【完結】最後のヘラの眷属が笑って◯○までの話 (ねをんゆう)
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被害者1:ロキ・ファミリア

思い付きで書き始めたので書き溜めは殆どないですし、更新速度も多分そんなに良くないです。
ただ面倒臭い女です。
本当に面倒臭い女です。


「かはっ、ごほっ……!?」

 

灰色の艶髪に、黒く乾いた赤色が混じる。

崩れ落ちる女、それを前にした正義の使徒達。

 

「ふっ………は、はははっ………」

 

満身創痍、しかし掴み取った勝利。

それでもそこに喜びはない。

手と手を取り、笑い合い、それをすべき勝利ではなかった。

笑っているのは、打ち倒された女の方。

 

「……ああ。お前達の、勝ちだ」

 

正義を謳う少女達と悪を名乗る女との衝突が残した爪痕は、恐らく数日も経てば元に戻る。ダンジョンとはそういうものであり、そういった痕跡を残してくれないからこそ残酷であるのだと人は思う。

しかし確かに残った心の傷跡は、そして慟哭は、彼等の中に生き続ける。残り続け、繋がっていく。女の語る正義と悪に、その行き着く先への警告を、これからに望む彼等はただ静かに聞いていた。

 

「っ、アルフィア!どこへ……!」

 

「……私の亡骸は、灰に返すと決めている。あの子と、同じように……」

 

奈落の穴へと歩いていく。

終わりを悟り、死に場所を悟った。

悪くはなかった。

むしろ満足のいく終わり方だった。

ただ一つ、悔やむことがあるとすれば。

 

「……あの馬鹿娘は、怒るだろうがな」

 

一度でも勝たせてやれたら良かったかもしれないが、この道を選んだのは自分であり、アレに道を強要したのも自分だ。あの勢いでは死んだ後も追いかけて来そうだと少し恐ろしくもなるが、そうならないことを祈るしかない。

 

「さらばだ、正義の眷属達。さらばだ、オラリオ」

 

 

 

 

「……最後のヘラの眷属に、"悪かった"と、伝えておいてくれ」

 

 

「「っ!?」」

 

その言葉を残して、彼女は炎獄の中へと身を投じた。その言葉の真意を知ることは出来ず、意味を知ることも出来ず、ただ残された静寂に佇むだけ。

彼女のその言葉の意味を知るのは、それからまた7年後のことだ。つまり彼女達は既に世に居らず、その言葉を伝えることも出来はしない。故に女は怒る、怒り狂う。最後に告げられたその言葉を、知ることが出来なかったがために。

 

 

 

 

 

 

それは7年後のオラリオ。

ロキ・ファミリアの彼等が遠征から戻り、少しの平穏が取り戻された後に起きた事だった。日は暮れて既に夕方、各々が汗を流したり荷物の整理、報告などをしている頃合い。激戦を乗り越え、死の運命から逃げ切り、今日も生き残って帰ることが出来た。その安心感に包まれ、漸く達成感を感じ始めたところだった。

 

「ぐあっ!?」

 

「がぁあっ!?」

 

突如として外から聞こえて来た2人の男達の悲鳴。それに最初に気付いたのは執務室でロキに対する報告を行っていた幹部の3人。

 

「ん?なんじゃ、今の声は」

 

「なんや悲鳴みたいな声やったな、荷物運んどる途中で転けたんか?」

 

「それくらいならいいのだが……フィン?どうした」

 

「……………」

 

「………フィン?」

 

「……親指が痛い」

 

「親指が痛い?……痛い???」

 

「怪我でもしたんか?」

 

「いや、これは……まさか……」

 

 

 

 

「敵襲だぁぁあああ!!!!!ぐぁっ!!」

 

 

 

「敵襲やて!?」

 

直後、バァァアン!!!と大きな音を立てて開かれた玄関口の大扉。3人は咄嗟に立ち上がり、直ぐ様に意識を切り替える。

ファミリアの本拠地に対する直接的な襲撃、しかもド正面から。こんなことは本当に久しぶりというくらいの出来事で、ロキ・ファミリアがこうして大きくなってからは初めての出来事だった。今やこのような経験をしたことのない者達の方が多く、冷静になって対処の出来る者など、かつてそういった時代に生きていたフィン達くらいなもの。既に他の団員達からは混乱している雰囲気を感じている、いち早く指示を出さなければまずい。

 

「敵は1人……とは限らないか!ロキもついて来てくれ!状況が分からない以上、むしろ近くに居てくれた方が守りやすい!」

 

「お、おう!頼むわ!」

 

こうしている間にも階下からは団員達が返り討ちにされているような声や音が聞こえており、フィンはロキを連れて、ガレスやリヴェリアと共に階段を駆け降りる。

敵が何処の誰かは分からないが、大抵の敵であればこの3人が居ればどうにかなる。それは都市最強の"猛者"でさえもそうであり、それほどにロキ・ファミリア最上位3人の能力というのは今のオラリオに於いては飛び抜けている。ここ数年レベルが上がることがなかったとは言え、それでも未だその座が揺るがされることはなかった。

……そう、少なくとも、今のオラリオにおいては。

 

「「「「っ!?」」」」

 

「ほう、漸く知った顔が出て来たな……」

 

大扉が蹴破られ、何人もの団員達が気を失って倒れており、彼女の手にはLv.4のラウルが首を掴まれ持ち上げられている。彼は既に気を失っており、他の団員達同様に乱雑にその場で投げ捨てられて転がっていった。

 

「……アルフィア、なのか?」

 

リヴェリアはその姿をよく知っている。最後に見た彼女が着ていた黒のドレス。それはまさに目の前の彼女が着ているそれであり、流している長髪は以前の彼女より長くウェーブは掛かっていないが、それでも見まごうことなく"静寂"と呼ばれていたあの女と同じ灰色。そして彼女が纏っている雰囲気もまた、あの時感じたものによく似通っていた。

……しかし。

 

「"九魔姫(ナイン・ヘル)"……貴様は今、私をあの女と見違えたのか?」

 

「っ」

 

返って来たのは強い否定、そして殺意。

ガレスが前に立ち、フィンも同様にリヴェリアとロキを隠すように前に出る。しかし女の目はそれでも真っ直ぐに明確な怒りと共にリヴェリアを貫いていた。言われなくとも分かる。聞かされなくとも分かる。あの女は間違いなく……Lv.6以上の怪物であると。

 

「っ、ええい!!"静寂"と間違えられたくなければ、そのようなややこしい格好をするでないわ!!」

 

「……"重傑(エルガルム)"、腹が立つな貴様」

 

「は?」

 

「殴らせろ」

 

直後、"重傑"ガレス・ランドロックの頬にめり込む女の拳。そのまま二転三転と転がっていき、壁に激突するガレス。この街でも最高クラスの防御力を持つ鉄壁のドワーフ。そんな彼を殴っただけでなく、吹き飛ばした。それはただそれだけで凄まじい偉業だと言えよう。

 

「チッ」

 

反動が来たのか雑に手を振りながら掌にポーションをかけ始める女、人の家の中でビシャビシャとポーションを垂れ流すのだから普通に最低である。床がずぶ濡れだ。

流石にガレスもあの程度の攻撃に重傷を受けることはなく、普通に立ち上がり赤くなった頬を撫でているが、それにしても目の前のこの女。あまりに暴君が過ぎるのではないかと、この様子を見ていた誰もが同様にそう思った。

 

「……なるほど、確かに君は"静寂"ではないらしい。彼女は目を瞑っていることが多かったけれど、君はそうではないし、そもそも両眼の色が同じ青。色違いではない」

 

「あの女とて常に目を瞑っている訳ではない、むしろ瞑っている時は必ず何か理由がある時だ。……そしてロキ・ファミリア。私がこうして貴様達と相見えるのは、実に15年振りのことになる」

 

「15年だと!?」

 

15年、それは暗黒期よりも前。それこそ暗黒期に突入した原因となった事件が起きたのが、その15年前の話となる。

そしてそれはつまり、15年前に姿を消した者達の中に彼女が居たということにもなって。だとしたら彼女の正体も、なんとなくではあるが想像も出来てしまう。

 

「君は……ゼウスとヘラのファミリアの、生き残りなのかい?」

 

「生き残り……ああ、生き残りだろう。そもそも黒竜討伐などという話すら聞かされることの無かった、哀れで愚かな生き残りだ」

 

背後から彼女を捕えようとゆっくりと近付いていた団員の1人が顔面を蹴り飛ばされ、そのまま開かれた大扉の外へと吹き飛ばされていく。

……一応、死人はまだ出ていない。誰も彼もが意識を失っているだけ。ラウルを介護していたアキが頷き伝えて来る。そして何人かは武器を取りに行けたのか、武装の準備も整って来た。幸いにもこちらは遠征帰り、団員達も多くこの場にいる。数の暴力で取り押さえることならば可能だろう。

 

(しかし出来ればそうはしたくない、あまり大事にはしたくない。もし彼女が当時の"静寂"と同等であるのなら、最悪死人が出る)

 

故にあくまで対話で。

せめてなるべく怒りを沈めて。

実力行使はそれすら失敗してからでいい。

ヘラの眷属との正面衝突など、しないに越した事はない。フィンはそれを嫌というほどによく知っている。

 

「……目的は?」

 

「殺すことだ」

 

「それは、誰をかな?」

 

「あの女を殺した糞共をだ」

 

「………」

 

密かにロキがリヴェリアの方を見る。そしてリヴェリアは必死になってそれを否定する。あれは自分ではなくアストレア・ファミリアがやったことだと、アストレア・ファミリアの手柄であると。故にフィンもまたそれを利用することにした。この場を収めるにはそれしかない。

 

「……彼女を倒したのはアストレア・ファミリアの少女達だ、僕達ではない」

 

「ほう、ならばその小娘共は今何処に居る?」

 

「もう居ないよ」

 

「なに……?」

 

「5年前に闇派閥の罠に掛かって全滅した、だから彼女達はもうこの世には居ない」

 

「……死んだのか?」

 

「ああ、残念だけれど」

 

「…………………そうか、死んだのか」

 

「うん」

 

「……………そうか」

 

「……………」

 

「……………」

 

「……………」

 

「…………ならば」

 

「なに、かな……?」

 

 

 

 

「………………………………死ぬか」

 

 

 

 

「いや待て待て待て待て待て待て待てぇい!!!!」

 

「ガレス!彼女を止めるんだ!!」

 

「思い切りが良すぎるじゃろうが!!」

 

「このっ、死なせるものか!!」

 

「どけこの虫ケラ共が!!私はここで死ななければならないんだ!!……離せクズがァ!!私に触るなドブ蛆虫共め!!!」

 

「口悪っ!!そんでもって力強っ!?フィンが持ち上がっとるやんけ!!」

 

「ぜ、全員かかれ!とにかく彼女を死なせるな!死に物狂いで取り押さえろ!!」

 

「「「「う、うおおぉぉおお!!!!」」」」

 

その後はもう、酷い有様だった。

団員達は吹き飛んで行くし、玄関はズタボロ、なんとか取り押さえたものの全員が満身創痍。しかも最終的にはガレスにフィン、ベートにティオナ、ティオネ、アイズなど、近接戦闘を得意とする上位メンバー全員で漸くその身体を拘束出来たのである。ちなみにその全員が満遍なく1発以上は殴られて吹き飛ばされていたりする。本当の本当に最低だ、地獄絵図だ。

 

「た、頼むから一度落ち着いてくれ!せめて、せめて事情を聞かせてくれ!頼む!!」

 

「黙れ年増ァ!貴様に話すことなど何もない!」

 

「と、とし……」

 

「チッ……いいから離せ貴様等!2秒以内に離れなければ館ごと魔法で爆破する!」

 

「「ひぃっ!?」」

 

「それはマジでやめろや!!」

 

「全員退避!」

 

「イカれてんのかこの女ァ!!」

 

言葉通り、本当に魔力を高めだした彼女を見て、フィンは慌てて退避の指示を出す。

遠征帰り、アイズも含めて疲労は大きい。正直これ以上の厄介ごとはお断りしたいところ。この暴君が落ち着いたかどうかは分からないが、一先ず全員が彼女から離れた。

それからまるで何事もなかったかのように起き上がり、パッパとドレスから埃を取る彼女。そうして見ていると本当に彼女が7年前に冒険者達の踏み台として消えた"静寂"にしか見えなくて、しかし人格的なことを考慮すれば、彼女が確かに別人であるということも分かってしまって。静寂を知っているアイズもまた、警戒するように目を細めて他の団員達の前に出る。それでもやはり彼女は"静寂"ではない。

 

「さて…………帰るか」

 

「って、待てやコラ!なにサラッと帰ろうとしてんねん!ここまでしたんやからせめて理由くらい話さんかいボケ!」

 

「あの女を殺しに来たら既に死んでいた、その女を殺した奴等も死んでいた。ならばもうここに居る意味もあるまい」

 

「殺しに来た……?君はそこまで"静寂"のことを恨んでいるのかい?」

 

「………当然だ」

 

「「っ」」

 

瞬間、彼女から放たれる先程までのものを更に超えるような凄まじい殺気と怒気。思わず全員が本気で身構えるほどの脅威。

一体なにがこれほど彼女を怒らせているのか。果たして彼女と"静寂"との間に一体何があったというのか。その目的が果たせなければ、自殺すら考えたほどの理由とは一体何なのか。

 

「あの女に……」

 

「あの女に……?」

 

 

 

 

「あの女に勝たなければ、私は一生この姿のままだろうがァ!!」

 

 

 

 

「……え?」

 

目の前にいたガレスがまた大きく殴り飛ばされた。本日3発目である。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……つまり、君は"静寂"との賭けに負けて、彼女に勝つまで一生その格好を続けることを強制させられていると」

 

「……忌々しいことにな」

 

「なんというか。何をやっとるんじゃ、お主等は……」

 

「ええやん、よう似合とるで」

 

「殺すぞ乳無し」

 

「どつき回したろかボケ!!」

 

「落ち着けロキ」

 

あの後、急遽近くの部屋に押し込んで事情聴取をすることとなったロキ・ファミリア。部屋の外では彼女が暴れたせいで受けた被害の修繕が始まっているが、しかし目の前の女はそんなことも気にせず足を組んで出された茶を偉そうに飲んでいる。例え相手が神であろうと、変わることのない傲岸不遜。これと比べればまだ"静寂"には良識があった方だろう、正直性格が終わっていると言っても差し支えない。

 

「あのクソ女め……これ以上のない屈辱を私に与えておきながら、勝手に消え失せた。それを殺した娘共も居なくなったとなれば、私は一生このままだろうが」

 

「いや、その……うん、別に嫌ならやめてもいいんじゃないかな?」

 

「は?巫山戯るなよクソ小人族。私にあの女との賭けの約束を破れというのか殺すぞ」

 

「ああ、そういう……」

 

「面倒臭い奴よのぅ」

 

「いや、だが単に勝ち負けと言っても色々な解釈が……」

 

「貴様如きが私とあの女の勝敗に口を出すな幸薄」

 

「幸薄っ!?」

 

「なんやねんもうほんま面倒臭いわ」

 

変なところで真面目というか、無駄に拘りが強いというか、妙な執着すら感じてしまう。それくらいに酷いことをされたのかとも思ってしまうが、それよりも前に確認すべきことがあることをフィンは思い出す。色々と衝撃的過ぎて今の今まで聞いていなかったが、そもそも彼等はまだ目の前の女の名前すら知らない。

 

「あ〜、確か君は僕達と15年ほど前に出会っていると言っていたね。ヘラの眷属の一人であったとも」

 

「ああ」

 

「しかし申し訳ないが、僕達は君が誰なのかまだ分からない」

 

「まあそんだけ容姿を似せとったら分かる訳ないわな」

 

「その頃の君は幾つだったんだい?」

 

「12だ」

 

「12!?」

 

「嘘やろ小っさ!?」

 

「冒険者になったのは6つの頃だ」

 

「「「「………あの子か!!!!!」」」

 

「ようやく思い出したか」

 

そこまでの情報を掴んで、やっと思い出す。なぜ忘れていたかと言われれば、それは単純に彼女の話題で盛り上がったのが一時期だけの話だったからだ。少なくとも黒龍討伐の話が出た際には彼女は表舞台には居なかったし、終わった後も都市はそれどころの話ではなかった。

 

「ラフォリア・アヴローラ……確か二つ名は、【撃災】だったかな」

 

「私自身もう朧気だがな」

 

「最年少Lv.到達記録がまだ幾つか残っとったやんな、一時期めっちゃ有名やったやん。路上で小さい子供にボコボコにされた冒険者が何人も居ったって」

 

「……もしかして、髪色も変えているのかい?」

 

「まあな」

 

「す、凄まじい気合の入れようだな……」

 

「最初はウィッグを付けていたが、戦闘中は取れて使い物にならん。苦肉の策だ」

 

「そこまでしとんのに目の色は変えんのやな」

 

「消耗する、管理が出来ん、そもそも流通が少な過ぎる。最初はしていたが無理な物は無理だ」

 

「しとったんかい」

 

「やるならやるが徹底的過ぎる……」

 

「……もしかして、その口調もなのか?」

 

「これは自前だ、そこまでする訳がないだろう。あくまで格好だけであり、最初にさせられたことをそのまま続けているに過ぎん」

 

「最初の一歩がデカかったんやなぁ」

 

しかしこうなると不味いことも多々出て来る。

そもそもこの街においてアルフィアの存在は、やはりよろしいものではない。

元闇派閥の最大戦力にして大幹部、この街に大きな絶望を齎した。その姿を視認しただけで恐怖してしまう者も少なからず居るし、特にあの時最前線で戦っていた今の幹部層の人間達のことを考えれば、色々とトラブルが起きることも容易く想像出来てしまう。しかもこの性格となれば大きな争いに発展することも簡単に予想出来る。

 

「そんで……これからどないするんや?ほんまに帰るんか?」

 

「……一つ思い付いた事がある」

 

「変な思い付きでないといいのだが……」

 

「あの女と直接やり合うことは叶わなくなったが、確実にあの女より上だという実績を作れば、流石に堂々とこの格好をやめても文句は言われまい」

 

「先ずお主以外文句を言う人間がそもそも居らんのだがな」

 

「つまり黒竜を倒せば私の勝ちだ」

 

「「「「……………」」」」

 

何を言っているんだこいつは、と全員が白い目を女に向ける。いや、それは確かにいつかは成し遂げなければならない話ではあるが。少なくともそんな軽い感じで語る話でもない筈だ、それもそんなついでみたいな言い方で。死んだ彼女の元同僚達が聞けば普通に怒られるだろう。名案を思い付いた、みたいな顔をしているが、その名案には誰も共感することはない。

 

「ということで、暫くこの街に滞在することにする」

 

「いや、それはええんやけど……え、何処に住むつもりなんや?」

 

「まさかとは思うが……」

 

「流石にそこまで図々しいことを言うつもりはない、一応あの女から適当に寝泊まり出来そうな場所は聞いている。貴様等は私のレベル上げに付き合えばそれでいい」

 

「突然とんでもない要求がぶっ込まれたね」

 

「普通に図々しいんやけど」

 

「代わりに貴様等の団員のレベルも上げてやる、遠征に付き合ってやってもいい」

 

「「「「…………」」」」

 

それは普通にありがたい申し出だった。

彼女の実力はまず間違いなくLv.6を超えていて、性格はともかく、戦力としては申し分ない。今回の遠征で分かったことではあるが、今後更なる想定外に出会す可能性は十分にある。戦力の増強は必須であり、それが元ヘラ・ファミリアの2人目の天才児となれば、その性格の悪さを考慮しても受け入れる価値は絶対にある。むしろどれだけあっても足りないということはない、それが遠征というものだ。

 

「まあ、そういうことなら、むしろこっちからお願いしたいくらいやけど」

 

「そうか、ならば3日後にまたここに来る。……そうだな。あの何の長所も無さそうな愚図と、その愚図を介護していた黒髪の猫人、あとは口だけ達者な狼人の3人の予定を空けておけ。ダンジョンに連れて行く」

 

「ええと、ラウルとアキ、それとベートのことだね。僕達は連れて行ってくれないのかい?」

 

「貴様等には最前線の地獄を用意してやる、私がダンジョンに慣れるまで待っていろ」

 

「さ、最前線の地獄……」

 

「た、大変そうやなぁフィン達……」

 

「……ロキ、暫く禁酒しろ」

 

「なんでや!!」

 

「不公平だからだ」

 

「ウチ関係ないやろ!」

 

そうこう言っているうちに、女は荷物をまとめ始める。どうやら本当に改宗する気もなく、ここに居座りつくつもりもないらしい。あれだけ暴れておいてよくもまあこうも何事も無かったかのように帰り支度が出来るものだと思わなくもないが、そこを突くとまた何をされるか分かったものでもないので、ここに居る誰もがそれについては指摘しない。

 

「エルフ」

 

「ん?……っ、これは」

 

「迷惑料だ、取っておけ」

 

「っ、これは……魔宝石か!!」

 

「マジで!?しかもこれ最高級品やん!!こんなん魔法大国(アルテナ)でも早々見つからんやろ!どないしたんや!?」

 

「その魔法大国(アルテナ)から奪って来た物だからな」

 

「「「「……………」」」」

 

「また来る」

 

そうして彼女は、最後に最大級の爆弾を残して帰って行った。

売り物にもならないような最高級の魔宝石、あらゆる魔術師が喉から手が出るほどに欲する宝物。きっと奪われた魔法大国では必死になってこれを探しているだろうし、奪われたことを知った魔術師達も血眼になって捜索を始めているはずだ。

 

((((押し付けられた……))))

 

さっさと使うか、さっさと売り払うか。

何にせよ手元に置いておきたくないものを受け取ってしまった彼等は、凄まじく嫌そうな顔をしながらそれを丁重に仕舞い込むことにした。



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被害者2:ヘスティア・ファミリア

「お、姉ちゃん美人だなぁ?ここいらでは見ねぇ顔だg……」

 

「五月蝿い」

 

「ぐぼぁっ!?」

 

男が1人、見事な放物線を描いて飛んでいく。

……過剰防衛。

言葉を掛けられただけ、まだ肩に触れられるとかそういった事もない。しかし男は顔面に裏拳を打つけられ、その威力によって建物の屋上まで吹き飛んだ。ピクピクと足が動いているので死んではいないだろうが、彼女はそんな彼に目を向けることすらなく歩いて行く。そんな彼女に周囲からの目が集まり、自然と道が開けて行くのは当然の話だ。そして彼女はその光景に気後れすることなく、むしろ好都合だとでも言いたげな顔をしているのだから、まあ本当に図々しいというか自分勝手というか。

 

「……久しぶりに来たな」

 

そうしてここまで3人ほどの探索者を吹き飛ばして辿り着いたのは、小さな寂れた廃教会。屋根は破損しているし、中も大して掃除されてはいない。しかしこの建物こそが目的としていた場所であり、懐かしさを感じる場所であり、オラリオに来た際の滞在地として"あの女"に示されていた場所だった。

 

「とは言え、補修と掃除は必要か」

 

確か地下には1人が住む程度ならば何の問題もない一室がある筈であるが、仮にも住まいとするのであれば最低限の姿にはしておきたい。専門的な知識は有していないとは言え、探索者の身体能力を使えばこの程度の建物の簡易的な補修くらいは容易い。

とは言え、それも明日からの話。既に日も落ち掛けている、来る時に雑に買ってきた食料と水を使って身体を清めて、今日はもう終えなければならないだろう。

 

「ん?」

 

そう考え地下の方へ降りて行く最中、中から何やら話し声が聞こえて来ることに気が付く。男と女の2人組、気配的に片方は神であろう。しかし、だからと言ってこの女、わざわざ立ち止まって聞き耳を立てたりするということなど決してない。

 

バンッ!!

 

「誰だ貴様等」

 

「「………え?」」

 

静止する空気、固まる2人。

半裸の少年と、その彼のステータスの書かれた紙を持ってベッドの側に立っていた小さな女神。どうやらステータス更新をした後らしく、それについて何かしら話していたところだったようだ。色々と特徴的な2人組、零細ファミリア特有の雰囲気を感じる。

 

「な、なな、なんだい君は!?」

 

「か、神様離れて……!」

 

「子兎程度が盾になるか」

 

「いっ!?」

 

「ベルくん!!」

 

女神を守る様に前に立った少年に、デコピンを1発。すると少年は軽々とベッドの上に戻されてしまうのだから、彼が恐らく冒険者になったばかりのLv.1なのだと想像出来る。

 

「な、なんなんだ君は!一体何の用だ!ここにはお金なんかないぞ!」

 

「貴様等こそ、誰の許可を得てこの場所に住み着いている」

 

「なっ!僕達はちゃんとヘファイストスから許可を得てここに住んでいるんだ!何の問題も無いはずだい!」

 

「ヘファイストス?……ああ、なるほど。ここの管理権は今はあの女神に移っていたのか。それは少し想定外だったな」

 

「???」

 

まあだからと言って、ここで引き下がる訳もなく。女はまるで自分の部屋の様にソファに座り、持って来た食料を広げて欠伸をした。

 

「ちょ、あの……!?」

 

「は、話を聞いてたかい!?ここは僕達の部屋で……!!」

 

「黙れ有象無象」

 

「有象無象!?仮にも神に向かって有象無象!?」

 

「泊まる宛に居た貴様等が悪い、黙って一晩泊めろ。今から宿を探すのも面倒だ」

 

「え、えぇ……」

 

「お、横暴過ぎる……」

 

もう本当に何の遠慮もなく、当たり前のように食事をし始めてしまうのだから、2人が戸惑い何も言えなくなってしまうのも当然の反応。それでもこの女、ただ横暴なだけでは無い。いや横暴ではあるのだが、耳糞程度も人心のない凶君という訳でもないのだ。

 

「子兎」

 

「へ?……わわっ!?」

 

「食え、買い過ぎた。どうせ大した食事もしていないんだろう」

 

「え、いいんですか……?」

 

「宿代代わりだ。強くなりたいのならとにかく食え、そこの女神も甲斐性がある様には見えんからな」

 

「なっ、なっ、なにおう!」

 

「貴様は要らんのか?」

 

「それは欲しい!!」

 

「か、神様……」

 

そうして女神ヘスティアは容易く食料によって買収された。なにせ今日のヘスティア・ファミリアの夕食は、ジャガ丸くん、ジャガ丸くん&ジャガ丸くんである。いくら味が違うとは言え、芋の揚げ物、芋の揚げ物&芋の揚げ物であることに変わりは無く、とてもではないが成長期の少年に食べさせるには酷くバランスが悪い。単純に飽きもあったし、まともな食事など本当にいつ以来かというくらい。食い付いてしまっても仕方がないという話。

 

「……ええと、つまり君の知り合いが前のここの管理者で、君はその人物に紹介されてここに来たと」

 

「大体そういうことだ」

 

「あの……貴女も冒険者なんですか?」

 

「10年以上前にな、事情で少し離れていた」

 

「へぇ、君は誰の眷属なんだい?」

 

「アフロディーテだ」

 

「ア、アフロディーテ!?」

 

「その前は女神アルテミス……」

 

「アルテミスもかい!?」

 

「その前は……誰だったか、嫌に喧しい奴だったな」

 

「お、覚えてないとかあるんですね」

 

「基本興味がないからな」

 

「ふ、不遜過ぎる……」

 

しかしこれほど改宗を繰り返している眷属と言うのも、割と珍しい話。それもヘスティアの同郷の知り合いも何人も話に出て来たりしていることから、徐々にヘスティアの中で彼女に対する警戒心も薄れ始めていた。そもそも食料を受け取った時点で、宿泊は認めた様な物。まあ認めていなくとも勝手に寝泊まりしていたのは間違いないが。

 

「それで、ええと……あの、僕はベル・クラネルって言います」

 

「そうか」

 

「……………」

 

「……………」

 

「ぼ、僕はヘスティアだ!これでもアフロディーテとアルテミスとは同郷の女神なんだぜ!」

 

「そうか」

 

「……………」

 

「……………」

 

「………いや、君の名前は?」

 

「ラフォリアだ」

 

「あ、うん、なるほど。君には聞きたいことは直接聞かないといけないみたいだね」

 

「相手が自分の考えを読み取ってくれるなどと、図々しいにも程がある」

 

「それを君が言うのかい……?」

 

「……おい子兎」

 

「は、はいっ!?」

 

「貴様食が細いのか?」

 

「い、いえ、その……実はさっき食べたジャガ丸くんが意外とお腹に来てて」

 

「これも食え」

 

「え"っ」

 

「食って動け、血肉となせ。これも鍛錬だ。貴様も冒険者ならば強くなりたいのだろう」

 

「………っ!あ、ありがとうございます!」

 

「………さて、私は身体を拭くか」

 

「ぶほっ!?」

 

「待て待て待て待て待てーい!!!!!!」

 

腹が膨れて食べれなくなった物をそれっぽい理由を付けてベルに押し付けた後、何故かその場でドレスを脱ぎそうになった彼女を、ヘスティアは必死になって引き留める。仮にも男性の前で遠慮なくその身体を出そうとするのだから、常識というものがないのかと。いや無いけれども、せめて恥じらいというものくらいはないのかと。

 

「そんなことしなくってもシャワーくらいあるやい!!」

 

「なに?そうか、意外と設備が整っているな」

 

「というか仮にも女性なんだ!ベルくんの前で脱ごうとしないでくれ!!」

 

「所詮ガキだろうが」

 

「こ、これでも14歳です!!」

 

「ガキだろうが」

 

「と、とにかく!ベル君の教育に悪いから絶対駄目だ!駄目と言ったら駄目なんだ!!」

 

「……女の身体くらい教えておかなければ将来拗らせるぞ?」

 

「僕は処女神なんだぞ!」

 

「貴様の主義を眷属に押し付けるな」

 

「ぐ、ぐぬぬ……」

 

「か、神様、もうそのくらいで……」

 

一先ず、脱衣だけは止めることが出来たので、シャワーの方へと彼女を見送り、ベルとヘスティアは大きな安堵の息を吐いた。

突然の訪問者。しかも色々と常識が抜けているというか、無視して来るというか、色々と疲れた。

それでも2人の気が楽になることはなく、この後も強引にベッドを奪われたりした。今日1日の我慢……で済むかどうかは、分からない。

 

 

 

 

 

 

☆☆☆次の日の朝☆☆☆

 

 

 

「起きろ」

 

「ぐぼぁっ!?」

 

「お前もだ」

 

「ゲフッ!?」

 

朝の目覚ましは腹部への手刀。

食らった2人はその場で蹲り、ソファで寝ていたヘスティアはそのまま床へと落ちて行く。刺激のある目覚め、眠気など簡単に吹き飛んで行く。

 

「か、仮にも女神に向かって暴力はどうなんだい……?」

 

「女神だからと言って特別扱いされると思うな、ここは地上だ」

 

「ち、地上だからこそなんじゃないかなぁ……ん?」

 

ノソノソと起き上がり下手人の方を見てみれば、彼女は昨日来ていた物と同じドレスの上に、更に一枚エプロンを付けている。それに漂って来るこの良い香り、まさかとは思って振り向いてみれば、実際にそのまさかで……

 

「あの……これ、作ったんですか?」

 

「だったらどうした」

 

「あ、いえ、その……」

 

「食え、残すなよ」

 

「あ、はい。……その、ありがとうございます」

 

「宿代代わりだ、良いから食え」

 

「は〜、すごいね。朝からこんな風に食べるの初めてだよ」

 

「たった1人の眷属にまともな食事も用意出来んのか貴様は」

 

「う"っ」

 

「料理くらい学べ」

 

「うぅ、はい……」

 

何故朝からこんなにも肉体的にも精神的にもボコボコにされないといけないのか。しかし実際そうなのだから何も言えない。いくらヘスティアにもバイトがあるとは言え、ベルは命を賭けてダンジョンに潜っている身。いくらそれが彼の意思による物だとしても、出来るなら良い物を食べさせて見送りたいというもの。料理くらい学ばなければならないというのは、確かにその通りだろう。

 

「……!美味しいです!」

 

「適当な物だがな」

 

「そ、そんなことないですよ!……その、実はオラリオに来てから朝食ってあんまり食べてなかったので。すごく嬉しいです!」

 

「……神の眷属は病に罹りにくいとは言え、決して無縁ではない。偏食をせず朝も食え、食事への投資だけは削るな」

 

「は、はい。分かりました」

 

こんな常識のない女であるが、こういう部分に関しては本当に常識的なことを言うのだからヘスティアもよく分からない。一先ず今日からは夕飯をジャガ丸くんだけにするのは止めようと心に決めた。流石に自分に嫌味を言われていることは、ヘスティアだって気付いている。

 

「あーええと、ラフォリアくんだったかな。それで君はこれからどうするんだい?流石に3人だとここは手狭なのだけれど……」

 

「上の教会を修繕する」

 

「え、出来るんですか……?」

 

「最低限の作業だ、そこまでしっかりとはやらん。別に建物自体は悪くない、多少掃除すればマシになるだろう」

 

「なるほど、そういうことなら……」

 

「ただしシャワーと台所は貸せ、そこまで整備するつもりはない。その代わり朝食くらいならば作ってやる」

 

「僕は構わないよ、むしろありがたいくらいさ。君もそうだろ?ベルくん」

 

「は、はい!お願いしたいです!」

 

「それと馬鹿乳、今日からは貴様がソファを使え。まさか眷属を差し置いてベッドを使っているような脳無しが居るとは思わんが、念のためな」

 

「ごふっ!?」

 

「か、神様ーっ!?」

 

なんだか僕にだけ当たりが強くないかい?

そう言い掛けたヘスティアであったが、その全てがぐうの音も出ないほどの正論であったため、彼女は全てのダメージをその身に受けて昇天することにした。……まあ、昨日ベルをソファで寝かせたのは他でもないこの女ではあるのだが、それを棚に置いても正論をぶつけられるのがこの女でもあった。

 

 

それからベルがダンジョンに向かい、女は早速行動を開始した。

まずはヘスティアのケツを叩き、バイトに行くまでの時間に布団の洗濯と部屋の清掃をさせる。多少綺麗にはしているが、日光の当たらない地下という性質上、もっと綺麗にしておかなければ身体に悪いというのが彼女の言だった。

そしてその間に彼女は街に出て補修用の資材を調達し、自らの手で屋根の補強を始める。一部崩れている壁は新たにブロックを積み直し、穴の空いた屋根は防水剤と共に大きな木の板を張って応急的な処置を施す。ボロボロになり、有って無いような状態な扉は足で蹴り飛ばして破壊し、新たな扉に付け替える。劣化した壁面には補強剤を塗り、どうしようもない部分は取り壊す。資材は眷属特有の身体能力で軽々と運んだとは言え、それでも女は自分で言葉にしていた以上にこういった作業に慣れていた。

風化してボロボロになった絨毯も引き剥がし、一度全ての椅子や机を含めた家具を撤去して粉々にし、床を磨き、壁を塗り、虫が巣を作って居そうな場所は魔法で燃やした。

そうして粗方の清掃が終わった後、再度新しい絨毯を敷き、持って来た新しい家具を置き直せば、一先ず彼女が何とか納得出来る程度まで綺麗にはなった。ここまでするのに8時間。時間が掛かりはしたが、それでも普通に考えれば早い方だろう。

 

そうした諸々の改築の末に、この教会は土足厳禁になっている。これは地下に行かなければならないベル達も同様である。土足で上がったら問答無用でビンタが飛んで来る、彼女は清潔に異様に気を遣っていた。

明日はベル達の居る地下室の本格的な清掃、そして庭の手入れもするつもりである。外装については敢えて手を付けないことにした。綺麗になれば人が寄り付くことになるからである。

 

一先ずは朝ヘスティアが干していった布団を取り込み、彼等のベッドの方へと運んで行く。

日も暮れ始めた、流れ上仕方がないとは言え、3人分の食事を作り始める。

地下室の掃除は相当面倒そうで、これなら先に地下から掃除を始めれば良かったと思いつつも、肉と野菜を雑に炒めていた。

 

「たっだいまー!いやぁ、すごいねラフォリアくん!まさか1日であんなにも綺麗になるなん……痛いっ!?」

 

「貴様、入る時に足は拭いて来たのだろうな?」

 

「………拭いてないです」

 

「このっ、馬鹿乳が、頭の中まで乳しかないのか」

 

「痛いっ!ごめん!ごめんよ!今から掃除して来るから許して!」

 

「当然だ、さっさと拭いて掃除して来い」

 

「ひぃんっ」

 

確かに入口に土足厳禁と書いて拭き布まで用意しておいた筈であるが、やはり年中裸足のヘスティアはそれを無視して入って来てしまっていたらしい。本当に期待を裏切らないというか、なんというか。ラフォリアは大きく溜息を吐く。

 

「あ、あの……ただいま戻りました」

 

「ああ、おかえり」

 

「!は、はい!……あの、良い匂いがしますね!」

 

「炒めているだけだがな」

 

「あ、そういえば僕、今日の夜は"豊穣の女主人"というお店に誘われてまして」

 

「…………」

 

「朝会った店員さんに是非来て欲しいって言われてしまって、お昼のお弁当まで貰ってしまったんです。どんなお店なのか凄く楽しみなんですけど………あれ?ラフォリアさん?」

 

「……………」

 

「えっと……?」

 

「…………………………………はぁ、もういい。さっさと行ってこい」

 

「あ、はい。えっと……い、行ってきます」

 

神も子供も揃いも揃って本当に。

しかしこれに関しては朝に言っておかなかった自分も悪いと判断し、残りは全部ヘスティアに食わせることで妥協する。

こうしているとなんだか母親にでもなった気分になるが、自分にその予定はない。この教会を好んでいたあの女の妹には子供が居た筈であるが、その子が今一体どこで何をしているのかもラフォリアは聞かされていない。既にほぼ壊滅したと言ってもいいヘラのファミリアの中で、唯一繋がりがあるのはその子供だけだが、ラフォリアとしても特別な思い入れはない。何処かで死んでいるかもしれないが、そうだとしてもそれはそれ。そもそも興味がない。

 

「そ、掃除終わったよ〜……」

 

「そうか、ならば食え」

 

「ああ、ありが……ってなんだいこの量は!?」

 

「貴様の眷属が食わなかった分だ、責任を持ってお前が食べろ」

 

「ひぃんっ!恨むぞベルく〜ん!!」

 

そんなやり取りがありつつも、オラリオに来て2日目の夜も何事もなく平和に終わった。そういえばまだ冒険者登録をしていなかったということを思い出しつつ、復帰という場合はどういう扱いになるのかと考え、それ以前に自分はどこのファミリア所属という形になるのかと思考したりもしたが、それもまあ明日以降で良いという結論に落ち着いた。

 

 

……ただ、何事もなく1日が平和に終わったという結論だけは、残念ながら覆される事になってしまったが。

 

「……遅い」

 

小さな灯りを点けてベッドに横たわりながらダンジョンに関する書物を読み、もう直ぐ時計の針が頂点に差し掛かる頃。いくらなんでもベルの帰りが遅過ぎることに、ラフォリアは機嫌を悪くする。

それは別にベルの心配をしている訳ではなく、単純に教会の入り口に新しく鍵を付けたので、合鍵を渡していない現状では放って眠ることも出来ないからだ。まあそれならば別にヘスティアに任せておけばいい話でもあるが、そこまでは思い付かなかったということにしておく。

 

「ラ、ラフォリアくん?起きてるかい……?」

 

「……ああ、貴様の眷属は生きているのだろうな?」

 

「そ、それは大丈夫なんだけど……」

 

「………」

 

ひょこりと地下室から顔を出した、心配そうな顔をしたヘスティア。言いたいことは分かっている、しかし登録をして居ない状態でダンジョンに入ろうとすれば自分の立場を考えても色々と面倒なことにもなる。最悪ギルド長を殴り付けて脅して強引に特例措置を使わせてもいいが、その手段は別の時のために残しておきたい。

 

「……仕方あるまい、『豊穣の女主人』とやらに行ってくる」

 

「ほ、本当かい!?助かるよ!」

 

「手伝うのはそこまでだ。大抵こういう場合は無断でダンジョンに潜っている場合が多いが、そこまで探しに行く義理はない」

 

「だ、ダンジョンに!?どうしてこんな時間に!?外に食べに行くってだけだろう!?」

 

「酒の席のノリ、罵倒、その他諸々だ。戻って来たら拳骨の一つでも叩き込んでおけ、それと殴られる準備をしておけとな」

 

「あ、うん……ごめんよベルくん。これは等価交換なんだ、我慢してくれ」

 

確実に彼女の拳骨が飛んでくるであろう将来のベルを哀れに思いながらも、ヘスティアは彼女に捜索を依頼した。

 

……"豊穣の女主人"、少なくともラフォリアはそんな店は知らない。聞いたこともない。

しかし夜間に女が歩いていることを良い事に集団で声を掛けて来た男共の顔面を、これ幸いとメッタメタに殴り付け、店の位置について聞き出すことには成功した。

これが最新の情報収集である。

最低である。

 

なんでも女の店員が多く居るらしく、閉店時間も間近ということ。急がなければならないという事実に不機嫌さをより増しながらも、それを情報源の男の顔面に最後の一発を決めることで発散させる。これは治安貢献である、もう2度と彼等はこういったことをする事はなくなるだろう。決してストレス発散のための手段でも、情報を手軽に入手するための手段でもない。

 

「邪魔をする」

 

幸いにも、店の灯りは点いていた。

中に入ってみれば数人の酔っ払いが最後まで居残っている程度であり、店員達がそんな彼等に声を掛け始めている様子から、丁度店仕舞いをし始めた段階であったという雰囲気が伝わってくる。

 

「ん?なんニャ?今日はもう閉店だニャ」

 

「人探しをしているだけだ、白髪赤目のクソガキが帰って来ない。この店に来て居た筈だが何か知っているか?」

 

「ああ!あの食い逃げしていったクソ白髪野郎のことかニャ!!」

 

「食い逃げ……?」

 

その猫人の言葉に、なんだなんだと他の店員達も集まってくる。黒髪の猫人、茶髪の人族、目つきの悪いエルフも居る。……それに。

 

「!アンタは……」

 

「……?ミア・グランドか?15年も経てば変わるものだな、一瞬我が目を疑った」

 

「………静寂の、アルフィア……?」

 

「あ?」

 

そうあの女の名前を口走ったエルフに、リュー・リオンに、強烈な殺気が叩き付けられる。

臨戦態勢に入るどころか、一瞬で距離を取るその場の店員達。そこまで動けるくらいなのだから、この場の店員達も相当に実力を持っている強者達であるということは明白であった。しかし決して冷静に対処した訳ではなく、単に経験故に身体が勝手に行動したに過ぎない。この場にいるミア・グランド以外の全員がヒシヒシと感じるその脅威に身体を無意識に震わせている。

 

「……"静寂"じゃないね、アンタ何者だい?」

 

「"静寂"では、ない……?」

 

「ほう、どうしてそう思った」

 

「あの女より圧が弱いからだよ、その様子だとまだLv.7にも到達してないだろう」

 

「……なるほど、それは気分の良いことを聞けた。流石はあの時代に暴れていた生き証人だ」

 

「で?誰なんだいアンタ」

 

「お前のところのクソガキとよく遊んでやっていただろう」

 

「なんだ、あんたラフォリアかい」

 

「ああ」

 

「まさか生きてたとはね、しぶとい奴だよ」

 

「この格好は賭けで負けただけだ、私の趣味ではない」

 

「別に聞いてないよ」

 

「前置きしておきたかっただけだ」

 

緊張を抜いた。

どころかそもそも緊張すらして居らず終始自然体であったミアのその反応に、店員達は素直にすごいと称賛をする。

彼女が静寂のアルフィアではなく、別の人物であると知り、リュー・リオンもまた警戒はしつつも一息を吐いた。どうやら2人は知り合いらしく、意外にもやり取りは和やかに進んで行く。

 

「それで?どうしたってアンタがあの坊主を気にかけるんだい」

 

「今は例の廃教会を拠点としているのだがな、あの子兎は女神と共にその地下を拠点としている」

 

「なるほど、その女神様に頼まれたって訳かい」

 

「食い逃げと聞いたが」

 

「ああ、ロキ・ファミリアのアホ狼が宴会の最中にあの坊主をネタにしたのさ。そのままダンジョンに向かって走って行ったよ、金も払わずにね」

 

「ほう……金はあのクソガキから直接徴収しろ、私は知らん」

 

「明日の朝には顔を出せって伝えときな」

 

「そのつもりもない、自ら来ないのであれば港にでも沈めろ」

 

 

「なんかすげぇ酷いこと言ってるニャ……」

 

「いや、言ってることは分かるんだけどね……」

 

これはベルが起こした問題故に、首を突っ込むつもりもない。それに勢いだけで防具も無しにダンジョンに向かったということは、時間的にそろそろ戻ってくるか、力尽きて死ぬ頃だろう。これから教会に戻ってヘスティアに確認し、まだ生きている様であれば迎えに行く価値はあるかもしれないが、正直それも面倒くさい。

 

「ミア母さん!そろそろ私帰ります……あれ?」

 

「………」

 

「シル、アンタはさっさと帰んな。明日も時間通り来るんだよ」

 

「は〜い、冒険者さんも失礼しますね」

 

銀色の髪をした人族が一瞬顔を出して、目を合わせて、姿を消す。ミアも珍しく少し焦った様にして彼女の方へと顔を向けて、声を掛けた。

 

「……なんだあの気持ちの悪い女は」

 

「変な詮索するんじゃないよ、面倒事はゴメンだからね。アンタも用事が済んだのならさっさと帰んな」

 

「……まあ良い。ところで、この店は美味いんだろうな?」

 

「誰にもの言ってんだい?アタシの飯が不味い訳がないだろう」

 

「……次は客として来る」

 

「ああ、是非そうして貰いたいもんだね。迷惑しない限りは客を選ぶつもりはないからね」

 

それから店を出る前に、一瞬あのエルフの方へと目を向ける。目線があった瞬間にビクリと身体を跳ねさせたあの様子からして、やはりあのエルフは"あの女"と会ったことがある……どころか、恐らく酷く叩きのめされた事があると見ても良い。

 

(アストレア・ファミリアは全滅したときいたが……あの女をたかが中堅ファミリアが単独で討ったとは考え難い、他に協力者が居る線を考えてもいいだろう)

 

それに見たところ、この店の店員は単に実力があるだけではなく、何人か暗殺者上がり特有の動きをしている女も居る。まともな経歴の人間は殆ど居ないと考えるのが妥当。

 

(……探るか)

 

手始めにあのエルフの女から。

狙いを付けたことを悟られぬ様に瞼を閉じて、店を出る。目は何より自分を語ってしまう。そういった理由もあって晩年のあの女は自分の前では目を閉じていたのではないかと、今になって思う。ならば一体あの女は自分に対して何を隠したかったのか、それだけがいくら考えてもどうしても分からなかった。

 

 

……なお、帰ったらベルは戻って来ていたので、頬に軽くビンタを食らって吹き飛ぶだけで許して貰えた。気絶はしたし、怪我は悪化した。鼻からポーションを飲まされた。

 



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被害者3:ギルド

その日、ギルド長であるロイマン・マルディールは酷く頭を悩ませていた。

 

「……あの【撃災】が、帰って来ただと……?」

 

「は、はい……」

 

目の前で報告するのは勤続5年目のエイナ・チュール、勿論彼女はその冒険者についてはよく知らない。偶々その手続きに立ち会っただけであり、今日は本当に必要な事務手続きだけをして彼女は去っていった。手続きは特に問題なくすんなりと終わり、特に彼女のレベルを聞くこともなく、確認をしたのは今はアフロディーテという女神の恩恵を背負っているということくらい。

故に大した話ではなく、15年ぶりなんて珍しい話……という程度でエイナは一応ロイマンに報告を持って来ただけであった。

 

「あの、彼女はそれほど大変な人物なのですか……?」

 

「……エイナ、まだあの女の過去記録を見ていないのか?」

 

「あ、はい……その、これから資料を探そうと思っていたところだったので」

 

「……アレは元ヘラ・ファミリアの天才児だ」

 

「えっ、ヘラ・ファミリアの!?」

 

「そうだ。ヘラのファミリアには"静寂"という才禍の怪物が居たが、あの女も十分過ぎる才能を持って冒険者達を蹂躙した。6つの頃に冒険者となり、12歳にしてLv.5到達。魔法の相性があるとは言え、当時5つの年の差があった"猛者"を完封したほどだ」

 

「そ、れは……またすごいですね……」

 

成長の速度としてはアイズに近い。

アイズも7つの頃に冒険者となり、13の頃にLv.5となった。それに猛者に勝ったという戦績も、当時のヘラとゼウスのファミリアに彼に負ける様な人間は1人を除いて居なかったくらいなのだから、確かに高い壁ではあるとは言え、あの時代ではそれほど驚かれる様な事でもなかった。

 

「……確かに、17の頃にLv.7に到達した"静寂"と比べると何かこう……」

 

「物足りない、所詮は剣姫と同程度だ。しかし問題が一つある」

 

「というと……?」

 

「アレは凄まじい暴君なのだ……」

 

「暴君……?」

 

当時12歳の子供が暴君。

果たしてどういう話なのか。

受付で事務処理を行っていた限りでは、口数の少ない落ち着いた人物という感じであり、あまりその辺りがエイナには想像出来なくて。

 

「あの女はとにかく手が出る、何をするにも過剰防衛だ」

 

「はぁ……」

 

「声を掛けられただけで殴り掛かる、肩に手を置かれでもすれば半殺しは免れん。気に入らなければファミリアに乗り込んで壊滅させ、主神の顔をボコボコにして裸で吊るして帰って来る様な奴なのだ。……12歳だぞ!?それが子供のすることか!?」

 

「うわぁ……」

 

そういえばと思い出せば、ここ数日、街の中で突然殴られてディアンケヒト・ファミリアに運び込まれる事案が何件か発生していることをエイナは思い出す。

なるほど確かにこれはロイマンが頭を抱えるのも頷ける、これから余計な仕事が増えるのは間違いないのだから。少なくとも怪我人は増える、治安が良くなる可能性があるのがまだマシなのかもしれないが。それでも苦情も増えるだろう。

 

「……あれ、そういえば」

 

「なんだ」

 

「彼女はどうして15年もオラリオを離れて居たんでしょう?それこそ、それほどの実力があれば黒竜討伐はともかく……あ、そうか。その後ヘラ・ファミリアが追放されたから……」

 

「……いや、あの女の事情にヘラとゼウスのファミリアの追放は関係ない。それより以前にあの女はオラリオから離れている」

 

「そうなんですか?」

 

「そもそもあの女が追放など受け入れるものか、そんなことをされればロキとフレイヤの両方に乗り込みに行くだろうが」

 

「あぁ、確かに……」

 

順調に行くなら、今のアイズの15年後の強さを持っていてもおかしくないというのに、それほどの長い期間彼女がオラリオを離れていた理由。追放が理由でないのなら、冒険者を辞めたくなったとも考えられないし、それならリヴェリアの様に外の世界を見に行きたくなったとかだろうか?それが一番納得できる気もするが。

 

「病だ」

 

「!」

 

「肺に重い病を患ってな、なんとか治療は行ったが完治することは無かった。故にアレは空気の良い遠方の土地に送られ、そこで療養をすることとなった」

 

「……やはり天才は短命なのでしょうか」

 

「さあな。だが女神ヘラは当時既に2人、同じように病に苦しむ眷属を抱えていた。だからこそ過剰なほどに金を費やし、治療のために奔走した。こうして戻って来たということは、その甲斐はあったのだろう。……我々にとっては嵐が戻って来たようなものだがな」

 

しかし単純な話、オラリオとしての戦力は相当に上がったということが予想される。果たしてオラリオの事情にどこまで関わってくれるのかは分からないが、少なくとも非常時に頼れる戦力があるというのは重要だ。その戦力に頼るためにはギルド長の頭を2、3回地面に叩き付ける必要があるかもしれないが、それでもその程度でオラリオを守れるのならロイマンはやるだろう。

 

「……ええと、彼女についてはどうすれば?」

 

「一先ずは放っておけ、最低限のやり取りだけで構わん。手続きも重要なものでなければ省いておけ、私が許可する」

 

「承知しました」

 

報告はそこまでとなり、エイナは自分の席へと戻る。エイナも色々と過去の記録には目を通している、それは7年前の事件についても同様だ。果たして彼女は元ヘラ・ファミリアの先輩に当たる人間があの様な末路を辿ったことに対して、どういった感情を抱いているのだろうか。

本当に彼女がこのオラリオに協力してくれるかどうかについても、今一度確認しておく必要はあるとエイナは資料を探りながら結論付けた。

 

 

 

 

「……君は本当に器用だねぇ」

 

「……おい馬鹿乳、口を動かすより先に手を動かせ」

 

「その馬鹿乳っていうのやめてくれないかい?これでも僕は女神なんだぞ」

 

「馬鹿デカイ乳と、乳しか詰まってないような馬鹿頭、これ以外に適した呼び名が何処にある」

 

「本当に酷いな君は!!」

 

脚立の上に乗り、バシバシと教会の横に生えている庭木の剪定をしているラフォリア。つい先程までは地下の清掃をしており、今は塗った壁を乾かしているため全ての家具が庭に出されて、早めにバイトを切り上げたヘスティアによって掃除をされていた。

 

「君は一体こんな技術を何処で教わって来たんだい?」

 

「気に入らなければ自分で作った方が早い、単にそれを繰り返して来ただけだ」

 

「へぇ、それはすごい」

 

「……そうでなくとも、この教会がこのまま朽ち果てていくのを見過ごすことは出来ん。いずれは女神ヘファイストスからも買い戻す」

 

「あれ、それって僕達が追い出されることにならないかい?」

 

「当然追い出すが」

 

「やっぱり酷いな君は!!」

 

「他に拠点を持て、所詮は女神ヘファイストスの土地に居座る居候だろうが」

 

「それは君も同じだろ!」

 

草刈り機だったり、剪定鋏だったり、工具だったり、そういった物を自前で買ってきて自分で使っているのだから、普段の態度から考えてみても本当に意外としか思えない。教会の端の方には知らぬ間に小さな倉庫が出来ていて、そこに色々な工具や資材が置かれていたりするので、もう我が物顔で好き勝手していると言ってもいい。

 

「……そういえば今朝はギルドに行って来たんだってね、冒険者になるのかい?」

 

「昔はこの街に住んでいた、なるというよりは復帰だ」

 

「なんだ、そうだったのか。道理で色々と詳しいと思ったよ」

 

「15年も昔の話だがな」

 

「……そ、それならさ!アフロディーテもオラリオに来るかは分からないんだし、僕のファミリアに入ってくれたりなんか……!」

 

「魅力がない」

 

「ぐふっ」

 

「貴様に乳のデカさ以外に何の取り柄がある、搾取されるだけの生活など御免だ」

 

「うう、それを言われると辛いものが……」

 

「何もないのならせめて動け、働け。必死になって眷属に尽くせ。他者を勧誘するなど、そうして1人を育ててからの話だ」

 

「はいぃ……」

 

もうなんかちょっと泣きそうになりながらも、ヘスティアは机を拭く。

 

「……それなら君はステータスの更新はどうするんだい?信頼できる神なんてなかなか見つけられるものじゃないぜ?」

 

「今直ぐに必要はない、どうせこれ以上は伸びんからな」

 

「?どういうことだい?」

 

「ステータスが殆ど上限を叩いている、仮に上がったとしても2〜3程度に過ぎん。レベルを上げん限りは何をしても無駄だ」

 

「ああ、なるほど」

 

「とは言え、レベルを上げること自体も条件さえ整えれば容易い。契約する神に早めに目星を付けておく必要はあるか」

 

「……容易いのかい?」

 

「見合った階層主でも殺せば終わる話だ」

 

「それは容易いって言うのかなぁ」

 

なんだかあまりこの女をベルの側に置いておかない方が良いのではないかと思ってしまう。変な影響を受けてしまいそうだから。まあ今のところはそういうことはないし、むしろ色々と世話を焼いてくれているところはあるが。……とは言え。

 

「頼むからベル君にそういうことを教えないでくれよ?僕はそんなに急いであの子を強くしたいとは思っていないんだ」

 

「私とて強制するつもりはない、誰にでも出来ることでもない。ただし求めて来たのであれば相応の地獄は見せてやる、その末に折れたとしても私は知らん」

 

「……君は優しいのかそうでないのかよく分からない子だね」

 

「私より優しい人間もそう居ないだろう」

 

「それは流石に過大評価が過ぎると思う……」

 

「この街の腑抜けた冒険者共を纏めて地獄に突き落とさないだけ、感謝して欲しいくらいのものだがな」

 

いつかの彼等のように。

それを知らないヘスティアはよく分からないと首を傾げているが、わざわざそれを語ることもない。

 

「『爆砕(イクスプロジア)』」

 

「ひぁっ!?な、なんだい!?今のは君の魔法かい!?」

 

「退け、そろそろ下も乾いた頃だろう。机を運ぶ」

 

「あ、うん!ありがとう!」

 

ただまあ、こうして重い物はヘスティアに任せず運んでくれるところは、確かに優しいのかもしれない。本人的には時間の無駄だから、という考えもあるかもしれないけれど。

剪定して纏められた木の枝が、金属製の大樽の中で燃えている。近隣住民から煙たいと苦情が来ないことだけをヘスティアは祈った。

 



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被害者4:超凡夫、貴猫、凶狼

あれから3日。

遂にこの日がやって来た。

 

「ふむ、遅刻は無しか」

 

「遅刻はテメェだろうがァあッ!?」

 

ベートが吹き飛んでいった。

 

「「ひぃっ」」

 

「………テッ、メェ!!」

 

「平伏せ犬、弱者に吠える権利もない。弁えろ」

 

「上等だゴルァァア!!!」

 

「ちょっ、ベート!ここまだ地上!」

 

ダンジョンに入る前、バベル近くでの待ち合わせ。

周囲にまだ人がいる状況で、本気の形相で飛びかかったベートに対して、ラウルとアナキティは焦る。あれは完全にキレている、周囲など全く見えていない

 

「………『爆砕(イクスプロジア)』」

 

「ぐぁっ!?」

 

「「!?」」

 

しかし直後、飛び掛かったベートが空中で爆発し地面に落ちた。

女がしたことは、ただ一言の詠唱文を呟いただけ。しかも落ちてまだ意識のあったベートに追い討ちをかける様に顔面を蹴り付けて気絶させるのだから、もう本当に容赦がない。

出会って2分、ラウルとアキはもう既に目の前の人間が恐ろしい。

 

「超短文詠唱、よね……?」

 

「行くぞ、付いてこい」

 

「は、はいっす……!」

 

気絶したベートの足を持ち、ズルズルとダンジョンの中へと引き摺っていく。こんなところを他の多くの冒険者に見せつけている様にしているのだから、ベートが後に怒り狂うことを予想して、2人はもう既に頭が痛くなりそうだった。

 

(元ヘラ・ファミリアの、天才児……)

 

事前にリヴェリアから聞かされていた、彼女の経歴について思い返す。正直なことを言えばアナキティは、どうしてフィンやリヴェリア達がこうして彼女を信頼して自分達を任せたのかが理解出来なかった。

ヘラ・ファミリアといえば思い返すのは7年前のあの出来事。

ラウルとアキも参戦こそしていなかったものの、後方支援を担当していた。だからこそ多くの悲劇についても知っているし、その女と同じ格好をしている目の前の女を到底信用することなど出来ない。

突然ホームに襲撃を仕掛けて来たり、こうしてベートを叩きのめしたり、彼女が危険人物なのに間違いはない。それなのに、そんな彼女の一体何を信用しているのか、アナキティには分からない。

 

「凡夫、黒猫」

 

「は、はいっ」

 

「な、なんッスか!?」

 

「3日分の準備はしているんだろうな?」

 

「は、はい。食料もそれなりに」

 

「ならば良い、目的地は27階層だ」

 

「に、27……」

 

「け、結構行くんスね……」

 

「あそこは水浴びが出来るからな」

 

「え、そんな理由……?」

 

「時間があれば37階層まで降りても良かったのだが」

 

「あ、すみません生意気言いました」

 

「27階層でお願いします」

 

「少々物足りんが仕方ないか」

 

普段はロキ・ファミリアの2軍メンバーの中心人物として、最前線から少し下がった辺りを定番としているラウルとアナキティ。しかし今日ばかりは2人とも必要最低限の荷物だけを持ち、むしろ一番前に立たされて進んでいる。

流石にベートは今は首根っこを引っ掴まれてズルズルと引き摺られているが、むしろ今ほどベートに居て欲しいと思うこともない。

モンスターが出て来るたびに2人で対処し、その様子を背後からジッと見つめられている。2人は特殊過ぎる魔法やスキルなんて持っておらず、基本的にはその身一つで対処する。だからこそ派手さは少なく、高位の冒険者として期待される様な大きな働きというものはできない。

 

「ア、アキ……!なんかめちゃくちゃみられてるんッスけど!怖くて後ろ見れないんすけど!」

 

「わかってるけど、どうしようもないでしょ!生きて帰りたいなら必死に頑張んなさい!」

 

「ひぃ〜っ、なんで自分達なんかが選ばれたんっすかー!」

 

「そんなの私だって知りたいわよ!」

 

まさかの名指しで選ばれたこの3人。

どうしてアイズやレフィーヤを差し置いて自分達が選ばれたのか。

ラウルとアナキティは付き合いが長いだけに抜群のコンビネーションでモンスターを処理していくが、そこに深層にでも居るような妙な緊張感を抱えているのも事実。

 

「あ」

 

「しまっ」

 

「ふんっ!」「ぐぇっ」

 

「「…………」」

 

後ろに漏らしたモンスターの1匹を、彼女は気絶したベートを叩き付けることで吹き飛ばす。もう本当に酷い。人間のすることじゃない。逆らってはいけない相手というものがこの世には居るということを思い知らされる。ああにだけはなりたくない。ラウルとアキは必死になって戦い、階層を進めた。

 

それから数時間後。

 

「や、やっと18階層っすね……」

 

「なんか、いつもより妙に疲れたわ」

 

「ふむ……さて、では前に並べ」

 

「「は、はいっ!!」」

 

18階層、モンスターの出現しない安全地帯。

漸く精神的にも肉体的にも休憩が取れると思った矢先に、整列する様に指示を受けた2人。

なおベートは未だに気絶している。

ここに来るまでに武器代わりに何度もモンスターに叩き付けられていたのでそれも仕方ないが、18階層に着いたと同時にその辺にポイっと捨てられたその様子を見ると、いくらベートであってもやはり可哀想としか思えない。

 

「…………地味だな貴様等」

 

「「あー……」」

 

なお講評は一言目から何の遠慮もなくぶった斬られた。

 

「まずは凡夫、貴様は大したスキルや魔法を持っていないな?」

 

「は、はいっす……」

 

「体格も平凡、盾にもならんな。だが武器の扱いについては目を見張るものがある。特定の武器を扱うというよりは、選択肢を増やしている具合か」

 

「!……一応、意識してはいるつもりっす」

 

「それで構わん、尖りが無いのなら肥大しろ。何処に居ても最低限は熟せる駒になれ。……遠距離手段はあるか」

 

「えっと、魔剣くらいなら」

 

「ふむ、そういう手もあるか。ならば貴様は魔剣を集めることに専念しろ」

 

「え!?」

 

「足りないのであれば金で補え、凡夫から万能者へと開花しろ。Lv.6になる頃には見れる様になっている」

 

「れ、Lv.6っすか。遠いっすね」

 

「3回ほど死線を乗り越えれば辿り着ける程度の範囲だろう、5年も掛からん」

 

「い、いやぁ、流石にそれは……」

 

(………意外)

 

意外にもこの女は、ラウルのことをしっかりと評価していた。

その平凡さ故に下に見られることの多い彼であるが、ラフォリアの言う通り、彼はあらゆる武器を人並み程度に扱うことが出来る。確かにいつもオドオドとして頼りなく見えるが、彼は本当は凄い人物であるとアナキティは知っている。

だからこそ、こうしてラウルが認められている様な姿を見て嬉しく思った。それこそ彼女に対する警戒心が少し薄れるくらいに。

 

「次にそこの黒猫」

 

「は、はいっ」

 

「……貴様はまだ余裕があるな」

 

「えっ」

 

「想定していたよりは実力はある、しかしどうにも後ろに下がる傾向が見受けられる。性格的な問題だろうが、いつまでも自分の前に背中があると思うな」

 

「!」

 

「せめてその男の横に立て、話はそこからだ」

 

「………はい」

 

「貴様もいい加減に起きろ」

 

「ぶはぁっ!?」

 

密かに気付いていた痛いところを突かれ、アキが少し俯いている一方で、倒れているベートの鼻目掛けてポーションがブッ込まれる。流石にこれには起きたベートが周囲を見渡せば、いつの間にか18階層。色々と察して彼はラフォリアの方を睨み付けるが、流石に2度も同じことはしなかった。

 

「さて、休息が終わり次第27階層に向かう」

 

「え、今日は18階層で休んだりしないんですか……?」

 

「テントは27階層に張れ」

 

「「「……え」」」

 

「3日間しか無いというのに、まさか足を伸ばして熟睡でもするつもりだったか?」

 

「「「…………」」」

 

「それと27階層までは貴様が1人で全ての戦闘を請け負え、駄犬」

 

「ハァ!?」

 

「ここまではそいつ等が請け負っていた、当然の話だろう」

 

「チッ、仕方ねぇ」

 

「ちなみに一体漏らす度に貴様のケツを一度蹴り上げる」

 

「ざっけんなクソババア!!」

 

「『爆砕(イクスプロジア)』」

 

「ぶほっ!?」

 

なぜ同じことを繰り返してしまったのか。

 

「いいか?もしこれに懲りず"ババア"と口にすることがあれば、次は貴様の睾丸を爆発させるからな」

 

ベートはここまで言われて漸く諦めた。

というかこんな脅しをされてしまえば男ならば誰でも平伏すしかないので、むしろ当然の結末であった。

 

 

 

 

更に数時間後。

 

 

「ゼェ……ゼェ……」

 

「ふむ、3匹か。思った以上に奮闘したな」

 

「ベ、ベート?大丈夫?」

 

「ベートさん!ポーションっす!」

 

「よ、寄越せ……」

 

18階層から27階層までの長い道のり。

計9階層分を休みなく、全ての戦闘を引き受けたベート・ローガは、流石に肉体的な限界と戦っていた。

手渡されたポーションを一気飲みし、大きく息を乱している。ここまで単独で必死に動いたのも、彼にとっては久しぶりであった。というか半分イジメと言っても良かった。処理に苦戦している時を狙って、この女がわざとモンスターを引き寄せるように大きく手を叩いていたのを、ベートは知っている。

 

「さて狼、デカい口を叩くだけのことはあったな。褒めてやる」

 

「……ちっくしょう」

 

「だが貴様は精神的なブレが大きいな、状態が精神に左右され易い。フィン・ディムナを見習え。あれは腕の骨が折れようが、足の骨が折れようが、冷静に目の前の敵を分析する」

 

「……柄じゃねぇだろ」

 

「落ち着きを持てという話だ、未熟者」

 

「………」

 

ラフォリアからベートへの評価は、意外にもそれなりに高い。しかしだからこそ、精神的な弱さが目立ってしまう。

精神的な成熟は歳を取り、経験を積んで行く中で自然となされていくもの。とは言っても機会に恵まれず、何の努力もしなければ、精神的に子供な大人が生まれるだけ。故にラフォリアは指摘する、それに向き合えと。

 

「貴様は先ず、先達というものを知るべきだな」

 

「先達だと……?」

 

「貴様も私のことを暴君だと思うか?」

 

「間違いなくそうだろうが」

 

「だが私など、当時のヘラ・ファミリアの長であった"女帝"と比べれば、まだ可愛い方だ」

 

「「「え」」」

 

「"最恐の女"と称されたLv.9の眷族であったアレは、正しく歩く天災だった。同じ神々からも忌避されるほど苛烈な性格をしていた女神ヘラの生写しとまで言われた女だ、アレが表に出るだけで人波が割けるほどのものだった」

 

「……地獄か?その頃のオラリオは」

 

「その女を差し置いて"最強の眷属"と称されていたのがゼウス・ファミリアの長だ。あれはLv.8だったか」

 

「な、なんか次元が違うというか、信じられないというか……」

 

「Lv.8とかLv.9って……なに?」

 

「そして7年前にこのオラリオを襲撃したゼウスとヘラの生き残りである"静寂"と"暴喰"。奴等はLv.7でありながら条件次第ではその2人を喰らうことが出来るほどの力を持っていた」

 

「「「…………」」」

 

「強者というのは、ああいう化物共のことを指す。今は生意気にも都市最強と呼ばれているあの猪人も、目の先にあるのは山の頂ではなく、件の化物共だろうよ。……今の貴様が強者を名乗るなど、烏滸がましいにも程がある」

 

せめてオッタルと同等の意思と視点を持ってから出直して来いと、ラフォリアはベートに諭す。そして同時に、ラフォリアがオッタルを強者として認めていることもまた理解する。まあむしろアレほどの怪物が強者でなければ何なのか、という話にもなるが、それでもベートの中に悔しさが生まれたのは確かだ。

 

「……話が長ぇ、さっさと始めろ。余計な時間は使わねぇつってただろうが」

 

「ふむ、そうだな。だがこれから行うことは単純だ、これを使う」

 

「?なんだそれ」

 

ラフォリアが鞄から取り出したのは何かが入った少し大きめの皮袋。ベートもあまり嗅いだことのない匂い、つまり使ったことのない道具。

 

「モンスターを引き寄せる特殊な匂い袋だ」

 

「………は?」

 

「ここは27階層、25階層から巨蒼の滝が3階層分を貫いている。特にこれは当時のヘラ・ファミリアでも使われていた特注品でな、影響範囲がかなり広い」

 

「お、おい待て……テメェまさか……」

 

「い、いやいや、流石にそれは……冗談っすよね……?ね?」

 

「普通に、死ぬ、わよね……?」

 

3人の顔が青褪める。

ベートも流石に強がりが言えなくなる。

しかしラフォリアは変わらず薄らと笑みを浮かべたまま。当たり前のように、何も恐れてすら居ないように、その匂い袋に火種を近付ける。

 

「安心しろ、滝周辺の天井は私が崩して広げておいてやる。安心して3階層分のモンスターに襲われると良い」

 

「ふっざけんなヤメ……!!」

 

直後、地獄は顕現した。

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆それから更に3日後☆☆

 

 

 

「いやぁ、ついに明日はフィリア祭やんなぁ!フィン達は行くん?」

 

「いや、流石に僕は遠慮しておくよ。色々と遠征の後始末が残っているからね」

 

「私もギルドに提出する報告書がまだ出来上がっていない、ロイマンからの催促も五月蝿いからな。それを優先するつもりだ」

 

「儂も備品の点検をせねばならん、希少な物は次の遠征に間に合わせる必要があるからな。行くつもりはない」

 

「なんやなんや、みんなして面白ないなぁ。まあ正直、今更ってところはあるかもやけど」

 

ベート達がダンジョンに旅立って3日後、明日がモンスターフィリア開催に迫った頃合。フィン達はラフォリアを待つ為に揃ってロキの部屋に集まっていた。

予定であれば帰って来るのは今日の夕方以降であり、ロキの感覚でも3人は無事。むしろラウル達がどう成長して帰って来るかを楽しみにするくらいの軽い気持ちで待っていた。

 

「なんか余裕やなぁフィン、ベート達が心配やないんか?」

 

「心配は特にしていないよ、彼女は横暴ではあるけど善人だからね」

 

「横暴なのは間違いないがな」

 

フィン達から見たラフォリア・アヴローラに対する印象は、そんなところ。

 

「あの子の本質は世話焼きだ、それは昔から変わらん。ゼウスとヘラのファミリアに叩きのめされたオッタルにも、よく声を掛けていたな」

 

「おお、そんなこともあったな。その後、結局自分も叩きのめしていた覚えがあるが」

 

「何十回も付き合ってくれるだけ優しい方じゃないかな?彼等の最終的な戦績なんかは知らないけどね」

 

「ま、今回の提案も向こうからやったしなぁ。闇派閥に加担したり、フレイヤのファミリアに入ろうとせん限りはウチはええわ」

 

「それは流石にオッタルが嫌がると思うよ」

 

「闇派閥にしても、入るくらいならば、一度破壊して作り直しそうではあるな」

 

そんな風に噂をしていれば、影がさす。

外の門番達が騒がしくなって来た。

そして直後に再びバン!!という大きな音、あの女が戻ってきたという証拠だろう。4人は立ち上がってベート達を出迎える。

 

「戻った」

 

「お〜う、おっかえ……」

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

「………生きとるん、よな?」

 

「治療は既に済ませてある、気絶しているだけだ。こっちの駄狼はなんとか意識を保っていたのだがな、地上に着いた瞬間に力尽きた。まあ及第点と言ったところか」

 

ラフォリアに抱えられ、ピクリとも動かず気を失っているボロボロの3人。ガレスとリヴェリアは急いで彼等を受け取り、怪我がないかを確認してソファへと寝かせるが、その様子から凄まじい戦闘をして来たということは明白だった。

 

「あ〜……一応聞くけど、何をして来たんだい?」

 

「3日間、毎日2回25〜27階層のモンスター全ての相手をしていた。匂い袋の継続時間が5時間程度、然程大した地獄でも無かったのだがな」

 

「………」

 

「………」

 

「精神的には……大丈夫なんやろか……」

 

「知らん、そこはお前達でなんとかしろ」

 

「相変わらず酷過ぎる……」

 

ラフォリア自身も相当に衣服がボロボロになっていることから、ラウル達を守りつつ戦闘に参加してくれていたのだろうが、それにしてもベートまで気を失うほどの鍛錬の後もこうしてピンピンとしている姿を見ると、やはりヘラとゼウスのファミリアはこんなことばかりしていたのかと恐ろしくも感じてしまう。

しかし確かに彼女の言う通り、あまり得られない体験をしたということも事実だろう。特にベートにとっては大きかった筈だ、彼のこのような姿はフィン達も見たことが無かったくらいなのだから。

 

「まあ暇潰しにはなった」

 

「暇潰して……」

 

「あ、ああ、そうだ。夕食は食べていくかい?一応君達の分は用意してあるよ」

 

「……用意されているのであれば、断る選択肢もあるまい。リヴェリア、話し相手になれ」

 

「?まあ構わないが」

 

そうして、片付けをしている人間以外夕食後の食堂に勝手に降りていく彼女。リヴェリアも彼女を追って部屋を出る。

行動の早い彼女は何の迷いもなく食堂へ向かっているが、1人で行っても食堂の人間が困るだけだろうに。そういうことを気にせず前に歩いていけることもまた彼女の強さの一つであるのかもしれないと、リヴェリアは思った。

 

「それで?私を呼び出した理由はなんだ」

 

「あの女の墓は何処だ」

 

「!」

 

「まさか何も作っていないということはあるまい、チンケな墓石くらいは飾り立てているだろう。それを教えろ」

 

相変わらず丁寧な所作で食事をしながら、直球で要求をぶつけて来た彼女に、リヴェリアは言い淀む。

一応、リヴェリアは男神ヘルメスが作った彼等の墓の場所は知っていた。しかしそれはとても公に出来るものでもなかったため、酷く見窄らしいものだったのだ。それを見せた時、果たして彼女がどんな反応をするのか。それがわからなかったからである。

 

「木枝がさしてある程度でも構わん、仮に無くとも何も言わん。いいから教えろ」

 

「……そういうことであれば」

 

事情を説明し、場所を説明し、現状を説明すると、彼女はフォークとナイフを置いて一息を吐く。もしや怒りを抱いたかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

 

「した行いを考えれば、墓があるだけマシだろうな。その事に関してとやかく言うつもりはない」

 

「……お前は、彼等が起こした行動についてどう思っているんだ?」

 

「愚かな行いだ」

 

「……意外とハッキリ言うのだな」

 

「本当にオラリオを思っているのであれば、そもそも貴様等の追放自体を受け入れるべきではなかった。闘争を起こしてでも居座り、頭を下げてでも席を取り、後進の尻を叩き続けるべきであった。……実際、ヘラとゼウスが消えた後、貴様等はこうして15年もの歳月を腑抜けて費やした。10年近く床に伏せていた私と同等、それ以下とは、一体どういう了見だ?」

 

「……それを言われると返す言葉もない」

 

「アストレア・ファミリアが消え、お前達は腑抜け続け、結局あの女が残した物は今この瞬間、何も残っていない。これが無駄と言わずなんと言う。奴等の死は無駄だった」

 

「いくらなんでもそこまでは……っ!」

 

目と目を合わせた瞬間、全身で感じた秘められた凄まじい憎悪の感情。しかしそれは彼女が瞼を閉じた瞬間に気の所為であったかのように消失し、彼女は再び食事を再開する。

 

「……話が逸れたが、礼儀として墓参りくらいはしに行くつもりだ。あの女の墓石には酒瓶を叩き付けてやるつもりだがな」

 

「そ、そうか………程々にな」

 

「知らん、昔年の恨みをぶつける良い機会だ」

 

リヴェリアは確信する。

表には出さないようにしているようだが、この女は間違いなく自分達に対して怒りと憎悪を抱いているのだと。彼女が帰って来るまでは『世話焼き』だのなんだのと言っていたが、そうまでして世話を焼こうとする動機にまでは思い至っていなかった。

 

(……見放されていないだけマシ、ということか)

 

本当に見放されていたのであれば、恐らく初日のあの瞬間にこの女はロキ・ファミリアを破壊していただろう。そうならなかった理由は、単純にベートやラウルを含め、将来性のある者が育ち始めていたのを見たから。個人が力を伸ばすために動くフレイヤ・ファミリアとは異なり、ロキ・ファミリアは集団での戦力向上に重きを置いている。それを多少なりとも理解したからこそ、自分達は許された。

せめて幹部の3人がLv.7に到達していれば、この反応ももう少し良くはなっていたのだろう。それが出来なかったのは単純に自分達の失態であり、腑抜けていると言われても仕方がないと自覚はしている。

 

「……さて、私はそろそろ帰る」

 

「次にダンジョンに潜るのはいつだ?」

 

「モンスターフィリアとやらが終わってからで良いだろう、私とて祭の気分に水を差すつもりはない。……3日後にまたここに来る、誰を連れて行くかはその時に決める」

 

「分かった、私からも適当に声を掛けておこう」

 

「…………」

 

「?どうした」

 

突然目を閉じて何も話さなくなった彼女を見て、一瞬疲れで眠ってしまったかと思ったリヴェリアであるが、そのまま立ち上がって出口の方へ歩いて行ってしまう。

何が何やらと呆然としていたリヴェリアに、しかし一言、彼女は最後に言葉を残していった。

 

「……食事は美味かった。それとあの3人に伝えておけ、根性だけは褒めてやると」

 

「……ああ、分かった」

 

彼女は確かに暴君であるが、それだけではない。常識がないように見えるが、常識自体は持っている。それを知っている上で選別して破ってくる。だからこそ恐ろしくもあり、頼もしくもある。そして常に気を配らなければならない。……決して切り捨てられることのないように。

 



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被害者5:女

 

「今戻った」

 

「!ラフォリアさん!」

 

「き、君ぃ!心配したんだぞ!」

 

「?」

 

教会に戻って来たラフォリアは、シャワーを借りるためにヘスティア達の元に顔を出した。すると顔を見た途端に集って来るベルとヘスティア、それを鬱陶しそうな顔をしながら彼女は掻き分ける。

 

「何をそう心配する必要がある」

 

「い、いや!突然3日も不在にしているって聞いたら心配くらいするさ!」

 

「出掛ける前に声は掛けたろう」

 

「『少し出掛けてくる』の『少し』が少しじゃないんだよ!」

 

「そもそも私はお前の眷属ではない」

 

「そういう問題でもないやい!君が帰って来ないって聞いたから僕はわざわざヘファイストスにお願いして……ぶほっ!?」

 

よくは分からないが、まあ特に気にすることもなく、ラフォリアは手土産に買ってきた物をヘスティアの顔面に投げ付ける。

 

「…………っ!?というかラフォリアさん!?な、なんか服が凄いことになってませんか!?」

 

「ん?……ああ、肩紐が切れていたか。先程までは繋がっていた筈なのだがな」

 

「というか本当に何処に行ってたんですか!」

 

「ダンジョンに決まっているだろう」

 

「3日間もですか!?」

 

「むしろ日帰り出来る範囲など限られている、より探索に力を入れたいのであれば数日程度の寝泊まりは当然の話だ。貴様も何れ他人事ではなくなる」

 

「いたっ!?」

 

今度は理由のないデコピンがベルを襲う。

ベルは以前と同じようにベッドへ吹き飛んでいった。

 

ああ、鬱陶しい。

ああ、鬱陶しい。

心配などをされるのはもう懲り懲りだと。

さっさと服を脱いで浴室に入る。

 

疲労はある、溜め込んでいることもある。

しかしまあ、この街に来た価値はあった。

あれほど容易く地獄を作ることが出来るのであれば、やはりレベルを上げるのは難しい話ではない。これはオラリオの外では得られない環境だ。

今生の願いは決して叶うことのないものにはなってしまっても、未だ生きている意味はここにある。強さを求める理由が無くなっていないだけ、まだ幸せなのだろう。

 

「…………」

 

鏡に映る自分の姿。

それはあの女を思い起こさせるのに十分なもの。

鏡が曇り、顔が隠されると、まるでそこに本当にあの女が居るようにも思えてしまう。

 

「……私に、何を求めていた」

 

何を考えて、こんな呪いを残した。

それだけがどうしても分からない。

あの女の考えていたことが何一つ分からない。

他にも道はいくらでもあった筈だ。

それなのにどうして踏み台などという最後を選んだのか。

結局それは何の意味も成さず、人々の記憶からも消え始めている。せめて今の自分のようにフィン・ディムナ達のレベルを上げることに尽力していれば、確実な成果は得られていただろうに。

……鏡の中の女は何も答えない。

何も答えてはくれない。

いつものように。

変わることなく。

 

 

 

「……なんだ、まだ寝ていなかったのか」

 

「あ、はい。……その、ラフォリアさんに聞きたいことがあって」

 

「私に、聞きたいこと?」

 

シャワーを浴び、寝巻きを着て出て来たラフォリアに、何をするでもなくベッドの上に座っていたベル。どうやらベッドを使うことを許されたらしい。既にヘスティアは外に出て行ってしまったらしく、ラフォリアは空いていたソファに座ることにした。

 

「あの馬鹿乳は何処に行った」

 

「あ、えっと、なんだかヘファイストス様と色々お話しているみたいです。せっかく帰って来たのに、また直ぐ出掛けて行ってしまいました」

 

「なるほど……手短に済ませろ、明日も早いのだろう」

 

「あ、はい、ありがとうございます」

 

明日のモンスターフィリア祭。ラフォリアは特に行く気もなかったので時間はあるが、ベルは恐らくそういう訳でもないだろう。まだ少し濡れた髪を乾かしながら、ラフォリアは彼の話に耳を傾ける。

 

「……実は僕、今憧れている人が居まして」

 

「恋愛についての助言など私は出来んぞ」

 

「そ、そうじゃなくてですね!……その、その人に追い付くために、強くなりたくて」

 

「ほう」

 

「神様が言うには、今の僕は成長期みたいなんです。ステータスの伸びが自分でもビックリするくらい良くて」

 

「話が長い、本題に入れ」

 

 

 

「………どうしたらレベルを上げることが出来ますか?」

 

 

 

「………なるほど」

 

とどのつまり、焦っている。

現実を見たのか、焦る理由が出来たのか。

そこまで踏み込むつもりはないにせよ、これがそれほど良い状況でないということだけはラフォリアも分かった。

強さを求めるのは構わないが、身の丈に合わない成長を求めるのは危険だ。未だ押し引きも分かっていない子供が、単独でダンジョンに潜っている。それは一歩間違えれば容易く命を落とす危険な行為だ。その中で更にレベルも上げたいと欲を出せば、運が良くなければ大抵死ぬ。

 

「……まずは信頼の出来る仲間を探せ」

 

「仲間、ですか……?」

 

ベルは意外に思った、この人からそんな言葉が出て来るのかと。何をするにも一人で十分だと言いそうな人から、信頼できる仲間などという助言を貰えたことが。

 

「レベルを上げるには神すら認める偉業を成す必要がある、それは知っているな?」

 

「はい、聞きました」

 

「だが単に偉業を成せばレベルが上がる訳ではない」

 

「……他に何か要るんですか?」

 

「生きて帰る必要がある」

 

「!」

 

それは単純な当たり前の話であったけれど、同様にベルが見落としていたことでもある。

 

「仮に格上の敵に勝ったとして、それだけで終わることはない。全ての力を出し切り打ち倒したとして、それで解決する問題でもない」

 

「……地上まで、生きて帰る必要がある」

 

「そうだ、そのためにも背中を任せられる人間が必要になる。戦闘の役には立たなくとも、傷付いたお前を地上まで連れ帰ってくれる人間を探す必要がある」

 

「……でも、人数が増えるとレベルを上げる難度も」

 

「上がるが、生き残る可能性も高くなる」

 

「!」

 

「生きていなければ意味がない、死んでしまえば全てが無となる。……冒険と自殺を違えるな。8割死ぬ挑戦などすべきではない。万全の準備を施し、常に離脱手段を用意しろ」

 

つまり、一人で冒険をするなということ。

無茶をしたいのであれば、せめて他の冒険者に助けを求めに行ける人間を付けておくべきだ。自分と同等かそれ以上の仲間を手に入れることが出来るのなら、それに越したことはない。

 

「……何を倒せば、いいですか?」

 

「単独でミノタウロスが倒せるのであれば、恩恵の昇華は間違いない」

 

「ミノタウロス……!」

 

「だがあれは強制停止を起こす咆哮(ハウル)を使う、それに対抗出来ない者にはそもそもの挑戦権がない。それならば複数人のパーティでインファント・ドラゴンの討伐でもした方がまだ現実味はあるだろう」

 

「ラフォリアさんはどうやって上げたんですか……?」

 

「インファント・ドラゴンを嬲り殺した」

 

「でも珍しいモンスターなんですよね、なかなか出てこないとか」

 

「ああ、だから11階層でテントを張り、3日ほど出現を待った」

 

「それも仲間が居るからこそ出来ることなんですね……」

 

「……いや、私の場合は1人だ」

 

「え……1人!?」

 

「当時は同様に昇華狙いでインファント・ドラゴンを狙っている奴等が多く居たからな。奴等を出し抜くために10日の滞在を予定していた。そんなことに付き合ってくれる奴もそうは居るまい、結局討伐も1人で行った」

 

「…………」

 

「私を参考にするな、他にもっと見習うべき冒険者を探せ。その辺にいくらでもいるだろう」

 

あの時代に生きていた冒険者の馬鹿げた行動など、ベルのような若い人間が見習うべきではない。レベルを上げるためならば格上の人間に襲撃を掛けるような、そんな頃の話だ。確かに冒険者達のレベルの上がりも早かった時期ではあるが相応に死者やトラブルも多かった。ラフォリアとてあの頃に戻れとまでは言う気はない。それくらいの気概を持てとは言うけれど。

 

「……それで、お前の懸想している相手とは誰のことだ?」

 

「えぇ!?それ聞くんですか!?」

 

「別に構わんだろう。なんだ、他人には言えないような相手に惚れたのか」

 

「そ、そういうわけではないんですけど……」

 

年相応に照れた顔をするベル。

まあ本当に純粋というか、子供だった。

ラフォリアの視線の圧に負けて、ベルは肩を落として白状する。

 

「ロキ・ファミリアの……アイズ・ヴァレンシュタインさんです……」

 

「アイズ?……ああ、あの娘か」

 

「知ってるんですか?」

 

「まあな、確かに見目は良かったな。そうか、お前はああいう女が好みか」

 

「そ、そういう言い方をされるとアレなんですけど……」

 

「しかしアレはLv.5はあるだろう、先は長いな」

 

「そ、そうですよね……」

 

「それにファミリアが違うというのも問題だ」

 

「やっぱりファミリアが違うと、大変なんですか……?」

 

「……そうだな」

 

ラフォリアはベルから少し目を逸らして、あることを思い出しながらそれを語る。

 

「昔、私が所属していたファミリアの話だ。その頃には私はオラリオから離れていたが、どうも団員の1人が付き合いの多かったファミリアの下っ端のサポーターに孕まされたらしい」

 

「はらま……」

 

「その結果起きたのは、まあ地獄だ。その子供をどちらのファミリアで預かるのか、そもそも許可すら得ることなく人様の団員に手を出すなど何事か、病弱の娘に子を孕ませるなど殺す気だったのか、と大きな抗争にこそならなかったが相当に揉めたらしい」

 

「な、なるほど……」

 

「結果的にはその子供は相手方のファミリアの主神に引き取られることになったようだが、少し前に会った時には未だに根に持っていたな。……その件は男の方が全面的に悪かったとは言え、やはり異なるファミリアの女に手を出すというのは色々と面倒臭い」

 

「でも、しっかりと相手の主神様に許可を貰えればいいんですよね……?」

 

「相手はロキだ、せめて【勇者】と同等にならなければ許されんだろう」

 

「え"」

 

「それでも許されるかどうか分からんがな。案外あの娘が本気で頼めば折れるかもしれんが、それにしても最低限の実力と名声は必要だ」

 

もう完全に恋愛相談になって来ているが、冒険者として生きていくのであれば必要な知識でもある。その結果、実際に抗争に発展してしまった事例もそれなりにあるのだから。後はヘスティアとロキの関係というのも大きく関わって来る。もしあの2柱の関係が最悪であれば、また難易度も上がるだろう。ラフォリアとしては優秀な冒険者の子供が生まれるというのは喜ばしいことだと思うが、やはり簡単な問題ではない。

 

「……まあ難しいこと考えず、誠実に努力を積み重ねろ。お前の性格であれば拒む神の方が少ないだろう」

 

「は、はい……頑張ります」

 

「そうか、気が済んだのならさっさと寝ろ」

 

「あう」

 

いつものデコピン……ではなく、額を軽く指で押されて倒される。

立ち上がったラフォリア、小さく笑みを浮かべてベルを見下ろす。

 

「格好の良い男になりたいのだろう、ならばしっかりと寝ろ。好いた相手を抱えられるくらいにはならなければな」

 

「……あの、ありがとうございます。本当に」

 

「優しくするのはお前がその意志を持ち続けている間だけだ。少しでも腑抜けるようであれば即座にダンジョンに放り込んでやる」

 

「あ、あはは……見放されないように頑張ります……」

 

「そうだな。仕方がないとは言え、私の時間をこれだけ奪っているんだ。相応の働きはして貰わねばな」

 

おやすみ、と灯りを消して部屋を去る。

何をクソ真面目にガキの恋愛相談に付き合ってしまったのかと溜息を吐きつつも、自然とあの少年に対しては自分が妙に柔らかく接してしまっているということも自覚している。理由は特に分からない、ただ接していて不快ではないということだけは確かだ。冒険者としての才能は見た限り殆どなく、強くなりたいとは言っていたがそれが実際に何処まで実現するかはそんなに期待出来るところでもない。

 

(時間の無駄……)

 

あんな子供の相手をしている暇があるのなら、ロキ・ファミリアで燻っている冒険者共をダンジョンに引き摺って行った方がずっと意味がある。それは間違いなくて、自分自身分かっているのに、なんだかおかしい。

今日の探索でそれなりに金は稼げた。女神ヘファイストスに交渉してこの教会を買い取る交渉をして、さっさと追い出してしまえば、もっと楽に動けるようになる。……それならば何故それを今日の帰り際にでもして来なかったのか、普段の自分であれば深夜だろうが何だろうが関係なく乗り込んで行くだろうに。

 

「……疲れているだけだな。久しぶりのダンジョン生活に体力を使ったか」

 

持っていた物を全部放り出して、ベッドの上に倒れ込む。チラと横を見ればここを出る前に自分が掃除した教会の祭壇が映った。

……この場所を好んでいたあの姉妹、もうどちらもこの世界には居ない。あの頃に面倒を見てくれた団員は本当に1人も居なくなってしまった。

知っている筈の街なのに、今や知っている人間の方が少ないくらい。信用の出来る人間なんて居なくて、ただこの街の全てが憎くて、許せなくて、怒りばかりが増していて。

 

「……やはり疲れているな、私は」

 

思考を投げ捨てて目を閉じる。

眠るのは嫌いだ、恐ろしくなる。

出来るのであればずっと起きていたいのに、そうすることの出来ない自分の身体が恨めしい。

 

 

 

『さっさと寝ろ、馬鹿娘』

 

 

 

そう言って額を叩いて来た女は、もう2度と帰って来ることはない。



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被害者6:象神の杖

モンスター・フィリア。

つまりはオラリオの祭りの一つ。

ガネーシャ・ファミリアが主催するモンスターのテイムショーをメインとした祭であり、今日この日のために多くのモンスターがダンジョンから地上に向けて運び込まれている。

地上に住んでいるだけでは滅多に見ることが出来ないモンスター達、冒険者以外の者にとっては珍しい機会になる。そうでなくともモンスターのテイムというのな非常に珍しく、当然ながら毎年この祭は大盛況を上げていた。

酒場のシルに財布を渡すお願いをされ、駆け回っていたところをヘスティアに捕まえられたベルは困った顔をしながら彼女とデートのようなことをしたりもしていたのだが、その一方で。

 

「ガネーシャ・ファミリアだ!!」

 

「………」

 

「……噂は本当だったか。ここに"静寂のアルフィア"らしき人間が出入りしていると聞いたが、まさか生きていたとはな」

 

「………おい」

 

「全員気を抜くな!この女を相手にする時は……」

 

「おい」

 

「……?」

 

「土足厳禁と書いてある筈だが、文字すら読めんのか貴様等は」

 

「は……?」

 

「………ぶっ殺す」

 

「っ!?」

 

入ってきた3人の団員が、一斉に教会の外へと吹き飛ばされる。起き上がったのはシャクティ・ヴァルマ。ガネーシャ・ファミリアの団長であり、Lv.5の冒険者でもある彼女。

彼女がどうしてこうも忙しい祭りの当日にこの教会を訪れたのかには理由があった。

それこそ7年前の大抗争の際、静寂のアルフィアが拠点としていた場所こそがこの廃教会であったのだ。そして当時も不審な人物の出入りが目撃され、調査を行ったガネーシャ・ファミリアの団員達が返り討ちに合い、結果的にあの悲劇へと繋がった。

シャクティにとっても妹を失ったあの一件は強く心に刻み込まれており、再び静寂のアルフィアがあの場所を出入りしていると聞けば、闇派閥の活動が再開したのではないかと、彼女にしては珍しく居ても立っても居られなくなってしまったのも無理はない。故に祭りの最中でも余裕のあった団員2人を連れて、何もなければそれでいいと確認だけをしに来てしまった。……その結果がこれだ。

 

「くっ……」

 

「……人がせっかく張り替えた絨毯を何の遠慮もなく踏み荒らしただけでなく、よりにもよってこの私をあの女と断定して話を進める愚行」

 

「なに……?」

 

「歯を食い縛れ」

 

ラフォリアは近くにあった物干し竿を手に取る。

構える団員達、シャクティもまた槍を構える。

しかし同時に過ぎる少しの違和感。

 

「がほぉっ!?」

 

「っ、速い……!!」

 

その身体能力で一気に距離を近付ける、最速の突きで吹き飛んでいく団員の1人。鳩尾に食らった一撃は例え獲物が物干し竿であったとしても強烈で、わずか一瞬でこちらの戦力を刈り取られた。

襲い掛かる女に対して残った団員と共に攻撃を防ぎ反撃を試みるが、やはりどうしても違和感を拭うことが出来ない。かつてのアストレア・ファミリアに聞いた話では、静寂のアルフィアはまごうことなき天才であり、暴喰のザルドの剣技を模倣したほどの力を持っていたという。

目の前の女の技量もまた優れており、自身のステータスとの差もあるのだろうが、それでもとてもその獲物が単なる物干し竿とは思えないほどに苦戦を強いられている。

……だが。

 

「対処できない程ではない……!」

 

「ほう」

 

そう、どうしようもないという程ではない。

それがそもそもおかしい。

こうして時間を稼ぐことが出来ていること自体がおかしい。

静寂のアルフィアはその近接戦闘においてもアストレア・ファミリア全員による猛攻撃を返したほどの化け物だ、もし目の前の女が本物であれば今こうして自分が何事もなく打ち合えている訳がない。そしてそれはつまり……

 

「考え事をしている余裕があるのか?」

 

「しまっ」

 

腹部に強烈な蹴りが入る。それに動揺したもう1人の団員も顎を強烈に叩かれ、意識を落とす。これで1対1、数の有利は無くなってしまった。

 

「さて……後は貴様だけだ。スキルでも魔法でも好きに使え、隠している余裕などないだろう」

 

「……お前は、静寂のアルフィアではないのか?」

 

「ほう、どうしてそう思った?」

 

「アストレア・ファミリアの眷属達から聞いていたほどの脅威が、お前にはない」

 

「具体的に言え」

 

「……確かにお前は強い。ステータスだけでなく、技量もそうだ。単に槍を操る技術だけで言えば私と同等かそれ以上はあるだろう」

 

「それで?」

 

「だが本物の"静寂"は、他者の技能を一眼見ただけで模倣すると聞く。もし対峙したのが本物の彼女であったのなら、その技量が私と同程度である筈がない。より強者の技術を持って、我々はものの数秒で蹂躙されていた筈だ」

 

「………ふむ、それでは不合格だな」

 

「?」

 

持っていた物干し竿で軽く肩を叩きながら、女は軽く目を逸らす。

 

「確かにアレは他者の技能を模倣することが出来るが、肉体が異なる以上、それにも限度というものがある。基本的には模倣元の8〜9割程度の性能に落ち着くのが常だ。加えて技能を模倣するからこその制限もあり、普通の槍があるのならばまだしも、この様な物干し竿では十全の性能は発揮できない。……だがそれでも、お前の言う通りあの女は私の努力と才を超えて来る。数多の模倣を複合し、最善の瞬間と組み合わせで叩き付けて来るからな、それこそがあの女の脅威だ」

 

「……ということはやはり」

 

「別人だ、この格好は賭けに負けて強制させられているに過ぎん。……それに、貴様の技量もそう悲観するものでもない。ただ私の才の方が優れていたというだけだ」

 

「………」

 

急に早口になったり、かと思ったら突然自分の才能を自慢されたりと、シャクティはなるほどこれは別人だと確信する。

しかしそれにしても、それにしてもだ。

ならば目の前のこいつは誰だという話になる。

明らかにLv.5の自分を手玉に取るほどの実力者、そんな者はこのオラリオには指で数えられるくらいしかいない筈で。

 

「というか……お前のことは何処かで見たことがあるな」

 

「なに?」

 

「もう殆ど思い出せんが……」

 

「………名前を聞いてもいいか?」

 

「ラフォリアだ」

 

「お前か!!!」

 

バシーン!とシャクティは自分の槍を地面に叩き付けた。

ラフォリアには覚えが無かったかもしれないが、シャクティの記憶にはこの女のことがしっかりと刻まれていた。

シャクティ・ヴァルマ、現在38歳。

15年前もバリバリ冒険者をしていたし、当時多くの冒険者を叩き潰していたこの女のことは本当に嫌というほどよーく知っている。

 

「なんだ、やはり知り合いか」

 

「お前が暴力沙汰を起こす度に何度走らされたと思っている!というか変わり過ぎだろう!本当に誰か分からなかった!いや分かるか!」

 

「何でも良いから土足で踏み荒らした部屋を掃除しろ、鼻を折るぞ」

 

「そういうところだけは変わらないな……」

 

ラフォリアの方はもう殆ど覚えていないというか、興味すら無かったくらいではあるが、その被害者とも言えるシャクティはしっかりと覚えていた。

シャクティ自身、今日はそれほど余裕がある訳ではない。起き上がった団員達に事情を説明し、掃除を指示すると、溜息を吐きながら事情聴取を再開する。……この女の性質はなんとなく分かっているが、かつての静寂と同じようにオラリオに牙を剥かないとも限らない。

 

「それで?こんなところで何をしていた」

 

「寝泊まりをしていただけだが」

 

「……今はヘファイストス・ファミリアの管理になっていた筈だが、許可は取っているのか?」

 

「取ると思うか?」

 

「取れ」

 

「ここの地下に住んでいる女神に許可は取っている、それは女神ヘファイストスに許可を得ているのだから問題ないだろう」

 

「なるほど、そういえばこの建物は以前はもう少し廃れていなかったか?」

 

「私が補修したからな」

 

「……許可は取ったのか?」

 

「むしろ感謝して欲しいくらいだが」

 

「お前は……本当に……」

 

場合によっては女神ヘファイストスが闇派閥との関わりを疑われることになっていたかもしれないことを、この女は理解しているのだろうか。シャクティは頭を抱えながら、なんだかこういうやり取りも懐かしい気がして、確かに目の前の女があの悪餓鬼であったことを確信する。

 

「この街に来た目的は?」

 

「あの女を殺した奴等を殺しに来た」

 

「……事情は聞いているのか?」

 

「アストレア・ファミリアは壊滅したそうだな。今は黒龍討伐を目的に動いている」

 

「……すまん、どうしてそうなった?」

 

「あの女に勝つまでこの格好をやめられんのでな、直接殺せなくなったのなら超えるしかあるまい。つまり黒龍を殺す」

 

「頭でもおかしくなったのか?」

 

「殺すぞ」

 

「……まあ、とにかく、闇派閥に加担している訳ではないのだな」

 

「そもそも闇派閥のことを私はよく知らん、あの女が利用した馬鹿の集まりくらいの認識だ」

 

「……ああ、そうか。15年前には存在していなかったな」

 

闇派閥とはゼウスとヘラのファミリアが消滅したことをきっかけに生まれたもの、故にこの女が彼等をよく知らないというのは仕方のないことなのかもしれない。

だとすればこの女は白なのだろう。

多少頭がおかしくはあるが、それでもオラリオに脅威をもたらす存在ではない。

 

「……病はもう治ったのか?」

 

「知っているのか」

 

「当然だ、お前を送り出す先の選定を我々も手伝った」

 

「……完治はしなかった。だが治療の効果と恩恵が昇華したことで完全に押さえ込めている。薬もあるからな、最早存在しないに等しい」

 

「そうか、それは何よりだ」

 

「……悪かったな、覚えていなくて」

 

「!……ふふ、それは仕方のないことだろう。12の子供にそこまでのことを求めはしない。こちらこそ悪かったな、まさかあの小さいのがここまで大きくなっているとは夢にも思わなかった」

 

「そうか」

 

まあ色々と迷惑をかけられはしたものの、別に嫌っているという訳ではない。これほどの才能を持ちながら、あのファミリアで育ったのであれば、まあこうなるだろうという範囲の中ではあるし、当時既にLv.5に到達していながらそれでも命の危機に陥る様な病に罹ったというのは不幸にしても程がある。ある意味ではそれで命拾いしたとも言えないことはないかもしれないが、結果的にこうして1人残されてしまった彼女に同情くらいはする。

 

「……それで、いいのか?」

 

「ん?なにがだ」

 

「今日の祭の主催はガネーシャ・ファミリアなのだろう。こんなことをしている暇があるのか?」

 

「あぁ……そろそろ時間的に不味いが、それほど急いでいる訳でもない。掃除が終わってからでも……」

 

 

「シャクティ様!!!」

 

背後から聞こえて来る男性団員の声、振り向けば酷く焦った様子のガネーシャ・ファミリアの団員が駆け寄って来ていることに気がつく。……その様子は尋常ではない、シャクティも直ぐに頭を切り替える。

 

「何があった!」

 

「襲撃です!西ゲートの職員が何人か倒れていて……監視していたモンスター達が全て逃げ出しました!!」

 

「なんだと!?」

 

このフィリア祭のために地上に運び込まれたモンスター達。その生息域は12〜13階層付近のモンスターが中心となっており、Lv.1どころか恩恵すら持っていない者達にとっては恐ろしい脅威だ。それがこの人が集まる祭の日に10匹近くも地上に放たれたとなれば、最早秘密裏に隠す隠さないどころの問題ではない。

 

「…………っ、ラフォリア!」

 

「報酬は?」

 

「……私の個人範囲で出来る事であれば」

 

「そうか、ならば貸しを1つということでいい。金品よりもお前に貸しを作っておくことの方が有用そうだ」

 

「言っておくが犯罪の見逃しはしないからな」

 

「お前は私を何だと思っているんだ」

 

「街中で人を殴るのも罪だということを忘れていないだろうな?」

 

「………」

 

「あ、こら待て!」

 

ここ最近の被害者の数はシャクティも当然把握している、むしろそれを見逃してやるというだけで貸しとして十分に成り立つ。というか本来ならば見逃したくもない。しかし一部の不埒者の負傷を見逃すことで、より多くの善人の命を救えるのだと考えれば、考える必要もない。

 

「〜〜っ、住民の避難誘導を急げ!モンスター討伐はあの女に任せておけばいい!怪我人だけは絶対に出すな!!」

 

同時刻、アイズ・ヴァレンシュタインもまた同様の依頼をギルドから出されていたりもしたが、2人の最終的な討伐数は同等だったという。……付与魔法【エアリアル】による高速移動があるにも関わらず。

 

 

 

 

「……ということがあったんだよ!どうだい凄いだろう!うちのベルくんは!」

 

「知っている、見ていたからな」

 

「え?見ていた?……………えぇ!?」

 

「見てたんですか!?何処から!?」

 

「屋根の上からだ」

 

「いつから見てたんだい!?」

 

「仰々しくもお前がそこの馬鹿乳と最後の別れをし始めたところくらいからだ」

 

「殆ど全部じゃないか!」

 

「僕ほんとうに死ぬところだったんですよ!?」

 

「何を大袈裟に、もう一撃くらい耐えれただろう」

 

「僕まだLv.1ですからね!?」

 

モンスターフィリアの翌日、朝食を食べながらラフォリアはヘスティアによるベル自慢を聞いていた。ベル君がカッコ良かっただの、これからもっと凄い冒険者になるだの、まあ本当に喧しいくらいに。

しかしながらラフォリアはその一部始終を知っている。何故なら彼女はその光景を屋根の上でずっとみていたから。モンスターを粗方討伐した後、適当に買って来た飲み物を片手に屋根の上に腰を下ろして優雅にその様子を観戦していた。背後から感じる視線と一緒になって。

 

「そもそもあれ以上に良い機会も無かったろう、恩恵の昇華を目的とするのであれば」

 

「あ……」

 

「それは確かに……」

 

「だが結果的にはそうはならなかったようだな。武器を変えなければ、ステータスを更新しなければ、その目はあっただろう」

 

「……も、もしかして僕、もったいないことしちゃいました?」

 

「機会を一つ失ったというのは間違いあるまい」

 

「うわぁあ……」

 

「ま、まあまあ!別に良いじゃないか!こうしてみんな無事に生きているんだから!!」

 

そんな風に呑気に話してはいるが、さてそれもいつまで続くことか。時々ラフォリアの方にも向いていたあの不躾な視線、睨み返してやれば即座にベルの方へと戻ったが、まず間違いない。

この子兎は美の女神に狙われている。

 

(難儀な話だ)

 

あの女神は欲しい物は確実に手に入れるまで執着する、耳に挟んだ現場の状況からしても今回の騒動の原因はあの女だろう。正にあのベルとシルバーバックの死闘を見たいが為に引き起こしたのだと容易く想像出来る。途中で視線を向けて来たのも、ラフォリアが手を出すのではないかという心配故なのか、それとも警告であったのか。

 

(どちらにしても、不快な視線を向けたケジメは取って貰うとするか)

 

ラフォリアは諸々組み立てていた予定を頭の中で入れ替える。差し当たっては明日、ロキ・ファミリアの眷属と行く筈であったダンジョン探索。これの内容を少し変える。

 

「馬鹿乳、明日からまた留守にする」

 

「またダンジョンかい?今度はどれくらい居なくなるのか教えておいてくれよ」

 

「大体10日ほどだ」

 

「ぶっ!?」

 

「と、10日!?そんなにダンジョンに潜るんですか!?」

 

「少々深くまで潜ってくる、どうやっても時間がかかる」

 

「……それで何処まで行くつもりなんだい?」

 

「49階層」

 

「「ぶほっ!?」」

 

「ごほっ、ごほっごほっ」

 

「汚いな貴様等」

 

「よ、よよ、49階層ー!?そんなの深層も深層じゃないか!何を言ってるんだ君は!!」

 

「余計な心配など必要ない、事前知識はある。そもそも50階層はモンスターの存在しない安全地帯だ、他の階層に留まるよりは安全だ」

 

「そ、それはそうかもしれないけど……」

 

そんなこと言われても、心配なものは心配で。

というか50階層など本来は遠征で行くような場所であり、明日から行ってくる、というような軽いものでもない。あのロキ・ファミリアでさえもファミリア総出で出向くくらいなのに、それは流石に無茶だ。

 

「ま、まさか1人で行く気だったりしないだろうね……?」

 

「?1人だが」

 

「そんなの無茶だ!!」

 

「なに、聞いた話ではオッタル……フレイヤ・ファミリアの長も単独でそこまで辿り着いたと聞く。アレに出来るのなら問題ない」

 

「……というか今更なんですけど、ラフォリアさんのレベルっていくつなんですか……?」

 

「6だ」

 

「6!?」

 

「都市でも最高クラスじゃないか!!」

 

「アイズさんより上!?」

 

「本当に何者なんだ君は!!」

 

「喧しい奴等だな……」

 

「「痛っ!?」」

 

バシバシッ!と指で弾いたゴミを2人の額に打つける。事前に伝えず行ったら喧しい、こうして事前に伝えても喧しい。面倒にも程がある。

 

「何を勘違いしているか知らんが、お前達に私の行動を制限する権利はない。こうして伝えたのも貴様達が先に教えろと喧しかったからだ、それに文句を付ける様であれば今後一切貴様等には何も伝えん」

 

「う……」

 

「そもそも他人に構っている暇があるのであれば自分を磨け。低位の冒険者に高位の冒険者の心配をする資格があるとでも思っているのか、言われずともお前達以上に私達は頭を使っているし情報も仕入れている。馬鹿にするのも大概にしろ」

 

「……ごめんなさい」

 

「心配とは押し付ければ否定になる、何も知らぬ他者に対して心配などするな。……ああ、不愉快だ」

 

そう言って、彼女は立ち上がって部屋を出て行ってしまった。

……確かに、ベル達は彼女のことをまだ何も知らない。それこそレベルだって今日知ったばかりであり、彼女が普段どこを出歩いて、誰と話しているのかも全く知らない。彼女の実力や経験、それに付随する過去すら知らずに自分達の勝手な想像を押し付けたのは、確かに失礼だったかもしれないと2人は思う。

 

まあだとしても、49階層まで1人で行くと言われれば心配くらいしてしまうのも当然で。それこそ以前にベルが言われた様に、無茶をするのであれば他に誰かを連れて行くべきではないのだろうか。そうすべきだと思うし、むしろそうして欲しい。それこそが押し付けであるとしても、それでも。

 

 

 

「……という訳で、49階層まで行ってくる。正しくは50階層になるか」

 

「……え?」

 

「……なにを言ってるのかな、君は」

 

「遂に頭おかしくなったんか……?」

 

「貴様等……」

 

なお、ロキ・ファミリアでもラフォリアは同じ反応を受けていた。

当然である、それはそうなる。

 

「いや、流石に単独で50階層に行くのは……うん、簡単には頷けないかな」

 

「当然じゃな」

 

「頷く必要などない、私はただ予定の変更を伝えに来ただけだ。お前達の意見など元より必要としていないし聞くつもりもない」

 

「あ〜……一応聞くけど、魔導士やんな?"猛者"が行くのはまだ理解出来るんやけど、流石に無謀やないんか?」

 

「そもそもその理論が分からん」

 

「どういうことだ……?」

 

「何故お前達は魔導士が近接戦闘に弱い前提で話す」

 

「「「「……………」」」」

 

「あの女を本気で殺そうとしていた私が近接戦闘もできないと思っていたのか?むしろそれでしか殺せんだろう、アレは」

 

「それは確かに」

 

「つまり君は、少なくとも"静寂"と打ち合える程度の力は持っているという理解でいいのかな?」

 

「一度も勝ったことはないがな」

 

ここまで自信満々に言うのであれば、まあ大丈夫なのかもしれない。

しかし彼女はまだ冒険者に復帰して間もない、ダンジョンに対する慣れもそこまででは無いだろう。不安要素は正直幾らでもある。

 

「……よし、それならこうしよう。明日、僕達も一緒にダンジョンに潜る」

 

「?まさか着いてくる気か?」

 

「いや、流石にそこまでの準備を今日明日では出来ない。だから着いていけるのは、精々"白宮殿"くらいまでだろう。僕達もそろそろダンジョンに潜ろうと思っていたから丁度良い」

 

「ふむ……」

 

「フィン、誰を連れて行く?」

 

「武器の返済と弁償が必要なアイズとティオナは確定かな。そうなるとティオネとレフィーヤも着いて来そうだね、個人的にはリヴェリアにも来て欲しいかな」

 

「となると、留守はガレスとベートに任せるか」

 

「仕方あるまい、主力が総出というのも良くないしのぅ」

 

「……ふむ、貴様等の実力を測る良い機会か。良いだろう、許可してやる」

 

「はは、それは良かったよ」

 

実際のところはラフォリアの実力を測るためのものではあったのだが、本人がこうして乗ってくれたのであればもう何も言うまい。

 

「……ああ、そうだ。武器を用意せねばならんな」

 

「アテはあるのかい?」

 

「帰りに適当に買ってくる、剣で良いだろう」

 

「金はあるのか?足りなければ少しくらいは……」

 

「問題ない。事前に腐るほど魔石を回収させたからな、全額突っ込めば相応の物は手に入れられるだろう」

 

「金の使い方荒過ぎやろ」

 

「金などダンジョンに潜れば幾らでも手に入る、冒険者をしていれば嫌でも余って来るだろう」

 

「多分それは武器の整備が必要のない、君や静寂くらいの話じゃないかな……」

 

「……まともな盾の居る集団戦闘であれば、私もあの女も杖くらい持つからな?」

 

「「「「………」」」」

 

そういえばあの女、杖無しであの威力の魔法を使っていたな……と考えると、思わず誰もが閉口してしまった。そう言われるとリヴァイアサンにトドメを刺したという話も理解出来てしまうのだが、そうなると果たしてそれはどれほど馬鹿げた威力であったのか。想像するだけでもリヴェリアは身震いした。



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被害者7:千の妖精

「ねぇアイズ」

 

「ん?」

 

「アイズはさ、あの人のこと知ってる?」

 

「……知ってるような、知らないような」

 

「でもあの人、多分めちゃくちゃ強いよね。この前も暴れてるの全然取り押さえれなかったし」

 

「うん」

 

「それに……」

 

 

 

「さっさと立て雑魚エルフ、ミノタウロスを15体倒すまでは18階層には上げんからな」

 

「ひ、ひぃいん!せめて魔法使わせてくださーい!!」

 

 

 

「……レフィーヤ可哀想」

 

「うん……」

 

魔法を禁止され、ケツを叩かれながらミノタウロスの群に突撃させられているレフィーヤ。このプチ遠征に参加した誰もが、それを可哀想な目で見つめている。

 

『グォォオオオオ!!!』

 

「きゃぁあああ!!!」

 

「このトロ子が」

 

「きゃんっ!?」

 

危うくミノタウロスに叩き潰されそうになったレフィーヤを、ラフォリアは蹴り飛ばす。顔面を地面に擦り付けながら吹き飛んでいく彼女は、本当に哀れだった。きっと彼女も初めての経験なのだろう、こんな風に殴ったり蹴られたり罵倒されたりしながら受けるスパルタな特訓を付けられたのは。

 

「……おいエルフ、なんだアレは。才能の無駄遣いの権化か?」

 

「い、いや……精神的にまだまだ未熟でな。扱う魔力が膨大過ぎるがために、暴発すれば自分の魔力で吹き飛ぶ可能性がある。故に知識から学ばせているところなのだが……」

 

「チッ……トロ子、こっちに来い」

 

「は、はぃぃ……」

 

フラフラと歩いて来るレフィーヤ・ウィリディス、彼女はLv.3の魔導士だった。その特殊な魔法故に"千の妖精"とも呼ばれている彼女であるが、扱う魔力の規模故に色々と苦労しているロキ・ファミリアの大砲の一つでもある。

ラフォリアはそんな彼女に自身が持っている剣を握らせる。ゴブニュ・ファミリアで2000万ヴァリスで買って来た物だ、値段的には先日アイズが破壊したそれの大体半分くらいだろう。

 

「あの、これをどうすれば……」

 

「動くな」

 

「え……?」

 

「貴様に近接戦闘というものを教えてやる」

 

「え?え?」

 

突然レフィーヤの背後に回り、自身とレフィーヤの腹部を縄で縛り付け始めたラフォリア。突然のそんな行動に顔を赤らめながら困惑するレフィーヤであるが、次の瞬間彼女は地獄を見ることになった。

 

「ぎゃぁあああああ!!!!!」

 

「喧しい、黙って目を開けていろ」

 

「早い早い早い早い早すぎますぅぅううう!?!?!?」

 

レフィーヤを自分の体に縛りつけた状態で、剣を握らせた彼女の手を取ってラフォリアはミノタウロスの群を殲滅し始める。レフィーヤは今日まで感じたこともないその速度に目を回しているが、確かにレフィーヤは今自分の身体でミノタウロスを蹂躙している。

こんな風に高位の冒険者に本当に手取り足取り教えて貰う機会なんてそうあるものではない、人によっては本当に羨ましがる体験であろう。早々ここまでしてくれる相手も居ないし、本家の静寂であればこんなこと絶対にやらない。

 

「これで漸く13体だ、気分はどうだ」

 

「し、死ぬかと思いました……」

 

「ならばあと2体狩って来い、さっさと行け」

 

「ひぃん!こうなりゃヤケです!えいやぁああああ!!!」

 

ラフォリアの剣を持って、残り2体のミノタウロスへと突っ込んで行くレフィーヤ。レベルの差があるため元々ミノタウロスの攻撃くらいならば避けることが出来ていたが、ラフォリアが文字通りその身体で教えたためか、多少剣の振り方もそれらしくなっている。

それでも剣士としてはクソ雑魚であることに変わりはないが、色々ドジは踏みつつも、最終的には2体のミノタウロスをしっかりと討伐して来たのだから、頑張った方だろう。

 

「はぁ、はぁ……つ、疲れました……」

 

「ゴミだな」

 

「ゴミ!?」

 

「別に前衛職をやれるほどになれとは言わんが、最低でもそこのエルフ並みには動けるようになれ。……だからと言ってこいつを目指すなよ?それでは追い付くことも出来ん」

 

「は、はい。頑張ります……」

 

レフィーヤは貸して貰っていた剣を返す。

下手な使い手によって多少刃が痛んでしまってはいるが、こういう時のためにラフォリアは砥石を持って来ていた。本家の鍛治師並とは言わないが、多少手入れすることくらいならば自分でも出来る。荷物にはなるが、長期間潜るということであれば誰かは持っておくべきだろう。これも1人でダンジョンに潜ることの多かったラフォリアだからこその知恵だった。

 

「……そういえばトロ子、お前は他人の魔法を使用出来るらしいな」

 

「え?あ、はい。エルフの魔法に限りますけど……」

 

「チッ、使えんな」

 

「いきなり酷くないですか!?」

 

「せっかく無敵の存在にしてやろうと思ったのに」

 

「私に一体何させるつもりだったんですか!?」

 

他人の魔法やスキルで悪いことを考える、それもラフォリアの趣味の一つだった。

 

 

 

「……やはり好かんな、この街は」

 

18階層に降り、リヴィラの街を見て呟く最初の一言がそれ。以前にベート達と18階層に来た時には素通りしたが、今日はここで宿を取る予定である。ラフォリアにとって好かない人間の多いゴミ貯めにでも来たような気持ちであるが、仕方がないと割り切って後ろを歩く。

 

「あの……」

 

「?なんだ小娘」

 

そうして歩いていると、隣に並んで声を掛けて来たのは、これまで殆ど話したことのないアイズ・ヴァレンシュタイン。例の少年の想い人であり、恐らく現在のロキ・ファミリアで最大の成長株。

 

「……貴方は、"あの人"とは、どういう関係なんですか?」

 

「あの人?」

 

「"静寂"って言われてた人です」

 

「……会ったことがあるのか?」

 

「7年前に、少しだけ」

 

「……そうか」

 

それはあの大抗争の際、アイズは最後の瞬間にまでは立ち会えなかったものの、彼女と交戦したことがある。その際には軽々と弄ばれ、剣を奪われ、その剣を自分よりも上手く、そして強力に振われるという経験をすることになり、その時の記憶は今でもアイズの頭の中に残っていた。

 

「あれは私の先輩だ」

 

「先輩……?」

 

「……認めたくはないが、育ての親とも言っていい」

 

「育ての、親……」

 

アイズはその言葉に少し反応し、しかしラフォリアは対照的に目を閉じて言葉を紡ぐ。

 

「私は元は身寄りのない捨て子だった、拾ったのがあの女だ。冒険者として生きていく方法も、あの女から教わった。……とはいえ、所詮は7つの歳の差、あれもガキだった。色々と酷かったな」

 

そんな風に話す彼女を横目に、アイズは複雑そうな顔を隠さない。しかしラフォリアはそんなアイズの心の内になど興味もなく、正直泣こうが喚こうがどうでもいい。

 

「さっさと強くなれ」

 

「え……」

 

「お前はまだ若い、身体も健康だろう。今のまま、あと数年もすればオッタルすら追い抜ける」

 

「猛者を……」

 

「慢心するなよ、Lv.6からLv.7へ上がる瞬間が最も手間がかかる。Lv.6へ上がりたいのならウダイオスを倒せばいい、Lv.8に上がりたいのならバロールを倒せばいい。だがLv.7に上がりたいのであれば、適したモンスターは存在しない。事実、お前達の幹部共はああして停滞したままだろう」

 

「………」

 

「聞いた話ではあるが、オッタルはバロールを倒せなかったらしいな。……くく、次に会った時には笑って馬鹿にしてやるか」

 

都市最強と呼ばれ、あらゆる冒険者から恐れられる"猛者"を笑って馬鹿にしてやるなどと。そんなこと一体誰が出来るのかと、アイズにとっては目を丸くするような言葉だった。そうなると目の前の人が彼と同格の人物なのかとも思えて。

 

「……私にも」

 

「?」

 

「私にもレフィーヤみたいに、教えてくれますか……?」

 

「!」

 

アイズは気にしている、最近の自分のステータスが伸びないことを。そしてここらが自分のステータスの頭打ちであるということを。だからこそ……

 

「まずは恩恵を昇華させて来い、話はそれからだ」

 

何やら騒がしく人が集まっているところに先頭を歩いていたフィン達が向かっていることに気付いたラフォリアは、アイズにその言葉だけを残して去っていった。

アイズに対して、"Lv.6になりたいのならウダイオスを倒せばいい"という余計な知識を与えたまま。

 

 

 

「ほう、殺しか」

 

ヴィリーの宿屋という宿の中で、どうやら殺しがあったらしい。顔面を粉砕された、それ以外には状態の良い異様な男の死体。街の様子がおかしかった理由はそういうことだとフィンは言っているが、ラフォリアにとっては別に昔からこんなものだったろうというくらいの感想。

 

「それで……彼と一緒にこの宿を取ったっていうローブの女の特徴はわからないかい?体のどこかに目印とか」

 

「あー!そういやローブの上からでも分かるくらい滅茶苦茶良い体してたな!」

 

「おお!実は俺も街中で昨日見かけたんだが、ありゃ良い女だ!顔は知らんが……それこそ、そこの女くらいに!」

 

「……あ"?」

 

「「「あ」」」

 

リヴィラの街のまとめ役、ボールスの顔面に拳がめり込んだ。

 

「ボ、ボールスぅぅう!!!……ぶっ」

 

壁に叩き付けられる、奇跡的にも死体の横に死体と同じ格好で倒れる彼。見ようによっては死体が増えたように見えるその光景に、不謹慎ながらもヴィリーは吹き出す。

一方で殴った女の方は偉そうに近くにあった椅子に腕を組んで座るのだから、周りの人間は苦笑いをするしかない。

 

「あの……うん、気持ちは分からなくもないけど、暴力はやめようか」

 

「私に対して不快な目線を向けた罰だ、頬を腫らすだけで済んで良かったな」

 

「なんかティオネみたい……」

 

「いや、私でも流石に手までは出さないわよ……」

 

怒りはするし、脅しもするが、流石に殴るまではしない。こんな奴と一緒にされたくないと、ティオネは心外そうに顔を歪ませる。

 

そしてこんなことをしたものだから、倒れていた彼がガネーシャ・ファミリアのLv.4であるそれなりに有名な団員:ハシャーナ・ドルリアだと分かるや否や……

 

「ほ、本当はお前らの中の誰かがやったんじゃないのか!?特にお前!」

 

「………」

 

「「「あ〜あ……」」」

 

確かに彼女であればそれくらいは出来るであろうけれども、だとしても。

 

「た、確かにその身体を使えば………ぁ……っ????」

 

乱雑に放たれた裏拳がヴィリーの顎を掠め、彼の意識が刈り取られる。

なぜ学習しないのか。

取り乱して女を疑う発言をしてしまった男の冒険者の1人は腰を抜かせて首を振る。

 

「Lv.4程度の冒険者を殺すのに、何故わざわざ身体を使う必要があるのか理解に苦しむな」

 

「……な、なあフィン?そういえば見たことねぇんだけど、この姉さんって何者なんだ……?」

 

「あ〜、うん…………【撃災】って言えば分かるかい?」

 

「よぅし解散!!お前等この姉さんは無実だ!2度と関わるんじゃねぇぞ!!もし次に不敬なことした奴が居たら俺の方がぶん殴りに行くからな!!いいか!分かったな!!絶対だぞ!!」

 

 

「あの……何かしたんですか?」

 

「知らん、この町で何軒か店を爆破した記憶はあるがな」

 

「絶対それが原因ですよね……」

 

この街の纏め役であり、冒険者としての経験も長いボールスは知っている。当時まだ10歳の子供が18階層に1人でやって来て、柄の悪いこの街の男達が関わったことで起きてしまった、最終的にはリヴィラの街が1度滅ぶことになったあの大事件を。

 

 

 

 

 

 

場所は変わってヘファイストス・ファミリア。

その主神であるヘファイストスの元へ訪れたのは、ガネーシャ・ファミリアの団長であるシャクティ・ヴァルマ。珍しい客人に対してヘファイストスは自らで応対し、変わらず真面目な顔をしている彼の眷属に対して笑いかける。

 

「それで、今日はどうしたのかしら?貴女がこうして私を訪ねてくるなんて、かなり珍しいことじゃない?」

 

「……一つ、相談事をさせて頂きたいと思っています」

 

「相談事?ガネーシャじゃなくて私に?この前の騒動のことかしら?」

 

「いえ、街外れの廃教会の件についてです」

 

「廃教会って……あそこは今はヘスティアが住んでるはずだけど」

 

思わぬところから出た話題にヘファイストスは困惑する。もしかしてまたヘスティアが何かしたのではないかとも思ったが、彼女はここ数日、ずっとヘファイストスへの土下座や武器作りに没頭していた。それにヘスティアが何かをしたのであれば、わざわざ廃教会などという話題の持ち出し方はしないだろう。

 

「……ヘラの眷属が1人、この街に帰って来ています」

 

「なんですって!?」

 

シャクティが放ったそのたった一言で、ヘファイストスは事の重大さを悟る。あの廃教会が元々誰の物であったのか、そしてどんな物達が好んで訪ねていたのか、それを他でもないヘファイストスが知らない筈がない。

 

「ちょ、ちょっと待って。……"静寂"ももう居ないし、他にヘラの眷属なんて残ってない筈でしょう?まさか生き残りが居たってこと?あの戦いで?」

 

「お忘れですか、女神ヘファイストス。もう1人居た筈です。黒龍討伐の話が出る以前にファミリアを抜けた、当時まだ12歳の少女が」

 

「…………っ!生きていたの!?」

 

「はい。そして彼女は今、例の廃教会を拠点にしています」

 

「拠点って……まさかヘスティアのファミリアに入ったとか?」

 

「恩恵を授かっているかどうかまでは分かりませんが、廃教会を修繕して住んでいるようです。外装は殆ど変わっていませんでしたが、内装は徹底的に綺麗にされていました。……それこそ土足厳禁を徹底しているくらいには」

 

「ま、また勝手なことを……まあ綺麗にしてくれる分にはいいんだけど……」

 

「それとここからが一番の問題なのですが」

 

「なにかしら」

 

「……現在の彼女の容姿が、完全に"静寂"です」

 

「………え?」

 

シャクティの想像通りの反応を、ヘファイストスはした。

 

「ドレス、髪色、元々体格が近かったこともあり、私ですら最初は"静寂"が生きていたと勘違いしました」

 

「えっと、うん……なんでそんなことを?」

 

「"静寂"との賭けの約束だと、詳しいことは分かりません。ただ本人に止めるつもりはないように思います」

 

「……困るんだけど」

 

「その為の相談事です」

 

ヘファイストスの管理している場所に、再び"静寂"が居座っているとなれば、闇派閥との関係を疑われるだけでなく、そろそろ管理上の責任を追求される。

それにこうしてヘファイストスが今の今まで知らなかったくらいには、【撃災】の情報が出回っていないというのもよろしくない。せめて都市内の信頼出来る他のファミリアに所属しているのであればまだしも、単独というのも不味い。だからこそシャクティとしては、この話をヘファイストスに持って来た。

 

「恐らくですが、遠くない内に奴はあの場所の管理権を求めて交渉に来るかと思われます」

 

「本当にそんなことするかしら……?」

 

「アレは横暴ですが、筋は通します。その交渉の内容が常識的な物であれば、特に何事もなく事は進むと思われます」

 

「なるほど……私としては管理権の譲渡に問題はないわ、むしろ崩落して被害が出ないか心配していたくらいだもの。ヘスティア達の拠点については、まあ、そろそろ本人達で見つけて貰うことにすればいいわ」

 

「分かりました、それでは本題の方に」

 

「本題がまだあるのね……」

 

女神ヘファイストスが交渉にとんでもない金額をふっかける訳もなく、実際あの女も常識的な額を持って来る筈だ。変に値切りをするような姿も想像は出来ない。だからここまではシャクティもスムーズに進むと考えていた。

そしてそれとは別に持ってきた本題、それは……

 

「あの女を、女神ヘファイストスの眷属とすることは出来ないでしょうか」

 

「……話の意図が掴めないわね、どうして私なのかしら」

 

ヘファイストスは途端に雰囲気を変える。

それは笑って話せる事柄ではない。

 

「単に彼女の身元を確保するのなら、別に私でなくともガネーシャでも良い筈よ。なんならヘスティアだって良い、性質を考えればロキの方がいいとも思うわ」

 

「……1つ、気掛かりなことがあるからです」

 

「気掛かり……?」

 

「あの女が、"静寂"と同じ結論を出す可能性です」

 

「!」

 

それが彼女の顔を見たあの瞬間から、シャクティがずっと考え、そして恐れていた最悪のこと。

 

「あれは"静寂"の影響を強く受けています。そして彼女と同様に重篤な病を持っている。今のところ最も関わりの深いロキ・ファミリアに確認したところ、彼女が今のオラリオに対して失望感を抱いていることもまた、間違いないようです」

 

「あの病気、まだ治っていなかったの……?」

 

「完治はしておらず、今はステータスで押さえ込んでいると本人は言っていました。しかしそれも何処まで本当の話なのか……死を悟り、最期にこの地を訪れたということも考えられます」

 

「……それで、どうして私のところに?」

 

「女神フレイヤからの干渉を防ぐためです」

 

「っ……そういうこと」

 

「はい」

 

ここに来てようやく、ヘファイストスはシャクティのその深刻さに対して理解を示す。そういうことであれば彼女の言う通り、引き受けられる神は自分以外には存在しない。

 

「ヘラの眷属の最後の1人、それだけでフレイヤが手を出すには十分な理由だものね。何せ一度は煮湯を飲まされているんだもの」

 

「そしてそうなればあの女は、これ幸いと反撃をするでしょう。それが1ファミリア内で収まる程度の事であれば良いのですが……」

 

「……もしあの子が本当に"静寂"と同じ考えを持っているのであれば」

 

「ええ、そのままオラリオ全土を巻き込んだ戦争に発展させる可能性があります」

 

そこに闇派閥の残党まで乗って来てしまえば、いよいよ7年前の再現となってしまう。シャクティとしては、それだけは絶対に回避しなければならない。その上での延命の一手がこれであり、早急に打たなければならない手でもあった。

 

「貴女であれば、女神フレイヤは手を出せない。オラリオどころかフレイヤ・ファミリアにとっても重要な役割を担い、かつ女神であることから魅了の影響を受け難い」

 

「……それでも、フレイヤが本気を出せばどうしようもないわ。アレを防げるのなんて、この街だと処女神であるヘスティアくらいだもの」

 

「ですが延命処置にはなります。女神フレイヤが手を出せない状況を作るにはこれしかありません」

 

「あの子の方からフレイヤに手を出す可能性はあるんじゃないの?」

 

「それも否定出来ませんが、先程も言った通り彼女は筋を通す人間です。所属している女神に迷惑をかけるということを釘に刺しておけば、踏み止まると考えられます」

 

「……根拠としては弱いわね、結局あの子の考え次第だもの」

 

「返す言葉もありません」

 

もう2度と、あのようなことがあってはならない。

先達の冒険者を壁とし、踏台にさせ、犠牲にすることなどあってはならない。自分たちは7年前のあの時にそれを確かに決意した筈であり、胸に誓った筈だ。

だからこそ、あの女に絶対にその結末だけは辿らせない。自分より歳下の、まだ幼い姿が記憶に残っているような女には、絶対に。

 

「……分かったわ、その提案を私の方から彼女にしてみるわ」

 

「ありがとうございます……!」

 

「でも、断られたら私にはどうしようもない。食い下がる理由までは見つからないし、変に警戒されても困るでしょう?」

 

「ええ、それだけでも今は十分です」

 

今は何より時間を稼ぐことが先決、それまでの間にとにかく立てられるだけの対策をしておくことが重要だ。この件に関してだけで言えば味方はとにかく多い、いきなりオラリオを襲撃……なんて事がなかった以上、やれることはいくらでもある。

 

「……ちなみになんだけど、これからどうするつもり?」

 

「一先ず、"戦場の聖女"と"猛者"に話をしに行こうと思います」

 

「ちょ、ちょっと待って?……アミッドはともかく、どうしてオッタルにまで?彼経由でフレイヤに伝わってしまうんじゃない?」

 

「いえ、この件に関しては恐らく彼はこちらの味方です。表立って動く事は出来なくとも、情報制御くらいはしてくれるかと」

 

「……先達の犠牲という行為に対して、最も怒りを抱いているのが彼。ということかしら」

 

「相手が彼女となれば、それは"静寂"と"暴喰"の時以上のものになるでしょう。あの2人の関係は、知っての通りですから」

 

今ならまだどうにでもなる。

"勇者"は今は彼女とダンジョンに潜っているらしいが、戻り次第に根回しの準備も進めておかなければならない。

あの女は筋を通す、だからこそ筋の通ったやり方で徹底的に周りを固めておけば分かってはくれる。そしてその間に、彼女が認めるほどの成長がこのオラリオにあれば……きっとあのようなことにはならなくて済む。それが足を共にしているロキ・ファミリアの中にあれば良いのだが、それすら無かったのであれば……

 

「【象神の杖(アンクーシャ)】、何か他に協力出来ることがあればいつでも来なさい。私も全面的に協力するわ」

 

「ありがとうございます」

 

シャクティはもう一度深く頭を下げてから、ヘファイストスの私室を出る。

正直シャクティにも余裕はない。普段の仕事ですらも慌ただしい上に、例のモンスターフィリアでの一件、こうして時間を作るのも精一杯だ。それでも他でもない自分がしなければならないと思い立ち、こうしてフィンとは別口で動いている。

 

「……病に苦しんで、漸くまともな人生を歩めるようになった人間を、犠牲になどさせてたまるか……!!」

 

なぜなら、見てしまったから。

 

最早どうすることもない重病を抱えてしまい、

まともに歩くことすら出来なくなった末に。

 

あの横着で生意気だった小さな子供が、

隠すことも出来ずに浮かべてしまった……闇より深い、絶望を。



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被害者8:怪人

「なんだこいつ等は」

 

18階層、リヴィラの街。

今この瞬間、この場はモンスターの集団の渦中に居た。

それもそのモンスターというのが、蔓のような形をした、緑色の見たこともない奇妙な者達。それを知っているのはモンスターフィリアの際に討伐したアイズとティオナ、ティオネとレフィーヤのみ。

 

「……数が多いな」

 

1体1体がLv.3相当。その上、外皮が非常に硬く、武器か魔法がなければ碌に倒すことも難しい。そんなモンスターが、見た限りで数十体。ラフォリアが見下ろす崖下の水中からは、更に100体以上のそれが這い上がって来ている。これほどの数の一斉襲撃とは、早々起きることではない。それも本来モンスターが出現するはずのないこの18階層で。……単なるモンスターの群れの襲撃にしては、状況が出来過ぎている。それは少し考えれば誰にでも分かること。

 

「ラフォリア!」

 

「フィン、下を見ろ」

 

「……っ、これは」

 

「なにか分かるか?」

 

「………………………もしこの騒動が、宿屋で殺人を行なった者の仕業で、かつその殺人鬼がLv.5以上の調教師であると言ったら。君は笑うかい?」

 

「お前がそう思うのであれば、そうなんだろう。考え難い話ではあるが、現状が前にある以上は受け入れて動くしかあるまい」

 

「とにかく今は数を減らそう。相手がそれほどの調教師であるのなら、より凶悪なモンスターを引き連れている可能性も否定は出来ない」

 

「そうか、ならばそちらは任せる」

 

「なっ」

 

そうしてラフォリアは自身の身を崖下へと投げ出した。100、いや今や数百と数え切れないほどの数のモンスターが身を現しているその場所へ、何の躊躇も迷いもなく。

 

「こちらは私が片付ける、お前は好きにやれ」

 

「……分かった、そっちは頼むよ」

 

それは単純に、「背中は守ってやる、後は好きにやれ」ということ。それを言わずとも理解して行動するのだから、やはりフィンとの会話は楽だとラフォリアは思う。

 

……さて、問題はこの数のモンスターだ。

周囲は水、正直それほど状況は良くない。剣も目的を考えれば今あまり磨耗するのも好ましくなく、そうなるとやはり魔法で片付けるのが一番か。

 

「爆砕(イクスプロジア)」

 

着地地点に居たモンスターの集団を、超短文詠唱の魔法によって粉々に爆散する。

魔法名【ルナティック・テラ】、指定空間を爆破する魔法。範囲を指定し、起爆するという手順が必要な事から、使用までに僅かなタイムラグが生じるものの、攻撃の予兆を通常の五感では全く感知出来ず、威力も当然、射程も長い。

彼女はこの魔法によって数多の冒険者やモンスター達を爆散させ、"静寂"に次ぐ才児として、そして災児として、名を馳せた。

 

「爆砕(イクスプロジア)」

 

どれほどの数が相手であったとしても、苦戦する事は一度たりとも無かった。彼女がダンジョンに一人で探索に向かうことが多かった理由も、全てはこの魔法故だ。

範囲が広すぎる故に巻き込みが多く、下手な人間では単に怪我を負いに行くだけ。一緒にダンジョンに潜ることが出来る者など、魔法を無効化出来る"静寂"のみ。故にラフォリアはベート達とダンジョンに潜った際には、ベートと階層間の爆破に対して使用した以外ではこの魔法は使っておらず、そもそも普段から使用頻度はそれほど多くはない。

……便利過ぎるのだ、そして便利過ぎるのが悪いとも考える。

 

「まだ居るのか……爆砕(イクスプロジア)」

 

この魔法では、"静寂"には勝てない。

だからこそ、この魔法だけには頼らない。

空間を指定して爆破するものの、そこに人間やモンスターなどの物体があれば起爆点に設定することが出来ないという特性がある。故にどうしてもダメージを与えるには肉体の外部に起爆点を設定して爆破しなければならないが、"静寂"の魔法無効化魔法は障壁ではなく鎧の様な付与魔法だった。

この魔法では彼女に勝つことは出来ず、それよりも近接戦闘の術を磨いた方がまだ可能性があるというもの。

加えてこの魔法は先にも言ったがタイムラグがあり、対して"静寂"の音魔法にはそのタイムラグが存在しない。結果的に起きる現象は似ているし、攻撃力はこちらの方が高いものの、しかしその発動に必要な僅かな時間があまりにも大き過ぎて、撃ち合いでは一方的に負けることになる。しかも"静寂"の音魔法は魔力の残滓をスペルキーによって起爆することが出来るという、こちらの株を奪うような再利用まで可能と来た。あれこそが頂点を飾るに相応しい攻撃魔法というものだろう。

 

【爆砕(イクスプロジア)】

 

優秀な魔法ではある。

他の者達からすれば喉から手が出る様な、非常に希少で、非常に効率の良い最強の一角と言ってもいい攻撃魔法だ。

しかしそれでも、"静寂"の【サタナス・ヴェーリオン】には明確に劣る。

その一点において、ラフォリアは満足出来ない。そこだけが全ての彼女にとっては、決して満足出来る代物ではない。これ以上に伸び代の無い、柔軟性の低いこの魔法に、あまり大きな期待もしていなければ、無くても構わない自分こそを求めている。

 

「……これで全部か」

 

ものの数分で蔓型のモンスター達は全滅した。

付近には大量の奇妙な色をした魔石が落ちているが、それを水に濡れてでも回収しようとは思わない。水底に沈んでいくそれ等を、強化種の餌になることのない様に最後に特大の爆破で諸共破壊し尽くした後、彼女は再び崖を登っていく。

どうやら予想していたボスとやらが出て来たらしく、ロキ・ファミリアはそれの対処に追われている様だった。……とは言え、流石に大半の幹部がここに居る現状、負ける事はまず有り得ない。

今もリヴェリアとレフィーヤの2人が凄まじい魔力を放出し、囮作戦を実行している。魔法に反応する性質があるのは戦っていて分かった、ならばあの戦法は有効だろう。どちらかの魔法が直撃すれば、致命的な被害は避けられまい。

 

(直撃すれば、だが…………それよりかは)

 

あちらの、アイズの方が少し不味い。

恐らくは主犯と思われる妙に露出度の高い赤髪の女に難儀しているようであり、むしろ単純なステータス差に押されている。周囲には援護出来る人間も居らず、フィンやリヴェリアが駆け付けるまでにもう少し時間もかかる。

特に問題なのは……アイズ自身が、妙に精神的な動揺が見られる。あれでは恐らく勝ちの目はない、見事に駆け引きの中でも手玉に取られているのが外から見てもよく分かった。

 

「仕方ないな」

 

ここで殺されても困る。

敵の目的はよく分からないが、ラフォリアはその2人の間に割り込む様にして足を進めた。まあ互いに凄まじい速度と身体能力、普通であればこんな最中に魔導士が入り込む余地など無いだろう。

……しかしこの女にとっては、正しくそういった場所こそが好物であった。むしろ魔法の撃ち合いの方が、この女は嫌いだった。

 

「かっ!?」

 

攻撃を空振ったアイズが、拳による反撃を喰らう。魔法の発動が間に合わず、ガードの上からモロに攻撃を受けてしまい、受け身の格好すら取ることが出来ずにラフォリアの方へと吹き飛ばされる。

そんな彼女を雑に空中で掴み取り、何事もなかったかの様に脇に抱えるラフォリア。ダメージの大きいアイズは一時的に身体が麻痺しているのか、剣だけは握って、力なく項垂れている。

 

「ラフォ、リアさん……?」

 

「寝ていろ」

 

「うっ」

 

そんな彼女を近くの適当な場所に適当に放り、仕舞っていた剣を抜く。そして……

 

 

【死鏡の光(エインガー)】

 

 

2つ目の魔法を、使用した。

 

 

「……なんだ、お前は」

 

「喋りかけるな、耳が腐る」

 

「なに……?」

 

「悪いが人間以外に興味はないのでな。明らかに人間ではない動きをする貴様に、私は一切の興味がない。なんだ?モンスターとの間にでも生まれたか?」

 

「っ……魔導士風情が調子に乗るな!!」

 

 

「ラフォリア、さん……!!」

 

先程アイズを吹き飛ばした拳の一撃を、今度はラフォリアの顔面目掛けて赤髪の女は撃ち放つ。いくらLv.6とは言え、そんなものを受けてしまえば致命傷は避けられない。それほどに赤髪の女の身体能力は常軌を逸している。

……しかしそれでも、ラフォリアは動かない。むしろ避ける素振りすら見せることはない。欠伸をしそうな顔でただ目の前の女の顔を見つめ、次の瞬間。

 

 

「っ!?」

 

 

破壊されたのは、女の腕の方だった。

 

 

「私に触れるな、気色が悪い」

 

「ぐっ!?」

 

「!?」

 

直後、振るわれた片手剣。

しかしそれは速く、そして重く、女の身体を一瞬で大きく切り刻む。空気を引き裂く様な斬撃、空間を喰らい尽くす様な暴撃。

 

「あれ、は……」

 

アイズはそれを知っている。

それを見たことがある。

他でもない自分の剣で振るわれたその剣技を、他の誰よりも記憶に焼き付けている。

 

「あの人の……」

 

「……?ああ、お前はあの女と戦ったことがあるんだったか」

 

「どうして……」

 

「あの女に勝つのであれば、同様の技術を身に付けておくのは最低条件だろう。……まあ私の場合は、一目見ての模倣など叶わず、わざわざ本家本元に下げたくもない頭を下げてまでして身に付けたものだがな」

 

僅かこの一瞬の間に、右腕を破壊され、身体を大きく切り刻まれ、通常の人間であれば致命的なダメージを受けた赤髪の女。それでも女は息の一つも乱すことなく、痛みすら感じていないようにこちらを見つめている。

 

「……Lv.6、いやLv.7か?流石に無理だな」

 

「なんだ、デカい口は最初だけか。魔導士風情に尻尾を巻いて退却とは、お仲間同士の間で良い話のネタになるだろうな」

 

「……貴様、どこまで知っている?」

 

「貴様がこの程度の引っ掛けに反応するような能無しという所までだ、間抜け」

 

「………」

 

別に敵に仲間が居るかどうかについては大した情報ではないが、様子からしてもこの女が黒幕ということは先ずありえず、これと同格の存在が多少は居ると考えても良い。

推定Lv.6弱。今のオラリオにとっては、先程のモンスターまでも含めれば、まあまあの相手と言えるだろう。ランクアップの機会と考えるのであれば少々物足りなくはあるが、下が育つ良い機会にはなる。変に追い詰める必要もない。

 

「……アリア、また来る」

 

「待っ……ラフォリア、さん……!!」

 

「追うつもりはない、動けない自分を恨め」

 

「っ……!!」

 

赤髪の女が崖の下へと飛び降りる、ラフォリアは腕を組みながらそんな彼女を見送った。結果的にはその場から一歩も動くことなく、彼女はアイズがあれほど苦戦した相手を追い返した。

その事実に、そして自分の足りなさに、アイズは下唇を噛み、ラフォリアによって乱雑に顔面にポーションをぶっ掛けられる。

 

「ぶふっ……げほっ、けほっ……」

 

「馬鹿が、冷静さを失った状態で勝てる相手と思ったか」

 

「…………」

 

「真に勝利を得たいのであれば他者に振り回されるな、貴様が振り回せ。余裕を失った人間に、勝利の芽など現れるものか」

 

「………はい」

 

それだけの理由があったのだろうということも、まあ分かる。しかしモンスター相手ならばまだしも、意思と頭のある人間相手となれば、そんなことをしていられる余裕など存在しない。言葉を交わし、動揺を誘い、駆け引きの先に勝利を掴み取る。それが本当の殺し合いというもの、最後まで黙ってただ剣を交わせるだけで終わることなど早々ない。敵との戦力が近いのであれば尚更。強い意思を持ち続けた者だけが勝利を勝ち得ることが出来る。既に最初から優勢を取られていたアイズに勝ち目など存在しなかった。

 

「フィン、リヴェリア、貴様等も見ていないでそろそろ出てこい」

 

「……バレていたか」

 

「私の実力が知りたいのであれば堂々と見ろ、単純に不愉快だ」

 

「それはすまない、次からはそうするよ。……ただ、やっぱり君には僕では勝てなさそうだ。リヴェリアとペアを組んで漸く芽があるというところかな」

 

「魔導士があの女に勝てん理由と同じだ、そして私はあの女に勝てん」

 

「相性、にしても限度があると思うけどね」

 

「魔法に恵まれているのは自覚している。もしかすれば病との引き換えかもしれんがな」

 

「縁起もないことを言うのはやめろ、それでは私とレフィーヤも可能性があるだろうが」

 

「えぇ!?私病気になるんですか!?」

 

「そこまで喧しいのなら問題なかろう、それに所詮は私ほどではない」

 

「なんかすごい自慢されました……」

 

相当ショックが大きかったのか、呆然とした表情でレフィーヤの治療を受けるアイズを見る。まあこの様子では何か切っ掛けがなければ立ち直れまい。だがそれでも良い、それを乗り越えてこその成長だ。負けた悔しさに、無力の悔しさに、それを乗り越えてこその高みというものが間違いなくある。

 

「フィン、貴様は一度地上に戻るな?」

 

「……そうだね、流石にここまでの事が起きたとなるとロキに報告は必要だろう。それに怪我人を運ばなければならないからね、君は付いてきてくれるのかい?」

 

「却下だ」

 

「だろうね」

 

ラフォリアとて、そこまで優しくはない。

フィンもそれが分かっていたから、結論は出ていた。それにもう、彼女に対して余計な心配をする必要もないと理解もしていた。

 

「先に行くと良い、君に対して余計な心配は必要ないと証明されてしまったからね」

 

「最初から言っていたのだがな」

 

「物理攻撃を反射する付与魔法なんて、噂に聞いていただけでは簡単に信用出来ないよ。……"静寂"でさえ【魔力無効】、君の場合は【物理無効】どころか【物理反射】。彼女が"魔導士殺し"なら、君は"戦士殺し"になる」

 

「だからこそのオッタルには32戦全勝、アルフィアには73戦全敗だ。そしてこれからバロールをブッ殺しに行く」

 

「「「…………」」」

 

どんだけアルフィアに喧嘩を売って来たんだこの女は……と、フィンですらその言葉にはちょっと引いた。

そして49階層のバロール。そもそも49階層にはロキ・ファミリアでさえ総員で当たらなければならないほどの大量のフォモールが出現し、最悪の場合はそれと同時にバロールの相手もしなければならないというのに。ちなみに、つい先日の遠征ではフォモールのみの相手でリヴェリアの最大火力を切って冷や冷やという感じであった。レフィーヤは目の前の相手が最早人間には見えなくなっていた。

 

「それじゃあここでお別れだ。すれ違えるかどうかは分からないけど、また会おう」

 

「……フィン」

 

「ん?」

 

「あの小娘、どうせウダイオスを一人で倒させろと言って来るぞ」

 

「!」

 

「絶対に止めるな、手を貸せ。分かったな」

 

「……分かったよ」

 

フィンは釘を刺されてしまった。

本当はそんなことには、出来るのならばなって欲しくはないけれど……アイズの様子を見る限りでは、まず間違いなくそういったことを言ってくるだろうなと予想出来てしまって、深い深い溜息を吐きながら背中を向けた彼女を見送った。



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被害者9:バロール

ラフォリアがダンジョンに潜って数日。

廃教会にていつもの2人は、帰ってこない彼女を思って頭を悩ませていた。

10日間帰ってこないとは聞いていたが、今日でもう5日目。どうやら彼女は本当に帰って来ていないらしく、それはギルドの担当であるエイナに聞いても同様の返答だった。

 

「なあベルくん……」

 

「なんですか神様……」

 

「……49階層って、なんなのかな」

 

「……正直全く想像できないです」

 

「だよねぇ……」

 

まだ10階層にすら行けていないベル。それでも凄まじい速さの進歩ではあるのだが、それにしても49階層と言われると一気に頭が鳥になる。そんなところへ単独で行くなんてベルには全く考えられないし、言葉は非常に悪いが正気を疑う。

 

「一人で探索って、結構危ないことだったんだなぁって最近思うようになりました……」

 

「ああ、例のサポーターくんのことかい?僕は安心したよ。君が一人で潜っている訳ではないってだけで、本当に心の持ちようが違うんだ」

 

「いつも神様はこういう気持ちなんですか……?」

 

「いや、いつもはもっとこう現実的で、ある程度は理解出来る範疇だからさ。正直もうどういう気持ちで居ればいいのかすらわからないのが現状だよ」

 

「なるほど……」

 

恩恵も繋がっていないから生きているのか死んでいるのかも分からないし、そもそも本当にここに帰って来てくれるかどうかも分からない。彼女のことをよく知らないで色々と言って叱られてしまったし、かと言って追い掛けることなんて絶対に出来ない。

彼女は非常に横暴ではあるが、優しい人であるとヘスティアとベルは思っている。なんだかんだと言いつつも朝食だけではなく夕食も纏めて作ってくれるし、その食費についても彼女持ちだ。それが宿代替わりとは言うものの、そもそも部屋の中まで綺麗にしてもらい、以前より間違いなく2人の生活水準は上がっている。なんだったらもうずっとここで良いのではないかと最近は思っているくらいだ。……いや、流石にそのうち追い出されてしまいそうな気はしているが、それでもお世話になっていることに変わりはない。

 

「戻って来たらパーティ!……なんてのは、彼女は嫌がるだろうしなぁ」

 

「僕の使えるお金の中で贈り物とかも考えたんですけど、あんまり良さそうな物が思い付きませんでした」

 

「一応毎日しっかり掃除はしてるんだけど、それは別にお礼でもなんでもないよねぇ」

 

「……ご飯をご馳走する、とかでしょうか」

 

「ああ、そうだね。それが一番無難かな。でも何処か良いお店で奢るとかにしておこうか、彼女が満足出来るような物を作れる自信は無いからさ」

 

「そうですね、そうしましょうか」

 

そんなことをダラダラと寝転びながら話しているものだから、それこそこんな姿を見られたら怒られるだろう。実際それで喜んで貰えるかは微妙なところ、もしかすれば安くともベルの個人的な贈り物の方が喜ぶのはないかと思ったり、思わなかったり、何も分からない。

 

「……ん?」

 

そんな風にダラダラと夜を過ごしている彼等の元に、珍しく人が訪ねて来た。上の教会からベルが鳴り、2人は顔を見合わせながらも立ち上がる。もしかして帰って来たのではないか?とか思いながら。しかし階段を登って扉を開けてみれば、そこには珍しい人物が居て……

 

「ヘファイストス様……?」

 

「ど、どうしたんだいこんな時間に?」

 

「ヘスティア、ちょっと話を聞かせなさい」

 

「え」

 

彼女にしてはかなり真剣なその顔に、ヘスティアは何かしてしまったかと必死になって頭を動かしたのだった。

 

 

 

「……つまり、貴方達は本当に彼女のことについて何も知らないのね?」

 

「う、うん。彼女がなんだか凄い眷属だってことは知ってるけど、最初の出会いは本当に成り行きさ」

 

「そう……恩恵の契約もしてないのは間違いない?嘘もついてない?」

 

「つ、つくわけないだろ!一度勧誘してみたけど、すっかり断られてしまったんだ!」

 

「それならいいわ」

 

それに安堵した様に息を吐く鍛治神。

対面に座るヘスティアとベルは困惑するばかり。わざわざそんなことを聞きにこんな時間に1人で来たのかと思いながらも、それほどの事であるとも薄々と理解はしている。

 

「ヘファイストス、君がそこまで焦らなければならないようなことがあったのかい?」

 

「……今の貴方達には話せないわ、ただ少し早急な準備が必要で。色々と事情があるのよ、あの子には」

 

「事情……」

 

「簡単に言えば、私はあの子を自分のファミリアに勧誘するつもりだったのよ。だから貴女に契約をされていたら困っていたというだけ」

 

「な、なるほど」

 

「"改宗待ち"の状態にはなっているのよね?」

 

「彼女の言い方からすると、その筈だよ。ちなみに前の主神はアフロディーテらしいぜ」

 

「アフ……」

 

「……?ヘファイストス様?」

 

「………………………」

 

「な、なんだかヘファイストス様が凄く複雑そうな顔を……」

 

「まあ、うん、色々あるんだよ。神々の中でも」

 

実は女神アフロディーテはかつてのヘファイストスの恋人であり、アフロディーテの浮気を機に激怒したヘファイストスが彼女をメッタメタにした……というようなことがあったりもするのだが、それはまあ今は置いておいて。

鍛治の専門である彼女のファミリアにラフォリアを勧誘する意味はヘスティアには分からないが、彼女がそうしたいのであれば協力すべきだとも思っている。自分のところには来てくれないだろうし、それなら信用できる神友の元にいて欲しいというもの。

 

「ああ、そうだ。ヘファイストス、彼女はまだ帰って来ないのかい?知っているかどうかは分からないけど」

 

「ええ、【勇者】に聞いた限りでは、最低でもあと5日は掛かるそうよ。4日ほど前に18階層で別れたそうだから」

 

「【勇者】って……ロキ・ファミリアのフィン・ディムナさんのことですか!?」

 

「ええ、そうよ。どうやら彼女、今はロキ・ファミリアの眷属を鍛えてるみたいなの。ダンジョンに連れて行って結構な鍛錬をしているって」

 

「ロキ・ファミリアに、鍛錬……」

 

「本当に何者なんだい彼女は」

 

「ふふ、それは彼女から直接聞きなさい。私もまだ彼女と直接話せてはいないから、変に言いふらして印象を悪くするのは嫌なのよ」

 

そうは言うけれどヘスティアは少し別の方向でも心配になって来ていた。

もしかして彼女は、自分達が軽い気持ちで手を出してはいけないような、なんだかとんでもない人だったりはしないかと。いや、まず間違いなくそうなのだろうけども。だとしてもこう、もう少し、なんというか……おかしな諍いに巻き込まれない程度にして欲しいというか。

 

「ヘスティア」

 

「うん?なんだいヘファイストス」

 

「……数日暮らしてみて、あの子についてどう思ったのか私は聞きたいわ」

 

「え?ああ、そうだね……う〜ん、我儘だけど真面目で優しい子、というのが率直な感想かな」

 

「ふふ、我儘ね」

 

「あ、これ彼女には言わないでくれよ!?また馬鹿乳って怒られるんだ!」

 

「……貴女そんな風に呼ばれてるの?」

 

「うん、まあね」

 

あまり受け入れられるものではないけれど。

 

「でもさ、ベルくんの面倒も見てくれるし、僕の間違いも指摘してくれる。色々と酷いところはあるけど、それでも彼女は多分良い子だよ。お母さんの素質もあるかもしれないね」

 

「お母さん……ふふ、本当に彼女が聞いたら怒りそうね」

 

「割とベル君に対してはそんな感じだよね、ベル君」

 

「えぇっ!?…………あの、僕はお母さんって言うのはよく分からないんですけど。確かにその、朝食を作ってくれたり、悩みとかを聞いて貰ってると………お母さんが居たらこんな感じなのかなぁって、思ったり、その……」

 

「へぇ、結構珍しい一面じゃない?それ」

 

「い、言わないで下さいね!?絶対ですよ!?」

 

「ふふ、言わないわよ。……でも、そうね。そういう繋ぎ方も、あるかもしれないわね」

 

そこに新しい可能性を見出したかのように嬉しそうに笑うヘファイストスを見て、ベルは思わず顔を赤らめるが、その本心までは見通せない。

 

「あの子のこと、もしかしたらヘスティアに任せた方がいいのかしら……」

 

「え?」

 

「ううん、なんでもない。これは第二プランとしておきましょう」

 

「へ、ヘファイストス!?もう行くのかい!?」

 

「ええ、ついでだったけど、ここに来た甲斐はあったわ。ありがとう、また来るわね」

 

「う、うん!それは構わないけど!」

 

「あと……この教会、綺麗になり過ぎじゃない……?」

 

「ああ、うん……勝手にごめんね……」

 

「別に良いわよ、どうせそのうち彼女に引き渡すことになるんだろうし」

 

「う"っ」

 

「追い出されても知らないから、今のうちに準備しておくことね。路頭に迷っても私は知らないわよ」

 

そう言って機嫌良さげに手を振って帰って行った彼女を、ヘスティアとベルは笑おうにも笑えずに見送った。そろそろ本気で物件探しをしなければならないなと思いながら、それでもベルの稼ぎはそう大したものでもなく、むしろヘスティアには2億の借金があることからも目を背けて。

 

 

 

 

単独でのバロール討伐。

それは現・都市最強"猛者"をもってしても実現することの出来なかった間違いようのない偉業。49階層への単独での遠征という点においても尋常ではなく、ましてやバロールまで討伐するとなれば認めない者など決して存在しない。

それほどにバロールという階層主の討伐は難易度が高く、遠征においてもそれを可能な限り避けることが推奨されている。50階層より深くに潜るのであれば、それはより当然に。そもそも大量に発生するフォモール自体、普通であれば十分に階層主クラスの脅威なのだから。素通りすることこそが正攻法と言っても良く、仮に討伐するのであれば、大規模ファミリアの遠征の主目的は正しくそのためのものとなるだろう。

 

「……チッ、流石に容易くはなかったか」

 

ペッと口の中から血の塊を吐き、1本だけ用意していたエリクサーを飲み込む。背後に沈む巨体、周囲に散らばる残骸。ドレスは破れ、殆ど半裸。用意して来た精神力回復薬も大半が空であり、念のために持ってきた剣も粉々である。

 

「まさか鎧を貫通して来るとは……手間を掛けさせられた」

 

しかし討った、打ち倒した。

物理反射の鎧の上から問答無用で攻撃し、許容威力を超えて貫通して来た時には流石に驚いたが、それでも魔法と剣技で強引に胸部を掘り進め、最後には自らの拳でその魔石を破壊した。

あまりにも強引で華のない終わり方であったものの、それほど耐久力の高くない身であんな攻撃を2度も3度も喰らえば、いくら鎧の上からでも間違いなく死ぬ。これでも相当に必死だった。彼女にしては珍しく、笑って口を動かしている余裕すら無く。

 

「……50階層が休息地帯で、助かったな……」

 

テントも何も持って来てはいない。

あまり衛生的に良くはないが、階層に入って直ぐの入口付近で、壁に背を付けながら座り込み、目を閉じる。

本来はLv.7からLv.8に達するために必要な偉業、それを今このLv.6の段階で行った。多少焦っていたとは言え、我ながら無茶をしたものだと今更ながらにそう思う。他の全てをかなぐり捨てて魔石を狙いに行ったあの判断、僅かでも遅れていれば死んでいたのは自分の方だった。

強くなった強くなったと慢心していたつもりも無かったが、あの程度であれば"あの女"ならもう少し容易く倒していたのではないかと思うと、少しの笑みを浮かべつつも心の虚しさはより深みを増してしまう。

 

(ようやく、あの女と同じ場所に……)

 

Lv.7に。

これすら偉業として認められなかったとしたら、最早どうしろというのかと。極限まで階層更新を進める以外に方法が無くなる。

 

(……あの女と同じように、奴等の糧となることもできる)

 

結局、格上の冒険者を殺すこともまた、文句の言いようのない偉業であって。事実それでオッタルはLv.7に、アストレア・ファミリアは所属団員全員の恩恵が昇華した。ゼウスとヘラの時代にはそういった行為が横行し、ラフォリアも含めて多くの者達が下位の冒険者に襲撃され、返り討ちにしていた。今は既にそういった行いがないどころか、そもそもそういう方法があるということすら流布されないようになっているのだろうが、それが最も効率が良いということもまた事実。

極東には蠱毒と呼ばれる呪術があると聞くが、正にその方法で眷属は力を増すことが出来る。アマゾネスの王国テルスキュラではそうして最強の戦士を生み出そうとしているくらいなのだから、"静寂"と"暴喰"が行った方法も、ラフォリアが言う通り、真に無意味な行いであったという訳では決してない。

 

「……だが、私はやらん」

 

やらない、やるつもりはない。

今のところは、そのつもりは一切ない。

他者の犠牲になど、誰がなってやるものか。

せっかく病を克服し、こうして自分の足で世界を歩けるようになった。自分はあの女とは違う、まだ長い先がある。ならば自分なりのやり方で、あの女とは別のやり方で、あの女が出来なかったことを成し遂げる。そうして再び会った時に、胸を張って自信満々に言ってやるのだ。お前を超えてやった、お前が出来なかったことを私は成し遂げたのだと。

 

(まずは、手始めに……あいつ等を……Lv.7に……)

 

肉体的な疲労と精神的な疲労、強烈な眠気に襲われながらもラフォリアは次の目的に向けて思考を移していく。Lv.7への到達、そのために必要な偉業の用意。ただそれをするよりも先に色々としないといけないことがあって、それ等を頭に浮かべると自分の忙しさも理解出来て……何かそうして目標があると言うことに、言い難い充足感があるのを感じていた。




次回の被害者:撃災、猛者


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被害者10:撃災、猛者

あの女と初めて会ったのは、アレがまだ10の歳にも満たない頃だった。

当時はゼウスとヘラのファミリアが大手を振るっており、その言葉にするのも難しい華々しい偉業の数々に、多くの冒険者達が目を輝かせていた頃だ。

そんな折に現れた2人目のヘラの天才児。数多の最速記録と最小記録を塗り替えた自分とは全くかけ離れた、才能に愛された災厄の子。

……生意気なガキ。しかしそれがあの女を見て初めて抱いた感想であったことは、今でもしっかりと覚えている。

 

『退け"木偶の坊"。無駄にデカいその身体で道の真ん中を歩くな、ゴミが』

 

『……は?』

 

素っ頓狂な声を上げたのは自分の方だった。

当時既に猪人として相応の身体の大きさをし、自分を見れば何も知らない小さな子供達は慌てて逃げて行くような有様。そんなことが常であったにも拘わらず、自分より遥かに背の低い幼い少女が、何の恐怖感も抱いていない顔でそう宣ったのだから。あの頃の自分が酷く困惑したのは、今思っても当然の話。

しかもこの女、初対面で脛に蹴りまで入れてきた。だから反応に困り、言葉に困り、口を詰まらせた。そしてそれが彼女に対して初めて行った最初の"間違い"でもあった。

 

『いいから退け、2度も言われんと分からんのか阿呆』

 

『ああ、いや……』

 

『もういい、【爆砕(イクスプロジア)】』

 

『なっ!?ぐぁっ!?』

 

街の中、大通りのど真ん中。

問答無用で魔法を使い、吹き飛ばされた。

周囲からは悲鳴が上がり、吹き飛ばされた自分の方へと目線が集まる。しかし少女は既に人混みの中に姿を消しており、火の玉を投げ付けられたりしたのならまだしも、少女の魔法は本当に突然自分の腹部で爆発した。誰もそれをしたのが彼女だとは分からず、ただただ自分が恥をかいただけのあの瞬間は、今でも決して忘れることはない。

 

『なんだ、今のは……』

 

……身体の小さな、"黒髪の少女"。

深海の様な青い瞳は迷うことなく常にただ一点のみを見つめており、穢れを知らぬ白色のドレスは眩しいくらいに彼女の輝きを示していた。

 

嫌というほどに、その瞳と目を交わした。

 

何度も何度も、その瞳に射抜かれた。

 

今でも夢に見るほどに、その瞳に見下ろされた。

 

だからこそ、15年経った今でも覚えている。

記憶の底に、鮮明に焼き付いている。

あの少女の姿を。

あの少女の顔を。

あの少女の瞳を。

 

 

 

 

「……変わっていない、な」

 

 

 

 

「…………」

 

ただこうして目の前に立っているだけなのに、この身体が震えそうになる。髪色も変わり、服装も変わり、それなのに心が退きそうになる。それほどに染み付いた敗北と雪辱の記憶。

握り締めた蒼の大剣と、着込んだ紺色のローブは……彼にとってはあまり、似つかわしいものではなかった。

 

「この様なところで、何の用だオッタル。そう寂しがらなくとも、何れ私の方から顔を出してやるつもりだったのだがな」

 

「……見れば分かるだろう」

 

「……ダンジョン21階層。確かにここにいるのが私とお前だけならば、"女神に隠れた密会"とでも言えたろうがな。それにしては観衆が多過ぎる、そういう趣味にでも目覚めたか?」

 

「抜かせ」

 

「ならばどういうつもりだ」

 

オッタルの背後に並ぶのは、フレイヤ・ファミリアの魔導士達。その中にはこの場において何も喋る気はないのか、ムッツリと口を閉ざしているLv.6【白妖の魔杖】の姿も混じっている。

周囲からは人払いがされているのか他の冒険者の気配は全くしておらず、モンスターすらも死骸が転がっているだけの有様。目に見えるだけの戦力ではないことは、一目瞭然。そんな最中で最前線で大剣を構えたオッタルに対して、ラフォリアはこれ見よがしに溜息を吐き、失望した様な目を彼に向ける。

 

「あの色ボケ女神の仕業か」

 

「………」

 

「貴様はこういった方法で私に勝負を挑むのは嫌うと思っていたのだがな、相変わらずの木偶の坊め」

 

「……そうだとしても、こうする必要があると俺自身が判断した。あの方の言葉は、ただその背を押しただけに過ぎん」

 

「なんだ、お前は私が欲しかったのか」

 

「っ」

 

オッタルの唇が一瞬震える。

 

「貴様等の目的を当ててやろう。どうせ私を魅了に対抗出来なくなるまで疲弊させ、あの女神の操り人形にでもするつもりなのだろう。ヘラを恨んでいるあの女のやりそうなことだ、そうでなくとも私の存在は子兎に手を出すに当たって邪魔にしかならんだろうしな」

 

「……っ!」

 

「隠すのが下手だな、愚か者」

 

「…………」

 

「せめてもう少し言葉を話せ、15年振りの再会だというのに。他に何か言うことは無かったのか?まさかここまで攻撃的な待遇を受けるとは、少々残念だ」

 

オッタルは黙る。

本来は神に対して有効的に働く"黙秘"という手段を、この女に対して使う。言葉による接触を、完全に拒絶する。分かっていたことだ、口でこの女に勝てるはずがない。故に剣に力を込めて唇を噛んだ。

……ああ、それでもやはり、いざこうして目の前に立ち、その瞳と再び相見えてみれば、未だに動揺は隠せない。恐らく女神フレイヤは自分がこうなることを見据えて、ヘディンを共にさせたのだと理解する。この女はオッタルにとって、間違いようのない天敵であるのだから。7年前に乗り越えたザルドという存在が、まだマシに見えてしまうほど。それほどにオッタルはこの女に対して、相性が悪い。

 

「オッタル、余計な言葉を交わすな」

 

「分かっている……」

 

想定していた通り、ヘディンからの叱責が飛ぶ。

分かっている、分かっているとも。自分がしなければならないことも、自分がしたいと思うことも、全て理解している。

あの日あの時あの瞬間、この愚かな汚泥に塗れた身体に誓ったのだ。今こそ、その誓いを果たす時。例えどれほど嘲笑されようとも、例えどれほど見損なわれようとも、この役割だけは絶対に果たさなければならないと。オッタルは大きく息を吸い込み、自身に対する鼓舞をする様にして空間全体によって怒鳴り付けた。

 

「全員放て!!」

 

「チッ」

 

21階層の出入り口は既に押さえた。

隠れていた魔導士達も一斉に姿を現し、各々の最大火力の魔法を放つ。

分かっている、あの女に魔法に対する防御手段は存在しない。加えてあの女が10日掛けて、かなり深い層まで潜っていたことも調査済み。ここが21階層であり、リヴィラの街でポーション等の補給が出来ていないのも間違いない。そしてオッタルは見逃さなかった、あの女が間違いなく精神的にも肉体的にも疲弊しているということも。そもそも単独での遠征、その厳しさをオッタル自身が誰よりも理解している。

 

「こっ、のっ……!!」

 

飛来する魔法を最小限の動きだけで避け、僅かな障害物を利用しながらダメージを抑えていくラフォリア。しかしやはり数の力というのは大きく、時間と共に徐々に徐々に彼女の身体にダメージが蓄積していった。

魔導士と言えど、フレイヤ・ファミリアの一員。最低限の近接戦闘は出来る、勝てはしなくとも次の魔法が着弾するまでの時間稼ぎくらいは可能だ。その上、全員にサラマンダーウールによる防具を与えている。ラフォリアの魔法は一撃では彼等を戦闘不能に追い込むことは出来ず、むしろ自分の隙を晒すことになった。範囲を指定してから起爆すると言う性質上、範囲指定の余裕さえ与えなければ魔法の脅威は少なくて済む。それはかつてのオッタルが自分自身で探し出した彼女に対する攻略法の一つ。

 

「ええい面倒臭い、こうなれば階層諸共……」

 

「させんっ!」

 

「っ、死鏡の光(エインガー)」

 

最低でもLv.3以上の一斉掃射、逃げることが困難と悟ったラフォリアが階層ごと魔法で崩そうとしたその瞬間に、オッタルは全速力で斬りかかった。

自分があの魔法を果たして何度喰らったと思っているのか。視認することは困難であっても、発動の瞬間を予測することくらいならば出来る。

そして想定通り、物理反射の鎧によって弾き飛ばされる自分の大剣。しかし同時にラフォリアも魔力によって吹き飛ばされ、団員達の魔法の何発かがその身に叩き込まれる。ここに来ての直撃、一気に形勢が確定し始めたのを確信する。

 

「ク、ソが……その大剣、魔力弾を放つか……!」

 

「……もし次に貴様と相見える時、必ずや勝利を掴み取る為にと用意を重ねていた。これもまたその1つだ、これならば当たる」

 

「ハッ、限りなく可能性が無かったであろう未来のために、ご苦労なことだな……!」

 

「事実今こうして役立っている、無駄ではなかったということだ」

 

「っ!!」

 

オッタルが身に纏っているローブもまたそうだ、魔力耐性に加えて爆発耐性を持っている。熱に強く、破れることなく、衝撃を緩和する。正にこの女を打ち倒すために作らせたものであり、オッタルの自室にこの大剣と共に、手入れの際以外では長く眠っていたものでもある。

……元はこんな用途で使う筈ではなかったというのに、しかしそれを考えることは今はしない。後悔と自嘲ならば、後でいくらでもすることは出来る。

 

「諦めろ、貴様の魔法は全て知っている。3つ目の魔法も、使わせなければ何の意味もない」

 

「生、意気を……ぐっ……ガァッ!?」

 

幾度かの回避の後、再びラフォリアの身体が大きく吹き飛ばされる。完全な前衛職であるオッタルに、いくら才に溢れたとは言っても、そもそものステータスと経験で劣るラフォリアが敵うはずもない。

そしてそこを狙い澄ましたかのように放たれた数多の魔法群が、無防備な彼女の身体に再び直撃した。

"静寂"との幾度もの対峙の結果、"魔防"の発展アビリティが異様に高くなった彼女であっても、これほどの数の魔法を受ければ致命的。

元々状態の良くなかったドレスは焼け焦げ、頭部や腹部から夥しい程の血を流す。火傷や切り傷を全身に刻まれ、左腕が既に機能していない。息も絶え絶えになりながら、なんとか震える足でその身体を立たせる。

 

……未だ立ち上がれるだけ、そして変わらずその眼で睨み付けてくるだけ、流石の精神力であると感心する。

 

しかし当初の予定は果たした。

 

周囲を団員達が明確に囲む。

それでもオッタルはこの状況においても決して慢心することなく、腰を落として余った団員達に周囲からの乱入者に警戒するように指示を出した。女神フレイヤの前にまでこの女を持っていくのが仕事だ、それが完了するまでは決して気を抜くことはない。徹底的なまでのオッタルのその様子には、ヘディンですら驚きを隠せなかった。都市最強である彼が、それほどに警戒しなければならない相手であると。今更ながらに戒め直すくらいに。

 

「ヘディン、撃て。逃げようとするのであれば俺が叩く、それに合わせろ」

 

「分かった」

 

オッタルの指示にヘディンは素直に頷く。

既に満身創痍ではあるが、それでも何をしてくるのか分からないのがこの女だ。オッタルはそのことを骨身に染みて知っている。故に近付かない、最大火力で最後を叩く。この程度で死ぬ相手ではないと知っているし、殺すつもりでやらなければ勝てないと分かっているから。

だからこそ……

 

「後悔するぞ、オッタル……」

 

「……貴様の言葉は聞かん、2度と貴様の嘘には騙されん」

 

「なんだ……まだ根に、持っていたのか……」

 

「………」

 

言葉など、交わす必要はないというのに。

それでもこの女の言葉に耳を貸してしまうのは、オッタルの明確な弱さか。

しかしもしかすればこの憎まれ口を聞けるのも最後かもしれないと思ってしまえば、仕方のないことであったのかもしれない。

女神フレイヤの魅了に掛かってどうなってしまうかは、その人間の資質にもよるが、最悪の場合は壊れてしまうことも十分にあり得る。それほどに強い魅了をかけなければ、この女は従わない。それも含めて危険な賭けではあるが、オッタルの心は決まっている、筈で。

 

「だが……私がお前に、与えた忠告は……間違っていたことは、なかっただろう……」

 

「………」

 

「これが最後だ。……これ以上するのであれば、後悔するのはお前だ。やめておけ」

 

「……お前らしくもない命乞いだ」

 

「お前の、ため……だからな……」

 

「ッ」

 

ここに来て浮かべた女の笑みが、あの日あの瞬間の少女の笑みに重なってしまう。

最早髪色すら変わり、体格もあの頃とは違えど、それでも変わらぬ瞳の色。

 

しかしなおオッタルが引くことはない。

それだけの理由がある。

 

【象神の杖】から聞かされた、その未来だけは何が起きたとしても絶対に回避しなければならない。

そんな結末だけは、例えどんな手を使い、どれほどこの身が汚れることになろうとも、絶対に阻止しなければならない。

その末に彼女という人格が歪に変わったものになったとしても、それでも……自分達の犠牲になどさせる訳にはいかない。他でもないこの女を、自分達の踏台にさせるなどと、絶対にあってはならないことだ。

 

「ヘディン!!撃て!!!」

 

「【永争せよ、不滅の雷兵】!!」

 

 

「……馬鹿が」

 

 

「カウルス・ヒルド!!」

 

白き雷の弾丸が放たれる。

Lv.6の白妖精による最大威力の魔法行使。地面すら抉るようなそれは、疲弊した彼女の元へと一直線に飛翔する。

動かない彼女、そもそも動ける筈もない。

動いたのであればオッタルが叩き斬る。

他の魔導士達もまた詠唱を始めた、オッタルが失敗してもそれが焼き払う。

三重の追い詰め、完全なる王手。

この場から何事もなく逃げ延びる手段など、なに1つとして存在しない。

 

……存在しない。絶対に存在しない。フィン・ディムナでさえも思い付かない。ガレス・ランドロックでさえも突破出来ない。諦める以外に選択肢など存在するはずがない。存在するはずがないのだ。

 

 

だから笑うな。

 

 

そんな悲しげな顔をするな。

諦めろ、受け入れろ、子供のように泣きじゃくれ。

そんな可哀想な子供を見るような目でこちらを見るな。

なぜお前はいつもそうなのだ。

なぜ5つも下の癖に全てを知っているかのような顔をする。

少しは子供のように泣いて、怒って、笑えば、可愛げがあったろうに。どうしてそうも達観して居られる、いつまでそうして"俺"のことを子供のように扱うつもりだ。

 

 

『オッタル、お前は本当に間違えるな』

 

 

言葉が蘇る。

 

 

『お前は間違えて進む人間だが、世の中には許される間違いと許されない間違いがある。その時になっても私は知らんぞ』

 

 

呆れ顔が蘇る。

 

 

『ガキに説教されるのが嫌なのなら、せめて貴様自身がもう少し大人になれ。お前には余裕がなさ過ぎる、必死過ぎて気持ちが悪い』

 

 

記憶が鮮明に、蘇る。

 

 

 

『……だがまあ、そういう愚直なところは嫌いではない。もしかすればお前は、ガキのままでいいのかもしれないな』

 

 

自分より二回りほど小さな背丈の少女は、倒れ伏した自分の顔の横に座って、少しだけ微笑みながら、そう言っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【魂の平穏(アタラクシア)】

 



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被害者11:美神の眷属

「………………は、」

 

情けなくも口から溢れでた疑問、困惑、動揺。

自身を中心に団員全体にそれが広がっていく。

だがそれに対して誰より衝撃を受けているのは自分だ、そうだ、絶対にそうだ、そうでなければならないし、そうでなければ認めない。明確に腕が震える、瞳が彼女に釘付けになる。

ヘディンに放たれた雷の弾丸が着弾し、その身を焦げ尽くそうと弾ける……そんな光景は決して目の前に広がることはなく、そこにはただ変わらず女が立っているだけ。

何かの魔道具か、それともまた奇妙な特技でも身に付けたのか。そう思って、そう納得したくて、けれどそれを否定する彼女の放った1文の詠唱。あり得てはならない、存在しないはずの、魔法文。

 

「オッタル、これはどういうことだ」

 

「……………」

 

「…………オッタル?……オッタル!!」

 

ヘディンの言葉に反応することが出来ない。

思考が止まっているからだ。

何も分からないからだ。

脳が理解を拒んでいるからだ。

誰よりも強く、目の前で起きた光景を信じたくなかったからだ。

 

 

 

……祝福の禍根、生誕の呪い、半身喰らいし我が身の原罪

 

 

 

「っ!!!!」

 

 

 

禊はなく。浄化はなく。救いはなく。鳴り響く天の音色こそ私の罪

 

 

 

「全員撤退しろ!!!」

 

「っ!?どういうことだ!!」

 

「いいから撤退させろヘディン!!全滅させる気か!!この階層であれを許せば、18階層まで崩れかねんぞ!!!」

 

「っ……!!」

 

 

 

神々の喇叭、精霊の竪琴、光の旋律、すなわち罪禍の烙印

 

 

 

箱庭に愛されし我が運命よ砕け散れ。私は貴様(おまえ)を憎んでいる!

 

 

 

瞬間、オッタルは見た。

その女の両の眼が、自分が知ったそれではなくなっていることを。

自分がよく知り、誰よりも強く貫かれた深い蒼のそれが……白と碧の、互い違いになっている事実を。

 

 

 

代償はここに。罪の証をもって万物を滅す

 

 

 

「オッタル早くしろ!!貴様が言い出した事だろうが!!」

 

「〜〜!!!分かっている!!」

 

 

 

 

 

 

哭け、聖鐘楼

 

 

 

 

 

 

ジェノス・アンジェラス

 

 

 

 

 

「ーーーーッ!!!!!」

 

オッタルの指示は、そしてその行動は、あまりにも致命的に、"間違っていた"。

彼は本来であれば、下の階層に向けての退避を命じなければならなかった。若しくはオッタル自身が、その身を犠牲にしてでも詠唱を止めに行かなければならなかった。それが可能かどうかはさておいたとしても。しかし事実として彼が命じたのは、上の階層へ向けた退避の指示。短絡的な咄嗟の判断。これは正しく"撃災"ではなく、"静寂"との戦闘経験が皆無に近かった故の判断ミス。"静寂"に対して引き起こした、"最初の間違い"。

 

「しまっ……!!」

 

その結果起きたのは、天井の崩落と姿勢を崩した魔導士達全員に直撃した、人体を徹底的に破壊する、強大な咆哮に似た轟音である。

団員達が着ていたのはサラマンダーウール、決して音に対して耐性のある代物ではない。7年前のあの時、"万能者"によって作られた対"静寂"専用の魔道具など当然この場には1つたりとも存在しない。

恐らく彼女が意図的に威力を最低限に落としていたとは言え、それでも魔導士達はなす術もなく全滅した。意識を奪われ、全身から血を噴き出し、肉体を貫通し臓器にまで損傷を与える。

……残っていたのはそう、丁度階層を繋ぐ階段の中に居た、ヘディンとオッタルの2人だけ。20階層と21階層を遮る地盤が吹き飛ばされ、崩落した、見たことすらない惨状に呆然と立ち尽くす彼等だけ。

 

「………流石の威力だな」

 

血飛沫が広がる瓦礫の上を、女は転がっていた鞄から引き抜いたポーションを飲んで、飛び上がる。丁度階段の最中に居たオッタルの前に階層を跨ぐようにして着地した彼女、しかし振り返るようにして彼等を見る女の表情は酷く冷たい。先程までの僅かでも親しみのあったオッタルに対する態度が、そこには最早欠片も残されていない。ただただ強い失望だけが、その視線にはこもっている。

 

「お前は………なんだ………?」

 

「耳障りだ……そんなことを言っている場合か?私に構っている暇があるのであれば、女神の所有物共を1人でも多く救い出してやったらどうだ」

 

「っ!!」

 

彼女に言われずとも、既にヘディンは瓦礫の山を掻き分け始めていた。

オッタルもヘディンもダメージはある、しかしそれでもその身はLv.6とLv.7。ここにはLv.3程度の眷属達も確かに居た。……死んでいてもおかしくない、むしろ生きている可能性の方がずっと低いくらい。そして彼等は同じ団員とは言え、決してオッタルの所有物ではない。女神フレイヤに借りているという身だ。オッタルは彼女から視線を切ると、急いで瓦礫の山へと走り出した。少しでも多く被害を減らすために。少しでも多くを取りこぼさないために。

……策は失敗した、それはもう受け入れるしかなく、潔く損切りを行うしかない。

 

「オッタル」

 

「っ」

 

そんな彼の背中に呟かれた言葉は、ほんの一言。

 

「………馬鹿者が」

 

ケホッ、ケホッ、と……彼女は少し咳き込みながら地上へ向けて歩いて行く。

それを追う者は居ない、追える者が居ない。

追ったところで、どうにか出来る者が居ない。

負けたのだ、あの状況から。

 

 

 

 

 

 

……想像通り、団員の何人かは死んでいた。

 

生き残った者の中にも、後遺症が間違いなく残るであろう者達もそれなりに居る。いくらフレイヤ・ファミリアの回復役が優秀であっても、肉体の内部まで徹底的にズタズタにされた人間を完全な元の姿に戻すことなど出来るはずがない。

 

……この被害も無理もない、当然の話だった。

 

ジェノス・アンジェラス。

あの魔法はかつて3大クエストの一角たる海の覇王リヴァイアサンを葬った"静寂"最強の魔法、むしろ被害がこれだけで済んだことの方が奇跡に近い。もちろんそれは彼女が加減をしたからには違いないが、運が良かったというのは確実にある。

問題は……

 

(なぜ、なぜあの女が"静寂"の魔法を使える……?)

 

オッタルは知っている、彼女の魔法の全てを。

3つ埋まっている魔法の内容を。

故にそれ以上の魔法の行使は絶対にあり得ない。それを組み立てた上でこの策を実行した。しかし現実として、あり得ないことがこうして目の前で起きてしまった。

そして最後に見た、彼女のあの瞳の色。

 

「この状況をどう説明するつもりだ、オッタル」

 

「ヘディン……」

 

「指示の結果だ、説明の義務はお前にある」

 

「……説明するも何も、既にフレイヤ様は気付かれている。そして理解されている。眷属が減った事を、あの方が気付かない筈がない」

 

「……取り返しはつかん。抗争になるぞ、分かっているのか」

 

「そうなれば、都市から叩かれるのは俺達だ。状況を見ても正当防衛が成り立つ、まさかこれだけの大移動を他のファミリアが見逃しているとも考えられん」

 

「だとしても、フレイヤ様は止まらないだろう。相手が元ヘラの眷属であるのなら、尚更だ」

 

「………」

 

あの女に対して、果たしてロキ・ファミリアが味方をするのか。そんなことは問題ではない。

一番の問題は、あの女がその火の粉をこれ幸いと広げ、闇派閥の残党にまで飛び火させ、7年前の再現を引き起こす可能性があること。

あの女がまともに都市の一員として向かって来ても、そうでなくとも、どちらにしてもフレイヤ・ファミリアは甚大な被害を受けることとなる。どころか都市そのもの、果ては人類に対しても壊滅的な被害を齎すことになる。

故に最も穏便に済むのが、フレイヤ・ファミリアが泣き寝入りをすること。そもそも返り討ちにあっただけなのだから泣き寝入りというのも違うかもしれないが、事を荒立てないことが一番平和的に収まる筈。ただそれをかつてヘラに大敗した女神フレイヤが認められる筈もなくて、あれほどヘラへの逆襲に燃えていたフレイヤが簡単に矛を引く筈もない。……間違いなく、このままでは繰り返すことになる。確実な勝利を得られると確信して突き進んだというのに、その確実な勝利を取り零してしまったが故に。

 

「……とにかく、私は一度あの女に追い付かない程度に18階層へと戻る。これだけの人数、救援を呼んで来なければ到底運べん」

 

「ああ、頼む」

 

流石に18階層のリヴィラの街の冒険者達に頭を下げるのは気が引けるとは言え、それでも今は優先しなければならないことがある。敬愛する女神の所有物と、自分自身の小さなプライド、後者を優先させる馬鹿者は居ない。それでもその役割をヘディンが率先したのは、仮にもファミリアの団長であるオッタルに頭を下げさせる訳にはいかないからだ。周囲への影響力を顧みるに、今回の件の表向きの責任はヘディンが負う方が体が良い。裏向きには、しっかりと責任を取ってもらうとしても、そこまでフレイヤ・ファミリアの品位を落とすつもりはヘディンにはない。

 

(なにが……起きている……)

 

それでも、肝心のオッタルの頭の中にはそれしかなかった。

 

『後悔するぞ』

 

後悔どころではない。

否、これですら生温いとでも言うのか。

何か致命的なミスをしてしまったこの感覚が、どうやったって消えてくれない。

 

「何が違う、何を違えた……何処から間違っていた」

 

襲撃を決意した時から?

最後をヘディンに任せた時?

若しくは団員を優先して彼女を逃した時か?

 

分からない。

分からないが唯一理解出来るのは……起こしてはいけないものを、起こしてしまったということ。自分は彼女の全てを知っていると思い込み、その実、彼女の何もかもを結局のところ知らず、理解すら出来ていなかったということ。

 

「……当然の、話だがな」

 

理解しようと、していなかったのだから。

オッタルの頭の中には、今も昔も、常に1柱の女神しか存在していなかったのだから。そんな自分が他の何者かを理解しようなどと、理解した気になっていたなどと、片腹痛く、愚かしい。

 

『馬鹿者が』

 

「……ああ、お前の言う通りだ」

 

この身はどうしようもなく、泥に塗れている。

最早慣れたように、慣れてしまったくらいに、自責の中へと頭を入れる。

……けれどそれでも、オッタルはまだ理解出来ていなかった。自分が一体何をしたのか、その結果どういうことが起きるのか。そして女神フレイヤが、何を考えてこの件を全てオッタルに任せたのか。

 

下界は可能性に満ちている。

 

それは良い意味でも、悪い意味でも。

 

神にすら想像の出来ないことが、下界には存在する。

 

 

 

 

 

ラフォリアがこの廃教会を出てから、既に12日が経つ。その間にもベルには色々なことがあった。

リリというサポーターの少女と知り合い、なんだか色々と厄介な事情を抱えた彼女と充実したダンジョン探索をしたり。

豊穣の女主人から借りて来た本を読んだら、実はそれが魔導書(グリモア)と呼ばれる使い切りの魔法取得が可能な高額品であったり。

その取得した魔法を嬉しさあまりに乱発していたら気絶してしまい、起きた時にはあの憧れのアイズ・ヴァレンシュタインに膝枕をされていたり。

まあそんな、普通の冒険者であれば羨ましさから顔面を殴り飛ばしているような諸々。

 

それでも彼女はまだ帰って来ない。

 

ヘスティアも口には出さないが、昨日から流石に心配が募りに募っているのをベルは感じている。普通に考えればダンジョンに潜っているのだし、10日も11日も誤差の範囲内であるのだろうが、それでも単独で49階層に向かっていると思えば流石に悪いことばかりを考えてしまう。

それはベルでさえもそうだった。

帰らない、帰って来ない、それが長く続くほど慣れて忘れていくものかと思っていたが、事実はそうではない。むしろ掛けられたあの優しい声を思い出して、時間が経つほど寂しさは増していく。

ベルはこれと同じ感覚を味わったことがあった、それは彼の祖父が亡くなった時のことだ。祖父が亡くなり、一人で暮らし始めた数日。正に今と同じ思いを味わっていた。

その時と今とで違うのは、彼女がまだ死んだとは確定していないこと。だからこそ、帰って来て欲しい。帰って来たのであれば、聞きたいことや、聞いて欲しいことがたくさんある。彼女の代わりにヘスティアが最近は料理を努力しているが、正直それもまだまだ芽が出るには遠そうで。あの粗雑であっても優しい味のした料理を味わいたいと、そう思ってしまう。

 

「っ!?」

 

そんなことを考えながら、ベルが地下室を出て綺麗になった教会の祭壇の前で立ち尽くしている時だった。

背後の大扉に、何かが強く打ち付けられた音。

ドアノブは回らない、来客を知らせるベルは鳴らない。しかし間違いなく、人間大の何かが扉に衝突した。

 

「ベ、ベル君!?なんだい今の音は!?」

 

「神様……その、何かが扉に当たったみたいで……」

 

「何かが?………まさか!!」

 

ヘスティアが慌てた様子で扉の鍵を開ける、その様子を見たベルも彼女の考えを察して駆け寄った。そしてそんな2人の想像は、幸か不幸か当たることになる。

 

「ラフォリアくん!?」

 

「ラフォリアさん!!」

 

大扉に背中を預けて、ゼェゼェと息を荒げている彼女の姿。全身に酷い火傷や切傷があり、ここに来るまでの道のりが分かるほどに点々と赤黒い染みがこの教会にまで続いている。

 

「ベル君!ミアハ達を呼んで来るんだ!!今ならまだ起きている筈だ!!」

 

「わ、分かりました!直ぐに戻ります!!」

 

「ああその前に!!彼女を運ぶのを手伝ってくれ!せめて中に入れてから!!」

 

「は、はい!!」

 

ベルが彼女を運ぶ間にヘスティアは地下から布団を持って来て、そこに彼女をうつ伏せに寝かせる。その姿勢は多少苦しくはあるだろうが、とにかく背中の傷が酷い。そして未だに息は荒く、掠れる様なその呼吸はあまりに異様だった。

 

「ごほっ、ごぼっ……!!」

 

「ラフォリアさん!!」

 

「と、とにかくミアハを!!僕達ではどうにも出来ないよ!!」

 

「い、行ってきます!!直ぐに戻って来ますから!!」

 

ついに血の塊を吐き出し始めた彼女に、ベルもヘスティアも混乱が増して行く。一体何と戦えばこんなことになるのか、どんな精神力をしていたらこんな状態でここまで戻って来れるのか。急いで飛び出していったベル、しかしヘスティアが彼女の精神力に驚くのはここからだった。

 

「………馬鹿乳」

 

「き、気付いたのかい!?もう少し頑張ってくれ!直ぐにミアハ達が来るから!そうしたら……!!」

 

「……恩恵を、更新……してくれ……」

 

「えっ……」

 

「……………頼む」

 

薄らと開く彼女の眼、碧色の瞳。

ヘスティアは思い出す、数日前にヘファイストスに言われたことを。しかし同時に目の前の子供の、心からの頼みを、ヘスティアにはとても無碍にすることなんて出来やしない。彼女がこうして素直に頼んで来ると言うのなら、それは相当な理由があってのことだ。既に言葉を発するのも困難なくらいだろうに、それでも目と目を合わせて願われた。これを叶えず、どうして神を名乗ることが出来ようか。

 

「……一度改宗をすれば一年間は変えることが出来ない、それでも僕でいいんだね?」

 

「………」

 

頷く様に、彼女は目を閉じる。

ならばもう、やるしかない。

別に恩恵を与えたところで、必ずファミリアに入らなければならないということもない。恩恵はヘスティアのものであったとしても、籍だけはヘファイストスの所に置くことだって出来なくはない。彼女の自由を恩恵で奪うつもりなど、ヘスティアには全くない。

 

「傷を触らないといけない、だから絶対に苦しいよ。我慢してくれ」

 

ヘスティアは神血を垂らし、彼女の背中の恩恵を開ける。浮かび上がるアフロディーテの印、"改宗待ち"の状態になっていたそれを自分のものへと書き換えていく。傷に指が触れる度に苦痛の声を漏らす彼女、それでもヘスティアが指を止めることはない。

なんとなく予感はしていたし、この場に来たら確信していた。彼女は恩恵を昇華させるために深層へ向かい、それを成し遂げたのだと。そして恩恵の昇華によって肉体の強度を増し、少しでも生存率を上げようとしているのだと。それは正しい判断だとヘスティアも思う、故にヘスティアも彼女を救うために彼女に苦痛を与えている。

 

「っ、これは……」

 

一瞬、ヘスティアの動きが止まる。

見てしまった彼女の恩恵の文字に目を見開き、それでもその驚愕すらも飲み込んで、改宗と昇華を進めていく。……ああ、本当に、本当に馬鹿げたステータスをしていた。これと比べればベルが本当に可愛く見えるくらいに、とんでもないステータスだ。魔法1つ、スキル1つ、どれを取っても普通ではない。普通の眷属であれば、このうちのどれか1つでも発現すれば跳んで喜ぶような代物だろう。

 

……けれど、ああ、本当に。

 

世の中は上手く出来ている。

 

神であっても酷いと思うくらいに、よく出来ている。

 

「……レベルアップだ。おめでとう、ラフォリアくん。Lv.7昇格だ」

 

発展アビリティは、当然"魔防"の上昇。

言われなくとも分かっている、彼女に必要なのはそれであると。むしろそればかりを集中して上げて来たのだと。

 

昇格と同時に、ラフォリアの荒い呼吸が治る。まだ少し調子は悪いが、それでも肉体そのものが強固になった。それだけで延命措置には十分だった。

そして彼女もそれに安心したのか、目を閉じて、意識を落とす。こんな寝顔を見せてくれたのは本当に初めてで、こうして見るとそれはとてもあどけないものにも見えてしまう。……本人に言えば、間違いなく怒るだろうけれど。

 

「というか僕、下界に来て初めての恩恵の昇華を行ったのがLv.7ってどういうことなんだい。てっきりベル君のLv.2への昇格が最初になるかなって思ってたんだけど」

 

下界は神の想像を超えてくる。

だからまあ、偶にはこんなことも、あるのかもしれない。



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被害者12:静寂

『……まさかお前に看病される日が来るとは思わなかった』

 

『生意気な口だけは達者だな、それと"お前"と呼ぶなと何度言えば分かる』

 

『痛っ……』

 

額をコンッと叩かれる。

それに対して何の反抗も出来ない今の自分、それが無性に悔しくて歯を噛み締めながら頬を膨らませることしか出来ない。しかし目の前の灰髪の女はそんな自分のことが無性に面白いのか、ニヤニヤとしながら顔を覗き込んで来る。

 

『私のことは何と呼べと言った』

 

『……先輩』

 

『"お義姉さま"、若しくは"お母さま"と呼べ』

 

『絶対に嫌だ、そんなことを言わされるくらいであれば舌を噛み切って死んでやる』

 

『強情め』

 

『7つしか変わらないのに、"お母さま"はないだろ』

 

『誰がここまで育ててやった』

 

『…………それは単純に卑怯だ』

 

『母親特権というものだ、育ててやった事実以上に強い権力もあるまい』

 

『それが仮にも母親を自称する女の言うことか……?』

 

『妹に子が出来たろう?若干の対抗心がある』

 

『そんなつまらんことに私を巻き込むな』

 

『こうして世話を焼いていると、可愛げも湧いて来るしな』

 

『くっ、触るな。何れは動けなくなったお前を馬鹿にして笑ってやろうと思っていたのに、これでは逆じゃないか……げほっ、げほっ』

 

『不遜が過ぎるだろうお前』

 

咳き込む自分の背中を摩り、水と桶、そして拭き布を手渡される。口の中に感じる血の味に顔を顰めながら、私は素直に水を含んで口を濯ぐ。

オラリオを出てもう2年、今やこの山奥の村落での生活にも慣れた。定期的に顔を出すのは、目の前の灰髪の女か、元主神の女神くらい。

むしろもうそれくらいしか残っていないというのが実情か。あれほど世話を焼いてやった図体だけデカい猪も顔どころか手紙すら送って来ない。薄情な奴も居たものだと、呆れながらに口を拭く。

 

『……そもそも、こんな所に来ている暇があるのか。あの妹も、子供なんか産めるのか』

 

『……そうだな。今のところは問題ないが、出産後にどうなるかまでは予想出来ん』

 

『私に構っている暇なんか無いだろ」

 

『死に掛けの子供を放っておくことの方が出来んだろう。13のクソガキが重病で生死を彷徨っていることの方が、世間的に見ればよっぽど悲観的だ』

 

『……別にもうそこまで酷くない』

 

『日に数度もこうして吐血するのにか?』

 

『それだけで済んでいる』

 

『今のところ完治の見込みもないがな。今でもオラリオで治療法を模索させているが、なにしろ前例が全くない。奴等が治療法を見つけるか、お前が先に力尽きるか、見ものだな』

 

『私が自力で治す方が先だ』

 

『お前のそのよく分からない自信は何処から来るんだ』

 

『こんなところで死ぬのは納得出来ん』

 

『…………そうか』

 

肺を含めた呼吸器系が極端に脆くなっている、そう言われた。

僅かなことでも出血し、身体を動かすことなど以ての外。原因は不明、前例も存在しない。治療法も当然ない。ただ応急処置的なことをして"治療を行った"と言われているのは分かっている、所詮は単なる延命措置に過ぎない。連鎖的に起きていた出血と損傷を止め、特殊な薬品で常に再生を促している。そもそもこの薬品自体が自分の寿命を縮めている、これで治療を行ったなどとよくもまあ声を大にして言える物だと思ってしまうくらい。

 

『せめてあと1つ、レベルが上がればな……』

 

『……先にお前が自分の血液で溺れ死ぬのが先だろう』

 

恩恵の昇華をすれば、今より間違いなく状態は良くなる。治療した人間はそう言っていた。

しかしそもそものそれが現実的ではない。

アルフィアの力を借りようにも、彼女の音の魔法はこの病にとって一番の天敵だった。もしかすれば彼女の魔法を受け続けたがために発症したのではないかと言うくらいに。ふざけた事を抜かすなと、この女の魔法で死ぬほど柔ではないと一蹴したが、それでも現実は甘くない。アルフィアは自分の近くでは"サタナス・ヴェーリオン"以外の魔法すら使うことは無くなったし、必要のない余計な心労を掛けているのも理解している。実際こうして話しているだけでも吐血の頻度が増える程度には脆くなっているのだから、それが今は心の底から恨めしい。

 

『……ラフォリア』

 

『なんだ』

 

『私より先に死ぬなよ』

 

『!…………当然だ、お前は私が打ち倒す。先に死ぬことなど絶対に有り得るものか』

 

『……ふっ、お前はあと何十年私を生かすつもりだ。もう少し楽に死なせて欲しいものだがな』

 

『ぶっ飛ばすぞお前本当に……』

 

しかしアルフィアはこちらが抵抗出来ないのをいいことに、嫌がる自分の髪をわしゃわしゃと掻き回し、最後にまた額を手の甲で叩いて笑みを浮かべる。

 

『さっさと寝ろ、馬鹿娘』

 

納得はいかないが、渋々と起こしていた身体を横たわらせ、布団の中に潜り込む。……布団の中から睨み付ける私を、軽く笑みを浮かべながらベッドに座って見てくるアルフィア。どうせ自分が寝たらオラリオに戻ろうとしているのだと知っている。なんだかその事実にもムカついたから顔を背ける様にして目線を切ったが、それでもまだ視線を向けられているのを感じていた。

 

 

 

 

「………アルフィア。私は」

 

 

 

 

 

「あっ!ベル君!ラフォリアくんが起きたみたいだ!!」

 

「ほんとですか神様!?」

 

 

「…………?」

 

騒々しい声が聞こえて来る。

目に入って来るのは何処か懐かしさを感じさせる白い髪と、目に入れるのも邪魔臭いクソデカい乳。徐々に起き上がる脳と意識、そして理解する自分の現状。

 

「……何日、眠っていた」

 

「何日ってことはないさ、君が帰って来てからまだ1日しか経ってないぜ?」

 

「……そうか」

 

思いの外、自分が想像していたよりかは時間は経っていないらしい。

ラフォリアは自分の身体の痛みを自覚しながらも起き上がる、傷の手当ては一通りされているようだった。右手を握って、開いて、確かめる。

 

「ああ、まだ起きたら……!」

 

「問題ない。……世話になったな」

 

「これくらいなんてことないさ!君が帰って来てくれただけで十分だよ!な、ベル君!」

 

「はい、僕もそう思います!……怪我だらけで帰って来たのを見た時は流石にビックリしましたけど」

 

「ああそうだ!お腹が空くと思ってバイトの帰りに色々買って来たんだよ!冷たくなってるかもしれないけど、好きに食べてくれていいからね!」

 

「……ああ、貰おう」

 

まあなんというか本当に、お人好しな奴等だ。

ラフォリアは思わず苦笑する。

買って来たパンは少し硬くなっていたが、流石にLv.7となれば多少硬かろうがなんだろうが苦ではない。……そう、自分はLv.7になったのだと。それをパンを食べながら自覚するというのはこれまでに無かった経験で、なんとなくそれを面白くも感じてしまう。

 

「それで、えっと……何があったのか、聞いてもいいかい?」

 

「2回ほど死にかけた」

 

「2回!?」

 

「まあ色々あってな、かなりの無茶をした。だがその甲斐はあった、私はこうして生きている」

 

「そ、それは喜ばしいことなんだけど……」

 

「この程度で狼狽えていてどうする、そのうちベルも似たようなことをやり始める」

 

「えぇ!?そうなのかいベル君!?」

 

「し、しし、しないですよ!?」

 

「お前の性格を考えれば、どうせやる。今から覚悟しておいた方がいいくらいだな」

 

「や、やめてくれよー!これ以上僕の心労を増やさないでくれー!」

 

本当に喧しい、あの女なら魔法の一つでも撃っていると思うくらいだ。……しかしまあ、少し長くダンジョンに潜っていたせいか、今はそれも嫌いではない。ラフォリアは黙って彼等に好き勝手話させることにした。

 

……ただ、それからもまた長かった。

ヘスティアの愚痴から始まって、今度はベルが新しく少し怪しげな雰囲気のあるサポーターを仲間にしたという話に。加えて"豊穣の女主人"で魔導書と知らずに貸して貰ったそれを読んでしまい、魔法を発現してしまったとか。話題に事欠かない連中だ。

ラフォリアをそれを黙って聞く。

途中途中で適当に相槌を打ったりしながら。

 

「……そういえば、今日もリリと一緒にダンジョンに潜ったんですけど、なんだかギルドが慌ただしそうにしてたんですよね」

 

「へぇ、そうなのかい?」

 

「ええ、なんだか事故があって沢山の冒険者が運ばれたとか。ダンジョンが突然崩落したみたいです」

 

「そ、そんなこともあるのかい?は〜、ダンジョンって怖いんだなぁ」

 

「………」

 

なるほど表向きにはそうなっているのかと、ラフォリアは思う。しかしそれも本当に表向きの話、実際にはその異常性に多くの者が気付いているはず。それこそ【勇者】は今回起きたことの全てを既に掴んでいるくらいだろう。

……となると、やはり行動は早い方が良い。これだけは早めに目を覚ました自分を褒めてやりたいくらいだった。

 

「ベル君は明日もダンジョンに行くんだろう?」

 

「はい、そのつもりです」

 

「それなら僕は明日のバイトは休むよ、ラフォリアくんの様子が気になるからね」

 

「気にするな、少し身体が痛む程度だ……けほっ」

 

「ああほら、あれだけの血を吐いてたんだから無理したら駄目だよ。あのミアハが最後まで眉を顰めているくらいの状態だったんだ、数日は寝ていないと」

 

「……寝たきりの生活はあまり好きではない」

 

「それでもだ、ちゃんと休みを取ること。いいね?」

 

「……2日間だ、それ以上は無理だ」

 

「むむ……まあ休まないよりマシかな。ただし明日もまたミアハに診てもらうこと、いいね?」

 

「分かった」

 

どうせ碌なことを言われまい。

それについてはもう諦めている。

だからラフォリアはその提案に適当に即答した、結果など知れているのだから何を言われようとどうでもいいと。

 

それからヘスティアはラフォリアの為に体を拭ける用意をしに地下室へと向かった。本当はシャワーを浴びたかったが、それは流石にまだ駄目だということ。

そうして取り残されたベルに対して、ラフォリアは暇潰しに声を掛ける。

 

「少しは成長したか」

 

「成長……ええと、ステータスはそれなりに上がったと思います。少しずつモンスターにも慣れてきて、そろそろ10階層も見えて来るかなぁって」

 

「ほう、もうそこまで来たか。成長が早いというのは本当の話だったようだな」

 

「はい、それに魔法も覚えたので色々出来ることが増えたのが大きいです。リリが手伝ってくれるおかげで、効率も良くなりました」

 

「そうか、それは良いことだな。稼ぎも増えたと見える」

 

「そ、そうですね。少しは増えたと思います。……だから、その」

 

「?」

 

「今度、その、良ければなんですけど……夕食を奢らせて貰えないかなぁって、思ってて……」

 

「…………お前が、私に?………何故だ?」

 

「それはだって、色々お世話になってますし。こんなことくらいしか返せないんですけど、何かお返しがしたくて……」

 

「………全て宿代代わりと言ったろう」

 

「でも……僕がそうしたいと思ったので」

 

「……おかしな奴だな、お前は」

 

「そ、そうですかね」

 

そんな風に真っ直ぐな好意を向けられてしまうとは思わず、自然と口角が上がるのに気付いて、勘付かれない程度に口元を手で隠す。

その赤い瞳は何故かあまり好きではないが、人の良さが全面的に現れている甘ったれた顔は嫌いではない。真っ白な髪も相まって、まるであの女を見ているようだった。あれも大層甘い言葉を並べる女だった、姉の方とはえらい違いだと最初は驚いたものだ。まあ怒った時に一番怖かったのもあれではあったが。

 

「恋愛の方はどうなった」

 

「れ、恋愛って!?」

 

「あのアイズとかいうガキのことだ」

 

「そ、それはその……」

 

「?」

 

「……………膝枕を、して貰いました」

 

「???」

 

口元の笑みを隠すために適当に放り込んだ話題であったが、なんだかよく分からない返答が返って来る。何がどうしたら碌に面識もない相手に膝枕をされることになるのか。どうしてそうなったと、ラフォリアは普通に困惑してベルに尋ねる。

 

「その、実は魔法を覚えた日に嬉し過ぎてダンジョンで使いまくってしまって……」

 

「気絶したところを助けられたという訳か」

 

「は、はい。それでその、そしたら、目を覚ました時に膝枕をして貰っていて……」

 

「良かったな」

 

「……でも」

「ん?」

 

「……また、逃げちゃいました」

 

「…………」

 

また恋愛相談か、と。

ラフォリアは遠い目をする。

まあ今回話を振ったのはラフォリアからなので、付き合うのは仕方のないことではあるけれども。そもそも生まれてこの方、一度も恋愛などしたことのない自分に果たして何を助言出来ることがらあるというのか。自分がどちらかと言えばアルフィアと同類の人間であることなど、ラフォリアとて理解している。

 

「そ、そろそろアイズさんに嫌われちゃいそうで……で、でも、いざとなると照れてどうしようもなくなっちゃうんです。僕どうしたら……」

 

「両手両足を縛って顔を合わせたらどうだ」

 

「それ僕ただの変態ですよね!?」

 

「衝撃を与えられるぞ」

 

「それ絶対与えたら駄目なタイプの衝撃ですから!!」

 

「面倒くさい、今度あの女のケツにでも投げ付けてやろうか」

 

「最悪捕まりませんかそれ!?」

 

「2度と忘れられなくなる」

 

「そんな覚えられ方嫌ですよ!」

 

恋愛というのはよく分からないが、こうして恋愛をしている人間を弄るのは面白いものだなとラフォリアは思った。否定するつもりもない、結局はそうして人は生まれて来るのだから。

あの才能に溢れた小娘と、才能はなくとも優しさに溢れたこの子兎。もしその間に子が生まれるのであれば、確かにそれはラフォリアとて気にはなる。そういう意味では応援はしてやらなくもないが、焦ったい人間は好きではない。さっさと突っ込んで来いと思ってしまうのも、恋愛経験のなさから来るものか。

 

そうこうしているうちにヘスティアは戻って来た。

ベルはまだ何かを話したそうにしていたが、自分の素肌を見せようとして以前にヘスティアに文句を言われた。ならば今日はここまでだろう。

 

「ベル」

 

「はい?……あうっ」

 

「さっさと寝ろ、もう夜も遅い」

 

「……はい」

 

額を軽く手の甲で叩いて、そう言ってやる。

相手に寝ることを促す方法など、ラフォリアはこれしか知らない。けれどベルは渋々とそれに従って、ヘスティアと入れ替わりになって地下室へ戻って行った。

 

「……あの女も、こんな気持ちで私を見ていたのか」

 

もう今更なそんな考えを、思わず抱く。

だとしたら自分は、10年遅れてあの女の後追いをしているということになるのだろうか。けれどそれも別に嫌ではない。……結局のところ、自分は最後まであの女が何を考えていたのか、よく分からなかったのだから。それを知るためにも、これはもしかしたら必要な出会いだったのかもしれない。

 

 

 

 

一方、頭を抱えていた人間は他にも居た。

 

「……やってくれたねシャクティ」

 

「すまないフィン。言い訳がましいが、私もまさかここまでの事態になるとは思っていなかった」

 

わざわざロキ・ファミリアのホームにまで頭を下げに来たシャクティに対し、さしものフィンであってもフォローしていられる余裕はなかった。

今や別件でも諸々の厄介ごとを抱え始めているロキ・ファミリア、そこに件のフレイヤ・ファミリアのことまで舞い込んで来たとなれば溜息の1つや2つもしたくなる。

 

「うん……まあ彼等の関係はなかなかに理解のし難いものであるし、仕方のないところはあるよ」

 

「関係、というのは……?単なる友人とか、腐れ縁ではないのか?」

 

「簡単に言ってしまえばそうなんだけどね。個人的に色々と調べてみたんだけど、まあ本当に面倒臭い関係だった」

 

既に15年前のことを知る者はこの年の中には少ない、しかしそれも神であれば別。7年前の件で多くの高齢の冒険者は死んだが、その主神達は今なおこの街に居る。当然オッタルと彼女の関係を知る者も。

 

「幼馴染、という関係を思い浮かべて貰うと早いかもしれない」

 

「幼馴染……」

 

「とは言え、世間一般的にはその言葉を使うには馴染みの時間は長くはないんだけれど。それでも僕はこの"幼馴染"という関係が一番厄介だと思っていてね」

 

「?」

 

「う〜ん、彼等の面倒臭い関係を表すのに一番適した話を挙げるとするなら……ラフォリアはそもそも、自分の病についてオッタルに一度も話したことがなかったらしい」

 

「は……?」

 

あれだけ互いに殴り合っていたのに?

シャクティがそう思ってしまうのも仕方がない。

 

「多分オッタルがそのことを知って手を緩めるのが嫌だったんだろうね。そして結局、彼女が都市を出る日までオッタルはそのことを知ることはなかった。むしろ都市から出る理由も嘘をついていたみたいだよ、"少し長めの依頼をこなして来る"みたいなね」

 

その後に真実を知ったオッタルは、果たして何を思っただろうか。

……ああ、これは確かに面倒臭い。シャクティも思わず目元に手をやって小さく唸る。

 

「むしろ2人が恋仲にでもなってくれるのなら、もう少し話は簡単だったんだけれど……」

 

「あの2人に限ってそれはない」

 

「……うん、まあそういうことさ。そもそも当時の時点ではラフォリアの病は相当なものだったらしくてね、治療という治療も応急処置的なものばかり。数年以内に確実に死ぬって言われていたらしい」

 

「ああ、それについては私も知っている。長く生きるのは絶望的だと言われていた。だからこそ、女神ヘラが追放されてからは音沙汰もなく、もう死んだものとばかり思っていた」

 

「そう考えていたのはオッタルも同じだったってことさ。女神の手前、彼女に執着することも出来なかった……というよりは、しなかった。その反動が今になって来ているのかもしれない」

 

「…………面倒臭いな」

 

「ああ、本当に面倒臭い」

 

そこに彼女がもしかすればザルド達と同じことをし始めるかもしれない、などと聞けば、こうして強硬手段に出てしまうのも当然の話と言えるだろう。女神フレイヤが恐らく後押ししたであろうこともまた余計で。

フィン達の感覚としては彼女にはそういった気は一切ないように感じたが、そもそもオッタルはそのことすら知らない。それ以前に元ヘラの眷属である彼女と再会し、言葉を交わすことさえも、女神に対する背信のように感じていたのかもしれない。

せめてその機会があれば、この様な事態にならなくとも済んだであろうに。

 

「死者3人、重傷者43人……うち8人は再起が絶望的。全員がディアンケヒト・ファミリアとの協力の下で治療中だが、状態は相当悪いらしい」

 

「破壊した規模に対して言えば、被害はかなり少ない方なのかな」

 

「とは言え、これだけの被害を受けて女神フレイヤが黙っているはずがない」

 

「それ以上に、一度やられたラフォリアがこの程度で許すはずがない」

 

「………どちらが脅威だと思っている?」

 

「ラフォリア」

 

「迷わずか」

 

「今回の件でフレイヤ・ファミリアの魔導士はほぼ全滅した。ラフォリアがLv.7になっていたとしたら、もう誰も彼女を止めることは出来ない」

 

「……お前達が加勢する必要もなく、フレイヤ・ファミリアを叩き潰せるということか?」

 

「僕はそう思っているよ。唯一可能性があるとするなら、彼等が連携をして集団戦で事に当たることだけど……」

 

「まず有り得ないな」

 

「そういうことさ」

 

つまり、まだ何も終わっていないということ。

むしろこれからが始まり。

しかしこれに対してロキ・ファミリアが介入することも難しい。下手に動けば本当に都市を巻き込んだ全面抗争になりかねないし、正直どちらも敵に回したくはない。

中間、つまり仲介役に回るのが一番だろう。

 

「ただのすれ違いから、まさかここまでの事態になるとは……」

 

「正直僕は女神フレイヤが何を考えてるかの方が気になるね」

 

「これに闇派閥の残党が便乗しなければいいんだが……不穏な噂もよく聞く」

 

「事が起きたら、可能な限り僕達が被害を抑える様に動くよ。直接関与はしないけどね」

 

「それだけでも十分……」

 

 

ーーーーーッッ!!!!!!

 

瞬間、遠くの方から巨大な爆発音がした。

窓の外を見てみれば、フレイヤ・ファミリアの本拠地である『戦いの野』がある方角から上がる黒い煙。そして何故か浮かんでいる小さな月とその光。

例の出来事があってからまだ2日目の朝、その様子を呆然と見つめる2人。街の喧騒が徐々に大きくなっていくのに対し、2人の内心は凄まじい勢いで冷え始めた。そんなことをしていられる余裕もないのに。

 

「………ちくしょう!もう始めたなあの馬鹿娘!!」

 

「シャクティ!今直ぐ避難誘導を開始してくれ!僕達も今居る全団員で『戦いの野』を囲む様に陣取らせる!!ギルドへの説明は後でいい!」

 

「分かった!こちらも全団員を動員する!ヘファイストス・ファミリアにも支援の要請と……ディアンケヒト・ファミリアにもか!!」

 

「とにかく出せる人員は全部出すんだ!」

 

その日、抗争は始まった。

規模は小さくとも、あまりに影響力の強い、オラリオを揺るがす様な抗争が。

 



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被害者13:フレイヤ・ファミリア

その日、フレイヤ・ファミリアの本拠地である『戦いの野』の円卓の間では、幹部達が一堂に会していた。

その理由は当然、例の一件。

しかしそこに肝心の団長オッタルの姿はなく、話を進めていくのはそれをよく知るヘディン・セルランド。

 

「死者3人、重傷者43人、うち8人は再起が絶望的。これが今回の被害だ、今はヘイズが【戦場の聖女(デア・セイント)】と共に治療に当たっている」

 

「……再起が絶望的ってのはどういうことだ、死に掛けでも治されてるような奴等だろ」

 

「いくらヘイズや【戦場の聖女】であっても、半分液体のようになった脳を完全に再生し、記憶や人格を元に戻すことまでは出来ん。形を整えたところで障害は確実に残る」

 

「な、なにしたらそんなことになるんだよ……」

 

「関わりたくないな」

 

「むしろなぜ治せるのか」

 

「治療師の方が頭おかしいだろ」

 

「ク、ククク……そ、それほどの魔法を前にするとなると、さしもの我が右腕でさえも……」

 

「喋るなヘグニ」

 

一先ずは状況報告。

ディアンケヒト・ファミリアに支援を要求し、現在はフレイヤ・ファミリアの治療師も全員が出払っている。それ故に普段この本拠地で行われている洗礼(バトルロイヤル)も行われておらず、警戒体制となっていたりする。これほどピリピリとした空気も、数年前の闇派閥との抗争以来か、幹部陣の表情も当然普段より堅い。

 

「……それで、その女の特徴は?」

 

「名前はラフォリア・アヴローラ、元ヘラ・ファミリアのLv.6だ。二つ名は【撃災】」

 

「ヘラだと……?」

 

「理由は分からんが、今は7年前に都市を襲った"静寂"と同じ格好をしている。今のところオラリオに対して攻撃的な行動は起こしていないが、この街を訪れた理由は不明だ」

 

「小さい"静寂"ってことか」

 

「Lv.6って別に大した相手じゃないだろ」

 

「大した相手ではあるだろ」

 

「俺達なら余裕だろ」

 

「ふ、ふふ、我が漆黒の炎であれば塵芥の……」

 

 

 

「"静寂"は魔法を無効化する魔法を持っていたが、"撃災"は物理攻撃を反射する魔法を使う」

 

 

 

「「「「…………は?」」」」

 

6人の動きが完全に停止する。

それは仕方のないこと、ヘディンとて最初にオッタルに聞かされた時には飲み込むまでに時間が掛かった。それほどに異様な魔法だからだ、それを前にすればレベルの差など簡単にひっくり返る。

 

「つまり魔法が使えなければ、そもそも勝負にならん。過去の記録とは言え、オッタルはあの女に32戦32敗している。近接戦闘能力も本職を喰らう勢いだ」

 

「………魔導士、全滅したよな?」

 

「勝てなくね?」

 

「いや勝ってこいよ」

 

「なんで負けたんだよあの脳筋」

 

「お前も付いて行ったんだろうが、ヘディン。何をどうしたらあの人数差で負けて来れんだ」

 

「追い詰めた際、"撃災"が突然"静寂"の魔法を使い始めた。全ての魔法を無効化し、リヴァイアサンにトドメを刺したという魔法を使って階層ごと我々を吹き飛ばした。脳に損傷を受けた団員が多いのは、その時の音魔法が原因だ」

 

「「「「……………………」」」」

 

全く信用の出来ない馬鹿げた話ではあったけれど、もしそれが本当であったとなら、それは仕方ない、と誰もが思った。

何者かに成り代わる魔法、スキル。彼等はそれを知っていたからこそ、そういうこともあり得るのだと理解出来て、そしてその凶悪さに表情を歪ませる。

 

「……魔法も無効化されて、物理攻撃も反射されて。それもう勝てなくね?」

 

「無理くね?」

 

「無敵じゃん」

 

「最強じゃん」

 

「いや、そういう訳でもない」

 

「どういうことだ」

 

「オッタルとの会話を聞いていた限り、あの女もその奥の手を出すことに躊躇いがあったように見えた。つまり容易くは使えないのか、若しくは使うこと自体に代償がある」

 

「く、くく、代償なき力に責務は……」

 

「つっても使われたら終わりだろうが」

 

「もう一つは、物理反射と魔法無効、これが恐らくどちらも纏う形式の付与魔法だということだ。つまり物理反射は魔法無効によって無効化される、この2つは両立出来ない可能性が高い。本家の"静寂"もそれによって音魔法の本来の威力が損なわれていたと聞く」

 

「……つまり、詠唱で判断して適切な攻撃をすればいいんだな」

 

「詠唱式は覚えてんだろうな」

 

「物理反射が"エインガー"、魔法無効が"アタラクシア"だ。……とは言え、貴様等が連携など出来るはずもない。魔法と物理攻撃を同時に当てるのが一番容易い、若しくは物理反射の許容量を超えた威力で攻撃するくらいか」

 

「そう言われると大したことないな」

 

「余裕じゃん」

 

「なんであの脳筋負けたんだ?」

 

「お前らほんと直ぐ調子乗るな……」

 

未だフレイヤからの指示はないが、ここまでされて黙っていられる訳もない。敵から来るか、こちらから仕掛けるか。敵も相当な怪我をしていた、直ぐにどうこうしてくるとは思えない。

ならば弱っているうちに叩くというのも手だが……

 

「つうか、あの脳筋は何処行った」

 

「召集にも来ないとか調子乗ってんのか?」

 

「責任取って腹切らせろよ」

 

「脳取り出して確認してやろうぜ」

 

「……ノームの貸金庫だ、どうもあの女を倒すために15年前から諸々の装備を貯め込んでいたらしい。大剣とローブだけでは足りないと、一通り自室に閉じこもった後、今はそれを取りに向かって行っている」

 

「気持ちの悪い執着心だな」

 

「お?浮気か?」

 

「首か?首でよくね?」

 

「首斬ってよくね?」

 

もう正直、そこまで用意していたのであれば最初からお前1人でやってろよと、アレン達も思わなくもない。

実際今回の件についてアレン達としては至極どうでもいいことであり、団員達がやられたことについても別に興味はない。単純にフレイヤの所持物である団員を傷付け、その顔に泥を塗った行為に怒りはあるが、むしろ後者に関してはオッタルに対しても怒りがある。

その辺りを踏まえれば強者に対する挑戦という意味での興味はあれど、オッタルが自分で解決しろと言いたくもなる。勝とうが負けようが不利益はない、むしろ負けて女神からの信頼を落としてくれた方が好都合というくらい。

 

 

……ただ、彼等は見誤っている。

そもそも、オッタルが説明をしなさ過ぎている。

恐らくダンジョンの中であった限りでは、ヘディンも気付けてはいなかった筈だ。あの時の"撃災"は、久しぶりに会ったオッタルの前だからこそ、まだ平和的な言動をしていたということを。

 

 

 

……本来の彼女は、そう。

 

 

 

 

【灼熱の激心、雷撃の暴心、我が怒りの矛先に揺らぐ聖鐘は笑う】

 

 

 

 

暴言を言われようものなら、殴り飛ばして。

 

 

 

 

【泡沫の禊、浄化の光、静寂の園に鳴り響く天の音色こそ私の夢】

 

 

 

 

殴られでもしようものなら、半殺して。

 

 

 

 

【故に代償は要らず、犠牲も要らず、対価を求める一切を私は赦さない】

 

 

 

襲撃なんて受けようものなら、激昂して、殲滅する。

 

 

 

 

【これより全ての原罪を引き受ける。月灯に濡れた我が身を見るな】

 

 

 

 

横暴、理不尽、破壊の権化。

理由など必要ない。

……ただ気に入らない物を、焼き尽くす。

 

 

 

【泣け、月静華】

 

 

 

彼女は間違いなく、暴君だったのだ。

 

 

 

 

 

【クレセント・アルカナム】

 

 

 

 

 

 

「爆砕(イクス・プロジア)」

 

 

 

 

 

「っ、なんだ今のは!?」

 

ホームの入口の方から聞こえてきた特大の爆発音、そして団員達の悲鳴。

 

「っ!?まさか……!!」

 

そのまさかに違いないと、誰もが悟る。

爆発音は止まらない。

むしろ力を増して近付いて来る。

この本拠地そのものが大きく揺らぎ、外で待機していた多くの団員達の怒声も、爆発と共に数を減らしていく。

幸いここに女神フレイヤは居ない、しかしだからと言って守るべきものが何もないということではない。そして意外にも一番早く動き出したのはヘグニだった。

 

「っ、待て!ヘグニ!!」

 

「さっさと行くぞ!」

 

「舐めくさりやがって!」

 

「叩き潰してやる!」

 

「ちょ、待てお前ら!!」

 

続いてガリバー4兄弟、ヘディンと長男のアルフリッグの制止を聞くこともなく走って飛び出して行った弟達。アルフリッグも仕方なく後を追ったが、そうなるとここに残ったのは残り2人。

 

「……貴様は行かないのか、アレン」

 

「……こいつ(槍)だけじゃ勝てねえ、って言ったのはテメェだろうが」

 

「オッタルも直ぐに戻るだろう、だがそれより先に対処する。あの脳筋を蹴落とす良い機会だ、協力しろ」

 

「チッ」

 

「………?」

 

爆発音が止む。

未だヘグニとガリバー兄弟が出て行ってから数十秒と経っていない。

異変を感じたヘディンとアレンは一度視線を交わすと、直ぐ様に走ってドアを蹴破った。普段はいがみあっているが、今日ばかりは手を取った彼等2人。意外にもその息はあっている。

 

そうして幹部以外に立ち入りを許されていない円卓の間を飛び出し、階下に見た光景は……

 

 

 

 

「……漸く頭の冷えてそうな奴等が出て来たか」

 

 

晴れ晴れとした晴天の下であるにも関わらず、崩落した天井から覗く月明かりに照らされている灰髪の女。

足元に転がっているのは、身体を一様にぶった斬られて蹲るガリバー4兄弟。そして首を掴まれ、焼け焦げた姿で意識を失っているヘグニ・ラグナール。

他の団員達に関しても、1人残らず立っている者は存在しない。

瓦礫に埋まり、爆発に巻き込まれ、ガリバー兄弟達のように剣で切り刻まれて呻いている者も多く居る。

 

……傷一つ付いていない、ということはない。

恐らくヘグニの魔法:バーン・ダインの直撃を受けているような痕跡がある。問題はそれが、あまりにも効いていないということ。女は息一つ乱しておらず、血の一滴すらも流していない。むしろ負ったはずの傷が、徐々に治り始めているのをヘディンは確認する。

 

「っ、設置型の回復魔法か……!!」

 

僅か上空に浮かぶ月の写身。

それが照らし出す光の下に自分達は、そしてあの女は居る。

これがオッタルの言っていた、あの女の真の3つ目の魔法。その詳細な効果は分からなくとも、ヘディンとアレンは武器を構えた。

 

「……期待外れにも程がある」

 

「っ」

 

「レベルが高いだけの個人主義など脆過ぎる。身内のみで完結した"しょうもない"連携も、同時に斬ればこのザマだ」

 

「テメェ……調子乗ってんじゃねぇぞ」

 

「調子に乗っているのはどちらだ、有象無象」

 

「あぁ?」

 

「良くもまあこんな愚かしい屑共が女神を守るなどと恥ずかしげもなく口に出せたものだな。正直失望した、これと比べればロキ・ファミリアの方がまだ将来がある」

 

「ンだと……」

 

「貴様等には泥を飲む覚悟が足らん」

 

「!」

 

女が剣を構える。

瞬間、アレンの背筋を通る寒い気配。

彼はそれを知っている、その構えを知っている。

 

「さっさと降りて来い、全員教育し直してやる。……あの馬鹿猪に代わってな」

 

「上等だ!!!」

 

「チッ」

 

相手の魔法のことを教えたにも関わらず、速度に任せて行ったアレンにヘディンは舌打ちを切る。都市最速の称号を持つ彼の速度に、ヘディンが魔法の着弾を合わせられる筈もない。

……しかし意外にも、彼の攻撃は通っていた。

通っていたというか、鎧に反射される前に剣で防がれていた。

 

(魔法を使っていない……?つまり既に魔法無効を使っている?)

 

だとすればヘディンに出来ることは何もない。いくら魔法剣士と言えど、あれほどアレンが暴れている中に立ち入ることなど出来る筈もない。

 

「オラオラオラオラァ!!散々つけ上がりやがった癖にその程度かァ!!」

 

「己が測られていることにも気付かんのか、愚かしい」

 

「っ!?」

 

二十数にも至る防御の末、初めての反撃にアレンが吹き飛ぶ。そして確信する。その剣技をアレンは受けたことがある、そしてそれを前にオッタルが敗北した姿をこの目に焼き付けたことがある。

 

「『微風のごとく軽過ぎる』」

 

「テメェ!!」

 

その言葉で確信した。

7年前に"撫でられただけ"で地に伏せられた、あの忌まわしい記憶。まるでその時から何も変わっていないとすら言われているような屈辱。

ああ、間違いなくこれは……"暴喰"の剣技。

 

「これであればこちらの黒妖精の方がまだ見込みがあったか。こいつは最初の一太刀で気付いて距離を取った、直ぐ様に魔法に切り替えたところは流石年の功というものか。……とは言え、色々な意味で魔法に逃げる癖は直すべきだろうが、それもそうは時間もかからないだろう」

 

「一緒にすんじゃねぇ、俺はテメェの惰弱さを魔法で誤魔化してるような奴とは違う」

 

「………分かった。もう良い、もう十分だ。これ以上私を失望させる前に、私の目の前から消え失せろ」

 

 

『死鏡の光(エインガー)』

 

 

『永伐せよ、不滅の雷将!!』

 

物理反射の絶対防御。

それを発動させた瞬間に、ヘディンは用意をしていた莫大な魔力を発散させる。アレンの戦闘の渦中に飛び込めないと悟った時から、ヘディンはこの瞬間のために傍観することを決めていた。

 

『ヴァリアン・ヒルド!!』

 

同時に鎧を発動出来ないのだとしたら、物理反射の魔法を発動した瞬間であれば絶対にダメージを与えられる。故にヘディンはここで自身の持つ最大の雷魔法を解き放った。

近くに居たアレンをも巻き込むほどの極大の魔法攻撃、これに生きて帰ったものなど皆無に等しい最大の絶技。そしてそれは彼の狙い通りに魔法無効を持たない彼女に直撃し、館を半壊させるほどの余波を持って焼き尽くした。

あのオッタルでさえ、これを前にすれば回避以外の術を持たない。

アレンの回避も何とか間に合い、しかしガリバー兄弟やヘグニ達は吹き飛ばされた。

傷付いた仲間諸共となってしまったものの、ここまでしなければ勝てない相手であると。ヘディンはそう判断したのだ。

 

「……やはり、お前は良いな」

 

「「っ!?」」

 

しかし唯一予想通りに行かなかったことがあるとするのであれば、それは。

 

「そうか、お前がこの屑共の実質的な司令塔か」

 

「…………なぜ、生きている」

 

ダメージは与えている、確実に直撃した。

しかし女は生きているし、ダメージも少な過ぎる。

むしろその損傷は月の光によって直ぐ様に回復し始め、女自身も口に笑みを描いてヘディンの方へと視線を向けている。

 

「種明かしをしてやろう。……上空に浮かぶ月の光、貴様の想像通り設置型の回復魔法だ」

 

「…………」

 

「瞬間的な回復力は然程なく、詠唱も無駄に長い上に使用魔力も多い。その上、天井の低い階層では失敗する上に、詠唱文自体も至極腹立たしい」

 

長文詠唱魔法:クレセント・アルカナム。

アルフィアとは違い、彼女の3つ目の魔法は攻撃魔法ではなかった。

故に彼女ほどの暴力的な殲滅をすることはラフォリアには出来ない、リヴァイアサンにトドメを刺すことなど出来ない。

ラフォリア自身あまり好きな魔法ではなかったが、それでも彼女は、この魔法を"有用"であると感じていた。爆破魔法でさえ納得していなかった彼女がだ。

 

「この魔法には回復効果以外にも付随効果が存在する」

 

「………なんだ、それは」

 

むしろそちらこそがメイン、それを求めてラフォリアは好ましく思っている。そしてかつてのオッタルや先日の一件の中でも、彼はそれだけは絶対に発動させないように立ち回っていた。これだけは絶対に使わせてはならないと、それだけは徹底した行動を取っていた。

 

 

「魔法防御力の向上だ」

 

 

「「!!」」

 

何故なら、その防御力を上回るほどの圧倒的な魔法攻撃手段でもない限り……それこそ"静寂"ほどの力でもない限り、敗北が確定してしまうから。その2つの魔法を両立させたが最後、正攻法で彼女に勝てる存在などオラリオではリヴェリアくらいしか存在しなくなってしまうから。

しかし当然、Lv.6たるヘディンにもその枠に入る程度の力量はあった筈だ。彼の魔法はそれほどに凄まじい。ダンジョンに存在する小島程度ならば容易く消し飛ばす。だというのにこうなった理由を強いて挙げるとするのなら……

 

「もし恩恵の昇華をして魔防のアビリティが向上していなければ、先程の雷撃も危なかったな」

 

「っ、やはり貴様レベルを上げていたか……!!」

 

「さて、そろそろ終わらせるぞ。……私にはこれから、待ち合わせをしている馬鹿な男が居るからな」

 

剣を足元に突き刺し、女は右の掌をヘディン達の方へと差し向ける。

 

「『爆砕(イクスプロジア』」

 

爆発は起きない。

起きた現象は、掌に徐々に姿を現し始める超高密度の魔力の塊。

範囲指定の集中、尋常ならざる重ね掛け、鼓動する空間、鳴り響く魔力、死へと誘う殺戮の鐘が2人の本能を呼び起こす。

……逃げなければ死ぬと、そんな単純で誰にでも分かることを声高らかに脳が叫ぶ。だがそんなことは許されない、そんな無様なことは許されない。大衆が見ている、女神が見ている、逃げ出すことなど決して許されることではなく、そもそも自分自身が許さない。

 

「そら、どうにかせねば地に這いつくばっている同志が死ぬな」

 

「「っ!!」」

 

「「「「このクソババァ!!!」」」」

 

笑うラフォリアを四方から囲うようにして、同時にその身体を引き起こし隠していた魔剣を振り下ろしたのはガリバー兄弟だった。

4人共に重傷を負い、しかしそれでもと最後の力を振り絞った。

これならばどちらにしても攻撃は通る、油断しているこの女に確実にダメージを与えられる。彼等はこの瞬間を待っていた。

 

……だがアレンとヘディンからは見えている。

その悪魔の様な女が上空に掲げた超高密度の魔力球。女はガリバー兄弟達のことなど気にすることなく、只々自分達を試す様に見ているのだ。自分達がどんな行動を起こすのかを見ているのだ。

 

ああ、そうだ。

 

この女はガリバー兄弟が隙を狙っているのを知っていた。

彼等がこうして襲い掛かるのを待っていた。

だからヘグニとは違い、彼等の意識までは奪わなかった。

そしてそれはつまり、先程言っていた"同志が死ぬ"という言葉の真意は間違いなく。

 

「………ッ、クッッソ野郎がァァァア!!!!」

 

「永争せよ!!不滅の雷兵!!!カウルス・ヒルド!!!!」

 

ガリバー兄弟達の攻撃が女に届く前に、アレンは全速力でドヴァリン、ベーリング、グレールを抱える。その隙にヘディンは雷魔法を女とアルフリッグの間に割り込ませ、そのままにアルフリッグを肩に担ぎ、倒れていたヘグニを拾う。

彼等が選んだのは攻撃でもなく、防御でもなく……逃走。

何より屈辱的であり、何より許せない選択を、2人は取った。

それは自分でも女神でもなく、他者である同志達のため。

そして圧倒的な強者を目の前に、7年前のオッタルの様に、逃げて、生き残り、最後には勝利を得るため。

彼等はここに来て彼等自身の長と同じ境地に至ったのだ。

屈辱の泥を啜り、敗北を認め、這い蹲り、歯を噛み締め、拳を叩き付け……それでも前に向けて、走り続ける。

 

「……ああ、そうだ、そうでなくては」

 

ラフォリアは笑う。

満足そうな笑みを浮かべて、泥臭くも背中を向けた男達の姿に、嬉しげに目を細める。その背中にかつて見たあの敗北者の大きな背中を重ねて。決して途絶えてはいなかった必死な男の意思を見据えて。

 

 

 

 

 

【撃災(カラミティ)】

 

 

 

 

スペルキーが紡がれる。

極限まで高まった魔力の球が解放され、女の右手を中心に、極大の蒼色の爆発が引き起こされる。

跡形もなく吹き飛ぶ『戦いの野』。

その余波はオラリオ全土に広がり、バベルとダンジョンをも大きく揺るがした。

……爆風の矛先は背中を向けた男達に向けられており、彼等は例外なくその意識を刈り取られる。吹き飛ばされ、叩き付けられ、それでもなお殺してはいない。もし判断が遅れたのであれば、もし退くことが出来なかったのなら、もし仲間達を見捨てて攻撃を仕掛けて来たのであれば、彼等は全員死んでいただろう。

ラフォリアが最初から決めていた爆風の影響範囲から、彼等は自分達の判断で逃げ出すことが出来たのだ。"間違い"を起こすことはなかった。正解を選び取ることが出来た。

 

ラフォリアが失望することはなかった。

むしろ希望すら与えてくれた。

ここでその判断を下せたのであれば、きっと、その時になっても"逃げる"という選択肢が取れるだろう。圧倒的な絶望を前にしても、決して諦めることなく、未来に託すことが出来る筈だ。

彼等はただの女神の操り人形ではなかった。

 

「なに、直ぐに追い付ける。……別に私は女神を崇拝するお前達を否定する気はないからな」

 

だが、これにてフレイヤ・ファミリアは壊滅した。

 

もうこの場に起き上がれる者は残っていない。

都市最強のファミリアは、ただ1人の女によって全滅した。

ただ1人の暴君によって叩き潰された。

 

 

 

 

最後に残った、あの男以外は。

 



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被害者14:迷宮都市オラリオ

がんばりました。


静寂に包まれた廃墟の中へ、男の足音が聞こえ始める。

 

「……アレン、ヘディン」

 

土煙の向こう側から現れた巨大な影。

 

「ヘグニ、アルフリッグ……」

 

男は歩む道に倒れる同志達の名前を呼ぶ。

 

「ドヴァリン、ベーリング、グレール……」

 

前だけを見て進み、決して後ろを振り返ることのなかった男が……その場に立ち止まり、彼等の姿に悲痛の表情を浮かべて向き直る。

 

 

 

 

「お前は本当に女を待たせるのが好きだな、オッタル」

 

「………ラフォリア」

 

 

廃墟に佇む灰髪の女。

未だ2日前の怪我も治っていない様な姿をしているのに、感じる圧は先日の比ではない。

 

……思い出す、あの日のあの頃の彼女の姿を。

 

これだ、これがこの女だった。

こちらの足が思わず無意識に下がってしまう様な、圧倒的な強者の雰囲気。ただ佇んでいるだけでも精神を削る異様な威圧感。

 

(ああ、そうだ……)

 

オッタルはこの感覚がどうしようもなく好きだった。

だからこそ30回以上もその女の前に立った。

暴風を前に抗い続けるように、炎獄を前に叫びながら突き進むように、明確な格上を前にして、それでもと自分の弱さを知り、叩き付け、足を進める。自分がこれから冒険をするのであると、自分がこれから挑戦をするのであると、否が応でも思わせてくれる。この壁をどうしても乗り越えたくて、この壁をどうしても突き崩したくて、彼は今日ここに立つまでに至った。その過程がどうしようもなく好きだった。その過程の末に打ち崩したこの女の姿を想像することが、あの頃の自分の常だった。

 

「……そうだ、私はお前のその顔が見たかった」

 

「ラフォリア………決着をつけよう」

 

オッタルが背中から取り出したのは、魔法弾を放つ青色の大剣……ではない。もっと巨大で、もっと厳しくて、とてもではないが魔法など放つとも思えない様な頑固な代物。

着ている物も7年前のザルドとの一戦を思い出させるような鎧ではあるものの、それは決して特別魔法に強い物ではない。

 

「いいのか?そんな装備で」

 

「……この15年間、お前を倒すためだけに多くの装備品をかき集めた。大金を叩き、モンスターを殺し、これだと言う物も漸く見つけた」

 

「私には到底そんな代物を、今のお前が身に付けているようには思えないがな」

 

「……だが、いざこうしてお前の前に立つことを考えた時、そんな装備があまりにも頼りなく感じた」

 

「ほう」

 

「こんな物でお前を倒せるのか?こんな小細工でお前を超えられるのか?そうして超えたところで、その勝利に何か意味はあるのか?………ない、ある筈がない!お前という存在を乗り越えるために、そんな小細工は必要ない!!」

 

「………ふふ、脳筋め」

 

故に、使うのはこの身体1つ。

鎧があろうと、魔法があろうと、その全てをただこの身体一つで打ち破る。オッタルはその覚悟を持ってここに立っている。

故に求めたのは硬さ、自身の堅牢な意志にも何処までも喰らいついてこられる様な鋼鉄の武装のみ。それ以外には何も必要ない。最後のその瞬間まで、この手に残っていてくれるのであれば、それ以上は何も求めない。

 

「オッタル、お前はこの勝負に何を賭ける」

 

「……"最強"を」

 

「ならばオッタル、お前はこの勝負に何を求める」

 

「……ラフォリア・アヴローラ、お前という人間だ」

 

「ほう」

 

「お前の思い、お前の記憶、お前の願い。俺にはそれが何一つとして分からない。……故に、お前自身に聞くことにする。今度こそ俺は、お前という人間を、理解したい」

 

人が聞けば告白とも言えるそんな言葉を、本当にこの男は単純な感情で言うのだから。そんなんだから脳筋だのなんだのと、周りから馬鹿にされるのだ。女神フレイヤが聞けばなんと言うのか、仮に彼の同志達が聞けばどうするだろうか、その辺りを考えていないのだから馬鹿なのだ。

……だからまあ、それに対するラフォリアの答えは。

 

「やれるものならやってみろ、図体のデカいクソガキ。その馬鹿みたいに鍛え上げた肉体で、私という壁を乗り越えて見せろ」

 

「当然だ……!!」

 

そうしてこの日ようやく、最強と最凶が衝突した。

15年の時を経て、奇跡とも言える過程を経て……男と女は、交わった。

 

 

 

 

「……なんだい、あれは」

 

「これがLv.7同士の、戦い……」

 

「馬鹿げとるな……」

 

「格が違うとはこのことか……」

 

フレイヤ・ファミリアを囲い込むようにして配置された冒険者達、既に避難誘導は完了し今はその行末を見守るだけという形になっている。

そんな最中で始まった、Lv.7とLv.7のぶつかり合い。

都市最強が全身全霊をかけて挑む、15年ぶりのリベンジ。

それを屋根の上から見守っていたリヴェリア、ガレス、フィン、シャクティの4人は、信じられないような物でも見るような目でそれを見ていた。

 

『ウォオオオオオオ!!!!!!!』

 

"猛者"の一振りで空気が弾ける、突風が巻き起こる。しかしその威力でも足りず弾き飛ばした"撃災"が、今度は右手の剣と左手の魔法で反撃を開始する。

物理攻撃は通用しない、しかしそれにも許容量というものが存在する。"猛者"が狙うのは単純にそれだけ、最大威力の攻撃をこれでもかというほどに叩き付ける。一方で"撃災"は敵の強靭な鎧と肉体を崩しに掛かる。いくらLv.7の"暴喰"の剣技を使えど、散々にそれを喰らった過去のある"猛者"にとっては有効な一打とはなり得ない。それ故に魔法による爆破、それによる削りと目眩し。長期戦になるほど"猛者"が不利であり、しかし体力的な問題を考慮すれば時間を稼ぐという手段も決して悪いものではない。

 

「ハァッ!!」

 

「っ……!」

 

"猛者"が剣を叩き付け、大地を破る。

そうして浮き上がった女の足元、"猛者"はそこを狙って攻撃を仕掛けた。足元であれば反射の魔法は掛かっていないと、そう考えたのだろう。……しかし女の口が弧を描く。

 

「爆砕(イクスプロジア)ーーー撃災(カラミティ)」

 

「っ!!!!」

 

女が自分の身体で隠すようにしていた右手、持ち上げたそこにあったのは脈動する魔力の塊。剣は地面に突き刺していた、破壊された床石と共に彼女の横に浮かび上がっていた。

それに気づけず、いや、隠されていた。

 

「ぐぉぉあっ!?」

 

"猛者"を凄まじい蒼の爆風が襲い掛かる。

身体を焦がし、臓物を揺らし、鎧を焼く。

腰を落とし、歯を食い縛り、大剣を盾にしてでもその爆風から身を守る。

 

月の光は既に消えていた。

 

状況は悪い、時間が経つにつれて"猛者"の身体ばかりが削られていく。一方で"撃災"の身体には未だ傷一つなく、焦りばかりが募っていく。

しかし最初から決めていた。

勝ち筋など一つしか残っていなかった。

故に焦っても見失いはしない。

ただ自分にすべきことをする。

それはつまり拳に力を入れ、巨大な大剣を掲げ、それを目の前に振り下ろすだけ。"撃災"の鎧の許容量を超えた、純粋な力を叩きつけるだけ。

 

『オオオォォォォオオオオ!!!!!!!』

 

爆風を切り裂き、そのまま女に大剣を叩きつける。弾き飛ばされては、叩きつける。弾き飛ばされる反動を全身で堪え、それ以上の威力を持って次へと繋げる。……猛撃、獣化した"猛者"の乱撃はその一撃一撃が中層の階層主程度ならば致命的な損傷を与えられるほどのものだ。

それでも"撃災"の鎧は破れない。

それでも彼の目の前にある壁は崩れてくれない。

 

「爆砕(イクスプロジア)」

 

「ゴオァッ……!?」

 

全身を囲うようにして範囲指定された爆破魔法、"猛者"の全身が一瞬にして炎獄に包まれる。鎧は爆ぜ、衣服は焼き切れ、全身が一瞬その反動で停止した。

 

「意識を途絶えさせている場合か」

 

「ッ!?」

 

顔面に叩き込まれた"撃災"の蹴り、フラつく"猛者"、それでもなお倒れることはない。肉体も、精神も、この程度でブレるほど柔ではない。あってたまるか。

 

「……まだだ、まだだ!!!」

 

「当然だ」

 

"猛者"のギアがもう1段階上がる。

彼自身も、これを待っていた。

 

『アァァアアァァア!!!!!』

 

限界を超えたはずの彼に、再び活力が戻る。

先程までより破壊力も防御力も格段に上がる。

幾度も反射と剛力によってズタズタになっていた全身の筋肉が再び膨張する。

 

 

 

【銀月の慈悲、黄金の原野、この身は戦の猛猪を拝命せし】

 

 

 

「!」

 

 

 

【駆け抜けよ、女神の……

 

『爆砕(イクスプロジア)!!』

 

「ゴッ!?」

 

詠唱を紡ごうとした"猛者"の口内が爆ぜる。

指定した空間は詠唱を行うために開いた彼の口の中、驚いた彼は思わず口の中に広がる自身の血液に咽せて顔を歪める。

 

……しかし、それは決して悔しさばかりではない。

彼は嬉しかった。

彼の心は高揚している。

 

自分の味わったことのない技の味。

未だそんな手段が残っていたのかと。

未だそんな魔法殺しの手段を持っていたのかと。

目の前の女がそれを使って阻止しなければならないほど、今の自分は脅威になれているのだと。嬉しくて嬉しくて堪らない。

追い付けている。

追い詰めている。

いつも無表情で立っていただけだった女が、今この瞬間、自分の攻撃の威力を少しでも軽減するために真剣な表情で足を動かしている。いつも見下ろされていたばかりの女と同じ高さで、自分は今その目の炎を感じることが出来ている。

 

『ラ"フ"ォ"リ"ア"ァァァアアアアアア!!!!!!!』

 

『来い!オッタル!!』

 

最早誰も近付かない、近付けない。

倒れていたフレイヤ・ファミリアの団員達は、Lv.5以上の冒険者達がフィンやガレスも含めて決死の覚悟で救い出したが、彼等でさえもこれ以上に近付くことなど出来なかった。

……死人が出ていないのは、偶然なのか、はたまた必然なのか。青褪めた表情で彼等の戦いを見つめる子供達、しかし一方で神々はそんな彼等の奮闘に目を輝かせる。欲のためでもなく、正悪のためでもなく、ただ相手に負けたくないというあまりにも純粋な心から成るこの果たし合いは、彼等にとって何よりも美しく見えたからだ。

それは当然ながら、彼自身の主神であっても。

 

「妬けちゃうわね」

 

そう呟いたのは、この騒動の原因とも言える美の女神:フレイヤ。

バベルの上からこの騒動を見ていた彼女はロキに強引に連れ出され、今この場で行末を見守っている。心の底から歓喜の声を上げながら、剣を振るっている己の眷属に、称賛と、嫉妬と、複雑な想いを抱きながら。

 

「何が"妬けちゃう"やねん!こっちの方が焼けそうやわボケぇ!」

 

「いたっ……なにするのよロキ」

 

「なにするのやあらへんがな!!それが自分とこのファミリア滅ぼされようとしとる奴の言うことかいな!!」

 

「……だって別に、あの子は理由がないと無闇に殺したりしないでしょう?その理由を作ってしまったから、私は眷属を失ってしまったけれど」

 

「……なんや、恨んどらんのか?」

 

「恨んでるわよ、けど私だって自分のミスくらい反省する。今のあの子がオッタルに勝てる筈がないと踏んで私の前に連れて来るように指示をしたけど、それがまさかこんなことになるなんて……本当に駄目ね、下界は異常事態(イレギュラー)が多過ぎて」

 

「せやからこそ面白いんやろ」

 

「そうね」

 

そんな2柱の会話を近くで聞いていたフィンは俯きながら頭を掻く。

結局のところ、この騒動の火種となったのは、女神フレイヤがラフォリアを欲しがったこと。その指示を受けたオッタルが直前にシャクティから例の話を聞いており、そこに必死さを付け加えてしまったこと。

女神フレイヤがどうして彼女を欲しがるのか、彼女をどうするつもりなのかは分からないが、きっと彼女自身にとってもこの事態は想定外が過ぎる状態なのだろう。もしかすれば彼女もまた、オッタルがここまでラフォリアに執着していると気付いていなかったのかもしれない。

それほどにオッタルは15年前のあの日から、2日前のあの日まで、彼女に対しては何の言及もして来なかった。7年前にザルドを前にしたあの時でさえ、彼は彼女について聞くことはなかった。女神への愛に全てを捧げ、その思いを封じ込めて来た。ラフォリアも面倒臭いが、オッタルも相当な物だ。だから今、こうしてそんなものを見せられてしまったフレイヤは反省をしている。自分の最も近くに居たはずの眷属の真意すら見通せなかったほどに、自然と目を向けられていなかった過去の自分に対して。

 

「……好きになさい、オッタル。この件は貴方に預けるわ。私の命令や指示なんて、今の貴方には邪魔にしかならないでしょう?」

 

ラフォリアの剣が砕け散る。

オッタルの大剣も限界が近い。

それでも決して互角ではない、それは理解している。

 

「まだやれるだろう!!」

 

「っ!!」

 

「まだ!!走れるだろう!!」

 

武器を破壊されたラフォリア、しかし彼女は直ぐ様に近くに落ちていた団員達の2本の槍を足で蹴り上げ、それを両手で待って構える。

ラフォリアの本質は魔導士ではない。

魔導士ではアルフィアには勝てないからだ。

故に彼女の目指す理想スタイルは戦士、ステータスもまた徹底的に万能に振っている。剣技をアルフィアと同等にまで持ち上げた後、剣技以外も実戦で使える程度には磨いた。磨けた。なぜなら彼女は間違いなく天才であったから。天才であっても更に上の天才を目指し、決して努力を怠ることのなかった秀才でもあったから。

 

「グッ、ォォォオオオオオオオ!!!!!」

 

ラフォリアの高速の槍捌きにより、オッタルの傷が増え始める。

ラフォリアは10年近くの闘病生活のせいで体力がないが、それよりもオッタルの受けたダメージの方が今この瞬間では大きい。オッタルのスキルによる治癒の発現もこれを覆すほどのものではなく、むしろ獣化を発動したことによって大きく自身の体力も減らしてしまっている。彼の攻撃の威力も弱くなっていくばかりだ。

……このままでは負ける。

オッタルにもこれ以上の隠し球はない。このまま徐々に削られ続けて、敗北する未来は容易く想像できる。

 

……だが。

 

 

「ガァッァッ!!!!」

 

「っ!?……ガハッ!?」

 

槍が放たれた瞬間、オッタルはそれを正面から迎撃し、弾き飛ばした槍を彼女の腹部にぶち当てる。

 

「げほっ、げほっ…………チッ、やはり使いにくいか……」

 

「ハァ、ハァ……」

 

ラフォリアの反射の鎧は、酷く曖昧な性質を持っている。

物体を持ち上げる際に掌で弾いてしまうということは無いし、そうして持ち上げた物体は何故か反射の性質を帯びることはない。それでいて持ち上げた物体をそのまま自分で自分自身の身体に打ち付けたとしても、ダメージは通る。

つまりこうして彼女が持っている武器を弾き、それを彼女自身に当てることが出来れば、ダメージはそのまま通る。

これはオッタルが30戦を超える戦いの中で確信した事実だ。それを知っているからこそラフォリアは扱いやすい短い剣を多用するし、攻撃を受ける際には決して武器で受けずに自らの体で受ける。

決して彼女は無敵ではない。

 

「ならばこんな物はもう要らん!」

 

「くっ……ガァッ!?」

 

ラフォリアが武器を捨て、その右腕で思いっきりオッタルの脇腹を貫く。彼女の反射は、決して防御だけに秀でたものではない。反射は外部からの攻撃のみに反応し、内部からの攻撃はそのまま相手に通る。故にラフォリアの拳の威力は単純に2倍、いくらオッタルのステータスがあったとしても大きなダメージは避けられない。彼女の顔面への蹴りがあれほどオッタルにダメージを与えていたのも、それが理由だ。

 

「なっ!?」

 

「まだ……だ……」

 

……それでも、何度も言うようであるが、彼女の反射魔法は決して無敵という訳ではない。

 

「ま"た"や"れ"る"!!!!!」

 

自身の腹部に突き込まれた拳をオッタルは唇を噛み締めて強引に耐え、その右手をゆっくりと自身の手で掴み取る。掴み取れる。

速度をつけて掴みに行けば弾き飛ばされるが、しかしこうして一定以下の速度であれば彼女に触れる事は出来る。反射が反応する対象にも条件があることを、オッタルは知っている。

彼女に呪術が効くように、彼女に毒が効くように、彼女には鈍足で発動する拘束が通用する。

 

「貴、様……!!」

 

「グッ、ガァッ……!!」

 

拘束されたラフォリアは、とにかくオッタルを蹴り付けた。その顔面に拳を振り抜き、更に拘束をしようとしてくる左腕を肩部の骨を粉砕することで機能停止させる。全身に青痣が出来るどころか、肉体が弾け飛ぶのではないかと思うほどの拳打。……それなのに、どうしてもその右腕だけが振り解けない。万力のように締め付けてくるそれだけが、どうしても振り解くことが出来ない。

 

「ア、ガァッ……!!」

 

「っ………いい加減に、壊れろ!!!」

 

顳顬(こめかみ)に叩き込まれた最大威力の蹴り。

漸く解き放たれたラフォリアは距離を取るが、右腕の骨が破壊され、息は荒い。対してオッタルは既に意識があるかどうかも怪しく、全身に凄まじい傷跡が刻み込まれているが、それでもなお間違いようもなく立っていた。全身から熱を放射して、ミシミシと音を立てるほどに大剣を握り締めて、全霊で。

 

「フ、フフ……けほっ、けほっ………バケモノめ……」

 

最早、彼は執念だけでそこに居る。

ただ目の前の女を打ち下すために、無意識の状態でここに居る。

彼の目の中に、頭の中に、残っているのは目の前の女だけだ。

それ以外のことなど、かなぐり捨てた。

かなぐり捨てなければ届かない境地だと、覚悟を下した。

 

『ーーーーーッッ!!』

 

「………来るか」

 

最早剣の状態すら保てておらず、殆ど鉄塊と化しているような大剣を持って、構える。

これが正真正銘、彼の最大であり、最後の一撃。ラフォリアはそれに対して何もすることはなく、ただ同じように腰を落として両手を十字にすることで、迎え撃つ態勢を取るだけ。避けることなど出来るはずもない、そんな勿体のないことなどするはずもない。

オラリオの冒険者達も何かを察したのか、全員が揃ってその場から距離を取り始めた。フレイヤとロキすらも、フィンやガレス達の背後に隠れる。

これが極地にまで達した意地。

肉体の限界を超えてなお、意識と精神の垣根を飛び越えてなお、この男は立ち上がり、放つのだ。彼が今日まで振るってきた剣の中で、最強で、最大で、至高とも言えるほどに研ぎ澄まされた……全身全霊の一撃を。

 

『ーーーーー』

 

「………心配しなくとも、お前の全てを受け止めてやる。いいから来い、馬鹿者」

 

 

『…………!!!!!!オオオオオオオオオオオオオオオォォォォォオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!!!!!』

 

 

口の中を破壊された彼は、それでも都市全体を揺らがせるほどの咆哮を持って踏み出した。彼の1歩はそれだけで地面を破壊し、彼が右腕だけで持ち上げた大剣はあまりの熱量に発火する。全生力を込めたその一振りは、唸り声を上げながらラフォリアの元へと迫った。

 

避ける避けない以前に、そもそも避けられる物でもなかった。こうして目の前にすれば、それは当然。最早目視することも難しい、その脅威は完全にバロールと相対した時を超えている。否、あんなものと比較することすら烏滸がましい。これほどに美しい一撃を、ラフォリアはこの27年の生の内に一度たりとも見たことなどなかった。

 

 

 

「本当にお前は………………泥臭いな」

 

 

 

血塗れになって、泥に塗れて、なおここまで他者を魅了できる男が一体この世にどれほど居ようか。故にラフォリアはその一撃を彼と同様に、全身全霊を以って迎え撃つ。

ラフォリアの反射の鎧に、灼熱の鉄塊が衝突する。

 

瞬間、生じるのは爆発。

それは決してラフォリアが魔法によって生じさせたものではなく、莫大なエネルギーが二重に生じ、衝突したことによって生まれた破壊の嵐。それによって揺れたのはオラリオだけでなく、ダンジョンでさえもそうだ。今やオッタルのそれはLv.8を超える脅威的な破壊力を生み出しており、それと全く同じ威力の破壊と衝突したのだから、爆風だけで冒険者達が吹き飛ばされてしまったことも当然の話。

そして吹き飛ばされたのは彼等だけでもない。

起爆地点から前後に数百m、残っていた建物に突っ込んだのはそれを引き起こした元凶とも言える2人。

 

オラリオは散々だ。

 

巻き込まれた者達も疲弊し切っている。

 

だがこの瞬間、僅か1時間にも満たない抗争は終焉を迎えた。

 

この抗争の勝者は……

 

 

 

 

 

「………ぷっ、くっ……くはっ、はははははははっ!!あはははははははっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ……これで私の目的の半分は果たせたよ、オッタル」

 

 

 

 

 

ラフォリアだった。



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被害者15:猛者

「……よくもまあ眠れるものだな、本当に」

 

脚を引きずり、女は倒れた男の元へと歩いて行く。

最後の一撃、その余波によるダメージは甚大であった。

しかしそれでもなお、女を倒すには至らなかった。男が不死身と見紛うほどの精神と肉体の屈強さを見せつけた様に、女もまた同様であったからだ。

……この日この戦いにだけは、決して負ける訳にはいかなかった。

 

「まさか本当に、私の魔法を力だけで破るとは。名実共に脳筋だな、嬉しいか?」

 

男は答えない。

ただし生きてはいる。

ダメージは甚大であるため楽観視出来る状態でないことは確かだが、それでもなお生きている。むしろ寝息を立てているくらい。

ラフォリアは彼の頭の側に座り、溜息を吐いてその頭を撫でる。

 

「強くなったな……本当に」

 

まさかあの意志と図体くらいしか取り柄のなかった男が、ここまでになっているとは。一体誰が想像出来ただろうか。

……いや、想像出来ていた人間は多かったのかもしれない。

彼が喧嘩を仕掛けても決して命までは奪わなかった、ヘラとゼウスのファミリアの団員達。ラフォリアだけが特別にこの男のことを見初めていた訳ではない。しかしそうなった理由の中に僅かでも自分の存在があるのであれば、それはとても嬉しいことだとラフォリアは思う。

 

「ごほっ、ごほっ………………ふふ、私も頑張った方か」

 

戦闘が落ち着いたのを確認したからか、周囲を包囲していた冒険者達が降りて来る。その先陣を切ったのは、女神フレイヤを抱えたフィンと、女神ロキを抱えたシャクティ。その背後からついて来るガレスとリヴェリア。……何を言われようが、もう構わないとラフォリアは思っている。追放されるのであれば、そうなった時のことも考えてはいた。

 

「……ラフォリア、これで全部終わりということで良いのかな?」

 

「馬鹿なことを言うな、最後に一つ残っていることがあるだろう」

 

ラフォリアは最後にもう一度だけ立ち上がり、自身とオッタルを見ていたフレイヤの目の前に立った。

何をせずとも魅了を発揮している様な女神を前に、しかし彼女は表情を変えることはない。目と目を合わせて、向かい合う。

 

パンッ!!

 

直後にフレイヤを襲ったのは、軽く走った頬への痛み。危うく倒れそうになるほどの威力ではあったが、逆に言えばLv.7の力で叩いてもそれくらいにしかならない程度に加減されるほど。

美の女神の顔面を叩いたという事実に、それを見ていた冒険者達は驚くが、ロキも含めた一部の神々はその様子を神妙に見守る。

 

「これで許してやる」

 

「え……?」

 

聞き返したのは、フレイヤの方。

 

「……いいのかい、ラフォリア。もし最悪の事態になっていたら、君は本当に」

 

「何人かこいつの眷属を殺したからな。それと今回の件の責任は当然全てこいつに擦り付ける。そのためにもファミリアをしっかり立て直して貰う必要がある」

 

「あ、そういう……」

 

今回の被害、果たしてどれほどのものになるだろうか。

当然ギルドからも罰金なりなんなりは来るだろうし、そもそも彼等の本拠地を含めた周辺地帯が完全に壊滅したのである。修繕費なんかを考えれば、それはもう暫くフレイヤ・ファミリアの眷属達はダンジョンに走り込みに行かなければならないレベルだろう。そしてラフォリアは自身にも掛かるであろうそれを、フレイヤに全て擦り付けると言った。ならばもう、そうなるのだろう。女神フレイヤにそれを拒否する権利はない。

 

「……分かったわ、今回の件の負債は全て私達が引き受ける。これでいいのね」

 

「ああ、それと生き残っている全ての眷属に伝えておけ。『お前達が負けたせいで自分は顔を殴られることになった』とな。そうすれば少しは危機感も湧くだろう。個だけの力の集まりなど、より大きな個を前にすればゴミに等しいと」

 

「……ええ、しっかり伝えておく」

 

「ならばいい……っ」

 

「お、おい」

 

ふらりと倒れそうになった彼女を、シャクティが受け止める。

今はリヴェリアがオッタルの治療を行なっているが、それも直ぐにディアンケヒト・ファミリアの眷属達が来ればどうにかなること。ラフォリアもシャクティに手渡されたポーションを飲み込み、悪かった顔色を少し戻す。

 

「お前は本当に、なんという無茶を……」

 

「仕方ないだろう。フレイヤ・ファミリアを締め上げるには、今しかなかった……」

 

「2日前に受けた傷も治っていないだろうが」

 

「……だからと言って、オッタルが弱かった訳ではない。もしこいつが完全な装備で来ていたら、万全の私であっても厳しかった」

 

「分かっている、言われなくとも誰もそんなことは言わん」

 

「……それに、フレイヤ・ファミリアのケツを蹴り上げる良い機会でもあったからな」

 

「「「!」」」

 

ラフォリアの言葉に、驚いた顔をするのはその場に居た全員だ。

 

「ロキ・ファミリアは、ダンジョン探索で蹴り上げていくつもりだった。だがフレイヤ・ファミリアはそうはいかん。……だからこそ、お前達がああして狙って来てくれたのは、私にとっても好都合だったという訳だ」

 

「………貴女、やっぱり」

 

「私は、ザルドとアルフィアとは違う……奴等とは違うやり方で、お前達を……ごほっごほっ」

 

「ラフォリア!?」

 

「……なんでもない。だがこれで、正真正銘オッタルから"都市最強"の称号は奪ってやれた。これを見た冒険者共も、触発されるだろう。私に負けた奴等も、今まで以上に死に物狂いになる筈だ。……それは当然、お前達もな」

 

「っ」

 

やり方は違う。

けれど本質は同じだ。

彼女は自分達の壁になる。

……否、壁になってくれた。

 

彼女の言う通り、これからオッタルは再びその壁を乗り越えるために、これまで以上の努力を続けることになるだろう。敗れたフレイヤ・ファミリアの団員達はそんな彼を追って脚を早めるであろうし、この場に居た冒険者達も改めて実感した筈だ。……ゼウスとヘラの眷属という存在を、そしてそんな彼等でさえ敗れたという黒龍の脅威を。そして思い出した筈だ。そんな彼等に負けぬ様、争い続けていた日々を。

 

「女神フレイヤ」

 

「なにかしら」

 

「私は貴様の恋愛事情に口を出す気はない」

 

「!」

 

「好きにしろ、その末にどうなろうと私は知らん。だがせめて、誰に語っても恥ずかしくない恋愛をすることだな。……恋愛などしたこともない私に、こんなことを言わせるな」

 

「……ふふ、ごめんなさい、そればかりは約束出来ないかもしれないわ。私、今回は本気なの。本気で愛してしまったから、場合によっては貴女ともう一度戦うことになるかもしれない」

 

「……そのつもりはない」

 

その言葉を最後に、ラフォリアはシャクティを無理に使って駆け寄って来たディアンケヒト・ファミリアの方へと歩いていった。

まあ本当に、よくもまあここまで荒らしたものだと言わんばかりの有様。これからの復興のことを考えるとギルドも頭を抱えること間違いなしではあるが、7年前の抗争よりもずっとマシであることは間違いない。

 

「ところで【勇者】、イシュタル辺りがこの機を見計らって攻めて来そうなものだけど……どうかしら?」

 

「それは無いから安心してくれて良いよ。この件に関しては、第三者の介入を確実に阻止するようにギルドから命令が出ている。もし介入をする者が現れた場合は、僕の権限でこの場にいる全ファミリアの総力を持って叩き潰すことになってるからね」

 

「そう……ウラノスの仕業かしら?」

 

「いや、どうやらラフォリアがここに来る前にロイマンの顔面にその旨を叩き付けていたらしい。邪魔をされたくなかったそうだ」

 

「……だからギルドの対応が異様に早かったのね」

 

「そのおかげで僕も色々と動き回る余裕が取れた。……この機に乗じて怪しい動きをしているファミリアは網にかかる筈さ」

 

「ほんと、抜け目無いわよね」

 

もしかすればロイマンの体重がここ数日で5kgほど落ちてしまうのではないかというくらいであるが、7年前のあの事件の際にも食欲だけはあった彼だ。むしろそれについては問題ないだろうとフレイヤは微笑みながら、オッタルの側に座り込む。

……負けたというのに、なんと清々しい顔をしているものだろうか。

それほどに彼の中には色々な思いが溜まっていたのであろうことを考えて、ラフォリアがそうしていたように、フレイヤもまた彼の頭を撫でる。

 

「なあフレイヤ、どうしてラフォリアを狙ったんや?ヘラの眷属やから、って話でもないんやろ?」

 

「……そうね。正直、悔しいのは本当よ。結局、またヘラに負けたようなものなんだから。ヘラの眷属であった彼女を自分の物にしたいと思ってたのも本当」

 

「でもそんだけんやないんやろ?」

 

「……オッタルがね、なんだか凄い顔をしたの」

 

「は?」

 

「あの子が生きていて、今この街に来ているって話をした時にね。オッタルが今まで見たこともないような凄い顔をしたの」

 

「へぇ、彼が……」

 

「それから珍しく私の側付の役割をアレンに任せてね。自室に籠ったり、貸金庫に行ったり、武器や防具の調達に行ったり、それなのに何だか私の側に居る時よりずっと生き生きとして、嬉しそうだったから……」

 

「嫉妬したんか」

 

「ええ、そう。それに私、元々『"静寂"より先に見つけていれば』って思うくらいには彼女のことは気に入っていたから」

 

どうやらそれはロキも初耳だったらしく、素直に驚いていた。

ラフォリアがこの街に戻って来た時点で、オッタルの中に潜んでいた15年前の自分が表に出て来てしまって、それを見たフレイヤも色々と感化されてしまったということなのか。……けれど、実はフレイヤが彼女を欲しがった理由は他にもあった。

 

「……それと少し、試してみたいこともあってね」

 

「試すって、なにをや?」

 

「もし彼女を私の物に出来たとして。……彼女とオッタルとの間に子を産ませたら、どんな愛らしい子が生まれるのかしらって」

 

「「「「「ぶっ」」」」」

 

これには流石にフィンも吹いた。

 

「な、な、な、な、何言っとんねんお前!?」

 

「だって私のファミリア。そろそろ良い年齢の子も多いのに、誰も子供を見せてはくれないのよ?1人くらいそういう子が居てもいいじゃない。……私だって子供は好きなのに」

 

「そらそうやろ!頬膨らませんな!自分の眷属の方向性考えたら当たり前や!!……ってか嫌やないんか!?」

 

「それはまあ良い気分はしないけど……私の知らないところでするのならまだしも、私の見ているところでやるなら問題ないわ。2人とも私が抱いてあげるってのも考えていたわね」

 

「最低や!!」

 

「仕方ないでしょ。オッタルの相手の候補となると、あの子くらいしか居ないんだもの」

 

「お前ほんまそれ絶対誰にも言うんやないぞ!絶対やからな!!!」

 

「……これを聞かせたら、オッタルが本当に泣くかもしれないね」

 

「ラフォリアはもう一度殴りに来るんじゃないか……?」

 

「他言無用、ここから外には絶対に出してはならん思惑じゃな」

 

こうして女神の思惑は、見事に叩き潰された。

その後に治療院で目を覚ましたオッタルに対して、フィン達が異様に優しい目を向けていたのは、まあ仕方のないことなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「何をやってるんだ君はーー!!!!!!」

 

 

 

「………喧しいな。ここは治療院だぞ、馬鹿乳」

 

「君に世間常識を唱えられたくはないやい!!本当の本当の本当に何をやってるんだー!!」

 

例の抗争の次の日、ディアンケヒト・ファミリアの治療院。

今や大量のフレイヤ・ファミリアの眷属達が治療を受けているその場所の個室で、寝ながら本を読んでいた呑気な彼女の元に、ヘスティアは必死の形相で現れた。そこにベルの姿はない。

 

「君は2日間、つまり昨日まで大人しくしてるって約束したじゃないか!!それなのに約束も破って、どころかこんな!フレイヤのファミリアを!襲うなんて……!!」

 

「見張っていなかったお前が悪い」

 

「これ僕の責任になるのかい!?」

 

「そもそも【戦場の聖女】とやらのせいで治療が早過ぎる、休んでいられる余裕が無かった。結果上手くいったのだから問題なかろう」

 

「問題しかないやい!!」

 

「ああ、それとベルはどうした?今回の件はなるべくあいつには言うなよ、説明が面倒臭い」

 

「言うつもりもないし、言えないよ!!こんなの伝えたらベル君がショックで死んじゃうよ!!」

 

「どうせいつかは知ることになるがな。もういいから落ち着け馬鹿乳」

 

「へぶっ!?」

 

いつまで経っても怒りが収まらないヘスティアの顔面目掛けて、近くに置いてあった果物の皮が投げ付けられる。

仮にも神の顔にゴミを投げ付けるのだから、不遜が過ぎる。しかし女はいつも通りの顔をして近くにあった水を飲むのだから、本当に太々しい。

 

「こほっ、こほっ」

 

「……?どうしたんだい、風邪かい?」

 

「いつものことだ。……それで?何のようだ?」

 

「いや、普通に心配で来たに決まってるだろう?」

 

「なんだ、てっきり恩恵を刻んだ関係でギルドからの罰金が来ないか心配になって来たのかと思っていたが」

 

「そうなったら君に頑張って貰うしかないし、そもそも僕はベル君の武器のためにヘファイストスから2億の借金をしているんだ。今更それが3億になろうが4億になろうが変わらないよ」

 

「……結構な懐の広さだな、胸のデカさと比例するのか?」

 

「余計なお世話だ」

 

そもそもベルのためにそこまでのことをしていたとはラフォリアも露知らず、ちょっと引いたような目で彼女を見るが。ラフォリアも他人から見れば引かれるようなことをしているのだから、まあある意味で似た者同士だということ。

それに別に、そもそもそんなことには決してならない。

 

「だがまあ、気にするな。その辺りの負債は全て女神フレイヤに押し付けてある、その上そもそも私はお前のファミリアに正式に所属している訳ではない」

 

「いや、そうは言っても……」

 

「別に恩恵だけを受け取っている者など何処にでも居る。普段は好き勝手やって、更新だけをしに来る輩もな。結局そういった輩はギルドでは把握出来ない。故に私が何処で何をしようが、お前が何も言わなければ誰にも分からん」

 

「う〜ん……でもなぁ……」

 

「余計な負債を抱え込もうとするな。それが貴様1人の問題であるのならばまだしも、お前にはベルが居るだろう」

 

「……!」

 

「私はお前の善意を利用したに過ぎん、つまりお前は今回の件に関しては完全な被害者だ。……そうしておけ、あいつを余計な事に巻き込ませんためにもな」

 

「………うん」

 

悔しいが、今のヘスティア・ファミリアにフレイヤ・ファミリアとどうこうするような力はない。ヘスティアにそれ以外の選択肢など選べない。

今のところヘスティアとラフォリアの関係は、ただ恩恵を入れただけ。そんな関係の神と眷属は、例えば例の酒場の女店員の中にだって何人も居る。

それにヘスティアは彼女の何かを知っている訳でもなく、どうしてこんなことになったのかも知らないし、教えてすら貰えない。信頼関係など、あってないようなものだ。本当に大切なことすら教えて貰えないのであれば、それは偽りとまでは言わなくとも、強いものでは決してない。

 

「……それで、ベルはどうした」

 

「ああ、今はまだ寝ているよ。ベル君も昨日は色々大変だったみたいなんだ、サポーターくんの件でね。もう解決したみたいだけど」

 

「そうか、それは何よりだな」

 

ちなみに話は逸れるが、実は一番大変だったのはロキ・ファミリアだったりもする。

あの場にアイズが居なかったのは、ベルを助けに行った直後にヘルメス・ファミリアと共に24階層へ向かったからであり、遠征の準備や地下水路の調査なんかの予定していたことも全部後回し。その上でアイズから24階層へ行くという話を聞いてしまって、もうとにかく動かせる人間を動かした結果、その彼等まで怪我をして帰ってくる始末。しかもヘルメスの眷属の中には死者すら出たほどだ。そこには闇派閥の生き残りであるオリヴァス・アクトが居たり、それが18階層で遭遇した怪人と手を組んでいたりして……

絶賛彼等は頭を抱えて会議の最中である。

 

「……それで、君はこれからどうするんだい?」

 

「暫くはロキ・ファミリアのケツを叩く。遠征にも協力してやるつもりだが、フレイヤ・ファミリアにも多少の肩入れはしてやるつもりだ」

 

「はぁ〜、君は本当に凄い人なんだねぇ」

 

「今やれることは、今しておくに限る。神の眷属と言えど、いつまで立って歩いていられるかは分からんからな」

 

「耳の痛い言葉だなぁ……」

 

「それと、いい加減に新しい本拠地も探しておけよ。あと1月くらいは猶予をやるが、それ以降は容赦なく追い出すからな」

 

「本当に耳の痛い言葉だなぁ!?」

 

「幸い、深層に行って金も出来たからな。今直ぐにでも買い戻せるが、私もそこまで鬼ではない」

 

「く、くぅ……何も反論できない……」

 

「家賃を払うのであれば、もう一月くらいは考えるが」

 

「……どれくらい?」

 

「月7万」

 

「だ、妥当かもしれないけど今の僕達にはキツい……!!」

 

「努力しろよ」

 

「ひぃん」

 

ヘスティアは泣いた。

 



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被害者16:サポーター

『ベルがここに来る時は、そのサポーターとやらも連れて来いと伝えておけ』

 

そんなラフォリアの言葉。

ヘスティアは当然ながらベルにそのことを伝えて、それから2日後に彼の新しいサポーター:リリルカ・アーデと共に治療院を訪れていた。

今やフレイヤ・ファミリアの殆どの眷属達は退院し、完全に更地と化した本拠地を立て直したり、金銭の都合を付けるために深層へ向かう準備をしている最中であったりもする。故に多少静かになったこの雰囲気こそが、なんだか妙に緊張したりする。

 

「あ、あの、ベル様?ヘスティア様?……その、ラフォリアさんという方は一体」

 

「うん、なんというか、その……流れ的に僕の恩恵は刻んでいるんだけど、一応ファミリアには所属していないっていうか」

 

「同居人、って感じかな。少し厳しいけど、優しい人だよ。それに僕はよく知らないけど、冒険者としても凄い人みたい」

 

「はぁ……」

 

リリルカ・アーデは、諸々の経緯があってベルのサポーターを正式に務めることとなった小人族の少女であった。

そんな彼女にとって冒険者というのはあまり良い印象の存在ではなく、こうしてベルのサポーターを正式にするようになったのも、単にベルの人柄に自分の全てを預けても良いと思えたからに過ぎない。

……故に、緊張している。

もしその人が自分を嫌うようであれば、もしかすればベルの隣に居れなくなってしまうかもしれないから。そう言われてもおかしくないようなことを、昨日までの自分はして来たのだから。そう思うと……

 

「ラフォリアく〜ん、入るよ〜」

 

『入れ』

 

「っ」

 

女神に対して凄まじく不遜な言葉が聞こえて来て、思わずリリは身体を跳ねさせる。しかしそれに慣れたように苦笑いをして扉を開け始めるヘスティア。少し待ってほしい、そんな覚悟はまだ出来ていない。怖い冒険者というのは本当に嫌いなのだ。

 

「リリ」

 

「……ベルさま?」

 

「大丈夫だよ」

 

ベルは優しく微笑みながらリリの肩に手を置く。

そうされてしまうと、途端に恐怖感は和らいでいく。

彼がそこまで言うのだから、本当に優しい人なのかもしれない。……なんて直ぐにそう思い変えてしまうのだから、リリも本当にチョロくなったものだと自分のことながら思ってしまう。しかし実際にベルがここまで信頼している相手ならば、他の誰に紹介されるより信用出来るのは確かである。リリはそうしてベルに手を引かれながら、病室の中に入っていった。

 

「……ほぅ、それが新しいサポーターか」

 

「は、はいっ!?リリルカ・アーデです!よ、よよ、よろしくお願いします!?」

 

「喧しい」

 

「ごめんなさい!?」

 

なお、その信頼は病室に入って一歩目で秒速で破られた。

 

(ど、ど、どこが優しい人なんですかベルさまぁぁああ!!!一言目から"喧しい"って怒られたんですけど!?殺されそうな目で睨まれたんですけど!?)

 

リリは必死になって頭を下げた。

 

「あ、あはは……ええと、君に言われた通りに一応挨拶には来たんだけど……これ本当に必要だったのかい?」

 

「単純に私が気になっただけだ、特に意味はない」

 

「3人も呼びつけておいて、なんて言い草だ……」

 

「顔を上げろ小人族」

 

「は、はいぃぃっ!?」

 

まるで本当に王とか神だとかいうくらいの傲岸不遜な態度でそう言うものだから、もうリリにはそうとしか見えなくて。思わず膝を付けて座りそうになってしまいながらも、リリは彼女に顔を向ける。

 

「……悲惨な目をしているな」

 

「えっ……」

 

「私の嫌いな目だ」

 

「…………す、すみません」

 

「ベル、こっちに来い」

 

「え?あ、はい」

 

「お前も来い」

 

「え?」

 

突然自分の目を嫌いだと言われて、リリは落ち込む。それは自覚していることであるから。しかしそんな風に顔を俯かせていたら、今度は何故かベルと一緒に近くまで呼び出され、何故かこうして互いに顔を合わせて向かい合わせて立たされる。

なんだかその妙な行動に困惑しながら、しかし目の前にはベルの顔があって、ヘスティアが悔しそうな顔をしているくらいには役得を感じてしまう。

 

「どうだ、腑抜けた顔をしているだろう」

 

「腑抜けた!?」

 

「しかも未熟者でお人好しで馬鹿だ、そこの馬鹿乳に聞いた話では無謀で楽観的でもあるらしい」

 

「ごふっ」

 

「…………だがまあ、これくらいで丁度いい」

 

「「……え?」」

 

「人間、少し馬鹿なくらいが丁度良いと言うことだ。こいつに然り、あの男に然り、馬鹿みたいに必死になれる人間の方が好ましい」

 

「……えっと」

 

「関わる相手によって人間の性質というのは影響されるものだ。困ったらこいつの顔を見ておけ、自然とお前も馬鹿面になる」

 

「な、なんか、あの、褒められてるんですよね……?」

 

「いや?」

 

「褒めてなかったんですか!?……ひぐっ!?」

 

「ベル様!?」

 

シパーンッと、突然何の理由もなくベルの額に放たれるデコピン。

少したたらを踏んで下がったが、しかしそれでも尻餅をつくことなく立ち直った彼を見て、ラフォリアは少し驚いたように、けれど何処か嬉しそうにして笑う。

 

「……強くなったな、ベル」

 

「え?」

 

「いや、なんでもない。……まあ実力は期待出来んが、サポーターとしての歴は長いのだろう?」

 

「え?あ、はい、それはそれなりに……」

 

「ならば下手な新人よりよっぽど良い。精々助けてやってくれ、容易く死なれては寝覚めが悪いからな」

 

「は、はい……!それは当然です……!」

 

思っていたよりもすんなりと受け入れられてしまって、確かにヘスティアが言っていた様に、彼女は意外と優しいところがあるのかもしれない。……ただ、リリとしては正直未だに彼女のことがよく分からない。少なくとも、そこそこの年数をこのオラリオで活動しているリリであっても、ラフォリアという女性冒険者の名前は聞いたことがなかった。彼女が強い眷属であることは雰囲気からなんとなく分かるのだが、そもそもヘスティアの恩恵を刻まれている時点で有名な人間ではあるまい。そうなると一体彼女はどういう人なのか、本当に信用してもいい人間なのか、気になってしまったりして……

 

「あの、ひとつお聞きしても良いですか?」

 

「うん?なんだ」

 

「その、ラフォリア様はお強い冒険者だと聞いていたのですが、一体どれほどお強いお方なのでしょう……?」

 

「Lv.7だ」

 

「「ぶっ」」

 

ベルとリリは吹き出した。

あとヘスティアは目を背けた。

まるで自分は関係ないとばかりに、まさかその一助に自分がなっていたとは思わせないように。

 

「な、な、ななっ、7!?なな!?Lv.7!?そ、そんなの【勇者】を超えて"都市最強"と同等じゃないですか!!」

 

「ああ、いずれ公表されるが【猛者】は"都市最強"ではなくなったぞ」

 

「はぁっ!?」

 

「私も良くは知らないが、どうも何処かの美人に負けたらしい。そのうち公表されるが、今の"都市最強"は別人だ」

 

「そ、そうだったんですね。僕全然知らなかったです」

 

「白々しいなぁ……」

 

「…………えぇ」

 

いくらなんでも、ここまで言われて気付かないほどリリも阿呆ではない。……いや、それに完全に誤魔化されているベルを阿呆だとか言っている訳ではなくて。ただ、話の内容的に少なくとも現在の"都市最強"がこの女であることは、ほぼ間違いのない話なのだろう。

……そういえば、ベルとリリがダンジョンで諸々のことがあったあの日。ギルドは酷く慌ただしく、しかもフレイヤ・ファミリアの本拠地で爆発事故があったということをリリは聞いた。それも一帯が更地になるほど酷いものであったらしく、フレイヤ・ファミリアの団員達もほぼ全員が治療院に運ばれたとか……

 

(ま、まさか、全部この人の仕業……?)

 

もしそうなのであれば、果たして優しい人間とは一体なんなのかという話にもなってくる。

というか少なくとも、もし彼女の言っていることが本当なら、ヘスティアが否定しないということは、確実に今のリリなんかが話を出来る相手でもなくて……そもそも想像していたより3倍くらいヤバい立ち位置に居る人で。もうなんだかその辺りのベルやヘスティアが気付いていない辺りまでリリの脳は弾き出してしまって。

 

「あ、ああ、あの、あのあの……!」

 

「なに、安心しろ。私にとってはレベルが幾つあろうが全て等しくゴミだ、判断基準はその人間の将来性だからな」

 

「ゴ、ゴミ……」

 

「相変わらず酷そうなことを言いながらまともなことを言うよね、君は」

 

「その点で言えばお前も悪くはない」

 

「え……」

 

「良い具合に泥臭いというか、泥に浸って生きて来ただけあって、お前は手を選ばないだろう」

 

「っ」

 

「そのまま掃き溜めに落ちて行くのならまだしも、このお人好しに引き上げられたのなら、上手く育てば使える人材にはなる。地獄を見ながらも光の下に這い上がって来た人間は、貴重な役割を担えるからな。何処のファミリアにも1人は居て欲しい存在だ」

 

「そう、なんですか……?」

 

「結局は努力次第だがな。最低でもそこの阿呆が騙されるのを防ぐ程度の役には立つ」

 

「ラフォリアくん、そろそろベル君が泣くぜ?」

 

「勝手に泣かせておけ」

 

「ひ、ひどい……」

 

ここまで聞いてリリが感じたことは、良くも悪くも、この人は自分の価値観に忠実だということだ。

きっと自分はベルに救われたから認められているし、ベルに救われる前であれば見捨てられていた。しかしその基準は決してベルの関係者というものではなく、将来性があるかどうか。それはリリだって自覚している、以前の自分に将来性など皆無であったということくらい。

そして一方で恐らく彼女に気に入られているであろうベルは、リリから見ても将来性の塊だ。つまりはそういうことだ。

才能だけではなく、境遇、性格、考え方、そういった多くの要素を含めて彼女はそれを判断する。……ならば彼女に好印象を持って貰えているうちは、自分にはまだまともな道を進めているということ。それを教えて貰えるというだけでもこれは非常に価値がある出会いであったのではないかと、リリは考える。

 

「さて………お前達、もう帰れ」

 

「はっ!?」

 

「え!?ま、まだ僕達来たばかりですよ!?」

 

「この後、別の男とも約束をしていてな。邪魔だ、さっさと帰れ」

 

「もうなんか、酷いとかそれ以前に普通に非常識だよね、君……」

 

「非常識な乳をした奴に言われたくないが」

 

「そんな変な形はしてないやい!!」

 

「ああ、だが馬鹿乳は残れ。少し聞きたいことがある」

 

「くうぅ、僕は君より大きいんだからな!これは立派なアドバンテージっていうやつだ!僕の方が凄いんだ!」

 

「邪魔だから要らん、今でさえ肩が凝るのに。これ以上など何の罰だ」

 

「罰って言った!?今罰って言ったな!?」

 

「……ああ、そうだベル、お前に小遣いをやる。これで備品を揃えて飯でも食って来い」

 

「えぇ!?そんなの貰えませんよ!?」

 

「祝金だ、拒否すれば殺す」

 

「ありがとうございます!!!!」

 

「よし、ならば行け」

 

「はい!!行ってきます!!」

 

「え!?あ……あ、ありがとうございました!?」

 

受け取らなければ殺す、などと言って金を渡す人間が一体どこに居るというのか。ここに居るが。それにベルも随分とラフォリアの対応に慣れたものだとも思う。彼女の厚意は拒むものではなく、受け取った上で返すものだ。彼女が厚意を断られることを不快に思い、それを表に何の遠慮もなく出す人間だからこそ学べることでもあるのかもしれない。

……とは言え、今回は少々強引にも見える。

 

「……それで?こうまでしてベル君を追い出して僕に何を聞きたいんだい?」

 

「ベルのステータスの上昇量が異常過ぎる、アレは何のスキルを持っている」

 

「っ!?どうして分かったんだい!?」

 

「私の指弾きで容易く吹き飛んでいた様な奴が、今やたたらを踏む程度で済んでいる。どう考えても異常だろう。まさか正攻法でそこまでステータスが上がる訳もあるまい」

 

「…………」

 

いつかはバレてしまうとは思っていたが、やはりラフォリアには隠せないようだった。ヘスティアは諦めて、溜息を吐きながらポツポツと話し出す。

 

「……簡単に言えば、早熟するスキルだ」

 

「条件は?何の条件もなくそれほどの恩恵が受けられるはずはないだろう」

 

「懸想、つまり想いの強さが鍵だ。……対象はまあ、なんとなく分かるだろうけど」

 

「なるほど、あの娘か」

 

「そういうことさ。想いが続く限り効果は持続するし、想いが強くなるほど効果は大きくなる」

 

「……危険なスキルだな」

 

「え?」

 

「逆に言えば、想いが打ち砕かれることになれば成長が止まる可能性もある。失恋するなり、あの娘が下衆に成り下がるなり、若しくはベル自身が自分は相手に相応しい存在ではないと思ってしまえば、そのスキルは途端に枷になる」

 

「………!!」

 

「ステータスの伸び幅は?」

 

「そ、それはかなり凄いよ。一回の更新でトータル200以上の上昇は当たり前なくらい……」

 

「ベルにこのスキルのことは?」

 

「つ、伝えてない……当然、他の誰にも言ってない。他の神に遊ばれても嫌だから」

 

「正しい判断だな。……しかし、この下衆と糞神の多いこのオラリオでこの条件はかなり苦しいだろう。ステータスはともかく、レベルの上がる速さは誤魔化せん。厄介な神々共に狙われるのは最早回避も出来ん」

 

「うぅ……」

 

例えば何処かの美の女神とか。

ラフォリアは言わないが、あれはもう完全に狙っているし、本気も本気のど本命。

そしてあの女神が本気になるほどということは、余程神々からしてみればベルという人間は魅力的に映るのだろう。ベルをめぐった争奪戦が起こってもおかしくはないし、女神によっては身体や魅了を使って強引に襲いに来る可能性だってある。というか女神に限らず、男神でもだ。

ベルは正に神から好かれるというのは決して良いことでもないという話の良い例になるような男だ。いつの時代も純粋な人間というのは遊ばれ易い。

 

「……まあ、最低限は助けてやる」

 

「本当かい!?」

 

「将来性があるからな。……だが、極力関わることはない。私が介入すればより面倒になる事態も多い」

 

「あ、そこは自覚してるんだ」

 

「それと、相手が正攻法で来るのであれば、そもそも手を出すつもりもない」

 

「それは、どういうことだい?」

 

「つまり、相手が暴力や権力を使うことなく、ベルに直接的な勧誘や告白をして来た場合だ。それはたとえ相手が神であろうと正当な権利だからな、手も口も出さん」

 

「……うん、僕もそれはそう思うよ」

 

要は手を貸してくれるのは、ベルが相当な理不尽に晒された場合のみ。『自分で解決できることは自分でしろ』……どころか、『解決出来る可能性があるのなら自分でやれ』くらいの話。どう考えても無理だと判断した時にだけ手を貸す、その程度のものだ。

ラフォリアは、そういったトラブルを乗り越えてこそ身につく物もあると考えている。それは単純な実力だけでなく、繋がりだったり、精神的な成長だったり、決して全てを肩代わりすることは優しさではないし、むしろ時には試練を与えるべきであるとも思っている。

 

「それにしても……成長を早めるスキルと来たか、またとんでもないレアスキルを1人目の眷属から引いたものだな」

 

「うぅ、こんなの相談出来るの君くらいだよ……」

 

「当人には碌な才能がないが、その伸び代を意志の強さで引っ張って来たと考えるとまた面白いがな。上手くやれば直ぐにでも中堅のファミリアになれる、良かったな」

 

「別に僕はそんなこと望んでないんだけどなぁ……ベル君が幸せになってくれるのなら急いで大きくなる必要もないと思うし」

 

「出来るうちに大きくしておけ。所詮は実力主義の街だ、力のない者はただ搾取される。それが単に金であればまだ良いが、眷属までその対象になるのが厄介なところだ」

 

「ほんと、僕達(神)って碌でもないよねぇ……」

 

「そうだな、恩恵が無ければ何柱殺していたか分からん」

 

「………」

 

こいつも碌でもない奴である。

 



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被害者17:猛者

さて、それからヘスティアも病室から出て行った後。大体30分くらいラフォリアが再び本に目を通していると、また新しい足音が聞こえて来る。足音の数は2つ、男と女。

ラフォリアは笑みを描いて本を閉じる、病室に入る扉はヘスティアに開けたままにさせておいた。

 

「元気そうだな、元"都市最強"」

 

「………ああ」

 

「私は無視なの?」

 

「お前はいつも通りだろう」

 

「酷いわね、私だってショックは受けているのに」

 

あれほどの怪我を負っていたにも関わらず、もうすっかり治されたのか。彼の女神と共に現れた"元"都市最強。

ヘスティアを使って並べさせた2つの椅子に、ラフォリアは座るように誘導する。

 

「……それで、ギルドからの通達は?」

 

「約束通り、街の修繕とギルドからの罰金は全部私達の方で請け負うことになってるわ。今は眷属総出で金策中、アレン達は早速今日から緊急の遠征に向かったところよ」

 

「ほう、多少なりとも仲間意識が芽生えて来たようで良かったじゃないか」

 

「ふふ、それはどうかしら。貴女という一番の敵が出来たからこそじゃない?……それと、しっかり伝えておいたわよ。『貴方達が不甲斐ない所為で私は頬を叩かれる羽目になった』ってね」

 

「それは良い。お前のせいだぞオッタル、反省しろよ」

 

「お前がそれを言うのか……」

 

ラフォリアが軽口を叩き、オッタルがそれを受け入れて指摘する。そんな何でもない言葉の交流も、本当に久しぶりのことだった。口より先に手が出て、言葉より先に力で理解を深めるのだから、本当に何処の戦闘民族だとフレイヤは思わざるを得ない。自分のやんちゃを棚に上げて。

 

「………それで、貴女はどこまで答えてくれるのかしら?」

 

「さあな。オッタルに負けていたら全て話さざるを得なかったが、私が勝ってしまったからな?」

 

「……………」

 

「だがまあ、私の予想以上に奮闘したことも含めて2つまで機会を与えてやる。感謝しろよ、オッタル」

 

「………調子に乗りすぎだ」

 

「今乗っておかずに、いつ乗る気だ?私は常々思っている、勝った人間は負けた人間を盛大に煽るべきだとな」

 

「最低が過ぎる……」

 

「それほどでもない」

 

何を謙遜しているのだとも思ってしまうが、しかしこの2つという褒美は、オッタルにとって何より欲しかったものだ。それが1つであったとしても、彼は喜んでいた。それほどにまで知らなければならないことが、彼にはあったからだ。たとえそれが恵んで与えられたものであったとしても、彼には分からないことが多過ぎる。

 

「それじゃあ、核心から斬り込んでいくのだけれど………貴女は21階層で"静寂"の魔法を使ったと聞いたのだけれど、どうして貴女が使えたのかしら?」

 

「………個人的にはあまり話したくないことの一つだな」

 

「スキルか……?」

 

「そうだ、スキルだ」

 

オッタルが何よりも驚いたあの光景、そしてそれは予想通り彼女の新しいスキルによるものだったらしい。

他者に変身する魔法は珍しくも存在は確認されているが、それがスキルともなればどれほど珍しいものか。それは多くの冒険者達を見て来た彼等だからこそよく知っている。

 

「効果は、"静寂"の模倣か……?」

 

「違う、ステイタスの再現だ」

 

「!」

 

「奴の魔法を私が模倣した訳ではない、私のステイタスが一時的にあの女のものと同等になっていた」

 

「……つまり、貴女が本来持ち得る全ての魔法やスキルが無くなり、"静寂"の魔法やスキルが置き換わっていた。そういうことかしら」

 

「早い話がそうなる。使用すると容姿まで変化するからな、目の色が一時的に変わっていたのもそのためだ」

 

「そういうことか……」

 

ということは、要するに。

ヘディン達が恐れていた様な物理反射と魔法無効の同時使用どころか、2つを器用に使い分けることも難しかったということだ。それほど扱いやすい代物ではなかったらしい。こう聞くと対処法も思い浮かんで来るというもので、むしろそれほど分かりやすい変化があるのであれば、"静寂"の魔法を警戒するのはその変化を見てからでも良い。

……そうしてオッタルは次の勝負のために思考を纏め始めてしまう、大切なことに全く気付くことなく。

 

「本当にそれだけ?」

 

「……フレイヤ様?」

 

「…………」

 

「まだ隠していることがあるんじゃないかしら、ラフォリア」

 

「…………」

 

問い詰める様に彼女を見るフレイヤに対し、ラフォリアは表情を無に変えて黙秘を貫いた。既に1つ目の疑問には答えたということなのだろうか。それとも単純にそれだけは言いたくはないというのか。

 

「オッタル、申し訳ないのだけれど2つ目の質問も私がさせて貰ってもいいかしら」

 

「それは……構いませんが……」

 

「………チッ」

 

「それなら2つ目の質問なのだけれど……」

 

 

 

 

 

「貴女、どれくらい身体を悪くしているの?」

 

 

 

「っ」

 

オッタルは目を見開く。

そしてフレイヤとラフォリアの顔を交互に見る。

………そして、気付いてしまった。むしろ、気付くのが遅れ過ぎているくらいだった。それほどに明確におかしなことが今、こうして目の前には存在していた。

 

「ラフォリア………何故お前は、未だに治療を受けている……?」

 

「…………」

 

「あれほどの怪我をした俺でさえ、こうして既に出歩いている。……にも関わらず、何故お前は未だここに居る?」

 

【戦場の聖女】が後回しにしている、とは考え難い。彼女の手腕を考えれば、ラフォリアの治療など手隙の時間で直ぐ様に終えていた筈だ。それほど彼女の能力は優秀であり、ラフォリア自身もそこまで大きく怪我をしていた筈もない。むしろオッタル自身の方が死の数歩手前まで来てしまっていたため、優秀な治療師達の力を借りながらばならなかったほど。……つまりこうして未だ治療院に居るということは、普通に考えてオッタルよりも彼女の状態が悪いということで。

 

「……っ」

 

「何に気付いたの?オッタル」

 

「……21階層から立ち去る際、お前は咳をしていた」

 

「…………」

 

「あの場で私を叩いた後も、貴女は咳をしていたわね。それも多少の喀血をするくらいに」

 

「…………」

 

「答えなさい、ラフォリア。そもそも"静寂"のステイタスを完全に再現したというのなら、彼女の恩恵に刻まれた"病"すら再現しているということくらい、私にはお見通しなのよ」

 

「「!」」

 

それが核心だった。

それが全てだった。

……それ以上を理解するのに、これほど明確な入口も他にはなかった。

 

「………お前」

 

「ラフォリア、貴女のその再現のスキルの名前を言いなさい」

 

「……転静写寂(ロスト・アタラクシア)だ」

 

「……そう。また酷いスキルを引いたものね、本当に」

 

「どういうことですか、フレイヤ様」

 

フレイヤが珍しく心から落ち込んだ様子を見せる。

病のスキルを再現してしまい、自身の病を悪化させてしまったと。オッタルはそう理解していた。だが実のところは、そうではない。そんな生易しい代償が、これほど強力なスキルの価値と釣り合っているはずがない。

 

「ラフォリア………貴女のその髪、最後に染めたのはいつかしら?」

 

「………………1年前だ」

 

「!!?」

 

つまりは、そういうことだった。

 

「転静写寂(ロスト・アタラクシア)、つまりは静寂を自身の身に転写することでスキルや魔法を含めた恩恵そのものを再現する。……けれど、一度転写した物はそう簡単には元には戻らない」

 

「………そうだ」

 

「馬鹿な……」

 

「スキルを使う度に、貴女の身体は"静寂"に置き換えられていく。髪も、背丈も、目の色も。……よく見なさい、オッタル。両の目の色が僅かに異なり始めているのが分かる筈よ」

 

そう言われて注視してみれば、確かに彼女の蒼色の瞳が、右と左で若干異なって来ているのが分かる。そしてフレイヤの言うことが本当であるのなら、彼女のこの髪色も既に地毛となっているということだ。

最後に染めてから1ヶ月、もしかすれば彼女自身もそれが単に染め物のせいだと内心では言い訳をして来たのかもしれない。見て見ぬ振りをしていたのかもしれない。しかし本当に染めていたのであれば、1年も経てば彼女の本来の色である黒が頭頂部から見えて来ている筈なのだ。……要するに。

 

「貴女は今、"静寂"の病と自身の病の2つを併発している。……間違っているかしら?」

 

「………その通りだ」

 

「な、にを……」

 

信じられない、信じたくない。

オッタルの心の内に広がるのは、単純に絶望。

 

「ということは、まさか……あの時、お前が『後悔する』と言っていたのは……!!」

 

「……次に使えば併発する事はなんとなく予想していた。そうなれば私の寿命は急激に短くなる。……そら見ろ、後悔しただろうが」

 

「っ……!」

 

決して恨みがましい顔ではなく、むしろ優しい目でそう言って来ることが、何よりも辛い。

ラフォリアを救うどころではない、ラフォリアを犠牲にしないどころではない。オッタルは自身の行動によって、むしろ彼女を死へと追いやっていたという訳だ。

それにこうなってしまったのなら……本当に、あと何回本気の彼女に挑めるのかも分からない。むしろ今回のが最後になる可能性の方が高いくらい。

 

受け止められない。

受け入れられない。

そんな残酷な事実が、今はラフォリアから受けたどんな攻撃よりも重く痛くのしかかる。

 

「それで、実際のところ体調はどうなのかしら」

 

「Lv.7になったことで大分抑え込めてはいるが、咳だけは治らん。激しい行動や強いダメージを受けるのも良くはないらしい、喀血する。……とは言え、【戦場の聖女】が薬を作ってくれている。こうして寝ているのも、それが作り終わるまでだ。大したことはない」

 

「そう……それでも、"大したことはない"は嘘でしょう?」

 

「……元よりそう時間のない身だ。猶予が減ったという意味であれば、大したことはある」

 

「それを"大したことはある"と感じているのは、他でもない貴女自身よ。貴女はその代償をとても大きなものだと感じている。……オッタルの前だからと言って気を遣うのはやめなさい、恨言の一つでも言っていいのよ」

 

「…………」

 

ラフォリアからの言葉は少ない。

何も言う気がないのか、言うつもりもないのか、どちらにしてもこの件に関して彼女はオッタルを責めることはしないようだった。そこには彼女自身がフレイヤの眷属を殺してしまっているという負い目もあるのかもしれない。……実際のところ、そうなってしまった理由もフレイヤ達の方にあるのだが。それを他人の責にせず、自分の物として受け入れるのもまたこの女だ。オッタルはそれをよく知っているし、だからこそ二重に重荷を押し付けてしまった自分の行動に、やはり彼女の言った通りに酷い後悔を抱えてしまう。

 

「………ラフォリア、俺は」

 

「慰めの言葉など不要だ、謝罪の言葉も必要ない。そんなことをしている暇があるのなら高みを目指せ、私はお前を憎んではいない。……お前が馬鹿な男であるということなど、とうに知っていたことだからな」

 

そこに嘘はなかった。

ラフォリアが気にしていたのはむしろ、この事実を知って僅かでもこの男が揺らぐことだ。それでは何の意味もない。

 

「私のことなど捨ておけ」

 

「………!」

 

「貴様の目的は私か?違うだろう、私などよりもっと先があるだろう」

 

「……目的の1つにお前があったことは、確かだ」

 

「それでも私はお前の過程に過ぎん。確かにお前は私の時間という可能性を奪ったが、ならばその分だけお前が私の成せなかったことを成せ。……私は常に自分の出来ることをやっている、これから先もそれは変わらん。その中で既に1つは間違いなく取り零すことにはなるが、それはお前が果たせ」

 

「何の話だ……?」

 

「黒龍は貴様が倒せ」

 

「………!」

 

「今のオラリオには未だあれと対峙出来る力はない、かと言ってそれを待つには私には時間が無さ過ぎる。故にお前がやれ、オッタル。……黒龍を殺せなくなったせいで、私はこの格好をやめられなくなったんだ。その責任くらいは取れ」

 

「……そういえば、何故、"静寂"の格好をしている?」

 

「そうね、それも最初に聞くべきよね」

 

「あの女との賭けに負けたからだ。しかもその次の日にあの女は糞男神についてオラリオに行きやがった、それから7年間私はずっとこれだ」

 

「……本当に真面目ね、貴女」

 

「あの女になりたいなどと思ったことは一度たりともないのだがな。……むしろこれのせいで私は未だにあの女に縛られている、この調子では私が死ぬまで纏わりついて来るのだろう」

 

嫌そうで、辛そうで、悲しそうで、けれど嬉しそうで。そんな複雑な内心が透けて見えるその言葉に、彼女の弱さも垣間見える。しかしそんなのも一瞬のことに過ぎず、直ぐに切り替えて彼女は目を上げて表情を戻す。想いに浸っている暇などないと、自分自身を戒める。

 

「私のことはもう良いだろう。……オッタル、お前はこれからどう積み重ねていくつもりだ。Lv.8にはもうなれるだろう?」

 

「……今はそのつもりはない」

 

「あ?」

 

「お前がバロールを倒したということは聞いている。ならば俺もまた奴を打ち倒さず次に進むことなど出来ない」

 

「馬鹿かお前は」

 

「何と言われようとも構わん。だがLv.8となればアレを容易く屠り、お前にも勝ちの目が見えてくる。……だがそれでは何の意味もない、俺自身が納得することが出来ない」

 

「……はぁ、好きにしろ。私は何のためにあそこまでやったんだ」

 

「すまない」

 

オッタルも大概頑固なところがある。

ラフォリアは溜息を吐いて諦めた。

そしてそんな2人を見て、フレイヤは笑う。

 

「ほんと、勿体ないわよね。貴方達」

 

「「?」」

 

「ラフォリア、貴女は子を産む気はないの?」

 

「……?いきなり何の話かは知らんが、そのつもりはない。欲しくはないと言えば嘘になるが、そもそもこの身体で産めばその子が成長するまで見守る時間も無くなる。付きっきりで見ていられる余裕もない。その分の時間でより多くの冒険者を鍛えられる」

 

「そう……でも、少しは私達のことを信用して自分の幸せを取ってもいいんじゃない?もう良い歳なんだし」

 

「15年も時間がありながら未だにヘラとゼウスに追い付けていないお前達に何を言われようと信用など出来ん。あの女の犠牲を無かったことにしないためにも、私は貴様等のケツを叩き続ける」

 

「………すまない」

 

「それが仮にもヘラの眷属であった私の役割だ。……そもそも女としての幸せなど、私の様な人間に得られる筈もない。余計なことにまで責任を感じるな、図々しい」

 

 

 

「貴方達で子供作ったら?」

 

 

 

「「ぶっ」」

 

その後、フレイヤは珍しく滅茶苦茶怒られた。

ラフォリアだけでなく、オッタルにも。

むしろオッタルは一歩間違えれば泣きそうになっていた。

当然である。

もう一度ラフォリアに殴られなかっただけ温情だった。



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被害者18:炉の女神

オッタルとフレイヤとの会話から数日が経ち、ラフォリアは漸く退院することが出来た。やはり15年前よりも医療に関する技術は主に【戦場の聖女】ことアミッド・テアサナーレの活躍によって飛躍的に向上しており、新しく受け取った薬は以前の物より効果が高く、副作用も少なくなっているらしい。

ラフォリアの主な問題としては、"静寂"のステイタスに直接刻まれている病ではなく、元より自分が持っていた方の病だった。というかそもそも、前者の方は明確な治療方法というのは存在しない。アルフィアでさえそれを緩和させることが精一杯だったのだから。

 

『どちらの病も現時点で明確な治療方法は存在しません。特に貴女が抱えている呼吸器系の異常については、度重なる破壊と治療の繰り返しが齎したダメージの蓄積が原因と私は考えます。……つまり、精度の低いポーションや半端な治療魔法による回復は、むしろ貴女の寿命を縮めることになります。個人的には音魔法どうこう以前に、ダンジョンに潜ること自体を認めることは出来ません』

 

過去にまで遡ってもあれほどまでに優秀な治療師はいないとされている彼女がそう言うのであれば、実際にまあその通りなのだろう。

ポーションや治療魔法でも完璧な再生など出来る筈もなく、元の形から僅かなズレが生じる。ラフォリアはそのズレを蓄積させ過ぎたがために、呼吸器系が異様に脆くなっている。しかしそのズレの蓄積は異常なものとして認識はされない、何故なら既に治療を行った結果生まれたものであるのだから。

 

「……原因はまあ、【サタナス・ヴェーリオン】だろうな」

 

音による振動魔法、ラフォリアの身体全体にそのズレが生じているのは間違いない。それが最も影響を受けていたのが呼吸器系というだけ。

そしてLv.7に上がったことによる恩恵も、【ジェノス・アンジェラス】の使用の反動によって丸ごと吹き飛んでしまったというところだろう。その上アルフィアの病まで引き受けてしまったのだから、身体の弱体化は増していくばかり。呼吸器系の脆さも、それが相まってより深刻さを増している。

 

「さて、あと何年生きられるか……」

 

何事もなく治療院に居れば、10年以上は生きられる。むしろ自分が絶対に生かしてみせるとアミッドは言った。しかしラフォリア自身が、そんなことを望む筈もない。そんな最期はお断りだ。最後のヘラの眷属として、他の者達も怒るに違いない。少なくともラフォリアはそう思っている。

 

『この事は他の誰にも言うな、絶対に。広めれば殺す、分かったな?』

 

そんな強引な言葉を置いては来たものの、いざとなれば彼女はそれを他の誰かに打ち明けるだろう。あれはそういう頑固者だと、なんとなく気付いてはいる。

 

 

「お、おはようございます!!」

 

「おはようございます!!」

 

「ああ、おはよう」

 

ファミリアの団員でもないのに、当然のように本拠地に入ろうとするラフォリアに対し、深々と頭を下げて見送るロキ・ファミリアの門番達。流石に彼等もあの騒動を見ていたからなのか、ラフォリアに対する対応が変わっていた。まあ現状"都市最強"の座は彼女にあるのだから、彼等からしてみたら親交の深いオッタルがここに来たようなものなのかもしれない。

 

「やあ、来てくれたか」

 

「ああ。手紙だけで呼び付けるとは、良い身分になったな、フィン」

 

「そう言うな、ラフォリア。お前のせいで私達まで諸々と走り回ることになったのだ、他にもややこしい案件も幾つかあったが……」

 

「……ロキとガレスはどうした?」

 

「遠征の調整のためにヘファイストス・ファミリアに行っているよ」

 

「……なるほど、そういうことか」

 

なんの遠慮もなく促される前に足を組んで座ったラフォリアは、病み上がりの自分を呼び出すくらい忙しい中でもフィン達が伝えたかったことを悟る。

ただの遠征、という訳ではないのだろう。

 

「59階層に行きたい」

 

「なるほどな……」

 

ロキ・ファミリアの階層更新。

かつてのゼウスのファミリアが更新し、その後は誰も足を踏み入れていない。15年間、記録にしか残っていない半未知の領域。

以前にロキ・ファミリアはその前の58階層で撤退を余儀なくされた。そこを目指すとなる以上は、フィンも最善を尽くしていきたいということなのだろう。

 

「ラフォリア、59階層について何か知っていることはあるかい?」

 

「……恐らくはお前達が知っている程度の知識しかない。あの頃の私はクソガキだった上に他のことなど目にも入れていなかったからな、自慢話も殆ど聞き流していた」

 

「少しも覚えていないのか?」

 

「……というより、私の世話役をしていたあの女が余計な情報を殆ど遮断していたのが大きい。黒龍討伐どころか、ベヒーモスやリヴァイアサン討伐すらも私が知ったのは事後だ。あの女を叩き潰すためにダンジョンに潜りまくっていた私も悪いのだがな」

 

意外と"静寂"は過保護だったのかもしれない、フィン達はそう思った。

まだ10の子供にゼウスとヘラの眷属達が抱えていた様々な問題を打ち明けるにはまだ早いと判断したのだろう。それとも同じように年少でありながら幹部として多くのことを知ってしまった彼女だからこそ、そういったことに関しては過保護になっていたのか。

それが結果的に良かったのか悪かったのかは分からないが、少なくともこの件に関しては彼女には知識がない。ならば頼れるのは彼女の力くらい。

 

「……遠征に付いて来てもらうことは可能かい?」

 

「……いくつか条件がある」

 

「どういう条件だ?」

 

意外にもすんなりと協力、という訳にもいかなかった。何処か迷っているような、その中でも何か譲歩したような。そんな彼女の様子にフィンとリヴェリアは訝しむ。

 

「まず1つ、基本的に私は戦闘には参加しない。どうしても必要となれば私の判断で動くが、基本的には当てにするな」

 

「なるほど、分かった。つまり君は僕達の遠征の助けになるというより、もしもの時の受皿になってくれるってことかな」

 

「そういうことだ。それともう一つ」

 

「なんだ?」

 

「……お前達のところに腕の良い治療師は居るか?」

 

「治療師?……一応リヴェリアが回復魔法を使えるし、Lv.2だけど腕の良いリーネも居るけれど」

 

「なるほど。ならば仮に私に治療の必要がある場合は、お前達で行え」

 

「……何かあったのかい?」

 

ラフォリアの出したその条件は誰から見ても異常であり、少し考えれば何かしら彼女にあったことが容易く想像出来る。

フィン達はフレイヤとオッタルから、彼女が抱えている事情を聞くことが出来ていない。故に病のことなんて露ほども知らない。しかしこの話を聞くということは……

 

「……ポーションが身体に合わないことが発覚した」

 

嘘ではない。

 

「……そういう話があるのは聞いたことがあるけど、アミッドの診断なのかい?」

 

「ああ、治療を行う際には必ず腕の良い治療師の力を借りるようにと念を押された。ポーションであれば万能薬でなければ許可出来ないともな」

 

「それはまた……」

 

「面倒な話だが、持病を悪化させる可能性があると言われれば頷くしかあるまい」

 

「……そうなると、やはり治療はリーネに任せるべきか。あの子の魔法は相手に寄り添う様な性質がある、私の様な魔力に物を言わせた雑把な回復魔法よりは良いだろう」

 

「なるほど、ではその旨を伝えておいてくれ」

 

「分かったよ」

 

話におかしな点はない。

しかしフィンはラフォリアが何か隠していることに気付いている。

この短期間ではあるが、フィンは彼女が嘘をついたり何かを隠そうとしている時、かつてのアルフィアの様に目を閉じる癖があることに気付いていた。今まさに彼女はそうして目を瞑っており、フィンやリヴェリア達と目を合わせようとはしない。

 

「……ところで、遠征までの間に時間はあるかな。もしよければ」

 

「悪いが既に予定は埋まっている。【象神の杖】に呼ばれている、それとベルと食事にも行かねばならん。新しい剣も用意する必要があるか」

 

「ベル……?」

 

「うん……まあ、そういうことなら仕方ないかな。分かったよ、それなら当日バベルの下で落ち合うことにしようか」

 

「ああ、それではな」

 

色々と気になる点はあるが、引き止める理由もない。部屋を出ていくラフォリアを見送り、リヴェリアとフィンは目を合わせる。

 

「……どう思う?」

 

「病は治っていない、アミッドの診断で彼女の想像以上に悪化していた……こんなところかな」

 

「なるほど、確かにその可能性が高そうだ。……アミッドに確認を取りに行った方がいいだろうか」

 

「確認を取った上で、基本的にはそのことを知らない形で動いた方がいいだろうね。だからその役割は僕が担おう、アミッドに聞いた事は君にも共有はしない」

 

「ああ、必要があれば指示を出してくれ。こちらも編成を見直してリーネとラフォリアを同じ隊列に加えることを考えてみる」

 

彼女があまり嘘が得意ではないタイプというのが、救いだったのかもしれない。

フィン達にとっては、今のラフォリアはそこに存在するだけでいいのだ。それだけで抑止力となり、都市の力を上げてくれる。……そんな甘ったれたことを言えば、間違いなく彼女は怒るのだろうが。それでも彼女が生きているだけでオラリオの平和の一部は確保されている。単純計算でオッタルが2人居るというだけで、闇派閥を含めた敵対組織は動き難くなるからだ。

故に2人は祈るしかない。

もし仮に彼女の寿命が尽きかけた時、彼女がその最期をアルフィアやザルド達と同じように生きている者達の犠牲にしないことを。今はそのつもりはないとしても、何れそういう結末を辿ることのないことを。そしてそれを彼女にさせるか否かは、結局のところ、フィン達の努力次第である。

 

 

 

「えぇえ!?3日後にまた深層に行くのかい!?」

 

その日の夜、いつもの廃教会からは再びそんな女神の声が響いていた。

それはベルとアイズの秘密の特訓がヘスティアにバレてしまったりした、そんな日のことだった。

 

「次はロキ・ファミリアの付き添いだ、大した問題はない」

 

「ち、ちなみになんですけど……それって何階層くらいの……」

 

「59だ」

 

「「59…………」」

 

ヘスティアとベルは互いに似たようなアホ面を晒して数字を呟く。最早想像出来るとかそういうレベルを超えていたからだ。そして今は毎日のように特訓に付き合って貰っているアイズ・ヴァレンシュタインもまたそこへ向かうということに、ベルの内心はもうどう表現したらいいのかも分からない。

 

「せ、せっかくこうして無事に帰って来たと思ったら……」

 

「何か問題でもあるのか」

 

「あるに決まってるだろ!いくら仮とは言っても、君は背中に僕の恩恵が刻まれている大事な眷属なんだぞ!!」

 

「ああ、その話だが……一先ず私の所属ファミリアはヘファイストス・ファミリアになることに決まった」

 

「うぇ!?」

 

もう本当に、この女は突然そういう話を持ってくる。仮にも恩恵を刻んだヘスティアになんの断りもなく。

 

「ど、どうしてヘファイストスが!?君は鍛治もやるのかい!?」

 

「そんな訳がないだろう。……正直ここまで来たらお前のファミリアに所属しても良かったのだがな、そうなるとファミリアの等級が確実に上がる」

 

「……?上がるとどうなるんだい?」

 

「遠征の義務が課せられる。つまりヘスティア・ファミリアに階層更新や階層主の討伐が定期的に命じられることになる」

 

「「え」」

 

故に、ラフォリアはその話に乗った。

探索系のファミリアには遠征の義務が課せられるが、製作系のファミリアはその限りではない。

そしてそんな製作系のファミリアの中でラフォリアが与えられる表向きの役割は……製品試験・市場調査・訪問販売。『病によって探索系ファミリアでは活動出来なくなったので、その知識を活かして製作系ファミリアで活動をする』という理由でギルドには押し通している。というか、ラフォリアを押し付けられる場所が生まれたことでギルド側としては最早なんでも良いという感じだった。正式な手続きは今は手を付けられないらしいが、街の復興が軌道に乗ればロイマンは直ぐにでもそれに取り掛かるだろう。

 

「それとこの教会の権利も今日付で私の物になった」

 

「「うぇっ!?」」

 

「1ヶ月の猶予期間とその後については月7万の話した通りだ。気合を入れて働けよ」

 

「か、神様!?どういうことですか!?僕達ここ追い出されちゃうんですか!?」

 

「お、おお、落ち着くんだベルくん!僕達が毎月しっかりとお金を納めれば……!!」

 

「普通に考えればその金で他に良い部屋を借りられそうなものではあるのだがな」

 

「ぐ、ぐぬぬ……!!」

 

しかしこうなると、ヘスティアにはここを捨てられない理由も出て来るというもの。だってここを出てしまえば本当にラフォリアとの繋がりがなくなってしまう。色々と酷い彼女ではあるが、今やヘスティアにとっては彼女は大切な家族の1人だ。恩恵をヘファイストスに移すのにも抵抗感があるし、出来れば自分のファミリアに来て貰いたい。……勿論、それによって遠征という不利益が生じるからこそラフォリアが拒んでいることも分かってはいるが。

 

「さてベル、明日はお前のために時間を取ろう」

 

「へ?」

 

「?お前が言ったんだろう、私に食事を奢ってくれると」

 

「……!覚えていてくれたんですか!?」

 

「偶然な」

 

「そ、それなら明日!行きましょう!ご馳走させて下さい!」

 

「ふっ、奢るお前の方が嬉しそうなのは妙な話だがな。まあいい、大人しく奢られてやろう」

 

「む、むむむ……」

 

なんだかベルとラフォリアの関係が羨ましくなってしまって、ヘスティアは頬を膨らませてその様子を見守る。

……しかし本当に、ラフォリアはベルを追い出すつもりがあるのかも疑問である。ヘスティアに対してはともかく、ベルに対しては誰から見ても妙に優しいというのに。そんな風に他の人間には見せないような優しげな表情をしていれば、誰にだって分かって当然だ。本人は気付いていないのかもしれないけれど。

 

(本人が気付いていないからこそ、なのかなぁ……)

 

もし本人が気付いたのなら、もう少し何かが変わるかもしれない。変わったとすれば、どうにかなるのかも分からないが。

 



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被害者19:子

それはラフォリアがロキ・ファミリアを出た後のところまで巻き戻る。シャクティに呼び出され、連れて行かれた先はヘファイストス・ファミリア。しかもその主神の面前、普通であれば容易くは入れないその場所に。

 

「……そういう訳で、ラフォリア。お前にはヘファイストス・ファミリアに入って欲しい」

 

「何を言うかと思えば、阿呆なことを言う」

 

「これは貴女にとっても悪い話じゃないはずよ、ラフォリア」

 

「………」

 

ラフォリアとしては酷く困惑するしかない。

自分で言うのもなんであるが、どうしてこんな厄介ごとばかりを抱え込んで来るような人間を欲しがるのか、全くもって分からない。

しかし目の前の女神ヘファイストスとシャクティは至って真面目な顔だった、それほどの理由があるということ。

 

「この街で活動する以上、ファミリアに所属しておかなければ諸々の面倒事が付いて回るのは理解している筈だ。ギルドとしてもLv.7のお前をいつまでも放っておけないだろう、そろそろ何らかの措置は取られるのは間違いない」

 

「………ならば、何故ヘファイストス・ファミリアになる」

 

「逆に聞くけれど、貴女はどのファミリアに入るつもりなの?ロキかフレイヤ?どちらに入っても都市のバランスは崩れる。それともヘスティア?そうなるとファミリアの等級が変わって遠征の難易度も跳ね上がるでしょうね」

 

「……なるほど、それは失念していたな」

 

「その点、ヘファイストス・ファミリアであれば遠征は存在しない。ギルドもお前の所属先がハッキリとすれば文句は言わないだろう、奴等としてはお前のしでかした事の責任を問える場所が欲しいだけだからな」

 

「それでいいのか?女神ヘファイストス」

 

ラフォリアは別に派閥に所属したところで自分の行動を変えるつもりはない。いつも通りやりたい事をやるだけだ、その末に女神がどうなろうが知ったことではない。それを知っている筈なのに、どうして囲い込む理由があるのか。正気を疑うような判断だとも言える。

 

「……貴女を囲い込む理由は、特にないわ」

 

「は?」

 

「【象神の杖】にお願いされたから、現状それ以外の理由は私にはない。彼女は貴女のことを思ってこの提案を私に持ち掛けた、私はそれに協力しようと思っただけ」

 

「善神も大変だな。仮に私が貴女のファミリアに所属したとして、私は行動は変えん。必要とあればもう一度フレイヤ・ファミリアを叩き潰す」

 

「構わないわ。貴女がそうするということは、そうする理由があるということでしょう?」

 

「……何を言っている?」

 

「私はねラフォリア、この前の抗争を子供達と一緒に見ていたの。勿論、貴女が"猛者"と競い合っているところも」

 

「………」

 

「私は貴女を気に入った。……それだけの理由じゃ不満?」

 

理由としては弱いが、神々は本当にその程度の理由で本気で動くのだからタチが悪い。他の理由があるのか、ないのか、それとも……

 

「だって貴女、不器用で優しいんだもの」

 

「……意味が分からない」

 

「貴女は"静寂"とは違う、貴女には闇派閥と手を組んでこのオラリオを襲撃することなんて出来ない。……たとえそれが将来的に私達のためになるのだとしても、貴女は他のやり方で必死になる。そういうところが私は好きになったの」

 

知らぬはずのことを知ったように話す、だから神というのは嫌いだ。しかしそれは間違っていない。ラフォリアとて闇派閥とやらのことは多少調べた、その吐き気を催すような手口によくもまあ奴等は手を貸したものだと心底信じられなかったほどだ。

それほどに奴等は絶望を抱えていたのかもしれないし、ラフォリアにはその絶望がないからこその思考なのかもしれない。しかし、だとしても、ラフォリアにとって闇派閥というのは唾棄すべき存在だ。そんな奴等の手を借りるくらいであるならば、ダンジョンに蓋をする創造神を叩き潰してでも別の手段で試練を用意する。彼女の言っていることは間違いではない。

 

……要は、ヘファイストスはラフォリアのそういうところが気に入ったのだ。手段や言動は過激で我儘であっても、真面目で不器用で優しさのあるその性格が。

彼女は"静寂"にはなれない、彼女は"静寂"ほど目的のために非情になりきることは出来ない。目を瞑っても死体の山を積み重ねることは出来ない。きっとそうなるように育てられたから。他ならぬ"静寂"によって、"静寂"のようにならぬよう育てられたから。

 

こうして話している最中でも、常にヘファイストスに自分をファミリアに入れた際の不利益についても話している。そういう不器用で優しくて頑固な人間が好きなのだ、ヘファイストスは。そういう者が多いのだ、彼女のファミリアには。

 

「それなら……もし貴女が私のファミリアに入ってくれたのなら、あの教会の所有権を譲ってあげる。お金は要らないわ」

 

「ほぅ……」

 

「ヘスティア達のことは1ヶ月くらいは猶予をあげて欲しいけど、必要なら修繕費も融通してあげる。ファミリアとして貴女に求めることもない。偶に材料の調達なんかをお願いするかもしれないけど、その代わり武器の用意は任せてくれていいわ」

 

「………高待遇にも程があるな」

 

「当然よ、これは勧誘なんだから。こちらの出せる条件に貴女が乗ってくれないと意味がない。そうでしょう?」

 

「なるほどな」

 

チラとシャクティの方へ目を向ければ、彼女は緊張した面持ちで静かに自分たちのやり取りを見ていた。彼女も大抵世話焼きではあるが、まさか15年ぶりに会った自分にここまでしたのだと思うと、ラフォリアとてその気持ちを無下には出来なくなる。誰にも言ったことはないが、弱いのだ。こうやって純粋な好意を向けられるのは。

 

「……分かった、その条件を飲もう」

 

「本当に?それは良かった、ありがとう」

 

「条件が良かったからな、他意はない」

 

「ふふ、そうね。……貴女もこれで良かったかしら?"象神の杖"」

 

「ああ、本当に良かった。ありがとう、女神ヘファイストス」

 

話がまとまったからか、シャクティは大きく胸を撫で下ろして漸く緊張から解放されたらしい。見るからに安心した顔をして、嬉しそうにこちらを見てくる。

 

「……お前はどうしてそこまで私のことを気にする」

 

それはラフォリアからすれば当然の疑問だ。

こちらとしては忘れていたくらいの人間だというのに、そこまでしてもらう義理もない。

……それでも、シャクティの方には理由はあった。それは本当に独りよがりな想いではあったけれど、それでも。

 

「私はもう……失いたくないんだ」

 

「……?」

 

「お前は生意気な小娘だったが、それでもお前が善人だということは理解していたつもりだ。そしてお前が病を自覚した時の顔を、私は知っている」

 

「………」

 

「お前にとって私は他人かもしれないが……私にとってお前は、勝手ではあるが、偶に思い出して耽る程度には気にしている存在だったということだ」

 

加えて言うのであれば、彼女には妹が居た。

7年前の事件の際に亡くなったその妹のこともあって、その想いを重ねているというのもあるのかもしれない。

それに実際、フレイヤ・ファミリアとの一件についてはシャクティに大きな非がある。その責を取るためにも、彼女は時間を見つけては必死に動いていた。

 

「………シャクティ・ヴァルマ、だったか」

 

「ああ、そうだ」

 

「感謝する」

 

「っ!」

 

「それだけだ、それ以上に言うことは特にない」

 

「………お前は本当に卑怯な奴だな」

 

「意味が分からん」

 

感謝されることなど何もしていないし、そもそも不利益になることしか出来ていないというのに。それを知ってか知らずか、仮に知ったとしてもこの女は『別にお前が言わなくとも何れこうなっていた』とでも言うのだろう。

彼女はそういう人間だ。

そういう根の部分は、変わらない。

 

「……うん、それじゃあこの書類はギルドに提出しておくわ。権利書は貴女に渡しておく」

 

「確かに受け取った」

 

「それと、3日後のロキ・ファミリアの遠征。実は私達のファミリアからも、何人か出すことになっているの」

 

「ほう、鍛治師がか。それはいい」

 

「ええ、だからもし良ければ守ってあげてね。その代わりと言ってはなんだけれど………これを渡しておくわ」

 

「っ……これは」

 

手渡されたのは、一本の白銀の剣。

誰が見ても分かる、それが姿を現した瞬間に確信した。シャクティでさえも見た瞬間に目を見開いた。これはそれほどの代物、最高峰とも言える一振り。

 

「名は"ヒュリオン"、不壊属性で可能な限り攻撃力を突き詰めたわ」

 

「不壊属性……」

 

「……まさかこれは、女神ヘファイストス自らの手で」

 

「当然でしょう、これは私の問題で他の子達には関係ないんだから。タダで譲り渡すと決めた以上は、私の手で作るのは当たり前」

 

「……これだけで教会の権利など容易く吹き飛ぶくらいだな」

 

「要らなかったかしら」

 

「いや、貰っておく。……見合った働きが出来るかは分からんが」

 

「あの子達を守ってくれるならそれでいいわ。大切な子供達の命以上に高いものなんてないもの」

 

「……手の届く範囲で良いのであれば約束しよう」

 

「ええ、それで十分よ」

 

これ1つで1億は軽く超える、それをこうして渡された意味が分からない訳ではない。しかもそれは平均的な相場の話。特に女神ヘファイストス自らがその手で生み出した物となれば、果たして実際はどれほどの値になるのか……

武器の融通とは言ったが、まさかここまでとは誰も予想していなかったろう。

 

「……また来る」

 

「待ってるわ」

 

「お前もな」

 

「ああ、少しは腰を落ち着けてお前と話せるといいのだがな」

 

「お前の仕事を片付けてから来い。地上に居る時であれば相手くらいしてやる」

 

「……分かった、そうしよう」

 

これがラフォリアが女神ヘファイストスと初めての会談の内容。思っていた以上にすんなりと、けれど色々と大きなことが決まった大切な内容。

 

……そういったことがあったのだと、ラフォリアが自分の目の前で食事をしているベルに話すと、彼は明らかに目を輝かせてラフォリアの腰の剣を見るのであった。

それこそ憧れの物を目の前にしたように。

 

「へ、ヘファイストス様が直接作った武器……!!」

 

(お前の腰のナイフもそうなのだがな)

 

ベルは時々ヘファイストス・ファミリアのショーケースに入れられている煌びやかな武器を見て、いつかは自分も……!と見惚れていたことがあった。正に今、それと同じ、どころかそれ以上の物を持った人が目の前にいるのだ。彼がこんな顔をしてしまうのも仕方ないし、彼の純粋なそういうところは好ましくもある。

まあ、彼が自分のナイフも女神ヘファイストスが直接作ったものであると知ったら、気絶するのではないかとすら思うが。しかもヘスティアがそれのせいで2億も借金しているなどと。

 

「それで、なんだ?最近はあの小娘に鍛錬を付けて貰っているらしいな」

 

「あ、はい!その……何度も気絶させられてますけど、出来ることが増えてるというか」

 

「確かLv.6になったそうだな、あの小娘」

 

「うっ」

 

「また引き離されたな」

 

「は、はい……」

 

ラフォリアの言葉は、割とベルの心に突き刺さったらしい。ベルもまたそのことを密かに気にしていたのか、なかなか追い付けない自分に焦りを感じているというか。

 

(まあスキルを考えればこれからは追い付くばかりなのだがな)

 

あとはどれだけ偉業を成せるか、というぐらい。その辺りも諸々の準備をしてある程度の安全を確保した上でやらせていけば、もしかすれば数年も経たずにアイズに追い付けるかもしれない。このまま純粋に育ってくれるのなら。ある意味でオッタルと似ている彼は、ラフォリアにとっては好ましいの一言に尽きる。

 

「ラフォリアさんも、Lv.7になったんですよね?……やっぱり偉業って大変なんですか?」

 

「ふむ……小さな偉業を積み重ねる者も居るし、あり得ないような大きな偉業をなす者も居る。基本的には多くの冒険者は前者を選ぶが、いち早く強くなりたいのであれば後者を取るしかない」

 

「……アイズさんが、ウダイオスを倒したって」

 

「階層主との相性もある。たとえ同じLv.5であっても同様のことが出来るかどうかはその人間の資質による。適切な相手を選ばなければ無謀に死ぬだけだ」

 

「つまり勉強が必要、ってことですか……?」

 

「知識は全てにおいての基本だ、より効率を上げたいのであれば避けては通れない。死にたくないのであれば当然な」

 

その辺りのお膳立ても必要ならしなければならないかもしれない、もしかすればそれを女神フレイヤが準備している可能性もあるが。

そういうことであれば、ラフォリアだって喜んで協力してやってもいいと思う。偉業を得られるほどの機会というのは、早々容易く得られるものではないのだから。

 

「ベル」

 

「へ?あ、はい」

 

「頑張れよ」

 

「!」

 

「必死になれ、憧れに向かって。知識は必要だが、あまり賢くはなってくれるな。男というのは、多少馬鹿なくらいが丁度いい」

 

「む、難しいですね」

 

「お前の思うままに生きろということだ。そのための障害を打ち壊す力を付けろ、我儘を通してこそ人の深みは増していく」

 

「それは、いいことなんですか……?」

 

「今のお前であれば問題ないだろうよ」

 

その2人の様子は、もしかすれば見る人によっては母と子。若しくは姉と弟のようにも見えるかもしれない。

本当に、つい先日までファミリア一つを叩き潰していた女とは思えないような優しげな表情。困惑するのはそれを離れた場所で見ていた周囲の冒険者達である。……あれはもしかすれば【撃災】の息子なのではないか?そんな噂話が広まり始めたのは、まさしく今日この日からであった。

 

 

「……さてベル、お前は先に帰っていろ」

 

「え?一緒に帰らないんですか?」

 

「私はここの店員に用事がある。なに、少し話したら帰る程度だ。気にするな」

 

「わ、分かりました」

 

食事を終えた後、ラフォリアは自分の分もお金を払ったベルの頭を撫でながらそう言った。ベルとしては何だか気恥ずかしく思いながらも、嬉しい気持ちもあって。……こうされていると本当に、話の中でしか知らない母親にされているみたいに感じて。

 

「ま、待ってますから……!」

 

「ああ、あとでな」

 

そうして店から出て行くベルを見送ると、ラフォリアは会計を済ませたものの再びカウンターの席へと座った。目の前に立っているのはこの店の店主、つまりはミア・グランド。

 

「果実酒を1杯」

 

「……随分と仲良さそうじゃないかい、あの坊主と」

 

「どうだろうな」

 

「ま、詮索はしないさ。アンタがあそこまで肩入れするってことは、素質はあるんだろ?」

 

「オッタルよりはな」

 

「なら十分だ」

 

出された果実酒に口を付けるのを見ると、ミアは何かを思い出すようにして嬉しそうな顔を浮かべた。それに怪訝な表情を示すのはラフォリアの方。

 

「……この間の抗争、見ていてスカッとしたよ。特にアンタがあの女神の頬を叩いたところは最高だった」

 

「調子に乗っているクソガキと阿呆女神に躾をしただけだがな。本来はお前がすべき事だろう」

 

「生憎アタシは今はこっちの方が大切でね」

 

「……良い店だ、料理も美味い」

 

「だろう?」

 

「ああ」

 

さて、そんな前置きの世間話はそこまで。

わざわざそんなことを話すために、ベルを1人で帰らせた訳ではない。それは互いに分かっている。これはあくまで礼儀だ、互いの互いに対する。

 

「……リュー・リオンと言ったか」

 

「……調べたのかい」

 

「指名手配されている元アストレア・ファミリアのエルフ。せめて偽名を使わせなければ意味がないだろう、隠すつもりもないのだろうが」

 

「あの子は私の娘だよ、手出しする奴が居るんなら容赦しない。もちろんそれはアンタだってそうだ」

 

「なるほど、誰もが知っていて手を出せないという訳か。アレの暴走で平和へのダメ押しになったとすれば、そもそもギルドすら見逃している」

 

「ま、そんなところさ」

 

背後で配膳をしているその若いエルフは、ラフォリアがこの街に来るまでに探していたアストレア・ファミリアの唯一の生き残り。女神アストレアは都市の外部へと逃がされたそうであるが、アルフィアの仇である彼女達にラフォリアがどう反応をするのか。それはミアですら分からなかった。

 

「………正直、失望している」

 

「そうかい」

 

「ザルドが残した物は、確かにオッタルに引き継がれていた。しかしあの女が残した物は、最早どこにも残っていない。……託す相手を間違えた、奴の経験値(エクセリア)はその大半がダンジョンの底へと消えた」

 

「………」

 

「最早どうでもいい、あの小娘にも興味はない。この街の人間の殆どが黒竜のことなど忘れたように生きている。アルフィアから直接それを託されたあの娘もそうだ」

 

「……あんた、もしかして酒強くないんじゃないかい?」

 

「どうせ死ぬのであれば、何故アルフィアはそれを私に託さなかった。何故ザルドがオッタルに託したように、アルフィアは私に託さなかった。何故よりにもよって、その1年後に全滅したような愚か者達に託した……」

 

「2杯目はやめときなよ」

 

「何故あの女から託されておきながら全滅した……もし、もし生きていたのであれば、私が……私が……」

 

「……はぁ、辛気臭いから泣くんじゃないよ。アンタも色々抱え込んでんのは分かったから」

 

日頃から酒など殆ど飲まない癖に、恐らくはミアに筋を通すために頼んだそれ。しかしどうやらラフォリアは酒に弱い体質だったらしく、思っていた以上に簡単に酔いが回ってしまったらしい。途中でミアに取り上げられても、俯いて見えない顔の下には水滴がポツポツと落ちていて、そんな彼女の頭をミアはワシワシと撫でる。

 

(なんだかんだ言っても、母親は母親か……)

 

ヘラの眷属の最後の生き残り、言い換えてしまえばそれはリューの境遇と近い。しかしリューにはシルと"豊穣の女主人"という居場所が見つかったが、彼女にはそれが見つからなかった。弱音を打ち明けられる人間も居らず、むしろこの街に来てからはヘラの眷属としての役割を果たす為に、ある意味で孤立した立場を維持していた。

結局のところ、彼女は15年前のあの時から然程成長してはいないのだ。療養のために10年以上も山奥で暮らしていた彼女に、精神的な成長など望めるはずもない。それでも賢かった故に、意地があったが故に、年相応に振る舞っていたのだ。そこに酒という理性の壁を壊す要素を足してしまえば、この通り。アルフィアに対してずっと抱いていた不満が、そして選ばれなかった悔しさが、涙と共に止まらなくなる。

 

「……よく頑張ってるさ、アンタは」

 

実際、ミアはラフォリアがどれほどオラリオのために骨を折っているかは知らないけれど、それでも……この女が口では何と言っていたとしても、アルフィアの意思を途切れさせぬように努力していることは分かっている。

ただ、結局そこまで大きなことに目を向けられる人間などそうはいないのだ。みな目の前のことに必死で、ゼウスとヘラの眷属達が失敗したようなことを、現実的に捉えることが出来ていない。きっと彼等はいざその時にならなければ意識することはないだろうし、ラフォリアが危惧している通り、いざその時になれば既に手遅れということになるのだろう。現状のままでは。どう足掻いたところで。

 

「アタシみたいに無責任になっちまえば良かったんだよ、アンタ等は」



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被害者20:とある冒険者

遠征当日。

集合場所はバベル前の中央広場。

今回の大規模遠征に参加するロキ・ファミリアとヘファイストス・ファミリアの鍛治師達、その他にも物資を届けに来た製作系ファミリアの眷属達を含め、その場は普段とはまた違う少しの緊張感の走った異様な盛り上がりを見せていた。

 

「……"ベルに試練を与える"か。よくもまあそんなことを準備していられる時間があったな」

 

その集合場所にて一枚の手紙を持って立っていたのは、ラフォリアだ。その手紙はここに来た際にフレイヤ・ファミリアの下っ端の1人が持って来たものであり、内容は簡潔。女神フレイヤがベルにミノタウロスという試練を与えるため、その邪魔をしないで欲しいというもの。

フレイヤの眷属達は未だに金策に奔走しているというのに、当の本人はどれだけ暇なのかと。むしろそれよりもベルの方が彼女にとっては重要なのかもしれないが、どちらにしてもラフォリアにとって好都合なことには変わりない。ただ唯一心配なのは……

 

「ミノタウロス相手……となると、咆哮を封じるために喉を斬っておくのが定石だが。オッタルはそのことを知っているのか……?」

 

ミノタウロスの咆哮(ハウル)は強制停止効果を持っており、これは通常のLv.1の冒険者では決して防ぐことが出来ない。

故に恩恵を昇華する試練としてミノタウロスを選ぶ場合は、その喉を予め斬っておくことが定石だ。しかしそれを手下の面倒など見たことがあるのかも怪しいオッタルが知っているのかと問われると、途端にラフォリアの表情は歪む。

まさかフレイヤからの直接の命令を金策に勤しんでいる他の団員にさせる筈もなく、そうなると動いているのはオッタルで間違いないのだし……

 

「……………フィンに言っておくか」

 

もし必要であれば、隊列から離れる許可を取っておく。

その辺りのタイミングがどうなるかは分からないが、ベルは今日はもうダンジョンに入っている筈だった。フレイヤの試練はありがたいものではあるが、それで殺されてしまっては困る。もしそうなれば今度は本当にオッタルを教育し直し、フレイヤを自由のない鳥籠の中に閉じ込めておかなければならなくなる。同じ考えを持っている眷属共を扇動してやれば、そこまで行き着かせるのは容易いことだ。

 

「おお、お主が【撃災】か!」

 

「………?誰だ」

 

そんな風に考え込んでいると、どうも馴れ馴れしく話しかけて来たハーフドワーフの女が視界に映る。少なくともラフォリアは知らないし、フレイヤ・ファミリアとの一件以来、こうして知らぬ他者から話しかけられることも珍しかった。そして目の前のその女はラフォリアに対して殆ど恐怖とかそういうものを抱いていないようにも見える。

 

「誰というか、一応これでもお主が入ることになったファミリアの団長なのだが……」

 

「ほぅ、ということは鍛治師か」

 

「そういうことだ。堅苦しい挨拶は好かん、"椿"と呼んでくれ」

 

「……鍛治師の割には力があるように見えるが」

 

「なに、所詮は試し斬りの副産物よ。主等のような本職には及ばん」

 

「なるほど、お前も馬鹿の1人だということか」

 

「はっはっは、酷い言われ様だが……否定は出来んな」

 

試し斬りなどという名目でLv.5まで上げたというのであれば、殆どの冒険者の立つ背がなくなる。しかしそれを本気で言っているのであれば、彼女もまた本物の大馬鹿者なのであろう。

ちなみに彼女は現在38歳、15年前となれば未だ下っ端の身であった。

 

「その武器の使い心地はどうだ?」

 

「鍛治神の造った武装となれば、悪い筈もない。……ああ、お前達が居るということはダンジョン内で自分で研ぐ必要もないということか」

 

「うむ、それは任せてくれて良い。必要となればダンジョン内で新たな武器すら打って見せるとも。……にしても、最近は砥石の使い方すら分からん冒険者も多いが、流石はヘラの眷属といったところか。手前等としては儲けが増えて助かるが」

 

「元より単独で長期間ダンジョンに潜ることが多かった、必要に駆られて身につけた技術だ。本職には敵わん」

 

「とは言え、50階層までの戦闘は殆どが幹部以下の者達が請け負うと聞いている。主の出番は少ないのではないか?」

 

「私の立ち位置はフィン達より上だ。奴等がどうにもならなくなった時にしか、この剣の出番はない」

 

「なんと、そうであったか。……つまりは保護者的な立ち位置ということか?」

 

「そういうことだ。7年前の件で大半の年寄り共が死んだと聞いた、久しぶりに他者に自分の指示や動きを見られている感覚を味わわせてやるのも一興だろう」

 

「なるほど、それは緊張もひとしおだろう。面白い話を聞けた」

 

そうこう言っているうちに、フィンによる出発の演説が始まった。まあ色々と言いはしたが、結局のところは予備戦力である。所詮は59階層へ行くだけ、今の戦力を考えればラフォリアは戦闘に参加する気など毛頭ない。もし死にそうな人間が出た時に、手を貸すのみ。

 

「……だと、良いのだがな」

 

そうは上手くいかないのがダンジョンであると、ラフォリアはよく知っている。

 

 

 

 

「59階層に何がある、フィン」

 

「………」

 

先頭集団を歩くフィンの横に付き、ラフォリアは声を掛ける。完全に隊列を無視しているが、この浅い階層、どころかラフォリアの特殊な立ち位置もあって誰もそれを指摘することはなかった。

階層を歩き始めてまだ数分、一応フィンの隊列にはそれなりに内情を知るものしか居ないと知っての行動である。

 

「……先日18階層で君が返り討ちにした赤髪の女のことは覚えているかい?」

 

「ああ、あのヒトモドキか」

 

「アイズ達が27階層の食糧庫でまた彼女と戦ってね、どうやらその時に59階層へ来るように言われたらしい。そこに知るべきものがあると」

 

「なるほど、つまり敵は59階層以降を容易く出入り出来る存在ということか」

 

「……そうなるね。それと恐らく闇派閥との関わりがある、かつての幹部が怪人となって敵側に居た」

 

「分かっているのか、フィン」

 

「何をだい?」

 

「所詮は貴様程度の身体能力しか持っていない人間が59階層以降へと出入りしていた、つまりは何らかの裏がある」

 

「……モンスターには攻撃されないのか、全てのモンスターを使役出来るのか、それとも」

 

「特殊な方法でダンジョン間を移動出来る手段を持っている。人間でないとすれば、ダンジョン側の存在とも考えられる。少なくともこちらよりダンジョンに詳しいのは間違いない」

 

「…………」

 

それは少しばかり飛躍した考えだとも言えるが、相手が人ではない人である以上、そして59階層を指定してきた以上、その線は限りなく濃い。

 

「ラフォリア、君は何か知らないかい?例えばダンジョンに別の出入り口がある、なんて話を」

 

「…………いくつか心当たりはある」

 

その言葉に目を見開いたのはフィンだ。

ラフォリアは知っていた。

僅かではあったが、知識があった。

……否、彼女の場合は経験があった。

 

「あれは確か10になったばかりの頃だったか、1月ほどダンジョン内に籠っていたことがある」

 

「何をしているんだい君は……」

 

「主に27階層辺りまでを目安に彷徨っていたのだが、奇妙な壁を見つけた」

 

「壁……?」

 

「純度の高いアダマンタイト製の壁だ。当時の私には破壊出来る力もなく、そもそも興味も無かった故に忘れていたが……ダンジョンの壁を破壊した先にそれを見つけた」

 

「……一つ聞きたいのだけど、どうして君はダンジョンの壁を?」

 

「18階層で備品を調達していた時、馴れ馴れしくもこの私の身体に触れて来たクソ野郎が居た。2度と同様のことが出来なくなるよう両腕を粉々にしてやったのだが、怒りが収まらずにモンスターに八つ当たりをしていた。その時の副産物だ」

 

「両腕を粉々に……」

 

「今同じことをすればギルドからの罰があるかもしれないが、当時は良くも悪くもよくある話だったからな。気にするな」

 

下克上が流行っていた時代。

冒険者同士で競い合い、その経験値を奪い合っていたような時代の話だ。実際フィン達も似たようなことをしていたので何も言えないが、確かにあの時代であれば大きな問題になることはなかったろう。特に相手がヘラの眷属ともなれば当然に。

 

「そのアダマンタイトの壁が、地上に繋がる通路か何かだと?」

 

「想像だがな、まさか59階層まで続いているとは思わんが」

 

「……いくつか心当たりがあると言っていたね、他にはあるのかい?」

 

「ああ。まあ、これについては恐らく似たような体験をした冒険者も過去には居ただろうが………喋るモンスターを見たことがある」

 

「喋るモンスターだって?」

 

そして再びもたらされたその情報に、再びフィンは驚かされる。いくらヘラの眷属だからといって、どうしてそれ以上にダンジョンに潜っていた筈の自分より彼女は多くを知っているのだろうかと。

しかしその認識は間違っている。

フィンの方がラフォリアよりもダンジョンに潜っている総時間が多いかどうかは、今ならともかく、当時であれば決して確実ではない。

 

「定期的に依頼に上がるだろう、誰もいない筈のダンジョンの壁奥から声が聞こえるだのなんだのと」

 

「ああ、この間も似たようなのが出ていたのを見たよ」

 

「先程の話の後、地上に戻ってからアルフィアに怒られてな。今度は不貞腐れて2ヶ月ダンジョンに潜ってやった」

 

「本当に何をしているんだい君は……」

 

「その時に適当に引き千切ってきた依頼の中にそれがあってな、そこで見つけた」

 

「喋るモンスターをかい?」

 

「ああ、26階層で喋る人蜘蛛を見つけた。普通に会話も出来てな、思考もあった」

 

「……信じられない話だ。それを君はどうしたんだい?」

 

「どうでもよくなってモンスター狩りに戻った」

 

「……え?」

 

「興味がなかったからな、喋ろうが何しようがどうでもいい。流石に狩るべき相手ではないと手を出しはしなかったが、それよりも私にとっては"あの女"を叩き潰すことの方が重要だったからな。どうでも良かった」

 

それは結構大切な話ではないのか?とも思いもしたが、しかし彼女も先程言ったように、もしかすれば同様のことに遭遇したことのある冒険者も過去には居たのかもしれない。

僅かにでもそうした噂が出るのであれば、ラフォリアのように実際に遭遇したことのある者が居たとしてなんらおかしくないのだから。

……つまり。

 

「理知のあるモンスターが徒党を組んでいる可能性がある……?」

 

「それがあのヒトモドキと同類なのかは知らんがな。私が出会った人蜘蛛も人間と似たような造形をしていた、しかし特別人間に対して悪感情や敵意を抱いているようにも見えなかった。食料をくれてやったら素直に喜んでいたからな、敵対するかどうかは結局のところ奴等の現状次第だ」

 

「……敵にするにしても味方にするにしても、冒険者としては判断に困るね」

 

「結局59階層以降については人の手が殆ど触れられていない。凄まじい強化種が存在している可能性もあれば、そうした知能を持つモンスター達が支配している可能性も十分にある。ダンジョンが未知とはよく言ったものだが、奴等が地上への侵略を企み密かに通路を作っていた……などという話も可能性がないわけではない」

 

その先兵たる存在が59階層に居たとしても、何らおかしくはない。

 

「……ラフォリア、万が一の時は君にアイズ達を任せたい」

 

「違えるなフィン。万が一の時に逃げるのはお前達だ、そして残るのが私だ」

 

「………」

 

「地を這ってでも生き残れ、貴様と私とでは担っている責任の重さが違う。しかしその時は今以上に黒龍討伐のために死力を尽くせ、私がお前達に求めているのは最初から最後までその一点のみだ」

 

「……心に留めておくよ」

 

さて、そんなことを話していると、なにやら前方の方から数人の怪我をした冒険者達が走ってくることに気がつく。

対応するのはティオナとベート、そして走って来る彼等はそんな集団のことを見て驚きながらも何処か安堵しているようにも見えた。

 

「ミ、ミノタウロスが出たんだ!!!」

 

(………なるほどな)

 

どうやらタイミングは完璧だったらしい。

見つけたのは9階層。

そして案の定……

 

「白髪のガキが襲われてるのを見て!俺達はとにかく逃げるのに必死で……!」

 

(やはりベルの関係か)

 

そうして、ラフォリアの不安が確信に変わる。

この慌てようでは間違いなく彼等もそのミノタウロスに襲われており、それはつまり、オッタルがその個体のコントロールを雑に行っていたということに他ならない。

ベルに試練を与えるだけならばまだしも、未だ不適格な他の冒険者達にまで被害を与えているとなると、それはもう雑にも程がある。

 

「アイズ!?」

 

「何やってんだお前!?」

 

アイズが隊列を抜け出してかっ飛んでいく。

数日共に鍛錬をしたせいか、それなりに思い入れが出来てしまったらしい。しかしこうなると試練もまた邪魔をされてしまうことになる。……いや、そうならないように"あの男"は配置されているのだろう。となるとラフォリアのすべきことは……

 

「フィン、少し離れる」

 

「ああ、僕達も後で追うよ。アイズを頼む」

 

アイズほどの速度は出なくとも、そもそもステータスを満遍なく上げていたラフォリアはLv.7ということもあって相当に速い。

ラフォリアはあの男の性格をよく知っている。

その脳筋のほどをよくよく知っている。

その考えの足らなさを、何度も見せつけられている。

 

 

「さて………………説教の時間だ」



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被害者21:ベル・クラネル

 

 

 

『リル・ラファーガ!!!』

 

『オオォォオオオオオオ!!!!!!』

 

一点突破の最高の突き。

アイズの風魔法と跳躍力を活かしたそれは、以前にLv.5の段階ですらウダイオスを破壊寸前まで追い込んだ。ロキによって「必殺技を叫べば威力が上がる」などと幼い頃に吹き込まれ、以降それを忠実に守って来た彼女。

Lv.6となって更に威力が向上したそれを、何の魔法も使用していないその男は、ただ大剣の一振りで迎え撃った。打つけるのは純粋な破壊、純粋な力。風は弾け飛び、少女は目を見開く。

 

「……止め、られた……」

 

殺すことのないようにとギリギリまで加減したとはいえ、アイズにとってそれは驚きの一言に尽きた。

アイズはあの戦いを見ていない。

ラフォリアとオッタルの衝突を見ることが出来なかった。

もし見ていたのであれば、ここまで驚くことは無かったろう。

あの戦いほど猛者の実力を知る機会もなかったのだから。

 

「ぬるい……」

 

「っ」

 

「加減をしたな、剣姫…………"奴"であれば、問答無用で打つけて来ただろう」

 

「………ラフォリアさんの、ことですか」

 

「そうだ。そしてそうでなければ、俺も、お前も、本当の強さなど得ることは出来ない」

 

「………っ!!」

 

今はそんな問答をしていることすらもどかしい。

早く走り、早く向かい、彼を助けに行かなければならないというのに。強くなろうが、どうなろうが、今は"そんなこと"よりも優先しなければならない事があるというのに。それなのに彼はどうして邪魔をするのか、どうして行手を阻むのか。アイズの混乱は深まるばかりで、焦燥は心を逸らせるばかりだ。

 

 

 

 

【爆砕(イクスプロジア)】

 

 

 

 

「っ!?ぐあぁっ……!!」

 

 

「!?」

 

 

突然、オッタルの顔面が爆ぜた。

小規模でありながらも凄まじい威力の爆発、それはあの猛者が顔を抑えて蹲るほどのものだった。アイズは戸惑う、そんな彼女を安堵させるように尖りと柔らかさを秘めた女性の声が聞こえて来る。

 

「問答無用で打つけてやった、これで満足か?オッタル」

 

「……………ラフォリア」

 

アイズの背後の暗闇から現れた彼女、ラフォリア・アヴローラはアイズと目を合わせると先へ急ぐようにと顔を動かして促した。

それに対してオッタルは憎々しげに彼女を見つめるばかり。しかしそれに対してもラフォリアは凄まじい威圧感を放ちながら睨み返し、その圧にはアイズでさえ口を挟めないほどだった。覇気だけで彼は黙らされる。女は怒っていた。

 

「小娘、これはベルにとっても良い試練になる。無闇に手助けはするな、言っている意味は分かるな?」

 

「……はい、分かります」

 

「ならば行け、私はこれからこの男に説教をしなければならんのでな」

 

「は、はい。行ってきます……」(説教?)

 

通り抜けていったアイズを、今度こそオッタルは見逃した。

……というよりは、見逃さざるを得なかった。それほどまでに目の前の女が怒っていることをオッタルは感じていたからだ。21階層でファミリアの魔導士総出で襲い掛かっても主神の頬を叩くだけで許した女がだ。

正直オッタルにはわからない。

彼女が何をそこまで怒っているのかが分からない。

 

「……手紙は渡したはずだ、理解はして貰えたと思っていたが」

 

「ベルに試練を与える件に関しては問題ない、むしろ必要なことだと私も考えている。女神フレイヤの思惑はともかく、この程度であれば私は見逃すつもりだった。怪物祭の時のようにな」

 

「ならば……」

 

「私が怒っているのは貴様に対してだ!この愚か者が!!!!!」

 

「っ!?」

 

ラフォリアがまだ上があるのかと思うような、最早下手な階層主よりも恐ろしい圧をオッタルに対して叩き付ける。ゆっくりと歩いてくる彼女、オッタルは思わず背後に後退りそうになりながらも、冷汗を流しながら立ち尽くす。……オッタルは知っている、というか身体で覚えさせられている。彼女がこうなった時はまず間違いなく、自分が致命的なミスを犯してしまっている時であるということを。そしてこれから自分は再び、15年前のように屈辱を味わうことになるのだと。

 

「座れ」

 

「それ、は……」

 

「いいから座れ」

 

「……何故だ」

 

「貴様の犯した間違いについて懇切丁寧に教えてやる。教わる人間に対して貴様は少々頭が高過ぎるだろう」

 

「………」

 

「なるほど……ならばこのまま帰るといい。貴様は今日のミスをこれから先も繰り返すことになる、貴様の女神の顔に泥を塗り続けながらな。それで構わないということなのだろう」

 

「………分かった」

 

さて、そうして出来上がったのがこの奇妙な状況である。

"都市最強"と恐れられていた"猛者"オッタルが、1人の女の前で正座をさせられている。しかもダンジョンの中で。見る人が見れば、それは懐かしい光景とでも言うのかもしれない。けれど普通に考えれば幻覚か何かかと思ってしまうようなあり得ない光景でもあるだろう。

今も昔も、ラフォリアがオッタルのその脳筋に対して怒る時は、常にこんな感じだった。

 

「え、えぇ!?なにこれなにこれ!?」

 

「お、"猛者"が正座させられてる……」

 

「マジかよ……」

 

 

「………」

 

「貴様等、先に行っていろ。そこを突き進めば目的の場所に着く」

 

アイズを追って走って来たティオナとティオネ、そしてベートを、先へ向かうようにラフォリアは促す。彼等は信じられないと言った様子でオッタルを見て行ったが、オッタルはそれに対して目を瞑ったままだった。彼も久しぶりとは言え流石に慣れていたらしい、この屈辱に対して。

 

「………さてオッタル、貴様はベルの試練を作れと命令されたのだろう」

 

「ああ、そうだ」

 

「その結果お前は何をした」

 

「……中層から手頃なミノタウロスを見つけ、武器を与えて稽古を付けてやった。そしてそれをベル・クラネルにぶつけた」

 

「もうやり過ぎだな」

 

「っ」

 

オッタルの頭にラフォリアの手刀が振り下ろされる。

一般人であれば痛さに悶え苦しむであろうが、オッタルに対しては顔を僅かに歪める程度に留まった。そうだとしても普通に痛い。

 

「最低でも適当なミノタウロスに武器を与えるだけで十分だ。何処に稽古まで付けてやる必要があった」

 

「……確実な試練とするために」

 

「危険と報酬の比率を考えろボケナス。それならばミノタウロスと2回戦わせた方がよっぽど確実だろうが」

 

「ぬっ」

 

パシーンと今度はオッタルの額を叩かれる。

なんだかいい音がした。

それと背後から何だか変な顔をしたフィンとリヴェリアがこちらに歩いていることにも気付いた。オッタルは再び現実逃避をするように目を閉じて、その屈辱を受け入れる。

 

「あ〜……なんだか取り込み中のようだね」

 

「なにがあればこうなる……」

 

「先に行けフィン、リヴェリア。私はこの腕力以外に何の取り柄もない頭の中まで筋肉で出来た猪突猛進馬鹿野郎に上に立つ者として必要なことを教えねばならん。そんなんだから部下達からの人望が少ないのだ、分かっているのか?このたわけ」

 

「うっ」

 

「あ、あはは……お手柔らかにね」

 

それからはもう、オッタルはメタメタに言い負かされた。というより、彼が彼女に対して口で勝つことが出来たことなんて、それこそ一度たりとも有りはしなかった。

故に今日も今日とて盛大に負けた。

そもそも全てが正論であったために、ただひたすらに「すまない」と言い続けることしか出来なかった。この光景もまた変わらない。

 

「………まあ、仕方のないことであるのも分かる」

 

「?」

 

「貴様のファミリアはその特殊性故に部下の管理が難しい、そもそも尊敬や憧憬といった有効な感情を抱かせることが難しい。頭を張るのであれば単純に力で捩じ伏せることが最も簡単で有効的なことは間違いない。お前が脳筋で居られたのは、それも理由の一つだ」

 

「………」

 

「しかしだなオッタル、お前はもう少し種を大事にすべきだ」

 

「種……?」

 

「レベルの低い冒険者を大切にしろと言っている」

 

「……しているつもりではあるが」

 

「貴様は何処かで考えているだろう。女神の目に適わない、どころかLv.1の冒険者などどうでも良いと。そうでもなければミノタウロスをこんな階層に投棄する訳がない」

 

「…………」

 

そう言われてみれば確かに、軽んじていたところは確かにある。

所詮はLv.1、しかも女神フレイヤの目にも留まることのない存在。それだけで興味がなくなるどころか、むしろ何人か実際には死んでいるのかもしれない。それを把握していない時点で、ラフォリアの言葉はその通りだ。否定は出来ない。

 

「貴様とて、最初は有象無象であった筈だ。運良く女神に拾われて、それ以外にいったい何の取り柄があった」

 

「っ」

 

「レベルの低い冒険者に価値がない訳ではない、レベルの低い冒険者は価値が未だ見えていないだけだ。貴様が今日殺しかけたあの冒険者達も、いずれは1つの中堅ファミリアを受け持つことになるかもしれない。もしかすればお前のように、有象無象から成り上がる意思を秘めているかもしれない。誰がその可能性を否定出来る」

 

「………」

 

「貴様等の眷属を殺した私に言われたくはないだろうが、それでも可能性を大切にしろ。下級冒険者は弱者でなく素人で、上級冒険者は強者でなく玄人だ。……今からでも遅くはない、認識を改めておけ。私とて気付いたのは最近だ」

 

「……分かった」

 

一際大きな爆発音、どうやら向こうも結果は分からないが片付いたらしい。ベルがなんとか根性で倒せたのなら良いが、そうでなければ、もう一度試練を与える必要があるかもしれない。

もしそうなるのであれば、次はラフォリアがそれを用意しようと決めた。そしてラフォリアは最後にオッタルに向き直り、彼の額に自分の手の甲を軽く当てる。

 

「……私ももう27、お前など32だ。あまりこういうことをさせてくれるな。私が居るうちはまだしも、居なくなればお前にまともに物を教えてくれる者など殆ど居なくなるだろう」

 

「…………」

 

「女神のためではない、私の忠告はお前のためだ。勿論そこにはベルという可能性を潰しかけた事への怒りはあるが、それより私はお前が心配で仕方ない。……いずれその脳筋が取り返しの付かない間違いを引き起こしてしまうのではないかと、不安になる」

 

ラフォリアは額から手を離すと、ガシガシとオッタルの頭を乱暴に撫でた。それから一度目を閉じて立ち上がると、今度は振り向くことなく目的の方角へ歩みを進め始める。どうやら一先ずオッタルに対しての説教はこれで終わったらしい。

 

「………ラフォリア、俺は」

 

「お前に期待している」

 

「……!」

 

「お前だけが、奴等の願いを受け継いでいる。そして今も変わらず、泥に塗れながら上を目指している」

 

「……当然だ」

 

「だから、私の期待を裏切ってくれるなよ。不要な間違いで孤立するな。……私の意思を預けられるのは、今のところお前くらいしか居ないのだから」

 

その言葉にオッタルが何かを返すことはなかった。否、返すことが出来なかった。彼女が既に自分の意思を他者に託す側になってしまっているということを、ここではっきりと明言されてしまったからだ。

ラフォリアはまた自分より先に立っている、それは変わらない。けれど、その場所に立つことは容認出来ない。認めたくない。

 

今のままでは……またオッタルは、託されるのだ。



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被害者22:猛者

 

「……随分と道中は気分が良さそうだったな、ラフォリア」

 

「リヴェリアか」

 

ここはダンジョン50階層、安全階層(セーフティポイント)の野営地。

団員達がテントを張るなり食事を作るなり忙しく働いているのを傍目に、特に何も手伝う気すら見せることなく目を閉じて立っていた彼女にリヴェリアは話しかける。

そうして立っている姿はリヴェリアもよく知っている"静寂"の姿にそっくりで、しかし声を掛けられた途端にラフォリアに戻るのだから不思議なものだ。

 

「……彼が今のお前のお気に入りか」

 

「見つけたのは偶然だ、今のところ特に手を貸してはいない。……だが期待はしている」

 

「お前が自らの手で地上に送り届けるくらいだからな」

 

「やっと1段上がったところだ、お前達の手には任せられん」

 

「……前々から思っていたが、お前は案外過保護な奴だな。確かオッタルの相手をしていた時にも」

 

「忘れろ、そのことは2度と口にするな。誰かに吹き込めば本当に殺す」

 

「……分かった」

 

ふと横を見れば、ベルとミノタウロスの戦いを見ていた者達が妙に落ち着かない様子でウロウロとしているのが見えた。ここに来るまでも下の者達の機会を奪うが如く暴れ回っていた彼等だ。仕方がないとラフォリアが近くの階層から大量のモンスターを呼び寄せてその辺りを上手く調整したつもりではあったが、そのことについてフィンに普通に小言を受けたりもした。

そして今もまだ体を動かしたくてたまらないと言った様子の彼等を見て、ラフォリアは薄らと笑みを浮かべる。

 

「ガキだな」

 

「ああ、だが私達が失ってしまったものでもある」

 

「結局のところ、歳を取るに連れてステータスが上がらなくなるのは感情を抑える術が上手くなるからだ。爆発力のある若い人間でなければ出来ないこともある。お前達の様な立場になれば易々と無茶をする事もできまい」

 

「私達はあの子達の命を預かっている身だからな」

 

「それならそれでもういい、お前達に変に期待はしない。だがせめて奴等の踏台くらいにはなってやれ。せっかくあれだけ良い粒を揃えたのだ、大成させなければお前達の責になる」

 

「私達とてまだ負ける気はないのだがな」

 

「言葉ではなく成果で見せろ。お前達が7年躓いている場所を私は1週間で超えたぞ」

 

「……それを言われると何も言い返せないか」

 

けほけほ、とラフォリアは小さく咳をする。

それに対して怪訝そうな顔をするリヴェリアであるが、ラフォリアは何でもないと持っていた水筒で喉を潤す。どうにもダンジョンに潜っている間も、彼女はこうして定期的に咳をこぼしていた。それはフィンもリヴェリアも気付いていたところではある。

 

「お前まさか……」

 

「……そもそも治ってはいないと言っていただろう」

 

「ならば遠征などに参加している場合では……!」

 

「そう言われるのが鬱陶しいから黙っていた、別にこの程度ならば何の問題もない。普通にしていれば喀血もしないし、薬もある」

 

腰に付けていたその水筒に入っていたものこそ、アミッド・テアサナーレが彼女のために作った薬だった。実際その効果は凄まじく、一度口にすれば数時間は咳すらなくなる。戦闘に入る前に飲んでおけば不意の咳に困ることがないというだけでラフォリアにとってはありがたい物だった。そもそも彼女の言う通り、この程度であれば大きな問題ではない。

 

「確かに悪化はしているが、今直ぐどうこうなる話でもない。酷い時には一日中血を吐いていた、それを思えば随分と良くなったものだ」

 

「……本当に、良く生きて帰って来たな」

 

「……最後にもう一度だけでもあの女に、挑みたかったからな」

 

「……そうか」

 

そうこうしているうちに野営の準備は完了したらしく、2人は最後の打ち合わせに呼ばれた。明日には59階層に突入する、そこに何が待ち受けているのかはラフォリアも知らない。

 

 

 

 

打ち合わせが終わった後、リヴェリアは妙に緊張している様子が見受けられたラウル達二軍の団員達のもとを訪れていた。

以前は58階層で全滅しかけ撤退させられる羽目になったこともあって、主にラウルが周囲を怯えさせる様なことを言っているのではないかと思ったからだ。ちなみにそれは実際にその通りで、彼は酷く怯えながらネガティブなことを散々に語っていた。

リヴェリアは軽く冗談を言いながらもその空気を和ませることに尽力する。

 

「そ、そうですよね!それに今回はあのラフォリアさんが居るんですから!」

 

「「それはそう!!」」

 

一瞬リヴェリアが驚くくらいの大きな声でアリシアの言葉に頷いたのは、ラウルとアキ。ことのつまり、以前にベートと共に地獄巡りに連れていかれた例の可哀想な2人。

あの時の地獄巡りでステータスがそれなりに上昇したとは聞いていたが、どうやらそれ以外にも影響はあったらしい。特にラフォリアへの信用という面で。

 

「いや、ほんと……ラフォリアさんが居るだけで生きて帰れる感が凄いんすよ……」

 

「あの、2人は彼女にダンジョンで酷い目にあわされたと聞いていましたが」

 

「……うん、それは否定しないわ」

 

「……前も後ろも、上も下もモンスター。今思い出すだけでも体が震えるっすね」

 

「だからお二人とも25階層を通る時に妙に神妙な顔をされていたんですね……」

 

「その代わりセイレーンの処理が引くほど早かったけどね」

 

3階層分のモンスターを一度に相手する恐怖。あれを何度も乗り越えた身からすれば、既にあの階層のモンスターの処理は手慣れたものだった。特にセイレーンを叩き落とす腕は最早変態染みていた。

そして驚くのは、そんな目に遭わせた張本人たるラフォリアの評価が2人から妙に高いこと。これに関してはリヴェリアも不思議に思った、てっきり完全に恐怖しているのではないかとも思ったのだが。

 

「まあ、その点に関して言えば私達が今こうして生きているのが答えっていうか……」

 

「……?」

 

「いや、その、恥ずかしながら最初の数回は自分とアキ、2人とも途中で気絶したんすよね。気付いたらボロボロのベートさんが死にそうな顔して座ってて、その横でラフォリアさんが食事の準備してて……」

 

「え、あの人って料理するの?」

 

「普通に美味しかったっすよ、男料理って感じで」

 

「結局その後も何回か『あ、これ死んだかな』って思いながら気絶するんだけど、気付いたら同じ感じで目を覚ますのよ」

 

「それで一回試してみたんすよ」

 

「何をだ?」

 

「自分が徹底的にモンスターを引き付けて、アキの負担を減らしてみたんす。どうやって生き残ってるのか知りたくて」

 

「……意外とラウルは時々めちゃくちゃな無茶をしますよね」

 

まあ実際のところ、その頃には精神的にも肉体的にもゴリゴリに削られており、殆ど正気を失っていたからこそに過ぎなかったりもする。最初の方は何とか気張っていたベートすら、最後の方は気絶していたし、ラフォリア本人すら少しの疲労の色を見せていたくらいだ。それほどに凄まじい鍛錬、珍しくかなりの数値がステイタスに反映されていたのを見た時は3人とも妙な達成感を感じたりもした。

 

「まあ結局、ラフォリアさんが助けてくれてたのよね。ラウルが気絶した瞬間に割り込んで、担ぎ上げて、破壊した壁際に隠して」

 

「へぇ、優しいんですね」

 

「優しいというか、あれはどちらかと言えば面倒見の良い女だな」

 

「だからまあ、その点に関しては信用できるというか……」

 

「最後まで手を貸してくれないんすけど、命だけは助けてくれる。その上、実力もアレっすからね」

 

「「「アレ………」」」

 

なお、この場にいる全員がアレを見ていた。

具体的には単独でフレイヤ・ファミリアに乗り込み、最終的に"都市最強"の座を勝ち取ったアレのことである。

もちろん女神フレイヤの頬を叩いたところも、オッタルの頭を撫でていたところも、全部だ。つまり彼女のそういう面倒くさいところも、この場にいる者達は皆しっかりと知っている。

 

「だから、あんまこういう考え方は良くないと思うんすけど……足を踏みはずしても最悪の事態を防いでくれる人が居るっていうだけで、心持ちが全然変わってくるんすよね」

 

「ほう、私達だけでは不満ということか」

 

「あ、いや!そういうことじゃなくて!!」

 

「冗談だ」

 

「リヴェリアさぁあん……」

 

なんにしても、そう思われるのは彼女の実力と人柄があの一件で知れ渡ったからこそのものなのだろう。

リヴェリアとて分かっているし、同じ気持ちだ。

自分達の指揮を見られていることに対する緊張感は当然あるが、それでもミスをした際に助けてくれる明確に自分達より上の人間が居るということには安心感がある。7年前に多くの老年の冒険者達が死んだ、それ以降は常に自分達が一番上の立場となっていた。故に彼女の存在というのは久しく感じていなかった気分にもなって、とても頼もしい。

 

(しかし同時に……)

 

とても申し訳なくも感じている。

彼女をその立場にさせてしまったことを。

彼女に追い抜かれてしまったことを。

 

「リヴェリアさん。ゼウスとヘラの眷属ってみんなあんな感じだったんすか?」

 

「うん?……いや、彼女が独特なだけ。というより、アレ等の眷属は揃って個性的だったな」

 

「へぇ、そうなんですね」

 

「7年前のことを知っているお前達からすれば恐怖の対象でしかないと思うが、結局のところ根底は悪ではなかった。ただ只管に強い、そしてオラリオとそこに住む人々を愛していた」

 

「………」

 

「私やフィン、ガレスにオッタル……今やこの地位に居る私達だが、当時はその末端にすら敵わなかった。だが奴等はそんな私達を酒場に連れて行くなり三大クエストの支援班に入れたりもした。……まあ、そういう意味では確かにラウルの言う通り、ゼウスとヘラの眷属はあんな感じなのだろう。その部分においては彼女はそれを一番色濃く受け継いでいると言っていい」

 

彼等は後進への期待というものが大きかった。それ故に抱いた怒りや失望というのも大きかったのだろうと、今は思う。

未だ足元にも及ばなかったガレスを度々酒場で弄っていたザルド然り、実力のない年長者という妙な立ち位置だったリヴェリアに対して何の容赦もなく罵倒を浴びせながらも結局は彼女のことをしっかり覚えていたアルフィア然り、フィンやオッタルがベヒーモス討伐に付いていくと言って聞かなかった時にも結局は支援員としてそれを受け入れたのも彼等だ。彼等のそういった気安さが今の自分達を作り上げたと言っても過言ではなく、彼等は間違いなく自分達に強い期待を抱いていた。

 

「ってことは、ラフォリアさんも三大クエストに行ってたってことっすか?」

 

「いや、当時あいつはまだ10歳くらいだったからな。どちらにも参加していない……というか、そもそも教えられてすらいなかったと記憶している。定期的に1〜2ヶ月ほどダンジョンに潜っていたからな、その隙を狙って奴等も準備を進めていた」

 

「……意外と過保護だったんですね」

 

「それほど期待されていたということだ、私達にとってのアイズのようなものだからな。それより横暴で常識はあったが」

 

「常識がある人は1ヶ月以上もダンジョンに潜らないと思うんすけど……」

 

「常識はあったが、それを守るとは言っていない」

 

「それ多分、常識があることがむしろ厄介って奴ですよね……」

 

「フレイヤ・ファミリアを叩き潰しておきながら結果的にオラリオへの影響はそれほど大きくなかったろう。つまりはそういうことだ」

 

多分それが例えとして一番適した事例なのだろう。

まあ何にしても変に誤解されていたり嫌われたりしていないというのは素直に良かったと言える。実際彼女も流石に15年前と比べれば大人しくなった方ではあるし、そもそもシャクティのように15年前の時点から彼女に好意的な者もそれなりに居た訳なのだから、こうなるのも至極当然の話だったのかもしれない。

 

「とは言え、今回あいつは極力手を貸さないと断言している。お前達がダンジョンに潜っていた時のように容易く助けてくれるとは思うな」

 

「ひぃ、やっぱ駄目っすか……?」

 

「ラウル、頑張んなさい」

 

「アキも酷いっす!?」

 

「……ところでリヴェリア様」

 

「?どうしたアリシア」

 

 

 

「ラフォリアさんが上層で"猛者"を正座させていたと聞いたのですが、それは本当ですか……?」

 

 

 

「………」

 

 

 

「「「………………」」」

 

 

 

「……オッタルに殺されたくなければ無闇に言いふらさないように徹底しろ」

 

「「「はい」」」

 

 

地上に戻ってから一瞬で広まった。



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被害者23:千の妖精

例えば51階層をモンスター達の群れを必死になって抑えながら走っているとして、その後方で走るのも面倒だといった具合に小さく欠伸をしている女を見たらどう思うだろうか。

例えば52階層を下層からの砲撃に晒されながら涙目になって走っているのに、その後方で砲撃を興味深そうに一切の恐怖なく見ている女が居たらどう思うだろうか。

 

それどころかむしろ……

 

「トロ子、お前は本当にトロいな」

 

「そ、そそ、そんなこと言ってる場合じゃないですー!?!?」

 

砲撃で生じた大穴の中に落ちて行く自分を、一緒に落下しながら溜息を吐いて見てくる女を見たら……文句の一つや二つ言いたくなるのも仕方のないことではないだろうか。

少なくともレフィーヤはそう思うし、何故そこまで冷静で居られるのか心の底から分からなかった。

 

「そら、2発目が来るぞ。どうする」

 

「どうにかしてくださぁぁあい!?!?」

 

「他力本願しか出来んのか、お前は。自分でなんとかしろ」

 

「無理無理無理無理無理ですぅぅうううう!!!!」

 

 

 

 

「レフィーヤァァァアアア!!!!!」

 

「ティオナさん!!」

 

2発目の砲撃が放たれたにも関わらず、一切助ける気のないラフォリア。そんな彼女を見てかティオナまでそこに降りて来て、炎弾に自身の大剣を叩き付ける。

そして爆発の瞬間、ようやくラフォリアはレフィーヤを隠すようにして抱き寄せて、爆風から彼女を守った。なお、そのあと秒で捨てられた。ついでに頭も叩かれた。

 

「あ、あちちちち!?くっそー!よくもやってくれたなー!!」

 

「よくやった阿呆アマゾネス、お前のような奴は嫌いではないぞ」

 

「?よく分かんないけど褒められた!!」

 

「その調子で飛龍も殺してこい、そら来たぞ」

 

「うぇっ!?」

 

砲撃で生じた穴に向けて大量に入ってくるのは小型の飛龍、空中を自在に飛び回る彼等は落下するだけのこちらにとってあまりにも不利な相手だ。故に……

 

「チンタラしてんじゃねぇ!!!」

 

もう1人、ベート・ローガが救援に入る。

彼は壁を走りながら最高速でこの場に駆け降り、飛龍の一体を蹴り飛ばした。上を見るが他に降りて来る人間は居ないようだった、それはつまり……

 

「駄狼、お前だけか」

 

「十分だろうが!!」

 

「どう考えても不足だろう」

 

「んだと!?」

 

ラフォリアは一つ息を吐く。そしてこの状況を利用したフィンに悪態をつく。あの男は分かっていて戦力を割かなかったのだろう、下手にこちらに戦力を回せばラフォリアが手伝わないことを知っていたから。

……その考え通りに動くのは気に食わないとは言え、ラフォリアはしかたなくレフィーヤを抱えて壁を蹴った。ベートとティオナに速度を合わせ、周囲を飛び回る飛龍へと目をやる。

 

「一度スッキリさせるか」

 

 

 

 

 

【爆砕(イクスプロジア)】

 

 

 

 

「「「っ!?」」」

 

直後、周囲を高速で飛び回っていた飛龍達が空間ごと爆破される。僅か一撃で数十の飛龍達が灰に変わり、落ちて行くその様子。ここまでの魔法というものを見たことが無かった3人は、特にあの時にラフォリアとオッタルの戦闘を見ていなかった3人は、ただただその光景に驚愕した。

しかしそんな無駄な時間を浪費している暇はない、こうして生まれた余裕を十分に活かさなければまた撤退を余儀なくさせられてしまう。

 

「さてお前達、これからどうする?」

 

「っ!」

 

「このまま動いても何れ嬲り殺される、運良く下に着いても砲撃の主という敵が増えるだけだ。さあ考えてみろ」

 

「…………」

 

ラフォリアの視線が向いているのは、主にレフィーヤの方。つまりその問いかけは3人に語ってはいるが、答えを求めているのはレフィーヤということだ。それはこの状況を打破するための策はお前が作れと言われているということでもあり、その策の指揮すらお前が取れと言われているのと同義で……

 

「……わ、私がやります!!」

 

「ほう」

 

「私が魔法で叩き落とします!だから、えっと……絶対にベートさん達には当てないので!その、信用して下さい!!」

 

「だそうだ、お前達はどうする?」

 

レフィーヤのヤケクソ気味なその言葉、しかしラフォリアはそれを面白そうに聞いていた。そしてそう問いかけられた2人も当然、そこまで言われてしまえば断ることもない。

 

「ハッ、良いじゃねぇか。話が単純で分かりやすい」

 

「私もいいよー!レフィーヤのこと信じてるからさ!」

 

レフィーヤのその決意を受け入れた。

当然だった。

2人ともレフィーヤの頼りなさは知っているが、それと同時に彼女の才能も知っているのだから。少しでも気合を入れて精神的に落ち着くことが出来たのなら、彼女はそれなりに頼りになる戦力に変わる。

 

「……では、私も少しは手を貸してやるとするか」

 

そう呟きながら、ラフォリアは逆手で腰に付けていた剣を引き抜いた。

ただそれだけでピリと空気が引き締まった様な気がして、現時点で"都市最強"の女の圧に3人も思わず息を飲む。決して大きくはないその剣、しかし近接戦闘を主にしているベートとティオナにはそれが大剣のようにも見える。それほどの存在感を放っているのだ、この女が手に持つだけで。

 

「私はこれより貴様等の指示通りにしか動かん、それと魔法もこれ以上に使うつもりはない。……上手く使えよ、頭と目を回せ。そうでなければこの戦力で突破は現実的でない」

 

「上等だ!やってやらぁ!!」

 

「ラフォリアさんへの指示はレフィーヤがお願いね!」

 

「私に丸投げですか!?」

 

「そら、次の飛龍が来たぞ。早く指示を出せトロ子」

 

「うわぁぁああん!!もうどうにでもなれー!!」

 

レフィーヤは今度こそヤケクソになった。

というかヤケクソにならなければ死ぬ場所であった。故に彼女は普段から見ているリヴェリアの指揮や、そのリヴェリアから教えてもらった知識をフル動員し、とにかく必死に頭を回す。

 

「ティオナさんとベートさんはとにかく暴れて飛龍の気を引いてください!!ラフォリアさんは私を抱えて砲撃から守って下さい!!」

 

「いいだろう」

 

「っしゃ行くぞバカゾネス!!」

 

「分かってるよ!!」

 

『誇り高き戦士よ、森の射手隊よ。押し寄せる略奪者を前に弓を取れ!!』

 

押し寄せる飛龍の群れに突っ込んでいくベートとティオナ。そしてラフォリアは言われた通りにレフィーヤを抱えながら、穴の出口を目指した。レフィーヤが行ったのは本当に最低限の方針提示だけ、それより優先すべきことがあるというのが彼女の下した判断。

 

 

『同胞の声に応え、矢を番えよ。帯びよ炎、森の灯火。撃ち放て、妖精の火矢。 雨の如く降りそそぎ、蛮族どもを焼き払え!!』

 

 

『ヒュゼレイド・ファラーリカ!!!!』

 

 

 

「ほう」

 

炎属性の広域攻撃魔法、レフィーヤが使うことによってそれは数百数千の炎の矢を一気に解き放つ殲滅魔法へと変わる。深層のモンスター達ですら焼き尽くす矢の大群は、文字通り飛龍の群れを押し返した。

そのあまりの威力と範囲に素直に感心するラフォリア、ベートとティオナもその合間を縫うようにして戻って来る。

……ちなみに当てないようにするとは言ったが、実際に当たらなかったのは2人が普通に避けたからである。何もしなければ直撃はしなくとも爆風に巻き込まれてはいた。

 

「……!ベートさん!!後ろに!!」

 

「何?……ガァッ!?」

 

しかしその爆風の中、同じように抜け出して来た1匹の飛龍がいた。他の個体とは違い明らかに速度が早く、見た目も異なっている。

 

「強化種!?そんなのもいるの!?」

 

「クソが……!!」

 

「……おいトロ子、気付いていないようだが再び捕捉されたぞ」

 

「えっ!?あっ……!!ど、どうしたら!?」

 

「好きにしろ」

 

「わっ、わわっ、わーわーわー!!」

 

いきなり入って来たいくつもの情報に、頭の中が混乱してしまう。

この狭い空間で強化種の飛龍をどうにかしながら、下層からの砲撃に対処しなければならない。見た限りでは強化種の速度は速過ぎてベートとティオナでも落下しながらではどうにもならないらしく、それに時間をかけ過ぎれば砲撃の良い的だ。

 

「……思い出せ、最初の砲撃をお前はどう防いだ」

 

「さ、最初の砲撃?そ、それは確か………はっ!ティオナさん!」

 

「飛龍は近接戦闘で殺すのは難しい、だとすればどうする?」

 

「え、えっと、えっと……遠距離攻撃の魔法!!」

 

「ならば指示はどうなる」

 

「ティ、ティオナさん!!お願いですからもう一度だけ砲撃を防いで下さい!その間に私が飛龍を倒します!!」

 

「うーん、分かった!!痛いけど頑張る!!」

 

「駄狼の方はどうする」

 

「え?あ、えっと、えっと……!」

 

「流石にあの阿呆も3発目の砲撃を防ぐのは難しいだろうな」

 

「!……ベートさんは今のうちにヴァルガング・ドラゴンを倒して来て下さい!!」

 

「上等だ!!」

 

ラフォリアになんとか助けられながら、指示を出していくレフィーヤ。飛龍を倒すためにラフォリアに放り投げられると、壁を下りながら彼女は詠唱を始めた。

……並行詠唱、少しでも強化種との距離を縮めるために走りながら彼女は魔法を唱える。ラフォリアはそんな彼女の横を走りながら邪魔をする普通の飛龍を切り裂いていく。

 

『解き放つ一条の光、聖木の弓幹。汝、弓の名手なり。狙撃せよ、妖精の射手。穿て、必中の矢………アルクス・レイ!!!』

 

「うおりゃぁぁあああ!!」

 

レフィーヤの放った光の矢が強化種に直撃し、下層から放たれた砲撃をティオナがその身を以って相殺した。

その隙にベートは一気に下層へ向けて駆け降り、ラフォリアは気を抜いたレフィーヤとダメージを受けたティオナの2人の首を掴んでベートを追う。その速度にレフィーヤは再び目を回してしまった。こういうところである。

 

「……戻って来てやったぞ、クソッタレども」

 

地下58階層。

それは一度はロキ・ファミリアが撤退させられた因縁の階層。そこに今こうして再び戻って来た。ベートからしてみればそれは色々と思うこともあって、今度こそという気持ちも強くなって。

 

 

「さて、此処からが本番だ」

 

 

 

 

それから大体10分程度。

死闘に続く死闘。並行詠唱で解き放つ魔法と同時に、慣れない指揮を取らされ、その上で隣には常に圧を掛けてくる人間がいるこの状況。更には芋虫型の新種のモンスターまでもが出現し、三つ巴。何度も何度も死にかけて、その度に助けられる。それはベートやティオナも同じで、1秒たりとも気を抜ける時間など存在していなかった。それほどに激しい不利な戦闘が続いた。ラフォリアは本当に指示したことしかしてくれなかったから。

 

「よくやったなトロ子、褒めてやろう」

 

「……………」

 

つまりまあ、レフィーヤは死んでいた。

……いや、死んではいないが、半分くらいは死んでいた。

疲労とストレスで。あと3回くらい本当に死にかけた。彼女は今日まで生きて来た中で最も生と死の間を反復横跳びしたのだ。なお、疲労でグッタリとしているのはティオナとベートも同様である。彼等も頑張った。頑張ったのだ。

ただまあ少しだけ、敵の数が多かったというだけで。

 

「さて、腐食液の塊のような緑色のモンスター。あれが鬱陶しいことこの上ない」

 

今もまだヴォルフガングドラゴンすら屠りながらこちらへ向かって来る芋虫型のモンスター達。

レフィーヤは最早言葉すら話せないほどに疲労していて、ベートもティオナも疲労に膝を突いている。しかしラフォリアとしては彼等の働きは十分に合格点だった。未だにこうして立ち上がろうとしているところもまた、好印象といったところ。ここまでやれたのなら、後はもういい。元々この新種のモンスターに関してはラフォリアも想定していなかったのだから、異常事態に対してもよく対応した方だ。

 

「お前達、少し伏せていろ」

 

ラフォリアが自身の右手に魔力を集中させる。

凄まじい魔力を扱うレフィーヤですら目を見開くほどの濃密なそれ、そんな物を当たり前のように扱うのがヘラの眷属たる由縁。彼女の追い求めた女はこれ以上の魔力を行使していたというのだから、やはり才に愛された者達というのは桁が違って……

 

 

【爆砕(イクスプロジア)】

 

 

ーーーーー【撃災(カラミティ)】

 

 

それによって生じる現象もまた、格が違っていた。

 

 

 

 

「……さて、今回の講評についてだが」

 

そして当然のように始まる、ベートはよく知っているこの時間。

闘争がいち段落した際に必ず彼女が行う、今回の件での自分達の成した働きへの彼女の批評を聞く時間。凄まじい爆破を起こしておいて、背後でボロボロとなった空間を作り出しておいて、何事もなかったかのようにベート達の元へ歩いてくる彼女の感想。

57階層の入口では漸くフィンやリヴェリア達が到着して入ってきたところだったのが、ラフォリアはそれもどうでも良かったらしい。彼女にとって今一番大切なのは、この時間だったのだから。

 

「まずは駄狼」

 

「………」

 

「以前よりも反応が良くなったな。単純な速度向上だけでなく、対処の優先順位付けが出来るようになった。私との鍛錬の後も自己反復を忘れなかったようだな、褒めてやる」

 

「チッ」

 

「次からは複数の敵を纏めて潰すことを意識してみろ。今も気付けばしているのは分かるが、意識しているのと、していないのとでは見え方が相当に変わる。お前は意外と手堅いからな、もう少し手を広げてみろ。慣れれば効率も変わる」

 

「………分かった」

 

意外にもラフォリアの助言に素直に頷いたベートに驚くティオナとレフィーヤ、しかし彼からしてみれば彼女は間違いなく自分よりも色々な意味で上の人間だ。それは認めている。特にそれが戦闘に関する助言となれば、彼が受け入れない理由の方が無かった。事実それを受け入れて自分は強くなっているのだから、それを実感出来ているのだから。

 

「次に阿呆アマゾネス」

 

「は、はい!」

 

「お前は本当に阿呆だな」

 

「え〜、酷くな〜い?」

 

「だがその阿呆はもうどうにもならんだろう、気にするだけ無駄だ。ならば活かすしかあるまい」

 

「なんかすっごい悪口言われてる気がする……」

 

「せめて防具の1つや2つくらい着てこい」

 

「え〜」

 

「そのせいでお前の仲間が死ぬぞ」

 

「っ!」

 

「お前の好みもある、動き辛くなるようであれば無理にとは言わん。だが胸当て一つ、手甲一つであっても生死を分ける。最低限、この程度の攻撃で傷付かない程度の衣服くらいは着て来い。先ずはそこからだ」

 

「……うん、考えてみる」

 

技術以前の話。

阿呆は阿呆なりに優秀な駒となれ、せっかくの身の強さを無駄にするな。そういう話だ。まあアマゾネスだからこその話はあるかもしれないが、ラフォリアからしてみれば勿体無いの一言に尽きる。せっかく優れた能力を持っているのに、それを装備というハンデで無くしてしまうことは。防具が嫌ならば強い生地の服くらい着て来いということ、それだけでも生存力は格段に上がる。

 

「最後にトロ子」

 

「は、はい……」

 

「……出来るようになったか、並行詠唱」

 

「は、はい」

 

「よくやった」

 

「………!!」

 

褒められた、普通に褒められた。

驚き、戸惑い、嬉しくなる。

彼女の笑みは柔らかい。

それには後ろから追いついて来たフィン達も素直に驚いていて……

 

「指示はゴミだったがな」

 

「ぐふっ」

 

ダメ出しももちろん入る。

そこまで彼女は甘くない。

 

「貴様、自分には指揮は関係ないと思っているだろう。後衛で大砲として待機する貴様が指揮を取らず、いったい誰にやらせるつもりだ?余裕のない前衛に押し付ける気か?」

 

「ごふっ!?」

 

「今のままでは話にならん、知識も頭も目も足りん。並行詠唱も練度が低過ぎる、指揮を任されてから明らかに精度が低くなっていたのは貴様も自覚していたことだろう」

 

「あうあう……」

 

「精神面も脆弱過ぎる。落下し始めてから覚悟を決めるまで何秒かかった、私ならその間に昼寝が出来るぞ」

 

「ひぃん」

 

「単独では役に立たん、魔力どうこう以前に自分を磨け」

 

「うぅ……うぅ……」

 

「ラ、ラフォリア、その辺りで……」

 

「リヴェリア、貴様もこいつに対して甘過ぎる。一度本物の地獄を見せてやらんと何も変わらんぞ、こいつは。いつまで才能に甘えさせているつもりだ、勿体が無いにも程がある」

 

やはりレフィーヤに対しては厳しいところがあるが、それも彼女の才能を考慮してのものであると誰もが分かる。実際彼女の才能を精神的な不安定さが邪魔してしまっていると思っている者はそれなりに居るのだから。

……とは言え、もう目的地は目の前。これから最低限の休憩をしたら59階層に赴かなければならない。ここでレフィーヤを虐めて肝心な時に役に立たなくなっても困ると考えて、ラフォリアは一先ず説教を終える。

 

「それとフィン、貴様後で覚えておけよ」

 

「あはは……それは忘れてくれていると助かるかな」

 

ちなみに助からなかった。



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被害者24:精霊

59階層、記録によれば極寒の氷河地帯。

ラフォリア自身もそう聞いていたし、そのための耐寒装備も彼等は持って来ていた。そのための準備を怠ってくることは決してなかった。それほどの環境だと伝え聞いていたからだ。

……しかし今、こうして現実で目の前に広がっているのはそれとは真逆の熱帯の密林。寒いどころか暑い、むしろ不快な汗をかく。その上。

 

「あれは……」

 

「……18階層で見た奴とそっくりだな」

 

「宝玉の女体型……」

 

密林の奥で見つけたのは、18階層で出現した女体型のモンスターが他の緑色のモンスター達から魔石を受け取り貪っているその様子。普通の冒険者であるのならば、それがどういう意味かは何を言わなくとも分かる。戦慄する。

単なる女体型であっても十分な力を持っていたというのに、あれはつまりそれの強化種。それも付近がモンスターの死骸の灰で砂漠のように埋め尽くされるほどの量を既に摂取した、どう考えても手遅れの。

 

「……ラフォリア、君はどう思う?」

 

「少なくとも階層主級は覚悟しておけ、必要であれば勝手に入る。先ずはお前達だけで戦え、そうでなくとも支援くらいはする」

 

「分かったよ」

 

絶望的なほどの相手ではない、そういう判断なのだろう。しかしそうこう話しているうちに、事態は最悪の方向へと向かいはじめた。

 

「「「!?」」」

 

突如として咆哮を上げ、その姿を歪に変えていく宝玉のモンスター。

元々あった身体を一度大きく崩したかと思えば、それはすぐさまに再び構築されはじめ、球体となり、蕾となり、花が開く。その短くも長い時間を誰もがただ見つめることしか出来ず、空間には変異に関する音以外に響くものはなにもなかった。

そうして中から現れたのは、見知らぬ女の上半身。モンスターらしさなど残っていない、ただ美しい女の姿。……美しいのは、見た目だけ。

 

「………精霊?」

 

アイズの零したそんな一言が、仲間達の元へ動揺と共に広がっていく。そんなことは当然だ、一体誰があんなモンスター達が目の前の存在を、つまりは精霊を生み出すためのものだと思うのか。そしてどうして精霊などという伝説上の存在が本当にこの場に現れると思うのか。アイズ自身も、目を見開いて固まっているというのに。

 

「おい、杖を渡せ」

 

「え?あ、はいっす!」

 

しかしラフォリアにとっては目の前の存在が何であろうと構わない。なにやらアリア、アリアと喋っているが、ここに来てアレが味方であるはずがないのだから。あんな歪んだ生まれをした存在が、地上の生物にとって良き物である筈がないのだから。

魔力を練り、ラウルから受け取った大杖をコンと床に当てる。

 

「総員!!戦闘態勢!!」

 

フィンから指示が飛ぶ。

ラフォリアはリヴェリアの隣に立ち、しかし何をするでもなく目を細めて精霊を見つめる。あの姿を見た瞬間から、危惧していることがあったからだ。わざわざこうして杖まで持ってリヴェリアの横に立ったのは、それが理由。

 

「リヴェリア、ラフォリア、詠唱は少し待って欲しい」

 

「フィン?」

 

「…………」

 

「親指の疼きが止まらない、何かが来る」

 

大量に差し向けられた芋虫型のモンスター達、そしてそれを無視して突っ込んでいこうとするティオナ達を叩き落とそうとする、凄まじい力を持った大蔓の群勢。しかしまさかその程度とは思うまい。隠しているものがそれだけで済むとは、この場にいる誰もが思っていない。

 

『火ヨ、来タレーー』

 

『灼熱の激心、雷撃の暴心、我が怒りの矛先に揺らぐ聖鐘は笑う』

 

 

「「「!!!」」」

 

「詠唱!?モンスターがじゃと!?」

 

「リヴェリア!結界を張れ!!」

 

「くっ、分かっていたのなら先に言え!ラフォリア!」

 

精霊が詠唱を呟き始めたのとほぼ同時にラフォリアもまた詠唱を始めたのを見て、悪態をつきながらリヴェリアも詠唱を始める。

しかし次の瞬間、なぜラフォリアがそこまでして警戒する必要があったのか。それも詠唱をほぼ同時に始めるということまでする必要があったのか。その本当の理由をリヴェリアは知ることになる。

 

『泡沫の禊、浄化の光、静寂の園に鳴り響く天の音色こそ私の夢』

 

『舞い踊れ、大気の精よ、光の主よ』

 

『炎ヨ、猛ヨ猛ヨ、炎ノ渦ヨ。紅蓮ノ壁ヨ、豪火ノ咆哮ヨ。突風ノ力ヲ借リ世界ヲ閉ザセ。燃エル空、燃エル大地、燃エル海、燃エル泉、燃エル山、燃エル命ーー』

 

 

(超長文詠唱!?しかも早過ぎる!?)

 

 

『故に代償は要らず、犠牲も要らず、対価を求める一切を私は赦さない』

 

『森の守り手と契りを結び、大地の歌を持って我等を包め』

 

明らかに詠唱の量が違い、単純な詠唱速度の桁が違う。ラフォリアがここまで詠唱を始めることに急いだ理由はそこにあった。そもそも精霊という存在と普通の眷属では、魔法に対する適性が違う。いくら魔法に長けているエルフと言えど、神の僕たる精霊に敵うはずがないのだ。

 

『全テヲ焦土ト変エ、怒リト嘆キノ号砲ヲ、我ガ愛セシ英雄ノ命ノ代償ヲ。代行者ノ名ニオイテ命ジル、与エラレシ我ガ名ハ火精霊、炎ノ化身、炎ノ女王ーー』

 

『これより全ての原罪を引き受ける。月灯に濡れた我が身を見るな。ーー泣け、月静華』

 

『我等を囲え大いなる森光の障壁となって我等を守れ。ーー我が名はアールヴ』

 

 

 

 

【ファイアーストーム】

 

 

【クレセント・アルカナム】

 

 

【ヴィア・シルヘイム】

 

 

階層内に出現した小さな月とその光は、リヴェリアが生み出した結界を照らし出す。対して波の様に襲い来る灼熱の豪火、それは比喩でもなんでもなく階層全体を焼き尽くす。

 

「っ……!結界が!!」

 

「全員防御態勢!!ガレス!貴様が盾になれ!私の魔法で魔法耐性は上がっている筈だ!!」

 

「分かっとるわい!!」

 

「ラフォリア!もう限界だ!!」

 

「チィッ!!」

 

僅か1分も保つことなく、結界に亀裂が生じる。砕けた箇所から、炎の海が雪崩込んでくる。

そうして完全に障壁が砕け散る瞬間、ラフォリアはリヴェリアの首根っこを引っ掴んで炎波から自身の背中に隠した。それは単純にラフォリアの方が魔力耐性が強かったからだ。少なくともガレスよりも前で盾も無しに受けていい攻撃ではないと判断した。

 

「ラフォリア!!」

 

「黙っていろ!!この程度問題ない!!」

 

「っ」

 

それでも炎は2人を襲い、結界内に居た全員を焼き尽くす。破壊された箇所からの直撃を受けたガレスはその盾ごと押し流され、ラフォリアに守られたリヴェリアもその例外ではなく炎に攫われた。

ラフォリアの魔法耐性を受けていたとしてもこの有様、もし本当に直撃を受けていたらどうなっていたことか。

 

……炎が晴れた時、彼等はそれでもなんとか立つことが出来ていた。階層が更地となり、装備は焼け、全身に酷い火傷を負ってしまった。それでも何とか次に備える程度の余力を残せていたのは、単純に魔導士2人と盾役の頑張り故のものである。

 

 

 

『………』

 

 

 

だからこそ、精霊は考えた。

今の魔法の効果を踏まえて、果たしてこの者たちを滅ぼすのに適切な手段とは何か。有効な魔法とは何か。それはつまり……

 

 

『地ヨ、唸レーー』

 

 

「「「っ!!!?!?」」」

 

 

「ラウル達を守れ!!!」

 

 

【爆砕(イクスプロジア)ーーー】

 

 

『来タレ、来タレ、来タレ。大地ノ殻ヨ、黒鉄ノ宝閃ヨ、星ノ鉄槌ヨ、開闢ノ契約ヲモッテ反転セヨ。空ヲ焼ケ、地ヲ砕ケ、橋ヲ架ケ、天地ト為レ。降リソソグ天空ノ斧、破壊ノ厄災ーー代行者ノ名ニオイテ命ジル。与エラレシ我ガ名ハ地精霊、大地ノ化身、大地ノ女王ーー』

 

 

 

 

【撃災(カラミティ)】

 

 

【メテオ・スウォーム】

 

魔法耐性だけでは防げない、巨大な岩石を召喚し、上空から射出する超長文詠唱物理攻撃魔法。その高速詠唱。

敵を殺すために精霊が選んだ魔法は酷く的確であり、それに対して全員が取れた行動は防御の一手のみ。Lv.5以上の者がLv.4以下の者を身体を張って必死に守るという行為のみ。

それほどに2発目のこの魔法には1発目の様子見とは異なり、尋常ならざる魔力が込められており、盾を失ってしまった彼等にとっては、それでも確実に生き残れる保証はなかった。

……何故なら精霊は、その魔法行使に余裕すら失っていたからだ。否、1発目があれほどまでに抑え込まれた時点で、既に警戒心が高まっていたからだ。

 

『死鏡の光(エインガー)』

 

そしてその原因たる女は、今もこうして守るでも防ぐでもなく……ただ1人、それを迎撃してくる。

退くこともなく、身を屈めるでもなく、二本の足で立ち塞がり、睨み付ける。巨大な岩石弾を弾き飛ばし、破壊し、僅かにも恐怖すら感じていない。どころか、その様子に恐怖を感じていたのは精霊の方。

 

岩石弾が降り終わった時、彼女の背後に居た者達は例外なく地に倒れ伏していた。生きてはいても、敗北を悟るには十分な壊滅的な被害を受けていた。

……それなのに、その女だけが立っている。

衣服が焦げ、ダメージは受けている筈なのに、その女は常に自身の魔石がある位置を射抜いている。一瞬でも目を離せば貫かれてしまうような、そんな恐ろしい殺気を放ちながら。

 

『ーーーーーッッ!!』

 

精霊が周囲から魔力を吸い始める。

更地となった空間に芋虫型のモンスター達が更に詰め掛けてくる。

敵の準備が出来次第、直ぐにでも3発目は飛んでくるだろう。全員がそれを悟ってしまい、立ち上がることすら出来やしない。

 

……ただ、目の端に映る女の姿だけが、それを許してはくれない。

最初から変わらずそこに立っている女の背中だけが、今もこうして膝を突いている自分達に問い掛けている。

 

 

 

 

「ーーーあの怪物を討つ」

 

 

 

 

最初にそこに並び立ったのはフィンだった。

何も言わず佇んでいるラフォリアの隣に立ち、敵を見据える。彼に迷いはない、そして曇りもない。

 

「君たちに"勇気"を問おう」

 

恐怖、絶望、破滅。

目の前の存在は正にそれを体現している、それほどに規格外の存在ではある。しかしそれでも言う、彼は自信を持ってそう語る。

 

「僕の目には倒すべき敵、そして勝機しか見えていない」

 

ラフォリアの口元が弧を描いた。

ラフォリアの月は未だ顕在しており、僅かながらでも全員の怪我を治癒していた。結局のところ、彼女はアルフィアのような凄まじい破壊力を持った魔法を持つことが出来なかった。しかし彼女は自身の後ろに立つ多くの者達を支える魔法を持つことが出来た。

何故ラフォリアがそのような魔法を持つことになったのか、どうして彼女が回復魔法などを得ることが出来たのか。その理由こそ単純であり、その理由こそが今この瞬間だった。

 

「ベル・クラネルの真似事は、君達には荷が重いか?」

 

「「「「っ!!!」」」」

 

フィンのその言葉が、再び彼等の言葉に火を灯す。それだけで十分であり、それ以上にこの場で力を持つ言葉は存在しない。

 

それから初めて、ラフォリアは精霊から目線を切る。

腕を組み、溜息を吐き、笑みを見せる。

 

「まだやれるな?」

 

「迷惑をかけたね」

 

「大した相手ではない、お前達で十分にやれる」

 

「その期待には応えるよ、任せて欲しい」

 

「ああ、見ていてやろう」

 

フィンに続いて、アイズが、ベートが、ティオナが、ティオネが、レフィーヤが……1人ずつラフォリアを追い抜いていく。

……この光景だ。

この光景を見るために自分の回復魔法はあったのだと、ラフォリアは確信している。

 

「いくぞ!!」

 

彼等の戦法は単純、アイズの道を切り開くことだった。

フィンが狂化し最前を走り、敵の魔法をレフィーヤがフィルヴィスから受け取った障壁魔法をもってティオナとティオネの力を借りつつ受け止める。背後から迫る大量のモンスターは椿とラウル達が残った武器と魔剣を総動員し、必死になって食い止めた。

 

……そして。

 

「見せてみろ、リヴェリア」

 

「ああ、そこで見ていろ」

 

戦況をひっくり返すロキ・ファミリアの誇る最強砲台:九魔姫。

彼女は詠唱連結により詠唱を繋ぎ、効果を変え、威力を高める。その最大威力はラフォリアの【撃災(カラミティ)】を容易く超え、空間内の指定した対象を確実に焼き尽くす。

彼女は確かにラフォリアよりも、そしてかつてのアルフィアよりもステータス的に劣った存在ではあるが、それでもその秘められた魔法の才は2人に並び立つどころか追い越せる。だからこそ、強くなって欲しかったのだから。Lv.6でもここまでの殲滅魔法を放てる彼女が更に恩恵を昇華すれば、より大きな戦況をひっくり返すことが出来るのだから。

彼女が練り始めたその莫大な魔力は、見るものによっては階層主を超える様な巨大な怪物だ。少なくとも魔法を扱う人間にとっては、大砲という言葉すら生温い。

 

 

【レア・ラーヴァテイン】!!!

 

 

リヴェリアを中心に広がる爆炎の奔流。

まるで最初に受けた魔法のお返しとでもいうかのような火力を持って新種のモンスターを焼き滅ぼし、それまで僅かながらも余裕を持っていた精霊すらも巻き込み、完全に敵を追い詰めた。肉体的にも、精神的にも。

道を開き、整え、より有利な環境に整える。

 

「次はお前の番だろう、ガレス」

 

「……やれやれ、少しは年寄りを労らんか」

 

「お前を待っている奴等がいるだろう」

 

「ああ、そうじゃな」

 

突撃したフィン達の行く手を、突如として地下から出現した植物の壁が遮る。凄まじい硬度を誇るそれに彼等の攻撃は通用せず、唯一の勝機が失われる……ガレスが大斧を片手に突っ込んだのは、正にその瞬間。

 

「…………」

 

そしてその様子に目を細めたラフォリアが動いたのも、その直後のことだった。

 

「ベート!!アイズを通せ!!」

 

「分かってんだよンなこたぁ!!」

 

最後の抵抗とばかりに全ての蔓を飛ばして来た精霊に対し、その全てをベートとフィンがたった2人で撃ち落とす。持っていた魔剣、武器、体力、精神力、その全てを振り絞って。ダメージはもう仕方がないと割り切って。他の何よりもアイズをこの先に通すことこそが先決だと、そう考えた。

 

「ありがとう……!!」

 

だからこそ、アイズもそれを信じて飛び込んだ。その大量の蔓の先に居るであろう精霊に対し、唯一の勝機を掴み取るために倒れていく仲間達を目の端に映しながらも、辿り着いた。

 

漸く、勝ちの目が見えた。

 

そう思ったのだ。

 

誰もが、それこそフィンですら。

 

追い詰めたと、思っていた。

 

 

 

 

「……え?」

 

だがその蔓の束の先に、精霊は居なかった。

 

確実にそこに居た筈の敵が、姿を消していた。

 

フィンも、ベートも、アイズも、目を見開いて硬直する。ここに来ての全くの想定外の出来事に、思考が停止する。

 

 

 

「上だ!!!」

 

 

 

「え?」

 

そう叫んだのはラフォリアだった。

アイズ達を追いかけ、追い付き、壁を蹴って飛び上がる。そうしてアイズが見つめたその先に居たのは、天井に空いた大きな穴と、その中へ消えていく僅かな蔓。

 

「来い!!」

 

「っ!」

 

最後の蔓に掴まったラフォリアが差し伸ばした手に、アイズは掴まった。

59階層から上へ、上へ。

凄まじい勢いで上へと引っ張られていくのを感じながらも、困惑するアイズはよじ登り、ラフォリアと同じようにその蔓にしがみ付いた。

 

「どうして、上に……!?」

 

58階層を通り抜ける。

精霊が必死の形相で上へ上へと階層間を掘り進めながら登っていく姿を、それに引き上げられながら目撃する。

ヴォルフガングドラゴンを含めた飛龍達は幸いにもまだ殆ど生まれていなくて、しかしだからこそ、アイズは困惑するしかない。この精霊は何故逃げ出したのか、一体どこへいくつもりなのか。その理由はもしかすれば……

 

「ラフォリアさん……」

 

「……追い詰め過ぎた」

 

「え?」

 

「貴様等は何も悪くない、これは私のミスだ。私が奴を追い詰め過ぎた」

 

ラフォリアは想像が付いていた。

予想出来たからこそ、走り出した。

 

「どういう、ことですか……!?」

 

「奴はお前達に追い込まれた瞬間に負けを悟ったんだろう、恐らく奴を一番警戒させていた私が戦闘に参加していなかったからな」

 

「それが、どうして……!」

 

「死ぬくらいならば逃げる、ただそれだけの話だ。半端に拮抗していれば最後まであの場でやり合っていたかもしれんが、確実に負けると確信すれば居残る訳がない。あれはそれほど馬鹿ではない。………加えて」

 

「?」

 

ラフォリアも、そうでなくともフィンも気付いていたはずだ。フィンやベート、そしてアイズ達の行手を阻んだ地下から突如として出現した植物の壁。

あれはタイミングを考えてもあの精霊が放ったものではない、つまりここより下の階層に更に強大な存在が居ると考えてもいい。階層越しに的確な支援を行う存在、それは最早ダンジョンと同調していると言っても過言ではないだろう。……だとしたら、もしかすれば。

 

「狙いは50階層、安全地帯だ」

 

「っ!!」

 

「こちらに対して少しでも損害を与えようと考えるのであれば、そこを叩くのが最も効率が良い」

 

「野営地を襲撃して、アキ達を……!!」

 

「そういうことだ」

 

そう話しているうちに精霊は55階層を突破する。その速度は緩むことなく、やはり目的の階層へ向けてただ只管に動いている。階層を超えるために傷付けた自身の身体は直ぐ様に再生し、自身に繋がった大量の蔓で掘り進める。その速度と落ちてくる階層の瓦礫は凄まじく、アイズの風魔法とラフォリアの物理反射がなければ2人はとうに振り落とされていただろう。

 

「それなら、無理してでも今のうちに……!」

 

「よせ!18階層で現れた同類が下半身を切り離したのを忘れたか!奴の本体はあくまで人間体の上半身、今ここで切り捨てられれば確実に追いつけなくなる」

 

「っ、じゃあどうしたら……!!」

 

 

 

『火ヨ、来タレーー』

 

 

 

「「!?」」

 

54階層を突破した瞬間に、精霊が詠唱を始めた。その狙いは分かる、50階層に辿り着いた瞬間に何の準備も出来ていない団員達に向けて不意打ち気味に放つためだろう。そんなことをされてしまえば確実に誰も生き残れないし、アイズの攻撃も間に合わない。

敵は本気で野営地を殲滅するつもりだった。先程までの精霊の在り方とは似ても似つかないそのやり方に、やはり下の階層に存在している何らかからの干渉があったのだと確信する。

 

『炎ヨ、猛ヨ猛ヨ、炎ノ渦ヨ。紅蓮ノ壁ヨ、豪火ノ咆哮ヨ。突風ノ力ヲ借リ世界ヲ閉ザセ』

 

「ラフォリアさんの、あの魔法なら……!」

 

「無理だ、"クレセント・アルカナム"は2箇所以上に同時に設置することは出来ない。今はまだ59階層を照らしている筈だ、間に合わない」

 

「それなら、やっぱりここで……!」

 

「考えろ!奴が私達の存在に本当に気付いていないと思うか!」

 

「っ」

 

「奴は50階層を殲滅した後、私達を潰すつもりだ。そしてその後にフィン達を葬り去る、それこそが奴に残っている唯一の勝機だ」

 

「……私達を切り離す準備は出来ている?」

 

「そうでなければこの蔓を1本だけ残しておく必要もあるまい。奴が恐れているのはむしろ、私達が野営地を見捨て、このまま59階層へ戻ることだ。何も手出ししなければ50階層へ辿り着くことは出来る」

 

「でもそれだと……!!」

 

どちらにしても、アキ達は助からない。

アイズの風魔法ではアレを防げない。

むしろリヴェリアの防護魔法もない現状、そのまま一緒に焼き殺されてしまうまであるだろう。打てる手がない、何も残されてはいない。

……故に、アイズはラフォリアの方へと顔を向けた。自分の中には何一つとして存在しない解決策を求めて、自身より強いであろう今この場においてなお冷静に物事を見据えている彼女の中に求めて。

 

『燃エル空、燃エル大地、燃エル海、燃エル泉、燃エル山、燃エル命ーー』

 

 

 

「……私が奴の魔法を無効化する」

 

「え」

 

目を向けたアイズに対して、ラフォリアは瞳を閉じてそう言葉にした。

 

「私が奴の魔法を一度だけ無効化する、お前はその隙に核を撃て」

 

「……そんなこと、出来るんですか?」

 

「しなければお前の仲間達が死ぬだけだ。私の言葉を信じるのか、信じないのか。それを決めるのは私でなくお前だ」

 

52階層を突破する。

もう時間がない。

そして他に選択肢など元より存在しない。

アイズができるのはただ一つ、彼女のその言葉を信用して全てを委ねることだけ。

 

「……50階層に出た瞬間に、魔石に向かって攻撃します」

 

「いいだろう、確実に撃て。その尻拭いをするつもりはないからな」

 

ラフォリアはそうして最後に一度だけ、青色の瞳をアイズに向けて微笑んだ。まるで何かを諦めたように、少し力の抜けた笑顔で。



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被害者25:撃災

その頃、50階層に居たアナキティ、リーネ、エルフィ達は、突如として響き始めた地鳴りに対して困惑していた。

階層全体が揺れる様なそれに、もしかすれば団長達に何かあったのではないかと。そうでなくとも、残っている団員全員に武装を指示して部隊を纏め始める。

団長たるフィンが居なくともここまで指揮を取ることができる、これこそ集団として育て上げるというロキ・ファミリアの強みであるろう。

 

……しかし、まさか誰も想像することなど出来るはずがない。今この場にフィン達が直前まで59階層で戦っていた精霊が現れ、出現と同時に魔法を放ってくるなどということ。いくら戦闘準備をしていたとしても、対応出来ることと出来ないことがある。

 

「っ、何か来る!!」

 

「な、なにかって何!?」

 

「分からないけど……総員戦闘態勢!!!」

 

猫人特有の聴覚でそれを察知したアナキティの指示により、全員が陣形を組んで備える。盾役が前に並び、出現するであろう強大な何かに対して身構える。すると徐々に大きさを増していく地響きと共に聞こえてくるのは、本来ダンジョンの中で味方以外から聞こえてはならないもの。つまりは言葉、その羅列……詠唱。

 

『全テヲ焦土ト変エ、怒リト嘆キノ号砲ヲ、我ガ愛セシ英雄ノ命ノ代償ヲ。代行者ノ名ニオイテ命ジル、与エラレシ我ガ名ハ火精霊、炎ノ化身、炎ノ女王ーー』

 

 

「長文詠唱!?」

 

「しかも早い!?これって……」

 

そうして悪夢は、現れた。

まるで巨大な蔓の群勢をドリルの様にして地面を突き破り、そこから花開くようにして現れた女の上半身。

魔力は既に練り終わり、詠唱は既に完了した。

目の前の光景にまともに反応できる者は存在しない。

その存在と現状を冷静に飲み込める者など存在しない。

目の前に現れた圧倒的な絶望に対して、それでもと希望を持って声を出せる者など存在しない。

 

 

 

【ファイアーストーム】

 

 

 

……だからこそ。

 

 

 

 

【魂の平穏(アタラクシア)】

 

 

その生物と自分達の間に割り込んできた女が呟いた詠唱式を、しっかりと聞こえていた者はほとんど居なかった。

精霊の両掌に出現した火の球が灼熱の豪火となって吹き荒れる。

しかしそれが女の身体に触れた瞬間に、まるでそれそのもの全てが夢幻であったかのように消え失せる。

 

魔法を無効化する魔法。

 

魔法使いに対して完封を可能とする最強の魔導士殺し。

 

その強力さ故に自身の魔法すら弱体化させてしまう至高の鎧。

 

停止したのは精霊の方だった。

何が起きたのか、理解することが出来なかった。

仮にも精霊である自分の魔法が失敗するはずなど決してなく、それこそ幻を見せられていたのだと考えた程だった。……そしてその隙こそが致命的となる。目の前の常に警戒していた女に対して、むしろ今度は警戒をし過ぎたのだ。

彼女は気付かない。

自身の背後から接近する、もう1人の存在に。

彼女の核を破壊する為に、残った全ての力をその一撃に込めたアイズの存在に。

 

 

 

【リル・ラファーガ】!!!!

 

 

 

精霊の身体を、穿つ。

アイズの誇る最大威力の突きが、精霊の身体を吹き飛ばす。

 

 

『ーーーーーぁ』

 

 

最後に残った頭と目線を交わしたアイズは、その瞳の奥に想いを見た。

怪物でもモンスターでもなく、一体の精霊としての想い。

 

……しかし、それよりもアイズは仲間達の命を優先しなければならなかった。

精霊である彼女がどのような想いを抱き、どうしてここに立つことになったのか。それは気になることでもあるし、知らなければならないことでもあると分かる。だがそれでも今は何より大事な物がそこにあって、その大切な物を奪うことをアイズは許さない。

 

「ごめんね………私はもう、何も奪われたくない」

 

すれ違った精霊の頭から目線を切り、アイズは仲間達の前に着地する。

未練はなかった。

後悔もない。

背後で消えていく精霊に対し、もう2度と振り向くこともなかった。

 

「アイズさん……!?」

 

「アイズ!?」

 

よろめいた彼女の元に、仲間達が駆け寄ってくる。

灰に変わっていく精霊の下半身、再び戻ってくる柔らかな静寂。

アイズはその安堵感から全身から力が抜けてしまい、駆け寄ってきたリーネやエルフィ達の元に倒れ込んでしまったのだ。

それほどの激戦でもあった。

そして仲間達を守れたという安心感もそこにはあった。

 

「な、なにがあったのアイズ!?それに今のって……」

 

「ほ、他の皆さんは……!」

 

「大丈夫、だと思う。……多分」

 

フィン達も相当な怪我をしていたが、それでも生きてはいる筈だ。

少し回復すれば、直ぐに50階層に向けて帰って来るだろう。

フィンであればラフォリアと同じように、直ぐに敵の狙いに気付いた筈なのだから。それにラフォリアの魔法もまだ59階層を照らしていると言っていた、いくらリヴェリアが限界で回復薬が底を尽きていたとしても、回復に困ることはない。

 

「っ、そうだ。ラフォリアさんは……」

 

「ここに居る、問題ない……けほっ」

 

目を向けた先には、アキに支えられながらこちらに歩いて来ているラフォリアの姿があった。目を閉じたまま咳き込んでいる彼女であるが、確かに彼女も生きていた。

そして言葉の通りに、彼女はあの魔法を無効化した。

仲間達を守ってくれたのだ。

 

……アイズも知っている、かつての"静寂"と全く同じ魔法で。

 

(ううん、それより今は……)

 

すべきこと、考えなければならないことが多くある。

アイズはこれでも幹部の1人なのだから。

今ここにいる唯一のロキ・ファミリアの幹部なのだから。

疲労に倒れている暇などない。

油断して眠ることなどしていられない。

 

「アキ、フィン達が戻って来るまで戦闘態勢を解かないで。それと中継役を増やして、あの穴にも警戒して。リーネも私とラフォリアさんの治療をお願い、まだ油断出来ないから」

 

「分かった、後は任せなさい」

 

「けほっ、けほっ……」

 

それでも……そうして苦しそうに咳をしているラフォリアの様子だけが、アイズはどうしても気になった。普段あれだけ弱い部分を見せない彼女が、これほどまでに苦しそうな姿を見せていることの。その意味を。

 

 

 

 

 

「……なるほど、事情は大体把握したよ。ありがとうアイズ、君のおかげで最悪の事態は免れた」

 

「ううん……私だけじゃ、どうにもならなかったから」

 

あれから数時間も経たないうちに、フィン達は50階層へと戻って来ていた。

59階層で精霊を取り逃がした後、アイズの予想通りフィンもまた敵の狙いに気付いた。……とは言え、あの速度で登っていく敵に追いつける筈もないと判断したのもまた当然の話。

フィンは50階層のことはアイズとラフォリアに任せ、自分達は仮にそちらが失敗した場合に備えて全員の回復を優先した。非情な判断ではあったものの、全滅を防ぐために中途半端な指示は出来なかったということに他ならない。そもそも他に選択肢など存在しなかったのだから。

幸いにもラフォリアの月の光が残っていたため、それを十分に利用して回復を済ませると、ヴォルフガングドラゴンを殲滅してから一気に50階層まで休むことなく走って来た。

……結果的には、何もかもが最良の形に収まったとも言える。

精霊も倒し、アキ達も無事だった。

死人は誰一人として出ていない。

 

「……最良、ね」

 

テントの中には怪我の手当てを終えた4人。

フィンと、リヴェリアと、ガレスと、アイズ。

今この面子だけが揃っている理由は、アイズの強い希望があってこそのもの。なるべく早急に話さなければならないことがあると、珍しくも彼女からの進言があり、それを聞いて眉を顰めた3人が他の何よりも優先してこの状態を作り上げた。

テントの外では今も団員達が忙しく動いている。

 

 

「ラフォリアが"静寂"の魔法を使った、か……」

 

今その彼女は、治療用のテントでリーネからの治療を受けている。

身体への怪我自体はそれほど大きな物はなかったのだが、どうにも薬を飲んでも咳が止まらないらしい。今はそこまでしか聞けていないが、だとしても大凡の予想はつくというもの。

 

「フィン、これは……」

 

「ああ、間違いない。ラフォリアは何らかの代償を支払うことでアルフィアの魔法を行使している」

 

「!」

 

アイズは驚くが、状況証拠が揃い過ぎている。

恐らくは何らかのスキルによるもの。

 

「アイズから聞いた彼女の様子からしても、あまり使いたいと思っていなかったようなんだろう?」

 

「うん……なんとなくだけど」

 

「単にアルフィアの魔法を使いたくないという理由でも……ないのか」

 

「ああ、彼女は本当に必要であれば何の迷いもなく決断する。アイズが言ったような出し渋るような様子を見せたのであれば、そこには相応の理由がなければあり得ない」

 

「……咳、か」

 

「容易い代償では、ないだろうね」

 

21階層で起きた崩落事故。

フレイヤ・ファミリアの団員達が大怪我をしたそれがラフォリアの仕業であることは、フィンも既に知っている。しかしよくよく考えてみれば魔導士だらけの戦力に対し、深層から帰ってきたばかりのラフォリアが本当に勝てるものなのだろうか。

それも当時のラフォリアはまだLv.6、階層を崩落させる力などなかったはず。だとすれば……

 

「……ラフォリアは"静寂"の全ての魔法が使える?」

 

「なに?」

 

きっと直接聞いたところで教えてくれることはないだろう。

唯一アミッドやオッタルは知っているかもしれないが、相当な理由でもない限り患者の個人情報を教えてくれる彼女でもないし、オッタルもラフォリアに関してのこととなればどんな反応をしてくるのかフィンには想像がつかない。

しかしその代償が彼女の持病を悪化させる、つまりは彼女の寿命を削るに値するものであるのは間違いない。

 

「……アイズ、すまないけど地上に帰るまでラフォリアのことを頼めるかい?今回の件で彼女にはなるべく戦闘をさせるべきでないとはっきりした、これを聞けば彼女は機嫌を悪くするだろうけれど」

 

「うん、分かった」

 

「咳が止まらないとなると、彼奴の持病が悪化したというところかのう」

 

「僕はそう思っているよ。一先ず地上に戻るまではリーネに任せるしかない」

 

「……アミッドの薬が効かないとなると、楽観できる状況ではないのだろうな」

 

「ああ。……本当に、今回の件は僕のミスだ。狂化していたとはいえ、目の前の敵を見失うどころか、思考を止めてしまった。もしラフォリアが異変に気付いていなかったら完全に手遅れになっていた」

 

そうなっていれば50階層の野営地は壊滅し、補給地点を絶たれ物資を破壊されたフィン達は、地上に帰ることが出来るかも怪しくなっていた。僅か一瞬、たった一つの判断の違いで、これほどまでに追い込まれる状況だった。自分達のことだけしか見えていなかった、まさか50階層まで被害が及ぶなど考えもしていなかった。僅かにでも頭の隅に可能性を置いていたら、あの瞬間に迷いなく上空を確認することも出来ていただろうに。

 

「彼女の病を悪化させた責任くらいは取る。一先ずは無事に彼女を地上に送り届けよう、話はそれからだ」

 

そうしてここに来てロキ・ファミリアはようやく、ラフォリアの身体の状態について明確な危機感を持った。フレイヤとオッタルは既に知っていた彼女のタイムリミットについて、この瞬間にようやく気付くことができた。

 

……それはもしかしたら既に、遅過ぎるくらいなのかもしれないが。

 

 

 

 

 

「目の色が完全に変わったな……けほっ」

 

リーネに持って来させた鏡を覗き、彼女は一つ溜息を吐いて目を閉じる。

右目は碧、左目は灰。

あれから数時間が経ったにも関わらず、色は落ちない。

それはつまり、そういうことなのだろう。髪と同じだ。

何度も何度も見てきたその色が、今こうして自分の瞳に宿っている。

もうこの瞼を開けることもそうなくなるだろう、そんなことを考えながらラフォリアは水筒の薬を飲んだ。彼女の横には血の溜まった桶が置かれており、手渡された布巾で口元を拭う。

 

「あの……ごめんなさい、私なにも……」

 

「気にするな、元よりどうにかなるものでもない。別に期待もしていなかった……けほっ」

 

薬もあと水筒1本分しか残っていない、これからペースが早まるとなると確実に足りなくなって来る。そもそもの効果すら薄くなっている現状、もう無理は出来ない。

正直どこまでが許容範囲なのか自分でも分からない。

既に1度喀血している、そうなった際に治療はこのリーネに任せるしかない。……むしろ世話をかけるのはこれからだろう。彼女に解決策など求めていない、求めているのは地上に帰ること。

 

「このことは誰にも言うな」

 

「えっ、でも……」

 

「今から余計な気を遣われても敵わん、それは歩くことすらままならなくなってからでいい。……そもそも、今回の件は私に非がある。それについて謝罪などされてみろ、私は殴るぞ」

 

そう、今回50階層が襲われたことについて、ラフォリアはそれが自身の責任だと思っている。

中途半端なことをしたが為に敵に余計な恐怖心を抱かせた。最初から何もしなければ精霊も警戒はしなかったろうし、最初から積極的に関わっていれば容易く倒すことが出来た。

よってその結果として自身の病が悪化したのなら、それは他でもない自分自身の責任であり、そのことについて他人から謝罪などされたくもない。故にラフォリアは釘を刺す。

 

「まだ、やらなければならないことがあるからな。今自由を奪われては困る」

 

そんなことをされたら本当に、アルフィア達と同じことをするしかなくなってしまうのだから。

 

……もしそうなったとしたら、自分は一体誰にこの経験値(エクセリア)を託すことにするのか?

ラフォリアはそんなことを考えて、小さく首を振った。

 

死が近づいて来ているからだろうか?

あれほど忌避していたアルフィア達のやり方を少しずつ理解し受け入れてしまっている自分の感性が、少し気持ち悪く思ってしまった。見た目はともかく、中身まであの女と一緒になってはならない。他でもない自分だけは、あの女のやり方を肯定してはならないのだから。

 

(まあ、最早私自身の元の容姿など殆ど残ってはいないのだがな)

 

その事実に苦笑いを溢しながらも呆れてしまう。

既に自分の元の姿すら朧げにしか思い出すことは出来ない。

女神アルテミスと行動していた時は、まだ髪も黒かった覚えがある。その時は染めることなく付けていた。

女神アフロディーテと行動し始めた辺りから、髪が白くなり始めた。

そして今度はこうして目の色が完全に変異してしまった。

一体これ以上どこが変わるというのだろうか。

最早自分の肉体の表面的な部分はあの女の物になっているというのに。

それでも持病だけは悪化していく一方なのが、本当に憎らしい。

 

(ふっ、最後にはあの女が私の身体を使って生き返る……などということになったりしてな)

 

だとしたら、一体あの女はどんな顔をするのだろう。

それは素直に気になったし、面白味を感じた。

生き返ったところで、どうせ病で再び死ぬことになるのだろうに。

こうなると死に方1つにしても悩みどころになってくるというもの。

 

……この生を終わらせる時、自分はどんな最後にしたいのか。

今まで拒絶して来たそれに対して考えなければならないと思うと同時に、拒否し続けて来たそれを受け入れることができ始めた自分の変化に、ラフォリアは再び目を逸らして立ち上がる。

なんとなく重く感じる今の身体が、間違いなくアルフィアの病が侵蝕してきていることを自覚させられる。この先も自分の持病だけではないだろう、アルフィアも偶にではあるが咳をしていた。自分の限界は思っていたより近い。

 

「ま、まだ横になってないと……!!」

 

「必要ない。立っていようと横になっていようと、そう変わらん」

 

どちらにしても、この経験値(エクセリア)を無駄にすることだけは許されない。最後には必ずこれを渡す相手を決めなければならない。それがヘラの眷属である自分の役割なのだから。

アルフィアのように託す相手を間違えることのないように、今からでも託すべき相手を見極めはじめなければならない。なにをするにもとにかく、時間がなくなりはじめていた。



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被害者26:神

フィン達が遠征に行っていた頃、地上では3ヶ月に一度行われる神会(デナトゥス)が開催されていた。

神会とはその名の通り神々の集まりであり、主に冒険者の命名式や都市で開かれる催しの発案などが行われている。参加条件はLv.2以上の冒険者を眷属に持つ主神のみ、基本的には不真面目な議題が話されているが今回ばかりはそういった様子でもない。

ちなみに今回の司会進行はロキである。

その目的は新種のモンスターについて知っている神を炙り出すため、ヘルメスやディオニュソスと共にこの場に望んでいた。勿論、今回の神会がそう容易く済むものではないと予め知っていたため、割とロキも渋々と言った感じでこの役割を引き受けたらしたのだが。

 

「…………マジで【撃災】帰って来てたのかよ」

 

「しかもLv.7ってマジ?」

 

「すまん、バロール単独討伐って何の冗談だ?」

 

「オッタルさん超えてんじゃん」

 

「まあ実際超えてるんですけどね」

 

「フレイヤのとこに襲撃かけたってマジ話なん?あたし見てなかったんだけど」

 

「そらマジよ、今の"都市最強"なんだから」

 

命名式にラフォリアの資料が出て来た瞬間に、一気に静まり返る神々。

特にフレイヤ・ファミリアとの一件は彼等にとってもかなりの衝撃であったらしく、その話題を出す際にはなんとなく居心地悪そうにフレイヤの方をチラチラと見る有様なのだから、いつもの弾けた雰囲気はそこにはない。

しかし肝心のフレイヤは特に気にする様子もなくラフォリアの資料を見ているので、果たしてどう扱ったらいいのかも分からない。イシュタルなど明らかに嬉しそうにフレイヤの方を見ているのに、フレイヤはそれすら無視をしている。特に不機嫌な様子もなかった。しかし別に機嫌が良さそうという訳でもなかった。

 

……そして様子がおかしいのはもう1人。

 

「………」

 

ヘルメスもまたラフォリアの資料を見て、しかし真剣な顔をして同時に何かを考えている。

そんな彼の様子に気になる者も多いが、一先ずは命名式だ。

ちなみに彼女の身柄はヘファイストス・ファミリアの預かりということになっている。つまり大手のファミリア所属ということで、神々もおかしな名前を付けにくいというのはあるのだが……それにしても、やはり例外というものは何処にでも存在しているものであり。

 

「……現状維持で良くね?」

 

「っつうか、変なの考えた奴は次の日ドブ川に捨てられるだろ」

 

「俺よく知らねぇんだけどさ、そんなにヤバい奴なのか?」

 

「あの子の最初の二つ名、確か『爆裂少女(ボンバーガール)』だったんだよ」

 

「へぇ、可愛いじゃん」

 

「それ考えた奴が次の日に中央広場に全裸で吊るされた」

 

「……は?」

 

「それを決定した進行役も、その次の日に全裸で噴水広場に浸けられてた」

 

「………」

 

「結局、臨時の神会を開いて二つ名を急遽変えたんだよな」

 

「おう、そんで落ち着いたのが【撃災】。ありゃ完全に災害だったからなぁ」

 

「その件以降は彼女の二つ名にだけは絶対に触れない、って感じでここまで来たわけだ。つまり今回も現状維持以外は選択肢がないのと同義」

 

「屈したのか……」

 

「ちなみに案を出しただけでも沈められるぞ」

 

「過激すぎだろ!!」

 

気に入らなかったのだろう、単純に。

なおそれが原因で小規模の抗争が起き、一つのファミリアの本拠地が爆砕される事態になったりも過去にはしたのだが、それはまあ別の話として。

 

二つ名は今回もやはり現状維持で一致した。

そこを変える勇気が彼等にはなかった。

というかどうせ変えても臨時神会を開くことになるので、無駄だと思ったのだ。神意に逆らうどころか、神をマジ殴りに来るような女なのだから。

……やはり暴力、暴力は全てを解決する。

 

「ちなみに書いたるやろけど、ラフォリアはファイたんのところに所属することになるから。変な手出すなよ、お前ら」

 

「手出した瞬間に叩き潰されるだろ」

 

「そんな命知らず居る?」

 

「居ねぇよなぁ?」

 

「居たら手をあげてくれ、見に行くから」

 

「いいこと教えてやろう、【撃災】は野次馬も殴るぞ」

 

「酷過ぎる」

 

「暴君かよ」

 

「まあ何にせよ、あんま悪いことすんなや。逆鱗にでも触れたら本気で爆破されんで」

 

意外なことに、話はその程度で済んだ。

なぜなら実質的には都市内の序列はそれほど変わっておらず、一番上に1人が割り込んできたというだけなのだから。これでフレイヤ・ファミリアが壊滅していれば全てが滅茶苦茶になっていたかもしれないが、そういう訳でもない。単に"都市最強"が変わっただけ、その称号に何かしら大きな権利や役割がある訳でもない。

それに彼女は行動に難があるとは言え、それほど敵対的で話が通じない相手という訳でもなく、その地雷にさえ触れなければ被害もない。

……つまり、悪いことさえしなければいいのだ。

逆に言えば悪いことをしている者達にとっては非常に脅威となる。

 

(おーおー、えらい顔しとるやんけイシュタル)

 

先程までフレイヤのことを笑っていたその顔が、ロキの言葉で大きく歪む。

ゼウスとヘラのファミリアと言えば、諸々の影響はあったとは言え、結局のところは都市と世界の平穏を願っていた者達だ。当時の街の治安は良くも悪くもあのファミリアが強い影響力を持っていたし、彼等のおかげで抗争はあっても平穏は保たれていた。つまりはラフォリアも間違いなくそちら側、悪を許してはくれないと考えられる。許してくれはしないだろう。

 

……ちなみに実際には、存在そのものが反吐が出るという理由で徹底的に殲滅するので、彼等の想像より厳しかったりもする。

魅了でもかけて自由を奪おうものなら、とあるスキルの関係で完全に疲弊させない限りは魅了を無効化してしまうので、むしろ怒りを買って全てを破壊されることになる。彼女がそんな絶対イシュタル殺すウーマンであることは、今のところはオッタル以外は誰も知らない。

 

 

 

 

 

 

結局はそれからアイズやベルのランクアップの報告があり、ラフォリアの話は流れてしまったが、神会は無事に終わりを告げた。

大きな問題もなく、ベル・クラネルの最速レベルアップに関する件も、フレイヤが口を出したことによって無事終息した。その様子からフレイヤとヘスティアの間にはまた面倒な事が起きるだろうとロキは予想して辟易としたが、それとは別に、それでもラフォリアが帰って来たという正式な報告は一部の者達にとっては強い影響があったということも実感させられた。

例えばそれは、最初から妙な反応をしていたこの男についてだとか。

 

「それで、どういうことやヘルメス?妙に急いで解散したと思ったら、こないなところで待ち伏せするやなんて」

 

「………」

 

神会が終わった後、先に用事があると離れていったヘルメスが、ディオニュソスと別れたロキを待ち伏せしていた。誘われた小さな店で、ロキは訝しげな顔をしながら、妙に真剣な顔をした目の前の胡散臭い男の顔を見やる。

 

「……ラフォリアとはもう会ったんだよな?ロキ」

 

「あん?そりゃまあ最初に来たのがウチやからな、それからも縁は続いとるわ」

 

「それなら聞くが、彼女はどこまで"アルフィア"になっている?」

 

「………どういうことや」

 

それはまだフィン達も気付いてはいないこと。

それをヘルメスは知っていて、当然ロキも知っているとばかりに言葉にした。しかしそのロキの反応を見て、ヘルメスは天を見上げる。

最悪だ、と言わんばかりに。

 

「何の話や、ヘルメス」

 

「……あの子はアルテミスとアフロディーテのファミリアと一時的に行動を共にしていたことがある。俺はそれを本人達から聞いた」

 

「それがどないしたんや」

 

「彼女等が言葉を揃えて言っていたことがある」

 

「?」

 

「……何れ彼女は、自分自身を完全に失う、と」

 

「自分を、失う……?」

 

言っていることが分からない。

しかしそれが嘘でも冗談でもないということだけは分かる。

だからロキは身を乗り出した。

そしてヘルメスの言葉を待つ。

 

「彼女には、アルフィアの恩恵を自身の身に転写するというスキルが存在するらしい。……これだけで意味は分かるな?」

 

「っ!」

 

そのただ一言で、恩恵について真に理解している神であれば、誰でもその結論に行き着くだろう。それはロキが一瞬で顔色を変えたことからも明らかだった。行き着かないのは例えば、恩恵に鍵があることを知らなかったりとか、その程度の理解しかないような神々だけ。

 

「恩恵を、転写やと……?」

 

「そうだ、つまり彼女はアルフィアのスキル、魔法を使用することが出来る」

 

「それだけやないやろ!恩恵は子供達の魂に根付いたモンなんやぞ!」

 

「ああ、そうだ………だからこれは言い換えるのなら、"静寂のアルフィアの魂そのものを、自身の魂に転写している"ということになる」

 

「!!」

 

そこまで噛み砕けば、子供達でも分かるだろう。

その危険性、その恐ろしさ、その代償の大きさを。

 

「魂は子供達そのものであり根源だ、魂が変革すれば肉体もまたそれに応じて変化する。アフロディーテのところに居た時には、既に髪色が完全に変わっていたと聞いた」

 

「……その程度で済む話な訳あるかいな」

 

「………」

 

「このままいけば、ラフォリアの魂そのものがこの世界から消滅する。2度と輪廻の輪に戻れんどころか、もう既に殆ど手遅れや」

 

「……そうだ」

 

魂の形は既に変わってしまっており、歪なものになってしまっている。

それは元に戻せるものではない。

むしろ最終的にはアルフィアの魂がこの世界に2つ存在することになってしまうくらいだろう。そんな歪なことが今正に起きようとしている。魂の上書きとも言えることが、神の恩恵によって行われている。

 

「待て……そんならラフォリアは、人格も変わっとるんか……?」

 

「……ああ」

 

「フィン達どころか、オッタルすら気付いとらんかったんやぞ!?」

 

「それは変化しているのが彼女の意識の薄い部分からだからだろう。彼女の意識の強い、つまり"猛者"や"静寂"に関しては未だ彼女の色が色濃く残っているはずだ。……だが彼女が意識していない部分については、そもそも感知出来ていないのだから、彼女自身がどれほど努力したところで戻せはしない」

 

だからヘルメスは頼まれた。

アルテミスとアフロディーテから。

彼女達の元からいつの間にか姿を消していたラフォリアの存在を消させないようにと、オラリオに戻る前に願われた。

 

しかしそれもフレイヤ・ファミリアと抗争を起こしたと聞いた途端に、既に手遅れであったと悟ってしまった。やはり彼女はそれを必要があるとなれば迷いなく行使するのだ。そもそも彼女自身がそのスキルの本当の代償について理解していないのだから。

……若しくは目を逸らしているのだから。

 

「っ、ほんまに何も説明せえへんな!あの子は!」

 

「それも仕方がない、あの子は本心では俺達(神々)のことを信用していないからな。……結局は俺達は皆、最初はゲーム感覚、暇潰しで下界に来ている。そんな俺達の薄っぺらい言動を見抜ける程度の才を、彼女は持っている」

 

「……せやからアルテミスか」

 

「ああ、ヘラの次に付き合いが長いのは、そういう理由もあるだろう」

 

そうなれば女神アストレアとも、もしかしたら良い交友関係を築けたかもしれない。皮肉なことに。

彼女達はそもそもの目的が娯楽ではなく子供達であったのだから。

子供達と共に肩を並べて戦うし、子供達の居る場所へ危険を承知で同席する。たとえ自分達が神として死ぬ危険があったとしても、彼女達は迷わない。

たった1人の眷属のために、自身の永久すら引き換えにするだろう。

大半の神々であれば、精々自身も天界に戻ってその子供達の魂を回収する程度に収めるだろうに。フレイヤだって、ロキだってそうする筈だ。その考え方の溝は、神々にとってあまりにも大きい。

 

……そういう意味では、彼女がヘスティアのことを手元に置いている理由も納得出来る。彼女も結局その同類なのだから。あれも必要とあらば神としての自分を捧げるだろう、大切な子供達のために。

 

「せやけど、それやったらヘルメス。自分ラフォリアに一番嫌われるタイプやろ」

 

「うっ」

 

「あの子は結局、神意に導かれるのを嫌っとる。神々に踊らされて、傀儡にされるのを心底嫌がっとる。理由は自尊心かもしれんけど……今思えば、フレイヤが殴られたんはそれが一番の理由やろな」

 

「……厄介だな」

 

「やろうな」

 

つまりはまあ、ロキやヘルメス達が彼女に何を言おうとも、それは聞き入れて貰えないだろう。彼女を救うために奸計を仕込めば、むしろ怒りを買ってしまう。この件については下手に手を出さない方がいいという結論になる。それでもと関わるつもりであるのなら彼女に、それだけの誠意を見せなければならない。ロキとヘルメスに彼女に対してそこまでの気持ちがあるのかと問われれば、頷くことは出来ないだろう。相手がフィンやアスフィであるならばまだしも、結局のところラフォリアは他派閥の人間なのだから。頭は動いても気持ちが動かない。

 

「フィン達に任せるしかない、か……」

 

救うといっても、現状維持以外の方策などないのだが。

そしてそれを成すために必要なのは、ラフォリアよりも強い冒険者が何人も出てくることくらい。

なかなか条件は厳しいし、時間だって無さすぎる。

これは神々には出来ないことの1つなのだ。

子供達がしなければならない。

もし神が手を出してしまえば、彼女は本当に……次の"静寂"になりかねない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ああ、そういえば"静寂“と言えば」

 

「ん?まだなんかあるんか?」

 

「アルフィアとザルドの墓だけが周りから浮くくらい綺麗に作り直されていたんだが」

 

「…………」

 

「それとアルフィアの墓には酒瓶が叩き付けられていた」

 

「………ほんま面倒臭い子やなぁ」

 

「あれ多分エレボス泣いてるぜ」

 

「まあ壊されんかっただけマシやろ、恨まれてもしゃあないわ」

 

言うまでもなく、ラフォリアはエレボスを憎んでいた。



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被害者27:未完の少年

18階層野営地。

50階層での闘争の後、ここまで帰って来るのも容易いものではなかった。

ポイズン・ウェルミスのモンスターパーティというダンジョンの中でも最も出会いたくない最悪の相手に直面してしまい、脱出こそしたものの多数の団員がその毒の餌食となってしまう有様。そこからなんとかこの18階層に辿り着くことは出来たものの、やはり限界は来た。倒れてしまった団員達も体力が限界であり、このまま地上を目指すのは難しいと判断したフィンは、ここに臨時の野営地を設置することを決断した。

 

「治療の方はどうだい?リヴェリア、ラフォリア」

 

1箇所に集められ寝かされた団員達。

彼等の上空には小さな月がその姿を見せており、そこから溢れる光が団員達を照らしている。それが何であるのかは、最早説明の必要もない。ここに来ても彼女の力に頼らざるを得ない現状を、フィンも負い目を感じている。

 

「問題ない、特効薬が届くまでは保つだろう」

 

「ああ、ラフォリアの魔法には僅かにだが解毒効果があった。流石に完治までは至らないが、この調子ならばベートが戻って来るまで十分に余裕はある」

 

「そうか……ありがとう、ラフォリア」

 

「構わん、私の薬を取りにも行かせているからな。それに女神ヘファイストスにも眷属を助けてやれと言われている、これは私の義務だ」

 

けほっけほっ、と相変わらず咳をしながら団員に用意された椅子にもたれ掛かり体を休める彼女に、フィンは目を細める。

 

……明らかに彼女の休憩の頻度が多くなっている。

つまりは疲労している。

 

行きと帰りで休息の回数を変えるのは仕方のないことではあるが、それでもその変化は彼女の場合明らかだった。単純に疲れているのか、それともフィンの想像が当たっているのか。

どちらにしても今はまだ彼女を地上には送れない。せめてベートが特効薬を持って帰らない限りは、ポイズン・ウェルミスの猛毒に対する効果的な処置は彼女にしか出来ない。

 

「余計な気を回すな」

 

「っ」

 

「この回復魔法には病に対する治療効果も存在する、僅かではあるがな。これを発動させていることは私にとっても無益ではない」

 

「……良い魔法だね」

 

「個人的にはあまり好きではないがな」

 

ラフォリアのその魔法の有用さは、フィン達も59階層で理解させられた。

確かに魔法を無効化するアルフィアの魔法と比べれば見劣りするが、それでも魔法防御力を上げるというのは便利だ。加えてリヴェリアや他の治療師達のように短時間での回復量はそう多くないものの、指定した対象全てに継続的に治癒効果が働く設置型の回復魔法というのも、集団を率いるフィンからすれば素直に羨ましい。同じ魔法を使える団員が居ればさぞかし重宝しただろう。しかも状態異常の軽減効果もあるとなれば尚更、集団戦闘では開幕早々に使いたいそれ。

 

……そんな集団戦闘向きの魔法を覚えたということは、色々と想像出来ることもあるが。そこは下手に詮索はしない。そこは触れてはならない部分だとなんとなくでもわかるからだ。

 

「……聞いてもいいかい?」

 

「大凡お前の想像通りだ」

 

「……まだ何も言っていないんだけれど」

 

「私はアルフィアの魔法を使える」

 

「その代償に、彼女のスキルの影響も受けている。つまり病を二重に発症している。この解釈で良いのかい?」

 

「そうだ」

 

「つまり君のステイタスは最終的には完全に"静寂"のものになる。……いや、容姿もかな」

 

「………」

 

「その目、もう色が変わっているんだろう?……その髪色すらも」

 

50階層から今日まで、彼女はずっと目を閉じている。

それこそかつてのアルフィアと同じように、彼女とはまた違った理由で。目の前の物から目を背けるためではなく、目の前の者に目にさせないために。そこまでの現状を見れば、フィンとリヴェリアがここまで推測するのは容易いことだった。それほどに目の変化というものは隠すのが難しい。

 

「私としては当たり前のように目を伏せてダンジョンを歩くその様子に驚いたが……」

 

「あの女とてしていたことだ、私に出来ない筈がない」

 

「そんな理由で納得できることか?」

 

「私は天才だからな」

 

「ああ、それはな……」

 

そう自信満々に言われてしまうと納得せざるを得なくて、確かに彼女は天才なのだから。けれど問題はそこではなくて。

 

「最終的にはどうなるんだい?君は」

 

「……さあな」

 

「君の意識や記憶は、残るのかい?」

 

「知らん、今のところは問題ない」

 

「そうか……」

 

その言葉もどこまで本当かわからない。

それは別に彼女が嘘をついているとかではなく、当人ではその違和感に気付けなくともおかしくないというだけの話。

ただそれでも、常に最悪の事態は考えておかなければならないし、そうでなくとも最悪の中で生きて来た彼女だ。彼女自身がLv.7だからこそ忘れてしまうが、本来Lv.7のアルフィアのステイタスを模倣するというのはあまりにも強過ぎるスキルだ。その代償は相応のものでなくてはならず、存在そのものの塗り潰しが代償というのであれば、それは妥当だとフィンは考える。

 

「一先ず、今回の遠征はこれで終わりだ。次の遠征も流石に少し時間を置いてからになる、僕達も色々とやらなくてはならないことができたからね」

 

「そうか」

 

「……君はどうするんだい?」

 

「貴様等はすべきことがあるのだろう、安易に団員を連れ出すような真似はせん。必要になったら呼べ、それまでは好きにやる」

 

「個人的な思いを言うのなら、出来れば精霊や闇派閥に刺激は与えないで欲しいかな」

 

「知らん、私は私の好きに動くだけだ。必要があれば手を出すし、気に食わなければ叩き潰す。文句は私に言うな、相手に言え」

 

「ああ、うん……せめて報告だけはしてくれると嬉しいかな」

 

「気が向いたらな」

 

ただどちらにしても、一先ず彼女はロキ・ファミリアと距離を置くことになるのだろう。自分のことが知られ、こうして余計な気遣いを受けるようになった。それが窮屈に考えているというのはありありと分かる。

……だが、それに対してフィン達にとってみれば彼女への借りは多い。彼女は気にするなと言うのだろうが、なかなかそう出来る訳でもない。

そもそも最初の最初から、こちらが受け取るばかりの立場であるのだから。仮にも都市最大派閥の長として、そして冒険者としても対等でありたいというのであれば、その辺りのことはしっかりとしておかなければならない。

 

「ラフォリア」

 

「まだ何かあるのか」

 

「君の無茶を1つ聞き入れる」

 

「……何を言っている?」

 

「僕達は君に借りがあり過ぎる、君がどう言おうともそれは返すべきものだ。だが今の僕達には君に返せそうなものはなにもない」

 

「はっ、何でもするなどと言えば確実に後悔することになるということを知らんのか」

 

「知っているさ」

 

「……場合によっては貴様の目的も遠ざかるぞ」

 

「それを承知しているからこそ釣り合うと、そう言っているんだ」

 

「………」

 

名声なり、名誉なり、失墜する可能性もある。

それはフィンの人生の全てだ。

だからこそ釣り合うと。

もしこれから先にラフォリアがフィンと敵対することになったとしても、フィンは彼女の願いを一度だけ受け入れなければならない。その末に積み重ねて来た信頼が崩れ落ちたとしても、それは仕方がないと。寿命を懸けて仲間達を救ってくれた彼女に返せるものはそれしかないと。そう判断したのだ。

 

「ならばそれを今ここで使う。……黒龍を殺せ」

 

「「っ!」」

 

「貴様等が生きているうちにそれを成せ、どんな形であろうとも構わん。この地上に真の平穏を取り戻せ。決して忘れて偽りの平和の中で生きるな」

 

「………黒龍は、君が倒すんじゃなかったのかい?」

 

「私ではもうどう考えても時間が足りん、貴様等の準備が出来るまで生きていられるとは思えんからな。それは諦めることにした。……貴様等が現時点で当時の私達(ヘラ・ファミリア)と同等の力を持っていたのであれば話は別だったのだが、今更それを責めたところで仕方あるまい」

 

「………すまない」

 

「謝っている暇があるのなら走ってこい、偶には体力の限界を体験してこい。そういうガキのような意識が足りんのだ、お前達には」

 

「……分かった、そうするよ」

 

フィンは言われた通りに立ち上がり、走ることにした。

まるで一心不乱に上を目指していた15年前のように、直向きに英雄を目指していた子供の頃のように。周りの団員達から信じられないものを見たような目で見られながら。

 

オッタルが1人でバロールの討伐を、誰に言われずともしに行ったように、そういう必死さが今の自分にはないことは自覚している。

上に居た者達を決して追い抜かした訳でもないのに、目を逸らし続けていたことも分かっている。

今日まで必死にやって来たつもりではあったが、それは強くなるための努力とは別物。ここでしたラフォリアとの約束を守るのであれば……フィンは馬鹿にならなければならないだろう。冒険者というのは、多少馬鹿なくらいが丁度いいのだから。

 

 

 

 

 

そうしてフィンが夜中まで自分の体力の限界に挑戦していた頃。

この18階層にも一つ変化があった。

それは限界挑戦に何故かティオネが加わったこととはまた別に。

 

「邪魔するぞ」

 

「ラフォリアさん……」

 

「ラフォリアさん!?ど、どうしてここに!?」

 

ベル・クラネル、18階層到達。

それは冒険者になって僅か1ヶ月でのことだった。

気絶したところをアイズに拾って来られ、ロキ・ファミリアに連れて来られた彼等は、今こうして一つのテントを借りて、治療を受けた上で寝かされていた。ラフォリアが少し遅れてここに来たのは、回復魔法をもう一度毒に侵されている者達にかけ直すため。

 

「……本当にここまで来たのか」

 

「あ、あはは……その、成り行きで……」

 

切っ掛けはダンジョン内で"怪物進呈"をされ、そのまま命からがら最も距離的に近い18階層まで逃げて来たという理由ではあったものの。それでもラフォリアはそのことについて素直に驚き、未だ目を覚さないリリとヴェルフの横に座ると、優しくベルの頭を撫でる。

まるで母が子にそうするように。

努力して成した子供を褒めるように。

 

「あ、あの……?」

 

「……よくやったな」

 

「!!」

 

たった一言。

なんでもないその一言に、ベルの中で途端に何かが千切れたような感触があった。

憧れている女性が横に居るのに、こんなみっともない姿を見せるなんて絶対にしたくないのに。込み上げて来る熱と息苦しさはどうやったって抑えられなくて、それは下手なモンスターよりも手強くて。

 

「……アイズ、リヴェリアとフィンにベルが目を覚ましたと伝えて来てくれ」

 

「……分かりました」

 

いつの間にかアイズのことを名前で呼ぶようになっていたのは、彼女のことを認めたからなのか。しかしアイズも自分がここに居て、それを見てはいけないというくらいのことは分かる。彼が自分を気にして感情を抑えていることくらい理解出来る。

だから、そんな純粋な彼を微笑ましく思いながら、アイズはテントを後にした。彼にも自分にとってのリヴェリアのような人が居たのだと、それを嬉しくも思いながら。

 

「ご、ごめんなさい……その、僕こんな……」

 

「男が泣くな、と言うつもりはない。男が他人の前で泣くな、とは言うがな。その点、あの娘の前で我慢しただけ褒めてやる」

 

「でも、ラフォリアさんの前で……」

 

「私が許してやる、私が規則だからな」

 

「な、なんですかそれ……っ!」

 

小さく嗚咽をしながらポロポロと涙を流す少し控えめなその泣き方を笑いながら、ラフォリアは自分の胸元に彼の頭を押しつけて、目を開ける。

3日も会わなければ男は変わると誰かが言っていたが、まあこれは実際にランクアップを果たしたのだろうと容易く分かった。そしてベル自身も、ミノタウロスという障害を乗り越えたことで精神的に強くなったと理解出来る。

 

……だが、それでも彼はまだ14の子供だ。

仲間達を守るために必死になり、唯一のLv.2として恐怖や不安、そして孤独を噛み締めながらここまで来た。それが途切れて泣き出してしまったからと言って、いったい誰がそれを責めることが出来ようか。

失敗したのならまだしも、彼はその役割を見事に全うし、こうして仲間達を誰一人欠けさせることなく辿り着いたのだから。それはラフォリアだって褒めるし、胸を貸してやる。純粋なままに強くなり、必死になって生きている彼に、少しの愛情を抱いてしまっても仕方がない。

 

「今くらいは好きなだけ泣け。……泣くという行為は本来、人として出来なければならないものだ。時と場所を選べば我慢する必要などない。特に、事を成した後の涙であれば、それは勲章だと私は考える」

 

「勲章……」

 

「格好の良い涙だということだ」

 

「……!」

 

「だから気にするな。仲間を守り抜いた今のお前の涙は、決して格好の悪いものではない」

 

「……………!!!」

 

ああ。きっと、自分に息子が居たのならこうしていたのだろうかと……そんな変な考えが頭を過ぎる。体力的にも永久に叶うことのないそんな想像、何の意味もない。

それでもこうして心が満たされるようなこの感覚が、もしかすれば母性というものなのかもしれないと、ラフォリアは知る。こんな女に勝手に母性を抱かれても、ベルは困るだろうにと自分を嘲笑しながら。

再び目を閉じて、涙を拭いたベルに向き合う。

 

「もういいのか?」

 

「は、はい……あの、ありがとうございました」

 

「気にするな、年長者としての義務を果たしただけだ」

 

「ラフォリアさんには、いつもその、色々教えてもらっているというか……」

 

「?まだ大して何も教えていないだろう」

 

「そ、そういうことじゃなくて……」

 

何かを言いたいのに、言いにくそうな。

恥ずかしそうに、けれど悩ましそうに。

そんな煮え切らない様子のベルの姿。

 

「面倒臭い」

 

「酷いっ!?」

 

多少の母性が宿っても、彼女はやっぱり彼女だった。中途半端は嫌いだ。言うなら言う、言わないなら言わない。黙って余計な時間が過ぎていくのが彼女は一番嫌いだ。

 

「それで?知らないうちにもう一人仲間が増えたようだな」

 

「あ、はい。ヴェルフって言って、その、ヘファイストス・ファミリアで鍛治師をしているんです」

 

「鍛治師?なんだ、専属の鍛治師でも見つけたのか?」

 

「は、はい!前から気に入ってた防具の作り主だったので!ヴェルフから誘ってくれて、それにお願いする形で!」

 

「ようやくお前に男の知り合いが出来たわけだ」

 

「う"っ」

 

「一度死線を潜った仲間は大切にしろよ、なかなか得られるものではない」

 

「は、はい!それは当然……!!」

 

……冒険者として成長していくベル。

少しずつ仲間が増え始め、選択肢が増え始め、正に今こうして彼は冒険者としての人生を歩み始めている。

 

ラフォリアにはそれがとても羨ましく思えた。

思えてしまった。

思い返せば自分の冒険者人生は普通とはかけ離れたもので、仲間などというものには恵まれなかった。基本的には1人で潜り、偶にアルフィアや他の団員達がついて来たくらい。

信用できる仲間など得たこともなく、共に死線を潜り抜けた背中を任せられる相棒などいたこともない。

ただ己が強くなるために自分勝手に行動し、その甲斐もあって強さは手に入れたが、気を許せる友を得ることもなかった。まあなんと寂しい人生だというのか。

だからそんな自分とは違い、順調に成長しているベルを見て安心する。仲間に恵まれ始めた彼を見て、間違った道を進んでいない事を確信する。

 

……ラフォリアからしてみれば、強くなることは難しいことではない。自分の身体さえ問題なければ。幼い頃からずっとやってきたことなのだから。それこそ、他の者達が本当に強くなる気があるのかと思ってしまうくらいに。

だがどうしても、他の冒険者達が普通にしていることが出来なかった。そもそも自分自身が本気で求めてはいなかった。求めてはいても、それを素直に言葉に出すことは出来なかった。それは今も同じだ。

……女神アルテミスのところに居た時は、少しはそういう気分も味わえていたのかもしれないが。

 



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被害者28:ヘルメス

「ヴェ、ヴェルフ・クロッゾと言います!ラフォリアさんのお噂は予々……!!」

 

「ああ、また真面目な男が来たな」

 

ヴェルフとリリが目覚めて、夜の宴。

18階層に初めて辿り着いた新人を迎えるというだけでなく、それがラフォリアの同居人となれば、それを拒む者は居ない。というか拒める者はいない。

それは豪勢な宴が準備されていたが、何よりベルとパーティを組むとなると、この儀式だけは避けては通れない。

 

「……貴様は鍛治師だったか」

 

「は、はい!ヘファイストス様の元で勉強させて貰ってる身です!」

 

「ならばこれを見てどう思う」

 

「こ、これは……ヘファイストス様の」

 

ラフォリアがそう言ってヴェルフに見せたのは、彼女がヘファイストスから直接手渡された一本の剣。ヴェルフはそれを見た瞬間に誰の作品であるのか理解し、その使い手の力量まで理解出来たのだろう。そしてその様子を見て、ラフォリアもまた彼の力量を測る。

 

「ふむ、鍛治師として最低限の眼はあるようだな」

 

「え、まあ、そりゃ俺もヘファイストス様の作品に惚れて入った身ですし……」

 

「リリルカ、この男は戦闘で使えたのか?」

 

「ふぇっ!?は、はい!大剣を使った立ち回りと便利な魔法でそれは十分に……!!」

 

「そうか」

 

「リリ助……」

 

この誰に言われた訳でもなく習慣になった新たなパーティメンバーをラフォリアが品定めする習慣。リリがこうして素直にヴェルフを褒めるような事を言ったのも、そういった余計な気持ちを込めた感想をこの女に言う訳にはいかないからだ。

リリが聞けば聞くほど、調べれば調べるほど、『ああ、やはりこの女はヤバい奴なのだ』と分からされてしまう噂話の数々。彼女が近くに座ってから、リリはずっと背筋を伸ばしている。

 

「……さて、ヴェルフ・"クロッゾ"と言ったか。魔剣は作れるのか?」

 

「!!………それは」

 

「作れるな?」

 

「…………」

 

「なるほど、貴様も甘えん坊ということか」

 

「なっ、甘えん坊って……!!」

 

「ヴェルフ様!!」

 

ラフォリアに食らい付くように立ち上がったヴェルフ、彼にとってその件はそれくらいに受け入れ難いものだったのだろう。

……まあ、ラフォリアもそれを分かっていて言っているのだから質が悪い。いきなり立ち上がった彼を、リリは慌てて抑える。

 

「単純な話だ。この18階層までの道のり、仮にお前が魔剣を持っていればどうだった」

 

「それ、は……」

 

「貴様は自分の都合で危うく仲間を殺しかけた。……そら、否定してみろ」

 

「ラ、ラフォリアさん……!!」

 

「………………」

 

それまではティオナ達の相手をしていたベルであったが、流石にその言葉には思うことがあったのか口を挟もうとするが、いくらベルの言葉と言えどラフォリアは無視をする。

ラフォリアはそこまで甘くはない。

使える力を腐らせている様な輩には、むしろ彼女は一番厳しい。

 

「貴様に一つ教えてやる。才能を殺すということは、人間を殺すということだ」

 

「!!」

 

「才能を持った人間は相応の働きをしなければならない。それを腐らせるということは、数多の人間を殺すことと同義だからだ。貴様が打った1本の魔剣で他者を救えるのにも拘わらず、それを拒むというのであれば、貴様はその者達を殺すに値する理由を持っていなければならない」

 

「…………」

 

「それほどの理由があるのか?あるのであれば私もこれ以上を言う気はない、好きにしろ」

 

「…………」

 

ラフォリアからヴェルフに話すことはそれだけだった。途端に黙り込んで俯いてしまった彼を無視して、ラフォリアは少し咳き込みながら今度はリリの方へ顔を向ける。

ビクッと身体を硬直させた彼女、しかしラフォリアからの彼女に対する評価は違う。

 

「さて、リリルカ」

 

「は、はいいっ!!」

 

「よくやった」

 

「………へ?」

 

「この男とベルだけでは、間違いなくこの18階層まで下ってくることは出来なかっただろう。そもそもその選択肢すら無かった筈だ、これはお前の提案だな?」

 

「そ、それは……はい」

 

「それが貴様の役割だ、そして貴様は見事その役割を全うした。故に私は貴様を褒めてやる、よくやった」

 

思っていた以上に嬉しい言葉を、思っていた以上に優しい表情で、想像もしていなかったほどに優しく頭を撫でられながら、かけられる。

……それはリリがもう2度と感じることはないであろうと思っていた感情だった。花屋でお祖父さんとお祖母さんの手伝いをしていた時に感じていた、温かな感情。

 

「……ベル、お前のパーティは泣き虫が多過ぎるぞ」

 

「な、泣いてません!」

 

「ラ、ラフォリアさんが優しいから……」

 

「?私は優しさとは無縁の女だろう、私は言いたい事を言っているだけだ」

 

「だからこそだと思います……」

 

彼女としては単純に、成すべきことを成せた人間を褒め、それが出来なかった人間を叱っているというだけ。

ただそれは彼女の面倒見の良さから来るものであり、その面倒見の良さは彼女特有のものだ。もしかすれば彼女自身も気付いていないのかもしれない、褒める時に自分がどれだけ優しい笑みを浮かべているのかなんて。

 

「……そういえばラフォリア様、どうして目を閉じているのですか?」

 

「あ、それ僕も気になってました」

 

「……鍛錬をしている」

 

「鍛錬?」

 

「この辺りの階層ではすることがないからな、目を閉じて行動するという枷を自分にしている。突き詰めれば背後からの襲撃にも対処出来るようになるからな」

 

「そ、そうなんですね……すごい」

 

「……ベル様は真似したらいけませんからね?」

 

「し、しないし無理だよ、そんなこと」

 

なんとなく、リリは何かを感じていたような様子を見せたが、どうやらここで追及することはしないらしい。そういうところもまた好ましいとは思う。

……何かしら理由を付けることは出来る。

病気だとか、スキルの効果だとか。しかしどうもこの眼をベルに対して見せたくないという思いがある。理由は自分でもまだ理解出来ていないが、色々と考えてみても、やはりそこにラフォリア自身の弱さがあるからだという結論に達する。

もちろんヴェルフとは違い、必要になればベルにこの眼を見せる。そこにそこまでの必死さがある訳ではない。ただなんとなく抵抗感があるというだけだ。

……結局のところ、唯一残っていたアルフィアと自分との相違点が消えてしまった訳なのだから。あまりこの目の色に慣れて欲しくない。自分はラフォリア・アヴローラであり、"静寂"のアルフィアではないのだから。少しでも長く自分の本当の姿を覚えていて欲しいという願いは、それほどおかしなものではないだろう。

 

 

 

 

『ぎゃぁぁああっ!!!!』

 

 

 

「っ、今の声って!!」

 

「………ベル、行くぞ」

 

ただ、どうにもそんな思いに浸っている暇はないらしい。

 

 

 

 

「ベルくぅぅぅうううん!!!!」

 

「ぶほぁっ!?」

 

目の前のベルが吹き飛んでいく。

ラフォリアはそれを止めようともしない。

どころかラフォリアがヘスティアを見る目は酷く冷たい。ダンジョンに潜って来た女神に対して、心の底から『馬鹿かこいつは』と思っていた。

 

「うぅぅ、よかったよぉ……」

 

「神様……」

 

「おい馬鹿乳」

 

「ひんっ!ラ、ラフォリアくん!?君もここに居たのかい!?」

 

「お前はやはり乳にしか栄養が行き渡っていないようだな、この愚か者が」

 

「痛いっ!痛い痛いっ!?額を叩かないでくれ!!ベル君のことが心配だったんだー!!」

 

「それで貴様が死んでいたら意味がないだろうが、この愚神が。足手纏いにしかならんことも分からんのか」

 

「ひぃんっ!!」

 

あらかた虐めた後、ラフォリアはヘスティアをベルの方へと投げ捨てる。まあ気持ちは分からなくもないが、ラフォリアからしてみれば今回のヘスティアの行動は愚かの一言に尽きた。ダンジョンを舐めていると言ってもいい。上級冒険者でさえ、稀に上層で事故を起こすのだ。いくら護衛を雇っていたとしても、少なくとも恩恵を持たない存在がここに足を踏み入れるべきではない。仮にもしそれで死んでいた場合、タイミングが悪ければ恩恵を失ったベルもまた連動して死ぬことになるのだ。故に仕置きをした、安易な行動をしたヘスティアにも罰を与えるために。

 

「……ヘルメスさま」

 

「アスフィ、彼女は別人だ。事情は話しただろう?」

 

「すみません、どうにも信じられず……」

 

さて、問題は他にもある。

ラフォリアは今ここにいるだけで、少なくとも3つの視線をこの身に感じている。

1つは例のアストレア・ファミリアの生き残りのエルフの女から、もう一つは男神ヘルメスとその眷属の女から。

ベル達はその後ろにいた極東風の姿をした3人組となにやら奇妙な雰囲気になっていたが、ラフォリアとしては早々にこちらの問題を片付けたい。そのような視線をいつまでも向けられているのは、単純に不快だから。不愉快だから。特にあの男神ヘルメス、ラフォリアはああいった類の神というのが大嫌いなのだ。あの眼を向けられるだけで刳り抜いてやりたくなるくらい。

 

「ベル、お前達は先にテントに戻っていろ」

 

「え?ラフォリアさんは?」

 

「私はあそこのゴミ男神に用がある」

 

「ご、ごみ男神……」

 

「へ、ヘルメス?君はラフォリア君に一体何をしたんだい……?」

 

「い、いや、まだ何もしていないはずなんだが……」

 

つまり印象が最悪だったということだ。

ヘルメスは以前はゼウスの元で動いていたのだから、ラフォリアとて見たことくらいはある。

 

「ああ、それとそこのエルフ。貴様も残れ」

 

「……私もですか?」

 

「貴様がアストレア・ファミリアの生き残りだということは既に分かっている」

 

「「「!!!」」」

 

「拒否するのであれば足をへし折るが」

 

「……わかりました」

 

「それでいい」

 

リューとラフォリアのその様子にベルは心配そうな顔はしたものの、リリに手を引かれてその場を離れていく。その肝心のリューはアスフィの横に立ち、完全にこちらを警戒しているのだから仕方がない。

今こうして眼を閉じているラフォリアの姿は、7年前に対峙した彼等にとっては完全にアルフィアにしか見えていないのだろう。今更それをどうこういうつもりもない、一々指摘するのも疲れた。

一先ずラフォリアは息を吐き、両眼を開ける。最初に反応を見せたのは、やはりヘルメスだった。

 

「っ、やはりもうそこまで侵食は進んでいたのか」

 

「聞いたのはどちらだ?アルテミスか?アフロディーテか?」

 

「……両方さ、どちらも君のことを心配していた」

 

「ならば伝えておけ、余計な世話だと。私はしたいことをするだけだ、その末に消え失せようとも別に構わん」

 

「少なくともそれを悲しむ神が4柱居ることは確かだろう、君がオラリオに来てからそれは更に増えたはずだ」

 

「それに一体何の意味がある、悲しませなければ黒龍が殺せるのか?貴様等は強くなるのか?……否、私がただ消えたとしても貴様等は変わらんだろうな。それはアルフィア達が既にその身をもって証明したことだ。だからこそ、私は今こうして貴様等に対して直接楔を打ち付けている」

 

別にラフォリアが怒っているのはロキとフレイヤのファミリアだけではない。目の前のヘルメス・ファミリアのような古参のファミリアに対してもそうだ。自分達が無関係だなどと思っているのなら大間違い。

明確に打ち当てられた怒りの圧に、3人は思わず一歩足を下げる。

 

「……君をそこまで追い詰めたのは、他ならぬ俺達だってことか」

 

「10年以上床に伏せていた女が"都市最強"の称号を持っている現状、この絶望感が分かるか?貴様等はこの10年何をしていた、恥ずかしくないのか。貴様等は今日までの数多の犠牲すらも無駄にしているのだぞ」

 

「っ」

 

犠牲という言葉を語る際に、ラフォリアは明確にリューの方へと眼を向ける。

その意味をわからない彼女ではない。それを知っていてラフォリアはそう語りかけたのだから。むしろ分かってもらわねば困る。

 

「お前は!アリーゼ達の犠牲を無駄だと言うのか!!」

 

「結局のところ、貴様等はアルフィアの犠牲を無駄にしただろうが」

 

「っ……!」

 

「私を心配する?馬鹿も休み休み言え、私をここに引き出したのは他ならぬ貴様等オラリオの神と冒険者だろう。貴様等が少しでもまともに生きていたのなら、私はオラリオに来る必要はなかった。アストレアの眷属さえ生きていれば、私はアルフィアの意思を繋ぐつもりだった。……だがその全てを裏切ったのが貴様等だ。オッタル以外の全てが私を裏切り、偽りの平和に浸かりながらのうのうと生きていた」

 

本当は全て感情のままに叩き潰してやりたかった。全員を例外なく殴り付けてやりたかった。

……だがそこで、ロキ・ファミリアで今も成長しようとしている粒達を見た。若く、才に溢れ、上を見続けている可能性を見つけた。だからこうしてその粒を育てる道を見出した。

フレイヤ・ファミリアを叩き潰し、ベル・クラネルと出会い、将来に少しでも光があるのだと理解した。完全に絶望するにはまだ早いと思うことができた。

……それでも、この胸に宿る怒りの炎は消せはしない。この失望と怒心だけは、少しも和らぐことなく燃え続けている。

 

「貴様は何をしている?アルフィアに託され、その意思を知ったはずだ。仲間を失い、その無力さを理解したはずだ。……その末に、お前は今どこで何をしている?」

 

「それ、は……」

 

「力を求めるでもなく、その意思を広めるでもなく、お前は7年も何をしていた」

 

「……………」

 

「男神ヘルメス、お前たち神も同罪だ。……ああ、所詮貴様等は下界のことなど本気で救おうとしていないのだろう。お前達の目的は苦痛に足掻く我々を見ることだからな。未知だの奇跡だのと、そんなもののために容易く我々の生を弄び、その姿を娯楽として消化する。だから私はお前達を信用しない。……貴様等などに心配などされてたまるものか、心の底から虫唾が走る」

 

そうしてヘルメスは理解した。

彼女の中にある怒りの丈を。

その心の内に秘め続けていた激情の炎を。

彼女は常に怒り続けていた、しかしそれも当然だ。

自分の育ったファミリアが犠牲となり、それを追放しておきながら、黒龍という存在を忘れたように平和を貪り。それを見兼ねた自分の母親が再び犠牲になったにも拘わらず、それでも何も変わらない。自分にとって大切だったものを悉く愚弄し奪っておきながら、全てを無駄にされたのだ。

むしろ彼女からしてみれば、これまでの対応は寛容過ぎるにもほどがある。そんな者達を相手に許し、なんとか可能性を見出し、失望しながらも手を貸しているのだから。

そんな彼女に対する心配などと、一体どの口が言っているのかという話だ。未だそんなことを言っていられる余裕があると思っていること自体が、彼女にしてみれば信じられない。何も知らない若い者達が言うのならばまだしも、他ならぬ神がそう言っていることが、馬鹿にされているとしか思えない。

 

「………分かった、この話は2度としないと誓おう」

 

「よ、よろしいのですか?ヘルメス様?」

 

「ああ……彼女の言う通り、今の俺達にこれ以上のことをいう資格はない。結局俺は友(エレボス)の献身を活かすことが出来なかった。今も偶然見つけた可能性に賭けているだけで、黒龍に対する具体的な勝算なんて遂には描けていない」

 

この女は、誰の指図にも従わない。

こと神の言葉であれば、特にヘルメスのような神が何を言ったところで意味がないということは分かっている。

彼女の言う通り、神というのはどうしようもない存在だ。

この下界の有様を見て、困っている子供達を本当に助けるために地上に降りて来た神は、果たしてどれくらいいることだろうか。その大半が娯楽や暇潰しのためであり、彼等は子供達がいくらモンスターに脅かされていようとも気にも留めなかった。むしろ喜んでいた者達まで居た。そうでなくとも、その困難に足掻く姿を楽しんでいたというのもまた事実。

時として子供達を巧妙に導き、傀儡として踊らせていたということもまた事実だ。そんな神々を信頼しろなどと、いくらヘルメスでも言えるはずがない。自分がそのうちの1柱でもあったのだから、口が裂けても言葉には出来ない。

 

「……それでも」

 

それでもこれだけは、訂正しておかなければならない。

その言葉だけは、たとえヘルメスであっても、真面目になって否定しておかなければならない。

 

「俺は子供達を愛している」

 

「………」

 

かつての友がそう語ったように。

 

「俺は下界を本気で救うつもりだ、そのためであればどんな非道な手段でも尽くす。……確かに始まりは暇潰しだったかもしれない。だが俺を含めた多くの神が、今は本気で子供達のことを守りたいと思っている」

 

それこそ、そんな最初の自分達を嫌悪するように。

不変であるはずの神が、その在り方すらも変化させるほどに。

 

「だから俺の言葉を受け取らなくても構わない。だが、君のことを本気で心配しているアルテミスやアフロディーテの言葉は受け取って欲しい。彼女達は君のことを愛していた。……また君と道を共にしたいと、そう言っていた」

 

それが決してあり得ないことだと分かっていても、そう願っていた。彼女が自分を捨ててでも母親の後を追い、犠牲になってしまわないように。全てのしがらみから解放され、彼女が笑って生きていけるように。そんな当たり前のことが出来て、彼女が1人の人間として幸福を得ることが出来るように。

 

 

 

 

「そんなことは有り得ない」

 

 

 

「っ」

 

「私はまだ何もしていない、まだ何も出来ていない。これほどの才を持ち得ながらも、まだ何も成していない」

 

「………お前は」

 

「私はまだ………」

 

 

 

 

 

「図々しくも生まれてきたこの意味を、見つけられていない」



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被害者29:とあるファミリア

ヘルメスがフィンとの交渉のためにテントの中へ入って行くのを見送り、アスフィはリューと共にその出入口に並び立つ。

見上げれば相変わらず18階層特有の綺麗な光景が広がっており、なんとなく気分が落ち着いた気がした。

……いや、流石にそれは嘘だ。この乱れた心が落ち着くためには、もう少し時間が必要だ。あれほどの激情を打ちつけられたのだ、特にリューには彼女の言葉が深々と突き刺さっている。

 

「あれが最後のヘラの眷属ですか。別人とは言え、やはり凄まじい迫力でしたね」

 

「ええ……正直、私は殺されるのだと思っていました」

 

「……彼女は"静寂"の娘のような存在だったそうです」

 

「であれば、私へのあの怒りも当然のものだ。彼女の言う通り、私は何もしていない」

 

「リオン……」

 

7年前のオラリオで、共に戦ったリューとアスフィ。あの戦いでは多くの死者が出た。実際に"静寂“によって殺された者も多い。それを考えればリュー達がアルフィアを倒したことも、決して非難されるだけのものではない。

……だが、同じ人間である以上、それに対して怒りを抱かれるのも当然であるとリューは思っている。人間を殺すというのは、そういうことだ。それを受け止めなければ、するべきことではない。

 

「いや、彼女が本当に怒っていたのは……」

 

「……"静寂"を殺したことではなく、その意思を繋げなかったことでしょうね」

 

「もしアストレア・ファミリアが存続していれば、もし私が1人でも努力を続けていたのなら、きっと彼女は彼女の母を殺した私達にでさえ力を貸してくれていたのでしょう。……少しのやり取りでしたが、それが分かりました。彼女はそういう人だ」

 

「ええ、彼女は真面目なのでしょう。……才能を持ちながらも、何も成せていない。流れ弾とは言え、耳の痛い言葉でした」

 

「……本当に」

 

だからと言って明日から直ぐに変われるのかと言われれば、変われないだろう。結局そうなるのだ、全てが彼女の言う通り。

いきなりヘルメスの目付け役を止めてダンジョンに潜るなどアスフィには出来ないし、店をやめて冒険者に復帰するなどということもリューには出来ない。

あれほど悲痛な言葉を受けたとしても、変わらない、変われない。それが7年前から今日まで、オラリオが成長しなかった理由を強く表している。

 

……実際に動ける人間など殆どいないのだ。今の自分の生活を捨ててまで世界のために動くなど、それほどのことが出来る者はそう居ない。

ラフォリアやオッタルが強いのは当然の話だ、彼等は自ら動ける人間なのだから。しかし世界はそんな人間ばかりではない。

 

「アンドロメダ、彼女が消えるというのはどういうことですか?」

 

「……あまり広めないで欲しいのですが、彼女はスキルによって静寂のステイタスを模倣出来るそうなのです」

 

「模倣……」

 

「ステイタスの転写、即ち恩恵の転写とは、本人の魂にも影響を齎します。……つまり彼女はそのスキルを使う度に、肉体から魂まで静寂に近づいて行くという訳です」

 

「それは……つまり、彼女を依代にして静寂が復活するということですか?」

 

「その捉え方で概ね間違ってはいないと思われます。詳細までは分からないとのことですが、このままでは彼女の存在そのものが消えることになります」

 

「…………」

 

果たしてそれをアルフィアは許すのだろうかと、リューは思う。僅かではあるとは言え、言葉を交わした。彼女は納得をしてその命を終わらせたはずだ。それをそのような形で引き戻されて、どんな反応を見せるだろう。

 

「アルフィアは……今のオラリオを見たとして、どう思うでしょうか」

 

「……間違いなく、怒るでしょうね。怒り狂うでしょう。自分の娘までもが犠牲になったと知れば、尚更。2度目の大抗争を引き起こしたとしても、私は驚きません。今度は後進のためにではなく、憎悪によって」

 

「………!」

 

それだけは防がなければならない。

もう2度とあのようなことを起こしてはならない。……だが、過去の自分は確かにそう誓ったはずだ。しかし結局はこの有様であるのだから、それは起きても仕方のないことなのだろう。どうせリューは動けない、動かないのだから。今の居場所を捨てることなんて出来ないのだから。

 

「アルフィアの病は確か……大聖樹の枝が効果がありましたね。根本的な治療にはならなくとも、【戦場の乙女】の力を借りれば延命の手段にはなるでしょう」

 

「……それの入手が難しいことはリオン、貴女が1番に分かっていることでしょう。7年前に闇派閥によって各エルフの里から奪われて以来、警戒は更に厳しくなっています。売って欲しいと言ったところで、それを飲む里はありません」

 

「………」

 

「……ですが、リヴェリア様に提案してみるのは良いかと思います。私から伝えておきましょう」

 

「ええ、お願いします」

 

しかしリューは思う。

自分は本当に"動かずにいていい"立場の人間なのかと。今回のこの件は、もしかしなくとも全て自分が引鉄になっているのではないかと。

行き着く先は悲痛か絶望。ラフォリアが先に死んでも、アルフィアが出て来たとしても、それは決して幸福な結末ではない。

……だとしても、今の半端なリューに一体なにが出来るというのか。

 

「何が、出来るのでしょうか……今の私に……」

 

都市の外に追い出したアストレアの恩恵が刻まれている自分に。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほう、つまりは貴様等がモンスターを押し付けたという訳か」

 

「………はい」

 

ラフォリアがベル達のテントに戻ると、思っていた以上に事態は紛糾していた。どうやら本来謝罪をするべきであるはずの側が、自分の判断は間違っていなかったと口にして軽い揉め事に発展していたらしい。

モンスターを押し付けたタケミカヅチ・ファミリアと、押し付けられたヘスティア・ファミリア。実際こんなことは割とよくある話で、容易く穏便に解決するなどということもそうそうない。ラフォリアからしてみれば昔はよく見た光景であったが、だからこそ、その程度の話でぐだぐだとやられているのを見ているのも面倒臭かった。

 

「別にそう堅苦しく考える必要もないだろう」

 

「え?」

 

「全員で顔面を1発ずつ殴って終わりだ」

 

「え」

 

「さあ殴れ。鍛治師、先ずはお前からだ」

 

「なっ!?ちょ、なにを……ち、力強ぇっ!?痛い痛い痛い痛い!!?!?」

 

「ラ、ラフォリアくぅん!?」

 

「お、桜花が浮いてる!?」

 

「待て待て待て待て待て!別に俺等は何もそこまで!!」

 

突如として足払いを仕掛けられ、転倒したところを引っ掴まれて猫のように持ち上げられる。そうして大男の顔面をヴェルフの目の前に差し出してくるのだから、もう本当にさっさとこの諍いを終わらせてしまいたかったらしい。しかしヴェルフとしては単純に謝罪が欲しかっただけで、殴りたかった訳ではない。そうなると……

 

「チッ、ならばもっと単純な話でいいだろう」

 

「単純な話……?」

 

「絶対服従だ」

 

「ぜ……」

 

またなにか酷いことを言い始めた。

 

「私はそうした」

 

「過去形!?」

 

「昔、生意気にもモンスターを押し付けて来た輩が居てな。探し出して拠点ごと粉砕した。団員全員を半殺しにした挙句、主神を全裸にしてバベルに縛り付けてやった」

 

「「「「「……………」」」」」

 

「まあ私の場合は他にも理由があったとは言え、相手を間違えればそれほどの被害を受けていた可能性のある行為だ。絶対服従までとは言わなくとも、相応の働きをする必要はあるだろう。馬車馬の如く」

 

まあ実際ベル達は死にかけたのだから、もし相手が過激なファミリアであったとしたら、それほどの報復を当然に受けている可能性もあった。

それに比べれば相応の働きをして返すというのは、大分譲歩した条件だ。それに異議はないと互いに頷き、ラフォリアは桜花をそのまま地面に雑に落とした。

 

そもそもラフォリアがここに来た理由は、こんな面倒なことをするためではなかったのだから。本当の目的は今も何やらオロオロとしている乳のデカい女神の方。

 

「馬鹿乳、行くぞ」

 

「うぇっ!?ちょ、な、どこに行くんだいラフォリアくん!?」

 

「恩恵を更新しろ」

 

「え?ま、まあそれはいいけど……」

 

「は?ラフォリアさんはヘファイストス様の眷属なんじゃ……」

 

「籍はヘファイストスだが、恩恵はこの馬鹿乳のものだ。今のところ再び恩恵を変えるつもりもない」

 

「そ、そうなのかい?」

 

「誰でもいいからな」

 

「だ、誰でも……」

 

「不遜過ぎる……」

 

「というか、そんなのいいんですかね?」

 

「そもそも籍を置いているのも頼まれているからに過ぎない、ファミリアという括りすら私にとっては只の群衆だ。神に親しみなど覚えたこともない」

 

「…………」

 

それは嘘であると、ヘスティアは気付いた。しかしそれを口にすることは決してしない。そんなことを言ってしまえば酷い目に遭わされてしまうのは分かりきったことだから。

 

そうしてテントを出て行ったラフォリアを、ヘスティアもオドオドとしながら着いていく。

……なんとなく、彼女が怒っているのが分かっていたからだ。それも理由は明らかに分かりきったもので。

 

「けほっけほっ」

 

「……大丈夫かい?」

 

「問題ない、そろそろ薬も届く」

 

「……やっぱり怒っているかい?」

 

「怒っている理由は分かるか?」

 

「……神がダンジョンに来るべきではない、ってことかな」

 

「その理由についてだ」

 

「…………」

 

それは神であるのなら、当然持っておくべき常識。そしてどんな理由があろうとも守らなければならない絶対。

 

「……僕達はダンジョンに憎まれている」

 

「そして貴様が死ねば私を含めた眷属全てが、この怪物渦巻くダンジョンの中で全くの無力に成り下がる」

 

「…………」

 

「分かるか?貴様がいくら神威を押さえ込んだとしても、ダンジョンが気付けば上層であったとしても階層主級の怪物が現れる可能性があった。加えて仮に時が悪ければ、私やベル達は他でもない貴様のせいで死ぬことになった。否定出来るか?」

 

「……できない」

 

「貴様が眷属を心配するのは当然だ、しかしそれは他の神であっても同様だ。奴等はそれでもダンジョンには潜らない、ただ拠点で恩恵が消えることのないように祈り待ち続ける。それが最善の手だと分かっているからだ」

 

「………ごめんよ」

 

「謝るのであれば苦しめ、反省して想像して絶望しろ。次を作るな。……我々がダンジョンで苦痛に喘いでいる間、貴様等は平和な地上で心痛で苦しめ。逃げるな。それが貴様等の役割だろうが」

 

「………うん」

 

何も言い返すことはできない。

彼女が言うことはいつも正しい、今回の件はヘスティアの間違いだ。ヘルメスに強引に頼み込んだが、もし神としての役割を全うするのであれば、彼女の言う通り自分は待つべきだったのだ。ヘスティアにはそれが耐え切れなかった、言うなればこれはヘスティアの逃げなのだ。逃げたのだ。自分の役割から。それがベル達の生存率をむしろ低めてしまうことであるということからも目を逸らして。

 

「……ラフォリアくんは、僕のことも嫌いかい?」

 

「馬鹿は嫌いではないが、愚か者は嫌いだ」

 

「神々のことは、嫌いかい?」

 

「嫌いだ」

 

「………僕達は、信用できないかい?」

 

「信用、信頼、そんなものをただ神であるというだけで得られると思っているのなら、我々を舐め過ぎだ。砕け散れ」

 

察しの悪いヘスティアであっても、少しずつではあるが理解できることは増えていく。フレイヤほどに見える目は持っていなくとも、仮に己の眷属ともなれば見えるものはある。

 

 

……彼女の心は、黒い。

 

 

真っ黒なのだ。

 

真っ白なベルとはまるで違う。

 

眩しいほどに黒く、目を覆いたくなるほどに光がない。未来に対する希望がない。期待がない。それは周囲ではなく自身への。

絶望に浸かり、闇に沈み、黒に染まった。

……もしかしたら本当は、彼女は未来のことなどどうでもいいのではないかと。そう思ってしまうほどに、色濃く渦巻いた負の感情を抱えている。

 

 

「でも……ベルくんのことは、信用出来るかい?」

 

 

「………ああ」

 

 

だから、そんな彼女の心にベルという存在が光を差し込んでいることが、唯一の救いなのだ。

その光を大きくしていけば、もしかすれば彼女の心を救えるかもしれないと、ヘスティアは期待している。ベルならば彼女のことを救えるのではないかと、そう思っている。少なくとも彼は既にもう、彼女の闇に穴を開けている。

 

「ラフォリアくん、君もちゃんと幸せにならないといけないよ」

 

「……なんだいきなり」

 

「みんなが幸せになって、初めてハッピーエンドなんだ。誰か1人でも不幸なままに終わったのなら、それは最高の終わりなんかじゃない」

 

「呆れた理想だな」

 

「それでも、理想は目指さないと実現しない、そうだろう?だから君にも諦めないで目指して欲しいんだよ、自分が幸せになることを」

 

少なくともヘスティアは、己の眷属であるという事実がなくとも、彼女のことを救いたいと思った。自分が救うことが出来なくとも、誰かに救って欲しいと思った。幸せになって欲しいと、その真っ黒の絶望に染まった心をもう一度光で照らして欲しい。心からの幸福な笑顔を浮かべて欲しい。生まれて来て良かったと思って欲しい。

 

「……どうでもいいな」

 

「よくないよ、そんなの僕が許してもベル君が許さない」

 

「貴様達が許さなくとも私は変わらん」

 

「っ」

 

「……私の本当の目的は、既に潰えた」

 

「目的……?」

 

「私にとってはそれが全てだった、だがそれは私の知らぬところで潰えた。そして私には何一つとして残しては貰えなかった。……今こうしている私の人生は、既に残り物の屑滓だ。それを貴様等のために使っているのは、単なる気紛れに過ぎない」

 

「………嘘だね、でも本当だ。君は自分が思っているほど心の無い子じゃない。君だって怖いし、悲しいんだ」

 

「神だからと言って適当なことをいうな、貴様等(神)が言えば余計な真実味を帯びる」

 

「そうでなければ、相手に寄り添った助言なんて出来ないんだよ。……その苦痛を知っていなければ、僕達(神々)が眷属達を思って日々心痛めていることになんか、気付くこともない」

 

「…………」

 

「君が優しい人だってことを、僕はちゃんと知ってる。だから笑って欲しい。だから幸せになって欲しい。それを僕は何度だって言うよ。……家族を照らす炉の神として、君にも笑って、ベル君達と一緒に炉を囲んで欲しいんだ」

 

チラと、そんな光景がラフォリアの脳裏を過ぎる。それはヘスティアの力なのか、それとも彼女自身の願いのカケラなのか。

その言葉に返答をすることはなく、ラフォリアはテントの方へと足を早めていく。慌てて小走りで追いかけていくヘスティア、しかし僅かであっても心は届いたのだと確信した。

 

……届くとも、心から願っている言葉であれば。

それを拒絶するにせよ、受け入れるにせよ、彼女は絶対にその言葉を受け止めてくれる。そういう子だから。そういう、優しくて、真面目な子供だから。

故にヘスティアは、今度こそしっかりと待つ。

彼女が今の言葉を咀嚼して、考えてくれることを。今度は逃げることなく、目と目を合わせて。



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被害者30:万能者

ロキ・ファミリアが地上へ戻るために18階層を出た後、ラフォリアは呆れたような顔をしてとある光景を見つめていた。

……悪趣味な光景、吐き気を催す光景。

普段であれば問答無用で滅ぼすような、屑。

そんなものをこうして見ているだけなのだから、ストレスも溜まる。やはりラフォリアはこういう光景が心底から嫌いだ、全員纏めて生まれて来たことを後悔させてやりたくなる。

 

「……やはり屑神だな」

 

「ええまあ、ヘルメス様はゴミですが」

 

「あれ〜?ラフォリアちゃんはまだしも、アスフィにまでそこまで言われるのかい?」

 

「まあ、それを見逃している時点で私も同類か」

 

大勢の冒険者達に、悪意を向けられている少年が居る。そんな彼を救い出すために争っている仲間達がいる。

この光景を作り出したのはヘルメスだ。

そしてそれを見逃すと約束したのはラフォリアだった。

 

「……目的のためならどんな手も使うとは言いましたが、これは流石に悪趣味ではありませんか?ヘルメスさま」

 

「まあ多少俺の趣味が入っているのは否定しないよ」

 

「ゴミですね」

 

「屑が」

 

「いやいやいや!でもほんと!これはベル君のためなんだって!2人も経験くらいあるだろ?有名な冒険者になるほど、見知らぬ悪意を理不尽にぶつけられるって」

 

「「…………」」

 

「……少なくとも俺は、ベル君に今のうちにそういうことを知っておいて欲しいんだ。これから多くの悪意に道を邪魔されることになるであろう、彼に。いざその時になって折れてしまうことのないように」

 

ヘルメスは子供達のために全力を尽くすと言葉にした、そしてそのためであればラフォリアが嫌うやり方であってもことを成すと決めていた。

……しかしそうは言っても、ラフォリアに許可を得ておくのが一番の手であるとも理解した彼は、今朝一番にラフォリアの元に赴き、その頭を下げたのだった。どうか見逃して欲しいと。こういう理由があって悪いことをしたいと。

事前に直接言っておけば、ラフォリアも事情に納得さえすれば見逃してくれる。奇しくもその考え方はフレイヤと同じであった。彼女だってそこに妥当な理由があれば分かってくれる。嫌味を言われることは避けられないけれど。

 

「ああ……やはりあの程度でどうにか出来る訳がないか」

 

そうこうしているうちに、ベルが透明化した敵に適応し始める。

視線を感じて、音や気配を察知して、敵の居場所を掴み始める。それが出来る様になれば、絶対的な優位を確信していた男は崩れだす。

それは当然だとラフォリアは思う。

本当に勝ちたければ余裕など見せずに直ぐに決めるべきだったのだ。透明化など、所詮はその程度のものでしかない。五感を鋭敏化させた神の眷属を相手に、そんなものがいつまでも通用するはずがない。

 

「おや、どこに行くんだい?」

 

「もう見るべきものもない、荷物を纏めてくる」

 

「何を期待していたんだい?」

 

「……あの男が兜を投げ捨てでもすれば少しは見応えもあったのだがな、期待外れだ」

 

「ああ、なるほど」

 

確かにそういう展開はラフォリアの大好物なのだろう。結局彼女は、彼女自身がオッタルと成したような、あまりにも泥臭いそんな戦いが好きなのだから。そんな誰もが惹かれるような衝突が、ラフォリアもまた例に漏れず好きだった。

そういうものがあればベルの成長にも繋がるかと期待していたのだが、どうやらそれはここには無いらしい。

 

……代わりにあったのは。

 

 

 

 

 

『やめるんだ』

 

 

 

 

 

……お前がやめろ。

 

ラフォリアの額に青筋が走る。

突如として背後から発せられた脅威的な殺気に、アスフィとヘルメスは大量の汗を流す。それを少し離れていながらも感じ取ったリューが、過去のトラウマ(アルフィア)を思い出す。

 

ヘスティアが神威を解き放った。

つまりはまたやらかしたのだ。

昨日あれだけ注意をされておきながら、目の前のベルのことになると思考が簡単に吹き飛んでしまったらしい。

彼女はまたもやらかした。

 

「ままままま待って!待って下さい!ラフォリアさん!!どうか落ち着いて下さい!!」

 

「そ、そそそそうだぜラフォリアちゃん!!まだダンジョンに気付かれた訳でもなさそうだし!なっ!ほら!!なっ!!!」

 

「馬鹿は死んでも治らんと聞くが、今が正にそれを試す絶好の機会だろう」

 

「神殺しになっちゃいますからぁぁああ!!もっと大変なことになってしまいますからぁぁああ!!」

 

今直ぐにでもヘスティアに切り掛かりに行こうとするラフォリアを、ヘルメスとアスフィは必死になって抑える。

仮にも神威をはなっている女神を相手に問答無用で剣を抜いて襲い掛かろうとするのだから、下で逃げていく冒険者達とはやはり色々と違うのだろう。というかそれくらいに彼女が怒っているというのが分かる。

 

……彼女が怒るのも当然の話だ。

ダンジョンの中で神の力を行使する。

つまりは神の存在を気付かれてしまうということは、それ即ち、ダンジョンが動き出すということと同義で。

 

 

 

『ーーーーーッッ!!!!!!!!』

 

 

 

 

「……そらみろ、気付かれているだろうが」

 

「へ、ヘルメス様ぁ!?」

 

「い、いや、まさかあの程度の神威で…………いや、それほど過敏になっているということか?それほどダンジョンが神経質になっている?」

 

「ど、どういうことですかぁ!?考え込んでる場合じゃありませんよ!!」

 

そうこう言っている間に、徐々に広がっていく天井のヒビと黒い影。

その巨大、その威圧感、明らかに普通のモンスターではない。そしてここは18階層、17階層には階層主であるゴライアスが存在している。本来のゴライアスは既にロキ・ファミリアが倒していて、次の湧きまでを待っている時間帯であるのだから、それはつまり……

 

「アスフィと言ったな、リヴィラの街へ行って増援を呼んでこい。神を察知したからか、出入り口も塞がれた。戦うしかないぞ」

 

「なっ!?あ、貴女が居ても足りないくらいの相手ということですか!?」

 

「いや、私は手を出さんからな」

 

「そんなこと言ってる場合ですかぁ!?」

 

「中途半端な手出しは事態を余計に悪化させると学習したからな。それにお前達の昇華の機会を邪魔するつもりもない」

 

「〜〜〜!!!」

 

「アスフィ、俺からも頼む」

 

「もうっ!!生きて帰れなかったら本当に恨みますからね!!」

 

ヘルメスにまで頼まれ、諦めてリヴィラの街の方角へと走り始めたアスフィ。未だにラフォリアが参戦しないということについては納得出来ていないようだったが、それでもラフォリアの意思が硬い様子を見て悟ったらしい。

 

なお、そんな肝心のラフォリアは崖に腰掛け、天井の水晶壁が遂に砕かれた瞬間を見守った。

落下して来たのは巨大な黒い物体、モンスター。その造形は巨大な人形、恐らくは17階層の階層主であるゴライアスの亜種。黒化種。

 

「どうだい?」

 

「……それほど大した相手ではないな。単純な戦闘力自体はアンフィスバエナに劣る。特殊な能力があれば少々厄介だが、どうにもならんことはない」

 

「なるほど、ただそうなるとこの階層の冒険者達にとっては少し荷が重いかな」

 

「妥当だろう、格上の相手を倒してこその冒険者だ。……どうしようもないと判断すれば介入するが、それまでは手を出すつもりはない」

 

「……具体的には?」

 

「死人が出るようであれば、だ」

 

仮にそれがリヴィラの街の人間も含めてのことであれば、やはり甘過ぎるのではないかともヘルメスは思ってしまった。"死人が出始めたなら"であればまだしも、"死人が出るようなら"となるとその判断はかなり早くなるからだ。

 

……ベルがリヴィラの街の冒険者達と共に黒色のゴライアスに向けて走っていくのが見える。やはりゴライアスの単純な戦闘力自体はそれほど大したものではない、振り抜いた拳をベルはなんとか避けてリヴィラの冒険者から受け取った大剣で足を斬りつける。しかしその攻撃力はLv.2程度の冒険者がまともに受けてしまえば確実に致命傷となるもの、それだけは脅威と言えるだろうか。

 

「っ、あれは……再生能力か!?」

 

「咆哮、再生能力、周囲のモンスターも面倒だな。……神ヘルメス、私の背後に隠れていろ」

 

「!……何か来るのかい?」

 

「ゴライアス然り、バロール然り、周囲を数で囲まれた際に揃って行う行動がある。そろそろそれをしてくる頃合だろう」

 

「っていうと……」

 

「吹き飛ばしだ」

 

 

【ーーーーーーーッッ!!!】

 

 

『死鏡の光(エインガー)』

 

ラフォリアの言う通り、ゴライアスは叫びながら大きく両手を振り上げて、渾身の力を持って地面を叩き付ける。瞬間、捲り上がる大地と共に吹き飛ばされる冒険者達。その余波はラフォリアの元まで及び、ヘルメスを背後に隠した彼女は魔法によってそれら全てを弾き飛ばした。

叩き付けによる数的不利の打開。

階層主級の常套手段というものだ。

 

……しかしヘルメスがチラとラフォリアの背後から顔を覗かせて見たところ、被害は甚大であるが死人は出ていないらしい。その衝撃波によって周囲を囲っていたモンスター達も吹き飛んだ、それも不幸中の幸いというものだろう。まあどうせまた何処からともなく現れるのだろうが。

 

「さて、どうする」

 

「あ、ありがとうな、ラフォリアちゃん」

 

「今死なれては困るからな、お前の眷属が居なくなれば前線が壊滅する」

 

そうして見つめる先に居るのはアスフィ・アル・アンドロメダ。

Lv.4である彼女は7年前の闇派閥との抗争の際から常にヘルメスに振り回されながらも団員達を率いて来た。その経験は今も生かされており、すぐ様に部隊を立て直す指示を出すと、同じLv.4であるリュー・リオンと共に時間を稼ぐために前に走る。

 

「……意思は折れても、弱者に成り下がった訳では無さそうだな」

 

「ああ、リューちゃんも今だって細々とだが正義の眷属としての役割を果たしている。本当に折れてしまった訳じゃない、少しの時間と機会が足りなかっただけだ」

 

「………だからと言って、無駄にしてもいい時間などあるものか。いつまでも自分に時間があるなどと思っているから、後悔をするのだ」

 

もし彼女が1人でも足掻き続けていれば、それでもと前を向いて走り続けていれば、彼女はそれこそアイズと同等の力を持つことが出来ていたかもしれない。そうなれば彼女はもっと多くの者を救うことが出来たかもしれない。

そんな後悔をリューだって絶対にしたことがあるだろうし、なによりアストレア・ファミリアの存続を願っていたのは他ならぬオラリオの民達だ。その声をリューだって何度も聞いていた。

 

「………仮にLv.5にでも届いていれば、今の戦況さえ変えられただろう」

 

致命的なダメージを与えられない、削った先から再生される。いくら敵の速度が遅かろうと、巨体というアドバンテージはその不利を容易く覆せるほどに大きい。

ゴライアスは知能も相応に高くなっているらしく、自分にダメージを与えた魔導士達を中心に狙い始めた。決定打になりうるものが消えていく。被害は広がっていくばかり。状況は徐々に悪化していく。再生能力持ちを相手に長期戦など、不利になるのは当然だ。

 

「離れてください!!!」

 

 

「!………鐘の音!?」

 

一瞬、それをアルフィアのサタナス・ヴェーリオンのものと錯覚したラフォリアが、驚いたように目を向ける。

しかしそこに居たのはアルフィアではなくベルであり、彼は自身の右腕に白い光を灯しながら走り込んで来ていた。……ラフォリアはそれを知らない、そんなものをベルが持っていたとは知らない。そして直後に彼が行った行動は、それこそ何処かアルフィアの面影があって。

 

 

『ファイアボルト!!!!!』

 

 

「っ」

 

Lv.2の放った魔法とは思えぬ、凄まじい威力の短文詠唱。

否、叫んだのは魔法の名前だ。

つまりは無詠唱の魔法。

アルフィアのサタナス・ヴェーリオンのような馬鹿げた速攻性と威力を伴ったその魔法は、Lv.4の2人が攻めあぐねていたゴライアスの咆哮を打ち破り、頭部を丸ごと吹き飛ばす。

……普通に考えれば有り得ない、しかし彼はそれを実現させた。

自分より3つ以上適正レベルの違うような相手に対して、一撃で。

 

「ラフォリア!!」

 

「っ、不味い……!!」

 

そんな彼の姿に思考を巡らせてしまっていたからだろうか、ラフォリアはベルに迫るその危機を見落としてしまっていた。

いくら頭部を吹き飛ばしたとはいえ、あれほどの再生能力を持つ存在ならば再生してくる可能性を考慮しなければならない。核である魔石が破壊されない限り動き続けるモンスターも存在する、目の前のそれが何故そういったものではないと言い切れるのか。

 

「ぐぁっ!?」

 

『爆砕(イクスプロジア)……!!』

 

咆哮によって空中に吹き飛ばされたベルに対して、追い討ちをかけるために拳を振り上げたゴライアス。ラフォリアはその場から急いで跳躍をすると、ゴライアスの口の中目掛けて爆破し、全ての歯を破壊する。

ゴライアスは人型モンスターであり、その肉体構成は人の物に非常に近い。特に発達したその異様な歯は、人間同様に食い縛ることによって全身の筋肉への力の伝達を増幅させる。既に振り抜かれようとしていた拳を止めることは難しいが、口の中を爆破することによる混乱と筋力の減衰ならば容易い物だった。

 

……そしてラフォリアがそれを狙ったのは、浮き上がったベルの元へ1人の男が走り込んでいたことを見ていたから。

 

「歯を食いしばれ!!大男!!」

 

「ぐぉぉおおおおお!!!!!!」

 

力の弱まった拳の攻撃を、大楯を持った桜花が受け止める。

盾ごと破壊されて、喀血する。

凄まじい勢いで吹き飛んでいく2人、だが上出来だ。最悪の事態だけは防ぐことが出来た、その男気には素直に称賛する。

 

「アスフィ!!ベルと大男を退避させろ!エルフ!!貴様は私と共に来い!!」

 

「は、はい!!」

 

「……っ、分かりました!」

 

ベルは生きている、それは間違いない。

だが復帰して来れるかどうかまでは分からない。

……ならばもう、ここからはラフォリアが直接戦況をコントロールする。中途半端なことはしないと誓った、故にこれは徹底的なものだ。目の前を徹底的に活かしてやる。その骨の髄に至るまで、全てをオラリオの冒険者達のものに。

 

『ガァァァアアッ!!!!!』

 

「邪魔だ」

 

「ァッ?」

 

撃ち放たれた咆哮を、剣の一振りで吹き飛ばす。

かつてアルフィアと斬り合うために全く同じ剣技を身につけようと、他派閥である男の元へ出向き、自尊心をへし折り頭を下げてまで身につけたその剣技。彼女の全ステータスを満遍なく上げ続けたLv.7の筋力を以ってすれば、咆哮程度ならば容易く打ち払える。

 

『オオオオオオォォォオオオ!!!!』

 

『死鏡の光(エインガー)』

 

『ーーーーーッッ!?!?!?!?』

 

咆哮が駄目ならと今度は拳を振り抜いたゴライアス、その右腕は彼女に直撃した瞬間に内部から砕け割れる。物理反射のその魔法は、言わば敵に全く同種の攻撃をぶつけ合った様に錯覚させる。しかし実際にはそれどころではない。物体が物体に衝突する際に与えるダメージと、与えられる返しのダメージ。その両方が自分だけに返ってくるのだ。便宜上"物理反射"などという言葉を使ってはいるが、その実態は"倍返し"に近い。倍ほどの力は無いにしても、単なる衝突とは訳が違う。

……だからこそ、それに単純な力のみで渡り合った"猛者"オッタルは怪物だった。だからこそ彼は自身の力でも破壊されないような堅牢な剣を用い、なにより自身の力では破壊されないような頑強な肉体を証明した。それほどのものがなければ、この魔法は破れない。

 

「さて………おい冒険者共!!貴様等はこのままでいいのか!!!」

 

「「「「っ!!」」」」

 

「やられたままでいいのか!!逃げたままでいいのか!!女子供に全てを託して、そんな醜態を晒してこれから頭を上げて生きていけるのか!!!」

 

そうしてそれから、今度はまだ近くに残っていた冒険者達に対して、ラフォリアは叫んだ。

戦況は悪い、彼等も自分達だけではどうしようもないと悟っていたのだろう。しかしラフォリアは知っている、彼等とて負けず嫌いな男達であると。嫉妬深い見栄張りであると。

それこそベルに対してあんなことをするくらいの、馬鹿で、阿呆で、面倒な、どうしようもない愚か者達であることを。

 

「い、いい訳あるか!!!」

 

だからこそ、最初に叫んだのは、ベルと対峙していたあの男だった。

 

「あんなガキと小娘どもに負けたままで帰れるかってんだ!!俺達はまだ何もしてねぇ!!このままじゃ本当に負け犬だ!!」

 

「「「「!!」」」」

 

「ならば走れ!!貴様等をこの私が使ってやる!!貴様等のような屑共が輝ける場所を、この私が作ってやる!!」

 

「やってやらぁ!使えるもんなら使ってみやがれ!!」

 

……本当に、本当に馬鹿な男達であると、ラフォリアは笑う。

だがそういう馬鹿さは嫌いではない。

ベルと対峙していたモルドという男に続いて、他の冒険者達も武器を構えて走って来る。馬鹿というものはどうにも伝染するらしい。それこそ色濃かった絶望を、簡単に上書きしてしまうくらい強力に。

 

「咆哮は全て私が止めてやる!エルフ!貴様は飛び回って奴の注意を引け!冒険者共!!それだけお膳立てをしてやれば十分だろう!!」

 

「当然だ!!いくぞ野郎ども!!」

 

「「「うぉぉおおおお!!!!」」」

 

ラフォリアのただその言葉だけで、冒険者達は走っていく。

その様子を見て、リューは素直に驚いていた。

最初に咆哮を撃ち落とし、その後に魔法で直撃を返した。ほんの僅かなその行動が、今の彼女の言葉に対して強い信頼を与えている。

彼女はこの階層の冒険者達が何より信じている"力"というものを証明し、燻っている彼等がそれでも持っている感情を引き出した。彼等は自分達が落ちぶれていることを理解し、輝ける場所を求めていることを知っていた。恐怖と自身の立ち位置を知り、ロキ・ファミリアのような栄光も、憧れてしまうような冒険も得られないのだと、諦めてしまっていた。

……そんな彼等にとって現状は、正にそんな夢が叶ったように見えているのかもしれない。

得体の知れない強大な敵を相手に、しかし絶対的な力を持った人間が指揮を取って、自分達を使ってくれる。自分達のような人間が輝ける、誇りを持てる舞台を作ってくれる。

 

「斧男!貴様は足の腱を切れ!!槍をただ突き刺すな!足の小指を優先的に破壊しろ!!跳躍できる者は関節を狙え!先ずは敵の体を崩せ!!」

 

「うぉおおお!!!」

 

「エルフ!眼だけは破壊するな!!視界を保たせていた方が思考を縛りやすい!いいな!」

 

「は、はい!」

 

まるで自分達にも"勇者(ブレイバー)"のような指揮官が出来たような、そんな少しの高揚感。彼女の言う通りに攻撃を与えればゴライアスは崩れ落ち、自分が役立っていることを実感出来る。

……そうだ、自分はこんな冒険がしたかったのだと。これだけ危険な状況にも拘らず、次第に口角が上がっていく。

彼等だってこうなりたかったのだ。

ロキ・ファミリアの下っ端達のように、誇りを持って戦いたかったのだ。18階層で何年も何年も屯しているような、そんな自分達になんて、本当はなりたくなかった。

 

「っ、やべぇ!またあれが来る!!」

 

「エルフ!!全力で背中を斬り付けろ!!私と逆の部位だ!!」

 

「分かりました!!」

 

ラフォリアは決してゴライアスに対して致命的な攻撃にはならないように、狙った背中の筋肉のみを正確に断つ。そしてリューもまた彼女を見習って逆の部位を全力で叩き切った。

瞬間、再び地面を叩き付けようとしたゴライアスの腕が投げ出される。

 

「た、助かった!!」

 

「だが姉さん!このままじゃ火力が足りねぇ!!俺達じゃどうやったって倒せねぇ!!」

 

「ならば倒せる奴の準備を待て!貴様等はもう役に立っている!時間稼ぎという名の大義を成している!!」

 

「時間稼ぎ……?」

 

それは、そうしてモルドが降りて来たラフォリアの言葉に首を傾げた直後のことだった。

背後から鳴り響く極大の鐘の音。

異様な雰囲気の魔力の高まり。

モルドはそれを知っている。

それを成したのが誰であり、それを成した結果どうなり、そしてそれを成した者がどうなったのか。……だからこそ、彼は笑う。

 

「リトル・ルーキーか……!!」

 

「役割は理解したか!」

 

「ああ!!やってやるよ!!時間稼ぎ!!」

 

「いいだろう!ならば貴様等の目的は只管に敵の機動力を削ぐ事だ!!多少の怪我は治してやる!!エルフ!貴様もそろそろ本気を出せ!!」

 

「……はい!!」

 

ゴライアスが蓄積を始めたベルに狙いを定め、動こうとする。しかしモルド達は必死になってそれを阻害し、他のモンスター達の阻止もアスフィや命達が中心となってそれを成していた。

……そしてリューもまた、ここが切り札の使いどころだというラフォリアの指示に頷いて、彼女と共に詠唱を紡ぐ。

 

『今は遠き森の空。無窮の夜天に鏤む無限の星々。愚かな我が声に応じ、今一度星火の加護を』

 

『灼熱の激心、雷撃の暴心、我が怒りの矛先に揺らぐ聖鐘は笑う。泡沫の禊、浄化の光、静寂の園に鳴り響く天の音色こそ私の夢』

 

 

「長文詠唱……!?」

 

高レベルの冒険者でさえ、それをこのレベルで熟す者はそうそう居ない。リュー・リオンというエルフがどれほど優秀な冒険者であったのか、それを示すものとしてこれほどに証明となるものも存在しない。

それは彼女が潜り抜けてきた戦いの中で培って来たものであり、そしてそれを見てラフォリアはまた思う。……勿体ない、と。

 

『汝を見捨てし者に光の慈悲を。来れ、さすらう風、流浪の旅人。空を渡り荒野を駆け、何物よりも疾く走れ』

 

『故に代償は要らず、犠牲も要らず、対価を求める一切を私は赦さない。これより全ての原罪を引き受ける。月灯に濡れた我が身を見るな』

 

『——星屑の光を宿し敵を討て』

 

『——泣け、月静華』

 

 

 

 

【ルミノス・ウィンド】

 

【クレセント・アルカナム】

 

 

リューの放った風の弾丸は一瞬にしてゴライアスの身体に叩き込まれ、それから避難していたモルド達を優しい月の光が照らし癒し始める。

背後から聞こえる鐘の音は大きくなるばかり。

ゴライアスの焦りも高まり始める。

その焦りは、それこそ破壊された自分の足を強引に千切り、不完全な状態ながらも走り始めようとするほどに……

 

「退けお前等ァァア!!!」

 

「っ!?」

 

「全員退避!……鍛治師!問題無い!そのまま放て!!」

 

「なっ、姉さん!?」

 

「私の魔法を信じろ!!」

 

あまりにも大きく凄まじい魔力を持った魔剣を携え、戦場に走り込んできたヴェルフ。仮に彼がそこから魔剣を放てば、僅かながらでも掠める位置に自分達は居る。

……しかし、ここまで来てラフォリアの"信じろ"という言葉を疑う者も居なかった。彼等は彼女を信じて、その言葉に従って走り出す。目線の先には自身の身体を真っ白に染めるほどに光を蓄積させたベルの姿。彼とゴライアスの延長線上に入らないように位置取り、ただ只管に走り続ける。

 

「火月ぃいいい!!!!!」

 

「………それでいい」

 

ヴェルフの、恐らく彼が作ったであろうその魔剣が、まるでリヴェリアの広域殲滅魔法の如く凄まじい炎獄を吐き出し焼き尽くす。

それを僅かに掠めた冒険者達、しかし彼等のダメージは意外にもそれほど大きなものではなかった。何故なら彼等を上空を照らす月の光が守っていたから。

あのゴライアスが半身を焼き焦がす様な馬鹿げた威力、それを見てラフォリアは苦笑う。あんなものをポンポンと作り出されてしまえば、大抵の魔導士の役割は失われてしまうだろうことが予想出来てしまって。だが一方で戦力としてあまりにも大きな役割を果たす存在であると、確信出来てしまって。

 

 

 

……そして、待望の一撃は成った。

 

 

「来たか」

 

 

階層全体に響き渡る様な鐘を鳴らし、黒色の歪な大剣を持って歩いて来るベル。そんな彼の元へと駆け寄ったラフォリアは、すれ違う様にしてその肩に手を置く。ただ只管に前だけを見ている、冒険者の顔をした少年の覚悟を問うために。

 

「この場にいる全員がお前を見ている」

 

「………はい」

 

「やれるな?」

 

「………はい!」

 

「よし、なら行ってこい!」

 

「はい!!!」

 

背中を押されたベルは、走り出した。

……英雄になるための、その道を。

 

 

「いっけぇぇええ!!リトル・ルーキー!!!!」

 

「クラネルさん!!」

 

「やっちまえぇ!!ベル!!!」

 

 

仲間達の、そして時間を稼いでくれた彼等の声にも、背中を押されて。

 

 

「ああああぁぁぁあ!!!!」

 

『ーーーーーッッ!!!!!』

 

 

 

英雄は、生まれた。



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被害者31:撃災、猛者

「けほっけほっ………少し調子に乗り過ぎたな」

 

「ええ、調子に乗り過ぎです」

 

ラフォリアはその日、ディアンケヒト・ファミリアの治療院に再び居た。理由は他でもなくただ一つ、喀血したのである。ベルが黒色のゴライアスを倒したその直後、叫び過ぎで。

そして他ならぬ、例のスキルを使用してしまった影響で。

 

「何処まで治る?」

 

「………そろそろ咳を完全に抑えることが難しくなります」

 

「そうか」

 

「貴女が持つ病と"静寂"の持っていた病が、全くの別箇所であればまだ手段はありました。しかし両者とも臓器を含めた呼吸器系への影響が著しく、手の出しようがありません」

 

「そもそも私の肉体もあの女に置換されているはずだ、その分だけ私自身の病はマシになるのではないのか?」

 

そもそも肉体が変わって来ているのだから、その理論は十分に有り得ると考えていた。

故にある程度のところまでアルフィアの身体に置き換えれば、最低でもその時点のアルフィアの寿命分は生きることが出来るのではないかと。それこそがラフォリアが考えていた最悪の場合の手段であったのだが……

 

「……例えば貴女が骨折をしたとします。その後に置換が起きたとして、骨折が完全に治ると思いますか?」

 

「知らん」

 

「結論から申しますと、多少は治ります。しかし完全に元には戻りません。その部分が脆くなり、再発しやすい状態になります」

 

「……つまり、アルフィアの肉体に置換された直後は緩和した様に見えても、再発すればアルフィアの肉体で私の病が発生するということか」

 

「それほどに貴女自身が持っている病が重篤なものだということです。むしろ"静寂"の肉体に置換されればされるほど、2つの病は同時に悪化していきます」

 

どうやらその手は使えないらしい。

確かに晩年はアルフィアも時々だが血を吐いていた。

あれが呼吸器系か消化器系から来るものなのかは知らなかったが、そもそも不治の病と呼ばれたそれだ。食事も最低限。内蔵関係は全てやられていたのかもしれない。……となると。

 

「なるほどな」

 

「それは貴女が一番に分かっていると思っていましたが……苦しくないのですか?」

 

「あの女が雑音を嫌っていた理由が少しは分かった。だが今更どうにもならん、恩恵を解いてアルフィアの病を無くしたところでどうにもならんのだろう?」

 

「ええ、その場合は貴女自身の病に恩恵のない身体が耐えられません」

 

「ならばやはりこれ以上アルフィアのスキルを使わない以外に方法は無いか。……お前の予測でいい、あと何年生きられる?」

 

「………このまま冒険者を続けるのであれば、3年以上は保証しかねます」

 

「そこまでか」

 

「ええ、それと現時点で既に深層への探索を私は禁止します。それほどの状態であると理解して下さい」

 

「本当に、治す方法はないんだな?」

 

「……【万能者】から"静寂"の病に大聖樹の枝が効果があると聞きました。現在各エルフの里にリヴェリア様の協力の下で交渉をしておりますが、それが手に入ったとしても完全な治療は不可能です。一時的に苦痛を和らげる程度にしか見込めません」

 

「そうか、お前がそう言うのであればそうなんだろう」

 

いくら怪我をしたとしても、死にかけたとしても、アミッド・テアサナーレであればそれを治療することが出来る。毒だろうと呪いだろうと治してしまい、正常な状態に戻すことが出来る。

……しかし、それが病となれば話は別だ。

 

片方は恩恵にスキルとして現れた病。

 

片方は肉体を回復し過ぎたが故に生じた病。

 

どちらも普通ではない。

単純な病ではない。

アミッドが見たこともない。

本来片方でも絶望する様なものを二重に受けておいて、どうしてこの女がこうも普通に話せているのかが、アミッドには分からなかった。

 

「……この街に来た段階では、貴女はまだ病を克服した後だった筈です。その時点では貴女はまだ真っ当な人生を歩むことが出来る筈だった」

 

「…………」

 

「それなのにこうして、今は残りの日数を数えるほどになってしまっている。……辛く、ないのですか?」

 

辛くないはずなどない。

そんなことは分かっている。

分かっていても、それを聞きたい。

彼女が何を思い、どうしてこんな風に冷静で居られるのか……その病巣を、アミッドは知りたかった。

 

「…………私はここに、アルフィアの残した物を探しに来た」

 

「残した物……?」

 

「持ち物でも、教え子でも、思想でも……それこそ意思などという曖昧な物でも構わなかった。死んだと聞かされていたあの女が、結局私には何も残さずに旅立ったあの女が残した何かが無いかを探しに来た。………だが、そんな物はこの街には無いと知った。あの瞬間から、結局のところ、私は何もかもがどうでもよくなってしまっていたのかもしれない」

 

「……だから、死んでも構わないと?」

 

「いや、今は見たいものもある。死んでも構わないとは思わない。だからお前を頼っている。……だが、闘病していた頃の様な気力や必死さがないのは、恐らくはそれが理由だ。それが私の、最後の希望だったからな」

 

「希望……」

 

「なに、散々に娘だ母親だのと言っていたのだから、一言くらい残しているものかと思ったのだがな、どうにもそういう訳でも無かったという話だ。……そう思っていたのは私だけだったという話だ。ああ、これは存外に羞恥に悶えて死にたくなるな」

 

「…………」

 

母親だと思っていた人間が、自分に何も残してくれてはいなかった。だからその愛を疑うどころか、元より無かったものだと思ってしまった。……そして、既にそれを証明する手立てもない。

なるほどこれは確かに病巣となるには十分な理由で、治療方法も既に無い困難なものだ。

そもそもゼウスとヘラが残したものなどこの街には既に殆どなく、精々残っているのも町外れの廃教会くらいのもの。しかしそれも所有権は既に移っていると聞いているし、それでは彼女のために残したとは言えないだろう。

 

「……何度でも聞きます、冒険者をやめるつもりはありませんか?今からなら、運さえ味方すれば10年は生きられるかもしれません」

 

「何度でも言うが、そのつもりはない。……色々と理由はあるが、私はもうベッドの上から動けない様な生活は嫌なんだ。だから残りの3年は、私の好きなようにさせてくれ。その末にどうなったとしても、私はお前を恨まない」

 

「………………」

 

最早薬を飲んでも治らなくなってしまった咳をして、ラフォリアは黒い布を目元に巻く。アルフィアと同じ色になってしまった目を隠したいと思い眼を閉じていたが、この街ではその姿こそが何よりアルフィアに見えてしまうと分かったからだ。

……しかし、この布を付けるということはアルフィアとの賭けの約束を破ることに近い行為でもある。だがそれよりも、既に自分の存在の大半がアルフィアの物となってしまっているこの現状、いつ自分が自分を見失うか分からない状況を、少しでも先延ばしにするために本人との明確な違いを出す必要があると判断した。

 

まあ、もうここまで本人を模倣しているのだ。

目元に布を巻いたくらいで約束を破っただのなんだのと言われることはないだろう。結果的には何よりも精度の高い擬態をしてしまっているのだから、むしろ約束は必要以上に守っていると言っても良い。

 

「何度も言うが、このことは誰にも言うな。いいな?」

 

「………はい」

 

せめてその念押しさえなければ、やりようはあったのに。毎回こうして忘れることなく言葉にされてしまうから、アミッドは誰にも相談することが出来ない。

……既に使用している薬はかなりの副作用が伴う強力なものであり、彼女は相当な苦痛を周囲に見せることなく抱えている。

こういう病人が、一番厄介なのだ。

こういう病人が……アミッドは一番苦手だった。

 

 

 

 

結局、ディアンケヒト・ファミリアでの治療は5日間の入院で済んだ。正直ラフォリアとしては長過ぎると思いはしたものの、再び例のスキルを使った代償は彼女が思っていたよりは大きいものだった。サタナス・ヴェーリオンさえ使わなければいいという訳ではないらしい。

……そうでなくとも、黒化ゴライアスの咆哮、あれもまた立派な音による攻撃だ。ラフォリアはあれを撃ち落としてはいたものの、その影響はしっかりと受けてしまっていた。それを考えれば5日の入院で済んだだけマシだったとも言うことは出来る。

 

「ほう、アポロンの宴か」

 

「そ、そうなんだけど……実は少し前にベル君がちょうどアポロンの眷属と喧嘩をしてしまっていてね」

 

「……喧嘩?お前が?」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「ふむ……」

 

久しぶりに戻って来た教会。

ラフォリアは自身のベッドに座りながら、正座をしている目の前の1人と1柱を見下ろす。ベルが正座をしているのは今回の件について、ヘスティアが正座をしているのは18階層の件についてだ。

あの後は喉を悪くしてしまい、結局ヘスティアに対してしっかりとした説教が出来なかったが、彼女も彼女で大いにやらかしたのだ。いくらベルが心配だからと言っても、やっていい事と悪い事がある。

……とは言え、ヘルメスの企みを見過ごした自分にもその責の一端はあると考え、処置は寛大。その説教も今しがた終わったばかりであり、ヘスティアは仕置きとして膝の上に本を10冊置かれている。彼女の身体はフルフルと震えているが、この程度で済んでいるだけ温情だろう。結果的にはベルにとっても良い経験にもなったのであろうし、結果論で済ませることとした。

 

「やれやれ……ベル、私が言いたいことは分かるな?」

 

「はい……リリにも言われました、最近の僕は性格が乱暴になっていると。それは自分でも自覚しています」

 

「違う、やるなら徹底的にやれ」

 

「「え?」」

 

「2度と相手が突っ掛かって来なくなるほどに徹底的に潰せ、中途半端に終わらせるな。団員を全滅させた後にその主神にも恐怖を植え付けろ、その身に言い訳の出来ない深い敗北を刻み込め」

 

「「………………」」

 

なんか訳の分からない方へと話が進んでしまっているが、ラフォリアとしてはこれは本気だった。中途半端な喧嘩ほど面倒で意味のないものはない。そして中途半端に終わらせてしまえば、間違いなく仕返しを仕掛けて来る。

そうなるくらいならば、その身に2度と消えない恐怖を植え付ける以外に方法はない。実際ラフォリアはそうして襲撃を仕掛けて来た身の程知らずの冒険者と神々を叩き潰して来た。これはオラリオで生きる上で彼女が培って来た経験則なのである。

 

「え、ええと……話を戻すけど、どうだろうラフォリアくん?アポロンは僕達に何かを仕掛けてくるつもりなのかな?」

 

「知るか、そもそも私はその神を知らない」

 

「あ、そうなのか」

 

「仮に仕掛けて来たとしても、それを上手く解決するのも貴様の手腕だろう。そういった経験を積むのもファミリアとして必要なことだ」

 

「そ、それはそうだけど……」

 

「……すみません」

 

「ベル、私に謝ってどうする。そもそも私はこのファミリアの人間ではないだろう、迷惑が掛かるのは貴様等自身だ。そしてその責任はベル、お前が自分で責任を持って解決しろ」

 

「………はい」

 

ラフォリアはベルに対して、注意することも叱ることもしなかった。

ただ自分のしたことに対する責任は取れと、そう伝えるだけ。

それは当然の返答ではあったが、ベルからすればむしろ叱られた方が気は楽だったろう。しかしそんな楽をさせてやるほどラフォリアも甘くない。起こした問題に対して向き合い、その解決に頭を回すことは重要な体験だ。その機会を奪うことなどラフォリアはしない。自分のやらかした事だ、行き詰まってしまうまでラフォリアは口を出すこともしない。

 

 

 

「……?なんだ?」

 

そんな時だった、教会の扉からノックの音がしたのは。

少し大きめのノック、相手は男性だろう。

しかし夜も遅いこんな時間、訪ねてくる相手は普通に考えて常識がない。それこそ不審者を疑ってしまうほど。

だがラフォリアは立ち上がろうとしたベルを制し、自ら立ち上がってそれに応対した。何となく圧があったからだ。それも妙に馴染みのある。

 

「誰だ?」

 

「俺だ」

 

「………オッタルか?」

 

扉を開けると、なんとそこに立っていたのは何か箱のような物を持った見知った大男だった。

"猛者"オッタル、ラフォリアとしてはあまりに意外な訪ね人であった。

突然訪ねて来た彼を見て固まるベルとヘスティアであるが、ラフォリアは一度教会から外に出て彼に応対する。彼がこうして直接出向いて来たのだ、何かがあったと考えるのも自然な話。それこそベル達には伝えられないくらいに大変な出来事が。

 

「どうした?何かあったのか?」

 

「…………」

 

ラフォリアの問い掛けに対し、彼は複雑そうな顔をして黙るばかり。というかむしろ、なんとなく、困ったような、そして迷っているような、そんなラフォリアとて見たことがないような顔をしている。

『……ああ、これは本当に何かがあったのだな』とは思うものの、それが人の生死が関わるほど深刻な出来事ではないのだとも察する。恐らくはそう、女神フレイヤからの何かしらの無茶振りを彼はさせられているのだろう。そういう彼の姿であれば、ラフォリアも何度か見たことがあった。

 

「……これをお前に」

 

「手紙?」

 

「明日行われるアポロン・ファミリアの宴の招待状だ」

 

「………?あれは神とその眷属が参加するものと聞いたが、女神ヘファイストスも参加するのか?だとしても何故私だ、そして何故お前が持ってくる」

 

「いや、これはお前に対する招待状だ。フレイヤ様の口添えでお前の単独参加が認められた、フレイヤ様が女神ヘファイストスの代わりになるという形ではあるが」

 

「……………………?????」

 

ラフォリアにはよく分からない。

女神ヘファイストスが参加しないとして、何故フレイヤがその代わりになってまで自分を宴に連れて行こうとしているのか。ラフォリアはそのような宴などに特別興味はないし、参加したところで何の意味もないだろう。碌に他者を楽しませるようなことも出来るはずがない。

そもそもわざわざ女神フレイヤが主催のアポロンに直接出向いてまで許しを得る話には思えないし、フレイヤが何を考えているのかもさっぱり分からない。そしてどうやらそれは目の前のオッタルも同じようだった。

 

「それと……………これを」

 

「ん?なんだ、これは」

 

「明日お前が着るドレスだ」

 

「は?」

 

「俺が選んだ」

 

「……………………………は?」

 

 

は?

 

ラフォリアは心の中でもう一度言葉にした。

 

は?

 

最早何も分からない、意味が分からない。

ここまで困惑させられたことは、本当にいつ以来のことだろうか。

ラフォリアは今それくらいに凄まじい困惑に見舞われている。

受け取ったその箱に、ただただ疑問しか浮かんで来ない。

 

「待て、待てオッタル……お前は何を言っている?」

 

「フレイヤ様から、当日のお前のドレスを俺が選んで来るようにとの指示があった。俺では十分な物を選べないと言ったのだが……」

 

「……本当にお前が選んだのか?」

 

「ああ……」

 

「……店員から変な目で見られながら?」

 

「ああ……」

 

「というか、お前がまともな物を選べるのか?」

 

「分からん……分からんが、俺なりの努力はした」

 

「…………そうか」

 

ここまで来ると最早何をどう言ったらいいのかも分からない。互いに妙な顔をしているし、これ以上に続ける言葉も浮かんで来ない。女神フレイヤがまた変なことを考えていることは予想がつくが、それにしてもドレスを着ろなどと、本当に何を考えているのか。

思わず目元に手を当てて空を見上げると、オッタルはそれに気づいた。

 

「……ラフォリア」

 

「?なんだ」

 

「お前、眼は……」

 

「ああ……」

 

そういえば、まだオッタルには言っていなかったとラフォリアもまた気付く。

ベルとヘスティアには諦めてスキルの影響で変わった眼の色が気に食わないと伝えてはいたが、オッタルからすればこれはそれどころの話ではないだろう。……元々の原因は他でもない彼なのだから、感じている責も誰より重いはずだ。

 

「……こうなった」

 

「っ!!」

 

「こんな物を見せていれば、お前もアルフィアと話しているようで落ち着かんだろう。苦肉の策というやつだ」

 

「……………すまない」

 

「謝るな、私が判断したことだ。……それより私は、お前が選んできたというこのドレスの方がよっぽど恐ろしいがな。最悪の場合、私は明日、珍妙な格好で宴に参加することになるのだが?」

 

「そうはならないよう、店員にも意見を聞いて決めた。最低限の格好にはなっている……はず、だ」

 

「なるほど、ならば少しは期待してやろう」

 

「仮に笑う者が居たとしても、俺が叩き潰す」

 

「……ふっ、阿呆かお前は。そんなことをする暇があるのなら女神の手でも引いていろ」

 

しかしこの様子では明日には街に広まっているかもしれない。"猛者"オッタルが女神フレイヤ以外の女のドレスを必死になって選んでいたと。

その結果フレイヤ・ファミリア内で何かしらゴタゴタが起きる可能性もあるが、そんなことはラフォリアの知ったことではない。またオッタルが振り回されるだけだ、ラフォリアは面白おかしくその様子をみまもってやるだけ。

……ただまあ、

 

「……いいだろう、私も参加してやる」

 

「!そうか………ならば明日の夜、ここにお前を迎えに来る。着替えて待っていろ」

 

「ああ、あまり待たせるなよ」

 

「分かっている」

 

そうしてオッタルは、何処か緊張が解けたような様子で本拠地の方へと歩いて行った。

まあ彼からしてみれば、自分でドレスを選び、そもそもラフォリアが宴に来てくれない可能性もあったのだ。緊張くらいは当然したはずだ。

 

しかし一方でラフォリア、彼女の方には問題もある。

例えばそう、アルフィアとの賭けの約束を今度は明確に破ってしまうという問題が。このドレスを着るということは、アルフィアのドレスを脱がなければならないということだ。それは目元に巻いている布よりよっぽど違反行為だろう、それを何より自分が許せるかが問題の要。

 

「………………………仕方あるまい。あの男が必死になって選んだというドレスだ、着てやらねば不誠実になる」

 

それにまあ、入院した時然り、寝る時然り、別にいつもこの服装で居る訳ではない。その延長線上だと考えれば、強引にだが納得出来ないこともない。

死んだ人間よりも生きた人間。オッタルが恥をかいてまで持って来た物だ、無下にも出来ない。2度目があるかは知らないが、一度くらいは着て見せてやらねばならないだろう。それもまた贈り物を受け取った女の責というものだ。

恐らくは装飾品も一緒に入っていると思われる箱をその場で開け、中に入っているドレスにラフォリアは目を向けた。

 

 

 

「……だからと言って白はないだろう、童貞かあいつは」

 

なお、一言目の感想は結構酷いものだった。

オッタルは童貞ではないし、童貞だからと言って白のドレスを選ぶ訳ではない。



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被害者32:撃災、剣姫

「はぁ………………なんだこのドレスは、生娘か私は」

 

「………すまない」

 

「あら、いいじゃないラフォリア。よく似合っているわよ、少しだけ嫉妬しちゃいそうなくらい」

 

「馬鹿を言うな」

 

夜道をゆっくりとした速度で進んでいく馬車の中で、ラフォリアは少し不機嫌そうな顔をして窓の外を見る。そんな彼女の様子にオロオロとしているオッタルを他所に、笑みを浮かべるフレイヤ。

彼女は嬉しそうにラフォリアのその姿を見守る。

 

「全身を白で統一するだなんて……もしかしたらオッタルの中では、これが貴女の印象だったのかもしれないわね」

 

「……なんだ?お前には私が清純な乙女にでも見えていたのか?見る目がないにも程があるだろう」

 

「い、いや、そういう訳では……」

 

「そもそもこの髪の色に白のドレスなど似合うものか、せめて色のついた物を持ってこい。本当に店員に聞いたのか」

 

「色は……その……」

 

「それでも、黒髪には似合う色よね。貴女の元の髪色になら」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………まあ、目隠しが黒色だからな。そこまで悪くは見られんだろう、今日のところは許してやる」

 

「ああ……」

 

「ふふ、だから言ったのに」

 

そうこうしているうちに、馬車は宴の会場に着いた。

ヘスティアやベル達はミアハやタケミカヅチと共に既に会場に入っており、ラフォリアはあまりの恥ずかしさからまだそのドレスを彼等には見せてはいなかった。

しかしまあ、オッタルが今の自分ではなく以前の自分の姿に似合うドレスを選んでいたと聞かされてしまえば、それをもう恥ずかしく思うことはない。ただそれを素直に認めるのも癪で少しイラつき気味に降りるが、やはりこの3人が現れれば嫌でも周囲からの目は引いてしまうというもの。それこそ少し前に本拠地を破壊するほどに衝突したラフォリアとオッタルが一緒に出て来たとなれば、神々も興味深く彼等の姿を見てしまう訳で。

 

「さて、いきましょうか」

 

「…………おい、なんだこの腕は」

 

「あら、2人で私のことをエスコートしてくれるんでしょう?仮にもパーティなんだもの、当然よね」

 

「…………」

 

もしかすればこれが目的だったのではないかと、ラフォリアは溜息を吐きながらも嫌々フレイヤと腕を組む。所詮は会場に着くまでの間だ、最低限の顔くらいは立ててやる。

しかし左右を都市最強と元都市最強に挟まれて、それはまあ良い気分だろう。しかも片方は元ヘラの眷属、この街のどこよりも今この場所が安全だと言い切れる立ち位置にフレイヤはいる。彼女はニコニコだ、一切を隠すことなく。

 

……一方で会場にはベルとヘスティアも既にそこに居た。

タケミカヅチと命、ミアハとナァーザ、そしてヘルメスとアスフィで集まって、会話を交わしながら食事を楽しむ。

そしてそんなところに、彼等は現れた。

予想だにしていない面子で、堂々と、酷く目立ちながら。

 

「おお、こりゃまた大物が………ん?」

 

「え………ラフォリア、さん……?」

 

「ちょいちょいちょいちょいちょーい!!ど、どど、どうしてラフォリアくんがフレイヤと一緒に居るんだ!?パーティに来るとは聞いてたけど、ヘファイストスと一緒じゃなかったのかい!?」

 

そんな喧しいヘスティアの声に気付いたのか、腕を組む2人を見せつけるようにしてこちらへ歩いて来るフレイヤ。

ラフォリアはあからさまに不機嫌そうな顔をしており、しかしヘスティアはそれどころではなく、フレイヤに見惚れかけたベルの目を必死になって塞ぐ。

それを見てラフォリアは更に面倒臭そうな顔をした。

 

「み、見るんじゃないベルくん!!子供達が美の神を見ると、たちまち魅了されてしまうんだ!!」

 

「そ、そうなんですか!?で、でもラフォリアさんは……!!」

 

「私がこの女の魅了にかかる訳がないだろう、それと宴の席ではしゃぐな馬鹿乳」

 

「あいたっ!?」

 

ラフォリアのデコピンがヘスティアの額に直撃する。

痛みに悶えながら蹲るヘスティア、そんな彼女を無視してラフォリアはフレイヤから腕を離した。

ここまで連れて来たのならもう十分だろう、不満そうに頬を膨らませるフレイヤを無視してラフォリアはベルの服装を見る。

 

「……まあ、及第点だな。お前に限って服装の乱れはないか」

 

「あ、ありがとうございます。ラフォリアさんもその、すごく綺麗です」

 

「そうか………名を上げれば否が応でもこういった席に参加することが多くなる、今のうちに最低限の作法くらい覚えておけ。恥は早めにかいておくに限る、くれぐれもそこの馬鹿乳のように食い物を掻っ込むような真似はするなよ」

 

「わ、分かりました!」

 

「ひ、酷いやラフォリアくん……」

 

実際に見ていて恥ずかしい姿を晒していたのだから仕方がない。ここが会場でなければ容赦なく拳骨を落としているところだ。

仮にもファミリアの主神として、最低限の品位くらいは持っておかなければベル達にも迷惑である。そういうところから舐めてかかって来る馬鹿な輩はどこにでもいるのだから、ファミリアの顔たる主神は相応の立ち振る舞いが期待されるということ。

 

「へぇ、貴方が例のベル・クラネルね」

 

「え?あ、はい」

 

「どれどれ、もう少し私にも顔を見せてくれないかしら?」

 

「ひぅっ!?」

 

そんなラフォリアとベルの間に割り込むように入り、ベルの顔に手を当てるフレイヤ。意外にもこれが初対面であった2人だが、やはりフレイヤの魅了はベルには効いていないようだった。

……まあ、スキルの内容が内容だけに当然といったところだろう。

 

そんな彼女の行動にヘスティアは怒鳴り散らかすが、フレイヤからしてみればその事実は残念でもあり、逆に興味をより惹かれてしまう要素の一つにもなりうる。

何度も言うがラフォリアは他人の恋愛事情に口を挟むつもりはない、ベルの想いを尊重するやり方をしている間は。そしてラフォリアが元気で居る間はフレイヤもそんな大袈裟なことはしてこないと考えている、フレイヤとてそれは分かっている筈なのだから。それに仮にそれが本気の恋であるとするならば、正攻法で手に入れなければ価値を下げるだけだろう。そんなことを伝えておけば、自尊心の高いフレイヤは分かっていても乗ってくるだろう。ラフォリアがベルを守るために出来ることなどそれくらいしか存在しない。

 

「……それにしても、ラフォリアくんはそんなにフレイヤと仲が良かったのかい?君とフレイヤはほら、その……色々あったろう?」

 

「別に仲が良い訳ではない。オッタルと交友があり、この女がそれを利用して面倒なことをしてくるだけだ。私としては不本意でしかない」

 

「酷いわね、私は今でも貴女のことをずっと狙ってるのに」

 

「やめろ面倒臭い」

 

「え……………と、都市最強と交友……?」

 

「……ベル・クラネル、訂正しておくが現在の"都市最強"は俺ではない」

 

「「「え」」」

 

「俺はラフォリアに負けた、つまり現在の"都市最強"はそいつだ」

 

「………………………………えええぇぇぇええええ!?!?!?!?」

 

「オッタル、余計なことを言うな」

 

「すまない」

 

ベル・クラネル、知らなかった。

命とナァーザも知らなかった。

そしてラフォリアも言っていなかった。

言う筈もない、話すはずもない、こうやって確実に面倒なことになるのだから。ラフォリアは既にこの状況がもう面倒臭かった。

 

「ラ、ラフォリアさんが、都市最強……!?ほ、ほんとなんですか!?」

 

「喧しいぞ」

 

「あぅっ!?」

 

「大声で騒ぐな、私はそういう過剰な驚き方が一番嫌いだ」

 

「うっ……す、すみません……」

 

「いやまあ、普通それくらい驚くことだと思うよ?僕も驚いたし」

 

「雑音が耳に障る、あまり叫んでくれるな。……私は風に当たってくる、何かあれば呼べ」

 

そう言ってバルコニーの方へと飲み物を持って歩いて行ってしまう彼女は、本当に宴には顔を出しに来ただけのようだった。ベル達とこの機会に何かを話すようなつもりすらサラサラないようで、最低限の挨拶は済ませたからといったような雰囲気で背中を向けて歩いていく。

アポロン・ファミリアの人間に椅子を持って来るように言いつけ、自分の席をバルコニーに作るその太々しさ。きっと何かしら食事を食べたくなれば、ああして追加で持ってこさせるつもりなのだろう。もしかすれば、あれはあれでこの状況を楽しんでいるのかもしれない。彼女なりに、ではあるが。

 

「……あの、怒らせちゃいましたかね」

 

「なに、気にすることないさベルくん。彼女も少し疲れているだけだろう、これからはあまり近くで大きな声を出さないようにしてあげれば十分さ」

 

「ヘルメス様……わ、分かりました、気を付けます」

 

「……それじゃあねヘスティア、私達もそろそろ行くわ」

 

「そうかい?……ああそうだ、ラフォリアくんを連れて来てくれてありがとうフレイヤ。彼女も息抜きくらいには……なるのかな?」

 

「ふふ、息抜きはまだまだここからよ。そうよね?オッタル」

 

「………え?」

その瞬間、オッタルは自分の背中を焼き焦がすような勢いで嫌な予感が走っていったことに気がついた。

それほどに今自分の目の前では、女神フレイヤが満面の笑みを浮かべていたからだ。それも普段オッタルにはあまり向けてくれないような、心から楽しそうな笑みを。

 

 

 

宴の合図と共に始まったアポロンの演説。喧しいそれから目を逸らし葡萄の果実搾りを飲みながら外の風景を見ていたラフォリアの元に、2人分の足音が近付いてくる。

ラフォリアがそれを気にすることは特にない、ただこうして見回りをしているアポロン・ファミリアの団員達を値踏みしているだけ。どうやらここには特にラフォリアの目に留まる団員は居ないように見えた、それを知ってしまうと大きく溜息を吐いてしまう。

 

「なんや、せっかく無事に帰って来たんなら一度くらい顔見せてくれてもよかったんやないんか?ラフォリア」

 

「………ロキか」

 

「こんばんは、ラフォリアさん」

 

「ああ、元気そうだな」

 

珍しくめかし込んだ姿をしたアイズと、そんな彼女に合わせたのか殆ど男装のような姿になっているロキ。そんな2人はラフォリアの姿を見かけたからか、はたまたヘスティア達から聞いたのか、声をかけに来たようだった。

そして2人は目の前の彼女がまた珍しい姿をしていることに驚き、まじまじと見る。どこに行ってもそれは言及される、それほど彼女の着ているドレスが目立つものであったから、仕方がない。

 

「そないなドレス持っとったんか?アルフィアのドレスしか持っとらんと思っとったわ」

 

「………オッタルが選んで持って来た物だ、私の趣味ではない」

 

「は!?"猛者"が!?」

 

「!……オッタルさんが」

 

「女神フレイヤの指示と聞いたが、流石にこれを着て人前に出るのは私とて戸惑う。……あいつ本当にパーティ用のドレスを選んで来たんだろうな?」

 

「まあ確かに、ちょっとしたウェディングドレス言われてもいけそうやんな。猛者がドレス選びなんて、店員に遊ばれとっても不思議やないし」

 

「……でも、似合ってます」

 

「……そうか」

 

なんとなく、彼女が別にそのドレスを言葉で言うほど嫌ってはいないように見えて、アイズは微笑む。褒められて口角が上がるのに、本気で嫌がっているはずもない。そんなことはアイズにだって分かる。……決して言葉にはしないけれど、ロキも指摘はしないけれど。彼女はこうしてそれでパーティに出ても良いと判断したことが、そもそも受け入れているということなのだから。

 

「ありがとうな、ラフォリア」

 

「……?なんのことだ」

 

「ウチの子達のこと、助けてくれたんやろ?」

 

「……大したことではない、そもそも原因は私が半端に手を出したからだ。自分自身の不始末を片付けただけに過ぎん」

 

「そないな"もしも"をラフォリアのせいにしたら、ウチ等は取れる責任が何もなくなってまうやろ。闇派閥にも劣る下衆にさせてくれるなや」

 

「………」

 

「ま、せやから色々考えたんよ。何をしたら恩を返せるかって」

 

「そんなことを考えている暇があれば力を付けろ、それ以上は望まん」

 

「そう言われると思ったわ」

 

ラフォリアに何かを返したい、そう思っている人間はそれなりにいる。だが彼女に対して果たして何を返せるのかと言われれば、誰もが"何もない"と口を揃えてしまうのが現状。

恩も謝罪も何もかも、こちらが原因で彼女に与えてしまった不利益までも、彼女には返せない。そもそも彼女は何も求めていないし、自分達には強くなること以外を望んでは来ない。

それはフレイヤとオッタルでさえ同じだろう。

 

もし彼女の病を治せる方法があるのなら返せるものもあったかもしれない、もしアルフィアやヘラ・ファミリアが何かを残していたのなら、それを探し出すことも彼女へのお返しになるかもしれない。

……だが、そんなものはない。

彼女に返せるものは、本当に、悉くと言って良いほどに存在しない。こちらの負債が増えていくばかり、しかし彼女はそれで構わないといった具合の反応を返す。

……というよりはまあ、そもそも期待していないのかもしれない。自分達に対してそんなことを。強くなるという単純なことさえも出来ない自分達に、それ以上のことを。

 

「……ティオナとティオネ、それとベートがLv.6になった」

 

「ほう、それは本当か」

 

「それとレフィーヤもLv.4になれるようにはなったけど、今は保留中や。魔力アビリティをA後半くらいまでは上げたいからな」

 

「そうか……あの小娘は使える、育て方を間違えるなよ」

 

やはり、こういう話題の方が彼女は嬉しそうだった。これでリヴェリア達もLv.7になれていれば少しは反応が良かったかもしれないが、そう上手くはいかない。

こんなものが返しになっているという時点で反省しなければならないのだろうが、だとしても出来ることをやる以外には何もない。

 

アポロンの演説が終わり、ダンスが始まる会場。ロキはそれを機に背を向けてその場を離れる、彼女は彼女なりに他に用事もあるのだろう。

一方で残されたアイズとラフォリア、特に話すことはなく2人は揃って会場の方を見つめる。

 

「ラフォリアさんは、踊らないんですか……?」

 

「誰と踊れと言うつもりだ、お前こそ踊って来ないのか?相手に困る容姿はしていないだろう」

 

「……相手が、居ないので」

 

「ふむ……」

 

似た者同士、とは言わないが、アイズにとってもあの会場でボーッとしているよりは、こうしてラフォリアの側に居たほうが落ち着くのかもしれない。

ラフォリアが取り寄せた果実搾りと料理を椅子に座って食しながら、神と眷属、それに囚われることなく踊っている者達を見るだけ。食事は美味しいが、それは別段面白い光景でもない。そもそもそれほど知り合いもいない。唯一見知った顔があるとすれば……

 

「………ベル?」

 

「オッタル……?」

 

なにやら奥の方で、ベルとオッタルがヘルメスと話をしている様子が見える。そして側には男神ミアハと眷属のナァーザも居て、ミアハがナァーザにダンスを申し込んでいるようだった。

女神フレイヤはロキとヘスティアが喧嘩をしているところを楽しそうに見ているし、妙に真剣な顔をしたベルとオッタルのその様子に、ラフォリアは徐々に嫌な予感がして来る。

 

「……こっちに来る?」

 

「まさか、な……」

 

まさかとは思うが、まさかとは思いたいが、しかし2人はどうも身体を緊張でカチコチにさせながらアイズとラフォリアの元へと歩いて来る。

背後で顔を青褪めさせながらも、やり切った感を出して笑っている男神ヘルメス。フレイヤはそんな様子を見て、一瞬嬉しそうな顔をしたが、直後にその上がった口元を震わせる。きっとヘルメスはこの後、死ぬのだろう。オッタルどころかベルの背中まで押したという、その罪で。

 

 

「「…………私と、踊っていただけますか」」

 

 

ラフォリアは完全に停止した。



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被害者33.ヘルメス

「「…………私と、踊っていただけますか」」

 

 

停止するラフォリア。

彼女の頭の中には今現在、宇宙が広がっている。

果てしなく遠く、どこまでも深い、よく分からない世界。

なんかそういう曖昧なものが広がっている。

 

何を言っているんだ、こいつは?

心の底からそう思ってしまう。

 

踊る?

誰が?

誰と?

何故?

どうして?

何のため?

 

ベルがアイズに言うのはまだ分かる、きっと彼も色々と思い切って誘ったのだろう。以前からアイズを好いていた彼、この機会を逃すなどということをするのであれば、ラフォリアとて頭をしばいていたくらいだ。よくぞまあ決意をしたものだと、ラフォリアは褒めてやりたいくらいだ。恋愛などしたことはないが、ヘタレなかったことだけは男として勇気を出したところだろう。

 

……だが、お前は違う。

お前は違うだろう。

お前だけは違うだろう。

お前は何を言っているんだ?

その頭を叩いてやればいいのか?

顔面を叩き割ってやればいいのか?

 

しかし周囲の視線がラフォリアを貫いている。

あらゆる神と人間が今この場に視線を送っている。

なんだこの雰囲気は、断り難いにも程があるだろう。

 

「よろこんで」

 

「……!!!」

 

アイズがベルの誘いに対してそう返答した、その表情は彼女もどこか嬉しそうだ。満更でもないのかもしれない。

なんだかんだと言っておきながら、ベルもやり手だったということだ。いつの間にかそれくらい距離を近づけていたということなのだから。アイズのことはラフォリアも認めている、まあ多少天然なところはあるが悪い女ではない。見ているだけで不安になる2人ではあるが、それほど悪い組み合わせではないとも思っている。

 

……それで、お前は本当になんなんだ?

お前は本当になんなんだ?

 

「……………」

 

「……………」

 

「……………」

 

ラフォリアとて分かっている、というか想像は付いている。天才だから。これは全て女神フレイヤの誘導であり、あの女神は今度はこういう路線で自分を支配下に置こうとしているのだと。魅了や力では出来ないと分かったから、今度はオッタルとの関係を使って引き込もうとしているのだと。殴りたくなる。

それに以前にフレイヤは自分とオッタルに"貴女達で子を作ったら?"などと気が狂ったのかと思うような発言をしたが、その真意はそこにあるのかもしれない。あれは冗談でもなんでもなく本気だった、あの女神であれば十分に考えられる可能性だろう。

 

……こんなこと、少し考えれば分かるだろうに。

 

何故この男はそれに気付かない。

何故この男はそれを全力で遂行している。

ラフォリアには分からない。

オッタルが本気で何かを考えてフレイヤの言に乗っているのか、それとも彼が本気でただの馬鹿なのかが分からない。

ドレス選びにしてもそうだが、何故この男は一々そういうことを必死でやってくるのか。もう少し適当にしていれば断り易くもあるのに、そこまで本気でされると断りたいにも断れない。

というかお前は女神フレイヤに全てを捧げた男だろうに、本当にそれで良いのかと小一時間は問い詰めたい。見ようによっては最低だぞと、男としての尊厳をバチボコにへし折ってやりたい。正直ラフォリアが何かせずとも、他の団員からバチボコにされそうな案件ではあるのだが……

 

「…………ラフォリア」

 

「ラフォリアさん……」

 

「ラフォリア、さん……」

 

「……………………………………………………………」

 

しかしラフォリアに味方はいなかった。

この場にいる全ての存在が敵であった。

アイズどころかベルまでもそれは変わらず、誰もがラフォリアのその一言を待っている。目の前の馬鹿な男も、お前が誘う相手は女神の方だろうと心の底から叫んでやりたいというのに、何故か断られるのを恐れているような雰囲気が感じられる。その手にも少しな汗が浮かんでいて、本当にもう。

 

 

 

 

「………………わかった、よ」

 

 

 

うおおおおおおおおおお!!!!!!!

表情を歪ませながら顔面を手で覆い、なんとか努力して返答を絞り出してしまったが故に口調がいつもとは少し違う変な感じになってしまったが、ラフォリアは本当に仕方がなくその手を取ることにした。

 

ラフォリアは弱いのだ。

こういう必死で実直な感情を正面から叩き付けられるのが。

無下に出来なくなってしまう。

 

そんな自分の状況に顔を熱くさせながらも、何処か解放されたような表情をしたオッタルに連れられて、暗いバルコニーから明るい会場の中へと引き戻される。

周囲からの視線が痛い、さっき以上に好奇の目線が突き刺さる。思わず全員の目玉をくり抜いてやろうと本気で思ってしまうくらいに鬱陶しい。会場ごと吹き飛ばしてしまいたい。

 

……だが、オッタルがそれを許してはくれない。

取ってしまったその手を握って、問答無用で連れて行かれてしまう。これではまるで恥ずかしがっている自分をオッタルが男らしく手を引いているようではないか。まあ状況的には殆どそんな感じではあるのだけれど、それだけは絶対に認めたくない。

 

「おまえ……後で本当に覚えていろよ……」

 

「……?すまない」

 

持ち前の馬鹿と天然によって最強と化したオッタルを崩す手段はラフォリアには無くて、流れ始めた音楽と共に下唇を噛みながら踊り始める。

実際ラフォリアはこういった場で踊ったことなど一度たりとも無かったのだが、それでも彼女は天才であり、周囲の者達の姿を見てすぐ様に最低限の形へと持って行った。というか直ぐにオッタルどころか周囲の人間よりも上手く踊ってやった、それが彼女の唯一の抵抗だったからだ。

顔の赤みは引かないし、未だに少し熱く感じるくらいだが、それももう無視して。

 

「っ……ぬぅ……」

 

「お前……よくもまあそんな様で女を誘ったな……」

 

「す、すまん……」

 

「こういう場に出るのは初めてではないだろう、少なくとも私よりは」

 

「……踊る機会は、あまり無かった」

 

「フレイヤと踊ることもなかったのか、意外だな」

 

「あった……自分なりの努力はした、つもりだ……」

 

「…………」

 

「…………」

 

「力を抜け、私に身を任せろ」

 

「え?」

 

「私は天才だからな、貴様を誘導してやる程度のことは造作もない。……さっさとしろ、いつまでこの無様な姿を見せつける気だ。私にまで恥をかかせるのか」

 

「す、すまない」

 

最早"すまない"生産機になってしまったオッタルであるが、流石に誘った相手に恥をかかせる訳にはいかないとここはラフォリアに従った。

実際のところはそれほど不恰好なものではないかもしれないが、周囲の慣れている者たちと比べれば劣っているのは確かだ。ラフォリアは単にそれが気に食わない、無意識だとしてもやるのならトップを目指す。たとえ相手が神であろうとも。

 

「……フレイヤ様、そろそろ許してくれませんかね」

 

「ねえヘルメス?貴方わたしに喧嘩売って楽しいのかしら?」

 

「べ、ベルくぅっううううん!!!」

 

「アイズたぁぁああああんん!!!」

 

「なんですかこの地獄は……」

 

「い、板挟みは辛いぜ……」

 

暴れるヘスティアとロキを抱えながら、椅子に座ったフレイヤに腹部をヒールで蹴られ続けている可哀想なヘルメス。今目の前に広がっている光景は彼の犠牲のもとに成り立っていることを忘れてはならない。アスフィはそんな彼を可哀想な目で見つめている。

 

「それにしても……ふふ、本当にオッタルはあの子の尻に敷かれるわね」

 

「……フレイヤ様は、本当にそれでいいのかい?」

 

「なんの話かしら?」

 

「猛者は貴方の大切な眷属、どころの話ではないはずだ。そんな彼を彼女とくっ付けようとしているなんて、本当にそれでいいのかと疑問を持つのは当然だろう?」

 

「……そうかしら」

 

ラフォリアももう諦めたのか、周囲の視線を気にすることなくオッタルをリードし始め、その精度は周囲の神々にも負けないほどに徐々に上がっていくのが見て取れる。それに対してオッタルもなんとかついて行けるように努力しているようではあったが、不器用な彼にはラフォリアのように少しの経験だけでモノにするのは難しいらしく、苦戦しているのが良く分かる。

そんな2人を見てアイズとベルも見様見真似に踊り始め、余裕の出て来たラフォリアは更に分かりやすいように2人に向けて声をかけ始めていた。相変わらず面倒見は良いらしい。

 

「オッタルは何をしても私の側に居るわ、私を忘れられるはずがない。あの子の中では何十年経っても間違いなく私が一番」

 

「そりゃまあ……」

 

「でも、ラフォリアは今でないと手遅れになる」

 

「…………」

 

「オッタルを信用しているからこそなのよ。残りの時間の中で一度くらい濁った彼女の魂を輝かせたい、そのためにはこれ以外の方法がない。……私の軽率な行動のせいで、あの子には殺人をさせてしまっただけではなく、命まで削らせてしまったんだもの。そのためなら多少強引なこともするわ」

 

「……それが彼女への償いだと?」

 

「それくらいする責任はあると思っているわ、あの子を幸せにする責任が。……まあ、子供の顔が見たいっていうのも全然本心なのだけれど」

 

「子供の顔、ね……」

 

しかしそうは言っても、本当にそういう結末を辿ることが出来るのかと問われれば、ヘルメスは殆ど不可能だと言い切るだろう。フレイヤとてその難しさは理解しているはずだ。

確かに彼等はそれなりに通じ合っているし、相性も決して悪いわけではない。もしかすればそういう世界もあったかもしれないし、そういう選択をする可能性もあったかもしれない。……だが、それは決してこの世界ではない。

 

オッタルが見ているのはフレイヤだ、彼は拾われたその日からフレイヤのことしか見ていない。そのために力を求め、強くなり、這い上がった。彼の原点はそこにあり、それを否定するということは彼のこれまでを否定することになる。

そして仮に彼がそれを受け入れたとしても、ラフォリアがそのことを受け入れないだろう。ラフォリアがオッタルに求めているのはこれまでと同様にただ強くなることであり、彼女もまたその原点がフレイヤにあることを知っている。だからラフォリアはフレイヤを許したし、極端な仕置きもしなかった。……オッタルがフレイヤではなく自分を見るようになれば、彼女はそれを決して許しはしない。怒るはずだ、怒り狂うはずだ。それはオッタルが強くなるための理由を失ったことと同義なのだから。

故にその未来はあり得ない、少なくともヘルメスはそう思っている。精々こうして束の間のささやかな幸福を楽しむ程度、それが限界だと、そう思っている。

 

「……お前はすごいな、ラフォリア」

 

「?なんだ急に」

 

「俺が何年も出来なかったことを、お前は一瞬で自分の物にする」

 

「まあ、天才だからな」

 

「ああ……俺は結局この15年間、お前に誇れる物を何も身につけることが出来なかった」

 

「………」

 

「お前が10年以上寝ている間にも、お前に勝るほどの力を得ることは遂には出来なかった」

 

「ふっ……その上、頭の悪さも物覚えの悪さも治っていないと来たら、自己嫌悪に陥るのも当然だな」

 

「う……」

 

「私にとってお前は出来の悪い弟のようなものだ、年齢はお前の方が上だがな。それにせめてLv.8程度にはなっていると期待していたのも本当だ、変わらず阿呆だったしな」

 

「うぐっ……」

 

ふと思ったことを口にすれば、その何倍も酷い言葉でボコボコにしてくるこの女。そんなこと言われなくともオッタルだって分かっている。どんな理由があろうと負けたことは反省しているし、結果的に負けた自分に失望したのも本当だ。とは言え、それでも剣一本で挑んだ自分に後悔している訳でもないのだから、阿呆であるということもまた本当だろう。

 

「だが……お前は変わっていなかった」

 

「!」

 

「それだけで私は十分だった。……15年も離れていたこの街に再び足を運び、何もかもが変わっていた。あれほど駆け回ったこの街が、全くの別物に感じた。知った顔など殆ど残っていなかった」

 

「………」

 

「だが、お前だけはあの頃から変わっていなかった。私にはそれだけで十分だった。………どうせこの誘いも、私に対する償いになるとでもフレイヤに言われたのだろう」

 

「っ、それは……」

 

「別にそれで構わない。もしこれがお前からの自主的な誘いであったとすれば、私は本当に困り果てていたところだからな。……お前は女神のために強くなったのだろう、ならば一時の迷いでその信念を曲げる事などあってはならない」

 

「……ああ」

 

「まあ、そんなことはありはしない話ではあるがな。ほら、さっさと足を動かせ。また止まっているぞ」

 

「あ、ああ」

 

そうして、宴は順調に進んでいった。

具体的にはラフォリアとオッタルが踊り終わるまで。というか、終わった直後にアポロンが前に出て来るくらいに。

……流石の彼にも分別くらいはついているのだ。具体的には猛者と撃災に水を差してはならない、くらいには。

 

 

「……オッタル」

 

「?なんだ」

 

「お前は私が何に見える?」

 

「……お前はお前だ、それは変わらん」

 

「……そうか」

 

宴終わりに別れた彼女は、その言葉に少しの笑みを浮かべていた。



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被害者34:アポロン・ファミリア

ラフォリアの存在で原作から分岐が起き始めます。
まだ少しずつ上げていきますので、どうぞよろしくお願いします。


 宴の次の日、ラフォリアは洗濯屋にドレスのクリーニングを頼みに来ていた。

 昨日はあの後も色々とあり、神アポロンがベルを手元に置きたいがために面倒臭い仕込みをし、そうして出された戦争遊戯の提案をヘスティアが蹴りなどして、まあ見事に空気をぶち壊してくれた訳だ。フレイヤとヘファイストスの顔を立てて殴り飛ばさなかっただけ温情なくらいだろう、ラフォリアとしてはあの様子は本当に見ていて不快だった。ラフォリアはああいう神の策略というのが心の底から嫌いだからだ、それも神の欲を満たすために子供達の人生を狂わすなど論外とも言える。

 

「くれぐれも丁寧に頼む、貰い物だからな」

 

「はい、承りました」

 

 とは言え、今のラフォリアはヘファイストス・ファミリアの人間。ここでベル達の件に首を突っ込むのは違うだろうし、先にも言ったが本人達で解決のために努力することもまた経験として必要なことだ。

 あの様子ではアポロンも色々とヘスティアに戦争遊戯を飲み込ませるために画策してくるのだろうが、流石にラフォリアに手を出すような命知らずな真似はしないはず。そうなると今回の件は本当に無関係で終わるのだろう。

 

 ……まあ、本当にベルが奪われるようなことがあれば、今度はこちらから戦争遊戯を仕掛けて奪い取ってやろうとは思っているが。それはラフォリアの個人的な事情だ。そうなった時にヘスティアの元に戻すつもりはないし、そうなればラフォリアの好きなようにしようとも思っている。それはそれで当然の権利なのだから、欲しければ奪い返してみろと言うまで。

 

 

 

 

ーーーーーッッ!!!!!!

 

 

 

 

「ひっ!?」

 

 

「………なんだ、今のは?」

 

 そしてそれは、ラフォリアがクリーニング代を支払った直後のことだった。突如として鳴り響いた爆発音、今のオラリオでは滅多に聞こえることのないようなそれ。

 こういった事態に慣れていない冒険者でもない目の前の女性店員は酷く怯えているが、あの時代を生きていたラフォリアにとってはそれほどでもない。怯える店員の頭を軽く撫でてやりながら、爆発について思考を巡らせる。

 

 ファミリア同士の抗争?

 

 そんな兆候は見られなかった。

 

 闇派閥による襲撃?

 

 タイミングとして訳がわからない。

 

 ……否、それよりもっと可能性の高い選択肢があるはずだ。具体的にはラフォリアが最もあって欲しくない、そんな選択肢が。まさかそんなことはないだろうとは思うが、神も含めて馬鹿の多いこの世界では、どんな馬鹿げた話もあり得ることであるのだし。

 

「ドレスを頼む、絶対に傷付けてくれるなよ」

 

「は、はい……」

 

 店を出て、煙の上がっている方角へ向けて走る。その場で飛び上がり、屋根伝いに跳んでいけば、それが間違いなく予想していた最悪の方向から上がっているのが確信出来た。

 

 周囲の騒がしさ。

 遠方の方に見える、同じように屋根伝いに跳んでいく複数の影。

 

 

 

 ………そして、近付くにつれてはっきりと見えてくる。

 

 

 

 

 

 崩落した、廃教会。

 

 

 

 

 

 

「……………殺す」

 

 

 

 

 理性は飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ラフォリアがそんなことになっている一方で、とある場所では3柱の神が机を囲み集っていた。

 この会合を開いたのは他でもない男神ヘルメスであり、そこに集まったのは女神ヘファイストスと女神ロキ。この面子が集まるというのは意外とそれほど多いことではなく、しかしだからこそ、集まった理由も容易く分かるというもの。それはこの面子が集まった時点で、ヘファイストスとロキも察していたし、ヘルメスだって隠すつもりなど最初から毛頭なかったりもしている。

 

「それで?今度はラフォリアに何をさせる気なのかしら?ヘルメス」

 

「おいおいヘファイストス、俺はまだ彼女には何かをさせたことはないぜ?」

 

「何かをさせる、っちゅうことに否定はせんのやな」

 

「……まあな、そこは否定出来ない」

 

 そうしてヘルメスが取り出したのは、2通の手紙。つまり今回話す必要がある案件は、2つあるということ。そしてそれは同時に、ヘルメスがこうして間違いなく信頼出来る女神である2柱に、最初に相談を持ち掛けたくらいの深刻な内容でもあるのだろう。

 

「とにかく時期が悪い、これほどの案件を頼める相手が殆どいない」

 

「………どういうこと?」

 

「まずはこれ、アルテミスからの手紙だ。大樹海の秘境"エルソスの遺跡"でアンタレスが復活している可能性があるとのことだ」

 

「なっ!?それほんまの話なんか!?」

 

「ああ、彼女は今ファミリアを率いて確認に向かっている。そして同時にラフォリアの派遣を要請して来た、名指しの使命だ」

 

「……それやったら行かせたらええんやないんか?体調は心配やけど、隠しとったら後で怖いやろ」

 

「そこでもう1通だ」

 

 かつてラフォリアと生活を共にしていたからこそ、この手紙はヘルメスの手元にある。ラフォリアを知っているからこそアルテミスはこの危機の大きさを正しく理解し、彼女ほどの力が必要だと判断し、冷静に対応することが出来ているのだろう。もし仮にそれが本当の話であるのなら、オラリオの外で活動している眷属達ではどうにもならないのだから。一瞬でもラフォリアの力を見て、自分達の実力の現実を直視した彼女の眷属達は、皆理解しているはず。彼女達が無茶をすることは恐らくない。

 

「……次は、アフロディーテからの報告だ」

 

「アフロディーテ……」

 

「確かファイたんのあれやんな」

 

「その話はしないで。……それで?なんの話?どうせ面白い話じゃないんでしょうけど」

 

「……"デダインの村"周辺で、正体不明の黒雲を目撃したらしい」

 

「「っ!?」」

 

「一応、俺とウラノスの見解は殆ど一致している。……場所が場所だ、しかも黒い雲と来た。最悪の想像くらいはつくだろう?」

 

「……………それがもし本当の話なら、それこそラフォリアの力がないとどうにもならないわよ?」

 

「そういうことだ」

 

 片や古代に大精霊によって封印されたモンスター、片や最強によって討伐された筈のモンスター。その両方がほぼ同時期に復活の兆しが見られている、それはヘルメスがこうして頭を抱えるのも当然の話。

 今はどちらもアルテミスとアフロディーテが調査と抵抗を続けているとは言え、静観していられる状況では決してない。世界の存亡が掛かっている、そう表現しても全く間違いではない案件だ。

 

「……最近は闇派閥が妙なことを企んどる、うち等も簡単には動けんぞ」

 

「ああ、だから俺の考えはこうだ。……片方をオラリオの力で解決し、もう片方はラフォリアと"猛者"を中心とした少人数での解決を願う」

 

「そんな無茶な!!」

 

「無茶でもなんでも!……それ以外に方法がない」

 

 それ以上を望める戦力が存在しない。

 闇派閥対策にオラリオにある程度の戦力を残しておく必要がある以上は、これ以上の案など存在しない。ラフォリアありきで動かなければ、こんなものはどうしようもないのだ。それこそ本当に、あまりにも時期が悪過ぎるから。

 

「……街の守護はフレイヤのとこに任せるしかない、主力の抜けたウチ等やと舐められる」

 

「ああ。そうなると、誰がどちらを担当するかだが……」

 

「……仮に本当に敵が"ベヒーモス"だったとして、【戦場の聖女】と【剣姫】の力は必要になるんじゃない?相当な毒を使うって聞いたことがあるもの」

 

「そうやなぁ、正直それ以外やと居っても無駄になりそうや。相性がある以上、質で揃えるしかない。少数精鋭どころか、偵察くらいの位置付けの方がええかもしれん。アンタレス討伐後に総力戦するくらいの位置付けで」

 

「そうなると、やはり肝はアンタレスか。だが、こちらは相手の力が未知数だからな、対策の立てようがない」

 

「そんでもベヒーモス相手よりマシや。実際マジモンやったら"猛者"とラフォリアが居っても、総力戦で勝てるか怪しいで」

 

「……その辺りの具体的な編成は本人達に決めてもらいましょう。動きもなるべく極秘裏に、何処に闇派閥の目があるか分かったものじゃないもの」

 

「そうだな、そうしよう」

 

 グランドデイは既に終わった、何事もなく。

 

 神月祭も先日終わったばかりだ、こちらも何事もなく。

 

 ……それでも、平和は遠い。むしろ平和に祭を終えることが出来たからこそ、変に嫌な事が重なってしまったのかもしれない。それはそれで皮肉な事だと言えよう。

 

 こういう事態になって、改めて思う。

 

 そして後悔する、まさに彼女の言う通り。

 

 力があれば。

 

 いつも遅くなってからそれを思うのだ。

 

 もう何度もそれは経験したはずなのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

『上等だ!受けて立ってやろうじゃないか!戦争遊戯を!!』

 

 

『いいだろう!!ここに神双方の同意は成った!!……諸君、戦争遊戯だ!!』

 

 

うおぉぉぉおおおおお!!!!!!

 

 

 アポロン・ファミリアからの襲撃を受け、眷属達を傷付けられ、遂にキレたヘスティアは神アポロンに向けて手袋を投げ付けながら、それを宣言した。盛り上がるのは隠れてその様子を見ていた神々、そして当のアポロン本人。

 

 ベル・クラネルを自分のものにしたいと思い、持っている力のままに強引に事を進めた。これがこの街における力という何より有効的な強味。ここまでの全てが神アポロンの思いのままに進んでいた。ヘスティアがこういった決断をするところまで、その全てがアポロンの計算通りだった。むしろ、弱小ファミリアである彼等は目を付けられた時点で終わっていたとも言えよう。常識的に考えて、弱小ファミリアが大規模と言えるアポロン・ファミリアに勝てる道理などないのだから。

 

 

「「「…………」」」

 

 

 ……そして、そんな彼等の様子を冷ややかな目で見ている一部アポロン・ファミリアの団員達。彼等の中にもまた、今のベルのように他派閥から強引に連れて来られた者もおり、決して今回のようなことはアポロン・ファミリアにおいて珍しくないことであるという事実がそこにはある。そしてだからこそ、アポロン・ファミリアの動きというのは一部の神々達からして暇潰しの対象にもなっている。

 アポロンは目的のためであれば、度々こうして戦争遊戯を吹っかける。そしてそれは暇を持て余す神々にとって十分な娯楽になる。こうして神々が隠れ潜んでアポロン・ファミリアとヘスティア・ファミリアの様子を伺っていたのも、それが理由の一つに他ならない。彼等は暇を嫌って下界に降りて来たのだから、他の神の子供がどうなろうが知ったことではない。楽しませて欲しい、予想外を見せて欲しい。今正にここには、彼女が大嫌いな神々の悪い部分が濃縮されていると評して良いだろう。

 

 

 

「……………」

 

 

 

 しかし、一方で神々の中にも賢い者というのは居る。

 

 愚かな神というのも存在する。

 

 例えば今ここに居る神々というのは、その全てが"愚かな神"と言ってしまってもいいだろう。本当に賢い神であるならば、今回の騒動の最初の始まりを聞いた瞬間に、この件に関しては一切の手出しをしないと決め込んで本拠地に引きこもっていたからだ。

 故に今この場所には、彼等が想像していたほどの数の神々は存在しない。その意外さに首を傾げながらも、ただ目の前の娯楽に食らいついている。故に愚か。愚かな神々。

 

 そしてそれとは別件で、整列しているアポロン・ファミリアの団員達の数も、本来よりも妙に少なかったりもする。それは別にベルがここに来る途中に倒して来た、などと言う事実も別に無くて。むしろその事実には当の団員達の方が不思議に思っていて。アポロンも内心では密かに首を傾げているくらいで。

 

 

 

 

 

 

【爆砕(イクスプロジア)】

 

 

 

 

 

「「っ!!?」」

 

 

 アポロン・ファミリア本拠地の入口たる大門が、吹き飛ぶ。

 

 吹き飛ばされた大門に轢かれるようにして、何人かの団員達もぶっ飛んでいく。

 

 

 

 ……全員が停止していた。

 

 

 他ならぬアポロンもまた思考が停止していた。

 

 

 周囲の神々達もまた動けなくなっていた。

 

 

 ズルズルと、何かを引き摺るような音を立てて。煙の中から1人の女が凄まじい覇気を纏いながら、こちらに向けて歩いて来る。

 

 最初に思い至ったのは、ヘスティアとベル。

 

 というかこの場でその結論に至れる存在は、2人以外には居なかった。だって他の誰も知らなかったのだから。そこまで調べていなかったのだから。それこそが全ての元凶なのだから。

 

 

「ひっ!?」

 

 

 数神の神々が小さな悲鳴をあげる。

 

 

「ヒュ、ヒュアキントス!?」

 

 

 アポロンの口からも悲鳴染みた言葉が出る。

 

 

「ご、ごめんなさい!ごめんなさい!!」

 

「本当にすまなかった!!許してくれ!!すまなかったぁ!!」

 

 

 ヘスティアとベルは、即座にタケミカヅチから教わった土下座というものを揃って行った。そこには何の迷いもなかった。一瞬の早業だった。それこそ、ヘファイストスに対して土下座した時よりも。何倍も必死になって頭を下げた。比喩でもなんでもなく頭を地面に本当に擦り付けた。

 ……そうまでしても、生きて帰れるかは分からなかったからだ。ベル達でさえ、生き残れるか分からなかったからだ。

 

 

 

「動いた奴から腕をもぐ」

 

 

「「「もっ……!?」」」

 

 

 逃げようとした神々に対して釘が刺される。

 彼等もまた、逃げることを許されない。

 

【ラフォリア・アヴローラは野次馬も殴る】

 

 そんなことを前回の神会の時に聞いたような気がした者も居たが、それは紛れもない事実である。彼女は無関係だろうと野次馬も殴る、それを囃し立てた奴にはもっと容赦しない。しかも相手が神であるのなら、迷いすらない。故に知っている者は隠れたのだ。ここに来なかったのだ。

 

「なっ、ななっ、なんで……」

 

 あれほど端正に整っていた顔面を見る影もないほどにボコボコにされ。毛髪の全てを焼き尽くされ。それだけでは飽き足らず着ているもの全てを炭にされた状態でアポロンの前に投げ付けられたのは、彼の側近であり団長でもあったヒュアキントス・クリオ。

 それこそ、つい先程までベルを叩きのめしていた張本人である。そんな彼が今はこうして見るも無惨な姿で転がっている。生きてはいるのかもしれないが、尊厳もクソもあったものではない。

 

「どうして、彼女が……!!」

 

 そう、アポロンは知らなかった。

 

 そして彼の団員達もまた知らなかったのだ。

 

 まさか思うまい。底辺のファミリアであるヘスティア・ファミリアが暮らしている、外観だけであれば見窄らしいあの廃教会の持ち主が。まさか知らぬ間にヘファイストスからラフォリアに変わっていたなどということは。それもあの廃教会が一部のヘラの眷属達にとって非常に大切な場所であり、ラフォリア・アヴローラもまたその1人であったということなど。

 当然ながら、知らなかったのだ。

 知らなくても、仕方のないことだったのだ。

 

 

 

「さてーーーーこれよりこの場にいる全員を殺す」

 

 

 

「「「「え………」」」」

 

「死にたくなければ抵抗しろ、死にたいのであれば今直ぐに舌を噛みちぎれ。……当然、それは貴様等"神々"も同様だ」

 

「「「「え………」」」」

 

 

「あ、あの……」

 

「それってその、僕たちも、なのかな……?」

 

 

「………言ったはずだ、これよりこの場にいる全員を殺すと。全員平等に殺してやる。誰一人として何事もなく帰れると思うな、貴様等全員の尊厳を徹底的に粉々にしてやる」

 

 

 ああ、終わったのだと。

 それまで敵味方であった全員が同様に諦めた。

 アポロンは決して踏んではならない虎の尾を踏んだのだ。たとえそれが知らなかったことだとは言え、赦しを得ることはできない。どれほどの財を差し出しても、どれほどの栄光を約束しても、決してだ。世の中には取り返しのつかないことなど山程あるのだから。今回の一件こそが、その取り返しのつかないものであるということ。それだけの話。

 

 

 

 ……この後、ヘスティアは頬を普通に引っ叩かれて噴水の底に沈んだ。それ以外のこの場に居る全ての神々も全員が衣服を引ったくられ、アポロン・ファミリアの噴水の中へと沈んでいった。爆破魔法によって熱水となった灼熱の噴水の中に、両手両足を衣服で縛られて。

 そして、ベルを含めた全ての冒険者達は男女関係なく気を失うまでボコボコにされ、叩き潰された。全員が3回気絶するまで叩き起こされ、叩き潰された。それは全裸のヒュアキントスでさえもそうだった。むしろ彼は誰よりも痛め付けられていたくらいだろう、見ていたベルですら可哀想に思えてしまうくらいに徹底的に。……そして完全に被害者であるはずのベルは、何故かヒュアキントスより長い時間をボコられた。そこまで酷い怪我はしなくとも、多分40回くらい吹き飛ばされた。流石のベルでさえ最後の方は泣きそうになったが、それでも許しては貰えなかった。

 

 

 

 

……ちなみに、肝心のアポロンに対する罰は今もまだ続いている。

 

 何者でも、2度と仕返しをするなどと考えられぬほどに徹底的に痛め付ける。それがラフォリアの考えだ。そしてその通り、アポロンはその尊厳を徹底的に潰されることになる。

 本当に怖い相手のことは、むしろ適度に調べた方がいいということだ。神威を解き放ったところで、効く相手と効かない相手が存在する。……どころか、それを引鉄に力を増すような馬鹿げた子供が存在する。

 しかもよりタチの悪いことに、神々は彼女に対して決して復讐をすることができない。何故なら彼女の真の所有者は女神ヘラであり、彼女はヘラの最後の持ち物であり、彼女の死後の魂を弄ぶということは、あのヘラの逆鱗を引き剥がすことも同義であるからだ。そんなことは少しでも知性のある者であれば絶対にしない、出来るはずがない。

 

……つまりはまあ。

 

彼女は好き勝手やった。

 

本当に、好き勝手に。

 



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被害者35:静寂

 

「…………それで、なにかしら?この状況は」

 

「何と言われてもな、正当な取引だ」

 

「取引……?」

 

「故意に家を破壊した、ならば修繕するまで自分の家を開け渡すのは道理だろう」

 

「……まあ、そうなのかしら?」

 

 そうなのだろうか?そうなのかもしれない。

 目の前で他所の団員の女性(カサンドラ・イリオンとダフネ・ラウロス)を侍らせて我が物顔で茶を啜る彼女を見て、ヘファイストスは顔を引き攣らせる。最早この場の全てを団員も含めて自分の物のように扱っている彼女であるが、しかし背後の2人は特に彼女に怒っている訳でもなさそうなので、なんとなくアポロンの人望ならぬ神望の無さが分かるというもの。

 

「それで?何処まで干渉する気?」

 

「別に、これ以上なにかをするつもりもない」

 

「!……本気で言ってるの?」

 

「戦争遊戯だろうと何だろうと、好きにすれば良い。だがその間、こいつ等には慰謝料と教会の建て直しを強制させる。それと私に対する奉仕もな」

 

「そ、そう……だから他の団員が何処にも居ないのね……」

 

「まあこのまま取り潰してしまっても構わなかったが、利用した方が利益は大きい。……お前達もこのようなファミリアは抜けたらどうだ?お前達には才能がある」

 

「え、えっと……」

 

「あ〜……ちょっと考えさせて下さい……」

 

「ふむ、決断は早めにしておけ。人生に無駄に出来る時間など何処にもない、後悔など本来はしている暇すら無いことなのだからな」

 

「……」

 

 暴君の癖にこういうところでまともなことを言うのが、本当に変に人望がある原因と言うか。まあこのファミリアにはアポロンによって強引に団員となってしまった者も多いので、その辺りは仕方ないと言えるかもしれない。

 しかしアポロンも、今回の件については可哀相と言えないこともない。彼は本当にラフォリアの件について何も知らなかったのだから。もし知っていたとしたら、あの廃教会を破壊したりはしなかっただろう。

 君子危うきに近寄らず……という言葉も、そもそも危険な場所について知っていなければ成り立たない話だ。いやアポロンは君子と言えるか微妙なところではあるが。一先ず彼はその危うきを調べなかった、それこそが今回の敗因である。まあそれは他の神々にも言えることなので、単に地雷を踏んでしまっただけと言った方が話は簡単かもしれない。

 

「……ところで、ここの門に縛り付けられてたアポロンのことなんだけど」

 

「ああ、しっかり殴って来たか?」

 

「する訳ないでしょ……」

 

「帰りはしっかり殴っておけよ、ここの団員全員に強制させていることだ。示しがつかん」

 

「えぇ……貴方達もやってるの?」

 

「えっと、まあ……強制なので……」

 

「うぅ……」

 

「強制だからな」

 

 そう、そして肝心のアポロンに対する罰というのが……ファミリアの門の前に半裸で吊るされ、拠点を出入りする者は絶対にその顔面を殴らなければならないという規則である。これは少なくともラフォリアがアポロン・ファミリアの団員には完全に強制させている罰則である。

 もちろん、嬉しそうに毎日何度も殴っている団員も居るし、毎度毎度飽きることなく号泣しながら殴っている団員も居る。それと拠点の中にあったアポロンの銅像も、全て団員達に破壊させて金属屑として売りに出した。この時も一部の団員達は泣いていた。ラフォリアは引いていた。

 

 ……とは言え、それでもこれくらいで済んでいるだけマシだろう。彼等が破壊したのは本当に彼女にとって残された全てと言ってもいいのだから。だから正直、へファイストスも心配してここに来たのだ。彼女が落ち込んでいないかと、そんな風に。

 

 

「……変な心配をする必要はない」

 

 

「!」

 

「いずれは何もかもが塵と消える。私達のファミリアもそうだ。……当然の話だ」

 

「……」

 

「私が消えれば、遂に何も無くなるのだろう。肝心の女神も今は何処でなにをしているのやら。仮にあの女が他に眷属を作っていたとしても、私の知っているヘラのファミリアはここで潰える」

 

 そう言いながら少し寂しげな目をしながら茶を啜る彼女を、背後の2人も気まずそうに見ていた。

 

「あとは……あの女の妹の子くらいか。ふっ、まあアレの子だからな。今頃は辺鄙な田舎で呑気に笑って生きているだろう。ならばそれはそれで良い」

 

「……そんな子も居たかしら」

 

「ああ、私は見たこともないがな。……皮肉なものだ。天下のヘラ・ファミリアが最後に残したものが、馬鹿と病弱の間に生まれた小さな子供だとは」

 

 もしかしたら彼女は、その子に会ってみたかったのかもしれない。もう何処にいるのかも分からないその少年に、自分と同じ唯一のヘラの眷属の生き残りに。どんな風に生きているのか、どんな風に育っているのか。一度だけでも、見て、知っておきたかったのかもしれない。

 

「……それなら、貴女が残せばいいじゃない」

 

「……?なんだ、フレイヤのように私に子でも産めと言うのか?」

 

「違うわよ、貴女が自分の願いを次の世代に託せばいいじゃないってことよ。それこそ、あの2人のように」

 

「……」

 

「むしろ貴女はもう、託し始めてるんでしょう?それならヘラ・ファミリアはここで終わる訳ではないんじゃない?」

 

「……まあな」

 

 少し咳き込みながらそう笑う彼女は、きっと託せそうな人間が見つかったからこそ、笑みを浮かべることが出来たのだろう。それは素直に喜ばしいことだ。彼女がそうして、オラリオに激怒しないのであれば。彼女は怒っても仕方のない人間であるのだし。

 

 ……まあ、それでもヘファイストスがここに来た本当の理由は、そんな彼女にまだまだ頼らなければならないという案件のためであるのだから。本当に、頭を下げないといけないのだが。

 

 

「話せ、女神ヘファイストス」

 

 

「……!」

 

「何を遠慮する必要がある。私の力が必要なのだろう、迷っているだけ時間の無駄だ」

 

「……そうね、貴女の言うとおりだわ」

 

 そうだ、どれだけ戸惑ったところでこれ以外に方法などない。いずれ話さなければならないのだから、彼女の言う通り、迷っていたって仕方がない。

 

「これを」

 

「……ふむ」

 

 それはアフロディーテからの要請。

 そしてアルテミスからの要請。

 そしてもう、今直ぐにでも動かなければならないような。両者ともに、そんな話。

 

「……なるほどな」

 

「アンタレスの方は、ロキ・ファミリアを中心にこちらで対処するつもり。……ただ」

 

「余計な気遣いは良い、結論を話せ」

 

「……猛者と剣姫、それと戦場の聖女。必要なら千の妖精。それがこちらから出せる限界よ。というより、他に有力そうな冒険者が見つからなかった」

 

「そうか……十分とは言い難いが、まあ無いよりはマシだな」

 

「……本当にいいの?もしアレが本当に復活したとしたら」

 

「だとしても、やれることをやるしかあるまい」

 

「……」

 

「これで全滅するようなら、オラリオはようやく自分達の怠慢を自覚すると言うだけの話だ。今更焦ったところで何になる、そんなことをしている暇があるのなら武器でも打て」

 

「……そうね。貴女、やっぱり人を率いる素質あると思うわよ」

 

「はっ、1人でダンジョンに潜り続けていた私に何の皮肉だ?」

 

「貴女自身で新しいファミリアを作ればいいじゃない」

 

「……良い神と時間があったのなら、少しは考えてやっても良かったのだがな」

 

 そうして彼女は立ち上がる。

 場違いな会話に巻き込まれて困っている様子の背後の2人を、優しく手で制して。これ以上にヘファイストスと話す事など何も無いと、そう言うかのように。

 

「さて……お前達、暫く留守を頼む」

 

「え?あ、はい」

 

「とは言え、いつ帰って来るかは分からんがな。だからまあ、後は好きにしろ。教会さえ直せば何も言わん」

 

「で、でも……」

 

「仮にこのファミリアから抜けたい人間が居るのなら、私の名前を出して構わん。好きにやれ。この金もやる、お前達で好きに使うといい」

 

「うっ、うぇ!?な、なんでこんな大金を私たちに……!?」

 

「金があれば世界は救えるのか?」

 

「「っ……」」

 

「まあ、今日の生活に精一杯なお前達に言っても仕方のない話ではあるのだがな。単なる気まぐれだ。だが教会だけは直せ、それを違えれば次こそ容赦はしない」

 

「……約束します」

 

「そうか、ではな」

 

 そう言って彼女は自分の荷物を持つと、何の未練も無さそうに館を出て行く。どうせ彼女のことだ、このまま猛者の元へと行くのだろう。そうして人数を集めたら、迷うことなくさっさと戦場へと赴くのだ。

 

 ……窓越しに、最後にアポロンのケツを蹴り付けて出て行く彼女の姿が見える。本当に惜しいと、ヘファイストスは思う。彼女であれば、彼女が健康であれば、より大きなファミリアを育み率いることが出来ていたであろうに。そういう才能も彼女にはあった。そういうことが出来るだけの器はあった。健康がそれを許してくれなかったというだけで。

 

「寿命が縮まる、それだけで済む話なのかしら……」

 

 既に方針は決まっている。今回の件はアポロン・ファミリアによる戦争遊戯によって表の民衆達の目を引き、この2件の対処についてはその裏で最小人数で、誰にも気付かれないうちに速やかに行うと。それは単純に闇派閥対策の手でもあった。

 既にフレイヤ・ファミリアは街の警備の任に就いており、ロキ・ファミリアはアンタレス討伐に必要な戦力以外は街の周囲に分布し警備を行っている。

 特にアフロディーテ・ファミリアからは小規模の黒嵐の発生が報告されており、それ等は次第にオラリオに向かっているとされている。主要なファミリアの第二級冒険者以上は全て、その撃退に回されることになるだろう。民に余計な不安を抱かせないためにも、今回の戦争遊戯は都合が良かったのだ。そしてラフォリアという戦力がこの街に戻って来ていたことも、また。

 

「……また、繰り返すのね」

 

 既に容姿に彼女の面影は残っていない、次に帰ってきた時に彼女は本当に彼女のままで居られるのか。そうでなくとも、彼女は以前の静寂と同じ行動をしてしまわないか。溜めに溜め込んだ経験値を、より効率的に後に残すために、なんなら静寂の時より直接的なことをして来ないか。

 ヘファイストスとしても、もううんざりなのだ。世界の為に戦い続けた英雄達が、世界の為に自分の最期を汚す姿など。もうそんなものは見たくない。だからどうか何事もなく帰ってきてほしいと思う。何事もなく、笑顔で、帰りを迎えさせて欲しい。

 

 

 

 

 

「……来たか、ラフォリア」

 

 その男は、待っていたようにそこに立っていた。

 ……というよりは、本当に待っていたのだろう。それこそこの話を聞いたその瞬間から、自分の準備を終えてから、今の今までずっと。……どうやら自分から迎えに行くという考えまでは無かったらしい。そういうところがボンクラと言われる理由なのかもしれないが、まあラフォリアとしてはどうでもいい。

 

「珍しくお前を待たせたか。……ほう?馬子にも衣装、と言ってやりたいところではあるが、今のお前は中身も十分に備わっていたな。ここは素直に似合っている、と言ってやろう」

 

「……お前の分もある」

 

「は?」

 

「これだ」

 

「…………………」

 

 手渡されるのは豪奢な箱の中に綺麗に折り畳まれた一着の衣服。彼にしては珍しく白と赤を基調とした如何にもな防具を着込んでいるかと思えば、こうして手渡して来たのは薄い紫の煌びやかなドレスである。

 ……なんとなく、以前にパーティに誘われた時のことを思い出す。今はクリーニングに出しているそれであるが、今回もまたこいつが選んだのであろうか。確かに色付きのものを持って来いとは言ったが、だからと言ってこれは流石に20を超えた女が着るには、あまりにも可愛らし過ぎるというか。

 

「耐毒装備だ」

 

「……!」

 

「特にこの腕輪とケープは……以前に使われた物、と言えばお前には伝わるだろう」

 

「……はっ、こんな骨董品を何処の誰が隠し持っていたのやら。そんな物を懇切丁寧に仕立て上げて来たという訳か、ならばもう少し年相応の形にして欲しかったのだがな」

 

 ……どうやら、まだあのファミリアの遺産は残っていたらしい。自分に残された物ではないのだろうが、回り回って今自分の手元にこうしてあると思うと妙に感慨深くもなる。

 確かにアレと戦うのであれば、耐毒装備は必須だ。そのための"戦場の聖女"だと思っていたが、他に手段があるに越したことはない。……そのためにこんな悪意でも詰まっているのではないかと思うくらいにフリルいっぱいの可愛げしかない物を着させられるのは、本当に忌々しくはあるが。アレを討伐するためには、自尊心を捨てるのは当然。滅茶苦茶に恥ずかしいが、我慢するしかない。

 

「安心しろ、そこまで酷くはないはずだ」

 

「なんだお前ほんとぶっ殺すぞ。……というか、あの女に殺されるぞ。この容姿だ、間接的にあの女を辱めているようなものだからな」

 

「……忘れてくれ」

 

「知らん、天にでも叫んでろ」

 

「忘れてくれ!!」

 

「本当に叫ぶ奴があるかバカが」

 

 一緒に居る時には何故か妙に変なことをし始めるオッタルの頭を殴り付けて、周りから変な目で見られた事にラフォリアは大きく溜息を吐く。そうでなくとも目立つというのに。最近のオッタルは特に変になっているような気がして、流石にそろそろ前の時に頭を蹴ったり殴ったりし過ぎたかと反省しているくらいだ。

 

 (……それにしても、このケープは似合わんだろう)

 

 少し話を戻すが、ラフォリアの今の容姿は殆ど完全にアルフィアのもの。よくよく考えてみたら、どれだけ恥ずかしい格好をしたところでアルフィアが恥をかくだけなので問題ないのかもしれないとラフォリアは思い至った。

 彼女は天の果てか地の底で怒り狂っているのかもしれないが、ラフォリアにとってはどうでもいい。文句があるのなら直接ここに来て殴ってみろ、と言いたいくらい。なんなら、もう少し恥をかかせてやってもいいかもしれないとすら思う。

 

 

「さて、着いて来いオッタル。このままロキ・ファミリアに向かう。まさか何の用意もしていないとは思わないが、時間は有限だ。その場合はケツを叩いてやらねばなるまい」

 

「ああ」

 

 

 そうして2人は肩を並べて歩き始めた。

 オラリオの戦力トップ2、それがこんな真っ昼間から妙にめかしこんで。痴話喧嘩染みた会話をしながら。

 

 

 

 巷ではこんな噂が出始めている。

 

 猛者と撃災は付き合っているのではないかと。

 

 いやいや、そんなまさか。

 だってあの女神フレイヤ一筋の、フレイヤ・ファミリアの中でもトップに立つ眷属である。他の女に現を抜かすはずもなく、そんなところは想像する事も出来ない。

 

 けれど、それでも。

 

 どうやらアポロン・ファミリアが主催したファミリアで彼は女神フレイヤを放って、彼女と踊っていたらしい。しかもそのドレスは彼が相当に必死になって自分で選んで来たという話もある。

 

 そんな妙な意見の対立も生まれ始めていて、知らぬは本人達ばかり。少しずつ、少しずつ、誰が何をするでもなく勝手に話は広まっていくものである。だってそんな面白い話、誰だって神だって大好きに決まっているのだから。

 

 ……もちろん、そんな下界の姿を楽しんでいる神の中に、女神フレイヤ本人が居たのも間違いないのだが。



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被害者36:-

 結局その後、今回の作戦に参加する5人の眷属達は一度ロキ・ファミリアの作戦室に集まっていた。それはそれこそ、自分達だけでなくフィンも含めた作戦会議をするために。時間も情報も無いからこそ、彼の勘にも頼る必要があったから。

 

「……以上がこちらから出せる情報だ。と言っても、それほど多くはないけれど」

 

「十分だろう」

 

「黒い竜巻……しかも第二級冒険者でも簡単には崩せない耐久力って……」

 

「……分裂か?」

 

「生命力の権化のような存在だ、それくらいはするだろうな。……道中の雑魚共は極力無視する、構わないな?」

 

「ああ、君達は大元を倒すことだけに集中して欲しい。倒せなくとも足止め……最悪、ある程度の情報を持っての撤退まで視野に入れて」

 

 とは言え、正直に言ってしまえばフィン達による援軍というのは難しい。なぜならアンタレスが出現した地点とベヒーモスが出現した地点では、かなりの距離があるからだ。もちろんヘルメスが用意した特殊な飛行手段も無いことは無いが、それで望めるのは僅かな人数の移動のみ。むしろアンタレスの方に援軍が必要になる可能性も、無いこともない。

 実質的には、討伐か引き延ばしの末の撤退か。そのどちらかだと考えた方が良い。本当に現実的な話をするのなら。

 

「元より撤退するつもりなどない」

 

「オッタルさん……」

 

「奴は俺が倒す」

 

 しかし今回、この相手に対して、オッタルもまた並々ならぬ拘りがある。その気持ちはフィンもラフォリアも十分に理解しているつもりだ。それこそフィンだって、本当ならそっちに着いて行きたいと思っているくらいに。けれど……

 

「馬鹿を言うな脳筋」

 

「っ」

 

 彼と同じように尋常ならざる拘りがあったとしても、その女だけはいつもと変わりはしなかった。いつもと変わらず、オッタルのケツを引っ叩いた。

 

「必要なら撤退する、拒否は認めん」

 

「ラフォリア……!」

 

「五月蝿い、貴様の命はどうでもいい、死にたいのならば勝手に突っ込んで死ね。……だが、この小娘共だけは別だ」

 

「「「っ」」」

 

「こいつ等には将来がある、希望がある。この困難を乗り越えた先に、更なる成長がある。世界の希望に成り得る可能性がある」

 

 ……今回の件で何よりオラリオにとって都合が良いのは、ここにラフォリアが居ることだろう。それは決して単純な戦力的な意味だけではない。

 本来ならば独善的な行動をしていたであろう猛者も、彼女のその言葉には逆らう事が出来ず、身を引かざるを得ないからだ。それがこの2人の関係性、オッタルはラフォリアが自分より正しい選択をする人間であると理解している。逆に言えば、この2人だからこそオッタルの力は十分に有効利用されると考えても良い。それを知っているからこそ、オッタルも口を閉じる。

 

「いいか、この場に居る全員が徹底しろ。命の順位付けで1番下が私、その次がオッタルだ」

 

「ラフォリアさん……」

 

「次にレフィーヤ、次にアイズ、最後にアミッド。この順位付けを決して忘れるな。順位が上の者は守られろ、下の者は守れ。これを逆にすることは絶対にならん。……そして私とオッタルは、何があろうとも次世代の希望たるお前達を生かして帰す。これは前提だ」

 

「あ、あの……どうして私はレフィーヤより上なんですか……?」

 

「お前が死んだら誰が敵から逃げられる?」

 

「……!」

 

「お前の高速移動の手段が無ければ、そもそも撤退そのものが出来ん。回復役はそれ以上に重要だがな。……だからと言って魔導士であるその愚図を1人にさせるのも違う。臨機応変に最低限は守ってやれ」

 

「分かりました……」

 

 命の価値は平等、などとラフォリアは口が裂けても言うことはない。命の価値は不平等だ、世界が不平等なのだから当然だ。

 あらゆる怪我や病を癒やすことのできるアミッドと、生い先の短いラフォリア。ここには明確に命の価値に差がある。それは受け入れ難いことではあるかもしれないが、戦場においては受け入れておかなければならないことでもある。何より生き延びたいのなら。

 

「オッタル、お前はもう少し恐れろ」

 

「なに……?」

 

「死を恐れない。聞こえは良いが、そもそも恐怖とは克服するためのものではない。生き残るためのものだ。それを完全に排除してしまえば、お前は本当に獣以下にまで堕ちるぞ」

 

「………」

 

「……そこらのモンスター相手ならばそれでいいだろうが、あの龍を相手にしても、お前は同じように死を恐れず正面から挑むつもりか?」

 

「それ、は……」

 

「今のうちから慣れておけ。頭の良い人間に全てを任せず、お前自身でも最善を考えろ。……いつまでも私がこうして説教出来る訳でもない、お前の側に常に代わりに頭を回してくれる人間が居る訳でもない。言われるがままではなく、少しは私からも学べ」

 

「………すまない」

 

「分かれば良い」

 

 

 

 

 ((オッタルが尻に敷かれている……))

 

 

 この男の頑固さを良く知っているフィン達だからこそ、改めてその態度と関係性には驚いてしまう。この女は確かに暴君ではあるが、割と理詰めで説教をして来るタイプでもある。恐らくこうして昔から実力でもボコボコにされた上に、言葉でもズタボロにされて来たのだろう。悲しいかな、しっかり染み付いてしまった上下関係。

 

「とは言え、まあ基本的にやるしかないだろう。アンタレスだったか?大精霊によって封印された伝説の魔獣、お前達にもそれほど余裕はあるまい」

 

「ああ、基本的にこちらに関しては一切の情報がない。"万能者"の力も借りながら情報を集め、時間を掛けて攻略していくつもりだ。何より確実を取りたい」

 

「ならばこちらの事は気にするな。最悪、私とオッタルが捨て身をすれば時間は稼げる。それで倒せれば万々歳か」

 

「それは……」

 

「それほどの相手だと思え。こちらも敵の力量が不明とは言え、いくら弱体化を見据えたとしても戦力が少な過ぎる。対面して無理だと判断すれば、即座に撤退戦に切り替えて足止めをしながらオラリオへ引きつける。犠牲よりも確実に倒すことを優先しろ。生存者は多いほど良いが、倒さなければ何も解決しないのだからな」

 

 これほどの事が同時に起きた、明らかに普通ではない。遠く離れたこのオラリオでさえ、今後何かしらの予兆はあるかもしれない。何故ならここにはダンジョンがあるから。守りを弱めてしまえば、本拠地が陥落という身も蓋もない様になる。

 使える戦力で、やれるだけのことをやるしかない。フィンにだって余裕はない。アンタレスという魔獣は、つまりは大精霊でさえも封印せざるを得なかった怪物なのだから。三大クエストの怪物達ほどでは無くとも、今のロキ・ファミリアで果たして対処出来るものなのか。彼でさえ不安なのだから、頼り切るのも違う。

 

「フィン、オラリオの指揮は誰だ?」

 

「フレイヤ・ファミリアのヘディン……エルフの男性を覚えているかい?」

 

「ああ、あいつか。ならば問題あるまい」

 

「何か伝えておくことがあるなら、伝えておくよ」

 

「………フィン、これはお前に対しても言っておくべき事だが。一先ず今回の件については、各々の指揮官は自分達の役割を果たす事だけを考えろ。他の箇所について思考を割くのは、自分達の仕事を終えてからでいい」

 

「……それは僕も同感かな、恐らく何処もそんな余裕はない。最悪の場合、全ての箇所で敗北する可能性もある。これだけの戦力を動かしておいて、闇派閥が察知しない筈が無いからね」

 

「やれやれ、発生箇所が離れていなければ順に潰せたものを」

 

「そこに悪意を感じるよ。ダンジョンで時折感じるような、それに近いものを」

 

 どちらにしても、やるべきことをやるしかない。どちらもオラリオへ向けて進行を開始している、放っておいて良い相手ではない。

 増え続ける黒嵐と蠍型のモンスター、広がり続ける被害。手が付けられなくなる前に、致命的な被害が出てしまう前に、多少欲張りになってでも守らなければならない。そうでなければ黒龍と対峙する未来が更に遠くなってしまうから。これ以上に先を伸ばすことなど、決して許されることではないから。

 

 

 

 

 

 

「でも、正直ラフォリアさんが居てくれて良かったって思っています」

 

「……?」

 

 ギルドが用意した馬車に揺られながら、ラフォリアはレフィーヤのそんな言葉に眉を顰める。

 馬車の上に乗って周囲を見渡しているアイズ、何故か1人だけ外を走らされているオッタル。定期的に襲い掛かって来る小さな黒嵐は彼等2人によって瞬く間に処理され、その殺り残しをラフォリアは片手間に魔法で処理していた。この速度で進軍出来るのも、一重にこれだけの人数しか居ないからこそ。

 

「だって、ラフォリアさんが居なかったら戦力も指揮官も足りなかった訳じゃないですか。……私も、ラフォリアさんなら信じて付いていけますし」

 

「……そうか」

 

 こほっこほっ、と小さく咳を溢せば、隣に座っていたアミッドが治療魔法をかけてくれる。これをしてくれるだけで、ラフォリアとしては素直にありがたい。

 ラフォリアだって、これほどの敵に挑むに当たって、自分が何事もなく無事に帰って来れるとは思っていない。最低でも病状が悪化し、2度と戦えなくなることまでは覚悟している。恐らくアミッドもまた、それを理解しているだろう。それでもこうして何も言わずに治療してくれるのだから、そこは素直に感謝だってしていた。

 

「1つ、話をしてやろう」

 

「話ですか……?」

 

「……私には昔、母親を自称する女が居た」

 

「………」

 

 レフィーヤは静かに彼女の話を聞く。アミッドもまた、何も言うことなく。ただ隣でじっと彼女の顔を見つめながら。

 

「私が強くなろうと思ったのは、その女に負けたくなかったからだ。……あの時代、あのオラリオで、力とは即ち全てだった。強き冒険者こそが他者を見下ろす権利を持つ。私はあの女を負かしたかった。何をしようにも力の差を見せ付けられたからこそ、勝つことに執心した」

 

 そのために無茶をした。普通の人間ならしないようなこともいくらだってした。なぜなら自分には、あの女ほどではなくとも確かな才能があったから。そしてあの女とは違い健康だったから。その健康と才能に任せて、滅茶苦茶をやった。それこそあの女を超えるほどの速さでレベルアップを繰り返すほどに。

 

「だが、今になって思う。……あの女に勝ったところで、私は……何をしたかったのだろう、と」

 

「………」

 

「気に食わなかった、間違いない。子供扱いされたくなかった、当然だ。……だが、その果てに。もしかすれば私はあの女と、対等になりたかったのではないかと。最近になって思い始めた」

 

「対、等……」

 

「つまりは、肩を並べたかった。あの女と同じ場所に立ち、同じ物を見たかった。守られてばかりではなく、頼られたかった。……認められたかった」

 

「っ」

 

 レフィーヤは彼女のその言葉に、息が止まりそうになる。だってそれは正しく自分がアイズに対して抱いている感情であり、この人もまた自分と同じだったということなのだから。だからその思いが痛いほどによく分かる。むしろ自分はマシな方だ。彼女の場合はもっと、彼女自身の性格も相まって、拗れてしまっていたから。

 

「私は幼い頃から賢かった、天才だからな。……だが、だからこそ見たくないものまで目に入った。例えばあの女が意図的に自分にファミリア内の情報を流さないようにしていたことも、分かっていた」

 

「………」

 

「分かっている、それはあの女の優しさだ。だが当時の私にとってそれは馬鹿にされているように感じられた。天才ではあっても、ガキだったからな」

 

「……同じ立場なら、私も悔しいって思うと思います」

 

「ああ。だからまた無茶をして、あの女に叱られた。そして不貞腐れてまた無茶をして、叱られる。そんなことを繰り返していた」

 

「反抗期、でしょうか」

 

「だろうな、今思えばそれでしかない。……私とて、昔はそんなクソガキだった。いや、それは今もか。私は結局のところ、未だにあの女に認めて貰えなかったことを引き摺り続けている」

 

「………」

 

「私はな、結局その程度の人間だ。お前達が思うほどに立派ではなく、大人でもない。……だが同時に、そんな私でもお前達を率いる程度のことは出来る」

 

「……っ!」

 

 ラフォリアは目の前のレフィーヤの額を指で跳ねる。彼女があまりにもジッと目を見つめて来るから、煩わしかったのだ。こんな昔話をしている顔を、そう見詰められたくはない。今でさえ、自分らしくない行動を取っていると自覚しているのに。

 

「何れ、お前も私と同じ立場になる」

 

「……!」

 

「お前に足りないのは精神的な成長だ、それさえ成せば瞬く間に才能を開花させるだろう。そうしてお前は今の私のように、人を率いる立場に立つことになる」

 

「そんな……私なんて……」

 

「だからこそ、私はお前達を死なせる気はない」

 

「ラフォリアさん……」

 

「確かにゼウスとヘラのファミリアが存在した頃を、オラリオは最盛期と呼んでいる。だが16や17の歳でLv.4以上にまで辿り着けるような者達がこれほど揃い完全に育っている世代は、過去にはなかった。……私から言わせれば、真の最盛期はお前達が成熟した頃だろう」

 

 当然、アルフィアやラフォリアほど頭のおかしい速度でレベルアップを繰り返す者は早々いない。しかしラフォリアはこの街に来て、多くの若い冒険者達と出会い、実際にその様を見たことによって、確信することが出来た。

 

 ……ああ、未来に希望はあるのだと。

 

 ならば先の短い自分のすべき事は、試練を与えるのでもなく、ケツを蹴り上げることでもなく、もしかすれば……その若い芽達を、守ることなのではないかと。最近になって漸く、そう思えるようになった。

 

 

「信じて付いて来い」

 

 

「っ」

 

 

「見て、学び、糧としろ。何一つとして無駄にはするな。……いつかお前が私に追い付いた時、その背を見る者達に同じ言葉を言えるように。成長しろ」

 

「……はい!」

 

 憧れる。

 レフィーヤは憧れてしまった。

 自分も言ってみたいと、言えるようになりたいと、そう思わされてしまった。だってそれくらいにはカッコよかったから。『信じて着いて来い』なんて言葉を、自分も言えるようになってみたくなったから。

 本当にそんな日が自分に訪れるのかは分からないけれど、それでも。そんな日がいつか来てしまった時に、その言葉を言えるような人間にはなっていたいと、そう思えた。

 

 

「アミッド、お前もだ」

 

「私も、ですか……?」

 

「治療だけで救える人間など、たかが知れている。それは誰よりもお前が1番に理解している筈だ」

 

「っ」

 

「別に戦えとは言わないが、もう1つくらいレベルは上げておけ。それだけで広げられる手の大きさも変わる。……Lv.2やLv.3でも最前線で活躍出来る才能など、私から見ても馬鹿げているものだ。いつまでも過保護にされておらず、こいつらの遠征にでも着いて行ってみろ」

 

「……ディアンケヒト様に相談してみます」

 

「ああ、やってみろ。どうせロキ・ファミリアが壊滅すれば崩壊する世界だ、一蓮托生するくらいが丁度良い」

 

 そうしてラフォリアは馬車の外で黒嵐を一撃で吹き飛ばした、『Lv.8』に昇華した馴染に目を向ける。せめて肝心の彼が、自分の1/10程度でも周りが見れるようになればいいのだが。……まあ、それはそれで彼の強みが減ることにもなるか。

 

 空は忌々しいほどに晴れている。

 

 これから向かう先は、地獄のように曇っているが。

 

 ラフォリアは溜息を吐きながらそれに目を向けた。

 

 

 

 一度諦めることが出来れば、色々な見え方も変わるものだ。自分の未来を諦めれば、見えなかった物も見えるようになった。あの女は常に死を自覚していたから、きっと常にこの景色も見えていたのだと確信する。

 ……たとえどんな手段を使ってでも、アレを倒す。そして未来を築き上げる希望の象徴たる彼等を守り抜く。それこそが自分がこうして才を持って生まれてきた理由であり、果たすべき役割なのだと思ったら。

 

 なんだかむしろ、晴れやかな気持ちにさえなっていた。



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被害者37:美の女神

「オーッホッホッホ!!美の化身アフロディーテ!この私が率いるエモエモのエモたる美の群勢は今正に!この世界の真なる守り手として絶賛大大大大・大活躍中よぉ〜!オーッホッホッホ!!見てるフレイヤ〜!見てるイシュタル〜!!」

 

「喧しい」

 

「痛っっったぁっっ!?!?!?」

 

 頭に拳骨を振り下ろされ、その衝撃にゴロゴロと地面を転がり回る美の化身。こんなものがあの女神フレイヤと同じ美の女神なのであるから、世の中というのはよく分からない。

 そんな彼女の様子を見てラフォリア以外の眷属達は顔を歪めるしかないし、アフロディーテ・ファミリアの眷属達も慌てては居ても、ラフォリアのその暴挙に直接注意をすることはなかった。

 

「なっ、何するのよ!せっかくの久しぶりの対面じゃない!もっとこう『アフロディーテ様今日もさすが素敵美しい!』くらい言えない訳!?」

 

「言えない」

 

「言いなさいよ!一言でいいから!ほら!さんっはい!」

 

「言わない」

 

「言いなさいよ!む、むぐぐぐ……」

 

 

「あの、ラフォリアさん?この方は……」

 

「女神アフロディーテ、司る権能は『下品』だ」

 

「違うわよ!『美』よ!『品』と言ってもいいわ!もっと敬いなさい!もっと跪きなさい!もっと愛しなさい!この無敵でキャワいいアフロディーテ様を!」

 

「おい、喜べオッタル。神の分類的には、こいつはフレイヤと同類になるらしい」

 

「………何の冗談だ」

 

「冗談!?冗談って言った!?これでもちゃんと魅了だって使えるんだから!!ほ〜ら、バチコーン☆」

 

「バチコーン」

 

「ごふぁっ!?!?」

 

「「「ア、アフロディーテさまぁぁぁああ!!」」」

 

 アフロディーテが話の流れで魅了を撒き散らそうとした瞬間に、ラフォリアはその頬を何の容赦もなく引っ叩く。こんなんでも本物の美の女神、そこらの眷属ではその魅了に抗えない。この面倒な状況で、より面倒なことを引き起こされては堪らないのだ。地面を転がって行ったアフロディーテを引き摺りながら、ラフォリアは強引に話を進めることにする。

 

「ふむ……なるほど。戦闘が得意ではない割に、どうやら相当に頑張っていたらしいな」

 

「「「!」」」

 

「あ、当たり前じゃない!私の自慢の眷属達なんだから!……それに、どんだけアンタに叩き潰されたと思ってんのよ。これくらい当然よ」

 

 

「な、何したんですかラフォリアさん……?」

 

「暇潰しに貧弱な男共を殴り飛ばしていただけだ」

 

「私の許しも無しによ!?酷くない!?せっかく行く当てが無くて困ってた所を拾ってあげたのに!!」

 

「馬鹿なことを言うな。お前が私を拾ったのではない、私がお前を拾ったんだ」

 

「そうだったの!?今になって判明したまさかの真実!?」

 

 あまりに酷いことを言っているし、あまりに酷いことをしていたようではあるが。実際のところ、こうしているラフォリアの顔はそれほど嫌がっている訳ではなかったりする。むしろ彼女をよく知るオッタルの目からすれば、割りかし彼女は他の神々と比べて、アフロディーテのことをそれほど警戒していないというか、嫌ってはいない。神嫌いの彼女からすれば、むしろ好んでいるくらいではないだろうか。……こんなアホ女神をどうしてそこまで気に入っているのかは分からないが、ここまで会話に付き合っているのがその何よりの証拠だろう。

 

「それで?状況は?」

 

「ん〜?……まあ、それほど悪くはないんじゃない?周囲の集落の子供達はみんなここのエルフの森に集めてるし、襲撃してくる奴等はうちの子達でもなんとか対処は出来てるし」

 

「とは言え、それは今のところの話だろう。今後の方針はどうなっている」

 

「アンタ達が来たんだから、もう逃げ一択ね。むしろよく保った方でしょ」

 

「そうだな、十分だ。私達が乗って来た馬車も使え、目的地はオラリオで良いだろう。途中でロキ・ファミリアと合流しろ、奴等も防衛線を張っている」

 

「そう?ならそうさせて貰うわ。……ああ、ちなみに敵の本体はあそこよ。見たら分かると思うけど」

 

 遥か遠く、しかしそれでも明らかに大きさのおかしい黒い竜巻。まあ見るからにというか、確実にアレだろうなと分かる物がある。同時に、それ以上の情報というのも特段ないのだろう。そもそもあんな物、近付くことさえ出来ないだろうから。

 

「あ〜あ、もうほんとなんでこんなことに巻き込まれたんだか。こちとら黒の砂漠とやらをちょっと見に来ただけなのに、如何にも怪しい奴等に襲われたと思ったらこれだもの。これ報酬出るわよね?十分に褒められてもいいわよね?」

 

「金ならいくらでもやる、栄誉が欲しいならギルドの豚でも脅せ。それ以外は知らん」

 

「あんたからも褒めなさいよ!この優しく聡明なアフロディーテ様を!察しなさいよ!」

 

「お前の眷属は褒めただろう」

 

「私を!私を褒めるの!!私だって頑張ったんだから!!」

 

「そうか、よくやったな、5ヴァリスやろう。これで菓子でも買って来い」

 

「5ヴァリス!?私の努力の価値5ヴァリス!?こんなんじゃ本当にお菓子しか買えないじゃない!?」

 

「頭も撫でてやる、これで我慢しろ」

 

「アンタ私のこと子供かなんかだと思ってんでしょ!?アンタの方が私達(神)にとっては子供なんだからね!!」

 

「喧しいぞ、このメスガキ」

 

「メスガキ!?今メスガキって言った!?ほんとそろそろいい加減にしないと引っ叩くかんね!?」

 

 

 

 

「……なんか、仲良さそうですね」

 

「うん、変な女神様だけど……いい神様、なのかな?」

 

「………」

 

 アフロディーテ・ファミリアの団員達の治療を続けながら、それでも状況の悪さをそれとなく感じ取る。アフロディーテ・ファミリアの眷属達も、割と限界は近い。そもそも、あの黒嵐は中級冒険者でさえ苦戦するのだから。数の暴力、技術の乱用、そうして漸く抑え込んでいたが限度がある。どちらにしても彼等は早急に撤退した方が良いに違いない。

 

「……それで、本当に倒せるんでしょうね?あんなの」

 

「倒せるかどうかではなく、倒すしかあるまい。刺し違えてでもな」

 

「……そういう意味じゃないわよ。アンタ、その身体で本当に戦えるの?って言ってるの」

 

「………」

 

 アフロディーテの声が1つ下がる。

 会話の雰囲気が変わり、彼女の雰囲気も少し変わり、目を細めながらラフォリアの目元に巻かれた黒い布に手を当てる。それに対してラフォリアも特に何かをすることもない。されるがままに布を取られ、閉じていた両の瞳を彼女へと向けた。

 

 

「……馬鹿ね、だからやめときなさいって言ったでしょ」

 

「……生憎、それほど器用に生きられるほど生易しい人生を歩んではいない」

 

「私のところに居れば良かったじゃない」

 

「無理だ。……それほど嫌ではなかったがな」

 

「ほんと、頑固よね。それとも、そんなに英雄になりたかったのかしら?」

 

「それも無理だろう、私は天才だからな。英雄はもう少し泥臭い方がいい」

 

「……それもそうね」

 

 

 

「「「っ」」」

 

 あのアフロディーテが、あのどう考えてもポンコツにしか見えなかった女神アフロディーテが、ラフォリアを抱き寄せる。至極真面目な女神の顔をして。彼女の眷属達すらそれほど見ることのない、女神らしい雰囲気を放って。

 

「ちゃんと帰って来なさい」

 

「……あまり真面目になるな、反応に困る」

 

「ちゃんと"アンタ"のまま帰ってくること、これ絶対だから」

 

「……善処はする」

 

「か、帰って来なかったら何するか分かんないわよ!アンタの武勇伝まとめて歌劇の都で売り飛ばしてやるんだから!!」

 

「……それは本当にやめろ」

 

 周りの者が意外に思ってしまうくらいに、2人の関係性は良かった。正直アフロディーテは善神かと言われると苦笑いをしながら首を捻りたくなるようなことばかりしている、割りかし迷惑な部類に入る女神である。後先考えずに魅了を振り撒くし、ポンコツをやらかして大激怒されることもよくあった。

 ……それでも、同じ美の女神でもラフォリアは、フレイヤよりアフロディーテの方が好ましく思っているらしい。本当に不思議な話ではあるけれど。

 

 

「そうだ、お前に一つ言っておきたいことがあったのを忘れていた」

 

「ん?……なによ、そんな真面目な顔をして。そんなに大事な話なの?」

 

「今、私がどのファミリアに所属しているか分かるか?」

 

「は?……ロキとかじゃないの?まさかフレイヤってことは無いでしょうし」

 

「ヘファイストスだ」

 

「ぴぇっ……!?」

 

「私が生きて帰って来たら、当然着いて来るんだろうな?」

 

「いっ、いい、行く訳ないでしょう!?ななな、なんでそんな地獄巡りに付き合わなきゃいけないのよ!?絶対殺されるじゃない!!」

 

「よし、決定な。私が帰って来たら、お前をヘファイストスの前へ連れて行く」

 

「嫌よぉお!!絶対に嫌ぁぁあ!!」

 

「はっ、お前が"死亡フラグ"とやらを勝手に建てるからだ。……帰って来いと願うくらいなら、帰って来ないで欲しいと祈っておけ。その方がよっぽど生きて帰れそうだ」

 

「………………………………ああ、もう。分かったわよ」

 

 アフロディーテがそれに頷くのを見て、ラフォリアは一瞬だけ微笑みを浮かべると、直ぐに頭を切り替える。久方振りの交流は、もうこれくらいで十分だろうと。そんな彼女の雰囲気の移り変わりを見て、アフロディーテは眉に皺を寄せて目を背けた。

 結局、この状況で力のない神には出来ることなど何も無いのだから。無謀としか思えないような相手に挑みに行く彼女のことを、ただ黙って見送るしかない。たとえ彼女が自分の死を覚悟していると知っていても、それでも。

 

「アミッド、治療は終わったか?」

 

「ええ、物資も問題ありません。直ぐにでも立てます」

 

「お前達はどうだ」

 

「いけます」

 

「だ、大丈夫です!」

 

「……待たせたな、オッタル」

 

「構わない」

 

 そうしてラフォリアは自身の腰に携えた剣を確認し、レフィーヤに持たせていた『大杖』を手に取る。

 これで準備は終わった。これでもう何も恐れるものは何も無いし、心残りも何も無い。剣も杖も持ち、自分の持っている全てを全力で叩き付けることが出来る。

 

「……お前が杖を持っているところなど、俺でさえ初めて見た」

 

「オッタルさんも……?」

 

「……仮にお前があの時、本気の装備で私の前に立っていたのなら。これを使っていた未来もあったろうよ」

 

「……そうか」

 

「まあその場合、オラリオの被害は倍になっていたがな」

 

「倍!?」

 

「……そう、か」

 

 オッタルは冷汗を垂らす。

 だってもしそれで爆破の威力まで上がっていたら、装備を整えていても勝てなかっただろうから。それこそ口の中を起爆するなどという、彼女が何の気なしに行っていたアレとか。普通に死ぬし、防げない。体内爆破なんて、やってはいけないことだ。絶対。

 

「さて、行くぞ」

 

「「「はい!」」」

 

「……ああ」

 

 もしかしたら、それほど苦戦することは無いのではないだろうか?正直オッタルはそう思ってしまった。

 だってこの女は本当に強いし、その強さを自分は誰よりも知っていたつもりだったけれど、その強さにはまだ先があるというのだから。これで勝てなかったら、どうやって勝てばいいのかと言うくらいで。

 

 オッタルもまた、大剣を担ぎ直す。

 Lv.8に至ってしまった、その身で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女と出会ったのは、本当に偶然の話。

 アルテミスが活動していることを知り、彼女を探して当てもなく眷属達を率いて彷徨っていた。そんな折に、その灰髪の女を見つけた。何処か暗さを持った少女のような、その女を見つけてしまった。

 

『アルテミス?……少し前にその女神と別れて来たところだが』

 

『はぁ!?』

 

 どうやらその女は、元々はアルテミスのファミリアと共に行動をしていたらしい。もう既に別れてしまって、彼女達が今は何処で何をしているのかは分からないらしいが。それでもその女から聞いた"あの子"の話を聞くに、天界の時と相変わらずの様子で居るらしく。ほっとしたような、呆れたような、そんな気持ちで一先ずはその女を一行に引き入れた。

 

 ……だってこの女、本当に面白かったから。

 

 掘れば掘るほど自分が驚くのも当然のような、とんでもない話が出て来て。一緒にいるだけで神である自分すらも驚くようなことをし始めて。挙げ句の果てには魅了が効かず、むしろ問答無用で拳骨を叩き込んでくる。

 不遜で傲慢ではあるけれど、それが正直とても新鮮だった。何より魅了が効かない。どころか掛けた瞬間にスキルを発動させて凄まじい威圧感を放って、こちらを恐怖させるほど。それでも嫌々そうにでも話に付き合ってくれる彼女に、なんだか魅了ではなく自分の性格を気に入って貰えてる気がして、嬉しくも思ってしまった。

 

 

 ……ただ。

 

 

 (なによ、これ……)

 

 そんな彼女に頼まれて恩恵を触った時に、それを知ってしまった。その病巣とも言っていいような異様なスキルと、それによって蝕まれた魂の状態を知ってしまった。

 ……他者の魂と、少しずつ置き換わっている。そんなものは初めて見たし、本当にこんなことがあり得るのかと思った。他者に対する想いの強さ故に生まれたスキルが、ここまで最悪な効果を発揮することがあるのかと。神の恩恵の悪意のようなものを見てしまった気になった。

 

『ねぇ、あんたこのままだと……』

 

『分かっている、アルテミスにも言われている』

 

『……それでいいの?』

 

『いい訳があるか。……だがスキルとして芽生えてしまった以上、必要になれば使うだろう。それは当然の話だ』

 

『……死ぬよりマシ、だなんて思ってるなら大間違いよ。このままだと貴女の魂が完全に他者の物に変わる、それなら死んだ方がマシよ』

 

『だが今私が死ねるような余裕がこの世界にはない」

 

『っ』

 

『犠牲だ、必要な。そうした犠牲が積み重なり、英雄の足場となる。ならばそれで十分だろう』

 

『……本気で言っているの?』

 

『いや、本気ではない。今のところは死ぬつもりも犠牲になるつもりもない、私が黒龍を殺せれば何の問題も無いのだからな』

 

 それが嘘なのか本音なのか、正直それは神である自分にも分からなかった。何故ならそれは、本当でもあり、嘘でもあり、実のところ彼女にとっては、そんなこと【どうでも良かった】から。

 彼女が真に求めているものは別にあり、他のものについて彼女は実際それほど執着していない。もちろん世界の末を憂いてはいる、けれどそのために自分の全てを投げ出すつもりもない。そしてその求めているものが潰えてしまったからこそ、彼女には何処か諦めという暗い雰囲気が付き纏っていた。絶望していた。虚無を負っていた。

 

 ……だから、せめてそれを取っ払おうと思った。

 

 アフロディーテという女神に出来るのは、それくらいしかないと自覚していたから。

 

 

『仕方ないわね!それなら歌劇の国をこの私が直々に案内してあげるわ!』

 

 

『……は?今度は何を言いだした、このポンコツ』

 

『貴女は世界の状況を確認してるんでしょう?それなら別にいいじゃない!さあ着いて来なさい!最高に楽しい最高の街を案内してあげる!』

 

『私はオラリオに行くつもりだったのだが……』

 

『いいのよ!いいから着いて来なさい!絶対絶対後悔はさせないから!神の名に誓って楽しませてあげるわ!』

 

 そう自信満々に宣言した。アルテミス探しを中断してでも、そうすることに決めた。その決断を自分に対しても突きつけた。

 

『……はぁ、私はまた面倒な女神に捕まったのか』

 

『拒否するなら恩恵解いてあげないからね!』

 

『その場合は貴様を拷問に掛けるが問題ないな?』

 

『女神に拷問!?いい訳ないでしょ!?こんな冗談を間に受けるのアンタの悪いところだからね!?』

 

『はっ』

 

 

 

 ……あの時の誓いを、私は果たせたのだろうか。

 楽しませることは出来たのだろうか。

 彼女は後悔しなかっただろうか。

 

 

 

『ありがとう』

 

 

 彼女を送り出した時、ただ一言そう言ってくれた。

 出会った時より人としての雰囲気が少しだけ変わってしまった彼女は、それでも最後の最後までずっと自分の馬鹿に付き合ってくれた。彼女はそういう子だった。嘘をつかずに本心を伝えるほど、信用してくれる子なのだと、そう理解出来た。

 

 

『いつでも戻って来ていいんだからね!アンタが悪いことしても、まあ仕方ないから受け入れてあげるんだから!』

 

 

『……ああ、その時は甘えさせて貰おう』

 

 

 美の女神として、愛や恋について、本当は彼女にも教えてあげたかったけれど。彼女は結局それについて興味を示してくれることはなかった。アルテミスと同様に、元より自分とは無縁のものだと思っていたから。それは仕方ない。

 

 ……それでも。誰でもいいから、救ってあげて欲しいと。アフロディーテは願っている。彼女がこのまま何も得ることなく消えてしまうその前に、最後の英雄のための犠牲となるその前に、せめて生きるための理由を与えて欲しいと。そう願っている。

 

 愛でも恋でも、なんでもいいから。

 

 せめてあの諦観だけは、拭ってあげて欲しい。

 

 あれを持ったまま人生を終えるなんて、とても悲しいことだ。

 

 そんな悲しい終わりを、アフロディーテは望んでいない。



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被害者38:陸の王者(亜種)

ラフォリアのスキルがここで漸く全てお披露目です。


 強くなる。

 

 ただ只管に、それだけを求めて来たつもりだった。

 

 ……けれど、この人を見ると。強くなりたいと願い、そのために一心不乱に身体を動かすだけでは駄目なのだと、思い知らされる。

 

 彼女は言った。

 

 

『私にとって、強くなることはそれほど難しいことではない。同じだけの時間があれば、私は間違いなくあの女を追い越せていただろうからな』

 

 

 どれほどスキルや魔法に恵まれていようと、彼女と同じことを言える人間はきっと他に居ない。彼女はそれを自称することが許されるくらいの天才であり、秀才でもあるから。実際、彼女に無かったのは時間であり、時間さえあれば彼女は確実にヘラ・ファミリアを盛り返していただろう。

 強くなる方法を知っている、強くなるための方法を考えられる、それを考えることは必要なことではあるけれど、誰もが目を逸らしてしまうことだ。考えても自分の頭では分からないと、もっと賢い人が考えたものを真似すればいいと、そう思ってしまう。

 

『……私の鍛錬の方法?そんなものをお前が知ってどうする。私の鍛錬は私の為のものだ、それをお前が真似したところで同じ効果が得られる訳がないだろう』

 

『それは、その……』

 

『どんな綺麗事を並べたところで、結局お前の体のことなどお前以外知らん。医者でさえ、お前が実際にどれほどの苦痛を抱え、その苦痛に何を思うかまでは分からん』

 

『………』

 

『……目を背けるな、嫌でも頭を回せ。頭の出来が悪いと自覚があるのなら、せめて回した上で他者の意見を取り入れろ。神も英雄も本当の意味でお前を救ってなどくれない。……勉強から逃げるなよ、弱者で居たくないのならな』

 

『っ』

 

 自分が勉強を嫌っていることは、とうに彼女にはバレていて。悪戯な笑みを見せられて、恥ずかしくなって俯いてしまった。

 流石に今はもう昔のように癇癪を起こすほど嫌いではないけれど、知識の重要性も身に染みて理解しているけれど、それでもやっぱり得意ではない。だからこそ敢えてまた釘を刺されたのだと思う。最近はリヴェリアもあまり言ってはくれなくなったから。妥協してくれていたから。

 

『……あいつは、良い母親になっただろうな』

 

 以前にポツリと、リヴェリアがそう溢したことをアイズは覚えている。彼女と関わる度に、自分もその言葉に頷きたくなる。

 彼女は確かに酷い人だ。それこそ今日だって馬車に乗り込もうとした時に、『狭いからお前達は走れ』と言って来たくらいには。

 けれど同時に、彼女は本当に相手のことをよく見ていて、指摘もするし、褒めもする。努力を認めてくれる。どれだけ酷いことをしていても、この人に着いていけば間違いないと、この人に着いていきたいと、そう思わせてくれる。人を育てるという事に関しても、彼女は間違いなく優秀だった。彼女は間違いなく天才だった。

 

 ……だからこそ、思ってしまうのだ。

 

 惜しい、と。

 

 長生きをして欲しい、と。

 

 いつまでも自分の前に立っていて欲しい、と。

 

 ……甘えたく、なってしまう。

 

 

 

 

 黒嵐、黒雲、その全てが凶悪とも言える猛毒。

 

 アイズでさえ魔法を全力展開していても完全に防ぐことが出来ず、そこにレフィーヤが展開したヴェール・ブレスと、アミッドの解毒魔法を乗せて、なんとか生存出来る空間を確保しているような状態。

 

 "黒の砂漠"と呼ばれるこの場所は、かつて三大クエストの一角であるベヒーモスが討伐された場所であり、その死骸である異常な量の灰によって生まれた地形である。

 つまりこの場所から生まれた黒雲と言うのは、言うまでもなくベヒーモスの猛毒である。これは話を聞いた瞬間に、ベヒーモスの特徴を知っている誰もが察していたことであった。故にそれを前提として、5人はここに来た。……その筈だった。

 

 (これで……本来のベヒーモスより、弱いの……?)

 

 オッタルがそれとなく呟いたその言葉に、アイズは思わず目を見開いたし、納得はしつつも、信じられなかった。確かにゼウスとヘラのファミリアでなければ討伐出来なかった怪物であるのなら、それほど強いというのは当然だ。けれど同時に、それほど凶悪な相手を倒したのだということにも信じられない。

 

 でも今はそれ以上に……

 

 

 

 【オオオオォォォォォオオオオオオ!!!!!!!】

 

 

 

 【爆砕(イクスプロジア)……撃災(カラミティ)!!】

 

 

 

「!?」

 

「ひぃっ!?」

 

「っ……Lv.8の冒険者というのは、ここまで……!?」

 

 

 獣化し、凄まじい破壊力で暴れ回るオッタル。

 大杖により破壊力を増した魔法によって、何故か分裂していた個体群を一撃で焼き払うラフォリア。

 

 ……最早あの2人だけで良いのではないかと思ってしまうような、あまりにも尋常でないその姿を見て。アイズでさえ自分との力量の差に歯噛みをするしかない。

 

 アイズのここでの役割は戦闘ではなく、風によってレフィーヤとアミッドを守ること。レフィーヤの役割は遠距離砲撃によって、迎撃と2人の支援を行うこと。アミッドの役割は2人を毒から守りつつ、可能な限り周囲の毒素を弱めること。

 

 つまり、彼等は支援役だった。

 いつもなら最前線に立ち続けていたアイズでさえ、今この場所では支援役に徹していた。それほどにこの黒嵐の中では、普通というものが通用しなかった。

 

 

『オッタル!!いつまでやっている!!さっさと奴の黒嵐を止めろ!!』

 

 

『ッ!!!……ァァァアアアアアア!!!!!!!』

 

 

 もちろんこの黒嵐の中、いくらかつて使用された装備とは言え耐毒装備だけでは耐え続けることは出来ない。

 故にオッタルは自身の獣化とスキル【我戦我在】によってLv.8のステイタスを更に強化させることで強引に動いている。

 ラフォリアは【クレセント・アルカナム】による月光を自身に集中させ、加えてスキル【激震怒帝】による能力と耐性向上で激昂しながら戦闘をしている。

 

 ……実際のところ、こんな無茶が出来るのもこの2人くらいなのだ。それでも2人は必死になってベヒーモスの嵐を解くことに全力を注いでいる。アイズはここでただ魔法を展開することしか出来ないのに。

 

 

 

 ――――――――――――――――!!!!!!!

 

 

 

「こ、今度はなんですか!?」

 

「あれ、は……」

 

 

 

『チィィッ!!!アイズ!!飛べ!!』

 

 

「っ!!はいっ!!」

 

 

『オッタル!貴様は登れ!!』

 

『ッ!!ァァァアアア!!!!』

 

 

 ベヒーモス……否、ベヒーモス亜種と呼ぶべき存在。周囲の個体がラフォリアによって徹底的に削られ、本体である自身でさえオッタルによる攻撃をただ受け続けているだけ。彼はその状況を打破するために、本当に単純で、けれど単純だからこそ恐ろしい手段を取った。

 

 (単純な、押し潰し………!?)

 

 そのあまりにも巨大過ぎる肉体で、全力で跳躍し、押し潰す。本当に単純なそれだけの行動が、これほどの質量を持つモンスターが行うとなると、規模が違う。それこそ言うなればグラビティ・ブレイク。重量という圧倒的なアドバンテージを利用した地形破壊攻撃。

 ただの1歩で地面に巨大な穴を残すような生物が、飛び上がって全力で自分の身体を地面に叩き付けたのだ。その末に起きたことは、それまで自分達の足場として機能していた大地が、途端に牙を剥いて来たような現象。

 

「ぐぅうっ!?」

 

「アイズさん!?」

 

「絶対に手を離さないで!!魔法を途切れさせたら駄目!!」

 

 凄まじい衝撃波、そして捲り上がった足場によって自分達の身体が下から上へと強烈に叩き付けられる。そのダメージはかなりのもので、けれどだからこそアイズは叫んだ。……なぜなら、まだここに黒嵐はあるのだから。付近を猛毒が覆っているのだから。魔法を解いても良い場所など、ここには何処にも無いのだから。

 

「ラフォリアさんは……!!」

 

 アイズ達に飛ぶように指示を出した彼女は、飛行手段など持っていない。オッタルはむしろ飛び上がった敵の身体を登りに行くよう真似をしたが、ならば彼女は何処に……

 

 

『爆砕(イクスプロジア)!!』

 

 

「……!ラフォリアさん!」

 

 

「クソが……!流石に魔法は貫通されるか……!!」

 

 

 足元に居た彼女は、付与魔法によって物理攻撃の反射を試みた。しかしそれほどの威力の攻撃……否、重量は、流石のラフォリアでさえも反射出来ない。それでも軽減させる事には成功したのか、全身を血に濡らしながらも周囲の邪魔な瓦礫を吹き飛ばしてその身を現す。

 ……ダメージは大きい、けれどこの程度で倒れる彼女でもない。そして何より大きいのは、今の攻撃で周囲に居た全ての分裂個体が全滅したことである。これでようやく、ラフォリアも本体と対峙することが出来る。

 

 

 

『……殺してやる』

 

 

 

「っ」

 

 

 

 そう、ようやくラフォリアは……本気の一撃を、叩き込むことが出来る。

 

 

 

 《スキル》

【激震怒帝(グランドバーン)】

・怒りに応じて全能力に高補正。

・怒りに応じて全耐性に高補正。

 

【彗星爆撃(ロストスター)】

・大型モンスターに対して攻撃力超高補正。

 

【魂園破音(ノイズ)】

・特定条件下でのみ発動。

・魔法被弾時、音魔法に対する耐性を強化。

・魔法被弾時、発展アビリティ"魔防"の強化。

・魔法被弾時、発展アビリティ"治力"の一時発現。

 

【転静写寂(ロスト・アタラクシア)】

・任意発動。

・一時的に【静寂】のスキル、ステータス、魔法を再現する。

 

 

 

 

 ラフォリア・アヴローラ……彼女こそ、三大クエストに本来であれば参加すべき人材であった。強大な敵に対して、巨大な敵に対して、彼女ほど適したスキルを持っている眷属も早々居ない。それほどに彼女のスキルは生まれ付き、強大な敵を求めていた。

 

 

 

『爆砕(イクスプロジア)!!撃災(カラミティ)!!!いい加減に取れぇぇえ!!!オッタル!!!!!!』

 

 

 

『オオオアアアァァァァァアアアアア!!!!!!』

 

 

 

「「「っ!?」」」

 

 

 オッタルが上空から咆哮と共に大剣を振るう。狙いは敵の頭部、その大角の片方。毒を撒き散らすそれを、破壊する。それまで何度も失敗してきたそれを、彼は漸く叩き潰す。

 それとほぼ同時に、ラフォリアもまた更に威力を増し圧縮させた爆撃魔法を撃ち放ち、もう片割れの大角に直撃させた。オッタルが生み出した一瞬の硬直を、決して見逃すことが無かった。

 

 

 

 ――――――――――――ッ!?!?!?!?!?

 

 

 

 大角の完全破壊、つまりは猛毒の発生器官の破損。最初から狙っていたそれを、2人は漸く成し遂げることが出来た。むしろ前提とも言えるそれに対して、少しばかり時間を掛けすぎてしまったとも言えるだろう。

 

『衝撃に備えろ!!』

 

「は、はい!!」

 

「ラフォリア!お前もこっちに来い!」

 

「っ」

 

 大角の完全破壊、それによる黒嵐の消滅。だが消滅とは言え簡単に消え去る訳ではなく、周囲の空間の揺らぎとでも言うべきか、破壊された角を中心に放たれ始めた妙な圧力を察した。

 ラフォリアの指示に従い、更に防御を固めるアイズ。そうして指示を出す事に集中し、再び攻撃を受けようとする彼女を、今度はオッタルが手を引き瓦礫の陰に隠す。宣言通り、自分の命よりも彼女達の命を優先している彼女のことを。自分であれば彼女を救えるから、その余裕があるから。

 

 

「っ」

 

 

 ……瞬間、起きたのは収縮からの破裂。

 

 嵐が消える直前に引き起こされた、衝撃と毒風の爆発。それは最悪の場合、それこそしっかりと防御を整えていなければ、一瞬で大量の猛毒によって全身を溶かされていてもおかしくないような、黒嵐の最後の足掻き。

 

 全力展開したアイズの風、アミッドの解毒、そして再度張り直したレフィーヤの防護魔法。一方でオッタルは自分の身体と瓦礫の間にラフォリアを隠し、その猛毒の爆風を耐え切る。ラフォリア単独であれば間違いなく耐え切れなかったであろう、その一撃を。

 

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 

「っ……馬鹿者、余裕が無い中でお前までダメージを負ってどうする……」

 

 

「……お前が死ぬより、マシだ」

 

 

「……この格好付けめ」

 

 

 瓦礫が溶解し、それに気付いたオッタルは即座に彼女を"抱き寄せて"、猛毒の突風を自身の背中で全て受け止めた。それに気付いたラフォリアも咄嗟に月の光を自分ではなく彼に向けて集中させたことが功を奏したのか、彼は最低限のダメージで済んだ。

 月の光による自動回復。ラフォリアがこれをここまで自在に操れるようになったのは、それこそオラリオに来てから妙にこの魔法を使う回数が増えたからである。詠唱の内容からあまり好んでいなかったこれは、しかし仲間が居る状況においては本当に有用だった。それこそ、自分の3つ目の魔法がこれで良かったと。最近はそう素直に思えるくらいには。

 

 

「ラフォリアさん……!」

 

 

「……お前達も生きていたか」

 

 

 黒嵐は晴れ、その巨体が遂に剥き出しになったベヒーモス亜種を前にして、漸く5人は猛毒を気にすることなく大地に立つ。ベヒーモスは強くこちらを警戒しているようだった。特にこれほど自分にダメージを与えて来たオッタルに対しては、当然に。

 

「全員の状態を報告しろ」

 

「俺は問題ない」

 

「お前は毒を治療しろ馬鹿。アイズ」

 

「えと、問題ないです。魔力量もまだ余裕あります」

 

「レフィーヤ」

 

「は、はい!……正直、エルフリングの使い過ぎで魔力量が心許ないです。精神回復薬もかなり使っちゃいましたし」

 

「アミッド」

 

「……申し訳、ありません。あまり、余裕は……」

 

 

 

「……分かった」

 

 

 この辺りは単純に、各々のレベルがそのままハッキリ反映されている感じだろうか。仮にもアミッドはLv.2の眷属、いくら魔法が優秀であっても精神力がそこまでは付いてこない。それほどにこのベヒーモスの猛毒というのは、彼女でさえ解毒するのに力を使う。

 レフィーヤとて、彼女は他のエルフの魔法を使うことが出来るが、エルフリングを発動するだけでも精神力を使う。特に彼女は防御役、そして砲撃役として延々と魔法を使っていた。むしろよくもまあ未だに余裕があるものだとラフォリアは感心しているくらい。バカ魔力と言われる所以はこの辺りか。

 

 ……そうなると。

 

 

「アイズ、私の代わりに前線に入れ。オッタルの攻撃を当てる為に敵の気を引け」

 

「!……はい!」

 

「アミッド、お前は必要な時まで魔法は温存だ。レフィーヤは私の指示で魔法を使え。敵の足を削ぐ」

 

「「はい!」」

 

「オッタル、お前は後は好きに暴れろ。こちらで勝手に調整する、所詮残りは消耗戦だ」

 

 

 

 

「……………お前は?」

 

 

 

「……は?」

 

 

「「「!」」」

 

 

 勢いが止まる。

 

 

「お前の状況について、まだ報告を受けていない」

 

 

「………」

 

 

 オッタルの揚げ足取りとも思えるようなその指摘に対して、しかしラフォリアは顔を歪めて押し黙る。その様子に驚いたのは他の3人であり、そしてアミッドは気付いてしまった。

 

 ……確かに、可能な限り毒の影響は薄めた。そして負った怪我もアミッドは今こうして話している間に全員分のものを治していたし、見ている分には何の問題もない。

 

 

 だが、彼女の病はそうではない。

 

 

 元々が音魔法による影響が原因となったそれは、階層主の咆哮(ハウル)攻撃でさえも影響を齎す。……であれば、今の戦闘の中で行われた攻防の中に、それに匹敵するものは無かったのか?

 

 そんなことはない、あったに決まっている。

 

 元より、単なる咆哮でさえも地面を揺らすベヒーモス亜種。何より彼女にとって致命的であったのは、ベヒーモスが状況を打開するために行ったグラビティ・ブレイク。つまりは全体重を利用した全方向へ向けた衝撃波の形成。……ラフォリアはそれを敵の足元で受けていた。それこそ、彼女の物理反射の魔法が貫通するレベルのものを。元より修復不全で内臓器官が脆くなっている彼女にとって、薄めているとは言え毒素は致命的なのだ。その上でこれは……

 

 

「ラフォリア、さん……?」

 

 

「……仮に自分の病が致命的なほどまでに悪化していることを隠していたとして」

 

 

「病……」

 

 

「それに何の問題がある」

 

 

「っ!?」

 

 

 

 ――――――――――――ッ!!!!!!!!

 

 

 どうやら、ベヒーモスもこれ以上は待ってはくれないらしい。それまで以上に凄まじい咆哮を天へ向けて放ち、その巨体でゆっくりと走るための姿勢を作り始める。

 

 ……そうだ。

 

 仮にラフォリアがそれほどのダメージを負っていたとしても、今この状況。そんなことを気にしていられる余裕などない。それこそ彼女は言っていた筈だ。自分達の道は倒すか撤退しかないと。

 敵がその脅威的な生命力と再生能力を持つ以上、ここで放置すればまた猛毒を撒き散らし始める。ここまで追い詰めたからには、もうやるしかない。ラフォリアは最初から自分の死など覚悟してここに来ている。彼女の命が惜しいから撤退したいなどと、それは何より彼女に対する侮辱になる。

 

 咆哮を受けた瞬間に、顔を大きく歪めたラフォリア。きっと既に彼女がそうして顔に出してしまうくらいには、苦しいのだろう。アミッドの回復魔法を受けても和らがないほどに、悪化しているのだろう。……だが、それでも。

 

 

「行け!!オッタル!アイズ!!」

 

 

「「っ!!」」

 

 本来なら叫ぶことすら苦しいだろうに、彼女は最後まで責任を持って役割を全うする。前線を代われとアイズに言ったのは、既に自分が前線を張れるだけの動きが出来ないからだ。アミッドに魔法を温存させているのも、何より自分がどうしようもない程の状態に陥った時のため。彼女がこうしてアミッドとレフィーヤの前に立っているのも、指揮官としてではなく、盾になるためだ。今のアミッドにはそれが分かる。

 

 

「ごほっ、ごぼっ……!?」

 

 

「ラフォリアさん!!」

 

 

「………レ"フィーヤ、敵の脚を撃ち抜け」

 

 

「っ……はい!!」

 

 

 赤黒く、既に若干固体化しかかっている血液を口から大量に吐き出し、それを拭って再び彼女は立ち上がる。きっと今の今まで無表情で堪えていたそれが、アイズとオッタルには見せまいとしていたそれが、堪え切れなくなってしまったのだろう。

 そんな状態でも出された指示に、レフィーヤも懸命に応える。最大の一撃を確実に敵の足に当てる為に、詠唱を始める。

 

 オッタルもアイズも、互いに全力で敵を殴り続けていた。決して3人の元へと意識を向かせないよう、只管にダメージを与える事に専念していた。その脅威的な生命力を上回るほどのダメージを、たった2人で出さなければならない。それはLv.8とLv.6の力を持ってしても容易いことではない。……そんなことは、この場に居る誰もが分かっている。

 

 

『ーー閉ざされる光、凍てつく大地。吹雪け三度の厳冬。我が名はアールヴ』

 

 

『爆砕(イクスプロジア)………』

 

 

 2人の放つその魔法は、今日この戦闘の最中、既に何度も放たれたもの。しかし今こうして準備しているそれは、そのどれとも比較にならないほどの脅威的な魔力を放っていた。

 この一撃に全てを込めたレフィーヤのそれはアミッドでさえ逃げ出したくなるような、押し潰されるような圧があり。特にラフォリアがその大杖の先に集約させた重ね掛けした爆破魔法の塊は、あまりの密度故なのか黒色の雷を纏い放ち始める。明らかに黒球の周囲の空間は歪んでおり、それは最早恐怖を抱くことすら忘れさせるような圧倒的な存在感を持っていた。

 

 ……ラフォリア・アヴローラ、最強最大の一撃。

 

 彼女の持つ大杖の魔法球にヒビが入る。杖全体にも亀裂が入る。それを持つ彼女自身にすら、裂傷が刻み込まれる。彼女を中心に地面が割れ、割れた瓦礫が浮き上がる。明らかに物理現象を歪ませているこの状況で、彼女はまだ足りないと精神回復薬を飲み込み、重ね掛ける。

 彼女自身、それほどの魔法の重ね掛けは初めての経験であった。魔法の管理に脳が弾け飛びそうなほどの負荷を抱えながら、しかしそれを全て才と知識で捩じ伏せる。今にも口から吐き出しそうな血も、目や鼻から流れ始めた血も、懸命に歯を食い縛って無視する。

 

 

「…………っ、レ"フ"ィ"ーヤ"!!!」

 

 

「っ!!………ウィン・フィンブルヴェトル!!!!』

 

 

 ラフォリアの言葉に、レフィーヤはそれを解き放つ。

 

 自身の師から授かったその魔法は、凄まじい規模の吹雪となってベヒーモス亜種の右足に向かって飛翔する。あらゆるものを凍て付かせるそれは、レフィーヤの全ての魔力を喰らい尽くしたそれは、たとえ階層主であったとしても無事でいられれものではない。

 これほどの魔力を放っていたのだから、ベヒーモス自身も当然ながら警戒はしていた。しかし一度放たれたそれは、彼の巨体では避けることなど敵わなかった。

 肉体の芯にまで凍り付き、固定された巨大な肉体。バランスを崩し、倒れ込む。

 

 ……だがそれでも、ラフォリアは放たない。

 

 

「アイッ……ぐぅっ……」

 

 

 凍り付いた脚、それではまだ足りないのだ。故にもう一撃が必要だ、それがなければ完全に破壊することは出来ない。故にそれをラフォリアはアイズに頼むつもりであった。その場所に1番近いところに居る彼女でなければ、それを成し遂げることは出来ないから。……それなのに、声が出ない。1番必要である今この瞬間に、声が出せない。早くしなければベヒーモスは立ち上がり、凍り付いた脚すらも修復して引き抜いてしまうというのに。……時間が、ないというのに。

 

 

 

『剣姫!!』

 

 

 

「っ!?」

 

 

『脚を穿て!!』

 

 

「はい!!」

 

 

 だが、意外なことに。本当に意外なことに。その指示を代わりに出したのはレフィーヤでもアミッドでもなく、オッタルだった。普段ならばこのようなことは決してしないであろう彼が、声を大にして、それこそ一瞬獣化を解いてでも指示を出した。

 

 

【リル・ラファーガ!!!】

 

 

 

 

――――――――――――――ッ!?!?!?!?!

 

 

 アイズによって氷漬けにされた脚を穿たれ、ベヒーモスの脚は今度こそ爆ぜる。それに誰より驚いていたのは、他ならぬラフォリアの方である。

 まさかあのオッタルが、そんなことをするなんて思いもしなかったから。正直に言ってしまえば、そこまでの期待をしていなかったから。だって彼は今こうして獣化をしているのだ。そんなことが出来る状況では無かった筈。それこそ、魔法を解いてまで自分の代わりに指示出しをするとは想像もしていなかった。

 

 (成長、したか……)

 

 遠く離れた彼と、なんとなく目が合った気がした。

 もう既に言われるまでもなくベヒーモスの眼を取りに行った彼ではあるが、間違いなく、心は通じ合っていた。彼がなんとなく誇らしげな思いを抱いていたことも、感じ取れてしまった。……憎らしいことに。

 

 (ならば、私も……期待に応えよう……)

 

 アイズも魔力の限界が近い。オッタルも獣化のし過ぎで、自我の維持が困難になって来ている頃合。レフィーヤは既に魔法一つすら撃てないほどに疲弊している。

 ……これにトドメを刺せる人間はもう、自分以外に他にない。その為に用意していたこの魔法のために、アイズとオッタルは射線だって確保していた。ベヒーモスの腹部中央に向けて、それを放てるように。この一撃を当てる為に、オッタルだって成長したのだ。

 

 

「……離れて、いろ……」

 

 

「………はい」

 

 

 レフィーヤに肩を貸し、アミッドは彼女から離れる。それを射出した瞬間に凄まじい衝撃もまた同時に生じることは間違いなかったから。2人はそれを理解して、淡々と指示に従った。

 

 

「ラフォリア、さん……」

 

 

 見届ける。

 アミッドはこうして、ただ見届けるしかない。

 最早手遅れな状況である彼女が、その最後には、他ならぬ自分自身の魔法によって致命傷を受けることを。自分自身の魔法によって生じる衝撃によって、延命が叶わぬほどにまで寿命を削り取る、その瞬間を。

 

 

「……頑張ってください、ラフォリアさん」

 

 

「………」

 

 

 言葉はなく、軽い笑みで返した彼女は、そのまま大杖と共に脚を踏み込む。オッタルとアイズは退避し、レフィーヤは最後の力を振り絞ってアミッドを自分の身体の陰に隠す。

 凄まじい生命力、悍ましいほどの猛毒、どのような相手であっても持久戦で削り尽くす馬鹿げた存在。そんな敵を相手に出来ることなど、倒す手段など、以前の時と変わらない。それこそザルドやアルフィアがした事と変わらない。

 ……その生命力を丸ごと消し飛ばすほどの一撃で喰らい尽くす。自分自身すらも傷付けるような一撃を以って焼き払う。皮肉にも、ラフォリアは2人と同じ道を辿ることになる。その末路さえ、もしかしたら。

 

 

 

 【黒撃災(カオス・カラミティ)!!】

 

 

 

 黒色の彗星のように撃ち放たれたそれは、間違いなく、ベヒーモスの命を喰らい尽くした。



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被害者39:撃災

 復活した陸の王者は、再びその身を灰と変えていった。凄まじい爆破によって地形ごと吹き飛ばされた肉体は、仮にそこに再度ドロップ品が生まれていたとしても、確実に木っ端微塵になっているだろうと確信できる有様。ラフォリアが最後に放った一撃はそれほどの威力を持っていて、黒の砂漠に灰のない空間を生み出すほどに馬鹿げた爆発を生み出したのだ。

 事前に退避したにも拘わらず吹き飛ばされてしまったアイズとオッタルはその状況を視認した瞬間に思わず恐怖してしまったくらいであるし、それがラフォリア・アヴローラという女の最大の攻撃だと知り、複雑な気持ちになったりもした。これほどの攻撃が出来なければ、三大クエストの攻略は出来ないのだと。改めて突き付けられた様で、自身の成長を思わず疑う程に。

 

 今のオッタルにあれほどのことが出来るだろうか?

 

 ……いや、無理だろう。

 

 少なくとも、まだ無理だ。

 

 Lv.8になっても、スキルによってステイタスの補正があっても、魔法による一撃の強化をしたとしても、きっとまだベヒーモスを喰らった時のザルドには達せていない。英雄の一撃と呼ぶには、今持っている手段では不足している。圧倒的な格上を屠るには足りていない。

 

 だからこそ、羨ましいと思った。

 

 その手段を持っている彼女が羨ましいと、そう思った。

 

 その手段が芽生えていない自分のステイタスを憎くも思った。

 

 

 

 

 

 

 ……全てが終わった後の、彼女の。

 

 

 その姿を見るまでは。

 

 

 

 

 

 

 

「カッ……ガッ、ぁ、ガェっ、ェオッ……ゴッ……!?」

 

 

「っ!!一度全て吐いて下さい!意識を保って!……なんとか、なんとか治してみせます!!治しますから!!」

 

 

 

 

 

 

「ラフォ、リア……?」

 

 

 

 凄まじい量の血液を口から吐き、灰色の髪を赤黒く染めながら苦しむ彼女のその姿に、立ち尽くす。アミッドが残った魔力で全力で治療を行っていても、思うような結果を得られていないその様子を見て、目を見開く。

 

 あのラフォリアが、これほどまでに苦しんでいる。苦痛など決して顔に出さないようなあの女が、弱味など絶対に人に見せないようなその女が。目を見開き、血にひれ伏し、苦痛にもがき苦しんでいる。少しの余裕もなく、ただ苦しみに喘いでいる。他者への気遣いすらも、出来ないほどに。それすら考えられないほどに。

 

 

 

 

 ……ならば、それは。もう。

 

 

 

「っ、穴は塞ぎました!ゆっくり、ゆっくり血を吐き出して下さい!強い咳が悪化を招きます!苦しいですが、ここを乗り切れば一旦は大丈夫です!ですから!」

 

 単に普段のように相手の治癒力に乗せて回復させる方法では駄目であると判断したアミッドは、回復魔法を全てマニュアルで行使しながら治療方法を模索し、臓器に空いた穴を塞ぐ。魔力の消費量も多く、精神的な疲労も凄まじい治療法ではあるが、これでなければ彼女を救うことが出来ない。未だその方法が効くだけマシなのだ。これですらどうにもならなくなれば、その時点で終わりなのだから。

 

 

 

 

 

 

 ……そうして、治療が完了したのは、結局それから10分ほどが経った頃のことだった。血を吐き切るまでに再び穴が出来てしまい、再度塞ぐ作業が必要になり、苦痛は余計に長引いた。最後には彼女は気を失ってしまい、それほど過酷な状況に居たのだと否が応でも理解させられた。

 

 

 

 

「……深刻な状態です」

 

 

「「「………」」」

 

 

 既に住民達がアフロディーテ・ファミリアと共に避難した為に無人となったエルフの里に戻り、彼女をベッドの上に横たわらせると、アミッドは3人に対して顔色悪く全身を血に濡らしながらそう告げた。言われなくとも見れば分かることではあるが、それを言ったのがアミッドであればまた意味が違う。彼女が言う深刻とは、つまりはもうどうしようもないに等しい。他の人間が言うものとは、その重みと絶望感が違う。

 

「僅かな刺激が致命的な症状を引き起こします。戦闘は疎か、走ることどころか、帰りの馬車の振動すら危惧すべき状態です」

 

「そ、そんなに……?」

 

「はい、そもそも以前より戦闘自体を避けるようにお話ししていたのですが……正直、今回ほどの相手を前に、生きて帰れるというだけでも」

 

「そ、そんな状態でここに来ていたんですか!?」

 

「……そうでもなければ勝てなかった、当然だ」

 

「と、当然だなんて……」

 

「……ラフォリアならば、そう言うだろう」

 

「「………」」

 

 回復体位で横たわり、今は静かに寝息を立てている彼女。本格的な治療のためにも早くオラリオに戻りたいが、しかしこの場にいる4人全員が疲労している。それほどまでにベヒーモス亜種は強かった。オッタルはまだ動けるが、他3人は完全に限界だ。最低でもオラリオに戻るためには1晩は休む必要があるだろう。そうして休んでも万全には程遠い。

 

「猛者、申し訳ありませんが少しの間ラフォリアさんを見ていて貰えないでしょうか……比較的安定している今のうちに、睡眠を取っておきたくて……」

 

「問題ない、何かあれば起こす」

 

「ありがとうございます……」

 

「レフィーヤも眠ってて。私は食糧を探して来るから、お腹空いたし……」

 

「……はい、そうさせて貰います」

 

 最早、眠れるのなら何処でもいい。血に濡れた衣服だけは脱ぎ、柔らかなカーペットの上に身体を横たわらせて、レフィーヤとアミッドは寝息を立て始める。そんな2人を見てアイズもまた小さく欠伸をしながら、一瞬ラフォリアの方に目を向けてから部屋を出ていく。

 事前に自由に使っていいと言われていた部屋であるとは言え、食料や浴場が何処にあるのかはアイズは把握していない。それはラフォリアとアミッドが聞いていた事だから。そうでなくとも、帰りの馬車もここにはない。まさかこの状態のラフォリアを抱えて帰る訳にもいかないのだし、暫くの滞在は覚悟しておくべきだ。その辺りの問題も解決していかなければならない、問題は山積みと言える。

 

 

 

 

「……最初から、余裕が無かったことには気付いていた」

 

 

 酷く顔色を悪くして、けれど静かに寝息を立てている彼女を見る。

 彼女との付き合いは相応にあったのに、彼女の寝顔と言うのは実のところ初めて見た。それもここまで弱々しい姿……オッタルとしては、意外というか、なんというか、複雑な気持ちだけが深まっていく。改めて見るこの女は本当に整った容姿をしているが、しかしそれはオッタルの記憶の中にある彼女の容姿とは全く異なる。正直、未だにオッタルの中ではラフォリアの容姿と言えば昔のものだった。未だに彼女を見て重なるのは、黒髪のその姿だった。それくらいにラフォリアという女の姿は、その瞳に焼き付いていた。

 

 

 

 

「……女の、寝顔を……まじまじと、見るな……」

 

 

 

「っ、起きたか」

 

 

「待て……起こす、必要は、ない……」

 

 

「……」

 

 

 体勢はそのままに目を薄らと開けて、小さく言葉を紡いでいく。アミッドを起こそうとしたオッタルを止めると、少し息を置いてから、彼女はそれでも指揮官としての責務を成し遂げようとした。

 

 

「……大樹海へ、向かえ」

 

 

「っ、だが……」

 

「お前に、ここで……何が、出来る……」

 

「……」

 

「何の、ために……私が……お前の、代わりに……っ」

 

「ラフォリア……!」

 

「………っ」

 

 それ以上は、言わなくとも分かる。息も絶え絶えに苦しげに言葉を詰まらせた彼女を見れば、それ以上の言葉を出させる訳にもいかない。首を振って次の言葉を不要と伝え、オッタルはただ立ち上がる。

 

『何のために、私がお前の代わりにベヒーモスにトドメを刺したと思っている』

 

 つまりは、オッタルに少しでも余裕を与え、このまま大樹海のアンタレス討伐に加わらせる。それがラフォリアがベヒーモスの姿を見た瞬間から想定していた事。

 

 

「……行ってくる」

 

 

「……ああ」

 

 

 故に、当初から想定出来ていた最も労力が必要であろうベヒーモスに対する最後の一撃は、どれほどの苦痛が伴おうともラフォリアがしなければならなかった。ここで生じるオッタルへの負担は、可能な限り減らさなければならなかった。そして彼女はそれを成し遂げた。少なくともオッタルは今からでも無理をすれば走り向かうことが出来るのだから。この場にいる誰よりも確実に、遠く離れた大樹海へ辿り着くことが出来るのだから。

 

 

「猛者……?じゃなくて、オッタルさん。何処に行くんですか?」

 

「……大樹海だ」

 

「……!」

 

「剣姫、ラフォリアを頼む」

 

「……分かりました。食糧も、持って行って下さい」

 

「ああ」

 

 扉を出た瞬間に鉢合わせたアイズから幾つかの食糧を受け取り、オッタルはそのまま建物を出た。ベヒーモスとの戦闘中に砕け散った大剣の片割れの代わりに、ラフォリアが使っていた剣を手に持って。

 ……ベヒーモスにトドメを刺したいと思っていたのは本当だ。それをラフォリアに取られてしまい、悔しく思ったのも本当だ。けれどそんな自分とは違い、彼女はより先を見ていた。これが終わった後のことまで見ていた。それがラフォリアに出来て、オッタルに出来なかったこと。そしてこれからオッタルが出来るようにならなければならないことでもある。

 

 

「……死ぬなよ、ラフォリア」

 

 

 まだ言いたいことがたくさんある。言わなければならないことも、きっとたくさんある。死んで欲しくないと、心の底からそう思っている。もう本当に今更な話ではあるけれど、それでも……彼女は自分にとって、特別な存在なのだから。

 

 

 

 

 

 

「……行った、か」

 

 

「ラフォリアさん」

 

 

「ああ……」

 

 オッタルがそうして走って行った音を聞き、片目を閉じたラフォリアにアイズは近寄る。息は少し荒い、しかしアミッドを起こすほどではないと彼女は目で伝える。彼女としてはアミッドに休息を取らせたいのだろう。彼女がそれほどに疲労していて、同時にこれからも世話になってしまうことが確実であるから。我慢出来るだけは、我慢するのが彼女である。むしろ彼女にとっては、自身の身体の不調など今更なくらいに長い付き合いでもあって。

 

「……明日、オラリオに……向かえ……」

 

「分かりました」

 

「……やる、ことは」

 

「討伐の報告と、馬車の手配と……オラリオへの、加勢?」

 

「……良い子、だ」

 

 教える前に自分のやるべきことを自覚していたアイズに、ラフォリアは微笑みながら褒める。本当は頭も撫でてやりたいくらいではあったが、今はそれも出来ない。

 

「っ、ラフォリアさん……」

 

 自分のすべきことを終えたからなのか。伝えるべきことを全て伝え終わったからなのか。そのまままた意識を落とした彼女を見て、アイズも目を擦りながら彼女のベッドにもたれ掛かる。恐らくこれを伝える為だけに、彼女は無理をして起きたのだろう。それほどに心配させてしまっていた。

 ……食事を終えたら自分も睡眠が必要であるが、ここに居れば仮にラフォリアが咳をし始めても直ぐに気付くことが出来る。冒険者という職を長く続けている以上、睡眠くらいは何処でだって出来るし、異変があれば直ぐに起きる事だって出来る。

 

(……まだ、戦いは終わっていない)

 

 アンタレスの攻略戦は時間を掛けて行うとフィンは明言していたし、この機に乗じてオラリオでも何かしらの事が起きるだろうと言われていた。より多くの人達を救うためにも、走らなければならない。休息はこの一晩だけ。けれどダンジョンに慣れたアイズにとって、それは今更だ。走れと言われれば走る。それが必要なことならば、三日三晩戦い続ける事だってするだろう。

 

「ベルも、頑張ってるのかな……」

 

 そういえばと、戦争遊戯を挑まれた少年のことを思い返す。彼も今頃は戦っている最中であるだろうが、勝つことは出来ただろうか。それも気になるところである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日、アイズは目を覚ましてレフィーヤを起こすと、血と汗を流して着替えた後、直ぐ様にエルフの里から出て行った。必要最低限の睡眠、そして補給、彼女らしいと言えば彼女らしいだろう。

 一方で、そうして最低限の説明だけをされたレフィーヤ。ここからは彼女がアイズの代わりにラフォリアを見ていなければならない。未だ精神疲労は色濃く残っているものの、それはアミッドに比べれば優しいものであったから。最低でも彼女が起きるまでは、万全の状態になるまでは、疲労と眠気に負けずに起きていなければならない。

 

 

「……ラフォリアさんの魔法、すごかったなぁ」

 

 

 アイズが残して行ってくれたパンを齧りながら、レフィーヤは呟く。思い返すのは昨日の戦闘、彼女が最後に放った全身全霊の一撃。最早レフィーヤの魔法とは比較にならない規模の攻撃。……しかしあれほどの攻撃が出来なければ3大クエストの魔獣達を倒すことは出来ないのだと突き付けられたようで、レフィーヤとしては見えてしまった先の長さに少し落ち込んでいるところもある。

 ヘラ・ファミリア、かつての最強の一角。その最後の眷属たる彼女の実力はレフィーヤも知っていたつもりであったし、理解していたつもりでもあった。けれど、所詮それは"つもり"でしか無くて。結局なんだかんだ言っても都市最強の魔導士はリヴェリアだろうと信じて疑っていなかったが、その考えすらも甘かったらしい。何かを失いながらも極限まで突き詰めた天才というのは、格が違った。

 少なくともレフィーヤがあれほどの魔力を、他者に指示を出しながら緻密に操作出来るようになるためには、数年あっても足りることはない。単にスキルや魔法があれば同じことが出来る訳ではないのだ。それを上手く使用するためにも、才能と努力が居る。魔法を本来以上の性能にまで引き出すには、何より頭がいる。並行詠唱すら最近覚えたばかりのレフィーヤには、それが足りない。あれほどの魔法の重ね掛けなど、普通なら脳が吹き飛んでもおかしくない。

 

 

「……あんな風に、なれるのかな」

 

 

 否、なれと言われているのだろう。

 後衛に徹するのならば、それでいい。だがそれなら他者に指示が出来るようになれと、そう言われている。けれどそれは難しいことだ。少なくとも今のレフィーヤに手が付けられる領域の話ではない。他者に指示を出すというのは、それはそれで別の勉強が必要なことだからだ。

 

 ラフォリア・アヴローラは天才であり、秀才でもある。彼女は10年近くのブランクがあり、その最中に当然ながら知識を蓄えることはしていた。彼女はそこで指揮についても学んだのだろう。それを一切の実戦もなく本番で十二分に出来てしまうのは完全に才能故だろうが。

 前衛も出来、後衛も出来、指揮も取れる彼女はあまりにも万能過ぎる。冒険者として目指すべき姿どころか、理想の姿だ。そのうちの1つでも同じくらいに熟せるようになれば、普通の人間なら十分なところ。

 ……だが、ラフォリアはレフィーヤに対して1つではなく2つ出来るようになれと言っている。それはレフィーヤにそれが出来るだけの才能と素養があると見込んでの話である。つまりは期待されている。

 

 

「期待が、重いなぁ……」

 

 

 そうは言っても、レフィーヤに才能があることは事実だ。何故なら普通の人間であれば、アイズやリヴェリアに追い着こうなどと考えることすら出来ないし、ラフォリアのあの魔法を見て『自分が同じ規模の魔力を操作出来るようになるには……』なんて思うことさえしない。

 そこが彼女の中で唯一ズレているところでもあるだろう。同じファミリアの団員達から、苦笑いされている部分でもある。そして同時に、彼女に秘められた才能の大きさを表している証明だ。そもそもLv.3でここまで戦えること自体が異常なのだから、ラフォリアが目を留めるのも当然のもの。

 

 

 

「レフィーヤ、さん……?」

 

 

「あ、アミッドさん。起こしてしまいましたか?」

 

「私は、どれくらい眠って……」

 

「まだ日が昇って直ぐくらいです、もう少し眠っていても大丈夫だと思いますけど……」

 

「……いえ、そういう訳には参りません」

 

 そうこうしている内にどうやらアミッドも目を覚ましてしまったらしく、未だ疲労を抱えているだろう身体を彼女は無理矢理に起こす。そうして立ち上がってまず先にすることが当然に患者であるラフォリアの確認なのだから、やはり彼女は生粋の治療師なのだろう。

 彼女は確かに冒険者ではないが、しかし治療師としての立場上、常に万全の状態で治療に当たれる訳ではない。それこそ大事が起きた時には、限界まで体を酷使しながら治療を行っている。故にこういうこともそれなりに慣れているというもの。ある程度は回復した精神で魔法を使い、彼女の身体の状態を確認していく。相変わらず顔を強張らせながら、その状態の悪さを目にしつつ。

 

「どう、ですか……?」

 

「……正直、状態はかなり悪いと言えます」

 

「治療、出来ないんですか……?」

 

「……治療魔法というのは本来、元の健全な状態に向けて肉体を再構成することが基本になります。しかしラフォリアさんの場合、間違った形が健全な状態として登録されてしまっているんです」

 

「間違った形って……そんなことがあるんですか?」

 

「本来なら無いでしょう。しかし質の低い回復薬や魔法による治療を繰り返し、そこに音魔法による全身への微細な影響を受け続けた結果。小さな歪みが全身に多く生まれ、それが全体のバランスを崩しています。この歪みを彼女の身体が悪質なものであると判断出来ないので、魔法では治せないのです」

 

「そんな……」

 

 一応、これはあまりにも例外的な話である。何故なら音魔法という希少な攻撃を、それこそ何度も何度も受けることで生じる事例なのだから。前例など、質の悪過ぎる回復薬を繰り返し使い続け、肉体に不全が生じたという僅かな事例くらいしか存在しない。それがここまで悪化したという話など、アミッドでさえ聞いたことが無かった。

 

「ですが、治療魔法を手動操作することで何とか延命は可能です」

 

「手動操作……」

 

「つまり、健全な状態を設定して治療魔法を走らせるのではなく。私が臓器等の構造をイメージし、それに向けて治療する。……治療どころか、創造の域の話にはなりますが」

 

「そ、そんなことが出来るんですか!?」

 

「可能ですが、やはり延命措置にしかなりません。私のイメージで作りますので、それすらも新たな歪みになります。歪みは別の場所に影響を与え、そこを治せばまた別の場所が歪む。一度崩れ始めてしまったものは止められない。……イタチごっこです、どうやっても完治は出来ません」

 

 もし完全に治すとするのなら、脳を含めた肉体全てを再構築する必要がある。しかしそれは最早、神の領域の話であり、アミッドにだって出来ない。そうでなくとも、そうして作り上げたラフォリアは以前のものとは別人だろう。なにせアミッドのイメージで治療をしているのだから、アミッドのイメージした人間になるだけ。

 故に完治は出来ないし、余命はその歪みが生命を維持するにおいて必要な場所に辿り着くまでの期間になる。今日かもしれないし、明日かもしれない。それでもアミッドの目測では、1年は確実に無理だ。どれだけ運が良くとも、そこまで保つほど楽観視出来る状態ではない。

 

「……もう、戦えないんですよね」

 

「戦闘どころか、出歩くことさえ許可出来ません」

 

「っ」

 

「自身の咳すらも、歪みを広げる要因になります。それこそ今の彼女にとっては、大きな物音でさえ苦痛になることでしょう。……なるべく静かな場所で安静にする必要があります」

 

「……そう、ですか」

 

 彼女の病歴は知っている。そしてこれまで何年も寝たきりでいたことだって知っている。だから、それはきっと彼女にとっては最も辛いことであることもアミッドは分かっている。

 ……けれど、もうそれ以外にどうしようもないから。アミッドだって何とか出来るのなら何だってするが、それすら許して貰える状況ではないから。せめて安らかに最期が迎えられるように、努力するしかない。

 

「ラフォリアさん……」

 

 崩れていく。

 その姿をただ見せ付けられるこの現状は、治療師でもないレフィーヤにとってあまりにも苦しいものに見えた。



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被害者40:月の女神

「……また仰々しいものを、持って来たな」

 

「……必要な物ですから。此度の功労者である貴女の為となれば、惜しむ物などありません」

 

「……大袈裟だ」

 

 患者を運ぶための特別製の馬車。そこに更に布団なりなんなりで緩衝材を作り、走行中の振動を極限まで抑えたそれ。ラフォリアはそんなものを横目で見て、棺桶のようだとも思った。声には出さないが、不謹慎でもあるけれど。

 

「それにしても……まさか迎えが、お前だとはな……」

 

「ああ、君はこちらに来てくれなかったからな。私の方から迎えに来たんだ」

 

「……悪かったな」

 

「冗談だ、事情は聞いている。君の機転のおかげで、私もなんとか生き延びられた。感謝しているよ」

 

「オッタルは、上手くやったようだな……」

 

「ああ、凄まじかった。鬼気迫るものがあったほどだ、彼のおかげで形勢を逆転させる事が出来た」

 

「……そうか」

 

 一度来た普通の馬車を、レフィーヤを乗せて帰らせて。ついでに特別製の馬車を手配して、そうこうしているうちに数日が経ち、大樹海の方も問題は解決出来たらしい。それは何より、こうして馬車を先導してきた"女神アルテミス"の存在が裏付けていると言っても良いだろう。

 ……そしてオッタルは本当に。どんな速度で走って行ったのか、という話で。ラフォリアでももう少し時間がかかると思っていたが、あの男は本当にあれから一睡もせずに走って行ったらしい。とんだ脳筋猪野郎である。単純に馬鹿だと言っても良い。そのおかげで助かったものもあったのだろうが、ラフォリアであっても呆れてしまう。

 

「それにしても……随分と、容姿が変わってしまったな」

 

「そうでも、ないだろう」

 

「いや、髪の色や目の色だけじゃない。顔の形や体格だって変わってしまっている」

 

「……よく、見ているな」

 

「一時でも私の眷属だったんだ、見ているに決まっているさ」

 

「そういうお前は……少し、柔らかくなったか?」

 

「……頑固で守れるものなど自尊心だけだ、そう言ったのは君だろう?」

 

「それだけで捨てられるほど、安いものではないだろう」

 

 記憶の中にある相手と今の相手が一致しないのは、なにもラフォリアだけではないという話。ラフォリアの容姿が以前とすっかり変わってしまったように、アルテミスの内面も以前とは変わっているようにラフォリアは思う。それこそ話し方でさえも、柔らかい印象を受けるようになった。頑固で実直であった彼女の雰囲気も、今ではかなり柔らかい。

 

「あれから、色々とあった」

 

「………」

 

「……ランテが、私を庇って死んだんだ」

 

「……そうか」

 

 "ランテ"、それはアルテミス・ファミリアの眷属の1人であった。一時期行動を共にしていたラフォリアも、その女性のことを知っている。なにせ、それほどに喧しい人物でもあったから。

 ……しかしそんな彼女は、アルテミスがこの下界に来た際に拾った眷属であり、彼女が雌熊の乳を与えて育てたくらいには思い入れのあった子供でもあった。そしてランテもまたアルテミスのことを少し過剰なくらいには信仰していた。そんな彼女が自分を庇って命を落としたというのなら、なるほど、アルテミスでさえも心は変わるのかもしれない。

 

「君が旅立ってから、私は君の言葉を何度も思い出した。本来なら子供達を導く筈である私が、君の言葉に導かれていたんだ」

 

「……それは光栄だな」

 

「"頑固で守れるものなど自尊心だけ"、それを思い出したのはその時だ。団員達が撤退を促す中で、私だけは最後までアンタレスを相手に抵抗を続けようとした。……その結果がこれだ」

 

「……」

 

「周囲には集落もあった、アンタレスをあのまま放置することは出来なかった。だがそれでも、私はあの時、折れるべきだったんだ。……命の価値を、秤るべきだったんだ」

 

「……あまりそう、人の言葉を使ってくれるな。私とて恥ずかしくはなる」

 

 これはもうラフォリアの癖のようなものではあるが、彼女は説教をする時に自分の考えを強調して言葉にすることがある。『命の価値を秤れ』というのも、そのうちの1つだ。

 割りかし説教をした覚えのあるオッタル辺りは、ラフォリアが言葉にしたことを幾つか覚えていそうではあるが、アルテミスもまたそのうちの1柱だと言えよう。ラフォリアは彼女に対しても多くの言葉を放っていたから。そして同じように、アルテミスからも多くの言葉を受けていたから。

 

「懐かしいな。一緒に居た時、私は君の言葉に何度も反抗して、何度も喧嘩をした覚えがあるよ」

 

「そう、だな」

 

「今なら、君の言っていた言葉の意味が分かる」

 

「……私の考えは、変わらないがな」

 

「そうか……」

 

「お前の考えは正しく、尊い。否定されるべきものではないし、尊重されるべきものだ。……だが、潔癖に生きていける程、この世界は優しくない」

 

「ああ、あの時と一言一句変わらない答えだ」

 

「……それでも、目指す事は止めるべきでない」

 

「っ」

 

「理想など、全員が諦めてしまえば、そこで潰える。清濁を受け入れた上で、それでも理想を追い求めるのであれば……結果は、より良いものになるだろう」

 

「……ふふ、何処かに書き留めておきたい言葉だね」

 

「やめろ、恥ずかしい……」

 

 ふぅ、と一息吐いた彼女の頭を、アルテミスは優しく撫でる。その行為にも少し不機嫌な表情を返すが、アルテミスだって彼女のことはそれなりに理解している。こんなにも大人なことを言う癖に、彼女は意外とこうして可愛がられるのを嫌っていない事とか。後輩達の面倒を見たがる癖に、意外と後輩気質なところもある事とか。

 

「よく、頑張ったね」

 

「っ……」

 

「君はもう十分に頑張った。……十分に戦った」

 

「……そう、だろうか」

 

「オラリオを出る時に、たくさんの人が君を心配していた。君は多くの人に慕われているんだ。……生憎、この馬車の定員は少なかったから、私が役割を貰ってしまったのだけど」

 

「……キンキンと、喧しい奴等でなく良かった」

 

「君は声の高い人や大きい人が苦手だからね、身体に響くんだろう」

 

「……よく見過ぎだ」

 

「いや。理解出来たのは君と別れた後のことだった、むしろ遅過ぎたくらいだ。……君のために話し方だって変えてみたんだ、少しは褒めて欲しい」

 

「そうか……」

 

 喧嘩をしていた、とは言うものの。その実態はラフォリアは淡々と言葉を返していただけに過ぎず、アルテミスの言葉に眉を顰めるだけ。アルテミスはそれを気に入らないからだと思い込んでいたが、実際には単純にそれほど前から彼女は大きな音や声を苦痛に感じていたというだけだ。

 そう言う意味では、彼女は自身の爆破魔法でさえも苦痛だったのだろう。人の多いオラリオ。平穏で居られる時間はそれこそ、早々なかったはずだ。

 

「……ああ、そうだ。あのアホ女神には、会ったか」

 

「アフロディーテのことかい?ああ、会ったよ。私の変わり様に酷く驚いていた」

 

「あの女は、お前のことを探していたらしい」

 

「そうなのかい?まあ、彼女は本当に素直じゃないからね。天界にいた頃から私に変な絡み方をしてきた。私に向かって『恋』をしろだなんて言うんだ」

 

「……出来るのか?」

 

「さあ、分からない。私は出来ないと思っていた。……けど、下界に来て私も色々と変わった。もしかしたらそんな事もあるかもしれない」

 

「神からの評判の悪いロキが、あの様だ。そういうことも、あるだろう」

 

「うん……けれど、仮にそうだとして。その時に私はどんな顔をして自分の眷属達と向き合えば良いのだろう?恋愛をしたいのならファミリアを抜けろとまで言っていたのに、そんな私が」

 

「……馬鹿なことを言う。謝れば良いだろう、頭を地に擦り付けてな。抜けて行った眷属も含めて、全員に報告しに行けば済む話だ」

 

「……なるほど、それもそうだ」

 

 そんな話をしていると、アルテミスだって気になることは出て来る。それこそオラリオを出る前に、その男は走ってでも着いてこようとしていた。最低限の休息で2連戦をこなし、疲労困憊で見るからに限界な顔をしていたのに、それでも必死になって彼女を迎えに行こうとしていた。そんな彼のことを、アルテミスは知っていた。

 

「君は、恋をしたことがあるのかい?」

 

「……無いが」

 

「あの猪人の彼と、そういう関係だったりしないのかい?」

 

「……オッタルのことか?馬鹿を言うな、そんな訳があるか」

 

「なんだ、彼は随分と君のことを心配していたように見えたのだけれど」

 

「あの男に見えているのは女神だけだ。それで良いし、そうでなければならない。……半分死人の様な女に、万が一にも目移りなどさせるものか」

 

「……珍しい、それは君らしくない言葉だ」

 

「あの男はこの世界の数少ない希望の1つだ、私とて過保護にもなる」

 

「30を超えた男性にかい?……なるほど、確かにそれは過保護だ」

 

「………」

 

 なんとなく嫌味染みたアルテミスのその言葉に、ラフォリアは目を細める。けれどまあ、言いたい事は分かる。自分とてそう思っているところはある。彼に対して自分は甘過ぎると、そう感じているところもある。それに……

 

「君は、彼のことが好きではないのかい?」

 

「……人間としては好ましいと思っているが、アレを恋人にしたいとは思わん」

 

「いや、というか、それなら君はどんな人を自分の恋人にしたいんだい?」

 

「……分からん、考えたこともない」

 

「君の場合、恋人にしたいかどうかではなく、出来るかどうかが基準な気がするよ」

 

「……恋の1つもしたことのない処女神が、今日に限って口が回るな」

 

「う〜ん……」

 

 これもアフロディーテの影響なのか、それとも多少は受け入れられたからこその興味が芽生えたのか。自分のことではなく他人のことだからこそ、アルテミスはここぞとばかりに仕掛けて来る。

 

「君は遠慮し過ぎだ」

 

「遠慮……?私のどこを見てそんな言葉が出て来る」

 

「自分の先が短いからこそ、我儘を言って迷惑をかけるべきだと私は思う」

 

「………」

 

「君はもっと自分のために生きていい」

 

「………」

 

 だから、別に今からオッタルを困らせたっていい。彼だってもう良い年齢の男性だ。そうして戸惑わせても、どんな結論を出すにしても、自分1人で勝手に立ち直るだろう。むしろ一度も衝突せず、このまま別れる方が不健全ではないかと、それはアルテミスですら分かる。

 子供達は恋によって成長するのだと、アルテミスは自分の眷属達から言われたことがある。アフロディーテではないが、それならば一度くらいはそういう経験をしてみるべきではないだろうか。もしそれで本当に成長することが出来るのなら、彼女だって。

 

 

 

「はぁ、ふざけるな」

 

 

 

「っ」

 

 ……けれど、彼女から返ってきたのは明確な拒絶の言葉。怒りでもなく、勢いもなく、彼女は呆れる様にそう言った。叱るではなく、諭すように。溜息と共に、吐き出す様に。

 

「この世界に、この世界の人間に、その様な余裕などあるものか。そんな悪影響を与えて満足にこの世から消えられるほど、私は人間の精神の強さを信用してはいない」

 

「……」

 

「忘れろとまでは言わん。だが私のことなど、思い出程度にしておくのが最善だ。……あんな奴も居たな、と。それ以上のことは求めない」

 

「……あまり、寂しいことを言わないで欲しい」

 

「悲しみたいのなら黒龍を倒してからにしろ。私が死んだ後ものうのうと平穏に浸っているようであれば、それこそ私に対する1番の侮辱だ。……別に私を覚えていなくとも構わない、世界に対する危機感さえ忘れていなければ。それで」

 

 それだけがラフォリアは心配だったから。最後のヘラの眷属である自分が死ねば、もう誰も彼等のケツを蹴り上げてくれる人間はいなくなる。その時に、今度こそ彼等が本当に同じ間違いを繰り返さないか、それだけが心配なのだ。

 

「……彼等に、死んで欲しくないからこそ、なのかな」

 

「……否定はしない」

 

「生き残って欲しいから、未来を手に入れて欲しいから。そう思うくらいには、君は気に入ったんだ」

 

「……寿命が近かろうと、身体が動かなくとも、私のする事は変わらない。最後の最後まで、私はヘラの眷属としての責務を果たす」

 

 故に、恋愛に現を抜かすことなど絶対に有り得ないし、自分の我儘を振り撒く様なこともしない。命の最後の最後まで、それこそ彼女の母親がそうしたように、ラフォリアはオラリオのために自分を費やす。

 

 

「こほっ、こほっ……」

 

 

「……喋り過ぎです、ラフォリアさん」

 

「……お前とて、黙って見ていた、だろう」

 

「それは、その……貴女のことが知りたかったので」

 

「……そうか」

 

 2人の会話をただ静かに聞いていたアミッドだけは、ラフォリアの願いが叶わないことを知っている。彼女のことを容易く忘れられる人間など早々居ないことを知っている。けれどそれを口にすることはない、それは単なる治療師である自分が言うべきことではないと思ったから。

 ……本当に、ベヒーモス討伐に向かうまでの間に、何人の者達がラフォリアの病状をアミッドに直接聞きに来たと思っているのか。そしてそれを説明し、どれだけの者達が唇を噛んだと思っているのか。彼女を送り出すことが決まって、どれだけの者達がアミッドに彼女を助ける様に願ってきたと思っているのか。

 

 オラリオの冒険者達は今度こそ、彼女を救うつもりであったのに。ザルドとアルフィアの時の様に、自分達の未熟さの犠牲になどさせないと思っていたのに。

 ……それでも結果としてこうなってしまっている。もし彼女がこのまま命を落としてしまうことになれば、彼等は再び悔やむことになる。それこそ、以前の時よりもずっと深く。ずっと強く。忘れることなど絶対に出来ないくらいに。

 

 

 だって彼女は、優しかったから。

 

 

 悪になってくれなかったから。

 

 

 彼女は常にずっと、先達の1人で居てくれたから。

 

 

 

 

 

 

 

「……ラフォリアは、子供なんだ」

 

「子供、ですか……?」

 

 そうしてラフォリアが再び寝息を立て始めてから、アルテミスはアミッドにそんな言葉を切り出す。優しく彼女の頭を撫でながら。27の女を相手にするには、少し甘過ぎるくらいに愛でながら。

 

「この子は聡い。きっと幼い頃から多くのことが見えていて、多くのことを知っていた。……だからこそ、大人になる機会を失ったんだ」

 

「……正直、あまりそうは見えませんが」

 

「それはきっと、君達の周りにラフォリアを甘やかせる様な者が居なかったからだろう。この子は元々はファミリアの末っ子だったんだ、本当の気質はそこにある。大人で居なければいけない状況だから、彼女は大人を演じ続けているだけさ」

 

「大人を、演じる……」

 

 アミッドは繰り返す。

 

「彼女は幼い頃、母親を自称する女性に隙あらば挑み続けていたらしい。……今の彼女の姿から想像出来るかい?」

 

「……挑むのは想像出来ます。ただ、ラフォリアさんなら策を十分に立ててから挑みそうなので。隙あらばというのは少し」

 

「きっと彼女にとっては、それが甘えだったんだよ」

 

「甘え……?」

 

「自分が子供で居ても許してくれる存在、自分を子供として扱ってくれる相手、彼女には何よりそれが必要だった。けれどそんな相手はそうそう居ない。それこそ彼女の様に才能があり、実力もあり、言葉でも言い負かすことが出来ない相手なんて。ラフォリアに母親らしく接することが出来る者なんか、神でさえ多くはないだろう」

 

「……静寂、才能に愛された女」

 

「うん。そんな人物くらいにしか、ラフォリアは甘えることなんて出来なかったんだ」

 

 だからそういう意味では、彼女にとってはアルフィアこそが自分の全てであったと。きっとそう言っても過言ではない。力でさえオラリオのトップに立ってしまったのであれば、それはつまり彼女にとって最悪だった。他者が想像していた以上に、彼女は無意識のうちにショックを受けていたに違いない。仮にそれが自分が望んだ状況であったとしても。

 

「この子がアフロディーテと仲良くしていた理由も分かる気がする。彼女はあんなでも面倒見は良い、ラフォリアが相手でも引っ張っていく積極性もある。母性はないけれど、駄目な姉のような部分があると言えばいいのかな」

 

「……お二人が話している姿は、確かにそのようなところがあったように思います」

 

「ラフォリアは確かに傲慢なことをするけれど、基本的に大人すら愚かに見えてしまう様な人生を歩みながら、むしろ優しく育った方だと思う。単に見下すのではなく、相手の目線を理解しようとするのはラフォリアのいいところだ」

 

「アルテミス様も、彼女に惹かれた一柱ということですか?」

 

「惹かれた、か……なるほど、そうかもしれない」

 

 アルテミスは目を逸らす。

 何かを思い出す様に、何かを考える様に。

 

「彼女を知れば知るほどに、彼女がその無表情の下にどれほどの強い感情を抱いているのか理解することが出来た。知れば知るほどに、合点がいくんだ。……その上で、ただ只管に悲しくなる」

 

「悲しく……?」

 

「ラフォリアを救ってあげられる唯一の存在が、消えてしまった」

 

「っ」

 

「神では駄目なんだ、人でなければ。彼女は私達(神)の大半が下界を遊戯(暇潰し)にしか思っていないことを知っている。本当の意味で存在を懸けてくれる神など、殆ど居ないということを知っている。だから仮に気に入った相手であっても、必ず一歩の線を引いている。心から信用してくれることはない」

 

「……」

 

「だが、そもそも彼女を救える人間がそうそう居ない。だから、もしかすれば"彼"ならと思ったんだけど……」

 

「……"猛者"は、フレイヤ・ファミリアの団長です。つまりそれは」

 

「フレイヤの信仰者の中でも、最も彼女に近い存在。……ラフォリアの言っていたことは正しい。そんな相手と恋愛だなんて、疲れるだけだ」

 

「……」

 

 それを疲れるだけだと言ってしまうのが、アルテミスがまだ恋愛について理解出来ていないが故なのか。しかしどうせ面倒なことになるだけなのだから、そんな話は冗談でも出すべきではないというラフォリアの言いたいことだってアミッドには分かる。

 

「だからもう、誰もラフォリアのことは救えない。彼女は救われないまま、死んでしまう」

 

「……どうすれば、救ったことになるのですか?」

 

「彼女が心の内に溜め込んだその凄まじい感情を、本音を、引き出して、受け止めてあげられるような。せめてそれが前提だ」

 

「……そんな姿、想像出来ません」

 

「泣いている姿すら、想像出来ないからね」

 

「……そもそも、泣いたことがあるのでしょうか」

 

「どうだろう、少なくとも私は見たことがない」

 

 そうこう話している内に、次第にオラリオの姿が窓の外から見えて来る。きっと彼女の帰りを待っている者は多く居る。けれど英雄の帰還を祝福するような、そんな盛大なことをすることは出来ない。そんなことをされても、彼女にとっては苦痛なだけだから。



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被害者41:未完の少年

 最早ラフォリアの肉体は限界、療養は彼女に可能な限り負担にならない静かな場所で行う必要がある。

では治療院はそれに当たるかと言われると、意外にもこれはそうではない。何故なら治療院には他にも多くの患者や、その関係者が集まり、緊急時の対応などで治療師達が大声を出すこともある。確かに設備は整っているが、彼女が安静に過ごすには適していないと判断された。

 

「……結局、ここか」

 

 新しく建て直され、かつ彼女にとって最も親しみのある場所。かつての姿を可能な限り再現しつつ、それでも現代の建築技術で建造され。場所が場所だけに清潔感も十分。人通りもそれほど多くはなく、十分なスペースも確保出来る。

 そんな都合の良い場所があるのなら、使わないことなどあり得ない。

 

「それで?どうしてお前達までここに居る?」

 

「ひ、ひん」

 

「あ〜、うちらはその……」

 

「ミアハ様にも諸々の相談をしていたのですが、その際に彼女達も居合わせておりまして。在中する治療師兼手伝い役としてお二人に立候補して頂けました」

 

「……何故そのようなことをする」

 

「いや、その……うちら戦争遊戯で負けちゃって、行くあても無かったって言うか」

 

「ゆ、夢で見たので……」

 

「……?まあ、私が文句を言える立場でもないか。いいだろう、ここに居着く許可と給料くらいは出してやる。その代わり十分に働け、それ以上は求めん」

 

「「は、はい!」」

 

 ダフネ・ラウロスとカサンドラ・イリオン。彼女達は元々アポロン・ファミリアの団員であったが、この度の戦争遊戯で見事に敗北を喫した。そうしてファミリアが解散となり、行く当てもないところを丁度ミアハ・ファミリアに拾われたところであったのだが……巡り巡って今はここに居る。

 常にはここに居られないアミッドの代わりに、常に側でラフォリアの様子を見ている任を、2人は自ら立候補してそこに立っていた。

 

「その……ラフォリアさんがくれたお金とか脅しのおかげで、無理矢理入団させられてた団員達も逃してあげれてさ。まあ、そのせいで戦争遊戯には負けたんだけど。後回しにしてた私達も晴れて自由の身になれて……ほんと、色々感謝してるんだよね」

 

「わ、私も、回復魔法しか使えないんですけど……お、お役に立てるなら……って……」

 

「……そうか」

 

 魔石を原動力に、上下に角度を変えられるベッドにもたれ掛かり、点滴を受けているラフォリアのその姿は。2人からしても痛々しい。

 けれど彼女にとって最も大切な場所を破壊した自分達に、むしろ慈悲まで与えた彼女に、世界を救うなどという偉業を成し遂げて帰って来た彼女に、感謝と尊敬が確かにある。

 本当なら行く当てはあった、ミアハ・ファミリアに入れて貰えたのだから。けれど、そうして拾ってくれたミアハに頭を下げてでも2人は志望した。一時ではあるが彼女がアポロン・ファミリアを支配した時に、彼女の付き人をしていた時に、彼女の人間性を僅かではあるが理解していて。故に手伝いたいと思ったから。この人の側にいることは、今という時間を多少犠牲にしてでも、それでも価値のあることだと思ったから。迷うことなく、ここに居る。

 

「……安心しろ。私はそのミアハという神は知らんが、悪神でもなければ満足出来る程度の給料は出してやる。その内の何割をお前達がファミリアに納めるかまでは関与しないが、尽くしてくれる以上は恥ずかしい思いはさせん。精々期待していろ」

 

「「……!あ、ありがとうございます!」」

 

「ご安心を、ミアハ様には私どもの方からお二人の賃金をお支払いしておりますので」

 

「……そもそも、私の治療費は何処から出ている?お前に払った覚えがないが」

 

「貴女ほどの方を治療するのに金銭を取るようであれば、私は独立しています。……そうでなくとも、寄付金と称した治療費を受け取ってはいますので。お気になさる必要はありません」

 

「……そうか」

 

 どうもラフォリアが眠っていた間に、アミッドは色々と走り回っていたらしい。まあそれも仕方がない、ラフォリアも最近は妙に眠りの頻度が増えた。それだけ疲労しやすくなったのか、はたまた別の理由なのか。しかし気づけばベヒーモスを倒すためにオラリオを出てから既に1週間が経過している。この1週間の中でオラリオで具体的に何があったのか、ラフォリアはまだそれすら把握出来ていない有様だ。ここ数日の意識もあやふや、ようやく落ち着いて来たところだと言っても良い。

 

「あの……取り敢えずウチ等はラフォリアさんの身の回りの手伝いをすればいいんですよね」

 

「はい。私も1日に2回はここに来るようにしますが、緊急時にはこの発煙筒を打ってください。即座に向かいます」

 

「は、発煙筒……」

 

「それと、こういった気質の方ですので。恐らく面会を希望される方が多く訪ねられるかと思います」

 

「「あ〜……」」

 

「おい、なんだ"こういった気質"というのは」

 

「今のラフォリアさんは大きな声や物音すらも苦痛に感じます。可能な限り、そういった方はお断りし、注意を促してください」

 

「OK、それならあたしにも出来そう」

 

「……扱いが過剰だろう」

 

「そういった小さなことすら致命的になりうるのが現状なのです。1日に2回の診断ですら最低限です、可能な限り私はここに来ます」

 

「……はぁ」

 

 こことディアンケヒト・ファミリアはそれほど近い場所ではない。所詮は同じ都市内であるので、まあそれほどではないにしても。しかしやはり過剰であると言わずにはいられない。なにせ……

 

 

「どうせ遅かれ早かれ死ぬ人間だ、お前がそこまで尽くす必要はない」

 

 

「っ」

 

 

 それはどうしようもない現実として、そこにある。

 

 

「私を長く生かしたところで、精々最期に花火を1発打てるかどうかだろう。それに価値を見出しているのなら別に構わないが、それより効能の高い回復薬を1本でも多く作っていた方がよっぽど時間を有効に使える。……客観的に見れば、今の私にそこまでする価値はない」

 

「……」

 

「私を殺す気概のある奴が居るのなら、この溜まりに溜まった経験値を食わせてやろうかとも思っている。そうでなくとも使い道はある。……だが、どちらにしても私という人間に長く生き残る意味はない。手を貸してくれることには素直に感謝するが、お前の存在は貴重だ。才能を使うべき相手を……」

 

 

 

「間違っていません」

 

 

「っ」

 

 

「死んで欲しくないと思った相手に治療を施すことは、決して間違いではない筈です」

 

 

「……」

 

 

「仮にそれが間違いであったとしても……私は他者に強制されて人を治すことも、最初から無駄だと諦めて見捨てることもしたくありません。治すことが出来ないと分かっていても、せめてその苦痛を和らげることくらいはしたいのです」

 

 

「……」

 

 

 2人の間には明確な力の差がある、にも拘わらずアミッドのその言葉にラフォリアはそれ以上の否定をすることは出来ない。彼女は自分とは違う場所で戦い続けて来た治療師であり、彼女のその言葉を否定出来るだけの材料が自分の中に無かったからだ。多くの命を救い、取りこぼして来た彼女以上に説得力のある言葉がない。彼女のその実感と経験が伴った言葉を前にしてしまえば、自分の考えが随分と薄っぺらいものに感じられてしまって。

 

 

「……私は、自分の納得のいく死に方をしたい」

 

 

「っ」

 

「そのためにはお前の力が必要だ、協力して欲しい」

 

「……はい。微力ですが、それでもよければ」

 

「はっ、謙遜もそこまで行くと嫌味になるぞ」

 

 

 ラフォリアとて、自分の気力が大きく削がれていることは理解している。これ以上に生きるつもりもなくなっていることは自覚している。むしろこんな身体になってしまったのだから、長く生きる理由というものを失っている。

 ……それでも、最後にまだやれることがある。故にそれだけは絶対に成し遂げなければならない。少なくともそれを終えるまでは、死んでやることは出来ない。それが出来るまでは、這い蹲ってでも、生きていなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 ここ数日、オラリオでは色々なことがあった……らしい。何故自信を持ってそう言い切ることが出来ないのかと言われれば、話は単純にベル・クラネルは戦争遊戯のためにそういった諸々に立ち会うことが出来なかったからである。

 戦争遊戯のためにアイズに稽古をつけて貰おうかと思えば、彼女からはラフォリアと共に都市外部に向かう必要があるからと拒否をされてしまって。代わりに稽古は酒場のリューに付けてもらい、彼女もまたヘルメスからの依頼で戦争遊戯当日には都市外へと向かった。そんな感じで毎日のように稽古を付けて貰い、その間にヘスティア達がソーマ・ファミリアの問題を解決して来たり、ヴェルフと命がヘスティア・ファミリアに改宗したり……つまりはもう、本当に色々とあったのだ。

 その上、終わった後に都市に帰って来てみれば、なんとなく都市は荒れていて。聞けばどうやらダンジョンの中からはモンスターの大群が、都市外からは何処かのファミリアの殺し屋集団が殆ど同時に襲撃を仕掛けて来たらしく。その全てをフレイヤ・ファミリアが徹底的に叩き潰したが故に、このような有様になっているのだとか。つまりは街を破壊した大半はフレイヤ・ファミリアなのであるが、まあもうそれも別に良くて。

 

 

 ……何よりの問題は。

 

 

 

「ラフォリアさんが、重症……?」

 

 

「あ、ああ!僕も今聞いて来たところなんだ!というかヘファイストスも遅いよ!なんでもっと早く教えてくれなかったんだぁ!?」

 

 

 アポロン・ファミリアから奪った本拠の改装がいち段落した頃に、漸くその知らせは彼等の元に辿り着いた。というか、むしろヘファイストスですらそこに情報が行っていなかったとは思っていなかった。誰かが言っているだろう、誰かが話しているだろう、誰もがそう思っていたが故の事故である。何よりベル達もまたバタバタとしていたことも、これを知るのが遅くなった要因にもあるだろう。

 

 

「それで、その……お見舞いに来た訳なんですけど……」

 

「なるほどね」

 

「あぁ〜!?き、君は確かアポロンのところにいた!!」

 

「ヘスティア様、うるさいです」

 

「……取り敢えず、次に大声を出したら神様でも立ち入りは禁止なので。大声は禁止、大きな物音も禁止」

 

「いや、事情はよく分からねぇが、別にそこまで厳しくしなくても……」

 

「分からない?そこまで厳しくしないといけないような状態なの、あの人は」

 

「「「「っ」」」」

 

「正直、あんまり大勢も入れたくない。せめて3人にまで減らして。5人は多過ぎる」

 

 アポロン・ファミリアとして戦争遊戯の最中でも戦った記憶のある彼女、ダフネ・ラウロス。アポロン・ファミリアが解散してから団員達は散り散りになって行ったと聞いていたが、流石のベル達もまさか彼女がラフォリアの元に居たとは思いもしなかった。

 そしてそんな彼女の言葉に、ベル達は顔を見合わせる。今ここに居るのは5人、つまり2人は留守番ということだ。別に後から入ればいいのだから、それほどの問題ではないのだが……

 

「あ〜、まあ、お前等が行って来いよ。俺は別にそんなに話したことないしな」

 

「それなら私も……以前にお会いはしましたが、ほとんど初対面のようなものですし」

 

「……分かったよ。ただラフォリア君がもしかしたら呼ぶように言うかもしれないし、少しここで待っていてくれ」

 

 

「決まった?それなら着いてきて」

 

 

 そうして中に入ることになったのは、ヘスティアとベルとリリ。ヘスティアとベルは当然、リリもまた彼女にはそれなりに縁がある。色々と助言も貰ったような相手であり、その人間性も知っていた。彼女の言葉に嬉しくて泣いてしまったことだってある。故に慕っていると言っても良いし、どちらかと言えば先生のようにすら思っていた。だからこそ。

 

 

「……やはりお前達か」

 

 

「ラッ………」

 

 

 一瞬、それが誰か分からなかった。

 

 ……いや、分かるのだ。別に容姿はそれほど変わってはいないし、髪型を今は前の方で纏める形にしているくらい。病衣を着ているがそれも一般的なものであるし、決して中身が入れ替わったという訳でもないだろう。

 ならば何が変わったのかと言われれば……

 

「そんなところに立っているな、さっさと来い」

 

「は、はい」

 

 覇気がない。圧力がない。

 以前は対面するだけでヒシヒシと感じていた緊張感のようなものが、全くと言っていいほどに感じられない。まるで強大な力を持った存在から、普通のお姉さんになったような。そんな感覚。

 そしてそれを感じているのはリリだけではなく、ベルもヘスティアもそうらしい。それくらいに2人は困惑していたし、事態の重さを理解してしまったようだった。

 

「あ、あの……」

 

「ふっ、最早強者で居る必要もないからな」

 

「……その言い方だと、まるで普段から強者として振る舞っていたみたいだ」

 

「事実そうだ、その方が都合が良かった。強さを振りまいていれば、馬鹿は寄って来ないからな。そして他者を使役し易い」

 

「……そういうところは、変わっていないみたいだ」

 

「そもそも、私は何も変わっていない。元の生活に戻っただけだ。……それほど大事でもない」

 

「元、の……」

 

 立ち尽くす3人に、ラフォリアはちょいちょいと手招きをする。隣に控えていたカサンドラは慌てて3人分の椅子を用意をすると、ベルも一度頭を下げてからそこに座る。

 

「……さて、何があった」

 

「いや、それは僕達の台詞だと思うんだけど……君がここまでになるなんて、本当に何があったんだい?」

 

 

「病が再発した」

 

 

「「!?」」

 

「病って……」

 

「お前達が何処まで知っているかは知らんが、私はもう何年も療養のためにオラリオを離れていた。……それに嫌気が差して、無理矢理に外に出て、偶然にもレベルを上げることが出来た。私がここに居るのは、そういった経緯があってのことになる」

 

「……なるほど。君にはそんな過去があったのか」

 

「な、治らないんですか……!?オラリオの医療だって昔よりずっと進んでいて……!」

 

「ああ、そうだな。あの頃と比べても医療技術は随分と進化した。……以前より酷い状態のこの身体を、【延命】させることが出来る。それだけで十分が過ぎる」

 

 

「「っ!?」」

 

 

「延、命……?」

 

 

 最早隠す必要もないと、彼女は本当になんてこともないように【延命】という言葉を口に出した。それが意味していることが分からないほど、ベルだって子供ではない。そして仮にそれが本当であるのなら、彼女がここまで弱々しい雰囲気を纏っている理由も分かって……

 

 

「な、なんで……」

 

「さあ、何故だろうな。私の方が聞きたいくらいだ。だが強いて言うのであれば、『才能に恵まれたから』だろうよ」

 

「才能って……」

 

「私の母親を自称していた女もそうだった。私以上の才能に恵まれたその女は、代わりとも言える重い病を抱えていた。私も似たようなものだろう。……くく、まあ【美人薄命】という言葉もあるくらいだ。もしかすれば、そっちの方もしれないな」

 

「……笑えないぜ、ラフォリアくん」

 

「何をしたところで笑える話ではない、だが避けられる話でもない。私なりに気はつかってやっているつもりだ。これ以上を求めるな」

 

「……うん、そうだね」

 

 こうなることは、こういう反応しか示せないことは、ラフォリアだって当初から想定できていたこと。故に彼女なりに冗談を交えてやったつもりなのだろう。勿論その程度でどうにかなる空気ではないことも彼女は分かっていただろうが、そこは本当に気を遣ったというところ。

 

「ちなみに、病状はどのようなものなのですか……?」

 

「……まあ、身体が脆くなっていると言えば分かりやすいか。それも末期だからな、僅かな刺激でさえ煩わしい」

 

「ああ、だから大声が禁止なのか……」

 

「頭に響くのは以前からそうだったがな」

 

「……ごめんよ、気付かなかった」

 

「まあ確かにお前は喧しかったな」

 

「……そこは『自分も言っていなかったから』みたいなフォローをするところじゃないのかい?」

 

「聞かなかったお前が悪い」

 

「酷過ぎるよ……」

 

 どんなことを言っても、こちらがどんなことを思おうとも、彼女はいつも通りに言葉を返してくる。彼女からは圧が本当になくなってしまったけれど、しかしだからこそ今は逆にそれが苦しい。

 きっとベルが何を言おうとしても言いくるめられてしまうし、何を言ったところで彼女の心を動かすことは出来ないだろう。それがなんとなくでも分かってしまうから、ベルは何かを言おうとしても、それを口に出すことが出来ない。

 

「……なんだ、今日は妙に静かだな。ベル」

 

「ベル様……?」

 

「あ、その……」

 

「……やれやれ」

 

「っ」

 

 明らかに様子のおかしい彼を見て、ラフォリアは取り敢えずその頭をガシガシと撫でる。正直ラフォリアにはこれくらいの歳の少年が何を考えているかを詳細に把握出来るほどの知識も経験も無いし、まあショックを受けてくれているのだと分かるくらいが精々だ。それを慰める方法なんてこれくらいしか分かるないし、これが本当に合っているのかどうかも分からない。

 それでも、そこまでやるのが自分の責任であると自覚はしている。変に関わりを持ってしまったのなら、それを関係ないと放り出すことは違うだろう。それこそアミッドにも言ったように自分のことなど忘れてくれるなら楽であるのだが、事実そうもいかないこともまた理解している。

 

「……ベル、人間は死ぬ」

 

「っ」

 

「それに慣れろとは言わないが、それをどうにかすることは出来ない。故にお前は死に慣れるのではなく、近しい人間の死を前にして、自分をどう導いていくのかを考えなければならない」

 

「……よく、分からないです」

 

「お前が真に私の死を悲しんでくれるのなら。お前は私の死によって、むしろ成長しなければならない」

 

「成、長……」

 

「私の死で、その歩みを止めてくれるなという意味だ」

 

 死への恐怖など、今更ラフォリアには殆どない。何故ならそれは病を発症したあの日からずっと隣にあったものであり、故に彼女はどれほどの脅威を前にしても冷静さを失うことのない精神性を手に入れたのだから。それは人によっては壊れていると言うかもしれないが、少なくとも現状ラフォリアはそれで助けられているとも思っている。そのおかげで、こうして残していく者達を冷静に諭すことが出来るのだから。言葉を残して、刻み込むことが出来る。

 

「ベル、私が望むのは1つ。この世界に待つ滅びの運命を覆すことだ」

 

「……それは、黒竜のことですか?」

 

「そうだ。私がアレを倒せたら良かったのだがな、そうするためには時間がない。しかし今のオラリオがあれを討ち倒す前提に立つには、あと10年は掛かるだろう。それまで奴が待っていてくれるかは分からない」

 

「……………あぅっ!?」

 

「……くく、またレベルを上げたな」

 

 突然パシッとベルの額を指で弾いたラフォリアであるが、それに対してベルは額を抑えるだけ。けれどそれだけでラフォリアは満足そうに微笑むし、ベルも彼女がしたかったことに気付く。なにせこれで3度目なのだから。少なくとも彼女の指弾きに立っていられる程度に自分はなっているということ。

 

「私はお前にも期待している」

 

「……!」

 

「もしかすれば、お前をそんな危険な場所に向かわせたくないという奴も居るだろう。しかし仮に奴がオラリオに牙を剥いた時、お前は嫌でもそれと向き合わなければならない。ならばお前はどうする」

 

「……最初から、倒せるように努力をします」

 

「まあ、それは無理だろうな」

 

「え……」

 

「少なくとも、それが出来ていたのはオッタルくらいだ。フィンを含めた他の奴等は出来ていなかった。オッタルですらギリギリ合格点、つまりは本気でそれが出来たのは唯一の生き残りであった私ぐらいだったということだ」

 

「……?」

 

 それがラフォリアには分かった。

 何故オラリオの冒険者達はこれほどまでに黒竜という脅威に対して必死にならないのかと不思議で仕方なかったが、それに必死になれるのは自分だけだったということ。そして他ならぬ自分がそれに必死になれない状況であったということ。

 見たこともない未知に対して必死になれる人間など早々居ない。実際に家族を殺されでもしない限り、他者にとっては他人事だ。それが脅威であると理解は出来ても、実際に脅威であると感じられていないのだから。元より無理な話だったのだ。自分や、アルフィアや、ザルドが求めていたことは。

 

「故に私はお前にこう言おう。『お前が強く在るほどに、お前は誰かを守れるようになる』と」

 

「……!」

 

「仲間を、友人を、そして女神を、お前は守りたいと思うか?」

 

「……はい、守りたいです」

 

「ならば強くなれ、そして生き残れ。得た力に満足することなく走り続けろ。……それだけでいい」

 

「……僕は、ラフォリアさんのことだって」

 

「それは無理だ。お前に力が無かった、故に私のことは救えなかった」

 

「っ」

 

「それほど単純で、それほど残酷な話が、これから先も多くお前に降り掛かることになる。これは決して楽観的な話ではなく、むしろ悲観的な話だと理解しろ」

 

 仮に今の力をラフォリアがあの時に得ていれば、少しは何かが変わっていたかもしれない。アルフィアやザルドが自らを犠牲にすることなくベヒーモスとリヴァイアサンを討伐出来ていたら、黒竜であっても倒せていたかもしれない。……けれど、事実としてそうはならなかった。何故ならラフォリアには力が無かったから。力が無かったから、自分だって今こうして床に伏している。

 力が全てではない、しかし冒険者をやっているのなら力が全てだ。そこを誤魔化すことは欺瞞であり言い訳だ。冒険者の全ては力だ。力が無ければ価値は無い、力さえあれば大抵の事が許される。力が無いものは屠られるだけであり、力が有るものは我儘を突き通せる。つまりは、より多くのものを手に入れることが出来る、より多くのものを奪われずに済む。

 

「……本当に、手は無いのかい?ラフォリアくん」

 

「無い、あの霊薬があれば……などと言う僅かな可能性すらない」

 

「そ、そんなに厄介な病なのですか……?」

 

「片方は私が長く療養していた理由の病、それと同等の病がもう1つ発症している。片方の病でさえ延命が精々、2つ同時に併発しているとなればオラリオ最高の治療師でさえ匙を投げるのは道理だろう」

 

「……死んで欲しく、ないです」

 

「……気持ちは嬉しいが、無理なものは無理だ。私とて死にたい訳ではないが、だからと言って時間を無駄にすることは出来ない。残りの時間が少ないという事実がそこにあるのなら、それを有効的に利用する術を考えなければならない」

 

 薄らと涙を浮かべているベルに対して微笑みを向ける彼女は、それでもやっぱり彼女らしくて。自分が死ぬという現状を前にしても、決して感情的になることなくて。それでもこうして自分を慰めるために時間も言葉も尽くしてくれるし、笑みだってくれる。自分の死を利用してでもベルに教えをくれるし、自分の未来を考えてくれて。

 

 

「……お母さんみたいに、思っていました」

 

 

「……ふふ、まあお前のような子なら私も嫌ではないのだがな。年齢的にも精々"姉"にしておけ、私はまだ27だ」

 

 

「また、来てもいいですか……?」

 

 

「ああ、好きにすると良い。……その代わり、自分のことを疎かにはするな。私に依存するようなことは、決してするな」

 

 

「……はい」

 

 

 どこまで行っても彼女は厳しくて、けれど優しくて。きっとそれは最後まで変わらず、彼女は自分にとっての"姉"で居続けてくれるのだろう。……だからこそ、その心の底に秘めている本音を話してくれることは決してない。

 だって彼女はそもそも救いを求めていないから。彼女は救われる側の人間ではなく、むしろ救う側の人間であるから。彼女にとってベルは救い導く側の人間であるから。だから力の無いベルは慰められるだけ。祖父を亡くしたあの時と同じように、袖を涙で濡らして教会を後にすることしか出来ない。彼はまだまだ子供だから。少なくともラフォリアの前では、子供でしかなかったから。



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被害者42:九魔姫

 それからラフォリアは、主にダフネを動かして色々な者達を呼び寄せた。自分が死ぬ前になるべく多くの者に、それこそオラリオに来てから一度も顔を合わせたことのない様な者にまで、伝えておかなければならないことがあったからだ。

 ……つまりは、自分が死んだ後のことも考えて根回しをしておく必要があると考えた。たとえ体が動かなくとも、その頭が動く限り、ラフォリアには出来ることがあまりにも多くあった。あり過ぎた程だ。なにせ彼女は天才であるから。その才能と行動力に何より驚かされたのは常に側に居続けたカサンドラであり、その度に人を呼び寄せに行くダフネである。

 自分達よりも才能に恵まれ、実力もあるのにも関わらず、そんな自分達とは比べものにならないほどの行動力を持つ。客人が居ない時は常に物を書いており、疲労で横たわっている時でも常に目を瞑って何かを考えている。

 

 (天才にあんなに努力されたら……凡人のアタシ達が勝てる訳がない)

 

 ダフネはそう思いつつ、しかしそれから学ばなければならないということも心に刻み込む。そんな彼女の手伝いが出来るということは、きっと普通であったら得られない経験である筈だから。これを無駄にすることは絶対に出来ないと、そう感じていた。

 

 

 

「……そうか、そこまでか」

 

 

「ああ、流石にな」

 

 

 それこそダフネにとって何より有益に感じたのは、この仕事を通してオラリオの有力な人物達と顔合わせが出来たことに違いないだろう。

 例えば今日こうして呼びに行き、今彼女と話しているその人物。リヴェリア・リヨス・アールヴという人物は、ハイエルフということを抜きにしても、普通であれば言葉を交わすことすら凡人には難しい。そんな彼女に対して上から目線で接することの出来る人間など、それこそラフォリアか同期か神々くらいだろう。

 

「お前のおかげで、アイズとレフィーヤが無事に帰って来れた。そして私達もまた犠牲を出すことなく状況を打破出来た。感謝している」

 

「アレはオッタルの阿呆が筋金入りの脳筋だったからこそだ、礼ならアイツに言え」

 

「言ったとも。……その様子では、まだここに来ていないのか?」

 

「というか、呼んでいない。アイツを呼び出すのは最期でいい」

 

「……落ち込んでいるんじゃないか?」

 

「知るか、そんなこと。……お前達の方は問題ないのか?闇派閥の関係についてだ」

 

「ああ、今はメレン港とダイダロス通りを二手に分かれて調査している。……アンタレスの一件で我々もレベルを上げることが出来た、それ故に多少の無茶も通る様になった」

 

「ほう?それはめでたいことだ。……いや、それほどまでにアンタレスが凶悪であったということか」

 

「無尽蔵の体力、尋常ならざる基礎性能、遠距離攻撃すら可能。大精霊に討伐ではなく封印されるほどの存在、事前情報以上の馬鹿げた怪物だった。それこそ女神アルテミスが自身の身体を食らわせて、わざと神力を使わせようとしたくらいにはな」

 

「……不慣れな神力を使わせることで無理矢理に制御に力を割かせ、動きを鈍くさせようとしたということか。相も変わらず無茶をする」

 

「それをせずに済んだのはオッタルのおかげだ。アレを相手にまともに前衛を張れるのはガレスとオッタルとフィンだけだった。そうまでしても、終わった頃には私も含め全員が満身創痍だったがな」

 

「特攻武器でもあれば良かったのだろうがな、まあ勝てたのなら良い。お前達3人のレベルも上がったというのなら、それ以上のこともない」

 

「ああ、世話をかけたな」

 

「全くだ」

 

 それこそラフォリアは最悪の場合、その3人の為に死力を尽くすことも考えていた。オッタルをLv.8に上げたのなら、ロキ・ファミリアの3幹部もLv.7に引き上げなければならないと。そこまでするのが最低限の自分の役割であると考えていた。しかし彼等が自分達でそれを成し遂げたというのなら、それでいい。

 それに彼等だけではない、今回の件でロキ・ファミリア内の多くの眷属達が昇華を果たしている。それこそレフィーヤでさえステータスの伸びは足りなくとも、偉業は成し遂げたという扱いになっている。まあ彼女の場合はアイズとアミッドに守られながらも、延々と砲撃でベヒーモス亜種の分身を焼き払っていたので、当然と言えば当然なのかもしれないが。そうでなくとも本体の足を持っていったのも彼女である、トップ3の功労者であると言ってもいいだろう。

 

「……少しは、安心させられたか?」

 

「……」

 

「私たちはお前に、少しくらいは、期待を持たせることが出来たか……?」

 

 リヴェリアは顔を俯かせながら、そう呟く。何せラフォリアがこんな状態になってしまった原因の一端は自分達にあると、責任を感じていたから。彼女は別にアレは自分のミスだと言うかもしれないが、しかしアレを彼女のせいにするには自分達はあまりに未熟過ぎて。不足過ぎて。

 

「……まあ、及第点と言ったところか」

 

「……厳しいな」

 

「お前達がアルフィアやザルド、若しくは私の様に、条件さえ整えればLv.9とて打倒出来る可能性があるのなら話は別だ。……しかし無いだろう、精々アンタレスを打倒したお前の魔法くらいしか」

 

「……まあ、お前達と比べられてはな」

 

「ならば単純にレベルを上げるしかあるまい、これまで以上の速度で。……そうまでしなければ、お前達は死ぬ」

 

「……」

 

 

 

「お前達は生きろ」

 

 

「っ」

 

 目を合わせてはくれない、けれど彼女はそう言葉にする。それにリヴェリアは驚いたし、困惑した。そんなことを彼女が言ってくれたということに、嬉しさもあった。それでも、それをまともに捉えていい言葉だとも思っていない。それが単なる照れ隠しだとは思っていない。

 

「私が死んだとしても、数人が悲しむ程度で終わる。だがお前達が死ねば、この世界の多くが絶望する。……お前達の命の価値は、あまりにも重い」

 

「……そういう言い方は、あまり好みでは無いが」

 

「だが事実だ。お前達がLv.7に昇華したと言う事実を誰よりも喜ぶのは、お前達ではなく周りの者達だ。そして世界の何処かの顔すら知らぬ者達だ。……故に、お前達は生き残らなければならない。世界を救うその時まで。未だ顔を見せない英雄候補達に希望を見せ続けるためにも、死ぬことだけは絶対に許されない」

 

「……重い、な」

 

「それがお前達の責任だ。ヘラとゼウスの生き残りを追放してでも得た立ち位置だ。……自覚を持て、もう逃げられん。尻を叩かれながらでも、ここまで来たのだからな。お前もまた英雄と呼ばれ、英雄として生きていかなければならない」

 

 もう逃げられない、その責任を背負って生きていかなければならない。それはなんとなく自覚はしていたけれど、実際にこうして目の前に突きつけられると狼狽えてしまうものがある。英雄として生きていく覚悟、それは決して容易いものではない。そんな覚悟を自分は本当の意味で出来ているのだろうかと。リヴェリアは思い返し、軽く唇を噛む。

 

「……逆にお前はどうしてそこまで達観出来る、私より何歳下だ」

 

「知らん、180くらいか?」

 

「ふざけるな、誰がそこまで歳を取っているものか。……お前達"母娘"はどうしてそう私の年齢をだな」

 

「なんだ、あの女にも何か言われたのか」

 

「癇癪持ちのババアだの、年増だの、色々な」

 

「……いや、私とてそこまでは言っていないだろう」

 

「年増とは言っただろうが、覚えているからな……確かにエルフとしては良い年齢になってきている自覚はあるが」

 

「今更、結婚願望があるのか?」

 

「……いや、まあそれほど無いが」

 

「ならば別にいいだろう。お前はアイズを育てた。娘が居り、ファミリアという居場所がある。それ以上の何を求める。伴侶など居なくとも、お前はより多くのガキ共を育てられる」

 

「……まあ、そうだな」

 

「その点ヤバいのはフィンの方だろう。ガレスはもうその気はないだろうが、アイツは確実に拗らせるに決まっている。将来のことを考えるのであれば、自分の伴侶のことよりアイツの嫁のことを考えた方が、よっぽどファミリアの為だろうな」

 

「……そんなに不味いのか?お前から見たら」

 

「40の男が我儘を言うな、他者に好かれているだけ感謝しろ。お前の理想の高潔な女は、お前のような奴は絶対に選ばない。……そう言っておけ」

 

「そ、それを私から伝えるのか……」

 

「私のせいにして言えるだけ十分だろう。それとも今から10年後に、お前の責任で、お前の口から言ってみるか?」

 

「わ、分かった。伝えておく……」

 

「ああ、そうしておけ」

 

 きっとそれを言われたフィンは、苦笑いをしながら、何とも言えない顔をするだろうけれど。しかし何処かで納得しつつ、もしかしたら考えを変えるかもしれない。変えなければ、もうどうしようもないが。それでもフィンは、ラフォリアの言葉を全く無視する様なことはないだろう。

 そんなことまでラフォリアが危惧していたということにリヴェリアはなんとなく面白さも感じてしまうが、もう本当に何処まで自分達のことを見て考えていたのだろうと、申し訳なくもある。それこそフィンの婚約のことなんて敢えて触れずに居た手前、今になって少しの後ろめたさもあって。

 

「……私は先に消えるが、可能な限りの物を残していくつもりだ。既にこの経験値を十分に受け渡すことすら難しいが、それ以上に価値のある物をこの地に残そう」

 

「……本当に私達は、信用されていないんだな」

 

「信用していようが、いなかろうが、私は同じことをする。お前達がそれを9割成し遂げられる力があるとしても、確実でない限り私は力を尽くす」

 

「私達も……いつかお前と同じ境地に至れるだろうか」

 

「お前達がそうならずに済む様に、私達は死ぬんだ。同じことを繰り返す様なら、私達はお前達を許さん。……精々平穏な世界で、何の想い残しもなく大往生して死ね。それがお前達の役割だ」

 

「……分かった」

 

「それでいい」

 

 こほっこほっ、と咳をこぼし。彼女はカサンドラから差し出された薬を混ぜた水を飲む。咳1つすら酷く苦しそうにするその様子は、リヴェリアの心にも痛みを齎す。自分よりも遥かに若い娘が、誰よりも大人にならざるを得ず、最後までこうしてその誰よりも前に立ち最後を迎えようとしている。

 自分より若い者が死ぬのは辛い、それがここまで献身している人間となれば尚更だ。むしろ自分達の尻拭いまでさせたとなれば、心が痛いで済む話でもなくて。

 

「……お前には、何か願いはないのか?」

 

「願い?そんなもの……」

 

「違う、オラリオの未来の話をしているのではない。お前自身、それ以外のことで心残りはないのかということだ。……こう、これをしておけば良かったな、というような」

 

「………」

 

「少なくとも、私はお前を友人だと思っている。お前もそう思ってくれるのなら、1度くらい、お前の本音の欠片程度でも聞かせてくれていいんじゃないか?」

 

「……はっ、友人だと?自惚れるにも程がある」

 

 リヴェリアのそんな突拍子もない言葉は、正直自分で言っていて少し気恥ずかしいところもあった。けれどラフォリアはそうして一度大きく溜息を吐くと、隣に居るカサンドラに一度部屋を出る様に促す。彼女は恐らく何度か同じことを経験しているのか、それを直ぐに察知すると一度頭を下げてから部屋を出ていった。

 それはつまり……

 

「……友人として認めて貰えた、ということか?」

 

「馴染みとしてだ。お前には世話になったのも事実、問いの1つにくらい答えてやろう」

 

 もしかしたら彼女は、友人と言われたことを少しは嬉しく思ってくれたのかもしれない。呆れた様に笑う彼女を見て、リヴェリアはそう思った。何せ彼女に友人など居なかったのだから。そんな風に言ってくれる人間が、27年も生きてきて1人たりとも居なかったのだから。憧れさえあっただろう。友人という存在に。そう言ってくれる人間の存在に。

 

 

「そうだな………最後に一度くらい、あの女に会いたかった」

 

 

「っ」

 

 

「それだけが、心残りだ」

 

 

 けれど、リヴェリアにとって彼女から放たれたその言葉は何より苦しいもの。何故ならリヴェリアはアルフィアという女の最後の戦いに参戦していた、彼女と直接戦ってはいなくとも、決して無関係ではない。自分のやったことに納得はしている。けれどその原因の一端を自分は握っている。

 

「あの女は突然姿を消したかと思えば、何の言葉も残すことなくこの世からも消えた。散々に私の母親を名乗っておきながら、私に何も残すことはなかった。……あの女が私に何を思い、何をしたかったのか。私はそれが知りたかった」

 

「……そうか」

 

「私の人生には、あの女の存在が大き過ぎる。私の生きている意味さえ、あの女に依存していた。他者に偉そうなことを言う私こそが1番の世間知らずであるのだから、笑い話にもならない」

 

「……アルフィアはお前にとって、母親だったのか?」

 

「……素直に認めたくはないが、今にして思えばそうだったのだろう。歳の差はそれほどなくとも、あの女がどう思っていたのかは分からなくとも、私にとっては母親だった。私はあの女に甘えていた。奴が居なくなったからこそ、自覚したことだ」

 

そうしてラフォリアは近くにあった手鏡を手に取り、その中に映り込む自分ではない自分の姿を見つめる。そこにアルフィアは居るが、そこにアルフィアは居ない。何を語りかけたところで、彼女が答えてくれることはない。

 

「……私達を、恨んでいるか?」

 

「ああ、恨んでいる」

 

「……」

 

「だが、それだけだ。恨んでいたところで何をする訳でもない、恨んでいたところで殺そうとは思わない。……悪いのは私達だ、お前達は悪くない。私はそう結論付けた」

 

「……お前にまでそう言われてしまったら、私達はどうすればいいんだ。お前には私達を恨む権利がある。私達が悪くないなどということは決してない。お前とお前の母親を殺したのは、間違いなく私達だ」

 

「違えるなよリヴェリア。私もあの女も、お前達のことが無くとも病で死んでいた身だ。お前達に責はない。……あの女がオラリオに行かなければ、私も床の上で死を待つだけだった。むしろ生かされたくらいだろう」

 

「……なぜ、なぜ恨んでくれない。どうしてそう物分かりが良いんだ。声を荒げて罵倒してくれた方が、私達はよっぽど」

 

「これから死に行く人間に、そう心を割く必要はない。お前達はこれからの事を考えれば良い。特にお前の人生は長いだろう」

 

「だからこそだ、私達にはまだ時間がある。だがお前はそうではないだろう。これから死に行く人間が、どうして私達に気を遣う必要がある。お前こそ自分のことを考えるべきだ」

 

「……ふっ、見解の相違というやつだな。平行線だ」

 

「……馬鹿者が」

 

 リヴェリアは痛々しい顔をするが、反面ラフォリアは微笑ましそうにそんなリヴェリアを見る。このエルフがここまで他者に優しくあれるようになったのは、やはり娘のおかげであるのだろうか。であるならば自分の存在で、あの女は少しは丸くなったのだろうか。そんなことを考えながら、手鏡を机の上に置いた。

 

 

「オラリオを頼んだ、リヴェリア」

 

 

「……ああ、任された」

 

 

 会話はそれで終わった。

 リヴェリア達はまた託される。あの頃にまだ幼い子供でしかなかった彼女から、未来を託される。本来なら自分達が託すべき立場であったにも関わらず、そうでなければいけなかったにも関わらず。

 

 

 

 

「……あ〜、話は終わったかな?」

 

 

「っ、男神ヘルメス?……それと」

 

 

「……久しぶりだな」

 

 

「……どうも」

 

 

「入って来い、次はお前達の番だ。……その前に、少し休息を取らせて貰うがな」

 

 

 赤い痰の混じった咳を何度かしながら、ラフォリアは次の客人を受け入れた。

 まだ少し、もう少し、話さなければならない者達が居る。



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被害者43:撃災

 一度カサンドラから治療を受け、薬を飲み、少しの休息を挟んだ後に、ラフォリアは改めて3人に向き直る。呼び出した3人に共通点は特に無い。強いて言うのであればそれは、当時のことを知る者達。それこそ、ラフォリアが聞きたいことを、知っているであろう者達。

 

 

「……まさか貴女も呼ばれているとは思いませんでした、シャクティ」

 

「それは私とてそうだ、リオン。……とは言え」

 

「俺達が集められたってことは、まあそういうことなんだろう?ラフォリア」

 

「ああ、私は改めて聞いておきたかった。他ならぬお前達の口から。……7年前のあの日、このオラリオで何が起きたのか。そして、あの女が何をしたのかを」

 

 

 7年前の闇派閥との大抗争、ここに居る三者はそれに参戦していた。ヘルメスだけは神という立場ではあったものの、しかし神という視点からも話を聞いておきたいというのがラフォリアからの要求でもあった。

 ラフォリアはこの15年間オラリオで起きたことについて、それほど詳しい訳ではない。外に伝わってくる話など大まかなもので、アルフィアがどの様に戦い、どの様に死んだのかさえも知らなかった。

 だからそれを知りたかった、知らなければならなかった。せめて死ぬ前に、それだけは。あの女の生き様と死に様だけは、聞いておかなければならなかった。

 

 

 

 

 

 

「……そうか」

 

 

 主に中心となって話したのは、リューである。そこにシャクティが細かい情報を付け足して、ヘルメスが補足を入れていく。そんな形。

 大凡1時間程度続いたその話の果てに彼女が発した言葉は、ただそれだけだった。自分の母親を名乗った女が悪として多くの死者を生み出し、最後にはダンジョンの灼熱の穴底へと身を投げ出した。あまりに苛烈なその様子を語りながら、あの時を鮮明に思い出していたのは3人もまたそうだった。

……だからこそ、思ってしまうこともある。思い出してしまうこともある。当時の感情が、蘇ってしまうこともある。

 

 

「お前の妹も、その時に死んだのか」

 

「……ああ」

 

「……そうか」

 

 

 ラフォリアが何を思っているのかは、3人には分からない。ただ瞳を閉じて頭を回し、聞いた話を咀嚼しているように見える。自分の母親がしたことについて、きっと彼女は理解出来ないのだろう。何があろうとも闇派閥などに与することが出来ない彼女には、完全に悪に染まることが出来ない彼女には、あの2人の心を理解することは難しい。そんなことをするくらいならラフォリアは闇派閥を叩き潰し、別の方法で冒険者達を蹂躙するだろうから。そういう人間であるから、彼女は。

 

 

「納得のいく答えは出せたかい?」

 

「いや、無理だ。価値観が違い過ぎる。……古株共を排除するのはともかく、新芽まで摘んだ意味が分からん」

 

「……お前は若い者達に可能性を見出せたが、奴等にとっては今居る者達の早急な成長こそが重要だったのだろう」

 

「それほどに焦っていた、危機感を感じていたと、俺は思ってるよ」

 

「……なるほど、そういう意味では私も真に奴等と同じ境地には居なかったということか。まあそれは別に良い。結局どちらが正しかったのかなど、10年先にならなければ分からないのだからな」

 

 

 単純に育成の方向性として。ラフォリアは以前にオッタルにも言ったように、若い芽に対して強く期待をする。可能性を見出そうとする。故に若い芽は積極的に守り、導く。だからその芽達を多く潰した彼等の方針にはどうしても賛同出来ないし、納得出来なかった。

 ……けれど、だからと言ってそれでどうすることもない。もう終わったことなのだから。今更何を言ったところで、何も変わらないことなのだから。先の無いラフォリアのすべきことは、ただその起こった事実を認めること。

 

 

「ラフォリア、お前は……」

 

「安心しろ、私は同じことをするつもりはない。このまま平和に死んでやる」

 

「……」

 

 

 あまりに当たり前の様にそんなことを言う彼女に、シャクティは悲しげに俯く。しかしシャクティとて事情は事前に聞いている。彼女の病のことも、それが治せないこともまた。

 

 

「……結局、お前は最後の最後までベッドの上か。どうして天才というものは、ここまで薄命なのだろうな」

 

「ああ、全くもって忌々しい。この話も、もう何度したか分からないほどだが」

 

「まあ、これだけ人を集めていたら同じ話もするだろうさ。それで……聞きたいことはもう終わりかい?話せることがあるのなら話させて貰うよ」

 

「それについてはまだ2つある」

 

「2つ?」

 

 

「アルフィアの遺言を、まだ私は聞いていない」

 

 

「「!」」

 

 

「リュー・リオン、お前は最後までその場に居た筈だ。そして本当にお前達が奴を倒したのならば、奴の最後の言葉を知っているのは最早お前以外に存在しない」

 

 

「遺、言……」

 

 

「思い出せ」

 

 

 それは最早7年も前の話、そうでなくともその7年の間にリューには色々なことがあった。それこそ今こうして3人で思い返しながら話していると、『ああ、そんなこともあった』となるくらいに覚えが薄くなっていることでもある。それが7年という歳月であり。それこそシャクティの妹であるアーディの事だって、この話をしている最中に情報が補完されていき、思わず泣きそうになったほどだ。

 ……だからきっと、あの言葉も。あの後すぐに地の底から這い上がって来た怪物と戦わざるを得ず忘れてしまっていたあの言葉も、彼女がこうして場を作ってくれなければ思い出せたことでもなくて。

 

 

 

「…………自分の亡骸は、灰に帰すと決めていると」

 

 

「ほう」

 

 

「けれどそれを…………ああ、"あの馬鹿娘"は怒るだろうと」

 

 

「……」

 

 

「………………………………最後のヘラの眷属に、"悪かった"と、伝えておいてくれと」

 

 

「……くく、今の今まで伝えられていなかったが?」

 

 

「す、すみません……私も、その、今思い出して……」

 

 

「いや、いい。事実として今こうして伝わった。それで良い」

 

 

 それを思い出したリューは、本当に申し訳なさそうに頭を下げるが、7年も前の敵の一言を思い出せという方が酷だろう。正義のファミリアであった彼女達にとって、確かに衝撃的な相手であったことに違いはなくとも、所詮は敵の1人でしかなかったのだから。……そうでなくとも、アストレア・ファミリアは壊滅して、生き残りは1人。リューまで完全に忘れていたら、この一言さえ聞けなかった。その遺言を聞けただけでも十分だ。思い出してくれただけでも、ずっとマシだ。

 

 

「……やれやれ、怒るに決まっているだろう。むしろ何故怒られないと思えるんだ、あの馬鹿女は」

 

 

「ラフォリア……」

 

 

「結局、私に残したのはその一言だけということか。アホらしい、私は何を期待していたんだ。『悪かった』の一言で済ませられる程度の存在だったということか、所詮は」

 

 

 彼女にしては珍しく片手で顔を押さえて俯く、そんな彼女に掛けられる言葉をリューは持っていない。シャクティもなんとも言えず肩をさすってやるくらいしか出来ないし、どうしようもない。

 だってそれをフォロー出来る者なんて何もないから。あの最中に彼女がラフォリアの存在を仄めかしたのはその一瞬だけであり、それを言葉にした後も彼女は何の迷いもなく自身を大穴に投げ捨てた。そこまで含めて彼女のしなければならなかった事だとしても、確かに言葉が足りていないと言わざるを得ない。

 『悪かった』の一言は無いよりはマシであったかもしれないけれど、あったからこそ辛いのだ。その一言で捨てられる程度のものであったと、当人は思えてしまって。事実そうして切り捨てられてしまっているからこそ、余計にその悲しみは深まってしまって。

 

 

 

「……悪いが2人とも、少し席を外してくれないか?」

 

「?」

 

「神ヘルメス?」

 

 

 だからこそ、彼は一歩足を踏み込んだ。死にゆく人間がこんな顔をしていたらいけないと。絶望しながら死にゆくなど、彼女はそんな悲しい最後を迎えるべき人間ではないと。そう思った。

 

 

「ラフォリアに話しておかないといけないことが出来た。そしてこれは、まだ君達には聞かせられないことでもある」

 

「……分かりました。シャクティ」

 

「ああ」

 

 

 いつになく真面目な顔をしたヘルメスのその言葉に、2人はそのまま部屋を出て行く。ラフォリアは未だに手を顔に当てているが、しかし目だけは訝しげにヘルメスを見ていた。

 今この状況で話さなければならない事というのは何なのか。まだこの件について隠し事でもあるのか?こういう男神なのだから、当然隠し事などいくらでもあるのだろうが。それでもこの男神は馬鹿では無いし、空気は読める。故に抱いたのは不審ではなく興味。……そして少しの、恐怖。

 

 

「……本来、この件は誰にも話すつもりはなかった。少なくとも今はその時期ではないと、そう思っていた」

 

「……何の話だ」

 

「だが、ああ、やはり君には話しておくべきだと思ったんだ。他でもない君には、どうしようもないほどに死が近づいて来ている君には」

 

「……?」

 

 

 ヘルメスとて、これを話すべきなのかはずっと悩んでいた。彼女の存在を最初に知った時から、今の今まで。本当に話してもいいことなのか、測りかねていた。

 だが今のアルフィアの遺言の話を聞いて、やはり話しておくべきだと確信した。むしろ今話しておかなければならないと思った。遅過ぎたよりも、早過ぎた方がよっぽど良い。むしろ遅かったくらいなのかもしれない。もしそれを先に話しておけば、少しくらい今の彼女の状況は変わっていたのかもしれないのだから。

 

 

「……なんだ、今更何を語ることがある。それともあの女は、お前にだけ他に遺言を残していたとでも言うのか?」

 

「いや、残念ながらそれはない。アルフィアについて知っているのは、間違いなくリューちゃんくらいしかもう残ってはいない。……だから俺がこれから伝えることは、それとは全く別のことだ」

 

「……?」

 

 

 そうだ、アルフィアのことについてヘルメスは殆ど全く知らないと言ってもいい。話してすらいないくらいだ。しかしヘルメスだからこそ、ヘルメスにしか知らないことだってある。彼の担っている役割故に、彼だけが知っていることは、あまりに多くあって。

 

 

「……最後のヘラの眷属、それは間違いなく君のことだ」

 

「回りくどい、率直に言え」

 

「しかし、まだヘラの眷属の血は完全に途絶えてはいないだろう」

 

「……!」

 

「俺はその子供の居場所を知っている」

 

「っ、なんだと」

 

 

 アルフィアの妹、それが残した子供。聞いた話ではそれは今はゼウスに引き取られているとラフォリアは聞いていた。年齢的には14になる子供の筈であるが、確かにその少年は間違いなくヘラの眷属の血を継いでいると言えるだろう。なんだったらゼウスの眷属の血まで。……だが。

 

 

「……それがどうした、私にとっては関係のない話だ。所詮は他人の子供、見たこともない様なガキにそれほど興味はない」

 

 

 そうだ、事実としてラフォリアはそれほどメーテリアに対して強い感情は抱いていない。それは確かに話したことくらいはあるし、変に世話を焼かれたこともある。しかし当時の自分はそれを嫌い、あまり親しくはしなかった。仮にその子供と会ったとしても、精々"似ているな"くらいしか感情など湧くはずもなく。

 

 

 

「それが君もよく知っている人物だと言っても、同じことを言えるかい?」

 

 

 

「……………………………どういう、ことだ」

 

 

目を見開く。

 

 

「その少年は今、このオラリオに居る。ゼウスの手を離れ、自らの意思でこの地を踏んだ。……そして偶然にも、出会ってしまったんだ。同時期にこの街に戻って来た、自身の従姉妹とも言える存在と」

 

 

 

「…………あり得ない」

 

 

 

「ああ、出来過ぎた話だ。だが事実としてそうなっている。そしてその事実を聞いた今、君の中にも何処か納得出来る要素が浮き上がって来ている筈だ。……そうでなければどうして、君はまだLv.1の彼にだけここまで入れ込んだ。彼には確かに素質はあったが、最初の頃はそうでもなかったんじゃないか?」

 

 

 

「………」

 

 

 

 白い髪、赤い瞳。こちらが居辛さを感じるほどの腑抜けた優しさに、神々にすら好かれる様な気質と器。

 ……正直、繋げようと思えばどれだけでも繋げることは出来た。しかしそんなことはあり得ないと思っていたから、そんな都合の良いことは起こり得ないと思い込んでいたから、無意識にその可能性を捨てていた。

 そのガキも彼と同じくらいにまともに成長していればいいなと、そう願ったことくらいはあれど。まさか本当にその子供が目の前の少年であったなどと。そんなこと……

 

 

 

「そう、か……」

 

 

 

「………」

 

 

 

「そう、だったのか……」

 

 

 

 ポツリと、右の目から1滴の涙が落ちる。

 

 

 

「本当に、私は……あの子の、姉だったのか……」

 

 

 それはあまりにも普通の人の顔で、あまりにも普通の人間らしい反応で。天才でも、撃災でもない。ただ1人の姉としての、喜びの顔を見る。

 

 

「優しい子に、育ててもらえたのだな…………"ベル"」

 

 

 思い返す、あの子の笑顔を。

 鬱陶しいほどに纏わりついて来ても、それでも慕ってくれた彼の顔を。自分の先が無いと知って、心底辛そうな顔をしてくれた彼のことを。そんな心優しい少年に育ってくれたことが、今は何より嬉しく思う。

 興味などない筈だったのに、所詮は他人だと思っていた筈なのに。それでもいざその少年がベルであると分かれば、人の認識はこうまで変わる。こうまで嬉しくなってしまう。……不思議なものだ。本当に、不思議で。本当に、安堵出来て。

 

 

「……悪かった、この話を今のオラリオで容易くすることは出来なかった」

 

「分かっている……お前が正しいとも。それを知らなかったからこそ、ベルはここまで健全に成長出来たのだから。それでいいんだ」

 

「……そうか」

 

 

 もしかしたらヘルメスは。いやヘルメスでなくとも、それこそオッタルであったとしても。彼女のこれほどまでに憂いのない満面の笑みを見たものは、過去に絶対に居なかったに違いない。

 なにせそれは美人や美神に見慣れたヘルメスでさえ一瞬見惚れてしまうようなものであり、それほどに彼女は優しい笑みを浮かべながら目の端に溜まった涙を拭っていたから。その笑みを見れただけでも、この話をした十分な理由になったと思えてしまったから。この事実は彼女にとって、それほど意味のあることだったのだ。それこそ知らず知らずにもベルとここまで関係を深めることの出来た、彼女だからこそ。

 

 

「……ベルくんを呼んでこようか?今直ぐにでも」

 

「……いや、必要ない。それよりもオッタルを呼んできてくれ」

 

「猛者を?」

 

「ああ」

 

 

 そうしてラフォリアは、普段通りの表情に自分を戻す。涙もすっかりと拭き終わり、彼女の姉としての顔は消えた。むしろ何かを決心したかの様な顔をして、目を閉じる。

 

 何処かすっきりしたような表情で。

 

 最後に一言、呟いた。

 

 

 

 

「私のすべきことが、定まった」

 

 

 

「……心もな」



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被害者44:○○

「遅かったな、オッタル。女を待たせる癖はまだ治らないのか」

 

「……待たせたのはお前だ、ラフォリア」

 

「くく、そうか。それは悪かったな」

 

「……」

 

「まあ座れ、お前を最後に呼んだのには理由がある。それを今から話してやろう」

 

「……ああ」

 

 

 久しぶりに見たその女は、最早どこにも強者の雰囲気など残ってはいなかった。未だに恩恵は残っている筈なのに、戦う者としての覇気を纏っていなかった。それも仕方ないくらいに、弱っていた。

 そこに居るのは単なる病人。死に向かって緩やかに歩んでいく、戦うことをやめた者。生きることを諦めた者。そんな存在になってしまった女の姿。

 

「っ」

 

 なにより悔しいのが、そして苦しいのが、自分の憧れた女がそんな姿になってしまったこと。そして何より、彼女をそんな姿にまで追い詰めたのが他ならぬ自分であること。自分に力が無かったばかりにこうなってしまったこと。そしてそれを言い訳できる要素が自分の中に一欠片として無いということ。

 オッタルは言われた通りに、ベッドの横にあった椅子に座る。体躯の大きい彼がそれに座れば椅子はなんだか妙に頼りなくなってしまうが、ラフォリアはそれすら面白いように笑ってみせる。

 

 

「言ってしまえば、最後に話すのはお前が良かった。理由としてはそれだけに過ぎん」

 

「……どういう、ことだ」

 

「私はお前と話したこの後、死ぬつもりだ」

 

「っ!?何故だ!まだお前は……!」

 

「ああ、あと半年程度なら生きられるだろう。……だが、それでは私の目的が果たせない可能性が出てくる。果たすべき最後の計画を『確実に』成すためには、余裕のある今でなければならない」

 

「……何をする気だ、ラフォリア」

 

「……」

 

 

 

 

 

「アルフィアを呼び戻す」

 

 

 

 

「!?」

 

 

「それが私の最後の計画であり、最後の……"親孝行"だ」

 

 

 ラフォリアは笑った。自分の死を前提としたその計画を話しながら。オッタルがそれまで見たこともない様な、自然で優しい表情で。

 

 

 

「……結局のところ、私はこのままでは死ぬ。半年とは言ったが、正直半年保つかも怪しい。私はこの通り、生きている限りは働き続けるからな。既にここ最近だけで1月分くらいの寿命は費やした気がしている」

 

「……」

 

「だが、私が完全にアルフィアになれば話は別だ。半端な状態であれば、2つの病は絡み合ったまま消えることはないだろう。しかし完全に片方に寄れば、完全に片方の要素を消せば、病は自然と消失する。……変に残そうとしたから悪化したんだ。勿論アミッドの危惧していたことはあるだろうが、緩和した私の病であればアイツなら治せるだろう。それも分かった」

 

「……本気で言っているのか」

 

「アミッドがアルフィアの病を緩和する薬を作り出すことに成功している。完治は出来なくとも、生きていくことに不足はないだろう。……つまり私の不明瞭な半年を捨てることで、アルフィアが普通の人生を手に入れられる。私の存在もある程度オラリオに広まった、罪人である奴が生活していても文句は言われないだろう。最早何を迷う必要があるのかというくらいの好条件は出来上がった」

 

「だがお前は!………それで、いいのか」

 

「構わない。それであの女とベルが会うことが出来るのなら、何も迷うことはない。……むしろ私に、これ以上を生きる理由など何処にもない」

 

「っ」

 

「オラリオとしても、私の上位互換であるあの女が生きていた方が良いに決まっている。……何か問題があるか?無いだろう、何処にも」

 

「それ、は……」

 

「無いんだよ、オッタル。私がこれ以上生きなければならない理由なんて」

 

 最近は、寒さも落ち着いて来た。少しずつ暖かさが見えて来た頃合いであったというのに、どうしてか今日は妙に寒い。外から聞こえ始めた雨音こそがその原因であったのかもしれないが、その音が今日ばかりは妙にオッタルの耳に障る。

 到底受け入れられないそんな話を、何事もなく、ただ淡々と話す彼女の顔から目を離せない。言葉にしたくとも、口から否定の言葉が出てこない。どうすれば彼女を説得出来るのかも分からない。そうでなくとも……何が正しいのか、何故自分は彼女を止めようとしているのか。オッタルにはそれすらも分からない。

 

 ……ずっと、そうだった。

 

 彼女の言うことはいつも正しかった。彼女の忠告はいつも当たっていたし、それは彼女がオラリオに帰って来てからだってそうだ。ダンジョン内で襲撃した時に言われた『後悔する』という言葉もそうだ。彼女はいつも正しい。だから彼女の言うとおりにしていれば間違いない。むしろ信頼しているからこそ、信用しているからこそ、オッタルは否定を口にすることが出来ない。その否定の言葉がまた取り返しのつかない間違いを引き起こしてしまう気がして。それが怖くて。どうしようもなくて。

 

「まあ、個人的には満足している。この才能の意味も見出せた、これ以上ここで私がすべきこともない。私でなくとも、あの女なら私以上に役割を十分に成し遂げるだろう。……正直あの女の代替品として生かされていた様で腹も立つが、事実としてそれが1番誰もが幸せになれる。ならばもうそれでいい」

 

「……お前も、幸せなのか?」

 

「少なくとも、半年後に後悔するよりは幸せだろうな。時間が経ち、私がスキルすら十分に発揮出来ないほどに劣化してしまえば、私は最悪の死に方を選ぶことになる。それよりはマシだ」

 

「………」

 

「私のやることは変わらない、今出来る最善を尽くすだけ。むしろ消える代わりにあの女を生き返らせることが出来るのなら、しない方が罪だろうよ。Lv.7が1人減るか維持出来るか、これは今のこの世界にとってあまりにも大きな違いだ」

 

「………そう、だが」

 

 正しかった、なにもかも。

 オッタルでさえ、そう思った。それは正しい選択だと、そう思わざるを得なかった。本当にこの世界を救うことを考えた場合、むしろそうしなければ裏切りでもある。故にきっと彼女のその行動に間違いはない。Lv.7という戦力を失うことが出来るほど、今この世界に余裕はない。彼女の半年より、アルフィアの復活を選ぶのは当たり前の話だ。彼女は間違っていない。

 

「だが…………」

 

「……?」

 

 そこから先の言葉が、出て来ない。

 それが正しい選択であると分かっている筈なのに、理解出来ている筈なのに、どうしてもそれを受け入れることが出来ない。肯定することが出来ない。理由は分からない、自分がまた間違いを犯しそうになっているということも分かる。間違っているのは自分であり、これもまた後悔を引き起こす選択であるということだって知っているのだ。それなのに……

 

「……それしか、本当に方法は無いのか」

 

「ふふ、なんだ?そんなに私に死んで欲しくないのか?」

 

「……そうだ」

 

「……………ああ、その気持ちは嬉しい。だが分かるだろう?どちらにしても私は限界だ。代わりの案など存在しないし、私が助かる方法など何処にもない」

 

「分かって、いるが……」

 

「馬鹿者、そんな顔をするな。お前にそんな顔をされてしまえば、私はどんな反応をすればいいのか分からなくなるだろう」

 

 そうしてラフォリアは近くの引き出しを開け、1つの箱を取り出す。真っ白な平箱、丁寧に取り出したそれは彼女が相当に大切に保管していた物であると見て分かる。そしてそんなものをラフォリアは何の迷いもなくオッタルへと手渡した。

 

「これは、なんだ……?」

 

「お前が選んだ私のドレスだ、返しておく」

 

「……何故だ」

 

「私にはもう着られん、だがこれをアルフィアに着せたくはない。故にお前に返しておくことにした」

 

「……俺が持っていても、どうにもならないだろう」

 

「そうだな、故に扱いはお前に任せる。捨てるなりなんなり好きにしろ。ただ私が持っていたくないというだけだ」

 

「気に入らなかったか……?」

 

「……本当に気に入らなければ、受け取った時点で突き返している。そこまで綺麗にして返したんだ、察しろ鈍感」

 

「……すまない」

 

「本当にな」

 

 それを彼に渡した後、ラフォリアは持ち上げたベッドに身体を預け、ゆっくりと脱力しながら天井を見上げた。それを手渡せたことで、本当に自分がすべきことが全て終わった。それに安心したのだ。

 もう少し余裕があれば最後にもう一度くらい着てやろうかとも思ったが、残念ながら今の自分では満足に立ち上がることさえ難しい。その真っ白なドレスも、今となっては良い思い出だろう。一緒に踊らされた時は心底恥ずかしくあったが、それでも。

 

「頑張れよ、オッタル」

 

「っ」

 

「私は消える。……そうなれば本当に、お前に忠告を与えてくれる人間は居なくなるだろう。お前のケツを蹴り上げる奴は居なくなる、アルフィアがお前のためにそこまでするとは思えん」

 

「……お前がこの街に来る前は、そうだった。お前が突然現れただけだ」

 

「ああ、そうだったな。……元に戻るだけか、何もかも」

 

 ごぼごぼっと、肺の中で明らかに何かが溜まっている様な音を響かせながら、彼女は咳をする。口元に当てた手には当然の様に赤く黒い血が溜まっており、慌てて立ち上がったオッタルを制すと、彼女は慣れた様にそれを近くに置いてあった布巾で拭いた。

 

「……俺のせいだ」

 

「いいや、お前のせいではない」

 

「俺があの時、素直にお前の忠告を聞いておけば……」

 

「長生き出来るとは思っていなかった、最初から分かっていたことだ」

 

「……俺を、恨んでくれ」

 

「恨まない。確かにお前は馬鹿なことをしたが、私はお前のそんな馬鹿なところを好ましく思っている。故に恨みはしない。心配はするがな」

 

「……看取らせては、くれないか」

 

「嫌だ、お前はこのまま帰れ。……そこも含めて計画していることがある、お前はそれの邪魔になる」

 

「……」

 

「戻るだけだ、そう言っただろう。15年前に有耶無耶になった因縁がここで終わるだけだ、お前はこれからも変わらずに生きていけばいい。……以前と変わらず、ただ女神だけを見ていればいい」

 

「……」

 

「……はぁ。何をそんなに落ち込むことがある、お前は」

 

 俯いたまま喋らなくなってしまったオッタルの頭を、ラフォリアはガシガシと乱暴に撫でた。けれどそれに対してもオッタルは何も言葉にすることが出来ず、その大きな身体を妙に小さく縮こませるばかり。この男がこうまで自分の死を悲しんでくれるということは、ラフォリアとて素直に嬉しいと思う。けれど同時にやはり心配にもなる。自分の死がこの男の生き方に影響を与えてしまわないか、この男を英雄としての道から逸らしてしまわないか。不安にもなる。

 

「後は頼んだぞ」

 

「……お前まで俺に、託すのか」

 

「託すとも、お前にしか託せない」

 

「……荷が重過ぎる」

 

「どうしてそう今日は珍しく弱音を吐くんだ」

 

 

「それは、お前が……」

 

 

「?」

 

 

「お前が共に、背負ってくれるのだと……思っていた……」

 

 

「……」

 

 

「俺には学がない。力しか無い故に、脳筋と言われる」

 

 

「……そうだな」

 

 

「だが、お前は俺のことをよく知っていた。お前と肩を並べている時、俺は何より自分の力を存分に振るうことが出来た。……お前が隣に居る時、俺は安堵していた」

 

 

「良い大人が甘えるな、そんな子供の様な情けないことを言ってくれるな。……あまり私を、困らせてくれるな」

 

 

「……すまない」

 

 

「本当に分かっているのか?」

 

 

「……すまない」

 

 

「本当にお前は図体のデカいガキだな」

 

 

 言葉はキツイけれど、彼女は本当に弟を見るような優しい目でオッタルを見ながら頭を撫でる。なにせこれで見納めなのだから。むしろこうも思っていた。やはり最後に呼び出したのがこの男で良かったと。

 もう一度くらいベルの顔も見てやりたかったが、結局のところ、ラフォリアが自分の意思を託すことを選んだのはベルではなくオッタルであったから。だからこれで良かったのだ。これで何も間違ってはいなかった。

 

 

「さあ、もう帰れ」

 

「……最後の言葉がそれか」

 

「なんだ女々しい奴め、これ以上私にどう言葉を尽くせと言うつもりだ」

 

「……聞かせてくれ。俺はこれからどうすればいい」

 

「変わらずに居ればいい、それ以上は求めない」

 

「……何も、求めてはくれないのか」

 

「お前に求めるのは強くあること、そして託したものを持ち続けること。それだけだ。次にこの身体に会った時は、それはアルフィアだ。アルフィアに対してお前がどう反応するのかも、お前が好きにしたらいい」

 

「……分かった」

 

 

 そうしてオッタルはようやく立ち上がる。

 説得は出来ない、意味がない。彼女は止まらない、そして自分に止まらないことを求めている。ならばそれを遂行してこそ、自分達の関係だろうと。いつぞやと同じように、最後の別れに背を向ける。

 ……このドレスだって、きっとオッタルは捨てることはない。フレイヤに対する後ろめたさはあっても、持ち続けるのだろう。いくら忠誠があったとしても、託されたものだから。その意思と願いと共に、渡されたものだから。

 

 

「お前のことを、忘れることはない」

 

「っ……さっさと忘れてしまえ、その方が楽だ」

 

「いや、忘れはしない」

 

「……長く生きろよ、オッタル」

 

「……無論だ」

 

 

 交わした目を互いに閉じて、オッタルはドアの方へと歩いていく。言葉はそれきり、振り向くこともしない。

 けれどその間、2人の頭を過ぎっていくのは過去の記憶。目の前の男と女の、最初の出会い。そして妙な関係となり、一度の別れを経たその時。ようやく再会したかと思えば、殺し合って。

 

……本当に、色気も何もない。

 

 

 

 

「延長戦にしては、楽しめた方だな……」

 

 

 窓の外は生憎の曇り空、雨が止んだだけマシか。

 

 

「……もしかすれば私の人生は、お前を蘇らせるためのものだったのかもしれない。アルフィア」

 

 

 彼女の劣化品であり、けれど劣化品なりの最低限の働きは出来た。誰も文句は言わないだろう。

 

 

「あぁ……お前が羨ましいよ、アルフィア」

 

 

 用意しておいたものを引き出しから取り出し、机の上に置く。

 左手に灯った鈍い光、これでラフォリア・アヴローラという存在は完全に消え失せる。肉体も魂も全てをアルフィアという女の物に書き換え、自身を構成する凡ゆる要素の一切が、この世界から消失する。

 

 

 

「私はきっと、お前になりたかったんだ。お前に憧れていたんだ。私以上の才能を持ちながら、妹やヘラ達に愛されていたお前の様に。……その末にこんなスキルが出来てしまったというのなら、皮肉にも程がある。たとえお前の姿になったとしても、お前の立場にはなれないというのに」

 

 

 

 思い返す、走馬灯の様に。

 

 記憶が巡る。

 

 意識が朧げになる。

 

 ……馬鹿なことをした、無茶なこともした。

 

 心配をされた、怒られもした。

 

 あの女は必ず、自分の目を見て話していた。

 

 そして必ず、物理反射に引っ掛からないように手の甲で優しく額を小突いて、注意をして来た。

 

 

 

【さっさと寝ろ、馬鹿娘】

 

 

 

「……ああ、もう寝るとも。馬鹿親め」

 

 

 

 あの女が自分のことをどこまで本気で娘だと思ってくれていたのかは、結局のところ分からない。けれどこの"親孝行"で、育ててくれた恩くらいは返せたと思いたい。

 

 

 

 ……瞳が落ち始める。

 

 窓の外に見える景色は静かだ。

 

 誰も居ないこの部屋で、誰に見守られるでもなくゆっくりと意識が消えていく。

 

 恐怖はある、けれどそれを見せることはない。

 

 

 もう一度くらいベルに会っておきたかった。

 

 

 けれどもう心を揺らがせたくはない。

 

 

 

 だから、これでいい。

 

 

 

「最後くらい、笑って死んでやる……私の人生の、締め括りは、それで……」

 

 

 

 そうしてラフォリアは、そのスキルの出力を引き上げる。

 

 自分が消えていく感覚というのは、想像していた以上に悍ましい。

 

 恐ろしい。

 

 孤独であることもまた心を追い詰める。

 

 

 ……けれど、もう追い詰められたところで止まらない、止められない。むしろ1人でなければ、誰かに止められてしまっていたから。

 

 

 

 (お前は、こうなるなよ……オッタル……)

 

 

 背を向けて歩いて行った彼を思う。

 

 

 (孤独というのは、存外……辛いものだ……)

 

 

 

 ファミリア、パーティ、仲間。

 一時とは言えそれに加わり戦ったここ最近。不覚にも、楽しいと思ってしまった。そして、そんな経験を27年もして来なかった自分を悲しく思った。孤独は辛い、寂しさは苦しい、そんな当たり前のことはラフォリアでさえ感じる。故に願う。せめてあの男くらいは、こんな想いをしてくれるなと。あの男くらいは仲間に恵まれて欲しいと。あの時ラフォリアから背を向けて仲間の為に走った彼の同胞達のことを思い出しながら、願う。

 

 

 闇の中に落ちていく。

 

 

 指先から溶けていく。

 

 

 

 もう2度と、あの光の中へ帰る事はない。

 

 

 

 

 伸ばした手を、誰かが掴んでくれることはない。

 

 

 

 

 

 

 

 ……なぜ、手を伸ばしたのだろう。

 

 

 

 

 この道を選んだのは自分の筈なのに。

 

 

 

 

 

 

 最後に抱いたそんな疑問と共に、ラフォリア・アヴローラの意識は潰えた。

 

 

 彼女は自殺に成功した。

 

 

 自分を殺すことが出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 ……この世界から完全に、消失した。



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被害者45:想う者達

『うわぁぁあん!!聞いてよラフォリア!!ヘファイストスが!ヘファイストスが酷いのよ!!』

 

『……五月蝿いんだが』

 

『あー、アフロディーテ様でしたっけ。あんまり騒ぐ様なら外に放り出しますけど』

 

『酷くない!?みんな酷くない!?泣いてる女神が居るんだから、少しくらい慰めてくれても良いじゃない!』

 

『……アフロディーテ』

 

『アルテミスなら分かってくれるわよね!?ね!?』

 

『君は口に綿を入れて喋ったほうがいい』

 

『むごっ!?もごごっ!?』

 

 口に綿を詰められて、何やら訳の分からないことを言いながらアルテミスに詰め寄るアフロディーテ。けれどその度に口の中に入れられる綿の量を増やされて、ラフォリアはそんな彼女達の姿を見て少しだけ楽しそうに笑う。

 

『女神ヘファイストスもここには来たが、妙に機嫌が悪かったかと思えばお前のせいか。どうせまた余計なことを言ったのだろう』

 

『い、言っへないわよ!わらひはいつも通り挨拶しに行ったらけなんらから!』

 

『まあヘファイストスにとっては君の存在そのものが地雷の様なものだし、顔を出した時点で機嫌を悪くするのは仕方ないと思うよ』

 

『存在が地雷ってなに!?』

 

『アレは顔どころか名前を口にした時点で不機嫌になったからな』

 

『そこまれ!?そこまれ嫌われてるの私!?』

 

『これだからね』

 

『こんなアホと付き合っていたとは、当時のヘファイストスは相当に血迷っていたんだろうな』

 

『正しく本人はそう言っていたよ』

 

『た、たひかに悪いのはわらひだけど!誰か1人くらい慰めなさひよ!!』

 

『そうかそうか、大変だったな馬鹿。酷いことを言われて辛かったろう馬ぁ鹿』

 

『アンタいちいち馬鹿って言わらいと気がしゅまないわけ!?』

 

『アフロディーテ、騒がない騒がない。これ以上詰められる綿はもう無いんだ』

 

 ……そんな風に、馬鹿な話をした。

 

 色々と変わったアルテミスはなんだかラフォリアと妙に気が合う様になって、アフロディーテの奇行も余裕を持って対処出来るようになった。そんな2人に対してアフロディーテも、弄られながらも楽しく話すことが出来て、アルテミスともこうして自然と話せる様になったことが、彼女にとっては何より嬉しかったことでもあったりする。

 

『お前達はいつまでここに居るんだ?』

 

『うん?ああ、せっかく来たんだ、私は観光と挨拶がてらゆっくりしていこうかと思っている。眷属達もそうしたいだろうからね』

 

『……そ、そうね。私もそうするつもりよ。し、仕方ないからアルテミスの観光に付き合ってあげてもいいんだからね!』

 

『そうかい?それならヘスティアも誘って、彼女に案内して貰おうか』

 

『くく、そうしてやれ。あの馬鹿乳も最近は肝を冷やすことばかりで疲れているだろうよ』

 

『あ、あんた……ヘスティアの事どんな呼び方してんのよ……』

 

『ああ、そう言えばアポロンがまた馬鹿なことをしたんだったか……頭が痛い、後で謝っておかないと』

 

 

 そうやって、笑い合った。

 素直に楽しいと思えた。

 それくらいに神嫌いのラフォリアは、自分達に心を開いてくれたのだと分かった。だからこそ楽しかった。

 

 

『それでね!ラフォリアったら意外と酒に弱いの!神の眷属の癖にたった2杯の薄っすい果実酒で酔っ払ったくらいなんだから!』

 

『……記憶にないが』

 

『へぇ、それは意外だ。彼女は酔うとどうなるんだい?やっぱり大暴れしたのかい?』

 

『そう思うでしょう?私もそう思って逃げようとしたんだけど……実はそうじゃなかったの!』

 

『……本当に記憶にないんだが』

 

『具体的には?』

 

『なんかね〜、急にしんみりしちゃったのよね。ポロポロ泣き出しながら昔のこと話し始めて』

 

『そうなのかい?それもまた意外だ』

 

『……おい、話を作っていないだろうな』

 

『作ってないわよ!むしろ私の方が困ったんだから!どんだけ気遣ったと思ってんのよ!』

 

 そんな話もした。

 きっとアフロディーテか何処かの酒場の女主人くらいしか知らない彼女の酒癖についても、ここで漸く交流された。そしてラフォリア自身が自覚させられた。恥ずかしい想いをさせられながら。

 

 

 

「ほんと寂しがり屋よねぇ、あの子」

 

「ああ、ここ最近はずっと人を呼んでいるらしい」

 

「いやぁ、彼女にそんな一面があるなんて知らなかったよ。彼女は確かに優しい子だったけど」

 

 

 3柱で茶屋を訪れ、机を囲みながら久方振りに言葉を交わす。こうしてゆっくりするのもいつ以来か。アポロンから奪い取った拠点の改築もそろそろ終わる頃、それまでの空き時間を使っているとは言えヘスティアとしては本当に楽しい。故郷の友人との会話、それは何事にも変え難い大切な時間だ。

 

「それにしても、みんな変われば変わるもんだよねぇ。アルテミスもすっかり柔らかくなったし、アフロディーテとも普通に話してるし」

 

「ふふん!これくらい女神の中の女神:アフロディーテにかかれば当然のことよ!」

 

「どちらかと言えば、割とラフォリアのおかげだけどね」

 

「でも君達2人もラフォリア君の恩恵を触ったんだろう?なんだか偶然とは思えないというか……」

 

「……まあ、そこはあの子の好みっていうか」

 

「良くも悪くも、下界や子供達に真摯で必死な神を好む子だ。アフロディーテだってこんなだけれど、ちゃんと下界のことを愛している」

 

「……"こんな"って言うのは引っ掛かるけれど、まあ、うん、悪い気はしないわね」

 

「相変わらずチョロいなぁ、アフロディーテ……」

 

 あれほど天界で喧嘩をしていたアフロディーテとアルテミス、しかし今は席を隣にして語り合う。堅物真面目委員長であったアルテミスは声の質も言葉の使い方も、果ては考え方まで随分と柔らかくなった。そういう意味ではヘスティアだって立派な眷属大好き愛してるウーマンになっただろう。下界に来て神々は変わり、そうして各々に変わった互いを見て、また語り合う。それもまた下界に降りた神々の楽しみの一つでもあるだろう。

 

「……ラフォリアくんのこと、実は僕は殆ど知らないんだ」

 

「そうなのか?一緒に教会に住んでいたんだろう?」

 

「うん、一応ね。けど彼女はあまり自分のことは話してくれないからさ。ダンジョンにもよく潜っていたし、聞き出す時間もなくてね」

 

「あ〜、確かにあの子そういうところあるわよね。まあ私は時間あったから滅茶苦茶聞き出してやったんだけど」

 

「ふふ、嫌な顔をされなかったかい?」

 

「されたわ、あまり詮索するなって言われた。けど知りたいんだから仕方ないじゃない!聞きたいこと全部聞いてやったわ、全部!」

 

「あはは、流石アフロディーテ……見習いたいような、見習いたくないような……」

 

 だからこそ、あそこまで触れても許してくれるくらいの仲になれたとも言える。散々に話しかけて、散々に手を触れて、最初は嫌がっていた彼女も次第に諦めた。抵抗感が無くなっていった。なんなら神々の中で誰と1番距離が近いか、心を許しているのかと言われれば、ラフォリアは散々に口を結んだ挙句に嫌々そうな顔をして、それでも最終的にはアフロディーテの名前を言うだろう。ヘラでもアルテミスでもヘファイストスでもなく、このアホ女神の名前を。

 誰よりも天才の心を解きほぐしたのが阿呆であるというのは、ある意味では皮肉とも言えるものなのか。そこまで出来る阿呆でもなければ、何も語ろうとしない人間の心には踏み込めないということなのか。考え事をしていると無意識に独り言として言葉にしてしまう癖のあるアフロディーテ、神らしく賢さはあれど隠し事は出来ない。そんなところも、ラフォリアとは相性が良かった。

 

「よ〜し!こうなったらアイツを吃驚させるようなことをするわよ!」

 

「えぇ、今度は何をする気だい?」

 

「それはその……アレよ!何かこう、吃驚するようなことよ!」

 

「なるほど、つまりまだ何も思い付いていないみたいだ」

 

「いいじゃない!とにかくやるのよ!アンタ達も考えなさい!」

 

「あーあ、これはどうやら僕達も強制参加みたいだ」

 

「ふふ、良いじゃないか。なんだか面白そうな話だ。……今も彼女を救う為に多くの子供達が走り回っている。それなら零能の私達も私達なりに、出来ることをしよう」

 

「……ああ、そうだね。僕も手伝うよ、アフロディーテ」

 

「よーし!こうなったら早速作戦会議よ!フレイヤのところにGOGO!」

 

「いや待ってくれ!?どど、どうしてフレイヤのところに行くんだい!?」

 

「どうせ暇してるからに決まってるじゃない!アイツの方がお金持ってるんだし!巻き込んで盛大にしてやればいいのよ!」

 

「打算的過ぎる!!」

 

 神々は笑い、走る。どれほど暗い道のりであっても、その先に必ず確かな光があると信じて。泣くことなどいつでも出来ると、彼女達は知っているから。少なくとも今は、とにかく、笑って足を動かすのだ。

 

 

 

 

 

 

「……以上の素材を、皆さんには集めて来て頂きたいのです」

 

 

 

「なるほど……これは確かに骨が折れそうだ」

 

「とは言え、これなら私達にも出来る事だ」

 

「質だけではなく量も必要だ。ここから先はアミッドでさえ完全に未知の領域、解決のためには試行錯誤以外に他に無い」

 

 治療院の一室に集められた彼等は、配られた資料を手に笑みのない雰囲気で語り合う。彼等ほどの者達が一室に集まっていれば、それこそ世界の危機ではないのかと思う者も居るくらいだろう。しかしその危機は実際には既に終わり、これはむしろその後始末とも言える話。それでも後始末と言うにはそれはあまりにも大きな案件で、彼等もまたそれに全力で望んでいる。

 

「この辺りのものは私から里のエルフ達に協力を願った方が早いだろう、任せて欲しい」

 

「ならばこの辺りは我々が受け持とう、ガネーシャを通じてギルドにも協力を願う。直ぐにでも団員を向かわせる」

 

「……ダンジョン深層は我々か、まあ良い。闇派閥の対応策は問題ないのだろうな」

 

「ああ、そこは僕達で受け持つ。君達が協力してくれるんだ、こちらが全力を尽くすのは当然だろう」

 

「女神の命だ、こちらもあの女には借りがあるからな」

 

 シャクティ、フィン、リヴェリアはいつもの顔触れとしても、ここにフレイヤ・ファミリアのヘディンまで居るとなれば話は変わってくる。それはつまりフレイヤ・ファミリアもこの件に協力するということなのだから。

 

「……"戦場の聖女"、策はこれだけか」

 

「現状思い付いたのはここまでです」

 

「半年、この期間の間に手がこれだけというのは悠長が過ぎるだろう。"万能者"はどうした」

 

「彼女にも手伝って貰うつもりだけれど、流石に今回はアミッドの補佐になるかな」

 

「……ならばこちらからはヘイズを出す、貴様は薬作りに徹しろ」

 

「協力感謝します」

 

 ラフォリア・アヴローラ、彼女の治療のためにアミッドはここ数日で多くの治療薬作成の案を生み出した。勿論それ等は仮定の段階で既に様々な問題が予想され、決して上手くいくものではない。しかしそれでも残りの半年でなんとかそれ等の問題を解決し、僅かであっても効果を為せるものを作り出す為に、アミッドは彼等にそのための素材の収集を依頼することにした。つまりは失敗を前提とした試行錯誤を実際に行い、そこから最速で開拓を進めていく。この半年で素材と金を犠牲に、より効率的に開発をゴリ押していく。それがアミッドの決意した足掻きであった。

 

「既に"静寂"由来の病の治療薬については凡そ完成しています。現状での効果は未だ弱いですが、研究を進めていけばこちらは封じ込め可能かと」

 

「その薬は?」

 

「ラフォリアさんの願いもあって彼女にお渡ししていますが、効果はありませんでした。今のまま服用を継続しても結果は同じかと思われます。今は他の治療師達に調合法が齎す効果への影響について分析をお願いしています」

 

「つまり問題は……」

 

「はい、ラフォリアさんが発症した病の方です。こちらに関しては案を羅列してみたものの、全ての過程を記録しつつディアンケヒト様とミアハ様に相談しながら進めていくしかありません。この病が治らない限り、"静寂"由来の病も完治することはありません」

 

「……正に、下界と天界のあらゆる方法を模索するということか」

 

「必要であれば、私自身がレベルを上げて新たな手段を手に入れる事も視野に入れています」

 

「「「!」」」

 

 確かに、彼女であればそういった可能性もあるだろう。なにせLv.2にして都市最高峰の医療師として活躍している彼女だ、同じ最高峰の治療魔法を使えるヘイズやリヴェリア等と比較してもその才能は底が知れない。レベルを上げる事で新たに魔法やスキルを習得したり、治せなかった病を治せるようになる可能性も十分にある。……とは言え。

 

「……貴様は何故そこまでする」

 

「?」

 

「我等と違い、主神命令でも因縁がある訳でもあるまい」

 

「……ラフォリアさんにもそれを訊かれました」

 

 他者から見れば不思議なもの、それほど彼女とラフォリアの関係が深いとは誰も思っていなかったから。むしろラフォリア自身も不思議に思っていたくらいだ。そしてそれは当然の反応であると、アミッド自身分かっている。

 

「私は1人の治療師として、病に苦しむ方々を多く見て来ました」

 

「……!」

 

「彼女もまたそうであり、そして彼女は一度はその病から解放された人物でもあります。それは大変に喜ばしいことであり、本来であれば誰もが心の底から歓喜の声を上げることでもあります」

 

「……だがラフォリアは」

 

「そうです、彼女は違います。彼女には病から解放された後、文字通り何も残っていませんでした。……ベッドから立ち上がり、その足で歩き、外に出て、太陽の下に出る。そんな喜ばしい日に、誰も彼女を祝う者は居なかった。寝ている間に、彼女にとって全てが消えていた」

 

「……」

 

「彼女は、ラフォリアさんは、未だに床に縛り付けられているのです。本当の意味で彼女はまだ立ち上がれていない。……彼女の心だけは今でも変わらず、病に伏している」

 

 それを何より彼女の眼が語っていた。アミッドはそう確信していた。なにせ彼女から聞いた話では10年以上にも渡る闘病生活の果てに漸く外に出て来られたというのに、未だに彼女の瞳は長くベッドの上で暮らしている患者達と同じものであったから。だからアミッドは彼女が未だに退院出来ていないのだと知っていた。知っていながら、結局こうして、またベッドの上に縛り付けている。

 

「私は今度こそ、彼女を退院させたい。そしてその時に彼女を絶対に祝ってさしあげたいのです。……彼女の人柄を、そして堪えて来た苦痛を知っているからこそ。痛みを訴える身体を無視してでもオラリオにまで来た彼女を、解放したい」

 

 最初に会ったのは偶然だった、けれど必然だった。治療院に来た彼女の容態を対応した治療師では理解出来ず、話がアミッドに回って来た。そしてそれを見た瞬間に、理解した瞬間に、顔が真っ青になった。人はこんな状態でこれほど冷静で居られるのかと、逆に恐ろしくなったくらいに。けれど彼女にとってはそれが常であり、むしろレベルが上がった事でずっとマシになったのだと聞かされて……

 

『……私に、貴女の治療を手伝わせて下さい』

 

 気付けばそう言っていた。

 治し方なんてその時から既に想像も付かなくて、自分の魔法でもどうにもならないと分かってはいたけれど。そう口にしていた。

 

『そう気を負うな。自分の死は覚悟している、治せないのだろう』

 

 諦め調子でそう語った彼女の眼は自分に期待しているものではなくて、常に諦めの意思が宿っていた。むしろこちらを気遣うようなその様子に、アミッドはその日からなんとか治療出来る術はないかと密かに調査を始めた。彼女のその状態が音魔法とその治療の繰り返しによるものだと分かったのは、正にその賜物であったとも言えよう。

 

「なんとしてでも彼女を救います。彼女を苦痛から解放します。……その為にどうか、どうかご協力ください。お願いします」

 

 自分の命の優先順位を常にこのオラリオの下に置いている彼女は、きっと彼女自身もう自分のことがよく分からなくなっていて。それでもベヒーモスを倒したことで満足してしまったところもあって。……その満足感が何より病人にとっての毒であるということも、アミッドは嫌というほどに知っていて。

 

 

 

『もう十分だ、アミッド。……ありがとう』

 

 

 薬を置いて来た時にそう言った彼女の顔が忘れられない。まだ十分ではない、まだ彼女を解放できていない。言わせて見せるのだ。生きていて良かったと。それこそがアミッドが治療師として求める最大の報酬でもあるのだから。

 

 

 

 

 ……それがもう叶わぬ願いであるということを、彼女達はまだ知らないが。



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被害者46:静寂

書き貯めが追い付かなくなって来たので、2日に1度に更新ペースを下げさせて下さい。


 思えばあの娘は、神々が言うところの"ツンデレ"とは少し違う拗らせ方をしていたように想う。

 

 

『はぁ、お前は本当に幼い頃から変わらないな』

 

『……むしろ何をどう変われと言うんだ』

 

『お前は私のことが好き過ぎるだろう』

 

『……殴られたいのかアルフィア』

 

『お前は私が今日ここに来た時の自分の顔を覚えているか?』

 

『っ!?……普段通り不機嫌な顔をしていた筈だが?』

 

『お前より私の方が天才だ。他の誰を欺く事が出来ようとも、私を騙せると思うな』

 

『………』

 

『私の方が天才だ』

 

『……何の念押しだ、私を辱めてそんなに楽しいか』

 

『ああ、楽しいとも。お前のその羞恥に染まった顔を見るだけで、心の底から愉悦を感じられる』

 

『最低だな貴様っ……!』

 

『貴様ではなくお母様と呼べ』

 

『誰が呼ぶか』

 

 どうしてこう"しつこく"母親を名乗っていたのか。

 それは確かに妹に対するちょっとした対抗心もあった。育てたなりの愛情もあった。どちらも本当のことだ。

 ……だがそれ以上に、そうする事でこの娘が喜ぶからという理由の方が大きかった。他の誰を騙すことが出来ても、その秘めた感情をこの才能は見抜くことが出来た。故にこの娘が自分のことを、この娘なりに慕ってくれているということもまた分かっていたのだ。

 

『ラフォリア……』

 

 両親に捨てられたが故に持ってしまった、家族という存在に対する小さな憧れを。その過ぎた才能故に持たされてしまった孤独を。自分だけが癒してやれるということを知っていた。この娘が年相応の子供で居られるのが、自分の前でだけだということも分かっていた。故にこの子を自分の娘として育てることを決めた。自分の娘として愛すことを決めた。迷うことは無かった。

 

 

 ……それなのに。

 

 

 

 

『静寂のアルフィア、だな……?』

 

 

 

 その男神は、かつての知り合いを連れて私の目の前に現れた。

 それはあの娘に賭けで勝ち、無理矢理に自分のドレスを着せ替えて遊び、なんならそのまま1週間くらい放っておいてやろうと悪戯を仕掛けていた最中のことだった。我ながらなんと子供っぽい遊びに耽っているのかと呆れる様なことをしていた最中に、まるでそんな風に世界の脅威から目を背けていた私を咎めるかの様に、奴等は現れた。

 

 

『最後の英雄を生み出すための、礎にならないか』

 

 

 その男神が提案して来たこと。つまりはそれは、『悪』としてオラリオの敵となる。後進達と敵対する。ありとあらゆるを破壊し、秩序を崩壊させ、正義を否定する。多くを殺し、多くを塗り潰す。そうして『次代の英雄』を生み出すための礎となる。……そんなところだ。

 恨まれようとも、憎まれようとも、平穏に浸った迷宮都市に絶望を与え、追い詰める。破壊の後の創造を促す。この残り少ない命を利用して、世界を救うための犠牲となる。そんな独りよがり。

 

 

 ……馬鹿げた計画だ、他者からしてみれば。

 

 

 救う為に殺すなどと、矛盾している。

 

 

 あのクソ真面目な娘ならば、絶対に選ばない手段だろう。

 

 間違いないと断言さえ出来る。

 

 

 

 

 ……だが、私達は違った。

 

 

 

 

『……そういうことか、ザルド』

 

 

『ああ』

 

 

 

 言葉なんて、その程度で良い。

 その程度で通じ合える程度には、同じ生き残りであるその男の思いを理解出来た。未来を、将来を憂いていたのは同じだったから。この残り少ない命の使い道に悩んでいたのは同じだったから。

 故にそれは渡りに船、願ってもいないこと。むしろ感謝さえしたくなるような提案であった。躊躇いはそれこそ、一瞬しか無かったほどに。

 

 

『……本当に良いのか?お前にはまだ』

 

 

『今やアレは、私より遥かに病状が悪い。……私より先に死ぬくらいだろう』

 

 

『……ならば尚更、とは思わないのか?』

 

 

『だが、それでは間に合わない。奴の死を待っている間に、私の身体が動かなくなる。それにお前達にも時間はあまり無いのだろう?……謝罪なら後であの世でするさ。罵倒も恨み言も、その時にいくらでも聞いてやれる』

 

 

『……そうか』

 

 

 一瞬の躊躇い。『母親』を取るか『悪』を取るかの迷い。しかしそれは所詮は一瞬の迷い、取るべきものを私はただ取った。『母親』ではなく『悪』を取った。先の長くない娘より、先の長い後進達を取った。

 

 ……そこに後悔は無かった。

 

 それほどにあの子の病状は悪く、その時点で回復は絶望的な状態であったから。療養という名の延命も、限界が近づいて来ていたから。あの子に託せるものなど、もう何も無かったから。

 

 

 

『……あの馬鹿娘は、怒るだろうがな』

 

 

 

 そしてそれ以上に、悲しむだろう。

 寂しがるだろう。

 絶望さえするかもしれない。

 

 しかしそれでも私は、この世界を選んだ。あの子の最期を看取るより、この世界の礎になることを選んだ。散々に母親を名乗った癖に、母親であることを最後の最後に捨てた。あの子をあんな状態にしたのは他ならぬ自分である癖に、その責任まで投げ捨てた。

 

 

『これでは悪である以前に、人でなしだな……』

 

 

 悪かった、で済ませられる話ではない。そんなことは分かっている。その言葉すら、あの子には伝わらないかもしれない。自分が犠牲になるだけでは飽き足らず、あの子まで犠牲にしてしまったとも言えるのかもしれない。

 

 ……ああ、愛していたとも、それは本当だ。そしてそれと同じくらいに責任を感じてもいた。アレほどの才能を持った優しい子を追い詰めたのは、他ならぬ自分と自分の魔法なのだから。

 本来ならば残りの全ての人生を、あの子が幸福に生きられる為に費やすべきだったのに。本当に母親になったのであれば、オラリオよりも、世界よりも、何よりあの子のことを優先しなければならなかったのに。ずっと隣で手を握ってやらなければならなかったのに。

 

 私はそれをしなかった。

 

 

 

 

 

 ……落ちていく身体。

 

 

 灼熱に焦がされるに連れて、頭を過ぎる過去の記憶達。

 

 

 しかしそれでも、思い返すあの子の顔だけが、笑っていない。

 

 

 

 何もせず、怒りもせず、ただベッドの上で孤独に俯くあの子の姿だけが思い返される。

 

 自分が姿を見せた瞬間に顔を上げて、いつもより少しだけ饒舌に嫌味ったらしく話し始めて、咳き込む。それがいつものお決まりだったのに、今日ばかりは何度声を掛けても顔を上げてはくれない。まるで聞こえてすらいないかのように、反応さえ返してくれない。

 

 

 

『……所詮、お前にとって私はその程度の存在だったのか。アルフィア』

 

 

 呟く。

 

 

『馬鹿馬鹿しい、何が母親だ。これだから親というものは信じられないんだ。……どんな綺麗事を並べようとも、こうして最後には容易く捨てるのだから』

 

 

 震えた声が、暗闇に消えていく。

 

 

『……そんなに、そんなに私のことを信用出来なかったのか。お前にとって私は、手紙1つ残す価値すら無いほどに、邪魔な存在だったのか』

 

 

 雫が落ちた。

 

 

『私は……私は何のために、誰のために、生まれて来たんだ……』

 

 

 手は、届かない。

 

 

 

 

 

『私は、お前にとって……足枷でしかなかったのか、アルフィア……』

 

 

 

 

 

 違う、と。

 

 そうではない、と。

 

 すべての責は自分にあり、お前は何も悪くはないと。

 

 何度そう言葉にしても、声は届かない。

 

 

 

 その時になって、取り返しのつかない間違いを犯してしまったことを、漸く自覚した。自覚したその時点で、自分はもうどうしようもない状況に居た。死んでから謝れば良いなどと、それまではそれで良いと逃げていた事を、その現実を、見せ付けられた。

 

 ……もしあと少し、あと数分、あと数秒でも早くにこのことに気が付くことが出来ていれば。どれほどにみっともなく頭を下げてでも、どれほどエレボス達に失望されようとも、命乞いをすることが出来ていただろうに。

 足を斬られようが、腕を斬られようが、それでも生きてもう一度、あの娘に会いに行ってやることが出来たかもしれないのに。

 

 

 律儀に賭けの約束を守り、自分のドレスを大事そうに握り締めている愛娘。身体を震えさせ、涙すら流しているのに、それを拭ってくれる者は何処にも居ない。それほどの動揺故か苦しそうに咳き込み始めても、この手が届くことは決してない。

 

 

 これが自分の望んだ結末だ。

 

 

 この光景を作ったのは他ならぬ、自分だ。

 

 

 あの子をここまで追い詰めたのは、私の責任だ。

 

 

 

 

 

 私はきっと、間違えたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ!?」

 

 

 

 

 飛び起きる。

 

 

 

「な……ぁ……」

 

 

 ……悪夢、そう言ってもいいのだろう。

 

 

 全身が嫌な汗に濡れて、妙に不快な感覚に吐き気を催す。

 

 

「私、は……」

 

 

 震える手で顔を抑え、目を見開いたところで周囲の情報が頭に入って来ない。かと言って頭の中で何かを考えている訳でもなく、ただただその心を大きく揺らす衝撃が治るのを待つ。凄まじく喧しい心臓の鼓動と息切れは、自分がどれほどに動揺しているのかを示しており、それは明らかに死を体感したからという理由だけが原因ではない。

 

 

「……?生きて、いるのか?私は」

 

 

 徐々に落ち着いて来た精神で、最初に気付いたことが当たり前の様なそれだった。

 

 周囲を見渡せば、そこはなんとなく記憶にある廃教会に似ている場所。しかしその様相は妹が入り浸っていた時とは細部が異なり、かと言って全くの別物かと言われれば、窓から見える外の景色など、間違いなく同じ場所であると示す証拠が多過ぎる。

 

「何が、どうなっている……」

 

 飛び降りた自分を、あの正義の眷属の娘達が救い出したのだろうか?だとしたら何という大馬鹿者達だろうか。しかしそうだとしたら、今は感謝しかない。これからどの様な沙汰を言い渡されようとも、しなければならない事が出来たのだから。どの様な罰も責苦も受け入れるが、何よりあの娘に会いに行かなければならない。そして誤解を解かなければならない。

 それ以上に大切なことなど他には何も無くて……

 

 

「……待て。違う、そうじゃない」

 

 

 建て直された廃教会。

 

 ……建て直された?

 

 あれだけの被害を受けておきながら、建て直された?

 

 他のどの建物よりも優先されて?

 

 馬鹿を言うな、そんなことは絶対に有り得ない。それこそ罪人のための建物など、1番最後に回されて然るべきものだ。何なら直されるという選択肢すら無いのが当然。それほどにこの教会に思い入れのある者が居たのなら、そもそもここは廃教会になどなっていなかった。

 

 

「何年……何年経っている!?ごほっ、ごぼっ」

 

 

 悪化している病、だがそんな当然のことはどうでもいい。それよりも、自分は一体何年ここでこうして寝ていた?それが一番の問題だ。

 たった1年、それでさえあの娘にとっては生きていられるかどうかの瀬戸際だった。しかしオラリオの復興状況を考えれば、仮にあの抗争で闇派閥が全滅していたとしても、この教会がこれほどまでに美しく優先的に修繕されるには、間違いなく1年では足りていない。あの娘が既に死んでいる可能性は、あまりにも高過ぎる。

 

 

「……いや、それ以前に」

 

 

 頭を回すに連れて、周囲の情報が少しずつ冷静に入ってくる様になる。冷静になってくる。

 掛けられた自分のドレス、それはあまりにも綺麗で新品同然のもの。机の上に置かれた薬、それは自分でさえ見たこともないようなもの。そうでなくとも果物や菓子など、そこには明らかに罪人に与えるには相応しくない様な物が当然の様に置いてある。

 

 

 【薬を飲め】

 

 

 そう書かれたメモが一枚、残されている言葉はそれだけだ。しかしなんとなく感じるのは、自分に対して極力情報を残さないという何者かの意図。そして同時に薬を飲むことを強制されているかのような物の配置。

 ……分かっているとも、分からないけれど。少なくともこれが自分を殺すための毒薬ではなく、自分を救うための益薬であるということも。分からないのは、どうしてそんな薬がここにあって、どうして罪人たる自分をこうして助けようとするのかだ。戦力として加えるつもりなのか?何かと戦わせる気か?それならまだ納得が出来るが。

 

 

「……なんでもいい、それでまた満足に動ける様になるのなら」

 

 

 恩恵はまだ生きている、身体の欠損も特段無い。こうして無防備を晒していたのに、今更毒を盛ってくることもあるまい。これを飲んでまた動ける様になるのなら、それ以上に求めることなど何もない。

 

 ……故に、迷いなくその薬を飲んだ。

 

 そしてそれと同時に、足を床に付け、立ち上がろうとした。薬の効果が現れるまで待っているつもりなど無かったから。今は1秒とて無駄に出来る時間は無い。

 

 

「うっ……くっ……!」

 

 

 当然の様にふらつく身体、しかし立ち止まってなど居られない。今直ぐにでもこのオラリオから脱出する、若しくは何らかの交渉をする。どれほど止められようとも、行かなければならない。自分の間違いを正すためにも、誤解を解くためにも。そしてなにより、あの子を迎えに行くためにも……

 

 

 

「……?なんだ、この薬は」

 

 

 

 それほどの決意の元で歩き出そうとしたのに、思わず一瞬、動きを止めてしまった。格好が付かないが、それも仕方ない。

 ……即効性、ただそれだけでも驚愕する。しかし何より、確かに症状が抑えられ始めているという事実に驚く。この病を抑えるために、自分やヘラがどれほど走り回ったと思っている。当時の最先端の医療を以ってしても不可能と言われたこの病を、エルフの里特有の素材でさえ一時的な緩和しか役に立たなかったほどのこの病を、どうしてここまで当然の様に抑え込める?

 ……本当に、あれから何年経っているというのだ。若しくはどれほど優秀な治療師が生まれたというのか。これほどの薬が作れるのであれば、あの娘の病だって。

 

 

「っ」

 

 

 患者服を脱ぎ捨てて普段通りのドレスに着替えると、少しずつ感覚が戻って来た身体で薬だけを手に持って教会を出た。驚いてばかり居られない、戸惑ってばかり居られない。こんなことをしていたらキリがない。そう思ったからだ。

 ……そう思ってはいたものの。

 

 

 

「……やはり、数年が経っている」

 

 

 

 教会を出た瞬間に、それを確信する。

 往来を歩く人々、顔すら知らない様な冒険者達、見たことも聞いたこともないような店の数々。何よりこのオラリオに広がっている平穏な雰囲気。警戒心のない人々の顔。あの暗黒期の時代とは空気感そのものが全くの別物だ。そしてこんなものは1年2年で変わるほど容易いものではない。その程度の年月でどうにかなるほど、生優しい絶望ではなかった筈だ。

 

 

「ラフォリア……ラフォリア……!!」

 

 

 走る。

 通り過がる冒険者達から恐怖ではない奇妙な視線を送られていることに違和感を抱えながらも、とにかく走る。先ずはオラリオから出なければならない。……金も何もないこの身で、ラフォリアの居る村まで走っていくのかという話ではあるが。そうしなければならないのなら、するしかない。

 

 ……もちろん、状況は知りたい。

 

 事情は知りたい、現状も知りたい、当然だ。

 

 今日までの間に何があって、自分の扱いはどうなっているのか。知りたいことは多くある。それでも、それで拘束されては意味が無い。そうなるくらいなら、たとえ罪を重ねることになったとしても、走らなければならない。1秒でも1%でもあの子の最期に立ち会える可能性があるのなら、病を悪化させて死んだって構わない。

 

 ……焦りだけが募っていく。

 

 冷静な判断が出来ていないことも自覚している。思考を失っているのは分かっているし、自分が自分でわざとそうしていることも理解している。けれど、そうでもないと本当に頭がおかしくなってしまいそうで。あの娘が孤独で苦しんでいる間に、自分は呑気に寝ていたなどと。そんな事実を絶対に受け入れたくなくて。ほんの僅かな可能性にも縋りたくて。

 

 だから……

 

 

 

 

「ま、待ってください!!」

 

 

 

 

「っ!?……お前は!?」

 

 

 そうして"とある酒場"の前を通り過ぎようとした瞬間に、店の前を掃除していた店員の女に肩を掴まれた。あまりの想定外に些か過剰に反応してしまう。しかし何より驚愕したのは、そうして自分を捕えた人間のことを、自分もよく知っていたということ。

 ……前に見た時と髪色は違っていても、間違える筈がない。それほどに強烈に脳に焼き付いている。後を託したあの娘達のことは、嫌でも記憶に残っていた。

 

 

「お前は……!?いや、今はそれより……!」

 

 

「ど、何処に行くつもりですか!?貴女はまだ療養中の身!そのように走ってはいけないと言われている筈です……!!」

 

 

「いいから離せ!!」

 

 

 自分より明らかに弱い彼女、しかし同時に自分もまた病み上がり。その手を振り解くことは容易くは出来ないし、混乱しているからこそ技で投げ飛ばすことも思い付かない。しかもそのエルフは本当に必死になって自分を止めようとしているのだから、もう何が何だか分からなくて。

 

 

「離しません!貴女を救うためにシャクティ達が動いている!それなのに当の貴女が無茶をしては意味がなくなってしまう!!」

 

 

「……っ??お前は一体、なんの話をしているんだ!!」

 

 

「貴女をこのまま死なせる訳にはいかないと言っているんです!!」

 

 

「私の死などより優先しなければならないことがある!いいから退け!吹き飛ばされたいのか!!」

 

「このっ……!!」

 

 

 

 

 

「いい加減にしなさい!!……【ラフォリア】!!」

 

 

 

 

 

 

「………………………………は?」

 

 

 

 

 

 思考が止まる。

 

 

 息が止まる。

 

 

 それまで必死に引き剥がそうとしていた身体が、動かなくなる。

 

 

 そしてそんな異変に気付いた目の前のエルフも、困惑した様な顔をして、それでもしっかりとこちらの腕を離すまいと握って来る。

 

 

 

「………何故、お前があいつを知っている」

 

 

 

「え……?」

 

 

 

「いや、それ以前に……どうしてお前は、私をあいつの名で呼ぶ」

 

 

 

「な、なんの話ですか……?」

 

 

 

 心底何も分からないと言った様子のエルフ。それが当たり前かの様な顔をして、首を傾げる。だが分からないのはこちらの方だ。意味が分からないのはこちらの方だ。まるで異世界にでも迷い込んだような奇妙な感覚、そしてズレ。

 

 

「何やってんだいアンタ、療養中の奴が馬鹿なことするもんじゃないよ」

 

 

「ミア……?」

 

 

「……ん?」

 

 

 その酒場から出て来たのは、かつてのフレイヤの相方。以前の抗争の際には結局最後まで顔を合わせることのなかったその女は、どうやら今はこの酒場で働いていたらしい。

 

 

「もういいからさっさと帰んな。あんまり我儘言うようならアタシが担いで運んでやってもいいんだよ、【ラフォリア】」

 

 

「っ!!何故だ!!何故お前達は私をラフォリアと呼ぶ!!」

 

 

「!?……アンタまさか」

 

 

「ラフォリアは何処だ!?あの子は何処に居るんだ!!」

 

 

 

 そうして、静寂のアルフィアは迷い込んだ。

 

 自身が死んだ筈の7年前から。

 

 今度こそ、正真正銘の彼女がこの街に現れたのだ。

 

 

 

 ……愛した娘の消えた、この街に。



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被害者47:想う者達

 きっと誰が悪かったのかと言われれば、それは自分が悪いのだろう。そして強いて言うのなら、あの子を身内に引き込むことが出来なかったオラリオが悪いのだろう。

 生きているということは、当たり前のことではない。常に死と隣り合わせであったからこそ、生きる理由は必要だ。その理由が無くなってしまったのなら、簡単に死を受け入れられてしまう。

 だって、苦しいのだから。わざわざ苦痛を我慢してまで生きる意味がなくなってしまう。彼女が長年その身に持ち続けた苦痛というのは、そういうものだ。誰もが逃げて、発狂したくなるような、そういうものだった。

 

 

 

「………私のミスです」

 

 

「いや、違う……そこまで気を回すことが出来なかった、私のせいだ」

 

 

「わ、私が……もっとちゃんと、み、見てたら……」

 

「そんなこと言ったら、私だってそうでしょう」

 

 

「……責任の押し付け合いなんてしていても仕方ないでしょ。ううん、この場合は責任の取り合いかしら」

 

 

「………」

 

 

 彼女に頼るばかりで、頼られた事など一度もなかった。せいぜいアミッドくらいしか、彼女を支えることなど出来なかった。彼女が生きていくための理由にはなれなかったし、彼女が苦痛に耐えるための活力を与えることは出来なかった。

 今もオラリオでは様々なことが起きている。故にこうして集まれたのは、アミッドとアルテミス、アフロディーテ、カサンドラとダフネ、そしてアルフィアを連れて来たリューに、今正に出掛ける準備をしていたところを引き留められたシャクティだけだった。

 歓楽街のゴタゴタに巻き込まれているヘスティア・ファミリアと、闇派閥の関連で動いているロキ・ファミリアの彼等はここには来れない。伝えてもいない。イシュタルが関わっているだけに、フレイヤ・ファミリアもまた同様だ。つまりはあまりにも時期が悪い。今の彼等にこれを説明するには、正直かなり気を遣わなければならない。

 

 

「……もう一度、確認させて欲しい。何の冗談でもなく、貴女はラフォリアではなく、静寂のアルフィアなのだな?」

 

 

「……むしろ、何の冗談かと問いたいのはこちらの方だ」

 

 

「……そう、だな」

 

 

「馬鹿な娘だとは思っていたが、まさか……」

 

 

 その先の言葉を口にしようとして、息が詰まる。動揺している、そんなのは当然だ。それ以上に整理がついていない。頭も感情も。

 状況は理解出来るとも、1の情報で10を理解出来る程度の頭はある。しかしそれを受け入れられるかどうかはまた別の話だ。確かにあの娘ならそうするかもしれない。そういう馬鹿なことをする姿が簡単に想像出来る。……それでも、だからと言って。

 

 

「アルフィア、教えて欲しい。貴女の記憶は何処からあるのか」

 

「……お前達に撃ち倒された後、大穴に落下したところまでだ」

 

「ということは、本当にあの後直ぐの認識なのですね」

 

「そうだ」

 

 

 だからこそ、困惑している。色々なことが良くも悪くも変わっていて、自分がどんな反応をすれば良いのかも迷っている。怒りも焦りも何もかも、感情が複雑に入り混じって空白になる。

 

 

「……事実、後悔に染まった最期だった」

 

「後、悔……?」

 

「ああ……あの子を置いて死に行くことを、情けないことに、大穴に飛び降りて直ぐに後悔した」

 

「………」

 

「あの娘が泣いている姿を、その時になって初めて想像してしまった。……というより、無意識に避けていたことに、死の直前になって向き合ってしまった。本当は分かっていたことを、目を逸らしていたことを、手遅れになってから認識した」

 

「……本当に、愛していたのですね」

 

「……それすら、今は疑わしく思う。真に愛していたのなら、こんな選択など出来る筈がない」

 

 

 大切なものを見落としていた、そんな生優しい言葉で済ませられる様な間違いではない。まるでそれを証明するかの様な光景が、目の前に広がっている。これが悪い夢であって欲しいと思う様な事実が、目の前の者達の口から語られる。

 そうだ、アルフィアの才はあまりに多くのことに気付く。例えばラフォリアに芽生えたという、自身の存在が少しずつアルフィアに置き換えられていくという全ての元凶とも言えるそのスキル。しかしこんなもの、普通の良識ある神であれば発現させる筈がない。そしてこれを見つけ出したのは他ならぬ目の前で俯いている女神アルテミスだという。

 ……つまりそのスキルは、自身の病と同様に、恩恵を弄る上で発現させざるを得ないほどに本人に絡みついていたということ。その人間からどうやったって切っても切り離すことが出来ないような、あまりに強い魂に結び付いているような要素であったということ。

 

 

 (そうまでお前は……私の死を、受け入れられなかったのか……)

 

 

 それは決して、アルフィアになりたかった訳ではない。勿論そういう気持ちも多少はあったろうし、憧れだってあった筈だ。

 

 ……それでも、ただ受け入れられなかった。

 

 それだけだ。

 

 自分の全く知らないところで、何も残すことなく消えたアルフィアのことを、その事実を、受け入れられなかっただけだ。自分が本当の意味で孤独になってしまったことが、心に大きな傷を作り出してしまっただけだ。

 故にラフォリアは、アルフィアを欲したのだ。本来消失したものを現世に引き戻すことなど決して出来ないが、それを自身の身体に置き換えるという方法で成したのだ。

 

 母親が自分に何も残さず消えたという事実が受け入れられず、自分の意思で引き寄せた。自分の肉体と置き換えることで何も残してくれなかった母親の存在を強引に残した。それがこのスキルの始まりであり、原因だ。死んだ人間の一部を自分の手元に持って来るには、これ以外の方法がなかった。

 

 ……そしてそのスキルを生み出してしまった原因は、言うまでもなく、間違いなく、アルフィアである。もし仮に手紙の一つでも残しておけば、こんなスキルは生まれなかったかもしれない。せめて"愛している"の一言さえ伝えていれば、こうはならなかったかもしれない。愛を疑わせるようなことをしたから、傷付いたのだ。孤独を味わわせてしまったから、その感情は煮詰まったのだ。

 一度絶望を味わった彼女が、若くして身を不自由にした彼女が、唯一頼ることの出来た母親に捨てられた。誰にもそんな弱音を口にすることが出来ず、遂にそのまま消えた彼女の内心は、一体どれほどの絶望が秘められていたのか。アルフィアですら、それを想像することは出来ない。

 

 

「……あの子を戻す方法は、無いのか」

 

「……そんな都合の良い方法、あると思う?」

 

「もう一度、この身を置き換えてもいい」

 

「……それも無理だ。ラフォリアの場合は、置換の対象として参照出来る君の魂があった。タナトスなんかが下界に居る関係で、魂の漂白も遅れが出ていただろうからね。だが仮に君が同じスキルを手に入れたとしても、ラフォリアの魂はもう何処にもない。置き換える対象そのものが無いんだ」

 

「なら、どうすればいい……」

 

「……そんな良い方法があるなら、問答無用で試してるに決まってるじゃない。私にとっては見ず知らずのアンタより、あの子の方がずっと大切なのよ」

 

「……っ」

 

「出来るなら今直ぐにでも塗り潰してやりたいくらいよ!そんなに簡単に出来るのなら……!!」

 

「アフロディーテ……」

 

 

 確かにアルフィアは、生きて帰らなければならないと、そう思った。後悔したことも事実だ。こんなところで死ぬことなんて出来ないと、強く思った。……だがそれでも、こんな形を望んだ訳ではない。もう一度生きて会わなければならないと思った娘の身体を奪ってまで、生き返りたいなどと思った訳ではない。

 もしこれが娘を捨てた罰であると言うのなら、その娘くらいは助けてやってもいいだろうに。地獄に落ちるのは自分だけでいいだろうに。どうして助かったのが自分だけなのか。どうして『悪』に身を落とした自分の代わりに、こうして女神にまで慕われている娘の方が消えたのか。あまりにも惨い罰だ、残酷とすら言ってもいいだろう。

 

 

「……一先ず、方針を決める。このまま落ち込んでいたところで、事態は進まない」

 

「というと……?」

 

「アルフィア、お前はこれからどうするつもりだ?」

 

「………」

 

「ラフォリアがお前の姿をして目立っていたおかげで、今や街を歩いていても憎悪の目を向けられることは無いだろう。ギルドとしても変に蒸し返してことを大きくすることはない筈だ。今更お前を許す許さないの話をするつもりもない。……そんなことをしていたら、私はあいつに殴り飛ばされる」

 

「……そうか」

 

 

 アルフィアのした罪は消えない。特に妹が殺されているシャクティは、彼女が直接的な原因では無いにしても、未だに心の内に憎悪の感情が確かにある。

 しかしそれ以上に、それをラフォリアが許してくれない。自分の心の中に居る彼女が、『それでいいのか?』と呆れた様に言ってくるからだ。色々な正論を突き付けて来て、最後には『責める権利はあるが、お前はそれで本当に満足出来るのか?』と。それでも聞かなければ殴って来るだろう。それは決して母親に手を出して欲しくないからではなくて、シャクティに惨めな思いをさせないために。あの女はそういう女だ、今ではもう簡単にそれが想像出来る。その後にシャクティの代わりに自分でアルフィアを殴りに行くところまで、簡単に。

 

 

「……暫くは例の教会に居てくれ。あそこの所有者は今はラフォリアになっている。ラフォリアがアポロンにやらかした事を考えれば、近付く者は神すら居ないだろう」

 

「……随分と、暴れていたみたいだな」

 

「いや、それほどでもない。あの廃教会、それも自分の手で補修した建造物を破壊された割には優しかった方だったろう。女神ヘファイストスも驚いていた」

 

「……その時点で、満足に怒ることにすら苦痛に感じていた可能性もあります。怒りというのは存外、身体への負担が大きいものです」

 

「……ああ、そういうことだったのか」

 

「……っ」

 

 

 そうして再び話が暗い方向へ進み始めたところで、立ち上がったのはアフロディーテだった。

 けれど彼女はこの空気を打開しようとするでもなく、ただ出口へ向けて歩いていく。何の迷いもなく、何の未練もなく。誰にも言葉をかけることなく、早足で。

 

 

「アフロディーテ?どこに行くんだい?」

 

「……もう帰るわ」

 

「そうか、それならまた後で……」

 

「オラリオからも出るわ、帰るのは自分の拠点にって話」

 

「っ」

 

「……怒ってるのよ、私は」

 

 

 そう、アフロディーテは怒っていた。拳を握り締めて、彼女にしては珍しく、心の底から、本気で。

 

 

「何も言わずに消えたラフォリアにも、そんな風に追い詰めたオラリオにも、そんなことにすら気づけなかった自分にも……」

 

「アフロディーテ……」

 

「これ以上ここに居たら、全部ぶっ壊したくなりそう。だからもう帰るわ。……弔うことも出来ないのなら、せめて穏やかな気持ちでいたいもの。こんなところに居たって、イライラするだけよ」

 

「……そうか。私は残るつもりだ。また何処かで会おう、アフロディーテ」

 

「……そうね、アルテミス。また何処かで会いましょう」

 

 

 そうして部屋を出て行った彼女を見送るが、アルテミスは分かっている。アフロディーテという女神がどれほど直情的で、どれほど自尊心が高くて、そしてどれだけ愛情深いかということを。

 分かるとも。確かに彼女はイライラしていただろう、こういう雰囲気も好きではないだろう。けれど何より彼女は、悲しかったのだ。きっと誰からも見られない場所で、泣きたかったのだ。泣いてあげたかったのだ。

 誰もがラフォリアのした行動を認められない中で、アフロディーテだけはそんな彼女を思って泣くことが出来る。そんな状況に追い込まれてしまった彼女に、そんな選択をせざるを得なかったほどに悩んでいた彼女に、悲しんであげられる。

 それがアフロディーテという女神の良いところでもあり、ラフォリアが気に入った部分でもある。だから彼女は最後まで彼女らしくあり続けようとしているのだろう。死を否定するのではなく、死を悲しむ。そんな当たり前のことを、当たり前のようにしてくれる。

 

 

(アフロディーテ、ラフォリア……)

 

 

 故に、アルテミスも立ち上がる。アルテミスだってラフォリアの主神だった、彼女に相応に気に入って貰えていた自覚だってある。それなら自分もまたアフロディーテと同じように、自分らしく動くべきだろう。……少なくとも、こんなところでただ落ち込んでいるのは自分らしくない。そんな自分を見ても、きっとあの子は喜んではくれない。

 

 

「さあ、アルフィアと言ったね。君も行こうか」

 

「……どこにだ」

 

「あのラフォリアが、何の置き手紙も残さずに居なくなる訳がない。……特に、君からの遺言を探していたであろう彼女なら、確実に残している筈だ。意趣返しのためにも」

 

「っ……そう、か」

 

 

「私も行きます。……仮に貴女の病が緩和出来たとしても、ラフォリアさんの病の痕跡は残っている筈ですから。今の段階であれば、私の力でも治すことが出来る筈です」

 

「……あと10年、お前が早く生まれていればな」

 

「……そこまで含めての、ラフォリアさんの決断の筈です。私なら治療出来るということを、見抜かれていたのでしょう」

 

 

 アミッドは悔やむ。けれど悔やんでも、何も進まない。多くの人の死を見て来たアミッドだからこそ、それをよく知っている。だから感情も何もかもを保留し、ただ自分のすべきことに徹する。それが出来る。

 ……きっと、そうしてくれるということもまた、ラフォリアの予測の一つだったのだろうが。仮にかつてのオラリオを襲った罪人であったとしても、アミッドなら間違いなく治してくれると。そこまで確信していたのだ。

 

 

「シャクティ、貴女はどうするのですか?」

 

「……まだ悲しみに浸ることは出来ない。そんなことをしていては、ラフォリアに叱られる」

 

「そう、ですか……」

 

「……リオン、お前はどうする」

 

「それ、は……」

 

 

 リューは俯く。

 それに対してシャクティは何も言うことなく、一度目を伏せてから部屋の外へ向けて歩いていく。彼女もまた感情は積もっている。しかし闇派閥の動きがある今、このオラリオで正義を守っているガネーシャ・ファミリアを率いる彼女が冷静さを失う訳にはいかない。

 

 

「私は、最後まで自分のすべきことをする。ラフォリアがそうしたように。……それがアイツから私が教わったことだ」

 

「自分の、すべきこと……」

 

「それがアイツにここまでのことをさせてしまった、私の責任だ。……せめて胸を張って墓参りにいけるように、生きていたい」

 

「……」

 

 

 シャクティの記憶の中にある、小さな子供。何度も何度もトラブルを起こし、その度に鎮圧に向かった覚えがある。今では懐かしくも思うが、当時は本当に大変だった。けれど、その度に実力では勝てなくとも。あの娘はこちらの説教を嫌そうな顔をしながら、それでも最後まで聞いてくれていた。

 力で対応すれば力で、言葉で対応すれば言葉で、まるで鏡のように返して来た。自分に非があることであれば、謝罪こそしなくとも、大人しく説教だけは聞いていた。

 

 

「……馬鹿者が」

 

 

 だから嫌いにはなれなかった。どれだけ迷惑をかけられても、見捨てようとは思わなかった。その度に巻き込まれるのは勘弁して欲しかったが、その子供離れした実力と才能に、それでも確かに残っていた子供らしさに。それを見たからこそ、見捨てることは出来なかった。

 

 

『……また、来るから』

 

 

『……ああ、いつかその時を待っている』

 

 

 もう何年も昔の話。最後にそんな言葉を交わした事を、きっともうあの娘は覚えてはいなかったろう。それでもシャクティは覚えている。冒険者として死んだも同然と言える様な病を患い、その病の重さを才能故に誰よりも深く理解してしまった彼女は、それでも最後までそうして見栄を張っていた。

 ……いや、もしかしたら、そんな彼女を見て酷い顔をしてしまっていた当時の未熟な自分を気遣って、彼女はそう言ったのかもしれない。知っている子供が重い病を患ったことに悲しみを抱いていた自分を励ますために、彼女はそう言ったのかもしれない。自分の苦痛を隠しながら。

 

 

「お前は、最後まで……どうして、そう……」

 

 

 そして。

 

 

「私はどうして、アイツに……」

 

 

 ……きっと、あの娘に寄り添えたのは。あの子がこの世界に生きていてもいいと、生きていたいと、生きていなければならないと、そう思えさせることが出来たのは。数少ない人間でしかなかったのだろうけれど。

 それでも……自分もまた、そのうちの1人になれたのではないかと。今更ながらに思ってしまう。

 

 

「本当に、今更すぎる……」

 

 

 それをしなかった自分が、しようともしなかった自分が。そんな今更過ぎる後悔を持って、拳を握る。

 

 

「私の、せいだ……」

 

 

 半ば無意識に呟いたそんな言葉が、虚しく自分の心の内に響き渡った。誰も恨めないから、自分を恨むしかない。それは天才であろうと凡人であろうと、善人であれば必ず直面する、あまりに悍ましい性質であると。もしラフォリアがこの場に居れば、言うのかもしれない。

 

 

 

 彼女もまた、自分のことを棚に上げながら。



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被害者48:静寂

「……ああ、そうか」

 

「ん?どうかしたかい?」

 

「いや……なんでもない」

 

 

「………」

 

 

 既視感。

 きっとそれは、この教会の内装が以前の在りし頃の物によく似ているからだと。ずっとそう思っていた。けれどそれは答えの1つでもあり、どうやら間違いでもあったらしい。

 アルフィアはスッと手で机をなぞり、目を細める。

 

 

「この椅子と机の配置は、ラフォリアの指示か」

 

「え?あ、はい。うちらが動かしたものですけど……」

 

「……やはり私は、母親失格だな」

 

 

 違う、この既視感の正体はそれだけではなかった。

 この小さな机、椅子、ベッドの配置。飲み物や食べ物を置いてある場所、窓との関係性。そして布団の質感や色合い、なんなら枕の大きさまで。アルフィアはよく知っている。それを用意した自分だからこそ、知っているに決まっている。

 

 

「相当に我儘を言われただろう、お前達も」

 

「そ、そんなことは……」

 

「まあ、確かに注文は多かったですけど……でも、良い人だったんで……」

 

「……そうか」

 

 

 慕われていた娘。

 

 憎まれている母親。

 

 生き残ったのは皮肉にも後者。

 

 

 

 思い返す。

 

 ここから遠く離れた場所、そこで療養をしていた時。数年の試行錯誤をした結果、目の前に広がっているこの配置と殆ど同じ物に行き着いていた筈だ。……というより、そうやって動かすように、自分の暮らしやすい環境を作るために、そう指示をされて動かしてやっていた。

 だから自分は何より真っ先にこのことに気がつくべきだったのに。起き上がって直ぐに娘の存在を思い出すべきだったのに。それが出来なかった。

 やはり自分は母親としての意識があまりに不足していたのだと、思い知らされてしまう。娘より妹の方を大事にしてしまっているという、常に抱えていたその後ろめたさを。遂に最後まで解消することが出来ずに終わったのだと、その絶望と自分への嫌悪感に全身が脱力する。

 

 

「……お前のことだ。どうせ置き手紙も、ここにあるんだろう」

 

 

 枕の下。

 

 そこを探ってみれば、やはり当然のようにそこにある。

 

 意味しているのは、アルフィアがこの世界に戻って来た時に、酷く混乱しているだろうことを予測していたということ。そうして様々な人間から話を聞き、理解して、自分がここに戻って来た時に。

 

 嫌味ったらしく、こう言うため。

 

 

 

 

 

【ついに老眼がはじまったか?】

 

 

 

 

「……遺言の一言目がそれでいいのか、馬鹿娘」

 

 

 頭の下という最も近い部分に全ての情報があったにも拘わらず、それに気付くことなく外へと出ていく。そんな未来を見透かして、その様を馬鹿にする。そんな悪意に満ち溢れた一言だ。けれど今はそれほど不快にも感じない。7年経っても相変わらず反抗期が抜けていないその感覚に、むしろ泣きそうになるくらいだ。

 

 

 

【お前のことだ、もう既に大方の話は掴めたのだろう。故にここで1から10まで懇切丁寧に説明してやるつもりはない。精々、お前が死んでから7年が経った。死の間際であった自分の身体に、お前の存在を上書きした。お前が後を託したアストレア・ファミリアのガキ共は1人を残して壊滅した。お前達2人の犠牲は、私が1人で走り回るのと結果的には殆ど同価値だった。……状況説明はこのくらいでいいだろう】

 

 

 

「………」

 

 

 

【正直、お前に言ってやりたいことは色々ある。だが何より、お前の真意が分からない。常々母親を名乗っていたお前が、本当は私のことをどう思っていたのか。私には遂に分からなかった】

 

 

「………」

 

 

【故に、ここから先に書くことは全て私の本音だ。それがお前にとっての責苦となるか、嘲笑の対象となるのかは、もう知らん。嗤うなら嗤え。私はもう何も知らん、これを書いた後に読み返すことも無い】

 

 

「……嘘だな、3回ほど読み直した形跡がある」

 

 

【読み返した形跡を探すなよ、性悪女】

 

 

「……どうしてそこまで私の行動が読める癖に」

 

 

 私の想いは分からなかったのか、と言うことは出来ない。なぜなら自分だって、自分の想いがどこまで本気だったのか分からないのだから。本当に自分が娘のことを母親として愛せていたのかも分からないのに、相手が分かる筈もない。

 

 

【さて、前提としてだが。どうやら私はお前を母親として愛していたらしい。……忌々しいことにな。だがそれが最近になって漸く受け入れられる様になって来た】

 

 

「……そうか」

 

 

【お前の方がどうかは知らん、あらゆる才能で負ける私にお前の真意など見通せない。……だがそれでも、私にはお前しか居なかった。お前が死んだ時、お前がやったことを知らされた時、みっともなく泣いたのも事実だ。今更隠すこともない】

 

 

「……」

 

 

【どうして私があれから7年も生きていたのか、お前は不思議だろうから教えてやるが。……あれは、お前が死んで2年ほど経った頃だった。療養していた村にアルテミスのファミリアが訪ねて来た。そこに運が良いのか悪いのか、強化種を中心とした大量のモンスターが襲って来た。私は戦わざるを得なかった】

 

 

「……」

 

 

【2年でさえ、よく生きていた方だ。既に死ぬ寸前だった私は、魔法すら満足に使えなかった。立つことすらままならない状態で、それでも血を吐きながら頭の強化種をなんとか殺してやった。……後は想像できるだろう。死に際のそれが偉業と認められ、アルテミスに恩恵を触らせた。例のスキルが発現したのもこの時だ。そうしていなければ私は死んでいた。一応言っておくが、アルテミスを責めることはお門違いだ】

 

 

「……言われなくとも、責めはしない」

 

 

 きっとそれは、恐らく顔を合わせるであろうアルテミスに悪感情を抱かせないための一文。恐らく今も責任を感じてしまっているであろうアルテミスへの、ラフォリアからのフォローでもある。そしてアルフィアに対する再度の釘刺し。お前に他者を怒る権利などないと、直接言葉にはしなくとも、そう言っている。

 

 

【まあつまり、大凡偶然だ。それでもこの偶然が起きる日を願い、常に魔力制御を鍛錬することでステイタスをD評価まで上げる努力は続けていた。……故にこの件については、完全に私の勝ちということだ。お前は私の寿命に見切りをつけていたらしいが、私はそうでなかった。間違っていたのはお前だ。お前が私に全てを賭けていたら、何もかもが上手くいっていた。……言わずとも分かるとは思うが、これは嫌味だ。私ではなく、あんな小娘共に後を託したお前に対する。そして嫉妬でもある。どうして私を信じて託してくれなかったのだと、未だに毎晩のように考える】

 

 

「………」

 

 

【私はお前が本当に大嫌いだ、だがそれ以上にお前のことを愛してもいる。故に怒りはするが、憎みはしない。……感謝もしている。拾い育ててくれたお前を、慕っている】

 

 

「っ」

 

 

 

 

 

【だからお前は、幸せになれ】

 

 

 

 

 

 その1文だけが、他の何より強調して書かれているように見えた。何より伝えたいことがその1文であるのだと、嫌でも理解させられた。

 

 

【これは私からお前に対する唯一の親孝行だ。どうせお前は今、「こんな風に生き返らされても幸せになどなれるものか」と考えているかもしれないが】

 

 

「……ああ、その通りだ。娘の身体を使ってまで得た生など、私は」

 

 

【それでも、お前は幸福になれる。何故ならこの街には、お前の甥が居るからだ】

 

 

「っ!?」

 

 

【ヘスティア・ファミリアのベル・クラネル、それがお前の甥だ。……優しい子だ、可能性もある。私はあの子とお前を引き合わせたかった、だからこの道を選んだ】

 

 

「そんな、馬鹿な……」

 

 

【言っただろう、お前は幸福になれると。……あの子と出会い、あの子と言葉を交わし、その内を見た。故に断言出来る。お前はあの子のことを溺愛するだろう。お前は幸福になれる。そう確信したからこその今だ。故に私は一切の迷いなく自分の死を受け入れることが出来る】

 

 

 手紙を持つ指が震える。けれどそれは決して喜びからではない。むしろ恐怖だ。そして罪悪感だ。これまで以上の。

 なぜならその言葉の裏にあるのは【自分よりも妹の方を愛していたお前なら、きっと甥を自分以上に愛することが出来るだろう】という、ラフォリアが予想した最低の未来からだ。

【世界の未来のために自分を捨てたお前でも、あの子のためならば世界を捨てるだろう】という最悪の予想が見えてしまったからだ。

 

 ……けれど、きっとそれは間違っていない。

 

 どれだけ病状が悪化しようとも、妹の出産のために娘から離れていた自分だ。知り合いも居ない遠く離れた場所で療養していた娘にとって、友人の1人すら居ないというのに、それでも諸々の事情で常には側に居ようとしなかった自分だ。

 ラフォリアがハッキリと断言するほどに優しく育った妹の子、そんなものを見てしまえば自分は絶対に溺愛するに決まっている。きっと実際に会ってしまえば、この娘への強烈な罪悪感は、それ以上の感謝に塗り潰されてしまうだろう。このどうしようもない最悪の罪が、図々しい感謝などに変わってしまう。

 

 

【……私はお前のことを、その程度には理解しているつもりだ】

 

 

 それがどうしようもなく、苦しい。自分のそんなところまで見抜かれていたという事実に、罪悪感は増していくばかり。娘にそんな風に思われていたということに、恥を感じる。

 この女は母親を名乗っている癖に、その娘より妹の方を大切にしているのだと。きっとラフォリアはそれを当然のように受け入れていたのかもしれないが、そう思われていたという事実がアルフィアには重過ぎる。そして事実そうであることと、きっと今でさえ心の内ではそうであろうことが、どうしようもなく自分を責め立てる。

 

 

「……すま、ない」

 

 

 思い返す。

 

 妹の出産が迫って来た時、ラフォリアもまた病状が酷く悪化していた。それでも自分はラフォリアからの言葉もあって、妹の方を優先した。

 ……自分だけでなく、ヘラやゼウスも居た妹の方を。自分以外に誰も側に居ない娘を放って、そんな決断をした。

 

 

 あの時、ラフォリアはどう思っていたのだろう。

 

 遠慮している、自分のためにそう言ってくれている。そんなことは当時でさえ分かっていた。だが事実、その心の中で具体的に何を思い、どう考えていたかまでは分からなかった。同じ寂しさでも、真にアルフィアのことを思って遠慮していたのか、素直に言葉に出来なくてそう言わざるを得なかったのか。それは今でも分からない。

 

 ……もし後者だとすれば、本当に自分は。

 

 

 

【ベルのことを頼む】

 

 

「っ」

 

 

【後悔は無い、納得した終わりだ。私がこの世界ですべきことは、もう全て成した。……だから、お前もそうするといい】

 

 

「……嘘を、つくな」

 

 

【お前はベルにとって世界で唯一の血の繋がりのある人間だ。あの子は大成する。あの子が道を踏み外すことのないように、お前が見ていてやれ。それがお前の役割だ】

 

 

「……出来る訳がないだろう。自分の娘さえ見ていてやれなかった私が、今更そんなことを」

 

 

【だが過干渉はするなよ、あの子の人生を導くような真似だけはするな。自分の足で歩んでこそ、人は自分の生き方に自信を持てる。そこだけは釘を刺しておくからな】

 

 

「お前の方が、よっぽど……」

 

 

 そうして長かったラフォリアの残した手紙は、最後のページに差し掛かった。彼女が綴った最期の言葉。母親であるアルフィアに向けたこの手紙の中で、彼女が最後に一言伝えておきたいと思っていたこと。

 

 それは……

 

 

 

 

 

 

【お前に頼られるような人間に成りたかった】

 

 

 

「っ……」

 

 

 

【いつか私も、お前と肩を並べて戦えるようになりたかった】

 

 

 

「ラフォ、リア………」

 

 

 

【だがそれでも、私の死を自分のせいなどと思ってくれるな。娘から身体を奪うことを罪であると思うな。私の願いが叶わなかったのは、決してお前のせいではない】

 

 

「………」

 

 

【……何度も言うが、これは"親孝行"だ。余り物の金で贈り物をしたのと変わらない。余り物の寿命でお前を生き返らせただけだ。だからお前はただ私に感謝をすれば良い。ここまで責め立てるようなことを書いておいて今更だが、謝罪など要らん。ただありがたく受け取れば良い】

 

 

「……ふざけるな」

 

 

【間違っても私を生き返らせようなどとは考えるな、間違っても既に死んだ私に尽くそうとするな。お前はこれから漸く自分のための人生を始めるんだ。私でも妹でもオラリオでもなく、お前のための人生だ。お前が幸福になるための人生だ。……罪も罰も、全て私が持って行ってやる。お前は幸福になれ】

 

 

「ふざけるな……!」

 

 

怒りが沸く。

 

 

【ありがとう、アルフィア。私はお前が拾ってくれたおかげで、普通の人間としての人生を歩めた。……お前に拾われて、幸せだった】

 

 

「ふざけるな!!」

 

 

 叫ぶ。

 周囲の者達が困惑していても、関係なく。

 

 

 

【幸せだった】

 

 

 

「そんな訳が、あってたまるものか……!!」

 

 

 

 読み終わった手紙を机の上に置き、行き場のない怒りを拳を思いっきり握り締めながら噛み締める。もしここに何か壊せるものがあれば、きっと何の迷いもなく破壊していただろう。

 

 

 

「アルフィア……」

 

 

 

「……お前の言っていることは、何もかも間違っている」

 

 

 

「……」

 

 

 

「先読みをして、どれほど言葉を尽くしたところで……幸福になるべきはお前だ、罪を犯した私ではない」

 

 

 

「……アルフィアさま」

 

 

 

「誤魔化せると、思うな……」

 

 

 

 何をどう言い繕ったところで、何をどう表現したところで、アルフィアがそれに騙されることはない。そんな言葉で丸め込まれる訳がない。言葉遊びでさえ、アルフィアはラフォリアに勝てるのだから。

 そしてそんなことを考えなくとも……この心はこれほどまでに、痛みを訴えているのだから。理屈なんてどうでもいい。言葉なんてどうでもいい。何より重要なのは、この心が何をどう感じているのかということ。

 

 

 

「……アルフィア、君はこれからどうするんだい?」

 

 

 

「……ラフォリアを諦めるつもりはない」

 

 

「だがそれは、ラフォリアの意思じゃない」

 

 

「ならば現状は、私の意思ではない」

 

 

「………」

 

 

「それでも…… 今直ぐに出来ることなど何も無いと、理解もしているつもりだ」

 

 

「……うん、流石はラフォリアの母親なだけある。ここで感情的にならないのは君達らしい」

 

 

「……そうか」

 

 

 そうだ、どれだけそれが認められなくとも、現実はそこにある。人の力だけではどうにもならないという現実が。

 現実を直視し、自身の立場を把握し、すべきことを定め、行動に移す。アルフィアとて心掛けている事ではあっても、これに関しては誰よりもラフォリアが優れていたように思う。

 アルフィアに追い付くために生き急ぎ、残りの命の少なさを自覚して生き急ぎ、その末に生まれた資質なのだろうが。その結果として誰よりも行動力に優れてしまった彼女は、他の人間を置いて行き、今回こうして誰も止める間も無く1人で旅立った。

 

 だから、アルフィアでなければ駄目だったのだ。

 

 彼女のその早さに付いていけるアルフィアでなければ。

 

 ラフォリアの自殺を、止めることなど……

 

 

 

「女神アルテミス、頼みがある……」

 

 

「うん、なんだい?」

 

 

「私は、この病を治さなければならない……この身体を返すその時のためにも、何より優先して……」

 

 

「……ご安心ください、その点は私が責任を持って成し遂げます」

 

 

「それなら、君は私に何をして欲しいんだい?」

 

 

「……神の視点から、どのようなスキルを作ればあの子を救い出せるのかを、考えて欲しい」

 

 

「っ」

 

 

「それを作るためであれば、私はどれだけでも自分を改変して見せる」

 

 

「………」

 

 

 彼女のその言葉に、アルテミスは眉を顰める。そんなことをラフォリアは求めていない、そんなことをされても嬉しいとは思わない。それは間違いないからだ。

 けれど、きっとそれはアルフィアだって分かっている。彼女はそれでもラフォリアを取り戻そうとしている。

 

 

「……本当に、君達はよく似ているな」

 

 

 もし2人の立場が逆だったとしても、ラフォリアは今の彼女と同じことを言っただろう。自分を犠牲にして愛した相手を守ることに躊躇いがない。仮にそれで相手が傷付いたとしても、今よりは幸福になれる筈だと。そう思い込んで、相手を傷付けてしまう。天才ではあるけれど、不器用で、愛の深い。

 

 

「そこまで言うのなら、何か考えてみよう。……けれど、勘違いしないで欲しい。私が考えるのはラフォリアを救う方法ではなく、君達2人を救う方法だ」

 

 

「……!」

 

 

「そうでなければ、きっとラフォリアもまた同じことをするだろうからね。……私も、そんな繰り返しに付き合ってあげられるほど優しい女神ではないんだ」

 

 

「っ…………ありがとう」

 

 

「いいや、お礼を言われることじゃない。これは薮を突く行為でもある。……最悪、知らなければ良かったと思うような真実に突き当たる可能性もある。世界というのは時に、神でさえも目を覆いたくなるような最悪が隠れているものだ」

 

 

 そうでなくとも、それはそんなに簡単な話では無い。というか不可能に近い。なぜなら現状アルテミスの中には何の案も無ければ、神の恩恵で実現出来ることにも限りがある。参照できる魂が何処にもない人間を、どうやって復元すればいいのか想像も付かない。仮に神の力を使うことが出来たとしても、参照する対象を探すために時を遡る必要さえあるような、途方もない話だ。少なくともアルテミスだけの思考では限界があるし、大抵の神々は『無理だ』と迷いなく言うことだろう。

 

 

「だから、少し時間がかかる。君はその間に治療を済ませていて欲しい、定期的に顔を見せには来るよ」

 

 

「ああ……」

 

 

「それに、それ以前に君はこの街に恨まれている。恨まれていなくとも、君自身が罪を抱えている。……私くらいしか居ないだろう、君とこうして何の憂いもなく話せる神なんて」

 

 

「……すまない」

 

 

「お礼ならラフォリアに言ってあげて欲しいかな。……正直に言ってしまうと、私がここまで罪人である君に深入りするのは、彼女の慕っていた母親という理由以外に他にないんだ」

 

 

「………」

 

 

「私もアフロディーテと同意見だ。私だって見ず知らずの君より、ラフォリアの方が大切に思っている。そこから先の行動は、彼女とは違うけれど」

 

 

 それはとても悪い言い方だ。けれどアルテミスだって、怒っている。それはアフロディーテとは違い、ラフォリアを捨てて彼女に深い絶望を抱かせたアルフィアに対して。しっかりと目と目を合わせて、彼女に怒っている。それくらいにあの村で最初に出会ったばかりの頃のラフォリアは、絶望に染まっていた。

 

 

「家族は、嫌でも似るんだ」

 

 

「っ」

 

 

「君は家族の心を無視して世界のための犠牲となった。だからラフォリアも同じことをした」

 

 

「……私は」

 

 

「ラフォリアが君の幸福のために自分を消したように、今君はラフォリアの幸福のために自分を消そうとしている」

 

 

「………」

 

 

「何処かで断ち切らないと、これは終わらない。そしてこれを終わらせるのは、親か子供か、どちらの役割だろう?」

 

 

「……少し、考える」

 

 

「ああ、そうするといい。幸いにも時間だけはある。……色々な人に会って、ラフォリアのことを聞くと良い。君はきっと自分の娘のことでも知らないことが多い筈だ。だから先ずは知ることから始めないといけない。君がこれから先も彼女の母親を名乗り続けたいのなら」

 

 

「……ああ」

 

 

 罪を清算するのは、これからだ。

 逃げることなど許されない。知り、向き合い、そして苦しむことこそが今すべきことであり。そして同時に、それを終えた時にこそ、母はもう一度、娘に向き合うことが出来るようになる。

 

 その時になればきっと、この手紙の見え方だって変わる筈だ。



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被害者49:九魔姫

 治療の場所自体は別に何処でも良かった。

 今の身体は薬の効果もあり、かつてのように弱ってはいない。ラフォリアほど苦しんでいる訳でもなく、なんなら治療院で治療を受けた方がよっぽど効率は良いのだろう。

 

 ……それでもこの場所で治療を受けることを決めたのは、何よりあの子の気持ちを知るためだった。あの子がどんな気持ちで寝かされていたのか、どんな気持ちで自分を待ち続けていたのか、それを知らなければならないと思ったからだった。

 

 

 

「……案外、息苦しいものだな。床に縛り付けられるというのは」

 

 

「……そうなのかも、しれないな。私達も、最近ではあまり経験しなくなったことだ」

 

 

「……エルフ。何故お前達は、私を恨まない」

 

 

「……恨んでいない、とは言わない。お前達の行いで多くの人間が死んだ。その中には言葉を交わした友も居た。だがお前達を責められる立場でないこともまた理解している。お前達の理由も知った」

 

 

「………」

 

 

「だがそれ以上に、それを"彼女"が望まないからだ。きっと"彼女"を知っている者であれば、誰もが同じように答えるだろう」

 

 

「……慕われていたのだな、あの娘は」

 

 

「ああ……確かに暴君気質はそのままだったが、それ以上に彼女は優しかった。私達も含め、多くの冒険者達の尻を叩き、率いて、正面から叱り付けた。慕われるのも当然だ」

 

 

「だろうな……あの娘は『悪』になど染まれない。だが真面目で優しいあの娘は、私などよりよっぽど上手くお前達を引き上げたのだろうよ」

 

 

「……」

 

 

「……意図してはいなかっただろうが、まるで私達のやり方を間違っていたと証明するようなやり方でな」

 

 

 メレン港での調査が終わり、諸々の面倒事はあったとは言え、ようやく帰ってくることが出来たリヴェリア。フィン達もまたオラリオの地下にあった人造迷宮から撤退して来たところであったが、一先ず犠牲者は無し。そうして情報は集まり、それなりに喜ばしい状態であったところに……その報せは舞い込んだ。

 一難去ってまた一難、それどころの話ではない。想像すらしていなかった最悪が起きた。リヴェリアが今日こうしてここに一人で来たのは、なにより状況を把握するためだ。

 

 

「……あの娘の病は、私が原因だった」

 

 

「……」

 

 

「何かあるごとに私に突っかかって来たアレは、今思えば子供らしい甘えの1つだったのだろう。だが当時の私にとっては煩わしくも感じていてな。……あしらうために、音魔法を使っていた」

 

 

「治療不全……の類だったか」

 

 

「ああ。医者からその症状を聞かされた時、私は一瞬で悟ったとも。それは私の魔法が原因だと。そして同じく才に愛された子だ、あの娘もその時に原因を察した筈だ。……だがそれでも、あの子がそれについて私を恨んだ事は一度もなかった。私の方は合わせる顔がないと、避けてさえいた時期もあったというのに」

 

 

「……そうか」

 

 

 アルフィアの独白は続く。

 罪を告白し、まるで罰でも受けたいかのように。誰かが罰を与えてくれることを、望んでいるかのように。

 

 

「あの子の将来を奪ったのは私だ。健全に成長していれば、あの子は間違いなく次の英雄候補となっていた。才能故に他者から恐れられる私と違い、あの子は才能があってさえも他者を惹きつける事が出来たからな。……精神的な成長さえすれば、多くに慕われるようになることは容易く想像出来た」

 

 

「その責任を感じて、7年前、お前は決断したのか……?」

 

 

「いや、あの子を理由にするつもりはない。……だが確かに、責任は感じていた。自分の愚かしさで、1人の英雄候補を潰したのだからな。この責任は取らなければならないと、その埋め合わせはしなければならないと、そう考えていたのも事実だ」

 

 

「……」

 

 

「まあ、結局のところ。私はそうやって自分の責任にばかり目を向けて、本当の意味であの子の心配などしていなかったのだろうな。だからこそ、あんな決断が出来た。……後悔はしないと思い選んだ決断だった筈が、今ではこのザマだ。笑い話にもなれない」

 

 

 正直なことを言ってしまえばリヴェリアは、このアルフィアという女がここまで弱々しく話している姿を見たことが無かった。そして、実際にこうして対面してみると、やはりラフォリアとアルフィアは似ているようで違う人物なのだと、そう思った。

 ……こうして見ているだけでも、ラフォリアの方が切り替えの早い人間だったように思う。それこそ死に際に多くの人間を呼び、代わる代わるに話をしては交代させていた時のように、言い方は悪いが彼女は生き急いでいた。きっとそれこそが、見た目は同じでも中身の違うこの2人を見分ける、最も簡単な特徴かもしれない。

 

 

「アルフィア。……どれだけ言葉を並べられても、私達の誰もお前を裁くことは出来ない」

 

 

「……」

 

 

「きっと、この件でお前に文句を言えるのは、ラフォリアだけだ」

 

 

「……そうだな」

 

 

「そのラフォリアがお前を裁かなかったというのなら、尚更私たちに何も言う権利はない」

 

 

「……」

 

 

「……ただ、個人的な感想を言わせて貰うとするのなら」

 

 

「?」

 

 

 

 

「……お前は酷い母親だな」

 

 

 

 

「っ……ああ、その通りだ」

 

 

 分かるとも。きっとアルフィアは誰かに責めて欲しいのだと、罰を与えて欲しいのだと。自分が同じ立場であればリヴェリアだってそう思う。けれどラフォリアを想って誰もアルフィアを責めようとはしないし、そのラフォリアが手紙の中で彼女を裁くことはなかった。

 だからもうアルフィアに逃げる場所なんて無いし、今更それを、今直ぐにそれを解決する手段もない。苦しいだろうし、押し潰されそうだろう。罪を償うために死ぬことさえも許されないのだから。雁字搦めもいいところだ。

 

 

 ……本当にこの状況をあのラフォリアが想像していなかったのかと問われると、リヴェリアも眉を顰めたくなるが。

 

 

(完全には分からなくとも、予想くらいはしていただろう。こうなる可能性もあり得ると)

 

 

 それを飲み込んだ上で仕込みをしたのであれば、この状況は正しくラフォリアからの仕返しなのかもしれない。リヴェリアにはこの才女達の考えまでは想像も付かないが、明確に裁かなかったことを利用したのであれば、実のところラフォリアは相当アルフィアに対して怒っていたのかもしれない。

 アルフィアが本当にラフォリアを愛していたのなら、これは仕返しになる。アルフィアがラフォリアを愛していなかったのなら、彼女がここまで弱々しくなることもなかった。

 

 

 (……ああ、そういうことか)

 

 

 そこでようやく気付く。

 もしかすればラフォリアは、自分達にそれを確かめて欲しかったのではないかと。アルフィアの反応を見て、彼女が本当に娘のことを愛していたかどうかを確かめて欲しかったのではないかと。……だとすれば。

 

 

 (ラフォリア……どうやらお前の母親は、ちゃんと娘のことを愛していたらしい)

 

 

 仮に一度は目を背けてしまったとしても。少なくとも今は、これほどに娘のことを考えている。これほどに気を落とすほど後悔している。……細かいことなんていらない、きっとそれだけで十分な筈だ。それを知ることが出来るだけでも、きっと。

 

 

「……暫くは療養するのか?」

 

 

「ああ、そもそも外に出るつもりもない。……今やこの身体はあの娘のものだ、余計なことをして騒ぎを起こすつもりはない」

 

 

「だが、色々と落ち着けば嫌でもお前を訪ねに来る者は増えるだろう。ラフォリアを慕っていた者達は特に、お前を確かめに来る」

 

 

「その時は受け入れる。……どれほど罵倒されようと、どれほど責め立てられようと、それは私が受けなければならないものだ」

 

 

「……そうはならない、何度も言わせるな」

 

 

「………」

 

 

「誰も怒ってはくれない。……これがラフォリアの望んだ事だと、誰もが分かっているからだ。それについて悲しむことはしても、ラフォリアに対して怒りを抱くことはしても、被害者であるお前を誰も怒ってはくれないよ。アルフィア」

 

 

「私は……あの子を捨てて、オラリオを襲撃した罪人だ」

 

 

「それでもだ。……ラフォリアのせいで、もうお前達の墓が建っていても誰も怒ることはなくなった。建て直した墓に自分から毎日のように酒瓶を叩き付ける娘の姿を見ていたんだ。お前を憎んでいた者達も、今のその顔色を見れば色々と察するだろう」

 

 

「……」

 

 

「『ああ、娘から十分な制裁を受けたのだろうな』とな」

 

 

「……制裁、か」

 

 

 ラフォリアがアルフィアとザルドの墓を建て直した直後に、当たり前ではあるが苦情がギルドやガネーシャ・ファミリアに舞い込んでいた。建て直した墓を破壊した輩さえ存在した。

 だがその度に建て直し、そして時間がある時に酒瓶を叩き付けて、なんなら時には自分から破壊していたのもラフォリアだ。オッタルを倒したことで有名となっていた彼女のそんな奇行に、事情が広まるに連れて、墓石を破壊するのはラフォリアだけになっていった。

 もちろんそこにはLv.7の身体能力で全力で酒瓶を叩き付けるラフォリアへの恐怖もあったのかもしれない。

 

 ……それでも、少なくともラフォリアの働きでアルフィアがこの街で生きやすくなったのは事実だ。自身の身を犠牲にしてでもオラリオを救った一時の英雄の意思を、無下にするような者もそうは居ない。そうでなくとも、7年の月日というものは長過ぎるのだから。人が立ち直るには十分な時間だ。アルフィアにとってはつい昨日のような話であっても、それは彼女の中だけでの話。

 

 彼女のことを罪人としてすら認めてくれないこの世界は、ある意味では残酷だ。今度こそアルフィアは『悪』になることも出来ず生きていかなければならないのだから。

 

 

 

「どうして私は、最後に一度くらい、あの子を抱きしめてやらなかった……」

 

 

 

「……」

 

 

 

「もう一度、もう一度だけでいい………あの子に、会わせて欲しい……」

 

 

 その切実な希望は、けれど、あまりに絶望的なものにリヴェリアからは見えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 方法がない、案がない、知識もない。ならばもう足を使って聞きに回るしかあるまい。

 ……だからそうした。

 事実そうして歩き回ったし、聞き回っている。それでも一向に手掛かりは掴めない。方法が思い付かない。誰も知らない。善良で知に優れた神々ですら、首を捻る。

 

『どちらかを助けるのなら、可能性はあるかもしれない。だが2人を両方救うとなると、絶望的という言葉すら生温い』

 

 何もそう言ったのはヘルメスだけではない、他のどの神に聞いたところで返ってくる返答はそれほど変わらない。神々の作ったルールの中で出来ることなど限られる、その中で既にこの世界どころか天界にも存在しない人間を蘇らせるなど不可能と言っていい。アルテミスとて、そんなことは分かっている。だからこうなることも分かってはいた。分かってはいたが……

 

 

「……意外と堪えるものだね、実際にこう言われると」

 

 

「アルテミス様……」

 

 

「君達もすまない、だがオラリオのことは私の眷属もよくは知らないんだ。君達に頼るしかない」

 

 

「い、いえ、そんなこと……」

 

 

「私たちも、好きで手伝ってることなので」

 

 

「……そうか」

 

 

 オラリオ内のことを、アルテミスの眷属達は知らない。何処にどの神のファミリアが拠点を構えているかなど、そんなことは当然に知らない。そんな彼女を助けるために立候補したのが、またもダフネとカサンドラ。けれど彼女達からしてみれば、今はすべきことも無いのだから、むしろこれくらいはしたいというもの。

 

 

「次はどうされますか?」

 

 

「……さて、どうしようか。正直、目星を付けていた神達にはもう話を聞いたのだけれど」

 

 

「……漆黒の闇」

 

 

「?漆黒……?」

 

 

「ああ、すみません。この子、たまにこういう変なことを言うんです」

 

 

「へ、変なことじゃなくて……!夢で見て……!」

 

 

「それが変なことだって言ってんのよ!大体『漆黒の闇』なんて、不謹慎にも程があんでしょ!少しは明るい夢を見なさいよ!」

 

 

「ゆ、夢の内容を変えるなんて出来ないってばー!?」

 

 

 いつものお決まりのように、そんなやり取りをする2人を見て、しかしその不謹慎な言葉に何処か納得してしてしまう自分をアルテミスは自覚する。

 

 漆黒の闇

 

 光明一つない、希望一つない世界。漆塗りの黒には光沢はあっても、光がなければ光沢は存在しない。ただただ黒だけが広がっていく。光がないからこそ、漆黒の闇は成り立つ。つまりそう表現したからには、一欠片であっても、希望の光は存在し得ないということ。

 

 

「ラフォリア……私はまだ諦められない」

 

 

 諦めたくない、あれでお別れなどということは認められない。あれほど努力した子の最後が、誰にも看取られることのない孤独なものであって良いはずがない。だから光明一つ見えなくとも、手探りで探し出していくことを止めるつもりはない。光の差し込む隙間が無いのであれば、こちらからその隙間を作っていく。それくらいの覚悟が無ければ出来ないことであると、自覚もしている。

 

 

「……正直、私も不可能に近い話だと思う」

 

 

「ヘファイストス……」

 

 

「貴女の気持ちは分かる、私だって可能ならそうしたいもの。……けど、こんなこと神の力を使わないと実現出来ない。少なくとも神器や恩恵を使って出来る範囲を超えているわ」

 

 

「だが、下界の子供達は未知数だ。不可能を可能にもする」

 

 

鍛治神ヘファイストス、ラフォリアが所属していたファミリアの主神。彼女がそんな最後を選んだことに同じように悲しみ、けれど彼女は他の神々と違いそれを納得しているようにも見える。ラフォリアならばそういう行動を取るであろうと、悲しくとも、その働きを認めているようにアルテミスからは見えた。

 

 

「一番の問題は、ラフォリアの要素が何処にも存在しないことよ、これが問題の1番の肝……」

 

 

「それが私はおかしいと思うんだ」

 

 

「?」

 

 

「ラフォリアのスキルは『転写』だ。『置換』でも『交換』でもない。自身の上にアルフィアという存在を写し取るスキルだ。……これは本当に、ラフォリアの存在は完全に消えているのか?」

 

 

「っ」

 

 

「転写を行う度に、自分の身にアルフィアの存在が残るようになってしまう。けれどこれはラフォリアの存在が無くなったのではなく、その上にアルフィアが塗られている状態なんだ。……それこそ、アルフィアは今は元々持っていなかったラフォリアの病の治療を受けている」

 

 

「……少なくともラフォリアの『病気』という要素は、完全に消失してはいなかった」

 

 

「私はそこに、可能性を感じているんだ」

 

 

 ならば完全にアルフィアの要素を取り除くことが出来れば。上から塗られてしまったアルフィアの写し身を引き剥がせば、もう一度ラフォリアを元に戻せるのではないかと。アルテミスは考えている。その方法が無いかと、探し回っている。……それでも。

 

 

「……その方法だけが、思い付かない」

 

 

「……」

 

 

「あまりにも概念が曖昧過ぎる、上から皮を1枚引き剥がせば解決するようなものじゃない。言うなれば細胞の1つ1つが、魂も記憶も何もかもが、上から塗り潰されている。その全てを完全に取り除くことなんて出来る筈もなければ、そんなことをして元のラフォリアが無事で居られる保証もない」

 

 

「……そうね」

 

 

「2人を両方救う方法が、どうしても思い浮かばないんだ……」

 

 

「……?」

 

 

 アルテミスのその言葉に、ヘファイストスは引っ掛かりを覚える。だってそれでは『片方を救う方法ならばある』とでも言っているようだから。その上で2人を救う方法がないと言っているようだから。

 

 

「アルテミス、ラフォリアだけを救う方法ならあるの……?」

 

 

「………」

 

 

「……聞くだけ聞かせてちょうだい、誰にも言わないって約束する」

 

 

「………」

 

 

 アルテミスは眉を顰める。それを言葉に出すことすらしたくないというような、そんな反応。だからそれが本当にどうしようもなく最低な方法であることにヘファイストスは気付いてしまったし、それを万が一でもアルフィアに聞かれてはいけないということもまた、理解してしまって。

 

 

 

 

 

 

 

「『アルフィアの存在を完全に消す』、そんなスキルをアルフィア自身に身に付けさせる」

 

 

 

 

 

「っ……それは」

 

 

「そうすれば、ラフォリアの上に塗られているアルフィアの存在だけを完全に消滅させることが出来る。消えるのはアルフィアだけだ、ラフォリアは戻って来る」

 

 

「……」

 

 

「それに、今のアルフィアならそんなスキルを身に付けることが絶対に出来る。何故なら彼女は今正に自己嫌悪に浸っていて、消えたいとすら思っているからだ。だからそれが唯一ラフォリアを救う方法だと知れば、迷いなく実行に移す筈だ」

 

 

「でも、それは……」

 

 

「誰も幸せにはなれない。……だから、この方法では駄目なんだ」

 

 

 それきり、会話は途切れた。

 もしかしたらアルフィアなら、その答えに行き着いてしまうかもしれない。けれどそうなった場合、アルテミスは何の迷いもなく嘘を吐くだろう。そのための嘘も既に作ってある。それは使えない方法だと、それでラフォリアを救うのは無理だと、そう告げるつもりだ。

 

 それに、そうでなくとも……

 

 

 完全に塗り潰されてしまったラフォリアが今も生きているかどうかなんて、アルテミスでさえ分からないのだから。これはラフォリアを救う作戦ではなく、2人を殺す作戦になってしまう可能性もある。

 だからこそアルテミスは頭を抱えるのだ。もっと革新的な方法が何処かにあるのではないかと、そんな都合の良い希望を探して。

 

 ……漆黒の闇の中を。



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被害者50:未完の少年

 あれから、色々な人間がこの教会を訪れた。

 事情を聞くために、確認のために、理由は諸々。けれど統一しているのは、皆が同様に哀しみを抱くこと。落胆する者さえ居た。そして怒ってもいたし、哀れんでもいた。なんならアルフィアに同情する者さえ居たし、怒りそうになったものの、そのまま口を閉じて出て行ってしまう者もいた。

 

 ……リヴェリアの言う通り、アルフィアを怒ってくれる者など殆ど居なかった。それこそ最初のアフロディーテくらいしか、ああして本音を打つけてくれる者は居なかった。アレとラフォリアの仲が良かったと聞いた時には驚いたものだが、今なら納得出来る。ラフォリアは好むだろう、ああいう相手を。

 

 

 

「……遂に、この日が来てしまったか」

 

 

 そんな風に来客をこなしていたものの、今日予定していたその来客にだけは、アルフィアとて相当に緊張していた。なんなら恐怖していたと言ってしまってもいいかもしれない。出来れば会いたくないと、今は心の底からそう思ってしまっている。喜ばしい筈なのに素直に喜べないという、喜んだ自分を想像したくないという、そんな気持ちに囚われている。

 

 

「ヘスティア・ファミリア、か……」

 

 

 つまりは、自分の甥との対面。

 愛した妹の子供との遭遇。

 あのラフォリアが、自分よりも愛することが出来るだろうと断言した、子供との再会。

 

 ……どんな顔をすれば良い。

 ……どんな顔をされるのか。

 ……どんな顔で見れば良い。

 

 何も分からない、何が正しいのかすら分からない。あの子を差し置いて本当にその子供を愛してしまいそうな自分を想像して、吐きそうになる。けれどその甥を突き放すようなことを、他ならぬ自分が出来る筈がない。だから会いたくなかったし、会わない方がいいと思っていた。会ってしまえば逃げ道を失ってしまうと分かっていたから、逃げ出してしまいたかった。

 ……それでも、そんなことは許されない。何よりあの娘が頼むと言って来たのだから、逃げることは許されない。会うこともないままに何事もなく生きていくことなど、そんな娘の願いに泥を塗るようなこと、出来る筈もなくて。

 

 

 

 

 

「あの、お邪魔していいですか……?」

 

 

 

 

「っ……早かったな」

 

 

 そして、そんなアルフィアの思いも関係なく、時間は進んで行くし、物事は動いていく。嫌だ嫌だと引き延ばしていても、その時は直ぐにやって来る。気付けばそんな時間。結局何の答えも出せていない。故に何の筋書きもなく、ただなるようにしかならない。

 

 なるようにしか、出来ない。

 

 なるようにしか、なれない。

 

 

 

「あの、その……」

 

 

「……あぁ」

 

 

「え、と……ラフォリアさん……?」

 

 

「あぁ……間違いない……」

 

 

 そうだ、結局人は何をどう身構えたところで、なるようになるのだ。どれほどラフォリアの言葉を否定したくとも、他の何より娘のことを愛していると証明しようとしても、心と頭は必ずしも一致はしない。思い通りに心が動いてくれることなど滅多にない。心とは自分にとっての核であると同時に、最も不自由なものでもあるのだから。

 

 ……だから結局、それを証明したのは自分自身だった。

 未だに自分にとって最も愛しい存在は娘ではなく妹であったのだと、それを確定させてしまったのは、他でもない自分自身の心だった。ラフォリアの言葉は、本当に何も間違っていなかったのだ。これまでその事実から目を背け続け、向き合おうともしてこなかったアルフィアに。今更になって自分の心を変えることなんて、出来る筈がないのだ。

 

 故に彼女は、苦しまなければならない。

 

 後へ後へと先延ばしにしていた以上の負債を。

 

 その心の内に、抱えなければならない。

 

 

 

 

「……ちょっといいかい、ベルくん」

 

 

「え?あ、はい、神様」

 

 

「……」

 

 

「君は……ラフォリアくんじゃないね?」

 

 

「え……?」

 

 

「……女神アルテミスから、何も聞いていなかったのか。ラフォリアからも」

 

 

「少なくとも、僕は何も聞いていない。そんな時間も無かったし、そんな余裕もなかった。……それにラフォリアくんはきっと、わざと何も教えてくれなかった」

 

 

「ああ、そうだろうな……あの子ならそうする」

 

 

「え?え?あ、あの……な、何の話をしているんですか?ラフォリアさんじゃないって、どういうことですか!?」

 

 

「……」

 

 

 目の前の人間の中身が変わっていることに一目見ただけで気付くことが出来たのは、果たして神の眼力によるものなのか、それともヘスティアがそれほど相手のことをよく見ていたからなのか。そんなことは人の身であるアルフィアには分からないし、どちらでも良い。

 ただベルのその様子を見て、自分の心が滅茶苦茶になっていることだけは事実だ。出会えた嬉しさ以上に、凡ゆる罪悪感が押し寄せて来る。冷静になればなるほどに、どんな言葉を掛ければいいのか分からなくなる。彼にとって慕っていたであろう相手を奪ってしまった自分が、どんな言葉をかければいいのか、まったくもって分からなくなる。

 

 

「か、神様……?」

 

 

「……ベルくん、君もなんとなく分かっている筈だよ。もし彼女がラフォリア君なら、こんな反応で君を受け入れると思うかい?」

 

 

「っ」

 

 

「それ以前に、雰囲気というか、目が違う」

 

 

「目……?」

 

 

「ラフォリア君は無視はしても、相手から目を逸らしたりなんかしないよ。常に僕達の眼を見返して来る。こちらが逸らしたくなるくらいにしっかりと」

 

 

「っ」

 

 

「少なくとも、そんな後ろめたそうな顔をして、相手を覗き込んだりしない。……だから君はラフォリアくんじゃない」

 

 

 

 そのヘスティアの言葉は、あまりにも深くアルフィアの心に突き刺さった。大抗争の際ですら目を閉じていたアルフィアに。ラフォリアの気持ちからずっと目を背けていたアルフィアに。

 深く、深く……いっそ残酷なくらいに。

 

 

 

「……ああ、その通りだ。女神ヘスティア。私はラフォリアではない」

 

 

「ど、どういう……ことですか……?」

 

 

「私の名はアルフィア……ラフォリアの、母親だ」

 

 

「ラ、ラフォリアさんの!?」

 

 

「そしてお前の叔母でもある、ベル」

 

 

「「え……?」」

 

 

「お前の母親であるメーテリアは、私の妹だ」

 

 

「「っ!?」」

 

 

 何も分からなくとも、ただ情報を与えた。

 困惑することも分かっている、戸惑うこともまた分かっている。故に最初に情報を出した。結局人はなるようにしかならないのだから、なるようにならせる為にも背中を押すしかない。

 ……やっていることは、ラフォリアと同じだ。あの子はそれを分かっていたから、きっとそうしていた。そしてアルフィアにはそれは出来なかった。目を逸らし続けた。それが母娘である2人の、明確な違い。

 

 

 

 

 

 

「……そうか、あのスキルが」

 

 

「神様は、知っていたんですか……?」

 

 

「……なんとなくだけどね。いつかはこうなることも、あるかもしれないとは思っていた」

 

 

 ベッドの横に腰掛けたヘスティアは、自身で更新を行なった彼女のステイタスを思い出しながら、ラフォリアが使っていた机を摩る。何せ色々とあったとは言え、最終的に彼女の背中に刻まれていたのはヘスティアの恩恵なのだから。……けれど今ではそれも、遠い昔の話のように思えてしまう。

 

 

「そ、それならどうして……!!分かっていたなら!」

 

 

「ベルくん、僕がラフォリアくんを止められると思うかい?」

 

 

「っ」

 

 

「一度彼女が決意を固めたなら、誰もそれを止めることなんて出来ないよ。それはベルくんだって知っている筈だ」

 

 

「でも……それでも……!!」

 

 

「少なくとも僕は、それを否定する気はない」

 

 

「!?」

 

 

 アルフィアから聞かされた経緯に目を見張り、けれどヘスティアが最後に出したその結論に対して、驚いたのはベルではない。むしろアルフィアの方が、ヘスティアのその言葉に驚いていた。

 

 

「……そんなに不思議かい?僕がラフォリアくんの出した結論を受け入れていることが」

 

 

「っ」

 

 

「神様……」

 

 

「アルフィアくん、だったかな?それとベルくん。……君達は、ラフォリアくんを生き返らせたいと思うかい?」

 

 

「で、出来るんですか!?」

 

 

「なにか、策があるのか……?」

 

 

「いいや、無いよ。少なくとも僕の頭の中には。……けどね、仮にその方法があったとしても、僕はそれを使うことを最後まで躊躇うと思う」

 

 

「何故だ……!!」

 

 

 

 

「仮にそれが悲劇的な終わりであったとしても、それはラフォリアくんが全力で生きて、懸命に出した答えと終わりだからだよ」

 

 

 

「「っ」」

 

 

 ヘスティアは俯きながらも笑う。

 

 

「自分の命が少ないことくらい、賢明な彼女は知っていた筈だ。彼女はその中で常に懸命に生きていた。その終わり方も、彼女が自分の中で最大限努力した上で出したものだ。……それを残された僕達が納得出来ないからと言って全部ひっくり返すのは、本当に正しいことなんだろうか」

 

 

「それ、は……」

 

 

「彼女は確かに決断の早い子だったけれど、彼女だって彼女なりにずっとずっと考えて思い悩んでいた筈なんだ。……ううん、賢い彼女はきっと僕達以上に短い時間で、僕達以上に多くのことを考えていた筈なんだ。そんな彼女の思いを、願いを、生き様を。僕は汚したいとは思えない」

 

 

 教会に来たばかりの頃から、ラフォリアはずっと何かを思案していた。眠る前に、起きた時に、彼女は何かを常に考え続けていた。ヘスティアはずっとその姿を見ていた。彼女が何を考えていたのかまでは分からなくとも、あれほど賢い彼女がずっと思い悩んでいた事だけは知っていた。

 そんな彼女が出した答えがそれであるのなら、きっとそれは彼女が間違いなく納得して出した答えだ。彼女が全力で走った結果、行き着いた答えだ。

 だったらヘスティアはそれを受け入れる。それは確かに自分達の納得出来る最後ではなかったけれど、受け入れ難い終わりだったけれど、何よりラフォリアがそれで良いのだと選んだ結末なのだから。それを否定したくはない。ただ受け入れた上で、『よく頑張ったね』と、生きている間には言ってあげることが出来なかったことを、心の内で呟く。それが残された者たちの役割だと、ヘスティアは思う。

 

 

「確かにこの考えだって、僕の想像だ。もしかしたらラフォリア君は納得なんかしていなかったかもしれない。生き返らせて欲しいと、今でもずっと願っているかもしれない。……でもね、僕はそこまでして懸命に生きたラフォリア君の意思だけは尊重したいんだ」

 

 

「……」

 

 

「君達にも考えてみて欲しい。ラフォリアくんの望みはなんだい?生き返らせて貰うことかな?それとも自分の答えを否定して貰うことかい?……違うだろう」

 

 

「……」

 

 

「きっとラフォリアくんは、君達2人を会わせたかったんじゃないかな。……本来会える筈のなかった、血の繋がった2人を。アルフィアくんとベルくんが、幸せに笑いあっている姿を。それを見たかっただけなんじゃないかな」

 

 

「「っ」」

 

 

 だからきっと、それを否定するのは間違いなのだ。

 どれだけアルフィアがラフォリアへの愛を示そうとしていても、ラフォリアが求めていたのはそれではない。アルフィアがベルと顔を合わせ、幸福になること。求めたのはただそれだけだ。

 ならば残された者達がラフォリアに対して出来ることなど、本来しなければならないことなど、その願いを叶える以外に他に無いだろう。

 

 

 だって、本来なら死を覆すことは出来ないのだから。

 

 

 神の力を借りれば、奇跡を起こすことが出来れば、それを成すことは出来るかもしれないけれど。それは明確なルール違反であり、本来ならば生者が死者ともう一度出会うということなど出来ない。

 

 それを知っていたからこそ、ラフォリアは迷わなかった。

 

 そんなルール違反を出来る可能性が自分にあることを、そんな奇跡を自分の残り少ない命で成すことが出来ることを知ってしまったから。彼女に迷いなど一切なかった。その価値を知っていたのだ。むしろ、その価値を未だに分かっていないのはアルフィアの方だ。

 

 死者を生き返らせるなどという、過去多くの者達が望み叶えられなかったことを、どうして自分達は出来ると思っているのか。どうしてそれに巡り会えたことに感謝をしないのか。少なくとも絶望させるためにこんな事をした訳ではない。

 

 勿論、こうなることはラフォリアだって想像していたことではあったろうけれど。それでも……少なくとも現状は、ラフォリアが望んだ形ではない筈だ。こんな悲観に溢れた現状を、ラフォリアは作りたかった訳では無い筈だ。

 

 

「だから先ずは、喜んであげて欲しい。君たちが本当にラフォリアくんのことを愛しているのなら、ラフォリアくんのおかげで出会えたことを目一杯に喜んで、感謝してあげて欲しい。……そんな君達の姿を、ラフォリアくんは見たかった筈だよ」

 

 

「「っ」」

 

 

 ベルとアルフィアには、自然と想像出来てしまった。

 そう言葉にしたヘスティアの背後で頷いているラフォリアの姿が。せっかく出会うことが出来たというのに、いつまでも死者である自分のことばかりを悲しんで。そんな様子に不満気に自分達を睨み付けて来るラフォリアの姿が、想像出来てしまった。

 

 

 

『幸せになれ』

 

 

 

 何度も何度もくどいほどに念押しして来たその言葉の意味を、念押しした意味を、アルフィアは今になって漸く知る。捻くれた物言いしか出来ないラフォリアだけれど、不満だって打つけてしまったけれど。それでもアルフィアに幸せになって欲しいというこの願いだけは、心から望んでいた事だったのだ。

 

 別に今更愛してくれなくてもいい、今更謝らなくたっていい。ただ幸せになって欲しい。本来あり得ないことが起きたことを喜んで欲しい。そんな2人の姿を見ることこそが、きっと、ラフォリアが死ぬ前に思い描いていた理想であることに間違いはなくて……

 

 

 

「……ベル」

 

 

 

「……叔母、さん?」

 

 

 

「……せめて、お義母さんにしてくれ。流石に叔母さんは、私とて思うところがある」

 

 

 

「っ」

 

 

 

 ぎゅっと、ベルを抱き寄せるアルフィア。

 

 

 

「お義母、さん……」

 

 

 

 ベルも戸惑いながらも、ゆっくりと抱き返す。

 

 

 

「……本当に、良いのか。私のような、女が、こんな……罪人である私が、こんな、幸福を……」

 

 

「それを許さない人なんて、少なくともここには居ないさ」

 

 

「……あぁ」

 

 

「ラフォリアくんだって、きっと笑って見ている筈だよ。軽く溜息でも吐きながら、腕でも組んでね」

 

 

「ラフォリア……私は、今だけは……」

 

 

 自分はしっかり幸福を噛み締めている癖に、そんな良心の呵責に苛まれているアルフィアのその姿は、ヘスティアから見ても酷く歪なものであるけれど。ラフォリアとは違うその瞳には、確かに神でなくても分かるほどの幸福と涙が溢れていて。

 

 

 (これで君は満足なのかい、ラフォリアくん)

 

 

 完全にアルフィアになった彼女の身体からは、それこそ体臭や体温といったものまで、その全てがラフォリアのものでなくなっている。故にこうして抱き締められているベルはきっと、不思議な心地なのだろう。それでも分かるのは、そこに宿る明確な"愛情"。

 ……ラフォリアが欲して止まなかったそれを、今正にベルは受け取っている。

 

 

 (血の繋がり、繋がりのない家族……)

 

 

 それを大切に思う人も居れば、思わない人も居る。

 血の繋がりは決して無意味なものではなく、ベルがこうして初対面の筈のアルフィアに抱き寄せられて心が満たされているのも、それこそ体臭といった遺伝的な要因は理由として確実にあるだろう。

 けれど血の繋がりがなければ家族になれないのかと言われれば、それもまた違う。血の繋がりがないからこそ、そこに普通の親子では得られない核を得ることが出来るかもしれない。血の繋がりがなくとも、人は家族になれる。

 

 

 (少なくとも僕には……君とベルくんの関係は、まるで姉弟のように見えた)

 

 

 きっと本当の理想は、目の前の光景にラフォリアの姿も足したものだ。それを見たいと思うのは、ヘスティアだってそうだ。だがそれは、所詮はヘスティアの願いだ。

 

 

 (ラフォリアくん……君は本当に、言葉が足りないよ)

 

 

 たくさんのことを考えていた癖に、たくさんのことを思い悩んでいた癖に、その1割も教えてはくれない。ただその結果のみを見せ付けられる。自分の本当の望みは何なのか、何をどうして欲しいのか。最終的に出された結論はいつも謙虚で、自己犠牲で、他者のためで、そこには自分の幸福なんて最低限しか入っていなくて。

 

 

 (仮にこれが君の望んでいたことであっても……君が心の内に押さえ付けていた本音は、誰も知らない)

 

 

 彼女は目の前の女性のように、抱えきれないほどの幸福に、外聞を気にすることも出来ず泣きじゃくった事があったのだろうか。彼女は目の前の少年のように、与えられた愛に心を満たされ、外聞を気にすることなく誰かに甘えた事があったのだろうか。

 

 

 (それでも僕は、君の最期を尊重するし、肯定する。……きっと否定する子の方が多いだろうからね。君の頑張りは決して、否定されるものではない筈なんだから)

 

 

 だからヘスティアは決めている。

 もし次に彼女と会うことがあったとしても、その時に掛ける言葉は『よく頑張ったね』の一言だと。何より先に、彼女の努力と決意を認めることだと。

 

 そしてもし、そうならなくとも……ヘスティアは欠かすことなく彼女の墓に参り、伝えるつもりだ。

 

 

『ありがとう』と。

 

 

 もうそこには居ない筈の彼女に向けて、心からの感謝を伝えるだろう。伝える先の無い感謝を。伝わることのない感謝を。大切な眷属の1人として。天界に還っても。……きっと。

 

 もうこの世界に存在しない彼女を、ヘスティアだけは記録として残し続けていくつもりだった。




次から少し時間が飛びます。


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被害者51:調停者

 結局のところ、あれからラフォリアを救い出す術が見つかることはなかった。

 

 その一方で、アルフィアの治療は順調に進んで行き、彼女は定期的に訪ねて来るようになったベルと仲を深め、充実した毎日を過ごすようになった。完治するのも時間の問題だろう。

 

 アルテミスはオラリオを歩き回り、可能な限り多くの神々の知恵を頼った。だがその収穫は殆ど0と言っても良いくらいで、流石の彼女も思い悩んでいる。

 

 闇派閥の企みに対しても、アンタレスとの戦いで昇華を果たしたロキ・ファミリアは戦況を優位に進めていき、そこに精神的な変化もあったのだろう。本人曰く『目指すべきものが分かった』という言葉通り、団長のフィンは以前よりも大胆かつ意志強く物事を進めるようになった。その速度に驚いているのは、他ならぬ闇派閥達である。

 

 

 

 何もかもが上手くいっている。

 

 

 

 ただ、ラフォリアを救い出す術が無いというだけ。

 

 

 

 この喜ばしい報告に溢れたオラリオの中で、その事実だけが残酷に浮いている。

 

 

 

 

「……融通の利かない奴め」

 

 

 

 それでも、決して何の成果もなかったということではない。

 

 

 例えばそれは、アルフィアの身体について。

 

 

 

 

『ウィーネ!』

 

 

 それはヘスティア・ファミリアが言葉を話すヴィーヴルであるウィーネを匿うために、彼女をアルフィアが寝ている教会の中に咄嗟に運び込んで来た時のこと。

 モンスターを匿うという、オラリオにおいてあまりにも禁忌であるその行為にアルフィアが口を挟もうとしたその瞬間に、事は起こった。

 

 

『っ………!?っ!?!?』

 

 

 突如、アルフィアは言葉を話せなくなった。

 

 ……というより、口を開く事が出来なくなった。

 

 その事実に誰しもが一度は慌てたものの、しかし直後に彼女は普通に話せるようになる。しかし特定の事について言及しようとすると、再び口は開かなくなる。

 

 その共通点はつまり……

 

 

 

【だが過干渉はするなよ、あの子の人生を導くような真似だけはするな。自分の足で歩んでこそ、人は自分の生き方に自信を持てる。そこだけは釘を刺しておくからな】

 

 

 

『ベルの選択には、干渉をするなということか……!ラフォリア……!』

 

 

 ベルが決めたことに、決意したことに、口を出さない。彼が自分で選ぶべき道を、勝手に決めつけない。アルフィアが色々と試してみた結果分かったのは、概ねそんな条件。要はラフォリアが手紙の中でアルフィアに伝えた、『人生を導くな』という言葉そのもの。

 元々はラフォリアの物であったこの身体は、常にベルの選択を尊重していたし、それ故に彼がどれだけ苦労することになろうとも、傷付くことになろうとも、彼のどんな馬鹿げた無茶も肯定していた。それを成すために助言する程度であれば許されるところも、実にラフォリアらしいというところだろう。

 

 

 

 他にも……

 

 

 

『っ!?……何故今邪魔をする、ラフォリア』

 

 

『……そう、未だにあの子はあんな約束を守ってくれるのね』

 

 

 それは女神フレイヤが訪ねて来た時の話。

 彼女がベルに対して熱を持っているということを知るや否や、当然のようにアルフィアは拒絶の意思を示そうとした。……しかし、直後に起きたのは身体の停止。それは決してフレイヤの魅了によるものではない。原因がラフォリアにあるのだと、アルフィアは直ぐに思い至った。そしてそのフレイヤの言った約束というのは、正直フレイヤとしては軽い口約束程度にしか捉えていなかったようなもので。

 

 

 

【私は貴様の恋愛事情に口を出す気はない、好きにしろ。その末にどうなろうと私は知らん。だがせめて、誰に語っても恥ずかしくない恋愛をすることだな。……恋愛などしたこともない私に、こんなことを言わせるな】

 

 

 

 けれど、結局はそれもベルに対して道を強制させないということに通じる。魅了や武力によって自由を奪うな、恋愛をする相手など好きにすれば良い。誰を好きになろうとも構わない。口を出すつもりもない。それだけの話。

 

 

『だからきっと、私があの子を力で無理矢理奪うなんてことをしない限り、貴女は私に手を出せない』

 

 

『あのクソ真面目……!』

 

 

『……ほんとに、馬鹿な子』

 

 

『っ』

 

 

 まだヘラ・ファミリアが現存していた頃から、目の前の女神がラフォリアに興味を持っていたことをアルフィアは知っていた。その眼から遠ざけるために密かに気を遣っていたのも本当だ。

 ……だが、その時に向けられる目線から感じていた感情と、今こうして目の前で女神フレイヤが向ける感情は違う。

 

 

『……何の罪悪感だ、それは』

 

 

『私とオッタルがラフォリアの寿命を削ったも同然だもの、責任くらい感じているわ』

 

 

『……あの猪は、何をしている』

 

 

『暫く戻って来て居ないわ、ずっとダンジョンの中』

 

 

『……そうか』

 

 

 そんなやりとりはあったものの、しかし話の肝はそこではない。問題なのは、完全にアルフィアの身体となった筈のそれにも、未だにラフォリアの意思が染み付いているということだ。

 ラフォリアの意識があるとは思えない、それは他でも無いアルフィアが断言出来る。それでも事実としてこういった奇妙なことが起きている。所謂"残留思念"とでも言うべきものなのかもしれない。故に暫く時間が経てばこの縛りも少しずつ効力を失っていくのだろう。少しずつアルフィアの身体に成っていく。それは話を聞いていたアルテミスも同意していた。

 

 

「……そんなにベルのことが気に入ったか、ラフォリア」

 

 

 誰も居ない部屋の中で、いつものようにそう独りごちる。最早ベッドの上に居なくとも問題ないが、今はこの退屈と孤独と窮屈さを感じていたいとも思う。

 

 

「お前はずっとこうして、私を待っていたのか」

 

 

 神々は今回の件について、三者三様の意見を出した。それこそヘスティアの様に、どんな形であれその死と決意を無為には出来ないと言った神も居る。ヘファイストスもまたヘスティアに同意しているようだった。

 しかし少なくとも、彼等のそんな話を聞いてもなお、アルテミスとアルフィアはラフォリアを諦めるつもりなど全くなかった。それがたとえラフォリアの意思を冒涜するものであると言われようとも、手を引くつもりなどなかった。

 

 そんなこと当たり前だ、巫山戯るな。

 

 確かにラフォリアはその短い生涯と自由時間で懸命に生きて、その中でも最大の結果を出したと言えるだろう。彼女の最後の決意を尊いものであり、彼女の献身は英雄たるに相応しいものであったと事情を知っている者なら誰もが言う筈だ。

 

 ……だが、ラフォリアは本当に何の未練もなかったのか?

 

 あるに決まっている。当たり前だ、あったに決まっている。その短い生涯の中でしたいことなどいくらでもあったろうし、出来なかったことなどいくらでもあった筈だ。これから先のオラリオと従兄弟の成長を見守っていたかった筈だ。もう一度だけでもアルフィアと顔を合わせ、直接言ってやりたいこともあった筈だ。先の短さ故に諦めたことも、手放した物も、後悔すら出来ない後悔だって、いくらでもあった筈なのだ。

 

 どうしてその事実を無視出来る。

 

 仮にそれが禁忌であったとしても、それがラフォリアの努力に泥を塗る行為であったとしても、アルフィアはいくらでも罰を受けたって良い。それで娘がもう一度普通の人として生きる事が出来るのなら。だから諦めるつもりなど毛頭なかった。

 それこそ、これから先の人生をその可能性を探るために費やすつもりであるくらいに。アルフィアは本気である。説得など無意味であると、そう断言出来る。

 

 

 

 

 

 ……とは言え。

 

 

 

「結局、現状出来ることは何も無い」

 

 

「まあ、そうだろうな……」

 

 

 異端児の一件が終息し、諸々の情報共有のためにやって来たリヴェリアに対し、アルフィアは半ば口の様にそう溢した。しかしそれも当然の話。何せ現状、本当にラフォリアのために出来ることなど何も無いのだから。少なくとも懸命に情報を求めているアルテミスが殆どお手上げ状態の今、アルフィアが何をしようとも新たな情報が手に入る可能性など皆無に近い。

 

 

「"果報は寝て待て"という言葉もあるらしいが、寝ていたところで果報は来なかった。オラリオでは情報収集にも限界があるか」

 

 

「とは言え、何処に行くつもりだ?ここ以上に情報が集まる場所というのもそう無いだろう」

 

 

「各地の遺跡を虱潰しに回って神器を探す、そういう手段もある」

 

 

「……気の遠くなる話だな」

 

 

「ああ……本来、こういった作業はラフォリアの方が得意なのだがな」

 

 

「そうなのか?意外だな、あらゆる才能においてお前に劣っているとラフォリアは言っていたが」

 

 

「確かに才能は私の方が上だが、あの子は私との差を埋める為に、相手を見て取り入れる情報を増やす事に長けた。こちらが圧を感じるほどに目を向けて来るのはそれが理由だ。人工的、もしくは神工的に作られた意図ある遺跡物の探索において、あの娘の右に出るものは居ない」

 

 

「……つまり、今度はお前がその努力をしなければならないということか。これもある意味で皮肉だな」

 

 

「才能に胡座をかいていたつもりはなかったのだがな」

 

 

 ラフォリアのそんな意外な特技を今更ながらに知りながら、以前に会った時よりも少しは精神的に落ち着いた様に見えるアルフィアに目を向ける。7年前にはまさか彼女とこうして面と向かって穏やかに話す日が来るとは思っても見なかったが、しかし現状こうしてアルフィアと落ち着いて話すことが出来る冒険者というのも自分くらい。この立場になるのも仕方ないところはある。

 

 

「お前はいいのか、こんなところに居て」

 

 

「ああ……一応、大方の方針は決まっている。今はフィンがそれを煮詰めているところだ。クノッソス攻略作戦のため、お前から得た情報も含めて順調に進んでいる」

 

 

「一度は向こう側に居たとは言え、耳障りな連中である事に変わりはない。ラフォリアが戻って来るまでには処理しておけ」

 

 

「簡単に言ってくれる、お前が手を貸してくれるのなら楽なのだがな」

 

 

「……気が向いたらな」

 

 

 もちろんアルフィアに手伝う気などサラサラない。それは闇派閥よりラフォリアの方を優先したいという考えはあるが、何より今は自分達の時代ではないという思いがあるからだ。その攻略作戦に自分が参加してしまえば、否が応でも中心に据えられるだろう。しかしこれまで努力し続けて来たのはリヴェリア達であり、都市を守り続けて来たのも彼等だ。ぽっと出の人間が入り込むべきではない。アルフィアはそう考えている。

 

 

「ああ、そういえば……」

 

 

「?」

 

 

「最近は都市外からのクエストも多くてな」

 

 

「何……?」

 

 

「どうもモンスター達の動きがおかしい。今も手の空いている団員達を派遣しているところではあるが、お前も外に出るのなら気をつけた方がいいだろう」

 

 

「……"異国の船団"とやらは、その関連か?」

 

 

「ん?いや、アレはまた別の話らしい。……とは言え、まあ厄介事の匂いがしない訳でもない。私達は闇派閥対策に集中したい。もしそちらで何かあれば、お前に任せたい」

 

 

「……やれやれ、いつの世も平穏は遠いな」

 

 

 メレン港の方角から、汽笛の音が聞こえて来る。

 それは正にこれから始まるアルフィアに対する試練の到来を告げている……と評するのは、まだ気が早いのか。しかしそれに対して何となく嫌な予感がしていたのは、リヴェリアもアルフィアも同様だった。

 

 

 

 

「というかお前、今のオラリオはどう思っている……?」

 

 

「安心しろ、同じことをするつもりはない」

 

 

「本当か?本当なんだな……?」

 

 

「なんだ、して欲しいのか」

 

 

「絶対にやめろ」

 

 

 

 

 

 

 アルフィアがそうしてリヴェリアと話している一方で、酷く頭を抱えていた者達も居た。例えばそれは男神ヘルメスであり、彼は今正に目の前に到着した船団を前に顔色を青くさせて口元を引き攣らせている。そしてそれは勿論、その付き人であるアスフィも同様に。

 

 

「なぜだ……なぜこうも厄介なことが重なる……」

 

 

「ヘルメス様、私これから勇者の頼みでクノッソスの鍵の複製をしなければならないのですが……」

 

 

「どう考えてもクノッソス攻略までに1ヶ月も無い……覚悟しておけよアスフィ、これから俺達は毎日がデスマーチだ」

 

 

「最悪過ぎます……」

 

 

 とある"古の地"から訪れたこの船団は、その"古の地"についての情報を知っていれば知っているほどに、今回のこの交流が明らかに厄介を含んでいることもまた想像出来るというもの。この話が来た時点で既にヘルメスは頭を抱えていたし、最近のラフォリアとアルフィアの件にあまり首を突っ込むことが出来なかったのは、正しくこれが原因である。

 

 

「"永久の神域"、神都オリンピアからの使者……どうなさるおつもりなのですか?単に観光目的な筈がありません」

 

 

「当然、基本的にヘスティアとベル君達に頼むしかない。可能な限り迅速にこの問題を解決して、なんとかクノッソス攻略に間に合わせる。そしてクノッソス侵攻中はベル君達にクエストを出して無理矢理作戦から遠ざける」

 

 

「……ヘスティア・ファミリアも顔を真っ青にさせるでしょうね。新興ファミリアに求める仕事量ではないのでは」

 

 

「だが仕方ない」

 

 

「"静寂"については、その……」

 

 

「……さて、どうしたものかな」

 

 

 船の上で妙にキャピキャピと騒いでいる若い使者達を見上げながら、ヘルメスは溜息を吐いた。

 正直に言えば現状アルフィアという存在を持て余している。強力な戦力ではあるものの、扱い辛い。何故なら彼女のスタンスが分からないし、最近の様子から見るにラフォリアの様に都市の問題に積極的に関与してはくれないのだろう。

 そして彼女が7年前に抗争に加わった理由を考えるに、頼り辛いというところもある。猫の手すら借りたい状況ではあるものの、その手を借りるのは覚悟の居る行為だ。今回の件に彼女を関わらせるかどうかも、思案しているところ。

 

 

「一先ず、やれることをやるしかないだろう。一応リューちゃん達にも声を掛けておいてくれよ、アスフィ。最悪、俺達もオリンピアに行く事になるぜ」

 

 

「はぁ……正直興味はありますが、もう2月ほど後にして欲しかったと心の底から思います」

 

 

「ああ、俺もだよ」

 

 

 ヘルメスはまだ知らない。

 例えばこれから起きる事だとか、例えば船を動かしている船員の中に魅了に掛かった者が1人紛れている事とか、それによって事態は思わぬ方向に進んでいく事になるとか。

 

 しかし、それでも、どちらにしても。

 

 今このタイミングで彼等がこうしてオラリオへとやって来たのは、果たして偶然なのだろうか。そしてこれが本当に何かしらの意図が働いているとするのであれば、それに間違いなく関わって来ることになるのは……

 

 

「さて……彼等は"彼女"に何を齎してくれるんだろうな。可能性という希望なのか、それとも、暗闇という絶望なのか」

 

 

 これから始まるのは、心を探す旅。

 

 自分の心を、探す旅。

 

 その果てに彼女がどんな決断を下すのかは、なるようなった後にしか分かりはしない。




最終章:アエデス・ウェスタ編です。
よろしくお願いします。


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被害者52:万能者

 その日、アルテミスとアルフィアはヘスティア・ファミリアの本拠地に呼び出されていた。つまりは元アポロン・ファミリアの拠点である。

 ちなみに呼び出したのはヘルメス、既にその時点で2人は嫌な予感を感じていたりもしている。何故なら男神ヘルメスが先日の異端児との一件でやらかしたことは当然アルフィアの耳にも入っているし、それについて他でもないヘスティアから顔面への飛び蹴りという制裁を受けていることもまた知っている。

 

 ……そんな彼等がだ、ヘスティア・ファミリアの本拠地で話さなければならないことがあるというのだから。それはもう本当に面倒な話なのだろう。そして急を要する話でもあるということ。

 

 勿論、現状のアルフィアとアルテミスにとって、それは別に嫌な事ばかりではない。面倒な話であっても、今の2人には情報も可能性も存在しないから。そこに未知があるというのなら、2人はそれこそ呼び出された瞬間に準備を整えて教会を出た。どんな未知であろうとも、希望に繋がる可能性があるかもしれないから。どんな偶然にさえ、今は縋り付きたかったから。

 

 

 

 

「……まあ、そういうことでね。私達はオリンピアに行く事になったの」

 

 

「また突拍子のない話が出て来たね。……それにしても、オリンピア……炎の穢れ、か……」

 

 

「……要は厄介な話ということか。それも未知なる大地で、未知たる力の存在する場所で」

 

 

 神都オリンピア、これまで外界との関わりを長きに渡って絶っていた伝説の都。英雄エピメテウスと神の炎の逸話が伝わる、最古の都と言っても良い。

 かつてオリンピアに落ちた神の炎は今も轟々と燃え盛っており、しかしそれは人の世に落ちた影響か、徐々に穢れ始めていると使者達は言った。そしてそれを浄化するために、炉の神であるヘスティアの力が必要であるということも。

 

 ……とは言え、アルフィアにとって重要なのはそこではない。何よりオリンピアという神秘の都、そして巨大な神の力である炎が存在する。それはあまりに大きな未知だ。

 数多の可能性が眠るその街に、興味を惹かれるのは当然の話。そこにラフォリアを救い出す可能性がある以上、アルフィアの考えは1つしかない。

 

 

「話は概ね理解した」

 

 

「つまり、私達もその旅に連れて行って貰えるという理解でいいのかな。ヘルメス」

 

 

「ああ、そこは問題ない。……というより、君達2人はむしろ呼ばれている」

 

 

「呼ばれている?誰に……?」

 

 

「アフロディーテに」

 

 

「「……は?」」

 

 

 そうしてヘルメスが取り出したのは、1通の手紙。

 彼がそういうからには、それはアフロディーテからアルテミスとアルフィアに対する手紙なのだろうと想像出来る。しかし重要なのは、どうしてアフロディーテがオリンピアなどという場所に居るのかというところ。

 ……受け取った手紙をアルテミスは読み始める。中に書かれていたのは、それほど詳細なものではなく、本当に端的なもの。アフロディーテには珍しく飾り気のない。もっと言ってしまえば、素っ気ない。

 

 

「……なるほど、確かにこれは私達2人を呼び出すためだけの文だ。事情も何も書かれていない。アフロディーテが何を考えているのかすら、この手紙からは分からない」

 

 

「ああ、だから俺達も困っている。船団の乗組員達の中にアフロディーテの魅了に掛かった者が紛れていて、これを俺に手渡した瞬間に魅了が解けた。……事情も何も聞き出すことさえ出来なかった」

 

 

「……とは言え、私達2人を呼び出すということは、つまりはそういうことなのだろう」

 

 

「……」

 

 

「アルテミスはともかく。少なくともあの女神は私のことをよく思ってはいない。……それでも私の名を書いたというのなら、そこにラフォリアが関係していない筈がない」

 

 

「「っ」」

 

 

「私達が呼ばれたのは、お前達とは十中八九別件だ」

 

 

 未だその名を聞くと、ベル達の顔色は曇る。

 それでも事実として、そこに確実にアフロディーテの何らかの思惑が隠れているのは事実だろう。彼女が今現在アルフィア達に何を思っているのかは分からないが、彼女がラフォリアのことを愛していたのは紛れもない事実。その思惑がアルフィアに対して悪意あるものであったとしても、ラフォリアに対して悪意あるものである筈がない。

 

 

「あの……お義母さん、ラフォリアさんは……」

 

 

「……心配するな、ベル。あの馬鹿娘は必ず私が取り戻す、何度も言っただろう」

 

 

「……はい」

 

 

 

 

 

「……なんか、ベル様がラフォリアさんのことを"お義母さん"って言ってるの、未だに慣れないです」

 

 

「うん、それはなんとなく分かるけど……一応今はアルフィア君だぜ、サポーターくん」

 

 

「わ、私は初対面なのですが……」

 

 

「ですが確かに、前にお会いした時と雰囲気が違うと言いますか……」

 

 

「……いや、全然違うな。むしろ前とは真逆だ」

 

 

「真逆、ですか?」

 

 

「俺も何となくなんだが……柔らかいのに、硬いっていうか」

 

 

「ヴェルフ?それはセクハラ?」

 

 

「ち、違いますよヘファイストス様!?」

 

 

「あー、でもなんとなく分かる気がします。口調は今の方が若干柔らかいのに、雰囲気はむしろ鋭いんですよね。……それに、見られている感じがしないというか」

 

 

「見る、というのは……?」

 

 

「目を向けて貰えていない。というか、ラフォリア様がリリ達のことを見過ぎだったのですが」

 

 

「ああ、そうか、視線を感じないのか……あの突き刺さるような」

 

 

「だから違和感が凄いんですよね。慣れません」

 

 

 そんな風にヘスティア・ファミリアの面々はコソコソと話しているが、実際彼等のその感覚は当たっている。少なくともアルフィアの目線の先に居るのは現状ベルとラフォリアだけ、他のものは入っていない。

 目は2つしかない癖に、立っているだけで目線すら合っていないのにも関わらず、常に目線の様なもので貫いて来たラフォリアとは違う。背中にも目があるのではないかと思う様な感覚を抱かせていたラフォリアとは、やはり人としての価値観そのものが違うと思い知らされる。

 

 

「よし、なら出発は明日直ぐにでも。みんなには悪いが急いで準備を進めて欲しい。こちらもゴタゴタとしていて時間がなくてな、最低でも1月以内に全て終わらせて帰って来たい。むしろそれでも遅いくらいだ」

 

 

「そ、そうなのかい?……まあ長旅になるとは言え、別に僕達も特段予定が入っている訳でもないから、準備だって直ぐには終わるけれど」

 

 

「アルテミス達はどうだ?」

 

 

「うん、なんなら今直ぐにでもいい。眷属達を置いて行くのは心苦しいけれど、彼女達は彼女達でオラリオを楽しんでいるからね。事情を伝える時間さえあれば問題ないよ」

 

 

「ああ、問題ない」

 

 

「分かった。じゃあ明日の昼には出発出来るよう、俺はこれから方々に手を回して来る。……悪いなアスフィ、船の上では休めるから、それまでは我慢してくれ」

 

 

「……船の上でも魔道具作りしないといけないので多分休めないと思いますが」

 

 

「あ、あはは……」

 

 

 彼女はそろそろ本気で過労で倒れるのではないだろうか。そんな風に話を聞いていた者達は一様にそう思ったが、口に出すことはやめた。きっと適当な慰めでは彼女を傷付けてしまうだけであろうから。

 ラフォリアのためにも、今は彼女に過労を強いるしかない。悲しいかな、この世界には働いて欲しくない人間も居れば、過労死寸前であっても働いていて欲しい人が居るのだ。どちらが幸福なのかは、まあ本人次第ということで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 船旅。

 

 こうして海の上を渡っていると、アルフィアは思い出してしまうことがある。

 

 それこそ3大クエストのリヴァイアサン討伐は、当然ながら海上で行われた。

 

 しかし神の眷属とは言え、いくらなんでも海の中で戦えるほど水中戦に秀でた者は殆ど居なかったし、海の上を歩ける人間だって当然そうは居なかった。ならばどうやって戦闘を行ったのかと言われれば、巨大な海上要塞を作ることで無理矢理に足場を構築した。今は『学区』と呼ばれ世界を回るその船は、リヴァイアサンとの戦闘で大破したものであるが、しかしやはりアルフィアにとって海と言えばあの戦いを思い出す。

 

 

「……あの時も私は、あの子に何も告げることなく、死地へと赴いたのだったか」

 

 

 そう考えると、あの時から今日まで何もかもが変わっていない、変われなかったと言ってもいい。

 

 

「私が帰って来た時……あの娘はどんな顔をしていたのだったか」

 

 

 今やそれすら思い出せない。

 

 ……否、目を背けていたから、そもそも見てすらいなかったのかもしれない。

 

 リヴァイアサンに対する最後の一撃、それによって大きく削れた残りの命。そうして帰って来た自分の姿を見て、何も知らなかったあの娘が何を思ったのか。そんなことさえ、今日まで考えることから逃げていた。

 

 

「何を考えているんだい、アルフィアくん」

 

 

「……女神ヘスティア、か」

 

 

「またラフォリアくんのことかな?……まあ、今の君にとってはそれが1番大切なことだからね」

 

 

「……1番、か」

 

 

 ヘスティアも、他の者達も、当然にアルフィアでさえも、今日の長旅に際して相応しい衣装に着替えて来ている。白を基調としたそれは、正直自分にはあまり似合っていないとアルフィアは思う。これが髪の黒かったラフォリアであれば似合っていただろうに、と思うのは。皮肉にも以前にオッタルが彼女をパーティに誘った時と同じ感覚。

 

 

「……1番に、思えているのだろうか」

 

 

「思えていないのかい?」

 

 

「……自信がない」

 

 

「……」

 

 

「ベルよりも愛していると、断言することが出来ない」

 

 

「……うん」

 

 

「あの娘を諦めたくない。……だが、自分の娘より、自分の甥の方を愛しているなどと。そんな愚かな母親がどうして娘を救うことなど出来ようか」

 

 

「……」

 

 

「思い通りにならない心、義務感を帯びる愛、加えて私は今盲目になっている。……目は見えていても、周りが見えていない。こんなザマでは何をしようとも成功することはないだろう」

 

 

「……冷静に、焦っているんだね」

 

 

「……ああ」

 

 

 今の精神状態では、きっと何をしようとしても失敗するだろう。アルフィアはそれを自覚している。だからこそ、それをどうにか打開しなければならないが、そのきっかけすらも現状では何処にもない。

 アルフィアは天才だ、自分のコンディションの把握は容易い。その分析から言ってしまえば、今の自分は正しく最悪。過去に類を見ないほどに。

 今こうして海面を見ながら思考し、精神状態の改善を図っていても、何も変わらない。悪あがきにさえなっていない。思考すればするほどに、思い出せば思い出すほどに、深みに嵌っていく。

 

 

「君は……もしかしたら、ラフォリアくんを見習った方がいいのかもしれないね」

 

 

「ラフォリアを……?」

 

 

「うん、だってそうだろう?だってラフォリア君は最後の最後まできっと、コンディションは最悪だったぜ?」

 

 

「っ」

 

 

「それでも、彼女は最後の最後まで自分の役割をやり通した。……ほら、見習えるところはあるだろう?」

 

 

「……そう、だな」

 

 

 ならば結局、物事を成功させることが出来るのは、精神状態などでは無いのかもしれない。であるならば、その要因が何であるのかは今のアルフィアには分からない。……否、本当は分かっているのかもしれないが、少なくともそれを断言出来るだけの何かが、今のアルフィアの中には無い。

 

 

「少なくとも、そんな寂しそうな顔をしていたら幸運は逃げてしまうぜ?アルテミスを見てごらん」

 

 

「……呑気なものだな」

 

 

「あれくらいで丁度いいのさ。……悲しみ続けることは、別に罰にはならないからね」

 

 

「……罰にはならない、か」

 

 

 視線の先でこの数日の船旅で妙に仲良くなったアルテミスとベルの姿を見る。あの甥はどうも神々から好かれやすい性質を持っているらしいが、どうもそれはアルテミスでさえそうらしい。

 妙に距離感が近い気もするが、それに口を出そうと、割り込もうとすれば、この身体はやっぱりそれを拒絶する。神々なんかと交際をしても大変なだけだと、そう言葉にすることさえも許してはくれない。

 

 

「確かにお前のいう通り、悔やみ悲しみ続けていても、あの娘は喜びはしないだろうな」

 

 

「うん、間違いないね。むしろ怒るくらいじゃないかな」

 

 

「だが笑っていても、拗ねそうだ」

 

 

「……うん、それも間違いないかな」

 

 

「どうしろと言うんだ、全く」

 

 

 本当に、どうしろと。

 笑っていたくない、悲しんでいたい。そうしていれば心が楽だったから。悲しんでいれば、涙を流していれば、罪を負っている気になれたから。罰を受けているつもりになれたから。

 だがそれは幻想だ、決して罰は受けていない。言ってしまえばこれは自罰。こんな自分に唯一罰を与えられる娘は、罰を与えてくれることもなく消えていった。ならばもう、受けられる罰など無いのだろう。

 

 

「ラフォリア……お前はまだ、私の中に居るのか?」

 

 

 問い掛けても、答えが返って来ることはない。

 

 

「ここであれば、もう一度お前に会えるのか?」

 

 

 そうだ、その気持ちだけは本当だ。

 

 確かにこの愛情は、至高のものではないのかもしれない。自分は娘よりも甥の方を愛している、最低の母親であるかもしれない。……けれど、それでも、もう一度だけでも会いたいとそう思っているのは、間違いなく本当の気持ちだ。そしてそれは決して、罰でも、罪でも、償いでもない。ただの自分の我儘でしかない。

 

 

「女神ヘスティア。……お前は今でも、ラフォリアの死を肯定しているのか」

 

 

「!……うん、しているよ。けれど別に君達の考えを否定する気もない。これは決して答えのない問答だから」

 

 

「……そうか」

 

 

 だからやっぱり、これは我儘なのだろう。ヘスティアの考えも、アフロディーテの悲しみも、娘の最後の努力も、その全てを否定してでも自分は娘を救いたいと思っているのだから。これは我儘以外の何物でもない。

 

 

「……ようやく一歩、踏み出せた気がする」

 

 

「うん、それなら良かったよ」

 

 

「まあ1歩を踏み出せたところで、先は長く、何の問題も解決していないどころか、光明1つすら見出せてはいないのだが」

 

 

「れ、冷静だなぁ……そういうところは2人ともよく似ていると思うよ」

 

 

「……そうだな」

 

 

 その時、アルフィアは本当に久しぶりに、自然に笑った。それを素直に嬉しいと思うことが出来て、その事さえも嬉しかったからだ。

 

 

 親の背中を見て、子供は歩く。

 

 アルフィアが世界の為に命を費やしたように、ラフォリアもまた世界の為に命を費やした。だがその根底にあったのは愛だ、親愛なる者達への愛。

 

 だがそれはつまり、それこそが2人が本当に親子であったのだと証明してくれる。ラフォリアがずっと自分のことを見て、思って、考えていたということを教えてくれる。

 

 

「今度は私が、お前の背中を見て歩く番か」

 

 

 悔やむでもない、悲しむでもない、ただ娘のことを思って想っていればいい。そして自分の我を通すのだ。確実に自分のやろうとしていることに反対しているであろう娘の意思を、自分の意思で打ち砕いてでも。

 

 その為にまず、見なければ。

 

 アルフィアがすべきことは、そこからだ。




ヘスティア様……


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被害者53:巫女

今更ですが、この作品にはアエデス・ウェスタ編のネタバレが含まれます。ご注意下さい。


 

(不味い不味い不味い不味い不味い、これは不味い……!)

 

 神都オリンピアから使者としてやって来た巫女の1人であるイリアは、この船旅の間ずっとこうして焦っていた。その原因は他ならぬ突然この船旅に同行することになった"アルフィア"という人物のこと。

 静寂のアルフィア、その名前は知っている者はよく知っている。才禍の怪物と呼ばれたその女は、ヘラとゼウスのファミリアによる三大クエストにおいて、リヴァイアサンに対してトドメの一撃を刺した英雄の1人だ。才能に愛された彼女は条件次第では当時Lv.9であったヘラ・ファミリアの団長さえ打倒する可能性を持っていたとして、その名声はオリンピアにまで届いていたくらいだ。

 

(そんなことはどうでもいい……それより不味いのは、エピメテウス……!)

 

 とある事情で複雑な立場に居る、というか自らの意思でその複雑な立場に居る彼女は、この"アルフィア"という女が1人現れただけで自分の計画がガラガラと音を立てて崩れていくのを感じている。

 どうしてもこの女だけは船に乗せまいと多少ながら努力はしてみたものの、そこに女神アフロディーテの事情があり、必要なら他の船まで出すなどと言われてしまえば、もう断る理由など何処にもなかった。なんならオリンピアで大暴れしている女神アフロディーテをどうにかすると言われてしまえば、他の巫女達でさえノリノリで受け入れてしまった程だ。単なる巫女の1人であるイリアには、口を挟む隙など何処にも無かった。

 

 (とにかく、この女をエピメテウスと会わせる訳にはいかない……!なんとか軌道修正を……)

 

 

 

「どうした、巫女」

 

 

「ぅぃっ!?」

 

 

「……なんだ、素っ頓狂な声を出して」

 

 

「な、ななな!なんでもないです!なんでもないですから!!」

 

 

「?……そうか」

 

 

 島を覆う結界を潜り抜け、船を着けると、もう本当に時間がない。このままではエピメテウスとアルフィアが対面してしまう、そうなったら計画は本当にご破産だ。エピメテウスが今以上に拗れてしまう可能性が高く、そうなると本当に何の予測も出来なくなる。彼をコントロール出来なくなる危険性を孕むくらいであれば、それこそ今からでも、この女だけでも、女神アフロディーテの元に届けてしまいたいのだが……

 

 

 (………そうか、その手があったか)

 

 

 今もこちらを訝しげに見ている目の前の女、アルフィア。この女だけでも今からアフロディーテの元へと案内する、それでいい。それだけでいい。そんな単純なことでいい。

 不味いのは"現時点で"彼女とエピメテウスが対面することであり、計画がそれなりに進んだ後であれば、それは問題ない。女神アフロディーテが具体的に何をしたいのかは分からないが、最低でも時間稼ぎくらいは出来るだろう。

 

 ……もうそれでいい。というか、それだけでいい。多少強引になってしまっても、計画を急ピッチで進めなければならなくとも、始まった瞬間に全てが消し飛んだりしなければ。それで。

 

 

「は、はい!!私、女神アフロディーテの居場所を知っています!!……な、なんとなくですけど!」

 

 

「ほう?また急な話だな」

 

 

「えぇ!?そ、そうなのかい!?」

 

 

「な、なので!急ぎの用事であれば私が案内しようと思うのですが!……ど、どど、どうでしょうか!」

 

 

「………」

 

 

 分かってるとも、非常に怪しい発言をしたと。

 女神アフロディーテはオリンピアに定期的に来て魅了を振り撒き、そのまま大事な巫女や兵士達を奪っていく迷惑極まりない相手だ。オリンピアとしても、居所さえ確定すれば彼等を取り返す為に攻め込みたいところである。……故に、どうしてお前がそれを知っているんだと。そう思われても仕方がない。しかしこれ以上の方法が無かったのだから、それも仕方がない。

 

 

「……巫女、お前はどの程度アフロディーテの居場所を知っている」

 

 

「え!?あ、あ〜、それは……」

 

 

「……方角、それと拠点と推測出来る地点。その程度か」

 

 

「っ!そ、そそそ、そーう!!そうです!!それです!!その程度しか分からないですけど!いいですよね!?問題ないですよね!?」

 

 

「ふむ……巫女長、少しの間この小娘を借りてもいいだろうか」

 

 

「え?ええ、まあ、その……無事に返して頂ければ。ただ、本当によいのですか?長い船旅でしたから、一度休んでからでも」

 

 

「いや、必要ない。アルテミス、お前はどうする」

 

 

「当然着いていくよ。……だから、一旦ここで別れようかヘスティア」

 

 

「うん、そうだね。その方が良さそうだ。……そっちは頼んでもいいかい?アルテミス」

 

 

「ああ、任せて欲しい。だからヘスティアも、あまり無茶はしないように」

 

 

「……!」

 

 

「無茶は、しないようにね」

 

 

「……うん、分かっているよ」

 

 

 ヘスティア達とは別行動、そもそも目的が違うのだから仕方がない。元よりそのつもりだった、それが後になるか先になるかの話程度。互いに互いの思いを知っているからこそ、アルテミスとヘスティアはこうして別れを惜しむけれど。

 ……ただ、それ以上に。

 

 

「お義母さん……」

 

 

「ベル、お前はお前のすべきことをするといい」

 

 

「……はい」

 

 

「こちらは私達に任せておけ。私は必ず、馬鹿娘を連れ帰る。……お前も、これが単なる旅行ではないということには気付いているだろう」

 

 

「っ」

 

 

「用心しておけ」

 

 

「はい……」

 

 

 アルフィアのその言葉に、ベルは神妙な面持ちで頷く。そしてその姿を見て軽く笑みを浮かべたアルフィアは、アルテミスとイリアを連れて歩き始めた。ベル達を見送ることもなく、むしろ見送られながら。案内人のイリアさえ差し置いて、殆ど迷うこともなく一直線に。先頭を歩いて。

 

 

 

 

「ちょ、ちょちょちょ!ちょっと待ってください!?ば、場所を知っているんですか!?ここのこと知らない筈ですよね!?なんか私の方が後ろを歩いてるんですけど!?」

 

 

「知らなくとも分かるだろう」

 

 

「え……?」

 

 

「船の上から見た島の構造、地形、そして風土。そして先の反応からして、アフロディーテは何らかの理由でお前達と敵対している。アフロディーテの眷属の数は知っている、性格もな。そこから逆算を掛ければ大凡の位置は推測出来る」

 

 

「嘘ぉ!?そこまで分かるものなの!?」

 

 

「とは言え、詳細はお前しか知らん。森から先は道化のお前に任せる」

 

 

「ど、道化……?それに私は大体の場所しか」

 

 

「………」

 

 

 2人のそんな会話を、隣を歩くアルテミスは口を挟むことなく無言で見つめていた。

 ……正直、彼女もまた驚いていた。何故なら似たようなことをラフォリアもまた共に旅をしていた頃にしていたから。彼女達"天才"はそこらの才人とは違い、特定の能力が優れている訳ではなく、あらゆる分野における才が世間一般でいう天才と同等以上にまで膨れている。そしてその膨れ具合が、ラフォリアよりアルフィアの方が大きいというだけ。

 

 故に基本的にラフォリアが出来ることであれば、アルフィアだって大抵のことは出来る。ラフォリアが見抜けることは、アルフィアだって見抜くことは出来る。それをしようと思うか、それから目を背けるのかは、個人の自由だとしても。

 

 

「お前は何もかも知っているだろう、道化」

 

 

「……!」

 

 

「お前が何者かは知らんが、お前はより多くのことを知っている。それこそ、お前の上司である巫女長すら知らないようなことを」

 

 

「それ、は……」

 

 

「だが、私にとってはどうでもいい」

 

 

「え……?」

 

 

「仮にお前の正体が私達並みの才能を持っている天才であったとしても、それともゼウス並みに擬態が得意な神であっても、別にどちらでもいい」

 

 

「……じゃあ、何が望みなんですか?」

 

 

「さあな、現状"邪魔をするな"以外に他はない。……当然、お前達の企み次第ではあるが、そちらはベルに任せることにした。ならば私はこちらを優先する」

 

 

「……もし、邪魔をすると言ったら、どうなりますか?」

 

 

「お前達に明日は無い」

 

 

「っ」

 

 

「余計な手間をかけさせるな、案内を終えたらさっさと帰れ。……それが互いにとって1番いいのだろう」

 

 

「……はい、その通りです」

 

 

「ならばそれでいい、それでいいだろう」

 

 

「……はい」

 

 

 何処まで見抜いているのか、何処まで知られているのか、それが分からない。故に"恐ろしい"と思ってしまう。

 結局のところ、神々にとって下界の子供達は未知の塊であり、特に才能のある人間というのはあまりにも単純に恐ろしい。意志の強い人間は既の所で全てをひっくり返して来るが、才能のある人間は常に神々も真っ向から対峙しなければならない。闇派閥を率いる神タナトスと勇者フィンの思考戦がそれをよく表しているだろう。

 

 神々は嘘を見抜くが、これに対する対抗策として単純に言葉を発さないというものがある。しかし本物の天才達は、この性質すら利用して神々を騙して来る。故に歴史上かつてを見ないほどに才能に愛されたこの女を、この女の言葉を、真に信じることは出来ない。

 善性と愛によって動いていた時は、この世界の味方として生きていてくれた時にはまだ良かった。だがそれが愛と執着によって動き、何より娘の味方として生きている今、神々すら容易く敵に回すだろう。……そこまで言わなくとも、神々を騙すことさえ厭わない。恐らく。必ず。

 

 

 

 

「……この先に集落があります、そこに彼等は陣取っている筈です。森を抜けてから、まだ暫く歩く必要はありますけど。目で確認出来ると思うので」

 

 

「そうか」

 

 

「うん、ありがとう。……イリアちゃん、でいいのかな」

 

 

「……私は」

 

 

「巫女、余計なことを言うな。……さっさと行け」

 

 

「!……は、はい」

 

 

 アルテミスとて馬鹿ではない、今のやり取りでなんとなく思うこともある。だが彼等がそれで良いというのなら、これ以上をどうこう言うつもりもない。

 何ならこの問題が終わるその時まで、自分達はもうベルやヘスティア達と会うことは無いのかもしれないくらいなのだから。互いに互いに対して気にしていられる余裕など無い。

 

 ああ、分かっているとも。そんな簡単な話では無いと。

 

 これから向かう先では、そしてこれから聞く話は、間違いなく面白い話ではないと。そういった苦痛の波を乗り越えた先にあるのは、新たな絶望かもしれないと。だがそれでも。歩いて行かなければ、その先のことは分からない。そこに可能性がある限り、立ち止まる訳にはいかないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……意外だった、君のことだから昼間から宴でも開いているんじゃないかと思ったのだけれど」

 

 

「そう……早かったわね、アルテミス。それと……」

 

 

「……3週間振り、にしては妙なことに顔を突っ込んでいるようだな。女神アフロディーテ」

 

 

「相変わらずシケた面してるわね、似ても似つかないわ」

 

 

「っ」

 

 

 護衛の1人すら付けることなく、岸壁からこの地を見下ろしていたアフロディーテ。彼女はもしかして結界を潜り抜けた船を見た瞬間から、こうして自分達を待っていたのかもしれない。

 どうやら聞いた話によると、彼女は本来ならば相当に馬鹿で華やかな女神らしいのだが、アルフィアは今日まで彼女のそんな様子を見たことがない。それこそ単純にこれまで対面した際に得た情報だけで語るのであれば、愛情深い女神という印象。

 そしてだからこそ、その愛情が憎悪に転換する可能性を知っているし、彼女はそうならないように自分を鎮めているようにも見える。その反発として自分を嫌っていることも。それほどまでに感情の強い女神であるということも、アルフィアは知っている。

 

 

「ヘスティア達も来ているんでしょう?あんた達2人だけ?」

 

 

「ああ、二手に分かれて私達はこっちに来たんだ。向こうも向こうで、余所見をしていられる状況では無いだろうからね。……そしてきっと、それは私達もそうなんだろう?アフロディーテ」

 

 

「……さあ、どうかしら。大変なのはそっちの小娘の方じゃない?知らないけど」

 

 

「……」

 

 

「それに、どうせアンタ達は甘いこと考えてるんでしょ。あの子を生き返らせたいとかどうとか」

 

 

「「っ」」

 

 

「馬鹿よね、ほんと馬鹿。……ほんと、救えない。救われないわよ、あの子が」

 

 

「「……」」

 

 

 背を向け、空を見上げながらそう呟くアフロディーテは、果たしてどんな顔をしてそれを言葉にしているのか。けれどその掠れそうな声を聞いていると、やはりそこには強い感情が込められていた。

 そしてなにより、2人はその言葉に心を突き刺されたような感覚に陥る。分かっている、そんなこと。分かっているに決まっている、そんなこと。それでも自分の我儘を突き通すことを決めた。この後ろめたさを飲み込んででも突き進むと、そう決めたのだから。

 

 

「ねぇ貴女達、これは単純な疑問なのだけれど……本当に消えた人間を生き返らせることが出来ると思うの?」

 

 

「っ……その方法を探している。何年かかったとしても、どんな手段を用いたとしても、必ず生き返らせる。そう決めた」

 

 

「私もアルフィアと同じだ。……流石に手段は選ぶけどね」

 

 

「そう、でも現実的に難しい話だってことくらい分かるわよね?そんな都合の良い魔道具なんて、少なくともヘルメスだって知らないんでしょう?」

 

 

「それ、は……」

 

 

「それに、問題はそれだけじゃない」

 

 

「え……?」

 

 

 アフロディーテはその先を話すことなく、2人に向けて振り向いた。無表情ではあるけれど、少し険しい顔をして。そこには何か、決意のようなものすら抱きながら。

 

 

 

「……女神アフロディーテ、私達はここに心構えを聞きに来た訳ではない。そろそろ何の用でこんな所まで呼び出したのか教えて貰おう」

 

 

「そうね……でもその話をするには先ず、暗くなるまで待っていて貰いましょうか。その方が話は早いでしょうし、何より貴女が居るんだもの。滅多なことはないでしょう?」

 

 

「……何かが、起きるんだね」

 

 

「ええ、その通り。……天の炎なんていうものが、地上に落ちた結果なのか。それとも天の炎がそもそも持っている性質なのか。どちらにしても、あまり面白くない話よ。……もちろんそれは貴女達にとっては、前提にしかならない話でもあるのだけれど」

 

 

「……」

 

 草原の上、そこに座り込んだアフロディーテは2人にも同じ様に座る様に促す。先程までの決意の表情が何処に行ったのかと思うようなその様子にアルフィアは戸惑うが、アルテミスは当たり前の様に彼女の横に座る。……であるならば、これも必要なことなのかとアルフィアも腰を下ろした。

 

 

「さあ、座りなさい。少し話をしようじゃないの」

 

 

「話だと……?原初の火についてか?」

 

 

「違うわよ、ラフォリアについての話よ」

 

 

「……?」

 

 

「あのねぇ。……私は一緒に居た時の話しか知らない、それはアルテミスだってそう。でも貴女はもっと沢山あの子のことを知っているんでしょう?それを教えなさいって言ってるのよ」

 

 

「……それは、必要なことなのか?」

 

 

「いいえ、全く。……でも、貴女は知りたくないの?私達と行動を共にしていた時、あの子がどんな風に生きていたのか」

 

 

「……!!」

 

 

「だから、これはただの交換条件。そして単なる時間潰し。……どうかしら?乗り気にならないのなら無理強いはしないけど」

 

 

「……いや、迷うこともない。乗らせて貰おう、その提案」

 

 

「そう、じゃあ早速お願いするわ。……あの子が幼い頃、どんな子で、どんな人生を歩んで来たのか。母親である貴女の視点から、教えてちょうだい」

 

 

「ああ、それは私も楽しみだ」

 

 

 そうして唐突に始まった3人の語らいは、なんだかここに来るまでに固めておいた決意や心構えが馬鹿らしく思えてしまうくらいに和やかに進んでいった。ずっと嫌われていると思っていたアフロディーテでさえも、アルフィアの話すラフォリアの話を優しい笑みを浮かべて聞いている。そしてアフロディーテの話すラフォリアの姿にアルフィアが解説を付け加えると、それに驚き、笑い、しんみりともした。

 

 

「ねぇ……貴女のことが嫌いよ、アルフィア」

 

 

「……まあ、そうだろうな」

 

 

「でも、この逆恨みの様な気持ちをいつまでも持ち続ける訳にはいかない。貴女がこの先どんな結論を出すにしても、私達の関係は長くなるのだもの。……あの子のせいで関係が悪くなったなんて、そんな事実は残したくないの」

 

 

「……意外だな。他の神々からは馬鹿なことばかりしているアホ女神と聞いていたが、私からはそう見えない」

 

 

「確かにそうだね。お酒の匂いもしないけれど、暫く飲んでいないのかい?」

 

 

「……まあ、そうね。少なくとも今回の件が終わるまでは飲まないことに決めてるのよ。宴も開かない。……だって、その方がきっと楽しいじゃない?その時になって全部発散したいの。我慢こそが一番のスパイス、だったかしら?」

 

 

「……そうか」

 

 

 そうしてアフロディーテが冷静な判断が出来ているのは、きっと泣くことが出来たからだろうなとアルテミスは思った。

 アルテミスも、アルフィアも、まだ泣くことが出来ていないから。それをしてしまえば、本当に全部がどうしようもなくなると認めてしまう様で、絶対にしたくないから。

 

 だから泣けない。

 

 まだ泣くことは出来ない。

 

 決して泣くことなく、走り続けなければならない。

 

 

 

 

 だってどうせ、今はその死を認められない人達の方が多くても、最終的には皆が諦めてしまうのだから。最後の最後まで諦めることをやめない者など、そうは居ないのだから。

 それは奇しくもヘスティアが言っていたことと同じで、真逆のこと。

 

 今はその死を認めることが出来ない者の方が多いから、ヘスティアは自分くらいは肯定することにした。だが時間が経ち、その記憶が薄れていくほどに、今度は逆に死を受け入れる者の方が多くなる。……だから諦めてはいけないのだ、アルテミスは。それはヘスティアと同じなのだ。

 

 仮にアルフィアが諦めても、アルテミスが諦めることはない。誰か1人くらいはその死を諦めない者が居るべきだと、そう思ったから。諦めて、忘れて、完全に死なせてしまう訳にはいかないから。

 

 いつ帰って来ても良い居場所で有り続ける。

 

 帰って来た時に心から喜ぶ自分で有り続ける。

 

 何百年後でも、何千年後でも、決して彼女を孤独にはさせない。

 

 

 それがアルテミスの示した、ラフォリアに対する、『愛の形』というものであったから。



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被害者54:短髪の青年

『ねえ静寂、これを貴女に渡しておくわ』

 

 

 オラリオを発つ直前に、何の脈絡もなく現れたその女神は、1本の剣をアルフィアに渡しに来た。

 真っ黒で軽く、けれど絶対に破壊されることのないその剣は、なんとなくあの娘を思い出させるようなもの。そして同時にそれを見た瞬間に、アルフィアは持ち主を察した。なぜならこの剣はどう考えても、あの娘にとって最適な武装であったから。

 

 

『なぜ……お前がこんなものを持っている』

 

 

『私じゃないわ、持っていたのはオッタル。……そしてこれを貴女に渡す様に頼んで来たのも、オッタル』

 

 

『!……あの猪が、お前を使ったのか?』

 

 

『ええ、驚いたでしょう?私もとても驚いたの。……相変わらず何を考えているのか何も教えてくれない癖に、まるで何かを察した様に地上に戻って来たかと思ったら、この剣を綺麗に整備して私の元に持って来た。貴女に合わせる顔が無いから、代わりに渡して欲しいって。それから直ぐにまたダンジョンに戻って行ったの』

 

 

『……そうか』

 

 

 反射魔法を使うラフォリアにとって、剣は扱い易く、軽ければ軽いほど良い。ただ有象無象のモンスターを引き裂く為だけに振るわれるそれは、攻撃力を剣技で補う彼女のそれは、防御など全くもって必要ない。

 ……まるで記憶の中の黒髪の少女のように、細く儚く小さなそれは、けれど決して折れることはない。月明かりすら切り裂く様なそれを、アルフィアは自然とその胸の中へと抱き締める。

 

 

『貴女達が何をしようとしているのか、そんなことは聞くつもりもないけれど……』

 

 

『……』

 

 

『このままだと、オッタルが本当にダンジョンの中で暮らし始めてしまうわ。それは私にとってもとても困る事だから、早めに"解決"してくれると嬉しいわね』

 

 

『……知るか。自分のところのガキの面倒くらい、自分で見ろ』

 

 

『それを貴女が言うのかしら?』

 

 

『っ……』

 

 

『それじゃあね、静寂。次はもう少し楽しい話がしたいわ』

 

 

『……気が向いたらな』

 

 

『ふふ、楽しみにしているわね』

 

 

 あの女神が付き人の1人も連れることなくアルフィアの前に現れ、何の警戒も悪感情もなく、まるで本当にただの母親同士のように接して来たことに、アルフィアは内心ひどく驚いていた。けれど、あの娘はヘラを恨んでいるであろうフレイヤとさえ、良好な関係を築いていたのであろうと思うと、ただただ感心もしていた。

 

 

『……性格ばかりは、才能でもどうにもならないからな』

 

 

 その剣はアルフィアの手にもよく馴染んだ。それはアルフィアを追いかけ続けたラフォリアの装備なのだから至極当然のことなのかもしれないが、けれどその事実を嬉しくも思った。辛くも思ったが、悲しくも思ったが、それでも。

 

 ラフォリアの生きた証は今でも、自分を受け入れてくれている。

 

 拒絶されていないだけでも、十分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 かつて神々が地上に降りるよりも前、人々は神の恩恵もなく自身の力のみで、蔓延るモンスター達の脅威から身を守っていた。

 しかしそんなことがいつまでも続く筈もなく、奇跡も生まれも才能もない人間は、ただ無惨に殺されていくだけ。悲鳴を上げ、涙を流し、言葉も通じないモンスター達に許しを乞い、命を絶たれる。その連続。そんな現状を良しと出来ない者が、神々の中にも居た。

 

 それが神プロメテウス。

 

 先見に長けていたとされるその神は、ゼウスの制止を押し切ってまで原初の火を地上へと落とし、それをもって人々に力を与えた。その代表例たる英雄の名前こそがエピメテウスである。彼はプロメテウスから受けた神剣と信託を手に、自身の故郷をモンスターから守り、多くの戦場を駆け抜けた。

 ……その果てに彼が『愚物』『敗残者』と呼ばれるほどに敗北を重ねたのは、果たして当然の末路なのか、それとも下界の本質なのか。神ゼウスが何処まで見通していたのか、何処まで知っていたのかは、既に神々すら分からないような話。

 

 ただ、どちらにしても。

 

 

 

「穢れた火によって焼かれた子供達の末路……それがこれか」

 

 

「ええ。子供達の魂を薪として、下界全体に燃え広がろうとする災厄の炎。下界の悪意に触れ、濃密なまでの負の感情に触れ、穢れてしまったその結果」

 

 

「……単純に不愉快だ」

 

 

 日も落ち始めた頃、何処からともなく現れたその者達は、奇怪な声を上げながら"ゆらりゆらり"とアルフィア達の元へ近付いて来る。

 

『炎人』

 

 そう表現するのが最も分かりやすいだろう。正しく人形となった炎の生物、そしてその正体は今正にアフロディーテが説明したばかり。

 

 

「デミ・アルカナム……とは言え、概ね神の力そのもの。たとえ穢れていたとしても、その本質が変わることはない」

 

「そう。つまり、その気になればなんだって出来る。ただそれをコントロールすることは、それこそヘスティアくらいの権能を持つ神でないと土台無理な話」

 

「……それで?これをどうすればいい、こんな有様で元の人間に戻るのか?」

 

「それは無理ね、だってもう肉体が無いもの。殺したところで囚われた魂が解放されることもない、また新しい炎人になるだけ」

 

「炎そのものを浄化しない限り、彼等の魂が解放されることはないだろうね……」

 

「……忌々しい」

 

 

 まるで1つの火種が燃え広がるように、それは時間が経つほどに数を増していく。とは言え、今のアルフィアにとってこの程度の存在が何体いたところで脅威ではない。

 元々の実力だけでなく、何より今の彼女は病を克服しているのだから。なんならリヴァイアサンを倒した時より十分な力を振るうことが出来るだろう。それほどに彼女を蝕んでいたものの存在は大きく、それほどにその病は彼女にとっての枷となっていたのだから。

 

 

「一先ずここは撤退するわよ、こっちに来なさい」

 

 

「なに?撤退だと?」

 

「……ううん、よく分からないが今はアフロディーテの言う通りにしよう。アルフィアも急いで」

 

「……分かった。抱えて行く、暴れるなよ」

 

 

 けれど、そんなアルフィアという強大な戦力を持っているにも関わらず、アフロディーテが選んだのはその場からの撤退だった。

 普通なら考えられない選択であるが、2人はアフロディーテがただの馬鹿ではないということも知っている。ここの現状を知っているアフロディーテがそう言うのだから、何かしら理由もあるのだろう。

 

 アルフィアは2人を両脇に抱えると、そのままLv.7の脚力に任せて迷うことなくその場から撤退した。それほど移動速度の速い訳ではない炎人達は、決して3人に追い付ける筈もなく。むしろ夜闇の中でも光り輝くその姿は、位置を把握する補助さえしてくれた。

 

 

「……なるほど、逃走自体はそれほど難しい相手では無さそうだな」

 

「逃走だけならね。これが拠点の防衛戦なんかになったら笑ってられないわよ、おかげで何回引越しさせられたことか……」

 

「とは言え、それだけが逃げ出した理由では無いんだろう?それも炎人の何かしらの性質が関わっているのかい?アフロディーテ」

 

「……ええ、その通りよ」

 

 アフロディーテに指示された通り入ったその場所は、なんとなく焼け焦げているものの、同時に妙に生活感が残っている少し大きめの廃墟である。彼女のその話を聞く限りでは、恐らく以前までは拠点として使っており、その最中で襲撃され、放棄した場所の1つなのだろう。

 それでもアルフィアが周囲を見る限り、今はこの近くには炎人は居ないらしい。突然現れたアレの移動手段はよく分からないが、仮に瞬間移動の様にここに現れても、アルフィアであれば対処出来る。他でもないアフロディーテが余裕の表情をして少し焦げた椅子に座り始めたのを見るに、その危険性も無いのかもしれないが。

 

 

「さて、アフロディーテ。私達が逃げざるを得なかった理由はなんだったんだい?あの炎人にはまだ他に何か厄介な性質があるんだろう?」

 

 

「ええ、あるわよ。正直私達からしてみたら、まあまだマシな方なのだけれど……貴女が居るとなると、ちょっと笑えなくなるのよね」

 

 

「……?力の強い相手に対する反抗能力でも持っているのか?」

 

 

「反抗能力……まあ、そうとも言えるのかしら」

 

 

 クルクルと焦げた杯を回し、そのままポイっと投げ捨てるアフロディーテは、何か嫌なことでも思い出しているようにそう言葉にする。

 

 

「変に伸ばしても面倒だから率直に言っちゃうけど。……あの炎人、つまりは炎の化生共は、『生者の記憶』を読み取るのよ」

 

 

「生者の記憶、だと?」

 

 

「そう。私達の記憶を読み取り、悪夢の鎧をその身に纏う。だからこそ、例えば炎人の集団なんかに、オラリオの冒険者は近付かない方がいい」

 

 

「……それはつまり、私たちの持っている嫌な記憶をアレ等は再現出来るということかい?」

 

 

「簡単に言ってしまえば、そういうこと」

 

 

 それこそアフロディーテだって、眷属達と戦っている最中に、色々と面倒なものを相手にした。この島に存在しないはずのモンスターは当然として、かつてアフロディーテ・ファミリアがなんとか倒した強化種だったり、遺跡の中で襲われたゴーレムだったり。

 

 

「なるほど。こちらの悪夢を読み取り、ダンジョンの階層主にでさえ成るというのか」

 

 

「あぁ……それは、確かに不味いね」

 

 

「適当なオラリオの冒険者が居たとしても、そうなるの。……それが3大クエストに参加したような人間なら、どうかしら」

 

 

「「っ」」

 

 

「だから撤退したのよ。……まかり間違ってリヴァイアサンでも再現されてみなさい、原初の火がどうこう以前にこの島が滅びるわ」

 

 

 もちろん、そうなる為にはより多くの火が必要になるだろう。そう簡単に再現出来る存在でもないのだから、仮にやろうとしても、どうやったって劣化にしかならない筈だ。

 ……だがそれでも、災厄で最悪の存在。そんなものが欠片でも現れてしまえば、ベル達の方にも酷い影響が出てしまう。原初の火の浄化どうこうを言っていられる余裕も無くなってしまう。

 

 

「……さて、そういえばまだどうして貴女達をここに呼んだのか話していなかったわよね」

 

 

「……あの炎人達に関係している話ということか。それもその、悪夢を再現するという性質が」

 

 

「ええ、流石にあの子の母親ね。察しが良くて助かるわ」

 

 

「……アフロディーテ、まさか」

 

 

「ええ、そのまさかよ。アルテミス」

 

 

 そうしてアフロディーテが窓際に置いてあったランプに灯りを付けると、途端に少し離れた場所から何やら車輪の走る音が聞こえて来た。どうやらそれが何らかの合図だったらしく、恐らく彼女の眷属達が荷車が何かを引いてやって来ているのだと簡単に予想出来る。

 あの様な存在が居る中で夜間の行動など相当に危険な事だろうに、相変わらず女神に忠実というか、変なところで度胸があるというか。……とラフォリアなら思ったであろうが、残念ながらアルフィアはアフロディーテの眷属達のことは何も知らない。単に美の女神の眷属らしく、フレイヤの眷属と似た様なものとしか捉えない。

 

 

「……要は、あの化生の性質を利用してラフォリアを蘇らせるということかい?」

 

 

「まあ、概ねそんなところね」

 

 

「……そう言葉に出来るほど簡単な話には思えないが」

 

 

「うん、私も色々と疑問があるかな。穢れた炎で再現された存在に意志があるのかとか、そもそも再現したところで単なる記憶の存在でしかないんじゃないか、とか」

 

 

「どころか前提として、アレは生者の悪夢を再現するのだろう。私達ではラフォリアを再現することは出来ない」

 

 

「そこについては問題ないわ」

 

 

「「?」」

 

 

 車輪の音が止まる。

 

 そうして外から聞こえて来る何人かの人間が降りる音。

 

 アフロディーテがこの様子なのだからアルフィア達も特に警戒することはないのだが、なんとなく嫌な予感がしているのは事実だ。

 それこそ感じてしまうのは、神威。つまりそこには間違いなく神が交じっているということであり、その神威は他でもないアルテミスがよく知っているもので……

 

 

 

 

「は〜っはっはっはっ!!闇夜の中でも光り輝き、どころか眩し過ぎてウザいとすら評判の男!!太陽神アポロン!!ここに降臨!!否、光臨!!」

 

 

 

 

「………」

 

 

「………」

 

 

「………」

 

 

「………なんだこいつは」

 

 

「アポロン……?どうしてここに?オラリオから追放されたと聞いていたけど」

 

 

「ふふふ、久しぶりだなアルテミス。実はヘスティアにオラリオから追放された後、『ん?なんかオリンピアヤバくね?』と気付いてだな」

 

 

「そんな適当で気付くものなのか?」

 

 

「まあ、あんなんでも太陽神であることに間違いはないからね」

 

 

「あんなんでも!?」

 

 

「付け加えると、その時に私も丁度ここに向かってたから。都合が良かったし協力関係を結んだのよ。……互いの目的のためにもね」

 

 

「目的……?」

 

 

 そんな話をしている最中にも、背後から入って来る数人の男達。露出度の高い者達がアフロディーテの眷属であり、逆に露出度の低い者達がアポロンの眷属であるのだと一目で分かる。それほど特徴的な、両者の衣服と、恐らくは主神の好み。

 

 

「……?」

 

 

 その中でも特にアルフィアに奇妙な目を向けて来たのは、アポロンの眷属である『短髪』の男だった。何やら怒りとか恐れとか色々な負の感情の入り混じった複雑な様子がその目からは見えるが、しかしだからと言ってアルフィアには当然そんな男の覚えはない。……だとすれば。

 

 

「……そういうことか、アフロディーテ」

 

 

「なに?もう分かったの?……ほんと、天才って楽よね。話が早いったらありゃしない」

 

 

「……」

 

 

 つまりはまあ、ラフォリアを悪夢として出せないのなら、ラフォリアを悪夢として認識している者達を連れて来れば良いということ。

 アルフィアはその辺りの事情は知らないが、あの眷属達の自分を見る目を見る限り、恐らくアポロン・ファミリアはラフォリアによって叩き潰された事があるということだ。……特に恐らく団長であろうあの短髪の男は、他の誰よりも徹底的にボコボコにされたのだろう。故にこの役割を担うにはうってつけ、むしろあまりにも奇跡的な噛み合わせという訳だ。

 

 

「……神アポロン、1つ聞きたい。お前は何故私達に協力をする。私の予想が正しいのなら、お前達はラフォリアに叩き潰されたのだろう」

 

 

「っ!!」

 

 

「よせ、ヒュアキントス。……確かに私達は彼女1人に壊滅させられた。私自身も拠点の門に縛り付けられ、団員達に殴らせる様に強制されたし、大切な私の像達も全て破壊されてしまった。団員達の何人かを手放すことにもなってしまったし、そのせいで戦争遊戯にだって負けてしまった。その結果、更にファミリアは縮小し、今や眷属も数少ない……うん、思い返すとなかなかに酷いな」

 

 

「な、何してんのよあの子……」

 

 

「……何をしたらそこまでラフォリアを怒らせる。あの子は理不尽に晒されたところで顔面の1発で大抵のことは許す、そこまでやるのは相当な理由がある時だけだ」

 

 

「ああ、まあ、それはなんというか……」

 

 

 

 

「彼女が住んでいた廃教会を破壊してしまった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【殺す】

 

 

 

 

 

 

 

「待ちなさい待ちなさい待ちなさい!!そんなことしてる場合じゃないんだっての!!」

 

「アルフィア落ち着くんだ!!もうアポロンは罰を受けている!!というかこれ以上は彼の眷属達が本当に気を失ってしまう!!それに教会を直したのもアポロンなんだ!」

 

 

「………殺す!殺す!!!」

 

 

「ど、どんだけ地雷だったのよ!あの教会……!!」

 

「ま、まさか今になってヘラ・ファミリアの恐ろしさを体験することになるとは……!!」

 

「よ、良かったねアポロン。ヘラ・ファミリアが現存していたら、君は確実に送還されていたよ」

 

「ひぃぃい……!!」

 

 Lv.7の本気の激怒。それもラフォリア以上に激怒したアルフィアを止めるのは相当に大変であったし、もし彼等がラフォリアを蘇らせるための重要なきっかけで無かったら、まず間違いなくここで2度目の壊滅をさせられていただろう。

 

 故にここで一度、小休止。

 

 せめてヒュアキントスが意識を取り戻すまでは、一旦の休息を挟むこととする。



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被害者55:母娘

ここ暫く、色々と考えながら捏ねくり回してみたのですが、ここらが今の私の限界でした。このまま終わりに向けて走って行こうと思います。


 アルフィアの怒りが収まり、ヒュアキントスが目を覚ました頃、彼等の話はようやく再開した。

 

 アフロディーテの考えていることは、既にアポロンにも共有されている。故にここから先は、その確認とも言える様な作業。けれどこれより違うのは、恐らくアルフィアが予測出来るようなことが、限りなく少なくなっていくということだ。

 

 

「それで、どうするんだい?アフロディーテ。仮にアポロンとその眷属達の悪夢でラフォリアを再現したとしても、それは本物の彼女ではないだろう?」

 

 

「そうね。だからよりラフォリアに近付けるために、これを使うのよ」

 

 

「っ、これは……」

 

 

 アルテミスの当然のその疑問に対して、アフロディーテが眷属達に持って来させたのは小さな箱である。

 その中に入っていたのは、あまりに酷くボロボロになった血塗れのドレス。焦げているし、溶けているし、焼かれているし、千切れているし。……つまりそれは。

 

 

「ラフォリアが最後の戦闘で着ていたドレスよ」

 

 

「……!」

 

 

「よくそんな物を持っていたね、いつの間に回収していたんだい?」

 

 

「……本当はこんなことに使うつもりは無かったのよ。最後に残ったあの子の生きた証だから、綺麗な場所に墓の1つでも作るつもりだった」

 

 

「「………」」

 

 

「でも、ここまで奇跡が噛み合ったのなら……それはもう、そういうことなんでしょ」

 

 

 炎人が再現した彼女に、更に情報を与える。

 それこそ彼女の血液を、死闘によって刻まれた強烈な思念を、そして彼女と共にあった彼女の衣服を。ラフォリアの血が染み付き、ラフォリアの残留思念がこれでもかと染み付いたそのドレスを、炎人達は喜んで取り入れることだろう。何せそれは悪夢の再現度を引き上げることに、あまりにも都合が良いから。

 ……そしてそんな彼女と相対する人間次第では、それはより鮮明になる。

 

 

「本当に、ラフォリアを蘇らせることが出来るのか……?」

 

 

「いや、それではまだ足りない。……そうして再現したところで、所詮は炎そのものなんだ。それでは原初の火がヘスティアによって浄化された瞬間に消えてしまう」

 

 

「っ」

 

 

「そう……だから代わりの肉体が必要になる。その代わりの肉体も、もう準備はしてあるわ」

 

 

「なに?」

 

 

 その言葉には、さしものアルフィアでさえ眉を顰めた。それはアルテミスであっても同様だった。

 『肉体を用意する』、それはそう言葉に出来るほど簡単な話ではない。都合の良い人形がある訳でもない、空の肉体を作り出すことだって出来る筈がない。故に代わりの肉体などという言葉が言い表すのは……

 

 

「……炎人との戦いの最中、私の愛する眷属達が何人か死んだわ」

 

 

「っ」

 

 

「ラフォリアに下手に戦い方を教わったせいで、調子に乗ったのね。引き際をわきまえなかった。……あの子はその辺りも注意して教えていた筈だけど、男の子だもの。身体を張りたくなる時もあるわよね」

 

 

「……そういう、ことか」

 

 

「ええ、そのうちの1人が立候補してくれたわ。……自分が死んだ後、この肉体を使ってあの子を生き返らせて欲しいって」

 

 

「……男の身体でも、出来るのか?」

 

 

「安心して、その子は女よ。心が男だったっていうだけ。恋愛対象も女だったし、私にもラフォリアにも目を向ける様な浮気者だったわ。女扱いすると怒る癖に、胸の大きさで私に張り合って来る様な、そんなおバカな子」

 

 

「……」

 

 

「だから、あとの問題は1つだけ」

 

 

 ラフォリアを再現し、それを入れるための肉体も用意した。恐らく他にも色々と障害もあるだろう。だがここまで好条件が揃っているのだから、アフロディーテとてこれが単なる奇跡だとは思っていない。仮にこれが奇跡であったとすれば、その他の小さな障害くらいは最早何の意味も成さないだろう。目に見える問題さえ解決すれば、後は自然に……

 

 

「……その問題とは、なんだい?」

 

 

「分かるでしょ。……ラフォリアがこんな話を呑む筈がない」

 

 

「っ」

 

 

「再現どころか、肉体の情報と思念を得て限りなく本物になったラフォリアだからこそ、絶対にこんな話は呑まない。死んだとは言え他者の身体を奪うなんて、そしてあんな方法で最後を渡したからには、絶対に……生き返ることを拒むはず」

 

 

 だから、説得しなければならない。

 

 本当に生き返らせたいのなら。

 

 ラフォリア自身の心を、決意を、越えなければならない。

 

 人を生き返らせるということは、そういうことだ。

 

 本人が望まない形で生き返らせたとしても、その人物は簡単に2度目の終わりを選択するだろう。そうでなくとも、幸福な生などあり得ない。最後の最後まで存在しない罪に苛まされ、自分を犠牲にし続ける。

 ……そんな生き方をさせるくらいなら、死なせていた方がずっとマシだ。それを解決せずに生き返らせたところで、余計に相手を苦しませるだけだ。

 

 

「だから……貴女が説得しなさい、静寂」

 

 

「私、が……」

 

 

「むしろ貴女以外の誰がやるのよ。……貴女以外の誰が、その責任を取れるのよ」

 

 

「っ」

 

 

 アフロディーテの声が1段低くなる。

 その瞳に冷たさが宿り、無表情の神の顔になる。

 ただその事実を裁く様に突き付ける。

 逃げられない様に、逃すことのない様に。

 

 

「……アフロディーテ、他の問題はどうするんだい。例えば、炎人が元になったのだから、その本質は穢れている。それでは再現したところで悪性の存在になる」

 

 

「問題ないわ。悪夢として甦ったあの子は、仮初でもその身にヘスティアの恩恵を宿している。ヘスティアなら必ず、どんな状態であっても、事情を察して、あの子に力を貸してくれる筈よ。……だから大抵の障害は、どうとでもなる」

 

 

「……なるほど」

 

 

「だからこそ、異様な奇跡なのよ。……あの子を再現出来るアポロンとその眷属がここに来た。あの子のドレスを持っていた私がここに来た。あの子が何の因果かヘスティアの恩恵を受けていた。そして唯一あの子の心を開けられるアンタが、病を克服した状態で今ここに居る」

 

 

「っ」

 

 

「恐らく、これが最後。この機会を逃せば、もう2度とこんな奇跡が起きることはない。……分かるわよね?この意味」

 

 

「……ああ」

 

 

 そして、それだけではない。

 アルフィアの腰にあるその剣は、ラフォリアの物だ。そしてオッタルが彼女から直接手渡され、至極大切にしていたものだ。ならばこれを使うことは、ラフォリアをより鮮明にすることに繋がる。ある意味鍵となるそれを、オッタルは最高のタイミングでフレイヤに手渡したのだ。

 

 ……これもまた奇跡の1つだろう。

 

 ラフォリアが今日まで撒いていた種が、何の因果か急速にこの島へと集まっている。それはベル達のことでさえそうなのだろう。そしてこんなものを見せられてしまえば、神でなくとも分かる。

 

 ……間違いなく、これが『最後』で『唯一』の機会であるのだと。

 

 

「だからこそ、貴女が決めるのよ。この先を」

 

 

「……」

 

 

「貴女が負けて、あの子の死を受け入れるのか。貴女が勝って、あの子を生き返らせるのか。……あの子の言葉を直接聞いて、貴女の言葉を打ちつけて、殴ってでも、殴られてでも、答えを出して来なさい。それが貴女がここですべきことなのよ、アルフィア」

 

 

「……」

 

 

「……それとアルテミス、きっと貴女の役割は」

 

 

「分かっている、アルフィアを支える事だね。アフロディーテもアポロンも、原初の火の方を対処するつもりなんだろう?それならこっちは、どうか私に任せて欲しい」

 

 

「……私にはその役割は出来そうにないから、お願いするわ」

 

 

「気にしなくても良いさ。むしろこんな役割でも無かったら、寂しく思ってしまうところだった」

 

 

 そうしてアフロディーテは、チラとアルフィアの方を見た。こうして表面を見るだけでも彼女は明らかに動揺していて、明らかに不安気で、明らかに自信がないように見える。

 

 ……けれど、それでは駄目なのだ。

 

 勝つにせよ、負けるにせよ、これはそんな精神状態で挑むべき戦いではない。そんな顔をして前に立ったところで、容易く屠られるのが関の山だ。

 何故ならラフォリアは、その戦闘力に自身の精神状態が殆ど反映されない性質を持つ。あの鋼鉄の鎧で自身の心を覆い隠して来た彼女は、精神状態で強くなることはあっても、弱くなることは早々無い。

 今のままでは間違いなくアルフィアは負けるだろう。何の起伏もなく、何の感動もなく、簡単に。そんな戦い方をするくらいなら、最初からそんなものをすべきではない。

 

 

 

「アルフィア、こっちを向きなさい」

 

 

 

「……?」

 

 

 

「…………………」

 

 

 

 

 だからアフロディーテは、自身の役割を全うすることにした。

 

 

 

 嫌われ者という、その役割も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 【ふざけんじゃないわよ!!!】

 

 

 

 

 

 

 

「っ!?」

 

 

 

 ゴッ、と。

 

 アフロディーテの拳がアルフィアの頬に叩き付けられる。

 

 それは所詮は力の無い神の拳、Lv.7の眷属にとっては痛みさえそれほど無い。けれどその衝撃だけは確かで、その拳に込められた怒りだって間違いなくて、故にアルフィアの意識を引くには十分な物であった。

 

 

「ふっざけんじゃないわよ!この馬鹿女!!他でもないアンタが!世界で一番不幸ですみたいな顔してんじゃないわよ!!」

 

 

「そんな、ことは……」

 

 

「アイツがどれだけ苦しんでいたか!どれだけの悲しみを抱えていたか!アンタにそれが分かる訳!?その原因を作ったのは全部アンタでしょうが!!」

 

 

「っ」

 

 

「中途半端な気持ちで『愛』してるなんて言うんじゃないわよ!軽々しい気持ちで『愛』を与えんじゃないわよ!!……最後の最期までその責任が取れないのなら、『母親』なんて名乗る資格はどこにも無いでしょうが!!」

 

 

「!!」

 

 

 ……きっと、ここまで激昂したアフロディーテの姿は、それほど見れるものではない。しかしそれこそがアフロディーテの怒りであり、ずっと叩き付けたかったことでもあった。美の女神であり、故に『愛』を知る彼女だからこそ、ずっとずっと許せないことでもあったのだ。

 

 

「逃げんじゃないわよ、諦めんじゃないわよ……!一度でも『母親』を名乗ったからには!!他の全部を投げ捨ててでも!!娘のために生きる覚悟くらい決めなさいよ!!」

 

 

「アフロディーテ……」

 

 

「見え見えなのよ!さっきからヘスティア達の方に気をやってるのが!私はそれが一番許せない!……ここに来て、ここまで来て!それでもあの子を1番だって言えないアンタが!私は心の底から憎い!!」

 

 

「わたし、は……」

 

 

「………」

 

 

 アルテミスだって、実は薄々それには気付いていた。けれど、わざと見ない振りをしていた。それの意味を考えてしまえば、直視してしまえば、きっと今のアフロディーテと同じように怒ってしまったかもしれないから。

 

 ……だってそうだろう。

 

 いくら彼女の愛した妹の子供だからと言って、いくらその面影を背負った子だからと言って、どう考えたって。

 

 

 

 

 

 

 

 

『おかあさん』と呼ばせるのは間違っている。

 

 

 

 

 

 

 

 "お母さん"ではなく、"お義母さん"だから。

 

 "おばさん"と呼ばれたくなかったから。

 

 そんな理由はいくらでもあるだろう。

 

 だが他でもないラフォリアがそんな様子を見ていたら、果たして彼女は何を思うだろうか。そこまで考えが及んでいたのなら、決して、そんなことはしない筈なのだ。いくらなんでも、そこに線引きくらいはする筈なのだ。

 

 先程の小休止の時間の間でも、そして話の途中でも。ヘスティアの話、つまりベル達の関連の話が出る度に、彼女は明らかに心配そうな顔をしていた。つまりは、そういうことなのだ。

 今この時になってまでも、アルフィアは集中出来ていなかった。言葉で言っているほどに、心が定まっていなかった。つまりは未だに、ブレていたのだ。

 

 

 

「……分かってるわよ、愛なんてままならないものだって」

 

 

「……」

 

 

「自分が愛した相手が、愛を返してくれるとは限らない。どころか愛を与えようとしても、思うように与えられないことさえある。愛したくても愛せない。それだけ苦労しても、勝手に心だけは他の相手のところに飛んでいってしまうことだってある」

 

 

「……」

 

 

「でも、それでも『親』を名乗ったのなら………人生懸けなさいよ」

 

 

「っ」

 

 

「他の子供に、世界の平和に、過去の罪に、気を取られてんじゃないわよ」

 

 

「………」

 

 

「幸せにするどころか、不幸にしてたら……世話ないでしょうが……」

 

 

「……ぁあ」

 

 

 

 きっと、それが全てなのだ。

 

 どうしようもない事実として。

 

 どうしようもない過去として。

 

 

 『幸せに出来なかった』

 

 

 不幸にしてしまった。

 

 悲しませてしまった。

 

 その事実だけは、どうやってもそこにある。

 

 

「他の誰も言ってくれないのなら、私が言ってあげる。……ラフォリアを殺したのはアンタよ」

 

 

「っ」

 

 

「幸福になれたあの子を、アンタが殺したの。アンタのせいで、あの子は苦しんでいたの。アンタのせいで、あの子の人生は滅茶苦茶になった。……アンタが『母親』なんか名乗らなかったら、あの子は苦しまずに済んだのよ」

 

 

「……」

 

 

「それに……こうして生き返らせたところで、一度死んだあの子はもう救われることはない。こんなの、所詮は私達の自己満足なんだから」

 

 

「……どういう、ことだ」

 

 

「……消えた人間が元に戻るなんて、そんな馬鹿な話がある訳ないじゃない。結局のところ、今からやろうとしてるのは再現に過ぎないのよ。……ある地点のラフォリアに、限りなく近い状態の人間を生み出す行為。だからどうやったって、本物のあの子は帰って来ない。苦しんで孤独のままに消えていったあの子を、救い出すことなんて絶対に出来ない」

 

 

「っ」

 

 

「……結局、自己満足なのよ。全部」

 

 

 だから、仮にこの行為が全てうまくいったとしても、それでアルフィアの罪が完全に清算される訳ではない。それどころか考え様によっては、『本物』を愛さなかった癖に、後から作り出した『偽物』に愛を与えようとしているとも言える。これが本当に正しい行為なのかは、誰にも分からない。そんなことをするくらいなら、素直に死んだ娘を弔う事こそが、母親としての役割であるのかもしれない。

 

 

 

 

 

「いや、それは違うだろう」

 

 

 

 

 

「アポロン……?」

 

 

 だがアフロディーテのその言葉に明確な否定の言葉を返したのは、意外にもこれまでずっと黙って話を聞いていたアポロンであった。

 

 

「これから生み出す彼女は、確かに『偽物』なのかもしれないが。しかし果たしてそこに『本物』は無いのだろうか?」

 

 

「……」

 

 

「99%が本物と同じでも、1%が違えばそれは偽物なのだろうか?……私はそうは思わない。それに、そうして生み出した彼女を愛することもまた、罪だとは思えない」

 

 

「……なぜ、そう言える」

 

 

「そうでもしなければ、君がどれくらい彼女のことを愛し想っていたのかが証明出来ないからだ。後悔と悲痛だけでは、愛を証明することは出来ないからだ」

 

 

「……!」

 

 

「聞いた話でしか知らない立場だ、だから間違っているのかもしれないが……彼女が最後まで知りたがっていたのは、自分が母親にどれくらい愛されていたのかではないだろうか?ならばそれをどの様な形であれ示すことが、君の責務ではないのか?」

 

 

 仮にそれがもう1人のラフォリアを作り出すというやり方であったとしても。

 

 完全に消失してしまい、何処かから見ているという可能性すら無くなった娘に、どれほど誠意を示すのかという話ではあるが。けれど本当に大切なのは誠意を示すことではなく、愛を示すことではないかと、アポロンはそう言っている。

 

 

「それに、せっかくここまでの条件が揃っている。苦しみ抜いた彼女が幸福に生きられる道を作ることは、大切な娘を幸せにするという行為は……たとえそれが人の道に反した行いであったとしても、決して間違いではないと、私は思う」

 

 

「……っ」

 

 

 他者から眷属を奪っていた分際で、何を今更になって良い事を言っているのかと思わず言いたくなった者達も居たが。しかし変態以外は基本的に善神寄りなアポロンは、同時に変態でさえなければそれなりの神格者でもあった。

 

 ……単純な話、それで誰かが幸せになれるのなら、それで良いではないか。そうして彼女を幸せに出来るのなら、迷う必要などないではないか。それこそがアポロンの意見だった。本当に幸せに出来るのなら、の話ではあるが。

 

 

「……アルテミス、お前はどう思う」

 

 

「私かい?」

 

 

「アフロディーテと、アポロンの話は聞いた。後はお前からも、聞いておきたい」

 

 

「……そうだね」

 

 

 きっとアフロディーテは、もう一度ラフォリアに会いたいという気持ちはありつつも、けれどやはり死んだ彼女の思いを考えると、どうしても抵抗感が拭えないのだろう。だから彼女自身、こうして複雑な気持ちでここに居る。

 

 一方でアポロンは、そうして生き返らせたのも彼女本人であることに間違いはなく、仮に消えてしまった方を思うにしても、その子を思いっきり愛することこそが償いであり、責務でもあると考えた。

 

 

 

 ならばアルテミスは……

 

 

 

 

「私は反対だ」

 

 

 

「っ」

 

 

 それがアルテミスの意見だった。

 

 

「けれど、これは私個人の思いでしかない」

 

 

「……それは、どういうことだ」

 

 

「結局のところ、結論を出せるのは君しか居ないということさ。だから私は自分の個人的な考えを捨ててでも君の判断を支持する。……君がここでラフォリアを蘇らせたいというのなら、私はそれを全力で手伝おう。それだけさ」

 

 

「……何故だ。何故お前はそこまで、私のことを」

 

 

 アルフィアからしてみれば、最初からずっと不思議だった。彼女はアフロディーテと同じく自分のことを怒っていた。それでも今日までこうしてずっと隣で協力をしてくれた。最初はそれをラフォリアのためであると考えていたが、ここまで来るとそれは普通ではない。それこそアルフィアに何らかの理由を抱いていなければ、ここまで協力してくれる筈なんてなくて……

 

 

「君が悩んで選んだ結論であれば、ラフォリアは最終的に必ず納得する。……私は君と共に生活をしているうちに、そう確信したんだ」

 

 

「……自信がない」

 

 

「いや、私のこれは確信だ。……分かるだろう?これは答えのない問題だ。どれだけ悩んだところで、本当の答えなんて出て来ない。これがアフロディーテの言う通り最後の機会なのかもしれないし、もっと良い機会は後にやって来るのかもしれない。アポロンはああ言ったけれど、こうしたところでラフォリアは幸せにはなれないかもしれないし、もしかしたら本当に幸福な人生を歩めるようになるかもしれない。……そんなことは、誰にも分からないんだ。それこそラフォリア本人でさえも」

 

 

「……」

 

 

「だから君は、ここでそれを選ばなければならない。そしてその責任を負わなければならない。どんな結果に終わったとしても、選んだことによる結末を受け入れなければならない。……それこそが大切なんだ」

 

 

「……?」

 

 

 アルテミスの言いたいことは、アルフィアでさえイマイチよく分からない。けれどそんな様子を見て、アルテミスは優しく微笑む。もうかなり長く隣に居た彼女の人となりは、それなりによく分かっていたから。仕方ないなぁと、少し呆れながらも。決して見捨てることはせず、付き合った。

 

 

「君はようやく、ラフォリアの人生に責任を持つんだ」

 

 

「……っ!」

 

 

「ここで選択をすることで、君はようやくラフォリアの本当の母親になれる。だからどんな選択をしようとも、私は君の答えを尊重するよ。あの子の母親になった君を支える。……もちろん、逃げ出したりしたらその限りではないけれどね」

 

 

 でも、そんなことはしないとも分かっている。

 

 アルテミスは分かっていたのだ、どうして彼女が娘よりも妹の方を愛していたのか。そして未だに娘より妹の面影のある甥の方に意識を向けてしまうのかまで。

 

 ……それは結局のところ、ラフォリアの人生に責任を持っていなかったから。

 年齢が姉と妹程度にしか離れておらず、ヘラ・ファミリアにはもっと親子らしく年の離れた同僚達も居た。そしてラフォリアが体調を崩してからも、ヘラは定期的に様子を見に来ていた。そしてラフォリアのこれからの人生をどうするのか、それを決めたことなどアルフィアには一度もなかった。精々が最後の無言の別れの時くらいだろう。

 そう、自分が居なくとも他の誰かが彼女の道を決めてくれた。そうでなくとも自分と同じく才能のある娘は、1人で多くの答えを出すことが出来た。アルフィアは彼女に対して、何の責任も持っていなかった。

 

 だが妹の方は違う。妹の才能を奪ったという自覚から、アルフィアは常に妹の人生に責任を持っていた。彼女を率先して導く立場に居なければならなかった。放っておくことなど、出来る筈もなかった。故に執着を持つこともまた、当然だった。

 

 ……きっとそれは、アルフィアの生まれつきの性なのだ。出来る子よりも出来ない子に目を向けてしまう。隣に立つ者より、守らなければならない相手に目を向けてしまう。そして単純に目を向けているほどに、心を向けているほどに、愛情が芽生える。むしろ目を逸らしてしまっていた娘に対して愛情など、芽生える筈もない。向き合うこともせず、責任を持とうともしなかったのなら、愛情よりも罪悪感が上回るのは当然だ。

 

 

「今度こそ、向き合えるかい?アルフィア」

 

 

「……向き合いたい。いや、向き合ってみせる。もう2度と、自身の罪から目を閉じるようなことはしない」

 

 

「じゃあ、君はどうするんだい?」

 

 

「最後の可能性がある以上、この機会を逃す選択肢はない。……仮に次の機会があったとしても、その機会も逃すつもりはない。その結果あの我儘娘が2人に増えようが、3人に増えようが、その全てを受け入れてみせる」

 

 

「……きっと、辛いことを言われる。恨み言は当然に言われるだろうし、君の心を折るためにもっと酷いことだって言われるかもしれない。君を諦めさせるためなら、あの子は多くの嘘さえ吐くだろう」

 

 

「それでも私は、今度こそ……あの子を愛したい」

 

 

「それは、罪悪感から来る感情かい?」

 

 

「そうかも、しれない……だが私はそれでも、あの子の母親でありたいんだ。あの子の母親であったことを後悔したことだけは、一度もないんだ」

 

 

 妹にはベルのような子が相応しいと思えた。

 では自分にとって相応しい"子"は誰かと言われれば、そんなものラフォリア以外には居なかった。これまで見て来た他の誰よりも、あの子こそが自分の娘に相応しいとアルフィアは思っている。

 

 ベルに『お義母さん』と呼ばせていたことだって、本当に母親になりたかった訳ではないのだ。本当にただ『叔母さん』と呼ばれたくなかっただけだった。……確かにそこに配慮は欠けていただろうし、今思えば軽々しくとんでもない間違いをしてしまっていたと自覚もしている。

 

 それでもやっぱり、自分にとっての子供というのはラフォリアだけなのだ。その気持ちは今だって決して変わらない。その気持ちだけは、今も昔も、決して……

 

 

「うん……分かった、それなら私も最後の最後まで付き合おう。ラフォリアならこれを良い機会だとばかりに戦闘に持ち込んで来るだろうし、やっぱりそんな中で君を支えられる神は、狩の得意な私くらいだろうからね」

 

 

「……ありがとう」

 

 

「気にしなくてもいいんだ、それに納得したからこそ頷いたんだから。……たとえそれがどんなに許されないことであっても。それがどんな不条理を抱えていても。神も世界も、誰もが許さない行いだとしても、それでも」

 

 

「アルテミス……」

 

 

「誰よりも、神々が驚くくらいに才能に満ち溢れた貴女達2人が納得して出した答えなら……それが間違っている筈なんてないんだから」

 

 

 アルフィアは思う、あの娘は本当に神々に恵まれていたたのだろうなと。アルテミス、アフロディーテ、ヘスティアと、ここまで善神ばかりに出会うことは早々ないだろう。そして自分もまた、そんな娘に助けられているのだと、嬉しくもなった。

 

 

 ……その中にアポロンも入れるかどうかについては、今少しの検討の時間を頂きたいが。



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被害者56:炎人

 ラフォリアを説得するにおいて、戦闘は避けられるものではないと、アルフィア達は確信さえしていた。

 

 それは確かにそれが1番手っ取り早いというのもあるが、何よりラフォリアがアルフィアを超えるために努力をし続けてきたのは間違いのない事実だからである。

 

 故に彼女であれば、この機会を利用してでもアルフィアに挑戦しようとする筈だ。これが最後だと、それくらいの意気で。それはオラリオに居た頃に何度も何度も挑まれていたアルフィア自身が、誰よりも1番よく理解している。

 

 

 

 ……では、今のアルフィアはラフォリアに勝てるのだろうか?

 

 

 

 

『正直、かなり厳しい戦いになるだろうな』

 

 

 

 

 アルフィアはそう予想する。

 

 アルフィアの病はほぼ完治している、故に現在を全盛期と言っても何らおかしくはない。だが一方でラフォリアの方もまた、間違いなく全盛期だ。ラフォリアの方の病がどうなっているかは分からないが、あくまで炎の再現であるのなら、負の要素である病の再現はしないという可能性の方が高い。戦力として下がってしまうのだから当然の判断だろう。

 

 レベルだけで言っても互角、残りの才能の差をラフォリアは努力と練りに練ったアルフィアへの対策で補って来る。7年の月日というのはあまりに大きく、たとえアルテミス達からラフォリアの大凡の手の内を聞いたとしても、あの娘の策を完全に知ることは出来ない。アレだって天才に違いはないのだから。こちらの予想を踏まえた対策があることは間違いなく、際限のないループに嵌められては元も子もない。……だからこれはそう、受け止めるしか無い。その上で上回るしかない。それだけの単純でとても難しい話。しかし、それしか結論は出せない訳で。

 

 

 

 

 

 

 

 

「神殿は顕現した……タイムリミットはヘスティアが浄化を始めるまで。それまでに説得して身体に入れないと、そのままラフォリアは一緒に消えるわ」

 

 

「ああ、分かっている。……お前達も、こちらのことは気にしなくて良い。後は私1人でも出来る。アルテミスも見ているのだからな」

 

 

「……分かってるわよ。こっちもそう余裕にはしていられないもの、ヘスティアのこともあるし。まあアンタ達の親子喧嘩に割って入れるような奴なんて早々いないんだし、好きにやりなさい。精々邪魔にならないようにするわ」

 

 

 幻が取り払われ現れた廃墟と化したオリンピアの姿と、再び始まった地獄の『大炎災』、そしてそれを押さえ込むために顕現したヘスティアの『祭壇』を背に。アポロンの眷属達はどんどん数を増していく炎人達に取り囲まれながら戦っている。

 そんな彼等を見下ろしつつアルフィアとアフロディーテはそう話していたが、実際のところ、この戦いの後に本当にこの半島が残っているのかどうかは微妙なところである。

 片やリヴァイアサンにトドメを刺した女であり、片やベヒーモス亜種にトドメを刺した女である。そんな怪物達が本気で戦うとなった時、正直今のオッタルでさえ、割り込んだ直後に叩き潰されるのが想像出来る。何せただのLv.7ではない、どちらも一時的にLv.9相当の出力を発揮する才能の怪物。オラリオでラフォリアとオッタルが衝突した際の被害を軽々と上回ることは誰にだって予想出来ることだ。

 

 

「……ねえ、1ついいかしら」

 

 

「?なんだ」

 

 

「ベル・クラネルって言ったかしら、アンタの甥」

 

 

「……ああ、そうだが」

 

 

「アンタ本当にそいつのこと、自分の息子みたいに思ってないの?」

 

 

「………」

 

 

 アフロディーテのそんな直球に、アルフィアは渋い顔をする。けれどそれは決して、アフロディーテが考えていたような理由ではない。

 

 

「……正直に言えば、その立場になりたいという欲自体はあった。卑しい話だが」

 

 

「あった……?」

 

 

「ああ、だが接するうちにそれは無理だと悟った」

 

 

「……どうして?」

 

 

「ベルの中で、ラフォリアの存在があまりにも大きかったからだ」

 

 

「!」

 

 

「ベルにとってこの身体はラフォリアのものだ。ラフォリアの元の容姿をあの子は知らないし、どれだけ話していても常に私を見ながらラフォリアが見えてしまっている。……そして母親という役割も恐らく、私よりラフォリアの方がよっぽど上手く成していた」

 

 

「……まあ、よく考えてみれば当然の話よね。何も知らない奴等からしてみれば、アンタは未だにラフォリアな訳なんだし」

 

 

「ああ……だからこそ正直、対抗心はあった。ベルに『お義母さん』などと呼ばせていたのも、もしかしたらそれが理由だったのかもしれない。なにせ教育方針が違うにも拘わらず、私はこの肉体にラフォリアの方針を強制されているんだ。イライラもする」

 

 

「あ〜……」

 

 

 ラフォリアは放任主義、個人の考えと選択を他の何よりも尊重する傾向がある。その末に大きな失敗をしたとしても、それもまた経験だと。その先に地獄があることを教えても、決してその歩みを止めるようなことはしない。その結果として壊れてしまったとしても、その時はその時だとすら考えている。

 しかし逆にアルフィアは、過保護気味なところがある。自分の経験を活かして、出来るなら相手に同じ失敗をして欲しくないと願っている。それはもしかしたら妹の世話以外にも、ラフォリアに対する自分の失敗が理由にもなっているのかもしれない。もちろん黒龍討伐の失敗や、その末の諸々も理由としてはあるだろう。

 

 ……とは言え事実として、ベルはどうやら母親のようにラフォリアの方を慕っていた。そしてラフォリアの教育方針の方を好んでいる傾向があった。アルフィアの方針が見え隠れする度に、複雑な表情をしていた。きっとラフォリアなら言わないようなことを、ラフォリアの姿をした人間が言っているから。頭では分かっていても、心が受け入れてくれなかったのだろう。

 

 ……そうだ。他でもないベル自身が、アルフィアを母親にはしてくれなかったのだ。故にアルフィアがベルの母親になることは出来なかった。それこそ本当に『叔母』にしかなれないと、嫌でも悟った。

 

 それにもしきっと、本当に助けが必要になった時も……ベルが助けを求めるのはアルフィアではなく、ラフォリアの方であろうから。皮肉にも彼等は、血の繋がり以上の強い繋がりを既に作っていたから。

 

 ……だから、嫉妬だってしている。

 

 そして情けなくも思っている。

 

 同時に虚しさも感じている。

 

 愛している相手に愛を返して貰えずヤキモキしているのは、アルフィアだって同じだった。ベルが自分に対してどう接すればいいのか内心で戸惑っていることなど、容易く分かるのだから。そういう意味ではアルフィアは今正に、ラフォリアが感じていた虚しさを体験していると言ってもいい。

 人と人との関係というのは、それほど容易いものではない。

 

 

 

「……アフロディーテ、お前に証人になって欲しい」

 

 

「証人……?なんのよ」

 

 

「仮に私がここでラフォリアを救えなければ、私はオラリオに戻るつもりはない」

 

 

「!……それで罪滅ぼしのつもり?」

 

 

「いや、それは違う。……ここであの子を説得出来ないのであれば、私にはそれに足りる言葉も人生も無かったということになる。ならば私にオラリオに戻って居られる余裕など無いということだ。見識を広める必要がある」

 

 

「……自信がないの?」

 

 

「少なくとも、あの子は私とは違う方法で事を成した。もしラフォリアが私達と同じ方法を取っていれば、今のベルは無かっただろう。同じ27という年齢で、しかし今はあの子の方が十分に大人だ。……もちろん諦めるつもりはないし、全身全霊で挑むことも変わりはない。だが、言葉で説得をするには私の言葉はあまりにも軽過ぎると、自覚もしている」

 

 

「………そういえば、今はもう同い年なのよね。アンタ達」

 

 

 才能に頼り切っていたつもりはない。

 だがそれ以上に努力をして来た娘に、絶望しながらも最後まで英雄達の手を引いて歩くことを選んだ娘に。今更自分の言葉がどこまで通用するのか、どこまで言葉で上回ることが出来るのか、全くもって自信がない。

 

 言葉でも、単純な実力でも、なんなら愛情でさえも、勝てると断言出来る要素が今のアルフィアには無い。自分が娘に向けている愛よりも、娘が自分に向けている愛の方が大きいであろうことは、どうやっても否定出来ない事実なのだから。あの最後の手紙を読んでそれを言えるほど、図々しくもなれないのだから。

 

 

「だからこそ、もう未来の自分に賭けるしかない。あの子と再会し、そこで自分がどう思い、どう変わるのかに……賭けるしかない」

 

 

「……まあ、いいんじゃない?今のアンタがごちゃごちゃ余計なことを考えるより、その方がよっぽど可能性があると私は思うわよ」

 

 

「ああ、何せ今日の私は絶不調だ。やることなすこと全てが失敗する気しかしない。……あまり弱みを見せたくないのだが、そうもいかないらしいからな。ならば初めて見せる弱さにあの娘が動揺してくれることを祈るしかないだろう」

 

 

「……ふふ、そうね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「っ!!」

 

 

 

 

 それは2人がそうして会話を休ませ、アポロン達の奮闘に目を細めた瞬間に、生じた。

 

 

 

 

「来た!!来たぞ!!アフロディーテ!!」

 

 

 

 眷属達に守られながらも、戦場の最中に居たアポロンが叫ぶ。しかし言われなくとも既に2人は気付いている。生じたのはやはり団長であるヒュアキントスの目の前。

 既に夥しい程の数に増えている炎人達が何故か全く悪夢に姿を変える性質を見せていなかったが、どうやらそれもLv.7の眷属という下手な階層主を容易く超えるような怪物を再現するために、必要な数を揃える為だったらしい。

 

 

「私の可愛い眷属達!アポロンの撤退を支援しなさい!」

 

 

「「「はい!!アフロディーテ様!!」」」

 

 

 最初から決められていた通り。その予兆が出て来た瞬間にアポロン達は撤退を始め、アフロディーテの眷属達がそのための道を切り開き始める。

 

 

 ……彼等の仕事はここまでだ。

 

 

 ここまでが彼等に出来る、精一杯だ。

 

 

 

 

「アルフィア、これ」

 

 

 

「……ああ、確かに受け取った」

 

 

 

 手渡されたのは、今の今までアフロディーテが至極大事に抱えていたラフォリアのドレス。今の今までこんなものを絶対に炎人なんかにやってたまるかと、それほどの決意で抱えていたものを、彼女はしっかりと手で渡す。

 ……その意味を、その責任を、アルフィアはドレスと一緒に受け取った。

 

 

「これをただの炭にするようなら、今度こそ許さないから」

 

 

「……分かっている」

 

 

「それと……」

 

 

「?」

 

 

「あれを一目見てラフォリアって確信出来たことだけは、誇って良いと思うわよ。私はアンタの目を見るまで半信半疑だったし」

 

 

「!」

 

 

「精々頑張りなさい」

 

 

 それ以上の励ましをせず、それ以上に言葉を出すことなく、アフロディーテは眷属達を引き連れて離れていく。彼等はこれから自分達のやるべきことをしに行かなければならない。見ていたいと、見届けたいという思いはあるが、そんなことは決して許されない。

 

 そんなことをしていたら絶対に、"怒られる"から。

 

 そんなことをして彼女に失望されたくはなかったから。

 

 

 

 

 

 

「……まったく、たった1人の人間を再現するために、一体どれほどの神の火を束ねるつもりだ」

 

 

 面白いのは、穢れた炎達がそれを決して"劣化品"で妥協しようとしていないことだろう。それは"その悪夢"を再現すれば何もかもを破壊出来ると確信しているからなのか。それとも"その悪夢"を完璧に再現しなければ勝てないような存在がこの場にいるからなのか。

 ……それはアルフィアには分からない。

 

 

「だが……アポロンとその眷属達が違えて私を再現しないかと心配にはなっていたが、その必要がないようで安心した」

 

 

 少しずつその姿を鮮明にさせ始めた影は、見た目だけなら間違いなくアルフィアのそれだ。しかしアフロディーテが言った通り、アルフィアにはそれがラフォリアであると確信出来ている。……その僅かな所作1つ1つがラフォリアのそれであると、知っているから。

 

 

「だが、それだけでは足りないだろう。それだけでは、再現出来ないだろう。……故に喰らえよ、悲劇の怪物共。貴様等が喰らうには上等過ぎる代物だ。十分に味わって、食らえ」

 

 

 アフロディーテから託されたそれを、アルフィアは目の前に立つ朧げな女に向けて差し出す。一瞬それに戸惑ったような様子を見せた炎人であるが、しかしアルフィアに害をなす意志が無いのを知ると、まるで肉を前にした獣のようにしてそれを引ったくった。

 

 ……行儀も何もないような振る舞い。

 

 溜息も出る。

 

 眉も寄る。

 

 

 

 

 だが、それが致命的だ。

 

 

 

 それが何よりの間違いだ。

 

 

 

 炎人達は、それを受け取ってはならなかった。

 

 

 

 なぜなら……

 

 

 

 

 

 

『キキキキキキキッ!!…………キッ、キキッ?ーーー!?!?!?!?!?』

 

 

 

 ラフォリア・アヴローラの強固な自意識は、たとえ何人掛かりで押さえ付けようとも、穢れた炎に焼かれ薪となった魂に押さえ付けられるようなものではない。

 再現を進めれば進めるほど、ラフォリアの意思も執念も蘇る。そして何より……

 

 

 

『『『グギギギガッ!?ギギガガガッギギッ、ギギギギギギッッッギィィィィッッッッ!?!?!?!?!?』』』

 

 

 

 

「ラフォリアがお前達のような奴に好き勝手されるのを、黙っていられるものか」

 

 

 

 ドレスを焼き喰らい、その姿を鮮明にさせればさせるほどに、炎人達は苦しみ始める。何重にも重なり作り上げたそれを、作り上げたものに乗っ取られようとしている。それに対する全力の抵抗、全力の抑制。

 ……しかしその結末は、きっと神でなくたって分かる。

 

 

 

「さあ、そろそろ起きる時間だ、ラフォリア。……そう言えば私は、お前を眠らせたままだったな」

 

 

 

 "さっさと寝ろ、この馬鹿娘"

 

 

 

 最後の別れの言葉は、確かそれだった。

 いつもと同じ、それだった。

 そしてその日だけは、起こすことなく、別れた。

 

 

 

「さっさと起きろ、馬鹿娘」

 

 

 

 蹲り喚いていた炎人達の叫び声が消えていく。身悶えていた様子は少しずつ収まり、その身から溢れていた炎の影はゆっくりと収まっていく。だからこそ、最後のその一言を掛けた。どうせいつもこの言葉を掛けた時には、あの娘は起きていたのだから。いつもいつも寝ているフリをしていたのは、ずっと分かっていた事なのだから。だからそれは今日だって変わることなく、変わるはずもなく……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『やれやれ、あの馬鹿乳から説明がなければ"何の冗談"かと頬をつねっていたところだ』

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ!!」

 

 

 

 

 

 

『それにしても……なんだ、少し老けたか?アルフィア』

 

 

 

 

 

 

「……お前に言われたくはないな、27歳」

 

 

 

 

 

 

 そうして2人はまた、顔を合わせた。

 

 

 冗談交じりの言葉を交わしながら。

 

 

 けれどお互いに、複雑な表情を隠すことなく。



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被害者57:オリンピア

 月明かりとヘスティアの神殿から漏れ出す光によって照らされた、全く同じ容姿を持つ2人の女。けれどその両者を見比べてみれば、内面は全く違う人物であることがよく分かる。

 目の開き方1つにしてもそうだ。まるで睨み付けるような眼力を発しているその女は、ピリピリとした威圧感を常に纏っている。一方で余計な力を纏っていない女は、何処か余裕のある大人びた印象を受ける。

 しかし見た目ではそう見えても、その内心は両者共に全くの逆のものだ。大人びた女の内心は荒れ狂っているし、圧のある女の内心は何処か余裕がある。……更にその奥を覗いてみれば、これもまた逆転するのかもしれないが。何よりその奥まで行き着くことこそが、今回の目的の1つとも言えるだろう。

 

 

『……今の私には、ベヒーモスを倒した時までの記憶しかないが』

 

 

「!」

 

 

『馬鹿乳から聞いた話と、お前が生き返っていること、そしてそこに私の剣があることから考えるに……なるほど、やはり私はそうしたのか』

 

 

「……この最後を、お前はその時から想定していたのか」

 

 

『というより、このスキルを発現した時からその選択肢はあった。最後にそれを選ぶかどうかだけが分からなかったが……それを選ぶだけの理由を、私は見つけたのだろう』

 

 

 まあ確かに、そのスキルの仕様をある程度理解してしまえば、どうやったってその考えは浮かんで来る。それを良しとするかどうかを、ラフォリアはベヒーモスと相対したその時でさえもまだ迷っていたということ。……ならばきっと、それを選ばせた最後の後押しは。

 

 

「……ベルは、妹の子だ」

 

 

『!』

 

 

「ゼウスに託し、小さな農村で育ち、英雄に憧れてオラリオへと足を踏み入れた……お前の従兄弟だ。恐らくその情報が、お前が私を甦らせることを決めた最後の理由だ」

 

 

『……そういう、ことか』

 

 

 そこでベルに対して嫉妬を抱くこともなく、むしろ2人を引き合わせたいと願うことが出来たのは、単純にそれほどラフォリアが優しかったからなのか。それともベルとアルフィアのことをそれほど愛していたからなのか。もしかしたらその両方ということもあるかもしれないが、だとしても。

 

 

『……どうだ、成長した甥の姿は』

 

 

「……泣かされたよ。ベルの方はまあ、戸惑っていたが。どうも私の姿を借りて好き勝手していた馬鹿娘が居たらしくてな、ベルはそちらの方に懐いているらしい」

 

 

『はっ、それは胸がすくな。……だがまあ、その様子では散々な扱いを受けたんだろう。これ以上は言うまい』

 

 

「……お前、そこまで分かっていてやったのか」

 

 

『当然だろう、自分が死んだ後の影響も分からないほど阿呆ではない。……だが、当時の私はそれでいいと考えたんだろうな。お前に対する仕返しも、それくらいで許してやる、と』

 

 

「………」

 

 

『まさかこんな形でもう一度引き合わされることになるとは、夢にも思っていなかっただろうが』

 

 

 結局のところ、当時のラフォリアが自分の死に方を選ぶにあたって、アレが1番良い終わり方であると判断したということだ。

 確かに荒れるだろうし、悲しまれるかもしれないが、それ以上の混乱によって悲しむ暇も与えない。何よりアルフィアという人間が蘇ったことで、明確に当たる事のできる相手が生まれ、喜ばしいことも増える。……その結果として殆どの負担がアルフィアに皺寄せされることになるが、ある意味それも代価としては安いくらいだろう。仕返しにしても、少し温いくらいの。

 

 

「……ラフォリア、お前を生き返らせる準備は出来ている」

 

 

『ほう』

 

 

「私の手を取れ。……後はもう、私に任せてくれていい」

 

 

『……なるほどな』

 

 

 少し強張った顔でそう言ったアルフィアに対して、ラフォリアは目を細める。しかし一歩も動こうとしないその様子を見るだけで、アルフィアはその答えを予想出来てしまった。元々想像は出来ていたことではあったけれど、やはりそう簡単にはいかなくて……

 

 

『アルフィア、お前は本当に私がその誘いに簡単に乗ってくれると思っていたのか?』

 

 

「……お前に断る理由はない筈だ」

 

 

『いや、ある。それは明確なものだ。だがお前が分からなくとも仕方がない』

 

 

「……?」

 

 

『そして、それをお前に言うつもりもない。……それでももし、聞き出したければ』

 

 

「……やはり、こうなるか」

 

 

『ああ、当然だろう。私がこんな機会を逃す筈がない。お前とてそれは分かっていた筈だ』

 

 

 一気に練り上げられたその濃密な魔力に対し、アルフィアも唇を噛みながら自身の魔力を発散させる。

 ……この濃密な魔力の衝突は、相応の力を持つ魔法使いであれば誰であっても分かるほどのものだった。そして同時にそれは、生物だろうと炎人だろうと逃げ出すような、そんな馬鹿げたもの。

 

 アルテミスがこの場に居なかったのは、正しくそのためだ。

 

 彼女はここから少し離れた高台の上で待機している。何故ならどうやったって自分の存在が2人の衝突に邪魔になることは分かっていたし、自分の役割はあくまでアルフィアのバックアップであることを理解していたからだ。動くのは自分ほどの力でも必要になった時でいい。言葉さえ、意思さえ不要だ。……少なくとも、今は。

 

 

『ああ……病が無いというのは、これほど心地の良いものなのか』

 

 

「……お前の病は、私のように恩恵に関係してはいなかったな」

 

 

『それでも、アミッドから薬は渡されているだろう』

 

 

「……ああ」

 

 

『ははっ、最高だ……!私もお前も、病から解放された状態で全力を出せる。これだけでも生き返った甲斐があったというものだ。ここは素直に感謝してやろう、アルフィア!』

 

 

「……私は、そんなつもりでお前を生き返らせた訳ではない!」

 

 

『それこそ、私の知ったことか!』

 

 

 ラフォリアの手に、アルフィアが持っている剣と全く同じ剣が出現する。それが本物と全く同じ性質を持っているかは分からない。しかし既にラフォリアが炎人の性質すら理解し、それを自身の意識で再現したということだけは明らかだった。

 ……故に、アルフィアは構える。こうなってしまった以上、穏やかな話し合いなど無意味だ。何せラフォリアは仕方なくでもなんでもなく、こうなることを望んでいるのだから。止めることなど出来ないし、止まる理由もどこにもない。せめて満足させなければ、きっと話し合いすら応じてはくれない。だってこれこそラフォリアの悲願なのだから。求めて求めて、それでも叶わないと諦めていたものなのだから。ならばもう、それは母親として、付き合うしかないだろう。……嫌でも、なんでも。

 

 

「っ!!」

 

 

『さあ!先ずは剣技から採点して貰おう!!』

 

 

「こっ、のっ……!!」

 

 

 ラフォリアとアルフィアの使う剣技は、その大元にザルドの剣技がある。アルフィアは一眼でそれを模倣したが、ラフォリアはそれに対抗して頭を下げて教わるという形で身に付けた。故に基礎の部分は変わらない。

 

 

「っ……言わずとも満点をくれてやる!!そもそも剣について私がお前に言えることなどあるものか!!」

 

 

 だが、そう、それ以外の部分は全く違う。

 

 それこそアルフィアは基本的にはザルドの剣技を使うが、ステイタス的に再現が出来ない箇所や、状況に応じて他の人間の剣技を使う。様々な模倣した技術を適切なタイミングで使ってくるため、予想が出来ず、相対する人間からすれば前衛職であっても対処は困難を極める。

 ……しかし、それでもアルフィアは決して前衛職ではない。ザルドと剣で戦えば勝てる筈もない。そこには剣技というものの奥深さと、前衛としての感覚、そして明確なステイタスの差があるからだ。

 

 

 では、ラフォリアの方はどうか。

 

 

『そう寂しいことを言ってくれるな!お前を剣で打ち負かすために、私がどれほどこれに打ち込んだと思っている……!!』

 

 

 ラフォリアは後衛型ではない、万能型だ。

 前衛職も後衛職も十二分にこなす、そうするためにステイタスもまた徹底的に万能に突き詰めて来た。全てのステイタスが高水準に纏まっており、元の傾向的に魔力にステイタスが偏るため、敢えてそれ以外を中心に努力をして来た。前衛としてのステイタスは単純にアルフィアより上である。

 

 そして同時に、ラフォリアはザルドから教わったその剣技を、そのままにはしなかった。当然他の技術も多く学んだ、しかしそれでは達人の技術を一眼で模倣するアルフィアに対しては付け焼き刃にしかならない。故に単純に突き抜けたものが1つは必要だった。よってザルドから教わったその剣技を、自己流に改造している。模倣故にステイタス的に再現出来ない部分を、他の模倣ではなく自己流にすることで補っていた。

 つまりは彼女はアルフィアとは違い、剣技の道を歩んでいるのだ。それを単なる手段の1つとはせず、それこそ物理反射を使いながらではあっても、オッタルと打ち合える程度には磨いていた。……否、物理反射ありきでの剣技を切り開いている。

 

 故に……

 

 

「っ……ぐぅっ!?」

 

 

『その技は……なんだったか、歌劇の都に行った時に似たようなものを見たな』

 

 

「一閃……!!」

 

 

『っ……それは極東だ』

 

 

「フルード……!!」

 

 

『それは初めて見たが……オッタルの方が早かったな』

 

 

「ぁぐっ……!?」

 

 

 近接戦闘における経験、知識、対応力。そして何なら物理反射という魔法も含めて、剣技においてアルフィアに勝ち目などなかった。7年の月日というのは、天才という人種において、それほどに長過ぎるものであった。

 

 

『ふむ……とは言え、まあここまでは当然の話か。これでお前に勝てなければ、そもそも前提が成り立たない』

 

 

「……言ってくれる」

 

 

『なに、物理反射があってさえお前に勝てなかった私の方が弱過ぎただけの話だ。故に真に重要なのは、お前が魔法を使い始めてからの話』

 

 

「……」

 

 

『まさか今更私に魔法が使えない、などとは言ってくれるなよ。そんなことを言われてしまったら、私は自分でも何をするのか分からない』

 

 

「っ」

 

 

 そしてそれこそ、アルフィアがこの戦いに素直に臨むことが出来なかった理由の1つ。

 

 

 アルフィアは、ラフォリアに音魔法を撃てない。

 

 

 撃てるはずがない。だってそれが原因でラフォリアはこれほどまでに苦しむことになったのだから。どころかラフォリアの側では他の魔法であっても絶対に使わなかったし、なんなら他の誰に対しても冗談で魔法を向けることが出来なくなった。

 オラリオへ『絶対悪』として牙を剥いた時、冒険者達にこの魔法を向ける度に、アルフィアは自分の心がその度に軋んでいたことを理解している。そうして殺してしまった者達を見ないように、ずっと目を閉じていた。それでも心は痛み、最後の死の際にはまるでそれから解放されるように何の躊躇もなく身を投げ出してしまった。……その後に後悔したのも、きっと、犯した罪を考えれば当然の罰であって。

 

 

『……アルフィア』

 

 

「……」

 

 

『……そうか』

 

 

「……」

 

 

 

 

 

『やはりお前にとって、私はその程度の存在か』

 

 

 

 

「っ!!」

 

 

 けれどラフォリアは、それを許してはくれなかった。そんなことを許してくれるほど彼女は温和ではなかったし、そんなことを許してくれるほど彼女は自分の母親に対して柔らかな感情を抱いてはいなかった。

 

 

『アルフィア、お前は何のためにそこに立っている』

 

 

「それ、は……」

 

 

『お前が何と言おうとも、私は生き返るつもりなどない。そしてお前も力づくにでも私に言うことを聞かせるつもりがないのなら、この話はここで終わりだろう』

 

 

「っ」

 

 

『帰ってくれ、アルフィア。私は……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「福音(ゴスペル)」

 

 

 

 

 

 

 

 

『っ!?』

 

 

 

 一瞬俯き目を閉じたラフォリアの真横を、凄まじい衝撃波を伴いながら轟音が通り過ぎる。

 それに目を見開いたのは当然ラフォリアだ。これまでの前提の全てを覆す様なその行動に、戸惑い、困惑すらしている。なにせ目の前の女はそれまで明らかに魔法を撃てないような言動をしていた。というのに、撃ったのだ。まるで今正に人が変わってしまったかのように。

 

 

『お前、本当にどういうつもりだ……?頭が狂ったのか』

 

 

「…………確かに、未だに抵抗があるのは事実だ」

 

 

『……』

 

 

「だがな、またお前に"愛されていない"と思わせるくらいなら……私は自分の心臓を握り潰したっていい」

 

 

『っ』

 

 

「あまり母親を舐めるなよ、馬鹿娘。私はお前を連れ戻すためにここに来た。……そもそも、お前ならば音魔法への耐性くらい既に身に付けているだろう。無策で挑んで来る筈もない。容赦などする必要もない、と5秒前に思い至った」

 

 

『……娘への理解が深くて助かるな、お母様』

 

 

「抜かせ」

 

 

 直後、両者が取った行動は真逆。

 

 

『爆砕(イクスプロジア)』

 

 

「魂の平穏(アタラクシア)」

 

 

 ラフォリアは爆破魔法を向けながら一気にその距離を詰め、アルフィアは距離を離すために背後にステップを踏みながら魔法無効の障壁を展開する。

 

 

『死鏡の光(エインガー)』

 

 

「チッ、福音(ゴスペル)」

 

 

 しかし生じた爆破は無効化されることなく、アルフィアとラフォリアを挟むような位置で土煙を巻き上げるように破裂した。それは決して攻撃のための爆破ではなく、物理反射の障壁を展開するためのもの。その意図を理解した瞬間に土煙に向けてアルフィアは音魔法の砲撃を放つが、当然そこに既にラフォリアは居ない。

 

 

「っ、分かりやすい太刀筋だ」

 

 

『この天災め……もう私の剣を把握したか』

 

 

「長期戦になればお前に勝ち目はない、それは誰よりお前が分かっているだろう」

 

 

『ほう?この日のために用意してきた策は120ほどあるが、それでもか?』

 

 

「……馬鹿だろう、お前」

 

 

『時には馬鹿になることも必要だと、とある大馬鹿者から教わったものでな……!!』

 

 

 魔法と剣技の応酬。

 2人の特徴的な魔法構成は、その戦闘をあまりに当然の形へと変えていく。

 

 魔法を無効化するアルフィアに対して、ラフォリアが勝つ手段は物理攻撃以外に他にない。一方で物理攻撃を反射するラフォリアに対して、アルフィアが勝つ手段は魔法攻撃以外に他にない。

 そしてアルフィアの音魔法は言うまでもなく強力だ、かつてのガレスすら1発でノックアウトしたほどの馬鹿げた威力。例えるならチャージを終えたベルのファイアボルトが連射されているようなものだ。掠めるだけでも致命的。

 一方でラフォリアの物理攻撃もまた強力だ。刃物とステイタスという要素はあるが、何より恐ろしいのは彼女の拳や蹴りといった肉体的な接触。物理反射により彼女の突きは威力が単純に2倍になる、それはLv.7のオッタルにさえ顔面への回し蹴りで致命的なダメージを与えたほど。決して前衛職でないアルフィアでは、まともに喰らえばそこで終わる。

 

 

『爆砕(イクスプロジア)』

 

 

「福音(ゴスペル)」

 

 

 目眩しや地形破壊のための爆破魔法と、音魔法。

 距離を離し、近付き、それを繰り返しながら2人は森の中を徹底的に荒らしていく。たった2人の人間が起こしているとは思えないほどの非常に効率的な破壊、その光景は離れた高台から見守っていたアルテミスが冷汗を流すほどのものだった。……もちろん、冷汗を流しているのは決してアルテミスだけではない。

 

 

「とは言え!お前が不利なことに変わりはない……!いつまでもそう避け続けて居られるものか!」

 

 

『ああ、そうだな。……だからこそ、私にはこれがある』

 

 

「なに……?」

 

 

 

 

『……灼熱の激心、雷撃の暴心、我が怒りの矛先に揺らぐ聖鐘は笑う』

 

 

 

 

「っ、3つ目の魔法か……!!」

 

 

 アルフィアはその魔法の存在を知っている。けれどその魔法を彼女があまり好いていなかったこともまた知っている。……否、魔法自体は有益だと思っていたが、その詠唱文を気に入らないと思っていたことを知っている。

 そしてラフォリアと対峙するに際して、何より警戒すべき魔法がそれであったことも、当然に承知している。あのオッタルでさえ、その魔法だけは決して発動させてはならないと行動を起こしたくらいなのだから。そのせいでフレイヤ・ファミリアは壊滅したのだから。

 

 

『泡沫の禊、浄化の光、静寂の園に鳴り響く天の音色こそ私の夢』

 

 

「並行詠唱まで身に付けたか……!福音(ゴスペル)!!」

 

 

 攻めの手を止め、アルフィアの音魔法を樹々を使いながら避け、防ぎ、それほどの複雑な行動をしながらもラフォリアは容易く並行詠唱を紡いでいく。

 少なくともアルフィアが知っている限りでは、ラフォリアはこの魔法を並行詠唱することは出来なかった。そしてそれはフレイヤ・ファミリアと対峙した時でさえもそうだった。

 

 

『故に代償は要らず、犠牲も要らず、対価を求める一切を私は赦さない』

 

 

 それでも現在こうして出来るようになっているのは、ロキ・ファミリアを中心とした他の冒険者達と行動するにあたって、この魔法があまりに有益であったからである。

 他者を守る、集団を率いるという場面で、この魔法はあまりに便利なものであった。他者を癒すということが、彼女の人生の中でとても有益なものになった。オラリオに来て彼女の生き方がそう変わった。……故に詠唱文の気に入らなさを捨ててでも、ラフォリアはこの魔法を使うようになった。やろうとすれば出来たその努力を、する踏ん切りが付いた。

 

 

 

 

 

『これより全ての原罪を引き受ける。月灯に濡れた我が身を見るな』

 

 

 

「チィッ、やはり無理か……!」

 

 

 

『泣け、月静華』

 

 

 

 

 

 

 

 

【クレセント・アルカナム】

 

 

 

 超長文詠唱:クレセント・アルカナム。

 回復魔法に分類されるそれは、一時的に月の光を召喚する。正に"神の力(アルカナム)"と名を付けられるに相応しい超常現象。術者が対象とした人物に対し傷と病を治癒する効果があり、天井の存在しない状況であれば対象範囲と対象人数は凄まじいものになる。故に治療効果はそれほど強くはなく、消費魔力も多くはあるものの、なにより有益な効果はそれではない。

 

 

「……魔法防御力を、向上させたか」

 

 

 アルフィアのような魔法無効でないだけマシ。

 そう言うことは簡単だが、事実は違う。物理攻撃を反射し、魔法攻撃を軽減する。つまり防御面だけで言えば、現在の彼女は都市最高峰の前衛であるガレスやオッタルをも容易く上回る。特に魔法に慣れ、月の光のコントロールを可能にしたラフォリアは、その光を自身に一点集中させることで更にその効果を向上させている。

 ……加えて、恩恵の昇華の度に馬鹿の一つ覚えのように上げ続けた魔防の発展アビリティ。そもそもこんな魔法を使わなくとも、彼女の魔法防御力は高かったのだ。

 

 

「いや、それだけではない……」

 

 

『……』

 

 

「お前、何のスキルが発動している……?私の感覚が正しければ、既に何度かお前の身体に砲撃が掠めているはずだ」

 

 

『……くく、バレていたか』

 

 

 

 

 

 

 【魂園破音】

・特定条件下でのみ発動。

・魔法被弾時、音魔法に対する耐性を強化。

・魔法被弾時、発展アビリティ"魔防"の強化。

・魔法被弾時、発展アビリティ"治力"の一時発現。

 

 

 

 

『特定の条件は……まあ、言うまでもないか』

 

 

「お前……こんな私にしか使えないようなスキルを……」

 

 

『仕方ないだろう、そうまでしてでも勝ちたかったんだ。まあこのスキルが発現した時には、もう使える時など来ないと思っていたのだがな。役に立って私は嬉しいぞ』

 

 

 

 軽口を叩いてはいるものの、アルフィアの額から流れる冷汗。そして歪む顔。その反面、ラフォリアは酷く楽しそうに笑っていた。そんな苦しげなアルフィアの顔を見て、本当に楽しそうに。

 

 

 

『さあ、アルフィア……"シレンティウム・エデン"を解いて威力減衰のない"サタナス・ヴェーリオン"を試してみるのか、それとも魔法無効を保ったまま私の全ての策を打ち破ってみるのか。好きな方を選べ。どちらにしても、私は最後まで付き合ってやれるぞ』

 

 

「……」

 

 

『もちろん、"ジェノス・アンジェラス"を放ってもいい。それを相殺出来る手段も、私は用意して来たつもりだ』

 

 

「……愛が重過ぎるぞ、この馬鹿娘め」

 

 

 魔法の詠唱文や効果どころか、名前すら全て把握して対策を用意して来た娘に、アルフィアは素直に笑みを返すことなど出来なかった。

 

 どうやら、この戦いに対する本気度すらも、アルフィアは負けていたらしい。まあここまでいくとラフォリアの方が明らかに異常なのだろうが……少なくともアルフィアにはこの時点で、自分が勝てる未来が想像し難くなってしまっていた。



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被害者58:希望

「っ……リリ!ヴェルフ!命さん、春姫さん!!イリア!?」

 

 ポロポロと流れる涙を拭いながら、声を張り上げ、絶叫するように呼び掛ける。しかし返ってくるのは、自分の声の残響だけ。オリンピアから、そしてヘスティアから遠ざけられた彼は、その場で拳を握り締め、唇を震わせる。

 

 

 

「誰も居ない……装備も、道具も、神様の恩恵も、なにも……」

 

 

 孤独、そして恩恵という名の繋がりすらも断ち切られた今の彼にとって、その周囲の異様な静寂はあまりに恐ろしく、心細く感じさせた。

 

 天界から落ちた"原初の炎"、それを浄化させるためには女神ヘスティアの犠牲が必要になる。浄化を成功させなければ、下界全土にその炎は広がり、文明は壊滅することになるだろう。

 そんな事実を前にして、そんな現状を前にして、ベルには何もすることが出来なかった。ヘスティアの決心を前にして、それ以上の言葉を返すことが出来なかった。……そんな自分が、何より許せなかった。他の誰より、失望した。そんな今でも、ベルは答えを出せないで居る。

 

 

 

「何も手元に、残されていない……何が正しいのかも、分からない、のに……こんな状態で、僕は何をどうすれば……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

『なるほど、そうか……お前に世界の命運を託されるのは、これが初めての経験だったな』

 

 

 

 

「!?」

 

 

 

 装備がない。

 

 道具もない。

 

 仲間も居ない。

 

 そして、恩恵もない。

 

 

 

 神様も、居ない。

 

 

 

 そうしてたった1人、焼けた荒野に孤独に立ち尽くした少年のその背中に、優しくも厳しい声が掛けられる。

 

 

 

『それで?お前はいつまでそこでそうしている。そうして立っていれば、物事が解決するのか?』

 

 

 

 その声を、ベルは知っている。

 中身が変わってしまったと同時に、声も変わってしまったから。きっともう2度と聞くことが出来ないのだろうなと、そう思っていたその声を、知っている。

 

 

 

「あ……」

 

 

『全く、また随分と酷い顔をしているな。ベル』

 

 

「……ラフォリア、さん?」

 

 

『……ああ。まあ、この見た目だからな。分からなくとも仕方ないか』

 

 

 

 背丈は、ベルよりも小さい。

 

 灰色の髪は、今は真っ黒なそれ。

 

 幼い。

 

 それこそ10歳前後の小さな女の子。

 

 けれどその鋭い目付きだけは変わらず、相変わらずの尊大な態度で、彼女はそこに立っていた。

 

 

 

「どう、して……だってラフォリアさんは、もう……」

 

 

『正確に言えば、私はラフォリア・アヴローラではない。その姿を一時的に借りているだけだ。……だが、当然彼女から許可は得ている。ベルの手助けをしてやって欲しいと、そう言われている』

 

 

「……あなたは、一体」

 

 

『さあ、いつまでも呆然としている暇はないだろう。炎人共が寄って来た』

 

 

「っ」

 

 

 聞きたいことは山ほどある。

 知りたいこともたくさんだ。

 しかし恩恵のない今のベルでは、戦闘など出来る筈もない。1にも2にも逃げることが先決だ。

 

 

「そ、そうだ。ラフォリアさんなら……!」

 

 

『ちなみに、戦闘も出来ないからな。あくまで姿を借りているだけだ、恩恵すら背負っていない。……くく、荷物が増えて悪いが、精々私のことを守ってくれよ。かっこいい騎士サマのようにな』

 

 

「〜〜〜!!と、とにかくこっちに!」

 

 

 彼女の手を引いて、ベルは走り始める。

 ずっとずっと自分よりも年上で、姉どころか母親のようにも感じていた人が、今こうして子供の姿となって目の前に居る。彼女は姿形を変えただけだと言ってはいるが、ベルにとっては正直困惑もあり、嬉しさもあり、悲しさもあって、心の中が滅茶苦茶になっている。

 

 

 (この人は本当に……誰なんだろう……)

 

 

 話は聞いていた。ラフォリアの容姿はあくまで母親であるアルフィアのものであり、本来は別にあったのだと。

 もしそれが目の前の人であると言うのなら、なるほどこれは確かに全くの別人だ。髪の色だってベルとは真逆の黒色で、髪の色が変わったというだけなのに何処か冷たい印象を受ける。その上、目元も長く馴染んだものであるのか、より鋭い。それでもとんでもない美人であることに間違いはなく、そんな人に優しい笑みで"騎士様"などと言われてしまえば顔も熱くなるというもの。

 ……曰く中身が違い、まだ幼い姿でこれなのだから、成長した彼女は一体どんな美女になるというのだろう。しかし残念ながらそれを知っているのはアルフィアとアルテミスだけ。アフロディーテだって、アルフィアの要素が混じっていない彼女の姿は知らない。

 

 

『……ベル、そっちに行くと挟み込まれる。道はこっちにしておけ』

 

 

「え?あ……」

 

 

『恩恵も才能もないが、経験と記憶は全てではなくとも引き継いでいる。こういう手伝いくらいはしてやれる』

 

 

「……本当に、ラフォリアさんじゃないんですか?」

 

 

『そんなに私に会いたかったのか?』

 

 

「っ」

 

 

『くく……いや、まあこういう状況だからというのもあるだろう。世界の命運を背負った事もないお前にとって、欠片程度であっても私の存在は大きいだろうからな』

 

 

「……」

 

 

 ベルが手を引いていた筈なのに、いつの間にか手を引かれている。ベルより背の低く幼い彼女は、しかしそれでも母親のようだった彼女のことを思い出させる。けれど、彼女をラフォリアだと思いたいのはベルの我儘に過ぎない。そして甘えに過ぎない。それが分かるからこそ、自覚しているからこそ、ベルの心は曇っていく。

 

 

『……本当に繊細だな、お前は』

 

 

「あ、その……」

 

 

『さて、この場合はどうすることが正しいのか。私に新たな名前を付けて貰ってもいいが、そうなると本物が現れた時にまたアルフィアの時のようになりかねない。しかし私をラフォリアと呼ばせるのも、それはそれで違うか。……この辺りは非常に繊細な問題だな、同じ轍を踏みたくはないのだが』

 

 

「え、と……」

 

 

『……いや、ラフォリア・アヴローラならそんな生優しいことはしないな。正しいことは正しく、それで混乱するようならそれもベルの未熟さを自覚させるきっかけになる。それで泣こうが苦しもうが、必要なことだ』

 

 

「………」

 

 

『よし、ならば……うん?ああ、悪いな。本物ならこの程度の思考は一瞬で終わらせるのだろうが、私には生憎そんなことは出来ない』

 

 

「……ラフォリアさんも、そういうことを考えていたんですか?」

 

 

『ああ、考えていた。彼女は簡単に答えや結論を出していたように見えただろうが、それは単純に思考処理が早く、工程を飛ばしているだけだ。彼女はよく目を閉じて考え事をしていなかったか?』

 

 

「……そういえば、よく寝る前とかに」

 

 

『才能が足りないのなら、その才能を擦り潰すまで使い潰す。眠る時間は最小限、朝日が昇り始める前から彼女は目を閉じて常に未来のために頭を回していた。……5分で作業を完成させる相手に10分かけてしまう自分が勝つためには、単純にかける時間を2倍にすればいい。そういう泥臭い人間だった』

 

 

「……知りません、でした」

 

 

『誰にも言っていないからな、そんな泥臭いところを知られたくなかったんだ。……自分以外の誰にも』

 

 

「………」

 

 

『ああ、見つけた。……欠片程度でもやはり凄まじいな、この記憶量と思考量は』

 

 

 まるで知っていたかのように迷いなく歩き何かを探していた彼女は、そこに小さな洞窟を見つけた。否、きっと知っていたのだろう。周辺の地形や地理的環境から、恐らくこの辺りに洞窟があるのだろうと。そうして探した経験が、それを学んだ記憶が、そこにあったということ。

 

 

「こんなところに、洞窟が……」

 

 

『明日の朝までここで身体を休める、特に今は恩恵がないのだろう?超人的な体力もない』

 

 

「そ、そんなわけにはいきません!見張りくらいは……!」

 

 

『必要ない。お前は寝起きは良い方だろう、特に危機的状況であれば』

 

 

「それは、まあ……そうかもしれないですけど、でも」

 

 

『やれやれ、仕方ないな……』

 

 

 ここまで何の役にも立てていないからか、何かをしなければと身を乗り出すベル。けれど現状では彼に出来ることなど何もなく、強いて言えば身体を休めて体力に余裕を持たせておくことだけ。

 分かるとも、何もできない歯痒さに悩まされていることなど。自分の無力に立ち尽くすことしか出来ず苦しんでいることも。しかし、だからと言って今何も出来ない事実は変わらない。故にラフォリアの姿をした彼女は、一先ずその思考を奪うことから始めた。

 

 

『ベル、こっちに来い』

 

 

「え?こっちって……」

 

 

『私の膝の上だ』

 

 

「え、えぇ!?い、いやでもそんなの……!!」

 

 

『なんだ、嫌なのか?だが私はここまで十分に働いた、その見返りくらいあってもいいと思うが?』

 

 

「こ、これは見返りになるんでしょうか……」

 

 

『それを決めるのはお前ではなく私だ。いいから来い、お前に拒否権はない』

 

 

「わ……分かり、ました……」

 

 

 ベルが謙虚なことを言ったり、自分を卑下するようなことを言うと、彼女はいつも同じように『それはお前が決めることではない』と言ってくれたのを思い出す。きっとそれも記憶の中から言葉を選んだのだろうが、なんとなくそれに胸を締め付けられたような気がして、言われるがままに彼女の膝を借りる。

 

 

『……ああ、なるほど。これはいいな』

 

 

「え、と……」

 

 

『いい、そのまま目を閉じろ。私のことは気にするな』

 

 

「……はい」

 

 

 そうして目を手で覆われる寸前、弧を描いていた彼女の口元を見た。自分よりも幼い彼女にこうして甘やかされるというのは本来なら落ち着かないことなのかもしれないが、けれど同時にそれほど落ち着く訳でもないという、奇妙な感覚。何かが違うと、違和感が抜けない。それはきっと、彼女が彼女ではないからなのだろうけれど。

 

 

「……僕は」

 

 

『うん?』

 

 

「僕は……どうすれば、いいんでしょうか」

 

 

『それだけでは何を言いたいのか分からないな』

 

 

「神様が、浄化のために、犠牲になるって……でも、それを止めてしまうと、下界が消えてしまう」

 

 

『それで?』

 

 

「何をどうすればいいのか、分からないんです……他に方法があるかもしれないって、自分を誤魔化しても……神様達すら知らないような都合の良い方法が、本当にあるのかって」

 

 

『……なるほど』

 

 

 目を閉じた瞼の裏に、色々な光景が映る。

 下界に落とされたことによって汚染された"原初の火"、浄化のためには炉の神であるヘスティアの力が必要だった。しかしそれは彼女が神としての存在すら費やさなければならないほどの力が必要であり、その事実をベルが知ったのは、本当にその穢れた炎獄と向き合ったその瞬間。

 

 ……もっと、他に何か出来たのではないだろうか。

 

 そんなことを思っても、何が正しかったのかもベルには分からない。ただ必死に走り回っても、異端児達の時のようにどうにかなるイメージが湧かない。そんな希望すらも、ヘスティアは自らの言葉で断じた。これは神と眷属の物語ではなく、神が解決しなければ問題なのだと。眷属達には何も出来ないし、何もして欲しくないのだと。そう、断言された。

 

 

『……私は、ラフォリアほど頭は回らない』

 

 

「……」

 

 

『だが、彼女よりもずっとお前のことを知っている』

 

 

「知って……?」

 

 

『ラフォリアが消え、アルフィアが現れた後、お前がどれほど混乱していたことか。アルフィアに会いに行く度にラフォリアと接している時のような感覚に陥り、何度も名前を呼び間違えそうにもなったな』

 

 

「な、なんでそれを……」

 

 

『異端児達との騒動の時もそうだ。アラクネの異端児がラフォリアに感謝を伝えたいと言っていたことを知っていながら、彼女を助けられなかった。それをお前が酷く悔やんでいた事も知っているし、何度も心折れそうになりながらも最後まで向かい合えたのは、それ故の後悔だってあったのだろう』

 

 

「……」

 

 

 それは本当に、ベルの仲間達でさえも知らなかったであろう彼の中の本心。誰にも言ったことのない、薄暗い感情。

 何年も前にラフォリアに助けられ、そのまま人の少ない階層まで送って貰ったというアラクネの異端児であるラーニェは、人間に対して非好意的なグループに属していたにも関わらず、その時の感謝だけは忘れていないと話していた。しかしそんな彼女はイケロス・ファミリアに襲われ、最後は自決を選んだという。

 ……それを聞いた時、自分の責任ではないと分かっていながらも、ベルの心には強い罪悪感が染み付いた。ベルは何の悪い事もしていないにも関わらず、不思議なことに。けれどその罪悪感が彼を最後まで立たせていた一本の蜘蛛の糸と言っても良い。この一件において最後の最後まで、どんな結末になるとしても責任を持つと、覚悟を決めた。その覚悟を、糸1本で繋いでくれていた。まだまだ未熟なベルの心を、繋ぎ止めてくれた。

 

 

『何度も言うが、私はラフォリアではない。だが彼女が言いそうな言葉なら、伝えることは出来る』

 

 

「……教えて、欲しいです。どんな言葉でもいいので」

 

 

 

 

 

 

『知らん、お前が決めろ』

 

 

 

 

 

「……」

 

 

『……』

 

 

「……」

 

 

『……』

 

 

「……確かに、言いそうですけど」

 

 

『まあ聞け、何も本当に適当に言っている訳ではない』

 

 

 もう少し感動的な言葉とか、ためになる言葉をベルは期待していたのかもしれないが、しかしラフォリアなら確実にこういうことを言ってくるだろうなぁと想像出来てしまうのが悲しいところ。それでも彼女の場合は、そこから先の言葉こそが大切なのだとも、ベルはちゃんと理解している。

 

 

『お前も分かっている筈だ。彼女は何よりお前自身の選択を大切にしていると』

 

 

「……そう、ですね」

 

 

『そして彼女は、こうも言うと私は思う。……自分のしたい事を、しっかりと口に出せ』

 

 

「口、に……?」

 

 

『お前は先程、神々すら知らない都合の良い方法……と言ったが、それを本当に確認したのか?お前の希望が絶対に叶わないと、本当にヘルメス達に聞いたのか?』

 

 

「それは……」

 

 

 していない。不要だと思っていた。だってそんな方法が本当にあるのなら、きっとそれを教えてくれている筈だから。それをもう試している筈だから。

 ……そう、思い込んでいた。

 

 

『ベル、何も言葉を口に出すことは質問をするためだけではない。自分に、そして他者に、自分の想いや願いを伝える意味もある』

 

 

「……それで、何かが変わるんですか?」

 

 

『あるとも。お前の言葉が本気のものであると分かれば、お前の仲間達は本気になって手伝ってくれるだろう。お前はここに来て1度、それを既に体験している筈だ』

 

 

「……あ、イリア」

 

 

『そうだ、あの巫女はお前の言葉に心を動かされて、自分の仲間達を裏切ってでもお前をヘスティアの元まで送り届けることに決めた。……他ならぬ、お前の言葉で』

 

 

 そう、それは決して仲間だけではない。

 見ず知らずの相手にも、それこそ敵にだって、言葉は伝わる。言葉が伝われば、気持ちが伝わる。気持ちが伝われば、心も動く。故に言葉というものは、発さなければならない。伝えなければならない。心の中に閉まっていては、ただ埃を被るだけだ。

 

 

『そして何より、お前の意思を固めてくれる』

 

 

「……!」

 

 

『ベル、言葉にしてみろ。お前はこれからどうしたい?何をどう変えていきたい?お前の本当の願いはなんだ?出来る出来ないなど、考える必要はない。そんな誰かに付けられた縛りを無視してでも、お前のしたいことはなんだ』

 

 

「……僕、は」

 

 

 記憶が蘇る。

 どんな時でも言葉を尽くして真正面から向き合ってくれた彼女は、確かに言葉というものに強い意味を持っていたように思う。彼女の言葉は時にはとても耳に痛かったけれど、同時にとても心に響いた。

 ……自分にも、彼女と同じことが出来るのだろうか。それは分からない。けれど事実として、自分の言葉でイリアは手を取ってくれた。それなら。

 

 

「僕は……神様を助けたい」

 

 

『それだけか?』

 

 

「下界も、救いたいです」

 

 

『それは相反する事象らしいぞ、神々曰く』

 

 

「……それでも、諦めたくない。都合の良い話かもしれないし、滅茶苦茶なことを言っているかもしれないけど。それでも折れたくない」

 

 

『……ああ』

 

 

「僕はまだ神様と、一緒に居たい」

 

 

『ふふ……その言葉、次こそ伝えられるか?』

 

 

「伝えます……アルフィアさんにも、神様にも、誰にでも。だって絶対に、諦めたくないから」

 

 

『そうか……』

 

 

 たとえ恩恵を失い、無力となってしまっても、人の強さは力だけではない。才能が無いのなら人としての価値が無いのだと、そんなことをラフォリアは絶対に言わない。むしろ彼女はそうして強い意思を宿して前へ前へと突き進んでいく人間が大好きなのだから。

 

 

 (……もしかしたら私自身も少し、ラフォリアの記憶に影響されているのかもしれないな)

 

 

 本当ならもう少し時間をかけて導いていくつもりだったのに、そんな悠長なことをしたくなくなった。きっとそれは、姿を借りた人間が問題をさっさと解決したがる性格の持ち主だったからかもしれない。

 

 

『ベル、私に名前を付けて欲しい』

 

 

「名前、ですか……?」

 

 

『私がラフォリアではないことは、もう十分に理解した筈だ。だからこそ、私に別の名前を付けて欲しい。……私は彼女にはなれない。なれないからこそ、私で居たい。そんな私の願いを、ベルに叶えて欲しい』

 

 

「……分かりました」

 

 

 きっともう、ラフォリアという被り物は必要ない。彼女の口調を無理に真似る必要もない。だってこれから本当に、その彼女は帰って来るのだから。そのために彼女の母親が、懸命に戦っているのだから。

 だからこそ、自分の役割はただ1つだ。炎とヘスティアを通じて宿った彼女の意思もあるけれど、それよりも何よりも、自分自身がしたいこと。

 

 

「じゃあ、その……『希望(エルピス)』とか、どうでしょうか……」

 

 

『……本当に、そういうセンスは抜群なんだな。君は』

 

 

 ただ彼の側に居たい。

 ただ彼の力になりたい。

 ただ彼を支えていきたい。

 

 もしかしたらこれも口に出したほうがいいのかもしれないけれど、今だけは、心の内に秘めることにした。



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被害者59:愚物

扱いが悪いというか、バケモノ過ぎるだけです。


 意思、気合い、そういったものはあらゆる場面において強い影響力を持つ。最後の最後でそういったものが勝敗を分けることは多くあり、強い意志こそが分け目たる運を引き寄せたということも往々としてあるだろう。

 

 ……では、負けた人間は意志が弱かったのか?

 

 否、そんな訳がない。

 

 意志が強かろうと弱かろうと負ける時は負ける、勝つ時は勝つ。物語の中のように直向きに努力する人間が必ず報われるということなどないし、理不尽な相性をひっくり返すと言う事だってそうそうない。

 

 

 取り分け今回の件に関して言えば、どちらの意志が強かったのかは本人達ですら分からないだろう。しかし事実として、そこには圧倒的な積み重ねの差があった。そしてどうしようもない現実があった。

 

 つまりそれは……

 

 

 

 

 

『お前の負けだ、アルフィア』

 

 

 

「…………ぅ、くっ」

 

 

 理不尽とも言えるような状況、それをひっくり返す事が出来なかった女が片膝を突いて息を荒げる。

 どれほど才能の差があったところで、それは決して10年近くもの積み重ねを初見で覆すことの出来るほどのものではない。単純な体力の差、そして理解度の差、なによりも執着の差。

 あまりにも当たり前で、あまりにもどうしようもない事実だけが、そこにはあった。

 

 

『……不思議なものだ。人生を懸けて望んだ瞬間がここにあるというのに、達成感より寂しさの方が強く感じられる。こんなものか、執着とは』

 

 

「っ……好き勝手、を」

 

 

『だが、もう十分だろう。120のうち43の策を打ち破られた、この月の光とて3度目の召喚だ。むしろここまで粘られたことに驚いているくらいだ。お前の強さも改めて理解出来た。少なくとも私はそれで満足した』

 

 

「ぅ……この……」

 

 

 そんな風に好き勝手宣う娘を前にして、しかし母はそれ以上に言葉に出来ることが思い浮かばない。何故ならアルフィアだってもう分かっているからだ。少なくとも今の自分では逆立ちしたってラフォリアには敵わないと。

 単純に互いへの理解度ですら負けていた。いくら一度見たものを理解し模倣出来たとしても、それを踏まえた策を立てられてしまえば意味がない。技術を模倣することを見越して、模倣されること自体を罠にされては、無限に増えていくはずの手札は、無限に増えていく罠に変わってしまう。これこそラフォリアがアルフィアに対して仕掛けて来た天才対策であった。そんなことが出来るのも、そうして才能をハメることが出来るのも、また天才でしかないのだろうが。

 

 

「ラフォリア……!何故だ、何故お前は帰らない!お前は一体何が不満だというのだ!」

 

 

『それを話すつもりはない。言った筈だ、知りたければ無理矢理聞き出せと。弱い方が悪い、お前も昔そう言っていたな』

 

 

「っ……これまでのことは謝る!これからは何よりお前のことを……!」

 

 

『お前が何を言おうとしているのかは大凡想像が付くが、それは勘違いだアルフィア』

 

 

「……?」

 

 

『確かに私はお前が妹のことを他の何より愛していたことを知っていたが、別にそれを不満に思ったことはない。それは当然の話だからな。ぽっと出の血の繋がりもないガキより、血を分けた妹を優先することは別におかしな話でもないだろう。誰に何を言われたのかは知らんが、お前は何も間違っていない』

 

 

「〜〜!!」

 

 

『そもそもお前とて、私を本格的に娘扱いし始めたのはベルが生まれる辺りからだろう。どうせ始まりは妹への対抗心だ、それとも話を合わせるためか。どちらにしても、それまでは所詮は私に言うことを聞かせるために使っていた方便だったからな。……それを今更、何をそう必死になる。別に私はそこまで気にしていない』

 

 

 それは嘘だ。

 だってアルフィアは知っている。目の前のラフォリアの記憶にはないかもしれないが、ラフォリアが残した手紙の中に書かれた内容をしっかりと覚えている。

 自分のことを母親として愛していたこと、自分から愛されていたのかずっと分からず悩んでいたこと、自分が死んだ時にみっともなく泣いたことまで。アルフィアはちゃんと知っている。

 

 

『それに、今のお前にはベルが居るだろう』

 

 

「それはちがっ……」

 

 

『こんな血の繋がりもない女に構っている暇があるのなら、向こうを助けてやれ。アレも1人でなんでも出来るほど出来の良い奴ではない、私などよりよっぽど助けてやるべき子供だろうよ』

 

 

「……!」

 

 

 ……けれどアルフィアは、なんとなくその言葉で察した。察してしまった。ラフォリアがその心の内にずっと抱えていたであろう悩みを。悩みと言ってもいいのか分からないが、それでもずっと心に秘めていた、劣等感を。

 

 

「お前は……血の繋がりを、そこまで気にしていたのか」

 

 

『……何の話をしているのか分からんな』

 

 

 ラフォリア・アヴローラに、血の繋がった家族は居ない。もちろん、まだどこかで生きてはいるのだろう。しかしその親というのは、才能に恵まれた娘を喜ぶのではなく嫉妬し、気味悪がり、散々にその心を痛め付けた挙句に捨てたような、真性の屑共である。

 けれどそんな彼女の前で他の何より血の繋がった妹を愛していた自分は、明らかに愛に優先順位を付け、どれほど苦しんでいても結局は妹を選んだ自分は。もしかしたらそれ以上の屑だったのではないかと、今更ながらに思ってしまう。ラフォリアからしてみれば、もうどうやっても手に入らないものを、目の前で見せつけられているようで。

 

 

「違う!私はお前を本当に愛している!私は……!!」

 

 

『それを証明出来るのか?』

 

 

「っ」

 

 

『難しいな、愛を証明するというのは。だがそれは少なくとも、今この瞬間に出来ることではあるまい。……仮にお前が私を愛していたとしても、私にはその程が分からない。故にその言葉には何の価値もない。何故ならお前は今日まで一度たりとも、私にそれを証明したことなどなかったのだからな』

 

 

「………ぁ」

 

 

『逆に愛していないことを、証明されたことは何度かあったが。まあそれももうどうでもいい』

 

 

 ここに来てアルフィアはようやく、ラフォリアが残した手紙の内容と、その意味に気が付く。

 つまり自分は、自分の愛は、最初から信用されていなかったし、疑われていた。ラフォリアは本当に自分が失望されて捨てられたのだと思っていたということ。あの手紙を書いている最中もずっと不安に思っていたということ。こんなことを書いていても、泣くどころか、むしろ笑われるのではないかと、その可能性が僅かであってもラフォリアの頭の中には確実に存在したということ。一見アルフィアの言動を読んでいるように見えたあの手紙も、そこには多分にラフォリアの希望的観測が入っていたということ。

 ……そしてそんなままで、彼女は1人、消えていったということ。

 

 

『アルフィア、もう帰るといい。私のことなど忘れろ、2度と生き返らせようなどと考えるな。お前のそれは所詮罪悪感と義務感によるものだ、若しくは同情だな。……私が生き返ったところで、同じことを繰り返すだけだ。私をこれ以上に苦しめてくれるなよ』

 

 

「………」

 

 

 呼吸が止まる。

 

 口を動かしても、言葉が出て来ない。

 

 違うと、本当に愛しているのだと、そう言いたいのに。

 

 散々に不誠実を働いてきた自分の言葉に説得力など何処にも無いことに気付いてしまった今、何を言おうにも娘を傷付けてしまうだけで、むしろ娘に自分自身を傷付けさせてしまっていて、もっと言うのなら……

 

 

『お前は私の母親などではないよ、アルフィア』

 

 

「っ!!」

 

 

『そんな仮初の関係に縛られる必要はない。お前は気まぐれにガキを拾い、最低限育ててやった。それだけだ、それだけで十分だ。それだけで私は十分に幸せだった。……私達の関係は、その程度でいいんだよ』

 

 

 反論するために口から出ようとするのは、自分でも嫌になるくらいの薄っぺらい言葉だけ。愛を証明することは難しい、本当にその通りだ。ことごとく間違ったことばかりしてきた自分に、今更語れる愛など高が知れている。

 ラフォリアは自分が残した手紙のことは知らない、そこに何が書かれていたのかも、そもそもそんなものがあったことも。それを書いたラフォリアは目の前の彼女とは別人なのだから。薄々察しているところはあるかもしれないが、流石の彼女でもその内容まで予想することは出来ない。まさか自分があそこまで全てを語っているとは、想像出来ないというより、想像したくない筈だ。結局天才と言えど感情のある人間、その感情こそが弱みでもあり、その感情こそが厄介である。それは当然アルフィアだって同じ。

 

 感情抜きで説得などあり得ない。

 

 説得したいのなら、こちらも感情を乗せなければならない。

 

 ありったけの、ありのままの。

 

 

 

 

 

「……嫌だ」

 

 

 

 

『は……?』

 

 

 

 

「嫌だ……私は、そんなことは認められない!!」

 

 

 

『何を、言って……』

 

 

 

 それはきっと、アルフィアのことをずっと見ていたラフォリアでさえ知らない、母親の姿。

 土や汗に塗れ、酷く汚れて膝を突き、普段の余裕すら消え失せて。雑音を嫌っていた彼女こそが、声を大きくして叫ぶ。その瞳にラフォリアに負けぬほどの眼力を宿して、ラフォリアにさえ足を引かせるような、強烈な炎を宿して。

 

 

「理屈などどうでもいい……!!お前を納得させる術など、私は最初から持ち合わせていない!そんなことはここに来る前から分かっていた!!」

 

 

『……』

 

 

「それでも私は!お前を諦められなかった!それが愛故なのかは、私自身分からない!だがお前を諦めたまま私は生きていけなかった!お前を忘れることなど絶対に出来なかった!」

 

 

『……もう、黙れ』

 

 

「帰って来てくれ!ラフォリア!お前が望むのなら私はなんだって叶えてやる!お前が帰って来てくれるのなら!私はお前に……!!」

 

 

 

 

 

『もう黙れ!!』

 

 

 

 

「がぁっ……!?」

 

 

 渾身の蹴撃が何の容赦もなくアルフィアの身体に打ち込まれる。それはアルフィアの反応をすり抜け、彼女の身体を容易く大木に叩き付けた。その一撃は満身創痍であった彼女には致命的なもので、地に落ち倒れ伏したアルフィアは立ち上がることが出来ない。

 

 【激震怒帝(グランド・バーン)】

・怒りに応じて全能力に高補正。

・怒りに応じて全耐性に高補正。

 

 ……ここに来てのステイタスの向上、それは彼女の怒りによるもの。未だ余力を残していたというその事実は確かに絶望的なものであるのだろうが、しかし何より気にすべきは、ラフォリアがそのスキルを発動させるほどに怒っているということだ。それほどに怒る理由が、そこにあったということだ。

 

 

『お前とて人間だ、弱気に浸ることはあるだろう。……だがな、どんな理由があろうと、みっともなく懇願などするな。そんなお前の姿を、私に見せるな。自分でも勝手なことを言っている自覚はあるが……』

 

 

「………」

 

 

『……もういい、お前はあと数日眠っていろ。ヘスティアが事を成すまで、夢の世界に浸っているといい。お前が何度起きようとも、私が何度でも叩き落としてやる』

 

 

「ぁ…………ぐ……」

 

 

『……おやすみ、アルフィア。安心するといい、私は最後まで側には居てやる』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『っ!?』

 

 

 それはラフォリアがアルフィアの身体に触れようとした正にその瞬間。

 何もかもが手遅れになりかねなかったその瞬間に、彼女の手を阻むための『2つ』の要素がラフォリアに向けて飛来した。

 

 

 (弓矢、剣……!?対処すべきは……!)

 

 

 凄まじい精度で放たれた弓矢は木々の合間を縫いながらラフォリアの手とアルフィアの身体の極僅かな隙間を狙い撃たれ、一方で逆方向から飛来した一本の剣は凄まじい威力と速度をもって何の容赦もなくラフォリアの身体目掛けて投げ付けられた。

 ……当然、ラフォリアの対処は的確だ。弓矢のその精度と軌道から放った神物に大凡の当たりを付け、直ぐ様にそれから意識を離す。それに危険性がないことを前提に、見切りを付ける。そうして全神経を剣の方に向け、その剣に特殊な魔法が掛けられていないことを確認しながら、自身の剣でその軌道をズラした。

 

 

『っ、まだ来るか……!!』

 

 

 2本目、3本目、明らかに人に投げられている間隔であるにも拘わらず人並み外れた剛力で投げ付けられているそれは、ラフォリアであっても警戒は解けない。

 

 

「悪いけど、彼女は貰って行くよ」

 

 

『アルテミス……っ』

 

 

 分かっていたことではあるが、やはり矢を放ったのはアルテミスだった。ベヒーモスを倒した直後までの記憶しかないラフォリアにとっては、本当に久しぶりに見たその顔。矢を放った方向とは全く違う方角から現れた彼女は、一瞬でアルフィアを担ぎ上げると、木々に溢れたこの森林地帯を一切の抵抗もなく最高速で駆け抜けて行く。

 

 

『……死鏡の光(エインガー)』

 

 

 飛来するその剣を物理反射で弾き返しながら、ラフォリアはアルテミスのその後ろ姿を見送った。……もちろん、その気になれば追い付くことは出来た。しかし敢えてそれをしなかった理由を、言葉にすることは出来なかった。というより、したくなかった。どちらにしても面白くない結論が出ることは確かだったから。

 

 

『まあいい、どちらにしても私の敵ではない。……最早私を殺せるのは、オッタルくらいだろうからな』

 

 

 剣を投げた主のことはよく分からないが、少なくともアルフィアに協力しているのはアルテミス以外にも他に居るということ。それがオッタルとは思いたくはないが、アルフィアのあの様子を見てしまった以上、むしろあの男に最後を取って貰った方がいいのかもしれないとも思ってしまう。

 

 

『……アルフィア』

 

 

 それでも脳裏に残るその女の顔に、ラフォリアは唇を噛みながら立ち尽くした。もう何が合っているのか、何が間違っているのかも分からない。ただ自分が素直に笑みを浮かべられない状況であることだけは、どうしようもない事実としてそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっ、ははっ、ははははははっ!!!間違いない、間違いない……!!これほどの規模の破壊!ヘラの最後の眷属!奴もこのオリンピアに来ていたということか!!」

 

 

 その男は、森の木々が爆炎と轟音によって吹き飛んでいくその光景を見ながら、何処か壊れた笑みを浮かべていた。

 ウェスタによって神殿から追い出され、これからどうやってヘスティア・ファミリアを追い詰めていこうかと。そう考え始めた矢先に、その光景を見た。見てしまった。見ざるを得なかった。それほどの凄まじい戦闘が、そこでは行われていたから。

 

 

「……最早ウェスタの眷属などどうでもいい、この機を逃すことなど出来るものか。ベヒーモスを倒した最新の英雄、奴を倒してこそオレは……!!」

 

 

 

 

 

「ならん」

 

 

 

 

「っ」

 

 

 男は、エトンは……否、エピメテウスは。ヘラの最後の眷属がこの島に現れたことに心の底から歓喜していた。ヘスティア・ファミリアを追い詰めることを放棄してでも、正にそこで行われている戦闘に介入しようと、意気揚々と足を進めていた。

 間違いようもなく、古代の英雄。愚物と罵られようとも、偉業を成し遂げた歴史に残る男。彼の歩みを阻める者など、そうは居ない。たとえ神であっても、神であるからこそ、彼は足を止めないだろう。彼を止めることなど、何者にも出来ないだろう。

 

 

 

 それこそ、彼すらも足を止めざるを得ないほどの強者が目の前に現れでもしない限りは。

 

 

 

 

「貴様は………まさか………」

 

 

 

「何人たりとも、この先に立ち入ることは許さん。……ラフォリアが答えを出すその時まで、貴様のような輩が水を差すことは……」

 

 

 

「……なぜだ、なぜ貴様までここに居る!!

 

 

 

 

 "猛者ァ"!!」

 

 

 

「この俺が許さん!!」

 

 

 

 大地がヒビ割れるほどの踏み込み、そして大剣による渾身の一振り。初速さえ視認が困難なほどの瞬発力で放たれたその一撃は、むしろ剣を間に挟み防げた事の方を称賛すべきほどの破壊。加えてそれを獣化に乗せて放ったのであれば、最早一撃必殺の領域にまで足を踏み込んでいて……

 

 

「オオオォォォォォオオオオオオ!!!!!!!!!!」

 

 

「猛者ァァァァアァァァアアア!!!!!!!!!」

 

 

 振り抜かれた大剣は付近の大気を容易く削り取り、防御を成功させた筈の男を吹き飛ばす。それは如何に力や強さがあっても関係のない、正に問答無用の吹き飛ばし。どれほど奇妙な力を持っていようと、どれほど炎の力を引き出していようと、結果が変わることはない。

 

 空気抵抗と衝撃波によって肉体をズタズタにされながらも、エピメテウスは何の抵抗もすることが出来ず吹き飛んだ。それでも生きていることの方が不思議なくらい。一瞬で森を突き抜け、海面で弾み、受け身すら取れぬほどの速度で結界の存在する境界線付近まで飛んでいく。

 

 ……これこそがLv.8まで自身を昇華させた上で彼が身に付けた、彼なりの必殺とも言える技。技というにはあまりに強引過ぎる力技。如何なる戦闘においても回避以外の選択を選んだ相手に、確実に致命傷を負わせることの出来る、単純な力による吹き飛ばし。それを初手から全身全霊で打ち込む、最強の初見殺し。二の太刀要らずの破壊剣。戦闘を組み立てようとする悠長な人間を絶対に許すことがない対天才用の最終兵器。

 

 もし神や観客が居たのであれば、間違いなく食い入るように見つめていたであろうこの世紀の一戦は、僅か一撃によって終わったのだ。

 

 バロールさえ一方的に屠ったこの男は、今正に……最強の地位を確立しようとしていた。



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被害者60:猛者

『アルフィア』

 

 

 それは7年前のあの時、最終決戦のためにダンジョンに入ろうとしたその直前。全てを企み、その成果を出し続けているエレボスによって、アルフィアは呼び止められた。その時だけは悪ではなく男神の顔をして、妙に神妙な顔付きで。

 

 

『なんだ、予定でも変わったか』

 

 

『いや、ただこれで最後だからな。少し話さないか?と言いに来たんだ』

 

 

『今更何を……まあ、話すことがあるからこそ呼び止めたのだろうな』

 

 

『まあな』

 

 

 手下の1人も引き連れることなく、エレボスはアルフィアの対面に立つ。壁に背をもたれさせ、彼にしては珍しく何かを困ったような顔をしながら。

 

 

『……なんだ、本当に』

 

 

『なあアルフィア、お前後悔してるだろ』

 

 

『後悔……?そんな訳がないだろう、これも最後の英雄を生み出すための必要な犠牲だ。悪に加担することも私自身が選んだことで……』

 

 

『違う、娘の方の話だ』

 

 

『っ』

 

 

『お前自身分かっている筈だろ。そうでもないなら、どうして今みたいなおかしな話のズラし方をするんだ。お前らしくもない』

 

 

『………ーーーー』

 

 

 ノイズが走る。

 

 

「……?なんだ今のは」

 

 

『なあアルフィア、お前の娘ってのはどんな女だったんだ?』

 

 

「あ、ああ……そうだな。簡単に言えば、我儘で、反抗的なガキだった。私ほどではないにしろ、十分に天才の部類であるにも拘わらず、どうも言うことを聞かなかった。最初に拾ったばかりの頃は、もう少し聞き分けの良い素直な子だったのだがな」

 

 

『へぇ、そうなのか。それはまた意外な話だ』

 

 

「意外……?」

 

 

『ああ、だって少なくとも。お前が居ない間のラフォリアは、そんな聞き分けのない子供みたいなことはしていなかったぜ?もっと言えば、そんな姿を見せていたのはお前の前だけだったろ』

 

 

「……待て、本当にお前は何の話をしているエレボス」

 

 

 アルフィアのそんな疑問に、エレボスは何も答えない。変わらぬ笑みを浮かべながら、ただアルフィアの顔を見つめる。

 

 

『あの様子をお前達は、単に母親に甘えていたと言っていたが……俺からしたら解釈が違う』

 

 

「……解釈?」

 

 

『それに気が付けば、少しは見方も変わるかもな』

 

 

「ラフォリアが私に反抗的だった理由だと……?」

 

 

『反抗的、か……ふっ、まあそうだな。反抗的だな、いっそ可愛いらしいくらいに』

 

 

「……?」

 

 

 エレボスはその言葉を最後にアルフィアに何かを握らせると、そのまま元来た道を引き返して行く。聞きたいことが聞けたのか、それとも伝えたいことは伝えたのか、それはよく分からないが、分かるのは……

 

 

「エレボス……これは、記憶ではないな?」

 

 

『……』

 

 

「確かに私は、ダンジョンへと赴く前にお前と話をした。だがこんなことを話した記憶はない」

 

 

『……』

 

 

「そもそもこうして、別の記憶があること自体が……」

 

 

『アルフィア』

 

 

「?」

 

 

『悪かったな、俺の責任だ』

 

 

「……!」

 

 

 背を向けたままに、呟く。

 

 

「お前を誘うべきじゃなかった。……ザルドからお前と娘の話を聞いた時点で、俺はお前を諦めるべきだった」

 

 

「っ、違う!私は……!!」

 

 

「お前達は拒めない」

 

 

「!」

 

 

「最初からそれを知っていた、知っていて俺はお前達に声をかけた。なにせお前達は知っている、あの絶望を。そして理解していた。才ある者達に時間は無いと」

 

 

「……それでも、私には選択肢があった。選んだのは私自身だ」

 

 

 世界は英雄を求めている。意志と才能に溢れた者達を待ち侘びている。だがその癖、世界は彼等を容易く使い潰す。その上、才能を持ち過ぎてしまったものは……その代償として、彼等の人生すら奪われる。

 

 

「いや、お前は拒めなかった。何故ならお前はあの時、自分自身の責で2つの才を無にするところだったからだ」

 

 

「……」

 

 

「お前自身の命だけだったなら、拒むことも出来ただろう。だがお前はお前の手で娘の人生を奪った。それを考えた時、せめてこの世界に詫びなければならないと、冒険者達に何かを残さなければならないと、追い詰められていた。……オラリオでの働きを見るに、もしあの娘が健康であったのなら、間違いなくヘラ・ファミリアは再興していただろうからな」

 

 

「……それでも、私の責だ」

 

 

「ああ、だがそれを知っていながら俺はお前を誘った。俺の責の方が、よっぽど大きい。……手段を間違えたとは、今も思ってはいないが」

 

 

 エレボスはそう言うが、しかしそれこそアルフィアが母親より自分の都合を優先したという証左に他ならない。だがエレボスが言いたかったのはそうではなく、自分にも責任があるということだ。アルフィアに責任があることは間違いない、しかしアルフィアだけの責任ではないと。そう言いたいだけ。

 

 

「ヘスティアの権能だけでは、ラフォリアは生き返らない」

 

 

「!?」

 

 

「当然だろう、肉体が違い過ぎる。体に入れば自動的にラフォリアの形になるとでも思っていたのか?そんな都合の良い話はないだろ」

 

 

「……そう、か」

 

 

「だからこそ、それを届けに来た」

 

 

「っ」

 

 

 握ったその右手の中、手渡されたそれが何なのかはアルフィアには分からない。握った手が開くことはないが、しかしそれは恐らく実体のあるものではない。

 

 

「まあ割とルール違反、グレーどころか黒に足踏み込んでるレベルなんだが……神域に近い状態になっている風土があったからな、干渉は出来た。原初の火が滅茶苦茶やってるんだ、これくらいそう怒られないだろう」

 

 

「エレボス……」

 

 

「別に謝罪をしたかった訳じゃない。ただ俺もこの件に首を突っ込みたかった、それだけだ」

 

 

 エレボスはまた歩き始める。今度こそ足を止めることなく、ゆっくりと濃い闇の中へ。小さくなって行く足音と共に、その姿を消しながら。

 

 

「またな、アルフィア。100年はこっちに来るなよ、俺は向こうでザルドと酒でも飲みながら見ているとするさ」

 

 

「……120まで生きろというのか」

 

 

「それくらい図々しく生きればいいだろ、今以上に針の筵な状況も無いだろうに」

 

 

「……ああ、それもそうだな」

 

 

 男の背中に、感謝も謝罪もアルフィアはしなかった。ただお節介をしに来ただけの男神もまた、それを求めてはいなかった。

 アルフィアもまた歩き始める、エレボスとは逆の方向に。まだ何も終わってはいないのだから。……まだ何も、自分はしていないのだから。立ち止まっていられる時間など、何処にもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おや、起きたかい?アルフィア」

 

 

「……どれだけ眠っていた?」

 

 

「6時間くらいかな、快眠だったかい?」

 

 

「まあ、それなりにな」

 

 

 目を開けると同時に、目の前にあったのはアルテミスの顔。日の差し込む小さな洞窟の中で、時間は昼を過ぎた辺り。何故か膝を枕に寝かされていたアルフィアが身体を起こすと、全身に走る鈍い痛み。怪我の手当はされているが、やはり最後の一撃が大きかったらしい。完全に回復するにはもう少し時間が必要だろう。たとえ回復薬があったとしても、今直ぐに再戦に持ち込めるような状態でないのは明らかだった。

 

 

「それで……どうしてお前がここに居る、猪」

 

 

「……」

 

 

「彼が私達の逃走を手助けしてくれたんだ。……それと、少し厄介な相手も追い払ってくれてね」

 

 

「……そうか、それについては素直に礼を言おう」

 

 

「……」

 

 

 洞窟の隅の方に当然のように座っていたのは、オッタルだった。アルフィア自身、その顔を見たのはいつぶりだろう。しかし7年前からそれほど変わっていないように見える彼は、その纏う雰囲気だけは明らかに変わっているのが分かる。それこそ単純なステイタス、眷属としての質が違っている。Lv.8、その高みに彼自身の資質が追い付いて来たとでも言うべきか……

 

 

「……いや、待て。どうしてお前がここに居る?それは明らかにおかしいだろう」

 

 

 それはそう。

 

 

「……フレイヤ様にラフォリアの剣を預け、ダンジョンに戻った後。俺は食糧の買い溜めを忘れていたことを思い出し、再び地上に戻った」

 

 

「そんなクソみたいな間抜けな話をよくそこまで真面目な顔で出来るな」

 

 

「そこでお前達が船に乗って旅立ったことを知った。……そこにアルフィア、お前が交じっていたことも」

 

 

「……それで?」

 

 

「ラフォリアに関係する何かがあると確信した俺は、お前達を追い掛けることにした」

 

 

「……どうやってだ」

 

 

「泳いでだ」

 

 

「馬鹿かこいつは」

 

 

 オラリオからここまでの船旅、1日や2日程度のものではない。10日近くを掛けてここまで来たのだ。そしてこの猪はその距離を自分の身一つで泳いで来たとほざいた。というか、実際にそれをやったのだ。あまりにもアホで脳筋過ぎる。海にはモンスターも居るというのに、こいつは本当にそれを成し遂げたのだ。

 

 

「ならば、結界はどう入った」

 

 

「夜間にお前達の船に追い付いた俺は、その後は船底に掴まり身を潜めていた。結界への突入はお前達と同時だ」

 

 

「追い付いた……?それは何日目の話だ」

 

 

「オラリオを出て4日目、お前達が出てから5日目の夜だ」

 

 

「……食糧はどうした」

 

 

「数日食わずとも問題ないが、少し潜ればいくらでもいる。それに常に船底に居た訳でもない。……ラフォリアの件について俺の存在が邪魔になることを予感していたからこそ、接触することはしなかったが」

 

 

「……ああ、もういい。もう分かった。……お前がラフォリアに気持ちが悪いほどに執着していることもな、十分に伝わった」

 

 

「?」

 

 

 明らかにドン引きした顔でオッタルを見るアルフィアだが、実際その辺りはアルテミスでさえフォローは出来ない。

 高台から見ていた際に彼の姿を見つけた時、アルテミスだって驚いた。彼女はアンタレスの際にオッタルのことを見ていたが、彼のその無茶の理由が今になって本当にラフォリアの存在あってこそだと理解してしまったからだ。ラフォリアのためなら1週間以上海の中で生活することさえ厭わない、目の前に船もあるというのに。これを異常とは言わず何と言えばいいというのか。

 

 

「普通、2日も前に出航した相手を追い掛けるか?」

 

 

「そこで追い掛けようと思えるのが凄いというより、それでも追い掛けようと思ったのが凄いんだろうね。つまり元の性格ではなく、そこまでする動機があったからこそ。彼にとってのその動機がラフォリアだったんだ」

 

 

「昔から妙に仲が良いのは知っていたが……なんだ?女神から鞍替えでもしたのか?」

 

 

「?何を馬鹿なことを」

 

 

「……まあいい、今はお前の存在に感謝することとしよう」

 

 

 色々と言いたいことはあるが、そこに口を出していればキリがない。それより話すべきことは多くあり、考えなければならないことはいくらでもある。そのためにオッタルがここに居るということは、アルフィアにとってあまりにも都合が良かった。……それこそ、一度はラフォリアと本気で戦ったオッタルがいるということは。そして他にも、彼の存在はあまりにも有用で。

 

 

「アルテミス、猶予はあとどれくらいある」

 

 

「……休息として使えるのは精々明日の朝までかな、明日の夜にはヘスティアの浄化の準備が整うと思う」

 

 

「なるほど……私が寝ている間に何かあったか?」

 

 

「ここから少し離れた場所にある小島で"天の炎"の力を行使した爆発のようなものがあったよ、恐らくアフロディーテの拠点が狙われたんだろう」

 

 

「……なるほど、あちらもあちらで厄介な事になっているようだな。それがお前が追い払ったという厄介な虫か?」

 

 

「ああ、恐らくな」

 

 

「……」

 

 

 オッタルが吹き飛ばした男は、そのまま結界に衝突するかして海の中に落下したのだろう。そこから離島に泳いで向かったと考えるべきだ。

 普通であればそれで容易く死に絶える筈であるが、そうならなかったということは、やはりそれくらいに面倒な相手だったという事。確かにそんなものに介入されていれば、事態はより酷いことになっていたことが容易く想像できる。

 

 

「……多分ベルも巻き込まれている筈だけれど、君は気にならないのかい?アルフィア」

 

 

「……今更何を試しているのかは知らないが、気になるに決まっているだろう。だがなアルテミス、今の私は弱者だ。弱者である私が手を広げたところで、何もかもを取り零すのが道理だ」

 

 

「……!」

 

 

「だから……力を貸して欲しい、アルテミス。そしてオッタル、お前もだ」

 

 

「……俺もか?」

 

 

「ああ、お前の力も必要だ」

 

 

 アルフィアはそこで本当に頭を下げて、彼にも頼み込んだ。そんなあり得ない光景を見てオッタルは戸惑うし、アルテミスも驚いた。何かが変わったであろう彼女を見て、目を見開いていた。

 

 

「……それは、俺に加勢しろということか?」

 

 

「いや、それでは意味がない。お前の察した通り。お前が介入すれば、この戦いの意味が無くなる」

 

 

「……」

 

 

「私が勝たなければならないんだ。……私が、説得しなければならないんだ。そうでなければ他の誰が何と言おうとも、あの娘の意思は変わらない」

 

 

「アルフィア……」

 

 

「……少なくとも、俺にはラフォリアを説得することは出来なかった。学のない俺では、ただ言いくるめられただけだった」

 

 

「ああ、そうなってはならない。もう絶対に言いくるめられる訳にはいかない」

 

 

 戦闘で勝てなくとも、言葉で、そして心で負ける訳にはいかない。そのために、自分の心を今一度叩き直す必要がある。なりふり構わず、何もかもに向き合わなければならない。傲慢のままでは、偽りの強者のままでは、何も変わらない。変われない。

 

 

「オッタル、お前の見たラフォリアの全てを私に話せ」

 

 

「……そんなことでいいのか?」

 

 

「いや、それこそが必要なんだ。……私の記憶、アルテミスの記憶、アフロディーテの記憶。足りていないのは、ラフォリアがオラリオに来てからの記憶。そしてお前はそれを持っている。あの娘の本音と、本心と、本当の顔を、お前ならば見ている筈だ」

 

 

「……そういうことなら、いいだろう」

 

 

 だから、知らなければならない。知って、向き合わなければならない。彼女がどういう経緯を経て、どういう選択をして、どういう関係を築いて、その最後を選ぶことにしたのかを。

 

 

「……再会は、最悪の形だった」

 

 

 ゆっくりと、静かに、厳かに。

 その積み重ねを、オッタルは彼女へ伝え始めた。

 学のない彼には、どの話がどれだけの意味を持っているのかはわからない。だから本当に自分の中にあるありったけを伝える以外の方法は知らない。

 

 それは例えば、自分が彼女に対して行った襲撃という罪であったりとか、それに対して彼女が行った美の女神とその眷属達に対する報復だとか。その末に自分は負け、それでも彼女は自分達を許したことだとか。

 

 けれどきっと、そんなことは他の誰かからアルフィアも聞いている。それを細かく話したところで、意味があるのかは微妙なところ。

 

 だがそれなら、オッタルにしか話せないこともまた、その胸の中にはある。

 

 それは例えば、自分が彼女にドレスを選び贈ったことだとか。それを着てパーティで2人で踊った事だとか。その末に彼女が笑みを浮かべてくれたことだとか。

 

 ……他にも、他にもそんなことはたくさんある。

 

 彼女に注意されたことさえも、彼女に心配されたことさえも、彼女にそうして頭を撫でられながら諭されたことさえも、オッタルにとっては重要なことで、オッタル以外の誰も知らないことだ。本当なら恥ずかしくて他人に話せないようなことは、いくらだってある。

 

 それくらいにオッタルは彼女と話したし、彼女はオッタルと言葉を交わしてくれた。きっと他の誰よりも心を開いてくれたし、笑ってくれた。だから自分の記憶の中にある彼女こそが、そこにある笑みこそが本物であると、オッタルは思っている。

 

 

「俺は……」

 

 

「……?」

 

 

「俺は、返さなければならない……あのドレスを」

 

 

「……なるほどな」

 

 

「だから、頼む……そのために必要があるのなら、どれだけでも責を背負っても良い。どれほどの期待であろうと背負う」

 

 

「ああ……」

 

 

「その代わりラフォリアを……もう一度、連れ戻してくれ」

 

 

「無論だ」

 

 

 もう一緒に背負って欲しいなどとは願わない。どんな重みであろうと、自分1人で背負ってやる。甘えもしない、色々考えられるようにもなる。

 ……それでも、何度考えても、どれほど考えても。やっぱりそれだけは諦められなかったから。ラフォリアが生き返る可能性が少しでもあると理解した瞬間に、何もかもを投げ捨てて海を渡り始めたくらいに、衝動的になったから。それこそが自分の本心であるのだと、今になってようやく自覚出来たから。

 オッタルは懇願した。情けなく、みっともなく。最強になった筈のその身で頭を下げ返してでも、必死に。

 

 

「アルテミス……私に勝つ方法はあるか?」

 

 

「……あるよ。勝つだけでいいのなら、だけれど」

 

 

「構わない、教えてくれ。それがどんな汚い手段であっても、まず勝たなければ言葉を届けることも出来ない」

 

 

「……それが母親として最低の行いであったとしても、いいんだね?娘から貰ったその命をむざむざ捨てる様な行いであったとしても、構わないんだね?」

 

 

「アルテミス、これは単なる意見の照らし合わせだ。……私の考えが間違っていないか、確かめるためのな」

 

 

「……分かった。じゃあ始めようか。ラフォリアを連れ戻すための、大人達による、悪〜い悪〜い作戦会議を」

 

 

「ああ」

 

 

 アルフィアではラフォリアに勝つことは出来ない。だが2人の間に明確に違いがあるとするのなら、アルフィアは目的のためなら闇派閥と手を結ぶことが出来るが、ラフォリアにはそんなことは絶対に出来ないということ。

 ……悪に染まらないからこそ、卑怯な手段を取れないからこそ、そこに隙がある。正面から挑んでくる脳筋が大好きな彼女にだからこそ、そこに好き嫌いがある。

 

 

「見ていろ、ラフォリア。……これが私の覚悟で、最低な私のやり方だ。最低な私は、ならば最後まで最低を貫こう。最後の最後まで、罪を重ね続けよう」

 

 

 その結果として、娘を取り戻すことが出来るのなら……

 

 

「私の命も、心も、母親としての尊厳さえも……安いものだ」

 

 

 心を折られたからこそ、辿り着ける境地がある。なりふり構わず、プライドを捨てたからこそ、開き直ることが出来る。そして基本的に戦において、そして論戦において、開き直った人間というのは何より……恐ろしい存在だ。



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被害者61:撃災

ギリギリ間に合いました……3時間しか余裕無くて……
誤字訂正いつもありがとうございます、ほんと助かっています……


 

「さあ、行くか」

 

 

 洞窟から出たのは、結局のところ次の日の夕暮れであった。

 つまりは制限時間ギリギリ、仮にベル達が上手くやっていたのなら全てが解決されていてもおかしくない。そんな時間に、アルフィアは娘の元へ足を運んだ。十分な休息が必要だと考えたからだ。それ以外の理由は特にない。

 

 加えてオッタルとアルテミスは当然ながら着いては来ない、今回も遠く離れた場所から戦いの様子を見守っている。あれから諸々のことがベル達の方ではあったようだが、3人はそれにも触れることはなかった。ただじっと身体を休め、その時を待った。今この瞬間を、待ち続けた。

 

 

『……遅かったなアルフィア、あのまま諦めたかと思ったが』

 

 

「悪かったな、寂しい思いをさせて」

 

 

『……なるほど、冗談を言えるくらいには回復したらしい』

 

 

 もしかすれば、あの時から今の今まで彼女はずっとそうしていたのか。ラフォリアが見上げていたヘスティアの神殿は未だにそこに何の変わりもなく存在している。

 どうやらまだ時間はあるらしい。少なくともアルフィアは2度目の立会いとなる今回に、それほど多くの時間をかけるつもりは無かったが、それでも心配であったことに間違いはない。……もしかすればラフォリアもまたそうだったかもしれないが、それは本人以外には分からないこと。気にしても仕方ないことを、今のアルフィアは特に気にすることもしない。

 

 

『それで?私に勝つ算段でもついたか?』

 

 

「さあ、どうだろうな。どちらにしても私には勝つ以外の選択肢など存在しない。算段があろうが無かろうが、やることは同じだ」

 

 

『……それもそうか』

 

 

「ああ、だから無理に話す必要もない。そうだろう?」

 

 

 言葉は少ない、しかしそれも当然。話すべきことなどもう既に話し終えている。互いの意見が噛み合わない以上は、譲ることが出来ない以上は、もう無理矢理に相手に言うことを聞かせるしかない。それが1番簡単で、それが1番丸く収まる。

 

 

「『………』』

 

 

 互いに全く同じ剣を引き抜く。 

 間合いは遠い、つまり優位があるのはアルフィアの方。

 

 

『死鏡の光(エインガー)』

 

「魂の平静(アタラクシア)」

 

 

 物理攻撃の反射、魔法の無効化、似ていながらも全く逆の性質を持つ付与魔法を、2人は目を交わしながらも発動した。

 相手がどう動くのか、それを伺うのはラフォリアの方である。攻めるのはアルフィア、攻める理由があるのがアルフィアだからだ。ラフォリアはこのままヘスティアを待って立ち尽くしていてもいいのだから。こうなるのは必然。

 

 そして今この瞬間までの1日半もの間の休息時間、まさか単に傷を癒すためだけに使った訳でもあるまい。アルテミス等の自分以外の者達の言葉も踏まえて、導き出した勝利への工程。アルフィアがその手始めとして作り出した1つめの策とは……

 

 

 

 

 

 

【祝福の禍根、生誕の呪い、半身喰らいし我が身の原罪……】

 

 

 

『そう来たか……!!』

 

 

 アルフィア最大最強の魔法『ジェノス・アンジェラス』の初手ぶっぱ。詠唱速度を調整しながらも、その中で込められるだけの全力の魔力を込めた一撃を、何の迷いもなく彼女は準備し始める。遠い間合いを利用して、背後にステップを踏みながら詠唱だけを続けていく。

 それこそが彼女が採用したラフォリア対策である。

 

 

【禊はなく。浄化はなく。救いはなく。鳴り響く天の音色こそ私の罪】

 

 

 前提として、彼女がこれを選んだのには2つの理由があった。

 

 まず1つ目として、同じ長文詠唱であってもアルフィアの方が詠唱が早いという事実。ラフォリアも並行詠唱が出来るようになったとは言え、それでも練度で言えばアルフィアの方が上だ。既にラフォリアの最速の詠唱を知っていたアルフィアは、それを少し上回る速さで可能な限りの魔力を込めて詠唱を紡いでいく。

 

 

【神々の喇叭、精霊の竪琴、光の旋律、すなわち罪禍の烙印】

 

 

 そして2つ目の理由、それはラフォリアのスキルにある。音魔法に対する耐性を引き上げるスキル『魂園破音(ラフフィオラ)』の発動条件は、魔法被弾時である。つまり1度魔法を受けた後に効果を発揮するということ。故にラフォリアの防御が最も薄いのは何より初手なのである。初手から最大の魔法をぶち当てる事こそが攻略の鍵。

 

 

 ……その筈だった。

 

 

 

 (まあ、やはり何かしら対策はあるか……)

 

 

 

【箱庭に愛されし我が運命よ砕け散れ。私は貴様を憎んでいる!】

 

 

 恐ろしいのは、その2つの理由をラフォリア自身もまた完全に把握しており、アルフィアの詠唱を聞いた瞬間に魔法防御力を上げる『クレセント・アルカナム』を発動させるという選択肢を何の迷いもなく切り捨てたこと。

 彼女はアルフィアを追いかけながら右手を前に出し、何かに集中するように目を細めている。そしてアルフィアも馬鹿ではない、確実にジェノス・アンジェラスの発動は邪魔されるのだろう。むしろ邪魔出来なければこのままアルフィアの勝ちなのだから、ラフォリアは確実に手は打って来る。それに何かしら策があることは分かっていたが、これほどまでに冷静なラフォリアのその様子を見てしまえば、それはもう間違いないというレベルで……

 

 

 

【代償はここに。罪の証をもって万物を滅す】

 

 

 

 

 

 

 

『見えた』

 

 

 

 

 

 

【哭け、聖鐘……】

 

 

 

 

 

『爆砕(イクスプロジア)』

 

 

 

 

「くっ……!?」

 

 

 

 正に直前。それまで高め上げた魔力を一瞬にして沈静の方へと引き戻し、アルフィアは口を閉じて身体ごと思いっきり飛び込みながら顔を背後に向ける。

 生じたのは小規模の爆発、ただそれだけ。地面へ向けてダイブするほどの反応をしたにも拘わらず、生じた爆破の規模はあまりにもショボイ。それこそアルフィアの背後で起きたそれは、普段であれば何の警戒もしない程度のものだろう。魔法無効を敷いていなくとも、問題ないくらいの。

 

 

『……ほう、まるで知っていたような動きだな』

 

 

「チッ、やはりお前に対して長文詠唱は使えないようだな」

 

 

『むしろ対策していない方が愚かだろう。私はお前を倒すために努力して来たのだから』

 

 

 まあ、知っていたとも。

 

 知っていなければ、まんまと引っ掛かっていた。

 

 

 口の中を範囲指定した起爆。

 

 

 魔法殺しとも言えるそれを、アルフィアはオッタルから事前に聞かされていた。なにせオッタルもまたそれを食らい、結局あの戦いの中で彼は魔法を使うことが出来なくなってしまったのだから。誰よりもその恐ろしさは身に沁みていたし、何より先にそれを忠告した。魔法使いであるアルフィアにこそ有効的に働く技術であると、明らかだったから。

 

 

『私の魔法は指定した空間を起爆する。……付与魔法は所詮、身体の表面に纏っているに過ぎないからな。口の中に入り込もうとする魔法であればまだしも、空間そのものを起爆する魔法を防ぐことはできない』

 

 

「その様子では口を覆っていても意味がないな?」

 

 

『当然だ、そのために3次元的な空間指定に思考の大半を割いている。お前が人間の身体を持っている限り、そこに空間は存在する。……何れは臓器の内部を空間指定出来るようになりたいところだが、今の私ではまだ戦闘中にそこまでの演算処理は出来んのでな。そう残念がるなよ』

 

 

「っ、この天才め……」

 

 

 つまりは、停止している相手であれば既にそれが出来る段階には至っているということ。敵を身体の内部から安定して起爆出来るようになれば、それこそ彼女は最強の存在になるだろう。……それは彼女の魔法の特性に加えて、その才能故に実現可能なことであるのだろうが。

 一先ず、少なくとも現状でさえ、口を多く開く長文詠唱を彼女の目の前でしようとすれば、容易くそこを空間指定されてしまうということ。口元を覆っても意味がないというのも、恐らく空間指定の起点を鼻や目等を含めて行えるように演算体系を確立しているからだ。これに対抗するには可能な限り口の中の空間を無くすよう意識するしかないが、そうなると詠唱が出来なくなる。超短文詠唱ならばまだしも、長文詠唱は絶対に不可能だ。この技術だけでリヴェリアなんかは完封されてもおかしくない。

 

 

『さあ、まさかこれで終わりということはあるまい……!』

 

 

「なに、そこまで失望させるつもりはない……!」

 

 

 当然、ジェノス・アンジェラスによる初手砲撃は捨てる。そもそも所詮は当てられたらいいな程度の試しだった、それが出来なくなっても問題はない。

 アルフィアの詠唱文を知られていたこともまた空間指定を容易くさせてしまっていた要因かもしれないが、ここまで繊細な操作はラフォリア自身も言っていた通り、戦闘中に行うのは至難の業だ。一先ず今後に影響することはないだろう。

 

 

「福音(ゴスペル)」

 

 

『それがどうした!』

 

 

「福音(ゴスペル)」

 

 

『はっ、何度も同じことを……』

 

 

「福音(ゴスペル)」

 

 

『っ……』

 

 

 一転変わって近距離戦闘。アルフィアは剣をぶつけ合いながら、衝突の瞬間にサタナス・ヴェーリオンを連射し始める。それこそまるで魔法の斬撃を放っているかのように、近距離戦闘に強引に魔法を捩じ込んでいく。そこにもやはり一切の迷いはない。

 

 

『くっ……灼熱の激心、雷撃の暴心、我が怒りの矛先に揺らぐ聖鐘は笑う』

 

 

「福音(ゴスペル)」

 

 

『泡沫の禊、浄化の光、静寂の園に鳴り響く天の音色こそ私の夢』

 

 

「福音(ゴスペル)」

 

 

『故に代償は要らず、犠牲も要らず、対価を求める一切を私は赦さない』

 

 

「福音(ゴスペル)」

 

 

『っ……これより全ての原罪を引き受ける。月灯に濡れた我が身を見るな!!』

 

 

 たとえスキルで軽減していても、決してダメージにならないということはない。燃費も何もかもを無視してとにかく狂ったように音魔法を撃ってくるアルフィアに対し、ラフォリアは堪らず長文詠唱を始めた。

 しかしそれでもアルフィアの連射は止まらない。先程までとは違い、むしろ自分から不利な近距離戦闘を仕掛けて行き、剣技で負けていようとも数に任せて魔法を当ててくる。

 

 

 

『泣け、月静華ーークレセント・アルカナム』

 

 

 

「福音(ゴスペル)」

 

 

 完成した第三魔法:クレセント・アルカナム。召喚された月の光は暗くなり始めた空から2人を照らし出し、ラフォリアに向けて月の加護を与え始める。自動回復と魔法防御力の向上、彼女以上に魔法防御力を与えてはいけない者は居ないだろうに……

 

 

 だが、それでも今回のアルフィアは本気だ。

 

 

 

「福音(ゴスペル)」

 

 

『そんなものはもう……!!』

 

 

 

 

 

【炸響(ルギオ)】

 

 

 

 

『っ!?』

 

 

 スペルキー、その場に残っている音の魔力を起爆させるアルフィアのそれ。彼女の脅威的な砲撃はそれによって二段構えの砲撃と化すことで有名であるが、今回ばかりはその目的が違う。

 とにかく連射しラフォリアに当てまくったそれは、2人を中心に広く音の魔力として広がっていた。故に現状での起爆というのは、2人を中心とした広範囲を爆破させることに等しい。そしてその中でアルフィアだけは無傷、そもそも魔法が通用しないのだから、自分の魔法さえ無効化することは容易い。……故に。

 

 

「ふっ!!」

 

 

『チィッ……!!』

 

 

 爆破の瞬間、アルフィアはラフォリアの右肩を斬りつけた。もちろん、それでもやはり致命的になるほどのダメージを与えることは出来ず、そこに切り傷を付ける程度。

 一度間合いを取ったラフォリアは直ぐ様に傷口に月の光を集めると、やはり容易く回復し始めてしまう。この程度では戦況を優位に進めることなど出来やしない。

 

 

 

 

「まあ、普通ならな」

 

 

 

『……?お前は一体何を…………っ!?』

 

 

 

「さて、どれくらい効果があるものか」

 

 

 

『貴様………ッ、毒を塗ったな!?刃先に!!』

 

 

 

 ポイズン・ウェルムスの毒。それはオッタルがここに来る前にダンジョンで拾ったドロップ品であり、彼が換金すらせず単身でここに乗り込んで来たが故に残っていた品である。海水で駄目になっていなかったことが奇跡に近い。

 

 ……実際、これも対策の1つである。

 

 ラフォリアはこれまでのレベルアップの際、とにかく魔防の発展アビリティを上げ続けて来た。故に同レベルの冒険者と比較しても、対異常のアビリティがそれほど高くないのだ。

 

 

『普通、元病人に……毒など使うか……?』

 

 

「普通なら使わん。だがお前のその魔法は病や毒すら治療するのだろう、死ぬことはあるまい」

 

 

『くっ……』

 

 

 その証拠に傷の治りが遅くなっていく。つまりそれは優先して毒の治療をし始めたということだ。この程度の毒で死ぬようなことは絶対にない。なにせ彼女は同じポイズン・ウェルミスの毒に侵されたロキ・ファミリアの団員達を助けたことだってあるのだから。

 

 それに加えて。

 

 

 

『……………ァァアルフィアァァァアアア!!!!!』

 

 

 

「……まあ、そう来るだろうな」

 

 

 スキル【激震怒帝(グランド・バーン)】、これこそラフォリアという冒険者が対異常をそれほど上げなくともダンジョン内で十二分に活動出来た理由の1つである。

 怒りに応じて全能力を上げるだけでなく、全ての耐性を上げるという、あまりにぶっ壊れた効果を持つそれは。常に何かに対する怒りを抱えていた彼女にこそ最適なスキルでもあった。

 

 そして毒に侵された彼女は、怒りによって再び動きを取り戻す。どころかそれ以上の力を持って、圧力を持って、アルフィアの前に立ち上がる。たとえポイズン・ウェルミスの毒であろうとも、彼女のその足を止める理由になどなりはしない。

 

 

 

「さて、ここからは泥沼だな……来い、ラフォリア。それ以外に言うことはない」

 

 

 

『叩き潰す……!!』

 

 

 

 そこから先は、アルフィアの言う通り本当に泥沼であった。

 怒り狂ったラフォリアからアルフィアは逃げ続け、とにかく音魔法を撃ちまくる。ラフォリアは今更そんな大してダメージにもなりもしない音魔法など完全に無視をして、とにかく剣を叩き付ける。

 

 そんな泥沼。

 

 

 

「福音(ゴスペル)」

 

 

 

「福音(ゴスペル)」

 

 

 

「炸響(ルギオ)」

 

 

 

「福音(ゴスペル)」

 

 

 

「福音(ゴスペル)」

 

 

 

「福音(ゴスペル)」

 

 

 

 

『あぁ!!くどい!!』

 

 

 

「っ……炸響(ルギオ)」

 

 

 

 溜まりに溜まった音の魔力を起爆し、アルフィアは再び距離を取る。既に周辺の木々はその殆どが倒れており、森であったにも拘わらず立っている木の方が少ないのではないかというくらい。

 感知手段がないことを良いことに身を隠したりなんなり試してはみたものの、やはり同じ天才であるラフォリアに対してはそれほど効果は見られなかった。予想出来たことではあるが、余裕など何処にもない。一瞬でも気を抜けば叩き切られる。それほどの実力差が、今のラフォリアとアルフィアの間にはある。

 

 

「はぁ、はぁ……互いに息も、絶え絶え、という感じ、だな」

 

 

『お前は……そんなに私を、怒らせて……楽しいか……!!』

 

 

「ふふ、馬鹿を言うな……こんなことの、何が楽しい、ものか……んぐっ」

 

 

『っ、精神回復薬か……!』

 

 

「……やれやれ、相変わらず不味い薬だ」

 

 

 飲み干した2本分の管を投げ捨てる。基本的に魔力消費の激しさが疲労の理由であったが故に荒い息も大分落ち着きはしたものの、それでも現状をひっくり返せるほどのものではない。それはアルフィアだってラフォリアだって分かっていることだ。故にラフォリアは何処か不満げな顔をしながらも何も言わないし、アルフィアも決して油断はしない。ただ目の前の娘の顔を見つめ、剣を握る。

 

 

「さてラフォリア、1つ聞かせて欲しい」

 

 

『……今更、なんだ』

 

 

「今の私を、お前はどう思う?」

 

 

『………』

 

 

「ふふっ」

 

 その問いに対し、ラフォリアは何も答えない。ただ口を結び、けれど険しい表情を隠すこともなく睨み付けてくるばかり。それに対してアルフィアは苦笑した。

 だがまあ、それもそうだろう。自分がやっていることに対して、アルフィア自身も未だに受け入れ難いところはある。回復薬はまだしも、娘に毒まで使って。本当に最低だ。母親として失格にも程がある。それを言わないだけラフォリアの優しさであるとも知っている。故に本当に優しい娘であるとも、思っている。

 

 

「だがまあ、頃合いだな」

 

 

『なに……?』

 

 

 だからこそ、ここまでだ。

 争うのはもう、ここまででいい。

 もうひっくり返す手段など、アルフィアの中には残っていない。完全なお手上げ、逆転の手段など可能性さえ完全に潰えた。魔法を使って変えられるものなど、もうここにはない。

 

 

「……私はなラフォリア、1つ決めてきたことがある。もしここでお前を連れ戻せないのなら、ここで私の命を断つということだ」

 

 

『……は?』

 

 

「それくらいの気概で挑む、そう言うことは容易い。だが私の場合、今更自分の何もかもが信用出来ない。故に決めてきたんだ。それくらいの気概で挑むのではなく、実際にそうしなければならないと」

 

 

『待て……お前は、何を言っている。なんだ、遂に頭がおかしくなったのか。お前の言っていることが私には何も理解出来ない』

 

 

「なに、別に難しい話ではない。これ以上やったところで私に勝ち目などない、それが分かった。やはり世の中それほど上手くはいかないということだ、簡単ではない」

 

 

『なんだ……何が言いたい?お前は本当に何をするつもりだ!?』

 

 

「ラフォリア、しっかりと私の目を見ていろよ。私は本気だ」

 

 

『っ!?』

 

 

 そんな自分で言っていても意味不明なことを言葉にしながら、アルフィアは剣を逆手に両手でしっかりと持つ。切先は自分の腹部の中心に、両膝を地面に付けて呼吸を1つ置いた。

 ……ラフォリアは動かない。その目の中から酷い困惑が伝わって来る。強い混乱が伝わって来る。それは分からないだろう、何も。何の脈絡もないのだから。しかしだからこそなのだ。何の脈絡もないからこそ、意味があるのだ。

 

 

 

 アルフィアはそのまま両手を大きく振り上げる。

 

 迷いはない、そんなものは捨てて来た。

 

 結局こうなった、分かっていたことだ。

 

 何もかも失敗したのだから、当然の結末だ。

 

 むしろこの瞬間のために、全てはあった。

 

 

 

 

 

「……ラフォリア、すまなかった。私はお前のことを本当に愛している」

 

 

 

『アル、フィア……?』

 

 

 

「またな」

 

 

 

『待て!!ふざけるな……!!!』

 

 

 

 アルフィアは何の迷いもなく、その剣を自身の腹部の中央に向けて振り下ろす。直前で止めたりすることもない。自身の力の限り、全力を持って自害を決行した。

 

 自分で自分の命を終えることを、決断した。

 

 

 

『アルフィア!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やはり優しい子だな、お前は」

 

 

 

 飛び込んで来た娘に、剣を弾かれる。

 

 

 直後、アルフィアは娘の右手首を叩き剣を落とすと、そのまま唖然とする彼女を無理矢理に押し倒し、自身の身体を使って両手足を絡め取った。

 

 

『?……??……???』

 

 

 何が起きたのか分かっていないラフォリア。

 

 

 思考が追い付かず、されるがままに手足を取られる。

 

 

 武器も落とされ、地面に磔にされる。

 

 

 ……その結果としてあるのは、今正に自害を図ろうとしていた母親の顔が、直ぐ目の前にあるということだけ。

 

 

 そして自分の身体はもう……少したりとも、動かすことが出来なくなっていて。

 

 

 

 

「ようやく捕まえたぞ、この馬鹿娘め」

 

 

 

『あ……え……?』

 

 

 

「ふふ……いや、今はこう言ってやろう。この愛娘め」

 

 

 

 怒りも吹き飛び、既に体力の底も見え始めてしまっていた今のラフォリアは。むしろ気力や精神さえも奪われて、心さえも奪われて……

 ただただ嬉しそうな笑みを浮かべる、月明かりを背負った母の目を見ていることしか出来なかった。



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被害者62:母娘

 それまでの凄まじい戦闘音が嘘のように消え失せ、周囲からは焼け焦げた木々が崩れ落ちる音くらいしか聞こえては来ない。それでも視界の中にあるのは互いの顔だけ。互いに一切目を逸らすこともなく、全く同じ顔を近付け、違うのはその表情くらいか。

 

 

『……お前、ここまでするか』

 

 

「ああ、するとも。弱者である私は、こうでもしなければお前には勝てないからな」

 

 

 

『っ、何をもう勝った気になっている!!今更寝技如きで抑え込めると思ったか!!"爆砕(イクスプロジア)"……』

 

 

 

「確かに、それは困るな。私はお前と違い、詠唱を邪魔する術を持ち合わせていないからな」

 

 

 

『撃s(カラミ……)』

 

 

 

 

「だからこうするしかない」

 

 

 

 

 

 

 

 

『んみゅっ……』

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 

 

 

 

『………』

 

 

 

 

 

「………」

 

 

 

 

 

 

 

 

『!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?』

 

 

 

 

 

 いくら優れた寝技と言えど、前提となるのは地面があること。魔法によってアルフィアを吹き飛ばさなくとも、地面を吹き飛ばしてしまえば解除は容易い。

 そして両手両足を拘束に使用しているアルフィアでは、ラフォリアの詠唱は止められない。精々頭突きをして邪魔をするくらい。しかしそんな頭突きで詠唱を止めるつもりなど一切無かったラフォリアは、自信満々にスペルキーを紡ぐ気でいた。

 

 

 

 

 ……まさか直接的に口を塞いで来るとは。

 

 

 

 口で。

 

 

 

 彼女は本当に。たとえその優れた才能があったとしても、夢にも思っていなかった訳で。

 

 

 

 

 

「ふぅ……よし、魔法は消えたな」

 

 

 

『………お、おま……な、なに、を……』

 

 

 

「仕方ないだろう、これ以外にお前の詠唱を防ぐ方法など無いのだから。……まだ詠唱を続けるつもりなら、本当にお前が腑抜けるまで息を奪ってやるつもりだが?」

 

 

 

 

 

 

『……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………私の、負けでいい』

 

 

 

 

「ふふ、それでいいんだ」

 

 

 

 正に苦渋の決断。

 酷く悔しそうな表情をしながら涙目で顔を背けたそんな娘の顔を見て、アルフィアは満足そうな笑みを浮かべた。……もちろん拘束を解くことはないが?

 

 なにせ、ここからが本題なのだから。ここまでは前提に過ぎないのだから。無理矢理に言うことを聞かせるためにも、まだ自由の身にしてやることは出来ない。

 

 ……まあそれはそれとして、その悔しそうな表情を拘束されて隠すことも出来ないラフォリアに愛おしさを感じてしまい、ここぞとばかりに頬を擦り付けてやるが。これはこれで勝者の特権である、一切遠慮するつもりなどない。

 

 

 

『〜〜!!お前は!こんなことをしてまで勝ってどうする気だ!!私の反感を買うだけだと分かっているだろう!!』

 

 

「なんだ?キスの話か?」

 

 

『違う!!というか黙れ!!2度とその話をするな!!』

 

 

「……だがまあ、そうだろうな。毒に回復薬はまだしも、最後のアレだけはお前は本当に許せないだろう。所詮私も開き直っているだけだ、最低にも程がある」

 

 

『それが分かっていながら……!!』

 

 

「だが、それ以外に勝つ方法が私の中には本当に無かった」

 

 

『っ』

 

 

「それほどにお前は強くなっていた、それほどに私はお前に歯が立たなかった」

 

 

『……』

 

 

 ラフォリアの言葉が止まる。明らかに本音であるアルフィアのその言葉に、ラフォリアは大きく目を見開きながら、息を止める。

 

 

「お前の手札を引き摺り出し、その過程で可能な限りのダメージを与えた。私の精神力を引き換えに、お前の体力を徹底的に削った。……だが近接戦闘も可能なお前の体力を削るには、そしてあの治癒魔法に対処するには、どうしても毒が必要不可欠だった」

 

 

『……体力の回復を、毒の治癒に回させた』

 

 

「そうだ。そして毒を付与すれば、お前は耐性を得るためにあのスキルを使うだろう」

 

 

『……知っていたのか、あのスキルの弱みを』

 

 

「アレはお前の怒りが表面化したもの、そして怒りは疲労を伴うものだ。……代償として膨大な体力を使用することを、私はここに来る前に聞いていた」

 

 

 全ては、ラフォリアに疲労を溜めるための立ち回り。あれほど病に苦しんでいたラフォリア、その姿を誰よりも知っているのはアルフィアだ。猛毒など使いたくなかったに決まっている。それを使うことにどれほど長い決心の時間を費やしたのか、それを知っているのはアルテミスとオッタルだけだ。

 

 

「そして精神回復薬は、お前をこうして押さえ付けるに必要な体力差を得られたと確信した時に飲むことにしていた。……一見同様に疲労しているように見えても、お前は体力、私は精神力という違いがあったからな」

 

 

『………最後の、アレは』

 

 

「……ここまで策を組み立てても、肝心のお前を押さえ付ける方法だけが思い付かなかった」

 

 

『……』

 

 

「物理反射の魔法を擦り抜けるためには、速度を緩めて拘束するしかない。しかしその意識の隙をお前が見せてくれる筈もない。……故に、私はお前の愛さえ利用することにした」

 

 

『っ、私が動かなければどうしていた!!お前は確実に自分の腹を貫くつもりだっただろう!!』

 

 

「そうでもしなければ、お前は助けてくれないだろう?」

 

 

『……っ』

 

 

「そうまでしても助けてくれなかったのなら、それはそれで私の受ける罰でもある。……と言うのも違うか。仮にそれで私が死んでいれば、お前をまた苦しめただろうからな。やはりどちらにしても、あの行為は決して許されることのない私の罪だ」

 

 

 助けてくれることを信じていた、そんなことを言うつもりもない。その優しさと愛に賭けていただけだ、それも身勝手に。そしてアルフィアはその賭けに勝った。決して分の悪くなかった賭けに、勝つことが出来た。これはただ、それだけの話だ。

 

 

「すまなかった」

 

 

『っ……それは、何についての謝罪だ』

 

 

「好きに取ってくれ。……私にしてみれば、お前に対して謝るべきことが多過ぎる。どれから謝罪すればいいものか、正直困っているくらいだ」

 

 

『……』

 

 

 

 

 

 

 

「……ようやく分かった、お前が生き返りたくない理由が」

 

 

 

 

 

『っ!?』

 

 

 アルフィアのその言葉に、ラフォリアは明らかに動揺した様子を見せた。けれどそんな様子にさえ、アルフィアは申し訳なさそうに笑みを浮かべる。

 ……なにせ、それさえもアルフィアの罪だったのだから。だから本当に、何から謝ればいいのかに困っている。謝るべきことが、多過ぎて。

 

 

「前提となるのは、お前の私に対する態度そのものだ。……最初に出会った頃、お前はあれほど反抗的ではなかった。むしろ利口が過ぎるくらいで、面倒を見る必要など殆どなかった」

 

 

『……』

 

 

「私はその変化を反抗期だと思っていた。他の者達は単に私に甘えているだけだと、そう言っていた。……だが、そのどちらも違う。否、多少そういう部分はあったのだろう。だがその根本は違う」

 

 

『……』

 

 

 

「利口のままでは、私はお前に構わなかったからだ」

 

 

 

『っ』

 

 

 

 それこそが何よりの、病巣。

 

 

 

「妹の病やファミリアの案件で急な対応を迫られることが多かった私は、お前の利口さに甘えていた。放っておいても金さえ与えればお前は生きていける。故にお前が自立すればするほどに、私はお前の優先度を下げていた。……それをお前は感じ取っていた」

 

 

『……』

 

 

「他の人間から聞くお前の様子と、私が実際に見るお前の様子に多少の食い違いがあるのは当然だ。何せお前がそれほど傲慢に振る舞い始めたのは私が原因なのだから。……強さを求め始めたのも、理由は同じだ。私と同等の力を得れば、単純に共に居られる時間が増えるからな。少なくともファミリアで留守番をするということは減る」

 

 

『……分かったように言うな』

 

 

「ああ、そうだな。これまで何も分かっていなかった癖にな」

 

 

 我儘を言えば、問題を起こせば、迷惑をかければ、彼女は帰って来た。そして自分を見てくれた。……それはそんな、本当に子供らしい子供の考え。大人びた考えを持つラフォリアが抱いていたとは思えないような、幼い思考。

 けれどそれでも、事実として幼かった当時の彼女は、今とは違い力も何もなかった当時の彼女には、そうする以外他になかった。それ以外に、見て貰える方法が無かった。一時であっても妹からその目を奪うには、そうするしかなかった。

 

 

「お前がメーテリアとそれほど言葉を交わさなかったのも、それが理由だろう。……お前はメーテリア自身を恨んではいなくとも、嫉妬はしていた。だがそれも当然のことだ。幼いお前の唯一頼れる人間を、朝だろうと夜だろうと病が急変する度に奪っていったのだから。……理性と心は、決して一致することはない。決して恨むことのないように、お前はわざと距離を取っていた」

 

 

『……』

 

 

 

 愛も、嫉妬も、同様に。

 それは頭でどうにか出来るものではない。

 

 

 

「であるならば、お前の生き返りたくない理由も概ね想像出来る」

 

 

 

『……言うな』

 

 

 

 

 

「お前はベルに嫉妬したくなかったんだ」

 

 

 

 

『っ……』

 

 

 

 

「私とベルが楽しそうに話している姿など、お前は見たくなかったんだ」

 

 

 

 ここで初めて、ラフォリアは目を逸らした。

 

 

 下唇を噛み、眉間に皺を寄せ、息を浅くする。

 

 

 答え合わせの必要もない。

 他でもない彼女自身がそれを認めていた。

 

 

 だって彼女が相手から目を逸らすことなど滅多にないのだから。それこそ、こうして本心を刺されでもしない限りは。これまではそうして刺された事さえ、殆ど無かったから。

 

 

 

「……難しいものだな、心というものは。どれほど利口なことを考えようとも、心がそれに着いて来るとは限らない。自分のその浅ましさに、自分自身が苦しめられる」

 

 

『……失望したか、こんな私に』

 

 

「する筈もない、こんな私を未だにお前が愛してくれているようにな。むしろ今は愛おしくすら思っている。……愛おしく、思えている」

 

 

『……お前にだけは、知られたくなかった』

 

 

「分かっている。……だが実際、私だけでは気付くことは出来なかった。ここまで辿り着けたのは、他の多くの者達の言葉があってこそだ」

 

 

『……』

 

 

「……それほどに、私は母親としては未熟だった」

 

 

『……』

 

 

「こんな簡単なことに気が付くまで、こんなにも時間が掛かってしまった。他の才能は不要なほどにあったというのに、母親としての才能だけは全くもって皆無だった。……本当に、ままならないものだ」

 

 

 失敗を繰り返し、何度も取り返しのつかない状況に陥った。もし1つでも奇跡が起きていなかったら、自分はこんなことに気付くことも出来ずに死んでいた。むしろこんな気持ちを持たせたままに、娘を一度死なせてしまった。

 

 

 けれど、だからこそ思うのだ。

 

 それを苦しく思えるからこそ、言えるのだ。

 

 今度こそ幸せにしたいと思えたから、誓えるのだ。

 

 

 

 

「ラフォリア、また一緒に暮らそう」

 

 

 

『っ』

 

 

 

「あの教会ではない場所に、新しく家でも建てて」

 

 

 

『……そんな甘言に乗るとでも』

 

 

 

「甘言だと思ってくれるのか」

 

 

 

『う……』

 

 

 

 また目が逸れる。

 そしてそれを、嬉しく思う。

 

 

 

「安心していい。家事は分担だが、食事だけは私が作ろう。母親の味というものを、お前に染み付けてやらなければいけないからな」

 

 

 

『……話が飛躍し過ぎだろう』

 

 

 

「だが、楽しいだろう?未来の話をするのは」

 

 

 

『……』

 

 

 

「少なくとも、私は楽しい。……例えば、お前が私の服の畳み方にケチを付けてきて、私はそれに対して反論するんだ。それでは効率が悪いと。だがお前は言うだろうな、それでは見栄えが悪いと」

 

 

 

『……馬鹿馬鹿しい話だ』

 

 

 

「ああ、本当にな。だが私はそんな想像をするだけで楽しい。……そんな未来を、幸福だと思っている」

 

 

 愛がどうのとか、過去の罪がどうのとか。

 

 そんな難しい話をしているより、未来の馬鹿馬鹿しい光景を話している方が、きっと楽しい。

 

 ……もちろん、罪が消えることはない。

 

 これまでして来たことは消えないし、未来も明るい話ばかりではない。世界にはまだ多くの問題が蔓延っているし、確実にそれ等に巻き込まれていくことになるだろう。喧嘩だってするだろうし、対立だってするに決まっている。明るい未来が待っているなどと、断言することなどできない。

 

 

 

「それでも私はお前ともう一度、家族をしたいんだ」

 

 

 

 ……多くを知った、多くを見た、多くを聞いた。間違いを繰り返し、その度に反省し、心のままならなさに悩まされた。自分という人間がどれほど浅ましいのかを理解し、犯した罪の数と重さに向き合った。心の深くまで掘り返され、自分の中の汚さを見せ付けられた。うんざりするほどで、全てを投げ出したいと何度も思った。

 

 

 ……それでも、最後に残っていたのは愛だった。

 

 

 愛だけは、そこに残っていた。

 

 

 そして自分は確かに愛しているのだと、言葉に出来た。

 

 

 そうだ。過程がどうであれ、その形がどうであれ、今こうして抱いているその気持ちを愛だと断言することが出来る。それをこれほどまでに嬉しく思っているし、だからこそ、もう2度と手放したくないと思っている。それだけが事実だ。その事実こそが、きっと全てだ。

 

 

 

「もう迷うことなく言える……ラフォリア、私はお前を愛している」

 

 

『アル、フィア……』

 

 

「それこそお前を、何処にも嫁に出したくないと、そう思っているくらいにはな」

 

 

『……急に重くなったな』

 

 

「ああ、私の愛は重いんだ。知らなかったのか?今更後悔しても遅いからな」

 

 

『……知っていた、当たり前だろう。何年見て来たと思っている」

 

 

 

「……ふふ、そうだったな」

 

 

 

『っ』

 

 

 拘束していた技を解き、そのままラフォリアの上半身を起き上がらせる。互いに地面の上に座り込んだ形のまま、それでもゆっくりと彼女を抱き寄せ、深く深く抱き締めた。それこそまた拘束し始めたのではないかと、そう思うくらいに。

 

 

「頼む、帰って来てくれ。……お願いだ」

 

 

『……』

 

 

「もう私には、それしか言えない……私をもう一度だけ、お前の母親にさせて欲しい」

 

 

『アルフィア……』

 

 

「分かっている、私は母親としては酷く未熟だ。またお前を苦しませてしまうかもしれない、失敗だってしてしまうだろう。……それでも私は、お前の母親として在りたいんだ」

 

 

『……』

 

 

「……頼む」

 

 

 疲労とは無関係に、すっかり力の入らなくなってしまったその身体で、ラフォリアはゆっくりと空に浮かぶ月を見る。それは彼女が魔法で生み出したものではなく、本当の月だ。あの月の女神も、何処かでこの光景を見ているのだろう。

 ……そしてきっと、あの女神も。

 

 

 

『どう思う、馬鹿乳』

 

 

「……?」

 

 

 

 

『何も心配なんて要らないって、僕は思うぜ。ラフォリアくん』

 

 

 

「っ」

 

 

 

 それは朧げな炎。

 ラフォリアの背後に現れた小さな炎が、確かに言葉を発した。

 アルフィアもよく知っている、ヘスティアの声で。

 

 

 

『少なくとも僕は、君がベルくんに嫉妬するようなことはないと思う』

 

 

『ほう?その心は?』

 

 

『逆にアルフィアくんの方が君に嫉妬することになると思うからさ』

 

 

「っ」

 

 

『……何故、そう言える』

 

 

『それくらいベルくんは君に懐いていた。僕のナイフを通じて見ていたけれど、それを確信したよ。……きっと君の姿を模して居なかったら、ベルくんは途中で挫けていただろうね』

 

 

『……なるほど、どうやらお前の思い通りに物事は進まなかったようだな』

 

 

『ああ、君の言った通りだったよ』

 

 

 アルフィアには2人が何を言っているのかは詳しくは分からない。ただ分かるのは、2人がこうして何かしら繋がっていて、言葉さえ交わしていたということ。そしてラフォリアはヘスティアを通して、何らかの方法でベルに手を貸していたということも……

 

 

 

 

『アルフィア』

 

 

 

「っ、どうした……?」

 

 

 

『……お前は、私に嫉妬しないか?どうやらベルはお前より私の方に懐いているようだが』

 

 

 

「……そんなことは、今更言われなくとも分かっている。それに私が嫉妬するのは別にお前だけではない」

 

 

 

『なに……?』

 

 

 

「きっと私は、ベルにも嫉妬するからな」

 

 

 

『……!』

 

 

 

「それでは不満か?愛娘」

 

 

 

 額に額を当て、笑い掛けた。

 でも仕方ない、それもまた本音なのだから。

 

 ……そうして、そんな欲深い母親に対して、娘は素直に笑みを返した。それまで他の誰も見たことがなかったような、アルフィアでさえも10年以上もの間見ていなかったような、本当にあどけない、子供のような笑みを。

 

 

 

 

『すごく、嬉しい』

 

 

 

「ラフォリア……!」

 

 

 

 

『お前を嫉妬させることが、私の夢だったんだ』

 

 

 

「…………………私が言うのもなんだが、最低だなお前」

 

 

 

 それが本音か冗談だったのかは、定かではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつもその背中を見ていた。

 自分よりも7つ上のその女の背は、けれど年齢以上に大きく見えていた。

 自分よりも才能に満ち溢れた人間を初めて見た私がその女に憧れを持つようになったのは当然の話であったし、その女を慕うようになったのも当然の話だ。

 

 その女は強かった。

 その女は賢かった。

 その女は優しかった。

 

 だからその女のようになりたかったし、その女の役に立ちたかった。自分を拾ってくれた恩、きっとそれだけではない。自分をちゃんと子供として扱ってくれた事が何より嬉しかったから、子供でいる事を許してくれたから、それこそが他の何より自分にとって大切な事だったから。こうなった。

 

 その女には妹が居て、妹も私に対して優しくしてくれた。親に捨てられたと聞いて、同情もしていたのだろう。まだ戦う力もなかった私はその妹と留守を任されることが多く、自然と関わりも最初の頃はそれなりにあった。

 ……けれど、妹の方に才能は無かった。だから心を開くことはなかったし、そうして開かなかった心の内を見抜かれることもなかった。

 

 色々な者達が居た。

 色々な神々に出会った。

 

 それでもやっぱり、自分にはあの女しか居ないのだと。自分を本当の意味で理解して、同じ目線に立って見てくれる人間など、あの女以外には居ないのだと。オラリオでの生活が長くなるほどに実感していった。

 神々の暮らすオラリオでさえも、私の才能は浮いていたから。人々を誑かす神々の嘘でさえ、この才能は看破出来たから。だから神々への失望が大きくなるほどに、あの女への執着も強くなっていった。あの女以外を信じる事が出来なくなっていた。

 

 ……自分の中の炎に気付いたのは、丁度その頃だったか。

 

 

『お前は怒りの炎を宿している』

 

 そんなことを言ったのはどの神だったか。

 けれどそう言われた時、不思議と神の言葉であったにも拘らず、すんなりと受け入れることが出来た。自分の中に確かにそんな炎があったことを知っていたからだ。両親に捨てられたあの時から常に燃え滾っているそれが、常日頃から押さえ続けているそれがあることを、感じていたからだ。

 

 

『その炎が道を照らすのか、若しくは全てを焼き尽くすことになるのか……全ては下界の在り方次第、か』

 

 

 生きていると、ふと思うことがある。こんな才能がなければ自分はもう少し楽に生きられたのではないかと。

 人々の言葉の隙間に隠された悪意や欲望を見ずに済み、神々の表情の裏に隠された下衆な考えを感じ取らずに済み、社会の構造に隠された地獄と絶望を知らずに済む。

 

 自分も馬鹿の一つ覚えのように夢に向けて走り続けることが出来れば、酒場で笑い狂っているあの男達のようになることが出来れば、愛に溺れてその女だけを求め続けるようになれれば。この炎も少しは鎮まるのではないかと。

 

 

『それでもラフォリア、私達の才能に果てはない』

 

 

 アルフィアはそう言った。

 

 

『神に与えられた知恵には、必ず限界がある。だが私達の才能にそれはない。……何故ならそれは、全知として生まれた完全なる存在の必然の叡智ではなく、未知として生まれた不完全な存在に芽生えた偶然の産物だからだ』

 

 

 もしかしたらあの時のアルフィアは、少し酔っていたのかもしれない。

 

 

『……私は所詮、腹の中で妹から才能を奪って来ただけの女だ。故にこの才は私だけのものでなく、妹から託されたものでもある』

 

 

 それがこの女の口癖だった。

 

 

『しかしお前は、お前だけの才能でそれだ。……そう考えれば、よっぽど、お前の方が天才なのだろうよ』

 

 

 それもまた、この女の口癖だった。

 

 

 

 

 間違いなく。

 

 ……何年経っても、どう考えても。当人がどう思っていたとしても。私にとって"母親"というのはアルフィア以外には存在しないし、私の"母親"になれる女はアルフィア以外に存在しない。

 だから何度裏切られようと、どう捨てられたとしても、本当の意味で捨てることなど出来はしない。この人生からあの女を取り除くことなど、絶対に出来ない。神の力であったとしても、絶対に。

 

 

 

『それなら、"それ"はもう必要ないだろう。……これから先は、本物がずっとお前の側に居てやるんだ』

 

 

 

 ……そうかもしれない。

 

 

 

『ああ、だから……そんな物をいつまでも握り締めていなくていい。握るのなら私の手でも握っていろ、愛娘』

 

 

 

 

 手放す、小さな欠片を。

 

 最後に掴み取った、繋がりの断片を。

 

 縋り続けていた、僅かな残滓を。

 

 

 

『さあ、罰ゲームはこれで終わりだ。賭けの約束を律儀に守ったお前に、どんな褒美をやろうか……悩ましいものだな』

 

 

 こちらの気など知りもせずにそう笑った女の顔を、本当に殴り飛ばしてやりたい。けれど褒美があるというのなら、許してやろう。7年分の褒美なのだから、期待するしかあるまい。

 

 

 

 

 ……ああ、本当に。

 

 

 私はこの炎を上手く扱えたのだろうか。

 

 

 一歩間違えれば"原初の炎"と同じように下界を焼き払っていたかもしれないそれを、上手く抑え込めたのだろうか。

 

 

 そうしてまた立ち止まって考え込み始めた私の手を、アルフィアは引いていく。

 

 

 暗闇の先、光の果てへ。

 

 

 漆黒の闇に拳を叩き付けて道を作ったその女の背中は、それでもやっぱり……大きかった。



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被害者63:静寂

もう一波乱です。


「……ありがとう、誇り高い美の眷属」

 

 

 その膝を突き、衣服が汚れることさえ躊躇わず、ただただ心からの感謝の意を示す。

 目の前に横たわる1人の女の遺体。痛むことのないように丁寧に保存されていたそれに対してアルフィアは、本当に感謝以外の言葉が見つからない。その女性と言葉を交わしたことがないのは、その内面を知ることがなかったのは、残念なことなのか、それとも幸福なことなのか。しかしどちらにしても、彼女の選択は間違いなく尊ばれるべきものだ。

 

 

「……死後の自分の身体を明け渡すなんて、なかなか出来ることじゃない」

 

 

「ああ、だからこそ丁寧に弔いたい。……弔うと言っても、ただ感謝を伝えることくらいしか出来ないが」

 

 

 育った文化にもよるかもしれないが、国によっては死体というのは死した人々が最後に帰ってくる場所であると主張する者も居る。それほどでなくとも、死んだ後もそこに彼等は残っていて、それを傷付けることは故人を傷付けると同義であると考える者も多いのが実際だ。

 それも別の人間に譲り渡すなど、拒否感を持つ人間の方が多いくらいだろうに。それを迷うことなく申し出てくれたというのなら、その人物を忘れることなど許されないだろう。他でもないアルフィアは、当然に。

 

 

「……そういえば、あの猪はどうした」

 

 

「何処かに行ってしまったよ。……最初に会うべきなのは自分ではないって、そんなことを言っていたかな」

 

 

「……そうか。まああの男の主義主張などどうでもいい、どうせ気持ちの悪い話になる。居ないなら居ないでこのまま進めなければな、もうそれほど時間に余裕も無い」

 

 

 ヘスティアの分身がラフォリアに話していた内容からすれば、そろそろベル達の方も何かしらの結末を迎える頃合。それがどうなったとしても、結末を迎えた時点でヘスティアの加護は消えるだろう。そうなってはもう何も出来なくなってしまう、これはヘスティアの加護ありきでの策なのだから。

 ヘスティアが十全に力を行使出来る今のうちでなければ、ラフォリアを生き返らせることなど出来ない。

 

 

「ふむ、なるほど……そうなったんだね、彼女は」

 

 

「ああ、今はこの結晶の中で眠っている。お節介な男神の力も入っているようだが、それについての問題はない。私が保証する。……それで?これを飲ませればいいのか?」

 

 

「いや、彼女の胸の上に置くだけで良いと思うよ。そこから先はヘスティアが上手くやってくれるさ」

 

 

「……そうか、であれば後は任せよう」

 

 

 アルフィアが大切に持っているその真っ白な宝石こそ、今のラフォリアの姿である。元より仮初の身体。それを他者の肉体の中に入れるとなれば、まあこういう形にするしかないだろう。

 

 アルフィアはその宝石を彼女の胸の上に置く。

 

 もしこれで他に何か不足しているものがあれば、もうどうしようもないが。しかしエレボスからの補完もあり、ヘスティアが責任を持つと言っている。そして少し心配だが、他でもない神であるアフロディーテとアポロン、そしてアルテミスが用意した状況でもある。

 

 ……だから、後はもう信じるだけだ。

 

 アルフィアに出来ることは、もうこれ以上はない。

 

 

 

「大丈夫だよ、アルフィア」

 

 

「アルテミス……」

 

 

 それでも"もしも"のことを考えてしまい、不安そうな顔をしたアルフィアに対してアルテミスは隣に座って声を掛けた。分かるとも、そしてそれが嬉しくも思う。

 漸く気付き、ようやく花開いたその愛情。アルフィアのラフォリアに対する想いは、これまでの比ではない。そこに僅か1%でも最悪の可能性がある以上は、絶対に心を休めることなど出来ない。……それは確かに辛いことではあるけれど、そうなることができたということでもある。次があると考えるのではなく、次があっても今を絶対に取りたい。心からそう願っている、そのためならどんな努力だって出来る。そして実際にそのための努力を彼女はした。ならばもう、誰だってその"愛"を認めるとも。

 

 

「だってラフォリアは、帰って来ると言ってくれたんだろう?それなら帰って来るさ。……どんな手段を使っても、絶対に」

 

 

「……ああ、そうだな」

 

 

「だって君達は、ようやく親子になれたんだから」

 

 

 

 その時、光を放ち始めた宝石と肉体。

 

 起き始めた変化に思わず息を止めるが、変化は微少。

 

 きっともう少し時間がかかるのだろう。

 

 故にアルフィアは、ただ待つ。

 

 アルテミスに背中を摩られながら、待つ。

 

 祈りながら。

 

 願いながら。

 

 ただその時を、待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………あれ」

 

 

 

「おい……身体が消えたんだが」

 

 

 

 

 

 なお、何事も上手く行くとは限らないのは。

 

 

 きっと天界でも下界でも変わることのない事実の1つである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああああああああぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!!ラフォリアくん助けてぇぇぇえええええええ!!!!!!!!!」

 

 

 

 

「こんの馬鹿乳がぁぁぁああああああ!!!!!!!!」

 

 

 

 例えば。

 

 信じてくれた眷属達の力を借りて汚れた炎を祓うことを決意したとして。それを祓うために幾つもの偶然が重なり、そこに"神の力"さえ増幅させる奇跡的なスキルを持つ『ベル・クラネル』という少年が居たとして。

 

 だからと言って、何もかもがうまく行くはずもなく。

 

 

 例えば。

 

 想定していたよりも炎の勢いが大き過ぎて、チャージを終えた最大最強の一撃である"聖火の英斬(アルゴ・ウェスタ)でさえも拮抗にさえ届かなくて。

 

 それでも諦めたくないと。

 そう願って。

 そう思って。

 立ち向かうとして。

 

 

 ……そんな時に、丁度必要なパーツが全て揃い、復活が可能になった1人の天才が手元に居たとしたら。

 

 

 それに頼ってしまったとしても、一体誰が責められよう。

 

 

 

「ようやく帰って来れたかと思えば直ぐこれか!!少しは感動的な再会くらいさせろボケナス!!爆砕(イクスプロジア)・撃災(カラミティ)!!」

 

 

 まあ、本人には責める資格はある。

 

 

「ごめん!!本当にごめんよ!!でも今は助けてくれ!!僕達の力だけじゃ届かないんだ!!」

 

 

「ラフォリアさぁぁああん!!」

 

 

「本当に退屈させてくれないなお前達は!!」

 

 

 

 押し寄せる灼熱の炎、目を開けた瞬間に広がる地獄の様相。それに対して反射的に放った爆破魔法は、それでも波を押し返すことなど出来ない。そんなもので容易く押し返せるようなものであるのなら、ここまでの苦労などしていないのだから。これだけでは足りていないのは明白。もう1押し。否、もう2押しくらいは必要だ。

 少なくとも現状では、再会の喜びに浸る余裕すらここにはない。

 

 

「っ……ベル!!5秒時間を稼げ!!振り絞れ!!」

 

 

「は、はい!!」

 

 

「チィッ!私もやるしかないか!!爆砕(イクスプロジア)……!!」

 

 

 片手で爆破魔法を放ち続けながら、もう片方で爆破魔法を重ね掛ける。両の手で全く別の作業を行い、しかも片方はベヒーモスを打ち倒した時と同等の作業。それを僅か5秒という短時間でやらなければならないのなら、それはもう本当に限界を打ち破るとかそういうレベルの話ではない。しかしそれをやらなければ、この場をどうすることも出来やしない。

 

 ならばもう、やるだろう。

 

 現実的な話でなくとも、この女はやる。

 

 やらなければ、全てが台無しになってしまうのだから。

 

 

 

 

 

「17☆4(#.4…5|→…3(…・(64(♪+7595☆,1|=☆(1576♪〜3…2♪+76♪☆○〜<(%々(♪#☆.$0→・>(|576♪〜3…2♪+23÷2(€52♪^*〜%々(♪#☆,2→…+4☆°|4☆#☆〜=8%.4(♪%(+<4(^・576♪〜6…%(4(♪2……」

 

 

 

 

「か、神様ぁ!?ラフォリアさんがなんだかよく分からないことを言い出したんですけど!?何かの詠唱ですかあれ!?」

 

 

「き、気にするんじゃないベルくん!!彼女は今、僕達神から見てもドン引きするような、とんでもないことをしているんだ!脳が焼き切れる寸前なんだ!!」

 

 

「生き返ったばかりですよね!?」

 

 

「生き返ったばっかりなのにね!!ごめんよ!本当にごめんよラフォリアくん!!」

 

 

 

 

 

 

 

「〜〜〜〜……………………………完成ジたァ!!!」

 

 

 

「「流石天才!!」」

 

 

 脳から不要な情報も機能も一切を排除し、鼻血さえ出しながら殆ど完全な演算装置として脳を酷使する……最早それは天才とかそういう次元の話なのかと、普通の魔法使いから見たら顔を青くさせるような馬鹿げたことを成したラフォリアは、次元すら歪ませるような魔力の塊を持ってベルを見る。

 5秒ではなく6秒かかってしまったけれど、それはむしろ早過ぎてヘスティアでさえドン引きしてしまうようなこと。そしてそれくらいの時間をベルは稼ぐことが出来た。

 

 

「絞り尽くせベル!!押し返すぞ!!」

 

 

「やってみせます!!」

 

 

「いいか!息を合わせろ!魔力の全てを1滴たりとも無駄にせず、1滴たりともその身に残すな!!馬鹿乳の全てを使い尽くしてやれ!!」

 

 

「はい!!」

 

 

 

「も、もうこの際なんでもいいよ!だから………いっけえぇぇぇえええ!!!!!!」

 

 

 

「黙れ!お前が勝手に指示を出すな!いくぞ!!ベル!!」

 

 

「はい!!」

 

 

 

「えぇ……」

 

 

 問答無用でヘスティアの言葉を一蹴し、ラフォリアはベルの隣に立つ。なんだかいつもより妙に顔が近くにある従兄弟と目を合わしてしまえば、あとはもう合図など必要なかった。

 ……息など、合うに決まっていた。こうして肩を並べたその瞬間に、お互いがそれを確信していたくらいなのだから。それくらいには互いに、互いのことがよく分かっていた。そしてそれほどに2人の相性は、良かった。

 

 

 

【聖火の英斬(アルゴ・ウェスタ)】!!

 

 

【黒撃災(カオス・カラミティ)】!!

 

 

 

 白と黒の大瀑布が、穢れた炎を押し流す。炎どころか祭壇すら消し飛ばし、地上に向けて巨大な大穴を開けるほどの馬鹿げた威力。全く別の2つの力は、しかし決して反発することなく混ざり合い、凄まじい轟音と共に全てを喰らい尽くす。

 ……こんな力が未だに自分の身体の中に残っていたのが信じられないほどの魔力が、ベルの身体からも放たれた。いくらラフォリアと肩を並べられたことに嬉しさを感じ、気力を取り戻していたとしても。流石にこれは異常なレベルで。

 

 

 

 

「ぁぁぁああああ!?べ、べべ、ベルくぅぅうん!?ぼ、ぼくの力を使い過ぎじゃぁぁああ……!?」

 

 

 

「えぇ!?こ、これそういうことだったんですか!?ご、ごご、ごめんなさい!?でも止め方とか分からなくて……!!」

 

 

「はっはっは!それはいい!!ベル!そのまま使い潰してやれ!もう2度と今回のような馬鹿をやらかせないように!少しは痛い目を見せてやれ!!自業自得だ!!」

 

 

「!……はい!そうします!」

 

 

「べ、ベルくぅぅぅん!?!?なんだかラフォリアくんから悪い影響を……ぁぁぁああああああ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「「いっけえぇぇぇええええええ!!!!!!!」」

 

 

 

 

「いかないでくれぇぇぇええ……!!」

 

 

 

 ……それはきっと、物語の終わりを飾るには酷く間抜けな光景だった。それこそ想いと言葉で舗装され辿り着いたこの場所で、少年とその義姉が肩を並べ、女神が1人搾り取られている。

 最後の女神だけが、あまりにも余計だった。

 

 

 

 ……けれど、だからこそ、それでいい。

 

 

 

 

「ははっ、やっぱヘスティア様はこうでないとな」

 

 

「……まったくです」

 

 

「最後まで締まりませんね」

 

 

「でも……こういうのを、待っていた気がします」

 

 

 

 

 だってもう、確信していたから。

 

 例え何があろうとも、もう負けることはないと。

 

 こんな間抜けをやらかしているからこそ、勝てるのだと。

 

 絶対に押し返されることなど、無いのだと。

 

 

 

 それほどに強い信頼感が、ここにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それで?どんな気分だい、ラフォリアくん」

 

 

「最低だが?私はアルフィアと感動の再会をするつもりだったというのに、なんだこれは?本当になんだこれは?感動も何もかもが纏めて吹き飛んだが?」

 

 

「ま、まあまあ、"天の炎"も一緒に吹き飛んだということでここは1つ……」

 

 

「何も上手くないからな、ベル」

 

 

 

 空っぽになったその空間で。その場に仰向けに倒れた3人は、何の緊張感もなくそう話す。明らかに不機嫌そうにヘスティアを睨み付けるラフォリアであるが、ヘスティアはただただ目を逸らすばかり。

 

 そこに嘆きは無いし、涙もないが……けれど泣きそうになっている少年は居た。こんな平穏が戻って来たからこそ、冷静にそれを認識出来るようになってしまって。するともう、止まらなくなってしまって。それで。

 

 

「……くく。なんだ、少しは男らしくなったかと思えば。また泣くのか?ベル」

 

 

「っ……だって、だって……」

 

 

「お前のナイフから聞いていただろう?アルフィア達が私を生き返らせようとしていたことは」

 

 

「それでも……」

 

 

「やれやれ、少しは良い顔をするようになったと思ったが。お前はまだまだ子供だな、安心した」

 

 

「……それを今の君が言うのかい?ラフォリアくん」

 

 

「ああ、そうだな。その話もしなければならないなぁ?ヘスティア」

 

 

「うぐっ」

 

 

 泣き始めてしまったベルの頭を優しく撫でながら、彼のことをヴェルフ達に任せる。命と春姫に肩を貸してもらいながらも、ラフォリアはヘスティアの顔面を思いっきりアイアンクローした。そこに容赦など存在しない。その明らかな怒りの感情に、命も春姫も見て見ぬ振りをして目を逸らした。

 

 

 

 ……ただそれにしても、異様なのはその位置関係。

 

 

 同様に立ち上がっているにも拘らず、ラフォリアのアイアンクローはヘスティアよりも低い位置から伸びている。

 

 

 彼女のことを見上げながら、彼女はそれをしている。

 

 

 つまりはまあ、現在、身長で優っているのは何故かヘスティアの方ということで……

 

 

 

 

「それで?どうして私はこんな子供の姿をしているんだ?あぁん?」

 

 

「ご、ごご、ごめんよぉぉお!!でも仕方がなかったんだ!君を急いで生き返らせようとしたら、それが1番手っ取り早くて!ナイフのおかげで情報は揃っていたし!君の心と身体の親和性的にも……!」

 

 

「だからと言って20近くも下の歳で生き返らせる奴があるかぁぁあ!!!!やり直すにしても身体が幼過ぎるだろうがぁああ!!!」

 

 

「痛い痛い痛い痛い痛ぁぁぁああい!!!」

 

 

「ラフォリアさんストップ!ストーーップ!!」

 

 

「ヘスティア様が送還されちまいますから!そうなったらマジでなんの意味も無くなっちまいますから!!」

 

 

「こんの馬鹿乳がぁぁあ!!!!」

 

 

「ご、ごご!ごめんなさぁぁあい!!!」

 

 

 今のラフォリアの身体は、見ての通りの幼い子供。10歳あるかどうか。それこそエルピスと名付けられたベルのナイフが被っていたその姿そのものと言っても良い。

 ……どうしてそうなったのかは、まあ色々と理由はあるが。しかしその原因はヘスティアにあり、ラフォリアにあり、ベルにもある。そして経緯を考えると、もう仕方ないと言ってしまってもいいのかもしれなくて。

 

 

「と、とにかく一度戻りましょう!ヘスティア様のせいでラフォリアさまがこっちに来てしまったのなら、アルフィアさまもとても驚いているのではないかと……!」

 

 

「……あ、そっちもヤバい」

 

 

「……おい、まさか何も伝えていないのか?」

 

 

「そ、そんな暇が無かったんだ!!でもヤバい!絶対にヤバい!絶対に向こうもヤバいことになってる!というかアルフィアくんは絶対に取り乱してる!!」

 

 

「ええい!全員急いでここを出るぞ!!最悪の場合この島そのものが消え失せると知れ!!」

 

 

「なんかラスボスが1人増えたんですけど!?」

 

 

「こ、ここから地上までそこそこ距離がありますよ!?」

 

 

「ベル立て!!さっさと送り届けねぇと大変なことになるぞ!!」

 

 

「た、助けてヴェルフ……!もう力使い切っちゃって、立てなくて……!」

 

 

「もう色々最悪じゃねぇか!!」

 

 

 何度も言うが、世の中何事も上手くいかない。

 とは言え、まさかこれほどまでに不幸が重なるとは、一体アルフィアが何をしたと言うのか。流石にこれ以上に彼女を悲しませる訳にはいかないと、娘は精神疲労で震える脚を強引に立ち上がらせる。休息を求める身体を叱咤する。そしていつまでも立ち上がれないヘスティアのケツを蹴り上げる。最終的にヘスティアは命に担がれたが、なんだかそれもムカついて、ついでにもう1発ケツを引っ叩いておいた。

 

 

 

 ……この日、ラフォリアは久しぶりに全力で走った。

 

 色々と考えていた再会の時の言葉とか、会話の流れとか、なんかもうその辺りのことを全部投げ捨てて。すっかり小さくなってしまった身体で、必死に。



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被害者64:撃災

少し遅れました。
あと数話で終わる予定です。


 恐らく今回の一件で神々の中でアルテミスはそれほど大きな活躍はしていない部類に入るだろう。それくらいにはこの件は神々ですら必死になって動いていたし、積極的に前に立っていた。

 けれど彼女の貢献度という面においては、あまりにも大き過ぎると誰であっても言う。アルフィアという女を側で支え続け、時には厳しい言葉も伝え、それでも決して折ることなく立ち上がらせ続けたのだから。

 それは元より子供達や下界のためなら自身の命を差し出すことさえ厭わない彼女の精神性に加えて、眷属を失ったことによって生じた柔軟性。そこにラフォリアと接したことによって獲得した多くの可能性があってこそ実現していることであるのは間違いない。

 

 

 ……だが、そんなアルテミスであっても。

 

 

 流石に今回ばかりは、なりふり構わず必死になった。

 

 

 

 

「私は、私は……失敗を、失敗……失敗、失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗………」

 

 

「アルフィア!落ち着くんだ!まだ失敗した訳じゃない!仮に失敗していたら、どちらも消える筈なんてないんだ!だから……!!」

 

 

 

 言葉を尽くす。

 普通の人間であれば、このような事態になってしまえば冷静さを失うのは当然として、言葉さえも届くことはない。しかし彼女のような人間であれば、どれほどパニックになっても完全に脳の機能を使い切ってしまうことはない。故に理由付けをして言葉を尽くせば、僅かであっても確実に効果はある。

 

 ……問題はアルテミスでさえ現状がよく分かっていないこと。故に言葉を尽くしても、そこに説得力がない。アルテミスだって不安に思っている、一体何が起きたのか。まさかヘスティアの方が失敗したのか。それとも想定外の何かが起きたのか。

 嫌なことだけは、考えれば考えるほどに浮かんで来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ァァァアアアルフィアァァァアアア!!!!!!!!』

 

 

 

 

 

 

「「っ!?」」

 

 

 

 

 けれどきっと、何より重要なのは。

 アルフィアがこうなってしまってから、その娘が駆け付けるまで、それほど多くの時間が掛からなかったこと。それこそ娘はアルフィア達が潜んでいる場所に大凡の予想を付けていたし、母親がこういう状況になっていることも知っていた。

 

 だから……

 

 

 

 

 ーーーーーッッ!!!!!!

 

 

 

 春姫によるウチデノコヅチ、つまりは一時的な階位昇華(レベルブースト)。彼女自身も限界ギリギリではあったが、そこを無理させた。使った直後に気絶するくらいであったが、それをさせた。その必要があると彼女自身も判断し、それをしたのだ。

 いくら身体が小さくなっていようとも、Lv.8の脚力。そしてもう色々なものに対する明確な怒り。その末に現状のオッタルとさえまた普通に殴り合える程のステイタスを得た彼女は、何の迷いもなく高所からの超跳躍と落下による最短距離のショートカットを試みた。

 

 

 

「っ、ラフォリア!!こっちだ!!」

 

 

 

 そしてアルテミスは大声を上げる。

 きっとそれでも詳細な居場所は分からない。しかしこちらから探しに行くより、自分達の居場所を教えるのがよっぽど早い。だって彼女は全力なのだから。それこそこんなにも大きな声を力一杯に出して誰かを探している彼女の姿なんて、アルテミスだって見たこともないくらいなのだから。

 

 だからきっと、これだけの情報であっても彼女は間違いなく見つけ出す。探し出して、現れる。その確信だけは、ここにある。

 

 

 

 

 

 ーーーーーッッ!!!!!!

 

 

 

 

『良くやったアルテミス!!』

 

 

「うわぁ!?壁を壊して来るんじゃな……い……」

 

 

 その小さな洞窟の中、入口とは真逆の方向から拳で穴を開けて入って来たお馬鹿な少女が居た。土煙が巻き上げられ、上がり始めた僅かな朝日に照らされて。浮かび上がった小さな身体。

 

 そう、それはまるで……その姿は、まるで……

 

 

 

 

 

「ラフォ、リア……なのか……?」

 

 

 

「ああ……ただいま、アルフィア」

 

 

 

「お前……なんで……いや、そうではなく……」

 

 

 

「アルフィア」

 

 

 

「っ」

 

 

 

「……ただいま」

 

 

 

「!!」

 

 

 

 土煙が降り、差し込む光の加減が変わる。

 次第に浮かび上がるその姿。

 

 ……もちろん、最初から想像してはいた。

 

 まさかアルフィアを模した姿そのままに出て来ることなんて無いだろうと。ヘスティアだってエレボスだって、流石にそんなポカはやらかさないだろうと。少なくとも以前のラフォリアの姿で、年齢相応の姿になって現れるのではないかと、そう思っていた。

 

 

 それなのに。

 

 

「あぁ……おか、えり……ラフォリア……」

 

 

「……あまりそうジロジロと見てくれるな。私だってまさかこんな姿で戻って来ることになる、とは……っ」

 

 

「おかえり……おかえり、ラフォリア……」

 

 

「……ああ」

 

 

「ラフォリア……」

 

 

 まさか、まさか思うまい。

 だってそこに立っていた娘は少女の姿をしていて、自分にとってもう2度と帰らない筈の記憶の中の姿そのままにそこに居て……ただいまと、言ってくれて……

 

 

「んっ……少し痛いぞ、アルフィア」

 

 

「……何処に、行っていたんだ。本当に心配したんだぞ」

 

 

「なに、ヘスティアに呼び出されてな。急を要するなどと言われ、その結果がこの姿だ。……どうだ、懐かしい姿だろう?」

 

 

「ああ、本当に……だが、良かった……本当に……」

 

 

「……ふふ、これでは本当に母娘の年齢差だな」

 

 

 膝を突いて、抱き締められる。そんな身長差ではあるけれど、不思議な話だけれど、今はそれはそれで互いにとって悪くはなかった。

 こうして単に抱いて、抱かれているだけでも。互いの需要を満たしていて。しっかりと抱むことが出来るし、しっかりと包まれることが出来る。だから自然と抱き上げるし、それに抵抗することもない。もう別に意地を張る必要だってないのだから。こうすることの奇跡の尊さを、互いによく理解しているから。

 

 

「……抵抗、しないのか」

 

 

「まあ、残念だが、今の私は酷く疲れているのでな。特にこの身体は未熟故か妙に疲れる、足になってくれ」

 

 

「ふふ、そうか。まあ大切な娘からの頼みなら仕方がないな。……ほら、お前もしっかり掴まっていろ。私も少し疲れているんだ、もしかしたら落としてしまうかもしれない」

 

 

「……なるほど、それなら仕方ないな」

 

 

「ああ、仕方ないとも」

 

 

 人は成長する、否が応でも。生きているだけで時間は経つし、時間が経つほどに生きていかなければならない。そして生きていくのなら、成長をしていかなければならない。自分の中の能力を引き上げ、直面した問題を解決するために精神さえも熟していく必要がある。

 ……そういう意味であれば、ラフォリアだって成長はしていた。精神年齢が低いなどということも、ないだろう。27という年齢より低いことは間違いなくとも、それでも10歳に満たないということは流石にない。

 

 それでも幼い子の肉体と精神の親和性が高かったのは、きっと彼女がずっとこれを望んでいたからだ。

 

 街中で見かけた親子のように、何処にでもいる普通の母子のように、一度でもいいからこうして抱き上げられることを求めていた。そんなことは自分自身でも認められないし、他者になど絶対に言うことなんて出来ないことではあるが。心と頭は矛盾するもの。子として愛されていなければ決してされることのないようなその行為に、ずっと憧れを持っていた。そしてそれを実現させるには、些か身体が大きくなり過ぎていた。

 

 ラフォリアの精神年齢が幼いのではなく、幼い身体で在りたかったという抑圧され続けていた感情。母娘としては年齢の近過ぎたことを、気にしていた。だから娘として愛されなかったのではないかと、そう思ってすらいた。

 ならばきっとヘスティアは、それが意図的ではないにしろ、最高の形で願いを叶えてくれたのだろう。だって全部ヘスティアのせいに出来るのだから。させてくれるのだから。……そしてそんな抑圧された感情だって、誰にもバレなくて済んだのだから。ラフォリアにとっては、最高の形だった。

 

 

「……やれやれ、ヘスティアも冷や冷やさせてくれるなぁ」

 

 

「……世話をかけたな、アルテミス」

 

 

「うんうん、まったくだ。……でも良いんだ、君が戻って来てくれたのなら」

 

 

「……少し変わったか?悪いが今の私にはベヒーモスを倒した辺りまでしか記憶が無くてな」

 

 

「その辺りも追々話すから大丈夫だよ。……それより、今は街の方に向かおうか。アフロディーテも含めて、君の顔を見たい人は沢山居る筈だからね」

 

 

「むっ」

 

 

 少し腰を折り、アルテミスはラフォリアの頭を撫でる。それに対してラフォリアは少し不満そうにしながらも受け入れるが、そんな様子さえ可愛らしいという顔でアルフィアもアルテミスも彼女を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かっっっっっっっっわっっっっっっつ!!!!?!?」

 

 

「相変わらず喧しい奴だな……」

 

 

 荒廃した町の外れに、彼等は集まっていた。

 オリンピアにおける全ての戦いは収束し、この場には巫女達も含め全ての者たちが様々な感情を抱えて結末を見渡している。

 

 どうやらラフォリアがヘスティアの眷属であったことが幸いしたのか、穢れた炎とそれに連なる炎人に成り果てた民の魂達も無事に浄化することが出来たらしく。世界の焼失を防げただけではなく救えるものを粗方救えた、最善を拾うことが出来たらしい。

 

 ……まあ今はそんなことより、子供の姿になってしまったラフォリアに興味津々なアフロディーテの喧しさの方が空間を支配しているのだが。

 

 

「だってだって!仕方ないじゃない!アンタのこんな小さい姿なんて見たことなかったんだし!元から超好みの顔してたのに!それがこんな可愛いくなっちゃって!」

 

 

「おい、それは初耳だが」

 

 

「何歳くらいなんだろうね?8つとかかな?アルフィア、私達にも抱かせてくれないかい?」

 

 

「駄目だ、これは私のものだ。頭を撫でるくらいなら好きにしていいが」

 

 

「おい、何を勝手に許可を出している、ふざけるな。駄目に決まっているだろう」

 

 

「ラ、ラフォリアくん?僕もいいかな?」

 

 

「指をへし折られたいか馬鹿乳」

 

 

「それならばこの太陽神アポロンによる光の祝福を……!」

 

 

「お前は本当に命が惜しくないのかアポロン、どんな度胸だ。今私はお前にむしろ感心さえしているぞ」

 

 

 キャイキャイとはしゃいでいる彼等であるが、その中にアポロンが入っているのは本当に意味不明であるが、ラフォリアも実際のところそこまで嫌がっている訳ではない。それを知っているからこそのはしゃぎようでもある。だって本当に怒っているのなら、頭に忍び寄るその手を跳ね除けているだろうし。

 

 

「まあ、なんだ……取り敢えず一度降ろしてくれ、アルフィア。流石の私とてベル達の前でこれは恥ずかしい」

 

 

「……そうか。まあ、それなら仕方ないな」

 

 

「………………なぜ手を握る」

 

 

「いや、心配になった……」

 

 

「……一応言っておくが、別に中身まで幼くなってはいないからな?1人で歩けるからな?」

 

 

「もう、仕方ない子ね!そういうことなら私が左手を握っておいてあげるわよ!」

 

 

「おい、こいつは本当に何の話も聞いていないのか?アフロディーテは遂に阿呆ロディーテになったのか?」

 

 

「ラフォリア、それは元からだよ」

 

 

「誰が阿呆ロディーテよ!……っていうかアルテミス!?元からって言った!?元からじゃないわよ!!……いや、今でも違うわよ!!」

 

 

「おい、いいから離せ。なんだこいつ、私の言うことを何も聞いてくれないんだが」

 

 

 歩き近づいて来たベル達に対して、もう左右の手をしっかりと握られてしまっているラフォリアは苦笑いを浮かべるしかない。もちろんベルの方も苦笑いだ。ヘルメスとヘファイストスも、なんだか困ったような顔をしていた。当然である。

 

 

「あ〜、えっと……」

 

 

「ベル、助けてくれ」

 

 

「あ、あはは……」

 

 

「ふふ、なんだかすごく可愛い姿になったじゃない?小さい頃のラフォリアってこんなに可愛かったかしら?昔をあまり知らないのが残念だわ」

 

 

「ああ、まったくだ。ヘラも思わず見に来るくらいなんじゃないか?」

 

 

「おい、縁起でもないことを言うな」

 

 

「とは言え、何処かで顔くらい見せに行く必要はあるだろう。その時はお前も連れて行くからな、ラフォリア」

 

 

「……ベル、お前も来るか?」

 

 

「え……あの、どういう方なんですか?」

 

 

「駄目だ!絶〜っ対に駄目だ!僕の大事なベルくんをヘラの前に連れていくなんて!そんなことは絶対にしたらいけない!!」

 

 

「まあ、それは俺もオススメしないかな……」

 

 

「ほ、本当にどういう神様なんですか……」

 

 

 まあ、そんなことはさておき。

 

 色々と話しておかなければならないことも多くある。それこそラフォリアを愛でることなど、この先いくらでも出来るのだから。今ここですべきことは、より多くある。

 

 

「まあ、その、なんだ……すまなかったな、お前達」

 

 

「「「……!」」」

 

 

「実のところ記憶はベヒーモスを倒したところから無いのだが、どうやら前の私はお前達に、その……心配というか、悲しませたというか……」

 

 

「……どうした、お前にしては歯切れが悪いな」

 

 

「し、仕方ないだろう。私がやったという認識が無いんだ。……まあ、あの状況であれば同じことをする自信はあるが」

 

 

「そ、そこは同じことをするのね……」

 

 

「まあ、その時点での最善の行動だろうからな。謝罪はするが、それは行動に対してではなく、お前達を悲しませたことについてだ。それは事実として私は考えているし、受け入れている」

 

 

「ううん、間違いない、ラフォリアくんだこれ」

 

 

「お前が生き返らせたんだろうが、馬鹿乳」

 

 

 自死という行動については謝らないが、悲しませたことについては謝罪をする。結局同じことであるように思うが、謝りたくないことには謝らないという頑固さに、悲しませたことには責任を感じているところが、ラフォリアらしいと言えばラフォリアらしい。

 

 

「それで、これから君達はどうするんだい?オラリオに戻るのかい?」

 

 

「……はっ!べ、別に私と一緒に歌劇の街に来てもいいのよ!?」

 

 

「いや、私達はオラリオに戻るつもりだ。教会とは別に家でも建てて生活しようと思っている」

 

 

「え、そうなんですか?」

 

 

「が〜ん……」

 

 

「ああ、まあな。どう生活していくかはまだ決めていないが、それでも時間を無駄にするつもりもない。……とは言え、少し人生を休めたいとも思っている」

 

 

「人生を……」

 

 

「これまで走り続けて来たからな。少しくらい何事もなく日々を平穏に過ごしても、罰は当たるまい」

 

 

 もちろん、それは本当に少しの間でしかないだろうけれど。まだまだ世界に闇がある以上、心の底から安寧を受け入れることなど決して出来ないだろうけれど。

 それでも漸く手に入れた今を楽しむこともまた、人には必要なことだ。世界のために切り詰めてばかりでは、世界を守った後に居場所が無くなってしまう。人として生きるのなら、人としての楽しみもなければならない。

 

 

「それにまあ、他にも謝りに行かねばならない者も多く居るからな」

 

 

「まあ、そうね。悲しんでたわよ、特に"象神の杖"」

 

 

「君の病気を治すためにロキ・ファミリアどころかフレイヤ・ファミリアまで協力していたんだ。悲しむより怒っている子の方が多いんじゃないかな?」

 

 

「……やれやれ、自分の尻拭いも大変だな」

 

 

「安心しろ、私も着いていってやる」

 

 

「……母親同伴で謝罪周りか、本当に何歳児なんだ私は」

 

 

 怒られるどころか困惑されて、なんだか毒気が抜かれたような顔をされるのが今から目に浮かぶ。まあ責められるよりかはマシなのだろうが、それはそれでやりづらい。

 それに今更な話ではあるが……

 

 

「あの、ラフォリアさま。今更な話なのですがそのお姿、元に戻るのでしょうか……?」

 

 

「……どうなんだ、馬鹿乳」

 

 

「……あの、やっぱり成長って大事だよね」

 

 

「なるほど、私はまたここから10年以上かけて成長していかなければならない訳か。体術も鍛え直しか?クソが」

 

 

「で、でもステイタスはそのままなんですよね?ということは普通にLv.7ではあるという……」

 

 

「とは言え、それでは気に食わん。しかし10年以上か……全盛期がもう一度来るのはいいとして、先が長過ぎるのは困りものだな」

 

 

「……単純に考えて8歳のLv.7ってヤバいわよね」

 

 

「それも"強くなることは難しくない"とか言っちゃう天才児だしな、アルフィアの系譜はこんなんばっかりなのか?」

 

 

「言われているぞ、ベル」

 

 

「そ、そんなこと言われても……」

 

 

 なんだかんだ言いつつ、恐らく1番ヤバいことになりそうなのはアルフィアでもラフォリアでもなくベルであろう事実。それはラフォリアだって認めていること。そしてアルフィアも気付いていることだ。

 ベルこそこの場にいる誰よりも英雄としての資格を持っている、それが偶然の産物かどうかは分からないが。ならばやるべきことは、やはり先達としてそれを導いていくことか。

 

 

「……まあいい。ベル、お前達はあそこの巫女共と別れを済ませてこい。私達は暫くここに居るからな」

 

 

「!……分かりました、行ってきます」

 

 

「……」

 

 

 背中を向けて走っていく彼を見ても、アルフィアと話している彼を見ても、嫉妬していない自分を見て、軽く息を吐く。ずっと心配していたことが起きていないことを、心の底から安堵する。

 まあ普通に考えて、元々はアルフィアとは関係なくベルのことを気に入っていたのだから。その可能性は元より低かったことなのかもしれないが。それでも。

 

 

「ラフォリア」

 

 

「うん?…………なぜまた持ち上げる」

 

 

「したくなったからだ」

 

 

「……はぁ、私は本当にどんな顔をしてオッタルに会えばいいんだ」

 

 

 嫉妬などする筈もない。

 だってもう、アルフィアが自分のことを愛してくれているということを知っているから。隙あらばこうして抱き上げてくるくらいには愛されているのだと、理解しているから。その安心感が胸の内にある限り、そんな悩みは不要だ。

 

 

「……行くか、謝罪周りに」

 

 

 今はまだ、オラリオの誰もこのことを知る者は居ない。それでもきっと、色々と面白い反応が見れることは確かだろう。確かに気の進まないことではあるが、せめてそれくらいは楽しみにしていきたいとラフォリアは思う。

 

 

 

 ……まあ、オッタルに関してはもう全て知っているし、ラフォリアが子供の姿になっていることもバッチリ見て認識しているのだが。

 

 今も船と桟橋の間に漂いながら。



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被害者65:万能者&猛者

「はぁ?オッタルまで来ていたのか?」

 

「ああ、あれ以来、遂に姿を現しはしなかったが……どうせ先に泳いで帰ったんだろう」

 

「馬鹿かアイツは……」

 

 そういえばと思い出した、最初の戦闘の際にアルフィアを助けたアルテミス以外の存在。凄まじい勢いで剣を投げつけて来たその存在について聞いてみれば、返って来た返答はそんなものだった。

 帰りの長い船旅、流石にこれだけの戦力が揃っているとモンスターは襲って来ない……訳もなく。襲い掛かってくるモンスター達を完全に無視している女2人の代わりに、ベルを含めた他の眷属達が奮闘している。そんな騒がしい中でもこうして何事もなく会話をしているのだから、その図太さは凄まじいものだ。

 

「なんというか、あまりこういうことを言いたくはないのだが……アイツ、あそこまで気持ち悪かったか?」

 

「いや、流石にそれは言い過ぎだろう」

 

「よく考えろ。2日遅れの船を泳いで追ってくるだけならまだしも、お前に一度も顔を見せる事なくまた泳いで帰ったんだぞ」

 

「……まあ、多少キモいが」

 

「お前もお前でアイツに対しては甘いな……」

 

「多少贔屓しているところは認める。だがアレは歳を食っても進み続けられる可能性を持っている、期待するのも当然だろう」

 

「……あの執着はそれで済む問題か?」

 

 それとなく周囲に2人で気配を探ってみたが、オッタルの気配はもう何処にもない。何の迷いもなく船より速い速度で泳いで帰ったと見て間違いないだろう。

 これについてもアルフィアは普通に引いているが、一方でラフォリアは楽しみにも思っている。果たしてオラリオに帰った時、あの男が一言目に何を言うのか。こんな姿になった自分にどう接してくるのか。それがもう楽しみで楽しみで仕方がない。それを隠せていないから、アルフィアも何とも言えない気持ちで娘を見ている。

 

「……あとマジでそろそろ降ろせ」

 

「うん?何を今更恥ずかしがる必要がある」

 

「いいか?もう恥ずかしいを通り越して狭苦しいんだ」

 

「いいだろう、少しくらい」

 

「いや1日8時間近くこの体勢にさせられている人間の気持ちを考えろ、流石に飽きるわ」

 

「ふむ、まあ寝ている時も含めると14時間か」

 

「私に自由の時間はないのか?一周回って虐待だろもうこれ」

 

 思い付いたようにそんなことを言いつつも、それでもアルフィアは決して離してくれないことをラフォリアもそろそろ気付いている。故に諦めたように水平線の彼方に目を逸らし、溜息を吐くが、これももう何度目か。

 ……そんな水平線の彼方にも、徐々に見えて来た陸地の姿。オラリオはもう直ぐそこ、長かった船旅を終えてまた波乱の日々がやってくる。待ち受けているのは平穏ではなく、また別の問題なのだから。まだまだ隠居生活をするのは程遠い。

 

「というか、君達は闇派閥との戦いには参加してくれないのかい?そうしてくれると俺もアスフィも死ぬほど助かるんだが……」

 

「ん?ヘルメスとアスフィか……まあ悪戯に後進達から機会を奪うのもな」

 

「ああ、こんな滅多にない機会を奪う方がよっぽど酷いというものだ。これを望み叶わず無茶をし、そのまま命を落とす者も多い。フィンが率いているのなら、個人で階層主に挑むよりよっぽど安全だろうよ」

 

「あの、いえ、最悪の場合オラリオが消えることになるのですが……」

 

「ここで私達が『何らかの手を貸す』と言えば、お前達は多少なりとも安堵するだろう。最悪の場合、私達がなんとかしてくれると」

 

「それでは意味がないな、故に私達が手を出すことはない。……むしろ戦力を思い返せ、これで解決出来なければ怠慢も良いところだ。そうであれば闇派閥の前に、私達がお前達を叩き潰す必要が出てくる」

 

「……ヘルメス様、これ説得絶対無理です」

 

「よし、諦めるか」

 

「切り替え早いですね!?」

 

「ああ、まあダメ元みたいなところあったからな。それじゃあアスフィ、悪いが早速魔道具作りに戻ってくれ」

 

「そろそろ寝かせてくださいよぉお!!!」

 

「………」

 

 ……とは言え、勿論このまま放置するような人間でないことは分かっている。アルフィアはともかく、ラフォリアの方は本当にこのまま放置するなんてことが出来る性格ではない。ヘルメスの狙いはそんなところ。ヘルメス自身がそれを認識していて、アスフィは本当に断られたと思い込んでいる。それが重要なのだ。ここで交わされた本当の意味をヘルメスが言葉にしてしまったら、ラフォリアは本当に協力してくれなくなってしまう。

 そんな小さな読み合いも、実は今この場所では発生していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、それはもう片付いているよ。君達が出掛けていた間にね」

 

 

「「「え」」」

 

 

 なお、諸々の報告のためにロキ・ファミリアを訪れたその瞬間に、アスフィの今日までの努力は粉々に砕け散った。つまりそれまで作っていたクノッソスの鍵の複製は、完全に不必要なものになってしまった。

 

「ど、どどどどどういうことですか勇者!?終わったって!?不要!?私の努力は!?不眠で頑張った私の成果は!?」

 

「あ、あはは……いや、幸いにもアンタレスとの戦闘で戦力の増強は出来ていたからね。味方陣営にも偽って異端児達と上下から電撃的に仕掛けてみたんだ。特にガレスはもうクノッソスの壁でも簡単に破壊出来るようになってしまったから、迷宮もあってないようなものでね」

 

「ほう、異端児か……モンスターと手を組んだのか。お前にしては随分と面白いことをしたな、フィン」

 

「君の影響だよ、ラフォリア」

 

「あん?」

 

「君の説教や行動が、僕を含めた団員達全員の考え方に影響を与えていたみたいでね。説得にそれほど苦労が無かったし、僕自身も決断を早めることが出来た。……そのおかげで敵の計画が完成する前に潰すことが出来たんだ、これ以上の最善は無かっただろう」

 

「……その顔を見るに、闇派閥の計画はそこそこ面倒なものだったようだな」

 

「ああ、1月も待っていたら本当に危うかったくらいには。今回でさえ、フレイヤ・ファミリアが最初から手を貸してくれていなかったら危うかった」

 

「なるほど。それもそれで見てみたかったが、残念だ」

 

 

 

 

 

「……ところで」

 

 

 

 そうして簡単な経緯をフィンから聞いていたラフォリアであるが、まあその結末とか途中途中であった詳細はまあ後ほどでいいとして。後ろの方でさっきまでメソメソと泣いていたのに、今やそのまま気絶するかのように寝始めたアスフィのこともどうでもいいとして。

 

 それよりも。

 

 

 

「お前は良い加減に泣き止め、リヴェリア」

 

 

「い、いや……すまない……」

 

「反応に困るわ」

 

「だってお前、その……良かったなぁ……」

 

「お前は私の何なんだ……」

 

「……友人だが」

 

「は?」

 

「え?」

 

「……それは、前の私の言葉か?」

 

「ま、まさか忘れているのか!?」

 

「忘れているというか、そもそも記憶の連続性がない。私の記憶はベヒーモスを倒した辺りまでしかない。再現の触媒になったのが当時の衣服だからな」

 

「なっなっなっ……!!」

 

 悲しいかな、どんな感動的な遣り取りであっても今のラフォリアにとっては本当の意味で記憶にない。それまでメソメソと泣いていたリヴェリアもこれには酷くショックを受けたらしく、今度は違う意味で感情が揺さぶられているらしい。

 しかし仕方ないだろう、当時のラフォリアは本当に自分が生き返るとは思っていなかったのだから。あれで最後だと考えていたから、本音だって語っていたし、色々と寛容になっていたところもある。それが予想出来るからこそ、ラフォリアもなんとなく気不味くて。

 

 

「ちなみにラフォリア、あまりこういう言い方をするのは良くないけれど……その辺りの連続性の途絶えを、君はどう考えているんだい?」

 

「まあ、普通に考えて私の方が偽物だろうな。本物の私は既に死んでいる、そう認識すべきだ」

 

「「「「っ……」」」」

 

「まあ、だからどうしたという話だがな」

 

「は……?」

 

 ラフォリアはアルフィアの膝の上で足を組みながら、出された茶を優雅に啜る。そんな中でも何事もないように娘の頭を撫でるアルフィアの姿は、最早完全に母親のそれだ。……彼女からしてみれば、ラフォリアがこう答えることは最初から知っていた事なのだから。そんな今更を、どうこう言うつもりもない。

 

「偽物だろうと本物だろうと、私は私の成すべきことを成すだけだ。それが仮に以前の私の想い描いたものとは違うものであったとしても、私は私として生きていくことしか出来ない。……つまり、どうでもいい」

 

「……なるほど。やっぱり君はラフォリア・アヴローラだ、間違いない」

 

「そうか、ならそういうことなんだろうよ」

 

「安心しろ、お前は私の娘だ。間違いない」

 

「……僕としては君の変わりようの方が驚きかな、アルフィア。ラフォリアが子供の姿になったことよりも」

 

「そういえばロキはどうした?他の団員も」

 

「もう直ぐ帰ってくる筈だよ。……何事もなく全てが綺麗に終わった訳じゃないから。後始末としてしなければならないことも多いんだ」

 

「……そうか」

 

 もちろんいくら問題が解決したとしても、それで傷付いた者も居れば、涙を流した者も居る。少しは時間が出来るかと思えば、どころか余計に余裕が減ってしまった者だっている。

 

「だが、それでいい」

 

 酸いも甘いも噛み締めて、人は生きていかなければならない。そこで折れてしまうのも、そこで立ち直ることも、その人間次第。けれどそこで立ち直った時にこそ、人は良くも悪くも変わることが出来る。……その変化を、ラフォリアは求めている。願わくばそれが、良い方向への変化であることも。

 

「アルフィア、どうも私には平穏に浸る前に少しすべきことがあるらしい。後ほど付き合ってくれ」

 

「……過保護だな、お前は」

 

「変化をしようとしているのなら、その先を導くことくらいはしてもいいだろう。むしろそれこそ、先達の役目だ」

 

「お前が慕われていた理由だな」

 

「ふっ」

 

 娘を誇らしく思い可愛がる母親の姿が、そこにあった。それと同時に母親に褒められて得意げな顔をする娘の姿も、そこにあった。

 

 

 

 

 

 

「ラフォリア……!!」

 

「ああ、心配をかけ……ぶふっ」

 

「お前は!お前は、本当に!!本当にどうしてこうも!!」

 

「ま、待てシャクティ……心配を掛けたのは悪かった。だから公衆の面前で泣くな、扱いに困る」

 

「大体どうしたこの姿は!というか何がどうなってこうなった!?全て説明するまで離すつもりはないからな!」

 

「……おい待て、もしかして私はこれから延々と同じ話をし続けないといけないのか?」

 

 

 

 

 

「ラフォリアさま……!」

 

「ああ、アミッド……迷惑をかけ」

 

「治療院へ連れて行きます!!」

 

「いや……おい……こら、待たないか」

 

「突然生き返ったかと思ったら……!今度は子供の姿になどと、一体どんな病を拾って来たのですか!?」

 

「違う、いいから聞け、これは病ではなくてだな」

 

「問答無用です!ご安心ください、今度こそ治してみせます!そのためにLv.3への昇華を成し遂げたのですから!!」

 

「それは本当にめでたいことなのだがな、うん、取り敢えず話を……」

 

 

 

 

「ラフォリアさん……!」

 

「おい待てリュー・リオン、私はもう十分だ。これ以上1から10まで説明して質問攻めに合うのは……いや、お前はオリンピアに一緒に来ていた筈だろう」

 

「あ、いえ、私はただの使いで来ただけですので」

 

「……なんだ、そうか」

 

「ええ、ミア母さんから貴女方を呼んで来るように言われていまして」

 

「………」

 

「色々聞きたいことがあるそうなので、お付き合い願います」

 

「……そろそろ帰らせてくれ」

 

 

 

 

 

 ある程度は覚悟していたものの、実際にこうなってしまうとラフォリアだって疲弊するというもの。気付けば日も暮れ始め、黙って膝の上の娘を愛でていたアルフィアとは違い、流石に喋り続けていたラフォリアはミアから解放された頃には眠気を隠そうとしていなかった。

 ……どうやら幼い身体であるためか、直ぐに眠気に襲われてしまうらしい。そんな姿すら愛おしそうに、アルフィアは抱き抱える。

 

「良かったじゃないか、アルフィア」

 

「……迷惑をかけたな、ミア」

 

「別に何もしていないよ。ただ知らない仲じゃないからね、今日だって興味本位で呼んだだけさ」

 

「ふっ、別に構わない。むしろそうして、この子との繋がりを絶やさないであげてくれ。この子は孤独を嫌っている」

 

「なんだい、急に母親らしくなっちまって。変われば変わるもんだね」

 

「お前は子は作らないのか?」

 

「アタシにだって娘は沢山居るよ、毎日喧しくって暇もしないくらいにね」

 

「……そうみたいだな」

 

 店の外壁に寄り掛かりながら、2人は今日も多くの冒険者達で賑わう店の入口を見る。彼女の娘であるという店員達が忙しなく接客をしており、繁盛しているらしいことがありありと分かる。

 

「変わったな、この街も」

 

「……不変を謳う神の連中でさえ変わるんだ。街も人も変わらない方がおかしいだろ」

 

「かつての私は……こうしてただ平穏に浸るお前達を見て、苛立ちを感じていた。残された時間で抗い続けるラフォリアを見ていたからこそ、八つ当たりだったかもしれないが」

 

「それだってアンタ等の勝手だ。アタシは別に世界を救うために冒険者やってた訳じゃない、引退したことを責められたところで知ったことじゃないよ」

 

「……世界を救うことさえ、自己満足か」

 

「少なくとも、店閉じてまでダンジョンに行こうとは思わない。似たようなこと考えてる連中は、この街に腐るほど居るだろうさ。1日2日くらい店閉じて手伝ってやる事くらいなら、考えてやらなくもないけどね」

 

「……そうか」

 

 7年前のあの時、衝動に突き動かされ、無心で役割を成し遂げた。それによって多くの悲劇が生まれたが、英雄が生まれる土壌を作り上げたこともまた事実。

 ……けれど、そうだろう。世界を救うなんてことより、よっぽど大切なことを他に抱えている人間など当然に居る。誰もが同じ思いなど持ってはくれないし、誰もが災厄を前に立ち上がれる訳ではない。どれだけ追い詰めたところで成長する者は生まれるが、逆に立ち止まってしまう者も居る。

 

「それが漸く分かった。……今の私は世界の行末より、娘の方が大切だからな」

 

「……はっ、それでも結局やることは変わらないんだろう?」

 

「ああ、だがそれこそが重要だ。仮に同じように黒竜に立ち向かうことになったとしても、私の目的は救世ではなく娘の将来だ。……その小さな違いが何より大きいものなのだと、今なら分かる。その違いが、今の私には見えている」

 

「……立派な親バカの完成ってことかい」

 

「妹への愛とは、また違う感覚。愛というのは不思議なものだ」

 

「……安心したよ、その子が泣いてる姿を見た人間としてはね」

 

 意外と酒に弱いという性質を持つラフォリアのその涙を、ミアはしっかりと覚えている。そしてその瞬間に彼女がまだまだ子供の気質を持っていることだって、知っていた。だから気に掛けていた。こうしてわざわざ呼び付けて、事の経緯を聞いたくらいには。

 そして安心した。今度こそ母親の下に帰れたのだと、安心出来た。身体は小さくなってしまったが、母親の腕の中で何の警戒もなく眠っているその様子を見れば、あるべきところに収まったと今なら思う。

 

 

「……ところで、ここからが本題なのだが」

 

 

「うん?本題?」

 

 

「ああ、お前に相談したいことがある」

 

 

 話も良い具合になって来たので、そろそろ店に戻ろうとミアが腰を上げたその瞬間に、何やら空気が変わった。アルフィアは何やら深刻そうな顔をして、ラフォリアを見ていた。

 

 

「……なんだい、病気のことなんかアタシに言われてもどうしようもないよ」

 

「いや、病に関してではない。私が相談したいのは……お前のところの馬鹿猪についてだ」

 

「……ああ、なるほど」

 

 

 どうやらそれだけでミアにもアルフィアの言いたいことは伝わったらしい。彼の存在が出て来た瞬間に、ミアも思わず顔を顰めた。

 ちなみに今日一日、ラフォリアは彼とは会っていない。一体どこで何をしているのか、それすら分からないくらいだ。

 

 

「ミア、どう思う……」

 

「アタシだって知らないよ、そんなこと。……けど仮にそういう感情をあの馬鹿が持っていたとして」

 

「ああ」

 

「……この年齢差は何やったって犯罪だろう」

 

「やはりお前もそう思うか……」

 

 

 現在のラフォリアの身長は大凡120cm無いと言ったところ。対してあの猪の体格はアレである。そして年齢もアレである。

 元よりそこそこあった年の差、けれど互いに良い大人であったからこそ周囲から見ても頷けるような間柄だった。しかし今こうなってしまっては、ちょっと笑っていられない。なにをどうやったところで、彼は一瞬で現行犯逮捕である。

 

 

「というか、そんなことがあり得るのか?未だに信じたくないのだが」

 

「別に女神に酔いしれたからって、女神しか愛せないなんてことはないさ。他の女を愛しちまうってこともある、そういう奴は絶対認めないもんだけどね」

 

「……正直に言っていいか?」

 

「うん?」

 

「私はあの馬鹿に愛娘をやるつもりなど、1mm足りともないのだが」

 

「……安心しな、アタシが同じ立場でも同じことを思う筈だよ。近付けたくもないね」

 

「そうか……」

 

 

 本人の知らないところでボッコボコに言われている猪は、どうやら母親受けはかなり悪いらしい。

 果たしてこれから彼はどうするのか。何をどう思って、どういった選択をするのか。取り敢えず今日1日であっても一切顔を見せに来なかったことについて、母親であるアルフィアからの評価は地の底まで落ちていたことだけは事実だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで?ゼウス、ヘラもここに居たんだろう?彼女はもう居ないのか?」

 

「む?娘達の再会を見たら、満足して帰ってったぞ」

 

「なんだ、せっかくなら会っていけば良かったろうに」

 

「娘には見せたくない顔があるんじゃと、甘味を盗んで土下座させられてた女が今更何を言っとるんじゃと思わんか?」

 

「……まあアルフィアの恩恵はヘラのままだろうし、気付かない方が無理があるか。良かったよ、伝える手間が減った」

 

「言われなくとも、そのうち会いに行くじゃろ。ラフォリアがあんな小さくなって、馬鹿みたいに可愛がるに決まっとるわ」

 

「あれ?ヘラはそんなにラフォリアのことを気に入っていたのか?」

 

「嫁に出すつもりはないって昔言っとったぞ」

 

「……なるほどなぁ」

 

 

 人知れず、ハードルだけはどんどん上がっていた。



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被害者66:美の女神

 ラフォリアがオラリオに帰って来てから数日が経った。

 

 あれからベル達は、(ラフォリアからの提案で)ヘルメスがギルドに依頼させた遠征を受ける羽目になり、それはもう慌ただしく準備を終えてダンジョンへと向かって行った。

 

 一方でラフォリアはと言えば、闇派閥との戦いで成長したロキ・ファミリアの団員達に労いの言葉をかけながら、その成長を確認したり、精神的な状態を診ていたりしている。

 こんな姿になってしまったのだから、それはもう会う人間、会う人間に揃って驚かれはするものの、そんな彼等の扱いにも少しずつ慣れて来たところ。ダンジョンには潜ることなく、昼間はそうして冒険者達の元を訪ね、夜は特になにをする訳でもなくアルフィアと共に家族というものを楽しんでみる。

 

 こうしてラフォリアにしては非常に怠惰な日々を、彼女は過ごしていた。

 

 

 

 

 

 ……とは言え。

 

 

 

 

 

「遅い!!」

 

 

 ドンっとラフォリアは机を叩く。あからさまにイライラとして機嫌の悪そうな彼女であるが、それは決して現状に対する不満だったりがある訳ではない。彼女が不満に思っている相手は1人だけ。これだけの日数が経っているにも関わらず、一向に姿を見せる気配のないとある1人の脳筋だけだ。

 

「まあ、気持ちは分かるが落ち着け」

 

「なんだ!?アイツはなんだ!?アイツはなにがしたいんだ!?どうして顔も見せに来ない!?もう私がオラリオに帰って来て何日経ったと思っているんだ!?」

 

「……とは言え、お前もフレイヤも行き先が分からないとなると、どうしようもないだろう。まさかダンジョンの中を探しに行く訳にもいくまい、深層にいる可能性もあるのだからな」

 

「そもそもあの馬鹿の行動を読むことなど出来るものか……!!普段ならまだしも、こういう時のアイツは本当に突拍子もないことを本気で行動に移す!女神に水を贈るためにダンジョンにまで入る男だぞ!天才も糞もない!!」

 

 オッタルが未だに会いに来ない。

 どころか、どこで何をやっているのかすらも分からない。それはフレイヤであってもそうであり、彼女もまた困った顔をしていた。

 オラリオに戻って来ているのかどうかも分からない、ダンジョンに潜っていたとするなら探す範囲があまりに広大過ぎる。そして少なくともここ数日、地上での目撃情報は完全にゼロ。それはお手上げと言っても仕方のない有様だ。

 ラフォリアはこんなに楽しみに待っていたというのに。流石に待たせすぎにも程がある。一体どんな面を出して、どんなことを言うのか。それが別の意味で楽しみにさえなって来ている。

 

 

 (………それにしても、気に入っているな)

 

 

 なお、そんな娘の様子を冷ややかな目で見つめるのはアルフィアである。だってアルフィアは当然、こんな小さく可愛らしくなった自分の娘を、あんな大男の元にやりたくないと思っている。

 実際彼等が恋仲になるのかどうかは知らないし、そこまで言葉で探ろうとは思わないが、仮にそうなったとしても素直に認めたいとは思わない。せめてあと10年は欲しい、そこまでやっても母親としては顔を顰める案件である。実力としては申し分ないのだが、というかこれ以上がないのだが……

 

 

「まあ、それはいい。取り敢えず夕食が出来た。あんな奴のことは放って食べるといい」

 

「ん?ああ……料理まで上手いのは流石だな。とは言え、何故か妙に癖のある味が混じっているのが不思議だが」

 

「母親の味というものだ。……その気になれば最高のものを出せるが、それでは私の料理と思ってもらえないだろう?故に、意図的に味を崩している」

 

「そういうものなのか……?母親の味とは……」

 

「これが私なりの母親の味だ、覚えておけ」

 

 

 そんな謎の拘りに首を傾げつつも、ラフォリアはオッタルのことなど頭から放り出して食事に手をつけ始める。

 そんなラフォリアの食事風景を見ているだけでも嬉しい気持ちになってしまうのは、アルフィアが母親になれた証拠なのだろうか。少なくともラフォリアから一緒に食べないのか聞かれるまでこうして見守っているのが、2人の間の最近の常であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、結論から言ってしまうと。

 

 オッタルはそもそもオラリオに帰って来ていなかった。

 

 彼がオリンピアから向かった場所。

 

 というか付いていった相手。

 

 それは……

 

 

 

「アンタ……ちょっとセンスないとかそういうレベルじゃないんじゃない!?こんなもんプレゼントしてどうすんのよ!!要らないわよ!!こんなよく分からない化粧品!!」

 

「うぐ……」

 

 

 オリンピアから少し離れたとある街、オッタルはそこでとある女神から叱られていた。……というか、女神アフロディーテから叱られていた。彼女の眷属に温かい目で見られながら、その手に何処で買ったのかよく分からないような化粧品を持って。

 

 

「あのねぇ、化粧品なんてのは男から贈る物じゃないの。その色が本当に似合うかどうか、そもそも肌との相性はいいのか、それ以前に好みであるのかどうか、ここまで分かるなら話は別よ?……けど違うでしょうが!流石にそこまで知らないでしょうが!どうしても化粧品を贈りたいなら一緒に選んで買ってあげなさい!この頓珍漢!!」

 

「そ、そういうものか……」

 

「そりゃ私とかフレイヤならどんな物だって似合うわよ!というか不必要と言っていいわ!むしろ邪魔!……けど、そういうところが甘えてるって言ってんのよ!このすっとこどっこい!!」

 

「と、いうと……?」

 

「不必要だからって貰って嬉しくない訳じゃないのよ!偶には強くなること以外で主神を喜ばせてみなさいっての!……見なさい!あそこの私の可愛い眷属を!ついさっきゲボクソにダサい服を献上して来たから、逆に着せてやったわ!でもその気持ちは嬉しかったから私は上機嫌なわけ!分かる!?オーホッホッホッホッホ!!」

 

「な、なるほど……」

 

 

 どうしてアフロディーテと共にオッタルが居たのか、それは単純な話である。オッタルはラフォリアに対して祝いの品を贈りたかったのだ。

 しかしどんな物を贈ればいいのかも分からず、悩みに悩んだ挙句、その辺りに詳しそうなアフロディーテを追って助言を求めた訳である。そしてラフォリアを祝いたいという彼の思いに応えて、アフロディーテはこうして主神自らで付き合っていた。

 

 

「大体ねぇ、アンタこれどういう気持ちで祝うのよ」

 

「どういう気持ち……?」

 

「面倒だから過程は省くけど。ぶっちゃけアンタ、あの子のこと好きなの?」

 

「………」

 

「なんかもうちょっと引きそうになるくらい執着してるみたいだし、ただの友人関係にしては深めじゃない?でもアンタ、フレイヤのところの団長なんでしょ?」

 

「………」

 

「黙ってちゃ何も分かんないわよ。頭回すようなことでもないんだから分かんでしょ?どんだけ言い訳したって心は変わらないわよ、だから神も子供達も恋には悩まされるんだから」

 

「……神も、か」

 

 

 言いたいことは躊躇なく言うし、聞きたいことは遠慮なく聞く。黙っていたところでズカズカと踏み込んでくるだけであるし、決して物怖じすることもない。

 そんなアフロディーテが今ここに居ることは、もしかすればオッタルにとっては幸運であり、不幸なことでもあったのかもしれない。タイミングが良かったし、悪くもあった。ここに彼にとって味方となれる人間が居なかったこともまた、きっと要因の1つ。

 

 

「俺は……………ラフォリアのことを、好いているのかもしれない……」

 

 

「……そう」

 

 

「そんな自分に気付き、認められず、忘れようと、死に物狂いでダンジョンに潜っていた。……だが、気付けば俺は海を泳いでいた」

 

 

「いや、そうはならんやろ」

 

 

「アフロディーテ様、口調が崩れています」

 

 

 しかしまあこんな状況であるのなら、フレイヤも当然にその変化には気付いていただろう。剣を渡す一瞬とは言え、そんなことに気が付かないフレイヤではない。

 ただ自覚してしまったその事実に彼自身が酷く悩み苦しんでいたことも分かるために、フレイヤは敢えて何も言わなかったのだろう。

 

 ファミリアの中でも最強の地位を確立し、フレイヤへの忠誠を誰よりも示し続けて来た。自分の始まりは女神フレイヤにあり、その全てを捧げ続けて来た。オッタルにとって女神フレイヤとは、その人生における全てと言ってもいい。過去も未来も自分は彼女のために事をなす。……そのつもりだったのに。

 

 

「ま、混乱する気持ちは分かるわ。けどね、敢えて言ってあげる。……甘ったれてんじゃないわよ」

 

「……」

 

「別に恋に悩んでるのはアンタだけじゃない。そりゃアンタにとっては衝撃的な出来事かもしれないけど、恋に悩んで苦しむなんて誰でもやってる事なのよ。なんなら悩み過ぎて自死を選んじゃう子だって居る。……事情はアンタの方がよっぽど大きいかもしれないけど、もっと小さい事でアンタ以上に頭を抱えている子も居るの。それが恋愛なのよ」

 

「……」

 

「何も考えずフレイヤに愛を捧げ続けて来たアンタ達には分かんないでしょうけど、これが本当の愛の苦しみなの。……ううん、これ以上の苦しい思いをこれからアンタはすることになるわ。断言してあげる」

 

 

 それは分かる、オッタルでも。

 僅かながらに芽生えていたものは、遂に自分でも自覚出来るほどになってしまった。それはラフォリアが自死を伝えて来たあの日に自覚したものだ。もうどうしようもないと全てを諦めようとしていた時に、彼女は蘇った。そしたらもう、この気持ちは大きくなり過ぎていた。

 

 ……無かったことにすることも、難しい。

 

 こんな感情は気の迷いであると、完全に無視して生きていくことが出来ればどれほど楽だろう。けれどそれが出来ないことに気付いてしまった。

 だって港で彼女を見た時。どうしてオッタルが姿を現すことがなかったのかと言われれば、それは単純に顔を合わせることが妙に恥ずかしく思ってしまったからだ。……というかその目を、その顔を、真正面から見ることが出来なかったからだ。

 

 だからまた以前のような友人として、普通に接することなど出来ない。恐らく言葉を交わそうとすれば、明らかに変な様子を見せてしまう。この感情がある限り、以前の関係に戻ることは出来ないのだ。

 

 

「……厄介だ」

 

「ふふ、そうでしょう?」

 

「なぜ、こんなことに……」

 

「別に仕方ないわよ、だってあの子は可愛いんだもの。それにアンタみたいな奴と仲良くしてくれてたんでしょ?……年下の可愛い女の子と、昔からの友人同士なんてそんなベタベタな。恋くらいしちゃうってもんでしょ!」

 

「そう、なのか……?」

 

「え?俺ですか?……いやまあ、強くてカッコいい美人ですし。それに割と優しいところもあって、憧れはしますよね。絶対何処かで告白されてそうですし」

 

「な……に……?」

 

「ああ、はいはい、街中で気を荒げないでくれる?変な目で見られるから、ほんとやめて」

 

 

 彼女が他の男から言い寄られている姿、想像するだけでも妙に心が騒ぐ。しかしそういうものだ、それでこそ正常なものだ。

 仮にラフォリアが確実にその誘いを断っているだろうということが分かっていても、それでも"もしも"のことを考えてしまうのが恋というものだ。実はラフォリアには他の街に恋人が居る……などということを考えてしまえば、もうそれは本当に落ち込むどころの話ではなくて。

 

 

「……俺は、どうすれば」

 

 

「知らないわよ。何をしたところで団長は降ろされるんじゃない?フレイヤが許しても、他の子が許さないでしょうし」

 

「……フレイヤ様は、許してくださるのだろうか」

 

「許しても許さなくても、恋なんて消せない。それに私達は沢山の子供達を愛してるんだから。その子が自分以外にも愛を向けたからって怒るのは、お門違いもいいところでしょう」

 

「……だが、俺は……俺自身は……」

 

「めんどくっさ……なにこれ?私これ何処まで付き合えばいいわけ?もう疲れて来たんだけど」

 

「ア、アフロディーテさま……」

 

 アフロディーテは知っている、こういうタイプの人間の恋愛相談ほど面倒臭いものはないと。自分自身が許せないとか言い出した人間に付ける薬など何もないと。その前提がある限り、どんな言葉を掛けたところで無意味だ。一生そこに戻って来てしまう。

 ラフォリアのこと故に話を聞いてはいたが、アフロディーテとしてはそこまで付き合ってやる義理は何処にもない。なんならもうこのまま放っておいて、ラフォリアからも失望されてしまえばいいとすら思ってしまう。……ラフォリアのことを考えると、あまりしたくない事ではあるが。

 

 

「俺は……」

 

 

「〜〜ああもう!!いい!?ちゃんと聞きなさい!!」

 

 

「あ、ああ……」

 

 

 そのあまりの面倒臭さに、遂にアフロディーテはキレた。

 もうほんと、何もかもが面倒臭い。この男をどう処理すればいいのか考えている事さえも、面倒臭い。故にもう、突き刺してやることにした。事実で、そして真実で。

 

 

「アンタはこれから全部を失うわ!地位も名誉も信頼も自尊心も!全部よ!これを避ける手段は無いわ!だってもう1/3くらいは失くしてんだから!」

 

「……」

 

「けど断言してあげる!それでもフレイヤからの信頼だけは絶対に消えない!」

 

「……!」

 

「あんまり褒めたくないけど、フレイヤはそこまで器の小さい女じゃない。なんならラフォリアも一緒に愛してあげる、くらい言うような女なのよ!」

 

「それ、は……」

 

 

 それは以前にフレイヤ・ファミリアが負けた後、ラフォリアの病室を訪ねた際に。オッタルは似たような話を聞いていた。

 2人で子を作らないのかと、そんな話を。むしろそれを望んでいるくらいであった、奇妙なフレイヤの様子を。

 

 

「あとはアンタがどうするか!それだけ!」

 

「……その先が、分からない」

 

「自分を許せないからって自殺するのか!フレイヤの下からも離れて遠い場所へ逃げるのか!それとも恥を承知でラフォリアを取りに行くのか!これくらいしかないでしょうが!!」

 

「っ」

 

 

 アフロディーテは徹底的に逃げ道を塞ぐ。塞ぐというか、先回りして埋めていく。

 そして彼女は団員達が何処かから持って来た小さな箱を手に取ると、それを雑にオッタルに向けて投げつけた。慌てて受け取ったオッタルであるが、それを手に取りまた固まる。

 

 

「……恋しちゃったならもう仕方ないじゃない。それを飲み込んで自分を偽り続けて、無かったことにも出来るかもしれないけど……そんなの、私よりフレイヤの方が絶対に許さないわ」

 

「……」

 

「恋が出来るだけ、幸せなんだから。フレイヤはずっと悩んでいたわよ、自分に恋が出来る相手が見つからないことを」

 

「……!?」

 

「だから苦しむんじゃなくて、幸運に思いなさいな。誰かを好きになるってことは、本当はとっても素敵なことなんだから。……もちろん綺麗なことばかりではないけど、綺麗なことに間違いはないんだから」

 

 

 アフロディーテはそれだけを言い残すと、オッタルをその場において眷属達と共に歩いていく。助言はここまで、ここから先はもう何も知らないということなのだろう。むしろ相当に優しくしてくれた方だ。

 

 ……だって本音を言ってしまえば、アフロディーテはラフォリアにはもっと別の人間とくっ付いて欲しいから。少なくとも彼女だけを愛してくれるような、そんな一途な男性と一緒になって欲しいから。

 

 けれど、結局決めるのはラフォリアであるから、アフロディーテはそれを決めるようなことはしなかった。ただ可能性を潰すということだけはしなかった。

 これまでそういうこととは無縁であったラフォリアも、これを機会にそういう可能性に向き合ってみるべきだとアフロディーテは思ったのだ。この想いを受け入れるかどうかは別としても。それはきっと彼女にとっても良い影響を与えるだろうから。

 

 

 

 

 

 

「……でも、体格差やばいわよね」

 

 

 そういう意味では幼いラフォリアのことを、海の中でドキドキしながら見ていたオッタルの姿は……ちょっとヤバい人に見えたのかもしれない。

 

 

「もしかして、引き留めた方が良かった……?」

 

 

 せめて相応に成長するまで、最低でもあと5年くらいは気持ちを保留しておくべきだと。

 

 そんなことを伝えようとアフロディーテが立ち止まり振り返った時、既にそこにオッタルの姿は無かった。



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被害者67:猛者、剣姫

 さて、そんな諸々の経緯があった訳ではあるが。

 

 しかし何をするにしても筋というものは通すべきだろう。

 

 それこそ筋の通らないことをしようとしているのであれば、受けるべき罰は受けておくべきであるし、向けられる罵倒は受け入れるべきだ。たとえそこから何のアクションも起こすつもりはないとしても、何事も早めに報告しておくに越したことはない。それこそが信頼関係を保つために必要なものであり、これまで受けた恩に対する最低限の行為である。

 

 

 

 

 

「へぇ、そう……ラフォリアのことも好きになってしまったの」

 

 

 

「……はい」

 

 

 

 まあそんな難しいことはオッタルは考えておらず、ただただケジメとしてオラリオに戻って真っ先にここへ来た。

 これでもかと言うほどに頭を下げているオッタルを見下ろしているフレイヤであるが、オッタルからは彼女がどんな顔をしているのかは分からない。しかし流石の彼であっても今日ばかりは無表情では居られず、冷や汗を流しながらただただ心からの謝罪を繰り返していた。こんな事を聞いてフレイヤがどんな反応をするのか、それはオッタルでさえ分からなかったから。どんな罰を受けることになるのか、想像も出来なかったから。

 

 

「ねぇオッタル、つまり貴方は恋をしたってことよね?」

 

 

「……女神アフロディーテ曰く、間違いないと」

 

 

「そう、それなら間違いないのね。あの子が言うのなら、貴方は恋をしたんでしょう」

 

 

「………」

 

 

「………ふ〜ん」

 

 

「………」

 

 

 怒っているのだろうか、それとも失望しているのだろうか。顔が見えず、言葉も淡々としたもの。静けさだけが広がるこの空間で、オッタルはただただ言葉を待つ。下手な言い訳などしないし、そもそも思い付かない。故にもう、本当に苦しいが、心臓を凄まじい速度で叩きながら、彼はただこの静寂に耐えていた。このまま出ていけ、と言われることも覚悟しながら。

 ……けれど、それでも確かに彼は女神フレイヤのこともまた愛していたから。都合の良い話ではあるけれど、彼はそのどちらも諦めることなど出来なかった。それ故にどちらも手放してしまうことになるという、最悪な未来も可能性として見えてはいても。それでも。

 

 

「ねぇオッタル、私は別に貴方を罰するつもりはないわ」

 

「っ、ですが……」

 

「だって……私だって貴方達を差し置いて、ベルに恋をしているのよ?それなのに貴方を罰したら、私は本当に最低な女になってしまうじゃない。私をそんな下品な女にしないでくれるかしら?」

 

「………」

 

「それに。貴方がそうなってくれたのなら、私にとっても都合が良い」

 

「都、合……?」

 

「ええ、とっても都合が良いわ」

 

 

 頭を下げるオッタルの前に、フレイヤは再び座る。

 そしてゆっくりと頭を上げそうになったオッタルの後頭部にグラスを置き、彼の動きを拘束する。オッタルは更に顔を強張らせる。

 

 

「ラフォリアが欲しい、ラフォリアと貴方の子供を見てみたい、そんな思惑は今でもあるけれど……」

 

「……冗談では、なかったのですね」

 

「ええ、もちろん。でもそれより今はもっともっと貴方達に求めていることがある。……それは私がアルフィアと話した時に確信出来たの」

 

「……何を、なさるおつもりですか?」

 

「ふふ、聞きたいかしら?」

 

 

 まあぶっちゃけ、フレイヤは全く怒っていない。

 

 どころか、その表情は満面の笑みである。

 

 それでも少しだけ意地悪がしたくて、こうして頭を上げさせず言葉もなるべく感情を込めないように淡々と話しているが。フレイヤにとってオッタルが恋心を自覚したのは、あまりにも嬉しいことであったのだ。それは遂に子供の顔が見れるという目的以外にも……

 

 

「実はね、戦争を起こそうと思っているの。ヘスティア達と」

 

 

「……は?」

 

 

「そこで私は、ラフォリアを味方に引き込もうと思っているの」

 

 

「……は???」

 

 

 オッタルは珍しく、後頭部に載せたグラスを一瞬落としそうになるほどに自身の主神の言葉を疑ってしまった。だってそれはそれほどに信じられない話であったから。

 

 

「……お言葉ですが、フレイヤ様」

 

 

「ふふ、無理だと思う?ベルを賭けてヘスティア達に戦争をふっかけるのに、それにラフォリアが味方してくれるはずなんてないって」

 

 

「……はい」

 

 

「普通はそう思うでしょう?確かにアルフィアならどんな理由があろうと味方にはなってくれないわ。……でも、ラフォリアは違う」

 

 

「……?」

 

 

 フレイヤは確信していた。

 それこそまだラフォリアが死んだばかりの頃、アルフィアと言葉を交わしたあの時に。少なくともこの件に関しては、ラフォリアの手を借りることは出来ると。それほどにラフォリアはベルの件については彼の自由を尊重しているのだと。

 

 

 

 

「戦争で求めるのは、『ベルとの同棲生活』よ」

 

 

 

 

「……え」

 

 

 それはあまりにも可愛くて。

 そしてあまりにも平凡過ぎるような景品であった。

 

 

「私はこの戦争に勝って、ベルと2人で暮らすの。……ファミリアから奪い取る訳じゃない、独り占めもしないし、魅了を使って強引に私のものにするつもりもない。ただ1人の女として、何年掛けてでもあの子を堕とす。その準備をするの」

 

 

「そ、それは……」

 

 

「もちろん貴方達を手放すつもりもないわ。それをしてしまったら未来を見据えてるラフォリアは良い顔をしないでしょうし」

 

 

「……ラフォリアは、頷くのでしょうか」

 

 

「頷くはずよ。……だってそうでしょう?私は恋愛の勝負を有利に進めるための、アドバンテージを取りに行っているだけだもの。ヘスティアだってベルと一緒に暮らしていた。だから今度は私の番。そして私はそれを無にするつもりはない」

 

 

「ですが、恋愛に口を出す気はないと……」

 

 

「ええ、だからそれに見合った報酬が必要よ。そして私はラフォリアへの報酬として貴方を売り払うわ」

 

 

「……え」

 

 

 もう、なんか全部最低だった。

 当然のようにお前を売り払うと言われ、オッタルは一瞬完全に思考が消し飛んだ。だって話の流れからしたら、自分は許されるのだと思っていたから。これはまさかの裏切りである。もしかして本気で怒っているのではないかと、そう思ってしまうくらいに。

 

 

「恋愛に口は出さない。けど助っ人として報酬を出すのなら、話は別。その戦争の先にあるものもラフォリアが許せるものであるのなら、こんな面白いことにあの子が首を突っ込まない筈がない。……だってこんな戦争、冒険者達のレベルを上げるのに打って付けだもの」

 

 

「売り払う、というのは……」

 

 

「『オッタルが貴女のことを好きみたいだから、煮るなり焼くなり好きにしなさい』って言うのよ」

 

 

「……やはり怒っているのでしょうか、フレイヤ様」

 

 

「怒ってないわ、ただ使える手札を切っているだけよ?」

 

 

「……」

 

 

 

 

「まあそういうことだから、さっさと告白して来なさい」

 

 

 

「………え!?」

 

 

 

 オッタルの頭はもう爆発寸前だ。

 

 

 

「だって単に貴方を渡すだけだと報酬としての魅力が薄いもの、変に疑われるかもしれないし。それより『ラフォリアのことを好きになってしまったオッタル』を渡した方が、あの子の性格を考えるによっぽど喜ぶわ」

 

 

「し、しかし……こ、告白というのは……」

 

 

「それにこうして私に伝えに来たんだもの、元からラフォリアに想いを伝えるつもりはあったんでしょう?だって貴方、そんな想いを抱いたまま何事もなく友人関係を続けられるほど器用じゃないもの」

 

 

「うっ……」

 

 

 もう何もかもを見抜かれていた。

 そして見抜かれていた事を前提に、フレイヤは既に作戦を立ててしまっていた。しかしこれに対してオッタルは何も言うことが出来ない。彼はもうそれを断れる立ち位置には居ない。……だからそう、つまり。

 

 逃げ場は完全に無くなっていた。

 

 仮にこのままダンジョンに逃げて行ったとしても、オッタルが告白しないのなら、フレイヤがそれをバラしてしまう。だってそうでなくては、この報酬の価値が無くなるから。そしてオッタルとしてはそれだけは避けたい。男として、そんなあまりにも情けない恋心の伝え方はしたくない。そこまで含めて彼はフレイヤの掌の上であった。

 

 

「さて、オッタル。どうかしら?協力してくれるわよね?」

 

 

「……………はい」

 

 

「安心しなさい、私もちゃんと貴女の恋に協力してあげるから」

 

 

「……………はい」

 

 

「ああ、とっても楽しみ。こんなに色々なことが楽しみに思えるのはいつぶりかしら。……ありがとうオッタル、貴方のおかげで私は今とても幸せよ」

 

 

「……………はい」

 

 

 漸く顔を上げることが許されたオッタルは、楽しそうに鼻歌まで歌い始めたフレイヤの姿を見て、全てを諦めた。それはもう確かに色々と言いたいことはあるけれど。オッタルは決してフレイヤへの愛を捨てた訳ではないし、売り払われるなど何の冗談かと言いたい。

 ……それでも、悲しいかな。こんなにも楽しそうな顔をしているフレイヤを邪魔することなど、オッタルに出来る訳がなかった。これもまた惚れた弱みというものである。そしてここまで来るとオッタルの女の趣味というのも分かるというもの。

 

 

「さあオッタル、早速告白のシチュエーションも考えましょうか。今はどんなものが流行りなのかしら?久しぶりに恋愛小説なんか買ってきてしまおうかしら」

 

 

 どちらにしても。フレイヤはこれまで無かった、他人の恋愛に関わると言うことに対して心の底から楽しんでいた。その末にこの告白計画がどんな形のものになるのかは、ブレーキとなり得る人間が居ないことだけが気掛かりで……

 

 それから数日、フレイヤは戦争の計画を練りながらオッタルの告白計画も作り上げるという、彼女にしてはとても充実した日々を過ごした。恋というものはここまで人を綺麗にするものなのかとオッタルは驚いたくらいであったが、その要因の一つに自分の他人への恋心があると考えると、酷く複雑な気持ちにもなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほう、なるほど。色々と大変だったみたいだな」

 

 

「……はい」

 

 

「ラフォリアさんも、無事で良かったです」

 

 

「まあ、無事かどうかと言われると微妙なところだがな」

 

 

 オッタルがそうして主神に振り回されている最中、ラフォリアは一先ずの住まいとしている教会にアイズとレフィーヤを呼び出していた。

 アルフィアは今日は何やらダンジョンで何かが起きたと言うことで呼び出されており、過去の罪を良いことに色々と便利屋扱いされ始めていることに不満気な顔をしながらも、アイズ達にラフォリアを任せて出て行った。

 ラフォリアとしては万々歳である。ベル達はもう手遅れだが、アイズやレフィーヤ達に自分が子供扱いされている姿を見られずに済むのだから。……まあどちらにしても見た目は子供なのだから、子供として見られてしまうのは変わらないのだが。

 

 

「……鍛え直しているのか?レフィーヤ」

 

 

「……はい」

 

 

「しかし、やり過ぎだな」

 

 

「……分かっています」

 

 

「そうか」

 

 

 そんなラフォリアを前にしても明るい雰囲気にならないのは、正しくレフィーヤのその変わり様だろう。友人であるフィルヴィスと敵対することになり、最終的に彼女は自らの手で彼女を葬ることとなった。その間にもフィルヴィスは作戦に参加した多くの冒険者達を葬ったし、レフィーヤはそんな彼女を救うことが出来なかった。

 

 

「……ラフォリアさんのことを、思い出しました」

 

 

「?」

 

 

「ロキ・ファミリアを……私達を守るためなら、自分の命さえも厭わない。命に優先順位を付けて、ただ自分のすべき事を成す」

 

 

「……」

 

 

「だから私は……戦えました。それでも私の躊躇のせいで、多くの命が失われてしまったし、フィルヴィスさんは多くの命を奪ってしまった」

 

 

「……」

 

 

「作戦が失敗して、なりふり構わず抵抗することになってしまったフィルヴィスさん達に、生半可な言葉なんて届く筈がなかったのに……私はまた、私の心は、まだ……」

 

 

「……」

 

 

「レフィーヤ……」

 

 

 だからきっと、レフィーヤが鍛えているのは身体ではなく心の方なのだろう。少なくとも本人はそのつもりだった。アイズでさえ眉を顰める様な鍛錬を続け、怪我の具合も回復薬では追い付かないほど。

 けれどレフィーヤがそんな鍛錬を置いてここに来たのは、ある意味でラフォリアへの信頼があったからだ。他の誰もが今の自分を否定しても、彼女なら肯定してくれるのではないかと。ある意味ではそう、頼りに来てしまった。縋りに来てしまった。

 

 

「馬鹿かお前は」

 

 

「っ」

 

 

 けれどラフォリアがそれを肯定することなど、決してない。

 

 

「お前のそれは鍛錬ではない、逃げだろう」

 

 

「逃げ……?」

 

 

「痛みを覚えれば許されるとでも思っているのか?」

 

 

「っ」

 

 

「許されたいのなら餓死するまで墓の前で頭でも下げていろ、そんな自己満足に私は何の興味もない」

 

 

「……私は、そんな」

 

 

「相も変わらず半端なことをして時間を浪費するばかり、お前は本当にやる気があるのか?殴られていたら近接戦闘が上手くなるとでも思っているのか愚図」

 

 

 ……確かにラフォリアは努力は肯定するし、強くなりたいという意志を行動で示すことの出来る人間をとても気にいる。けれど同時に、そこに異物が混じっているのなら誉めることはない。仮にそれがアイズが顔を顰めるほどに酷い言い様であったとしても、彼女はそれを相手が神であろうとアルフィアであろうと関係なく言い放つであろう。

 レフィーヤが相談した女は、そういう人間だ。

 

 

「レフィーヤ、お前は悔しくないのか?お前が気に掛けているベルは既にお前の一歩後ろに居るぞ」

 

 

「!!」

 

 

「このまま追い抜かれていいのか?友まで殺したにも拘わらず、結局置いていかれたままでいいのか?相変わらずのレフィーヤ・ウィリディスのままでいいのか?」

 

 

「……いいわけ、ない」

 

 

「ならば言え、お前が本当にしたいのはなんだ?謝罪か?後悔か?自傷か?自殺か?ただ謝り続けて、自分の罪に人生を奪われ続けて、それでいいのか?お前の残りの人生は後悔に支配されたままでいいのか?」

 

 

「良い訳ない!!!」

 

 

「ならどうする」

 

 

 そしてきっとこの女は、最初からこの流れに持っていくつもりだったのだ。だって彼女は少なくともレフィーヤのことを気に入っていたし、その才能に目を光らせてもいたのだから。彼女ほどの才能の塊がこんなところで潰れることを見逃す筈など、絶対にない。

 

 

「……私に、私に戦い方を教えて下さい!!強くなる方法を!教えて下さい!!」

 

 

「……やれやれ、この期に及んでも他人頼みか。しかしその言葉を発したからには、覚悟は出来ているんだろうな?言っておくが私はお前のその様をこれっぽっちも酷いとは思っていないぞ。あの駄狼はお前以上にボロボロになっていたのだからな」

 

 

「それでも構いません!!……私はもっと、強くなりたい!!ベル・クラネルにも負けないくらい!!アイズさん達を追い抜くくらい!絶対に!!」

 

 

「……ふふ、いいだろう。お前を私の弟子にしてやる。そしてベルに負けぬほどに、アイズを追い抜ける程に強くしてやる」

 

 

「はい!!」

 

 

「え」

 

 

 直ぐ隣でそんなことを宣言されてしまったアイズは驚きの声を上げてしまうが、真剣なレフィーヤと楽しそうに笑うラフォリアはそんなことを一切気にかけることはない。

 覚悟がガンギマりしてしまったレフィーヤと、そしてこれほどまでに育て甲斐のある女に出会ったことで心の底から歓喜に溢れているラフォリア。ある意味では絶対に出会ってはいけない2人が出会ってしまったと言っても良かった。

 

 

「いいか?私の弟子になったからには、後衛一辺倒など許されると思うな。徹底的な万能……前衛も指揮も十二分に役に立てるよう、1秒たりとも時間を無駄にすることなくお前の身体に情報を叩き込んでやる。誰もがお前を戦士と勘違いするほどに気を狂わせてでも仕上げてやる」

 

 

「覚悟の上です。……むしろ私は、そうなりたい」

 

 

「ふふ、安心しろ、私の才能と経験の全てをお前に費やしてやろう。その全てを存分に食らい、存分に成長し、存分に足掻け。……次にベヒーモス(災厄)を倒すのは私ではない、お前だ」

 

 

「っ……はい!!!」

 

 

 オッタルの告白計画を練りながらフレイヤが歓喜に溢れている一方で、レフィーヤの改造計画を練りながらラフォリアもまた歓喜に溢れていた。

 ……まあつまり、オッタルの女の趣味はこういう奴等なのである。彼はその図体に見合わず、こういう女が好きなのである。こういう周囲から見れば普通にヤバい女達が好きなのである。

 

 

「あぅ……」

 

 

 そしてアイズもまた言い出せなかった。自分も強くなりたいから色々と教えて欲しいなどと。2人のこんなやり取りを目の前でこうして見せられてしまえば、言い出し難いにも程があった。




次の投稿は1日遅れます……ちょっと間に合いそうに有りません……


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被害者68:オッタル

 例えば待ちに待った手紙が漸く届いたとして、どんな手紙を想像するだろう。

 果たし状のような男らしい文?それともシールやビーズでゴッテゴテに飾られた可愛らしいもの?若しくはあまりにも真面目過ぎる堅苦しいものだろうか?

 

 しかし、現実は違う。

 目的地に向かって夜の道を歩いている彼女の手に握られているのは、まあ本当に簡素で何の面白みもない手紙である。書いてある内容も本当に簡単で、待ち合わせの場所と招待状が1枚だけ。

 それでも指定された場所がオラリオでも最高級の料理店であるだけ、それなりに認められても良いだろう。だからこそ彼女は、今日ばかりは自分の母親の頭をしばいてでも1人で出て来たし、衣装も最低限おかしくないものを着て来た。

 

 幼子のファッションというのはなかなかに難しい。あまりに金をかけ過ぎてもおかしいが、場所が場所だけに最低限のものは必要になる。どんな物を着てもカッコ良さは出ないし、かと言ってあまりに可愛らしい物を着る気にもなれない。

 故に結局選んだのはワンピース型のフォーマルドレス、暗めの色を選んだのは単純に多少であっても大人らしく見せたかったからだ。それは彼のためであって、決して自分のためでは無いけれど。

 

 

「……?お嬢さん、失礼ですがここは」

 

 

「招待状はある、これでいいか」

 

 

「!……これは失礼致しました。どうぞこちらへ、お荷物をお持ちいたします」

 

 

「ああ」

 

 

 相手が子供であっても礼儀を欠かさないのは、流石に高級店で働いている人間なだけはある。ラフォリアとてこういう店にはそれほど頻繁に来る訳ではないが、オラリオに来る前に各地を彷徨いていた時、何度か招待された事くらいはあった。

 マナーや作法などはその時に他の客を見て盗んだ経験があるだけに、多少乱雑ではあるものの、それでも笑われるほどのものではない。子供の見た目をしている今となっては、むしろ良く知っていると思われるくらいだろう。あらゆる面でハードルが下がっているのは、この身体になってからの利点の1つとも言えるのかもしれない。

 

 

「………」

 

 

 案内に従って歩いていく。

 

 しかし、妙に歩かされ過ぎている気もする。

 

 他の客達が食事をしている場所とは明らかに違う方向へと案内されているし、最早これは別棟である。しかもここから更にエレベーターに乗らされるらしい。

 バベルの塔にあるエレベーターの技術を応用しているのだろうが、であるならばこれは間違いなくそういう事なのだろう。少なくともエレベーターの技術は、そう簡単に設置出来るほど普及している訳ではないのだから。

 

 

 

「………」

 

 

「………」

 

 

「どうぞ、ごゆっくり」

 

 

「……ああ」

 

 

 案内された席に座り、ウェイターが出て行くのを見送る。

 

 建物の最上階、しかも個室。

 流石にバベルの塔には及ばないが、他の建物と比べてもそれなりに高い位置に存在するこの場所で。相対するのは幼女と大男。あまりに危険な組み合わせ。しかしそれこそ、こんな場所でなければ許されない組み合わせでもある。男はそれを見越して、この場所を選んだ。この場所がいいと思った。

 

 

「……良い場所だな、一体いくら積んだ?」

 

 

「決まった金額はない、その日の使用権を競り落とす。確保したのはフレイヤ様だ」

 

 

「なるほど、あの女が好みそうな場所ではあるな」

 

 

「……」

 

 

 オラリオの夜景を見下ろしながら、最高級の料理を楽しむことが出来る。加えて間違いなく2人用にデザインされているこの空間は、つまりは常日頃からこういう事に使われているのだろう。

 ……それこそ本来は会ってはならないような関係の男女だったりが、お忍びで会うために。故に変に歩かされたのだ。誰と誰がここで会っていたのか、一切の情報を外に出さないために。尾行されている可能性すら、この店は考慮しているということ。

 

 

「ふふ。それにしても、よくもまあそんなサイズのスーツがあったな。今の私が3人は入る大きさだろう」

 

 

「……特注品だ」

 

 

「まあ似合ってはいるな。褒めてやろう、デザインした職人を」

 

 

「……お前も、よく似合っている」

 

 

「そうか?そう言われると気分は良いな」

 

 

 酒ではなく果実搾りが入っているグラスを傾けながら、ラフォリアは軽く笑う。しかしそんな軽い仕草でさえも、こうして動揺してしまうのは何故だろう?本当に大変なものだ、この感情は。

 

 

「それで?まず私に何か謝ることはないか?オッタル」

 

 

「……謝ること?」

 

 

「よし、もういい。そうだな、お前はそういう奴だ。バーカバーカ、頭割れろ」

 

 

「え」

 

 

 突然の可愛らしい暴言。

 けれど、それだけでは終わらない。

 

 

「ちなみに私はお前に言うことがあるぞ、オッタル」

 

 

「なんだ?」

 

 

「……悪かったな、助かった」

 

 

「!」

 

 

「お前がオリンピアに来ていたことは知っている。どうあれ、私がアルフィアに負けることが出来たのはお前の手助けあってこそだ。それについては素直に感謝している」

 

 

「……そうか」

 

 

 子供の姿であるにも関わらず、見ている側がドキドキとしてしまうような上品な所作で果実搾りを飲むラフォリアの口元を盗み見つつ、オッタルは頷く。

 まあ元よりオリンピアでの行動はそれほど隠すつもりもなかった事ではあるが、まさか負かしたことに感謝される日が来るとは思っていなかった。それでも恨み言もなく彼女は本当に感謝している様子なのだから、自分のやったことは間違いではなかったのだろう。それはオッタルとて素直に嬉しい。

 

 

「……なんだ、お前はさっきから何を見ている。私の顔になにか付いているか?」

 

 

「!?……い、いや、なんでもない」

 

 

「何か変な物でも食べたか?こんな高級店で毒物が出て来る訳でもあるまいに」

 

 

「……」

 

 

「そもそも、ようやく顔を見せたかと思えば、こんな場所に呼び出して。ならば相応の話があるのではないかと思えば、どうも様子がおかしい」

 

 

「……それ、は」

 

 

「やれやれ、本当にどうした。何か悪いことでもしたのか?まあ私とお前の仲だ、相談事くらいは聞いてやる。……フレイヤに黙って他の女に手を出した、なんて話であれば御免被るが」

 

 

「……」

 

 

「……おい?お前まさか本当に!!」

 

 

「ち、違うっ!そんなことはしていない!!本当だ!!」

 

 

「まあ、ならいいが……」

 

 

 あらぬ方向に誤解が広がりそうになったところで、オッタルは必死になって否定する。そんなものは誤解の中でも1番されたくないものだ。確かに他の女に心を動かされてしまってはいるが、それは目の前の女にだ。決して何処の誰とも知らない女に手を出した事などない。

 

 

「それで?今日は本当に何のようだ?」

 

 

「……一先ず、これをお前に返したい」

 

 

「うん?なんだこれは」

 

 

「預かっていた、お前のドレスだ」

 

 

「……」

 

 

「正しくは、既に死んだお前から預かっていたものだが」

 

 

「……そうか、私はお前に返していたのか」

 

 

 取り出した箱に入っているのは、ラフォリアから自死する前に返されていた白のドレス。それを返すこともまた、オッタルの今回の目的の1つだった。……だが。

 

 

「?……どうした?」

 

 

「……悪いな、それは受け取れない」

 

 

「何故だ」

 

 

「それは死んだ私のものだからだ、奴と私は別人だ」

 

 

「……だが」

 

 

「そんな面倒な事実は忘れた方がいいに決まっているが、それでもお前だけは奴のことを忘れないでやってくれ。お前がそのドレスを持ち続けているだけで、奴は満足する筈だ」

 

 

「……そう、か」

 

 

「まあ、どうしてもと言うのであれば、別のドレスをまた私に贈れ。またお前のセンスが試されることにはなるが、それもまた一興というものだろう」

 

 

「……分かっ、た」

 

 

「くく、お前のそういう困った顔が私は本当に好きだ。何度見ても飽きんな」

 

 

「うっ」

 

 

 こんな言葉でさえ、顔が熱くなる。そしてそんな自分を見て、ラフォリアもまた訝しげにこちらを見て来る。それを隠すように酒を飲み込むが、しかしそれでもLv.8の肉体だ。容易く酔わせてはくれないし、酒に逃げることさえも許して貰えない。

 

 

「だから、今日のお前は何なんだ本当に。海を泳ぎ過ぎて風邪でも引いたんじゃないのか?」

 

 

「……身体が、元のお前のものに戻っている」

 

 

「?まあそうだな」

 

 

「今のお前を見ていると、昔を思い出す……」

 

 

「ああ、なんだ、懐かしんでいたのか。まあ確かに、私とお前が遊んでいたのはこれくらいの頃だったか?お前と別れた後も、相応に成長はしていたのだがな。とんでもない美人だったぞ、成長した私は」

 

 

「……色々と言いたいことはあるが、俺はお前と遊んでいた覚えはない」

 

 

「私からすれば遊んでいたようなものだ」

 

 

「……」

 

 

 否定出来ないから悲しい。

 

 確かに当時のラフォリアからすれば、オッタルがどれだけ必死になろうとも遊び相手程度にしかなっていなかっただろうし。……それと正直、ラフォリアの成長した姿についてもオッタルは滅茶苦茶に興味がある。だが仕方ないだろう、そんなの見たいに決まっているのだが。まあそれも10年後にお預けになった訳であるのだが。

 

 

「ん?……ほう?このボタンを押しておけばウェイターが中に入って来ないのか。なかなか面白いな、ここは。ベッドもあるのか?」

 

 

「……いや、ないが」

 

 

「なんだ、こういう場所なのだから男女の関係くらいありそうなものだが」

 

 

「!?」

 

 

「そういう行為は別の場所でやって欲しいということなのかもしれんが、どうせやる奴はやっているだろう。そのための個室みたいなところもあるんじゃないか?」

 

 

「……あ、あまりはしたない事を言うな」

 

 

「はっ、初心かお前は」

 

 

「……」

 

 

「……なるほどな。本当に初心のような反応だな」

 

 

「っ」

 

 

 ラフォリアはそれ以上は何も言わず、淡々と食事に手をつけ始める。オッタルのおかしな様子を指摘することもなく、オッタルに目を向けることもなく、淡々と。

 

 

「……ラフォリア」

 

 

「もう大して話すこともないだろう、お前も食え」

 

 

「違う、俺は……」

 

 

「オッタル」

 

 

「?」

 

 

「気の迷いだ」

 

 

「……!!」

 

 

「冷静になれ、そんなことは有り得ない。黙って食べろ、そして帰って頭を冷やせ。この話はそれで終わりだ」

 

 

「っ」

 

 

 少し考えれば分かる話。自分という人間が目の前の女に隠し事など出来る筈もないし、それこそ大半のことを見抜かれてしまう。それはこれまでもずっとそうだった。そしてきっと、これから先もそうだ。だから予想出来る話でもあった。……それがすっかり頭から抜けていたのは、やはり自分も多少浮かれていたのか。

 

 

「気のせいでは、ない」

 

 

「いや、気のせいだ」

 

 

「事実だ」

 

 

「勘違いだ」

 

 

「この話を終わらせる気はない」

 

 

「その話を聞く気はない」

 

 

「……そうまで嫌なのか、ラフォリア」

 

 

「ああ、嫌だ。そんなことはあってはならない」

 

 

「……」

 

 

「そんなこと、私は認めない」

 

 

 ……これもまた、分かっていたことだ。ラフォリアがこの気持ちを受け入れてくれないことくらい、最初から分かっていた。

 だってラフォリアは、オッタルの強さと努力を認めていたし、その根本にあるのがフレイヤへの愛だと知っていたから。だから彼女は恐れているのだ。その愛が変わってしまえば、オッタルもまた変わってしまうのではないかと。オッタルもまた強さを求める事を止めてしまうのではないかと、彼女はそれを心配している。そうなって欲しくないと、願っている。

 

 

「……俺は変わらない」

 

 

「既に変わった奴が何を言う」

 

 

「お前の期待は裏切らない」

 

 

「今裏切っているだろう」

 

 

「まだ裏切ってはいない」

 

 

「私は裏切られた気分だ」

 

 

「だが事実として、俺は強くなっている」

 

 

「……」

 

 

「だからそれはお前の思い込みだ、ラフォリア」

 

 

「……」

 

 

「少なくとも俺は、この件で強さを諦めるつもりなど毛頭ない」

  

 

「……まさかお前に口で負かされる日が来るとはな」

 

 

「っ」

 

 

 瞬間。ラフォリアが投げ付けたナイフをオッタルは咄嗟に掴み取る。いくら幼子になったとしてもLv.7、そこらの冒険者であれば額を撃ち抜かれていてもおかしくない。彼女の突然のそんな行動に驚きはしたものの、向き直ったラフォリアはそれでもオッタルに対して困ったように笑っていた。

 

 

「やれやれ。これで額にでも突き刺さっていれば、やはり弱くなっていると言ってやれたのだが」

 

 

「……さっきも言ったが、弱くなるつもりはない。そもそもお前の隣に立つにあたって、弱きに浸ることなど許されない」

 

 

「別に私は伴侶を作る際に強さなど求めん」

 

 

「……そう、なのか?」

 

 

「意外か?だが別に私は力だけが全てだとは思っていない。何らかの分野で私以上に優れているのであれば、まあ一考の余地はある」

 

 

 そう言いながらもラフォリアはオッタルから自分のナイフを受け取ると、改めて衣服を直す。それまでしていた拒絶の意思を捨てて、その小さな身体で彼を見上げる。目と目をしっかり合わせて、向き合う姿勢を作った。彼の言葉と、その意思に、目を背ける事なく受け入れる姿勢を。

 

 

「その前に、いくつか聞きたい。……そもそも今日のこれは、どこまでがフレイヤの仕込みだ?」

 

 

「……店の予約までだ」

 

 

「ほう?それは意外だな、あの女ならばもう少し手を出して来そうなものだが」

 

 

「ならばお前は、全てをフレイヤ様が作った誘いを嬉しく思うか?」

 

 

「いいや、思わない。お前がそんな滑稽な男であれば、今この場で顔面を蹴り上げていた」

 

 

「故に断った。……食事の内容から服装まで、全て相談はしつつも俺が決めた。それが多少滑稽なものであったとしても、その方が良いと判断した」

 

 

「……なるほど」

 

 

 そんなオッタルの言葉に、ラフォリアは微笑む。普段の彼女からは見れないようなその優しげな笑み、どうやらオッタルの判断は間違っていなかったらしい。

 食事の内容にもかなり気を遣った。飲酒など出来ないのだから酒は出せないし、かと言って子供過ぎる飲み物でもラフォリアは絶対に嫌がる。故に果実搾りから敢えて果肉を取り除いてワインを模した形にして貰ったし、同じ様なことを食べ物の方にもして貰っている。

 そもそもこの店を選んだのもオッタルであり、この部屋を使いたいと願ったのも彼。それは決して自分に対する周囲の目を気にした訳ではなく、彼女がなるべく寛げる空間を作るためだ。そしてきっとラフォリアは、オッタルのそんな気遣いにも気付いていた。そしてそれがフレイヤが仕込んだものではないと聞き、素直に嬉しかったのだ。だからこそ彼女は、今もその優しげな笑みを崩すことはない。

 

 

「なら次だ。率直に言って、これまでのお前にとっての私とはどういう存在だった?」

 

 

「……馴染みであり、宿敵であり、憧れだ」

 

 

「ふむ……」

 

 

「それなりに長い付き合いだった、お前のことをよく知っているつもりだった。そして俺はお前に一度たりとも勝つことが出来ず、最後まで弄ばれたままだった。……だがそれ以上に、お前に憧れていた」

 

 

「そうか」

 

 

「お前の強さに、お前の才能に、お前の考え方に。そしてお前は強いだけではなかった。幼いながらに、あまりに多くのことを考えていた。……お前のその深さに気付いたのは、別れてから何年も経った後の事だったが」

 

 

「そう褒められるとむず痒いな」

 

 

「……お前が死んだとは、思いたくなかった」

 

 

「……」

 

 

「お前なら確実に病を克服して帰って来ると、願っていた」

 

 

 それはリベンジの機会が欲しかったから。そしてこれまでの努力の成果を見せたかったから。何より、認めて貰いたかったから。忘れたことなど無かった。それこそ対抗策としての武具を見つける度に買ってしまっていたくらいには。それくらいには、意識し続けていた。

 

 

「ふっ、よく言う。一度も会いに来なかった癖にな」

 

 

「……悪かった」

 

 

「別に謝らせたかった訳じゃない」

 

 

「……足が動かなかった。それをしてしまえば、フレイヤ様を裏切ることのように思えて」

 

 

「……」

 

 

「もしかすれば、その時には俺自身もう本当は気付いていたのかもしれない。単に馴染みに会いに行くだけであれば、それは何の裏切りにもならないにも関わらず。俺はそれを罪であると考えていた」

 

 

「そうか」

 

 

 いくら女と言えど、相手は子供。いくらヘラの眷属と言えど、それを咎めるほどフレイヤは寛容がないわけではないし、むしろ彼女なら一緒になって着いてきたくらいだろうに。

 

 

「……私からしてみれば、お前は弟のようなものだった」

 

 

「弟……」

 

 

「それくらいには当時の私とお前の間には精神的な年齢差があったからな、仕方ないだろう。図体だけはデカい癖に、妙にガキのような頭をしている変な奴。だが私はお前のそういうところを好ましく思っていた」

 

 

「……ああ」

 

 

「そして、お前は今も変わらずガキのままだ。大人の作法を覚えても、本当に何もかもに直向きになる。あの頃から変わらないその根本を見て、私は本当に嬉しかった。そして同時に愛おしくも思った」

 

 

「っ」

 

 

「世界が変わり、オラリオが変わり、自分の居場所さえ無かったこの世界で。ただ孤独を噛み締めていた私がお前を見つけた時の幸福が、少しは分かるか?あの頃から全く変わらず馬鹿のように前に突き進み、遂には私の障壁すら破壊して踏み入って来た」

 

 

「……物理反射の、障壁」

 

 

 武器も防具も無く、対抗策さえ投げ捨てて、その身体一つで飛び込んだあの記憶。本当に楽しそうにそれに相対していた、ラフォリアの姿。結果として最後には負けてしまったけれど、それでラフォリアを失望させてしまったのではないかと心配さえしていたけれど。

 

 

 

 

「私は、お前に救われたんだ」

 

 

 

 

「!!」

 

 

 

「お前が居たから、私は今ここに居る」

 

 

 

「ラフォリア……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう、オッタル」

 

 

 

 

 

 ……それはきっと、彼女が普段から被っている大人としての仮面を完全に取り払った先にあるものだった。

 

 ほんの一瞬、けれど目と記憶に焼き付けるには十分な時間。たとえ相手がフレイヤであっても、これを見せたくはないと。そんな独占欲さえ溢れ出して来るような、一瞬の煌めき。

 

 

「っ」

 

 

 故に、オッタルは覚悟を決める。

 その子供のような無邪気な笑みを見せられて、より意思が強く固まった。この気持ちが勘違いでもなんでもない、間違いのないものだと確信出来た。だから勇気付けられた。独占したい欲と、誰にも取られたくない焦り。自分の中の全ての感情が、揃って背中を押している。そんな今でもなければ、きっとこんなことは出来はしない。

 

 

 

 

「……ラフォリア」

 

 

 

 

「ああ」

 

 

 

 

 背筋を伸ばし、拳を握る。

 

 取り出した小箱を手に、唾を飲む。

 

 久しくなかったほどに心臓が高鳴り、どれほどモンスターと戦っても流れることのなかった汗が頬を伝う。自然と腹部に力が入り、なんとなく息も浅くなる。

 

 

 ……それでも、情けない姿は見せたくない。

 

 

 一世一代の大勝負、こんなところで恥などかきたくない。

 

 

 分かっている、自分が不器用なことなど。嫌というほどに知っている。それでも今日だけは失敗したくない。今日だけは絶対に彼女を失望させたくないし、呆れさせたくない。及第点でも駄目なのだ、最高点でなければ駄目なのだ。

 

 

 

 

 ……今日この日だけはオッタルは、

 

 

 

 世界の誰よりもカッコいい雄でなければならないのだ。

 

 

 

 横に立つことを誇って貰えるような、そんな雄に。

 

 

 

 

 

 

 

「ラフォリア……俺は、お前を愛している」

 

 

 

「……」

 

 

 

「お前からすれば、不出来な男に見えるかもしれない。だがこの気持ちに決して偽りはない。……お前の横に立つためであれば、俺は如何なる困難だろうと乗り越えられる」

 

 

 

「……そうか」

 

 

 

「お前と出会えたからこそ、俺は多くのことを知った。そしてより多くのことを見るようになった。そうして見るようになった中に、お前が居た。……2度もお前の死を見送った男だ、お前に心配を掛けることもあr」

 

 

 

「オッタル。……前置きが長いぞ」

 

 

 

「……ああ、そうだな」

 

 

 

 小箱を開ける。

 アフロディーテから手渡された時にはカラであったその中には、今は彼自身が選んだ指輪が入っていた。何もかもが同じように見える指輪達の中で、ラフォリアのイメージを伝え、店員と何時間も何時間も懸命に話し合い悩みながら選んだ、一本の指輪が入っていた。

 

 

 

 

 

 

「結婚を前提に、俺と付き合って欲しい」

 

 

 

 

 

 ……もしかしたら、それは少し気の早い台詞だったかもしれない。そもそも指輪を用意して来たことさえも、少し重い選択であったかもしれない。

 それでもフレイヤから渡された恋愛小説を何本も読んで、色々な台詞とシチュエーションを考えた。そしてこれが1番だと思った。

 

 

 いや、自分がそうしたいと思ったのだ。

 

 

 それを言葉にしたいと。

 

 

 それを贈りたいと。

 

 

 自分自身の意思で、決めたのだ。

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 

 

「!」

 

 

 

 言葉もなく、差し出されたのは左手。

 

 互いに顔を赤く、心音が煩いほどに静寂の中。

 

 しかしその意味が分からぬほど、オッタルは鈍感ではない。

 

 

「っ」

 

 

 少し慌てながらも小箱から指輪を取り出し、差し出された彼女の手を取る。

 彼女の反応を伺いながらもそれを薬指に嵌め込んでいっても、彼女は決して拒絶することなどなかった。少し不安げな自分の顔をジッと見ながら、されるがまま。

 

 ……悲しいことに、選んだ指輪のサイズは彼女の指に対しては少し大きかったけれど。着けたそれを彼女は自分の顔の前へと持って行き、鈍く光る小さな宝石に目を細めた。それから大切そうに胸元に両手で抱えると、少し息を深く吐きながら微笑み目を閉じる。

 

 

 相変わらず、言葉はない。

 

 

 言葉はなくとも、いいのかもしれない。

 

 

 だって彼女は、受け取ってくれたのだから。

 

 

 もう返さないとばかりに、抱えてくれているのだから。

 

 

 だからそれは、つまり……

 

 

 

 

 

 

「……オッタル」

 

 

 

 

 

「ああ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すまん、流石にそれはあと5年待ってくれ」

 

 

 

 

 

 

「え"」

 

 

 

 

 

 

 その日、オッタルは普通に振られた。

 

 

 信じられないほどの満面の笑みで。

 

 

 相応しくないほどの、幸せそうな表情で。

 

 

 

 

 最後のヘラの眷属に、彼は笑って振られたのだ。



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被害者69:静寂

 昼を少し過ぎたオラリオの街は、正しく交易の中心地といった様相を呈している。そんな光景をテラスから見下ろしながら茶を啜る、2人の女。

 

「なるほど、つまりお前たち主従は揃って振られた訳か」

 

「そう、残念なことにね。オッタルはともかく、私まで振られてしまうなんて思わなかったわ」

 

「ふっ、私としては好都合以外の何物でもないがな」

 

 両家の母親同士の話し合い、しかしこの雰囲気はそんな厳かなものではない。かつて自分をこの街に縛りつけることとなったヘラの眷属達、それを前にしてもこれほど寛げるようになったのは、やはりフレイヤに生じた明確な変化だろう。そして明らかに関わるのも面倒なこの美の女神と一緒に茶を啜れるようになったのも、アルフィアの変化だ。

 

「それにアレは今、弟子の育成に楽しみを見出している。それこそ抗争や恋人関係よりもよっぽどな、まだ毎日家に帰って来るだけマシだろう」

 

「はぁ、とんだダークホースよねぇ。まさか"千の妖精"に取られてしまうだなんて。せっかく貴女を押さえ込んで貰って、オッタルをフリーに出来ると思ったのに」

 

「馬鹿を言うな、Lv.8になった馬鹿を私無しでどう止める気だ。ロキのガキ共を参戦禁止にしたのはお前だろう」

 

「だから"剣姫"と"千の妖精"の参戦は認めてあげたじゃない」

 

「それもラフォリアに脅されての話だろう。懐柔するつもりが逆に条件を付けられて、哀れだな」

 

「それで貴女は剣姫を育てているのね。ほんと、母娘揃って才能を囲い込むのに抜け目がないわね」

 

「焦った様子で頭を下げて来たからな。それとラフォリアとの育成力競争とでも言うべきか。……本来なら育てる相手は逆の方がいいだろうが。はてさて、あのエルフもどう育つことになるのやら」

 

 レフィーヤのやる気と、それに対して全力で乗って来たラフォリアを目の前で見て、酷く焦ったのは他でもないアイズである。このままでは本当にレフィーヤに追い抜かれてしまうと思ったのか、彼女が思いっきり頭を下げてでも鍛錬を求めに来たのはアルフィアだった。

 ラフォリアのあの様子から暫くは熱中するだろうなと予想したアルフィアは、それを断ることなく、むしろ自分も冒険者を育てるということをしてみようと思った。その結果、今はアルフィアがアイズに教えを施している。主に彼女が得意ではない対人戦について。

 まあ、本来なら後衛のレフィーヤにアルフィアが、近接戦闘が得意なアイズにラフォリアが着くべきなのだろうが、こうなってしまったら仕方ないだろう。出来る限りのことをして、楽しむ以外に他にない。そう思った結果、こんな感じになっている。

 

「というか貴方達、ベルの方はいいの?むしろそっちに力を入れるのが筋じゃないかしら」

 

「ああ、今日はその話をしに来た。……というより、ラフォリアからついでにその話をして来いと言われている」

 

「……今度は何をするつもり?」

 

 

 

「ベルをお前のところに預けるらしい」

 

 

「……は?」

 

 

「ベルを暫くフレイヤ・ファミリアに預ける。そう言った」

 

 

「……貴女本気?」

 

 

 困惑するフレイヤに、アルフィアは大きな溜息を吐く。その様子からしても、恐らくそれは彼女の本意ではないことがわかる。しかし彼女だって娘の言うことならばなんでもホイホイ聞くような甘い女ではない。つまりそこになんらかの理由があることもまた間違いなくて。

 

「私とて反対したのだが、今のベルを強くするにこれ以上の方法はないというラフォリアの言葉には頷かざるを得なかった」

 

「……そんな敵に塩を送るようなことを、私がすると思うのかしら?」

 

「するだろう。なにせこれは本格的な同居前のお試し期間。そしてもっと言えば、お前が次の抗争で負ければ、これが最後のチャンスにもなり得る」

 

「……!!」

 

「もちろん、手を出すことは許さない。だが健全な自由恋愛の範囲ならば……まあ、私も別に鬼ではない。今回ばかりはお前の恋愛にも目を瞑ってやることも出来る」

 

「……本当に、いいの?」

 

「その代わり、条件を守れ。……殺さないこと、壊さないこと、侵さないこと、強くすること。加えて見張り役としてアルテミスを側につけ、私達も定期的にベルの顔を見に行く。……これがラフォリアと擦り合わせた結果、私が妥協出来るギリギリのラインだった。飲めないのならこの話はここで終わるが」

 

「十分よ!……絶対に守るし、守らせるわ。約束する、誓っても良い」

 

「……なるほど。お前のような女にも、少しは可愛らしいと思えるようなところがあったのか」

 

 そんな風に、本人のベルにはなんの相談もなく進んでいくこの話。ラフォリアから出たその提案は、単にベルを強くするためなのか、それともフレイヤに対して慈悲を与えたのかは分からない。

 ただ少なくとも、フレイヤにこんな一面があったことをアルフィアは知らなかったし、それをラフォリアが知っていたことにも驚いている。そしてそれを見てしまえば、甘いのかもしれないが、嫌悪感も少しは薄くなる。

 

「まあそういうことなら良い、ベル達にも後で伝えておこう。……私としても、お前とは今後も最低限の付き合いはしていかなければならないからな。多少の譲歩はしてやる」

 

「……それは、新郎新婦の親同士として?」

 

「ああ、全くもって受け入れ難い話だがな。本人がアレが良いと言っているのなら、もう何を言っても仕方あるまい」

 

「ふふ、でもそうね。5年後に盛大な式を挙げないといけないんだから、それまでは私もあまり派手なことは出来ないわね」

 

「抗争を宣言したような奴が何を今更……」

 

「それとこれとは話が別だもの」

 

「もうお前のところに居場所ないだろ、あの猪」

 

「ふふ、可哀想なオッタルよね」

 

「同情するつもりもないがな」

 

 噂とは何処からともなく漏れていくもので、普段は手套で隠しているその婚約指輪だって、例えば手を洗う時なんかに見てしまう者だっている。その相手がオッタルであるということも既に広まってしまっていて、彼は10歳の少女に婚姻を申し込んだロリコン野郎であると言われてしまっている現状。当然ながらファミリア内でも居場所はなく、肝心のラフォリアもレフィーヤに付きっきり。針の筵である彼は今、とても辛く悲しい立ち位置にいる。

 

 ……それでもアルフィアが同情するつもりがないのは、もちろん小さな娘にそんな感情を向けている大男に対する不信もあるが、なによりラフォリア自身が時々自分の指で輝く指輪を見て嬉しそうにしているのを知っているからだ。だからムカつくのだ。理性とかどうこう以前に、感情的に。

 

 

 

 

 

「けど、まさか君達が本当にそんな関係になるなんて。僕は驚いたよ、ラフォリアくん」

 

「ぼ、僕も驚きました……!」

 

「うん?まあ、そんなものか」

 

 まだフレイヤ・ファミリアにぶち込まれることになることを知らないベル。そんな彼は少し前の遠征で大層酷い目にあったらしく、今はまだ治療中の身。入院中の彼を見舞うために今日ヘスティアと共に訪れたのが、他でもないラフォリアであった。

 ……加えて、ラフォリアは既に今回のことを2人には教えている。というか彼女は隠すどころか、むしろそれなりに関わりのある相手に対してはそれを進んで教えていた。だって仕方ないだろう、嬉しいのだから。彼女がそれを嬉しく思っているのは、その話を聞かされた誰もが分かっていることなのだから。皆その話を微笑ましく聞いていて、それはベルとヘスティアだって同じ。

 

「それにしても5年後かぁ……いやぁ、責任を感じるなぁ……」

 

「まあ、お前が私を元の身体で蘇らせていれば5年も待つ必要はなかったからな」

 

「そ、そんなこと言ったらラフォリアくんが最初から素直に蘇ってくれていればこんな事にはならなかったんだ!僕だけの責任じゃないやい!」

 

「ま、まあまあ神様」

 

「ふふ、相変わらず騒がしい女神だ」

 

 病室では静かにしましょう、という話はあるけれど。まあ何より今のラフォリアは他人の大声で苦痛を感じることもなく、むしろ騒ぐヘスティアに微笑ましい目を送っている。そんな変化を2人は嬉しく思うし、ラフォリアだって嬉しさを持っている。だからきっと、これで良かったのだ。最善ではなかったかもしれないけれど、悪くはない。

 

「……そういえば、ラフォリアさんのあのスキルってまだ残っているんですか?」

 

「うん?ああ……」

 

「あー、あのアルフィアくんになるってスキルか……」

 

「……まあ、残っていると言われれば残っているが」

 

「だ、大丈夫なんですか?」

 

 ベルは身を乗り出して、それを聞く。全ての元凶ともなったそのスキル、それがまだ残っているのなら大問題であるが……

 

「残ってはいるが、最早何の意味も持たない」

 

「……?」

 

「ベルくん、君達に発現するスキルや魔法は本来君達が持っている物なんだよ。つまりそれは、君達の本質と言えるものを、僕達がより効率的に引き出していると言える」

 

「えっと、それと関係があるんですか……?」

 

「要は本質そのものが変わってしまったら、魔法やスキルは機能不全を起こす事があるのさ。……今のラフォリアくんがあのスキルを使っても、以前と同じ効果を得られることはない。少なくとも簡単に剥がれてしまうような、脆くて小さな転写しかもう出来ないだろうね」

 

「私としては都合が良いがな」

 

 アルフィアという存在を欲していた彼女であるが、既に今は本当にアルフィアが母親として側に居てくれる。ならば本質であったその想いが満たされてしまった以上、スキルの効果が弱くなるのは当然のこと。

 人の本質は確かに変わらないが、飢餓を潤してやることくらいは出来る。例えばそれはラフォリアがもう飽き飽きするほどにアルフィアが構い倒して来たりだとか、延々と抱き上げて来るだとか、そういう行いが要因となって。

 

 

「だからもう、私を心配する必要はない。ベル」

 

 

「……!」

 

「私はもう大丈夫だ。……お前達に救われて、なんなら少し不安になるくらいに幸せになれた。つい1年前の自分であれば絶対に信じられないほどに、今の私は満たされている」

 

「ラフォリアさん……」

 

「お前ともまたこうして笑って話せる訳だしな、それだけでも十分な奇跡だろう」

 

「……はい」

 

 

 

 

 

「だからそれよりお前は自分の恋の方を心配するべきだぞ、ベル」

 

 

 

「はぁあ!?恋ぃ!?」

 

 

「ひぃっ!?」

 

 

 ヘスティアが更に喧しくなった。

 

 

「恋!?今恋って言ったかい!?ベルくん!?まさかまたヴァレン某くんなのかい!?またヴァレン某くんのことなのかい!?」

 

「お、おおおおお落ち着いてください神様!こ、これには深い訳が……!!」

 

「ベルを狙っている女は多いからな。お前もうかうかしていられないぞ、ヘスティア」

 

「そ、そそそそうなのかい!?サポーター君と春姫くんとフレイヤ以外にもまだ他に居るのかい!?」

 

「さあなぁ?そこまで教えてやるつもりはない。私は中立なんだ、知りたければ自分で調べるんだな」

 

「む、むぐぐ〜!!」

 

 ベルを巡る恋のバトルは、これからが本番だ。きっとフレイヤの行動を機に、その辺りのものも動き始めるだろう。ラフォリアからしてみればそれはとても面白いものに見えるが、それに向き合わなければならないベルは大変だ。中途半端な気持ちで向き合うことなど許されないのだから。

 

「あの……また相談に乗ってくださいね、ラフォリアさん」

 

「!……ああ。私とお前の仲だ、それくらいの面倒は見てやろう」

 

 母と子、姉と弟、2人の関係を言い表そうとすると難しくはあるけれど。血が繋がっていなくとも家族にはなれるということを知り、実感した2人の間には。今も確かな絆があった。

 

 

 

 

 

 

「……それで、お前はもうここに滞在することにしたのか?アルテミス」

 

「うん、そのつもりだよ。眷属達もここ数ヶ月で何人か相手を見つけてしまってね、流石に彼等を引き離すようなことを私はもうするつもりはないんだ」

 

「そうか」

 

 虫の声しか聞こえないような月夜の下。

 特に何をするでもなく、肩を並べて空を見上げる。

 アルフィアにバレたら怒られてしまうような時間帯ではあるけれど、それでもこの静寂は心地良い。

 

「……正直な」

 

「うん」

 

「こうも都合の良いことが重なると、不安にもなる」

 

「これが夢なんじゃないか、って感じかな」

 

「そうだ」

 

 互いに顔を合わせることはない。

 相手の言葉に、淡々と言葉を返すだけ。

 

「けど、それを証明することは難しい。確かにもしかしたら、これは君が死に際に見ている都合の良い想像の世界なのかもしれない」

 

「……」

 

「それでも少なくとも、私は本当の世界だと思っているよ。だって君は想像出来るかい?もしかしたら私がベルのことを好きになって来ているかもしれない、って事実を」

 

「!?……本気か?」

 

「さあ、どうだろう。まだ自分自身よく分からない部分も多いんだ。……ただ、ヘスティアの所に厄介になっている内に、言葉を交わすことも多くてね。すると意外なほどに気が合うんだ。思わず夢中になってしまって、毎夜のように遅くまで2人で話し込んでいる時もある」

 

「……それは、確かに想像もしていなかったな」

 

「そうだろう?どうかな、少しはこの世界を信じられたかい?」

 

「……ああ」

 

 処女神として、特に厳しく男女のそういう関係を遠ざけていた彼女であるが、しかしどうやら彼女もまた神としての在り方が変わって来ているということなのか。チラと横目で見たアルテミスは、何処か嬉しそうな顔で空を見上げている。そしてきっとそれは、自分が恋をし始めているという事実を、嫌がってはいないということ。

 

「最初に気付いたのは眷属達なんだ。……私が変わり始めていたことは、彼女達も知っていたからね。恋愛を解禁して、彼女達からそういうことを教えて貰いながら、色々と知識を蓄えていた」

 

「……怒る者など一人も居なかっただろう」

 

「うん、むしろ私のこの変化を知って喜んでくれた。それで最近は以前に私のファミリアから恋愛を理由に抜けていった子供達にも会いに行っているんだけど、彼女達も怒るより先に喜んでくれたんだ。……本当に、情けないのは私だけだった」

 

「……私でさえ驚き、喜びもある。お前が多少なりとも変わり始めたという事実は、お前を知っている者であれば誰であろうと嬉しく思うだろうよ。それこそアフロディーテやヘスティアもな」

 

「……うん」

 

 その恋の相手がベルとなれば、ヘスティアは本当に酷く複雑そうな顔をするだろうけれど。それでもアフロディーテは大きく喜んで、ノリノリで恋愛相談に乗ってくれるはずだ。それだけは間違いない。

 

「それにしても、また競争率の高い所に行ったな。これから過熱するところにギリギリ滑り込めたと言うべきなのかもしれないが」

 

「やっぱりそうなのかい?やれやれ、大変だなぁ」

 

「だがこの際だ。失敗するにせよ成功するにせよ、やれるだけのことをやってみると良い。どうも恋愛というのは、失敗することも経験の一つらしいぞ」

 

「それを成功した君が言うのかい?」

 

「私とて想定外だったんだ。まさかオッタルがあそこまで私のことを意識していたとは思っていなかった」

 

「ふふ、それは惚気って奴なのかな?そんな風に大事そうに指輪を撫でて、羨ましいなぁ」

 

「ま、隠す気もない。私は今とても浮かれたいんだ、少しくらい良いだろう?」

 

「うん、勿論構わないとも」

 

 流石にレフィーヤの前で、こんな話はしない。オッタルのことを嫌っていそうなアルフィアの前でも、なるべくこの話はしないでいる。

 けれど浮かれているラフォリアは、この話を本当はしたくてしたくて堪らなかった。それくらいに彼女は、嬉しくて。

 

「実は今度オッタルにドレスを選んで貰うことになっているんだ。……まあ別に何でもいいが、アレが真剣に私の着るドレスを選んでいる姿を見られるというのはとても面白そうだし、楽しみなんだ」

 

「結婚は5年後だけど、お付き合いはしているって感じでいいのかな」

 

「いや、あくまで友人関係ということにしてある。流石に私とてアイツの知名度を世界的に貶めるつもりはない。まあ多少言いふらしはするが」

 

「あはは、言いふらしはするんだね」

 

「するとも、自分のものだと主張するためにもな。……元々私は独占欲が強いんだ。フレイヤと私の二刀持ちなど絶対に許さん。私のことしか見れなくなるように徹底的に詰めていく手段を全力で練っている。それまで大凡5年ほど掛かるが、まあ十分だろう」

 

「……ああ、5年ってそういうつもりで言ったんだ」

 

「何のためにフレイヤの恋の手伝いをしてやっていると思っている、このためだ。フレイヤが本気で恋に挑んでいる姿を見せてこそ、生じる変化というのもある。受け皿さえ見つかればフレイヤ・ファミリアを解散させる手順も作っている。やりようはいくらでもあるからな」

 

「相変わらず恐ろしいなぁ、君は」

 

 そう言うとアルテミスは空から目を離し、横に座るラフォリアに向き直る。すっかり小さな子供になってしまった彼女だけれど、今も変わらずそこには強い意志を秘めた瞳がある。迷いなく自分のしたいこと、そしてすべきことを貫くことが出来る、そんな強い意志が。

 

「……これからまだたくさん大変なことがある。黒竜だってまだ倒せていない」

 

「ああ、分かっている。浮かれてはいるが、それを忘れるほどには浮かれてはいない。……私も他者を育てながら自分も励まなければならない。5年間に伸ばした理由には、それもある」

 

「悲しいこともたくさんあるよ。黒竜を相手にすれば、彼でさえも死んでしまうかもしれない」

 

「人の世などそんなものだ。……突然隣の人間が病で死ぬかもしれない、だからと言って常にそれを意識し続けるのも違うだろう。大切なのは、その時にどうすべきなのかを予め考えておくこと、そしてそれをその時に実行することだ」

 

「……しているのかい?君は」

 

「ああ、しているとも」

 

「そんな苦しいことを?」

 

「苦しいからこそ、楽しいこともまた考えるようにした」

 

「……!」

 

 

 ラフォリアは笑う。

 

 

「気付いたんだ。……私は嬉しいことが起きた時、それを素直に喜ぶことが出来ないと」

 

「……」

 

「だから、その時に素直に喜べるようになるのもまた自分のすべき努力の1つだと考えた。……もしかしたらこんな嬉しいことがあるかもしれないと、考える必要もあるんだと」

 

「……肩透かしを食らったら、むしろ落ち込んでしまいそうだ」

 

「だろうな。……だが、人とはそういうものだろう?勝手に期待して、勝手に失望して、勝手に落ち込んで、勝手に立ち上がって。そういう、勝手な生き物だ」

 

 そうして色々な感情の起伏を感じて、皆大人になっていく。喜ぶべき時に喜んで、悲しむべき時に悲しんで、我慢なんかしないで、感情を乱して。……そんな子供みたいなことを経験するからこそ、人は大人になれる。むしろその子供のような振る舞いをすることなく大人になっても、それは酷く薄っぺらいものだ。それは正しく、以前のラフォリアのように。

 

「せっかくこんな身体になったのなら、心の方も相応に育てていくつもりだ」

 

「そっか」

 

「なるべく恥ずかしくない女でいたいからな。……いつまでもガキのままで居るつもりはない。将来的には自分のガキも作るつもりなのだから」

 

 ラフォリアはそう言うと、少し恥ずかしそうにしながら、また視線を空の次へと戻す。流石にまだ素直になれない様子ではあるけれど、きっといつかは……

 

 

 

 

 

『ラフォリア!』

 

 

「……?オッタル?」

 

 

 静かな深夜の裏通り。

 見下ろしてみれば、そこに居たのは大男。

 最近自分の居場所に困っている、残念な猪の姿。

 けれど何処か緊張した面持ちで、彼はこちらを見上げていた。

 

 

「なんだこんな時間に、夜這いか?」

 

 

『……お前に見せたい景色がある、今から行けないか?』

 

 

「……仕方ない奴だな、本当に」

 

 

 大きく息を吐き、けれど嬉しさを隠しきれない表情でラフォリアはアルテミスを見た。彼女が言いたいことを何となく悟ったアルテミスは、少し呆れたようにしながらも、けれど笑って彼女を見送る。

 

 

「アルフィアには言っておくから、気をつけるんだよ」

 

 

「ああ、行ってくる」

 

 

 そうして当たり前のように落下し、慌てたオッタルに受け止められる彼女の姿。そのまま彼の肩に腕を回して、抱かれたままに連れて行かれるのだから、アルフィアがあれほど心配するのも仕方ないというところ。

 ……けれどアルテミスはアルフィアが怒ることを想像しても、それを引き止めることはない。心から楽しそうに、そして嬉しそうにしている彼女を、止めることはない。

 

 

 

「行ってらっしゃい、ラフォリア。たくさん楽しむんだよ。………生きることを」

 

 

 

 雲一つない満天の星は、きっと彼等の未来を祝福してくれている。

 

 世界は回る、良くも悪くも。

 

 それでも幸福だと思えて、明日を生きることに希望を持つことが出来るのなら……そのための理由を、見つけ出すことが出来たのなら。きっと明日がどれだけ曇っていたとしても、人は生きていくことが出来る。

 

 

 

 

 ラフォリア・アヴローラは、明日を生きていくことが出来る。

 

 

 これからは、一人ではなく。

 

 

 多くの家族に、手を握って貰いながら。

 

 

 彼女はこれから先も笑って、生きていくのだ。




この作品はここで終わりにしようと思います。
多くの感想、評価等、ありがとうございました。

もう少し劇的に終わらせようかという構想もあったのですが、それでは意味がないと思いまして。この作品の肝としたのは、力と才能以外何も持っていなかったラフォリアが、他者と関わることで生き方を変えて行き、多くのものを得ていくという王道的な展開でした。ただその結果として得るべきなのは、平穏な幸福と明るい未来と決めていました。だからここで終わるべきだと考えました。

ここまで導けたのは、頂いた感想があってこそです。
色々とヒントを頂けたことは紛れもない事実です。

果たして彼等はこれからの5年をどう過ごしていくのか。その末に子が生まれたとして、周囲の人々がどう反応するのか。オッタルさんはどんな振り回され方をしまうのか。

そんな想像もして貰えたら嬉しいなと、私は思います。

今後はまた、書きたいものを適当に書きながら貯めていこうかと思いますが。ダンまち関係の書籍とかも、小説書いてる身としては割とドン引きするくらいのペースでガンガン出ていますので、もしかしたらまたダンまち熱が再発するかもしれません。
その時はまた目を通して頂けると嬉しく思います。

これまで本当にありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


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