怪盗283と四月の終わらない嘘 (キョクアジサシ)
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20XX年XX月XX日 AM 8:10

「おはようございます、八宮さん。もう起きていたんですね」

 

 身支度を整え、正面玄関前のロビーへ向かった俺はジャケットを着直していた彼女へ声をかけた。

 

「あ、おはよー、お弟子さん! 今日もいい天気だね!」

 

 八宮さんは元気な声で答え、明るく表情をほころばせて見せる。

 手を振りながら俺の近くへ駆け寄り、キョロキョロと周囲へ視線を巡らせた。

 

「他のみんなはまだ寝てるのかな?」

「他の……? ああ、大崎さんに園田さん、幽谷さんのことですか。彼女達はお休みのようですよ。……昨晩も、ずいぶん盛り上がっていたようで」

 

 俺が最後に付け加えた言葉に八宮さんは、「あ、あはは、そうだったかもね?」と苦笑する。

 その目線は窓の外、晴れた早朝の光へ向けられており、外気には暖かさが満ちているようだった。

 

「た、たまに会うと積もる話もあるってことだよ~! でも、日付が変わる前には寝たし! ……騒がしくしちゃったかな?」

 

 少し申し訳なさそうに彼女は肩をすくめて見せ、俺はあの四月の事件から今日までの日々を思い出す。

 

「……あの事件があってから、皆さんがこの洋館をホテルのように使っていらっしゃるので、慣れました。……ええ、お仕事も忙しいようで何よりです」

「も、もう~、そんなこと言わないでよ~。部屋はたくさんあるんだし?」

「それはそうですが、後で掃除をするのは私とはづきさんなので。……とはいえ、『怪盗283』ともあろう者が簡単に姿を人前にさらしてもいいのですか?」

 

 その言葉を聞いた八宮さんは一度頭を掻いた後、ロビーに設えてあるソファーへ腰を下ろした。

 そして正面の椅子を指差して見せたので、俺はそれにならってそこへ座る。

 やがて、八宮さんは声色を中性的なものへ変えて話し出した。

 

「そう堅くなる必要もないさ。山の奥に隠れ住むより、人里へ降りた方が却って見つからないものだからね」

「……っ!」

 

 その捉えどころのない口調に俺は驚きながら、言葉を返す。

 

「あの事件以来、ふと考えてしまいます。……『今、目の前にいる八宮めぐるは、本当にあの怪盗283なのか?』と」

「ふふ、それは誉め言葉として受け取っておくよ。正体不明にして神出鬼没こそ、怪盗の神髄だからね」

「……」

 

 そう答え、底知れない微笑みを湛える彼女の真意を測ることはできない。

 八宮さんが、『怪盗283本人』なのか、『怪盗283を名乗る別人』なのか、それが判明する日はいつになるのか……。

 押し黙ってしまった俺へ、彼女は朗らかに笑って言った。

 

「も~、眉根にしわを寄せてたら、幸せが逃げちゃうよ? ただでさえ探偵は幸薄い職業なんだし!」

 

 そして目を細める彼女の仕草は普段のものだったので、俺は肩から力を抜いて苦笑する。

 

「そうですね、世知辛い世の中に、世知辛い職業です。せめて気持ちくらいは、明るくありたい」

「そうだよ~。だから、笑って? にーって!」

 

 言いながら八宮さんは左右の人差し指で口角を引っ張り上げる。

 その仕草が面白くて俺は思わず笑ってしまったが、まあ、結論を急いでも仕方ないと考え直して席を立つ。

 

「笑う門には福来る、ですね?」

「うんうん、万国共通のおまじない! こうやって笑っていれば幸福が――」

 

 更に指先へ力を入れた時、上の階から女性の鋭い悲鳴がロビーへ響き、俺達の笑顔が固まってしまう。

 その方向は四月、あの事件が起きた『A』の部屋近くから――。

 

「……その幸福が、来たようです」

「……探偵に仕事が来るって、いいことなのかなあ?」

 

 俺達は苦い表情でため息を吐き合い、額に手を当ててしまう。

 

「絶対、よくないことが起きてると思うんですよ……」

「そうだよねえ……。因果な職業だなあ……」

 

 そして俺達は悲鳴の聞こえた上階へ向かって走り出す。

 あの四月を経た、第二の事件がその先で待っていることを予感しつつ――。

 



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20XX年XX月XX日 AM 8:22

 やがて俺達は、『A』の部屋へたどり着き、半開きになっていたドアに手を掛ける。

 そして踏み込んだ部屋で待っていたのは――。

 

「大崎さん!? それに……はづきさん!?」

 

 入り口近くでへたり込む大崎甘奈さんと、部屋の中央で仰向けに倒れているはづきさんの姿だった。

 

「だ、大丈夫、大崎さん!?」

 

 八宮さんが慌てて傍へ駆け寄り、ケガがないかを確かめる。

 幸い大崎さんに目立った外傷はなく、腰が抜けているだけで大事ないようだ。

 だが、もう一人の女性は……。

 

「はづき……さん?」

 

 俺は自分の声が震えているのを自覚していた。

 今いる場所からでも後頭部付近の大量の出血が確認され、嫌でもあの事件が脳裏に蘇ってしまう。

 思わず駆け寄ろうとしてしまった俺の腕を、一人の少女が慌てて掴んだ。

 

「待って……お弟子、さん……!」

「幽谷……さん?」

 

 気が付けば、大崎さんの隣には八宮さん、そして合流した幽谷さんと園田さんの姿があった。

 皆、一様に動揺を隠せない様子で、きっとそれは俺も同じだったのだろう。

 幽谷さんは焦る気持ちを必死に抑えるような声音で、俺へ言った。

 

「現場は……できるだけ、そのままで……」

「し、しかし、はづきさんがまだ生きている可能性が……」

「は、はい……。お弟子さん……以前の事件でも使った、医療キットは……?」

「あ……」

 

 その指摘を受け、俺は少し冷静さを取り戻す。

 そうだ、確かにあの日、『A』の遺体を確認し、医療キットを使って死亡推定時刻を割り出したのは幽谷さんだった。

 俺は一度大きく息を吸い、吐いてから彼女へ向き直る。

 

「すみません、動揺してしまって……。キットはガラス棚の引き出しに入っています。お願いできますか?」

「わ、分かりました……!」

 

 その頼みに幽谷さんは勇気を振り絞りながら頷き、俺は改めて周囲へ視線を向けた。

 ショックが強かったらしい大崎さんの肩に八宮さんが手を置き、園田さんは所作無さげに俯いている。

 

「……俺が、しっかりしないと」

 

 彼女達の心境を考え、誰にも聞こえない声で決意表明した後、部屋の状態を確認する。

 とはいえ、状況はひどいもので以前の事件を思い出させる荒れっぷりだ。

 棚のガラスは割られ、壁のレコードもぐちゃぐちゃで、俺の机も例外ではない。

 

「とはいえ、重要なデータを紙や物理メモリーに残してないから心配はないか……」

 

 あの事件の時は、『A』の金庫に鍵や解毒剤があったけど、今回の犯人は何が目的だったのか……?

 そんな事を考えながら一通り現場検証を終えた頃、こちらへ顔を向けていた幽谷さんと視線がぶつかる。

 

「幽谷さん、はづきさんは……?」

 

 その問いに彼女は俯いた後、

 

「……っ」

 

 と、辛そうに首を左右に振るだけだった。

 俺は胸にずん、と重いモノが伸し掛かるのを感じながら、

 

「現場はあの日の写し鏡……。『A』と同じ場所で死んでいるはづきさん……。四月の嘘は終わっていない、ということなのか……?」

 

 と、天を仰ぎ、呟いた。

 



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20XX年XX月XX日 AM 9:27

「皆さん、落ち着きましたか……?」

 

 ロビーへ移動し、少し時間を置いた後、俺はそんな問いを投げかけた。

 一番ショックを受けていた大崎さんが少し動揺の収まった様子で、こくんと頷いて見せる。

 

「うん、もう大丈夫だよ。……お弟子さんから話があるんだよね? それはちゃんと聞かなきゃだし」

「無理はしなくていいですよ、大崎さん。辛いなら、部屋で休まれた方が……」

 

 大崎さんは目を閉じ、首を左右に振って答えた。

 

「ううん、大事なことだから。これから何をするにしても、最初に足並みは揃えておなかきゃいけないし。……大丈夫、甘奈も探偵なんだしさ!」

「それは、そうですが……」

 

 俺は言葉尻を濁しながら、ソファーに座る幽谷さん、園田さんへ視線を向ける。

 彼女達も辛そうだったが、八宮さんだけは少し離れた場所に立ち、神妙そうな面持ちを浮かべていた。

 どこか居心地が悪そうで、普段あまり見せない表情だったから、俺はつい目を引かれてしまったのだが……?

 

「お、お弟子さんっ! そ、それでお話ってなんでしょう……?」

 

 やがて、ぼうっとしていた俺へ、園田さんがおずおずとした口調で問い掛けてくる。

 我に戻った俺は、こほんと咳払いした後、話し出した。

 

「難しいことではありません。状況とアリバイの確認です」

「あ、アリバイ……ですか?」

「はい。それは幽谷さんから死亡推定時刻を聞いてからなのですが、その前に状況を確認しましょう」

 

 俺はそう言いながら、ポケットからスマートフォンを取り出す。

 

「さっき試してみたんですが、通信機器は使えなくなっているようです。何らかの妨害電波と思われますが、出所は不明です。できればこの洋館へ繋がる吊り橋が、どうなっているのかも知りたいところですが……」

 

 そう言って俺が唸ると八宮さんが答えた。

 

「あ、それはさっき二階から戻る途中、窓から確認したよ。……まあ、結果は言わずもがな、なんだけど」

 

 苦笑気味の答えは予想通りのものではあったが、俺はやはり肩を落としてしまう。

 

「橋は落とされている……つまり、以前の事件を踏襲しているということですか。そうすると一つの推論が成り立ちますが……」

 

 俺の呟きにみんなは首を傾げたが、すぐ内容を察したらしく、また俯いてしまった。

 ……そうはそうだろうと、俺も内心でため息をつく。

 踏襲できるのは、あの事件の関係者だから。

 つまり、外部犯ではなく内部犯。

 この中に、犯人がいるということ。

 

「で、でもでもっ、外部犯の可能性も捨てきれませんよねっ!?」

 

 半ばすがるような口調で園田さんが言ったが、俺は力なく首を左右に振ることしかできなかった。

 

「いえ、その可能性はかなり低いと思います」

「え……。ど、どうしてですか?」

「……カーペット裏の、血痕です」

「?」

 

 園田さんはよく分からないという様子で目を瞬かせ、俺は続ける。

 

「以前の事件で、『A』の遺体が動かされていたことは覚えていらっしゃいますか?」

 

 俺の問いに、幽谷さんがゆっくりと頷いて答えた。

 

「和泉さんが……可哀そうって……」

「ええ。何かのトリックかと思い、混乱した記憶が私にもあります。……実は、さっき幽谷さんが検死を行っている間にカーペットをめくってみたんですが」

 

 情報の意味を考えながら話を聞いていた大崎さんが、はっとした後、視線を下へ落とした。

 

「……血痕があった、んだね。そしてそれを知っているのは、当日立ち会った人間だけ……」

「ええ。そうでなければ、ここまでの再現は不可能でしょう……」

 

 自分で言っていて、嫌になる。

 八宮さんと話していたとおり、あの事件以後、探偵のみんなはこの洋館へ度々訪れ、交流を深めていた。

 情報交換とか、横の繋がりとか、いろんな理由を付けていたけど、単純に仲間と会いたくて来ているように俺は感じていたからなおさらだ。

 だからこそ、内部犯を疑わなければならない状況は、堪える。

 

「自分をしっかり持った方がいい、『A』の後継者」

「っ!?」

 

 いつの間にか隣へ移動していた八宮さんが、俺にだけ聞こえるボリュームの中性的な声で告げる。

 

「『A』の口癖だったろう? 『私は甘くない』と。……世界唯一の顧問探偵とうたわれた者の後継者を名乗るなら、事件の解決を第一とすべきでは?」

「……っ!」

「そしてそれこそが、謎を目の前にした探偵が持つ、唯一共通の性であるはず」

 

 その言葉は厳しいものだったが、異論を挟む余地はなかった。

 冷水を浴びたような気分だが、シャキッとできたのも事実なので、俺は幽谷さんへ改めて視線を向けた。

 そして彼女は頷き、答える。

 

「し、死亡推定時刻は……深夜の2時から3時の間、だと思います……」

「深夜、ですか……。いっそ限定して聞きますが、その時間にアリバイがある……例えば誰かと一緒に居たとか、そういう方はいらっしゃいますか?」

 

 しん、とロビーへ沈黙が落ちる。

 八宮さんは日付が変わる前に寝たと言っていたから、当たり前といえば当たり前なのだが、これはこれで困ってしまう。

 以前の芹沢さんや市川さんのようにカメラを持って洋館を歩いていた人もいないから、俺を含め全員が犯行可能。

 みんなも同じ疑問に突き当たったらしく難しい顔になっているが、俺は一度、パンと手を打ち、

 

「とりあえず、この場で悩んでいても仕方ありません。なんとかできるように頑張ってみますので、いったん解散しましょう」

「え、で、でもそれは……」

 

 驚きを見せた園田さんへ、俺は答える。

 

「ええ、非常時ですし、これから先は誰かと一緒にいるようにしてください。……ところで八宮さん」

「ん? なに?」

 

 不意に声をかけた俺へ、いつもの調子に戻っていた八宮さんが少し驚きの表情を見せた。

 

「気になる事があって、館の中を歩きたいんです。……ご同行、願えますか?」

 



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20XX年XX月XX日 AM 10:17

「それで、どうしたの? わたしに聞きたいことでも?」

 

 ロビー右翼の階段を昇り、二階奥へ通じる廊下を歩きながら、隣の八宮さんが俺へ問う。

 大崎さんの体調が優れなかったため、幽谷さん、園田さんは彼女へ付き添い、自室へ戻っていた。

 だから今は二人きりという気楽さも手伝って、俺は軽めの口調で答えた。

 

「いえ……正直、行き詰まってまして。八宮さんの意見を聞きたかったんです」

「え?」

 

 ストレートな言葉だったせいか、八宮さんは再び驚きの表情を浮かべたが、やがて苦笑して見せる。

 

「あ、あはは、直球でビックリだね。……どうしてわたしに?」

「私を含め、みんなの中で貴女が一番冷静だと思ったんです。……全員が容疑者であるなら、正しく客観的な情報をくれそうな人に相談した方がいいじゃないですか」

 

 俺の意見を聞いた八宮さんが、ぷっと吹き出す。

 

「もー、正直だなあ! 頼られるのは嬉しいけど、それが『A』のやり方だったの?」

「『A』の口癖は、『私は甘くない』でしたけど、人に頼るなと言ったこともなかったですよ。……八宮さんは、『A』の得意分野をご存知ですか?」

「んーと、以前、田中さんが言ってたね、『自分の口で犯行を自白させること』って」

「そうすれば言い逃れできませんからね。そして、そのために必要なのは、『対話』です。相手の人となりも知れますし」

 

 そう答えると、八宮さんがちょっと拗ねたような口調になった。

 

「えー、ちょっとビジネスライクすぎない? 会話は楽しい方がいいと思うな!」

「あ、いえ」

 

 俺は足を止め、窓の外の青空を見上げながら頭を掻く。

 

「そういうつもりではないんです。私だって情報を聞き出すためだけに、誰かと話しているつもりはありません」

「あははっ、冗談だよ、冗談! ……で、改めて何が聞きたいの?」

「え、ええ、そうですね……」

 

 八宮さんの促しに俺は頷き、一番気になっていた質問を口にした。

 

「現段階で、誰が犯人だと思いますか?」

 

 返しの難しい問いだったが、八宮さんは気分を害した様子もなく答える。

 

「情報が足りないから、何とも言えない……かな。そもそも、はづきさんを狙うメリットがないんだもん」

「……ええ。『A』の持っていた不動産、有価証券、銀行口座などは私が引き継いでいる以上、遺産目的の殺人なら狙う相手は、まず私であるべきです」

「なら、お金目的じゃないってことになるけど……」

 

 八宮さんの指摘に俺は頭痛を覚えながら、ため息を吐いてしまう。

 

「そうなると、ますます犯人が誰なのか分かりません。八宮さんにも、思い当たることはありませんか?」

「う~ん、わたしにもちょっと……。ほら、前の事件の時は、『A』に毒を盛られて、解毒剤が必要って理由があったんだけど」

「そうですね……。目的、ですか……」

 

 そうして頭を抱えてしまった俺へ、八宮さんは小さく笑った後、ぽんぽんと肩を叩いてくる。

 

「あははっ、そんなに深刻になっちゃダメだよ~! ほら、笑って~?」

 

 そして朝、そうしていたように左右の指先で口元を引き上げて見せる。

 思わず俺も笑ってしまったが、その瞬間、記憶に蘇る言葉があったから、それを口にした。

 

「『黒という結果が出たら、同時にどうしたら白という結果へ覆せるかを考えろ。それができて、探偵として一人前だ』……か」

「……? えっと?」

 

 不思議そうな顔になった八宮さんへ、俺は表情を緩めて答える。

 

「これも、『A』の口癖です。何か成果を上げて喜ぶと、この言葉でたしなめられていました」

「う、うわー、厳しいね~……。それって、あらゆる可能性を考えろってことだよね?」

「ええ……。今、『A』の後継者として探偵業をしていますが、それができたと実感したことはありません」

「あ、あはは……それは究極の目標だと思うから、ほどほどでいいんじゃないかな?」

 

 それは意外な返答だったので、今度は俺が驚いてしまう。

 

「『怪盗283』でも、そう思うんですか?」

 

 含みを持った質問になってしまったが、八宮さんはイヤな顔一つ見せずに答えてみせた。

 

「う~ん、わたしは個人で動くことが多いから、いろいろ先を予想はするけど……。それだけに終わってから、『考えが足りなかったなぁ』って感じることは結構あるよ?」

「あぁ、確かに。先読みして行動すると、『あ、やばい。全然違ってた』ってなりますよね」

「なるなる! お弟子さんも?」

「ええ、どうにかならないですかね、あのボールがすっぽ抜けたような感覚」

「う~ん、わたしはもう宿命みたいなものだと思って割り切っちゃうよ。次だ、次ー! って」

 

 そうして俺達は探偵あるあるを語り、笑い合う。

 そんなやり取りをしていると、ふと八宮さんが言った。

 

「あ、でも一つ気になってることならあるよ?」

「え?」

 

 驚きを見せた俺へ、八宮さんは言葉を続ける。

 

「あの事件以来、誰かからの視線を感じることが多くなったんだ」

「視線……? それは今日もですか?」

「う~ん、それが曖昧なんだ。頑張って意識して、ようやく気付けるレベルだから」

「八宮さんでも、ようやく……ですか?」

 

 となると、かなりの訓練を受けた人間の犯行ということになる。

 しかし、それがこの事件の犯人と何か関係があるのだろうか……?

 

「ま、それは参考ていどでいいと思うよ。……それよりさ」

「?」

 

 八宮さんは少し照れたような表情で、お腹へ手を当てる。

 

「もうお昼だよ? 何か食べに食堂へ行かない?」

 



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20XX年XX月XX日 PM 12:04

「大崎さん? もう身体は大丈夫なんですか?」

 

 お腹を空かせた八宮さんの背を追い、足を踏み入れた食堂にいた大崎さんへ俺は声をかける。

 少し疲れた様子でイスに座っていた彼女は笑顔を見せてくれたが、その表情は頼りなくて弱々しい。

 

「状況が状況です。無理は禁物ですよ」

「う、うん……。ごめんね、心配かけて。でも甘奈、智代子ちゃんに、『ちゃんと食べないとダメだよっ!』って言われちゃったから……」

「園田さんが?」

 

 言われて周囲を見渡すと食堂の奥で幽谷さんと園田さんが、何かの機械と向き合っている背中があった。

 

「ええと、彼女達は何を?」

 

 俺の問いに大崎さんは目を細め、「それはすぐに分かるよ~」と答えて、微笑む。

 八宮さんは食堂の入り口付近に立ち、目を瞬かせていたが、やがて幽谷さんと園田さんが振り返った。

 

「じゃじゃーん! 霧子ちゃんお手製のピザトーストだよ! これを食べれば、元気いっぱい間違いなし!」

 

 満面の笑みで園田さんが宣言し、幽谷さんは少し照れた様子で頬を染める。

 二人の両手にはチェック柄のミトンと大皿があり、オーブンと思われる機械でピザトーストを焼いていたようだ。

 

「しかもっ、とろけるチョコとマシュマロも入っているから、お口の幸せも保証済み! こんな時だからこそカロリーなんて気にせずに――」

 

 園田さんはそこまで言ってようやく俺と八宮さんの存在に気付いたらしく、今度は違う意味で頬を赤く染め上げた。

 

「おおお、お弟子さん!? い、いつからそこに!?」

「……別に恥ずかしがるような発言はなかったと思いますが?」

「あっ、ありましたよっ! か、カロリーがどう、とか……」

 

 急にショボショボした口調になった園田さんが面白かったのか、大崎さんと幽谷さんが小さく笑い、俺も自然と気持ちと口調が和らぐのを感じてしまう。

 

「いいじゃないですか。園田さんはいつも食事を美味しそうに召し上がるので、私もそれが楽しみだったりするのですが」

「そ、そうですか……? そ、それならいい……ような? うーん、あれ? いいのかな?」

 

 首を捻って唸る園田さんだったが、その隣で静かに微笑んでいる幽谷さんへ俺は視線を向けた。

 

「幽谷さんも大崎さんに気を使って下さったんですね。……ありがとうございます、本来私がすべきことでした」

「い、いいえ……。お、お弟子さんは考えることが……たくさんって……」

「頭が回っていないだけですよ。とはいえ……」

 

 鼻を少し、すんと鳴らした俺へ幽谷さんは不思議そうな顔を見せる。

 俺は表情が柔らかくなっているのを自覚しつつ、口を開いた。

 

「……ピザトースト、いい匂いですね。今はチョコレートの香りも心地いいです」

「ふふ……ありがとう、ございます。皆さんが……いつも美味しいって言ってくれるから……」

「皆さん……そうですね」

 

 あの事件以後、食卓を共にした探偵たちへ幽谷さんがピザトーストを振舞ってくれたことは何度かあり、いずれも好評だったことを思い出す。

 こういう時にこそ、ありがたい心遣いで、ここを携帯食料で乗り切って下さいと言われたら気分も荒んでしまうだろう。

 

「じゃあ、甘奈もお腹が空いたし、食べよっか? あ、そういえば冷蔵庫に甘奈が持って来たマンゴーラッシーがあるから、それも飲も?」

「おお~、いいね、甘奈ちゃん! 私が用意するから、ちょっと待っててね~!」

 

 大崎さんの提案を聞き入れた園田さんが、大きめのグラスにラッシーを注ぎ、テーブルへ置く。

 

「智代子ちゃん、ありがと~! チョコとマシュマロも、おいしそう~!」

 

 大崎さんの仕切りもあり、俺達はイスに座り、幽谷さんが切り分けたピザトーストを指先でつまむ。

 生地はまだ熱いが、トマトをベースとしたソースとチョコレートの甘みが心地よく、俺の口から思わずため息がもれた。

 それは続けてラッシーを飲む大崎さん、幽谷さん、園田さんも同じだったが、八宮さんだけは硬い戸惑いの表情を浮かべている。

 

「……? 八宮さん、どうかしましたか?」

「どうかしたの、めぐるちゃん?」

「あ、あの……?」

「も、もしかしてチョコが合わなかった?」

 

 俺に続いて三人も心配そうに声をかけたのだが八宮さんは、

 

「……敵わないなあ、こういうところ」

 

 と小さな声で呟いた後、ピザトーストを口を運ぶ。

 そして、大きくモグモグして見せた後、

 

「うんっ、すっごく美味しいよ、さすがだね霧子ちゃん!」

 

 と満面の笑みを浮かべる。

 よく分からないリアクションに首を傾げてしまったが、とりあえず大崎さんの顔色も良くなったようなので、俺は胸を撫で下ろす。

 そんな俺に気付いた園田さんが、耳元へ口を寄せて告げた。

 

「本当は迷ったんです。部屋でインスタント食品にしようかって……。甘奈ちゃん、すごいショックを受けてたから、軽いモノの方がいいかなって」

「でも、ピザトースト……ですか?」

 

 俺の返しに園田さんは、にこっと笑って答えた。

 

「こういう状況だからこそ、ちゃんと食べて元気を出して欲しいって! 何かに気付けるかもしれませんし、逆転の発想です!」

「それで幽谷さんに頼んだ……ということですか?」

「はい! いい選択だったと自分では思ったりしちゃってます!」

 

 自信満々に胸を張る園田さんへ、俺は目を閉じて頷いた。

 

「ええ、素晴らしい判断です。……大崎さんも元気になったようですし」

 

 ふと、横目で大崎さんを見ると、パクパクと忙しくピザトーストを口へ運び、その唇にはとけたチョコが滲んでいる。

 隣に座っていた幽谷さんがそれに気づき、テーブルナプキンで、それを拭う。

 大崎さんは恥ずかしそうにはにかんだが、それでも幽谷さんは嬉しそうだ。

 

「……いいことです。何よりじゃないですか」

「はいっ、私もそう思います!」

 

 そんなことを言い合うものの、八宮さんの表情から居心地の悪さと戸惑いは消えることがない。

 その佇まいは群れから一匹だけはぐれてしまった稚魚のようで、俺の意識の中で棘のように残り続けていた。

 



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20XX年XX月XX日 PM 13:34

 昼食が終わり、大分元気になった大崎さん、園田さん、幽谷さんは自室へ戻って、俺と八宮さんは再び洋館を歩きながら、現状の調査を続けていた。

 

「館内に目立った変化は……見られないね」

「そうですね。以前の事件になぞらえているなら、ランドリーに忘れ物でもと思ったんですが」

 

 俺の感想に八宮さんは肩をすくめて苦笑する。

 

「まあ、そう簡単にはいかないぞ、ってことじゃないかな? とはいえ、次の事件が起こるのも困るから、監視も兼ねて館内を歩いてるわけだけど」

「未然に防げれば、それが一番ですからね。……とはいえ、気になっていることはあるので、聞いてもいいでしょうか?」

「ん? いいよ、何?」

 

 八宮さんは何気なく頷き、俺は口を開く。

 

「今日に限らずですが、もしかして八宮さんはここの雰囲気が苦手だったりします?」

「えっ?」

 

 事件と直接関係のない質問だったせいか、八宮さんは驚きを見せたが、やがて口をちょっとすぼめて答えた。

 

「苦手ってことはないけど……。どうして?」

「朝のロビーや昼食の食堂にいた時、居心地が悪そうに見えたので。らしくない感じがして、ええと、その、上手く言えないんですが……」

 

 俺の言葉尻が曖昧になっていく中、八宮さんは目を伏せ、首を小さく縦に振って見せる。

 

「……あはは、バレてた?」

「最近は櫻木さんや風野さんと仲良くなってると感じていたんですが、それでもどこか距離を置いているような気がしていました」

 

 俺はそこまで言って、一度目を閉じる。

 そして脳裏に過ぎるのは、みんなが集まったロビーで、彼女だけが一歩引いた位置に立っている光景だ。

 戸惑いがちの笑顔を浮かべ、櫻木さん達に呼ばれてようやく会話へ合流する……そういう場面は何度か目にしていた。

 

「その佇まいが、ずっと気になっていて」

「……そっか」

 

 そうして、八宮さんは足を止め、窓の外へ視線を投げた。

 空は透明な青と薄く滲む白を湛え、音もなく俺達を見下ろしている。

 少し間を置いた後、彼女は話し出す。

 

「……うん、そうだね。そういう感じにはなってたかな。けど、嫌いってことはないよ。ただ」

「ただ?」

 

 八宮さんはこちらへ振り返り、どこか寂し気な表情で言った。

 

「分からないんだ、振舞い方が」

「……? 分からない?」

「うん。昼食の前にも言ったけど、わたしって今まで単独で動いてたから、集団の中の距離感を知らなくて」

「距離感……?」

 

 意外な言葉が出て来て驚いてしまったが、言われてみれば納得のいく理由でもある。

 『怪盗283』として他人の力を必要としない生き方をしてきたのなら、他者との距離感を知らなくても無理はない。

 

「真乃とか灯織とか、他のみんなは自分の色を知ってる。自分の居場所を知ってる。……けど、わたしは知らない。だから、立ち位置が分からないんだ」

 

 そして彼女は眉を八の字にして、困ったように笑う。

 

「自分でもヘンだなって思うよ? 今まで一人だったって気付いたのなら、近付けばいい。……なのに傍へ行くと、却ってみんなとの違いを感じて自分を見失ってしまうから」

「それは……」

 

 そう言えば最初の事件が起きた時、彼女は櫻木さんと風野さんへ、『探偵友達が欲しくて』と話していた。

 あの時は深く考えなかったが、彼女なりに思うところがあっての言葉だったのだろうか……?

 

「でも、ビックリって言ったらわたしの方こそだよ? さっきの昼食とか」

「昼食? ええと、何かありましたっけ?」

 

 唐突な言葉に俺は首を傾げてしまったが、八宮さんは頬にちょっと怒ったような感情を滲ませる。

 

「だって、この状況だよ? 前回は、『A』に毒を盛られて大騒ぎだったのに、警戒もせずにみんな出されたものを食べてるんだもん」

「……あ」

 

 当たり前すぎる指摘に俺は、返す言葉がない。

 大崎さんはマンゴーラッシー、園田さんはチョコ、そして幽谷さんはピザトースト。

 仕掛けを施そうとすれば、どうにでもできる状況だったと八宮さんは言いたいらしい。

 

「う、うーん。仰りたい事は分かりますが……」

 

 そうして俺は頭を抱えてしまう。

 何が困るって多分、それに気付いたとしても取る行動は同じだったと思うから。

 その思考を読み取ったかのように、八宮さんはため息を吐いて見せた。

 

「みんなを疑いたくない気持ちは分かるけど、わたし達探偵だよ? 口へ入れるものには気を付けた方がいいと思う」

「そ、それはそうですが……。あ、でも」

「?」

 

 ふと、思い出したことがあったので俺は人差し指を立てて弁解する。

 

「結局、八宮さんも食べてましたし、オッケーでいいんじゃないですか? 何かあったら、その時は全員で考えればいいということで」

「……みんな口にした後だったから大丈夫だと判断した、とは思わない?」

「それはありませんよ。だって」

「?」

 

 俺はとある発言を思い出しながら、自信を秘めた口調で答えた。

 

「八宮さんは、『敵わないなあ』って言ってましたから。大崎さん達を信頼してくれたんだと思っています」

 

 疑うより信じる方が楽と、判断してくれたのだと。

 俺はそう思っただけなのだが、彼女は肩をすくめて苦笑し、

 

「それも悪くないけど、探偵が疑うのを止めたら事件が終わらないんじゃないかな?」

 

 ともっとも過ぎる返答を寄越し、また俺は困ってしまう。

 

「そ、そうですね……。事件があって、容疑者がいるなら、探偵は疑わなければならない。でも……」

「お弟子さんはみんなをそんな風に見たくない?」

「付き合いが長くなれば、普通そうじゃないですか。とはいえ、そんな黒を白にするホームランみたいな発想が……?」

 

 腕を組んで唸った時、園田さんの言葉が不意に蘇った。

 

『こういう状況だからこそ、ちゃんと食べて元気を出して欲しいって! 何かに気付けるかもしれませんし、逆転の発想です!』

 

 逆転の発想。

 何気なく聞いた言葉だったが、その意味に気付き、俺の膝が震え始める。

 

「お弟子さん? ど、どうしたの?」

 

 不意に立ち止まったせいか、八宮さんが心配そうな表情で顔を覗き込んでくるが、俺の身体の震えは止まらない。

 オセロで角を取った時のように、たくさんの情報の意味が脳内で書き換わり、正しく呼吸のペースを取る事すらできない。

 口元へ手を寄せ、眉根を寄せながら俺は鈍っていた頭を回転させる。

 

「逆転の発想……? じゃ、じゃあ、もし最初のアレが嘘だったとしたら、全ての意味が変わる……? でも、そう考えたら全ての筋が通る……のか?」

「お、お弟子さん? 何か分かったの?」

 

 戸惑う八宮さんの問いを受け、俺は頷く。

 

「……はい、おそらく全てが。この考えが正しいなら、八宮さんへ視線を向けていたのは誰なのか、その理由も説明できます」

 

 その踏み込んだ発言に八宮さんは目を見開き、俺は頬を一筋、汗が流れたことを自覚しつつ、告げた。

 

「みなさんをロビーへ集めて下さい。終わらなかった四月の嘘に、ここで終止符を打ちましょう」

 



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20XX年XX月XX日 PM 15:08

「どうしたの、お弟子さん。急に甘奈達を呼び出して」

 

 陽が沈み、空が群青色に染まり始めた頃、ロビーへ全員を呼び出した俺へ大崎さんが問う。

 ロビー中央のソファーに大崎さん、園田さん、幽谷さんが腰を下ろし、八宮さんは暖炉の前で神妙な表情を浮かべていた。

 みんなの姿を確認した後、俺は大崎さんへ頷いて見せた。

 

「ええ、さっき事件の全貌が掴めたので、早めの報告をと思ったんです」

 

 俺の返答に幽谷さんが、「えっ」と声を上げる。

 

「全貌って……。は、犯人も……ですか?」

「はい。その説明をする前に、要点を押さえておきましょう。その方が分かりやすいでしょうし。……ポイントは三つです」

 

 みんなが息を飲み、俺は続けた。

 

「一つ、誰がはづきさんを殺したのか? 二つ、なぜそうする必要があったのか? そして最後は、八宮さんを監視していたのは誰か? ですね」

 

 園田さんが不思議そうな表情で、挙手する。

 

「めぐるちゃんを監視……ですか?」

「言葉通りです。あの事件以降、八宮さんは誰かからの視線を感じていたそうです。初めて聞いた時は私も首を傾げたんですが、それはおいおい、お分かりいただけると思います」

「は、はあ……」

「では順番に説明しましょう。まず、誰がはづきさんを殺したのか? ですが」

 

 俺の言葉を受け、ロビーの緊張感が一気に高まる。

 大崎さん、園田さん、幽谷さんは息を飲み、八宮さんは静かに目を細め、耳をすませていた。

 俺は一度息を吸い、吐いてから口を開く。

 

「ここに犯人はいません。『この中に犯人がいる』……その前提自体が間違いだったんです」

 

 誰かの口から、「えっ」という声が漏れ、大崎さんが混乱した口調で俺へ問う。

 

「ど、どういうことなの、お弟子さん!? だって、現に事件は起きているんだよ!?」

「はい、確かに事件は起きています。ですが、犯人はいないんです。矛盾しているとは思いますが」

 

 俺の言い回しに、園田さんが複雑そうな表情で答えた。

 

「じゃ、じゃあ……事故だった、とか……?」

「いえ、事故でもありません。この事件は間違いなく人災です」

「……?」

 

 みんなが不可解そうな表情を浮かべる中、腕を組んで考え込んでいた八宮さんが軽く手を上げる。

 

「えっと、この事件が人災だとして、何が目的でそんなことをする必要があったの? 犯人は随分、回りくどいことをしているように思うけど?」

「いえ、それが案外、そうでもないんです。以前の事件と今回の事件。その中にある一つの嘘に気付けたら、全体が見えてくると思いますよ」

 

 「嘘」という言葉にとある人物の肩が小さく揺れる。

 俺はその反応を視界の隅で捉えていたが、大崎さんが声を震わせて言った。

 

「う、嘘って……誰が、何を?」

 

 俺は、ぐっと下腹に力を入れ、その人物へ視線を向ける。

 

「嘘を吐いているのは幽谷さん、貴女ですね?」

「……っ!」

 

 その指摘に幽谷さんは俯き、前髪で目元を隠すだけだ。

 大崎さん、園田さん、八宮さんも幽谷さんへ視線を向けるが、彼女は何も答えない。

 緊迫感の満ちる空気の中、園田さんが動揺を口調に滲ませながら、俺へ問いを投げかける。

 

「き、霧子ちゃんが嘘って……。お、お弟子さん、あはは……それは何かの冗談、ですよね? 霧子ちゃんに限って、そんな……」

 

 俺は首を左右に振って、唇を横に結ぶ。

 

「いえ、彼女が嘘を吐いているのは間違いありません。……幽谷さんは医療キットを使う振りをして、はづきさんが死んでいるという嘘の診断をしたんです」

 

 その答えにロビーが、しんとなり、大崎さん、園田さんが「えええっ!?」と大きな声を上げた。

 

「そ、それはどういうことなの、お弟子さん!? 甘奈達が見た死体は嘘だったってこと!?」

「ええ、特定の薬品を使えば一定時間なら仮死状態になれますし、薬を調合したのは幽谷さん、服用したのははづきさん本人でしょう」

 

 今度は八宮さんがため息交じりに、人差し指で額を叩く。

 

「うーん、それこそ何のため? メリットが何もないように思えるんだけど?」

「ええ、ないと思います。……今日の事件を単体で考えるなら、何も」

「?」

 

 みんなが不可解そうな表情を見せる中、俺は続けた。

 

「では二つめの、なぜそうする必要があったのか? です。みなさんにお聞きしますが、前回の事件で、『A』に医療キットを使い、死亡推定時刻を算出したのは誰でしたか?」

 

 記憶の糸を辿るように考え込んでいた大崎さんが、震える声で答える。

 

「霧子……ちゃん?」

 

 幽谷さんは俯いたまま、反応を示さず、俺は再び下腹へ力を込めた。

 

「……前回の事件と今回の事件。そのどちらも検死を行ったのは幽谷さんです。ですが、はづきさんの診断が虚偽だったとするなら、どうでしょう?」

 

 その大きな瞳の奥を揺らしながら、園田さんが言った。

 

「『A』も……? で、でも、それこそ理由が分かりませんよっ! どうして、そんなことを……!?」

 

 俺は眉根をひそめ、声を押し殺して頷く。

 

「そこが一番巧妙な点だったんです。犯人は私達に、『後継者を探す』という目的を示すことで、本当の狙いから目を逸らさせたんですから」

「甘奈達は目的を勘違いしていた……? じゃ、じゃあ、前の事件はまだ……」

 

 大崎さんが抱いたであろう疑問を察し、俺は目を伏せる。

 

「終わっていない、ということでしょうね。……話が込み入ってきましたので、ここからは当事者に話してもらいましょう。そろそろ姿を見せたらどうですか? ……桑山千雪さん」

「っ!?」

 

 みんなが息を飲み、ロビーの暗がりから姿を現した人物へ視線を向ける。

 その先には、あの事件の犯人、桑山千雪さんの姿があった。

 



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20XX年XX月XX日 PM 16:03

「千雪……さん?」

 

 大崎さんの震える声がロビーに響く中、落ち着いた私服姿で神妙な表情の桑山さんは小さく頷いて見せた。

 

「……お見事です、お弟子さん。気付くまで、もうちょっと時間がかかると思っていたのに」

「それは……」

 

 俺が返答する前に、大崎さんが口を挟む。

 

「ち、千雪さん! ど、どうして、ここに……!?」

 

 その問いかけに桑山さんは表情に罪悪感を滲ませながら、答えた。

 

「いろいろごめんね、甘奈ちゃん……。謝って許してもらえるとは思ってないけど、まずはお弟子さんの話を……聞いてくれる?」

 

 深い疲労の色を感じさせる口調に大崎さんは、ぐっと下唇を噛んで問いかけを必死に飲み込んだ。

 俺はその配慮に感謝しながら、話を続ける。

 

「私一人だったら、気付けなかったと思います。……園田さんのおかげですよ」

「えっ!?」

 

 突然水を向けられ、園田さんはビックリして見せたので俺は後頭部を軽く掻いて告げる。

 

「言ってくれたじゃないですか、逆転の発想! って」

「そ、それは確かに言いましたけど……。え、でも何が逆転したんです?」

「辛い方向へ考えるのを一度、止めようと思ったんです。……正直、苦しかったので」

「苦しい……ですか?」

 

 園田さんが首を傾げる一方で、俺は深くため息を吐き、胸に溜まっていたわだかまりを口にする。

 

「はづきさんが殺されたのなら、この中に犯人が……嘘を吐いている人間がいることになる。そう考えるのが辛かった。悲しい事件もあったけど、ここ数か月で仲良くなって、これから上手くやっていける……そう思っていましたから」

 

 みんなは息を飲み、俺は独白を続ける。

 

「でも死んだ人間はいて犯人がいるのなら、『A』の後継者として真相を明かさなければならない。……そんな時、園田さんが、『逆転の発想』と言ってくれて、考え直してみたんです。『もし黒を白にできるなら、どんな方法がある?』って。……そうしたら一つだけあったんです、説明可能な方法が」

 

 そして、俺は人差し指を一本、立てて見せた。

 

「そもそも、もし、『A』が死んでいなかったら? って。あの夜の、『後継者探し』は表の目的で、本当の狙いが他にあったとしたら? って」

 

 そこまで言うと園田さんが首を捻りながら、難しそうな顔をしてみせた。

 

「お、お弟子さん、それはどういう意味ですか……?」

「はい、そのヒントが要点の三つめ。八宮さんを監視する誰か、です。決定打は、それでした」

「?」

 

 俺は頭の中で出来事の順序を追いながら、桑山さんへ向き直る。

 

「桑山さん、結論を先に聞きますが、あの事件以来、八宮さんを監視していたのは貴女と『A』ですね?」

 

 その問いに桑山さんは天を仰ぐように顔を上げた後、静かに頷いた。

 

「ええ……。あの夜、部屋へたどり着いた私に、『A』は言いました。『怪盗283の正体を明かしたくないか?』と」

 

 俺は胸に苦いモノを感じつつ、頷く。

 

「そしてその後、『A』から『後継者探し』を隠れ蓑にした偽装殺人を起こすよう指示を受け、表舞台から姿を消した……。医療の知識がある幽谷さんを巻き込んだのも、『A』ですか?」

「はい……。次の事件を起こす時、彼女の力が必要になるから……って。今回の事件はみんなが寝ている間に私が、『A』の部屋へ行き、はづきと申し合わせて起こした、という形です」

「だから血痕のことを知っていたし、アリバイがある人間なんていなかった、というわけですか?」

「ええ……」

 

 桑山さんが認め、みんなの視線が俯いたままの幽谷さんへ向いたが、俺は努めて口調を和らげながら、彼女の事情を説明した。

 

「この条件下では幽谷さんが嘘の診断をしない限り、第二の殺人は起きず、桑山さんの誤解を解くチャンスも訪れません。……つまり幽谷さんは殺人の協力をするために嘘を吐いたのではなく、桑山さんを助けるために嘘を吐いた、ということになるんです」

「……っ」

 

 俺はそう説明したが幽谷さんは、虚ろな瞳で少し顔を上げて見せるだけだ。

 事情はどうあれ、みんなに嘘を吐き続けることは優しい彼女にとって相当負担だったということなのだろう。

 俺は一つ、空咳を挟んだ。

 

「……では結論を出しましょう。『A』、はづきさん、桑山さんは今も生きています。『A』の本当の目的は、『後継者探し』ではなく、『怪盗283の正体を明かすこと』。……殺人犯は最初からいなかった。そういうことです」

 

 俺がそう宣言すると少しの間、ロビーに重い沈黙が落ちたが、不意な拍手と共に中性的な声が響いた。

 全員の視線が、ロビーの石柱に背を預けて立つ八宮さんへ集まる。

 

「なるほど、あの日手に入れた、『真相ファイル』の私に関する情報が未完成だったのはそのためか……。晴れて、『A』と桑山千雪のマークは外れ、ステージから降りた彼等は自由の身に……というワケだな」

 

 真意の知れない薄い笑みを浮かべながら、八宮さんは続けた。

 

「私へ視線を送っていたのが彼等であったのなら、気付かなくて当然か。流石の私も死者と殺人犯から監視されていると考えたことはなかったし、普段出さない隙を見せていたかもしれないね」

 

 この状況にあっても、八宮さんの表情には余裕がある。

 怒るでもなく、嘆くでもなく、ただ相手を称賛する態度は俺から見ても底知れない迫力があった。

 

「それで、監視の結果はどうだったのかな? このままだんまりというワケにはいかないと思うが」

 

 その言葉はここにいる人間へ向けられたものではない。

 八宮さんは腕を組み直し、俺も彼女にならって問う。

 

「私も同感です。……聞いているんでしょう、『A』?」

 

 



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20XX年XX月XX日 PM 16:48

 俺がそう問うとロビーに、ざざっというノイズが響き、数か月ぶりの声が耳朶へ蘇る。

 

『想定していたより早く結論にたどり着いたな。やはり、違う視点からの意見があると物事はスムーズに運ばれるようだ』

 

 ロビーのどこかに設置されているのであろうスピーカー越しに、『A』の声が届く。

 以前と変わらない口調が、その健在ぶりを示していたが、俺は思わず下唇を噛んでしまった。

 

「……人が悪いですよ、『A』。目的の為に手段は選ばない……それが世界唯一の顧問探偵と呼ばれた貴方のやり方ではありますが」

『それこそお前には言っていたはずだが? 私は甘くない、と』

「っ! それは、そうですが……」

『だが、全てが嘘だったわけでもない。私が老いと衰えを自覚したのは事実だ。だからこそ力がある内に、『怪盗283の正体』を突き止めたくなったのだからな。……全員に問うが』

 

 『A』は声のトーンを落とし、唐突に質問を俺達へ投げ掛けた。

 

『探偵諸君の中にたったの一度も、『怪盗283の正体』を知りたいと考えたことがない人間はいるかな?』

 

 ロビーにいる誰かの口から、「え……」という声が漏れ、八宮さんの目が少し細くなる。

 思わず胸に苦いモノが広がり、俺は俯いてしまう。

 

『……その反応から察するに、我が弟子はこの問いを予想していたようだな。お前が終始、感情的にならずにいられたのはそれが理由だろう?』

「それは……」

 

 俺は言葉を濁しそうになったが、みんなの視線が説明を求めていたので、ゆっくりと話し出す。

 

「本来なら桑山さん、幽谷さんは何らかの咎を負うべきなのかもしれません。ですが、私には彼女達を裁く意思も権利も最初からないんです」

 

 その解答に、園田さんが不思議そうな表情を浮かべて首を傾げる。

 

「ど、どうしてですか? わ、私だって二人をどうこうしようなんて思いませんけど、『怪盗283』に興味を持ったことはありますよ?」

「甘奈もそうだよ。でも、お弟子さんがそこまで言うのなら、理由があるんだよね?」

 

 二人の指摘に俺は頷く。

 

「ええ。正体不明にして神出鬼没の怪盗。その正体を……謎を明かしたいと思うのは探偵の性です。同類という意味で、私達に桑山さんや幽谷さんを責める資格はありません。事実」

 

 そこまで言って俺は天を仰いで一度息を吐き、続けた。

 

「今日の朝も私は八宮さんに、『今、目の前にいる八宮めぐるは、本当にあの怪盗283なのか?』と問いました。その性を持っている以上、立場が違えば桑山さんや幽谷さんと同じ行動を取る可能性は充分にある。……だから私は彼女達を責めることはできないし、その資格もないんです」

「お弟子さん……」

 

 その答えに桑山さんと幽谷さんが一度だけ俺の名を呟き、他の二人は黙り込むが、再び軽やかな拍手がロビーへ響いた。

 主はもちろん、八宮さんだ。

 

「キミの弟子は素晴らしいな、『A』。黒を白へ変え、他者を責める前に自分を顧みて、許してしまうとは。……そうなると、ますます師匠であるキミの結論が気になる。それで、分かったのかな? 私が、『怪盗283本人』なのか、『怪盗283を名乗る別人』なのか」

 

 少しの間、ロビーに沈黙が落ちたが再び、ががっとノイズが鳴り、『A』の声が響く。

 

『……それは我が弟子に聞いてみてはどうかね? 彼はもうその答えを知っていると思うが』

「……?」

 

 『A』の意味深な発言を受け、八宮さんの視線が俺へ向く。

 そして俺は、最後の詰めとなる事実を口にした。

 

「『A』の得意分野を思い出して下さい。今日、二人で話していたと思います」

「得意分野?」

「ええ、八宮さん自身が言ったんです、『自分の口で犯行を自白させること』と」

「……? あっ」

 

 一瞬、間が空いたが、やがて八宮さんは顔をしかめ、悔し気に片目を閉じて見せた。

 

「そういうことです。……今回に関しては犬にかまれたと思って、忘れるのが一番だと思いますが」

「しかし、いや……そう考えるしかないか……」

 

 八宮さんは頭を掻き、指先を眉間に当てたが当然、大崎さん達にその意味は伝わらないので俺が説明する。

 

「俺と二人で話している時、八宮さんは、『個人で動くことが多い』、『今まで一人だった』と既に口にしているんです。『A』のことだから、洋館での会話も筒抜けだったでしょうし、それが証拠ですよ」

 

 そこでようやく少し回復した様子の幽谷さんが、か細い声で問う。

 

「じゃ、じゃあ……八宮さんが、『怪盗283』本人……?」

 

 そして八宮さんは瞳を閉じ、薄く笑って答えた。

 

「そうだね、私が、『怪盗283』だ。替え玉を用意したこともない。それがこういう形で明るみになるとは、予想していなかったが。……これで満足したかな、『A』?」

『随分としおらしいな。言い逃れはないのか?』

「キミのことだから、この数か月の監視でアタリは付けていたんだろう? 今日の出来事は詰めろをかける為に起こしただけで、それに気付かなかった私の負けさ。だが……」

 

 八宮さんはそこまで言った後、奇妙に乾いた口調で告げる。

 

「真実なんて、こんなものだ。明かされて見れば、案外みすぼらしい。世界唯一の顧問探偵と呼ばれた人間の幕引きとしては少々、派手さに欠けると思うがね」

『……結構だ、そういうことには慣れているつもりでね。だが、最後らしく置き土産もしていこうと思っている。……我が弟子よ』

「え?」

 

 全部が終わったと思い、ぼうっとしてしまった俺へ、『A』が声をかける。

 

『何をぼんやりしている。このまま彼女を放り出しては、目覚めが悪いだろう。……そこで提案だ』

「提案?」

『そうだ。まず、彼女の身柄はお前の預かりとしよう。そして以後、この洋館は『283パレス』とし、探偵達へ開放せよ』

「……は?」

 

 発言の意味が分からず、素っ頓狂な声を上げてしまう。

 

「か、開放って、どういうことですか、『A』!?」

『私が思うに八宮めぐるが怪盗足れたのは、彼女自身が色を持たなかったからだ。一人で生きるのなら、そういう在り方にもなるだろうが、そうでない生き方を模索するのも悪くないだろう?』

「そ、それはそうですが……」

『なら、仲間は多い方がいい。堅苦しい契約書を作るつもりはない。洋館をどう使うかも各々の自由だ。好きな時に来て遊び、語り合って、青春を謳歌すればいい。……これを聞いている25人の探偵諸君、異論はあるかね?』

 

 想像していなかった言葉に俺の口から、「え」と間抜けな声がこぼれ落ちる。

 しかし次の瞬間には、

 

『い、異論なんて、ありません……! 一緒に頑張ろうね、めぐるちゃん!』

『ふふ、これは楽しいことになりそうだ。すぐに支度をしないとね』

『じゃ、じゃあ、みんなでジャスティスVを見られるんですか!?』

『なーちゃんと千雪さんは……そのまま休んでて……。甜花、すぐ行くから……!』

『楽しいこと、いっぱいっす! 上がってきたっすよ!』

『あは~、なんだか分からないけど、楽しくて幸せそう~!』

『やっぱりみんな、変わってる』

 

 と、スピーカーよ割れてしまえ、とばかりに全員が一斉に喋り出し、ロビーが色とりどりの声で満たされた。

 大崎さん達は顔をしかめて耳を押さえているが、その表情には暖かな苦笑が浮かんでいる。

 そして呆気に取られる俺の隣へいつの間にか来ていた八宮さんは、肩をすくめて見せた。

 

「ふふ、これは一本、取られたようだね。お弟子さん?」

「……全くです。『A』の本当の目的は、この結末を導き出すことだったんでしょう」

「随分と無茶をする。まあ、これが世界唯一の顧問探偵のやり方ってことか。……甘いのかそうでないのか、分からない男だな」

 

 その口調は呆れつつも柔らかなもので、俺が安心しつつ頷くと、騒がしさの中なんとか、『A』の声が耳へ届く。

 

『繰り返しになるが、私が老いと衰えを感じたのは事実だ。幕を下ろすついでに、善行の一つ位しておくのも悪くないと思ってね』

「は、はぁ……。善行、ですか」

『……そう奥歯に物が挟まった様な言い方をするな、我が弟子よ。はづきは変わらずお前に付けるし、私はこれで本当に引退だ。折角死んだ身になれたのだから、今後は気ままに世界を旅して生きるのもいいだろう』

「『A』……」

 

 どう言葉を返したらいいのか分からない間に、『A』のスピーカーの音量が小さくなっていく。

 

『では、さらばだ我が弟子……いや、新たな『A』よ。その人生に素晴らしい事件と謎が満ちていることを願っているぞ』

 

 そう最後の言葉を残し、スピーカーから、『A』の存在感が消える。

 とはいえ、他のみんなとの通信は繋がったままだから、俺の頭は変わらずぐわんんぐわん揺れ続けているのだが。

 隣に立つ八宮さんが手を振りながら、苦笑する。

 

「事件と謎、だそうだ。これは今後も大変そうだね、お弟子さん?」

「もうお腹いっぱいですよ……。勘弁して下さい……」

 

 こうして四月の終わらない嘘は幕を下ろし、ロビーに響く騒がしい声の中、俺はがっくりと肩を落としたのだった。



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20XX年XX月XY日 AM 6:34

「もう行くんですか、桑山さん」

 

 翌日の早朝。

 洋館から少し離れた吊り橋付近を歩く桑山さんの背中へ、俺は声をかけた。

 落とされていたはずの吊り橋はいつの間にか元通りになっていて、これも『A』からの手向けなのだろう。

 

「……お弟子さん?」

 

 彼女は反応を示すものの、こちらへは振り返らない。

 片手に小さな旅行カバンだけを持ち、軽装のせいか湿気を含む朝霧が妙に寒々しく見えてしまう。

 俺の心にあるのは寂しさと奇妙な納得だけだが、みんなに挨拶もなく行ってしまう理由はやっぱり聞いておきたかった。

 

「一言くらい、いいんじゃないですか?」

 

 俺の言葉にようやく桑山さんが振り向く。

 その表情に浮かぶのは、悲し気な後悔と罪悪感だ。

 

「理由はどうあれ、あの事件で私が愛依ちゃんを傷付けた事実に変わりはありません。……なんにもなかった顔で、みんなと一緒にはいられないんです」

「……私は構わないと思いますよ。大崎さんがあんなにショックを受けたのだって、桑山さんとの楽しい記憶があってこそでしょう」

「ありがとう、ございます。でも、だからこそ、なんです」

「?」

 

 意味深な返答に俺が首を傾げると、ようやく彼女は少し柔らかな微笑みを見せてくれた。

 

「だからこそ、まず愛依ちゃんに謝罪をしたいんです。彼女の求める償いを果たせたなら、その後合流したいと」

「……そう、ですか」

 

 俺は軽く下唇を噛みながら、その決意の固さを思い知る。

 そこまで考えているのなら、帰って来る事が前提なのなら、止める事などできない。

 だから俺は姿勢を正し、真っすぐ桑山さんへ視線を向けて告げた。

 

「では、私から一つだけ助言を」

「……? 助言、ですか?」

「ええ。私はここ数か月、探偵の皆さんと交流を持ち、多くの時間を過ごしました。もちろん、その中には和泉さんもいらっしゃいます」

「は、はい……。ええと、それが……?」

 

 戸惑いを見せる桑山さんへ、俺は静かに微笑んだ。

 

「わずかながら和泉さんのことを知る者からの助言です。……彼女は誠意を持って謝罪する人間を責め立てる人ではありません。だから」

 

 桑山さんは息を飲んだが、俺は構わず続ける。

 

「部屋を空けて、待っています。みんなへは、『少し』合流が遅れると伝えておきましょう」

「お弟子さん……」

 

 何か彼女の胸に届くものがあったのか、瞳を閉じ俯いてしまったが、やがて上げた顔にあったのは吹っ切れたような笑顔だ。

 

「ええ、ありがとうございます……! 行ってきますね、お弟子さん……!」

「はい、早いお戻りを」

 

 胸に右手を添えて見せた俺へ桑山さんはもう一度微笑み、朝霧の中へ消えて行く。

 わずかな余韻の残る中、俺の背後からとある声が届いた。

 

「お弟子さん……千雪さん、大丈夫だよね?」

 

 心配そうな表情を浮かべて立っていたのは大崎さんだ。

 その後ろには園田さん、幽谷さんの姿も見られる。

 俺は一つ頷いて、目を細めた。

 

「相手は和泉さんですから。私達は信じて待ちましょう」

 

 俺の言葉に園田さんが元気よく、うんうんと大きく頷く。

 

「そ、そうですよねっ! 私も今できる最善はそれだと思います!」

 

 そして俺はその後ろで肩をすくめている幽谷さんへ声をかけた。

 

「幽谷さんもお気になさらず、ですよ。貴女が嘘を吐いた理由はみんな知っていますし、責める人もいないんですから」

「は、はい……。でも、落ち着くまで時間は、もう少し……かかりそう、です」

「ええ、ゆっくりでいいですよ。待つのは割と得意な方なので」

「……あ、ありがとう、ございます」

 

 俺の返答に幽谷さんは俯きがちなまま答えたが、多分彼女のわだかまりも時間が解決してくれるのだろう。

 なにせ――。

 

「これからみんな一緒に283パレスで生活することになるんですから。……ええ、きっと悩む暇なんてないほどの、騒がしい日々が待っています」

 

 そう俺が苦笑すると、今度は八宮さんが姿を現し、朗らかに笑って見せた。

 

「あははっ、そうそう! 細かいことは気にしないのが一番だよ! お弟子さんの言う通り、何とかなるってわたしも思うな!」

 

 その口調はみんなが知るものだったので、勢いに押されるまま俺達は笑い合う。

 そして大崎さん、園田さん、幽谷さんが吊り橋へ向かって歩き出した。

 

「じゃあ、お弟子さん。甘奈達も一旦、帰るね?」

「でも、すぐに荷物をまとめて、みんなで来ますから!」

「こ、心の整理は、しておきます……」

「は、ははっ、それは……まあ、本当にゆっくりでいいですよ……」

 

 俺の引きつった笑いを可笑しそうに眺めながら、三人は吊り橋を渡り、去って行く。

 やがて取り残された八宮さんが、静かな口調で話し始めた。

 

「一晩かけて考えたんだ、身の振り方」

「……決まりましたか?」

 

 彼女はいつもの明るさを少し潜めて、続ける。

 

「うん、ここでお世話になろうかなって。一人じゃなく、群れの中で自分の色を探して見ようと思う」

 

 その答えに俺は目を伏せつつ、いつも通りの口調で答えた。

 

「それもいいと思います。櫻木さん、風野さんだけではなく、みんな喜んでくれますよ」

「……そうかな? わたし、上手く距離感とか掴めないかもって思うけど」

「それも一つの色です。少なくとも私には綺麗に見えていますから、相談があればいつでも乗りますよ」

 

 すると八宮さんは声を中性的なものへ変え、答えて見せる。

 

「ふふ、言うじゃないか。こちらこそ、業界的な知識や技術であれば協力するよ。ギブ・アンド・テイクとは言わない。欲しいだけ、持って行くといい」

「え、欲しいだけ……って」

 

 予想外の提案に慌ててしまったが、八宮さんはこちらを見て悪戯っぽく笑うだけだ。

 

「見返りは要らない。……私なりの信頼さ」

「え、ええ……?」

 

 なんだかまた、釣り合いが取れないというか破格の条件だなと感じつつも、俺は内心で彼女が語った言葉を思い出す。

 

『真乃とか灯織とか、他のみんなは自分の色を知ってる。自分の居場所を知ってる。……けど、わたしは知らない。だから、立ち位置が分からないんだ』

 

 ……結局のところ、俺が提供できるのは場所と時間だけで、答えは彼女自身が見つけなければならないのだろう。

 だが、今回の俺がそうであったように、行き詰まってもこれからは助言をしてくれる仲間がいる。

 新しい視点から世界を見れば、違う姿も現れてくるはずだ。

 

「あははっ、でも、もう答えは出ちゃったかなーって気もしてるよ?」

 

 いつの間にか俺の知っている八宮さんに戻っていた彼女は、明るい笑顔で頬を綻ばせる。

 

「え、もう、ですか?」

「うん! だって、さっきお弟子さんが言ってくれたでしょ? 『綺麗に見える』って!」

 

 そして吊り橋へ足を乗せ、先へ進みながら大きく手を振った。

 

「それで充分って思えたから! だからわたしは、ここで生活しながらみんなの色をもっと知りたいんだ! いいところも、わるいところも全部見つけて、綺麗だよって言ってあげられるように!」

「……! そう、ですか!」

 

 朝霧の中へ消えて行く彼女に、俺は最後の言葉を投げかける。

 

「それこそ、謎があったら解き明かさずにはいられない探偵の性ですね! 油断のできない、刺激的な日々を送れそうです!」

 

 その言葉が八宮さんへ届いたかどうかは分からない。

 みんなの姿は朝霧の向こう側へ行ってしまい、洋館側に取り残されたのは俺一人。

 耳が痛くなるような朝の沈黙だったが、俺の胸は静かな高鳴りを覚えていた。

 

「さて。……忙しくなるな、これから」

 

 なにせ、25人だ。

 全員分の部屋があるとはいえ、むちゃくちゃもいいところ。

 はづきさんは戻るらしいけど、『A』は姿を消し、怪盗283を始めとした大所帯となる。

 

「まったく、身体がいくつあっても足りなさそうだ」

 

 俺はそう呟き、洋館こと283パレスへ一人、足を向けた。

 いつの間にか朝霧は晴れ、頭上に青い空が広がり、滲むような白い雲が瞳へ映る。

 やがて視界に現れた283パレスの外観を見上げた時、ふと誰かに呼ばれた気がして振り返った。

 

「……え?」

 

 そこにあったのは一つの幻。

 玄関前の広場に25人全員が揃い、目を細め、こちらへ幸せそうな笑顔を向けていた。

 しかし、瞬きをした間にその光景は立ち消え、視界は元に戻ってしまう。

 俺はしばらく目を瞬かせてしまったが、一つ息を吐いた後、再びパレスのドアノブへ手を掛ける。

 そして最後に、

 

「賑やかなのはいいけど、誰が部屋の掃除をすると思ってるんだか。それだけで一日が終わるっての」

 

 と、左右の人差し指で口角を引き上げながら、ぼやいたのだった。



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