレアの言う通り、今は成すべきことを――ジンオウガを討伐しなければならない。

「俺たちの力だけじゃジンオウガの討伐は無理だ。だから、ソラ。協力してくれないか?」

「……はい! もちろんです!」

 ソラは涙を拭い、そして即答した。

 三人に感謝の意を示そうとするなら、ここで活躍しなければならない。いや、感謝の意を表すチャンスはここしかないのだ。

 ジンオウガは手強い。そして、置かれている状況も厳しいものだ。だが、この大きな壁を突破してこそ、何かが掴めるのかもしれない。ここでやらなくてはならない意味が存在しているのだ。

「決まりだな」

 今まで傍観を決め込んでいたヴァイスが静かに言った。その口調は既に緊張感を帯びたものだったが、満足げな様子も何処と無く感じられた。

 今一度三人を見渡した後、ヴァイスが口を開いた。

「ここから先は一気に畳みかける。そして、ジンオウガを追い込んだら捕獲を試みようと思う」

 捕獲。その言葉に反応したクレアとグレンがソラに視線を移した。二人に続き、ヴァイスもその視線をソラに向けた。その意味するところはもちろん、ジンオウガの捕獲をソラの捕獲用麻酔弾の射撃でもって行おうということだ。

「ソラ、頼めるか?」

「はい、任せてください!」

 ソラは力強く首肯した。その反応を見たヴァイスも頷き返す。

「分かった、頼むぞ。援護の方も期待している」

 この様子ならもう大丈夫だろう。そう確信したヴァイスは余分な事を口にすることは無く、そして再び意識を狩猟の方に傾けて行った。

 一旦大きく息を吐き出し、そして三人を一瞥してから言った。

「さあ、決着を付けるぞ」

 三人がそれに返答するように首肯したのを見て、ヴァイスは身を翻した。そして、ヴァイスを先頭に拠点から続く獣道を進み出した。

 満月は依然と静まり返った渓流を照らし出し、四人はその静寂の中を歩んで行った。



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EPISODE61 ~望蜀の光~

 ペイントの臭気を頼りに、四人はエリア9を目指す。

 エリア3から続く、深い崖の上に架けられた吊り橋を渡った先が目指すエリア9だ。だが、既に四人は臨戦態勢を取っている。そこから読み取れるのは、これで確実に終わらせるのだという強い信念だ。そして何より、四人の中では、ソラのその信念はより一層強いものに違いない。

「終わらせましょう、これで!」

 四人の気持ちを代弁するかのようにクレアが言う。それ以外の三人も、それに応じて頷いた。

 そして、エリア9に出る。

 金色の満月の下。ジンオウガは、尚も超帯電状態のまま兀座していた。

 しかし、もう臆する者などいない。剣士の三人はジンオウガに接近を試み、残ったソラがブリザードカノンの弾倉に氷結弾を装填した。

 そしてスコープを覗き込み、銃口をその背中に向けると、何も躊躇うことなく引き金を引いた。速射して打ち出された氷結弾が背中に被弾するのと同時、剣士の三人も一気に畳みかける。

「グルルルルッ……!」

 怒りは冷めたようだが、依然としてジンオウガはこちらの存在に嫌気が差しているようだ。低い唸り声を上げ、その身に力を籠める。

「ガアアアアアァァァァァァァァァァァァァッ!」

 痺れを切らしたジンオウガが遂に動き出す。

 一歩大きく踏み出し、そのまま角を突き出す。これが諸人に回避されると、今度は転じて尻尾を振り下ろす。

「くっ!」

 荒々しい攻撃の数々にヴァイスも顔を顰める。だが、ヴァイスも怯まない。

 振り下ろした尻尾が空振りすると、ジンオウガに一瞬の隙が生まれる。それを逃しはしないとヴァイスは接近する。しかし、ジンオウガがこちらに身体を向けたのとほぼ同時に、ヴァイスの背後から警告の声が飛ぶ。

「飛び掛かってきます! 気を付けて!」

 その警告はグレンのものだった。

 警告が発せられてから間を置かず、ジンオウガは確かにヴァイスに飛び掛かって来た。だが、グレンの警告もあってかそれを回避することは容易かった。

「すまない、助かった」

 手短に礼だけ言うと、ヴァイスは今度こそジンオウガに肉薄した。

 ヴァイスが目を付けたのは、頭部に生える二対の角。うち一本は大タル爆弾Gの衝撃で根元からへし折れている。残る一本の角も、それ程強い衝撃には耐えられないだろう。そう踏んだヴァイスは、ジンオウガの頭部を狙って正面から斬り込む。

 氷刀【雪月花】の刃から伝わる感触は確かだった。上段から振り下ろした一撃は、残ったジンオウガの角を叩き落とす。

「グガアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!?」

 高天の月に向かってジンオウガが苦痛を叫ぶ。その咆哮はこの空間の空気さえをも揺るがし、辺りに轟く。

 今までに、これほどまで苦痛に塗れたジンオウガの叫びを聞いたことがあっただろうか。圧倒的とまで思われたその存在は、今では満身創痍の状態だ。ここまで来たのだ、絶対に屈するわけにはいかない。

「はあぁぁっ!」

 覇気に満ちた声と共に、クレアがアイシクルスパイクを真横に薙ぐ。その手を休めず、続けざまに連撃を浴びせ続ける。

 しかし、ジンオウガも粘る。嚇然と唸り声を上げると、そこから左前脚を振り上げクレアを叩き潰さんと勢いよく振り下ろした。

 クレアも、咄嗟に身体が動いた。今度はガードして防ぐのではなく、回避してやり過ごす。先程ヴァイスが見せたあの回避を、何とクレアも遣って退けて見せたのだ。その光景を目の前で見せつけられたヴァイスも軽く笑みを浮かべてしまう。

「相変わらず、お前は呑み込みが早いな……!」

 弟子の成長を素直に喜びつつも、ヴァイスはジンオウガに向かう。

 最後に残るは、あの強靭な尻尾。あの尻尾を切り落とすことができるれば、その厄介な攻撃も封じることが可能だ。

「ヴァイスさん!」

 後方からグレンの呼ぶ声がする。その手に持っているのは閃光玉。一瞬でも隙を作ろうとするグレンの魂胆らしい。それを読み取ったヴァイスは左手を上げて合図を送る。

 その直後に弾ける閃光。轟くジンオウガの咆哮。

 ヴァイスはこの間に、一気にジンオウガの背後に回り込むことに成功する。

 視界を潰されたとは言え、ジンオウガもヴァイスの存在を周囲に察知しているのだろう。ヴァイス諸共、一切合切を薙ぎ払おうと激しく暴れまわる。

 しかし、ヴァイスも喰らい付く。絶えず動き続けるジンオウガの、尻尾という局所を狙い、氷刀【雪月花】を一閃させる。気刃斬りを叩き込んだジンオウガは大きく怯んだものの、一方で尻尾の切断には至らない。

「まだか……!」

 軽く舌打ちしながらも、ヴァイスの頭は依然として冷静さを保つ。斬り下がって距離を取り、入れ替わるようにクレアとグレンが今度はジンオウガに肉薄した。

 対して、閃光玉の効力が切れたジンオウガはヴァイスを睥睨する。

 あの斬撃の数々は貴様が放ったのだろう。そう威圧するかのような視線がヴァイスを射抜く。低く唸ったジンオウガが、身を翻しそのヴァイスに飛び掛かろうとする。だが、外野から放たれる射撃にその動きを思わず止めてしまった。ソラの斉射した氷結弾が、ジンオウガを再度怯ませたのだ。

「やりました!」

 スコープを覗き込んでいたソラが顔を上げて喜ぶが、だがその表情は真剣そのものだった。

 今の射撃では、ただジンオウガを怯ませただけに過ぎない。ジンオウガが何度でも挑みかかってくる限り、この狩猟は続くのだ。

 ソラは残りの氷結弾の弾数を確認する。詳しい数まではさすがに把握できないが、それでも残った氷結弾の数は決して多いとは言い難い。調合素材の既に使い果たしてしまった。つまり残された氷結弾は、ポーチに残された分と、弾倉に残った分の僅かであるということだ。

 弾丸を交換するべきであろうか。いや、それならば全て使い尽くす。ジンオウガの足止めをするならば、氷結弾が最も有効なのは確かだ。今のうちに足止めをしておき、一気に畳みかける。それしか方法は無い。

 弾倉に残っていた氷結弾を全て撃ち尽くしたソラがリロードをする。そして照準を頭部に合わせると、引き金を引く。

「今のうちだ!」

 ジンオウガがソラの射撃に再度反応したのを見計らい、ヴァイス、クレア、グレンが喰らい付く。そしてグレンは、頭部を狙える位置に回り込み、セロヴィウノを叩きつける。

 しかし、ジンオウガもこちらの動きに瞬時に対応して見せた。外野から続けざまに行われる射撃は恬とし、肉薄していた三人に意識を傾けていたのだ。

 そのため、ジンオウガはすぐさまグレンを標的に定める。自ら眼前に躍り出てきた愚か者を屠ろうと右前脚を振り下ろした。その一撃にグレンの身体は吹き飛ばされる。

「グレンさん!」

 遠距離からその様子を目撃したソラが声を上げる。だが、グレンもすぐに立ち上がり、軽く手を上げることで自らの無事を示した。

 ソラはほっと胸を撫で下ろし、射撃を再開しようとした。だが、スコープを覗き込もうとしたソラの目の前で、ジンオウガは計四発の雷光弾を発射する。

「ソラさん、狙われてるよ!」

「分かっています!」

 ブリザードカノンを肩に背負うと、ソラは緊急回避を行うために身を投げ出した。地を這う雷光は、ソラの身体を掠めるかのような軌道を取り、無人の地面に着弾し光が弾けた。

 何とか直撃は避けたようだが、体勢を立て直す間にジンオウガに狙われる危険もある。グレンの方も、回復薬を使う機会を窺っている様子だ。それを認識したクレアが閃光玉を投擲する。そして、閃光玉がその役目を果たしたことを確認すると、クレアも強走薬を飲み干す。

 空になった瓶をポーチに押し込むと、ヴァイスに向かって合図する。

「師匠!」

 それだけでヴァイスもクレアの意図を悟る。

 閃光玉の効力が切れ、クレアはジンオウガの背後に回り込んだ。しかし、ヴァイスは対照的にその正面に回り込み、クレアの援護を行う。

「てりゃあぁっ!」

 重心を掛け、その一撃で以てクレアはジンオウガの尻尾を薙ぐ。ほぼ同時に、ヴァイスが頭部に斬撃を放つ

「ウオオオオォォォォォォォォッ!?」

 二人による二段攻撃により、ジンオウガの巨躯も揺らぐ。

「よし!」

 離れた位置から見ていたグレンも頷く。しかし、それも束の間だった。

 ジンオウガは身を翻し、二人を振り払う。そして、再び天を仰ぎ、喉を震わせた。

「ウオオオォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!」

 刹那、ジンオウガから弾ける留処ない閃光。蠱惑の蒼の光をその身に纏うと、ジンオウガはこちらを睥睨し、そして再び天空に浮かぶ満月に向かって吠えた。

 背中の甲殻がより一層蒼に染まったかと思うと、そこから上空に向かって電戟を撃ち放った。

「どこに落ちるか分からない。注意しろ!」

 ヴァイスが忠告を飛ばした次の瞬間、幾筋もの雷霆が漆黒を切り裂き降り注ぐ。

 どこに落雷が落ちてくるかなど予測できるものではない。とにかく四人――特にソラ以外の剣士の面々はジンオウガに背を向けてでも距離を取ろうと試みた。

 そして、各々がエリアの端にまで追いやられる形となったとき、改めてジンオウガに向き直った。そこで目撃したのは、咆哮と共に落ちてくる凄まじい勢いと轟音を撒き散らす落雷の数々だった。

「あの落雷はジンオウガを円状に囲む形で、近距離から中距離圏に落ちてきているのか……?」

 身体の至る所から沸き上がる冷や汗を感じつつ、グレンは落雷を注意深く観察していた。

 落雷が治まってみると、それぞれが退いた場所までには落雷が落ちてくることはなかった。そうなると、グレンの推測が正しいという可能性は高まる。

 そうなれば対処法はある。グレンはそう確信し、そしてジンオウガの背後を取った。

 しかし、その気配をジンオウガも感じ取った。

「グガアアアァァァァァァァァッ!」

 荒々しい咆哮と共に、ジンオウガはグレン目掛けて疾駆する。走って回避するのは無理だとグレンはすぐさま悟り緊急回避する。

 何とかなったか。そう一息吐こうと思ったグレンの眼前で、ジンオウガは更なる動きを見せた。

 強靭な筋力で身体を無理やり方向転換させると、ジンオウガは一際高く跳躍した。そして空中で身体を反転させ、なんと背中から地面に落下してきた。

「なっ!?」

 驚きのあまりグレンの判断も一瞬遅れる。

 体勢を立て直して再び緊急回避を試みるが、それとほぼ同時期にジンオウガが、それこそ落雷のように急速度で地面に降下した。

「ぐはっ!?」

 身体を鈍器で殴られたかのような鈍い衝撃と、電撃に打たれたかのような鋭い痛みにグレンもたまらず声を上げる。

「グレン!」

 駆けつけたヴァイスがグレンを起き上らせ、そしてジンオウガから退かせる。

「大丈夫か?」

「ええ。何とか直撃は間逃れましたけどね……」

 そうは言うが、受けたダメージは相当なものに違いない。様子を窺う限りでは、雷属性やられ状態にも陥っているようだ。

「とにかく今は体力の回復を優先してくれ。奴は俺たちで惹きつける」

「はい。お願いします」

 その場にグレンを残し、ヴァイスは持ち場へと戻っていく。

 グレンを仕留め損なったジンオウガは、新たな脅威としてクレアを認識したようだ。強走薬で無尽蔵のスタミナを持つ今の彼女は、ジンオウガを相手取っても決して屈することはなかった。冷静に状況を見極め、そして着実な一撃を浴びせている。

 その援護にヴァイスが駆けつけた。ジンオウガの背中を取ったヴァイスは、迷いも無しに氷刀【雪月花】を抜刀した。鋭利な甲殻すらも貫くその斬撃に、ジンオウガも更に熱り立つ。

 ボディプレス、サマーソルトと流れるような動きで攻撃を繰り出し、ヴァイスを追い詰めていく。

 そんな中聞こえてきたバイオリンのような音色。後方に下がっているグレンからの援護、狩猟笛による演奏だ。この音色で奏でられたのは、体力回復【小】、そして雷耐性強化【小】の演奏だった。

「グルルルルッ……!」

 すると、どうやらジンオウガはその音色を耳障りだとでも嫌悪したのだろう。早々にヴァイスに見切りを付け、そしてグレンに向かって突進した。

「グレンさん、行きました!」

 ソラの警告が飛ぶ。それは言われるまでもない。同じ手はグレンには通用しなかったのだ。

 突進を回避したグレンに、ジンオウガはもう一度上空から落下した。しかし、その破壊力のある一撃は例えるなら諸刃の剣だった。勢いを殺すことなど不可能な体勢で地面に落下したジンオウガが、体勢を立て直そうと必死でもがき足掻く。

 その好機をグレンは逃しなどしない。

「さっきは、よくも!」

 これはそのお返しだ、と言わんばかりに渾身の力を込めたセロヴィウノを上段から叩きつけた。その裂帛の一撃には満身創痍のジンオウガも耐え切ることなど不可能だった。

「ウガアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァッ!?」

 ジンオウガの巨躯が地面を転がる。脳天を揺るがしたセロヴィウノの打撃に、ここに来てジンオウガにも眩暈が生じたのだ。

 最大の好機が訪れた。満腔で足掻いて何とか体勢を立て直そうと必死になっているジンオウガを取り囲むように、三人の剣士は陣取りそしてそれぞれの武器を振るう。ソラはジンオウガの頭部を窺える位置まで移動し、絶えず動き続ける頭部目掛けて氷結弾を速射する。

 そんな中、ヴァイスとクレアは尻尾を狙って斬撃を放っていた。ここで以て何としても尻尾を切り落とそうと、二人は無我夢中で氷刀【雪月花】を、あるいはアイシクルスパイクを振り抜き続けた。

 だが、その二人の努力も空しく、尻尾の切断を成し遂げる以前にジンオウガは正気を取り戻してしまった。

 ジンオウガは、自らを傷つけた周囲のハンターたちを薙ぎ払おうと身体を捻らせた。この距離では避けることはほぼ不可能である。

「まだっ!」

 しかし、ヴァイスとクレアは退こうとはしなかった。避けられないならば、せめて多くの斬撃を浴びせて見せる。

 その二人の意地が、ジンオウガに競り勝った。尻尾を薙ぎ払おうとした寸前、二人の振り下ろした斬撃の刃がジンオウガの尻尾を穿った。今までにない手応えで穿たれたそれは、今しがた薙ぎ払おうとしていた尻尾をいとも簡単に切り落としたのだ。

 尻尾を切り落とされたジンオウガは、途端にバランス感覚を失う。周囲を薙ぎ払うことはおろか、その勢いで地面に倒れ込んでしまった。

「ガアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!?」

 怒号のような叫び声を上げながらジンオウガは地面を転がる。しかしながら、苦痛の表情を浮かべつつもジンオウガは再び立ち上がる。

「なんて、しぶとい奴なんだ……!」

 ヴァイスでさえも、ジンオウガの信念の強さには呆気に取られ、そして感服した。

 無双の狩人。この雷狼竜にとって、その二つ名はまさに相応しい。他の追随を許そうとしない、誰よりも強くあろうとするこのモンスターの偉大さを、ヴァイスは身を以て知る。

「だからこそ――」

 だからこそ、終わらせる。このモンスターに敬意を表すならば、こちらは自らの任務を遂行するのみ。長かった狩猟に終止符を打つのだ。

「クレア! グレン!」

 終わらせるぞ。その意味を込めて二人の名を呼ぶ。

 クレアとグレンも首肯する。互いに胸に抱いていることは同じだった。ヴァイスの合図で、ジンオウガとの距離を一気に詰めて行った。

「ソラ、援護を頼む!」

「任せてください!」

 ソラも力強く答える。

 援護射撃が再開されると、ヴァイスもジンオウガとの間合いを詰める。繰り出される攻撃の数々を掻い潜り、ジンオウガに肉薄したヴァイスは、蓄積された己の気をここで放出し、それを氷刀【雪月花】の刀身に伝える。上段からの気刃斬りを決め、更なる一撃――気刃大回転斬りを叩き込んだ。

「ウオオォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!?」

 天を睥睨し、怒りと苦痛の咆哮をジンオウガが叫んだとき、ヴァイスは確信した。

 クレア、グレン、ソラ。それぞれと目配せをし、そして首肯する。そこではもはや、言葉が交わされることはない。だが、言葉など不要だった。そんなものがなくても、この次の瞬間に何をすべきなのか、四人はそれを理解していたのだから。

 ブリザードカノンを一旦肩に背負ったソラが閃光玉を投擲する。

 真っ白な閃光が辺りを塗りつぶすのと同時、クレアはアイシクルスパイクを納刀し、ジンオウガとの距離を取る。そして、近くに立て掛けてあったシャベルを手に取ると、一心不乱に土を掬い始めた。落とし穴を仕掛けるのに十分な深さの穴を、この短時間で作り上げるのだ。

 残った三人は、作業を続けるクレアに、ジンオウガの注意を向けさせはしないと絶えず動き続ける。特に前衛の二人は、多少の掠り傷は我慢し、ギリギリのところまでジンオウガを惹きつけている。

「――できました!」

 暫時の時を置き、後方からクレアの声がした。その声が耳に届いた途端、ヴァイスとグレンがジンオウガから退いた。

 そして、がら空きになったジンオウガの胸元に、ソラの放った最後の氷結弾が命中した。ジンオウガは、当然のようにソラの方へ身体を向けた。

 それを理解する暇も無く、ソラはブリザードカノンを再度肩に背負い、そして走りだした。

 身体はまるで鉛のように重い。平坦な地面の上でも、気を抜けば躓いて転んでしまいそうなほどに足元が覚束無い。だが、それでもソラは残された力を振り絞り、全力で走る。

 そして、目的の場所――落とし穴の向かいにまでやって来たソラが踏ん張り、身体を動きを無理やり押し殺す。

「うぅっ!?」

 その瞬間に身体は悲鳴を上げ、膝を屈してしまう。身体が自らを嘲笑うが如く、まるで言うことを聞こうとしない。

「ソラ!」

「ソラさん!」

 クレアとグレンに名前を呼ばれたとき、ソラも顔を上げた。

 見ると、ジンオウガがこちらに向かってくる。満身創痍の身体を引きずるように、ソラ目掛けて突進してくる。

 追い込まれているのは、どちらも同じだ。ここで立ち上がることができなければ、目指すところへは辿り着けない。期待に応えることはできない。

 それだけは、絶対にイヤだ――!

「……絶対に、負けません!!」

 己の力を振り絞り、地面に立ち上がる。そしてブリザードカノンを肩から取り外すと、ポーチから新たな弾丸を取り出す。

 捕獲用麻酔弾。この狩猟を終わらせるための唯一の、そして最後の弾丸。これをジンオウガに命中させ、捕獲を成功させることが最後の使命――。

「来るぞ!」

 ヴァイスの声に応じるように、ソラは顔を上げた。徐々に距離を詰めてくるジンオウガからは決して目を逸らさず、捕獲用麻酔弾を弾倉に装填した。

 そして、ジンオウガの陰影がソラを飲み込もうとした直後、目の前の地面が崩れ落ちた。突然の出来事に動揺したジンオウガは咆哮を上げつつ、落とし穴から抜け出そうと赤子のように暴れまわる。

 ソラは、そのジンオウガを眼前にブリザードカノンのスコープに目を落とした。

 照準を合わせ、引き金を引こうと思った瞬間、ジンオウガと目が合った気がした。すると、たちまち背筋が凍り、身体が震えあがる。

 だが、ソラはもう背中を向けなかった。

 自分には仲間がいる。こんな自分に期待を寄せ、そして絶望の底から引っ張り上げてくれる頼もしい仲間が。その仲間のおかげで、自分は前を向いていける。だから、もう迷うことなどない。逃げたりなどしないのだ。

 スコープの向こう。ジンオウガの姿を目に焼き付け、ソラは引き金を引いた。そして、二発目の捕獲用麻酔弾が命中すると、ジンオウガの背中から光が弾けた。

 蒼の光の残滓は満月に照らされ淡く煌めく。それは地上に降りてくることはなく、金色の満月の浮かぶ夜空に舞い上がっていった。

 その光が星々に飲まれ見えなくなったとき、ソラは自らの意識が薄れていくのをようやく感じた。身体から力が抜け、地面に倒れ込むまでにはそれほど時間はかからなかった。

 しかし、薄れゆく意識の中、ソラには目蓋の裏で、あの光が絶えず、そして温かく煌めき続けているのが確かに見えていた。



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EPISODE62 ~いつかまたあの青い空に~

 ジンオウガの捕獲を成功させたヴァイスたち一行は、疲れ切った身体を引きずるように拠点へ帰還した。

 意識を失ったソラも、それは一時的なものであったため、意識を取り戻し、容体が安定するのを確認するとすぐさま渓流を発った。

 そして、ガーグァの牽く荷車に揺られること数日。ヴァイスたちの視界にようやくユクモ村が見えてきた。

 既に時刻は夕暮れ時だ。太陽は山々の向こう側に傾き、その赤光がユクモ村をぼんやりと映し出す。神秘的な光景を目の前に、クレアが息を呑んだ。

「綺麗ですね、ユクモ村……」

「ああ、確かに……」

 激しい狩猟を終えた後のためか、四人の表情には未だに疲れが見えていた。御者を務めているヴァイスにも、それがはっきりと窺える。

 荷車は山間の獣道を進み、徐々にユクモ村へと近づいていく。そして、いよいよ到着かという際にヴァイスが後方に声を掛けた。

「さて、もう到着だ。それぞれの荷物を整えていてくれ」

 そう言ってから数分足らずでユクモ村に到着する。集会浴場の北側に位置する農屋にガーグァと荷車を戻すと、そこから続く坂道を登っていく。

 無論、その先に続いているのは集会浴場だ。四人が集会浴場に足を踏み入れた途端、そこは大きな歓声に包まれた。

「おぉっ!? この村の救世主が帰っていたぞ!」

「さあ、歓迎だ歓迎だ!」

 そんな調子で声を上げ、村人たちがヴァイスたちに群がって来る。一瞬にしてヴァイスたちは、村人たちに飲み込まれてしまう形となる。

「いやぁ、アンタらのおかげで助かったよ!」

「本当に、なんてお礼を言ったらいいんだか……」

 周りから聞こえてくるのは、そんな村人たちの感謝の言葉ばかりであった。

 しかし、状況を読み込めない当の四人は困惑したっきりである。

「し、師匠! 一体どういうことですか、これ!?」

「いや、俺に訊かれてもな……」

 戸惑う四人をさし置き、村人たちの勢いは止まることを知らない。いやそれどころか、その勢いはどんどんエスカレートしているようである。

 これは、どうしたものだろうか。

 いよいよ場の収集が付かなくなったと誰もが思い始めた頃、不意に村人たちの歓声が途切れた。その不自然な現象に、四人も何事かと思う。

 見遣ると、村人たちの合間から誰かがこちらにやって来ている様子だ。人混みを掻き分けるようにしてその姿を現したのは、村長とギルドマネージャーその人だった。

「いよぅっ! 派遣隊から報告は聞いてたぜ。無事にジンオウガを捕獲してくれたようじゃないか!」

「本当に、本当にありがとうございます、皆さま。村人を代表し、心からお礼を申し上げさせて頂きますわ」

 ギルドマネージャーはいつものように飄々とした様子で感謝を、また村長も深く頭を下げてヴァイスたちに礼を述べた。

 二人の感謝を受け、ヴァイスが一歩前へ出る。

「ユクモ村に被害が及ばなかったようで何よりです。俺たちとしても、皆が無事で安堵しています」

 村長と同じようにヴァイスも頭を下げた。すると、ギルドマネージャーはバシバシと乱暴にヴァイスの肩を叩く。

「相変わらず容赦ないですね」

 苦笑いしつつも、ヴァイスの表情に不快の色は無い。そんなヴァイスを見透かすように、ギルドマネージャーはニッと大仰な笑みを浮かべる。

「ひょひょっ! チミが謙遜なんざするからさ! チミたちはよくやってくれた、胸を張ってくれ。それでこそ、この村の救世主ってモンさ!」

「爺さん……」

 ギルドマネージャーの言った言葉に嘘偽りは無い。大仰な笑みの下にある柔和なその表情は、そのことを裏付けていた。

 ヴァイスの後方にいるクレアたちも、嬉しそうな表情を浮かべる。

 この村の人々が、自分たちをどれだけ頼りにしていてくれていたのか。それを改めて知ったとき、四人が心に抱いたのは、誇りや同慶の念。それを思えば、ジンオウガを捕獲できて本当によかった。心の底からそう思える。

「さて、これから祝杯を挙げようじゃないか! ここにいる救世主たちに乾杯だ!」

 その声に反応し、村人たち全員が「おぉっ!!」と高らかに声を上げる。ヴァイスたちは村人たちに腕を掴まれると、そのまま集会浴場の外に連れ出された。

 普段ならば、高く聳え立つ集会浴場の影がユクモ村に落ちている。だが、今日に至ってはその影が見えない。村中の至る所に篝火が設置され、村内を明るく照らし出しているからだ。

 さらに、そこに屯する村人や湯治客たちは、いつも以上の盛り上がりを見せている。豪勢な食事や御酒が振る舞われ、人々は陽気に談笑しつつそれらを楽しんでいる。

「す、凄いです……」

「確かに。こんな光景は、今まで見たことがないぞ」

 ユクモ村の人々は毎晩毎晩お祭り騒ぎをしていると思っていたが、目の前の光景はそれ以上である。ユクモ村の滞在期間が比較的長いクレアでさえ、ここまでの様相は目の当たりにしたことはない。

「ささ、こっちですよこっちですよ!」

 顔を紅潮させた、明らかに酒に酔った中年の男が四人の背中を押す。石段の途中にある開けた場所に設置された長椅子に四人を座らせると、今度は別の方から声が上がった。

「この四人の救世主たちは、この村を救ってくれた! 四人の救世主に感謝を表して、乾杯だ!!」

「乾杯ーーーっ!!」

 村人全員から放たれた乾杯の祝辞は、金色の月が顔を出し始めた静寂の夜空に轟いた。それを期に場の熱気が一気に上昇する。

 呆気に取られている四人の前に、でかでかとした木製のジョッキが運ばれる。

「えっ!? こ、これ!」

「さぁさぁ。遠慮なんざするなって!」

 躊躇いを見せるグレンの目の前に置かれたジョッキの中身は間違いなく酒である。どうやらヴァイスにも同じ酒が振る舞われ、クレアとソラにはさすがにジュースが出されたらしい。

 だが、グレンはブンブンと勢いよく首を横に振った。

「遠慮って、これ普通に酒ですよね!?」

「別に、お前の年齢なら酒は大丈夫じゃないか。いいから飲めよ!」

「そういう問題じゃ……って、ちょっ!?」

 グレンに迫る一人の中年男性は、有無を言わさぬ勢いで彼の口に酒を押し流した。この男性も、完全に酔っている様子である。

 一方、同じ酒を出されたヴァイスは、そのグレンの様子を冷やかな目で見ていた。助けてください、とグレンの視線は訴えていた気がするが、この状況では助け船も出せないのでヴァイスは見て見ぬふりをしてジョッキを手に取った。

「これは、黄金芋酒か」

「あぁ。今日という日のために、そいつを買いためておいたのさ!」

 一部地域では“酒の王”とまで呼ばれるものがこの黄金芋酒だ。と言うのも、素材に使われる黄金芋が希少なために市場に出回る機会がそう多くない代物なのだ。

 ユクモ村で黄金芋が栽培されているという話は今のところ聞いていない。村人の言うとおり、比較的市場に出回りやすい地域から購入していたのだろう。何とも贅沢な話である。

「師匠たちだけお酒を飲んでいるとか、ズルいですよ! ソラさんもそう思いますよね?」

「わ、わたしは別に大丈夫なのです。それに、まだ未成年ですので……」

 頬を膨らましながらクレアは不満を述べる。すると、近くにいた村人の一人にもそれが届いたらしい。ニヤリと笑みを浮かべ、近くの酒樽を指差した。

「それなら、嬢ちゃんたちも一杯飲んでみるか? なぁに、今日くらい羽目を外してもいいってもんよ!」

「えっ、いいんですか!?」

 途端に目を輝かせ立ち上がろうとしたクレアを、ヴァイスが速攻で引き留める。

「面倒なことになるのが目に見えているから、頼むからやめろ」

「ちょっ!? 私師匠に変な偏見持たれているんですか!?」

「あぁ、悪い。クレアとソラにジュースをもう一杯ずつ持ってきてやってくれないか?」

 これ以上絡んでも厄介なことになるのは予測できたため、ヴァイスはクレアをスルーすることに決めた。

 頼んだジュースがやって来る前に、四人の前に運ばれてきたのは温泉たまごだった。この村では、酒のつまみには温泉たまごが定番なのだ。

 するとすぐさま、ヴァイスは後方から肩を叩かれた。振り返ってみると、そこにいたのはレーナだった。

「ヴァイスさん。今回はお疲れ様でした」

 レーナが頭を下げてヴァイスを労う。そして、先程オーダーした二人のジュースと、ヴァイスとグレンの分のジョッキが渡された。

「グレンの分はいるか?」

 苦笑しながらそう言うヴァイスに対し、レーナは口元を綻ばせ、そしてグレンの方に視線を向けた。

「あの様子だと、まだまだ飲めると思いますよ?」

 視線の向こうで、グレンと先程の男性のやり取りは続いていた。ジョッキを空にしたグレンに対し、周りから「もっと飲めよ」という野次が飛び交っている。

「おぉっ! ちょうど二杯目がやって来たぜ!」

「なんでしれっと二杯目が用意されているんですか!?」

 村人たちにもみくしゃに飲まれ、グレンが渋々と、そして観念したように自分からジョッキを呷った。その途端に上がるのは、周囲からの歓声だ。

 それを目の当たりにしたヴァイスは、思わず失笑した。

「お前は容赦無いな……」

「そうですかね?」

 ヴァイスとは裏腹、レーナはあっけらかんとした様子である。レーナと言えば、以前にもグレンを弄ぶような言動をしていることは確かである。

 すると、レーナはグレンから視線を外し、すっとヴァイスと目を合わせた。

「あたしもこうしていられるくらい、村全体が賑わっているっていう証拠なんです。ヴァイスさんたちには、本当に感謝していますよ」

 そう言ったレーナの表情は、その嬉しさと入り混じって何処か安堵しているようにも見える。

 レーナもユクモ村の住人の一人だ。そのユクモ村がジンオウガ襲来という脅威に陥ったならば、レーナが不安や恐怖を覚えるのは当然だ。そして、ユクモ村を救ったヴァイスたちに感謝することも。

 ヴァイスはそうして、ある程度は納得できた。

「そう言ってもらえると、俺たちとしても嬉しい。ジンオウガだけではない、色々な問題を抱えての狩猟だったからな」

「えぇ、分かっていますよ。だからこそ感謝しているんです。ジンオウガや、それにソラのことだって……」

 視線を、今度はソラの方へ移したレーナが言った。ヴァイスも、それには静かに頷くだけだった。

 ほんの少しの間、二人の間には静寂が流れた。だが、次の瞬間にレーナは気持ちを切り替えていた。身を翻し、ヴァイスに軽く手を振って見せる。

「メインのお料理の方はこれからになりますよ。もう少しだけ待っていて下さいね」

「あぁ、楽しみにしているよ」

 同じくヴァイスも手を振り返し、レーナの背中を見送る。

 人混みの中にレーナの姿が消えていくと、ヴァイスは新たなジョッキを手に取って黄金芋酒で口を湿らせた。そして、先に出された温泉たまごを食そうかと思ったところで、またしても後方から声が掛かった。そこにいたのはレーナではなく、今度はソラだった。

「えっと、ヴァイスさん。少しの間だけ大丈夫でしょうか?」

 そう尋ねるソラの表情は真剣味を帯びていた。ヴァイスにも、これからソラが何を語ろうとすることを薄々と理解できたのだ。

「そうだな。場所を移動しよう。ここだと話しづらいだろう?」

「そうですね……、そうかもしれないのです」

 ソラはその言葉に素直に従い、ヴァイスと連れ立って人気の無い場所へ向かった。

 ちょうど二人の近くには、ヴァイスの家が位置していた。その裏地ならば誰もいないはずだと、ヴァイスはそこへ案内した。

 ヴァイスの言うとおり、そこには誰の姿も見えない。あれだけ騒がしかった喧噪も、ここではまるで隔絶されたようにも思えてしまう。

「あの、今回はこのような機会を与えてもらってありがとうございました」

 周囲に人の視線が無いことを確認するや否や、ソラは頭を下げた。

「ああ。ソラが何か掴めたのなら、俺も嬉しい限りだ。……だが、真に言いたいことは、また別なんだろう?」

 その言葉で、ソラは頭を持ち上げた。ソラは言葉で答えることはなく、ヴァイスにただ首肯した。

 そして、短く深呼吸をしたソラは改めてヴァイスに向き直った。

「はい。ヴァイスさんには、お願いがあるのです」

 そうしてソラは、ヴァイスに“お願い”の内容を告げた。

 

 

 

「あぁ~、まだ辛いなぁ~……」

 早春の昼間の日差しが天から降り注ぐ中、グレンは気怠そうに頭を左右に振った。

 ユクモ村に帰還した夜は、グレンにとっては苦痛だった。あまり好みもしない酒も村人たちの成すがままに飲まされ続け、そして翌日には案の定二日酔いに陥る。

 更に宴会もその晩で終わりかと思ったが、翌日も村人たちはお祭り騒ぎであった。二日酔いに苦しむグレンにとって、その喧噪は文字通り頭痛の種に変わりなかった。しかも、それがその翌日にまで尾を曳いているのである。何とも哀れな話だ。

「そういえば、昨日はみんなに挨拶に行けなかったなぁ……」

 みんな、とはヴァイスを始めとする面々である。特にグレンが話をしたかったのはソラだ。色々なことが起こったにせよ、ソラは再び立ち上がる決意をしてくれた。グレンにすれば、それはジンオウガの捕獲と同じほどに嬉しいことなのだ。

 改めてソラと面と向かい、話をしたい。グレンはその気持ちで一杯だった。

「えっと、ソラは確かレーナの宿屋に寝泊まりしてるんだっけ……」

 未だにハッキリしない頭を覚醒させるように、グレンが思考する。

 ソラが紅葉荘に世話になっていることはグレンも知っている。時間帯としても、今尚布団の中にいるということもないだろう。それを鑑みて、グレンは紅葉荘に足を踏み入れた。

「あら、グレンさん。もう大丈夫なんですか?」

「全く、誰かさんのおかげで一昨日は散々だったよ」

 一昨日の件について、レーナが村人たちに加担していたということはある人物から聞いていた。これでもかという皮肉を込めてレーナにぶつけてみる。

「それはそれは、残念でしたね」

 しかし、グレンの皮肉にもレーナは動じない。表情一つ変えず、レーナはカウンターの向こうで筆を握る手を動かしていた。

 グレンも早々に諦めたらしく、「はぁ……」と観念したような溜め息を吐く。そして気分を入れ替えるように、わざとらしい咳払いを一つして本題を切り出そうとする。

「それよりもだ。ソラはまだ部屋にいる? 会って話をしたいんだけど」

 しかしその瞬間、グレンはレーナの表情が崩れるのを見逃さなかった。何と言うか、「意外だ」という表情を彼女はしている。

 さすがにグレンも、その様子に疑問を抱く。

「どうしたんだよ?」

「いや、グレンさん聞いていないんですか……?」

「聞いていない?」

 グレンはこの時、妙な違和感を覚えた。まるで胸がざわつくような、平静でいられないような、そんな妙な気持ち。自然と心臓の鼓動が早くなっていくのを、グレンも生々しいまでに感じていた。

 そして、その違和感が限界にまで達しようとした直前、レーナがゆっくり口を開いた。

「――ソラは今朝早く、ここを出て行きました」

 この瞬間。グレンの違和感は現実となる。そして、頭部を思いっきり殴られたかのような衝撃を覚えた。

「は……?」

 今、何と言った?

 ソラが出て行った?

 それはどういう意味だ?

 頭の中がぐちゃぐちゃにかき乱される。

 つまりは、そういうことだ。

 目の前に起こっていることは夢などといった生易しいものではなく、ソラはユクモ村を出て行った。その事実を、突き付けられた。

 それを頭でようやく理解した途端、グレンの身体は次の思考より先に動いた。

「っ!」

「あっ!? グレンさん!?」

 レーナの制止を振り切り、グレンは紅葉荘を飛び出した。

 ソラが出て行った。それも、事前に何も告げずに。

 どうして、どうして、どうして――!?

 考えれば考えるほど、底知れぬ沼に引きずり込まれてしまう。

 グレンの頭の中は真っ白だった。それ以外に何も頭に浮かぶことができず、ただ本能の赴くままに身体を動かす。その先にあったのはクレアの家だった。

「クレア、俺だ! いるか!?」

 荒々しく扉をノックすると、家の中からクレアが顔を表した。

「グレンさん!? どうしたんですか、そんなに慌てて!?」

 息を切らし、切羽詰まった表情のグレンを見たクレアも血相を変える。

 呼吸を整えることもままならないまま、グレンは何とかして事態を告げようとする。

「あ、ああ。実は――!」

 事の成り行きをクレアに話す。すると、クレアも驚愕に満ちた表情を浮かべる。

「そんな! 私もそんなことは初耳ですよ!?」

「そ、そうだったのか!?」

 グレンも堪らず驚く。

 ソラは自分はおろか、クレアにまで無言で出て行ったのだという。事の成り行きが、ますます理解不能になっていく。

 その中、クレアは思いついたように手を叩く。

「そうだ、師匠ですよ! 師匠なら必ず何か知ってますよ!」

「そ、そうか! そうに違いない!」

 そうと決まれば、と二人はヴァイスの家まで全力で駆けた。しかし、肝心のヴァイスは家を留守にしているようだった。いくら呼びかけても、中から返事が返ってくることはなかったのだ。

 その後、二人は村中を駆けまわったが、ヴァイスを見つけることはできなかった。しかし、ここで二人は有力な情報を入手する。つい先程、ヴァイスが集会浴場に入っていくのを目撃したという村人がいたのだ。

 それを聞いて、二人は今度こそと集会浴場に続く階段を駆け上がった。滑り込むように集会浴場に入って二人が目撃した光景は、ヴァイスと、そしてなんとソラの姿だった。

「師匠! ソラさん!」

「お、お二人とも……」

 クレアが声を張り上げると、ソラが肩を震わせた。

 それに有無を言わせず、二人はヴァイスとソラの元に突っ込んだ。

「ソラ! どうして……、どうして何も言ってくれなかったんだ!?」

「は、はい……?」

「そうだよ、ソラさん! いくらなんでも、それはあんまりだよ!」

「ど、どういうことなのですか?」

 二人して食ってかかると、ソラもさすがに困惑の色を隠せない。あまりの威圧に、ソラも思わず縮こまってしまう。

「おい、二人とも。様子がおかしいぞ。どうしたんだ?」

「どうしたも何もないですよ、師匠!」

 ヴァイスの制止すらも振り切り、クレアは尚も声を張り上げた。そして、グレンも続く。

「クレアの言うとおりです、ヴァイスさん! こっちは事前に何も知らされていないんですから!」

「確かにお前たちの言うとおりだが、それにしてもだ。一体どうした?」

 さすがにこのままでは埒が明かないとヴァイスも理解したのだろう。取り敢えず、熱り立つような二人を宥めようとする。

「順を追って話してくれ。一体どうしたんだ?」

「レーナから聞きました。ソラが、村を出ていくんだと。それで――」

「ちょっと待て」

 唐突なタイミングで制止を掛けたヴァイスにグレンも不満を抱く。その不満を口にしようかと思ったところで、外野からの会話がこちらにも届いた。

「ギルドマネージャー。これは……、そういうことですよね?」

「おぅ。そういうことになるな」

 何やら、あちらはあちらで会話が成り立っているようだ。だが、当のクレアとグレンにはさっぱりである。

 短い会話を交わしたギルドマネージャーと受付嬢は、おかしそうなものを見る様子で吹き出した。

「いやぁ、実はな――」

「いや、爺さん。どうやら俺たちに落ち度があったらしいです。それは俺たちで解決することにします」

 ギルドマネージャーの言葉を遮ってまでヴァイスは静止を掛けた。そのヴァイスは、頭が重い様子で額に手をやっている。隣に立つソラも、何やら落ちつかないのかソワソワしている様子だ。

 はぁ……、と重たい溜め息の後、ヴァイスが口を開く。

「どうやら、お前たちは重大な勘違いをしているようだ……」

「それ、どういう……」

 グレンが全てを言い終わる前に、集会浴場の入り口から誰かが走ってきた。それはレーナで、こちらの存在を確認すると「あー……」とこれまた奇妙な様子になってしまう。

 ここまで走ってきた呼吸を整え、レーナがこちらに歩み寄った。クレアは数歩後ろへ退いたようだが、彼女には目もくれない。レーナはグレンと視線を合わせると、やれやれと言いたげに首を横に振った。

「グレンさん。人の話は最後まで聞くものですよ」

「は……?」

 未だに状況が飲み込めていないグレンが思わず素っ頓狂な声を上げる。ここまで来ると、レーナも哀れを通り越してむしろ関心してしまう。

「だから、グレンさん。あたしはソラが出ていくとは言いましたけど、この村を出ていくとは一言も口にしていないんですよ?」

「えっ……」

 ようやくグレンも、自分が盛大な勘違いをしていたと自覚してきたらしい。額に妙な汗を浮かべているのが、誰の目から見ても明らかだ。

 泣き面に蜂を刺すように、レーナは一気に畳みかけた。

「ソラはこの村を出ていくんじゃありません。出ていくっていうのは、あたしの宿屋を出ていくっていうことですよ」

 全てが解決した。

 グレンの熱も、ここで急激に冷まされる。今まで何を勘違いしていたのか、そして周囲を見れば何事かとこちらを窺う人だかりがいる。羞恥に耐えられなくなったグレンが堪らず頬を染める。

 そしてそれから間を置かず、グレンの絶叫がユクモ村に木霊した。

 

 

 

 それからしばらくして、クレア、グレン、ソラの三人はヴァイスの家に招かれた。盛大な誤解をしていたクレアとグレンにちゃんと状況を説明するには、集会浴場は不向きだったためだ。

 クレアとグレンから改めて事情を聞いたヴァイスは、呆れたように溜め息を吐く。

「……なるほど。ある程度は事情を理解できた」

「本当にすいませんでした……」

 事の発端であるグレンは、先程からこのような様子が続いている。

 やや早とちりする癖のあるグレンだと思ったが、まさかここまでとは。それを思えば、ヴァイスもグレンの思考回路には呆れるどころかむしろ関心してしまう。

「私も本当にびっくりしましたよ。突然グレンさんがやって来て、ソラが村から出ていくとか言い出すんですから」

 一応被害者に当たるクレアも、他の面々と同じような様子である。

 しかし、クレアに見え隠れしているのは、グレンに対する怒りではなく、安堵であった。彼女の言うとおり、突然ソラが村を出ていくと告げられればショックを受けるのは当然だろう。クレアが安堵するのも無理はない。

「でも、どうして二人は集会浴場にいたんですか?」

 クレアの問いかけに、ヴァイスも思いついたように「あぁ」と相槌を打った。

「そこはまず、ソラ本人から話をしてもらうか」

 ヴァイスが促すと、ソラが席を立ちあがった。そして、深々と頭を下げる。

「わたしは、これからもこのパーティーでお世話になることになりました。皆さん、改めてよろしくお願いするのです!」

 緊張を帯びたソラの声色に、クレアとグレンはまたしても驚いたような反応をする。しかし、今回の驚きはショックなどいったそういう類いの様子はなく、むしろ喜びの色が見受けられた。

「し、師匠! それって……!」

「ソラの言葉通りだ。これからも俺たちは、このパーティーを組むことになる」

 ヴァイスの言葉で、クレアとグレンの喜びは明らかなものとなる。

 詳しい話を聞くと、ソラ本人からヴァイスに対し、このパーティーに留まりたいという旨の相談をユクモ村に戻ったその日にしたのだという。ヴァイスもそれには快諾し、ソラの正式なパーティーの加入を歓迎した。

「集会浴場にいたのは、爺さんにもそれを伝えるためだな。村長も空き家をソラに貸してくれるらしく、その辺りの手続きも兼ねて集会浴場に向かったんだ」

 どうやら村長も気を利かせてくれたらしい。そうすると、レーナの言った「ソラが出て行った」という発言の意味もようやく理解できる。それはソラが、新たな家に移り住んだという意味だったのだ。

「そうだったんですか……。それなら、ソラさんも早く伝えてくれればよかったのに」

「ご、ごめんなさい! 村長に空き家を貸してもらうことになったのは、つい先日決まったことでしたので」

「ううん。でも、本当によかった」

 クレアが胸を撫で下ろす。それはグレンも同様だった。

「ソラ、ありがとう。このパーティーに残ってくれる決意をしてくれて」

「いえ、それは皆さんのおかげです。皆さんのおかげで、わたしはもう一度立ち上がろうって決められたのです。感謝したいのは、わたしの方です」

 今思い返せば、ソラとの出会い、そして共に挑んだ狩猟は偶然の一言では済まされない気がする。

 自信を取り戻す手がかりを求めてやって来たソラ。そして、そのソラに手を差し伸べたヴァイス。ソラを助けようと奔走したクレアとグレン。ティガレックス、そしてジンオウガの狩猟の中で、それは大きな意味を成していたのだ。

 ジンオウガの狩猟の際、何故ヴァイスが単独で狩猟を行わないのかという一抹の疑問が、それも今となっては答えが出た。

 自身の成長の為だけではない。もがき苦しむソラを助ける手立てが、その狩猟の中にこそ存在していた。その狩猟は無事に成功し、だからこうして笑い合える。これからも、共に歩んで行ける。ソラが目指そうとする遥か高みまで、それは続いていく。

「さて、改めてソラの歓迎会でもするか?」

「あっ、いいですね! 私は賛成です!」

「ええ、俺も賛成です」

 ヴァイスの提案に、クレアとグレンは早くも乗り気である。

 こうして、ソラは温かい歓迎を受け、パーティーに加入することとなった。その時に浮かべたソラの笑みは、これまでにないほど溌剌で、それは彼女の嬉しさと感謝を大いに表していた。

 

 

 

「ふう……、これで全部だな。レーナ、そっちはどうだ?」

「ええ、こっちも終わりましたよ」

 グレンとレーナの二人が互いに告げると、額に滲んだ汗を共に拭う。

 ソラの空き家が決まってからしばらく経ったが、ようやく今日に荷物の搬入が可能となった。

 紅葉荘での仕事を一通り終えたレーナと、暇を弄んでいたグレンはこうして荷物の搬入を手伝っていた。

「お客が減っちゃうのは残念ですが、でもソラがユクモ村に留まってくれるなら嬉しい限りですね」

「同感だよ」

 そう言うと、二人して笑みを浮かべる。あまり話には聞いていなかったが、この様子だとレーナの方もソラに思い入れがあるようだ。

「あれから話も聞きましたよ。狩猟は大変だったらしいですが、それでもソラは皆さんに感謝していると」

「ああ。本当によかった」

 そうして、二人の間にしばしの沈黙が流れる。

 まるで、取って作られたかのような妙な沈黙。普段は感じない奇妙な感覚に、グレンもむず痒さを覚える。

「――『天使』」

 それは余りにも唐突だった。レーナがその単語を発したのは。

 しかし、グレンにはそれが何を指すのか理解できない。況してや、どうしてレーナがそれを言ったのかなど。

 すると、レーナが顔を上げた。グレンも釣られて同じ方向を向く。その先にいたのは、新たな住処の窓を開け放ち、遠くを見遣るソラの姿だった。

「かつて、ロックラックで期待されたハンターの少女。ガンナーである彼女は、攻めよりも援護を重視するスタイルだった。的確なその援護から、ハンターの一部からは『天使』と呼ばれていた」

「それは……」

 グレンも押し黙る。

 『天使』。その二つ名の持ち主は誰であるのか。そんなこと、考えるまでもないはずだ。だが、それでも疑問を抱く。

 攻めよりも的確な援護を行う『天使』。だが、グレンの記憶に存在するその姿は、レーナの言うこととは真逆である。

 しかし、それと同時にもう一つ、あることがグレンの脳裏に過る。

 『天使』はどうしてユクモ村にやって来たか。それは味方に行った誤射による自信の喪失。そして、それを取り戻すべく、『天使』はユクモ村にやって来た。

「ですが、それは裏を返せば、相手に対する信頼の度合いの裏付けとも読めますよね。リスクを冒して攻めることは滅多にしない、それは保守的に動き続けているだけに過ぎないんですから」

 その名を呼んだハンターたちは、そんなことを考えもしなかっただろう。

 しかし、怯えの殻に籠ったその姿こそが、『天使』であった。実際はそうだったのかもしれない。

「自信を失った、とは言いますが、それでも閉じこもった殻を破るには、相手に対する信頼も必要ですよね」

 だが、それでも彼女は何とかして立ち上がろうとした。狩猟を通して、何かが掴めるのかもしれないと。その時に見た彼女の姿。それは、それこそが――、

「彼女は分かっていたそうです。この人たちなら、助けてくれるかもしれない。もう一度、立ち上がれるかもしれない。思い込みじゃない、そこにあったのは確かな信頼です」

 そう。最初から彼女は、自分たちを信頼してくれていた。

 自信を失った彼女にとって、唯一縋れるのはその信頼だったのだ。信頼を抱けるような人なら救ってくれる。身勝手なことを想いながらも、彼女はここに流れ着いた。そして、自分たちと出会う。

 今まで見てきたものは、そんな彼女の姿だったのだ。

「グレンさん」

 彼女からの視線を外し、グレンをしっかりと見据えたレーナが呼びかける。グレンも、レーナとの視線を合わせる。真っ直ぐで率直な視線が、グレンを見据えた。

「――ソラのこと、頼みますよ。ソラは、皆さんを心の底から信頼してくれているんです。それに、ほら」

 もう一度、レーナは顔を上げた。グレンも同様に顔を上げると、ソラがこちらに向かって手を振っていた。

 グレンは笑みを浮かべて手を振り返すと、身を翻した。

「もちろんだよ。任せてくれ」

 それで十分だった。

 この人たちなら大丈夫。ソラの信頼に応えられる。それだけで確信できる。

 レーナもソラに手を振り返すと、グレンの後を追うように走りだす。

 その二人の後姿を、ソラは二人の背中が見えなくなるまでずっと見つめていた。

 

 

 

 二人は手を振り返すと、そのまま行ってしまった。二人の背中が見えなくなると、再び空を見上げる。

 どこまでも高く、そして青い空だ。

 こうした気持ちで空を見上げるのは、いつ以来だろう。もう一度自由な空を仰いだとき、胸に抱くのは大きな希望だった。

 するとふと別のものに視線を奪われる。目をやると、そこにいたのは四羽の白い鳥たちだった。

 家族なのか、仲間なのか。それは分からない。だが、仲睦まじい雰囲気だけは確かに伝わってくる。見ているだけでも微笑ましい光景だ。

 だがしばらくすると、うち一羽が大きな白い翼をはためかせ、大空へ舞い上がった。それに続き、残りの者たちも飛び立って行く。

 しかし、そこに一羽だけ取り残されてしまう。他の三羽に比べて身体が小さく、そして頼りがいが無い。大空へ飛び立とうと思い立つが、自信が沸かずそれを行動に移すことはない。

 そうこうしているうちに、他の三羽の姿はどんどんと小さくなっていってしまう。このまま一歩を踏み出さなければ、群れからは置いてかれてしまう。

 

 頑張れ。もう一歩、勇気を振り絞って――!

 

 その心の声が聞こえたのかもしれない。鳥は一歩を踏み出し、そして地面を蹴ると翼を広げた。しかし、上手く体勢を整えられず、バランスを崩したまま地面に向かって急降下する。

 

 危ない――!

 

 だが、その鳥が地面に降りることはなかった。何とか体勢を立て直すと、そのまま翼をはためかせ、今度こそ大空へ羽ばたいた。

 覚束無くて不安になるが、それでも群れに追いつくことができたらしい。四羽の姿がそのまま青空へ消えても、そこから視線を外さない。

 何者にも縛られることなく、自由に蒼穹を舞う鳥たち。そんな彼らに憧れを抱いた日もあった。

 だが、今なら飛んでいけるかもしれない。あの鳥のように、勇気を振り絞って一歩を踏み出して翼を広げれば、その先には壮大な世界が待っている。

 自信という名の翼を広げ、いつかまた、あの青い空へもう一度飛び立とう。

 

 そうして少女は今日も、蒼穹を仰ぐ――。



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第四章 追憶
EPISODE63 ~開かれる過去の扉~


「約束、してくれない?」

 

 ――約束。その言葉を、あの時の彼女は何を思って言ったのだろう。

 いや、そんな事は分かっていた。これから先、もしかしたら二度と会うことはないかもしれない。それを思った時、その不安を紛らわせるための、所謂は口実に過ぎなかった。

 もしそれを思い返すならば、自分にもあることが思い出される。

 ただ漠然と、しかしながら純粋に“理由”を求めていた日々。そして、彼に抱いた憧憬。

 今の自分を作り上げたのは、その全てだったのだろう。

 

「――師匠」

 

 淡い過去への追懐であり、そしてその瑕疵の喚起。

 しかし、例えどれだけの思いを馳せようと、またどれだけ後悔しようと、もう二度とそれを作り変えることはできない。ただここから、振り返ることだけしかできない。

 

「――師匠……? 師匠~?」

 

 蘇るのは、共に過ごした日々。

 そして何より、『女神の騎士』との出会い。“理由”を求め彷徨っていた少年に、その道を示してくれたのは彼だった。

 だが、彼は少年の前から姿を消した。それから二度と言葉を交わすことも、顔を合わせることも叶わなかった。

 道を示してくれた、言わば師のような存在を失った時、少年は絶望する。

 そして、絶望を見た少年は、そこから堕ちていく。

 呪縛に囚われた少年は、捨て鉢になってまで力を求め続けた。

 そこには、もう何も存在しなくなった。力が欲しい。漠然としたその想いだけが、少年の背中に権化となって纏わり付いた。

 だが、あれはいつだっただろうか。

 少年はいつしか気づかされる。恨むべきは、彼に訪れた慈悲の無い運命だったということを。自らを嫌悪し、そして力を求めることが、彼の望むことではないのだと。

 そう。少年は目覚めることができた。彼がそうであった、“騎士”とは何なのかということを――。

 

 

 

「師匠!」

「っ!?」

 急に声が張り上げられたために、ヴァイスも途端に現実に引き戻される。

 そうして今まで自分の世界にのめり込んでいたことを自覚すると、ヴァイスが「やれやれ」と溜め息を吐く。

「師匠、どうしたんですか? ボーっとしてて、何だか師匠らしくなかったですよ?」

 クレアが身体をわずかに屈め、詮索するかのようにヴァイスの顔を覗き込む。その彼女と目が合った瞬間、ヴァイスが今度は首を横に振る。

「あぁ、悪いな。少し考え事をしていたものだから……」

 珍しく歯切れの悪いヴァイスに対し、「そうですか」とだけクレアは答える。それから首を突っ込んでくる様子も無く、目の前のことに意識を集中させる。

「師匠。それで、これからどうすればいいですか?」

「まずは、それを炒めてくれ。それから――」

 クレアに倣ってヴァイスも作業を再開していく。

 ジンオウガの捕獲を成功させたあの日から一年余りが過ぎた。

 それ以降、クレアを始め他の面々も実力を付けていき、念願叶ってついに上位ハンターへと昇格したのだ。

 ユクモ村もそれからは平穏な日々が続いた。今日のような長閑な昼下がり、ヴァイスはクレアに頼まれ、彼女の料理特訓に付き合っていた。

 その件に関して触れると、クレアの料理の腕は、この一年で見違える程にまで成長したと言える。

 ヴァイスがユクモ村を訪れた当初は、クレアも料理とは言い難いものを作ることが多かった。だが、それからも根気よく特訓を続け、料理と呼ぶのに相応しいものを作れるようになってきた。

 しかしながら、まだクレアにも一抹の不安が残っているようだ。時々クレアに頼まれては、こうして今でも彼女の料理特訓を行うこともある。

「ふぅ……。何とかできました」

 額に滲み始めた汗を拭い、クレアがほっと息を()く。

 ヴァイスの方も、完成した料理を早速試食してみる。内臓を穿つような味がするわけでもなく、普通に美味しく仕上がっている。今日も上々の出来栄えだろう。

「うん、これなら大丈夫ですね!」

 クレアも料理を口に運んでみて、そして満足気に頷く。やはり料理が美味しく出来上がれば、クレアとしても大変嬉しいのだ。一年前までまともなものを作れなかったのだから尚更の話だ。

「さて、今日はこの辺りで終了だな」

「はい。ありがとうございました、師匠。またよろしくお願いしますね!」

 頭を下げたクレアに会釈をして、ヴァイスもその場を後にする。

 玄関の扉を開け放ち、外界へと一歩を踏み出すと、春の温かな風が頬を撫でる。

 秋には紅葉を抱く木々も、この季節になると美しい桜の花を咲かせる。

 村人たちの多くも、やはり桜の木の下に多く見える。人々は楽しげに酒を飲み、そしてお花見をする。陽気な喧噪が村中の至る所から聞こえてくる。

「綺麗だな……」

 ヴァイスの足が、満開になった桜を眺めるためにその動きを止める。

 ひらひらと舞い落ちる桜の姿は、美しくも儚いものである。こうして眺めているだけで、その光景に吸い込まれてしまう。そうして、自然とあの頃のことを思い浮かべてしまう。

「あの時も、桜の木の下で……」

 そう呟いて更なる物思いに耽ろうとした直前、ヴァイスは我に返った。

 「いけないいけない」と自らを自制し、後ろ髪を引かれつつも、自宅を目指して再び足を動かす。

 そうして自宅に戻ってくると、ヴァイスは資料の置かれた机に向かった。やり残していた資料を完成させるためにだ。

 しかし、その資料に手を付けることができない。何故ならば、自然と彼の視線が目の前に置かれた二枚の肖像画に釘付けになってしまったからである。

 色あせた肖像画に手を伸ばそうとして、そこで動きが止まる。またしても、自分の世界に入り込もうとしていた。

「はぁ……。本当にどうしたんだか……」

 呆れたような溜め息は自身に向けられたものだった。

 どうしたのだろうか。こうして過去に思いを馳せることは、今までなかったことではない。だが、周りが見えなくなるまでにそこに入り込んでしまうことは、今までなかったはずだ。

 本当にそれは、最近の話だ。隙があればこのように肖像画を眺めてたりして、昔を思い出そうとする……。

 この穏やかな春の陽気が、それを促しているのだろう。そうして都合の良いように思い込んでは、ヴァイスが肖像画から視線を外す。すると、とある資料の束に目がいった。

 それは昨夜、グレンに頼まれていた資料だった。その内容としては、旧大陸に生息するモンスターの生態や、それを取り巻く環境が記されている。時間も遅いからという理由で、資料を手渡すのは翌日にしようという話だった。

 ヴァイスは頭を切り替え、そして資料を持って家を出る。

 グレンの家は、ここから徒歩で一分足らずのところにある。そこには過去への懐旧を覚える暇も無く、ヴァイスは目的の場所に到着した。

 扉をノックしてから程なくして、家の中からグレンが顔を出す。

「どうもヴァイスさん。どうしたんですか?」

「昨日頼まれた資料を持ってきたんだ。今渡して大丈夫か?」

「ああ、そうでしたね。大丈夫ですよ、ありがとうございます」

 頼まれた物を確かに手渡し手短な会話を交わした後、ヴァイスはその場を立ち去ろうとした。だが、それはグレンに阻まれる。

 どうやら最近、新たな楽曲の演奏に取り組んでいるらしく、それをヴァイスにも鑑賞してほしいのだという。

 ヴァイスも、それには断る理由が無い。快く承諾すると、グレンに招かれて家の中に足を踏み入れる。するとそこには、先程まで料理をしていたクレアと、ソラの姿があった。

「なんだ。二人も来ていたのか」

「はい。自分の演奏を聴いてもらいたいとグレンさんに先ほど頼まれたので」

 ソラ曰く、ヴァイスがここを訪れる少し前に二人はやって来たらしい。ヴァイスがクレアの家を出た時間を考えれば、グレンと入れ違う形になったのだろう。

 事の流れを理解したヴァイスは、グレンに勧められた席に腰を落ち着かせる。グレンもまた、三人の正面に位置付けられた譜面台に向かう。

 壇上のようになった場所に立つと、グレンは短く息を吐き出す。集中力を極限まで高めると、右手に持った弓をバイオリンの弦に滑らせた。

 精巧された運弓から奏でれる音色は、優雅で壮大な雰囲気を醸し出す。

 かつての貴族たちが華やかな衣装を身に纏い、煌びやかなステージ上で舞踏する。目を閉じてみれば、そんな光景が思い浮かんでくる。堪らずグレンの演奏には聴き入ってしまった。

 そして演奏が終わると、三人は惜しみない拍手をグレンに送った。

「すごい、すごいですよ! グレンさん!」

「自分もです! 思わず聴き入ってしまったのです!」

「そ、そうかな? そう言われると嬉しいよ」

 クレアとソラの賞賛の言葉に、グレンも照れながら答える。しかしながら、グレンも満足しているようだ。彼にすれば、気に入ってもらって何よりというところだろう。

 と、ここでソラが興味あり気にグレンに尋ねる。

「グレンさん。この曲はなんていう名前なのですか?」

「えーっと、そうだな……」

 そこでグレンがしばらく考え込む素振りを見せる。

「クレアはこの曲を知ってる?」

 短い時間を置いた後にグレンが尋ねてみた。だが、クレアは首を横に振る。

 しかし、グレンにしてみれば、クレアの反応も織り込み済みのようだった。今度はヴァイスに同じ質問をしてみる。

「ヴァイスさんはどうですか? この曲について、何か知っていることはありますか」

 クレアとソラの予想を読み取るなら、ヴァイスも同じように首を横に振るだろうと思っていただろう。しかし、二人の予想に反し、ヴァイスは静かに首肯したのだ。

「――“狩人の宴”。この曲は以前にも聞いたことがある。しかし、どうして俺にそんな質問をしたんだ?」

「理由は単純ですよ。ヴァイスさんなら知っていると思ったからです」

 グレンも素直に答えた。それにヴァイスは納得したような様子を見せるが、クレアとソラはそうもいかない。

「グレンさん。それはどういうことですか?」

「これは旧大陸に昔から伝わる曲らしいんだ。確かそれは、旧大陸のシュレイド地方周辺だったかな……。ヴァイスさんは旧大陸からやって来た人だから、この曲を知っていると思ってね」

 そこまで話すと、二人もようやく理解する。

 そもそも、ヴァイスのようなギルドナイトが派遣される程、二つの大陸間では交流が盛んではなかった。元々この曲が旧大陸に伝わるものだとすれば、グレンのように旧大陸で長い時間を過ごしてきたヴァイスがそれを知っていると思い込んでも不思議ではない。

 だがしかし、二人には更なる疑問もあった。

「でも、“狩人の宴”っていう曲名にしては、少し華やかすぎる印象があったのです」

 ソラの言葉に「確かにそうだよね」とグレンも同意を示す。

 この曲を聴いてまずイメージしたのは、華やかな貴族たちの姿だった。だが、狩人にはその印象を刷り込むことは容易ではない。貴族たちと比べれば、狩人はむしろ野蛮な輩にも思えてしまう。華美な曲調とは裏腹、その題名はそれと似つかないものがあるのだ。

 さすがにグレンもこればかりは説明が付かないらしい。しかし、この曲を知ると言ったヴァイスが再び口を開く。

「シュレイド地方には、その昔シュレイド王国と呼ばれた大国が存在していた。歴史が長い国として有名で、独特な文化も数多く生まれたそうだ。“狩人の宴”は、元々は狩猟の成功を祝うその地方のハンターたちの儀式だったらしい。そこからシュレイド王国が栄えるにつれ、それも舞踏会などの華やかな場面で使われる曲として新たに作曲されたという話だ」

 歴史的な話をしたヴァイスを目の前に、新大陸の住民の三人が関心を抱く。

 ヴァイスの言ったとおり、かつてシュレイドは大国としてその地方を統治し、その後の歴史に大きな影響を及ぼした。

 いずれ王国は滅びる運命だったが、シュレイドの文化は現代に至るまで確かに根付いていた。そのうちの一つが“狩人の宴”と言っていいだろう。

 かつての王国が栄えると同時に力を持ち始めた貴族たち。当時は野蛮人や荒くれ者を指すことも多かったという狩人の文化も、派手を好む貴族たちがその文化を生かして娯楽を生み出したのだ。

 その後もヴァイスは、簡単にシュレイドの歴史を説明した。

 そして、丁度区切りのいい部分まで話し終える頃には、日もだいぶ暮れてきていた。それ以上の事を話すことはなく、今日はこれでお開きとなった。

 

 

 

 翌日になると、ヴァイスはギルドマネージャーに呼び出された。先日ドンドルマから送られてきた資料に関し、ヴァイスに確認しておきたいことがあるのだという。

 集会浴場に足を運び、ヴァイスは手短に要件を済ます。すると、ギルドマネージャーが一通の便箋を取り出した。

「これは?」

「ああ。悪いが、これを紅葉荘まで届けてくれないか?」

 ギルドマネージャーにそう言われ受け取った便箋には、確かに宛先が紅葉荘と記されている。

 基本的に、手紙などの簡易郵便物は郵便屋が宛先まで届けることになっている。しかし、中にはギルドの仲介を必要とする郵便物もあるらしい。ヴァイスもそこは専門ではないため、詳しいことは明確ではない。

 しかし、それを断る理由も無いため、ヴァイスは快諾する。

「構いませんよ」

 そういえば、以前にもこんな事があったな、と思いながら便箋を受け取る。思い返してみれば、その時もこうして紅葉荘への配達をギルドマネージャーから頼まれていたものだった。

 そんなことを振り返りつつ、ヴァイスは集会浴場を去り、紅葉荘へやって来る。

 普段なら玄関口に暖簾が掛かっているのだが、今日はそれがない。休業日だろうかと疑問を持ちつつも、扉をノックする。しばらくして、扉の向こうからレーナが姿を現す。

「あら、ヴァイスさん。ちょうどグレンさんとソラも来ているんです。よかったら中へどうぞ」

 レーナの言葉に甘え、中へお邪魔する。彼女の言うとおり、カウンター近くに設置された五人掛けのテーブルにグレンとソラが腰を下ろしていた。

「偶然ですね。ここで会うなんて」

「まあな。爺さんに頼まれて来たからな」

 グレンと短く会話を交わしつつ、頼まれた便箋をレーナに手渡す。

 仕事を終えたヴァイスが踵を返そうとする。だが、そのヴァイスをレーナが引き留める。

「ああ、ヴァイスさん。ちょっと待ってください」

「どうしたんだ?」

 そう尋ねてきたヴァイスの前で、レーナが椅子に座る二人の方へ視線をやる。

「せっかくグレンさんとソラもいるんです。よかったら、話してもらえませんか。ヴァイスさんの子供の頃の話」

「子供の頃の話?」

「はい。ちょうどわたしたちも、それを話していたところなのです」

「今日は宿も休みなので。休憩も兼ねて、あたしが二人を呼んだんですよ」

 ソラ、そしてレーナの二人の話を聞いてヴァイスも納得する。

 レーナは宿泊客――と言っても大方がハンターだが、そのハンターたちの生い立ちや武勇伝を聞くのを趣味としている。どうしてハンターを志したか。今までで一番手強いモンスターはなんだったかなど、その話題は多岐に渡る。

 況してや、ヴァイスはギルドナイトなのだ。一般のハンターではない、特別な存在であるギルドナイトを志すようになった動機を知りたいということは当然だろう。

「そういえば、俺ともそんな話を一年前にしましたね。あの時は、まだ話してくれなかったですけど」

 レーナに託けてグレンも思い出したように言う。そんな事を二人立て続けに言われては、さすがにヴァイスも居心地が悪くなってしまう。

 それを思ったヴァイスが深く首肯し、そして考え込む。

「……そうだな、少しだけ時間をくれないか?」

 ヴァイスが確認を取ると、三人はその問いかけに頷いた。

 三人の了解を得ると、ヴァイスは一旦紅葉荘から姿を消す。それから五分ほど時間が経過した後、ヴァイスが戻ってきた。

「あら。おかえりなさい、ヴァイスさん」

「待たせて悪いな。それと……」

 チラリ、とヴァイスが後方へ視線を向ける。

 その視線の先を見ると、玄関の扉が少しだけ開いている。その隙間から見知った瞳が二つ、こちらを覗き込んでいた。……何とも不機嫌そうな様子で。

 その様子を目の当たりにし、ヴァイスも呆れて溜め息を漏らす。

「早く入って来たらどうだ? それとも、そんなところで、まるで変質者みたいに長話を聞くつもりか?」

「なぁっ!? 私は変質者なんかじゃないですよ!」

 不機嫌な瞳の正体――クレアが、ヴァイスの言葉に引き寄せられて玄関の扉を開け放った。

 変質者ではないと彼女は言うものの、こっそりと玄関口から中の様子を窺うその様は、変質者のそれに変わりない。その場にいる誰もがそう思う。

 しばらくクレアは紅葉荘に入る素振りを見せなかった。しかし、彼女もようやく観念したのだろう。渋々といった様子をこれでもかと露わにし、紅葉荘の中に足を踏み入れて来た。

 そこから椅子に腰を下ろすまでの終始、クレアは大層不機嫌な様子だった。だが、一方のレーナはクレアに冷やかな視線を送るだけ。

 一体この二人の間に何があったのだろうか。クレア曰く、別に大したことはなかったと言うが、この二人の振る舞いを見るならば、それが大したことで片付けられるかは正直微妙である。

 だが、今はそんなことはどうでもいい。

 こうなることを見込んでいても尚ヴァイスがこの場にクレアを呼んだのは言うまでもない。

 自分の過去をここで打ち明ける。

 今まで誰にも語ろうとしなかった、故に誰も知らない自分の過去。それを、この四人に伝えなければならない時なのだ。

 だが、それを思い浮かべると口が重たい。何か言葉を発する時、ここまで生々しく、そして遣る瀬無くそれを思ったことはあっただろうか。

 しかし、それでも口は動いた。誰にも立ち入ることを許さなかった閉ざされた過去の扉を、自分自身でこじ開けようとする。

「――この四人の肖像画は、今から五年近く前に描かれた。そしてこっちが、その時から一年近くが経った頃のものだ」

 ヴァイスはそう言って、懐から取り出した二枚の肖像画を机の上に置いた。

「これ、ヴァイスさんの机に置いてある……」

「ああ。そうだ」

 グレンの言葉にヴァイスが頷く。

 レーナを除く三人は、以前にこの肖像画を見たことがある。だが、こうしてまじまじとそれを眺めるのは、三人にとってもこれが初めてだった。

「この人は、もしかしてヴァイスさんなのですか?」

 しばらく無言で肖像画を眺めていた中、不意にソラが身体を乗り出した。

 ソラが指さした肖像画には、三人の少年と一人の少女が描かれている。その中の一人、洒落っ気ながらどこか大人びているようで、そして妙な親近感を覚える少年に四人の視線が集中する。

 ヴァイスもその少年に視線を落とし、そして静かに首肯する。

「そうだ。それと、そしてこの肖像画の人物も俺に間違いない」

 もう一枚の肖像画を今度はヴァイスが指さして言う。

「これが、ヴァイスさん……」

 装いは違えど、確かに間違えない。それぞれの肖像画に描かれたこの少年はヴァイス本人だ。

 だが、それを理解した同時に、ある種の違和感を覚える。

 洒落っ気があり、年齢の割に大人びた印象があるのは今のヴァイスも変わらない。しかし、少年であったヴァイスに見え隠れしている快活さを目の当たりにすると、それはまるで別人にまで思えてしまう。

 ヴァイスの言ったように、例えこれが五年近く前の姿だったとしても、ヴァイスはその姿とはあまりにも“かけ離れている”のだ。

 皆も同じことを思っていたのだろう。だがそれでも、各々の関心は他の箇所へと移る。

「ヴァイスさん。この人はギルドナイトですよね?」

 もう一枚の肖像画を眺めていたレーナがその人物に視線を向ける。

 子供のような明るい笑みを浮かべた長身の男性がそこに描かれていた。レーナの指摘通り、男性の装いはギルドナイトのそれに間違いないだろう。

 ヴァイスはそれに同意するように頷くが、その肖像画に触れることはなかった。代わりに、四人が描かれた肖像画を改めて提示する。

「……そうだな。まずはこの肖像画の三人が誰なのか。そして、どうして俺がギルドナイトを志すようになったか。その辺りを話そうか」

 様々な感情抱いた視線がヴァイスの回りから注がれる。

 そんな四人の視線を痛いほど感じながら、ヴァイスは一旦間を置き、再び大きく息を吸い込んだ。

「あれは、今からもう六年前だったか。俺はその頃、ドンドルマの学術院でハンターとしての技術を磨いていた」

 その時を今、追憶する――。



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EPISODE64 ~クートウス~

 ――静まり返ったその空間は、張り詰めた緊張に満ち満ちていた。

 唯一そこにあったのは、筆がスラスラと紙をなぞる音。そこにいる皆の誰もが、極め細やかに板書された要点の数々を熱心に書き留めていく。

「そもそも、この自然界においては、モンスターの存在意義については――」

 静まり返っていた空間に、いかにも教養のありそうな男性の声が響き渡る。その男性の言葉を聞き逃さぬよう耳を傾け、重要だと思うところは各々でメモを取る。

 そんな場所に、藍色の“制服”を身に纏うとある少年がいた。その少年もまた、男性の言葉を一言一句聞き落とすことなく、そして自らの知識と重ね合わせペンを走らせる。

 そうしてしばらくの時が経ち、男性の話に区切りが付いた頃、ウェストミンスターの鐘が辺りに鳴り響く。

「おっと、丁度時間が来てしまったな。それでは、今日はここまで。解散」

 男性の“解散”の一言で、張り詰めていた緊張の糸が遂に切れる。「やっと終わった」と溜め息を吐く者もいれば、硬直した筋肉を解そうと大きく伸びをしている者もいる。

 しかし、少年は少年で軽く息を吐くと、窓から見える景色に目を向けた。

 少年の先に見えたのは、高きに連なる山々の数々。そして、茜色に染まりつつある空。物思いに耽ようものなら、雪化粧をした山々を臨んでしまえばいい。そうすれば、それ以外の何物をも考えずに済むのだから。

 だが、さすがに少年も、今に至ってはいつものように物思いに耽ることはできなかった。手早くペンやノートを片付け、そして皆の後に続いてその場を――教室を後にする。

 教室から一歩を踏み出して外界に出ると、辺りは急に騒がしくなる。

 わいわいと言葉が行き通う廊下。今しがたの静けさが嘘に思えてしまうほどにまで、そこは多くの喧騒で溢れ返っている。

 しかしながら、少年がその喧騒に飲まれることも、また入り込むこともない。そこに不快な表情を見せることも、はたまた羨望に満ちた視線を送ることもなく、少年は廊下を進み始めた。

 その廊下をしばらく進んで角を曲がると、向かって右手に中庭が見えてくる。そちらの方に一瞬首を向けようかと思ったとき、少年の後方から不意に声が掛けられる。

「よう、ヴァイス。お疲れ」

 声を掛けられた少年――ヴァイスはその声のした方へ振り向く。するとそこには、ヴァイスと同じ制服を着込んだ見知った顔の二人が佇んでいた。

「お疲れ様ですヴァイス。部屋に戻るところですか?」

「あぁ、そのつもり。ノエルとアーヴィンはどうするんだ?」

 ノエル、アーヴィンと呼ばれた少年二人も互いに頷く。

「今日の授業もようやく終わったことなんだ。さっさと部屋に戻ろうぜ」

 如何にも退屈そうな欠伸をしながら、ノエルは二人を急かす。その二人もまた、ノエルに賛同して歩き出す。

 ノエル・バトラー。そして、アーヴィン・シエル。

 漆黒の髪に、少年らしい物怖じしない黄金色の瞳。竹を割った様な、飾り気のない口調が特徴的なのがノエル。

 そんなノエルと対象に、柔和な笑みを浮かべているのがアーヴィン。切り揃えられた焦茶色の髪と、穏やかな甕覗の瞳。そして、丁寧かつなだらかな言葉遣いが印象に残る。

 三人は共に親友と呼び合えるほどの仲であり、付き合いも長くなる。無駄な気を遣うこともなく、遠慮無しに言い合うことのできる三人も、次第に周囲の喧騒と同化していく。

「そういえば――」

 そうしてヴァイスが何かを言おうとして、途端にノエルが「ははん」と何かを悟った表情になる。

「彼女なら途中で別れましたよ。寄りたい所があるから、先に部屋に戻っていてほしいということのようです」

 ノエルを遮るかのように切り出したアーヴィンであったが、ノエルもノエルでしつこい性格である。アーヴィンの隣から頭を出すと、慣れた口調でヴァイスに迫る。

「遂にヴァイスも、そこまであいつのことを気に掛けるようになったか~。いやぁ、ようやくその気が出てきたみたいだ。そいつは嬉しいことだ」

「別にそういうことじゃない。二人だけが一緒だと、さすがに不自然に思うだろ?」

 一方のヴァイスも、華麗にノエルの冷やかしを受け流す。そうなると、ノエルは面白くなさそうな面持ちになって肩を竦める。

「へいへい。お前って奴は相変わらずだ」

 そう言ったノエルに対し、「人の事は言えませんよ」とアーヴィンが返す。そうすると、三人の誰もが無意識に噴き出してしまう。

 そう、いつだってこんな調子だ。だが、こんなテンプレートのような会話でありながらも、そこに面白味を覚えるということは何とも不思議なものである。

 いつものように何気ない会話を交わし、いつものように廊下を歩く。

 そんな調子で廊下を歩いていると、中庭にとある人物を発見する。そこに設置されたベンチに腰掛け、ウトウトと居眠りしているようだ。

「ったく……。マーキィの爺さんはまた昼寝か」

 そう言ったノエルが、やや呆れた様子でマーキィという老人に視線を向ける。ノエルに釣られて、二人も同じような視線を向けてしまう。

「あれでこのクートウスの理事長だと言われたら、さすがに驚きますね」

「アーヴィンに同感だ」

 苦笑いを浮かべるアーヴィンにヴァイスも賛同する。

 ――ガーランドワークス学術院ハンター専門学校ドンドルマ校。通称“クートウス”。

 かつて古龍観測所と並列で古代文献などの解読をするなどの研究所としての役目を担っていた施設。それこそがクートウスの礎となる。

 当時、若手ハンターの死亡率が増加したために、ハンターの育成養育については議論が飛び交った。そんな中、その研究所はドンドルマの訓練所を取り込み、通常以上のハンター育成を行うという方針を決定する。その結果、新たな教習所が設立される。

 以降は、教習所、研究所共に発達し、それに伴って施設を新調、あるいは拡張していく。そうして今に至るのが、このクートウスなのだ。

 そして、このクートウスの設立に尽力したのがマーキィ・ガーランドその人だ。

 元々マーキィは熱心な研究員であった。そのマーキィの元に、昔から交流のあった大長老から若手ハンターの養成について相談が来る。その時、訓練所を取り込んで、より濃密な訓練を行うという方針を決定したのがマーキィだった。その功績が称えられ、マーキィは今尚クートウスの理事長として若手ハンターの育成に励んでいる。

 しかしながら、そんなマーキィの趣味は昼寝と日向ぼっこ。何とも日和った性格な故なのか、こうして天気のいい昼下がりには、中庭でマーキィが昼寝している姿が目撃されるのだという。

「というか、もう日が暮れてきてるぜ。マーキィの爺さんはいつまで寝てるつもりなんだ?」

 こちらから起こさない限りは、向こうもあのままだろうとノエルが溜め息を吐く。一方の二人は「そっとしておいてやろう」とノエルを説得し、改めて足を動かし始める。

 そうしてしばらく歩くと、ノエルがふと思い付いたように口を開いた。

「……なぁ、これから時計塔に行ってみないか?」

 余りにも唐突なノエルの提案に、ヴァイスは憮然とした表情を浮かべる。対して、アーヴィンは何ら心に留めることもなかった。

「時計塔ですか? 僕は構いませんが」

 アーヴィンは快諾するが、ヴァイスはそれと対照的に如何にも尻が重そうである。

 それを受けたノエルも納得し、そこに不快感を覚える様子もなく、それどころか決まりの悪そうな様子になる。

「あぁ、ヴァイスはどうする? 先に帰っていても問題ないぜ」

 改めてノエルが訪ねてみると、ヴァイスは首を横に振る。

「……いや、大丈夫だ。俺も行くよ」

 何処か力無いヴァイスの返答に、ノエルは「そうか」とだけ返す。

 それを合図にして、三人は方向転換して目指す時計塔への廊下を進み始める。

 彼の言った時計塔は、このクートウスの中心部分に位置する。授業の呼び鈴、正午を知らせる鐘の音はここから発せられるものだ。

 そして、この時計塔はクートウスの生徒も立ち入りが許可されており、時計塔最上階からはドンドルマの街を一望することができる。三人が目指しているのはその最上階だ。

「しかし、ノエルも物好きだな」

 やや呆れたような物言いのヴァイスに対し、ノエルは「そうか?」と小首を傾げる。

「あの場所は、何というか神秘的なんだよ。“クートウスの根源”がそこにあるから猶更だ」

「ノエルの発言には僕も一理ありますね。確かに、あの場所には並々でない程の強い想いに満ちている気がします」

 感慨に耽るノエルとアーヴィンを目の前に、ヴァイスはある種の羨望の眼差しを送る。

 そうしているうちに、三人は時計塔の最上階に辿り着いた。

 眼前に広がるのは、夕日が紅く照らすドンドルマの街並み。それは幻想的な光景であり、思わず息を呑んでしまう。

 しかし、三人がいつまでもその景色に見惚れることはない。彼らの視線は、その後方で赤光に照らし出される銀の刃の双剣に釘付けになる。

 もしこの双剣が何の変哲もない物であったならば、三人も夕日の照らすドンドルマの街並みに目を奪われていただろう。だが、この双剣には三人の目を惹くには十分すぎる異常が現れていた。

 本来双剣というものは、二つの対の刀身が美しく煌くものだ。だが、この双剣にはそれが見られない。何故ならば、この双剣の刀身は、一本は根元からへし折れ、もう一本は刀身が砕けたように欠けてしまっているからだ。

 地平線の近くに浮かぶ夕日と同じ、紅の布の上に置かれた台座に座する鋒無き双剣は、ぼんやりと鈍い光を反射している。

 だが、何故だろうか。この双剣から神秘的な雰囲気を感じるのは。

 それを思うと、周囲の時がまるで停止したかのような沈黙に包まれる。今しがたまで耳に届いていた喧騒も、ここでは聞こえてこない。

 三人もまた停止した時に逆らうことができず、しばらく無言になる。

 しかし、その沈黙はいずれ破られる。だが、停止した時計の針を進め始めたのは、ヴァイスでもなければノエルでもアーヴィンでもない。停止した空間に来た“来訪者”が、再び時を刻んだのだ。

「……おや、こんな時間にここに来る者が私以外にいるとはな。いやはや、君たちもまた、私に似て相当な物好きのようだな」

 突然の来訪者は、そうして笑みを漏らす。そして、三人の間をすり抜け、自らも鋒無き双剣の前に赴き、そして跪く。

「――不思議なものだ。私も君たちと同じような年の頃には、漠然とした夢と理想を抱いて、荒野を駆けまわっていたのだ。それが、こんなにも昔の出来事のように思えてしまうなど……」

 来訪者は依然として鋒無き双剣から視線を外さないまま、しかしながらそう語りかける。

 だが、その語りは果たして三人に向けられたものなのだろうか。彼の来訪者は、その先にある鋒無き双剣に向かい、それを回想しているのではないだろうか。無意識にそう考えてしまう。

「その夢を失い、理想も砕けた時。私を救ってくれた“あの方”には感謝しきれない。そして、私の身体の一部でもあった“お前”にも……」

 そうして、そこに再び沈黙が流れる。

 しかし、そこから時の刻みが忘れ去られることはなかった。来訪者は立ち上がり、ばつが悪そうな表情を浮かべた後、そして再び笑みを露わにする。

「すまないね。この場所に来ると、どうも私は昔を懐かしんでしまうらしい」

 ――君たちも精進したまえ。

 最後にそれだけを言い残し、来訪者は去って行く。

 その場に取り残される形となった三人は、しばらくは去り行く来訪者の後ろ姿を見送るだけだった。そして、その背中が完全に視界から消えてしまうと、アーヴィンがようやく言葉を切り出す。

「“校長”は、この双剣に――“無先剣クートウス”にどれだけの思い入れがあるのでしょうか。それは僕には計り知れません」

 無先剣クートウス。それが、この双剣の真の銘なのか、それは誰にも分らない。

 この名は何時からか囁かれ始めたものだった。それが真実なのか、それとも単なる噂に過ぎないのか。それを特定できない理由には、そういう訳がある。

 しかし、その真実を知る者がただ一人存在する。それこそがクートウス校長、ゲイル・シュタイナーである。

 彼もまた、かつては双剣使いのハンターであり、その実力は高く評価されていた。しかし、そんな彼を奈落の底に突き落とす悲劇が待ち受けていた。

 それは、彼が古龍との激闘の末に起こった結末だった。当時彼が愛用していた双剣が、この激闘の中で力尽きる。

 ゲイル本人にしてみれば、その双剣は自分の夢であり、そして理想の具現であった。それをこうして失ってしまった時、彼は夢も理想も、そして終いにはハンターとしての意志さえをも喪失してしまう。

 途方に明け暮れ、ハンターから退こうと決意したゲイルに、ここで救いの手が差し伸べられる。その人物こそ、クートウス理事長、マーキィ・ガーランドだった。マーキィの熱心の説得の末、ゲイルはクートウスの校長に就任した。

 そして、校長となったゲイル兼ねての希望により、時計塔最上階に彼の愛用していた双剣を展示することになった。

 ――クートウス。それは、未来を切り開く若人たちの道標となるべく、こうして高きに座し、その道を照らし出す。それこそが、クートウスのあるべき姿なのだ。

 マーキィと、そしてゲイルの願いは、大いなる夢と希望を抱く若人たちに紡がれ、そして伝えられていく。

「でも、俺らにだって夢はある」

 ノエルの力強い言葉にアーヴィンは頷く。

「ええ。だからこそ、こうしてここにいるんですから」

 アーヴィンも共に決意を改め、そして再び無先剣クートウスに視線をやる。

 ――汝、夢、希望、そして理想を抱く若人ならば、それを実現させるだけの努力を惜しまず、精進することを誓え。

 そんな声が聞こえてくる気がする。

 三人は一礼して、そして踵を返す。

 この場所は、自分の決意を改められる。だからこそ、こうしてここに通うこともある。自らの決意を認識し、そして前に進むために。

 クートウスは、若人の道標となる。

 

 

 

「……ふぅ、気が引き締まった。これで、次の演習も気合い入れて臨めるぜ」

 握り拳を作ったノエルが意気揚々とそんなことを述べる。

 アーヴィン、そしてヴァイスもそれには同意する。しかし、ヴァイスはそんな二人に気付かれないような気鬱な溜め息を吐く。

「ところでさ。演習は一応次で最後なんだろ? どこに行くんだ?」

「あそこまで熱くなっておきながら、その辺りはてんで気に留めていなかったんですね……」

 そのヴァイスには気付く様子もなく、二人はそのような会話を交わす。そうしていると、ノエルが普段の調子で今度はヴァイスに尋ねてきた。

 ヴァイスもいい加減気を改めると、ノエルの問いかけに答える。

「次の演習はテロス密林だ」

「テロス密林か……。演習の最後には打ってつけの狩場だな」

「あぁ。気候も丁度いいし、存分に力を発揮できる」

 ヴァイスもそうしてノエルに頷く。

 ハンターが狩猟を行う際、ギルド側からは単独での行動から四人一組のパーティーを編成することが認められている。

 そして、このクートウスでも、演習授業の際にはパーティーが編成される。

 六年制の教育課程であるクートウスでは、三年次、四年次に無作為にパーティーメンバーが決定され、“実技演習”ごとにそのパーティーは再編成される。

 そして、五年次、六年次には、“卒業試験”を受験する正式な四人一組のパーティの決定が義務付けられている。この際のパーティーメンバーは、生徒同士で自由に結成が可能であるが、原則として結成後のパーティーメンバーの変更は認められない。

 また、“卒業試験”は言うまでも無い。クートウス卒業に適したハンターとしての知識、能力が備わっているかどうかを筆記試験、実技試験で考査する。

 ノエルが再三口にした演習とは実技演習のことを指す。演習では基本的にクラス単位で実際に狩場に赴き、そこで様々な課題をこなしていく。本来ならば狩場ではパーティー単位での行動になるわけだが、演習では様々な理由を考慮し、多くの生徒が同時に狩場を回るといった形になる。

 つまりは、実戦形式での狩猟というものは、卒業試験になって初めて経験することになるのだ。卒業試験を受験する生徒たちにしてみれば、この緊張感は途轍もないものである。

「テロス密林での演習は、パーティー内で自由行動となっていましたよね?」

 アーヴィンの問いかけにヴァイスが首肯する。

 今まで行われた演習では、クートウスの教育方針に則り、担当教員たちが授業内容を決定してきた。具体的に言えば、特定の素材の採取や小型モンスターの狩猟などがメインだ。

 しかし、最後に当たる次回の演習では、パーティー内での自由行動が承認されている。これにより、各パーティーで足りない実戦知識などを補う時間に費やすことも可能なのだ。

「それで、俺たちはどうするんだ?」

 このパーティーのリーダー役を担うヴァイスに、ノエルが判断を委ねてくる。

 ヴァイスはしばらく考える素振りを見せた後に、頭の中を反芻するように計画を述べる。

「まだその辺りは考えている最中かな。ただ、特別これといったことをするつもりはないな。卒業試験を見据えて、小型モンスターの討伐がメインになると思う」

「確かに、普段の演習と変わりないですね」

 アーヴィンが改めて指摘すると、ノエルが大仰に肩を竦めた。

「別にいいんじゃないか? 今更新しいこと覚えようたって、それは無理な話だぜ」

「そうですね。僕たちは僕たちらしく、やるべきことを落ち着いて遂行するだけですからね」

「まぁ、そういうこと」

 普段通りで構わない。冷静に行こう。

 それを確認し合った三人が互いに頷く。

「さて、そろそろ部屋に戻ろう。さすがにこれ以上遅くなると、あいつに文句を言われるかもしれない」

「おぉ~、それは実におっかない」

 全く恐ろしいという感情が籠められていない口調でノエルが軽口を叩く。

 だが彼も、これ以上遅くなるのもあれだと何かと引っ掛かったのだろう。そそくさと自室に向かっていく二人の後をノエルも追いかける。

 このクートウスは、ドンドルマの西側に正門が位置している。そこから向かって北側と南側に生徒の使用する共有スペースや各人の個室が。正門正面に建てられた庁舎には、授業で使用される教室が設置されている。ヴァイスたちが向かっているのは、その北棟だ。

 ようやくそこまで辿り着いた三人は、彼らが使用している部屋の位置する階まで階段を上っていく。そして、部屋の正面までやって来ると、アーヴィンが持っていた鍵で入り口の扉を開く。

 部屋に踏み入れて最初に広がる光景は、広々とした共有スペースだ。居間や台所に当たるスペースはここに割り振られ、談笑や勉強会などといったことも行える空間になっている。

 トイレやシャワーはその奥にあり、そこへ続く廊下を挟むように、各々が自由に使える個室が四室備わっている。寝室はこの部屋に当たり、机や本棚といった勉学に励む生徒に必要とされるものはこの場に備えられている。

「灯りが点いていますね。どうやら、先に帰ってきていたようですね」

 アーヴィンがそう呟いて扉を閉める。すると同時に、個室のうちの一室の扉が無造作に開かれる。

「遅かったわね。先に戻っていたわ」

 その扉の向こうから姿を現したのは、三人と同じ色合いながらも、可憐な雰囲気を醸し出す制服を着た少女だった。

「すいません、ルナ。時計塔の方に行っていたもので、少し時間が掛かってしまいました」

 ――ルナ。そう呼ばれた少女は「別に気にしていないわよ」と淡泊な様子でアーヴィンに返した。

 ルナ・クラヴディア。それが、この少女の名だ。

 彼女の姿を一目見てまず視線を惹かれるのは、月のように美しい金色(こんじき)の髪だ。下ろせば腰の辺りまでになるその髪は、頭部の左側で丁寧に一つに束ねられている。

 人形のように整った白皙の顔。そして、その顔立ちには不相応な程の強い意志が込められた瞳は紅玉(ルビー)のような煌きを湛えている。

 その彼女こそが、このパーティーのもう一人のメンバーなのだ。

「時計塔って言うと、どうせノエルがそんなことを言い出したんでしょ? それにヴァイスとアーヴィンが付き合わされたのは分かり切っているわ」

 的確に的を射ているルナの発言に、アーヴィンが苦笑いを浮かべて首肯する。

 一方のノエルは、やや不満そうな視線をルナに送る。

「それは別に俺の勝手だろ? もうすぐ最後の演習があるんだ。だからこそ、あそこに行って気持ち改めておくのが俺のやり方ってもんだ」

 そうだったわね、とそれだけを呟いて、ルナは近くの椅子に腰を下ろす。

「はぁ、相変わらずアンタも物好きね……」

 やれやれといった様子でルナが溜め息を吐く。すると、そんなルナの発言を聞いたノエルが可笑しそうに噴き出した。

 ルナも、突然のノエルの反応に「何よ?」と怪訝な顔をする。

「それ、ヴァイスにも全く同じこと言われたぜ。ハハッ、本当にお前たちってお似合いだわ! こんなところまで息ぴったりなんだからな」

 ついに堪え切れなくなったノエルが否応を言わせない勢いでそんなことをぶちまける。

 そうすると、ルナも言葉を失う。今までぶすっとしていた彼女の顔に次第に赤みが帯びていく。

「は、はぁっ!? それはそれでノエルの問題でしょ! それに、私たちがお似合いってどういうことよ!?」

 必死に取り繕うようにそうは言うが、ノエルもそれは華麗にやり過ごしてみせる。更にノエルは、ヴァイスにまで火種をまき散らす。

「さて、ヴァイス。当のルナはそう仰ってるぞ?」

「そこで俺に振るなよ……」

 ヴァイスも頭が痛い様子で溜め息を漏らす。

 しかし、ヴァイスの返答を聞いたルナが再び言葉を詰まらせてしまう。

 そんな様子を不審に思った――わけでもなく、ノエルが更にルナに漬け込む。

「おっ? その様子だと、ルナは何かに期待していたのか?」

「な、なぁっ!? べ、別にそんなことないわよ!」

「へぇ~、そうなのか~」

 わざとらしく首肯するノエルに、ルナが鋭い視線を送る。だが、その程度でノエルが怯むはずもなく、ルナの攻撃は空しいものとなる。

「ねぇ、アーヴィン。傍観してないで、アーヴィンからも何か言ってちょうだい……」

 無駄な努力をすることを諦めたルナが力無く助け舟を求める。

 対して、アーヴィンもにこやかな笑みを浮かべながらも、場を鎮静してくれるよう動いてくれた。

 これこそが、このパーティーの日常の風景だ。傍から見れば喧しい騒ぎであるのに、そんなことはお構いないなしだ。

 そうして、今日もこんな調子で夜が更けていく。



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EPISODE65 ~悩める少年~

 朝を告げる鐘の音が、凍り付いた冬空のクートウスに鳴り響く。

 東の山々から太陽が顔を出すと、小鳥たちも陽気に囀り始める。この時間帯になってくると、廊下などにも生徒たちの姿がちらほらと見るようになる。

 この辺りになれば、食堂も朝食を提供してくれる。しかし、ヴァイスたち四人は、朝と晩では自分たちで料理を作ることにしている。この時間帯に食堂が混み合うのを嫌ってそういうことになったのだが、本音を言うと各自の料理の腕前を上達させるという理由があった。

 既に朝食を済ませた四人の中で、本日の朝食の料理当番であるルナが仕事を終え、大きく伸びをする。

「んー。さて、私は着替えてくるわ」

「うぁ~、俺は部屋に戻って二度寝するわ~……」

 朝からキビキビとした振る舞いのルナとは裏腹、朝の弱いノエルが、二度寝という魔の欲求に負けて部屋に戻っていく。

「時間になったら引きずってでも連れていくわよ」

 と言っても、ノエルのこの光景は何も珍しいものではない。ルナの言うとおり、部屋を出る時間になったならば、ノエルを叩き起こしてでも教室へ連行すればいいだけの話なのだ。

 そうして二人が自室へ戻ると、その場はしんと静まり返る。このように、パーティー内でも割と騒がしい二人が姿を消した空間は、今までとは一転して驚くほど静まり返ってしまう。

 だが、この温度差にもいい加減に慣れたものだ。身支度を早めに整えていたアーヴィンは、そんなことを気に留めることもなくなった。

 こうして時間に空きが生まれたアーヴィンは、何となく四人掛けのテーブルに目を向け、そして苦笑いする。

 彼の視線の先に映るのは、椅子に腰を下ろし、窓の外をぼんやりと眺めるヴァイスの姿だった。

 これもいつもの光景。そして、普段ならヴァイスに声を掛けることはなく、そっとしておく。だが今朝は、それはできなかった。本当に何となく、声を掛けない気にはなれなかったのだ。

 しかし、理由もなく話を振るのも気が進まなかった。するとアーヴィンは、あることを思い出す。キッチンまで行くと、ポッドに準備されていた紅茶をカップに淹れ、それをヴァイスの所まで運んだ。

「ヴァイス」

 ただ彼の名前だけを呼び、紅茶の入ったカップをそっと差し出す。

「わざわざ悪いな」

「お礼ならルナに。朝から紅茶を準備をしていたのは彼女ですから」

「そうか……」

 それだけの会話を交わし、ヴァイスが差し出された紅茶を口元に運ぶ。しばらくしてヴァイスがカップをソーサーに戻すところを見計らって、アーヴィンが口を開く。

「……また、考えていたんですか?」

 その懊悩を見透かしているかのような静かな問いかけに、ヴァイスはそちらに首を向けることもなく「ああ」と頷いた。

 相変わらず内向的な表情で外を見遣るそんなヴァイスの姿に、アーヴィンも呆れたような、それでいてどこか感心しているかのように溜め息を漏らす。

「何度も言うようで申し訳ないですが、やはり僕には分からないですね。そこまでして“理由”を追い求める意味が、僕には見当たりません」

「アーヴィンの言いたい事も分かるよ」

 そうすると、ヴァイスもようやくアーヴィンに顔を向け、そして苦笑する。

「……俺が、俺だけがそんなことを求めているだけなんだ。そんな理由なんて、後から付いてくるものでもあると思う。だけど――」

 そうして、ヴァイスは言葉を詰まらせる。

 アーヴィンも、ヴァイスの続きの言葉を待った。決して急かすようなことはしなかった。一息入れて落ち着いたのか、それからしばらくが経過した後にヴァイスが再び口を開いた。

「俺には必要なんだ。理由が――、“ギルドナイトを志す理由”が……」

 ギルドナイトを志す理由。そう言ったヴァイスが、力無く背凭れに身体を預けた。

 クートウスは、ハンターの役職に応じた専攻がそれぞれ設けられている。多くの生徒が専攻するのは、一般ハンター部門。このパーティー内ではアーヴィンを始め、ルナとノエルもこちらを専攻している。

 この一般ハンター部門の他にも、王立書士隊部門、はたまた、オトモアイルー部門なる専攻も設けられている。その中でヴァイスが専攻しているのは、ギルドナイト部門。少数精鋭の、学術、技術に優れた者を養成する、言わばギルドナイトの英才教育を行う部門と言っても過言ではない。

 そんなギルドナイト部門を専攻する者は――いや、ギルドナイトなら誰しも、ギルドナイトであることを誇りとする。そして、そこを目指そうとする若人は、大いなる意志と決意を心に抱き、自らの夢を実現しようと必死にもがいている。

 だが、ヴァイスという少年だけは違っていた。

 ――天才。彼を一言で表す言葉に、これ以上のものは存在しない。知識だけを取っても、ヴァイスの狩猟に関する技術は豊富である。だがそれ以上に、ヴァイスは剣の腕――太刀捌きに長けていた。同年代の生徒を圧倒する絶対的な技量と才能を、ヴァイスは持ち合わせていたのだ。

 無論、このような天才を一般ハンターとして育て上げるのは惜しい。クートウスの上層部はそんなことを考えたのだろう。専攻ごとに分かれる五年生に進級する以前に、ヴァイスは校長であるゲイルから推薦を受けていた。「君は、ギルドナイトを目指してみる気はないか」と。

 ヴァイスはその時、迷いなくゲイルの提案に承諾した。

 それが意味するところは、自分で選択した訳ではなく、況してや興味本位でギルドナイト部門を専攻したわけでもない。それは、“他人に示された道を歩く”という単調な理由だった。

 しかし、それこそがヴァイスを悩ませる種子であったのだ。

 ヴァイスの歩んでいる道は、自分から考え、選んだものではない。他人に示された道を、ただ機械的に辿っているだけに過ぎない。故にヴァイスには、ギルドナイトを目指す根本の理由が存在しない。誰かに憧れたというわけでもない。前線で活躍したいということでもない。

 ハンターの中でも選ばれた存在、ギルドナイト。この高みを目指す者として、そんな無意味なままでいいのだろうか。空っぽの自分が、ギルドナイトであり続け、その任務を遂行することができるのだろうか。ヴァイスはそれを思い、そして悩み続けることになる。

「――何か、意味がなきゃ……」

 何かにせがるわけでもなく、ヴァイスは囁くようにそう口にする。

 ヴァイスは卒業試験を控えた時期になった今でも、未だにこうして考え続けていた。そうして思考を巡らせる際には、ヴァイスは決まって窓の外に視線を投げ出し、まるで空虚な瞳で遠くを見遣るのだ。

 そうして再び、ヴァイスが深くにまで自分の世界に潜り込もうとした直前、彼の目の前に銀色の光が差す。目線を少し上に向けると、柔和な笑みを浮かべたアーヴィンがいつの間にか隣にいた。そのアーヴィンは、ヴァイスの目の前に銀色のネックレスを掲げている。

「まだ、焦らなくていいんですよ、ヴァイス。その理由は、貪欲に求め続けて見つかる代物でもないことは、ヴァイス自身も理解しているはずですよ」

 そう穏やかに言葉を紡ぐアーヴィンが、不意に言葉を区切る。そしてヴァイスの腕を持ち上げ、彼の手の中にそのネックレスを受け渡す。

「残された時間は、まだ十分あります。ヴァイスには、この“幸運のお守り”もあるんですから。ですから、今はそこまで悩み苦しむことはないんです。少しずつ、時間を掛けてその理由を導き出すべきですよ」

 そう言われて、ヴァイスは手渡された“幸運のお守り”をまじまじと見つめる。

 銀色の十字架が施され、その中心にヴァイスの瞳と同じ、蒼色の宝石が埋め込まれたネックレスだ。

「アーヴィン、どうしてこれを?」

 これはヴァイスがクートウス入学時に、彼の両親から入学祝として贈られたものだ。そのネックレスを、何故アーヴィンが所持していたのかという一抹の疑問が浮かんでくる。

 するとアーヴィンは、「単純なことですよ」と肩を竦める。

「昨夜も遅くまで考えていたんでしょう。ルナが今朝起きてみると、これがヴァイスの今いる机の上に置き去りにされていたようですよ。僕は彼女からヴァイスに渡しておくよう頼まれていたんです」

「なるほど、そうだったか。いや、そうだったな……」

 受け取ったネックレスをまじまじと見つめながら、ヴァイスがポツリと言葉を漏らす。

 しかし、アーヴィンにもその言葉は届いたのだろう。

 幸運のお守りなのだから、肌身離さないようにしないといけませんよ。

 そんな穏やかな忠告を告げると、アーヴィンもまた自らの部屋へと戻っていった。

その場に一人取り残されたヴァイスは、もう一度十字架のネックレスに視線を落とす。中心で静かに煌く蒼の宝石は、その輝きの向こうでヴァイスを映し出す。

「……分かっているよ。今ここで悩んでも、無駄だっていうことぐらい」

 自らに言い聞かせるように、ヴァイスはゆったりとした口調でそう言い切った。

 そう。ヴァイス自身も、それは分かっている。ただここで行き悩むだけでは、その答えが見つかることなど決してない。例え蟠りを抱いていようと、前へ進みださなければその“理由”を掴むことはできない。

「そうだな。今は、まだ前を見ているだけでいい」

 そうして自分に言い聞かせて、ヴァイスは重い腰を上げる。

 既に卒業試験は、まじかにまで迫っている。そこに迷いが生じれば、仲間の足を引っ張る形に成りかねない。

 だからこそ、今は前を見て進む。仲間と共に、大きな壁を乗り越えるため。そして、空っぽの自分と別れを告げるため。

 そんな強い気持ちが、未だに後ろ髪を引かれるヴァイスを突き動かしたのかもしれない。

 

 

 

「それでは今から、明日から行う演習についての確認を行いたいと思うんだが――」

 昼食をはさんだ午後の授業。この時間は普段と異なり、翌日から出発する演習についての各種確認を行う時間として当てられている。

 教卓の前で淡々と話を進めるのは、ヴァイスたちの担任を務めるルーク・レイナーだ。

 ルークはクートウスで教師として勤めている傍ら、今も尚現役のハンターとして活躍している。使用する武器はランス。防具はS(シルバー)・ソルZ(ゼット)シリーズという申し分ないG級ハンターとしての技量を兼ね備えている。

 だが、現役ハンターである彼が受け持つ授業は、あくまでハンターの基本的な知識を養うものが中心である。学院内で行われる演習授業については、このクラスでは副担任を務める臨時講師が授業を行っている。

 しかし――、

「なぁ、アヴィさん。遅くないか?」

 ヴァイスの後ろに座るノエルがそっと耳打ちしてくる。ヴァイスもそれには「そうだな」と素直に同意を示す。

 アヴィとは、演習授業を受け持つ臨時講師の名だ。本来なら、この時間ならばアヴィも教室に姿を見せているはずだ。演習事業を受け持つ講師として、演習地へ赴く際の各種確認及び注意事項の説明は、彼が行うべきことなのだから。

「あの人は臨時講師でクートウスに呼ばれているんでしょ。ただ、忙しいだけじゃないの?」

 ルナの発言にも一理ある。

 アヴィの他にも、クートウスは多くの臨時講師を募っている。臨時講師と言うだけあり、普段はハンターとして活動している者も数多い。確かに、アヴィもその臨時講師のうちの一人であるが、ルナの指摘どおり基本的に忙しいことに変わりないはずだ。

 そうして互いに憶測を交わしてしばらく経つと、不意に教室の扉が開かれた。その瞬間、やや騒めいた教室が一瞬にして静まり返った。そして、クラスの全員の視線が、そちらの方向に向けられる。

「……すいません、遅れました」

 開口一番に謝罪をして入室してきたのは、長身で細身の男――いや、正確に表現するならば少年だ。その少年はゆっくりとした足取りで教卓の前まで進み、そして改めてルークに頭を下げた。

「あぁ、気にしないでくれアヴィ君。君が忙しいことは、私も重々承知しているからね」

「以後、十分に気を付けます」

 二人が短く言葉を交わした後、ルークが教壇から降りて窓辺にあしらわれた椅子に腰掛ける。そのルークと入れ替わるように、アヴィが教壇に登壇した。

「相変わらず、掴みどころがないというか、何とも不思議な人だな……」

 アヴィに決して届くことのない程の小声でノエルが呟く。

 正直なところ、アヴィの姿を初めて目の当たりにした時、ヴァイスも全く同じ感想を抱いていた。

 一見すると華奢そうな体型だが、その身体はハンターとして鍛え上げられている。顔立ちは大人びているが、実際は自分たちと大差無い年齢だと聞いている。

 ただ、それだけなら何も不自然に思うこともない。だが、アヴィの流浪の民の如く果てを見遣るその瞳は、彼の中に漂う深い闇を映じているようだ。そこから抱くのは、彼はその辺りにいるハンターとは違った妙な雰囲気を醸し出しているということだった。

「では早速、密林で行われる演習についての確認を行っていく」

 それをアヴィがどう思っているのか。そんなことを汲み取ることは不可能だった。普段と同じ淡々とした口調で、演習を実施する際の細かな注意点を述べていく。

「今回の演習は、卒業試験を控えた重要なものだ。前回の演習の際にも言ったとおり、今回の演習では、各パーティーの自由行動を許可する。各々で不足していると感じる部分を意識して、今演習には臨んでもらいたい」

 説明の最初の辺りは、このような事前に聞かされていることに関するものが主だった。そのためか、ノエルも退屈そうに欠伸交じりにアヴィの説明を聞き取っていた。

 しかし、それからしばらくしてアヴィの話も終盤の辺りに差し掛かったころで、彼の声色が僅かに強張った。それを感じ取ったノエルも、さすがに居住まいを正す。

「最後になるが、今演習において最も重要なことを伝えておく。皆も知っているだろうが、この時期になるとランポスたちも餌を求めて活動が活発になる。だからと言って、密林でランポスの大群に遭遇する可能性は高くないだろうが、それでも狩場はランポスのテリトリーであることに変わりはない。故に慢心は禁物だ。何か非常事態が起これば、手筈通りに救難信号を出すように。俺からは以上だ」

 一通り話し終えたアヴィが一息吐く。ルークも「お疲れさま」とアヴィを労い、そして今度はルークが口を開く。

「さて、演習に関する注意事項は以上だ。今日はこれにて解散になる。明日の出発に備え、各自準備を整えておくように」

 ルークとアヴィが教室を後にすると、生徒たちが途端に騒めき始める。大方、演習の話題が飛び交っていることは想像に難くない。

 そんな中、ノエルがやはり気怠そうな表情で溜め息を吐いた。

「しっかし、ランポスの狂暴化と言われてもな」

 漆黒の髪を弄びながら、ノエルがそんなことを呟く。そこからルナとアーヴィンに視線を向けてみると、二人も同じような心境であることが見受けられた。

「ランポスの大群が発見されていないなら、それはせめてもの幸運だと思うけどな」

「それは、ヴァイスの言うとおりだけど……」

 今までの演習において、ランポスを討伐した経験は確かにある。だが、その時を振り返ってみても、単独、もしくは二、三体の小さな群れを形成したランポスを討伐しているだけに過ぎないのだ。

 この冬の時期は、餌を得る機会が減少してしまう。そうなると、ランポスたちも更に結託して、普段は見せないような執拗な行動を取ることもあるのだという。各々にしてみれば、それが今回の演習の重石になっているのだ。

「例え大きな群れでなかったとしても、ランポスたちにとっては、結局は僕たちは餌であることに変わりありませんからね。実戦を考えれば良い経験でしょうが、気が進まないことも確かです」

「はぁ……、そういうことだ」

 ノエルは、やれやれとでも言いたげに席を立ち、大きく伸びをする。

「でも、そこまで気に病む必要はないだろう。普段どおりに立ち回れば、何も苦労することはないはずだから」

 三人とは違って、ヴァイスは楽観的だった。そんなヴァイスの様子を見て、アーヴィンも「さすがですね」と笑みを漏らす。

 ノエルに倣って三人も席を立ち、そして荷物をまとめて教室を後にする。

 夕日が差し込むクートウスの廊下を、四人は真っ直ぐに進んでいく。道中でいつものように昼寝中のマーキィと遭遇して、いつもの道筋を進んでいく。

 しかし、ヴァイスたちの足は途中で歩みを止めてしまう。その理由は単純だ。普段とは異なるものが、四人の視界に移りこんだからである。

 四人の視線の先にいるのは二人の人影。うち一人は、アヴィだと理解するのに時間は要さなかった。だが、もう一方の人物には心当たりがない。

 二人は妙に親し気な雰囲気だった。いや、正確に言うと、面識の無い人物――遠目では女性のように見えるが、その人物が一方的にアヴィに話を投げ掛けているようであった。その二人のやり取りは、こちらにも薄っすらと届いてくる。

「やっぱ山の上だから、ドンドルマの空気って美味しいねぇ……。それよりも、調子はどうかな、アヴィ。なかなか講師も板についてきたようだけど?」

「……」

「わかってたけどこっちも色々大変でさ~。いやでも、やっぱり凄いところだな、改めて感銘を受けたよ。引き締まって、いい雰囲気だよ、クートウスは」

「……」

「何だよぉ、さっきからだんまり決め込んじゃってさ。らしくないじゃんよぅ」

「いや、少しな……」

 気乗り薄なアヴィの様子を見て、その人物は静かに頷いた。

「強引に連れて来ちゃったかなってずっと気にしてたけど、案外上手いこといってるみたいで良かったよ。いやしかし、正解だったかな、こういうとこに入ってもらったのは。こうでもしないと、アヴィは理解してくれなさそうだったし」

「……」

 今までと同じく、アヴィは沈黙を貫く。だが、この時だけは、彼は目の前の人物相手に押し黙った。

 二人の後方にいるヴァイスたちからは、アヴィの表情を窺うことはできない。だが、彼はいま渋々とした表情を浮かべているであろうことは何となく想像できた。

 すると、アヴィと話していた人物の視線がヴァイスたちに向けられた。視線が合うと、四人の中には気まずい空気が流れたが、向こうはそんなことを気にしない様子で微笑んだ。

「彼らが、君の教え子なんだろ?」

「ああ、そうだ」

 アヴィも溜め息を吐くと、その問いかけに首肯する。

「しかし、アウルーラ。なぜお前がそんなことを気にするんだ?」

 アウルーラと呼ばれたその人物は、「いや、別になんでもないさ」と答えると、ヴァイスたちに歩み寄って来た。

 四人の目の前まで迫ったアウルーラが、まじまじとした視線を送ってくる。だが直後に、アウルーラは再び柔和な笑みを漏らす。

「へぇ~、君がヴァイスなんだね。一目見て分かったよ」

 アウルーラの突然の発言に、四人は――特にヴァイスは面食らった。それもそうだ。こちらにしてみれば見ず知らずの人間のはずが、一方のそちらはヴァイスの名前を知っているのだから。

 しかしアウルーラも、四人が狼狽している様子を見て、警戒されていることを悟ったようだ。笑みを苦いものへと変貌させ、「そんなに警戒しないでくれよ」と軽い口調で言う。

「“ボク”はアウルーラ。アヴィとは、昔から縁があってね。簡単に言うと家族、みたいなものかな?」

 疑問形の言葉と共に、アウルーラはアヴィのいる方へ振り向く。するとアヴィは、無言ながらもコクリと頷いた。

「まぁ、そういうことになるね」

 そうしてアウルーラが大仰な素振りを見せる。

 しかし、当の四人はそんなアウルーラの様子を気にも留めなかった。先ほどアウルーラの発した言葉に、妙な違和感を覚えたためである。

「もしかして、ボクっ子……?」

 ついにノエルが、その違和感を小声で呟いた。

 それはノエルにしてみれば、アウルーラの耳に届かぬように囁いたつもりなのだろう。だが、一方のアウルーラは、困惑気味の四人を見て苦笑いを浮かべた。

「ははは、君たちもやっぱり勘違いしていたかな? よく勘違いされるんだけど、ボクは男なんだ。こんな容姿だけどね」

 この口調から察するに、アウルーラはノエルの言葉を聞き取ったのだろう。いや、例えそうでなかったとしても、分かりやすい四人の態度を窺えばその憶測は容易だったはずだ。

 初対面の相手に心の内を見透かされたかのような感覚に、ヴァイスたちも思わずたじたじとなる。

「いえ、そんなことは……」

 ヴァイスが取り繕って、アウルーラの言葉を否定する。

 しかし、それが苦し紛れであることは、アウルーラ自身も理解しているだろう。それを思ったヴァイスが、降って湧いたように話題を転換する。

「そんなことよりも、どうして俺の名前を?」

「あぁ、そんな事か。それは簡単だよ。ボクはしばらくギルドに顔を出していたんだけど、その時にとある噂を耳にしたんだ。クートウスに将来有望なギルドナイトがいるとね」

「それは……」

 アウルーラの言葉に、ヴァイスは言葉を失う。

 彼の言葉通り、ヴァイスはクートウスの生徒ながらも、ギルドナイト内でその名が知られている。それはもちろん、ヴァイスが将来有望なギルドナイト候補であると既に知られているからだ。

 だが、やはりヴァイスは、その事を自身で考えてみると、どうしても居心地悪さを感じてしまうのだ。今朝の決意も、これを気に揺らがんとヴァイスを苛責る。その理由は言うまでも無い。

 アウルーラも、後ろ暗い反応を示したヴァイスを見て言葉を付け足す。

「気を悪くしたら悪いね。でも、そうでなかったとしても、ボクはヴァイスのことをアヴィから聞いているよ。実力も申し分ない上、知識も兼ね備えているとね」

「ですが、それだけだと俺はギルドナイトになれないですよ」

「そういうものかな? まぁ、志しが高いことは良いこと思うよ。ボクがこう言っても説得力が皆無だけど、ヴァイスはギルドナイトになれるはずさ」

「ありがとうございます。少し気持ちが楽になりました」

 神妙に頭を下げたヴァイスを見て、アウルーラは一瞬驚いた様子を見せた。だが、またすぐに微笑んで見せて、アウルーラは身を翻した。

「じゃあ、ボクはこの辺りで。明日からは演習があるんだよね。頑張って、応援しているよ」

 最後に首だけをこちらに向け、肩越しにそう言ったアウルーラの背中が次第に遠くなって行く。

 アヴィもまた、四人に引き立ての言葉を掛け、またどこかへ行ってしまった。

 その場に取り残される形となったヴァイスは、軽く溜め息を吐く。そうしてから、皆と連れ立って自室へ続く廊下を歩き始めたのだった。



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EPISODE66 ~沈黙の密林~

 テロス密林。ドンドルマから遥か東方、旧大陸の最東部に位置するその狩場は、一般のハンターのみならず、クートウス所属の生徒たちも訪れることの多い地だ。

 狩場の東側に位置する海の影響で、この辺り一帯は湿潤かつ多雨な気候だ。そのおかげもあってか、狩場全体は木々や草原に覆われ、それが密林と呼ばれる所以となっている。

 しかし、このテロス密林はアルコリス地方などとは異なり、街道から更に奥まった森林の先に位置する狩場だ。徒歩やアプトノスを用いて赴くにはあまりにも遠すぎるため、最寄りのグロムバオムと呼ばれる村までは飛行船で移動するのが一般的であった。現にヴァイスたちも、ドンドルマとグロムバオム間の長距離を飛行船で移動してきたのだ。

「いよいよ、卒業試験前の最終演習ってわけだな」

 上空の青空の中に浮かぶ太陽を仰いだノエルが、やる気に満ちた様子で言う。

 そんなノエルの様子を見たアーヴィンも、思わずといった感じで苦笑いを浮かべる。

「装備品や道具類の手入れは終わりましたか? 気合いだけ先行しても、準備を怠れば元も子もないですよ」

「言われなくても分かってるぜ。準備はもう済ませてある」

 高らかな口調で言ったノエルが、背中に担いだ武器――ガンランスをアーヴィンに掲げて見せた。

 ガンランスとは、その名の通り槍としての性能を持ちつつも、内部に銃火器に似せた砲撃機構を組み込んだ二面性を持つ武器なのだ。つまりそれは、狩猟における機械武器の先駆けとも言えることになる。

 しかし、砲撃機構を内部に組み込んだ為にガンランス自体の重量は大剣と同等かそれ以上にまで増加した。それに加えて複雑な機構を操るだけの高度な力量を要求される武器なのだ。

 だがそれは、言い換えればガンランスの最大の特徴であり、また持ち味でもある。強固な盾で相手の攻撃を防ぎつつ、鋭い突きと近接砲撃、更に絶大な威力を持つ竜撃砲による攻撃は、攻守を兼ね備えた理想的な武器とも言える。

 ノエルの使用するガンランスは、アイアンガンランスと呼ばれる。主に鉱石素材を用いて生産されたこの武器は、ガンランスの典型的かつ初歩的な造りをしており、駆け出しハンターに多く愛用されている。

 一方、アーヴィンはと言うと、先程から各種弾丸の確認と、スコープの調整を細かに行っていた。

 アーヴィンが使用するのはヘビィボウガン。軽量で軽快な立ち回りを得意とするライトボウガンとは真逆で、機動力を犠牲にしてまでも火力の底上げを図った射撃武器である。

 アーヴィンが持つヘビィボウガンは、ボーンシューター。これもまた、ヘビィボウガンの中では安価で初歩的なものに当たる。

「ヴァイス、それからルナ。そちらはどうですか?」

 ノエルの様子を確認したアーヴィンは、今度はヴァイスとルナの方へ視線を向けた。この二人もまた、武器の手入れは既に済ませているようであった。

「私たちは大丈夫よ。それよりも、アーヴィンも準備を怠っては駄目よ。アーヴィンは私たちのパーティー内で唯一の援護担当のガンナーなんだから」

「えぇ、それは重々承知ですよ」

 ルナの言葉にアーヴィンは深く首肯し、そして武器の手入れへと意識を戻した。

 ふぅ……、と溜め息を吐いたルナは、もう一度自身が愛用する武器を腰から引き抜き、太陽にかざしてみた。

 ツインダガー。大ぶりのナイフと三本の棘が刀身から突き出したナイフを両手に構える二刀流スタイルの武器、いわゆる双剣だ。双剣は片手剣の盾を短剣に持ち替えたようなもので、それは守りを捨て徹底的に攻めを重視した武器と言える。

 このように各々が使用する武器はそれぞれだが、このパーティーでは個々人の役割がはっきりしている。

 守りの堅いノエルが前衛に出つつ囮役を買って出る。その間にヴァイス、ルナという攻撃的な武器を扱う二人が相手の体力を一気に削り取る。その三人の援護をガンナーであるアーヴィンが担当する。

 この四人がパーティーを組むきっかけはやや“複雑”ではあったが、こうして考えてみると最終的にはバランスの取れた布陣に落ち着いているのだ。

 ヴァイスもまた、愛用の鉄刀(てっとう)の刀身に刃毀れが無いことを確認すると、それを鞘に納めて背中に背負い直す。そうして、今一度自らの全身を見返してみる。

 実技授業や演習の際には防具の着用も義務付けられているが、ヴァイスたちの装いは頭部以外を除いてハンターシリーズ。駆け出しハンター向けの防具であり、安価でありながらもそれに見合わない性能を兼ね備えている。

 ただ、ヴァイスたち四人に共通して言えることは、彼らは兜を装備せず、代わりにピアスを装備している。(まも)りのピアスと呼ばれるそれは、特殊な加護を受けているということらしく、ハンターの受けるダメージを軽減することができるという何とも神秘的な防具であった。

 クートウスの生徒に限らず、視界の悪化、見た目が不格好などという理由で、兜は装備せず代わりにピアスを装備するハンターも数多い。ヴァイスたち四人も、そのような理由で兜の代わりにピアスを装備しているのだ。

「……さて、みんな。準備は整ったかな?」

 アーヴィンの支度が整った頃、S・ソルZシリーズに身を包んだルークが拠点に集まった生徒たちを見渡して言った。

「アヴィ君の方も大丈夫かな?」

 ルークのその問いかけに、アヴィはこくりと頷き返す。

 アヴィもまた、クートウスで講師を勤めている際とは異なる装いである。

 彼が背中に担いでいるのは大剣だ。一見してモンスターの大骨に補強加工を施したようなそれはゴーレムブレイドと呼ばれる。だが、見る限りではかなり使い古された大剣に思える。それは、このゴーレムブレイドが最大限の攻撃力を生み出す程にまで強化された証拠だろう。

 しかし一方で、防具に関しては、それはヴァイスたちの見たことない装備であった。

 右肩の辺りから迫り出す猛々しい角。全身を薄緑の甲殻や毛皮で覆われた重装備。まさにそれは、“防具”と銘打つのに相応しい様相である。

 アヴィがこの防具を身に着けているの目にするのは、これが初めてというわけではない。だが、何度その防具を見ても、結局どんな素材を用いて作られたものなのかを判断するまでには至っていない。

 おそらく、この大陸の外――新大陸と呼ばれている未知の地域に生息するモンスターと、その技術を集結して作り上げられた防具なのだろう。

 だが、今はそんなことを気に掛ける必要は無い。目の前に鎮座する広大な狩場と、そこに住まうモンスターたちに意識を向けるのだ。

 そうしているうちに、ルークが生徒たちの前へ出た。演習では見慣れた光景なのだが、いざこれを目にすると、ついに演習が始まるのだという実感が無意識に湧いてくる。

「今回は、ギルドからの支給品は地図のみだ。必要な物資は各自で調達、調合するように。また、救難信号の手筈についても各々で確認しておいてくれ。何か質問のある人は?」

 ルークの問いかけに、疑問を唱える者は一人も存在しなかった。改めて周囲を見渡したルークがパンと手を叩く。

「では、これよりテロス密林での演習を開始する。演習終了の合図はいつも通り、角笛を用いて行うか、私とアヴィ君二人が直接終了を告げる形になる。諸君の健闘を祈っているよ」

 その言葉を皮切りに、拠点に集まっていた生徒たちがパーティーごとに散り散りになっていく。

 徐々に疎らになっていく拠点を横目に、ヴァイスは支給された地図を開く。それを覗き込むような形で、他の三人も頭を出した。

「さて、まずはどう動くの?」

「最初はエリア1に出よう。その後はエリア2、5と順に通って、エリア6の洞窟を目指していくつもりだ」

「なるほど。了解だ」

 エリア6を目指すならば、拠点からエリア5へ続く崖を登るルートが近道となるが、ヴァイスに対して異議を申し立てる者はいなかった。

 そのヴァイスを先頭に、ノエル、ルナ、アーヴィンと続いて拠点を後にする。

 密林の拠点は、海水が流れ込んだ高大な湖に周囲を囲まれている。そこから林道の坂を上っていくと、徐々に木々の密度も高くなってくる。やがて、辺り一帯が木々で覆われる頃には、エリア1に到着していた。

 密林は温暖な気候の故、キノコの群生地も見かける。このエリア1にもキノコの群生地は何ヵ所か存在し、そこで採取を行っているパーティーの姿もあった。

 またこの他にも、エリアの奥まった場所でピッケルを振るっている生徒も見受けられる。このように、密林は生物や自然の恩恵を大いに受けられる狩場として広く知れ渡っている。

「早速採掘や採取を行っているとは。いやはや、精が出るねぇ~」

 年寄り臭い軽口を叩きながらも、ノエルは周囲の警戒を怠ってはいない。

 現在エリア1に見られるモンスターは、アプトノスの群れのみだ。遠方からはランゴスタの羽音も聞こえてくるが、こちらに襲ってくる気配は無さそうである。

「特に変わった様子はありませんね」

「そうね。なら、移動しましょう」

 ルナの言葉に賛同し、四人は再び歩を進める。

 続いてエリア2、5という草原の広がるエリアを訪れてみたが、そこには草食系の小型モンスターの姿以外は見当たらなかった。

「何だか閑散としているわね。ランポスの一匹くらい辺りにいても不思議じゃないもの」

「まぁ、そういう日もあるってことだろうな。取り敢えず、次はエリア6へ向かおう」

 ここからなら、エリア7へ移動するという選択肢もあったが、ヴァイスは少し考える素振りを見せた後にそちらを選択した。

 エリア6もまた、エリア7と同じく洞窟内が狩場として指定されたエリアだ。しかし、エリア7は洞窟内の岩盤の一部が崩れ落ちており、外の光が僅かに差し込んでくる。エリア6はそれと正反対で、暗闇の中にぽっかりとあいた空洞の空間が狩場になっている。

 ヴァイスたちがそこへ続く道を下りていくと、不意に奥から何かの鳴き声が耳に届いた。

 耳に付く小高い鳴き声。この独特な鳴き声は間違えようはない。その先に待ち構えているのは、ランポスで間違いない。

「奴ら、ここに潜んでいたんだな」

「えぇ、そのようですね。それに、かなりの数が集まっているようです」

 奥から届く鳴き声を聞いた限りでは、その数は一匹や二匹ではない。最低でも五匹程度はそこに屯しているはずだ。そして向こうは、こちらの接近に既に感付いている可能性もあった。

「道が開けたら、俺たちは散開しよう。アーヴィンには、安全な立ち位置を見つけ次第援護してほしい」

「分かりました」

 アーヴィンが静かに頷くのを確認すると、剣士の三人がそれぞれの獲物に手を伸ばした。

 やがて、不意に周囲の視界が開けたと同時に、自分たちの縄張りに迷い込んだ獲物に目を光らせる何匹ものランポスが、こちらに突っ込んで来る様を確認出来た。

「散開だ!」

 ヴァイスが言葉を発してから間髪を入れず、それまで固まっていた四人が瞬時に散らばった。

 互いに距離を取りつつ、それでも離れすぎないような絶妙な距離感。その立ち位置を見定め、剣士の三人が各々の武器を構えた。

「ギャアァァァァァッ!」

 視界の中で武器を構えた三人に対し、やって来たランポスたちがそれぞれに散らばっていく。

 その正確な数は六匹。一人に対し、二匹で獲物を捕らえんとその牙を唸らせた。

「はぁっ!」

 しかし、ランポスの一撃を回避すると、すぐさま反撃に転じる。

 最初に動いたのはルナだった。向かってきたランポスにツインダガーを突き出し、そして薙ぎ払う。続けてやって来たもう一匹のランポスの攻撃も同じように回避し、そこから幾多の斬撃を繰り出す。

 ルナに続いて、ヴァイスとノエルも応戦する。ヴァイスはルナと同じようなスタイルで、ランポスの攻撃を掻い潜りながら斬撃を浴びせる。ノエルは右手に構えた大盾で攻撃を受け止め、その隙を突いて鋭い突きを繰り出す。

「クオオオォォォォォォッ!」

 しかし、二匹の連携の前では、一人で立ち回るのにも限界がある。

 ヴァイスの背後に回り込んだもう一匹のランポスが、その背中に飛び掛からんと地面を蹴ろうとした。

 だが、ランポスが跳躍する寸前に横やりが入る。所定の位置に付いたアーヴィンが、ランポスの横腹にLv1通常弾を撃ち込んだ。その一発でランポスは吹き飛ばされ、そして小さく声を上げた後に絶命した。

「助かった、アーヴィン」

「いえ、これくらい大したことはありませんよ」

 スコープから視線を上げずに、アーヴィンは淡々とした口調で言い切った。彼は立て続けに、ルナとノエルを狙うランポスを狙撃し、的確に仕留めて見せた。

「クオオォォォォ……ッ」

 仲間を討たれたランポスたちが、動揺の色を垣間見せた。そして、こちらを睥睨するような素振りを見せた後、生き残った三匹のランポスが暗闇の中へと姿を消した。

 すぐさまノエルがその後を追おうとするが、ヴァイスはそれを制した。

「っておい、逃がしていいのかよ?」

「あまり熱くなるなよ。あの程度の数を見逃しても大して意味はないんだから」

 結果的にランポスを取り逃がす形となったノエルは、悔しさを滲ませる。だが一方、ヴァイスはと言うと冷静だった。

 ノエルもまた、ヴァイスの冷静さの前に立つと、彼の熱も自然と冷め切っていく。

「……あぁ、そうだったな。深追いは禁物だったよな」

 髪を乱雑にかき上げながら、ノエルは静かに呟く。ヴァイスはそんな彼の肩を叩き、「そういうことだ」と一言告げた。

 討伐した三匹のランポスから剥ぎ取りを終えた四人は、隊列を組み直して再び進み始めた。

 エリア6から続く暗い細道を進み、同じく洞窟内のエリア8に出る。しかし、ここにはモンスターの姿が見当たらなかったため、四人はすぐに立ち去ることにした。

 ツタを伝って洞窟の岩壁をよじ登り、しばらく道を進んでいくと日光の元へ戻ってくる。ここまでやって来ると、何処からもなく波音が聞こえてきた。

 エリア3。洞窟の出口付近は、背の高い木々が生い茂っているため、洞窟を抜けても目の前の視界は開けていない。やがてその木々の合間を抜けると、目の前には太陽の元で輝く砂浜と、地平線の彼方まで続く青の世界が広がっていた。

「ここが狩場でなけりゃ、こんな浜辺でのんびり過ごしたいもんだ」

「はいはい、そのセリフもいい加減に聞き飽きたわよ」

 密林のエリア3を訪れる度に似たようなことを言うノエルに対して、ルナも呆れて溜め息を吐く。

 ヴァイスはそんなノエルを見て見ぬふりをしつつ、周囲を見渡す。すると、エリア2から続く道から一組のパーティーがこちらに向かって来るのが確認できた。向こうもこちらに気付いたらしく、辺りにモンスターがいないことを確認してから歩み寄って来た。

 近くまでやって来ると、そのパーティーの面々も明らかとなる。彼らもヴァイスたちのクラスメイトであり、それなりに親しい仲である。

「誰かと思えばヴァイスたちじゃないか。演習の方は順調か?」

「まぁな。途中でランポスたちに出会したけど、群れの半分を討伐し損なった」

「へぇ、それは珍しいな」

 そのパーティーのリーダーを務めている少年がやや驚いた表情になる。

 しかし、少年の反応を見たノエルが、ヴァイスの後ろで肩を竦めた。

「ランポスたちに逃げられたんだよ、これが」

「まぁまぁ、そこは根に持つところではありませんよ」

 素気無い様子で言ったノエルを、アーヴィンが宥める。

 この様子を見た少年も、一体どういう経緯でランポスを取り逃がしたのか察したようだった。少年の「相変わらずだな」とも言いたげな表情が、それを物語っている。

 するとここで、少年の後ろに控えていたパーティー内の少女が顔を出してきた。

「でも、あたしたちがここに来るまでの道中には、ランポスの姿は見当たらなかったよ」

 その少女の発言に、ヴァイスたちは驚いたものの、しかしそれは予期していたことでもあった。

「私たちも同じような状況ね。エリア6以外だと、ランポスの姿は見かけなかったわ」

 彼らの発言と、ヴァイスたちのここまでの首尾とを嚙み合わせてみると、密林には現時点でランポスを始めとした肉食系モンスターの個体数が少ないのではないかという推測が立てられる。

 だが、それだけならば、別におかしなところはない。他の種の肉食系モンスターが住まう狩場でも、天候や時季によってはその個体数が激変することもある。今回に至っては、そのケースに当たるのだと考えることも出来る。

 しかし、そこまで考えたアーヴィンは怪訝そうな表情を浮かべる。

「ですが、改めて考えてみるとそれは妙ですね」

「妙って、一体どうしたのよ?」

 アーヴィンの発した言葉に疑問を抱いたルナが思わず尋ねる。いや、疑問を抱いたのはルナだけではない。ノエルや先のパーティーの面々も彼女と同じような反応を示した。

 するとアーヴィンが「出発前のことを思い出してみて下さい」と口を開く。

「アヴィさんが事前に促していました。この時期になれば、餌を求めてランポスたちの行動が活発になると。しかし、ランポスたちは地上には姿を見せず、洞窟内で屯しています。普通に考えれば、獲物を探すなら薄暗い洞窟よりも地上に出た方が理想的なはずです」

「……そういえば、そうね」

 そこまで言われて、ようやく思い出す。彼の言うとおり、出発前の前日にアヴィがそのような内容の話を皆の前でしている。

 テロス密林周辺は一年を通して安定した気候なのだが、この冬の時季になれば餌を得る機会も減少する。特に肉食系モンスターにしてみれば、それは自身の生命の存続にはとても厄介な事態なはずだ。それを考えれば、例え少数のランポスであったとしても、餌となる獲物を求めて密林中を徘徊していて不自然ではない。

 更に、今までエリアを訪れてみた限りでは、洞窟内にランポスの獲物となるようなモンスターはいなかった。それならば、アーヴィンの言ったとおり、外で獲物を探す方が賢明だろう。

 考えれば考えるほど、その不自然さが現実味を帯びてくる。

「さすがに、それは考えすぎじゃないか……?」

「いや、例えそうだとしても、そのことを頭に入れておいた方がいい。不測の事態に備えるためにも――」

 少年の言葉を遮るように、ヴァイスが緊張の色を帯びた声色で促そうとした。

 だが突如、エリアの南方――エリア8へと続く方面で何かが動いたような物音が聞こえた。この場に居合わせた全員がそちらの方を振り向き、そして身構える。

「まさか、ランポスが――!?」

「いや、それは違うようだ」

 ヴァイスの言葉と共に地上に現れたのはヤオザミの群れだった。ヤオザミたちはこちらに身体を向けると、その鋭利な爪を虚空へ掲げた。

 ヴァイスはすぐに辺りを見渡す。

 ヤオザミの数は四体。周囲には他のモンスターの影はない。そこまで把握したヴァイスが直ちに判断を下す。

「ノエル、アーヴィン。二人で一体を仕留めてくれ。俺とルナでもう一体を引き受ける」

「あぁ、分かった!」

「了解しました。ノエルの援護に徹します!」

 言葉と共にヴァイスに応えるように、ノエルとアーヴィンがヤオザミの一体を標的として定め、攻撃を開始する。

「残りの二体はそっちに任せても大丈夫か?」

「あ、ああ! 任せてくれ、引き受ける!」

 少年の返答を聞くと、ヴァイスはすぐさま地面を蹴った。ヴァイスの動きに合わせてルナも続き、狙いを定めたヤオザミ目掛けて鉄刀とツインダガーをそれぞれ振り抜いた。

 ヤオザミも応戦するが、二人に挟まれる形となり思うような身動きが取れない。結局、ヤオザミは成すがままに二人の斬撃を浴びてしまう形となり、最終的には呆気無く力尽きた。

 ノエルたちの方へ視線を向けると、彼らは既に剥ぎ取りを行っている。一方で、少年たちにも意識を向けると、どうやら彼らも無事に二体のヤオザミの討伐に成功したようだった。

「ふぅ……」

 緊張の糸を解くようにヴァイスが短く息を吐き出し、討伐したヤオザミから剥ぎ取りを行う。

 ノエルとアーヴィンも二人に合流すると、向こうで座り込んでいる少年の元へ向かう。

「大丈夫か?」

「あぁ、不意を突かれたこと以外はね」

 不意を突かれたと言った少年の気持ちは、ヴァイスたちも同じだった。ヴァイスが少年へ手を差し伸べ、地面へ立たせる。

 全員が剥ぎ取りを終えたところで、二つのパーティーはここで別れることになった。ヴァイスたちはここからエリア9へ向かうことにした。

 エリア9も、普段はランポスたちやコンガの姿を窺うことが多い。しかし、案の定とも言うべきか、そこにはそれらの姿は見当たらず、辺りは静寂していた。

 周囲にモンスターがいないことを今一度確認した四人は、ここで採掘を行うことにした。密林で多く採掘されるものは大地の結晶なのだが、今日は運良くマカライト鉱石を入手することができた。

 すると、ここでルナが思い出したように口を開いた。

「そういえば、エリア1にも採掘ポイントがあるのよね。さっきは他のパーティーがいたから採掘できなかったけど、今から行けば大丈夫じゃないかしら」

 エリア1は、拠点に隣接したエリアであるため、演習の開始時には多くのパーティーがそこを訪れることになる。しかし、ある程度時間が経過した今なら、ルナの言うとおり人も疎らになっていることだろう。

 三人もルナの提案に同意する。

「そうだな。もう一度エリア1に行ってみるか」

 幸いにも、エリア9から続く斜面を下って行けば、直接エリア1に辿り着くことになる。

 採掘した鉱石類をポーチに納めると、ヴァイスに続いてエリア1に向かった。

 エリア1までやって来てみると、ヴァイスたちを除く二組のパーティーの姿があった。しかし、現段階で採掘を行っている人影はないようである。

「さて、早いところ済ませようぜ。ここで時間を食ってるわけにもいかないんだろ?」

「えぇ、そうですね」

 ノエルに促されて、アーヴィンから順にピッケルを振るっていく。

 ここでは大地の結晶の他に、鉄鉱石も多量に採れる箇所だ。残念ながら、ここではマカライト鉱石は入手出来なかった。だが、それでも多くの鉱物が手に入ったのでよしとした。

 ピッケルと鉱物を片付けると、ヴァイスがポーチから地図を取り出した。

 これまでに足を運んでいないエリアと言えば、エリア4、7、10が当たる。この三つのエリア全てに足を運ぼうとするなら、狩場の構成上、拠点を経由する道のりで進むのが効率が良いことは明らかだった。

「一旦拠点に戻って、そこからエリア4へ向かおう」

 そうして地図をポーチにしまい、拠点へ向かおうとした直後だった。ヴァイスたち四人の視線が一斉にとある一点に集中する。

 エリア2へ続く林道。そこから一人の少年が現れた。少年の表情は血相を変えた様子で、大急ぎでここに転がり込んで来たようだった。その様子を遠目で見ていたヴァイスは、妙な胸騒ぎを覚える。

 そうすると、その少年がヴァイスたちの存在に気付いたようだ。少年がヴァイスたちを見つけるや否や、凄まじい勢いで走り寄って来た。

 額に大粒の汗を滲ませた少年の呼吸は荒く、肩も大きく上下させている。ここまでの相当な距離を全速力で駆けてきたことは容易に想像出来た。

「おい、大丈夫か。どうしたんだよ?」

 少年の尋常ではない様相に、その少年に尋ねるノエルの声色も真剣味を帯びる。

 だが、少年はノエルの問いかけには答えなかった。代わりに、ヴァイスたちの想像していた、だが決して告げられたくはなかったことを、少年の口から聞かされる。

「ラ、ランポスの大群が、現れたんだ……っ! 密林の至る所で、奴らが、あ、暴れてる……!!」

 それを告げられた途端、ヴァイスたちは返す言葉を失った。身体が寒気立ち、その熱が急激に冷めていく。

 この瞬間、静まり返った密林が、不気味に騒めき始めた。



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EPISODE67 ~乱戦~

 静まり返っていた密林は、突如としてその沈黙を失った。

 何処からもなく耳障りな鳴き声が轟いたかと思うと、視界の中に幾つもの“青”が横切った。それから間を置かず、密林は奴らの魔窟と化した。

「ギャアアアァァァァァァッ!」

「オオォォォ、オオオォォォォッ!」

 鼓膜を劈く鋭い鳴き声が、辺り一帯から巻き起こる。

 周囲を見渡しても、そこに逃げ場は無い。既に奴らの包囲網に陥ってしまっている。

「くそっ、囲まれてる!」

「こんなに多くの数は相手に出来ないぞ!」

「救難信号は――!? 救難信号はまだなのっ!?」

 荒れ狂う密林に響く言葉も、冷静さを欠いた、恐慌さを帯びたものばかりであった。

 その中でも、この現状を打破しようと既に動き出している者たちもいる。

 だが――、

「倒しても倒しても埒が明かない!!」

「どれだけのランポスが集まって来てるんだよ、畜生!」

 例え迫り来るランポスをねじ伏せようと、追手は限りなく現れる。こちらがランポスを討伐していくよりも、新手が出てくる勢いが遥かに勝っているのだ。

「少しでも、持ちこたえられれば……っ!」

 そうは言うものの、状況は最悪だった。

 絶えず現れ来るランポスたちの勢いに圧倒され、既にこちらは疲弊していた。

 動ける者は、今も尚、己の武器を振るってこれを切り抜けようと一心不乱だった。だが、その者たちの中にも徐々に地面に屈する姿が増えていっていることも事実だ。このままこの場にいる全員が力尽きるのには、それほど時間を要さないであろうことは明白であった。

「くそっ!!」

 ――もう駄目だ。

 そうして諦めかけたその時、一匹のランポスが派手に宙を舞った。地面に叩きつけられたそのランポスは、か細い鳴き声を上げてから二度と起き上がることはなかった。

 突然の出来事に、この場にいる全員が、そしてランポスたちでさえもそちらに顔を向けた。

 幾多の視線の先に佇んでいたのは、右手に大剣を握る重装備の男。その大剣の刀身からは、今し方切り裂いたであろうランポスの鮮血が滴り落ちていた。

 それを目撃したランポスたちの眼の色が、一瞬にして怒りに染まる。

「ギャアアアアァァァァァァァァァァァァァァッ!!」

 感情に任せて狼狽したランポスたちが、弔い戦だと言わんばかりにその男目掛けて突撃する。

 迫り来るその頭数は数知れない。しかし、男は怯む様子など微塵も感じさせない身のこなしで大剣を横一文字に薙いだ。その一捌きで、近接したランポスたち全てをいとも簡単に蹴散らしてみせた。

「……」

 兜から垣間見える鋭い眼光に、屯していたランポスたちもたじろぐ。しかし、我に返ったランポスたちが、再度群れを成して男を捕らえようと飛び掛かった。

 だが、男も淡々とした動きでそれらを対処し、手に持った大剣を振り抜きランポスたちを圧倒する。

 まさにそれは、圧倒的力量差。現状を表すのにはこの一言で事足りてしまう。

 そうして一方的な状況がしばらく続いた後、ランポスたちもようやく観念したのだろう。生き残っていたランポスが逃げるように自らの巣穴に潜り込んでいった。

 それからその場に訪れたのは、不気味で居心地の悪い沈黙。しかし、その沈黙を破ったのは、泰然自若とした男の声色だった。

「――大丈夫か」

 その声に応えるように、倒れ込んでいた者たちものろのろと立ち上がる。

「な、なんと、か……」

「ありがとう、ございます……。アヴィ、さん……」

 周囲から呻くように聞こえ始めた人の声。

 改めてそれを聞いた男は――アヴィは短く息を吐き出した。

「どうやら、全員無事なようだな」

 辺りを一瞥してみてから、アヴィが言う。

 惨状は見るも無惨なものであったが、それでも全員の無事は確認出来た。それがせめてもの救いと言っていいだろう。

 しかし、だからと言って安堵するには尚早すぎた。

 そう。こうしてこの場所がランポスの大群に襲撃されたように、他の場所でも同じ事態が起こっているのだ。

 それを具現するかの如く、上空に向かって幾つもの赤く染まった煙が立ち上っている。それと同時に漂ってくるペイントの臭気がアヴィの鼻孔を貫き、それが更なる焦りを触発する。

「やって、くれたな……」

 地面に横たわるランポスの亡骸をその視線で射貫きながら、アヴィが呟く。

 彼の言葉の裏に宿るのは、奴らに対する憤怒。しかし、そこにどれだけの感情を抱こうと、この状況が解決するわけではない。もちろんそれはアヴィも承知していた。

「……動ける生徒は、怪我を負った生徒の介護を。ここに長居するわけにもいかない。なるべく早く拠点へ戻れ。それまでは気を抜くな」

 そうして周囲に促すと、アヴィは地面を蹴った。

 この場に残って負傷した生徒を介護したいのも山々ではある。しかし、幸いこの場所は拠点に隣接したエリアだ。応援もすぐに駆け付けてくれることだろう。

 しかしそれ以上に、アヴィは空に立ち昇る赤い煙――救難信号に意識を傾けていた。

 ここからでも目視で確認出来るように、密林の至るエリアから救難信号が発信されている。場合によっては、ここよりも更に悲惨な事態にまで進行している可能性も否めない。

 それはつまり、早急な対処を行わなければならないということになるのだ。

 腹の底から煮え滾る怒りを押し殺し、アヴィは救難信号を目当てにその場に急行した。

 

 

 

「――お、おい。どうなってるんだよ、これ!?」

 エリア2に到着するや否や、知れずとノエルの総身も粟立つ。

 いや、それも仕方ないことだった。先ほどまで静まり返っていたその場所が、今はランポスたちの大群で溢れ返っている。

 丁度エリア2に居合わせていたパーティーの面々も応戦しているものの、後方から見ても明らかなほどに状況は芳しくなかった。

 また、エリア中央付近にはペイントの実を使用した救難信号が既に設置されており、上空に向かって赤い煙を立ち上らせている。

「くそっ……!」

 そうして改めて上空を仰いだ時、四人は思わず絶句する。

 ――空が赤い。

 上空に立ち上る救難信号は、エリア2から発せられるものだけではなかった。密林の至る所からその赤煙は舞い上がり、まるで上空を覆い隠すような形になっていたのだ。

 一言で表すならば、異常。それを思った時、ヴァイスたちも言葉を失ってしまったのだ。

「救難信号を発信したとしても、これだと対処出来ないわよ……!」

 発せられた救難信号を確認したルークとアヴィは、既に対処を行っているだろう。だが、この密林に居合わせた実力のあるハンターといえば、その二人に絞られるということになる。

 エリア2と同じか、或いはそれ以上の事態が他のエリアでも起こっていると想定すれば、現状はたった二人でとても対処し切れるものではない。

「……ヴァイス」

「あぁ、分かっている!」

 アーヴィンがその名を呼ぶと、ヴァイスも迷うことなく鉄刀を鞘から引き抜いた。

 ルークとアヴィで対処し切れないと言うならば、何としても時間を稼がなければならない。それを実行する手段はただ一つである。

 ボーンシューターを構えたアーヴィンがLv2通常弾を装填する。彼に続いて、ルナとノエルもそれぞれツインダガーとアイアンガンランスを構える。

「行くぞ。何としても耐え抜くんだ!」

 その言葉を皮切りに、ヴァイスを始めとする剣士三人がランポスたちの大群の渦中に躍り出た。

 新たに現れた獲物たちを前にして、ランポスたちもより一層好戦的になる。

「ギャアァァァァァッ!」

 周囲から巻き起こった鋭い鳴き声。三人は一瞬にして、ランポスたちの包囲網に捕らわれる。

「邪魔だ、どきやがれ!」

 しかし、怯えている暇などない。こうなれば、力任せに包囲網を突破するまでだ。

 そうした荒ごなしを得意とするノエルが先陣を切る。アイアンガンランスを前方に突き出し、そこから立て続けに二発の砲撃を繰り出す。それだけで複数のランポスたちが後方に吹っ飛んだ。

 ヴァイスとルナも彼に続く。迫り来るランポスたちの攻撃を掻い潜りながら鉄刀を、或いはツインダガーを一閃する。

 アーヴィンの後方射撃も的確な援護となり、四人は何とか纏わりついてきたランポスたちを全て討伐した。するとその頃には、地面に屈する生徒の姿も多くなってきていた。

「まずいな」

「ええ。ですので、僕たちも出来る限りの手助けをしましょう」

 アーヴィンの言葉に頷き、四人は一旦散り散りになる。そして、未だに立ち上がれなかったり、怪我を負ったであろう生徒の元へと急いだ。

「おい、大丈夫か?」

 ヴァイスが声を掛けると、座り込んでいた少年が顔を上げた。その表情は苦し気なものであったが、ヴァイスの言葉に僅かな笑みを浮かべて見せた。

「……俺の方は大丈夫だ。でも、他に怪我をしている奴もかなりいるんだ」

「あぁ、分かっているさ……」

 そう言ってヴァイスが奥歯を噛み締める。

 今一度周囲を見渡してみれば、ヴァイスたちと同じように動ける生徒はそう多くはなかった。少なくない生徒が痛手を負っているようであり、思うように身体を動かせないような生徒の姿も見受ける。

 その者たちをすぐに介護するか、安全な拠点に連れて帰らなければならない。

 しかし、ここを訪れた者を易々と見逃してくれるほど、自然は甘い存在ではない。このタイミングになって、敵の第二波がエリア2に到達する。

「くそっ、また来やがったのか!?」

 そんな声が次々と巻き起こり、まだ動ける生徒は再びランポスたちに挑み掛かって行く。

 こうなってしまえば、ヴァイスたちもまた応戦しなければならない。

「ここは俺たちで何とかする! そのうちに、怪我人を安全な他のエリアに逃がしてくれ!」

「でも、それだとヴァイスたちは――!」

「俺たちなら大丈夫だ! 今は俺たちよりも、他の仲間を心配するべきだ!」

 ヴァイスの放った言葉に、少年も反論出来ずに押し黙る。

 ヴァイスは少年の返答を待たずして、新手のランポスの群れに飛び込んで行く。

「はああぁぁぁぁぁぁっ!」

 これ以上、被害を拡大させるわけにはいかない。そのためには、何としてもヴァイスたちがここで踏みとどまなければならなかった。

 それは他の三人も理解しており、共に応戦する。

 しかしそれでも、いくらランポスを地に平伏せさせようと、新手は次々と現れる。

「はぁっ、はぁっ……! まだ、現れるって、いうの……!?」

 スタミナを消耗したルナが息を切らせながら、未だ現れ来るランポスたちを睥睨する。

「あともう少しのはずです! それまで、どうにか耐え抜きましょう!」

「そんなことは分かり切ってるっての!」

 疲弊の色が見えてきた三人をアーヴィンが励ますと、ノエルが意地を張るように彼の言葉に答えた。

 アイアンガンランスを突き出して、一匹のランポスを吹っ飛ばす。続けて手元の引き金を引き、砲撃で以て接近してきた更なるランポスをまとめて蹴散らす。

 そして、ガンランスの最大の一撃である竜撃砲を撃ち込もうと、ノエルがアイアンガンランスのリミッターを解除して、そして引き金に手を掛けた。

「いい加減、失せやがれ!」

 裂帛の気合いと共に、アイアンガンランスの矛先が雄叫びを上げる。刹那、轟音を撒き散らしながら竜撃砲がその銃口から放たれると、ノエルの前方に屯していた無数のランポスたちが、風に吹かれた人形のように宙を舞った。

 その一撃が決定打となった。どうやら、ノエルの繰り出した竜撃砲で討伐したランポスたちが最後だったようだ。

 再び訪れた静寂に、辺り一帯から安堵の溜め息が聞こえてくる。

「皆さん、大丈夫ですか?」

 共にランポスに挑んた生徒たちの安否をアーヴィンが確認する。彼らは四人以上に疲弊している様子だったが、それでも大きな怪我を負ったわけではない。

 また、先程まで動けずにいた生徒たちも、他の面々の協力もあってエリア2から脱出したようだった。

「何とか、なったか……」

 ヴァイスもやっとのことで気を緩め、鉄刀を鞘に納めようとした。

 しかし、そうしようとしたヴァイスの動きがぴくりと止まる。勁風と共に流れてくるペイントの臭気とは別に、生物特有の生臭さがヴァイスの鼻孔を突っ切った。

「まだだ! 気を抜くな!」

 想定していた最悪の事態が迫っていると理解した時には、ヴァイスは既に声を上げていた。

 そして、赫怒とした咆哮が轟いたかと思うと、巣穴と思しき場所から身体の一回り大きいランポスが姿を現した。

 そいつの姿を目撃した途端、その場は再び狼狽の声に包まれる。

「ドスランポス!?」

 誰からでもなく、そいつの名を叫ぶ。

 ――どうして、こんなところに?

 そんな疑問を抱く者さえ、既に存在しなかった。

 ドスランポス。このランポスの大群の指揮を執る群れの長であり、自分たちを窮地に追い遣った張本人である。

 あれだけのランポスの大群だ。それを率いる長が密林に潜んでいることは、無意識のうちに理解してしまっていた。

 だが、現状をどれだけ理解していようと、目の前の戦況が覆されるわけではない。

 先ほどまでランポスを相手取っていた生徒も、ドスランポスを相手にする体力は残っていない。ドスランポスとまともに対峙出来る者は、この場にはヴァイスたち四人しか残っていなかった。

「ルナ! ノエル!」

 ヴァイスが二人の名を呼ぶ。

 言われるまでもない。既に二人はヴァイスの意志を読み取っていた。

「りゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「うおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 雄叫びを上げた二人が、ドスランポスに挑み掛かる。その二人の前に、ドスランポスも立ち塞がる。

「ギャアアァァァァァァァァァッ!」

 しかし、二人の身体にも疲労は蓄積していた。華麗な体捌きで攻撃を掻い潜ったドスランポスが反撃してくる。ノエルは大盾でガードしたが、防御の術が無いルナはその一撃に吹き飛ばされる。

「うぐっ!?」

 苦し気な悲鳴を漏らしたルナの元に、ヴァイスが駆け付ける。しかし、ルナは「大したことはない」という様子ですぐに立ち上がる。

 本人が無事だと言うなら、ヴァイスもそれ以上の心配はしなかった。アーヴィンの援護を受けてヴァイスがドスランポスに肉薄し、上段から鉄刀を振り下ろす。

 通った一撃は、微かな手応え。

 しかし、例え浅い一撃であったとしても、自身に牙を向けた相手をドスランポスは逃さない。ヴァイスの背後に回り込んだドスランポスがその牙を唸らせる。

「ヴァイスの後方、来ています!」

 背後からアーヴィンの声が飛んで来る。

 ヴァイスもまた、言われるまでもなかった。自身の背後にドスランポスが迫って来ているのは承知の上で、ヴァイスは身を翻し斬撃を繰り出した。予想だにしなかった一撃に、ドスランポスも悲鳴を上げる。

「やってくれたわね!」

 ドスランポスの見せた一瞬の隙を突いて、ルナが一気に肉薄した。

 全身の気を集束し、それをツインダガーを通じて解き放つことで鬼人化する。

 身躯を躍らせると、己の限界を超越する双剣使いの剣舞――鬼人乱舞を放つ。迅雷の如き一瀉千里の無数の紅い軌跡が、ドスランポスの身体を斬り刻む。

「てりゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 上段から振り抜いた二筋の軌跡がドスランポスを捉えた時、その身体が後方に吹き飛んだ。

 しかし、この程度で向こうが倒れてくれるとは誰も考えていなかった。派手に吹っ飛ばされたドスランポスであったが、何事もなかったかのように立ち上がると、鋭い視線を再び向けてきた。

「まだか!?」

 ノエルもまた、現状に苛つきを隠せず荒い舌打ちをする。

 ヴァイスたちがドスランポスを討伐する必要は無い。多少の時間を稼げれば、それで構わないのだ。

 だが、ドスランポスはそんなことに構いはしない。こちらを討滅しようと全力で挑み掛かって来る。

 そして、ヴァイスたちもまた、これまでの疲労が蓄積している。一見して有利に見える状況ではあるが、実際はヴァイスたちはかなり苦しい位置に立たされているのだ。

 だが、この奔流にヴァイスたちが飲み込まれては、被害は甚大なものになってしまうだろう。それだけは何としても避けなければならない。

「あともう少しの辛抱だ! それまで、何としてでも耐えるぞ!」

「あぁ、そんなことは言われなくても分かってるぜ!」

 ヴァイスが仲間を鼓舞し、それに各々が答える。

 ノエルも力を振り絞る。開いていた距離を詰め寄り、アイアンガンランスを突き出す。が、その一撃は鋭い金属音を立てて弾き返される。

「洒落(くせ)ぇっ!」

 だが、その一撃が弾かれようとノエルは譲らない。怒気の帯びた台詞と共に、アイアンガンランスから砲撃を撃ち放つ。

 するとそこへ、後方からアーヴィンの声が飛ぶ。

「退いて下さい、ノエル!」

 今度はノエルも、アーヴィンの言葉に素直に従って一旦距離を取る。

 ノエルが安全圏にまで後退したことを確認したアーヴィンが、ボーンシュータ―の引き金を引く。頭部に着弾した一発の弾丸は、時間を置いてから爆音を撒き散らして弾け飛んだ。

 アーヴィンの放った一発――徹甲榴弾は、ドスランポスに抜群の効果を示す。

「キィアアアアアァァァァァァァァァッ!?」

 その絶大な威力に、ドスランポスの身体も大きく仰け反る。しかしそれでも、ドスランポスは地面に踏み止まって見せた。

「徹甲榴弾をまともに食らっても、まだ動けますか……!」

 その表情に珍しく動揺の色が見え隠れしたアーヴィンであったが、すぐに気持ちを切り替える。

 空薬莢を弾倉から取り出し、Lv2通常弾を再び装填する。スコープを覗き込み横っ腹に銃口を向けると、躊躇うことなく弾丸を撃ち出す。

 その援護を受けて、ヴァイスもドスランポスとの距離を詰めた。

 上段から振り抜いた鉄刀は、しかしドスランポスの鱗に呆気無く弾かれる。ヴァイスにしても、それは予想外の事態であり、大きく体勢を崩してしまった。

「ヴァイス!」

「――っ!?」

 名前を呼ばれて頭を持ち上げた時には、ヴァイスの身体はドスランポスの影に飲み込まれていた。

 ――避けられない。

 それを悟ったヴァイスが身構える。

 しかし、いつまで経っても衝撃はやって来ない。その代わりに遅れてきたのは、辺りを塗り潰す白い閃光だった。眩い閃光が弾けてから間を置かず、ドスランポスの悲鳴が鼓膜を貫いた。

「これは、閃光玉――!?」

 自らの視界も閃光に飲まれてしまったため、たった今何が起こったかは定かではない。だが、瞼をも射貫いてくるようなこの閃光にはヴァイスも覚えがあったため、これが閃光玉だと判断出来たのだ。

 閃光が収まり、ゆっくりと瞼を持ち上げた時、そこには一人のハンターの姿があった。

 S・ソルZシリーズを身に纏い、蒼の長槍――プロミネンスソウルを携える男。その男の一突きで、ドスランポスは後方に吹っ飛ばされている様子が視界に飛び込んで来た。

「ギャアアァァァァァッ……」

 起き上がったドスランポスも、この男には到底敵わないと判断したのだろう。先程までの威勢は何処かに消え失せ、そそくさと巣穴へと逃げ込んで行った。

 一瞬のうちに起こった出来事に、ヴァイスたちも理解が追い付かない。

 しかし、男がプロミネンスソウルを肩に背負い安堵したかのような息を吐いた時、ようやく彼らの頭も冷静さを取り戻してくる。

「散々な事になってしまったね……。ともかく、四人とも無事かな?」

 兜の下から聞こえてくる聞き慣れた声に、四人は頷く。

「他のエリアの状態はどうなんですか?」

「運が良かったとも言うべきか、みんな無事だよ。さすがに多少の怪我は免れなかったけれどもね」

 そこまで言って、男が兜を脱ぐ。兜の下から現れたのは、ヴァイスたちのクラスの担任を務めるルークであった。

 そのルークの言葉に、四人はようやく胸を撫で下ろす。

「はぁ、一時はどうなるかと思ったぜ……」

 ノエルの発言に、ルークも申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる。

「それについては私たちが謝罪するよ。とにかく、こんな事態になってしまったことだから、本日の演習はこれまでだ。既にみんな拠点に戻って来ている。君たち四人も、拠点へ戻ろう。……それと、ありがとう。被害がこれ以上に拡大しなかったのは、君たちの頑張りもあってこそだ」

 そう口にしたルークの目の前で、アーヴィンが首を横に振る。

「今回に至っては、このような変則的な事態なので対処が追い付かなかったのも致し方ありません。決して先生が気に病む必要はないと思いますよ」

「ははっ、相変わらずアーヴィン君には励まされるよ」

 そこで初めて、ルークの表情に少しばかりではあるが笑みが見られた。

 それを見たヴァイスも、何とかなったんだなという実感がようやく湧いてくる。

「それじゃあ、拠点へ戻ろう」

 ヴァイスの言葉に、ルナ、ノエル、アーヴィンがそれぞれ頷いた。

 静寂に返った密林の中、彼らはゆっくりとした歩調で拠点を目指すのだった。



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EPISODE68 ~ファーストコンタクトⅠ~

 密林での演習も何とか終わり、四人はクートウスへと帰還した。それから数日が経過すると、冬の寒さも更に厳しさを増し、その冷気がより身に凍みてくるようになった。

 ドンドルマという街は標高の高い山々を切り拓いて造られている。それ故に、冬の時季になれば当然のように雪も降り積もる。

 ヴァイスが窓を開け放ってみると、早朝の太陽の下には白い絨毯が一面に敷かれてた光景が飛び込んで来た。

「寒っ!?」

 窓を開けたことによって、外からの寒気も部屋へと流れ込んで来る。窓辺に座っていたノエルが思わずそう口にし、冷えた身体を摩り始める。

 しかし、寒さを感じているのはノエルだけというわけではない。もちろん残る三人も、窓を開けることには躊躇いの色を見え隠れさせている。

「空気を入れ替えるだけだ。少しだけ我慢してくれ」

「……あいよ」

 そんな中でも、ヴァイスはそのように言ってノエルを説得した。

 そうして数分間だけ外気を部屋に取り込むと、そろそろいいだろうとルナが口を開く。するとヴァイスも、その言葉に応じるように無言で窓を閉め切った。

 それからしばらくして、アーヴィンがキッチンの奥から姿を現した。彼は手にトレイを持っており、どうやらそのトレイに乗せられたカップには四人分のコーヒーが淹れられているようである。

「おぉ、サンキューな」

 この寒い季節には、もはや温かいコーヒーは必需品と言っても過言ではない。その有難みを噛み締め、アーヴィンからカップを受け取った面々が、口々に礼を述べる。

「これくらい、お安い御用ですよ」

 アーヴィンが手短に受け応えすると、四人はしばらく無言でコーヒーを味わった。

 しんと静まり返った時間ではあったが、こういった瞬間も悪くはない。例えその場に会話が交わされなくとも、それに対して居心地悪さを抱く者はいないのだ。

 それからどれくらいの時間が経った頃であったか。丁度コーヒーの御代わりをもらいたいと思い始めた頃に、アーヴィンがふと思い出したように口を開いたのだ。

「……こうしていられる時間も、あと残り僅かなんですね」

 あまりに唐突な、しかしながらしみじみとしたアーヴィンの口調に、ルナも素直に同意した。

「そうね。色々あったけど、もう卒業間近なのよね、私たち……」

 アーヴィンに釣られるように、ルナもまた(こうべ)を巡らせる。

 クートウスで過ごした六年。そのうち、この四人で過ごした時間はもう少しで二年になろうとしている。

 だが、それが二年目を迎えるということは、それはつまりクートウスを卒業することを意味している。クートウスを卒業してしまえば、四人はそのまま各々の道を歩んで行くことになる。

 

 ――また逢えるだろう。

 

 だが、そんな言葉が容易に口から出るのならば、このようにクートウスでの生活を――特にこの二年間の出来事に想いを馳せたりなどはしない。

「本当にあっという間だったな。特に、この四人でパーティーを組むようになってからは、余計にそう感じるよ」

 二人に同調してヴァイスがそのようなことを言うと、椅子の背凭れに身体を預けていたノエルが、ニヤニヤと笑みを浮かべながら姿勢を正した。

 ノエルのその様子を窺って、アーヴィンは何か察するところがあったのだろう。「コーヒーを淹れ直してきますね」と言って席を立ち、しばらくして追加のコーヒーを注いでくれた。

 そのアーヴィンが席に戻るところを見計らって、ノエルが口火を切った。

「なぁ、ヴァイス。覚えてるか? 俺とお前が真面に会話を交わしたあの時のこと」

 詮索してくるようなノエルに対し、ヴァイスはしばらく考え込む素振りを見せる。

「ノエルと出会った時の事と言われると、お前と一緒でアーヴィンが思い浮かんでくるんだけどな」

「おいおい、それはもう少し後の話だろうが。……ほら、三年生最後の演習の時。あの時、俺とヴァイスは同じパーティーに割り振られただろ?」

 そこまで言われて、ヴァイスも「あぁ、あの時の……」とようやく記憶が繋がった様子である。

 しかし、何時になく呑気なヴァイスの様子を見て、ノエルも溜め息を吐く。

「さすがに俺たちの出会いを忘れたとは言わせないぜ? あんなに“穏やか”な出会いになったんだからな」

「まさかそれをノエル本人が言ってくるとはな……」

 どの口が言っている、とでも言いたげにヴァイスが呆れた表情を浮かべる。

「しかも、あれは真面に会話したうちには入らないだろ」

 ヴァイスがそう言うと、ここまで傍目で傍観していたアーヴィンも、ヴァイスには同情するように頷いた。

「ええ、ヴァイスの言うとおりですね。あの時は、ノエルが一方的にヴァイスに食って掛かって来ただけですからね。ヴァイスにしてみれば、ノエルの個人的な嫉妬の巻き添えを食らったようなものなのですから」

 容赦無く繰り出された発言に、ノエルも口を尖らせて「分かってる、そんなことは」とやや不貞腐れた様子を見せる。

 そう言われてみれば、確かにそうだったのだ。

 あれ程までに印象的な出来事だったにも関わらず、それが疾うの昔の話に思えてしまう。

 そんなことを密かに思いながら、ヴァイスはノエルとアーヴィンの姿を目に焼き付け、その時に想いを馳せる。

 ノエル曰く、“穏やか”な出会いというものに――。

 

 

 

 それは今から三年ほど前に遡った話になる。

 クートウスでは、三年生に進級した後に本格的な実技演習が開始されることになっている。

 ヴァイスとノエルのファーストコンタクトはその時のこと。丁度、三年生最後の実技演習が行われた際のことであった。

 その時に行われた演習では、指定された課題の中でパーティー内で演習の方針を決定し、実際に狩場でそれを実践してみるという、先日行われた密林での演習形式にほど近いものであった。

 演習内容は、アルコリス地方でのファンゴの討伐。今までの成績やパーティー形成を元にパーティーが無作為に決定され、ヴァイスとノエルは偶然にも同じパーティーに割り振られた。

 パーティー別に分かれてからは、演習方針を明確にする前に、パーティーのリーダーを決定するのが通常の流れであった。もちろんリーダーに選ばれた者は、パーティーを率いるまとめ役を務めることになる。

 その当時、既にヴァイスは才能の片鱗を垣間見せていた。それは他の面々も承知のことであり、パーティー内の残る二名の生徒は自分たちのリーダーとしてヴァイスを推薦した。しかし、ただ一人、ノエルだけがヴァイスをリーダーに指名することに猛反発したのだ――。

 

「俺だってリーダーを務められるし、少なくともコイツよりは俺は上手くやれる自信がある。なのに、どうしてコイツをリーダーに指名するんだよ?」

 威圧の籠ったノエルの口調に、うち一人の女子生徒がわなわなとした様子でヴァイスとノエルとの間で視線をやり繰りする。

「だ、だって。ヴァイス君、太刀を使うのがすごく上手だし、それに的確な指示を出してくれるって、みんな言ってるよ……?」

「うん、それにはオレも同意するよ。確かにノエルも才能を持っていると思う。でもやっぱり、パーティーのリーダーとしてはヴァイスの方が適任じゃないかな」

 少女に託けて、もう一人のパーティーメンバーである少年もヴァイスをリーダーに推す理由を示した。少年の言葉に便乗するようにして、少女も「そ、そうだよね!」と頷く。

 ――見事なまでの四面楚歌であった。

 ノエルの実力は、確かにこの二人には認められており評価もされている。にも関わらず、それでもヴァイスの方がリーダーに適任であると彼を推薦する。

 何故ならば、その全てにおいてノエルよりもヴァイスが優れているからである。実力、知識、適応力、判断力。どれを取っても、今のノエルではヴァイスに太刀打ちすることが出来ない。

 そんなことは、今更ながらに理解したわけではない。しかし、こうも無惨に、そして改めてそれを理解させられると、ノエルも思わず逸り気になってしまう。

「くそっ、それだけで……っ!」

 そうしてノエルが悔しさを露わにした時、少年の発した言葉が更なる追い打ちを掛ける。

「それに、ノエルは以前の演習でリーダーを務めた時、リーダーにも関わらず一人で突っ走って、挙句軽い怪我をしたらしいじゃないか」

 頭上から叩きつけられたような言葉に、ノエルも返す言葉を失う。

 少年の言ったことは嘘偽りのない事実である。

 その話は前回の演習時のことである。相手が小型モンスターだからと見縊った結果、ノエルは見事に返り討ちを食らってしまい、結局は軽い打撲をしてしまった。その時の出来事を根に持っていただけに、今のノエルには少年の言葉は泣きっ面に蜂であったのだ。

「くそっ!」

 右手の拳を振り上げ、目の前の机にでも叩きつけてやろうと思った矢先、その右手首を何者かにがっしりと掴まれた。唐突な出来事に、ノエルも思わず素っ頓狂な声を上げながら自らの手首に伸びる腕の方へ視線をやった。

 その視線の先にいたのは、他でもないヴァイスであった。彼は表情を一切崩さないまま、しかしながら冷たい声色でノエルに言い放つ。

「――他人に八つ当たりするな。これは、ノエル本人の問題だろ」

 脳天を貫かれたような衝撃だった。

 これは自分の問題だ。

 悪いのは他の誰でもない。ただ一人で勝手に思い上がり、自らの実力を過信した自分の過ちなのだ。だからこれは、当然の報いなのだ。

 そんなことは誰から言われるまでもなく、ノエル自身が最も理解していた。だが、そのことをヴァイスに改めて告げられた時、ノエルは無性に腹立たしさを覚えた。

 

 “自分より到底優れたお前”なんかに、一体何が分かると言うのだ――!

 

「――ふざけんな!!」

 感情に任せて声を荒げると、空いていた左腕を持ち上げ、ヴァイス目掛けて拳を打ち付けた。

 だが、ノエルの繰り出した渾身の拳を、ヴァイスはひらりと避けてみせた。

「なぁっ――!?」

 勢い余ったノエルの身体がつんのめる。しかし、それに懲りないノエルはまたもやヴァイスに向かって腕を振り上げた。だが、何度もノエルがヴァイスに挑もうと、彼は反撃する素振りを全く見せず、しかしそれでいて涼しい表情を装ったまま、ノエルの拳を避け続けた。

 やがて、騒ぎを聞いて駆けつけて来た他の生徒たちにより、ノエルは掣肘される。叱責の声を浴びながらもノエルは尚も食って掛かろうとするが、結局身動きが取れないままノエルはヴァイスから引き離され、その場は収拾される形となった。

 それから数日後、四人は予定通りにアルコリス地方を訪れた。

 騒ぎの原因にもなったパーティーのリーダーには、結局ヴァイスが選ばれる形となったのだが、ノエルがヴァイスの指示を素直に聞くことはなかった。ノエルにしてみれば、それがヴァイスと他二人に対する唯一の抗いの手段だったのだろう。

 しかし、そんなノエルを嘲笑うが如く、彼は対峙したファンゴの群れの餌食となり、またしても軽い怪我を負ってしまう。

 その様子を、ヴァイスは冷ややかな目で見ていた。

 喧嘩を売られた仕返しだとノエルを見捨てたわけではない。いや、傷を負ったノエルを助けたのは他でもないヴァイスなのであったのだが、ヴァイスはあれ以降ノエルのことを特段気に掛けようとはしていなかったのだ。

 そうして、クートウスに戻って来てからしばらくが経った。

 それは、ある日の夕暮れ時、授業を終えたヴァイスが一人自分の個室で寛いでいる時のことであった。不意に扉をノックする音が部屋に響き渡ったのである。

 こんな時間に一体誰が何の用なのだろうか、などと考えながらヴァイスが扉を開けてみた。するとそこにいたのは、先日の騒ぎの発端となったノエルと、もう一人の連れの姿があった。

 ノエルの表情は何とも言い難い微妙なものであったが、隣に立つ少年は一転して柔和な笑みを浮かべている。そして、その笑みを保ったまま少年が口を開く。

「急に訪ねてしまいすいません。ヴァイス君ですよね?」

 ノエルから一歩前に出てきた少年の問いかけに、ヴァイスが頷く。

「初めまして。僕はアーヴィン・シエルといいます。以後、お見知りおき下さい」

 そう言って、少年は――アーヴィンは丁寧な所作で頭を下げた。アーヴィンに釣られて、ヴァイスも同じように頭を下げる。

「あぁ。こちらこそ、よろしく」

 頭を持ち上げたヴァイスは、今一度アーヴィンの容姿を窺ってみる。

 彼のことはヴァイスも知っていた。と言っても、直接会って会話を交わしたというわけではない。実際には、彼はヴァイスと同い年であり、その関係で何度か顔を見かけた程度の認識である。

 だが、ヴァイスの親しい友人曰く、アーヴィンは非常に勤勉な性格であり、同年代の中でも特に優れた知識を持っているのだという。至極単純に表せば、それは成績においては学年主席を争うほどなのだというのだ。

 同い年相手だというのに、そのヴァイスに対して敬語で接しているのは、そんなアーヴィンの性格をくっきりと裏付けていた。

 しかし、ヴァイスにしてみれば、それは慣れない感覚であって、何となくむず痒さを覚えてしまうのも事実であった。

「他人行儀な呼び方でなくても構わないよ。普通に呼び捨てにしてくれる方が、俺としても嬉しい」

「そうですか。では、その言葉に甘えさせてもらいますね、“ヴァイス”」

 アーヴィンも素直にヴァイスの言葉を受け止め、親しみを込めた口調でその名を口にする。

 ヴァイスもようやく気分を改め、そして今し方に抱いた疑問を思い出す。

「そういえば、二人揃って俺の所まで来るなんて、何か用事でもあるのか?」

 ヴァイスがそう尋ねてみると、そこで初めてアーヴィンが歯切れ悪い様子で「えぇ、まぁ……」と答える。そのアーヴィンの様子からか、隣でだんまりを決め込んだノエルの表情もまた一層渋いものへと変化する。

「――先日は、友人のノエルが失礼しました」

 そして、唐突にそんな謝罪を述べると、アーヴィンと、そして今度はノエルまでもが揃って頭を下げた。

 二人揃ってヴァイスに頭を下げている光景は何とも異様であった。そのためか、近くを通りかかった他の生徒たちが「何事だ?」という視線でこちらを凝視してくる。そうなれば、ヴァイスもたまったものではない。

「あ、あぁ……。それは別に構わないよ……。と、とにかく、部屋の中で話そう。立ち話も何だからさ」

 周囲の視線から逃れるように、ヴァイスは二人を部屋へと招き入れる。

 一人用の部屋であるため、三人もその場に集まってしまうとさすがに窮屈さを覚えてしまう。二人には適当な所へと腰を下ろしてもらうと、改めてアーヴィンの話に耳を傾ける。

「他の生徒にも話を伺ってみたところ、どうやら喧嘩沙汰のようになってしまったようで……。図々しいのは承知しているのですが、ノエルにも悪気が無かった訳ではないので、その辺りは誤解の無いようにと思いまして」

「さっきも言ったように、俺は気にしてないから大丈夫だよ。それに、今更考えてみれば、俺の言い方にも問題があったと思う」

「いえ、ノエルにはそれくらいはっきり言ってくれた方がいい薬になります。幾分、頭よりも身体が先に動く性分なものですので。頭に血が上りやすい性格は、今に始まったことではないのですよ」

 本人を目の前にしてここまで言うか、とヴァイスは内心ノエルに対して同情を抱いていた。

 とは言ったものの、そう言うアーヴィンはノエルに対してかなり親しげであった。まるで、ずっと昔からノエルには付き合ってきたのだ、とでも思わせるような口調でもあったのだ。

 そんなことをヴァイスが考えていると、今まで黙り込んでいたノエルが不意に口を開いた。

「ヴァイス。その……、この前は悪かった。アーヴィンの言ったとおり、俺は短気な性格なんだ。ヴァイスが周りからちやほやされているのを見て、ついかっとなったんだ。今は反省している。本当に悪かった」

 淡々とした口調でつらつらと言葉を述べると、ノエルは深々と頭を下げた。

 確かに、ノエルという少年は根はいい奴だとヴァイスも理解を示す。ただ、自他共に認める短気な性格の故に、あのような態度を取ってしまったのだろう。その辺りについては、ヴァイスもすぐに納得することが出来た。

「俺も全然気にしてないから大丈夫だ。今回のことは水に流す。それでいいだろ?」

「そう言ってもらえると、嬉しい限りです」

 ヴァイスの言葉に、ノエルもようやく頭を持ち上げる。アーヴィンもまた、心底嬉しそうな笑みを浮かべてみせる。

「それよりも、二人は妙に親しいように思えるけど、クートウスでの付き合いが長いのか?」

 どんよりと淀んだ場の雰囲気を改めようと、ヴァイスが話題を転換してみる。

 先ほどから親密な様子である二人に対して、ヴァイスはクートウス入学当初からの付き合いなのかと思い込んでいた。しかし、どうやらヴァイスの予想とは違ったようで、アーヴィンが首を横に振る。

「いえ、僕たちは生まれ故郷は違えど、幼馴染なんです。僕とノエルは子供の頃から同じ村で育ったんです。だから、付き合いだけで言えばかなり長い期間ということになりますね」

 アーヴィンがそう言うと、ノエルも「そういうことだ」と大仰に頷く。

「俺たちはその時から、ほとんど同じ時間を過ごしてきたわけだ。もちろん、それはクートウスに入学してからも変わってない」

 意外な展開に、ヴァイスも二人の言葉に首肯する他なかった。

 二人はかなり親しい仲だとは確かに思っていたが、まさか幼い頃から付き合いがあったとは驚きである。それどころか、同じ村で育ち、互いにハンターになろうと誓った程の仲だとは、ヴァイスにしてみれば思いもしなかったのだ。

 と、そこまで改めて思い至ってみて、ヴァイスは新たな疑問を抱く。

「しかし、どうして二人揃ってハンターになろうと思ったんだ? もし良ければ、その辺りも教えてほしいんだ」

 その問いかけに、ノエルが「変わった奴だな」とでも言いたげな視線を返してきた。しかし、本質的な答えを返したのはアーヴィンが先であった。

「僕の場合は、元々モンスターの生態などに興味を持っていました。それが興じて、いつしかハンターになりたいと思うようになったのかもしれませんね……。すいません、自分でもその辺りはハッキリと覚えていないのですよ」

 曖昧な返答になってしまいすいません、とアーヴィンは苦笑いを浮かべる。

 一方のノエルは、アーヴィンとは打って替わり淡泊な口調で答えていく。

「俺の親父も昔はハンターだったんだ。今は引退しちまったけど、それでも俺が生まれて間もない頃までは現役だったらしい。その影響で、その頃からハンターは俺の憧れみたいな存在だった。俺の場合、ハンターになりたいって考えるようになったのは、それが原因なのかもな」

 至って単純な理由であったが、ノエルがハンターを志すようになった理由は興味深いものであった。

 先日ノエルがヴァイスに対して敵対心に似た感情を抱いたのは、父親を通じて培われたハンターへの憧憬の念があったからであろう。それに本人も言うとおりの頭に血が上りやすい性格が合わさり、あのような振る舞いをしてしまったのかもしれない。

「でも、俺も人のことはあまり言えないけど、よくクートウスに入学しようと思ったな」

 ヴァイスが口にした言葉の真意を理解したのか、ノエルとアーヴィンは二人揃って納得したように頷いた。

 通常の訓練所とは違い、このクートウスではハンターやモンスターなどに対するより深い知識、更には専門的な分野まで専攻することが可能だ。それ故に、学費の出費がかなり嵩んでしまうため、クートウスに入学することが出来る者はその時点で限られてしまいかねない。その事情を踏まえた上、奨学金制度や、将来ハンターになった後に学費を返納することの出来る制度がクートウスに設けられているのも確かだ。

 しかし二人の話を更に聞けば、二人の育った村には簡易ながらもギルドが設立されていたそうだ。ならば、ギルドと共に訓練所も配置されているはずである。普通にハンターを目指すならば、わざわざドンドルマまで出てきて、尚且つ高い学費を払う必要もそこまでではない。

 最も、アーヴィンのような、より深い知識を身に付けたいと思う者がクートウスへの入学を考えることは不思議ではないのだが、それでもクートウスはそう思い至って簡単に入学できる学院ではない。

 そんなことをヴァイスが考えていると、アーヴィンが口を開く。

「僕は両親に頭を下げました。ハンターになるために、そしてより深い知識や技能を身に付けるために、クートウスに入学したいと。すると、二つ返事でクートウスへの入学許可を貰え、尚且つ学費も負担してくれることになったんです。本当に、両親には感謝しきれません」

「それを聞いた俺も、クートウスに入学したいって親に頼み込んだんだ。でも、俺の親には猛反対されたけどな」

 話を整理すると、二人は共にハンターになることを望んでいるため、アーヴィンに続いてノエルもまたクートウスへの入学を希望したのだ。

 アーヴィンの場合、両親が彼のためにと貯め込んでいた貯金で学費を賄っているのだと言う。

 しかし、一般的にはノエルの両親の反応が大概である。理由も無く子供にハンターをやらせられないと考える親も数多く、そうでなくてもクートウスに入学する面においては金銭的な事情もあるのだから。

「それでも、結局ノエルはご両親を説得することに成功したんだな」

 ヴァイスが言うと、ノエルは「どうだかな」と口にして肩を竦める。

「最後の最後まで親には反対されたさ。でも最終的には、学費は親に肩代わりしてもらって、後々俺が返していくことになったんだ。将来的にG級のハンターになるっていう条件付きでな」

「でも、ノエルのご両親は最後には折れてくれました。それに、村を発つ時には僕たちの背中を押してくれさえしたんですよ」

「へぇ、そんなことが……」

 二人の生い立ちを聞いて、ヴァイスも深く頷き返す。

 そうして、ヴァイスもまた二人に自分の生い立ちを語り始めた。

 ドンドルマで生まれ育ち、また父と母が共々ハンターであったため、ノエルと似たり寄った理由でハンターを志すようになったこと。しかし、結局は大した理由も無くクートウスに入学したこと。などという他にも、話題は様々にまで及び、三人で過ごした時間は瞬く間に流れていった。

 それ以来、三人は互いに仲を深め合っていく。

 四年生ではクラスは散り散りであったが、時間を見つけては三人で連んでいた。

 三人で試験対策をすることもあれば、はたまた実技的な面で相談に乗るということも少なくなかった。

 そうして一年という時間はあっという間に過ぎ去ろうとして、皆が卒業試験に向けたパーティーを考え込む頃になってきた頃であった。

「“あともう一人のメンバー”はどうする?」

 そう。誰からというわけでもなく、いつしか三人はそう考えるようになっていた。

 この三人で卒業試験に挑む。そして、共にハンターになるのだ、と……。

「二人はどんなメンバーを望んでいるんだ?」

 ヴァイスがそう尋ねると、ノエルがすぐさま食いついて来る。

「俺は実力のある奴がいい。欲を言うならそれが女子なら更にいい。さすがに男四人じゃむさ苦しい」

 キッパリと言い切ったノエルを横目に、ヴァイスとアーヴィンは呆れて溜め息を吐く。だが、そんな光景もその時となっては日常茶飯事であった。

「僕は深くは望みません。強いて言うならば、友人や仲間として良い関係が築ける人がいいですね」

「俺もアーヴィンと同意見だ。ノエルほど多くを望むつもりはない」

「何だよ、二人揃って。自分の欲を表に出すってことも大切なことだろ?」

「ええ。ですが、とてもノエルほどにはなれませんね」

 そして、三人は盛大に噴き出して、また他愛の無い会話を交わし始める。

 

 ――三人の出会いは、何とも奇妙なものであったかもしれない。

 しかし、今となっては共に背中を預ける、そして共に夢を抱く唯一無二の親友となったのだ。

 これが、三人の出会いの物語である。



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EPISODE69 ~ファーストコンタクトⅡ~

「はぁ……っ」

 まるで、溜め息にも似た短い息を吐くと、ルナは手に持っていたカップをソーサーに戻した。

 ノエルたちの話を聴いてからしばらくが経ち、今は既に日も落ちてしまっている。しんみりとした静寂と寒さが身体に纏わりつき、室内にはぼんやりとした蝋燭の光が灯されている。

「出会い、ね……」

 ルナはそう囁いて、手持無沙汰になった右手をカップの縁に走らせる。

 今朝の話を耳にして、ルナもまた当然のように過去の出来事に想いを巡らせてしまう。

 クートウスで過ごした六年間。今になって振り返ってみれば、それは自分にとって楽しい思い出ばかりではなかった。だがそれでも、たった今の瞬間に満足し、そして幸せな時を過ごしているのだという思いはそれよりも遥かに強いものだった。

 特に、この二年間――仲間と共に過ごした時間は格別だ。

 取り残された孤独の中、広大な海原を彷徨っていた自分に手を差し伸べてくれた、言わば恩人であり、また親友でもある。そんな仲間に出会うことが出来たのだから……。

「……」

 それは確かに嬉しいことであり、感謝してもし切れない気持ちで満たされる。もし“彼”が自分を救い上げてくれなかったならば、自分は今も一人、際涯を見遣り彷徨し続けていたに違いないのだから。

 だが、それとは別次元の話で、自分の心は行き悩んでいる。

 彼に対する感謝を忘れたことは決してない。

 でも、それとは別で、もし“他の大きな感情”を抱いているのだとすれば。しかし、それを言葉にすることは未だに出来ずにいる。

 だからこそ、苦しい。

 もうすぐ、“終わって”しまう。

 楽しかった日々。心に刻まれた思い出。それが、戻りたいと望もうとも決して叶わない完全な過去の話になってしまう。

 そうなれば、自分は一人で歩んで行かなければならない。それは自分が待ち望んだ最高の未来だと言うのに、その未来が到来するのを恐れ、背中を向けている自分がいる。

 “終わらせたくない”。

 このまま全てを有耶無耶にして、背を向けて走り出すことは簡単だ。だが、そうすればいずれ後悔することになる。

 後悔だけはしたくない。美しい思い出に、汚点を残したくはない。

 だが、そうしてしまえば、今度は彼に大きな負担を掛けることに成り兼ねないのではないか。自分だけの都合で済ますことの出来る問題ではない。“彼の意志”も尊重しなければならない。

 それを考えてしまうと、自分も葛藤の渦に飲み込まれる――。

「……ん? まだいたのか?」

 しんと静まり返っていた室内に、聞き慣れた声色が響き渡る。

 蝋燭の光よりも明るい一筋の光が暗闇を照らし、ルナの顔を映し出す。光の先にいたその人は、紛れもない彼――ヴァイスであった。

「えぇ。少しだけ考え事をしていたのよ」

「そうか」

 それだけを告げて、ヴァイスは自室へと向かっていく。

 そうしてヴァイスの背中を見送り、再び物思いに耽ようかと頬杖をついたところで、不意に身体が温かい感触に包まれた。

 肩の方に視線をやって、自分の身体に毛布が掛けられているのだとようやく理解する。そして、更に先へと視線を伸ばせば、その顔が目に留まる。

「ほら、風邪をひくだろ」

 仕方ないな、とでも言いたげな表情をしていたヴァイスであったが、顔を向けた拍子に乱れた毛布を再びルナの肩へと掛けてやった。

 ヴァイスから受け取った毛布を、ルナはきゅっと握りしめる。

「うん。ありがと……」

 照れ隠しに視線を外しつつも、ルナは素直に礼を口にした。

 自分でも顔が熱いな、とは思いつつも、それ以上のことを口にすることも、顔を背けるまでのこともしなかった。

 しかし、それをヴァイスがどう感じたかはさすがに分からない。ルナの反応を見たヴァイスは、口元を僅かに緩めるだけだった。

「それじゃあ、お休み」

「お休みなさい、ヴァイス」

 最後にそれだけの言葉を交わして、ヴァイスの背中は今度こそ自室の向こう側へと行ってしまった。

 部屋に再び訪れたのは、もの悲しい沈黙と微かな灯火の光であった。しかし、それに身を委ねるようにして、ルナはゆっくりと瞼を閉じた。

 決して自分にとって美談でも、はたまた卓越した逸話というということでもない。しかし、それは自分の内に深く刻み付けられた、とても大切な思い出だった。

 その時の記憶は、今でも鮮明に脳裏に蘇る……。

 

 

 

 ノエルは、自分とヴァイスの出会いを“穏やか”だと言っていた。

 しかし、あれはどう見ても穏やかな出会いとは言えないし、そもそもそれが彼が込めた皮肉であることも十分に理解している。

 だがしかし、自分の話となってしまうと、ルナも人のことは言えない立場になってしまう。何故ならば、ルナとヴァイスの出会いは、ノエルのそれと同等か、或いはそれ以上に剣呑であったのだから。

 時系列的な話で言えば、それは四年生の終わり頃、丁度ヴァイスたちが残るもう一人のパーティーメンバーをどうするかと考え始めた付近のことになる。

 事の発端は演習授業のことである。

 演習授業と一言で表しても、その時の演習授業には二種類の形態があった。

 自分の使用する武器と似たような形式でありながらも、殺傷能力を落とすために作られた木製の武器を使用する模擬演習。実際に狩場に持ち込む本物の武器を使用する実践演習。その二つである。

 そのファーストコンタクトは、四年生で行われるクートウスでの最後の、各クラス合同模擬演習の際であった――。

 

「はああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 木製の双剣を突き出し、眼前に迫った“偽物(ダミー)”の懐に飛び込む。藁で作られたそれがルナの繰り出した渾身の一撃に耐えられるはずもなく、虚しい音を立てその中心部に二対の刃が貫かれた。

 これが実際に生きたモンスターであったのならば、確実に仕留めていたであろう。そして、生きようと信念がある生物ならば、最期までその意志を嫌と言う程にまで見せつけてくるだろう。しかし、藁で作られた偽物には、そんなものが存在するわけがない。

 果たして、こんなことを続けてきて意味があるのだろうか。そんな懐疑的感情を胸の内に覚えながら、ルナは双剣を肩に背負い、そして小さな溜め息を吐いた。

 すると、それから間髪を容れず、彼女の周りに他の女子生徒たちが群がって来た。

「凄いね、ルナ! また腕を上げたじゃん!」

「そうそう。動きも俊敏だし、これなら他の男子にも引けを取らない勢いだよ!」

 ルナを取り囲む生徒たちは口々にそう言って、彼女を褒め称える。

 しかし、このような台詞は、一体何度耳にしたのだろうか。耳に胼胝ができるような思いで、ルナは再び溜め息を吐いた。

「……別に、大したことないわよ。これくらい」

 淡泊な口調でそう返すと、再び周りから声が上がる。

「またまた~、そんなこと言っちゃって。相変わらず素直じゃないなぁ~」

 愛想の無いルナの対応でも、他の生徒はそんなことを気にも留めない。

 それは、他の女子生徒たちにとって、ルナは憧れのようなものだったからである。実戦の実力はさることながら、常に高みを目指し続けるその姿勢に、皆は感心しているのだ。

 だが、ルナにしてみれば、それをいじらしく思っている。まだまだ力量不足を痛感している。常に抱いている向上心は、自分の目標に達するにはまだまだであるということを嫌という程理解しているからである。

 だから、本当は彼女たちの思うその姿と自分とでは、到底似つかないものなのである。

 それを理解してくれる生徒は、今までに見たことはない。そうして呆れ、何度目になるか分からない溜め息を吐こうとしたところで、場が途端に静まり返った。それに加えて、皆の視線が一点に集中しているようである。

 それにはルナも不審に思い、皆が首を向けている方へ視線をやってみた。

 無数の視線の先にあったのは、一人の少年の姿であった。ルナが少年の姿を視界の中に捉えた瞬間、少年は手に持った木刀を構え、そして地面を蹴り上げた。

「っ――!?」

 速い。

 開いていた偽物と自分との間合いを凄まじい速度で詰め寄り、太刀の間合いに入った次の瞬間には風を薙ぐような音が聞こえてきた。遅れて、くしゃりと乾いた音が辺りに響き渡ると、偽物の胴体が真っ二つに両断される。

 何てことはない。そうした様子で標的を斬り抜いた少年が顔を持ち上げ、その首をルナの方へ向けて来た。そして、ほんの一瞬だけ二人の視線が交錯する。

 洒落っ気のある端然な銀髪。顔の線は細く、その瞳は海の底を思わせる深い蒼を湛えている。

 しかし、涼しい表情を保ったまま、少年は何事もなかったかのように身体の向きを翻し、友人と思しき者たちの元へと歩み寄って行った。

 それまでの粛然とした様も、ようやく失われていく。

「いやぁ、同学年に凄い才能を持った太刀使いがいるってのは聞いてたけど、噂は本当だったんだねぇ……」

 ルナの隣にいた少女が目を輝かせながらそんなことを言う。すると、周りもその勢いに調子を合わせていく。

「ねぇねぇ、彼って別のクラスだよね? なんて名前なのかな~?」

「ヴァイス君って言うらしいよ。かなりセンスあるっていう話を先生たちもしてるみたいだね」

「確かに今の凄かったね。あんな動き出来るなんて……」

「何でも、五年生からはギルドナイト部門を専攻するらしいよ。それも、校長直々の勧めで」

「本当!? それって校長もヴァイス君の才能に目を付けたってことだよね?」

 周りにいるのが女子生徒だからということもあるのか、その少年を見る目は好印象であった。

 しかし、今のルナは、周囲に飛び交う言葉などに聞く耳を持たなかった。

 ヴァイス。ルナと同い年で同じ学年でありながらも、太刀を扱う才能は誰よりも抜きん出ている。

 話だけならルナも耳に聞いていた。しかし、こうして彼を、彼が太刀を扱う姿を目撃するのはこれが初めてだった。

 そして、一目見ただけでその姿に愕然とした。

 ――“才能”。ルナが今まで積み重ねて来た“努力”とは対となる言葉だ。

 そう。決してルナは恵まれた才能の持ち主というわけではなかった。自分の目標を叶えるため、日々鍛錬を重ね、そしてようやくここまで登りつめた。

 しかし、突如として目の前に現れた少年は。彼はそんなルナとは大きく異なり、並外れて優れた才能を持ち合わせている。

 例え努力を重ねていったとしても、彼のようにはなれない。才能という二文字の前には、そこまで積み重ねて来た努力も意味を成さない。才能が無ければ、結局は強くなれない。

 頭の中でそう理解してしまうと、今までの自分は何だったのかと焦燥に駆られる。

 全ては無意味だったのだろうか……?

 高い目標を掲げたとしても、才能が無ければ所詮それは目標のままで終わるのだろうか……?

 程なくして演習が終わり、他の生徒たちもぞろぞろと動き始めた。

 そんな中、たった一人だけ、まるで時が止まったかのようにルナは静止していた。友人に声を掛けられても、「先に行っていて」と一言を告げて、そして周りの目が無くなるとようやく動き出した。

「……ねぇ」

 そのように声を掛けると、同じようにその場に佇んでいたヴァイスがこちらに首を向けて来た。

 ――俺に何か用か?

 そうとでも言いたげな視線をルナに投げかけて来る。

 しかし、そんなヴァイスに臆することなく、ルナはもう一歩を踏み出し、そして再び口を開く。

「――私と、勝負をして」

 それまで表情を崩すことがなかったヴァイスであったが、藪から棒にそう告げたルナの発言に対して、微かに眉を寄せた。

 しかし、そんなことはお構いなしに、ルナは木製の双剣の柄に手をかけ、そして引き抜いた。振り抜かれた切っ先が真っ直ぐにヴァイスの顔面を捉える。

 だが、それでもヴァイスは動こうとしない。木刀を振り抜こうとも、この場から立ち去ろうともしない。

 やがて、無言を貫いていたその口がようやく開かれる。

「なぜ、そんなことをするんだ?」

 長い沈黙の後に切り出された言葉は、しかしルナを幻滅させるようなものだった。それでも、ルナはその返答を予想していなかったわけではない。尚もその刃は向けたまま、強い意志の籠った瞳をぶつける。

「試してみたいのよ。今の私が、あなたにどれだけやれるのかっていうことを。そして私は、あなたの強さを知りたい」

 それこそ、ヴァイスを挑発するかのような口調でルナは言う。

 だがそれでも、ヴァイスは未だに動きを見せない。やがてそれは、ルナに焦りと怒りを覚えさせていく。

「……どうして、何も返してこないの? どうして動こうとしないの? どうして、そうして“私の前に立ち塞がる”の?」

 自分でも何を言っているのか、終いにはそれすらもあやふやになっていく。

 だが、ただ一つ確かだったのは、それが心の内に押さえ込まれた悲痛の叫びだったということだ。崩れかけた自分を何とか保とうと、ルナは必死になっていた。

 しかし、そんなことをヴァイスが知る余地もなかった。呆れて溜め息を吐くようにして、その身を翻す。

「付き合っていられないな」

「何よ、怖気づいて逃げるつもり?」

 立て続けに嗾けてくるルナに対して、ヴァイスも動かしていた歩を止めて、その首だけを動かして振り向いた。

「俺たちが勝負をすることに、どれだけの意味があるって言うんだ? そんなことをしても、何も生まれはしない。結局は全て無意味なんだ」

 そう告げて、今度こそヴァイスが立ち去ろうとする。

 しかし、今の言葉で、ルナの平静は完全に断ち切られた。

 無意味……? 何を以てそう判断しているんだ? あなたとあなたの才能は、根本から私を“否定する”。それに立ち向かうことが、到底意味を成さないことだと言いたいのか――!

 心の叫びは意地でも噛み殺したが、それでも冷静さを失ったルナには、そんなことをしても湧き上がる感情を押さえ込むことは不可能だった。

 そして、その激情に身体が支配されると、もう抑えが利かなくなる。

 感情に任せて荒々しく地面を蹴り出し、背中を向けたヴァイスに一気に詰め寄る。自身の間合いに入る寸前で、二対の双剣を脇腹目掛けて突き出す。

 その瞬間、ルナは確信する。

 ――もらった。

 だが、その確信はルナの目の前で呆気無く砕け散る。

 視界に一瞬だけ大きな影が横切ったかと思うと、双剣を握る手から痺れるような痛みを覚えた。一撃を浴びせた手応えなどではない。そう、これは――。

「――なっ……!?」

 何が起こったのか理解が及ばず、ルナが目を見開く。

 繰り出した双剣が脇腹を捉える寸前、ヴァイスが木刀を振り抜きその双剣を弾き返した。

 あの距離で、完全に捉えたと思われた一撃を、ヴァイスは難なく受け流して見せた。その事実が、ルナを失意のどん底に叩き落とす。

「う、そ……っ?」

 勢いを殺しきれず、ルナの身体がつんのめり宙に浮く。このまま地面に倒れ込むかと思われたその身体は、今度は鈍い衝撃によって静止した。

 ヴァイスに抱えられているのだとようやく理解した時には、その視界の先に地面に突き刺さった、先程まで自分の手の内にあった双剣がぼんやりと浮かんでいた。

 嗚呼、やはり。やはり太刀打ち出来ないのか。才能の前には、自分の努力さえ無意味なものなのだろうか。

 それをここまで無惨に痛感させられると、ルナも空疎な気持ちで満たされ、その身体から力が抜け落ちていく。

「……」

 力無く身体を預けてくるルナを、ヴァイスは地面に立たせる。そして、その彼女には何も告げることなく、演習場を立ち去った。

 一人取り残されたルナが、しばらくして地面に崩れ落ちる。

 自分は一体、何をしていたのだろう。そんな虚無感に支配されたルナの頬を、乾いた風が乱暴に撫でる――。

 

 

 

 その日から数日が経ったある日のことだった。

 授業を終えたルナは、何気無しに外の景色をぼんやりと眺めていた。その視線の先で、葉の落ちた木々たちが風に吹かれて虚しく揺れ動く。

 

『そんなことをしても、何も生まれはしない。結局は全て無意味なんだ』

 

 そんな言葉が、頭の中で反芻される。

 完膚なきまでにルナは叩きのめされた。眼前にまで迫ったと思われたその壁は、しかしながら如何にしても越えられるものではなかった。

 その事実がルナを束縛し、そして蒼然とした海へと沈めていく。

「はぁ……」

 行き様の無い溜め息を吐いて机に突っ伏す。

 そうすると、周囲の声が嫌という程に耳に入ってくる。

「ねぇねぇ、来年からのパーティーはどうする?」

「そうだね、私もまだ決めてないんだよねぇ……」

 そのほとんどが、今生徒たちの間で持ち切りとなっている来年以降のパーティー編成の話であった。

 五年生以降のパーティーは、生徒たちが自由に編成することが出来る。卒業試験を受ける重要な決断を、この時期になれば迫られるということなのだ。

 ルナにしてみても、それは他人事ではない。友人の多くは誰とパーティーを組むか決定し始めていると言うのに、当のルナは誰かと組むという予定すらない。

 しかし、今のルナにとって、それは喫緊の事項ですらなかった。自分を見失いかけている中、そんなことに構っている余裕など、ルナにはなかったのだ。

 そうして周囲から隔絶しようと瞼を閉じた時だった。不意にこちらに近づいて来る足音が聞こえてきた。

 また友人が他愛無い話を持ち掛けるつもりなのだろう。そう決め込み、ルナは意識を水面の底に持っていこうとすると、ポンポンと肩を叩かれた。

 それこそ、最初は誰かと向き合うつもりはなかった。だが、さすがにそれにも気が引け、ルナは渋々と頭を持ち上げた。

 そして、その動きが途端に硬直してしまう。

 いや、それも仕方のないことだった。何故ならば、ルナの目の前に現れたのは他でもないヴァイスだったのだから。

「ど、どうしてアンタがここにいるのよ……!?」

 やっとのことで振り絞った言葉に対して、ヴァイスは明確に答えようとはしなかった。代わりに、やや先ほどまでとは違う騒めきに包まれた教室を一旦見渡し、そして口を開いた。

「少しだけ話さないか? でも、ここだと場所が悪い」

「ちょっ、いきなり現れてどういうつもりよ?」

 困惑した様子を見せるルナとは違い、ヴァイスはあっけらかんと振る舞う。

「……ん? 都合が悪いか?」

「べ、別にそういう訳じゃないけど……っ」

 そう言って、ルナは視線を外す。

 如何せん、あんな荒事を起こしてしまった後の話だ。素直にヴァイスの顔を直視することが出来ない。

 しかし、これといってヴァイスは気にする様子もないようで、「それじゃ、行くか」とだけ告げて教室を立ち去ろうとする。ルナも付いていなかないわけにもいかず、ヴァイスの数歩後ろを続いて行った。

 そうしてしばらく歩いてやって来たのは、中庭の広場であった。昼時は多くの生徒で賑わう場所なのだが、この時間にもなると人も疎らである。

 ヴァイスは手頃なベンチを見つけて、そこに腰掛ける。その隣に座ろうと、ルナも手招きする。おずおずといった感じではあったが、ルナは素直にヴァイスの言うとおりに彼の隣に腰を下ろした。

「……ちょっと、一体どういうつもりよ?」

 先に口火を切ったのはルナだった。そのルナの問いかけに、ヴァイスが疑問符を浮かべる。

「どういうつもりって、それこそどういう意味なんだ?」

「私はアンタに刃を向けたのよ。それがどういう意味か分かってるの?」

 そこまで言って、ヴァイスはようやくルナの言いたいことを理解した様子である。

 しかし、だからと言って、ヴァイスがそこに特別な反応を見せることはなかった。

「あぁ、先日の話か。でも、俺は別に気にしていないから、そんなに気に病む必要はないぞ?」

「それ、本気で言っているの?」

 あまりにも能天気な発言に、ルナも思わず呆れてしまう。

「あそこでアンタが私の一撃を弾いたからいいものの、あれが命中していたら、少なくとも打撲程度の怪我をしていたかもしれないのよ? そんなことをした相手に、どうしてそんな事も無げな態度をしているの?」

「おいおい、そこまでして自分を悪人に仕立てあげたいのか?」

「仕立てあげるも何も、私は実際に現行犯なのよ。罵声の一つや二つくらい浴びるつもりだったのに、そんなことを決め込んでいた私が馬鹿みたいじゃない……!」

 妙な物言いになってきた彼女の様子を掬してか、ヴァイスも腕を組んで考え込む素振りを見せる。そうしてから、やれやれといった様子で溜め息を吐いた。

「そのことについて言及するなら、事態を知った君の友人から話を聞いたんだよ。悪気は無かっただろうから、責めないでほしいとね」

「何よ、そんな単純な理由なの?」

 必死になって抵抗しようと、ルナが如何わしい視線を投げ掛ける。

 もしかして、自分のことを気に掛けてくれていたのではないか。そうだとしたら、この少年は薄馬鹿である。彼を巻き込んでまで空回りして情けない様になっているというのに、そんな自分を心配するなど。お人好しにも程があるというものである。

 しかし、ヴァイスはそんなルナの内心を知ることもなかった。向けられるその視線を何気無い様子で受け止め、そして首肯する。

「それに、結果的には良い判断材料にもなったからな」

「は、はぁ? 判断材料って、一体何のことよ?」

 内に抱いた疑念をこれでもかという程に込めて、ルナはそのような言葉を発する。すると、ヴァイスも「そのことについて話をしたいんだ」と姿勢を改めた。

 その結果、ルナとヴァイスは互いに向き合う形となる。突然のことに、ルナは思わず身をよじろうとしたが、それは出来なかった。

 逃げてはいけない気がした。ただ単純な直感が、ルナの行動を抑制したのだ。

 そして、その蒼い瞳で真っ直ぐとルナを見据えたまま、ヴァイスが単刀直入に切り出す。

「俺たちとパーティーを組まないか?」

 そう言われた直後は、彼の言っている言葉の意味を理解出来なかった。

 しかし、時間が経つにつれて思考回路の働きも回復していく。ようやくその言葉の意味を組み取った時には、ルナは一頻りに素っ頓狂な声を上げていた。

「はぁ!? そんな、突然にも程があるでしょ! どうしてそんな、いきなりパーティーを組もうだとか言い出すのよ!?」

「あの時、君の刃と交えた時に確信したよ。君は筋が良いし、話に聞く限りでは相当な努力家らしいじゃないか」

 大方、先のヴァイスに話した友人が、余計なことまで口走ったのだろう。

 今まで強がってきて見せた虚勢も、全てお見通しだったのではないか。そう思うと、やはり恥ずかしくてたまらない。今にでも逃げ出してしまいたいくらいだ。

 だがそれでも、ルナはこの場から逃げようとはせず、何とか踏み止まる。

「も、もしかして判断材料っていうのも……」

「あぁ、そういうことさ」

 やはり、全てはヴァイスの手の内だったようである。一人暴走して、その結果絶望したのも全て。

 だが、そんな自分を引き上げてくれようとした。自分とは対を成す存在であったとしても、ようやく自分を真の意味で認めてくれた人だ。

 自分一人だけの力では無理だとしても、この少年とならもしかしたら……。

 ルナがふとそんなことに耽っていると、ヴァイスが手を差し伸べて来た。

「名前、教えてくれないか?」

「……ルナよ。ルナ・クラヴディア。名前で呼んでくれると嬉しいわ」

 海のような瞳に吸い込まれるがまま、ルナが静かに自分の名を口にする。そして、差し伸べられた手に、自分の手を重ねた。

「ヴァイス・ライオネル。これからよろしくな、ルナ」

 口元を緩めて、ヴァイスが小さな笑みを浮かべる。それに釣られて、ルナもまたヴァイスの目の前で初めて笑って見せた。

 握り返された手をしっかりと掴み、ヴァイスは立ち上がる。

「さて、そうと決まれば他の二人にもルナのことを紹介しないとな」

「え、えっ……?」

 唐突に切り出したヴァイスに促されるがまま、ルナは連れていかれた。

 その先で初めて知り合ったのは、同じくヴァイスとパーティーを組むことになったノエルとアーヴィンという少年二人であった。

 

「……そうですか。それでは、これからよろしくお願いしますね、ルナさん」

「えぇ、こちらこそ。それと、私のことはルナって呼んでくれないかしら」

「そういうことなら、分かりました」

 アーヴィンとは最初こそぎこちない様子だったが、温かく受け入れてくれた彼に対しても、ルナはすぐに打ち解けていく。

「しっかし、ヴァイスは流石の行動力だぜ。まさか本当に女子を連れて来ることに成功するなんてな」

 一方、初対面からそんなことを言ってくるノエルとは、以降も衝突することが多々あった。

 似た者同士ということもあり、お互いに譲れない部分もあった。だが、そんなノエルとも今は良好な関係を築けていると思う。

 

 そして、一緒に行動する時間が増えるようになってから、ルナのヴァイスに対する見方が大きく変わった。

 確かにヴァイスは、他の生徒と比べ優れた才能を持っている。だが、それ以上にヴァイスは、人一倍に努力を積んでいた。日々の鍛錬はルナのそれよりも厳しい内容であったし、ギルドナイト部門を専攻するということで勉学にも抜かりなかった。

 才能という二文字に溺れるのではなく、彼もまたルナと同じように、いやそれ以上の努力をしていた。

 浅はかな考えだった。そんな人に、自分が勝てるわけがないじゃないか。

 それを理解してからというもの、ルナも更に奮励した。楽な道のりではなかったが、共に切磋琢磨する仲間がいたからこそ、ここまで頑張ってこれたのだ。

 そして、その切っ掛けを与えてくれたのは、今でもルナが尊敬するヴァイスなのであった――。

 

 

 

「……んぅ?」

 瞼を開けてみると、淡くも温かい光が差し込んできた。いつの間にかうたた寝をしていたのかと理解すると、ルナは重たい身体を起こした。

「うぅっ、さすがに寒いわね……」

 ヴァイスに貰った毛布が無ければ確実に風邪をひいていただろう。彼の些細な気配りにも感謝しつつ、眠たい目を擦りながらルナは蝋燭の火を消した。

 夢の中で見た、彼との出会い。儚い思い出と言ってしまえばそれまでだが、それを完全な“過去の出来事”とはしたくない。

 彼の意志を尊重しつつ、自分の想いを伝えたい。やはり、そうするしかないのだ。そうでもしないと、不安で押し潰されてしまいそうになる……。

 はっきりしない意識の中でも、ルナは確かに決意した。この気持ちを、彼に打ち明けるのだと。

 こうして、穏やかな冬の夜は今日も静かに更けていく――。



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EPISODE70 ~卒業試験~

 時刻は昼下がり。談話室には現在、ルナ、ノエル、アーヴィンというヴァイスを除いた三人の姿があった。

「う、あぁ~……っ」

 気怠そうな声を上げながら、ノエルが机に伸びる。

 本来なら苦笑いの一つでも向けられるのだが、他の二人もノエルと同じような様子である。更に言うならば、何だか落ち着かないといった感じでもある。

 しかしながら、それも些か仕方無いことであった。数日前に、六年生は筆記の卒業試験を終えている。と言っても、卒業試験に課される内容は基本的なことが中心である。専門的な部門を専攻するわけでもないのならば、毎日の勉強で十分な点数が取れるような難易度なのだ。

 そう、言うなればそれはあくまで一つの通過点だ。一番の問題は、その後に行われる卒業試験――実技試験である。既に六年生の多くのパーティーは実技試験の狩場へと向かい、或いは既に試験を終えて結果待ちといった面子も見受けられる。

 そして、ヴァイスを始めとするこのパーティーには、まさにこれから卒業試験が課されるということなのだ。

「……遅いですね」

 卒業試験を間近に控えているとなると、筆記試験を終えたからといって気を抜くわけにもいかない。緊張を帯びた声色でアーヴィンが言うと、その彼に同意するようにルナも深く首肯した。

 そして、この張り詰めた緊張の理由はもう一つ。現在この場に姿のないヴァイスが、パーティーを代表して試験内容の伝達をされるのである。

 そうして、かれこれ十五分ほど経過しようとしている。試験の内容伝達だけに、これほどの時間を要する必要があるだろうか。どこか落ち着かず、正確な時間の流れさえ曖昧に感じてしまう。それを思えば、三人の周りにもどかしい気持ちが満ち溢れ、そして何とも言い難い沈黙に包み込まれてしまうのだ。

 だが、それから程なくして、ようやく部屋の扉が開かれた。扉の向こうから現れたヴァイスの表情は、至って普段通りであったが、左手に握りしめられた一枚の封筒に目が行けば、それすらも関係なくなってしまう。

「お帰りなさい、ヴァイス。どうだった?」

 おずおずといった様子でルナが尋ねて来る。そんなルナに対して、ヴァイスは無言のまま首を横に振った。

「俺もまだ、内容は知らないままなんだ」

「その割には、随分な時間が掛かったよな?」

 皆に同意を求めるように、ノエルが周囲に視線を巡らせる。

 対して、ヴァイスは僅かに首を傾げてみせた。

「言うほど時間は経ってないような気もするけどな。ここから職員室まで行くのにだって、それなりに時間は掛かるぞ」

「そうだとしてもってことだぜ」

 ノエルが言うと、残るルナとアーヴィンがうんうんと頷く。

 その様子を見たヴァイスが、今度はばつの悪そうに苦笑いを浮かべる。

「多少時間が掛かったのは否めないかもな。本来ならもう少し早く戻るつもりだったけれど、幾分ルーク先生の激励がな……」

 ヴァイスの言いたいことを理解したのか、ルナがほうと短く息を吐き出した。

「それも強ち分からないでもないわね……」

 やれやれ、といった様子で肩を竦めたルナには同感なのか、残る三人も思わず苦笑する。

 ルークは度々口にしていたのだが、ヴァイスたち四人は最も期待を寄せている生徒なのだという。教え子に対する激励は嬉しいものであるが、その影響で要らぬ不安を抱いてしまったようである。

「とにかく、試験内容を確認しよう。そっちの方が重要だ」

 ヴァイスが促すと、皆が無言で首肯する。

 椅子に腰を下ろすと、ヴァイスはルークから受け取った封筒を丁寧に開いていく。中に入った一枚の紙を取り出すと、まず初めにヴァイスがそれに目を通す。

 外野はそのヴァイスの様子を固唾を吞んで見守っていた。やがて、内容を把握したのであろうヴァイスが小さな溜め息を吐いたのを見計らって、ルナが口を開く。

「……それで、どう?」

 催促してくるようなルナの視線を受け止めつつ、ヴァイスは首肯して今一度試験内容の記された書面に視線を落とした。

「試験内容は、フラヒヤ山脈――雪山でのドスギアノスの討伐。依頼の成功が試験合格の絶対条件というわけではなく、あくまで狩猟における過程などを総合的に評価し採点する」

 そう告げられた三人のうち、ルナとノエルが案の定といった様子で溜め息を吐く。

「予想はしていましたが、なかなか厳しい条件での試験となりましたね。まさかフラヒヤ山脈にまで足を運ぶことになるとは……」

 アーヴィンもまた、何とも言えないような複雑な表情を浮かべて言う。

 フラヒヤ山脈。ハンター、クートウス生徒などの間では雪山と呼ばれている狩場だ。その名の通り、ドンドルマから北東。大陸を横断するかのように連なるゴルドラ山脈を越えた先に位置する地方である。北海のアクラ地方から流れて来る寒気の影響で、その辺り一帯は年中を通して雪に覆われている地域だ。当然、冬になれば更にその過酷さを増すことになる。まさにこの時期は、寒気のピークと言って過言ではないのだ。

 そんな中で、ヴァイスたち四人に課せられた試験が、フラヒヤ山脈でのドスギアノスの狩猟である。卒業試験はパーティーの練度や個人の能力などを鑑みて内容が選別されるのだが、それを考慮しても今回の試験はかなり厳しい部類に含まれるはずだ。

 ヴァイスの言葉に耳を傾ける三人の心境は同じようなものであろう。それを理解した上で、ヴァイスは更に続ける。

「また、今回の試験には監視員として一名のギルドナイトをフラヒヤ山脈に派遣する。派遣された監視員は一足先に狩場入りすることになるが、試験の途中で遭遇したとしても、緊急時を除いて一切の助言や手助けを受けることは不可能である」

「なるほど。監視員はクートウスの教師じゃないんだな」

「と言っても、私たちには対して関係のないことよね。途中でばったり出会すっていうことはあるかもしれないけど、何か起こったとしてもその程度のことよね」

 ルナの発言にヴァイスが頷く。

 実技試験の際には、試験を受けるパーティーの他に最低一人の監視員を派遣するということになっている。一般にはクートウスに勤める教員が監視員を請け負うことになるのだが、如何せんこの時期は卒業試験の連続で立て込むことになる。多くの教員を募っているクートウスであっても、このような場合にギルドナイトに協力を仰ぐことがあるのだ。

 ギルドナイト部門を専攻するヴァイスも、そのような任務が存在することも既に承知だ。その際に行うことと言えば、狩場に異常がないかの確認。緊急時の処置。そして、試験結果の総括などである。ルナの言ったとおり、試験を受ける生徒にとっては直接関係のないことだ。あくまでこれは、試験の際の注意事項といったところである。

「それは置いておくとして、出発はいつの予定になっていますか?」

「明後日の日の出前だ」

「なるほど。それまでに準備を整えないといけない、というわけですか……」

 尚も険しい表情のまま、アーヴィンが考え込むような素振りを見せる。

 準備、とアーヴィンは言うが、何もそれは武器と防具、アイテム類に限った話ではない。卒業試験は、今まで培った全ての知識、能力が問われる究極の試練だ。そのプレッシャーに押し潰され、普段の力を発揮出来ず、不本意な結果で終わってしまったという話を毎年のように耳にしている。

 二日という短い時間の中で、極限のプレッシャーに耐え得るための心の準備まで行わなければならない。それを考えれば、無意識に不安を覚えてしまうのは仕方の無いことである。

「でも、気負いすぎるのもよくない。前にも言ったとおり、普段と同じように立ち回ることが出来れば大丈夫だ」

 そんな中でも、ヴァイスは先々を俯瞰するようにそう口にした。

 ヴァイスにしても、試験内容は厳しいものだとは思っている。しかし、だからと言って成し遂げられないわけではない。クートウスで培った様々な知識。二年間で養ったパーティーの絆。それを以てすれば、決して越えられない壁ではないのだと自信を持って言える。

 そんな彼の言葉に、他の三人の緊張も僅かばかり解けたようである。

「えぇ、そうね。六年間の全てをかける大切な試験だものね。今まで培ったものを生かせば、必ずやり遂げられるに違いないわ」

 表には出そうとしない、しかしながら内には確かに秘められたヴァイスの熱をルナも感じ取った。それに感化された彼女もやる気を漲らせた。

 言葉にはしなかったが、それはノエルとアーヴィンも同様であった。ヴァイスの言葉に返答するように頷き返し、そして口端を持ち上げた。

「んじゃ、明後日に向けて決起集会と行こうぜ!」

 勢いよく立ち上がったノエルが拳を高らかに掲げて見せる。その様子を見たアーヴィンが「決起集会なら明日でも構わないのですが……」と苦笑地味ているのが何とも印象的であった。

 しかし、それでも皆はノエルの提案に賛同し、急遽ながらも決起集会なるものを決行することになった。

 そうしてその日は、日が暮れるまで談笑を交わし、卒業試験の成功を誓ったのだった。

 

 

 

 それから一日の日付が流れる。

 暮れ泥んだ冬の空に、まるで日没を告げるかのようにクートウスの鐘の音が響き渡る。

 ヴァイスは何気無くベッドに腰を下ろし、その音に身を委ねるようにして山々の向こうに沈もうとしている夕日をぼんやりと眺めていた。

 明日に備えた身支度は終えた。心の準備も万端である。そうして手持無沙汰になったヴァイスは、こうして何気無く窓の外に視線を向けていたのだ。

 今思い返してみれば、こうして外に視線をやった暁には、決まってギルドナイトを志す理由を一人で模索していた。

 結局、それから一年ほど経過した今になっても、その理由は定まってはいない。だが、自棄になってまでそれを求めなくてはいいのだ。改めてそう言われたあの日からは、そのように物思いに耽ることもなくなった。

 そして、今も尚もヴァイスはそれを考えてなどいなかった。文字通り何もせず、ボーっと視線と意識を、窓の外に傾けていた。

 そうしているうちに日が暮れ、室内にも徐々に闇が落ちて来る頃であった。不意に背後から自分の名前を呼ばれ、ハッと我に返る。

「……ルナか」

 灯りを点けることさえ忘れていたため、それこそ扉の前に立っていた人物の顔には影が落ちていた。しかし、暗闇の中でも誇らしげに輝く秀美な金色(こんじき)の髪が、ルナの存在を明確に示していた。いつもとは違い、長い髪を下ろしたその姿は何とも幻想的に思えてしまう。

「邪魔、しちゃったかしら」

 部屋に一歩を踏み入れてきたルナが、やや躊躇いがちにそう言う。しかしヴァイスは首を横に振ると「構わないさ」と静かに告げた。

「対してすることもなかったからな……。話し相手くらいなら全然付き合うよ」

「そう。じゃ、その言葉に甘えさせてもらおうかしら」

 その表情に微笑を浮かべたルナが、ヴァイスの元へとやって来る。そして、何も迷うことなくヴァイスの隣へと腰を落ち着かせた。

 すっと手を伸ばせば、いとも簡単に彼女に触れることの出来るような距離感。時の流れを忘れたかのように静寂したこの部屋では、彼女の僅かな息遣いでさえ耳に入ってきて、ヴァイスの平然を惑わす。

 それに堪え兼ねたヴァイスが声をかけようとしたその時、不意に右肩に妙な違和感を覚えた。ゆっくりとそちらの方向に首を向けてみれば、絵に描いたような美しい彼女の髪に視線を奪われた。

 ヴァイスが言葉を取り戻したのは、ルナが自分の肩に頭を預けてきているのだとようやく理解に至った時であった。

「急にどうしたんだ?」

 あくまで泰然とした様を装って、ヴァイスはそんな言葉を掛けてみる。対してルナは、その問いかけに答える気があるのかないのかはいざ知らず、ヴァイスに対して更に寄り添ってきた。自然と二人の距離はより一層縮まる形となり、二人はぴったりと密着するような体勢となる。

「お、おい。本当にどうしたんだ? やけにいつもとは様子が違わないか?」

 自室でルナが髪を下ろしている姿はよく見る光景だが、こうしたスキンシップ――それこそ、このように甘えてくるなどといった行為をすることは今まででは考えられないことであった。

 唐突な彼女の心変わりに、ヴァイスの装った偽りの冷静も呆気無く崩れ去り、妙な緊張が身体を走り抜ける。

 するとしばらくして、ようやくルナが頭を持ち上げた。身体は依然として密着した状態ではあったが、こちらにその視線を向けて口を開いた。

「何よ。“話し相手くらいにはなってくれる”って言ったのはヴァイスでしょ。だったら、いちいち口出ししないでよ」

 至って普段通りの口調で言い切ったルナに反論の一つでも返してやりたいと思ったが、それを許す余地すら与えられず、ルナは再び頭を預けてきてしまう。

 いや、“普段通り”という言葉には若干の語弊があった。きつい物言いは確かに普段通りではあった。だが、その声色が僅かに震えていたのをヴァイスは聞き逃さなかった。

 そうすると、ルナの取ったこの行動の意味に理解が至る。先程までの緊張も嘘のように消え去っていく。

 短く息を吐いて、ヴァイスは目の前に差し出された美しい髪を優しく撫でてやる。

「……それで、何があったんだ?」

 調子を取り戻したヴァイスも、何気無い口調で尋ねてみる。するとルナが、ぴくりと身体を震わせた。予想していなかったと言うよりは、その言葉を待っていたのだとでも言うように。

 それでも、ルナも最初は素直に問いかけに答えることは出来ないようだった。だが、やがて心の整理が付いたのか、ポツリポツリと言葉を繋いでいく。

「……夢を、見たのよ」

「夢?」

 ヴァイスが聞き返すと、ルナが小さくこくりと頷いた。

「卒業試験の……、私たちがドスギアノスと対峙している夢。でも、内容はあまりハッキリしていないの」

 それだけでは、ルナが何を言いたいのか理解出来なかった。

 しかし突然、右腕を締め付けられるような感覚を覚えた。どうやら、ルナがヴァイスの腕を抱きしめるように手を回してきているらしく、そしてその身体が小刻みに震えているようでもあった。

 らしくない、弱々しいその姿を目の当たりにしてしまったヴァイスは、再び彼女の頭を優しく撫でる。

「でも、覚えているのは、その夢がとても怖かったということなの」

「怖い?」

 そこまで言われて、ヴァイスも薄々ではあるが、ルナが伝えたいことを読み取った。

 夢に見た卒業試験、そしてドスギアノス。それが怖いということなら、おそらくは“そういった”夢なのであろう。それこそ、目の前で誰かの存在が無くなってしまったかのような……。

「ねぇ、ヴァイス……」

 名前を呼ばれて顔を向けると、再度ルナと目が合った。しかし、その時とは違い、その瞳は胸に抱く恐怖を訴えてきている。まるで、「どこにも行かないで」という心の叫びを代弁するように、ルナが腕に込める力を強めてきた。

「ヴァイスは……、ヴァイスは私たちと一緒にいてくれるわよね。手が届かないような、ずっと遠くへ行ったりはしないわよね……?」

 何かに怯えるルナが、そうしてヴァイスに縋るように答えを求めてくる。

 これにはヴァイスも、どう返答するべきかと戸惑った。ルナの見た夢の内容は定かではない。だが、ただ単純に「遠くに行ったりはしないよ」と答えたとして、果たしてそれでルナの不安を取り除くことが出来るのだろうか。

 それを思い、ヴァイスはルナの頭を撫でていた右手を動かし、そっと彼女の右肩にやった。そして、優しく包み込むようにこちらに引き寄せた。

「ルナがどんな夢を見たかは分からないけどさ……。でも、俺はここにいる。卒業試験だって、四人で必ずやり遂げてみせる。大丈夫、俺は傍にいる」

「……うん」

 そこで、ようやくルナが心底安心したかのような表情を見せてくれた。

 しかし、それでもルナはどこか名残惜しさを感じているのだろう。気持ちが落ち着いてからも、ヴァイスから離れようとする素振りは見せなかった。

 そんな彼女が満足するまで、ヴァイスは傍に寄り添い優しく頭を撫で続けた。

 

 

 

 ――身を切るような冷たい風が木々の合間を通り抜ける。

 上空を見遣れば、普段よりも幾分凍てついたように思える空がそこに広がっている。そして、そこから視線を下ろしていけば、山肌が白に染まった光景が視界に入ってくる。

 フラヒヤ山脈。通称、雪山。

 ドンドルマを発ったヴァイスたち一行は、途中フラヒヤ山脈の麓に位置する村、ポッケ村を経由してここまでやって来た。

 現在四人がいる拠点には、所々に溶け残った積雪が見られるものの、辺り一面銀世界というわけでもなかった。しかし、拠点を出て一度山を登れば、そこには一面が白に染まった世界が広がっている。

 今から至るであろう山々を見つめ、ヴァイスが身体の緊張を解すように息を吐いた。

「――準備が完了しました」

 それと同時に、後方から聞き慣れた声が耳に入ってくる。そちらへと目をやれば、各々意気のある表情がそこにあった。

 皆の意気込みが乗り移ったのか、ヴァイスも表情を改め深く首肯した。

「いよいよだな」

 ヴァイスの言葉を噛み締めるように、三人が頷き返す。その表情を再び一瞥し、ヴァイスが握り拳に力を込める。

「今までの全てをぶつけるぞ。悔いを残さないよう、全力で挑む」

「あぁ、もちろんだぜ!」

 皆を代表してノエルが覇気を帯びた声色で返す。もちろんそれは、ヴァイスも同じ気持ちであった。

「方針は以前から決めていた通りだ。とにかく、焦る必要は無い。俺たちらしい、いつもの立ち回りでやり遂げてみせよう」

 そうして、誰からというわけでもなく、互いに手のひらを打ち合わせ健闘を誓う。そうすれば、今までの緊張や不安も、どこかに消え失せていく。

 四人で、必ず成し遂げよう。言葉にはしなくとも、全員の気持ちは一つだった。

「よし、行くぞ」

 ヴァイスの掛け声に首肯し、四人が拠点を出発する。

 木々の合間を進み、岩肌に沿って獣道を進めば、しばらくして視界が開ける。向かって左手には湖が広がり、そこでポポの群れが喉を潤しているようである。

 この雪山は、大きく分けて三つのエリアで構成される。今いるエリア1のような草原エリア。加えて洞窟、年中雪の積もる山腹地帯である。

 今回の卒業試験の討伐対象、ドスギアノスは山腹地帯に生息するモンスターだ。エリア1から山腹地帯にまで抜ける道筋は何通りかあるが、ここは最短ルートを選択する。

 エリア1の北部。段上に迫り出した岩場を上ると、岩肌にぽっかりと空いた空洞が目に入る。空洞からは凍えるような冷気が流れてきており、中の様子を窺おうにも視界は確保出来そうにない。だが、この空洞は洞窟エリアへの抜け道になっており、ここを通れば山腹まで通り抜けることが可能だ。

 しかし、この冷気の中を、何も準備無しで進んでいくのはあまりにも危険である。そこでヴァイスたちは、徐にホットドリンクを取り出し飲み干す。これで極度の寒冷にも耐えられるようになる。

 準備を整えると、ヴァイスを先頭にその空洞へと足を踏み入れる。洞窟内の地面は凍り付いており、気を抜けば足を滑らせてしまいそうである。足元にも細心の注意を払いつつ進んでいると、不意に鈍い光が差し込んで来た。

 光の差す方に目をやれば、そこにはクリスタルのように輝く氷柱が聳え立っていた。どうやら、僅かながらの光がここまで届いているようで、氷柱がその光を反射して輝いているのである。

 だが、その光景に見惚れている余裕などは無く、ヴァイスたちは尚も足を進めた。そして、天井が開けた巨大な洞窟を更に経由して外へ出れば、そこは時の流れが止まった白の世界であった。

 エリア6。このエリアを含め、エリア7と8も同じような景色が広がっている。この卒業試験では、この三つのエリアを行き来することになるのだ。

 今一度上空へ目を向ければ、依然として青空が広がっている。山の天気は変わりやすいとはよく言うが、この様子ならしばらくは吹雪く心配もなさそうである。

「……このエリアには、ドスギアノスはいないようね」

「そのようですね」

 ルナと同じく辺りを警戒していたアーヴィンが頷く。

 しかし、ドスギアノスの行動範囲は雪の降り積もる三つのエリアのみだ。ドスギアノスを発見するのは、時間の問題である。

「ここにいないのなら長居しても仕方無い。一旦山を登って、エリア8へと行ってみよう」

 ヴァイスの提案に賛同し、四人はエリア8を目指す。

 エリア8は、雪山で最も標高の高い場所に位置するエリアだ。ここまで来ると気温もだいぶ下がってきており、ホットドリンクを使用していても寒さで凍えそうになる。

 しかし、今はその寒さでさえも忘れてしまっていた。何故なら、四人の視界の先、この銀世界に同化するような青白い鱗を身に纏ったモンスターがこちらを睥睨していたからである。

 鳥竜種独特の、シャープな身体つき。群れを率いる長としての証は、新橋色のトサカがそれを象徴している。獲物を狙う鋭い双眸。鋭利な長爪。間違えようのない、奴こそドスギアノスである。

「アーヴィン」

「えぇ、任せて下さい」

 四人が臨戦態勢を取ると、ドスギアノスもそれが敵意を持った侵入者だと判断したようだ。喉を震わせ、甲高い鳴き声を凍り付いた空に轟かせた。

「行くぞ!」

 それを皮切りに、ヴァイスたちも地面を蹴り上げる。

 今、ヴァイスたちの卒業試験――クートウスでの最後の狩猟の幕が切って落とされた。



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EPISODE71 ~雪上の攻防~

「ギャアァァァァ、ギャアアアアァァァァァァァッ!」

 囂しい鳴き声が静寂していた雪山に響き渡ると、周囲から手下と思われるギアノスたちが出現する。それらはヴァイスの前方から、そして後方から、四人を包囲するような形で接近してきた。

「ちっ、囲まれた!」

 焦りと怒りを表すようにノエルが荒い舌打ちをする。

 四人の焦燥を更にかき立てるように、ギアノスたちもけたたましく咆哮する。そして、ドスギアノスが一際大きく喉を震わせると、総勢八体のギアノスがヴァイスたち目掛けて猛襲する。

「ノエル、アーヴィン。二人は前方のギアノスたちを頼む!」

 鉄刀を鞘から引き抜きながら、ヴァイスは身を翻す。その視界の先には、既にこちらに向かってくる四体のギアノスの姿があった。

 ヴァイスに続いてルナもそちらへと向き直り、ツインダガーを振り抜く。残る二人も、ヴァイスに対して有無を言うことなく標的を視界の中に定めた。

「くそっ、やるしかないか!」

「後ろは任せましたよ、二人とも!」

 ボーンシューターにLV2通常弾を装填すると、アーヴィンがスコープに顔を落とす。そして、銃口から放たれた弾丸がうち一体のギアノスに命中したのを合図に、剣士の三人が同時に地面を蹴った。

 混沌としたギアノスたちの群れの中に飛び込むと、ヴァイスとルナはそれぞれの獲物を振りかざし斬撃を放つ。

 一方ノエルは、単独でギアノスたちに乗り込む。援護はアーヴィンに任せたまま標的は一体に絞り込み、確実に仕留めに掛かる。アーヴィンもその信頼に応え、ノエルの死角から迫り来るギアノスたちを沈めていく。

 最後の一体にまで追い詰めたギアノスも、ノエルの繰り出したアイアンガンランスの一突きで吹き飛ばされ、絶命する。

 散乱したギアノスの亡骸が、再び静寂と化した純白に沈む。その光景を見兼ねたドスギアノスが再び鳴き声を上げると、ようやく動きを見せる。

「奴らの大本が来るわよ!」

 ルナが警告を発してから間を置かず、鳥竜種特有の跳躍力を生かしてドスギアノスの身体が宙に躍る。着地地点の付近にはノエルがいるが、それでも避けられそうにない。ガンランスを構えた状態では、抜群の身体能力を持つノエルでさえ難しいのだ。

 それはノエル本人も理解している。右手に装備した大盾を正面に構え、飛び掛かって来たドスギアノスを何とかやり過ごす。

 盾でガードされたために、ドスギアノスの身体が空中で揺らぐ。地上には上手いこと着地出来たようだが、それでも体勢を崩してしまったことに変わりはない。

 それを見逃すことなく、ヴァイスとルナが再び詰め寄る。側面から間合いに踏み込んだルナがツインダガーを振り抜く。大胆に肉薄したルナはそのまま連撃を繰り出し、無数の斬撃を浴びせる。

 一方ヴァイスは、後退したノエルと入れ替わるように正面から斬り込みつつも、余裕を持った立ち位置で動く。こうすることでドスギアノスの注意はヴァイスへと向けられ、肉薄するルナから関心を逸らすことを狙いとしたのだ。

 その狙いは成功し、ドスギアノスは自らの視界に映るヴァイスを標的として定めたようだ。鋭い眼光がヴァイスを見据え、そして喉を震わせる。

 周囲を薙ぎ払うように身体を一回転させる。しかし、事前にその動きを予測していたヴァイスは斬り下がって後退していたために痛手を負うことはなかった。

「よし、前に出るぜ!」

 後ろに下がっていたノエルが前へ躍り出ると、再びヴァイスと入れ替わって囮役を引き継ぐ。

 一方、ドスギアノスから距離を取ったヴァイスがアーヴィンの方へと顔を向ける。ヴァイスの視線からその意志を汲み取ったアーヴィンが頷き返すと、LV2通常弾を再装填する。囮役を買って出たノエルの援護に徹するのだ。

 LV2通常弾が銃口から放たれ、それがドスギアノスの喉元に命中する。ドスギアノスの注意が僅かに逸れた瞬間に漬け込み、ノエルが正面から突っ込む。

 走り寄った勢いそのままに一突き、そこから立て続けにアイアンガンランスを突き出し、ボウガンと似たような構造の引き金を引く。炎熱を迸らせ銃口から弾丸が放たれ、それがドスギアノスの顔面を焼き尽くす。

「キィアアアァァァァァァァァッ!?」

 ドスギアノスの咆哮が轟く中、ノエルは弾倉に装填された弾丸を撃ち尽くすまで矢継ぎ早に引き金を引き続けた。そうして最後の弾丸を撃ち出す頃には、ドスギアノスも体勢を立て直していた。弾切れを見計らったドスギアノスは牙を剥き出しにノエルに掛かったが、しかしそれも強固な盾に阻まれる。

 ドスギアノスとの鍔迫り合いを制し、ノエルがステップを踏んで後退する。十分な安全圏にまで達するとポーチから追加の弾丸を取り出し、装填する。

 ノエルの抜けた穴はヴァイスとルナの二人が補っている。その間隙を縫ってノエルがドスギアノスに詰め寄る。しかし、今度ばかりはドスギアノスも易々とノエルの接近を許さない。いとも容易く二人を振り払うと、そのままノエルに飛び掛かった。

「うぉっ!?」

「大丈夫ですか、ノエル!」

 後方で支援を続けていたアーヴィンが駆け寄ろうとするが、その目の前でノエルは地面から飛び上がった。

「あぁ、悪い。ちょっとばかり掠っただけだ」

 ドスギアノスから距離を取り、身体に付着した雪を払い落としながらノエルは復答する。

 その様子を見たアーヴィンも安堵の溜め息を漏らし、自らの仕事に意識を戻す。

 しばらくすると、回復薬を使用してノエルは体力を回復させたようだ。堆く積もった積雪を蹴り上げ、アイアンガンランスをドスギアノス目掛けて突き出す。予想外の一撃にドスギアノスの身体も一瞬竦んだ。

 ドスギアノスが動きを止めた一瞬の隙を逃さず、ノエルは更に畳み掛ける。

 身体に刻まれた銃創に矛先を向け、銃口から弾丸を放つ。銃撃音が空寂を貫くと、ドスギアノスの表麟を焼き尽くす。

 ヴァイスとルナも続く。互いにドスギアノスを挟み込むように位置取り、斬撃を繰り出す。

 しかし、ドスギアノスは幾度の斬撃と銃弾をその身に受けようと気に留めず、身体を一回転させる。身体つきの割に長い尻尾が周囲を薙ぎ払い、ヴァイスとルナはそれに吹き飛ばされる。

「うぐっ!?」

 普段なら容赦なく地面に叩きつけられるところなのだが、辺り一面は積雪で塗れておりそれがクッションの役割を果たしてくれた。後方に吹き飛ばされたルナも、地面に身体を強打することはなかった。

 どうやらヴァイスも大きなダメージを負ったわけではないようだ。同じように身体を起こし怪我の具合を確認する。そして、回復薬は不要だと判断して、もう一度ドスギアノスとの距離を詰めていく。

 太刀の間合いに踏み込むと、抜刀していた鉄刀を振り下ろす。上段から振り抜かれた軌跡は縞の鱗を貫き、決して浅くはない傷をその身体に負わせる。

 斬撃を浴びたドスギアノスも眼を瞬かせると、ヴァイスに向けて鋭い眼光を向ける。危険を悟り後退したヴァイスの足元に、それから間を置かずにブレス状の白色の物体が飛び散った。

「氷液か……!」

 足元に着弾した液体と、それを放ったドスギアノスとで視線をやりくりしながら、ヴァイスは息を呑んだ。

 氷雪地帯に生息するドスギアノスとギアノスたちは、体内で氷液という特殊な液体が生成する。その名前のとおり、この氷液自体の温度は低温で、彼らはこの氷液をブレスとして吐き出すことも可能なのだ。

 もちろん、人間がこのブレスを浴びてしまえば体温はたちまち低下してしまい、身体を動かすことでさえ難しくなってしまう。

 しかし、ヴァイスもいつまでも怯んだままではない。ノエルとルナが前に出て攻撃を繰り出す中、ヴァイスもタイミングを見計らって肉薄した。

 ここぞとばかりに、二人も絶えず武器を振るう。しかし、ドスギアノスは持ち前の跳躍力を生かし、三人の包囲網を手も無く突破してしまう。単独になったドスギアノスは、後方で射撃を続けているアーヴィンに目を付けた。

「そっちに行ったわよ!」

「えぇ、分かっています!」

 スコープから顔を上げると、アーヴィンはボーンシュータ―を構えたまま雪上を転がる。

 しかし、ドスギアノスも執念深い。視界からアーヴィンが外れても、身体の向きを変えては追い回す。そうして徐々に両者の距離が縮まり、ドスギアノスが牙を剥き出しにして噛み付きかかったところで横槍が入る。二人の間に割り込んだノエルが盾を構え、間一髪の差でドスギアノスの牙を防いだのだ。

「助かりました、ノエル!」

「おうよ!」

 アーヴィンの感謝の言葉にノエルは答えると、そのままドスギアノスを弾き返す。ドスギアノスが体勢を崩したところに、背後からヴァイスとルナが走り寄る。

 背中を見せたこの瞬間を絶好の機会と踏んだヴァイスは、接近すると気刃斬りを繰り出す。普段とは異なる、身体全体を使って繰り出される三度の斬撃は、ドスギアノスの不意を突く決定的な一打となった。

「ギャオオオォォォッ!?」

 怯んだドスギアノスを目の前に、ヴァイスも知らずのうちに口角を僅かに持ち上げていた。

「よし!」

 決して慢心ではないが、着実にダメージを与えていることを確信し、ヴァイスも意気込む。

 それを受けてか、各個の士気も更に上昇する。今一度体勢を整え直したドスギアノスの元に、ルナとノエルが一際迫る。

 背後で援護を続けるアーヴィンも、攻めの姿勢を見せる。弾倉に残っていたLV2通常弾をありったけ撃ち出すと、ポーチから火炎弾を取り出し装填する。銃口から放たれた火炎弾はドスギアノスの横腹に着弾し、煙焔が散り別る。

「キィヤアアァァァッ!」

 苦手とする炎をその身に受け、さしものドスギアノスもたじろいだ。

 アーヴィンの援護を受け、ルナも深く踏み込み応戦する。

 しかし、ドスギアノスも一方的にやられ倒しというわけではない。瞬時に腕を持ち上げ、腕先の強固な尖爪で以てその剣身をガードしたのだ。

「ウソでしょ!?」

 予想だにしない出来事に、ルナも目を丸くしてしまう。

 しかしそうなると、今度はルナに隙が生まれる。ツインダガーを弾き返した爪を持ち上げ、乱暴に振り下ろす。ルナもツインダガーで防ごうと試みるが、剣身が細身の双剣では限界がある。当然のように力負けしたルナは、しかしながら致命傷は免れたものの軽々と吹き飛ばされた。

「くっ!?」

 受け身をとることさえままならず、ルナの華奢な身体が積雪の中に埋もれる。

「大丈夫か?」

「えぇ……。これくらい、掠り傷よ」

 駆け寄ったヴァイスの助けを借りながら、ルナは何とか立ち上がる。

 彼女の言うとおり、左肩を少し掠った程度の傷で済んだらしい。これなら回復薬を使用すれば問題ないだろうとヴァイスも判断する。

「無理はするなよ。俺たちで時間を稼ぐ」

「悪いわね。お願いするわ」

 ヴァイスの申し出に素直に応じ、ルナは一度ドスギアノスとの距離を取ることにした。

 その間、ヴァイスは尚も応戦する。大胆に立ち回るわけではなく、時間を稼ぐように立ち位置を細かく変更しながら動く。

 同じく前衛で踏ん張るノエルも、ドスギアノスの一撃を受け止めながら何とか対峙する。しかしながら、そのノエルも徐々に押され始めていく。

「おい、このままだと俺はジリ貧だ。アイアンガンランスの切れ味も、あんまり感触は良くないぜ……っ!?」

 またしても振り下ろされた爪を盾で防ぎながら、ノエルが現状打破の策を要求する。

 ガンランスに搭載された砲撃機能は、武器の切れ味を大きく消耗する。切れ味が消耗してはランスとしての役割を果たせないだけでなく、武器自体の保護のために砲撃でさえも行えなくなってしまう。砥石を使用する時間を作り出すには、ノエルが後退する僅かな隙が必要になるのだ。

「あぁ、分かってるさ……! なら、もう一度隙を作って、その間にルナとスイッチしてくれ!」

 鉄刀を振るう手を休めることなくヴァイスが口にすると、ノエルもふっと笑みを浮かべる。

「そういうことなら、もう少しだけ踏ん張るぜ!」

 そうしてドスギアノスの牙を盾で弾き返し、お返しとばかりに砲撃を放つ。

 消え行く爆音の中、ヴァイスは後方にいるアーヴィンに視線を向ける。ヴァイスの視線の意図を理解したアーヴィンも頷き、急遽弾丸を変更する。LV1徹甲弾を装填すると、スコープ越しに見えるドスギアノスの脚部目掛けてその引き金を振り絞った。

 銃口から放たれた徹甲弾はドスギアノスの右足首辺りに命中し、それが爆音を撒き散らして弾け飛ぶ。その破壊力は圧倒的で、それをもろに受けたドスギアノスの身体が宙を舞った。

「今です、ノエル!」

「あぁ、サンキュー!」

 ドスギアノスが体勢を崩した隙に、ノエルがアイアンガンランスを肩に背負って後退した。ノエルと入れ替わるように、ルナが再び前線に戻る。

「意外と時間が掛かったわね」

「悪かったな。でも、その分だけ万全の体勢を整えられただろ?」

「えぇ、もちろん!」

 ルナが答えると、研ぎ直したツインダガーの刃がドスギアノスの鱗を斬り刻む。

 ヴァイスも負けてはいない。再びドスギアノスの背後に回り込むと、烈々たる気合いを迸らせ気刃斬りを叩き込む。

 これだけでも十分なダメージを与えている。並みのモンスターなら、これだけの斬撃に耐えるのも不可能だ。しかし、それでもドスギアノスは平然とした佇まいで尚も攻撃の手を休めることはない。

「気刃斬りを食らっても、この程度ってところか……!」

 焦る必要は無い。自然と逸る気持ちを抑え付け、自らにそう言い聞かせる。頭の中でそれを反芻させると、もう一度ドスギアノスへ斬撃を放つ。

 体勢を整えたノエルも再び合流し、後方では弾丸を火炎弾からLV2通常弾に切り替えたアーヴィンからの援護が続く。

 ドスギアノスも反撃を試みるが、前衛に復帰したノエルがパーティーの盾役となって全ての攻撃を防ぎきってみせる。しかし、無理に全ての攻撃を受けきるつもりでいると、すぐにスタミナが底を突いてしまう。しばらく守りに徹していたノエルも例外ではない。

「さすがにこれ以上は防ぎきれない。少しだけ時間を稼げないか!?」

「了解。私が惹き付けておくうちに後退して!」

 普段はいがみ合っているルナとノエルも、いざモンスターと対峙すれば抜群の連携である。囮役を引き継いだルナが時間を稼いでいるうちに、ノエルは呼吸を整えるために一旦後退する。

 ヴァイスとアーヴィンは、ルナの援護に回る。

 背後からの斬撃と射撃。こうなると、ドスギアノスも安易にルナを仕留めることも出来ない。

 そうこうしているうちに、小休止を終えたノエルが再び合流する。ルナと交代してドスギアノスの真正面に陣取り、顔面目掛けてアイアンガンランスを突き出した。

「キィアアァッ!」

 対して、ドスギアノスも退かない。ノエルを一転に見据え、とにかく鋭鋒する。鼻先を掠めるかのような危うい場面もあったが、何とかノエルもドスギアノスの猛攻を耐え凌いだ。

 しかし、このままでは再びノエルのスタミナが尽きる。その事態を危惧したルナが、今まで深く入り込んでいた間合いから更にもう一歩踏み込んだ。身体の底から湧き上がる闘志をその刃に乗せ、物凄まじい速度で斬撃を咬ます。

「りゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 自身の限界を凌駕する鬼人化。凄まじい速度で繰り出される斬撃がドスギアノスに数多の傷を刻み付ける。平常時のルナとは全く違う、繊細さの一つも感じさせない粗暴な立ち回りではある。だが、この繊細さと粗暴さの紙一重のバランスこそが、双剣を使いこなすルナの強みであった。

「ギャアアアアアァァァァァァァッ!?」

 気迫ある斬撃の嵐を目の前にして、ドスギアノスも堪らず悲鳴を上げる。

 そこをチャンスと見て、ヴァイスもその隙に攻め寄る。走り寄った勢いをそのままに、頭上にまで振り上げていた鉄刀を上段から振り下ろす。溜め込んだ気力を放出し、続けざまに気刃斬りをも浴びせる。

 しかし、気刃斬りを通して感じられる手応えは、予想に反して今一つであった。どうやら、ここに来て鉄刀の切れ味も落ち始めたらしい。

 三人に援護を頼み、一度後退しよう。そう考えていたヴァイスの目の前で、ドスギアノスが突然踵を返した。こちらに見向きもしないまま、そのまま積雪した斜面の向こう側へと姿を消したのだ。

 ドスギアノスもこのままでは分が悪いと判断したのだろう。しかしながら、小憩を取るタイミングとしては絶好だった。

「はぁ……っ」

 張り詰めていた緊張の糸を僅かに緩めるように、ヴァイスが短く息を吐き出した。

「なかなか、手強いですね……」

 アーヴィンも、ここまでを振り返ってみて素直な感想を口にする。

 緊迫していた状況が続いていたためか、他の二人もヴァイスやアーヴィンと同じような反応を示した。だが、狩場の真ん中で完全に気を許すわけにもいかず、四人はそれぞれで体勢を整える。

 切れ味の低下を感じ始めていたヴァイスの他、ルナとノエルもそれぞれの武器に砥石を当てる。火炎弾を消費したアーヴィンはその分を補うため調合を行う。

 最後に回復薬や携帯食料で体調を整えれば、ドスギアノスを追撃する準備は整った。

「支給品の閃光玉はこの辺りから使っていこう。ルナとノエルも、更に踏み込んでもらって構わない。アーヴィンは引き続いて俺たちの援護を頼む」

 今後の方針を手短に決定すると、適度な緊張へ意識を持っていく。そうすれば、自ずと皆の士気は最高潮に達する。

「よし、ドスギアノスの奴にガツンと咬ましてやろうぜ!」

 パーティー全員の気持ちを代弁して、ノエルが声を張る。自分と仲間の抱く強い気持ちは同じなのだ。それを改めて認識し合い、四人はドスギアノスの後を追ってエリア8を発った。



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EPISODE72 ~上方から望む者~

 ドスギアノスの後を追う四人は、エリア7に足を踏み入れた。

 相変わらず剥き出しの山肌に白の雪化粧を施した景色に変わりはない。このエリアは山頂に比べると積雪の量は若干少ないようだが、それでも気を抜けば足元を掬われてしまう。

 そうして注意しつつ歩を進めると、そこにはドスギアノスと、加えてギアノスたちの群れの姿があった。

「ちっ、またかよ」

 先の出来事が脳裏を過り、煩わしげにノエルが舌打ちする。

 すると、まるでそれを合図にするかのようにドスギアノスたちがこちらに顔を向けてきた。ドスギアノスが指示を下せば、ギアノスの群れが勇壮活発な身のこなしで四人目掛けて猛進してくる。その数、総勢七体。

「来るぞ!」

 ヴァイスたちもすぐさま武器を構え、応戦体勢を取る。

 アーヴィンのみが少しだけ後退した位置に陣取ると、援護射撃を開始する。銃口から放たれたLV2通常弾が、今まさにヴァイスに飛び掛かろうとしていたギアノスの蟀谷を撃ち抜き、白の絨毯に紅い花が散り落ちる。

 しかし、(ともがら)を討たれようと、ギアノスたちの勢いが衰えることはない。ドスギアノスの命令に忠実に、それこそ身を粉にしてまで全うしようとする。

「しつこいわね!」

 ルナもうんざりした様子を見せつつ、ツインダガーを一閃させる。ヴァイスとアーヴィンに至っては終始無言を貫き通すが、二人が抱いている感情はルナのそれと同じだった。

 そして、ようやく全てのギアノスを討滅した時、いよいよドスギアノスが動き出す。休む暇すら与えられぬ波状攻撃に、ノエルも焦りと怒りを覚え始める。

「鬱陶しい戦略立てやがるぜ、こん畜生!」

 ドスギアノスの統率力は高い。群れで獲物を捕らえる際の連携力は、他のモンスターと比較しても群を抜いているほどだ。運悪く彼らに出くわしてしまえば、最悪そこが死に場所に成り兼ねない。

 これは戦う力を持たない一般人だけに言えることではない。無論、ハンターにも同じことが当てはまるのだ。いくら個人の能力が高かろうと、またどれだけパーティーの呼吸が合っていようと、ドスギアノスたちの連携はそれすらも上回ってくる。

 力では到底及ばないモンスターだからこそ、人間は知恵を振り絞り、様々な策で強大な敵に立ち向かう。だが、それすらも凌駕するモンスターが存在するとすれば、それは厄介極まりない話だ。それこそが、ドスギアノスとギアノスたちの群れが持つ、最大の強さだ。

 だが、その連携を断ち切り、ドスギアノス一匹までに追い込んでしまえば、状況は互角にまで持ち込むことが出来る。

 ノエルが真っ先に飛び出し、ドスギアノスの顔面にアイアンガンランスを突き出す。一見愚直に思える正面からの特攻も、ノエル持ち前の身体能力とガンランスの守りを生かし、ドスギアノスの猛攻を封じ込める。

 ノエルとドスギアノスが一進一退の攻防を繰り広げているうちに、ヴァイスとルナは肉薄して斬撃を放つ。鉄刀とツインダガーの斬閃が迸り、ドスギアノスの鱗を穿ち斬る。

「ギャアアアアァァァァァァァァァァッ!」

 三人の反撃を食らい、ドスギアノスも熱り立つ。

 自慢の脚力で痩躯を宙に踊らせ包囲網を突破すると、そのまま四人から距離を取る。

 包囲網を突破された剣士の三人は、当然その間合いを詰め寄ろうと動き出す。その様子を、ドスギアノスは迂愚なものだという視線で見据え、そして高らかに咆哮した。

 鳥竜種特有の甲高い鳴き声が辺りに轟くと、何処からもなくギアノスたちが再び姿を現してくる。

 ざっと目視で確認する分には、現れたギアノスの数は六体だ。しかし、その六体が姿を現したのはヴァイスたちの遥か後方であった。

 しまった、と頭で理解した時には手遅れだ。前衛を務める面々が一時的にアーヴィンから離れた瞬間を見計らって、ギアノスたちが単独になったアーヴィンを完全にマークした。

「なるほど。まんまと嵌められたというわけですか……!」

 口では冷静に現在自分の身に降りかかった状況を述べるアーヴィンも、背中には冷や汗が伝わっているのを生々しく感じている。迂闊に動くことは出来ない。金縛りにあったかのように身動きが取れない状況だ。

 敵の魂胆を理解したヴァイスたちも急いで後退しようとする。しかし、ドスギアノスは再び跳躍して、今度はヴァイスたちの前に立ち塞がる。ドスギアノスがヴァイスたちとアーヴィンの間に割って入ったことで、パーティーが完全に分断されてしまう形となる。

「くっ……!」

 ここまでいいように追い込まれると、ヴァイスにも明らかな焦りの色が見えてくる。

 アーヴィンの射撃の腕はクートウスの中でもこの上無い。しかし、ガンナーが一度に複数体の、しかも体裁の取れたモンスターを相手取ると言えば話は二転三転する。

 おそらく、三人相手でもドスギアノスを潜り抜けアーヴィンの援護に向かうのは難しいだろう。そして、いくらアーヴィンであっても、あの数のギアノスを一人で対処するのにも限界がある。

 頭の中で徐々に浮かび上がってくる、“詰み”という二文字。だがしかし、それでもこの状況を打破出来ないわけではなかった。

「出来れば、もう少し有利な状況で使いたかったが……!」

 追い込まれた状況下でとやかく言っている余裕は無い。ヴァイスは目的の物をポーチから取り出すと、そのまま右手を大きく振り上げ、拳大の大きさの物体を地面に叩きつける。

「目を瞑れ!」

 ヴァイスが声を上げてから間を置かず、眩い閃光が辺りを走り抜ける。視界を焼き尽くすかのような強烈な閃光を食らい、ドスギアノスとギアノスたちがたまらず悲鳴を上げる。

 ヴァイスが使用したのは、今回の試験で二つだけ支給されていた支給専用閃光玉だ。本来ならこちらが優位に立てる絶好のタイミングで使用したかったが、この状況では出し惜しみしている場合ではない。

 しかし、支給品とはいえ、その効果は絶大だった。目の前で閃光を食らったドスギアノスはもちろん、後方で屯していたギアノスたちもその餌食となり、群れ全体が混乱状態に陥っていた。

「今のうちにアーヴィンの援護に行くわよ!」

「あぁ、分かってる!」

 ルナの言葉に応じてヴァイスとノエルも走り出し、アーヴィンの元へ急ぐ。

「加勢するぜ、アーヴィン!」

「ありがとうございます。お願いします、三人とも」

 三人はそのままアーヴィンの傍を駆け抜け、未だにもがき苦しむギアノスたちに向かって行く。

 対して、アーヴィンも黙って援護されるわけではない。三人がギアノスたちに肉薄するよりも一足早く、ボーンシューターを構えて弾丸を撃ち出す。

 四人掛かりで、しかも閃光玉で目が眩んでいるギアノスたちを討伐するのには、それほど時間を要する必要は無かった。流れるような連携と立ち回りで次々とギアノスたちを蹴散らしていく。そして、ドスギアノスが視力を取り戻した時には、既に部下たちの姿は冷たい雪の中に沈んでいた。

 更に次の瞬間には、そのギアノスたちを倒した三人がドスギアノスに向かって行く。正面からはノエルが。側面からはヴァイスとルナが肉薄し、後方からはアーヴィンの的確な援護射撃が行われる。

 自分たちの連携を更に上回ってくる侵入者に、さしものドスギアノスも頭に血が上る。

「キャアアアアァァァァァァァ、キャアアアアアアアァァァァァァァァッ!」

 虚空を睥睨し、ドスギアノスが姦しい鳴き声を上げる。獲物に向けられたその眼光は血走り、息遣いも激昂して興奮しているかのように荒々しい。

 いや、ドスギアノスは実際に激しい怒りを覚えているのだ。ここまで様々な手を尽くしてきたが、それでも目の前の四人を捉えることが出来ない。それにも及ばず、自分が追い込まれているような状況だ。知性、というよりは野生の勘でそう判断したであろうドスギアノスが遂に動き出す。

「ドスギアノスもだいぶ興奮しているようだ、気を付けろよ!」

 ヴァイスがそう警告を飛ばしたのと同時、ドスギアノスが跳躍する。それは今までからは考えられないような速度で宙に舞い上がり、人間では到底想像出来ないような高さからドスギアノスが落下してくる。

「なぁっ――!?」

 モンスターが怒り状態になれば、今までとは比べ物にならないほどの力を発揮する。

 理屈ではそう理解していても、やはり実際に目の当たりにすると、あまりの威圧に身体が一瞬竦んでしまう。

 そして、その一瞬が命取りになる。普段よりも反応が遅れてしまい、その隙にドスギアノスは易々と付け込んでくる。最も手短なノエルに狙いを定めていたドスギアノスが、遥か頭上から腕を振り下ろす。咄嗟に盾を構えようとするが、それでも遅い。頭部への直撃は避けたとはいえ、身体に打ち付けられた腕の勢いにノエルの身体も簡単に吹っ飛ぶ。

「ぐわぁっ!?」

「ノエル!」

 派手に宙を舞ったノエルの身を案じ、アーヴィンが駆け寄る。

「う、ぐっ……。いってぇ……!」

「大丈夫ですか?」

「あぁ。これくらいなら、まだまだ全然大したことはない。……しっかし、アイツもやってくれるじゃあねぇか」

 ゆらゆらと身体を持ち上げ、ノエルがドスギアノスに鋭い視線を送る。ドスギアノスは、対してノエルの煮え滾る怒りを冷ややかな様子で受け流す。やれるものならやってみろ、と挑発するかのように。

 しかし、ノエルに残った多少の冷静さが、感情に任せて身体が動くのを抑制する。アーヴィンに援護を任せ、自分は一旦後退することにする。

 ドスギアノスは、見す見すノエルを逃がすまいとするが、ヴァイスとルナに阻まれて易々と追撃を諦める。

 だが、ノエルの代わりに標的に絞ったのはその二人だ。左右挟み込むように位置していようが関係ない。二人まとめて始末しようと自棄になって、ドスギアノスが周囲を薙ぎ払う。力任せに繰り出された一撃でも、その威力と速度は段違いだ。二人は回避しようと試みたものの、振り抜かれた尻尾が身体を掠めて体勢を崩してしまう。

 それでもヴァイスたちは、ドスギアノスに痛手を負わせられるほどの隙を与えない。アーヴィンの援護のおかげもあって、ドスギアノスの注意も僅かに逸れることもあった。掠り傷程度なら何とか耐え抜き、僅かな隙を見計らっては斬撃を放つ。

 そうしてしばらくは交戦が続いた後、一時後退していたノエルがドスギアノスの後方から肉薄した。アイアンガンランスを正面に構え突き出し、近接砲撃を放つ。砲撃を受けて怯んだドスギアノスを目の前に、ノエルは手元のリミッターを解除し、そして手元の引き金を一層強く引き絞った。

 アイアンガンランスの銃口から炎が吹き上がり、灼熱の熱気が周囲の氷雪を溶かし尽くす。ドスギアノスもその異変に気付き、ノエルに食い掛ろうとする。だが、その瞬間にはもう遅い。ガンランス最大の一撃、竜撃砲を回避するなど不可能だった。

「吹っ飛びやがれ!!」

 紅から蒼へ。高熱を帯びた銃口が一際大きく咆哮すると直後に凄まじい爆音を撒き散らして、爆発と共にノエルの前方を焼き尽くした。ここぞとばかりに繰り出した竜撃砲の威力はまさに圧倒的で、それをまともに食らったドスギアノスの身体は玩具のように宙を舞い、後方へ大きく吹き飛ばされた。

「ギャアアアアァァァァァァ―――――――――――――――――――――――ッ!?」

 喉が潰れてしまうのではないかというほどに声を張り上げ、ドスギアノスが悲痛に叫喚する。

 狙い通りどころか、予想を上回る展開となり、ノエルも知れずとガッツポーズする。

 しかし、いつまでも余韻には浸っていられない。昂る感情は内に抑え、ノエルは自動冷却を開始したアイアンガンランスを構えたまま再びドスギアノスとの間合いを詰める。ノエルの動きに一歩遅れ、ヴァイスとルナも援護に向かう。

 その様子を、未だに苦痛の悲鳴を上げるドスギアノスが視界の端で捉えた。這々と身体を持ち上げ、滾る怒りに任せて尻尾を振り抜く。間断なく暴れ回るドスギアノスが、周囲に群がる三人を蹴散らす。

 辛うじてノエルだけは盾で防ぐことが出来たが、ヴァイスとルナは回避すらままならずそのまま吹っ飛ばされる。

「二人とも、無事ですか!?」

 後方から援護射撃を続けていたアーヴィンが、スコープから一旦顔を上げてヴァイスとルナの安否を確認する。どうやら、防具がうまく機能してくれたようで二人とも痛手は避けられたようだ。心配するアーヴィンに向かって、互いに手を上げて無事であることを伝える。

 しかし、安堵したのも束の間、ドスギアノスが更なる追撃を始める。ドスギアノスとて、ここまでの痛手を負わせた相手を見す見す逃すはずがない。その体力は頽れることを知れず、ドスギアノスの身体が再び宙に舞い上がった。

「来るぞ、散開だ!」

 ヴァイスに言われるまでもなく、ルナとノエルもすぐさま回避行動を取る。それから間を置かず、今まで三人のいた中心辺りの場所にドスギアノスが着地する。しかし、着地した後も動きを止めることなく、雪原を再び疾駆する。

「ちっ、標的は俺かよ!?」

 竜撃砲でいとも容易くぶっ飛ばされたことの腹癒せなのか、ドスギアノスが目を付けたのはノエルだった。体勢を整えられていないノエルの元まで一気に詰め寄り、鋭利な牙を光らせて噛み付きかかる。

 直後に耳を貫く鋭い金属音。ノエルは体勢を崩しながらも、盾で何とかその牙を防ぐ。しかし、この状態で分が悪いのは明らかにノエルであった。力負けしたノエルは一気に押し切られ、遂に無防備な姿を晒してしまう。

 ドスギアノスが頭を持ち上げ、牙を剥き出しに噛み付かんとする。だが、寸でのところでヴァイスが横槍を入れることに成功する。一歩遅れてやって来たルナとアーヴィンがドスギアノスを惹き付けているうちに、ヴァイスがノエルを連れて後方に下がる。

「わりぃ、マジで助かった」

「気にするな。それよりも、今は目の前の敵に集中しよう。まだまだ気を抜けない状況だ」

「へへっ、分かってる」

 ヴァイスがそう口にすると、ノエルはその顔に不敵な笑みを浮かべてみせる。そのノエルの様子を見たヴァイスは頷き返すだけで、そうするとドスギアノスに向かって走り出してしまった。

「やってやるさ」

 自らを鼓舞すように頬を叩き、改めてドスギアノスの姿を見据える。ポーチから回復薬を取り出し、瓶の中身を一気飲みすれば、身体の疲労も消えていく。

 まだまだ戦える。

 そうして自分に言い聞かせれば、俄然士気も漲ってくる。

「――しゃあぁっ!」

 気合いを新たに、地面に積もる雪を蹴り上げてダッシュする。側面からドスギアノスとの距離をどんどん詰めていき、そしてあと数歩で自分の間合いに持ち込めるところまで来た。

 その時、ドスギアノスがこちらを振り向く。再びやって来たノエルを寄せ付けまいと反撃を試みるが、それでも遅い。背中に背負ったアイアンガンランスの柄に手をかけ、そして間合いに踏み込んだ瞬間にアイアンガンランスをぶん回すように振り抜いた。体当たりを繰り出そうとしていたドスギアノスの身体に、アイアンガンランスの矛先が深々と突き刺さる。さらにその位置から引き金を振り絞り、両者がほぼ密着した状態で砲撃を放つ。

「オオオォォォォォォォォォォォッ!?」

 爆発の衝撃でドスギアノスの身体は宙に舞い、たまらず悲鳴を上げる。

 その隙にヴァイスとルナは再び追撃し、ドスギアノスに肉薄する。

 射撃を続けるアーヴィンも、ここが勝負どころだと踏んだのだろう。弾倉に残っていたLV2通常弾をありったけ撃ち尽くし、ポーチから新たな弾丸を取り出した。ドスギアノスが苦手とする火属性の弾丸、火炎弾。改めてその弾丸を装填すると、スコープ越しに映るドスギアノスの頭部から視線を外さないまま引き金を引く。銃口から放たれた火炎弾がドスギアノスの頭部に真っ直ぐ飛来し、着弾と同時に激しい炎が巻き起こる。

 意識していなかった位置からの、苦手とする炎の射撃。ドスギアノスの関心は、肉薄してくる二人から当然のようにアーヴィンに移った。跳躍して二人の頭上を飛び越え、一直線にアーヴィンの元へ襲い掛かる。

 アーヴィンもまた、すぐに動けるように身構える。しかしながら、それでもアーヴィンはその場から動く素振りを見せない。

 今度こそ、もらった。そう確信したであろうドスギアノスであったが、突如目の前に別の影が割り込んだ。

 身体に走る鋭い痛み。この屈辱は、つい先ほど感じたばかりのものだった。ドスギアノスとアーヴィンの間に割り込んだのは他でもない、ノエルだった。

「助かりました、ノエル」

「おうよ!」

 アーヴィンの礼に答え、ノエルが近接砲撃をかましてドスギアノスを蹴散らす。容易く振り解かれてしまったヴァイスとルナも追いつき、今度はノエルも加わってドスギアノスの動きを封じにかかる。

 その隙にアーヴィンは立ち位置を変更して、射撃を行うのに適切な間合いまで後退する。弾丸は火炎弾を選択したまま、尚も頭部を狙い撃ちする。

 その援護を受けて、前衛の三人も踏ん張る。竜撃砲と近接砲撃を使用し続けた影響でアイアンガンランスの切れ味の鈍りを感じ始めたノエルも、上手いことドスギアノスを惹き付け囮役に集中する。ノエルの懸命な努力を無下にするわけにもいかない。各々の獲物を握る手にも自然と力が入り、鋭気の籠った斬撃を幾度となく叩き込む。

 途中、ドスギアノスの持ち上げた右足に引っ掛かり、ヴァイスが体勢を崩して尻餅をついてしまう。だが、湧き上がる気炎に任せて立ち上がり、その気力を鉄刀に宿すイメージで気刃斬りを放つ。最後に繰り出した大上段からの一撃は、鉄刀から伝わる鈍い感覚と共に、柄を握る手に鋭い痛みが走る。どうやら、刃の通りにくい部位に命中してしまったようだ。

 だが、ヴァイスの一撃で、これまでに蓄積したダメージが限界を迎えたのだろう。ドスギアノスの身体が大きく怯み、鼓膜を突き破ろうかという悲鳴が惨く響き渡る。

 しかし、それでも決定打にまでは至らない。体勢を崩しながらも、ドスギアノスは何とか地に足を付けて踏み止まり、強い意志を秘めた眼光で睥睨する。

「これでも甘いか……!」

 会心の一撃でなかったとはいえ、確かな手応えを感じられた斬撃だった。しかし、生半可な一撃ではドスギアノスを仕留めるのは不可能である。そのことをまざまざと痛感させられる瞬間だった。

「また来るわよ!」

 ルナが警告すると、ドスギアノスも同時に動き出す。気刃斬りを受けて痛手を負ったにも関わらず、そんな様子を感じさせない身のこなしで跳躍し、ヴァイスの眼前に飛び降りた。

「くそっ!」

 標的にされたと理解した途端、ヴァイスもドスギアノスとの距離を取る。だが、後退したヴァイスに対し、ドスギアノスは尚も追撃を試みる。

 ヴァイスからドスギアノスを引き離そうとノエルとルナも食い付くが、それでもその動きを止めることは出来ない。徐々にヴァイスは追い込まれていき、いよいよスタミナも底を突こうかという時、ドスギアノスが再び宙へ舞う。

「駄目だ、避けられない……!」

 回避しようにも、スタミナを消費した状況ではまともに身体を動かすことさえままならない。来る衝撃に備え身構えようとしたヴァイスであったが、ドスギアノスはヴァイスを捉えようとした寸でのところで吹き飛ばされてしまった。

「っ!?」

 想定外の出来事を目の当たりにし、ヴァイスも思わず硬直してしまった。

「何とか、間に合った……!」

 だが、その硬直を解いたのは、荒い息遣いと共に放たれた安堵の言葉だった。

 ドスギアノスがヴァイス目掛けて腕を振り下ろす寸前、横槍を投げ入れたのはルナだった。ルナは開いていた自身とドスギアノスとの間合いを一気に殺し、ドスギアノスの真横から斬撃を叩き込んだのだ。決死の行動が功を奏し、ヴァイスは何とか無事で済んだのだ。

「すまない、ルナ。本当に助かった」

 呼吸を整えながらヴァイスが礼を述べると、ルナは振り返って「お礼なんていいわよ」と静かに口にする。

「それよりも、今は目の前に集中、でしょ?」

 つい先ほど自分が口にしたはずの言葉を反復され、ヴァイスも自然と苦笑を浮かべる。

「二人とも。ドスギアノスの奴が逃げて行くぞ」

 そう言われてヴァイスとルナが視線を向けると、ドスギアノスはこちらに背を向け走り去っていく最中だった。

 雪原を苦もせず走り抜けていくドスギアノスを追おうとはせず、ルナがその場にへたり込んだ。考えてみれば、開いていた間合いを全力で詰めて来たのだ。ルナが消耗してしまうのも当然だった。

「大丈夫か?」

「それはこっちのセリフよ! まったく、ヴァイスの身に何かあったら、私は――!」

「それについては、心配をかけさせて悪かったと思ってる。本当に助かった」

 つい先ほどの出来事を思い返しながら、ヴァイスがルナに頭を下げる。

 あの場面でルナが助けてくれていなければ、あるいはヴァイスは大怪我を負っていた可能性もある。今のヴァイスには、ルナの言葉を否定する資格も無かったのだ。

「まぁまぁ、ヴァイスが無事で何よりということで。それに、これで安堵しているわけにもいかないでしょう」

 二人の会話に割って入ったアーヴィンが、ヴァイスに助け舟を出す。その上で、まだまだ気を抜けないのだということを促す。

「そうだな。万全の体勢を整えて、ドスギアノスを仕留めよう」

 ヴァイスの言葉に頷き返し、四人はそれぞれ体勢を整える。

 回復薬、携帯食料、砥石、調合素材。利用出来るものは惜しみなく使用し、ヴァイスの言うとおり万全を期す。

 手短に最後の小休憩を終えると、ヴァイスは立ち上がって三人を一瞥した。

「行こう。次のエリアで確実に決めるぞ」

 並々ならぬ決意の籠ったヴァイスの言葉に、三人は無言で首肯する。

 長かったドスギアノスとの対峙も、次で終止符を打つのだ。パーティー全員、抱く気持ちは同じだ。誰しもがそんな決意を胸にする。

 そして、いよいよドスギアノスが向かったエリア6に歩を進め始めた時である。殿を務めるヴァイスの足が不意に動きを止める。

 背後から感じる、何者かの気配。殺気めいた者の視線を背中に感じ、ヴァイスは思わず後ろ手を振り返った。

 しかし、現在このエリアに留まっているのはヴァイスたちだけであり、小型モンスターの影一つすらありはしない。ヴァイスの視線の先にあるのは、何の変哲もない切り立った岩肌の斜面だ。

「どうしたのですか?」

 不審に思ったアーヴィンが足を止めてヴァイスに尋ねる。

「……いや、何でもない。どうやら、俺の気のせいだったらしい」

 だがヴァイスも、その気配がただの思い違いだろうと頭を切り替え、三人の元へと急いだ。

 ヴァイスが合流するのを待って、四人はエリア7を後にした。

 だが、激しい対峙を繰り広げた地上から岩肌の上方。迫り出した岩盤の影からその姿を見下ろす一つの影があったことを、その時四人は知る余地もなかった――。



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EPISODE73 ~信頼の証~

 エリア6。そこは、ヴァイスたちが今回雪山に足を踏み入れてから初めてやって来た積雪地帯だ。エリアとして指定された区域の面積は広く、周囲は岩肌の露出した岩壁に囲まれている。エリア7やエリア8に比べれば、比較的立ち回りやすい場所だと言える。

 そのエリア6の中央。積雪の中を走り抜ける青い痩躯の姿を視界に捉えた。

「追いついた……!」

 覚悟を改めるように、誰かがぽつりと呟く。

 お互いがお互いを見渡すと頷き返し、それが狩猟再開の合図となった。ヴァイス、ルナ、ノエルの三人は各々の武器を構え、こちらの存在に気付いたドスギアノスに向かって走り寄る。一方、アーヴィンは剣士の三人とは対照的にドスギアノスから距離を取り、援護射撃に適した位置に移動した。

「行きます!」

 射撃に適した位置に付いてボーンシューターを構えると、深呼吸をして神経を研ぎ澄ませる。

 スコープの先に見えるドスギアノスは、未だに頽れる様子を見せない。だがそれでも、必ずこの狩猟を成功させる。その想いを乗せ、ボーンシューターの引き金を振り絞る。弾倉に装填されていた火炎弾が銃口から放たれると、それから間を置かずにドスギアノスの横腹から炎が爆ぜた。

「キャアアアァァァァァァァッ!」

 初手の一発で怯んだ隙を見計らい、剣士の三人が一気に間合いを詰めた。盾を持つアーヴィンは正面に陣取り、残る二人はそれぞれ左右からドスギアノスを挟撃する。

 だが、ドスギアノスもすぐさま反撃する。正面に立つノエルを蹴散らし、側面に位置するヴァイスとルナをも振り切ると、ドスギアノスは転じて突進を開始する。

「うおっ!?」

 しかし、その突進に間一髪の差で対応したノエルが盾を構え、ドスギアノスを押さえ込むことに成功する。動きが止まったドスギアノスに対して、再びヴァイスとルナは肉薄を試みる。

 一方、ドスギアノスもまた更なる動きを見せる。正面の進路を妨害されたドスギアノスは跳躍して一旦後退するが、そこから再び歩を進め、今度はアーヴィンに向かって突っ込んで行く。

「行ったわよ!」

 剣士の三人もドスギアノスを追おうとするものの、雪原を駆ける速度ではドスギアノスでは到底敵わない。警告を飛ばしたルナに対して、アーヴィンもボーンシューターを折り畳んで移動を開始した。

 両者の距離は十分であったが、さすがに大型モンスターを簡単に振り切れることは出来ない。ドスギアノスが接触する寸前、アーヴィンは身体を地面に投げ出すように跳躍することで、何とかドスギアノスから逃げ切ることに成功した。

「おい、大丈夫か!?」

 頭から積雪に突っ込んだアーヴィンに対して、近くにいたノエルが駆け寄って来る。

「えぇ、まぁ……。あまり格好は決まりませんでしたが……」

 ははは、と苦い笑みを浮かべながら、アーヴィンは身体を起こす。

 見たところ、傷を負った様子は見られない。これならすぐに体勢を立て直し、援護を再開出来るだろう。そう判断したノエルが、「無理すんなよ」とだけ声を掛け、改めてドスギアノスに向かって行く。

 そんなノエルの背中を一人見送り、アーヴィンは一つ息を吐き、周囲を見渡した。

 ドスギアノスに追われたため、いつの間にかすぐ背後に岩肌が迫っていた。改めて視線をドスギアノスに戻してみれば、開けた視界の中で、ヴァイスとルナ、遅れて加わったノエルがドスギアノスと対峙していた。

「ここが、援護に適した位置かもしれませんね」

 このエリア6のように開けた場所では、仲間の援護に気を取られている間に、背後から迫る敵に奇襲される可能性も否定出来ない。だが、アーヴィンの背後に迫るのは、直角に切り立った岩肌である。この場において、アーヴィンの背後を取るのは不可能であった。

 唯一気にかける点があるとすれば、周囲を包囲された時である。だが、このように開けた視界ならば、周囲を包囲される前に移動を開始することが可能であるとアーヴィンは見立てた。

 絶好の狙撃ポイントを意図せず発見したアーヴィンは、すぐさま狙撃体勢に入る。火炎弾を弾倉に装填し、スコープに視線を落として照準を合わせると、おもむろに引き金を引く。

 銃口から放たれた火炎弾は一直線にドスギアノスに飛来し、その横腹に着弾すると炎が弾け飛んだ。狙い通りの部位に火炎弾が着弾したことを確認すると、連続で引き金を引いていく。

「ギャアアァァァァァッ!」

 火炎弾が立て続けにドスギアノスの横腹に命中し、ドスギアノスも煩わし気に顔を上げる。

「奴の気が逸れた! ここで仕掛けるぞ!」

 その隙を、ヴァイスは見逃さない。ドスギアノスがアーヴィンに気が逸れた瞬間を見計らい、ヴァイスはここぞとばかりに肉薄し、斬撃を繰り出す。

 ルナ、そしてノエルもヴァイスに続く。共にドスギアノスの懐に果敢に飛び込み、ルナはツインダガーを連閃し、ノエルは竜撃砲を叩き込んだ。

 だが、三人の渾身の迫撃をまともに食らおうとも、ドスギアノスは倒れない。猛禽の如き鋭い眼光をぎらつかせ、こちらを目の敵として睨みつける。

「ちっ、押し切れないか!」

 着実に痛手は与えている。だが、あともう一押し。その決定打がどうしても足りない。

 ルナ。ノエル。アーヴィン。そしてヴァイス。誰もがそれを理解している。足りない一打を補う努力は、全員が身を粉にしてまで行っている。

 それでも。そこまでしても届かない。

 人の暮らしが及ばぬ壮絶な地で生きる生物。その執念を、四人はまざまざと痛感されられる。

 ドスギアノスは尚も動く。果てしない怒りを双眸に湛え、激高する感情を咆哮に乗せて撒き散らす。

「来るぞ!」

 すぐさまヴァイスが警告するが、それでもドスギアノスの後手に回ってしまう。

 今までからは考えられない跳躍を見せたドスギアノスが、頭上から鉤爪を叩きつける。ドスギアノスの周囲に肉薄していた三人は咄嗟に散開するが、ドスギアノスは怒りに任せて更なる追撃を行い始める。

「クギャアァァァァァァッ!」

「ギャオオオ、ギャオオオオォォォッ!」

 ドスギアノスの咆哮に反応したのか、どこからもなく出現したギアノスが、ドスギアノスの援護に回る。

「またギアノスたちを呼びつけたっていうの!?」

「そりゃこの様子見れば誰にでも分かるっての!」

 驚愕するルナに対して、ノエルが相も変わらない口調で返すが、状況は一転してこちらが追い込まれる形になった。口ではこう言うノエルであっても、実際はかなりの焦燥に駆られていた。

 ドスギアノスの呼び声に反応して現れたギアノスの総数は七匹。ドスギアノスを含めたその群れは、獲物を仕留めるが如く、こちらとの間合いをじりじりと詰めていく。後方で援護をしていたアーヴィンを含め、ヴァイスたちは袋の鼠状態に追い遣られた。

 そして、群衆の堪忍袋の緒がぷつりと切れたのは突然のことだった。うち一匹のギアノスが飛び出したのを皮切りに、それまで今か今かとその瞬間を待ちわびていた他のギアノスたちも一斉に動き出す。

 絶望する他ないようなこの状況下。しかし、その活路を切り開いたのは、後方で冷静に状況を分析していたアーヴィンであった。

「皆さん、目を瞑って──!」

 刹那、降り積もった雪原をも塗り潰す閃光が爆散する。

 焼けるような閃光がようやく治まった時、周囲を包囲していたドスギアノスとギアノスたちが苦し気に呻き声を上げていた。

 このタイミングで、アーヴィンが残された最後の支給品閃光玉を投擲したのだ。その状況は先ほど閃光玉を使用した際と酷似していたが、どちらにせよこの状況を打破する決め手になったことは事実であった。

「今のうちです。ギアノスたちを仕留めましょう!」

 既に狙撃を開始しながら、アーヴィンが声を張り上げる。

 無論、ヴァイスたちもすぐさま行動に移す。近場にいたギアノスに目を付け、視力が回復する前に一気に畳み掛ける。そして、アーヴィンが残り最後のギアノスを撃ち抜いたとき、ドスギアノスの視力も回復したようであった。

 視力を取り戻したドスギアノスは、有無を言わさぬ勢いでヴァイスたちに接近し、周囲を薙ぎ払う。

 それを辛うじて回避したところで、ノエルが今一度アイアンガンランスを構え直した。

「ヴァイス! ルナ! 俺とアーヴィンで奴の隙を作り出す。二人はその瞬間を狙って奴を(たた)っ斬れ!」

 そう言うや否や、ノエルがドスギアノスに単騎突撃する。

 何とも直球かつ大胆な提案に、ルナも癇癪する。

「ちょっと! あんだけ無茶するなって言われておきながら、どうしてここでバカな真似してんのよ!?」

 かなり辛辣な言葉が投げかけられたが、そんなルナを至って冷静に制したのは、意外にもアーヴィンであった。

「ノエルの援護は僕に任せて下さい。大丈夫、ああ見えて土壇場の判断力はヴァイスをも凌ぎますから!」

 苦楽を共にしてきた時間が長い間柄の二人だ。それだけ互いのことを信頼していることは理解出来る。だが、それとこれとは、また訳が違うだろうとルナも思わず食ってかかろうとする。

「アーヴィンまで何言ってるのよ──!?」

 しかし、その瞬間には、アーヴィンは全神経をノエルの援護に集中させており、彼女の言葉に耳を貸す様子は無かった。代わりにルナを宥めたのは、それまで傍観を決め込んでいたヴァイスであった。

「二人が互いに信頼し合っているように、あいつらは俺たちを信頼している。だからこそ、俺たちもあいつらの信頼に応えやるんだ」

 普段であったら、ヴァイスもノエルを止めに入っていただろう。

 だが、今回だけは。これで“最後”になる今回だけは違った。

 いや、ヴァイスの言うとおり、彼もまた二人を信頼していた。彼の二人が自分たちを信頼してそこまで言っているのだ。だから、その信頼を信じることは当然であり、また信頼で応えることが当然であろうと。

 ならば、自分はどうする?

 愚問だ。今更そんなことを考えるまでもなく、答えは一つに決まっている──。

「……えぇ、そうよね。二人も私たちのことを信頼してくれているのだものね。だったら、お望み通り、その期待に応えてやりましょう!」

 ようやく腹を括ったルナに対して、ヴァイスは僅かに口角を上げる。

 しかし、次の瞬間には狩るべき獲物を見据え、そして背中に携えた鉄刀の柄に手を掛けた。

「よし、行くぞ!」

「ええ!」

 信頼には信頼で応えるべく、ヴァイスとルナもまた、ドスギアノスに向けて最後の攻勢に出る。

「うおぉぉぉぉりゃああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 アーヴィンの援護を背に、ノエルはドスギアノスの眼前に踊り出てアイアンガンランスを貫く。一方のアーヴィンも、残る火炎弾をありったけドスギアノスの頭部目掛けて撃ち込む。

 ドスギアノスも抵抗しようと、力任せにノエルを押し退ける。

「ぐぉっ!?」

 ドスギアノスに突き飛ばされる形となったノエルは、地面に尻餅をついて倒れてしまう。その際に運悪く足首辺りを捻ったのだろう、鈍い痛みが身体に走る。

「ノエル!」

 だが、そんな痛みに、名前を呼ぶアーヴィンにすら構わず、ノエルは尚もアイアンガンランスの銃口をドスギアノスの頭部に突き付けた。体勢を崩したノエル目掛けて追撃を試みるドスギアノスに対し、ノエルは怯むことなく引き金に手を掛けた。

「ぶっ飛べ!!」

 そして、ノエルが放った銃弾と、アーヴィンが撃ち出した火炎弾がドスギアノスの顔面に着弾したのは、全く同時であった。

 二人の気迫が宿った砲撃と射撃の衝撃により、ドスギアノスが悲鳴を上げながら後方に吹き飛んだ。

「今です、二人とも!」

「これで最後だ、派手に行け!」

 ノエルとアーヴィン。二人の信頼を背負ったヴァイスとルナが、ドスギアノスをその間合いに捉えた。

「ヴァイス!」

「あぁ、決めるぞ!」

 互いに鉄刀、ツインダガーを振り抜き、ドスギアノスを挟撃する形で斬撃を一閃する。

 身体に叩き込まれた知識と技術は、今この時発揮するために。

 これまでの経験は、これより繰り出す業となるために。

 極限にまで研ぎ澄まされた感覚の中で、自分が持てる全ての力を振り絞る。

 全身に漲った闘気は、肉体を伝い己が振るう獲物の刀身に宿り裂帛たる刃と成る。

 身体を駆け巡る血液が沸騰するかのような感覚は、斯くも鬼人の気迫となり迅雷の如き剣閃は成る。

 今ここに、烈々たる紅き剣戟と、万雷の如き連撃は繰り出される。

「はあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「りゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 己が闘気の刃は具現し、彼の者を穿つ剣戟──気刃斬りと成り、鬼人の覇気を纏いて、彼の者を斬り刻む連撃──鬼人乱舞は成る。

「「これで、最後だああぁぁぁぁ―――――――――――――――――――――――ッ!!」」

 ヴァイスが放った気刃斬りは、ルナの繰り出した鬼人乱舞は、ドスギアノスの身躯に閃き、その最後の一撃が一閃されると、ドスギアノスの身体が宙を舞った。そして、四人が固唾を呑む中、ドスギアノスが立ち上がってくることは二度となかった。

 辺りに唐突に訪れた静寂。山間を吹き抜ける風音だけが横切る中、誰かの声が木霊する。

「お、終わっ、た……?」

 誰がその言葉を発したのだろう。そんなことを理解する余裕も無い中で、骸と化したドスギアノスが起き上がってこないことを誰もが再度認識する。すると、ようやくその事実が実感出来るようになっていく。

「……」

 こんな時、どんな言葉を発すればいいんだっけ?

 それすらも曖昧に思えてしまう中で、ルナはがっくりとその場に崩れ落ちた。

 ルナだけではない。狩猟を決するその瞬間を後方から見守っていたノエルとアーヴィンも、まるで放心しているかのように、未だに状況が飲み込めていない様子である。

 そうして、何年とも思える一瞬が過ぎた時であった。今まで夢心地だった意識は、嘘のように現実に引き戻され、そして覚醒する。

「っしゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 耳を劈くようなノエルの雄叫びは、幻相から目覚めるためのアラームには適任であった。一人高揚するノエルに釣られ、アーヴィンもまた徐々に喜びを露わにしていく。

「やりました! やりましたよ三人とも!」

「どうだ、俺の言ったとおりだったろ! おいルナ、どうだ! 見返しただろ!?」

 二人はハイテンションになっているが、当のルナは未だにどうしていいか分からない状態だ。そんな彼女の元に、どこからもなく手が差し伸べられた。

「ほら、立てるか?」

 その手の差出人であるヴァイスに答えることも出来ず、彼の成すがまま手を引き寄せられ、気付いた時には地に足が着いた状態であった。

「私たち、本当にやったの……?」

「ああ」

 短く答えたヴァイスが「二人を見てみろよ」とそちらをしゃくる。

 ヴァイスが示した方に今一度視線を向けてみれば、喜々とした様子で感情を曝け出すノエルとアーヴィンの姿があった。

「あの光景を見て、まだ夢だと疑うか?」

 そう指摘されたルナの心の内にも、ようやく実感が湧いてくる。

 ついに、ついに卒業試験を終えたのだと。長いようで短かったこのパーティーでの狩猟も、ここに幕を閉じたのだと。

 それをようやく理解すると、嬉しさと同時に、今まで押し殺してきた寂しさも露呈しそうになってしまう。

 だが、ヴァイスやノエル、アーヴィンの手前だ。自分の我が儘な感情は押し殺し、今は精一杯、この喜びを分かち合おうと心に決める。

「えぇ、そうね。本当に、本当にこれで終わりなのね……」

 僅かに掠れた声色で、それでもルナは笑ってみせた。その笑顔からルナの言葉の真意を悟ったヴァイスは、そんな彼女をそっと引き寄せ、風に揺れる金髪の上に手を乗せる。

「ああ……。ありがとうな、ルナ」

「何よ、それ……っ」

 自分の夢の実現に向けて大きな一歩を踏み出せた喜びと、いづれ来る別れの時を思ったときの悲しみ。二つの感情が交錯する中で、ルナの目頭が熱くなる。

 しかし、どうあっても涙は見せまいと、ルナはヴァイスの胸に顔を埋めた。すると──、

「おいおい、そういうのは二人っきりの時にするもんだぜ~?」

 外野から飛んできた野次に、ルナも堪らずヴァイスと一目散に距離を取った。いつの間にか、溢れかえそうであった涙も引っ込んでいた。

「う、うるさいわね! 一人で勝手に突っ込んで怪我したアンタに言われる筋合いはないわよ!」

 自分でも何を言っているのだろう、と思いつつ、このやり取りにもどこか心地よさを覚えていることを実感してしまう。

 改めて確認すると、ノエルはアーヴィンの肩を借りながらゆっくりと歩みを進めていた。

「大丈夫か?」

 ヴァイスが問うと、ノエルはへらへらと笑いながら「平気平気」と答えてみせる。

「走ったりするのは無理だろうが、普通に歩く分なら別に大したことはねぇよ。心配すんな」

 かく言うノエルに対し、ルナは不服そうな表情で睨み付けるが、ノエルにしてみればどこ吹く風の様子である。

 そんな光景を目の前に、アーヴィンは苦笑し、ヴァイスも溜め息交じりに微笑を浮かべた。

「さて、剥ぎ取りをして早いところ帰還しよう。拠点に辿り着くまでは気を抜けないからな」

 ヴァイスが促すと、四人はドスギアノスから剥ぎ取りを行う。

 試験は無事に成功に終わった。あくまで狩猟の成功が試験の合否全てを左右するわけではないが、それでもこの結果ならば問題無いだろう。剥ぎ取りを行いつつ、四人は胸の内で確信していた。

 先に剥ぎ取りを終えたヴァイスは、改めて周囲の様子を確認する。辺りにはドスギアノスと対峙している際にあれだけ出現したギアノスの姿さえ見えない。

 手負いのノエルがいるため、ヴァイスとしては周囲の安全を確保した上で移動を開始したかった。丁度このエリアにはモンスターの姿はなく、拠点への最短ルートであるエリア5へ続く道もこのエリアから通じている。

「剥ぎ取りは終わったぜ」

 ノエルの声にヴァイスが振り返ってみると、彼の言うとおり皆剥ぎ取りを終え、いつでも拠点へ出発できる支度が整っていた。

「よし。じゃあ、アーヴィンはノエルを連れて先行してくれ。後ろに俺とルナが付いていく」

 アーヴィンは頷き返し、ノエルに肩を貸しながらゆっくりと歩み始める。その後ろから、ルナ、ヴァイスの順で続く。

 やがて、エリア5に続く洞窟にもう少しで入るという、その時であった──。

 エリア6全体が、暗い影に覆われた。だがそれはほんの一瞬のことであり、それこそ太陽の前を分厚い雲でも横切ったのだろう。それを確認しようとヴァイスが顔を上げ上空を仰いだとき、絶句した。

 白く霞んだ上空の空。その中に、不自然な“黄色い物体”が紛れ込んでいる。その不純物の物影は次第に大きくなり、やがて激しい地響きを撒き散らしながら、それはエリア6の中央に舞い降りた。

「なっ──」

 その姿を視界に捉えたとき、もはや言葉も出ない。

 全身には色い外殻を身に纏い、所々に荒々しく走る青色の縞模様が見る者全てを戦慄させる。

 前脚と“飛竜種”特有の巨大な翼は一体となっており、それは翼と言うよりも皮膜と表現するのが相応しい。

 古代に生きたと謂われる、飛竜種の始祖──ワイバーンレックスの特徴を、その身体に色濃く残した轟竜(ごうりゅう)

 よもや、自分たちを獲物として捕らえに来たのではないか。

 そんなことを頭の中で理解できる者は、今の四人の中には存在しなかった。

「ティガレックス──!?」

 その名を、突如として現れたモンスターの名を、悲痛交じりに口にする。

 飛竜種の中でも、特に気性が荒いと怖れられるティガレックス。そんなモンスターにこちらの存在が気が付かれれば、四人は成す術もなく蹂躙され、全滅するだろう。

「急げ。まだ奴は俺たちを見つけられてない。そのうちに……!」

 普段は冷静であるヴァイスも、この時だけは例外だ。辛うじて紡いだ思考を、すぐさま行動に移す。

 ティガレックスは、今し方討伐したドスギアノスの亡骸に意識を取られている様子である。この場から逃げる機会があるとすれば、それは今この瞬間でしかない。

 足音を立てぬよう、なるべく息を殺し、エリア5に続く道を急ぐ。

 もう少し。もう少し──。

 そして、活路を切り開く扉に手を掛けようかというその瞬間、ヴァイスは首を動かさずに目線だけでティガレックスの姿を追った。

 その刹那。ヴァイスとティガレックスの視線が交錯した。

「──っ!?」

 身体の底から湧き上がる恐怖。確実に獲物を捕らえる狩人の眼光が、ヴァイスの身体を、思考を拘束した。

「ガアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァッ!」

 空間を歪めるような狂乱の咆哮がフラヒヤ山脈に轟く。そしてそれは、ヴァイスたちに死の宣告を突き付ける訃音でもあった。

 こうなってしまえば、もう逃れられない。

 せめて、ノエルが手負いでなければ。

 せめて、閃光玉が手元に残っていれば。

 たらればを上げればきりがない。だが、そんなものに縋ったところで、この絶望的な状況から脱却できるわけがない。

 この状況から逃れ、尚且つ全員が生き残る選択肢。それは──。

「三人とも、先に行け! 俺が時間を稼ぐ!」

 仲間の返答も静止も聞かず、ヴァイスが集団から外れるように飛び出した。

 ティガレックスは、集団から孤立し、尚且つ眼前に踊り出たヴァイスを標的に定めた。その爆発的な脚力を生かしてヴァイスを捕らえに掛かる。

「ここはヴァイスを信じるしかありません! 行きましょう!」

 アーヴィンも、もうこれしか逃れる道は無いのだと理解したのだろう。遣る瀬無い表情を浮かべ、しかしながら決して振り返らずに再度歩み始める。

 ノエルも無言を貫き通したが、それでもアーヴィンに従い、連れ立ってエリア5に向かう。

 だが、ルナは。ルナだけは。ヴァイスを置いていくことが出来なかった。

 出発前に感じた違和感が、胸騒ぎが、再び身体を駆け巡り、全身が恐怖に支配される。

 だがそれでも。もしここでヴァイスを置いて行けば、それこそ彼は“遠く”に行ってしまうのではないか。

 この時ルナは、平静を保てるだけの冷静さを致命的なまでに欠如させていた。だが、彼女自身がそれに気付くことなどあるはずも無く──。

「ルナ!」

「あのバカ──!」

 気付いた時には、ルナは雪原を駆け抜けていた。

 ティガレックスとの距離はみるみるうちに縮まっていき、やがて間合いに踏み込むと、ツインダガーを構えて斬り込んだ。

 しかし、ルナの刃はティガレックスの前にいとも容易く弾き返される。

 すると、ティガレックスはルナのいる方向へ身体を向け、そして血走る双眸で睥睨した。

 荒々しく乱れた息遣いは、自分のものなのか、それともティガレックスのものなのか。もはやそれすらも理解出来ない。

 冷静さを欠いた思考の中で、咄嗟に理解出来たことがあるとすれば。

 ──殺される。

 ただそれだけ。ルナは磔台に束縛された罪人の如く、身動き一つすら取れない。

 ティガレックスが首を持ち上げ、大きく息を吸い込んだ。周囲諸共、持ち前の破壊的な咆哮で全てを吹き飛ばそうとする。

「あ、あ、あぁっ──」

 これが現実なのか、夢なのか。その区別すら曖昧になっていく中で、その一部始終が妙に目に焼き付いた。

 やがて、ティガレックスがその咆哮を解き放とうかというその瞬間、不意にルナの身体に衝撃が走り、視界が揺らいだ。

 遅れてやってくるティガレックスの咆哮。その衝撃にルナの身体は吹き飛ばされ、情けなく雪原を転がる。

「う、ぐっ……」

 この短時間の間に何が起こったのか。未だに理解が及ばない中、雪原にうつ伏せになった状態で顔を持ち上げ、辺りの様子を窺ってみた。

 ティガレックスの姿は健在であるが、ルナに対して無防備なまでに背を向けている。不審に思いティガレックスの視線を追っていった時、ルナはその光景に目を疑った。

「えっ──」

 二つの視線の先には、岩盤が剥き出しの岩肌が広がっている。その岩肌を背に、見慣れた人影が苦し気に蹲っている。周囲には“紅い滴”がぽつぽつと浮かび上がり、純白の雪原を無慈悲に、残酷なまでに染めていく。

 その光景が視界に入った瞬間、今まで霞がかっていた意識が嘘のようにクリアになる。生々しいまでに身体から血の気が一気に引き、途端に呼吸が息苦しくなる。

 ──嘘。

 ──嘘だ。

 ──嘘だと言ってほしい。

 どうして、ヴァイスがあんな場所にいるのだ。

 どうして、痛みに表情を歪め、蹲っているのだ。

 分かっている。分かっていた。途端に冷静さを取り戻した頭の中で、全てを理解していた。

 ティガレックスに無謀に突っ込んだルナを助けようと、ヴァイスは策を講じた。

 その結果がこれである。結果的にルナは大きな痛手を負わずに済んだが、ヴァイスは見ての通り致命傷である。

 そのヴァイスに止めを刺そうと、ティガレックスがゆっくりとした動きでヴァイスとの距離を縮めていく。

 だが、この状況で、ヴァイスは逃げようとしない。否、逃げられない。

 吹き飛ばされた衝撃で、ヴァイスは後頭部から背中を強打した。身体を動かすことはおろか、意識さえ朦朧としている状態だ。そんな状態で、ティガレックスから逃れるなど、どう考えても不可能であった。

「どうして……。どうしてよ……」

 震える声を上げながら、ルナが身体を起こそうとする。だが、身体が力が入らず、雪上をもがくだけに終わる。

「バカ正直に、無謀で愚かな真似をした私なんて、命懸けで助けないでよ……っ!」

 せめて、あの時ヴァイスを信頼して、あの場でアーヴィンたちと共に後退していれば。こんな、こんなことは起こらなかった。

 分かっている。悪いのは自分だ。そんなことを言う資格も無ければ、それが助けられた者の言う台詞でないことも承知している。

 だが、例えそうだったとしても。仲間を、大切な人を一人残し、自分だけ逃げる真似だけはしたくなかった。

 その強欲な意地を後悔しつつも、しかしながらルナは尚も身体を起こそうとする。

 だが、それも叶わない。自分では、ヴァイスを助けられない。足手纏いにしか成りえない。

 誰でもいい。せめて彼を。彼だけは助けてほしい。こんな愚かな自分ではなく、彼を──。

 ヴァイスの眼前にまで迫ったティガレックスが、不気味なほどゆっくりと右前脚を動かし、上空に振り上げた。あれがヴァイスに叩き付けられれば、間違いなくヴァイスは絶命する。

 どくん、どくんと、心臓がはち切れそうなまでに早い鼓動を刻む。

「ヴァイスゥゥゥ―――――――――――――――――――――――――ッ!!」

 少女の絶叫が鼓膜を貫く中、ヴァイスは朦朧とした意識の中でも、今まさに自分を殺めようとするティガレックスの姿から目を逸らすことはなかった。

 やがて、目に映る世界が紅く染まっていく中、ヴァイスの意識は深い闇の底に沈んでいった──。



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EPISODE74 ~見つけた理由~

 ──不意に意識が浮上していくかのような妙な違和感を覚え、ゆっくりと身体を持ち上げる。

 しかしながら、果たして意識が覚醒しているのか、夢を見ているのか。それがまるで理解出来ない、有耶無耶な状態にある。

 目に見える世界は揺らぎ、それが、これが現実か幻想かの見境を消失させる。

 文字通り、ぼんやりと霞がかった世界の中で、それでも何とか一歩を踏み出す。

 身体は異常に気怠く、今以て意識は薄弱としている。だが、それでもその歩みを止めない。否、止めてはならない気がした。

 何故、と問われても、それに返答することは不可能だった。その理由は自分でも理解出来ていなかったから。

 だが、ぼんやりとした意識の片隅で、「歩み続けろ」という声が響き渡り、それが身体を突き動かした。

 一歩。また一歩。

 覚束無いながらも、着々と、確実にまた一歩と歩みを刻み続ける。

 それから、およそどれほど前に進み続けた時であった頃であったか。従前広がっていた虚無の世界の先に、不意に“紅い物体”が出現した。

 それが何であるか、以前として分からない。だが、誘蛾灯に誘われる髄虫の如く、その紅い物体に惹き寄せられるように尚も歩みを続けた。

 やがて、視界に映る紅い物体の正体が、徐々に露わになっていく。

 それは人であった。全身に真紅の服を身に纏い、同じく真紅の幅広帽を被った人物だ。

 その人物が男性であるのか、または女性であるのか。顔は幅広坊の鍔に隠れ、それを判断することは出来ない。

 しかし、そうであっても、魅惑なその存在に心惹かれ、ゆらゆらとその人物との距離を詰めていく。

(あなたは、一体何者なんだ……?)

 不思議と心の奥底から湧き上がってきた興味。蠱惑的にも思えたその後ろ姿に導かれ、言葉にならない問いかけを投げ掛ける。

 すると、紅い背中を向けた人物がゆっくりとこちらに振り向いた。

 そして──、

「(待っている。だから、追いついてこい)」

 その言葉を発声することなく、唇の動きだけでそう告げると、“真紅の男”は、にっと笑みを浮かべた、気がした。

 それと同じくして、夢と現実の間で均衡していた世界が大きく歪んだ。ぐにゃりと捻じ曲がった意識に身体を支配され、途端に意識が遠くなっていく感覚を覚える。

(待っ、て、くれ……)

 世界が歪に形を変え崩れていく中、真紅の男は身を翻す。

 その背中に向けて必死に手を伸ばすが、伸ばした手が彼に届くことはない。虚しく腕を伸ばすその先で、真紅の男の姿が徐々に遠のいていく。

 やがて、真紅の男の姿が薄れ消えていくと、同じくしてあやふやな意識は今度こそ暗闇に沈んでいった。

 

 

 

 ──遥か彼方から荘厳な鐘の音が聞こえてくる。

 聞き慣れた心地好いウェストミンスターの音色は沈んだ意識の内に響き渡り、それが目覚し代わりとなって沈んだ意識を持ち上げていく。

 ぼやけた意識の中で本能的に瞼を開けてみれば、夕焼けの赤光に照らし出された、これまた見慣れた白塗りの天井が視界に映った。

「ここは……?」

 そこがクートウスに設けられた医務室の天井で、自分がその医務室のベッドの上に横たわっているのだとようやく理解すると、忘れていた鈍い痛みを身体が思い出す。

「いっ、てて……っ」

 臀部、背中、腕。身体の至る所が悲鳴を上げているが、特に後頭部からじんじんとした痛みを感じる。身体を持ち上げたようとしたヴァイスも、その痛みにやられて起き上がれなかった。

 だが、幾分痛みに慣れてきたか、しばらくすると難なく上半身を持ち上げることに成功した。改めて自分がどんな状況に置かれているのか確認しようと首を動かすと、ヴァイスは我を忘れ息を呑んだ。

 ヴァイスが横になっていたベッドの脇には丸椅子が置かれ、そこに腰掛けたルナがベッドに上半身を預けている。

 白皙で華奢な両手はヴァイスの左手を優しく包み込み、目尻にはうっすらと涙を浮かべている状態で、ルナはすぅすぅと規則正しい寝息をたてている。

 健気なルナの姿が目に入ったヴァイスの意識は途端に覚醒し、後頭部に再び鈍い衝撃を覚えた。

「そうか。俺たちは、フラヒヤ山脈でティガレックスに襲われて……」

 曖昧だった記憶がようやく線になって繋がる。

 フラヒヤ山脈におけるドスギアノスの討伐を終了した後、突如としてティガレックスが狩場に乱入した。

 手負いだったノエルたちを逃がそうとヴァイスは囮役を買って出た。だが、視界の端でティガレックスにルナが追い遣られている状況を目撃した次の瞬間には彼女を突き飛ばしていて、自分はティガレックスの咆哮に吹き飛ばされていた。それから先のことは、ぼんやりとしていて思い出せない。

「まったく、いらない心配かけさせやがって……」

 溜め息を吐きながら、ヴァイスは相変わらず眠り続けるルナの頭にそっと手を伸ばし、「でも……」と続ける。

「無事でよかった。それと、ありがとうな……」

 改めて安堵しながら、ヴァイスは優しく彼女の麗しい金髪を撫でる。

 すると、それまで寝息をたてていたルナは顔を顰め、やがて重たそうな瞼を開けるとアイルーのような寝惚け眼を覗かせる。

「ん……、んぅ……?」

 頭、上半身の順でゆっくりと身体を持ち上げ、眠たそうな瞳をこしこし擦る。

「おはよう。目が覚めたか?」

「えぇ。おはよう──」

 普段と変わらぬ挨拶を交わしたところで、不意にルナが硬直し、紅玉のような瞳で穏やかな笑みを浮かべたヴァイスを凝視する。

 程無くして緊張が解かれたルナは、途端に目尻に溢れんばかりの涙を浮かべると、ヴァイスを両手で抱きしめた。

「お、おい……っ!?」

 ルナは勢いに任せてヴァイスを抱きしめたため、身体の節々が再び悲鳴を上げる。

 驚いたとか、照れるとかそういう感情は一切関係無く彼女を静止しようとするヴァイスであったが、胸の中で嗚咽するその姿を見てしまっては、身体の痛みなど、どうでもよく感じてしまう。

「よかった……。よかった、ヴァイスが無事で……っ!」

「悪い。だいぶ心配掛けさせたみたいだな……」

 安堵して泣き崩れるルナを目の前にし、相当な心配を掛けさせてしまっていたのだとヴァイスもようやく理解し、心苦しく思う。

 そんな彼女を宥めようと、ヴァイスもそっと腕を持ち上げた。しかし、その弾みで今度こそ無視することが出来ない激痛が身体を走り抜け、自身の意思に反して身体の動きが止まってしまう。

「いって……っ」

 思わず声を上げたヴァイスの状態を察したルナも、バッという効果音が似合うほどの勢いでヴァイスから離れ、今度は優しい手付でヴァイスの身を案ずる。

「だ、大丈夫?」

「あ、あぁ……。でも、まだまだ身体の自由は利きそうにないな」

 苦笑しながら軽口をたたくヴァイスを見てか、ルナは大きく息を吐き出した。

「身体は痛むだけ? それ以外におかしなところは無さそう?」

 ルナに問われ、ヴァイスは改めて自身の身体の状態を確認する。

 頭、首、肩、腕、手足。どこか身体に異常がないか、慎重に確かめてみる。

「包帯を巻かれて動きが制限されてる以外は、別に何ともなさそうだ」

 現在のヴァイスは、上半身と頭部に包帯が巻かれている状態であり、特に頭部は額部から後頭部にかけてぐるぐる巻きで、何とも痛ましい姿であった。

 その点を除けば、身体の所々が痛むくらいであり、身体機能に支障を来すような致命傷は免れたようであった。

「そう、よかった……」

 何度目になるか分からない安堵の溜め息を漏らし、ルナは胸を撫で下ろした。

「ところで、ルナや他の二人は大丈夫なのか?」

「ええ。お陰様でね」

 もはや意味を成さない照れ隠しをしつつも、ルナは僅かに頭を下げる所作をする。

「私もノエルも、ヴァイスに比べれば大したことのない怪我よ」

「そいつは何よりだ」

 身体を張った甲斐があったな、とヴァイスはいつもの調子で肩を竦める。

「でも、ありがとう。全部ヴァイスのおかげよ。こうして私たちが無事でいられるのは、全てヴァイスのおかげなんだから……」

 再び今にも泣き出してしまいそうになったルナを、ヴァイスは「それは言いすぎだ」と制する。

「見てのとおり、俺も無様にやられたさ。でも、俺も、そしてルナたちも皆無事だ。こうしていられるのも、俺たちを救ってくれた誰かのおかげさ──」

 と、そこまで自分で口にして。ヴァイスはふと疑問を抱く。

 ティガレックスに襲われたあの場で、自分たちを助けてくれたのは一体誰なのだろう。

 ルナとノエルは手負いだったことを考えると、その可能性から除外出来るのは自明だ。そう考えると、残されたのはアーヴィンだが、彼もまた、ノエルと共に後退したはずである。加えて、アーヴィン一人であの絶望的な状況をひっくり返したとは考え難い。

 ヴァイスが思考を巡らせていると、こちらに近づいて来る二人分の足音が聞こえてきた。そして、ヴァイスの姿が目に入るや否や、その二人──ノエルとアーヴィンは彼の元に走り寄った。

「良かった。無事に目を覚ましたようですね」

「ったくよ! いらぬ心配掛けさせやがって!」

 口々に心配する言葉を投げ掛ける二人の表情からも、心底ヴァイスの身を案じていたのだと感じられる。

 仲間を守れた喜びと同時に、多大な心配を掛けさせたことによる申し訳なさが、ヴァイスの胸に広がっていく。

「悪い。相当な無茶をしたみたいだ」

「あぁ、まったくだぜ! 今後は、あんなバカげた真似はすんじゃねぇぞ!?」

「それ、ノエルが言うと説得力が皆無ですよ……」

 感情的になるノエルの隣で、アーヴィンがやけに冷静にツッコミを入れる。

「ですが、ヴァイスのおかげで僕たちは無事です。本当に、ありがとうございます」

 表情を改めたアーヴィンは、ヴァイスに対して深々と頭を下げる。隣にいるアーヴィンが妙に冷静であることに頭を冷やされたか、ノエルも我に返ったように頭を下げた。

 その様子を、初めて二人を自分の部屋に招き入れたあの時の光景と重ねながら、ヴァイスも会釈した。

「礼なんてよしてくれよ。とにかく、俺たちは全員無事だ。心配しただのお礼だのはこれで終いにしよう。それで問題無いだろ?」

 俺たちはパーティーなんだから、当然だろう。

 これまで何度も口にしてきた言葉を、もはやおまじないのように再び口にする。そうすれば、そこに異を唱える者は存在しない。

「あぁ、そういえば……」

 そこでふと、ヴァイスが思い出す。「自分でああ言っておきながら女々しいけど……」と前置きを入れてから、ヴァイスは元来の疑問を投げ掛ける。

「あの場で俺たちを助けてくれたのは、一体誰なのか分かるか?」

 ヴァイスの問いかけに、一同はきょとんとした様子を見せた。

 しかし、互いに顔を見合わせた後、三人を代表してアーヴィンがヴァイスの問いかけに答えた。

「ロミオン・ウェーバー。あの状況で僕たちを救ってくれたのは、今回の卒業試験でフラヒヤ山脈に派遣されていたギルドナイト、ロミオンさんです」

「ロミオン・ウェーバー……?」

 アーヴィンが口にしたそのギルドナイトの名を、ヴァイスは胸の内で幾重にも反芻するのだった。

 

 

 

「ロミオン・ウェーバーについて知りたい?」

 クートウスに勤める教師陣の一人──マルクは、思わず素っ頓狂な声を上げながら、その言葉を反復した。

 対して、そのマルクと向かい合うヴァイスは、無言で首肯するだけである。

 意識を取り戻してから数日、ようやく床の上生活から脱出したヴァイスは、とある昼下がり、クートウスでギルドナイト部門を専門分野とするマルクの元を訪ねていた──相変わらず頭部に包帯を巻かれた状態で。

 マルクにしても、先日の卒業試験で乱入してきたティガレックスによって負傷したヴァイスが、回復早々自分の元を訪ねてきたと思えば、このようなことを言い出すのである。ヴァイスの行動が意味するところを知り得ないマルクは、気圧され気味にヴァイスを見返す。

「ロミオンといえば、君たちのパーティーが赴いたフラヒヤ山脈に学院で派遣したギルドナイトだ。君たちを助けたのも、そのロミオンらしいが……」

「えぇ。それは話に聞いています」

 マルクの言葉をあっさりと受け流したヴァイスが、真っ直ぐに彼を見据える。

「知りたいのは、そのロミオンさんがどういった人物で、今までにどのような功績を残しているのか、ということです」

 そこまで聞かされたマルクは「なるほど」と、ようやく会話の合点が行ったようである。

 マルクは軽く俯き、しばらく何かを考えるような素振りを見せる。やがて、「君には良い刺激になるのかもしれないな」と呟き、ひとりでに頷いた。

「ちなみに、彼については、君はどれくらいのことを知っているのだ?」

「先日、フラヒヤ山脈に学院から派遣されたこと。そして、かつてはマルク先生と任務に就いたことがある。その二点だけです」

「なるほど。差詰め、ルーク君の差し金といったところか……」

 そう苦笑しながら、マルクはやれやれと首を横に振る。

 現在はクートウスで教鞭を執るマルクであるが、その実は元ギルドナイトであり、件のロミオンとも親交があったのだという……という内容の話を、ヴァイスたちの担任であるルークから先日聞かされた。

 ちなみに、どうしてルークがそのことを知っているのかというと、以前マルクと飲みに行った際、酔った勢いでそのような内容の話を散々聞かされたためだという。

 そんな話は置いておくとして──。

 ふぅ、と溜め息を吐いたマルクが、机の引き出しから一枚の写真を取り出し、それをヴァイスに渡した。

「これは……」

「三年前だったか。私がギルドナイトの職から退く間際に撮った写真だよ。私の左隣に写っているのが、その頃はまだひよっこだったロミオンだ」

 当時の自分に想いを馳せながら、マルクは自分の隣に写る──その当時はまだ少年だったロミオンを指差す。

「彼は……良くも悪くも素直な少年だった。まったく、老い耄れの私には眩しすぎる少年だったものだ」

 遠くないはずのその時のことを思い出しながら、マルクは写真の中の自分たちを見つめる。

「だが、彼は強い意志を抱いていた。例えどんな万難に直面しようと、自らの決意を決して曲げない強い意志だ。今思い返せば、私には無いものを持っていた彼だからこそ、私にとって目映い存在だったのだろうな」

「強い、意志……?」

 ヴァイスが繰り返した言葉に、マルクは大仰に頷く。

「だからこそ、彼は今、数多の精鋭が集うギルドナイトの前線を渡り歩いているのだろう。そしてそれこそが、彼を──『女神の騎士』とたらしめる“強さ”なのかもしれない」

「『女神の騎士』──」

 その名を。彼の二つ名を。ヴァイスは心の奥底で噛み締める。

「私には分からなかったよ。『女神の騎士』とまで称されるようになった彼を、一体何が突き動かすのか。そう、彼の強い意志の根源がね」

 そう口にして、マルクは自嘲気味に苦笑した。

「……だが、もしあの時の私が尋ねていれば、彼はきっとこう答えただろうね」

 ふと、写真から視線を外して。マルクは凛とした佇まいで、ヴァイスの心中を見透かすようにその蒼き虹彩を正視する。

 

『──二度と後悔しないように。決して後ろを振り返らないために。オレは、オレの大切なものを守るために、前に進み続けるんだ』

 

 マルクに言われた言葉が、走馬灯のように頭の中に響き渡る。

 すっかり夕暮れになり、夕闇が辺りに落ちていく中、一人ヴァイスは自室に続く廊下を歩いていた。

 あれからしばらくの間、ヴァイスはマルクから様々な話を聞き出すことに成功し、ロミオンという男の人物像が次第に明らかになっていった。

 ロミオンは、クートウスのギルドナイト部門を卒業し、現在はドンドルマ本部のギルドに所属する《クラス. 2nd》のギルドナイトとして活動し、先のとおり『女神の騎士』の二つ名を持つ。

 博学多才、正確無比の太刀使いであり、《クラス. 2nd》に属しながらも、ドンドルマのギルドにおいて一目置かれる存在であるらしい。

 さすがに、秘密裏に行動することもあるギルドナイトの一員だ。細部においてまで詳しいことは分からなかったが、それでも十分すぎるほどの収穫があった。

「『女神の騎士』……、ロミオン・ウェーバー……」

 その名を呟き、先ほど目にした写真に写る少年の姿を思い浮かべる。

「“追いついてこい”か……」

 そしてその姿を、先日の夢に出てきた“真紅の男”と重ね合わせる。

 空ろの最中、あの夢に出てきた彼は、きっとロミオンなのだろう。

 その確証は全く無い。言ってしまえば、それはヴァイスの思い込みでもある。

 だが、マルクの話から浮かび上がったロミオンという人物と、真紅の男の姿を重ねてみたとき、妙に腑に落ちた感覚を覚えたのだ。

 ──全く以て奇妙な話である。

 あの夢に出てきた彼と、自分たちを助けたロミオンを同一視し、あまつさえ虚空の言の葉をロミオンの言葉として受け止めているのだ。

 あまりにも出来過ぎたシナリオに、これこそが幻夢ではないかと疑うべきなのかもしれない。

 しかしヴァイスの頭は、得体の知れない高揚感に満たされていた。今までずっと靄がかかっていた景色が一転し、一面澄み渡った桃源郷を目撃したかのような感覚。

 等閑であるが、それでいてどこか心地良い。そんな浮足立った感覚に浸りながら、ヴァイスは自室に続く廊下を進む。

 やがて自室に辿り着き、扉を開けてみると、四人掛けの机を囲ってルナ、ノエル、アーヴィンの三人が談笑していた。その話題は専ら、先のドスギアノスの討伐に関するもののようであった。

「おう、ヴァイス。マルク先生との用事っていうのは済んだのか?」

「あぁ。まあな」

 淡々と答えるヴァイスの様は普段と変わらないが、その雰囲気がいつもと異なっていることに、付き合いの長い三人も薄々と感付く。

「何かありましたか?」

 あえて要点を外したアーヴィンの問いかけに、ヴァイスは最前と同じ調子で受け答え、そして改めて三人の姿を見遣った。

「ようやく“見つかった”よ」

「見つかった……?」

 容量を得ないヴァイスの返答に、皆が小首を傾げようとした。

 だがこの時。三人はヴァイスの違和感にようやく気が付いた──その蒼眼に、今までに無かった強い意志を宿らせているということに。

「──“ギルドナイトを志す理由”を、ようやく見つけた」

 決して揺らぐことのない強い意志をその瞳に湛え、ヴァイスは胸の奥底から燃え上がるような想いを感情が赴くままに打ち明けるのだった。



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