お嬢様博士ですわ! (じゅに)
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1話/クソでか原っぱでキテルグマに踏まれたついでに二人の少年と出逢いましてよ!

お嬢様博士第1話。
お嬢様言葉を話す博士が各地を冒険する(たぶん)コメディ。
今回はアニポケ新無印の主人公ふたりと絡ませます。

人物紹介
◾︎ラナンキュラス──本作の主人公。お嬢様。色違いを研究している博士。
◾︎サトシ──スーパーマサラ人
◾︎ゴウ──サトシの友達


 一

 マスターズエイト挑戦に向けて、ナックルシティ近くのワイルドエリアで特訓していたサトシは、なにやら騒がしい音を耳にした。ただ事ではない様子に、ピカチュウも耳をそば立たせている。訓練を止め、音のする方に近づいてみると、無数のキテルグマが鈍い地響きを立てながらこちらに走ってくるところだった。

 

「うわぁああああ!」

 

 慌ててカイリューがサトシたちを抱きあげ上空に避難する。キテルグマたちはすっかり興奮した様子で脇目も振らず駆け抜けていった。

 

「な、なんなんだ一体……」

 

 唖然とするサトシの肩をピカチュウが叩く。

 

「ピカピ!」

 

 ピカチュウの指差す先に誰かが倒れている姿を見つけ、サトシの顔から血の気が引いた。あの群れに踏まれたらしい。哀れな被害者の傍に降り立つと、抱きかかえながら懸命に呼びかけた。

 

「おい大丈夫か! しっかりしろ!」

 

 倒れていたのは、ちょっと見たことがないくらい綺麗な少女だった。美しく波うつ金髪、気絶していてもわかる整った顔立ち。あまり異性に興味のないサトシでも、おもわず息を飲むほど魅力的な容姿だった。

 瞼が二度三度わななき、桃色の瞳がはっきりサトシを捉えるとやおら起き上がって「まあ……」とため息を漏らした。

 

「色違いキテルグマ、わたくしったら逃がしてしまいましたのね……! あぁ残念無念の遺憾砲ですわぁ〜!!」

「えっ?」

 

 思いもよらない言葉にサトシの目が点になる。

 少女は何事も無かったかのように服をはたいて土埃を落とし、優雅な仕草で髪を撫でつけた。全身にくっきり刻まれた肉球がなければ、とてもキテルグマの大軍に轢かれたとは思えない軽やかな身のこなしである。

 

「あなたが起こしてくださったの? ありがとう、助かりましたわ」

「あ、ああ。大丈夫? キテルグマに踏まれたみたいだったけど」

「もちろんですわ!」

 

 バサァっ、と白衣の裾を翻す。その時初めて、サトシは少女が白衣を纏っていることに気づいた。

 

「このわたくし、ラナンキュラスがキテルグマに立て続けに踏まれたくらいでへこたれるとでもお思いかしら!? かすり傷ひとつ負ってはおりませんことよ! おーほっほっほっ!」

「お、お思いというか……」

 

 普通の人なら無事じゃ済まないと思うんだけど……呟きつつ、サトシも立ち上がる。少女──ラナンキュラスは高笑いをやめ、たおやかな手を差し出し、微笑んだ。

 

「あらためて自己紹介を。わたくしはラナンキュラス。色違いのポケモンを研究しておりますの。お気軽にラナンとお呼びくださいまし」

「お、おれはサトシ! マサラタウンから来たんだ。こっちは相棒のピカチュウ」

「ピカァ」

 

 心なしかピカチュウも控えめな挨拶だった。ラナンは律儀にピカチュウにも握手を求め、指先をちょんと触れられていた。

 

「サトシはなぜこんなところへ?」

「ああ、おれ、マスターズエイト挑戦目指しててさ、特訓してたんだ!」

「マスターズエイト……」ラナンの目がきらりと光る。

「それはつまり、ポケモン・ワールド・チャンピオンシップス上位八名に挑むということですのね! 勝てば未来のチャンピオン、まさしく人生を賭けたビッグイベント! まあ、まあまあまあ! なんということでしょう! それでは貴方、とってもお強いのね!」

「い、いやあそれほどでも……」

「謙遜なさらないで! そのピカチュウを見れば分かりますわ! 貴方がたが幾度もの死闘をくぐり抜け、勝利してきたということが! 素晴らしき強さ、ビンビン伝わってきますわよ〜!」

「そ、そうかなあ……」

 

 勢いにたじろぎつつも、こう正面から褒められれば悪い気はしない。ピカチュウもまた、後頭部を掻いて照れくさそうにしていた。

 

「そんな貴方がたに出逢えたのもなにかのご縁! 是非お願いしたいことがありますの」

「お願い?」

 

 ラナンはにっこりして言った。

 

「色違いの捕獲を手伝って下さいな。キテルグマと合わせてあと十体、この辺りで目撃情報があるんですの♡」

 

 

 二

「遅いなあサトシの奴……まぁたバトルに夢中になってんのかなあ?」

 

 スマホロトムを指先で弄びながらゴウはぼやいた。ナックルシティのポケモンセンターは多くの人で混みあっている。サトシが帰ってきたらすぐ気づけるようにと、出入口ちかくのベンチに座ってはや二時間が経とうとしていた。約束の時間はとっくに過ぎている。サトシが遅れてくるのは日常茶飯事だが、それにしても連絡くらい……と眉を寄せた矢先に着信音が鳴った。「おっ、きたきた。ったくサトシのやつ、アイスぐらい奢れよな」しかし、画面に映ったのは困った親友ではなく、サクラギ所長の姿だった。

 

『やあゴウ。ゲットは順調かい?』

「結構捕まえましたよ! でも所長、サトシが待ち合わせに来ないんです。どこで油売ってるんだか」

『おや、そうかい。二人にどうしても頼みたいことがあったんだが』

「頼みたいこと?」

『うん。実はね、いまちょうど君たちがいるナックルシティの近くに、僕の知りあいが来ているらしいんだ。それで是非とも、彼女と一緒に帰ってきてほしいんだよ』

「わかりました。事情を話して連れていきます。なんて人ですか?」

『ラナンキュラスというひとでね。君たちと同い歳だが、色違いポケモンの研究をしてる博士なんだ』

「色違い!」

『それに彼女自身捕獲の名手でね。きっと参考になる話がいっぱいあるんじゃないかな?』

「うはぁ……!」ゴウは目を輝かせた。

 

 ミュウに辿り着くため、あらゆる土地で捕獲に勤しんできたゴウだったが、色違いのポケモンに出逢えた経験は数えるほどしかない。機会さえあればもっと色んな個体を見てみたいと常々思っていたのだ。待ちくたびれた疲れも一気に吹き飛んで、ゴウは勢いよく立ち上がった。

 

「オレ、捜してきます!」

『ありがとう、そう言って貰えると助かるよ! 彼女は野外活動が好きだから、たぶんワイルドエリアにいると思う。いま写真も送るから、それじゃ、頼んだよ』

「はい、わかりました!」

 

 居てもたってもいられず、通話が切れるやいなやゴウは駆け出した。

 その背後、背中合わせのベンチに腰掛けた三人組が目を見交わせる。

 

「……聞いた?」

「聞いた聞いた。その博士とやら、さぞかし珍しいポケモンをいくつも持ってるんだろうなあ」

「しかもジャリボーイと同い歳なら騙すのも拐うのもお茶の子さいさいだニャ」

「色違いを大量にサカキ様に献上すればいっぱい褒めてもらえるわぁ。ボーナスだってたんまりよ」女が言えば、

「それって……」男が喉を鳴らし、

「ニャんだかとっても……」ひときわ小柄な影が目を細め、

「「「いい感じ〜♡」」」

 

 三人揃って恍惚な笑みを浮かべた。

 

「こーしちゃいらんないわ。さっさと追いかけるわよっ」

「了解!」

 

 三人組は驚く周囲の人々を掻き分け、ゴウの後を追った。

 

 

 三

 ──ワイルドエリア〈巨人の鏡池〉にて。

 

「ピカチュウ、エレキネット!」

 

 指示に応え、ピカチュウが電撃の網を飛ばす。狙い過たず、池で泳いでいた赤いギャラドスに命中した。

 

「グギャァウ!」

「いまですわ、お行きなさいルアーボールっ!」

 

 ラナンが完璧な投球姿勢でボールを放ち、ギャラドスが吸いこまれていく。さして間を置くこともなく、捕獲完了の合図が鳴った。

 

「完璧ですわ〜! これで八体、残すところあと二体でしてよ! さすがはサトシとピカチュウの名コンビ、凄腕ですわね!」

 

 ルアーボールを掲げながらくるくる踊るラナンに、サトシも笑って頷いた。

 

「赤いギャラドス、かっこよかったなあ!」

「ええ! 通常色の青いギャラドスも雄々しいですけれど、赤い鱗はまた違った逞しさがありますわ〜! うふふ、この子にはなんて名前をつけましょう!」

「もしかして、みんなに名前つけてんの?」

「当然ですわっ!」

 

 ラナンが力強く拳を握る。

 

「研究対象であると同時に、わたくしの愛しき仲間であり、家族ですもの! ひとりひとりにお名前を差し上げてましてよ! たとえばこの子! 出てらっしゃい!タママ!」

 

 掌に載せたスピードボールからアメタマが飛び出し、むん! と言わんばかりに胸を反らせた。親によく似た自信満々な様子にサトシもつい頬を綻ばせる。

 

「おお〜っ、アメタマ! 可愛いなあ! こいつも色違い?」

「ええ! 図鑑で見比べてみてご覧なさいまし。この子の方が青味が強いでしょう」

「……ほんとだ!」

 

 ポケモン図鑑とアメタマとを較べながらサトシが感嘆する。かなり微妙な差ではあるものの、たしかにこの個体は色違いのようだった。

 

「ポケモンの色違いというのは奥が深いんですのよ。全く違う色味になる子もいれば、タママのように少し色が濃くなるだけの子もいる。なぜそのような違いがあるのか、そもそもなぜ色違いの個体は生まれるのか……。わたくしの謎は留まるところを知りませんわ! その謎を解き明かすためにも! さあサトシ、次のポケモンを探しますわよ!」

「ああ! 次は誰なんだ?」

「おつぎは……「サトシ〜っ!」」

 

 上から降ってきた声に、二人とも驚いて空を仰いだ。フライゴンに乗った少年が大きく手を振っている。

 

「ゴウだ!」

「どなたですの?」

「おれの友達さ! おーい! おーい!」

 

 フライゴンはゆっくりと降下し、むくれた顔のゴウが降りやすいよう羽を下げた。

 

「おいサトシ! 遅れるなら遅れるで連絡ぐらいしろよな! ワイルドエリア中を飛び回ったんだぞ」

「ごめんごめん、色違い探しに夢中になっちゃってさ」

「色違い……?」

 

 怪訝そうに眉をひそめるゴウへ、ラナンがしゃなりとお辞儀をした。

 

「初めまして、サトシのお友達。あまりサトシを怒らないでやってくださいましな。彼はわたくしの頼みごとを聞いてくださったんですのよ」

「頼み、って……」

 

 ゴウがはっと目を見開き、スマホロトムとラナンを交互に見やった。

 

「あ、あんた、じゃなくて、あなたは、色違い研究者のラナンキュラス博士!?」

「ま、どうしてご存知ですの? そのとおり、わたくしがラナンキュラスですわ! どうぞラナンとお呼びになって!」

「よく知ってんな〜ゴウ!」サトシが目を丸くする。

「サクラギ所長から頼まれたんだよ、ラナン博士と一緒に帰ってきてくれって。そのとき画像も送って貰ったんだ」

「まあ! 貴方たちサクラギ博士をご存知ですの?」今度はラナンが驚いた。

「ああ! おれたちサクラギ研究所のリサーチフェローやってんだ!」

「そうでしたの! そんな人たちとお知り合いになれて、わたくしったら運がいいですわ〜! ねえ、タママ♡」

 

 アメタマを掌にのせ、くるくると踊りまわる。どうもラナンは嬉しくなると踊る癖があるらしい。呆気にとられたゴウが、小声でサトシに耳打ちした。

 

「なんか、変わった人だな」

 サトシも苦笑する。「たしかに。でも、本当にポケモンが好きな人だよ。ポケモンの方も、ラナンのことが大好きなのがよく分かるんだ」

「へえ……」

 

 ゴウはまじまじとラナンを見つめた。

 服装も変わっている。フリルたっぷりのワンピースに肘まで隠すレース地の手袋、サテンリボンのカチューシャ。およそワイルドエリア向きの格好とは言い難い。上に纏っている白衣を除けばパーティにでも居そうな格好だった。

 踊るのに満足したらしいラナンがにこにこ顔で天を指す。

 

「さあさあサトシにゴウ! 目標はあと二体ですわ! はやく出逢いにいきましょう!」

「へっ? 目標? 二体? 何が?」

「ラナンが言ってたんだ、このあたりには十体の色違いがいるって。もう八体捕まえたから、残りは」

「二体、ってことか。でもそんなすぐ見つかるかなあ?」

「見つかりますわ! わたくしが居ますもの!」

 

 首を傾げるゴウにサトシが言う。

 

「一緒にいれば分かるよ。行こうぜ、ゴウ!」

「……ま、乗りかかった船か。待てよサトシ!」

 

 走り出した二人の背中を、ゴウは慌てて追いかけた。

 

 

 四

 思ったとおりラナンの話は面白かった。

 初めて色違いと出逢ったときのこと。色の変わり方はいくつかの種類に区分されるが、どのポケモンがどんな風に変化するか、その傾向はまだ解き明かせていないこと。とくにゴウが興味をそそられたのは自作の図鑑を見せてもらった時だ。写実的なイラストの横に発見、考察、仮説、検証等がみっちりと書き込まれ、一ページ読むだけでも相当な時間がかかる代物だった。

 驚いたことに、ラナンはそれらを歩きながら書くという。現に今も、目的地までの道すがら、先ほど捕まえた赤いギャラドスの絵を流れるような筆さばきで描いていた。

 

「器用だな〜! 歩きながら文字やイラストが書けるなんて」

 

 横から覗いたサトシが出来栄えに感心すると、ラナンは自慢げに胸を張った。

 

「ポケモンはそこかしこに息づいていますもの、いちいち研究所に帰って机に向かう時間が惜しいじゃありませんの! ゆえにわたくしは長年の努力の末、この技法を編み出したのですわ! 名付けてっ〈秘技・お絵描きGO〉!」

「なるほど……名前はともかく、たしかに合理的だ」ゴウが唸る。

「ふふん、そうでしょうそうでしょう……あら。二人とも、お待ちになって」

 

 ラナンが片手を伸ばしてサトシ達を制した。不思議そうな顔をする二人に目配せし、近くの茂みに隠れさせる。ラナンは手近な木陰に身を寄せた。

 

「ラナン?」

「しー、ですわ」食い入るように前方の沼を見つめている。

 

 沼の周囲にはなにもいない。いったい何を見ているのかと思ううち、水面に波紋が広がり、一匹のウパーが飛び上がった。

 

「ぱう!」

 

 鳴きながら楽しそうに泳ぎ回っている。その身体はラナンの瞳と同じ桃色をしていた。

「色違いのウパーだ……!」サトシが興奮して身を乗り出そうとするのをゴウが押しとどめる。ウパーに限らず、小柄なポケモンは警戒心が強く臆病な個体が多い。だからこそラナンはみんなを隠れさせたのだ。当のラナンはどうするつもりなのか横目で伺うと、手馴れた様子で木に登り、枝に這いつくばるところだった。

 

「……」

 

 対象はそんな影など知る由もなく、のんびりと岸辺に上がって雫をふるい落としている。

 頃合を見計らい、ラナンが枝に生っていたモモンの実をひとつ、地面に落とした。ウパーが嬉しそうに近づいていく。泳ぎ疲れてぺこぺこなのか、あっという間に食べきってしまった。ラナンは二つ目を投下する。それを口いっぱいに頬張った瞬間、無防備な頭に向かってラブラブボールを放った。

 ぽん、と軽い音がして捕獲が成功する。サトシとゴウは立ち上がり、見事な手際を褒め称えた。

 

「すっげえ! さすがラナン!」

「よく居るのわかったなあ!」

 

 ラナンは登るときと同様、淀みない動きで降りてき、

 

「ふふんですわ! この程度、わたくしにかかれば造作もないことですわよ〜!」

 

 と胸を反らせた。

 ──するとその時。

 いきなり降ってきた大きな網にラナンが絡め取られてしまった! 

 

「きゃあ!」

「な、なんだっ!?」

「ラナン!」

 

 駆け寄ろうとする二人を、激しい水鉄砲が牽制する。

 

「うわっ!」

「ちくしょう、なんなんだよ!」

「チクショウ、なんなんだよ! と言われたら!」

「あ〜れ〜!」

「答えてあげよう世の情け!」

「なんですのこれは〜!」

「世界の破壊を防ぐため!」

「助けてくださいまし〜! なんなんですのこれ〜! なんで網漁ばりに吊るされてるんですの〜!?」

「世界の平和を守るため……ってちょっとあんた、口上のあいだは黙っててくれる? テンポってものがあんのよテンポが」

「あら、ごめんなさいまし」

「……まったく。これだから最近の子供は。ほらコジロウ。続き続き」

「えっこの流れで? ……え、ええと、あ、愛と真実の悪を貫く!」

「ラブリーチャーミィな敵役!」

「ムサシ!」「コジロウ!」

「銀河を駆けるロケット団の二人には!」

「ホワイトホール、白い明日が待ってるぜ!」

「ニャーんてニャ!」「ソォーナンスッ」

 

 ビシィ! と気球に乗った四人がキレのあるポーズを決める。サトシとゴウは歯噛みして、苦々しげにその名を口にした。

 

「ロケット団……!」

「またお前らか! ラナンを離せ!」

「やーなこった!」

「色違い専門の博士なら珍しいポケモンたんまり!」

「それを根こそぎ頂いちゃおうって寸法なのニャ!」

「そんなことさせるか! ピカチュウ!」

「フライゴン!」

 

 いまにも飛びかからんとする二匹をムサシが鼻で笑う。

 

「あぁらいいのかしら? 攻撃しちゃって?」

「下でぶら下がってる博士に当たったらどうなるか……」

「よぉお〜く考えてみるのニャ♪」

「く……っ」

「あーはっはっは!」

「じゃあな〜!」

「これでも食らうニャ!」

 

 ニャースのバズーカから砲弾が発射され、あたりに煙が立ちこめる。自分の手も見えない濃密な白煙がようやく晴れるころには、もはや気球はどこにも見当たらなかった。

 

「すぐ追いかけよう!」

「でも、どこに?」

 

 ゴウの疑問に、当然サトシは答えを持たない。悔しがるサトシの目の先に、色違いのアメタマ──ラナンのタママが小さな頭の上にレベルボールを載せて立っていた。意志の強そうな瞳は、早くこのボールを取れと言っているかのようだ。

 サトシがボールのスイッチを押すと、中からウインディが飛び出してきた。普通、ウインディは橙色の毛皮を纏っているが、この個体は眩く輝く黄金の毛並みを靡かせていた。

 

「おわっ、色違いのウインディじゃん!」

「めったまっ」

 

 タママが鳴き、ウインディに自身を嗅がせた。ウインディは頷いて短く吠える。賢そうな眼差しが意味ありげにサトシたちを見つめた。

 

「これって……」

 

 サトシが気づく。

 

「そうか! アメタマについたラナンの匂いを覚えたんだな! 追えるか、ウインディ!」

「ウォン!」

「なるほど、そうか! よおし急ぐぞサトシ!」

「おう!」

 

 二人が背にまたがるや、ウインディは凄まじい速さで疾駆した。

 

 

 五

 一方その頃。ロケット団のアジトで、ムサシコジロウニャースの三人は作戦の成功に高笑いをしていた。

 

「チョロいもんよ! あとはポケモンをサカキ様に送るだけ〜♡」

「ボーナスを貰えたら何を買う?」

「そりゃもう美味しいご飯にスイーツにぃ……!」

「最新型のマシンも欲しいのニャ〜♡」

「うふ、うふふふふふふふふ♡」

「夢が広がるなあ♡」

「欲しいものなんでも買い放題ニャ〜!」

 

 ラナンは後ろ手に縛られながら、そうしたやり取りを興味深そうに眺めていた。

 ロケット団。無論名前は知っている。カントー地方を中心に各地で暗躍するマフィアだ。首領サカキを筆頭に腕利きの連中が揃い、悪逆非道を成すという。

 だがどうも、そうした事前情報と目の前の彼らとが結びつかなかった。

 腕が立つようにも見えないし、酷いことをするようにも思えない。こうして拐われてはいるものの、殴られたりもせず、適当に縛って放置されている。そもそも、本当にこちらの色違いポケモンだけが目当てならば、わざわざ拐ったりせず殺して奪えばいいではないか? なぜこんな回りくどいことをするのだろう? 

 そうした疑問と生来の好奇心が合わさって、ひたすら三人の会話に耳を傾けていた。

 だが生来、ラナンはお喋りが大好きだ。ロケット団の面々が楽しそうに話しているのを聞いてうずうずしてきた。今の話題は〈貰ったボーナスで行きたい土地選手権〉で、赤髪の女性──確かムサシと名乗っていらっしゃいましたわね──がアローラの高級ホテル・ハノハリゾートを挙げ、青髪の男性──コジロウと仰ったような──がホウエンのフエン温泉の泉質について熱く語り、人語を解するニャース──色違いよりよほど希少ではないかしら──が美しいニャースのいる土地を探そうと提案して、実に愉快と混沌を極めている。

 

「温泉〜? そんなモンよりスパよ、スパ!」

「いやいやいや、ムサシはあそこの温泉の素晴らしさをわかってない! すごいんだぞほんとに。お湯はとろとろでいーい匂いがして、もう骨の髄から蕩けちゃうぞ!」

「そんなに素敵なところなんですの?」

「そりゃもう! 子供の頃に行って感動したなあ……! いまならもっと気持ちいいんだろうなあ」

「まあ〜羨ましいですわ〜! ホウエンの温泉といったら有名ですものね〜」

「そうなんだよ、あれは人類みな一度は行くべきで……って」

 

 三人はぎょっとして振り向いた。ぐるぐる巻きに縛っていたはずのラナンが一体どうやってか縄を解き、ソファの一角に腰を据えていたからである。

 

「なーんで会話に入ってんのよアンタは」

「どうやって縄を解いたんだ? 全然気づかなかったぞ!」

「あっ、それニャーたちのお茶請け! 我が物顔でくつろぐんじゃないニャ!」ラナンが頬張っているチョコチップクッキーを見つけ、ニャースが声を荒らげた。

「あら、いけませんでしたの?」ラナンはきょとんと小首を傾げた。

「縛られたままも退屈ですし、面白そうなお話をなさっておいでだったのでつい。小腹も空いていましたから頂いちゃいました♡ ごめんあそばせ♡」

「ごめんあそばせ♡ じゃないっての! 貴重な食料をよくも〜!」

 

 怒気も露わにムサシが飛びかかる。しかし、ムサシの身体が空中で制止したかと思うと、なぜかラナンの頭を飛び越えて床にダイブした。

 まるで、見えない誰かに投げ飛ばされたかのように。

 

「ぐえっ!」

「む、ムサシっ?」

「な、何が起きたのニャ!?」

 

 困惑しきりの二人は、取り敢えずムサシを抱き起こした。ムサシのほうも何がどうなったのかさっぱり分からない有様で、目を瞬いている。

 

「な、なに、なんなの一体……?」

「──ご紹介いたしますわ」

 

 ラナンが静かに立ち上がる。と同時に、彼女の影からぬるりと湧き出るものがあった。

 見上げるほどの巨躯。大きく張り出た腹。一つしかない赤眼がムサシたちを睥睨する。

 

「わたくしの親愛なる護衛役。ヨノワールのノワールですの。以後、お見知りおきを」

 

 ヨノワール(ノワール)がずいと前に出、ロケット団を威圧する。纏う雰囲気の恐ろしさにコジロウは縮み上がり、ムサシとニャースはひしと抱きあった。

 

「ひ、ひええ……」

「色違いのポケモン。それはたしかに希少ですし、欲しがるコレクターが多いのも事実ですわ。中にはあなた方のように乱暴な手段にでる人も……。だからわたくしは、わたくしとわたくしの家族を護る強さを身につける必要がありましたの」

 

 体を半身に開き、右手を前に、左手を腰に構える。一分の隙もないファイティングポーズである。

 

「さあ、いらっしゃいな! こう見えてわたくし、クッソブチ切れておりましてよ〜? わたくしの可愛い子たちを首領に献上できるかどうか、直々にテストして差し上げますわ〜! おーっほっほっほっほ!」

 

 

 六

 鈍い爆発音をピカチュウの耳が捉えた。

 

「ピカチュ!」

「あっちか! よおし、全速力だウインディ!」

「ウォオオン!」

 

 頼もしい吼え声とともにウインディの速度が跳ね上がる。ゴウは力いっぱい毛並みにしがみついた。

 景色が飛ぶように後ろに流れていく。いくらも行かないうちに打ち捨てられた小屋が見えてきた。ウインディが短く吠える。目的地に間違いないらしい。

 

「ゴウ! 準備はいいか!」

「とーぜんっしょ!」

 

 二人とも目に闘志を燃やし、ボールを握りしめる。ムサシら悪党を許しては置けない。必ずラナンを救わねば! 

 しかし。小屋から出てきた人影を見た途端、二人の目が点になった。

 当のラナンがにこにこしながら手を振っていたからである。

 

「あ、あれっ?」

「無事……みたいだな」

 

 服も乱れていないし、怪我をしている様子もない。

 

「みなさま〜! さっきぶりですわ〜!」

 

 ラナンだけが何事もなかった様子で、ウインディの顎を撫でたり、アメタマに頬ずりしたりと忙しかった。

 

「ラナン、ロケット団の連中は?」

「なかでお休みになっていらっしゃいますわ。ご覧になります?」

 

 案内されると、なるほどたしかに三人とも眠りこけていた。ムサシは床で、コジロウは机に突っ伏し、ニャースはソファにひっくり返っている。全員、安眠とは程遠い苦悶の表情を浮かべているのが気になるが、ピカチュウがつついても電気を流しても起きる気配はなかった。

 

「ほんとに寝てんだ……」

「疲れてたのかなあ」

 

 訝しむサトシ達にラナンは微笑みだけを返した。

 ヨノワールによる〈妖しい光〉の効果で、彼らはいま、想像しうる限りの悪夢に襲われている。

 自力で起きるのは至難の技だが、まあ罰としてはちょうどいいだろう。

 アメタマの糸でぐるぐる巻きにし、小屋の片隅に寄せておくと、ラナンはぽんと手を打ち合わせた。

 

「さ、お二人とも。最後の捕獲が始まりますわよ」

「最後かあ。あっという間だったなあ」

「ターゲットは?」

「間もなくいらっしゃいますわ」

「へ?」

「くる、って……」

 

 サトシがぴたりと口を噤んだ。遠くから地響きのような音が聞こえてくる。聞き覚えのある重低音だ。これはそう、ラナンに出逢う前に聞いたのと同じ──……

 

「ま、まさか」

 

 おっかなびっくりサトシが振り向くと、彼方に土煙が見えた。それを巻き上げて走る集団の存在も。

 ラナンが得意げに語りだす。

 

「アメタマは頭の先からあま〜い蜜を分泌することができるんですけれど、面白いことに、鳥ポケモンがその蜜を嫌うのに対し、とっても大好きで匂いだけでもメロメロになってしまうポケモンもいるのですわ。例えばヒメグマやクマシュンといった熊ポケモンですわね。ワイルドエリアに生息するヌイコグマも例外ではないんですの」

 

 地響きが近づいてくる。首をめぐらせたゴウが音の正体を知り、硬直した。

 

「みなさまがここに走ってくる間中タママの蜜の香りが四方八方に撒かれたので、嗅ぎつけたキテルグマがもうすぐ来るはずですわ! あんまり嗅ぎすぎると興奮しすぎて危ないんですけど、わたくしたちならきっと! 捕獲できますわよ! さあおふたりとも、上に逃げて!」

 

 サトシとゴウは光の速さでカイリューとフライゴンを呼び出し、上空に避難した。ラナンもまた、色違いの黄色いチルタリスに乗って舞い上がる。

 散々ご馳走の香りを嗅がされたキテルグマたちは、瞳を爛々と輝かせ疾走してきた。その数およそ十頭前後、全員色違いという世にも稀な群体が、小屋に向かって突撃する! 

 中にいたロケット団が、宙を舞いながら夢見心地に呟いた。

 

「なんだか……」

「とっても……」

「ヤなかんじぃ〜……」

 

 仲良く星となったのを見送って、ラナンが命じる。

 

「メーテル、歌ってくださいまし」

 

 チルタリスの美しい歌声が辺りに満ちる。暴走状態にあったキテルグマたちは、歌を聞くうちに少しずつ脱力しはじめ、ぽうっとした面持ちで寝転びだした。ラナンがそのうちの一体にヘビーボールを投げつける。

 

「捕獲完了。これにて本日のミッション、すべて終了ですわ!」

「やったな、ラナン!」

「このキテルグマみんな色違いだけど、全員捕まえないの?」

「ええ」

 

 ラナンは優しく頷いた。

 

「研究所とワイルドエリアでは環境が大きく異なりますもの。せっかく群れがあるのならば、群れとこの子、ふたつを比べたほうがより研究の精度が増しますわ! 

 わたくしがしたいのはポケモンの研究であり、独占ではありませんからね。今日捕まえた子達も、望むなら住んでたお家に返してあげますわ」

「そっか……そういうのも大事なんだな」

 

 ゴウは感心した。自分にはない考え方だったからだ。

 珍しいポケモンは多くの人が欲しがる。色違いなら尚更。

 けれどラナンはあくまでポケモンの幸せを望み、ほんの少しだけ力を貸してもらうのだ。サトシが言っていた、『ラナンはポケモンが大好きで、ポケモンもラナンが大好きだ』という言葉の意味がよくわかった。

 いつの間にか、日が沈みかけている。地平線を彩る夕焼けはとても美しかった。

 

「今日はとっても楽しかったですわ! サトシ、チャンピオンシップス、ぜひ優勝なさってね! 応援してますわよ!」

「ああ! ラナンも頑張れよ!」

「勿論ですわ! お二人とも、ぜひわたくしの研究所に遊びにいらしてね! 絶対ですわよ〜!」

 

 金の髪をなびかせて、ラナンが飛び去っていく。その後ろ姿を、サトシとゴウはいつまでも見送った。

 

 チルタリス(メーテル)の背の上でラナンが囁く。

 

「素敵なお二人でしたわね……。ぜひまたお会いしたいですわ」

 

 掌にのせたアメタマ(タママ)が頷いた。

 

「あなたもそうお思いになるの? ……うふふ。次はバトルもしてみたいですわね……」

 

 白衣の袖から覗いたキーストーンが、夕陽を浴びて煌めいた。




よろしければ感想おねがいいたしますわ〜!


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2話/洞窟探検出発進行!暗いし狭いしくっせぇですわ!

お嬢様博士第2話。
とあるトレーナーがジムリーダーになるまでのお話。
捏造てんこ盛りです。
ジョウト地方のトレーナー好きな方向け。

人物紹介
◾︎ラナンキュラス──主人公。お嬢様。色違いを研究している博士。
◾︎???──ジムリーダーの息子。鳥使い。
◾︎???──ジムリーダー。イケメン。


 一

 空気は淀み、濁っていた。

 険しい山の奥深く、鉱物系のポケモンによって掘られた洞窟は、真夏の陽射しすら固く拒み、一寸先も見えない闇を抱いて侵入者を睥睨している。おそるおそる踏みだすも、ズバットやコラッタらの糞の臭いが鼻をつき、顔を顰めて仰け反らずにはいられなかった。

「本当にここなのか……?」答える声は無論ない。己の他に誰も居ないのだから。

 流れる汗を拭う。テッカニンの鳴き声が喧しい。背中に当たる陽は暴力的なほど熱いのに、体の芯はうそ寒かった。

 本当にできるだろうか。

 たったひとりで、この難題を。

 ────いや。

 羽織りに忍ばせたボールがかたかたと震えている。相棒の抗議に笑みが零れた。

 そうだ。俺は独りじゃない。いつだって、こいつと共に生きてきたんだ。

「行こう」

 己に、そして相棒に言い切る。ボールの震えはぴたりと止んだ。

 

 ジムリーダーの息子として、自我が芽生えるより早くボールを握らされ、ポケモンの世話を命じられた。バトルの訓練が始まったのは五歳の時だ。

 生まれを恨んだことは無い。他の生き方は知らないが、知る気もなかった。きつい修行も泣くほど悔しい敗北も、勝った時の喜びを知れば耐えられた。

 

「ホーすけ。フラッシュを頼む」

 

 肩に乗せたホーホー(ホーすけ)が両目から眩い光を放つ。視界がぱあっと明るくなり、奥の方まで見渡せた。ごつごつした岩肌がどこまでも続いている。湿った空気がカビ臭い。地面がぬるついているのは水はけの悪い証拠だ。雨が降るたび、ここに流れてくるんだろう。立ってわかったが、やや傾斜もついていて草履ではとても歩けそうになかった。

 

「ドーすけ!」

 

 ドードリオを呼び出す。手持ちの中で二番目に古い仲間だ。

 

「ギャルル」

 

 三つ首それぞれが喉を鳴らし、撫でてくれと頭を寄せた。力加減も回数も均等に撫でてやる。ほんのすこしでも差があると喧嘩が勃発するものだから、慣れるまでは随分骨が折れたものだった。

 

「立てるか? ……よし。頭はぶつけずに済みそうだな」

 

 お世辞にも長居したいとは言えない場所だが、大事な仲間が俯きながら歩かずに済むほど天井が高いのはありがたかった。

 出入口に穴抜けの紐を巻きつけたペグを打ちこむ。片端を握り、ドーすけに跨って、いよいよ探索が始まった。

 左に曲がり、右に折れ、坂をくだり、また曲がって……いくつ方向を変えたかとても覚えていられない。手の中の紐がなければ遭難確実の複雑さである。

 懐中時計の蓋を開くと、もう小一時間も経っていた。

 

「まだ着かないのか……」

 

 そのとき、肩のホーすけが短く鳴いた。間を置いて一度、その後に二度。警戒を告げる鳴き方に緊張が走る。

 

「……何かいるんだな、ホーすけ」

「ホゥ」

 

 ホーすけは、前方に延びる三叉路のうち、最も死角の多い左側をじっと見つめていた。生来備わった鋭い目が、闇に潜む何かを見透かしたのだ。

 

「ドーすけ、気合いだめだ」

「ギャウ!」

 ドードリオ(ドーすけ)の全身に力が漲る。背から滑り落ち、声を張り上げた。

 

「そこにいる者! でてこい! 出てこなければ敵とみなし攻撃する!」

 

 宣告は洞窟中に反響し、驚いたズバットたちが慌てて飛び去っていった。その羽音が聞こえなくなってもなお、闇の中の何かが動く気配はなかった。

 

「……っ、警告はしたぞ! ドーすけトライアタック! ホーすけは念力で軌道を修正するんだ!」

 

 赤青黄、三条の光が螺旋を描いて飛翔する。ホーホーの思念によって、狙いは逸れることなく命中する──はずだった。

 しかし、対象の目の前に突如現れた光る壁が、トライアタックを遮り、粉々に砕け散った。

 

「なっ……!?」

 

 狼狽えたのは技が止められたからではない。凝った闇の奥から思いもよらない人物が出てきたからだ。

 紫のバンダナにマフラーを巻いた姿。おっとりとした眼差し。見間違えようはずも無い。ジョウト地方でも群を抜いて有名なジムリーダーなのだから。

 

「マツバさん!」

「……やあ。奇遇だね」

 

 片手をあげ、マツバは薄く微笑んだ。

 

 

 二

 

「申し訳ありません! マツバさんに無礼な真似を……!」

 

 平謝りするハヤトをマツバは笑って宥めた。

 

「気にするなよ。すぐに応えなかった僕が悪い。恥ずかしい話だが、少々足を挫いてね。難儀していたところだったんだ」

 

 ハヤトははっと息を飲んだ。たしかに、ズボンの裾から覗く右足首が痛々しく腫れている。これでは立つのも辛かろう。迷うことなくドードリオの手綱を差し出した。

 

「どうぞ、ドーすけに乗ってください。歩くより楽なはずです。出口まで案内しますよ」

「ドーすけ……?」

 

 マツバがきょとんとする。ハヤトは己の失言にみるみる顔を赤くした。

 

(しまった……人前ではニックネームで呼ばないようにしていたのに……!)

 

 ジムリーダーたるものトレーナーの手本たるべし。いついかなる時も毅然とするべし。父親から耳にタコができるほど聞かされた言葉だ。その一環として、他人の前では愛称で呼ぶことを控えていたのだが、つい漏れてしまった。

 

「こ、こいつのニックネームです……。そ、そんなことよりっ、さあ、どうぞ!」

 

 半ばヤケクソで促すと、マツバが困った顔で頬を掻いた。

 

「ううん……。申し出はありがたいんだが、そういうわけにもいかないんだ。この奥に用があるんだよ」

「奥、ですか?」

 

 ハヤトは目を丸くした。

 

「うん。この洞窟の名前を知ってるかい?」

「は、はい。たしか、ぬばたまの洞穴、でしたよね」

「そのとおり。では、ぬばたまの意味を?」

「……すみません、わかりません」

 

 父からここに行けと言われたとき、洞窟の場所や生息するポケモンの調査にかかりきりになって、名前の由来までは手が回らなかった。マツバは「無理もない」と首を振るう。

 

「大昔の言葉だからね。"まほろば"や"たおやめ"なんかと同じ、いわゆる古語ってやつさ。現代っ子の君が知らないのも当然だよ。

 ぬばたまというのは、"月のない夜のように暗い"という意味を持つ。だからいま風に言い替えるなら、暗月の洞窟とでも呼ぶのが相応しいだろうね」

「暗月の……洞窟……」

 

 まさにぴったりの名前だ。ホーホーのフラッシュがなければ己の手すら見えない暗闇に惑わされ、ここに辿り着くこともできなかっただろう。

「こういうところにはね……」壁に手を這わせながらマツバが言う。

 

「光を嫌うゴーストたちが多く棲みつくんだ。新たな出逢いを求めて意気揚々とやってきてみれば、奥の方で手強い相手に足をやられるわ、逃げる時に形見の指輪を落とすわで、もう散々だったよ。せめて指輪だけでも回収したいが、さてこの足でどうしたもんかと考えていたら……」形のいい指がハヤトを指さす。「……君が現れたってわけだ」

「なるほど……。そういうことでしたか」

 

 ハヤトは得心した。同時に、感心せずにはいられなかった。

 マツバはジョウト中のジムリーダーのなかでも上位の実力を誇る。数少ないゴーストタイプの専門家として、テレビやラジオに呼ばれることも少なくない。彼の地元、エンジュシティに聳える〈すずの塔〉の管理も任されているというから、その忙しさは想像を絶する。それでもなお修練を怠らない姿勢に、ジムリーダーのあるべき姿を見せられた気分だった。

 ハヤトは力強く頷いた。

 

「そういうことなら一緒に行きましょう。俺も、この先に行きたいんです」

「やー、ありがとう。本当に助かるよ。まさに渡りに船ってやつだ。……ところで……君は何しに行くんだい?」

 

 問いに、ハヤトはしばし黙した。マツバに語らせた以上、己も答えるのが筋というもの。掌をじっと見つめ、かたく握りしめた。

 ここまで来たんだ。もう、後戻りはできない。

 

「修行、です。父に課せられた、最後の課題。俺はこれを、なんとしても達成しなくてはならないんです」

「……そうか」ハヤトの瞳に宿る強い光を見てとり、マツバは優しく目を伏せた。

 

「そうと決まれば善は急げ、だ。いやぁ、ドーすけの背中もふわふわで気持ちいいし、得したなあ」

「そ、その名前は聞かなかったことにしてください……」

 

 赤い顔で俯くハヤトを、ドーすけが楽しそうにつついた。

 

 

 三

 洞窟を進むほどに水気は引き、じめついた空気もなくなった。歩きやすくなった反面、ますます闇が濃くなっていく。野生のポケモンとの戦闘も格段に増えた。マツバはホーホーのフラッシュが届かない暗黒をも見通せるらしく、時折「向こうは行き止まりだよ」とか「もうすこし左に寄るといい、岩にぶつかるぜ」「ワンリキーが狙ってるぞ、気をつけて」などさり気ない助言を与え、ハヤトをよく導いた。

 

(流石はゴーストタイプの専門家だ……闇に慣れてる)

 

 ハヤトは舌を巻く思いだった。

 そうして歩くこと更に一時間。唐突に道が切れた。

 

「うわ……!」

 

 ハヤトが慌てて後退する。あと一歩踏みこんでいたら、ぽっかり空いた奈落に真っ逆さまに落ちていたところだ。

 

「地盤が崩れたのか? 見事な縦穴だな」

「向こうの道まで五メートルはあります。迂回しましょう」

 

 こういうときこそ鳥ポケモンの見せ場なのだが、生憎人を抱えて飛ぶには穴が狭すぎた。ホーすけの念力で……とも考えたが、発動者の体重より重いものは浮かせられない。上位技のサイコキネシスも習得できていないから、結局戻るのが一番早そうだった。

 だがマツバの見解は違った。

 

「それはどうかな」

「え?」

 

 難色を示すマツバにハヤトは虚をつかれる。

 

「三叉路で出逢ってからずっと一本道だったろ? 迂回するとなればあそこまで戻らなくちゃならないが、君もきみのポケモンもそこまで体力は残ってないんじゃないのかい」

「あ……」

「なおかつ、迂回路があるとも限らない。ここは危険を承知でこの穴を下るべきだと思う」

「で、でも、マツバさんは足が……」

 

 マツバは苦笑して、肩を竦めた。

 

「残念ながら、僕の冒険はここでいったんおしまいだな。なに、洞窟は逃げないさ。また日を改めて挑戦するよ。足の痛みもマシになってきたし、一人で帰れるだろ」

 

 背にしたリュックから太いザイルを取り出し、ハヤトに差し出す。

 ハヤトは悩んだ。ここまでこれたのはマツバのおかげだ。彼のサポートがなければハヤトこそ途中で引き返す羽目になっただろう。恩義ある怪我人を、本人の希望とはいえ置いていっていいものか。ためらう後輩に、エンジュのジムリーダーはきっぱりと言った。

 

「それ以上の情けは無用だ。……それとも、君の覚悟は、その程度の軽さなのかい」

「……!」

 

 脳裏に父の姿が甦る。鳥ポケモン使いとして一生を捧げた背中を、幼い頃からずっと追いかけてきた。

 死の間際、掠れた声で与えられた試練。涙をこらえて、必ずやり遂げると誓った。

 軽いわけが、ない。

 ザイルを掴み、頭を下げた。

 

「俺は行きます。……ありがとう、マツバさん」

 マツバは微笑んだ。「もしも道中で赤い石のついた指輪を見つけたら拾っておいてくれ。──幸運を祈る」

 

 身体にザイルを巻きつけ、壁を蹴りながら慎重に降下していく。緊張で滲む手汗が鬱陶しい。何度太綱を握り損ねて肝を冷やしたかしれない。顎先を大粒の汗が滴り落ちた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 息が上がる。懸垂下降など生まれて初めてだ。間近で羽ばたくホーすけが心配そうに見つめているのがわかる。

 

「大丈夫……きっと降りてみせるからな……」

 

 ホーすけに、というより自分に言い聞かせたその瞬間。

 ふつり、とザイルが軽くなった。

 

「え」

 

 ぐら、と身体が傾ぐ。世界の全てがスローになった。

 叫ぶホーホーの嘴がやけにはっきりと見える。己の体が水平になり、頭が下になり、うつ伏せになって──ようやく、ハヤトは自分が落下していることを認識した。

 

「あぁああああああああ!」

 

 絶叫は、虚空に呑まれて消えた。

 

 

 四

 父は寡黙なひとだった。

 何を考えているのか、何に喜ぶのか。子供の頃は全く見当もつかず、近寄りがたいものを感じていた。

 それを母に話すと、彼女は笑ってこう言った。

 

「目を見てご覧なさい。あのひとはね、口こそ重たいけれど、おめめはとってもおしゃべりなのよ────……」

 

「…………う」

 

 鈍い痛みに耐えかねて目を開く。重い頭をなんとか起こすと、ホーホーが欣喜雀躍して頬ずりしてきた。

 

「ホーすけ……そうか……おれ、おちたんだ……」

 

 直前の記憶が怒涛の勢いで思い出された。どれだけの深さを落下したのか定かでないが、かすり傷で済んだのは僥倖である。

 ひとまず立ち上がろうとついた右手が、やけに柔らかいものに触れた。

 

「……ん?」

 

 それは柔らかくて、温かかった。まるで、人の身体のように……。

 

「上の人〜? よかったらどいてくださいまし〜。わたくしそろそろお煎餅になってしまいそうですわ〜」

「うっ、うわぁあああ!」

 

 ハヤトは飛び起きた。ハヤトの下にあったのは、正真正銘の生きた人だったのだ。

 ホーすけが慌ててフラッシュを点ける。うつ伏せに倒れた少女は目にも止まらぬ速さで立ち上がると、ビシィッ! とポーズを決めてやにわに高笑いを始めた。

 

「おーっほっほっほ! 珍しい鉱石を見つけようと飛びこんだ洞窟でお昼寝をしていたら上から殿方が降ってくるとは! 世の中まだまだ不思議なことがたくさんありますわね〜! 事実は小説よりも奇なり! 愉快痛快万々歳ですわ〜! おーっほっほっほっほ!」

「な……な……」

 

 ハヤトは声もでなかった。あまりの出来事に、完全に脳が考えることをやめていた。

 少女はくるりと振り向くと、優雅な仕草で一礼する。

 

「あらためましてわたくし、色違いの研究をしておりますラナンキュラスですわ〜! どうぞラナンとお呼びくださいまし」

「ら、らなん、さん」

「はい! あなたのお名前はなんとおっしゃるの?」

「は、ハヤト、です」

「ハヤト! 素敵なお名前ですわ〜! ……あら? あらあら〜? なんて可愛らしいホーホーなんでしょう! あなたのポケモンですの?」

「あ、ああ……」

「ん〜つやつやの毛並みにふくふくのお身体……とっても愛されているのがわかりましてよ〜! あなた素晴らしいトレーナーですのね! ぜひわたくしのネイティもご覧になって!」

 

 ぽん、と軽い音を立てて、コンペボールからネイティが飛び出してきた。特徴的な眼差しに長い冠羽。翼が黄色いのは色違いの個体だからか。「トゥ」と囀る声に、ようやくハヤトの意識がクリアになってきた。

 少女──ラナンはおよそ現実離れした格好をしていた。長裾の白衣にフリルのついたスカート、赤いリボンで纏めた豊かな金髪。奇行に目を瞑れば文句なしの美少女である。

 ともあれ、下敷きにしてしまった非礼を詫びようとするハヤトの耳に、上方からの風切音が飛びこんできた。

「危ない!」ラナンを突き飛ばし、その反動で右に飛ぶ。

 間一髪、二人の間を空気の刃が切り裂いた。

 

「あら、ゴルバットの群れですわ! ひーふーみー……まあクッソ多いですこと!」

「くそ……厄介な……!」

 

 ハヤトが苦々しげに言う。続々と集まったゴルバットたち、その数およそ十数匹が四方八方から一斉にエアカッターを繰り出してきた。当たれば痛いでは済まされない、危険極まる風刃の乱舞。そのなかを器用にすり抜けて、ラナンがハヤトの手を掴み、横の坑道へと駆けだした。

 

「ここにいたんじゃおミンチになりましてよ〜! 三十六計逃げるに如かずですわ〜!」

「だっ、だが! 逃げても追ってくるぞ!」

「それでいいんですわ!」

「なに……!?」

 

 坑道に飛びこんだ瞬間、ラナンの指示が響き渡った。

 

「ネイマールっ! リフレクターっ!」

 

 入口を塞ぐように展開した盾が、今まさに強襲せんとしたゴルバットを見事防いだ。後続は回避もできず、仲間を巻き込んで次々に激突し、ぱたぱたと地面に落ちていく。二、三匹は辛くも逃れたが、味方の姿に戦意喪失したと見え、脇目も振らず逃げ帰っていった。

 

「……凄いな」

 

 ハヤトは呆然と呟いた。

 もしも正面切って戦ったなら、こちらも無傷では済まなかったろう。多勢に無勢で切り刻まれるか、毒を喰らって死んでいたかもしれない。

 そこをラナンは敢えて狭い道にいくことで相手の選択を狭め、一方向からの突撃を誘ったのだ。

 ネイティもまた凄まじい。大量のゴルバットにぶつかられても、僅かなヒビすら入らない強靭な〈壁〉をいともたやすく作り出してみせるとは。

 ラナンの度胸とネイティの技量、双方あって初めて成立する荒業である。興奮と戦慄で背筋がぞくぞくした。

 

(すこし、父さんの戦い方にも似てたな……)

 

 相手の攻撃を躱し、受け流して利用する。父が最も得意とした戦法が重なり、ハヤトはなんとなく胸が締めつけられるような心地がした。

 

 気絶したゴルバットの群れを乗り越え、縦穴を見上げたハヤトは眉間に深い皺を寄せた。

 天井は気が遠くなるほど遠い。登るのも飛ぶのも現実的ではないだろう。とくれば別の道を探すしかないが、食料も薬も乏しい中で、果たしていつまで頑張れるか……。

 何の気なしに首を巡らせると、地面に落ちたザイルを見つけた。

「マツバさん、無事に帰れているだろうか……」呟くハヤトの口がぴたりと閉じた。

 背後から覗きこんだラナンが「まぁ」と声を上げる。

 

「先端がすっぱり切れてますわ〜! 見事な断面ですわね〜! 〈エアカッター〉で斬られちゃったのかしら!」

「……そうでしょうね」

 

 ハヤトはそれ以上語らず、袂に仕舞いこんだ。

 

「行きましょう。目的地は近いはずです」

「ええ! 臨時の探検隊、出発進行ですわ〜!」ラナンがにこやかに拳を突き上げ、張り切って先頭を歩きだした。

 

 大丈夫。きっと大丈夫だ。

 マツバは自分よりずっと強い。たとえ足をくじいてたって、ゴルバットぐらい蹴散らして出口に向かっているはずだ。

 大丈夫さ……きっと……

 

 ハヤトは何度も自分にそう言い聞かせながら、ラナンの後を追った。

 

 

 五

 ラナンはとにかく不思議な少女だった。

 歳の頃は変わらないのに既に博士号を取得し、世界各地を旅しているという。見つけたポケモンはすべて手描きで記録しているというので、研究手帳を見せてもらったハヤトは目を丸くした。

 緻密なタッチで描かれた数々のポケモンたち。それはそのまま画集として販売できるほど完成度の高いものだった。

 なにより驚いたのは、それほどに質の高い絵を歩きながら描くところである。

 いまも、先の戦いで捕獲した色違いのゴルバットを模写していたが、凄まじい速さで筆を走らせつつ、同時に足と口も動かすのだから、並外れた器用ぶりだった。

 

「才能の塊だな、君は」

 

 心からの賛辞にラナンはふふんと胸を張った。

 

「これしきのこと当然ですわ! でも褒められるのはいつだって気分が良くなるもの! もっとお褒めいただいても一向に構いませんのよ〜! おーっほっほ……あら?」

 

 大笑いしかけていたラナンが小首を傾げる。

 

「なんでしょう、奥の方からなにかの鳴き声が聞こえましたわ」

「またゴルバットたちか?」

「いえ、もっと太くて大きい声ですわね」

「──まさか!」

 

 ハヤトが駆けだす。隘路を走り抜けるとぽっかりと空いたホールに辿り着いた。おそらく、この洞窟を掘り抜いたポケモンの住処だったのだろう。しかしその姿は見当たらない。代わりに──……

 

「ようやく見つけたぞ……」

 

 ハヤトが拳を握りしめる。

 何年も追い求めた。父の死後、ずっと。

 

「今度こそお前を捕まえてやる! プテラ!」

 

 一段高い岩の上、闖入者を睨みつけていたプテラが声高く咆哮した。

 

 遥か昔に絶滅したはずのポケモンが、化石となって発見、復元されることがある。

 プテラはそうした種のひとつだ。

 ハヤトの父・ハヤテは、修行の一環で訪れたこのぬばたまの洞穴でプテラに出逢い、三日三晩の死闘を演じた末、結局捕獲することは叶わなかった。

 その時の怪我がもとで世を去ったのだが、彼は死の間際までプテラを好敵手と呼び、その強さと美しさを語り続けていた。

 そして息子に命じた。かのプテラに会ってこい、と。

 

『お前は充分強い。いつだってジムリーダーになれるだろう。だがふとしたときにやってくる気の迷いを打ち払う術を身につけておらん。

 あのプテラと戦え。そうすれば、お前は単なるバトルの腕だけではない、ジムリーダーとして、人として、一番大切なものを得ることが出来る……』

 

 何百何千と反芻した、父の最期の言葉。正直、大切なものがなんなのか、未だはっきりとは分かっていない。

 

(それを今日、ここで掴む!)

 

 ハヤトの瞳に焔が宿る。片足を開き、おおきく振りかぶってボールを投げた。

 

「まずはお前だ、ドーすけ!」

 

 意気軒昂とドードリオが踊りでる。敵を認めたプテラは悠々と翼を広げ、無造作に振るった。強い突風が周りの小岩を浮かせ、礫となって襲い来る! 

 

「高速移動!」

 

 六対の眼が礫ひとつひとつの弾道を見極め、容易に安全地帯を見出した。スピードを落とすことなく駆け抜ける。最後の一足でプテラの頭上に跳躍した。

 

「飛び蹴り!」

 

 鳥ポケモン随一の脚力を誇るドードリオの蹴りを、プテラは僅かに体を反らすだけで躱した。大きく裂けた口がにんまりと歪む。

 

(こいつ……笑っている……!)

 

 ハヤトの頭に血が上った。

 何が愉しい。何が可笑しい。

 お前が負わせた傷のせいで、父さんは……! 

 

「畳みかけろ! ドリル嘴!」

 

 高速回転する嘴が三方向から飛んできても、やはりプテラは余裕の笑みを崩さなかった。足場の岩から動かぬまま、翼を固くして防ぎきる。

 地上戦では埒が明かないと見て、ハヤトはドードリオを引かせた。代わりにぺリッパーとエアームドを繰り出す。

 

「岩タイプのお前には辛いだろう! 喰らえハイドロポンプ!」

 

 怒涛の勢いで噴射された水流がプテラを射抜く! ──しかし当たったと思ったのも束の間、何もいない虚空を虚しく貫いたに過ぎなかった。

 

「ギャッギャッギャッ」

 

 天井付近を飛んでいたプテラが哄笑する。やつもまた、〈高速移動〉を覚えているらしい。エアームドが懸命に追いつこうとするが、プテラのほうが遥かに速かった。せせら笑うようにエアームドの背や翼を叩き落とし、じわじわとダメージを与えてくる。

 ハヤトは奥歯を噛み締めた。半端な物理技は通じない。遠距離の大技も役に立たない。

 どうする、どうすればいい。

 焦りばかりが募り、胸の中に暗雲が垂れこむ。

 

 あれほど強かった父が勝てなかった相手。

 自分に勝てるのか? 

 ……無理だ。

 諦めるな! 父さんとの約束を反故にする気か! 

 でもどうする! どうすれば勝てる! 

 技を出しても当たらない! 当たってもまったく効いていない! 

 ならどうすれば! 

 ……わからない……

 しょせん、俺には無理なのか……

 こんな強敵を、倒すなんて……

 

 そう、惑う間に。

 プテラの突進をモロにくらって、ぺリッパーが気絶した。

 

「ぺりすけ!」

 

 続いてエアームドも、容赦なく噛み砕かれ地に伏せる。

 

「ムーすけ!」

 

 血の匂いを嗅ぎ、興奮したプテラが牙を剥いてハヤトに飛びかかった。

 

「ギャァアアアアア!」

 

 耳を劈く轟音に身が竦む。膝から力が抜け、尻もちをついた。

 

「ひ……!」

(もうダメだ……!)

 

 体を丸め、目を閉じる。さながらお化けに怯える子供が布団の中でそうするように。けれども、痛みはいつまでもこなかった。おそるおそる目を開くと、ハヤトの目の前で小さな鳥が羽ばたいていた。

 

「……ホー……すけ……」

 

 手持ちで最も若く、最も弱いポケモンが、震える身体で精一杯リフレクターを展開し、ハヤトを守っていたのだ。

 プテラは牙を立て、爪で抉りながら壁を突破しようと足掻く。壁はみるみるヒビが入り、もういつ壊れたっておかしくない。

 なのにホーすけは一歩も引かなかった。

 

「おまえ……どうして……」

「──簡単なことですわよ」

 

 ネイティ──ラナンのネイマールがリフレクターを貼り直す。死力を尽くしたホーホーが倒れるのを、ハヤトは慌てて受け止めた。

 

「あなたのことが大好きで、信じているから頑張れるんですわ」

「信じる……?」

「ええ」

 

 振り向いたラナンがきっぱりと頷く。

 

「プテラを倒し、生きて帰る! そう信じているから、ホーすけは飛び出したんですのよ」

 

 ハヤトはゆっくりと手の中のホーホーを見やった。

 

「ホーすけ……おまえ……」

 

 か細い呼吸を繰り返しながら、ホーすけは僅かに目を開き、鳴いた。

 

「……ホゥ……」

 

 ハヤトの目から熱いものが滴り落ちる。

 どうしてこんなにも真っ直ぐに信じてくれるのだろう。

 なぜこんなにも愛してくれるのだろう。

 俺はこんなに弱くて、頼りないのに。

 

「……だったら、強くなればいいんですのよ」

「ラナン……」

 

 見上げた少女は煌めいて、一片の揺らぎもなかった。

 

「あなたが自分を信じれなくても、ポケモンたちはいつだってあなたを信じていますわ。ならば貴方がなすべきは一つ! 己を信じて、信じて、信じ抜く! その先に勝利があるんですの、よっ!」

 

 ネイマールのナイトヘッドがプテラを弾き飛ばす。同時に、リフレクターが霧散した。

 

 信じ抜く。

 仲間を、己を。

 絶対に、勝つと。

 

「……ありがとう、ラナン」

 

 ゆっくりと立ち上がる。

 ラナンは微笑み、一歩下がった。代わりにハヤトが前へ出る。

 

「もう迷わない。疑わない。俺たちは勝ってここを出る。──そうだな、相棒」

 

 ボールを放る。出てきたポケモンを見た瞬間、プテラが喉の奥を鳴らし、距離を置いた。さきほどまでの余裕は失せ、緊張と警戒が浮かんでいる。

 

「行くぞ、ピジョット」

 

 ピジョットは翼を広げ、高く鳴いた。

 

 

 六

 戦闘は熾烈を極めた。

 プテラもピジョットも、全く互角にやりあっている。鋼の翼で叩きあい、暴風をぶつけあって、わずかな隙を見つけては羽休めで回復する。

 一進一退の攻防を、ハヤトもラナンも固唾を飲んで見守った。

 

「ゴァアァア!」

 

 終わらない戦いに痺れを切らしたプテラが吼え猛る。音波の衝撃で、一抱えもある岩が次々に降り注いだ! 

 

「岩雪崩ですわ!」

「避けろピジョット!」

「キュルルルルァアァアァア!」

 

 縦横無尽に飛び回り、辛くも岩の雨から逃れでる。しかし体勢を崩した瞬間を、狡猾なプテラは見逃さなかった。

 大きく開けた口から放った破壊光線が避ける暇も与えず直撃する! 

 

「ピジョット!」

 

 ところどころ焦げた身体がひゅるりと落ちていく。地面にぶつかる直前、意識を取り戻したピジョットはなんとか着地した。

 

「大丈夫か!?」

「キュルルッ」ピジョットが小さく頷く。

 

 ハヤトはここまで追いこまれながらも、冷静に状況を観察していた。

 こちらの体力は残り少ない。今の機会は間違いなく絶好のチャンスだった。なのに追いうちをかけなかったのは、プテラももう限界だからだ。

 

 ──ならば、限界の更に上を行く。

 

「あれをやるぞ、いけるな?」

 

 ハヤトの囁きに、ピジョットは不敵に笑った。

 袂から出した指輪を右手の中指に嵌める。台座の宝玉がきらりと光った。

 

「ピジョットよ! いまこそ限界を超えて羽ばたけ! 俺の思いを乗せて飛べ! メガシンカ!」

 

 ピジョットの全身が眩い光に包まれ、弾け飛ぶ!

 刹那。

 プテラの巨躯が踏ん張りも効かず吹き飛ばされた。

 

「ギャァウッ」

 

 初めて聞く、苦悶の呻き。

 体勢を立て直すより早く、ハヤトの声が響き渡った。

 

「決めろ必殺! ブレイブバードォ!」

 

 全身全霊をこめた一撃がプテラを襲う! 砕けた岩が砂埃を舞いあげた! 

 永遠にも思える数秒の後、砂塵から一匹のポケモンが飛び上がる。それは翼を広げ、勝者の雄叫びを上げた。

 ハヤトが両の拳を握りしめる。

 

「よくやったぞ……ピジョット……!」

 

 ピジョットは勝利を誇るがごとく、二度旋回してから、ゆっくりと主の隣へ舞い降りた。

 

 

 七

 仰向けに倒れたプテラは完全に気を失っていた。

 捕獲用の空ボールを握りながら、ハヤトはじっとその姿を見つめた。

 強かった。間違いなく人生で最も強い敵だった。バトルの間、ひやりとした瞬間が何度もあった。メガストーンがなければ、負けていたのはこちらだったかもしれない。

 父の最期が甦る。

 なぜあの人がずっとこのポケモンに拘ったのか。戦った今なら分かる気がした。

 拳を己の胸に当て、目を閉じる。鼓動は強く、勇ましい。

 本当の強者とのバトルは、こんなにも心躍るものなのだ。父への想いとか、焦りで満たされたままではきっと感じ取れなかったろう。ただ己を信じ、仲間を信じてバトルに打ちこんだからこそ、この境地に至れたのだ。

 ゆっくりと振り向く。ラナンはメガピジョットが珍しいとみて、ネイティと一緒に羽毛に顔を埋めていた。

 

「……ありがとう、ラナン」

 

 君の助言がなければ、きっと勝てなかった。

 呟き、ボールを放る。プテラ捕獲の合図が鳴った。

 

「おまたせ。こっちの用事は済んだよ」

「大冒険でしたわね〜。よろしければ、ネイマールのテレポートで出入口まで送ってさしあげましてよ!」

「それはありがたい。ぜひお願いします」

「承知しましたわ! ネイマール!」

「トゥトゥ」

 

 ぐにゃりと景色が歪む。二、三度瞬くと、既にそこは洞窟の外だった。

 

「こんなにあっさり……便利だな、エスパーの技は」

「冒険するなら必須の技でしてよ! あ〜お外の空気が美味しいですわ〜!」

 

 気持ちよさそうに伸びをするラナンの背後、倒木に腰掛けていたマツバが見えて、ハヤトは安堵の息をついた。

 よかった、無事に出られたのか。慌てて駆け寄る。

 

「マツバさん! 無事に出てこれたんですね!」

 

 しかしマツバは目を丸くし、小首を傾げた。

 

「や、ハヤトくん。えーっと、どういうことだい? 僕はいま来たばかりだけど」

「え?」

 

 ハヤトが面食らう。

 

「い、いやいや。ご冗談でしょう? だって俺、あの中であなたと一緒に居たじゃないですか! ザイルだってこうして……あ、あれ……」

 

 懐に入れていたはずのザイルが見当たらない。荷物もすべてひっくり返したが、あんなに太い縄が霞のごとく消えてしまっていた。

 

「……ああ、そういうことか」

 

 困惑しきりのハヤトにマツバが苦笑する。

 

「あの洞窟にはいったね? あの中にはイタズラ好きのゴーストポケモンがうようよいるんだ。プテラが住み着いてからしばらく大人しくしていたみたいだが、時々入ってきたトレーナーの姿を真似ては驚かすんだよ。きみ、やられたね」

「え、ええぇえ……」

 

 ハヤトは顎が外れんばかりに驚いた。

 あの『マツバ』が霊のいたずらだなんて。

 

「タチの悪いのだとわざと危険な道を歩かせたりして仲間にしようとするんだ。命があって良かったな? 次期ジムリーダーくん」

「な、仲間に……」

 

 縁起でもない話にハヤトの肌が粟立つ。

 では、あのザイルが切れたのも、つまり──……

 本物のマツバは笑いながらハヤトの肩をぽんと叩いた。

 

「ま、それはともかく。僕はもう行くよ。気が向いたらまたこの洞窟においで。街に居ないときは大抵ここに籠っているから」

 

 ひらひらと手を振りながら洞窟に消えていく背中を、ハヤトは釈然としない思いで見送った。

 二人の会話を聞いていたラナンが興味深そうに書き留めている。

 

「ゴーストポケモンは誰かに化けて人を驚かせたりあの世に導く者がいる……とっても面白いですわね〜! ねえハヤト、いまからまた潜りませんこと? 次は誰の姿になるかワクワクしますわ〜!」

「絶対にいやだっ! 断固拒否する!」

「ああんそんなこと仰らずに〜!」

「いーやーだっ!」

「後生ですから〜!」

 

 街に向かって逃げる青年を、金髪の少女が追いかける。

 

 洞窟の中で、くすくす笑う声がした。




よろしければ感想お願いいたしますわ〜!


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3話/青い空!白い雲!悪党退治にうってつけの日ですわね!

お嬢様博士第3話。
各話独立してるのでどこからでもお読みいただけます。
今回バトルの描写頑張ってみました。

▫️ラナンキュラス・・・主人公。お嬢様博士。色違い研究家。うるさい。
▫️アスナ・・・フエンタウンジムリーダー。可愛い。


 一

 朝六時。すでに息苦しいほどの暑気をはらんだ陽の下で、一人の少女が汗だくになりながら畑仕事に精を出していた。

 高く結わえた赤髪は四方八方に伸びて、彼女の快活な性格を象徴している。ぱちり、と鋏を入れたハーブを籠にしまって、額の汗を拭った。

 

「こんなもんかな」

「ルルゥ」

 

 バシャーモがタオルを差し出す。少女はにっこりして受け取った。

 

「ありがと! 今日もいい天気だよ、シャモ」

 

 バシャーモは頷き、主人にならって天を仰いだ。

 えんとつ山の稜線が青空にくっきりと広がっている。文句なしの快晴、風は微風。素晴らしく平和でおだやかな一日になりそうだった。

 ところが。

 

「アスナさーん!」

 

 遠くから悲痛な声を上げてジムトレーナーが駆けてくる。気持ちのいい陽射しとは裏腹に、彼の顔は血の気が引いていた。

 

「どうしたんです、そんな慌てて」

「はぁ……はぁ……た、大変ですアスナさん」

「落ち着いて。何が起こったんですか」

「それが……それが……」

 

 男は唾を飲みこみ、一息に叫んだ。

 

「預かっていたタマゴが、みんな盗まれてるんですっ!!!!」

「な……」アスナは絶句し、目を見開いた。

 

「なんですってー!!!!!!!!!」

 

 

 二

 カイナシティはホウエンが誇る港町だ。

 ひっきりなしに出入りする船舶。異国情緒溢れる品が並ぶ市場。威勢のいい呼び声が飛び交い、毎日が祭りのごとき賑やかさである。

 その一角、お香を扱う出店の前で、一人の少女が難しい顔をして唸っていた。

 

「う──────ん……こぉれは難しいですわよ〜……すべてのお香を買いたくなっちまいますわね……」

 

 豊かに波うつ金髪を赤いリボンで纏め、フリルをふんだんにあしらったスカートに身を包んでいる。一見ポケモンコンテストにでも参加するような出で立ちだが、それにしては上に羽織った白衣が異質だった。

 店主がうんざりしながら団扇を振るう。

 

「おいおい嬢ちゃん、あんたもう三十分もそこにいるじゃねえか。買うのかい、買わないのかい」

「買いますわよ〜……買うんですけれど〜……なぁにを買いましょうかねえ〜……悩みが尽きないんですわ〜……」

「そんな悩むなら全部買っちまえばいいじゃねえか。金持ってんだろ?」

「よくぞ聞いてくれましたわっ!」

 

 がばっ! と顔を上げ、店主の髭づらを至近距離から見据える。勢いと力強さに気圧された店主が半歩引けば、少女は一歩足を進めた。

 

「昨夜この港についてからというもの、もう見るもの全てが新しくてっ! 次から次へと買って食って買って飲んで買って遊んでしてましたらっ! なんとっ! 路銀が底を尽きてたんですわぁ〜!!!! 不思議ですわよね、なんでお金って遣うとなくなるんでしょう」

「当たり前だっ」

 

 店主の心からのツッコミも彼女には届かない。頬に手を当て悩ましげな貌をしながら、再びお香観察に戻ってしまった。

 店主はやれやれと言いながらカウンター裏の椅子に座る。金がないなら帰れ、というのは容易いが、もともと客の多い店でもない。暇つぶしに立たせておくくらいは目をつぶれた。

 お香を求めるトレーナーは年々減っている。技の威力や回避率など(ステータス)を上げたければ上位互換のアイテムがいくらでもあるし、回復源のきのみ(ピンチベリー)はフィールドを歩けばタダで手に入る。わざわざ数千円払ってパッとしないお香を買うのはバトルに疎い新米トレーナーか、珍しもの好きの観光客ぐらいのものだ。ところが今日入ってくる船は貨物船ばかり、間抜けなトレーナーがそうそう歩いているはずもなしで、店主のやる気はマッギョの体高よりも低かった。

 あと五分居たら追い出してやる……そう思っていた矢先、市場の奥から悲鳴が聞こえてきた。

 

「ドロボーっ! ひったくりよ、誰か捕まえてーっ!」

「どけどけぇあ!」

 

 サングラスを掛けた男が女物のハンドバッグ片手に駆けていく。店主が椅子から立つより早く、少女は動きだしていた。

 腰のボールベルトから一つ取り外し、天高く放ると、ポケモンが出るより早く凛々しい声で命じた。

 

「タママ! お香に向かって糸を吐く!」

「お、おい!?」

「そのままスイングですわ!」

 

 少女の頭にのった色違いのアメタマ(タママ)が、粘つく糸をお香に巻きつけぐるぐると振り回す。充分加速したところで糸を離した! 

 遠心力によって投げられたお香が見事、逃げゆく男の後頭部を直撃する! 

 

「おげぇっ!?」

 

 男はたまらずもんどりうち、顔面から着地した。慌てて起き上がろうとする背中に、コータスがずしりとのしかかる。

 

「ぐぇえええ!」

「逃がさないよ! あたしの目の届くところで盗むなんざ、なんて悪いひと……じゃなかった、ふてぇ野郎だ! このまま警察に突き出してやるから覚悟しな!」

「わ、わかった、にげねえ、逃げねえから勘弁してくれぇ……!」

 

 ひったくり犯がひぃひぃと情けない声を出す。

 周囲の人間はコータスのトレーナーを見てわっと歓声をあげた。

 

「アスナちゃん!」

「いよぉ! フエンのジムリーダー!」

「さすがアスナちゃんだね!」

「かっこいーぞー!」

 

 当の本人は髪以上に顔を赤くしながら、努めて気にしていない風を装いつつ、犯人を後ろ手に縛り上げた。なにかを探すように首を巡らせ──アメタマを頭に乗せた少女に目を止める。

 

「さっきお香投げたの、あなた……じゃない、あんただよね? はい、これ。落ちてたよ」

 

 金色の"幸運のお香"を手渡す。やや側面に凹みがあるものの、目立ったキズはなさそうだ。

 

「ま、ありがとうございますわ。あなた、アスナさんと仰るのね」

「ああ、まあね。ちょっと離れたフエンって町でジムリーダーやってんだ。あなた……じゃなくて、あんた、旅の人?」

「ええ!」

 

 ばさぁっ! と白衣の裾をひるがえし、少女はビシィッ! とポーズを決めた。

 

「色違いポケモンの研究家、ラナンキュラス博士とはわたくしのことですわ! どうぞラナンとお呼び遊ばせ! おーっほっほっほ!」

「そ、そっか。ラナン、ありがとね。おかげですぐに捕まえられたよ」

「礼には及びませんわ。人として当然の行いですもの!」

「……で、それは何をしてるの?」

 

 ラナンは男のポケットから財布を取り出し、札を何枚か抜いていた。

 

「わたくしはアメタマのタママでこの人を止めましたの。いわばポケモン勝負! 勝負に勝った者は賞金を手にする権利がありましてよ! 人として当然の行いですわね!」

「うう……追い剥ぎだァ……」

 

 男が流々と涙する。

 

「あっわたくし幸運のお香持ってましたわ。もっと貰っちゃいましょ」

「強欲だァ……」

 

 男の嘆きがますます深くなった。

 

「ま、まあでも、泥棒したのが悪いし……働けばすぐに手に入る額だよ」

 

 なぜかアスナが泥棒を慰めねばならなかった。

 通報を受けて駆けつけた警察が犯人をしょっぴいていく。

 コータスをボールにしまいながら、アスナがぼそりとつぶやいた。

 

「……この調子で、タマゴ泥棒も見つかればな……」

「タマゴ?」

 

 アスナははっと目を見開き、慌てて手を振った。

 

「ああ、いやいや。こっちの話。それじゃ、研究頑張って」

「お待ちくださいな」

 

 はし、とアスナの手首を握り、ラナンがキラキラと輝く笑みで言った。

 

「ここで会ったのもなにかのご縁! よろしければお昼など頂きながらお話聞かせてくださいまし!」

 

 そのまま半ば強引にレストラン街へと引っ張っていく。野次馬たちが「よかったよかった」と口々に言い、お香の店主も調子を合わせていたが、店に戻ってはたと気づいた。

 

「お香……パクられた……」

 

 時すでに遅し。

 沖でキャモメがアホーと鳴いた。

 

 

 三

 ほどよく安く、量の多い定食屋を見つけ、二人は腰を落ち着けた。昼時を外していることもあり、客は少ない。アスナたちの他にはカウンターでどんぶり飯をかきこんでいる男がいるきりだ。

 

「それで? タマゴ泥棒ってどういうことですの?」

 

 運ばれてきたお茶をしとやかに啜りながらラナンが問う。アスナは少し俯きながら、ぽつりぽつりと語りだした。

 

「あたしの町には有名な温泉があってね、フエン温泉っていうんだけど、そこでタマゴを孵すとほかで孵すより強い子が生まれるって言い伝えがあるんだよ」

「ふむふむ?」

「それで、ジムの傍ら、希望する人からタマゴを預かって温泉に浸からせてるんだけど、今朝担当者が見に行ったらひとつ残らず盗まれてたんだ」

「全部孵ってしまってお散歩中……ということはございませんの?」

「ありえない」

 

 アスナはきっぱりと首を振るう。

 

「うちには孵卵の大ベテランがいてね、どのタマゴがいつごろ産まれるか完璧に言い当てることが出来る。その人が、早くてもあと二日はかかるといっていたから、間違いないよ」

「なるほど……盗む人に心当たりは?」

「あるといえばあるし、ないといえばない」

「ナゾナゾですの? わっかんねぇですわ〜!」

 

 目を丸くするラナンにアスナは吹き出した。

 

「違う違う。そうじゃなくて、やろうと思えば誰でも盗めるってことさ。見張りを立ててはいるけれど、れっきとした観光地だからね。人の出入りは激しいし、長く居座る人もいればすぐに発つ人もいる。言っちゃえば、最近あの町に来た人全員が容疑者になるってわけ」

 

 無論、簡単に手に取れるようなところには置いていない。小さい山を削って穴湯を掘り、柵をめぐらして定時に巡回もさせていた。湯治めあての弱った人間では辿り着くことも出来ない場所だが、それでも突破してしまうのが悪党の悪党たるゆえんである。

 

「うーん悩ましいですわね〜! でもなぜ、カイナに来ましたの?」

「……運ぶなら船しかないからさ」

 

 茶のみを握る手に力がこもる。

 温めていたタマゴは十数個。それだけの数を陸路で運ぶのは難しい。航空法でタマゴを飛行機に持ち込むことは禁じられているから、必然、残ったルートは海になる。

 港ならミナモシティにもあるが、道中湿地帯や草深いフィールドを通らねばならず、交通の便が悪い。すぐに運べて、すぐに逃げれる。この条件を満たすのがカイナシティというわけだ。

 だからギャロップに乗って急いでここまで来たのだが、それらしい人間は見当たらなかった。ひょっとすると、既に出港しているかもしれない。そうなれば回収は絶望的だ。

 

「朝から何時間も探し回ったけど、手がかりひとつなくて……もう、どうしたらいいか……」

 

 アスナの目に涙が浮かぶ。ジムリーダーに就任して半年。ようやくバトルが楽しいと思えるようになってきたのに。

 タマゴを預けてくれた人に申し訳が立たない。もっと管理体制を強化すべきだった。タマゴが割られていたらどうしよう。産まれた子達が売られたりしたら。自己嫌悪と負のイメージが加速度的に膨らんでいく。

 けれど、眦から涙が零れるより早く、ラナンがそっとアスナの手を握った。

 

「──平気ですわよ、アスナ」

「ラナン……」

 

 ラナンは微笑んだ。桃色の瞳が優しく瞬く。

 

「二人で捜せば、お排泄物(クソッタレ)な犯人たちもタマゴちゃんたちもきっと見つかりますわ。そのためにもまずご飯を頂かなければ……ね?」

 

 アスナはこみあげる涙を乱暴に拭い、鼻を啜った。

 そうだ、落ちこむのはまだ早い。探していないところ、まだやっていないことは沢山ある。

 萎みかけていた心がみるみる元気になってきた。

 

「……そう、そうだね! まずは食べよう! よおし、おばちゃん! 焼きそば大盛り!」

「こちらは醤油ラーメンを所望しますわ! もちろん大盛りでしてよ! おーっほっほっほ!」

「あいよー」

 

 店内に食欲をそそる香りが満ちる。二人はあっという間に料理を平らげると、意気揚々と出ていった。

 

「……タマゴ泥棒、ね」

 

 カウンターで新聞を読んでいた男が低く呟く。その目は恐ろしいほど暗く、沈んでいた。

 

 

 四

「むやみやたらと探しても効果は薄いと思いますの。まずは船舶の入出港記録と貨物の届出を調べましょう」

「それなら港湾管理局に行けばあると思うが、出してくれるだろうか」

 

 不安げに眉を曇らせるアスナだったが、ラナンはどこまでも自信たっぷりだった。

 チ、チ、チ、と指を振ってウィンクする。

 

「こうみえてわたくし、いろーんなコネがあるんですのよ?」

 

 港湾局の職員は、最初うさんくさそうにラナンを見ていたが、彼女が何かをチラつかせた途端態度を変え、あたふたと奥にひっこんだ。代わりに、おそらくは局長クラスであろう人間が応対に出たが、言葉遣いもひどく慇懃で下にも置かぬ扱いである。

 あっというまに応接間に通され、最高級のコーヒーを供された。

 

「それで、我々は何を差し上げましょう?」

 下座に座った局長が訊ねると、ラナンは優雅にコーヒーの香りを楽しんでから、簡潔に言った。

 

「この港でタマゴの密輸が行われているみたいですの。ご存知のことをまるっと教えてくださいな」

 

 局長の目がすっと細くなる。

 

「密輸、ですか。それはまた、聞き捨てならないお話ですな」

「ええ。わたくしもまさかと思いましたわ。一度ならず二度までもそんなことがあるなんて」

 

 アスナが血相を変える。

 

「なんだって!? 前にもこんなことがあったのか!」

「──ああ、アスナリーダーはご存知ありませんでしたか。無理もありません、もう二十年近く昔の話になりますからな」

「懐かしいですわぁ……」

 

 ラナンが遠い目で窓の外を見やった。局長が驚きっぱなしのアスナに顛末を語る。

 

「身内の恥を晒すようで汗顔の至りですが、前回はここの幹部のほぼ全員が密輸を取り仕切っていたんです。それは狡猾にして大規模な密輸事件だったのですよ」

「わたくしと国際警察が手を組んで捜査にあたったのですけど、もうとにかく手口が巧妙で……悪賢いってああいうことを言うんですのねえ。法の網は創るよりくぐる方が簡単だ、とはよく言ったものですわ」

「全くです」

 

 局長が苦笑する。

 

「あのとき、あなたの上司や同僚が軒並み逮捕されましたわね。さぞ驚かれたでしょう?」

「それはもう。その後の二年間のことは思い出したくもないですね。関係各所に頭を下げて仕事を引き継いで……毎日一時間寝れればいいほうだった」

「事件が落ち着いたあとは、あなたが関与した痕跡は一切ない、完全なシロだったということで、港湾局の最後の良心とメディアも盛んに報じてましたわね」

「……過ぎた話ですよ。でも、密輸はまだ終わっていない。そうですね?」

 

 最後の声はアスナに向けられたものだった。初めて聞く話ばかりで呆然としていたアスナは、はっと我に返り、局長を見つめる。局長もまた、真っ直ぐ見つめ返した。

 アスナは懸命に語った。微に入り細を穿ち、タマゴの柄に至るまで。最後まで黙って聞いていた局長は、メモを見ながらぼそりと呟いた。

 

「奴らだな……」

「っ、心当たりが?」

「ええ。この手口はほぼ確実に、セカイ団の仕業でしょう」

「セカイ団……?」

「なんですのそれ?」

 

 アスナとラナンが同時に首を傾げる。

 

「アクア団とマグマ団が壊滅したあと、生き延びた残党たちによって結成された組織です。陸と海、双方纏めて支配しようということからこの名をつけたとか。奴らなら、陸路も海路も自在に行き来できるでしょう。ホウエン各地に倉庫や拠点があるとの噂もありますから、タマゴ泥棒くらい訳ないはずです」

「でっ、では、奴らはどこに、どこにいるんでしょうか!」

 

 思わず立ち上がるアスナを、局長は静かな貌で見上げた。

 

「──すみません、そこまでは」

「ああ……」

 

 がっくりと項垂れる。だが希望は尽きていなかった。

 

「待ってください。確証はありませんが、部下の報告書や漁師たちの話を総合すると、ここにいる可能性が高いのではないかと思われる場所が一つだけあります」

 

 机に海図を広げ、ある一点を指差す。

 かつては資源採掘所として繁栄したが、自然保護の名目で活動を停止し、いまなお放置された施設。

 

「シーキンセツ……行ってみる価値はあると思いますが、いかがでしょう」

 

 アスナの答えは聞くまでもなかった。

 

 

 五

 色違いぺリッパーの背にまたがりながら、アスナは眼下に広がる大海原を見渡した。

 吹きつける潮風も、照り返しの眩しさすら心地いい。空を飛ぶとはこんなに清々しいものだったのか。

 

「空を飛ぶって最高ね……じゃない、最高だな!」

「そうでしょう!」

 

 ぺリッパーのくちばしをぱかりと開けてラナンが相槌を打つ。

 二人いっぺんに背中に乗ることはできないため、片方を嘴に入れて運んでもらうことになったのだが、ラナンいわく、案外居心地はいいらしい。

 それでもジャンケンに勝ててよかったとアスナは思う。なんか、捕食されてるようにしか見えないし。

 

「何か嫌なことがあったらとりあえず飛んでみるといいですわよ! もうなんもかんも忘れてシャキッとしますわ!」

「そうだね……じゃない、そうだな! ところであとどれくらいだ?」

「もう見えてますわよ〜!」

 

 言われて気づく。前方の一角、明らかに自然のものではありえない巨大な塊が鎮座していた。

 右傾し、海中に没した部分と空に向かってせり出す部分とに別れ、いたるところに海藻やフジツボがへばりついている。海中で育つ樹木──マングローブというやつだろうか──が乱立し、全体像を把握することは難しいが、見えている部分だけを見ると、

 

「捨てられた艦って感じだ……」

 

 ラナンは一瞬黙ってから、左側──天にせり出している方を指さした。

 

「……ペッパー、あちらに降ろしてくださいまし」

「ォア」

 

 弧を描くように舞い降りる。錆だらけの足場を踏んだ瞬間、異様な音が響き渡った。

 

 ……ギィイオオオオォオォォン……

 

 鉄が軋む音か、はたまた何かの鳴き声か。得体の知れなさにアスナの身が竦む。縁から海を覗きこんでいたラナンは親指を立てて笑った。

 

「さ、行きましょ! 情報が確かならタマゴちゃんたちがいるはずですわ!」

 

 アスナはその明るさに肩の力がふっと抜けるのを覚えた。力強く頷く。

 

「……うん! 行こう!」

 

 中に入ると、外から見た以上に広かった。

 意外にも電気系統は生きている。……いや、犯人たちが引いていると思った方がいいだろう。がらんと静まり返ったなかを、二人の足音だけが反響する。

 ラナンは己の頭上でぺリッパー(ペッパー)を羽ばたかせながら、更にザングースも呼びだした。こちらも当然色違いの個体である。

 

「ザグーですわ。お見知り置きを」

「あ、と。よろしく」

 

 ザングース(ザグー)は鋭い目でアスナを見つめ、ぺこりとお辞儀した。恐い見た目とは裏腹の礼儀正しい姿勢にアスナが頬を赤らめる。

 

「すごく紳士的なポケモンなんだな……すごいね、じゃない、凄いな!」

「うふふ。あなた褒められてましてよ、ザグー!」

 

 嬉しそうに相方の背中をぺしぺしと叩く。

 次の一瞬、ザングースが左の爪を閃かせ、恐ろしい切れ味をもってラナンに襲いかかった! 

 

「ラナン!」

 

 アスナが叫ぶ。しかしラナンは動じることなく、ほんの僅かに身体をずらすだけだった。

 ラナンに迫っていた毒の礫が、ザグーに打ち砕かれ、地に落ちる。

 

「……えっ」

「お喜びなさい、アスナ」

 

 アメタマのボールも開きながらラナンが笑う。

 

「ビンゴ、ってやつですわよ」

 

 その言葉を皮切りに、ぞろぞろと湧き出た男たちが二人を囲んだ。みな一様に帽子を目深に被り、人相を隠してはいるが、凶悪な雰囲気ばかりは誤魔化しようがなかった。

 

「いまので倒れりゃ、海に放りだす程度で許してやってもよかったが……」

 

 リーダーらしき男が言う。ざらついた声は長い間潮風に晒された証。ということは、元アクア団の一員か。

 

「あっさり防がれちまっちゃあ、もう殺すしかねえなあ」

 

 ヘルガーを侍らせた男がせせら笑う。こちらは元マグマ団員に違いない。

 ボールを構えながら、アスナが問う。

 

「フエンからタマゴを奪ったのは、お前たちか!」

「だとしたら?」

「──全員倒すっ!」

 

 アスナが集団に突っ込んでいき。

 かくして、大乱戦が始まった! 

 

 六

 

「フレアドライブ!」

「飛び膝蹴り!」

「切り裂くっ!」

 

 矢継ぎ早の指示が飛ぶ。バシャーモの反応は恐ろしく早く、長い手足を存分に振るって目の前の敵をなぎ倒していく。

 

「く、くそ、こんなはずじゃあ……!」

 

 マグマ団は慄いた。目の前の光景は想定と全く違っていた。

 アスナと対峙したとき、勝ったと思った。こちらは同属性のポケモンを多数揃え、どんな攻撃も半減できる。なんなら特性で炎技を無効にもできるのだから、ダメージを受けることなく一方的に殴れるぞ、と。

 それが甘い幻想であることを、すぐに思い知らされた。

 まず練度が違いすぎた。レベルも技のキレもアスナの方が遥か格上、多少数を揃えたところでまさしく烏合の衆でしかない。小手先の策など並べる前から蹴散らされた。

 ゴルバットやドンメル、ブーバーらを繰り出して必死に凌いできたが、それも長くは持たないだろう。一体、また一体と気絶していき、じりじりと前線が後退していく。包囲網が崩れていく様に、反対側にいたアクア団が焦り始めた。

 

「お、おい! どこ行きやがる!」

「うるせえ! 指図すんな!」

「挟み撃ちにしなきゃ意味ねぇだろうが!」

「だったらさっさと来いよ! なに手こずってやがる!」

 

 詰られ、アクア団は忌々しげに舌打ちした。合流できるものならばとっくにしている。こちらの手持ちは水タイプばかり、炎タイプのジムリーダーなぞ敵ではない。

 なのにそれができないのは、目の前の妙な女が嫌らしい手で阻んでくるからだ。

 

「おーっほっほっほ! どうしましたの? 苛立ちが隠せていませんわよ〜? 戦場では平常心を失ったものから負けていく、この世の真理ですわ〜!」

 

 耳を劈く高笑いが鬱陶しい。だがそれ以上に厄介なのが手持ちたちだった。

 アメタマがねばねばネットや冷凍ビームで足場を覆い、機動力を殺す。

 ぺリッパーは追い風で味方を支援しつつ、遠距離攻撃で前衛を削り、剣の舞で攻撃力を上げたザングースが一撃離脱戦法でとどめをさしていく。

 隙のない立ち回りで、あっという間に三分の一がやられていた。

 

「クソっ! おい誰かさっさとザングースをやれよ!」

「ぁあ?! お前がやれや!」

「俺はぺリッパー狙ってんだろうが!」

「知るかよボケ!」

 

 売り言葉に買い言葉、暴言が暴言を呼び、収集のつかない内輪もめに発展していく。マグマ団のほうも似たり寄ったりで、アスナたちはその混乱に乗じて攻撃すればよかった。

 勝敗は誰の目にも明らかだった。

 ──このときまでは。

 マグマ団を壁際に追い詰めたアスナが次の命令を出そうとした瞬間、横合いから飛んできた水流をまともに喰らい、壁に叩きつけられた! 

 

「がっ……!」

 

 声もなくうずくまる。慌てて駆け寄ろうとするバシャーモに二撃目が命中し、ひとたまりもなく気絶した。

 

「っ!?」

 

 ラナンが目を見開く。いまのハイドロポンプは手下による攻撃ではない。技の威力が違いすぎる。

 これは──……

 

「──っ、タママ、まもりなさい!」

 

 球状の防御壁がラナンたちを包みこむ。間一髪、上から降ってきた荒れ狂う炎を防ぐことができた。

 

「……本命登場、というわけかしら?」

 

 ラナンの頬を汗が伝う。べとんっ、と粘っこい音を立てながら落ちてきたマグカルゴが、ニィイと口を歪めた。

 

「そうねえ。本命といえば本命、かな」

「好き勝手やってくれてよォ……めんどくせえなあおい」

 

 甲板と奥の部屋から現れた人影を認め、アクア団は歓喜し、マグマ団は一斉に青ざめた。

 

「助かるぜシズクの姐御!」

「ほ、ホカゲさん……!」

 

 甲板の女──シズクと呼ばれた女は形のいい唇にルージュを引きながら、呆れた顔で手下を眺めた。

 

「はァ? たったの二人にこんだけやられたの? よっっっっわいわねえ、アンタたち」

 

 そばに従うミロカロスが、動けずにいるアスナを尾でひっぱたいた。

 

「あう!」

「ジムリーダーだかなんだかしらないけどさあ。所詮クソ雑魚よ。弱点で責めれば終わりじゃない」

 

 アスナがろくに力の入らない腕で我が身を支え、なんとか起き上がろうとするも、そのたびにミロカロスが攻撃する。三度目の打擲でとうとうアスナは動かなくなった。

 

「……!」

 

 ラナンが拳を強く握りしめる。

 ザングースなどはもう怒り心頭だ。だが背後の男が助けることを許すまい。

 そんなお優しい人間でないことは、纏う圧迫感で知れた。

 

「っはー……」

 

 ホカゲと呼ばれた男が紫煙を吐きながら嘆息する。

 

「タマゴくらいお前らでも管理できると思ったんだがなあ……アジト突き止められるわボコられるわって……無能か? お前ら」

「ほ、ホカゲの兄ぃ……」

 

 擦り寄ろうとする手下を、ホカゲは一顧だにせず蹴り上げた。

 顎の碎ける鈍い音がここまで響いてくる。哀れな手下は叫ぶことも出来ず、泣きながら後ずさった。

 

「俺さぁ、機嫌わりぃのよ。スロは負けるしセフレには連絡つかねえし。クソどもの尻拭いもしなきゃだろ? やってらんねーってマジで。萎えるわ」

 

 ホカゲがラナンの前に立ちはだかる。背の丈は百八十を超すだろう。痩せて見えるが、分厚い筋肉を宿した肉体であることは服の上からでも分かった。

 なにより、ラナンが警戒したのはホカゲの目だ。年齢性別関係なく邪魔者は潰す。暴力を振るうことに微塵の躊躇もない。そうして生きてきた人間だけが持つ暗い光を瞳に湛えていた。

 

「シズク」

 

 顎をしゃくり、シズクを呼ぶ。

「こいつボコすぞ」

「命令しないで。……まあでも、面白そうだから乗ってあげるわ」

 

 シズクが並ぶ。酷薄な笑みを貼りつけて。

 

「──ふっ」

 

 ラナンが白衣の裾を翻した。

 

「わたくし、ラナンキュラスがたかだか二人ぽっちに負けるとお思いですの? 浅はか早計短慮の極み、まったくの計算違いであることを教えて差し上げましてよ! おーっほっほっほ!」

 

 ザングースが牙を剥き、ぺリッパーが高く鳴く。

 睨み合いは、ほんの数秒。

 

「熱湯!」

「岩雪崩!」

「躱してブレイククロー!」

 

 三者三様の指示が飛び、第二ラウンドの幕が切って落とされた! 

 

 

 七

 とある地方で二十年近くチャンピオンを務めた人物がこんな言葉を残している。

 ──戦いってのはね、ゴングが鳴った瞬間にはもう勝ち負けが決まっちゃってんのよ。その時に至るまでにどれだけ準備を出来たかがキモなんだよねえ……

 

「追い風!」

 

 ぺリッパーが忙しなく羽ばたき、味方を後押しする風が吹く。敵にとっては長く続く向かい風だ。シズクのミロカロスが煩わしそうに首を振るい、長い尾を叩きつけてきた。

 そうはさせじとザングースが前に出、巧みに勢いを利用してカウンターを狙う。影からぬるりと滑りでたマグカルゴが飛ばす灼熱のマグマを、ぺリッパーが水の波動で掻き消した。

 

「や──っぱりお強いですわねえ……」

 

 ラナンが呟く。

 シズクもホカゲも無駄な指示は飛ばさない。ミロカロスが物理攻撃で場を乱し、マグカルゴの炎で痛手を負わす。基本的にはこの戦法を通してくるわけだが、その裏で搦手を使うことにも余念がなかった。

 

「凍える風よ。足止めちゃってー」

 

 ()()()()()()()()、シャワーズが無視できない冷気を発し、ザングースたちを脅かす。筋肉が強ばり、思うように脚が動かない。ぺリッパーも翼が痺れてうまく飛べなくなった。

 

「岩石封じで閉じこめろ」

 

 ()()()、バクーダによる岩石攻撃がザングースを襲う。凍えた身体を守るのに精一杯で、為す術なく岩の牢に封じられた。

 ラナンの頭上でアメタマが憤る。ルール無用のバトルに我慢ならないらしい。飛び出そうとする小さな身体をラナンは慌てて抱きとめた。

 

「だぁめですわよ〜。熱くなったら相手の思うツボですわ」

「それでピンチになってちゃ世話ないと思うけどねえ?」

 

 シズクがバカにしきった顔で笑う。ホカゲは新たな煙草を胸まで吸いこみ、美味そうに吐き出した。

 

「で? どうすんだ? その鳥一匹で勝てるとでも?」

 ミロカロスにシャワーズ、マグカルゴとバクーダ。四体ともまだ体力は半分以上ある。対してぺリッパーは度重なるダメージで傷だらけ、息も荒い。ホカゲの言う通りラナンの圧倒的不利である。

 けれどそれでも、少女から余裕の表情は消えなかった。

 

「そりゃ勝ちますわよ。正義はいつだって勝つ、ゆえに最強なんですわ〜!」

「はっ」

 

 煙草を弾き、残忍な貌で口の端を吊り上げた。

 

「そりゃご立派だな? 袋叩き(フクロ)にされてもそんな口がきけるか試してやるよ。お前ら! 囲んで焼いちまえ!」

 

 周りで見ていた手下たちに命じる。消し炭は海にでも撒いてやろう。瀕死のジムリーダーによぉくみせつけて、二度と消えないトラウマを味わわせてやる。

 ……だが。

 手下たちは何秒待っても一人も集まらなかった。

 

「──なっ」

 

 振り向いたホカゲが絶句する。シズクも遅れて気づき、ぽかんと口を開けた。

 

「はぁ!?」

 

 セカイ団は一人残らず気絶していた。二十人以上が声も出せずにやられたということか? シズクたちに気づかれることなく? 有り得ない。いつ、どうやって! 

 疑問が解けるより前に、更なる疑問が降ってきた。

 

「……ラナン! タマゴは全部見つけたよ!」

 

 キャットウォークの上で、アスナがタマゴでぱんぱんの木箱を見せていた。ラナンが「天晴!」と描かれた扇子をぱんっと開く。

 

「流石ですわ〜!」

「あ、アンタ! どうやって!」

 

 取り乱すシズクの影がぐにゃりと歪み、すーっとラナンの方へ伸びていく。

 顔をのぞかせたポケモンを見て、ホカゲが舌打ちした。

 

「ジュペッタか……!」

「ご名答ですわ」

 

 名を呼ばれたジュペッタが影からぽんと飛び出すと、嬉しそうにけたけた笑い踊った。かつてぬいぐるみとして愛された過去を持つこのポケモンは、注目されることにこの上ない喜びを覚えるのだ。

 

「一人ずつこっそり倒してったってこと……? 嘘でしょ、いつそいつを出したっていうの! そんな素振り無かったわよ!」

「そりゃそうですわねえ。だって」

 

 ぴ、と手袋をはめた指を出入口──その先にある甲板に突きつけた。

 

「あそこに降り立った時から影に入っててもらってたんですもの。備えあれば憂いなし、わたくしの好きな言葉でしてよ〜!」

「な、なら、ジムリーダーが元気な理由は! アタシのミロカロスがぶっ叩いて瀕死の怪我を負わせたのに!」

「それもまたこの子のお陰ですわね」

「ケララ♡」

 

 ジュペッタの身体がぼうっと光る。右腕の傷が薄くなったと思ったら、バクーダの右前脚に同じ傷が刻まれた。

 

「痛み分け……!」

 

 シズクが歯軋りする。体力を分かちあう、それだけの技。それをトレーナーの回復に使ってみせるとは。

 

「──あぁそう。親切に教えてくれてありがとうおバカさん。お礼にぶっ倒してあげるわ!」

 

 ミロカロスとシャワーズから熱い奔流が殺到する。アメタマがジュペッタの頭に飛び降り、冷凍ビームで対抗した。熱湯がみるみる氷結していき、水の軌跡を辿ってミロカロスすら凍らせる! 

 

「追い討ちなさい!」

 

 ジュペッタの拳がシャワーズを打ち据え、呆気なくノックダウンさせた。

 

「いやああっ! アタシのポケモンが!」

「うるせえ! 邪魔だ、下がってろ! バクーダ、噴煙だ!」

 

 背中のコブから爆発したような勢いで黒煙が吹き上がる。味方も巻きこむ全体攻撃、すでにシズクが倒されたゆえの選択だが、アスナのほうが早かった。

 

「ギャロップ! ゴー!」

 

 キャットウォークから一足飛びにやって来たギャロップが、噴煙をすべて受け止める。肉を切らせて……かと思いきや、炎の鬣が勢いを増した。

 

特性(貰い火)か、しゃらくせえ! ストーンエッジでぶち抜け!」

 

 マグカルゴの殻から鋭い岩片が飛んでくる。ギャロップは慌てることなく背中を見せ、後ろ脚で蹴り返した。岩片がマグカルゴに突き刺さり、驚いた顔のまま倒れていく。

 

「ォア」

「ぺリッパー……ありがとう!」

 ぺリッパーがアスナを背に乗せ、バトルフィールドに着地した。

 激しい炸裂音がして、岩牢からザングースが飛び出してくる。

 ホカゲの眉間の皺が深くなった。手下ゼロ、シズクも手持ちをやられて役には立たない。逃げ一択の盤面だが、目の前の二人がそれを許すはずもない。

 頭を掻きむしり、吐き捨てた。

 

「クソだりぃ……!」

 

 ラナンとアスナが拳を構える。

 

「さあ!」

「ヒーローのターン! ですわ〜!」

 

 

 八

 

「ご協力、ありがとうございました!」

 

 海上警察のジュンサーが晴れ晴れとした顔で頭を下げる。そのうしろを、アメタマの糸でぐるぐる巻きにされたセカイ団がぞろぞろと連行されていった。

 

「セカイ団による密輸事件は我々も捜査していたのですが、なかなか尻尾をつかめずに苦戦しておりまして……今回の一斉逮捕で一気に状況が変わります! アスナリーダー、本当にありがとう! 明日、本庁にいらしてください。感謝状のほか、山のような御礼品があなたを待っています!」

 

 握手したまま感無量と咽び泣くジュンサーにアスナが苦笑する。

 

「ああいや、今回の褒賞はぜひ彼女に……」

 

 言いさしたアスナをラナンの高笑いが遮る。

 

「おーっほっほっほ! 余計な謙遜は無用ですわよアスナ! 貰えるものは借金と病気以外貰っときなさいな!」

「で、でも! 私だけじゃこんな上手くはいかなかったよ!」

「それを言うなら、アスナが一生懸命にならなければタマゴ泥棒が表沙汰になることもありませんでしたわ。だからこれは貴女の手柄ですの。存分に誇りなさい!」

 

 アスナは納得がいかなかった。勢い任せのバトルの最中に不意をうたれて気絶した不明は恥じいるばかりだ。ラナンが居なければ手持ちと一緒に海に沈められて死んでいたかもしれない。そもそも、シーキンセツに辿り着くことすらできなかったろう。

 自分だけが賞賛されることは絶対に嫌だ。せめて二人一緒に感謝状を受け取りたい。

 だがラナンは頑固に首を振り続けた。アスナも意地っ張りの自覚があったが、彼女は輪をかけて強かった。

 ジュンサーたちが撤収したあともやいのやいのと言い合いを続け、とっぷりと日が暮れた頃、ようやくアスナは折衷案を思いついた。

 

「……わかった……なら……ぜひこれだけでも受け取ってほしい……」

 

 ぜぇはぁと息を切らしながら、ひとつのタマゴを差し出す。とくん、とくんと脈打つ鼓動は、あと一日二日のうちに産まれることを示していた。

 

「私の相棒、コータスのタマゴだ。今日はジムの留守番を任せていたから会わせてやれなかったけれど、凄く強い子だよ。きっとこれからの旅に役立ってくれると思う。ついでに、白いハーブも持ってってくれ。私の自家製なんだ」

「それなら……受け取らないのは野暮ですわね……」

 

 こちらもはぁはぁ言いながらタマゴとハーブの束を受け取った。

 二人は目を見交わし、どっと笑い崩れる。

 

「頑固だなあラナンは!」

「あら、それを言うならアスナもですわよ! おーっほっほっほ!」

「あははははは!」

 

 笑い声は澄み切った星空に気持ちよく広がっていった。

 

 

 後日。

 アスナのもとに、一葉の写真が届く。アスナは見たとたん頬を綻ばせた。

 

「さすがラナンだな」

 

 写真には、お香の出店で元気に客引きをするラナンと、色違いのコータスが写っていた。




よろしければ感想お願いいたしますわ〜!


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3.5話/オダマキ博士の手記

ホウエン地方のオダマキ博士による手記です。
よその博士から見た我が家の主人公への評価が知りたい、とコメントしてくださった方のおかげで今作を思いつきました。

うちの主人公は一言で言うと「ヤベぇ女」なのですがオダマキ博士は篤実な方なのでこういう風に見てくれるんじゃないかな、と。
シリーズ最短の小説です。

▫️ラナンキュラス──主人公。色違い専門の博士。趣味は高笑い。
▫️オダマキ──一人娘のいる博士。趣味はポケモンに追い回されること。


 〇月※日

 物心ついた時からじっとしているのが苦手だった。

 目についたもの全てに興味を持ってしまい、疑問に感じたことは調べないと気が済まない。そのくせ机に向かうのが嫌いで隙を見つけては外に飛び出そうとする。

 両親はさぞ僕を育てるのに苦労したことだろう。子を持って親の偉大さを知るのは人の常だが、僕もその例に漏れなかった。

 

 幸い、そうした性質が良いように作用して分布調査(フィールドワーク)の専門家となり、博士号までいただけた。己の落ち着きのなさが飯の種になるとは、世の中というのは懐が広くできているものだ。実に有り難い。

 

 ミシロタウンに居を構えて十数年。ホウエンという土地はどれだけ探索しても毎日違う顔を見せてくれる、素晴らしき宝の山だ。娘のハルカも僕に似て野山で遊ぶのが好きな子に育ってくれた。年頃の娘なら虫や土を嫌がりそうなものだのに、嬉々として草むらに突っ込んでいく。

 愛らしいし、頼もしい。ポケモンバトルの筋もいいから、将来はひょっとするとひょっとするかも。もしそうなったらきっと泣いてしまうなあ。

 

 先日引っ越してきた子ども──なんと言ったっけ、ああ、ユウキくんだ。ハルカと同い年だしポケモンが好きだそうだから、折を見つけて話してみよう。

 子どもたちが一端のトレーナーとなるための旅立ちに立ち会える。ポケモン博士としてこんなに誇らしい時はない。

 その日が楽しみだ。

 

 

 

 〇月※日

 ちょうど初心者向けのポケモンを三体都合することができた。娘らは誰を選ぶだろうか。

 

 

 

 〇月※日

 国際郵便が届いた。このご時世に紙の手紙とは珍しい。差出人は──なんとラナンキュラス博士だった。

 十代半ばにして、色違いポケモンの研究で博士号を取得した大天才だ。僕とは面識がないはずだが、どうしたんだろうか。

 手紙を読んでみると、ホウエンでの野外調査をするにあたり、差し支えなければ僕の師事を得たいという。もちろん否やがあるはずもない。二つ返事で手紙を書いた。

 

 

 

 〇月※日

 ラナン博士が来た。

 なんて派手な人だろう、というのが第一印象である。

 長い金髪、整った目鼻立ち、フリルたっぷりのロングスカート。

 上に羽織った白衣がなければ、博士というよりお嬢様といったほうが相応しい出で立ちである。

 娘も「お姫様……?」とキラキラした目で見つめていた。

 あまりにも美人すぎて気後れしてしまう。

 ホウエンは熱帯気候の土地だから他所よりも遥かに虫が多い。

大丈夫だろうか。

 

 

 

 〇月※日

 もう全然大丈夫だった。

 彼女はものすごくアグレッシブかつエネルギッシュな人で、平気で崖も木も登りまくるし見かけた野生ポケモン全員を追いかけ回すのだ。しかも「おーっほっほっほ!」と高笑いしながら走るので、さながらサイレン鳴らして現場に急ぐ緊急車両のようだった。

 臆病な野生は逃げ惑い、警戒心の強いポケモンがひっきりなしに戦いを挑んでくるので、101番道路を制覇しただけで付き合うこっちの体力が尽きた。

 ──この博士、只者ではない。

 

 

 

 〇月※日

 とりあえず走る時の高笑いはやめてもらうことにした。彼女はとても素直な人柄ですぐにやめてくれた。

 その代わりバトルに勝利する度に高笑いするようになった。

 高笑いが次の野生(ニューチャレンジャー)を呼び、それがエンドレスに続いたため、またしても102番道路を歩いただけでこっちが倒れた。

 ──この博士、尋常ではない。

 

 

 

 〇月※日

 娘のハルカと隣人の坊や──ユウキくんの旅立ちの日が翌日に決まった。

 ラナン博士と一緒に見送ることにする。

 ついでに彼女にポケモンの捕獲の仕方をレクチャーしてもらおう。

 僕はポケモントレーナーとしての腕はからっきしだから、いいお手本が居るのは有難いことだ。

 

 

 

 〇月※日

 早朝、見送りの前にフィールドワークに出たらポチエナのしっぽを踏んづけてしまい、群れに追いかけられた。

 わあわあ言いながら逃げ惑っていたらラナン博士も併走していた。

 以下、会話を抜粋する。

 

「ら、ラナン博士っ、あなたは戦える人でしょうっ、逃げる必要はないのではっ?」

 

「ふっ。あんなに可愛い子犬ちゃんたちに追いかけられる機会はそうそうありませんでしてよ! もふもふな生き物にもふもふされる千載一遇のチャンス、無駄にはしませんわ〜っ! おーっほっほっほ!」

 

 ……この高笑いが目印となってハルカとユウキくんが駆けつけてくれ、トランクの中にいたポケモンで撃退してくれた。

 ハルカはアチャモ、ユウキくんはミズゴロウをチョイスした。

 ラナン博士が捕獲のやり方を説明しているあいだ、選ばれなかったキモリがボールの中で少し落ちこんでいた。

 

 ……どうフォローすべきか、非常に悩ましい。

 

 

 

 〇月※日

 ここ最近の調査結果をレポートに纏めていると、ボールから出たキモリが興味深そうに手元を覗きこんできた。人間の文字は読めない筈だから、写真や動画が面白いのだろう。

 

 とくにラナン博士のそばから離れない。彼女はスケッチ能力に長け、流れるような筆さばきでポケモンや風景画を描きあげていく。

 生き生きとした躍動感や草木の匂いまで感じられるような瑞々しさは圧巻で、芸術家としても大成しそうな腕前だった。

 ラナン博士が筆と紙を渡すと、キモリも楽しそうにお絵描きを始めた。

 

 一時間後、絵を見せてもらったらめちゃくちゃ写実的な自画像ができていた。

 ──このポケモン、本当にポケモンなんだろうか。中に小さいおっさん(特性"神絵師")が入っているのでは。

 妻に話したらものすごく心配そうな顔で受診を勧められた。

「あなた、疲れ切ってるのよ」と言われた。

 小さいおっさんの話は今後控えよう。

 

 それにしても絵の達者なポケモンがいるとは。世の中って凄い。

 

 

 

 〇月※日

 キモリはすっかりラナン博士が気に入ったようで、どこに行くにも一緒だった。

 譲渡を申し出たら、ラナン博士は涙せんばかりに喜び、いつもより1オクターブ高い声で長いこと高笑いしていた。

 周囲のスバメが一斉に飛び立った。

 

 畑仕事をしている人に喜ばれそうな能力だなあ。

 

 

 

 〇月※日

 キモリにモリという愛称をつけていた。

 彼女が敬愛する画家の名前だそうだ。

 モリをムーンボールに入れ直している。彼女はいわゆる「オシャボマニア」らしい。

 

 

 

 〇月※日

 ラナン博士たっての希望で流星の滝に出かけた。

隕石や龍の伝説で有名な洞窟だ。

 驚いたことに、色違いのピッピとココドラを見つけた。

 色違いの個体というだけでも稀なのに、それが二匹とは!ラナン博士の豪運、恐るべし。

 

 調査中、チャンピオンのダイゴ氏がやってきた。

 ここは良質な鉱石が採れるそうだ。

 上記二体の捕獲について話すと、ダイゴ氏は首を傾げた。

 ピッピはともかく、ココドラはここに生息していない種族だという。たしかに僕の探査でもココドラが見つかったことはない。なにか分布に異変が起きているのだろうか。調べる必要がありそうだ。

 

 その時、ラナン博士は流星の民と接触し、里に行く許可を得ていた。普段よそ者との交流を絶っている民なのだが、どのように説得したのだろうか。

 

 里には3000年前の災厄に関する言い伝えがあり、その一部を教えてもらった。

 完全に極秘とすること、と念を押されたので内容は伏せるが、横で聞いていたラナン博士が「忘れがたい記憶ですわね」と呟いていた。

 以前に何かで読んだのだろうか? 

 まさか実際にその目で見た訳ではあるまいし、彼女の読書家ぶりは見習うべきところである。

 

 

 

 〇月※日

 モリとラナン博士が話しているのを見かけた。

 無論ポケモンが人語を話すわけがないので、モリ側はグァグァと鳴いているだけなのだが、あまりに博士が自然体で会話するから本当に言葉が通じているのかもしれない。

 

 ハルカもアチャモとあれぐらい心を通わせられているだろうか。

 いまどのあたりだろう。便りがないのは元気な証というが、一切連絡がないのは少し寂しいものだ。

 

 

 ──訂正。すごく寂しい。毎日電話して欲しい。

 

 

 

 〇月※日

 チャンピオンのダイゴ氏が研究所に現れ、ラナン博士に熱心にバトルを申しこんでいた。ダイゴ氏は三度の飯より鉱石だ! という石マニアだと聞いていたので、この申し出には驚いた。

 

 博士はしばらく断っていたが、ダイゴ氏が引かないのを見て2vs2のシングル勝負ならやりましょうと言った。

 

 結論から言うと博士が勝った。

 モリの宿り木の種を相手に植え付け、即座にココドラに交代。相手の攻撃を特性"頑丈"で耐えたあと、がむしゃら攻撃で体力を削り、またモリに交代して電光石火で沈める。それで一体目のメタングを撃破し、続くリリーラはココドラのアイアンヘッドで怯ませ続け、何もさせないまま倒しきった。

 チャンピオンも育成中のポケモンだから万全の状態ではなかったとはいえ、王者に完封試合である。凄まじいバトルセンスの持ち主だ。

 

 ダイゴ氏は「……やはりこうなるか……」と言いながら、博士にジュカインナイトをプレゼントしていた。先日の流星の滝で掘り当てたという。

 

 いずれまた、是非再戦を! というダイゴ氏に、ラナン博士は微笑むのみだった。

 

 

 

 〇月※日

 ラナン博士の帰る日がやってきた。

 彼女はこちらが照れくさくなるほど僕の研究を褒めてくれ、一家の息災を祈りながら帰って行った。

 

 嵐のような人だった。

 その場にいるだけで注目せずにいられない存在感と、圧倒的なバトルの腕、そしてあの高笑い。一度会えば忘れられない"濃い"人物だった。

 

 別れたばかりだが、次に会う機会が待ち遠しい。いつか討論会(シンポジウム)などで会える日を楽しみに、僕も研究を頑張ろう。

 




1時間くらいでぺぺーっと書いたお話です。
これぐらいの短さの方が読みやすいでしょうか?
あまり長すぎると読みづらいかなあと試行錯誤しております。

ダイゴファンの方には申し訳ない展開を挟んでしまいました。
害悪と名高い"がむせっか戦法"に翻弄されるチャンプ。実際はこんな鮮やかに決まらないでしょうが、二次創作なのでどうか一つ(土下寝)。
ごめんねダイゴさん。ORASで色違いダンバルくれたから大好きだよ。


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4話/草木も人も一日にして成らず、ですわ!

お嬢様博士第4話。
いつも以上に捏造大噴火。
フクジさんとエリカさんが親族だったら面白くね?という発想を膨らまして書き上げました。
エリカさん幼少期も描きたかったので一石二鳥。

▫️ラナンキュラス──主人公。お嬢様。今回は出番薄め。
▫️エリカ──タマムシシティジムリーダー。今回はロリ。
▫️フクジ──ヒヨクシテイジムリーダー。ずーっとジジイ。


 一

 物心ついたときから、人と話すのが苦手でした。

 相手が大人であれば、大きな身体に怯え。

 相手が子供であれば、乱暴な仕草に怯え。

 一生懸命話そうとすればするほどもつれる舌と絡まる思考をなんとか解いてようやく一言目を発した時には、とっくに話題が変わっている──そんなことが日常茶飯事でした。ですからしょっちゅう、

 

「もっとハキハキできないの?」

 

「とろいな、お前」

 

「おはなししててもつまんなーい」

 

 そう言われて育ちました。

 言われるたびに、胸の奥がずきんと痛みました。こらえようとしても涙が溢れて止まりません。するとまた、お相手の方は面倒くさそうな顔をして、哀しい言葉を投げてくるのです。

 八歳になる時分には、すでに筋金入りの人嫌いになっていました。

 

 

「おじいちゃんのところに行ってみない?」

 

 母の提案は雪解け間近、繁華なタマムシシティにもようやく桜が芽吹きはじめたころのことです。

 

「おじいちゃん……」

 

 口の中で転がる言葉は、まったく馴染みのない音でした。私に祖父がいることを、この時初めて知ったのです。

 母はしゃがんで私に目線を合わせました。

 

「そう。まだ貴方は会ったことがなかったわね。おじいちゃんはね、遠い地方にいらっしゃるの。カロスというところよ。あちらはもう春爛漫なんですって」

 

 ハルランマンとはなんでしょう。母の顔を見るに良いことらしいのですが、よく分かりませんでした。

 俯いたまま無言でいる私の黒髪を、やさしい、けれどどこか惑うような手つきで撫でながら、母は己に言い聞かせるように囁きました。

 

「だいじょうぶ。怖いことなんてなにもないわ。きっと楽しいことがたくさん待ってるわよ」

 

「……」

 

 私は小さく頷きました。

 行きたくなんてありません。でも断る余地もまた、ありませんでした。

 なぜなら、我が家にもうすぐ"いもうと"がくるからです。

 

 母の大きくふくらんだお腹のなかには、大人たちが"あかちゃん"とか"いもうとちゃん"と呼ぶものがいるそうです。"いもうと"が外に出てくるまで、母の身体はとても"せんさい"で"かよわい"のだから、あまり抱きついてはいけないよと、父にしょっちゅう聞かされていました。だから私は、本当はぎゅっとして欲しかったけれど、お気に入りのぬいぐるみと一緒に眠り、父と母と自分の三人しかいない家でずっと過ごしたかったけれども、頑張って諦めました。どんなに寂しくてもこらえなければいけないのです。

 私は"おねえちゃん"になるのですから。

 

 やりとりを黙って見ていた父が言います。

 

「カロスには素敵な花畑があるそうだ。写真をいっぱい撮ろうな、エリカ」

 

「……うん」

 

 うん、とは言いましたが、写真も花もどうでもいいことでした。

 部屋に戻り、ふかふかのぬいぐるみのお腹に顔を埋めて、声が出ないように泣きました。

 泣き声を聞くと母が心配して、その心配が"いもうと"にも移ってしまうから善くないのだそうです。これも父が言っていました。

 そのうち泣き疲れて眠りました。

 

 人もポケモンも、何もかもがこわかった頃の、土筆のようにほろ苦い思い出です。

 

 

 二

 

「せっかくカロスに行くのだから、お洒落しなくちゃね」

 

 裁縫上手な母は、張り切って何着も可愛らしいドレスを仕立ててくれました。

 図書館に通い、たくさんの文献を紐解いてカロス風のデザインや造りを学びながら、連日楽しげにミシンを踏んでいました。

 それを聞くたび、私は憂鬱になりました。あの音が止んだときが、旅立たねばならない時だからです。

 無情にも時間はあっという間に過ぎて、すぐに出発の日になりました。

 空港まで見送りに来た母は何度もなんども私を抱きしめました。

 

「おとうさんの言うことをよく聞いて、独りでどこかに行っちゃだめよ。甘いものを食べたらちゃんと歯磨きすること。夜更かしはしないこと。ぬいぐるみを持って出かける時は、なくさないようにしっかり抱いてあげてね」

「はい、おかあさん」

「おかあさんも一緒にいきたいけど、もうすぐあなたの妹が産まれるから行けないの。寂しい思いをさせてごめんね」

 

「……だいじょうぶだよ」

 

 ここでもまた、"いもうと"が出てきます。

 私は、大丈夫と言う時、唇がカラカラに乾いているのに気付かないふりをしました。

 なんにも大丈夫ではありません。

 でもそう言わないと、父も母も悲しい顔をするでしょう。

 それは誰かに酷いことを言われるより、もっと胸が苦しくなるから、言えませんでした。

 ボンネットのつばを握りしめます。母が作ってくれた衣装の中で、このボンネットが一番好きでした。

 こうしてぎゅっと握って深く被ってしまえば、まわりの怖いものがほとんど見えなくなりましたし、泣きそうな顔を隠すこともできましたから。

 

「そろそろ、飛行機の時間だ。心配いらないよ。一週間なんてあっという間さ」

「そうね。そうね……。お願いね、あなた。エリカをまもってあげてね。約束よ」

「勿論だよ。帰ってきたときには四人家族だ。すぐに写真を撮りに行こう」

 

 父が母の頬に口づけました。母はひっきりなしにハンカチを目元に押し当てながら、いつまでも手を振っていました。

 

 

 祖父のところへは気が遠くなるほど長い旅でした。

 飛行機を乗り継ぎ、汽車を乗り継いで、ようやくヒヨクシティにたどり着いたとき、乗り物酔いと人酔いで息をするのもやっとの有り様でした。

 よたよたと歩いていると、突然ひょいと持ち上げられました。

 

「おうおう、お人形さんのようにめんこい子が来たのう」

 

 優しく落ち着いた声色が疲れきった心に染み渡ります。私を見上げる顔は日焼けと皺でくちゃくちゃでした。目を糸のように細くしてにっこり笑っています。

 私に逢えたのが嬉しくて堪らない、そう思っているのがはっきり伝わってきて、私はぐじぐじしていた心がぐうんと温かくなるのを感じました。

 

「はじめまして。わしがフクジじゃ。よろしくなあ、エリカ坊」

「はじめ、まして……」

 

 私はびっくりしました。

 初対面なのにちっとも怖くないんです! これは生まれて初めての経験でした。

 

「うむ! いい子だ、いい子だなあ、エリカ! わっはっは!」

 

 祖父の笑顔は、向日葵のように明るく爽やかでした。

 

 

 三

 祖父は、リヤカーの荷台に私を乗せ、逞しく曳いて歩きながら、色々な話をとてもゆったりとした調子で話してくださいました。

 カロスにはたくさんの花があること。それを育てたり、見つけるのが趣味であること。上手に咲いてくれたとき、踊りたくなるほど嬉しくなること。実際に踊ることもあること。

 

「おどるの?」

 

 びっくりして聞き返すと、祖父はどんと胸を叩きました。

 

「踊るぞぉ! マダツボミと一緒にくねくねと、こう、な! あとで見せてやろうのう!」

 

 肩や腰をくねらせる動きは凄く愉快でしたが、私は笑えませんでした。

 マダツボミ、という名前を聞いて、背筋が強ばってしまったからです。

 

 私は、ポケモンが苦手でした。

 いまよりも小さい頃、近所のガーディに追いかけられたことがあるのですが、それがあまりにも怖くて、以来すべてのポケモンが恐ろしく感じられるようになってしまったのです。

 祖父は知ってか知らずか、道行く人やポケモンに屈託なく挨拶していきます。私はというと、ボンネットを突き破りそうなくらい深く被って、物言わぬ荷物のひとつであるかのように振る舞いました。そうしていても、通り過ぎる人の視線や、横を歩く父が吐くため息を感じずにはいられませんでした。

 

「エリカや。あっちをみてごらん」

 

 祖父が示したのは町外れにあるすごく広い牧場でした。目の届くところまで、果てしなく続く草原。奥にはこんもりと茂った森があり、左手には澄みきった泉があります。そして、至るところにポケモンたちが生きていました。私は肩を竦めてリヤカーに伏せようとしましたが、そのとき、さあっとそよ風が吹きました。

 ほんのり冷たくて、甘い香りのする風でした。無意識に深呼吸したくなるほど、

 

「空気が……おいしい……」と感じました。

 人や車で溢れかえったタマムシシティでは一度も味わったことのない感覚でした。

 

 祖父がうんうん頷いています。

 明日の朝いちばんにここへ連れてきてあげようとウィンクされました。

 

「牧場の連中はみんな気のいいやつばかりだよ。きっとエリカもここが大好きになる」

「……なれるかな」

 

 ポケモンは怖い生き物です。その気持ちが無くなったわけではないけれど、すごく嫌というほどでもないなと思いました。

 とうとう私は、大きな樹で出来たお家に運ばれていきました。

 

 

 祖父はこの街の有名人でした。ジムリーダーとしてバトルをするかたわら、街中の草花の世話をし、トレーナーの相談にのってあげるのだそうです。すごく忙しいはずなのですが、祖父は私を膝の上に乗せてニコニコしっぱなしでした。

 

「すまんなあ。本当ならお前さんが産まれた時に何もかも放りだして駆けつけたかったんじゃが、手の離せない仕事が山積みでのう。会いに行こう会いに行こうと思ううちにこんなに大きくなってしもうた! 

 遠かったろう、疲れたろう。ヒヨクまで来てくれてありがとう。ありがとうなあ」

 

 そう言って私の頭を撫でてくれますが、掌は分厚くごつごつしていて、母とは大違いです。木の枝を伐りとったり、重い鉢植えを動かしたりするとこういう手になるのだと教えてくれました。

 柔らかい母の手も大好きですが、大きな祖父の手も大好きになりました。

 

 撫でられていると少しずつ眠くなってきました。祖父は大切なものを抱えるように抱っこをして私をベッドに運んでくれました。

 ベッドはふかふかで、嗅ぎなれない香りがしました。新しい藁を敷き詰めて作った藁ベッドだそうです。私はこのベッドも大好きになりました。

 

「おやすみ、エリカ。明日もいい日になるようにな」

「おやすみなさい、おじいちゃん」

 

 祖父はもう一度撫でてくれ、静かに扉を閉めていきました。

 

 ◇◇◇

 

「……あまり甘やかさないでください、お義父さん」

 

 苦笑しながら言われた言葉に、フクジは目を丸くした。

 

「なんじゃ藪から棒に」

 

「エリカは今年で八歳になりますが、人もポケモンも怖がって近づこうとしません。家にひきこもって本ばかり……そんな弱い人間ではこの先やっていけないでしょう。僕はあの子に、自立心のある強い子になってほしいんですよ」

 

 フクジは娘婿の顔をじっと見つめた。

 

「──自立心、か。お前さん、朝顔をどうやって育てるか知っておるか?」

「朝顔?」

「あれはな、やわい茎を持つせいでひとりでは伸びることが出来ん。支えとなる棒を傍に挿してやってはじめて、すくすくと生長することができるんじゃよ。それは生きるために必要なことで、甘やかしとは言わん。子供とて同じではないかな?」

「……」

 

「あの子の茎がどんなもんか、どんな花を咲かせたがっておるか。とっくりと見定めねばなるまい。甘やかすの、甘やかさないのと、そんなものは二の次じゃよ」

 

 

 四

 約束どおり、朝起きてすぐに牧場に連れて行ってもらいました。父はまだ眠っていたのでそっとしておきました。

 祖父の姿を見たワタッコやミルタンクたちが嬉しそうに近づいてきます。腰が引ける私を、祖父がぽんぽんと励ましてくれました。

 

「大丈夫じゃ。見ていてご覧」

 

 言われたとおり、おそるおそる見てみると、ワタッコはふわふわ浮いているだけですし、ミルタンクはモゥと鳴くだけです。マダツボミはくねくねとヘンテコな踊りを踊っていました。祖父いわく、歓迎の舞なんだそうです。

 私を追いかけたりする子は誰もいませんでした。

 

「こわく、ない……?」

「ああそうじゃ。噛んだりもせんし、怒ったりもせん。お前さんが攻撃したりしなければ、こやつらものんびりしているだけじゃ。どうかね? すこし印象が変わったのじゃないか?」

 

 こっくりします。

 まだいきなり触ったりはできませんが、見ている分には、だんだん怖くなくなってきました。

 

「そうじゃろう? なんにも怯えることはないんじゃ。ここでは、エリカの好きなことをして過ごしなさい。

 ……おお、そうだ。お前さんに紹介しとこう。おお──い!」

 

 祖父が張りのある声で呼ぶと、遠くの方から小さい点が近づいてきました。それはみるみる大きくなり、ゴーゴートに乗った人影に変わります。

 彼女は柵の内側で止まると、きらきらする笑顔を浮かべました。

 

「お呼びかしら、フクジ翁!」

「うむ。カントーはタマムシシティから、愛しい孫がきてくれてのう。ぜひとも仲良くなってほしいんじゃ」

「まあ〜! とっても素敵じゃございませんこと? はじめまして、わたくしラナンキュラスと申しましてよ! どうぞラナンとお呼びになって! おーっほっほっほ!」

 

 ラナンは喜色満面に片手を差し出しましたが、私はただただ、握手を返すのも忘れて彼女に見惚れるばかりでした。

 

 風に靡く長い金髪。ふさふさの睫毛に、桃色の瞳。美しさもさることながら、驚いたのは彼女の出で立ちです。深緑の二尺袖に紺の袴、上に重ねた黒絽の羽織り。

 ジョウトの装いを着こなす姿に、私は衝撃と感動を覚えました。

 

 ようやく我に返った私が手を握り返すと、ゴーゴートが額をラナンに擦りつけています。

 

「撫でて欲しいんですの? 甘えんぼうですわね〜! そーれわしゃわしゃわしゃ〜っ! ですわ!」

 

 ゴーゴートはうっとりと目を閉じて気持ちよさそうにしています。それを見ていたら私もやってみたくなりましたが、手を伸ばす勇気がでません。祖父が私の頭を撫でながら小さな声で言いました。

 

「やってごらん」

 

 私は、びくびくしながらそおっと手を伸ばして、ちょん、と毛皮に触れました。ゴーゴートの毛は太陽をいっぱい浴びていて、想像していたよりも柔らかく長い毛でした。

 さふ、さふと上下に撫でてみます。掌がくすぐったくなりました。

 

「こちょこちょする……」

 

 私がくすくす笑うと、祖父もラナンも楽しそうに笑います。

 ゴーゴートは満足したらしく、ぶるりと身体を震わせました。そして、足元から一輪のたんぽぽを咥えると、私に差し出しました。

 

「えっ?」

「撫でてくれたお礼、だそうですわ」

 

 手を器のようにすると、ぽとりと落としてくれました。たんぽぽは信じられないくらい濃い黄色で、眩しいほどでした。

 

「あ、ありがとう……!」

 

 ゴーゴートは優しく目を瞑り、私のお腹に額を擦りつけました。

 私はそれが、ちっとも嫌ではありませんでした。むしろ、祖父が駅で私を抱き上げてくれたときと同じくらい、心がぐうんと温かくなったのです。

 母が私にそうするように、ゴーゴートをぎゅうっと抱きしめました。

 

 

 五

 私たちは連れ立ってお家に帰り、朝ごはんをいただきました。

 父はラナンを見て大層驚いていましたが、きっと外国の方が着物を着ているのにびっくりしたのだと思います。

 バナナトーストを頬張りながら、私はたくさん質問しました。

 

「あなたはどこから来たの?」

「とおーいところですわ!」

 言いながら、オムレツにケチャップでプリンを描いてくれました。とても上手でした。

 

「どうしてお着物を着ているの?」

「ジョウトのエンジュシティというところに行った時、舞妓さんに着付けてもらったんですのよ! 以来お着物の大ファンですの! エリカは舞妓さんをご存知かしら?」

 

 私は首を縦に振りました。家族旅行でエンジュに行った時、美しく舞い踊る舞妓さんたちを見たことがあります。

 ブラッキーやエーフィたちと一緒に舞台をつくりあげていく様は、本当に見事でした。

 

「でも、今度はドレスもいいですわね! 

 エリカが着ているようなフリルたくさんのスカートをぜひ履いてみたいですわ!」

 

 私は顔が赤くなるのを感じました。

 母が作ってくれたふわふわのスカート。リボンとフリルが沢山ついていて、私も大好きです。

 ラナンが好きと言ってくれて、心がぽわぽわしました。

 一緒の格好で歩けたら……そんな空想が広がるうちに、いつのまにか苦手なにんじんもぺろりと食べてしまっていました。

 

 

 朝ごはんを食べ終わったので、二人で牧場を散策することにしました。父も一緒に来るそうです。父は写真を撮るのが趣味なので、母にいっぱい送ってあげようと言いました。

 

 牧場にはシロツメクサが数え切れないくらい咲いていました。ラナンは手際よく花冠を作ると、私の頭に被せてくれました。

 久しぶりにボンネットを取ったので、頭がすうすうします。でも、怖いとか、隠したいとは、思いませんでした。

 花冠の作り方を教わり、ラナンに被せてあげました。彼女のそれと比べると、ちょっと歪んでいましたが、とっても喜んでくれました。それからマダツボミと一緒にダンスしました。父が写真に撮り、みんなで笑いました。

 

「短い時間で、すごく仲良しになったんだね」

 

 父が感心半分、驚き半分といった感じで私に言いました。

 でも、この後父はもっとびっくりしました。私がポケモンバトルをしたからです。

 

 ラナンは色違いポケモンの研究で博士号取得を目指すかたわら、トレーナーとしての腕も磨こうと、あちこちを旅して回っているのだそうです。目標はオーキド博士ですわ! と拳を握って熱く語りました。

 

「あなたのおじいさまはとっっっても強かったですわ〜! わたくし三回も負けてしまいましたもの!」

「負けることもあるのに……バトルするの……こわくない、の?」

 

 私にとってバトルとは、自分も相手も傷つけあう、悲しくて辛いものでしかありませんでした。勝てれば嬉しいでしょうが、負けたらとっても辛いはず。なぜこんなに大勢の人がのめりこむのか、まったく理解できなかったのです。

 それを聞いて、ラナンは微笑みました。

 

「百聞は一見にしかず、ですわよ」

「え?」

「さあお立ちあそばせ! ポケモンバトルのおもしろさ、存分に味わってもらいますわよ〜!」

「えっ、えっ!」

 

 彼女は有無を言わさず私を立たせると、翠色のボールを握らせました。

 

「フレンドボールというボールですわ。ジョウトに行った時、ガンテツさんという方から作り方を教わりましたの。

 そのなかにはポケモンが入っておりますわ。スイッチを入れて、放ってご覧なさいまし」

 

 私は生まれて初めて掴むボールの感触に胸がドキドキしました。恐れと、不安と、ほんの少しのワクワク。かちり、とスイッチが凹む音に、鼓動がますます高まります。

 

「え、えいっ!」

 

 ぽおんとボールを放り投げると、中から真緑のポケモンが飛び出しました。

 

「色違いのモンジャラ、名前はもんじゃですわ〜!」

「も、もんじゃ?」

「モジャモジャ」

 

 美味しそうな名前を呼ぶと、モンジャラがぴょんぴょん飛び跳ねました。お靴を履いたような足といい、仕草といい、なんだか不思議な魅力があります。

 対するラナンは、空に向かって桃色のボールを放りました。

 

「こちらはラブラブボールに入った色違いのワタッコでしてよ〜! 名前はわたあめですわ!」

「きゅーんっ」

「また美味しそうな名前……」

 

 愛称をつけるとき、お腹が空いていたのでしょうか。

 ラナンはびしぃっ! とポーズを決め、バトル開始を告げました。

 

「それではっ! 楽しいバトルの始まりですわ〜! エリカ、その子は蔓の鞭と、体当たりという技が使えましてよ! まずはこちらのわたあめに当ててご覧なさいまし!」

「え、えと、じゃあ……もんじゃ、つるのむちっ!」

 

 モンジャラは指示に応え、二本の触手を伸ばしてワタッコを攻撃しました。ですがワタッコはふわふわと軽やかに避けてしまいます。続けて体当たりも命じてみましたが、これも躱されてしまいました。

 

「あ、あれ、当たらない……!」

「うふふ、今度はこっちの番でしてよ〜! わたあめ、たいあたりっ!」

 

 風に乗ったワタッコが、ぽこんと体当たりをしてきました。モンジャラがひっくり返ってしまいます。私が駆け寄ると、モンジャラはすぐに起き上がり、ふんふんと鼻息を荒くしました。

 

「その子は意地っ張りの負けず嫌いなんですわ〜! 攻撃されればされるほど、動きのキレが増すんですの! さあさあっ、二撃目いきますわよ〜っ!」

 

 再びワタッコが体当たりをしかけてきます。そんな攻防が二、三続くうち、私はふと気づきました。

 こちらの攻撃が当たらないのは、距離が開きすぎているからではないでしょうか? だから技を繰り出しても、相手は充分避ける余裕があった……。

 なら、向こうから近づいてくる瞬間を狙えば──! 

 

「もんじゃ! 引きつけてからつるのむちで捕まえて!」

「モジャ!」

「きゅっ!?」

 

 モンジャラの蔓がしっかりとワタッコの身体を捉えます! この機を逃さず指を突きつけました。

 

「たいあたりっ!!」

 

 モンジャラの体当たりが成功し、ワタッコがぽ──んと吹き飛ばされてしまいました。

 

「とおっ!」

 

 ラナンが見事空中でキャッチします。ワタッコは目を回していましたが、父が拍手する音ではっと気がつきました。

 

「そこまで〜! この勝負、エリカともんじゃの勝ちですわ! 万歳万歳万々歳〜っ!」

「すごいよエリカ、初めての勝負で勝つだなんて!」

 

 ラナンと父が交互に褒め称えます。私は嬉しいのと照れくさいので顔を真っ赤にしながら、頬が緩むのを抑えられませんでした。

 

 

 六

「素晴らしい才能ですわ! 普通に攻撃したのでは当たらないから、わざと相手が近づくのを誘うなんて、末はジムリーダーか四天王、いえチャンピオンだって夢じゃありませんわよ!」

 

 ラナンの褒め言葉は留まるところを知りません。私はあんまり気恥ずかしくて、またボンネットが欲しくなってしまいました。

 

「い、いいすぎだよお」

「いーえっ、言いすぎということはありませんわよ!」

 

 ラナンの瞳が激しくキラキラしています。

 

「あなたは強くなる! 断言しますわ! 誰もが最初は初心者ですけれど、初戦でここまでの機転を働かせられるのは滅多にいませんわよ! ああ今から楽しみですわ! 強くなったあなたと戦える日が!」

 

 私はその言葉に違和感を覚えました。

 強い人というのは、最初から強いのではないのでしょうか? 

 そう訊ねると、ラナンはきっぱりと首を振りました。

 

「とんでもない! 産まれた時からなんでもできる人はいないように、みんな少しずつ失敗と敗北を繰り返しながら強くなるんですのよ! わたくしも、それはもう負けに負けましたわ〜!」

「みんな、少しずつ……」

 

 最初からできる人はいない。

 口のなかで反芻します。

 

 ──もしも、それがあらゆることに当てはまるなら。

 最初から"おねえちゃん"が出来る人もいないということになるのでしょうか。

 

 私は思わず沈黙してしまいました。ラナンは、釣りがしたくなりましたわ! 

 といって、落ちている木の枝を削りはじめました。

 父は飲み物を買ってくるよと言って、街の方に行きました。

 

 簡単な釣竿を振るい、チューリップの咲く泉に糸を垂らします。さわさわさわ、と過ぎゆく風が、ぐるぐる考えてしまう頭を慰めてくれるようでした。水面はさざ波ひとつありません。無理にしゃべらせようとしないラナンが、ひどく有り難かったです。

 

 やがて、言葉がぽつりぽつりと口をついて出ます。

 

「私ね……さいきんひどいことを考えてしまうの……」

 

「ひどいこと、ですの?」

 

「うん……わたし、わたしね……」

 

 竿を握る手に力がこもります。この話をするのは、とても勇気が要りました。

 

「わたし、いもうとなんていらないの……おとうさんもおかあさんも、いもうとのことばかり言うんだもの……わたしのことなんてだれもみてない……」

 

 手の甲に涙が零れます。

 私はずっと、これを誰かに言いたかった。

 でも話すのが下手ですし、言える相手もいませんでした。

 

 "おねえちゃん"にならなきゃいけないのに。

 "いもうと"が欲しくないなんて、なんて酷い人間なんだろう。

 

 怒られるかもしれない。

 嫌われるかもしれない。

 

 でももう、我慢することができなかったのです。

 ラナンは、ただ静かに耳を傾けてくれ、しゃくりあげる私を優しく抱きしめてくれました。

 

「……よく、話してくださいましたわ」

 

 柔らかい声に私を責めるような気配は微塵もありませんでした。

 

「いきなりお姉ちゃんになれって言われてもそりゃ無理ですわよね。エリカの悩みは当然ですわ。

 ──大丈夫。あなたは酷いことなんて言ってないし、酷い人間でもありませんわよ」

 

 私はラナンの身体に縋りつきました。

 心の底からわきあがる安堵に、涙がとろとろと流れます。

 ちょんちょん、と膝をつつかれる感触に顔を上げると、ナゾノクサが心配そうな眼差しで覗きこんでいました。

 

「あなたを気遣ってらっしゃるのね。優しい子ですわ」

 

 私は「ありがとう。大丈夫だよ」と言って葉っぱを撫でてあげました。

 ナゾノクサはよかったと言いたげに頷きました。

 

 ラナンは細い指で私の目尻の涙をすくいながら、にっこりと微笑みました。

 

「実はね、あなたのお父様も、最初からお父様だったわけではないんですのよ?」

「ほんとう……?」

「ええ! 嘘だと思うなら、今日寝る前にこう聞いてご覧なさい。

『ねえお父さん、お父さんは────』」

 

 

「釣れてるかい?」

 街から戻ってきた父が冷たいサイコソーダを渡しながら訊きました。

 私たちは揃って竿を持ち上げました。

 父はおや、と言って隣のナゾノクサを指差しました。

 

「その子はラナンさんの子かい? 色違いではないようだけど」

「牧場に入りこんだ野生の子みたいですわね。識別票がついていませんから。すっごくエリカに懐いていますのよ」

「ほんとうだ……」

 

 父はしばらく考えてから、私の前にしゃがみこみました。

 

「どうだいエリカ。その子を捕まえてみないか?」

「……いいの?」

 

 思ってもみなかった提案に目を丸くします。

 

「うん。もうエリカも大きくなってきたからね、なにかポケモンを持たせたいと思ってたんだ。

 でも、ポケモンを育てるのは大変だよ。命を預かるということだからね。できるかい?」

 

 私はナゾノクサをじっと見つめました。

 つい昨日まで怖かったポケモン。祖父のところに来てから、私の心は目まぐるしく変わりました。

 

「……」

 

 無言のまま両腕を伸ばすと、ナゾノクサがぴょんと飛んで腕の中に収まりました。

 

「……ちゃんと、ちゃんとそだてます!」

 

 父は嬉しそうに頷きました。

 

 

 七

 祖父は父以上に喜びました。

 自分とおなじ草タイプを捕まえたからでしょうか、私がポケモンを好きになったからでしょうか。たぶん、その両方だと思います。祖父自慢のマダツボミダンスをみせてくれました。

 晩御飯のテーブルはマカロニグラタンにチキンの丸焼き、しゃきしゃきのサラダ、ミネストローネと大きなホールケーキで埋まりました。どれもみんな美味しくて、ラナンは一口食べる度に「美味しいですわ〜!」と叫んでいました。

 

 楽しい時はあっという間にすぎて、ベッドに行く時間になりました。私は父を呼んで、枕元に来てもらいました。

 

「寝る前のお話かい? 何がいいかな、本を読もうか?」

「ううん。……わたしね、おとうさんに聞きたいことがあるの」

「なんだい?」

 

 私は二回深呼吸をしてから、昼間ラナンに教わった質問を投げかけます。

 

「おとうさんは、最初からおとうさんになれた?」

 

 父は一瞬意味がわからなそうな顔をしましたが、すぐにはっとして、私の目を見つめました。

 そうして、手近な椅子を引き寄せ、ゆっくりと腰を下ろします。

 

「……いいや。全然、そんなことはなかったよ」

 

 父の声はいままで聞いたことがないくらい深く落ち着いていました。

 私はラナンがそうしてくれたように、黙って耳を傾けます。

 

「お父さんはね、エリカがお腹の中にできたとき、夢のような話だと思ったんだ。このなかに命が宿っていて、おかあさんと二人で育てていかなきゃいけないということが、どうも実感できなかったんだな」

 

「だけどおかあさんが頑張ってくれて、エリカが産まれて……毎日が戦争だった。ご飯の支度もおむつの替え方も何一つ分からなかったから、そのたびに調べたよ。初めてボールを握った新人トレーナーみたいにね」

 

「なのに、エリカは全然笑ってくれなくて、泣いてばかりだった。どうすればいいか分からなくて、お父さんはお父さんの資格がないのかもしれないと思ったよ。

 正直いうとね、そのとき、少しだけ泣いたんだ」

 

 私は驚きました。大人でも泣くことがあるなんて。

 ラナンの言葉が甦ります。

『最初から強いひとなんていないんですわ』

 少しずつ強くなる。失敗を繰り返しながら。

 布団の裾から手を出すと、父が握ってくれました。

 

「でもある日、抱っこをしていたら不意に笑ったんだよ。にこーって、ね。

 それを見た瞬間、疲れもなにもかも吹っ飛んで、ああ、俺は父親なんだ、この子のたった一人の父親なんだって思えたんだ」

 

「いまでも迷うよ。正しく育てられているか、エリカを悲しませてはいないかって。……エリカは、あかちゃんが産まれてくるのが怖いかい?」

 

 私はこくりと頷き、自分の気持ちを正直に打ち明けました。

 赤ちゃんが出来てから母に抱きしめて貰えなくなったこと。父から怒られることが増えたこと。寂しいと言いたいけれど言えなかったことを、一生懸命伝えました。

 父は最後まで聞いて、私の頭を撫でました。

 

「……苦しかったよな。つらかったよな。ごめんな、お父さんだって上手くいかなかったのに、エリカには最初からお姉ちゃんでいることを求めすぎちゃってたな」

 

「カントーに帰るまであと四日ある。たくさん話して、いっぱい遊ぼう。お父さん、エリカのことをもっと知りたいんだ」

 

「……うん!」

 

 そのとき、扉が開いてナゾノクサが入ってきました。ベッドに登ろうと飛び跳ねています。父が抱き上げて私のそばに下ろしてくれました。

 

「一緒に寝たい?」

「ぷう!」

 

 元気よく返事して毛布の中に潜りこんでいきます。すぐに寝息が聞こえてきました。

 

「それじゃ、おとうさんはもう行くよ。おやすみ、エリカ」

「おやすみなさい、おとうさん。……あのね」

「うん?」

「だいすきだよ」

「……父さんも、世界でいちばん愛しているよ」

 

 扉がぱたんと閉じました。

 ナゾノクサの寝息を聞いているうちに、私も眠くなっていきました。

 

 

 夢を見ました。

 夢の中で、私と母と父とナゾノクサと、もうひとり小さな誰かが一緒に笑っています。

 この子がきっとわたしの"妹"なのでしょう。

 私はシロツメクサの花冠をプレゼントしました。

 

 起きたら、母に手紙を書きます。

 どんな素敵なことがあったか、全部書いて送るのです。

 最後に、ひとつだけお願いも書きましょう。母は驚くかもしれませんね。

 文章は、こうです。

 

『わたし、お着物がきてみたいです』

 

 

 ◇◇◇

 

「……お義父さんの言う通りでした」

「うん?」

「子供にはそれぞれのペースがあって、支え方がある……今日一日でそれを学びましたよ」

「……」

 

 フクジは静かにキッチンに行き、酒瓶を持ってくると、磨かれたグラスと一緒にテーブルに置いた。

 

「こんないい夜にはいい酒が必要だ。そう思わんかね」

「……ぜひ、ご相伴に預からせてください」

「おうともよ。語ろう。男二人でな」

 

 琥珀色の液体がなみなみと注がれる。

 フクジは一息に盃を干した。

 人生で、一番美味い酒だった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 木陰の下で眠っていた少女が、ぱちりと目を開けた。

 赤いカチューシャに萌黄の振袖、柄を染め抜いた赤袴。寝起きすらたおやかな振る舞いは、ジムトレーナーは無論のこと、カントー女性トレーナー憧れの的である。

 

「お目覚めですか、エリカ様」

「ふわぁ……。ええ、とても懐かしい夢を見ていましたわ……」

 

 天窓から差すうららかな日差しが心地よい。そういえば、あの日もこんな天気だった。

 

「春爛漫、ですわねえ……」

「ええ、今日はほんとうにいい天気ですよ」

 

 エリカはぱちんと手を合わせた。

 

「そうだ、みんなで花冠をつくりません? プレゼントして被せあうの。きっと楽しいですわ」

「素敵ですね! みんなを呼んできます!」

 

 ジムトレーナーが全員を呼んで回るあいだ、エリカはラフレシアの花弁をそっと撫でた。

 

 いつかまた、逢えるだろうか。

 私の人生を変えてくれた彼女に。

 その日が来たら、ぜひ手合わせを願おう。

 勝ち負けを超えた素晴らしい勝負ができるはずだ。

 

 ……出入口がにわかに騒がしくなった。チャレンジャーが来たらしい。

 残念ながら花冠はまた今度だ。

 

「準備なさって、ラフレシア」

 

 ラフレシアはやる気満々に花弁を揺らした。




感想めちゃくちゃ嬉しいです。いつもありがとうございます。
引き続きドシドシ募集中です。


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5話/自慢の庭にご招待ですわ!ただし命の保証はございませんことよ!

お嬢様博士5話目。
なんとなーく思いついていた新キャラを登場させてみました。
主人公の研究施設も初登場です。
ほかの話を読まずともお読みいただけます。

ポケモンの技や効果を表現したくて書いてるうちに2万字ちかくになっちゃいました。
バトルシーン、書いててお排泄物楽しかったです。

▫️ラナンキュラス──主人公。金髪お嬢様。高笑いが趣味。今回初めてマジギレする。
▫️アイビー──新キャラ。ポータウン産まれ。スカル団はだいたい友達。黒髪おかっぱ褐色肌の黒ギャル。
▫️ザオボー──エーテル財団アローラ支部長。SMとUSUMで印象が変わる人。本作ではわりとクソッタレ。


 一

 塵ひとつない廊下や磨き抜かれた窓ガラスを見るたび、あまりの清潔さにどことなく不安を覚えるのは、自分がポータウンの生まれだからだろうか。

 ここに汚いものは何一つない。穢れたものがあってはならない。そう言われている気分になる。

 それがあながち被害妄想ともいえないのは、やっぱり、"前歴"のせいなんだろう。

 

「アイビーくん、ちょっと」

 

 ザオボー支部長が部屋の入口で手招きする。まわりの同僚たちは作業の手こそ止めないが、ちらちらと訳ありげな視線をよこした。背中にチクチク刺さって鬱陶しい。言いたいことがあれば正面切って言えばいいものを。振り向くと、みんなさっと目を逸らした。

 

「……」

「アイビーくん!」

「……あーい、いま行きまーす」

 

 鋭い一瞥をくれてから出ていった。どうせ扉が閉まった途端ヒソヒソ声で悪口が始まるんだろうな。くだらない。

 

 ……ほんとうに、くだらない。

 

 

 ◇◇◇

 

「ねえ見た? あの顔」

「みたみた。チョー感じ悪い」

「やっぱポータウン生まれなんか雇うべきじゃないのよ」

「ここは神聖な施設なんだからねぇ」

「ルザミーネさんもなんであんな子仲間にしたのかしら」

「あれ、知らないの? あの子を推薦したのビッケさんらしいわよ」

「ええ!? なんで!」

「さあ? 脅したか泣きついたかしたんじゃないの? ビッケさん優しいし」

「うーわー、ありそー」

「ねー。どうでもいいけど、さっさと辞めてくんないかなー」

「エーテル財団の格が落ちるわよね」

「ほんとほんと。一緒にいるあたし達の身にもなってほしいわ」

 

 ◇◇◇

 

 

 ザオボーに連れていかれたのは彼の執務室だった。あたしには背表紙の文字すら理解できない難解な専門書がぎっしり詰まった本棚に囲まれて、息が詰まりそうだった。

 重厚な机をこつこつ叩きながら、勿体ぶった仕草であたしを眺めまわす。一分ほどして、ようやくザオボーが本題を切り出した。

 

「君がここに来てどれくらいになるね?」

「半年っす、支部長」

「うん。そうか。うんうん」

 

 一人で勝手に頷いている。ザオボーは誰でも見下すクソ野郎だが、あたしのことは他のスタッフよりほんの少しだけ気に入っているらしい。支部長と呼ぶ数少ない人間だからだろう。

 

「君は実によくやってるよ。うん。まわりの評判もいい」

「……そっすかね」

 

 見え透いたお世辞だ。スカル団とエーテル財団は何年もいがみあっている。スカル団の本拠、ポータウンで生まれ育ったあたしに対する嫌悪が、たかが六ヶ月で薄まるわけがない。

 表立って言われないだけで、早く辞めろと思われていることは、自分が誰より知っていた。

 

「君は()()勤務態度も真面目だし、仕事も早い。そこでだ、ぜひとも頼みたいことがある。これは代表の命令にも等しいと思っていただきたい」

「……! ルザミーネさまの……」

 

 背筋が伸びた。

 ルザミーネ代表と直接話したことはない。ただ、故郷にいた頃、時々グズマさんがその名を呟くのを聞いていた。だから何となく、畏敬の念を覚えてしまう。

 

「この仕事は実に難しく、大変なこともあるでしょう。ですがあなたならきっとやり遂げられると信じていますよ」

「頑張りまぁす」

「いい返事ですねえ。では早速、ここに行ってもらいましょうか」

 

 そう言って、ザオボーはスマホロトムを差し出した。この任務のあいだだけ貸してもらえるらしい。画面には見慣れない地名が表示されていた。

 

『長期出張任務

 担当者 アイビー

 期間 未定

 場所 アカシア島

 報酬 一日につき✕✕✕✕円』

 

「あかしあとう?」

 聞いたことがない。どうもアローラ地方ではないようだ。

 

「ヘリコプターが用意してあります。エアポートからすぐにお発ちなさい。任務の概要はそれに書いてありますから」

「は、えっ、いますぐ? ガチで?」

「なにか問題でも?」

 

 奇妙なサングラスの奥からじろりと睨まれる。こんな男に睨まれたって怖くもなんともないが、機嫌を損ねてこの報酬を逃すのは惜しかった。普段の給料の三倍にもなる額なのだ。

 

「……んや、なんでもないっす。すぐ行きまぁす」

「それでよろしい。では重大任務に向かう若人に素晴らしい贈り物を授けましょう」

 

 ぽん、とモンスターボールが放られる。慌ててキャッチすると、中にはヤレユータンが入っていた。

 

「ワタシが手塩にかけて育てた愛しいポケモンです。心強い味方となるでしょう」

「えーとぉ……」

「んん?」

「あたしのポケモンたちは……?」

 

 ザオボーはこれみよがしに溜息をつくと、大仰に首を振った。

 

「あーあーあー、あの二匹ですか! あれはまだ返せませんねえ。なに、難しくはあれど危険な任務じゃありませんから! そのヤレユータンがいればなにも心配いりませんよ! 善は急げです! ほら行った行った!」

 

 口を挟む暇もなく追い出されてしまった。

 

「……ふざっけんなし!」

 

 がらんとした廊下の真ん中で、ボールを額に押しつける。

 あたしには大事な相棒がいた。ふたりも。

 ひとりは生まれた時から一緒で、食べ物も苦楽もぜんぶ分かちあってきた。もはや姉妹のように離れがたい存在だった。

 もうひとりは、生涯でただひとり尊敬する人──グズマさんから貰ったタマゴを孵したポケモンだ。

 命より大事なポケモンだったが、雇われた初日に二体とも無理やり取り上げられてしまった。

 なにか感染症を持っていないか調べるためという名目だったが嘘に決まってる。そんな検査に半年もかかるわけがない。

 

 結局、信じてもらえていないのだ。スカル団とつるんでいた人間がまともなわけがない。いつか悪事を働くに決まっている──そういう疑いがついて回る。ずっと。

 

 信じてくれよと叫べたら、どんなに楽だろう。

 みんなの眼差しが、態度が、針の筵より冷たく痛い。

 

「……やってやんよ、畜生っ!」

 

 乱暴に目元を擦り、エレベーターに急ぐ。エアポートではすでにヘリコプターが待機していた。

 

 

 二

 

「見えたぞ、アカシアだ」

 

 ヘッドセットから流れる声に、アイビーははっと目を覚ました。

 分厚い窓の下を覗きこむと、嘘みたいに透き通ったエメラルドグリーンの海が広がっている。前方に見える群島、そのなかのひときわ豊かな島が、今回の任務地、アカシア島だ。

 どの地方からも遠いうえ、複雑な潮流に囲まれて水ポケモンすら溺れるために、近づく手段は空一択──と聞いたときはとんでもないド田舎を想像していたのだが、ヘリポートの周囲にはエーテルパラダイスに負けず劣らずの美しく整った建物が広がっていた。

 

 着陸体勢が完了するまで、もう一度資料に目を通す。

 これだけの大きな島がまるごとあたし有地というから驚きだ。ごく一部に研究施設を建てているほかは自然を手つかずのまま残し、ポケモンのための楽園を築いているという。一般人の立ち入りは、今回のような特例を除き一切許されていない。一体この島にいくらつぎこんでいるのやら。見たこともないような天文学的数字なのは確かだろう。

 

「金はあるところにはあるもんだねー……」

 

 ボヤきつつ、次ページへ送る。

 派手な女の写真が出てきた。

 長い金髪に赤いリボン、一度見たら忘れられないほど整った顔立ち。

 

「若き天才、ラナンキュラス博士、か……」

 実年齢が記載されていないが、十七歳のアイビーよりは年下だと思われる。

 

 ザオボーから託された任務とは、この女の研究助手(クルー)にしてもらうことだった。

 アカシア島では色違いのポケモンを専門に研究しており、エーテルパラダイスをはるかに凌ぐ数のポケモンを保護、育成しているという。その手腕(ノウハウ)を学んでこい、ということなのだが、なぜアイビーをわざわざ指名したのか、そこが解せなかった。

 

 だがやるしかない。ここでいい結果を残せれば、きっとみんなの目も変わる。

 

 意を決し、ヘリから降り立ったアイビーはぎょっとした。

 あたりには、険しい目つきのトレーナーたちがうじゃうじゃ集い、互いを無言で牽制しあっていた。あまりにも異様な雰囲気にたじろいでいると、眠そうな目をしたおさげの少女がとことこ近づいてきた。

 

「クルー志望の方ですかー?」

「あ、はい、そっす」

「それじゃーこのワッペンを付けてくださーい。トレーナーカードお預かりしまーす」

 

 言われるがままカードを差し出し、ワッペンを受け取る。桃色のワッペンにはでかでかと113という番号が刻まれていた。

 

「あなたは百十三番目の挑戦者(チャレンジャー)でーす。頑張ってくださーい」

「ちょ、ちょいまち!」

 

 帰ろうとする少女の肩を慌てて掴む。

 

「ちょ、挑戦者ってなに? あたしはここのクルー募集を見て応募しただけなんだけど……」

「あー、なるほどー。知らない系ですかー」

 

 少女は手にしたファイルをめくり、用意しているらしい台本を淡々と読み上げた。

 

「えっとぉー、ラナン様の助手になりたい人ってぇー、いっぱいいるんですぅー。うちって結構お給料がいいしぃー、珍しいポケモンも見れるからぁー。なのでぇーこうして定期的に募集をかけてぇー、試験で競わせてぇー、一位の人を雇うんですけどぉー、そういうひとをわたし達はチャレンジャーってよんでるんですよぉー」

「う、嘘でしょ……」

「ほんとでーす。おねえさん、運がいいですよー。あと五分で受付締め切るところだったんでー。それじゃー」

 

 アイビーの顔から血の気が引いた。と同時に、まわりのトレーナーたちがなぜこんなに殺気立っているかも理解した。

 

 色違いのポケモンは希少で貴重だ。それがこの島ではそこかしこに居るというのだから、よからぬ人間がよからぬことを考えて近づいてきてもおかしくない。それゆえの篩なのだろう。

 それはわかる。だとしても。

 

「ひゃ、百人の頂点に立てっての……!? エグいてぇ…!」アイビーは頭を抱えた。

 

 仲間内でお遊びのトーナメントバトルをするのとは訳が違う。しかも最悪なのは手持ちがよく知らないポケモン(ヤレユータン)一匹だけという点だ。まだなんの技が使えるかも知らないのに! 

 

 そのとき、スマホロトムに一件の着信が入った。発信主は──ザオボー。

 

『やあやあ。無事到着したと聞きましたよ。登録はできましたか?』

「支部長、あの、あたし知らなかったんですけど! こんな激ムズ試験あるとか!」

『ええ? なんです? ワタシは言ったはずですがねえ? 難しい任務です、と』

「分かるかそんなもんっ!」

 

 つい口を出たツッコミに、ザオボーは深い溜息をついた。

 

『全く……口の利き方には気をつけてくださいよ? あなたの可愛いポケモンちゃんたちに早く会いたいでしょ? 反抗的な態度のうちは返してあげられませんねえ……』

「……っ!」

『そうそう、そうやって静かにしている方が女の子は可愛いですよ。それじゃ、健闘を祈ります。

 ──ああ、言わずとも分かるとは思いますが、もし失敗したらエーテル財団も出ていっていただきますからね? うちも大所帯ですから、無駄飯食いを雇う余裕はないんですよ。なあに大丈夫! 勝てばいいんです! 無事クルーになれた暁には、ポケモンちゃんもきちんと返してあげますから』

 

 通話は一方的に始まり、一方的に終わった。

 

「あんのゴミカス豆野郎……!」力の限り奥歯を噛み締める。

 

 ──これで、自分が指名された理由も見えた。

 億が一上手くいけばよし。上手くいかずとも元スカル団を解雇できるならそれまたよし。ケチで狡猾なクソ野郎らしい二段構えの思惑に、アイビーは拳をぶるぶるとふるわせた。

 

「……あー、そう。()()()()()()ね」

 

 唇の端を歪めて笑う。

 

「上等じゃん」

 

 瞳に炎が灯る。そっちがその気なら、エーテル財団流のお上品な態度はしばらくお預けだ。

 ここからは、ポータウン流で行かせてもらう! 

 

「もうアカシアにまで来ちまったんだ。腹ぁ括るしかないっしょ! ぐじゃぐじゃ悩むのは後だ、オラァ!」

 

 強ばる拳をほどいて、ぱん! と頬を叩いた。近くにいたエリートトレーナーが肩を跳ねさせ、そそくさと距離を置く。

 

 グズマさんはいつも言っていた。

 どーするどーすると慌てる前にまずぶつかれ! それから決めろ! ……と。

 精々全力でぶつかってやる。シッポ巻いて逃げるのだけはゴメンだ! 

 

「全員残らずぶっ壊してやんよ……!」

 

 きっと見据えた正面、広場の中央に、写真で見た女が現れた。

 

 

 三

 

「お集まりのみなさま! ようこそいらっしゃいましたわ! わたくしの名はラナンキュラス! アカシア島の主ですの! どうぞ博士とお呼びくださいまし!」

 

 熱心な拍手が飛ぶ。音の大きさもアピールの一環なのか、なかなか鳴り止まない。場が静まると、いよいよ試験が始まるとあって、緊張感がいや増した。

 そんな空気を意にも介さず、ラナンキュラスの脳天気な声が響き渡る。

 

「時間も勿体ないですからちゃっちゃといきますわね! まず第一試験の内容は……マラソンですわ〜!」

 

 ぱぱーん、と軽快な音ともに、マラソンと書かれた布が発射される。金銀テープの入ったクラッカーも同時に飛び出たが、誰も反応しなかった。

 

「スタートはここ! そしてゴールはあそこですわ!」

 

 黒い手袋を嵌めた指がビシィ! と彼方の山を示す。活火山らしく、白い煙がたなびいていた。

 さきほどワッペンをくれたおさげの少女が一人ひとりに名刺大の紙を配っていた。紙面には簡略化された地図とマラソンルートが描かれている。

 それによると、整備されているのはここ空港エリアだけで、すぐ外には広大な草原が広がっているのが分かった。川を渡り、森を抜け、洞窟を超えてから山を走るという、なかなかに過酷な道のりらしい。

 

「みなさまはとりあえずあそこまで走ってくださいまし! 休憩はいつどれだけ取っても自由ですけれど、ポケモンに乗って移動するのはダメでしてよ! 見つけ次第即失格、有無を言わさず強制送還ですわ! 

 ……ブーケ、他に話すことありまして?」

「あ、ワッペンが発信機になってますー。遭難した場合はそこからでる電波(ビーコン)で探すので、なくさないでくださーい」

「……と、いうことでしてよ! それではみなさま、位置について!」

 

 博士がレース用のピストルを構える。

 ブーケと呼ばれたおさげの少女がなんとも間延びした声で合図した。

 

「よーーーーい」

 

 炸裂音と同時にみな一斉に走り出す! 

 アイビーも慌てて後を追ったが、最後に到着したせいで最後尾でのスタートを切ってしまった。

 

(ま、最初(ハナ)っから飛ばす必要ないもんね)

 

 博士は山にいけと言っただけで、制限時間は明言していなかった。ただ走るだけではテストになるまい。もしかすると、コースの至るところにトラップが仕掛けられている可能性がある。

 となれば、先を急ぐのは悪手だ。前の集団には人柱になってもらい、対応を見定めるべきだろう。

 

 アイビーの推測は当たった。

 草原を突っきる乾いた道の両側から、突然スピアーの群れが現れ、ランナーへ向けて毒針の矢を降らせたのだ! 

 

「って殺す気かァああ!」

 

 すぐさま地面に這いつくばる。避けるのが間に合わなかったトレーナーたちが「ぐええ」とか「ぎゃああ」とか「し、しびれる……」だの言いながら倒れていった。

 二十人近くやられただろうか。道はまさしく死屍累々、色々な意味で走りづらい状態になってしまった。

 

「……さーせん、通りゃース……」

 

 爪先立ちで踏めそうなところを探して通っていく。何人か踏んだ気がするが見なかったことにしよ。うん。

 

 肉体以上に心が疲弊しながら着いた先は滔々と流れる小川だった。地図で見るよりいくぶん細い。これなら靴を脱いで渡れるな、と思った矢先、川上からぷかぷかと人が流れてきた。

 

「…………」

 

 靴下を脱ぐ手がぴたりと止まる。

 ゆっくり視線を巡らすと、遠くの水面でドジョッチとチョンチーが楽しそうに遊んでいた。

 

電気(スパーク)流れてるとか! 罠通り越してゴーモンだし!」

 

 アイビーは絶叫した。

 素足では絶対に渡れない。かといって飛び越せるほど狭くもない。呆然としていると、ランナーの一人が茂みをかきわけ現れた。

 

「む? ──なんと! この川はもしや痺れてしまうのかね! さきほどのスピアーといい、ラナン博士は麻痺がお好きなようだな! はっはっは!」

 

 筋骨隆々の逞しい肉体、よく日焼けした肌。腹から出ている太い声。その全てが山男であることを物語っている。

 だがなによりもアイビーが気になったのは首から上だった。

 

「あの……サボテンみたいになってんよ、顔……」

 

 顔中にスピアーの毒針が刺さっているのだ。よくまあ平気で動けるものである。

 

「うむ! 躱す時間が惜しくて正面から受けて走ったのだ! このジュマル、困難から逃げるようにはできておらんのでな!」

「そ……っすか」

 

 それ以外に返事があろうか。

 サボテン野郎(ジュマル)は手馴れた様子でロープを取り出すと、イシツブテを二体呼び出した。

 

「イシヒコ、対岸に行ってくれ!」

 

 イシツブテの片割れ(イシヒコ)がロープを持ったまま向こうへ渡る。イシツブテ同士で力いっぱい引っ張ると、ジュマルは器用にバランスを取りながら、文字通りの綱渡りで川を渡った。

 

「君も渡るかね?」

「……あー……」

 

 爽やかな笑顔できかれ、アイビーは逡巡した。

 

 たぶん、これは彼の好意だ。"漢"たるもの困っている人を助けなければ、みたいな美学があるんだろう。

 でも、それに甘えていいのか? 

 自分も相手も挑戦者ならば、対等な条件で……己の力で乗り越えるべきだろう。

 ──すくなくとも、グズマさんならそうするはずだ。

 

「……いや。自分でなんとかするんで」

「そうか! では頑張れよ!」

 

 イシツブテたちをボールにしまい、ジュマルはあっという間に走り去ってしまった。

 

「……とは言ったものの……どーすっかなーこれ」

 

 策なし知恵なし道具もなし。途方に暮れていると、ポケットががたがた震えだした。

 

「は!? なになになに!」

 

 ポケットを探る。震源はヤレユータンの入ったボールだった。

 気のせいか、どこかから声がする。

 

『ダセ ダセ』

 

「こいつのことすっかり忘れてた……。なに、出せって?」

 

 頷くので外に出してやる。ヤレユータンはおっさんじみた仕草で座り、黙然と目の前の川を見つめはじめた。

 そして、手にした団扇を下から上へ、水流を断ち切るように動かすと、川底の泥がぼこぼこと隆起し、みるみる土橋が形成された! 

 

「うわうわうわ! なにこれ!? 奇跡!?」

 

『ワタレ』

 

 また声がする。どうもヤレユータンが喋っているらしい。アイビーはおそるおそる、ヤレユータンは堂々と土橋を通過した。二人の体重を軽々支えた橋は、ヤレユータンが団扇を振ると、バターが溶けるように跡形もなく崩れ去った。

 再び、ただの危険な小川に戻る。

 

「……凄くね……?」

 

 感動しすぎて言葉もない。あんなファッキングラサン野郎にこんな賢い子がいるなんて。親がアイツであること以外は非の打ち所のないポケモンだ。

 

「すごい! すごいよヤレユータン! いまのなんて技?」

 

『ミテミロ』

 

 ヤレユータンがスマホロトムを指さす。図鑑アプリを開くと、技一覧のうち、"神通力"の項目がぴかぴか光っていた。

 

「じんつうりき……自然界に存在する……よ、よん、四大? げんそ? を操る技……へー! よく分かんないけどスゲー! あんたほんと凄いね! やるじゃん!」

 

 ヤレユータンはふんと鼻を鳴らした。

 

『トーゼン』

 

 この程度できて当然と言いたいらしい。アイビーはなんだか可笑しくなってヤレユータンの背中を叩いた。

 

「褒められたんなら素直に受け取っとけよ! そういうとこあの野郎そっくりな!」

 

 途端にヤレユータンの顔が曇った。

 

『ニテナイ』

 

「お、おん。ごめん。そうだよね、言っていいことと悪いことがあるよね。まじごめん」

 アイビーは心から謝った。

 

『イイ。サキ イソグ』

 

「そうだね。未だにあたしらがビリだろうし。よおしボールに入んなユタ。歩くの疲れるっしょ」

 

 ヤレユータンは瞬いた。

 

『ユタ?』

 

「ヤレユータンって言いづらいし、なんか他人行儀(たにんぎょーぎ)じゃん? 名前の一部をとってユタって呼びたいんだけど、ヤ?」

 

 ヤレユータンはすこし黙ったあと、首を振った。

 

『イヤジャ ナイ』

 

「うし! 急ごうぜユタ!」

 

 ポケットにボールを突っ込み、深い木立を走り抜ける。

 その後ろ姿を、じっと見つめる影があった。

 

 

 ◇◇◇

 

『こちら監視員。毒針と感電(第一関門)を抜けた最後のランナーの通過を確認。どうぞ』

『こちら本部。承知しましたわ。誰か気になる人はいまして? どうぞ』

『約一名、見込みのありそうなのがいますよ』

『どなた?』

『アイビーという少女です』

『なるほど〜。お逢い出来るのが楽しみですわ〜!』

『以上、通信完了』

『了解ですわ。お気をつけて登ってきてくださいまし〜』

 

 ◇◇◇

 

 

 四

 森の中は古典的な対人罠(ブービートラップ)ばかりだった。落とし穴に吊るし網、どこかから転がってくる岩程度のもので、むしろヌルく感じてしまう。

 おそらくここは小休止ポイントなんだろう。後半のランナー集団にアイビーが合流したとき、彼らはどこか安堵したような面持ちで携帯食料を食べていた。

 途端に空腹を覚える。着の身着のまま送られたせいでそうした用意は一切ない。くれというのも忍びないので、進むのは一旦諦めて食べられそうなきのみを集めることにした。

 ユタを呼びだす。

 

「アンタも一緒に探してくんねー? できれば水気の多い果物だとありがたいんだけど」

『モモン トカ カ』

「そうそれ! そんなかんじ!」

 

 ユタは瞼を閉じて手近な木の幹に触れると、ぶつぶつなにかを唱えだした。梢が揺れ、葉ずれの音が辺りに満ちる。

 

『アッチダ』

 

 ユタが目線を向けたのは森の奥、正規ルートからだいぶ外れた場所だった。

 

「それも神通力ってやつ?」

 

 ゆるゆると首を振るう。図鑑で調べてみると、今度は"自然の力"という名前が光っていた。

 

「えーと、木や土などに直接触れることで発動する技。効果は個体によって様々に変化する……か。ユタの場合はきのみの在り処がわかるってこと?」

『チガウ。フレタモノト イッタイニ ナレル。イマ チョットダケ モリト オナジニ ナッタ』

「同化するってことか……。集中力要りそう(アタマ使いそう)な技だね。疲れない?」

『ツカレル』

「やっぱり?」

 

 アイビーは苦笑し、労うように背中を撫でた。

 

「んじゃ、採ってくるから待ってなよ」

『ヒトリデカ』

「はー? 舐めんなし。木登りとか昔チョーやってたかんね。きのみぐらいさっと取って帰ってくっから」

 

 実際、きのみはすぐに見つかった。鈴なりのモモンやナナの実が、熟した芳香を自慢げに漂わせている。

 周囲に生き物の気配はない。襲われる心配はなさそうだ。

 

「何年ぶりかな、木登りなんて」

 

()()()を踏んづけ、枝に手をかける。その瞬間、体の芯まで凍えるような冷気を感じ、四肢が石のように硬直した。

 

「な……っ!?」

 

 下生えが急速に成長し、アイビーの脚を絡めとる。枝がねじ曲がり、腕をとんでもない力で締め上げた。

 

「うわぁああ!」

 

 痛みに叫べたのは一瞬だけ、すぐに首を絞められ声を出せなくなってしまった。

 目の前の幹に切れこみが入り、赤い瞳となってアイビーを睨み据える。

 

『ワタシヲ フンダナ! オロカシイ ニンゲンフゼイ ガ!』

 

 心底怒り狂っている。酸欠で視界が狭まり、意識が薄れゆく中で、アイビーはぼんやりと森に化けるポケモンの噂を思い出していた。

(オーロット……まずい……手も……足も、でな……い……)

 いよいよ気を失いかけた刹那。

 いきなり首の拘束が緩み、新鮮な酸素がどっと胸を満たした。突然の供給に体が追いつかず激しく咳きこむ。

 涙で滲む世界に紫の背中が飛びこんできた。アイビーの前に立ちはだかって、オーロットの攻撃を必死に凌いでいる。大判の葉でできた団扇が見えた時、アイビーは別の涙がこみ上げた。

 

『我に歯向かうか! 生意気な!』

『こいつは知らなかっただけだ、害意はない! 許してやれ!』

 

「……ユ……た……」

 

 口の中に嫌な味が広がる。咳と一緒に赤い血の塊が吐き出された。強く圧迫されていたせいで声帯に傷がついたらしい。だがそんなものはどうでもよかった。

 

「ユダ、いいんだ、あだじが悪いんだがら……!」

 

 ユタの身にどんどん傷が刻まれていくことの方が、よほど辛かった。

 四肢の拘束が解かれると同時に額を土に擦りつけ、懸命に詫びた。どうしても喋れないので、頭のなかで何度も念じた。

 

「ほんとごめん、あんたの森だって知らなかった」

「挨拶もなく実を採ろうとしてごめん」

「あたしはどうなってもいい、でもユタを傷つけるのはやめて」

 

 ──どれくらいそうしただろう。数秒にも感じるし数分にも思える。

 ぽん、と肩を叩かれ面をあげると、隣にユタが座り、深々と頭を下げていた。

 

『儂からも謝らせてくれ。すまなかった』

 

『……』

 

 オーロットは黙って二人を見つめたあと、きのみが実った枝を下ろした。

 

『……採りすぎるな。小鳥や獣たちが楽しみにしている』

 

 静かに背を向けたオーロットに、アイビーとユタはもう一度頭を下げた。

 

『「ありがとう」』

 

 

 

 オーロットがくれたきのみには怪我を癒すものがあったようで、アイビーの喉はたちまち良くなった。

 

「ああマジ助かったマジ三途の川見えた! さんきゅーユタ。まじファインプレーだわ。どっか痛いとこない?」

 

 ユタは鷹揚に頷いた。

 

『心配無用だ。それよりも急がねばならんぞ。もう先陣はとっくにゴールしている頃合だ』

「だね。またボールに……」

『要らん』

 

 ユタの瞳が妖しく輝くと、アイビーの体が空中に浮いた。

 

「うわ!?」

『テレキネシスだ。舌を噛むなよ』

 

 ユタも浮遊し、木の上に出たと思うやいなや、凄まじい速さで飛翔する。野生ポケモン相手に苦戦するライバルたちを尻目に、あっという間に火山の中腹に到着した。

 

「はっや……でもこれ大丈夫なん? ルール違反なんじゃね?」

『ポケモンに乗るなとは言われたが、エスパー技で移動するなとは言われとらん』

「屁理屈〜! やば、あんた強すぎんでしょ!」

 

 ポケモンらしからぬとんでも理論にアイビーは爆笑した。ユタは素知らぬ顔で団扇を扇いでいる。

 

「……ま、いっか。バレたらそんときゃそんときだね。でもさすが火山なだけあって暑いわ〜。その団扇貸して」

 

 ユタはぷいとそっぽを向いた。

 

『そんなことは出来ん。これは神聖なグンパイなのだぞ』

「ぐ、え、なに? 団扇じゃねーの?」

『違う。我々の間ではよい軍配を高く掲げたほうに勝利が傾くと言われる。儂は一族の中で最も軍配作りに長け、最も多くの勝利をもたらした素晴らしきヤレユータンなのだぞ』

 

 そんじょそこらのモノと一緒にするな。

 そう言われて、アイビーはほうと感心した。ポケモンも持ち物もぜんぶ同じだと思っていたが、こう聞くと是非とも見比べてみたくなる。

 

「ほーん、なるほどねー……今度他のヤレユータンのも見てみるわ。でもそれさっきの戦いでめちゃくちゃ振り回してたけど壊れてね?」

『愚問だ。ぶんまわしたくらいじゃかすり傷もつかん』

「そっか! ならよかった」

 

 アイビーはにっこりした。己の不注意で巻き込んでしまったことをまだ悔いていたのだ。

 ユタが頂上を見上げる。あと小一時間もすれば登り切れそうだが、さてどんな罠が仕掛けられていることか。

 

『ここから先は歩きだぞ。どうも妙な力場が発生していて上手く飛べん』

「上等! いつまでもあんたにおんぶに抱っこじゃアイビー様の名が廃るっしょ!」

 

 ユタをボールに入れ、胸を叩いて気合を入れた。

 

(ユタがこんだけ体張ってくれたんだ……クルーの座、なんとしてもゲットしてやる!)

 

 

 五

 一方その頃、バンプ火山の頂上で、ラナンは懐中時計を片手にレースの行方を追っていた。

 

 現在ゴール出来ているのは六名たらず。残りの百人近い人間はあるいは脱落し、あるいはいまだ道の途上にある。日暮れまで残り四十分。それを過ぎると、火山を根城にする凶暴なポケモンたちが活発になるため、あまり悠長にはしていられない。

 

「ブーケ。アイビーさんという方はいらっしゃいまして?」

 

 おさげ少女(ブーケ)はゴールした面々とトレーナーカードを見比べ、否と答えた。

 

「いちおー火山には着いてるっぽいですー。あとは間に合うかどーかですねー」

「間違ってヒードランの洞穴とかに迷いこんでないといいんですけれど」

「あはは、そんなまさかー……あっ」

 

 アイビーの発信機(ビーコン)を確認していたブーケが小さな悲鳴をあげた。

 重ねるように、ズズズズ……となにか得体の知れない音が響きはじめた。

 

「どうしましたの?」

「えーとぉ、たぶんこれ、アイビーさんだと思うんですけどぉ」

 

 言いつつタブレットの画面を見せてきた。赤く点滅するアイコンが、とんでもない早さで頂上(ゴール)に向かっている。その後ろに、オレンジ色の点が四つ、五つ……六つほど並んでいた。

 不気味な音も比例するように少しずつ近づいている。

 

「このオレンジはなんですの?」

「えーとぉ、たぶんなんですけどぉ。先月、ヨーギラスのタマゴを孵化させたじゃないですかぁー。わたし、あれに識別票(タグ)をつけて親元に返したんですよぉー」

「ふむふむ? ということはヨーギラスちゃんたちがアイビーさんを追いかけてるってことですのね? 可愛いですわ〜!」

「なんですけどぉ、どうもあの子たち発育が良くてぇー。先週見に行ったらもうサナギラスに進化してたんですよねぇー」

 

 ラナンが笑顔のまま固まった。

 

 ……ふつう、岩より硬いサナギラスがその場から動くことは無い。余計な運動を一切捨てて、進化のためのエネルギーを蓄え続ける性質があるからだ。

 それがこの速度で移動しているということは、つまり。

 

 ラナンが退避命令を出すより早く、すぐそばの岩壁が爆散し、中からアイビーと六体のバンギラスが現れた! 

 

「ゴァアアアアア!!」

「ぎゃぁああああああ!」とアイビー。

「おわぁああぁあああ!」と先にゴールしていた挑戦者たち。

 

 過酷なマラソンでくたくたに疲れていた彼らは為す術なく暴走バンギラスに吹き飛ばされ、あっさり気を失った。

 

「なんですの!? なんでこんな興奮してるんですのこの子達っ!?」

 

 色違いフワライドに乗って上空に避難しながら、ラナンはわけもわからず混乱した。

 

 バンギラスは元々縄張り意識が強く情け容赦のない種族だが、それにしたってこうまで執拗に追いかけてくるのは不自然である。

 それも、怒っているというよりは何かに夢中になっているようなのだ。

 

「……あー、たぶんあれですねー」

 横に座ったブーケがアイビーの落としたものを指さした。ラナンもそれを見てすぐに合点が行く。

 

「スターのみ! お排泄物(クッッソ)レアなきのみでしてよ! この島ではオーロットの枝にしかなっていないんですのに!」

「あの()()()がわけてあげたんですかねー。めずらしー」

「なんにせよ原因が分かればこっちのものですわ! ムドー!」

 

 ヘビーボールから飛び出した色違いエアームドが地面スレスレの超低空飛行できのみを咥えると、バンギラスたちの頭上にぽんと放った。

 

「エアスラッシュ!」

「サイコキネシス!」

 

 不可避の風刃がきのみを六つに切り裂き、不可視の念力が雛のように口を開けて待機していたバンギラスたちの舌にみごと着地させた。六体はみな、大事そうに咀嚼すると、すっかり満足したとみえ、ずしんずしんと帰っていった。

 

 

「……た、たすかった……」

 

 全身泥だらけのアイビーがずるずるとへたりこむ。咄嗟にボールから出したユタも、どっこらせと腰を下ろした。

 うっかり迷いこんだ洞窟でバンギラスの群れに出くわしたときは本気で死を覚悟した。喚き、叫び、転びながら遮二無二もがいて走って──まだ、命がある。

 

「諦めないで良かったわー……」心からの呟きに、応える声があった。

 

「ええ、全くその通りですわ」

 

 慌てて目をあげると、嘘みたいに綺麗な女が立っていた。

 

「お疲れ様ですわ、アイビーさん。そしておめでとう! 晴れてあなたが一位でしてよ!」

 

 ラナンの手が差し出される。アイビーはぽかんと口を開けた。

 

「え、……一位? あたしが?」

「ええ!」

「で、でも、先にゴールしてた人がいるんじゃ……」

「六人ほどいましたけど、さっきのバンギラスに轢かれてしばらくは絶対安静ですわね。残りの方々も全員脱落したそうですし、これ以上の試験は無意味でしょう。というわけで、あなたがわたくしの助手となることが決まりましたわ! 

 あらためまして、わたくしラナンキュラスと申しますの! どうぞラナンとお呼びになって! おーっほっほっほ!」

 

 ぶんぶんと手を握られ、アイビーはただ瞬くことしかできなかった。

 おもわず隣を見やると、ユタは興味無さそうな顔で軍配を扇いでいた。が、口元には微かに笑みが浮かんでいる。

 それで、アイビーにもじわじわと実感ができた。

 

(勝ったんだ……百人以上出てたレースに……勝てた……!)

 

「やった! ねえやったよユタ! まじ嬉しいんだけど! やば、涙でてきた!」

 

 感極まって抱きつくアイビーを、ユタはやれやれとあしらっていた。

 

 

 ブーケがタブレットを操作しながら感嘆の息を吐く。

 

「すごいですねぇー。なかなか無いですよー、こんな番狂わせ」

「あら、たとえ上位六名の方が無事だったとしても、わたくしは彼女を選びましたわよ?」

「えぇー? なんでですかぁ」

 

 ラナンは笑ってヤレユータンを指さした。

 

「わたくしのムドーの行動を見て、なにをすべきか察し、短い指示で素早くフォローしてみせた……並のトレーナーじゃ出来ないことですわ」

「……あー、たしかに」

 

 スターのみを六つに等分するまではできても、それをきっちり一頭ずつ食べさせてやれなければ元の木阿弥である。最悪、複数食べた個体と食べられなかった個体で命の奪い合いが起きたかもしれない。

 彼女がサイキネで完璧に配ってくれたからこそ、円満に解決できたのだ。

 

「ふーん……あのこ、すごいのかも」

 ブーケの言葉にラナンはくすくす笑った。

 

 

 

「やあやあアイビーくん! クルー就任、おめでとう!」

「サンキュー……って、ああ! サボテン男!」

 

 アイビーは目を見開いた。小川で出会ったイシツブテ使いが何故かこんなところにいるではないか。

 サボテン男──もといジュマルは笑って胸を張った。

 

「ははは! 実は僕、挑戦者じゃなく監視員だったのさ! 不正したり脱落した人を見つけるために一緒のコースを走っていたんだ!」

「あ、そーだったん? えぐくね?」

「なんの! いい運動になったよ!」

「つっよ……あたしには無理だわ……」

 

 アイビーは呆れつつも賞賛の拍手を贈った。

 

 ジュマルはあえて語らなかったが、彼自身も()()()であった。

 わざと歩きにくいところに現れ、手助けを申し出る。もしもこれを受ければ即失格、という手筈になっていたのだ。

 希少ポケモンを扱うアカシア研究所の職員たるものが、むやみに他人を当てにしてはならないからである。

 

「君は甘えず、諦めず、最後まで走り抜いた! 全力で誇るといい!」

 

 力強い言葉に、アイビーは赤い頬を搔いた。

 

「いやでも、最後の最後で博士に頼っちゃったし……」

「それでいいのだ!」

 

 ジュマルの言葉は揺るぎなかった。

 

「己の分を超える案件にむやみに手を出すのも、人として無責任な振る舞いだからな! できる限りがんばる! ダメだったら助けを求める! この塩梅が大事なんだ!」

「……そだね! さんきゅ!」

 

 アイビーとジュマルはお互い満面の笑みで拳をぶつけた。

 

 

 そのとき、無粋な着信音が鳴り響いた。発信者は勿論あの男である。

 

 

 六

 

『やあやあアイビーくん。そろそろ終わった頃だと思って慰めの電話を差し上げましたよ。どうです結果は? まあ、聞かなくても分かりますが……』

「受かったっす」

『そうでしょうそうでしょう。まあ貴女には所詮……え? なんですって?』

「だから。試験に通って、クルーになったんですよ、あたし」

『……は?』

 

 ザオボーの顎ががくんと落ちた。あまりの間抜け面にユタが顔を背ける。アイビーも笑いながら先を続けた。

 

「てなわけで、約束どおりあたしの相棒返してくださいよ」

『ままま、待ちなさい! 狂言とはいくらなんでも』

「あら、嘘偽りのない事実でしてよ?」

 

 横からひょっこりと現れたラナンに、ザオボーの口がますます大きく開いた。こいつ実は顎関節ないんじゃないのか、とアイビーは密かに思った。

 

『ら、ラナンキュラス博士っ!??!!』

「ええ! わたくしがラナンキュラスでしてよ。あなたはアイビーさんのお友達ですの?」

「いや赤の他人」

 

 間髪入れずアイビーが答えた。こんなやつとトモダチだなんて冗談じゃない。

 

「彼女の言うとおり、本日ただいまをもって正式にクルーに任命いたしますわ! 日付が変わるまででしたら彼女のお祝いのためにいらっしゃっていただいてもよくってよ?」

『……。……っは! わ、わかりました、すぐにこのザオボー支部長が伺いますとも! それでは!』

 

 どたどたがしゃん、と騒がしい音を最後に通話が切れた。

 

「ひとまず、空港のラウンジにでも行きましょうか」

「異議なーし!」

 

 ラナンが言い、アイビーは全力で賛成した。

 

 

 カフェラウンジで淹れてもらったコーヒーが沁みる。自分が骨の髄から疲れていたことを、椅子に座ったとたん思い知った。

 砂糖とミルクたっぷりのほぼカフェオレをちびりちびりと飲みながら、ちらりと視線を投げる。ラナンキュラスが小首を傾げた。

 

「どうしましたの?」

「あー、や。まだお礼言ってなかったなって」

「お礼? ですの?」

「さっきのバンギラスたち……危うくみんな大怪我させるとこだったじゃん? 助けてくれて、ほんとありがと」

「──ふっ」

 

 ラナンは白衣を翻し、ビシィッ! とポーズを決めた。

 

「何かと思えばそんなこと! もはやわたくし達は仲間! 仲間とはすなわち一心同体! 助け合い支えあうのが当然でしてよ! おーっほっほっほ!

……ところで」

 

 高笑いの直後、じぃ、とヤレユータンを見つめだすラナンに、アイビーとユタは半歩後ずさった。

 

「そのヤレユータン、とっっっても賢そうですわね〜! 素晴らしいパワーをビンビン感じましてよ! なでなでしてもよろしくて!?」

「……だってさ。喜べよ、ユタ」

『……ニンゲン コワイ キョヒスル』

「は? いきなり片言に戻るなし! さっきまでペラペラだったじゃんっ!」

『ニンゲン ノ コトバ ワカラナイ』

「嘘つけっ!!」

 

 二人の騒がしいやりとりに、ラナンが「まあ」と声を上げた。

 

「あら〜! アイビーさん、あなた、ヤレユータンの言葉がわかるんですのね?」

「へ……? いやだって、こんなはっきり喋ってんじゃん」

 

 わかるも分からないも、三人ほとんど同じ声量で喋っていて、ユタだけ聞こえないなんてことはないだろう。

 だが、ラナンはぷるぷると首を振った。

 

「わたくしには、彼のお声はウォウ、ボウという風にしか聞こえていませんわよ」

「……え?」

 

 周りを見回すと、ブーケもジュマルも頷いている。冗談を言っている顔ではない。

 

 意味が分からなかった。

 

 小川でボールから出したときから、ユタはずっと人間の言葉で喋っていたはずだ。最初こそぎこちない話し方ではあったけれども、意味はわかったし、どんどん話すのが上手くなっていったじゃないか。

 

「わたくしも、長年連れ添ったお友だちですとか、信頼しあっている子達となら自由にお喋りできますけれど……たとえば、ムドーの話していることがわかりまして?」

 

 ラナンが手招きすると、餌を食べていたエアームドが一声短く叫んだ。

 

『あー。翼の付け根めっちゃ凝るわァ。マスター撫でてくんねーかなー』

「……翼の付け根あたりを撫でて欲しいって」

 

 ラナンがその通りにすると、エアームドは心底嬉しそうに目を閉じた。

 

『そこーそこそこー。マスターあんたわかってんねー。あー、きもちいー。あー』

「……って言ってる」

 

「……やはり、間違いありませんわね」

 

 ビシィ! と指を突きつけ、ラナンは高らかに宣言した。

 

「あなた! 世界でも数少ない、ポケモンマスターでしてよ!」

 

「ぽ、ぽけもんますたー……?」

 

 なんだその恥ずかしい名称。

 

「はいこれー。アイビーの能力っぽいのが書いてある記事ー」

 

 ブーケがタブレットを叩き、記事を開いてみせた。

 それは古い週刊誌のアーカイブで、数年前に組まれた都市伝説特集であった。ブーケが"ポケモンと喋る人々"と題された一ページを読みあげる。

 

「なんかぁ、一説によるとぉー、ポケモンの言葉がわかる人ってぇーちょくちょくいるらしいんですよぉー。

 この記事だと鳥ポケと話せるヒマワキシティのバードマスターとかぁー、ホエルコとなら喋れるってルネシティのホエルコマスターとかでてますけどぉ、アイビーの場合種族関係なく喋れる系みたいなんでー、いっちゃえば完全上位互換ですねー」

「完全……上位互換(じょーいごかん)……」

 

 アイビーには今ひとつピンとこなかった。

 ユタもエアームドも、普通に喋っているとしか思えないのに……。

 

「んでー、この記事では"もしも全てのポケモンと話せる人間がいるならば、その人こそポケモンマスターと呼ぶに相応しい"って書かれてますー」

 

「くぅ……っ!」

 ラナンはどこからか取りだしたハンカチを噛みしめ、悔しそうに涙した。

 

「羨ましい……っ! わたくしもすべてのポケモンとお話したいですわァ……っ! みんなで恋バナとかしたい……っ!」

「したいん?」

「それはもうっ! ボスゴドラのモテムーブとかマッギョの激アツプロポーズの言葉とか、興味ありませんこと?!」

「ない」

 

 なぜそのラインナップなのか。あまりにもニッチである。

 ラナンはほんの少ししょんぼりしていたが、すぐに持ち直し、ぐっと拳を握りしめた。

 

「それはそれとして、ポケモンマスターは研究のしがいがありましてよ〜! アイビー! 明日から島中のポケモンと話に行きましょう!」

「あー。その前にお客さんですー」

 

 ブーケが言い終わらないうちに、ラウンジにザオボーが入ってきた。ラナンの真向かいに座ってコーヒーを啜るアイビーの姿に驚愕し、硬直していたが、三度大きな咳払いをし、背筋を正した。

 

「アイビーくん。君は実によくやってくれたね。素晴らしい成果だ。かの有名なポケモン博士、ラナンキュラスさんの助手になれるとは!」

「……どーも」

 

 アイビーは冷めきった眼差しで一礼した。

 落ちると思ってたくせに、調子のいい。

 

「そしてラナン博士! あなたのお噂はかねがね……今後はぜひ! あたしどもエーテル財団と力を合わせて、ともに研究を進めてまいりましょう!」

「……あら。それはどういうことですの?」

 興奮していくザオボーとは対照的に、ラナンは至って冷徹だった。真顔でコーヒーをくゆらせている。

 

「ああー、これは失礼!」

 

 芝居がかった仕草で頭を下げると、アイビーの肩に手を置き、気持ちの悪い猫なで声で語りだした。

 

「実はこちらのアイビーくんは我がエーテル財団アローラ支部の優秀な団員でしてね! あなたと我が支部の架け橋になればと思った次第でして、ええ!」

「まあ、そうでしたの〜」

「彼女はきっと、あなたの研究の役に立ちますとも!」

「うふふ、かもしれませんわね〜」

 

 ラナンはあくまで慇懃な口調を崩さない。だがその声色がどんどん気のないものになっていることに、ザオボー以外の誰もが気づいていた。

 

「……あのーザオボー支部長」

 

 アイビーが一歩前に出る。

 何の話をするにしても、まず真っ先に、片をつけねばならないことがある。

 

「あン? なんですいま忙しい……」

「あたしの相棒、どこです。返してくれるっていいましたよね」

 

 ザオボーは片眉を上げ──あぁ、と面倒くさそうにポケットに手を突っ込み、ゴージャスボールを二個取りだした。

 間違いない、どちらもアイビーのボールだ。

 

「これでしょう? ほら、受け取りなさい」

「……」

 

 掌に、死ぬほど焦がれた重みが帰ってきた。

 

「……おかえり、あんたたち」

 

 鼻の奥がツンとする。ボールからチラチーノとグソクムシャが飛びだし、アイビーに抱きついた。アイビーも強く抱きしめ返す。

 会いたかった。ずっとずっと。この半年、一日だって思い出さなかったときはない。

 すすり泣くアイビーたちを邪魔くさそうに見ていたザオボーは、気を取り直しラナンに近づいた。

 

 ここが頑張りどきだ。数多の色違いポケモンを有するラナンを懐柔し、移送させることが出来れば、エーテル財団の知名度も、ザオボーの()()()()もぐっと明るいものとなる。

 

 ……だが、そうした皮算用は、ラナンの恐ろしく冷えきった笑顔に瞬殺された。

 

「ひ……!?」

 

 ザオボーの身体は、アーボックに睨まれたニョロモがごとく動かない。

 

「──わたくしとエーテル財団が協力関係を結ぶというお話ですけれど」

 

 かちり、とソーサーにカップを置く音がやけに響いた。

 

「完全に、些かの余地もなくお断りすると申し上げますわ」

「な、なぜ……っ」

「述べるほどの理由はございませんわ。わたくしはエーテル財団を必要としない、ただそれだけのことでしてよ」

 

 ラナンが立ち上がる。ソファを回りこみながらザオボーのそばまで、非常にゆっくりとした足音が、ザオボーに対する死刑宣告のように鳴り響いた。

 

「──それよりも、ねえ、あなた」

 

 耳元に唇を寄せ、底冷えのする声で囁いた。

 

「わたくしの大事な仲間(アイビー)を泣かせておいて、生きて帰れるとお思いかしら……?」

 

 とん、と肩口をつつくと、ザオボーは膝から崩れ落ちた。

 

「ひ、ひ……っ」

「──ライドウ」

 

 ラナンの影からフワライド(ライドウ)が滑りでる。

 鬼火を眼前にちらつかされて、ザオボーはみっともない悲鳴をあげた。

 

「ひ、……ひぃいいっ」

 

 腰が抜けたみじめな姿で這いずり、アイビーの脚に縋りつく。

 

「あっ、あっ、アイビー! 博士を説得しなさい! 彼女はなにか誤解をしている! スカル団なんかとつるんでいたせいで誰からも嫌われていたあなたに、千載一遇のチャンスを与えたのは誰か、お、教えてやるのですっ」

 

 アイビーが足元の屑を蹴り飛ばすより早く。

 ボールから勝手にでてきたヤレユータンが、静かにザオボーの腕を掴んだ。

 

「や、ヤレユータン……そうだ、お前がいたな! ほら、博士を攻撃しろ! 私を脅迫した報いを受けさせなさい!」

 

『……』

 

 ヤレユータンが無言で軍配を振るうと、ザオボーがふわりと床から浮いた。

 

「へっ? や、ヤレユータン……?」

 

 軍配を真っ直ぐ出入口に突きつける。ザオボーは弾かれたように吹き飛ばされ、ポートに停まっていたヘリに直接叩きこまれた。

 

「ぐえぇえええっ!?」

 

 断末魔の悲鳴をBGMに、アイビーとラナンは最高の笑顔でハイタッチした。

 

 

 

「あースッとした! ……でも良かったん、ユタ?」

 

 ユタは、答える代わりに己が入っていたモンスターボールを粉々に握りつぶした。

 無言でゴージャスボールを指さす。

 

「〜〜っ! ちょ、それ反則っしょ……っ!」

 

 アイビーは泣きすぎて真っ赤になった顔をくしゃくしゃに歪めながら、おもいっきり抱きついた。

 

「あんた、ほんっとサイコー!」

 

 チラチーノとグソクムシャが、新たな仲間に抱きつく。

 ラナンはどこからかクラッカーを取りだし、盛大に打ち上げた。

 

 

「さあ! 夜明けまで続くパーティーの始まりでしてよ〜っ! おーっほっほっほっほ!」




新キャラに新キャラ組ませていよいよ誰得小説になってまいりました。
この後のエピソードも書きたいのでもうしばらくお付き合いください。

感想、評価ほんとうにありがとうございます。


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6話/目には目を!金には金を!悪党には蹴りをお見舞いですわ!

お嬢様博士第6話。
単独でも読めますが、1話から続けてお読みいただくと作者が泣いて喜びます。

孵化厳選や色厳選で避けては通れない話題を織り込みつつ、この世界の闇を少しばかり描いてみました。
今後のお話にあの組織を絡めて行けたらいいな、と思っています。

◾︎ラナンキュラス──主人公。お嬢様博士。めちゃくちゃ金持ち。
◾︎アイビー──博士の助手。黒ギャル。ポケモンと話せる。
◾︎ミツル──ミツルきゅん。可愛い。ORASでとんでもない変貌を遂げた。でも可愛い。
◾︎アポロ──某組織の幹部。イケメンだが中身はクズ。マダムキラー。


 一

 色違いのポケモン。それは言うまでもなく、大変に貴重で珍しい個体である。

 ポケモン研究の第一人者であるオーキド博士は、理論上すべてのポケモンに色違いの個体がいる可能性を示唆しているが、実際に色違いを見たものは少なく、有しているものは更に少ない。かくいう筆者も、四十年以上ポケモントレーナーの道を歩んできたが、色違いの個体を拝めたことはないのだ。

 

 それほどまでに希少な色違いを数多く所持しているトレーナーがいる。それがかの天才少女、ラナンキュラス博士である(写真下参照)。

 彼女は色違いポケモンが生まれやすい環境の発見やタマゴの孵化方法の確立、色違いと通常色個体との差異などを纏めた論文で一躍有名になった。

 ポケモン協会から博士(ドクター)バッジを授与された際のインタビュー動画をご記憶の方も多いだろう。

 

 タマゴ研究家のウツギ博士はこう語る。

「彼女の論文は素晴らしいですね。僕の研究は彼女のおかげで飛躍的に進んだと言っても過言じゃありません」

 

 事実、彼女の発表によって色違いの孵化厳選に着手したトレーナーは数知れない。読者諸氏のなかには、彼らの成功体験を聞いて試みた方も多いと思う。

 

 ──だが、その"試み"が悲惨な運命のポケモンを次々に生み出してることを、あなたはご存知だろうか。

 

 預かり屋の店主談

「ええ。あの発表からですよ、ポケモンを預ける方がどっと増えたのは……。こっちも愛情持ってお預かりしてるのに、タマゴを孵したら普通の色だったから要らないとか、もう色違いが産まれたからこのタマゴは返すとか、そんな酷いことを言うお客さんが一人や二人じゃないんです……トレーナーたるもの、ひとつひとつの命を大切にしてほしいですねえ……」

 

 近隣住民談

「もう怖いですよ。昼となく夜となくタマゴを沢山抱えたトレーナーがうろうろしてるんです。それで産まれた子達をどうするのかと思ったら、その場で逃がすんですよ! 育てるために孵したんじゃないのかって……もう可哀想で可哀想で……産まれたばかりの赤ちゃんポケモンが野生で生きていけるわけないじゃないですか! ある時なんか、一晩中ヤミカラスの群れにつつかれたらしいピッピの死体が道端に……私もう、朝から号泣しちゃって……」

 

 このように、悪辣なトレーナーたちによる孵化産ポケモンの放棄事件が多発し、世界各地で社会問題になっているのだ。

 

 また、筆者がさる確かな情報筋から得た話によると、ラナンキュラス博士は非合法な手段で人為的に色違いポケモンを生み出している疑いがある。

 本誌では、前述の社会問題とあわせて、"若き天才の黒い謎"を徹底追及していく所存である(特集記事は別ページ参照)────週刊ポケモンマガジン

 

 

 

 そこまで読んで、アイビーは怒りもあらわに吐き捨てた。

 

「はァ〜!? なにこのクソ記事! ふざけんなし!」

 

 一緒に茶菓子を食べていたチラチーノ(みぃこ)が驚いて手を止める。

 

『どうしたのアイビー、そんな怖い声を出して。みんながびっくりしてスコーンを喉に詰まらせちゃうわよ』

 

 アイビーは慌てて周りを見回した。高級ホテルのカフェラウンジは平日の昼だというのに有閑マダムたちで溢れている。今夜のイベント前に不審者として疑われるのはなんとしても避けたい。ウェイターが通りすぎるのを待って、平静を装いつつタブレットをつついた。さきほどの記事が表示される。

 

「いやこればりムカつくからね? ラナンの特集なのに悪口ばーっか書かれてんだよ! 最低すぎん?!」

『ま。お下品な読み物ね。そんなもの読んだら目が腐っちゃうわよ。しまっちゃいなさい』

「でもこれ許せねって! ほらこことか! 

 〈ラナンキュラス博士は色違いを求めるあまり、他のトレーナーに詐欺まがいの話をもちかけ、ポケモンを強奪するという噂がある。なるほどたしかに彼女のポケモンは時折怯えた眼差しを見せることがあり、これはとりもなおさず、噂を裏付ける証ではあるまいか……〉

 一から十までこいつの主観と妄想じゃん! ジャーナリストなら証拠を掴めよって思わん!? もーまじありえんし」

 

 掌に爪が食いこむのも構わず拳を握るアイビーを、チラチーノはやれやれと慰めた。

 

 このホテルは世界でも有数の一流どころで、ポケモンと人どちらも食べれる料理を供することで知られている。

 せっかくのアフタヌーンティーを無粋な話題で邪魔されるのは勿体ない。

 そう思って電源を切ろうとした前脚が、そっと遮られた。

 慌てて振り向くと当の本人──ラナンキュラスが興味深そうな顔で覗きこんでいるではないか。アイビーたちが止めるより早く、タブレットを取り上げられてしまった。

 

「あら、わたくしの記事ですのね? ──ふむふむ……あらあら……まあ!」

 

 読み進めるうち、ラナンの眉間にどんどん皺がよっていく。当たり前だ、こんな誹謗中傷を書かれて平気な人間はいない。慰めようと腰を浮かしたアイビーだったが、

 

「なんですの、色違いポケモンを多数()()って! ポケモンはモノじゃありませんことよ! ポケ権無視の言い回しに断固抗議致しますわ~っ!」

「いやそっちかいっ!」

 

 あまりにもズレた主張に全力で突っ込んだ。

 

「怒りますわよ~! ポケモンと人はあ・く・ま・で! 対等な関係であるべきですわ! トレーナーだから偉いとか、モノ扱いしていいとか、そんなことは断じて! 断じて許しませんわよっ!」

「わかったわかったわかったわかった。怒りはもっともだけど声が、声がでかいっ。でかいってっ」

『ほら、あなたの好きなアールグレイよっ』

 

 どんどんヒートアップしていくラナンを必死で宥める。まわりの視線が痛い。ただでさえ彼女は目立つのだ。

 背中にかかる豊かな金髪、人形のように整った顔立ち。身に纏う雰囲気からして常人とはレベルが違う。いつでもどこでも衆目を集める少女、それがラナンキュラスなのである。

 

『──仕方ない。あれを使うわ、アイビー』

 

 チラチーノが言って、自慢の白い尻尾でラナンを撫で回した。ふかふか、ふわふわ、いい匂いのする毛皮に包まれ、ラナンの興奮がみるみる溶けていく。

 

「んはぁ……至福の触り心地ですわァ……嗅いでみろ、トぶぞ……ンスゥ──────ッ」

 

 毛並みに顔を埋め深く呼吸しはじめる。傍から見れば完璧な変質者だが、喚かれるよりは幾分マシになった。

 頃合を見計らい、チラチーノをボールにしまう。ガンギマリのラナンを座らせ、本題を切りだした。

 

「んで、あの子どこ?」

「あ、あの、ここです……」

 

 こつ、と鳴るヒールの音に首をめぐらせば、清楚な白いドレスに身を包んだ緑髪の少女が、恥ずかしそうな面持ちで立っていた。

 アイビーが目を輝かす。

 

「やば、超似合うじゃん!」

「そ、そうですか……? こんなの着たことなくて、は、はずかしいです……足元すぅすぅするし……」

「すぐに慣れるって。案外、今日で新しい扉開いちゃうかもよ?」

「そ、そんなあ……!」

 

 泣きそうな顔で俯く。涙目といい、赤らんだ頬といい、見たものの庇護欲を掻き立てるような振る舞いに、アイビーは思わず感心した。

 

(これで()()ってやばくね? 魔性のショタじゃん)

 

 ようやく正気を取り戻したラナンが向かいの席へ促した。

 

「まずは、美味しいお茶をいただきましょう。ここからが本番ですからね、()()()()()

 

 少女──もとい、女装したミツル少年は、唇を噛み締め頷いた。

 

 

 二

 話は一日前に遡る。

 イッシュ地方はブラックシティで買い物を楽しんでいたラナンたちは、カジノの前に黒山の人だかりを見つけた。

 

「なんでしょう? バトルかしらっ?」

 

 好奇心旺盛なラナンが突撃する。輪の中心には三人の黒服と、それに詰め寄るミツル少年の姿があった。ミツルが悲痛な声で叫ぶ。

 

「僕のキルリアを返してください! ここにいるんでしょう?!」

 

 対する黒服たちは腕まくりをし、暴力も辞さない構えである。筋骨隆々の彼らと比べると、ミツルはあまりにか細く弱い。周囲の人々は固唾を飲んで口論の行く末を見守っていた。

 

「お前のポケモンなんざ知らねえって言ってんだろ!」

「嘘だ! ここに入る前はたしかに居たんです! なかを調べさせてください! ぼくの大事なパートナーなんだ!」

「この……しつこいんだよクソガキがぁ!」

 

 ミツル少年の顔面めがけて拳が振り下ろされる。

 だが、そのパンチはいつまで経っても届かなかった。咄嗟に飛び出したアイビーが、手首を掴んで止めたのだ。

 男は驚愕した。折れそうなほど細い腕なのに、万力のような強さで押さえつけられ、びくともしなかった。

 

「……なんかよく分かんないけどさぁ。三対一は卑怯じゃね?」

 

 なお手に力を込めながら、アイビーが低く囁く。男の顔色が赤くなり、青くなり、白くなった。聴衆にも骨の軋む音が聞こえ始める。残る黒服が慌てて引き剥がそうとするも、間に入ったラナンが許さなかった。

 

「喧嘩はいけませんわよ~っ! どうしても争いたいのならルールに則って楽しくバトルをいたしましょう! そう、さながらイッシュ名物、バトルサブウェイのように! このわたくしが審判を務めますわ~っ! 準備はよろしくて~!?!?! おーっほっほっほっほ!」

 

 白衣をバサァッ! と翻し、ポーズを決めて高笑う。黒服もミツルも野次馬も、アイビー以外の全員が呆気に取られた。その隙を逃さず、色違いドレディアを呼び出し、眠り粉を撒き散らす! 

 

「ぐえぇえええ!」

「眠い、はちゃめちゃに眠いぃいいっ」

「なんで私たちまでぇっ……」

 

 黒服たちと、ついでに観客もまとめて眠らせ、ミツルを連れて逃げた。

 まるまる三ブロック走って、ようやく足を止める。

 

「ふー……ここまで来ればもう追っ手は来ないと思いますわ! あなた、怪我はなくて?」

「はぁ……はぁ……は、はい……あの、ありがとうございました……でも僕、いかないと……キルリアが……あの店に……」

 

 息を喘がせながら戻ろうとするミツルの背を、アイビーがぽんと叩いた。

 

「まーまー待ちなって。ンな状態で戻っても今度こそボコボコにされるだけじゃん? それじゃ意味ないからさー? とりあえずカフェにでも入って落ち着くべ」

「で、でも……!」

「いーからいーから」

 

 半ば引きずるように近くの店に入り、ココアとハニートーストを注文する。料理が運ばれて来る頃にはミツルも観念したとみえ、重たい口を開きはじめた。

 

「……ぼく、ホウエンの生まれなんです」

 

 幼い頃は体が弱く、遊ぶどころか歩くことも満足にできなかった。庭に遊びに来る野生ポケモンを見るのが唯一の慰めだった。

 療養の甲斐あって元気になった彼は、近所のジムリーダーに手伝ってもらい、生まれて初めてポケモンを捕獲した。

 それが運命のパートナー・ラルトスとの出逢いだった。

 ふたりはあちこち旅をして、少しずつバッジを集めていった。とうとうラルトスが進化したので、修行とお祝いを兼ねてイッシュ旅行に来たのだが──……

 

「カジノって行ったことがなかったから、昨日の夜、興味本位で入ってみたんです。中はビカビカギラギラしてて、すぐに目が回っちゃって……ベンチで休んでいたら、いつの間にかキルリアの入ったボールだけが無かったんです」

 

 何度も探したし、警察にも届けたが、どこで無くしたか喋った途端、警察は捜査を拒否したという。ラナンの肩がぴくりと揺れた。

 

「……()()ですの? 捜査を途中でやめ(打ち切っ)たのではなく?」

「頭から否定されました。この街でポケモンがいなくなった話なんて聞いたことがない。お前の勘違いかなんかだろうって……だから僕、自分で調べに行くしかなかったんですが、もう一度行ったらなぜか門前払いされてしまって……黒服さんたちと揉めてたら、あなたたちが助けてくれたんです」

「ふぅ、ん……なるほどですわ……」

 

 ラナンは顎に手を当て考えた。

 聞けば聞くほど警察もカジノも不審な点だらけだ。捜査すらしないこと、ミツルを頑なに店に入れたがらないこと。黒服たちの乱暴な態度。その全てが、ある仮説を裏付けている。

 

「この街ではポケモンの売買が盛んに行われているって噂、どうやら本当のようですわね」

「「ポケモンの、売買!?」」

 アイビーとミツルが同時に叫んだ。ラナンは頷き、タブレットで件の情報を表示する。

 

 いわく、ブラックシティのカジノでは、定期的にポケモンオークションが開かれ、金持ち相手に莫大な利益を上げているらしい。滅多に捕獲できない希少種や色違いの個体のほか、時には伝説級のポケモンが並ぶこともあるという。

 客同士のプライバシー保護のため、仮面をつけて参加することから、仮面競売(マスクドオークション)と呼ばれている。

 

「問題は、競りにかけられるポケモンの大半が攫われたか盗まれた子達らしいんですの。ブラックシティ近辺で手持ちがいなくなったという方が大勢いらっしゃるんですのよ」

 ミツルがはっと目を見開いた。

 

「でも、警察の人はそんなの知らないって……!」

「ええ。つまりこの話はまったくの眉唾物か……」

 

 アイビーが二の句を引き取った。

 

「警察までグルになってる一大イベント、ってわけ? クソすぎん?」

 

 ミツルの手がわなわなと震えだす。

 

「そんな……そんな……ぼくのキルリアが……売られちゃうなんて……!」

 

 目に涙をいっぱい溜めて、ミツルはラナンに取り縋った。

 

「なんとか阻止する方法を知りませんか! ぼくなんとしても取り返さなくちゃ!」

 

 ラナンはどんと胸を叩いた。

 

「ご安心なさいまし。必ずあなたの元に返して差し上げましてよ」

「つっても、どうやって参加するん? 入れてって言ったらいれてくれるものでもなくね?」

「忍びこむ、とか?」

「いっそスタッフ脅すか」

 

「どれも必要ありませんわよ」

 

 ラナンはにっこりして、一通の封筒を取り出した。

 

「そのオークションへの招待状、頂いてるんですわよねーこれが♡」

 

 

 三

 アイビーたちは目を丸くして招待状を眺めた。

 中にはラナンを歓迎する文言──ただし宛名はキュラソーとなっている。ラナンが用いた偽名らしい──と、大雑把な競売品のリストが同封されている。リストにはたしかに"キルリア──1"と書かれていた。

 

「競売は週に一度、金曜日の夜に催されますわ。今が木曜日の夕方六時ですから、きっかり二十四時間後に開かれるわけですけど、それがキルリア奪還の最初で最後のチャンスですわよ」

「まだカジノにいるのがわかってんならボコって奪い返せばよくね?」

 

 アイビーの物騒な提案にラナンはきっぱりと首を振った。

 

「そうなるとこちらもタダでは済みませんわよ。あちらさんも警備はガッチリ固めているでしょうし、警察もアテにできないなら、強行突破はリスクが高すぎますわ」

「なら、どうしましょう?」

「いちばん穏当な手としては、客のフリして競り落とすってとこですわね。このお手紙(チケット)のおかげで、少なくとも内部にはヌルッと入れましてよ。ですが……」

 

 ラナンがじっとミツルを見つめる。ミツルはどぎまぎして、どんどん顔を赤くしながら目を逸らした。

 

「あ、あの、なんでしょうか……?」

 

 ラナンは指を二本立て、ピースサインを作った。

 

「今回のオークションには出席者に課せられた条件が二つありますの。

 ひとつは二人一組でくること。

 もうひとつは、()()()()()()()()()()こと」

「へー。男はダメなんだ」

「ええ。最初はアイビーと二人で行こうと思ってたんですけれど、ミツルさんも出たいですわよね?」

「は、はい! お願いします! 僕の手でキルリアを救いたいんです!」

「つってもなー。ミツルっちは可愛い顔してっけど、男ってモロバレじゃん?」

「なら、やることはひとつですわね」

 

 立ち上がり、ラナンが不敵な笑みを浮かべる。指を一本、天に向かって突き上げた。

 

「ミツルさん大改造計画、おっぱじめますわよ〜!」

 

 

 ──そして、話は冒頭に戻る。

 美容院、エステ、ドレスショップ、メイクショップと散々に連れ回し、完璧な少女に生まれ変わったミツルを正面に座らせ、ラナンはご機嫌だった。

 

「んふふ。我ながらいい仕事しましたわ〜。ミツルさんはお(ぐし)もお肌もお綺麗ですから、メイクのし甲斐がありましてよ〜♡」

「うう……あんまり見ないでください……」

 恥ずかしすぎて死んでしまいそうです……呟くミツルの背をアイビーが叩く。

 

「そんなんじゃダメッしょミツルっち。ほら気合い入れて。これも大事な作戦なんだからさ。キルリア助けられんの、世界であんただけなんだよ。胸はんな!」

 

 その言葉に、ミツルの背筋がぐっと伸びた。

 

「は、はい……! そうですよね、頑張ります!」

「ん! その意気その意気!」アイビーが親指を立てて笑う。それから、ずっと気になっていた疑問を口にした。

 

「てかさ、ラナンはこの招待状どっから貰ったん? ポケモンのオークションとかめっちゃ嫌いだと思ったけど」

 

 ラナンはこの世の何よりもポケモンを愛し、彼らの幸せを願っている人物だ。ポケモンをモノ扱いする世界など、興味が無いどころか叩き潰しますわよ! ぐらい言いそうなものなのに。

 

「もっちろん、お排泄物(クッッソ)嫌いですわ!」

 

 ラナンはぐいっと胸をそらし大威張りに断言した。

 

「一分一秒でも早く組織まるごと完っ全にぶっ潰してやりたいですわ!

 でもこういうところってガードが固くて簡単にはしっぽを掴ませてくれないでしょう? 

 ですからまず客として潜り込むために、会員制の裏サイトに張りついて、わたくしがいかに珍しいポケモンを集めているか、どれほど欲しがっているか、アピールしまくったんですのよ!

 ついでに週刊誌にもそれとなく、わたくしが手段を選ばない人間であることを匂わせる記事を出していただきましたら、見事釣られてくれたんですの!

 おほほほほ、悪党ってチョロいですわ〜!」

「あ、あの記事ラナンが書かせたん?!」

 

 アイビーは驚愕し、ついで赤面した。

では自分はラナンが張った罠(自作自演)にまんまと引っかかったのか!

 

「おーっほっほっほ! 敵を騙すにはまず味方から! 週刊誌に怒るアイビーの姿、とっても可愛らしゅうございましてよ〜っ!」

「言えし! 水くさすぎるから!」

 

 二人がわあわあと騒いでいると、五時を告げる鐘が鳴った。

 オークションの開場まであと一時間。作戦もいよいよ大詰めである。

 

「それではミッションの最終確認(おさらい)しますわよ。

 ミツルさんとわたくしはオークション会場に着いたらがっつり競って即脱出。終わり次第キルリアちゃんのテレポートで空港にジャンプし、プライベートジェットでイッシュ地方にさよならバイバイですわ! 

 ううん、スピーディかつ完璧なプランですわね!」

「自画自賛すんなし」

「おーっほっほっほ! 甘いですわねアイビー! 自己肯定感は大事でしてよ? 計画を成功させる最高のスパイスですわ!」

「はいはい。で、あたしは空港にいりゃいいんだべ?」

「ええ。わたくしのプライベートジェットをいつでも発てるよう待機させていてくださいまし」

「りょーかーい。あ、そだ、ミツルっち。キルリア以外の手持ちって何かいんの?」

「コイルがいますけど……」

「コイルかーおっけ。したら念の為、みぃこ預けとくわ」

 

 チラチーノ(みぃこ)の入ったボールを手渡した。

 

「黒服のヤツらとかがミツルっちに気づくかもじゃん? したらコイル一体でバトるのだるいっしょ。空港に着いたら返してくれりゃいーからさ」

「あ、ありがとうございます! わぁ、可愛いなあ……!」

 

 うっとりとした眼差しでチラチーノをためつすがめつし、ボール越しにコイルと対面させていた。その表情は恋する乙女そのもので、ともすると本来の性別を忘れそうになる。

 

(これが素って……やっぱ凄いわミツルっち……)

 

 ラナンが右手を前に出す。アイビーとミツルも手を重ねた。

 

「それでは、"キルリア絶対助けるぞ作戦"、スタートですわ!」

「おー!」

「よ、よろしくお願いします!」

 

 めいめいが意気ごみ新たに拳を突き上げた。

 

 

 四

 金曜の夜、カジノは盛況を極めていた。

 欲の皮の突っ張った人間たちが、装いこそきらびやかに、されど内面におぞましいものを隠しながら、目の前の賭け事に興じている。

 二人の男が、たったいま入口から入ってきた客を見て囁きあった。

 

「見たか、あれ」

「見た見た。赤髪のほう、すっげぇ美人だな」

「隣の緑髪もいいな。まだガキくさいが、妙な色気がある」

「二人とも妙なマスクしてるがなんだありゃ」

「決まってる。"奥"で遊ぶんだろ」

「奥?」

「何も知らないのか? このカジノはVIPだけが集まる極秘のオークションもやってんのさ。顔がバレたら困る連中ばかりだから、ああしてマスクをつけるって噂だぜ」

「へえ……」

 

 美女ふたりは脇目も振らずに通り過ぎ、分厚いカーテンの向こうへ消えた。

 

 

「チケットを拝見致します」

 

 顔中に傷跡が刻まれた、明らかに堅気でない男が無骨な手を差し出す。()()()()はにこりともせず、招待状入の封筒を載せた。

 

「……確認できました。ようこそ、()()()()()さま。会場へお入りください。まもなく始まります」

「そうですの」

 

 薄闇色のドレスに、肘まで覆うシルクの手袋を着こなしたラナン(キュラソー)が、冷めた目で男を見やった。

 

「今日は何人いらっしゃいますの」

「貴女様がたを含めて十四人ほどでございます」

 

 つまり六組の客がいるということだ。現在の時刻は五時五十九分。いかなる理由があろうとも遅刻者は中に入れない。これ以上参加者が増えることはないだろう。

 ラナンはミツルに目配せし、会場の扉を開け放った。

 

 中は、異国の教会に似ていた。長椅子が均等に並べられ、前方中央に祭壇があり、()()をよく見せるための台が据えられている。

 先に来ていた客たちは程よく間をあけて座っていた。会場は薄暗く、かなり近づかなければ容貌が判然としない。互いの素性が露見するのを防ぐ措置である。

 ラナンたちは最も後ろの席に腰を下ろした。

 

「緊張してきました……」

 ミツルの言葉にラナンはくすりと笑った。

 

「心配ご無用でしてよ。あなたもあなたのキルリアも必ず守ってみせますわ」

 

 自信に満ち溢れた声音に、ミツルは安堵した。彼女の声には不思議な力がある。不安が消し飛び、勇気がわいてくるのだ。

 

「ありがとうございます……! ぼくも精一杯頑張ります!」

 

 そのとき。いきなり中央のステージにスポットが灯り、一人の男が歩みでた。

 薄い水色の髪に艶のある燕尾姿。客同様マスクをしているが、端正な顔立ちは隠せていない。男は張りのある声で、オークションの開始を宣言した。

 

「定刻になりました。それでは今宵も始めましょう。みなさまに素晴らしい出逢いをお届け出来ればこれ以上の幸いはありません。

 本日の進行を務めるアポロです。どうぞ、お見知り置きを……」

 

 気障な一礼に思いのほか熱心な拍手が沸いた。アポロはひとりひとりに視線を返し、時には淡く微笑んでさえ見せた。笑顔を貰った客が嬉しそうに声を上げ、他の客が羨望と嫉妬で身悶える。

 

「なるほど、男子禁制ってこういうことですのね……」ラナンが苦笑した。

 

 金と暇を持て余したマダムは刺激を欲しているものだ。女だけの空間で対抗心を燃やさせ、アポロの美貌で判断を鈍らせる。トドメにオークションの熱気にあてられた彼女らは青天井に金を積む、という按配。

 

「……さあ、それでは最初の一匹です」

 

 アポロが木槌を打ち鳴らすと、一体目が運ばれてきた。純白の羽に均整なボディ。長い睫毛がえもいわれぬ美を湛えている。

 

「最高の腕を持つブリーダーに育てられた色違いのスワンナです。飾るもよしコンテストに出るもよし。あなたの人生に比類なき美しさを加えてくれることでしょう。まずは100万から」

 

 次々に手が上がり、値が上昇していく。

 580万を刻んだところで客の声が尽きた。

 

「ただいま580万です。他にいらっしゃいませんか?」

 アポロが会場を眺め回す。最前列に座った痩せぎすの女が、自慢げに鼻の穴を膨らませた。

 いいスタートを切れた。競り落とした人間はオークション終了後、別室でアポロ直々に手渡してもらえる。いまからそれが楽しみだった。

 しかし。アポロが木槌を鳴らそうとしたまさにその瞬間、後方の席から静かな声が飛んだ。

 

「──700万」

 

 最前の女が硬直し、勢いよく振り向いた。だが席が離れすぎていて、とても顔までは分からない。女は鼻を鳴らし、上乗せした。

 

「760!」

「850」

「……930!」

「1000」

 

 女は呆れ返った。まわりの客もくすくす笑っている。

 このオークションは品目が多い。最初の一体に四桁も注ぎ込んで、あとどれだけ頑張れるのやら。大方おのぼりさんが初めて参加したオークションで舞い上がったのだろう。

 獲物をかっさらわれたのは悔しいが、この後勝っていけばいいだけのことだ。女は悠々と座りなおした。

 アポロの声が響き渡る。

 

「スワンナ、キュラソー様が1000万で落札です! おめでとうございます」

 

 スワンナが退場し、レパルダスが運ばれる。こちらは通常色だが、普通と違って尾が素晴らしく長く、しかも二又に別れていた。変わり種に飢えている客が興奮の吐息を漏らす。

 

「さあ、続いては二又のレパルダスです。長く生きた個体はこのように変化すると言われています。驚くほど賢く、トレーナーを裏切りません。250万から!」

「300っ」

「440!」

「610!」

 間髪をいれず更新され、場は否が応でも盛り上がっていく。

 

 ミツルは手の汗を拭った。聞いたこともない金額のオンパレードに頭がくらくらした。隣のラナンはじっと腕組みし、ひたすらステージのレパルダスを見つめている。

 

「1210! さあ他にいらっしゃいませんか?」

 

 顔も身体も丸い女が勝利を確信して頬を緩ませた。

 猫系のポケモンならなんでも欲しい。しかもこんなに珍しい個体は世界中探したってそうそういるものじゃない。

 また我が家のコレクションが潤うわ。お友達の羨ましがる顔が目に浮かぶ────

 だが、甘い幻想はあっけなく打ち砕かれた。またも後方の女が遮ったのである。

 

「2000」

 

 会場がどよめいた。後ろの女はバカなのか、それとも常軌を逸した金持ちなのか。

 アポロはにっこりして木槌を叩いた。

 どちらでも構わない。金さえ落としてくれるのならば。

 

「二又のレパルダス、キュラソー様が2000万で落札です!」

 

 

 五

 オークションは過去一番の熱狂を見せた。

 品が並び、額を唱え、落ち着いたところでラナンが冷や水をかけるがごとく最高値を宣言する。その繰り返しに、いまや客たちにはある空気が芽生えつつあった。

 すなわち、なんとしてもラナンより上をいき、彼女を黙らせ、勝利をもぎとりたいという貪欲な想いが。

 

「まだかな……まだかなあ……」

 そんな空気には目もくれず、ミツルはひたすら最愛のポケモンを念じ続けた。祈りが通じたのか、順番が回ってきただけか。待ちに待った姿が壇上に登る。

 

「あ……っ!」

「十三匹目はキルリアです」

 

 ミツルが両手をぎゅっと握り合わせた。世界にキルリアは多く居れど、あの姿、間違いない。僕の最初のパートナーだ! 

 キルリアが怯えた顔で会場を見回している。僕はここだと言えたらどんなに喜ぶだろう。血が滲むほど唇を噛み締め、叫びたい気持ちをぐっと堪えた。

 

「色違いでもなく、特筆すべき外見的特徴もありません。いたって普通のキルリアをなぜ並べるのか、疑問に思っておいででしょう。しかし! このキルリア、我々が調べたところ、いわゆる"六冠"個体であることがわかりました!」

 

 会場中から驚きの吐息が漏れた。

 

 六冠。ブリーダーやトレーナーの間では6Vともいわれる、高い能力を秘めたポケモンを指す言葉である。

 体力、攻撃、防御、特攻、特防、素早さ、以上六点の要素(ステータス)のうち、突出して高いものが一つあると一冠という。六冠は六つ全てが高い水準にあることを意味し、滅多に捕まえることは叶わない。

 

「育てて強力なポケモンにするもよし、高個体値(ハイスペック)ポケモンを産ませるもよし……まさしく金のタマゴを産む存在、さあ、少々値が張りますが奮ってご参加いただきたい! 最初は」

「1億」

「ごひゃ、……は?」

 

 500万と言いかけていたアポロが目を瞬いた。いまあの女はなんと言った? 

 ラナンはゆっくりと立ち上がり、馬鹿面で見てくる全員を睥睨した。

 

 

「1億と言ったんですが。聞こえませんでしたの?」

 

 

 今までとは違う、先手を打っての超高額宣言に、しんと静まり返った。

 我に返ったアポロが咳払いし、空々しく対抗者を募ったが、返事があるはずもない。女たちはみな、事ここに至ってようやく理解出来たのだ。自分たちが、遥かにレベルの違う相手と競っていたことに。

 

 アポロは舞台袖のスタッフに合図を送り、準備していたポケモンを下がらせた。

 次が今回の目玉商品だったが、会場のボルテージは地に落ちている。これ以上はどう足掻いても盛り上がるまい。

 

「おめでとうございますキュラソー様。1億で六冠キルリア落札です! 

 本日のオークションはこれにて終了いたします。みなさま、ご参加誠にありがとうございました」

 

 幕引きはあっけなかった。プライドをへし折られた女たちがふらふらと去っていく。完膚無きまでの敗北は、彼女たちから覇気を奪い、一気に十歳も老けて見えた。

 

 

 がらんどうの会場に残ったラナンとミツルの元へ、アポロが鷹揚な足取りで近づき、片膝を立てて跪いた。

 

「キュラソー様、いえ、ラナンキュラス博士。今宵貴女に出逢えたこと、私の人生最大の幸福です」

 

 ラナンの手を取り、甲に口づける。ラナンが満更でもなさそうに笑った。

 

「あら、わたくしの正体に気づいてらしたんですのね?」

「勿論でございますとも。あなたほど高貴で思いきりのいい方はそうそういらっしゃいません。さあ、どうぞこちらへ。商品をお渡しいたします」

 

 アポロは終始にこやかに微笑み、別室へと誘った。引渡し場所にはピラミッド型に積まれたボールと、競売に出されなかった最後のポケモンが鎮座していた。

 ミツルがあっと叫ぶ。

 

「す、スイクン……!?」

 

 アポロが首肯した。口輪を嵌められぐったりとしているスイクンの手綱を握り、淀みない口上を述べ始める。

 

「仰るとおり、古のジョウトにて甦ったという伝説を持つポケモン、スイクンです。世界中を走りまわり、穢れた水を清める習性を持ちます。私たちは長年追い求め、ついに捕獲に至ったのです! 

 これが本日の目玉となる予定でしたが、スイクンを持つに相応しい方は博士、貴女をおいて他にはおりませんでした」

 

 一度言葉を区切り、じっとラナンを見定める。流石のラナンも言葉が出ないようで、スイクンに目が釘付けになっていた。

 

 アポロは口元を笑みに歪ませ、すぐに消した。六冠に一億積む女ならば、伝説ポケモンにはその十倍ふっかけても払うだろう。

 

(いい金蔓が出来た。とことん搾り取ってやる……!)

 

「オークションは終わりましたが、博士さえお望みならばお渡しすることもできますよ。少しばかりお高くはなりますが……」

 

 ラナンは無言でミツルを見やり、次いでアポロを一瞥した。

 

「……まず、()()から渡すのが筋ではございませんこと?」

「おお、これは申し訳ございません。大変な無礼を働きました。ではこちらから……」

 

 ボールを載せたカートが目の前に運ばれる。キルリアの入ったボールに手を伸ばしかけたミツルを、アポロが即座に制止した。

 

「お支払いから、お願いいたしますよ」

「……」

 

 ラナンが指を鳴らすと、影からヨノワールが現れ、()()()()()からアタッシュケースを四つほど吐き出した。

 アポロが蓋を開く。新札がぎっしりと並べられ、一ミリの隙間もない。

 

「……たしかに、お預かりいたしました。どうぞお受け取りください」

「キルリアっ! ああよかった、もう会えないかと……」

 

 ボールを掻き抱き、涙するミツルにラナンが耳打ちした。

 

「おめでとう、ミツルさん。その子を連れて先に行っててくださいまし」

「え……で、でもあなたは……?」

「わたくしはすこし、あの方と話がありましてよ。……ノワール! ボールを!」

 

 ヨノワール(ノワール)が残りのボールを腹に収め、再び影に沈んでいく。ミツルはキルリアの手を握り、何度も振り向きながらテレポートで姿を消した。

 アポロとラナンが静かに対峙する。

 

「……もう、これは必要ありませんわね」

 鬱陶しいマスクと赤髪のカツラを剥ぎ取り、床に放り捨てた。

 

「あーすっとしましたわ! 全くカツラってどーしてこう蒸れるんですかしら。暑くて痒くてしんどかったですわよ〜!」

「それはお辛かったでしょう。空調には気を配っていたつもりでしたが、次回の参考に致します」

「それには及びませんわ。"次"はありませんもの」

「……それは、どういう意味でしょう?」

 

 アポロの目がすっと細くなる。後ろに手を回し、密かにボールを握った。

 

「答える前にお訊ねしたいことがありましてよ。そのスイクン、いつどこで手に入れましたの?」

「場所はジョウト地方の奥地、時期は秘密……というところでご勘弁を。詳しいことは我々の機密に触れますゆえ」

「そう。──では、ミナキという名前に聞き覚えは?」

 

 アポロの肩がぴくりと跳ねた。それはごく些細な反応だったが、見逃すラナンではない。

 

「──当オークションハウスも懇意にしているポケモントレーナーの方ですね。彼がなにか?」

「懇意、ですの。物は言いようですわね」

「……すみません、仰りたいことがよく……」

 

 ラナンは片眉を吊り上げ、人差し指を突きつけた。

 

「わかりませんの? なら耳をかっぽじってよくお聞きなさいな! 

 ミナキはわたくしの友にして、世界中のだれよりもスイクンを愛し追い求めた殿方! つい先日、とうとうスイクンを捕まえることができたと連絡があったのに、次にお会いした時は大怪我を負って入院されていましたわ。そして手持ちの中にスイクンの姿はなかった……」

 

 話しているあいだもスイクンは力なく寝そべったまま、起き上がる気配がない。酷く衰弱しているのだ。きっとろくに食事も与えられないまま何日も閉じこめられていたのだろう。

 ラナンの怒りが加速する。

 

「なぜあの子は口輪をし、首輪をされていますの? あなた方が捕獲したならあんなものは必要ないはず! ならば答えはひとつですわ」

 爛々と光る眼でアポロを睨めつける。

 

「……あなたたちがミナキを襲い、奪った。違いまして?!」

 

 アポロは黙ってボールを開き、ヘルガーを操りだした。人あたりのいい笑顔を捨て、酷薄な表情を浮かべながら。

 

「そこまで察しがついていながら喧嘩を売るのですか。貴女も存外頭が良くないようですね」

「あら。勝てる勝負と分かってるからこその挑発でしてよ」

 

 ラナンも色違いのドレディアを呼び、半身をひらく。

 一瞬の空白。そして、

 

「炎の牙!」

「蝶の舞!」

 

 漆黒と翠緑が激突した! 

 

 

 

 六

 一方その頃。プライベートジェットの中でだらだら寝転びながら二人の帰りを待っていたアイビーは、機内にテレポートで飛んできた影を認めて跳ね起きた。

 

「おわっびびったぁ!? ──って、ミツルっちじゃん。おつ〜。オークションどーだった?」

 

 着地に失敗して床に転んだミツルとキルリアを助け起こす。ミツルはテレポート酔いで青ざめつつも、会場での様子を事細かに語った。

 

「スイクン?! まじで! やば、チョーレアじゃん」

「でも、すごく弱っていて……」

「あー。まあ、だいじょぶじゃん? ラナンなら絶対助けて帰ってくるっしょ。それよかさ、外見てみ?」

 

 言われるがまま窓を覗くと、不審な人影が数人、こそこそとこちらに近づいてくるのが見えた。

 

「あれは……?」

「たぶんだけどカジノの連中。ラナンの正体バレてたくさいし、プライベートジェット持ってるの調べたんしょ。逃げ足封じてラナンのポケ盗もうって魂胆じゃん?」

 

 ハッチを開き、地上を見下ろす。アイビーに気づいた強盗たちが駆け寄ってきた。

 

「あたし全員ぶっ飛ばしてくっからさー。ミツルっちはここで待っててよ」

 

 言い終わるや、地面に向かって飛び降りた! ヤレユータンとグソクムシャを繰り出し、手近な人間を薙ぎ払う! アイビー自身もキレのあるパンチや蹴りで不届きな連中を叩きのめした。

 

「……すごいな、みんな」

 

 ラナンもアイビーも、強い芯がある。危険を恐れず、傷つくことを躊躇わず、大切なものを守り抜く強さ。

 ミツルはぼそりと呟いた。

 

「あんなふうに、なれるかな」

 

 キルリアが居ないと気づいた時、狼狽えることしか出来なかった情けない人間が、あの境地に辿り着けるものだろうか。

 いまもこうして守ってもらっているのに。

 

 肩にあたたかいものが触れる。振り向くと、キルリアがまっすぐミツルを見つめていた。

 その瞳は澄んでいて、とても綺麗だった。

 

「キルリア……僕にもできるって思う?」

 

 キルリアは頷いた。真正面からあたえられる信頼に、心が奮い立った。

 悩むのも、怖じ気づくのも、今は要らない。

 自分を、仲間を、信じて動く。いつだって、必要なのはそれだけなんだ。

 

 キルリアの角がほのかに光る。前向きな気持ちを掴んだ時にだけ現れる輝きを背に、ミツルもハッチから飛び降りた。

 

「キルリア、たのむ!」

『きゅう!』

 

 地面にぶつかる寸前、サイコキネシスで速度をやわらげ着地する。コイルとチラチーノを呼びだし、アイビーと背中合わせに立った。

 

「援護します! アイビーさんは前を!」

「ミツルっち……ははっ! なんだよ、チョーかっこいいじゃん! 後ろは任せたかんね!」

「はい! コイル、電磁波! キルリアはチャームボイスで撹乱を!」

チラチーノ(みぃこ)、タネマシンガン! グソクムシャ(グク)はシザークロス! ヤレユータン(ユタ)は金縛りでサポートよろ!」

 

 強盗たちも負けじとポケモンを繰り出してくる。多種多様な技が入り乱れ、滑走路は激戦地と化した! 

 

 

 ◇◇◇

 

 アポロは手際よくラナンを追い詰めていった。

 狭い室内での戦闘ゆえ、ヘルガーが得意とする炎の大技(火炎放射や大文字)こそ打てないものの、凶悪な爪と牙で着実にダメージを重ねている。

 対して向こうは草タイプ、舞や回避でうまいこと致命傷を避けてはいるが、肝心の攻撃はお粗末で痛くも痒くもない。結末の見えている戦いに欠伸が出そうだ。

 

「まだ続けますか?」

「あら、当然でしてよ。あなたこそ勝ち誇るのが早すぎるんじゃなくって?」

「貴女は往生際が悪すぎるだけでしょう」

 

 実際、趨勢は決している。

 後退を続けるうちに背後は壁、ドレディアも満身創痍の有様で、いったい何が出来るというのか。

 現実が見えていないなら、分からせてやる他あるまい。

 

「博士のポケモンならば高値がつく。殺したくはなかったのですがね……」

 

 アポロは手掌を向け、最後の一撃を命じた。大口を開けたヘルガーが飛びかかる。ドレディアは小さく身を丸め、かたく目をつぶった。

 

 ──殺った! 

 

 一秒後に見えるだろう残虐な光景に笑みが零れる。……だが。

 

「ギャウンッ」

 

 悲痛な叫びを上げて床に転がったのはヘルガーの方だった。

 

「な!? へ、ヘルガー!」

 

 辛うじて立ちあがったが、口から血泡を吹き、焦点が定まっていない。足元もふらついている。明らかに致命傷を受けていた。

 

(何をもらった? こんなことができる技など────)

 

 ラナンを睨めつけたアポロは愕然とした。横に侍るドレディアの姿が、この一瞬で全く変わっていたのだ。

 

「な、なんです、そのポケモンは……」

 

 すらりと長い手足に引き締まった胴。おっとりした眼差しは鋭い目つきに変貌し、従前のお嬢様然とした雰囲気は欠けらもない。

 

「──かつて、ヒスイという地方がございましたの」

 

 かつ、とヒールを鳴らし、ラナンが一歩前に出る。反するように、アポロは一歩後ろへ下がった。

 

「その地は寒く険しくて、ポケモンたちは生き残るために強く在らねばならなかった」

 

 かつ、と更に一歩。気圧されたヘルガーが頭を垂らす。

 

「草タイプのドレディアにとっては試練の地……弛まぬ努力の末、とうとう格闘タイプを会得した。それがこのヒスイの姿ですわ」

 

「ヒスイ……ドレディア……」

 

 どん、と鈍い音がして、アポロは壁に当たったことを悟り、息を飲んだ。

 逃げ場が──ない。

 

「この子に宿る遺伝子が、遠い祖先の姿を呼び覚ましたのですわ。わたくしの子達には少しばかり、そういうことが出来る子がいるのです。

 残念ながら、変身時間は長くは保ちませんけれど、あなたを倒すには充分なお時間でしてよ」

「う……」

「さ、降参なさいますの? それとも……」

 

 アポロの選択は"それとも"の方だった。

 

「〜〜っ、ここで、こんなところで負けてたまるものですか! 姿が変わったからなんだというのです! ヘルガー! 焼き殺せ!」

 

 灼熱の炎が吹き荒れ、ラナンたちを襲う。しかしドレディアは避けもせず、ただ思いっきり、右脚を振り上げた! 

 目にも止まらぬ素早い蹴りが、炎を断ち切り左右に流す。火のついた壁や床がたちまち燃え上がり始めた。

 

「は……?」

 

 アポロは己の目が信じられなかった。

 炎を──斬った? 蹴り一発で……? 

 

 火災報知器が作動し、けたたましいベルが鳴り響く。スプリンクラーの水が降り注ぎ、部屋の全てが濡れそぼった。カジノの方でも同じことが起きているだろう。遠くから、客の悲鳴が聞こえた気がした。

 

 ヒスイドレディアの蹴りが惚けた顔面スレスレの壁に叩きこまれる。部屋全体に亀裂が走り、ぽっかりと大きな穴が空いた。

 

「ひ……っ!」

 

 懐中時計を開いたラナンが薄く微笑む。

 

「──そろそろ、警察もつく頃合ですわね」

「け、警察……? ははっ、通報なんて無駄ですよ! この街の警察は署長にいたるまで買収済み……」

「この街の、ではございません」

 

 ぱちり、と時計を閉じたラナンがアポロを見据える。

 

「国際警察の方をお呼びしましたのよ。ポケモンの盗難に売買。警察への贈収賄。いずれも重罪ですわ。一生かけて償いなさい」

「……!」

 

 アポロはもう何を言う気力もなく、ずるずるとへたりこんだ。

 ラナンは踵を返し、スイクンのそばに跪く。戒めをすべて解いてやっても、首を持ち上げるのすら苦しそうだった。

 

 癒す手段は、ある。だが──

 言いあぐねるラナンに、ドレディアが囁いた。

 

『私は大丈夫。命令して』

「……レディ」

 

 ラナンはドレディア(レディ)の肩に頬を寄せ、彼女にだけ聞こえる声で詫びた。

 そして命じる。

 

「癒しの願いを、スイクンに」

『喜んで、マスター』

 

 あたたかい光がドレディアの全身から発せられ、スイクンへ少しずつ移っていく。

 光を与えられたスイクンは落ち着いた呼吸を取り戻し、薄く瞼を開いた。

 神通力で、脳内に直接語りかけてくる。

 

『ココ ハ……』

「ある施設です。あなたはあとすこしのところで売り飛ばされるところでしたの」

『ソウカ……ワレハ タスカッタノダナ……』

 

 スイクンが安堵の息を吐く。

 視界の端に傾ぐ姿を認め、ラナンが叫んだ。

 

「……っ、レディ!」

 

 完全に光を移し終えたドレディアが昏倒していた。容姿も、ヒスイの姿から現代のそれへと変わっていく。

 スイクンが鼻先を近づけ、ドレディアの匂いを嗅いだ。芳しい香りがみるみる衰えていくのがわかる。

 

『コノモノハ ドウシタ』

「あなたを救うためすべてのエネルギーを使い果たしたのです」

『イソガネバ。タイオン アルモノヲ シナセタクハナイ』

「ええ。脱出しましょう。ひとまず空港までついてきてくださいまし。あなたの本当のトレーナーと連絡をとりますわ」

『ワカッタ』

 

 ラナンはちらりとアポロを見やった。意気消沈した面でなにやらぶつぶつ呟いている。

「……キ様……サ……カ……」

 ……これ以上は聞き取れない。

 

 窓を開け放ち、スイクンを先に通す。ラナンはサザンドラを呼びだした。珍しく色違いではないが、ミツルのキルリア同様、六冠の龍である。

 黒い毛並みにまたがったとき、騒がしい足音が轟いて、大勢の男たちが部屋に雪崩れこんできた。先頭の人物を認め、ラナンが頬を緩ませる。

 

「ご無沙汰ですわ、ハンサムおじさま!」

 

 ハンサムと呼ばれた男──国際警察のエージェントは窓の外で飛ぶ少女に驚き、諸手を挙げた。

 

「ややっ。君はラナンキュラス! 通報者は君だったのか!」

「ええ! そこにいる悪党は絶対に逃がさないでくださいましね! ポケモンオークションの重要参考人でしてよ〜!」

「承知した! 任せてくれたまえ!」

 

 ラナンは朗らかに笑い、高らかに命じた。

 

「行きますわよザンドラ! 凱旋ですわ〜っ!!」

 

 三つ首が夜天に向かって吼え猛り、猛スピードで飛翔した。

 

 

 

 七

 

「お、帰ってきた帰ってきた」

「ラナンさん! おーい、おーい!」

 

 滑走路脇の芝生で、アイビーとミツルが手を振っている。サザンドラから飛び降りたラナンは、適当に縛られた悪党たちがごろごろ転がっているのを見て目を丸くした。

 

「まあ、お客さんがいらしたんですの?」

「ま、ね。大したことなかったけど。そーだ! 見せてやんなよミツルっち」

 

 ミツルは照れくさそうに笑いながらボールを開けた。中から飛び出してきたサーナイトを見、ラナンが破顔する。

 

「まあ! まあまあまあ〜! 進化されたんですのね? 素敵ですわ〜素晴らしいですわ〜!」

「戦っていたら、突然光りだして……すごくびっくりしました」

 

 サーナイトがミツルを愛おしそうに撫でている。さっきまで可愛らしい妹のようだったのに、いまではすっかりお姉さん気取りなのがおかしかった。

 

『……?』

「どうしたの、サーナイト」

 

 サーナイトが不思議そうな面持ちでラナンの腰あたりを見つめている。気絶したドレディアのボールがある辺りだった。

 

「ああ、そうなんですの。わたくしが無理をさせてしまったばかりに……はやく治療しませんと」

 

 痛ましげに眉を寄せるラナンに、サーナイトはそっと微笑んだ。

 右の掌を翳す。優しい光がボールを包みこんだ。

 

「……! これは」

「癒しの波動です。進化したら使えるようになったみたいで」

「すげーよ。アタシのポケモンもみんな回復しちった」

 

 ドレディアはみるみる元気を取り戻し、ぽんと飛び出してきた。ラナンに抱きつき、サーナイトに抱きつく。

 ふたりは楽しそうにくるくる回り踊った。

 

『……ナオッタ ヨウダナ』

 

 全員の頭の中に声が流れた。いつの間にか、ジェット機の上にスイクンが立っている。波打つ鬣が夜明けの光を浴びて輝き、美しい姿がますます神秘的に見えた。

 

『ラナン ト イッタナ。カリ ガ デキタ。イズレ マタ マミエル ト シヨウ。ソチラノ ドレディア モ セワニ ナッタ』

 

 ドレディアは優雅にお辞儀し、くるりと回転した。スイクンが微かに笑う。

 

「ミナキさんには、なにかお伝えしておきましょうか?」

『……スグニ アエル ト』

「承知しましたわ」

 

 スイクンは居住まいを正すと、穹に向かって遠吠えした。

 氷のように透き通った声がどこまでも伸びていく。ふと目を戻すと、すでにスイクンの姿は消えていた。

 

「……はー。伝説のポケモンだけあるわ。めちゃくちゃ綺麗だったな」

「はい……! ぼく、出来ればもう一度会ってみたいです」

 

 飛行機のタラップを上がりながら、アイビーたちは興奮しきりだった。最後に機内に入ったラナンが、驚くべき早業でドレスを脱ぎ捨て、席にかけてあった普段着に袖を通す。

 

「あぁあ〜慣れ親しんだ服ほど安心するものはございませんでしてよ〜っ! お排泄物(クッッッッソ)ラクですわ〜!!!!」

「でも、ドレスもすごくお似合いでしたよ」

「とーぜんですわ! わたくしってばなんでも着こなしてしまうんですの! それこそがわたくし・ラナンキュラスなんでしてよ! おーっほっほっほっほ!」

「肝心なもの忘れてんよ」

 

 アイビーが白衣を放り投げる。

 ラナンは白衣を着、ビシィッ! とポーズを決めた。

 

「さあみなさま! おうちに帰りますわよ! 準備はよろしくて〜!?」

「「おーっ!!」」

 

 アイビーとミツルが歓声を上げる。

 爽やかな朝日が、機内にさあっと差し込んできた。

 

 

 ◇◇◇

 

 先日、イッシュ地方ブラックシティで、カジノ『アール』が検挙された。ここは賭博場を経営する一方で、法律で禁止されている生体競売(ポケモンオークション)を営んでおり、かねてからポケモンの強奪や盗難に関与していると噂されていた。都市警察との癒着の疑いもあることから、捜査当局は慎重に調べを進めている。

 また、カジノの経営者アポロ氏が留置場へ移送中、車内で忽然と姿を消したことについて、捜査責任者のハンサム氏はこう語っている。

 

「なにやら鎧のようなものをつけた何者かが現れ、凄まじいパワーで装甲を破り、アポロ氏を連れ去ったのだ。なんらかのポケモンとは思うが、果たしてなんなのか、皆目見当がつきません。しかし国際警察はなんとしも奴を捕え、法廷に引きずり出す所存です────」(右下、ポケモンと思しき図・ハンサム作)──週刊ポケモンマガジン




盗品売買、ダメ絶対。
自分も色孵化厳選厨なので今回の話は書いてて胸が痛くなるところが多かったです笑

感想、評価いつもありがとうございます。すっごく嬉しいです。


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7話/強さとはなにか? いやムッズいですわちょっと宿題にさせてくださいまし!

お嬢様博士第7話。
シリーズ初めてのポケモン視点です。
ポケモンバトルをねっっっちょり書きたくて書いてみたら3万字近くなりました。なっっっっげぇ。

当たり前のようにポケモンが喋ります。

単独でも読めますが1話から読んでいただけると作者がウホウホ喜びます。

▫️ラナンキュラス──主人公だが今回は脇役。ポケモンと喋れるハイテンションお嬢様。
▫️リオル──今回の主人公その1。なまいき。色違い。
▫️クチート──ツンデレお姉さん先輩。リオルより小さい。可愛い。
▫️???──今回の主人公その2。


 一

 

 ぼくは最初、すごく暗い場所にいた。

 狭くて、暗くて、なにもなかった。

 眠っているうちはとても居心地がよかったけど、段々退屈になってきた。

 思いきり伸びをする。こつん、と何か固いものにあたった。

 固いものはぼくのまわりをすっかり囲んでいる。逃げ場はない。出口もない。

 

 これは、いったいなんだろう。

 ここは、いったいどこなんだろう。

 

 つついてみる。びくともしない。

 たたいてみる。びくともしない。

 思いっきり殴ってみた。パキ、と音がした。これなら壊せそうだ。

 

 他にすることもないし、ぼくはひたすらそれを殴ることにした。

 

 何度も殴ったり蹴ったりするうちに、パキパキはどんどん広がって、隙間から白いものが入ってくるようになった。

 白いものは、すごく眩しくて暖かかった。

 

 この白いのがもっと欲しくなって、がむしゃらに暴れまくった。

 

 パギ……パキキ、パキパキパキ、バキン! 

 

 とうとうぼくは、硬いの全部壊してみせた! 

 すると、白いものがさ──っと降り注いできた。ああ、なんて気持ちいいんだろう。硬いのの外は、こんなに広くて素敵なところだったのか。

 ぐうんと伸びをする。そしたら、大きな何かがぬっと現れて、ぼくを見てこう言った。

 

「初めまして、リオル。わたくしが、あなたのおやでしてよ」

 

 ぼくはびっくりしてキャンといった。その声にまたびっくりした。

 

 ぼくって、しゃべれたのか。

 こんな声をしてたんだ。

 

 目の前の大きいのがくすくす笑った。

 

「まあ、可愛らしいこと。わたくしはラナン。ラナンキュラスですわ。どうぞラナンとお呼びになってね。あなたはなんとお呼びしましょうか……。

 ──リオン、そうね、リオンがいいわ。ね、リオン。これからあなたには、素敵なことがたくさん待っていますわよ」

 

 大きいのがちょんと触れる。ぼくはころんと転がった。転がったのが面白くて、けらけら笑った。大きいのも笑っていた。

 

 

 ──これが、ぼくとラナンの出逢いだった。

 

 

 

 

 二

 

 後になって知ったけれど、ぼくは昔、タマゴというものに入っていたらしい。それを自分で割って生まれてきたんだよ、とラナンが教えてくれた。

 

 タマゴの外はそれはもう広くて、どんなに走り回っても終わりがなかった。

 さわさわするところ──原っぱというんだって──をほかのリオルたちと一緒に走って、転んで、また走った。二本足で走るのと四本足で走るのは、景色が全然違ってすごく面白かった。

 

 外は白いのがあたって気持ちがいいな。

 この白いのはオヒサマというんだそうだ。

 おひさま、お日様。うん、気持ちのいい響きだ。気に入った。

 

 外にはリオルが沢山いた。ぼくには全部同じに見えたけど、どうも二種類のタイプがいるらしい。

 

「ボクらは青いのと黄色いのがいるんだよ。ほら、ボクは青いでしょ。キミは黄色!」

 

 そう言われたけど、いまいちピンと来なかった。青とか黄色ってなんだろう。みんな白と黒じゃないか。

 

 ケンコウシンダンのとき、ラナンにそう言ったら、ラナンはすこし手を止めたあと、目を細めて笑った。

 

「あなたには、世界がそういう風に見えているんですのね。素敵ですわ」

 

 そう言って撫でてくれた。ラナンのなでなでは大好きだ。もっとしてほしいけど、あんまりせがむのもみっともないから、おねだりは三回までにしておいた。

 

 

 ぼくたちはずっと遊んで過ごした。あついときがあって、すずしいときがあって、凄くさむくなって、またあったかくなった。

 このあったかいときが一番好きだ。

 

「あったかいのを、はる、っていうんだって!」

「はるってなにさ」

「わかんない!」

 

 ぼくたちはけらけら笑って取っ組みあった。分かんないことだらけだけど、毎日が楽しかった。

 

 春のあとは、夏。夏が終われば秋。秋がきたら冬。そしてまた春が訪れるんだ、と物知りのリオルが教えてくれた。

 

 三度目の春が来た時、ぼくは初めて、島を出た。

 

 

 

 

 

 三

 

 やってきたのはシンオウ地方というところだった。ぼくが生まれ育った島よりずっと寒い。同じ春なのに不思議だ。

 

 ラナンはここに、化石を掘りに来たのだと言った。化石とは、大昔のポケモンの生きた証みたいなものらしい。実際に掘ったものを見せて貰ったけど、ぐるぐるの模様がついた石にしか見えなかった。

 これを"ふくげん"するとオムナイトというポケモンになるんだって。

 嘘だあ! ラナンは時々ウソをつくんだな。

 

 ラナンが化石掘りをしているあいだ、ぼくは地下洞窟で好きに遊んだ。野生のポケモンに出逢うたび、必ず戦いを挑んだ。

 バトルはいつもぼくが勝った。

 ふふん。ぼくって結構強いんだ! リオルの間では断トツに力があるし、"はっけい"や"しんくうは"だって上手に撃てるもんね。

 

「ここらのは弱いなあ!」

 

 そう勝ち誇ると、クチート先輩が目を吊り上げて怒った。

 

「おバカ! あんたは弱いのとしか戦ってないだけよ! 強いポケモンがいたらこてんぱんにされちゃうんだからね!」

「そんなことないよ。ぼくほんとに強いんだ」

「あらそう。ならアタシに勝ってみなさいよ!」

 

 途端にぼくは黙ってしまった。先輩はすごく硬くて、殴った手の方が痛くなる。おまけに頭についた大きな(アギト)に噛まれると、寝れないくらいじくじくするんだ。

 

「調子に乗ってると、いまに痛い目みるんだからね!」

 

 先輩はぷりぷりして向こうに行った。あのひとはいつも怒ってる。なにがそんなに気に食わないんだろ。うるさいなあ。

 

 

 何日かすると、ラナンが場所を変えると言い出した。

 

「この辺りの壁は掘り尽くしましたわ! 北の方にいきますわよ!」

 

 そうして、ぼくたちはキッサキシティへとやって来て────アイツに出くわしたんだ。

 

 

 

 

 四

 

 キッサキシティはいままで生きてきた中で一番寒い場所だった。じっとしていると全身がガチガチ震えて止まらない。

 クチート先輩は「こんなのへっちゃらよ!」と腕組みしてたけど、大顎(オオアギト)のほうがぶるぶる震えてて強がりなのが分かった。笑ったら噛まれた。痛かった。

 

 でもこの雪ってやつは好きだ! もふもふしてて沈んでも痛くない! 蹴るとぱっと散ってキラキラする! ぼくの大好きなお日様も、雪に当たるともっと白くなってとっても素敵だった。

 

 毎日戦っていたら、洞窟のポケモンたちはぼくを見かけるとこそこそ逃げるようになっちゃった。戦おうと言っても断られてしまう。

 

 ヒマだあ。暇で暇でヒマすぎる! 

 だから、ぼくはこっそり地上に上がった。少し歩けば雪山があるのを知っていた。そこなら、ぼくと戦ってくれるポケモンもひとりくらいは居るだろう。

 

 さっそく、木の根元できのみを食べるユキカブリを見つけた。後ろから雪玉をぶつけたら、怒って追いかけてきた。

 作戦成功! 草むらの中央までおびき寄せて、振り返りざま発勁を食らわせた。

 

「ギュウ!」

 

 急所に当たったらしく、一発で伸びちゃった。

 食べかけのきのみを貰おうとしたら、ドオオオオンと凄まじい音がして崖からユキノオーが降ってきた。目を真っ赤にして怒っている。でかい。ぼくの何倍あるんだろう。

 こういう相手は先手必勝! 

 

「真空波っ!」

 

 掌底で圧しだした空気の弾をぶち当てる。

 だけどユキノオーはぐらつきもせず、ますます怒っただけだった。

 

「やばっ」

 

 ぼくは持ち前の素早さでジグザグに逃げた。まっすぐ走るよりもこっちの方が捕まえづらいのを、リオルたちとの鬼ごっこで学んでいた。

 

 ユキノオーは追いかけてこなかった。右手を大地に叩きつけると、まわりの草むらが一斉に伸びて、一気にぼくに襲ってきた! 

 "ねをはる"攻撃だ!

 これでこの範囲すべての植物はユキノオーのものになった。逃げてもすぐに居場所がバレるし、あっという間に捕まっちゃう。

 

 なら、倒すしかない! 

 

 180度回転して、草を掻き分けおもいっきり飛び上がった。両手を頭上で構えて、エネルギーを溜めていく。

 

 この技はほかのリオルたちは使えない。

 ぼくの秘密のサイキョー技だ。

 

 喰らえひっさつ! 

「はどうだんっ!」

 

 輝く光弾がユキノオーの顔面に直撃した! 

 

「グォオオオオ……っ!」

 

 大きな悲鳴、でもまだ倒れない。

 ぼくは着地を捨てて身体を捻り、けたぐりを脳天に叩きつけた! 

 ユキノオーは低く呻きながら、ズゥウウウウン……と重い地響きを立てて倒れていった。

 

 まわりの草が元に戻っていく。

 

「やった……よね?」

 大きなお腹を揺すぶってみたけど、ぴくりともしなかった。

 

 勝利のよろこびがじわじわ湧いてきて、ぼくは思いきり拳を突き上げた。

 

「勝ったー! 勝ったぞお!」

 

 雪の上ではしゃぎまくった。飛んで跳ねてダイブした。前転、倒立、宙返り! 

 

 うれしかった。こんなに大きなポケモンを倒したことがなかったから、めちゃくちゃうれしかった。

 あんまり喜びすぎていたから、そいつの気配に全く気づかなかったんだ。

 

「……へぇ。()()()を倒したか。やるなあお前」

 

「え……ぎっ!?」

 

 声がしたほうに振り向くより早く。ぼくの顔に蹴りがめりこんでいた。

 

 ぼくは小石のように吹っ飛んで、二、三回雪の上を跳ねてから白樺の木に衝突して止まった。

 手足が勝手にぴくぴくする。頭の中がぐるぐるして気持ち悪い。口の中に嫌な味が広がって、蹴られた方の瞼がちっとも開かなかった。

 

 痛い。いたい、いたい……! 

 

 勝手に涙がでてきてしまう。誰かがぼくの耳を引っ張って持ち上げた。

 やめて、ちぎれちゃう、痛いよ、はなして……! 

 

「あうう……!」

「くは。てんでガキじゃねえか」

 

 底の見えない黒い目がぼくを見つめている。

 細い腕、長い頭、分厚い唇。

 ──チャーレム……だっけ……

 頭の片隅に、名前がぼんやりと思い浮かんだ。

 

「オレの縄張りでギャーギャー騒ぐクソ野郎がいると思ったら……躾のなってねえこんなチビとはな……」

 

 ぶん、と振り回されて、草むらに叩きつけられた。左肩から鈍い音がして、腕が動かなくなった。

 

「お前みてえなゴミ、食いでもねぇけどよ。憂さ晴らしには丁度いいやな?」

 

 チャーレムの脚が振り上げられる。何も出来ないまま、瞼をぎゅっと閉じた。

 

 ガチィン! 

 

「……ぁあ?」

 

 鋼にぶつかる硬い音。チャーレムのイラついた舌打ち。

 そのあと聞こえてきた声に、ぼくの目からどっと涙が溢れた。

 

「うちのリオンに何してんのよ! あんた、絶対許さないんだからね!」

 

「……せんぱ、い……」

 

 クチート先輩の小さな背中が、ぼくにはとても大きく見えた。

 

 

 

 

 五

 

 (アギト)で受け止めた脚を振り払い、クチートは怒れる眼差しでチャーレムを睨めあげた。

 後ろに倒れているリオンは顔の半分が腫れあがり、腕が変な方向に捻じ曲がっていた。泣きながら気絶したのだろう、頬に流れる涙跡に、腸が熱く煮えくり返る。

 

「こんな小さな子に……あんた、サイテーよ!」

「……くっ」

 

 クチートの言葉にチャーレムは俯き、肩を震わせた。

 泣いている? ──違う。嘲笑っている。

 

「くくく……っ。なるほど……見ねぇ顔だと思ったら、テメェら"首輪つき"か……」

「……? なに、首輪つきって……」

「ッハハハハハハ!」

 

 額に手を当て、空に向かって哄笑する。その笑い声があまりに空虚で、クチートは背筋が粟立つのを感じた。

 

「……はァ……」

 

 笑い終えたチャーレムが指の間から視線を寄越す。なんの感情も見えない、氷のように冷たく荒みきった目つきだった。

 

「お可愛いこった……。小さくて弱い相手にはお優しくしろってか。雪ばっかでなんもねえ、こんな不毛な土地でよォ」

 

 チャーレムの拳に炎が宿る。

 一切の予備動作なく、燃える正拳突きが襲いかかった! 

 

「──っ!」

 

 鉄壁で顎を強化し、かろうじて防ぐ。貫通する灼熱に顔が歪んだ。

 間を置かず繰り出された上段蹴りを噛み砕いてやろうとしたが、途中で軌道をずらし、ローキックに変えてきた。反応できず、モロに軸足に受けてしまう。

 

(こいつ……っ……!)

 

 無事な方の脚で飛び退り、顎を開いて威嚇した。

 

 対峙した時から察しはついていたが、やはりこのチャーレム、恐ろしく強かった。

 重心の移動がひどく滑らかで、次にくるのが拳なのか蹴りなのかすら予測がつかない。しかも木の枝のように細い四肢のくせして、攻撃が岩のように重いのだ。

 観の眼も優れている。こちらの攻撃範囲、速度、威力を一目で見抜き、あるいはいなし、あるいは躱して、ダメージを軽減させていた。

 

「へえ? 後ろのカスよりはやれそうだな」

「っ、その減らず口、後悔させてやるわ!」

 

 とは言うものの、チャーレムの猛攻に追いつけず、クチートはあっという間に防戦一方に追いこまれた。

 

(……っ、……!!)

 

 攻撃を捨て、ひたすら鉄壁を積み、雨あられと降り注ぐ拳打を耐え凌ぐ。炎の拳(ほのおのパンチ)だけは防御を解いて避けざるをえないが、乱発してこないのが不幸中の幸いだった。

 もともとチャーレムは炎タイプではない。こちらの弱点をつけるとわかっていても多用しないのはおそらく、負担が大きすぎるからだ。過ぎた熱は己の拳すら焼いてしまうのだろう。

 

(まだよ……まだ……!)

 

 背後のリオンを庇いながら、クチートはじっと反撃の時を伺っていた。

 

「しぶてぇなあ、チビ」

 

 埒のあかない状況に業を煮やしたチャーレムがぐっと腰を落とした。片手を地面につけ、側転の要領で凶器のごとき膝を打ちつけて来る! 

 最大威力の飛び膝蹴り。クチートはこれを待っていた! 

 

 顎をぶくっと膨らませ、貯めに貯めていた土塊を一息に吐き出した! 

 

「なっ……!?」

 

 チャーレムが目を見開いた。至近距離の土砂だまり、不安定な姿勢で避けられるはずもない! 

 

 雪原に赤茶けた泥土が迸る! 

 吐き出した時間はわずか数秒、たったそれだけで、周囲の様相は一変した。

 草むらはみな土の下に埋まり、白銀の世界を侵す小さな泥沼が誕生している。濁流に押し流されたのか、チャーレムの姿はどこにもなかった。

 

「……は……っ、はっ……」

 

 クチートは地面に手をついて大きく喘いだ。限界まで貯めたものをいっぺんに放出するこの技は、体力を著しく消耗するのである。

 

「チビだからって……油断するから……そうなんのよ……」

 汗みずくの顔で不敵に笑った。

 

 少しずつ岩壁や地面の土を齧って蓄えていたのを気付かれずにいてよかった。

 チャーレムを吹っ飛ばすほどの大質量を貯められるかどうかがこの策戦の肝だったのだ。もしも企みがばれていたら、悠長に貯めるゆとりもなく一気に倒されていただろう。

 

「早く……ラニのもとへ……行かないとね……」

 

 リオンの酷い怪我もラナン(ラニ)なら治せる。無鉄砲で考えなしに動く困った子だけど、大事な仲間だ。絶対に助けてやりたかった。

 元気になったらたっぷり三時間はお説教してやろう。そう思い、立ち上がろうとした手が地面から離れなかった。

 

「え」

 

 両手が完全に凍りついている。……いや、手だけではない、膝も足も、大地に接している部分全てが氷漬けになっていた。

 

「なに、なんで……っ」

「──舐めてたぜ」

 

 横から掛けられた声に、クチートは息が止まった。

 

 なぜ、そこに。

 攻撃は、たしかに当たったはず……! 

 

 チャーレムの手がクチートの喉元を掴み、ゆっくりと持ち上げていく。指にこめられた万力のような力が、呼吸を完全に塞いでいた。

 

「あ……かっ……」

「まさかあんな技があるとはよォ。雑魚はザコなりに工夫するもんだな」

「ま、チャーレム(レム)が負けるわけないけどねェ♡」

 

 第三者の声。霞む目の端に、チャーレムにしなだれかかるマニューラの姿が映った。

 

「ねえ褒めてよレムぅ。アタシがこいつ凍らせたんだよォ」

「あー。んじゃお前にはこいつの内臓くれてやるよ。ガワは硬ぇが、中身は柔けえだろ」

「キャハァッ! それ最高ォ! 愛してるわレム!」

 

 耳障りな会話に文句のひとつもつけたかったが、もう指一本たりとも動かない。視界が明滅し、どんどん暗くなっていく。

 

(ごめん、リオン……まもれなか、た……)

 

 まだ三年しか生きていない、赤ちゃんみたいに小さくて手のかかる後輩。なにをしでかすか分からなくて、叱ってばかりいた。

 

 もうすこし、褒めてあげればよかった。

 せめて、あの子だけでもラニの元へ返したい。

 

 おねがい、だれか。

 だれか。

 あたしはどうでもいいの。

 だからおねがい、あの子を。

 

「た、……け、て」

 声にならない声に、間延びした返事が返った。

 

「まかせてえ」

 

 次の瞬間、チャーレムとマニューラが吹っ飛んだ。

 放り出されたクチートの身体を、柔らかな腕が抱きとめる。

 気道に流れる冷気に激しく咳きこんだ。

 

「お待たせしましたぁ。遅くなってごめんねえ、くぅちゃん」

「あ……」

 

 声の主を認めたクチートは、安堵の息を吐いた。

 茶色い毛皮、大きな垂れ耳、つぶらな瞳。

 おっとりした物言いや愛くるしい外見とは裏腹に、凄まじい戦闘力(バトルセンス)を持つ親友。

 

「みみぃちゃん、参上で〜す」

 

 ミミロップのミミィが、蕩けるような笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 

 六

 

「今度はなんだよ……ウザってぇ……」

 

 チャーレムがゆらりと立ち上がり、殺気を放ちながら半身を開いた。

 隣のマニューラはもっとダメージが深いようで、戦闘態勢(ファイティングポーズ)をとってはいるものの、両膝をガクガクさせている。

 

 ミミロップが小首を傾げた。

 

「あれえ? チャーレムくん、二度蹴りあんまり効いてなあい。タフだねえ」

「ミミィ、下ろして」

「だいじょうぶ〜?」

「平気よ、この程度」

 

 雪原に足をつけ、クチートは丹田に気合いをこめた。

 

「──ふっ!」

 

 全身に活力を漲らせ、はりついた氷を弾き飛ばす。心機一転、目の前の二体をしっかりと見据えた。

 彼我の距離、およそ十五メートル。相手の調子(コンディション)は掌を指すがごとくよく視えた。

 

「……チャーレムのほうは、自己再生使ってるわ。時間をかけるほどこっちが不利ね」

「回復技もちかあ。厄介だねえ」

「マニューラはこの中の誰よりも早いけど、いまは足にキてるから即応できないはずよ。まずは向こうから狙いましょ」

「うんうん! やっぱりくぅちゃんは凄いなあ。頼りになるう」

 

 そう言って、ミミロップはどこからともなく得物を取り出した。

 

 それは、ごく簡素化された二本のラッパに見えた。細い胴部を持ち、先端が平たく開いている。ラナンが彼女のために自作した、特別な戦杖(バトン)であった。

 

 二つのバトンを中央で繋ぎ合わせ、ひとつの長い棍棒に換える。両端に付けた赤と紫の珠が、禍々しい光を放っていた。

 

「チ……めんどくせえ……」

 珠の正体を看破したチャーレムが、小さく舌打ちした。

 

 あれは"火焔珠"と"毒々珠"……触れたものを火傷や猛毒にする危険な代物だ。自己再生でも状態異常までは治せない。

 おまけにこちらを蹴り飛ばした体捌き。正面切って戦うのは分が悪すぎる。

 チャーレムの判断は早かった。

 

「──退くぞ」

「……了解」

 

 マニューラが息も絶え絶えに頷く。

 しかし、ミミロップの大きな耳は、会話の全てを捉えていた。

 

「させないよお。りおん君とくぅちゃんに痛い思いさせたでしょ」

 

 脚に力を篭め、一足飛びに肉薄する。振りかぶった棍棒は正確にチャーレムの頭蓋をぶち抜く──はずだった。

 

「あれ?」

 

 だが、確実に当てられたはずの攻撃はなんの手応えも感じず、完全な空振りに終わった。

 

「なんで〜? 当てたと思ったのにい」

 

(まただ……)

 

 クチートが慄然とする。躱せるはずのない攻撃を躱された。離れて見ていたクチートには、チャーレムたちが一瞬で消えたようにしか見えなかった。

 

「おかしいなあ。どーやったんだろ〜」

 

 くるる、と棍棒を回転させながら、ミミロップが耳を澄ます。半径二百メートルまで聞き分けることのできる聴覚にも、チャーレムたちの気配は掴めなかった。

 

「……ひとまず、戻りましょう。リオンは重体よ、一刻も早く手当てしなくちゃ」

 

 粉雪が降り始めていた。空は暗く、重い雲に満ちている。すぐに吹雪になるだろう。

 

 彼らはどうやって雪や寒さを凌ぐのだろうか。

 首輪つき、と言われた言葉とあいまって、クチートの心には言いようのない気持ちが渦巻いていた。

 

 

 

 

 七

 

 地下の拠点でリオルを出迎えた時のラナンの驚きは、筆舌に尽くしがたかった。

 地下洞窟に出てくる野生の分布は調査済みだ。多少レベルの高い個体がいたとしても、手間取るようなことはなかったはずである。

 なのに目の前の小さな身体は至るところに深い傷を負い、呼吸も浅く、弱かった。

 

 慌てて応急処置を施し、携帯型回復マシンにボールを置いてクチートを見やった。彼女もまた、満身創痍だった。

 

「いったい、何がありましたの?」

「……"上"に行ったんです、その子。もうここには対等に戦えるポケモンがいないから、って」

 

 ラナンは絶句し、額を抑えた。

 リオンは好奇心旺盛な性格だ。新しいものが好きで、つねに刺激を求めている。そういう行動に出ることは予測がついたはずだのに。

 ボールに閉じこめておくのは可哀想だという安直な考えが、彼をこんな目に遭わせたのだ。

 

 ラナンは呻くように言った。

 

「……わたくしのミスですわ」

「違うわ!」

 

 クチートは急いで首を振った。リオンが考えなしに動いたせいだ。

 でも、それ以上に悪いのは……

 

「わ、わたし、気づいてたの……あの子が地上にあがるとこ……」

 

 胸の前で握りしめた手に、透明な粒が落ちていく。泣いちゃダメ、そう思うほど涙が溢れて止まらなかった。

 

「……ひっ……さ、さいきん、調子にのってたから……つよいポケモンに……ひくっ……やられて思い知ればいいって……だから……でも……こんな、こんなことになるなんて……っ」

 

 少し小突かれれば泣いて帰ってくるだろうと思った。そしたら叱って、手当てして、訓練に付き合ってあげようって。

 だけどまさか、あんな強いポケモンがいるなんて思わなかった。あとすこし迎えに行くのが遅かったら、リオンはいまごろ──……

 

 脳裏に広がる恐ろしい想像に、クチートは半狂乱になって泣きじゃくった。

 ラナンが黙って抱き寄せる。ミミロップも反対側から抱きしめた。

 

「……っとはやく、行ってあげてれば……ごめんなさい、ごめんなさい……!」

「あなたは悪くありませんわ、クゥ……なんにも悪くありませんことよ……」

「だいじょーぶ。大丈夫だよぉ。みみぃがよしよししてあげるからねえ」

 

 ふたりのぬくもりと慰めが、いまはむしろ、辛かった。

 

 

 

 

 八

 

 闇の中だった。目を開けても閉じても暗かった。

 伸びをすると、固いものに当たった。触るたび、こつんこつん、と音がする。

 

 こういうの、前にもあったなあ。

 そのときはどうしたんだっけ。

 ……ああそうだ。

 叩いて蹴って、割ったんだ。

 今回もそうしよう。できるかしら。

 やってみればわかるよね。

 

 手足をめちゃくちゃに振り回したら、突然パカっと割れた。

 今回は早いぞ。さすがぼくだな。

 

 でもそれは間違いだった。

 

「お目覚めですわね」

 

 大きいのが覗きこんでくる。ラナンだ。まわりを見ると、今回はタマゴの殻じゃなくて二つに割れたボールがあった。

 なんだ、ボールの中にいたんだ。するとぼくが自分で割ったんじゃなくて、ラナンが出してくれたんだな。

 

 ありがとう、と言いかけた言葉が途中で詰まった。ラナンが、見たことがないくらい怖い顔でぼくをじっと見つめていたから。

 

「ら、ラナン……?」

 

 ラナンは無言で立ち上がると、一言「来なさい」と言って向こうに行ってしまった。

 ぼくは駆け足でついていく。いつもならぼくの歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれるのに、今日はすごく速かった。

 

 ぼくらがいたのは地下洞窟じゃなくて、ポケモンセンターの中だった。綺麗な廊下を歩いていくと、大きなガラスで区切られた部屋があった。

 

「ご覧なさい」

 

 言われたとおり中を覗いたら、中央のベッドにクチート先輩が寝ていた。たくさんの管に繋がれている。シュー、コーって変な音がするのは、人工呼吸器の音だとラナンが説明した。

 

「先輩!」

 

 ぼくは叫んだ。どうして。なんで先輩があんな姿に? 

 

「あなたを庇って大怪我を負ったのです」

「え……」

 

 瞬きほどの時間をおいて、あの時の記憶がよみがえった。

 ユキカブリとユキノオーを倒したあと、突然やってきたチャーレム。凄く強くて、手も足も出なかった。

 もうダメだって時に先輩の声がして、それで──……

 

 それ以上は思い出せない。でもいまの先輩の姿を見たら、何が起こったのかはっきりと分かった。

 

「せんぱい……! せんぱいは助かるよね、そうだよね!?」

 

 ラナンはしゃがみこんで僕と目線を合わせると、ちいさく微笑んだ。

 そして、

 

 パァン! 

 

 白い掌で、僕の頬を引っぱたいた。

 

 あんまりびっくりして、はじめは痛くなかった。ラナンはいつでも優しくて、撫でたり抱きしめたりすることはあっても、ぼくたちに手を上げるようなことは絶対しない。

 

 だからほんとうに、びっくりしたんだ。

 

「怪我は、治りますわ」

 

 ラナンが言う。その声は微かに震えていた。

 

「ですが、すぐには起きれません。あなたを死なせかけた恐怖がトラウマとなり、精神(こころ)が強ばって目覚めるのを拒絶しているそうです」

 

 だんだん、ほっぺがじんじんしてきた。

 でもそれ以上に辛いのは、ラナンがぽろぽろ泣いていることだった。

 

「リオン。今回の件、非はわたくしにありますわ。

 化石に夢中になりすぎて、あなたの監督を怠った……。

 ……けれど……っ! 

 クチート(クゥ)をあそこまで追い詰めたのは、あなたの弱さが招いたことでしてよ!」

 

 ぼくも泣いていた。

 ほっぺと、心が、痛かった。

 

「覚えておきなさい、リオン。

 強さとは、強力な技が使えることでも、バトルで勝つことでもありません。

 己と大切なひとを傷つけないために、何をすべきで、何をすべきでないかを考え、選び取ることなのですわ。

 明確な答えがあるとは限りません。時にはふたつの答えを天秤にかける日もあるでしょう。意に沿わない答えに従わねばならないときもあります。

 ですが、そうやって迷い、苦しんだ時のために仲間がいるのですわ。

 今回あなたがやったことはただの無謀、それではたとえ勝ったとしても、強者とはいえませんでしてよ!」

 

 ラナンの言葉がざくざく突き刺さる。

 ぼくがもっと強ければ、先輩に痛い思いをさせずに済んだ。

 ぼくがもっと賢ければ、ラナンを泣かせずに済んだ。

 ぼくが弱くてばかだから、ふたりも悲しませてしまったんだ。

 

「ごめ、ごめんなさい……!」

 

 言葉がうまく出てこない。

 悔しい。

 悔しい! 

 ぼくのせいで、何も悪くない先輩を道連れにしてしまった。ただ敗ける以上の悔しさが、頭が痛くなるほどぼくを締めつける。

 

「……謝るのは、クゥが起きてからになさい」

 

 ラナンが白衣を翻す。

 涙を拭い、ビシッと指を突きつけた。

 

「敗北と失敗は糧とするもの! 

 明日から猛特訓を始めますわよ! 

 打倒チャーレム! リベンジマッチですわ!」

 

 ぼくは目元を擦り、大声で誓った。

 

「押忍!」

 

 

 

 

 九

 

 山は吹雪いていた。純白の世界に閉じ込められてもう三日が経つ。勢いが増すばかりで、晴れる気配は微塵もない。

 

 オレは、住処と決めて久しい洞の中で、ごつごつする岩肌に背を預け、虚ろな貌でぼんやり過ごしていた。

 膝に寝転ぶマニューラの頬を撫でるのはもはや手癖となっている。

 なにか意味や理由があるわけではない。

 他にすることがないだけだ。

 それでもこいつは嬉しそうに含み笑う。

 

「レム」

「あ?」

「一緒にいてね」

「……」

「ずっとよ」

 

 マニューラのいつもの囁き。オレが返事をしてもしなくても構わない。日に一度、太陽が昇って沈むがごとく、必ず口にするのだ。

 こんな言葉でかすかな安寧を得ている様が、どうしようもなく哀れだった。

 

「……」

 

 オレはむっつりと黙りこくったまま、そこいらの葉っぱを千切って作った巻き煙草を吸った。

 ゆらゆらと立ち昇る紫煙をぼうっと眺めやる。刻んで混ぜたメンタルハーブの効果はたちどころに現れ、なけなしの意識を輪郭も存在も曖昧な世界に連れていった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 すべてが歪む霧のなかに、クチートが出てきた。この前出逢ったチビだ……キツく奥歯を噛み締める。

 

 あのバトルには死ぬほど腹が立った。

 

 この山に来る連中はどいつもこいつも一発で戦意を失い倒れるようなカスばかりなのに、あのガキは何十発という拳撃を持ち堪えて、ドンピシャのタイミングで反撃してきやがった。

 鋼ごときが、生意気に。

 まるでオレの攻撃なんざ効かないと言いたげなツラで、じっと機を伺ってやがったんだ。

 

 最後のあの技……

()()()を使わなければ、最悪こっちが死んでいたかもしれねえ……

 

 ──死ぬ? 

 

 体がびくりと跳ねる。

 しまった。

 嫌な汗が噴き出す。

 ああちくしょう。

 トリップ中に余計なこと考えやがって。

 

 脂汗が一筋、顎を伝った。

 ハーブを吸っている間はあらゆる感覚が引き伸ばされ、拡大され、誇張される。

 最悪な記憶が、当時を超える生々しさで再生されはじめた……。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ぎゃあぎゃあ泣く声に振り向けば、そこにはタマゴから産まれたばかりのオレがいた。

 まだアサナンと呼ばれていた頃だ。

 

 オレを孵したニンゲンは、すぐ山に登り、野生のポケモンにバトルを仕掛けた。

 

 相手はリングマだった。

 

 デカい躰、鋭い爪。硬い毛皮に発達した筋肉。オレはそのとき、拳の握り方も知らなかったが、こいつが強いことだけはわかった。

 後ろで喚くニンゲンの指示に必死になって応えたよ。それ以外に戦う術を知らなかったからな。

 

 結果は惨敗だった。たった一度切り裂かれただけで、オレは血まみれになって転がった。

 ニンゲンがぼそりと吐いた一言が、大音量で響き渡る。

 

「よっわ。使えねえな、こいつ」

 

 瀕死の重傷で死にかけちゃいたが、耳だけは無事だったんだ。お陰でよおく聞こえたよ。目も鼻も、五体は全部ぐちゃぐちゃだったのにな。

 

 ニンゲンは他のポケモンでリングマを倒すと、そいつを捕獲してオレのことは捨てていった。

 

 死にたかった。そのまま居れば死ねたはずだ。

 だけど、山の主が助けた。

 

 

 主の名は、エルレイドといった。

 

 

 

 

 十

 

 エルレイドは慣れた手つきで介抱し、癒しの波動で傷を治してくれた。

 

「この山で誰かが死にかけるのは珍しいことじゃない。生きていれば手当てし、間に合わなかった時は弔う。それだけだよ」

 

 落ち着いた瞳でそう言った。どんな時も、凪いだ海のように静かに話すひとだった。

 

 そして、恐ろしく強かった。

 

 エルレイドの噂を聞きつけて登ってくるニンゲンを、彼は容赦なく叩きのめした。

 

「私に負けるような弱き者に仕える気は無いからね。きみが望むなら、戦い方を教えよう」

 

 オレは一も二もなく頷いた。

 このひとみたいになりたかった。

 

 毎日修行した。苦しいし辛かったが、それ以上にやり甲斐があった。日を追う事にメキメキと力をつけ、いつの間にか、オレは山で二番目に強いポケモンになっていた。

 

 

「きみはとても飲みこみがいいね。私と同じタイプだから、大抵の技を共通して覚えるのも面白い」

「なら、オレにも師匠(せんせい)と同じ戦法が使えるようになるでしょうか」

 

 オレがこのひとを師匠(せんせい)と呼ぶようになって、一年が過ぎていた。

 

 師匠が訊ねる。

「私の、なんの技を使えるようになりたいんだね?」

 

 オレは即答した。

「※※※※※です!」

 

 師匠はしばらく考えこみ、おもむろに答えた。

 

「それは確か、元々きみが覚えることはできない技だ。練習しても出来るようになる保証はない。……それでもやってみるかね?」

「はい!」

「わかった。頑張ってついておいで」

 

 彼は微笑んだ。

 滅多に感情を出さない師匠が二回だけ見せた、最初の微笑みだった。

 

 

 その修行は今までで最も過酷なものになった。

 体はいっさい動かさない。精神を極限まで集中させて、ぱっと発動する。たったこれだけなのに、それが死ぬほど難しかった。

 いざ発動しようとすると途端に集中力が途切れ、せっかく集めたエネルギーが散ってしまうんだ。

 研ぎ澄まして、試して、不発。毎日その繰り返しだった。

 

「だめだー!」

 

 通算千回目の失敗に嫌気がさして、とうとう寝転がった。珍しく、雲ひとつない青空がずうっと広がっている。

 

 師匠がそっと近づいてきた。

 

「諦めるかい?」

「諦めないっ!」

 

 オレはきっぱり言い張った。師匠のあの技が使えれば、もっともっと強くなれる。それこそ師匠を超えるのだって夢じゃない。

 これはもう、意地の勝負だった。

 

「千回試してダメだからって使えない証拠にはならないでしょ」

「そのとおり。いい心意気だ、アサナン。……む」

 

 師匠が首を巡らせた。

 

「どうしました?」

「……腕の立つ連中がこっちに向かっている」

 

 師匠は予知能力に優れていて、近い未来をほぼ完璧に見通すことが出来る。オレはがばっと起き上がり、いつものように着いていこうとした。

 

 けれどその日、師匠は頑として譲らなかった。

 

「巣に帰って、技を練習していなさい。いいね」

「……はい」

 

 三回同じことを言われ、オレは渋々踵を返した。

 

 あんなに晴れていた空が、少しずつ、けれど確実に曇りはじめていた。

 

 

 

 

 十一

 

 師匠と掘った洞穴に着いた途端、豪雨と稲妻が荒れ狂い、世界は真っ暗になった。

 間一髪だった。この山は雷が落ちやすい。のこのこ歩いていたら感電していただろう。

 

「師匠、いつ帰ってくるかな」

 

 強い連中って言ってたから、疲れて戻ってくるかもな。そしたらオボンの実があると嬉しいだろう。貯蔵庫を探したが、ちょうど昨日食べたのを思い出し、オレは溜息をついた。

 

 横殴りの雨は、大気が不安定なのか、弱くなったり強くなったりを繰り返している。

 弱くなったところを見計らえば、きのみぐらいサッと採って帰ってこれそうだ。

 

「よぉし……いまだっ」

 

 ぬかるんだ山道に飛び出す。毎日練り歩いているのに、嵐が吹くだけで知らない場所のようだった。

 

 

 滝のような雨で方向を見失ったオレは、どこをどう通ったのかニンゲンが使う登山道に来てしまった。

 

 こんな天気にも関わらず、ニンゲンたちが集団でうろついている。

 

 あいつらは嫌いだ。見てるだけで虫唾が走る。

 石でも投げて脅してやろうと屈んだ体が、ぴたりと止まった。

 

 

 ニンゲンたちの足の間から、倒れている師匠が見えた。

 

 

「こいつか、例のエルレイドは」

「そのようだ」

「個体値は」

「今調べる……チッ、三冠(3V)かよ」

「無駄骨か……六冠はなかなか居ないもんだな」

「弱ぇくせに手こずらせやがって」

 

 師匠の頭が踏んづけられた。そんなことをされてるのに、彼はピクリとも動かない。

 

 体の芯が急速に冷えていく。あれだけうるさかった雷雨の音がくぐもって聞こえた。

 

「……めろ」

 

「死にかけだが、連れて帰るか?」

「要らんだろ。荷物になるだけだ」

 

「やめろ……!」

 

「代わりのポケモン探すか?」

「噂じゃ強いアサナンがいるらしいが」

「はは、そいつこそ要らねえよ。まだコレのほうが使()()()だろ」

 

 がん、と師匠を蹴飛ばされて。

 それが、オレの理性にトドメを刺した。

 

 

「やめろォオオオオオ!!」

 

 

 自分でも何を言ってるか分からないほど喚き散らしながら、ニンゲンたちに殴りかかった。不意をつかれた馬鹿どもは手持ちを出す余裕もなく一撃で絶命していく。

 最後の輩が首をへし折られながらボールを開いたが、出てきたムクバードはオレと目が合った瞬間、奇声をあげて逃げていった。

 

 全員を血祭りにあげた耳に、かすかな呻き声が届いた。

 師匠の声だ、まだ生きてる! 

 

 そばに駆け寄り、跪いた。

 師匠は片目を開けてオレを見、震える手を伸ばした。

 頬に触れる彼の手は、雨よりも氷よりも冷たかった。

 

「……アサ、ナン……」

「喋らないで師匠! いますぐ手当てしますから!」

 

 オレは目いっぱいのエネルギーを両手にこめて、師匠の体に押しつけた。

 見よう見まねの癒しの波動。成功すればすぐに治るんだ、こんな、こんな傷ぐらい……! 

 

 でろ、でろ、出ろ! 

 

 だけどいたずらにエネルギーが流れるだけで、かすり傷ひとつ治ってはいかなかった。大切な血がどんどん流れていく。

 

 師匠が囁いた。

 普段の透き通った声色とは似ても似つかない、ざらざらした音だった。

 

「もういい……いいんだ……私はじゅうぶん生きたから……」

「嫌だ! オレとはまだほんのちょっとしか過ごしてないじゃないか! よくないよ、なにもよくないよ! 治すよ、絶対治すから、だから!」

 

 師匠は、がむしゃらに首を振るうオレに、ふっと笑いかけた。

 二度目の、そして、最後の微笑みだった。

 

「それよりも、なあ、アサナン……おまえ、とうとう物にしたな……」

「え……?」

「テレポート、使えるようになったじゃないか……」

 

 オレは呆然と師匠の顔を見つめた。

 激昂していて気づかなかったが、ニンゲンどもを攻撃したあのとき、無意識のうちに瞬間移動(テレポート)していたらしい。

 だから誰も反応できなかったんだ。

 

「すごいぞ……生まれてはじめて弟子をとったが……おまえは……」

 

 師匠の瞼が閉じていく。

 

「ししょ」

 

「……じま……ん、……の」

 

 力の抜けた手が、水溜まりに落ちた。

 もう、何度呼びかけても、師匠は答えてくれなかった。

 

 

 

 

「……」

 

 亡骸を抱いてぼうっとしているあいだに、迅雷がすぐそばの木を貫いた。真ん中から真っ二つに裂けた大木が、オレたちに向かって倒れてくる。

 

「…………」

 

 特別なことは、なにも要らなかった。ほんの少し、行きたい場所を思い描くだけ。

 それだけで、オレと師匠は巣に帰っていた。

 

 

「はは……」

 乾いた笑いが漏れる。

 

 

 なんだよ。

 こんなもんなのかよ。

 もっと早くモノにしてりゃ、オレは師匠を連れて帰れたんだ。そしたら治療も間に合って、あのひとを死なさずに済んだかもしれない。

 

 そもそもだ。オレがもっと強かったら、戦いに連れてって貰えたはずだ。

 あんな雑魚ども一瞬で蹴散らして、きのみでも頬張って昼寝できた。

 

 なんだ。

 オレが強ければ。

 たったそれだけで、丸くおさまる話だったんじゃねえか。

 

 

「はははは」

 

 

 でも、そうはならなかった。

 オレがダメなやつだから。

 オレが弱くて、使えないから。

 

 だから、師匠は死んだんだ! 

 

 

「はははははははは!」

 笑いが次から次へとこみ上げてくる。

 

 

 結局、オレを捨てたニンゲンは、なにも間違っちゃいなかったんだ。

 

 

 

「……にぃ……」

「……ぁ?」

 

 か細い鳴き声に、オレはやっと、師匠が小さなニューラを抱えていることに気づいた。

 ボロボロで、いまにも死にそうだった。

 たぶん、あのクソどもが師匠を誘き寄せるためにわざと痛めつけたんだろう。

 

「……お前は、死ぬなよ」

 

 オレは癒しの波動が使えない。こればっかりは何度練習しても出来なかった。

 だからそれ以外のあらゆる手段でニューラを生かした。

 

 きのみを口移しで食べさせ、体を拭き、抱いて温めた。

 

 

 

 数週間後。

 チャーレムに進化したオレは、名実ともに山の主になり、やってくるニンゲンを片っ端から倒して回った。

 本当は殺してやりたかったが、そうすると土に汚ぇ血が染みこんじまう。

 この山は師匠が眠る神聖な山だ。薄汚ぇ野郎どもで穢されるのはごめんだった。

 

 それ以上にオレが憎んだのは、ニンゲンなんかに従うポケモンたちだった。

 ボールなんかに入れられて、命令されて戦わされる。そんな生き方に疑問も屈辱も覚えないバカども。首輪をつけられて喜んでいる救いようのないアホが、師匠を殺したんだ。

 

 その事実が、どうしても、どうしても許せなかった。

 オレはそいつらを心の底から嫌悪し、二度と立てなくなるまで痛めつけた。

 

 

 師匠を主と慕っていたポケモンたちは、殺伐とした空気に耐えられず、次々に去っていった。

 反対に、ニンゲンを憎んだり、ニンゲンに恨みがあるヤツらが集まってきた。

 

 力のあるやつは競うように敵を倒した。オレもそのひとりだった。

 

 ニンゲンや首輪つきが情けなく命乞いし、降参している姿を見ている時だけは心が軽くなった。

 

 反対に、何もしない時間は苦痛でしかなかった。余計な事ばかり考えちまう。ハーブ入りの煙草を吸うと、頭がぼうっとして石ころみたいに寝転がれた。

 

 

 オレは強い。

 ムカつく奴らを全員倒せば、オレがいちばん強いんだ。

 何度も自分に言い聞かせ、昼夜を問わず戦い続けた。

 

 これでいい。

 これがポケモンのあるべき姿だ。

 

 

 もう、あんな思いは……二度と……

 

 

 ◇◇◇

 

 

「レム……? 起きたの?」

 

 マニューラが心配そうに覗きこんでいる。

 トリップから長いこと帰ってこないと、こいつはいつも泣きそうな顔をするんだ。

 

 オレは煙草を指先で弾くと、軽く頭を撫でてやった。

 

「メシでも獲りに行くか」

「……! うん、行こう!」

 

 マニューラが嬉しそうに目を輝かす。

 

 

 吹雪は、みぞれに変わっていた。

 

 

 

 

 

 十二

 

 あのバトルから五日。まだ先輩は目覚めない。

 

 毎日、朝起きたら先輩のそばに行って、いろんなことをお話する。

 ラナンが言うには、頷いたり相槌をうったりできないだけで、こっちの声はちゃんと聞こえているんだって。

 

「ですから、なるべく楽しい気持ちになるようなお話をしてくださいまし」

 

 ぼくは張り切って面白い話をたくさん喋った。

 ほとんどがリオルたちと鬼ごっこしたときの話とか、かくれんぼしたときの話ばっかりだけど、きっと面白いと思う。

 

 

 それが終わったら、ご飯の時間まで訓練をする。ミミロップのミミィ先輩と、杖術対素手の十本勝負だ。

 間合いが遠すぎてぼくの攻撃は当たらないし、ミミィさんの懐にも入れなくて、とにかく負けまくった。

 

「なぜ負けるのか、なぜ攻撃できないのか、ちゃんと考えなさいまし! 漫然と技を繰り出しても決して当たりませんわよ!」

 

 ラナンから厳しい言葉が飛ぶ。ぼくはずっと考えたけど、どうすればいいのか分からなくて、頭が爆発しそうだった。

 

「どうしたらいいと思う?」

 

 ミミィさんに聞いたら、うーんと唸って、

 

「ぐるんっ! てきたら、シャッ! てして、ズバーン! っていくのはどうかなあ〜」

 

 と答えてくれた。

 意味がわからなかった。

 自分で考えなきゃダメだ。

 

 

 午後はひたすら走りこんだ。走りまくって体力をつければ持久戦に持ちこめるし、ダメだった時でも逃げ足が速くなるから良いことずくめなんだって。

 

「勝負ってのは、結局最後に立ってるほうが勝ちなんですわよ」

「相手を倒した方じゃないの?」

「んっふっふ。まだまだ青いですわね、リオン」

 

 ラナンは意味深に笑った。

 これもよくわからなかった。

 修行すればするほど分からないことが増えていく。不思議だなあ、強くなるってこういうことなのかな。

 

 

 夜はまたミミィさんと模擬戦。今度はミミィさんも素手で戦うんだけど、こっちのほうが強かった。

 ミミィさんは体がすごく柔らかくて、ありえない体勢で避けたり、変な方向から蹴りが飛んできたりする。こっちでも負けまくった。

 

 僕はボロボロの体で寝転びながら思った。

 見てから反応するから遅いんだ。相手の動きが()()()()()()()()()ラクなのに……

 

「でも、そんなこと出来るわけないよね」

 

 それができたら苦労しないもんなあ。

 そう言うと、博士はいきなりビシィッ! とポーズを決めた。

 

「よくぞそこに気づきましたわね!」

「えっ?」

「相手の動きを動く前から感じ取る……リオン、あなたは、というよりあなたの種族は、そんな奇跡を可能とする唯一の種族なんでしてよ!」

「ええええぇえっ!」

 

 ぼくは驚いてのけぞった。仰け反りすぎて転がっちゃった。

 オムナイトの時みたいにウソをつかれたのかと思ったけど、ラナンは大真面目だった。

 

「ウソじゃありませんわよ。あなたのお顔の横に、黒いもふもふがついているでしょう? そこが、相手の波導を感じる器官……波導房なのですわ」

「ここ……で?」

 

 房を触ってみる。ラナンはもふもふというけれど、案外硬かった。

 

「でも、その、はどー? ってやつ、感じれたことないよ? はどうだんって技なら使えるけど……」

「それはあなたが波導のなんたるかを知らなかったからですわ。いまからみっっっっちり教えて差し上げますとも! 

 明日から訓練内容が一気に増えますわよ〜! 特訓はここからが本番ですわ! 

 さあ元気よく! えい、えい!」

「お、おーっ!」

 

 ラナンとふたり、元気よく声を張り上げた。

 

 

 

 

 ──二週間後。

 ぼくは先輩のお見舞いに行った。

 今日は、いつものお喋りはしない。もっと大事な話があるから。

 

 椅子に座って、先輩の顔を見つめた。

 人工呼吸器はとれたけど、まだ眠っている。

 夢の邪魔をしないように、小さい声で話しかけた。

 

「先輩。ぼくね、これからあいつのところに行ってくるよ。それでね、勝ってくる。

 勝ったら、まっさきに先輩におしえてあげるね」

 

 おまけで、おでこをなでなでしてあげた。起きてたら絶対怒られるけど、いまならその心配ないもんね。

 

 扉を開いて、これは大きな声で言った。

 

「いってきます!」

 

 

 

 

 

 十三

 

 山のふもとに着いたとき、あたりはしんと静まり返って、ぼくたちの他に動くものはなかった。

 

「すごい静か〜。だれもいないみたぁい」

 

 ミミィさんがつまらなそうにため息をつく。このひとは賑やかなのが好きらしい。

 

 初めて来た時は春の初めだったけど、修行のあいだに夏に変わりつつあった。

 

「緑が濃くなっていますわね……」

 

 ラナンが呟く。

 

 たしかに土の匂いが強かった。

 それでも、頂上には雪が厚く積もっている。ここの雪は一年を通してとけることがないんだって。不思議な山だ。

 

「わたくしもミミィもいますけれど、まずはリオン、あなたひとりで力を試してごらんなさい」

「押忍っ」

 

 しっかりと大地を踏みしめ、一歩ずつ登っていく。二合ほど歩いたあたりで、グライオンが飛び出してきた。

 

「ぐららら! こりゃまた随分ちびっちゃいのが来たでやんすねぇ! チャーレム様のお山だと知っての登山でやんすか? 

 ここはニンゲン立ち入り禁止、無理にはいるなら痛い目にあうでやんすよ〜」

「しってるよ。ぼくはそいつと戦いに来たんだ!」

 

 ぼくの発言に、グライオンはぽかんと目を丸くした。

 

「はぇ? あんたが、あの方と……? 

 い、いやいやいや! やめときなさいって! あんたまだ子供でしょォ!? あたら若い命を無駄遣いしなさんな!!」

「無駄じゃないし、ぼくが負けるって決めつけるのやめてよ。今度は勝つんだから!」

「こ、今度はって……あ、ちょ、ちょっとお!」

 

 横を通り抜け、先を急ぐ。チャーレムが居るのは六合目のあたり、まだあと二時間はかかる距離だ。

 

 グライオンはわぁわぁ言いながらついてきた。いわく、あのひとは本当に強いんだぞとか、マンムーやゴローニャを片手でひっくり返す剛力だとか、バンギラスと押し相撲をして勝ったとか、いろいろ武勇伝を並べ立てて、とにかく帰れの一点張りだった。

 

 ぼくがつんと無視する代わりに、ミミィさんが話を聞いてあげている。

 とうとう説得の材料がなくなったらしいグライオンはラナンに泣きついた。

 

「ねぇあんたトレーナーでしょお!? あんたからも言ってやってくださいよ! 

 こんなん無謀でやんす、自殺行為でやんす〜! 可哀想なリオルの死体がいっちょ上がり! ってなもんでやんすよぉ! 

 ……って、ニンゲンにあっしの言葉がわかるわけないか……」

 

 がっくりと肩を落とす。ラナンが明るい笑顔で慰めた。

 

「あら。無謀かどうかはやってみなくちゃ分かりませんわよ?」

「いやいやそれが分かってるから……

 ────ん? あんたいま、返事しなすったね? あっしの言葉わかるでやんすか?!」

「ふっ」

 

 ラナンは白衣を翻し、バァアン! と胸を反らせて高笑った。

 

「このわたくし、ラナンキュラスがポケモン語も解せないと思われるとは笑止千万! いっっっくらだってお喋りしてみせますわ! 余裕のよっちゃんお茶の子さいさいでしてよ〜っ! おーっほっほっほっほ!」

 

 山肌にぶつかった笑い声が、わんわんと響き渡る。すると、行く手を遮るようにボスゴドラが現れた。

 

「うるせえなあ……なんでニンゲンが入りこんでやがる……。おいグライオン! 見張りはどうしたぁ!」

「ひぃええ……あ、あっしはちゃんと見張ってたでやんす、このひとたちが無理やりぃ……」

「馬鹿野郎!」

 

 ボスゴドラの一喝で空気がビリビリ振動した。大きな声だなあ。

 

「入ってこねぇように妨害すんのもお前の仕事だろうが! 神聖な山がニンゲン臭くなっちまわぁ……おいそこの! 一歩でも前に出てみろ、俺様が容赦なくぶっ潰してやる!」

 

 最後のは僕に向けられた台詞だった。

 ラナンが一言だけ言う。

 

「──リオン」

「うん」

 

 頷き、ぼくは堂々と一歩進んだ。グライオンがひぃっと悲鳴をあげる。

 ボスゴドラがにぃいと口の端を吊り上げた。

 

「いい度胸だ……死になぁ!」

 

 ボスゴドラが天に向かって吠えると、そばの崖が崩れ、大きな岩が次々に降ってきた。岩石封じ、いや、岩雪崩かな。

 ぼくは静かに目を閉じ、息を整えた。

 

 胸の中はすごく穏やかだ。焦りも不安もない。

 肩をすとんと落として、意識を集中させた。

 

 頬を撫でる微妙な空気。

 ラナンたちの呼吸。

 ボスゴドラの怒り。

 グライオンの慌てた羽音。

 そして、落下してくる岩たち。

 

 ラナンから教わったことを思い出す。

 万物に宿る力の流れ。またの名を、波導。

 波導を読めば、動きがわかる。

 動きが分かれば、合わせるだけだ。

 逆らうな。疑うな。

 波導はつねに、揺るぎない真実を教えてくれる。

 

「……!」

 

 右に一歩、前に半歩。たったそれだけの移動で、ぼくは全ての岩を避けきった。

 

「な、にぃ!?」

 

 ボスゴドラが目を見開いた。感情は集中を乱し、波導を素直に伝えてしまう。

 彼はあと二秒動けない。

 両膝をぐっと曲げ、高く跳躍した。

 敵を正面から見据える。

 おもいきり引いた右掌を、無防備な眉間に叩きつけた! 

 

「発勁ッ!」

 

 頭のてっぺんから足の先まで、ぼくのパワーが駆け抜ける! 

 ボスゴドラが稲妻に打たれたように硬直し、ぐるんと白目を剥いた。そのまま仰向けに倒れていく。大きな土煙が舞い上がった。

 

 グライオンがそぉっと飛んできて、しっぽの先でつついても、ボスゴドラは気絶したままだった。

 

「麻痺も入ったから、意識が戻ってもすぐには動けないよ」

 

 グライオンはボスゴドラを見、ぼくを見て、またボスゴドラを見やった。

 そのあと、顔中を輝かせてぼくに抱きついてきた。

 

「わあっ、なんだよびっくりするなあ!」

「すごい、すごいっ、凄すぎるでやんす〜! このお方、山のナンバースリーでやんすよぉ! そんなつよつよポケモンを一撃で倒すなんて、さてはあんたのトレーナー、チャンピオン(王様)でやんすねえ!?」

「ちがうよ、ラナンはただの変なひと!」

「博士でしてよ〜っ!」

 

 後ろからなんかツッコみが入ったけど、大したことじゃないから放っておく。

 

「どっちでもいいでやんす! ささ、足元に気をつけてくださいよぉ。チャーレム様の元へはまだまだかかるでやんすからねえ」

「え? ついてくんの? 見張りの仕事は?」

「そんなもん! ほかのやつにやらせりゃいいんでやんすよ! 

 あっし自身は喧嘩なんてからっきしですが、見るのは三度の飯より好きなんでやんす! 一世一代の大勝負が見れそうで、もうワクワクが止まらないんでやんすよぉ!」

 

 

 興奮しきったグライオンにずいずいと押されて、ぼくたちはそのまま進んでいった。

 

 

 

 中腹に差し掛かると、草むらが茂る広場に出た。ここだ。ぼくがチャーレムにボコボコにされた場所。

 あのときよりぐっと減ってるけど、雪はまだところどころに残ってた。

 

 見えるところには、だれもいない。

 けど、岩陰や木の後ろに隠れてこっちを窺っているポケモンたちがいるのは、波導を探らなくてもわかった。

 

 広場の中央まで歩いてから、すぅーっと息を吸いこんだ。

 

 

「チャーレムぅうう! 来たぞぉおお!!!! ぼくと勝負しろぉおおお!!」

 

 

 全力の大声で呼びかけた。ボスゴドラのおじさんと同じくらいでっかく叫べたかな。

 

 風が吹き抜けていく。梢の揺れがおさまった時、待ちに待った影が現れた。

 

「……わざわざ死にに来たかよ。雑魚野郎」

「そうじゃないってことを、いまから見せてやる」

 

 チャーレムは煙草をふかしながら、嘲るような目でぼくを見た。

 

 

 

 

 

 十四

 

 ぼくたちは向かい合った。

 どちらも何も言わないまま、時間だけが過ぎていく。

 

 ──不意に、チャーレムが足を浮かせた。

 たった一歩、右にずれる。

 ぼくも、合わせるように右に動いた。

 

 また一歩。

 こっちも一歩。

 

 合わせ鏡のように同じ動きを繰り返し、半円分移動したあたりで立ち止まった。ちょうど最初の立ち位置が逆転した形だ。

 

 チャーレムの片膝が少しだけ曲がり──……

 次の瞬間。

 音速の飛び膝蹴りが、目の前に迫っていた! 

 

「──っ」

 

 上体を反らし、勢いに乗って後転する。振り上げた脚で真空波を飛ばした。大技直後なら当たるだろうと思ったのに、チャーレムの両目から放たれたサイケ光線に、技も目論見もやすやすと打ち消された。

 

 着地したチャーレムがニヤリと笑って掻き消えた。音もなく背後に現れて、メガトンパンチをお見舞してくる。

 ぼくは弾かれたように前に飛んで躱した。奴の拳は、背中の毛を掠っただけだ。当然ダメージなんかない。

 

 腕が伸びきったところを見計らい、地面を蹴って距離を詰める。

 

「発勁ぃっ!」

「チッ」

 

 直撃スレスレのところで手首を叩いて防がれた。なら! 

 

「波導弾っ!」

 ゼロ距離で光弾を炸裂させる。一発、二発、ダメ押しでもう一発入れてから、電光石火で後ろに飛び、構えなおした。

 

 鼓動が早い。

 息が上がる。

 それは、緊張のせいばかりでもなかった。

 

(通じてる……! ちゃんと波導が読めるぞ! 戦える……! 勝てる……!)

 

 わけも分からないまま一方的に殴られていた頃とは違う。確かな手応えを感じて身震いした。

 

 煙を切り払いながら、チャーレムが歩みでた。流石に無傷とはいかなかったようで、左腕から血が垂れている。

 

「雑魚のわりにやるじゃねえか」

「どーも! そっちこそ、雑魚相手に手こずりすぎじゃない?」

 

 まだまだこんなもんじゃない。

 こてんぱんに叩きのめして、クチート先輩にごめんなさいさせてやる! 

 

「くくっ……言うねえクソガキ」

 

 新しく火をつけた煙草を胸いっぱいに吸いこみ、濃い白煙を吐き出した。独特の匂いにラナンが顔をしかめる。

 

「波導が読めるようになったのがそんなに嬉しいか?」

 

 ぎくりとした。

 

「知ってんの。波導のこと」

「そこそこ有名だからな。まあ……」

 

 チャーレムの構えが変わる。背筋を伸ばし、頭上で両手を交差させ、印を結んだ。

 

「そんなモン、オレの前じゃなんの意味もねえけどな」

 

 ゆらり、と腕を揺らめかす。揺らめきは全身に伝わり、陽炎のような踊りに変化した。

 

 なんだあれ? なにしてんだろう? 

 波導で探ろうとした瞬間、突然ぼくの世界が()()()

 

「? っ、うあ……っ!?」

 

 世界が独楽になったのかと思うぐらい、高速で渦巻きはじめたんだ。

 上下左右の感覚が壊れて、必死で目の前の草にしがみつく。

 地面に転がっても酷い眩暈が襲ってきて、ぼくはパニックになった。

 遠くから、近くから、チャーレムの声が響いてくる。

 

「最悪の気分だろ? お前ンなかの波導をぐちゃぐちゃに掻き乱してやったからな」

「波導を……みだす……っ?」

 

 なんだそれ。そんなことができるのか……? 

 

 ちらりと視線を走らせると、チャーレムの姿が粉々に千切れ、欠片の分だけ分身が増えていくところだった。

 ぐにゃぐにゃと歪み、伸び縮みし、ちっとも一定の形に留まることがない。

 

「念波っつってな。目には見えねぇ思念の力さ。エスパーなら誰でも扱える初歩的なモンだが、オレは少々こいつの操作が得意でね。お前の感覚をちょいと乱してやったんだよ。

 お前らは目と波導の二つで世界を見透かすんだろ? そのどっちも壊された気分はどうだ。処理が追いつかなくて頭が割れそうだろ?」

 

「あぐぅううう……っ!」

 

 チャーレムの言う通りだった。

 頭の中がチカチカする。瞼を閉じても勝手にめちゃくちゃな情報が流れてきて、とても集中していられない! 

 

「リオンっ!」

 

 ラナンの焦った声と、ぼくの鳩尾に掌底が添えられるのはほぼ同時だった。

 

「──発勁」

 

 掌を起点に、鉄球が猛スピードでぶつかってきたような衝撃が駆け抜ける。

 

「がっ!」

 同じ技でもぼくとは桁違いの威力だ。

 手足がちぎれてバラバラになりそうだった。

 

 気を失いかけたところを、力いっぱい蹴りあげられる。

 空中でチャーレムの姿が点滅した。連続瞬間移動だと理解するより早く、全方位から滅多打ちにされ、雪の上に叩き落とされた。

 

「げ、ぅ……っ。ぁ……がはっ……!」

 

 目の前の雪に赤い花が咲く。

 ──ちがう。これは、ぼくが吐いた血だ。

 

 波導をいじくられて、おまけに瞬間移動とか。

 ずるいよ、そんなの。強すぎるじゃん。

 

 痛すぎて、痛いとしか考えられない。

 

 

 ……でも。じゃあ、()()()()……

 

 

「死ね」

 

 踵落としが降ってくる。寸でのところで意識が回復し、横に転んで回避した。

 

 血反吐を吐き捨て、かなう限り呼吸を落ち着かせた。

 自分の息がうるさい。手が鉛みたいに重かった。

 

 だけど、この戦いに"参った"はない。絶対に、決着をつけなきゃいけないんだ。

 

 あの最悪な眩暈は治まっていた。

 たぶん、攻撃と念波を同時には使えないんだろう。

 

 なら、もう一度だけ探ってみよう。

 さっき感じた、あの違和感の正体を。

 

 目を閉じ、意識を集中する。

 チャーレムから流れる波導をひとつひとつ手繰り寄せた。

 

 

 ……()()()()()

 

 

 波導房に伝わる、この場に有り得るはずのない感情。ごくかすかな量しかないし、すぐに消えてしまうけれど、確かにチャーレムから発せられている。

 

 最初は気のせいだと思った。次に思い違いだと考えた。ぼくが未熟だから、他の誰かの気持ちを拾ってしまってるんだろうって。

 

 けれど波導を教わった時、ラナンはこう言っていた。

 

 

『波導はつねに、真実を映す鏡でしてよ。波導で見えたことがこの世の真理。それを疑ってはなりませんわ』

 

 

 ……それがほんとうなら、このひとは……

 

 

 

 

 

 十五

 

 グライオンは心臓が張り裂けそうだった。

 名勝負が見れるかも、なんて呑気に浮かれていた自分を殴りたい。目の前で行われているのはバトルじゃない。圧倒的強者による嬲り殺しだった。

 

 チャーレムがヨガのポーズ──リオルにはヘンテコな踊りにしか見えなかったろうが──を取ってからというもの、動作のキレと破壊力が一段と増し、リオルはひたすら殴られ続けている。何発か奇跡的に回避できているが、最初の素早さは影も形もなく、どんどん痛手を負っていった。

 

 たまらず隣のニンゲンをつつく。

 

「ね、ねえ! もう降参しましょうよお! 見てられませんよ、あんなの!」

 

 グライオンの懇願を、ラナンはばっさりと切り捨てた。

 

「やめるかどうかはあの子が決めることですわ」

「いや、もうそんなこと言ってる場合じゃないでやんす! このままじゃ死んじまいますよ! あんた、あの子を見殺しにする気でやんすか!?」

 

 殺し文句を言ったと思った。リオルもミミロップも、このトレーナーにいたく信頼を寄せている。そんな出来たニンゲンならば、耳を傾けてくれるだろうと。

 

 だが、返事はどこまでも冷淡なものだった。

 

「──あの子が選んだ道なら、それも仕方ありませんわね」

「……は……?」

 

 しかたない? 

 あまりにも情のない言葉に、聞き間違えたかと思った。

 

「じょ、冗談でしょう?」

 念を押すものの、飄々とした横顔はこゆるぎもしない。グライオンは激怒した。

 

「あ、あんた! それでもトレーナーですかい! やっぱりニンゲンは屑だ、ポケモンの命なんてなんとも思っちゃねえんでしょう! ニンゲンにもいいヤツがいると思ったあっしが間違ってたんだ! 

 出てけ! この山から出てけぇ!」

 

 いきりたち、振り上げたハサミを、ミミロップのバトンが止めた。

 

「だめだよお、グライオンくん。みみぃの大事なひとに乱暴したら」

「ミミロップの姐御……どうして……! そんなやつ庇うこたねえでやんしょ!?」

 

 ミミィは微笑みながら首を振った。

 

 ラナンは一見、目の前の仕合とも私刑ともつかない戦いを平然と眺めているように見えるだろう。

 

 しかし、よく見れば己の腕を白衣にシワが寄るほど握りしめているし、唇は噛みしめすぎて真っ赤だ。

 

 リオンが死んでもいいなんて思っているわけが無い。

 いまだって、心配で心配でたまらないのだ。

 止められるものなら止めてやりたい。

 だけど、当の本人がまだ諦めていないのだ。

 ボロボロになりながらも、いまだ闘志を燃やしている。

 

 ならば待つ。リオンが勝つことを信じて。それがラナンの、トレーナーとしての覚悟だった。

 

「リオンくんはだいじょーぶ。だから待とう、ね?」

 

「姐さん……」

 

 グライオンも何かを感じとったのか、ハサミを引っ込め、口を噤んだ。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ──なんなんだ、コイツは。

 

 拳を振るい、膝を打ちつけ、蹴りつける。何度攻撃したか数えるのも馬鹿らしいほど攻撃して、とっくに限界を迎えているはずなのに、目の前のチビは立ち上がることを止めない。

 

「しつけえ……!」

 

 ローキックで足下を払う。避けもせず無様に倒れた。

 避けれないんだろう。それだけの気力体力もねぇんだろう。

 なのに何故。

 

「なんで立てるんだよ……!?」

 

 こいつは必ず、立ち上がるんだ。フラフラと頼りない足取りで、それでもちゃんと、真っ直ぐに。

 

 なんでだ。

 なんで立ち上がれるんだ。

 敵わないのがわかったろう。力量差も思い知った筈だ。

 お前が勝てる見込みは万に一つもない。

 じゃあ、どうして。

 何を求めて、オレに向かってくるんだよ! 

 

「弱ぇクセに、諦めも悪ぃのか!」

 

 がむしゃらに殴り掛かる。クソチビはしばらく打たれるがままだったが、不意に右手を持ち上げると、とん、とオレの右拳を受け止めた。

 

 同じ流れで左拳も受け止める。腫れ上がった瞼の奥から、落ち着き払った瞳でオレを見つめた。

 

 オレは息を飲んだ。

 

 その目は、──その目は、気味が悪いくらい師匠に似ていた。

 

「てめぇ、なんのつもり……」

 

 チビは言った。

 誰もが、予想だにしなかった一言を。

 

 

「あなたは、すごく苦しんできたんだね」────と。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 チャーレムの顔が引き攣った。それはウソがバレた時の貌にとてもよく似ていたから、ぼくは、ああ、と思った。

 

 このひとも自分の苦しみに気づいてたんだ。だけど見えないふりをして、自分を騙し続けてきた。

 何年も、何年も。もしかしたら、ぼくが生きてきた年よりも長い間、ずっと。

 

 彼の波導を探るたび、ぼくはいつも泣きたくなったんだ。

 波導を読むとは力の流れを知り、意識を合わせることだから、強い感情があると引っ張られちゃうことがある。

 

 絶対に負けられない戦いの最中だっていうのに、一度それに気づくと気になって仕方なかった。

 

 だからぼくは、いったん戦うことを手放して、彼の波導を読むことに全力を注いだんだ。

 

 そしたら、チャーレムの苦しみや辛さがどっと流れこんできた。

 

 彼はぼくを殴る以上に"誰か"を殴っていた。

 彼が吐く言葉は全部、その"誰か"に宛てたものだった。

 

 それって、誰なんだろう? 

 

 どうしても知りたくて、もっと深く潜ることにした。溢れる波導に逆らうことなく、奥へ奥へと。

 

 海のように深い波導の底で、小さく踞る影を見つけた。

 

 

 影は泣いていた。

 誰も聞く人はいないのに、自分の腕を噛んで声を押し殺していた。

 

 そばにいって、隣に座った。

 

「きみはだれ?」

 

 影は怯えたように肩を竦ませた。よく見ると、背中に酷い傷があった。大きなポケモンに切り裂かれたような痕だ。

 

「ぼくはきみを攻撃しないよ。話がしたいだけなんだ」

 

 しばらく黙ってから、影は名前を教えてくれた。

 

 

 

 彼は、アサナンといった。

 

 

 

 

 

 十六

 

「あなたの中のアサナンと話したんだ。波導を読むたび、悲しい気持ちがほんの少しだけど混じっているのが気になったから」

 

 チャーレムの喉がひゅうと鳴った。

 不気味なものを見る目でぼくを見ている。

 拳を引こうとするから、しっかり握りしめた。ここは絶対に離しちゃいけないんだ。

 

「昔のあなたになにがあったか聞いたよ。ニンゲンが嫌いになった理由もわかった」

 

「……やめろ」

 掠れた声で呟く。

 なんにも怖くない。ぼくは続けた。

 

「あなたがいちばん嫌いなのは、ニンゲンでも()()()()でもない。

 トレーナーに愛されなくて、大切なひとを守れなかった弱い自分なんだろ」

 

「……っ!」

 

 チャーレムの前蹴りがお腹に当たり、体がくの字に折れた。

 もちろん痛い。

 けど、アサナンを知ってしまったいま、蹴られた痛みなんかちっぽけなものだった。

 

 

 辛かったろうな。

 生まれてすぐに捨てられて、愛してくれた人を目の前で亡くして。

 死んじゃいたいほど悲しいのに、彼はいつも、慰めてくれるひとがいなかったんだ。

 だからアサナンは、慰め方を知らないまま、大人になって。

 胸の中に燻り続ける恐怖を、強くなることで振り切ろうとしたんだ。

 

 

 それはきっと、底なし沼に入るようなものだろう。いつまで経っても終わりはなく、もどかしい苦しみが続くだけ。

 ずっと強くあれる人なんかいないんだ。こんなに強いチャーレムだって、きっといつか負ける日がくる。

 負けたら、彼は価値がないのか。

 負けるような弱いポケモンは、死ななきゃいけないのか。

 

 

 そんなこと、あるわけないだろう! 

 

 

 チャーレムの足をひっかけて転ばし、胸ぐらを掴んだ。

 

「あんたが倒れない敵(ぼく)にイラつくのは、自分は本当は弱いんだって恐怖に取り憑かれているからだ! 

 敗けた自分に価値はないって思いこんでるからだ! 

 そんなことはないって証明してやるよ! 

 だから! 今日ここで! ぼくに負けてみろ!」

 

 抗おうとするチャーレムの腕をがっしりと握る。

 ボロボロのいまだから使える技。

 全身全霊をこめて解き放つ! 

 

 

「起死回生!」

 気合い一閃、持てる力を振り絞って背負い投げた! 

 

 

 ふたりとも雪の上に倒れこむ。

 息をするのも辛かった。もう瞬きだってしたくない。

 だけどまだ、ぼくには大きな仕事が残っていた。

 

 力が抜けそうになる膝を叱りつけ、ゆっくりゆっくりと立ち上がる。

 

 

「……」

 

 チャーレムはまだ動かなかった。

 ダメージは小さくはないだろう。

 だけど、立ち上がれないほどでもないのは、波導を読まなくたってわかった。

 

 それでも、チャーレムは起きなかった。

 仰向けに転がったまま、腕で目元を隠して小刻みに震えている。

 

「……レム!」

 

 どこからか現れたマニューラが、泣きながらチャーレムに抱きついた。

 

 

 

 

 ──勝敗は、ここに決した。

 

 

 

 

 

 

 十七

 

 隠れて成り行きを見ていた山の住民たちは、自分たちのリーダーが負けたことに驚き、かなり戸惑っていた。

 

 まさか負けるなんて。

 これからどうすればいいんだろう。

 次のリーダーは誰になるのか。

 そうした不安がぎこちない雰囲気を生んでいる。

 このままじゃ話もろくに出来ないので、顔を見せてもらうことにした。

 

「──グライオン。みんなに出てきてもらうよう言ってくれないかな」

「おやすい御用でやんす。……おおい、でてきてくんな皆の衆! 大丈夫、このひとたちゃ怖くないでやんすよぉ!」

 

 すると、びっくりするくらいたくさんのポケモンが現れた。

 ゴマゾウ、ハッサム、ツンベアー、ベロベルト、ゴンベ、ふつうのロコンにアローラのロコン。ドロバンコ、クサイハナ、ドードリオ……ここには書ききれないぐらいたくさんのポケモンがぼくたちを囲んだ。

 

 みんな、ぼくのそばにいるニンゲン──ラナンを遠巻きに眺めている。

 チャーレムがニンゲン嫌いばかりを集めたのか、それとも勝手に集まったのか分からないけど、視線はかなりトゲトゲしい。

 

 だけどラナンは全く気にすることなく、ぼくに手当てをしてくれた。

 そのまま当たり前のようにチャーレムに近づこうとするので、グライオンが泡を食って制止する。

 

「まーった待った待った! あんた、一体何をするおつもりで?」

「決まってますわ。激闘を終えた戦士の傷を癒すんですのよ」

「要らないわよ、ニンゲンの手なんか」

 

 マニューラが吐き捨てた。目をきつく吊り上げ、全身の毛を逆立てて威嚇している。

 

「レムは自己再生使えんのよ。ケガなんかあっという間に治すんだから!」

「ケガは、そうでしょうね。ですがあなた、チャーレムの躰を蝕んでいる毒は、自己再生じゃ回復しませんことよ」

「ど、毒……?」

 

 マニューラが後退(あとじさ)った。

 

「リオルが毒を打ちこんだっての!?」

「いいえ。毒を飲んだのは彼自身ですわ。……この煙草、中身をご存知?」

 

 ラナンが短くなった吸いさしを差し出す。

 マニューラははっと胸をおさえた。

 

「それ……レムの……」

「ええ。彼が投げたものを拾ったんですの。おそらくですが、何種類かの薬草を混ぜていますわね? 

 メンタルハーブにパワフルハーブ……他にもいろいろなものを」

「そ、それは……」

「なぜこんなものを吸っているか、理由は問いませんわ。けれど、これはあまりにも毒性が強すぎますの。毎日のように吸っていれば、遠くない未来、その方は死にましてよ」

 

 マニューラの顔が一気に青ざめた。

 

「死ぬって、そんな……嘘でしょ!?」

 

 ラナンは沈黙した。それがなにより雄弁な答えだった。

 

「──死なせたくありませんのね?」

「当たり前よ! 世界でいちばん大事なひとなのよ!」

「なら、わたくしの島へいらっしゃい。禁煙し、きちんと治療して体内の毒素を抜けば、長生きする見込みは充分にありましてよ」

「……そいつぁ聞き捨てならねえなあ」

 

 ずしん、と大地をふるわせて、一頭のドラピオンが前に出た。グライオンがひぃいと縮こまる。

 

「山のナンバーツーでやんす……! いっつもチャーレムさんを蹴落とそうとしてるお方でやんすよ」

 

「俺らはリーダーの"ニンゲン嫌い"に賛同してここに来たんだ。それがニンゲンの島に行くだぁ? あまつさえ治療を受けるだと? そんな奴ァもうリーダーでもなんでもねえ! とっとと山を降りてどこへなりと失せな! そうすりゃ今日から俺様の天下だぜ!」

「〜〜っ、黙って聞いてりゃ調子にのりやがって……っ!」

 

 食ってかかろうとしたマニューラを、チャーレムの細い腕が止めた。上体を起こし、気だるげな眼差しでドラピオンを見上げている。

 

「──天下、か」

 

 チャーレムは笑った。自嘲するような笑みだった。

 

「こんなちぃせえ山のてっぺん取って、いい気になってたんだよな。ククク……っ」

「……あぁ? 何が言いてえ」

「なにも。ただ、オレもお前も大バカだって言ってるだけさ」

「なんだとぉ!?」

 

 ぎらりと光る爪がチャーレムの喉元に迫る。ぼくとミミィさんが止めるより早く、がっきと遮る影があった。

 

「あ……」

 

 ぼくはあんぐりした。

 頭から生えた大きな(アギト)で、ドラピオンの毒爪に噛みつくその勇ましさ。

 背はぼくより小さいのに、ずっと大きく見える背中。

 凛とした声が、涙が出るほど懐かしい。

 

 

「全く。怪我人相手に不意討ちって、恥ずかしくないの?」

 

 

 クチート先輩が、そこにいた。

 

 

 

 

 

 十八

 

「な、なんだテメェ! 離しやがれ!」

「はいはい。そんな喚かなくても大丈夫よ」

 

 先輩はちゃんと離してあげた。ただし、思いっきり振り回したあとで、だけど。

 ドラピオンはうわぁああああ……と叫びながら崖の下に落ちていった。

 

 ナンバーツーって言ってたけど、チャーレム(ナンバーワン)との間には物凄く大きな差があるんだろうな。

 

「先輩!」

「リオン」

 

 先輩がにこにこしながら歩いてくる。

 元気になったんですね、おめでとうございます! って言おうとしたら、頭に特大の拳骨を喰らった。

 

「いっでぇええええ!」

「当たり前よ、痛くしたんだから! まったくあんたはいっつも考えなしに突っ走って! ひとの迷惑なんか見向きもしない! 目が覚めたらお説教してやろうと思ってたのよ、まずは軽く三時間コースね!」

「うわぁああああん! ごめんなさぃいいい!」

「待ちなさいこらぁ!」

 

 逃げるぼくを先輩が追う。

 まわりのポケモンは呆気にとられていたけど、だんだん笑いが起きて、最後には「逃げ切れー!」とか「捕まえろー!」って声援まで飛んできた。

 

 だからぼくは、いちばん近くにいたグライオンにタッチした。

 

「はい、君も逃げないと先輩に叱られるよ!」

「げげ〜っ!? とんだとばっちりでやんす〜!」

 

 慌てて羽ばたく。ぼくは次々にタッチして、みんな叱られ仲間にしちゃった。きゃあきゃあ笑って逃げていく。

 

 すると、先輩もタッチしはじめた。

「一緒に説教してくれるひと募集中よ! あの生意気リオルをとっちめてやりましょ!」

 みんなノリノリで追いかけてきた。

 

 そんな感じで、最終的にすごく大勢での鬼ごっこが始まった。

 やっぱ鬼ごっこはこうでなくちゃね。見てるだけなんて、つまらないでしょ? 

 

 

 ◇◇◇

 

 

「みんな楽しそぉ。みみぃも行くう」

 

 ミミロップが朗らかに走っていく。広場にはチャーレムとマニューラ、そしてラナンだけが残された。

 

 チャーレムが問う。

 

「オレを治して、その後どうする」

「どうもしませんわ」

 

 ラナンの答えは明快だった。

 

「治療が済むまでは一緒に居ていただきますけれど、その後はあなたの自由ですわよ」

 

 マニューラが首を傾げる。

 

「このひとが欲しいから連れてくんじゃないの?」

「──ふっ」

 

 ラナンは立ち上がり、バサァっ! と白衣を翻した。

 

「たしかにあなたはとっっっっても魅力的でしてよ! テレポートを使えるチャーレムなんて世界ひろしといえども貴方くらいのものでしょう。

 で・す・が! わたくし自慢ですけれど、ポケモンを無理やり仲間に引き入れたことは未だかつてありませんのよ! 

 留まるも自由! 出ていくも自由! 

 あるがままに生きる! それがわたくしラナンキュラスの座右の銘(生き様)ですわ〜! おーっほっほっほ!」

 

 マニューラたちは目を丸くした。色々な意味で、見たことのないニンゲンだった。

 

「……どうする? あたしは、レムが元気な体になれるなら、その方が嬉しい」

 

 チャーレムは口を噤んだ。目を瞑り、吹きすぎる風に身を任す。

 気持ちのいい風だった。

 煙草がなくとも、穏やかな心になれたのはいつぶりだろうか。

 いつも何となく死にたくなっていた気持ちが、すっかりどこかに失せている。

 

 ──もうすこし、生きてもいいかもしれない。

 

 

「……行くか」

 

 

 マニューラが再び抱きつく。

 空は、どこまでも晴れ渡っていた。

 




読了したみなさま、お疲れ様でした。
さぞ長かったかと思います。
少しでも楽しんでいただけていたら感無量です。

今回の話は活動報告にてもう少し詳しい後書きを書こうかとおもってます。
ご興味ありましたら、そちらも覗いてみてください。

感想、評価いつも本当にありがとうございます。
誇張抜きで生きる糧です。
今後も頑張ります。


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8話/乗り物酔いはどんなに対策してもなっちまうんですわもう仕方ねーですわ呪いなんですわ!

お嬢様博士第8話です。
これ単品でもお読みいただけますが、他の話も読んでいただくと作者がウホウホダンスをします。

今回はアローラ地方のお話です。
いやー……難産でしたー……。
どんな話にしようかこねこねすること2週間。
書き直すこと計4回。
筆が進まなくて進まなくて……プライベートが忙しくなるとほんとに筆が止まります。ぴえん。

今までにいただいた感想を何度も読み直して頑張りました。

◾︎ラナンキュラス──主人公。今回初めて苦手なものがでてきます。
◾︎アイリス──イッシュのジムリーダー。ちっちゃくて可愛い。すき。
◾︎ククイ──アローラの博士。作中における彼への第一印象はまんま作者のSM初プレイ時の感想です。


 一

 タラップを降りたとたん照りつけてくる灼熱の太陽に、長い空旅を終えた乗客たちはこのうえない開放感を覚え、潮濃い風を胸いっぱいに吸いこんだ。

 暑いねえと言いあう顔も晴れやかだ。機内で何度も読み込んだパンフレットをもう一度開きながら、さあホテルに行こうとかどこの店で食事にしようとか賑々しく歩いていく。

 

 最後に降りてきた少女もその例に漏れず、満面の笑みを浮かべて思いっきり伸びをした。

 

「んんーっ! 青い空、白い雲! 初のアローラ旅行がお天気に恵まれてよかったわー!」

 

 嬉しそうにくるくると飛び跳ねる。

 年の頃は十代前半、多く見積っても十四にはなっていないだろう。背中を覆うたっぷりした黒髪にチョコレート色の肌の、南国の空気が良く似合う快活な少女であった。

 

「さーって! まずはどこにいこうかな〜……ん?」

 

 腰のベルトが揺れている。少女はくすっとして、ボールを天高く放った。

 

「おいでっ、オノノクス!」

 

 タマゴから孵した相棒を呼びだす。生まれて初めての海外の土を早く踏みたくて仕方なかったらしい。空を仰ぎ、楽しそうにぐあおうと吠えた。好奇心にまかせて周りを見渡していた眼が、少女の背後一点を見つめて動かなくなる。

 

「どしたの?」

 

 目線を追って気づく。自分が最後かと思ったが、まだひとり、降りていない客がいたのだ。

 

 波うつ金髪、人形のような顔立ち、麦わら帽子にタイダイ染めの袖なしワンピース。観光地に相応しい、頭のてっぺんから爪先まで浮かれた格好だが、頬がげっそりと痩け、足取りふらふらと頼りなく、顔色にいたっては死人のような土気色である。

 

「大変。急病人かも! オノノクス!」

 慌てて彼女の元に駆けつけ、オノノクスに抱えさせた。

 

「おねーさん苦しそう! 大丈夫? いま病院に連れて行ってあげるからね!」

「……あぁ……どうか、心配しないでくださいまし……なんでも……なんでもないんですのよ……」

「いまにも死にそーじゃん! 無理しちゃダメだって! なんか持病とかある? 薬は?」

「持病といえば、持病ですわね……わたくし……むかしから……」

「昔から……?」

 

 瞼をゆるゆると開き、彼女は小さく囁いた。

 

「乗り物に……お排泄物(クッソ)弱いんでしてよ……」

 

「────はえ?」

 

 少女の目が点になった。

 

 

 

 

 二

 

「んもー! ただの飛行機酔いじゃない! あんまり酷い顔してるから心配しちゃったわよ!」

 

 パラソルの下のベンチに横たわりながら、少女はけらけらと笑った。

 

 空港のすぐそばにある景勝地、ハウオリビーチの一角である。乗務員いわく、飛行機酔いはここで休むに限るらしい。

 たしかに気持ちのいい場所だった。眩しいほど輝く砂浜に火照った体を冷ます風、水平線まで広がるエメラルドグリーンの海原は息を呑むほど美しい。故郷(イッシュ)の海とはまるで違う風景である。

 オノノクスが喜び勇んで駆けていき、汀ではしゃぎはじめた。

 

「うぇう……おてすう……おかけしますわね……」

「いーんだよ! 旅は道連れっておじいちゃんがよく言うもん! あたしアイリス! あなたは?」

「ラナンキュラスですわ……どうぞラナンとおよびになって……えふぅ」

「よろしくね、ラナン。そうやって寝てればすぐ治るからね」

 

 ラナンが儚く頷いた。まだまだ元気とは言いがたいが、顔色が少しよくなっている。

 

「ほんとうに、なにからなにまで……。イッシュの最年少ジムリーダーに介抱されたなんて土産話、掴みとしてバッチリですわ……」

 

 アイリスは驚いて振り返った。

 

「知ってるの? あたしのこと」

「知ってるも何も!」

 

 やおらラナンは立ち上がり、ビシィッ! とポーズを決めた。

 

「かの老練なるベテラントレーナー、シャガ氏の薫陶を受けた若きジムリーダーの話は世界に遍く知れ渡っておりましてよ! いつかお会いしたいと思っていた折にこんなところで出逢えるとは、運命の神も罪なことをしますわね! おーっほっほっほっほへぇっ」

 

 高笑いの途中でラナンがぱたりと倒れた。

 

「こ、今度はどーしたの!?」

「いきなり立ち上がって……大笑いしたものですから……くらくらと……」

 

 アイリスは呆れた。

 

「もー! 無茶しちゃダメだよ! 子供じゃないんだから! 立つの禁止! 高笑いも禁止! ほら休んだ休んだ!」

 

 ラナンを寝かしつけ、アイリスはやれやれと立ち上がった。

 ──まあ、高笑いができるくらいには回復したみたいだから放っといても大丈夫だろう。

 せっかくのビーチだ、眺めているばかりじゃ勿体ない。おもいっきり泳ごうと駆けだした足が、ぴたりと止まった。

 

「……?」

 

 どこからか、不穏な気配がする。オノノクスも気づいたようで、きょろきょろと辺りを見回していた。

 

「グゥ……?」

「っ、伏せて、オノノクス!」

 

 アイリスの指示は間に合わなかった。海中から突如放たれた何かの塊が、オノノクスの頭部を直撃する! 

 オノノクスが悲痛な声を上げて倒れた。一拍遅れて、あたりに嫌な匂いが満ちる。胸がむかつくような激臭に、塊の正体を悟ったアイリスが歯噛みした。

 

「ヘドロ爆弾……!」

 

 毒タイプのなかでも高威力、高濃度の攻撃技だ。掠っただけで猛毒に侵される危険な代物が、どうしてなにもない海から飛んでくるのか。

 

 アイリスが険しい眼差しで大海を睨みつける。浅瀬からさほど離れていない海面が盛り上がり、一体のポケモンが姿を現した。

 藻屑が絡んだような禍々しい体躯に、妖しくぬめる紫の皮膚。

 

「ドラミドロですわ。なぜこんなところに」

 

 いつの間にか隣に立っていたラナンが呑気な声で呟く。

 ドラミドロは大きく仰け反ると、ヘドロ爆弾を何発も撃ち出した。

 毒の玉が降り注ぎ、和やかなビーチは阿鼻叫喚の地獄と化す! 

 

「や、やめなさい!」

 

 オノノクスをボールに避難させ、代わりにクリムガンを呼びだした。

 

「ドラゴンクロー!」

 

 凄まじい膂力で振るわれた爪はしかし、虚しく空を切った。当たる直前、ドラミドロの肉体がどろりと形を崩し、海水に紛れてしまったのだ。

 

「と、溶けた!?」

 

 そのとおり、"溶ける"という技だ。使えるポケモンは多くない。海上で孤立したクリムガンを囲うように何体ものドラミドロが立ちあがり、八方から龍の波動を発射した! 

 

「いけないっ! クリムガン、上に逃げて!」

 

 ──あれは恐らく影分身、本体はひとつきりのはず。たった一本の波動さえ避けられれば反撃できる! 

 

 しかし、クリムガンは辛うじて翼を羽ばたかせたものの、ドラミドロの執念深い波状攻撃に撃ち落とされ、苦悶の咆哮を上げた。

 

「あぁ……!」

 

 アイリスが口元を抑える。すっかり逆上した毒龍がアイリスを見据えた。

 粘つく殺気に当てられて、手足が痺れたように動かない。ドラミドロがすうと息を吸いこんだ。ヘドロ爆弾か、龍の波動か。どちらにしても、生身の人間じゃひとたまりもない……! 

 

 アイリスがぐっと身構えたその時。

 

「いまですわっ! ワーズワース!」

 

 ドラミドロの喉元に、水中から飛び上がったシャワーズが激しく噛みついた! 

 ドラミドロが甲高い叫びをあげ、ぶるぶると身悶える。シャワーズは相手の胴体を足場に飛び退ると、顔面にハイドロポンプを叩きつけた! 

 ドラミドロの標的がシャワーズに変わる。その隙を、アイリスは見逃さなかった。

 

「──っクリムガン!」

 

 がら空きになった背中を、今度こそ、クリムガンのドラゴンクローが切り裂いた! 

 ドラミドロが声もなく倒れ伏す。アイリスは安堵の息を吐き、ぺたんと座りこんだ。

 

「あっぶなかったあ」

「ええ。ナイスでしたわ、アイリス」

「そっちもね」

 

 振り向き、親指を立てる。シャワーズを撫でていたラナンは、輝くような笑顔で高笑いした。

 

 

 

 

 

 三

 

 浜辺はまだざわついていたが、元凶が退治されたことで少しずつ収まっていった。ひとまずドラミドロを捕獲して、最寄りのポケモンセンターに足を運ぶ。

 

「あんなに綺麗なところなのにヘドロまみれになっちゃったね……」

 

 アイリスがしゅんと俯く。毒ポケモンの放つ技はとにかく毒性が強い。あれほど強力な個体ならば、最悪数年間は立ち入り禁止になるかも……。

 そんな不安を、ラナンはあっさりと吹き飛ばした。

 

「夕方には綺麗になってますわよ?」

「えっ、どうやって!?」

「んふふ。この子達の力を借りるんですわ」

 

 そう言って、ドリームボールから緑色の大福のようなポケモンを登場させた。黄色い突起が計六本、体の上部から突き出ている。うにうにむにむにと蠢く様が可愛らしい。

 

「ナマコブシというアローラ特有のポケモンですわ。この子達は汚いものを吸い取って浄化する力を持つんですの。浜辺や海岸が汚れていると、どこからともなく現れてお掃除してくれるんですのよ」

「へえ……! でも、ヘドロを吸ったりして大丈夫なの?」

「心配には及びませんわ。彼らはとおっても耐性が強くて、ちょっとやそっとの毒ではびくともしませんの。あとは、アローラのベトベター族も優秀な除毒能力の持ち主ですわね。彼らのおかげでアローラ地方は世界一美しい島と呼ばれているのですわ」

 

「さすがはラナンだな」

 

 拍手の音に顔を上げると、見慣れない男が立っていた。アイリスが顔をひきつらせる。

 帽子に色つきサングラス、膝下までのハーフパンツ。ここまではいい。しかし上裸に白衣を纏うのは、アローラが常夏であることを差し引いても中々に攻めた服装ではなかろうか。正直、変質者にしか見えなかった。

 おそるおそる尋ねてみる。

 

「ええと……あなたは?」

「おっとこりゃ失敬。アローラで技の研究をやってるククイ博士ってもんだ。そちらのラナン博士とは昔からの研究仲間でね。よろしく」

「博士……ラナン、も?」

 

 驚くアイリスに、ラナンは「あら」と瞬きした。

 

「言ってませんでしたわね! すっかり言いそびれてましたわ〜! わたくし、色違いのポケモンを研究しておりますの! でもわたくしには博士とつけなくて結構ですのよ、今まで通りラナンとお呼びくださいまし! おーっほっほっほ!」

 

 ナマコブシを頭に乗っけて高笑うラナンをよそに、ククイは爽やかな仕草で隣のカフェを指さした。

 

「ビーチに現れたドラミドロについて聞きたくてね。エネココアでも飲みながら話さないか?」

 

 

 ◇◇◇

 

 カフェのマスターが淹れてくれたココアはほどよく甘く、アイリスの緊張をじんわりと解してくれた。

 

「美味しい!」

「美味いだろ? ボクは研究に行き詰まるとこれを飲むんだ。優しい甘さが心身を癒してくれる」

 

 はにかむアイリスにククイも笑った。格好こそアレだが、物腰や雰囲気が落ち着いていて、意外なほどに話しやすい。アイリスはするすると事のあらましを語った。

 

「ふぅむ……ヘドロを撒き散らすドラミドロ、か」

「それってよくあることなんですの?」

 

 ラナンの問いにククイは否と答えた。

 

「縄張りを荒らしたならまだしも、浜で遊んでいただけの人間に無差別攻撃を仕掛けるなんて普通じゃないな」

「オノノクスが波打ち際でばちゃばちゃしてたせいかな……? それで怒らせちゃったのかも……」

 

 アイリスが顔を曇らせた。だとすれば、オノノクスを野放図に遊ばせた自分のせいだ。

 だが、これにもククイは首を振った。

 

「それも関係ない。そもそもドラミドロの生息域はもっと沖合の、海底に近い場所だ。浜辺に出没したのがそもそも異常だよ」

「それプラス、積極的に攻撃してきたのも解せませんわね〜」

 

 いつの間にか注文していたチョコバナナサンデーを頬張りながらラナンが言う。

 

「ドラミドロの狩りは、いわゆる"張りこみ型"といわれる手法なんですの。小魚が通る辺りに毒の網を張り、獲物が掛かるのを待つ……っていうやつですわ。

 いざ網にかかったものには容赦しませんけれど、わざわざ遠出して自分から大技ぶっぱなすような性質(タチ)じゃないんですのよ」

 

 なべてポケモンというのは習性を色濃く受け継ぐ生き物だ。個体によってレベルの高い低いはあっても、狩りの仕方をまるっきり変えるというのはまず無いと言っていい。

 

 二人の博士は真剣な顔つきで目を見交わせた。

 

「……これは」

「ええ。調べる必要がありますわね」

 

 同時に立ち上がる。慌ててアイリスも後を追った。

 

「どこに行くの?」

「沖へ。本来のドラミドロの生息地を見てみよう。なにか異変があるかもしれない」

 

 海辺に急ぐククイの横顔は、固く強ばっていた。

 

 

 

 

 

 四

 

 毒の除去が終わるまでハウオリビーチは立ち入り禁止になっていたため、ククイ博士の研究所があるメレメレビーチから出発することになった。

 ごくこじんまりとした砂浜にやたら傷んだ研究所がある他は何も無い場所だった。あちらこちらで野生のヤングースやキャモメたちがのんびりくつろいでいる。このあたりのポケモンたちは人間を怖がるということがない。ちょっとでかいポケモンの一種とでも見なしているんだろうとククイは言った。

 

「アローラのポケモンは大なり小なりそういうところがある。おっとりというか、のんびりというか。警戒心が薄いんだ。だからこそ、ドラミドロの暴挙が信じられないんだよ。あんなことをする理由が必ずあるはずだ」

「それを見つけて解決するのがわたくしたちのミッションというわけですわね」

「そのとおり。──ライドオン! サメハダー!」

 

 手にしたライドギアを海に向けると、どこからともなくサメハダーが現れた。

 アイリスが目を輝かせる。

 

「なにこれ! ボールから出すんじゃなくてリモコンで呼ぶの?!」

「アローラが誇るライドシステムさ。カロスでも実験的に導入されているみたいだがね。ここじゃ、空を飛ぶのも海を渡るのも全部ライドポケモンたちに手伝ってもらうんだよ」

「わぁ、すごいすごい! アローラって面白いとこね!」

「アイリスはわたくしとライドしましょう。ライドオン! サメハダー!」

 

 ラナンが呼んだのはククイのとは異なり、鮮やかな赤紫色の鮫肌を持つ個体だった。

 

「それじゃ、カッ飛ばしますわよ」

「ゴーゴー!」

 

 後部座席のアイリスが拳を突き上げる。ラナンは不敵な笑みを浮かべ、前屈みに沈んだ。

 

「サメハダー、発進!」

 

 サメハダーの目がぎらりと光る。次の瞬間、すべての風景が置き去りにされた。

 

 

 ──ここでひとつ、余談を挟みたい。

 サメハダーは、別名を海のギャングという。狙った獲物を執拗に追い回し、ずたずたに噛みちぎる残虐さゆえだが、もうひとつ、他のポケモンには決して真似出来ない特徴があった。

 それが、俗に"サメジェット"と呼ばれる泳法である。

 

 泳いでいるうちに飲みこんだ海水を肛門から噴射して推進力とする。そのスピードはなんと時速120kmに達するというのだから驚きだ(さして長い時間使える技ではないのが欠点だが)。

 

 おまけにこのサメハダーは、かつてアローラに遊びに来たラナンが丹精こめて育てた個体である。鍛え抜かれた肉体と、負けず嫌いの性格が合致し、どのサメハダーよりも速く長いサメジェットを獲得するに到った。

 

 アイリスが笑っていられたのはほんの最初だけ、あとは物も言えないまま、必死にラナンにしがみつくことしか出来なかった。

 

 考えてもみてほしい。

 ジェットコースターを凌ぐ速度で海上を駆け抜ける感覚を。安全バーなど存在せず、己の肉体だけで命を繋ぎ止めねばならない恐ろしさを。

 

「ちょ、らな、と、とま」

「おーっほっほっほ!」

 

「とまって、おねがい、ちょっと、ねえ!」

「おーっほっほっほっほっほっほっほっほっほ!」

 

「お願いだからとまってぇえええ!」

「おーっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ!」

 

 制止の声を狂人の高笑いに掻き消され、アイリスは今日が命日かと覚悟した。

 

 

 

 

 

 五

 

 島の影も見えなくなった大海原の真ん中で、二頭のサメハダーは泳ぐのをやめた。

 太陽は中天から大きく傾き、水平線に沈み始めている。今宵は新月、急がねば帰ることも出来なくなる。

 

「ここらだな」

「ええ」

 

 ククイの言にラナンが頷く。

 ヨワシをルアーボールから呼びだした。特性が働き、みるみる巨大な魚群を形成する。

 

「お願いしますわね、ツヨシ」

「あー、そのまえに。アイリスは無事か?」

 

 ラナンはきょとんとした顔で背後を振り返った。若きジムリーダーが白目を剥きながらぐったりと座りこんでいる。ノンストップサメジェットの旅はなかなか刺激的だったようだ。

 

「アイリス。これから深海に潜りますけれど、準備はよろしくて?」

「……ぁー……」

 

 か細い声が漏れる。

 ラナンは自信満々に頷いた。

 

「いけそうですわね!」

「ダメだろ!」

 

 すかさずククイがライドギアでラプラスを招き、アイリスを移し替えた。

 

「こっちのほうが休めるだろ。ボクとラナンで潜ってくるから、少しの間留守を預かっててくれ」

 

 アイリスは弱々しく首肯した。

 同時に、頭の片隅で思う。

 ──なぜラナンは、サメジェット(あんなもの)が平気なくせに、飛行機ごときで酔うのか……と。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 巨大ヨワシ(ツヨシ)のダイビングで水底へと潜っていく。耳を圧する沈黙が痛い。大勢のポケモンがいそうなものなのに、ラブカス一匹見当たらなかった。

 

 上から射しこむ夕陽がどんどん届かなくなっていく。

 技の効果で張られた球状のバリアのなかで、ラナンが囁いた。

 

「やっぱり、おかしいですわ」

「ああ。野生が居なさすぎる」

「追い払われたか……それとも」

「食い荒らされたか、だな」

 

 それほどに貪婪なポケモンとはなにか。

 水タイプの名前を思いつくまま挙げてみる。

 

「あたり一面を捕食しちまうポケモンか……。一瞬ホエルオーかとも思ったが」

「彼らはプランクトンしか食べませんものね。群れていないヨワシならともかく、ドククラゲやランターンまで食べてしまうとは考えにくいですわ」

「ギャラドスは」

「だとするとわたくしたちが攻撃されていないのが不思議ですわ。すこぶる縄張り意識の強いポケモンですもの」

「ううん……ん?」

 

 どれもなんだかしっくりこない。

 首をひねっているうちに、バリアがぼふ、と着地した。ククイは、海底まで存外早かったなと思う反面、ある違和感を覚えた。

 "それ"は、大地にしては随分柔く、頼りなく思える。触れてみると、バリア越しにかさかさした感触が伝わってきた。

 

「これは……なんだ……?」

「ククイ、目を閉じていてくださいな。サキ!」

 

 ラナンがサンダース(サキ)を呼び、フラッシュを使わせた。真っ暗闇にパッと明かりが広がる。目元を手で覆っていたククイが少しずつ目を開くと、ようやく踏み場の正体が見えてきた。

 

 想像もしていなかった光景に絶句する。

 

「な……なんてこった……」

 

 それは地面などではなかった。

 二人は、からからに干からびたホエルオーの死体の上に立っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 六

 

 ククイは呆然と足元を見やった。

 こんな死に様があるだろうか。襲われたのだとすれば、いったいどんなポケモンがこんな芸当を可能にするというのだろう。

 

「ククイ」

 

 ラナンの声は下から聞こえた。いつの間にかヨワシのバリアから脱けだし、ホエルオーの口元に降りていたらしい。ククイが慌てて後を追う。

 

「おいおいおい! 無茶なことするなよ! ……って、ああ、群れからヨワシを連れていたのか」

 

 ラナンの肩口でヨワシが一匹、ぴちぴちと泳いでいた。ダイビングのバリアは魚群状態のそれに比べるとひと回り小さく、ラナン一人を囲むのでやっとのサイズである。

 

「おーっほっほっほ! さすがのわたくしも生身で深海にいたらちょっと息苦しくなってしまいますわ! それよりほら、ここをご覧になって」

 

 ラナンが指さしたのはホエルオーの右目の下あたりだった。得体の知れない穴が空いている。ククイが握りこぶしを当ててみると、ほぼ同じくらいの大きさだった。

 

「なんなんでしょう、これ?」

「うーん、分からん。ボクにはなんとなく、アゲハントが口吻を突き刺した跡のようにも見えるんだが……深海に虫ポケモンがいるはずもないしなあ」

 

 その言葉に、ラナンはハッと目を見開いた。

 

 蜜を吸う虫。海には一種だけ、それによく似た習性を持つポケモンがいやしなかったか。獲物の体に取りついて、相手がどんなに暴れても決して離さず、最後の一滴まで搾りとってしまうというポケモンが。

 

 もう一度、ホエルオーの肉体に触れる。この個体は死んでから随分経つようだ。

 きっと次の餌を求めて彷徨っている。限界まで腹を空かせて。

 

 ドラミドロの姿が脳裏に甦った。

 深海にいるはずのドラゴン。彼の住処はやはりここだったのではないだろうか? 

 勝負し、負けて、追われ追われて逃げるうちに、ハウオリビーチの近くまできてしまったのだとすれば。

 

 ラナンのなかで、全てのピースがぱちりと嵌った。

 

「──ククイ、一刻も早く戻りますわよ!」

「ラナン?」

「アイリスがあぶないですわ!」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 惜しかった。ああ悔しい。ああ勿体ない。

 長い尾鰭をくねらせながら、私は何度目かの悪態をついた。

 

 あとすこし。ほんの少しの差で、ドラミドロを吸ってやることができたのに。

 

 ずいぶんと浅い海のほうまで逃げられ、こっちが太陽に眩んでいるあいだにどこかに消えてしまった。

 超音波で混乱させたところまでは、うまくいっていたのだが。

 

 腹の虫が鳴る。

 ちくしょう、腹が減った。

 欲に任せて食い漁ったせいで、餌がみんないなくなってしまった。最後のご馳走──あのホエルオーを食べてから、もう何日経っただろう。

 ドラミドロ(あいつ)を逃がしたのがつくづく悔やまれる。あれの毒エキスは珍味だ。ゆっくりじっくり味わいたかったのに。

 

 ふと目をあげると、海上になにかがいた。

 それなりにデカい。あの影は──ラプラスだ。

 

 喉の奥で小さく笑った。

 私はつくづく運が良い。

 まだこのあたりに、あんな無防備なバカが残っていたとは。

 じっと観察してみると、ラプラスに何かが乗っているのが分かった。

 あれはたしか、ニンゲンという生き物だ。

 

 おもわず舌なめずりをする。

 ニンゲンはまだ食べたことがなかった。どんな味がするのだろう。未知の餌を前にするといつだって心が踊る。

 

 ああ、もう我慢できない。

 私はゆっくりと距離を詰めた────。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 アイリスはふと目を覚ました。ラプラスの上で待つあいだ、すっかり眠ってしまったらしい。夕陽は完全に没し、さざ波だけがそばにあった。

 頭上の星空に手を伸ばす。ぞっとするような美しさだ。月が出ていないせいか、星屑の一粒一粒がよく見えた。

 

「きれい……」

 

 独白に、ラプラスがきゅうと鳴く。賢い子だ、相槌をうってくれるのか。愛おしくなって首筋を撫でてやる。ラプラスが首を廻らせ、またきゅうと鳴いた。

 

「こんど、ラプラスも育ててみようかな」

 

 呟きに、ラプラスが目を細め。

 次の瞬間、気が触れたように暴れだした! 

 

「え、ら、ラプラスっ、どうしたの?!」

 

 止める暇もあらばこそ、アイリスは為す術なく振り落とされた。鼻に口に、塩辛い水がどっと流れこむ。浮き上がろうともがく手足が、なにかに絡め取られた。

 

(なにこれ……なに……!?)

 

 動けば動くほどきつく締めつけられていく。肺を圧迫されて、ひときわ大きな泡が漏れ出た。アイリスの瞳が絶望に染まる。

 

(しんじゃう、こわい、たすけて、しんじゃう、やだ、しにたくない! だれか……だれか……!)

 

 どれほど願っても、応えるものはどこにもいない。いよいよ死の足音が大きく響きはじめた瞬間、大きな力に引っ張られ、唐突に浮上した。恋い焦がれた酸素が鼻腔を満たす。

 ヨワシの群れの上で咳きこむアイリスを、柔らかい腕が抱きしめた。

 

「あっぶねぇとこでしたわ〜! 大丈夫ですの?」

 

 その声に、アイリスはおもわず涙した。

 

「げほ、ら……らなん……!」

 

 ラナンは慈愛に満ちた眼差しで、華やかに微笑んだ。

 

「ええ、わたくしでしてよ」

「ボクもいるぜ! ぅおおっと!」

「ククイさん……!」

 

 ククイはラプラスの背に跨り、じっと容態を観察した。呼吸が荒く、焦点も定まっていない。極度の混乱状態に陥っているのは誰の目にも明らかだった。

 

「超音波でも食らっちまったようだな。辛かったろ。ほら、もう大丈夫だ」

 

 口の端からラムの実を押しこむ。欠片を飲みこんだ途端、ラプラスがぴたりと大人しくなった。

 

「よーしよし。落ち着いたな。こっちはオーケーだ、ラナン!」

「感謝しますわククイ。そして、よく頑張りましたわね、アイリス。

 ──フィッツ、サイコキネシス!」

 

 ラナンの隣に座るエーフィが額の紅玉を輝かせると、アイリスを拘束していた何かがずるりと持ち上げられた。

 それは桃色の鱗を持ち、驚くほど大きく、長かった。

 暗く濁った目がアイリスを射すくめる。

 深海にのみ棲息し、滅多に人前に出ることの無いポケモン。その名は────

 

「サクラビス……?」

「ええ」

 

 ラナンが真剣な面持ちで睨めあげる。

 

「これが、ドラミドロやラプラスを狂わせ、ホエルオーを吸い尽くし、あたりを死の海に変えたポケモンですわ」

 

 サクラビスは、邪悪な声で低く嘲笑った。

 

 

 

 

 

 七

 

 アイリスはぐっと胸元を握りしめた。

 サクラビスを飼育するのは至難の業だ。深海と同等の環境を用意し、底なしの食欲を満たし続けてやらねばならない。一説によると、カビゴンに次ぐ大食漢だという。

 

 だから見るのはこれが初めてなのだが、それでもこの個体が異常種であるのは一目で分かった。

 

 三、いや四メートルはあるだろう、平均をゆうに越す体長。禍々しく尖った口吻。爛々と光る目つき。

 エーフィのサイコキネシスで浮かされていて尚、絶対的捕食者であるという自負と驕りが、全身から溢れ出ていた。

 

「油断大敵ですわよフィッツ。そのまま抑えていてくださいまし。いま捕獲いたしますわ」

 

 ラナンが空のボールを構える。サクラビスは眼を弧に歪ませた。

 挑発的な表情に、亀裂が走る。

 バキバキと異様な音を立て、サクラビスの体が()()()()()()()()()()()()

 

「な!?」

 

 ラナンの動揺がエーフィ(フィッツ)にも伝わり、ほんのわずか、念力が弛んだ。それだけで、サクラビスには充分だった。

 

 先程までの肉体を捨て、ひとまわり小さくなったサクラビスが躍り出る。長い尾鰭が空気を裂いてエーフィを打ち据えた! 

 エーフィが声もなく吹っ飛んでいく。嬉々として追おうとする背中に、アイリスが叫んだ。

 

「ダメぇっ! カイリュー、止めて!」

 

 アイリスのボールから放たれたカイリューが怒りの拳を振るう。だがサクラビスは余裕たっぷりに回避し、水中に沈んだ。

 

「くそ……!」

 

 ククイは歯を食いしばった。脳裏にはまだ、ホエルオーの哀れな姿が生々しく刻まれている。エーフィもああなってしまったら……。最悪な想像が止まらない。

 けれども、同じものを見たはずのラナンは一切怯まなかった。

 

「まさか殻を破ってくるとは、びっくりしましたわ〜」

 

 敵ながら天晴れとでも言いたげな顔で感心している。そして不敵な笑みを浮かべた。

 

「相手にとって不足なし! フィッツ、()()()()()()()()!」

 

 海に落ちていたエーフィがサイコキネシスで浮遊する。何をするのかと見守っていたククイとアイリスは、あんぐりと口を開けた。

 

 それはおよそありえない光景だった。

 濡れそぼったエーフィの毛が黄色く染まり、滑らかだった毛並みが刺々しい形に伸びていく。ぶるりと身震いする姿は、どこから見てもエーフィには見えなかった。瞬きほどのわずかな時間で、サンダースに変身したのである!

 

「さあ、サキ! パーティーのお時間ですわ!」

 

 ラナンが呼んだライドサメハダーの上に着地し、サンダース(サキ)が吠える。晴れた夜空に雷雲がかかり、局地的な豪雨が降り注いだ。

 

「変身した……!? 嘘だろ、それはメタモンしか使えない技のはず……!」ククイが呻くように言った。

 

 彼の驚きは正しい。まったく別のポケモンに変わってしまえるのは、世界広しといえどもメタモンだけなのだ。

 たとえ不安定な遺伝子を持つイーブイであっても、ひとたび進化してしまえば別の姿には成れない。

 そんな常識があっさりと破られて、ククイの心情は大いに乱された。

 

「放電で炙りだしますわよ〜! アイリスはライドポケモンを守ってあげてくださいまし!」

 

 呆けていたアイリスは慌ててカイリューを呼び戻し、ラプラスの近くでバリアを展開した。一瞬後、目も眩むような稲光が迸る! 

 

「ギュァアアァア!」

 

 たまらずサクラビスが飛び出してきた。電撃を食らって無防備な躰にダメ押しのミサイル針が突き刺さる!

 サクラビスは怒りに燃える目でハイドロポンプを撃ち放った。激流が当たるより直前、サンダースの姿が切り替わる。

 水柱が立ち昇り、収まったあとには、シャワーズが気持ちよさそうに飛沫を浴びていた。

 

「ワーズワースの特性は貯水……。水技はウェルカムですわ〜! おーっほっほっほ!」

 

「〜〜〜〜……っ!」

 

 サクラビスは激怒した。

 何十何百と敵を屠ってきた。自分より大きな相手すら、ただの馳走(エサ)でしか無かったのに! 

 

(こんな……こんなチビにぃ……っ!)

 

 憤怒に身が震える。

 なんとしても喰らってやらねば気が済まない。

 全身に力が漲った。

 幸い、雨が降っている。殻も破った。全力で泳げば、目にも止まらぬスピードで仕留めることが出来る……! 

 

 海中に沈んだ。シャワーズが追ってくればよし。追わずともよし。どちらにしても、一撃でサメハダー諸共貫いてやる。

 

 ぐっと身を縮め、フルパワーで伸び上がった。

 

 

 ──サクラビスの誤算は二つあった。

 

 ひとつは、己のダメージを計算に入れていなかったこと。先のミサイル針で尾鰭がずたずたに引き裂かれており、思うように泳ぐことが出来なくなっていた。

 怒りで痛みを忘れていなければ、もっと慎重に動いただろう。

 

 ふたつめは、サメハダーが少しずつ速くなっているのに気づかなかったことだ。彼らは泳げば泳ぐほど加速する特性をもっている。傷ついたサクラビスの突撃を躱すことなど、造作もない。

 

 サクラビスの攻撃をあっさりと避けたサメハダーの上で、シャワーズは再び変身した。

 

 闇夜に溶ける毛並み、円輪を描く金の紋様。研ぎ澄まされた鉤爪が、攻撃直後の伸び切った肉体を切り裂いた。

 

「ギュァアァアァア……!」

 

 断末魔の叫びが響き渡る。

 果たして、サクラビスはぐにゃりと脱力し、波間に漂った。

 

「──勝負あり、だな」

 ククイがやれやれと帽子を被り直す。

 

「お見事ですわ、クロード!」

 歓喜するラナンに、ブラッキーはふんと鼻を鳴らした。

 

 

 

 

 

 

 八

 

 ハウオリシティ・ハウオリホテルの一室。

 

「……これでよしっ、と」

 

 荷物と土産でぱんぱんのスーツケースを閉じ、ラナンはふうと額を拭った。

 遠い目で窓の外を見やる。アローラの空は今日も快晴、気持ちのいい風が吹いていた。

 

「一週間……過ぎてしまえばあっという間でしたわね……。さらばアローラ、さらばバカンス! わたくしはまた明日から研究の日々でしてよ……!」

 

 よよよ、とハンカチを噛み締め落涙する。芝居がかった仕草を、アイリスはハイハイと受け流した。

 

「ラナンのとこにもきれーな海あるんでしょ? そこで泳げばいいじゃない」

「さすがにアローラには負けましてよ〜。ああほんとうに、シュノーケリングもマンタインサーフもお排泄物(クッッッッソ)楽しかったですわ……。わたくしが死んだら遺灰はアローラの海に撒いてほしい……」

「それ、法律違反なんだって」

「……バレなきゃワンチャン……」

「ダメです。ほらもう行くよ! チェックアウトの時間過ぎてるんだから」

 

 ぐずるラナンを連れてホテルのロビーに降りると、ククイが妻のバーネット博士と共に待っていた。

 

「ハァイお二人さん! アローラは楽しかった?」

 

 バーネットの問いに、アイリスはぴょんぴょん飛び跳ねた。

 

「もう最高でした! 絶対絶対また来ます! 次はジムリーダー・アイリスじゃなくて、チャンピオン・アイリスとして!」

「ワァオ! 最高よあなた! 夢は高くでっかく持たなくちゃね!」

「ふっ。それならわたくしはただのラナンキュラス博士ではなく、ネオ・ラナンキュラス博士となって舞い戻ってきますわよ〜! おーっほっほっほ!」

「いいね! 最高! どういう意味かはビタイチ分かんないけど!」

 

 バーネットがサムズアップする。賑やかな三人を眺めていたククイは、少々わざとらしく咳払いをした。

 

「宴もたけなわってとこだが、フライトに間に合わなくなるぜ。さあ皆の衆、ボクの車に乗った乗った!」

 

 わいわいと喋りながらバンに乗りこむ。いつも通り助手席に乗ろうとするバーネットを目顔で押しとどめ、ラナンを座らせた。

 空港へは車で十分ほどの距離がある。ククイはなんとしても、この隙にイーブイの秘密を聞き出したかった。

 

 後部座席でバーネットとアイリスが話に花を咲かせているうちに、小声で囁き交わす。

 

「さあラナン。喋ってもらおうか」

「あら、何をですの?」

「とぼけるなよ。ボクが聞きたいことはわかるだろ?」

「……イーブイ(あの子)の秘密、ですわね?」

 

 交差点の信号が黄色く光る。いつもなら加速して行き過ぎるが、今回は丁寧にブレーキを踏んだ。後ろのバーネットが「あら珍しい」と目を丸くする。

 

「メタモン以外に"変身"は使えない。あのイーブイはなんなんだ? 突然変異か、それとも君の研究の賜物か?」

 

 後半はジョークのつもりだった。

 しかし、ラナンはついと視線を逸らし、遠くに広がるハウオリビーチを眺めた。

 不安になるほどの沈黙を置いて、ぽつりと答える。

 

「……研究の結果といえば、そうですわね」

「……!?」

 

 ククイは気色ばんだ。

 ポケモンの遺伝子に手を加えることは、ポケモン研究において最大の禁忌とされている。まさか色違いを量産しようとして、そんなものに手を染めたのか。

 だが、振り向いたラナンを見た途端、ククイは己の間違いを悟った。

 

 ラナンの顔からは、あらゆる表情が消えていた。

 いつもの天真爛漫な雰囲気はどこにもない。整った容姿もあいまって、血の通わない精巧な人形のようだった。

 ちいさな、ほんとうに小さな声で呟く。隣のククイだけに聞こえる声色で。

 

「ロケット団……」

「──え?」

「ロケット団と名乗るマフィアが、口にするのもおぞましい"研究"の果てに実らせた歪な結晶……それが」

 

 ちき、とヘビーボールを握る。中で、イーブイがすやすやと眠っていた。

 

「この子なんですわ。……お教えできるのはここまで。前をご覧なさいな」

 

 クラクションを鳴らされ、ククイは慌ててハンドルを切った。もう少しで危うく分離帯をはみ出るところだった。

 

「あぶないわよあなた!」

「すまんすまん! よそ見してた」

 

 バーネットの叱責に頭を下げる。ちらりと目を走らせると、もういつも通りのラナンに戻っていた。

 

(ロケット団、か)

 

 カントー地方を中心に暗躍する裏組織。名前だけはククイも聞いている。

 金のためなら何でもする非道な集団だとも。

 

(……調べてみよう)

 

 組織の規模と勢力ぐらいは把握しておきたい。もしもアローラに触手を伸ばしてこようものなら、芽が出る前に捩じ伏せてやる。アローラは生まれ育った愛すべき土地だ。おぞましい実験など絶対にさせたくはなかった。

 

 

 

 出発カウンター前。

 アイリスとバーネットが抱き合っている横で、ククイは飾り気のない紙袋を差し出した。

 

「ラッピングぐらいしろと言われそうだが、時間が無くてね。貰ってくれるとありがたい」

「まあ、プレゼントですの? 開けてみても?」

 

 ククイは手まねで促した。袋を覗きこんだラナンが、「まあ!」と大きな声を出す。

 中には、ラナンも見たことの無いボールが沢山入っていた。青地に白の紋様、スイッチ部分を四隅から囲うように入った金細工。

 

「エーテル財団が開発した新ボール、ウルトラボールさ。気に入ってくれたかな?」

 

 返事は聞くまでもなかった。喜色満面でククイに飛びつく。

 

「最っっっっ高のプレゼントでしてよ! 愛してますわククイ!!!!」

「おーっと! 情熱的だなラナン!」

「なになに? たのしそーなことしてんじゃない! アタシも混ぜなさいよ!」

「ならあたしもー!」

 

 バーネットとアイリスも抱きついて、四人はどっと笑った。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 数年後。

 朝食のコーヒーを楽しんでいたククイは、スマホロトムに入ってきた新着ニュースを見、頬を綻ばせた。

 

「おおい、ぼくの大事なひと!」

「なあにー、アタシの大事なあなた!」

「おいでよ、ボクらの大好きなお姫様がとうとうやったぞ!」

「ええ? ……あらぁ!」

 

 バーネットは大きなお腹をさすりながら、歓喜の声をあげた。

 

 

《速報 イッシュの新チャンピオン・アイリス誕生》

 

「今年はめでたいことだらけね、あなた!」

「ああ……!」

 

ククイは力強く拳を握り、彼方に霞むラナキラマウンテンを見つめた。

アローラ初のポケモンリーグは、もうすぐ竣工を迎える。

 

 

 

 




マイナーポケモンは数あれど、サクラビスは飛び抜けてマイナーなんじゃないでしょうか。
なにしろ野生で出ることがないし、モブトレーナーもほぼ使ってきません。
進化条件も分かりづらいという数え役満。
そのくせ図鑑説明がちょっと不気味というね。
個人的にはビジュアル含めて結構すきです。
からやぶバトンの数少ない使い手だし。
サクラビスファンの方、なんかおどろおどろしい描写が続いて申し訳ない。書いててめっちゃ楽しかったです。

イーブイの進化先に毎回悩む身として、チート級の設定を付けました。
いつでも何度でも任意の姿に変身できたらええやん!(ええやん!)
いちおうその能力を授かるにいたった経緯も考えてはいます。
書けるかは未定です(土下寝)。
ちなみにブイズのニックネームは名前の一部をもじった世界的な作家名で統一しています。
エーフィ→フィッツジェラルド、サンダース→サキ、シャワーズ→ワーズワース、ブラッキー→クロード(月光の作曲家クロード・ドビュッシーから)。
ブイズの名前ってなんか凝りたくありません? 僕だけ?

感想、評価いつもありがとうございます。ほんとにほんとに嬉しいです。
クソ暑い真夏のさなか、すこしでも楽しめる作品となっていれば幸いです。


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8.5話/とある日のアイリス

お嬢様博士外伝。
主人公のラナンはラの字も出てきません。
今回はタイトル通りアイリスが主人公です。

前回のお話(8話)をお読みいただいたほうが伝わりやすいかと思います。
せっかくアローラ地方が舞台なので、あの子たちにも出てきてもらいました。


 一

 

 ところ変われば品変わるという普遍の真理は無論ポケモンにも当てはまる。しかし、見慣れた種族が地方を跨いだだけで全く別の姿になっている様は、知識として知っていても実際に目にするとなかなか衝撃が大きいものだ。

 

 アローラのロコンを見たアイリスは、あまりの愛くるしさに膝から崩れ落ち、甲高い悲鳴をあげて突っ伏した。

 

「かわぃいいいいいいいい!! かわいすぎるよぉおおおおおおお!!」

「はっはっは。そうだろうそうだろう」

「もふもふぅうううう!! きゅるんきゅるんんんんんん!!」

「はっはっは。そうだろうそうだろう」

「お持ち帰りしたぃいいいいいいいいいいいいいい!」

「はっはっは。それはだめだ」

 

 ククイは朗らかに却下した。

 

「生態系を壊しかねないからな。イッシュへの連れ帰りは禁止されてる。アイリスがガラル人ならOKだったんだが」

「うわぁあああぁああん!!!!!」

 

 アイリスは本気で涙した。ジムリーダーといっても、まだ十二かそこらの少女である。可愛いものには目がない。真っ白い雪の妖精のようなアローラロコンを前にして、理性を保てというほうが酷だろう。

 

「いつか必ずゲットするからねぇええええ……」

 

 相棒・オノノクスに慰めて(よしよしして)もらいながら固く誓っていると、ククイのスマホロトムに着信が入った。

 

『アローラ〜! 博士、いま大丈夫ですか?』

「よおマオ! 平気さ。どうしたんだい」

『新作の料理を振る舞いたいんですけど、よかったら食べに来ません? 大鍋いっぱいにできちゃって……』

「へえ……それなら、腹ごなしにいつもの場所に行かないか? ちょうどイッシュからのお客さんが来ていてね、みんなに紹介しようと思ってたとこだよ」

『そうなんですか!? 行きます行きます! じゃあ1時間後に』

 

 通話を切ったククイが、満面の笑みで振り向いた。

 

「アイリス、世界で1番面白いところに連れてってやるぞ!」

「ふえ?」

 

 鼻水と涙で顔中を濡らしながら、イッシュのトップジムリーダーは小首を傾げた。

 

 

 

 

 

 

 二

 

 ククイが連れていったのはアーカラ島にある商業施設、ロイヤルアベニューだった。

 様々な味が楽しめるマラサダショップ、ご当地限定グッズが豊富なポケモンセンター、異様に安いスーパーメガヤス。しかしククイはそうした店には目もくれず、淀みない足取りで施設の奥へと歩いていく。

 やがて辿り着いた先には、見上げるほど大きな建物が聳えていた。

 

「でっかい……! なんですかこれ?」

「アローラが誇るバトル施設、その名もロイヤルドームさ!」

 

 ビシィッ! とポーズを決めてククイが力説する。

 

「4人のトレーナーが3体ずつ選んで繰り広げるバトルロイヤル! 誰が誰を狙うのか、いつどの技を繰り出すのか、息付く間もなく展開する白熱の試合! 断言するが、これより面白くて夢中になれるバトルはないぜ?」

「もう毎試合がドラマチックで、アローラでは視聴率百パーセントの超人気興行なんだよ!」

 

 そう教えてくれたのは、いつの間にかアイリスの隣に立っていた少女だった。

 緑の髪に大きな花飾り、弾けるような笑顔を浮かべている。

 

「よう、マオ! 早かったな!」

「そりゃもう! ここでバトルできる日を指折り数えて待ってたんだから! 

 ……あ、あなたがククイ博士の言ってたイッシュのお客さんね! あたしマオ! アローラ!」

「あ、アローラ?」

「この島での挨拶だよ〜! 昼でも夜でもいつでも使える超便利な挨拶なの! 手振りはこうね」

 

 ふわりと円を描くように手を回す。見よう見まねでアイリスもやってみると、マオは「じょうずじょうず!」と手放しで褒めた。

 

「わたしね、この島でキャプテンをやってるの! あなたたちの言葉で言う、ジムリーダーみたいなものかな? あと2人、キャプテンが来るんだけど……あ、来たきた!」

 

 マオがぶんぶんと手を振るう。振り向けば、アイリスと同じくらい小さな青髪の少女と、生真面目な顔をした半裸の青年が歩いてくるところだった。

 

(ククイ博士といい、こっちの人は上半身裸がふつうなのかな……)

 

 内心驚きつつも、教わったばかりの挨拶をしてみる。

 

「アローラ!」

「アローラ〜。はじめまして〜。

 ククイ博士はお久しぶり、ですね」

「アローラ。見慣れない人だな。観光客か?」

「よう、カキにスイレン。急な呼び出しに来てくれてありがとな。こっちはアイリス。イッシュのジムリーダーだ。専門はドラゴン」

「──ドラゴン……!?」

 

 カキと呼ばれた青年の目の色が変わった。マオとスイレンも興味津々といった眼差しでアイリスを見つめている。

 

「え、ええと……?」

 

 戸惑うアイリスに、ククイがウインクした。

 

「彼らはいま、ドラゴンタイプを育てている最中なんだ。ぜひ、専門家として忌憚のない意見を聞かせてやって欲しい。……まあ、トレーナーたるもの、まずはバトルで語ろうか」

 

 

 

 

 

 

 三

 

 その舞台に立った時、あまりの照明の眩しさに、アイリスはくらくらした。

 

 ロイヤルドームはプロレスのリングを模した構造になっている。正四角形の舞台(ステージ)にロープが巡らされ、4つのコーナーに選手が1名ずつ控えるのだ。

 四隅を囲う四体の彫像──赤のリザードン、青のギャラドス、緑のバンギラス、黄のオノノクス──が登場口になっていて、マオたち4人は大歓声を持って迎えられた。

 

 アイリスは黄のコーナーを受け持った。一番の相棒と同じ彫像から出られて、ほんの少し心が軽くなる。

 

 ここでのバトルは完全にエンターテイメントなのだろう。客席には老若男女が詰めかけ、誰も彼も興奮に顔を赤くしながら口々に応援や野次を叫んでいた。

 普段のバトルとはまるで雰囲気が違う。腰のボールがかたかた震えているのは、熱気にあてられているのか待ちきれないと逸っているのか。

 

『さーぁ本日も始まりましたロイヤルドームのバトルロイヤル! 実況は私、マイクがお送りします! 今回の選手はすごいぞお! なんと4人中3人が現役のキャプテン、残るひとりは遥々イッシュからやって来た、"竜の心を知る娘"アイリス! 齢十二にしてトップジムリーダーというからその実力はお墨付き! これはどれだけ激しい試合になるか、予想もつきませんね、解説のククイ博士!』

『ええ全くです。テレビの前の皆さん、今回は神回になりますよ。家事も仕事も勉強も、今だけは忘れてご覧になることを勧めるぜ』

『ククイ博士の仰る通り! 会場のボルテージは最高潮、まだかまだかという気持ちが目に見えるようだ! それでは始めていきましょう、世紀のバトル、スタートですっ!』

 

 審判の合図と同時に、アイリスたちは一斉にボールを放った。

 

「いくよっクリムガン!」

「はじめるよアマージョ!」

「熱く飛べ、ファイアロー!」

「おねがいね、オニシズクモ」

 

 四者四様、先発のポケモンが場に出揃う。

 一瞬の睨み合い、先に動いたのは意外にもスイレンだった。

 

「ねばねばネット!」

 

 半円状に粘着質な網が発射される。飛べるファイアローだけが辛くも逃れたが、あとの二体はまともに頭から被ってしまった。観客からどよめきが上がる。

 

『先制はスイレンのオニシズクモ〜っ! このなかでは最も素早さの遅いポケモンですが、迅速な滑り出し! あらかじめ指示を聞かせてあったのか! 実に鮮やかな手際です! これでほかの3名は機動力を奪われた〜っ!』

『ねばねばネットはその場に残り続けるから後続にも負荷を掛けられる。やるなスイレン……おっ、カキが動くぞ』

 

「先手を取ったつもりか! 網ごと吹き飛ばしてやる! ファイアロー、ブレイブバードっ!」

 

 疾風の翼を持つ紅き猛禽が大蜘蛛に迫る。しかし、ファイアローの鉤爪がオニシズクモを裂かんと開かれたまさにその時、がら空きの背中をアマージョがしたたかに蹴り抜いた! ファイアローはたまらず舞台に墜落する。

 

「なに!?」

「女王様の前で不意打ちなんてさせないよ!」

 

 マオの言葉にカキが歯噛みした。網に絡まれて動けないだろうと後回しにしたのが不味かったか。

 

『痛烈なトロピカルキックがファイアローを襲う! タイプ相性は圧倒的有利をとっているカキ選手ですが、急所を蹴られたダメージは甚大だ! とんぼ返りでひとまず2体目に繋げていく!』

『アマージョの特性"女王の威厳"は先制攻撃を無効化する効果を持つ。硬くて手強いオニシズクモを一撃で持っていきたかったんだろうが、すこし焦ったな』

『さあ、カキの2体目はアローラガラガラ! マオ選手もすかさずルンパッパに交代! めまぐるしく動くこの盤面、どう凌ぐ!?』

 

 マオが天井に向かって手を伸ばす。

「ルンパッパ、雨乞い!」

 

 擬似的な雨が降り注いだ。これで致命的な炎技の威力は半減する。しかし、マオの思惑とは裏腹に、カキは余裕綽々で指示を発した。

 

「雨でオレの炎を防ごうと思ったんだろうが、浅はかだったな! オレにとっても恵みの雨だ! ガラガラ、(カミナリ)!」

「なっ!?」

 

 ガラガラが吼え、燃える骨を振り回し、クリムガンと戦っていたオニシズクモに突きつけた。瞬間、局地的な稲妻が舞台を駆け抜ける! 

 

「ギュィイイイイっ!」

 

 オニシズクモが悲痛な声をあげて倒れた。カキの頭上のディスプレイに数字が光る。

 

「オニシズクモ、ダウン! カキに1ポイント!」

「えっ、どうして?!」

 

 審判の宣言にアイリスは目を丸くした。マオとカキが火花を散らしているあいだ、オニシズクモを削っていたのは自分なのに、なぜカキにポイントが入るのか。

 

 2体目を準備しているスイレンが言う。

 

「ここではとどめをさした人にしかポイントが入らないんだよ。あんまり長引かせてると、横からポイント攫われるんだ」

「そ、そんなルールだったのね……思ったより難しいかも……」

 

 アイリスは汗を拭った。ただでさえ四つ巴の大混戦でやりづらいというのに、彼我の体力管理まで厳にしなくてはならないとは。

 ローテーションバトルとも、トリプルバトルとも違う味わいに、アイリスは身の内がぞくぞくするのを感じた。

 

 ククイの言葉が甦る。

 

 ──これより面白くて夢中になれるバトルはないぜ? 

 

「たしかにね……楽しくなってきたわ……!」

「アイリス、愉しそう……。わたしももっともっと楽しむね」

 

 スイレンは微笑み、ラプラスを繰り出した。

 

 

 

 

 

 四

 

 倒し倒され、天候が激しく切り替わり、気がつけば、4人とも残り一体まで追い詰められていた。

 バトルロイヤルでは誰かが3体倒された時点で試合終了となる。ここまでもつれこむことは稀だから、観客はトイレも忘れて見入っていた。

 

 4人がゆっくりと最後のボールを握る。泣いても笑ってもこれで終わり。無言のうちに目を見交し、同時にボールのスイッチを押した。

 

「オノノクス!」

「キングドラ!」

「アップリュー!」

「バクガメス!」

 

 4体のドラゴンが一堂に会する。滅多に見られない光景に、実況が口角泡を飛ばしてまくし立てた。

 

『なんと、なんというカードでしょう! 全員最後にドラゴンポケモンを残していたとは、何たる偶然、なんたる奇跡! いやはや、誰が優勝するのか、わたし全く分かりません!』

 

 カキが裂帛の気合で吠え猛る。

「龍の波動!」

 

 七色に輝く閃光がオノノクスを狙う。アイリスは慌てず騒がす指示を下した。

 

「龍の舞で避けて!」

 

 オノノクスは地を這うほどに体を屈め、難なく攻撃を躱すと、勢いに乗って激しく踊り出した。舞踏による高揚が、力を漲らせていく。

 

『オノノクスは元々攻撃力の高いドラゴンだ。舞ったオノノクスを倒すのは至難の業だぜ』

『そうはさせじと3人が一斉に攻撃していきます! ところでククイ博士、マオ選手のポケモンはこの地方では見慣れない個体ですよね』

『ガラル地方に棲息する草・ドラゴンタイプのポケモン、アップリューだな。弱点こそ多いが、それを補って余りあるパワーを秘めている。お、アップリューも龍の舞を始めたぞ。上から叩こうって算段か』

 

「キングドラ! 冷凍ビーム!」

「アップリューはアクロバットで撹乱を!」

 

 骨まで凍えるビームと、目にも止まらぬ近接攻撃がオノノクスを襲う! オノノクスは双方の攻めをいなしながら、反撃すると見せかけて、離れたところで孤立しているバクガメスに肉薄した! 

 

「これで終わりよ! ドラゴンクロー!」

 

 オノノクスが鉤爪を振りかぶる。しかし、カキはどこまでも冷静だった。

 

「バクガメス合わせろ! トラップシェル!」

 

 背中の甲羅にクローが決まった、と思った次の瞬間、凄まじい爆炎が噴き上がる! オノノクスの鱗が焼け焦げ、苦悶の呻きを漏らして仰け反った。

 

『バクガメスの得意技、トラップシェルが決まったぁああああ! 受けたダメージを倍にして返す離れ業、この大混戦で見事決めてみせましたカキ選手っ!』

 

「カウンター技……!? やられた……!」

 

 アイリスが歯ぎしりし、拳を握りしめた。

 乱戦の最中、無防備に背中を見せていると思ったがとんでもない、動き全てで誘っていたのだ。

 炎半減とはいえ、手痛い反撃を喰らったオノノクスの体力は残り僅か、もはや一刻の猶予もない。

 早く動かなければ、このまま押し切られる──! 

 

「オノ」

 

 しかし、慌てたアイリスを、他ならぬオノノクスが制した。

 

 万感の思いを込めた目で、アイリスを見つめている。

 

「……!」

 アイリスは前のめりになっていた姿勢を正し、胸に手をあて、大きく深呼吸した。

 

 敵は三体、体力はレッドゾーン。誰が見ても絶体絶命のピンチ。

 そんな時、トレーナーが出来ることは────やるべきことは、たった一つしかない。

 

 瞼を閉じ、オノノクスに向かって掌を伸ばした。

 オノノクスもまた、棒立ちになって両目を閉じる。

 マオたちも、観客も、ククイ以外の全員が、ふたりの行動に息を飲んだ。

 

「なんだ……? なにをやっている……?」

 

 カキの台詞は、全員の気持ちを代弁していた。

 隙だらけの立ち姿。なのに何故か、攻撃することは憚られた。

 

 

「心を研ぎ澄まし……ポケモンとひとつに……」

 

 

 アイリスとオノノクスのあいだに、見えない繋がりが生まれる。

 焦りも不安も葛藤も、いまだけは忘れよう。

 あたしはただ、信じるだけだ。この子の強さを。この子の勝利を。

 

 

「感じるよ……あなたの痛み……それ以上に、勝ちたいって気持ちが……!」

 

 

 アイリスの顔に、笑みが浮かんだ。

 

 

「まだ戦える、そうだよね、オノノクス!」

 

 

 ふたりが同時に目を開く。強い眼差しに、マオたちは思わず後ずさった。

 

 アイリスがぐっと拳を突き出す。

 

「必殺っ! ギガインパクトっ!!!!!!」

 

 オノノクスの体が激しく輝き、恐るべき速さで猛進する。マオたちの命令が届くより先に、3体纏めて吹き飛ばした! 

 

 衝撃波が観客席を揺るがし、悲鳴が上がる。照明が点滅し、ふっと消えた。

 

 

 もう一度灯りが点いた時。

 舞台には、オノノクスだけが立っていた。

 

 

 

 

 

 

 五

 

「いやー負けた負けたぁ!」

 

 特製カレーを前にして、マオは豪快に笑った。カキがうんうんと頷き、スイレンは少し悔しそうにジュースを啜っている。

 

「かなり鍛えてたつもりだったんだけど、まだまだ伸びしろがあるね、うちのアップリュー!」

「それを言うならオレのバクガメスもだ。どこかのタイミングで殻を破っていれば、もっと積極的に戦えた。オレ自身、まだまだ理解が足りていない」

「キングドラの特性(スナイパー)を活かして、距離をとって戦ってもよかったなあ」

 

 大興奮のうちに幕を下ろしたロイヤルドームから場所を移し、シェードジャングルで開かれたカレーパーティは、いくら喋っても話のタネが尽きなかった。

 

 アイリスは勝利の余韻に浸る間もなく3人から質問攻めにされた。ドラゴンの育てかた、技構成、育ててみたいポケモンなどなど。逆にアイリスから訊ねることもあって、楽しい食事の時間はあっという間に過ぎていった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 とっぷりと日も暮れた密林は、葉ずれの音とポケモンの鳴き声がぽつぽつ聞こえるだけで案外静かだ。

 

 木陰で休んでいたアイリスは、ククイの足音を聞きつけ、振り向いた。

 

「よう。あらためて、バトルロイヤル優勝おめでとう」

「ありがとうございます。……へへ、なんだか胸の真ん中がぽかぽかしてあったかい」

「それが勝者の特権さ」

 

 ククイが隣に腰を下ろす。

 しばしの沈黙か流れたあと、アイリスはぽつりぽつりと語りだした。

 

「……あたし、実は昨日のこと、結構凹んでたんですよ」

 

 ククイは黙って先を促した。

 

「ドラミドロに襲われた時も、サクラビスと戦った時も、あたし、助けて貰ってばっかりで、なんにも出来なかったなって……ジムリーダーなのに」

 

「こんなことで、やっていけるのかなって……。ジムリーダーに相応しくないんじゃないのかなって、ぐるぐる考えちゃって」

 

「だからバトルロイヤルに出た時、じつは凄く不安だったんです。あっというまに負けちゃうんじゃないか、そうなったらどうしよう……そんなつまらないことばかり考えて、頑張ってくれてるクリムガンたちをちゃんと見てあげられてなかった」

 

「……だけど」

 

 ぎゅ、と袖を掴む手の甲に、雫が二粒落ちる。

 

「オノノクスが止めてくれて、あたしやっと気づけたんです。トレーナーとしていちばん大事なのは、結果を出そうとしたり、負けるのが嫌で慌てることじゃない。──心から、あの子たちを信じる事なんだって」

 

「ジムリーダーだろうと、駆け出しのトレーナーだろうと、変わらないんです。あたし、それを忘れてた……」

「……でも気づけた。だろ?」

「──はい!」

 

 目元を拭い、アイリスはにっこりした。

 

「あたし、今日からやり直します! オノノクスたちと、みんなで! それで、チャンピオンになるって夢を叶えるんです」

「そのときはきっと、ロイヤルドームに出てくれよ」

「もちろん!」

 

 ククイが言い、アイリスが笑う。

 オノノクスの入ったボールが、任せろというようにかたりと揺れた。

 

 

 




いかがだったでしょうか。
前回あまりにアイリスの見せ場がなかったので、今回の話を思いつきました。
あくまで本編のおまけ的ストーリーなのでかなり駆け足での展開になりましたが、少しでも楽しめていただけてたら幸いです。

バトルロイヤル、皆さんチャレンジしてました?
僕は旅パで挑んでフルボッコにされて以来やってません。
バトルツリーは楽しめたんだけどなあ。。。

ちなみにマオちゃんのアップリューとカレーのレシピは、ガラル地方の某ジムリーダーから譲られたという裏設定があります。
作中に入れようとして挫折しました。筆運びが下手ですね。精進します。

面白かったらぜひ感想評価お願い致します。
そして、いつも感想をくれる方々、ありがとうございます。
本当に嬉しいし励みになります!これからも頑張ります!


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9話/バトルと冒険はいつだって最高なんですのよ!

お久しぶりでございますわ〜!具体的に言うと3ヶ月と2週間ぶりの投稿でしてよ!
いよいよパルデア地方への旅を明日に控え、どうしても書き上げておきたかったお話ですわ。
お暇つぶしになれば幸いですわ〜!


 一

 

 

 ホテル・スボミーインのベッドの上で目覚めたサトシは、静かに起き上がると、大きく背伸びをした。

 

「あー、よく寝たなあ」

 

 カーテン越しに見える空はすでに日が高い。時計を見ると、時刻は十時半を回ったところだった。昨日横になったのが九時前だから、ざっと半日以上も寝ていたことになる。隣のピカチュウはまだ夢の中で、サトシの声にも起きる気配はなかった。

 いつもならピカチュウのほうが先に目覚めて起こしてくるのに……。サトシはふっと頬を緩ませた。

 

「疲れてるよな、おまえも」

 

 柔らかい毛並みを撫でる。規則正しくふくらむ腹が愛おしかった。

 ────ダンデとの激闘から三日。大勢の友達から祝いのメッセージが舞い込み、マスコミのインタビューも殺到して、てんやわんやの毎日だった。

 まだ、ダンデを下してチャンピオンになった自覚は乏しい。乏しいままチャンピオンと持て囃され、どこにいっても注目を浴びるのが気恥ずかしくて、つい人目のあるところを避けてしまう。

 

「すごいバトルだったよなあ」

 

 あんなに胸が熱くなり、ハラハラしたバトルはかつてなかった。シゲルとの戦いも、シンジとの戦いも、忘れられない思い出だけれど、(ダンデ)の強さは別格だった。

 ひとつひとつの技の選択、交替のタイミング、切り札の使い方。どれをとっても勘が冴え渡っていて、常に主導権を握られていた。

 

 本当に、苦しい戦いだった。

 

 キョダイマックスとZ技の連続使用という、心身への負担が大きい戦術にピカチュウが応えてくれたからこそ、もぎ取れた勝利だった。

 

「…………」

 

 無言でベッドを抜け出し、テーブルに置いた五つのボールの前に立つ。

 あれ以来、大好きなバトルが一度もできていない。

 戦いたい。

 あのワクワクを、もう一度味わいたい。

 

 ────でも、誰と? 

 

 ダンデはいま、バトル施設建設のため日夜忙しく、滅多に声をかけられない。

 シゲルはプロジェクト・ミュウが佳境を迎えているので誘うのは憚られる。

 シンジはどこにいるのかもよく分からず、メッセージにも返事がなかった。

 

「戦いたいなあ」

 

 呟いたその時、スマホロトムがメールの受信を告げた。

 送り主の名前にサトシが目を見開く。文章を読み進めるうちに、みるみる顔が輝いた。

 

 

 ────親愛なるサトシへ。

 お久しぶりですわ。お元気ですこと? 

 わたくしを覚えておいででしょうか。

 実はわたくし、いまガラルに来ておりますの。もしもお時間が合えば、お昼ちょうど、ワイルドエリア"逆鱗の湖"までお越しくださいまし。

 わたくしとピクニックランチをいたしましょう。美味しいサンドイッチがございましてよ。

  ラナンキュラスより────

 

「ははっ! ピカチュウみろよ、ラナンからのメッセージだ!」

 

 サトシの歓声にピカチュウが目を覚ました。寝ぼけ眼で相棒の肩によじ登る。ラナンのことは覚えていたようで、ピカチュウも嬉しそうな声を上げた。

 

 数ヶ月前、ワイルドエリアで邂逅した記憶が一気に甦る。色違いポケモン研究のため、いきいきと活動している姿が目に浮かぶようだ。

 

「こうしちゃいられない! ピカチュウ、急いで出かけるぞ!」

「ピカ!」

 

 サトシは大慌てで支度を済ませると、勢いよく部屋を飛び出した。

 

 

 

 

 二

 

 

 外は素晴らしい天気だった。

 雲ひとつない蒼穹に、透き通るような爽やかな秋風が吹き流れて、カイリューも気持ちよさそうに翔んでいる。眼下に広がる湖のほとりにキャンプしている人影を認め、サトシが指を差した。

 

「カイリュー、あそこに降りてくれ」

「クゥ」

 

 朗らかに鳴き、ゆるやかな弧を描いて舞い降りる。カレー鍋をかき混ぜていた少女が、こぼれるような笑みと共に振り向いた。

 

「お待ちしていましたわサトシ! ピカチュウ! それにカイリューも! 以前お会いした時にくらべて、一回りも二回りも強くなりましたわね? 素晴らしいですわ〜っ! おーっほっほっほっ!」

 

 白衣をばさぁっと翻して高らかに笑う。つられてサトシも破顔した。

 あたりにはカレーの芳醇な香りが満ちていて、腹の虫が盛大にわめいた。

 

「ああーっ、いい匂い! おれもうお腹ペコペコだよ!」

「それなら作った甲斐がありましたわ。さあさ、テーブルにお着きなさいな。手持ちの子たちの分もちゃあんとありましてよ!」

「やったあ! みんな、でてこい!」

 

 天高くボールを放り、仲間たち全員を外に出してやる。ルカリオとネギガナイトは凛とした貌で周囲を警戒していたけれども、食欲をそそる匂いにいつまでも抗えるものではなく、いそいそと席に着いた。カイリューとウオノラゴン、ゲンガーの3体にいたっては、早く食べさせてくれと手足をバタバタさせている。

 

「では、わたくしも」

 

 言って、ラナンも六つのボールを開いた。

 サトシは、その豪華な顔触れに感嘆の吐息を漏らした。

 巨大な翼を広げた翠鱗のボーマンダに、半分眠ったような目つきの蒼輪模様のペンドラー。紫がかった毛並みが美しいアローラキュウコンと、人懐っこそうにニコニコしている桃色のラグラージ。

 ラナンのそばには♂のイエッサンがぴたりと寄り添い、白銀に輝くイーブイが澄まし顔でサトシを見やって、色違いのポケモン6体が揃い踏みした。

 

「わたくしの愛しきパーティですわ! どうぞお見知り置きくださいまし! おーっほっほっほっ!」

「へえ……!」

 

 再びの高笑いを背景に、サトシは興奮しきった面持ちで全員を見回した。

 どのポケモンも、並大抵の強さではないのが伝わってくる。

 

 ────戦ってみたい! 

 

 ポケモントレーナーとして、サトシは痛いほどそう思った。

 

「それではランチにいたしましょう! サトシのチャンピオン就任記念パーティー、スタァトですわ〜っ!」

 

 二人と十二体が一斉に「いただきます」をして、賑やかな食事が始まった。

 スクランブルエッグとクリームで飾られたカレーに、具だくさんのサンドイッチ、新鮮な野菜たっぷりのサラダと、濃厚なコーンスープ。人間とポケモンが同じメニューなのにも驚いたが、なによりサトシが目を瞠ったのは、ポケモンごとに味つけが変えてあることだった。

 

 たとえば、隣のカイリューが食べているサラダには甘いモモンの実が入っているのに対し、ネギガナイトの皿には激辛マトマの実がふんだんに使用されている。

 もしかして、と視線を走らせると、他のポケモンたちにもそれぞれ好みの味になるような工夫がこらされていた。

 

「みんな違う味を作るの、大変だったろ? 凄いな、ラナンは」

「これぐらい、トレーナーならば当然ですわ」

 

 ラナンの返事はさらりとしたものだった。

 彼女が心から愛情を注いで育てているのが伝わり、サトシは胸の中がふわふわ温もるのを感じた。

 

 

 

 

 三

 

 

 楽しい食事はあっという間に終わり、片付けを手伝ったサトシがいつバトルに誘おうかうずうずしていると、ラナンが「巣穴に潜ってみませんこと?」と言い出した。

 

「巣穴?」

「ええ。この湖の裏手に小高い丘があるでしょう? そこにポケモンの巣穴があるんですの。食後の探検、というやつですわ」

「面白そう! いくいく!」

 

 ピカチュウを肩に乗せ、サトシとラナンはさっそく巣穴に向かった。

 丘には屹立した岩が複数並んでい、野生のシャワーズやリーフィア、ブラッキーらが日向ぼっこをしてくつろいでいる。ラナンたちが近づいても逃げる様子はない。

 巣穴はすぐに見つかり、二人は潜りこんだ。

 

 中は大きな空間が広がり、いくらでも走り回れそうだった。

 

「ここはいつもガラル粒子に満ちていて、いつでもダイマックスを使うことができるんですの」

「へえ……」

「勿論、メガシンカもZ技も使えますわ。ミスター・ダンデと戦った時と、同じ条件ですわね」

「……え」

 

 振り返ると、ラナンはサトシから充分な距離を置いてボールを突きつけていた。

 

「チャンピオン・サトシ!」

 

 朗々たる声が響き渡る。

 

「一介のトレーナーとして、あなたに勝負を挑みましてよ! ルールはシングル、交代あり、6vs6のフルバトル! 全てのポケモンを戦闘不能にさせたほうの勝利ですわ! メガシンカもダイマックスもZ技も、すべて使用できましてよ!」

「──! その勝負、のった!」

 

 サトシは胸を高鳴らせた。拳を強く握りしめる。ラナンがルアーボールを放るのと、サトシがピカチュウに出撃を命じるのはほぼ同時だった。

 

「おいでなさい、波濤の王・ラージャン!」

「いってこい、ピカチュウ!」

 

 雄叫びをあげるラグラージ(ラージャン)と、火花を散らすピカチュウが対峙する。

 サトシは黙考した。相性は不利だ。みず・じめんのラグラージに電気技は通じない。

 

(……なら、素早く動いて隙をつくる!)

 

「ピカチュウ、電光石火!」

「させませんわよ、ラージャン、ステルスロックですわ!」

 

 地面から尖った岩片が次々に浮かび上がり、ピカチュウの行く手を塞いだ。サトシの見通しも効かなくなる。しかし、この程度なら障害にはなり得ない! 

 

 縦横無尽に走り抜け、あっさり岩の林を突破すると、構えてもいないラグラージに肉薄した! 

 

「アイアンテール!」

 

 速攻が決まり、ラグラージは強かに横顔を殴りつけられた。大きな口を開けて、悲鳴とも鳴き声ともつかない音を漏らす。

 

「そのまま連続攻撃!」

 

 鋼の尾が再びラグラージを襲う。ヒットする直前、ラナンが指を突きつけた。

 

「グロウパンチっ!」

 

 渾身の拳がピカチュウを捉えた! 攻撃態勢だったピカチュウは受け身を取ることもできず、まともに地面に叩きつけられる。

 そのまま追撃があるかと思いきや、ラナンはラグラージを引っ込めた。代わりに出てきたのは上向いたツノを持つエスパーポケモン、イエッサン♂である。

 

 イエッサンが地に降り立った瞬間、フィールドに不可思議な膜が展開した。

 足元から昇ってくるこの感覚に、サトシは覚えがあった。

 

「サイコフィールド……!?」

「ご名答ですわ。効果はご存知ですわね? もうピカチュウの電光石火は打てませんことよ! セバスチャン、トライアタック!」

 

 イエッサン(セバスチャン)の周囲に浮かんだ赤青黄、三つの光線がピカチュウに殺到する。懸命に躱そうとするも、背後は岩に阻まれ、得意のスピードも出せず、全弾が直撃した! 

 

「ピカチュウ!」

「ぴ、ぴが……ちゃあ……」

 

 ピカチュウはなんとか立ち上がったが、足取りがふらふらして覚束無い。そのままこてりと倒れてしまった。慌ててサトシが駆けつけると、すぅすぅと穏やかな寝息を立てている。

 

「ね、眠ってる?」

「ラージャンの欠伸が効いたようですわね」

「あくび? …………あの時か!」

 

 サトシははっと息を飲んだ。ラグラージがピカチュウに殴られた時、大口を開けていた。てっきり痛みに呻いているのかと思ったが、あれは欠伸だったのだ。

 眠りは深く、すぐには覚めそうもない。

 

「ピカチュウ、よく頑張ってくれたな。すこし休んでてくれ」

 

 ピカチュウを地面に下ろしてから、サトシは鋭い眼差しで盤面を睨みつけた。

 ステルスロックもサイコフィールドも厄介だ。だが、()()()()()()なら突破することが出来る! 

 

「頼んだぞ、ネギガナイト!」

 

 長大な槍と堅固な盾を構え、ネギガナイトが姿を現した。ステルスロックが刺さり、無視できないダメージを与えてくる。

 

「まずは岩を壊すんだ!」

 

 盾を振りかぶり、凄まじい膂力で投擲した。高速で回転する盾が、次々に岩を破壊していく! 

 ラナンがにやりと笑った。

 

「シロナ戦で見せた技ですわね。あの時も見事な機転でしたわ。ですが! 既知の攻略方法を黙って見ているほどわたくしもお人好しじゃありませんことよ! セバスチャン、マジカルシャイン!」

 

 煌めく虹色の光が礫のように発射され、盾を撃墜する。

 残りの光弾がネギガナイトに迫り来た! 

 

「避けろネギガナイト!」

 

 ネギガナイトが走る。落とされた盾を拾い、光弾を叩き落とした。勢いそのまま、イエッサンに斬りかかる! 

 しかし、イエッサンは落ち着き払った表情を崩さず、その場から動かなかった。槍が胴体を貫こうとする瞬間、()()()()()()()()マジカルシャインがネギガナイトに命中する! 

 予想だにしなかった方向からの一撃に、ネギガナイトはがっくりと片膝を着いた。

 

「ガ……モ……!」

 

 わなわなと震えながら、最後の力を振り絞って地面を斬りつけると、そのまま項垂れて動かなくなった。

 

「……っ、もどれ、ネギガナイト」

 

 ボールに戻った勇敢な騎士に囁く。

 

「ありがとうな。お前の頑張り、無駄にはしないぜ」

 

 イエッサンにダメージを与えることこそ出来なかったものの、ステルスロックの大部分は壊せた。これで他の仲間がぐっと楽になる。

 気を取り直し、サトシは三体目を呼び出した。

 

「頼むぜ、ウオノラゴン!」

 

 ウオノラゴンが咆哮した。仲間を倒され、激昂している。合わせてラナンもイエッサンをひっこめた。

 冷静な態度を装いながらも、ラナンは密かに戦慄していた。

 

(最後の斬撃……あれでサイコフィールドが解除されてしまいましたわ……)

 

 ダンデ戦でバリコオルのサイコフィールドを消したのと同じ方法だが、あの時は何度も切りつけて壊したのに対し、今回はたった一度の攻撃で解除に成功している。それもほとんど瀕死の状態で。

 

(立派でしたわ、ネギガナイト)

 

 心の中で賞賛を送り、もう一度ラグラージを繰り出した。

 

 

 

 

 四

 

 

 ウオノラゴンはじだんだを踏み、絶え間なく吠えている。すっかり興奮していた。

 

「行くぞ、ウオノラゴン! エラがみだ!」

「クァァアアァア!」

 

 ラグラージに向かって駆けていく。パーティ随一の力を持つウオノラゴンに噛まれればひとたまりもない。ラナンが命じた。

 

「ステルスロックで阻みなさい!」

 

 彼我の間を埋めるように岩片が浮かび上がる。ウオノラゴンは足も止めずに岩石にかぶりつき、噛み砕いた! 

 

「なんてパワーですの……!」ラナンは口元を覆った。

「いいぞ、そのまま進め!」

 

 ウオノラゴンがどんどん近づいてくる。ラナンは一度深呼吸をしてから、そっと右手首に触れた。

 

「────使うべきとき、ですわね」

 

 ラグラージが振り向き、こくりと頷く。ラナンも頷き返し、右手にはめたキーストーンを高々と掲げた。

 

「その剛腕で目の前の敵を粉砕なさい! ラージャン、メガシンカ!」

 

 眩い光がラグラージを包みこむ。一瞬の間を置いて結晶の繭が弾け飛び、メガラグラージが吠え猛った! 

 

 二体のポケモンががっぷりと組み合う。激しい攻防の末、とうとうウオノラゴンがラグラージの右腕に噛みついた! 

 しかし、ラグラージは意にも介さず、噛まれたままウオノラゴンを持ち上げる。がら空きの胴体に、グロウパンチが炸裂した! 

 

「ギャウグウウ!」

 

 苦しそうに呻きながらもウオノラゴンは離さない。むしろ(あぎと)の力を強めていく。ラグラージの顔が苦痛に歪んだ。

 

「ゴァァアァア!」

 

 二撃、三撃と拳を叩きこみ、ようやくウオノラゴンを引き剥がすと、地を這うように深く身を屈めた。

 ウオノラゴンも負けじと力を漲らせる。

 合図は全く同時に放たれた。

 

「滝登り!」

「ドラゴンダイブ!」

 

 逆巻く水と龍の力場がぶつかりあう。凄まじい爆風が吹き荒れ、サトシとラナンは思わず目をつぶった。

 もうもうと立ちこめた土煙がようやく晴れると、二人は、肩で息をするラグラージと完全に意識を失ったウオノラゴンを見つけた。

 

「サンキュな、ウオノラゴン。よく頑張ったぞ」

 

 サトシが微笑みながら労いの言葉をかける。ラナンは黙ってラグラージを観察した。

 噛まれた右手はぶらりと垂れ下がり、指一本動かすのもままならない。この戦闘中に治る見込みはゼロだろう。サトシの手持ちは残り四体。そのいずれも、片腕であしらえる相手ではない。

 だが、ラグラージの瞳には、闘志が力強く燃えていた。

 ならば、退かせるのは無礼というもの。

 

「まだまだいけますわね、ラージャン」

「グアウ!」

 

 返答は短く、頼もしかった。

 

 サトシの四番手はゲンガーだった。

 

「頼むぞ、ゲンガー!」

「ゲンッガァッ!」

 

 ぱん、と両手を打ち合わせて鬼火を生み出すと、四方からラグラージを囲んだ。

 

「滝登りで掻き消しなさい!」

 

 身体に纏った水で厄介な火種を潰していく。けれども、片腕が使えないハンデは重く、右半身に火傷を負ってしまった。

 そこへ、シャドーボールが畳みかける! 

 ダメ押しの一撃を喰らい、ラグラージの身体が傾いだ。

 

 サトシのダイマックスバンドがきらりと光った。

 

「ここで決めるぞ! ゲンガー!」

 

 一旦ボールに戻ったゲンガーが、雲を衝く巨体となって顕現し、疲弊しきったラグラージを睥睨した。

 

「キョダイゲンエイ!」

 

 シャドーボールが幻を引き連れた力の奔流となってラグラージに襲いかかる! 

 ラグラージはあんぐりと口を開きながら、ゆっくり、ゆっくりと仰向けに倒れていった。

 

「ありがとうございましたわ……ラージャン」

 

 ラグラージをしまったルアーボールを額に当て、ラナンは小さく呟いた。

 白衣のポケットからフレンドボールを取り出す。

 

「……あなたに託します」

 

 白衣の裾を翻し、ラナンは高らかに宣言した。

 

「もう一度、今度は大いなる姿でおいでなさい。我が親愛なる執事・セバスチャン!」

 

 ラナンのダイマックスバンドが輝き、ボールが何倍にも膨れ上がった。見上げるほどの巨体になったイエッサン♂が、ゲンガーに深々と辞儀を送る。特性によって、サイコフィールドが展開された。

 

 サトシが逡巡する。

 イエッサンのタイプはエスパー・ノーマル。ゲンガーの最大火力が出る技、キョダイゲンエイはゴースト技ゆえ通用しない。

 

「だったらこれだ! ダイアシッド!」

「ダイウォール!」

 

 ゲンガーの口から押し寄せた毒液の津波を、見えない壁が防ぎきる。サトシは小さく歯噛みした。

 ゲンガーの攻撃回数(ダイマックスターン)は残り一回。下手に攻めれば弱点をつかれて倒されてしまうだろう。もうゲンガーに、相手の攻撃を耐えるだけの体力は残っていない。

 

「ゲンガー! ダイウォールだ!」

 

 サトシの声が響き渡る。

 ────しかし、何も起こらなかった。

 

「なっ……?!」

 

 慌ててゲンガーを振り仰いだサトシは絶句した。なぜかゲンガーは眠りこけていたのだ。

 

「なんでいま……あっ」

 

 脳裏に先程のラグラージが甦った。キョダイゲンエイを受けて倒れていくとき、大きく口を開けてやしなかったか。

 

「……あれもあくびだったんだ……!」

 

 気づいた時にはもう遅い。無防備に眠りこけるゲンガーを、無慈悲なダイサイコが叩きのめした。

 

 気絶したゲンガーが元のサイズに還っていく。サトシは悔しさを滲ませながら、ボールに戻した。

 

 サトシの手持ちは残り三体、ラナンは五体。数の上で圧倒的不利に追いこまれている。おまけに、イエッサンには一度も攻撃を当てられていないのだ。

 

「強いな……ラナンは」

 

 ダンデと戦っている時と同じくらいのプレッシャーを感じ、掌にじっとりと汗が滲んだ。

 すると、ズボンの裾を引っ張られた。いつの間にか起きたらしいピカチュウが、強い眼差しでサトシを見つめてくる。

 

「ピカピ、ピカチュ!」

「ピカチュウ……目が覚めたのか」

「ピカチュピ!」

 

 頬袋から電気を散らしながら、ピカチュウは何度もサトシに呼びかけた。その声を聞くうちに、自分でも驚くくらい心が落ち着いていくのを感じ、サトシはにっこりした。

 

 そうだ。三体しかいないんじゃない。おれにはまだ、三体も頼りになる仲間がいるんじゃないか。

 

「ありがとう、ピカチュウ」

「ピカ!」

 

 サトシは穏やかな心持ちで、ラナンたちを見やった。

 頭の中で状況を整理する。

 イエッサンはあと一回、攻撃ターンを残している。ダイマックス技は威力も範囲も大きいために、回避は困難だ。

 なら、相手より早く動き、イエッサンを倒すしかない。

 

「いくぞ、カイリュー!」

 

 カイリューが、やる気満々に飛び上がった。

 

 

 

 

 五

 

 

 カイリューがイエッサンの目線まで飛翔すると、双方じっと睨みあった。

 ラナンが人差し指を突きつける。

 

「ダイアタックですわ!」

「龍の舞で躱せ!」

 

 視界いっぱいの白光を、カイリューは間一髪避けた。技の効果で攻撃力と素早さが上昇していく。

 攻撃を外したイエッサンのダイマックスが解け、元の大きさに戻るや、サトシが叫んだ。

 

「カイリューせいぐん!」

 

 シンジとの特訓のおかげで編み出した必殺技だ。龍星群とともにカイリューが突っ込むことで、威力は格段に跳ね上がっている。

 たとえ無傷のイエッサンでも、一撃で倒せる筈だ。

 

「……そう、考えているのでしょうね」

 

 ラナンが独りごちる。

 サトシの予想は、概ね正しい。

 イエッサンの防御力では龍の舞後のカイリューせいぐんにとても耐えられないだろう。

 しかしそれは、()()()()の話だ。

 

 カイリューが充分に近づいたタイミングを見計らい、ラナンが叫んだ。

 

()()()()()()()!」

 

 イエッサンとカイリューに不思議な力がかかり、互いの位置が入れ替わった。

 

「!?」

 

 カイリューは力いっぱい羽ばたいて、なんとか大地に激突することは免れたものの、咄嗟のことで思考が追いつかない。そこに、自身が放った龍星群が降り注いだ! 

 カイリューが悲痛な叫びを漏らす。間髪入れず、イエッサンが追い討ちをかけた。

 

「ワイドフォース!」

 

 サイコフィールドに充ちている力が一点に凝り、超能力の鞭となってカイリューを打ち据えた。爆煙が舞い上がる。

 

 一秒、二秒…………五秒。

 カイリューが居るはずの場所からは、なんの音も聞こえない。

 サトシにとって永遠にも思える時間が過ぎた頃、煙の向こうに、ゆらりと揺らめく影が見えた。

 

 無事かどうかは分からない。

 だが攻めるなら、今しかない! 

 

「ドラゴンクロー!」

 

 土煙の奥からカイリューが飛び出してくる。不意をつかれたイエッサンは、龍の爪に殴り飛ばされ、呆気なく気絶した。

 カイリューが勝利の雄叫びを上げる。

 

 ラナンは薄く微笑んだ。

 

「動けるかどうかも分かっていなかったでしょうに……仲間を心から信じているのですわね。流石サトシですわ」

 

 ボールを翳し、イエッサンを戻す。

 

「素晴らしい働きでしたわ、ありがとう、セバスチャン」

 

 フレンドボールに口づけ、三体目が入ったコンペボールを取り出した。

 

「たとえ飛んでいようとも、この子の角は必ず届きましてよ。いきなさい、双角の救世主・ペンドラー!」

 

 ボールから出たペンドラーがゆらりと首をもたげた。

 体長2.5メートル、体重実に200キロを超える巨躯でありながら、漂う気配や足運びは恐ろしく静かである。

 瞳も茫洋として、どこを見ているのかいまいち判然としない。

 

 いったいどんな攻撃を仕掛けてくるのか、サトシにはまるで予測がつかなかった。

 

「ごちゃごちゃ考えたって仕方ない! カイリュー、暴風だ!」

 

 カイリューが烈風を吹き荒らす。ペンドラーはぐるりと丸まると、その場で回転しだした。

 回転数はみるみる上がっていき、硬い殻と地面が擦れてモーターのような異音を奏で始める。

 充分に速度が乗ったところで、ラナンが指を鳴らした。

 

「GO!」

 

 ペンドラーが弾かれたように疾走(はし)り出す! ラグラージが生んだステルスロックはほとんど壊されてしまったが、辛うじて残っているものもあった。ペンドラーがそうした岩片の近くに到達すると、

 

「ハードローラー!」

 

 大地を蹴って飛び上がった。岩にも負けないほど硬質化した外殻を盾に、ステルスロックの間をピンボールのごとく飛び跳ねながら空中のカイリューに体当たりを喰らわせる! 

 あまりの質量にカイリューが怯む。機を逃さず、ペンドラーが猛毒の角を突き刺した! 

 

「キュアァァッ!」

 

 カイリューの顔色がみるみる悪くなっていく。猛毒状態に陥ってしまったのだ。カイリューはなんとか振りほどこうと藻掻くものの、ペンドラーの首のトゲががっちりと鱗に食いこんでとても引き剥がせない。

 

「キュアッ、キュァアァア!」

「〜〜っ、もういいカイリュー、戻れ!」

 

 苦しみ悶える声にたまらなくなって、サトシはカイリューを戻した。

 空中に放り出されたペンドラーは華麗に着地をきめ、サトシの次の手を待っている。

 

「まさか空を跳ぶなんて……! さすがだな、ラナン」

「お褒めに預かり光栄ですわ、サトシ」

 

 ラナンがしゃなりと膝を折る。

 そのとき、サトシはふとあることに気づき、地面に目を落とした。いつの間にか足元の不思議な感覚(サイコフィールド)が消えていたのだ。

 どうやら、イエッサンの特性の効果が切れたらしい。

 

(だったら……!)

 

 サトシの頬に赤みが差した。

 強力な先制技を持ち、しかも毒に侵されない唯一のポケモンを繰り出す。

 

「よおし、頼むぞルカリオ!」

 

 場に出たルカリオは大地を踏み締め、ペンドラーを睨め上げた。

 

 

 

 

 

 六

 

 

 二体の攻防は熾烈を極めた。

 ルカリオが生んだ無数の影分身をペンドラーがハードローラーで轢き潰し、残った本体にスマートホーンを突きつけるも、バレットパンチで相殺される。

 距離を置いて放たれる波導弾はステルスロックの陰に隠れて受け流し、地震で相手の姿勢を崩そうとしたが、波導を読んだルカリオは既に空中に逃げていた。

 

 双方、容易には隙を見せないまま、じりじりと時間だけが過ぎていった。

 

 ラナンには勝算があった。ペンドラーの特性"加速"ならば、いずれルカリオのバレットパンチをも上回る速度に到達する。

 どんなに強いポケモンも、目に見えない迅さには対応できまい。

 

(長期戦はわたくしの望むところ……さあ、どうしますの、サトシ)

 

 対するサトシは、頭の中から一切の雑念が消えていた。

 ルカリオの目を通じて、盤面の全てが手中にあった。

 波導が、サトシにも流れこんでくる。

 戦況は相変わらず不利だ。だが、焦りも不安も、ひと欠片だって感じてはいなかった。

 

「────ここだよな、ルカリオ」

 

 ルカリオが微かに目配せした。

 ふたり同時に両手を構える。

 サトシのキーストーンが、眩い光を放った! 

 

「メガシンカ!」

 

 ルカリオの全身が結晶の繭に包まれ、破裂する! 中から現れたメガルカリオの圧迫感(プレッシャー)に、ペンドラーが身構えた。

 

「ルカリオ!」

 

 サトシが右手を天に伸ばすと、ルカリオも倣った。()の中に蒼いエネルギー弾が出現する。

 光弾はどんどん大きくなっていく。キバナとの戦いで見せた巨大波導弾だ。

 

「データで知ってはいても……実際に見るととてつもない大きさですわね」

 

 ラナンの額に汗が滲んだ。

 ルカリオを指差す。

 

「ペンドラー! あれを撃たせてはなりません! いま仕留めるのです!」

 

 ペンドラーの躰が紫の弾丸と化し、みるみる距離を縮めていく! 時速100キロを超えた、回避も防御も埒外の、捨て身の攻撃。

 

「ハードローラー!」

「巨大波導弾!」

 

 二つの弾がぶつかりあう! 

 この戦いで最も激しい爆発が、巣穴全体を揺るがした! 

 吹き飛ばされそうになったピカチュウを、サトシが慌てて抱えこむ。

 

 

 ────風が止み、静寂が戻ってくる。

 ペンドラーとルカリオは、ものも言わず向かい合っていた。

 

「……最高の一撃でしたわ」

 

 ラナンが瞼を閉じる。

 ルカリオが片膝を着いた。

 

「……ですがあと一歩、届かなかった」

 

 言い終わらないうちに、ペンドラーの頭がぐらりと揺らぎ、支えきれず()()と倒れた。

 ルカリオが震える足に力を込めて立ち上がる。

 ラナンはペンドラーをボールに戻し、胸に押し当てた。

 

「ありがとう、ペンドラー。この上ない活躍、美事でしたわ」

 

 そうして、ルカリオとサトシを見やった。

 波導を感じる力が冴え渡っている。生半可な小細工は通用すまい。

 倒すには、全身全霊をこめた一撃を見舞うことだ。

 

「それなら、あなた以上の適任は居ませんわね」

 

 ラナンは微笑み、サファリボールを放った。

 

「制圧なさい、天空の覇者・ボーマ!」

 

 翠の鱗をきらめかせ、ボーマンダが火焰を吐いた。

 三白眼をぎらぎら光らせながら、ルカリオを威嚇している。

 すると、サトシのボールからカイリューが飛び出してきた! 

 

「カイリュー!?」

 

 サトシの制止を振り切ってフィールドに降り立ったカイリューは、ボーマンダの視線を真っ向から受け止めた。

 

 ────私が戦る。

 

 カイリューの双眸は、そう語っていた。

 

「ドラゴンとしての矜恃……というやつですわね。いかがしますの、サトシ?」

 

 呆気にとられていたサトシだったが、カイリューの意志は固いと知り、頷いた。

 

「戻ってくれ、ルカリオ」

 

 ボールに入る直前、ルカリオとカイリューが目を見交わし、拳を触れ合わせた。

 

 ラナンはその光景に目頭が熱くなった。

 彼女もまた、サトシと同じく根っからのポケモントレーナーなのだ。強敵と相対したとき、ポケモン同士の篤い友情を見れた時は、心震わせずにいられない。

 

「待たせたな、ラナン! さあ、始めよう!」

「ええ! ボーマ!」

「カイリュー!」

 

「「龍の舞!!」」

 

 飛龍同士の、譲れない戦いが始まった! 

 

 

 

 

 

 七

 

 

 カイリューの肉体を蝕む毒は、けして消えたわけではない。ボーマンダと戦っているいまも着実に命を削っている。

 技を出すたび、あるいは受けるたびに、顔色が悪くなっていくのを、ラナンもサトシも無論気づいていた。

 だが、サトシは無理に退かせようとはしなかった。不調をおして戦場に立つことを選んだ仲間の心意気を、無碍にはできない。

 

「ドラゴンクロー!」

「火焰放射!」

 

 カイリューの爪が業火に遮られる。タイプ不一致でありながら、ボーマンダの吐く火力は炎タイプに勝るとも劣らない威力を有していた。

 せめて相手の体勢を崩そうと暴風を吹かせるも、ボーマンダは乱気流の中をこともなげに飛翔して、そよ風に泳ぐかのようだった。

 

 いよいよカイリューの息が荒くなる。限界が近いことを悟り、サトシが呼びかけた。

 

「カイリュー! もういちどアレをやるぞ!」

 

 カイリューは大きく頷き、天井スレスレまで飛び上がった。

 

「ボーマは地上においでなさい!」

 

 ラナンがボーマンダを着地させる。

 

「キュアオオォオオォ!」

 

 最後の力を振り絞り、カイリューの周囲に流星が誕生した。

 雪崩花火のごとく、美しい軌跡を描いて落ちていく。カイリュー自身もまた、ボーマンダ目掛けて身を躍らせた! 

 

「ゴォアォオオオオ!」

 

 ボーマンダが両翼を激しくはためかせ、荒れ狂う竜巻を発生させる! 

 流星群は、あるいは弾かれ、あるいは逸れて、ボーマンダから外れた地点に墜落していく。畢竟、風の中心にはカイリューとボーマンダの二体のみが残された。

 

 互いに視線を絡みあわせ、二体の大龍が衝突する! 

 耳を聾する轟音が、サトシたちの皮膚を粟立たせた。

 

 ────果たして、ボーマンダの足元にはカイリューが倒れ伏していた。

 

「カイリュー……ありがとうな」

 

 カイリューをボールに仕舞い、サトシが優しい声で労った。

 猛毒に侵されていてなお、カイリューは気高く戦い続けてくれた。仲間の勇姿をしっかり胸に刻み、ボールのスイッチを押す。

 メガシンカしたままのルカリオが即座に前に出、一息に距離を詰めた。

 

「バレットパンチ!」

 

 サトシの指示に応え、拳を握る。

 しかし、ボーマンダの様子に気づいたルカリオは、振り上げた拳を静かに解いた。

 

 ボーマンダは、四肢を大地に立てたまま気を失っていた。

 

「体力も残り僅かだったでしょうに、よくぞボーマを()()()いきましたわ」

 

 サファリボールに仕舞いながら、カイリューの執念にも似た意地(プライド)に、ラナンは拍手を贈った。

 

「気がつけば残ったポケモンはお互い二体。楽しくなってきましたわね、サトシ!」

「ああ! おれもうワクワクが止まんないよ!」

「わたくしもでしてよ! さあ、いまこそいらっしゃい、白炎の女神・しろがね!」

 

 ムーンボールの中からアローラキュウコンが現れた。透きとおった瞳でルカリオを眺めやる。硝子細工のように繊細で完璧な美貌だった。

 九本の尾を僅かにひらめかせると、巣穴の空気が急に冷えて、小さな雪片がちらちら舞いはじめた。

 特性"雪ふらし"が発動したのだ。

 

 束の間、静寂が場を支配する。

 先に動いたのはルカリオだった。

 

「影分身!」

 

 実体のない幻が十数体出現し、キュウコンを取り巻く。けれども、それは悪手だった。

 

「吹雪を!」

 

 骨まで凍てつく寒波が押し寄せる。分身たちはひとたまりもなく消え去り、ルカリオを吹き飛ばした! 

 

 この吹雪で霰の勢いが増大した。冷気が体温を奪い、パワーを削いでいく。なんとかして近づきたくとも、強烈な吹雪は止むことを知らない。己の手も見えない有様であった。ルカリオは、雪山で遭難した登山者のように蹲るほかなかった。

 

「波導だ! 波導を感じるんだ!」

 

 豪雪の奥からサトシの声がきれぎれに聞こえてくる。ルカリオは固く目を瞑った。

 

 

 一方。

 キュウコンの背を見つめながら、ラナンはサトシならこの窮地をどう脱出するか、そればかりを考えていた。

 

 サトシの発想力は柔軟で、常識に囚われない。誰も思いつかないようなやり方か、思いついてもやらないような方法でこちらの策を破ってくる。実に規格外のトレーナーだ。

 

(魅せてくださいまし、サトシ。あなたの底力を……!)

 

 その時。

 特大の波導弾が、猛吹雪の向こうに浮かんだ。

 どうやら玉砕覚悟で吹雪の()を止めるつもりらしい。

 

 巨大波導弾の消耗は凄まじいはずだ。今日はすでに一度撃っている。ここを凌げば、もう二度と飛んではこないだろう。

 

 更に吹雪を強めなさい、と言いさしたラナンは、目にした光景に度肝を抜かれた。

 

 なんと、巨大波導弾が()()()()浮かび上がったのである。

 

「な、なんて子ですの……」

 

 ラナンは恐れおののいた。

 

「あんな技を二つ同時に出してみせるなんて……し、しろがね、オーロラベールですわ! 絶対に当たってはなりませんことよ!」

 

 キュウコンは吹雪を止め、極光の幕を広げた。強力無比な護りだが、これを下ろしているあいだは攻撃も移動もできないという欠点がある。

 巨大波導弾の二連撃に耐えうるか、否か。

 

 ラナンは、耐える方に賭けた。

 

 ルカリオが両手を振り下ろす。一つ目の波導弾がベールに触れた途端、雷鳴にも似た音が鳴り渡った。膨大なエネルギーを受け止め、危ういところで拮抗している。波導弾が小さくなるにつれ、薄皮を一枚一枚剥ぐようにベールが破壊されていく様に、キュウコンの毛並みが逆立った。

 

「……! もういちどオーロラベールを……!」

 

 ラナンの声は、あと一歩、遅かった。

 もう一方の波導弾がベールに突き当たる。刹那、幕がたわみ、膨れ上がったと思ったら、次の瞬間儚い音を立てて崩れ去った。

 

 

 

 

 

 八

 

 

 長きに渡る激闘も、終わりが近づいていた。

 

 双方、残るポケモンは一体のみ。

 ラナンはすでにキュウコンを回収し、準備を終えている。

 

 サトシはフィールドに歩いていき、ルカリオの傍に跪いた。大技を三発も放ち、精魂尽き果てたルカリオは、キュウコンが倒れるのを見届けた途端気絶していた。

 

「ありがとうな」

 

 ルカリオの頑張りがなければ、ペンドラーとキュウコンの二体を倒すことは出来なかったろう。

 他のポケモンたちもそうだ。

 ステルスロックを噛み砕いてくれたウオノラゴンに、サイコフィールドを壊してくれたネギガナイト。メガラグラージを倒してくれたゲンガー。毒で苦しみながらも戦うことを諦めなかったカイリュー。

 

 みんなのおかげで、ここまでこれた。

 そして次のバトルが、

 

「最後だぜ、ピカチュウ」

 

 ピカチュウがやる気に溢れた声で「ピカ!」と鳴いた。

 サトシが笑う。

 

「よおし! 君に決めた! 頼んだぞピカチュウ!」

「ピッカア!」

「おゆきなさい、祝福の申し子・イヴ!」

「きゃう!」

 

 色違いのイーブイが躍り出る。小柄な四足獣同士、一歩も引かぬ面で向かい合った。

 二人のトレーナーが同時に口火を切る! 

 

「「電光石火!」」

 

 駿足を活かして駆け回るピカチュウに、イーブイがぴたりと寄り添う。スピードは互角だ。相手の裏は取れないと知るや、イーブイが距離を取った。すかさずサトシが指示を下す。

 

「10万ボルト!」

「スピードスター!」

 

 強力な電撃と星の瞬きがぶつかり合い、小規模な爆発を起こした。

 

「……速さもパワーも全く同じ。これではダメージを与えられませんわ」

 

 ラナンが嘆息する。だがその顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。

 

()()()()()()、という話ですけれど」

 

 白衣の袖を捲る。左手首に光るものを見て、サトシが目を見開いた。

 

「それは!」

「使わせて頂きますわよサトシ! さあイヴ、あなたの全ての力を解放するときが来ましたわ!」

 

 両手を額と腹に当て、ポーズを決める。

 力強い響きを持って、ラナンが叫んだ! 

 

「あなただけの専用Z技、ナインエボルブーストッ!」

 

 その声に、巣穴の入口からシャワーズやブラッキーらが駆け寄ってき、イーブイを後押しするように並んだ。イーブイの全身が光り輝く。

 

「電光石火っ!」

 

 瞬間、イーブイの姿が消えた。ナインエボルブーストによって潜在能力を極限まで引き出された肉体は、容易にピカチュウを置き去りにし、背後を取らしめた。

 

「捨て身タックルっ!」

「ピガァッ!」

 

 強かに突き飛ばされたピカチュウが振り向きざま10万ボルトを放つも、既にイーブイはそこに居ない。

 ラナンの傍で、悠々とピカチュウを見やっていた。

 

「ピカチュウのように素早く、広範囲の技を持つポケモンには、一撃離脱戦法(ヒットアンドアウェイ)が効きますわ。さあ、どうしますのサトシ」

 

 ラナンの挑発に、サトシはぐっと帽子のつばを掴んだ。

 その下の唇が、にっと笑う。

 

 ぽん、と帽子を放ると、ピカチュウが飛び跳ね、キャッチした。

 

「決まってるだろ! Z技にはZ技だ! いくぜピカチュウ!」

 

 サトシとピカチュウの動きがシンクロする。

 

「10万ボルトよりでっかい100万ボルト……いや! もっともっとでっかい、おれたちの超ゼンリョク!」

 

 二対の目がラナンたちを見つめる。

 ラナンは期待と興奮に震えながら、その視線を受け止めた。

 

「ピカチュウ! 1000万ボルト!」

「イヴ! ゼンリョクのスピードスターですわ!」

 

 雷と星が乱舞し、交錯する。地上に伝わるほどの震動が巣穴を揺るがした! 

 

 

 

 

 九

 

 

 ────外に出てみると、あたりはもう夕闇に包まれていた。

 

「うわ、こんな時間までバトルしてたのか」

「ほんとうに。あっという間でしたわねえ」

 

 頬に手を当て、ラナンが感慨深げに相槌を打つ。

 

「いまから街に戻るのも億劫ですし、今日はこちらでキャンプしませんこと?」

「いいね、賛成!」

「ではご飯を作りましょう!」

 

 ラナンの手際は素晴らしく、あっという間に人数分のシチューをこしらえた。もちろん、味つけはひとりひとり変えてある。

 

 激戦を終えたポケモンたちは、昼間よりもなお親密な空気が漂い、和気あいあいとしていた。ウオノラゴンが食べこぼしたのをラグラージが拾ってやり、カイリューがボーマンダにおかわりを運んでいる。イエッサンの給仕をゲンガーが手伝っているのには驚いた。ネギガナイトとルカリオは、なにごとか真剣な眼差しでキュウコンとペンドラーに語っていた。おそらく今日のバトルについて話しているのだろう。

 ピカチュウとイーブイがにこにこしながら並んで食事しているのを見た時、サトシは、このうえなく幸福な気持ちになった。

 

「おれさ」

「はい?」

「なんていうか、いま、すごく幸せだ!」

「わたくしもですわ」

 

 柔らかく微笑み、ラナンはあたたかいミルクティーを一口啜った。

 

「……サトシは、これからどうなさいますの?」

 

 ラナンの問いに、サトシはふと口を噤んだ。

 憧れのダンデに挑み続けた数ヶ月。ようやく勝利したばかりで、勝ったあとにどうするかなど考える余裕もなかった。

 

「そうだなあ……。なんにも考えてなかった……」

「ふふ。サトシらしいですわ」

「ラナンはどうするんだ?」

 

 ラナンは、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに頬を紅潮させ、胸元から一枚の航空チケットを取り出した。

 

「お次はここに行こうと思っていますの」

「ガラル発、ぱるであ行き……パルデア?」

「ええ!」

 

 ラナンは立ち上がるや、両手をめいっぱい広げた。

 

「パルデア地方! ここガラルと同じくらい、いえ、もしかしたらもっともっと広い大自然が広がる場所! そこにはまだ、見たことも逢ったことも無いポケモンたちがたくさん息づいているんですのよ!」

 

 サトシはその言葉を聞き、喜色を満面にうかべた。

 

「見たことも、あったこともないポケモン……!」

「ええ! 色違い研究家として、ポケモントレーナーとして、こんなに胸踊る土地はありませんわ!」

「おれも行きたい!」

 

 たまらずサトシも立ち上がった。ここに飛行機があったなら、即飛び乗っていただろう勢いである。

 

「うふふふふ、わたくしはひと足お先にいってますわよ! 早く追いついてらっしゃいな」

「ああっずるいずるい! いいなあ!」

「ずるくありませんわよ! わたくしに勝ったんですから、それぐらいはお譲りなさいまし!」

 

 

 はしゃぐサトシとラナンを、ポケモンたちは笑いながら見つめていた。

 中天にかかる月は、少しも欠けることのない満月だった。

 

 

 

 




さてさてさて、皆様いかがお過ごしだったでしょうか!

6対6のフルバトル、書くのめちゃくちゃ大変でしたわ!
途中で3対3に変えようか真剣に悩みましたわ!

ゲーム本編ではありえない、メガシンカZワザダイマックス全部ありの展開、さすがアニポケでしたわ。それを書きたくて始めたと言っても過言ではありません。
まさかダンデに勝つとは思ってなかったので、毎週楽しませていただきましたわ。アニポケスタッフに心から感謝いたしますわ!

いよいよ明日からパルデアにこもりますけれど、魅力的なキャラやポケモンがたくさんいるので、再び更新が始まるかと思います。
またお付き合いいただければ幸いですわ!

よければ高評価、感想宜しくお願いいたしますわ〜!


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