ツーリング・キャンプ仲間のおじさんがピンク髪の美少女になってた件 (キサラギ職員)
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《ふもと》
TS症候群の報告はつい最近されるようになったが、その報告は曰く核兵器による云々かんぬん。
オートバイ。バイク。モーターサイクル。いろいろ呼び方はあるが二番目のが一番好みであると彼は思っている。
愛車のVツインエンジンを唸らせながらカーブを曲がる。あまり曲がる車種ではないので、速度は言うまでもなく交通規制に従っている。死にたくないという気持ちがある反面で、バイクという乗り物は加速させようとする困った乗り物で、たとえそれが慎重な立場であるとしてもスロットルを回したくなるものだ。
などと油断していると白と黒の車に狩られるのでやりはしない。時折ミラーで背後にいる一台がきちんとついてきているかを確認しつつ、インカムに話しかける。
「あっつ」
「熱いねぇ。おじさんはもう正直だめです」
人のよさそうな声が返ってくる。ドドドドドという凄まじい音。彼の乗るミドル・アドベンチャーを上回る車格の海外製アドベンチャーバイクのエンジン音である。比較的小柄なのにひょいひょいと取り廻せるのはひとえに積んできた経験がものを言っているのだろう。
炎天下を長時間走っていたせいか、汗の量が減少しているのがわかる。快適かもしれないが、これは危険な兆候だ。日陰の下に自販機があるのを見つけたので、ウィンカーを出してギアを下げる。
「瀬戸君はどう? 休憩でもしない?」
「多治見さん、自分も限界すねこれは。いっすよ。あそこで止まりまーす」
「はーい」
年齢で言えば瀬戸は二十台前半、多治見は四十代も後半である(自称)。タメ口を聞くと違和感しかない年齢差ではあるが、元々インターネット上で知り合ったので『そういうもの』として二人の間の敬語は最低限であった。君さん付けで呼び合うのはご愛敬である。
路肩にバイクを止めて、サイドスタンドを立ててから降りる。ヘルメットを取ると自然と笑い合った。
「今日下道300くらいすかね。死にそうすわ」
「結局一日走ってたねぇ」
合計十二時間以上は走っていただろうか。観光地への立ち寄りこそあったものの、それを加味すれば走り続けていたことだろう。いくら大型バイクとて一日走れば尻は痛み、スロットルを握る指は皮膚が痛くなり、背中のあたりに違和感が生じ始める。今日は宿に泊まるだけなので楽なものだが。
またある日はネット上でやり取りをする。やり取りと言っても通話の出来るアプリで会話しつつ、ゲームをプレイするくらいであるが。
友達と言えば友達だが、走り仲間でもあって、まるで親戚同士のような付き合いをしていたそんな間柄であった。
ある日、アプリでこんなやり取りがあった。
多治見が体調不良を訴え始めたのだ。
『体調が悪いかも』
『マジすか』
『病院行った』
『しばらくバイク乗れんわこれ』
『バイクいかない?』
一か月後、体調が治ったのか、アプリでそんな提案をしてきた。
『富士山とかどうすか』
『ふもと?』
ふもとと聞くと一つしかなく、そこでキャンプしようという意味である。すぐに休日を調べて一泊できることを確認する。
『次の土日 どう?』
『いつでもいける 今 休職中』
休職ということは治っていないのか? いろいろと疑問はあったが、その時はそこまで考えなかったのだった。
当日早朝。東京から出て高速に乗って炎天下進んでいき、高速を降りて現地に向かう。ネットで予約していたので受付はスムーズだった。
『ちょっと遅れる 十分くらい設営して待ってて』
当日は晴れていた。富士山が良く見えるキャンプ場で有名なだけあって、目の前にどとんと富士山が聳え立っていた。季節が真夏のせいか頭に雪をかぶっているということもなく、黒々とした巨体を見せつけている。雲一つもなく、晴天である。今日も気温はあがることだろうことが予想され、とっとと設営をしてしまおうと荷ほどきをしていると、聞き覚えのあるエンジン音が響いてきた。
「お ま た せ」
「おっす……病気大丈夫でした……?」
違うのだ。声が違う。酒焼けした声ではなく、この声質はそれどころか男性ではなく女性のそれで。
若干腹の出たおっさんがまたがってると思いきや、ひょいと身軽そうに降りてきたのは背丈のちんまりとした小柄な“女の子”で。
ヘルメットを外すとふんわりとしたピンク色の髪の毛が風に舞って。
「おじさん、女の子になっちゃった」
その女の子は面目ないと頭を下げた。
みーんみんみんみー。
みーんみんみんみー。
みーんみんみん………。
十秒ほど間が空いただろうか。いの一番に口を開いたのは瀬戸である。
「え? 誰?」
「おじさんだよ! 多治見! 多治見飛鳥!」
多治見飛鳥。名前が女のようだが立派な男である。銭湯でもきっちり“見て”いるので間違いない。
ところが目の前の女―――大学生くらいだろうか―――は自分こそが多治見であると言って憚らないのだ。常識的にすぐに受け入れられるわけがなく。眉を顰めた瀬戸はスマートフォンを弄ってアプリを起動すると、メッセージを送った。
『シュポ』
目の前の多治見(?)の手の中にあったスマートフォンがメッセージを受信した音がした。
「ほら! 見て! おじさんのスマホでしょこれ!」
お安い中国製のスマホをドヤ顔で見せつけてくるので開いているアプリを見ると、確かに自分のメッセージのやり取りが表示されている。
「だけどさぁ」
「盗んだっていいたいんだね。わかる。おじさんもよーくわかります。じゃあこれ」
次に出してきたのは年季の入って汗を吸い黒くなった安物の財布である。免許証を取り出して見せつけてくると、確かにピンク色の髪の毛の女性が免許証に映っていて、名前も多治見飛鳥と表示されているのがわかる。
いや、でも……ともごもごと反論しようとしたところで止めが刺される。
多治見はおもむろにスマホを操作すると、それを見せつけてきた。
「瀬戸君にだけは見せてやってもいいよ。一枚目これね」
「ヴォエ!」
パンツ一枚で姿鏡の前で自画撮りするおっさんという地獄みたいな画像。
思わず吐き気を覚えたところで二枚目が披露される。
「二枚目これね」
髪の毛がピンクになり、ぽよぽよだったお腹が引っ込んで身長も縮んだ画像。
三枚目、四枚目と経る度にどんどんと姿が面影を残して変わっていき、最終的には同じパンツを履いた女性の画像になった。
がくりと膝から崩れ落ちる瀬戸であった。
多治見はたははと快活に笑うと、蹲った瀬戸の肩を叩いた。
「わかる。いやおじさんも驚いたんだけどねぇ、痛風は治るわ腰痛治るわ慢性眼精疲労治るわおしっこ快適だわいいこと尽くしでね」
「それは聞いてねぇよ!」
立ち上がって肩を掴んで口角泡飛ばしつつ怒鳴ってみるが、むなしいだけであった。
じっと見つめてみると確かに面影が残っている。人懐っこそうな目元。通った鼻筋。それ以外は別物である。ピンク色の髪の毛は腰まで伸びて、太陽光を反射してヘイローよろしく円環型を宿しているし、きめ細やかな素肌は白磁のそれで。通気性を考慮した薄手の夏用ジャケットは大きい胸元に押し上げられているし。なるほど、親しみを感じる美少女と言った様子だった。
「ま、ま、別に悪いことじゃないだろう? おじさんはおじさん。心はそのまんまのつもりだしね。まァ、相棒はちょっとでかすぎて扱い難いけどぉ……」
ちらっと大型のアドベンチャーを見やる多治見。元の体型ならともかく、今の女性体型では大型アドベンチャーは確かに扱いにくいであろう。
「とにかくキャンプ、しようぜぇ!」
多治見はえいえいおーと腕を突き上げたのであった。
Q.バイクは何?
A.スズキとBMWのアレ
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《ふもと》2
キャンツーをするにはいくつか条件がある。最低でもテント、寝袋、マットの三点セット。そして調理するならバーナーやコッヘルが必要だし、水を運搬するなら容器が、キンキンに冷えてやがるビールが飲みたいならクーラーボックス。座って寛ぎたいなら座椅子がいる。
それらの道具類を、安全に積まなければならないのだ。スポーティーなタイプのバイクだと積載量が限られることも多いが(外見を度外視すれば別)、アドベンチャータイプのバイクはその心配がない。正規品でボックスがついてきたりするくらいである。
二人の乗っているバイクもそうしたバイクなので、道具類には余力がある。なのでキンキンに冷えたビールを用意することもできるのであった。
とはいっても開幕から飲み始めると行動に支障が出るので、我慢である。
「やはりタープはこの時期必須だなぁ」
「せやな」
つれない返事をする瀬戸は、生き生きと設営している多治見を見ていた。
かわいいのだ。おっさん時代も違う意味でかわいい生き物だったが、こっちのかわいさは別格である。アニメの世界から飛び出してきたような瑞々しい生き物を見て触手が感応されないほど鈍い男ではなかった。
見た目は若い癖に手つきは熟練のキャンパーのそれで淀みなくハンマーでペグを打ち、テントの骨組みを通して立てて、タープのロープワークもお手の物である。
ガスバーナーでコーヒーを淹れ飲むのも乙だが、クソ暑い中で口にするのも躊躇され、買ってきた冷えたアイスコーヒーをちびちびとやりつつ富士山を眺める。
「瀬戸君体調でも悪いの?」
「へ? いやぁ体調が悪いのは多治見さんじゃないですかね。休職中なんでしょ」
薄手のシャツにジーパンを着込んだ多治見がチェアに腰かける。組み立て式で、瀬戸が使っているものよりグレードが高いのはそれだけ稼いでいる証拠である。
多治見は華奢な人差し指を立てて揺らした。
「そう。このTS症候群ってなんか一応は病気らしくって特例的に休んでもいいって言われてるんだよなぁ。傷病も出るしいいんだけどさ。ちなみに体調はすこぶる健康です」
「うらやま……しくはないなぁ」
この一か月が激動の日々だったことが想像され、己の身に降りかかることを想像するだけで数キロ瘦せてしまいそうだった。
「でも別嬪でしょ? うらやましくない?」
多治見がにこにこと白い歯を見せて笑う。人のよさそうな笑顔は外見が大きく変わっても共通している。
「いやぁ自分がなるのはちょっとご遠慮願いたいというか……というか家族への説明どうしたんすか」
「病気でこうなっちゃいましたって言ったら喜ばれたんだよなぁ。傷つきますよー」
持病持ちのおっさんと、持病無し若々しい女の姿ならば後者の方がウケがいいだろう。身内だけあって情け容赦ない感想を言われたのだろうなと同情する。
などと喋りながらコーヒーを飲みかわす贅沢な時間を過ごす。
何もしないをしているのだ。バカンスというには日数が少なすぎるが、休日の使い方としては贅沢の極みであろう。
「多治見さん焚火つけましょっか」
「お、いいねぇ。蚊も寄ってきたしねぇ」
夏に焚火。暑いことなど承知している。火を付ければ蚊が寄ってこなくなるというのは建前に過ぎない。火が見たいだけなのだ、キャンパーは。
直火をすると芝が焦げて植生が死んでしまうので、焚火台を使用する。組み立て式のそれは、調理もできて値段もお手頃価格の優れものだ。
「ここは任してくれたまえ~」
のんびりした口調で手つきは熟練というギャップ。
多治見は綿を焚火台に敷いて、あらかじめ買ってきていた薪を小さく小割にすると、ナイフで手早くフェザースティックを作りファイアスターターで着火した。初めは小さい枝や葉っぱを投入し、続いて枝、徐々に大きくしながら薪に点火していく。
ほどなくして安定化した火に薪をどかんとくべて、またチェアに腰を下ろしてウーンと伸びをする。胸元が強調され、すらりとした足がきゅっと窄まった。
「シャワー浴びてきますわ。しゃしゃっとね!」
「あーはいはいギャグは結構ですんでぇ」
日が暮れてきた。今日はシャワーが開放されている日であった。
洗面セット、着替え、タオルを首に引っ掛けて多治見が歩いていく。
その小ぶりなお尻が揺れながら去っていくのをそれとなく観察しつつ、ぼそっと呟く。
「クソかわいいんだが」
「戻ったよーん」
「うす」
戻ってきた多治見はシャワーで体を上気させていた。白い頬は真っ赤に染まっていて、髪の毛は濡れて垂れさがっている。
「そういやシャンプーとかって女物なんすかね」
「姉に相談したら使えってうるさくてね。でもスースーする成分入ってなくて物足りない……物足りなくない?」
「わかりますけどぉ、今の多治見さん女なんで仕方なくない?」
「それな。すーすーする女物探してるんだけどなかなかなくてなー」
などと言いつつおもむろにトニックを使い始めるのではぁとため息をついてしまう。
『育毛トニック』。それを使って意味があるのだろうかとボリュームたっぷりのピンク髪を見つめて習慣っていうのは怖いなと考える瀬戸であった。
夜。
キャンプにテントを一つしか持ってきていなかったことを若干後悔した。
良いにおいがするのだ。ただし男物のトニックのにおいと女性的な香りのまじったなんとも不思議な匂いが。あとは二人で乾杯したので酒の匂いも漂ってくる。
薄手の寝袋に包まって寝ていて気が付いたことがある。いびきがないのだ。いつもはとんでもない大きさのいびきが聞こえてくるものだが、今回はすうすうと健康そうな呼吸音だけしか聞こえてこない。
自分だけがドキドキしているがばかみたいではないかと瀬戸は目を開けてみると、なんとも気持ちよさそうに眠りこけている多治見の顔がドアップで視界に広がってきた。
化粧一つしていないのに、つやつやとしていて造形の良い顔立ちを見ていると心の中でかすかに情欲の火が灯りそうになる。
(眠れるんだろうか)
翌日。
あまりよく眠れなかったが、コーヒーを淹れて飲んでいると目が覚めてきた。撤収までに時間があるのでのんびりと富士山を見て時間を過ごす。
「いい朝だったねぇ! おはよう瀬戸君」
「あ、あはようさんっす。コーヒー淹れたんで飲みます?」
「いただくよ~」
二人で並んで朝のコーヒーをいただく。
「ふもとまできたら朝はこれだよねぇ、買ってきたんだけど」
「カップ麺すか。例の漫画ですかね」
例の漫画。キャンプをテーマにしたそれは瀬戸がキャンプを始めた理由の一つである。ミーハーと言うなかれ。
多治見が取り出したカレー麺のお湯を準備すること数分。お湯を注いで三分。二人でずるずると朝食を頂くと、そそくさと撤収準備を始める。
タープを外し、テントを畳んで道具類を纏め、バイクに積み込んで。
「行きますか。次もさそってちょうだいね。待ってるからねおじさん暇だから」
「はいはいわかりましたよっと!」
荷物満載のバイクに注意しながらまたがるとスタンドを外し、エンジンをかける。
キュキュキュ! ボーン! ドドドドド。
「行きますかぁ」
「そうすね。忘れ物はなしと」
ギアを一速に入れると慎重に加速を開始する。
入口に向かうと、票を箱に返却して、受付のお姉さんに手を振りつつ外へ出ていく。砂利道に若干の恐怖を覚えつつも、愛車のトラクションコントロールに頼ってなるものかと、速度と角度を一定に保って道路に出た。
「北行って河口湖、大月から高速で帰りますわ」
「おじさんもそっちルートかなァ。途中まで一緒やね。ついていくから好きに飛ばしてみ」
「はいよ」
路肩に止めてハンドルに固定したスマホを操作。順路を設定すると、右斜め後ろ方向を確認して発進。一気に加速しつつ一般道に戻る。
そうして途中まで走って行って、途中で別れて帰った。
帰宅して気が付いたが、これは――――。
「これデートじゃん……」
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《えのしま》
『江の島いかない?』
『いいっすねぇ』
というやり取りの後、二人は江の島に休日を利用して出かけた。
今回はキャンプではなくツーリングメインなので着替えやら洗面道具やら水筒やらを持って行くだけなので準備は楽だ。雨の予報もゼロに等しいので雨具も省略した。
愛車は今日も絶好調だった。いつも定期的に整備しているお陰もあってか、どこにも問題がない。チェーンも昨日油を差したばかりだった。
この暑さの中で一般道を走る気にもなれず、高速道路を使ってサービスエリアでおっさんこと多治見飛鳥と合流する。
「おいすー! お久しぶりだねぇ」
「ついこないだあったばかりじゃないすか」
白のフルメッシュジャケットを着込んで横合いにアライのフルフェイスヘルメットを抱えた飛鳥がやってきた。
バイクのエンジンを切って降車すると、ハンドルをロックしてキーを抜きポケットに突っ込んで手を振る。ヘルメットを脱ぐとさわやかとは言えない風が吹き抜けていくのがわかった。
「そういやヘルメットなんかも新調した感じなんすかねこれ」
「まーね。おじさん時代は頭でかかったけどこの体になって被ったらスッカスカでさあ。新しいの買ったよ」
「金持ってるっていいなぁ……」
アライのヘルメットのグレードが高いやつをニコニコしながら見せてくるので、羨望の目つきで眺める。ヘルメットには金をかけろというが、瀬戸のように金がない人種にとっては金をかけたくてもかけられないものだ。
飛鳥はふふんと得意げにヘルメットを見せつけておいて、おもむろに被った。長い髪の毛は後頭部で結んであるようであった。ふふんと得意げに胸を張ってくる。
「マ、君も頑張って働いて稼いでください。それか稼いでくれる嫁さんでも見つけるんですな」
「ヒモになりたい」
「主夫といいなさい主夫と」
などという会話があったりしたのだった。
二人は今日は身軽な愛車に跨り江の島を目指した。横浜の南西で高速道路を降りて下道を走る。しばらく行けば、南国ムード漂う藤沢、湘南が見えてくる。
「列車が来てる。タイミングいいねぇ私達」
ちなみに、飛鳥の一人称は“私”である。仕事ではいつも一人称が私であることが影響しているのだろうが、女の姿になった現在では意味合いが少し変わってくる。たまに本来の一人称らしい“僕”も使うがそれはそれで意味合いが違うことになってくる。
湘南名物の江ノ島電鉄が路面を走っているのをかすめるように進路を変更して、江の島へと向かっていく。正面に江の島と言えばこれであろうという江の島シーキャンドルが入ってきた。そのまま、江の島本島に続く橋を低速で流していく。
「こっちの方が涼しくないですかねぇ」
「東京はね…………温度がぶっ壊れてるから。風が通らないのが悪いんだよねぇ」
不思議と言うか必然と言うか南国のイメージの強い湘南、藤沢近辺の方が涼しい。風が通るせいであろう。東京都心は一説によると湾岸に建物を建てすぎて風が通らないと言われ、そのため暑いのだと。
本島に入って左方向に曲がれば、バイクを止めておける場所がある。だが今回は宿に泊まることになっているので、左折してから宿へと入っていく。時間帯はまだチェックイン前だが、止めることくらいは許されるであろう。
バイクをバイク置き場に置くと、二人は宿の扉を潜って受付に向かった。
制服姿の女性が一人で受付で業務中だった。飛鳥がひらひらと手を振りつつ話しかける。
「二人で今日予約入れてた多治見と瀬戸ですけどぉ、お姉さんまだチェックインには早いけどバイク止めさせてもらってもいいですかね」
「確認しますね………一部屋でご予約の方ですね、大丈夫ですよ。所定の場所に止めていただければ」
「ありがとうございます。ちょっと遊んで戻ってきてチェックインしますわ」
会話を聞いていた瀬戸は違和感を覚えたが、すぐに気が付いた。女性と一つの部屋で泊まるのはまずいのではないかと。だがもう予約は入れているらしい。すたすたと歩いて行ってしまう。
「一部屋で泊まるってまずくないすか」
「なにが~?」
のんびりとした返事をしてくるので、ごほんと咳払いをしてから意見を申し立てる。
「いちおうは男と女で泊まるわけなんでさ………多治見さんまずくないすか」
「瀬戸君が僕のことを襲ってくるならわかるけどさぁ、そこまで自制心のない人間じゃないでしょ。二部屋取るなんてもったいないよぉ。今までそうしてきたんだし、別に一部屋で泊まっても問題なくない?」
「うーむ、多治見さんが言うならそうしますけど」
バイクへ戻り、荷物を整頓する。暑苦しいジャケットは脱いでしまって、軽装備で挑む。
「ふう」
おもむろに飛鳥がジャケットを脱ぐと、『SUGOI DEKAI』とプリントされたシャツが現れる。
「でかくないこれ?」
「あのーセクハラやめてくださーい」
瀬戸は、飛鳥が文字通りの大きな胸を前かがみでウィンクするという古臭いポーズで強調してくるので、目線を逸らして対応することにした。
見覚えのあるシャツだ。何かの漫画だかアニメのキャラが着ていたシャツだったはずで、わざわざ買ってきたのだろうか。
その上に麦わら帽子をかぶり始めると、なるほど様になる。見た目麗しいだけに何を着ても様になるのだが、夏と言う情景に一層似合っている。
瀬戸もジャケットを脱いでバイクに引っ掛けると、ウェストポーチを付け、隣に並んだ。
「行きましょっか、じゃ」
「そうっすね」
江の島は一見すると高低差のない島に見えるだろうが、実際には違う。46mも高低差があり、これを登ろうとするとなかなか体力を使ってしまうのだ。
江の島入口まで歩いて数分。戻ってきたところに風情を感じさせる青銅鳥居が立っており、休日だけあって観光客でごった返している。鳥居の奥には弁財天仲見世通りがあり、各種土産屋や食事処が並んでいて、江の島の頂上にあるサムエル・コッキング苑への道が広がっている。
休日はまだ始まったばかりだが、今日はどれくらい遊べるだろうか。
脳内で江の島をどう巡ろうかを考えつつ、まずは自動販売機で冷たいスポーツドリンクを二本分買うと、開幕から土産物を見ている飛鳥の手に握らせた。
「ちべたっ!? くれんの? ありがとうねぇ」
「熱中症は怖いすからね」
「そーね。熱中症になりかけながらのツーリングも楽しいけどさ」
「それはあんただけだよ……」
「ぶへへへ」
(いやこれさ)
白い歯を覗かせて風に麦わら帽子を押さえる飛鳥を見つつ、自分も一口スポーツドリンクを飲み、思う。
(これデートじゃん……)
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《えのしま》2
「エスカーにしよ」
「そうすね、エスカーにしましょ」
そういうことになった。
即断しちゃう当たりが二人のバイク乗りとしての体力と、階段上りという筋力と肺活量が求められる方の体力の違いを意味している。
エスカーとは、ようはエスカレーターのことである。江の島の階段をひたすら上り続けるのが苦であるならば、エスカーを使うことをお勧めする。若干料金はかかってしまうが楽に観光できることであろう。
受付で券を買うと、エスカーに乗って上を目指す。途中江の島水族館の宣伝ポスターを見ながら。
エスカーを降りれば江島神社
「ゴシュインでももらいましょか」
「あのーその微妙なイントネーションやめてくださーい」
などとセクハラを受けつつも御手淫もとい御朱印を貰い、ついでに茅の輪も潜っておく。
「こういう“穴”を潜るのって母体回帰思想がもとになってるっぽいんだよねぇ」
「そうなんすか。確かに罪穢れを祓い清めって書いてありますねぇ」
「潜ってさ、こうオギャアオギャアオギャア! とね」
「実際にやらんでもいいでしょ」
他の参拝客にくすくすと笑われているのに赤ん坊の真似をするあたり大変肝が据わっている。
瀬戸にその肝の強さはないので無言で通過する。特に何か変わった感じはないが、変わればいいなと思う程度である。
「参拝しましょね」
「うす」
「願掛けって言ってこういうのって神様にお願いするんじゃなくて、成し遂げるぜって意思を表明する場所なんよね。瀬戸君は何を成し遂げたい?」
「主夫になりたい」
「お、ちょっとだけ進化してる。おじさんはそうねぇ、秘密かな」
「んだよ自分だけかよ」
二拝二拍手一拝。手洗い場で手を清めてないことはすっかり忘れてる二人であった。
順路に従って歩いていくと『良縁結び絵馬』なるものが目に入った。
きゃっきゃっとお前何歳なんだよという若い仕草で飛鳥が瀬戸の裾を掴んで引っ張る。
「あはは500円だってさ瀬戸君やってこうぜぇ」
「はぁ、結び絵馬ねぇ。相手がいないんですがそれは大丈夫なんですかね」
「へーきへーき。おじさんがここは一肌脱いであげますってばよ」
「いいのかな………」
「よくない?」
「そうかな……そうかも……」
ゴリ押され500円を払い『いいご縁がありますように』と二人で同じような文面を書いて縁結びの木の前にかけておく。あからさまにピンク色に近い絵馬なのが気になるところだった。
順路に従って進んでいき、またエスカーに乗ってサムエル・コッキング苑に到着する。風光明媚とでもいうべき場所で、和洋折衷の明治時代の庭園である。
「マイアミ・ビーチ広場だってさ」
「ほほぅ。ていうかマイアミ行ったことないからわかんないっすわ」
「お、それは朗報。これから行けばいいんだよ。可愛い彼女とか連れてさ」
「相手がいないんだよなぁ。そんなポイポイ湧いてくるもんでもないでしょ」
異国情緒がごった返している。和風庭園があるかと思えば、急にマイアミ風の庭園もある。のんびりと散策していると汗をかいてしまう。涼める場所がないかと周囲を見回していると、いつの間にか飛鳥が消えていることに気が付く。
「ん? ああいた」
周囲を見回してみると、屋台で何やら買い物をしている。歩み寄ろうとすると、振り返ってにっこりと笑ってきた。その手にはアイスクリームが握られている。
「はいこれ」
「サンキューっす」
瀬戸はアイスを受け取ると舐めた。ひんやりとしていて、口の中から爽やかさと涼しさが広がっていく。
「ん。おいひぃねぇ」
飛鳥がぺろぺろとアイスクリームを舐めつつ感想を述べる。
赤い舌先の動きにドギマギしてしまうのは男の悲しい
「口元ついてんじゃん。もー、僕は君のお母さんじゃないぞ~」
「ヤメロォ……」
己の口元にアイスがべっとりへばりついているのも気が付かなかったらしい。
飛鳥がハンカチを取り出して拭こうとしてくるので、首を逸らしてワイルドに手の甲で拭う。するとむんずと腕を掴んで引き寄せて、ハンカチで拭いてくる。無理に振り払うのは無作法であろう。大人しく拭かれておいたのだった。
「さーてじゃ塔に登ろうか」
「食べるのはっや!」
ハンカチをしまったかと思えば、ぱくぱくもぐもぐと凄まじい勢いでアイスクリームを吸い込んでコーンをザクザク乱暴に食らいつくす。オッサン時代も大概健啖家であったが、もしかするとこっちでもそうなのかもしれない。
一人アイスを舐めているのもわびしさを感じてしまうと真似して一気食いする。頭が痛み、涙が浮いたが気にせず飲み込んだ。
途中でパンフレットを取った瀬戸は、今登っているのが灯台であるという記述を見つけた。
「これ灯台なんすね」
「灯台かー。お、眺めいいじゃん。いいじゃんいいじゃんこういうのをライダーは求めてるんだよォ。ほらライダーって先端に行きたがるじゃん」
「岬とか灯台とかは確かに目指したくなりますねぇ」
なんとか岬、なんとか灯台、そういった“端っこ”にあるランドマークというのは、ライダー御用達なのだ。二人も灯台やら峠の頂上やらに行った経験は両手では数えきれないほどある。
二人は雑談をしながら頂上にたどり着いた。
相模湾が一望できる絶景で、晴天の空には陰り一つない。容赦なく差し込んでくる日光に自然と目が細くなる。
「あっちが
飛鳥が指さす方角はおおよそ東であった。
相模湾、江の島の東、
「あぁーなんでしたっけね歌で出てくるんでしたっけね。カラオケで聞かされてたから覚えちゃったけど」
「うん。稲村ケ崎は今日も~ってね。カラオケでよく歌うんだよねぇ」
「趣味がおっさんだなぁ」
「おっさんだもん。見た目は美少女ですけどね、中身はおっさんなのですよ。今更だぜ」
どこか得意げに鼻歌で好きな曲を紡ぎ出す、その声の高いこと。酒焼けしていた少し前の声とは正反対である。
その昔、バイクでやんちゃしていた頃もあったと聞く。いわゆる峠を攻めていた少年たちである。今でこそ規制速度をビタ一文割らない慎重な運転スタイルだが当時はタイヤの外周部まで使っていたに違いない。したがって歌の趣味も外見の若さとはかけはなれているのであったりする。
続いて飛鳥は西側に歩いていき、指さした。
「あっちが茅ヶ崎だ!」
「今何時? って曲でしたっけねぇ」
「そうねだいたいねぇ!」
テンション上がって柵にしがみつき始めるウン十歳児。落ちやしないかとひやひやして思わず肩を掴むと、四十肩であがんねぇんだよとぼやいていた頃とはまるで違う柔らかな感触がした。
瀬戸は柵から足をどけてくれたので手を離すと、パンフレットに目を落とした。より取り見取り色々な観光スポットがあり、こじんまりとした小さな島とは思えぬ程飲食店や商店が軒を連ねている。
まずはどうするか。目に留まった個所を指さして、パンフレットごと飛鳥に見せる。
「次は降りてあっちのほうに行ってみますかね? べんてん丸って観光船があるみたいなんで」
「お、いいねぇ……」
こうして一日が更けていった。
そして夕方。二人は宿に戻ってきたのであった。
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《えのしま》3
「どーん! わはははは! あぁ゛~食った食った!」
「コラ! ××歳児お行儀が悪いぞ」
「くつろぐためにあるんだよベッドは!」
ホテルのレストランで食事を取り部屋に戻ってくるなりベッドに直行してダイビングをかますお前何歳なんだよという女姿のおじさんあるいはおっさんを窘める。
そこそこのグレードの宿だけあって、食事は満足のいくものであった。海鮮は江の島名物しらすが乗っていたあたりもわかっている。
宿に問題があるのではないと自分に言い聞かせる。そう問題なのは部屋だ。一部屋を二人で使う。しかも、
「なんでダブルベッドなんですか……」
「いっやぁ~予約したら他に開いてる部屋もなくてさぁ~なんか安く取れたから」
「ダブルベッドを予約する組は決まってるからなんじゃ……」
「まァ別によくない? おじさんの魅力にメロメロになってしまえよ!」
「いちいちセンスが古い! 過ぎ去った昭和を感じる!」
「昭和の頃生まれてすらないくせにぃ。それともアレ? 令和生まれじゃないと○たない?」
「令和生まれは今ペドの年齢だろだよ! 変態にしないでもらいますかねぇ」
そう、ダブルベッドなのだ。家族向け、あるいはカップル向けに使われる部屋で、ビジネスホテルにはまずない部屋である。予約をいつもの通りに任せた結果こうなった、確認しなかったのが悪かった、落ち度は色々あるだけに文句も言い続けるのも悪いかと肩を落とすに留まる。
飛鳥がベッドに横たわり、きりっと表情を凛々しくして手を差し伸べてきた。
「先にシャワー浴びて来いよ」
「いややんねぇよ!? ていうか風呂は入りますけどねぇ!?」
「せやね。じゃおじさんも行こうっと」
てきぱきと洗面具セットと着替えの入ったバッグを準備し始めるので気が抜けてしまう。
瀬戸も必要なものを用意すると、温泉へと向かうのであった。
「男湯、男湯っと~♪」
ふらふらと男湯の暖簾を潜りそうになる飛鳥の肩を掴んで止める。女湯を指さしてやった。
「違うでしょあんたはあっちあっち」
「おっといかんいかん。いまだに間違えるから困る。習慣で男のトイレ入ったりしちゃうんだよなぁ。じゃ一時間くらいかね?」
「そうすね一時間後くらいに」
という会話をして、別れたのだった。
(クッッッッッッソかわいい!!)
風呂に浸かりつつ瀬戸は煩悩を爆発させていた。
「顔の良い女はそれだけで強いって言うけどさ、良すぎるんだわ……」
できるならば穴が空くほど見つめていたかったが、ぐっと理性でこらえて直視し続けるのはやめていた。
そもそも、若い頃は相応にモテていたらしい。年を取って太ってしまったというのはあるだろうが、かつては美形と呼ばれていた頃の面影のあるおっさんだったのだ。それが女体化して若返ったことで美形の女性になったというだけの話であろうが、それにしてもかわいい。髪の毛がケバいピンク色であることを差し引いてもかわいい。
正直なところムラムラしっぱなしである。温泉で発散する程公序良俗に反することができるわけがないので、どうしてもだめならトイレを使うしかないが……。
「はーいい湯だわ」
いい食事を取って、いい風呂に入っているのに気分がもやもやするのは、十中八九相方のせいであろう。
一時間とは言ったが、サウナに出たり入ったり寛いだりして時間を潰したのが大半であった。
出てみると、丁度飛鳥も出てきたところであった。浴衣を着こんでいる。
「時間ぴったりやねぇ。じゃ戻りますか」
「はいよ」
お尻がふりふりと左右に揺れるのを追いかけて部屋まで戻る。
「じゃ乾杯しようぜぇ」
「おっす」
あらかじめコンビニエンスストアで買っておいた酒を、部屋の冷蔵庫から取り出して洋室なのにまるで和室風の
「かんぱーい!」
「乾杯!」
前かがみになった際に胸元がちらりと見えてしまったが気にしないでおく。シャツ一枚しか着込んでいないような、ブラが見えないような……。
だがそんなことはどうでもいい。まずは一杯。
「かぁぁぁぁぁ!」
一気に半分ほど缶を空けた飛鳥が目を閉じて唸り声を上げれば、
「ぷはぁっ!」
こちらもビールの喉越しの良さに顔を緩めるのだった。
「それでよー、ううー、会社のれんちゅうがよー」
「ええ、ええ」
「おんなになったらよーきゅうにたいどをよーかえやがってよー」
「そうすか」
「というかよー、まず警備員にとめられてよー顔なじみの兄ちゃんだったんだけどさー」
一時間後。すっかりできあがってしまった飛鳥と、比較的余力のある瀬戸の構図ができあがっていた。
顔を真っ赤にしながらアルコール度数の低い酒を進める飛鳥の机の前には何本かの空缶がある。もともと酒は強くなかったが、女の体になってもそれは継承されているらしい。やめておけばいいのにべろんべろんになっている。むろんツマミのお菓子は食べているし、チェイサーも飲んでいるが、呂律が回っていない。翌日残るんじゃあるまいかと危惧する。
「おまえもぉ僕のこと見て態度かわってるしよぉ、やってらんねぇんだよぉ」
「すんません」
申し訳なくなり頭を下げると、けらけらと笑われた。
「ま、いいけど、ひっく。だって僕かわいーじゃん? 態度変わんなかったらタマついてんのかよって話よな? しこしこしてんの? 溜まってるんじゃないんですかねぇ? おじさんが手ほどきしてあげよっか? 熟練のて…………こ………くかー」
「寝るんかい!」
卑猥な上下運動を手でやり始めたかと思えば急にスイッチが入ったかのようにがくんと頭が傾いで寝息を上げ始める。
思わずツッコミを入れたがぴくりとも反応しない。
「はーもう! アホか飲めない癖にパカパカ飲みやがって明日二日酔いになっても知らんぞ。どうすっかなこれ……」
ほったらかしにするわけにもいかないので、右往左往する。
結局覚悟を決めたのか、まず首を、続いで足に腕を通すと持ち上げる。
「軽いなー……前担いだ時とは大違いだわ。あんときは腰がイカれると思ったけど……」
想像よりもずっと軽く、すっと持ち上がってしまった。ふわりといい匂いもとい酒の香りが漂ってくる。
瀬戸はベッドに飛鳥を寝かせると、布団をかけた。それから悩む。自分もここで眠るべきだろうか。いや寝よう。寝ないと明日持たなくなってしまう。照明を夜間灯に切り替えると、布団に潜り込んで目を閉じる。
「…………」
目がさえてしまって眠れない。一時間経過しただろうか。すうすうと寝息を立てる飛鳥とは反対にうーんうーんと唸り続けるのみであった。
「はーもうひとっ風呂行ってくるか……」
寝ることを諦めるのに二時間ほどかかった。布団を跳ね上げると、飛鳥を起こさないようにひっそりと部屋を後にする。
ややあって、むくりと飛鳥の上半身が起き上がった。ウーンと大きい胸を張って伸びをすると、大あくびを噛み殺し頭をポリポリと掻く。
どの段階から起きていたのか。最初からである。手を出してくるか、出してこないかを確かめるべく起きていたのだった。浴衣の帯に手を突っ込むと、虹色のラベルの小さい箱を取り出して弄び始める。
「ふぁー………ちっ、なんもなかったか。おじさんちょっと安心すると同時に不安だよ。こんなもん据え膳じゃないのよ。マ、出番がなかったししまっとこーねー」
その箱を自分のバッグにねじ込むと、今度は本当に本格的に目を閉じて眠り始めた。
戻ってきた瀬戸は朝まであまり時間が無くなってきた今になってやっと眠れそうだと布団に潜り込み、それから眠りについたのだった。
翌日。睡眠不足の一名と、ぐっすり眠れたようで実はそんなに寝ていない一名は江の島を出発した。途中までは二人一緒であった。
「じゃ、また今度ー」
「うす、じゃ、また会いましょ」
と軽く挨拶をして、サービスエリアで別れを告げた。そんな江の島の思い出であった。
Q.なんの箱なのだよ
A.チューイングガムでしょ。
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《ちちぶ》
「はえー登山。そっちの趣味はないですわ。めっちゃキツイイメージが強くて二の足を踏んでるというか」
「鍛えればそうでもないと思うけどなぁ。この体じゃへろへろで高尾山が関の山だろうけどォ。とにかく歩く練習をしていって徐々に慣らせばいけるっしょ」
「登山やってる人のいけるは一般人の無理に該当するんだよなぁ」
「いけるいける。初心者向けと言えば富士山……!」
「無理無理無理無理!」
実は昔登山もやっていたという話に相槌を打ちつつラムネのソフトクリームを舐める。
一方で飛鳥は抹茶のソフトクリームを舐めていた。
タイムズマート飯能店。商店街の通りに位置するこの店も例のアニメの聖地として知られている。残念ながら元の場所から移転してきているので、アニメそのままの風格ではないが……。今は多種多様なアイスクリームを楽しめるお店として繁盛している。
「じゃいきましょっか」
「そうっすね」
目的地はここではないので一休みはこの辺にして、バイクに跨る。
高麗川をさかのぼるような形で北西へと下道をトコトコと走っていけば、秩父盆地へと出る。水の浸食作用で作られた面白い地形を楽しめる場所で、素直で走りやすい道が多く、ライダーのメッカとしても知られている。
瀬戸は左右に振れる道に合わせて車体をバンクさせつつ、インカムに話しかけた。
「それで今日どこに泊まるんすか」
「いいとこ見つけたんだよねぇ」
「六百円で泊まれるんでしたっけ。不安しかねーや」
いいとこ。飛鳥が言い始めるいいところというと余りいい思い出がない。どう見てもただの高架下だったり、死ぬほど寒かったり、カップルがいちゃつく公園だったり、そのセンスのなさはある意味天下一品で、今回も任せてしまったが無事に帰れるのだろうか?
秩父市内に入った。盆地であることを強調するかのように、周囲を見回すと山が聳え立っている。石灰岩を採取しているのだろうか、山肌が段々状に削り取られている部分もある。
「最初は―――――」
瀬戸は口に出しながら予定を思い出していた。
キャンツーは楽しいが計画性が必要だ。日暮れ後にキャンプ場に到着するわけにはいかない。今の時期であれば最低でも午後五時前には到着して設営をしたいところだし、風呂に入るなら早め早めに行動しなくてはならない。
「ちょうどいい時間だなぁ。この線路で待ってみよう」
「あぁSLすかね」
「うん。そのためにちょっと遅めに出てきたんだよね。フッ! 私の計算が正しければあと二、三分でここに到達するッッッ!」
「へいへい。あっ来た」
線路横でバイクを止めて雑談しつつ待っていると、遠くから線路をえっちらおっちら黒煙を吐きながら汽車がやってきた。主に土日を中心に熊谷駅から三峰口駅間を運転しているSLパレオエクスプレスである。予約すれば乗ることもできるが、二人はもっぱら自分で運転する派なので眺めるだけだ。
しゅっぽしゅっぽと蒸気を吐き出しながらゆっくりと黒い車体が通過していく。せっかくなので二人はスマートフォンにその光景を収めた。
二人はバイクに跨ると相談し始めた。
「お次はどこでしたっけね」
「野さかで腹ごしらえしないかぃ」
「豚の……豚の……」
「豚味噌丼やね。やっぱ秩父まで来たらこれ食わなくちゃ。バイク弁当の方でもよかったんだけどどうする?」
バイク弁当 大滝食堂。端的に言えばバイカー御用達のバイクのタンク型弁当容器に豚味噌丼を入れて出してくれる食堂である。評判は上々だったのであっちでもよかったのだが、今回は飛鳥の提案でこちらになった。
野さかにつくと、既に人が並んでいる。さっそくバイクを止めると列に並んだ。
「結構並ぶなぁ」
「人気店やからね」
と二人が話している間にも列はつつがなく進んでいき、席に座ることができた。
「大盛り二つください!」
言うまでもなかったが飛鳥も瀬戸も大盛を注文。やってきた分厚い肉の乗った丼に食らいつく。濃密な味噌の塩辛さとうまみに肉汁が絡みつきご飯が進む、進む!
「ごちそうさんでした」
「早い! 早いよ!」
ものの数分で完食して手を合わせる異様な早食いを披露する飛鳥。
対する瀬戸は半分も食べきっていなかったりする。
「さてお次はどうしましょっかねぇ」
「多治見さん食べるの早すぎませんかね」
「ん~? 昼飯とかのんびり食ってる時間がなくて掻き込んで食ってたらこうなったってゆーか。お陰でお腹も大きくなりましたとさ。今は引っ込んでるけど。のんびり食べる練習もせんといかんねぇ、むちむちになっちゃう」
かつての姿ならともかく、今現在の多治見飛鳥という女はスマートで出るところはきちんと出ている理想的な体型である。
瀬戸が箸を止めてぼそりと呟いた。
「太られるのは嫌だな……」
「安心しときなさいって。運動はきちんとしとるよん。体重減って動きやすいんだわこれが。マ、一部分は凸っておりますけども」
飛鳥が口元を緩めにへらーと朗らかに笑った。
それから、すぐにいやらしい笑い方に変貌する。
「みたい?」
「みたくない!」
「うおおおお追いつけねぇぇ!!」
「まだまだヒヨッコだねぇ!」
秩父ミューズパーク。秩父中央に位置する広大な緑地で、各種アトラクション、食事や買い物、散策が楽しめる公園である。
F1リゾート秩父。ゴーカートで遊べる場所にて、一勝負をしようということになったのはいいが、先頭を譲ってもらって発進して十秒と経たずにインからブチ抜かれ、以降アライの高級ヘルメットの後頭部を拝むことしかできない。
「重心移動か!? 重心移動なのか!?」
小柄をひょいひょいと左右に振り回すのをみつつ、見よう見まねで真似してみようとするが、ゴーカートの癖に襲い掛かってくるGのせいでうまくできず、かえって車体が安定性を失う。
先頭を行く飛鳥が声を張り上げた。
「こちとら峠で膝擦り上等してきてんだぁヒヨッコに負けるわけにはいかねぇなぁ!」
「くそおおお!」
ぐんぐんと引き離される。同じ車を使っているとは思えぬくらいに速い。ラインギリギリ擦るような絶妙なハンドルワークで駆け抜けていき、ついにゴール。だいぶ遅れて瀬戸がゴールラインを踏んだ。
降車してヘルメットを取りドヤ顔を晒してくるのが実に腹立たしい。
「峠で~って嘘かと思ってましたわ」
「失礼なガチだぞガチ。ツーストって知ってる? アレのはやーいやつ乗って警察おちょくってたんだぜ。たまにスクーターでもやってたし、まあこんくらいはね」
今でこそ規制速度を絶対に越えない慎重な運転をするが、昔は相当“やんちゃ”していたらしい。
レースで規制速度はない。それがゴーカートでもだ。
「とほほ。約束の六百円……」
「サンキュ。たまにはこういうのもイイネ」
本日の宿代驚異の六百円を取られる。金額としては微々たるものだが金は金である。
「さてと、お次は神社かね。神社行ったら宿向かっても良い頃合い……頃合いじゃない?」
「そうすね。神社って言うとバイク神社? とかいう神社でしたっけ」
バイク置き場に戻ってきた二人はさっそくバイク神社こと小鹿神社へ向けて出発したのであった。
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《ちちぶ》2
「今日は短めに……三十分とか?」
「いーよん。あとでねぇ」
神社から南東に戻ってきた二人は、一日の汗を落とすために西武秩父駅前温泉
時間が若干押しているので、ここはささっと入ることにする。長風呂が基本の飛鳥には少々物足りない入浴時間だが、入らないよりマシなので我慢するとする。
「ふろーふろー」
「そっちじゃない!」
「いけねぇ」
いつもの癖で男風呂に入りかけたところを制止され、女湯に進む。
「ふんふんふん」
着替えをしながら、それとなくほかの女性を見てみる。目線があっても悲鳴を上げられることもない。なぜならば飛鳥は今は女性だからだ。
「ぴくりともこねぇや」
女性の裸を好き放題見られたら夢のようだろうなという小学生並みの願望を持っていたが、いざ見られるようになっても食指が動かないのは、自分自身が女になってしまったせいであろうか。仮に男のまま見られるようになったとしても別に興奮で我を忘れるほど
まずは体を洗う。備え付けのボディーソープで肢体を擦り、泡立てて、上半身も綺麗にしていく。大きく張り出した胸元も忘れずに、首も洗う、お尻も洗う。
続いて髪の毛もお湯で濡らして洗っていく。ピンク色の地毛を、特製のシャンプーで油分を落とすように指先を使う。特製というのは、女性もののシャンプーと男性用のスースーする清涼シャンプーを自宅で混ぜて容器に詰め込んだものである。
『刺激が欲しい!』
という欲求にこたえてくれる女性ものがどうしても見つからないので自分で混ぜたのだった。ちなみに育毛トニックも持ってきている(男性用)。これ以上毛が増えると梳かすのに小一時間はかかってしまいそうな毛量であるというのに。
習慣というのは恐ろしいもので、顎を突き出して指で擦り髭を地肌から引き出そうとして全く生えていないことに気が付いた。
毛剃りは持ってきている。一応。使い道は一つだけだが……。
「………」
ぐるりと周囲に視線をやって確認。してる人もいる。してない人もいる。悩んだがここはやらないことにした。やるなら自宅である。
「一般的にはどうすんだろうねぇ、風俗のお姉ちゃん達みたいにすればいいのかねぇ。ハート型とか?」
聞かれたら絶句されそうなセリフを漏らしつつ、湯船に目をやる。
さてと。髪の毛を頭上でくるくると一纏めにして、クリップで留める。見よう見まねである。立ち上がると湯船へと近づいて、湯温を確認。タオルを取ってそろそろと右足から順番に入浴開始である。
「ぷはー……いぎがえ゛る゛……」
などとゆっくり浸かっていると、時間が押してきた。湯船から上がると脱衣所に急いだ。
「酒、肉、つまみ、明日の朝食と………」
夕方前のスーパーマーケット。買い出しを済ました二人はキャンプ場に向かうところであった。
「いこーか」
「そうすね」
向かう先は秩父の西にあるキャンプ場である。
「その、名前聞いて調べてみても全然情報でてこないのは大丈夫なんですかねぇ」
「最近できたばかりみたいだしね。だがそれがいい」
距離としてはさほど離れているわけではないが、のんびりしすぎていると日が暮れて設営が困難になる。キャンツーの厄介なところはそこだ。これがキャンプではなく宿やネットカフェであれば、夜に到着しても寝床にありつけるのだが、自力設営を考えるならば夜の到着は厳しい。仮にできてもゆったりと時間を過ごす暇なく寝ることになってしまう。
荷物を後部のボックスに入れた飛鳥は、ひょいと軽業師のように巨体を誇る車体に跨った。足はかろうじてついている程度で、倒れてしまいそうだった。
「しかも六百円で寝泊まり出来て薪使いたい放題やで。すごくない?」
飛鳥はぺちぺちとハンドルにマウントしたスマホを指で操作しつつ言う。
「いいっすねぇ! ちなみに水場は」
「ぶへへへへ!」
「ぶへへじゃねぇよ!」
不穏な笑い声に突っ込みを入れつつ瀬戸もバイクに跨りキーをひねりエンジンをかけた。
ドルン! エンジンを唸らせスーパーマーケットから出発する。
ドドドドドという車格の割には小さいエンジン音と、ドッドッドッドッという車格に見合ったエンジン音が協奏曲を奏でつつ、スーパーから遠ざかっていく。
「そこ左折ー」
「はーい」
今回は、先頭を行くのは飛鳥である。幅寄せ、巻き込み確認、徐行、きっちり基本を押さえた動作で左折すると、ギアを上げつつ加速していく。後からスズキのアドベンチャーが追従した。
しばらく行くとコンクリートで補強された斜面と、片側は伐採された森という風景に変わっていく。明らかに人の手が加わっている森である。
「ちょっちおじさんは料金払ってくるから先行ってて。この道まっすぐ行けばいいから」
「はいよ」
この道をまっすぐ。言われて向かった先は『本当にこの先にキャンプ場があるのか』という疑問が湧き出る林道に出る。さらに進んでいくとスクラップヤード(?)が見えてきた。看板も何もなく、大型のテントが設置され、廃車が並び、かと思えば大型のストーブ、冷蔵庫の残骸などが並んでいる。ぽつんと佇む野外トイレが侘しさを醸し出している。
「えぇ………ここ?」
ここはスクラップヤードであってキャンプ場ではないのではないか。道を間違えたのではないか。
しばし呆然としていると背後からエンジン音が接近してきた。
飛鳥だった。カパッとヘルメットのシールドを開くと、隣で停車する。
「ここ、ここ。お金は払ってきたから。ついでに貸し切りだから」
「マジすか」
「マジです」
「住めば都って言うでしょうよぉ」
「そらそうですけど」
ここがキャンプ場らしい。まだできたばかりで設備と言えば、トイレ! 水場! あと薪置き場! 以上! というワイルドな場所で、玄人向けキャンプ場として界隈では話題になっているらしい。
今日はたまたま貸し切りだったので、二人で場所を占有できる。とりあえずトイレと水場からそこそこ近い立地にテントとタープを設置すると、その辺に転がってきた切り株をテーブル代わりに場を整えてみる。
「今日は二人きりだってさ♥」
「………」
「何とか言ってよおじさん寂しいよ」
「何を言えばいいんだよ……」
猫撫で声を使い始めるので対応に困りぼんやりしていると肩をぺちぺちと叩かれる。
二人きりのキャンプ場。これは相当な幸運であるが、何やら緊張感がある。
「熊とかでないですかね」
そう、野生動物の襲撃である。山で気を付けるべきと言えば熊、猪、小型ならば蛇だろうか。蜂もいるしヒルもいるがここでは割愛する。
キャンプ場は山中にあるのだ、熊だって出てくる可能性は皆無とは言えないだろう。
「あ、スプレー持ってきてるんだよね。ホラこれ」
「効けばいいけど………トウガラシかぁ」
「効くっしょ。効かなかったらその時は瀬戸君はおじさんと一緒に死ぬのよ」
「ええ……」
飛鳥が熊除けスプレーなるものを見せつけてくる。準備がいいが、通用するものなのだろうかと成分表記を確かめる。トウガラシ。なるほど、効きそうだ。
時刻はもう夕方だった。焚火の準備に取り掛かる。今回は瀬戸が準備を行うことになった。
「一本飲んどくかーい?」
「メシの時でよくないすか?」
飛鳥が銀色のやつ(500ml)をクーラーボックスから取り出してきたが、首を振った。
「そーね。私も焚火の準備をしますかね」
「あ、それ俺やるんで、料理つーか肉焼く準備してもらっていいすか」
「おーらい」
キャンプと言えば肉、肉と言えばキャンプ。
夜の楽しみとして買ってきていた肉を焼こうと、飛鳥が準備を始めた。
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《ちちぶ》3
「遠い思い出の夏は冷たい夜しか残さない~♪」
透き通った声が独特なイントネーションで歌を紡ぎあげている。
本来は男性が歌う男性視点の曲であるが、飛鳥が歌い上げることで女性視点にも聞こえる。
「ひとり震える心せつなく、遥かなる影は恋人♪」
独特なイントネーションは、この曲の歌手のそれを真似たものであることは少し聞いて分かった。
焚火の元で、パチパチという火が薪を弾く音色を背景に、静かに歌が流れていく。スマートフォンからは自分で弾いたのだろうか、ギターの音色が響いてくる。語り弾きをしたかったのだろうが、積載の関係で諦めたのだろう。多才な飛鳥の一側面を見た気がした。
「
失恋の曲のようにも聞こえるが、そうではないらしい。
じっと耳を澄ましながら薪をトングで弄る。
「立ち止るたび明日は去りゆく悲しみよ Forever……」
胸に手を当てて目を閉じて言葉を奏でる様は、一枚の絵画のように美しい。
「あの日の風の誘惑が肩に触れただけで甘く、幻のまま終わる恋はさまよえる雲のようさ」
目を開けた女と、男の視線が絡み合う。
「雨に濡れながら No No Birdy 心からの涙はひとつだけ
言葉にならない No No Birdy
通り過ぎた季節は夢の中へ」
歌は続く。叶わぬ恋を歌ったものであることがわかる。失恋の曲ともとれる。
最後、ジャジャンとギターが締めに入ったところで飛鳥は口を閉ざした。
瀬戸はパチパチと小さく拍手を贈った。
「おおー………これ古い曲でしょ? 世代を感じるなあって」
「んー若い曲も聞くし弾くけどやっぱサザンですなぁ。チューリップってグループのもよく弾くねぇ。最近のコは知らないだろうけどぉ、フォークって類のジャンルがあんのよ。ギターは持ってこれなかったから録音で締まんないけどサ………んと、余興はこの辺にしといて肉を食いましょ」
「ええ、そうしますか」
焚火台には既に炭がセットされ、赤黒く燃えている。火の管理上、調理するならば炭がベスト・セレクションである。薪で作ろうとすると火がちらつき、偏り、どうしても生焼けと黒焦げの部分ができてしまう。やるならば『
「ふんふーんふん♪」
飛鳥が鼻歌を紡ぎながら鉄板に肉を投じる傍らで、瀬戸は米を準備する。
どうやって?
飯盒で炊くのだ。そう、パックごはんを加熱するのだ……!
「いいんすかねこれ。使い方がなんというかその合理的だけど味気が」
「失敗したくないじゃん?」
米を投じるのではなくパックごはんを温める。その背徳感に瀬戸は首を傾げていた。
ジュウジュウとステーキが焼かれる。分厚いそれはしっかりと火を通さないといけない。飛鳥がこれまた熟達した手つきでトングを使い一枚焼き上げると、皿に盛りつける。
「先食べてていいよん」
「や、待ちますわ」
「あんがとさん」
二枚目。同じように焼き上げると皿に盛りつける。付け合わせはないが、ソースにはわさびがついてくる。
飯盒からパックごはんを上げた瀬戸は、あちあちいいつつカバーを剥がして机もとい切り株の上に置いた。
そして二人で冷えたビールのプルタブを開けると、かつんと缶と缶を合わせた。
「乾杯!」
「乾杯!」
一気飲みして目を閉じて吐息を漏らす。
「かぁー! うまい!」
「おじさん生き返るよ!」
「お肉もいただきましょうかね」
「いいねぇ、肉と酒、ついでにここに女がいる瀬戸君は幸せもんだよ」
「中身はおっさんだけどな」
「ちなみになんだけど、むぐ……」
飛鳥は肉をナイフで切り、フォークに刺してソースとわさびをつけ、一口。もぐもぐと咀嚼しながら口に手で蓋をした。ごくんと飲み込んでから口を開きなおす。
「もとに戻らないんだってさ、この体。ふ、不可逆的? 変化でテロメアがどうとか言ってたけどぉ……」
「マジ?」
「マジで。だからさ、決めたんだ」
肉をもう一口食べてご飯を掻き込んで、もごもごと口を動かす。ややあって飲み込んでから口を開く。お行儀がよろしい。
「女として、生きていく」
「そんなユーチューバーみたいなこと言われてもなぁ………」
「もらってよ」
「え?」
「もらってよ、僕のこと」
「………」
「………」
「なーんて」
「その」
「そのさ、答えなんだけどさ」
「うん」
「保留じゃだめすか」
「うーん」
「ほりゅ………」
「………」
チュッ。
食事の時間が終わり、飲酒も済ませば焚火を眺める時間になるが、もう夜も遅いので眠ることになった。
今日は二回目ということもあってか、酒の作用もあってか、睡魔がアッと言う間に襲い掛かってくる。
寝袋に包まった二人は正面から向き合う恰好になっていた。
「おやすみ……」
どちらがともかく挨拶をして、夜がふけていく。
「行こうぜ、瀬戸君」
「ええ」
帰る日だ。
ジャケットを着た二人は朝食のパンを食べ、荷物を纏めて、テントとタープを撤収して荷造りをした。昨日のことはまるでなかったかのようにテキパキと準備をして、バイクに跨る。
管理人への挨拶もいらないとのことだった。夜更かしをしたとはいえ睡眠は十分とれたので、十時前には準備が整った。
「ルートはどうするんよ、瀬戸っち」
「っちって呼ぶな。えー、おんなじ道を使うのも癪なんですけど、一番近いルートってことで飯能に戻るルートにしようかと」
「私と一緒の選択やねぇ、マ、燃料代だって無限じゃないんだからそれが賢明だわな。いこう。おうちが待ってる」
東京に帰るならば、北側から寄居町に抜けるか、飯能を通るかの二択くらいしかなく、時間的にも観光をしている暇もあまりない。となれば選択肢は限られる。
スマホにルートを入力すると、サイドスタンドを払ってエンジンをかける。Vツインが目を覚ます。どるん、という景気良い音と共に車体が振動し始めた。同じように隣に並ぶアドベンチャーのエンジンにも火が灯った。
気温表示、外気温29℃。今日も暑い一日になりそうだ。
フルフェイスのシールドを開けた飛鳥が太陽を見上げた。
「太陽は罪な奴ってね」
「? ああ、それも曲名かなにか?」
「なんでもない。検索してみるといいヨ。ん、よし、いきましょ」
「おうよ」
二台は譲り合いながら発進、ギアを上げつつ加速しながらキャンプ場を出て行った。
「結局ここに戻ってくるんかい」
ソフトクリーム(あずき)を舐めながら瀬戸はツッコミを入れた。基本的にツッコミ担当である。
ボケ担当(?)の飛鳥がソフトクリーム(いちご)を舐めつつ、タイムズマート飯能店の表に立っている女の子のボードを眺めていた。
「ライダーとアイスクリームは切っても切り離せない関係だからねぇ、まるで私たちのように!!」
「そっすね」
「連れないなぁ色男よォ……」
あとは帰るだけなので気楽なもんである。
ソフトクリームを食べた二人は、今度こそ高速道路に乗ると毎度のようにサービスエリアで別れを告げた。
「また、行きましょ」
ふふふと飛鳥は微笑んだ。
「待ってるから」
インターチェンジ前で二台は分かれると、一台は直進、一台は分岐路へと入っていき、今回の旅路の終わりを告げたのであった。
帰宅後、瀬戸はベッドに寝転がりながらスマホで検索してみた。
「太陽は罪な奴、ね………情熱的な歌詞なこった」
そして、自分の唇に軽く触れると、窓から見えている夕日に目をやったのだった。
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《らー・つー》
「房総で…………暴走……ぐふふふっ」
「いや笑えねぇよ」
房総半島。東京のお隣千葉県の大部分を占める半島であり、西側は東京湾を望むことができ、東側は九十九里浜が広がる、日本にしては高低差の少ない半島である。東京から近いこと、お手軽にオーシャンビューを拝むことができることなどから都心ライダーのツーリング先として第一に上がりやすい場所であり、ライダーはなぜか『トンネル』に吸い込まれることでも知られる。
そう、房総には岩を採掘して作られた切り通しトンネルが数多く存在しており、実にフォトジェニックなため、ライダーがブラックホールよろしくいつの間にか半径に引き込まれ撮影会が始まってしまうのだ。
「高速できて正解だったねぇ」
「そうすね、あの工業地帯を走るのは結構苦行だった記憶があるんで」
秋である。夏もその勢いが潜め、涼しさを感じるようになった頃合い、連休を利用して二人はツーリングに出かけた。今回はツーリングメインなのでキャンプ道具は持ってきていない。ウン十馬力もあるアドベンチャーからすれば十キロも二十キログラムも誤差でしかないだろうが、それでも切り返しや燃費の面で若干の軽さを実感することができる。
二人がとった経路はまずいつものようにサービスエリアで合流して、それから南下、湾岸線から川崎浮島ジャンクション経由でアクアラインに乗って、海ほたるを目指して房総の工業地帯を回避するルートだ。
悪名高い房総の西側工業地帯は重機やトラックがひっきりなしに通ることから道路状態が最悪なことで知られ、渋滞しがちでライダーにとっては退屈で仕方がない場所なので、アクアラインでスルーする経路を取ったのだった。
「ここで300km出して捕まったやつがいたんだけど正気じゃないよねぇ。と、いうことで速度超過は絶対にNGデス」
「ちなみに多治見さんは今まで最高時速何km出したことがあるんですかね」
「知りたい?」
「はい」
「教えない♥」
「ああ、そう……」
元走り屋小僧が教えないなどと言い始めると、大まかに想像がつくというものだ。サーキットに入り浸っていた頃もあると聞く。似たような速度を出したこともあるのではないだろうか。
アクアラインは、端的に言えば東京湾を横断する長大なトンネルである。とにかくまっすぐなので、二人はインカムで雑談をしながらアクアラインを突き進んだ。
飛鳥がひらりと左手を背後に向けて合図した。ブレーキランプが光って、カコン、ぎゅーんと、ギアが落ちる高音が聞こえた。
「ちょっち、休憩していこうか」
「一時間は走ってますしね……行きますか」
先頭を行く海外製アドベンチャーのウィンカーが灯った。分岐路を左折して、ぐるっと一周回って海ほたるの駐車場へと滑り込んでいく。あとからスズキのアドベンチャーが続く。
駐車場にバイクを止めた二人は、まず最上階を目指した。景色が開けた。一面の海、そして対岸に見えるは東京都、千葉県である。
飛鳥が指さした方角にヨットの帆を巨大化したような謎の建築物が海にぽつんと浮いているのが見えた。
「こういう景色も乙なもんだわね。ホラ瀬戸君、あれ風の塔だぜ」
「あれね。何回か見たことありますわ」
「コーヒーでもキメながらまったりしますか」
ライダーと言えばソフトクリーム、そしてコーヒーと決まっている。二人は缶コーヒーをのんびり楽しみ、海の前で何枚か写真を撮ったのち出発した。
「と、いうことで着きましたアリランラーメンの本家、八平の食堂 本店でございます」
「ありらんらーめん?」
「語源はエーッと何だったか忘れたけどニンニク、タマネギををふんだんに使った車で帰る人が若干気まずい思いをするというラーメンでございます。スタミナがついていいぞー」
「へぇ」
「スタミナがついていいぞぉ」
「へ、へぇ」
木造りの三角屋根の建物に到着した二人は、バイクを降りて人の列に並んでいた。開店ちょっと前であるが、既に数人が並んでいて、人気があるのだというのがわかる。
「千葉三大ラーメンの一つなんよ。アリランラーメン、勝浦タンタンメン、竹岡式ラーメンの一つ。個人的にアリランが一番うンまいから連れて来てみた」
「ほかのラーメンってどんなんですかね」
「端的に言うと勝浦タンタンメンは地獄みたいに赤くて辛い。竹岡式はあっさりスープで食べやすい。こんな感じかな。こってりというか、味の濃ゆいラーメンすきっしょ瀬戸君」
飛鳥は指を三本立てて、順番に折りたたみながら説明してくれた。
「好きすね。あ、開店したみたいだ。行きますか」
「ほいほい」
席に着いた二人はさっそく一番大盛を注文した。ほどなくしてやってきた、ラーメンの味の濃そうなことと言ったら。
二人は手を合わせてさっそく頂くことにした。
「いただきます」
「いただきまーす」
油の浮いた黒っぽいスープ。濃密なにんにくの刺激臭。レンゲで掬ってみると、みっちりとザク切りになったタマネギやニラなどの野菜と肉が入っている。一口含むと、意外にも油っ気は少ない。あっさりとしていながら、それでいてタマネギとにんにくの爆弾的な味の電撃戦が襲い掛かってくる。
ずるずると夢中で食べる瀬戸と、ちらちらと瀬戸を伺いつつ食べる飛鳥であった。飛鳥は早食いをセーブしているらしく、相手と同じくらいに食べ終われるように計っている。
「おいしい! これでもかとタマネギ入ってるのいいっすねぇこれ!」
期待した通りの味に瀬戸は目を見開いていた。このスープがよく麺に合う。
つるつると麺をすすっていた飛鳥が顔を上げて笑う。
「でしょ。私も前来た時はびっくりしちゃってさあ。あんときは車で来たんだけど車内がとんでもないことになったわ」
「……臭いか!」
「にんにくにタマネギついでにニラに………察するよね、臭い的な意味で。バイクには関係ないけど」
二人が頼んだのはチャーシュー入りである。食べてみると、スープに浸かって身が解れて溶けるようでおいしい。
全て食べ終わり、代金を支払って店外で食事終わりのコーヒーを嗜んでいた瀬戸は、同じくコーヒーを飲んでいる飛鳥をじっと見つめていた。
「気が付いちゃったんですけど、タバコ吸わないんですね多治見さん」
煙草を吸う仕草をしてみせると、飛鳥が視線を返してきて首を振った。
「昔はやってたけどなぁ、禁煙したんだよ。吸う女の方が好きなら吸ってもいいけどぉ」
「う、うーん健康に悪いからなぁ。せっかく綺麗な体になったなら吸わないほうがいいんじゃないかな」
「せやな。私はこれで十分だよ。知ってる? コーヒーって尿酸値対策になるんだよ」
「急に現実的なこと言うのやめろ」
「ぶへへへ! マ、君も吸うのはやめるんですな。吸うと長生きできなくなるからネ」
会話の内容が健康に不安を抱える中年のそれだが、実際ついこの前まで血液検査の結果にそわそわしていたくらいなのだ、急に変化できるわけもなく。
「長生きしておくれよ」
「お前……死ぬのか?」
急に真面目な顔になった飛鳥に瀬戸も真面目な顔で言葉を返す。
「僕は死にましぇーん!」
「昭和を感じる……!」
「平成でーす!! ざーんねん!!」
「くそがぁ!!」
残念、それは昭和ではなく平成である。
そして二人はラーメン屋を後にしたのだった。
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《???》
ツーリングの帰り道。晴れという予報は大きく外れて、冷たい豪雨が降っていた。
「さむい!!!」
「わかってるよぉ!!!」
スズキのアドベンチャーバイクが高速道路を走り抜けていた。そう、高速道路である。途中で停車することは基本的に許されていないので(緊急事態を除く)、止まることができないでいた。サービスエリアもなかなか見えてこないのが泣き所だ。
二人は、今回は一台のバイクに乗っていた。
『相棒が壊れたんだが』
『これマジ? 壊れやすすぎるでしょ』
『倒しちゃった(泣) 瀬戸っちの後ろ乗せて。ツーリングいこ』
『っちやめろ』
というアプリ上の会話があって、たまにはいいかとツーリングセット(サイドバッグ等)を外して二人乗りでツーリングに出かけたのだ。天候は晴れのはずだったが大外れ。秋口の冷たい豪雨に襲われてヒーヒー言いながら走る羽目になった。
頭部以外はずぶ濡れだった。何せ高速で走っている最中に降られたのだ、当然のことながらレインコートを着ることなどできない。というより、着る以前に持ってきていない。天気予報では秋晴れになるなどとほざいていたが、この
バイカーが憎むものが二つある。一つは
さらに言うと雨天時にはタイヤの摩擦力が低下し、滑りやすくなる。視界も悪くなる。物好きでない限りはお勧めできないのが雨天ツーリングである。
だが、選択できないということもある。こういった高速道路で止められないのに、雨に降られるということである。ゲリラ的に湧いてきた雨雲に降られ、高速で走り抜けていく風で冷却され、指先からブーツまで冷たくなってきた。
「降りよう! どっかで今日は泊まってさ! 明日帰ろう! 休みじゃん!」
ヘルメット以外ずぶ濡れの飛鳥が風に負けないように声を張り上げた。グローブからブーツまでびしょ濡れである。
「うーん……」
「はよ降りろ!」
「ああ、わかったよ!」
後部に乗ってしがみつく格好の飛鳥がヘルメットをぺちぺちと叩いてきた。
逡巡したのも一瞬。後方確認、ウィンカー、車線変更で左レーンに入ると、インターチェンジの出口へと向かう。こういう時はETCの恩恵が大きい。いちいち止めずに通過できるからだ。
ETCレーンから出た瀬戸は、どこに行こうかとバイクを止めようとして、横合いから指が伸びているのに気が付いた。その指はまっすぐお城みたいな建物に伸びていた。
「あそこ! あそこ入ろうぜ!」
「ええええーっ!?」
「来ちゃったよ……初めてはいったよ……」
パンツ一丁になった瀬戸は豪華なキングサイズのベッドに腰かけて考える人と化していた。
濡れた服を脱ぎ、乾燥機に放り込み、シャワーを浴びて乾燥した衣服に着替えたのはいいのだが、ここが“どこなのか”が問題だ。
見たことがないだろうか。高速道路沿いにそそり立つ妙に装飾の多いホテルを。つまりそういうことだ。たまたまそこにあったのが悪いとでもいうべきだろうか、そんなことはないだろう。入ったヤツが悪いのだ。
ぐるぐると思考が回転している。じっと考え込んでいると、白く細い足が視界に入り込んできた。
「お待たせ」
「待ってないけどな」
タオル一枚だけ巻いた飛鳥が来た。
白磁の肌がうっすらと赤みを帯びて上気している。瑞々しい肢体はまるで見せびらかすように片足に体重が乗っており、タオルの隙間からむちむちとした太ももが丸出しになっている。豊かな乳房はかすかに水分を帯びたタオルに隠され、つんと先端が上を向いている。ピンク色の髪の毛は水を吸い、しだれて、艶を帯びていた。
そしてその顔。頬はりんご。青い、日本人離れした瞳は正面から瀬戸を見つめていた。
「好きよ、
彩人。それは本人が嫌う『女々しい』名前であり、普段は下の名前を使わず瀬戸とだけ呼ぶ最大の理由である。あえて名前を呼ぶということは、それが真剣な告白であることを意味しているだろう。
彩人は腕を組み、青い瞳を正面から見据えた。
「元男なのに?」
「だからかな。その方が心がよくわかるというか、ネ。下心ある癖に無理矢理理性で押さえつけてるの見え見え、でも絶対手出しはしない。ふふっ。少しぐらい乱れてもだーれも文句なんて言わないのに」
「急に女っぽい口調になるとなんだか怖いよ、俺は」
「こっちの方がいいかい? 男口調の方が楽だけどねぇ、僕もね」
はらりとタオルをほどくと、膝の上に伸し掛かる。腕を背中にふんわりと触れさせて、胸元を胸元に押し付ける格好になった。
「人称が安定しないおっさんだよまったく」
「私でも僕でもおじさんでも飛鳥でもいいけどねぇ、好きなの選んでよ」
「別になんでもいいよ」
「僕にちょっとときめいてるの知ってるけどねぇ」
「い、いや別に」
「ほらときめいた。じゃ一人称は僕に固定ね」
「うるせぇ! この!」
肩を掴んで押し倒す。腹をくすぐってくるのでくすぐり返す。笑い合いながら抱き合って、そうして自然に口と口を合わせた。
「んっ、ふぅ………」
飛鳥が甘ったるい吐息を漏らす。口を離すと銀色の橋がかかって、切れた。
「リードは僕がする……?」
「いや、やれるよ」
髪を指で梳いて、匂いを嗅覚に押し付ける。甘い、それと自分もよく使うシャンプーの匂いがした。男用だ。
それから―――――――。
「………あっ♡」
「おはよ」
「ふぁ………おはよう」
目を覚ました飛鳥は、同じように目を開いている彩人と顔を合わせた。挨拶をしてみると、彩人は大あくびをした。
飛鳥の白い肌には、首筋や胸元にあちこちに痕跡が残っている。シーツ一枚まとっただけの飛鳥は乱れた髪の毛を手で直しつつ上半身を起こした。傍らのゴミ箱の中身が“凄い”ことになっているのはこの際無視して、起き上がろうとしてふらつく。
「おっと」
「いつつ。この年にして腰痛って昨日はずいぶん頑張っちゃったねぇ……一日で治るからいいけど」
「まあ、その………よかったよ」
「ここでよくないとか言ったら首絞めてやるとこだったけど合格ね」
飛鳥がくすくすと笑った。ちょうど背後から抱きしめられるような恰好になっている。昨晩の最初とは、向きが反対である。
「………なんだ、まだ元気じゃん。今日休みっしょ?」
「ああ…………え?」
「もう少し“休憩”してこっか、いいでしょ。元気だし」
飛鳥に上から臀部で押さえつけられると、まだまだやれると主張している部位がますます“元気”になるのがわかる。
彩人ははあとため息を吐くと、背後から腕を交差させて飛鳥を抱きしめると、首筋をちろりと舐めた。
「もうどうにでもなれだ………」
「えへ、僕も結構疲れてるけど頑張るからさぁ」
そうして、もう半日“休憩”をすることとなり、揃って腰痛を起こしてしまったなんてことは、想像することは難しくないであろう。
翌日、疲労感を抱えたまま仕事をする羽目になったなんてこともまた、想像することは難しくはないであろう。
https://syosetu.org/novel/291985/
このリンクはなんだ!?
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《こうふ~こうあん》
秋深まる頃合い。
甲府。山梨県の国中地方に位置する市。山梨県の県庁所在地及び最大の都市で、文字通り甲府盆地の中央に位置している。西を南アルプス、南を富士山と、風光明媚で絶景が楽しめる場所である反面、ライダーの天敵である情け容赦ない盆地特有の高気温な場所でもある。ワインの産地でもあり、数多くのワイナリーが軒を連ね、季節になればシャインマスカットや桃があちこちで栽培されている様子を見ることができる。
『浩庵キャンプ場、い か な い か』
『ネタが古い』
『しくしく』
『別にいいけど。暇だし』
『ルートとしては、甲府に行って観光してから洪庵キャンプ場で一泊して帰る』
『いいんとちゃう。バイクは直った?』
『直った。外装取り換えるだけだったので』
『代車はもらわなかったん』
『50ccのスクーターしかないって言われた』
『なるほど』
というやり取りの後、いつものようにツーリングセットに道具類をしまい、荷物を後部座席に括り付け、高速道路に進む。ちなみに、隣には飛鳥がいる。
「一緒に出られるって言うのはいいもんだねぇ」
「せやな」
いつもならサービスエリアで合流するのに、なぜ一緒に家を出られるのか。それは同棲を始めたからだ。
まず、引っ越しそのものは簡単であったのだが、引っ越しの準備が大変だった。というのも飛鳥の部屋に招かれて行って呆れたのがその“汚さ”である。生ごみこそ捨ててあるのだが、読んだ雑誌が群れを成し、服は畳まず置かれ、床には空き缶が積まれておりそれはそれは酷い部屋であった。
だが、彩人は、なんとなくそうであろうことを察していたのだ、初日にいきなり引っ越し業者を呼ぶなどということはしなかった。威力偵察というやつである。
「掃除手伝って♡」
「急用を思い出したのでじゃ、そういうことで……」
「待ってください! お願いしますぅぅ!!」
と頭を下げられては仕方がないのでその日は掃除をして終わった。ちなみに一緒のベッドに寝た。
翌日。簡単に着替えやらを運び込んだ。それから翌週に引っ越し業者を予約した。もともと、彩人は荷物の少ない男であった。飛鳥の3LDKマンションに引っ越しをしても十分スペースには余力があったのだ。こうして二人の同棲が開始された。
ちなみに会社の場所的にも引っ越しをしても大差ない距離にあることがわかった。なので会社からの許可もあっさり下りた。
「中央自動車道すね」
「うむ。ここからは別料金だってさ。おーこわ」
「何が怖いんだよ……」
首都高速から中央自動車道に乗って、一路西へ。八王子インターチェンジを抜けて、さらに大月へ。大月から勝沼へ。
勝沼と言えば聞いたことがあるのではないだろうか。そう、勝沼ワインである。
下道に降りた二人は、なんとかシャトーを尻目に走り抜けていく。
「バイクって楽しいけどこういうときはねぇ………シャトーで試飲とかしてみたいけど飲酒運転になっちゃうのが……」
「わかる。そればかりはしゃーない。電車で来るなら別だけど」
うーむと残念そうに飛鳥が唸る。バイクは楽しい乗り物だが、酒飲みとは相性が悪い。途中で一杯飲もうものなら最低でも六時間は待機しないといけなくなることだろう。
彩人は先頭を行くアドベンチャーに話しかけた。
「最初はどこにいく?」
「甲府に来たらやっぱりあそこしかないっしょ!」
先に見えてきたレンガ色の建物が山の斜面にへばりついているあたりを指さした。
「ほったらかし温泉!!」
「この斜面がアレか」
「アレやね。なでしこちゃん達が苦戦してた場所」
ほったらかし温泉は山の上にある温泉であり、そこに行くにはおおむね二つのルートがある。一つはフルーツ公園の中を通っていくルート。こちらは比較的なだらかなので徒歩の方もオススメである。もう一つが某漫画もといゆるキャン△でなでしこ達が登っていた急斜面である。
「斜面でこけたらどうなるのっと」
「ぶへへへへ! レッカーかな」
「ぶへへじゃねぇよ………まあ行きますか。慎重にね」
彩人が言うと、飛鳥は爽やか(?)に笑った。
マニュアルから一速に入れた飛鳥が、呆れるほど高い斜面を登り始めると、あとから彩人が続いた。
「おおー流石にこんだけ排気量あっても堪えますなぁ」
「ほんと、すっごい坂だわ」
エンジンが唸り声をあげているのがわかった。一速にして正解である。坂道を登るコツは急加速急減速急ハンドルをとらず、まっすぐ一直線に行くことだ。決してよそ見をしてはいけない。よそ見をすると車体が傾き、坂道でずっこけることになる。重量級のアドベンチャーが急角度の坂道でこけようものならレッカーは必至である。
坂道を抜けると、なにやらサーキットのような施設が見えてきた。
彩人の表情が曇る。秩父でさんざんにしてやられた記憶がよみがえってきたのだ。
「AZ山梨サーキット、ねえ」
「ええやん、彩人っちあとでやろうよ」
「っちやめろ。いやー勝負にならんくらい飛鳥強いんだもんなぁ………」
「年季が違いますヨ、当然ねぇ。ここは君に免じてやめておいてあげましょ」
「ああー腹立つ」
「うふ」
などと会話をしつつ、さらに登っていく。急斜面のあとは、比較的なだらかな坂である。とにかく登っていくと、建築途中のキャンプ場のような施設が見えてくる。
「そのうちグランピング施設でも作るんかねぇ」
「ああ、ほったらかしキャンプ場の拡張施設すかね、あの何度予約とろうとしても全然取れないとこ」
ほったらかしキャンプ場は超大人気キャンプ場で、予約はまずとれない。予約が取れなすぎて返ってあまり中が知られていない程である。
「僕も予約は試みたけどだめだったねぇ………いやはやあの漫画の人気はすごいよまったく……ねえリンちゃん! キャンプ、やろ!」
不意打ちでなでしこの声真似をする、そのよく特徴を捉えていることときたら。
彩人は思わず唸った。なんて多才な男もとい女だと。
「俺は女だった……? なでしこみたいな見た目しやがって」
「せやろ。なんでピンクなんだろね僕」
「さあ?」
更に登ればほったらかし温泉が見えてきた。バイク専用の駐車場でバイクをとめると、ジャケットを脱いで着替えを用意する。
「もしかしてなでしこのコスプレですか?」
カップルが声をかけてきた。同じくライダーらしく、Ninjaが二台並んでいる。
飛鳥は一瞬虚を突かれた顔をしたが、すぐににこにこと人の良さそうな顔をして対応する。
あっ嫌な予感がする。彩人は察した。
「そうなんですよ〜彼が髪染めろってうるさくて〜」
「おいっ!」
彼の趣味でやらされてる設定と化したピンクの地毛を触りながら朗らかに大嘘を並べる。おふざけ具合はなでしこどころか犬子以上である。
「すごーく似合ってますよ! その髪色! あー私も染めようかな〜」
「そのままのほうがかわいいよ」
目の前でいちゃつき始めたので、二人はさっさと退散することにした。
飛鳥はタオルを首に引っ掛けてぶらぶらと歩きながら傍らの相棒に声をかけた。
「髪の毛さあ、紛らわしいから染める?」
「飛鳥は、今が一番きれいだよ」
歯の浮くような台詞がさらりと出てきたことに自分ですら驚く。
飛鳥は口元を複雑な形にさせた。
「あ、アリガト……」
「急にしおらしくなるなよ……こっちまで恥ずかしいだろ……」
などと会話しながらほったらかし温泉の温泉前広場に進む。休憩所や、飲食店、ベンチが並び、甲府の街を一望できる絶景である。
あっちの湯とこっちの湯。看板があり、写真もついている。あっちの湯が甲府盆地メインこっちが富士山メイン、である。
「左がブラジルで右が出口だ」
「そのネタわからんのですけど」
いきいきと左を指さし出典不明のネタをかます相方もとい彼女に対し、彩人は困惑した。なにいってんだこいつ。あとで調べてみよう。
「ブラジル湯に行こう!」
「あっちはブラジルだった? あっちの湯ね、あっちの湯」
元気よくずんずんと歩き始める飛鳥を追いかけていく。料金は八百円なり。
「一時間後くらいかな?」
「そうすね、あとで会いましょ」
言うと二人は男湯と女湯に分かれたのだった。
「こっちじゃない!! あっち!!」
「いけね。えへっ」
という定番のやり取りもあったという。
えへってなんだよ!
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《こうふ~こうあん》2
嬉しい。今が一番きれいと褒めてくれた。
嬉しい。胸がどきどきして、全身が熱い。
嬉しい。嬉しい。もっと言ってくれはしないだろうか。せがんでみようかな。
男の頃は思いもしなかったことだ。
もっと乙女のように振る舞うべきだろうか。振る舞えるだろうか。
「………はー生き返る~……」
風呂に浸かって考える。風呂のお湯が温く感じるくらいに体が熱い。
甲府盆地を眺める。遠くで電車が動いているのが見える。夜になれば夜景が素晴らしいのだ、この温泉は。
彼と夜景を見るのもいいな、それからロマンチックな雰囲気になってあんなことやこんなこと。
「ぶくぶくぶくぶくぶくぶく」
にやけ顔を隠すために水中に口を沈めて息を吐く。泡が上っては消える。
同じく入浴している女性からジロジロ見られるのを感じる。髪の毛が紫色の高齢者の女性は稀に見るが、キツイピンク色の髪の毛は老いも若きもまず見ないからだろう。端的に言えばケバケバしいのだ。
だがそんなことはどうでもいいのだ、彼が好きと言ってくれれば。
気分は乙女だった。まるで二十年若返ったあの青春の頃に戻ってきたかのように。もっとも男だったあの頃とは違って女になってしまったが。
「ぶくぶくぶくぶく…………ぷはっ」
危うく呼吸が止まるところだった。顔を水面に上げると、岩に寄り掛かる。
「“素顔で踊らせて”ね……“恋はお熱く”かな? あ、でも告白は成功したから“限りなき
飛鳥は暫し遠景を楽しんでから風呂から上がった。
風呂上り。
「………温泉卵揚げ?」
「略して温玉揚げ! 名物って言う程じゃないけどアニメでも食べてたやつね」
食堂にやってきた二人は、年々インフレが進んでいることを実感させるお値段の温玉揚げを購入していた。飛鳥は食べたことがあるようだったが、彩人は食べたことがないのか、物珍しそうに手に持つそれを見つめている。
「……ああー本編で食ってたっけそんなの。黄身が固まってたりして。……固まってない!」
「でしょー。おいしいんだよねぇこれ」
半熟卵とサクサクの衣のハーモニー。かすかに感じる塩気が合わさり三重奏。風呂上りに食べたら即座に陥落すること間違いなしの美味である。
二人はそれをふんふん言いながら食べつつ駐車場に戻り、ジャケットを着こんでバイクに跨った。
「お次は?」
座席に跨り、エンジンキーを差す。スマホをマウントして飛鳥の言葉を待つ。
飛鳥も同じようにバイクに跨ってキーを差すと、スマホをぺちぺち弄って予定表を見ていた。
「んんーのんびり観光もいいんだけど予約した時間が十六時なんだよなぁ」
「ここからだと………マップ検索と……一時間くらいかぁ。余裕持っていきたいよな。最近すぐ暗くなるしな」
「次は……ちょっと下のフルーツ公園の散策でもしない?」
「フルーツ公園ね、了解。ってさっき来たところか」
現在時刻はちょうどお昼前。お昼ごはんには少々早い。
ギリギリ滑り込みセーフは危険性が高いし迷惑になるので、十五分前には到着するべきだ。
このようにキャンプツーリングは楽しいのだが、時間的な制約が付きまとうものだ。二人で同時に行動すれば制約も多い。もちろん楽しいのだ、この程度の制約、むしろ醍醐味であると言えるであろう。
エンジンスタート。坂道を下って行けば、フルーツ公園に着く。
フルーツ公園。文字通り園内でフルーツを栽培しており、日本有数の葡萄や桃の産地としての特色を活かした各種料理、土産物を楽しむことができる公園である。
「おおーやっとるやっとる。彩人みてホラ葡萄しぼってる」
「ほんとだ。ああやって搾るのか」
「搾るっていいよね」
「??? そうすね」
「搾る」
「なんで強調するの?」
万力に近い構造の、油搾り器に近い道具を使ってお客さん達が従業員指導の元葡萄を絞っている。子供が親にだっこされてレバーを頑張ってひねっているが、なかなか回っていない。
「葡萄のシーズンだからねぇ。シャインマスカットって知ってる? 高いけど、すっごくおいしいんだよ」
「あのウン千円するやつか………」
「えへんえへん! ここは僕がおごって差し上げましょう。キャンプ場行くどっかの露店で売ってるでしょ」
「それはありがたいなぁ。奢られておきたいところ」
シャインマスカット。食べたのは遠い昔のことで、味が全く思い出せなかった。奢ってくれるならありがたく頂いておこうと思った。何せ稼ぎは飛鳥の方が上だからである。こんなナリしてそこそこのポジションにいるらしい。外見はともかく頭脳は変わっていないはずなので、復職すれば十分働けるのだろう。
「手、つなごっか」
「うす」
自然な流れで手をつないで公園を散策する。家族連れもいればカップルもいる。少し遠くに目をやれば、葡萄の木があり、紙の服を着たたわわになっているであろう実が見える。
そのまま二人は自分たち用の土産としてワインを購入したのだった。
「おいしいねぇ」
「そうすね」
お昼時。二人が選んだのはほうとうだった。やはり、甲府まで来たらほうとうの一つでも食べなければということで、フルーツ公園から下った先にある店に入って昼食を摂ろうということになった。
大根、人参、きのこ、などの野菜がよく煮込まれたお味噌のスープ。一反木綿のような独特な形状の麺がよくスープに絡んで、味噌の甘さと相成って、非常に美味であった。
「時間も押してきたし、どっかのスーパーで買い物でもして、キャンプ場いこっか」
「……うわ、もうそんな時間なんだ。って食べるの早!」
あっという間にほうとうを“飲み干して”しまう飛鳥。彩人も大急ぎでほうとうを食べると、会計をしてバイクに跨った。到着に一時間、買い物の時間も含めればあまり猶予がない。
道中で、露店があったので止まる。シャインマスカットや巨峰や桃がお手頃価格で売っていた。
「おねえさーん! シャインマスカットのこのパックおくんなましー!」
「どんな方言なんだよ、それ」
二房入って価格驚異の三千円。さすがは本場は安い。蟹が北海道では安いのと同じ理由であろうか。
おばちゃん(おねえさん)は微笑みながら会計をしてくれた。
「はい、彼女さん」
「えへへ。ありがとうございます」
やはり外からは“そう”見えるらしい。
そう見られることがうれしいのか飛鳥のテンションは高い。お釣りを受け取りながら顔を赤くしている。振り返ったその顔の嬉しそうなことと言ったら、彩人の方が思わずにやけそうになり口元を覆ってしまうほどである。
その後はスーパーに向かって、酒や肉などを購入した。キャンプ場にも当然売店はあるのだが、大抵の場合割高か品ぞろえは最低限であることが多い。事前に買っていくのが吉であろう。
こういう時はアドベンチャーバイクは素晴らしい積載性能を発揮してくれる。荷物を括り付けた二人は、キャンプ場に急いだ。
甲府盆地から南下。山の中を突っ切るコースだ。いくつかのトンネルに飛び込んで、風景が開けてきた。湖だ。
彩人はここで早とちりを犯す。
「
「甘いなァ彩人よ。これは
「腹立つなー」
「えへへ」
「褒めてねぇよ!」
本栖湖ならぬ精進湖をかすめるようにして、進路を西に転進する。
すると今度は富士山が見える高台に出た。
「富士山があるけどぉ……どう思う?」
「曇っててなんもみえねー!」
彩人はお決まりのセリフをインカムに語るのであった。富士山は頭に雲の帽子をかぶっており、先端がよく見えない。ほかの空は晴れているのにピンポイントに富士山だけよく見えないのである。
さらに進んでいくと駐車場が見えてきた。二人は車用のスペースに二台並べて止めると、受付へと進んだのであった。
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《こうふ~こうあん》3
キャンプ場は近年のキャンプブームのためか、とても賑わっていた。いい場所はたいてい取られてしまっているので、あっちこっちにウロウロしたあげくに、砂浜から一段あがった位置にある木の陰に落ち着いた。
「「ここをキャンプ地とする!!」」
キャンパーなら一度は言ってみたい台詞を二人で同時に叫んで設営開始。設営終了までは三十分とかからない。一つのテント、タープ、くらいしかないからだ。三人用テントなので確かに大きいが、二人で協力すればあっという間である。
時刻は既に十六時過ぎ。日没は十八時くらい。日が落ちてきて、気温も下がってきている。
二人はテキパキと設営を終えると、水を汲みに行った。ボトル数本分を水洗い場で確保。砂浜沿いに設営しようとした結果、水場が遠くなってしまったのが難点だが、水場が近すぎると今度はひっきりなしに人がやってきて雰囲気が台無しということもある。二律背反である。
「調理しますかー」
「マ、調理と言っても煮るだけなんですがね! なんてったっておじさん料理ができませんのでぇ」
えへんとなぜか偉そうに胸を張ってみせる飛鳥に、バーナーを組み立てて水を注いでいた彩人がため息を吐いた。
あの壮絶な部屋を見せられれば大まか想像がつくというものであるが。仕事はできる、性格もいい、バイクは相当速いし音楽もできるが、神はそれ以上の才能を与えなかったらしい。掃除はできず、料理はできずらしいのだ。
「へぇ、バイクも音楽もやってる癖に家事はできないと」
「洗濯は、できまぁす!」
「シャツ畳めるようになってから言えよ………」
意外な(?)弱点が露呈しつつも、鍋の準備に取り掛かる。と言ってもすき焼きなのでそう準備に時間はかからない。具材は既に準備済みのパックを買ってきたし、タレもある。肉はブチ込んで煮るだけだ。
ご飯担当の彩人は、鍋に具材をぶち込んでいく様をみてハラハラしていた。ひっくり返したりはしないだろうかと。幸いなことに鍋に入れて煮るだけならおじさんにでもできるらしく、具材を手際よく配置していくので安心した。
飛鳥は得意げだった。
「僕はねぇ、料理はできないけどスープは得意でねぇ、スープのプロなんだよ」
「どうせ野菜とか適当に買ってきて肉とか入れてコンソメで煮込んだ
「なぜそれを!?」
「キッチンにアホみたいにコンソメばっか冷凍庫に冷凍野菜ばっかあれば嫌でも気が付くわ!」
茨城名物(エビデンスはない)限界中年汁で野菜を摂取する生活も今は昔のこと。今は比較的料理の出来る彩人が担当しているので、コンソメスープの素の消費量は劇的に減少しているとか。
「んでご飯はもうツッコムのやめていいすか」
恒例行事と化したパックご飯を茹でる
「ツッコムのはやめないで欲しいなぁ♡」
「この場所じゃ無理だと思いますけどねぇ。人が多すぎでしょ」
「それな。分別のないキャンパーでもないしセックスおっぱじめるには距離がね」
「大きな声で言わないで貰いますかね」
話し声はともかく、コトに及べば流石に気が付かれるであろう間隔しかない。
かわいい顔して直球で内容を述べて見せると流石に焦る。口の悪さというべきか、元おじさん特有のずさんさにはひやりとさせられる。
「ろまんちっくな場所でしようねぇ」
「そ、そうすね」
「ほかの場所ならいいって遠回しに言ってくれる君が好きだよ」
「するならね、するなら」
「したくない?」
「したい」
などと雑談しつつ“調理”完了。シイタケやら人参やら白菜やらネギやらを甘辛い汁で煮込んだ料理、すき焼きのできあがりである。仕上げに肉を入れるだけでできあがる。
「やっぱ肉は最後だよねぇ~♪」
「すぐ煮えちゃうからなぁ」
最初の方に肉を入れると当然あっという間に煮えてしまうので、大まか野菜が煮えてから肉を入れる方が良い。今回もそのセオリーに従った。
「あちあち」
「あんがとさん」
飯盒からご飯を取り出してテーブルに置く。ビニールを剥くだけで、あとは食べるだけだ。
「いただきます」
「いっただきまーす」
合掌。二人は肉を投下すると、次々に口の中に放り込み、ご飯をかっ食らった。
「へっへっへ、お代官様銀色のやつもございまさァ……」
「時代劇か?」
キャンプと言えば酒という人も多いはずである。
二人は銀色のやつ(500ml)のタブを開けると、どちらがともなく乾杯をして、ごくごくと音と立てて中身を胃袋に送った。
女は顔をしかめ濁点の多い息を漏らし、男はうむと頷くだけだ。
「か゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁぁぁぁ! 効きますなぁ」
「おじさん臭いぞ」
「おじさんなのでえ、あ、今はオトメですけどネ」
仕草は完全に中年のそれなのだが、外見や声は女のそれだ。最も仕草も完全に女の時もあると言えばあるのだが。
酒を飲んで、鍋を突いて。話は弾んだ。最初は仕事の愚痴から始まってしまうのが社会人の悲しい
鍋を食べ終わると、片付けの時間である。生ごみは持ち帰る。ほかは水洗い場で処理をして、あとは焚火を囲んでゆっくりに談笑する時間だ。
「歌でも歌いたいねぇ」
「距離がね」
「そう、近いんだよなぁ。人気なキャンプ場の弱点はそこだよねぇ」
「他ンとこなら歌ってもいいよって言うところだけどご近所迷惑だからなぁ」
二人はチェアを並べて座ると、手を繋いでいた。時折焚火の面倒を見つつ。火の粉が乾いた音を上げて昇っていく。
「おほー富士山晴れてる。ついてるねぇ」
「月明かりがこんなに明るいとはなあ」
富士山に目をやってみると、雲がいつの間にか消えていて、月明かりを受けて銀色に光っているのが見えた。お札の柄にも使われる見事な形状と巨体には、畏敬の念を覚えざるを得ない。過去多くの画家や写真家が魅了されるだけのことはある。
雑談のネタが少なくなると、酒を飲むだけの時間が増えてくる。ところが酒もなくなると、見つめ合う時間が増えてくる。
なんと可愛いのだろう、なんてかっこいいんだろう。
自然と距離が詰まって、ちゅ、とリップノイズを立てて軽くキスをする。
「寝ましょっか」
「うん」
「おやすみ」
「おやすみ」
こうして夜は更けていく。
ごそごそ………。
朝は物音で目を覚ました。ばっちりと目が合った。寝袋なのに。
朝である。トラブルあれど無事夜を明かすことができた。
チェックアウトまでの時間で食べるものと言えばアレである。
「カレー麺♪ カレー麺♪ いっただきまーす♪」
かなり自然な声真似をしつつカップ麺にお湯を注ぎ、体を揺らし始める飛鳥。ちなみに彩人とマスツーに出る前はソロキャンおじさんだったらしいので、キャラ的にはリンちゃんの方が近かったりする。
「声真似やめろ。っていうか声真似うまいよなほんと」
「いんやーおじさん時代にやっても酒焼けしてるだけの裏声にしかならんかったけど女性の声帯ってやわらかいねェ。アニメ見て練習してみたら結構うまくいった」
「そういうもんなのかね。じゃ、いただきますと」
手を合わせてずるずると食べる。
それから道具類の撤収にかかる。連泊ならここで結露した水を乾かすところだが、今日は帰るだけなので手早くまとめてしまう。あとは家で帰って庭にでも干しておけばよい。
「いきましょっか。帰るコースはっと」
「北上して大月、八王子、中央道から首都高のコースかねぇ。いこっか」
二台のアドベンチャーは並んでキャンプ場を後にすると、徐々に速度をあげながら高速道路へと滑り込んでいき、仲良く帰宅したのだった。
Q.なにをしたんだよ
A.仲良くガリガリ君でも食べたんでしょ。
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《おうち》
彼女が欲しいとは思っていた。まだ早い。まだ早いなどと思ってうつつを抜かしている間にももう二十を過ぎてしまった。一番もてたのは高校生の頃で、大学生になってはゼロに等しく、ついに就職してからは虚無化していた。
そしてようやくできた彼女がもともと彼で、しかも遊び仲間というのが奇想天外過ぎた。
彩人は、自分の稼ぎでは到底住むことができないであろう3LDKで目を覚ました。
今日は休日だ。のんびりできる。それなりにだが。
相方は、頑張ってはいるものの家事能力が、洗濯はできても畳めず彩人一言目の感想が“泥棒にでも遭った?”、食事はスープがメインでパンを焼くかご飯炊くだけ+ふりかけか生卵、あるいは冷食で、掃除はそもそも年に数度しかしていないくらいの無能力者である。
「やらないわけじゃないんだろうけどなぁ」
家事を分担するのは大切なことだ。最近は張り切っているのかゴミ出しと掃除は頑張っているが、他のことをやらせるとそれはもう酷いので、彩人は自分がやる方が効率的だと思っている。
「これじゃ主夫だぞ」
などとぼやきながら朝食を作り始める。前日に準備していたご飯に、お手軽簡単で栄養のある卵焼きにサラダをつけてみそ汁を付ければ完璧な食事の出来上がりである。手の込んだ料理は夜に取っておくべきだ。
「寝顔が綺麗ならいいんだがなぁ」
なんだかぼやいてばかりじゃないかとベッドに戻ってみると、大股開きで布団を抱きしめる恰好の飛鳥がいる。髪の毛はボッサボサだし、口は開いてるし、ヨダレ垂れてるし、というかパジャマの胸元開いてるしで女っ気の欠片もない。毎度のこと寝相が酷いので夜中に蹴っ飛ばされることが度々あるのがキズである。
「起きろー朝だぞー」
「………」
「起きろ」
「…………」
ぴくりとも言わないが呼吸が乱れているのですぐわかる。というより一瞬目が半開きになったのでこれはもう狸寝入り決定である。
「引きずっていくか」
「ロマンチックにおなしゃーす」
目をぎゅっと瞑った飛鳥がそんなことを言い始めるので、彩人はその両足を掴んだ。
「ロマンチックに引きずっていくか」
「あー! あああああ!!! お姫様抱っこがいいのぉぉぉ!」
両足を掴んで持ち上げて、後ろ歩きしながらリビングまで引っ張っていく。叫び声を上げられても無視して引っ張ると、やがて抵抗を諦めたのかされるがままとなった。
「寝起きくらい静かにできないんですかね」
「寝起きでジャンプは基本でしょ」
「…………………そのネタはギリギリ世代過ぎて思い出すのに時間がいると思うんだけど」
ネタのチョイスがいちいち古いのはもはや仕方があるまい。
今回はともかく、彩人が生まれてすらない頃のネタを振られるともはやツッコミどころの騒ぎではなくなってくるのもご愛敬である。
ピンクの髪の毛に、ほっそりとした肢体。魅惑的な胸元。むっちりと出たお尻。こんな精々が大学生くらいな外見をして事実元おじさんというのが奇妙な現実である。
「いただきます」
「いただきます」
手を合わせて食事を頂く。
「ふむふむ」
「新聞そんなに面白いかなぁ」
「世間の情報を紙で入手するのは大切だぞー。古き良き媒体はバカにならないとおじさんは思うのでぇ」
新聞を読みつつご飯をむしゃむしゃするその様子、読みやすいように新聞を折りたたんでいるところも、電車で通勤している姿が透けて見えるようだった。
スマホでいいじゃん派の彼にはイマイチ理解ができないところだ。新聞の良さがわからないのだ。なので本派の飛鳥と電子書籍派の彩人と正反対であったりする。そのくせほかの趣味であるアウトドアは一致するのが不思議なところだ。
朝食が終われば、朝の掃除だ。これは飛鳥の担当なので任せるとして、皿を食洗器に突っ込んで洗濯機を回してその間にのんびりコーヒーを楽しむ。
「おーわり。さて、次のツーリングなんだけどさぁ」
「コーヒー淹れたよ」
掃除を終えた飛鳥がリビングにやってきた。彩人は準備済みのコーヒーを勧めた。
「さんきゅー。それでさあ、どこがいい?」
「うーむ」
私用のパソコンを起動した彩人は、マップを開いて唸り声を上げた。次の休み、泊まるなら一泊、余裕持って行き帰りできるところと言えば……。
「道の駅どうし………」
「オ、いいですなぁ、峠も行ったけどどうしも昔よく走ったなぁ。最近行ってないしいいね」
「ちなみに何kmくらいで?」
「聞かない方がいいよ」
道の駅どうし。道志村にある道の駅であり、相模湖と山中湖を結ぶ道の丁度中央にあることから訪れる人が多く、ライダーの聖地であり、休日になるとバイク全盛期だった数十年前とは比べるまでもないとはいえ、大勢のバイクが集結する場所である。
「それでー………近くのこのキャンプ場でいいんじゃね」
「あぁ、ここ。来た事あるよ。安くていいよね、僕は賛成かな」
「決定ね」
彩人は道の駅どうしから近いキャンプ場を検索すると、隣に座る飛鳥に見せた。飛鳥はうんうんと頷いた。サクサクと話が纏まった。この辺りは非常に気が合っている。
次は、纏まっていないものを纏める番だ。
彩人は櫛を持ってくると、ソファに座って、前をぽんぽんと叩いて誘った。平日はともかく、休日はこうして髪の毛を梳いてあげているのだ。介護などと言うなかれ。
「髪の毛は女の命、つまり命を握られているッッ」
「えぇ………バカ言ってないでやんなら座ってくれませんかね。髪梳かすからさ」
「アフン♡」
「喘ぐ要素ある?」
座った彼女の髪の毛を指で流すと、妙に演技掛かった声で喘ぎ始める。ぽこんと軽く頭を叩くふりをすると、髪の毛をゆっくりと梳いていく。
最近は女ものシャンプーとコンディショナーを使っているらしく、最初と比べると指どおりが良い。梳いて梳いて、梳いて梳いて。跳ねがなくなり、ストレートヘアになっていく。
「髪の毛さあ、短いほうがすきかーい?」
「長いほうがいい」
「サーイエスサー! このままでいくであります」
「ノリが、ノリが俺にはわかんないよ……」
ハイテンション過ぎてついていけなくなる時もたまにある。
「そういえば」
「うん」
「本気で走ってるのって見たことないなって」
「ああ」
飛鳥の声が若干低くなった。
「見たいなら見せてあげてもいいよ。ビデオですけどね!」
「ビデオかー………」
ちなみにこの部屋には現代っ子にはわからない神器であるビデオデッキがある。もちろんビデオもある。そもそもビデオってなんですか? という質問をする少し前の世代である彩人には意味が分かった。
「昔は飛ばしたもんだよ。ツーストロークの怪物に乗ってさぁ。改造もしたし警官もぶっちぎって峠道で膝パット何枚も使い倒したっけ。いい時代だったって言いたいけど、大勢死んだし君は真似しちゃだめよ」
飛鳥は追憶しているのか目を瞑り、人差し指を立ててどこか得意げにしかし、最後は自嘲気味に語る。
彩人は首を振った。命知らずにはなれない。
「しないぞ」
「賢明な判断だネ。ということで視聴してみましょっか。僕の若い頃というかー男だった昔の青年期でも」
ビデオに登場した若い頃を見て、彩人はこう思ったとか。
今の容姿に非常に似ている、優男風貌だなと。
加齢って怖い。
「あ、やべ上書きしちゃってるし」
「変なビデオ見せないでくれないですかねぇ……」
真昼間から知らぬ女体を見せられた彩人はげんなりとしたのだった。
「ちなみにこっちのビデオは僕のおすすめです」
「見ないよ!!」
次回、道の駅どうし
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《どうしみち》
国道413号線『道志みち』。相模原市と山中湖村を結ぶ国道であり、走りやすいワインディングで知られるライダーのメッカと言うべき道である。
彩人と飛鳥は一緒にマンションを出ると、バイクに跨って比較的遅い時間に出発した。目的地になるキャンプ場は高速道路を使えば、二時間もかからないからだ。そうではないツーリングの時は早朝に家を出るのが普通である。バイクという乗り物は事故率が高い。夜間の事故率は飛躍的に上昇する。夕方には走るのをやめるのが賢明であるならば、逆算して出発は早朝になってしかるべきだ。
「最近は涼しいねぇ。あんなに暑かったのが嘘みたいだぁ」
「そうすね。今年はあっさりと秋になりましたね。助かるけど」
「食欲の秋だねぇ」
「欲は欲でも違う欲が最近出過ぎてないですかねぇ」
「欲に貪欲な生き物なんですよ、おじさんは」
「えばることかよ……」
最高気温23℃。平地の高速道路ではごく普通であるが、道志みちのような山間部に入ると気温がぐっとさがる。冬用のジャケットを着てきた二人にとっては心地よい涼風に過ぎないのだが。
空は秋晴れ。今度こそ、ゲリラ豪雨はない。はずだ。念のため雨具を持ってきたので隙はないが。
「ああー懐かしいなぁ。ネズミ捕りの
「昔はワルだったんですねぇ、今じゃ信じられないけど。速度きっちり守ってるし」
「今は色々と守るものがあるしねぇ。ちなみに知ってる? 上、ヘリ飛んでるの見える?」
「……どれ? あれ?」
二人が見上げる先、比較的低空をヘリがホバリングしているのが見えた。よくは見えないが県警の文字が書かれている……気がする。
飛鳥はスピードをスロットルで抜いて調整しつつ言った。
「あれね、たぶんだけど道志みちを見てるんだよねぇ。地上と連携してスピード違反とか追い越し違反者をとっ捕まえるために」
「ひぇぇ……」
改めて、安全運転をしようと思った彩人であった。
道志川を渡り、春を待つ桜の木をかすめてさらに進んでいくと、次々とキャンプ場の看板が現れる。まるで駅前のラーメン激戦区のようだ。人通りがあり、自然が豊かなこの道沿いは、キャンプ場には打って付けなのであろう。
「キャンプ場多いっすね」
「選り取り見取りだねぇ。次来るなら違うトコとまろーね」
「それはもちろん」
一時間ほど走ったころであろうか、右にたい焼き屋、左側に道の駅が見えてきた。ウィンカーを出し、減速しつつ左折して駐車場に滑り込んでいく。
原付がいる。スーパースポーツがいる。ネイキッドがいる。スクーターもいる。もちろん、二人が乗っているアドベンチャータイプがいる。日本製もあれば、海外製もある。あらゆるバイクが停車しており、ライダー達が会話に花を咲かせている。
二人は並んで駐車した。アドベンチャーはガタイが大きく目立ちがちなのだが、アフリカツインやらドゥカティやらが停車している坩堝にあると、目立つどころか馴染んでいるくらいである。
今日は運がよく(?)、変わったバイクが停車していた。巨大なクチバシを持つ異形のバイクである。
気が付いた飛鳥が彩人の肩を叩いて指さす。
「うわ! 見てあれ! ファラオの怪鳥がおるやん。ツーストより珍しいかも」
「ふぁ……?」
「ビッグオフロードやね。“
「新型の方にだいぶ似てるなぁ………てかそんだけ排気量あるのにシングルってやばくない? 色々性能を犠牲にしてそう。燃費とか」
「トルキーでピーキーで面白そうだよねぇ、長距離は察するけど」
彩人は平均的日本人の外見をしているのでともかく、ピンクの髪の毛に青い瞳の外見はよく目立つ。ジロジロとみられるかと思ったのだが、それ以上に目立つ存在が入ってきた。
シンプソンのヘルメット。大きな赤いリボン。セーラー服。膝プロテクター。乗っているバイクはカワサキのライムグリーン色のメガスポーツ。運転手は体型からして女性。そう、あの漫画のキャラクターのコスプレイヤーである。その証拠に隣にもじゃもじゃ髪の毛のセーラー服の女の子がくっついている。
あの漫画。急にタイムスリップしたり急にバイクの神様が出てきたりするアレである。キリンさんは泣かないのであるし、カタナは最高なのである(要出典)。
「「ライム先輩じゃん」」
「あの漫画好きだわ」
「俺も好き」
「セーラー服、そそるかい?」
「………いや別に」
目を逸らす彩人に飛鳥がにやっといやらしく笑った。
「動揺したでしょ」
「してないよ!」
セーラー服を着た飛鳥。それもいいかもしれないな、などと脳内で妄想を繰り広げていたところで急に指摘され、心臓が跳ねた。声が上ずってしまったのを後悔する。
飛鳥は、今度通販で買っておこうと心の中で決心をしたとか、していないとか。
と、話している間にも、コスプレイヤーが入ってきてさっそく撮影会が始まってしまった。これで心置きなく観光ができる。
まあそれでも、
「なでしこのコスプレですか!?」
と声をかけられることもあったりしたが。
「そうなんですよー彼が似合うからやってみとか言ってきてぇ」
「おい!」
とコスプレ大好き男としてギャラリー(?)に認識される一場面があったとかなかったとか。
その辺を手を繋いでぶらぶらして、山菜ラーメンの昼食を摂り、アイスを食べて、ご飯やお菓子を売店で調達する。
「行きますかぁ、って言ってもそんなに離れてないんだけどね」
「そうすね。十分あれば着くんじゃないですかね」
道の駅を出てすぐ左折。道中の薪の無人販売所で薪を購入してさらに進んでいくと、キャンプ場が見えてきた。
「ここ来たのが昔過ぎてルールがよくわかんないんだよねぇ」
「えーっと、人がいるときといない時で少しだけ料金が違うみたいすね。グーグルマップの評判だと、……電波の入りが場所によって違うとか」
「この辺はいいんだ。管理棟に行ってみようか。料金を払わなきゃ」
「営業してない時は、巡回時に払ってくださいだって。そっちの方がちょっと高いみたいだ」
二人は管理棟を目指した。管理棟近くにバイクを止めて中をうかがってみたが、営業している様子がなく、料金は若干高めの方になることが確定した。もっとも誤差みたいな料金差であるが。
管理棟傍には川が流れており、つり橋がかかっているのが実に雰囲気がよい。
スマホを見ていた飛鳥が言った。
「この辺wifiあるんね、じゃ、この辺でよくないかい?」
「そうすねぇ、この辺に設営しましょっか」
「「ここをキャンプ地とする!」」
恒例行事と化したキャンプ地宣言。これで二人がカブ乗りであれば完璧だったが、あいにくのアドベンチャーである。
丁度木の陰に二人はキャンプを設営し始めた。まずは柔らかくて、障害物がなく、平地の、ペグの刺さる場所を探す。グランドシートを張り、ペグを刺して固定する。次にテントを張る。骨格をテントに差し込み、立ち上げて四隅を固定する。あとはフライシートを被せる。次にタープを張る。
「ひょいひょっと」
「相変わらずうまいなぁ」
「経験が違いますよぉ、経験がねぇ」
するするとタープを設営する飛鳥を見て、彩人は感嘆の声を漏らす。ロープワークの巧みなことと言ったらない。手伝う間もなくやってしまうので、荷物を開けて空気式マットを膨らませ、寝袋を広げて敷いたりしておく。
三十分足らずで完成。一泊する宿のできあがりである。
「コーヒー淹れたよ」
「ありがとー」
コーヒー担当と化した彩人がコーヒーの入ったマグカップを差し出す。二人はチェアに腰かけると、暫しまったりとした時間を過ごしたのだった。
そして、一息つくと、さっそく焚火の準備に取り掛かったのであった。
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《どうしみち》2
川のせせらぎを聞きながら、新鮮な空気を吸う。
焚火を囲んで語らう時間は、キャンプをしてよかったと感じさせる瞬間であろう。焚火は、一般的な例えば公園では禁則に指定されている場合も多く、家でやろうとすると煙やにおい最悪の場合警察に通報される趣味であり、キャンプ場はその例外的な場所なのだ。
キャンプというものは、はっきり言ってめんどくさい趣味である。極論から言えば紙とエンピツがあれば始められる絵や文と違い最低限でもテント、寝袋を買わなければならないし、キャンプ場にいかなければならない、食事も自分で用意しないといけない、設営撤収までセルフサービスである。さらにそれが夏ではなく冬となると道具をケチると凍死しかねない。某漫画でも凍死しかけていたが、現実でも凍死するキャンパーが稀に報告されるので笑い話ではないのだ。
グランピングというキャンプのようでキャンプではない遊びもあるが、それは例外である。
つまるところ“不足を楽しむ”。これに尽きる。老子曰く足りるを知るというが、キャンプとは最低限の道具でも足りているのだと知ることと言えるのではなかろうか。
「よしついた」
彩人が焚火をするときは着火剤を使ったいわゆる文化焚き付けであるが、一方の飛鳥の場合はファイアスターターである。
焚火の火を安定させるには、焚火全体の温度を上げる必要がある。温度が十分に高ければ、火がところどころ青く見えるようになり、薪を入れるだけで勝手に燃え始めるようになる。簡単なように思えるが、安定させるにはコツがいる。
「ふー、ふー、ふー」
火吹き棒を使って空気を送り込みつつ、トングを使って細かい枝を投じていく。最初は小さい枝や葉っぱから、徐々に大きい枝、薪に移行していく。火を育てていく感覚であろうか。
「うまくなってきたねぇ、僕感心しちゃったよ」
「ん。ベテラン級とは言わないけどうまくなってきたでしょ」
「まだまだじゃのうホッホッホ」
「どんなキャラなんだよ……」
火を大きくする作業をコーヒー片手に見物していた飛鳥が髭を擦るジェスチャを交え感想を述べた。この道何十年とキャンプをしているベテランから見れば、数年しか経験のない彩人の仕草はたどたどしいものに見えていることであろう。
「ふう。こんなもんかね」
「いいねぇ………」
時刻は既に夕方前。夕飯には早いが、昼飯には遅すぎる時間帯である。秋ということもあり、日没はあっという間にやってくる。光陰矢の如し。
逆に言えば焚火が“映える”時間が早くやってくるということだ。焚火は素人がスマホのカメラで撮影しても美しく撮れる被写体であり、その絵面のよさから、SNSを中心にキャンプと言えば焚火のイメージができあがっている。
飛鳥が椅子のひじ掛けを触りながら言った。
「こういう椅子ってさあ」
「うん」
「一緒に座れないよねぇ」
「そりゃあ………というか一緒に座ったら折れるんじゃないの」
「おじさんの体重は30kgです」
「かける2だろ」
「違います」
「ほんとかよ、絶対嘘だぞ」
「私の体重は53万です」
「特撮の怪獣か?」
折り畳み式の椅子には重量制限が決められている。たいていの場合80kg~120kgであり、彩人と飛鳥が乗ればそれだけでオーバーしかねず、最悪足がへし折れて尻もちである。
ようはくっつきたいのだ、飛鳥は。
飛鳥はむふふと笑うと、椅子から腰をあげてすぐそばに横たわっている倒木に腰を下ろした。
「きてきて。一緒に座れるカナって思ってここにしたんだからさあ」
「なんでここかと思ったらそういうことかいな。いいっすよ」
彩人も倒木に腰かける。
すると飛鳥が凭れ掛かってきて、そのままごろんと上半身を腿の上に預けてきたではないか。膝敷布団とでも言おうか。
飛鳥はむふーと鼻を鳴らして満足気だった。
「はーあったかいあったかい」
「膝枕つーかさあ。こういうのって男が女の子にされるんじゃないの」
「逆でもいーよ。してみるかい」
「ええよ」
ということで逆転してみる。彩人の思い描く絵になった。飛鳥の柔らかい腿の上に、頭を置く。慈しみの表情で見下ろしてくるので、なんだか恥ずかしくなってしまい、けれど目線は逸らせない。
飛鳥が髪の毛を耳元にやりながら顔を近寄せた。彩人も腰を浮かす。
「………」
「………」
ちゅ、と唇を合わせて愛を確かめる。何も言わず急にお互いがそうしたくなったのか、動き始めるのは同時であった。
「ここさ」
「うん」
「今日
「夜ね」
「うひひ」
「だから笑い方ァ!」
相変わらずテンションが上がると胸の控えめなマジシャンみたいな笑い方をするので思わず突っ込んでしまうのであったとか。
時刻は夜。
「ずるずる」
「ずずず………ってキャンプ場まで来てカップ麺かよ」
「カレー麺♪ カレー麺♪」
「くっそ似てるから困る」
そこには豪華なキャンプ飯を食べる二人の姿が!!!
……なかった。
ド定番のポジションを確保したカレー麺を仲良く倒木に座って啜る二人の図があった。お湯を沸かして入れて三分待てばいつでもおいしいカレー麺が頂けるのはありがたいが、キャンプと言えばやれカレー(飯盒炊飯)やらパエリアやらステーキやらホットサンドやらが思いつくのに、ここであえてのカレー麺は何か釈然としないものを感じる彩人であった。
「ずずずず………ちなみに明日の朝はカレーメシです」
飛鳥がビニール袋から取り出したそれを折りたたみ式テーブルに並べる。お湯を注いでカレーがすぐ頂ける商品で、こっちはCMでゆるキャン△とコラボしていたりする。
「いやCMやってたけどさあ……」
「結局これですわ」
「そっちは似てないのかよ」
「あ゛したからほんきだーす」
「似てねぇや……」
飛鳥が声を変えて無理して志摩リンの真似をするものの、こっちは全然似てないのである。声帯模写にも限度があるらしい。しまいには無理が来てガサガサ声になる始末だった。
他愛もないことを話していると、一台の軽トラックが入ってきた。あたりのテントを回ってはなにやら話をしている。
二人は財布を取りだして小銭を数えた。
「あれが巡回すかね。料金、料金と」
「安いよねぇホント。ウン千円取るところもあるのに」
二人は、やってきた軽トラックの運転手のお兄さんに料金を支払った。代わりに票を貰う。返却の必要はなく、処分して構わないとのことだった。バイクのハンドルに巻き付けておく。
食事が終われば、酒の時間だ。
焚火とランタンの明かりだけが頼りになる時間帯。森林の中で二人は乾杯をした。
「かんぱーい」
「乾杯!」
何を飲んだのか。もちろん銀色のやつ500mlである。
おつまみにジャーキーをかじりつつ、酒を進めて談笑をする。至福のひと時と言えよう。
そして夜。
キスから始まる夜は熱く、というやつだ。するりと絹擦れの音が漏れ出す。
そうして、熱い夜は更けていく。
「おやすみ」
「おやすみ」
お互いの体温を確かめ合った後は、寝袋に包まって眠るのみ。
挨拶をして、二人は柔らかい眠りに落ちていった。
翌日。早朝から撤収準備を開始した。タープを取り、テントを畳み、グランドシートを仕舞う。寝袋は空気を抜いて袋に入れた。マットも同様である。
椅子と机は撤収せず、残してある。朝食を摂るためだ。
二人はガスバーナーで淹れたコーヒーを楽しんでいた。
「目覚めのコーヒーは格別だねぇ」
「インスタントも悪くないっしょ」
「カレーメシはどうかなっと。かき混ぜてかき混ぜてっと」
カレーメシをスプーンでかき混ぜた。混ぜ方が足りないとルーがうまく作用せずスープカレーみたいになってしまうこともあるので要注意である。空腹に染み入るカレーの味。はふはふ言いながらスプーンですくっては口に入れて、あっという間に完食してしまう。
朝のコーヒーを楽しんだ二人は、カレーメシを食べて、荷物を纏めてバイクに積んだ。
「おし、帰ろう」
「そうですな。帰りましょ」
二台のアドベンチャーがここでようやく目を覚ます時がやってきた。エンジン起動。イグニッション。ライトに光が灯った。
彩人はハンドルにマウントしたスマホを弄り経路を設定していた。
「せっかくなんで、
「せやね。同じコースじゃちと趣向に欠けるからねぇ」
二台はギアを入れ、スロットルをひねって発進したのだった。
次回、おじさんの本気
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《本気》
多治見飛鳥名義で借りている小さい貸しガレージにて。
「そうこうかい? 壮年の壮に行きますって書く壮行会?」
「んにゃそっちじゃなくて走る方ね」
「ああ、走行会ね。それがどうしたの?」
「出ることになったんだよねぇ、昔の仲間と一緒にレースって感じでぇ」
「はえー」
ある日、二人はバイクの整備をしていた。整備と言ってもごくごく簡単な整備である。スズキのアドベンチャーの方はオイル交換とチェーン清掃だけだし、BMWのアドベンチャーは車体の清掃と各所の注油くらいなものだ。
ちなみに彩人は本格的な整備ができないのだが、一方で飛鳥はオーバーホールのような複雑な作業を除けば大まかプラグやタイヤ交換作業含めて弄ることができる。年季の入り方が違うのだ。
走行会。つまり通常のレースが開催されていない時に一般人が四輪二輪問わず車両で走る催しであり、本格的なレースからただ愛車を走らせたい人までが集う。
昔の仲間。聞いて浮かんでくるのは走り屋連中であるが。
彩人はオイル交換作業を続けながらうーむと唸った。
「でも走ろうにもアドベンチャーで出るのは……あぁーあれか」
「ん、そうそう。買ったはいいけどアドベンチャー君が便利過ぎて最近乗ってないあの子ね」
飛鳥はワイヤに注油する手を止めると、ガレージ隅っこで寂しそうにしているスーパースポーツを見やった。前から後ろまでこれでもかと真っ白で、隣にかかっているツナギも白一色である。
否、よく見ると黒いシールが貼られている。
「…………バイクはいいとしてツナギは昔のじゃないでしょこれ。体格全然違うし……新調した?」
「ついこの前新調したんだよねぇ」
「白一色って凄いよなぁ。汚れが目立ちそう」
「クラッシュするとキズ塗れ泥まみれになるっしょ? そうしないっていう誓いよ」
「つまるところ安全運転?」
「………」
「いや黙るなよ」
何やら不穏な沈黙があった。
「俺も見に行こうかな」
「うーん、うーん、いいけどぉ……僕の姿を見て引かないで欲しいんだよねぇ」
「豹変でもすんの?」
「豹変はしないけどぉ……」
何やら歯切れが悪いが、そうなるとますます見たくなってくる。見るなのタブーである。
「いくよ」
「わかったよ」
ということで彩人のサーキット随伴が決定したのだった。
当日。
よく晴れた日のこと。某サーキットにて。
大勢の人が賑わっていた。
「おっす」
「飛鳥。うーん、似合うなぁツナギ」
「せやろ。新調したんだよねぇ。峰不二子ちゃんみたいでかわいいっしょ」
ツナギ一枚。ブーツを履き、脊髄パットやら各所チェストプロテクターやらでモコモコになっている。安全性を考慮すれば仕方がないことなのだろうが、当然の如く胸元の形は一切見えない。というのに妙に色気を感じるのはなぜだろうかと首を捻る彩人であった。
「ああ、きちゃったか……」
遠くを見て飛鳥がぼやいた。
彩人は正面で止まると、質問をする。何しろ昔のことなんてわからないのだ。あの、バイク全盛期の頃なんてものは。
「その、昔の仲間って何人くらいいるんすかね」
言われて指を折る飛鳥。腕を組み、うーむと唸りながら言う。
「えーっとねぇ、僕のいたチームは十人! そのうち一人は“散って”しまってぇ……」
「あ、ふーん」
「二人は海外に行って戻ってこれないぽいねぇ」
「つまり今回は飛鳥を含めて七人で走ると」
「いやもう一人はバイク嫁さんが許可してくれないんだって。六人ね」
かつて若者だった青年たちも年を取ればいろいろと事情が出てくるもの。死者蘇生でもできなければ元のチームにはならないと言われてしまえば、彩人は唸らずを得なかった。
待機所のテントにいた集団が歩いてくる。いずれも日焼けをしており、頭部が薄いもの、腹が出ているものと加齢を感じさせる中年男性集団であった。歩み寄るにつれて疑心暗鬼の顔となり、ついにはぴたりと全員が止まってしまった。
「おーみんな元気にしてたかー? 僕だよ、多治見だよ」
「…………いや話には聞いてたけど本当に女になってしかも若くなってるとはなあ」
先頭のいかつい男性がまじまじと見つめながら感想を述べる。
「多田、お前太ったんじゃないのぉ?」
「多治見、それお前が言えたことじゃないと思うぞ。女になりましたは流石に、ねぇ」
多田と言われた男が腕を組み唸り始めると、他の連中も反応を示す。
「嫁さんじゃないの?」
「いや娘さんかも」
「髪の毛派手だなァ。最近のコはバイクもやるんだな」
と全く信じていない様子だった。
「だから嫌だったんだよなぁ」
「わかりますけど」
一人小さい声でぼやく飛鳥に対し多田が言う。
「びびって娘さん寄こすのはよくないよなぁ。ま、お父さんに伝えておいて。無茶は禁物、もう若くないんだからってさ」
どやどやと一同が引き上げていく。事前に説明はしていたらしいが、どうやら娘を寄こしてきたと思われているのか、信じてくれなかった。多田だけは唯一疑っていたが、みんなに同調してしまったらしい。
「……」
黙ってヘルメットを握りしめている飛鳥を見て彩人は察した。
(頭に来てるなこれ)
すると飛鳥はすぽっとヘルメットを被りカチカチ言わせて固定すると、首をごきりと捻った。そして今まで聞いたことがないような低い声で言うのだ。
「ブッ潰す」
六台のバイクがグリッドについた。耐久レースではないのでグリッドからのスタートである。ルールはコースを三週して順位を決める単純なものである。
先頭は、まさかの飛鳥だった。そもそも横一列に並べばいいものを、なぜか飛鳥が先頭にポツンといる時点で舐められていると言ってもよい。バイクレースは素人の彩人でもそれがわかった。
彩人は観客席でレースを見守っていた。
「……」
勝つのだろうか。負けるのだろうか。
ふと、飛鳥の乗るバイクの真っ白い車体に何か黒線のようなものが走っているのが見えた。それは削り取られたような痕跡で、よく目を凝らすとシールかあるいは塗装のようだ。黒い稲妻のように見える。ガレージでは気にしなかったが、白一色に黒は相当目立つと改めて気が付く。
「………黒い稲妻? か?」
レース開始。各車一斉にスタート。最初は車体を振りつつタイヤを温めに掛かる。
先頭の飛鳥は何故かのろのろとしたスタートを切った。案の定他の五台にブチ抜かれる。
「何してんだ! 飛鳥!」
飛鳥はのろのろとした動きから一変、タイヤに白煙を乗せながら急加速し、集団に食らいつき始めた。カーブ。アウト・イン・アウト。速度をほとんど落とさないまま各車一斉にバンクする。リターンライダー集団らしい的確なフォームで曲がっていく。
その集団をごり押しで抜けていく一台。白いバイクだ。飛鳥はさらにインに出ると、車体を限界までバンクさせあろうことか腕と肩まで地面にこすり付けんばかりだった。下手すれば逆向きの力が作用し、ハイサイドで吹っ飛ばされかねない。
あっという間に数台をごぼう抜きにして、次のカーブに差し掛かる。またもや肩を擦らんばかりの無茶苦茶なバンク。白いツナギが真っ黒に色合いを帯びていく。
見ているこっちは気が気ではない。正気とは思えない速度と角度でカーブに侵入し、もはやゴリ押しで強引に曲がる。集団に飲み込まれそうになると、車体を振り回して回避してとにかく先に進んでいく。
「なるほどね、見られたくない理由ってこれか」
普段は規制された法定速度をビタ一文超過しない慎重な運転だが、それはかつての運転スタイルを反面教師にしたものだったのだろう。
膝で地面を押し込むかのような、もとい実際に押しているらしく膝パットから白煙が上がる。ぐいぐいと前進していき集団を置き去りにすると、ひらりひらりとカーブをいなしてゴール。
「ひゃっほおおおおおおおお!!!」
ウィリーしながらゴールに突っ込んでくると、コース外に出てきた。そこで白煙まき散らしつつスピンターンを始めたではないか。後からやってきたメンバー全員がヘルメットを外すと、申し訳なさそうに頭を下げているのが見えた。
「ほーら見ろ! やっぱり僕だったじゃないかよぉ! オラ多田ァ!」
「あのイカれた走りは間違いなくリーダーだったよ…………そんなかわいい子になっちゃってまあ………」
「今日奢れよ! ウマい肉が食いたいんだからさ!」
観客席から待機所に走ってきた彩人に対し、飛鳥はピースサインを作ってぴょんぴょん飛び跳ねて歓迎したのだった。
「どんなもんよぉ!!」
自称“黒い稲妻”を名乗った狂犬染みた走りで有名だったとかなんとか。
コケた回数数知れず。白い車体の塗装がそのたびにハゲて稲妻のような塗装に見えたことからそう名乗った云々。
コケてガードレールに叩きつけられ骨を折る事故を起こした時に鎮痛剤を打たれてマゾに目覚めたらしい。
現在は安全運転を心がけています。
みたいな設定があるとかないとか
レース描写は私にはこれが限界です。
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《おおあらい》
これも実在するお店です
「冬になるとあれが恋しくなるねぇ」
「アレ?」
二人はリビングに設置してあるこたつでまったりとしていた。
ちなみに、リビングの壁にはウィリーでゴールする飛鳥のツナギ姿の写真が飾られている。あの後大食いの飛鳥はさんざん高い肉を食いまくったとか。彩人もそのおこぼれに預かったりした。
季節は冬。
大半のライダーが寒い、雪が降るなどの理由でバイクを冬眠させる時期であるが、バイクバカの二人にとってはそんなことは些事に過ぎなかった。電熱グローブやジャケットなどを駆使すれば、冬であろうがホカホカのままである。初期投資がかかるのは諦めるしかないのだが。
「鍋!」
「鍋? 水炊きでもするなら準備しますけど」
「んっんー甘い甘いワトソン君」
「ホームズか?」
「冬ともなればやっぱりアレしかないっしょ! あんこう鍋!」
「取り寄せるとか?」
彩人はみかんをむしゃむしゃしながら問いかけた。あんこう鍋。食べたことがなかったが取り寄せられるのだろうか?
暖かそうなセーターを着込んだ飛鳥はコーヒーを一口飲んでから口を開いた。
「ちっちっち。本場に行くしかないでしょう、ライダーなら。ねぇ~~♪ 彩人くーん大洗にいこ~?」
「猫撫で声やめろや。大洗って言うとあの茨城にある大洗? そんなに離れてないしいいか………大洗と言うとなんか聞いたことあるんだよな」
「戦車と女子高生のアニメの舞台やねぇ、聖地巡礼も兼ねていこうぜ」
ということになった。
当日。
常磐自動車道経由で都心の北側に出た二人は、三郷インターチェンジを通り越し、霞ケ浦掠める形で高速道路を走っていた。
「寒いねぇ」
「まあ電熱あるからだいぶマシっすけど」
大洗の最高気温十度。最低気温は氷点下にもなる。
こういうとき二人が着込むのが、作業服で有名な企業が出しているジャケットである。防風、防水、保温性が高いことで知られており、ライダー御用達となっている高機能な商品である。冬ということでダウンジャケットを着がちな人も多いだろうが、どちらかというと保温よりも防風を重視した方が良い。ダウンを一枚上に羽織るのならば、ウインドブレーカーを着た方がいい。
「やっと冬用の寝袋の出番が出て来て楽しみだなぁ」
「そうねぇ、焚火もいい感じの季節だね」
彩人はこの日の為に冬用の寝袋を新しく買っていた。今までのは化学繊維だったのを、ダウンにしてみたのだ。万札を何枚か投じることになったが、果たして性能はいかほどか。
高速道路を使えば、ゆっくり走っていても二時間あれば東京から到着する。二人が大洗についたのはそこそこ早い時間帯であった。
二人が走っていると、港に出た。白い船体が停泊していて、無数のトラックを飲み込んでいる。
「おほー、フェリーターミナルがあるねぇ。知ってる? ここから北海道に行けるんだよ」
「知ってる。北海道行きたいけど休みがね……」
絶賛休職中の飛鳥ならともかく、仕事のある彩人にとって北海道は遠すぎる土地だ。まず上陸に時間がかかるし、広大な土地故に回ることを考えると最低でも十日間は欲しい。十日間の休みはなかなかとれるものではない。年末年始などを除けばだが。
ヒューンとエンジンの回転数を絞りながら飛鳥がぼそっと言った。
「仕事、辞めてみる?」
「冗談きついぜ」
「ええー……でもさぁ僕の稼ぎなら君養えるんだけど」
「………考えておくよ」
(さりげなくプロポーズされたんですが……?)
違和感なさすぎて突っ込めなかった。
考えるのをやめた彩人は先頭を行くアドベンチャーに合わせスロットルを緩めたのであった。
「ここがあの女のハウスね〜♪」
「ちょっとオペラ風にするのをやめろ。そのネタ、元ネタがわからんのですけど」
やってきたのは戦車と女子高生のアニメで登場した大洗マリンタワーである。変わった形をしたガラス張りのタワーなので遠くから見てすぐにわかる。
二人はマリンタワーの駐車場に舵を切りつつインカムで他愛もないことを語り合う。
「マリンタワー来たねぇ、いいねぇ、いい感じに原作が思い起こされるねぇ。ちなみに僕は家元推しでした」
「ええ……年齢的に近いから? ガルパンおじさんか?」
「女になったいまだと常夫さん推しです」
「顔すらでてないのにマニアックすぎる。というかいまだに出てきてないし家元落とす男とか背景が知りた過ぎる。……俺は……ミカかなあ……」
「ぽろろん♪ 人は失敗する生き物だからね。大切なのは、そこから何かを学ぶってことさ」
「全然似てねぇ……似るキャラと似ないキャラの差がよくわからん」
二人はカフェで時間を潰すことにした。
「しかし」
コーヒーを嗜みつつ、ついこの前のことを思い出しながら彩人が言った。
「あんなにレースが速いとは思わなかったすわ。地元で鳴らしてたの本当だったんだなって……」
「いやぁ、本物のレーサーとは比べ物にならないよ。僕なんて何回も何回もこけて骨折とかしてようやくあの速さなんだぜ? この体になったおかげか随分動きやすかったけどねぇ」
飛鳥がひらりと両手を肩の高さまで上げて見せる。
彩人はコーヒーを飲み干すと、腕で頬を支える姿勢を取った。
「やっぱ違うもんなのかね、女の子の体ってのは」
「足元が良く見えない」
「そういうネタはいいです」
などと昼間まで時間を潰し、予約を入れておいたあんこう鍋を出している店へと向かった。
マリンタワーからさほど離れていない住宅地にあるその店は、マップなどでは評判がかなりよろしいらしかった。お値段は数千円かかるものの、その価値はあるらしい。
青い暖簾を潜る。
「予約入れてた多治見でーす」
店内で座席に座って待っていると、まずは刺身がやってきた。お醤油をつけていただく。お次に、お鍋がやってきた。えのき、はくさい、にんじんなどの野菜に、あん肝、身、お味噌。
彩人は中身を覗き込んだ。汁が見えない。後から入れるのだろうかと小首をかしげる。
「これ汁入ってないけど」
「ああ、水分出てくるから大丈夫ヨ。少し待てば食えるよ」
「顔拭くんかい」
「気持ちいいじゃん」
飛鳥がお手拭きで顔を拭きながら言った。
ここは経験者に従うべきだろう。
二人は調理完了まで暫し待機した。ぐつぐつと煮える音。蓋を開けてみれば、驚くほど水気が出ており、そこにお味噌を溶けば完成である。一人一つの鍋を頂く。
両手を合わせて、さっそく箸を取る。
「………もちもちしてる!」
「でしょ」
一口、身を頂く。もちもちとしたゼラチン質であり、お味噌のスープが良く合う。
はふはふ言いながら食い進める。もっちりした白身と、ほろりと溶けていくあん肝がベストマッチ。お味噌が良く合う。酒を飲みたいところだがバイクで来ている以上その選択肢はない。
ほぼほぼ同じ速度で食べ進めた二人。飛鳥が手を振った。
「お次は雑炊行きましょうねぇ。女将さん雑炊おねがいしまーす」
女将さんがやってきて、中身が食べつくされほぼ汁だけになった鍋を持って行くと、雑炊にして戻ってきた。
レンゲで掬って口にすると、あん肝と味噌の味が絡んだ、とろとろの雑炊のうまみが広がる。彩人は思わず目を閉じていた。
「んー濃密………」
「せやろ。これがまたおいしいんだ」
鍋一つ分、食いきれるだろうかと不安であった彩人だったが、ぺろりと平らげてしまった。
時刻はお昼過ぎ。夕方前。日没は早い。そろそろ急ぐべきであろう。
会計を済ました二人はバイクに跨ると、キャンプ場へと急いだのだった。
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《おおあらい》2
「海の大学? ってことは教育施設なんすかね」
「いんやー大学って名前がついてるだけで特別な施設ってわけじゃなくてレクリエーション……マリンスポーツなんかができる施設だネ。防風林の中にあるような感じでまだ発展途中みたいで面白いから予約してみたんだけど」
「そういうの好きっすね。この前の廃材置き場みたいなキャンプ場もそうだったけど」
「開発♡ 途中ってのがいいんだよねぇ。そそるじゃん」
「イントネーションを変えるのはやめろ」
二人は防風林の中にあるような位置にあるキャンプ場について、受付を済ました。中まで乗り込んでいけるようなので、バイクで中に入っていくと、木材のチップを敷き詰めたふかふかの道から続くキャンプサイトがあった。地面は砂浜特有の柔らかい土で、マットもいらないくらいである。
「ああー逆に柔らかすぎて椅子が沈むかもしれないねぇ」
「確かに」
などと会話をしながら、さっそく設営を開始する。その前に。
「これ重量級のバイクには危険な立地だねぇ。マ、僕のバイクは対策済みだけど君は石噛ましたほうがいいよ」
「柔らかすぎるのも問題だなぁ……」
地面が柔らかいので、バイクのスタンドが夜間の間に埋まって転倒する危険性がある。飛鳥のバイクのようにサイドスタンドの面積を拡大するサポーターがついているならまだしも、彩人のバイクのスタンドは純正そのままだった。適当な石を拾ってきて地面との間に噛まして対策をする。
「グランドシート敷いてっと」
まずは何はともあれグランドシートである。敷いて分かったが、砂が細かすぎてすぐに汚れる。これは帰ったら総洗いかもしれない。ペグは打ち込むまでもなく素手でズブズブと差し込めた。
次にテント。これも慣れたものである。二人で取り掛かれば五分とかからない。最後にタープ。これは飛鳥の担当である。彩人は寝袋を広げ、テーブル類を用意して、カンテラも忘れない。
最後にコーヒーを準備する。二人はカフェイン耐性が強いのか夜に飲んでも眠れなくなるということがないのだ。やはりここは一杯飲むべきであろう。
「はふー」
「やっぱこの一杯ですねぇ」
折り畳み式の椅子に座ってコーヒーを堪能する。気温は十度を下回っていることであろう。冷えた体が癒されるのがわかる。
飛鳥は椅子にもたれながら、足で椅子の下方を示した。
「やっぱり沈むねェ。なんてこともあろうかと僕の椅子は先っちょにこれつけてるんだけどね」
「なんすかそれ」
「これ? 登山の人が使うストックの先に差し替えてるのよ。安いし、買ってもいいかもね」
「なるほど………」
やはりというか地面が柔らかすぎて椅子が沈む。ところが飛鳥の椅子はほとんど沈んでいない。よく見ると椅子の接地面にゴムのパーツが取り付けられており、面積が広がっている。経験者特有の振る舞いである。
それから、焚火を起こす。今回は飛鳥がやることになった。綿とナイフでフェザースティックを作っている間に、彩人が受付で薪を買ってきた。
「よーしよーしいい子いい子」
飛鳥が白い吐息を吹き付ける。火は一瞬静けさを増したが、次の瞬間には綿に、フェザースティックに、それと防風林で拾ってきた松ぼっくりに延焼していき、徐々に大きさを増していく。小枝を投じ、徐々に勢力を育てながら薪に燃え移らせていけば、焚火の完成である。
そして鍋を焚火に直接かける。煤塗れになって真っ黒になるが、金属たわしで洗えば楽に落ちるので問題はない。それよりも、ガスバーナーで調理しようとすると時間がかかる方が遥かに問題である。
「できたよー」
彩人はお湯を地面に捨てると、二人分のおでんをコッヘルに分配して、飛鳥に渡した。飛鳥はからしのチューブを握っていた。
「お、さんきゅ。からしをつけてっと」
「からし、いる?」
「いる」
道中、買っておいたおでんを調理するもとい加熱する。おでんをキャンプで食べるならばなんやかんや湯煎が一番簡単である。
「乾杯!」
「乾杯!」
「………かぁぁぁぁぁ! 効くぅう!」
「この一杯、生きてるって感じしますねぇ」
恒例行事と化した銀色のやつ500mlを乾杯してから飲む。焚火の明かりの下、おでんを突きながら談笑をするひと時のほっとすることと言ったら。
食事がすんだあとは、食後のお茶を淹れる。コーヒーばかりでは飽きるので、今度は紅茶である。
「あたたまるねぇ」
「そうすね」
ずずずと紅茶を飲みつつ、夜空を見上げる飛鳥。いつもなら談笑に花が咲くのだが、今夜は妙に静かだった。
「あ、流れ星」
「え? マジ?」
急に飛鳥が空を指さしたので、彩人は立ち上がって流れ星を探そうとした。漆黒の闇の中、輝ける星の中に動いているものはなく、懸命に目を凝らして探そうとするのだが、どこにもない。
「んだよ嘘つく………な……」
振り返ってみてみると、片膝立ちになった飛鳥が小さい箱を差し出してきているではないか。
「僕と結婚してください」
「……………………………えぇぇぇぇぇえええええええ!? ってほどでもないけどさぁ」
そもそもプロポーズに近いことは今朝言われているのだ、驚くほどではなかったのだが、こちらが先に渡すつもりでいたのだ。指のサイズだってこっそり測っておいたというのに。
彩人は頭をかくと、視線を逸らした。そういえば、思い出したことがあった。
「あれかぁ………なんかごそごそやってたよなぁ」
「そうだよ。指のサイズ測ろうとしたら起きるんだもんごまかすの大変だったんだから」
「先越されたなぁ………」
「もしかして作ってた?」
「いやサイズ測って発注しようかと思ってたところ。まだお金も払ってないぞ……」
「だぶっちゃうところだったねぇ」
朝、目を覚ましたら急にキスされたことがあったが、あれはどうやら指のサイズを測ろうとしていたらしい。
男が指輪を渡すのが一般的なプロポーズの形であるが、先を越されてしまった。
「………でさ、返事は?」
顔を赤くした飛鳥が小首をかしげて問いかけてくるので、彩人は頷き、その手を取った。
「喜んで」
飛鳥が喜びを隠しきれない様子で抱き着いてきた。よしよしと、そのピンク色の髪の毛を撫でてあげる。
付き合いは長い。バイクを始めたころから計算すれば腐れ縁と言ってもいいくらいだ、お互いのことは知り尽くしている。体を重ね合っているのだ、今更ということもあった。
「ここは! ここは俺が指輪を嵌めさせたいところだけど!! 先を越されるなんてよぉ! 悔しいわ……」
「嵌めたい? ちなみにペアも持ってきてるよん」
「準備がいい! やらせてくれないかな」
「えーよ」
飛鳥を抱いたまま、彩人が怨嗟の声を漏らす。主に己に対してである。
すると飛鳥が女性用のリングの入った小さい箱を取り出してきたので、中身を開けてみる。シルバーのシンプルなエンゲージリングである。受け取って、飛鳥の細い指に嵌めてやる。
「僕もする!」
「お互い嵌め合うもんだっけ……名刺交換かな」
飛鳥がしたいと強請るので、薬指に嵌めさせてやる。
それから、どちらかともなく口づけをかわしたのだった。
夜。
「今夜はさあ」
「まだその覚悟はちょっと……」
「実は僕もないんだ」
キス。抱擁。テントが小さく揺れた。
翌日。
「安全運転でかえろーね」
「そうすね」
二台のバイクは仲良く並んで発進し、東京方面への高速道路に乗って家路についたのだった。
プロポーズはルール無用だろ
明日分我慢できず投稿したので連続更新は途切れちゃうかもしれません
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《にいがた》
危なくて走れない
これも実在するスキー場です
スキー編あと北海道編の予定
それかおうち編
今年は豪雪であった。日本各地で雪が降っており、林道などでも走破できるように設計されたアドベンチャーでも、豪雪地帯を走るのは危険極まる。あるいは卓越した腕前を持つ飛鳥であればできるのかもしれないが、彩人には無理難題であった。
東京にも雪が降った。ということでしばらくバイクは封印されることになる。
二人は例の如くこたつでまったりしつつテレビを見ていた。みかんをむしゃむしゃと消費しつつ、雑談に花が咲く。
「私をスキーに連れて行って」
「急にどうした」
テレビを見ていた飛鳥がそんなことを言い始めた。ここは飛鳥の3LDKマンション。二人の巣である。
特定の年代なら反応するであろう言葉でも、世代の差なのか彩人は反応できず、言われてピンとこないのか首を傾げている。こういうよくわからない言葉を使ったときには何かしらのネタであるというのはわかるのだが。
一方スキーブーム直撃世代の飛鳥にこの言葉を言えばピンとくる。らしい。
飛鳥がごろんと寝転がると、隣に座る彩人を見上げて言う。
「バイクもしばらくお預けだし、ハニイムーンにいこうよぉー」
「ハネムーンね」
二人の指には銀色の指輪が光っている。結婚したことを証明する装身具としては最も一般的なものだ。曰く、結婚というのは始まりに過ぎないのだと。結婚はゴールではなくスタートで、これからは二人三脚で走って行かねばならないのであると。
ハネムーン。要するに新婚旅行であるが、頻繁にバイクに跨って日本中あちこち旅している二人からすれば、旅をするイコール新婚旅行には若干繋がりにくいところがあった。
彩人はコーヒーで唇を濡らすと問いかけをした。
「別にいいけど、なんでスキー?」
「特別感を出したいんだよねぇ。バイクで行ってもいいけどぉ、バイクっていつも乗ってるしここは新幹線に乗って行くというのはどうかなって」
「なるほど。俺はいいと思うよ。ちなみに海外旅行じゃない理由って言うのは」
「言葉が通じなくて不安だから」
「わかる」
ということになった。
日程を決めた二人は、三泊四日の度に出ることになる。バイクは、ガレージでお休みである。
「おじさんの行き慣れてるところにいこうよ」
ということで、新潟にあるスキー場にハネムーンに行くことになったのだった。
道中、新幹線が豪雪で止まったり、トラブルはあったが、なんとか到着することができた。白の壁に黒い梁と柱に赤い三角屋根が特徴のヨーロッパ風の宿は、家族連れからカップルあるいはソロスキーヤーまで多種多様な人でごった返しており、人種も様々だ。日本語ではない言語が飛び交っている。
モコモコのダウンジャケットを着込んだ飛鳥がコネクション館の受付へと行き、担当者に声をかける。
「二名で予約していた多治見と瀬戸でーす」
多治見。結局、どちらの名字にするのかという議論は決着をしていなかった。結婚する以上どちらかの名字にしなければならないのだが、コントさながらお互いが譲り合ってしまい、各方面に相談という形になっていた。よって事実上結婚しているようなものだが、書類は出せていない。
「んじゃ荷物置いて滑ろっか」
「そうすね」
鍵を受け取り説明を聞いた二人は、さっそく部屋に向かった。部屋はダブルベッドの部屋であったが、最初期のような動揺は全くなく、和気藹々談笑しつつ荷物を置き、少し寛いでからさっそくゲレンデへと向かったのであった。
飛鳥は手をポキポキと鳴らす素振り(鳴ってない)をしながら
「にゅふふふ毎年スキーで鳴らした僕のテクを見せてやろうねぇ」
「へぇ、毎年。若干不安なんだよなぁ」
毎年スキーをしているらしい飛鳥と、あまりスキー経験のないらしい彩人。二人は道具はレンタル派であった。
二人は、サイズにあったスキー板とウェア・ズボンを借りると、さっそくつけてみる。スキー・スノボ用ウェアは押し並べて派手なものだが、ピンク色の髪の毛が良く映える。
「似合ってるよ」
「にへへ、ありがとさん」
時刻は昼前。さっそく、滑走を堪能せんとゴンドラに乗って頂上に向かう。
慣れた様子でゴンドラに乗る飛鳥と、一方彩人は恐る恐ると言った様子で乗った。
「たけぇなぁ」
「そうかな、普通じゃない?」
ゴンドラが地面から離れて二人の体を宙に持って行く。急に静かになった。遠くで冬をテーマにした音楽が流れているのと、ゴンドラがきしむ音くらいしか聞こえなくなった。前のゴンドラに乗る人がスキー板の雪を振って落とすのが見えた。
「静かになったねぇ」
「そうすね」
「ちゅーして」
「はいはい」
ちゅ、と軽く口づけ合う。ああ、恋人同士になったのだと実感する瞬間である。ストックやらを持っているので手は繋げないが。
「足元気を付けてねぇ」
「はいよー」
するりと二人はスキー板を揃えてゴンドラから降りた。
先導するのは飛鳥だ。両足を揃えてシュプールを作りながらくるり一回転して反対向きで滑って手招きをする。熟練した腕前を感じさせる。
一方の彩人も未経験者程ではないのだが、飛鳥と比べるとどうしても拙さが残る。両足の揃え方も飛鳥程ではなく、ストックの使い方もぎこちない。
林間コース。文字通りに林間を走り抜けるコースで、比較的穏やかな坂を楽しめる家族向けのコースである。まずはこちらで慣らしてから通常のコースで走るべきであるという飛鳥の判断によるものだ。
飛鳥がくるりと正面を向くと、ストックで雪面を突き、左右に体を振りつつ、ゆっくり滑っていく。あとから彩人が続く。
「林間コースから行ってみましょー。いきなり急角度で滑走はつらいでしょ。最初は慣らしていこうね。三日間滑るチャンスがあるんだからさ」
「わかった。お手柔らかにお願いします」
「えっスパルタで!?」
「お手柔らかに! お願いします!」
「わーってるよん♪」
林間コースの緩やかな傾斜を滑っていく。凄まじい速度でコケるボーダーに掠められたりしたが、最後まで滑り切ることができた。
二人は並んでゴンドラを目指しながら話し合った。
「どうだった?」
「意外となんとかなるもんだなって……もっかい林間コースでお願いします」
「結構小心者だよねぇ、彩人ってば」
「毎年行ってる人と比べたら経験値がね」
二回目。木々の間をすり抜けるように滑る。最初曲がるときは足をハの字にしがちだった彩人も、徐々に両足を揃えて滑ることができるようになってきた。
右に、左に、急激に旋回。ピンク色の髪の毛がマフラーの間から揺れ、棚引いている。最後は両足を揃えて急停止したかと思えばくるりと回って後ろ向きに静止。手を振る飛鳥。
えっちらおっちらついていく彩人。無駄に力が入っているのか、なにやら足の筋肉に疲労を覚える。
「結構疲れた」
「そかそか。うまくできてると思うよん。足揃えて滑れるように特訓しようねぇ」
顔に疲労の色の見える彩人と、一方飛鳥はけろりとしている。経験の差がものを言うのだ。
「しかし俺たちってほんとアウトドア好きだよなって」
「えへへへ! 今更ァ!」
昼飯の時間である。ヨーロッパ風の建物に吸い込まれていく人々に交じって入店。彩人はカレーを、飛鳥はラーメン大盛を注文したのだった。食事を終えた二人は外でコーヒーを嗜みつつゴンドラに向かっていく人波を観察していた。
「なかなかハードなハネムーンだなぁ」
「夜もがんばってね♡」
「体力持つんですかね……?」
「おじさんがご奉仕してあげるよぉ。あ、エッチじゃない方のマッサージも得意なのでしてあげるからさあ」
彩人は手をわきわきと怪しく動かす飛鳥を見てこれは大変なことになりそうだと、けれど笑ったのだった。
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《にいがた》2
スキー尽くしの三日間が終わりを告げようとしていた。
ホテルの一室。ダブルベッドの上に二人はいた。
彩人は呟いた。
「ハネムーンってこんなに過酷だったっけ?」
「まあまあうまく足揃えて滑れるようになったじゃん」
ベッドの上。横たわった彩人は疲労困憊であった。まだ若いとはいえ三日間みっちりと滑ったのは流石に堪えたらしく、筋肉痛と疲労で酷いことになっている。
その上に跨るのは浴衣を着込んだ飛鳥である。彼女はちょうど彼のお尻の上に乗ってマッサージをしているのであった。まるで熟年夫婦の『行為』の代替でもやってるような光景だが、これは純粋に疲労回復を兼ねてやっているのであって、いやらしい気持ちはない。そのはずである。メイビイ。
飛鳥が指圧をすると、彩人が唸った。手つきが妙に手馴れている。的確にツボを圧してくるのだ。
「あーそこそこ」
「お客さん凝ってますねェ……」
「ていうか飛鳥はなんで疲れてないんですかねぇ……」
彩人はどこか不満そうだった。同じくらい運動をしているのになぜ疲れていないのか。お前も疲れろと言わんばかりだった。
すると飛鳥は胸を逸らし、ふふんと鼻を鳴らしてみせた。
「正しいフォームで力を抜いてやってるからだネ。力でごり押しして綺麗な姿勢を取ろうとすると疲れちゃうんだよ。おじさんの姿勢いつでも脱力してる感じでしょ。すーっと自然に足が揃うのが理想なの。君のは力で足を揃えようとしてるからねェ。直ったけど」
一方で飛鳥に疲労の色はない。もともと体力バカなのはそうだろうが、スキー経験の長さがものを言っていた。
飛鳥は彩人の腰を指圧しながら得意げであった。
「ニーグリップと正しい姿勢すればバイクだって疲れないでしょ。それと一緒だよ」
バイクは正しい姿勢をすれば疲れないが、間違った姿勢をすると無駄に力が入ることになり、疲労度が増す。同じことだと言わんばかりに、彩人バイクに跨った飛鳥がニーグリップで横脇を締め付ける。
「………わかるけど、いやはや疲れた」
「ぐいっとぐいっと」
「いだだだだ腰が痛い」
指圧、指圧。腰が悲鳴を上げる。
彩人が枕に顔を埋めたまま呻いた。
「今夜頑張ってもらうんだからさぁ~」
「いやぁ~きついっす」
「大丈夫だよ天井のシミ数えてれば終わるよ」
「そういう問題じゃねぇよ」
「枕に顔を埋めて………それどうやって入れんの?」
「知らねぇよ!」
逆に目がさえてきてしまうようなことを言い始めるので、とりあえず異議を並べておく。
腰が終わると足。次に腿。ひっくり返そうと、飛鳥が彩人の肩を掴むがベッドから剝がれなかった。
「あ゛ー…………」
「じゃーお次♪ ひっくり返って?」
「いやです」
「なんで?」
「いやです………」
「そおれ!!」
彩人は枕に顔を埋めたまま首を振り拒否した。
無理矢理ひっくり返される。
いやらしい気持ちは一切ありません。などと思っても、体は正直である。
「あー」
「だから、そのさあ………」
「お疲れなんですねぇ」
「そうだよ」
「………」
「………」
沈黙があった。
にんまりと白い歯を見せた飛鳥が自身の前髪に指をやると、耳に引っ掛けるように梳いた。
明るい笑顔は徐々に妖艶な色合いを帯びた。ちろりと赤い舌が唇を濡らす。
「しょうがないにゃあ」
「クソ疲れた」
「そうかな」
帰りの新幹線内。つやつやの顔をした飛鳥と、げっそりとしてしまった彩人がいた。
彩人は風景を見つめる飛鳥の表情を見遣っていた。決心したように話を振る。
「仕事を辞めるって話だけどさぁ、あれOKだわ。辞めて家事に専念するよ。まさかこんな形で主夫になるとは思ってなかったけど、そうでもせんと家がゴミ屋敷になっちゃいますし。せめて洗濯物くらいは畳めるようになってくださいな」
「ほんとに? ありがと。じゃあさぁ、あの件だけどさあ」
「名字に関しては」
「うん」
「俺のを貰ってくれないか?」
とても新幹線内でするような話ではないが、二人は世間話でもするような軽さであった。
話を振られた飛鳥は振り返った。厚手のセーターを着込んでいて、その女性的な体躯の外線がよくわかる。セーターは量産品に過ぎず、化粧こそしていないが、道行く人が振り返るような美人っぷりである。
その美人さんはうんうんと頷いた。
「ええよ。これで多治見も卒業で、瀬戸飛鳥かァ。おじさん感動しちゃいましたよ」
飛鳥が小さくぱちぱちと拍手をした。
「結局書類出すにはどっちかに決めないといけないからなぁ。親にも相談したけど、このほうがいいってよ」
彩人の親は結婚相手が見つかって大喜びであった。写真を見せて、髪の毛の色が妙なことを除けばおおむね好印象であった。
「ン、マァ親御さんはそういうだろうねぇ。じゃ、今度挨拶にいかなきゃ」
「飛鳥の親……」
「はいーよ。報告だけあげりゃあ。だって考えてみ、息子が急に娘になってしかも若返ったんだぜ。気味悪いでしょ」
彩人はさほど時間をかけずに適応したが、普通は気味が悪いと敬遠するものである。
彩人は親に、相手が元男でTS症候群でこうなったと伝えると、暫し呆然とされたが、完全に女性化していることを説明すると納得してくれたのだ。この親がいて、この子ありであろうか。納得する速度は確かに受け継がれているらしい。
飛鳥はうんうんと満足げに目を閉じ、鼻を擦った。いちいちおじさん臭いのはご愛敬。つい半年前は男であったのだから。
「そうかなぁ」
「君は親御さんに似たんだねぇ、いいことだ。適応能力が高い。うんうん、いいトコだぞ」
「単純って貶されてる気がする」
「そんなことないゾ。素直でいい子ってことだ」
「あと、結婚式のことなんだけどさ」
ここに一枚の写真がある。
教会だ。
ピンク色の髪の毛を後ろでまとめ上げて花の冠をし、化粧をした女性が映っている。女性は白いウェディングドレスに身を包んでいて、花束を持っている。そしてフォーマルなタキシードに身を包んだ男性にいわゆるお姫様抱っこをされていた。
彩人は驚いたような顔をしており、飛鳥は満面の笑みで手に持ったブーケを振り回していた。
紆余曲折あったが、無事に式を終えることができた。男としてではなく女として。一人の男性と共にこれから生きていくのだ。
結婚は終わりではなく始まりである。
二人三脚はまだまだ、始まったばかりなのだ。
えんだぁぁぁぁぁ!!!
まだまだ続くんじゃ
次回九州編 のあと北海道編の予定
なんでかって作中だとガチ冬なので北海道にいけないのです
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《きゅうしゅう》
東京九州フェリー。 横須賀発~新門司着を、およそ丸一日で結ぶフェリー。東京から九州を目指す際、大まかに分けて二つの選択肢がある。一つは自走。一つはフェリーである。三つ目輸送業者に運んでもらって自分は新幹線なり飛行機なりで向かうというのもあるが、ほぼとられない方法であるので割愛する。
ちなみにしんもんじではなく、しんもじである。
自走のいい点は安いことだ。燃料代、高速代金込みでもさほどかからない。欠点は自走することによって走行距離数がかさんでしまうこと、一日で東京から九州に行くのは相当厳しいのでどこかで一泊する必要があること、燃料代がかかること、一番重大なのは体力を著しく消耗することである。船と侮るなかれ。時間があるのであればフェリーの方がトータルで安く疲れずつくこともあるのだ。
「たまにはこういうのもいいでしょ」
“瀬戸”飛鳥は言うと、くぴりとチューハイを口にした。
「そうすね」
瀬戸彩人もまたチューハイを口にした。
ロビー。窓際の席にて二人はまったりと海を見つめていた。あの後仕事を辞めた彩人は、本格的に主夫になった。一昔前なら白い目で見られていただろうが、もう時代が違うのだ。
「これはハネムーンなんですかね。新婚旅行? というか新婚旅行とハネムーンの違いってなんなんですかね」
「さあ? おんなじじゃない?」
わかっているのかわかっていないのかニヤニヤしっぱなしの飛鳥。
ちなみに本来の意味で考えると前回も今回も新婚旅行であって、ハネムーンではない。厳密に言うと、であるが。はちみつ酒を飲みかわす必要がある。もう一つ条件があるのだがここでは省略する。
「しかしやることないっすね」
「船旅っていうのはそうもんさね。マ、のんびり酒でも飲んで雑談するか寝るかだねぇ」
「………」
「………」
ついに雑談のネタが尽きてしまい、テレビを見るだけになってしまった。
21時間もあるのだ、いくら仲が良いと言っても雑談だけで何十時間も繋げるはずがなく。
「寝よっか」
「寝ましょ」
そういうことになった。
上陸の日である。とはいえ、上陸してさっそく行動できるのかというと、到着が深夜なのでできることが限られている。宿に泊まるには遅すぎるし、行動するには早すぎる。よって二人は揃ってネットカフェで一夜を過ごすことになった。
フェリーを降りる瞬間、ライダーの脳裏に過るのは転倒である。というのも、下船の為に渡されているのは鉄板なのだ、超特大のマンホールの上を走っているようなものである。マンホールはバイク乗りの天敵なのだ。
上陸。船を降りた二台は、坂道を下って港へと到着した。出入り口で止まるわけにはいかないので一般道に出るまで速度は緩めない。
彩人は看板を見てつい読み方を間違えた。
「はえーここが新門司(しんもんじ)………」
「しんもじ、ね。読めないよなぁ」
と、彩人が見事に読み間違ったところを飛鳥がツッコミを入れる珍しい状況になった。
一般道を走っていき、幹線道路沿いに建つオレンジ色の看板のネットカフェに到着。バイクを停め、エンジンを切る。
「なんかあんまり疲れてないね」
「そりゃあずっとのんびりしてるだけだったからなぁ」
座席を予約。隣同士の個室を取り、キーカードを手に部屋に向かう。本当は同じ部屋がよかったのだが、同じ部屋に入ること自体が想定されていない施設である。料金は二部屋分当然払った。
「えっちな動画見すぎちゃだめだゾ♪」
「みねぇよ……」
部屋に入るときに飛鳥が釘を刺す。ネットカフェのパソコン程大人の動画が見やすい装置はない。
翌日。なんやかんや動画をちらっとだけ見た彩人と、部屋に入って早々すぐさま寝た飛鳥は、朝、出発したのだった。スマホに設定した経路には福岡の位置が示されていた。
「やっぱここまできたら博多ラーメン食べたい……食べたくない?」
「食べたいすねやっぱここまできたのであれば」
アドベンチャーが前後に並んで一般道を走り抜けていく。冬の空気は冷たいが、東京と比べればまだマシだった。電熱グリップや電熱ジャケットなどで身を固めている二人なので、多少の寒さはどうということはない。本番なのは氷点下からである。
距離だけで考えるならば、現在地新門司から福岡までは二時間弱と言ったところだが、休憩時間や信号待ちを考えれば三時間はみたいところである。
スロットルを緩めて赤信号に対応しつつ飛鳥が言った。
「オール高速道路も味気ないからねぇ。下道も乙なもんよ」
「オール高速はなんか作業感が半端じゃないからなぁ……下道ゆっくり流すのもいいもんだと思う」
高速道路は楽しい。だがその楽しいのは加速感を味わえる最初のうちで、慣れると作業と化し眠くなってくるのだ。バイク運転していれば眠くならないなどという幻想は捨てるべきだ。
新門司から西へ、一路、博多へ一般道を流す。
ハンドルにマウントしたスマホを見つつ、先頭を行くアドベンチャーを追いかける形の彩人がインカムに話しかけた。
田舎の風景が続いていたところ、徐々に建物が増え始めたのだ。
「博多市街地に入ってきたみたいだ。東京とあんまり変わらないなって」
「そうねぇ、日本の特徴としては各都市に特色があんまりないっていうのがあってぇ……もちろん熱海ーとか、京都ーとか、あと札幌みたいにぱっと見でわかる街もあるんだけどねぇ。まあ地震の多い国だからしゃーないね」
福岡市内。評判のいい博多ラーメンの店舗前に来た二人は、困ってしまっていた。
「停める場所がない……」
ありがちなことだが、バイク専用駐車場というものはほとんどない。あっても数か所しかなかったり、125cc以下専用だったりする。大型バイクは肩身が狭い乗り物なのだ。
店舗前に駐車しつつ、飛鳥が笑った。
「にゃはは! 札幌行ったことあるんだけどぉ……似たような感じだったよぉ。バイクに厳しい世の中だよなァ」
「店の前においてササっと頂きますか」
「それしかないね。お巡りさんか緑のおじさんが来る前に撤収やね」
店舗前に停めて暖簾を潜り、さっそく注文する。
白っぽいスープに細い麺。きくらげに小ねぎ。テーブルには紅しょうがの入った容器がある。
「いただきます」
「いただきます」
啜れば細い麺にあっさり風味のとんこつ味が良く絡む。まろやかな味に二人は魅了された。
「替え玉ください!」
「あ、俺もください」
替え玉を追加。やはり博多ラーメンは替え玉である。しかし……。
「替え玉ください!」
「食べるなぁ」
「替え玉ください!」
「おい」
「替え玉ください!」
「どんだけ食べるんだよ!!」
ということもあったり。
「はー食った食った」
「食いすぎでしょ店員さん笑ってましたよ」
膨らんだ腹を擦る飛鳥を見て彩人は苦笑していた。替え玉し過ぎてスープがなくなりかけていたのにまだ食うので、なんという健啖家だと驚愕していた。
「じゃ、お宿に向かいましょうかねぇ」
「ええ。ちょっと戻っちゃいますけどね」
「マ、時間はあるんですしぃ。ゆっくりいこうね」
二人はお宿もといキャンプ場に向かうために、西ではなく東を目指したのだった。
目指すキャンプ場は山の中にある。道中で食材の調達、焚火用の薪を買わなければならないことだろう。
二台のアドベンチャーは並んで発進して、一般道に乗ったのであった。
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《きゅうしゅう》2
朝である。
福岡市のキャンプ場で朝食を摂り、撤収。荷物を纏めて下山していき、高速道路に乗る。オール下道でもいいのだが、それはそれで辛いので時折高速道路を挟むことにしたのだった。無論オール高速もそれはそれで辛いし退屈なので、適度に混ぜるのだ。
福岡市を南下していけば、
鳥栖市から西に向かっていけば佐賀県が見える。某バイク漫画でなにもないとディスられたところであり、二人も例の如く佐賀市からさらに西を目指す。
一般道と高速道路、マップで経路を検索しても大して時間に差がないということがあるが、結局のところ高速道路の方が早く到達する。一般道路は速度が限られる上に信号機というライダーを殺すための機械かよが設置されている。一方で高速道路にそれはなく、止まらずに進める。この差は大きい。
休憩込みでも四時間程もあれば日本本土最西端の地に到着する。
風景が突然変わるわけでもなく、人家がどんどんと減っていく印象の街並みである。
「意外と殺風景だなぁ」
「マ、観光地ではあるけど大人気な場所かって言うと謎だもんねぇ。そこ左折ね」
二台は最西端の土地に近づいていた。左折して、岬への道へと入っていく。
「これより1.8kmだってさ」
「もうちょっとだねぇ、頑張ろうね」
アドベンチャーがどやどやと岬へ近づいていくと、ネイキッドの集団とすれ違う。
二人が手を振ると、相手方も振り返してきた。いわゆるヤエーである。昨今復活しつつあるバイクとて、その数は少ない。バイク乗りはバイク乗りに対し一種の連帯感のようなものを持っていて、それがこの『挨拶』に現れるのだ…………と彩人は思っている。
しばらく進んでいくと、辺鄙な住宅地に出る。港町だ。漁船が並んでおり、網やブイなどが野外に保管されている。
「狭くて車来たらヤバそうだなぁ」
「そうねぇ、アドベンチャーって横にもでかいから軽自動車みたいなもんだしねぇ」
さらに進めば、ようやく日本本土最西端の
「バイク停めていこっか」
「そうすね」
トイレの横合いにバイクを停めると、さっそく本土最西端のランドマークへと足を運ぶ。坂を登って、階段を下りれば、岬のようになっているところに球体を掲げた二本腕(?)のような謎のオブジェと、『日本本土最西端の土地』という表記が見えてきた。
「やーっと到着かぁ……長かったなぁ!」
「出発して数日だけどねぇ」
二人は柵に寄り掛かると、海を一望した。
「なにかこう凄い景色が見えるかと思ったら意外と普通だ。海は綺麗だけどさ」
「んーそんなもんよぉ観光地って言うのは特に。綺麗なものは結構その辺に転がってるんだけど、みんな気が付かないものなのさ。ぽろろん」
「似てるようで似てない捏造台詞をやめろ」
「なでしこちゃんのはうまいんだけどなァ。ミカは無理だね、あれ、声帯の作りが違うんよきっと」
等と雑談をしてまったりと時間を過ごす。
「せっかくだから写真撮っておこうよ。スマホ用のスタンド持ってきたんだぁ僕」
「偉い。よく持ってきたなって」
二人は並ぶと、スマホカメラに向かってポーズを取った。と言っても直立する彩人の隣に、彩人の腕に腕を絡めた飛鳥が立つという姿勢であるが。
「点滅よーくみててね。光るから」
「あいよ」
点滅の間隔が狭まっていったかと思えば、急に飛鳥が彩人の頬に口づけをした。
カシャッ!
「でへへ」
「………こっち向いてみ」
「んー?」
彩人は、飛鳥の顎に指をやると、照れくさそうに笑うその唇を奪ったのだった。
最西端の土地から南下すると、今度は佐世保に出る。
横須賀や呉と同じく古くから海軍の港として知られ、今は自衛隊の港湾施設が立ち並ぶ街である。自衛艦が停泊しており、海軍もとい海自と思われる白い制服を着た一団が歩いている場面に出くわすこともあった。
「イケルところまで行っちゃう?」
「うーん、どうしようか。というかお昼を……」
「忘れてた。バイク乗るとお腹あんまり空かないんだよねぇ」
ということで、佐世保で一時停止。
二人が入ったのは、真っ黒いイカスミカレーを出すお店であった。コインパーキングにバイクを停めて、カレーを頂く。もちろん二人とも大盛である。ただし辛さは普通のものを頼んだ。二人とも辛い物はだめだったようである。
出てきた真っ黒いまるで炭の塊のようなカレーを見て、さっそく手を合わせて頂いてみる。
「黒いけど………イカスミの生臭さは感じない。まろやかでおいしいねぇ」
「確かに」
あっという間に食べ終わってしまった。
二人が次に向かったのは温泉である。
と、こうしてどんどんと時間が消費されていくものなのだ。休まず、観光せず、ご飯も食べずに走り続けられるなら理論上三日間かそこらへんで九州を一周できるのだろうが、あっちこっち観光すれば当然こうして、一日があっという間に終わってしまう。ツーリングは誘惑との戦いであるとも言える。気になるところ全てを回ることはできず、取捨選択が必要なのである。
風呂上がりの二人はほくほく顔で温泉の外に出た。時刻は既に昼過ぎである。夜は走らないということになると、そろそろ泊まるところを決めるべきだ。
「ふわーいいお湯だったねぇ」
「そうすね」
「今日は泊まっていかない?」
「うーん急いでる訳じゃないし、いいか」
ということでビジネスホテルを当日で予約。こういう時、ビジネスホテルというものは助かるものだ。当日中でも空きがあれば予約可能にしておいてくれるホテルが多く、インターネットカフェの次に急に泊まれる可能性が高いと言える。
もちろん部屋は一部屋を予約。
室内入って早々彩人が感想を漏らす。
「せっま」
「ビジネスホテルだしねェ………ダブルベッドなにそれおいしいのってなるのは仕方がないね」
ビジネスホテルの欠点はここだろうか。恋人ともとい新婚夫婦で泊まるには窮屈すぎることだ。
狭い部屋に入った二人は、とりあえず荷物を適当に下ろすとジャケットを脱いで薄着になった。
しばし歓談していると、おもむろに飛鳥が何かを取り出して己の顔のそばにやって、見せてくる。
「じゃあ今日はこれを見て一緒にすごそうね♡」
「エロビデオのカード買って来ちゃったのかよ……」
泊まった男なら誰しも一度は確認する大人なビデオが見られるカードをあろうことか買ってきたらしく、ほれほれと見せびらかしてくる。
「そんなん見て面白いんすかね」
「むらむらするよ?」
「そっかぁ……」
ハハハと笑いつつ、二人で視聴開始。
「くはーこれこれ」
「酒はうまいけど見てる映像が最低なんですが……」
銀色のやつ500mlと弁当をむしゃむしゃと食べつつ見ている映像はエロビデオである。絵が最低の一言である。
食べ終わると、飲酒しつつ二人でビデオ鑑賞というこれまた最悪の絵となる。
「うっわぁすげぇ入ってるよ」
「ま、まぁプロだからね」
「あ、僕は後ろの穴はダメだよ。また痔になるのイヤだもん」
「また……? その情報はいらねぇんだよ!」
「………」
「………」
「気持ちよさそう」
「そうだね」
「しよっか」
「はい」
こうして一日が更けていく。
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《きゅうしゅう》3
ビジネスホテルで一夜を明かした二人は佐世保から東へ向かった。今回の旅は九州を一周するというよりも要所を巡る旅なので、佐世保の南へは向かわない。次の目的地は阿蘇である。
阿蘇。大規模なカルデラに街を作ったとでも言うべき地点であり、一帯は国立公園に指定されている。空から見るとまるでクレーターに街があるようにも見える。また阿蘇山付近はいまだに活動を続けており、ガスが時折噴出しては観光客を遠ざけるのだが、果たして今回はどうか。
一路、東へ高速道に乗って行く。鳥栖に戻り、さらに東へ。うきは市、
「おまたせ」
「うす。行きますか」
道中道の駅でトイレ休憩を挟んで、再び出発する。
山間部を抜けていくと、段々と風景を開けてきた。一面の穏やかな丘陵地帯と、草原からなる風景はまるで日本のそれではなく、北欧を思わせる。
「阿蘇観光農場だって。放牧には向いてそうだしなぁ」
「せやね。四国のカルストに似てるよね」
「実は行ったことないんだよなぁ」
「今回は上陸しないで来たからねぇ。次の機会にでもゆっくり四国のお遍路さんでもしますか」
インカムで雑談をしながらも、坂道を登っていく。
まるでお椀の中にいるような風景であった。周辺、地平線は山に隠れているのに、手前側には街が広がっている。盆地に似ている。ぽこんぽこんと子供が土を盛ったかのような小さい山が無数にあり、上を草が覆っていることもあり自然なのに不自然なまるでゴルフのコースのような光景がそこにはあった。
「ここいら一帯が牧場なんか」
「そうだよー。のびのびとしていていいよねぇ」
道の両側には柵がかかっており、内側には牛がのんびりと草を食んでいるのが見える。
通称ミルクロードを上がっていけば、
「本当にカルデラの中に街があるんだなぁ。これ大噴火とか起こしたらどうなるのっと」
「まあ死ぬよね! ぶへへへへへ!!」
と不謹慎な話をしつつも到着。カルデラの中に街がある。まるで隕石のクレーターのような構造のそこに、ミニチュアサイズの人の営みがある光景に思わず目を奪われる。夏特有の新緑が山肌を覆っており、青空とのコントラストが美しい。
「ついた……」
「いいもんでしょ。あっそうだ下でアイスクリームたべよーよー」
「花より団子かよ」
夏と言えばアイス。バイカーと言えばアイス。二人は景色をスマホで撮影したのち、下でアイスを購入して食べ、次に向かった。
阿蘇市を抜けて南下。山を越えて行く。
「がんばれ、アルペンマスター」
坂道を登っていると、たとえ大出力の大型バイクとはいえ苦しさを感じる時がある。そういうときには、つい話しかけたくなるものだ。生きてすらいないが、自分をここまで運んでくれている相棒に。
徐々に森林がなくなっていき、わずかに草が生える荒涼とした風景に変わっていく。
「ちなみになんだけどぉ、火口は現在規制中だからいけないんだよねぇ」
「しゃーない」
「マ、この辺ぶらぶら散策しますかぁ」
阿蘇山は活動している山で、時折噴火とまではいかないまでもガスを放出することがある。そのため状況によっては火口に近づけないこともあり、二人が訪れたときは、周辺1kmへの立ち入りが禁止されていた。
「お馬さんがおるねぇ。乗れないけど」
「ウーム残念」
「まあ僕は君に乗るんですけどね、えへへへ!!」
「笑い方をなんとかしろ」
馬にも乗れるらしかったが、今はやっていないらしい。時期が悪い。旅というものはトラブルが付きものなのだ。トラベルの語源だけはあって。
二人は周辺を散策することにした。博物館に入ってみると、若干昭和を感じさせるものの、カルデラの成り立ちなどを学習することができた。平日ということもあってか、二人の他にぽつぽつと客がいるだけで、貸し切り状態であった。
「安かったね」
「バブル期はウハウハだったんだろう気配がしたよねぇ」
「バブル期か………全く知らないわけじゃないけど、その頃子供で全然わかんねぇんだよなぁ」
「あの頃はよかったなんて口が裂けても言えないよ。狂乱の時代だよあれは」
などと雑談をしつつ、今度はレストランに入る。
二人とも肉厚なハンバーグとポテトのセットを注文する。はふはふ言いながらあっという間に完食。食後のコーヒーを飲みつつ、スマホの画面を見て今後について相談する。
「高速で二時間南下してぇ、人吉市のこのキャンプ場に泊まるっていうのはどうだい」
「予約は?」
「あ、だいじょーぶ。予約とかじゃなくて先着順で決めるトコだからぁ、行ってみて勝負って感じかな。こんな平日に満タンってことはないでしょ、多分」
飛鳥が示したキャンプ場はここから高速を使って二時間ほどのところだ。冬は日没が早いことを考慮しても、丁度いい位置にあるように思える。
「じゃいこうか」
そういうことになった。
阿蘇山から下山。高速道路に乗って、南へ、南へ。
道中の道の駅で食材を調達。と言ってもカップ麺やら、今日の酒やらであるが。キャンツーで移動しながらのことを考えると、どうしても簡単なものを買いがちである。凝った料理より、酒の方が良い。そんな二人であった。
到着と同時に受付と設営を開始。日没はあっという間である。素早くやらないと、暗い中で設営する羽目になる。
テントを張る作業は共同で。タープは飛鳥が、そのほかの準備は彩人が行う。三十分程で完成。手馴れたものであった。
チェアに座った二人は、さっそく料理を(※カップ麺)作り、食べる。
「カレー麺♪ カレー麺♪」
「まあシーフードヌードルなんですけどね」
「ぶへへへへ!」
「だから笑い方ァ!」
飛鳥が持ちネタと化したカレー麺ネタを披露したりした。二人は、カップ麺とおにぎりのご飯を済ませた。食事が終わればいつものやつの開始である。そう、酒盛りである。
二人はかちんと瓶を合わせて乾杯をすると、ごくごくと音を立てて飲み、表情を緩ませた。
「くぁーきくきくぅ!」
「地ビールもいいもんすねぇ」
最近流行の地ビールを飲みつつ、ツマミのジャーキーをかじる。ジャーキーは焚火で軽くあぶっているので、香ばしく、肉のうまみがよくにじみ出ていておいしい。地ビールは濃密で、麦の甘みが感じられる芳醇な味わいで、満足できるものであった。
夜。あとは寝るだけであるが。
「えっちする?」
「いやーきついっす」
「ですよねー。今日は流石の僕も疲れちゃったよ。いちゃいちゃしよ」
「話が繋がってないぞ。まあでも、いいよ」
テントの中で抱きしめ合い、唇を重ねて、マットの上に転がる。
「僕かわいいかなぁ」
「かわいいよ。今更か?」
「んー美少女美少女っていってもさぁ、やっぱ現実にピンク髪の女がいるとこんなに奇異の目で見られるんだなって」
飛鳥は自分の髪の毛を指でくるくると弄びながら言った。豪快で大胆が服を着ているような性格であるが、気になるものは気になっていたらしい。
彩人が首を振った。
「何度でも言うけどそのままが一番かわいいよ。俺が保証する」
「ん」
また口づけ合って、そうして、眠気に襲われる。
「明日もいっぱいはしろーねぇ」
「おやすみ」
そして二人は寝袋に包まって健やかな眠りについたのだった。
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《きゅうしゅう》4
多分次回きゅうしゅうはおしまいだと思います(素振り)
ところ変わって、九州の南部。
「これが桜島かぁ。煙吹いてるかと思ったら吹いてないな」
「そうねぇ、そんなこともあるさね。自然だもの」
二人はキャンプ場を早朝に出発し、九州縦貫自動車道経由で霧島市を通過して、さらに南に位置する桜島へとたどり着いていた。煙を常に吹いているというイメージのあった彩人ではあるが、実際に見てみると吹いてはおらず、海上に突き出た山と言った風体であった。
「逆に吹いてなくてよかったんじゃないかな。吹くとそれはそれは火山灰がものすごいことになるからねぇ………バイクのお掃除が大変よ」
「なるほど」
二人は道の駅でその立派な遠景を見つめていた。彩人は柵に凭れ掛かり、逆に飛鳥は柵に背中側から凭れている。
「桜島行ってみるのもいいんだけどぉ、実際に行くと山が見えなくなっちゃうんだよねぇ。ホラなんとかタワーとおんなじでさ」
「それも確かに。昨日はがっつり走ったし、今日はのんびり南下して、キャンプ場で泊まるってことでいいんじゃないすか」
移動日移動日移動日と移動しっぱなし動きっぱなしなので、ここらでのんびりする日を入れてはどうかと提案すると、うんうんと飛鳥が頷いた。
「いいねぇ。まったりえっちでもしますか」
「元気過ぎない?」
「体が若返ったからねぇ。でもしたくない?」
「したいです……」
ということで、土産(自分達用)を購入して出発。桜島を掠める形でさらに一般道で南下していき、日本本土最南端の土地を目指す。そう、佐多岬である。
道中で川辺にある温泉施設に立ち寄る。
「美人に磨きかけてくるからよろしこー」
「はいはい。一時間後くらいね」
男女別れて風呂に入る。
「最近やっと間違えなくなって一安心だなぁ」
当初は温泉で男女を間違えたり、トイレで男の方に入ろうとしたり、それはそれは不安だったものであるが、最近は間違えずに女の方に入っていく。それでも手に育毛トニックを持ってるのが釈然としないが。習慣って怖い。
「待った?」
「んにゃ、待ってない」
「髪、梳かしてくれる? 自分でやるのめんどっちいからさあ」
「はいはい。櫛貸してくれ」
一時間後、風呂上がりでほかほかの二人は、なんやかんや言いつつ傍から見ているとバカップルの挙動でしかない彼氏が彼女の髪の毛を梳くという行為をやってのけるのであった。カップルカップルでも結婚しているので夫婦ではあるが。
一時間後。まったりと時間を過ごした二人は、一路、佐多岬を目指す。
「コンビニがある……」
「日本全土どこに行ってもあるからねぇ。便利と言えば便利よ。ちなみに北海道に行くとセイコーマートの支配下だからねぇ。やつらからは逃げられない」
どこに行ってもコンビニがあるもので、最南端が近づいているにも拘らず数件見られた。だがさらに進んでいくと、コンビニはもちろん飲食店もどんどんと無くなっていく。
道中のスーパー、おそらく日本本土最南端のスーパーで買い物を済ませると、さらに突き進む。
人家の数がほとんどなくなり、まるで木々の中に道があると言ったような道路になってきた。
「そこ右折ね」
左折してどんどんと南へと入って行けば、ついに佐多岬に到達した。
バイクが数台停まっており、車はほとんど満車であった。誘導員の男性が一人いる。奥には三角屋根の土産屋あるいは観光案内所らしい建物があり、さらに奥にトンネルらしきものがある。敷地中央にはなにやら巨大な木がぽつんと生えていた。
二人はバイク専用の駐車場に停めると、ヘルメットを脱いで散策してみることにした。
「飛鳥、がじゅまる? の木だって」
「変わった構造の木だねぇ。きっと、樹齢何百年もあって、この岬が整備されるずっと前からここにあるんじゃないかな。ロマンを感じちゃうね」
二人はさっそく気になっていた、その木に近づいてみた。ガジュマルの木。まるで、複数の木が寄り集まったかのような構造をした木で、根っこらしきものがぶら下がっている、幽霊のようにも見える不気味さと神聖さを兼ね備えた木である。観光名所なのか、観光客が思い思いに写真を撮っているので、二人もそれを撮影しておいた。
それから、当然、最南端と表記のあるプレートの前でも記念撮影をする。
「持ってきていてよかった三脚」
「本当に準備いいよなぁ飛鳥って」
三脚でスマホを立たせて、二人は寄り添って記念撮影をした。
ついでにということで土産ものにも寄って、最南端の到達証明書も貰っておく。
「この証明書、他の到達証明書と合わせられるみたいだねぇ」
証明書の書面を見ていた飛鳥がそう指摘した。
彩人も見てみたが、なるほどほかの証明書と合わせることで大きな一枚になるようだった。つまり……。
「え、他の端っこの場所にも同じ証明書があって、それを集めろってことか……なかなか気が遠くなるなぁ」
「マ、気が乗ったらやるくらいでいいんじゃないの」
「そうすねぇ」
ちなみに、岬には本当の先があり、徒歩で三十分以上かけていくことができるのであるが。
「……行っちゃう?」
「いやぁ」
「そっかぁ、まぁ証明書は貰ったことだし行っても灯台くらいしかなさそうだしなぁ」
ということで行くのはキャンセルされたとかなんとか。
それから二人はバイクに跨り、道を戻って行った。少し戻った人家がある近くに、最近できたと思われる野営場があるのだ。しかも無料で泊まることができ、トイレ水場が完備されている。売店などはないので、あらかじめ購入しておいた食材が役に立つ。
野営場にバイクを停めると、さっそく設営に入った。もう何度も何度もやっているので、三十分あれば完成するようになっている。
テントを立てるのも朝飯前、タープはするすると数分で完成、一番時間がかかるのが荷ほどきと荷物を適所に配置する方が時間がかかるのだった。もう一つ時間がかかるものもあると言えばある。火熾しである。
あらかじめ途中で買ってきた木をナイフで削りつつ、飛鳥がぽつんと言う。
「たっきびたっきび………言うて焚火ってさあ、氷点下超えてくるとさあ、このサイズの焚火だとさぁ……」
「わかる。あったかくねぇんだよなぁ……」
焚火の熱量は、燃えているものの質量に比例すると言ってもいい。焚火台で発生させられる熱量では、氷点下だと寒いのも道理なのだ。現在の気温は氷点下どころか二ケタ台なので、十分暖まるが。
そして二人は、夕食を摂ることにしたのだった。お湯を沸かして注いで三分待つだけ。
「ずずず」
「ずずず」
「またカップ麺かぁ」
「料理なぁ、食材買ってきてもいいんだけどぉ、すぐめんどくさくなるというかぁ」
「わかる。よくてステーキとかバーベキューくらいじゃないかな、毎度作れるのって」
「僕ってば料理できないっしょ。君が毎日作ってくれる料理おいしく頂いてるよん」
「ありがとう。なんか照れくさいな」
と普通に会話しているように見えて完全にのろけている二人だった。
そして夜、寒いこともあってテントの中で自然と体と体が重なり合う。恋人もとい夫婦の時間が訪れる。二人とも走ってきたので疲労感はあったものの、そこは若さがある。体温を確かめ合って、それからいつものように寝袋に包まって、眠りについた。
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《きゅうしゅう》5
旅も、残り少なくなってきた。
ツーリングで一番だるいのはなんだろうか。端的に言えば帰りである。行きは楽しいのだが、これから帰って日常生活に戻らなくてはならないと考えただけで憂鬱になってくるし、そのために来た道と同じ道を通って帰らなければならないのがとにかくだるいのだ。
だるさを解消するには、来た道とは違う道を、楽しく通るのが一番前向きだ。
二人は次に東進、宮崎に向かった。
「南国みたいだぁ」
「マ、南国ですからな」
ヤシの木にも見えるが実際には
海岸はいい道が多い。海を見ながら走ることができるし、信号機もすくないので煩わしさがない。
「真夏に来てもよさそうだねぇ」
「そうすねぇ」
「僕の水着姿見たいっしょ」
「そりゃあ見たいけど」
「隅っこでこっそりさ、えっちいことをさ」
「それ漫画とかだとよくあるけど色々やばいでしょ!!」
「見られるのもまた乙なもんだよ」
「よくないわ!」
水着姿。どんな水着が似合うのだろうか。夏になればきっと着てくれるだろう。一緒に買いに行くのだろうか。悶々としながらも、先を進むピンク色の髪の毛を追いかける。
日南海岸を走る。日本らしからぬ青い海を見つつ、二台はスムースに走り抜けていく。わずかなアップダウンのあるなだらかなワインディングコース。走っていて、気持ちがいい。
やってきたのは、
スマートフォンでツーリングアプリを弄っていた飛鳥が、こんな情報を読み上げる。
「ツーリングマップによるとぉ、祀られてる神様は縁結びの神様なんだってよ」
「へえ、それいる?」
「あと子授け、夫婦和合、安産とか」
「…………」
「…………えへっ」
謎の沈黙を挟みつつ、散策する。
「でもさぁ、僕ってば腰広いじゃない? するっと出てくると思うんだよねぇ」
「安産型ねぇ、ほんとうなんかね」
「骨盤が広い分、赤ちゃんが出てきやすいってのは事実だと思うけど結局個人差があるんじゃないかねぇ。赤ん坊産んだことないからわかんないケド」
「…………」
「…………」
と、またも謎の沈黙が挟まる。
二人は、参拝するために宮へと“下っていく”。海流や雨風の浸食作用で作られた海岸線にある本堂は、階段を下っていくことで辿り着くことができるのだ。
本堂で手を合わせる二人。
「赤ちゃんできますように」
「オイ」
飛鳥が真面目な口調でそんなことを神様に誓約し始めるので、彩人はツッコミを入れた。結婚してまだ時間が経っていない。子供は早すぎるのではないかと。
飛鳥は振り返るとにんまりと笑った。
「欲しいでしょ赤ちゃん」
「欲しくないのかと言われると欲しいけどさぁ、早くない?」
「将来設計は大切ですよん。おじさんはいつだって将来を考えているからね」
考えなしなように見えて、飛鳥は計算高い男もとい女である。理性的とも言える。
ちなみに神社で運試しができる。通称運石と呼ばれるもので、石を購入し、崖下の穴に投げ入れるというものである。
石を購入した二人はさっそく石を投げてみることにした。飛鳥がふふんと得意げに石を握る。
「野球の嗜みありますからねェ……そおい!」
投げる。が、力が強すぎたのか手からすっぽ抜けてあらぬ方角に飛んでいく。石は、見事に斜め四十五度方向に飛んで行ってしまった。
「………」
「…………よし俺の番だな。よいしょ!」
彩人が構え、投げ込む。しかし、外れてしまった。躍起になって投げ込むもなかなか入らず、飛鳥最後の一発がようやく入ると言った有様である。
神社を後にした二人は、そこからニ十キロメートルほど北上した地点にあるキャンプ場へとやって来ていた。ヤシの木がずらりと並んでおり、車両直接乗り入れ可、少し歩けば白い砂浜が広がっているというキャンプ場である。バイク・自転車専用サイトで泊まれば二人合わせても三千円にならない点も大きい。こういう時、バイクという乗り物は得をする。
ヤシの木の傍にテントを張る。タープを張る。荷物を配置して、焚火の準備をして、完了である。
「僕、洗濯ものしてくるわー」
「じゃ俺は売店で買い物してくるわ」
二人いると役割が持てるのが良いところである。分担して負担軽減ができるのだ。長旅なので、定期的に洗濯物をしなくてはならない。売店で物資の補給も必要だ。
売店から帰ってきた彩人は火熾しを始めることにした。着火剤の追加分も補充してきたので、簡単にできる。今日のご飯はおでんである。と言ってもパック詰めされたものをコッヘルに出して、加熱するだけなのであるが。
火が陰ってきた。焚火が煌々と燃えている。
「明日帰りかぁ」
「んまそ仕方ないね、旅は終わるものだからね」
洗濯ものを抱えて戻ってきた飛鳥が返事をする。乾燥機に突っ込んできたであろうそれらをぎこちない手つきでカバンへと仕舞っていく。
「終わらない旅はないのさ。でもまた始めることはできる。また九州、こようねぇ」
「そうだなぁ、また、いつか…………次は北海道がいいかな。夏の」
「お、いいですな。北海道はいいぞー」
次の旅先への思いを話しつつ、コッヘルで加熱したおでんを頬張っていく。あつあつのおでんに酒がよく合う。冷え切った体に染み入る出汁の味わいを、麦とホップの織り成すハーモニーで流し込む。
酒の時間が終われば、焚火を見つめて海を眺める時間である。
「月が綺麗だねぇ」
「そうすねぇ……」
月が綺麗に出ていた。満月。波間に揺れ動くそれを見つめて、自然と手を握り合う。
「んっ」
二つの影が一つに重なり合った。
最終日。宮崎から高速道路で北上した二人は、別府の温泉を頂くと、定食屋でゆっくりと、しかし大量に海鮮をかき込んでから、一路、最初の土地である新門司へと戻ってきた。
フェリー出発の時間は深夜である。それまではゆっくりとすることができた。
バイクで搭乗。荷物を置いて、甲板へと出て去り行く新門司の港を見送る。深夜というのに元気なのは、温泉に入ってゆっくりと食事を摂ったお陰であろう。
「さらばーだいちよー!」
「落ちる! 落ちるから!」
「落ちないよぉこんくらいじゃあさあ!」
帰りの時間だ。
二人はフェリーに乗って東京方面へと帰って行ったのであった。
「………暇だねぇ」
「こればっかりは仕方がないというかなんというか」
「しりとりでもしよっか」
「小学生かよ」
帰り。行きと同じくついにやることがなくなったので、テレビを見て政治がどうの社会がどうの語り合ったあげく、それすら語りつくしたので昼間から酒を飲んで飲んで飲みまくり昼寝をしたのだったとか。
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