女の子になったボクは、とりあえず親友を惚れさせることにしてみた (恥谷きゆう)
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悪魔の新しい遊び

「そういうわけで、我が親友よ。ちょっとボクに惚れてくれないか?」

 

 その言葉に、ボクの唯一無二の親友は心底意味が分からない、という表情をした。でも、ちょっと待ってほしい。呆れて立ち去ろうとしないで、ボクの話をちゃんと聞いてくれ。

 改めて、ボクは昨日の夜の夢について話を始めた。

 

 

 夢を見ながら夢であると自覚していることを、明晰夢などと言うらしい。今の僕の状態が、それだ。

 夢の中で、僕は見慣れた自室に、ぼんやりと座っていた。代わり映えのない景色だが、不思議とこれは夢だと確信できた。どうせ夢ならば、女の子に囲まれる夢が良かったな。

 そんなことを呑気に考えていた僕に、突如として話しかけてくる存在があった。

 

「クックック! やはり気に食わない無気力な顔をしているな!」

 

 声の方に目を向けると、そこには悪魔がいた。……夢でもなければ、すぐにでも眠りに就きたい冗談のような光景だった。

 黒い体。頭上伸びる山羊の角。蝙蝠の羽。そしてその顔は、意地の悪そうな笑みを浮かべていた。

 ああ、なんだか今回の夢はめんどくさそうだ。そう思った僕は、なんとなく重たい気分になる。

 

「ああ、どうも」

「なんだ、その気力のない挨拶は! お前は悪魔に会ったんだぞ! もっと恐怖に慄くとか、跪いて赦しを乞うとか、力を貸してくれと泣きつくとか、色々あるだろ!」

 

 何がそうさせるのか、彼は熱弁していた。けれどいまいちやる気の上がらない僕は、それを受け流す。

 

「いや、全部めんどくさいし」

「カーッ! これだから現代人は! スマホなんぞに隷属しているからそんな無気力になるんだ! 昔の人間は未知があれば自分の足で知識を求めたものだぞ! それが今では画面をすいすいーとなぞっただけで全部知った気になっている! もっと本を読め図書館に行け旅行に出かけろ!」

 

 やけに現代事情に詳しい悪魔は、心底嘆かわしいと言わんばかりに肩をすくめた。悪魔に人間らしさを説かれているらしい僕は、ポリポリと首筋を掻いた。

 

「そんなこと言うために僕の夢にまで出てきたんですか? 悪魔も暇なんですね。もしかしてスマホ持ってないんですか?」

「要らんそんなもの! 堕落しちまう!」

 

 悪魔とは思えない断り文句を口にした悪魔は、気を取り直すように咳ばらいを一つした。そして、僕に指をさして一言。

 

「――告げる」

 

 途端、悪魔の雰囲気が変わった。小うるさいおじさんの雰囲気から、威厳に満ちた魔術師のような重々しい雰囲気へと。そのイメージを裏切らないように、悪魔は何やらブツブツと詠唱を始めた。悪魔の周りに正体不明の力が集まるのが、僕の肌に伝わって来た。

 直感的に、僕はそれを魔法を使っているのだと理解した。

 

「――ハッ!」

 

 ブツブツ呟いていた悪魔が、叫びをあげた。次の瞬間、悪魔の指から紫色の光が飛び出し、僕の胸のあたりに直撃した。

 

「ぐぅ……」

 

 正体不明の気持ち悪さに襲われた僕は、その場にうずくまった。体に違和感がある。何か、大切なものを無くしたような、有り得ないものが存在しているような違和感があった。

 僕の気持ち悪さがようやく収まって来た頃、悪魔は横たわる僕の顔を覗き込んできた。

 

「クックック! 呪いは無事発動したようだな。ふむ、いい顔だ」

 

 満足げな悪魔は、顔をあげて懐から何かを取り出した。

 

「お前の反応が楽しみだな。……クックック」

 

 悪魔が取り出したのは、何の変哲もない手鏡のようだった。また正体不明の魔法をかけられるのかと戦々恐々としていた僕は、内心安堵する。

 けれど僕は、次の瞬間人生最大の衝撃を受けることになる。

 

「お、女の子……?」

 

 僕の顔が、可愛い女の子のものになった。

 

「ちょっ……なにやってんの! 元に戻して⁉」

「クックック。いい顔をするようになったじゃないか」

 

 手鏡の中にいる女の子は、ひどく焦った顔をしていた。

 

「当然、この夢の中だけではなく、現実のお前も姿は変わっているぞ。そういう呪いをかけてやったからな」

「ふざけんな! もどせ!」

 

 精一杯怒鳴ってみても、甲高い声が出るだけだった。

 

「安心しろ。周囲の認識はいじくっておいた。できるだけ面白い状況になるようにな」

「くっ!」

 

 僕は細い腕で悪魔に殴りかかったが、拳はあっさりと止められてしまった。

 

「俺の目的は、お前の狼狽する姿を楽しむことだ。代わり映えのない、つまらない生き方をしていたお前が、女にされてどんな人生を生きるのか、それに興味がある。そのために、一つ仕掛けを用意した」

「……仕掛け?」

 

 僕が力なく問いかけると、悪魔は、嬉しそうに僕に告げた。

 

「クックック! お前にかけた女体化の呪いを解く条件はただ一つ! 男に心から惚れられることだ!」

 

 悪夢のような宣言を聞くと同時、僕の悪夢はようやく醒めた。

 



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あさおん!

 目覚めていつもの天井が見えても、ボクの心臓は早鐘を打ったままだった。

 

「ボクの体は⁉」

 

 言って、改めて実感する。声がおかしい。体が軽い。自分の手のひらを確認する。小さくてまん丸の手。ボクはベッドから飛び出すと、洗面所へと向かった。

 

「やっぱり……女の子になってる……!」

 

 洗面所の鏡の前で、僕は項垂れていた。鏡の向こう側では、可愛い女の子がしょんぼり俯いていた。

 

「はぁ……」

 

 改めて鏡を直視して、自分の顔を確認する。高校二年生のボクからすると、随分小さな女の子だった。まん丸の大きな目に、形の良い鼻立ち。唇はぷっくりと膨れていて、触ると柔らかい。ぼさぼさだった黒髪は、真っ直ぐに伸びるロングヘアーに変わっていた。

 可愛い女の子だ、とボクが他人なら素直に思えただろう。

 

「どうすんだよ……学校とか⁉」

「姉貴うるさい」

 

 不機嫌そうな声をと共に洗面所に入って来たのは、我が妹、稲葉理子だった。

 

「姉貴……? あれ、兄貴……? まあいいや、そこどいてよ。いつまで占領してんの」

「姉……?  ちょっと待て、ボクは昨日まで男だったよな⁉」

「なに寝ぼけたこと言ってんの。いいからどいたどいた」

 

 しっしっ、と妹はまるで蚊でも追い出すようにボクを追い払った。

 

 

「おかしい……そんなのおかしいじゃないか……」

 

 ブツブツ言いながら、ボクは通学路を歩いていた。腿のあたりに、スカートのひらひらとした布地があたり、ひどく違和感を覚える。

 

「うーん、やっぱりスカートって防御力低すぎじゃないかな……」

 

 なんとなく裾が気になって、鞄でお尻のあたりを隠す。先ほどから、なんとなく背後に視線を感じていた。

 

「とにかく、一日でも早く元に戻れるようにしないと……」

 

 あの悪魔は言っていた。ボクにかけられた女体化の呪いを解くには、男に心から惚れられればいい、と。

 正直悪魔の言うことを鵜吞みにするのもどうかと思うが、それしか手がかりがない以上縋るしかないだろう。

 

「しかし、あの悪魔、ボクを侮ったな……!」

 

 あの悪魔は一つ勘違いをしている。何事にも動じないボクが、女の子にされることで無様に動揺する様を晒し続けると思ったのだろう。けれど、解放条件が男に惚れさせることならばすぐにでも達成できるだろう。なぜならば。

 

「ボクほど理想の女子高生彼女について考え抜いている男子高校生はいないからな! 男の一人や二人、簡単に誘惑してみせよう!」

 

 突然大声を出したボクに、奇妙なものを見る目が刺さる。けれど、達成感に溢れているボクにとってそんなことまるで気にならなかった。

 ふははは、とボクは通学路で一人高笑いをした。あの気に食わない悪魔の裏をかけると思えば、それだけで気持ちが高揚した。堂々たる足取りで、ボクは通学路を歩く。

 とりあえず、あいつを陥落させるなら三日もかからないだろう。その勢いで男の三人くらいは攻略するとしよう。そうすればあの悪魔も満足だろう。

 

 

 

 

「そういうわけで、我が親友よ。ちょっとボクに惚れてくれないか?」

「お前は何を言ってるんだ?」

 

 僕の唯一無二の親友は、馬鹿を見る目でボクを見つめていた。

 

「だから、さっき二回も説明しただろ?悪魔が夢に出てきて、ボクを女にした。元に戻るには男に惚れられる必要があるから、ちょっとお前に惚れて欲しいんだよ」

「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、ついに頭がおかしくなったのか……」

 

 親友――俊樹は、頭痛がするみたいに頭を抱えた。

 

「なんだよー!お前だって、ボクの性別が最初から女だったみたいになってるこの現状が異常だってことくらい分かってんだろ⁉」

「そりゃあまあ、友人が学校で会ったら女になってたなんて状況に対して俺も混乱はしているが……だからといって、『ボクに惚れろ!』とはならんだろ……」

 

 相変わらず頭が硬いやつだ。

 

「でもなあ、俊樹。考えてもみろよ」

「なんだポンコツ」

「ボクとお前は、好みの女子高生のタイプについて、一夜と言わずに何日も語り合った仲だろう? ツンデレはこういうのがいい。真面目ちゃんの頑張ってる姿はいい。眼鏡っ子は眼鏡を外すな。小っちゃい子の背伸びする姿がいい。それを全部覚えているボクが、君を攻略できないとでも思うか?」

「あのなあ、それは全部二次元のヒロインの好みの話だろ? それを三次元、ましてやお前になんて当てはめられるわけねえだろうが」

「ふっふっふ。本当にそうか?」

 

 ボクが自信ありげに笑みを浮かべると、俊樹は怪訝そうに眉を顰めた。

 

「……お前がそういう態度を取っている時、だいたいロクなことにならないんだがな」

「まあ、見てろって。――いくぞ」

 

 ボクが口調を改めて真剣に言うと、俊樹も真剣にボクを見つめ返した。その顔には、何が起こるのか、という期待と不安に満ちているようだった。

 ボクはゆっくりと両手を下ろすと、スカートの裾を掴みゆっくりと引き上げ……。

 

「ラッキースケ……」

「ばかあああああ!」

 

 俊樹はスカートを捲りあげようとしたボクの両手を、全力で抑えてきた。ボクらの手が重なり、俊樹の大きな手がボクの小さくなった手を包み込んだ。

 

「離せ俊樹! お前なんてボクのパンツを見たらイチコロだろうが!」

「そんな有難くないパンチラがあるか! だいたいここ教室だぞ!」

「くそ……失敗か」

 

 ボクは諦めて手を下ろす。途端、いつの間にかこちらに集まっていた男子高校生たちの視線があらぬ方向を向いた。

 

「惚れる云々の前に常識なさすぎるだろ! 何考えてんだ!」

「だってお前、お堅い子の不意に見せるパンチラが好きって……」

「お前のそれはチラじゃ済まなそうだったぞ! というか二次元と三次元を混同するな!」

 

 俊樹はいつもボクの間違った行動を咎めている時のような表情で言い募った。こうなったら何を言っても無駄だ。

 

「だいたい、元々男だったお前に俺が惚れるっていうビジョンに無理があるんだよ」

「そうかなあ……仕方ない、他の奴に声かけるか」

「あ、待て」

 

 ボクが諦めて他を当たろうとすると、俊樹がストップをかけた。

 

「確か、俺以外のクラスメイトは皆お前のこと元々女だと思ってるんだったよな?」

「ああ、なぜかな」

 

 今のところ、男だったボクを覚えているのは俊樹だけのようだった。他のみんなはきょとんとした顔で『ゆうきちゃんはずっとそのままだったじゃん』と言うだけだった。

 

「じゃあお前、他のやつに俺と同じ感じで迫るのはやめとけ」

「え? なんでだよ。嫉妬か?」

「違うわあんぽんたん。ただの女だと思っていたお前が急に自分の体使って迫ってきたら、どうなると思う?」

「え? 嬉しい?」

「お前じゃないんだからそんな悠長なことにならねえよ。率直に言えば、最悪犯される」

「は? いやいやいや。まさかまさか。お前、エロ本の読みすぎで頭おかしくなってんじゃないの?」

「考えすぎでもないと思うけどな。少なくとも、急にキスを迫られるとかそれくらい覚悟した方がいいぞ?」

「男とキスは嫌だな」

 

 どうせなら、ボーイッシュな女の子に情熱的にキスを迫られたい。

 

「でもまさか、お前でもないのにそんなエロ猿みたいなことあるか?」

「エロ猿筆頭のお前が言うか? ちょっと中性的な顔してるからって女子に甘い目で見られやがって。……ンンッ、お前が男側だったと思って考えろ。小っちゃくて押し倒したら全く抵抗できなそうな女の子が、自分に好意的な素振りを見せてくる。さらにはちょっと際どい部分まで見せてくれると来た。お前ならどうする?」

「手を握ってキスしていいか尋ねる」

「だろ? その時お前、その小さな体で抵抗できるか?」

「……うーん、金的蹴り上げる?」

「なんだこいつこわ……」

 

 俊樹はちょっと引いていた。

 

「でも、そうなるとお前の惚れさせるって目標は達成できないだろ。金的蹴り上げてくる女の子なんて誰が好きになるんだ」

「それもそうかあ」

 

 そうなると、やはりボクは俊樹を惚れさせるしかないみたいだ。

 

「うーん、じゃあ、またお前の好みに合いそうなやつ考えてくるわ!」

「ああ、期待せずに待っとくぞ」

「なんだよお前、ボクが女の子のままでもいいのか?」

「いや、別に俺は困らないし」

「薄情者!」

「だいたい、惚れさせればお前が男に戻るってのも怪しいだろ」

 

 俊樹は、まだボクの話を完全に信じていないようだった。

 

「ちょっとネットでそういう話が転がってないか、俺も探してみるから、ちょっと待て」

「そういう話って?」

「友達が女になったって話」

 

 ないんじゃないかな……。

 そんな、どこかいつも通りの会話をしていたボクたちだったが、ちょうど予鈴が鳴ったことで、会話の終わりを悟った。ボクたちの席は離れている。立ち話もおしまいだろう。

 

 別れ際、ボクは宣戦布告をした。

 

「じゃあ、放課後にはお前が卒倒するような策を十個くらい考えてくるから、待っとけよ!」

「はいはい、頑張れ頑張れ」

 

 くるっと振り返り、席へ。勢いよく振り向いたものだから、スカートが捲れ上がるのを感じた。

 

「ブフッ……」

 

 俊樹は、何かに興奮しているような声を出していた。

 



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初めての危機!?

 授業中の教室は、休み時間の喧騒が嘘だったみたいに静まり返る。聞こえるのは教師の淡々と説明する声と、シャーペンを走らせるカリカリという音だけだ。

 でも、そんなの退屈だ。ボクは延々と続く授業に飽き飽きして、ふと俊樹の方を見た。

 

「……」

 

 彼は真面目に授業を聞いているようだった。その視線は真っ直ぐに黒板に注がれていて、時折手先が動き何事か書き留めている。

 彼は成績優秀者だ。具体的には、学年でトップ10に入るくらいには。

 だからボクはよく彼にテスト前に勉強を教わっている。つまり、彼が真面目に授業を受けているということはつまりボクの成績も伸びる、ということに他ならない。……のだが。

 

「つまらない。やっぱりあいつを揶揄って遊ぼう」

 

 せっかく女の子の顔を手に入れたのだ。活かさなきゃ損だ。ついでにあいつがボクに惚れてくれればラッキーだし。

 

 じっと俊樹を見つめていると、彼もこちらに気づいたらしい。けれど、すぐに蚊でも追い払うように手をしっしっと振られた。授業に集中しろ、と言いたいらしい。

 しかしボクは、そんな彼に優しく微笑みかけ、ひらひらと手を振った。

 

「……?」

 

 これこそ、二次元ヒロイン憧れの動作、目が合うと気さくに手を振ってくれる同級生女の子、だ。

 授業中、誰も見ていないのをいいことにこっそりと手を振ってくる女の子。主人公は、その動作に自分だけ相手と特別な絆を結んでいるような感覚になり、少し顔を赤く染めるのだ。

 

 さあ俊樹、恥ずかしそうに顔を赤らめろ!

 

 けれども、彼がただ呆れたような表情を浮かべるだけだった。というか、むしろ俊樹の後ろの席の男子たちが騒ぎ出した。

 

「おい、今見たか? 稲葉が俺に手振ってたぞ!」

「馬鹿、俺だって。あの優しそうな笑みは絶対俺に向いていたって!」

 

 馬鹿な事を言い口論をし始める彼らを、俊樹は馬鹿を見る目で見ていた。そんな彼に、「男って馬鹿だよね」というメッセージを籠めて肩をすくめてみせると、なぜか今度はボクを馬鹿を見る目で見てきた。

 

(後で話がある)

 

 俊樹の唇が動き、そんなメッセージが読み取れた。……なぜ、ボクが怒られる流れになっているのだろう。釈然としない気持ちのままで、ボクは授業を終えた。

 

 

「お前は馬鹿か! いらんことして誘惑してんじゃねえ!」

「ええー」

 

 休み時間になると、俊樹は開口一番ボクを叱った。

 

「お前みたいな見た目の奴が色香をふりまいたらロクなことにならないぞ。分かってんのか?」

 

 俊樹の高圧的な態度に腹が立ったボクは、少し反撃することにした。

 視線は上目遣いに。手を体の前で握り合わせ、できるだけ甘ったるい声を出す。

 

「でも……ボクは見ているのは俊樹だけだったんだけどな?」

 

 どうだ! ボクの精神攻撃を食らえ!

 けれど、彼はボクの望んだような反応は返してくれなかった。

 

「うえ、気持ち悪」

「な、なんだよー!」

 

 ボクは憤慨した。いつものように肩をバシバシ叩こうとしたが、思ったよりも肩が高くてやめる。

 

「いやいや、お前が見た目通りの美少女だったならまだしも、中身がお前だって分かってる状態でそれをやられてもなあ」

「くそお……」

 

 恥ずかしさを堪えてやったというのに、なんだか負けたような気分だ。そう思っていたが、ふと彼の言葉を思い出した。

 

「待って、中身がボクだって分からなきゃ効いたってこと?」

「……まあ、そうとも言う」

 

 俊樹は少し気まずそうに視線を逸らした。

 

「それってつまり、ボクのことを最初から女の子だと思ってる他の奴らにやったら、効果あるってことだよね! うおおおおお! ちょっと男引っ掛けてくる!」

 

 勢いよく走り出したボクだったが、しかし俊樹がその肩をがっしりと掴んできた。

 

「馬鹿かお前! 朝に忠告したばっかだろうが! 」

「離せ―! あんな恥ずかしい思いをしたんだから一人くらい男を堕とさないと納得できない! 他のやつで試して、男に戻るんだー!」

 

 じたばたするが、ボクの足は一歩も前に進まなかった。

 

「女としての危機感が絶望的にないお前がそんなことしたら目も当てられないことになるって! 朝も似たこと言ったよな!?」

 

 それは話し合い、というよりもボクが一方的に駄々をこねているだけだった。

 

「じゃあ俊樹はボクが男に戻れなくてもいいのかー?」

「それは……色々と困るが、だからといってお前が女のうちに致命的な間違いを犯すのも見てられないだろ。俺も調べるから、ちょっと待てって」

 

 諭すように言う彼は、いつも通り冷静に見えた。けれども、どこかその態度に違和感を覚える。ボクが他の人と交流することを恐れているような、そんな不思議な意図が見え隠れしている気がした。

 

「……なあ、俊樹」

「なんだよ」

 

 煮え切れない態度の親友に、ボクは素朴な疑問をぶつけた。

 

「お前、もしかして嫉妬してる?」

「…………は?」

 

 その時の彼の表情は、まるで生ごみの中に湧きだしたゴキブリを見るようだった。

 

 

 

 

「もう知らん、お前は勝手に男誑かした気になってろ」

 

 そう言ったきり、彼はボクと話をしてくれなくなった。

 

「なんだよー。あんなに怒らなくたっていいじゃないかよー」

 

 放課後になっても、彼はボクを無視したままだった。そのことにぶつくさ言いながら、ボクは帰り支度をしていた。既に外は橙色に染まっていて、カラスが鳴いていた。

 今日はあいつと一緒に帰れそうにない。久しぶりの一人での下校か。なんだか寂しいな。

 そう思っていたら、ボクに近づいてくる大きな影があった。

 

「よーっす、稲葉。一人とは珍しいな」

「ああ、鈴木。今日は帰りか?」

「ああ、バスケは今日は無し。体育館がバト部に使われてるからなー」

「ああ、体育館の部活は大変だよなあ。帰宅部のボクからしたら、みんなよくやるなーって感じだよ」

 

 自然に会話を交わす。昨日までと変わらない、男友達だった頃と変わらない会話だった。そのことに、ボクは内心安堵する。良かった。ボクが女になっても、男子は友達でいてくれるようだ。

 

 けれど、そんなボクの安堵は、あっさりと裏切られることになる。

 

「……鈴木?」

「稲葉さー、やっぱり親しみやすくていいよな。男子に対して壁がないっていうかさー」

 

 言いながら、彼は不自然に近づいて来た。彼の上背がボクの体に覆いかぶさるようにして立ちふさがり、夕暮れの日差しを隠した。

 

「あの、鈴木……?」

「今日もさー、授業中に目が合った俺に、手を振って笑いかけてくれたよなー。俺嬉しかったぞ」

 

 彼の顔が、ぐいと近づいてくる。その何気ない仕草が、不思議と今のボクには恐ろしいものに見えた。

 

「やっぱり、俺のこと好き?」

「なに、言って……」

「ああー、照れてる稲葉も可愛いなー」

 

 何か一人で納得したような態度を見せた鈴木は、気持ちの悪い笑顔を見せた。普通に話せていた鈴木が、突然宇宙人にでも変わってしまったような感覚が、ボクの全身を刺激した。

 

「なあ。手、握るぞ」

「ヒッ」

 

 耳に当たる生温かい吐息。全身に寒気が走った。やがて、ボクの手にぬめぬめとした気持ち悪い感覚が当たる。

 何か良くないことが起きている。そう直感したボクは、鈴木の顔を睨みつけてはっきりと告げた。

 

「鈴木、お前今日なんか気持ち悪いぞ! ボクの手なんか握っても面白くないだろ? ほら、どいたどいた。ボク今日は帰るから!」

 

 ボクの勢いに押されたように、鈴木が一歩下がる。その様子に、ボクは内心安堵する。

 けれど、彼は諦めなかった。

 

「おい稲葉」

「いたっ」

 

 ボクの肩が強く掴まれる。無理やり振りほどこうとするが、今の華奢な体ではそれすら叶わなかった。

 

「あんまり意地張ってると、無理やり俺のものにするぞ?」

 

 鈴木の目は、もはやギラギラという欲望を隠しもしなかった。クラスでそれなりに話して、人となりを知った気になっていた鈴木の豹変に、ボクは言い表しようのない未知の恐怖を感じた。

 

「だ、誰か……」

 

 いつの間にか、恐怖で声が掠れていた。違う、こんな情けない声、ボクのじゃない。けれど声は女の子のように高いままで、細い腕は鈴木の大きな体を押し返すことができなかった。

 鈴木の大木のような腕が近づいてくる。その手のひらは、ゆっくりとボクの顔のあたりに迫り――

 

「ゆうき」

 

 聞きなれた、親友の声がした。

 

「なっ……なんだよ秋山。なんで放課後の教室にお前がいるんだよ」

 

 俊樹は、冷たい無表情のままでこちらに近づいて来た。いつも冷静な彼らしからぬ態度に、鈴木もたじろいでいる。

 

「いや、俺の友人を置き去りにしてたから、迎えに来たんだ」

 

 その言葉を聞いて、ボクは恐怖に冷え切った体に熱が吹き込まれたように感じた。

 

「稲葉がどうなろうと、お前には関係ない話だろ? いつも話してるからって、稲葉のプライベートにまで口出すのか?」

 

 怯んでいた鈴木だったが、気を取り直したらしく猛然と言い募った。その様子に、俊樹は何事か考えるように黙り込んでしまった。

 気まずい沈黙が、放課後の教室を支配する。ボクは、固唾を飲んで親友の言葉を待った。時計の秒針が十回ほど鳴った頃、俊樹は重々しく口を開いた。

 

「いいや、関係ある。――こいつは、俺の彼女だ」

 

 ……? ……はあああああああああ!?

 

 内心ツッコミの嵐だったが、この状況で口に出すのもまずい気がしたので、ボクは黙っていた。ボク賢い。

 

「なっ……お前ら、距離が近いとは思ってたけど付き合ってたのかよ!?」

 

 鈴木の動揺は凄まじかった。青ざめたかと思うと、何事か言葉を出そうと口をパクパクする。けれど言うべきことは見つからなかったらしく、しばらくそのまま金魚のような恰好をしていた。

 

「なあ、ゆうき。俺たち、付き合ってたよな?」

 

 寒気のするようなセリフを言って、俊樹はボクに問いかけてきた。よく見ると、笑顔を作っている頬はひくひくしている。おそらく彼も、自分のセリフに寒気を感じているのだろう。

 

「そう、だな……」

 

 もはやこの状況で否定することなどできるはずもなかった。ボクは渋々頷く。

 

「そうか……いや、すまなかった」

 

 ボクの言葉を聞いた鈴木は、大きく肩を落とした。実に憐れな姿だ。けれどそんな彼を見つめる俊樹の目は相変わらず鋭いままだ。

 

「秋山」

「なんだ」

「お前の彼女に、勘違いさせるような素振りをするのはやめておくように言ってくれ」

「ああ」

 

 俊樹は、極上のスマイルを浮かべた。

 

「絶対に忘れないように、頭に刻み込んでやる」

 

 まるで獲物を見つけた狩人のように、彼は笑っていた。

 



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彼女との下校デート!?

 二人並んで下校を始めたが、お互いに口を閉じたままだった。気まずいような、先ほどの出来事に触れることを躊躇っているような、そんな沈黙だった。

 けれどこのままではいられないと、ボクは重い口を開いた。

 

「その……ボク、俊樹の彼女になっちゃったな」

 

 ハハハ、と続けるつもりだったが、俊樹が凄まじい目でこちらを睨んできたのでやめた。

 

「お前みたいな彼女誰がいるか。お前なんて不良債権だ。粗大ごみだ」

 

 ひどい。ボクもこんなDV彼氏は要らないかもしれない。

 

「じゃあ、なんで助けたんだ?」

「……親友だからだ」

 

 その目には、女になってしまったボクではなく、元の男の僕を見つめているようだった。

 自分のセリフに気恥ずかしくなったのか、彼は少し視線を外して言い募った。

 

「……まあ、これでようやくお前も自分の危なっかしさに気づいただろ」

「危なっかしさっていうか、正直なんであんなことになったのか理解できないよ……」

 

 鈴木とは男友達として少なくない時間交流してきた。彼のあんな暴力的で一方的な態度を、ボクは一度も見たことがなかった。

 

「お前の認識が薄いみたいだからハッキリ言っとくぞ。今のお前、男子高校生には魅力的すぎるんだよ」

「……なに、告白?」

「違うわ!」

 

 君は魅力的すぎるね、なんてまるで告白じゃないか。そう思って口に出したのだが、俊樹は頭痛がするみたいに頭を抱えていた。

 

「いいか? 俺以外の人間の認識では、お前は最初から女だったことになってる。けど、お前の今までの振る舞い自体は同じだったことになってるんだ。要するに今のお前は、やたら距離が近くて話しやすくて、気安過ぎて勘違いするような振る舞いをする女子高生だ」

「いいね、最高じゃん。ボクが付き合いたいくらい」

「……お前、危機感ってやつを母親の胎内に置いて来たんじゃないか?」

 

 ジト目でこちらを睨む彼は、呆れたようにため息をついた。ボクと話している時に、彼が良く見せる態度だった。

 

「だから、鈴木に限らず変な勘違いをした奴がお前に無理やり迫ってくる可能性がある。お前の想像する『たぶらかす』っていうのはせいぜいちやほやされたいとかそういう幼稚な願望だと思うが、実際のところもっと深刻な事態になるかもしれない。……ここまで言えば、馬鹿のお前でも分かるか?」

「……まあ、流石にあんな目にあえばね」

 

 正直言って、怖かった。自分1人ではどうにもならないような恐怖感と、焦燥。俊樹が教室に現れた時には、安心で腰が抜けるかと思った。

 

「そういうことも加味して、あの場を切り抜けるために俺が吐いた嘘が『お前が俺の彼女だ』って寒気のする冗談だったわけだ」

「まあ、俊樹がボクを助けようとしてくれていたのは流石にボクでも分かったよ。……ありがとう」

 

 気恥ずかしいのを堪えて、素直に礼を言う。

 

「ああ。まあ、何か致命的なことになる前に良い教訓を得られたと思うことにするか。お前馬鹿だから口でいくら言っても分からなそうだったし」

「それは……ごめんって」

「とにかく、学校ではひとまず俺の彼女のふりをしとけ。色んな面倒を避けられる」

「それは……なんだか鳥肌の立つ光景だね」

「奇遇だな。俺もだ」

 

 ボクたちが付き合っているふりをする様子を想像して、二人そろって身震いをする。

 

「それに、お前の言う悪魔曰く、男に惚れられれば戻れるんだろ? だったら、今日の鈴木の一件でその条件は達成できたんじゃないか?」

「た、たしかに!」

 

 喜んで、ふと気づく。それなら、ボクはどうして未だにこの非力な体なのか。

 

「……でも、戻ってない。それに、あの悪魔はそんな簡単に条件の達成を認めない気がする」

 

 直感だが、あいつはボクが四苦八苦する姿をできるだけ長く眺めていたいのだろう。まさか一日で解放されるとは思えない。

 

「……まあ、もし悪魔に会ったらそれも聞いてみたらどうだ。ダメ元でも、やらないよりマシだ」

「まあ、やるだけやってみるよ」

「俺とお前が付き合っていることにすれば、しばらくトラブルは起きないだろう。そのうちに、解決の糸口を探す。……こんな超常現象に解決策が見つかるのか、検討もつかないけどな」

 

 彼は真剣にどうしたらいいか考えてくれているようだった。

 ああ、やっぱり俊樹は頼りになるな。いつでも冷静で、こんな有り得ない状況でも解決策を考えてくれている。ボク一人が困るのを良しとせず、手を差し伸べてくれている。そんな彼に、ボクはいったい何が返せるだろうか。どう報いることができるだろうか。

 思いついたのは、原点回帰とも言える方法だった。

 

「ねえ、俊樹はたしかイケメンのくせに付き合ったことないんだよね?」

「喧嘩売ってんのか? ……まあ、そうだな」

「じゃあ、ボクが初めての彼女ってわけだね。ご愁傷様」

「本当にな」

 

 不貞腐れたように言う彼に、ボクはにこにこと自分の提案を語った。

 

「可哀想だから、俊樹に恋愛の疑似体験をさせてあげるよ」

「は? どうやって?」

 

 突然なにを言い出したのだこの馬鹿は、と彼はジト目でこちらを見てきた。

 

「ボクが彼女役だろ? だから、それで」

 

 そして、あわよくばお前を惚れさせてやる。野心の方は隠したままで、ボクは提案する。俊樹に変に警戒されたくないからだ。

 それに、ボクの疑似恋愛計画が成功すれば、俊樹は彼女がいる気分を味わうことができるし、ボクは男に戻れる。完璧だ。

 

「いや、でも俺は突然スカート捲り上げだす彼女は要らないぞ」

「ちょっと! 女の子初心者のボクの失敗をあげつらうことないじゃないか!」

「女の子初心者っていうか普通の人ならしない失敗だろ……」

「ともかく! 明日から楽しみに待っているように」

 

 そう言って、ボクは笑った。

 ボクは馬鹿だ。だから、スマートな方法なんて思い浮かばなかったが、せめてボクのために頑張ってくれている俊樹が笑ってくれたらいいと思った。



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悪魔は愛について熱心に語る

「クックック! 早速面白いことになったな!」

 

 悪魔は、昨日も聞いた高笑いでボクを迎えた。

 

「ボクの夢に勝手に来るな。不法侵入だぞ」

「つれないな。せっかく美少女にして人生に刺激をくれてやったのに」

「あんな刺激、いらない!」

 

 思わず大きな声が出たが、悪魔はニヤニヤと笑うだけだった。

 

「いやいや、たしかに嫌な笑いはしたかもしれんが、その後にお前の親友と彼氏彼女の関係になれたじゃないか! クックック!」

 

 楽しそうに、本当に楽しそうに悪魔は笑った。

 

「それよりも、お前鈴木になにをしたんだ。あいつはあんなことする奴じゃなかったはずだ」

「ん? 奴自身に変化はないぞ。変わったのはお前だけだ」

「そんなはず――」

 

 また激昂しかけるボクに、悪魔はにやにやと言葉を続けた。

 

「考えてもみろ。今まで男同士の近さで接していたやつが、急に女になったんだぞ。好意があると考えるのも自然だろ」

 

 それは、俊樹の忠告とも似ていた。けれど、それを悪魔に言われても腹が立つだけだった。

 

「……つまり、俊樹の言う通りあいつの彼女のふりをしていれば、この前みたいなことは起きないってことか」

「まあ、確率は減るんじゃないか。良かったな、親友を惚れさせるのに大きく前進だ」

「……嬉しくない」

 

 そう言われると、なんだか彼の好意に付け込むようじゃないか。

 

「そういえば、鈴木のあの様子、ボクに惚れていたと言ってもいいんじゃないか? 条件を達成したから、ボクの呪いは解けるんじゃないのか?」

「違うな」

 

 悪魔は表情を改めた。

 

「あんなのは性欲だ。自己顕示欲だ。本能だ。あんなもの、惚れるとは、愛とはほど遠い。愛とは、もっと自分本位ではなくて、思いやりに満ちていて、純粋であるべきだ。」

「うわあ、お前の恋愛観すごいな。少女漫画かよ」

「やかましい! お前ら人類が勝手に愛を低俗なものにしたんだろ! このケダモノどもが!」

 

 悪魔は無駄に理想が高かった。……悪魔とは、人間を堕落に誘う存在ではなかったか。どうしてこんなに理想が高いんだ?

 

 悪魔がどんな価値観をしているかなんて知ったことではないが、それではボクの呪いはどうすれば解けるというのか。コイツの高い理想通りに行けば、『男に心から惚れられる』というのはかなり高いハードルなのではなかろうか。

 

「なあ、じゃあもっと具体的に惚れさせる、っていうのがどういうことなのか定義してくれよ。どうすればボクは元に戻れるんだ?」

 

 ボクの言葉に、悪魔は腕を組んだ。

 

「ふむ、愛を、惚れるということを定義するなど無粋極まりないが……」

 

 真剣な表情で悩む悪魔は、無駄に律儀だった。

 

「そうだな、しかしお前が目標を失ってやる気を無くしたら困る。では、お前が告白されたら、というのはどうだ?」

「ええー。厳しくないか?」

 

 告白っていうのは結構勇気のいる行為だ。ボクは身をもってそれを実感している。

 

「なにを言う。貴様は親友といい感じだったじゃないか。あの様子なら、告白させるのも容易いことではないのか?」

「は? ……はああああああああ!?」

 

 とんでもない物言いに、ボクは憤慨した。

 

「誰と誰がいい感じだったって!?」

「いや、だって貴様の知識によれば、恋人のふりなんてラブコメの導入そのものではないか。演技をしているうちに、惹かれ合う二人。いがみ合っていたのが、だんだん態度が変わっていき、やがてどちらともなく想いが……」

「うわあああ、聞きたくない聞きたくない聞きたくない!」

 

 ボクはその言葉を聞いていることができなくて、耳を塞いだ。けれど、悪魔の声はボクの頭に直接響いているみたいに鮮明に聞こえてきた。

 

「その様子、まさしく主人公との仲を揶揄われて照れるラブコメヒロインだな」

「やかましいわ! というかやけに漫画に詳しいな!」

「ああ、俺はお前の記憶を自由に覗けるからな。暇つぶしに漫画の記憶を覗いていたんだ」

 

 なんだかとんでもないことを聞いた気がする。

 

「じゃあプライバシーの侵害って言葉も知ってるよな!? 個人情報保護法も!」

「俺を人間の法で裁けるとでも思ったか? 常人には見ることすらできないのに?」

 

 くそっ、やっぱコイツ腹立つ。

 

「じゃあ、聞きたいことは聞いたな。この夢を終わらせよう。明日からの学校もせいぜい面白いおかしく楽しめよ」

「待て」

 

 最後に、ボクは聞いておかねばならないことがあった。

 

「本当に、鈴木や俊樹、それに他の人には何もしていないんだよな?」

 

 目に力を籠めて、睨みつける。女になったボクが睨んでも威圧感なんてないかもしれないけど、それでも精一杯の意思を籠めて睨む。

 ボク以外にもこの悪魔の被害者がいるのなら、ボクはこいつへの認識を改めなければならない。

 ボクの反抗的な瞳に、しかし悪魔は楽しげだった。

 

「ふむ、そういう顔もできたのか。安心しろ。貴様の親友を始め、他の人間にはなにもしていない。変わったのはお前だけ、困るのもお前だけだ」

「いいや違う。お前には分からないかもしれないけど、人間は近しい人が困っていたら、一緒に悩み、解決策を考えてあげられる生き物だ。だから、ボクが困って俊樹まで困らせてしまった」

「それこそ、俺の知るところではない」

 

 悪魔は、今までで一番悪魔らしい表情をしていた。

 

「……くそっ」

 

ああ、こんな奴と対話しようと思ったボクが馬鹿だったな。そう思うと同時、ボクの意識は薄れていった。



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とうこう!

「おはよう……」

 

 夢のせいで最悪のテンションだったボクは、掠れた声で挨拶しながら朝食の席に座った。稲葉家のリビングには妹の理子が座っていて、母の支度をあくびしながら待っていた。

 

「なに姉貴、ゾンビみたいな声だして。……ってなにそのボッサボサの髪!ちょっとこっち来て!」

「ふぁい?」

 

あくび混じりに返事したボクの目の前に、理子は手鏡を持ってきた。そこに写ったのは、相変わらず憎らしいほどの美少女フェイスだった。

 

「どうやったらそんな髪暴れるの!? 奇抜な髪型でキャラ付けされた少年漫画の登場人物みたいなんだけど!」

「え? ああ、昨日は風呂入ってすぐ疲れて寝ちゃったからかな」

 

 ボクの言葉に、妹は信じられない、と眉を吊り上げた。

 

「この馬鹿姉貴は……! 天はどうしてこの馬鹿にこんな美貌を与えたの……?」

 

 この顔は、天ではなく悪魔から押し付けられたものなのだが。

 しかしそんなこと気づかない理子は、なにやら俊敏に動いたかと思うと、洗面所からブラシを持ってきた。

 

「じっとしてて。梳かしてあげる」

 

そう言ったかと思うと、理子は後ろに周り、ボクの長くなった髪を梳かし始めた。

 

「気持ちいい……」

 

 思わず、そんな声が漏れてしまう。人に髪を梳かしてもらうのがこんなに気持ちいいことだったなんて、知らなかった。

 朝のリビングに、束の間の沈黙が流れる。それは、どこかせわしない朝に不似合いなほどに心地の良い時間だった。

 

「姉貴さ。なんかあった?」

 

 唐突に、理子は静かに問いかけてきた。

 

「何で?」

「いや、いつも何にも考えてもなさそうなゆるゆるフェイスなのに、今日のはちょっと違う気がして」

 

 理子は、どうやら女になってもボクの顔から色々察することができるようだった。そのことに、ボクは少しだけ嬉しい気分になる。

 

「なんでもない、とは言えないかな。まあでも、理子に話すことでもないよ」

 

 理子はボクのことを元から女だったと思っている。だから、相談できることは、ない。残念ながら。

 

「ふーん。まあいいけどね。姉貴なら、他に頼れる人もいるんだろうし」

 

 深く追及することもなく、彼女はボクの言葉を流した。その絶妙な距離感が、ボクには心地よかった。

 しばらく黙った理子は、やがてブラシを動かす手を止めた。

 

「できた。まったく、しゃっきりしてれば可愛いんだから、ちゃんとケアしてよね」

「うっす。ありがとうございます、先輩」

「こんなダメな年上の後輩なんていらない」

「ひどい……」

 ボクの認識では、理子は間違いなく女として先輩なのだが。けれどボクの敬意は伝わらず、後にはただ妹に面倒を見てもらったダメな姉という称号が残った。

 

 

 

 

 朝食をしっかり食べて、妹に整えてもらった髪を揺らしながら、ボクは家を出た。朝起きる時はひどく憂鬱だったはずか、いつの間にか気分は上向いていた。家族と過ごす時間は、ボクに良い影響を与えていた。

 

しかし玄関から出て数歩。早速ボクの足は止まることになる。

 

「おう、来たな」

「俊樹……?」

 

なぜだか、親友の姿がボクの通学路にあった。

 

「何でここに? 家遠かったよな」

「いやだって、今日からクラスの奴らを騙さないといけないだろ。お前と付き合ってるって」

「……ああ、つまり一緒に登校して仲良しアピールしようって? おててでも繋いで?」

「まあな。……改めて口にされると寒気がするな。やっぱりやめるか? コイツここで置いてくか? なんか言い方が腹立ったし」

「待て待て待て! なんでわざわざこんな遠くまで来たんだよ! せっかくだから一緒に行こうよ!」

「ああ、まあ意地張ってもしょうがないし行くか」

 

 そう言うと、彼はボクに背中を向けて勝手に歩き始めた。

 慌ててボクも追うが、不思議と背中がどんどん遠ざかっていく。……なんだかいつもの彼の歩幅が違う気がする。

 

「ちょっ……俊樹、なんか早くない!? まだなんか怒ってる?」

「は? ……ああ、なるほど女になって足が短くなったのか」

「その言い方腹立つなあ……というか短くないし! 普通だし!」

 

 口調に籠る微妙な悪意とは別に、彼は歩幅を緩めてくれた。ボクは彼の横に並び立ち、彼の顔を見上げた。

 

「……でも、ごめんな。ボクのせいで、わざわざこんなところまで来てもらって」

 

 ボクが困っているから、彼が困っている。夢の中で悪魔に向かって言った自分のセリフを思い出して、ボクは少しだけ申し訳なくなった。けれど、彼はなんでもないことのように言う。

 

「別に。親友なんだろ? 俺たちは」

「……どうしてそう歯の浮くようなセリフを素面で言えるわけ?」

 

 ずっと疑問だったのだが、こいつには羞恥心というものがないのではないか? ボクだったら、そんなこっぱずかしいセリフ吐けない。

 

「は? お前が言い出したんだろ。俺たちは親友だって」

「そうだっけ」

 

 正直、記憶にない。ああ、俊樹の目が「やっぱコイツ馬鹿だなー」と語っている。

 

「とにかく、ボクのためと思うなら忙しい朝にわざわざ家まで来なくたっていいから!」

「分かった。ちょっと考えよう。ただ、今日に関しては俺とお前の関係性を周知するって意味で大事な日だ。一緒に行くぞ」

「大事ってどんな風に?」

「嘘を信じ込ませるのは、最初が肝心だ。今後疑いの目を向けられないためにも、完璧に偽装する必要がある」

「それで、仲良く一緒に登校か。……分かった、俊樹がそこまで言うなら、ボクも全力で演じるよ!」

「あ、いや待て待て」

 

 ボクが意気込んだところで、なぜか俊樹がストップをかけた。

 

「お前が気合いれてもロクなことにならないのは目に見えてる。自然でいい。いつも通りにやれば、後は俺が誤魔化すから」

「ボクが大根役者だと?」

「ああ。その短足みたいに大根だな」

「だから短くも太くもないって!」

 

 相変わらず、冗談にデリカシーのない男だ。

 

「むしろ、自然体の方が怪しまれない。一応、前から付き合っていたって体でいくからな。鈴木の一件との整合性を考えて」

「ああ、なんかもう設定が俊樹の頭の中にあるのか。聞かせてよ」

「……今語るのか? それは、なにか凄まじく恥ずかしい罰ゲームじゃないか?」

「でも、ボクも聞いておかないと口裏合わせられないよ」

 

 ボクが珍しく正論を吐いたのに、俊樹はため息を吐いた。

 

「それもそうか。……設定だぞ。設定だからな。まず、高校一年生の時に出会った俺たちは、隣の席になったことから意気投合して、一緒に遊びに行くことになる」

「ふんふん、そこは嘘なしだね」

「ああ。そして、五月の遠足で、距離が急接近する。前から俺に惚れていたお前は、一緒に乗った観覧車の中で俺に告白する」

「待って」

「なんだ?」

 

 なにか、聞き逃せない言葉があった気がする。

 

「なんでボクの方から惚れたことになってるの!?」

「……そっちの方が自然だろ? 俺がお前に惚れて告白したというストーリーには無理がある」

「ボクが魅力のない奴だと!?」

 

 失礼なやつだ。でも微妙に頬を赤らめているのを見るに、彼も自分の方から惚れたと説明するのが気恥ずかしいという思いがあるようだった。

 

「まあ、そこはいいだろ。あくまで設定だ」

「ちょっと! ボクのプライドとかいろんなものが関わる大事な話だよ! 流さないで!?」

「とにかく、そうして俺たちは付き合い初めて、だいたい一年近くのカップルということにする。異論はあるか? ないな。ないよな」

「さっきから抗議してるじゃん! なんで俊樹の方から告白したことにしないんだよ! ずるいぞ! 不平等だ!」

「分かった分かった! じゃあ告白の話ははぐらかしておこう。聞かれても、恥ずかしいからと答えなくていい。これでいいだろ?」

「まあ、それなら……」

 

 渋々納得したボクに安堵したような表情を浮かべた俊樹は、ふと思い出したように言葉を紡ぎ出した。

 

「そういえば……髪が昨日よりも綺麗になったな。なにかしたのか?」

「……俊樹、あざとい」

 

 やはりこいつの羞恥の基準はどこかずれている。ボクはこれ見よがしにため息を吐いた。



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べんかい!

 その後もくだらない冗談を交わし合いながら、ボクたちは一緒に歩いた。校門をくぐり、教室へ。

 できるだけ仲睦まじく、二人一緒にクラスに入った。俊樹曰く、これがボクたちが付き合っていると周りに信じ込ませるために重要なことなんだそうだ。

 

 俊樹の狙い通りとでも言うべきか、クラスに入ってすぐ、ボクたちは男子生徒たちに囲まれてしまった。

 

「秋山! 鈴木に聞いたぞ。お前、稲葉と付き合ってたんだって!?」

 

 早速、男たちは気になる本題への切り込んできた。そんな彼らに、俊樹は落ち着いて受け答えをした。

 

「ああ、今まで隠していて悪かったな」

「本当だよ! 付き合ってるなら付き合ってるって言えって! 何人の男たちが血の涙を流したと思ってるんだよ!」

「いや、言ったらこうやって問い詰められて面倒なことになると思ったからな。コイツのためにも」

「いやいや、それでも――」

 

 俊樹はなんでもないように嘘を吐いた。その白々しい態度に、ボクは少し呆れる。相変わらず、顔を見ているだけでは何考えているのか分からない奴だ。

 そんなことを思いながら彼らの会話を他人事のように眺める。男同士らしく、気安く、冗談を交えながら会話をする彼らに、少し胸の内がモヤモヤする。それはきっと、ボクが失ってしまった男友達同士の距離感という奴だったのだろう。

 

 急に矛先がボクの方に向いた。

 

「――稲葉、本当なんだな!? 秋山に脅されてたりしないよな!?」

「ああ、うん。だいぶ前から付き合っていたんだ。ごめんね、今まで伝えてなくて」

 

 言ってから、自分の言葉への違和感に鳥肌が立った。なんというか、凄くむずがゆい。

 

「カーッ、そうだったのか、俺、稲葉の気安い態度にもう少しで勘違いするところだったわ。あぶねえあぶねえ」

「俺も、稲葉って実は俺のこと好きなのかと思ってたわ。危うく大やけどするところだったわ」

「いつからだよー。ずっと距離近いなあと思ってたけど、そんな色っぽい雰囲気全然なかったじゃねえかよ」

「色っぽいって……そんな大層なものじゃねえよ」

「え? じゃあキスとかはまだなのか?」

 

 とんでもない単語が聞こえてきて、ボクは思わず噴き出した。

 

「なんでボクが俊樹とキスするんだよ! そんなのあり得ないって!」

「え? 二人は付き合ってるんだよな?」

 

 あ、まずい。ボクは自分の失言に気づき、冷や汗を垂らした。俊樹が一瞬、こちらを鬼のような目で睨んできていた。

 

「あ、ああー、そうそう! こいつ小学生並みにうぶでさー。『そういうのはまだ早い』とか時代錯誤なこと言ってるんだよー」

「えええ、まじか。秋山かわいそー」

 

 二人の関係を問いただしてやろう! と意気込んでいた男子の目が、急に優しくなった。俊樹のことを、妬ましくて許せない奴、と睨んでいた目が、可哀想なやつを見る目に変わっていた。

 

「稲葉、あんま厳しいこと言ってやんなよ。秋山も男なんだからさ、ちょっと事情をくみ取ってやれって」

「わ、わかったわかった。考えておくから」

 

 タジタジになったボクは、なんとか誤魔化しの言葉を口にした。男なんだからさ、なんて言われるまでもなく分かっている。だってボクは、ちょっと前まで男だったのだから。

 まあ、それでもボクと俊樹がキスをするとか考えたくもないことだが。付き合ったことのないあいつに疑似恋愛体験させてやろうとは思ったが、流石にキスは段階飛ばしすぎというかなんというか。

 

「じゃあ、もしかして手を繋いたこともないとか? 少女漫画みたいなピュアな付き合いしてる?」

「いやいや、そこまでじゃないって。な、ゆうき」

 

 俊樹は滅多に呼ばないボクの名前を呼ぶと、ボクにだけ伝わるようにアイコンタクトを送ってきた。

 

「あ……うん、そうだな……手は、繋いだな」

「フゥーッ!」

 

 嘘ではないが、もう少し言い方とかあったのではないだろうか。しかしボクの言葉を聞いた教室は、まるで特大ホームランを放ったプロ野球選手を見たみたいに湧き上がった。

 

「なんだよ、ちょっとずつ進展してんじゃん! そうならそうと言えって!」

 

 俊樹は無遠慮に肩をバンバン叩かれていた。ああ、こういうのは彼の苦手なノリだ。暑苦しいそうだ。

 

「いや、あんまり言いふらすことでもないだろ。こういうのは、大事に、二人だけの秘密にしておくものだろ」

「フゥーッ!」

 

 ……また、俊樹が歯の浮くようなセリフを吐いている。なんだかこちらが気恥ずかしくなってしまうので、やめてほしいのだが。

 

「とにかく、もういいだろ。ホームルームも始まる。さっさと席につくぞ」

「おいおい、照れるなら稲葉の方にしてくれよ。お前じゃ可愛げがない」

「うるさい」

 

まだ色々と聞きたそうな顔をしていたが、時間がないことも分かっていたのだろう。男子たちはあっさりと諦めると、自分の席へと戻っていった。

 

(上手くいったな)

 

 俊樹が、言葉には出さずに唇だけでボクに言葉を伝えてきた。ボクはそれに、ウインク一つだけ返して答える。

 しかしそんなボクの返答に、俊樹は『うええ……』とでも言いたげに顔をゆがめた。どうやら、ボクのややあざとい返答はお気に召さなかったようだ。サービスのつもりだったのに。

 新たに覚えた知識を一つ頭に格納して、ボクはクラスメイトに倣って席に着いた



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じょしかい!?

 退屈な授業が終わり、昼食の時間になった。ボクはいつものように俊樹の席へと向かおうとする。けれど、そんなボクの目の前に立ちはだかる影があった。

 

「稲葉さん、ちょっといい?」

「え? うん」

 

 話しかけてきたのは、クラスの女子、栗山さんだった。ぱっちりした目に、優しい笑みの唇。ボクが男だった頃には、ああ、栗山さんは今日も可愛いな、なんて見つめていた存在だ。

 男だった頃は女子と話すことなんて全然なかったから、突然話しかけられてビックリしてしまった。栗山さんは可愛らしい顔をかしげて、提案してきた。

 

「お昼、一緒に食べない?」

 

 一見好意的な視線と言葉。けれどその瞳の奥には、何か獰猛な感情が潜んでいるように見えた。

 俊樹に昼食を別の人と取るという断りをいれてから、女子の集まっている机の方へと向かう。彼女たちは、教室の前方のあたりの机を占領して、一緒に昼食を取っていた。

 

「し、失礼しまーす」

「あれ、稲葉さん緊張してる? そんな肩に力いれなくて大丈夫だよ」

 

 そうは言うが、しかしボクはこのシチュエーションに覚えがあった。俊樹と付き合っていることを公表した翌日に、女子から呼び出し。これはまさか、あれじゃないか。

 

 「秋山君を取らないでよ、この泥棒猫!」とか言われて水とかひっかけられる奴じゃないか!?

 

 まさか、漫画のだけで見るシチュエーションをボク自身が体験できるとは。ちょっとだけワクワクしている自分がいる。不安半分、好奇心半分で、ボクは勧められた席に着いた。

 

「じゃあ稲葉さん」

 

 どこか気迫のある顔で、栗山さんがぐいと近づいてくる。

 これはやはり、栗山さんは俊樹のことが好きだからボクに文句を言いに来ただろうか!? ボクは思わず俊樹の方を見た。一瞬彼と視線が合う。

 ああ、アイツめ、こんな可愛い子に好かれているなんてずるいやつだ。アイツの顔のかっこよさの半分でもボクに分けてくれたらよかったのに。いや、頭の良さの半分でも……。

 

「稲葉さん、稲葉さーん。聞いてる?」

「あ、ごめんごめん。なに?」

 

 注意が逸れてしまっていた。ボクの悪いくせだ。

 

「やっぱり……好きなんだねえ」

「え? なにが?」

「え、自覚なかったの!? 今秋山君の方じっと見つめてたじゃん。片時も目を離すまいっていう態度、やっぱり恋する乙女だねえ」

「え? あれ? どうしてそんな話を」

「だって、今日は稲葉さんの恋バナを聞くために呼んだんだもん。でも、聞く前にもうお腹いっぱいって感じだよ。熱っぽい視線一つで全部気持ちが伝わってくるっていうかさー。ねえ?」

 

 栗山さんが周りの女子に問いかけると、皆深々と頷いていた。そんなにボクの目線は凄かっただろうか。ただ見ていただけだっていうのに。

 

「ね、ね。どっちから告ったの?」

「うえ!? そ、それは秘密というか……ちょっと言えないっていうか……」

「いいねえ! 告白は二人だけの秘密! カーッ、乙女の純情って感じですよ。どうですか、解説の片岡さん」

「これは乙女度120%ですねえ。見る者を卒倒させる殺人兵器ですよ」

 

 なにやら芝居がかった変な口調で片岡さんが話し出す。ボクは彼女たちのハイテンションに付いていけず、おずおずと尋ねた。

 

「えーっと、結局ボクは俊樹との話をするためにここに呼ばれたの? なんで?」

 

 女子はボクと俊樹の関係なんかに興味があるのか? しかしボクの言葉にも彼女らの熱は全く冷めていないようだ。

 片岡さんがさっきの変な口調で説明しだす。

 

「いやいや、このクラスで『付き合うまでRTA』優勝候補のお二人の動向は、我々ずっと見守ってまいりましたよ。昼食の交換に、一緒に下校。四六時中一緒にいる二人の関係性に、私たちは常に目を光らせ尊い瞬間を見逃さないようにしておりました」

 

 それは……多分、彼女らの中ではボクがずっと女だったことになってるから、記憶が捏造されているだけだろう。そのはずだ。……そうじゃなかったら、ちょっと怖い。

 

「その二人がなんとこの度ご婚約を発表されたということで、我々記者陣は会見の場を今か今かと待ち構えておりました」

「いや、婚約してないし」

 

 というか片岡さんは解説なのか記者なのかどっちなんだ。

 

「それで、ズバリ初デートの場所は?」

「うえっ!? そ、そうだなあ……」

 

 遠足から付き合ったとしたら、最初に出掛けた場所といえば……。

 

「ゲーセンだね」

 

 あの頃は確か、ボクがはまっているゲームがあったので、毎日のように通っていた。俊樹もそんなボクに連れられてゲーセン通いしていた。

 

「ふむふむ。片岡さん、採点のほどは?」

「ズバリ、30点です。お二人の気安い関係を考えればそういうことになるのは自然かもしれませんが、初デートの場所としてはナンセンス。私が彼女だったら、入口で帰ります。やっぱり最初のデートは特別なものでないと。せめておしゃれなカフェ。できれば夜景の綺麗なレストランが必須でしょう」

「なるほど、流石片岡さん。乙女ですね」

 

 高校生にそれは求めすぎじゃないかな……。片岡さんは初デートに高い理想があるようだ。

 

「ていうか、ゲーセンはやっぱりないって。稲葉さん、不満はちゃんと彼氏に言わないとダメだよ? ていうか普段の様子だと心配だよ。稲葉さん、好きな人とちゃんとイチャイチャできてる? 気安い関係に甘えてない?」

「い、イチャイチャ!?」

 

 ボクが思わず大声をあげると、女子たちが怪訝な顔でこちらを見てきた。その様子は、何かを疑っているようだった。

 まずい。ボクがあんまりにも女の子していないせいで、ボクと俊樹の関係が疑われている。

 なにか、なにか説得力のある材料はないだろうか。そう思って思考を巡らしていると、やがて一つの考えに辿り着いた。

 

「ぷ、プリクラ! ゲーセンでプリクラ撮ったんだ! だからボクはそれで満足だよ!」

「へえ、彼氏とプリクラか……いいね! ところでプリは持ってる? 見せて見せて!」

「うん、ちょっと待って。……あ」

「どうしたの?」

 

 写真って、ボクが男だった頃が写ってるんじゃないか!? ボクは学生証を見つけ出すと、中に挟んでいた写真を確認した。

 

 するとそこには、しかめっ面をした俊樹と、美しい顔が補正によっていっそう美しくなった女のボクが写っていた。どうやら、あの悪魔の力は過去に撮った写真にすら及んでいたらしい。安堵するとともに、ボクは少し怖くなる。

 それでは、ボクが男だった証拠はもう俊樹の頭の中にしか存在しないのではないか。

 

「あー、これこれ」

 

 気を取り直して、プリクラを目をキラキラさせて待っていた女子たちに見せる。

 

「うわー、稲葉さんめちゃくちゃ可愛く映ってるじゃん」

「おおー、予想以上に距離が近いですね。どうですか、解説の片岡さん」

「二人の気安い関係が端的に現れていますね。肩に回された手と、肩肘張らない姿から二人がどんな風に付き合っているのかが分かります。goodです」

「ていうか秋山君の顔なにこれ、めちゃくちゃ渋い顔してんじゃーん。おもしろ」

「ああ、それは無理やりプリクラ撮らせたから……」

 

 男同士でプリクラなんて行くか! と抵抗する彼を無理やり引きずりこんでプリクラを撮るのは大変だった。まあ、ボク的には嫌がる俊樹の表情を取ってそれを揶揄えれば満足だったので、別にプリクラが好きだったわけでもない。未だに事あるごとに学生証から写真を取り出しては彼の表情を揶揄っている。

 

「でも安心したなー。稲葉さんにも積極的なところあるじゃん!」

「あっはは。まあね」

 

 まさか俊樹の嫌がる表情を見たかっただけとは言えなかった。こうして、ボクはなんとか女子に関係を疑われることなく昼を終えることができた。

 



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けいりゃく!

 放課後、ボクは俊樹を誘い学校の近所のハンバーガー店に来ていた。夕方の店内には学生服姿の若者の姿がそこら中に見え、店内は賑わいを見せていた。

 俊樹はポテトをパクパクとつまみながらボクの報告を聞くと、満足げに頷いた。

 

「そうかそうか、なんとか女子を誤魔化せたなら良かった。正直俺の手出しできないところでお前がヘマしてるんじゃないかと不安だったんだ」

「良かったじゃないよ。大変だったんだから」

 

 俊樹は分かっていないのだ。彼女たちの好奇心に満ちた顔の圧を。追及の手のプレッシャーを。

 抗議の意味を込めて、ボクは俊樹の手もとのポテトを三本かすめ、口へと運んだ。彼はボクを睨んだ。

 

「自分のがあるじゃねえか。何で俺の取るんだよ」

「ボクのはコンソメ味。ちょっと塩味が食べたくなったんだよ」

「じゃあ塩味を頼めばよかっただろうが」

「だって俊樹がどうせ塩味頼むから、それもらえばいいやって」

「もらう前提かよ……」

 

 不満げな表情の彼に、ボクはやれやれとため息を吐いた。ケチな奴だ。まったく、そんなんだから顔がいいくせに彼女のひとつもできないんだ。

 

「じゃあ、ほら」

「ムグッ……」

 

 ボクはコンソメ味のポテトをつかむと、俊樹の口へと突っ込んだ。

 

「……行儀が悪い」

「またまたそんなこと言ってー。美少女のあーんだよ? 嬉しくないの?」

「相手がお前だと微妙な気分にしかならんわ」

 

 そんなことを言いつつ、ボクの顔が近づいてきた時の彼は少し照れているようにも見えた。まったく、素直じゃないなあ。ボクは密かに満足感を覚える。

 

 そんな風に、ボクたちの間には弛緩した空気が流れていた。いつもと変わらない、何気ない放課後。

 ふいに、俊樹が真剣な顔に変わった。

 

「それよりもお前、気づいたか? お前の過去の記録、写真とかまで、書き換わっている」

「ああ、ボクも今日気づいたところだよ。ほら」

 

 ボクは昼休みに女子に見せたプリクラを見せた。中では、補正によって美少女度の増したボクの顔と、ボクに肩に手を回されて渋い顔をしている俊樹の姿が映っていた。

 

「……分かってはいたが寒気のする光景だな」

「そう? 俊樹の嫌がっている顔が一層味のある感じになっててボクは好きだよ」

「そうじゃない。この過去までもが書き換わっている異常な光景が、寒気がすると言ってるんだ」

「……」

 

 それは、ボクも写真を見た瞬間に感じた。なんというか、今までの自分が全て否定されたような、このボクの自意識すらも仮初であると世界から告げられているような、奈落に落ちていくような恐怖が、ボクの胸を襲ったのだ。だから、ボクはそれを見ないふりをしていた。隠そうとした。

 

 けれど、俊樹の心配そうな目を見ていると、不思議と言葉が漏れてきた。

 

「なあ、ボクは確かに、一昨日まで男だったよな」

「ああ、間違いなくな」

 

 俊樹は安心させるように力強く頷いた。冷え切った胸中に、暖かい息が吹き込まれたような感覚を覚える。

 

「ボクが男だった証拠なんて、もう君とボクの頭の中にしか存在しない。それでも?」

「ああ、俺が保証してやる。お前が男だったって」

 

 力強い言葉に、なんだか鼻の奥がツンとしてくる。けれどボクの心は、もっと安心を求めていた。

 

「――たとえば、ボクがずっと女のままだったとして、君は男だったボクを覚えていてくれる?」

「ああ、きっと死ぬまで忘れない。お前みたいに変なやつ、忘れてたまるか」

「そっか。……安心した」

 

 いつの間にか、目に涙が溜まっていた。ああ、この程度で泣くなんて、本当に女の子みたいじゃないか。ボクは気恥ずかしくて顔を逸らして、そっと目を拭った。

 

「あ、馬鹿馬鹿。ポテト取った手で目触るなって」

 

 俊樹は律儀にポケットに入れていたハンカチを取り出して、ボクに差し出した。

 

「ふっ……やめろよ、彼氏に慰められてる女の子みたいじゃないか」

「状況的には間違ってないな」

 

 大人しくハンカチで目を拭うと、もう涙は流れてこなかった。代わりに、また恥ずかしさに襲われる。

 

「……ボクが泣いたのは、女の子の体だからだ。男のボクなら泣いてなかったからな」

「はいはい、分かった分かった」

 

 くっ……相変わらず余裕綽々な奴だ。腹が立つな。

 

 でも、正直助かった。きっとこのまま一人で家に帰っていたら、この自分の過去が、記憶が否定されたような感覚に、一人で付き合うことになっていたのだから。

 ぼそりと、聞こえるか聞こえないか微妙な声量で、ボクは呟く。

 

「……ボクのことを覚えていたのが、君で良かった」

「え?」

「なんでもない。……そうだ」

「どうした?」

 

 どうにかしてこの感謝の気持ちを伝えようとしていたボクの頭に、突如として名案が浮かんだ。

 ボクはコンソメ味のポテトを一つつまむと、口に咥えた。

 

「ん」

 

 そのまま、俊樹に突き出す。ちょうど、親鳥が小鳥に餌をやるような姿勢だ。

 

「は?」

 

 先ほどまで優し気な光を湛えていた俊樹の目が、急に冷たくなった。

 

「こひびとごほっこ」

「恋人ごっこ?」

「ほっきーけーむ!」

「ポッキーゲーム? ……あほか」

 

 ボクの意図を理解したらしい彼は、しかしポテトを食べることはなかった。

 

「ん!」

「いやいや、ないわ」

「モグ……なんだよー。せっかくの機会だから青春の思い出を作ってやろうと思ったのに」

「人の咥えたポテトを食った記憶なんていらんわ」

 

 心底嫌そうに俊樹は言う。……それもそうか。

 

「ムムム……」

 

 ボクのあわよくば俊樹を惚れさせてしまおうという作戦は、やはり難しいようだ。想像以上にコイツのガードが堅い。せっかく美少女といちゃつくチャンスを恵んでやろうとしているのだから、素直に受け取ればいいのに。

 

「うーん……」

 

 ボクはうまいこと俊樹を動揺させる手立てを考えるために、腕を組んで考え始めた。



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学校行ったら親友が女になってた件について

 その時の衝撃を、俺はきっとこの先ずっと忘れないだろう。

 

 

 

「あっ、俊樹!」

 

 

 

 俺の下の名前を呼ぶのなんて、両親かアイツくらいのものだ。だから俺は、ようやく目の前にいる女の子があいつであることを確信できた。

 

 

 

「ゆ、ゆうき……?」

 

 

 

 困惑する。確かに、顔のパーツや表情など、それらを総合して考えれば、確かにアイツなのだろう。けれど、その装いは女子制服で、スカートがひらひらと揺れていた。あいつは女顔でたまに女に勘違いされていたが、だからこそ女っぽい服を着ることを嫌っていた。

 

 

 

「お前、なんでコスプレなんて……」

 

「その様子、お前まさかボクのこと男だと認識できてるのか!?」

 

「は? 何言って」

 

「良かったー! ボク男だったよねって聞いてもみんなきょとんとした顔するから、自分の頭の状態を疑うところだったよ!」

 

 

 

 冗談めかした言葉だったが、よく聞けば声には結構真剣な響きが籠っていた。こいつは自分が辛かったり悲しかったりする時でも、明るい顔で、なんでもないような顔でそれを隠したりする。

 

 傍で見ている身としては、いつか気づかないうちに限界を迎えるのではないかと心配になる。

 

 

 

「ちょっと聞いてくれよ、俊樹!」

 

 

 

 興奮気味な彼(?)は、一気に話し出す。質問も反論も許されないままに、俺はその話を聞く。

 

 夢に悪魔が出てきたこと。悪魔が呪いをかけてきて、女の体になったこと。その呪いを解くためには、男に心から惚れられる必要があること。

 

 正直、平時の俺なら熱でもあるんじゃないか? とまともに取り合わなかっただろう。でも、同じ話を二度も聞くと、流石に全部嘘だとは言えなかった。なによりも、彼が女になっていることが、決定的な証拠だった。

 

 

 

「そういうわけで、我が親友よ。ちょっとボクに惚れてくれないか?」

 

「お前はなにを言ってるんだ?」

 

 

 

 いや、やっぱりこいつ熱があるんじゃないか? いつにも増して馬鹿だぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな話をして、俺もなんとかゆうきが女になってしまった事実を受け入れて、なんとか二日をやり過ごした。その間に、ゆうきが男子生徒に襲われかけたり、俺と彼女が付き合っている設定が誕生したり、クラスメイトにそのことを説明することになったりした。

 

 正直、めちゃくちゃ疲れた。こんなに濃厚な二日を過ごしたのは人生で初めてだ。

 

 

 

「うーん……」

 

 

 

 なにやら馬鹿な頭を必死に働かせて考えを巡らしているゆうきを見て、俺はまたため息を吐きそうになった。なんて吞気な顔だ。大方、俺を惚れさせるにはどうすればいいのか、などと馬鹿なことを考えているのだろう。顔をみればだいたい分かる。

 

 

 

 しかし……俺は、改めて変わってしまった親友の顔を観察した。相変わらず見た目だけは文句なく可愛い。ぱっちりと開いた目。見事なロングヘアー。華奢な体つき。

 

 中身があいつだと分からなければ、それこそ惚れていたかもしれない。基本的に二次元にしか興味のない俺ですらそう思ってしまうほどに、彼女の美貌は完成されていた。そして何よりも危険なのが、その気安い態度だ。

 

 男同士にしても、ゆうきは人との距離が近かった。なにかあれば肩を叩き、冗談のノリで肩を組み、いえーいとハイタッチを求めたりしていた。

 

 

 

 そんなのが急に女になったのだから、もう大変だ。魔性の女の誕生だ。男子高校生なんてイチコロだ。

 

 でもこいつは、俺がいくらそのことを説明しても大して危機感を持っていないようだった。

 

 

 

「ンン―ッ!」

 

 

 

ゆうきが大きく胸を逸らし、伸びをしていた。曲線を描く上体から、胸の形がハッキリ分かるようになる。……意外とあるな。俺はさりげなく目を逸らす。

 

 

 

「なんか頑張って考えてたら疲れちゃったなー。そういえば、俊樹の方ではボクが男に戻る方法とか見つかった?」

 

「いや、ないな。性別が急に変わるなんて大騒ぎする人間がいてもおかしくないと思ったんだが、そういう噂話は見つからなかった。どうやらお前だけみたいだ」

 

「まあ悪魔の口ぶりもそんな感じだったからねー」

 

 

 

 その悪魔の言うことを素直に鵜吞みにするのもどうかと思うのだがな。ゆうきの夢に出てきたのが本当にあの悪魔なのだとしたら、呪いを解く条件すらも怪しいものだ。

 

 仮に男に惚れられたとして、それでも女のままだったとしたら、後にはゆうきに惚れた男と男を好きになれない女であるゆうきだけが残る。トラブルの予感しかない。

 

 

 

「じゃあ、ボクでも攻略できるチョロそうな男とか見つかった?」

 

「チョロそうって……いや、いないな、お前みたいなちんちくりんに惚れる男なんて簡単には見つからねえよ」

 

「なんだよー! ボク可愛いだろー!?」

 

 

 

 いや、正直嘘だ。確かに今のお前は可愛い。その美貌と気安さなら、男子高校生くらいコロッと落とせそうだ。

 

 しかしそれを伝えると調子に乗りそうだったので、本心は伏せておく。どのみち、コイツが俺以外の男にアプローチをかけると鈴木の時みたいにロクなことにならなそうだった。

 

 

 

「じゃあ俊樹は?」

 

「なにが?」

 

 

 

 問うと、ゆうきは、急に表情を変えた。ぱっちり開かれた目が上目遣いになる。けれど、時折自信なさげに視線が逸れる。両手が不安そうに胸の前でもじもじする。そしてその声は、乙女の如く、頼りなく、切れ切れに震えていた。

 

 

 

「ボクのこと……好きになってくれないの……?」

 

 

 

 その瞳に、引き込まれそうになる。心臓が大きく揺れる。体温が急上昇する。頼りなげに震えた声は、今すぐに抱きしめて安心させてやりたいほどだった。

 

 

 

「……」

 

「え? なんで黙るの? せめて否定くらいしてくれよ。おーい」

 

 

 

 言ってから不安になったのか、ゆうきが身を乗り出して俺の肩を揺さぶってくる。途端に迫ってくる正体不明のいい匂い。くそ、なぜだ。一昨日までお前そんな匂いしてなかっただろうが。

 

 肩に乗せられていた手を掴む。白くて小さいそれは、あっさりと俺の手に包み込まれる。俺は掴んだ手を、ゆっくりとゆうきの体へと返した。

 

 

 

「――お前、それ絶対俺以外にするなよ」

 

「なに、独占欲?」

 

「違うわ!」

 

 

 

 そんなの、普通の男なら耐えきれないと思ったからだ。



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せんぱい!

 女になってから3日目。ボクは気づいてしまった。今のままでは、俊樹をボクに惚れさせるのは難しい。

 昨日の失敗は、ボクに大きな影響を与えた。ボクの渾身の演技すら、あいつにはあっさりと受け流されてしまったのだ。ハンバーガー店で、緊張に胸をドキドキさせながら言ったセリフ。

 

『ボクのこと……好きになってくれないの……?』

 

 結構勇気出したのに! だいぶ恥ずかしかったのに!

 しかしあれでも俊樹の鉄仮面は揺らぐ様子すら見せなかった。しかも他の男にはそれをしないようにと釘まで刺されてしまった。

 そんなに気持ち悪かったかな……結構自信あったんだけどな……。

 

 でもボクは、この挫折を経て気づいたのだ。ボクには、女の子としての経験値が圧倒的に足りない。こればかりはどうしようもないことだ。だって、ついこの間まで男として生きていたのだから。

 だからこそ、ボクは先輩に頼ることにした。

 

「私に話なんて珍しいじゃん。どうしたの、稲葉さん」

 

 話しかけたのは、この間ボクを事情聴取に連行した栗山さんだった。容姿の整った彼女なら、きっと経験豊富でボクにアドバイスをくれると思った。

 しかし、改めて話しかけてから、ボクは気づく。今から言おうとしていること、かなり恥ずかしいことなのではないだろうか。ここまで来て、言葉に詰まる。

 けれど栗山さんは、優しい表情のままでボクの言葉を待ってくれた。ああ、こんな優しい子に、個人的な頼み事をするのは気がひけるな。

 

 でも、ここまで来たからにはボクも男として覚悟を決めなければ。顔が紅潮する。大きく深呼吸をしてから、震える声で、ボクは告げた。

 

「じつは、その、俊樹に改めてボクに惚れて欲しくって、ええと、ど、どうすればいいのか教えてくれないかな?」

「か……」

「か?」

「かわいいいいいいいいいいい!」

「うわっ!」

 

 栗山さんは突然叫び出すと、ボクに抱き着いてきた。顔いっぱいに、栗山さんの大きめの胸が接触してきた。

 

「なんだこの可愛い生き物! 乙女か! いじらしい! 好き!」

「モゴモゴ」

 

 うおおおおおおお! これが夢にまで見た女の子の胸! これは……! これこそが、ボクが夢に見た桃源郷! 

 柔らかい。そして、いい匂い。さらに何よりも、包み込まれているという安心感がある。すごい。ボクの妄想を何倍も越えてくる三次元に、ボクは圧倒された。

 

「モゴモゴモゴ!」

「あ、ごめんごめん。苦しかった?」

「いや、大丈夫」

 

 柔らかかったから。しかし、くそ、せめて後5秒くらいは、あのまま桃源郷にいたかったなあ。

 

「とにかく、そういうことなら頼もしい助っ人も呼べるから……あ、他の人にこのこと話しても大丈夫?」

「まあ、あんまり沢山の人に伝わらなければ」

「うんうん、そっかそっか」

 

 栗山さんの瞳はずっと生温いままだった。むずがゆい。

 

「それじゃあ、私たちも気合入れて準備するから、放課後まで待ってね」

「えっ? あ、うん。分かった」

 

 別に今ちょっと助言してくれれば十分だったんだけどな。しかし栗山さんの目の中の熱量は凄まじく、ボクはそれ以上発言することができなかった。

 ボクの元を去った栗山さんが早速友人に話しかけているところを見届け、自分の席へと戻ろうとする。しかし、そんなボクにちょうど俊樹が話しかけてきた。

 

「おう、なに話してたんだ?」

「別にー。なんでも」

 

 お前に話すわけがないだろ。お前を惚れさせるための作戦なのだから。しかし俊樹は簡単には引き下がらなかった。

 

「放っておくとあり得ない失敗とかしそうで怖いんだよ。俺たちの関係が嘘だってバレないように気を付けろよ。お前、たまに信じられないくらい口軽いからな」

「なんだよー。そんなこと言い出したら、ボクはお前以外と話せないじゃないか」

「別に話すなって言ってるわけじゃない。ただ話す内容は考えとけよってことだ」

「なあ俊樹」

「なんだよ」

「お前、彼女が他の人話すのを嫌がる束縛彼氏みたいだぞ」

「グッ……」

 

 俊樹は、胸に矢でも受けたみたいに崩れ落ちた。ボクの言葉が結構ショックだったようだ。

 

「あ、それと今日は一緒に帰れない。約束ができた」

「そうか。ああ、栗山さんと話していたのがその約束か」

「そうそう」

「まあ、女子なら安心か。あんまり女子だけで夜遅くまで外にいるなよ。危ないぞ」

「俊樹、今度は娘に構いすぎてうざがられる父親みたいになってるよ」

「お前みたいな生意気な娘いらんわ」

 

 そうは言いつつ、俊樹なら子煩悩な父親になりそうだ。人に興味がないように見えて、その実結構他人の心配をしている彼なら、過保護になってもおかしくない。

 

「それにしても、栗山さんと出かける、なんて以前のお前ならおおはしゃぎして喜びそうなものだったが。意外と冷静だな」

「フッ、今のボクは、桃源郷を知っているからね。これくらいでは動じないさ」

 

 女子との放課後のお出掛けすらも、あの体験に比べればそう大したことではない。半ば悟りを開いたような気分だった。怪訝な顔でボクを見る俊樹には分かるまい。

 ボクは胸中に広がる満足感と優越感に、一人ほくそ笑んだ。

 



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ふぁっしょん!

「待たせたね、稲葉さん!さあ、行こうか!」

 

 放課後、ボクの前に立ちふさがったのは、目をギラギラと輝かせた栗山さんだった。

 

「えっ、行くってどこに?」

「もちろん! 君を女の子にしてくれる場所だよ」

 

 ボクは残念ながらもう女の子なのだが。けれど、栗山さんはそういうことを言っているわけではなかったらしい。

 

「こちら、助っ人の片岡さんです」

「どうも、可愛い女の子評論家の片岡です。今日は稲葉さんの大願を叶える手伝いができれば幸いです」

 

 片岡さんは解説じゃなかったっけ……。

 

「あんまり噂話が広がるのも嫌かなと思って、今日は加奈しか呼んでないよ」

 

 加奈、とは片岡さんのことだろう。任せろ、と言わんばかりにサムズアップしている。

 

「それで、結局どこに行くの?」

「稲葉さん、自転車だっけ」

 

 あれ、ボクの言葉聞こえなかったのかな。

 

「いや、歩きだよ。ねえ、どっか遠く行くの?」

「おー、いいね。お金ある?」

「え、お金? ……ああ、まああるよ」

「ならヨシ! さあ、行くよ!」

「だからどこに!?」

 

 ボクはどこに連れていかれるの!?

 

 

 

 

 夕方のショッピングモールは、制服姿の学生の姿が目立った。そんな人ごみの中の一つになったボクたちは、女子三人、ぶらぶらと歩いていた。

 

「もしかしてだけど栗山さん、ボクのためにお洒落を教えようとしてくれてる? ボクなんかのためにそこまでしなくてもいいよ。ボクはただ、ちょっと俊樹を動揺させたかっただけで……」

「甘い、甘いよ稲葉さん!」

 

 栗山さんはボクの方を振り替えると、熱量高く言い放った。

 

「いつもと同じじゃ、慣れ親しんだ彼氏を惚れ直させるなんてできないよ! もっと人目で分かるような変化を利用して、心臓をズキューンって突き抜かないと!」

「いや、それはちょっと仕草を変えるとかで……」

「ノンノンノン。いくら稲葉さんが可愛いからって、堅物の秋山君は簡単にはときめかないよ。評論家の片岡さん、そうですよね?」

「ええ、そうですね。可愛い彼女を持った男性とは、えてしてその状況に慣れてしまうものです。なので、改めて惚れさせるのなら、できるだけ可愛く着飾って、度肝を抜く必要がありますね」

「度肝を抜くって……着てるものが変わったくらいでそんなに変わるものかな……」

「変わるよ!! もちろん!!」

 

 栗山さんはずっとセリフの圧が強いままだった。明日辺り喉を枯らしそうだ。

 

「というか、稲葉さん普段のデートにはどういう恰好で行ってるの?」

「え? あー、じゃ、ジャージとか? Tシャツにジーパンとか?」

 

 俊樹とゲーセンに行く時のボクはだいたいそんな感じだった。

 しかし、女子二人はボクの言葉に、信じられない、と言わんばかりにわなわなと震えていた。それは、例えるなら宇宙人にでも遭ったような動揺具合だった。

 

「あ、あり得ない! か、片岡さん、これはいかがでしょうか……?」

「ご、言語道断ですね。稲葉さんには、可愛い女の子保護条例違反の疑いがありますね。すぐに矯正が求められますよ」

 

 真面目くさった顔で言った片岡さんが、栗山さんと目を合わせてうなづく。その瞳には、正体不明の熱が籠っていた。

 

「もったいない! いくよ、稲葉さん!」

「うわっ! なにも手を握らなくも!」

 

 というか柔らかすぎてすごいドキドキするんだけど!

 

「まずは二階から攻めよう、加奈」

「そうだね。これは下手したら下着から買う必要があるかもしれないよ」

「それは買わなくて良くない!?」

 

 ボクの言葉は、二人には全く届いていないようだった。

 

 

 

 

「これ可愛い!」

「ええ……ボクには可愛すぎるんじゃないかな……」

「ううん、すごい似合うと思う! はい、試着!」

 

「いや、だから下着はいいって!」

「ダメだよ! 可愛いは内側からだよ! もし彼氏に見られる時が来たらどうするの!」

「うええ!? ないない! そんな時来ないよ!」

 

「うーん、この顔ずるいな。何着せても似合うぞ」

「これは可愛い女の子の特権が存分に発揮されていますね」

「まだ……まだ終わらないの……?」

 

 

 

「ふっふっふ、完璧だよ! いやー、やりましたね、片岡さん」

「ええ、大仕事でしたが、時間がかかっただけあって良いものが出来たのではないでしょうか」

「うう……ボク本当にこれ着るの!?」

「「当然!」」

 

 長い時間ボクをコーディネートしていた二人の息はバッチリ合っていた。

 

「じゃあ、最後の仕上げに、今週末に秋山君をデートに誘おうか」

「うん、家に帰ってからやっとくよ」

「あ、ダメだよ! そう言って有耶無耶にする気でしょ! せっかく秋山君に惚れ直してもらうって決意したんだから、最後まで勇気だそ!」

 

 バレたか……。今日買ってもらった服は、ひっそりとクローゼットに仕舞いこまれる予定だったのに……。

 

「ここで、電話して! 今! right now!」

 

 無駄にいい発音で栗山さんがせかしてくる。片岡さんも、ボクの顔をじっと見つめてきていた。

 

「くっ……」

 

 逃げ場なし、か。ボクは観念してスマホを取り出すと、俊樹との通話を始めた。いっそ出ないでくれ、と思ったが、無情にも、呼び出し音が止まり、俊樹の息遣いが聞こえてきた。

 

「あ、俊樹か?」

「お前が俺の携帯かけたんだからそうに決まってるだろ」

「そ、そうだよな……はは」

 

 なんだこれ、謎に緊張する! 通話するのなんて初めてじゃないのに、伝えるべき要件を意識するだけで言葉に詰まる。なにを言えばいいのか分からなくて、前髪を弄ってしまう。

 ふと、視界に栗山さんが映った。なにやらスマホをこちらに差し出している。画面にはなにか文字が表示されていた。それは、ちょうどカンペのようだった。

 なるほど助言か、助かる! 

 文字に目を凝らす。そこには、こう書かれていた。

 

『照れてて可愛いね』

 

 役に立たない!

 くそう、ボクを助けようとしてくれているわけじゃないのか……ただ面白がっているだけだった……。

 

「……どうした?」

「あ、ああ。その、今週の土曜って暇?」

「ああ、だいたいいつも暇なのお前も知ってるだろ」

「そ、そっか。そうだよね」

 

 ボクが愛想笑いしていると、俊樹の方から困惑しているような雰囲気が伝わって来た。そろそろこいつはなんで電話かけてきたのだろう、と疑問に思っている頃だろうか。

 ボクが言葉に詰まっていると、再び視界に栗山さんの姿が映った。

 なんだ、また揶揄うのか、と思い、そちらを見ると、スマホにはある文字が書かれていた。

 

『がんばって。()()()出して』

 

 その言葉に、ボクは自分が何をしたかったのか、改めて思い出した。

 思い出される、先週までのあたりまえと、悪魔の顔。

 

 そうだ。ボクは男に戻るんだ。俊樹を軽く手玉に取って、完膚なきまでにボクに惚れさせてやるんだ。

 

 意識的に、ボクは息を吸った。俊樹に、できるだけ意識されるように。特別であることを強調するように。

 

「ねえ、デート、しようよ」

 

 栗山さんと片岡さんがサムズアップしている。ボクもまた、笑顔で親指を立てた。



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デート!?

『本当にデートなんてするのか? いくら偽装のためとはいえ、そこまでやる必要なくないか?』

『だから、栗山さんたちにボクらの関係を怪しまれないために、必要なんだって。いいから早く待ち合わせ場所来て?』

『まだ集合十分前じゃねえか。ちょっと待て』

『彼氏のふりするなら三十分前には来ないと。はい、急ぐ。駆け足駆け足』

『電車なんだから無理言うな』

 

 メッセージアプリから目を離して、周りを見る。この駅のシンボルである特徴的なオブジェクトの前は、メジャーな待ち合わせ場所だ。休日のここには、既に多くの人が集まっていた。

 人混みから、時折視線を感じた。ああ、やっぱり着飾ってきたのは正解だったようだ。周囲の反応から、ボクはそれを確信する。

 電光掲示板に表記される電車の到着時間を睨み続けていると、ようやく彼が乗る電車がここに到着したようだった。

 

「おう、待たせたな」

「ううん、今来たとこ」

「さっきめちゃくちゃ急かしてただろうが……それにしても……」

「うん?」

 

 ボクはニヤケそうな顔を必死に引き締めて、彼の言葉を待った。彼がボクの姿に目を合わせたり逸らしたりとソワソワしているのは、さっきから確認済みだ。確実に、栗山さんと片岡さんのコーデの効果はある。いくら鉄仮面の俊樹と言えども動揺しているのは間違いないのだ。

 さあ、ボクのキュートでセクシーでビューティーな姿を褒めたたえるがいい!

 

「……なんだ、中身あれでも外面だけなら変わるものだな」

「な、な、なんだよー!!」

 

 期待していた言葉のもらえなかったボクは、キレた。

 

「時間もお金もかかってるのに! 初心者のボクにめちゃくちゃ親切に教えてもらったのに! お前に見せるために頑張って着飾って来たのに! なんだそのリアクションは!」

「い、いやいや。褒めてる。褒めてるから」

「だったら可愛いとか綺麗とか美しいとか言ってみろよ!」

「ええ……」

 

 凄まじい剣幕で捲し立てるボクに、俊樹はちょっと引いていた。

 

「そもそもお前、男だった時は女みたいに見られるの嫌がってたじゃないか。どういう心情の変化だ?」

「それはボクっていう男が正当に評価されてない気がして嫌だったの! でも今は、まごうことなき女だし、それに協力してくれた二人のためにも、お前に認められるのが大事だったわけ!」

 

 分かったか! ボクのこの憤りが……! 

 俊樹は、ボクの言葉に何事か考えるように黙り込んでしまった。その様子に、ボクは落胆した。

 そんなに難しいこと言ってるつもりはなかったのだが、褒めてくれないのならもういい。

 

「じゃあ、早く行こ。俊樹」

「ああ。……ちょっと待て」

「ん?」

「可愛くて良く似合ってる。照れくさかったり今までのお前を否定する気がして、素直に言葉を出せなくてすまなかった」

「な……なんだよー!?」

 

 うわああああ! 急に素直になるな! 恥ずかしいだろ!

 

 

「なあ、本当にお前に道案内任せていいのか? 不安なんだが」

「うるさいうるさい! 俊樹は黙ってついてくればいいよ!」

 

 というか、今顔を見られたらいまだに赤みが引いていないことがバレるだろうが。ボクが向かっているのは、栗山さんたちに教えてもらったレストランだ。イタリア料理を出すそこは洒落た雰囲気で、ちょっと背伸びした高校生のデートにはオススメだよ、と言っていた。

 いくら着飾ったとはいえ、ボクと俊樹がいつも通りにゲーセンに行っても普段通り遊ぶだけだろう。そう考えて、デートオススメスポットまで教えてもらったのだ。俊樹を落とすことに全力なボクに、抜かりはない。

 

「なあ、どんどん路地裏に向かってるけど、本当に道あってるか?」

「俊樹は心配性だなあ。ボクのことなんだと思ってるんだよ」

「ポンコツ?」

「失礼な!」

 

 たまにちょっとだけ抜けているところがあるだけの、普通の男子高校生だ!

 

 下調べした道を歩くと、無事店先に到着した。大通りから外れてひっそりと存在している店だったが、しかし客入りは上々のようだった。ドアを開けると、カランカランと涼やかな鈴の音が鳴った。

 

「いらっしゃませ、何名様でしょうか」

「あ、二人です」

「こちらどうぞ」

 

 丁寧な物腰の店員に連れられて、奥の席へ。俊樹は普段来ることのないような雰囲気の店に、興味津々のようだった。

 お冷を置いて去っていく店員を見送ると、早速俊樹が口を開いた。

 

「お前、なんでこんな店知ってたんだ?」

「それはもちろん、落とすべき男を発見したら、デートに誘うためだよ。こういう店の方が、いつもと違う雰囲気になれるかなって」

 

 まあ、他ならぬお前のことだがな! クックック。ボクの巧みな話術でコイツを油断させてやるぜ。

 

「落とすべき男って……なにか、目星を付けたりしたのか?」

「まあね」 

 

 他ならぬお前のことだがな!

 

「ふーん。気を付けろよ。この前の鈴木の時みたいにならないように」

「うん、分かってるよ」

 

 ボクは氷の入ったお冷を、勢いよく飲み込んだ。ちょうど喉が渇いていたところだったのだ。

 

「……プハーッ!」

「ああ、やっぱりゆうきだな」

「は?」

 

 ボクが水を飲む様子を眺めていた俊樹は、急に変なことを言いだした。

 

「いや、服も違うし、顔もなんかいつもより綺麗だし、洒落た店知ってるし、なんか知らないやつと話してるみたいでさっきから落ち着かなかったんだよ。でも豪快に水を飲むお前見てたら、少し安心した」

「あれ、ボク馬鹿にされてる?」

「いや、そうでもないぞ。なんかお前が遠くに行ったような感じがしたっていうか、それだけだ」

「……そっか」

 

 それは、ボクも同じ懸念を持ったことはある。例えば、体育の授業の時。男子はクラスに残って着替えるが、ボクは女子に連行されて更衣室まで行った。例えば、トイレ。一緒に行ったところで、入口で別れることになる。

 そんな小さなことが積み重なって、ボクは変わってしまったんだ、俊樹と常に一緒にいることはできないんだって気づいて、少し不安に襲われた。

 だから、俊樹も同じことを感じていることが分かって、少しだけ嬉しくなった。

 

「……まあ、男だろうが女だろうが、ボクが俊樹の親友であることに変わりはないからな。安心しろ」

「……それはそれで暑苦しいな」

「あれ、ひどくない!?」

 

 ああ、この近づいたり、近すぎて暑苦しくて離れる感じ。この感じは、変わらないな。

 



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ふぉとじぇにっく!

 なんだかしんみりした気分になりながら待っていると、店員がこちらに近寄って来た。どうやら料理ができたようだ。ボクと俊樹は、同じ海鮮パスタを注文していた。

 

「おお、美味そうだな。しかも見栄えがいい」

「SNS映えするってのもこの店のいいところなんだってさ。……ボクも撮ろうっと」

 

 スマホを出して、一枚パシャリ。うん、なかなかいい感じだ。

 

「よし。いいな、拡散しよ」

「そういえば、お前のSNSの過去の投稿は変わったりしてたのか?」

 

 ボクのSNSアカウントは、主にリアルの知り合いと繋がっている。ゲームの話とかゲーセンの話とか、宿題がめんどくさいこととか、そんなことだけを呟くだけのアカウントだ。大してフォロワーもいない。

 

「うーん、基本的には変わらなかったね。ただあからさまな下ネタの呟きはなぜか消えてたよ」

「ああ、SNSのお前たまに暴れ出すからな。むしろ削除されてよかったじゃないか」

「暴れ出すって……ボクはただ、溢れんばかりのリビトーを百四十文字に凝集して放出してただけなのに……」

「いやいや、客観的に見てかなり気持ち悪かったぞ」

「SNSなんてそんなもんだって。……ああ、でもこれからはちょっと趣向を変えるよ」

「ほう、具体的にはどういう風に?」

「彼氏とデートした! って呟きばっかりにする」

「……」

 

 俊樹が渋い顔をして黙ってしまった。

 

「いやあ、クラスメイトとも繋がっていたりするから、ボクらの関係を疑われないっためにも必要だと思うんだとね」

「まあ、言わんとしてることは分かるが……」

「それに、栗山さんにもSNS通じてデートの状況を報告することを約束しちゃったからね」

 

 海鮮パスタの写真を添付し、投稿。本文には、『彼氏とちょっと背伸びした店来ちゃいました!』と書いた。……なんだろう。自分で書いておいて寒気がする。

 

「そういえば、昨日の自撮りの写真はどうなったかなっと……うおっ!」

「どうした?」

「めちゃくちゃ伸びてる……! ほら、これ」

 

 ボクはスマホを俊樹の方へと向けた。今日のコーデを着て自撮りした写真だ。何の変哲もない自撮りだったが、どんどんと拡散されてボクのフォロワー数を大きく越す反応が寄せられている。

 バズッた、と言うにはやや少なかったが、それでもボクのアカウントでこれほどの数は見た事がない。

 反応の多くは、『可愛い!』だとか『似合ってますね』だとか好意的なものが多い。そして、その数は現在進行形で増えていた。

 

「どうしよう俊樹……」

「なんだ? というか早くパスタ食ったらどうだ」

「承認欲求満たされてめちゃくちゃ気持ちいいんだけど! やばい、自撮り晒すだけでこんなことになるのか……なんか凄い興奮してきた」

 

 画面に表示された数字の数だけ自分が認められていると思うと、なんだか経験したことのない高揚感に包まれる。

 スマホを手に、特に意味もなくその数字の増加を眺める。

 

「ねえ俊樹」

「いいからパスタ食え」

「これ、有名になれたらボクに惚れる人間の一人や二人、出てくるんじゃないかな?」

「……」

 

 俊樹は持っていたフォークを置くと、腕を組んで思考を巡らし始めた。

 

「……たしかに、SNSならそうとも言えるだろうな。惚れられる、の条件が告白されることなら、ネット上で告白してくる奴もいるだろうし」

「だよね! もしかしてこのままこのアカウントを成長させていれば……あ、またリプライついた!」

 

 いそいそと、ボクは画面を確認する。そこにはこう書かれていた。

『彼氏持ちかよ。失望しました』

 

「勝手に失望するんじゃねええええ!」

 

 ボクはスマホを投げつけそうになり、なんとか堪えた。

 

「なあ、いいからパスタ食えよ」

「ああ、そっか! さっきパスタの投稿したから……ああ、まずい。これじゃボクに惚れてくれる候補の皆が……ああ、爆増してたフォロワーが、パスタの投稿から一気に減ってる! あ、ああああ。あああああああ!」

 

 凄まじい喪失感。まるで、宝くじに当選したから換金しにいったら、番号が間違っていたような気分だった。

 

「……それで、SNSにはもう満足したか?」

 

 いつの間にかパスタを食べ終えた俊樹が、落ち着いた様子で尋ねてきた。

 

「満足……? できるわけじないじゃん! あんなの一度味わったら、もう元には戻れないって! だって、百数人がボクを認めてくれてたんだよ! あんなに気持ちいいことなんて……」

「おいゆうき」

 

 珍しくボクの名前を呼んだ彼は、ハッキリと告げた。

 

「せめて出先でくらい、スマホの先の人間じゃなくて生身の人間と向き合わないか?」

「……ッ!」

 

 ああ、そうだった。ボクにとって一番大事なのは、ネット上の繋がりじゃなくて、今目の前にいる俊樹だ。

 

「ごめん、失礼だったね」

「いや、別に気にしてない。分かればいい。それに、お前がついスマホに夢中になる感情自体は俺も分かる。話してる時に沈黙が訪れると、ついスマホいじったりな」

 

 そうだ、少なくとも今は、ボクは目の前にいる俊樹に、彼を落とすことに集中しなくては。それこそがボクのするべきことであり、手伝ってくれた栗山さんと片岡さんへの誠意だ。

 

「手始めに」

 

 俊樹が厳粛に告げる。まるで、判決を下す裁判官のように。

 

「パスタを食え。いつまで放置してるんだ」

「あれ、なんでボクの皿の中はいっぱいで、俊樹の皿は空なんだ……?」

 

 ボクはフォークを手に持つと、麺をからめとり始めた。

 

「それから、お前は絶対SNSで失敗するタイプだ。投稿は慎重にしとけ」

「うーん。まあ、ボクが考えなしにやってたらそのうち住所とかあっさりバレそうだね」

 

 以前ならボクの住所とか知ったところで得する奴なんていないだろ、とあまり気にせず投稿していたが、今はそんなこと言ってられなくなった。全く、美少女というやつも楽じゃないな。

 

 こうして、ボクのSNS惚れさせ作戦はあっさりと終了してしまたった。



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おさかな!

「それで、わざわざお前から『デート』に誘ったんだから、この後の予定も決めてるんだろうな?」

「もちろん。栗山さんたちの目を欺くための作戦だからね。抜かりはないよ」

 

 まあ、本当はコイツをボクに惚れさせるためなのだが。

 

「次はここだね。水族館」

「うわっ、似合わな」

「なんだよー! たまにはいいだろ?」

「まあ、嫌とは言わないけどなー、お前魚とか興味なかったよな?」

「何を言う! マグロとか鮭とかホッケとか、好きな魚はいっぱいいるよ」

「それ、全部食べる方だろ?」

「チッ、バレたか。まあでも、彼らの生きている姿を見るのもたまにはいいんじゃないかなーとか思ってさ。それに、水族館に行くなんて高校生のデートっぽいじゃん」

 

 栗山さんにおすすめしてもらったデートスポットなのだから、間違いない。

 

「それもそうか」

「異存はないね。じゃあ、行こうか」

 

 ボクは立ち上がると、座ったままの俊樹に手を差し伸べた。

 

「……なんだこれは?」

「手、繋ご?」

 

 小首をかしげて、ボクは囁いた。内心凄まじい恥ずかしさだったが、なんとか我慢する。

 どうだ俊樹、ボクの胸キュン攻撃を食らえ!

 けれど、彼は頬を緩めるどころかむしろ苦い顔をして、自分で立ち上がった。

 

「お前、それ俺以外の男にするなよ」

「ちょっと! 無反応はひどいって!」

 

 

 

 

 しばらく駅前を歩き、目的地へ。その間、ボクは主に男から、少なくない視線を感じた。顔や胸を行ったり来たりする視線。そんな何気ないことから、自分の性別が変わったことを実感する。少しの優越感と、僅かばかりの不快感が、胸中にぼんやりと漂っていた。

 

 水族館の中は、暗くて静かだった。ぼんやりとした光に照らされた水槽の中で、魚たちはまるで空でも飛ぶみたいに泳いでいた。

 

「お、見ろ見ろ俊樹! マンボウ! ハハッ、馬鹿みたいな顔してるわ!」

「今のお前ほどじゃないけどな」

「なにをー!?」

 

 いちいち一言多い奴め。

 

「……そういえば、写真撮って報告しないといけないんじゃなかったか?」

「ああ、そうだった。コーデを手伝ってくれた栗山さんと片岡さんのためにも、ちゃんとした写真撮らないと」

 

 そう言うと、ボクは俊樹の方にぐいと近づき、腕を取った。

 

「うおっ」

「はい、チーズ」

 

 また一枚、写真をパシャリ。確認してみると、そこには笑っているボクの可愛らしい顔と、若干頬を赤らめながらボクから離れようとしている俊樹の姿が映っていた。

 

「っはっは! なんだよこの顔! いつかのプリクラみたいじゃん!」

 

 ボクが撮れた写真を見せてやると、俊樹の顔がどんよりと曇った。

 

「お前、本当にその写真をアップするのか? ちょっと考え直さないか?」

「あー、ダメダメ。めちゃくちゃいい写真だから、投稿しまーす。俊樹の顔は著作権フリーでーす」

 

 軽いノリで言い、すぐに投稿する。スマホをしまったボクは、意識をリアルの方へと戻し、俊樹との会話に戻る。

 

「それで、どこ行く? とりあえずペンギンショーに行くのか確定として」

「そうだな……とりあえずぶらぶら回るか」

 

 元々、魚に興味のない二人で来たのだ。何が見たい、というわけでもなく、ただ館内を歩き回る。

 しかし、これが案外楽しかった。可愛い小魚を見つけて、指をさして俊樹にそれを教えたり、珍妙な形をした魚に腹抱えて笑ったり。全然動く気配のない貝をじっと観察したり。大きなマグロの迫力にビビったり。

 

 そんなことをしているうちに、ペンギンショーの時間になっていた。

 

「ペンギンかあ。さすがに人気だな。人だらけ」

「ああ、この水族館の目玉らしいからな」

 

 続々と集まってくる人混みに紛れて、ボクたちはやや後ろの方の席を取った。しかし、着席してから気づく。前の人の背が高くて、良く見えない。ボクは背伸びしたり首を左右に曲げたりしてなんとか見れないか試したが、縦にも横にも長い前の人の背中で、なかなか水槽の様子が見れなかった。

 

「……場所、変わるか?」

 

 そんな様子を見かねたのだろう。俊樹が、席の交換を提案してくれた。

 

「でも、俊樹が見れなくなるんじゃ……」

「今の俺とお前なら身長差があるから、多分大丈夫だ」

「あ、そっか」 

 

 あまりにもいつも通りに俊樹と接しているから、すっかり失念していた。ボクは彼に感謝を述べると、席を交換した。

 そんな何気ない差異に、ボクふと気づいた。

 

「……ああ、そういえば女の子になっちゃったことすら忘れるほどに、遊ぶことに集中しちゃってたんだなあ」

 

 デート、なんか肩肘張ったものじゃなく、単に親友と一緒に出掛けるという日常的なイベントになっていたことに、今更気づいてしまった。惚れさせる、なんて大層なこと考えてたのはせいぜい写真を撮った時くらいで、後はひたすらに水族館を満喫することに集中していた気がする。

 

「……でも、それでもいっか」

 

 今日を楽しく過ごしていくうちに、どうでも良くなってしまったのだ。呪いを解くために俊樹を惚れさせることも、クラスメイトに俊樹と付き合っていると信じさせることも。

 ――今が楽しければ、もう少しだけこのままでもいいかもしれない。

 

 ボクは、そう思ってしまった。ひとまずは、このペンギンショーを楽しもう。ボクはそう決意すると、見やすくなった視界のうちで始まるショーに目を凝らした。



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そうぐう!

「良かったなー、ペンギンショー! 小っちゃい動物がぴょんぴょん動いているの見ると癒される!」

「ああ、お前芸が成功した時とかペンギンみたいにぴょこぴょこ跳ねて喜んでたもんな」

「ちょ、恥ずかしいところ見るなって! ペンギン見てろよ!」

「見てたわ! でも視界の端でお前が跳ね回ってたから気になってしょうがなかったんだよ」

「それは……すまん……」

「いやまあ別にいいけどな」

 

 少し、はしゃぎ過ぎただろうか。これだからボクは妹に『高校生には見えない』とか言われるのだろう。反省。

 

「それで、次の予定はなにかあるのか?」

「ああ、夕食までは軽くショッピングだな」

「なにか買いたいものでも?」

「うーん、服はこの間栗山さんと一緒に買ったからな。まあ、適当に。できれば写真映えするようなもの」

「適当だなあ」

「そんなもんでしょ。高校生なんて」

 

 意味もない会話をして、並んで歩く。いつの間にか、俊樹の歩く速度は、ボクの小さな歩幅に合わされていた。夕空の下、二人並んで歩く。

 

「逆に、お前はなんか欲しいものないの?」

「うーん、なんか部屋に彩りが欲しい」

「抽象的だなあ。雑貨屋でも行くか?」

「ああ、お前がそれでいいなら」

「よし、行くか」

 

 行くべきところも決まって、ボクらの足取りは自然と軽くなっていった。

 

 

 

 

 雑貨屋を冷やかして、二人で色んな置物についてあーだこーだと好き勝手に言う。やれ、豚の貯金箱とは古すぎないか、とか、猫の置物はあざとすぎないか、とかそんな他愛もないことだ。店員の目が若干冷たかった気もするが、まあ気にしすぎることもないだろう。

 結局ボクも俊樹も、なにも買うことはなかった。商品を物色するというよりも、どういうものがあるのか見ているだけ、という感じだった。

 報告用の写真も撮れたし、ボクとしては満足だ。

 

 

 それから、前から行きたかったラーメン屋に二人で行った。

 最後の最後で、全くデートらしくないところだが、ボク的にはこれは息抜きのつもりだった。デートだ、と思って肩肘張って一日過ごしたら疲れるかもしれない。そう推測したボクは、日程の最後にいつものボクららしい場所を予定に入れていた。結局のところ、それは杞憂に終わったのだが。

 

「いやー、さすがにここにいると目立つなあ」

「まあ、女っけのないところだからな」

 

 脂ぎったラーメンを出すことで評判のこの店は、客の9割が男だ。ボクのいかにも女の子らしい服装は場違い感が凄まじく、やけに目立っていた。

 

 夜も少し遅いので、席にはスムーズに着くことができた。目の前に置かれた、湯気の立つどんぶりを前に手を合わせる。

 

「その綺麗な服に汁こぼすなよ?」

「え? ボクが綺麗だって?」

「言ってねえ。あ、髪今のうちにどうにかしとけよ。中に入るぞ」

 

 ボクの長い髪がどんぶりの中に入ることを懸念してくれたらしい。素直に聞き入れ、片岡さんのアドバイスでポケットに入れていたヘアゴムを取り出し、後ろで一纏めにした。

 

「……」

 

 おお、片岡さんのアドバイス通り、俊樹がボクの変化に驚いたように目を見開いている。どうだ、ボクのポニーテールの破壊力は!

 

「あれー、俊樹、ボクの髪を見つめて、ひょっとして見惚れてた?」

「……ああ、可愛すぎてビビったな。一瞬誰かと思った」

「エッ」

 

 彼の狼狽える様子を期待したボクは、しかし思わぬ反撃に動揺した。ボクの顔が、自然と暑くなっていく。

 

「なんだ? 散々俺を揶揄っておいて、期待通りの反応が帰ってきたら黙り込むのか?」

「くっ……くっそおおおおお!」

 

 やけになったボクは、勢いよく麺を啜り始めた。俊樹はそんなボクの様子を見ながら、意地悪そうに笑っていた。

 

 

 

 

「くっそおお……ボクの計算では俊樹がポニーテール美少女にタジタジになるはずだったのに……どうしてこうなった……」

 

 先ほどの件の反省をしながら、ボクは俊樹を待っていた。ラーメンが食べ終わり、駅の近くまで来たところで俊樹がトイレに行きたいと言い出し、近くのコンビニへと走っていった。ボクは一足先に駅へと向かっているところだ。

 

「というか……ボクの記憶の中ではあいつに女子との接点はないはず……なんであんな余裕なんだ」

 

 あんな顔しといて、じつは内心動揺していたりするのだろうか。……分からない。結構接してきた時間は長いはずだが、表情が読めないことも珍しくないのだ。

 

「それにしても……いつの間にかこんなに暗くなってたのかー」

 

 ふと空を見上げると、お月様がぽつりと空に浮かんでいた。楽しい時間だったから、今日はあっという間に夜になったような気がする。

 

 繫華街から一足離れたここは、明かりが少なく、道の先すら見えない。冷たい風が腕を撫で、ボクは少しだけ身震いした。

 

 そんな静かな夜の道を一人で歩いていると、遠くから話し声が聞こえてきた。低い、男の声が複数。何やら陽気な語調は、軽薄で、粗野な印象を受けた。

 やがて、ボクの目にも話し声の主が見えてきた。派手な色の髪をした、二十代に見える男たち。ボクは道の端によると、目を伏せた。

 

「おおおー、見ろよ、可愛い子がいる!」

 

 しかし、彼らはボクの姿を認めると、興奮したような声をあげた。



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夜空とアルコール臭

 夜の通りを一人で歩いていたボクの目の前に現れた、若者の集団。派手な色の髪をし、軽薄で粗野な印象を受ける彼らは、ボクの姿を認めるとこちらに近寄って来た。

 

「こんばんはー、ひとり?」

 

 ずかずかと近づいてくる彼らの目には、危険な光があるように見えた。ボクは警戒心を強める。

 

「あの、いそいでるので失礼します」

「そんなこと言わないでよー」

「ッ……」

 

 ひときわ大きな声に、ボクは思わず肩を震わせた。怖い。背が縮むだけで、世界の見え方がこんなにも変わるのか、とボクは驚愕する。

 ボクを取り囲む男たちは、まるで城壁みたいにボクに立ちはだかっているように見えた。その迫力に、彼らを押しのけて逃げようという気すら失せてしまった。

 

「おしゃれな恰好してるじゃん。どっかの帰り?」

 

 だみ声で話す男の口からは、ツンとした酒の匂いがした。

 

「はい、友達と遊んでいて」

「へえー! 彼氏?」

「はい」

「おおー、いいね! ――でもさ」

 

 男は、ぐいと顔を近づけてきた。不快なアルコールの匂い。恐怖に喉の奥がキュッと締まる。

 

「こんなに可愛い子を夜道一人で歩かせるのは感心しないな」

 

 そんなこと、お前らに言われる筋合いはない。想いとは裏腹に、唇は無意味に震えるばかりで言葉を紡ぐことができない。

 

「それでさー、俺らさっき合コンで惨敗してきたばかりでさ、良かったら、二次会に付き合ってくれない?」

「あの……ボク未成年なので……」

「ボク! アッハッハッハ! いいね! 可愛い! 最近はそういうのが流行りなのかな?」

 

 矢鱈と上機嫌で話す男は、まるでマスコットキャラクターと話しているようだった。

 

「安心してよ。無理して酒飲ましたりしないからさ。ただちょっと話に付き合って欲しいだけ」

「いやでも」

「――それに」

 

 男は、ボクの手を無理やり握った。ヒ、と情けない声が喉から零れ出る。

 

「ちょっと大人の付き合いについて教えてあげるからさ、つれない彼氏を誘惑するためにも、俺たちの話を聞いていってよ」

 

 不穏な響きの籠る言葉を、男はニヤニヤしながら告げた。

 

「あの、もう帰りたいので」

 

 不穏な気配に、もはやボクはなりふり構わずにその場を立ち去ろうとした。話している男に背を向け、歩き出す。

 しかし、そんなボクの背中に、アルコール臭のする男が抱き着いてきた。

 

「ヒッ」

 

 今度は、はっきりと悲鳴が声に出た。生温い感覚が、背中いっぱいに広がる。こんなの、以前ならどうということなかったはずなのに。男同士で、スキンシップの一つや二つ、気軽にしていたはずなのに。

 今のボクは、こんなことにすら怯えてしまうのか。自分の情けなさに、泣きたいような気分になってくる。

 

「はあー、女の子の柔らかい感覚、さいこー。三ヶ月ぶりだわー」

 

 ボクの背中に首を預けながら、自分勝手な独り言を続ける男。周りの男たちも、ニヤニヤするばかりでそれを止めようとする気配もなかった。

 

「はな……して……」

「ん? なんか言った?」

「は、離してください!」

 

 震える声を振り絞って、ボクは叫んだ。男たちは驚いたように体を震わせたかと思うと、身に纏う雰囲気を変えた。

 

「へえ、結構生意気言うじゃん」

 

 ボクの背中にもたれかかった男の口調が、硬く、野蛮になった。

 男の大きな手が、ボクの手を力強く握りしめた。同時に、もう片方の手がボクの口を塞いだ。

 

「ムグッ……!」

「じゃあこのまま、一緒に居酒屋行こうか。大丈夫、二時間もすれば帰してあげるから」

「ンンッ……!」

 

 手を振りほどこうとするが、男の大きな手はびくともしない。ボクは、女になった自分の非力さに絶望した。

 このままでは、この暴力的な香りのする男たちに、どこかに連れていかれてしまう。自分の意思すら押し通せない今の体の軟弱さに、ボクは絶望する。こんなに、情けなくなるなら、女の子になんてなりたくなかった。

 男に引きずられるようにして、ボクは歩く。胸中には、恐怖と自身の不甲斐なさへの失望がグルグルと渦を巻いていた。

 ――その時だった。

 

「ゆうきっ!」

 

 滅多に聞けない必死な声をあげて、俊樹がこちらに走ってきていた。

 助けに来てくれた。その事実に、胸の中に温かい感情が溢れ出してきた。

 

「え、なに、彼氏君?」

 

 俊樹の姿を認めたボクの胸には、()()が戻って来た。

 

「そ、そうです! 離してください!」

「おお、急に元気になっちゃって可愛いね」

 

 しかし、男たちには、まだ諦めた様子はなかった。

 

「離してやってください。俺の……彼女です」

 

 怖い雰囲気の男たちを前にしても、俊樹は毅然とした態度で言い放った。その様子に、ボクの胸中は再び荒れ狂った。

 

「うーん、どうしよっかなー」

 

 しかし男たちは、あくまでニヤニヤとして余裕の態度を崩さなかった。当然だろう。自分たちよりも若い俊樹が一人来たところで、大した脅威にも感じていないのだろう。

 けれど、俊樹は冷静に対処してみせた。

 

「あまり聞き分けが無いと、警察を呼びますよ」

 

 その言葉が本気であることを示すように、彼はスマホを取り出した。思った以上に強引な態度に、男たちは狼狽する気配を見せた。

 

「そ、そんなガチになるなってー。悪かった悪かった。ほら」

 

 あっさりと、男は手を離した。ボクは安堵と共に、すぐに俊樹の元へと走り出した。

 そのまま、男たちは夜の闇へと消えていった。その背中を最後まで目で追い、完全に立ち去ったことを悟ったボクは、安堵のあまり腰が抜けてしまった。

 

「お、おい。大丈夫か」

 

 俊樹が、慌てたようにボクの体を支えてくれた。

 その時、ボクの体には異変が起きた。

 

「ひぁっ!?」

 

 俊樹に触れられると、体が熱い。特に顔のあたりから、火が噴き出そうだった。

 

「おい、どうした!? なにかされたのか!?」

「な、なんでもないから、は、離れて……!」

「お、おう」

 

 俊樹がボクから手を離すと、ペースを失ったように早鐘を打っていた心臓が、ようやく落ち着いた。

 

「俊樹」

「なんだ」

 

 その顔を見ているだけでも、体が熱い。まるでたちの悪い病気だ。

 

「助けてくれて、ありがとう」

「おう。……いや、俺も悪かった。お前を夜道一人で歩かせたのは、不注意だった」

「違うよ、ボクが女の子になったのが悪い」

 

 あの男たちに絡まれたのも、俊樹に迷惑をかけてしまったのも、全部ボクが女の子になったせいだ。そう思うと、申し訳なくて、不甲斐なくて、俊樹に顔を向けられなかった。俯いた瞳から、涙が零れそうだ。

 

 でも、俊樹はそんなボクの手を、しっかりと握ってくれた。

 

「ひぁぁ!?」

「ゆうきは何も悪くない。そういう風に自分を責めるのはやめろ」

「わ、わかったよ……」

 

 正直、頭の中は混乱しまくっていて、それ以外の言葉が出なかった。俊樹に手を握られた途端、体中から熱が噴き出てきて、考えることなんてできなかった。

 

「あ、すまん、手なんか握って」

 

 ぱっと手を離す俊樹。それを見たボクは、少しばかり落胆した。……なんでボクは落胆したんだ?

 

「じゃあ、今度は二人で帰るか」

「そうだね……」

 

 分からない。どうして俊樹に声をかけられるだけで、こんなに動揺しているのか。どうしてこんなに胸がざわめくのか。

 

 答えは出ないまま、ボクらは解散して、長い長いデートは終わりを告げた。



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れんじょう!?

「クックック……クックックックックック!」

 

 夢の世界で目覚めたボクを迎えたのは、悪魔の上機嫌な笑いだった。

 

「……なにがそんなに面白いんだよ」

 

 対するボクは不機嫌だった。眠りにつくまで、ずっと悶々と悩んでいたからだ。

 あの、ボクの胸を支配した感情は一体何だったのか。どうして、俊樹と接していると体が熱くなるのか。いくら考えても答えは出ず、なかなか眠りにつくことができなかった。

 

「いやあ、まさかお前の方から先に惚れるとは思ってもみなかったからなあ! 面白いことになった! クックック!」

「……は?」

 

 悪魔の言葉に、ボクの頭は真っ白になった。ボクが、惚れた? そんな、まさか。

 

「一応確認するけど、誰に?」

「もちろん、お前の親友に、だろ。手を握られた時のお前の表情、ぜひ鏡で見せてやりたかったよ!」

「そ、そんなわけ……」

 

 反射的に否定しようとしてから、自分の状況を冷静に思い返す。彼と接した時の、体中の熱。動悸。溢れ出す感情。

 それらを総合すれば、恋という単語が思い浮かんだ。

 

「――それでも、違う!」

「おや?」

 

 脳内に浮かんだ言葉を否定するように、ボクは叫ぶ。悪魔は、幼子のように首を傾げた。

 

「ボクと俊樹の間にあるのは、友情だ! 恋情じゃない! ボクらの友情は、ボクが女になったくらいで壊れるものじゃなかったはずだ!」

 

 ボクたちの関係を赤の他人に定義されることに反感を覚えたボクは、必死に言い募った。

 そうだ。ボクたちは親友だ。友情で結ばれ、一緒にいる。ゲーセン行って遊んで、ラーメン一緒に食って帰って、下ネタ言って笑い合う。そんな、どこにでもいるような男子高校生だったはずだ。

 それは、たとえボクが女になったとしても、変わることはないはずだ。

 

「なぜ、恋情があると友情が壊れると思っている? どうして、愛情を認めると親友ではなくなるのだ?」

 

 心底分からない、と言いたげに悪魔は聞いて来た。

 

「だってボクらは男同士だったから……! そういう感情は全くなかった! それが、この程度で変わってしまうような脆いものだったはずがない!」

「ふーむ。人間、貴様めんどくさいな」

 

 ため息をついた悪魔は、滔々と語り出した。

 

「いいか、人間。人同士の相互関係を定義する言葉なんて、さして重要じゃない。友情だろうか愛情だろうと劣情だろうと、関係は関係だ」

「……お前、鈴木の件でボロクソに言ってた時と主張が違くないか?」

「いいや。俺が話しているのは、相互関係だ。独りよがりではなく、相手を思いやる気持ちを互いに持った、美しい関係のことだ」

「劣情も美しいと?」

「劣情を抱えてなお相手のことを思いやれるのなら、それは美しい関係だ」

 

 悪魔の中には確固たる思想があるようで、それはボクと問答したところで少しも揺らぐ様子を見せなかった。

 悪魔は教師のような口調で話を続ける。

 

「話を戻すぞ。人間、お前らは愛を厳格に定義しようとしすぎる。人間の言葉による定義など無粋なほどに、愛とは多様で素晴らしいものだ」

「……お前、さっきから難しい話ばっかりするな。もっと分かりやすく話してくれ」

 

 結局、こいつは何を言いたいんだ。

 

「つまりだ。友情の延長線上に愛情があってもいいし、愛情と友情が同居したっていい。」

「でも、ボクと俊樹は男同士で――」

「なぜ男同士だったら愛情が生まれないと思う。それに、貴様は今は女だ」

「それは、そうだが……」

 

 いまいち、釈然としない。この胸の感情を、愛なんて呼ぶのには違和感があった。

 

「ふむ、理屈が納得できないというより、感情的に納得できないといったところか。まあ、俺はそれでもかまわん。どちらにせよ面白くなりそうだからな」

「お前の思う面白いことにはならないと思うぞ」

「いいや、きっと面白いことになる」

 

 きっと、何かの間違いだ。女になるなんて体験をしたせいで、脳が不具合を起こしたのだ。数日もすれば、まるで風邪の熱が引くみたいに、この胸の熱も引いていくだろう。

 悪魔の気が済んだのだろう。夢の世界がぼやけていく。今日の対話はこれでおしまいのようだ。

 最後に、悪魔の言葉がボクの頭に響いた。

 

「長く生きるものとして一つアドバイスをするならば、人間よ。自分の気持ちには、素直になった方がいいぞ」

 

 その助言は、起床したボクの耳にもしばらく残ったままだった。

 



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どきどき!

 夢の中で聞いた言葉は、いつまでもボクの頭にモヤモヤと残っていた。

 いつもの通り朝支度を済ませ、玄関のドアを開ける。すると、その先には昨日からずっとその姿を幻視していた彼の姿があった。

 

「よう。今日は早かったな」

「俊樹……」

 

 その姿を認めた途端、ボクの心臓は激しい音を立て始めた。うるさい。静まれ、ボクの心臓。それでは、まるで悪魔の言葉を認めるようじゃないか。

 しかし、ボクの内心とは裏腹に、彼に近づくごとに心臓はどんどんと動きを早めているようだった。

 

「あ、あの、とりあえず、行こうか」

「ん? ああ」

 

 ボクの不審な態度に眉を顰めた俊樹だったが、ひとまずは歩き始めた。ボクも肩を並べ、学校への道を歩き出した。

 

「……遠くないか?」

 

 ボクと彼の間には、人二人ぶんくらいの距離があった。

 

「い、いや? 別にこれくらい普通だろ。だいたい、男同士で距離近すぎるのも気持ち悪いって」

「お前らしくないセリフだなあ。大丈夫か? 熱でもあるんじゃないか? なんかちょっと顔赤いし」

 

 俊樹の指摘に、ただでさえ暑かった顔がさらに暑くなった。

 

「は、はーっ! 全然そんなことないし! この熱は……ちょっと暑かっただけだし! 暑かったから暑苦しいかなーって距離取ってただけだし!」

「まだ春だぞ? お前、いつもよりだいぶ変だぞ」

「いつも変だったって言いたいのか!?」

 

 ひどい奴だ。そんな言葉を聞いていたら、体の熱も引いてきたぞ。

 

「そういえば、昨日の件はもう気にしてないか? やけに落ち込んでたけど、そんな深く考え込むことはないからな」

 

 そう思っていたのに、再び体が暑くなりはじめた。

 

「だ、大丈夫! 大丈夫だから!」

「お、おお。そうか」

 

 俊樹はボクの勢いにちょっと引いていた。

 

「くそう……」

 

 自分の体の不調に、ボクは釈然としない気分になった。たしかに状況だけ見れば、悪魔の言う通り、ボクが俊樹に惚れているようだ。けれど、ボクと彼の間にある感情は、そういうものではなかったはずだ。

 そのことを確かめるために、ボクは一つの策を試した。

 

「ていっ」

「ウオオオオ!」

 

 ボクは二人ぶんくらいの空間を一足飛びに詰めると、俊樹の腕に抱き着いてみた。

 

「お前、なにやってんだよ!?」

「え? 恋人ごっこ?」

 

 あれ、意外と大丈夫だぞ。俊樹の体に密着しても、体の熱は上がらないし、心臓の動きも正常なままだ。これは……まさか、こっちから行く分には大丈夫なのか?

 

「離れろ馬鹿! お前のご近所さんに生暖かい目で見られてるから!」

「おおー、良かったじゃん俊樹。これでリア充の仲間入りだなあ」

「くっそこいつ……」

 

 なるほど、俊樹に予想外の動きをされるから、ボクは動揺するのだ。こちらから動けば怖くない!

 

「ほら、行くぞ、学校」

「このままか!?」

 

 当たり前だろ。その後もボクに纏わりつかれた俊樹は、終始歩きづらそうにしていた。

 

 

「さすがに教室に入るのにこのままはまずいだろ! 離せ!」

「えー、しょうがないなあ」

 

 ボクもそろそろこの体勢が辛くなってきたところだった。素直に手を離す。

 二人で並んで、教室に入る。ドアを開けたボクらの方へと一瞬視線が向き、すぐに外れる。――ボクは、一瞬身震いした。

 

「どうした?」

「なんでもない。あ、栗山さんと片岡さんおはよう!」

 

 ちょうどデートの報告をしたかったところだ。ボクは栗山さんと片岡の元へと駆け寄った。

 

「おはよー、朝から熱々カップルだったねえ!」

「えー、そうかなあ」

 

 揶揄うように栗山さんが言ってきたが、まんざらでもなかった。そう見えたなら、ボクらの演技は上手くいっていたのだろう。

 

「写真見たよー。楽しそうだったじゃん」

「まさしく青春を謳歌するカップルって感じの写真だったね。評論家としては百点を付けたいくらい」

「ふふん。嫌がる俊樹を無理やり写真に映したかいがあったよ」

 

 あいつ、ボクがツーショット写真を撮ろうとすると、途端に逃げ出そうとするものだから写真撮影には苦労したものだ。全く、シャワーを嫌がる犬みたいだったぞ。

 

「それで、私の紹介したカフェと水族館はどうだった?」

「ああ、それが最高でさー。特にペンギン! やっぱり小っちゃい動物って可愛いなあって改めて分かったよ」

「ふむ、ペンギンを愛でる美少女、良い画になりますね。専門家として百点をあげましょう」

 

 片岡さんの肩書きがまた変わってる……。しかし、そんな片岡さんの様子を見た栗山さんは、呆れたように口を開いた。

 

「というか加奈、いつまでコミュ障出してるの。稲葉さんとならいい加減普通に話せるでしょ」

 

 えっ、片岡さんの変な口調って素じゃなかったのか? 栗山さんの言葉を聞いた片岡さんは、急にしおらしくなった。

 

「エッ、でも、その、恥ずかしいっていうか、稲葉さんみたいな美少女前にすると緊張するっていうか……」

「その変なキャラクターの方が恥ずかしいって! 大丈夫!」

「ぐはっ……」

 

 ああ、片岡さんが大ダメージを受けた! 心的外傷によってふらついていた片岡さんだったが、やがて落ち着きを取り戻した。ふー、ふー、と大袈裟に深呼吸。よし、と頬を叩くと、ボクの方へと向き直った。

 

「エト、稲葉さん。その、こんな私だけど、恋愛事の相談ならなんでも乗るから、任せて。少女漫画、恋愛小説、BL小説、あらゆる恋愛に関わる創作物に触れてきたから」

 

 実地経験はないんだね……。

 

「ありがとう。……早速一ついいかな」

「うん、どうしたの?」

 

 片岡さんは、柔らかい表情でボクの言葉を待ってくれた。その態度に、背中を押され、ボクは恐る恐る口を開いた。

 

「じつはボク、俊樹に急に接近されるとなんだか体が暑くなるんだ。こういうの、女の子なら結構普通のことなのかな? 原因が分からなくてさ……」

「……は?」

 

 ぽかんと、まるで宇宙人でも見たみたいに、二人は口を開けていた。



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そうだん!

「じつはボク、俊樹に急に接近されるとなんだか体が暑くなるんだ。こういうの、女の子なら結構普通のことなのかな? 原因が分からなくてさ……」

「……は?」

 

 ぽかんと口を開けてボクを見つめてくる栗山さんと片岡さん。凄い顔だ。

 

「いや、だから俊樹に近づくと体が暑くなったり心臓の鼓動が早まったり……」

「いやいやいや!」

 

 真っ先に口火を切ったのは、栗山さんだった。

 

「どう考えても恋じゃん! なに、今更そんなこと言ってるの!? 逆に今まではどうだったわけ!?」

「いや、この前までは親友の延長だったっていうか……」

 

 その様子を見ていた片岡さんが、なにか閃いた、という様子で口を開いた。

 

「もしかして稲葉さん、秋山君のこと男避けにするために彼氏役にしてた?」

「えっ!?」

「そうなの!?」

 

 なんで見抜かれた!?

 

「その反応……やっぱり。烏合の衆の目は誤魔化せても、リア充観測隊隊長たる私の目は誤魔化せないよ」

 

 片岡さんの肩書きがまた増えた……。

 

「確かに二人の距離は近かった。でも、わざわざ恋人だって強調するような言動が目立ってたからね。無意味に近づいたり、やたら付き合ってるって男子たちに強調したり」

「そんな……」

 

 結構頑張ったのに! 皆騙されてくれてると思ったのに!

 

「でも安心して。私もむやみに言いふらす気はないよ。稲葉さんと秋山君の近いようで遠い距離感、見ていて結構好きなんだよね。たまに秋山君の鉄仮面が外れてるのとか見ると、あ、平静を装ってるけど結構動揺してるなあ、とか。稲葉さんが下心ゼロで秋山君に接近してる時とか、結構面白いリアクション取ってるんだよ。それに、私は『リア充爆発しろ』とか言うタイプじゃなくて、むしろ『リア充尊い』って言うタイプだから」

 

 片岡さんは普通の口調で話すとたまに早口になるなあ。

 

「で、恋人のふりをしているうちに、本当に好きになったと。このパターンは私も何回も見ているからね。分かるよ」

 

 それはどこの漫画の話だろうか……。

 

「――だからね、稲葉さん」

「うん」

 

 片岡さんがぐっと顔を近づけてきた。漲る熱意に、少し引く。

 

「稲葉さんが次に目指すべきは、今の偽の関係からなし崩し的に付き合うことだよ。かりそめの関係を、本当にしちゃうの」

「ちょ、ちょっと待ってよ」

 

 片岡さんは何か勘違いをしている。

 

「ボクが俊樹を好きなんて一言も言ってないよ! 騙してたのは悪かったけど、本当にあいつとは親友ってだけだって!」

「はぁ……」

 

 栗山さんと片岡さんは、頭痛でもするみたいに頭を押さえていた。やがて、今度は栗山さんが話し始めた。

 

「まあでも、稲葉さんは稲葉さんのペースでやればいいと思うよ。幸い、二人の距離感を見て尚奪い取ろうとするやつなんてそういないと思うし。それに、こういうのは本人たちの納得感が一番大事でしょ?」

「それもそうだね……」

 

 二人はなにやら勝手に納得していた。話がまとまったらしい。栗山さんが、元気よく話しかけてくる。

 

「稲葉さん!」

「なにかな?」

「その感情の正体に気づいたなら、私たちに相談していいからね!」

「うん、ありがとう」

 

 でも、多分そんな日は来ない。だってボクは、俊樹を惚れさせてさっさと男に戻るのだから。

 

 

 

 昼休みになった。ボクはいつも通り、俊樹のテーブルに行って弁当を広げる。一方の俊樹は、コンビニで買ったらしいおにぎりを広げている。

 

「……」

 

 彼の顔を眺めていると、やっぱり顔が暑い。それを努めて気にしないようにして、ボクはいつも通り会話を始めた。

 

「俊樹はいっつも昼飯が不健康そうだよな。そんなんで足りるのか?」

「あー、まあな」

 

 食事に集中しているらしい彼はそっけなかった。

 

「ふーん。あ、じゃあボクのおかず食べるか?」

「え、いいよ。箸持ってないし」

「じゃあ、ほら」

 

 ボクは弁当箱からナスを取ると、箸で掴んだまま俊樹の顔の前まで持っていった。

 

「……いや、いらん」

 

 一瞬すごい顔をした俊樹が、ぷいと顔を逸らす。

 

「えー、なんでだよ」

「男同士ならまだしも、男女だと変な意味にもなるだろ」

「は? ……あ」

 

 遅れて気づく。これはいわゆる、間接キスという奴ではないか……? そう認識した途端、体の熱が急上昇した。

 

「ふー、ふーん! ボクは全然気にしてなかったけど、俊樹はそういうこと意識してたんだね! 前から思ってたけど、君って結構むっつりスケベだよね!」

「そうじゃねえよ! 俺が気にしてるのは周りの視線だよ! ちょっと周りを見てみろ!」

 

 見ると、主に女子生徒がキラキラとした視線でこちらを見ていた。まるで、憧れのものを見ているような、羨ましいものを見ているような、そんな視線だった。

 今度は羞恥心で、ボクの顔は真っ赤になった。

 

「ッ! いいから早く食え! 視線が痛い!」

「だからそう言って……おい、やめろ! ナスを頬に押し付けるな! 分かった! 食うから! 食うからやめろおお!」

 

 結局、俊樹はボクの箸からナスを食べた。どこからともなく、「フーッ」というはやし立てる声が聞こえてきた。肩身の狭い思いをしながら、ボクらは昼休憩を終えた。



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びくびく!

 帰りのホームルームが終わって、後は帰るだけとなった。教室は掃除当番が掃除しているので、居座っていられない。ボクは廊下の端っこに立って、俊樹の掃除が終わるのを待っていた。

 

「おー、稲葉。じゃあな」

「うん、バイバイ」

 

 男友達だった彼らが帰り際に声をかけてくる。一つ一つに返答しながら、ボクは彼を待っていた。……それにしても。

 

「やっぱり、俊樹以外の男と話すと、体がちょっと硬くなるな」

 

 原因は、なんとなく分かっている。あの日、軽薄な男たちに無理やり連れて行かれそうになった時、ボクは今の自分の体では男に抵抗できないことを悟ってしまったのだ。体格が違うとはこんなにも怖いことなんだと、分かってしまうのだ。そう思うと、今まで普通に話せていた男子と話すのすら少し怖くなってしまう。

 

「待たせたな。……どうかしたか?」

「ううん、なんでも」

 

 俊樹にボクの弱くなってしまったところを見られるのが嫌で、ボクは言葉をぼかす。

 校門を出て、帰路につく。夕暮れの道は、人通りが多く活気に溢れていた。ときたま人の視線を感じる。きっとそれは、ボクの容姿が変わってしまったことが無関係ではないのだろう。

 

「……」

 

 それはつまり、ボクを脅かそうとする人間がこの場にいるかもしれない、ということではないか。例えば、あの通りの反対側にいる男子高校生。がたいの良い彼は、俊樹と別れた後のボクを追い、話しかけてくるのではないか。

 例えば、後ろを歩くスーツ姿の男。彼が突然こちらに走ってきてボクに襲い掛かってきたら、抵抗できないのではないか。

 根拠のない嫌な妄想ばかりが頭をグルグルと回り、暗澹たる気分になる。ああ、どうしてボクは女になんてなってしまったんだ。

 

「……ゆうき、大丈夫か?」

 

 突然声をかけられて、ボクは顔をあげた。その先には、見慣れた俊樹の顔。彼の顔を見ていると、不思議と安心できた。

 

「いや、大丈夫」

「そうか?」

 

 ボクの返答に、俊樹はボクの顔をじっと観察し始めた。……そんなに見つめられると、なんだか恥ずかしいんだけど。

 

「……男が怖いのか?」

「……ッ」

 

 突然核心を突かれ、息が詰まる。

 

「……そうか。まあ無理もない」

「でも! ボクは男だったのに! この程度で……この程度で怖いなんて……」

 

 己の情けなさに、拳をギュッと握りしめる。ボクにだって、プライドがある。男を見るたびに怯えるなんて、それこそか弱い女の子みたいじゃないか。

 

「……少なくとも俺は、今のお前を情けないなんて思わない。ショックな出来事が記憶に残り続けるなんて、男も女も関係なくあることだ。まあ、安心しろ。しばらくは俺が一緒に帰ってやるから」

「えっ、本当に!?」

 

 俊樹の言葉に、ボクはガバッと顔をあげた。それと同時に、胸のうちに喜びが溢れ出す。

 

「お、おお。まあそんなに遠くもないしな」

「まじかあ……じゃ、じゃあさ。久しぶりに、家来ないか?」

 

 ボクの言葉に、俊樹は驚いたように目を見開いた。

 

 

「おじゃましまーす」

 

 俊樹が恐る恐るボクの家に入ってくる。仲が良かったボクらだが、互いの家に入る機会はあまりなかった、大抵外で遊んで、そのまま帰るからだ。借りてきた猫みたいになった俊樹を見て、ボクはなんだか面白くなってくる。

 

「なんだよ。初めてじゃないんだからそんなに緊張するなよー」

「いやだってお前、家族にどう思われるか……」

「姉貴ー? 帰ったのー?」

 

 タイミング良く、妹の声がする。同時に、リビングのドアが開いた。

 

「……あ、秋山さん!? わざわざいらっしゃるなんて、ご苦労様です」

 

 理子は俊樹のことをボクの世話係か何かだと思っている節がある。そのため、彼に対してやたらと畏まるのだ。

 

「お邪魔しています。あまりご迷惑はおかけしないので」

「俊樹、行くよ!」

 

 俊樹と理子が和やかに会話していると、なんだか面白くない。不自然な焦燥にかられたボクは、彼をさっさとボクの部屋へと連行した。

 

「……へえ」

 

 それを見ていた理子は、面白いものを見た、と言いたげに笑っていた。

 

 

「あれ、なんかお前の部屋変わったか?」

「そう? まあ、明らかに女が持ってておかしいものとかは消えてたかな」

「いや、というか匂いが……まあいいか」

 

 ボクの部屋に入って来た俊樹は、なぜか落ち着かない様子だった。

 

「それで、来たはいいけどどうするんだ?」

「うーん、作戦会議?」 

「なんのだ?」

「ボクが男に惚れられるための」

 

 ボクは気づいてしまったのだ。ズバリ、俊樹に男に惚れられる方法を聞けば、俊樹がボクに惚れる方法が分かるのではないか、と。

 ここで彼の好みを聞きだして、籠絡してやる!

 

「まだ諦めてなかったのか……」

 

 俊樹は呆れたようにため息を吐いた。

 

「一つ言うが、今の男にトラウマ抱えてる状態じゃあ厳しいと思うぞ」

「うっ……」

 

 手厳しい言葉に、ボクは言葉を詰まらせた。

 

「じゃあ、こういうのはどうだろう」

「なんだ?」

 

 どうせロクな策じゃないだろ、と言いたげに彼は先を促した。

 

「片岡さんに男装してもらって、ボクに告白してもらう!」

「馬鹿かお前! そんなのに騙される悪魔がどこにいるんだ!?」

 

 いやあ、あいつ結構簡単に騙されそうだけどなあ。

 

 そう思ったが、なにやらボクの頭の中に悪魔の声が響いた。

 

『おいお前、馬鹿にしてんのか?』

 

 ……ダメか。というかあいつ常にボクを見てるのか? きもっ。ストーカーかよ。

 

『す、ストーカー……俺がストーカー……?』

 

 悪魔の唸り声が脳内に響く。思考の中まで覗くとかストーカーよりもたちが悪いので、そのままずっと落ち込んでいてほしい。

 

「おい、ずっとアホ顔のまま固まってるけどどうかしたのか?」

 

 悪魔とのテレパシーを楽しんでいると、訝しんだ俊樹から声がかかった。

 

「ていうかアホ顔ってなにさ! あ、ちょうどいい。悪魔が覗き見してるから、お前もなんかメッセージを伝えてみろよ」

「は?」

 

 呆れ顔の彼は、ボクの言うことなんてこれっぽっちも信じていないようだった。

 

「いいから! 心の中でなんかメッセージを思い浮かべてみろって」

「はぁ……」 

 

 諦めたようにため息を吐いた彼は、目を瞑り眉間にしわを寄せた。少し経つと、彼は驚いたように目を見開いた。

 

「……本当に声がしたぞ」

「だろ?」

「お前、コッソリ俺の耳元で喋っただろ」

「そんなことしてねえわ! ていうか悪魔とボクじゃ声違うだろ!」

「それもそうか……いや、悪い。俺も混乱してた」

 

 まあ、急に脳内に声が響いたら混乱もするか。

 

「それで、何を聞いたんだ?」

「ああ。『今俺が何考えてるか当ててみろ』って思ったら、『クックック! 貴様は今、初めて入る異性の部屋に緊張しているな!』って返ってきた」

「え? 緊張してるのか?」

 

 思わぬ言葉にボクが問い返すと、俊樹は気まずそうに眼を逸らした。

 え、なんだよ。そんなこと思われてたって考えたら、俺まで緊張してくるじゃないか。不意に訪れる体の熱。ボクらの間に、気まずい沈黙が下りた。

 

『おい悪魔、お前のせいで気まずくなったぞ! どうしてくれるんだ!』

 

 悪魔は言葉を返さなかった。もしかしたら、さっきストーカーとか言ったのを怒っていたのかもしれない。

 



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さくをねる!

「しかし、俺の耳にまで声が聞こえてきたとなると、どうやら本当に悪魔の存在を信じなくてはならないようだな」

「えっ!? ボクずっと居るって言ってたじゃん! 信じてなかったの!?」

 

 ひどい。頑張って説明したのに。

 

「ともかく。そうなると、本格的にお前を男に戻す方法についても、信じて策を考える必要があるかもな」

「ああ。やっと本気になってくれたか」

 

 それは頼もしい。さあ、ボクがお前を惚れさせる方法をキリキリ吐くがいい!

 

「まずはお前のトラウマを克服するところからだな。ちょっとずつ、段階を踏んで直していこう」

「ちょ、ちょっと待って!」

「うん?」

「その言い方だと、なんか数か月とかかかりそうなんだけど!?」

「まあそりゃ、かかるだろうな」

「困るよ! そんなに待ったらボク、どうなることか……」

「なに? 今なにか不都合なことが?」

「い、いや別に……」

 

 ただ、このまま女のままだったら、ボクは俊樹と会うたびにこの熱に侵されることになるのか、と思っただけだ。

 

「……というか、悪魔の言う惚れられるの条件が告白なら、話は簡単じゃないか」

「ん? なにか思いついたのか?」

「俺がお前に告白すればいいだけじゃないか」

「は……はあああああ!?」

 

 俊樹のとんでもない発言に、ボクは顔を真っ赤にしながら立ち上がった。

 

「いや、やってみるだけだって。これで呪いが解けたらラッキーくらいの気持ちでさ」

 

 そんな何気ない言葉に、ボクは謎に怒りを覚えた。

 

「いやいや! 告白ってそういうのじゃないって! もっとこう、シチュエーションがあって、雰囲気があって、お互いの気持ちが交錯して、甘酸っぱい空気があって、みたいなさ!」

「……? そんなに必死にならなくても。別に本気じゃないぞ」

 

 素っ気ない言葉に、ボクの中の謎の怒りは増す一方だった。

 

「ハーッ! なんで君はそうドライなんだ! 考えてもみろよ。人生で初めての告白なんだろ?」

「いや、決めつけんなよ」

「えっ? 告白したことあんの?」

 

 なんだろう。急に怖くなった。

 

「いや、ないけどな」

「ないなら素直に認めろよ! つまらない見栄張るな!」

 

 あー、良かった! ……なにが良かったんだ?

 

「じゃあ人生最初の告白になるわけだろ? もっと大事にしろよな? 本気度とか雰囲気とかさあ」

「分かった。――じゃあ」

 

 ボクが適当にまくし立てていると、俊樹の雰囲気が急に変わった。真剣で、緊張感があって、まるで一世一代の告白をする前みたいな……。

 

「うぇ!? なんだよ、急に改めるなよ!」

「ゆうき」

 

 いつになく真剣な声で、彼はボクの名前を呼んだ。僕の喉が、キュッと締まる。けれどそれは嫌な感じではなく、むしろ何か嬉しいことを期待するようだった。

 

「お前との付き合いも、もう一年になるな。俺たちが友達になったのは高校生になってからだけど、なんか馬鹿なお前の騒ぎに付き合ってるうちに、三年くらい経ったような気がするよ」

「う、うん」

 

 色々言いたいことはあったが、今のボクは蚊の鳴くような声で返事をすることができなかった。体が暑いし、心臓がどきどき言ってる。

 

「最初は騒がしいだけだと思ってたお前も、付き合っていくうちに色んないいところがあるんだなと思った。お前の美徳は、その正直さと優しさだな。誰とでも分け隔てなく接して、時には誰かのために泥を被ることも厭わない。正直、一年のクラスが皆仲良かったのは、お前のおかげもあったんだろうな」

「きゅ、急になんだよ。褒めても何もでないぞ」

 

 というか、その真剣な眼差しやめろ! すごい体が暑い! 居ても立っても居られなくなる!

 

「ゆうき」

「ひゅっ」

 

 大きく息を吸ってから、彼は言った。

 

「好きだ」

「ッ……」

 

 心臓が爆発しそうだ。今なら、茹で上がった顔で湯が沸かせるかもしれない。ゆっくりと、ボクは口を開く。ボクの返すべき答えを、考えて――

 

「あれ、戻らないな」

 

 俊樹のいつもと変わらない口調に、ボクは思わず顔をあげた。

 

「は?」

 

 そこにいたのは、告白の雰囲気なんて少しも残していない俊樹の真顔だった。

 

「おかしいなー。おい、あくまー。告白したぞー」

「……」

 

 ふるふると、体の奥から際限なく浮かび上がってくる熱に、ボクは戦慄いた。それは、先ほど告白されかけた時のどこか心地の良い熱とは違う、凄まじい怒りだった。

 

「と、としきー!!」

「うおっ、なんだ聞いたこともない大声出して。うわっなんだやめろお!」

 

 勢いよく飛び掛かってきたボクを支えきれなかった俊樹が、後ろに倒れ込む。ボクは彼の腹を跨いで膝立ちする。その勢いのまま、ボクは彼に叫んだ。

 

「お前! 冗談でやっていいことと悪いことがあるだろ!」

「いや、冗談っていうか最初から試すだけだって……」

「明らかに試すだけの雰囲気じゃなかっただろ! なんであんな真剣な顔したんだよ! お前のあんな顔初めて見たわ!」

「いやだって、お前も謎にうるさかったし。それに悪魔を納得させる演技しなきゃ……」

「それに! なんだよあの告白の前口上! ボクらの今までを振り返って懐かしむってもう告白通り越して結婚の挨拶か!?」

「違うわ! お前の妄想力が豊かなだけだ!」

「ううう……納得できない! なんでボクだけあんなドキドキしなくちゃならないんだ!」

 

 なんでコイツの本気でもない告白に、ドキドキしなくちゃいけないんだ……!

 

「とにかく、どいてくれ! 男の頃ならいざ知らず、今のお前だと色々マズいことになってる!」

「なんだよー! ボクの怒りはまだ収まってないぞ。このまま話を聞いてもらうからなー!」

「違うって! こんなところ誰かに見られたら……あ」

 

 ふ、と俊樹の視線がある一点で止まる。その先では、理子がドアの隙間からこちらを見ていた。

 覗き見に気づかれたことを悟った理子は、慌てたように弁解し始めた。

 

「ち、ちがうの! その、秋山さんにせめてお茶出しくらいしようと思って、そしたら中から大きな音がしたから、大丈夫かなって覗いてみたら姉貴が……姉貴が……」

 

 未だに自分の見た光景に衝撃を受けているのか、彼女はひどく落ち着かない様子だった。

 

「秋山さんを襲ってたなんて」

「……は?」

 

 一瞬、妹が何を言っているのか分からなくて困惑する。俊樹の方を確認するように見ると、彼は呆れたように額に手を当てていた。……あれ、なんでボクは彼の顔を見下ろしてるんだ。これじゃあまるで、ボクが俊樹の上に乗っかってるみたいな……。

 

「ッ!」

 

 状況が分かった瞬間、ボクは俊樹の上から退いていた。遅れて、状況のまずさに気づいて血の気が引く。

 

「ご、ごゆっくりー!」

「まずい、お前の妹逃げるぞ! 早く誤解解いてこい!」

「うわああああ! 理子、理子、ちょっと待ってええええ!」

 

 幼い頃以来の兄妹の鬼ごっこは、ボクの辛勝だった。



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あたらしいおんな!?

 春が過ぎ、梅雨に入った。雨ばかりの日々はじめじめとして嫌な感じだ。ボクの長くなった髪も、梳かすのに一苦労だ。 

 

 二月ほど経ったが、ボクの体は女のままだ。結局、どうすればいいのか分からいまま、俊樹と話し合いながら、色々と模索している。

 男に対するトラウマのようなものも、あの頃よりはだいぶ収まった。少なくとも、クラスの男子と教室で雑談するぶんにはもう問題ない。ただ、やっぱり強引に迫られたら怖いという意識が根底にあるのか、それ以上の接触となるとどうしても抵抗があった。

 本当に、どうにかならないものかなあ。俊樹と接しているぶんには問題ないんだけど。

 

 俊樹と近づくと発生する正体不明の熱は、今もなおボクの体の奥に潜んでいた。彼の体が近づくと、顔が暑くなって、彼に褒められると心臓がどきどき鳴り出す。本当に、どうにかならないものかなあ。

 ……いや、まあ分かっているのだ。これが恋と呼ばれる現象に酷似していることは。でも、認めたら、何か自分が男とは決定的に異なる存在になってしまう気がして、このままでいいと思ってしまいそうで、怖い。

 急激な体の変化に伴う、脳のバグのようなもの、だと思うことにしている。

 

 

 最近、俊樹に女の影がある。

 気づいたのはつい最近だ。休み時間や放課後、彼が頻繫に誰かに会いに行っていたのだ。噂話を聞いて、驚いた。彼が話していたのは、可愛らしい見た目をした後輩だったらしい。

 

 名前を、桃谷和葉さん、と言うらしい。そのことをボクに教えてくれたのは、未だに交友のある片岡さんからだった。

 

「――うん、稲葉さんの言っている女の子、桃谷さんだと思うよ。秋山君と話している様子、私も見たから」

「へえー。なんで片岡さんはその子のこと知ってるの?」

 

 ボクの言葉を聞いた片岡さんの目が、キラリと輝いた。

 

「ズバリ! 可愛い女の子評論家として見過ごせない逸材だったからですね!」

「ほう、評論家の片岡さん。詳しくお話伺えますか?」

「栗山さん!? どこから出てきたの!?」

 

 いつの間にか栗山さんが片岡さんの隣に立っていた。

 

「桃谷和葉さん。おっとりとした雰囲気の一年生ですね。茶道部所属で、所作の一つ一つに気品が感じられると評判です」

「なるほど。それでは、もう少し詳しいプロフィールについて紹介いただけますか?」

「はい。特筆すべきは、やはりその独特の雰囲気でしょう。高校一年生とは思えない落ち着きっぷりに、母を思わせる包容力。一部のファンからは、『ママ』の愛称で親しまれているようです」

 

 ええ……その愛称はどうなんだ……?

 

「なるほど、何か若干彼女のファン層の嗜好が気になるところですが、そこには触れないでおきましょう。ズバリ、秋山君はどうして桃谷さんに惹きつけられたとお考えですか?」

 

 惹きつけられた。その言葉を聞くと、胸がずきりと痛んだ。

 栗山さんの問いかけに、片岡さんはボクの顔をチラと確認してから言葉を続けた。

 

「二人がどういう関係なのかは現在調査中なのでハッキリとしたことは言えませんが、考えられるとしたら、普段接している稲葉さんとのギャップ、ですかね」

「ギャップ、ですか?」

「はい。稲葉さんは、男の子のように快活で親しい態度が魅力的な可愛い女の子です。一方の桃谷さんは女の子らしい、お淑やかさとゆったりとした雰囲気が魅力的な可愛い女の子です。その目新しさに、秋山君の心を掴むものがあったのかもしれません」

 

 片岡さんの言葉を聞いて、ボクは急に目の前が真っ暗になったような錯覚を覚えた。

 

「その……たしかなの……?」

 

 気分がズーンと沈みこんでしまったボクは、震える声で片岡さんに確認する。そんなボクの様子に、二人は急に慌て出した。

 

「う、うわあああ! 待って待って稲葉さん! そんな深刻にとらえないで! 変なキャラクターの時の加奈の言うことなんて九割信じなくていいから!」

「待って、私そんな風に思われてたの!?」

 

 栗山さんが励ましてくれたが、しかし片岡さんの言うことも最もだと思ってしまったのだ。

 前提として、俊樹は普通にしてればモテると思う。それなりに整った顔。クールで落ち着いた言動。その割に意外と付き合いが良く、一緒にいて楽しくなる。普段無表情な分、彼が嬉しそうな彼をしていると、こちらまで嬉しくなってしまう。

 

 あれ、なんだろう。なんであいつボクなんかとずっとつるんでたんだ?

 

「……でもボクは、俊樹がどういう決断をするにしても応援するよ」

「稲葉さん……」

 

 ポツリと、ボクは呟いた。そうだ。俊樹の幸せは、ボクも願うところ。だから、邪魔なんてしない。できない。

 彼が幸せになるのなら、ボクは手放しでそれを歓迎し、祝福するべきなのだ。

 

 しかし、決意を固めた翌日、ボクは誰かに会いに行く俊樹を尾行していた。



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こそこそ!

「いや、大丈夫大丈夫。これは友人として、俊樹が変な女の子に騙されていないか確認するためだから。決してストーカー行為とかそういうのじゃない」

 

 ブツブツと、自分に言い聞かせるように言いながら、ボクは俊樹の背中をこそこそと追いかけていた。ボクが隣にいないときの彼の歩くスピードは速く、着いていくので一苦労だ。

 

「しかしあいつ、なんか嬉しそうに見えるな……」

 

 足取り軽くどこかに向かう彼は、どことなく上機嫌に見えた。なんか、ムカつく。

 

 たどり着いた先は、屋上につながる階段だった。封鎖された屋上にわざわざ近づく生徒はいない。だからここは、密談するのにはうってつけと言えよう。

 階段の一番上で待ち受けていたのは、可愛らしい女の子だ。上履きの色から、ボクたちの一個下、一年生であることが察せられる。間違いない。彼女が、話に聞いた桃谷さんだろう。ボクは階段の陰に身を潜め、二人の様子を窺った。

 

「悪い、待たせたか」

「いえいえー。私も先ほど来たばかりですからー」

 

 おっとりとした口調で、桃谷さんは答えた。聞く者を蕩けさせるような、甘さを含んだ声だった。

 

「やっぱり、恋人同士なのかな……?」

 

 話し合う二人の距離は、誰かに話を聞かれることを恐れるように、近い。こちらから見ると、まるで抱き合っているようですらあった。

 ああ、まただ。心の中に、深い深い悲しみが溢れてくる。違うのに。ボクは彼が幸せになるのを祝福しなくちゃいけないのに。

 

「――」

「――」

 

 二人の会話内容は、ボクの位置からでは聞き取れなかった。けれどこれ以上近づくのは難しいだろう。息を潜め、ただ二人が近い距離で会話する様子を眺める。

 いっそのこと、飛び出して何を話しているのか問いただしてしまえば良かったのかもしれない。彼らの関係をハッキリさせてしまった方が楽だったのかもしれない。でもいボクは、それを恐れた。彼らが恋人同士であることをハッキリとさせることが、たまらなく怖かった。

 

 

 やがて、時間としては三分ほどが経っただろうか。

 

「……それじゃあ、またよろしくな」

「ええー。またこの場所でお会いしましょう」

 

 おっとりと言った桃谷さんに、俊樹は軽く頭を下げた。二人に見つからないように、ボクは廊下の隅まで下がった。

 俊樹が足取り軽く去っていく。それを追うように、桃谷さんがゆっくりとこの場を去っていった。残ったのは、ボク一人。物陰から出て、一息つく。

 

「なに、話していたんだろう」

 

 ぽつりと呟く。彼らはどんなことを話して、俊樹は何を思ったのだろうか。

 気分が晴れない。彼が桃谷さんに会うところを見てから、その様子を眺めている時まで、ボクの心はずっと曇天だった。

 

「……気にしたところでしょうがないか」

 

 考えたって仕方ないことだ。そう思ったボクは、思考を断ち切り、帰り道へと向かった。

 

 

 

 

 考えたって仕方ないことだ。そう思っても、やっぱりボクの頭には彼らが何を話して、どういう関係なのか、という推測ばかりがグルグルと回っていた。

 迷ったボクは、結局また栗山さんと片岡さんの二人に相談することにした。

 

「なるほどー。人目を避けるようにして話をしていて、会話の内容も他人に聞かれないように気を付けていたと……」

 

 ボクの言葉をまとめた栗山さんは、何か考え込むように唸り初めてしまった。変わりに、片岡さんがボクに確認してくる。

 

「本当に、会話の内容は少しも聞こえなかったの?」

「そうだね。小声だったから」

「うんうん。なるほど」

 

 片岡さんは少し目を閉じて考えるように姿勢を見せてると、やがてゆっくりと目を開いた。

 

「一つ私が言えるとしたら、部外者から見て、秋山君が稲葉さんの他に彼女を作るようには見えないってことだよ」

 

 いつになく真面目な口調で、片岡さんは語り始めた。

 

「はたから見て、あなたたちは付き合ってない方がおかしいくらい。秋山君はなにをするにしても、だいたい稲葉さんと一緒。さらに、稲葉さんと話している時だけ表情豊かに見える」

「えっ、そうかな?」

 

 俊樹はだいたいいつも無表情な気がするんだが。もちろん、完璧な無表情というわけではなく、うっすらと感情の伝わってくるような微妙な変化はあるのだが。

 

「そうなの。稲葉さんには当たり前だから、気づかないだけ」

 

 そうかなあ。

 

「しかも最近は特に、稲葉さんに構っているように見えたよ。なんか君が男子と関わるたびに、心配そうに見ていたくらい。まったく、そんなに大事ならさっさと告れよ、って感じだったよ」

「こくっ……」

 

 思わぬ言葉に、顔が赤くなるのを感じた。でも、片岡さんの言葉には少し誤解があった。

 

「いや、違うんだ。元々、ボクのトラウマをあいつはどうにかしようとしてくれていて、それで最近はちょっと過保護気味だったんだ」

 

 男子が距離を詰めすぎていたらさりげなくボクとの間に割ってはいり、ボクと男子が一対一にならないように気を配っていた。

 

「いや、それが付き合っている彼氏ムーブだったんだけど……。まあいいや。とにかく、そんなに大事にしてる女の子がいながら、わざわざ他に彼女作るようには見えないってこと」

「……」

 

 片岡さんは、ボクを安心させるようにそう締めくくった。

 少し、違う。俊樹の中のボクは、ずっと男友達のままだ。心配するのも、気を遣うのも、親友だからだ。

ボクが男だったという前提。それがない二人とは、どうしても見方が変わってしまう。だから、片岡さんがいくら俊樹が彼女を作るわけがないと説いても、ボクは少しも安心することができなかった。



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もやもや!

 聞きたいけど、聞きたくない。俊樹と後輩の女の子は、いったいどんな関係なのか。それを聞いてしまえば、何かを確定させてしまうようで、躊躇ってしまう。

 

 それでも、と意を決して彼に話しかける。

 

「なあ、俊樹……」

「ん? なんだ?」

 

 相変わらず無表情にボクを見る彼に、ボクは聞きたかったことを聞こうとした。

 けれど、喉元まで出かかった言葉は、最後まで出ることはなかった。

 

「……いや、なんでもない」

 

 結局、何も言えない。やっぱりハッキリさせることが怖くて、怯えたままだった。ああ、こんな意味のないやり取りも、いったい何度目だろう。聞くべきか聞かないべきか、悩んで、結局やめる。今回に始まったことではなかった。

 

 そんなボクの様子を、俊樹は不思議そうに眺めていた。

 

 

 

 

 しかし、そんな風に停滞を選んだボクにも、突如として変化が訪れた。

 

「あなたが、稲葉ゆうきさんですね。初めてまして、私、桃谷和葉と申しますー」

 

 おっとりとした口調でボクに話しかけてきた彼女は、先日俊樹と密談していた桃谷さんだった。

 

「えっと……何の用……?」

 

 思わず、口調が少し硬くなってしまう。俊樹の彼女かもしれない女の子。ひょっとしたらこれは、宣戦布告とか勝利宣言とか、そういうものかと思った。

 

 けれど、ボクの固い態度にも、桃谷さんは少しも動揺した様子はなかった。

 

「はいー。秋山先輩にお願いされて、あなたにお会いしに来ました」

「俊樹に?」

 

 それはいったい、どういう風の吹き回しだ?

 

「ちょっと失礼しますねー」

「あっちょっ」

 

 ズズイと近づいてきた桃谷さんは、一瞬のうちにボクに密着すると、手始めにボクの腕をふわりと握ってきた。

 

「ふわっ……な、なに?」

「ふむふむー。なるほど、柔らかいですねー」

 

 にぎにぎとボクの二の腕のあたりを握りながら、彼女は呟いていた。

 

「お肌もなかなかに気を遣われている様子……秋山先輩の言葉から受ける印象とはちょっと違いますねー」

 

 今度はボクの頬のあたりをムニムニしながら、彼女は独り言のように言葉を紡いでいた。

 彼女の言う通り、ボクは、スキンケアなどに気を遣うようになっていた。妹に「女なら当たり前でしょ」と諭されたのもあるが、何よりも素材がいいボクの顔がどんどん可愛くなっていくのは、見ていて結構楽しいものだった。

 

「……それで、俊樹から何を言われてここに来たの?」

 

 ひょっとして、交際の報告とか? 最悪の可能性が頭をよぎり、身震いする。いや、でも体の状態を確かめられたのはいったい……?

 

「はい。ズバリ――」

 

 ふんわりとした雰囲気を纏っていた桃谷さんの顔が引き締まる。彼女の豹変に合わせて、空気までもが静かになったような気がする。ただ事ではない雰囲気だ。

 ゴクリと、ボクは唾を飲んだ。

 

「先輩の彼女さんを見に来ましたー」

「…………えっ?」

 

 その時のボクの顔は、とても間抜けな呆け顔だっただろう。

 

 

「あっ、でも、先輩に頼まれたのはちょっと違うことでしたー」

「……えっ、待って待って! 彼女は君じゃなかったの!?」

「はいー?」

 

 何を言っているのか分からない、と言いたげ桃谷さんが首をかしげる。その様子に、ボクはさらに混乱した。

 

「あれ!? だって俊樹と付き合ったっていう報告をするためにボクのところに……」

「私、そんなに性格の悪いことしておりませんー」

 

え……じゃあ、彼女はいったい俊樹と何を話していたんだ……?

 

「先輩には、稲葉先輩の男性恐怖症を改善するための相談をされていたんですー。……もしかして、何か勘違いされていましたか?」

「えっ!? ……そう、だね。勘違いっていうか、ボクが勝手に早合点してたっていうか」

 

 こうして、真実を直接告げられて、ボクは悟った。たかだか一回話しているところを見たくらいで、何をボクはそんなにも焦っていたのだろうか。我が事ながら、一人で色々納得しすぎていた。

 

「その様子……フフフ、秋山先輩は幸せですねー」

 

 何事か納得したように呟く桃谷さんは、一呼吸置くと、話を戻した。

 

「あなたのトラウマ改善のために、秋山先輩にアドバイスをしていたのは私ですー」

「そ、そうだったの?」

 

 そのおっとりとした様子からは、あまり想像できないのだけれど。しかし桃谷さんは、ボクの内心を読んだように話を続けた。

 

「これでも私、中学の頃から皆さまから色んなことを相談されていたんですよー。恋愛相談から、人間関係、進路相談まで、たくさんの人の力になってきましたー」

 

 桃谷さんの言葉には、嘘一つないように聞こえた。どうやら、このおっとりとした少女は、本当に敏腕コンサルタントのようだ。

 

「中学の頃に、秋山先輩の友達の相談にも乗りました。その時のことを先輩は覚えていらっしゃったから、今回の件も私に相談に来たんだと思いますー」

「えっと、じゃあ、桃谷さんは俊樹と中学生の頃からの知り合いってこと?」

「はいー。美化委員で一緒になり、話をしましてー」

「な、なるほど」

 

 思えば、ボクは俊樹の中学生の頃の交友関係は知らなかった。いきなり見も知らない女の子に会いに行くようになったのかと思ったが、どうやら二人は元から知り合いだったらしい。……本当に、全部ボクの早合点だった。

 

「……でも、わざわざボクに直接会いに来る必要はなかったんじゃない?」

 

 ふと気になって、ボクは彼女に尋ねた。

 

「ああ。それは、秋山先輩曰く、稲葉先輩の様子が最近変なので、相談に乗ってやってほしい、ということでしたー」

「……相談? ボクに困ったことなんて……あ」

 

 そうか。ボクが俊樹に彼女が出来たんじゃないかとソワソワしていたから、様子が変だと思われたのか。

 思えば、最近のボクは俊樹に何か聞きかけて、結局やめるということを繰り返していた。そんな思わせぶりなことばかりされたら、そりゃ俊樹も気になるだろう。

 

「ああー。大丈夫。たった今解決したから」

「ということは、やはり私と秋山先輩が付き合っていると勘違いなさって、それで様子が変だったのですねー?」

「えっ!? なんで分かったの!?」

「私、これでも人の悩みはたくさん見てきましたのでー」

 

 す、すごい……! どうやらこの一個下の少女は、ボクよりもずっと頭が回るらしい。

 

「その上で、私に相談すること、ございませんか?」

「え……?」

 

 一瞬言われた意味が分からなくて、困惑する。

 

「先輩は、秋山先輩の偽装彼女という立場に甘んじたままでよろしいのですか?」

 

 いつの間にか、優しい瞳をしていた桃谷さんの目が、こちらの内心を見抜こうとする鋭い光を灯していた。



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すき!?

タイトル変更しました


「先輩は、秋山先輩の偽装彼女という立場に甘んじたままでいいんですか?」

 

 おっとりとした様子から一転、鋭い瞳で問いかけてきた桃谷さん。その様子に僅かに気圧されながらも、ボクは答える。

 

「えっと……少し勘違いしているようだけど、ボクは別に俊樹の事が好きなわけじゃないんだ。というか俊樹は、ボクが男に無理やり迫られないように偽装彼氏の役を演じてくれているっていうか」

「――うそ、ですね」

 

 鋭い瞳のままで、桃谷さんは断言した。

 

「先輩とは初めて会った私でも、今の言葉が嘘だったと断言できます。だって先輩は、秋山先輩が私の彼氏になることを、これ以上なく恐れていたじゃないですか」

「それは……」

 

 そう言われると、ボクはそれ以上否定することができなかった。桃谷さんは、無言でボクの言葉の続きを待っているようだった。

 少し考えてから、ボクは目の前の底知れない後輩に全て吐き出すことに決めた。 

 

「正直、ボクのこの感情が、愛情なのか友情なのか、分からない。いや、分かりたくない、と言えばいいかな。桃谷さんに言っても仕方ないかもしれないけど、ボクと俊樹は、今までずっと親友だったんだ」

 

 ボクが男だった頃には、こんな感情に悩むことなんてなかった。ボクらはまごうことなき親友で、恋情なんて入り込む余地はどこにもないはずだった。

 

「でも、あの日、ボクと俊樹の関係が変わって、ボクは自分の感情が分からなくなった」

 

 『あの日』がボクが女になった日なのか、彼と接触すると胸がドキドキし始めるようになった日なのか、自分でも分からなかった。

 

「あいつと馬鹿みたいなことして、下らない冗談で笑って、それだけで良かった。そのはずなのに、気づけばボクの心はそれ以外の何かを求めるようになってしまった」

 

 桃谷さんは、ずっと真剣な表情のままでボクの話を聞いてくれていた。

 

「もっと近づきたい。もっと手を握っていたい。もっと見つめて欲しい。――でも、そんな感情があることはボクらの今までの友情を否定するようで、凄く嫌だった」

 

 悪魔は、友情と愛情に線を引くことに意味はないと言っていた。けれど、ボクにはそうは思えなかった。ボクが愛情を認めてしまえば、何かが決定的に壊れるのだと思った。

 

「あなたは、優しい人ですね」

「え?」

 

 桃谷さんの思わぬ言葉に、ボクは思わず顔を上げた。彼女は、全てを悟ったような顔でボクに語りかけてきた。

 

「今の言葉を聞いて確信しました。あなたが自分の恋心を恐れ、隠そうとしているのは、友情が壊れることを恐れているから。つまり、秋山先輩のためです」

「そ、んなこと……」

 

 否定しかけてから、改めて自分の気持ちを整理する。ボクの奥底にある、本当の気持ち。あいつと親友でい続けたいという気持ちと一緒に存在していた、傷つけたくないという想い。あいつに、親友だった男を失わせたくない。これまでの素晴らしい日々を、変わらずに過ごして欲しい。

 

「だから、そんなに自分の気持ちを責めないでください。優しいあなたは、きっと自罰的な気持ちにいずれ耐えられなくなってしまう」

 

 あまりにも優しい言葉に、なんだか泣きたい気分にすらなってしまう。いつの間にか、ボクの心は完全にこの後輩の手のひらの上だった。

 

「私には、あなたたちの友情がどういうものだったのか分かりません。けれど、優しいあなたと、あの秋山先輩の関係は、その程度で崩れるものではないはずです」

「……そっか」

 

今日初めてあった桃谷さんの言葉は、不思議とボクの胸にスッと入ってきて、納得させられてしまった。

 

「さて、自覚して頂いた上で、問いましょう。あなたは、秋山先輩とどうなりたいんですか?」

「ボクは……」

 

 思い出す。あいつと接している時の、自分の気持ち。横顔を見ている時。笑い合っている時。手が触れた時。あいつと出会った時。

 

「ボクは、あいつを本気で惚れさせたい。戻りたいとか、そういうことじゃなくて、ボクが好きだから、あいつにもボクを好きになってほしい」

 

 ボクの言葉を聞いて、桃谷さんはニッコリと笑ってくれた。

 

 

 

 

「でも、ボク今更どうすればいいのか分からないよ。だって、今までずっとあいつのことは親友だと思ってたし」

「そうですか? でも、秋山先輩はよく私に愚痴ってましたよ。『あいつは女としての自覚がないからたまに有り得ないほど無防備だ』とか、そういうことを良く語っていましたね」

「えっ!?」

 

 それはなんだ。ボクは今、とても恥ずかしいことを教えられているのではないか……?

 

「私から見て、十分に勝算ありだと思いますー。正直、稲葉先輩がもうひと押しすればコロッと落ちると思いますー」

「そ、そうかなー」

 

 それはなんだか照れるな。ボクは顔赤くなるのを感じながら、彼女の言葉を受け止めた。

 

「その、桃谷さん。君がよければ、ボクが俊樹に意識されるにはどうすればいいのか。教えてくれないかなあ」

 

 ボクの図々しい願いにも、桃谷さんは微笑を以て応えてくれた。

 

「はいー。稲葉先輩に足りないのは、友人ではなく異性として意識される機会だと思います。今までの時間を吹き飛ばしてしまうような、激しい刺激が必要ですね。そのために、うってつけの機会がありますー」

「それは?」

「ズバリ、夏祭りです」

 

 桃谷さんは、アドバイスと共にボクにウインクした。



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すき!

 梅雨にも終わりが見え、夏の匂いが近づいて来た。一学期の期末試験が終わったボクは、俊樹と試験勉強の苦労を分かち合っていた。

 

「いやー。やっと終わったなー。俊樹はどうだった? いつもと変わらず九十点台連発か?」

「どうだろうなあ。正直、今回はお前に勉強教えるのが大変すぎてなあ」

「わ、悪かったって」

 

 いやだって! 勉強を教えてもらうと必然的にお前と距離が近くなるんだもん! 心臓がうるさすぎて勉強どころではなかった。集中力の落ちたボクは、同じところを何度も教えてもらうことになっていた。

 

「でもさー。お前は彼女との勉強デートっていう貴重な体験をできたわけだから、そこは感謝してくれてもいいんじゃないか?」

「勉強デートってなんだ。勉強かデートかどっちかにしろよ。というか、あんまり調子乗ってると次から教えてやらんぞ?」

「うわああ、待った待った! ボク高校受験で頑張りすぎた結果勉強に着いていくの大変なんだって! お前の助けがないと卒業できないって!」

「受験勉強頑張れたなら試験勉強も頑張れるだろうが。お前はちゃんと勉強する意欲があれば卒業くらい容易いと思うのだがな」

「いやー、その。ゲームとか、漫画とか? 高校生は忙しいなー、なんて……」

「コイツ……」

 

 俊樹は頭が痛い、と言いたげにこめかみのあたりを教えていた。

 まあ、そうは言ってもたしかにコイツにいつまでも迷惑をかけるわけにはいかないことも分かっている。頭のいい俊樹は、きっとたくさん勉強して良い大学に行くのだろう。その時まで勉強を教えてもらうっていうのは、なかなか難しいだろう。

 

 受験に、進学。あるいは就職。そのことを考えると、ボクの気持ちは少しだけ暗くなった。

 そんな気分を誤魔化すように、ボクは殊更に明るく言葉を紡いだ。

 

「それよりも! 試験から解放されたんだから、次は夏休みだろ! どうする、どこ行く!?」

「おお、楽しそうだな。まあ、お前が行きたいってところに俺も行くよ。……というか、今のお前が人の賑わうところになんか行ったら、一瞬でナンパされそうだしな。男避けの役目くらい務めてやるよ」

「うっ……そうだった。助かるよ」

 

 確かに、人混みの中で男に無理やり迫られたら、今のボクには対処は難しいかもしれない。

 

「色々行きたいところあるよなー。海とか、川とか、あ、ちょっと遠出してテーマパークとか!」

「いいんじゃないか」

 

 好き勝手に言うボクを見つめる俊樹の視線は、どこか柔らかかった。少し気恥ずかしくなって、目を逸らす。

 

「それから……さ」

 

 俊樹は、ボクがどこに行きたいのか言うのをじっと待っているようだった。いつも通りの無表情に見える顔。けれど、その目はどことなく楽しそうに見えた。それに後押しされて、口を動かす。

 

「その、さ。良かったらなんだけど……」

 

 がらでもなく、緊張する。ボクと彼の今度を決定づける、大事なイベント。その誘いを、ボクは今から口にするのだ。

 

「夏祭り、一緒に行かないか?」

 

 意を決して言ったボクに、俊樹は少しだけ目を見開いたように見えた。

 

「……なんだ、改まって。それくらい、別に構わないけど」

「本当か!? よしっ!」

 

 思わず、ボクはガッツポーズをした。計画の第一段階は、あっさりと上手くいった。

 

「なんだ、夏祭りくらい。そんなに喜ぶようなことでもないだろ」

「い、いやー。なんていうの、夏祭りのこと考えたら、改めてボクは試験勉強から解放されたんだなあーって気分になって、それが嬉しくてさー」

 

 慌てて誤魔化す。危ない。ボクの一世一代の告白計画は、彼に悟られないように進めないと。

 告白計画、最初の一歩について、アドバイザーの桃谷さんはこのように語っていた。

 

『肝心なのは、夏祭りに一緒に行くのはいつもの遊びの延長線上だと思わせることですー。警戒心の強い秋山先輩の気を緩めさせて、告白の成功率を高めましょー』

 

 彼女のアドバイスに忠実に、ボクは最初の一歩を踏み出すことができた。さあ、この夏休みが正念場だ。ボクはこの夏に、俊樹を落とす!

 グッと手を握り、気合を入れ直す。

 

「……なあお前、何をそんなに意気込んでいるんだ?」

「え、えっ!? いや、ただ夏休み頑張れるぞー! って気合入れてただけだよ!」

「夏休みって気合入れるものだったか……?」

 

 あ、危ない! 俊樹に変だと思われないうちに、適当に話をそらさないと……!

 

「な、なあ。それよりも、暑いしアイスとか食いたくないか?」

「お、いいな。どこ行くんだ?」

 

 幸い、彼は大して追求することもなく、ボクの話に乗ってきてくれた。

 

 

 

 

 セミの大合唱に、照り付ける太陽。学校の外に出たボクたちを、夏が迎えた。

 

「外あっちーな。なあ俊樹、寒くなるような話ないか?」

 

 なんだか怪談でも聞きたいような気分になったボクは、俊樹に無茶ぶりした。

 

「そんな急に……? ああー、そうだな。お前のスカート、後ろ捲れてるぞ」

「えっ、嘘!?」

 

 慌てて後ろを確認する。幸い、特に問題なくスカートはボクの体を守っていた。

 

「ちょっ……確かに涼しくなったけどその微妙に笑えない冗談やめろよ!」

「ははっ……いや悪い。いつかお前がリュックにスカートの裾ひっかけてたの思い出してな」

「ああー、やめろお! ボクの女の子初心者時代の失敗を掘り起こすな!」

「初心者時代? お前いつまで初心者だろ」

 

 俊樹は、心底ボクを馬鹿にしたような笑みを見せた。

 

「なにをー!? どういうところが初心者だって言うんだ、言ってみろ!」

「そりゃ、俺が勉強教えてる時無防備に前かがみになったりとか」

「うっ……」

 

 俊樹に気まずそうに「胸が見えそうだ」と指摘された時のことを思い出し、顔が暑くなる。

 

「スカートで足開いて座ったり」

「それは……最近やってないし……!」

 

 そういえば、最初の頃は堂々と俊樹にパンツ見せてた気がする。……今思うと、とても恥ずかしい。

 

「こっちの気持ちにもなれってんだよ全く」

「すいません……」

 

 寒くなる話を聞いたはずのボクは、恥ずかしさですっかり暑くなっていた。

 

「とにかく、アイス食うんだろ? お前が言ってた新しくできた店ってどこだっけ?」

「あー、それは――」

 

 それから、ボクと俊樹は、並んで歩き、アイスを食べに行った。



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じゅんび!

「こんにちは、稲葉先輩。ひと月ぶりでしょうかー」

「こんにちは桃谷さん。久しぶりだね」

 

 ハンバーガー屋に入ったボクを迎えたのは、今日もおっとりとした様子の桃谷さんだった。ポテトをつまみながら待っていた彼女は、相変わらず気品のようなものが感じられた。彼女が食べていると、ジャンクフードすらも高級なフレンチ料理にすら見えてきた。

 

「それで、作戦の準備段階はいかがですかー?」

「うん、予定通り、俊樹といっぱい出かけて、たまにさりげなくボディタッチしてるよ。微妙に動揺してる俊樹の様子が面白くて、なんだかクセになりそうだよ」

 

 さりげなく手を握った時や、肩と肩が触れ合った時など、彼の表情をよく観察していると、動揺していることが分かった。夏休み前に桃谷さんの言った通りだった。

 

『秋山先輩はああ見えて、あなたの接触にドキドキしています。表情をよく観察してみてください』

 

 彼女のおかげで一歩進めた気がする。あの時は、心の中で桃谷さんのこと神や仏のように崇めたものだ。

 おっとりとした様子で、桃谷さんはボクの言葉にほほ笑んだ。

 

「それは良かったですー。せっかくですので、思い出話の一つでも聞かせてくださいな」

「あ、いいよー。この前、ボクらは海に行ってきたんだ」

 

 語りながら、ボクは回想に浸り始めた。

 

 

 

 

「突き抜けるような青空! 潮の香り! 綺麗な砂浜! そして、眼下に広がる大海原! うおおおおお! 海だー!」

「テンション高いな」

 

 高々と叫ぶボクとは対照的に、俊樹は冷静だった。

 

「お前なんでそんな冷静なんだよ! 海だぞ!」

「海だな」

「テンションひくっ! あげてこうぜ! イエーイ!」

「ういー」

「二日酔いの時のウチのお父さんみたいなテンションやめろお!」

「いやだって、想像以上の暑さでなあ。お前平気なのか?」

「大丈夫。なんてったって、この麦わら帽子があるからね」

 

 ボクは片手でつばを掴むと、得意げにクイッと上げた。

 

「……なんでそんな得意げなんだ?」

「だって、夏の砂浜の美少女って言ったら麦わら帽子と白いワンピースだろ!」

 

 得意げに言ってから、ボクは自分の恰好を見せびらかすように胸を張って、腰に手を当てた。

 

「……そうか」

 

 俊樹は、少し目を逸らして答えた。しかし、そんな誤魔化すような態度、今日のボクが許すとでも思ったか!?

 

「ほらほら! よく見ろ!  ボクの可愛さに恐れおののけ! そして褒めたたえろ!」

「やめろくっつくな! 暑い! うっとおしい!」

 

 ボクは両手で彼の両肩を掴むと、彼の体を引き寄せた。彼の顔が赤くなるのと同時に自分の顔も赤くなるのが分かったので、下を向き、麦わら帽子で隠す。

 

「分かった分かった! 似合ってる! 似合ってるから離せ!」

「そ、そうか? ふふーん」

 

 望んだ言葉を得たボクは、彼の体を解放した。「なんだコイツうぜえ……」という彼の言葉は、上機嫌なボクの耳は入ってこなかった。

 

「じゃ、着替えてくるからここ集合な」

「ああ」

 

 俊樹と別れ、ボクは水着に着替えるために女子更衣室へと向かった。中に入ると、既にたくさんの着替えをする人たちがいっぱいいた。肌色でいっぱい。けれど、もはや見慣れたボクはそれに動揺することはなかった。

 

「……これで、良かったんだよね」

 

 持ってきた水着を眺めて、ボクは改めてこれで良かったのか自問自答した。

 この水着は、栗山さんと片岡さんと一緒に買いに行ったものだ。

 薄いピンク色をした、可愛らしい水着だ。ワンピース型で、上半身までぴっちりと覆ってくれる。「稲葉さんは肌を出しすぎると、視線を集めすぎるから」とは栗山さんの言葉だ。

 

 着替えて外に出ると、露出した肌に太陽光が突き刺さった。少しだけ伸びをして、ボクは待ち合わせ場所へと向かう。

 

「お待たせ俊樹」

「おう。ッ……早かったな」

 

 俊樹はボクの姿を認めると、少しだけ視線を下にずらした。その様子に、ボクは自分の水着選びは正しかったことを悟った。

 

「あれー、今何を思ってボクから視線を逸らしたのかなー?」

「……」

 

 俊樹は答えず、無言で海の方へと向かって行った。

 

「おいおいー。照れ隠しなんてらしくないぞー」

 

 ボクはその背中を、うきうきとした足取りで追った。

 

 

 

「その後も、泳いだりとかー。水かけて俊樹に怒られたりとかー。一緒にかき氷食べたりとかー。夕暮れの潮騒に耳を傾けたりとかー。色々やったんだ!」

「なるほどー。楽しそうで何よりです……ところで」

 

 ボクの話をニコニコと聞いていた桃谷さんは、少し目を細めた。その様子に、どんなことを言いだすのかとボクは身構える。

 

「私の策、本当に必要ですか? あなたたち、放っておけばゴールインするのでは?」

 

 いつも悠然としている桃谷さんは、少し呆れているようだった。

 

 

「……まあ、あなたが困っているというのなら私は手を差し伸べましょう。そうでなければ、私のポリシーに反しますからね」

 

 一人納得したように呟いた桃谷さんは、改めてボクの方に向き直った。

 

「さて、それでは、告白作戦の大一番、夏祭りの段取りについて話しましょうか。いいですか、稲葉先輩。大事なのは、普段通りと特別な雰囲気の境界、つまりギャップですよ」

 

 貴重な桃谷さんのアドバイスだ。ボクは唾を飲むと、心して話を聞いた。



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なつまつり!

 鏡には、妹に浴衣を着付けてもらうボクの姿が写っていた。明るい黄色の、活発な印象を与える浴衣だ。ところどころに花の模様があしらわれていて、華やかな印象を強めている。

 後ろ髪は一纏めにして、お団子になっている。顔にはあまり目立たないが化粧。いつもより血色が良く見える。グロスでてらてらと光る唇が、なんだか艶やかだ。

 

「理子、これ本当に大丈夫?」

「大丈夫大丈夫。姉貴は顔だけはいいんだから、似合うって」

 

 改めて、浴衣の帯を締める。いや、締めてもらう、と言ったほうがいいか。とにかく、帯を締めるという行為は、不思議と気合の入るものだなと思った。

 

 

「お、俊樹……! やっと来た!」

「悪い、またせ……た……」

 

 呆然とボクの姿を眺めて、彼は呟いた。明らかに動揺している。その様子に、ボクは苦労して浴衣を選んだかいがあったなあ、としみじみと思った。

 そのまま動揺する彼を全力で煽り倒そうと思うが、なんとか踏みとどまる。落ち着け。今のボクは、作戦の遂行中だ。冷静にならないと。

 

「えっと……浴衣、頑張って選んだんだけど、どう、かな?」

「……正直、驚いたな。まさかこんなに印象が変わるものか、とな」

「どういう印象だ?」

「その……普段の男っぽい感じとは違って、お淑やかさとか、女らしさとか、そういうものが感じられる。……お前が、それをいいと思うのかは分からないが」

「ううん。嬉しいよ」

 

 お前にそう言ってもらえるなら、本当に嬉しい。

 

「じゃあ、行こう」

「……その手は?」

 

 薄々答えが分かっているように、彼は問いかけてきた。

 

「決まってるだろ。恋人のふりだ」

 

 そんな嫌な顔するなよ。恋人のふりも、今日までだ。

 

『――浴衣姿は、あいさつ代わりのジャブです。しかしその破壊力は、相当のものになるはずです。稲葉先輩という魅力的な女の子が自分を好いてくれていることに気づきもしない秋山先輩の目を覚まさせてやりましょう。これが秋山先輩を日常から非日常へと連れて行く第一歩となります』

 

 桃谷さんは、このように語っていた。

 確かに、こういう恰好はボクの普段の雰囲気とはだいぶ異なるだろう。衝撃を与え、いつもと違うことを意識させるという目的は達せられたのではないだろうか。

 

「ふふ……」

 

 嬉しくて、掴んだ俊樹の手をにぎにぎしてしまう。彼がそれにくすぐったそうに身じろぎするのを、ボクは微笑ましい気持ちで眺めていた。

 

 

「お、見ろよ俊樹。わたあめ売ってるぞ」

「おお、本当だ。欲しいのか?」

「うん、行こう」

 

 並び立って歩き、わたあめの屋台の列に並ぶ。けれど、隣に立つ俊樹はどこか挙動不審だ。

 

「なんだよ。珍しく落ち着かない様子じゃないか」

「いやなんか……お前と一緒にいる感じがしないっていうか、別人と並んでいるみたいで違和感があってな」

「ふふん、そうかそうか」

 

 どうやら、浴衣の威力はボクの想像以上だったらしい。

 列の一番前にいき、店主に小銭を渡す。返ってきたのは、ボクの顔くらいはあるんじゃないか、という大きな大きな綿あめだった。

 

「……デッカ」

 

 内心で彼の言葉に同意しながら、ボクは白いふわふわに歯を立てる。口内に広がる甘さに、ボクは思わず頬を綻ばせた。

 

「うまい! 俊樹もどうだ?」

「いや、俺は……」

 

 なぜか遠慮する彼は、やはりいつもの態度とは少し異なるようだった。

 

「いや、ボク一人じゃこんなの食べきれないって。いいから食べて。ほら」

 

 ボクが巨大綿あめを突き出すと、彼は渋々といった様子でそれにかぶりついた。

 

「どうだ? 美味いだろ?」

「……甘いな」

 

 彼は小さく呟いた。

 

 

「祭りと言えば、やっぱり射的だよなあ」

「まあ、そうかもな」

「というわけで、行くぞ俊樹!」

「おい待て! お前浴衣で転ぶぞ!?」

「おっとっと」

 

 ついつい、いつものテンションで行動してしまった。ボクは大股に歩きだした足を戻し、小さな歩幅で、しずしずと歩き始めた。

 

「なあ、凄い列だけど本当に並ぶのか?」

「当たり前だろ。射的しなきゃ、祭りに来た感がないだろ」

「そうか? まあ、いいけどな」

 

 彼の言う通り、射的に並ぶ人は多く、しばらく待たされそうだった。

 

「それにさ、祭りに来て、その人混みの中にいるだけで、なんか祭りに来たなーって感じしないか?」

「……すまん、どういう意味だ?」

「分からんやつだなあ。賑やかな人の声とか、太鼓の音。人混みの生み出す熱気、客引きの声に、焼きそばの香ばしい香り。それから夜空に立ち昇る煙とか、そういうものから十分祭りは堪能できるって言いたいんだよ」

「あー、雰囲気か。それは確かにそうかもな」

 

 それに、お前と並び立ってここに来れただけで、意味がある。本当は、綿あめが食べられなくても、射的が出来なくても、お前が隣にいればそれでいい。

 まあ、そんなこと恥ずかしくて言えないわけだが。しかし、ボクはこれからそれよりも恥ずかしいことを彼に伝えなければ――

 

「わー! 今の無し! とりあえず今は考えない!」

「おお、どうした」

 

 俊樹が、見慣れた呆れ顔でボクを見ていた。

 

「やめろ。見るな」

「……フフッ」

 

 俊樹の珍しい笑い声に、ボクは思わず彼を見上げた。

 

「俊樹にしては珍しい反応だな。どうした」

「いや、なんていうか普段のお前に戻ったな、と思った」

 

 安心した、とでも言いたげに彼は呟いた。

 ……あれ、まずい。桃谷さんの作戦である、『俊樹を日常から非日常へと連れて行く』という目標が遠ざかるのではないか!?

 

「ぜ、全然普段通りじゃないぞ! ほら、見ろよこの髪!」

 

 ボクは彼に背を向けると、お団子ヘアーを指さした。

 

「おお、似合ってるぞ」

「ふぁ!?」

 

 急に素直に褒めるのやめろおおお!

 



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えんもたけなわ!

 射的の順番が回ってきた。

 ボクは早速銃を片手で構えると、台から大きく身を乗り出した。

 

「お、おい大丈夫か?」

「大丈夫大丈夫。射的のコツは、どれだけ的との距離を詰められるかだから」

 

 つま先で立って、身を乗り出す。しかし、的が遠い。こういう時は、小さくなった自分の体が恨めしい。

 

「お、おい姉ちゃん。あんまり乗り出すと危ないぞ」

 

 射的のおじさんも何か言っていたが、無視する。ボクは射的に忙しいのだ。

 

「う、うーん……」

 

 なかなか標準が定まらない。的との距離が遠すぎて、あたりそうにない。さらに足に力を籠める。もっと前へ。

 集中しているボクを、突然浮遊感が襲った。

 

「う、うわっ!」

 

 倒れ込む。そう思ったボクを、支える手があった。

 

「子どもじゃないんだから、気を付けろよ」

 

 呆れた声でボクに忠告してくる俊樹の声。ということは、ボクの腰を掴んでいる両手の感覚は……。

 

「うっ……足元は安定したけどボクの心が安定しない……」

 

 この体勢、なんかすごく落ち着かない。しかし、離してくれ、というのもなんか違う気がする……。

 結局、動揺しっぱなしだったボクは一つも景品を落とすことができず、その場を後にした。

 

 この程度で動揺しているお前には男を落とすなどできないと暗示されたようで、なんだか癪だった。

 

 

 

 

「一通り見るべきところは回ったかな? 俊樹は?」

「ああ、もう十分だろ」

「じゃ、後は花火だな」

 

 スマホで時間を確認すれば、もうそろそろ花火の上がる時間だった。

 

「しかし……あの人混みの中に入っていくのか?」

 

 うんざりとした声で言う俊樹の視線の先を辿れば、花火のよく見える土手のあたりは、既に大勢の人が場所取りをしていた。ひしめき合うその様子は傍目から見ても暑苦しく、あの中に入っていくことはあまり考えたくなかった。

 

「安心しろ。ボクに策がある」

 

 自信ありげに言うと、彼はボクの顔を訝しげにに見つめた。その表情は「コイツの言う策などあてにならない」と言っているようだった。

 しかし、安心してほしい。この策は、ボクのものではなく桃谷さんのものだ。

 

「穴場スポットがあるんだよ、行こうぜ」

 

 ボクは人混みとは違う方向を指さした。

 

 

 祭りの行われている神社の境内は、本堂のあたりが小高い丘のようになっている。

 本堂の裏は、周囲が草木に囲まれている。しかし、花火の上がる方角は草の背が低く、夜空を一望することができた。

 こここそが、ボクたち地元の住民にもほとんど知られていない、花火の絶景スポットだった。……毎回思うが、桃谷さんはどうしてこんなにもボクが欲しい情報を知っているのだろうか。ちょっと怖い。

 

「おー、本当に誰もいないな。しかも静かだ」

「うーん、恐ろしいほどのベストプレイス。こうなったら流石にボクも覚悟決めないとか……」

「何の覚悟だ?」

「うえっ!? なんでもない!」

 

 もちろん、告白の覚悟を。なんてこと言えるわけがない。

 

「とにかく、座ろうぜ! ほら!」

 

 ボクは本堂の縁側にどっしり座ると、隣をぽんぽんと叩いた。

 

「バチとか当たらないよな」

「縁側に座られるだけで怒る神様なんていないだろ」

 

 彼はボクの隣に腰かけた。二人の距離は、やや遠い。沈黙が下りて、祭りの喧騒が遠くから聞こえてきた。彼の顔を見ると、少し目を逸らされた。

 ひょっとして、彼はこの状況に緊張しているのだろうか。あまり見ない態度に、ボクは推測する。

 

 桃谷さんのアドバイスを思い出す。

 

『いいですか、稲葉先輩。浴衣でいつもと違う感じをだしても、きっと接するうちに秋山先輩は安心するでしょう。ああ、中身はいつものままだ、と』

 

 彼女は息もつかずに次の言葉を告げた。

 

『その安堵を、裏切るんです。ロケーションは私の調査通り本堂の裏で問題ないでしょう。静かな場所で、二人っきり。装いの違う親友。花火。それらの要素は、秋山先輩の心を大きく揺さぶるでしょう』

 

 下準備は、桃谷さんの作戦通り。後は、ボクの気持ちだけだ。

 

「すーっ……」

 

 深呼吸を、一つ。静かな本堂の裏に、ボクの呼吸音がやけに響いた。

 けれど、ボクが言葉を出す前に、大きな音が響いた。

 

「お、花火上がったな」

 

 何かを誤魔化すみたいに、俊樹は花火を指さした。

 雲一つない夜空に、花火が上がる。色とりどりの光が、ボクと俊樹の顔を照らす。

 

「綺麗だな」

「ああ」

 

 どちらともなく花火を賞賛し、一緒に見上げる。どん、どん、と腹の中を揺さぶるような音は、今のボクにはまるでせかしているように感じられた。早く、告白を。想いを、告げなければ。

 花火が終わってしまえば、ここにいる理由がなくなってしまう。

 ――たとえ振られるとしても、想いを伝えたい。

 

「なあ、俊樹」

 

 夜空に浮かぶ光彩から目を逸らして、彼がこちらを見る。その瞳は、何かを恐れているようだった。

 息を吸う。意を決して、一言。

 

「好きだぞ」

 

 花火にも負けないほどにハッキリと響いた告白。それは確かに、彼の耳に届いた。

 



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こくはく!

「好きだぞ」

 

 意を決してボクの告白。やっと言えたそれは、確かに彼の耳に届いた。

 

 ――俊樹は、ひどく気まずそうだった。遠慮がちに、彼が口を開く。その様子に、ボクの嫌な予感は加速的に増していた。

 

「ごめん」

 

 重たい沈黙が下りる。虫の鳴き声が、嫌に耳に入ってきた。

 胸中に渦巻く感情に、どうにかなってしまいそうだった。

 

 分かっていたじゃないか。俊樹にとって、ボクは親友。ボクが男に戻るための方法を考えてくれている彼にとって、ボクは男だ。

 分かっていたことだ。そう言い聞かせても、胸の痛みはいっこうに治まらなかった。

 

「……変なこと言ってごめん」

「そんなこと、言うな」

 

 彼は、ボクと目を合わせてくれなかった。その様子に、また胸が張り裂けそうになる。ああ、終わった。ボクの告白だけじゃなくて、彼との友人関係すらも、終わった。

 

「じゃ、じゃあ、最後の花火も見れたことだし、行くか」

 

 ああ、ボクの貼り付けた笑顔は歪んでいないだろうか。涙は、こぼれていないだろうか。倒れ込んでしまいそうな脱力感。精一杯の勇気を振り絞った告白は、失敗した。

 

「お前、泣いてるのか……?」

「え?――あ」

 

 頬を触って、気づく。生温い液体の感覚。どうやらボクは、泣いているみたいだった。

 

「ちがっ……これは、違くて……」

 

 言葉とは裏腹に、ボクの瞳から流れる涙は増える一方だった。やがて、ボクは嗚咽を漏らして泣き始めた。

 

「う……ああ……ああああああ」

 

 止まらない。違うのに。ボクは、彼に困った表情をさせたくて告白したんじゃないのに。感情を制御できない自分が情けなくて、また泣いてしまう。

 

「ゆうきっ!」

 

 突然、俊樹の声がした。次の瞬間、ボクの冷え切った体は、優しい温かさに包まれた。俊樹が、ボクを抱き止めていた。

 

「ごめん」

「あや……まるな……悪いのはボクだから……男なのにこんな感情を持ってしまったボクだから……」

 

 俊樹を困らせたくて泣いているわけじゃない。そう思うのに、彼は抱きしめる力を強めるばかりだった。

 

「俺が、言葉足らずだったせいで、ゆうきを傷つけた。だから、今度はハッキリと言葉にしたい」

「え……?」

 

 言葉の意味が分からなくて、ボクは顔をあげた。

 

「俺も、お前が好きだ」

「――ッ!」

 

 驚きに、ボクは目を見開く。

 

「でも、俺がお前の告白を受ければ、お前は男に戻る。だって俺は、お前に心の底から惚れていたからだ。手が触れるだけでドキドキして、表情の一つ一つに魅力を感じて、もっとお前を見ていたいと思った。こんな日々が、女になったお前との日々が、ずっと続けばいいと思ってしまった」

 

 ああ、感情の整理が追いつかない。歓喜の渦に、どうにかなってしまいそうだった。

 

「でも、そんな日々ももう終わりだ。俺はお前に告白した。心からの、真剣な告白だ。これでお前も男になって、元通りだ」

 

 気づけば、俊樹の目には涙があった。涙に滲む視線でそれを認めたボクは、また涙を流す。

 

「なんでお前まで泣くんだよ……馬鹿……」

「うるさい。お前は何も考えずに喜べばいい。これで男に戻れるんだろ」

「でもっ!」

 

 諦めたような彼の言葉に、ボクは思わず言い返していた。

 

「せっかく想いが通じたのに、元通りなんて、今のボクには考えられない! ボクはもう、お前と親友以上の何かになることを望んでしまっているんだ!」

 

 泣きはらした顔で見つめる。初めて見た彼の泣き顔は、思ったよりも可愛らしくて少し笑いそうになる。ああ、こんなにも愛おしい感情になるのも、これが最後になるのだろうか。ボクが男に戻れば、もう二度と――

 

 

「クックック! 素晴らしい!」

 

 夢の中で聞きなれた声。いつの間にか、悪魔は現世に降り立っていた。冗談のような容貌の黒い影が、現実に堂々と立っている。

 

「あ、悪魔お前、ボクの夢から出れたのか!?」

「当たり前だ。俺は人間を越えた存在だからな」

「……実際に目にすると、冗談みたいな光景だな」

 

 初めて悪魔を目にした俊樹が、悪魔をじっと見つめていた。

 

「さて、俺の呪いを受けたお前、無事に呪いを解く条件を達成したみたいだな」

「……本当に達成してるのか? コイツは本当に心からボクに惚れていたのか?」

「ゆうき!?」

 

 いや、正直上手くいきすぎて信じがたいっていうか、都合よすぎて嘘みたいっていうか……。

 

「クックック! 安心しろ! 貴様の隣にいる男は、それはもうお前に心から惚れている! なんならだいぶ前から俺の言う条件には達していたな。お前がそれに気づいたら呪いを解いてやろうかとも思ったのだ。しかし楽しそうだから放っておいた」

「あ、悪魔お前ー!」

 

 呪いが解ける状態だったなら言えよ! なんで楽しそうだから放っておくんだよ!

 

「それで、お前は条件を達したわけだが、どうするのだ?」

「……どうって?」

 

 ボクが問い返すと、悪魔はキョトンとした顔で聞き直してきた。

 

「だから、呪いを解くのか解かないのか」

「は、はあああああ!?」

 

 驚愕の声をあげたのは、ボクではなく俊樹の方だった。

 

「おい自称悪魔! ゆうきは呪いを解くのか自分で選べるのか!?」

「そうだが?」

「じゃ、じゃあ! 数か月俺が悩んできたのはいったいなんだったんだ! コイツを男に戻すために告白するべきか、それともこの関係をズルズル続けたいのか、とか色々悩んでいた俺の苦悩は!?」

「全部無駄だな」

「ハーッ……!」

「落ち着け俊樹! コイツ相手にキレてもいいことないぞ! おちょくられるだけだ!」

 

 ボクが経験則から得た教訓を伝えると、俊樹はようやく落ち着きを取り戻した。

 

「それで、どうするのだ。解くのか、解かないのか。言っておくが、これがお前の最終決断になるぞ。もう一度性別を変えてくれ、なんて願いは聞かないからな」

 

 厳かな口調で、悪魔は告げる。けれど、ボクの答えは既に決まっていた。

 

「――もちろん、このままでいい」

「……あっさり決断したな。貴様の人生を左右する大事な決断だぞ」

 

 俊樹も心配そうにボクの決断を見守っていた。だからボクは、そんな彼を安心させるように、彼の腕を取った。

 

「コイツとの愛以上に大事なものがボクの人生にあるか?」

「――!」

 

 一瞬、悪魔と俊樹が驚愕の表情で止まった。ややあって、悪魔が喋り出す。

 

「貴様、重いな」

「確かに、重い」

「俊樹!?」

 

 裏切られた!?

 

「でも、浮ついたお前を俺から離れないようにするには、それくらい重い方がいいかもな」

 

 俊樹は微笑むと、寄り添うボクへと体重を預けてきた。

 

「……貴様らの行く末は俺が心配する必要なんてなかったな」

 

 悪魔は似合いもしない優しい笑みを浮かべた。それがなんだか分かれの挨拶みたいに見えて、思わずボクは問いかけていた。

 

「なあ悪魔、最後に聞いていいか?」

「なんだ」

「どうしてボクだったんだ? どうしてボクを、女の子にしたんだ?」

「ふむ。最後だから語ってやろう。――かつて、俺は愛の神と呼ばれていた」

 

 不思議と、ボクに驚きはなかった。

 

「時代が移り変わり、信仰と愛の在り方が変容し、それに伴い今の俺はもう愛の神と呼ばれるような存在ではなくなった。しかし、この薄汚れた現代でも、純粋な愛が見たかった。性別の壁すら乗り越える愛の可能性を、お前らに感じたのだ。だからこそ、俺はお前に呪いをかけた」

「……ボクが男の頃からコイツのことが好きだったと?」

「前も言っただろう、人間。愛を区別する意味などない。貴様らの友情は、俺の思い描く純粋な愛へと達する可能性があった。俺はそれにちょっとした変化のきっかけを与えただけだ」

「……相変わらず、価値観がズレてるな」

「俺の価値観がズレているのではなく、貴様ら人間の価値観が薄汚れ、擦れていっただけだ」

 

 これ以上話すことはない、と言いたげに、悪魔は背中の蝙蝠の羽根を羽ばたかせた。どうやら飛び立つつもりらしい。

 

「人間のように別れを惜しむつもりはない。ただ、せいぜいその愛を変わりなく育むように」

「お前に言われるまでもないよ」

「ふん」

 

 悪魔の体が宙に浮く。最後に、ボクは一番言いたかったことを告げた。

 

「悪魔! いや、愛の神!――ありがとな!」

 

 ボクの言葉に、黒い影は何も答えることはなかった。それを見送ったボクらは、顔を見合わせ、どちらともなく笑った。お互いの腕は、ずっと絡まったままだった。




次話が最終話となります


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とわに!

 夏休みが終わり、二学期が始まった。うんざりするような残暑の中、ボクたちはまた制服姿で通学路を歩いていた。

 

「なあ、何も教室に入るのにくっついていくことはないんじゃないか!?」

「えー、いいだろ。俊樹はボクのもんだぞ、って主張するためだよ」

「犬のマーキングみたいなもんか」

「最悪な例えだな!? お前本当にデリカシーない!」

「今更普通の女の子みたいな扱いを期待されても困る」

「それもそうだけどなあ……」

 

 口ではとやかく言いつつも、ボクらは手を繋いだまま教室に入った。朝の挨拶に答えながら、席へと進む。

 名残惜しくも俊樹の手を離し席に着くと、待っていたかのように栗山さんと片岡さんのコンビが話しかけてきた。

 

「ねえねえ稲葉さん! なんだか夏休み前までとは違くない?」

「やっぱり水着? 何かあったの!? 教えて!」

 

 畳みかけてくる二人に、ボクは落ち着いて答えた。

 

「まあ、付き合うことになったよ」

「おおー! 解説の片岡さん、彼女の言葉、どう見ますか?」

「そうですね、これは正妻の貫禄といったところでしょうか。この落ち着きような、彼女の言葉に間違いはないでしょう」

「「フー!」」

 

 二人同時に囃したててくる。夏祭り前のボクなら、顔を真っ赤にして反論していたかもしれない。しかし、今のボクはその程度で動揺しない。なぜなら、告白という最高に恥ずかしいことを既にやっているからだ!

 

「……あれ、稲葉さん、本当に変わったね」

「うん……あれが付き合った人の余裕かあ……羨ましいなあ」

 

 

 ひそひそ語り合う二人は、やがて話を終えると、どちらからともなく言った。

 

「おめでとう、稲葉さん」

 

 

 

 

「なに話してたんだ?」

「うーん、惚気話?」

「なんだそれ……」

 

 呆れた様子の彼。そんな時の顔は、告白前から変わらない。

 

「なんだよー。そういうお前も、男子相手に惚気てるんじゃないのか?」

「お前じゃないんだから、そんな軽薄はことはしていない。……まあでも、あいつは俺のものだぞ、っていう牽制くらいはしてるかもな」

「……うわー、こわ」

 

 口ではそんなことを言っていたが、内心は凄く動揺していた。

 コイツ……告白するまではなんでもないように振舞っていたけど、結構独占欲強いぞ!?

 心臓がバクバク言うので、そういう言動は控えてもらいたいものだ。

 

「ああ、そうだ。桃谷にお礼を言いに行くんだっけ? 俺も行くから、いついくのか教えてくれ」

「ああ、うん。放課後に待ち合わせしてるんだ」

 

 あの後、ボクは誰にアドバイスをもらったのか、と俊樹に問い詰められた。どうやら、あまりにも完璧なデートプランと告白のセットアップに、アドバイザーの存在を悟られたらしい。

 

「……というか、俊樹は桃谷さんと中学の頃そんなに仲良かったんだね」

「仲良かったっていうか、ちょっと相談に乗ってもらったりしてたんだよ」

「へえー。俊樹が相談事なんて、あんまり想像つかないなあ」

 

 なんでも自分で解決できるようなイメージだったので、意外だ。

 

「そんなことはない。例えば、彼女の扱い方とか知らないしな」

「……本当に付き合ったことないんだね。なんで?」

「まあ、近寄りがたいんだろ。あんまり表情でないし」

「ええー、顔をよく見てれば結構考えてること分かるけどなあ」

 

 嬉しい時はちょっと眉が上がったり、怒ってる時はちょっと目が細くなってたり、そういうのを観察しているのは結構面白い。

 

「……それはたぶん、お前だからだろ」

 

 ぶっきらぼうに言った彼は、そっぽを向いた。

 ああ、今のは分かりやすい。照れてる反応だ。

 

 

 

 

 桃谷さんには、放課後の掃除が終わった後に教室で待っていてもらっていた。掃除を終えたボクは俊樹と合流して、一年生の教室へと向かった。

 

「失礼しまーす。……あれ?」

 

 見れば、座っている桃谷さんの前に、一人の男子生徒の姿があった。

 

「絶対面白いからさ! 行こうよ、映画!」

「い、いえー。私にも予定がありますからー」

 

 詰め寄る男子生徒に、桃谷さんは少し困った様子だった。それを見かねた俊樹がずんずんと近寄っていく。

 

「おい」

「なんだよ……うわっ」

 

 俊樹の威圧感のある仏頂面に、男子生徒が驚いたようにのけぞる。

 

「あんまり無理やり迫ると嫌われるぞ」

「ッ! 分かったよ」

 

 男子生徒は気まずそうに答えると、すごすごと教室を後にした。

 

「誰にでも優しいのは美徳だが、同時に欠点だな、桃谷」

「……ご忠告、ありがとうございます、秋山先輩」

「誰かれ構わず助けるからそういうことになるんだ」

 

 俊樹は少し呆れたように肩をすくめた。意外に近い二人の距離に、なんだか少し面白くない気持ちになる。

 でも、桃谷さんに感謝しているのはボクも同じだ。

 

「桃谷さん! 何か困っていることがあれば、今度はボクが力になるからね!」

 

 ボクが声をかけると、桃谷さんは少し驚いたように目を見開いた。そして、いつものおっとりとした笑みを見せた。

 

「稲葉先輩も、ありがとうございます」

 

 人の悩みに対して最適の解決案を提案する桃谷さん。そんな彼女にも、どうやら悩みはあるみたいだ。

 

「ああ、それから、ボクらは改めて礼を言いに来たんだ。桃谷さん、ボクらが付き合うための手伝いをしてくれて、本当にありがとう!」

「お二人が幸せになれたのなら、何よりですー」

 

 おっとりと、そして嬉しそうに、桃谷さんは笑った。

 

「しかし、あの気難しい秋山先輩とゴールインするとは、稲葉先輩もなかなかやりますね」

「ええ、そうかなー?」

 

 桃谷さんにそう言われると、まんざらでもない。

 

「俺からも、礼を言う。うじうじと悩んでいた時に、お前にはよく助けられた」

「いえいえー。……そういえば、告白のジレンマは解消されましたか?」

「まあな。……簡単に言えば、俺の悩みは全部無駄だったよ」

「あらあら。まあ、全部解決したのなら良かったじゃないですか」

「そうだなあ。お前に色々相談したり悩んだりしていた時間が全部無駄だったことには、少し思うところがあるけどな」

 

 ……そんなにも、俊樹はボクに告白して男に戻すのか、女のボクと変わらず過ごすのか悩んでいたのか。気づかなかった。

 

「俊樹、そういう悩みは、これからボクにも話してくれよ。頼りないかもしれないけど、ボクだってお前の力になりたい」

「ああ、ありがとうな」

 

 俊樹が珍しく笑みを見せたので、ボクもつられて笑った。

 

「見せつけてくれますねー。でも私のお手伝いしたお二人が幸せそうなら、私も幸せですー」

 

 ボクらの様子を眺めていた桃谷さんは、本当に嬉しそうに笑っていた。

 

 

 

 

「なあゆうき。お前の人生に俺との愛以上に大事なものなんて存在しないって話、本気だったのか?」

「え? 当たり前だろ?」

 

 何をいまさら。

 

「でも、俺たちはまだ十代で、これから色んなことを経験するだろ。進学、就職、転職、結婚。そういうものを経験して尚、お前は女としての人生を選んだことを後悔しないのか?」

「ないよ」

 

 きっぱりと、ボクは言った。

 

「もちろん、女であることが嫌になることだってあるかもしれない。性的な視線を向けられた時。結婚についてあれこれと言われた時。子どもが生まれた時」

「こっ、こども!?」

 

 なにやら驚いている俊樹はひとまず置いておいて、ボクは話を続ける。

 

「それでも、そんな些事は全部、お前との愛の前では意味のないことだって思ってる」

 

 それだけは、確かに言える。若気の至りかもしれない。見識のない愚か者の戯言かもしれない。でも、今のボクは胸を張ってそう言える。

 

「……お前は、やっぱり馬鹿だな」

 

 言葉とは裏腹に、俊樹は笑っていた。




最後までお付き合いいただきありがとうございました!


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番外前編 ふぁーすときっす!?

多分覚えてなくても読める……はず


「うーん……」

 

 鏡の前でうなりながら、ボクは自分の髪をいじっていた。映っているのは相変わらず美少女フェイスのボクだ。やや童顔ながら可愛らしい顔。パッチリと開いた目。ロングヘアーは日頃のケアをかかさなかった結果見事な艶だ。

 

「既に可愛い……可愛いけど、なんかもっと可愛くなりそうな気がする……」

 

 入念にリップを塗る。……いや、あんまり濃いのもあれかな。唇の状態を入念に確認しながら、ボクはひとりごちる。

 

 今日選んだ服を見る。うん、こっちも可愛い。栗山さんと片岡さんと一緒に買いに行ったかいがあった。

 

「姉貴、いつまで鏡の前でうなってんの? 邪魔なんだけど」

 

 背後から声がした。鏡でそちらを確認すると、そこには妹の理子が呆れたような顔で立っていた。

 

「あとちょっと。もう少しで最高に可愛い美少女が完成する気がするんだ」

「……それ自分で言う? もう十分悩んだでしょ。アタシから見ても可愛いから、さっさとそこどいて。というか秋山さんなら絶対褒めてくれるって」

「な、なんでボクが俊樹と出かけるって知ってんだよ!?」

「態度見ればまるわかりでしょ!? ズボラな姉貴がそんな気合入れて準備するところデートの日以外に見たことないっつの!」

 

 理子は小学生に当然の摂理を教えるように言い放った。

 

「うーん、そんな分かりやすいかなボク」

「うん。空腹で餌を待ってる子犬みたい」

 

 失礼なたとえだ。ボクは憤慨したが、冷静に自分を見返すと案外間違っていないかもしれないと思い口をつぐんだ。

 

 

 身支度を終え、家を出る。空を見上げると、カラッとした秋晴れだ。

 ワクワクと跳ねてしまいそうな足取りで待ち合わせ場所まで向かう。目印になっている店の前にはまだ誰の姿もない。

 ボクは待ち合わせ場所に立ってしばらくスマホをいじっていた。

 

 少しして、こちらに向かってくる足音が聞こえる。ボクは勢い良く前を向いて彼の姿を確認した。緩んでしまう顔を必死に押さえつけて、ボクはしかめっ面を作った。

 

「悪い、待ったか」

「遅いよ! 遅い! 日が暮れるかと思ったよ!」

「いや、そうは言っても時間30分前なんだが。というかお前が明日起きられないかも、とか言ったから遅めに時間設定したのになんでこんな早くいるんだよ」

 

 うっ……痛いところをついてくる。

 しかし、そういう問題ではないのだ。

 

「知りませーん。ボクのような美少女を待たせた俊樹は重罪なので、今日の映画を選ぶ権利は剝奪です」

 

 ボクの言葉に、俊樹は呆れたような苦笑いを浮かべた。

 

「お前最初から自分の好きな映画見るつもりだっただろ」

「まさかまさか。ボクはできる彼女だからね。我儘な彼氏の言うことは最大限聞いてあげて今日のデートプランを構築するつもりだったよ。できる彼女だからね」

「我儘はお前だろうが。昨日も夜遅くまで通話に付き合わせやがって。なんで寝る前にお前の死ぬほどどうでもいい話を聞かなけきゃならないんだ」

「なんだよー! 話くらい聞いてやるって最初に言ったのはお前だろ!?」

 

 俊樹が「まあ、悩みとかあるなら遠慮なく電話とかして来いよ」とか言うから喜んで話したのに! なんてひどい手のひら返しだ。

 

「いや、前半はともかく後半はいつでも聞ける話だっただろ。俺の睡眠時間を返せ」

 

 まあ、後半はおしゃべりが楽しくなってしまったのは確かだが。しかし、それを認めるのはボクのプライドが許さない。

 

「ふ、ふん! ボクには君のくだらない話を聞く時間がないんだ! いいからさっさと行くぞ。映画が終わっちまうぞ!」

「コイツ……」

 

 歩き出すと、ブツブツ言いながら俊樹がボクの横に並んでくれる。

 車道側に立つ彼を見上げると、その顔はほんの少し笑っていた。

 

「お前がうるさいから言いそびれたが、その服似合ってるな」

「……」

 

 ず、ずるいぞコイツ……! 

 赤らんだ顔を見られるのが恥ずかしくて、ボクは顔を逸らした。俊樹が笑みを深めた気配を感じて、ボクはますます顔が赤くなってしまった。

 

 

 

 

 バスに乗れば、ショッピングモールまでは直通だ。休日の昼間だけあって、バスの中もショッピングモールも混んでいる。

 

「ほら、手」

 

 俊樹がぶっきらぼうに言って手を出してくる。

 ボクはニヤニヤ笑って彼に聞いた。

 

「んー? なに、手? 手がどうしたんだ? なあ俊樹、手じゃ分かんないよ。 ごめん、ボク馬鹿だからさ!」

 

 ハッハッハ! 先ほど赤面させられた仕返しだ。ほら、照れながらボクに手を繋いでくれませんかと許可をねだれ!

 

「だから、はぐれないように……」

 

 恋人ごっこ、なんていう口実を失ったボクらはもう恥ずかしいことをするのにも言い訳ができない。

 そのことをよく分かっているボクは、遠慮なく俊樹を煽るのだった。

 

「はぐれないように? なに?」

「……」

 

 ニヤニヤ笑うボクを俊樹はじろりと睨む。しかし、ボクはその程度では動じない。

 いったいどれほどお前の鉄仮面を見てきたと思ってるんだ。微妙に照れが混ざった顔じゃボクはびびらないぞ!

 しばらく口を開いたり閉じたりして迷っていた俊樹は、やがて何も言わずに強引にボクの手を握った。

 突然の接触に、ボクは心臓の鼓動が早くなったのを感じた。

 

「お、おい! それはズルだろ!」

「うるさい。お前この人混みで一人になったら面倒なことになるだろ」

 

 俊樹がボクの方を見もせずに言う。彼も照れてるのかもしれない。

 でも、彼がボクの顔を見ないでくれてよかった。 

 ちょっと強引なのもいいな、なんていう乙女みたいな考え、恥ずかしいから彼には悟られたくなかった。

 

 

 

 人混みの中を縫うように移動して、ショッピングモール内の映画館へ。券売機の列に並ぶと、ようやく手を離した俊樹が話しかけてくる。

 

「本当に前もって席取っておかなくて良かったのか? なんかすごい混んでるけど」

「分かってないなー、俊樹は。そんなんだからボクと付き合うまで彼女できなかったんだよ!」

「おい、一度も彼女できたことないお前に煽られる筋合いないんだが」

「そ、それは言わないのが武士の情けってもんだろ!?」

 

 コイツには人の心ってもんがないのか。

 いや、非モテ二人でこんな論争をしていても不毛なだけだ。

 ボクは映画の方に話を戻す。

 

「オホン。映画館で映画を見るっていうのは単に映像を見るだけじゃなく、非日常の体験なんだよ」

「おお、お前にしても賢そうなこと言うな。誰の入れ知恵だ?」

「……」

 

 桃谷さんにまた相談したことを伏せるために、ボクは黙秘権を行使した。

 

「映画見るだけならサブスクでもダウンロードでも見れる。それでもボクたちが映画館に来てるのは、大スクリーンの前で同じものを見てるっていう体験を共有するためだろ?」

「ああ、そうかもな」

 

 俊樹が頷く。

 

「映画館っていう非日常空間を全力で楽しむために、ボクたちはワクワク感を持って映画を見るべきなんだよ。だから、見る映画はその場で決める。ライブ感だ。ボクは前情報とかあえて見てない」

「まあ、お前がやりたいことは分かったよ。それで、何見るんだ?」

 

 俊樹が映画のポスターを指さす。アクション映画。ドキュメンタリー映画。サスペンス。コメディ。恋愛。

 その中からボクが選んだのは――。

 

「あ、あれ……」

 

 

 恋愛映画だった。

 

 

 

 

 

「珍しいな。お前がこういうの見たがるなんて。またコメディ系かアクション映画かと」

「だからライブ感だって。普段見ないやつのほうが新鮮じゃないか」

 

 言ってからなんだか気恥ずかしくなったので、ボクは誤魔化すように言う。

 映画の予告編を見ながら時々会話を交わしていると、やがて館内が暗くなった。

 周囲のざわめきが少しずつ収まっていく。

 

 

 映画のストーリーはよく言えば王道、悪く言えばありきたりだった。

 

 ひょんなことから少女の秘密を知ってしまった男の子。分厚い眼鏡で顔を隠した彼女は、実は超有名アイドルだった。

 

 少年の口封じをするために、少女は偽装の恋人契約を結び彼に「私と恋人同士でいたければ秘密を守りなさい」と言う。

 我儘で、けれど実は繊細な少女と交流していくうち、彼はますます彼女に惹かれていく。

 

 やがて少女は、親身に接してくれる偽装彼氏である少年に惹かれていく。

 彼のことが大事になってしまった彼女は、少年を自由にしようと「もう偽装交際は辞めよう」と言い放つ。

 

 ラストシーンは少年の告白だ。好意ゆえに彼を突き放そうとする少女に対して、彼はその胸の熱い想いをぶつける。

 やがて想いの通じ合った二人は、潤んだ瞳を交錯させてキスをする。

 

「っ……」

 

 

 キスシーンを見たボクは、思わず息を吞んだ。

 そう、これが見たかった。これを俊樹と一緒に見ることに意味があったのだ。

 

 映画の前情報を見ていないというのは真っ赤な噓だ。ボクはこのシーンを見るためにこの映画を見るように俊樹を誘導した。

 そのために桃谷さんの教えてくれた非日常感? とかいう言葉を使って、普段好まない映画を見ることの不自然さをカモフラージュした。

 

 今回、ボクはあの告白の日以来久しぶりに桃谷さんのアドバイスをもらっていた。

 最高の形で俊樹と結ばれたボクが、一体何を相談するというのか。

 

 それは、付き合って一か月経とうとしているのに未だにキスの一つもしていないことである。

 

 ボクは怒っている。大変おこである。

 こちらはいつでも準備OKなのに、俊樹は手を握る以上のことをなかなかしてこないのである。

 こちらを気遣った結果であることは十分伝わってきている。多分ボクがしようと言ったら頷いてくれる。

 

 それでも! ボクはあいつからキスしてほしいのである!



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番外中編 しょうぶ!

 映画館から出ると、俊樹は珍しく上機嫌だった。

 

「いやあ、恋愛映画なんてほとんど見たことなかったけど意外と面白かったな。お前の思い付きもたまには役に立つな。……ゆうき?」

「え? ああ、だろ! 優秀なボクに感謝して、今度から映画マスターと呼ぶといいよ!」

「一作いい映画引いただけで自信持ちすぎだろ」

 

 俊樹がため息を吐いてどこかを向いたので、ボクは安堵した。

 こちらの動揺を悟られることがなかった。

 

 ああ、策士策に溺れるとはこういうことなんだろう。ボクはキスシーンを見せて俊樹を動揺させようとしていたのに、気づけば自分がキスシーンに心奪われていた。

 

 ごめん桃谷さん……さすがの君の策でも今回は厳しいかもしれない。

 ボクが……ボクがあまりにもポンコツすぎた……

 

 彼女との会話を思い出す。今回の話は、ボクから彼女に相談したことから始まった。

 

 

 

 

「桃谷さん久しぶり」

「稲葉先輩、お久しぶりですー」

 

 おっとりとした桃谷さんの笑顔は全然変わっていなかった。

 外面だけ見ていると世間知らずのお嬢様にも見える。

 しかし実際は優れた頭脳と知略でボクというめんどくさい女子モドキを俊樹とくっつけた敏腕コンサルタントなのだ。

 

 彼女に相談すれば、だいたいのことは解決する。一年生の間では早くもそんな風に噂になっているらしい。噂は上級生にまで伝わってきている。

 ボクもまた、そんな彼女に相談事がある一人だった。

 

「それで稲葉先輩。見事ラブラブカップルになったあなたが、私をわざわざ訪ねてくるなんてどうしたんですかー?」

 

 間延びした声で彼女が聞いてくる。以前会った時はこちらの言葉を聞くまでもなく悩みを見抜いてきた彼女だが、今回のは見抜けなかったらしい。

 

「それがさあ、桃谷さん」

 

 ボクはキュッと眉をひそめて、真面目な表情を作った。そんなボクの表情が珍しかったのだろう。桃谷さんがパッチリした目を細めてボクを注視した。

 少しの沈黙が下りる。

 満を持して、勇気を出して、ボクは悩みを打ち明けた。

 

「俊樹がいつまで経ってもキスしてくれないんだけど、どうしたらいいと思う?」

「…………はいー?」

 

 桃谷さんが、先ほどの真剣な表情から一転困惑したような表情になった。

 

「そのー、稲葉先輩がどういう風に困ってるのか私にはよく分からないのですがー」

「いやだから、俊樹がキスしてくれないんだって」

「……ええー。お二人ならとうの昔にその先のステップまで行ってるものだと思ってましたー」

 

 桃谷さんは非常に珍しいガックリとした様子だった。

 

「まさか結ばれてから一か月後にそのような話を聞くとはー。しかし稲葉先輩も結構困っている様子。私でよければ助言を差し上げましょうー」

「おお! さすが桃谷さん!」

 

 なんて頼もしいんだ!

 それからボクは、詳しい状況について説明した。

 

 もうすでに何度かデートには行っていること。

 彼との会話は付き合う前とそれほど変わらなかったけど、それでもどこか違っていて、それがひどく心地よいこと。

 あの日から俊樹がボクの無防備なあれこれにやたらと注意してくるようになったこと。

 

「……そのままキスくらいすればいいんじゃないですかー?」

 

 桃谷さんはなかば投げやりだった。相談事に真摯な彼女にしては珍しい態度。分かってる。こんだけ同じ時間を過ごして、これだけ仲が良くてキスもできないなんて普通の男女いないだろう。

 でも、ボクと俊樹は普通じゃない。

 

 ボクはずっと男で、そう思って俊樹と関係を構築していた。

 それに、ボクはまだちょっとだけ男が怖い。大柄な男が近くにあると体が強張る。日常生活に支障が出るほどではないが、俊樹もそういうことを懸念しているのだろう。

 

 けれどもボクは、彼なら大丈夫だと思うのだ。彼の手のひらは暖かくて、ボクを包むみたいだ。彼の大きな体はボクを守って、幸せにしてくれると信じられる。

 

「……まあーお二人にしか分からない悩みもあるということですかねー。分かりました。私が策を授けましょうー」

 

 彼女の策、第一ステップはキスへの意識付けだ。

 ボクたちの関係はよく言えば気安いが、悪く言えばムードがない。

 あんまりまさに恋人同士って雰囲気じゃないらしい。

 

 だから、恋愛映画だったのだ。桃谷さんの選んだ映画を彼と一緒に見て、恋愛ムードを高める。

 

 しかしこの策は、俊樹は全然動揺してないのにボクだけ意識しているという大失敗に終わった。

 

 

 

 

「あ、あー! ずっと座って映画見てたから体硬くなっちまったなー。ゲーセンでも行かないか?」

 

 動揺を隠すように、ボクは大きく伸びをしながら彼に問いかけた。俊樹はなぜか一瞬ボクの体から眼を逸らしてから答えた。

 

「お前は本当に女になっても趣味が変わらないな……まあいいけどな」

 

 二人並び歩いてゲーセンコーナーへ。相変わらずの人の密集具合だったので、どちらともなく手を握る。

 体温を感じる右手に意識が集中してしまう。

 その手を少しにぎにぎすると、彼はくすぐったいそうにみじろぎした。

 

 そんなことをしてると、賑やかな音を鳴らすゲーセンコーナーに辿り着いた。

 

「じゃあ俊樹、さっそくだけど勝負な! 負けた方がソフトクリーム奢るってことで!」

「本当にいいのか? お前何やっても大抵俺に負けるだろ」

「ふふふ……今日のボクは一味違うからな。見てろよ」

 

 ボクたちが選んだのは、シンプルなレースゲームだ。

 ハンドルとアクセルを操作して車を操作して順位を競う。

 運転できるような年齢までもうちょっとのボクたちにとっては、手軽に非日常を体感できるゲームだ。

 

「いやあ、実はボクドライブとか憧れてたんだよね! なんかカッコいいじゃん。あのドリフトして駐車するやつやってみたいんだよね。タイヤから火花とか出してさ!」

「お前は一生運転するな……ゲームだけで満足してくれ、頼む……」

「おい、どうしてボクは免許を取る前に運転を諦めさせられているんだ。やってみたら案外うまいかもしれないだろ」

 

 俊樹とボクはゲーム台の席に座りながらどうでもいい会話をする。

 

「いや、無理だ。人様に迷惑をかける前にやめておけ。というか俺が運転するから。お前は黙って助手席に座ってろ」

「え、なに。俊樹はボクと一緒に車に乗る前提だったの?」

「……」

 

 俊樹は黙ってゲーム画面に目を向けると、レースを始める準備を始めた。

 よく見ればその耳はほんのり赤い。

 ボクはテンションが上がって彼に話しかけた。

 

「おいおいおい! なんだよ今の! まるで告白みたいじゃないか! 俺の車の助手席に乗ってくれってことか!? なあ、どんなドライブデートに連れていってくれるんだ? おいおいおい!」

 

 俊樹を全力で煽ると、彼はますます耳を赤くした。かたくなにこちらを見ようとしないのは好都合だ。ボクの頬まで薄っすら赤いことに気づかれてしまう。

 

「うるせえ! ひき殺すぞ!」

「こわっ!? 運転しようとする人間の発言とは思えないぞ!」

 

 レーススタート。

 耳を赤くした俊樹は、しかし華麗なハンドルさばきでどんどんと進んでいく。そもそもコイツは初めてやったことでも意外とうまくやってしまう憎らしい奴だ。

 

 しかし、このゲームは負けられない。

 見るがいい、ボクの華麗なるドリフトを……!

 

 

「あ、あああああ! せめて最後まで走らせろよ! なんでビリはゴールまで行かせてくれないんだよ!」

「お前が遅すぎるからだろ。というか何回壁にぶつかってんだ。現実だったら車ぼっこぼこだぞ」

 

 なぜだ……ボクのドリフトが通じなかっただと……。

 ぶっちぎりのビリでNPCにも敗北したボクは、がっくりと項垂れた。

 

「まさか言い出したお前がアイスをおごるのはなしだ、とか言わないよな?」

「当たり前だろ。ボクも男だ。……いや、女だけど。約束を破るような女だと侮るなよ!」

「はいはい」

 

 ボクの軽口を聞きながして、俊樹は至極当然のように手を出してきた。

 それを握ると、彼は自然な態度でボクをリードしはじめた。

 

 ……そう言えば、いつも通り遊んでいたら俊樹にキスさせる計画を忘れていたな。

 あまりにもいつも通り過ぎて何も考えていなかった。しかし、アイスを食べに行くのは桃谷さんが授けてくれた策の一つだ。

 

 ククク、とボクはあの悪魔みたいに笑う。

 見ていろ俊樹。絶対お前からキスさせてやるからな。



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番外後編 ふぁーすときっす!

 ソフトクリーム屋の前には複数のベンチが置かれていて、商品を買った人たちがそのまま食事を楽しんでいる。

ボクたちも例にもれず、一つのベンチに二人並んで座り、ソフトクリームに口をつけていた。

 

「ああ、なんかいつもよりアイスが美味いな。やっぱりお前のおごりで食うものは美味いな」

「くっ、こいつここぞとばかりに煽りやがる……」

 

 俊樹がニヤニヤという笑顔で俺を見ながら、ソフトクリームをパクリと加える。彼が選んだのは抹茶味。一方のボクはシンプルにミルクだ。

 

「……」

 

 食事をする彼を見ていると、ボクは無意識に唇を目で追ってしまっていた。ぷっくりとした、意外と綺麗な彼の唇。

 顔の火照りを誤魔化すように、ボクはソフトクリームを口いっぱいに頬張った。

 

 彼はボクが挙動不審なことには特に気づいてなかったようで、普通に話しかけてきた。

 

「しかし寒くなってきたのにソフトクリームっていうのも変な感じだな。わざわざ秋に食わなくてもよくないか?」

「え? 美味しくないか冬のアイス。ていうか抹茶も美味そうだな。一口くれ」

 

 ボクは彼の持つ抹茶ソフトクリームを指さした。

 

「お前、俺の食ってるもん自分のものだと思ってないか? 雛鳥じゃないんだから餌くらい自分で取れ」

「いやいや、これ買ったのボクの金。ボクのものと言っても差し支えないだろ」

「いや、お前がゲームで負けたからおごったんだろ?」

 

 彼が馬鹿を見る目がボクを見てきた。

 ふふ、お前はボクを馬鹿だと思っているかもしれないが、それは違う。

 これは策略だ。桃谷さんから授けられた素晴らしい作戦の一環なのである。

 

 ズバリ、間接キス作戦。相手のソフトクリームを食うことで、間接キスをする。そうすることで俊樹はキスという単語を意識してしまうのだ!

 なんて頭の良い作戦なんだ……桃谷さんの頭脳が怖いぜ……。

 

「分かった。頑固なお前のためにボクが譲歩してやろう。ボクはお前の抹茶を一口もらう。お前はボクのミルクを一口もらう。これで平等だ。どうだ?」

「俺はミルクが欲しいなんて一言も言ってないんだが?」

 

 ぼ、ボクの策略が通じないだと……! 

 ボクは彼をジトッと見つめた。彼は何食わぬ顔で抹茶アイスを食べている。

 あまりにも彼が動揺しないので、ボクは思わずぽろりと本音が漏れてしまった。

 

「……でも、そういうのって恋人みたいでいいじゃん」

 

 俊樹がこちらを勢い良く見た。目を見開いていた彼は、やがてちょっとだけ口角を吊り上げた。

 

「なんだよ。そうならそうと言えよ」

 

 俊樹が抹茶のソフトクリームを差し出してくる。よく見れば、その頬は赤い。

 

「な、なんだよ。別に無理にとは言ってないし。お前が嫌ならいい」

「急にいじけんなよ。いいから食え」

 

 さらに抹茶アイスをこちらに近づけてくる。同時に彼の体も近づいてきて、ボクの心臓はうるさく鳴りだした。

 

「……わかったよ」

 

 小さく口を開けて、一口。正直なところ、味はあまり分からなかった。

 俊樹の顔が近くて、彼の食べていたソフトクリームがボクの口の中にあって、そんな状況に頭がいっぱいだったからだ。

 

「じゃ、じゃあボクの分も」

 

 おずおずとソフトクリームを差し出すと、彼は頬を赤くしながらも一口食べた。

 

「……」

「……」

 

 気まずい、けれども心地よい沈黙がボクたちを支配した。

 交わす言葉がなくなると、周りの音が聞こえるようになる。すると、ボクの耳にどこか聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「あ、あーっ! これは……これは解説の片岡さん……!」

「ええ、ええ! 間違いなく甘酸っぱい間接キスと言えるでしょう! 見てください、稲葉さんのあの真っ赤な顔と潤んだ瞳を! なんと甘酸っぱい空間か。これはもう間接キスなどというレベルではありません。実質ディープキッスと言えるでしょう!」

「でぃっ……なるほど、たしかにそうと言えるほどの雰囲気が二人にはありましたね!」

 

 何やら興奮している二人組にズンズンと近づいて行って、ボクは問いかけた。

 

「……栗山さんに片岡さん、こんなところで何してるの?」

「あ、稲葉さんヤッホー。今日もラブラブだね」

「ア、稲葉さんごめんね。ぬ、盗み見するつもりはなかったんだ。声かけようと思ったんだけど、いい雰囲気だから話しかけづらくて」

 

 ニコニコ笑顔で応える栗山さんと、ちょっと申し訳なさそうな片岡さん。

 

「……どのあたりから見てたの? ていうか聞こえてた?」

 

 ちょっと気の弱い片岡さんをじっと見つめると、彼女は動揺しながら薄情してくれた。

 

「エット、二人がベンチに座る前からいたよ。声は……まあなんとなく話の内容が察せられる程度には……」

 

 ほ、ほぼ全部バレてた……。 ボクはがっくりと項垂れた。

 

「稲葉さん」

「なに? 盗み聞きしてた栗山さん」

「ご、ごめんって」

 

 栗山さんは謝りながらボクの耳に顔を近づけてきた。ちょうど、こちらを眺める俊樹から口が隠れるような態勢だ。

 いい匂いが近づいてきて、ボクは動揺する。

 

「稲葉さん、なかなかキスできないってぼやいてたでしょ? 心配してたんだけど、結構いい雰囲気だったから安心したよ」

「あ、ありがとう……」

 

 栗山さんは素敵な笑顔でボクから離れると、サムズアップした。

 

「大丈夫。稲葉さんは可愛い見た目をしてるけど男の子みたいにカッコいい勇気を持った子だって知ってるからね!」

 

 片岡さんもそれに同意するように優しく微笑んでいた。

 

 

 

 

「なに話してたんだ?」

 

 二人との話を終えて戻ってきたボクに俊樹が問いかける。

 

「秘密だよ。女の子の秘密ってやつ」

「お前がそれを語るのか」

「まあな。さ、食い終わったなら行こうぜ」

 

 秋の日没はどんどん早くなっている。

ボクは夜に出歩くとロクにならないことは以前酔った男に絡まれた経験から分かっている。ボクたちが一緒に遊ぶ時は大抵早めに家に帰り、それから通話を繋いでゲームをしたりする。

……女になってから出来てないけど、いずれ泊まりで遊んだりしたいな。それでそういう雰囲気になったりして……

 

「いやいや、前段階すらまだなのにボクは何を考えているんだ」

「おい、どうした?」

「なんでもない。これも女の子の秘密ってやつだ」

「そうか? お前秘密増えたな」

 

 まあね。友人同士ならともかく恋人同士だからね。

 

 俊樹の手を掴んで、ボクたちはショッピングモールの外へと出た。

 

 ……これは、桃谷さんの授けてくれた策とは異なる行動だった。

 彼女の言葉を思い出す。

 おっとりとした顔を引き締めて、桃谷さんはこんなことを言っていた。

 

「最後のキスは、雰囲気作りが大事です。告白の時と一緒ですね。静かな場所と、落ち着いた雰囲気。夕陽がバックなら完璧でしょうね。そのため、夕方にはイベントがなくなるショッピングモールの屋上が最適です」

 

 

 たしかにそうだ、とその時は思った。実際のところ、間違いのない助言だったと思う。

 ただ、ボクは今になってある考えが頭に浮かんだのだ。

 

「俊樹、一個先のバス停まで歩かないか?」

「え? まあいいけど。……どうした?」

「いや、気温もほど良くて、夕焼けも綺麗だろ。ちょっと歩きたい気分だったんだよ」

 

 ショッピングモールの前には大きな車道がある。その脇を徒歩で移動しているのはボクらくらいのものだ。

 猛スピードで通りかかる車のエンジン音をBGMに、ボクらは会話をする。

 

「俊樹、今日はちゃんと楽しんでたか?」

「なんだよ急に。お前らしくもない」

「あっはは。そうか?」

 

 ちょっと不安になったのだ。恋人っていう関係になって、ボクはずっと毎日が楽しい。

 けれど、彼がどう思っているのか分からない。ひょっとしたら、改めて一緒に過ごしていて恋人という関係に違和感を覚えたのかもしれない。

 

 ハグだとかキスだとか、そういうことを全く言い出さない様子から、ボクはそんな不安を持ってしまった。

 

 そう思ったから、彼は本当はキスだとかそういうことを求めていないのではないかと思ったから、ボクは屋上には行かずに一個先のバス停まで歩くなんていう中途半端な選択を選んでしまった。

 

「お前が心配に思うことなんてない。俺はお前といれて楽しいし幸せだ」

 

 ……ズルいじゃないか。急にそんな素直な言葉を返されたら、動揺してしまう。

 

「じゃあ、さ」

 

 ()()()を出す。ずっと怖かった一歩を踏み込んで、ボクは問いかける。

 

「ボクと恋愛的なことをするのは嫌? 抱きしめたり唇を合わせたり、そういうことは嫌?」

 

 その言葉に、俊樹はハッとしたようにボクを見た。

 

「ボクが男が怖くなって、お前がそれを心配してくれてるのはよくわかってる。体の接触が怖いんじゃないかって思って手をつなぐ以上のことをしないのも。……でもさ、不安なんだよ」

 

 ああ、ボクはどうしてこんなことを彼に話しているんだろうか。こんなはずじゃなかったのに。弱音を吐くつもりなんてなかったのに。もっと堂々と、彼からキスを望むことを待つつもりだったのに。

 

「あの日ボクが好きだと言ってくれたお前の気持ちに嘘はなかった。でも、その感情がいつまでも不変とは限らない。恋人と接していて、結局コイツとは友人なんだなと思い直したのかもしれない。……なあ、どうなんだ?」

 

 いつの間にか、ボクたちは足を止めていた。バス停に到着していた。ボクたち以外に誰もいない。

 通り過ぎる複数の車が鳴らすエンジン音がひどく遠くに聞こえる。

 

「ゆうき」

 

 俊樹の真剣な瞳がボクの目を捉える。ボクは唾を飲んで彼の言葉の続きを待った。

 

「お前を心配してすまなかった」

 

 ゆっくりと、ボクの動きを確かめるように躊躇いながら、彼は両手を広げてボクに近づいてきた。ボクもまた、両手を広げる。

 

「……」

 

 抱擁を交わすと、お互いの体温がひどく高いことに気づいた。俊樹の少し大きな体が、ボクの小さくなった体を包み込む。

 ばくばく、という心臓の音が相手に伝わるんじゃないかと思うほどだった。

 

「……俺だと、怖がらないんだな」

「当たり前だろ、馬鹿。さっさと気づけ」

 

 俊樹の吐息がすぐそばに聞こえる。もう車の音なんて聞こえない。

 彼は一度ボクをきつく抱きしめると、ちょっと体を離した。

 

「……恥ずかしいから目を閉じてくれないか?」

「……やだよ。散々待たせた罰だ」

 

 俊樹は顔を真っ赤にして躊躇っていたが、やがて少し身をかがめてボクの顔に近づいてきた。目を細めて、優しい顔をしている。

 ボクはちょっとだけ背伸びをすると、唇を前に出す。

 永遠にも思える空白の時を経て、ボクたちの唇は交わった。

 

 その感触に、ボクは今まで感じたことのない幸福感を覚えた。

 まるで世界に二人しかいないような気がして、ただ目の前にいる彼の存在だけを全身で感じる。

 

 無限にも思えた時を経て、彼の唇が離れていく。

 車の音が耳に入ってくるようになる。ボクは自分がどこにいるのかようやく思い出した。

 

「これで良かったか?」

 

 俊樹はまだ薄っすら頬を赤くしてボクに問いかけてきた。

 

「うん。……お前は?」

「ああ、我慢してた自分が馬鹿だったと思えるほど良かったよ」

 

 二人して顔を真っ赤にして、ボクらは顔をそむけた。

 

「まあ、ボクの思い通りにはいかなかったけどこれで胸を張って俊樹の恋人だった名乗れるな」

「思い通り? ……ああ、なんかデート中ずっとおかしかったもんなお前。映画のチョイスも間接キスも誰かの入れ知恵か?」

「気づいていたのかよ。そうならさっさと言えよ、馬鹿」

 

 ボクのいじましい努力に気づいたのならさっさと言ってくれ。

 

「……聞こうとしてたんだよ。でも、キスしたいのかなんて聞きづらくて、それにお前のトラウマを刺激するのが怖くて、なかなか言い出せなかった」

「な、なんだよー! ボクが勇気出した意味は!? 放っておいてもできたってことか!?」

「悪かった」

 

 俊樹は素直に頭を下げた。

 急に素直に謝るなよ。普段は絶対謝罪なんてしないくせに。

 

「ふ、ふん! お前はとびきり美少女のボクを恋人にしておきながら不安にさせた罪でこれから毎日き……き、っすな!」

「肝心なところで照れるなよ。何言いたいか分からなかったぞ」

 

 ニヤニヤ笑いの俊樹がからかってくる。ああ、こうなるといつもの彼だな。

 先ほどの優しい彼も好きだけど、こっちの彼は安心する。

 

 そんなことをしているうちに、バスが到着したようだ。ボクたちの目の前に大きな車体が止まり、扉が開く。

 

 俊樹は先にバスに乗ると、ボクの方に手を差し伸べてきた。

 

「ほら」

 

 彼の手を取って、バスの乗降口を昇る。別に手を借りなくても乗れた。でも、ちょっとでも彼に触れていたかった。

 

 

 ボクらを乗せたバスは、やがてエンジン音を立ててその場を出発した。

 ボクたちは、このまま行きと同じ道を通って家に帰るだろう。

 

 しかし、もう既に行きの頃のボクらとはちょっと違う。少しだけ関係が前に進んだ実感が胸の中に残っている。

 

 たかだか唇を合わせた程度、と経験豊富な大人なら笑うかもしれない。

 けれども、ボクらの心は以前よりもさらに近づいたという確信を持つことができた。

 彼も同じことを思っているはずだ、とボクはその横顔を見る。すると、こちらを観察していた彼と目が合って思わず目を逸らす。

 ああ、気まずくて、恥ずかしくて、体の奥が熱くて、どうにかなってしまいそうなほどに嬉しい。

 

 ファーストキスは、想像していたよりもさらに幸せなものだった。




これにて番外編は終わりです。
ここまで付き合ってくださった皆様ありがとうございました!

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