蜘蛛の糸なんて掴むんじゃなかった (しゃけむすび)
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てんせう


 蜘蛛の糸にtsの可能性を感じてしまった。


 

 突飛な話で申し訳ねぇんですが、蜘蛛の糸……って聞いたことありますかね。

 あぁ、決して一読者家の皆様方を虚仮にしようって訳じゃあございません。

 何分、私ぁそこに出てくる罪人と随分縁が深いものでございまして……  仔細語るにゃあ、ちと長くなりすぎてしまうものでしてね。

 もしご存知無いようでしたら、大正辺りに名のある文豪様が体よく書き記してくれておりますので、そちらの方を御一読なすって下せぇな。

 

 まぁ、そんな訳で諸々の事情は省かせて貰いますがね、簡潔に言おうと思います。私ぁ世にも珍しい前世の記憶を持った生物です。

 今生の名は“ハスノイト”と申しましてね、前世においては“カンダタ”の名で通った一罪人の生まれ変わりでございます。

 

 因みになのですが、今生の名はぁ仏様からのお達しで、「己が妄執を忘れぬように」との事で……ある種の自戒だと思います。私がこの名である限り劫罰の最中にあることは変わりなく、また私も決してそれを忘れる事がない。つまりは奴隷に使われる焼き印とかと似たようなものですね。

 

 そんでまぁ、何がどうなってこうなったかと言えば、それはひとえに仏様のお慈悲かと思います。

 蜘蛛の糸から落ちて、またプカプカ浮き沈みしていました所に、福音もかくやと思うようなお声が聞こえましてね、希望を見せるだけ見せて結局何も変わらないのは哀れだから、罰を選ぶ権利を与えるとの事です。

 選択肢は二つ。そのまま煮えたぎる血の池にて責め苦を受け続けるか、畜生でも人間でも無い半端の生物に生まれ変わり、その生にて降り掛かる劫罰を以て責め苦とするか。尤も、後者については“全てに耐え抜けばそれで禊とする”との事で。

 

 当時の私ぁ、泣いて喜びましたよ。涙なんぞはとうに枯れておりましたがね、心で泣きました。

 恥ずかしい話ではありますが、血の池以上の苦難がある筈が無いと高を括っていたものですから。それはもう鳥獣なんぞの駆けよりも早く、二つ返事で生まれ変わりを選びました。

 

 まぁ今にして思えば、血の池でプカプカしている方がよほど身の丈に合った運命だったのでございましょうね。

 そこから何だかんだと獄卒にいびられながらも、念願の生まれ変わりを果たしました。

 平時においては、新しく六道世界に生まれる時はそれまでの記憶を消すのが決まりらしいのですが、何でも私の場合は例外だそうで曰く、「そんな事をしては罪なき魂を理由無く苦しめるのと同義になる」との事です。あいや成程、こそ泥なんぞには到底発想に至らなかったであろう理由でした。

 

 まぁそんな紆余曲折がありまして、とうとう私ぁ産声を上げる運びに至りました。

 産まれて間もない頃ぁ目が見えませんからね、声やら物音やらが頼りでございます。澄まさずとも聞こえてくる声は、どうにも私が生きておりました頃よりかは変遷を遂げていまして、些か理解に骨を折りましたが聞くにどうやら私ぁそこそこの金持ちの家に生まれたようでございました。

 

 責め苦という割には中々どうしてそんな兆しも見えぬまま立派に言葉を喋るようになって気付きました。

 私の生まれた家は、どうにも異常だったようです。

 前世では生まれながらに捨て子であった記憶はありますが、それと同時に普通の親子がなんたるかは知識として覚えております。それに当てはめて物を言うと、我が家は少し異常と言って差し支えないでしょう。

 

 幼い頃から教育の名目で、折檻に近い躾を受けました。具体的に申しましても仕方が無いですからここで言う事はありませんが、5.6歳の幼児が身体に痣の無い日は無い、というのはやはり異常でしょう。尤も、当時の私ぁこれが責め苦なら随分と楽なものだと思って、これまたふてぶてしく過ごしておしましたが。まぁ違ったんですがね。

 

 種族に関しては、最初こそはただ人間に獣の耳が生えているだけのように思っていましたが、それがどうやら見当違いのようでした。

 ウマ娘というのは三大欲の他に走る事が本能として強いらしく、この世界ではそれが起因となってウマ娘の駆け比べというのが一大興行となっているようでございました。私も私でどうやら並のウマ娘以上にその欲求が強いようで、日に一度は駆けなければ気が違ってしまいそうになるほどでございました。

 私の生まれた家もそんな興行……レースに並々ならぬ情熱を注いでいたようで、日頃の折檻もそれが発端であろう事は見え透いておりました。

 

 転機となったのが小学生の頃でございます。

 どんな経緯があったかは大した興味も無いので知りませんが、そこそこ裕福であった筈の我が家はある日突然に崩壊致しました。

 何でも前々から虐待? だの何だので目をつけられていたらしく、母親は精神病院へ担ぎ込まれ、父親はお縄について独房暮らしが決定いたしました。僅か半日足らずの事です。

 そこで私と言えば、衆目の認識としては唯一の被害者であったらしく、当面は名のある名家にお世話になる運びとなりました。

 何のコネかと思えば、どうやら私の家系はその名家の分家にあたるらしく、元を正せば我が家の事に関して調べていたのもその家だったようです。

 

 名家の名は『メジロ』と申します。何だかマグロみたいな名前ですが今生の第二の我が家でございます。尚、この家のウマ娘は皆んな名前の頭にメジロがつくのですが、私ぁ区別の意味合いでその慣例が施される事はありませんでした。『メジロハスノイト』……ともし呼ばれてもどうにもしっくりきませんね。これも仏様のお導きでしょう。

 

 さて、ここで本題の責め苦の内容なのですが、それはメジロ家に引き取られた辺りで発覚致しました。

 とりあえず健康診断と運動を兼ねて、軽く走ってみようという時にそれは起こりました。何の気なしに最初の一歩を踏み出そうとした瞬間、景色が変わったのです。

 

 見やればそこらかしこに骸が積み上げられており、それはさながら前世にて責め苦を受けていた地獄のようでした。そして次の瞬間です。

 ヒタヒタ、ザリザリと何かが迫ってくる音が聞こえました。肝まで震え上がり蹲って泣きたくなるのをこらえながらも振り向いてみれば、そこには大小様々の無数の手、手、手。

 しかもようく目を凝らせば、それらは正しく蜘蛛の糸が垂らされた時に私の遥か下方にて我先にと伸ばされていたモノに相違ありません。

 

 私が最も恐れているのは、実を言うと血の池でも蜘蛛でもなく、私が再びの絶望の淵に立つ遠因となった“手”でございます。しかも未だ目に焼き付いて離れなかったあの時のもの。

 悲鳴の一つも碌に上げられぬ程の驚嘆の末に、私ぁ必死こいて駆け出しました。

 ヒィヒィ、ヒィヒィと情けないうめき声を漏らしながらもやっとこさの思いで手が見えなくなりましたかと思えば、そこは先程までいたメジロ家は練習場に相違ありません。後方には何やらひどく焦った様子で何かを叫ぶ使用人の方々が見受けられました。

 

 私もこの世に生まれてからはキチンと教育を受けておりましたので、どういう事が我が身に起こったかは否応無しに察してしまいました。

 私の身に降り掛かる劫罰の内二つは、間違いなくこれでしょう。“強大なウマ娘の本能”と、“最も恐れているものの幻影”。

 走らなければ日常に支障を来す程の本能で我慢する事も出来ず、走ってしまえば己を見失う程に恐ろしいトラウマの幻影が迫り来るのです。

 いずれ慣れないものだろうかと思ったりもしましたが、その様に生半可であれば責め苦にはなりません。

 あの手を見るたびに、いつまで経っても気が可笑しくなる程の恐怖に襲われます。つまり私は、この先一生涯いつ終わるかも分からぬまま心を磨り続けるのです。

 

 自死を試みたりもしましたが、どうにもその全てが中途で失敗に終わります。そこで私ぁ失念していたことを思い出しました。この今ある命は真っ当に享受したものじゃあございません。

 罰と禊の為だけに設けられた、謂わば更生の時間。逃げ出す事など、端から認められる訳がないのです。

 

 しかしまぁ、何も悪い事ばかりじゃございません。引き取られてからはメジロと名のつく方々にうんと良く接していただきました。今までは女なんぞというものは前世も含めて碌な者が居なかったもので、最初こそはお心遣いを無下にしてしまう事もありましたが、最近はようやっと普通に会話できるようになりました。

 これもまた精進の結果でしょう。見ていて下さっていますか? 仏様、カンダタは頑張っております。なのでそろそろ勘弁してください。

 

「ハスノ、少しお話できる?」

 

 とりあえず徳を積まねばと日々給仕の方々のお手伝いをさせていただいているのですが、本日はそんな時にお声が掛かりました。

 

「うぇ、勿論でごぜぇます」

 

 声の主は『メジロマックイーン』という方でして、どうにも私とは縁遠い気品漂うお嬢様でございます。この方が一番気にかけてくれていた様な、そうでない様な恩がある為、こう言われれば断れないのが常なのです。

 

 言われるがままに後をついて行き、嫌に広いお屋敷をあっちこっちと闊歩する内に、一際大きな扉の前へと着きました。屋敷内は至って快適な気温だと言うのに、私ぁ嫌な汗で背中がじっとりと濡れてきたのが分かります。

 戦々恐々としながらも、マックイーン様の後ろに隠れるようにして室内へと入りました。奥の方には、これまた気品漂う風体のバァさんが威厳たっぷりに此方を見据えております。

 

「態々悪いですねマックイーン。そして、こうして話すのはいつぶりでしょうね、ハスノイト」

 

 マックイーン様は事も無げに首を横に振りました。

 

「へへっ、そ、そうでございますねアサマ様。私にゃあ見当もつきません」

 

 怖いんでさぁ、この方は。私を見る目がまるで、ゴミ箱の塵紙を見ているような感じがしましてね。今まで下衆や外道などとは思われても、そんな事は一度も無かったものですから、不気味に思ってしまいます。

 こんな風に睨まれていたら私ぁ堪えきれずに泣いてしまうでしょう。つまりは、多少の勇気を出して本題をとっとと聞かなくちゃあなりません。

 

「それで、その……どういったご用件で?」

 

「そうですね、まだるっこしい言い回しでは混乱してしまうでしょうから簡潔に伝えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 貴女、トレセン学園に入学してみませんか?」

 

 えぇまぁ、何も……悪い事ばかりじゃございません。きっと、恐らく、多分。

 

 

 





 因みにハスノイトが内心でも敬語みたいなのを使う理由ですが、「とりあえず媚びた話し方しときゃいいだろ」という考えに基づいています。
 彼女のIQは2です。

※ご意見、ご感想お待ちしています。


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バァさん

 

 トレセンも。学園も。私としちゃあ、全く関心の外のことでございまして、言うなれば浄瑠璃だの歌舞伎だの、観る分にゃあ構いませんが、やってみようとは思わない、大体そんな感じの認識だったわけですが、この度メジロの家長たるバァさんに、なんだかよく分からないまま入れられる運びとなりそうです。

 

 困るなぁ、嫌だなぁ。あ、それキュっ。

 

「お婆様、お気持ちは重々承知の上ですが、やはりこの子には少々酷ではないかと思いますの。せめて、もう少し様子を見るべきかと思いますわ」

 

 こんな具合でごぜぇます。今、私が何をしたかといいますと、マックイーン様のお袖を少し、こう、キュっ、と。握ってみました。うぇへへ、罰と言えど、ただ受けようなんざつもりは御座いません。そんな賢しらな性分なら、端から蜘蛛の糸なんぞ掴んだりゃあしないのです。

 

「アナタの言い分は正しいものです。けれど、長い人生の中、真っ当に競い合うこともなく、ただ楽しそうに誰かが走るのを眺めているだけ、というのは、それこそ、ハスノイトには酷な事ではないかしら」

 

 どうしましょう。ウマ娘的な物の見方をすると、この上ない正論なような気がして仕方がございません。かといって、普通にランニングしてたりする時ぁ、全く見えないあの地獄の様相も、何故だかレースがどうのと絡むと、チラチラと覗き始めるもので、出来ればほどほどが良いのです。ちょこちょこ趣味で走って、日銭をのらくら稼いで……そんな暮らしが、一等欲しいのです。

 

「それはっ……、いや、お婆様。私たちだけで進めて良い問題ではありませんの。ハスノ」

 

 あ、でも博打は打ちたいですねぇ。こう見えて通った腕前、せっかく再びの生を受けたんなら「これ。ハスノ?しっかりなさい」

 

「うぇ、あ、はい!」

「少し難しいかもしれないけれど、よくお聞きなさい。アナタの未来に関わることですのよ?」

「へへっ、こりゃあ申し訳ねぇです」

「今、アナタには二つの道がありますの。一つは、このままレースを走るウマ娘として生きていく道。もう一つは、そう言ったものとは無縁の、一般の方と変わりない生き方をする道。本当はもっと自由に選ばせてあげたいのだけれど、諸々の問題で、それは難しいのですわ。だから、ハスノ。どちらの道に進んで行くのか、考えてくださいまし。気負うことはありませんわ、私がついていますもの」

 

 肩にポン、と手を置き、マックイーン様はそんな風に締めました。あいや、成程。言われてみれば極端な話だなぁ、なんて思わなくもないのですが、やはりそこら辺、今生の私の父母が何だかやらかしたと見て良さそうです。

 少し、無い知恵とやらを絞ってみようではありませんか。まず以って、いくら熟達した精神年齢であろうと、体裁の一つ取り繕えないこのナリでは、そこまで意味がありません。つまりは、私はここからメジロの家と縁切るようなことは、土台不可能であるのです。加えて……何やらマックイーン様は憂いておられるようですが、私としては、今生の両親がこれこれ、というよりは、やはり劫罰の方に、恐ろしさの比重が偏っています。

 ただ、一つ。仏様に拝謁した際の金言に依らば、どうにも罰には限りがあるご様子。となれば、いつまでもささやかな不幸に苛つく暮らしをするより、何かと体力だの気力だのに有り余る若年において全て凌いでしまった方が、丸いのではないのでしょうか。

 

「叶うならば、私ぁ、競い合う、というのをしてみたいです。母があれだけ執心したのだから、きっと楽しい事だろうと思うのです。母も喜ぶと思うのです。あ、でも、痛いのはある程度に留めて頂けると嬉しいでさぁ」

 

 ぽつぽつと、思いのほか強いような、さして強くもないような、そんな声音が出ました。どうにも、ひらめきに依る昂揚は、私に平時とは著しく異なる様相の感情を齎したようです。態度がどうとか言って、折檻を喰らうものかとも思いましたが、バァさんはやにわに頷き、マックイーン様は、嬉しいような、しかし何か言いたげな、そんな顔をしておられました。顔の半分ずつで、まるで三面阿修羅のように感情が綯交ぜになっておいのようです。かと言って、双方、押し黙るわけにもいかぬと見たか、これまた厳かな風体で、バァサンが口を開きました。

 

「……ハスノイト、アナタの言葉が聞きたいのです」

「?」

「他人を理由にしてほしくないですって」

 

 耄碌こいたか、と臍を噛みましたが、マックイーン様がさりげなく呟いて下さったので、その真意であるところの、私の覚悟を問うている事が分かりました。───まぁ、思うに。一度やり切ったこの命、惜しむ根性は皆目無いのです。何か体良く事が運んで、罪が消えればそれで良し。中途で果てようと、それもまた仏様のお導きかと。

 罰があるから楽しめない、そんなのは二流のこそ泥が言うことです。一流のこそ泥は、鞭打ちの最中だって、お役目の銭をどうギろうか考えるものです。こそ泥に位階があるのかなんて言われてしまえば口を結ぶ以外に手立てはありませんが、兎角、惜しむ物が無いというのは、こういう時だけは、案外良いものです。

 

「命を賭けてみたいのです」

「何故?」

「ただ一つ、是と思った物にさえ賭けられない命なら、価値が無いではありませんか。そんな物をどこで使えるというのです」

「……」

「元より、ソレ以外に何も持たぬ身でございますので、存外、収まりが良いとも思います。関われずとも困りませんが、叶うならば、レースをこそ、胸に残る恐ろしさをこそ、楽しんで見せようと、腹の中で常々考えておりました」

 

 十八番の嘘八百でございます。そんな大層な事を宣える性分であらば、地獄などには落ちちゃあいません。けれど、本心も少しばかり含んでみました。嘘を吐く時は、その程度の塩梅がちょうど良いのです。

 

「……そうですか、分かりました」

 

 にわかに俯いたではありませんか。これはあれですか、少し早めのごーとぅーふぁっきんへるですか?打首獄門ぱーちーですか?

 

「……あ、あのぅ?」

「今日は、一先ず下がって構いませんよ。また後日、話しましょう。」

「う、へぇい」

 

「入学の手続きは、本人がいなければ始まりませんからね」

 

 このバァさんは落として上げるのが上手いですねぇ。

 





 やはり性根がアレなので、自分の言葉にすら乗せられますね。彼女と噛み合うウマ娘ってどなたなのでしょう。アプリ時空にでも投げ込んでみようかな。

*誤字、文法の誤用などあれば、是非お知らせください。


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なかにわ

 今回、あまり話に進展がありません。展開上、止むなく差し込ませて頂いたものですので、もし不都合がありましたら、大変お手数おかけしますが、次回更新までお待ち頂けますとこれ幸いに存じます。


 

「ハスノはね、それが全部なんだよ」とは、今は何処への病院に担ぎ込まれてしまった母親の弁でございます。

 あなや、あなや。察するに、何かこう、私の精神的なモノに多大な影響を与えそうな文言でございましたが、聞かされていた時の私ぁ、丁度、それを言われた前の日に出来た瘡蓋を弄り回しておりましたので、恐らくは一等肝要な“それ”が、何であるのか……さっぱり聞き逃してしまいました。いや、それで無くても、一言漏らさず拝聴したところで、馬の耳に念仏、馬耳東風、そんな様な結果でしたでしょう。

 

 実のところ、───いや、まぁ、言わずと知れた事ではございましょうが、取り立てて何かこう、憎いだとか、恨めしいだとか、思ったりはしていません。何せ、元来は、私の方が幾倍に悪し様な行いを働いていたので、今更、偶々見てくれが女子になったから怯んだり何だりする、というのも、何だかおかしな話ではないですか。

 ただ、その面様だけは、やはり不可思議に思われました。純粋無垢、とまでは行かずとも、まるで夢追い人のように。現実が見えていないようで、然れど、する事は地に足がついていて、けれど、やはりどこか夢現の中にいる。

 矛盾の二字に内包された言葉の妙を、前世今生を含め、初めて実感いたしました。あれだけの嫋やかな雰囲気であれば、思うに、生来の気質がレースには向いていなかったのではないでしょうか。二束三文にもならぬ未練に足を絡め取られて、一生を、布団に首枷をされて過ごすのかもしれない。まるで蜘蛛の糸に目が眩んだ罪人の様相です。あ、これ、本日のカンダタジョークでございます。……ご容赦を。

 

 あれから早、幾十日が経ち、明日明朝を以て、私は府中トレセン学園の門戸の内に、籍を置く事となります。期待は少し、不安が大半を占めるその胸中、表しきれぬ私の無教養が恨めしい。訳ないのでございますが、まぁ、のらくらやって行こうかな、と考えております。

 

「ねぇ、貴女」

 

 中庭にて、半ば日課とも成り果てた掃除に精を出していましたところ、何やら鈴の音を鳴らしたような声が聞こえました。

 見遣れば、私が庭に出た回廊の反対側、真向かいの2階。その窓から身を乗り出して、此方を胡乱げな眼差しで眺る誰かしらが、目に映りました。口の聞き方から察するに、使用人の類ではないのだろうと推察致しますが、と来ると、私としては皆目心当たりがございません。

 

「今ぁ、私をお呼びに?」

「ええ。具体的には、鼻唄を歌いながらご機嫌に掃除をして、昼食を取るのを半ば忘れかけているそこの貴女に、話しかけています」

「おや?───おぉ、こいつぁ失敬」

 

 何だか揶揄うようなご様子で、白いんだか青白いんだか分からない髪を靡かせて、その方は言葉を紡ぎます。髪が青白い、という表現。言ってみて、何だか変だなぁ、と勘繰ってみましたところ、それはどうにも、こちらを見据える件の何某かの顔色、もとい皮膚やらが、ひどく白んで見えるのが原因のようです。

 

「ふふっ、噂はかねがね聞いていますよハスノイト。変なところで抜けていて、愛くるしい子だと。この分だと、噂には違わぬようですね」

「お、あぁ、はい。ありがとうごぜぇます?」

「もう少し話してみたいところなのだけれど、そろそろ向かった方が良いですよ。給仕の田辺さんが探していましたから」

 

 給仕の田辺……あぁ、まずい。あいつぁ、時間に矢鱈とこだわる。中途ではありましたが、集めていた塵芥を取り集め、箒と小道具をしまいこみまして、一礼の後に私はその場を後にしました。

 どうにか刻限に間に合わせ、前世においては類を見ない、今世においても中々上等な昼飯を頂いております。まぁ、基準的なニュアンスが、私の場合は大幅に平均を下回っているので、端から見れば、たかだかの握り飯と卵焼きでございます。

 

「お前さんよぅ、常々言っているがね、ウマ娘の、しかも育ち盛りが、そんな健康志向のダイエットマンみてぇな食生活はよ、良くないぜぃ。何かにつけちゃあ、おにぎりおにぎりとせがみやがる。もっと上等なモン食えよぅ」

「ん、ん〜。……んまぁ。んぐ。腹が一杯になるんなら変わらねぇす。その上に美味いとくりゃあ、言う事無しでさぁ」

「言ってくれるねぇ」

 

 はて、そういえば。

 

「あのぅ、飯ぃ頂く前に、何だかメジロの親類?のような方に話しかけられたんですがよぅ、どなたか存じ上げてらっしゃいますか?」

「どんな感じだったよ」

「んぅ、と。白っぽい髪にえらく寒色の肌で……あ、でもそんくらいしか覚えてねぇす」

「そりゃあアルダン様でねぇかい。……ん?いや違ぇな。今は療治で屋敷にゃいねぇ」

 

 言われてみて、考えてみて、二人して小首を傾げ、暫しの沈思黙考。後に数分、論を結ぶには至らず、やる事もあったので、その場はお開きとしようと、どちらが言い出すわけでもなく、そそくさと食器を片付けました。

 はて、狐狸畜生に化かされたかな、なんて思っても、よく考えたらそもそも以ってこの屋敷自体が格式が高く、言い換えて、金が掛かっているので、畜生の如きが立ち入れる程、安い作りではありません。

 ならば、予定か何かが中途で変わったのかな、と思い立って事務の方にお伺いを立ててみても、そんな報せは受けていない、帰ってきてすらいない、と仰います。

 はて、はて。如何な理由と言えど、世にも珍しき転生をした身共からすれば、余り、大層気を揉む様な話では無いのでしょうが、この身になってから、より人に近づいたか、はたまた婦女子の性質かは判然としませんが、一握に満たぬ好奇心が、針で掌をなぞるかの如く私の思考を刺激します。

 

 とうとう腹を括りまして、今日に於いて再びの中庭掃除へと乗り出しました。「ありゃあ、開かずの間じゃあございませんか」。おっといけない、思わず声が漏れちまいました。先程、件の方が身を乗り出していた場所を、脳味噌の中の屋敷の見取り図と見比べてみましたところ、開かずの間と使用人の中で噂される、知る限りではどなたも足を踏み入れた事のない不可思議なお部屋でごさいました。

 

「あら、珍しい」

 

 先刻と似たような景観の中、違いと言えば傾く日差しと台詞のみ。恥ずかしながら、瞠目致しました。

 

「普通は萎縮してしまうものなのだけれど」

「こりゃあ、また、頓狂な事でございますなぁ」

「やっぱり抜けているのね」

「?。と仰いますと」

「耳よ、耳。ようく、目を凝らしてご覧なさいな」

 

 ………。おぉ、馬耳、いや、今生で言うところのウマ耳がついておりません。艶かしく翻る白髪があるのみでございます。

 

「貴女、中庭に人気が無いのとか、気づかなかったの?」

「あ、いや、その。中庭とは言っても、様相の限りでは庭園でございましょう?庭園てなぁ、大体が鑑賞の為のものですので、この場合、人気がある方が、恐らくは可笑しく見えると思いまさぁ」

「……そうなのね」

 

 おや、これが俗に言う気まずい、でございましょうか。

 

「して、実のところ、あなた様はどちら様ですかね」

「ん?あぁ、まぁ、メジロの親戚ね」

 

 ………。こいつぁ、虎の尾を踏ん付けちまいましたかねぇ。

 

「こら、まぁ。私ぁ、あなた様の噂だけ、存じ上げておりますよ。もし、気を損ねる事が無いのなら、今日はもう刻限に暇がありません。明日、明後日にでも、また来ましょう。その時、緩と、言の葉を交わしてみませんか?」

「まぁ!なんていじらしい子なの。約束……いや、ただ、待っているわ。だから貴女も、来て頂戴」

 

 ほら、見ませい。真性の部分がちょぴっとはみ出してるじゃあございませんか。

 

「では、相左様なら」

「またね」

 

 言うが速いか、でございます。決して、気取られる事のないよう、前世に於いて、さんざと繰り返した───今生に於いてポーカーフェイスの名を冠しますそれを繕いながら、私は再び訪れた中庭を後にしました。

 こりゃ、しくったかな。好奇心は猫を殺してしまうらしいですが、馬の場合だと、果たしてどちらが勝るのでしょう。いや、この問いについてはお気になさらないで頂きたい。切迫しているときほど、人ってなぁは、然程大した問題でもないことを、さも重要であるかのように語りたがるものなのです。

 

 ───はて、艱難の憂いは限りあると言えど、よくよく考えてみれば、その内実が一体、どれほど痛烈な物であるのか、考えた試しがございません。見知った上での序の口が、今生の、ウマ娘の、根幹に対しての負債であるとして、これから先、如何程の物に私は遭遇するのでしょう。

 

 顎を摩り、首を捻り、少し唸ること数瞬。なんだか重大な何かが見え隠れしていた気もしますが、やはり無い知恵ではそれを察することは叶わないようでございます。

 

 あんまり考えたって仕方が無いので、一つ伸びをして、それで以て、明日の事に私は思いを馳せる事と致しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





※誤字、文法の誤用などありましたら、是非ご連絡ください。

 本作は突飛なアイディアの元、習作の一環として進行させて頂いていますので、こうした方が良いのではないか等ご意見ございましたら、お気軽にコメントください。


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