幼女に厳しい世界で幼女になった (室戸菫はかわいい)
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転生死亡RTA 記録 3分10秒3

 

 

 

 海岸沿いの街を見下ろす高台。そこは今や血と臓物の地獄と化していた。

 数多の異形がひとりの年端もない少女に群がる様はモンスターパニックというべきか。

 しかし少女は普通ではない。普通ではないからこそ、()()この地獄を生きていた。

 

 

 

――――様子を見て適当なところで切り上げますよ。

 

「アァァェアィァアアアァィイイイアアアア!」

 

「ぐっ……! この、程度……!」

 

 果たして適当なところとはいつなのか。

 この群れに終わりはあるのか。

 たとえ終わりがあったとして、私は生きていられるのか。

 千寿夏世は眼前の敵を撃ち払いながら自問する。

 

 普段であればこんな考えはしない。戦闘以外に思考のリソースを割くことは己が相棒以外にはないのだから。

 それでも考えずにはいられないのはあの『眼』を見てしまったからか。

 道具でしかない自分たちを人間として扱う、きれいな瞳を。

 そんなことを考えてしまっていたからだろう。

 ただでさえ頭脳型の私が、その利点を削ったから。

 

「オオォ■■■キシェァァァァァァ!」

 

「ご、がは……っ」

 

 エリマキトカゲのような異形の尻尾が胴を打ち据える。

 吹き飛ばされる刹那の間に弾丸を打ち込んだのはプロの意地。トカゲモドキは絶命した。

 さりとて衝撃が殺せるわけもない。小さな体躯が木にたたきつけられ、折れ曲がった。

 骨と内臓が傷ついて口から赤い液体が漏れる。

 

 悪いことは重なる。

 衝撃でメインウェポンのショットガンがおしゃかになってしまったのだ。

 トラップや持ってきた手りゅう弾はもう使い果たした。

 丸腰でも戦えないことはないとはいえ、それだけ。

 

 やっぱり、死ぬのだろう。

 それでもいいと彼女は思えた。

 自分がここで果てたとして、相棒が生きていさえするなら。

 

 でも。

 

「……はっ、はっ……」

 

 先ほどから散発的になった戦闘音と、それに反比例する巨大な衝突音。

 あの少年、里見蓮太郎は間に合ったのだろう。

 しかし、冷静な思考がそれを否定する。

 

「…………ッ」

 

 自分の相棒は生きていないだろうと。

 息があれば突撃を繰り返す、きってのバーサーカーだ。彼は。

 だからその雄叫び1つ剣戟1つ聞こえないというのなら、そういうことだろう。

 

 それでも、それだからこそ。

 

「は……ァッ!」

 

 今、ここで眠るわけにはいかない。

 頭のなかでキチキチとうるさい声がするし、右腕は満足に動かない。

 しかしそれだけだ。

 あの戦いを邪魔させるわけにはいかない。

 たとえこの身が朽ち果てようとも。

 

 少女は立ち上がる。

 依然劣勢は変わらない。それでも、やらなければならないことがあるから。

 

 しかし世界は無常だ。

 数の暴力。

 ただそれだけのことで少女の儚い覚悟は汚される。

 

 異形が群がる。

 少女は対抗する。

 異形が群がる。

 少女は抵抗する。

 

 そして幾度目かの衝突の末、少女は地に伏した。

 

 異形の巨大な口が迫る。

 噛みつかれれば一気にウイルスを流し込まれ、()()を迎えるだろう。

 そしてそのあとは。

 優れた頭脳が少女に末路を告げる。

 もう、体は動かない。

 

「将監、さん……私も……」

 

 待ち人の名を呼びながら、少女はその運命に身をゆだねた。

 

 されど。

 

 運命よりも先に。

 

 世界の異物(招かれざる客)がひとり、乱入した。

 

「■■■――」

 

 声なき声で絶命したのは、異形の方だった。

 

「ぇ……」

 

 夏世はだれかほかに仲間がいたのかと考えて、即座に否定する。

 いたのであれば将監と一緒に襲撃をかけているか、とっくに逃げているはずだから。

 じゃあ、なにが?

 

 まだ生きている聴覚が、森からの舌ったらずな声を拾った。

 

「夏世ちゃんさ~ぁ、カッコつけ過ぎじゃな~い?」

「だ……れ……?」

 

 夏世が声の方に目を向ければ、森の中から出てきたのはひとりの少女――同類だった。

 そして、それは彼女の知己でもあった。だがそれはありえないこと。

 彼女はすでに――――。

 

 しかしそれでも、夏世はその(亡霊の)名を呼んだ。

 

「アル……ちゃん……?」

 

 その問いに、少女も答える。

 

「うん、アタシだよ☆ 夏世ちゃんのことが大好きな、アルだよ」

 

「どう、してここに……」

 

「あはは、おかしなことを聞くね。そんなの決まってるじゃん」

 

 赤い瞳をしたその少女――アルは、夏世の体を優しく抱き留めて言った。

 

 

「友達を守るためだよ。遅れてごめんね」

 

 

「…………ッ!」声にならない声が夏世から漏れる。

 

「将監くんも大丈夫。だからもう、眠っていいんだよ」

 

 アルが言ったことは夏世の一番の関心ごとだった。

 即座に詳細を求めようとするが、酷使した体は()()()限界で。

 

「よくがんばったね。あとは、任せて」

 

 せめてこれが泡沫の夢でないように。

 そう願いながら、優しい声に脳を溶かされて、夏世は深い眠りについた。

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

「この悪魔が! 死ね! 死ね!」

 

「がっ、ぁ……」

 

 オレが目覚めたのは、鋭い痛みの中だった。

 何が起きてるかわからないくらい痛みが何度も何度も襲ってきていた。

 かろうじて状況がつかめたのは、オレは集団リンチを受けているということだった。

 

 なぜ? どうして? どういうこと?

 殴られ蹴られ斬られながらも直前の記憶を必死で探した。

 

 昨日は仕事を終えて家に帰ったはずだ。

 酒も飲んでないしたばこも吸ってない。酔っぱらって誰かに絡んだとは思えない。

 それでもこうして暴行を受けている。

 ひょっとして記憶にないだけでやらかしたのだろうか?

 

「この赤鬼が!」

 

「悪魔の赤目! 死んでしまえ!」

 

「お前らのせいで俺の彼女がよォ!」

 

 それでも、この状況は異様だと思う。

 彼らの言うことは言いがかりも甚だしいし、どうして周りの大人は見て見ぬふりをするのだろう。

 こんな、こんなスラム街のようなものがこの日本にあるのか?

 2()0()2()1()()()()()に?

 時代錯誤だ。前時代的だ。

 しかも加害者たちは身なりが貧しいわけでもなさそうなのだ。そして成人をしてもいる。

 一過性の不良がどうの、という話ではないだろう。

 余計に意味がわからない。

 

「おい、聞いてんのがゴラァ!」

 

 首を捕まれて持ち上げられ、みぞおちに蹴りをもらった。

 

「ご……ふ、ぅ……げ……ぇ」

 

「なんとか言えよこのドグサレが! キメェんだよ!」

 

 胃液が口から漏れ、地面に蹲る。

 痛くてなにも言えねえよ。というか横隔膜いったか? 余計にしゃべれなくなってんじゃねえか。

 

「か、ひゅ……ひゅ……」

 

 呼吸もきつい。苦しくなってきた。

 本格的にまずい。このままだと死ぬ。

 こいつらはほんとに何なんだ? 気がふれた異常者なのか? 

 少なくともまともじゃない。

 なんだ、なんでこんな目にあってるんだ? 何か悪いことをしたのか?

 夢だと思いたかった。

 だけど、この痛みはどうしようもなく本物だ。

 どうしたらいいのか。体に力が入らない。逃げられないのか。

 

「おい、こいつ反応鈍くなってきてないか?」

 

「あーあー、化け物が聞いて呆れるぜ」

 

「じゃあ、もういいか?」

 

「そうだな。もういいだろ」

 

 なんだ、急になんの話をしてる?

 

「この前俺さぁ、バラニウム製のナイフを拾ったんだよ。ずっと使いたかったぜ」

 

「おっ、そりゃあいいな! 化け物の末路にゃ最適じゃねえか!」

 

「そうだな、やっちまえ!」

 

「おうよ!」

 

 なんだ? なんの話をしている?

 焦っても仕方ないとはいえ、嫌な予感がする。気持ちも悪くなってきた。

 かろうじて目線を上にあげると、青年のひとりが黒いナイフを持っていた。

 

「……ッ!」

 

 直観する。

 アレはやばい。なにかわからんがやばいことは確かだ。

 

「ぁ……ぅぅ……!」

 

「おいおい、こいつ逃げようとしてるぜ?」

 

「逃がすかよバァーカ、テメェはここで死ぬんだ!」

 

「ぁ……ぐ……」

 

 這って逃げようとするも、他の男たちに足で押さえつけられてしまう。

 まじか? 正気か? 殺人罪だぞ、こいつら本気でやろうってのか!?

 悲しいことに、どうやらマジのようで。

 

「それじゃあ、死ねや」

 

 サクッ、と。

 場違いなほど小気味よい音がして、オレの体は軽くなった。

 ついでに視線も高くなり、男たちのそれと同じくらいだ。

 

「はは、ははは! やった! やったぞ! 俺はやったんだぁぁぁぁぁ!」

 

「うぉぉぉぉぉ! きれいな切れ味だったな! それ俺にも使わせてくれよ!」

 

「ああ、いいぜ。これで化け物どもを皆殺しだ!」

 

「皆殺しだ!」

 

「皆殺し!」

「皆殺し!」

「皆殺し!」

 

 ひとりの青年が皮切りとなり、その場の青年たちは熱に浮かれて大合唱を始めた。

 

 というか、結局なにが起きたんだ?

 体は動かないし。

 かろうじて動く目だけで下を見ると。

 

 

 首無し少女の死体があった。

 

 

 誰の()()だ?

 

 

 決まってる。

 わかってしまっている。

 あの胴体は、オレのものだと。

 

 

 瞬間、理解した。

 

 

 そっか。

 

 

 ()()は一度ならず二度までも死んだのか。

 

 

 

 そして意識が途切れて。

 

 

 

 

 ()()()として蘇った。

 

 

 

 






・千寿 夏世
彼女の死は原作主人公の心に抜けない楔を打ち込んだ

・伊熊 将監
いわゆるかませキャラ。原作主人公とはソリが合わなかった。



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目覚め / 奈落(アビス)へようこそ

 

 

 

「…………」

 

 夕暮れ時。

 女の目覚めを歓迎したのは、温かい食事でも優しい言葉でも心地よい眠気でもなく。

 腐臭を酸味で加工したチグハグな臭み。現実の辛みだった。

 

 そこは社会の最底辺。

 路地裏のゴミ山だ。

 

 開いた視界に1羽の黒カラスが映る。

 

 ゴミ山の王は袋に包まれた生ごみを器用にクチバシで漁っていた。

 しかし目当てのエサは見つからず次の袋に足をかけたところで、女と目が合う。

 

『カァー』

 

「…………」

 

 カラスは首を傾け、小さな標的がエサとして十分かを分析する。

 

 彼は顔を背けた。

 合格点には至らなかったようだ。

 関心を失ったカラスは食料探しに戻る。

 

 そこでようやく、女は自分を認識した。

 

 幼児と言って差し支えのない小さな矮躯(わいく)

 万が一、獲物として襲われたら骸を晒すことになっていただろう。

 

「アタシは、誰。ここは、なぜ」

 

 女は自分を知らなかった。

 けれど自分以外を知っていた。

 

「誰の、もの?」

 

 脳内を巡る知らない(知っている)記憶。

 近代建築の都市で生活をする人間のものだ。

 

 その記憶に劇的なドラマはなく。ただ凡庸な男の生涯のみを語る。

 なんの薬にも毒にもならない話だった。

 

 結局、今の自分に繋がる知識はないのか。

 女は視線を彷徨わせた。

 

 すると、横合いから1枚の粗雑なチラシを差し出される。

 

 はて。カラス以外に誰かいたのか。

 

 女は差出人を見た。

 

「…………」

「…………」

 

 自分と同じ体躯の少女だった。

 無表情で、瞳に意思を感じられない。

 普通ならば驚くか怯えるべきだろう。

 なにせ自分の意識をすり抜けてくる存在は、自然界において最も警戒すべきものだ。

 

 されど女はそうしない。

 人ならざる感覚で以って、その少女を理解したからだ。

 

「アタシは、あなた。あなたは――アタシ」

「…………」

 

 少女は何も答えない。

 それでも女は正しさを疑わなかった。

 

「右手をあげて」

「…………」

 

 突然の言葉でも、少女は言う通りしたのだ。

 これを女は自分が群れの指揮個体(アルファ)だと捉えた。

 少女が見えているものは見えるし、聞こえるし、感じる。

 五感を共有(ジャック)することができるらしい。

 

 そして記憶すらも。

 

「そういうこと」

 

 自分が()()()()経緯。

 ひとつ、女は己を知った。

 

 改めてチラシを受け取る。

 そこには乱暴な日本語で『ガストレアを許すな!』『呪われた悪魔どもに正義の鉄槌を!』と書かれている。

 

「ガストレア」

 

 求めてもいないのに、知識はその存在を教えてくれた。

 

 2021年、突如出現したウイルス性の寄生生物。驚異度を未熟なⅠから完成形のⅣ、特殊な個体をⅤと分類される。生物の遺伝子を改変する能力があり、人類にもその牙は向けられた。人間はガストレアと生存競争を開始するも、ゾンビよろしく人間をガストレア化させながら襲ってくる侵略者に世界人口の9割と土地の大半を失い敗北。現在は限られた生存圏を(モノリス)で守りながら暮らしている。

 人類がまだ絶滅していないのは武器や壁にガストレアが苦手とするバラニウムという特殊金属を使っているからだ。

 

 そしてガストレアウイルスが妊婦に血液感染すると、抗体を持つ子供は「呪われた子供たち」と呼ばれる半人半妖として生まれる。必ず女子に生まれる子供たちは人間を超越した能力と引き換えにガストレアになる危険を孕んでいる。

 

 彼女達は超人的な力を解放する間、瞳が赤く染まることから「赤目」と蔑まれ、大人たちから迫害を受ける。母親が生まれた我が子が赤い目をしているのを見て川に投げ捨てるという話はよくあるらしい。中絶禁止法とかいうのが原因でもあるようだ。

 

「それをわざわざ教えるのなら」

 

 女は直観的に力を解放した。何かが砕けて光る感覚。

 少女の瞳を通じて見れば、己の瞳は赤く染まっている。

 少女に同じことをさせても、やはり赤く染まった。

 

 そういうことなのだろう。

 

 ガストレア及び呪われた子供たちは再生能力があり、その度合いによってステージ分けされている。ⅠからⅤで表記されるが、分裂して再生はどこにあたるのだろうか。ⅣかⅤか。

 どちらにせよ通常ⅠかⅡであることを踏まえれば尋常ならざると言える。

 また因子(モデル)によって特殊な能力も得る。ウサギなら脚力強化、スパイダーなら糸を操るなど。

 

 女は自分のモデルをプラナリアかクマムシだと考えた。

 他に両断されて生きている生物が知識になかったとも言える。

 

 さて、自分はどこにいるのか。

 

「……日本語」

 

 チラシだけでなく、他のゴミに書かれている言語は日本語が大半だ。

 つまり女は日本にいる可能性が高い。

 

 日本は小さな国土の島国だが、現在は5つのエリアに分裂しているのだという。

 東京、大阪、博多、札幌、仙台だ。

 現在地は知識通りなら東京だろうか。

 どこであろうが、呪われた子供たちとバレたら大人にリンチされるのは想像に難くない。

 どうも大人は相手が赤い瞳だと倫理観のネジが緩むようだ。

 そのくせ人間は子供たちを戦力として運用し、自分たちを守らせるのだという。

 人口が減った人類は民間人を民警と名乗らせてガストレアと戦う戦力にしているのだ。その民警の相棒に子供たちを使っているが、彼女らの死亡率は低くない。

 むしろ戦死かその他かで言えばその他が多いのだと。

 

「異常」

 

 女は2つの常識を照らし合わせた結果、そう結論付けた。

 

 そんな異常な世界で己はどうするべきか。

EAT KILL ALL

――――生きろ

 

 生物として原初の目的――すなわち生存と繁殖。

 そのための生存戦略は多様な地域に適応する試行回数だ。

 

 幸い試行回数はこの体質(増える)なら困らないだろう。

 つまり知識と技術を身に着けながら世界中に散らばる手段の方が問題になる。

 

 時間をかければ自力でたどり着けるかもしれない。

 しかし現地の人間に迎えに来てもらうか、運んでもらう方がまだ確実だろう。

 いくつか候補も知識にある。

 

「じゃあ、そういうことで」

「…………」

 

 女が指針を決定し、少女を連れて歩き出そうとした時。

 

「…………」

「ん?」

 

 少女から布を手渡され、はっとした。

 どうやら何も着ていなかったようだ。

 

「照れてるのか」

「…………」

 

 布を羽織る。

 少女は無表情のままだが、女はそこに羞恥を見た。

 人間は全裸で過ごすことを推奨しないのだとか。

 

「アタシなんだから感情くらいあるか」

 

 

 

 

 

 

 かくて、世界中へ時間をかけつつも彼女たちは散っていった。

 女は己が世界でどれだけ異端かを()()()理解していない。

 死ににくいだけと思っている節さえある。

 無論、頭()()はあるので考えつくことはできるが、自分の不利にならない影響はさして考慮していなかった。

 この呪われた子供(モデル・プラナリア)がどれだけ世界に混乱をもたらすか。

 その結果がわかるのはもうしばらく先だろう。

 

 幸いなことは、9割が何らかの理由で目的地にたどり着かなかったこと。

 不幸なことは、残りの1割がいくつかの国の責任者、あるいは研究者と接触してしまったことだろう。

 

 その結果、世の裏社会は衝撃を受ける。

 ステージⅣ、あるいはⅤの再生能力とその実験的価値に。

 

 ある者はマグマを注ぎ、ある者は分子レベルに分解し、ある者は孕ませようとし、ある者は機械を埋め込み、ある者は…………。

 

 それらすべてを身に感じながら、彼女は生きる道を模索していった。

 

 ()()が始まるのは、それから数年後。

 

 

 

 

 

 

 勾田公立大学附属病院。

 民警の里見蓮太郎は幼馴染にして思い人で社長の少女と()()()()をして、居心地悪さから逃げるような足取りでやってきていた。

 消毒液の匂いを受けながら正面玄関を通り過ぎ、やけに広い敷地を北進する。

 人通りのなくなった通路の行き止まりには地下への階段があり、そこを降りれば彼の目的地たる霊安室が存在する。

 仰々しい悪魔のバストアップが刻まれた扉を押し開けると、きついミント系の芳香剤が漂って来た。中は薄暗いものの異常に広く、地下研究室と言われても遜色ない。いつもは女性と思えないほどブラジャーや弁当のカラが散乱しているが、ここ最近は綺麗に整理されていた。

 そんなどこぞのラスボスじみた部屋の住人が彼の目的の人なわけだが、見当たらない。

 

「せんせー、どこいったー?」

「コッチヲミロー……」

 

 声の方に振り返って蓮太郎はぎょっとした。

 落ちくぼんだくらい眼窩が彼を無機質に見つめていた。

 筋肉質な背丈180以上の成人男性は頭髪をきれいにそられているが皮膚を摘出された跡が生々しく残っていて――つまり死体である。

 どう考えても声の主であるが、死体は喋らない。

 

「せ、せんせ? いるよな?」

 

 蓮太郎は怪談話が苦手だ。恐怖心からかすがるように声を絞り出せば。

「バァ」と、後ろからよく見知った白衣姿の女性が現れ、安堵で腰が抜けかける。

 蓮太郎は胸をなでおろした。いつもの悪戯だったようだ。

 

「せんせ、こういうのは心臓に悪い。やめてくれって前言わなかったか?」

「おや、私が言われたのは『コケ脅しをするくらいなら本物をやってくれ』だったと記憶しているが?」

「誰もそんなこといってねーよ!」

 

 蓮太郎の叫びをクツクツと笑みを浮かべて受け流す女は。

 芝居がかった調子で大きく手を広げて言う。

 

「蓮太郎くん、奈落(アビス)へようこそ」

 

 私服のタイトスカートの上から引きずるほど長い白衣――マッドサイエンティストのような出で立ちで肌は不健康なほど青白い。にもかかわらずハリと艶を失っていないのはどういった魔術か。

 存在は希薄で幽霊っぽいのに謎の色香がある。前髪は目元を半分隠すほど長いが、3日に1度は入浴するおかげで以前よりも美人さが目立つようになってきていた。

 

 室戸(むろと)(すみれ)。法医学研究所の室長にしてガストレア研究者。

 

 薄暗い地下室の女王で重度の引きこもりだ。何度か餓死しかけたこともある。

 

「で、この男は誰だよ」

 そこまで観察して、蓮太郎は気になったことを聞いた。

「ああ、彼か」

 曰く、チャーリーという恋人らしい。

 蓮太郎はひと月前、彼女がスーザンという女性を抱いていたような覚えがある。

「彼女は残念ながらもういないよ」そう語る菫は全く残念そうに見えなかった。

 

「蓮太郎くん、死体はいいよ。やれ食べかけは捨てろだの、下着は整理しろだのと煩くない」

 

 いや、それは当たり前のことでは?

 死体に頬ずりする菫を前に、蓮太郎は口にするのを憚った。

 彼女が死体愛好家(ネクロフィリア)なのは今更だ。人と関わるのを極端に嫌うせいで学内では爪はじきにされている。

 座右の銘が「この世には死んだ人間とこれから死ぬ人間しかいない」だというほどの筋金入り。

 ふと、そこで彼女の背後から声が聞こえた。

 

「先生ぇひっど~い。アタシの頑張りをいつもそんな風に思ってたんだ~?」

 

「ん?」と蓮太郎が振り向けば、10歳ほどの少女が腰に手を当ててぷんすかと怒っていた。

 桜色の髪に白いブラウスとタイトスカートの上に、菫と対比するような黒いジャケットを身にまとっている。

 

「げ、アル。もう作業を終えてしまったのかい? あと30分は堅いと思っていたんだが」

「あは☆ アタシに掛かればあんなのすぐだよぉ~」

「残念だ……汚物に塗れた君の悲鳴が私の唯一の楽しみだったのに……」

「ほんと悪趣味よね、先生ぇ。後処理だけアタシにさせるなんて☆」

「それが君の仕事だろう? よかったな、職務を果たせたぞ」

「ふ~ん? そんな意地悪いうなら今度から唐辛子3倍にしてあげよっかなぁ?」

「食への冒涜だと? なんてことを!」

「ひと月前までドブを食べてた人間のセリフって考えたら笑っちゃうよね☆」

 

 そのまま取っ組み合いを始める両者。女三人寄れば姦しいとはいうが、この2人は3人分らしい。

 それ以上に蓮太郎は驚いていた

 あの生者嫌いの菫が仕事以外でまともに話をしているのだから。

 

「先生、彼女は?」

 蓮太郎が問いかければ菫は「ああ、君は知らなかったな」と面倒そうに話し出す。

 

「変態ロリコン王子の里見蓮太郎くんに紹介しよう。私の脛齧り兼居候で雑用係のアル・カポネだ」

「は?」

 蓮太郎は聞き間違いを疑った。前半部分は酷い偏見だが、それ以上の衝撃があった。

「おや、君の耳は幼女以外の周波数を捉えられないのかい?」

「いや、聞こえてんよ。それでも疑ってるんだよ。アル……なんだ?」

「アル・カポネだよ」

「え、それが名前なのか? なんというか……」

 ギャングじゃねぇか? 蓮太郎は声に出さなかったが。

「いや、君の考えは正しいよ。なんて変な……ぷぷっ、名前なんだろうな!」

 

 菫は腹を抱えて笑い出してしまう。

 蓮太郎は信じがたい一心で少女を見た。

 

「騙されちゃだめだよ~、この根暗女の戯言だから☆ アタシはアル。よろしくね、野菜星のロリコン王子さん☆」

 

 なるほど、ただ先生がふざけただけらしい――蓮太郎はしかし、聞き逃せない言葉があった。

 

「誰がロリコンだ、誰が」

「でも幼女と一緒に暮らしてるんだよねぇ? しかも夜な夜なハッスルして近隣住民を騒がせているとか☆」

「俺はただの保護者! そして寝相が悪いだけ!」

 

 なんてことだ、この少女は先生と同じ穴のムジナだ。

 蓮太郎はこれから先の苦労を幻視した。

 

「というか、お前はなんでここに? 親はどうしたんだ親は。未成年が関わっていい相手じゃないぞ先生は」

「あは☆ 親なんていないよ~」

 

 蓮太郎はしまったと思った。

 先生の雑用係と言ったか。もしそれが本当なら10歳前後の外見で()()()()()()にいる可能性はひとつしかない。

 

「お前、()()()()か」

「当たり☆ もしかしてアタシを狙ってたぁ? でもごめんねぇ~、ロリコンは無理なんだぁ」

「ばっ、ちげーよ! 初対面だぞ!」

「初対面の男に求婚させてしまうアタシ、なんて罪深い☆」

「くそっ、こいつ聞いてねえ!」

 

 蓮太郎は頭を抱えた。やっぱりコイツは先生の同類だと。

 と、そこで当の菫が復活した。

 

「相変わらずデリカシーがないなぁ、里見くぅん。そんなだから好きな女ひとりモノにできないんだよ」

「っ……」蓮太郎はドキリとする。「るっせーな、あんたにかんけーねーだろ」

 羞恥心か、喧嘩別れしたバツの悪さか。そっけなく返した蓮太郎をニヤニヤしながら菫は見つめた。

 

 白旗を上げるわけにもいかず、蓮太郎は話題転換を試みる。

 

「そ、それより仕事の話をしようぜ」

「ふぅん? ま、いいけどね。どうせ君が倒したガストレアだろう?」

「ああ、そうだ。先生、こっちには?」

「とっくに解剖結果は出てるよ」菫は回転式の椅子に腰かける。

 

 仕事はきちんとしてくれたようで安堵する蓮太郎。いつも真面目にしてくれればこんな疲労感を味わわなくて済むのだが、と思わずにはいられない。

 

 閑話休題(それはそれとして)

 

「確かモデル・スパイダーでしょ~? 何が気になってるの?」

「ああ、あのガストレアはステージⅠ(感染者)だ。つまり感染源がいるはずなんだが目撃証言がひとつもねえんだ」

 言ってから気づく。少女アルはこの手の話ができるらしい。

「マンホールから地下に入ったのではないか?」菫は足を組み替えながら言った。

「先生ぇ、最近の下水道設備は赤外線カメラもあるんだよぉ?」

「おや、そうだったのかい。どの道ガストレアじゃ器用な真似はできないねぇ」

「先生ぇみたいにぃ?」

「お黙り」

 視線だけで火花が散る様子をしり目に蓮太郎は指摘する。

「先生、冗談キツイぜ」

「ん~、どうしてそう思う?」

「今のガストレアは賢い。それは先生が1番わかってるはずだ」

「ほほう、教科書(テンプレート)人間じゃないようで何よりだ里見くん」

「それで~。ハエトリグモくん(スパイダー)が飛び跳ねたからその感染源も同じ行動をすると蓮太郎くんは思ってるの?」

「いや、感染源と感染者は親子じゃない。あくまでガストレアウイルスを解した宿主でしかないから、そこにDNA上の繋がりはない……だったよな、先生?」

「そうだ。幼女のパンツ以外をその足りない脳みそでよく覚えていたな」

「余計なお世話だよ……」

 

 皮肉を入れないと死ぬのかこの人は。

 

「それじゃあ不出来な弟子にインストラクション・ワンだ」

 

 菫は語る。

 ハエトリグモは人間の等身大になったとしてもジャンプ力は比例しないと。同じように等身大のノミは理論上150mを飛び越えるが、重力やスケールの問題でそうはならない。

 しかし、ガストレアウイルスは違う。

 進化の跳躍――DNA自体をその場で書き換えるという生物学(コーディネイター)も真っ青な進化スピードと大きさに比例するパワーとスタミナ。バカみたいな話だがデカけりゃ強いし強けりゃデカいのだ。

 その上でガストレアは独自の能力をも獲得する場合がある。

 

 話を聞いた蓮太郎は要約した。

 

「つまり先生が言いたいのは、今回のガストレアはオリジナルの能力を持っているって良いたいんだろ?」

「その通り。特に見つからないといえば何が考えられるかな?」

「……カメレオンか」

「おお、いいね。ここまでくれば君にもわかるか。では昆虫博士の里見くん、カメレオンといえば擬態だが、他の擬態にはどんなものがある?」

 

 試されているような視線を感じつつ、蓮太郎は記憶領域から該当する知識を引っ張りだした。

 

「周りの保護色に擬態する奴や他の動物に擬態する奴らなんかがいるな。前者だとアケビコノハ、後者だとキスジトラカミキリだ。あとは狩りのために擬態するパターンもあるが……どれも状況によって体色を変えられるミミックオクトパスほど便利じゃない」

 

「あは☆ ただの変態じゃないんだね~」

「ククク、これが思春期を昆虫と過ごした男の末路さ」

「あんたが聞いたんだろ!?」

 

 こほん、と咳払いをして話を戻す。

 

「だけどよ、このコンクリートジャングルの東京で擬態なんてできるのか?」

「ふぅむ、それは考え方によるな。そもそも人間は光によってものを認識するが、光とは波長の一種なのさ。人間が知覚可能な波長には限りがあって、さらにその上で人間は勘違いを引き起こす。監視カメラがいくら発達したって最後に確認するのは人間だ。カメラが幽霊を捉えても人間は認識できないように、人工だろうが天然だろうが人間の認識さえ騙せればそれで良いのだよ里見くん」

 

 たしかに、と蓮太郎は思った。人間はよく足りないものを勝手に似た情報とリンクさせて錯視を起こす。

 偶然だろうが必然だろうが、起きてしまうのは仕方ないのだ。

 

「まあ、本気でそんなことをされたら東京はパンデミックだろうがね」

 

 ははは、と乾いた声を上げる菫。

 

「先生ぇ、でもひとつ疑問があるんだけど☆ そもそも人間を騙そうって考えたら人間の脳を理解してないとだめじゃない?」

「おや、つまり何が言いたいんだ?」

 

 知らず、蓮太郎はアルが次にいう言葉に集中する。

 何か、決定的なことを言うような気がしてならなかったからだ。

 そして、瑞々しい唇が言の葉を紡ぐ。

 

「だから、人間を取り込んでるんじゃない? そのガストレア☆」

 

 蓮太郎は一瞬、心臓が止まったように錯覚した。

 巻き込まれではなく、()()()()()、だと?

 彼が何か言うより先に、口を開いたのは菫。

 

「おお嫌だ嫌だ。どうしてそんな恐ろしい発想をしてしまうのか、私は理解に苦しむよ」

「あ~れ~? 先生ぇはそう思わないの~?」

「いいや、私だってその程度は考えていたさ。だがね、もしそうなら行方不明者が出たと話題になるだろうよ」

 

 そうだ。たったひとりだとしても、突然消えたとなればそれなりの騒ぎになる。特に日本人は変化を嫌う傾向があり、日常の些細な違和感を気にしないとは思えない。

 

「ふ~ん、なら取り込まれたのはそもそも連絡がされないか隠蔽された奴ってわけだ☆」

 

 呪われた子供(アタシ)たちのように。

 その言葉に突っかからなかった蓮太郎は自分をほめてやりたかった。

 

「やけに自信を持つじゃないか。君の頭はそんなにも立派だったかい?」

「先生ぇほどじゃないから、もしもの話をしてるだけだよ☆」

「ふぅん。仮にそうだとしたらこれは面倒な話だよ、里見くん」

「あ、ああ」

 

 蓮太郎は生返事を返すしかなかった。

 ひとつも上がらない目撃情報もそうだが、今考えてみれば妙な点もある。

 いくら近所で起きた事件でワンマン社長のコネが広いとはいえ、民警は飽和するほどに多いこの社会。自分たち弱小民警が1番乗りになれるものなのか? 何か、言いしれない悪寒が背筋を伝った。

 

「さて、里見君。話は以上かな? そうならいい時間だから帰り給えよ。もっとも、意中の少女を手籠めにする方法が知りたいなら教えないでもないが?」

「ッ! だ、誰がそんな方法、いるか!」

 

 カッと血流が早くなり、先ほどまでの悪寒より羞恥心が勝る。

 見れば醜悪な笑みが2つ。チクショウ、ここは敵地だった!

 帰ろう。今すぐ帰ろう。もう帰ろう。

 

「じゃ、じゃあ俺はもう行くからな!」

 菫とアルはにやけ顔を隠さず軽く手を振って見送った。

「また来たまえ、スターリングFBI捜査官どの」

 蓮太郎は苦笑する。

「性別逆だろ、レクター博士」

 

 

 彼が上半身裸の幼女に慌てるまで、あと少し。

 

 

 

 

 

 

 そして時刻は夜。

 改造に改造を重ねてもはや住居と化した霊安室で、寝台の上にふたつの影があった。

 菫とアルだ。

 まるで睦み会う前の恋人のようにお互いから目を離さない2人。

 しかし周囲にあるのは機械やモニターの類でそういうことをする空気ではない。

 事実、その会話内容も物騒なものだった。

 

「それじゃあ死ぬけどいい~?」

「ああ、早く死んでくれ」

「それ何度も聞いたけど、直球すぎて笑っちゃうよ~」

「ふん、私は面倒が嫌いなだけだ」

「あはっ☆ でも、先生は死なせてくれるから好きだよ」

「ほう、いくら再生するとはいえ視力に問題は出るらしいな。いい義眼を紹介してやろう」

「素直じゃないなぁ……まあいいや。で、今日はどれくらい?」

「2時間だ」

 

 おっけ~。

 それだけ言ってなんの躊躇もなく自身の心臓に右手を突き刺すアル。

 呼吸が止まる。

 虹彩は徐々に輝きを失い、眼球運動も行われず、脱力した四肢は重りのように寝台へ投げ出された。

 

 ひとりの少女は今、間違いなく死んだのだ。

 それでも菫は落ち着き払ったまま。人の死など腐るほど見てきた経験があるゆえに。

 

「本当、美しいなぁ君は。生意気な口を黙らせれば私の理想の(人形)なのに」

 

 少女は笑顔だった。

 菫は幼さを残しながらも曲線美を携えた少女の肉体を顔、腕、胸、腰、足と指でなぞる。

 ガストレアウイルスは美貌を保つ機能があるのかと無意味に考えたくなるほど、その少女の肉体は完成されていた。

 このまま剥製にしてやろうかと考えて、やめた。

 同時に菫は自嘲する。

 10歳の幼子に死ねと命じ、あまつさえその姿に美を見出すなど自分はほとほと異常者だ。

蓮太郎と関わっているうちに自分が()()()になりつつあると思っていたが、とんだ勘違いだったらしい。

 まあ、それもいいかと菫は思う。

 科学者である前に自身は医者だが、許可さえあれば人道に背くこともやってきた身だ。

 今更光の世界に出るのは眩しすぎる。うす暗い霊安室で死体弄りに精を出す方がお似合いだろう。

 

 菫は無意識に首元のロケットを握りしめた。

 

「自己陶酔も考え物だな」

 

 瞬きをひとつ。

 菫の顔は()()のものに変化した。

 

 アルという呪われた子供の正体。

 それはひと月前、政府から与えられた菫の監視(イヌ)であり実験動物(ごえい)だ。

 いかなる手段を以てしても死に切らない化け物の中の化け物。ガストレアと食い合わせたこともあるらしい。相変わらず人間はクソだ。

 政府の()()()はあらゆる研究者が手を焼いたこの不可思議な少女を四賢人の頭脳と神医の手腕で以て解析し、レポートを上げろというもの。

 対価は少女の生殺与奪一切の権利。人権などという言葉は存在しない。

 己が信念に反する依頼だが、少女が自ら志願したというから断り切れず今に至る。

 

 

 

「さぁ、始めようか」

 

 冷たい手術台の前でひとり、女は手袋をはめた。

 

 

 







・里見 蓮太郎
原作主人公。一つ屋根の下で幼女と暮らしている。

・室戸 菫
天才。彼女の言葉使いは独特でトレースは難しい



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強いられている

 

 

『ガストレア新法は、呪われた子供たちに手にすべき人権を与える法案です。これは必ずや大戦後の新たな時代の礎となるでしょう。この法案を契機に人間同士の対立が消滅し、すべての人間が融和できる社会へと大きくかじを取っていくことこそ、先代より聖天子の座を受け継いだわたくしの使命だと考えます』

 

 交差点の四方に設置されたLEDビジョンから、雪を被ったような純白の服装と銀髪の乙女――聖天子と呼ばれる東京エリアの支配者が演説をしている。

 

「この放送もよく飽きないな~」

 

 菫の食品を買うために街中へ出て来ていたアルはその内容を聞き流しながら、初めて死んでひと月ほど経った頃を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

「アルちゃんすごい! これ全部とって来たの?」

「ふっふ~ん、その通り☆ アタシに任せればこの通りよ~」

「すっごーい! ごちそうだよ~!」

 

 薄汚れた壁を蝋燭が弱弱しく照らし出す地下の一角。

 粗末な木材で作られた机の上に芋や白菜、キャベツ・トマトなどの野菜がたっぷりと入ったカゴが乗っていた。

 日々を残飯で食いつなぐ彼女らにとって、その存在を見て目を輝かすのも仕方ないといえる。

 

「ねね、アルちゃんアルちゃん。早くいただきますしようよ!」

「うん☆ それじゃあみんな手を合わせて~」

『いただきます!』

 

 アルは食事に夢中な子供たちを穏やかな表情で見つめる。

 彼女はマンホールチルドレンの一員として東京エリアの地下に居を構えていた。

 

「はい、アルちゃんの分!」

「あは☆ ありがと~! アタシ嬉しい!」

「わっ……くすぐったいよ~!」

 

 リリとかいう健気な少女を撫で繰り回しつつ、ここで生活していてわかってきたことをまとめる。

 案の定というか、呪われた子供たちに対する大人の風当たりはつらい。子供たちがひとりで歩いていたり、物乞いをしたりすると柄の悪さに関係なくリンチを始めるのだ。時には取り締まる側の警察も参加する。

 不思議なことに少女らは大人顔負けのパワーを持っているのに反撃したりしない。

 それは誰かを傷つけることを怖がったり、報復を恐れたり、抵抗を諦めていたりといったメンタル上の理由で、つまり精神構造は只人の子供と同じらしかった。

 

 どうしてそこまで大人が少女らを恐れるのかアルは理解できない。

 かつての戦争というものがそこまで尾を引くものなのか? 単に鬱憤晴らしなのでは?

 

 それと、少女らは病気にかからないが空腹は訴えるため、食料の確保が大変である。

 自作などといった知識と土地が必要な手法を取れないため、食料はもっぱら犬や猫といった野生動物か野草、あるいは他人のものを略奪するという実質二択だ。ちなみに犬猫の味はしなかった。

 水は公園の水だったり川だったり上水か下水だったりだ。感染症に罹らないとはいえ下水は普通に臭いのであまり飲まないが。

 

 なお、略奪の場合は当然人間との闘争になるため死人が何人か出てくる。再生能力が低い子は頭をフライパンでカチ割られれば死ぬのだ。正確にいうと頭蓋骨が脳に刺さるから。

 アルは略奪自体を苦にはしていなかったが、相手に損害を与えすぎてもいけないので週に一回程度にしている。今日はその日だったということ。

 呪われた子供たちがブッキングした時は早いもの勝ちという暗黙のルールもあった。争っても不毛ゆえに。

 

『ごちそうさまでした!』

「お粗末様~。みんな蝋燭がもったいないから寝る時は消すんだよぉ」

『は~い!』

 

 お腹を満たした子供たちはつかの間の満足感と共に草で作られたベッドで横になる。

 

 食料にありつけ、眠る場所がある分このグループは恵まれているのだろう。もう少し下層のグループに移るべきかとアルは試案していた。

 実行に移さないのは、少女たちが可愛いからだ。情が移ったともいう。

 

「ね、アルちゃん。いつもたくさん持ってきてくれるけど、大変じゃないの?」

 寝ずの番をしようとしていたところ、タレ目の少女――アサヒに声をかけられた。

 彼女の右腕は植物のように変質しており、俗称:ガストレア化が進行している。

 子供たちの問題のもうひとつはこのガストレア化だ。

 日々を全力で生きなければならないために力を解放してしまった子供たちは体を蝕まれていき、臨界点に到達すれば化け物になる。

 そうなりたくなければ人間のように暮らすか、イニシエーターという兵士になって抑制薬を恵んでもらわなければならない。

「平気、平気☆ アタシは疲れ知らずだからね~。どんと任せなさい!」

 アルが笑えばつられてアサヒも笑った。

「わたし、自分がこんな笑えるなんて思わなかった。アルちゃんが来てからみんな明るい顔が増えてきたし、明日へのキボウっていうのかな。そういうのが見えるようになってきたんだ」

「それは買いかぶりすぎだよ☆ アタシは背中を押しただけ。みんなが笑っているのは、今までアサヒちゃんがみんなを守ってきたからだよ」

「あはは……そう、なのかな?」

「うん、間違いない☆」

「それなら……生きてた意味、あったなぁ……」

「まだ命は残ってるよ、アサヒちゃん。死んだ気になるのは早すぎるって☆」

「命は……残ってる」

 右腕を持ち上げながらアサヒは神妙に頷いた。

「そういえば、アサヒちゃんは最後までアタシを警戒してたよね」

「そ、それはごめん。でも仕方ないことで……」

「わかってるよ~。それに責めてるわけじゃないの。アサヒちゃんが今、アタシに話しかけてくれるのがうれしくて」

「アルちゃん」

「ねぇ。今、アタシたちは仲間って言えるよね?」

「うん。わたしたちは仲間だよ」

 

 アルは不思議な気分だった。

 安心するというのもそうだが――それ以上のナニカをこのグループに感じつつあった。

 道理で人間が群れるわけである。

 

 そして周りの子供たちが眠り始めたころ、アサヒがアルの肩に頭を寄せてきた。

 アルは視線を向ける。

「ねぇ、アルちゃん」

「なぁに?」

「あ、その……」

 アサヒは数秒逡巡し、やがて口を開いた。

「その時がきたら、わたしを殺してくれる?」

 すがりつくような視線。

 8歳程度の少女が介錯を頼むなど誰が想像できるか。しかし、これこそが世の実情なのだ。

 仮初の平和のしわ寄せでこんな生活を強いられるうえに命の保証もない。

 何日も寝てなかったのだろう、よく見れば目に隈がある。死を受け入れるにはどれだけの覚悟が必要なのか。

 もはやほぼ死ねなくなったアルはその感覚を真に理解できない。

 それでも覚悟というのは重いものだと知っている。

 ゆえにアルは努めて笑顔で答えた。

「うん。殺してあげる」

「あはは。あり、がと……」

「眠いんでしょ。寝ていいよ?」

「うん、そうするね……」

 張り詰めた糸が切れたのか。

 寝入った少女を引き寄せながら、アルはこういう生き方も悪くないか、と思った。

 

 

 

 そんな生活を続けていたある日、またアルが食料調達の当番になった。

 体調が悪化の一途をたどるアサヒを想いながら、彼女にとって最後の晩餐は豪華にしようといろいろなものを集めていたせいで、アルの帰還はいつもより遅くなっていた。

 だが、妙だ。

 アルは違和感を覚えた。

 拠点に近づけば近づくほど背中にピリピリとした違和感は強くなり、鼓動が早まって焦燥も募る。

 嫌な予感がした。

 やがてそれは、マンホールがずれているのを見て確信に変わる。

 

 40kgの重りを投げ捨てて中を覗き込む。

 そこには生活音がひとつもなかった。

 

 血の匂いがする。

 瞳の赤が強くなる。

 意を決して突入した。

 

 

 そこに在ったのは化け物と化け物モドキの成れの果てだった。

 弾痕と刀傷から人間の仕業で間違いないだろう。

 

 どうやら自分が出払っている間に侵入者がいたようだ。

 どこでこんな武器を買ったのやら。いや、街中にガンショップはそこそこあるし、購入自体はできるのか。

 それでも使うかね。殺人はそうだが器物損壊だというのに。

 しかし使ったから、こうなっているのだろう。

 

 アルの心は不思議と冷え切っていた。

 ただひとつ。問わねばならない疑問だけがあった。

 

「あいつら、生きてる価値あんの?」

 

 すぐさま「ないな」と断定する。

 

 ひとりの夕食は味がしなかった。

 

 その後、アルは初めて人を殺した。

 やけにあっさり彼女たちが死んでいたので気になっていたが、民警のペアだったらしい。

 今まで正義の味方かと思っていたが、金で動く雇われなのが実情なようで世知辛い。

 同時に、大人が呪われた子供たちを迫害する理由が少しわかった。

 

 やつらは、生きていちゃいけない人間だ。

 

 

 

 

 

 

 走馬灯のように過ぎ去った記憶を彼方に封印し、アルは買い物を再開する。

 そうして何件か店を巡り、帰ろうかと思った時。

 商店街の一部がにわかに騒がしくなった。

 

「う~ん」

 

 無視しようとする意識とは別に、喉奥に何か挟まったような違和感。

 ふらふら商店街に引き寄せられていくと、バイクが猛スピードで走り去っていくところだった。

 

「あれれ、蓮太郎くんだ」

 

 追いつけなくはないが、そちらよりも商店街の人間が気にかかる。

 この気持ち悪い気配は敵意だ。

 どこへ向けられているか確認すると、紅色をしたツインテールの少女がいた。

 どこかで見た気がする。

 

「ああ、あれが藍原延珠ちゃんか」

 

 何か意識が高ぶることがあったのだろう。赤い瞳の彼女に人々が詰め寄ろうとしている。

 足を進めながらアルは思う。彼女は外周区の子と違ってイニシエーターなわけだけど、なぜそんな敵意をむき出しにしてるのか。まさか数で囲えばなんとかなると? 愚かすぎる。

 

「そっか、この時期はまだ名が売れてないから」

 

 ひとりでに納得したアルは、延珠の目の前にたどり着いた。

 もっと勝気なイメージだったが、どうも今は萎縮しているらしい。

 

「こっちだよ~☆」いつもの仮面(ペルソナ)を張り付けて彼女を手に取る。

「え? お、お主!?」

 

 

 

 

 商店街を離脱し、交通量の少ないところでアルは手を離した。

 

「ちょ、お、お主! いきなり人気の少ない場所に連れ込むとは如何な了見か!」

 

 当然のことながら延珠は混乱している上に少し怒っている。

 

「ごめんね~☆ 迷惑かと思ったんだけど、仲間を見過ごせなくて……」

「な、仲間? まさかお主も」

「うん、赤目(こういうこと)だよ~」

「そ、そうだったのか」

 

 しおらしく話しかければ元より優しい性格の延珠は強く出れない。

 この女、セコい手を使う。

 

「アタシはアルっていうんだけど、あなたはなんていうの?」

「妾か? 妾は藍原延珠。プロモーター:里見蓮太郎のイニシエーターにして将来の妻!」

 胸を張る延珠と大げさに驚くアル。

「ええっ、それってまさか婚約……ってコト!?」

 

 とりあえず普段の状況に戻すのが先決だろう。余計なことを考えさせてはいけない。

 

「婚約……なるほど、その通り!妾と蓮太郎は三本の矢よりも太い糸で繋がれているのだ」

「わぁ~! 延珠ちゃん、積極的なんだね☆」

「うむ、恋とは戦争なのだ! ……ところで、お主はなぜあの場に?」

「アタシ? アタシはちょっと買い物でね~。それで延珠ちゃん、さっきから気になってたんだけど……そのブレスレット、もしかして天誅ガールズの!?」

「おおっ、お主は天誅ガールズを知ってるのか。であれば話は早い! このブレスレットは蓮太郎と愛を誓いあったペアリングの証なのだ」

「あ、愛~!? 延珠ちゃん、いくつなの? すっごい進んでるね~☆」

「む、妾は10歳だぞ。これくらいしないと蓮太郎はおっぱい星人に現を抜かす故な!」

「あっ、なら同い年だね☆ 延珠ちゃん、よければ友達になってくれないかな?」

「お、おぅっ? う、うむ。よかろう。妾が友達となろうではないか!」

 心優しい延珠はアルが伸ばした右手を握る。

 それを確認して悪女は笑った。

「ところで、おっぱい星人って?」

「あぁ! 蓮太郎は忌々しいことに巨乳が大好きなのだ。アルは……うむ、蓮太郎に見つかれば忽ち揉みしだかれてしまうだろうなぁ」

「そ、そんな~! 延珠ちゃんはその……夜とか、大丈夫なの~?」

 問われて延珠はわずかに頬を上気させる。

「当然、妾が息もできぬくらいに責め立てられて……朝が大変なのだ」

「わ、わぁ~☆」

 

 本当に初対面の人間にも吹き込むのかと感慨深く感じていた折。

「あ」とアルは思い出した。

 延珠ちゃんを拘束しすぎると蓮太郎くんがハレルヤされるんだったか。

 少し方向性を変えることにした。

 

「どうしたのだ?」

「えっとね、いい時間だから帰らなきゃな~と思うんだけど、延珠ちゃんはどうする~?」

「……うむ、妾もそう思っておったところよ」

「それなら一緒に帰らない? ちょっと、ひとりは不安で☆」

「そ、そうか! うむ。妾に任せておけ。きちんと自宅まで送り届けてやるぞ!」

 

 延珠は主な人物から庇護対象とされ、目上として敬われたことがあまりない。

 卑劣にもアルはそこを突いた。

 

「ありがとっ☆ それじゃあ、手を繋いでいい、かな?」

「いいぞ。して、どちらへ行く?」

 開いた片手でアルは空を指した。

「ま、まさかお主……」

「うん☆ 遊覧飛行、してみよっ!」

「ちょ、アルぅぅぅぅ!?」

「あはっ☆」

 

 力を解放。延珠を抱きかかえ、アルは夕日に飛び出した。

 

 

 

 

 

 アルは延珠を見つけた瞬間から考えていた。あんなベストタイミングで延珠がハレルヤくんの前に現れたのは、空から蓮太郎を探していたからではないかと。

 もちろん家に帰ってこないから探しに行ったのだろうが、結局索敵に空を使ったのは間違いない。なら、初めから空を使わせてもらおう。

 

 

 

 

 8時間の手術?

 

 そんなもの、ないんだから。

 

 

 

「何が正義の味方だ……何が、何が……クソがァァァァァ!」

 

 少年の慟哭が空に響いた。

 

 

 

 






・藍原 延珠
里見蓮太郎の相棒。彼女が物語のカギ


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破滅(はじまり)の足音

原作にある範囲はどうカットするべきか悩ましい


 

 

 時刻は日も落ちた夕刻。

 日中の陽気が残る気温とは裏腹に暗闇が広がりつつある世界で、外周区への()()()を終えた蓮太郎は帰路を目指していた。

 その表情は肉体よりも精神的な疲労が色濃い。

 

――どうかしてる。世界も、俺も。

 

 命と金を比較するのは人道的におかしい。だが現実ではそんな綺麗事を言ってられず常に取捨選択を強いられる。

 わかっている。わかっているのに。

 知らぬ間に世界へ()()していた己に自己嫌悪した。

 

「クソ……」

 

 だいたい、どうして交番務めの警官がバラニウム弾なんかを持っている。

 蓮太郎はその答えを知っていた。

 いつだったか、東京エリア内で民警がガストレアに殺されたとかで民警嫌いな警察の一派が「市民の安全を守る私たちにこそ対抗手段は必要だ」とか言っていた。それが正しい運用をされていないのは今回の件で一目瞭然だ。

 だが疑問が解けたからといって感情を抑えられるわけでもない

 そんなもの持ってるならお前らが戦えよ。なんで子供たちばかり――――。

 

 ガン。

 右手で殴りつけた電柱が甲高い音を立てる。

 それより延珠になんと話せばいいか。

 自分を信じてくれた顔を考えると蓮太郎はなお憂鬱だった。

 

 そうして信号待ちをしていた折。

 

「やけにお疲れじゃないか。里見くん」

「ッ!」

 

 訓練された両者がお互いに拳銃を突き付け合う。

 XD拳銃とベレッタ(スパンキング・ソドミー&)拳銃二丁(サイケデリック・ゴスペル)

 

「蛭子……影胤……」

 

 眼前の仮面(マスケラ)男に舌打ちが出る。

 そもそもコイツが遺産を盗んだのがことの発端。

 

「ヒヒ、こんばんは里見くん」

「……何の真似だ?」

 挨拶するなり銃を下した影胤を蓮太郎は訝しむ。

「話をしようじゃないか、里見くん。銃を下ろしてくれると嬉しいのだが?」

「聞けねぇな」

「おお、手厳しい」

 影胤が指を弾こうとした刹那。

 (くろがね)の音がふたつ。

「……何の真似だね?」

 影胤の眼前で回転する銃弾は、やがて勢いを失って地面に落ちた。

「テメェのような奴がいるから……争いばかりが起きんだろ」

「酷い言いがかりだ。里見くん、その言い分が本当に正しいと思っているのかね?」

「……」

「だいたい、これ(斥力フィールド)がある以上、君に勝ち目はないよ」

「どうだか。人をナメてると痛い目見んぞ」

「ほう? なら試してみようじゃないか」

 

「パパを虐めたなぁぁぁぁぁ?」

 

 声が聞こえた時には遅かった。

 背後に現れた気配。漆黒の狂刃が首元に迫る。

 なぜあんな挑発をしたッ! バカがッ!

 迂闊な自分を呪いながら迫る死を感じた時。

 

「イヤァァァァーッ!」

 

 鈍器がぶつかり合ったような音と擦過音。

 

――斬れなかった!

――蹴れなかった!

 

 小比奈(カマキリ)延珠(ウサギ)は一合で互いが強者だと認識した。

 蓮太郎の隣には延珠、影胤の前には小比奈が立ちふさがる。

 互いが互いの情報を共有し、油断なく相対する両者。

 

「ねぇパパ、あのウサギ首だけにするから斬っていい?」

「何度も言っているだろう愚かな娘よ。ダメだ」

「むぅぅ、パパ、嫌い!」

 影胤はシルクハットを直して蓮太郎に向き直る。

「繰り返すようだが里見くん。私は話をしに来たのだよ。それともまだここ(住宅街)で続けるかね?」

「……」

 これ以上は小競り合いじゃすまないか。

 蓮太郎は下唇を噛むと拳銃を下した。

「要件を言えやボケ。テメェの顔を見てると気分が悪くなる」

「ヒヒヒッ、やはり君は殺すに惜しい」

 

 笑みを隠さず、ピエロのように鷹揚な仕草で男は言った。

 

「里見くん、私の仲間にならないか?」

 

 

 

 

 

 

 延珠が「蓮太郎が呼んでいる!」と叫んで飛び出したのを見送り、アルはひとり帰路についた。

 向こうは今頃勧誘に失敗したところだろうか。

 

「やぁやぁやぁ……無能なアルくん。君はお使いひとつこなすのに日が暮れるまでかかるのかい?」

 机に伏した菫が出迎える。

「アタシ10歳だから道に迷っちゃった☆」

「おいおい、勘弁してくれよ。6歳児ですら初めてのお使いをこなすんだからな」

「じゃあ先生ぇが道案内してよ~。それとも一緒にお買い物いくぅ? アタシ先生ぇとお出かけしてみたいんだぁ☆」

「いやだよ面倒くさい」

「しょぼーん」

 落ち込んだフリをしながら、アルは食材や日用品を所定の場所に置いていく。

「というか先生ぇ、GPSあるんだからわかってるでしょ~?」

「君の場合、頭を切り離したら意味がなくなるだろうが」

「あはっ☆」

 菫は呆れ顔で出来の悪い生徒に諭すよう話す。

「大体な、私は君の監督責任があるんだ。君が事件を起こしたら真っ先に私があの七面倒くさい部署に言い訳をしにいかなければならないじゃないか。揚げ足取りと悪魔の証明が大好きな奴らだぞ? あいつらにかける時間は無の極みだよ。だから早く帰って来いと言っているんだ」

「とか言ってぇ……先生ぇ寂しいんでしょ~?」

「残念だな、チャーリーがいるからその心配は無意味だよ」

「いなかったら寂しいんだぁ?」

「やめろやめろ。君まで言葉遊びをし始めるんじゃねえ」

 語尾が強くなる菫。よほどかの人間を思い出すのが嫌らしい。

「ぶーぶー、ちょっとくらい心配してくれてもいいじゃんか~」

「君に心配なんて言葉、世界で最も似合わないだろうに」

「それでも心配してほしい乙女心はあるんだよ☆」

「乙女心ぉ? おやおや、自己中心主義の代名詞じゃないか。身勝手で享楽的で人の話を聞かないアル君にはぴったりだ」

「いたいけなロリを言葉責めするなんて非道(ひど)い人。体も弄り回されて、先生ぇ以外貰い手がいなくなっちゃうよ☆」

「あいにくだが、私は里見くんと違ってロリコンじゃぁない。他を当たってくれ」

「でもエロゲはロリものばっかりだよね~☆」

「里見くんをからかうのに必要だからな」

「そのままこっちに堕ちてもいいんだよ~?」

「君の脳みそは忘れているらしいから言うが、私は既婚者だ」

「なら内縁の妻ってことで☆」

「おや驚いた。金食い虫と書いて妻と読むなら正解だよワトソン君」

「むぅ……」

 頬を膨らませたアルを菫は鼻で笑った。

「口で勝とうなんて10年早いぞ、ちみっ子」

「なら実力行使☆」

 いつの間に移動したのか、アルは菫の背後からしなだれかかる様に覆いかぶさる。

 そのまま両手を菫の胸の前で交差させた。

「どぉ? ドキドキするでしょ~?」

 いわゆる「当ててんのよ」をされても菫は慌てない。

 むしろ享受したうえで感想を語った。

「身長、体重、弾力性、体臭、力加減も何もかも君は落第だよ」

「アタシ仮にも乙女なのにぃ? 人の心がないの~?」

「いやいや、人間らしいまっすぐな心さ」

 

 数秒、アルが俯いて反応しなくなる。

 かと思えば、腕の力は増して菫を逃がさぬように捕らえた。

 

「このまま首を絞めたら先生ぇ死んじゃうね」

 

 その瞳に意思は感じられない。

 急な変わりよう。しかし菫は冷静だ。

 アルが脈絡のない行動をするのは何度も見ているからこそ、命の危機だとしても最適解を冷静に選べる。

 

「脅しか? やりたければやればいい。その代わり君の居場所はどこにもなくなるな」

 

 再び沈黙。

 

「……あは☆」

 

 力の入り具合が変わった。

 縋りつくよう菫に抱き着く。

 

「それより早く夕食を作りたまえよ。私はもうお腹が減ってしかたないんだ。特製ドーナツをご所望なら代わりに作ってやるが?」

「あんなドブを食べるなら死んだほうがマシ☆」

「そこは『あなたの手料理を食べれるなんて幸せ』くらい言ったらどうなんだ」

「それはそれ、これはこれ☆」

 

 エプロンとマスクを着け、アルは逃げるように臨時厨房へ走っていく。

 

 

 

「はぁ……」

 子供のストレス発散の相手は疲れる。

 アルを片目で追った後、菫はパソコンに意識を移した。

 





・蛭子 影胤
なぜハレルヤという割にクトゥルフの印をつけてるのか。

・蛭子 小比奈
かわいい。

鬱展開は苦手


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つまらない悩み


七夕だった。





 

 

 

「先生ぇ、朝ですよ~」

 アルの朝は日も差し込まぬ地下で、昼夜を忘れた部屋の主を叩き起こすことから始まる。

「あぁ~……」

「寝ぼけてないでお着替えしましょうね~」

 未だ朝に弱い――単に自分の世話をする気がない菫を洗面台に輸送し、鏡を見ながら歯磨き、洗顔、化粧を済ませた後は研究室の椅子に座らせた。

 このころになると菫の意識も覚醒をはじめ、現在が次の日だと自覚しだす。

 一方のアルは今日の朝食――ごはんとワカメなどを入れた味噌汁、厚切りベーコンと野菜を和えたサラダをプレートに乗せて机に運ぶ。

 

 目の前に出された食事の匂いに刺激されて、回転数を増した菫の頭脳。

 

「毎度思うが、食事にそんな手間と時間をかける価値があるかね?」

 彼女の脳内では時間効率からゲル状>弁当>手作りの図式が成り立っているらしい。

「先生ぇ、寂しいこと言わないでよ~。愛をこめてるんだから☆」

「精神論を持ち出すのは技術が追いついてない奴の常套句だぞ」

「なによ、アタシの愛情が受け取れないっていうの?」

「急に面倒くさい女になったな、キミ」

 

 初めて菫を見たアルは驚いたものだ。何をどうしたらこんな不健康になれるのかと。ゆえにこのナイスバディを大事に扱わない女の敵たる女医の意識改善を試みている。

 視線に晒された菫は不本意だという表情を隠さずに食事を始めた。

 

 

 食後。

「アル知ってるか。今ギリシャ神話として語られている8割以上はローマの同人誌なんだとな」

「急にどうしたの~?」

「いやなに。そもそもが創作とはいえ、正しさより人受けを優先する人間の感性は愚かだと思わずにはいられないだろう?」

「それが今日の人間批判なんだね☆」

 アルは日課を聞き流し、暴れに暴れた菫の髪をとかしていく。

 菫もまた真に受け取られなかったことにさしたる感情を持たず、パソコンを立ち上げて映画を見始めた。

 

「ちなみに今日は宝生(ほうじょう)先生から解剖依頼が2件、刑事課からも殺人事件の検死が1件入ってるよ☆」

「嘘つけ。君が勝手に持ってきたんだろうが」

「だって先生ぇ暇しちゃうでしょ~?」

「金持ちの暇はいいんだよ」

 

 

 

 

 

 

「やぁ里見くん、さっき君の後援者(パトロン)が来てたぞ」

「あいつが来てたのか?」

「酷く不機嫌だったがね。生徒会室でも教室でも会えないからつまらないんだと」

「まぁ……あいつの本性が乱射魔だと知ればおいそれと近づけねぇよ」

「なんでぇ? 未織ちゃん可愛いじゃん☆ おっぱいあってお金持ちで好意を抱いてる女の子を邪険にする男がいるってマジぃ?」

「どこかの誰かは幼馴染に夢中だからな。おお、可哀そうに。貢いでいるにも関わらず見向きもされないなんてとてもとても……」

「アンタらふざけてんだろ!」

 

 実際、万年金欠の天童民間警備会社がやってこれてるのはパトロンが武器弾薬を無償で提供してくれてるからに他ならない。

 あいさつ代わりのひとことは蓮太郎の耳に痛かった。

 

 それはそれとして。

 咳払いをひとつ。

 

「先生、相談がある」

 

 うす暗い地下室で部屋の主を前に、蓮太郎は語った。

 曰く、少女が警官に撃たれた。

 曰く、延珠が家出した。

 曰く、外周区と自分との生活はどちらが延珠にとって幸せか。などなど。

 

 だが、菫はそれをつまらない話と断じる。

 

 差し出されたコーヒーをひとくち胃に納めて言った。

 

「なぁ蓮太郎くん、君が信じる()は酷く不安定なものだと気が付いているのかい? いつ何を原因として滅びるか、我々はその時になるまでわからないんだよ。予言者すら失敗したほどだからな。そう、我々は死を避けられない。私は死ぬし、君も死ぬ。みんないつか死ぬんだよ。だから人間にできることは好きに生き、理不尽に死ぬ――ただそれだけだ。それ以上を望むべきじゃあないんだよ」

 

 躁鬱の患者が時折見せる笑顔の仮面に、蓮太郎は恐怖する。

 

「そもそもだ。いつ、誰が、どこでガストレアを殺すべき存在などと言った?」

「は?」

 蓮太郎は虚を突かれた。ガストレアは殲滅しなければならない。それは、彼にとって10年前から当たり前の常識。

「おいおい、まさか言えないのか? 自分が戦う理由すらないのか君は」

「それは……ガストレアが人類種の天敵だからだ」

教科書通り(テンプレ)だな、里見くん。私を失望させないでくれ」

「……」

 黙り込んだ蓮太郎に菫は教授する。

「原始地球で水蒸気が水になって以来、植物(藻類)は光合成で次代の生き物が育つ礎を作った。その後多様な生物が生まれ様々な支配者が世を謳歌するが、どの支配者も氷河期、火山噴火、隕石の衝突によって滅びた。存外人間はしぶとい生き物だが、3度の絶滅を乗り越えた三葉虫ですら現在は確認されていないことを思えば大したものではない」

 

「……何を、言ってるんだ?」

 天才にとっては一連の話らしいが、凡人の蓮太郎は話が逸れたことに困惑する。

 

「つまりだよ、蓮太郎くん。地球の支配者を気取る人間は、ガストレアに優越していると本気で考えているのか? いい加減、人間の時代は終わりだとは思わないか?」

「先生……本気でそんなこと言ってるのか?」

 そういったものの、目の前の女医が冗談で語る雰囲気ではないことに気づいていた。

 蓮太郎の緊張を伝播したカップの水面が揺れ動く。

 

「本気か正気かは問題じゃない。事実、世界にガストレアを神の使者だと見る宗教が存在している。彼らに言わせれば人類など地球に百害あって一利なしの寄生虫なのさ」

「『地球は皮膚を持っている。その皮膚はさまざまな病気も持っている。その病気の一つが人間である』ニーチェくんもこんなこと言ってたしね。まぁ、彼はこれ(ニヒリズム)を克服すべきものとしてたけど☆」

「おい」

「……えへ☆」

 アルは菫に睨まれてすごすごと首を引っ込める。

 

 一方で、腹立たしさが増してきたのは蓮太郎だ。

 

「そんなディープ・エコロジストが言いそうな理論で生きるのを諦めろと? ふざけんな。大体、人間がいらないというなら『呪われた子供たち』もいらねえってことじゃねえか。そんなの認められるか!」

「いいや、彼女たちは別で神の代理人だと。よかったな? 我々が滅びても彼女たちは生きていいそうだ。ガストレアに満ちた世界でどれほどの余命が残されているかは知らんが」

「狂信者の方がアタシたちの扱いがいいのはとんだ皮肉だよね☆」

 

 蓮太郎は我慢の限界だった。

 

「延珠は人間だッ! 人間でたくさんだ! 神だかなんだか知らねえが、余計な肩書を載せて『藍原延珠』を得体の知れないナニカに変えんな!」

 カップがカタン、と音を立てて倒れる。

 

 菫は我が意を得たりと笑みを深めた。

 

「そうだ、その通りだよ蓮太郎くん。彼女は彼女だ。私でもなければ君でもない。ただひとつの生命だ」

「は……」

 蓮太郎は悟った。嵌められた、と。そう思うと途端に気勢がそがれた。

「もう一度聞くぞ、里見くん。君が戦う理由はなんだ? 復讐か? 金か? 名声か?」

「俺は――――」

 

 脳裏によぎる、少女が笑っている顔。

 あの晴れやかな表情を曇らせたくない。

 

「俺は……ッ!」

 

 確かにいつも面倒や手間をかけさせてくれるので邪険にしてしまうところはある。

 けれど、その思いだけは真実だった。

 

 

 

「――――君たちは家族だろう」

 

 菫のひとことが決め手となり、蓮太郎は保護者としての責務を果たしに向かった。

 

 

 そんな少年の姿を見て何を思ったか。

 アルは椅子の背中越しに問いかける。

「先生ぇ先生ぇ、アタシたちも家族だよね? ね?」

「さて、どうだか」

「そこは嘘でも言ってほしかったな☆」

 

 

 

 

 

 

「意気揚々と出ていった蓮太郎くんだったが、即落ち2コマもびっくりなスピードで病院送りにされましたとさ」

 受話器を置いて菫は溜息を吐いた。

「後先考えない3人が集まると大変なことになるな」

 口調はともかく、その声音は心配の色が含まれていた。

「お見舞いどうする~?」

 片付けを終えて手術室(キッチン)から出てきたアルが問いかける。

「……私はやめとくよ」

 菫はぶっきらぼうに答えて椅子に深く腰を預けた。

 ええ~、とアルが声を漏らす。

「らしくないなぁ、先生ぇ。蓮太郎くんの手術を他人に取られて不貞腐れてるの?」

「馬鹿な。手術など結果さえ伴えば誰がやっても同じだよ」

「あは☆ 本気でそう考えてるの? 天才さんが?」

「…………」

 菫の目が細められる。

「今なら多分間に合うと思うよ~? 蓮太郎くんが運ばれるってことは結構重症だろうし☆」

 なんでお前がそんなことわかるんだ。

 言いかけた口を菫は閉じた。

 どうせ()()で戦わなかったのだろう。新人類創造計画の最高傑作である彼はちょっとやそっとの戦いで死にかけたりしないが、彼本人がその力を忌み嫌っているので現在まで十全に発揮されたのは片手の数ほど。真の意味で言えば皆無だ。

「本気で戦わない人、むかつくよね☆」

「……アルくん、今日の君はずいぶん不躾だな」

「先生ぇだってそう思うでしょ~?」

「……ともかく、手術が始まれば横から介入などできないんだ。私はここで待つよ」

「お可愛いこと。先生ぇって変な所で真面目だよね。少しは素直になった方がいいよ~? ほんとに死んでからじゃ遅いんだからさ☆」

「善処するよ」

「ほんとかなぁ……すっごい不満そうな顔してるよ? 私が一番蓮太郎くんの体を知り尽くしてるんだ、って」

「黙れ、今すぐ(バラ)してやろうか」

「図星だぁ☆ あ、ちょ、ちょっと待って? じょ、冗談だよぉ~!」

 菫が立ち上がるそぶりを見せれば、アルは慌てて合わせた両手を頬の横に運び――『ごめんね』のポーズで許しを乞うた。

「はぁ……」

 2度目の溜息。呆れて言葉もでない。

 この死体モドキと話しているとどうも最近、感情的になることが増えた気がした。

 

「それで、蓮太郎くんのことだけじゃなかったんでしょぉ? 電話☆」

 今しがた本気でビビってたはずが、すぐ別の話題を振る。

 こいつの心臓は鋼で出来ているのか?

 菫は否定の言葉を浮かべながらもそう思わずにいられない。

「キミは変な嗅覚だけ優れてるな」

「褒めても愛しか出ないよ☆」

「いらないから仕舞っておけ。まぁ、聖天子様からの出勤要請だよ。肩が凝りそうだ」

 実に退屈そうな話だった。

 東京エリアが滅びるかもしれないから()()()()の力を貸してほしい、なんて。今更そんな話をするなら最初から言えばいいものを。そうできないのは柵のせいだろうな。国家元首サマも大変そうだ。もっとも、言われたとして動いたかは微妙であるが。

 菫は溜息の代わりに足を組み替えた。

 

 一方のアルは面白いおもちゃを見つけたといわんばかりの笑顔を浮かべている。

「じゃあ先生ぇ。ひとつ頼み事があるんだけど、いいかなぁ~?」

「はぁ?」

 面倒そうだ、と言われる前から菫は予感した。

 

 

 

 

 

 

 諸所の用事を終えてアルが病院へ向かうと、夜半の待合室でただひとり、両手を合わせて祈るような恰好の少女を見つけた。

 窓から差し込む光が少女の横合いだけを照らし出す光景は、そこに神秘の存在を思わせる。

 少女はスカートを改造したお嬢様高校――美和女学院の制服を身に着けていた。

 アルは彼女を知っているが、彼女はアルを知らない。

 

「こんばんは☆」

「あなたは確か……」

「室戸菫の助手をしてるアルって言います、天童木更社長☆」

「ああ、先生の……天童木更よ。よろしく……お願いします?」

「ふふっ☆ 10歳児だからタメ口でいいよ」

「なら……よろしくね」

「うん☆」

 

 木更は祈りの姿勢を解き、握手を申し出た。

 アルは差し出された手を握り返した後、木更の隣に腰を下ろす。

 

「だいぶ疲れてるっぽいね」

「ああ……そう見えちゃうかしら」

「ロメロゾンビみたいな顔になってるよ☆」

「そこまで酷いの……?」

 

 冗談だよ、とアルが言えば木更は安心したように肩を落とした。

 しかし実際、木更の表情は芳しくない。

 目は虚ろで視線をどこに合わせているか分からず、口も閉じ切らないで半開きだ。両手はよく見れば爪がところどころボロボロになっていて、足さえ神経毒に侵されたように震えている。

 忘我とまではいかないが、自分を保っているとも言い難い。

 

 天童式抜刀術の免許皆伝の姿か? これが……?

 アルは知識とのすり合わせに混乱した。

 不安定になること自体は知っていても実物を見ると相当危うい、というのが感想だ。

 

「これは蓮太郎くんとくっつけないとやばたにえん」

 

「何か言ったかしら……?」

「ん~ん。なんでもないよ☆」

「そう……」

 声には反応する。しかしそれ以上は気力がないのだろう。眠気もあるだろうが。

 

「あ、そうだ。素直じゃない先生の代わりに差し入れ持ってきたんだ☆」

 はい、とバスケットを手渡した。中身は果物がいくつか入っている。

「ん……ありがとう。菫先生にはお世話になってるわ」

 マナー講師が聞いたら怒り出しそうなタイミングだが、木更は気にする余裕もないのか受け取った。

「どういたしまして~」

「…………」

「…………」

 

「ん~……」

 アルは沈黙も別に嫌いじゃないが、とりあえず話を振ってみることにする。

「蓮太郎くんは木更ちゃんが好きみたいだけど、木更ちゃんはどうなの~?」

「えっ?」

 おや。と思った。

 瞳に色が映る。

 チョイスは変だが、乗ってくれるらしい。

「いや~。この前、蓮太郎くんが木更ちゃんにどうしたら振り向いてもらえるのか先生ぇに相談してたんだよ~」

 平気で嘘をついた。

「わっ、わ、わ、わ!?」

「わ?」

「わたしは……お姉さんよ」

「ん?」

「私は、お姉さんなの」

 これは、語りだしそう。

 アルは聞き手に回ることにした。

 

「私はお姉さんだから……里見くんを守らなきゃ。なのに、里見くんはいつも強がって。私より弱いのに、前に出て、傷ついて……どうして私の前に立つの? おとうさんとおかあさんもやめろって言ってたじゃない。なんで、まだ立ち上がろうとするの? 私が言ったから? 私のせいなの? 私のせいで里見くんは死にかけたの? 死にかけてるの? 死に向かうの? 私が天童を殺したらやめてくれるの? お願いを聞いてくれるの? 早く殺せっていうの? 傷ついてほしくない……だから斬らなきゃならない? 私は誰から斬ればいい? 教えてよ里見くん。裏切らないでいてくれる? 私の言うこと聞いてよ。私から離れないで? 私が斬るまで待っててよ。どこにいくの? どこにいるの? そこにいるの? ねぇ、答えなさいよ

 

 木更は豹変した。

 瞳孔は限界まで開かれ、伸ばされた手にアルは両肩を押さえつけられる。

 ソファに背中から倒れ、肺から息が逃げた。

 

 見つめ合う両者。

 

「ごめんね、アタシは蓮太郎くんじゃないよ」

 

 聞きなれない声に正気を呼ばれ、木更は手を離した。

 

「あ……ごめんね、急に意味わからないこと……」

 初対面の相手を押し倒した羞恥心からか、木更は縮こまる。

 

「ううん、平気平気。蓮太郎くんが大事なんだねって微笑ましくなったよ☆」

「あはは……そっか……」

 

 藪をつつくとはこういうことか。アルは賢くなった。

 一拍の間。

 

「大丈夫、蓮太郎くんは帰ってくるよ」

「そう、かしら」

「うん。オトコノコって好きなオンナノコを残して死なないんだもの☆ 第一、木更ちゃんもそう信じてるんでしょ?」

「そうね。私は里見くんが……いなくなるなんて思えない。思いたくない」

「なら大丈夫だね☆」

「ん……」

 

 沈黙が訪れる。

 お互いに話すことは何もなかった。

 ただ、付きっぱなしの赤ランプを見つめるだけ。

 

 そしてどれくらいの時間が過ぎたのか。

 ついに集中治療室(ICU)のランプが消えた。

 手術が終わったのだ。

 

「先生、里見くんはっ!」

 飛び出した木更を安心させるよう、医者はゆっくり、笑顔で宣言した。

「大丈夫……成功だよ。最後の最後で彼は生きたいと願ってくれた」

「そう、ですか……ッ」

 (まなこ)から雫が滴り落ちる。

「お馬鹿……心配ばかりさせて」

 夢でも見てるのか、呑気に寝ている蓮太郎の手を握る。

 木更は確かな人の温もりを感じた。

 生きてる。

 そう実感できれば、ふと力が抜けた。

 

 感動的な再会を果たしたふたりを見つめる。

 これ以上は無粋かな。なんかこっちに来てるし。

 アルは判断した。

「それじゃ、蓮太郎くんも無事みたいだし。アタシは行くね~」

「え、あ、うん。ありがとう……ね」

「どういたしまして☆ 蓮太郎くんの目が覚めたら研究室に来るよう言っておいてね~」

 言うだけ言ってアルは病院の外に出た。

 

 

 しばし歩き、夜空を見上げる。

「なんで、蓮太郎くんの心配をしたんだろう」

 いびつな復興を遂げた東京の夜で星々を見つけるのは難しそうだった。

「蓮太郎くんが死んでも東京エリアが滅びるだけでしょ?」

 むしろ、心情としてはその方がいいまである。

 だが、何か違和感を拭えない。

「やだなぁ……存外地下室暮らしが気に入ってるの?」

 言ってから、あれ? と思う。

 何が嫌か、言語化できない。

 けれどこれも違う気がする。

「何か、忘れてる」

 断言した。

 数多の自分が積み重ねた脳から特定の何かをロードするのは意外と時間がかかる。

 なので、声に出した。

「この後は……ハレルヤくんの追跡作戦があるよね。それで蓮太郎くんが覚醒して倒す。ついでにスコーピオンくんも出てくるけど超電磁砲で倒す。東京は救われる。新たな英雄の誕生だ!」

 しっくりこない。

 何かが飛んだ。大事なことが途中に挟まってたはずだ。

 

 

 

――――あなたはどうして生きているんですか?

 

 

 

 脳裏に響く、火のない灰な(やなぎ)色の声。

 

「あは」

 

 瞬間。理解した。

 

「あはは」

 

「あはははは」

 

「あはははははは!」

 

 笑いが収まらない。

 深夜でよかった。昼間だったならば、好奇の目に晒されていただろう。だからなんだという話だが。

 どうして忘れていたのか、自分ですらわからない。

 まぁ、もはや理由なんてどうだっていい。

 

 ああ、もうそんなところまで来ちゃったんだ!

 止まれない。止まる必要もない。

 なら、好き勝手にしてもいいよね?

 

 

 

 





・天童木更
漫画版の泣きそうな顔がかわいい。つよい。けどメンタルボロボロ。体もボロボロ。

・スコーピオン
もうすぐ


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楽園(せかい)を滅ぼしたガストレア①


この世に生まれたことが罪なら





 

 フタヒトマルマル。作戦開始時刻になった。

 選りすぐりの民警たちがヘリに搭乗し、目的地へ向かっていく。

 里見蓮太郎もその中のひとりだった。

 

 本作戦の目的はモノリスの外に逃げた蛭子影胤の捕獲若しくは討伐。

 影胤の奪取した『遺産』によりゾディアックガストレアが呼び出されれば、東京エリアは大絶滅(エリアごと消滅)する。

 それを防ぐための作戦だった。

 

 モノリスを越え、旧千葉県の房総半島に降り立った蓮太郎。変貌した森の姿に驚きつつも彼は相棒(延珠)と影胤一味を探しに向かう。

 重装備を好まない蓮太郎の持ち物は簡素だ。

 手と足のカートリッジ、XD拳銃及びサイレンサーと数種の弾丸、手りゅう弾各種、ライト、そして――AGV試験薬5本。

 菫は改良したと言ったが、それでも驚異的な再生力と引き換えに15%の確率でガストレア化する()()()諸刃の剣。

 この手札で森のガストレアたちを搔い潜り、居場所もわからない神出鬼没の相手と戦わねばならない。

 弱気な心が鎌首をもたげる。

 

「蓮太郎、急に止まってどうしたのだ?」

「……いいや、何でもない。行くぞ」

 

 しっかりしろ、里見蓮太郎。木更に啖呵を吐いて先生にもカッコつけたんだろ。

 彼は己を鼓舞し、森の中で捜索を続けた。 

 

 

 

 一方、そのころ。

 蓮太郎とは違う場所に3人の女性も降り立っていた。

 

「ごめんねぇ~、無理言っちゃって☆」

「い、いえ。急な話でしたから驚きはしましたけど……お、お金さえ貰えるなら大丈夫ですっ」

「そこは問題ないよ~。きちんと振り込んでおくから☆」

 ありがとうございます、と感謝を告げたのは弱気そうな成人女性。

 その隣で愉快ならぬ表情をしているのは、アルと同じ位の背丈。

 彼女たちは民警のペアだった。

 少女が不満そうな顔をしている理由は、アルがヘリを降りるまで2人に詳細説明をしていなかったからだろう。

 

「ねぇアンタ。ここなら盗聴器の心配はないんだから、いい加減に事情を話しなよ」

「アンタって他人行儀だよぉ。昔みたいにアーちゃんって呼んで欲しいな☆」

「きも。あれはアタシの黒歴史よ、誰が呼んでやるもんか」

「じゃあアタシはりっちゃんって呼んであげる☆」

「やめてよ、鳥肌が立つから」

 心底嫌そうな顔をした少女はモデル・シャークの開始因子(イニシエーター)占部里津(うらべりつ)

 彼女は耳にピアス、右目の下にスペードのペイントという不良じみた格好をしていた。

「り、里津ぅ? い、依頼主さんなんだから暴言はだめだよ……」

 相棒のいつも以上な粗暴さに困惑するのは加速因子(プロモーター)井上(いのがみ)比叡(ひえい)

「いいのさ、こいつは」

「え、えぇ……どうして……?」

「愛を誓い合った仲だからね☆」

「出鱈目言うな。ストリート時代の知り合いだってだけ」

「そ、そうだったんだ……」

「コイツ、どっかで野垂れ死んでると思ってたんだよ。なんで生きてんの? アンタ」

「りっちゃんを残して死ねないよ☆」

「きも。答えになってないし。アンタそうやってまた誰かをひっかけてるんじゃないでしょうね」

「大丈夫☆ 心はいつもりっちゃんのものだから!」

「それ自白だって気づいてる?」

「ま、まぁまぁ……そ、それで依頼主さん。話の続き、お願いしていいですか?」

 

 比叡が終わりのなさそうな話に割り込んだ。

 アルは頷く。里津は半目で睨んだ。

 

「話は簡単。このラインから南に誰も来ないようにして欲しいってこと」

 アルは地図に線を引いた。

「そ、それは手段を問わず、ですか……?」

「うん☆ その辺言い出したら絶対受けてくれないだろうからね」

「そりゃそうだよ。10kmはあるじゃん、これ」

「でも出来るでしょぉ?」

 問われて里津は胸を張った。

「当たり前じゃん。アタシたちを何だと思ってるの?」

「なら決まりだね☆ ちなみに蛭子影胤を見つけても逃げた方がいいよ。りっちゃんじゃ絶対勝てないから」

「は?」

「あ、あの……私たち、表向きは蛭子ペアの捜索なのですけど……」

 あんまりな言い草に里津は青筋を、比叡は苦笑いを浮かべる。

「無理無理。だって相性最悪だもん、りっちゃん」

「そんなこと言われて『はいそうですか』なんて言うと思ったの?」

「いいやぁ? でも、何も知らないで死んだら可哀そうだし☆」

「うざっ。その口、捌いてやろうか」

「サメなのにサバ? 面白いこと言うね☆」

「……この550位(ランカー)を前に吠えたな、ランク外」

 

 アルの体がぐらりと揺れた。

 見れば、自分の両手がなくなっている。

 

「うわ、ひっどーい☆ なんで斬ったの?」

「いや、ムカついたから」

 いつ抜き放ったのか。里津の手にはバラニウム製の曲刀(カトラス)が握られていた。

「アンタほんとつまんないね。ちょっとぐらい泣きわめいてよ。それがアタシの楽しみなんだから」

「りっちゃんの性癖を助けるのは吝かじゃないけど、野外はちょっと嫌だな☆」

「…………きも」

 里津は引いた。

 そんな幼女共の話に混乱したのはプロモーターである。

「りりりり里津!? 何してるの!? というか依頼主さんもなんで平然としてるの!?」

 彼女は不幸なことに、一般的な常識を持ち合わせて()いた。

 呪われた子供たちといえど四肢欠損は普通に重症だ。治らない場合もある。

「何って、斬っただけよ」

「斬られただけだね☆」

「斬られただけって……両腕落とされたよね……? どどどどどうしよう、弁償ですか? 弁償ですよね、弁償しますごめんなさいぃぃぃぃ」

 しかし幼女共はそんなこと気にしない様子なので、比叡は泣き出してしまった。

「大丈夫だよ比叡。コイツは違うんだから」

「ち、違うって何が……?」

 まぁ見てなよ。

 里津がそういうので比叡は斬られた腕を見た。

 すると不思議なことに、出血は止まっていて細身の腕が生え始めているではないか。

「え…………」

「意味不明だよ、コイツ」

 話しているうちに、驚くべき早さで腕は再生されてしまった。

「べ、弁償は……なしですか……?」

「うん、ないよ☆」

「よかったぁ…………じゃあ別にいいですね」

「そうだよ」

 比叡は泣き止んだ。

 しかし、何かを思い出して「あ」と口を滑らせた。

「血に誘われて……」

「まぁ、夜だけど起きてるやつはいるよね☆」

「別にいいでしょ」

「み、未踏査領域ですよ? なんか、大きいのとか居そうですし――」

 

 比叡が言い切る前に、木の陰から足音がした。

 現れたのはタカのような猛禽類の鋭い頭部とトンボに似た翅、バッタのような脚部を持つ異形の生物――ガストレアだった。

 全長は5mほどある三重因子。ステージで言えばⅢかⅣだろう。

 単独での討伐は避けるべき相手だ。

 

 そんなガストレアの出現に、真っ先に反応したのは比叡だった。

 

「ひぇぇぇぇ~!」

 小さな悲鳴という器用なことをしながら、一瞬で間合いを詰めた比叡は掌底を繰り出した。

 ガストレアの防御も間に合わず、その凶打は腹部に直撃。

 だが、人間の掌底がなんというのか。それだけでガストレアが倒せるなら人類は敗北していない。

 

 その時、不思議なことが起こった。

 タカモドキは全身から血をまき散らして倒れたのだ。

 再び動く気配もない。瞬殺だった。

 

 八極拳。それが比叡の放った武術である。 

 どれだけ強い外殻を持とうが、それ以上の攻撃力で破壊すればいい。

 ついでに全身を内部からぐちゃぐちゃにかき回してやれば再生も関係なかった。

 

「大丈夫じゃん」

「ひぇぇぇ……心臓に悪いのは確かなんですよっ」

「強すぎ☆」

 返り血をハンケチで拭いながら比叡は不平を嘆く。

 国際イニシエーター監督機構が認めたIP序列550位は伊達ではない。彼女らにとってガストレアはただの猛獣以外の何でもなかった。

 

 そんな時だ。

 3人の耳が独特な振動を補足した。

 榴弾の爆発(時報)だ。

 

 音のない森ゆえ、大きな音はいつも以上に反響して聞こえる。

 そして、それがもたらす結果を3人は正確に知っていた。

 

「うわ、馬鹿じゃん」

「たたたた、大変ですよっ! ガストレアみんな起きちゃいますって!」

「あは☆」

 

 言い終えると同時、森の様々な場所から耳障りな咆哮が轟いた。

 森の目覚めだ。

 これから先は隠密行動など取れないだろう。影胤捜索の難易度は数段跳ね上がった。

 

 だが、そんなのはどうでもいいとばかり、アルは醜悪な笑みを浮かべた。

 

「丁度いいし、アタシはもう行くからよろしくね☆」

「ねぇ、アンタ、蛭子影胤の居場所知ってるんでしょ。教えなさいよ」

「やだ☆」

「否定はしないんだ」

 里津の追求を笑顔で誤魔化す。

「なら先に見つけて勝手に殺してあげる。せいぜい獲物を取られて絶望すればいいよ」

「――――がんばってね☆」

 

 アルは走り出した。

 後ろで「見てなよ! 後悔したって遅いんだから!」と叫ぶ声が聞こえた。

 

 

 

 森の中を全力で疾走する。疲労も負荷も関係ない。だって治るのだから。

 ガストレアに見つかって足を食われようと腕をもがれようと関係ない。だって治るのだから。

 手柄を独り占めしようとする民警ペアに殺されかけたが関係ない。だって治るのだから。

 

 アルはこの事象を知識として知っていた。

 無論必ずなるとも限らない怪しさはあったし思い出したのが直近だったというのもある。

 それでも彼女の足ならばそうならないように行動もできた。

 

 そうしなかったのは、ひとえに自己中心的な理由(エゴ)からだ。

 すなわち。

 目当ての人物が自分と同じ人殺しになって欲しいという歪な願いである。

 1度目はまぐれかも知れない。だから万全の2度目を。そんな具合だ。

 

 そして、爆発が起きたということはその願いも叶えられたのだろう。

 

「あはっ☆」

 

 それはおよそまともな人間の考えではない。

 しかし考えても見ればわかることだ。

 この世界で、どうしてまともな常識を身に着けられるのか?

 歪んだ社会構造と生活環境でまともに育つのは難しい。

 けれど。それも絶対ではない。例外はいつだってあるのだ。

 もっとも。この女は例外足りえなかったわけだが。

 

 アルは既にどこで彼女を見つけられるか当たりをつけていた。

 房総半島で海岸の街など限られている。その上で東京湾に現れる化け物が見えるとなれば旧市原市、旧木更津市、旧袖ヶ浦市。このあたりだろう。違ったら探し直せばいい。

 

 どれだけ探したのか。興奮した状態のために体内時計は役に立たない。時計を見る発想もなかった。

 今を永遠と引き延ばされる幻覚を覚えたころ、銃声が聞こえた。

 ねじ切れんばかりに足を曲げて方向転換。

 音の元へ急行すれば。

 

 武器も持たぬ貧弱な肉体でガストレアと奮闘するイニシエーター(しんゆう)がひとり。

 

「みぃ~つけたぁ☆」

 

 少女が吹き飛ばされるのと同時、イレギュラーは乱入した。

 

 

 





・占部 里津
この時点ではまだやめてないでしょ、多分。

・井上 比叡
オリキャラ……になるのか?

・スコーピオン
次。

感想は欲しいけど、書くことがないだろうのもわかる。


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楽園(せかい)を滅ぼしたガストレア②



万人受けはしない性格と作風






 

 

 

 

 アルは気絶した夏世を木に寄りかからせた。

 正直ここで逃げてもいいのだが、今東京エリアに滅びて貰っても困る。

 故にここで殿を務めよう。

 そして上空以外に人目がないこの場所なら、お上品に倒す必要はない。

 

臨界点(マージナルライン)疑似超過(オーバーロード)

 

 ガストレアを殺すと考えた時、多くの人間はバラニウムを使うと答えるだろう。

 それは間違いではないし、楽な上に正しい。

 けれど、忘れてはならないこともある。

 すなわち、ガストレアはウイルスに強化されても生物だということだ。心臓を砕けば血液は回らないし、脳をつぶせば思考は叶わず、脊髄を折れば電気信号も無為となる。

 そして脳か心臓または両方を破壊されれば死に絶える。

 極論、これらを満たせるなら殺し方はなんだっていい。

 その結果、全体を破壊するか急所を突くかの2択になるだろう。

 前者は先ほどの比叡や薙沢彰磨の亜種天童流。後者は蓮太郎や延珠の戦い方。

 そしてアルの場合、モデルがプラナリアである故、武器に関して上方修正が望めない。そこでどうしたかといえば、簡単な話。

 

 日本屈指のホラー映画、『貞子vs伽椰子』に曰く。

 

 「バケモンにはバケモンをぶつけんだよ」理論だった。

 

 人為的にガストレアウイルスの浸食率を超過させ、右腕が異形となり果てる。

 五指すべてが束ねられ、腕と指の境もわからず、現れたるはひとつの肉塊。ただの質量の暴力。しかしそれでいい。異形を倒すのならこれで十分。むしろ他に何が必要というのか。

 

 こんな無茶を通せるのは今までの()()によるものだ。

 無論、気を抜けば全身をガストレア化させて終わり。それでも敵がひとつやふたつでない以上はこれが最もふさわしい。

 

「か、かか、ぎぃ……ああああ亜ぁあ呀ああアあああああ!」

 

 人ならぬ声が混じりつつ怪物は吠えた。

 

 雄たけびを聞き、己が敵と見定めた異形共が姿を現す。

 蛇、ワニ、バッタ、ムカデ、カエル、イタチ、食虫植物、またはそれらの複合体。

 数えればキリなどない。

 互いにあるのは内に備えた、生物本来の破壊衝動。

 

「……す! ……ぶす! ……つぶす! 潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す潰す!」

 

 幾ばくもなく。無数の眼光がぶつかり合い、戦端は開かれた。

 

 ところで。

 プラナリアは水質が悪くなると自切という分裂をする。

 それをこの呪われた子供に当てはめるとどうなるのか。

 人体という住処の()()がウイルスによって変化(悪化)するなら、身代わり(スケープゴート)を立てて分裂してしまえばいいのだ。

 この世界において反則の能力を、よりにもよってこの女は持っていた。

 

 

 

 

 場所を移して東京エリア第1区。聖居地下シェルター内の日本国家安全保障会議(JNSC)司令室(シチュエーションルーム)では、上空800mを飛ぶ無人偵察機(UAV)から得た各種データがほぼリアルタイムで会議室のモニターに表示されていた。

 しかし、作戦本部の空気は重い。

 長机に腰かけた誰もが気まずい様子できょろきょろとお互いの顔を見ていた。

 その理由は、徒党を組んで影胤に挑んだ民警集団が返り討ちにされてしまったから。

 

 しかも、現在影胤と向かい合っている最後の民警(キボウ)は序列123452位。元134位に勝てる力などあるわけがない。

 

 なんでそんな番外がいるんだ? どうすんだよこれ……もうだめじゃん……そんな雰囲気があった。

 

 閉塞した空気を切り裂いたのは、外部からの闖入者だ。

 警備員を振り払って現れたるはその場に似つかわしくない少女――天童木更。

 

「ご機嫌麗しゅう、皆様方。突然の無礼をお詫び申し上げます」

「天童社長、これは何事ですか」

 

 この場の最高責任者たる聖天子が木更に意図を問えば、彼女はひとつの紙を取り出した。

 

「それは……」

「はい、傘連判(からかされんばん)です。聖天子様」

 傘連判は本来、百姓一揆の時に使われるものだが、今回においては別の用向きで使われたのは明白だろう。

 すなわち、謀略である。

「私は()()この事実を知りましたが、日本国民として一刻も早く聖天子様にお伝えせねばと思いはせ参じた次第です。国防に関わる一大事に裏切者がいるとなればなおのこと」

 そうでしょう? 轡田大臣。

 水を向けられた防衛大臣がうろたえる。

 彼は反論したが、結局、聖天子の指示で会議室から連れ出されていった。

 

「天童社長は残ってください。重大な秘密を知ったあなたをこの場から帰すわけにはいきません」聖天子の鶴の一声で木更は近くの椅子に腰かける。

 

 聖天子の補佐官、天童菊之丞と木更は因縁浅からぬ仲なのでひと悶着あったが、聖天子はそれ以上を許さなかった。

 

 戦闘は既に始まっている。

 現状、蓮太郎ペアは劣勢だ。誰も勝てるとは思っていない。

 

 故に、聖天子は木更に声をかけた。

「天童社長、里見ペアの勝率はいかほどと見ますか?」

「30%でしょう。しかし、私の期待を加味していいなら――勝ちます。絶対に」

 官房長官は小馬鹿にしたように肩をすくめる。

「天童社長、私情を挟むのはよくない。第一、ランク外が元134位に勝てるわけがない」

 それは閣僚たちの総意だった。

「ええ、その通りです。それが普通の考えでしょう。()()なら」

「なんだと……?」

 官房長官の疑問は新しい声に遮られる。

『君たちの話は長いからな。続きは私がしようじゃないか』

 ごきげんよう、諸君。

 慇懃な態度でモニターに現れたのは。

「貴様……室戸ッ!」

 なぜ奴が……そんな声が漏れる。

『私だって君たちの顔は見たくなかったんだがね』

 菫と閣僚は仲が悪い。それを知っている聖天子は彼らが言い合いを激しくする前に割り込んだ。

「室戸医師、せっかくですが例のものを」

『ははぁ、仰せのままに』

 菫は普段しない紳士じみた仕草で答える。

 すると、閣僚たちの手元に電子データが送信された。

「こ、これは……ッ!」

 彼らは理解する。

 里見蓮太郎もまた、人間兵器(化け物)なのだと。

 

『ちなみに、万にひとつもないと思うが里見くんが負けた場合、私の助手が時間稼ぎをする予定だ。序列は18万だが、まぁ最低限の仕事はしてくれるだろうさ。安心だろう?』

 あからさまな嘲りに閣僚の数人が表情を歪めつつ、18万という数字を疑った。今12万位が人間兵器と判明したばかりなのだから、あとで何を明かされるかわかったものじゃない。

 一方、菊之丞他数名はその存在を正しく認識していたので余計な火種に頭を悩ませる。

 聖天子は取引とはいえ応じたことを少し後悔した。

 

 そんな空気がよくなったのか悪くなったのかわかり辛いことになったが、聖天子は席を立ち、周囲を見渡しながら告げる。

 

「ご理解いただけたでしょうか、この対戦カードの意味を。彼らの戦いは言うなれば矛と盾。しかし矛盾は起こりえません。この戦いで矢尽き刀折れ、片方のペアが確実に絶命します――戦いなさい里見さん、そして最強を証明するのです!」

 

 

 

 

 蓮太郎の一撃(最強の矛)が、影胤の斥力フィールド(最強の盾)を穿ち、貫いた。

 仮面の内に血が満ちる。

 

「クク……ハハハ、フハハハハハッ!」

 

 影胤は両手を広げ、賛美歌を詠った。

 

「楽しいッ! 楽しいよ里見くん! 私は痛いッ、私は生きているッ! 素晴らしきかな人生! ハレルゥーヤッ!」

 

「なら夢見心地のまま、御ねんねさせてやんよッ!」

 

 間髪入れず、蓮太郎はXD拳銃をドロウ。義眼による予測を踏まえた上で全ての弾丸を撃ち放った。

 

「パパの邪魔をするなッ!」

 

 しかし、それはバレリーナのように踊る小比奈が小太刀で斬り払ってしまう。

 冗談じゃない!

 蓮太郎は冷や汗を浮かべたが、敵は悠長に待ってくれない。すぐさま小比奈が蓮太郎の元に飛び込んでくる。

 延珠が応戦しようにも、抜群の連携で影胤が二丁拳銃のフルオートを奏でたせいで間に合わない。

 XD拳銃のリロードも許してくれないだろう。

 

――ならここしかない!

 

「延珠!」

 合図を送ってから、蓮太郎は閃光手りゅう弾(フラッシュバン)を放った。

 影胤が止める間もなく、小比奈は反射的に円筒缶を斬り裂き――170デシベル、200万カンデラの圧縮衝撃波と太陽光を凌ぐ閃光が小さな体を前後不覚に追いやった。

 幸運なことに影胤の動きも鈍っている。

 この隙を逃すわけにはいかない。

 飛び出したウサギ少女の強靭な中段蹴りが、防御の上から小比奈の矮躯を水面に叩きつける。

「蓮太郎!」

 以心伝心。蓮太郎は燕尾服の前に躍り出た。二丁拳銃が火を噴くよりも先、蓮太郎の脚部でカートリッジの底部をストライカーが撃発。空薬莢は排出され、人間離れしたパワーを蓮太郎に与えるのと同時、延珠も蓮太郎の蹴りにタイミングを合わせた。

 

 天童式戦闘術二の型十四番――

 

「『隠禅(いんぜん)玄明窩(げんめいか)』ッ!」

「ハァァァァァァァァァッ!」

 

 2発の蹴りが青白い燐光と衝突した瞬間、大気を吹き飛ばすほどの衝撃があった。

 それでも狙い(あやま)たず影胤を捉え、彼を埠頭から海底に叩き落す。

 シンと静まり返る夜。さざれ波が波打ち際で砕ける音だけが反響した。

 

 

 

「やったか!?」

 閣僚の誰かが言った。

 しかし、ボスというものは誰しも第二形態があるものだ。

 閣僚たちの表情は、すぐに曇ることになる。

 

 それでも、里見蓮太郎は主人公だ。

 いつだって悪は正義の前に敗北してきたのだから、彼に勝てない道理はない。

 

 

 

 

 いろいろあって蓮太郎が蛭子影胤ペアを下したのとほぼ同時刻。

 森の戦いも終わっていた。

 

「ぎ……ぃぃ……ッ!」

 

 キチキチと煩い右半身を自切し、拾った拳銃のバラニウム弾を全弾撃ちこんだ。カケラは脈動をやめて()()する。

 すると数秒の内に心臓を含めた臓器、骨、血管、筋肉、皮膚が再生。元通りの体になった。

 

「よし……アルちゃん復活☆」

 

 ガストレアは退けた。このまま眠りにつきたいところだが、もうひと仕事残っている。

 伊熊将監の回収だ。

 彼はアルにとって夏世の付属品扱い故、死んでもらって全然構わない。しかし、ここまで夏世を()()()くれたし、大丈夫と言った手前、死んだら死んだで夏世が悲しむだろうな、という理由で助けることにした。

 

「むしろ将監くんが死んだ方が夏世ちゃんに面白い変化……IISOに取られちゃうか。それは手間(いや)だなぁ……」

 

 趣味と実利を兼ねた案は何かないか。

 アルは悩み、そして閃いた。

 

「ちょっと面白いこと考えちゃった☆」

 

 夏世を背負って歩き出そうとしたところ。

 

「お?」

 

 東京湾に巨人が目覚めた。

 

 そいつは類人的な二足歩行のデザインだが、タコに似た頭部であり、黒茶けた色の肌はイボがあふれ、突起状の物体(触手)まで生えている。左右非対称な瞳は何を捉えているのかすら定かではなく、鳥類じみたクチバシも用途がわからない。人間の理解から離れた400mの巨人は、肥満な腹部を揺らしながら海を割り歩き始めた。眠りを妨げられた生き物はいつだって不機嫌なのだ。すべてを破壊するまで止まることはないだろう。

 

 当然人類は応戦する。

 沿岸部に秘匿されていたミサイル発射装置や緊急発進(スクランブル)した自衛隊の戦闘機からミサイル――いくつかはバラニウムが混ぜられている――を浴びせられても、まったく動じない。護衛艦から放たれた短距離魚雷や毒ガス弾(VXガス)徹甲弾(APFSDS)も同様だ。

 その様子は正に山が歩いた、あるいは山がよろめいたと形容できる。

 人は小賢しい知恵を獲得したが、その過程を思えば純然たる暴力に勝てないのだ。

 

 これこそ怪物の中の怪物。

 正式名称、ゾディアックガストレア・蠍座(スコーピオン)

 かつて世界を滅ぼした力。神殺しだった。

 

 今頃東京は大慌てに違いない。滅びの瀬戸際なのだから当たり前だ。

 一方、アルは暢気(のんき)してた。

 

漁船(武装ヨット)に体当たりされたら帰ってくれないかなぁ?」

 

 心のどこかで少し期待しているが、怪物の生み出す波が高すぎて出港すらできなさそうだった。

 しかし落胆はしない。

 今頃、蓮太郎が化け物を倒すために走り回っているはずだから。

 

 そして事実。

 南に鎮座していた、そそり立つ塔が変形を始めた。

 己が使命を果たす時が来たと老兵(超兵器)は歓喜に震える。

 左右の三脚計6本で水平を保ち、発射口を化け物に標準。

 数十億テスラボルトものエネルギーをため込んだ電力貯蔵システムは空気を、地面を伝播する。

 天の梯子。ガストレア大戦時に生み出された幻の兵器だ。

 超電磁砲(レールガン)が己の脅威になりえると理解したのか。

 巨人は侵攻をやめ、ひと呼吸挟んで、絶叫した。

 

――ヒュオオオオオオオオオオオオオオオォォォ

 

 日本中の大気を揺らさんするほどの大音量。思わず耳を塞がずには居られない。

 

「うるさいなぁ、駄々っ子ちゃんめ☆」

 

 文句をいいつつ、アルは夏世が目覚めないことに安堵した。

 下手に奴を見たら知能の高い彼女は発狂しかねない。

 

「まぁ、ここまで来たらもう大丈夫かな☆」

 

 アルは夏世を背負いなおし、スコーピオンを視界から消した。

 最後に目があったような気がしたがどうでもいい。

 あとは蓮太郎が「撃てません!」してるところに延珠が大胆な告白をすればスコーピオンは定時退社を迎えるだろう。ガストレアはホワイト企業なのだ。笑えん。

 

 

 

 

 

 

「ん? ああ、ここでやっちゃうんだ? まぁいいけど☆」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルが放棄された街の入り口に着いた時、意外な人物が前から歩いてきた。

 

「あ」

「え」

 

 大の大人を背負った少女だ。

 というか蛭子小比奈だった。

 その姿は濡れネズミのようであり、磯の香りもした。

 海から影胤を回収したのだろう。

 相手は大人を背負った子供。こちらは子供を背負った子供。なんとも変な組み合わせだ。

 

「…………」

「ああ、何もしないよ☆」

「……そう」

 

 折れた小太刀を向けながら、小比奈は去っていった。

 

 呆けている場合じゃない。急がないと証拠隠滅に巻き込まれてしまう。

 

 幸い、将監はすぐ見つかった。壊れた道路の上に寝そべっていたからだ。

 

「う~ん、ひっどい怪我☆」

 

 大剣を引き抜き、傷口に細胞促進剤を貼る。気休め程度だが別にいいだろう。

 それより。

 

「お注射しましょうね☆」

 

 懐から出した注射器を将監に突き刺す。

 

 土気色の体がドクン、と脈打った。

 

 

 

 

 

 

 聖居西塔には、聖天子が執務をこなす執務室がある。

 

「ふぅ…………」

 

 スコーピオンの撃退から1週間。大慌てだった政務もほとぼりが冷め、通常業務だけになりつつあった。

 今回の件、東京エリアの市民に大規模な人的被害はなかったがノーダメージでもない。

 沿岸部の施設――特に港湾や海棲ガストレアに対抗するためのミサイルサイロや戦車砲のほとんどは津波によって沈黙し、航空自衛隊の戦闘機は10%の喪失、海上自衛隊も護衛艦が2隻失われた。

 民警と自衛隊には人的被害が出ているし、逃げ惑った市民同士でぶつかりけが人が続出。そしてなぜかその矛先が呪われた子供たちに向かうという頭の痛い事態になっている。ガストレア新法を急がなければならないだろう。

 金銭面でも大変だ。ミサイル1発で数千万から1億円もかかる。これに砲弾や戦闘機、護衛艦の代金や戦死者遺族への特別弔慰金を合わせればとんでもない。バラニウム産業で東京エリアは資産があるといっても、これが何度も来るなら財務省は幼児退行してしまうかもしれない。

 とはいえ。平時の平和に戻りつつあるのも事実。

 

「どうかこのまま――――」

 

 何事もなければ。

 そんな聖天子の願いは儚く散った。

 秘書官のひとりが慌てた様子で執務室に飛び込んできたからだ。

 

「ほ、報告します!」

 

 菊之丞に睨まれながらも己の職務を果たさんとする公務員の鑑は、衝撃の事実を告げた。

 

 聖天子は聞き間違いを疑いたかった。

 だが、自分が健康であることはこの(エリア)の誰よりも気にかけられており、また正常であると知っている。

 せめて速まる心臓の音色を落ち着けるため、たっぷり十数秒目をつむった。

 

「もう1度、お願いします」

 

 静まり返った執務室に、聖天子の声はよく通った。

 

「は、はい。ドイツのハンブルグエリア及びオーストラリアのブリスベンエリアで――大絶滅が確認されたそうです」

 

 今度こそ、場が凍った。

 菊之丞ですら顔色が悪い。

 

「……関係各省に連絡して、詳細の収集に努めてください」

 

 聖天子に言えることは、それが限界だった。

 

 一体、自らの知らぬところで何が動き出しているのか――――

 

 

 

 





・スコーピオン
ロケットパンチで退場。悲しい

・蛭子 影胤
ハレルゥゥーヤッ!

・伊熊 将監
おや、将監君の様子が……? A or B

・聖天子様
す、ストレスが……

ようやく1巻が終わりそう


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ナニカサレタヨウダ


先にできた。
拘ると大体エタるから原作にある描写はカットしていく





 

 とある社宅に、凹凸なコンビの姿があった。

 

「将監さん、まさかその姿(タンクトップ)で外に出るつもりですか?」

 

「は? 悪ぃかよ」

 

「ダメです、下着くらいつけてください。その凶悪なモノがどれだけ周囲の視線を集めるか未だに理解できていないようですね」

 

「知るか。手ェ出す度胸もねぇクソ童貞どもに気ィつかってられっかよ」

 

「モラルの問題です。隣を歩く私が恥ずかしいんです。いいからつけてください」

 

「誰が――おい! 無理やり脱がせるんじゃねぇ、クソが!」

 

 

 

 どうしてこんな会話が起きるのか。

 時は遡る。

 

 

 

 薄く瞼を開いた伊熊将監は突然の光に目を焼かれ、急速に意識を取り戻した。

 いつものルーチンで肉体の確認を行う。

 痛みはある。が、死ぬほどじゃない。

 周囲を確認。

 場所は室内。ベッドに寝かされている。自宅でも会社でもない――ならば病院か。

 そう考えて窓から差し込む朝日を眺めていたとき、意識の外から声が届いた。

 

「おはよう、将監くん☆」

 

「なんだァ? テメェ……」

 

 彼に声をかけてきたのはパイプ椅子に腰かける小さな少女。

 知らないガキだ。胡散臭い笑みを浮かべている。

 このタイプに碌な奴はいないと警戒を強める将監。

 

 対して少女――アルは自然体だ。

 

「ああ、警戒しないでいいよ☆ といっても無理だろうけどね~」

 

 そう、無理な話だ。将監は意識を取り戻してから一時たりとも気を抜いてない。なのに声を掛けられるまで気が付かないなど異常だ。それに、この感覚は一度味わっている。

 

 故に敵意の有無に関わらず先手を取ろうとして――体が動かなかった。

 

「……ッ!?」

 

 何度動かそうとしても反応がない。

 それは鎖で縛り付けられているというよりも、水の中で自由が利かないものに近かった。

 

 目線を上げればガキの瞳が赤く染まっている。

 

――こいつ、イニシエーターか!

 

 将監の心拍数が高まる。

 敵か味方かもわからないイニシエーターを前に動けないのは悪夢だ。筋力も速度も人間を凌駕する奴らに初動が遅れたら何されるかわかったものじゃない。しかも能力はこの様子だと肉体に干渉してきているのだろうか。ほぼ詰みだ。

 

 事実、ガキが胸に手を伸ばしてきたのを止めることが出来ない。

 

 そして。

 

 ふにゅり。

 

「んっ……」

 

 媚びるような女の声がした。

 

――なんだ? 今の声は……。

 

「よかった、感度は普通みたいだね☆ もしダメだったらと思うと不安だったんだぁ」

 

――コイツ、何を言っている……?

 

「急に触られてびっくりしちゃった? ごめんねぇ、立派なものだからつい☆」

 

「テメェ、ごちゃごちゃ何を……」

 

 そう声に出して、はたと気づく。

 なにかおかしい。俺の声はこんな感じだったか? 微妙に変じゃないか? それこそ、相棒のような。

 嫌な予感がした。生物本来の危機感である。しかし逃れる術はない。

 

「ああ、ごめんね。まだ見てないんだっけ。ほら☆」

 

 ただ睨むしかできない将監を前に、アルは懐から手鏡を取り出した。

 

 そして()()()()()。己の姿を。

 

 フェイススカーフをしていれば誤魔化せたかもしれないが、ここは病院。当然素顔を晒すわけで、そこには紛れもない女の顔があった。目は相変わらずの三白眼だが髪は伸びているし、口元だって潤みがある。自分が表情を変えれば鏡の女も表情を変えた。

 

 何より意識を向けさせられたのは病衣を押し上げている胸元の膨らみ。

 

 クソガキ改めエロガキがまた触って来る。

 声はこらえたが、その感触までは誤魔化せず。

 

 聴覚だけでなく視覚や触覚まで使われた将監は、いよいよ認めざるを得ない。

 

「んだよ、これは……」

 

 困惑する将監へ、アルは愉快そうに告げた。

 

「改めておはよう、将監くん☆ いや――将監ちゃんかな?」

 

――俺が、女だと……?

 

 伊熊将監は、性別が変わっていた。

 

「俺になにしやがった!」

 

 叫ぶ将監だが、少女は表情を崩さない。

 

「何って、助けてあげただけだよ? 薬の副作用で女の子になっちゃったけど☆」

 

 覚えてないの? と聞かれれば、将監にも心当たりがあった。

 

――仮面野郎を見つけて、夏世が遅ぇから奇襲をかけたんだったか。

 

 記憶が開始から結末までをフラッシュバックする。

 

「思い出したみたいだね☆ そう、君は影胤(ハレルヤ)くんに負けたんだよ」

 

「ッ! クソがッ!」

 

 結局、インチキなんとかに手も足も出なかった。負けたのだ、2度も。

 そして、他人に指摘されたのが余計に将監をイラつかせる。

 

 それは怒りに身を任せて女になった動揺を誤魔化したい思いもあった。

 

「死に体の君をアタシが見つけて助けてあげたんだ☆ よかったね? 君は生きているよ。ハレルヤ☆」

 

「それ以上喋ったらぶっ殺してやるッ」

 

 人を小馬鹿にしたような物言い。

 将監は目の前の小五月蠅いガキを黙らせんと掴みかかろうとする。

 しかし体は動かない。

 アルは涼しげに笑った。

 

「も~、せっかくイケメンお姉さんになったんだから怒らないでよ☆」

 

「あァ!?」

 

「おお、こわ。仮にも命の恩人を脅かすなんて酷いなぁ」

 

「つか誰なんだよ、テメェは」

 

「ああ!」

 

 そういえば自己紹介がまだだったね、と。

 少女は名乗った。

 

「アタシはアル。夏世ちゃんの友人だよ☆」

 

「夏世、だと……?」

 

 自身のイニシエーターの名が出てきて将監は少し冷静になった。

 同時にこのガキがなぜここに来たかという疑問も浮かぶ。

 真っ先に候補に挙がったのは殺された片割れの敵討ち。

 だが、どうもそういう獣の気配はしない。

 いや、それ以前に。

 

「夏世は生きてんのか?」

 

「生きてるよ☆」

 

「……そうか」

 

 仕事道具が壊れていないようで将監は安堵した。

 そもそもこの状態で仕事(民警)を続けられるかわからないが。

 

 将監の態度が変わった所でアルは本題を切り出した。

 

「君にとって夏世ちゃんってどんな存在~?」

 

「テメェ、俺をおちょくってんのか?」

 

 将監の表情が再び強張る。

 それは直近で、自分に啖呵を切った小僧(ガキ)の影がちらついたからか。

 その様子を理解しつつ、アルは笑顔をやめない。

 

「いやいや、大真面目だよ~。だってさ、人間って道具にも感情移入するじゃない?」

 

――特に、自分を認めてくれる人ってさ。

 

「テメ、ッ……!」

 

 人の懐に入り込んでくる気持ち悪さから反射的に右手を振り上げようとして――痛みで手を戻した。

 いつの間にか体は動くようになっているが、そちらに気は回らない。

 

「で、実際どうなの?」

 

 子供の気配が変わったからだ。

 おもちゃの骨に病的な執着を見せる犬が、回収しようとしてきた飼い主に威嚇するようなものに。

 

「なんでンことを聞く」

 

「友達のことが気になるのは当然じゃないかな?」

 

――ほんとにそれだけかよ。

 

 将監は直観的にそれが答えの半分だと判断した。もう半分はもっと気持ち悪いものだ。

 

 将監は誰かに従うつもりはないが、さりとてやぶ蛇を突きたいとも思わない。

 

 彼は確かに相棒を道具として扱っていたが、それでも自分が人間らしい感情まで無くしたとは思っていない。

 社会からドロップアウトした自分を拾ってくれた社長には感謝しているし、夏世に対しても他の奪われた世代ほど嫌っていない。

 だから彼なりに彼女のことは気遣っていた。なまじ考えが巡る奴だから気づかなくてもいい真実まで気づく。その度に落ち込んで距離を取る。それが何度も続くから将監は夏世を道具として扱ったし、夏世もそれに従った。

 

――俺たちは正しい。

 

――テメェが俺と夏世の何を知ってやがる。

 

 口に出そうとした言葉を飲み込む。

 

――今、俺は何を思った?

 

 これまでのスタンスからは出てこない言葉だった。

 

 否。

 

 出てきても黙殺してきた言葉だった。

 

「…………」

 

 無意識に奥歯を噛む。

 ガリ、と音がした。

 

 その態度に満足したのか、アルは頷きを返す。

 

「ちゃんと夏世ちゃんのことを考えてたんだね☆」

 

 とはいえ。

 訳知り顔でペラペラしゃべる目の前のクソガキにイラつかないかと言えば違う。

 

――気に食わねぇ。

 

 将監はアルを睨みつける。

 

 それに怯えることもなく、悪魔(ようじょ)は愉悦した。

 

 

 会話が終わる。

 そんなタイミングを見計らったように、第三者が病室の扉を開いた。

 

「起きたようだな、将監」

 

三ケ島(みかじま)さん」

 

 三ケ島ロイヤルガーダーの代表取締役、三ケ島影似(かげもち)だった。

 

 そこで将監は自身に降りかかった異常を思い出した。

 

「三ケ島さん。俺はどうなってんだ、これは?」

 

 エロガキよりも信頼できる三ケ島に問いかける将監。

 三ケ島はアルに目配せをした後、将監に無情な事実を告げる。

 

「そこのお嬢さんから話は聞いただろう、将監。今の君は――女だ」

 

「なん……だと……」

 

「医者にも確認はとった。不可思議だが、染色体の組み合わせから変わっているらしい」

 

 三ケ島はカバンから書類を取り出して将監に手渡すが、将監は何が書いてあるのかよくわからなかった。

 とりあえずわかるのはひとつ。

 

「おい、ガキ。本当に俺に何しやがった」

 

 暫定被疑者がムカつくということである。

 

「だから助けただけだってぇ。あ、成分表については企業秘密だよ☆」

 

「それでどうしてこうなるって言ってんだよバカガキ」

 

「副作用だって言ってるじゃん☆ それともあのまま死んでた方がよかった?」

 

「誰もンなこと言ってねぇだろうが。それより――」

 

「いい加減にしたまえ」

 

 話が脱線しそうになったのを三ケ島が止める。

 

「けどよ三ケ島さん!」

 

「思うところがあるのはわかる。私だってそうだ。しかし、今彼女に何を言っても解決はしないし、不毛な争いで時間を無駄にするわけにもいかないだろう」

 

「ちっ……」

 

 三ケ島はとにかくだ、と話をまとめる。

 

「将監、君は死んだ」

 

 突然の宣告。将監は本当に心臓が止まった気がした。

 

「は…………?」

 

「ああ、いや。すまないな。戸籍上は、という意味だ。君は今生きているだろう」

 

「あ、ああ……そういうことかよ、三ケ島さん。驚かせがって……」

 

「これからの君は戸籍上『伊熊将監の妹』として扱われる。年齢差はひとつにしておいた。そしてこれは既に決定されたものであるから変更ができない。君のいないところで決めたことについては詫びよう」

 

 将監は戸籍抄本を手渡された。

 住所は特に変わらず社宅のままだが、氏名は「伊熊 ショーコ」となっている。

 

――安直すぎんだろ。

 

 文句のひとつも浮かんだが、戸籍まで変わってしまったことで将監は本当に後に引けないのだと実感した。

 気が重い。

 

「本当に女として暮らさなきゃいけねぇのか……」

 

「そうだ。そしてこのことは他言するな。いいな?」

 

「なんでだよ、こいつのやったことを許せっていうのか!?」

 

 またも頭に血が上った将監にアルは言った。

 

「馬鹿だなぁ、将監くんは。性転換する蘇生薬とかどう考えても厄ネタじゃん☆ これ、外部に漏れたら君は良くて解剖、悪いと一生モルモットだよ?」

 

「は? んなこと」

 

 ない、とは言い切れなかった。将監自身、人体実験がこの東京エリアでも行われていることくらいは知っている。そして奴らは珍しいものに寄って集ることも。

 

 思えば、将監のいる病室は個室だ。言っては何だが、1000番台のプロモーターひとりにわざわざ個室を当てるというのは考えにくい。そして今まで近くの患者の声もしなければ看護師も医者も来ていない。突然ガキがひとり現れただけだ。ベッドにもナースコールはない。

 どう考えてもおかしい。

 

――ならなおのこと俺に使ってんじゃねぇよ。

 

 文句がまた増えた。

 

「それでだ、将監。君に聞きたいことがある」

 

 三ケ島が神妙な顔をして問うてきた。

 

「このまま何も知らない一般市民として生活するか、民警を続けるか。どちらがいい?」

 

「将監くん、もといショーコちゃんの見た目は良いからね~。働き口は困らないと思うよ?」

 

 自分の進退。なるほど、外見が変わったのならそういう話もあるか。

 将監は考えた。

 確かに、民警になったのはやらかして後がなくなったからだが、それだけで1000番台まで進んだわけでもない。

 故に、その答えはひとつ。

 

「俺は……三ケ島さん、あんたについていくよ。民警はやめねぇ」

 

 三ケ島はそうか、とだけ言った。

 

「まぁ、登録は済んじゃってるんだけどね☆ ペアは夏世ちゃんのままにしておくから、いろいろお世話して貰えばいいんじゃないかな~?」

 

「なっ、あんなガキにッ……!」

 

 お世話がいわゆる女の子の生活の仕方だということに思い至って将監は声を荒げる。

 しかしそれすら面白がった様子で、少女は手を振って去ってしまった。

 

 病室に取り残されたふたり。

 

「三ケ島さん、アイツは一体……」

 

「神医、室戸菫の助手だそうだ。私から見れば……悪魔の子に見えるがね」

 

 

 






・三ケ島 影似
さらっとやばいことに巻き込まれた。

・伊熊 ショーコ
蘇生薬鬼つええ! このまま逆らうやつらみんなTSさせていこうぜ!

TS後の容姿についてはいろいろ派閥がある。
姫様みたいに可愛くなるのもいいが、筋肉はそのままいろいろデカくなるのも作者は好き



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夏世とアル


読者たちのお気に入りと感想、高評価のおかげで
このSSを書きやすくしてくれてありがとう!






 

 

 

 

 

 これは夢だ。

 千寿夏世は確信をもって自覚した。

 死の間際の走馬灯なのか、そうではないのかわからない。

 何にせよ、夢だというなら見るほかないだろう。

 

――これは……懐かしい夢ですね。

 

 夢はかつて国際イニシエーター監督機構(IISO)・日本第3支部にいたころの記憶を再現していた。

 

 IISOは呪われた子供たちにとって、大人で言う就労支援施設に近い。しかしその実態は存在する国から給付金を受けて運営される営利団体。国によってその性格や方針は微妙に違い、善意で成り立っているわけではなかった。

 最高齢10歳を働かせる時点でいろいろおかしい故、そのあたりは今更か。

 

 IISOに預けられた子供たちはイニシエーターとして働くまでにいくつかの段階を踏むことになる。

 まずは知能テストと実技テスト。年齢によって内容は変わるものの、その結果によってランク付けされる。なお、このランクはイニシエーターとしてのIP序列に影響するし、酷い結果だと突然消えたりする。

 次は因子ごとの適性検査。半分ほどの子供たちは自分の因子すら理解していないことが多い。ゆえにここで適正にあった戦い方を学ぶことになる。

 そして日々の訓練と学習。

 もっぱら1日のほとんどはこの訓練と学習であり、自由時間はほとんどない。正確な時刻に起床し、午前は座学を受け、午後は実技に取り組む。日が暮れる頃には就寝だ。

 特に精神面は重点的に矯正される。ガストレアを前に怯えては意味がないので復讐心や恐怖心を駆り立てるのは常套句。そんな無茶をするので限界を迎えて機械のようになる子供も珍しくない。

 そうして鍛え上げた呪われた子供たちをイニシエーターとしてプロモーターと引き合わせる。その後はIISOも関与しない。相棒が死んで帰ってくればまた同じ訓練が待っているだけだ。

 そんな様子からこの道筋(こうてい)を「出荷」なんて揶揄する職員もいた。

 

 それでも商品価値があるうちは抑制薬を貰えるだけストリートよりはマシなのだろう。

 IISOに来る子供たちは後を絶たない。

 

 そもそもIISOに来る時点で生活能力がないか、生活環境に不安があるわけだ。基本的に社会の底辺を味わって来た者たちであり、そんな子供たちが明るく元気というのは珍しい。

 

――そう、彼女は……アルは、そんな珍しい人でした。

 

「皆こんにちは☆ 私はアル。仲良くしようね!」

 

 ある日、夏世が暮らしていた相部屋にアルはやってきた。

 相部屋といっても10人近くがひとつの部屋で暮らす雑魚寝のような有様。

 純粋に子供たちの数が多いのである。大体中絶禁止法が悪い。

 

――けれど、後から来た人は簡単に受け入れられません。

 

 人格形成期に過酷な現実を味わった幼児にとって特にアルはうるさすぎる。

 まるで、自分は悲劇と無縁だとでも言うような。

 その僅かな違和感に子供たちは敏感だった。

 

――私も彼女が()()()()だと考えて関わろうと思えませんでした。

 

 加えて相部屋のメンツは多少()()()()()があっても固定。

 いつの世も新参に優しい世界などない。

 だが、アルは諦めの悪い女だった。

 

ピリピリしている子供を「大丈夫? おっぱい揉む?」と誑かし。

「わぁ! これ美味しいね☆ 食べる?」稀に出るデザートで餌付けを試み。

「絵本読むよ~☆」滅多に使わない娯楽室から持ってきた本を朗読したり。

「もっとみんなのことが知りたい☆」などとほざいて隣のシャワールームに突撃し。

かと思えば何も言わずただ不安定な子供の隣に座る。

いい加減うんざりした子供に「触らないで!」と張り手を受けても気にしない。

 

 そんな抵抗らしい抵抗をしなかったからだろう。

 彼女の噂は別のグループにも伝わり、やがてそれは集団での排斥(仲間外れ)に繋がった。

 

 社会に排斥されてきた自分たちが排斥する側に回る。フラストレーションが溜まっていた彼女たちにとって、それはなんと心地よい体験だったことだろう。

 娯楽の少ない施設だ。

 そんな歪んだ悦楽に子供たちがハマるのも仕方なかった。

 

――皮肉にもこの()()で子供たちの精神は安定したので、職員たちも手出しすることはありませんでしたね。

 

 ひとりの損失で数十人の利益が上がるなら喜ぶのが資本主義的損得勘定だ。

 

 夏世自身は参加しなかったものの、止めようとも思わなかった。

 所詮は対岸の火事。なによりアルを学習能力のない馬鹿だと見ていたのもある。

 肉体能力が低い代わりに知能が発達した彼女もまた、集団とのズレがあった。しかしなればこそ、余計なことをするより適度な距離を取って不干渉を貫けばいい。それが賢いやり方なのではないかと。

 

 ただ。

 

「これも愛だね☆」

 

――それでも彼女は笑顔を貼り続けました。もはや呪いの人形と言われた方が納得できます。

 

 アルが他の子供に絡んですげなく断られたり嫌がらせや実力行使を受けるという、そんな歪な光景が半年ほど続いたころ。

 積極派が民警のペアとしてIISOを出て行ったのが理由のひとつだろう。

 代わり映えのない娯楽(排斥活動)に飽きてくる子供や正気に戻る子供が現れた。

 自分がされて嫌なことをなぜ他人にしてしまったのか。

 自己嫌悪で不安定になる子供に、アルは容赦なくアメ()を与えた。

 

「みんな辛いんだよね。苦しいんだよね。でも、そういうときはアタシが受け止めてあげる☆ 痛いことも悲しいことも恨めしいことも全部、アタシにぶつけて! そうしたら優しく抱き締めて甘やかしてあげるから☆ みんなの笑顔がアタシは見たいの!」

 

「ラブ&ピース! やっぱり愛だよね☆」

 

 そうして子供たちは反動からか、アルに依存の矛先を向ける。

「お姉さま……私は……」「いいんだよ詩乃ちゃん。沢山愛してあげる」

 彼女のすべてを許容する姿勢は、親からの愛情を受けずに育った子供たちにとって劇薬だったのだ。

「アルちゃん……今日は一緒に寝てくれる?」「勿論だよ心音ちゃん」

 姉や妹替わりは定番。重症な子は母とまで呼ぶ始末。

「ママ……?」「うん、ママだよ☆」「ママぁ……!」「よしよし、可愛いなぁ」

 アルはそれらすべてを笑顔で受け止める。

「このっ……クズ!」「いいんだよ、八つ当たりでも。愛は平等だから」「ううっ……!」

 良い話にも見えるが、要するに歪さは変わらぬまま感情の方向が変わっただけ。

「痛いのやぁ……!」「大丈夫、痛いのがなくなるほど気持ちよくなろうね☆」「うん……」

 一部は崇拝まではじめ、もはや小さな新興宗教が生まれつつあった。

 

 誰かの代わりなどできるはずもないのに、それを笑顔でやろうとする狂人に夏世は。

 

――薄っぺらな笑顔が気持ち悪かった。だから、私は話しかけてしまったんです。

 

――「あなたはどうして生きているんですか?」と。

 

――その時見えた彼女の表情は、胡散臭い笑みすら浮かべぬ無でした。

 

――けれど次に映ったのは、背筋が凍るほどの笑み。まるで、待ち望んでいた言葉を貰った乙女のような。

 

「         」

 

――そこから彼女との奇妙な交流が始まりました。

 

「あ、夏世ちゃん今日のノルマお疲れ様☆」アルは他の子供と戯れている時でも夏世を見つければ笑顔で手を振り、「夏世ちゃんも一緒に人生ゲームしなぁい?」使用率の増えた娯楽室の遊びに巻き込み、「ここ、失礼するね☆」寝る時もできるだけ隣に居座るようになった。

 夏世も夏世で、はじめは拒絶していたが次第になし崩し的な同意(ザイオンス効果)に変わっていく。

 

――どうやら、私にも罪悪感はあったらしいのです。

 

 そのようなことが重なり、夏世はひとつ気が付いた。

 アルは訓練を受けていたが、その量は他の子たちよりも圧倒的に少なかった。その代わりなのか、研究員にどこかへ連れていかれていたのを頻繁に夏世は目撃した。

 おそらく先の排斥もこれが一因だったのだろう。自分たちが辛いときにどこで楽をしていたというのか。そんな風に。

 その実態すら知ることなく。

 

――ある時聞いてみたことがあります。何をしてるのですか、と。

 

――そうしたら彼女は。

 

「アタシの体って不思議だから、いろいろ調べたいんだって☆」

 

 その時はそれ以上踏み込まなかった。

 夏世はこの支部にネストと呼ばれる研究施設があると耳にしたことがあった。これまで不自然な出所をした子供たちはそこに送られたのだと想像するのは容易い。なぜならIISOが呪われた子供たちを受け入れるのは()()調()()を含んでのものだから。

 

――結局、怖かったんです。暗部というべきものに触れる勇気がありませんでした。

 

 それが変わったのは夏世が訓練を、アルも検査を終えて部屋に帰って来た時。

 夏世はアルの笑顔に違和感を覚えたが、すぐ子供たちに引っ付かれていつもの顔に戻ってしまった。

 しかし、その日の夜にアルは夏世の布団に潜り込んできたことでその違和感は正しいものだったと確信する。

 

「アタシは、アタシはまだここにいるよね……?」

 伏し目で告げられた言葉に、夏世はアル本人かを疑った。

 笑顔で塗り固めた顔は恐怖と不安に歪んでいる。

「気持ち悪い手がアタシの体を触るんだ……外も中も全部全部……」

「アタシの体、急に溶けてなくなったりしないよね?」

「痛いってなんだろう、苦しいってなんだろう……アタシの心って」

 まるでPTSDに苦しむ患者だ。

 精神が不安定になる子供はむしろここでは多い。

 だが無縁に見えたアルがそうなったのは驚きが勝る。

「ごめんねぇ、こんな話をしても困らせるだけなのに……」

 結局、夏世はうまい返しを見つけられなかった。

 下手に引き金を引くことが怖かった。

「お願い、今日はこのままで……」

 アルは夏世の矮躯にしがみついたまま眠った。

 

――そう。私が知る中で、彼女が弱音を吐いたのはその一度きりでしたね。

 

――思えば、彼女だって私と同い年なのです。そして外で幸せを得ていたならここには来ていないだろうということも。

 

――周囲に受け入れられんと元気を演じてみれば子供からは拒絶され、大人たちには体を弄り回される毎日。今はともかく、そんなものを私は耐えられません。しかし、アルは……

 

――正義感、とでもいうべきでしょうか。私は愚かにも、そのような感情を抱いてしまったのです。

 

――私は彼女にできることを考えました。ここにいる限り彼女の境遇は変わりません。

 

 IISOは基本逃げるものを追わない。無論、費やした負債を回収しようとはするが、それだけだ。しかし、アルは他とは違う扱いからそうはいかないと夏世は感じた。故に手段は脱走か、民警のペアになるか、密告か。民警のペアになるのも同じ理由で難しい。となれば脱走か密告だが、夏世に伝手はない。つまり実質脱走しかないのだ。

 

 夏世は逃げよう、と言った。他の子供たちにも協力してもらえれば不可能ではないと。

 アルはそれを断った。

 

「皆に迷惑は掛けられないよ」

 

――仮に脱走できたとして、残された(依存先を失った)子供たちがどうなるか、彼女は理解していたのでしょう。

 

――職員たちがあの宗教じみた行動に何も言わなかったのは、こうして彼女に鎖をつけるつもりだったのかもしれません。飴と鞭とはよく言ったものです。

 

――本人の意思を捻じ曲げて行動を強要することは果たしてイイコトなのか。私は、わかりませんでした。

 

 結局現状維持だった。訓練の厳しさは変わらず、子供たちの依存先は変わらず、検査もかわらず。

 そのまま、安定した子供たちがどんどんペアと引き合わされていく中。

 夏世は肉体能力の低さと友人を残していくわけにもいかない不安でIISOに留まっていた。

 そうして座学のほぼすべてを暗記し、訓練ラインの見極めがついたころ。夏世は単独でも動くことにした。

 つまり、今まで噂だった研究施設とやらがあるのか。である。

 夏世は職員や警備員、監視カメラの隙をついて様々な部屋に潜り込み、ついに施設の設計図を見つけた。

 それには空調用の配管が不自然な地下に伸びていることが示されている。

 つまり、アルが連れていかれる扉の先には地図にすらない地下施設があるということ。

 

――設計図を見て、私は揺れました。このいかにもな場所に行くかどうか。

 

――しかし結局、私は見に行くことを選びました。私は好意を伝えてくる人間を疎ましく思い続けられるほど壊れていなかったのです。

 

 第3支部は()()()子供がひとり通れそうなダクトが様々な場所に張り巡らされている。夏世はそれを使えば人目につかずにいられると判断した。

 

――私の記憶力は非凡なものでしたから、ダクトがどこに続いているかを知るのは簡単でした。

 

――ダクトに潜んで、彼女が何をしているか、あるいは何をされているか覗き見ようとしたのです。

 

「行ってくるね☆」と手を振ったアルを見送った後、夏世は行動を起こした。

 訓練ノルマを手早く終わらせ、トイレからダクトに侵入。

 本来ダクトは人が通れるほど大きくはないし、仮には入れてもダンパという装置が邪魔で通ることはできない。

 しかしこの施設のダクトにダンパや送風機はなく、つまり手抜きだった。

 

――そうして音を出さないように這って移動した先で、いよいよ彼女が連れていかれた部屋にたどり着いた私ですが……。

 

――思い出すだけで吐き気がします。あんなのは。

 

 夏世はダクトの隙間から部屋を覗くと、そこはやはり研究室だった。

 寝台のアルは手足を拘束されており、その左右に白衣姿の男が2人。周囲は心電図をはじめ複数のディスプレイと機械に配線が絡まらんほどに配置されていた。

 男たちの会話を盗み聞く。

 

「今日はなんだ、電気か?」

「そうらしいな。前回は耐水検査だったか? もう何回もやってるだろ、あれ」

「まぁ、ネタ切れなんじゃないか? 上の方もさ」

「そうでも別にいいけどな。こうして楽しめるわけだし」

「ハハッ、違ない。さっさと始めようぜ」

「うい」

 男が鉄の棒を2本取り出す。機械から電力が供給されているのだろう、打ち合わすとバチバチと音が鳴った。

 男はそれを躊躇なくアルに押し付ける。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ゛」

 

 感電した矮躯が魚のように跳ね回る。拘束具はガチガチと音を奏でた。

 肉体が制御を離れて失禁。皮膚はプスプスと煙を上げる。

 涙と涎が顔を濡らし、瞳は白目を剥いた。

 

「やっぱり50mA(ミリ)じゃ死なないな」

「じゃあ100いくぞー」

「おう」

 

「ん゛ん゛ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛い゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ゛」

 

 夏世の眼前で容赦なく電流がアルに浴びせられていく。

 

――彼女が受けていたのは検査などではなかったのです。もはや……拷問と言えるものでしょう。私は、こんなことなら彼女を連れ出すべきだった……ッ。

 

 不幸なことに、夏世は混乱と焦りで音を立ててしまった。

 誰だって目の前で拷問が始まれば驚く。

 しかしこの研究員たちは仮にも優秀で、その音を聞き逃さなかった。

 

「ん、なんだ今の音」

「ダクト……か?」

 

 動かなければ見つかる。しかし動いても見つかる。八方ふさがりに夏世は悩んだ。

 飛び出したとして、力加減を誤れば研究員を殺してしまう。殺さずにアルを連れ出してもなんらかの追っ手がかかるのは想像に難くない。

 そうこうしているうちに研究員がダクトをのぞき込もうとした。

 夏世が身を強張らせるも、そのタイミングを見計らったか。

 

「あは……おじさんたち、これで終わり? ざぁこ♡ 前髪スカスカ♡ 非モテ童貞♡ この程度、ヨユー過ぎて眠くなってきちゃった♡」

 白目を剥いていたはずのアルが研究員を煽った。

 

「なんだァ……こいつ……」

「このガキ!」

「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛!゛!゛」

 

 イラついた研究員は電気(わからせ)棒をアルの口に入れ、さらなる責め苦を与え始めた。

 この生意気な呪われた子供(サンドバッグ)を鳴かせるのを楽しみにしている研究員がいるほど、この検査は研究員のストレスのはけ口として使われていた。

 

――私は命拾いしたのでしょう。彼女と目が合いましたが、それは助けを求める目ではなく、私を気遣う瞳でした。

 

「私は大丈夫」アルの視線の意味を夏世は正確に理解した。同時に、助けることで生まれる不利益を望んでいないことも。

 

 結局、アルが泣き叫ぶ4時間、夏世は耳を塞いで耐えるしかなかった。

 

 

「あは☆ 酷い顔だよ、夏世ちゃん」

 

――何もできずに部屋へ戻った私を、彼女は抱き締めて言いました。

 

「私は大丈夫。夏世ちゃんがいればどんなことだって耐えられるから」

 

――ええ。いつの間にか、私も彼女の鎖になってしまっていたんです。何かしようと考えた時にはすべて手遅れで、私は、彼女と関わるべきではなかった。話しかけるべきではなかったんです。

 

 夏世は聞いた。私たちが憎くないかと。

「そんなことないよ! アタシは皆が大好きだもん。夏世ちゃんは特にね☆」

 嘘は言っていない。しかし、その言葉を真に受けられるほど夏世は無知でいられなかった。

「信じてない顔だね~? ふふ、それじゃあ行動で示してあげる」

 アルは夏世の手と指を絡め、首、額、頬と次々口づけを落とした。

「みんなこれが好きみたいなんだぁ。夏世ちゃんはどう?」

 

――……あのような行為を不特定多数にしていたのは如何かと今でも私は思いますが。

 

「んふふ。これでも信じられないなら今日は一緒に寝よっか☆」

 

 布団の中でアルと抱き合いながら夏世は決意した。

 明日、皆に話して脱走しようと。

 

 

――しかし、そうはならなかったんです。

 

 アルは出荷された。

 朝、部屋にいないアルを気にかけた子供が職員に聞いたら帰って来た言葉である。

 

――それが方便だとすぐ気が付きました。大人たちの瞳が嘘を語っていたからです。

 

――それでも、彼女は私の手の届かないところに行ってしまいました。

 

――私たちの関係は、唐突に終わりを告げたのです。

 

――この後悔は、私が背負っていくべき罪なのだと、そう思っていました。

 

 その後、間もなく将監と引き合わされたところで夢は終わった。

 

 

 

――そういえば、私はもう死んだのでしょうか。蛭子影胤はどうなったのでしょう。里見さんは勝てたのでしょうか。将監さんは……。

 

「おい、何時まで寝ぼけてんだ。さっさと起きろ」

 

――あっ……。

 

 聞きなれた男の声がして、夏世の意識は水底から浮上した。

 

 

 

 

 

 

 薬品の匂い。柔らかいものに包まれている感触。青白い天井。

 どうやら病院にいる、と夏世は理解した。

 瞬きを繰り返しながら周りを見渡す。

 網膜を通じて脳内に映った人物は、夏世のよく知る友人だった。

 

 黒のジャケットを覆う桜色の髪が朝日に照らされて艶を帯びている。

 身じろぎで気が付いたのだろう、目を細めてアルは夏世を見下ろしていた。

 

「アルちゃん……ですよね」

 ぼんやりと現実感があやふやなまま、夏世は切り出す。

 アルは夏世の左手を両手で包み込みながら答えた。

「うん。2年ぶり、夏世ちゃん」

「……私、生きてるんですね」

「当然。アタシも夏世ちゃんも生きてる。夢じゃないよ?」

「夢だったらどうします?」

「首切って死んじゃうかも☆」

「それなら……夢じゃダメですね」

 

 夏世は上体を起こし、アルと向き合った。

 

「あれから、どうなりましたか」

 アルはいつもの笑顔で答える。

「蓮太郎くんが全部やってくれたよ。蛭子影胤もゾディアックもやっつけて、東京エリアを救っちゃった。いまじゃ救世主だなんて言われてるよ、彼」

 夏世は息をのんだ。

「ゾディアックガストレアが……それは、すごいですね……」

 都市や国を亡ぼすガストレアを倒したとなれば救世主も誇張ではない。

 同時に、夏世は彼が救世主と呼ばれていることが嬉しかった。

 

 ああいう、優しい瞳の人こそ報われてしかるべきなんです。私たちとは違って――

 

「すごいのは夏世ちゃんもだよ?」

「え?」見計らったかのようなタイミングに思考が途切れる。

「夏世ちゃんがあの場でガストレアを引き付けたから、蓮太郎くんたちは背後を気にせず戦えたの。むしろMVPは夏世ちゃんまであるよ? 蓮太郎くんは集団戦が苦手だからね~」

 そういうものだろうか。

 確かに集団戦の想定をして殿を務めたものの、夏世はそこまで言いきれなかった。

「…………」

「あんな場所でひとり、よく頑張ったね。怖かったよね、辛かったよね。アタシはちゃんとわかってるから。だから夏世ちゃんをすごいって言うし、きちんと褒めるよ」

「…………っ」

 夏世の背に手を回し、彼女の頭を胸に抱え込む。

 花のような香りが脳を惑わし、緩んだ涙腺から溢れた涙はアルのブラウスに吸い込まれた。

「生きていてくれてありがとう。また会えてうれしいよぉ」

 夢に見たからか。かつての記憶が夏世の脳を巡っていく。

 けれど、その喜びを純粋に喜べない心がいた。より世間に汚れてしまった今の自分は。

「でも、私は……人を……っ」

 人を守るはずの民警が人を殺めたという矛盾に、正常性が反抗する。

 そんな夏世をアルはより強く抱擁し、狂気で答える。

「悪いのは指揮官(プロモーター)だよ。夏世ちゃんは悪くない。それでも辛いなら一緒に分け合おう?」

「分け合う、ですか?」

 アルは見上げてきた夏世に頷く。

「アタシも人殺しなんだ」

「え?」

「殺し過ぎて何人殺したか覚えてないんだぁ。()()()大丈夫。アタシは夏世ちゃんを受け止めてあげられるよ☆」

 

 そのセリフに夏世は絶句した。

 わかってしまった。昔を知っているが故に、考え至ってしまう。

 壊れてる。

 彼女は壊れてしまったのだ。治らないほどに。

 かつてはまだ至ってなかったのだ。そんな昏い瞳には。

 

――私が……連れ出さなかったから……?

 

 今回会えたことで、どこかで生きていたと楽観的な考えを浮かべていた。

 しかし現実は違った。生きていたが、それだけなのだ。場所が変わっても同じような拷問を受け続けていたのだろう。

 そもそも、彼女が生きている理由すら。

 

「アルちゃんは……アルちゃんですよね……?」

 不安に駆られて問いかければ。

「うん☆ 夏世ちゃんのことが大好きなアルだよぉ~」

 笑顔だった。

 見慣れた笑顔だった。

 ()()()()()()()()笑顔だった。

「あ……あぁ……っ!」

 自分を抱き留める腕が、深い淵の底から這い出した魔手に思える。

 

――それでも……それでも、ここで逃げては……っ。

 

 今の生活は悪いものではないのだろう。しかし、つなぎ留めておくには足りない。

 もはや狂気を常世とするこの女は、このままだと()()()()()しまう。

 片手ほどの数しか残っていない友人を失いたくない。夏世はそう思った。

 そして、そのためにはこの恐怖を抑えて()()()()必要がある。

 今度こそ、千寿夏世は躊躇しなかった。

 

「アルちゃんこそ……頑張りましたね」

「え?」

 アルの手が緩んだ隙に、夏世はアルの頭に手を置く。

 そのまま、髪を梳くように撫でた。

「あなたこそ、生きていてくれてありがとうございます」

「え? え?」

 アルは笑顔のまま戸惑っていた。

「お礼を言っていませんでしたよね? 助けてくれてありがとうございます。アルちゃん、あなたが居なければ今頃私はガストレアの仲間でしたから」

「うん、え?」

「昔からそうでした。あなたは優しい。あなたはそれを上辺だけだと思っているのでしょうが、何もされない寂しさを知る私たちからすれば、それでも優しさなんですよ」

「ど、どうしちゃったのぉ? 夏世ちゃん、変だよ」

 混乱したアルは精一杯の言い訳を述べる。

「失礼ですね、普段通りです。以前から言いたいと思っていたお礼を告げているだけです」

「え、えぇ……?」

 怯えて後退ろうとする体を夏世は捕まえた。

「話をしたり、遊んだり、一緒に寝たり。私は嬉しかったんです。些細な日常がなによりも。それと私は回りの子供たちと話が微妙にかみ合いませんでしたからね。その仲介をしてくれたのも実は、感謝してます。ありがとうございます」

「な、なになに。どういう……コト?」

 

――つまりですよ。

 

 夏世はアルの瞳を正面から見つめて言った。

 

「私こそ、あなたを受け止めてあげられます」

 

「え…………?」

 

 言葉は聞こえた。しかし、アルはそれを理解できなかった。

 受け止める? ナニヲ?

 

「私は、あなたを、受け止めてあげられます」

 

 なので夏世は肩を掴んで、はっきり聞こえるように、ゆっくりと繰り返した。

 

「あ…………」

 

 さすがに理解した。

 数秒して。

 ぽろぽろと。

 獣の瞳から涙がこぼれだした。

 

「私は、大丈夫です。あなたを昔から知っています。あれから変わったとしても、あなたを嫌いになったりしません」

「……ほんと?」

 泣き笑いで問いかけるその顔は、親とはぐれた子供そのものだった。

 同じ子供だが、()()として。

 夏世は瞬きをひとつ。断言した。

「本当です」

「……アタシのこと、好き?」

「大好きですよ」

「……いなくなったりしない?」

「しません」

「……死んじゃったりしない?」

「しません」

「……変なことしたら叱ってくれる?」

「ええ、飛びきりキツイのを」

「……アタシ、酷いことする。それでも、付いてきてくれる?」

「――――もちろんです」

 

「……あは☆」

 

 やはり彼女で間違いなかった。

 アルの全身を甘い痺れが伝い、歓喜に震える。勢いあまって口づけまでしてしまった。

 

 夏世は驚きこそ浮かべたが、拒絶するわけでもなく小さな子供を抱擁する。

 すすり泣きの声を、背中を叩きながら聞き続けた。

 

 

 

 

 体感時間で数時間抱き合っていた2人。

 ぐぅぅ、と夏世のかわいらしい腹の音が鳴ったのを合図に抱擁を解いた。

 涙をぬぐう。

「……お腹、すきましたね」

「3日も寝てたからねぇ~。精神的なものだって医者は言ってたよ」

「そんなに……」

 イニシエーターは基本1日で退院できることを考えれば長い方だろう。

 

 ふと、夏世はそこで病室の壁に寄りかかる長身の女性が気になった。

 圧倒的な胸囲がタンクトップの上からでもよくわかる。驚くほど艶やかな黒髪に、口元はドクロパターンのフェイススカーフで覆っている。どこか既視感のある彼女は夏世を睨め付けるように三白眼を向けた。

 

「アルちゃん……あの方は?」

「ああ、聞いて驚かないでね? 将監君改め――ショーコちゃんだよ☆」

「えっ」

「重症でねぇ……試験薬を使ったら、なぜか性別が変わっちゃった☆」

 

 夏世の脳がフル回転した。

 己がプロモーターを軽視していたわけではないが、目下の問題に気を取られていたせいで思案が遅れていたのだ。

 ガストレアというフィクションの怪物がいる現代だが、性転換の薬など流布していないのは明白だ。つまり、これは十中八九厄介ごとなのだということ。

 またひとつ、知らないことをアルは抱えているらしい。

 

「あ、はい……そうですか……」

 夏世はそういうものだと受け入れることにした。

「そうですかじゃねぇよ、クソが」

「声は高くなっていますが、その悪態。やはり将監さんなのですね……」

「あァ? どういう判断基準してやがる」

「いえ……生きててよかったです。お互いに」

「ふん……テメェが死んだら商売できねぇだろうが」

「それもそうですね、将監さんだけだと暴力しかありませんし」

「あァ!?」

冗談(ほんと)ですよ、冗談(ほんと)。いつからいらしたんですか?」

 将監は頭をかいた。別に喧嘩しに来たわけではないのだ。

「初めからだよ、テメェらがわんわん泣きじゃくってんのは面白かったぜ?」

「驚きました。気を遣うということが出来たんですね、将監さん」

「……テメェ、今日は一丁前に吹くじゃねぇか。大層に自我なんか持ちやがって」

「へぇ~、ショーコちゃんはお人形(ラブドール派)なんだぁ☆」

「誰がンな話したァ!」

 言って、将監は気づいた。女の体になった以上、風俗店には行けない……? いや、行くこと自体は可能だ。しかしその後は……。

 そこまで考えたところで、思考を断ち切る。

 

「……将監さんは、私が自我を持つと嫌ですか」

 ふざけた雰囲気を夏世の問いが吹き飛ばした。ずいぶん真面目な問いだ。

 

 将監の脳裏に三ケ島社長の言葉が蘇る。

『ちょうどいい転機だから、前から思っていたことを言うがな。お前はわが社の民警として貴重な存在なのは確かだ。1000番台は伊達じゃない。しかし、だからこそ周りを見ろ。今までのように暴れるだけでは時代に取り残されるぞ。民警としての行いを改めてみろ』

 

 良くも悪くも、将監は影胤との戦闘で自分の強さが絶対でないことを知った。

 これで自信を喪失するほど弱い男ではないが、彼は今回の件で基本を思い出した。

 戦いとは、自分の得意の押し付け合いだ。将監の得意が今回のような相手に通じなかったとき、相棒の得意がなければ競り負ける。化け物(100番台)がそうゴロゴロ出てくるはずもないが、もし同じ強敵に相対したときは今度こそ死ぬだろう。

 そしてその時、将監自身が命令を飛ばせるほど近接戦は甘くない。ならば自立ユニットとして勝手に動いてくれたほうが楽をできる。

 

 そういった建前もあるが、結局のところは。

 

「テメェは、それでいい(辛くねぇ)のかよ」

「……はい」

 

 見つめ合う両者。

 

 白旗を上げたのは、将監だった。

 

「はン。なら勝手にしろや。仕事が出来りゃそれでいい」

「……はい!」

 

 将監はそっぽを向いた。

 一方、アルは笑った夏世を抱き締める。

 

「ん~! 可愛い! ちなみに教えると、序列は12000番から再スタートだよ」

「なるほど……」

 つまり夏世の純粋な能力が1万台ということ。消して低いランクではなかった。

「ちゃんと頑張りは認められてたってことだねぇ~」

「……はい」

「あと、アタシたちだけならいいけど、将監君は死んだことになってるから、人前ではショーコちゃんって呼んであげてね」

「あ、はい」

 

 夏世はこの女体化現象について深く考えないことにした。

 

 ひと通り話すことは話した。なら、あとは自由時間だろう。病院側からも起きたら退院してよしと聞いている。

 丁度いいし三大欲求を満たそうとアルは考えた。

 

「よし、それじゃあ焼肉行こうよ! ショーコちゃんの驕りね☆」

「はァ? ざけんなや! なんでテメェが仕切ってんだ」

「別にいいじゃんそんなことぉ。イニシエーターの衣食住はプロモーターの責務だよ~?」

「知ってんだよ。だがなんで他所のガキの面倒まで見なきゃなんねぇ」

「そりゃ大人だからでしょ~」

「ほんとムカつくなァ……力関係をわからせてやろうか」

「へぇ? やるんだ、アタシと?」

 将監は右手を回してアルに近づくが、赤い瞳に見られたところで動けなくなる。

「クソ……なんつーズルだよ」

「誉め言葉として受け取っておくね☆」

 

 その光景に夏世は驚きを覚えた。あの暴走特急が止まるのかと。

「アルちゃんは不思議なことが出来るんですね」

「うん。本当は夏世ちゃんにも教えてあげたいんだけど、まだ企業秘密☆」

 そうですか。と夏世は食い下がらなかった。

 話題は戻る。

「しかし焼肉ですか……病み上がりの体に焼肉は重い気もしますけど」

「でも嫌いじゃないんでしょ?」

「それは、はい」

「じゃ、決まり!」

「それはいいんですが……まずは将監さんの服装を整えてからですね」

「だね☆」

 

 アルはベッドの下に隠していたバッグを取り出す。そこにはゴスロリからスーツまで、さまざまな衣装が入っていた。

 

「あァ!? ま、まさか」

 

 アルと夏世はお互いを見て頷いた。考えていることは同じ。

 2対の猛獣(ようじょ)の瞳が哀れな美女(おとな)を貫く。

 危機を察知して逃げようとするも、また体が制御を離れた。

 

「おい、ふざけんなよそれ! やめやめろ!」

「ふっふっふ。よいではないか、よいではないか~」

「私、将監さんの体……気になります」

 

 両手を開閉しながら近づく悪魔たちに、子羊は最後の言葉を振り絞った。

 

「俺は女物なんか着ねぇぞ、絶対着ねぇからな!」

 

 

 

 

 

「ミ゜」

 

 

 





・アル(10)
4歳児。3話時点だと0歳

・千寿夏世(10)
頼れるお姉さん

・先生ぇ(不詳)
頼れないかわいいお姉さん

・浸食率
延珠 41.6%
夏世 32.8%
アル 10.2%


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【英雄は】里見蓮太郎を語るスレpart◆◆【ロリコン】+α


掲示板ってやつを書いてみたかった

Q:IF.を取り寄せてたらもう8月だよ

A:なななな、なっ、何ですってー---ー!!!???




1:ななしの人間 

 

本スレは颯爽と現れた東京エリアの救世主()こと

天童民間警備会社所属のプロモーター、里見蓮太郎について語るスレです

荒らしは無視しましょう

 

前スレ

【英雄は】里見蓮太郎について語るスレpart▲▲【ゲイバー勤務】

http://………

 

 

 

120:ななしの人間 

そんなことより俺は千葉が爆破されたってのが悔しいんだが

地元やぞ

 

121:ななしの人間 

天の梯子が吹っ飛んだんだっけ?

ご愁傷さまやで

 

122:ななしの人間 

まぁいつ帰れるかもわからんしな……

 

123:ななしの人間 

それは乙。正直未踏査領域(サイレントライン)はガストレアにめちゃくちゃにされてるって話だからな……

 

124:ななしの人間 

おのれガストレア

 

125:ななしの人間 

なんかスレ立ってんな。

里見蓮太郎って誰だ?

 

126:ななしの人間 

お?

 

127:ななしの人間 

ご存知、ないのですか!?

 

128:ななしの人間 

彼こそ偶然天の梯子付近にいてなぜか攻め込んできたゾディアックガストレアを倒した英雄

里見蓮太郎くんです!

 

129:ななしの人間 

偶然いた(未踏査領域)

 

130:ななしの人間 

なぜか攻め込んできた(東京湾出現)

 

131:ななしの人間 

英雄(元ランク外)

 

132:ななしの人間 

どう考えてもおかしい

 

133:ななしの人間 

大本営発表定期

 

134:ななしの人間 

怪しさの塊

 

135:ななしの人間 

ほーん

 

136:ななしの人間 

反応薄くて草。聖天子さまの放送見てなかったんか?

 

137:ななしの人間 

寝てたわ

 

138:ななしの人間 

図太すぎ

 

139:ななしの人間 

聖天子さまのお姿を見れなかったとは、悔しいでしょうねぇ

 

140:ななしの人間 

非国民やんけ

 

141:ななしの人間 

就任祝いの画集持ってるからいいや

 

142:ななしの人間 

ファ!?

 

143:ななしの人間 

うそでしょ……

 

144:ななしの人間 

100冊限定品やんけ

 

145:ななしの人間 

>>141 おい、そいつをよこせ!

 

146:ななしの人間 

>>141 殺してでも うばいとる

 

153:ななしの人間 

過激派湧いてて笑う。

まぁ真面目に言うと民警が東京エリア守ってくれたんだが

政府が情報を中途半端に出し渋ったんで、いろんなメディアで情報が錯綜してるんよ

 

156:ななしの人間

報道官のイメージ画像が不幸面過ぎたのが悪い

 

158:ななしの人間 

前スレではゲイバーでバイトしてる説が出てたか

 

160:ななしの人間 

シイタケ栽培師説はなんで出てきたんだっけか?

 

162:ななしの人間

>>160 急にキノコタケノコ論争が始まって折衷案でシイタケになった

 

163:ななしの人間

実質キノコじゃねぇか*1

 

164:ななしの人間

というか政府が名前公表してないのになぜおまいらは特定しちゃったのか

 

165:ななしの人間

なんかできちゃったというか

 

166:ななしの人間

つい、出来心で……

 

171:ななしの人間 

ほい

http://movie……

 

172:ななしの人間 

ひぇっ

 

173:ななしの人間 

うわぁぁぁぁぁぁあぁぁぁ

 

174:ななしの人間 

削除依頼はよ、はよ!

 

175:ななしの人間 

\(・ω・\)SAN値!(/・ω・)/ピンチ!

 

176:ななしの人間 

>>175 ふざけてる場合かァーッ!

 

177:ななしの人間 

>>171 うわ☆ ゾディアックガストレア(スコーピオン)じゃん。なんでそんなもの録画してるの?

 

178:ななしの人間 

暇だった

 

179:ななしの人間 

>>171 通報して、どうぞ

 

 

310:ななしの人間

長く苦しい戦いだった……

 

311:ななしの人間

テロやろこんなん

ゾディアック見て大戦時のPTSD起こしてる友人もおるんやで

 

312:ななしの人間

とんでもないやつがいたもんだなあ

 

313:ななしの人間

そしてこれを倒せたんだからやっぱ英雄だよな

不幸面だけど

 

314:ななしの人間

とはいえ天の梯子ありきだろ? 

個人の能力でゾディアックが倒せるなら世界はこんなんなってないわ

 

320:ななしの人間

まぁ、それはそうなんやが。

たぶんアシストがあったんじゃない? でなきゃ軍人でも無理よ

 

321:ななしの人間

確かCYCLOPSっていうシステムがあったとか昔の公式HPにあったな

それでも俺なら怖くて撃てんわ。外したら東京エリアは滅ぶんだし、やっぱ里見氏は選ばれし人間なんだろ

不幸面だけど

 

322:ななしの人間

不幸面の主張で草

 

323:ななしの人間

英雄だけだったら妬まれるだけだからな。欠点のひとつあった方がええやろ

 

324:ななしの人間

これもすべて聖天子さまのおかげなんだ……!

 

342:ななしの人間

>>324 いつもの

 

343:ななしの人間

しかしそんな英雄はロリコンなのであった……

 

345:バックベアード

このロリコンどもめ!

 

347:ななしの人間

バックベアード君この前女体化してたな

 

349:ななしの人間

でも呪われた子供たちってかわいいからな、仕方ないね

 

353:ななしの人間

不思議と美形が多いよな。

やっぱガストレアウイルスのせいなんか

 

355:ななしの人間

ワイらもガストレアウイルスを浴びればイケメンになれる可能性が微レ存……!?

 

356:ななしの人間

ワイらはガストレアになって死ぬだけやで

 

357:ななしの人間

悲しいなぁ……

 

359:ななしの人間

民警になってロリっ子とイチャイチャしたいなりぃ……

 

361:ななしの人間

なお実態

 

363:ななしの人間

プロモーターは犯罪者がほとんどだからな

 

364:ななしの人間

犯罪者と組まされる幼女……うっ!

 

365:ななしの人間

英雄くんもそうなんかね?

 

366:ななしの人間

結構若そうだったしどうだかね。

これから犯罪を犯すかもしれんが

 

371:ななしの人間

犯罪(ロリに手を出す)

 

372:ななしの人間

聖天子さまが発表するくらいだからそういうんはないやろ。

……ないよな?

 

374:ななしの人間

でもその聖天子さまにタメ口聞いたらしいぞ

 

375:ななしの人間

は?

 

376:ななしの人間

ゆるせねぇよ……

 

381:ななしの人間

不敬! 不敬であるぞ!

 

383:ななしの人間

この犯罪者がぁ!

 

385:ななしの人間

>>375-383 怒涛のレスで草

 

387:ななしの人間

英雄より聖天子さまの方が大事だからな。残念でもないが当然

 

389:ななしの人間

>>359 いうてイニシエーターの身体能力はガチやぞ?

機嫌損ねたら首折りかねん奴と一緒に生活するって大分図太いというか

 

391:ななしの人間

可愛いは正義や

 

392:ななしの人間

(首が折れる音)

 

394:ななしの人間

い、いえすろりーた のーたっち……

 

396:ななしの人間

イニシエーターは最高だぜ!

 

398:ななしの人間

>>396 ロリコン四天王!?なぜここに……まさか自力で脱出を!?

 

402:ななしの人間

聖天子さまはもうちょっと……違法鉱山についてだな……

 

404:ななしの人間

あれは摘発しようにもなぁ。大企業ばっかだから手が出ないんだろ

正直他に問題はいくらでもあるわけで

 

405:ななしの人間

子供たちも働かされてるんだよなぁ

 

407:ななしの人間

元首になってまだ1年やぞ。なんでも要求するなって

 

408:ななしの人間

おまいらほんと聖天子さまに甘いな……

 

411:ななしの人間

ただ正直違法鉱山の待遇やばいぞ。朝5時に起きて夜1時に寝るまでずっと地下暮らしや

護衛という名の監視が四六時中見張ってるんで逃げ出すのも一苦労

ちなみに時計はないからワイの体内時計だけどな

気が狂うかと思ったわ

 

412:ななしの人間

おや、ひょっとして逃げてきた(たみ)

 

414:ななしの人間

そうやで

 

415:ななしの人間

あっ……そうとは知らずすまんやで

 

416:ななしの人間

ええんやで

 

421:ななしの人間

わかります。僕もバラニウム鉱山で働かされてて、この前逃げてきたんですけど里見さんに助けてもらわなかったらあのうす暗い地下で死んでたと思うと……

 

422:ななしの人間

急になんや と思ったら里見君!? お前里見君にあったんか!?

 

423:ななしの人間

はい そうですけど

 

425:ななしの人間

まじ? 生き証人きtらああああああああ

 

426:ななしの人間

どんな人間だったんや? 教えてくれ!

 

431:ななしの人間

語りつくしたと思ったところに新たな燃料だぜヒャッハー!

 

433:ななしの人間

世界人口が7億ちょいしか居ないのにお前らときたら……

 

434:ななしの人間

でも気になるやろ

 

435:ななしの人間

なる

 

437:ななしの人間

即落ち2コマ

 

440:ななしの人間

えと、すごいかっこいい人でした。僕、脱走出来たはいいんですけど羽賀……現場を仕切ってた民警の人に追われちゃいまして、それで追いかけてきたのが里見さんだったからもうだめだと思ったら里見さんが羽賀を殴り飛ばしてくれたんです。しかも僕がお礼を言う前にガストレア退治に向かったんです。あれが本物の民警なんだって思いました。

でも少し悪人みたいな顔つきしてました

あと女社長さんの尻に敷かれてました

 

442:ななしの人間

長い長い。さては君若いな?

 

444:ななしの人間

はい 中学生でした

 

445:ななしの人間

でした……? あっ……(察し) どれくらいいたの?

 

447:ななしの人間

確か2年だったと思います

 

451:ななしの人間

やっぱり顔つきは悪いのか

 

452:ななしの人間

真っ黒やんけ!

 

453:ななしの人間

まて、なんで英雄に追いかけられたんだ? 悪いことしたんか

 

455:ななしの人間

いえ、雇われた?らしいです

 

456:ななしの人間

民警に雇われる……? もしかして:貧乏

 

460:ななしの人間

英雄、貧乏説

 

461:ななしの人間

流石に嘘やろ……嘘よな?

 

463:ななしの人間

でも里見さん天誅バイオレットの着ぐるみしてましたよ。子供たちに蹴られてました

 

465:ななしの人間

なんでやねん

 

466:ななしの人間

どういう状況だよ

 

467:ななしの人間

遊園地でバイトしてたみたいです

 

468:ななしの人間

まさかこれか

[天誅ガールズのイベントURL]

 

469:ななしの人間

たぶんそれです

 

470:ななしの人間

ほんとに金欠そうで笑う。英雄の姿か? これが……

 

471:ななしの人間

天誅バイオレット、なんであんな嫌われてるんだろな

 

472:ななしの人間

虐めたくなる女の子っておるやろ? そういうことや

 

473:ななしの人間

僕も里見さんみたいな民警になりたくて勉強中なんです。一緒に逃げてきた子がイニシエーターになってくれるみたいで

 

475:ななしの人間

がんばれよ

 

476:ななしの人間

そういや英雄のイニシエーターってどんな子だったん?

 

478:ななしの人間

ほい

https://picture……[天誅バイオレットの胴体に蓮太郎の似顔絵が乗った画像]

 

480:ななしの人間

ありがとうございます!

たしか赤い髪の女の子でした。天誅レッドみたいな

 

482:ななしの人間

めっちゃ可愛いってことやん

 

483:ななしの人間

>>478 雑コラやめろwww

 

485:ななしの人間

英雄のイニシエーターがやばい奴みたいに読めちゃうだろ!

 

486:ななしの人間

>>476 もう……(元の姿に)解体しろ……!

 

487:ななしの人間

310338315です!

 

488:ななしの人間

天誅ガールズはいいぞ

 

489:ななしの人間

天誅ガールズはいいぞおじさんだ!

 

490:ななしの人間

子供たちに蹴られる民警になりたいとも読めちゃうな

 

491:ななしの人間

掲示板の悪いところや

 

493:ななしの人間

えっと……朱里にならいいかもしれません

 

494:ななしの人間

ファッ!?

 

496:ななしの人間

中学生にして変態……将来有望ですよこれは

 

500:ななしの人間

あーもうめちゃくちゃだよ

 

501:ななしの人間

にしてもあの「天童」民間警備会社が金欠か……こりゃ社長に何かありそうだぞ

 

502:ななしの人間

やめとめやめとけ!

天童といや黒い噂が絶えないんだから下手に話題に上げたら誇張なしに消されるで

 

503:ななしの人間

いのちだいじに

 

504:ななしの人間

こうなると英雄の背後も後ろ暗くなってくるが……

 

505:ななしの人間

ワイらは英雄がロリコンかどうかを話してるだけだから無罪やぞ!

 

506:ななしの人間

名誉棄損では……?

 

507:ななしの人間

事実であれば問題ない

 

508:ななしの人間

それはそれでどうなんだ

 

510:ななしの人間

お前らぬるすぎんだろ

 

511:ななしの人間

お? なんだなんだ

 

512:ななしの人間

あんなクソガキども殺しちまえばいいんだよ。英雄だかなんだか知らねえがそいつがクソガキをかばってるならそいつもぶっ殺せ

 

513:ななしの人間

うわ、過激派だ

 

514:ななしの人間

へ、ヘイトスピーチ……!

 

520:ななしの人間

あんなのは人間じゃねえ ただのガストレアだ 早く殺せ

 

521:ななしの人間

大戦で常識まで失ってしまった悲しきモンスター……

 

522:ななしの人間

呪われた子供なんざこの世にはいらねぇんだよ!

 

523:ななしの人間

まあ実際ワイらは少数派だしな。街の連中を見てるとそう思うわ

 

524:ななしの人間

正直なんで呪われた子供たちにヘイト向けてんの?あいつら

 

530:ななしの人間

>>524 ガストレアに復讐したいけど度胸もなければ実力もないから反撃してこない子供をいたぶって自慰してるんだよ☆

 

531:ななしの人間

>>530 ストレートで草

 

532:ななしの人間

俺もガストレアにカッチャマ殺されたけどそれはそれだからなぁ

 

533:ななしの人間

というか身内が死に過ぎてそのあたりの感性が麻痺してるまであるな

 

535:ななしの人間

つまり……奴らの方がまともな感性を持ってるってコト!?

 

536:ななしの人間

俺たちはまともなんだよ。わかったらさっさと近くにいるゴミをぶっ殺せ!

悪魔の手先どもが!

 

538:ななしの人間

えぇ……その結論は嫌なんだが

 

540:ななしの人間

否定しきれないところがあるのが何とも言えん

 

542:ななしの人間

それでもかわいいは正義なんだ……誰が何と言おうと正義なんだ……

 

543:ななしの人間

正直ワイらが社会不適合者なんは彼らの常識についていけんからやろ

 

545:ななしの人間

せやな

 

546:ななしの人間

まぁこのご時世、働かないと死ぬので働くのですが……

 

548:ななしの人間

カッチャマは死んだ……もういない……

 

550:ななしの人間

ガストレアのおかげで働くようになったというんは……皮肉だよな

 

551:ななしの人間

;;

 

553:ななしの人間

やめようぜこの話……辛くなってきた

 

554:ななしの人間

殺せー! 呪われた悪魔の手先どもを根絶やしにしろ!

 

555:ななしの人間

まだ言ってる

 

557:ななしの人間

テメェらもとから東京に住んでた連中だからわからねえだろうなぁ!

俺はガストレアのせいで地元を捨てなきゃならなかったんだぞ!しかも長野だ!未踏査領域で一生帰れないかもしれないんだぞ!

千葉がなんだクソが!

今じゃ日雇い労働者だこんな生活になってるのは全部ガストレアが悪いんだよ

早くクソガキどもを根絶やしにしろ!

 

559:ななしの人間

故郷を追われる気持ちはわからんでもないが……

 

560:ななしの人間

スレチはスレチだからな。早くどっか行ってくんねぇか

 

562:ななしの人間

>>557 なんだァ? テメェ……

 

563:ななしの人間

千葉ニキ、キレた!

 

564:ななしの人間

>全部ガストレアが悪い

わかる

>早くクソガキどもを根絶やしにしろ

全然わからん!

 

565:ななしの人間

彼女たちは呪われてなどいません

彼女たちは祝福された神聖な存在なのです

今すぐその発言を撤回してください

 

566:ななしの人間

でたわね

 

567:ななしの人間

祝福ニキじゃん。今日は遅かったナ

 

568:ななしの人間

レスが早かったからやろ

 

570:ななしの人間

何だお前、お前も悪魔の手先か? 死ねよ

 

571:ななしの人間

彼女達は悪魔ではありません。祝福されし新人類なのです。

発言を撤回してください

生きるのが辛いなら勝手に死ねばいいでしょう

戦う度胸もなく掲示板で書き込みをしている暇があるなら発言を撤回してください

 

572:ななしの人間

うーん、この……

 

573:ななしの人間

祝福ニキはディープ・エコロジストとはまた別なんだよな

 

574:ななしの人間

それはそれで厄介なんだが

 

576:ななしの人間

勝手に死ねばいいでしょうで草

 

578:ななしの人間

祝福ニキは島に帰ろう……!

 

 

 

 

 

 

 

 世界が闇夜に染まったころ。

 大戦の影響で閉鎖した成田及び羽田空港の代わりに建設された第4区の東京空港。

 その到着ロビーに少女がひとり、長椅子の上で足をぶらつかせていた。

 利用客の少ない時間帯だからか、少女だけだというのに声をかけてくる人間はいない。

 少女は到着口から歩いてくる人影を見つけると立ち上がり、笑顔で駆け寄る。

 

「やぁ☆ 遠路はるばる長旅お疲れ様~。どうだった? 初めての空の旅は」

 

 問われた人影はプラチナブロンドの髪を流しながら言う。

 

「悪くない……と思えました。しかし少々窮屈にも感じます」

「あ~、ティナちゃんの場合はそうなっちゃうか~」

 

 少女は自分と同じくらいの高さにある頭――その中にあるもの――を見て納得した。

 

「でも海路はガストレアが特に活発だから安全じゃないんだよね。ま、我慢してよ☆」

「…………それは構いませんが」

 

 ティナと呼ばれた人影は少女に猛禽類がごとき視線を向ける。

 完全覚醒している彼女には、眼前の少女が胡散臭い存在に思えていた。

 信用しきってはいけない。どこか心で壁を持って接するべきだと。

 

「本当にそっくりだとは驚きです」

「そりゃぁ、あの子はアタシの娘みたいなものだからね。似てるのも当然かな。お義母さんって呼んでみてもいいんだよ☆」

「遠慮しておきます」

 

 にべもない返事に少女は「好感度が足りなかったか~」と嘆く。

 

「それより、私が呼ばれた理由を教えてください。リタは無理でもアシュリーやアイリーンを差し置いて私である理由はなんですか」

「えぇ? ティナちゃんだって十分過剰戦力なんだけどなぁ~」

「それでも次世代の彼女達には劣ります。万全を期すべきなのでは?」

 

 ティナの追求に少女は人差し指を唇に当てて――考えるようなそぶりを見せてから言った。

 

「そりゃぁ、できるなら皆来てほしかったよ? でも、あっちはあっちでやることがあるから☆」

「やること、ですか? …………私は何も聞いてません」

 

 瞳に力が入るティナとは逆に、少女は飄々とした様子を崩さない。

 

「だって言ってないもん☆」

「…………先ほどそっくりと言いましたが訂正します。顔は似てても内面は違いますね」

「あ、そう? ちなみに()の方はどうかな☆」

 

 ティナはひと呼吸挟んだ。

 そうしなければ依頼主を挽肉に変えてしまいかねない。

 

「体のあるあなたが言うことですか」

「あは☆ ちょっと意地悪だったかな? ごめんねぇ~」

 

 とにかく、と。

 少女は説明を続けた。

 

「ティナちゃんを選んだ理由はバランスが良かったからだよ」

「バランス?」

「そう。今の東京とアメリカの実力を考えた時の、ね」

「私が負けると言いたいんですか」

「違う違う、そうじゃないよ。マッチポンプ感は否めないけどさ」

「…………言わんとすることはわかりました。あなた、碌な死に方はしませんね」

「ちょっと、初対面の人に酷くな~い?」

「自分の胸に聞いてみたらいいですよ」

「あは☆」

 

 ティナは呆れを含んだ溜息をこぼした。

 

 もとより雇われの身なのだからこの話を断ることはできない。

 

――ようやく凡人共に私の才能が理解できたようだな。

 

 やけに嬉しそうだったマスターの顔が思い起こされる。

 随分多額の報酬を提示されたらしいが、そんな美味しい話はあるのだろうか?

 この少女は何か、まだ隠していることがある。

 それを聞いても素直に答えないだろうことは今の会話で分かった。

 ならば、あとは自力でどうにかするしかない。

 それに、思惑があるのはお互い様だろう。

 

「セカンドステージの始まりだ☆」

 

 そんなティナの内心を考慮せず、わくわくした様子の少女を。

 憎たらしく思ってしまうのはいけないことだろうか。

 

 

 

 

 

 

*1
ハラタケ目キンメジ科のキノコ





・掲示板
2031年はネット全盛期らしいから掲示板くらいはあるはず
エリアを跨いでのものかは考え物だけど

〇ティナ・スプラウト
黒い風の異名を持つ凄腕イニシエーター
本編で蓮太郎は話を聞いてくれるのだろうか


金属の筒から声が聞こえる機械があるらしい


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聖居にて








 

 

 東京エリア第1区に聖居はある。

 ネオ・ゴシック建築とでもいう、骨に似た石柱の隙間から歪曲した窓ガラスや波打つように傾斜した門前などを持つ、生物的な曲線を多用した建造物でひときわ高い塔が目につくものだ。

 その門をくぐれるのは、取材陣を除けば特異な功績を残した偉人やエリート官僚、聖天子の世話役などに限られる。

 蓮太郎も先月、ステージⅤガストレアの撃滅を称えられ、叙勲式に招かれていた。

 もっとも、記念すべき祝いの日を散々なものにしてしまったのだが。

 

 しかし今回、蓮太郎はただの民警にすぎない。

 聖天子から直々に護衛依頼をされたと聞き、依頼の説明を求めてやってきたのだ。

 守衛に話を通せば、蓮太郎は彼らに前後を挟まれたまま、記者会見室に案内された。

 

 そこにはパイプ椅子にまばらに座る職員と、ひな壇の上で演説の練習をしている純白のドレスを身にまとった東京エリア3代目元首――聖天子がいた。

 

「本日はお日柄もよく、お集りの皆様におかれましてもご清栄のこととお喜び申し上げます。さて、本日これからわたくしがお話しすることは3つだけです。たった3つ――」

 

 彼女の演説は視線や呼吸の置き方、喋り方の緩急がほぼ完璧で、かつて天童の家にいたころ似たような練習をしていた蓮太郎は思わず聞き入ってしまうほどだった。

 

 やがて一連の演説が終わり、聖天子がひと息つくと、彼女は蓮太郎の存在に気が付いた。

 

「ようこそいらっしゃいました、里見さん。時間通りですね」

 

 聖天子が居住まいを正してドレスの前で優雅に手を組んで微笑むさまに、蓮太郎は思わずドキリとした。

 

「あ、ああ……そうだな……」

 

 この微笑みとお優しい性格だ。人気があるのも頷ける。

 

 聖天子は目配せして人払いをすると、壇上から蓮太郎の傍まで下りてくる。

 隣に秘書と思しき眼鏡をつけた女性を伴っていた。

 

「清美さん、こちら里見蓮太郎さんです」

「里見蓮太郎……()()里見蓮太郎っ!?」

「……ネットミームが何と言おうが俺は里見蓮太郎だよ」

 

 ぎょっとした秘書をよそに、蓮太郎は近くで聖天子を見た。

 笑顔は素晴らしいが、覇気がないようにも見える。疲れがたまっているのだろうか。

 政務も楽じゃないのだろう。そう1度結論する。

 蓮太郎はさっそく本題に入った。

 

「護衛って話だが、どういうわけなんだ?」

 

 それに対して聖天子は表情を引き締め、ゆっくり、静かに口を開いた。

 

「里見さん。明後日、大阪エリアの斉武大統領が非公式に東京エリアを訪れます」

「斉武宗玄が?」

 

 知っている名前に蓮太郎は目を見開く。

 独裁で有名な髭男はこれまで東京エリアに見向きもしなかった。

 なぜ今更根城を離れ東京エリアへ来るのだろうか?

 聖天子は答える。

 

「わたくしがお呼びしたのです。里見さんは現在の日本が5つのエリアと5人の国家元首に統治されていることはご存じと思います。そして先日、急遽5エリアの元首全員と会談を設ける必要が出てきました。本日までに斉武大統領以外の方とは個別に電話会談を済ませております。しかし――」

 

 聖天子の歯切れが悪くなる。

 その理由を蓮太郎は凡そ想像できた。

 

「いちゃもんをつけてきたのか。あのジジイらしい」

 聖天子は首肯する。

「はい。菊之丞さんがいる限り会談には応じない、と」

 

 天童菊之丞と斉武宗玄は大戦以前から因縁ある政敵同士だ。お互い出し抜きたいと思っているので正面から会いたくないのだろう。

 

「でも、よく菊之丞(クソジジイ)は許可したな。今は中国だかロシアだかに行ってるんだろ?」

「はい、わたくしが説得いたしました。日本のみならず同盟国と連携を密にしなければならないのも事実ですから、菊之丞さんには諸外国との会談をお願いしたのです。お恥ずかしながら、わたくしはまだ国外の政治家の名前を覚えきれておりませんので」

「へぇ…………」

 

 蓮太郎は内心で聖天子の評価を上げた。

 あの菊之丞を説得だと? 一体どんな手品を使えばそんなことができるのか。

 

 同時に、顔色の悪さの原因も分かった。

 大戦末期を生き抜き、国家元首にまで登り詰めた者たちはどいつもこいつもぶっ飛んだ危険人物だ。そういった人間たちと話をしたならば疲労もたまるというものだろう。菊之丞(クソジジイ)の助けがあってだろうが、それでも折れずにいられるのは人間として強いと言える。

 

「で、護衛っつっても俺に何をやらせるつもりなんだ?」

「里見さんにはリムジンの中ではわたくしの隣に、会談中はわたくしの後ろに控えて警護してほしいのです」

 蓮太郎は一瞬、言葉を失った。

「おいおい……そいつはつまり、ジジイの代わりを務めろってことか?」

「ええ、その通りです」

「それ、わかって言ってるんだよな?」

「…………なにを、ですか?」

 

 蓮太郎は痛む頭を押さえ、聖天子に説明した。

 天童木更と菊之丞は実質敵対しており、自分は木更についたのでこの護衛依頼を知れば菊之丞が激怒するだろうと。

 

 聖天子はそれでも依頼を取り下げる気はないようだった。

 

「わたくしは天童のお家騒動まで関知して予定を組みません」

()()がお家騒動なんて生易しいものだと思っているのかよ」

「…………」

「とにかく、アンタには元から護衛がいるだろ。なんだって俺に頼む?」

「それは、わたくしが…………」

 

 視線を落とし、口調も弱々しくなる聖天子。

 

「アンタ、また肝心な情報を隠してるだろ。蛭子影胤事件の時、そのせいで俺らは酷い目にあった。依頼を持ってきてくれたことは嬉しいが、それでも姫様のワガママで割りを食うのはいつだって俺たちなんだよ。悪いが、他を当たってくれ」

「あ…………」

 

 聖天子が伸ばした手は届かず。

 秘書の「無礼ですよ!」という叱咤を背に、蓮太郎は部屋を後にした。

 

 

 

 それから3分ほど歩いて、蓮太郎はやっちまったと後悔した。

 言わなければいいのに、つい口から出て来てしまう。

 木更さんになんて言おうか。やっぱり受けると部屋に戻るか?

 とはいえ今から戻っても部屋にいないだろう。秘書の動きから仕事の合間に取った時間であったことは想像に難くない。国家元首の仕事は暇ではないのだ。

 

 であればなおさらどうするべきか。

 

「いや……何考えてるんだよ。俺には関係ないことだろ…………」

 

 だいたい、警視庁の警護ユニットに話を通せば済むはずなのだ。それをなぜ民警に持ってきたのか。コストをケチったわけでもないだろうに。

 煮え切らない頭で蓮太郎が通路を歩いていると、正面から数人の男たちが近づいてくる。

 

「ふん……こんな民警(ガキ)がゾディアックを撃滅しただと? 笑い話にもならんな」

「あぁ? 誰だ、アンタ」

「僕か? 僕は保脇(やすわき)卓人。聖天子様の護衛隊長だよ」

「アンタが……?」

 

 保脇と名乗った神経質そうな男は30代だろうか。隊長としてあまりに若い人選だ。

 言われてみれば確かにテレビ中継の端に居た。それ以上の活躍を聞いたこともないが。

 

 そう、無駄に派手な服装は軍人のコスプレと言った方が正しいような連中だ。

 これが聖天子付護衛官だと?

 まだ黒スーツのグラサン大男の方が護衛として役立ちそうに思える。

 

 そんな蓮太郎の内心を知らずか、保脇は言葉を続けた。

 

「くく、聖天子様の後ろに立つのは僕が相応しい。貴様はよく依頼を断ってくれたよ。わざわざ依頼を放棄しろと言わずに済んだからな」

「……見てたのか」

「ああ、聖天子様が隣の部屋で待機せよとおっしゃられたからな。腰抜けのドブネズミはさっさと巣に帰れよ」

 

 ドブネズミは腰抜けじゃなくて気性が荒いんだぞ。

 つい訂正しそうになるも、護衛官たちの失笑が神経を苛立たせる。

 

「そういうアンタらに護衛が務まるのか? とてもそうは見えないな」

「フン、僕の護衛計画に穴などあるものか。所詮貴様は落伍者、天童閣下直々に聖天子様の警護を任された僕の能力を理解できるはずもない」

「へぇ……アンタこそ俺たちが警備会社だってことを忘れてるんじゃないのか?」

「減らず口を。民警など、所詮は数合わせにすぎん。貴様こそ赤目に媚びを売られて生活するのはさぞ愉快だろうな?」

 

 にらみ合う両者。

 

「…………おい、言っていい事と悪い事の区別もつかねぇのかよ、オマエ」

「貴様も悪魔に与する薄汚い人間に過ぎないと言ったのだ。真の人間はあのような半端者を許すはずがない」

 

 蓮太郎は残った冷静な思考で思い出す。

 そうだ。聖天子付護衛官などというのは天童菊之丞に最も近い役職。つまりその思想は菊之丞と同じく呪われた子供たちに差別的意識をもっているということ。

 

「僕が聖天子様を妃としてお迎えした暁には、奴らの真実を伝えるつもりだ。そうすれば聖天子様も目を覚ますことだろう」

「アンタ、何が護衛だ、結局そういうことかよ」

 

 蓮太郎は舌なめずりをした保脇に生理的な嫌悪感を覚える。

 

「そうとも。そもそも、呪われた赤鬼共など、外周区で野垂れ死ぬのがお似合いなんだよ。まして人前に出るなど……汚らわしい」

 

 その言葉が最後の後押しとなった。

 蓮太郎はカッとなって保脇の胸倉をつかんで壁に叩きつけた。

 うぐっ、といううめき声と共に、保脇の眼鏡がずれる。

 

「おい……もう一度同じことを言ってみろ、今度はその鼻っ面をへし折ってやる」

 

「た、隊長!」「貴様、何をするか!」「無礼だぞ!」

 

「うろたえるな馬鹿どもが!」

 

 おろおろし始めた護衛官たちを保脇は一喝した。

 緩んだ蓮太郎の腕を乱暴に払い、襟を整える。

 そして、ずれた眼鏡の位置を整えると憎悪に燃えた瞳を細めた。

 

「殺してやる……殺してやるぞ、貴様。貴様だけが特別だと思ったら大間違いだ」

 

 そんな捨て台詞を吐いて足早に逃げ去った保脇たちと入れ替わりで職員たちが駆けつけてきた。

 

 

 緋色の空の下。

 噴水広場のベンチに座り、蓮太郎は考え込んでいた。

 事情聴取を受けているとき、職員がふと漏らした言葉が妙に気になる。

 

『恐れ多いことですが……最近、聖天子様の暗殺計画などというものがあると噂されているんです。それで聖居全体もどこかピリピリしていて……』

 

 暗殺。

 先の蛭子影胤事件――否、天童菊之丞が仕組んだテロ事件は実行犯の影胤が東京エリアを滅ぼそうとしたからわかりにくいが、菊之丞本人に聖天子を害する意思はなかった。実際話をしてわかったが、菊之丞の当代聖天子に対する敬愛は本物だ。

 だからこそ、暗殺という直接的な手段に出るとは思えない。

 ならば一体だれが計画するのか。また影胤が――いや、そうじゃない。

 

 問題は暗殺計画があった場合、あの護衛官たちで防げるのか?

 無理だろう。

 思考に1秒もいらない結論だ。

 これまでそういった事件を防いだという話を聞かない上、今日のうろたえようを見たらとても信用できない。

 警護ユニットを雇えばそうでもないが、と考えたところで聖天子付護衛官はそこそこ広い決定権を持っているらしいことを思い出す。

 つまり他の要人警護ユニットが付くのを。

 

「邪魔してるってわけか……」

 

 実際に声をかけてきたのだから間違いないだろう。あの執着は並ではない。

 

 つまり、現状暗殺計画があったとして、それが成功する可能性は極めて高い。

 そして暗殺が成功してしまえば、世論はひっくり返る。

 呪われた子供たちに友好的な政治家が一体何人いるというのか。聖天子が表立って行わなければゼロといってもいいだろう。

 そうなれば延珠が再び学校に通うのも難しい――いや、ほぼ不可能になってしまうかもしれない。

 それは、それは避けなければならない。

 

 それ以上に。

 このまま延珠(子供たち)を馬鹿にされて引き下がるのは不愉快だ。

 

 依頼を受けよう。

 

 そう結論をつけたところで。

 

「どこ見てんだゴルァ!」

「免許持ってんのかよおい!」

「っべーわー。足まじっべーわー。折れちゃったよォ、慰謝料払うよなァ!?」

 

 噴水の前で少女ひとりにヤンキー染みた少年3人が詰め寄っている。

 自転車から投げ出された少女は何が起きたか分からないといった様子だが、そこに容赦ない前蹴りが叩き込まれた。

 

「げほっ……」

 

 少女は噴水のヘリに背中から激突し、肺から漏れ出た空気が苦痛を奏でる。

 

 思わず目を瞑ってしまうが、ここで英雄的に助けを差し伸べるほど善人ではないと蓮太郎は自己評価していた。

 当然、この場も見て見ぬふりをしようとして――隣に延珠を幻視した瞬間、体が強張った。

 

「…………くそっ」

 

 延珠がいたら己はどうするか。決まっている。

 蓮太郎はリーダー格の男に後ろから手をかけた。

 

 

 

 





・保脇 卓人
一部ではカルト的人気があるらしい。
プライドの高い事務であれば有能な男



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W-B-X


原作描写どこまでいるかはいつも悩む
正直、みんなどこまで覚えてる?

君が代の日






 

 

 

 

ティナちゃんとは会えたみたいだね

 

 片目を抑えていた手をどけると、心配そうに夏世が顔をのぞき込んでいるのにアルは気づいた。

 

「ん、どうしたの?」

 

「……体調がすぐれないのかと思いまして」

 

「あは☆ なんともないよ。夏世ちゃんの顔が近くてドキッとしちゃったくらいかな?」

 

「そう言えるなら、大丈夫そうですね」

 

「む……やっぱり大丈夫じゃないかも。夏世ちゃん、看病して~☆」

 

「調子がいい人ですね……」

 

 呆れた物言いをしながらも、夏世は抱き着いてきたアルを受け止めた。

 そのまま手櫛で髪を梳いてやれば、アルは安心したように胸元に頭を寄せてくる。

 母性らしきものがふつふつと湧き上がってくるのを感じながら、夏世は小さな(わらべ)と戯れた。

 

 夏世とアルがいるのは12区の自然公園。

 ガストレアに破壊されていない緑の景色は2031年現在、かつての時代に思いを馳せる老人やジョギングを楽しむ若者などの憩いの場として、以前より需要が高まっている。

 特にこの自然公園は1kmに及ぶ細長い渓谷や珍しい古墳、大師堂などを売りにしていた。

 実際、川のせせらぎと草木が揺れる音色は都心の喧騒から心を隔離してくれるようで、リラックス効果をもたらしてくれる。

 

 今は緩やかな川の流れに沿って進んだ先の甘味処でひと休みしているところだった。

 

「おい……人をパシリにしといてイイ身分じゃねぇか」

 

 そんな2人に話かけてきたのはお盆を片手に持ったパンツスタイルの長身女性。

 

「ショーコさん、おかえりなさい」

 

「じゃんけんに負けたのが悪いんだよ☆」

 

「あんなのインチキだろうが」

 

「全力だって言ったじゃん、男らしくないなぁ。でも女の子だって言うなら謝ってあげなくもないよ?」

 

「このクソガキ……」

 

 女性改めショーコは青筋を浮かべながらも2人にお盆を渡す。

 

「ありがとうございます」

 

「ありがと~、なんだかんだ言って買ってきてくれるんだね~」

 

「はン……」

 

 和菓子に舌鼓を打つ子供たち。

 ショーコは向かいの椅子にどかっと座った。

 しかしあまりにずぼらな姿勢だったので夏世が小言を浴びせる。

 

「ショーコさん、膝は閉じてくださいね」

 

「あ? 良いだろうがこのくらい」

 

「よくありません。スカートであった場合、見えてしまいますよ」

 

「見ても減るもんじゃねぇだろ」

 

 その発言にアルが過剰反応した。

 

 

「つまり青少年をドスケベボディで誘惑する痴女願望があるってこと!?」

 

「……元凶が何言ってんだよコラ」

 

「副作用だよ、副作用☆ アタシ悪くありまセン」

 

「それでなんでも解決すると思うんじゃねぇぞ」

 

 睨め付けてくる三白眼を受け流し、アルは溜息をひとつ。

 

「あのね、ショーコちゃんの体はドスケベなの」

「あァ?」

 

 アルはショーコの一部に目を向ける。

 

「このおっぱいで清楚は無理があるでしょ。だからドスケベなの」

「おい――」

「ドスケベなの」

「…………」

「ドスケベなの」

「……わかったから続けろよ」

 

 聞き間違いではないらしい。

 夏世を見てもなぜか力強く頷いている。どういうことだよ。

 真面目な顔で低俗な話をするからショーコは遠い目になった。

 

 アルは「だから」と付け加える。

 

「君の体を見て興奮したおっちゃんが()()を立たせてすり寄ってきたらどうするのぉ?」

 

「…………」

 

 性欲で動いているような奴が体を目当てに寄ってくる……実際、この身になってから数回ほど目にしたこともある。

 女は視線に目敏いと言うが、今の体になってショーコはそれを実感していた。

 というか男どもが気にしないだけのような気もするが。

 

「寄ってくるだけならいいかもしれないけど、続きをしようとするかもね」

 

 続きだと?

 50過ぎのおっさんが自分の体で腰をくねらせる(ヘコヘコする)

 その光景を想像すると寒気がした。

 男であろうと女であろうとその光景は見るに堪えない。

 

「……ぶん殴る」

 

「それが偉い人だったら?」

 

「…………」

 

 自分を守る最も原始的な力は暴力だ。

 しかし暴力はその場の回避手段であって、社会では権力の方が勝ることもある。

 その矛先が自分だけならいいが、相棒に迷惑が掛かることを許容できない。

 

 難しい顔をしだしたショーコに夏世は優しく声をかける。

 

「ショ……いえ、将監さん。わざと目立とうとしなくていいんですよ」

 

「あぁ?」

 

「私は大丈夫ですから。頼りないかもしれませんが、私は自分の足で立てますから」

 

「……クソガキがいっちょ前にほざくなよ。テメェはまだ世間を何も知らねえ」

 

「ええ、確かにそうです。それでも私はもう……逃げたりしません」

 

「…………」

 

「世間の目を私に向けたくないから粗暴な態度を取るんですよね。でも、私は今度こそ……辛い現実に立ち向かって見せます。だから、大丈夫です」

 

「……考えすぎだろ。俺はテメェのコトなんざ考えて行動しねぇ」

 

「嘘ですよね。人が大勢いる場合は特に顕著ですが、必要以上にあなたは周囲に自分をアピールしてます。弱そうな子供に突っかかって対比を強調したり、強い相手に自慢をして挑発したり。まぁ……単純にムカついた場合もそこそこあるんでしょうけど」

 

 気づかなくていい事まで気づく。頭脳の良さが面倒な方に働いたようだ。

 ショーコは顔をそらす。

 

「……そう思うんならそうなんだろうよ。()()()()()()()

 

「はい、()()()()()そういうことなんです。だから、それでも辛いときは頼らせてください、私たちは2人でひとつの戦闘員なんですから」

 

「……ガキが背伸びしやがって」

 

「私はもう、何も言わず後悔したくないだけですよ」

 

 強い意志の瞳に見つめられ、ショーコはバツが悪くなった。

――変な影響受けやがって。

 元凶らしき女に目を向けると、「にへらぁ」という表情をしていた。

――ムカつくなおい。

 なんにせよ。

 それが夏世(あいぼう)の出した結論ならちょっとくらい聞いてやらんでも――――

 

 

「だから可愛い服を着ましょう、ショーコさん」

 

「クソが、テメェやっぱそれかよ!」

 

「えっ、そこアタシを頼ってくれないの~!?」

 

 

 盛大にずっこけた。

 

 A few moments later。

 

 

「それで、最近はバラニウム鉱山の護衛をしてるんだっけ?」

 

「そうですね。さすがに要人警護は早すぎますから」

 

「堪え性がないから大変そうだね~」

 

「るっせーなボケ……わかってンだよ」

 

「はい。だからガストレアを見つけたらいつものように出来つつ(バーサーカーして)、普段は大人しくする仕事を選んだんです」

 

 まぁ、そのせいでお淑やかさは身につかなかったのですが。

 夏世はぼやいた。

 

「いつからテメェは俺の母親になったんだ」

 

「その口調もなんとかしないと報酬が高い依頼を受けられないままなんですよ」

 

「俺っ娘は良いと思うけどね~」

 

「……ショーコさんはお嬢様のような口調でギャップ萌えを狙うんです」

 

「見た目と言動が一致してこそ愛らしく見えるんだよ☆」

 

「アルちゃん……」

 

「夏世ちゃん……」

 

わたし(アタシ)たちは一度、話し合う必要がありそうですね(だね)

 

 立ち上がり、謎の構えを取る両者を見て、ショーコは言った。

 

「テメェら俺を出汁(だし)に好き勝手言ってんじゃねぇぞ」

 

「出汁なんてそんな……へ、変態だ~!」

 

「脳内ピンクかよエロガキが!」

 

 冗談だよ。アルはそう言った。

 

「なんにせよ、うまく行ってるようでよかった☆」

 

「はい、その点に関しては社長さんも喜んでいましたから」

 

「あぁ~、あの社長さん。有能そうな人だったよね」

 

「三ケ島さんはスゲェぞ。戦後の混乱期に立ち上げた会社を一代で大手にのし上げちまったんだからな。社会からの爪弾きものを纏め上げる才覚と商売勘定がしっかりしてんだ。言いたかねぇがウチの会社は俺より上位ランクの民警もいるからな」

 

「ふぅん、そうなんだぁ」

 

 どこか自慢げにするショーコ。

 かつて影似に拾われたことが嬉しかった出来事なのだろう。

 一方のアルはあまり興味なさげであった。

 

「さて、そろそろ日が暮れちゃうし帰ろっか☆」

 

「そうですね。今日はお誘いありがとうございます」

 

「どういたしまして。アタシも夏世ちゃんとデート出来てよかったよ☆」

 

「ふふ、デートですか……また誘って貰えますか?」

 

「もちろん! 今度は2人っきりでしようねぇ」

 

「ハッ……テメェの邪魔できたなら俺も楽しめたってもんだよ」

 

「別に君の楽しみとか聞いてな~い」

 

「ハッ倒すぞテメェ」

 

 ショーコが凄めば、アルは「こわいよ~!」などと怯えたフリをして夏世の後ろに隠れてしまう。

 

「あんまりアルちゃんを怖がらせちゃだめですよ。赤ちゃんなんですから」

 

「……オイ、先におちょくって来たのはソイツだぞ」

 

「赤ちゃんはそんなの知ったことじゃないんです」

 

「なぁ……テメェはそれでいいのか?」

 

 ロリを盾にした卑怯者に問いかける。

 しかし当の本人はうっとりとした表情を浮かべた。

 

「夏世ちゃんがママ……それも愛だよっ!」

 

「おい……」

 

 ショーコは引いた。

 アルは気にせず夏世と話をする。

 

「ねね、夏世ちゃん。こういう静かな所はどうだった? 誰かさんは連れてきてくれないような場所だと思うんだけど☆」

 

「ええ、こういう涼しいところも楽しいですね。自然の流れは……安らげます」

 

「よかった☆」

 

 

 

 自然公園の外に出れば、茜色と闇が混ざり合う時間だった。

 途端、自動車のエンジン音や街頭モニターの映像、学校帰りの子供たちやタイムセールに駆け込む主婦など、日常の喧騒が戻ってくる。

 

「ところで夏世ちゃん。いい高収入の仕事があるんだけど、興味ないかな?」

 

「それ、非常に胡散臭いです。いくらアルちゃんでも嫌ですよ」

 

「だよね。だから、普通は受ける人なんていないんだよねぇ……普通は」

 

「……アルちゃん?」

 

 何か妙な気配を感じて夏世はアルを見つめる。

 しかしそれもすぐに霧散してしまった。

 

「なんでもない☆ そういえばデートとは別なんだけど、来週あたり時間貰っていいかな?」

 

「……ええ、大丈夫ですよ」

 

「ありがと☆ 夏世ちゃん大好き。またね!」

 

「はい、また」

 

 夏世の額にキスをして、アルは街の喧騒に紛れ込んでいく。

 手を振って見送った夏世は。

 

「将監さん。社宅に戻る前に、本社で調べ物がしたいです。いいですか?」

 

「……何か気づいたのか?」

 

「確証はありませんが、気になることが」

 

「面倒ごとはごめんだぞ」

 

「わかってます。ありがとうございます」

 

 

 

 

 

 

 

「ひでぇな……こりゃ」

 

 夕方のタイムセール戦利品をエコバッグにひっさげた蓮太郎と延珠は足を止める。

 視線は周囲のコンクリ壁もろとも破壊された警察車両に向かっていた。

 まるでゴジラに蹴飛ばされたみたいだな。

 そんな感想を抱く。

 

 封鎖テープの外では大量の野次馬が詰めかけて、スマホで写真を撮っていた。

 SNSにでも上げるつもりだろうか。

 蓮太郎は事情を聴くべく、その内のひとりに声をかけた。

 

「なあアンタ……これ、何があったんだ?」

 

「さぁね。犯人は見つかってないらしいが、こんなの『赤目』が犯人だろ。最近取り締まりが強いからって報復なんて考えたのかな? 迷惑な話だよ」

 

 蓮太郎は歯噛みする。確かに人間技じゃないが、それだけで子供たちが一方的に悪いと決めつける現状には異議を申し立てたい気分だ。

 

「でも手がかりはないんだよなぁ。襲われた警官は()()()()()()ようだし」

 

「……ッ。そう、か。ありがとよ……」

 

 これだけ激しい損傷なら乗っていた人間は無事に済まないだろう。

 わかりきったことだ。

 蓮太郎は軽く頭を下げて礼を言うと延珠の元に戻る。

 足元がおぼつかない。

 真にこれが子供たちの復讐だとして、こんなことになんの意味があるのか。

 『呪われた子供たち』が()()()()()を繰り返すほど、『奪われた世代』は彼女たちへの憎悪を募らせる。

 憎悪は振り子のように力を入れた方向とは別方向に帰ってくるのだ。

 その規模すら大きく変えて。

 10歳以下の子供に思慮分別を持てと言うのも酷だが、それでも彼女らの行動で延珠の首が真綿で締め上げられていくようで胸が痛む。

 蓮太郎は事件現場を振り返った。

 どういった理由があるにせよ、蓮太郎はあの犯人を許せないだろう。

 

 ふと、そこで延珠が目を伏せていることに気が付き、蓮太郎の意識は切り替わる。

 

「延珠……やったのはお前じゃない。別の『子供たち』だ」

 

「……蓮太郎は優しいな」つかの間の苦笑。「うむ……童はもう大丈夫だ!」

 

 帰り道、愉快そうに延珠が語るとりとめもない話――住職と尼さんがロボになった寺に乗り込んで戦う奇天烈アニメ(それゆけゼンガー!)――に相槌を打ちながら、蓮太郎は迷っていた。

 お節介を言うべきか、言わざるか。

 しかし結局、蓮太郎は口を開いた。

 

「延珠……気にするな。お前がやったんじゃない」

 

「……? なにを、いってルのだ?」延珠は小首をかしげる。

 

「お前がやったんじゃない」

 

「っ……ど、どうしたのだ蓮太郎? お、お主変だぞ……」

 

 蓮太郎は延珠の肩に手を置いて振り向かせると、一言ずつ切っていった。

 

「だから、()()は、お前がやったんじゃないんだ――延珠」

 

 延珠は百面相を浮かべ、不意にくしゃっと表情が歪んだ。

 

「れ、蓮太郎はすごいな! 妾を妾よりわかっておるようだ……」

 

 蓮太郎は彼女の頭に手を置いて、長い息を吐く。

 

「他でもない、お前のことだからだよ」

 

 その言葉に悲しそうな笑顔を表し、かすれそうな声で延珠は言った。

 

「どうしてみんな、仲良くできないのかな……」

 

 問われた言葉は、蓮太郎にも答えられなかった。

 

あなたはこんな世界で満足なの? アタシは嫌だよ

 

 

 

 

 

 

「たっだいまぁ~☆」

 

 悪魔の門をくぐり、研究室に入ったアルはぎょっとした。

 

 灯りを全く点けない中で、パソコンの液晶光に照らされた菫が亡霊のように浮かんでいたからだ。

 

「ちょ、ちょっと先生ぇ、目が悪くなっちゃうよ!」

 

 慌てて証明を点けたアルは菫の元に駆け寄った。

 

「どうしたの、何があったの?」

 

 珍しく狼狽えた様子の少女に、ふっ、と菫は不気味な笑みを浮かべた。

 

「ここ数日やけに忙しそうだなと思ったら……女と会う用事(ため)とはね。驚いたよ」

 

 アルはドキリとする。

 不倫を咎められた男のように心臓がひゅっと締まる思いだった。

 菫が取り出したのは盗聴器。

 靴底を捲ると確かに小さな機械――送信機がある。

 いつの間に着けた(増やした)んだろ。なんてぼんやりとアルは思った。

 

「困るなぁ……君は私のモノだ。どこぞの馬の骨にやる気はないんだぞ」

 

 首を直角に曲げて、出会ったころのような冷たい瞳で覗き込んでくる菫。

 そこにアルは恐怖を覚え――愉悦も感じた。

 

「あは☆ 先生ぇ、嫉妬しちゃったのぉ? 可愛いなぁ」

 

「アル、私は怒っているんだ。確かに君に自主行動権は認めているが、あまり好き勝手動かれては困るとこの前言っただろう。ここ(地下)よりもっと深いところに閉じ込めてやろうか」

 

 アルは彼女の()()が愛情などではなく、貴重なサンプルを横取りされたくない研究者としての合理性(かんじょう)だと理解している。

 それでも進歩を感じて嬉しくなった。

 

「先生ぇなら大歓迎だよ。アタシを閉じ込めて、アタシだけをバラして……アタシだけで実験してくれるならそれもいいね。そんなところも愛してる☆」

 

 見つめ合う両者。

 やがて両手を広げた狂人(かんじゃ)を前に、医者(マッド)は折れた。

 

「……まったく。少しは心配するこっちの身になって欲しいね。監視があるとはいえ、君を狙う――――」

 

 菫の言葉は興奮したアルに中断させられる。

 

「え! 先生ぇ心配してくれてたの!? やった~!」

 

「おいこら、話は最後まで聞けと言ってるだろうに……!」

 

 菫は抱き着いてきた子供の顔に手を当てて引きはがそうとする。

 

「も~大好き! 今日は一緒にお風呂入ろ☆」

 

「おい、聞こえているならこの馬鹿力をやめろ、おい!」

 

 菫の抵抗もむなしく、暴走幼女にカーテンの向こうに連れてかれてしまうのだった。

 

 

 

 

「馬鹿、なんてところを触るんだ!」

 

「あは☆ アタシのも触っていいんだよ? ほらほら~」

 

 

「無駄な脂肪を寄せるな、離せ。狭いだろうが」

 

「やん☆ 菫ちゃんのえっち~!」

 

「おい、ふざけた声を上げるな!」

 

 





・自動車事故
おや……?



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山猫は眠らない①


バナージくん、聞こえているなら正気に戻るのをやめろ!
このままでは自己矛盾でお互い燃え尽きることになる

無印と2はいいぞ




 

 

 

 

「はぁ…………」

 

 2日後。

 蓮太郎の姿は豪勢なリムジン(車中)にあった。

 

「蓮太郎、溜息ついてどうしたのだ? 幸せが逃げてしまうぞ」

 

「……なんでもねーよ」

 

 興奮した様子で車窓からの景色を眺めていた延珠にそっけなく返してしまう。

 蓮太郎の憂鬱には理由があった。

 先日、蓮太郎の家にパトロン(未織)社長(木更)がやって来た折、致命的に仲の悪い2人によって内装を破壊し尽くされてしまったのだ。今も一部の家具は使えないままで、金欠のため買い替えもできない状況だった。

 というか延珠は未織側(貧乳派)について煽っていた。

 

 そんな彼の様子を見て聖天子は告げる。

 

「お忙しかったでしょうか。無理して受けていただかずともよかったのですよ」

 

「受けなかったらアンタ困るだろ」

 

「それは……そうなのですが……」

 

 手を握りしめ、縮こまる聖天子。

 

――そう言うってことはやっぱり妨害されてたのな。

 

 蓮太郎の推測は正しかったらしい。

 その時、彼に悪魔のひらめきが走る。

 

――アイツ(保脇)、まさか暗殺依頼なんてものを出してねぇよな?

 

 マッチポンプ説だ。

 

 しかしすぐさま否定する。

 思想はともかく、曲がりなりにも優秀な男ではあるのだろう。

 ムカつくが。

 でなければ菊之丞に留守を任されるなど信じられない。そんな人間が一か月前に失敗したことと同じ手段をとるとは思いたくなかった。

 もしそうなら、この国の内部は()()()()()()と言わざるを得ない。

 たしかに天童の政治は汚いところもあるが、それでも(エリア)を維持するためのはずだ。蓮太郎はまだどこかで彼らの善性を信じている。

 かつて日本はスパイ天国と呼ばれていたが、偶然とはいえスパイを1人捕まえたことのある蓮太郎からすると自国民が勝手にスパイめいたことをし出すのは如何なものだろうか。

 

 とはいえ、杞憂であればなんの問題もない。

 むしろ、そんなことをしそうな人間は別に心当たりがあるほどだ。

 まだ暗い表情の聖天子を見て、蓮太郎は不器用に明るい声を出した。

 

「ま、安心しな。依頼を受けた以上、依頼人(アンタ)はきちんと守ってやんよ」

 

「うむ。妾たちが精いっぱい守護してあげるのだ。蓮太郎に色目を使わない限り!」

 

「い、色目だなんて……はしたないですよ」

 

「ならばよしっ!」

 

「お前は余計なことを言うなっ」

 

「あいたっ」

 

 蓮太郎が延珠に軽いチョップを食らわせると、場の雰囲気が弛緩する。

 聖天子は朗らかな笑みを浮かべた。どうやら幾分か持ち直したらしい。

 そして彼女は蓮太郎の目を見つめた。

 

「里見さん、あなたは斉武大統領と面識があるのですよね?」

 

「……随分昔の話だ。天童の屋敷にいたころ、菊之丞(クソジジイ)に色々連れまわされた。その時に会ったことがある」

 

「その、里見さんから見て斉武大統領はどんな人なのでしょうか。菊之丞さんは露骨に不機嫌になってしまうので教えて欲しいのです」

 

 だろうな、と蓮太郎は思った。

 クソジジイは進んで斉武の話をしないだろう。

 しかし外務省の連中が基本情報を教えているはず。

 となると、個人的な意見を聞いていると彼は判断した。

 

「アドルフ・ヒトラー」

 

「は?」聖天子の声は裏返って瞬きも早くなり、面白い表情をした。

 

 彼女は軽く目頭を揉む。

 

「すみません、里見さん。最近政務が忙しくて疲れているようなのです……もう一度お願いできますか?」

 

「だからアドルフ・ヒトラー」

 

「冗談ですよね?」

 

 どこかすがるような聖天子の言葉を、蓮太郎はばっさり切り捨てる。

 

「マジだよ。斉武がすでに17回も暗殺を起こされて生きてるのは知ってんだろ? 重税に苦しむ住民を笑って見下すような奴だぞ。『黒船が来たら老中が若くなる』の代表例さ。あんたは既に他の元首と話してるならわかるだろうが、『我こそ日本の代表』とか寝言を真顔で言う連中(元首)のなかで1番ヤバい人間だよ」

 

「わ、わかりました。ご忠告、感謝します」

 

 蓮太郎は自分に言い聞かせるつもりで話し、聖天子は気圧されながらも神妙に頷いた。

 

――ノウハウが失われるのはやっぱりきついな。

 

 蓮太郎は思った。

 戦後、各エリアの国家元首は変わっていないが、東京エリアは内情が異なる。

 聖天子と呼ばれる人間は厳密には3人いるのだ。

 敗戦後の東京エリアを立て直した初代、1年弱で病没した2代目、そして目の前の3代目だ。

 いつの世も組織は3代目が分水嶺と言われる。

 目の前の小さな元首はそれをわかっているから真面目に働こうというのか。

 

――そういえば、電話会談と言っていたな。

 どうやら小さな元首はあの魑魅魍魎共と直接対峙したことはないらしい。

 であれば緊張するのも無理はないか。

 刺激が強い話になりそうだ。

 

 その時、リムジンが止まった。目的地についたのだろう。

 

「蓮太郎、お仕事頑張ってくるのだ」

「おう」

 

 延珠を車中に残し、蓮太郎と聖天子はリムジンを降りた。

 植え込みに潜むヒバリの澄んだ鳴き声に導かれ、蓮太郎の視線は上に向かう。

 地上86階の超高層建築ホテル。

 ガストレア大戦後、土地の確保に苦労した各国はこのような高層建築に活路を見出した。東京エリアでもスカイツリーを越える高さの建築物がちらほらあるのだ。

 延珠に手を振り返し、先を歩く聖天子に蓮太郎も続く。

 彼女のウェディングドレスに似た白い礼装は肩が露出しており、ピンク色の柔肌が蓮太郎からも見えてしまう。

 なんだかいけないことをしているような気分になった。

 

 

 聖天子は回転扉をくぐり、貴人専用という豪奢なホテルのフロントに来意を告げた。すぐにかしこまった支配人が『鍵』を渡してきたので彼女も薄く微笑んで礼を言えば、彼の頬は赤く染まった。

 

 乗り込んだエレベーターには鍵穴があったので『鍵』を使い、新たに表示された最上階のボタンを押す。

 押し付けられるような若干の圧迫感と共に、アンティークな階数表示目盛り(インジケーター)が数字を刻んでいく。

 

――いよいよか。

 

 蓮太郎自身、斉武と会うのは久しぶりで緊張はしている。

 しかし、それ以上に隣の少女に弱いところを見せるのは僅かなプライドが許さない。

 ちらりと聖天子を見れば、彼女と目が合う。

 気まずくなって目をそらした。

 

「里見さん……私の傍、離れないでくださいね」

 

「へいへい」

 

 聖天子はムスっとした。

 

「あと、今日は短気さを抑えてくださいね。里見さんが斉武さんに殴りかかってエリア間抗争の引き金を引いてしまったら目も当てられません。『うっせえわ』とか『ざけんじゃねぇよ』とか汚い言葉遣いも使わないでくださいね」

 

「チッ……残念だがこれ(口調)は無理だ」

 

「それはどういう――――」

 

 聖天子が尋ねるより先にエレベーターは重々しい音を立てた。

 最上階に到着したのだ。

 2人は意識を正面に集中させる。

 

 扉の先は展望台を私室に改造したような部屋が広がっていた。

 エレベーターの脇で直立したまま深い一礼をしたのは斉武の護衛だろう。

 ボディスーツ……いや、外骨格(エクサスケルトン)を着ている。蓮太郎では逆立ちしても買えない代物だ。

 

 その先、デザイナーズ・ソファから立ち上がった白髪の老人。

 彼は5枚羽がつけられた帽子を取り外して礼をした。

 

「初めまして、聖天子様」

 

 獅子のたてがみのような髭を蓄え、眼光は鋭く、スーツを着た長身の男。御年65とは思えぬ覇気をまとった彼こそ数多の政敵を闇から闇に葬った老獪な政治家、斉武宗玄(さいたけそうげん)である。

 

 聖天子が目礼するのを満足そうに見たあと、彼は隣の蓮太郎に声のトーンを落とした。

 

「天童の貰われっ子か。その様子だと民警風情に堕ちたようだな?」

 

――来たか。

 

 斉武の()()調()()を受けて立つべく、蓮太郎は一歩踏み出した。

 不安げに見つめてくる聖天子に頷き、宗玄に近づく。

 

「ハッ、テメェこそくたばってんのかと思ったぜクソジジイ」

 

「言葉を慎めよ、民警風情が! 女狐に(そそのか)されて天童を出奔した貴様はもはや政治家などではない! 地虫のごとく地を這う民警よッ! 俺は貴様をそう扱う!」

 

「その地虫に守って貰えるのを偉いと勘違いしてんなら、今すぐそっから引きずり降ろしてやんよッ!」

 

「負け犬の遠吠えなど烏合の衆! 痒くもないわッ! 貴様のような下民が俺に触れられると思うなよ。天に立つ俺に謁見できるのは地位と名誉があるやつだけだッ! 」

 

「そんなに空が好きなら他界他界(たかいたかい)させてやろうか! 地位や名誉に縛られたテメェみたいなジジイは(エリア)に帰りやがれ!」

 

「誰の許可を得て俺に命令するか貴様ッ、頭が高いぞ! 天童でない貴様に価値などあるものかッ!」

 

「天童だろうが民警だろうが俺は俺だッ、テメェが勝手に決めつけてんじゃねえぞ!」

 

 蓮太郎と宗玄は額を叩きつけ合った。

 皮が破れ、血がこぼれ出してくる。

 

 聖天子は2人の剣幕に顔を青ざめさせながらも、気丈に耐えようとしていた。

 

 頭を離すと、宗玄はふっ、と笑った。

 どうやら合格らしい。

 

 宗玄の護衛に差し出された治癒布(ファストエイド)を礼を言いながら受け取り、傷に張り付ける。

 宗玄は顎をしゃくった。

 

「蓮太郎、あの仏像掘りは元気(隠居しないの)か?」

 

「……もうあんま掘ってねーよ(知らねぇよ)。出来の悪い弟子が逃げちまったからな」

 

「なんだ貴様、後悔してるのか」

 

「ケンカ売ってんのかテメェ。口を閉じた方が利口に見えんぞ」

 

「里見さん、菊之丞さんのお弟子さんだったのですか……?」

 

「だったら、どうなんだよ」嫌な記憶を思い出して不機嫌な声を出してしまう。

 

「いえ、別に……」

 

 宗玄に勧められ、聖天子はガラステーブルを挟んだ向かいに座る。蓮太郎はその後ろに立った。

 両者が席につき、ようやく政治的な交渉が始まるかと思いきや、宗玄は別の話を振った。

 

「蓮太郎、貴様、ステージⅤのガストレアを倒すためにレールガンモジュールを鉄屑に変えてしまったらしいな」

 

「だったらなんだよ」

 

「戦争とは、上空を取った者が勝つと孫氏の兵法から決まっておる。俺の計画では、アレを月面に取り付けてガストレアどもを根絶やしにしてやるつもりだったのだよ」

 

「……まてよジジイ。本当にそのレールガン、ガストレアだけに使うんだろうな?」

 

 宗玄は鼻で笑う。

 

「たわけが。貴様の想像通り、次世代の抑止力のひとつとして有効活用してやるのよ」

 

「暴力で他国を脅そうというのですかッ!」

 

 たまらず口を挟んだ聖天子に宗玄は大仰(おおぎょう)に語る。

 

 

「聖天子様、あなたにはビジョンがないッ。我々はもはや被支配者ではなく支配者なのだッ! 米国だかロシアだかに脅かされる弱い日本ではない、強い日本を作らねばならぬッ! そうでなければ日本は衰退し干からびるだけよ。ガストレアが来なければ確実にそうなっていた。だからこそ! 世界中の国家が解体されたような今、いち早く日の本をこの未曽有の大災害から俺の(もと)で復興させ、次世代の世界のリーダーになるのだ! そして古き良き日の本を取り戻す! セコく儲けてる軟なインテリだのリベルタリア気取りの政治屋などくだらねぇ。俺の邪魔立てするもの、無能な者、俺に従わぬ者は全て力ずくで排除する!」

 

 聖天子は唇をわなわなと震わせている。

 蓮太郎もあきれてものも言えない。宣戦布告のような内容もそうだが、ガストレアはもはや駆逐しきれないと学者が試算しているのだ。それなのにまだ人殺しをしたいとは、つくづくイカれている。

 

『人間は平和に飽きたら戦争を、戦争に飽きたら平和を求める愚かな生き物なんだよ』

 

 菫がいつか言っていたセリフを思い出した。

 

 ふたりが黙っているのをどう捉えたのか、宗玄は身を乗り上げる。

 

「まぁ、レールガンについてはいいだろう。代わりなどいくらでもある」

 

「あ?」

 

「力ある者は全て俺が蒐集するのだ。そう、蓮太郎、お前も来い」

 

「ハッ! 誰が好き好んでテメェの巣に行ってやるかよ」

 

「強い者はより強い者の下についてこそ真価を発揮する! そう分かれよ蓮太郎」

 

「ざけんな。俺は俺の守りたい者のために戦うんだ。誰かを傷つけるためじゃねぇ」

 

「フン……甘ったれ小僧め」

 

 すっ、と。

 聖天子が静かにドレスの前で手を重ね、背筋を伸ばした。

 

「斉武大統領。そろそろ本題に入りたいのですが」

 

 宗玄は舌打ちをしながら「ああ、そうだな」と手を振った。

 

「聖天子様、あなたの主張はわかる。『ハンブルグとブリスベンが大絶滅したから仲良くしましょう』違うかね?」

 

「……っ」

 

「は?」

 

 蓮太郎は呼吸が止まる思いだった。

 今、やつは何と言った……?

 大絶滅だと? この10年なかったことが?

 

「そんな、そんな馬鹿な話があるか! そうだろ!?」

 

 すがるように聖天子に視線を向ける蓮太郎。

 

「それは……」

 

 しかし、目を伏せる聖天子の態度で、宗玄の世迷言が事実なのだと理解してしまう。

 

「うそ……だろ……」

 

「おいおい、まさか世界のトップニュースも聞かされてないのか? ヨーロッパは大慌てでアメリカだって足の引っ張り合いをしているんだぞ、情報弱者め。俺がなんの勝機もなしに将来を語るわけがないだろうが」

 

「まぁ、協力するのも吝かではない。貴様ら東京エリアが俺の支配下になるならな」

 

 

 

 その後たっぷり2時間使って話し合われるも、結局第1回の非公式会談は聖天子と宗玄の政治政策(マニフェスト)は全く相いれないということが分かっただけだった。

 

 

 

 

 

 

「所定の位置につきました。指示を乞います」

 

 小雨と夜風が吹く超高層ビルの屋上。

 年端もいかぬ少女が無線の先に語り掛けていた。

 彼女の傍らには容姿と似合わぬほど大きな鉄塊――.50 Cal(ブローニングM2重機関銃)がある。

 それは機関銃でありながら、スコープと三脚によって2kmもの有効射程と使用弾が優れた弾道特製を持つ狙撃銃に変貌する。

 加えて小さな機械――シェンフィールドが周囲の空を監視していた。

 脳波コントロールされたドローンがリアルタイムで視界を少女に提供する。

 

『目標がチェックポイントを通過したよ。そろそろ見えるんじゃない?』

 

 通信機から聞こえる声に従い、射撃姿勢を取る。

 シェンフィールドから送られてきた映像は確かに目標を捉えていたが。

 

「目標を捕捉……あれは?」

 

 少女をして、その存在は予想だにしないものだった。

 

 

 





・斉武 宗玄
過激派おじさん
その正体は日本を支配しようとする秘密結社の一員だった!?
ヒトラーの有名な話はユダヤ人少女と仲が良かったというものだが




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山猫は眠らない②


今日はコミケだとか。
ブラブレの作品とかまだあるのだろうか




 

 

 

 帰りのリムジンは重苦しい空気に包まれていた。

 外がすっかり宵闇に染まっているのも理由のひとつだろう。

 

 あまりに沈黙が続くので、いたたまれなくなった蓮太郎は膝上で眠っている延珠を撫でる。彼女はにへらぁとだらしない笑みを浮かべた。

 

 対面の聖天子は窓の外の闇に向かって鬱っぽい表情を浮かべている。

 これで5エリアの代表全てと話をしたことになるが、この様子だと他の元首との会談もあまり期待通りにはいかなかったようだ。

 

 車が信号で停止したのを皮切りに、蓮太郎は口火を切ることにした。

 

「……なぁ、聖天子様。俺はあんたをちょっと見直してたんだよ。それなのに……なんで、あんな大事なことを公表しねぇんだ」

 

 その言葉にゆっくりと顔を動かし、聖天子は蓮太郎と視線を合わせる。

 

「……里見さん。それを国民が知って何があるというのですか?」

 

「それは……」

 

「ただいたずらに国民の不安や恐怖を煽ることが正義だと、そう仰りたいのでしょうか」

 

「ちげぇよ。俺は……何も知らずにいるのが嫌なだけだ」

 

「それはあなたの感想で合理性はありません。それともドイツやオーストラリアに出向いてガストレアを倒して来ていただけるのでしょうか」

 

「それは……だとしても……」

 

 蓮太郎自身、己が馬鹿げたことを言っていると理解していた。

 隠し事をされた子供の癇癪に過ぎないのだろう。

 ただ聖天子を糾弾する口実を得たいだけだったのかもしれない。

 クソッ。

 自己嫌悪に陥りそうだった。

 

 そんな蓮太郎の態度を見て、聖天子は小型の冷蔵庫から桃果実のジュースを取り出し、グラスに注いだそれを渡す。蓮太郎は躊躇しながらも受け取った。

 

 一口、二口と嚥下すれば冷たい糖分が五臓六腑に染みわたり、マトモな思考力が返ってくる。

 

「……悪りぃ。アンタにも訳があるんだろ」

 

「いえ……あなたのそういう感情的なところ、私は気に入っているんです」

 

「……褒めてるんだよな?」

 

「もちろんです。私の周りにハッキリ物を言う人はいないので新鮮に映ります」

 

「……結構酷いことを言った覚えがあるが、許してくれてたのはそういう理屈か」

 

 蓮太郎は蛭子影胤テロ事件の時に不敬罪で首を刎ねられそうなことを言ったが、まだ首が繋がっている理由を知った。

 

「でもよ、護衛官より民警を近くに置いちまっていいのか」

 

「あの人たちは……目つきが怖いときがあるので……」

 

「……俺も似たようなもんだろ」

 

「里見さんの場合は違います。なんと言えばよいか……そう、瞳がキレイなのです。確かに覇気のない顔立ちをしていますが、それすら水晶のような煌めきを引き立てているものと思えます」

 

「……そうかよ」

 

 あまりに聖天子がまっすぐ見つめてくるものだから、蓮太郎はいつもの悪態をつきそこなった。気恥ずかしさを覚える。

 

 同時に目といえば少し思い出すことがあった。

 自分を正しいと言ってくれたあのイニシエーターはどこにいるのだろうか。生きているのか死んでいるのかもわからない。自分はあの時よりも自信を持っているのだろうか。

 

 黙った蓮太郎に何を思ったか、聖天子は咳払いをする。

 

「ところで、斉武大統領に諸外国が接触して『様々な支援』をしているという噂はご存じでしょうか」

 

「噂程度にはな。でも、あんな独裁者を支援して奴らになんのメリットが?」

 

「バラニウムです。斉武さんに日本を武力統一させてバラニウムを安定的に得ようという魂胆だと思われます」

 

 すべての地下資源は偏在している。

 代表的なところで言うとダイヤや金はアフリカ、石油は中東であるが、バラニウムはどうだろう。

 それは世界中の半分程度が日本にあり、中でも東京エリアは31%とずば抜けている。

 諸外国はそれを手に入れるために躍起なのだ。

 

「……あの偏屈ジジイが素直に動くとは思えねえな」

 

「私もそう思います。お互いがお互いを出し抜くつもりなのでしょう」

 

 聖天子は居住まいと正し、透き通る声で告げる。

 

「話は戻りますが、戦後から10年、平和とは言い難くも各国は国力を回復する余裕が出てきました。そんな中で『大絶滅』が起きたとなれば、ますますバラニウムの需要は高まります。どうなるかわかりますか? 里見さん」

 

「……バラニウムを求めて日本にやってくるってか?」

 

 バカな話、とは言い切れなかった。実際、バラニウムがなければ対ガストレア武器もモノリスも作れないのだから。

 

「その通りです。『資源の呪い』に導かれて様々な国がコンタクトを取ってくることになります。そして次世代の戦争とは弾道ミサイルや航空機の爆撃ではなく、強力な民警を送り込んでの暗殺や破壊工作なのです」

 

「……それはテロと変わらねぇじゃねえか」

 

「民警が世界の軍事バランスを崩してしまった以上、当然の帰結なのです」

 

「俺たちはテロリストじゃねぇ、市民を守る民警だッ!」

 

 蓮太郎は苛立ちのまま足踏みする。

 

「わかっています。しかし、動き出した針はもう止められないのです。仮に東京エリアだけが止まったならば世界の食い物にされるだけでしょう。そういう意味では斉武大統領の話は事実ではあるのです」

 

「あんな……あんな奴の肩を持つのか、アンタ」

 

「その言葉が出るということは、わたくしの今までの活動は実を結んでいないということなのですね」

 

 悲しそうな表情をする聖天子に蓮太郎は言葉を返せなかった。

 

「わたくしは侵略などという卑劣な行為をしませんし、暗殺や謀殺に膝を屈しません。その結果、騒動の渦中で(たお)れるかもしれませんが、それでも越えてはならぬ一線はあるのです」

 

「どうしてそう、後ろ向きなんだよ」

 

「戦争で犠牲になるのはいつも子供と老人だからです。わたくしは戦後の混乱期、お母様と東京エリア各地を巡って愕然としました。身動きすら取れず病に倒れた子供たちが、わたくしが微笑みかける時だけは懸命に微笑み返すのです。しかし彼らは翌日には冷たくなってハエが集っている」

 

 聖天子は身を震わせながら祈るような姿勢で言う。

 

「わたくしには叶えたい夢があります。東京エリアの領土をガストレアから取り戻し、すべてのエリアと土地を直結させるという夢が。そうしたとき、国民は思い出すのです。日本はひとつの国であるのだと。そしてエリアという鳥籠に囚われていた自分を恥じるでしょう。そのためには、あんなことが二度と起きてはならぬのです……ッ!」

 

 『敬愛している。だが許せぬこともあるッ!』

 

――ああ、クソ。今ならわかるぜ、ジジイの言葉。

 

 世界中の人間が子供たちに憎悪を滾らせて実行に移す中、彼女は子供たちを嫌いきれなかったのだ。

 

「早死にするタイプだよ、アンタ」

 

「理想も語れない人間にはなりたくないのです」

 

 蓮太郎はしばし顔を落とすと、延珠の肩から背を撫で、顔を上げた。

 

「世間じゃそういうの、馬鹿正直っていうんだぜ……嫌いじゃねえけど」

 

 聖天子がわずかに頬を染める。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 その時、蓮太郎の下顎に激痛が走った。

 

「ごっ!?」

 

 今まで寝ていた延珠が飛び起き、余波でヘッドバットを食らったらしい。

 

「ど、どうしたんだ急に」顎をさすりながら蓮太郎は延珠に問うた。

 

「妾の『蓮太郎レーダー』に反応したのだ」

 

 なんじゃそりゃ。

 蓮太郎が最近の延珠が摩訶不思議能力を身につつある事実にめまいがした。

 

 きょろきょろしていた延珠はやがて聖天子に目を向ける。

 

「蓮太郎はだめだぞ」

 

「あ、あの……?」

 

「蓮太郎はおっぱい星人だから木更より胸がないと女として見られんのだ」

 

「里見さん……不潔です」

 

「言いがかりだよッ!」軽蔑した目で見られた蓮太郎はたまらず否定する。

 

 そのままコメディめいた雰囲気が流れるも、延珠は真剣な表情で蓮太郎を見た。

 

「蓮太郎、なにか、嫌な予感がする」

 

「嫌な予感?」

 

 相棒の勘を信頼して蓮太郎は窓の外に視線を移す。

 雨の水滴が窓から見える景色を歪ませていた。

 その光景に違和感を覚える。

 

――明かりがないだと?

 

 住宅街を走行している今、まだ深夜でもないのだから電気を使う家はあるはずだ。しかしそれがひとつもないというのは妙だ。これでは何も見えない――――。

 蓮太郎の背筋が冷える。

 目撃者が全くいないとなれば、考えられるのは――暗殺だ。

 

 延珠が警戒を強めるように、蓮太郎も最大限に周囲を見回した。

 

 ビルの屋上付近でほんの一瞬、何かが閃いた。

 

――マズルフラッシュ!

 

 蓮太郎は咄嗟に延珠の頭を下げさせ、聖天子を胸に引き込んだ。

 

 瞬間、激甚な厄災がリムジンを襲う。

 

「ぐおぁっ!?」

 

 車は横転し、車内にかかるGで三半規管が錯乱しつつ、やがて車はガードレールに衝突して停車した。

 

 すぐさま戦闘用に思考が切り替わる。

 

「――延珠!」

 

「わかっておる!」

 

 阿吽の呼吸で蓮太郎は聖天子を、延珠は運転手を車から連れ出した。

 

 息をつく間もなく、先ほどまで乗っていたリムジンが爆散。

 熱波と破片から聖天子を庇いつつ、蓮太郎は遮蔽物を探した。

 

 しかしそれよりも早く、再びの閃光。

 

――まずいッ!

 

 聖天子は腰が引けているようで動けない。

 これではどうしようもない。このまま一緒にお陀仏だ。

 

 すまん延珠、俺は――――。

 

 しかし、蓮太郎が辞世の句を詠む必要はなかった。

 

「はず、した…………?」

 

 相手の技量が低かったのだろうか。弾丸は狙い(あやま)った。

 かなり離れたビルからの狙撃を行うなら手練れだと思ったのに。

 

「聖天子様!」

 

 遅れて護衛官たちがやってきて、蓮太郎の思考は一旦打ち止められた。

 真っ青な顔でドレスをきつく握りながら、聖天子は護衛官に囲まれて後退していく。

 

 不意に、フゥゥゥンという奇怪な音が耳に聞こえてくる。

 風が頬を撫でた。

 

――なんだ? 今の音は。

 

 周囲に異常はない。ひしゃげて大破したリムジンの残骸が燃えているだけだ。

 

 延珠が蓮太郎の腕を強く引いた。

 

「なにしてるのだ! ここから離れないと――」

 

「……いや、その必要はなさそうだ」

 

 にわかに出てきた一般人の喧騒をよそに、発射地点と思しきビルを見る。

 目算1kmだろうか。強風、夜間、雨天という環境で狙撃を敢行してきた相手は一体何者か。

 蓮太郎はそれが気がかりだった。

 

 

 

 

 

 

『説明を要求します』

 

 無線越しの声は誰が聞いても怒気を含んでいるものだった。

 

『なぜここにあれが? 民警だってそうです』

 

「知らないよ☆ 聖天子が勝手に雇ったんじゃない?」

 

『ふざけないでください。完全に話が違います』

 

「おかしなことを言うね。それこそティナちゃんの方がよく知ってるでしょ」

 

『まさか……本当にそうなんですか? ありえません……だって、マスターは手を出さないって……』

 

「エイン君がそんな口約束を守ると思ってたの? 可愛いね☆」

 

『そんな……それじゃあ私は……』

 

 

 

 

 

 

「ふぇぇぇ……目が回りますぅ……」

 

「おい……じゃあなんで選んだんだよ」

 

「鳥に……なりたいなって……」

 

 蓮太郎はベンチでグロッキーな少女に肩を貸してやると、彼女――ティナ・スプラウトは嬉しそうにだらしない表情を浮かべた。

 

「ありがとうgAいますy……」

 

「日本語喋れてねえぞ」

 

 休日。

 昼下がりの遊園地は2031年でも子供連れやカップル、学生たちで賑わっており、蓮太郎たちもその一員だった。

 『赤目』だとバレない限りは子供たちでもこうした娯楽施設を利用できるのだ。

 

 しかし……と蓮太郎は財布を開く。

 そこにはウォール街も真っ青な不景気が広がっていて、溜息が漏れた。

 遊園地は入場料がぼったくりレベルで高く、延珠とも数えるくらいしか来たことがなかった。そんな貴重な機会を知り合って間もない少女に使っているというのに……。

 

「ぁぅ……ふぇ……わ……」

 

 当の本人は舟を漕いで今にも眠ってしまいそうだ。

 慌てて彼女は懐からカフェインの錠剤ボトルを取り出すと、中身をそのまま食べようとして――取り落とす。

 どうやら目が回ったままらしい。

 

「わ……」また取り出して、落とした。

 

「うぇ……」また落とした。

 

「んぅ……」落としまくった。

 

「はぁ……」

 

 蓮太郎は錠剤ボトルをティナから横取ると、丸い錠剤を掴んでティナの口元に運んだ。するとティナはひな鳥のように口を開いて食べる――指ごと。

 

「…………」

 

 蓮太郎は何とも言えない表情になった。

 ティナはまた口を開く。催促しているようだ。

 

「なんでそうなるんだよ……」

 

 ティナがいつぞやのパジャマではなく、眼鏡をかけて気合の入ったドレス姿なだけ絵面はマシだろうか。いや、ボタンは掛け違えてるし髪留めの位置もおかしいのでダメかもしれない。

 

「やだ……犯罪……?」「睡眠薬を飲ませてる~」「ふ、不審者……!」

 

 ダメみたいですね。

 

 蓮太郎は現実逃避も含めて過去に思いを馳せた。

 

 

 聖天子暗殺未遂から1週間が経っていた。

 事件直後、有意義な反省会(デブリーフィング)が行われるかと思った蓮太郎の予想を裏切り、ただの責任の押し付け合いが始まったのは記憶に新しい。

 しかもこぞって蓮太郎のせいにしようというのであるから談合を疑った。

 彼らの言いたいことは結局『僕は悪くない!』ということである。子供かよ。

 特に保脇は熱心に情報流出を蓮太郎のせいにしてきたので、本当にもうこの国の中枢はだめなのか? と失望しかけた。

 その場は乱入してきた聖天子が『恥を知りなさいッ!』と一喝したので終了したが、保脇は蓮太郎に熱い視線を送り続けていた。

 どうやら蓮太郎と聖天子が恋仲ではないかと疑っているらしい。

 あんなのでいいのかよ、聖天子付護衛官は。

 

 それともうひとつ。

 暗殺者の目的もはっきりしない。

 聖天子を殺害して何がしたいのか?

 政治・宗教的な理由なのか熱狂的ファンのどちらが主体かもわからない。

 一応、聖居の保管庫に見させてもらったが様々な脅迫状やラブレターもどきが届いているようだった。これに加えてメールボックスも来るのだから探しきれない。

 

 それ以外にも疑問はある。

 あの日以来、蓮太郎は見えない襲撃者のことを考えていたが、ルートを割り出して狙撃という殺意の高い手段を用いていながらなぜあっさり退いたのか疑問だった。

 

 1kmも狙撃できる銃弾となれば相当の威力であり、護衛もろとも聖天子を狙えたはずである。さらにこちらは遠距離を叩く手段がないのだから一方的に出来たはず。

 

 当時の状況も不可解である。

 蓮太郎はのどに小骨が刺さったような違和感を感じていた。

 

 何か、何か手がかりさえあれば――――

 

「んっ……ちゅ……むぅ……」

 

「……何やってんだお前」

 

「ふぇ……」

 

 カフェインは食べ飽きたのか、それともまだ寝ぼけてるのか。

 ティナは蓮太郎の指を咥えていた。

 良くないことをしている気になり慌てて指を引けば、名残惜しそうに彼女は目で追ってくる。

 

「蓮太郎さん……すごい美味しいものがあります……それは私のモノです……くらひゃい……」

 

「これは俺の指だッ、食い物じゃねぇ!」

 

「残念……です……でしたらこっちを……」

 

「待て止まれ、変なことをするな!」

 

 指がだめだと知ると、今度は首元に顔を近づけてくる。

 

「破廉恥な……」「すごいプレイをしているよ~」「ロリコンだわ……」

 

 周りの声がまずい方向に進んでいることに気づき、肩を掴んでティナを止めた。

 

「むぅ……蓮太郎さん、いじわるです」

 

「理不尽過ぎんだろ」

 

 蓮太郎は取り出したハンカチで指を拭いた。

 

 ふと、肩に重りが乗っかったような感触。

 首を傾ければ、ティナが頭を預けて来ていた。

 

「おい、何して……」

 

 言い切るよりも先に、彼女は見上げるように目を合わせ、おもむろに呟いた。

 

「私、蓮太郎さんのこと、好きです」

 

「は、はぁ?」唐突過ぎて面食らう蓮太郎。

 

「私、こんなに外で自由に遊べたのは……初めてで……」

 

 ティナは縋るような瞳で言った。

 

「蓮太郎さん……パパって、呼んでもいいですか?」

 

「いや、それは……まずいだろ……」

 

 いろいろと。

 

「そう、ですよね……」

 

 ティナは目を伏せた。

 途端、蓮太郎は悪いことをした気持ちになる。

 

 彼女と会うのは4回目。

 さすがに関わってしまった以上無下にもできず、『私と会っていることは誰にも言わないでください』なんてベタな条件を突き付けてくる彼女と交流を重ねていた。

 そうなると相手の事情が気になってくるのは人間の常。

 

「なぁ、どうやってここまで来たんだ? 普段どうしてるんだ? お前のこと、もっと知りたい」

 

「私の、こと……」

 

「例えば、保護者がいないって話だが、今までどうしてたんだ?」

 

「私は……その、施設で育ったので……」

 

「……っ、そこはいいところか?」

 

「はい。姉さんと、みんなと……楽しかったです」

 

「じゃあ、普通その施設長が保護者になるんじゃないのか?」

 

「それは、私が……」

 

 言葉が途切れる。

 

「ティナ?」

 

 蓮太郎がティナの表情を覗き込んだ。

 虚ろな目でガタガタと震えている。

 

「私だけが……私だけが外で、遊んで、こ、こんなの……」

 

 急に泣き出したティナに蓮太郎は狼狽える。

 

「お、おい、大丈夫かよ」

 

「蓮太郎さん……私、私はどうしたら……」

 

 胸に縋りついてくる少女。

 大丈夫だと言いたいが、何も事情を知らない人間が言ってなんの意味があるのか。

 蓮太郎は手を彷徨わせる。

 

「け、警備員!」「女の子泣かせた~」「なんて大胆な……」

 

 しかし周囲の目もあってそのままとはいかず。

 蓮太郎はティナを連れて遊園地を後にした。

 

 

 

「ごめんなさい、急に……」

 

 ティナはドレスの袖で涙をぬぐう。

 

「いや、大丈夫だが……あー、なんだ。あんま、溜め込むなよ」

 

 言うべき言葉が浮かんでこなくて、蓮太郎はありきたりな言葉しか返せなかった。

 それでもティナは影のある笑顔を見せる。

 

「ありがとう、ございます。……また、会えますか?」

 

「あ、ああ。呼んでくれりゃ時間を作るよ。もういいのか? まだ時間は――」

 

「いいんです。今日は……」

 

「そう、か」

 

「はい……では、また……」

 

 丁寧に一礼をして去っていく彼女の背を、蓮太郎は長い間見ていた。

 するとその直後、メールの着信音。

 差出人は未織で、至急来いという連絡だった。

 

 

 

 

 





どっかの誰かのせいで見捨てる判断が出来なかった罠。




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山猫は眠らない③




p↑pp→p↑pppp↓p→pp↑
pppp↓pppp→pppp↑

この世界の8/15はどういう扱いなんだろね




 

 

 

 

「未織―! 開けなさい、デトロイト()()よ!」

 

 木更がドアを蹴破ろうと努力している中、蓮太郎はパトロン兼生徒会長の司馬未織と共に、勾田高校の生徒会室に居た。

 とはいえただの生徒会室ではない。司馬重工が未織のために用意した特注のオペレーション・ルームだ。

 50を超えるホロディスプレイには株価や政治・経済ニュースが所狭しと映されている。

 

 蓮太郎は彼女に今回の『聖天子狙撃事件』の調査を依頼していた。

 兵器に詳しい未織に言わせると今回の狙撃は神業なのだという講義を受けたり、実は民警は政府の首輪付きで疑似階級があったなどと知らされたり、昔の自衛隊は格好良かったなどという感想を聞いた後。

 

 未織が操作すると、それらは別の映像に切り替わる。

 

「そうや里見ちゃん、妙なことがあったんよ。昨日の事件現場、急な停電にあっててな? そんでこれなんやけど」

 

「なんだ? これは……」

 

 未織が再生したのはSNSに投稿されたひとつの動画だ。

 「鬼火見つけたったwww」というコメントがつけられている。

 

「ウィル・オ・ウィスプみたいだな」

 

 人の頭サイズの鬼火めいた赤い塊がひとつ、奇妙な動きをしていた。

 虫のように俊敏に動いたかと思ったらカメのようにゆっくり動いたりもする。

 しかし、よくできた合成と言われたらそうと思える程度だ。

 

「これ、どうやら赤外線カメラで撮ったみたいなんよ」

 

「一般人が赤外線カメラだって?」

 

「なんやそういう趣味の人だったようや。そんでこっからが気になるんけど」

 

 未織はまた画面を操作した。

 

「この動画、もう削除されとるんよ。なんなら、投稿してたアカウントも削除されとる」

 

「はぁ……?」

 

「なーんかクサイんよなぁ、これ。アカウントはいわゆる日常的に使われてたもので、その日まで普通の投稿があったんやわ。それなのにまとめて消すとなると……見られちゃいけないようなものを見られたような……そんな厄ネタの香りがすんで」

 

「よく保存できたな」

 

 鉄扇を広げ、口元を隠す。

 

「まー、運がよかったんよ。そんで里見ちゃん。コレ、どうやら現場方向に向かってたようやけど、実際に現場でこんなものを見た?」

 

「いや……こんな動きをする奴、絶対目立つだろ。俺は見てねぇよ」

 

「やっぱりぃ? 現場写真にも写ってないし、なんか変なんよなぁ。そんでコレが関係するかは知らへんけど、里見ちゃんの言ってた2発目の銃弾は何もないところを撃っててな。最初に言うたけど、1km近い狙撃をこなす神業狙撃兵がなんの理由もなく外すとは考えにくいんよ」

 

「つまり、あの狙撃手は別のものを狙ってたって言いたいのか……?」

 

「さて、そこまでは。でも里見ちゃん、この事件……ただの護衛任務って訳には行かないかもしれない。気を付けてな」

 

「あぁ……わかってんよ」

 

 胸騒ぎを覚えながら蓮太郎が考えに浸ろうとした時、「やっと開いたわ! 覚悟しなさい蛇女!」木更が乱入してきて思考は中断された。

 

「あんらぁ……一足遅かったで木更?」

 

 未織は和服の袖を口元に持ってきて、しおらしいポーズを作る。

 

「な、なによ……何が遅かったって……」

 

「いんやぁ? なんにもあらへんで。ほんと、ほんとなぁんにも。ただ、ウチのコトを里見ちゃんはいたく気に入ってくれたみたいでな? それ以外は本当に。本当に何にもないんよ。それじゃあウチはこの辺で……里見ちゃん、またなぁ」

 

 言うだけ言って、未織は生徒会室を出て行ってしまった。

 

「お、おい……何言ってんだ未織……」

 

「ふ、ふふ……ふふふ……里見君……」

 

 殺人刀・雪影をカタカタ鳴らしながら近づいてくる木更に、蓮太郎は思わず後退る。

 

「き、木更さん……これは違うんだ……話せばわかるッ!」

 

「問答無用! 蛇女の血、私の血で全部洗い去ってあげる……ッ」

 

 再び蓮太郎の携帯がなるまで、ふたりの取っ組み合いは続いた。

 

 

 

 

 

 

「今日は呼び出されてばっかだな……」

 

「そんなに疲れたのか?」

 

「いや、まぁ……な」

 

 結局あの後サトミ虫とキサラ蝶とかいう、どう見ても自分たちがモデルの話で皮肉られた蓮太郎は、言われた通り室戸菫の地下研究室までやってきた。

 道中で延珠と合流している。

 

 清潔な廊下を抜け、地下への階段を進めば芳香剤の匂いが迎え出る。

 中から成人女性と少女の声がするので不在というわけではないならしい。

 

「せんせ、入るぞ」

 

 悪魔のバストアップが刻まれた人除けをくぐると、大の字で笑い転げる菫がいた。

 彼女はテーブルの上で暴れており、ビーカーや試験官が床に落ちてパリンパリンと割れていく。

 

「ハハハハハ! 里見くん、この記事は面白いぞ! ヤクザのくせに月の土地を地上げして回ってるんだ。エイプリルフールネタに騙されたとも知らずに……ハハハハハッ」

 

「先生ぇ、それ片付けるのアタシなんだよぉ? もうちょっと労ってくれないかな☆」

 

 その隣には三角巾を頭に着けて箒をもったアルもいた。彼女は床に散らばったガラス片をせっせと集めている。

 

「ならもっと散らかしてやろうじゃないか。喜べ、君の存在理由が増えたぞ」

 

 無情か、菫はお構いなしにまた割った。

 

「も~!」

 

「ははは! その調子で牛になってしまうといい」

 

「なんだこれは……」蓮太郎は早くも帰りたくなった。

 

「菫、それにアルも! 遊びに来たぞ~!」

 

 一方の延珠が嬉しそうに手を振れば、2人そろって彼女に向き直る。

 

「いらっしゃい☆」

 

「里見くん、延珠ちゃん。私の悪夢へようこそ。歓迎するよ」

 

「アタシを抹消しないでくれる?」

 

 菫はアルを無視して延珠と蓮太郎の顔を交互に見た。

 

「里見くんは剥製よりミイラだな。木更ならミイラより剥製。そして延珠ちゃんは……ミイラでいいな、うん」

 

「む、いま妾のどこを見て言ったのだ?」

 

「誰でもいいから早くミイラか剥製にできる死体が出来ないものかな。癒しがなくて死にそうだよ」

 

「アタシは? アタシは?」

 

「おや忘れてた里見くん。相変わらず不幸そうな面をしているねぇ見ているだけでうつ病になりそうだ。悪いんだが、明日までに整形してきてくれないか?」

 

「そんなに俺は絶望的かよ!」

 

「アタシいらない子……」

 

「お主、大丈夫か」

 

「おお……延珠ちゃんは天使だぁ☆」

 

 いじけたアルがコーヒーを作り始める一方、菫は蓮太郎に話を続ける。

 

「今回は護衛なんだって? 面白いことをしているじゃないか」

 

「耳が早いな」

 

「まぁね。しかし私はそっち方面には詳しくないが、今回の相手は狙撃手だとか」

 

「ああ。1km先からぶち抜いてくる凄腕だ」

 

「へぇ。なんだ、その程度なら君にも出来そうじゃないか。二階の窓から双眼鏡で幼女を追いかけ回す集中力と温泉で親子連れが入ってくるまで何時間でも湯につかっている驚異的な忍耐力を合わせもつ男だからね。名づけるならラブ・スナイパーかな気持ち悪い死ねこのロリコンが!」

 

「事実無根じゃねえか」

 

「そうだったのか、蓮太郎ッ」「蓮太郎くん……やるね……☆」

 

「違うそんな変な目で見るな! てかアパートの住人にいきなりつばをかけられるハメになったのは延珠に余計なことを吹聴するからなんだぞ!」

 

「計画通りじゃないか。我ながら自分の才能が恐ろしいよ……」

 

「アンタ人間の屑だな!」

 

「君が社会的に破滅していくのは愉悦の極みだからね。ファハハハハ」

 

 蓮太郎は絶句する。

 その時コーヒーが注がれたカップが蓮太郎と延珠の前に置かれた。

 

「あれ? そういや延珠ちゃんってコーヒー大丈夫だっけ」

 

「うむ! 蓮太郎がコーヒーを飲めない女とは結婚しないと言ってたからな」

 

「えぇ……カフェインの過剰摂取は体の成長を妨げるんだよ? まさか蓮太郎くん、そこまで計算して……策士だね☆」

 

「お前までやめろほんと……ただ延珠が真似をしているだけだ」

 

「ほんとかなぁ……一応ミルクとシュガースティック置いておくね☆」

 

「おお、ありがたい!」

 

 2人が着席するのを見届けた菫は頬杖をついて声のトーンを落とした。

 

「さて、遅れたがまずはおめでとう。君は蛭子影胤という元ランカーを打倒し、序列の階梯を駆け上がった。しかし同時にこれからは好むと好まざるに関わらず、君に接触してくる人間がいるだろうから忠告と知識を授けようじゃないか」

 

「なんでそんな上からなんだよ」

 

「勿論偉いからだが? 君はまだ高校生だから知らないだろうが、私は博士(ドクター)だぞ? いくつ論文を上げたと思ってる」

 

「ああそうかよ……で、話ってなんだ」

 

「せっかちだなぁ君は……まあいいだろう」

 

 菫は『機械化兵士計画』が日本以外にもアメリカ・オーストラリア・ドイツで行われていたことを語る。そしてその顛末も。

 蓮太郎は寝耳に水だった。

 

「機械化兵士創造ノウハウを持っているのはアメリカのエイン・ランド、オーストラリアのアーサー・ザナック。日本の私。そしてそれらの最高責任者がドイツのアルブレヒト・グリューネワルトの4人だ。『四賢人』だとか『四天王』とかと言われたこともある」

 

「『四賢人』……?」

 

「ああ。アメコミよろしく世界中からガストレアに対抗できそうな頭脳を集めたのさ。しかしな、結論から言うと我々は協力などしなかった。私含めてな」

 

「――なぜ?」

 

「君にわかるか? 自分より優れた人間などいないと驕っていた時に突然自分と同等かそれ以上の天才が3人も現れたんだ。それに、丁度私の恋人がガストレアに殺されたのだからまともな思考はしていなかったな。そのころの私を君は知ってるはずだ」

 

「…………はい」

 

 途端、ゾクリとした寒気が蓮太郎を襲う。

 一瞬だけアルが蓮太郎を睨んでいるように見えた。

 

「話を戻そう。結局、最後まで心が通じ合わなかった我々は『個々人が自分のノウハウを駆使して機械化兵士を作った』。しかし結果はお察しの通りだ。なぜかね?」

 

 蓮太郎が身を固くした延珠を見遣った時、答えは唐突に言われた。

 

「アタシたちが生まれたから☆」

 

「……今のは里見くんに聞いたんだがな。まあいい」

 

 菫は続ける。

 

「さて雇用を子供たちに奪われた兵士たちはどこへ行ったのだろうか。答えは民警だよ。強いプロモーター(機械化兵士)と強いイニシエーターのタッグは恐ろしいほどの戦果を挙げて、そのほとんどが超高位序列者の椅子に座っている。もう意味は分かるね?」

 

 蓮太郎は乾いた唇をゆっくり舌で湿らせながらうなずく。

 

「普通に民警をするなら問題ないが、自分の出自を探ろうとするなら……必然的に、彼ら3人が作り上げた機械化兵士のプロモーターともぶつかることになる。気を付けろよ、彼らの能力は我々の想像を超えた進化を遂げているかもしれないぞ」

 

 いつの間にか、蓮太郎は背筋を正していた。

 冷や汗が頬を伝い、ゆっくりと酸素を肺に送り込んだ。

 

「しかし安心したまえよ、君は既にグリューネワルト(おう)の機械化兵士を1体倒している」

 

「……蛭子影胤か?」

 

「その通り。彼だけは自国に研究ラボを持っていなかったから他の国に研究施設をもっていたんだよ。そしてその中の日本で造られたのが蛭子影胤というわけさ」

 

「あんなのがまだいるのか……」蓮太郎は当時の戦いを思って胃が重くなる。

 

「グリューネワルト翁は我々の中でも頭一つぬけた天才でね。私でも設計図を解読しきれなかったくらいだ。つまり他の機械化兵士は君より弱いとも言えるかもしれないぞ?」

 

「言ってることがさっきと逆だぞ先生……というかそんな(すげ)ぇ奴だったのな、アンタ」

 

「単に知識の量が違うだけだよ。たしかに検死や解剖は好きだがそれだけだ。本来私に専門分野というものはないのだよ。すべてが私の専門分野さ」

 

「先生ぇ、いつもその顔してたらかっこいいのに☆」

 

「余計なことを言うな」

 

 横から頬を突っつくアルの手を鬱陶しそうに弾いた。

 蓮太郎も延珠もスケールのデカさに驚きを隠せない。世界的権威と目の前の映画と18禁ゲームにハマった年齢不詳の女がイコールで結びつかなかった。

 

 菫は溜息を吐いて話題を切り替えた。

 

「ところで知ってるかい里見君? 最初期のギャルゲーは主人公の頭が顔が良くなきゃヒロインたちに見向きもされなかったんだよ。まぁ、ゲームのくせに夢も希望もないから他のゲーム会社は追従しなかったがね」

 

「……何の話だ?」

 

 18禁ゲームマニアの女医は胸ポケットのボールペンを抜き、トントンと机を叩いてニンマリ笑った。

 真面目な話は終わったらしい。

 

「いやね、木更とはどこまで行ったんだい? 木更は君みたいな不幸面の虫マニアにはもったいない物件だよ。まだ目立った彼氏がいないのが不思議なくらいでね。君はもっと焦りたまえよ? 口調の割にフェミニストだが、女性の躊躇をあえて押し切って相手を獲得するだけの征服欲というものが欠如している。それは君の欠点だよ、里見くん」

 

「そう、こんな風にね☆」

 

「君はくっつくな鬱陶しい」

 

 アルが菫の腰に抱き着いたのを見て、延珠は蓮太郎を見た。

 

「や、やめろよ延珠。な? わかるだろ(OK)?」

 

わかった(OK)!」

 

「ぐふっ……」

 

 延珠ミサイルが腹部に直撃し、蓮太郎は肺の酸素を失った。

 一方の延珠は満足そうにしている。

 

「蓮太郎くんは~、もっとレディの扱いを覚えなきゃいけないんじゃないかな☆」

 

 額を手で押さえられながら、アルは蓮太郎に向かって言う。

 

「そうだぞ、妾をいつも邪険にして……」

 

「してねぇよ、お前が距離近すぎるんだろ……」

 

「おやロリコンとは思えない口調じゃないか里見くん」

 

「誰がロリコンだ、誰が!」

 

 蓮太郎は激怒した。必ず、かの邪知暴虐の王を以下略。

 

「でもさぁ、実際問題、それじゃどこかのお嬢様は振り向いてくれないぞっ☆」

 

「う、うっせーな。かんけーねーだろ……」

 

 面白くなさそうな顔で見上げる延珠にバツが悪くなって顔をそらす。

 

「いいや、関係大ありだね。木更ちゃんのおっぱいって凄い揉み心地よさそうだよね☆ 毎日あれが揉めたらさぞ幸せな一日になるって思わない?」

 

「は?」

 

「時代は肉食なんだよ? 人口が激減した世の中じゃ産めよ増やせよ(セックス)が正義なの。草食系なんて20年は時代遅れだよ~。蓮太郎くんも男ならガツガツいかなきゃ!」

 

 こいつ、ほんとに10歳児か? 先生はどういう情操教育をしている?

 蓮太郎は訝しんだ。

 

「……いいんだよ。俺は俺の、木更さんは木更さんのペースがあるんだからな」

 

 至極真面目に語った蓮太郎をアルは笑った。

 

「ぷぷっ……それ、寝取られるオタクくんの言い分そっくりだよ」

 

「はああ? どこがだよ。というか誰が木更さんを……」

 

 不意に、蓮太郎は木更が勾田高校にやって来た時のことを思い出した。

 多数の男子が彼女の一挙手一投足に注目しており、なんならその場で告白までしようとした者がいたくらいだ。

 

「おや? 心当たりがあるみたいだね☆ そうしたら君の知らぬ間に蓮太郎くんとは真逆のチャラチャラしたイケメン金持ちに言い寄られちゃったりしてるんじゃないの~? それで君が意を決して告白しようとした頃には『ごめんね……里見君……』ってメールが届くんだ☆」

 

「アル、私は君の想像力にドン引きだよ」

 

「ええっ! エロゲ三昧の先生ぇと一緒に居たらこうなるって☆」

 

「なんか……妾もそういうのはちょっと……」

 

「えっ!?」

 

 菫も延珠も引いていた。

 

「…………木更さんは、そんな奴には靡かねえよ」

 

 不思議と乾いた口から、かろうじてその言葉を絞り出す。

 

「ほんとかなぁ、ほんとかなぁ……天童民間警備会社はお金持ちなの? 古今東西お金が結婚理由なんて珍しくもないんだよぉ?」

 

「そんな、馬鹿な事……」

 

 脳裏をよぎるは、野良犬にあげようとしたビーフジャーキーをかっさらった木更の必死な形相。悔しいが食事にも困窮しているのは事実。というか今日もモヤシしか食べていないはず。

 

 金や食べ物で木更さんがつられる?

 まさか、そんなわけがない。

 蓮太郎の心は必死に否定するが、頭は想像をやめてくれなかった。

 髪を染めてキラキラした装飾品で身を固めた男と街を歩く木更の姿――彼女は映画館で憧れのロマンス映画を見る。その後はビルの最上階の高級レストランで食事をして、月が綺麗に見える海沿いの道を歩いて告白されて――そこまで想像して、呼吸は早くなり、胃がキリキリと痛んで吐き気までする。

 そこは俺の居場所だ――――まて、今何を考えた?

 変なことを吹き込まれたからだろう。そう断定して蓮太郎は頭を振る。

 

「あらら? 青ざめたね……想像したんだ?」

 

「そんな、そんな未来は来ねえ、来てたまるか……」

 

「じゃあチャラ男君に言い寄られる未来はなかったとして……君が草食でいる限りアタシは木更ちゃんを狙っちゃおっかな☆」

 

 どこかの兄貴みたいな宣戦布告を聞いて、蓮太郎はハッとした。

 

「お前……まさか()()()か?」

 

 アルはにんまり笑う。

 

「男の人は男の人同士で、女の子は女の子同士で恋愛するべきだと思うよ☆」

 

 その言葉を聞いて蓮太郎の意識は急に上向きになる。

 

「ばっ……お前、延珠に手を出そうってんじゃないだろうな……!」

 

「ん~? それはどうだろうね☆」

 

「やめろよお前、延珠に変なこと吹き込むなよッ」

 

「やぁだ☆ そんな心配なら娶るなり養子にするなりしちゃえばいいのに」

 

「できるわけ……ないだろ、年齢を考えろよな」

 

「え? できるよ?」

 

「できるのかッ!?」

 

 アルの言葉に延珠が食いついた。

 

「児童婚って言ってね? アフリカとかだと未成年と結婚するのも合法なんだよ」

 

「おや、アル。よくそんなことを知ってるな」菫が関心したように言う。

 

「まぁね☆ アタシだって勉強するんだよぉ」

 

「まぁ、その話を正確に言うなら風習に近いな。摘発する法がないから違法じゃない、というわけだ」

 

 菫は延珠がいるからか珍しく配慮のある言い方をした。

 

「ん……つまり、アフリカに行けば蓮太郎と結婚できるというわけなのだな?」

 

「結局のところはそういうことだね☆」

 

 延珠は強い意志を以て言った。

 

「よし、蓮太郎! この仕事が終わったら妾たちは結婚するぞ!」

 

「それ、いろいろやばい発言だからやめろ!」

 

「なぜだ~!」

 

「まずおいそれと外国に行ける状況じゃねえだろ……というかお前2年待つって言ったじゃねぇか」

 

「それはそれ、これはこれなのだ」

 

「便利な言葉覚えやがって……」

 

 アルが咳ばらいをする。

 

「と、いうことで木更ちゃんが心配ならさっさと会いに行って愛を囁いたらどうかな?」

 

「……ッ! クソ、なんだってんだほんと……」

 

「恋のキューピットしてるだけだよ☆」

 

「まぁ、君が愛を囁くかは別にしてだな里見くん。私は延珠ちゃんと話すことがあるから君は帰り給え」

 

「は? 先生、まさか」

 

()()()じゃない」

 

 懸念していることではないようで蓮太郎は安堵する。

 

「…………そう、か。なら俺は行くよ……延珠、ひとりで帰れるか?」

 

「うむ、問題ないぞ」

 

 蓮太郎は抱き着いている延珠の頭をひと撫でしてから、後ろ指を引かれる思いで大学病院を後にした。

 

 

 

 





書ききれなかったから山猫はもうひとつ続く。




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山猫は眠らない④


夜は眠れるかい


 

 

 

「何が征服だ、木更さんはモノじゃねぇっての……」

 

 蓮太郎は愚痴をこぼしながらもゲイバー(1F)キャバクラ(2F)を通り過ぎ、『天童民間警備会社』(3F)と書かれたプレートが釘で吊り下げられている粗末な扉をくぐる。

 目当ての人物は正面奥の大きな執務机に居た。

 彼女は肩を怒らせながら書き物をしていたが、扉の開閉音に反応して万年筆を放り、プイと腕組をしてそっぽ向く。

 『私まだ怒ってるんだからね?』と言いたげだ。

 

 その様子を見て蓮太郎は手を頭の後ろに持っていき、ひと呼吸置いて意を決した。

 

「その……悪かったよ、木更さん。俺はアンタを憐れんで言った訳じゃねぇんだ」

 

 木更は片目を開いた。その目は『で? それがどうしたの?』と語っている。

 どうやら聞く気はあるがプライドも残っているらしい。

 

「だから、あー。その……」

 

 気恥ずかしさで蓮太郎は口を閉口する。

 

「……俺は、ここで働きたいんだよ。木更さんと一緒に……ずっと」

 

 言ってから、まるで告白のようなセリフだと気付いた。

 顔が熱い。急激に逸った血流が全身を駆け巡る。

 変なところで初心な木更も片耳が真っ赤になっていた。

 

「…………」

「…………」

 

 数秒か、数十秒か見つめ合い、今度は木更が口を開く。

 

「…………私が、そんなにいいの?」

 

「ああ……木更さんだからいい」

 

「未織よりも?」

 

「――ッ」

 

 蓮太郎はなぜあいつが出てくる、と言いたくなった。

 確かに好意の量であれば木更に傾くが、今ここで頷いたら武器や弾薬を提供してくれている上に捜査まで手伝ってもらっている未織を裏切るような気がする。

 蓮太郎は曖昧な返事で濁そうとしたが。

 

「私、物事を曖昧にしておくのが嫌いなのよ、里見君」

 

 木更が釘を刺すように言った。

 

「未織と何をしてたかなんて聞きたくないし、話さなくていいわ。だけど答えて頂戴、里見君――私のコト、スキ?」

 

 そのセリフに蓮太郎は浮足立った。

 好きか嫌いかで言えば好きだ。しかし木更が自分を好きではなかった場合、これからの生活がぎこちなくなってしまう。そんな一か八かの賭けをするよりも友情的な解釈で――返そうとした時、声が浮かんだ。

 

『アタシは木更ちゃんを狙っちゃおうかな☆』

 

 蓮太郎はなぜかその言葉に激しい怒りと焦燥感を抱いた。

 そしてそのまま衝動的に行動を起こす。

 

「ああ……俺は、木更さんが好きだよ」

 

「ひゅっ……!」

 

 木更は今度こそ顔を真っ赤にさせた。

 

「な、なぁ……木更さんは……どうなんだよ……」

 

 黙ったままで答えが返ってこない不安に駆られた蓮太郎の決死の問いかけはしかし、木更はにやにやと笑みを浮かべてぶつぶつとひとりごとを喋り始める。

 

「ふ、ふーん……そ、そうなのね。やっぱり蛇女より私が良いんだ。へ~、えへへ……当然よね。お嬢様だし、幼馴染だし、可愛いし、社長だし、上司だし、お……おっぱい大きいし。ひひひ……勝ったわ……ついに勝ったのよ……! ざまぁみなさい蛇女! 私はあんたに勝ったのよッ!」

 

 謎の勝利宣言を聞いて、蓮太郎は心に冷や水を浴びせられたような気がした。

 なんだか景品を巡って対立する子供のように見えたのだ。

 

 蓮太郎が黙っていることに気づいた木更は、バツが悪くなったように目をキョロキョロさせ、そわそわと机の周りを回りだす。

 

「……なぁ、木更さん。俺は――」

 

「まって! ちょっとまって里見君」

 

 蓮太郎の言葉が遮られる。

 

そ、そうよね……里見君ばかりに言わせてたら令嬢として沽券に関わるものね……そうよ、そう……だからこれは仕方のないことなの……やるのよ、今、ここで……!

 

「…………」

 

 蓮太郎は律儀に木更の言葉を待った。

 木更はおもむろにカーテンを後ろ手に閉める。

 そして言った。

 

「ふ、ふふ。喜びなさい、里見君。あなたには……私と、その……」

 数秒の硬直。木更は顔を真っ赤にさせた。

「わ、私の手を握る権利をあげる……!」

 

「は、はぁ……?」前後の繋がりがわからない蓮太郎。

 

「手、手よ。手を握っていいのよ。言うこと言ったワンちゃんにはご褒美が……必要でしょ?」

 

 目がぐるぐるしている。

 どうやら木更も正気じゃないらしい。

 

「……なぜ手なんだ?」

 

「き、気に入らないの!? もっと触らせろって言うの!? お、おっぱいはだめよ! い、いくら里見君でもおっぱいは、その、まだ早いわ……」

 

 ()()ってなんだ。そう突っ込みたくなるも、蓮太郎とて手を繋ぎたくないわけではなかった。

 煮え切らない男に木更は身を強張らせながらも手のひらを差し伸べて目をつぶる。

 

「は、早く……お願い、里見君。恥ずかしくて死んじゃいそうだから……」

 

「……ッ!」

 

 木更から痺れるような甘い匂いが漂ってくる。

 鎖骨から肩、腰にかけての流線的なラインは木更の女性を強く強調するようだ。

 そして羞恥に耐え、気丈な振る舞いをしようとする木更に、蓮太郎は――。

 

「き、木更さん。俺は……俺は……ッ!」

 

 

 

 

 

 

『こんなものが相手では興覚めもいいところだな』

 

「ッ!」

「……!」

 

 急に部外者の声がして、ふたりは身を強張らせた。

 しかしそれも一瞬。

 寒気に襲われた蓮太郎はホルダーに右手をかけ、木更も雪影の鞘――『雲心月性の構え』を取った。

 

『ほう、悪くない動きだ』

 

 いつの間にか、入り口に外骨格(パワードスーツ)を着た人影が居た。

 体格は男のようだが、声は加工され、頭部もヘルメットで見えない。

 体格に似合わぬランドセルのようなものが不気味さを増している。

 唯一の情報は肩に印字されたNo.8という数字だけだ。

 

「アンタ、誰だ」

 

『これから死ぬ者に名乗る名はない』

 

 鎧は無機質な声で言うと、一切の躊躇もなく右手のライフル銃を発砲した。

 

「ッ!」

 

 意識外の攻撃に蓮太郎は対応が遅れる。

 銃弾は狙い過たず蓮太郎の心臓を――

 

【天童式抜刀術一の型一番】

 

「『滴水成氷(てきすいせいひょう)』!」

 

 ――穿つ前に、神速の剣撃が撃ち落とした。

 

「木更さんッ!」

 

「げほっ……大丈夫よ、里見君」

 

 咳を吐いた木更を見て。

 今度こそ、蓮太郎はXD拳銃をドロウ――射撃した。

 

 しかし。

 

『後ろの女は悪くない……が、舐められたものだ』

 

 銃弾は鎧に近づくことなく、奇妙な屈折を描いて窓に突き刺さる。

 瞬間、蓮太郎は先月戦った男を思い出した。

 

「斥力フィールド……!」

 

『残念ながら違う。お前に言うつもりもないが』

 

「この……ッ!」

 

 鎧は再びトリガーを引こうとする。

 

 助けを呼ぶ時間はない。

 なぜ襲われたかは二の次にして、今はこの場を生き残らねばならず――手加減していい相手でもなさそうだ。

 

 蓮太郎は前に踏み出す。

 義足を解放。大型薬莢を撃発させたエネルギーが瞬時に敵との距離を詰めた。

 

【天童式戦闘術二の型十六番】

 

「『隠禅・黒天風』!」

 

 ひねりを加えて放たれた回し蹴りを、鎧はしかし、右腕を盾にして受け止めた。

 

「ぐっ!?」

 

 逆に、攻撃した蓮太郎の足が痺れる。

 その隙を逃さず、鎧が放った前蹴りは蓮太郎の腹部を捉え、木更の前まで吹き飛ばした。

 

「里見君ッ!」

 

「ガッ……な、なんだコイツ……」

 

『機械化兵士……その力、始めから使えばよいものを』

 

「テメェ……どうしてそれをッ!」

 

『答える気はない』

 

 面倒が嫌いなのか、それだけ言って鎧は再び発砲。

 今度は蓮太郎も木更もその場から跳んで回避する。

 

「木更さんッ、どうする……!」

 

 蓮太郎が目を向ければ、木更は力強い目で敵を見据えて言った。

 

「里見君、私のこと……頼んでもいい?」

 

「……は? いや、ああ。任せとけ」

 

 安心したように頷き、木更は『心地光明の構え』に変えた。

 

【天童式抜刀術三の型八番】

 

 深い呼吸をひとつ。

 すべての息を放つように、渾身の一撃を刀に乗せた。

 

「『雲嶺毘却雄星(うねびこゆうせい)』――――疾って、雪影ッ!」

 

 澄んだ鋼の鞘鳴りから()()出された斬撃が、部屋中縦横無尽に切断線を刻印する。

 視界がいくつにも切り分けられたような感覚と共に、氷柱が裂けたような快音がした。

 

『ほう……』

 

 感心した声とは裏腹に、鎧は初めて回避行動を取った。

 窓を突き破って部屋を飛び出し、向かいのビルの屋上へ飛んだのだ。

 

「なっ……どんな移動してんだよ」

 

 蓮太郎が絶句していると、鎧はふたりを見据えて言った。

 

『なるほど、それなりの力はあるようだ。そうでなくてはな』

 

 鎧は不可思議なことにこれ以上戦う気はないようで、武器を下げる。

 

「おい、テメェ何しに来たんだ! 答えやがれッ!」

 

『語る必要のない事だ。いずれ分かる……その時を待つがいい』

 

 それだけ言って、鎧は陽炎のように姿を消した。

 

 蓮太郎は追いかけようとする。

 しかし倒れこむようにもたれかかってきた木更の顔が真っ青であることに気づき、その足を止めた。

 

「里見、君……」

 

「木更さん……ッ! くそ、今病院に運ぶからな、しっかりしろよ!」

 

 腎臓の障害で倒れた幼馴染を抱え、蓮太郎は病院へ急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 海沿いに廃棄されたビルの中。

 潮風にあおられる2つの影があった。

 

「あは☆ この依頼、辞退したいんだってぇ?」

 

「……これ以上、嘘つきの言葉は信じられません」

 

「一週間考えて出した結論がソレなのぉ? すごいクマじゃん、ちゃんと寝れてる?」

 

「誰のせいだと……!」

 

「うーん、辛辣。というか嘘なんて言ってないよ☆ ただ真実を話してないだけ」

 

「同じようなものでしょう……っ!」

 

「同じじゃないよ。アタシは嘘を言ってない……でもさぁ……」

 

 横目で見てきたアルに警戒心が募る。

 

「何ですか」

 

「エイン君に許可は取ったの?」

 

「…………」

 

 ティナは思い出す。

 連絡を取った時、彼は『問題はない。任務を続行しろ』と言うだけだった。

 この依頼に関しても、施設の子供たちについても、(リタ)たちについてもだ。

 

「その様子だとダメだったみたいだね☆ ま、仮に許可が下りても別の子が送られるだけだから変わらないと思うよ?」

 

「だとしても……」

 

 ティナはガンケースから回転式多銃身型機関銃――XM134(マイクロガン)を取り出した。

 

「あなたがよからぬことを企てていることはわかります。……そしてそれが、私たちの害になることも」

 

「あは☆ アタシとやるっての? いいよ、来なよ!」

 

「…………ッ!」

 

 引き金を引く。

 バッテリーが駆動して銃身を回転させれば、秒間60もの銃弾を吐き出し続ける。

 床を埋め尽くす勢いで空薬莢が転がった。

 砕けたコンクリートが宙を舞い、土煙となって視界を遮る。

 きっかり5秒。ティナはトリガーから手を離した。

 

 当然のことながら、銃で撃たれれば人は死ぬ。

 原型を留めているのが奇跡なくらい穴だらけで血まみれの人型も床の上で死んでいた。

 

「そ、そんなつもりは」

 

 ティナは狼狽える。

 確かに痛い目を見せるつもりだったが殺すつもりはなかった。

 強者っぽい振る舞いをするから笑って避けるのだろうと思っていたのだ。

 

 ガシャン、と凶器を床に取り落とすのと同時、死体が喋った。

 

「痛みを感じないってホントだったんだね☆」

 

「は?」

 

 確かに、そこで死んだはずの少女――アルが立ち上がっていた。

 肉体に傷はないが、穴だらけの服が幻覚を否定する。

 

「ティナちゃんは穴だらけが好きなのかな? えっち☆」

 

「あなたは……一体……」

 

「アタシはアル。ちょっと死ぬだけの、ただのアルだよ」

 

 三日月の悪魔が嗤う。

 

「殺してくれたお礼にひとつ教えてあげる」

 

 気まぐれだろうか。それでもいい。

 ティナの聴覚が最大まで研ぎ澄まされた。

 

「聖天子を護衛している民警は――里見蓮太郎くんだよ」

 

「――――は?」思考が一瞬、止まった。

 

「だからぁ、蓮太郎くんなんだって。あは☆」

 

 アルは邪悪(じゅんすい)な笑みを浮かべて言う。

 

「君が彼らと戦わないのは勝手だよ? けど そうなった場合、誰が代わりにNEXTと戦うと思う?」

 

 わざとらしいタメを作ってから続けた。

 

「……蓮太郎くんだよ」

 

「彼は君に心を許してきてるし、なんなら気にかけてもいる。でも今の彼じゃNEXTには勝てない。そうなれば無残に殺されて終わり」

 

「君がやるしかないんだよ……!」

 

「君もわかってるでしょ? 彼は人間なんだよ。アタシたちとは違う人間。化け物と戦ったら負けちゃうような、ね。だから、何かを期待してここに来たんでしょ?」

 

「私は……私は……」

 

「まぁ、仲良くなった男の子を見殺しにできるなら帰ってもいいんじゃない? でも、ティナちゃんにそれは無理だよねぇ……それともそれとも! 今、人殺しに()()()ティナちゃんなら出来ちゃうのかなぁ?」

 

「あ、あ……ああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 少女の慟哭が、夜の海に溶けて行った。

 

 

 

 







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One Day


貴公ら……幼女を曇らせるのが好きなのか……?
お気に入りと高評価、感謝する
アンバサ







 

 

 

「……天童は……抹殺……しなきゃ……」

 

 ダイアライザー(人工腎臓)の規則的かつ、断続的な機械の音が白い部屋に響く。

 木更はベッドの上でうわ言を呟いていた。

 

 その様子を内側につけられた窓の外から見守る蓮太郎。

 普段の洗練された動作でキビキビと指示を出す木更が、糸の切れた人形のように手足を投げ出してベッドで寝転んでいる様など見たくなかった。

 木更が頑なに同行を拒んでいたのはこの姿を見せたくなかったからだろう。

 

 木更は週に数回、約5時間かけてこの人工腎臓に血液中の毒素を濾し取って貰わなければならない。

 しかし看護師の話を聞くに、最近は碌に行っていなかったのだろう。ここに来て無理が祟ったと医者は語っていた。数時間は起きないらしい。

 

 蓮太郎は白皙(はくせき)の美貌を持つ木更を今一度見る。

 胸が苦しくなりそうだった。

 今すぐ問いただしたいことがある。

 天童式抜刀術三の型八番『雲嶺毘却雄星(うねびこゆうせい)』。あれはなんだったのか。ただでさえ斬撃が飛ぶ不思議剣術だが、それでも10年共にいて蓮太郎はあんな強力無比な技を一度も見たことがなかった。

 どうして隠していたのか――しかし予想はできる。出来てしまう。

 

 木更は未だ、天童の抹殺を諦めていないのだと――――

 

「木更さん――アンタ、本当は俺より」

 

 強いんじゃないか。その言葉は怖くて口にできなかった。

 本当にそうだったら、自分が彼女の隣にいる意味は――。

 

「蓮太郎っ、無事なのか!?」

 

「延珠……」

 

 闇に沈みそうだった思考を引き上げたのは、走り寄って来た相棒の慌てた声だった。

 

「事務所が壊されたと聞いたが……大丈夫なのか?」

 

「ああ……俺はな。でも、木更さんが体調を崩しちまった」

 

 延珠も窓の向こうで眠る木更を眺めた。

 

「……変な意地を張るからだ。でも、生きているようでよかった……」

 

「そうだな……」

 

 今度は蓮太郎に向く延珠。

 

「蓮太郎。菫は狙撃犯が事務所を襲うと言っていたのだが、本当にそうだったのか?」

 

 蓮太郎は当時のことをもう一度思い出す。

 確かに告白まがいなことをしていたから気は抜けていたが、それでも足音ひとつしなかったのは奇妙である。

 武器はライフルと、推定何かのフィールドのようなものか。

 あれはいわゆる大口径自動小銃(バトルライフル)だろう。確かに殺傷力はあるが1kmも狙撃などできない。ゴルゴのように本人が狙撃もできるとしたならその限りではないだろうが。

 

 結局。

 

「わからない。鎧を着た誰かが俺たちを撃ち殺そうとしたのは確かだけど、それだけだ」

 

 どうして退いたのかもわからない。

 

「強かったのか? 蓮太郎は傷もなさそうに見えるが」

 

「それは……ああ、そうだろうな。多分、蛭子影胤みたいな奴だ」

 

「なんと……あの時のか」延珠も先月の死闘を思い出したのか真面目な顔になる。

 

 そういえば、と蓮太郎はひとつ思い出した。

 あの鎧にガードされた時、体に電流が走ったように感じたのだ。

 もしかしたらあれは人間ではなく機械なのだろうか――さすがに考え過ぎか。

 

 未織の言っていたキナ臭さとはこういう存在を指していたのか……まだ確証がない。

 いったん、別のことを考えることにした。

 

「それより延珠、お前は先生たちと何を話していたんだ?」

 

「ああ、それはな――――」

 

 

 

 

 

 

「『成長限界点』? なんなのだそれは」

 

 延珠は資料を捲っていた菫に問い返す。

 

「簡単に言えば急激な成長が止まり、緩やかな状態にあることだよ。延珠ちゃん、君は最近、自分のスピードに物足りなさを覚えていたりするかい?」

 

 その言葉の意味するところをなんとなく察して、延珠の背中はうすら寒くなる。

 

「……あるかないかで言えば……ある」

 

 やはりか、と言って菫はバインダー(資料)を机の上に放り投げた。

 

「昔と比べるとどんな感じかな?」

 

「昔は……たぶん、力を使えば使うほど妾は速くなっていったんだ。でも、最近は……全然早くなっている感じがしない」

 

 アルの問診に答える。

 

「つまりだね、延珠ちゃん。それが成長限界点だ。停滞期と言ってもいい」

 

「妾は……これ以上速くならないのか?」

 

「あけすけに言えばそうなるね☆」

 

 延珠は自分だけが立ち止まっているような幻覚を見て、焦燥を感じた。

 

「な、なんとかならないのかッ!?」

 

「ならないね」前髪の隙間から女医は嬉しそうに見返した。

 

「でも悪い事ばかりじゃないさ。これ以上強くなる必要がないと神様が教えてくれているわけだ」

 

「菫は神様なんて信じてないと言ったぞ!」

 

「はは、心外だね。いれば愉快だなと常日頃から思っているよ。ただ、その証拠がなさすぎるから意見を保留してるにすぎん」

 

「じゃあ、本当にもう。妾は……?」

 

「そういうことだ。もう帰り給え」

 

「そんな……」延珠は沼の底に足を取られたように崩れた。

 

「ふふ、そんなこともあろうかと☆」

 

 アルは力こぶしを作り――大してなかった――延珠に裏技を示す。

 

「延珠ちゃん、『ゾーン』って聞いたことある?」

 

「おい、アル!」

 

 言葉の意味するところに気づき、菫が声をあげた。

 

「いいじゃん、ちょっとくらい。サービスだよ☆」

 

 アルは睨んできた菫を意に介さず、どうなの? と延珠に問うた。

 

「確かに……聞いたことがある。とても強いイニシエーターを言うのだろう?」

 

「……正確には特定の状態のことだ」言いたくなさそうに訂正する菫。

 

「つまり、それは……」

 

「うん☆ 延珠ちゃんがまだ強くなれる可能性だってことだね」

 

「ど、どうすればその『ゾーン』になれるのだ!?」

 

 延珠はアルに詰め寄った。

 

「うわ、かわよ……じゃなかった。簡単に言えば限界を突破することだね☆」

 

「それは……どうやって……?」

 

 アルはどや顔で言った。

 

「わっかんない☆」

 

「えぇ……?」期待の風船がしぼんだ。

 

 そこに菫の補足が入る。

 

「文献を読む限り感覚的なものらしいぞ。どうもほんの一握りの、まさに選ばれたイニシエーターにしか到達できないのだと。確かなのは、超高位序列者は『ゾーン』を会得しているということだ」

 

「そんなに『ゾーン』はすごいのか……?」

 

 にわかに信じがたい気持ちだ。

 

「すごいとかじゃなくてまさに()()()だよぉ。歩く核兵器ってやつ☆」

 

 カクヘイキ。

 延珠は蓮太郎が忌むべき力だと言っていたのを思い出した。

 

「そ、そんな力が……」

 

「『ゾーン』を開眼したイニシエーターと出会うと首の後ろがぴりぴりすると言われている。いわゆる『格の違い』を理解するらしい。延珠ちゃん、悪いことは言わないから『ゾーン』のイニシエーターと出会ったら里見君を連れてまっすぐ逃げろ」

 

「そこまで……なのか?」

 

 さすがに誇張を疑った延珠をしかし、菫は真剣な表情で斬る。

 

「そこまでだ。アリとゾウほど違うと表現されることもあるからな」

 

「む、むぅ……」

 

 さすがに延珠も暗澹たる気持ちになった。

 

「でもまぁ、即興で強くなれる手段がないわけじゃないよぉ?」

 

 悪魔のようなささやきに延珠が「ほんとうか!?」と反応する。

 

「それ以上言うならしばくぞ、アル。延珠ちゃんも近視眼的な考えをやめろ。それはいつか君に手痛い傷を残しかねない」

 

 怒気を混ぜた菫の言葉にアルは笑っている。

 一方、延珠はくしゃっと顔を歪ませた。

 

「わ、妾はただ蓮太郎と……!」

 

 泣きそうな表情の延珠に、菫もさすがにバツが悪くなったのか後頭部をかいた。

 

「あー、とにかく。君はウサギとカメの童話をよく考えた方がいい。なぜカメがウサギに勝てたかということをな」

 

「それは……ウサギが休んだからだろう?」

 

「それは違うよ☆」

 

「違うのか?」

 

「ウサギはカメを見ていた。カメは……さて、何を見ていたんだろうな」

 

「……よくわからないのだ」

 

 首をかしげる延珠に、菫は努めて優しく言った。

 

「君にとってのゴールはどこか。よく考えておくんだ、延珠ちゃん」

 

 

 

 

 

 

「ゾーンね……そんなのがあるのか」

 

「らしいぞ。妾は全然わからなかったが」

 

「……まぁ、今は分からなくていいだろ。それより依頼に集中しなきゃな……」

 

「うむ。聖天子様をきっちり守って木更を安心させてやろうではないか!」

 

 元気な延珠を見て、蓮太郎はなんとなく『ゾーン』の詳細を推測した。

 体内浸食率を一定以上に上げるとアスリートのような『ゾーン』になるのだろう。

 ただ、それは一時的か、永続的かはわからない。仮に一時的だとしたら……。

 蓮太郎は思考を打ち切った。

 

 

 

 

 

 

「……やっぱり、蓮太郎も……」

 ポケットに入ったアンプルを、延珠は蓮太郎に言えなかった。

 

 

 

 

 

 

「アル……貴様は誰の味方だ?」

 

 寝台に押し倒され、メスを首元に突き付けられながら。

 

 アルは恍惚した笑顔で言った。

 

「あは☆ それは当然――――先生ぇの味方だよ」

 

 菫は数秒目を閉じ。

 

 蔑んだ瞳を露わにした。

 

「この噓吐きが」

 

 

 

 

 





『ゾーン』

絶対原作は一番いいところで延珠が目覚めるはず。
でもその後は……



≒sometime


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強襲


見てるか代表!
初めて日間ランキングに乗ったようだぞ
一体何が……

誤字報告助かってる





 

 

 

「そのようなことが……」

 

 夜の車中。

 蓮太郎が事務所を襲撃されたことを話すと、聖天子は膝の上で両手を合わせた。

 

「すみません、良かれと思って依頼したばかりに……」

 

「お主、気にすることはないぞ! 依頼が来た時、木更はカンテンの雨*1が降ったように喜んでいたからな!」

 

「延珠の言うとおりだ。ウチはそのリスク込みで受けたんだから、アンタの気にすることじゃない。保険は入ってるからな。ただ、相変わらず保脇は俺が気に食わないようだが」

 

 未だ情報漏洩を疑われている蓮太郎は眉をひそめた。

 

「すみません、わたくしも彼がそこまで意固地だとは知らず……」

 

「仕方ねえよ。アイツの精神がまだガキだったってだけだ」

 

「……それでは里見さんは大人ということですね」

 

 微笑を浮かべながら打ち返してきた聖天子に、蓮太郎は口をつぐんだ。

 

 街灯に照らされた夜の街を眺める。

 平和な光景だ。誰も今、聖天子の暗殺が計画されているなんて思わないだろう。

 

 蓮太郎は今回、聖天子の乗り物を職員から借り受けた黒いバンに変更していた。

 リムジンと比べれば何もかも劣っているが、情報が少ない今は少しでも目くらましを用意しておきたい心境だ。

 前後はリムジンのまま変えていない。

 

 問題は、それを聖天子の側近たちがよく思わなかったことだろう。

 聖室の貴人を一般車に乗せるのは酷く常識外れなようだ。

 警備部の責任者はその判断を支持してくれたのが救いか。

 そう、結局聖天子の護衛は警視庁の警備部から護衛ユニットを連れてくることになったのだ。「我々の頭を通さないからそんな無様を晒す」と若干非難を含んだ口調で話していたのが印象的で、蓮太郎は彼がマトモな感性を持っていて安心した。

 

 車は2回目の会談が行われる旅亭へ進み続けている。

 

 この情報すら漏れていると見た方がいいかもしれない。

 どうやら裏切者は聖居内にいるらしいが、聖天子付護衛官でもない限りは早晩逮捕されるだろう。今日を乗り切れば次は大丈夫なはずだ。

 蓮太郎は聖天子と目を合わせる。

 

「聖天子様、この機会だからあえて言わせてもらうが、アンタの側近はクズばかりだ。事件の解決より責任のなすりつけを優先して、政争に夢中でそれ以外はどうでもいいと思ってる連中に見える。アンタも周りの人間くらい選んで置かないと出来ることも出来ないぞ」

 

「耳が痛い話ですね。……先達としてのお言葉でしょうか」

 

「……そんな立派なもんじゃねぇよ」

 

 途中で投げ出した(ドロップアウト)した奴が偉そうに言う。蓮太郎は自虐的に笑った。

 

 

 それからしばらく、バンは高級料亭『鵜登呂(うとろ)亭』に到着した。

 敷地面積は広く、外塀も高い会談に適した場所だろう。

 先着していた護衛ユニットが迎えにやってくる。

 まだ斉武たちは来ていないらしい。

 

 蓮太郎はスライドドアを開くと、聖天子に手を伸ばした。

 

「さぁお嬢様、行くぜ」

 

 お嬢様扱いされた聖天子は小さな声で文句を言いながらも、恥ずかしそうに差し出された手を握り返す。

 

 車外に出ると、冷たい風が通り抜ける。

 聖天子が寒さで身を震わせ、蓮太郎は彼女を反射的に引き寄せた。

 

「れ、蓮太郎さん……」

 

「わ、わりぃ」慌てて離れようとした蓮太郎。

 

「いえ……その、このままで」

 

「お、おう?」

 

 そんなとき、護衛ユニットを押しのけて憤怒の表情を浮かべた保脇がやって来た。

 

「里見蓮太郎ゥ! これはどういうことだ。なぜ聖天子様をそんな粗末な車に乗せた!」

 

「……リムジンは一度狙われたからな。安全策だよ」

 

「なぜ私に報告しないッ!」わなわなと手を震わせている。

 

 蓮太郎は無言の睨みで返した。

 信用なんねぇからだろうが。

 

「貴様ぁ……貴様のような勘違いしたスタンドプレイヤーがチームを崩壊させる! やはり貴様のようなクズはとっとと……」

 

 勢いのまま拳銃を抜こうとする保脇。

 蓮太郎もけん制のために腰のXD拳銃に手をかけるが、誰かに肩を引かれて取りやめた。

 

「碌に警護も務まらん奴が大口を叩くとは、護衛官殿は相当洒落がわかるようだ」

 

「誰だ……? 貴様」

 

 現れたのは30台後半の男。

 

「警視庁警備部警護課第4係の尾形だ。今回の護衛任務の責任者というところだな」

 

 保脇はスーツの左胸を見てあざ笑う。

 

「ノンキャリ風情がデカい口を開くな。目障りだぞ」

 

「そう思うなら自分の職務を果たしてから言って欲しいね。無能ほど口が回って困るよ」

 

「き、貴様……ッ」

 

 トマトのように顔を赤く染めた保脇は口論(レスバ)に負け、逃げるように料亭の方へ去っていった。

 

「……助かったぜ、おっさん」

 

「おっさん……まぁ、君から見たらそうか。せめて尾形と呼んでくれ。君の方が話のわかる人間だっただけさ。私もすぐに戻るからね」

 

「ああ、あんたなら任せられそうだ」

 

 持ち場に戻っていった尾形にあれが本来の警備部だよな、と納得した蓮太郎。

 

 ふと、護衛ユニットのひとりが妙な声を出した。

 

「どうした?」と尋ねれば、「いえ……何か、写った気がしたんですが」と答えてくる。

 

 隊員が見せてきたのはカメラ。しかしただのカメラではなく、赤外線機能の付いたカメラのようだ。いわゆるナイトヴィジョンとでも言うのだろうか。

 

 蓮太郎の心拍が早まった。

 もしや、と思ってカメラを見れば、確かに丸い何かが反応している。

 幽霊などと寝ぼけたことを言うつもりはない。蓮太郎は慌てて周囲を見回した。

 

「蓮太郎……?」その様子に延珠の表情もやや強張る。

 

「延珠……何か、何かがいる……」

 

「っ! どこだ、蓮太郎!?」

 

「わからん、けど見逃しちゃまずい。延珠も探してくれ」

 

「わかった!」

 

 蓮太郎と延珠は聖天子を背中で挟みながら周囲をうかがう。

 人を越えた感覚を持ったイニシエーターが探せば見つかるだろうか。

 一瞬、料亭に入るかを悩んで否定した。内部構造がわからない以上、逃走手段の近くにいた方がいい。

 

 そうして数秒。結果的に、視界の端――巨大ビルの屋上が明滅するのを蓮太郎の瞳は捉えた。

 

 全身が強張る。

 

 光ってから回避行動に入ったのでは遅い。

 つまり初弾は避けられないということであるが、いつまで経っても蓮太郎の体に痛みは訪れなかった。

 

「……なんだ?」

 

 蓮太郎が疑問を呈するのと同時、やや離れた場所――道路上で、ピュン、という音が聞こえた。

 

 その場の全員が目を向けると。

 

 さも初めから居たと言わんばかりに、謎の人型が姿を現した。

 

『ふむ……役者がそろったというわけだ』

 

 蓮太郎は目を見張った。

 間違いない、奴だ。

 しかしなんだ? まさか、奴を……狙ったのか?

 蓮太郎の疑問に答える声はなく、事態は動き続ける。

 

「な、なんだお前は」

 

「とまれ! ここは立ち入り禁止だぞ!」

 

 警護ユニットの数人が警告するも、外骨格はそれを無視して接近してくる。

 尾形の合図でひとりが威嚇射撃を行った。

 

「それ以上近づくと実力行使させてもらう!」

 

 しかし、鎧はやはり無視をする。

 そのうえで、両手のライフルを構えた。

 

「ッ!」

 

 隊員たちが盾を構えるのと同時、鎧が連続発砲。

 蓮太郎と延珠も慌てて聖天子を庇って地面に伏した。

 

 流星のように押し寄せた銃弾は防弾盾をあっさり貫き、隊員の命を容易く奪う。

 

 数秒の斉射の後、料亭前は事切れた隊員の死体と死にかけな隊員の血と臓物に染まっていた。

 

「な、なんだよ……これ……」蓮太郎はあまりの光景に言葉が出ない。

 

 それでもこの場を去らなければと思考を早め、車を探すが――4台すべて破壊されていた。

 

 顔を青ざめる蓮太郎に、鎧はたった一言。

 

『さて、これからだな』

 

 それだけを告げて、蓮太郎たちに襲い掛かって来た。

 

 

 

*1
干天の慈雨



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トウソウを求める



良い夢だった、たぶん



 

 

 

 

「うぅっ……ぇぅ……」

 

 血と肉片の海を直視してしまい、たまらず胃液を逆流させた聖天子。

 

「蓮太郎、聖天子様が」

 

「クソッ、わかってる……!」

 

 一方で蓮太郎はバラニウム弾を装填したXD拳銃で銃撃する。

 が、やはり謎のフィールドに逸らされてしまった。

 

「鉛もバラニウムも関係なしか」

 

『浅知恵だな』

 

「だが足は止まったぞ」

 

 蓮太郎の意図を察した延珠がクラウチングスタートを決める。

 

「やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 そのまま塀を飛び回り、トップスピードに乗った飛び蹴りを繰り出した。

 狙い過たず、鎧の胴体部を強打。

 

『……力はすさまじいな』

 

 鎧は器用に衝撃を地面へと流したが、それでも数メートル後退する。

 さらにビルの上から鎧に狙撃が入り、反撃の隙を与えない。

 

「蓮太郎……」

 

「ああ、どうも訳アリのようだな」隣に跳んできた延珠を横目で見る。

 

 最初の敵だと思っていた相手は味方なのか?

 それとも利害が一致しただけなのか、別の思惑があるのか。

 蓮太郎には判断つかないが、敵の味方ではなさそうだ。

 

「里見、さん……」

 

 顔を蒼白にした聖天子が見つめてくる。

 

「大丈夫だ、アンタは死なせねぇ……」

 

 言って、蓮太郎は現状の打開を考える。

 目の前の敵を倒す必要はない。無論それが今後の憂いを絶つことになるが、自分たちが逃走してもよいのだ。

 そもそも後ろに護衛対象を構えての銃撃戦など危険すぎる。いつ流れ弾が飛ぶかもわからない。

 しかし逃げるとしてもそのまま逃がしてくれるだろうか。

 

「あやつ、なんだか気持ち悪いぞ……」

 

「気持ち悪い?」

 

「うむ……なんというか、背負っているものが……」

 

 イニシエーターの直観だろうか。

 蓮太郎は改めて鎧の荷物(ランドセル)に目を向ける。

 手提げかばんほどの大きさだが、武器でも入っているのか……そう考えて、ハッとした。

 自分の予想を確かめるために()()へ発砲。

 当然、銃弾は逸れる。

 否、鎧は少し動いたのだ。

 

「……バリアは外付けってわけだな」

 

「なら、あの背中を壊せば!」

 

「銃が効くようになる」

 

 蛭子影胤の斥力フィールドは内()式だったが、アレは破壊可能(オプションパーツ)らしい。

 光明が見えた気がした。問題はどうやってあの荷物を壊すか。

 壊しさえ出来れば狙撃を無視できないのだから逃げる隙はあるはずだ。

 

 2人が話している間、銃弾を逸らしながら鎧は悠長に待っていた。

 

『気づくか。面白い』

 

「それだけじゃねぇ。テメェ、威嚇射撃にビビッて撃ったな? ということは攻撃とそのバリアは同時に出来ないわけだ。自分の銃弾も曲げちまうんだろ」

 

『ほう……いい推理だ。しかし貴様、それだけで勝てると思ったのか』

 

「なんだと?」

 

『貴様の攻撃は届かない。俺を倒したければあの女を連れてくるんだな』

 

 蓮太郎の表情が歪む。

 

「……木更さんか? テメェは俺で十分だよ」

 

『ふん、傲慢だな。その義肢を使いこなせていない男がよく言う』

 

「使いこなせてない……だと?」

 

 バカな。蓮太郎は10年この手足で暮らしているし、その性能は菫から資料で貰っているし、頭の中にも入っている。それなのに使いこなせてないだと?

 

『貴様は闘争を忌避している。それでは人間の本質から離れるだけだ』

 

 突然語りだす鎧。

 

『バラニウムはただの便利な弾頭や手足ではない。人間の生体電気に反応することを貴様はよく知っているはずなのだがな』

 

「……ご高説垂れてるところ悪いが、結局何が言いたいんだアンタ」

 

 聖天子を担いでいつでも逃げられるように延珠へ目配せしつつ、蓮太郎は鎧の行動に意識を集中させる。

 

『貴様が自分をどう思ったところで我々は兵士だ。人間(われわれ)には戦いが必要だということ。それを理解しないうちは力の本質にたどり着けん』

 

 鎧は銃を背中にマウントする。

 

「……テメェと似たようなことを言う奴がいたが、俺たちに負けたぞ」

 

『ならば見せよう』

 

 なにをするつもり――

 

 エンジンじみた甲高い音を耳で聞いた時には遅かった。

 

「なっ」

 

 (義眼)が捉えたのは、一瞬で距離を詰め、前蹴りの姿勢に入っている鎧。

 蓮太郎に出来たのは咄嗟に義肢を挟むことだ。

 

「がっ」逃しきれない衝撃に蓮太郎は苦悶の声を漏らした。

 

「蓮太郎!」

 

「里見さん!」

 

 2人は料亭に吹き飛ばされた蓮太郎を見て叫ぶ。

 

 キッと鎧を睨むと、延珠は人ならざる速度で右、左、右の連続蹴りを放った。

 

 それを片手で受け止め、逆に鎧は延珠を捕まえてしまう。

 

「このっ!? は、放すのだ!」

 

『お前の方がわかってるようだな……気が変わった』

 

 人ならざる力で抵抗するが、鎧はびくともしない。

 しかも鎧がナニカしたようで延珠の矮躯はぴく、と震えて力なく意識を失った。

 

『この子供は預かっておく。貴様はあの女を連れてこい。あの女こそ……』

 

「ふ……ざ、け……」

 

 ふざけんなと叫びたかった。

 しかし、声は発音が揃わず、体もうまく動かせない。

 呼吸が整わないばかりか義肢の反応が異常に遅いのだ。

 

 先ほどから狙撃が止んでいた。誤射を恐れたのだろうか。

 今ほど奴の頭をぶち抜いてくれと思ったことはなかった。

 

 鎧が去ろうとした時、聖天子は立ち上がり、強気な目で鎧を睨んだ。

 

「あなたの望みはわたくしの命ではないのですかッ! なぜ、罪のない子供を狙うのです。人質ならわたくしでよいでしょう!?」

 

 彼女は恐怖で膝が笑っていた。

 

 やめろ、なんでアンタがそんなことを言うんだ。

 その声すらも今は出せない。

 限定的な幼児退行をしてしまったように、生身の左手で這うように手を伸ばす。

 

 延珠を、延珠を……。

 

『確かにそうだ。しかし人間ひとり、何時でも死ぬ』

 

 言外に価値はないと言われ、聖天子は膝を折る。

 

 鎧は延珠を抱えたまま、姿を消してしまった。

 

「……ク……ソ……ッ!」

 

 蓮太郎は生身の左手を地面に叩きつけた。

 暗澹たる思いが胸に飛来する。

 

 延珠を守っているつもりで守られて、木更さんを守ってるつもりで命拾いして……守ってるはずの聖天子様にまで助けを指し伸ばされて……俺は、俺はなんなんだ……ッ!

 

 蓮太郎が動けるようになるころには、雨が降り始めていた。

 

 

 

 

 

 

「どうして里見蓮太郎を殺していないッ! 誰がどう見ても殺せたはずだろうが」

 

『殺せとは言われたが、その具体的な指定はなかった』

 

「なにっ」

 

『杜撰な契約を結んだ己の無知を恨むがいい』

 

「……くそッ!」

 

 男は機械的な声に苛立ちを隠さず、床に横たわった少女を蹴り飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 次の日。

 蓮太郎は延珠のいない自室のアパートで一日中横になっていた。

 その胸には後悔ばかりが募っている。

 

 すべて、すべて俺のせいだ。

 わき目もふらず聖天子様を連れて逃げ出せば延珠が囚われることになんてならなかった。

 今、この瞬間に延珠は何をされているのだろうか。

 得体の知れない奴らに厳しい尋問や拷問にかけられているのではなかろうか。

 子供が苛烈な拷問――水攻めだとか――に堪えられるはずがない。ありったけの情報を引き出された後は用済みとして――。

 

 違う、違う。そんなはずはない。そんなはずは。 

 

 光という光を外界から拒絶した八畳一間の部屋には闇が満ち、それは蓮太郎の心を代弁しているかのようでもあった。

 

 携帯には友人たちからのメールが届いていたが、どうも見る気になれずに放り投げた。

 

 この一日、何も食べていないし何も飲んでいない。

 

 胸の喪失感と空腹に思考をかき乱されている。

 

 薄いまどろみの中、蓮太郎はインターフォンが鳴って、外に出れば無残な死体となった延珠が置いてある妄想を幾度となく見てきた。

 

 言うはずもないのに『どうして妾を助けに来てくれなかったの?』という幻聴まで聞こえてくる。

 

 どうしたら。どうしたらいいんだ。

 延珠のいない世界で何をすればいいのだろう。

 何を成せばいいのだろう。

 生きればいいのか、死ねばいいのかすらわからない。

 

 ふと、意識が遠くなってきた。

 ああ、ようやく迎えが来たのだろうか。

 そんな思考をしていると。

 

 ガチャ、とドアの外で合い鍵が差し込まれた。

 ゆっくりとドアノブが回され、誰かが中に入ってくる。

 

「こんなところに住んでいたんですね。英雄さん」

 

 誰だろうか。

 どこかで聞いたような声の気がして、蓮太郎は惰性で目を向けた。

 

 一瞬延珠かと思ったが、違う。

 

 延珠はあんな髪の色をしていない。

 

 延珠はあんな釣り目をしていない。

 

 延珠は緑のドレスなんて着ない。

 

 延珠は――――。

 

 緑のドレス?

 

 その違和感に初めて、蓮太郎は少女を見た。

 

「お前……ティナ……か?」

 

「はい。お話があります、蓮太郎さん」

 

 紛れもなくハッキリとした意識の瞳でティナはそう言った。

 

 

 






ここまでが冗長になってしまった



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前夜

 

 

 

「蓮太郎さん。私は延珠さんの居場所に心当たりがあります」

 

 放たれた言葉の意味を反芻する蓮太郎。

 

 延珠……? 延珠……延珠……!

 

 その意味を理解したとき、意識が目覚める。

 

「延珠はどこだッ」

 

 勢いあまって力の限りティナの肩を掴んだ。

 壁に叩きつけられ、ティナの顔が痛みに歪む。

 

「いた……いです。蓮太郎さん」

 

「……(ワリ)ぃ」

 

 蓮太郎は慌てて手を放し――彼女の言葉のおかしさに気が付いた。

 

「まて……ティナ、お前、どうして延珠の場所が……そもそも延珠のこと教えてないぞ」

 

 目を伏せるティナ。

 

「すみません、それは……調べさせてもらいました」

 

「調べた……?」

 

「はい」

 

 不安に駆られる蓮太郎をよそにティナは名乗る。

 

「改めて蓮太郎さん。私はIP序列98位、モデル・オウルのイニシエーター、ティナ・スプラウトです」

 

「98位……?」

 

 その意味を理解するのに、蓮太郎は少々の時間を要した。

 先月千番になったとはいえ、文字通り桁の違いに気が遠くなる。

 イニシエーターとして延珠より格上の彼女が、どうしても寝ぼけてカフェイン錠剤を齧っていた姿とかみ合わない。

 

「本当……なのか」

 

「あなたには……狙撃手が私、と言えばよいでしょうか」

 

「っ!?」

 

 蓮太郎は目を見開く。

 狙撃手が自ら素性を明かした上、それが凄腕スナイパーだったとは。

 しかしふつふつと湧き上がることもあった。

 

「なぜ……なぜ、あの時撃たなかった……ティナ……」

 

 夜行性のフクロウが因子ならば長距離狙撃も頷ける。なればこそ可能なこともあったのではないかと。

 

「ごめんなさい……万が一逸らされた場合、誰に当たるかわかりませんでした」

 

 俯いたティナに蓮太郎は胸に息苦しさを覚えた。

 

「……いや……俺に力がなかっただけだ……お前のせいじゃないよな……」

 

「蓮太郎さん……」

 

「それより……どうしてお前が延珠の居場所に繋がるんだ」

 

 しかし重要なのはそこである。

 ようやく蓮太郎は自罰的な行動よりも、延珠を助けるという方向に意識が向き始めていた。

 

「……その話をするには私の置かれた状況を説明する必要があります。ドクター室戸に会わせていただけますか」

 

「なぜ、先生が出てくる?」

 

「彼女が――――機械化兵士の専門家だからです」

 

 

 

 

 

 

「先生……」

 

 道中ティナから概略を説明された蓮太郎は彼女を地下室に連れてきた。

 しかし2人が目撃したのは、菫が鎖で繋がれたアルを椅子替わりにして座っている光景。

 その上アルは「アタシは悪い子です」というプレートまで首にかけている。

 

 扉の開閉音に気が付いて菫が振り向くと、蓮太郎の隣に立つティナの姿を見て、ははん、とニヒルに笑った。

 

「おや里見くん。延珠ちゃんが囚われの身なのに新しい幼女を捕まえてきたのかい? 節操がないなぁ」

 

「あは☆ 蓮太郎くん、()()()()ぶりだねぇ~」

 

「うわ……」

 

 ティナは菫が『空前絶後の変態』と称される理由の片鱗を出合い頭に知った。

 

「ああ、コレは気にしないでくれ。屈辱的な罰を与えているところだからな」

 

「でもこれねぇ、先生ぇのおっきなお尻を直に感じられるから実は――ぐえっ」

 

 菫は手元の鎖を引いてアルを黙らせ、蓮太郎に顔を向ける。

 

「で、私や木更が心配したにも関わらず一切連絡をよこさなかった君は一体どういうつもりでやって来たのかな?」

 

「……木更さんには話した。ただ……」

 

 蓮太郎の言葉を菫は手で制した。

 

「いやいや、わかっているとも。君の延珠ちゃんへの入れ込みはかなりのものだからね。依存している人間が半身を失った時にやる行動なんて決まってるものさ。しかし勝手に死んだ末に腐乱死体となってしまうのは避けてもらいたいな。君が死んだときは私自らの手でミイラにしてやろうと言ったばかりだろう。防腐処理もさすがに腐ってしまえばそれもできないじゃないんだよ。そういえば里見くん、ミイラ職人の中にはそういう趣味の人間もいて、王族の死体なんかを使()()()()()という話は有名だな? ああ、もちろん私は死体好きだが君にそういった感情は持ち合わせていないから安心したまえ。丁寧に脳みそと内臓を取り出して綺麗なミイラにした後はガラスの向こうでひとり寂しく飾っておいてやるつもりだからね」

 

「……勝手に死んだりしねぇよ」

 

「ふぅん、そうかい」

 

 捻くれた菫の心配を嬉しく思いつつ、蓮太郎は表情を引き締める。

 

「先生、俺は早く延珠を助け出さなきゃならねぇ……そのための知識が欲しい」

 

「ふむ……私は相手が狙撃手だと聞いたが」

 

「先生、そうじゃなかったんだ。弾丸を弾き、延珠並みのスピードで動く鎧野郎が俺たちの敵だ」

 

「ならば彼女は何の関係がある?」

 

 蓮太郎はティナを見た。

 菫の視線も受けて、ティナは一歩前に立つ。

 

「はじめまして、ドクター(ドク)。私は……『NEXT』の機械化兵士、ティナ・スプラウトです」

 

「なに……?」菫は怪訝な顔をする。

 

 すると彼女は何かを察したのか表情を二転三転させ、不愉快を隠さない表情になる。

 

「本当なのか、それは」

 

「……はい」

 

 菫は立ち上がり机の周囲を歩き回ると、怒りで身を震わせ、机を力の限り叩きつけた。

 

「外道に堕ちたか……ッ、度し難いぞッ! エイン・ランド……ッ!」

 

 普段見ない剣幕の菫に蓮太郎が少したじろぐ。

 

「なぁ……先生。エインってこの前先生が言ってた『四賢人』だよな?」

 

「ああ、その通り。『NEXT』の責任者だ。よもや医者として最低限の誇りを捨ててプロジェクトを続けるとは思わなかったがなッ!」

 

 菫は激情のまま蓮太郎に手術の際は四賢人の誓い(意思と生命の尊守)を説明した。

 

「我々は死に瀕した患者しか機械化手術を行わない……その意味がわかるか()()()

 

「まさか……」

 

 蓮太郎は察した。病気もしない子供たちが自然な理由で死に瀕することは寿命以外にない。つまり、その手術はまったくもって平穏とは言い難いものだったろう。

 

「もはやアイツは人間を人間と思っていないのだろうよ。まったく吐き気がする」

 

 菫はじっとティナを見つめる。

 

「それで、予想はつくが君はその鎧野郎を知っているな?」

 

 ティナは頷いた。

 

「はい……大まかなものですが、マスターは2種類の機械化兵士を造ったそうです。私たちのような子供たち(チルドレン)を機械化兵士に近づけた『ハイブリッド』と、人間を子供たちに近づけた『リンクス』という存在です。今回敵として立ちはだかっているのは……おそらくリンクスでしょう」

 

 呼吸を落ち着かせる菫。少しすれば普段の理知的な瞳に戻っている。

 

リンクス(繋ぐもの)ね……まったく皮肉が過ぎるな」

 

「どういうことだ?」要領を得ない蓮太郎が質問を投げる。

 

「簡単な話だよ里見くん。つまりエインの奴は『人間』と『呪われた子供たち』を混ぜてしまったのさ」

 

「は……?」

 

 呆けた蓮太郎に菫はさらに続ける。

 

「文字通りだよ。ふたつをひとつに……いや、2人で1人の民警……ふん、発想がイカれてて笑いがこみあげてくるね」

 

「ま、まさか……嘘だろ先生? そんなことする奴が……()()なのかよ」

 

 よもやそれが、所謂アニメーションのような()()()合体でないことは菫の口調から明らかだった。

 慌てて蓮太郎は胃からせりあがって来たものを押し返す。

 

「信じがたいことだがな。それで、鎧姿なのだろう。中身は悲惨なことになっていそうだ」

 

「じゃあティナも……?」

 

「私は……チップを埋め込まれている程度ですから、そこまで酷くありません」

 

「それでもおい……」

 

 再び蓮太郎は言葉を失う。

 それで、と菫は再びティナを見た。

 

「ティナちゃん……と言ったな。それ(機密)を私たちに話してなんの意味が君にある?」

 

「端的に言えば……取引です。ドクター、私の体を好きにしていただいて構いません。切り刻んでも燃やしてもミイラにしてもかまいません。その代わり、ひとつお願いしたいのです」

 

「ほう、ミイラか。魅力的な話だな……それで、何をして欲しいと?」

 

「もはやマスターは……信用できません。だから、もし私の友達が生きているなら……亡命させてくれませんか」

 

「ふむ……私にそんな権限はないが、いいだろう。君の体はテクノロジーの塊だ……好き放題できるとなれば胸が躍るね」

 

「……っ」研究者としての表情を見せた菫にティナは僅かに身を震わせる。

 

「先生っ!」

 

 たまらず蓮太郎が口を挟めば、菫は両手をひらひらと振った。

 その背にはいつの間にかアルが引っ付いている。

 

「勘違いするなよ。私は外道ではないが、同意のもとであるなら実験は好きにするタイプだ。……まぁ、そのおもちゃは間に合っているんでね。メンテナンスなんかは引き受けてやるから身元の引き受けはそこのロリコン(里見くん)にでも頼みたまえ」

 

「……俺が?」

 

 ティナと蓮太郎は顔を見合わせた。

 

「しかしそれも里見くんが延珠ちゃんを助けてからだ。話したまえ、君たちの知っている範囲のことを」

 

 顔を引き締め蓮太郎とティナは知りえる情報を話した。

 

 

 

 聞き終えた菫は頷いた。

 

「わかってしまったな。つまり、奴は自分の作った作品で品評会をしようというんだ。競い合わせてどちらが優れているかを測ろうとしている……大方勝った方を売り込もうとしているだろうな。自分の国ではなく東京エリアでやるところが卑劣だ」

 

「なっ……」

 

 蓮太郎は絶句した。そんなふざけた話があるのだろうか。

 

「でなければ片方に聖天子様を守らせてもう片方に襲わせるなど考えられん」

 

「そんなふざけたことのために俺たちは……ッ!」

 

「憤るのはもっともだよ里見くん。しかし優先することもある」

 

 菫に言われて、蓮太郎は震える拳を下す。

 

「ああ……先生から見て、鎧野郎はどんな能力を持ってると思う?」

 

 菫は机に肘をつき、その上に顎を載せた。

 

「君が言うに、敵は姿を隠したり銃弾を逸らしたわけだな?」

 

「ああ。でも体術や剣撃は逸らせないようだった」

 

「姿は光学迷彩のようなものとして……もうひとつだな。私が予想するに携帯用防弾膜(プライマル・アーマー)という理論上の電磁波兵器だろう。実用化していたとは驚きだが」

 

「なんだそれ?」

 

「君も理科の授業で習ったはずだが、簡単に言えばフレミングの左手の法則を利用している。接近する銃弾に電流を流し、自分は磁界を纏うことで電磁力の向きに銃弾は逸れるというものだ」

 

「いやでも……そんなこと出来るのか?」

 

「出来てしまったのだろうな。本来は電力の確保がほぼ不可能で電流を流したときの作用反作用で持ち主が吹っ飛ぶ本末転倒な兵器だ。何人混ぜたのか想像もつかん」

 

「…………」

 

 酷い執念だと思った。

 たしかにモデル・デンキウナギのイニシエーターなら生体電気を増幅させることはできるだろうが、それでもひとりふたりでは無理な話だ。

 エイン・ランドという人物のイカレ具合に拍車がかかる。

 そんな人間、信用できないのも当然だろう。

 蓮太郎がティナを気遣うように見遣ると、彼女は薄く苦笑いを浮かべた。

 そして同時に納得。

 延珠が突然失神したのはおそらく感電させられたからだ。

 そうなると彼女が受ける拷問はより熾烈なものとなるだろう。

 蓮太郎は奥歯を嚙み締めた。はやく、はやく助けなければ。

 

「それで先生……奴の弱点はどこなんだ」

 

「それは君の予想通りバックパックだろうな。破壊するかバッテリー切れを狙うかは君次第だが問題はいかに接近するかというところだろう」

 

 接近戦は蓮太郎の得意とするところだが、しかし敵にはライフルがある。それをどう掻い潜るかは。

 

「私が蓮太郎さんが接近するまでサポートします。私と彼の相性は最悪ですからそのくらいしかできません。それに……延珠さんが捕まってしまったのは、私の責任もあります」

 

 ティナが申し出た。

 

「お前……」

 

「私の実力はお分かりのはずです。やって見せます」

 

「……確かに、98位は伊達ではないのだろうな。やれやれ……里見くん、何時の間にこんな強い幼女を攻略してしまっていたんだい」菫は首を振った。

 

「そんなんじゃねぇよ……」

 

「優しくしてもらった恩を返したいだけです」

 

 ふぅん、と菫は胡乱げだった。

 

「で、そいつは木更をご所望なんだろう? どうするつもりだ」

 

「俺は……木更さんを戦わせたくない。だが……俺は弱いッ。先生、俺の力はこの程度なのか……?」

 

 神医、室戸菫は意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「もちろん違う」

 

「じゃぁ……」

 

「里見くん、君は私がこれまで夥しい数の死体を積み上げて完成した最高傑作だ。そして当時の私があの地獄の中、瞋恚(しんい)(ほのお)ですべてを焼き払えたらという願いを形にした機械化兵士でもある」

 

「……つまりどういうことだ」

 

「バラニウムは黒い。なぜかわかるか」

 

「いや……」

 

「私の憎悪の具現化だからだ」蓮太郎は答える「非科学的だな」

 

「しかし私はそう信じている……だからこそ、詳細は今省くが君のバラニウムの義眼と義肢にはリミッターを施した。そして君の憎しみや怒りに反応して全力を出させるわけだ。しかし恐れたまえよ。人間性の闇というべきものに飲まれてはいけない。当時の私のようになりたくなければな」

 

「……根性論過ぎるだろ」

 

「なんにでも縋りたい時期だったのさ。無論、君が()()()力を使ってくれればそんな根性論は必要ないがね」

 

「…………」

 

 蓮太郎は握りしめた右手を眺めた。

 これは誰かを虐げる戦いではない。

 延珠を助けるための戦いだ。そのためなら、なんだって使う。

 

「それでも力不足を感じるなら延珠ちゃんが拷問を受けてる光景を想像すればいいんじゃないかな? 科学的実験と称して鉛弾を撃ち込まれるたびに体が跳ねるところとか……」

 

「それは……ッ!」

 

 想像するだけで怒りがこみあげてくる。実際にやるやつが居たら……殺してしまうかもしれない。

 

「あは☆ 君の目、すっごいギラギラしてるよ」

 

 鏡の向こうに見える自分の瞳には、まるで煉獄の炎が宿っているようだった。

 

「なんにせよ、だ」菫は足を組みなおした。

 

「君はどんな縁か再び機械化兵士と戦おうとしている。ならば言えることはひとつだ。勝ってこい。君の不幸面は隣に笑顔の延珠ちゃんがいないと見てられん」

 

 一瞬、蓮太郎はまさかそんな直接的な激励が飛んでくるとは思わず固まった。

 

「……おう」

 

「ついでに、エインの奴に吠え面をかかせてくれればいいのだがな」

 

 そっちが本音か? そう疑いながらも、蓮太郎は地下室を後にした。

 あたりはすでに夜の帳が下りている。

 

「それでティナ、延珠はどこにいるんだ」

 

「……セーフハウスとして用意された廃工場があります。そこに入っていくところを見ました。確認したところ、クロですね」

 

「場所がわかってるならなぜ俺に?」

 

「あなたは……蛭子影胤という機械化兵士を倒したと聞きました。あなたなら可能性があるのではと思ったんです」

 

「俺を利用しようってのか」

 

「それは否定しません。でも、利害は一致しているはずです」

 

「……そうだな」

 

 蓮太郎の携帯が揺れた。

 新しいメール――木更からだ。3回目の会談が明後日に決まったらしい。

 斉武とエイン・ランドが繋がっているのか。そんなことはどうでもいい。

 ただ、奴らのくだらない目的のために延珠を攫ったというなら――――

 

「上等だ……明後日と言わずに決着をつけてやる……!」

 

 そのふざけた計画をぶち壊すだけだ。

 

 

 

「ごめんなさい、蓮太郎さん。弱い私を許してください……私は、人の姿を失っていても(電池だとしても)……友達を撃つことはできないんです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どこまでがお前の予想通りなんだ、アル」

 

「……なんのこと?」

 

 菫はパソコンを操作し、ひとつの音声ファイルを再生する。

 流れてきたのは神経質そうな男の声だ。

 

『久しいな、ムロト。もう5年は経つが、君はこの数年で何か技術を進歩させることが出来たかね?』

『私は出来たぞ。引きこもりの女狐には出来ないことが僕には出来たのさ』

『君が極東の島国などという僻地で隠居しているうちに、私は天に手をかけた』

『ぜひ君の世代遅れの機械化兵士と僕の最新鋭の機械化兵士を競わせてみたいよ……』

『いいかムロト。グリューネワルト翁は貴様なぞより私のことを――――』

 

 菫は再生を止めた。

 

「とぼけるなよ。この通り、今月の頭にエインの奴から連絡が来た……だがな、奴がこの電話番号を知っているはずがない。誰かが教えない限り」

 

「それこそアタシは無理だと思うなぁ。アメリカでしょ? 知らないよ☆」

 

「……質問を変えよう、アル。貴様は ()()()()()()

 

 アルから表情が消える。

 

「アタシ、先生ぇの前で増えた覚えないんだけどな。どうして気づいたの?」

 

「あり得る話と思っただけだ。間抜けは見つかったようだがな」

 

「……バレちゃったなら仕方ないね☆ でも、延珠ちゃんが攫われたのは予想外かなぁ」

 

「……勝てるんだろうな、蓮太郎は」

 

「勝てるでしょ。そのためにティナちゃんがいるんだから」

 

「奴の手のひらで踊っているようで気に食わん」菫は吐き捨てるように言った。

 

「それで先生ぇ、アタシはどうする? IISOに送り返しちゃう?」

 

「そうしてやりたいところだが……ひとついい事を思いついたぞ」

 

「……まさか蓮太郎くんの肉盾になれとか言わないよね?」

 

「…………」

 

「えっ」

 

 

 

 

 

 





・菫
延珠が関わってるのと優勢に見えるので「殺されるぞッ」はなかった

・ティナ
よかたね

・蓮太郎
このあとVR特訓した
延珠がいないのにこんな前向きに蓮太郎は考えられるのだろうか


次で終わりか


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機械化兵士(ネクストバトル)


苦しみから解き放ってあげよう!





 

 

 

 

 翌日、満月の夜。

 

 司馬重工でのVR施設(蜜月)にて戦闘勘を高めた*1蓮太郎とティナは東京エリアの北部、26区の廃工場地帯を訪れていた。

 ここは外周区と内地の中間に位置する場所で、かつてはキサラギ重工が支配していた。しかし同社は司馬重工とのシェア争いに敗北すると撤退し、空白地帯として廃墟が出来上がったのである。

 捨てられた地域でもツタはコンクリートを破って生息し、事故で燃えた建物や放棄された車などがそこかしこに見られた。

 こういった場所の工業部品などはマンホールチルドレンの貴重な資金源であるから、そういったものは基本的にネジ一本に至るまで奪取されている。

 あるのは買い取ってもらえないフレームや運べない鉄筋などであろう。

 

 

「ティナ、そっちはどうだ」

 

「クリアです、蓮太郎さん」

 

 辺りを警戒しつつ蓮太郎はそうか、と返事をした。

 その視線の先にはスパークを散らして沈黙した自律銃座(ターレット)がある。

 この廃工場地帯を捜索してからというもの、天井や建物の陰に自律銃座が置かれており、蓮太郎たちはその排除――消音機をつけて――をしていた。

 廃棄されたはずの工場に自律銃座があるということは、敵の根城はここで間違いなさそうだ。しかし、肝心の鎧モドキは未だ見つからない。

 

「このあたりに反応は?」

 

「ない……ですね」

 

「ここも違うか……クソ、どこにいるんだ」

 

 敵地という環境と何回も空振りをしている現状が蓮太郎に焦りを募らせる。

 

「……すみません、もっとしっかり覚えていれば」

 

「……ティナのせいじゃねえよ」

 

 萎縮する少女にバツが悪くなった蓮太郎は話題を変えた。

 周囲に浮かぶ丸いメカ、シェンフィールドを見る。

 ティナのBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)によって脳波コントロールが出来るこの機械(ビット)は暗視機能や温体感知を備え、鎧モドキ――リンクス捜索の要となっていた。現在も工場内部と外部を捜索している。

 ただ、この機械の操作は脳にチップを埋め込まねばならず、定期的なメンテナンスがなければ脳に深刻な障害をもたらしかねない危険も孕んでいる。その背後を思えば蓮太郎は便利だな、とは口が裂けても言えない。

 

「それ、大丈夫なんだよな?」

 

「大丈夫です。数時間運用した程度で脳に障害は残りませんから」

 

「なら、いいが」

 

 不器用な心配をする蓮太郎に、ティナは小さく笑う。

 

「そういうところ、蓮太郎さんの好きなところです」

 

 蓮太郎は言葉に詰まる。

 仮の相棒(バディ)を心配することで延珠を助けた気になっているのか。蓮太郎にはわからなかった。

 

「延珠さん、助けますよ。必ず」

 

「……ああ、当たり前だ」

 

 真剣な表情のティナに蓮太郎も思考を冷静に務める。

 

 そんな会話をしてまたひとつ工場の捜索を終え、道路に戻って来た時。

 

 どこからともなく声が聞こえてきた。

 

『あの女はいないようだな。

   ただの蛮勇か。それとも……』

 

「この声……あいつか! どこに居やがる」

 

「蓮太郎さん、あそこです」

 

 視聴覚に優れたティナの示す方を双眼鏡で確認する。

 300mほど離れた廃工場の屋根。

 いつの間にか、全長3mに迫る完全武装の鎧モドキがいた。

 右手にバトルライフル、左手にショットガンを構え、左肩にはランチャー、右肩には長剣を携えている。

 

 鎧モドキは声を続けた。

 

『いずれにせよ、か』

 

 奴の背後で何かが上昇してくる。

 それは十字架だ。

 いまだ意識が戻らないのか、ぐったりした様子の延珠が磔にされていた。

 そして彼女の左右から半球状の黒い物体が現れ、それらは延珠を包み込む。

 そこで蓮太郎は気が付いた。あれはバラニウムだ。

 ガストレア因子を持つ呪われた子供たちは高密度のバラニウムが近くにあると体調を崩してしまう。延珠がぐったりしているのはそのせいだろう。怪我はないように見えたが、あの球体に包まれては永遠と吐き気に襲われるかもしれない。それは実質拷問のようなものだ。

 

「……野郎ッ!」

 

 憤怒によって蓮太郎の血液は活性化し、体温が上昇する。

 

『貴様が彼女を助けたいのなら私を越えて見せろ。

今、この瞬間は力こそすべてだ』

 

 安い挑発だ。

 それでも蓮太郎に引くつもりなどない。

 

「上等だ……やるぞティナ」

 

「はい」

 

 蓮太郎の右腕と右足に亀裂が走り、人工皮膚が反り返りながら剥落(はくらく)月光(つきあかり)を反射するブラッククロームの義肢が露わになった。

 さらに左目の義眼を解放。蓮太郎の黒目に幾何学模様が浮かび上がり、のどに極彩色のツンとした香りが満たされた。

 世界が緩やかに流れ始める。

 シグマ拳銃からXD拳銃に構え直し、戦闘準備完了。

 

 ティナも力を解放。瞳が緋色に染まる。

 背負っていたケースから取り出した機銃を搭載した小型ドローン(ドラゴンフライ)4機とシェンフィールドを浮遊させ、データリンク。自らも通常弾を装填したAR-15mod(改造ライフル)を構えた。

 

『所詮、当初の筋書き通りというわけか。

   しかしそれでいい……さぁ、決着をつけよう』

 

 疑似的なコンビとして蓮太郎とティナは異国の機械化兵士と対峙する。

 戦いの火ぶたは切られたのだ。

 

「蓮太郎さん、行ってください」

 

「ああ――任せるぞ」

 

「はい」

 

 最初に仕掛けたのは蓮太郎たち。

 とにかく近づかなければ蓮太郎に勝ち目はないが故、彼はスプリンターのごとき姿勢で大地を蹴った。

 ティナも工場の屋上に陣取り、立てた膝に腕を置いて射撃姿勢に入る。

 

『正面からとは愚かな』

 

 リンクスはライフルを発砲。銃弾が蓮太郎に迫るが――――。

 

「――させませんよ」

 

 人外の魔技。

 ティナの射撃は寸分たがわずすべての銃弾を銃弾(.300BKL)で撃ち抜いた。

 

『そう来るか……新しい、惹かれるな』

 

 

 頭上で行われるティナとリンクスの制空権争いを感じながら蓮太郎は疾走する。

 機械化兵士となった蓮太郎にとって10数秒あれば届く距離。それが、遠い。

 蓮太郎の接近で反応したターレットを射撃や破砕手りゅう弾で破壊していく。

 

「すぐ、すぐ助けるぞ――延珠!」

 

 

『このまま続けるのも()いが、これはどう出る』

 

 蓮太郎が半分の距離を越えたころ。

 鎧は射撃を続けながら左肩のランチャーも起動。6発のロケット弾を放った。

 それらは夜闇を燃焼の光で照らしながら、蓮太郎の進行方向へ迫る。

 

「ならっ!」

 

 対するティナもBMIの強度を上昇。

 データリンクでロケット弾をターゲットに追加する。

 銃弾を撃ち落としながらドラゴンフライも操り、6発すべてを破壊して見せた。

 

 爆発と閃光が夜の戦場を彩る。

 

『面白い』

 

 

「ここだ……ッ!」

 

 ティナが作ったチャンスを生かす。

 生まれた煙と炎を目くらましに使うのだ。

 脚部のストライカーがカートリッジ底部を叩き、炸裂。空薬莢はイジェクトされ、脚部可動式スラスターに点火。吹き飛ばされるような浮遊感を感じながら上方へ(はし)った。

 最高速のまま、爆炎の中を突っ切ってリンクスに肉薄する。

 

『来たか――――』

 

 蓮太郎の義足からさらにカートリッジが吐き出された。

 

【天童式戦闘術二の型十六番】

 

「『隠禅・黒天風』ッ!」

 

 勢いそのまま、氷上を滑る(フィギュアスケートの)ように全身をスピンさせ、回転エネルギーを乗せた右足で回し蹴りを放つ。

 

『Type-Leg-Striker』

 

 鎧も対応。

 フォーンという甲高い音の後、すくい上げるかのようなローキックで迎え撃った。

 

「らぁぁぁぁぁぁッ……!」

 

『――これほどか』

 

 両者が激突し、周囲に破壊の衝撃波が生まれる。

 周囲の鉄屑やガラス片が吹き飛ばされていった。

 

 されど威力は互角。蓮太郎は舌打ちと共に反作用を生かして距離を取る。

 ついでの銃撃はフィールドに阻まれた。

 鎧が空中の隙を散弾で追撃しようとするも、それはティナの射撃で中断させられる。

 

 ファーストアクションは引き分け。

 戦いは第二ラウンドに移る。

 

 

 

 皮肉か、バラニウムの()のおかげで延珠への誤射は気にしなくてもよい状況だ。

 それならば、と着地した蓮太郎はインカムに話しかける。

 

「ティナ、プランBでいくぞ」

 

「わかりました」

 

 蓮太郎が建物を盾にしながら走り出すのと同時、ティナも立ち上がって移動を始め、ドラゴンフライを散開させた。

 

 プランB――つまるところ全方位からの飽和攻撃である。

 地上から蓮太郎が射撃を加え、ティナがドローンと屋上から挟撃するのだ。

 

 

『貴様がイレギュラー(ゾディアックを倒せた)かどうか。見極めさせてもらう』

 

 一方、リンクスは残弾をティナに放ち、重り(デッドウェイト)となったランチャーをパージ。

 彼女が対応に追われている間に蓮太郎が盾にしている建物を次々と散弾でハチの巣にし、ふたりの出方をうかがう。

 

 解体費用の出し渋りで残った廃墟群は結果的に無料で解体されていった。

 

 

 

「出鱈目野郎がッ!」

 

 さほど頑丈に作られた構造物でないためか、それとも散弾銃の威力が強すぎるのか、どちらにしても破壊されて降ってくる鉄屑や土埃に悪態をつかずにはいられない。

 頬は切れるし服も汚れるのだ。

 それでも蓮太郎は右手で頭を庇い、背を低くしながら移動し続けた。

 

 蓮太郎は最中も思考を回す。

 相手は馬鹿ではない。

 あの一合でこちらにライフルの効き目が薄いと見れば、避けにくく撃ち落とすのも困難な散弾での攻撃に切り替えたのだ。というかなぜ片手で扱えるんだよ。

 

 加えて先ほどの音も気になる。もしや、奴もカートリッジを持っているのか――しかしそれは否定できる。薬莢が排出されたようには見えなかったからだ。

 ならば一体?

 その答えは義眼がくれた。

 要するにあれは一種の発電であり放電なのだ。電気を流して体の動きを加速しエネルギーを急速に増加させる。カートリッジを撃発したエネルギーを手足に伝えて破壊力へ変えている蓮太郎とやっていることは同じだ。

 問題は奴も超バラニウムの義肢を使っているという事実である。

 奴の発言と打ち合った時の感触、伝導率の高さから言って間違いはない。それが足だけなのか――いや、他の手足もそうだと疑った方がいい。

 つまり、蓮太郎にとって初の義肢同士の戦いでもあった。

 学術的にこの戦いは貴重なデータなのだろうが、蓮太郎にとってそんなことはどうでもいい。やることはシンプル――敵をぶっ飛ばして延珠を助けるだけなのだから。

 

 同時に、未織から受け取った絶縁装置が機能しているようで安堵する。

 少し()()のようなものはあれど、先日のような行動不能になるほどではない。

 

「なら、やれる」

 

 

 まだか、まだか。

 一瞬が引き延ばされた(義眼を解放した)世界では1秒も焦らされているように錯覚しそうなほど間延びしている。

 こちらが策を仕掛けているのに追い立てられているように思ってしまうほどだ。

 そしてついに、ティナから連絡が入る。

 

「蓮太郎さん、準備ができました」

 

「よし、始めるぞ!」

 

 腰から二挺(にちょう)目のXD拳銃を取り出した蓮太郎は建物の陰から飛び出し――ちょうど鎧モドキの背後――かつて仮面の男がやったようなガン・パーティを開始した。

 

 

 

『……よもやこの程度で攻略した気になってはいまいな』

 

 銃弾が嵐のように飛び交う中心でリンクスは悠然と立っていた。

 己に向かってくる何もかもは全て軌道を逸らされ、本体に届くことはない。

 手りゅう弾でさえ炸裂せず不発に終わる。

 この程度かという落胆を抱きつつ、兵士の勘が眼前を飛び回る少女と後ろで何かを企んでいる少年は必ず何かをやると告げていた。

 胸が高鳴る。

 

『さぁ、見せるがいい……そして楽しませてくれ』

 

 

 

「さすがに……堅牢ですね」

 

 ティナは建物の屋上を飛び回りながら3つ目の弾倉(マガジン)を装填、発砲を続ける。

 未だ底が見えない敵フィールドの馬力には目を見張るものがあった。

 室内戦を想定して中口径弾を持ってきたが、もしかしたら大口径弾の方がフィールド減衰に有利ではないかと思ってしまう。ドローンの残弾もそろそろ心もとない。

 ただ、同時にフィールドの減衰は当然ながらバッテリーの低下を意味する。

 その中身も。

 

「あなたに意識があるのかわかりません。けど……もう、私にできることは――」

 

 震える指を意識で押さえつけた。

 今更なんだというのか。もう、彼の手伝いをするしかないのに。

 すべてはデータ蓄積のため。

 ビットを同時操作。常に違う位置、角度からトリガーを引き続ける。

 

 

 

「どんな神経してんだよアイツ……ッ」

 

 死角の背後から撃たれても全く気にしない鎧に蓮太郎は薄気味悪さを覚える。

 自分のバリアに自信があるにしても弱点を狙われて動揺ひとつないのは異常だ。一体どんな心理状態で戦っている?

 ともすれば、アレはバッテリーなどではないのだろうか……そんな世迷言が頭を(よぎ)る。

 もしそうならこの作戦は初めから――。

 

「今考えるのはそんなことじゃねぇッ!」

 

 地の底から這い出てきた弱気な自分を銃声で彼方に追い出す。

 

 蓮太郎は愚直に分りもしないバッテリー切れを狙っているのだろうか。

 

 否。

 彼には別の目的があった。

 

「いくら銃弾を受け流すと言ってもそのすべてを手動で行うことは不可能。つまり、自動化された手順ならマニュアル(定数)があるはずだ」

 

 義眼内部のナノ・コアプロセッサが物理学・流体力学などを使って弾道を演算し続ける。

 情報量に左目が熱を放ち始め、蓮太郎に頭痛としてフィードバックしてくる。

 それでもやめる訳には行かない。

 目的を知られないために大道芸じみた行動をティナにしてもらっているのだから。

 もう少し、もう少しなのだ。

 バリアを破れば拳が届く。拳が届けば奴を倒せる。奴を倒せば、延珠を助けられる。

 

「だから……ッ」

 

 

 

 蓮太郎が狙っていたのはリンクスの足場――工場の鉄骨部分の破壊だった。

 屋上にいる限り接近戦を仕掛け辛いなら、下まで落としてしまえばいい。

 それに大地ほど良い電流の受け流し先はない。考えてみれば延珠が感電したのはバラニウムの伝導率や人体がそもそも導体であることも一因だが、地面から浮いてしまったのが大きい。接地作業はより抵抗の低い地面に電流を逃がすためなのだから。

 

 

 

「――――ッ!」

 

 電子の光を追いかけていったその先。

 ついに導き出した。その道筋を。

 

 弾倉交換(リロード)、強化型弾薬を装填。

 義眼が示す射角のまま、蓮太郎は連続で発砲した。

 二挺拳銃の命中率は酷く悪い。しかし義眼解放時はその前提が崩れる。

 

 狙い過たず全ての弾丸はフィールドに反射され、そのエネルギーも含めて脆くなった鉄骨の繋ぎ目に容赦なく破滅的ダメージを蓄積させる。

 

 

 

『これは――――』

 

 鎧が違和感に気づいた時、すでに策は成っていた。

 ガクン、という重力の喪失を一瞬味わった後、足場が音を立てて崩れ落ちる。

 引力に掴まれ、鎧の体は瓦礫と共に大地へ落下していった。

 

 

 

「成功ですね、蓮太郎さん」

 

「ああ……これでやられてたりは、しねぇか」

 

「それは……希望的観測が過ぎます」

 

「だよな。ならやっぱり……やるっきゃねぇな」

 

「……射撃の援護はできなくなります」

 

「わかってんよ。任せとけ」

 

「――はい」

 

 インカムで通信しつつ、蓮太郎は土埃の向こうを油断なく構える。

 『天載無窮(てんさいむきゅう)の構え』天地は永久無限の存在であることを意味する攻防一体の型。

 

 そして土埃の中心から轟音。

 それが吹き飛ばされた鉄骨の奏でる音だと蓮太郎は気付く。

 土埃が晴れた向こう側で鎧が立ち上った。

 

『中々面白いことを考える……』

 

 予想はしていたものの、高所から落下しても大してダメージを受けないような奴と今から戦わなければならない事実が蓮太郎の肩に重くのしかかる。

 それでも、気持ちで負けてはいけないと己を奮い立たせた。

 

「あのまま寝ててもよかったんだぞ」

 

『笑わせる……貴様の実力も見ていないのにか』

 

「生憎、俺に力自慢の趣味はないんでな」

 

『貴様、本当に機械化兵士か? 面妖な奴め』

 

「俺はテメェらほど戦いにイカレた思想を持ってねぇんだよ」

 

『……貴様もいずれたどり着く』

 

 鎧は両手に持っていた銃器を捨て、右肩にマウントされた長剣――キングスフィールド社のMoonLight――を抜刀した。

 

「テメェ……なんの真似だ」

 

『貴様の望み通り、直接対決をしようとな』

 

 そして一振り。

 瓦礫が吹き飛ばされる凄まじい風圧に、蓮太郎は腰を落として堪える。

 そして自分たちの周囲には何もない空間――決戦場(バトルフィールド)が出来上がっていた。

 

 遠距離手段を捨ててくれるなら接近が容易になって喜ぶべきだが、この不敵な自信。

 まだ隠し玉があると思っていたほうが良いと蓮太郎は感じた。

 ともかく、望んでいたインファイト。XD拳銃を腰に仕舞い、拳を構える。

 

「お膳立てってわけかよ。ずいぶん余裕だな」

 

『今にわかる』

 

 一瞬の睨み合い。月明かりと燃える建物に照らされた両者は向かい合う。

 戦場にゴングなどないが、互いに戦いの合図を理解していた。

 

――第三ラウンド、開始。

 

 甲高い音と共に鎧姿が迫る。

 常人の意識なら認識すら叶わない高速移動。

 しかし蓮太郎の義眼はその動線をきっちり捉えていた。先日のような無様はしない。

 すぐさま右手を引き絞り、雷管を撃発(ファイア)

 カートリッジが回転しながら吐き出され、硝煙臭が漂った。

 

【天童式戦闘術一の型五番】

 

「『虎搏天成(こはくてんせい)』ッ!」

 

『――――!』

 

 燐光纏った一閃と神速の突きがぶつかり合う。

 撃力が衝撃波となって周囲に拡散。

 双方共に弾き飛ばされ、地に靴跡を残しながら距離が開いた。

 

 蓮太郎が再度の激突に備えて瞬きをした瞬間、すでに鎧の姿は消えていた。

 

 3m近い巨大質量が高速で迫る恐怖――同じくらいのヒグマでさえ静止状態から最高速に到達することはできないというのに、デカい図体が面妖な技術によって飛び回るのだ。さらにソニックブームとまではいかずとも、吹き荒れる風が肌を貫き、人間の根源的な怖気を刺激する。

 

 だがしかし、それらを蓮太郎は延珠を助けたい気持ちと、奴が彼女に苦痛を与えた怒り(理性)で乗りこなして見せる。

 

 そう。

 視界から消えた――ならば先を読めばいい。蓮太郎の左目はそれを可能にするのだから。

 

 まるで皮膚の細胞ひとつひとつが感覚器官になったよう。

 五感から得られる情報は脳を経由して義眼のCPUが処理していく。

 

 100分の1秒。それこそが蓮太郎の見ている世界だった。

 

――右に加速した後、左に回り込んでそのまま突っ込んでくる。

 

 脚部カートリッジを撃発。

 左足を軸に敵の予測進行方向へ薙ぎ払いを仕掛けた。

 

 結果は命中。

 再びの衝撃波が蓮太郎の髪を揺らす。

 表情は読めないが、リンクスもインパクトをずらされて驚いているようだった。

 

『その目、その目か。面白い……面白いぞ、民警!』

 

「さっさとぶっ倒れろ!」

 

 

 

 ティナは眼前で繰り広げられる戦いに息をのんだ。

 人体の限界速度で動き回るリンクスと、未来を見ているかのような反応で対応する蓮太郎。両者ともに人類として最高峰の個人戦力と言っても過言ではない存在だ。ぶつかり合うたびに周囲を破壊せんばかりの嵐が吹き荒れる。

 

「これが、機械化兵士……」

 

 かつて人類の希望とされた最強の人間――新人類。

 これが人類の刃なら、私はなんだというの?

 冷静な分析では彼らと勝負しても勝機はあるように思える。

 しかし、結果として敗北するような予感があった。

 中途半端な紛い物は本物に勝てないとでもいうのか。

 「おまえは中継器に過ぎん」エインの言葉に胸が締め付けられた。

 

 

 

 幾度かの激突の末。

 ついに蓮太郎はリンクスの腕から長剣を吹き飛ばした。

 同時に破壊出来たのか、右腕から火花を散らして鎧は後ろに滑っていく。

 

 勝てる、勝てるぞ。

 目と体が早さに慣れてきた蓮太郎は明確な勝利のヴィジョンが見えていた。

 問題はカートリッジが足りるかどうか。奴の電力もそろそろ尽きて欲しいものだが。

 

 しかし勝負とは水物。確信した勝利ほど信用ならないものはないという。

 

 鎧が突如体を脱力させると、全身から何か突起物の様なものが出現した。

 

『……認めよう。今この瞬間から君は我々の敵だ。故に遠慮もしないと決めた』

 

「テメェ、何を――!?」

 

 なぜだかとてつもない悪寒がして、回避動作に入ろうとした時には。

 

「――――は?」

 

 酷い衝撃に吹き飛ばされ、体が地面を何度もバウンドし廃墟の残骸に叩きつけられていた。

 

「な、にが……」

 

 気持ち悪い音と血液が口から溢れる痛みが脳内で爆ぜる。

 瞼は重く、正面を見据えることも出来ない。

 呼吸をしようとしても間抜けな風音にしかならず。

 命令通りに動かない体は急速に体温を失って意識も拡散し始める。

 延珠との楽しい思い出――走馬灯が虹彩に映し出された。

 『バリーリンドン』とかいう名画座で見た映画の記憶。エンドロール前に『美しいものも、醜いものも、今は同じ、すべてあの世』とかいう酷いニヒリズム(テロップ)が表示されたのだ。

 まさしく自分もあの世に送られてしまうのだろうか。

 

 

 

「蓮太郎さん!?」

 

 その瞬間を見ていたティナは慌てた。

 奴の周囲が光った途端に頭痛がし、ドローンとシェンフィールドが全機爆散(ロスト)したうえ、蓮太郎が吹き飛ばされていったのだから。

 まさか、死んでしまったのか? そんな馬鹿な。優勢に立ち回っていたばかりなのに。

 巻き込んでしまった罪悪感が胸を締め付ける。

 何にしても、彼が生きていることを信じるしかない。

 

『初めから2人がかりでくればよかったものを』

 

「…………」

 

 自分の心の弱さが招いたことなら。

 ナイフを構え、携帯用強化ポリカーボネイト防盾(シールド)を展開。

 ティナは蓮太郎とリンクスの間に立ちはだかった。

 

 

 

 蓮太郎の意識は白いタイルに囲まれ、規則的にオリーブや観葉植物などが生い茂るイングリッシュガーデンのような場所に迷いこんでいた。

 

<アレ、実際のところは子供以外の登場人物がクズ過ぎて「君もクズが苦しむのを見たいんだろ?」っていう皮肉らしいよねぇ>

 

 人の声にハッとする。自分はどうやら椅子に座っているらしかった。

 机を挟んだ反対にはどこかで見たような少女が頬杖をついている。

 

「俺……は……どう、なったんだ……?」

 

<やぁ蓮太郎くん☆ 君はあのリンクスのバババ~っていう衝撃波で痺れて、そのままやられちゃったんだよ>

 

「アル……? どうして、お前が」

 

同調(クロッシング)――って言ってもわからないか。あとで記憶が飛んじゃうと思うし関係ないよね☆>

 

「は? 記憶が飛ぶ? 何を」

 

<それより延珠ちゃんを助けるんでしょぉ? ほら、頑張って立ち上がって! 男の子なんだからティナちゃんだけに任せちゃだめだぞ☆>

 

「そうだ……俺は、戦って。ここはどこだ? 俺は死んだのか?」

 

<死にかけてるけど生きてるよ☆ ホントはアタシもヘリに乗って「これを使え!」ってやりたかったんだけど、面倒な仕事を任されちゃったからそっちいけないんだよねぇ>

 

「お前……何者なんだよ」

 

<ふふ、今はそんなことはどうでもいいじゃん? 重要じゃないよ。大事なのは君の代わりにティナちゃんが戦ってるってこと☆>

 

 脳内に直接映像が焼き付く。

 ティナと鎧野郎がインファイトをしているのだ。

 片手を失ってまで民警の戦術マニュアルに『絶対に避けねばならないもの』とされている格闘戦を捌いているリンクスは一体なんなんだ。

 

<遠距離専門の彼女には荷が重いんだよねぇ~。このままじゃやばいよ>

 

「……どう、すれば。俺は、勝てるのか?」

 

<勝てる勝てる。だから起きるだけだって。大丈夫、傷は治してあげるから☆>

 

「傷が……?」

 

 致死に近い傷を受けたような感触があったが、どう治ると?

 そんな疑問を浮かべる蓮太郎に、アルは面倒そうに叫んだ。

 

<いいから、君はこれでも見とけ!>

 

 脳内に直接映像が流し込まれる。

 それは赤いワンピースを着た少女が水底で小さく身を抱いているイメージ。

 

『たすけて、蓮太郎――』

 

 瞬間。

 蓮太郎は瞼を開いた。

 

 

 

『内臓を潰されて立ち上がるだと? ありえるのか、こんなことが』

 

「蓮太郎、さん……」

 

 驚きと安堵――異なる感情で蓮太郎の意識は迎えられた。

 血だまりの足元を踏みしめ、蓮太郎は立ち上がる。

 役目を終えた絶縁装置が転がり落ちた。

 その姿は満身創痍と言えるようなものだが、瞳は闘志に燃えている。

 ティナはボロボロになった防盾とナイフを捨てると、バックステップで蓮太郎の隣に戻ってくる。その姿は蓮太郎と同じ位傷だらけであったが、予備のナイフを取り出す。引くつもりもないようだった。

 

「大丈夫ですか……?」

 

「ああ……やるぞ」

 

 蓮太郎自身、なぜ自分が生きているのか定かでなかった。しかし助けを求める延珠の声だけは脳内を反響し続け、自らが為すべきことを示している。他の一切は考える必要はない。ただ、目の前の敵をブチ抜けばいい――。

 蓮太郎の視界が光を失っていく。体内の酸素と二酸化炭素を入れ替え、モノクロのような世界で刃を研ぎ澄ます。

 死力を尽くして舞う天童式戦闘術『水天一碧(すいてんいっぺき)の構え』。

 

『――――』

 

 リンクスも無言で構えた。

 

 彼我の距離は10メートル。

 

 この場の三者は次の衝突で決着すると本能的にわかっていた。

 

 束の間、世界からすべての音が消える。

 

――最終ラウンド、開始。

 

 静かな空気は――爆発した。

 

 脚部カートリッジを撃発、スラスター点火。

 ティナも合わせて大地を蹴り、両者の距離が急速に縮まる。

 リンクスは迎撃を選んだ。

 

 腕部カートリッジを撃発。

 

天童式戦闘術一の型八番

 

――――焔火扇(ほむらかせん)!」

 

「シィィィィィィィィッ!」

 

『Type-Leg-Ultimate 』

 

 拳と刃、装甲に包まれた足がぶつかり合う。

 力は互角。衝撃波が地面を抉り、爆心地以外にクレーターを生んだ。

 

『凄まじい威力だが――――』

 

「まだだァ!」

 

 声を遮るように再び腕部で炸裂音。

 

『この状態でだと!』

 

天童式戦闘術一の型五番

 

虎搏天成(こはくてんせい)ッ!

 

 ゼロ距離から放たれるは一瞬で再加速した正拳突き。

 拮抗状態から相手の威力を奪い、境がズレ始める。

 

「ぐぅっ!」

 

 爆発のような衝撃波にティナが吹き飛ばされた。

 

『面白い……もっと、もっと貴様の力を』

 

「これで、最後だぁぁぁぁぁッ!」

 

 

 ――この時、すでに蓮太郎のカートリッジは出し尽くしていた。それでも追撃を放とうとする彼は一体何をしたというのか?

 

 ――その答えは単純であった。無いなら在る場所から持ってくればよい。

 

 ――僅かな接触面から無意識に超バラニウムの伝導率を生かして相手の電力(エネルギー)を奪い取り、それを動力としたのである。

 

 

天童式戦闘術一の型三番

 

 蓮太郎の拳に稲妻が宿る。

 限界を超え、もはや腕そのものが射出されんばかりの速度(分速1800メートル)で鉄拳は振るわれた。

 

轆轤鹿伏鬼(ろくろかぶと)二点撃(ダブル)ッ!

 

 ついに境界が崩れる。

 リンクスの脚部に亀裂が走り、それは天へ昇る竜のように全身まで伝播していく。

 膨大なエネルギーを宿した拳に吹き飛ばされ、鎧の体は空中分解しながら地面をバウンド、轟音と土埃が舞った。

 

 10数秒たっぷり転がり続けた鎧が静止するとあたりも静寂に包まれる。

 

 蓮太郎は拳を構えたまま残心。

 

 やがて視界に色が戻ってくると、忘れていた頭痛、めまい、吐き気で地に膝をつく。

 勝てたのだろうか。

 もはや蓮太郎に戦う力は残っていない。よくもこんな無茶が通せたと言いたいくらいだ。

 痛む肺に血を吐きながら鎧が吹き飛んでいった先を見る。

 どうやら立ち上がる気配はない。

 

「蓮太郎さんっ!」

 

 と、そこで慌てた様子のティナが駆け寄って来た。

 吹き飛んだ時に切ったのか、額から血を流している。

 

「意識はありますか?」

 

「……しっかりあんよ。ただ……」

 

 蓮太郎の言葉が歯切れ悪いので、ティナは自分の様子を見た。

 どうやら緑のドレスが破けていたらしい。

 

「……えっち」

 

「馬鹿野郎、不可抗力だ」

 

「……元気が出るなら見せてあげてもいいんですよ」

 

「ふざけろ。それより肩貸してくれ、立てねぇや……」

 

「――はい」

 

 軽口を叩きながらティナに支えられてようやく、勝ったという実感がやって来た。

 

「……ありがとうございます。蓮太郎さん」

 

「俺は延珠を助けるために戦ったんだ。……お前の都合のためじゃない」

 

「そう、ですね。まだ」

 

「ああ。やることが残ってる」

 

 幼女と少年の身長差はチグハグだったが、それを補う胆力が彼女にある。

 二人三脚でめくれ上がった大地を歩き、リンクスが倒れている場所に着いた。

 

 彼は右手の他に左足が千切れ、鎧の胴部も首に近い位置まで裂けていた。

 断面を見るに、やはり四肢はすべて義肢らしい。

 彼の過去はもはや推察する他ないが、真っ当な経歴ではないように思えた。

 

 蓮太郎は震える左手で拳銃を構え、鎧の頭部に標準する。

 

「テメェ、どうして俺らの戦い方に付き合ったんだ」

 

 それはどうしても聞きたかったことだった。

 遠距離射撃手段に加えて迷彩や電磁波兵器を持っているなら姿を眩ませて不意打ちするのが最も確実。実際そんなことをされたら全滅していた可能性が高かったのにわざわざ姿を現して正面からぶつかった。

 いくら依頼主の思惑が戦力比較だとしても利点を潰す行為に意味を感じられない。

 無論、それでも苦戦を強いられたわけなのだが。

 

『私は 戦いを 望んでいる からだ』

 

 ノイズを纏った機械音声でリンクスは答えた。

 

『我らは勝つことが存在意義。しかし、それも果たせぬのなら……所詮、俺も粗製(失敗作)だったというわけだ』

 

「……テメェも世界を戦争に巻き込んでやるっていうクチか?」

 

 蛭子影胤がそうだったように。

 

『世俗に 興味などない』

 

「じゃあ、なんでこんなことをしたんだよ」

 

『意味などない ただ依頼を受け全うする それだけだ』

 

「誰に依頼されたか、答える気は?」

 

『言うと思うか?』

 

「……思わねぇな」

 

 話は平行線だ。

 わかり合うことはできないらしい。

 リンクスはぎこちない動きで首を揺らし、蓮太郎を見た。

 

『貴様が聞きたいのは違うだろう あの檻は私の死亡と共に解除される』

 

「死亡だと……? テメェにはこれから警察署で洗いざらい吐いてもらわなきゃなんねぇんだぞッ」

 

『残念だったな。死人に口なしだ』

 

「テメェ、自分の命が惜しくねぇのか」

 

『とうの昔に死んでいる。今更執着など持つわけがない』

 

 蓮太郎は絶句した。

 どうしてどいつもこいつも自分の命を軽く見積もるのだろうか。

 命はひとつしかないというのに。

 

「……なら、ひとつ答えてください」

 

 蓮太郎の代わりにティナが口を挟む。

 

『いいだろう』

 

 夜空を見上げ、一拍子置いてから彼女は訊ねた。

 

「――誰を使ったんですか」

 

「ティナ……」蓮太郎が息をのむ。

 

『私は知らされてなどいない。こうなってしまえば個人の区別に意味はないだろう』

 

「そう……ですか」

 

 あっさりとした答えに痛いほど拳を握りしめ、ティナはしばし顔を俯かせた。

 

『最後にひとつ、小僧。貴様に言っておくことがある』

 

「……んだよ」

 

『あの少女はピュアブリードだ。そのことをよく覚えておくがいい』

 

「は? どういうことだ?」

 

『話は終わりだ。貴様は私を越えた。そしてそれが何を生むのか、貴様にはそれを知る権利と義務がある。貴様の可能性……それが――』

 

「テメェ、一方的にごちゃごちゃとッ」

 

「蓮太郎さん!」

 

 ハッとした様子のティナに押し倒された直後、爆発が起きた。

 風圧に飛ばされ、地面をふたりして転がる。

 三半規管を乱され、炎の熱と砂塵が体の表面を傷めつけた。

 やがて静止した時、柔らかい体に頭を包まれていることで守られたのだと理解した蓮太郎は己の不甲斐なさに怒りを覚えるも、すぐ周囲に目を向けた。

 

「クソッ、アイツほんとにやりやがった! 大丈夫かティナ?」

 

「はい……」

 

 ティナの服の状態は酷くなっているが、体の傷はそこまで増えていないようだ。

 頭をずらして先ほどの場所を見ると、そこに塊は残っていなかった。鉄屑と化した残骸があるのみだ。

 ティナもそれを見つけたようで、立ち上がり、赤くなった表情を硬いものに変えた彼女は爆心地に黙とうを捧げる。

 同郷の人間に対してか、居なくなった子供に対してか……蓮太郎は聞けなかった。

 

 ともかく聖天子襲撃の推定実行犯は死亡してしまったのだ。

 悲しむほど共感を受けたわけでもないが、さりとて気持ちの良いものでもない。

 

 これで聖天子がこの会談期間中に命を脅かされる危険はグッと下がるだろうが、真相を闇に葬られたような、表現しがたい後味の悪さが残った。

 

――これがエイン・ランドのやり方かよッ。

 

 安全圏から命令だけ出して人間を駒のように使い捨てる。吐き気を催す邪悪だ。

 奴を国際法で裁けないものか――『君はアレに夢を見過ぎだ』菫が嗤った気がした。

 

 それよりもだ。

 リンクスの言うことが正しいなら――そう思って離れた球体の方に視線を向ければ、空中に浮いていたはずのモノが重力に従って地上に降りて来る。

 

 そして着地と同時に殻が崩れ、中には待ち望んでいた少女が眠っていた。

 

「延珠……ッ!」

 

 ティナに傍まで連れて行ってもらった蓮太郎はその小さな身体を抱き締める。

 

 暖かい体温。規則正しい呼吸。間違いない、生きている!

 

「あぁ……延珠、延珠……よかった……すまん……すまん……」

 

 謝罪か喜びか蓮太郎は顔をぐちゃぐちゃにしながら、もうどこかへ行ってしまわないようにと願う。

 

 思いが通じたのか、力が強すぎたのか。延珠は身じろぎをした。

 

「ん……ぅ……」

 

「延珠!」

 

 彼女は瞼をあげて少年の姿を認める。

 

「蓮太郎……? 妾は……」

 

「……気絶してたんだよ。気分はどうだ? どこか不調を感じるなら言ってくれ」

 

「いや……大事ないぞ。なんだか夢を見ていたような……それより蓮太郎! 聖天子様の護衛はあれからどうなったのだ!?」

 

「大丈夫だ。敵は……倒した。倒したんだ……」

 

「敵……?」

 

 延珠は更地になった周囲とティナに気づいた。

 

「お主は?」

 

「初めまして、延珠さん。ティナ・スプラウトです」

 

「童の名を知っているか……しかし名乗りはするぞ。藍原延珠だ」

 

 同時に、延珠は蓮太郎と彼女の様子から戦いがあったのだろうと推測した。

 そして自分は囚われていたのだと。

 

「蓮太郎が、世話になったようだな」

 

「いえ。助けてもらったのは……私の方です」

 

 彼女の纏う雰囲気に、なんとなく延珠は仲良くなれる気がした。

 視線を蓮太郎に戻す。

 

「延珠、俺は……俺は……」

 

 気が付けば彼は涙を流していた。

 延珠は女を増やしたことに抗議するか、それとも正妻の余裕を見せるかで悩み。

 結局蓮太郎の頭を胸元に抱き寄せた。

 

「頑張ったのだな、蓮太郎」

 

「延珠……」

 

 天使のような鼓動を聞き、蓮太郎の表情が安らぐ。

 さらに延珠は蓮太郎の耳元でささやいた。

 

「ごほーびに、妾は蓮太郎とずっと一緒にいてあげる」

 

「ああ……延珠、お前を失いたくない……」

 

「ふふ……蓮太郎は仕方ないなぁ」

 

 髪に着いた土埃を丁寧に取ってやり。

 穏やかな表情で、延珠は胸に縋りついた蓮太郎の頭を撫でていた。

 

 

 

 

 

 

 翌日。蓮太郎が聖居を訪れた時、保脇は酷く狼狽えていた。

 

「里見蓮太郎……!? どうしてここに……!」

 

「どうしてもクソもあるかよ。護衛に決まってんだろうが」

 

「馬鹿な、貴様は……」

 

「『貴様は』なんだというんだ?」

 

 後ろから保脇の肩を掴んだのは背広姿の坊主男。保脇よりやや身長が高く、鋭い目つきが威圧感を生んでいる。

 

「誰だ、貴様」

 

「警視庁公安部の瀬文(せぶみ)だよ、はりきりメガネ」

 

 保脇は男の横暴な態度にイラつきながらも聖居まで公安が出張って来たことを不思議に思った。

 しかしその意図に思い至ったのか、一転して勝ち誇った表情になる。

 

「そうか、内通者を見つけたんだな? ハハハッ! 里見蓮太郎ッ、貴様の命運もここまでということだ。大人しくしておけばよかったものを、欲を出して聖天子様に近づくからこうなる!」

 

 そしてカチャリ、という手錠が締まる音が響いた。

 しかし蓮太郎は両手を自由にしている。

 ならば誰に?

 

「……は? どうして僕に着けているッ!?」

 

「令状出てるからに決まってんだろ。公安なめんな」

 

「そ、そんな馬鹿な話があるかッ! これは罠だ。里見蓮太郎が仕組んだ罠だ! そうだろう皆! 僕は今まで聖天子様に尽くしてきた……そんな僕が内通などするはずがない! 違うか!?」

 

「仕組んでねぇよ。テメェの自業自得だろ」

 

 急に始まったパフォーマンスに護衛官たちも困惑した。

 いつもつるんでいた芦名(あしな)城ケ崎(じょうがさき)ですら令状の存在にビビッて声を出さない。

 

「おのれ里見蓮太郎……ッ、この卑怯者め! 聞きましたか、みなさん。これが奴の本性なのです! 人を貶めることでしか自分の評価を上げられない惰弱な人間! しかし私は違います……清廉潔白な人道を信じ、正義と真実によってこれまで過ごしてきました……おわかりでしょう、皆さんッ! どちらを信じるべきなのか!」

 

 両手を拘束されながら保脇は道化のように踊った。

 しかしその見苦しさも終わりが来る。

 

「……残念です。保脇さん」

 

 物陰から登場した聖天子の冷ややかな視線が刺さった。

 

「せ、聖天子様!? こ、これは違います! 私はそのようなことは!」

 

「……もう、見るに堪えません」

 

 その瞬間、保脇は聖天子に見捨てられたことを悟った。

 

「う、うそだ……ぼ、僕は、こんなところで」

 

「御託はいい、さっさと行くぞコラ」

 

「嘘だぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 

 警備員たちに保脇は連行されていった。

 

 

 

*1
「ギラギラしてる里見ちゃんもすてきやぁ」





・蓮太郎
これでライクってマジ?

・ティナ
家族になれそう

・延珠
母の波動 を おぼえた

・保脇
君は次も出番あるぞ。がんばれ♡がんばれ♡

百合が早く書きたい。
今後はいくらか話を書いてから次章にいくつもり。
同時に色々設定が生えてくると思われる

そうそう。幼女が幼児退行したら何になるんだろうか


書けたら次は0時


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異性化

←21時更新分

先に書きたかったのから書いた。

今更だけど15歳未満は見てないよね?

不快感あったらすぐ戻るんだよ。





 

 

 

 煌びやかな東京エリア第1区に居たのもいまや昔。

 保脇の姿は18区の永淀市(ながとろし)の不法外国人居住区にあった。

 純白の制服ではなくよれたシャツとスラックスが彼の(よそお)いだ。

 これまでと全く違う環境に対するストレスから悪態をつく。

 

「クソッ、どうして僕がこんな汚らしい場所に居なければならない……!」

 

「仕方ないでしょ~、指名手配かかっちゃってるんだからさ」

 

 廃れたアパートの扉が開き、少女がひとり入ってくる。

 

「ふざけるな! もとはと言えば貴様がまともな内容を考えなかったからだろうが!」

 

「うーん、男のヒステリックとか需要ないよ~」

 

「貴様……ッ、里見蓮太郎を倒す力とやらの準備は済んだのだろうな? 生かしておいてやってる理由だろうが!」

 

 保脇はルガー拳銃を少女に突き付けるが、彼女に怯えた様子は見られない。

 

「ちゃんと持ってきたから静かにしてよぉ~。発砲したら目立つじゃんか」

 

「ふんッ、悪魔の癖して僕に指図するとは生意気なッ」

 

 イラついた保脇は少女を足蹴(あしげ)にした。

 

「ぐえっ 恩人に対する態度とは思えないなぁ」

 

 尻もちをついた体を起こして汚れを払う。

 

「悪魔は僕ら人間に奉仕してやっと最下層の人間になれる。ただの義務になぜ僕が恩を感じなければならない?」

 

「あはっ、クズ過ぎて笑っちゃうね」

 

 真顔で(のたま)う保脇。

 彼はそういう常識の下で育ったのだろう。原因が誰かという問いに意味はない。

 

「それより早くよこせ。それなんだろう?」

 

 人差し指を揺らし、彼は少女が手に持った小さな箱に目を向けた。

 

「せっかちさんだな~。まぁそうなんだけど」

 

 箱を開けば注射器とバイアルが入っている。

 少女はバイアルの液体を注射器で吸い上げていった。

 

「ククク……アイツを越えるところを見せれば聖天子様も僕をお認めになるはずだ」

 

「もう再編されちゃったから無駄な期待じゃないの~?」

 

「はっ。貴様のような低能にはわからんだろうが、聖居の人事にかけあえば僕のポストなどすぐに見つかるんだよ」

 

「じゃあ指名手配はどうするのさ?」

 

 少女の疑問を保脇は自信に満ちた表情で答えた。

 

「それこそ僕が里見蓮太郎に勝てばいい。今頃僕の無実とアイツが犯人だという証拠が見つかっているはずだ。あとは僕が手柄を上げさえすればいい。そうすれば指名手配なんぞは取り下げられ、僕は再び聖居に舞い戻ることが出来る」

 

「はぇ~」

 

 聖天子に見捨てられて頭おかしくなったんだな、可哀そうに。

 少女は薄っぺらな心で憐れんだ。

 

「そうして戻った暁にはあんな底辺のガキではなくこの僕が聖天子様の夫となるのだ」

 

 夢物語を語る保脇に少女はいじわるをしてみることにした。

 

「結局のところさぁ、保脇くんって美少女とセックスしたい拗らせ童貞だよね」

 

「は?」

 

 大きく見開いた目が少女を睨む。

 

「だってそうじゃん? 保脇くん、顔はかっこいいんだからそこら辺の女の子で満足しておけばよかったのにさぁ、変にプライドあるから身の程を越えた理想を目指しちゃったんでしょ」

 

 保脇の上瞼がぴくぴくと震えた。

 

「この……この僕が石ころのような売女どもと? ふざけたことを抜かすなよ……」

 

「でも残念ながら現実はこれじゃん。君が見下してた底辺そのものだよ~」

 

 カッと血が上った保脇は少女の首をひっつかんで壁に叩きつけた。

 身長が足りないのか足がふらふらと揺れる。

 脆い壁から土埃が落ちた。

 

「が……は、ぁっ……」

 

「ゴミカスの分際でよく喋る! 貴様はさっさとソレをよこせ!」

 

 少女から注射器をひったくろうと保脇は手を伸ばすが、少女が腕を動かして空を切る。

 それが数回行われ、保脇はついに激昂した。

 

「きさ――」貴様、という声は言い切ることが出来なかった。

 

 逆に人外の腕力で地面に縫い付けられたからだ。

 

「う~ん。男にやられても全然興奮出来ない……やっぱ先生ぇじゃないとダメだなぁ」

 

「ぐ……な、何のつもりだ……!」両手を背中で合わせられ、抵抗の術を封じられる。

 

「なにって、君のご希望通りにしてあげるんじゃん。まぁ、多分ダメだけど」

 

 躊躇なく少女は保脇の首筋に注射器を打ち込んだ。

 

「お、おのれ何……おっ……ごっ、が……ぁ!?」

 

 途端、保脇の心臓がひときわ大きな鼓動をうつ。

 骨格から変化する体の痛みに保脇は少女の下で魚のように仰け反った。

 

「う、お、おぉ……こ、こんなの……聞いていないぞ……!」

 

「だって言ってないもん☆」

 

「く、そ……あつい……あついあついあついあついいぃぃ!」

 

 そうして跳ね回ること数分。

 流れ出た汗で床は小さな池のようになっていた。

 

「あちゃぁ、お風呂でやればよかったかな☆」

 

「な、なにが……」

 

 困惑する保脇に、満足げな少女は手鏡をかざした。

 

「見て見なよぉ。元がイケメンでよかったね? とってもかわいく出来ました☆」

 

 鏡に映っているのは、控えめにいって美少女だった。

 髪の色は茶から灰色に変化し、体の起伏は薄く身長は小学生ほどまで縮んでいる。

 赤と黒が混ざった紫の瞳は鋭い目つきを残しており、肌は病的に白く、簡単に折れそうな細い手足となっていた。

 

「はぁ……?」

 

 解放された手でぺたぺたと顔を触る保脇。

 そして信じがたい現実に直面した。

 

「ぼ、僕が……悪魔どもに……? う、うそだ……嘘だぁ!」

 

「悲しいねぇ……聖天子ちゃんを孕ませたかったのに出来なくなっちゃったねぇ~!」

 

「き、貴様ぁ! こ、このっ!」

 

 保脇はショッキングな現実から逃れようと暴力に走るが、逆に手を掴まれてしまう。

 

「あは☆ 人間がアタシに勝てるわけないじゃん。無駄な努力ごくろーさま☆」

 

 耳元で囁かれた侮辱的な言葉。

 酷く脳に響く声が麻薬のように意識を溶かそうとしてくる。

 

「こ、これは夢だ……夢なんだ……」

 

 そうはさせまいと心の守るために今度こそ保脇は逃避に走った。

 

 一方の少女はそんな可愛らしい態度を見せる赤子の瞳を指で強引に開いた。

 強引に現実を直視させるため。

 

「ところがどっこい! 夢じゃないんだなぁ……これが現実だよ☆」

 

「う、うそだ……僕を騙そうとしている……そうだろ! こ、この赤目がァ!」

 

 最後の抵抗はしかし、少女に何らダメージを与えることはできなかった。

 

「ふふ、こういうのメスガキっていうんだっけ? ほんと可愛いなぁ……」

 

 少女は気分が高まって来たのか、不気味な笑顔を浮かべる。

 

「不思議だったんだよねぇ。君たち人間の子供をアタシたちは作れるけどさぁ、君たち人間はアタシたちの子供を作れるのかなって」

 

「は、はぁ……? 気でも……狂ったのか……?」

 

 女が女の子供を? こいつは何を言っているんだ?

 あまりに常識的な内容だったためか、壊れかけの心でもその異常性を保脇は認識できた。

 

「じゃあさ、科学的実験をしよっか☆ お題は『人間はアタシたちの子供を孕めるのか』ってことで!」

 

「ま、まさか……や、やめろ……やめてくれ……」

 

 狂いかけているがゆえに狂気を理解してしまった保脇は後退ろうとする。

 しかし、手を捕まれていてはその行為も虚しいものだった。

 

「まぁ、安心しなよ。アタシはちゃんと女の子なんだからさ……」

 

「あ、あ、ああ……ああああッ!」

 

 涙を流す顔は無慈悲な手に覆われた。

 

 

 

 

 

 

 ボブは割れたガラスに映る目元のクマを見て溜息を吐いた。

 彼は数か月前に不法入国した外国人である。

 かつてはアメリカに住んでいたが、いつ貧弱なモノリスが崩されてガストレアに殺されるかもわからない不安から逃れるため、多額の金を使って()()()でモノリスだけなら安全な東京へ脱出(エクソダス)してきたのだ。

 

 そんな彼は日本の治安が故郷よりマシな――この地区はジャパニーズヤクザやギャングが縄張りを持っているので安全ではないのだが――ことに安心した。

 ビザを持っていないためまともな仕事についたりすることはできなかったものの、よくも悪くもない日雇いの仕事を受け、ギャングに上納金を納めて庇護してもらうことで肥溜めの中ではまともな部類の生活を送ることが出来ていた。

 

 しかし2つ隣の部屋に誰かが引っ越して来てから、その生活にも影が差している。

 

 そう、寝不足だ。

 

 ボブが住むボロアパートはコンクリートなんて上等な壁を使っていないので、大きな音を立てると周囲の部屋に聞こえてしまう。

 

 彼は乱闘騒ぎやカチコミの音には慣れていたが、まさか()()()()声が近くで聞こえてくるとは思わず――あってもギャングたちの住んでる方――酷い睡眠妨害を受けていた。

 

 例の部屋には女がふたり、それも子供が住み着いているはず。

 

 女同士でセックス? イカレてんだろ。

 最初はそう思ったが、世界がイカレてる今、多少頭のネジが外れてしまってもおかしくないだろう。なんなら知り合いにホモのカップルがいる。いや、彼らは元からだったような気も……まあいい。

 

 ただ子供ふたりでこの魔境をどう生きているのかが疑問だった。

 しかしその疑問は先日、乱交パーティと勘違いして乗り込んだ酔っ払い共が全員返り討ちにされたことでハッキリする。

 

 そう、やつらはチルドレンだったのだ。

 赤い光を滾らせて世界に住み着いた新しい人間たちだ。

 

 それならこの魔境で生きていくことも出来るだろう。

 

 ただ、こっちから迷惑は掛けてないんだから安眠妨害はしないでほしかった。

 

――♪~

 

 ああ、クソ。ジーザス……なんてことだ。また今夜も聞こえてきた……。

 文句を言いに行こうと思ったこともあるが、相手がチルドレンじゃ逆立ちしても勝てやしない。

 しかし、最近はこの声を聴きながらソレを想像するのが楽しくなってきた。

 

――俺はどこへ向かおうとしている?

 

――まぁいい。とにかく、今日も寝れるかどうかが問題だ。明日は仕事なんでな。

 

 

 ボブは板のように固くなった毛布を纏い、ボロパイプに支えられたベッドで横になった。

 

 

 

――んひぃっ! そこ、あぁッ!

 

――えいえいっ これどう?

 

――ん゛ぎっ おぉ゛ッ!

 

――ぴくぴくしちゃっておもしろ~い☆ 子供に哭かされて恥ずかしくないの?

 

――き、貴様ッ! その減らず口を閉じぃぃ゛ぃ゛ッ!?

 

――あは☆ すっかりメスになっちゃったねぇ~

 

――ふざけるな! 僕はお゛と゛こ゛ッ゛

 

――体は堕ちても心は堕ちないって奴? 面白いね☆ ほ~らほ~ら

 

――あぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッ゛!

 

 

 

 





Isomerization

・保脇くん
精神崩壊していればまだマシな未来だったかもしれない





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Safe→?


今が全部じゃない、何度だって生まれ変わるの




 

「心配するな。私にも、死ぬ時が来ただけだ」

 

 

 

 陽光も月光も差し込まない地下室は、カチカチと音を立てる時計によって夜が証明されていた。

 

 菫は自分のベッドに誰かがモゾモゾと侵入してきたのを感じ、タオルケットを捲る。

 

「えへへ、来ちゃった☆」

 

 すると蛇のような巻き付き方をするアルが伸し掛かっていた。

 冷めた瞳で少女を見つめる。

 

「呼んでないぞ」

 

「先生ぇのゲームにこんなのがあったし、好きかなぁ~って思ったんだけど?」

 

「君だと欠片も胸がときめかないな」

 

「えぇ~、残念☆」

 

「それより暑苦しいから降りてくれないか。というか自分のベッドに帰れ」

 

 言いながら引きはがそうとするも、アルは両手で胴を抱えて抵抗した。

 

「やだ。先生ぇの匂い、もっと嗅ぎたい」

 

 それどころか額を押し付けて深呼吸を始める始末。

 温い体温と生暖かさが不快で菫は身をよじる。

 

「だいぶ気色悪い発言だぞ」

 

「気にする人間はいないからいーの」

 

「いるだろここにひとり」

 

「アタシの視界にはだーれもいないよ~」

 

 菫は天井を見上げた。

 溜息をつきたい気分だ。力を使ってまでそんな私にしがみつきたいか。

 やはりこのちびっこは面倒な性格をしている。

 

「人肌恋しいならそう言え」

 

「違うし」

 

 うつむいたままアルは答えた。

 

 そのまま時が過ぎる。

 

 根比べに負けたのはアルだった。

 

「先生ぇ。あの時のお願いは本当(ホント)にあれでよかったの?」

 

「何がだ?」

 

 アルは顔を上げ、探るような視線を向けた。

 いつもの調子に見える。

 

「患者の心配は先生ぇらしくて好きだけどさ~ぁ? アタシにあ~んなことやこ~んなことするチャンスだったんだよ~? 今からでも遅くないからぁ……やっちゃお?」

 

 挑発的にナイトウェアの胸元を揺らす。

 一方の菫は額に眉を寄せた。

 

「目に見える地雷を踏むわけがないだろうよ」

 

「む~、アタシが地雷だっての? 確かにファッションセンスは地雷系かもだけど、そこまでいうことないじゃん。碌な成果を報告してない先生ぇのためを思って言ったんだよ? せっかくアタシの秘密をひとつ解明したんだからさ、この調子でどんどん見つけちゃえばいいじゃん」

 

 唇を尖らせて抗議すると、菫はげんなりする。

 

「夜中に早口はやめろ…………確かにお前が別の自分と自意識を共有していることは驚異的だがな、それを報告して私に何の利益が上がるんだ。人力通信機だ凄いね、で終わると思うか? 私は思わん。そして面倒ごとがやって来た時、その被害に遭うのは私なんだよ。世界の趨勢に興味なんてないのに、巻き込まれるのはごめんさ」

 

「その論調だとアタシを捨てればよさそうだけど?」

 

 少女の視線に、如何にも短絡的だな、と菫は嘲笑する。

 

「残してしまったものは消えんから捨てても捨てなくても変わらん。大衆は面白い人間が見つかるとその周囲ごと嗅ぎまわるのが大好きな生物だからな。ここがこれ以上五月蠅くなれるのは困る」

 

「ふ~ん? そっかぁ……ふふ。先生ぇは功績よりアタシを取ってくれるんだね☆」

 

「都合のいい解釈をするな。だいたい、お前が最初から話していればこう面倒な考えをすることもなかったんだぞ」

 

 にやけた面を菫は小突いた。

 

「えへへ☆ お詫びにぃ……ひとつお願いを聞いてもいいよ~?」

 

「こいつ……終わらす気がないのか……」

 

 無限ループを察し、うんざりした菫は思いついたことを話す。

 

「ならばアル、君はミイラの経験はあるか?」

 

「ミイラ……? さすがにないよ~」

 

 当然か意外か、アルは否定し、菫は頷いた。

 

「奇遇だな。私も作ったことがないんでね、里見くんをミイラにする前に経験を積んでおきたいと思っていたところだったのさ」

 

「むぅ……蓮太郎くんの練習台っていうのが気に食わないんだけど」頬が膨らむ。

 

「おや? ミイラ自体はいいのかな?」

 

 虚を突かれたような表情になる菫だが、その理由に呆れることになる。

 

「ミイラってあれでしょ? 鼻から棒を突っ込んで脳みそをぐちゅぐちゅほじくり出すっていう。先生ぇがやってくれるならすっごく気持ちよさそうだしいいかなって☆ それにぃ、アタシが先生ぇの部屋にずっと残るんでしょ? ずっと見ていられるじゃん」

 

「それは金と防腐技術の問題があったからだ。今だと脳は特殊液で溶かす方法になるし、飽きたら捨てるから君のお望み通りにはいかん」

 

「え~、そんなぁ。…………でも脳が溶ける……それはそれで気持ちいいかも」

 

「……提案したのは私だが、いざ乗り気になられると気持ち悪いな」

 

「あは☆ 先生ぇは生きてる(いずれ死ぬ)アタシより死んでいる(死なない)アタシの方が好きなんでしょ? だったら叶えてあげるのが相棒()のやくめだよ」

 

 一瞬、脳裏に過ったIF.(たられば)を菫は首を振って否定した。

 

「……勝手に娘を気取るな。君は手がかかりすぎて話にならん」

 

「むぅ、まだそこまで行けないかぁ~」

 

「残念ながら一生無理だな」

 

 と、そこで菫は服の下でもぞもぞ動く腕を見つめた。

 いつの間にか背中にあった腕が移動している。

 

「……なぁ、アル。君の手癖が酷いのはもう知っている。気づかれないと思ったか?」

 

 真顔でアルが答えた。

 

「なにが? ただの寝る前のマッサージだよ。いつもしてるじゃん☆」

 

「今までビクビクやってたクセに開き直ったな。似非(エセ)科学を私に試そうとはいい度胸だとは思わんか?」

 

「でもぉ、先生ぇのおっぱいはまだ大きくなるって!」

 

「答えになってないぞ。大体、20年もすれば朽ちる体になんの期待をしているんだ」

 

「わかってないなぁ、先生ぇ。肉体があるから……ふふっ、ヤれるんだよ☆」

 

 アルはどや顔でそう言った。

 菫は哀れみの目で少女を見る。

 

「脳が肉欲に支配されてしまったか」

 

「人生に活力を与えてくれる重要な要素(ファクター)だもん。なくせないよ!」

 

「私に縁のないものだな」

 

「エロゲやってるのにその発言は無理があるでしょ」

 

「エロゲでも10歳児はそこまであけっぴろじゃあないんだよ」

 

「アタシが淫乱ピンクだっての?」

 

「ほかにどんな言い方がある?」

 

「……先生ぇだけの淫乱ペット」

 

「悪化してどうする」

 

「ふふ、本当になってもいいんだよ? また首輪繋いでくれたら」

 

 光を失って恍惚とする表情に、菫は拒否反応が出た。

 

「やめやめろ。今以上に面倒くさくなるな」

 

「え~。枯れた先生ぇの生活をアタシと甘いコトして潤してあげようっていうのに」

 

「無用なお世話だ、マセガキめ」

 

 菫は緩んだアルの腕をはぎ取った。

 

「むぅ、でもそんな意地悪(いけず)な先生ぇも好き」

 

 手を握って上目使いで言うも、菫はそっけない態度を示す。

 

「そうだな、よかったな」

 

「うわ、棒読み……あ、そうだ。明日蓮太郎くんたちと遊びに行ってくるね?」

 

 菫はアルの頭を掴んだ。

 

「……おい、いい加減君は事前に家主(かいぬし)の許可くらい取りたまえよ」

 

「あっ、顔がいい……でも、ここって家じゃないよねぇ?」

 

「ほう、ならばなんだと?」

 

「アタシと先生ぇの愛の巣☆」

 

「託児所の間違いだろうが」即座の返事。

 

「うわ、ひどーい。せっせと小枝を集めて作ってるんだよ?」

 

「余計なものを持ってくるなと言っている。明日、ロリコンにその歪んだ性癖を直してもらったらどうだ?」

 

「それ先生ぇが言う? てか寝取らせ性癖あるの? 先生ぇが言うなら……アタシ、本当は嫌だけどちゃんと蓮太郎くんとシてくるよ?」

 

 わざとらしく涙を浮かべたアルに手刀が落ちる。

 

「あ(いた)っ」

 

「言いがかりはやめろ。必要ないし、蓮太郎が警察の世話になる以外の旨味がないだろ」

 

 アルは鋭い視線を向けた。

 

「……また蓮太郎って言った」

 

「言い方など私の勝手だろうに」

 

「むぅ……まだアタシより蓮太郎くんが大事なんだ」

 

「10年近い付き合いだからな。君とは文字通り時間が違う、当たり前だ」

 

「ふぅん……なら時間と密度を両立して見せるし」

 

「出来るとでも?」

 

 その言葉に対抗心を燃やしたのか、アルは膝立ちで両手を菫の頭の横に置いた。

 スミレ色の瞳を上から見下ろして言う。

 

「出来る。アタシ、菫は絶対あきらめないから」

 

 赤い瞳に捉われながらも、涼しい顔して菫は答えた。

 

「その自信はどこから来るのやら。無駄骨にあとで嘆いても知らないぞ」

 

「大丈夫」

 

「そうか」

 

「うん」

 

 再び見つめ合う両者。

 それもやがてアルが頭を揺らし始めたことで終わる。

 

「……寝るぞ」

 

「うん……おやすみ」

 

 お休み、と返し、落ちてきた少女を抱き留めた。

 

 

 

 

 

 

 タワーの上。

 病衣に身を包む少女たちは眼下の半壊した街を見下ろしていた。

 ガストレアが街に侵入したことで人々はパニックに陥っている。

 戦火を広げまいと奮闘する民警のおかげで致命傷にはならないで済みそうだが、街の発展が遅れるのは言わずもがなであろう。

 

「見てよアシュリー、すっごい綺麗に燃えてる」

 

「そ~うだねぇ~」

 

「《ROFL(クソワロタ)》」

 

『リタちゃん、エイン君は?』

 

「あっち」

 

 思い思いに見つめる中、問われた少女は瓦礫の方を指さした。

 今もガストレアに踏み荒らされるその場所は、もはや人間の活動できる場所ではないだろう。

 

『う~ん。やっちゃったねぇ』

 

「《R.I.P.(オワタ)》」

 

「これからどうするー?」

 

 緋色の髪を揺らした少女が問いかけると、白髪の少女が答えた。

 

「ティナ(ねぇ)がジャパンに誘ってるし、行ってみる? 結構楽しいみたいよ」

 

 今度は金髪の少女が意見する。

 

「せっかくだし、ちょっと羽伸ばしてから行きたい。いい? セラ姉」

 

『まぁ、それでいいんじゃない?』

 

「じゃあ、そうしよっか」

 

「《OK》」

 

 話がまとまったところで、そういえば、と緑髪の少女が言った。

 

「というかぁ~、姉さんはそこから出ないの~?」

 

 彼女の視線の先は、黒髪の子に抱えられた高さ30cmほどの円筒形の機械。

 液体で満たされたその中には少女の首が浮かんでいる。

 奇怪な技術により、その機械からは音声が流れていた。

 

『これだとみんながお世話してくれるからね~。出たくないよぉ』

 

「うわぁ、ダメダメセラ姉だ」

 

「《www》」

 

「そう言うならお世話するだけだけどぉ~」

 

「姉さんがいいならいい。それじゃあ行こう」

 

「終末旅行ってやつだよね。僕は楽しみだなぁ~」

 

「《Let's go》」

 

「はぁぃ」

 

『無限の彼方へさぁ行こう~』

 

 空に一条、流れ星が降った。

 

 

 





・エインくん
R.I.P.

余談だけど、影胤がクトゥルフのアクセサリーを持ってるってことは
ラヴクラフト氏が居たわけなんだよな



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×××Connection


里見君、依頼の確認よ。
依頼主は室戸先生のところのアルちゃん。
なんでも農家の人のお手伝いをして欲しいんですって。
いつ農家の人と知り合ったかはわからないけど、とりあえず報酬としてお金と農家の人からもらえる食材が提示されているわ。
これはもやし生活から抜け出すチャンスよ。
だいたい、もっと里見君がビシバシ私のために働かないのが悪いと思わないかしら?
ティナちゃんも事務所に入ったことだし、里見君にはこれから馬車馬の如く働いてもらうからね!
また下請けみたいなことになっちゃって悪いけど、今回は身元が分かってるから大丈夫よ。
頑張って頂戴ね。



 

 時刻は昼。

 電車に揺られる蓮太郎は出発前、木更に言われた言葉を反芻していた。

 

 ティナが――おそらく他国の技術を知りたがった研究者から守るべく――聖天子預かりになったのは1週間も前のこと。無事彼女は蓮太郎の元へやってきて――社長権限を濫用した木更によって事務所の職員となっていた。今は木更と事務所で待機しているはず。

 

 これまでの間にいろいろあったものの、結局あの機械化兵士から情報は得られず仕舞いだ。せいぜいがバラニウム義肢の残骸程度。

 ティナにも事情聴取が行われたが、彼女が語ったことは末端の人間である蓮太郎まで降りて来ることはなかった。結局、誰がティナを東京エリアに送り込んだのだろうか。

 菫も何か知っているように見えたが、話してくれそうにない。

 

 また未織は本気で蓮太郎のことを広告塔として利用しようとしているみたいだ。というか抱き着いてきたものだからまた木更と一戦交えている。

 

 なんにせよ、この件に関して聖天子には感謝すべきところもある。

 暗殺騒ぎもそうだが、内部のかなり中枢から離反者が出たことで聖居はてんてこ舞いの最中だろう。帰って来た菊之丞が声を荒げたとも聞く。そんな中で対応してくれたのだ。

 彼女曰く「功労者には相応の便宜を図るべきです。確かに今回の会談は理想とはいきませんでしたが、斉武大統領と正面から向き合えたのは貴方のおかげです」だと。本当に気に入られたのだろうか。しかしどうも自分の疑り深い部分が発言の裏を探ろうとしてしまう。

 主に面倒ごとに巻き込まれる方向で。

 今回は延珠が無事だったからいいものの、彼女の身に何かがあったらと思うと正気を保っていられる自信がない――。

 今でも彼女たちを戦わせることに迷いがある。しかしその迷いを振り切るにはもっと自分が強くならねばならない。

 そうだ、もう迷っている場合ではないのだろう。聖天子が言っていたことが真実ならかつての戦乱か、それ以上がこれからやってくるはずだ。その時に戸惑えば――今度こそ失いかねない。それは断固として許容できない。絶対に。

 聖天子から護衛とリンクス撃退を功績としてIP序列を上げる提案を受けるべきだろうか。

 

「れんたろー、もうすぐ着くぞ?」

 

「ああ、ありがとう延珠」

 

 隣で笑う少女の頭を撫でれば、向日葵のような笑顔を向けてくれた。

 携帯を閉じて立ち上がる。

 

 

 

「やっほ~☆ 蓮太郎くん、延珠ちゃん。遅かったねぇ」

 

 集合地点は駅からバスを使って30分ほどの住宅街から少し離れた場所だった。

 すでにアルが居り、手を振ってくる。

 返事をしてから、蓮太郎は彼女の隣に髪を編んだ少女と長身の女性も帯同していることに気が付いた。

 同時に、蓮太郎と延珠は少女に見覚えがある。お互い見合わせ、これが夢でないと確かめてから声をかける。

 

「お主、息災であったか!」

 

「千寿夏世……だよな?」

 

「はい、お久しぶりです。蓮太郎さん、延珠さん」

 

 夏世は感情の読めない表情で笑うという器用をする。

 

 延珠が手を掴んで上下に振っているのを見て、蓮太郎は当時の気がかりのひとつが取れたことに胸を撫でおろし、同時に罪悪感が湧いてきたのを感じた。

 後ろ首をかいてしまう。

 

「よく無事だったな……その……あん時は助かったよ。そんで悪かった。お前らの事情も考えるべきだったな」

 

「いえ。私はあの場の最善手を選んだだけです。それに……私から見ても将監さんは不器用でしたから」

 

「やっぱり、アイツは……」

 

「……はい」

 

 夏世が目線を落とし、肩を震わせているのを見て蓮太郎は将監が結局助からなかったのだと察した。

 同時に疑問が浮かぶ。

 

「なぜここに?」

 

「アタシと夏世ちゃんが昔なじみだからだね~」

 

 話に入って来たアルに顔を向ける。

 

「……アル。どういうことだ?」

 

「ふふふ。蓮太郎くんをびっくりさせてあげようと呼んだの☆」

 

「アルちゃんとはIISOに居たころの知り合いなんですよ」

 

「もしや、今日は一緒に行動するのか?」

 

 延珠の問いにアルが頷く。

 

「そう、か。つまり民警、続けてたのか」

 

 蓮太郎は頭脳に優れる彼女ならまた別の生き方もあったのではないか――そう思うも、現在の世界で子供たちが民警以外のまともな職に就けると言えないのも事実だった。

 

 深刻そうな雰囲気に、アルは夏世の腰を抱いて茶々を入れた。

 

「なになに、蓮太郎くん。行く当てなかったら俺のハーレムに入れてやるぜグヘヘ、とか思ってたの~? でも残念、夏世ちゃんはあげないから☆」

 

「誰がそんなこというか!」

 

 突っ込みを入れながら、蓮太郎はアルが菫と同類だということを思い出す。

 しかし驚くべきは、夏世まで顔を赤らめて乗って来たことだろう。

 

「そんな、蓮太郎さん……あの夜(未踏査領域で)、情熱的に私を押し倒したのに……」

 

 おい馬鹿、そんなこと言ったら!

 蓮太郎の懸念は正しく、延珠が過剰反応する。

 

「お、押し倒しただと!? れ、蓮太郎、お主その女と何をしていたのだ!」

 

「お、おい、違わねぇけど違うんだよ!」

 

「違わない!? 違わないのか蓮太郎! ならば今すぐ妾も押し倒せ、それで許してやるのだ。さぁ!」

 

 両手を広げて待ちわびる延珠を宥めていれば、クスクスと笑い声が夏世から届く。

 

「おい……わかっててふざけないでくれよ」

 

「ふふ、すみません。でも、これくらいお返しはしてあげようと思いまして」

 

「お返しっておい……」悪意じゃねぇか。と蓮太郎は嘆く。

 

「変わらず仲がよろしいようで安心しました」

 

「……まぁな。それより、民警続けてるんだろ。その女が相棒(プロモーター)か?」

 

「はい。将監さんの妹さんとペアを組んでいるんです。紹介します、ショーコさんです」

 

 水を向けられた先に目を向ければ、なんとも言えない表情で立っている、ダークグレーの肩だし(ノースリーブ)ハイレグ・サマ―ニットに前面の布がないスカートというやや過激な出で立ちの長身女性。

 

「……おう」

 

 首にドクロスカーフを巻いているのを見ると、会ったのは数回だが確かに彼の面影を見られる。特に目つきの悪さが。MK-ⅳジブラルタル(バスタードソード)もあれば完璧だろう。

 蓮太郎としては彼にいい思い出はないが、妹だというならあえて目くじらを立てることもない。無難に挨拶をする。

 

「その、まぁ……よろしく」

 

「ああ……」

 

 しかしショーコが気のない返事をした瞬間、「んひぃっ!」という艶めかしい声が彼女の口から飛び出した。

 思わず蓮太郎も背が伸びてしまう。高校生には刺激が強い。

 蓮太郎からは見えないが、背後から夏世の手がショーコの臀部に伸びている。

 そのまま、夏世は隣で蠱惑的な声を出した。

 

ダメですよ、ショーコさん。教えましたよね?

 

 ショーコはぷるぷると何かに悶えるような仕草をした(のち)、俯きがちに声を絞り出す。

 

「…………よろしく、お願いします」

 

「お、おう……」

 

 蓮太郎は戸惑いの声をあげるほかない。

 よくできましたね、と褒める夏世に悪女の雰囲気が混ざっているように見えた。

 

 お前、そんなキャラだったか……?

 

 しかし困惑しながらも健全な高校生の蓮太郎は強調された果実に目を向けてしまう。

 そしてそれを目敏く見つけるのが延珠である。

 

「むぅ……蓮太郎、またおっぱいに目を奪われてはおるまいな?」

 

「う、奪われてねぇし」

 

 慌てて言い訳するも、時すでに時間切れ。

 閻魔の審判は逃れられまい。

 

「嘘だな。いやらしい目で見ておったぞ。そんなに触りたいなら妾のを触ればよいというに!」

 

「誰が触るか年齢制限を考えろ!」

 

「そんなもの、妾たちの愛でどうとでもなる!」

 

「ならねぇから法律なんだろ……ッ」

 

「ええい、ならば無理やりにでも触らせてやる!」

 

 自身のソレに誘導したい延珠と触るわけにはいかない蓮太郎の抵抗が始まった。

 しかし力は蓮太郎に不利。故に応援を頼むことになる。

 

「なぁ、お前らも笑ってないで延珠を止めてくれ!」

 

「正直、これを見ていたい私もいます」

 

「…………くだらねぇ

 

「アタシもそうだけど、話進まなくなっちゃうからね☆ 延珠ちゃん、今度蓮太郎くんを悩殺する水着、一緒に買いに行ってあげるから、今は我慢しよっ?」

 

 蓮太郎を悩殺、というワードに延珠の耳が反応した。

 

「本当か?」

 

「ほんとほんと☆」

 

 延珠は力を弱め、思案した。

 

「……なるほど、機は別にあるということだな」

 

 蓮太郎の手が解放される。

 

「……なんでもう疲れてんだ俺」

 

若妻(延珠ちゃん)の横でアタシたちのオンナに色目使うからだよ~」

 

「使ってねぇしどういうことだよ……」

 

 どこからツッコミを入れればいいんだ。

 10歳児から普通でない言葉に蓮太郎は脳がバグりそうだった。

 

 

 

 それから一行はアルの案内で足を進めた。

 細い道に入り斜面を登れば、庭園のような場所にたどり着く。

 病院が立ちそうなくらいの敷地には、ビニールハウスや田畑が広がっていた。

 

「おじちゃ~ん、来たよ~」と声をあげれば、建物から初老の男性が杖を突いて出てくる。

 

「おや、いらっしゃい。……後ろの方々は?」

 

「おじちゃんが言ってた人手って奴☆」

 

「こんにちは、三ヶ島ロイヤルガーダーの者です」

 

「おお、これは丁寧に……ありがとうねぇ」

 

 夏世が名刺を出して頭を下げれば、男性も受け取ってお辞儀で返す。

 

「……天童民間警備会社の(モン)だ」

 

 男性は蓮太郎の言葉を聞くと、おや、と言った。

 

「もしかして、聖天子様の護衛をしていた人かい?」

 

「ああ、まぁ……」

 

「うむ、如何にも蓮太郎と妾が聖天子様の護衛をしておったぞ!」

 

 歯切れの悪い蓮太郎に対し、延珠は胸を張った。

 老人は記憶を探る仕草をし、思い出す。

 

「蓮太郎……ああ、里見蓮太郎くんだね。いやぁ、ありがとうねぇ。聖天子様が狙われたと聞いた時は生きた心地がしなくてねぇ。今もご存命であられてよかったと思っていたところなんだよ。まさかこんな若い子が大任を果たしたとは思わなかったけどねぇ」

 

「は……はは」

 

 物腰の低い年上の人間から感謝され、さらに手まで握られた蓮太郎はなんと返せばよいかわからず、あいまいな笑いで返した。

 なんだか、直接褒められるというのはこそばゆい。

 固まった蓮太郎に代わり、アルが話を引き継ぐ。

 

「おじちゃん、お話もいいけど先にお仕事を済ませておいた方がいいかも☆」

 

「ああ、そうだねぇ。そうしようか」

 

 老人が語るに、仕事とは最近足腰が悪くなったので収穫を手伝って欲しいとのことだった。

 そしてそれは蓮太郎たちにとって大した苦に……なった。

 特に蓮太郎は農業初心者ともあって収穫の仕方に混乱があったのだ。これは単に収穫すればよいというわけではなく、商品として最低限の見栄えも要求されるため。それでも老人に話を聞き、逆に手伝いを受け、ぎっくり腰になりかけながらもなんとかやっていたのだ。

 一方、子供たちはフィジカルのごり押しでなんとかしていた。ずるい。

「でっか」「蓮太郎! これすっごい柔らかいぞ!」「こっちは2つくっついてますね」

 ふざけていないよな?

 蓮太郎は対照的に黙々と作業するショーコを見ながら思った。

 兎角、結果として夕方には目標分の収穫を終えることが出来たのである。

 それから聖天子の熱心なファンらしい老人の、聖天子が先代にそっくりだのという思い出話を聞き、やがて帰る時間がやってきた。

 

「いやぁ、今日はありがとうねぇ。本当に助かったよ」

 

 老人は感謝として、一行(いっこう)に大きな段ボール1つ分の夏野菜をくれた。

 これに喜んだのは延珠である。

 その量に蓮太郎もおっかなびっくり。

 

「れ、蓮太郎! すごい量のお野菜がははは、入ってるぞ!」

 

「そ、そうだな……こんなに貰っちまっていいのか?」

 

「いいのいいの、若者への感謝と老骨の話に付き合ってくれお礼だとも」

 

「それなら……ありがたいけどよ」

 

 ふと、夏世たちを見る。

 

「お前らはいいのか?」

 

「私たち、そこまで困窮してはいませんので」

 

「同じく☆」

 

「そ、そうか……」

 

 なんだか悪い気分になりつつ、老人に別れの挨拶をしてから帰路に向かう。

 

 その道中。

 

「腰がいてぇ……」

 

「どうした蓮太郎、おんぶしてやろうか?」

 

「いらん……さすがに屈辱的すぎるだろ」

 

 「ちぇー」と不貞腐れる延珠を無視し、蓮太郎は夏世の横で歩くアルに目を向けた。

 

「なぁ、どうして俺たちを誘ったんだ? あの仕事、民警でなくてもできんだろ」

 

 声をかければ、顔を向けてう~ん、と喉を鳴らしてから言う。

 

「そうはいうけどさ、民警でもああいう何でも屋みたいなことするんだよ。特に戦いたくない人とかは」

 

「……戦いたくないのに何で民警になったんだよ」

 

「らしくない言い方するね☆ 決まってるじゃん、守りたい人がいるからでしょ」

 

 ハッとして延珠を見ると同時、理解した。

 抑制薬を貰いながら子供たちを安全に育てるには民警という肩書が一番堅い。

 さすがにエリアの危機ともなれば動員されるだろうが、そんなこと滅多にないだろう。

 つまり、試験さえ突破する実力があるならそれ以降は個人に任せられるのだ。

 相棒との関係は千差万別。正直、盲点だった。

 

「そういう道もあるのか」

 

「そそ。知り合いに民警と会社員を両立してるおにーさんがいるんだよね。実はあのおじちゃんはそのおにーさんから紹介してもらったの」

 

「へぇ……会社員ってよく副業が許可されたな」

 

「『副業・兼業のモデル就業規則』67条その2で例外扱いされていますよ」夏世の言。

 

「相変わらずなんでそんなこと知ってんだか……」

 

 パラベラム(戦に備えよ)といい、蓮太郎はこの腹ペコだけじゃない少女の知識に驚きを覚える。

 

「夏世ちゃんは学習に勤勉だからね☆ ちなみに農業の手伝い、結構大事なんだよ」

 

「一次産業は産業の基本だからだろ? それは知ってる」

 

「そうだけど、東京エリアの食料事情、けっこうやばいんだよ☆」

 

 はて、と思う。

 

「ミラクルシードが外周区で育てられてるだろ?」

 

 小面積で大量生産可能な食料。現在の食事事情を支えているはず。

 

「あの味しない奴? それでも自給率は4割ってところかな☆」

 

「そんなに低かったのか?」

 

「東京の食料生産は多摩に頼ってたからねぇ。ちょっとの外周区で100万人を支えようってのが無理な話なんだよ」

 

 夏世が引き継ぐ。

 

「世界的に見ても雑穀地帯であったウクライナやアメリカが機能していないのはかなり厳しいと言えます。特に小麦や米はいつなくなるかわかりませんし、伴って牛や豚も希望は薄いです」

 

「でも、街には食べ物が普通に売っているぞ?」

 

 延珠の問いにアルが答える。

 

「それは東京エリアがバラニウムと優先的に交換してるからだよ。ぶっちゃけ自転車操業なんだよね☆ バラニウムを掘りつくしたら二重の意味で東京エリアは終わり。これが資源の呪いってやつかな?」

 

「そ、それはまずくはないか?」

 

「今すぐじゃないけどまずいよ~。だから農業してる人を労わろう~って話☆」

 

「そ、そうか……結婚後に食べ物がなくなっては仕方ないな、蓮太郎!」

 

「ナチュラルに結婚させんな」

 

 もともと東京エリアは敷地がさほど多くない。エネルギー問題は外周区の発電所でまかなえているが、食料に不安が残るのは……先行きが良くない。

 ふと、教科書に載っていた2022年の「飢饉の年」というのを思い出す。

 ガストレアが登場してインフラが破壊された翌年である2022年は食料の調達に酷く混乱したという。血で血を洗う……とまではいかないが、世界的に死者が激増した年だった。

 

「さてと。蓮太郎くんを誘った理由に戻るけど、ひもじい生活してる同情と、夏世ちゃんを紹介したかったのと、あとは蓮太郎くんのコネ伸ばしかな☆」

 

「……私利私欲混ざってんなオイ。で、コネ伸ばしってのはなんだよ」

 

「さっきも言ったけど、民警って実質便利屋じゃない? しかも地域密着型の」

 

「……まぁ、そんな気はしてるが」

 

 ここ数か月は例外が多くて忘れかけるが、民間警備会社といえど、本業のガストレア退治は突発的で、大半は市民や企業、国からの依頼を受けて生活することが多い。

 

「普通、民警って個人より企業が部署のひとつとして作るのがオーソドックスなわけだよね。なんでかわかる?」

 

 蓮太郎は思考を回す。

 

「従業員の数と……信頼度、か? 個人より集団の方が心理的抵抗も低いだろうし」

 

「当たらずとも遠からずだね。答えは横のつながりがあるからだよ」

 

「横のつながり?」

 

「そ。つまりコネだよ、コネクション」

 

「コネクションねぇ」

 

 あまりいい印象が湧かないのは政治が汚職だらけだからか。

 

「言っちゃ悪いけど、天童民間警備会社って全然コネないよね。というか避けられてるもん」

 

「……立地のせいだろ」

 

 キャバクラとゲイバーと同じビルにあればそうもなろう。

 もっとも、そこに拠点をなぜ構えたという話だが。

 

「原因はともかく、仕事が来ないんじゃ困るだろうから夏世ちゃんたちに会わせたんだよ?」

 

「なんで夏世が仕事に繋がるんだ」

 

「夏世ちゃん所属の三ヶ島ロイヤルガーダーは大きい会社だからね。いろんな依頼がおりてくるんだよ~」

 

「つまり下請けをしろと」先日の件のせいであまり良い印象がない。

 

「仕事は仕事でしょ。飢えて死んだら世話ないじゃん」

 

「そりゃそうだが……あんな大企業が俺らみたいな弱小に仕事をおろす訳……いや、そういうことか?」

 

 蓮太郎の考えを肯定するように夏世は頷く。

 

「私たちのメリットは英雄と関わりがあるというブランドですね」

 

「結局、肩書かよ」

 

「すねないでよ~。蓮太郎くんは仕事がもらえる。三ヶ島社は仕事が増える。双方win-winでいいじゃん。大企業との縁が大事ってのは司馬重工と繋がってる蓮太郎くんならわかってるはずだよね?」

 

「そりゃ、そうだけどよ」

 

「ね、延珠ちゃん。毎日食べ物に困らない方がいいよね?」

 

「うーむ……ジャガイモ生活には飽きてきたが、それでも蓮太郎と一緒になら妾はどっちでもよいぞ」

 

 悩む蓮太郎を差し置いて姑息な手を使うも、延珠は健気だった。

 

「延珠……」

 

「……わぉ。よかったねぇ、蓮太郎くん。愛されてる☆」

 

「妾の愛は天地鳴動だからな!」

 

「なんか間違えてるだろ」

 

 蓮太郎のツッコミを待って、夏世が言う。

 

「なんにせよ、傘下になれという話ではないのですし、今度仕事を受けてから判断するのも悪くはないと思いますよ」

 

「……まぁ、考えとくよ」

 

 どのみち決定権は社長たる木更が持っている。

 蓮太郎に出来るのは保留だった。

 それでも夏世はそれが聞ければ十分だったらしい。

 

「蓮太郎くんは権力者が嫌い……というか天童が連鎖して嫌いなんだろうけど、国家元首とのコネクションっていうのは君が思うより大事なんだからね」

 

「……面倒ごとを持ってくるから嫌いなだけだ」

 

「だとしてもだよ。それはみんなが喉から手が出るほど欲しい奴なの」

 

「ならタダでくれてやんよ」

 

「そういうことじゃなくてね……コネクションは結局使い手次第なんだって、覚えておいて。変な孤独主義を先生ぇから学ばなくてもよかったのに」

 

「んだよ、説教のつもりか?」

 

「蓮太郎くんより年上だからね☆」

 

 なんのジョークだよ。

 そう言いたかったが、妙な気迫に言葉が詰まった。

 

「君の好き嫌いで延珠ちゃんや木更ちゃん、ティナちゃんが不幸な目に遭ってからじゃ遅いから忠告してるの」

 

 見つめてきた赤い瞳は否定を許さない。

 

「……わぁってるよ」

 

「ならばよし☆ それで水着を買いに行く日程だけどね――」

 

 重要な話は終わったのか、直後に始まった水着の話に落差で風邪をひきそうだった。

 

 

 

 

 

 

 段ボールをひっさげて蓮太郎が事務所の扉を開くと、机で伸びていた木更の表情が喜色に染まった。

 

「蓮太郎くん……それ、もしかして」

 

「ああ、貰ったやつだけど」

 

 段ボールをテーブルに置けば、さっと近づいてきた木更が段ボールの名前を凝視する。

 

「すごいわ! これ、有澤グループの天然ものよ!」

 

「あそこ、そんなにすごいところだったのか」

 

「ええ、まさかこんな大御所が出てくるなんて……アタシも小さいころに食べたことあるけど、野菜なのにちゃんとお腹が膨れるくらいすごいのよ! これで少しはご飯のメニューが増えるわね……嬉しいわ。里見君、ありがとっ!」

 

「うおっ!?」

 

 まさか飛び込んでくるとは思っていなかった蓮太郎の無防備な頭を、豊満な胸部が強襲した。甘い匂いと弾力に思春期の脳みそが破壊されそうになる。

 

 途端、過剰反応した幼女共が混ざってきて、木更が慌てて「あっ、これは違くて……」と言い訳する前に蓮太郎から引きはがそうとしてきた。

 

「うわぁ! おっぱいに触るな蓮太郎! 煩悩退散!」

 

「蓮太郎さん……苦しみ(巨乳)から解き放ってあげます」

 

 それからはもうしっちゃかめっちゃかである。

 せっかく事務所が直ったのに。

 今日も今日とて、天童民間警備会社はいつも通りであった。

 どんぱち騒ぐ彼女たちを直視しまいと、関係ないことを思う。

 そういえばあいつ、輪っかなんて何時から被って……いや、本当に被ってたか?

 

 

 

 

「これで3本……延珠ちゃんはハーレム肯定派かな、否定派かなぁ。うまく蓮太郎くんの気を引けるといいね、ティナちゃん☆」

 

 






 ・アル
一も十も百も千も万が一、蓮太郎くんにとぅんくされたらいやだな~とか思ってたからひとりで会わせなかった独占欲の塊


どちかというとCEOかP7

投稿速度が足りない


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ブラックホーク・ダウン


俺がアルデバランで、こいつが六連星ってやつだ

ティナ周りを忘れたわけじゃないが、時計を進める





 暦の上では7月。

 夏場の夜ともなれば蒸し暑さに苦しめられるものだが、空の上はその限りではない。

 闇夜を切り裂く鋼の刃を踊らせながら、鋼鉄の夜鷹(ブラックホーク)は未踏査領域上空600メートルを飛行していた。

 

「なーんも見えなーい」

 

 民警、獅電(しでん)ヒメカは暗視装置を外し、ヘッドマイクにぼやいた。

 すぐさま反対側で地上に目を光らせている(イニシエーター)の叱咤が飛んでくる。

 

「当然。姉さんには見えない、私には見える」

 

「じゃなきゃ困る! ミカ頼りなんだよ、これ」

 

「もちろん。期待していい」

 

「よーしよし。まぁ、何も見つからない方がいいんだけど」

 

「言えてる」

 

 ドイツとオーストラリアで大絶滅が起きて以来、聖天子は外部――すなわち未踏査領域にも目を光らせるように指導していた。しかしすでに外周区の見回りを行っている自衛隊のキャパシティを越えるとの懸念から、一部地域を民警に委託する方式を取っている。

 報酬が割高なのは聖天子が本気で懸念しているからだろうか。

 なんにせよ、彼女らはその()()()()委託業務を受けた民警だった。

 

 人間の光受容体は本来逆さまになっている欠陥品だが、一部のイニシエーターはその限りにあらず。

 桿体が発達したモデル・ナイトホークの少女ミカは人間が活動不可能な夜間でも、力を解放している状態なら月明かりの反射で標的の動きを発見することが出来る。今回の夜間警戒にうってつけの人材だ。

 一方の(プロモーター)はただの人間。特殊な能力などないから内地側を見ている。

 

 彼女らがこの任務を始めて数週間。他の民警と入れ替わりで行っているが、現在までなんらかの異変を確認したペアはいなかった。むろん、飛行型ガストレアをドア付近に設置された機関銃でハチの巣にしたことは何度かある。

 

 しかし何が起こるかわからないのが未踏査領域。

 警戒をやめるわけにはいかないが、やや手持無沙汰になってきたヒメカはドアガンを構えつつ、妹にちらちらと目線を送る。

 髪はショートボブでくせっ毛がなく、目はタレ目で小動物っぽい。着ている迷彩服とブーツはミカが言い出したのでサイズ違いでお揃いだ。

 

「……何?」

 

「あ、ばれた?」

 

「当然。何か用?」

 

「いや、かわいいなぁって」

 

「む……集中して」

 

 褒めてやれば耳が赤くなる。かわいい。

 やはり守護(まも)らねば。

 

 ヒメカは再び外に視線を移した。

 視線の先には嫌でも目を引き寄せられるものがある。

 モノリス――横に1キロ、縦1.6キロ強の人類の最後の盾。

 闇の中でも黒光りする金属塊が屹立していた。

 確か、近いのは第32号モノリスだったか。一番若いモノリスだ。

 あんなものを人類はよく建てられたとヒメカは今でも思う。

 あれが、故郷にもあれば。

 詮無き事と知っていても考えてしまう。

 

 ヒメカは焼津から家族と東京に逃げてきたクチだ。家族仲は良かったと思っている。すくなくともガストレアが来るまでは。

 父が避難中にガストレアに殺されたことで母が精神的に不安定になった。それでも父の遺子がお腹に居たから保っていた正気は、生まれた子供が褐色の肌と赤目だったことで崩壊。母は発狂し、あろうことか赤子を殺そうとしたのである。

 妹が生まれた時、15歳にしてヒメカは思った。この子はなんとしても自分が守護(まも)らねばと。

 だから妹を母から引き離し、地獄のような東京エリアで9年ミカを育てたのだ。

 正直民警にならざるをえなかったのは悔いだが、大きな会社の庇護は必要なことだった。

 

 過去を思うと自分がママと名乗ってもいいとさえ思う。ただ、姉呼びが嬉しいので変えさせる気はない。本人もそれで納得しているし。

 

 気が付けば、ヘリは折り返し地点を過ぎていた。

 旋回し、帰還ルートに入る。

 思わず息を吐く。過度な緊張が呼吸を抑制していたのだ。

 

 旋回する過程で丁度、反対側に富士山が見える。

 モノリスの2倍もある標高はさすがの存在感で、ここから――――

 

「あれ?」

 

 ちょっと待て。

 

 ふと、違和感がヒメカの受容体を刺激した。

 富士山は確かに高い山だが、東京からあんな大きさで見れただろうか?

 やけに、大きいような気もする。

 双眼鏡タイプの暗視装置を覗いた。

 背筋に冷たい汗が流れる。

 

「な、なにあれ……」

 

 暗視装置の有効視界は250メートルほど。どう考えても見えるはずなんてないのに。

 闇の中、巨大なシルエットは、確かに存在した。

 鞭のような物を揺らめかせるそいつは、一体何者か。

 

「ねぇ、ミカ……」

 

「…………」

 

「ミカ?」

 

 違和感を共有しようと振り返ったが、相棒は地上を凝視したまま動かない。

 何か、イニシエーターの視力で見つけたのだろうか。

 その様子にヒメカの総身を嫌な予感が走り抜ける。

 慌ててミカの下に近寄れば、ヒメカは飛び掛からんばかりの勢いで押し倒される。

 

「ね、どうし――――」

 

 ヒメカは妹のあまりに必死そうな形相に言葉が詰まった。

 額と首から脂汗。目は最大限に開かれ、赤い瞳が揺れている。

 ヒメカは一瞬で理解した。

 あのシルエットと同等か、それ以上にやばいものを見つけたのだと。

 

「森田さん、左に曲がって」

 

「え?」

 

「早く!」

 

「お、おう!」

 

 いつもは声を荒げない少女の剣幕に驚いて、操縦主は言うとおりに機体を傾斜させる。

 瞬間、森田は地上で何か光るものが放たれたように見えた。

 ように、というのはその事実を認識したころには手遅れだったからだ。

 

 機体を激しい揺れが襲う。

 幸い、ヒメカはミカに抑えられていたため機外に放り出されることはなかった。

 しかしそれでも衝撃は並ではない。三半規管がシェイクされそうだ。

 

「……っ!」

 

「な、なんじゃとて!?」

 

「や、やられた! 操縦が効かない!」

 

「えぇ!?」

 

「メーデーメーデー! こちらアローヘッド2-2(ツーツー)! 被弾した! 繰り返す、被弾した! メーデーメーデー! こちら――――」

 

 操縦主は末期(まつご)の悲鳴とばかりに叫ぶ。

 警報器がけたたましいエラーを告げた。

 事実、光の槍、とでも言うべきものが機体後尾を破壊、機体の操縦を不可能にしていた。

 ヘリはきりもみ軌道を描きながら高度を下げていく。

 人間のヒメカは前後不覚に陥りながら叫んだ。

 

「森田さん、これどうにかなりそう!?」

 

「難しいが……やってみるさ!」

 

「そっか……!」

 

 操縦主は頑張ってくれている。

 しかしヒメカは直観的に助からないことを悟った。

 事実、状況が好転することはなく、そのまま機体は落下を続ける。

 あと十数秒もすれば地面のシミになるだろう。

 ただ、それでも。ヒメカはミカを強く抱き締めた。

 自分は死ぬだろうが、再生能力を持つ妹ならうまく自分がクッションになれば助かるかもしれない。そんな望みに賭ける。

 ミカと目が合った。

 

「大丈夫、私が守るから」

 

「……思いあがらないで」

 

 顔をくしゃくしゃにしながら意地なんて張る妹がかわいくて、微笑ましい。

 最後に見る景色がこれならまぁ、いいかな。

 そんなことを思っていたところ。

 操縦主が叫んだ。

 

「お嬢さんら、俺が足手纏いなんだろ。気にすんな、いけ!」

 

 それは、考えていたが口にはしなかったこと。

 妹以外の人間に興味ないヒメカだが、ミカはそうではない。

 少なくとも関わりがある人間は助けようとするタイプだ。

 さすがの彼女でも両手に大人を抱えて脱出するのは難しい。だから必然的に捨てることになるわけだが、性格的にそれは却下されるだろうから黙っていた。

 だが、それを相手から言い出した場合は話が違う。

 

「森田さん――――わかった」

 

 森田とミカの視線がぶつかる。

 その瞬きに過ぎない時間で、両者の行動は決まった。

 

 ベテラン操縦主は今まで培ってきた経験で操縦不能な機体をほんの一瞬、安定させた。

 すでに地上との距離は50mとなっている。

 眼下は異常な成長を遂げた森。このまま飛び降りたとして生存率は五分五分。さらに寄って来たガストレアに襲われるに違いない。それでも生存できるかどうかは――――そんなことはどうでもいい。やらなければ死ぬだけだ。

 ミカは腹を括った。

 

「ありがとう」

 

「おう」

 

 それだけを交わして、ミカはヒメカを抱いてヘリを飛び出す。

 束の間の重力からの解放。

 肩甲骨から伸びる翼モドキを広げ、ふたりは命綱のないバンジーに身を捧げた。

 

 直後、静かな森に花火が瞬いた。

 

 目覚めた森が、外界の異物に牙を剥く。

 

 

 

 

 

 

「確かなのですね?」

 

「は、はい、間違いないかと」

 

 聖天子の問いに分析官が震える声で答える。

 東京エリア第一区、聖居地下シェルターのJNSC・司令室。

 楕円形のテーブルに官僚たちが揃っていた。

 しかし彼らは正気を保てている自信がなかった。幾人かは狂気に飲まれてすらいる。

 

「こんなの、出鱈目だ! もう一度計算しろ!」「何回もやった! それでこれなんだよ!」「もうだめだ、おしまいだ……」

 

 唯一、聖天子の隣に控えた天童菊之丞だけが鋭い眼光を保っていた。

 

「アルデバランのみならず……長距離狙撃能力を持つガストレアですか」

 

 動揺を悟られぬよう、シルクの白い手袋で口元を隠しながら聖天子はつぶやいた。

 司令室正面のパネルには巨大なガストレアと液体が付着したモノリスが映っている。

 隣のパネルに写る衛星の拡大写真では、液体が付着した箇所からモノリスが白化(無力化)されていくのが確認できる。

 ステージⅣ、アルデバランのバラニウム浸食液。それを弾丸にして飛ばす? それが複数体? これが悪夢でないならなんだというのか。どういう進化を遂げたらそんなことが出来るようになる?

 このままでは遠からず、モノリスが倒壊してガストレアがなだれ込んでくるだろう。確認できるだけで2000体以上だ。そうなれば東京エリアはおしまいである。

 しかも、崩れるモノリスが()()()()()()()いい方だ。

 始まりは民警の偵察部隊が未踏査領域で行方不明になったことだ。その後無人偵察機が撃墜されたことで異変が発覚した。

 幸い、早期発見が出来たのは行幸だろう。すべてはここからの行動に懸かっている。

 

「聖天子様」

 

 菊之丞がしかつめらしい表情を向けてきた。

 

「わかっています……」

 

 聖天子は息を吸い込む。

 その場の全員が聖天子に視線を集めていた。

 彼女は胸を張り、凛と顔を立てる。

 

「みなさん。こんな時だからこそ我々が秩序を失ってはいけないのです。首都機能の麻痺と無政府状態だけは避けねばなりません。記者クラブに協力を要請してください。事情は説明して構いません。菊之丞さん、地下シェルターの収容可能率はいかほどですか」

 

「30パーセントほどかと」

 

 菊之丞の言葉に頷く。

 

「構いません。選出システムの構築をお願いします」

 

「御意に」

 

 たまらず官房長官が口を挟む。

 

「しぇ、シェルターよりも航空機で他エリアに脱出させるべきでは」

 

「無駄だな。悪戯に空港に混乱を呼び込むだけのことよ」

 

 菊之丞は提案を一蹴した。

 

「な、ならどうすれば……」

 

「戦うのです」

 

 官房長官がハッとした表情になる。

 

「我々は戦わなければなりません。座して危機が去るのを待つわけにはいかないのです」

 

「聖天子様……」

 

「現時刻をもって、未知のガストレアをプレアデス型と呼称し最優先撃破目標に設定。自衛隊に32号モノリス周辺への集結命令を発令します」

 

「……もはや、手段を選んではおられなんだか。私からも民警に声をかけておきましょう。この際私情は挟みません」

 

「ありがとうございます、菊之丞さん」

 

 国家(エリア)の危機には菊之丞とて()()()()をしないようだった。

 

「同時に、代替モノリスの建造に着手してください。時間との勝負になります。プレアデス型が夜にしか活動しない理由は不明ですが、この機を逃してはなりません。これは過去と同等か、それ以上の苦難となりましょう。しかし膝を屈するわけにはいかないのです」

 

 聖天子はこの場の全員を見渡した。

 皆、完全とは言わずとも覚悟が決まった顔をしている。

 

「守りましょう。我々の背にある東京エリア100万の命を」

 

 

 





原作描写はともかく、アニメ描写はどう考えても一体じゃない。難易度がおかしいことになった。



・浸食率
延珠 42.1%
夏世 34.0%
アル 16.2%


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トリカブト


2話同時更新。こっちは2個目
なんか静かですね




 

 

 

「東京エリアが壊滅する、ねぇ……」

 

「な、なんだってー!?」

 

「白々しいからやめろ」

 

「あは☆ それにしても、興味なさそうだね? 先生ぇ」

 

「あんなものを真っ先に渡されたらそうもなる」

 

 大学病院の地下室。

 椅子に腰かける菫はパソコンを操りながら不快感を隠さないで答えた。

 その床には破かれた紙が落ちている。

 いわゆる、地下シェルターの抽選券。抽選と謳いながら指名制とはこれいかに。

 この部屋にはつい先ほどまで政府の役人がいた。

 しかし菫のけんもほろろな態度に意気消沈。退出していったのだ。

 

「『世界最高峰の頭脳が今失われては人類の多大な損失に繋がる』だとか、私がそんなセリフで動くと思っていたのかね」

 

「動いてもらわなきゃ困るから来たんでしょ~」

 

 菫は鼻で笑う。

 

「はっ、未完成のシェルターに何の希望を持てというんだ? 君は『ミスト』を見たばかりだろう。閉鎖空間の立て籠りはたいてい宗教的で頭のおかしな人間が台頭してくるものさ。『人々よ、悔い改めよ!』とな。そんなところ、私が行きたいと思うか?」

 

「辛辣~。さすが不動卿☆」

 

「先見の明と言え。それと変な渾名(あだな)を付けるな」

 

「先生ぇみたいな出不精にはお似合いだよ☆ アタシの誘いも断るし」

 

 菫は顔だけ振り向き、半眼のまま手を振って否定する。

 

「何が悲しくてプールなんていう、人間の悪性を詰め込んだ場所に行かなければならない? 里見くんを悶絶させる方がまだ幾分かの楽しみの余地があるね」

 

「その蓮太郎くんが幼女に詰め寄られて慌てふためく姿が見れるかもしれないよ?」

 

「見るだけならカメラで十分だとも」

 

 菫にとって盗撮は些細なことなのだろうか。

 アルは「つれないな~」と唇を尖らせ、ゴミとなった抽選券を拾う。

 

抽選券(これ)、破いちゃったのはもったいないなぁ。どうせならネットオークションに出したかったね~。というか今からでも遅くないかな?」

 

 非難するような瞳がアルを貫いた。

 

「それ、何が起こるか分かっているんだろうな?」

 

「もちろん☆ 誰が獲得しても住所を特定して血で血を洗う争奪戦が始まるね~」

 

「同感だが……随分悪趣味だな、君は」

 

「そこは『人類は愚かだな』じゃないんだ?」

 

「君も含めてというなら大いに納得だがね」

 

「ひど~い☆」

 

 頬を膨らませての抗議は黙殺される。

 

「それより、里見くんが教師なんて面白いことをしてるそうじゃないか。行ってみたんだろ? どうだったね」

 

 関心ごとが移ったのか、菫は愉快そうに表情を歪めて問うた。

 不満を残しながらも顎に手を当ててアルが答える。

 

「ん~、木更ちゃんが居たから内容自体はまともだったかな☆」

 

 ほう、と菫は感心の息を零した。

 

「面倒見の良さは変わらずか。子供の無意味な言動にいちいち気を配ってそうだ」

 

「無意味ってわけじゃないと思うけどね~」

 

「理性より感情を優先し、合理性を欠いた行動を無意味と言わずなんという?」

 

「でも先生ぇ、そういうの好きでしょ?」

 

「それは砂漠で砂はどこだと言うような問いだよ」

 

 アルは「そうだね~(よくわからん)」と相槌を打つ。

 

「それと延珠ちゃん考案でC.O(カウンターおっぱい)とかいうのを作ったんだけど、皆が入ってくれれば蓮太郎くんの包囲網が出来そうかな。今後が楽しみ☆」

 

「20人だかに追われる里見くんか。いっそ哀れだが、それが彼の望みだから仕方ないな」

 

「そだね~。ふふ、仕方ない仕方ない……」

 

 ふと、ニコニコ笑っていたアルの表情がすっと消える。

 

「というか、なんでアタシが蓮太郎くんの話をしなきゃいけないワケ?」

 

「急に真顔になるな。情緒不安定か君は」

 

 菫に言われて、笑顔のコピー&ペーストを行う。

 

「あは☆ それよりぃ、アタシは先生ぇと保健体育の授業がしたいな~?」

 

 唇を人差し指でなぞりながら猫なで声を出す露骨さに、菫は溜息をついた。

 

「年中発情するんじゃないよ」

 

「先生ぇ限定だから大丈夫☆」

 

「どこにも大丈夫とする根拠がないぞ」

 

 菫は視線をパソコンに戻し、マウスを動かす。

 内蔵スピーカーから喜悦の声が聞こえてきた。

 空のケースを見れば『お兄ちゃんの×××になんて負けない~生意気妹の調教日記~』なんて書いてある。

 アルは目を細めた。

 

「へぇ~? ふぅ~ん。口ではそんなこと言ってるけどぉ……先生ぇ、アタシを調教したいとか思ってたんだ? きゃっ☆」

 

「ほんと自意識過剰な奴だな……」

 

 呆れを声にする菫だが、数秒考え込むような仕草を見せた。

 

「いや……そろそろ君にも教育が必要か?」

 

「え、ほんと? やった☆」

 

 小躍りするアルに、視線を合わせて菫は言い放つ。

 

「ああ、そうとも――――こっちに来い

 

「っ!」

 

 威圧するような低い声に、アルの総身がぶるりと震えた。

 瞳から静かな毒が回り始めたような錯覚。無いはずの首輪が繋がっている。

 瞳孔が散大し、呼吸が荒くなり、がくがくと膝が笑って体の自由が利かなくなる。

 彼女に従わなければ。脳が叫んだ。いつものように。

 

はい……

 

 ふらふらと菫の下に彷徨えば、腕を捕まれ横抱きにされる。

 そのまま口を割り開き、舌を強引に掴まれた。

 痛いはずなのに妙な心地良さが脳を狂わす。

 

「生意気なことを言うのはコレか。今すぐ引っこ抜いてやってもいいんだぞ?」

 

ぁぇ……

 

 人体の構造上、舌を掴まれてはうめき声しか出せない。

 しかしそんなことが気にならないほど、至近距離で死人のような(トリカブト)に見つめられ、アルは魂が落ちていくような感覚に支配された。

 

「君のことだからまた生えてくるだろう? 舌のホルマリン漬けはまだ作ったことがなくてね。試してみようかと……おいおい、なんてだらしない表情をしているんだ」

 

んぁ……

 

 発情した雌猫のような顔を、菫は蔑んだ。

 蔑まれたのにも関わらず、アルの脈拍はどんどん早くなる。

 

しぇんしぇ……

 

 媚びるような視線と声で続きをアルが促したとき。

 重低音を響かせて悪魔の扉が開いた。

 

「失礼する。室戸医師、蓮太郎が――――む、取り込み中だったか」

 

「はわ、はわわわ……」

 

 入室してきたのはコートを着た長身男性と、とんがり帽子を被った少女。

 男性は目元のバイザーを掴み、少女は帽子のツバで目を隠した。

 

 はた目から見て、アルたちは倒錯的に絡み合っているように見えたらしい。

 

「おや、彰磨(しょうま)くんじゃないか。久しぶりだねぇ」

 

 しかし菫は全く気にせず、アルの舌を弄びながら悠長に答えた。

 アルの方は現実が認識できてないのか、ぼんやりと快楽に流されている。

 

「ああ。()()は……いいのか?」

 

「別に構わないよ。要件を聞こうじゃないか」

 

 若干困惑しつつ、彰磨――薙沢(なぎさわ)彰磨はもう一度口を開いた。

 

「蓮太郎を探している。こちらに来ていないか」

 

「いいや、今日はまだ来てないねぇ。けどせっかく来たんだ、何か飲んでいくかい?」

 

「……いや、遠慮しておこう。行くぞ(みどり)

 

「はわ、はわわ……は、はい……」

 

 菫が相席を勧めるも、彰磨は翠という少女と共に部屋を立ち去って行った。

 

「ふぅん。相変わらずだねぇ」

 

 菫は残念そうに肩を落とす。

 すると、そこでようやくアルの脳みそがマトモな思考を再開した。

 

「ふぇ?」

 

 興奮がさっと冷めていき、ないはずの羞恥心がふつふつと湧き上がってくる。

 

「おや、まだ起きていいとは言ってないが」

 

「わ、わ、わ」

 

 言語か怪しい声を零しながら、慌てて菫の拘束から抜け出した。

 

「ふっ……なんて顔してるんだい、君は」

 

「……っ! か、揶揄ったね!?」

 

 燃えるような顔色に変わるのがわかった。

 口から伸びた銀の糸をシャツの袖で拭う。

 責めるような視線を向けるが、当の菫は涼しい顔だ。

 

「はははっ。君がチョロ過ぎるんだよ」

 

「ちょ、チョロくないし!」

 

「たった一言でメス顔晒してそのセリフは無理があるな」

 

「メス顔晒してないが? アタシはつよつよだが?」

 

「ふぅん?」菫は訝しむような視線を向けた。

 

「ぅ……ま、まぁ先生ぇ限定なら、いいかな☆」

 

 顔の前にダブルピースを持って来て、アルはいつもの笑みを浮かべる。

 

「取り繕っても遅いぞ。だから大丈夫な要素がないと言ったろうに」

 

「む、むぅ……でも、見方を変えれば先生ぇがアタシを受け入れたってことだよね☆」

 

「単なる教育だが」

 

「ぐぁ……!」

 

 アルは心臓を抑えて膝から崩れ落ちた。

 菫はタオルで手を拭い、冷めたコーヒーを口にする。

 

「ま、私としては君の制御方法がわかって一安心だよ」

 

「次は……こんな簡単に行かないからね☆」

 

「一か月も似たようなことをしていたのだから、もう無理だと思うがね」

 

「それはどうかな☆」

 

「……そこに座れ

 

はい……

 

 ぺたん、とアルは指示通り床に腰を付ける。

 今度はすぐに光を取り戻した瞳で叫んだ。

 

「今のはフリじゃないんだけど!?」

 

「いや、待てよ……これは面白いぞ……周波数の問題か? すばらしい。まったく飽きがやってこないな。君の脳がどうなっているか、私は俄然興味が湧いてきた。少し脳波を測ろうじゃないか」

 

「先生ぇ、なんだろう……急にマッド感出すのやめてくれるかな☆」

 

「そこは『脳まで丸裸に!? いやん☆』とか言うところだと思うが」

 

「なんか妙に声真似うまいのがムカつくんだけど☆ それにしたってさぁ、先生ぇ余裕過ぎじゃない? モノリスが壊れたら大惨事待ったなしだよね?」

 

「おや、妙なことを聞くじゃないか」

 

 菫は至極当然のように答えた。

 

「そうなったら君が私を守ってくれるんだろう?」

 

 気のせいかもしれない。

 しかしアルはその言葉に深い信頼を感じた。

 

「……もっちろん。先生ぇの命はアタシだけのものだから☆」

 

「たわけ。私のモノに決まってるだろうが」

 

「そんな~」

 

 菫は立ち上がり実験室に足を進める。

 アルもその後ろをひな鳥のように付いていった。

 

 





・アル
色ボケ。大丈夫か?



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