茫漠地平 タブラ・ラーサ (和泉キョーカ)
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ローゼス・ホームビデオ
特殊親衛隊RO.S.ES


・チゼル
【コードネーム】チゼル
【性別】女
【戦闘経験】五年
【出身地】カジミエーシュ
【誕生日】不明
【種族】不明
【身長】169cm
【鉱石病感染状況】
 メディカルチェックの結果、非感染者に認定。


 ――『テラで知られる文明には、その進化の過程で原始の姿を保ち続けるもの、そして衝突の末に混じり合いながらも、昔ながらの風貌を残し続けるものがある。』

 そんな高説をあのフェリーンの医師から受けたのも、随分と前なようでいて――その実、チェルノボーグの事件からまだ一年しか経っていないと、カレンダーは告げている。

「――それでね、ドクター。」

 記憶を喪った我が身において、窮屈な安眠装置に押し込まれる以前の()の性格や性質などといったパーソナリティは、気に病むほど欲するものでもない。むしろ、『悪魔』とまで呼ばれていた自分なんて、欲しがる者の方が稀有ではないだろうか。

「ボクら、来週からロドスを離れちゃうでしょ?」

 多くの出会いがあった。それ以上の、別離があった。泣き叫ぶ子供の声を聴いた。怒り狂う民衆の蜂起を見た。縋る者、手放す者、手を伸ばす者、その手を――諦めてしまった者。多くの出会いと別離の果てに、私たちは対価とも言える束の間の平穏を得た。

「だからさ、ホームビデオを撮ってきたんだよ! ドクターが寂しくならないように! ……え、ボクらがいなくても寂しくなんてない? えー、そういうこと言っちゃうかなぁ、フツー。」

 これからも我々は、このテラの大地に根差す怒りと憎しみのために奔走していくだろうが、しかし。

「……それに、ボクらのこと、よくわかってない新米オペレーターも最近、増えてきたでしょ? ボクらのこと、知ってもらうためにもさ!」

 しかし――今ひと時だけは、目の前の少女の無邪気さを、全霊で受け止めたいと思う。

「ボクら『特殊親衛隊RO.S.ES(ローゼス)』の事、ドクターも改めて見てってよ!」

 

 ぎゅんとカメラの視界が旋回し、青髪に二本の頭角を生やした少女が、満面のスマイルで映り込む。

「やっほー! 最初にカメラを持つのはこのボク、『チゼル』でーっす! えぇと、自己紹介とかすればいいのかな……ホームビデオとか撮ったことないよぉ、助けてジーラちゃん!」

『知らないよ、アリサが撮りたいって駄々こねるから撮ってるんだしさ。』

 画面外から、凛とした少女の声が聞こえてくる。チゼルは少しだけむくれたような表情を見せながら、自身が立つ鋼鉄の廊下――ロドス本艦の居住ブロックを歩み始めた。

「ボクことチゼルは、カジミエーシュの出身でー。種族分別は……うぅん、ボク自身よくわかってないんだよね。この角、ヴイーヴルにしては大きすぎるし。まぁいいや、そこはそんなに重要じゃないよ。覚えてないことなんて知らないのと同じだし!」

 ごうごうと鳴り響く艦艇の駆動音の中、チゼルはやがてオペレーターたちが交流の場として使用している食堂に到着した。

「昔はカジミエーシュで騎士をやってたんだけどねー。ジーラちゃんと一緒にカジミエーシュを飛び出してからは、人に向けて弓を撃った事は――。」

『あるよ。何回も。』

「そだっけ?」

 他のオペレーターたちで賑わう食堂の中を、チゼルはずんずんと進んでいく。やがて、数名の男女が集まるテーブルに接近すると、そこにいた種族も食事も大違いなオペレーターたちへと大きく手を振って挨拶をした。

「おはよー! 元気してるぅー?」

『おはようございます、皆さん。』

 画面外の少女も丁寧な語調でチゼルに続くと、その場にいた全員がそれぞれまた個性的に反応していく。

『よっ、おはようチゼル、フラム。』

『なァんだまたお寝坊かァ?』

『いい加減、自己管理意識を強く持ってほしいものだがね、チゼルくん?』

『おはよー、チゼル、フラム! 今日の朝ごはん何にする? 早くマッターホルンさん所に行かないと、また食いしん坊たちに先越されちゃうよ!』

『二人とも来たみたいだし、私は医務室に戻らせてもらうよ。』

『……おはよ。』

 その場にいた全員から声をかけられたのを確認すると、画面の中のチゼルはまたニッコリと笑って空いていた二席のうちの片方へ腰を下ろし、手にしていたカメラをテーブルの中央へ設置した。

「じゃ、みんなも一言ずつ自己紹介お願いっ! また今度ひとりひとりビデオは撮ってもらうけど、名前と役職だけでもね! じゃーまず、ボクから! コードネーム『チゼル』、破城射手に分類される狙撃オペレーターでーす!」

 

『コードネームは『ラセツ』、前衛オペレーターだ。RO.S.ESを知らないオペレーター向けのビデオなんだろ、これ? じゃあひとまずはこんなもんでいいのか?』

『ハイハーイ、ラテラーノ公証人役場法定執行人、現在はロドス所属の先鋒オペレーター『イノセント』でーす! オイタをしでかしたラテラーノ公民がいたら問答無用でしょっぴくから、このビデオを見たら素直に自首してねー!』

『グッモーニン、迷える新米諸君! 俺様の名はエリューカ……いや、『ゴールドラッシュ』と名乗っておこうか! クルビアで保安官をしていたナイスガイな前衛エリートオペレーターさ、よろしくなァ!!』

『『ライトニング』。召喚師の戦闘職務とは別に、源石エネルギーに関する各種研究を専門としている教務員でもあるな。』

「マラボレマも名乗るくらいはしてってよ!」

『医療オペレーターの『マラボレマ』だ、これでいいね? じゃ。』

「もう!」

『……どうも、ええと……龍門で掃除屋とか……してました。『ウェルキエル』……です。よろしく……。』

『では最後に拙生が。重盾衛士、『フラムベルク』。ジーラ・フラムベルクと申します。過去にはカジミエーシュにて騎士として活動しており、鉱石病に罹患してからは数か月の放浪生活の後にロドスにてオペレータ―契約を――。』

「ジーラちゃん長い長い! そんなもんでいいから! ね!」

 

 そんな光景が十数分流れた後、ビデオの場面は急変した。場所はどうやら、ロドスが所有している飛行船の格納庫のようだ。

「やっほーみんな! ボクたちは今、ドクターの外勤に同行する任務に出発しようとしてまーす!」

 源石エンジンの駆動音に負けじと声を張り上げるチゼルの背後には、食堂のシーンで映っていた他のメンバーの他、私や、私が信を置いているオペレーターたちの姿も散見された。

 というか、いつの間にこんな撮影をしていたんだ。まったく気付かなかった。

「ボクら特殊親衛隊RO.S.ESの主なお仕事は、ドクターの万が一に駆けつけること! もちろん、ドクターにはアーミヤちゃんやブレイズ姐さんみたいなエリートオペレーターがついてるんだから大丈夫……って、言いたいんだけどね!」

『残念ながら、やはり任務の都合上、人員をカバーしきれない場面というのは往々にして起こり得ます。そういった有事の際に出動するのが、我々RO.S.ESなのです。』

 またも画面外から、先程フラムベルクと名乗った少女の声が聞こえてくる。

「まぁー、国家のお偉いさんから直々に招待貰ったり、お忍びで国土に侵入するってなると、ボクらも手出しできなかったりするんだけどねー。」

『イェラグ動乱が良い例だね。あの時はオーロラさんやSharpさんには本当に苦労を掛けたよ。』

「あの時ってボクとジーラちゃんと……あと誰がいたっけ?」

『RO.S.ESのメンバーの事? かなり最初期だよね。ラセツさんとマラボレマさんがいたくらいじゃないかな。』

 そんな風にチゼルとフラムベルクが話し合っていると、飛行船の方から聞き慣れた催促の声が飛んできた。

『ほらチゼル、フラム! アーミヤちゃんと他のメンツももう乗ったよ! あと君たちしかいないからね!』

『申し訳ありません、ブレイズ上官ッ!!』

「ひゃあー! やっちゃったやっちゃった!」

 カメラの視界がガチャガチャと振動し、危うく酔いそうになったところで、視界が安定し、飛行船のカーゴ内部が映される。

『お前らって奴らはほんとに……。』

 白い肌に赤い目を持つ角なしサルカズ族の青年、ラセツの溜息に、画角内のチゼルはばつの悪そうな顔でその特徴的な青い髪を掻く仕草を見せた。

「えっへへ……でも、今回の任務はボクらが同行できるような任務なんでしょ? じゃあそこまで重要なモノじゃないんじゃないの?」

『そこまで重要じゃないなら、ブレイズもアーミヤも同行はせんだろうな。』

 厳粛な語調でそう口にするエーギル族の女性研究者、ライトニングに諭され、チゼルは呆けた表情を見せた。

『そもそもオレたちがいる意味は、ドクターに万が一が起こらないようにすることにある。即ち、ケルシー女史がオレたちに出撃命令を出した時点で、ケルシー女史ですら作戦の中に『万が一』を見出しているという事なのだよ、チゼルくん。』

『そういうこと。それで、早速だけど仕事が来たよ、チゼル!』

 ライトニングの説明に賛同しながら、体格の良いフェリーンの女性――私が特に信頼しているエリートオペレーター、『ブレイズ』がカーゴの中に移動してくる様子が映し出された。

「ボクに?」

『そう、チゼルに。今回追ってる私兵大隊の移動対空砲台がさっきからこっちを狙ってきててね。ちょっと無力化してほしいんだ!』

「……オッケー!」

 そう、軽率な応答を返したチゼルの口元は、残念ながらちょうどドローンカメラが向いている方向と同じ向きをチゼルが見ていたために、捉えることはできなかったが――。

「……。」

 ブレイズの複雑な面持ちを見るに、『移動砲台に人間が乗っていたら』などという可能性など微塵も考慮していない、ただ力を振るうことが嬉しいだけの子供のような、無邪気な笑顔だったのではないかと――。

 今、私の隣で一緒にビデオを見ている『チゼル』と同じような表情をしていたのではないかと、推測した。

 

「んー、目視1キロ弱って感じ?」

 飛行船の屋根に立ち、身体を固定器具でしっかりと接続された状態で、チゼルは持ち込んでいた自身の得物を持ち上げる。

 ああ、この先は知っている。この出撃時の出来事は、私の認識の範疇ならば、よく覚えている。

「移動都市用のレールに直接乗っけた移動砲台かぁ、ウルサス式の都市牽引バンカーに似た構造してるね。あれ、砲台って言うより、空中の物体にアンカーぶっ刺して引きずり落とす装置なんじゃないの?」

 ガツンと、音を立てて、チゼルの殺意が飛行船の主翼に打ち立てられる。それは、170cmあるとはいえ、細身のチゼルが持つには、あまりにも巨大すぎる大型の弓だった。

「それじゃ、お仕事しよっか!」

 そして、これもまた軽々とチゼルが持ち上げて見せたのは、本来よく鍛えられた兵士が両手で持つように設計されたと憶測できる、長大なスピアだった。それをさながら矢のように弓につがえると、チゼルはカメラに向かってウインクして見せた。

「みんな見ててね! こんなの、RO.S.ESじゃまだまだ常識の範囲内みたいなアーツなんだから!」

 すぅと息を吸い。彼女の髪と同じ蒼色に輝く穂先を持つスピアが眩く光を放つと、チゼルは目を細めて弓弦を引き絞った。

「――船上、狙撃オペレーター・チゼルより船内オペレーター各位へ通告! これより、個人級艦砲のアーツを使用します! 強烈な横揺れにご注意くださいッ――!!」

 カメラのマイクが破損する音を最後に、映像は一瞬で無音になる。それと同時に、チゼルが弓の弦から手を離した姿が見えた。と、ほぼ同時に、カメラの奥に小さく映っていた移動式の対空砲が鮮烈な蒼い閃光を発しながら、土煙と共に大破していく光景が続いた。

 その後、チゼルが満面のスマイルで口を動かす様子があったが、すぐにマイクが損傷していることに気付いたのか、固定器具を外しながらカメラを弄り回す映像を最後に、その場面は終了してしまった。 



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悪鬼羅刹

・ラセツ
【コードネーム】ラセツ
【性別】男
【戦闘経験】二十五年
【出身地】極東
【誕生日】不明
【種族】サルカズ
【身長】182cm
【鉱石病感染状況】
 体表に源石結晶の分布を確認。メディカルチェックの結果、感染者に認定。


 ガタガタとカメラが揺れ、その青年の顔が大きく映し出される。

「あ? これでいいのか? 最近の電子機器はわからんなぁ……。」

 青年は手元の端末を両手で操作し、ドローンカメラを一定距離まで離して浮遊させることに成功すると、「コホン」とひとつ咳払いをして、自己紹介を始めた。

「あー、俺はラセツ。ロドスで編成された特殊親衛隊RO.S.ESの前衛オペレーターで……あー、職分は剣豪って言われたか? まぁなんだ、最前線で悪者をシバくのがお役目よ。」

 それはロドスが未だロドスと呼ばれるより以前から、艦の中で戦闘専門職として刀剣を振るっていたというエリートオペレーター、『ラセツ』だった。彼が立っているのは、木漏れ日だけが光源として辺りを薄明るく照らしている、未開の原生林。

 前回、チゼルが録画していた作戦と同日に撮られたもののようだ。画面の右上には、先程チゼルが映っていたフィルムと同じ日付が記録されていた。

「しっかしまぁ――なんだ。こんなところで何をしてるかっつーとだな。」

 そんなことをラセツが語っていると、タイミング良く、彼の後方遠くから、数人の男たちの声が聞こえてきた。

 

「おい、これで本当に追いつくのかよ!?」

「当たり前だ、連中はよそ者だぞ! この森の行商ルートはここいらの村と町に住んでる連中しか知らない。そして、あいつらが向かっているロカプラナまではこの道を走った方が早い!」

「追いついてどうするんだよ! 見ただろお前も! あのフェリーンの女が持ってたデカブツ!」

「言ってる場合か! そんなことを迷ってる暇があるなら――あ?」

 徐々に近付いてくるその声は、やがてラセツのすぐ近くで止まった。声の主は、総勢七人の男たち。それぞれ手には片手用の刀剣を有しており、目的地に到着すればすぐに戦闘を始めようという意思が見て取れた。先頭に立っていたリーベリの男性が、ラセツに向かって誰何を問う。

「……(あん)ちゃん、ここらじゃ見ねぇ顔だな。この道は俺たちロカプラナ商会の関係者しか知らねぇ通商ルートなんだぜ? ……あんた、何者だい。」

「なぁに、ただの通りすがりの流浪人よ。」

「バカ言え、聞かなくたってわかる。その制服……()()の仲間だろう。」

「おいおい、聞かなくてもわかるってんなら、最初から聞くもんじゃねぇだろ。」

 呵々と笑うラセツに対し、七人の男たちは合図もなくラセツを囲み始める。手にした刃を常にラセツへと向け、さらにリーベリの男はラセツへ問うた。

「こっちは七人だ。見たところその腰にぶら下げてる極東式の直剣しか得物はねぇみたいだが……まさか、それひとつでオレたち全員を相手取ろうだなんて、馬鹿げたことは考えてないよな?」

「ハハ、たった七人で俺を突破できると過信する方が、よっぽど馬鹿げていると俺は思うがね?」

「……随分と達者な事を言うもんだな。」

「俺のコードネームを教えてやろうか? ――俺の名は『羅刹』。戦神の眷属にして、欲深き咎人に付け入り、惑わし、喰らう……大地の悪魔の名を持つ男だ。」

「御大層な大見得を切ったところ悪いがよ――ちっとばっかしお喋りに夢中になりすぎてねぇか!?」

 リーベリの男と正面から対峙するラセツの背後、完全に彼の視界の外へとカメラがぐるんと振り向いたかと思うと、その瞬間には既に、ラセツの後頭部めがけ、ペッローの男が振りかぶった刀剣が一切の躊躇なく迫っていた。

 ――が。

 

 その音は、金属の音にしては異質だった。まるで焼け石に水を打ったかのような。そう、ロドスの物資製造プラントで、似たような音を聞いた。それは、超高熱のレーザーで金属板を溶断した時の音に酷似していた。

「人を襲うには、ちょいと練度が足りてねぇな。お前さん新兵か? 肩の力抜けよ、筋肉が強張ってんぞ。」

 ペッローの男が恐怖で腰を抜かして地に座り込んだ横に、ラセツが容易く切断して見せた片手剣の剣先がカラリと転がり落ちる。

「殺気を出さなきゃ人を殺せねぇのは、人を殺したことがない奴だけだ。もしくは随分と下手くそな殺し手だな。そう――お前さんみたいな!」

 続け様に飛びかかってきた別の男の得物も、ラセツは手にした片刃の直剣で両断し、さらにその男の側頭部を切っ先で浅く斬りつけてみせた。

「熱ッ――!!?」

 そこに血は流れ落ちない。しかし髪は焼け焦げ、耳朶は鮮やかに宙を舞い、皮膚はドロドロに爛れていた。斬られた男はしばらく絶叫しながら悶えていたが、やがてぱたりと動きを止めてその場に倒れ伏してしまう。

「俺の家宝は『ソハヤマル』つってな。俺がガキの頃から数十年……あいや、数百年か? まぁ、長いこと使ってても、手入れするだけで新品みたいにピッカピカになってくれる逸品なのさ。その能力は見ての通りよ。コイツに斬られた場所はお天道様に睨まれたみたいに焦げついちまう。」

 時折ちらちらとカメラのレンズに向かって目くばせしながら、自らの手に握る宝剣の名を朗々と語るラセツ。

「来いよ若造共。げに恐ろしきブラッドブルードの妖魔が皆殺しにしちゃるってんだ。行っても帰っても結局は同じことだぜ? それとも、ここで俺を引き留めてなきゃあ困る事でもあんのかい?」

「コイツ……!」

 確か、ラセツがこの作戦状況下でこの秘匿された通商ルートに派遣された理由は、アーミヤの判断によるものだったはずだ。曰く、この時私やアーミヤが接触した、妨害の為に道を阻んだ私兵隊の数が、目標の商業連合の規模と照らし合わせても異常に少なかったこと。

 即ち、商業連合の本拠地に大部分の戦力を回すよう、その時点で伝令が走っているはずだった。ロドスの技術班によって付近一帯の電波がジャミングされていたこの時、それを伝えるには、人の足しかなかったことだろう。

()()()()()()()のかい?」

「クソッ、こいつを殺せ!」

 一斉に、三人の刺客がラセツへと飛びかかる。それをたった二回刀を振るうだけで斬り伏せ、ラセツは残った二人の男へと踵を返した。

「ほら、しゃんとしろや。」

「……オーレ! お前は『あっち』へ回れ! 今からならまだ間に合う!」

「で、でも兄ぃ――!」

「ごちゃごちゃ言うな! 行けェ!!」

 最初に指示を飛ばしていたリーベリの男にオーレと呼ばれた、若いリーベリの青年は、それでも何かを口にしようとしたが、今にも泪を零しそうな顔で歯を食いしばり、元来た道を全速力で引き返していった。ラセツはそれを、何をするでもなくじっと見守っていた。

 

「良いのかい?」

「……あいつはここにいたって邪魔になる。」

 ぎゅっと、リーベリの男の手に握られた片手剣の柄に力が籠められるのが、見ただけで伝わってくる。ぐっと腰を落とし、リーベリの男はラセツを正面から睨んだ。

「好い兄貴じゃないか。」

「……もう、あいつにはオレしか家族がいねぇからな。兄として、最後まであいつを守ってやらなきゃ……()()()()()死んだ親父やお袋に顔向けできねぇ。」

「もう一度問うぞ、若造。お前も今なら逃げられる。ここで俺を足止めするってことは、()()()()()。そうなれば、あの弟にはもう家族がいなくなる。いいか、寄り添いあえる家族が誰もいなくなるってのは――あんなガキんちょに耐えられるような重石じゃないぞ。()()()()()?」

 サルカズ族の中でも、凄まじく長命な血魔、ブラッドブルードに生まれ、自身でも憶え切れない年月を生き抜いてきたラセツだからこそ紡がれるその言葉は、リーベリの男に二の足を踏ませるに充分であった。

 が。

「いつか――いつか、あいつも独り立ちしなきゃなんねぇ時が来るんだ。それが後か、今かの話だ。オレだって、いつかは親父やお袋みてぇに石になって破裂して死ぬ。きっとそう遅くねぇ話なんだ。オーレは……オーレは、乗り越えられる。もう子供じゃねぇさ、あいつだって。だから――!」

「……あんた、ロドスに来ないか?」

「は?」

 不意に、ラセツが突拍子もない提案をリーベリの男に持ち掛ける。

「――悪ィが、遠慮する。昔ッからロカプラナで黒い仕事するのに慣れてんだ。だから、オレの死因はクソッタレな病気か殺されて死ぬ、そのどちらかだって思って生きてきた。今更――今更、それ以外の死に方なんて選べねぇ。それに。」

 そこで、リーベリの男の言葉が一瞬詰まる。

「それに、商会の社長には恩義がある。オレとオーレを拾ってくれて、学校に通わせてくれて、食い扶持をくれた恩義だ。それを果たさないで、社長は裏切れねぇ。」

「その社長は、お前さんらの知らない裏で鉱石病患者を被験体にして特殊薬物の製造に精を出してたわけだがな。」

「それでもッ!!」

 リーベリの男は再度、ラセツの事を強く睨み据えた。フゥと細く短く息を吐き、前へ出した右足に体重をかける。刀剣の柄をしっかりと握り締め、次の瞬間には襲い掛かれる体勢を作る。

「それでも……今ここで死ぬことに、オレは後悔しない。それを憐れむな。それは今までのオレを――オレたちの人生を、無碍にすることだ!」

「……すまなかった。」

 ――刹那の出来事だった。低頭姿勢で駆け出したリーベリの男の切っ先が、あわやラセツの顎を捉えんと肉薄する。それを首を少し傾けるだけで躱し、ラセツは彼の前に出た右足を躊躇なく斬り飛ばした。

「ぐ――ッ!!」

 だが、リーベリの男は止まらない。バランスを崩すのを左手で地面を押し出すことで緩和し再びラセツへと切りかかる。だがラセツはまたも無表情のままその場から動かず、剣を握る男の右腕をすっぱりと斬り落とす。

「ま、だだァ――!!」

 筋肉が弛緩し、宙を舞う右手から滑り落ちた剣を左手で受け止め、握り直し、ラセツへと凶刃を向ける。左脚だけで全体重をコントロールし、振るわれたその刃は、直後ラセツの頬を浅く撫ぜ、白い肌から鮮血を飛び散らせるに至った。

「……御見事。」

 だが、その瞬間には、リーベリの男の首は持ち主の元を離れ、湿気てぬかるんだ轍のなかへとボスンと転がり落ちていた。

 

『こっちの道じゃなかったみたいだ。そっちはどうだい?』

「ああ、道理で。いやー報告遅いよおじいちゃん! もう囲まれちゃってるって!」

 そこで、ビデオが別のカメラへと移り変わる。ロドスの通信専用に繋がれた特殊電波による通信によってラセツと通話していたのは、黒いヘイローを持つサンクタ族の執行官であった。

「ま、こっちでも探ってみますかねー。」

 その周囲には、先程のラセツと同様に、刀剣やクロスボウを装備した私兵が三十名ほど、彼女を取り囲んでいた。



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罪なき者のみ、石を投げなさい

・イノセント
【コードネーム】イノセント
【性別】女
【戦闘経験】八年
【出身地】ラテラーノ
【誕生日】11月22日
【種族】サンクタ
【身長】183cm
【鉱石病感染状況】
 メディカルチェックの結果、非感染者に認定。


 これは、私の目の前で起きたことだった。

「ねえドクター、聞いてる?」

 心配するアーミヤ、それを宥めながら、彼女を引率していくブレイズ。そんな二人とは別行動を取っていた時の事だった。作戦遂行上、重要ポイントであると推察していた最初の地点に到達した私は、ふと我に返ると、既に三十名弱の襲撃者に包囲されていたのだった。

「よくこんな状況で考え事とかできるよね!」

 私の目の前には、特徴的な漆黒の光輪を頭上に戴くサンクタ族の女性の背中があった。それは、ラテラーノ公国の公務員と言うべきか――。公証人役場、ラテラーノ国外に居住する公民であるならば、その存在は法令以上の畏怖――脅威? そして安堵をもたらす存在――執行人。

 名を、『イノセント』。無罪を意味するそのコードネームを掲げる一個超兵器は、既にその場に十数名の気絶し――ないし命を落とした襲撃者の躯体を転がしていた。

 

「で? キミたちはアレだ、ドクターをどうしろって言われてるわけ?」

「生け捕りだよ、サンクタ。」

 襲撃者たちのうちの一名が、彼らの目的を律義にイノセントへと伝える。イノセントは「ふぅん」と短く応じると、血に塗れたサーベルを腰の鞘へと戻して見せた。

「あー、ドクタードクター。」

 そしてイノセントは私の方を振り向くと、まるで小さな子供と一緒になって悪戯に興じる年長者のような意地悪な笑顔を見せると、人差し指を唇に押し当てて黙認を求めてきた。

「これからやること、公国とか法王庁とか……あ! あとあのイグゼキュター(かたぶつ)にも内緒にしててね! あくまで今のアタシは特殊親衛隊RO.S.ESのメンバーであって、執行人じゃないから! あいや、執行人なんだけどさ……ええと、義務とお節介の線引きって事かな? とにかく、ネッ?」

 ばっちりと綺麗なウインクまで披露してみせ、再びイノセントは襲撃者たちの方へと向き直る。その背中からは、先程までの怠慢な態度とは打って変わり、純粋な『敵意』のみが漲っていた。

「オッケー、こっちも急いでるから、ひとり三発までってことでかかってきな!」

 イノセントが肩にかけていたトランクのハッチを開くと、蓋に固定されていた数種類の銃器が取り出しやすいように大きく展開される。その中から、造形を同じくする小型の短機関銃を二挺取り出すと、器用に手の中でクルクルと回しながら安全装置(セーフティ)を解除し、彼女は襲撃者たちに向かって啖呵を切った。

「主よ、無慈悲にして親愛なる我らの父よ、この行い、この罪を赦されよ! ――これより我が名は『罪無き咎人(イノセント)』! 主よ、我が前に並ぶ命を、貴方にお返し致します!!」

 敬虔な信教者たるイノセントが祈り――ないしは懺悔――の言葉を零した時には既に、彼女の真正面に立っていた襲撃者の全身から勢いよく、おびただしい量の血液が噴出していた。

「ありゃ、三発は流石に無理があったか。」

「ッ――! 射撃隊、撃て! 守衛は俺に続いて包囲しろ! 術師隊、詠唱を止めるな!」

「術師がいるの? まずいね。」

 襲撃者たちを先導するペッローの男の指示に、イノセントの表情が険しくなるのがわかる。

「ドクター、この地形――キミならどこに術師を配置する?」

 まるで家庭教師のように、イノセントはすぐに眉を緩め、私に対して尋ねてくる。

 ここは、すり鉢状に掘削された、廃棄された採石場。その最低部、岩盤に検問所を設置した、商業移動都市ロカプラナへの入り口。我々が立っているのは、まさしくその検問所の前――すなわち、最低部であった。襲撃者たちは急斜面に広がるように立っており、一見するとここからなら全部隊の概要を把握することさえ容易と考えられる。

「……え、本気で言ってる?」

 だが、その実態は多分に複雑なのだろう。採掘場であるからには、横道――このすり鉢から派生した坑道がいくつも存在しているはずだ。それを利用して『都合の悪いモノ』を隠すのは、この地域をよく知る人間ならば誰でも考え付く。

 ――だからこそ、その逆。()()()()()()()()()()と、イノセントにそう伝えると、彼女は引き金を引く手は止めないまま、唖然とした顔で私の方を見てきた。

「えぇ、だって……いや、それっぽい人はいないけど?」

 訝しげなイノセントに対し、私はふと目についた人物――クロスボウを構えたまま動かず、イノセントに狙いを定め続ける狙撃手の方を指で指し示してみせた。

 ほぼノータイム、私がその方向を指差した瞬間には既に、狙撃手は銃弾によって絶命していた。

『――ちら、術師隊! ――がやられ――! ――唱に時間――はかかる――!』

 敵勢力の会話を傍受した通信機から、途切れ途切れの焦燥の声が聞こえてくる。イノセントへ首を縦に振ることでその成功を伝えると、イノセントは大きなため息を吐いて見せた。

「やばいね、ドクター!」

 果たして称賛とも、呆然ともつかないようなその発言を最後に、イノセントはそこから軽機関銃をトランクに設けられたガンラックに掛け、ホルスターから抜いた拳銃を用いて、狙撃姿勢のまま動かない、射撃手に偽装された術師と思しき襲撃者たちを次々と射殺していった。

「ドクター、アーツメーターとか、持ってる?」

 ――イノセントに唐突に問われ、コートのポケットをまさぐれば、すぐにその直方体の黒光りする器具が指先に触れる。それを取り出し、計器を操作すると、目盛りがゆらゆらと揺れた後に微動だにしなくなる。その様子をイノセントに伝えると、凄腕の執行人はニカッと笑ってリーダー格へと大声を張り上げた。

「ねえ!キミたちんトコの術師、みんな死んだみたいだけど!?」

「……――ッ!?」

 刹那、確かにリーダー格の襲撃者の表情に、焦燥と――微塵の恐怖が滲む。

 目の前にいる天命の執行人(サンクタ)がまるで――戦禍の捨て駒(サルカズ)とも見紛うほどの狂気を帯びて、今まさに自分たちの灯火を吹き消さんとしている、その凄惨たる銃火器の躍動。それが敵ならば――私とて、平静ではいられないことは想像に難くない。

 

「……怖いね。」

 ふと、共にホームビデオを眺めていたチゼルが、甘ったるい香りを放つ補給室印のキャラメルポップコーンを頬張りながら呟くのが聞こえた。

「イノセントお姉ちゃんは、笑って人を殺すんだ。それは楽しいからじゃない。みんなを安心させるために、笑いながら敵を殺すんだ。一緒に戦ってくれる誰かの為を思って、笑いながら生命を蹂躙する。他者の死を、侮辱しないために笑うんだ。」

 ――人の死を前に笑うことは、その人物の誇りを穢すことに他ならないのではなかろうか。

「じゃあドクター、イノセントお姉ちゃんの笑顔を見て、誰かを馬鹿にしているように見える?」

 私は静かに首を横に振った。イノセントの笑顔は鮮烈であれど、そこに凶悪性や悪辣性は微塵も感じられない。しかし、ならばなぜ。

「怖いでしょ? あんな人が敵になったら、流石のボクも真っ先に殺さなきゃ安心できないもの!」

 

 ――やがて、イノセントの銃口から溢れ出していた、鼓膜を引き裂くような破裂音が止まり、辺りが静寂に支配される。 

「粗方、片付いたかな。」

 機銃をトランクにしまい、余裕綽々の表情を浮かべながら、イノセントは足取りも軽やかに、採石場のエレベーターの昇降スイッチを握り拳で叩く。程なくして、上層から降りて来たシャフトに飛び乗ると、執行人は呆け立つ私の方を振り向き、不思議そうに首を傾げながら左手をこちらへと差し伸べて来た。

「どうしたの?」

「……エレベーターに細工がしてある危険性を考慮するに、徒歩で最上層まで移動した方が安全だろう。」

「ん~? ……細工、ねぇ。じゃあドクター、本当は雑談してる暇は無いんだけど……。このエレベーターに施せる可能な限りの細工、挙げてみてよ。」

 彼女の唐突な問い掛けに、少々面喰ったが。――古来より、移動手段を暗殺手段へと改造する手法は普遍的だ。ゆえに、私はひとつふたつと、私たちを殺すに充分な手段を列挙して唱えていった。

「あー、あー! わかったわかった! アタシが悪かったってば! ――でもねっ!」

 十四種類目の殺害方法を口にした直後、イノセントが私の眼前で掌を激しく左右に揺らしながら、私の発言を掻き消した。

「ごあんしんめされーぃドクター。ここにおわすはラテラーノ公証人役場執行人イノセントこと、ハナエルお姉さんですよ? 少なくとも、起爆剤の類はパッと見ればわかるし、加工の痕跡だって触ればわかる。アーツで細工されちゃ流石にアタシの専門外だけど……さっき、みんな殺したしね。」

 淡々と、しかし自信に満ち溢れた声音と眼差しで、シャフトの手摺に積もった土埃を指で撫ぜりながら、イノセントは私の手を引いてシャフトに無理矢理と引き寄せて乗せて来た。

 そんな時だった。土砂が沸騰するような轟音に、イノセントの目の色が一瞬にして変貌する。逡巡も無く、その背後に私を庇うように腕を広げたイノセントの目の前には、先程のリーダー格と思しき襲撃者の男が、満身創痍の体躯に鞭を打ち、よろめきながらこちらへと歩み迫ってきていた。

「逃がす……かよぉ……!」

「しぶといね。」

 イノセントの、心胆まで凍てつくような冷徹な声を受けても、襲撃者の長は怯む事無く、ただ前へ前へと突き進んでいた。

「おまえら……みてぇな! 『大多数の正義』――だとか、『世論の言う邪悪』……だとか、そんなモノを自慢げに振りかざして……俺ら少数派の意見を……勝手に、どこからともなくやってきて……踏みにじって! 誇らしげに、『改善しました』なんて綺麗事を吐く連中に! この門はッ――!」

 言い終わる前に。

 想いを伝えきる前に。

 彼の頭蓋骨を貫通して、その後頭部から赤黒い体内物質が、白灰色の地面の上に、鍋に入れたトマト煮込みをひっくり返したかのように拡がって染み込んだ。

「――行こ、ドクター。」

 口元が笑っているのに、その胸の内にある感情は真逆なのだろうと、容易に推察できるような眼差しで私をじっと見つめ、イノセントは痩せ細った手をぎゅっと握ってきた。

 

 ――いつだったか、それはイノセントと所属する機関を同じくする、二人のオペレーターから、彼女の過去について聞いたことがあった。

「イノセント先輩、まだ新人の執行人だった頃、『遺言遂行』中に一名の無関係なサルカズ男児を射殺未遂したらしいんですよ。」

「……それに関しては、執行人にとって些末な付随結果に過ぎません。しかし彼女は、あろうことか自身の任務を途中停止し、そのサルカズの男性児童の延命治療を開始したのです。」

「人としては当然の事なんですよ?」

「執行人としてはあるまじき行動です。我々執行人は任務の急速実行にのみ注力すべき存在です。」

「ともかく、その光景を目にしてから、イノセント先輩はとにかく敵であっても、必要以上には殺人は行わず、状況が終了して生き残った外敵は可能な限り逃がすようにしていると人伝に聞きました。」

「……。」

「イグゼキュター先輩も、イノセント先輩に対して何度も改めるように言ってるんですけどね。」

「それは既に諦めました。彼女はこちらが何を言おうと変わりません。」

「ははは……。」

 

 その後、危なっかしく揺れ動くシャフトの上で、投射されたビデオの中のイノセントは終始、私の手を握り続けていた。

「……こちらイノセント、ドクターの護送は今の所順調。作戦通り、ロカプラナ鉱山駅に向かいます。そちらは?」

『オイオイお嬢ちゃん、ヤにテンション低いじゃねぇの! いつもの笑顔が無きゃ俺様の心まで落ち込んじまうぜ!』

 画面に一瞬のノイズが奔り、場面が再び別のものへと切り替わる。そこには、複数人のロドス戦闘オペレーターと共に、銃弾や鉄矢とアーツの嵐の中、遮蔽物に隠れる男の姿があった。

「オーライ! しっかし流石のハナちゃんだなァ! 俺様も負けてらんねぇ!」

 手にした紙煙草を、すぐ横を猛烈な勢いで流れ飛んでいく金属の洪水の中へと放り出すと、目深に被ったテンガロンハットのブリムを指で弾き、カメラへと視線を向けたフェリーンの美青年の手元で、リボルバーのシリンダーがギラリと光り輝いた。



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ゴールデンナイト・フィーバーフロア

・ゴールドラッシュ
【コードネーム】ゴールドラッシュ
【性別】男
【戦闘経験】五年
【出身地】クルビア
【誕生日】7月12日
【種族】フェリーン
【身長】185cm
【鉱石病感染状況】
 メディカルチェックの結果、非感染者に認定。


 そのフィルムは、異様な光景から始まった。

「オーケィ、それじゃ自己紹介から始めるとしようぜ?」

 声の主は、街の交差点の中心にモニュメントのように積み重ねられたドラム缶や自動車のタワーの頂点にどっかりと腰を下ろし、紫煙を燻らせている。

 その青年を狙い撃つようにボウガンや銃器を構える戦闘員たちが、その銃口を青年に向けている。

「俺様はロドスアイランド特殊親衛隊RO.S.ES所属前衛オペレーターのゴールドラッシュ様だ! どこぞのいけ好かねぇスカした『若君』と間違えんじゃねぇぞ?」

 ――その一瞬が、まるで切り抜かれた写真のように。朗々と語るオペレーター・ゴールドラッシュの周囲一帯の時間が停止していた。否、『時間を停止させる』という行為は科学的に考察しても信憑性が薄いため、これは相応のアーツで『時間が停止している』ように見せているだけなのだろう。

「出身はクルビアのイリンウェの方なんだが――前職の都合で五年近く西部の開拓地域に身を置いていた。なに、左遷とかそういうんじゃないぜ? ――保安官さ!」

 そう言って、ゴールドラッシュはモニュメントの上から飛び降り、モニュメントの頂上へと狙いを定める狙撃手たちを背にドローンカメラと共に交差点を歩き続ける。

「ニュー・マンファストの方もそうだが、まァとにかく開拓者っつのは気性が荒いわ気は短ェわで治安維持が面倒なのさ!」

 そして、ある地点でピタリと足を止める。

「そういうゴロツキどもを金バッジの輝きの下に牢獄にブチ込むのが、俺様ら保安官のお仕事ってワケよォ!」

 口元には不敵な微笑。親指と中指同士を押し付け、天高く掲げる。

 

 ――バチン、と。

 

 空気を破裂させるフィンガースナップの音が周囲へと伝播するのと同時に、世界が時間を取り戻す。

 明確に言えば、ゴールドラッシュの背後に立っていた戦闘員たちの硬直が解除され、事態も把握できずに狼狽している。その中で、ゴールドラッシュは尚も笑顔をカメラに向け、語り続ける。

「それはロドスの戦闘オペレーターとして正規契約を完了した今だって変わらねェさ。俺様の胸にこの――金色の! バッジが!! 輝く限り!!! ――おてんとうさまの下で、悪事は働かせねェ!!」

 ゴールドラッシュの声に気が付いた戦闘員たちが一斉にその銃器を彼に向けるも、戦闘員たちが腕を動かすより早く、ゴールドラッシュの腰に提げられたホルスターから抜き放たれた回転式拳銃のファニング・ショットが前方六人を一瞬で行動不能にして見せた。

「……このビデオを見た拳銃ライセンスを持ってるガキども! ファニングの一発目以降を命中させられるのは俺様くらいの腕が無けりゃ無理だからな! 絶対にファニングを実用しようとか考えんじゃねェぞ!」

 シリンダーから空の薬莢を放り捨て、向かってくる銃弾や鉄矢に向かってノールックでフィンガースナップをすることで、それらを即時に地へと叩きつけながら、ゴールドラッシュはカメラに向かって警告する。

「俺様のファニングは鮮やかだろうが、それでお前らが肩の骨砕くと俺様がジュナー姐さんに怒られンだ、勘弁してくれ! ……フロストリーフ、オメーに言ってんだぞ、俺様は!」

 ――沈着然とした彼女がそんな事をするものだろうか、と首を傾げる私の前で、画面の中のゴールドラッシュは戦闘員の迎撃を続ける。たった一挺の、最大装填数六発の回転式拳銃で、自動装填式のボウガンを担いだ戦闘員たちを次々に無力化していく姿は、正しく銀幕の中に見た決斗者のそれだった。

「クソ、物理攻撃じゃラチが明かねぇ! 誰か術師呼んで来い!」

「オリヴィエさんだ! あの人がすぐそこの派出所にいるはずだ!」

「……聞き捨てなんねェな。」

 逃げていく戦闘員たちの背中をじっと見つめながら、ゴールドラッシュは装備した防護チョッキのホルダーから通信機を取り出す。

「RO.S.ESオペレーター・ゴールドラッシュより戦略エリアCからD中継点付近に展開中の戦闘オペレーター各員へ。近辺に『盟社(カンパニー)』の戦闘人員が複数名、同じポイントを目指していると思われる。目撃次第接触はせず、ゴールドラッシュまで報告をしてほしい。」

 ――伏兵がいると判明している限り、その規模が測り切れない間は深入りしすぎれば無為に物的及び人的資源の損耗に直結しやすい。その判断を即座に下し、そして行動を違えていた他のオペレーターたちへ瞬時に情報の伝播を行う。こと多対多の作戦において、ゴールドラッシュはエキスパートなのだろうと推測できた。

 ――性格はあんなにふざけているのに。

「開拓地にはギャング組織なんかも手を出そうとするからなァ。そういうとこの本拠地に仕事仲間たちとカチ込みに入ることもちょいちょいあってか、こういう時のテンプレ的な動きは身についてんだよ。」

 フフン、と得意満面で拳銃をホルスターにしまいながら、ゴールドラッシュはカメラに向かってウインクを披露して見せた。

「……RO.S.ESにはこういう時、伏兵への通信を待たずにとにかく手あたり次第ブチのめすヤツらが多すぎるからなァ……。俺様くらいはちゃんとクレバーにオペレーションしなきゃ、クルビア男の名折れってモンだろうよ。」

 

「ぎくり!」

 隣に座っていたチゼルの口から、身に覚えがありそうな悲鳴が聞こえてくる。

 

 ゴールドラッシュが他のロドスオペレーターに通信を行ってから十数分後、ゴールドラッシュの通信機が甲高い音を立てた。

『こちらRO.S.ESオペレーター・ウェルキエルだよ。ラッシュ兄ぃ、聞こえてる?』

「お、ウェルキエル! 何かあったかァ?」

『ん。ダウンタウンのスラム街入口の方に、五人の『盟社(カンパニー)』暴徒が走っていくのを見たよ。』

「さんきゅーウェル坊! お前はまた自分の任務に戻ってくれよな!」

『ん。』

 通信機の電源を切り、ゴールドラッシュは通信相手から報告を受けた繁華街の裏路地を目指して駆け出していく。

 ――彼の走り方も、軍人のそれやロドスのエリートオペレーターたちのそれとは違う、障害物や悪路を走破する事に適した筋肉の動かし方をしていると感じた。恐らくは、そういった地形を駆け抜ける機会が多々あったのだろう。

 この時点、私やアーミヤたちが攻略していたボリビアの商業移動都市ロカプラナでは、ロドスの侵入が周囲一帯に感知されており、至る所に自家用車や家具家電を用いたバリケードや障壁が構築されていた。そういった類の障害を微笑みすら浮かべながら、ゴールドラッシュは次々に乗り越えていく。

 

 果たして、そこにはひとりの覆面を被った女性が立ちはだかっていた。

 あちこちで頻発していた火災が呼んだ黒雲の下、それでなくても高層ビルの路地裏がゆえに薄暗い貧民街の、住人のほとんどが安住の地を奪われた猫の子一匹いない泥だらけの道の上に、一振りの直剣を握り、その女性は黙然と立っていた。

「……私兵たちが口にしていたオリヴィエ嬢とお見受けするが、どうだい?」

「故あって素顔を隠している非礼を詫びよう。……いかにも、私が術剣士オリヴィエ。その金のバッジ……貴殿、クルビアの開拓者治安維持組織の保安官か?」

 語調も態度も悪質な他の戦闘員たちと幾度も接してきただけに、オリヴィエと名乗ったその女流剣士の真摯な話し方には、ゴールドラッシュの唇からヒュウと口笛が飛び出すに足る違和感があった。

「アンタ、他の連中と比べると随分とお行儀が良いモンだなァ?」

「あの者たちは他者を尊重する心を知らない。商業とは信頼の上に成立するというのに、部下があれでは社長の品性も疑われて然るべきと常思っている。」

「……ところでよ、正直なお嬢さんに聞きてェんだが。『盟社(カンパニー)』の戦闘力、今どこまで減ってる?」

「二割。」

「ホント真面目だな、アンタ。」

「……昔から、真面目に生きろと育てられたものでな。だというのに……。」

「アンタ、なんで『盟社(カンパニー)』の駒で甘んじてんの?」

「……義理がある。恩も返していない。」

「命があってこそじゃねェのかよ?」

「命で返せるなら、この命も惜しくないさ。」

「……。」

 ――ゴールドラッシュの表情は、彼の後頭部しか映していないドローンカメラのせいでわかりにくかったが。少なくとも、いつものあの笑顔を浮かべていることは無いと確信できた。

 直後、両者の間に緊張が走る。オリヴィエの右足に重心が移ったことが、カメラ越しでも察知できる。そのまま跳躍すれば、一刀の下にゴールドラッシュの脳天を両断できる距離。しかしそれはまた、ホルスターにゆっくりと手を伸ばすゴールドラッシュにとっても何ら変わりなく。すぐさまに拳銃を抜けば、オリヴィエの漆黒の覆面の向こうにある眉間を狙撃でき得る事は間違いなかった。

 

 五分と経っていなかった。否、もしやもすれば、一分と経過していなかった可能性すらある。だが、それはあまりにも長く、遠い時間の末の一幕だった。

 ゴールドラッシュが素早く拳銃を抜くのとまったく同時、オリヴィエの握る直剣に蒼い電撃が発生し、オリヴィエ自身も電流のような速度でゴールドラッシュに肉薄する。ゴールドラッシュの親指が撃鉄に届き、そのハンマーコックが「ガチン」と音を立てた瞬間。

「フィーバータイムだぜェ!!」

 ――その瞬間は、永遠となる。

 目を細めるゴールドラッシュの鼻先に、オリヴィエの覆面が近付いていた。その剣は彼の首筋にあと数ミリで触れているほどに接近している。

「……フゥ。」

 短く息を吐き、ゴールドラッシュはその場から一歩二歩と後退する。ホルスターに拳銃を落とし込み、フェリーンの保安官はおもむろにオリヴィエの覆面を取り外した。

「やっぱりか……。」

 フードの下、覆面の先に隠されていたオリヴィエの素顔を見て一言、確信を得たと言わんばかりのつぶやきを漏らすゴールドラッシュ。その手元には、畳まれた折り目が残る一枚の紙が握られていた。

「エリファー・ミカエラ・クロンズ。『盟社(カンパニー)』社長の一人娘……か。お嬢さん、アンタはここにいちゃいけねェよ。親父さんに情があるったって、その思想には気付いてたんだろ? ……止めてやれなかった後悔があるなら、アンタがその先を担ってやんな。」

 その手から直剣を抜き取り、武装を解除した状態で、チョッキから取り出した金属製の手錠を背面で両手首に装着させる。

「わ……たし、は。」

「無理に喋んな。俺様の拳銃は神経系に直接作用するアーツユニットだ。下手に抵抗すりゃ、脳に後遺症が残るぜ。」

「わたし、は……だれ、も……しなせ、たく、なくて。」

「剣を握る理由なんて星の数ほどあるってのは、ラセツ爺さんの金言だがよ。……その剣の握り方は、アンタに合ってなかったんじゃあないか?」

「でも……で、も……!」

 時の止まった身体のまま、大粒の涙を零すオリヴィエを前に、ゴールドラッシュはその雫を優しく指で拭い取る。

「縁があったら、俺様たちロドスの事を思い出してくれよ。きっと、アンタらの役に立つぜェ。」

 そう言ってニカッと笑って見せるゴールドラッシュの姿に、オリヴィエの目尻からは再び止め処ない涙が溢れ落ちていた。

 

「さて、と。」

 ロカプラナのダウンタウンに存在する広場で、ロドスの医療オペレーターたちに治療を受けるゴールドラッシュの視線の先にあったのは、ロカプラナの実権を握っていた今回のロドスの介入対象、『盟社(カンパニー)』と通称される企業の本社ビルだった。

「そろそろ、アーミヤちゃんやドクターたちの方も片付く頃かねェ。頼むぜェ、ウェルキエル!」



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ロカプラナ街の悪夢

・ウェルキエル
【コードネーム】ウェルキエル
【性別】男
【戦闘経験】三年
【出身地】ラテラーノ
【誕生日】7月31日
【種族】サンクタ
【身長】172cm
【鉱石病感染状況】
 メディカルチェックの結果、感染者に認定。


「……クロンズさん。本当に、和解の道は無いのですか?」

 小さな黒うさぎの問い掛けに、スキンヘッドの男は紫煙を揺らしながら、重々しく答える。

「ないさ、お嬢ちゃん。」

「理由をお聞きしても、構いませんか。」

「お嬢ちゃん、この世に『悪を為そう』と悪を為す悪者がいると思うかい?」

 ロカプラナを牛耳る大規模運輸商業社。クロンズ盟社と銘打たれ、人々には親しみと畏怖を込めて『盟社(カンパニー)』と呼称されるその企業の牙城――本社ビル屋上で、私とアーミヤ、ブレイズと複数名の戦闘オペレーターは、盟社(カンパニー)の創業者にして最高責任者、アルフォンソ・クロンズと相対していた。

 そう、これは紛れもない私の記憶。チゼルも知らない、ビデオカメラに映らなかった、ロドスの記録。

 

「残念ながら、そいつは映画の中だけの空想なのさ。誰しも、『自分にとっての悪』が欲しい。そうだろ? チェルノボーグの惨状を目の当たりにしたお嬢ちゃんたちなら、理解できるはずだぜ。」

「……ご存知なのですか、あの事件の詳細を。」

 約一年前、私たちが体験した悲劇――ないしは、世界の憎悪が産み出した当然の帰結。地獄の片鱗。それをあたかも、その目で見たかのように――アルフォンソ・クロンズは語った。

「うちの下っ端の中には、あれの生き残りもいてね。」

 静かに目を閉じて微笑むクロンズの表情からは、悪意は微塵も感じられなかった。その部下の事を想いながらその発言を口にしているのならば、そこにあるのは慈愛と憂慮だろうと、そう察する。

「俺らは、俺らが生きやすい世界を……生きやすいロカプラナを造りたいんだよ。お嬢ちゃん、あんたが言っている俺の悪行ってのも、世界からすりゃ無論善悪の観点で測れば『悪』だろうが――。」

 ――そう。『真っ当な』倫理観を最優先に考慮するならば、クロンズの行っていた数々の源石実験は、彼の下で永年従事しようとは思えない事項が数多く存在しているはずだった。それでも、彼の前に――私たちの前に、多くの戦闘員が凶器を手にして立ちはだかっている、ということは。

「俺たちにとってロカプラナは最後の楽園なんだ。……ここから去る? ここから逃げる? どこへ? 誰へ? 何へ? 居場所も、金も、肉親も、信頼も、愛も失った俺たちに身を寄せられる場所なんざ、もうココ以外に残っちゃいないんだ!」

 唇を真一文字に結んだ戦闘員たちが武器を握る手が、より一層強くなる。臨戦態勢を取るロドスの戦闘オペレーターたちを平手で御しながら、私の隣に立つ小さなCEOはクロンズへと歩み寄ろうとする姿勢を崩さない。

「でもそれは、あなた方の居場所をさらに奪っている事になります!」

「言っただろお嬢ちゃん。もうココ以外に俺らの楽園は無い。ここが俺らの楽園である以上、ロカプラナの評判はどうでもいいんだ。重要なのは、盟社の信頼と、運輸ルートだけ。それさえ盤石なら、ロカプラナの住民は限られたコミュニティの中で限られていても確かな幸福を得られる!」

「その代償に、間違った知識で記述された薬理学書の啓蒙、偏った知識で製造された薬品の投与が蔓延しているのは、この街の十年先を見据えられているとは到底言えません!」

「お嬢ちゃん、俺らは今を生きたいんだよ!」

「ひとりの企業責任者なら、未来の展望を考えるのは――市民と部下の今後を想定するのは、必要不可欠な事項ではありませんか!?」

「それが考えられるのは……金がある奴、恵まれた環境がある奴、この絶望の世界で一握りのラッキーを掴めるだけの運がある奴だけなんだよ!」

「そんなことありません! 皆さんには平等に、未来を考える権利があります! あなたの刹那的な考えは、あなたの子供たちの世代のロカプラナを蔑ろにしている!」

 どちらが間違っている、とは考えるべくもなく。

 だが――果たして。毎朝温かいスープを飲んで。毎日適度な運動を行い。毎夕定期的な予防接種を行い。毎晩柔らかなシーツに横になっている私が口にする「間違っている」とは――この世界を生きている多くの感染者の「間違っている」と、果たして同意義なのだろうか。

「アーミヤ、もう……。」

「待ってくださいブレイズさん! 私は、こんな……! ……いいえ、何も違いません。きっと、あなたの言っていることも正しいのでしょう。私に理解でき得ないとしても、あなたの隣に多くの人々が立っている以上……あなたの言う事は、きっと間違っていません。……ですが、それでも!」

 ブレイズの抑止も振り切り、アーミヤはなおも糾弾する。

今の鬱憤さえ晴らせれば(・・・・・・・・・・・)未来なんてどうでもいい(・・・・・・・・・・・)なんて!」

 ――それはかつて、我々が対面した革命組織が、崇高な思想の奥に秘めていた熱情。退廃的な八つ当たりの感情が、正義の皮を被って跳梁跋扈する倒錯の世界。たとえ、頂点に立つ女傑が血に蝕まれ、『そうなる運命だった』としても。

 それは、二度と見るに堪えないエゴイズム。

「……。」

 クロンズは手にしていた紙煙草を足下に放り捨て、それを地を這う虫をそうするように踏み躙ると、フゥ――と大きく息を吐く。

「若いな、お嬢ちゃん。この世界に生れ落ちて十年かそこら。……その眼に映るこの世界は、何色に見える?」

「色、ですか。」

「俺も、昔はこの世界にも青空があるって信じてた。いや――実際あったんだろう。現実的な意味で言えばな。でも……俺は、もうこの世界がモノクロにしか見えない。色も無い。光も闇も無い。あるのは……ただ、受け入れなくちゃならない理不尽だけ。」

「でも!」

「お嬢ちゃん、お前もいつかわかる時が来る。それはもう……来ないかも知れないが。お嬢ちゃんを見ていると、俺の娘が小さかった頃を思い出すんだ。だからどうか、お嬢ちゃんだけでも逃げてくんな。」

 その情けの一言に、アーミヤの拳がぎゅっと強く握りしめられる。

「――いいえ。」

 しっかりと。

「逃げません。」

 力強く。

「私は、」

 クロンズの曇り曇った両目を見据えて。

「私たちは、決して逃げません!」

 ロドスの小さなリーダーは、両手指に嵌めた指輪をクロンズと、その配下たちへ向けながら、声高に宣誓の言葉を放つ。

「あなたたちの過ちが、あなたたちの罪が、たとえあなたたちにとってそうでなくても――その思想の下に苦しむ感染者がいる限り、ロドスは――私たちは、あなたたちの敵となります!」

「……残念だ、お嬢ちゃん。」

 次の瞬間、事前に私が伝えておいた通りに、ロドスの戦闘オペレーターたちが一斉に前へ出る。それに応じるように、クロンズの部下たちも鬨の咆哮をあげながら、こちらに向かって突進してきた。突如として巻き起こる動乱の中で、私とアーミヤ、そしてアルフォンソ・クロンズだけが、微動だにせずに睨み合っていた。

 

 どれほど経っただろう。とにかく数に任せて総力戦に持ち込むクロンズ勢力に対し、綿密な統率と作戦の下に鎮圧を続けるロドスは俯瞰的に見ても圧倒的に優勢なように思えた。

 しかし、仁王立ちのままポケットに手を突っ込み、こちらを見据えるクロンズの表情に焦燥は見えない。それどころか、何かを虎視眈々と狙い澄ましているかのようにも思えた。

「――アーミヤっ!」

「っ! 皆さん、急いで屋上中心部から退避を――!」

 鼓膜が張り詰める感覚の直後、落雷と見紛う閃光が、私たちが立つ高層ビルの屋上を襲撃する。

「アーミヤちゃんッ!」

 残響、キーンと吼える空気の中、屋上が瓦解し、その場にいた全員が、地上百メートルの空中へとその身を放り出される。そんな中、ブレイズの伸ばした手が、アーミヤの手を掴むのが視界の端に映った。

「待ってください、ドクターが――ドクター!」

「ドクターの事は彼に任せるから! ――こら怠け者くん! 少しは仕事してよね!」

 崩壊する屋上を構成していた瓦礫の雨の中を、黒い影が矢の如き鋭い動きで跳躍していく。次々に空中遊泳を強制されたロドスのオペレーターたちの腰部に安全用ハーネスを接続していき、最後に私の背中と腰を抱えるように、瞬く間に背後に出現する。

「……や、ドク。」

 言葉少なく、私に挨拶してきたのは、途中でひび割れて二分割されたサンクタ人特有の光輪を頭上に浮遊させる青年だった。

「こうして会うのは初めてだっけ。……どーも。特殊親衛隊RO.S.ES所属の特殊オペレーター、ウェルキエルだよ。地獄への急降下ツアーの最中に自己紹介する非礼は、……どうか許してね。」

 そう言い残すと、再びウェルキエルは影を纏い、着地姿勢を取れずいるオペレーターたちの方に向かって落下していく瓦礫を利用しながら跳躍、接近し、その場の全員が地上に叩きつけられないよう、ハーネスに繋げられたワイヤーを、その場にあるビル壁やモニュメントなど、様々な場所へと接続させていく。

「姐さん、ドクとアーミヤは任せたから。」

 ガチャン、ガチャンと次々に生命線が増えていく。中には既に、地上数メートル上でハーネスに牽引され、多少強引だが安全に地上に爪先が当たったオペレーターもいるようだ。

「やっほードクター! 紐無しバンジーの具合はどう?」

 ウェルキエルが繋げたワイヤーを通じて、遠くにいたブレイズが、アーミヤを抱えたまま私の元まで滑り落ちてくる。

「このままウェル坊やのワイヤーを使って着地するから、振動に注意してね!」

 ――直後、ずしんと重苦しい音と共に、私とアーミヤを小脇に抱えたブレイズの腕から、筋肉越しに強烈な衝撃が伝導してくる。

「いっ痛ぁーい! これヒビ入ったかも!」

 努めて明るく、ブレイズは事も無げにそう嘯いて、私とアーミヤを大通りのアスファルトの上へと解放する。私たちが他のオペレーターたちの無事を確認した後、目の前に聳え立っていた剣を天高く掲げる姿の黄金の女神像へと目を向けると、その剣の切っ先にワイヤーを括りつけた状態のウェルキエルが、顎で女神像の向こう側を示していた。

 そこへ視線を移せば。

 

「――どこまでも、俺の見立てが甘かったのか。」

「ここ数か月間、盟社(カンパニー)絡みの武力事件はトランスポーターの皆さんからも聞いていませんでした。……もしかして……。」

「ああ、あれしきの砲撃で一掃できるような組織じゃないなどと、少し考えればすぐわかったものを。……俺の完敗だ、ロドス。」

 そこには、腹部に深々とナイフが突き刺さったアルフォンソ・クロンズが、口端から流血しながら、焦点の定まらない視線で私たちを睨んでいた。

「俺を信じて俺についてきてくれた――家族にも等しい部下たちの命を使い潰して決行した一世一代の作戦が、こうも簡単に御されちゃあ……地獄であいつらに合わせる顔が無い、な。」

「医療オペレーターの皆さん、至急盟社(カンパニー)本社直下エリアまで急行してきてくださいっ!」

「無駄だよアーミヤ。」

 音も無く、天使が舞い降りる。クロンズの隣に降り立ったウェルキエルの手には、クロンズの腹部に喰らいついているナイフと同じものが握られていた。

「あと四分十二秒でコイツは死ぬ。」

「そんな……ウェルキエルさん、どうして!」

「……それが僕らの仕事だから。」

「でもっ……!」

 ウェルキエルに向かって何かを糾弾しようとするアーミヤに対して、消え入りそうな声で、クロンズが「お嬢ちゃん」とアーミヤを呼ぶ。

「お嬢ちゃん……。俺は、俺は間違っていたのかもしれない。ただ――今を生きていたくて。今を、生きていていいんだって……皆で分かち合い、たくて。」

「喋らないで! あと二分もすれば、ロドスの医療班が到着します!」

「俺は……未熟だったから。戦士としても……商売人としても、夫としても、――親父としても。ああ……エリー。俺は……俺は。」

「それでも!」

「ああ。それでも。」

 アーミヤの涙ながらの反発に賛同する声が、私の背後から聞こえてくる。

 それは、腰に直剣を佩いた血魔。

 それは、銃と剣を携える天の御遣い。

 それは、テンガロンハットを目深に被った保安官。

 そして、全身に甲冑を身に纏い、顔面を覆面で覆い隠した女流剣士。

「それでも、お前さんは間違っちゃいなかったさ。」

「世界が間違ってると詰ろうとも、君の家族たちは君が正しいと心から信じていた。」

「よく見ろよ、あんたはひとりじゃないはずだぜェ?」

 その言葉に呼応するように、クロンズの後方から、満身創痍になりながらも彼の背中にひとたび手を触れようと歩み寄る、多くの部下たちが、行軍する騎士のように霧の中から現れ始める。

「――父さん。」

 そして、覆面の剣士が、クロンズの目の前に膝をつき、そのマスクを取って見せる。

「エ、リー。」

 クロンズに瓜二つの面立ちをしているその女性は、クロンズに対して満面の笑顔を見せる。

「はは……俺は……幻を――?」

「違うよ、夢でも幻でもない。家出したまま音信不通だった、エリファーだよ。」

「オリヴィエって術剣士の話……聞いてはいたが。」

「なぁに、自分の部下の事、何も知らなかったの?」

「はは……ははは。エリー。エリー、エリー!」

「ごめんね。頑張ったね、父さん。父さんは間違った事してきたし、その罪は死んだくらいじゃ償いきれないけど……。『未来』は、私たちが作るから。それは、このロカプラナに……みんなのための楽園を築いてくれた、父さんが繋いでくれた道標だから。だから……もう、いいんだよ。母さんによろしくね。」

「俺が……俺が、ラナと同じ場所へ行けるもんか! でも……でも――。」

 その瞬間、次々にクロンズの背中に、種族も年齢も性別も様々な部下たちの掌が触れては地に落ちていく。

「社長、おれたちはあんたと一緒に走れて――。」

「あたしたちは社長と一緒に無数の『今日』を造れて――。」

 

 楽しかったです。

 

 大粒の涙を流したままその場で動かぬ肉塊と化してしまったクロンズを見つめながら、ウェルキエルはとても――とても、遠い場所を見つめているような気がした。

「僕は……たくさん、色んな命を潰して来たけど。」

 ぽつり呟くその後悔にも似た感情は、すぐに掻き消されることにはなったが、しかし。

「こんなに満足しながら死んでいく奴、初めて見たかも。」

 その顔は、驚きと安堵と、悲嘆に染まっていた。

 

 そして、再び事態は転換する。

 ぴしりと亀裂音。ぱりんと破裂音。ぼんっと爆発音。

「――ドクター、逃げてください! ここにいる盟社(カンパニー)戦闘員たちの遺体――全員漏れなく、重度の鉱石病(オリパシー)感染者です!」

 あちこちで、花火が爆ぜるような音。大気中に溢れゆく黄金色の飛沫。粉塵。

「全オペレーターに通達します! これよりロカプラナ中央エリアを起点に、感染者の大量死による大規模源石(オリジニウム)粉塵爆発が発生すると予想されます! 必要最低限の装備を回収し、速やかにロカプラナ南外郭エリアに向かって高速退避を開始してください――!!」



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憧れは陽炎のように

・フラムベルク
【コードネーム】フラムベルク
【性別】女
【戦闘経験】五年
【出身地】カジミエーシュ
【誕生日】8月14日
【種族】クランタ
【身長】157cm
【鉱石病感染状況】
 メディカルチェックの結果、感染者に認定。


 鉱石病(オリパシー)罹患者が死に至れば、その死体を媒介にして、新たな源石(オリジニウム)鉱床が発生する。だからこそ、このテラの大地には鉄鉱脈と同等の頻出性で源石を簡単に採掘できる。

 だが、死体から源石が生じる時、爆発的な速度で成長する鉱石に耐え切れず、肉体は四散する。その衝撃で、高熱の源石粉塵が周囲へ拡散し、それを起点に爆発災害や、下手をすれば天災を招く切っ掛けにも成り得る。

 だからこそ、そういった事態に陥った時、最善策はとにかくその場から退避する事にある。

「見ててドクター! ボクらのエース、ジーラちゃん……フラムベルクちゃんの活躍が始まるよ!」

 興奮に紅潮する頬を隠しもせず、隣でポップコーンを齧歯類のように貪り続けるチゼルが、ビデオが映る画面を指差し、私の肩をしきりに叩く。画面の中では、クランタの少女が騎士の甲冑と槍を手に独り戦場に立っていた。

 

「――せめて。」

「せめて。」

「社長の無念を。」

「お前たちを、道連れに――!」

 身体中から巨大な源石結晶が飛び出した、最早生も死も定かではない盟社(カンパニー)戦闘員の大群を前に、少女はドローンカメラを背にして自身の名を告げる。

「……自己紹介をしておきましょう。肖兵はコードネームを『フラムベルク』。ロドスにおいて、ドクターの危険排除のみを主目的とした特務組織、特殊親衛隊RO.S.ESに所属する重装オペレーターです。」

 ガチャンと音を立て、自身の体重と同等の重量はあるであろう重厚かつ巨大な盾を持ち上げ、兜のバイザーを落とす。

「生まれはカジミエーシュ。故郷では陽炎騎士などと持て囃された時期もありました。が、鉱石病に感染してからは肩書も失くし、人望も失くし、故郷も失くし。残ったのは数少ない親友と、この心に未だ燃える騎士の誇りと――耀騎士ニアールへの、果てぬ憧れのみとなりました。」

 ちらりと、フラムベルクが背後を一瞥する。ドローンがその方向にカメラを向けると、そこには遠く退却していく私たちロドスチームの背中が見えた。つまり、フラムベルクは単独で殿を務めているのだろう。

「何も知らないお前らに!」

「苦しみも、怒りも知らないお前らに!」

「一方的に捻じ伏せられる屈辱も知らないお前らに!」

「社長は……俺たちの『親父』は、お前らなんかとは――!」

 怨嗟の声と、破裂する体表結晶を振りまきながら、一歩また一歩と戦闘員たちが近付いてくる。その、喀血と共に吐き出される恨み言を聞いたフラムベルクは暫くの間押し黙り、そして。

「貴殿らに何を言おうと、最早魂を喪ったその肉体に肖兵の言葉は届かないでしょう。故に、肖兵は実力を以て貴殿らへ敬意を表します。貴殿らも、そして肖兵も。何も変わりありません。既に死した命。既に死した魂。在るのは、淀んだ眼窩の奥にて燃え盛る怒りと、誇りの焔だけ。」

 最初に飛び掛かってきた戦闘員を、手にした盾で弾き飛ばす。その五体は脆く、空中で分解されてしまう。無論、そこから生ずるのは源石の粉塵爆発。それも盾で防ぎ、フラムベルクは尚も前を見据える。

「ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない!」

「にげるな、おまえら、にげるな!」

「ぜんぶうばって、ぜんぶけして、ぜんぶもやしたくせに!」

「――にげるな!!」

 理性も無く、本能と激情のままに次々襲い掛かってくる戦闘員の成れの果てを相手に、怯みもせず恐れもせず、フラムベルクは一体、また一体とその肉塊を盾で殴り、蒸発させていく。高温の粉塵が、露わになっている彼女の頬を焦がすも、フラムベルクは構いもしない。

「逃げません。」

 ある者は盾で圧し潰し。

「退きません。」

 ある者は槍で刺し貫き。

「貴殿らを一人残らず見送るまで、肖兵は――私はここから一歩も動きません!」

 

 吼えるフラムベルクの身体に、直後見てわかるほどの変貌が起こる。それは、地獄の亡者へと変わり果てた戦闘員たちと同じ特徴。すなわち、肩から、背中から、腕から、脚から、黒ずんだ茶褐色の巨大な結晶が甲冑を突き破って出現したのだ。

「痛い――痛い、いたい、イタいッ……――痛いいいぃぃ――!!」

 その表情が、初めて苦悶に歪む。だが、その脚が後方へと踏み込む事は無い。歯を食いしばり、それでもフラムベルクは戦闘を続行する。

「う……が、ぁ! うわあああああぁぁぁぁ!!!」

 断末魔にも似た悲鳴をあげながら、鉱石の枷を五体に杭打たれたフラムベルクは、襲い来る戦闘員たちを盾で殴り飛ばしていく。殴られた人体は発火し、まるで陽炎のように揺らめきながら、空中でじりじりと灰燼へと帰した。

「うわぁ! わぁっ! ぐっ……ぐあああぁぁ!!」

 見るに堪えない惨状が、カメラの向こうで尚も続いていく。

 その左手のほとんどが源石結晶に覆われ、ついに握ったジャベリンが指の間から滑り落ちたとしても、右手に構えた大盾だけはしかと離さず、這いずって進む亡者の群れを一人も漏れなく、忸怩たる思いの滲む表情で、歯を食い縛りながら叩き、投げ、撥ね、壊していく。

「オエッ――、ま、だ。負けてない。敗けてない。倒れて、斃れてない。わた、しは生きてる! 活きてる! いきているぞぉ――!!」

 甲冑に付着した肉も血も、焼け爛れた顔の皮膚もものともせず、何故生きて、動き続けているのかまるで理解できない状態のまま、フラムベルクは闘い続ける。

「おまえ、たちが、生きていたかった、『今日』を! やがて訪れる、『明日』を! わたしが背負って、抱えて、生き抜いてやる! だから、もういい! もういい! 眠れ! この残影を、浮かぶ陽炎を、天馬の光の成り損ないを見て、逝けェ!!」

 ――それは、陽炎と言うにはあまりにも鮮烈で。あまりにも――凄惨だった。もはや源石の剣山と変わり果てたフラムベルクの肉体を媒介に、大規模な現実改変が起こる。見ようによっては翼。見ようによっては紅焔現象。見ようによっては悪魔の顕現。

 地面から陽炎のように噴き出し、昇り、霧散していく火炎が、やがてフラムベルクの盾に装着された貯蔵機構へと吸い寄せられていく。結晶と甲冑の隙間から漏れ出る火炎が、フラムベルク自身の身体にも負荷をかけるが、彼女がそれを意に介そうとする気配は無い。

 陽炎と呼ぶには程遠く、さながらに太陽の炎を周囲へ充満させ、その炎を纏って燃え盛る盾を振るい、散在する命もどきを次々に灰燼へと帰していくクランタの少女は、――ロドスの理念からはかけ離れているように、思えてしまう。

「我がヒッツェシュライアーは尽きぬ憧憬の情熱! 崇拝は身を焦がし、やがて破滅を呼ぶ! 私もおまえたちも、何も変わらない! 『ただひとつ』を追い求め、『ただひとつ』に身を滅ぼした愚者! だから、もうここがおまえたちの終点! ――おわり、なんだよ!」

 甲冑も炎に呑まれ、フラムベルクの全身が灼炎に包まれる。直後、ドローンカメラの映像が乱れる。砂嵐のようにノイズが介入し、やがて音声と映像が完全に停止してしまった。

 

「あー、まぁこうなるよねー。」

 この結末を予感していたように、チゼルがビデオデバイスの方へと四つん這いになって近付いていく。

「クロージャお姉さんがおかんむりだったのはこういうことだったかー。ジーラちゃんの炎って、急成長中の人体結晶をそのままエネルギー源にしてるから、金属とか余裕で熔けるんだよね! それでも耐えられる鎧と武器を使ってるから、ジーラちゃんは平気なんだけどねー。このドローンたちってば防塵防水耐衝撃の超高性能機器のはずなんだけどなー。」

「……あのあと、フラムベルクはどうなったんだ?」

「ん? あぁ、うちの医療オペレーター(マラボレマさん)に回収されたよ。それは本人から聞いた方がいいんじゃないかな? ジーラちゃんのパートはちょっとショッキング過ぎて、ドクター以外には見せないつもりだし……。」

 デバイスから録画端末を取り出し、次の端末を選ぶチゼルは、そんな言葉を口にしながら部屋のドアを指差す。その方向を向くと、ちょうどドアの向こうからノック音が聞こえてくる。

『ドクター、フラムベルクです。入室、よろしいでしょうか。』

「構わないよ。」

 私の許可を得てから、先程まで画面の中にいた少女――フラムベルクが、真っ暗な部屋の中に入ってくる。その姿はビデオ序盤に映っていた姿で、戦闘中の彼女の異形の容体は面影すら残っていなかった。ゆえに、フラムベルクの用事を聞く前に、私は彼女に尋ねていた。

「身体中に癒着していた結晶の行方……ですか? 拙生は使用するアーツの特性上、毎回このように暴走しておりますから。特殊親衛隊RO.S.ES所属の専属医療オペレーターであるマラボレマ女史の治療も手馴れて来たものとつくづく実感しております。」

「あの状態から、あの巨大な体表結晶をすべて除去したのか!?」

「ええ。案ずることはありません。拙生も慣れておりますゆえ、その工程にさしたる苦痛はありません。」

 骨や肉、皮膚、内臓が変質した源石の結晶。それを摘出したのだ、相応に身体に影響が出ていなければおかしいというのに、フラムベルクは表皮に手術痕こそあれど、内臓や筋肉が欠如しているようには見えなかった。

「あ、これこれ! 次のビデオ! ライトニングさんのやつ、これでいいよね?」

 チゼルもこれといって心配している様子もない。フラムベルクの言う通り、特殊親衛隊RO.S.ESにとってフラムベルクがビデオの向こうで見せた、あのアーツの使用後に五体満足のままでいられるというのは、普遍的な出来事のようだ。

 ――いや、しかし。

「そーいやジーラちゃん、キミは何の用で来たの? 今のドクターはボクが独り占めしてるんだから、仕事の話とかやめてよねー?」

「するわけないでしょ。私が用あるのはアリサ、あなたよ。」

「ボクぅ?」

「あなた、そのビデオ撮った時の作戦の始末書、結局提出してないでしょう?」

「ぎく!」

 私の前で、年頃の少女の何気ない会話が紡がれていく。互いに負の感情は無く、あるいは困ったような笑顔を、あるいは呆れたような笑顔を浮かべて談笑している。

 ――本当に、ビデオの向こうに映っていた少女は、このスポーティな軽装でチゼルの頭を小突く少女と、同一人物なのだろうか。

「――そうだ! ジーラちゃんも一緒に見ようよ!」

「私はまだ仕事が残って……。」

「ドクターもっ! それでいいよね?」

 だが、その疑念は今この瞬間には、不要なものだと。こうして『今日』を楽しんでいる少女たちを前にして、今この瞬間に影を落とす疑念は、不要だと判断して。私はこくりと首肯して見せた。

「……では、不肖ながら、今回はフラムベルクでは無く――ジーラ・フランベルジュという、ひとりの感染者として、同席に預かるとします。……では、失礼致します。」

 そう言って、フラムベルクが私の隣にクッションを置き、そこに腰を下ろす。それを確認し、チゼルは満面の笑みで再生デバイスのスイッチを押す。

 

『……オレの名前を言うべきところか。ライトニング、というのはコードネームなわけだが。イルダ・モンタルボという名前は、源石エネルギー科学の分野ではそれなりに名が知れていると自負しているつもりだ。』

 そこは、壊滅した商業都市、ロカプラナ。その中央区画で、数名の学者オペレーターと共に立っていたのは、長身のエーギル女性だった。

『あー、ド派手な場面をお見せする事はないだろうが、まぁ特殊親衛隊RO.S.ESの働きを記録するという目的なのだから、オレの戦闘シーンなど見せてもしょうがないのだがな? とは言えやはり、私とて戦闘補助オペレーターゆえにな……。』

 顔面下半分を覆うガスマスクに手を当てながら、ライトニングと名乗るその女性オペレーターは、ドローンカメラに向かって鮮やかなウインクを決めて見せた。

『……とかく、このオレの普段の仕事ぶりをその目に焼き付けていくことだな!』



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トゥルエノ・ディスタンテ

・ライトニング
【コードネーム】ライトニング
【性別】女
【戦闘経験】四年
【出身地】イベリア
【誕生日】6月28日
【種族】エーギル
【身長】171cm
【鉱石病感染状況】
 体表に源石結晶の分布を確認。メディカルチェックの結果、感染者に認定。


 事実として、このビデオが撮影された作戦から現在に至るまで、実に数か月の時が経っている。同様に、彼女が歩いているロカプラナの街並みも、日付は作戦当日から数か月後のものとなっていた。

「とは言っても、未だにここら一帯の大気中源石粒子濃度は人体に悪影響を及ぼす危険域の最中だ。……今ここで、大規模なアーツ実験を行ったら、それはもう多大な成果が得られることは間違いないが……。」

 一瞬、ライトニングはカメラに背を向け、ブルリと身震いをする。

「コホン。――オレも、常識は弁えているとも?」

 そう言ってカメラの方へと向き直り、数ブロック先の簡易テントを指差して見せると、ライトニングはそこへ向かって歩き始めた。

「さぁそれでは始めようか。特殊親衛隊RO.S.ES研究分析担当、ライトニングの仕事風景をね。」

 

 ロボットアームによって拾い上げられた源石結晶をまじまじと眺めながら、その造形についてライトニング女史が思うままに言葉を連ねていく光景が、先程から十数分ほど続いている。

「――人工的に成分を組み替えられた源石にしては出来が良すぎる、というのはさっきも言ったと思うがね。より強力な……。ふむ、オペレーター諸兄の中には身に覚えのある者も少なからずいようが、鉱石病罹患者の中にはその諸症状や副反応の一部として筋力の増加……もとい、膂力の大幅な拡張を獲得し得るケースが存在する。ロカプラナの『盟社(カンパニー)』が研究、量産していた人工結晶には、『感染した鉱石病の副作用・副反応を予め設定できる』というプロトタイプなカスタマイズ性があったように思える観測結果が複数件確認できた。……これはともすれば、テラの源石エネルギー工学の新時代をもすら創造可能な技術だ。つまり――『病状が軽微になるよう設定した結晶』から源石鉱石を培養する事ができれば、新たな鉱石病重篤患者を産み出す事が無くなるのだから!」

 その講釈を、私の隣に座るフラムベルクは神妙な面持ちで凝視し、チゼルは明らかにわかっていないような笑顔を浮かべてポップコーンを貪り漁っていた。

「『盟社(カンパニー)』の威光を周辺都市に誇示する事で、威力商業を行っていた……というのは事前調査でも判明していた事ではあったが……。その『威力』という単語の正体がこれでは、あまりにも悪魔との契約と言わざるを得んな。……まぁ、オレも同じ条件でヘッドハンティングを受けたら二つ返事で入社しそうだが。」

 ロカプラナの中心部、巨大な交差点跡地に仮設された臨時基地のテントの中で、ライトニングはコーヒーを片手に、もう片方の手でペンをくるくると弄り回しながら、次々に各種装置から送信されてくる人工源石結晶の測定データを参考に自論を述べていく。

「だが、それはオレの奇特な性格上の判断だ。……この世界に、自ら望んで感染者になろうとする者なんぞ、オレを含めてもそう多くはあるまいよ。『盟社(カンパニー)』の武力介入セクションに入社、所属するにあたり、この人工結晶の粉末を経口摂取する事が規約とされていたそうだ。安定性に乏しかったものの、身体的な耐性・適性さえ保有していれば、平均的な鉱石病症状を維持しつつ、厳選された副次的症状をその身に宿すことができる。……危険性は高いとも。こんなモノは稚拙で低品質だと見るだけでわかる。こんなモノは吞みたくもない。急性中毒による致死率はオレがこの場で行った概算でも65%を超えるだろう。わかるか? 入社して最初に通過させられる儀礼で、半数以上の新入社員がその場で水晶の塊になるんだぞ? そうまでして、『盟社(カンパニー)』に入ろうとするからには、……相応の根拠が、彼らにはあったのだろうな。」

 その時、ロドスの制服を着た青年が、ライトニングの元へと駆け寄ってくる。その手には、複数枚の書類が抱えられていた。

「ライトニング先生、『盟社(カンパニー)』重金属製造プラントの機密情報リスト、印刷できました。」

「重畳。有機エネルギー開発プラントの方も順調か?」

「そちらは問題ありません。あと一時間も頂ければ、各事項のリストアップが終わります。ですが……。」

「懸念が?」

 青年はこくりと頷き、それについて口にする。

「人事部の方が。」

「……予測はしていたとも。こんな暗黒企業、入社を希望する方が狂っていると評価せざるを得まい。」

「いえ、各種データの欠落……と言うより、そもそもとしてデータが存在していない入社記録の方が多いんです。」

「ほう? ……オレも気になる。精密機器専門のオペレーターにロボットアームと人工源石の管理権限を委譲してくれ。人事セクションの方へはオレが出向こう。」

 ライトニングは席を立つと、ペンをその場に放り捨て、青年の先導でテントを後にする。

 その二分後、テントに駐在していたと思しきオペレーターの女性が慌てた様子でドローンカメラに駆け寄り、何やら操作した後、次のシーンへと切り替わった。

 

 シーンが切り替わると、崩壊したオフィスの室内で、比較的解読が容易そうな書類やデータ類を捜索するオペレーターたちが慌ただしく走り回る中で、唯一機能が損なわれていない椅子に腰かけ、オペレーターたちが集めた資料に目を通しているライトニングが映っていた。

「ふむ。アガピコ・ロジョラ……社員名簿に記載はあるが入社記録は無し。セレスティノ・メンヒバル、同上。カルヴィン・ウィンズレット、同上……。はぁ、何だこの企業。ふむ……確か、この企業の幹部並びに、武力介入を行っていた戦闘員と接触したRO.S.ESオペレーターの記録が残っていたな。」

 そう言って、ライトニングは手元の端末で、私たちが先程まで見ていたビデオを、倍速で視聴し始める。その途中、『盟社(カンパニー)』に所属する職員や戦闘員たちが何かを喋っているシーンに差し掛かると、その都度に倍速を解除していた。

 ――『今ここで死ぬことに、オレは後悔しない。』

 ――『誇らしげに、「改善しました」なんて綺麗事を吐く連中に!』

 ――『私は……誰も、死なせたくなくて。』

 ――『俺らは今を生きたいんだよ!』

 ――『俺たちの「親父」は、お前らなんかとは……!』

「……。」

 何を感じ取っているのか、それとも無感動に黙視しているだけなのか。ライトニングは一言も発さないまま、すべてのビデオを視聴し終えると、短く深く、溜息を吐いた。

「一種の縁故採用のようなものか。社長であるアルフォンソ・クロンズに一定の恩義や『借り』を背負っているからこそ、彼の信奉者として部下が集っていた。……教祖のカリスマが、派閥内の人間の視野を著しく狭める。カルト宗教の典型例だな。」

「ライトニング先生、他のセクションの概要レポート、大方は用意できました。こちらはいつでも撤収できます。」

「ああ、オレもじきに向かうとも。……その前に少し、やるべき事がある。」

「お手伝いしましょうか。」

 ロドスのオペレーターの提案を笑顔で拒み、ライトニングは先に戻るよう促す。

「それには及ばんさ。そら、ここいら一帯の源石粉塵濃度も軽視して良い物じゃない。早く機材を片付けて、飛行機に帰ってなさい。オレもそう長くは待たせんよ。」

 オペレーターの青年はライトニングの返答に素直に頷き、バッグに書類や電子機器を詰め込んでオフィスを後にする。

 その場に取り残されたライトニングは、やる事があると口にしていたにも拘わらず、生物の気配ひとつない灰色に崩壊した文明の亡骸の中で、何をするでもなくぼんやりと、窓枠から暗く曇った外界の大空をじっと眺めていた。

 そうして十分後、ライトニングが再び声を発する。

「――……随分と愛されていたのだな、君は。」

 

 カメラが振り向いたそこに在ったのは、源石の結晶で構築された剣山。否、茶褐色の水晶を大量に背負った、人ならざるモノだった。身体中に人体のパーツが無造作に接合され、融合し、固着している。中央部に唯一残った頭部は、『盟社(カンパニー)』酋長、アルフォンソ・クロンズのそれであると判別できるものの、その姿はヒトと呼ぶにはあまりにも冒涜的で、悍ましい怪物と成り果てていた。

 ――私の隣で、チゼルとフラムベルクが同時に息を吞む音が聞こえる。年端も行かない少女たちに、その光景はあまりにも刺激的だっただろう。

「口は利けるか? ……いいや、自我も残ってはおらんだろうな。だが……どうしてそうまでして、生き延びようとした?」

 クロンズだったモノは、何を言うでもなく、ライトニングの顔をじっと睨み、微動だにしない。

「託されたんだな。幾度もの『今日』を共に生きて来た家族たちに、せめて命はと。……アーツは心の機微に大きく影響される。社会的ミーム……それもまた、アーツの結果を左右する要素のひとつ。あの大規模粉塵爆発の刹那、何があったかはオレにもわからない。ただ……。」

 ライトニングは推論を述べながら、白衣の下に格納されたアーツユニットを騒々しい音を響かせながら展開させていく。

「……あの瞬間、調律された源石によって感染した人造のアーツ適合者たちによる、無意識の大規模アーツが発動したと推測しても、そう遠からず的中しているのではないか? ……自意識も存在せず、生きる意図も見失い、『今日』を辿り『明日』を見つめるその情熱さえ喪った君のその姿は、果たして……天国、ないし地獄にいる君の家族たちが見たら、どう感じるだろうね。」

 アーツユニットが、やがて大型の杖の形状へと完成すると、ライトニングは足下を杖で数回、叩打する。直後、クロンズだったモノの周囲に、青緑色の電流が奔り始めた。

「――だが、それでも。」

 科学者にしては、あまりにも感動的なスピーチだっただろう。学術的にも根拠は無く、論理的にも破綻した、陳腐な感情論。それをまるで尊い物かのように謳いながら、ライトニングは電流の激しさを強く大きく調整していく。

「多くの者たちが、君の事を心から尊敬し、愛していた。たとえ歩んだ道のりが、世界にとって邪悪なものだったとしても……君が、君たちが共に刻んできた轍は、確かな景色を創り上げたはずだ。――どうか、魂の還る場所で、君たちの本当の理想郷を皆でその目に焼き付けられる事を願っている。」

 なんて、と。ライトニングは薄く微笑む。

「――オレらしくもないな。」

 瞬間、映像のすべてを、青緑色の眩い閃光が支配した。フラムベルクの時と同じく、その後のビデオは断絶されてしまっていた。

 

「うーん、ビデオ終わっちゃった。」

 ビデオデッキの前で、チゼルは困ったように眉を寄せる。

「もうひとりいただろう、マラボレマだったか?」

 私の問いに、チゼルは「そうなんだよねー」と間の抜けた返答をする。

「マラボレマってさ、すっごく愛想が悪いんだよ! 悪い人じゃないんだけど、こういう『みんなでなんかしよー!』みたいなノリには絶対に付き合わない人なんだ。」

「秘匿性の高い情報を扱う特殊親衛隊RO.S.ESの医務担当ですから、その寡黙な姿勢は本来妥当なのですが。」

「そーじゃないじゃん! みんなにもマラボレマの事、知って貰いたいんだけどなー。」

「本人はきっとそれを一番嫌がるわよ。」

「むむぅ、確かに。」

 はあ、と大きな諦観の溜息を吐き出し、チゼルはその場にあったビデオをひとつひとつ片付けていく。

「しょーがない、次の任務の支度もあるし、ビデオパーティはここでお開きかな!」

 チゼルが部屋を出ていき、彼女が放ったまま散らかして行った菓子の袋やポップコーンの紙箱をてきぱきと纏めると、フラムベルクも私に一礼をして廊下の奥へと去って行ってしまった。

 ――私も、まだ執務が残っている。アーミヤを怒らせても怖いので、僅かな余韻に浸りながらもその場から立ち去ろうと踵を返した。

「どくたー。」

 ――その時だった。

 まったくもって不可思議な――。

「まだ、クレオのビデオを。みて、おりませんわ?」

 ビデオデッキの電源は、チゼルが消した。ディスプレイの電源は、フラムベルクが消した。電源コードは、その場でコンパクトに巻かれて置かれている。

 なのに。

「さぁ。ごらんに、なっていって? クレオの、ホームビデオを――。」



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マイナス海抜の天使さま

警告:周囲の環境の現実的不確定性が急激に増加しています。速やかにその地点からの離脱を試みてください。


 小さな女の子、のように見えた。ロドスのオペレーターが身に纏うそれと同じ制服を着込むが、ジャケットのサイズが合っておらず、手の先は袖によって隠れてしまっている。

「はじめまして、どくたー。クレオのなまえ。おぼえて、くださいましね?」

 画面の中にいると言うのに、まるでここにいる私を近くしているような眼差しで、じっと私を見つめるその女の子は、自身の名をクレオと名乗った。

「こんなかたちで、どくたーにごあいさつ、するのは、とってもこころぐるしい、ですわ?」

 明らかな怪奇現象。このテラに生きていれば、少なからずこういった現象に直面する事も少ないわけではない。特に『海』に関われば、原因を無くして生まれ出る結果、結果を無くして行き止まった原因を目にすることもしばしばあった。

 今こうして、クレオが自己紹介を続けるビデオを見ている私も、そんな光景を何度も見たが故に――それに動揺し、慌てふためくような事態にはならなかった。

「みなさま、おもしろそうなことをして、いらっしゃるのに……クレオをさそってくれない、だなんて。はくじょうでは、ございませんこと?」

 クレオはそう言って、よよよと袖で目元を隠すような仕草を見せる。『皆様』という言い草、そして今こうしてビデオに映っているクレオ。恐らくは、クレオも特殊親衛隊RO.S.ESのメンバーなのではないだろうか。

 そんな事を、私が推察した時だった。

「――ごめいとう、ですわ!」

 ビデオの中のクレオが――私の思考に返事をした。

 

「とくしゅしんえいたい、ローゼス。クレオもまた、それにぞくするオペレーターですわ。ええ、オペレーターなのですから、もちろんロドスのはいぞくきろくにも、クレオのなまえはのこっている、はずですわ? もしやもすると……そのきろくは、ケルシーせんせいの、こじんてきなほかんばしょに、かくされているかも、しれませんが。」

 現実か虚構か、真実か虚偽か。クレオという幼女は果たして実在しているのか。こうして私にリアルタイムで語り掛けてきているこの幼女は、本当にこの世界に生きている存在なのか? 幾つもの疑問が頭に浮かんでは、水泡のように消えていく。

「……せっかく、こうしておはなし、するきかいをえたというのに。どくたー、あんまりなたいど、ですわね? クレオは、ここにいますわ? ここに。ちゃあんと。」

「すまない。だが私は、君が私にとって危険性の無い人物だという確証が得られないんだ。」

 私の告白に、クレオはくすくすと笑う。

「すなおな、おかた! どくたーの、そういうところ……クレオは、むかしから、だいすき、でしてよ?」

 またも、クレオは私を困惑させるような言動をする。だが、こういった事例において、やはりひとつひとつの事物に固執して思考を遅滞させるのは悪手である事は、経験則で察知していた。だからこそ、私は彼女に目的を問うのだ。

「――どうして、私とお話をしようと思ったんだ?」

「あら、クレオと、どくたーのなか、ですわ? ふうふといっても、かごんじゃ、ございませんわ! そんな、ふたりが、むつごとをかわすことに、もくてきや、りゆうが、ひつよう、でして?」

「……悪いけれど、私は君を覚えていない。」

「もんだい、ございませんわ! どくたー。クレオの、いとしき、だんなさま……あるいは、おくさま! あいするふたりに、きおくなど、あまりにも、ちんぷな……かせ! ……ふあん、ですの? おもいだせない、ことが。かけてしまった、こころの、ピースが。おそろしい、ですの?」

 突如として、クレオが映るビデオの向こう側、クレオの背後に、大きな水泡がぼこぼこと沸き立ち始める。クレオが立つ砂原に、無数の花が――哺乳類の臓器や筋肉によって構成された花弁が、一面に咲き誇る。

「ああ! じんるいは、あゆみ、きざみ、のこす、れいちょう! やんぬるかな、ですわ? うしなったものは、けいけいに、とりもどせない。まちびとこず、しつぶつみつからず。」

「クレオ、君は――。」

「名を!」

 唐突に、クレオの声音が若干だが、成長したように思えた。

「名を、呼んでくれたのですね!」

 外見は先程までと変わらず、一桁代の幼児だというのに。

「感謝致しますわ、ドクター!」

 それはまるで、老婆の様でいて、幼女のような。

「嗚呼、これで真に、ドクターとクレオは繋がりを、絆を、契りを得ました!」

 そのまま直視していると、まるで画面の中に引きずり込まれてしまいそうな眼差しで。

「――今、そちらへ行きますわ!」

 否。実際に私の両頬に、ひんやりと死人のような体温がふたつ、密着していた。

「愛しておりますわ、クレオだけのドクター――!」

 いつの間にか、クレオの鼻先が私の鼻先にぴたりとくっついており。私の眼窩の向こう側をじっと見つめる彼女の瞳の奥には、無数の星と音楽と、真理と酩酊が渦巻いていて――。

 

「――……ター。」

 微睡みから目覚めると、そこはロドスの廊下だった。

「ドクター。お目覚めですか。」

 立ったまま、どうやら私は眠ってしまっていたらしい。フラムベルクが私の顔を覗き込んで、心配そうに目尻を落としていた。

「……激務の連続で疲労困憊のところ、チゼルの我儘に付き合っていただき恐縮です。」

「いいんだ。良い息抜きになって、こちらとしてもありがたかったよ。」

「ドクターはお優しい限りで……。」

 ふと、誰かに呼ばれた気がした。背後を振り向いても、今しがた出て来たビデオルームの扉がその向こうの暗闇を私に見せるようにして佇んでいるだけだった。

「ドクター?」

「……いいや、なんでもないよ。」

 そう、なんでもない。誰かに呼ばれることなど、あり得ない。ここには私とフラムベルクしかいなくて、暗室の中には今、電源が落とされた各種機材が転がっているだけ。だから、どこかから声がするなんて、あり得ない。

 

「――この世に、あり得ざる事なんて、実はとっても少ないんですのよ?」

 曇天の下、崖の上に孤独に聳える灯台の足元で、幼い少女は嗤う。

「ドクター、きっといつか、クレオとあなた様は出逢いますわ。そう――きっと、早いか遅いか、その違いだけ。邂逅する運命の袂で、時期の問題なんてちっぽけなもの。そうでしょう? ふふ――待ち遠しいですわ、その時が。」

 果てしなく広がる、まっくろな水平線を見つめながら、幼い少女が躍る。

「もしかもすれば、その時というのは星々の渦潮が熟れて堕ちて、そしてまた実った先の話かも。もしかもすれば、それは暗がりに浮かぶ瞬きの海が、その自重に耐え切れず爆ぜて――また新たな海が熾る、その先の話かも。それでも、クレオはあなた様を待ちますわ。永遠の伴侶、クレオだけの――ドクター。」

 ふと、幼き少女がこちらを向く。その眼窩の内側には本来あるべき器官は存在せず、ただ、眩しくて目を細めてしまうような、どす黒い闇が満たされているのみだった。

 

「ドクター、やはり少し休憩なされた方が……。」

 はたりと、私の自意識が元の状態へ戻る。私としたことが、部下の前でとんだ醜態を晒していたらしい。

「うぅん……理性回復剤を投与しすぎたか……。」

「あの危険物ですか? ……ドクターの責務は推し量るに難解な重責とは重々承知しておりますが、ああいった代物を容易に体内に過剰摂取するものではないと存じますよ。」

「はは、耳が痛いね。」

 なんとなく、ここにいるとまた眠気に負けてしまいそうな気がして、私はフラムベルクを誘ってカフェテリアに向かう事にした。今なら、アーミヤに指揮を一任していた簡易任務から帰って来た、私の信頼するオペレーターたちが祝杯をあげに訪れているはずだ。

「ええ、拙官の休憩時間にもまだ余裕はあります。喜んで、その御誘いに乗りましょう。新しい茶葉も手に入れたばかりですし、不肖の手前ではありますが、ドクターにも一杯淹れて差し上げますよ。」

「楽しみだね。」

 ――なんとなく、また背後を振り向く。暗室は、その口を開けたまま、私をじっと見つめるばかりだった。

 

「クレオを、おぼえておいて、くださいまし、ね?」



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エリア・ブランク着任
特殊親衛隊、僻地へ


・チゼル

Chisel
狙撃:破城射手
特性:重量が最も重い敵を優先して攻撃

素質『拍動センサー』:攻撃範囲内の敵のステルス効果を無効にする
素質『蒼き龍の瞳』:敵を攻撃時、敵の防御力を50%無視


 そもそも、特殊親衛隊RO.S.ES(ローゼス)の主たる任務は、製薬企業であるロドスの最重要人物、通称『ドクター』の安全を確保する事にある。多くの戦闘オペレーターの指揮系統を掌握し、頼もしき人材を多く抱えるドクターであっても、その命は戦場に立つ以上常に曝露状態にある。そんなドクターの危機にいち早く急行し、その危険性を即座に排除するのが、RO.S.ESの役目なのだ。

「だってのに――!」

 だというのに。

「なーんで、ボクらこんな何も無いへんぴなド田舎にいるんだよーーっ!!」

 特殊親衛隊RO.S.ES所属の狙撃オペレーター、チゼルの悲嘆の叫びが、大自然に覆われた草原の果てに見える、まっさらな地平線へと吸い込まれていった。

 

 周囲には森と、平野と、少しばかりの山岳と、周囲を一望するに充分な高度の丘。その程度しかない。移動都市の基盤も無ければ、人が住むに足る文明の痕跡も存在しない。あるのは、遥か遠くから飛来してきた人工物に運搬されてきた機械類がいくつかと、唐突な僻地左遷にゲンナリと項垂れる数名の男女のみ。

「しょげるなよ。二か月前から言伝されていただろ。」

「あのねおじいちゃん、ボクらはおじいちゃんと違って都会っ子なの! 現代人なの! こんな近代的娯楽も皆無な原始風景見せられたらそりゃしょげもするよ!」

「おう喧嘩かよ。買うぜ。」

「いやいや、そうじゃなくてー!」

 意地悪そうな笑顔を浮かべる前衛オペレーター、ラセツにその蒼い髪をグシャグシャと撫で回され、チゼルは不満そうに唇を尖らせる。

「おいアリサくん、駄々を捏ねる暇があるなら資材の搬送を手伝ってくれないかね。オレのようなひ弱な研究者に力仕事をさせておいて、恐らくRO.S.ESの中でもトップクラスの膂力を誇るキミがそこでうだうだとサボっているようでは、オレも定例報告にキミの所業について事細かに記載せざるを得ないが。」

「うわわ、それだけは勘弁して!」

 その場に集まる面々の中でも目を引くほど身長の高い補助オペレーター、ライトニング女史に苦言を呈され、チゼルは森の入り口に停車している、巨大装甲車の方へと駆け寄っていく。

「だいじょーぶだってぇ、イルダ姐ぇ! アタシとジーラちゃんと、おじいちゃんにウェルキエルくんだっているんだし! 女の子は縛られるより自由に飛び回る方が立派に育つわよ!」

「あれっ、俺様は!?」

「ハナエル、キミはいささかジーラくんやアリサくんに甘すぎるきらいがあるぞ。快活は美徳というキミの言い分、充分に理解はできるが、オレとしては職務と私事は弁える大人になって貰いたいのだがね。」

「無視かよッ!」

「……兄貴は……力仕事より、書類整理の方が……向いてる。」

「嘘こけ! 俺様今でこそ一部隊のメンバーに過ぎねェがよ、昔は悪党相手に神話の英雄もかくやっつゥ斬った張ったの大立ち回りをなァ――!」

「兄貴……口より手、動かして。」

「理不尽だろッ!!」

 明朗を通り越して能天気のきらいすらある先鋒オペレーター・イノセントや、それとは正反対に感情の起伏に乏しい語り口を見せる特殊オペレーター、ウェルキエルと、彼ら彼女らに振り回され憤慨する前衛オペレーター、ゴールドラッシュらも装甲車の周囲から姿を現し、続々とその場に特殊親衛隊RO.S.ESの面々が集結しつつあった。

 

「――さて、それでは臨時の隊長として、オレたちがこの辺境の大地に左遷……もとい派遣された理由について、今一度復習の時間と行こうじゃあないか。」

「俺たちもついに島流しか……。」

「おじいちゃん、ここ茶化すとこじゃないよ。」

 簡易組み立て式のテーブルやチェアを並べ、数名の男女がそこへ腰かける。揃ったオペレーターたちの顔をひとりひとり見つめながら、ライトニングは手にした資料をテーブルに順次置きながら任務内容のお浚いを始めた。

「この地域は国土的に言えば、サルゴン以南イベリア西部……の、未だ人類の手によって調査が進められていないエリアのちょうど始点にあたる場所だ。既にいくつかの国家が極秘裏に派兵した開拓チームや研究組織の介入も確認されている。」

「いくつかって言うからには、相当に価値のあるエリアっつゥわけだな?」

「いかにも。人の手が加えられていない天然源石鉱脈の存在が大きな理由とされているが、ここにはもうひとつ大手を振って人を送り込める利点がある。わかるか、ジーラくん?」

 ライトニングに名指しされ、背筋を伸ばしてスピーチに耳を傾けていた重装オペレーター、フラムベルクは、一層姿勢を正し、朗々溌剌と推論を述べてみせた。

「未踏エリアに属する地域ということは、いずれの国家の法令をも遵守する必要が無いという事でもあります。あらゆる刃傷沙汰、暴力行為を正当化し、より強硬的な手法を用いて自国の利益を奪取する行為に及べる事も、このエリアの競争性を高めていると推察します。」

「素晴らしい! ……なあ、やはりジーラくん……大学とか行かないか?」

「行きません。」

「そうか……。」

 勧誘を即答で断られ、しょんぼりと肩を落としながら、ライトニングは話を続けた。

「……この仮称『エリア・ブランク』で仮に明確に特定国家所属の戦闘行為に巻き込まれ、それを当該行政機関に告訴したとて、襲撃してきた兵卒が当該国家に属する武力であるという証明はできない。故に、このエリア・ブランクは完全な無法地帯であると考えておいた方が良かろうな。」

「はいはい! しつもんしつもん、質問でーす!」

「うむ、何かねアリサくん。」

「他の武装組織と共謀して襲撃者の容疑を所属国家に訴えた場合はどうなりますか!」

「いやー、ないっしょ。」

 チゼルの疑問に答えたのはライトニングでは無く、隣に座っていたイノセントだった。

「だって共謀者がそんなことするメリットがどこにあんのよ。国家間の火種を産むだけだよ? 少しでもエリア・ブランクの開拓にリソースを割きたいなら、無駄な摩擦に予算使うより、開拓チームにお金回して貰いたいはずだけどねー。」

「うぎぎ、高学歴エリートに煽られてます!」

「悔しかったらアリサちゃんも執行人になれるくらいお勉強しなー?」

「いやです!」

「ハハ、そう言うと思ったー。」

 嫌味は一切無く、純粋に心から可笑しく思っている様子がはっきりとわかる朗らかな笑顔で呵々と笑って、イノセントはライトニングへと手を振ってみせる。ライトニングもその仕草に対して首肯すると、再びテーブルに並べた書類へとペン先を向けながらスピーチを再開した。

「――オレたち特殊親衛隊RO.S.ESがこのエリア・ブランクに派遣された理由は、主に二点ある。」

 ひとつ、とライトニングは親指を曲げる。

「エリア・ブランクへの駐留を開始した組織による、過剰規模及び過度な危険性を帯びる源石関係の技術実験や構造物の建造の阻止。また、エリア・ブランク内で起きると予測される武力衝突の中立介入。要は、『エリア・ブランクで起きる源石絡みの面倒事への対処』、これが一つ目だ。」

 そしてふたつ、とライトニングは人差し指を曲げる。

「そんな事ができるのはオレたちのようなエリートオペレーターくらいだ。しかしロドスとしてもヒューマンリソースを大きく割けるような余裕は無い。アーミヤくんやケルシー先生にも信頼されているブレイズくんやロスモンティスくんのような面々はロドス本艦に残しておくべきだろう。とあらば必然的に、この任務に出撃できるだけの実力を少数ながらも発揮できるのは――。」

 ライトニングはそこでひと呼吸置き、細く開けた瞼から、そこに集う七人の男女の表情を伺う。笑顔から仏頂面まで、その面持ちは七者七様ではあったが、全員に共通して、その表情の奥には、溢れんばかりの自信が湛えられていた。

「――オレたち、RO.S.ESしかいないというわけだ。」

 そしてライトニングもまた、自尊心に満ちた笑顔でそれに応えるのだった。

 

 ―仮称『エリア・ブランク』・PM4:17・晴れ

「赤眼のサルカズに、未成年のクランタと同年代風のドラコ……ヴイーヴルかな? それからフェリーンとエーギル、サンクタが二人とループスが一人……。年齢も専門分野もまるで違う一般人たちを登用してひとつの目的の為に最善を選び続ける企業、ね。」

 ロドスから派遣された精鋭部隊の面々が集合し、今後の指針や現状整理を行っていたその森林と平原の中間部を視界の中に収められるだけの高さから、貨物輸送を主目的とする装甲車とそれに付随する数名の人員を見下ろす人影がひとつ。

「ロドス・アイランドかぁ~。これは早めに接触しておいた方が良いかな~、ビジネスチャンスを逃す手はないよね!」

 長く尖った耳介と、大きく豊かな尾を特徴とするヴァルポ種の少女は、鼻歌を口ずさむように独り言を漏らしながら、手にした端末機器の画面上にタッチペンを滑らせる。

「エリア・ブランク……ね! イイ感じの名前じゃん、流行らせちゃおうかな~?」

 森林区域を一望できる丘の上に立つその少女は、タッチペンを端末の側面へと収納すると、その端末自体も特殊素材が用いられていると一目見てわかるジャケットのポケットに放り込み、その場を離れていく。

「……じゃあ、また会おうねロドスのみんな! なんでもアリのエリア・ブランクの日常、どうか飽きないでね!」

 少女が抱える大型のサイドバッグには、『Fragam Carrier』の文字が大きく刻まれていた。



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ハックルベリーの冒険

・フラムベルク

Flamberg
重装:重盾衛士
特性:敵を3体までブロックする

素質1『激昂』:55%の確率でブロックしているすべての敵に攻撃する さらに体力が50%以上の敵に攻撃が当たった時、攻撃力が200%になる
素質2『陽炎の鉾』:55%の確率で通常攻撃が術攻撃に変わる さらに体力が50%以上の敵に攻撃が当たった時、敵の術耐性を無視して攻撃する


 ―仮称『エリア・ブランク』・PM2:16・曇り

 ハックルベリーの日常において、この未開の地に進出した様々な陣営のトランスポーターと交流する事は、もはや朝に飲むミック・コーラと同じようにありふれたルーティンと化していた。

 それでも、今目の前の席に座り、湯気の立つマグカップを両手に抱えてハックルベリーを正面から見つめるこのフェリーンの男性とだけは、未だに会話に困ってしまう事例の方が多かった。

「ええと……。」

「そこまで難しい質問はしていないように思えますが。」

「そっ……そうだよね~! へへ、やっぱりU-HIDが誇る敏腕トランスポーターを前にすると、ど~しても緊張しちゃうっぽい……かも!」

「……頻繁に言われます。どうも、僕の振る舞いは相対する人に対して威圧的に見えてしまうようで。」

「あはは……。」

 喉は絶えず渇き、ミック・コーラの空ボトルがテーブルの上にひとつまたひとつと並べられていく。

「ハックルベリーさん、質問の内容は覚えていますか?」

「な、なんだっけ?」

 フェリーンの男性は小さく溜息のような声を漏らし、再びハックルベリーへ問いかける。

「――ロドスの皆さんの姿は、貴方の目にどう映りましたか?」

 

 大きな溜息が、トラックの荷台の中に響き渡る。

「ははは、あのハックが疲労困憊になってやがる。」

「笑わないでよ~! サンバクスだってあの人、苦手でしょ!」

「確かにな。U-HID研究所営業部門のエース……エルハクラビ。正直、一緒に酒を飲もうとは思えないな。」

 疲れ果てて金属コンテナの上で大の字になって伸びるハックルベリーを揶揄う運転手へと、ハックルベリーは糾弾の声をあげる。

「……ロドスの人たちはどうだったか、だってさ。」

「なんて答えたんだ?」

「思ったまんまを答えたよ。――脅威にはならないけど、看過するわけにもいかなくなるだろうって。」

 トラックはやがて荒野を抜け、森林地帯の未舗装路へと侵入していた。シートベルトも無い荷台で度々衝撃のまま跳ね飛んでしまうハックルベリーは貨物用の固定器具を掴み取ると、それを自身が装備していた運搬補助のためのベルトに繋ぐことで姿勢の安定を試みた。

「ロドスかぁ……。ロドス製薬って確か、本拠地が無いんでしょ?」

「移動都市用のレールに接続して運行する中規模艦艇を本部としているな。」

「……あたしたちの鉱石病も、そこに行ったら治るのかな?」

「治らんよ。」

「そっか~。」

 そこから数十分、互いに口を開かない時間が続く。しかしその静寂も、唐突に停車したトラックの制動で荷台の壁に後頭部をしたたかに打ち付けたハックルベリーの悪態によって破られた。

「何やってんのサンバクス! 鹿でも撥ねた?」

「いや……あれ、ロドスの剣士だよな。」

「え?」

 すぐに両脚に装着された義足の電源を入れ、荷台の扉を開けて壁面に足裏を吸着させながら荷台の屋根へと飛び乗ると、トラックの進行方向へと目を細める。

 ――見れば確かに、数十メートル先から金属と金属が打ち合う鋭い剣戟音と、時折超高温の物質によって金属が融解する重低音が聞こえてくる。腰に提げた双眼鏡を両目に押し当てれば、黒とシアンを基調とした制服を身に纏う青年が、多数の覆面の暴徒を相手に大立ち回りを繰り広げている様子が視認できた。

「ラセツおじいちゃんだ!」

「お前、提携先の社員をおじいちゃん呼ばわりしてんのか!?」

「助けに行ってくる!」

「おい、ハック!」

 制止の声がその耳に届く時には既に、ハックルベリーはトラックの屋根を蹴って飛び出していた。

 

「おじいちゃん、手伝うよ~!」

「その元気な声はハックルベリーの嬢ちゃんか! ちょうどいい、結構大胆に攻め込まれちまってな。俺ひとりで(・・・・・)全員を相手取るのにはちと手間取ってたところだ。助けてくれるってなら、それに越した事はねぇさ!」

 ハックルベリーが現場に駆け付けた時、ロドス陣営に所属する熱刀の武人が造る屍山血河は周囲の樹木も巻き込んで拡大し、まるでその場にぽっかりと赤い大穴が空いたかのような様相を呈していた。

「えっ……この人数を、おじいちゃんひとりで倒してたの!?」

「母数はもっとでかい筈だぜ! もう片っぽ攻め込まれてるルートがあってな、そっちはフラムベルク嬢ちゃんとチゼル嬢ちゃんが対処してらぁ!」

 その時に気が付いたが、戦闘の激音はその場からだけでは無く、西方遠くからも聞こえていた。ハックルベリーは視線を正面に戻し、自身がこれから立ち向かうべき敵へと意識を集中させる。

「ヴァルポのガキひとり増えたって変わらねぇ! 相手も疲れてるんだ、押せば勝てるぞ!」

「むしろお荷物抱えてんじゃ本気で戦えないだろ! 勝機だぜ!」

 白い覆面に白い外套。術師と思しき戦闘員は反対に黒ずんだ姿をしている。身体各部には『X』の字を象ったオレンジ色のエンブレム。間違いようもなく、それはかつてウルサスの一都市を陥落し、感染者の解放を叫んだテロ組織――レユニオン・ムーブメントの戦闘員たちだった。

「どうしてエリア・ブランクにレユニオンが……!?」

「レユニオンを知ってんのか?」

「知ってるよ~! ロドスがチェルノボーグの事件を落ち着けた時にはもう、エリア・ブランクでトランスポーターやってたんだから!」

「そうかい、なら話が早い。……連中、この大地を逃げ場にしてた残党みたいでな。逃げたんならおとなしく過ごしてりゃ良いってのに、俺らロドスの名を聞いてご丁寧にカチ込んで来やがった。」

「どうして……。」

「どうもこうもあるもんかい。人の愛憎ってのは往々にしてそういうものなんだ。理屈じゃ語れない。――だからこそ、ドクターもアーミヤちゃんも……あそこまで思い悩む羽目になった。……この*極東スラング*な地に生きる以上、人と人の繋がりは強固になりやすい。救われる手段があったとて、一度握った誰かの手を放すのは、思う以上に勇気がいるのさ。」

 最後には自分に言い聞かせるかのように、ラセツは独白する。だがすぐに、ラセツの瞳は再び錬鉄の炉のように焔を宿した。ラセツとハックルベリーの会話の隙を狙って飛び掛かってきたレユニオンの暴徒の上半身と下半身を一刀に切離すると、赤熱する宝剣を握り締めて前を向く。

「だが相手が悪かったな! お前さんらの中に、チェルノボーグで俺たち特殊親衛隊の大活劇を見た奴はいないのか? ……来いよ。斬りかかってくる以上、手前ぇの死は覚悟できてんだろが!? 嗚呼、逃げる奴は追わねぇが、刃ぁ向けるんなら皆殺しにしてやるよ!!」

「あたしは鎮圧用の武器しかないから、汚れ仕事はおじいちゃんに任せるよ~……。」

 その気迫にレユニオン達同様に圧されながら、それでもハックルベリーは大型のサイドバッグの中から自衛用の折り畳み式電磁ライフルを二挺取り出すと、それをワンアクションで展開させ、両手に構える。

「俺ぁ機械はよくわからんが、それだって出力上げりゃ殺しの道具になるんじゃねぇか?」

「やらないからね!?」

 返り血が彼女の顔面に付着しないよう、飛び散る血液を手の甲で防ぎながら提案するラセツの背中を、ハックルベリーは次々突進してくる白刃を高圧電流で気絶させることでカバーする。

 遠距離からのアーツ攻撃はラセツが正面から受け止めて耐え、術師をハックルベリーが対処する。銃器やボウガンを持つ射手は、ラセツが用いる刀身にこびりついた血液を沸騰させて飛ばすアーツや、ハックルベリーの電磁ライフルによって鎮圧。

 そうして、レユニオン残党の人数は見る見るうちに激減していった。

 

 最後の数名がその場から尻尾を巻いて遁走していく背中をじっと眺めながら刃の返り血を蒸発させるラセツと、急な激しい運動に鉄製の膝に両手を置いて息を整えるハックルベリーの元へと、一台のトラックが近付いてくる。

「……終わったか?」

「サンバクス! 見てたなら手伝ってよ~!」

「おうサンバクスの坊主。元気してたか?」

「ご無沙汰してます、ラセツさん。ご助力は不要かと思いまして、見物に徹しておりました。」

「おうおう、ハックルベリーの嬢ちゃんがいるならお前さんも近くにおるだろうと思ってたぜ! おおかた、俺がいるから嬢ちゃんを無理に引き留めんでも良いと思ったんだろ?」

「お見通しのようですね。」

 トラックの運転席から身を乗り出して挨拶してきたのは、ヴァルポ人であるハックルベリーの耳とその形状は似ているものの、ハックルベリーのそれよりもいくらかサイズの小さな耳介を持つループスの男性、サンバクスだった。

「……あちらさんもとっくに終わってるみたいだ。用事はライトニングかマラボレマだろ? 送ってくぜ。」

 ラセツの発言にハックルベリーが意識を向けた西方からは、彼の言う通り何の音もせず、森の住民たちの鳴き声しか聞こえなくなっていた。

「そういえばおじいちゃん、ウェルキエルくんは元気にしてる?」

「健康優良、たまに帰りが遅い事に目を瞑れば素直な善い子にしてるぜ。」

「良かった~! ウェルキエルくん、フラガムキャリアの輸送拠点に来るといつも居心地悪そうにしてるもの! トランスポーターたちの間でも、『もしかして人と接しすぎると蕁麻疹でも出るんじゃないか』なんてウワサされてるんだよ!」

「……まぁ、あいつは気が置ける間柄の連中と打ち解けるまでにはかなりかかる性格だからな。特殊親衛隊に配属された当初なんて、龍門で絶賛指名手配中だった事もあって――。」

「えっ、ウェルキエルくんって指名手配犯だったの!?」

「おっと、今のは聞かなかった事にしてくれ。」

「ロドスって本当に経歴不問なんだね……。」

「聞かなかった事にしてくれ。」

「聞かなかった!」

「よし。」

 

 ―仮称『エリア・ブランク』ロドス占有地区・PM6:56・曇り

 トラックの荷台から次々に重そうな金属製クレートを下ろしては、ロドスのオペレーターたちと共に仮設拠点の中へと運び込んでいくハックルベリーを後目に、サンバクスは手元の書類の束をテーブルに数回叩いて揃える。

「――サイン、確かに確認しました。輸送に不備不足があった際は、弊社のハックルベリーをこちらに二日ほど滞在させておきますので、彼女に申し付けて頂ければ次回の配達時に追加で運んで参ります。」

「いつもすまないな、フラガムキャリアさん。」

 白衣の上からロドス制服のジャケットを羽織る女性オペレーターに礼を言われるが、サンバクスは静かに微笑んで「構いません」と首を振る。

「エリア・ブランクの名は、既にこの地に前々から現着していた各国陣営にも広く知れ渡り、それまで呼称が統一されていなかった大地に一体感を生み出したのです。……だからこそ、ロドスという組織に興味を示す陣営も増えてきたのですが。」

「なに、その方がこちらとしても好都合というものだ。我々の目的はこの地で源石が過剰採掘されるような事態や、源石による新たな災害を予見して対応する事にあるのだからね。……時に、ハックルベリーくんの義足の調子はどうだね? クルビア本国で製造されたアーツユニット内蔵の義足など、今までにメンテナンスした試しが無くてな。不調は起きていないだろうか。」

「ばっちり絶好調ですよ~!」

 その質問には、ハックルベリー本人がやや離れた場所から鎧のような音を立てながら、その場で駆け足のふりをすることで問題無い事を証明して見せた。

「弊社の技術者でもあそこまで精度の高い調整ができた者はいなかったんですよ。本当にモンタルボ博士には感謝しています。」

「よせ、今はライトニングを名乗っているんだ。」

 やがて荷台から全ての貨物を下ろし終え、額の汗を拭いながら共に作業をしたロドスの女性オペレーターたちと龍門やドッソレスのトレンドの話題で談笑するハックルベリーを見て、サンバクスは別れの挨拶を口にする。

「では、私はこれで。――毎度ご利用ありがとうございます。今後とも、我らフラガムキャリアをよろしくお願いします!」



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理外のオビタ・ディクタム

・ラセツ

Rasetsu
前衛:剣豪
特性:通常攻撃時、1回の攻撃で2回ダメージを与える

素質1『羅刹の魔』:敵を倒した時、その時の自分の体力の15%にあたる体力を回復する
素質2『白昼の妖焔』:敵に攻撃が当たる度に敵の防御とアーツ耐性を-20%(最大5段階)
素質3『渡海鬼因子』:スキルが発動可能な状態で自身に状態異常の効果が付与された時、SPをすべて消費して即座にそれを無効化し、その効果を付与した対象に同じ効果を付与する


 ―『エリア・ブランク』U-HID研究所 輸送セクター・PM5:18・晴れ

「よぉ兄弟、何を熱心に見てるんだ? 人に見せられないもんか?」

 背を曲げて端末の画面を食い入るように見つめていたエルハクラビの元へ、貨物列車の荷下ろし作業に確認印を押してきたサンクタの青年が手を振りながら笑顔で歩み寄ってくる。

「ブラキウム……業務は終わったんですか。」

「終わったから堂々とサボってんじゃねぇかよ!」

「まるで普段から隠れてサボっているかのような。」

「そんな事はどうでもいいだろ! ほら、何見てんだよ?」

 エルハクラビの端末には、周囲の木々をまるで障害にもならないかのように溶断しながら、襲い来る覆面の暴徒たちを斬り捨てていくロドスの剣豪、ラセツの躍動が映し出されていた。

「お、ロドスのサルカズか! 龍門映画みたいな活躍だな、見ていてスカッとするぜ! そういえばお前、知ってたか? 龍門映画でしょっちゅうアクションものの主演やってた女優! 名前は忘れちまったけどよ、今あの人、ロドスで働いてるんだってよ!」

「ブラキウム、きみはこの剣士に勝てると思いますか?」

 饒舌なサンクタ、ブラキウムの軽妙なトークも聞き流し、エルハクラビは視線を画面へ落としたままブラキウムに問いかける。ブラキウムも自身の話が無視される事など慣れた事のように、特に気にした様子も無く「うぅん」と唸る。

「手段と条件によっちゃ、イイトコまでは追い詰められそうだけどな。――まぁ基本は無理だろうな! 見ろよこの幹の断面! 赤熱してんだろ? 木肌が燃えずに一瞬で焦げてるって事は、コイツのアーツ……いいや、多分コイツが持ってる直刀だな。炎じゃなくて熱、純粋な高温を操ってるんだ。ほら、今のシーン! レユニオンだっけか? この兵士の上半身と下半身がまっぷたつに吹っ飛んでるってのに、血飛沫が飛び散って無いだろ? 断面が過剰な熱で一瞬で傷が閉じてるんだよ! そう、焼き鏝の要領だな!」

 ぺらぺらと喋るブラキウムの話を聞きながら、要所要所で映像を止め、ブラキウムが解説しやすいように拡大して彼の話の手助けをする。

「……さて。それでは出掛けますよ、ブラキウム。」

「お? どこにだよ、俺の仕事はもう終わったぜ? ジュウシャちゃんから荷票も貰ったし、俺はちょっくらフラガムキャリアまで出て馴染みのトランスポーター連中と酒でも飲もうかと――。」

「きみのお望み通り、カンフルタウンですよ。飲酒はまだ控えてください、きみには運転をしてもらわなくてはならないので。」

 

 ―『エリア・ブランク』カンフルタウン 八番街・PM7:30・晴れ

 ロドスの入植から数か月、彼らの介入によって『エリア・ブランク』という通称が波及したこの未開の大地には、最初期に開拓を始めたカジミエーシュの鉄道会社と、その物資輸送に力を貸したクルビアのフラガムキャリア通運の二大企業による尽力によって建造された移動都市が存在していた。

 『この地平線に足を踏み入れるすべての人々へと、情熱と野望が行き渡るように』――その願いを託してカンフルタウンと名付けられたその不夜城の大通りに面したカフェのテラス席で、三人のトランスポーターが顔を向き合わせていた。――否、一人は常にテーブルの上のカップへ目を落としていた。

「……おいエル、これじゃまるで尋問じゃねぇかよ。もう少しフレンドリーにできねぇのか?」

「極力やっているつもりなのですが……。」

「よくそれでトランスポーターになれたな……。」

 エルハクラビとブラキウムの前に座る漆黒のヘイローを持つサンクタの少年は先程から、問われた事にこそ丁寧に答えているが、その回答は至って簡潔であり、社交性は微塵も感じられなかった。

「な、なぁウェルキエルさんよぉ、お前も俺と同じスイーツの都出身だろ? このカフェ、スイーツがめっちゃ美味えんだよ! 好きなの頼んでいいぜ、金はこの朴念仁が払うからよ!」

「好意には感謝するけど、僕も雑談をするためにこのテーブルに座ってるわけじゃないんだ。」

 そう言って純粋なサンクタの道から外れた証であるくすんだ蛍光灯を頭上に冠する少年、ロドス製薬のトランスポーター・ウェルキエルは手元のカップを口元に寄せ、砂糖もミルクも入れていないコーヒーを啜る。

「君も、僕と同じ教令遵守の都出身なんでしょ? ……それならわかるはずだよ、僕と『共感』できないことくらい。」

「俺は――、」

 ブラキウムはそこで一度言葉を呑み込む。触れる事はできないが、そこにある光輪に指を伸ばし、それからまたウェルキエルと同じように、砂糖を多量に混ぜたコーヒーへと手を戻す。

「いいや、俺たちは。……ウェルキエルさんにどんな経歴があるのかなんて、ちっとも興味がねぇ。このエリア・ブランクにやってきた以上、俺たちは商売敵であり、同時にこの大地という名の怪物に挑む仲間なんだからな。そりゃあ知ってるさ、こんな仕事してりゃ、お前と同じように黒いヘイローした奴らだって何度か見てる。」

「ブラキウムの場合は義務不履行で見ているんだと思いますが。」

「バラすなよ、エル! ……とにかく、俺たちは『堕天したサンクタの』ウェルキエルさんに興味があるんじゃねぇ。『ロドスのオペレーターの』ウェルキエルさんに興味があるんだよ。」

 その時、それまで俯いたままだったウェルキエルの視線が、ようやくエルハクラビとブラキウムの眼を捉えた。その姿に、ブラキウムはにかっと笑うのだった。

「……やはり、きみを連れてきて正解でした。」

「なんか言ったか?」

「いえ、何も。」

 

 実のところ、エルハクラビは目の前でコーヒーを飲む少年について、事前調査を行っていた。

「珍しいね、エルが白壁の外に興味を向けるなんて。」

 ――あの星みたいな所長には、そんな風に皮肉られてしまったが。それでも、エルハクラビには彼の痕跡に思い当たる節があったのだ。

「……以前、龍門の薬理学院で勤務していた際、帰宅の折に忠告を受けた事があるんです。『最近はこんな夜遅くに帰ろうとするのはまずい、うちの仮眠室を使っていきなさい』と。」

 当時、市井は正体不明の殺人鬼の話題で持ちきりだった。ターゲットは成人済みかつ、更年期以前の若い男女。時間は日付を超えた深夜。現場は決まって、周囲を高層ビルに囲まれた路地裏。凶器は常に鋭利な刃物。被害者は総じて心臓を抉り取られ、遺体を常人では到底手の届かない高度のビル外壁に金具とワイヤーで固定されて発見される。

「それ……龍門近衛局の捜査報告書? エル、熱心なのは良い事だけど、違法な事には手を出さないでよ?」

「出していませんよ。これはきちんと手順を踏まえた上で知人から借りた物です。その証拠に、特に機密性の高い部分は黒塗りになっているでしょう。」

「ふぅん……でも、これってちょっと、黒塗りの部分が分散されすぎてない?」

「ええ、されすぎていますね。どうやらこの秘匿事項をチェックした督察隊の高官は少し寝不足だったようです。」

「……エールー? あなた、コネをそんな風に使う子とは思ってなかったわよー? もっと実直で正直なお兄さんだと思ってたんだけどなぁー。」

「持てる手段はすべて投じるのがポリシーです。……他の陣営のトランスポーターが介在しない場所でのロドスとのコンタクト、彼らの腹の内を知るにはまたとない機会ですから。」

「そう? 腹の内って言っても、あの人たちにそこまで深い目論見があるとは思えないけどね?」

「所長に比べたら、誰の目論見だって浅ましい限りですよ。」

「こーら、そんなこと言っちゃいけません!」

 一切力が籠められていない拳骨を脳天に受けながら、そんな事は意にも介さずに報告書と端末の映像を見比べ続けるエルハクラビの視界の端で、そのフェリーンの女性は遠征用の多機能白衣を翻し、手にした長大なアーツユニットを音高く鳴らしながら部屋を去っていく。

「それじゃ、またねエル! わたしの留守の間、いい子にしてるんだよ?」

「次はいつお戻りに?」

「さぁね、気が向いたら!」

 天蓋の裏側へと消えた創設者を追い求め、人智の彼方にある特異点を目指す旅人。彼女が消えていった自動ドアが閉まるのを見届けるエルハクラビの手元で、ちょうど映像の中の人物もエルハクラビの方を向いていた。

『――……。』

 金具とワイヤーを用い、樹林の狭間に心臓を失った外敵の五体を吊り下げながら、画面の中に映る漆黒のヘイローを持つ少年は、じっとカメラが置かれているであろう方向を――画面の前にいるエルハクラビを、無機質な瞳で見つめていた。

 

「なあ、ロドスってどんな場所なんだ? 職業柄、噂は聞くけど輪郭がぼやけたようなイメージしかないんだよ。そうだ、ロドスってあのクルビアのライン生命ともパイプがあるんだろ!? 俺、医療エンジニアリングが専攻だから、ライン生命の主任研究員に会える機会があったらなぁーってずっと思ってたんだよ!」

「ブラキウム、悪癖が出ていますよ。」

 早口でまくしたてるブラキウムを窘め、しまったとばかりに口元を両手で押さえる相棒を横目にエルハクラビは少しだけ上半身を前へと傾け、ブラキウムと同様の内容の質問をウェルキエルへと投げかける。

「しかしブラキウムの言う通り、ぼくたちはロドス製薬という組織についてほとんど実態を知らない。だからこそ、実際に勤務しているトランスポーターであるあなたから、直接ロドスという居場所についての所感を聞きたかったのです。」

 呆けたように口を少しだけ開いていたウェルキエルは、コーヒーカップを両手で包むように握り、その問いに対する答えを返そうと言葉を紡ぐ。

 ――しかし、エルハクラビに聞こえて来たのは、それまで数回会話を交わしていた物静かな少年の声では無く、どこか老成した不気味な雰囲気を持った、幼い女の子の声だった。

『よいばしょ、ですわ!』

 鼓膜では無く、自身の脳髄を音源として聞こえてくるその声に、エルハクラビは咄嗟に己のうなじを右手で掴んで背後を振り向く。無論、そこにあるのはどこまでもまっすぐ続く、カンフルタウンの街灯りだけだった。

「エル、どうかしたか?」

「今……聞こえませんでしたか、ブラキウム?」

「何がだよ?」

「……小さな女の子の声でした。ウェルキエルさんの代わりにぼくの質問に答えるような……。」

「何言ってんだよ、ウェルキエルさんはちゃんと自分の声で喋ってたぜ? ……おいおいやめろよエル、お前が冗談言わないことくらいわかってるけどよ……。」

 ちらりとウェルキエルを瞥すると――彼は微笑んでいた。それまで無表情を貫いていた少年が、明確に笑顔を浮かべていたのだ。

「ウェルキエルさん? いかが――、」

『すなねこの、おにいさま。あなたさまは、いちど■■■をみている、はずですわ?』

「――っ!」

 次に聞こえてきた声は、エルハクラビの内側からでは無く、目の前に座る堕天使の唇を借りて発せられていた。

「ブラキウム!」

「おいおい、エルがしっかりしろよ! 何が聞こえてるってんだ?」

「本当に……聞こえないんですか……?」

「聞こえてないよ。」

 エルハクラビの疑問には、ウェルキエルがウェルキエルの声を用いて返答していた。

「■■■ちゃんの声は、特定条件を満たした人間にしか聞こえないんだ。」

「何かの……アーツ?」

『いいえ、■■■はあーつのさんぶつ、ではありませんことよ?』

「■■■ちゃんは実在するよ。エルハクラビさん、今も君の網膜の中にいるはずだ。鼓膜の内側にいるはずだ。皮膚の裏、臓物の内壁、血管の内海に――■■■ちゃんはいるはずだ。だって――。」

『えるはくらびさまは、■■■をみつけてくださったのですもの!』

 自身の体温が、頭部の血が引いていく事で下がっていくのを感じる。息遣いが荒くなり、気付きたくない『真実』に到達しそうになる思考回路を必死で止めようとする。だがエルハクラビにも見当はついていた。ウェルキエルの殺人現場、それしか要因は考えられない。あの悍ましい儀式のような――儀式?

『いまいちど、さきほどのごしつもん、おこたえいたしますわ!』

 いや、だめだエルハクラビ。天秤の片皿の名を冠するU-HID研究所所属トランスポーター! 気付くな、辿り着くな! 思考を捨てろ、考えるのを止めろ! まだ間に合う、これは――記録媒体の視聴をトリガーに発動する『巫術』だ!

 

『とーっても、すばらしいばしょですわ! あなたさまもいつか――おいでなさいまし! ■■■たちのさいごのきぼう、じんるいのついのとりで、ロドス! このほしの、さいしゅうかんもんへ!』



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常在戦場

ゴールドラッシュ

Gold Rush
前衛:領主
特性:80%の攻撃力で遠距離攻撃も行える

素質1『独善的裁判』:バインド、スタン、凍結、足止め、睡眠状態の敵に攻撃可能。該当する状態の敵に対し、攻撃力+30%
素質2『上級ハイライト』:配置された自分以外の上級エリートオペレーターの攻撃力+15%、一秒ごとsp+2


「よし――進路確認、完了。発車時刻の確認、完了。各種機器の正常動作確認、完了。わたしの心の準備、完了……!」

 すぅーっと大きく、息を吸い込む。冷たい空気が肺いっぱいに充満し、緊張で火照った体内と、茹るようにのぼせる頭をゆっくりと冷却していく。

 はぁーっと大きく、息を吐き出す。生ぬるい吐息と共に不安感を放出するイメージで、肺の中身がからっぽになるまで、身体の中に溜まった古くて強張った自分を外へと逃がす。

「じっ――じょ、乗員……放送。マイクテスト……です。」

『大丈夫。聞こえているわよ、アーシャ。』

『サンダーレインちゃん、うちらが全力でサポートするっすよ! ファイトっす!』

 有線式のマイクに向かって声を出すも、やはりまだ緊張が歯を鳴らしてしまう。

「ありがとう……ございます。こ、こんなわたしですが……一生懸命、やらせていただきます!」

 落ち着け、落ち着けと自身の胸を撫でながら心の中で何度も繰り返す。瞼を閉じれば、あの日騎士競技の大歓声の中に立っていた自分の甲冑姿が暗闇の中に浮かび上がる。並み居る強敵を前に怯まず、挫けず、果敢に立ち向かった電雨騎士の後ろ姿が、こちらへと振り向き、何かを呟く。

「……わかってる。わかってるよ、ジョアンナ。でも今はここが、わたしの闘魂の在処なの。このマイクが、わたしの剣なの。だから――。」

 すぅ、と短く息を吸う。はぁ、と短く息を吐く。そして、前面に大きく張られたガラス窓の向こう、カンフルタウン最大のターミナル駅のホームを見つめながら、サンダーレインは手元のスイッチを弾き、放送エリアを乗員用チャンネルから列車内全体に切り替える。

 

「――皆様、この度はフロンティア旅客鉄道をご利用いただき、まことにありがとうございます。この列車は、午前9時ちょうどにカンフルタウンセントラル駅を発車し、数日の道程を経てサルゴン南部地方の線路へと接続されます。カンフルタウンからロドス製薬管轄地域までの車掌は、わたくしジョアンナ・ゾーヴァが務めさせていただきます。目的地までのフロンティア鉄道の旅路を、心行くまでお楽しみください!」

 

 エリア・ブランクに足を踏み入れている時点で、カンフルタウンの駅舎からこの車両へ乗り込んだ人々が一般人なわけがない。果たして、目の前でにこやかに切符を手渡してくれるこの男性が、サンダーレインの単細胞な脳で理解し得る範疇の地位に居るような人物だろうか。

 先輩たちが見守ってくれているとはいえ、初めての単独車掌という晴れ舞台というプレッシャーも相まって、サンダーレインの手は緊張に震えてしまう。

「……失礼します。」

 最後の切符を切り終え、車両の自動ドアが背後で閉まるのを音で判断すると、サンダーレインは膝に両手を載せるように屈み、床に向かって大きな溜息を吐き出してしまった。

「じょーでき、じょーできっすよサンダーレインちゃん! うちの初仕事に比べたら、百万倍じょーできっす!」

「ここまでは及第点どころか、満点合格よ、アーシャ。」

 そんなサンダーレインの脳天を、幼い少女と淑やかな女性の声が出迎える。

「ジュウシャ先輩、レントゲンさん……。うぅ、わたし……ほんとにちゃんとできていましたか? お世辞だったり、しません……?」

「あーっ、サンダーレインちゃんはうちらが思っても無い事を笑顔で嘘つく人間だと思ってるんすかー?」

「シアユンはともかく、僕は人にお世辞を言ったりはしないわ。」

「うちはまぁ、おべっかは言うっすね。伊達にこの歳で区間車掌やってないっす。」

 ――フロンティア鉄道は、本社をカジミエーシュに構える民営鉄道企業の子会社に相当する鉄道輸送組織である。エリア・ブランクにその路線網を延伸するにあたり、フロンティア鉄道の経営陣はより多岐にわたる実績を持つ訳ありの人材をテラ各地から集め、専門知識や技術実習の教育と引き換えの充実した福利厚生を約束する事でその事業を確立させることに成功した。

 ここに集った年齢も出身もバラバラな三人の少女たちもまた、フロンティア鉄道に拾われた特殊な経歴の持ち主たちだった。

「ここからはカンフルタウンの管制センターから送られてくる定期通信に対応しながら、車両の各種機器の正常作動を逐一確認する時間よ。僕たちも最終確認はするけれど、最大限ひとりの力で成し遂げるようにね。」

「はい、全力で取り組ませていただきます。」

「サンダーレインちゃん~、言ったそばから肩に余計な力が入ってるっすよ! リラックスが最優先っす! 大丈夫っすよ、次の停車駅まで時間はあるっす。まずはやるべきことのリストアップとかしてみたらどうっすか?」

「それは……もう終わっています。」

「ありゃ。」

「アーシャはあなたよりもずっと天才肌みたいね、シアユン?」

 三人の中で最も身長が高く、より年長者の風を吹かせるのが、カンフルタウンの建設にも立ち会ったフロンティア鉄道の古参乗務員、レントゲン。その名が本名なのか、他のフロンティア鉄道社員同様にコードネームなのかは、レントゲン以降に入社した社員の間で度々持ち上がる噂話である。

「うちもそういう話題なら、よく天才って言われるんすけどねー。」

 三人の中で最も身長が低く、顔立ちも幼さが残るコータスの少女が、五年以上も飛び級して龍門の名門大学に在籍しながら、その『天才』ゆえの孤立を危険視した顧問相談員によってフロンティア鉄道へ推薦入社を果たした幼き乗務員、ジュウシャ。

「ジュウシャ先輩はわたしに無いものをたくさんお持ちです。……わたしも、もう少し勉学に励んでいれば、もっと別の道もあったと……度々思います。」

 レントゲンとジュウシャに挟まれ、未だ緊張の残る指の震えをなんとか抑えようと全身に力を張りながら、雑談によって自身の力みを緩めようとしてくれている先輩たちの気遣いを無碍にしないようにと強張った微笑みを浮かべる少女が、サンダーレイン――この度長きにわたる研修期間を終え、区間車掌としての業務を任された新任の乗務員であった。

「あら、アーシャは僕たちと出会わない未来に進みたかったの?」

「そっ、そんな事は……!」

「ふふっ、わかってるわよアーシャ。あなたは本当に真面目ね。それがあなたの美点だけれど……ほんとう、騎士ってあなたみたいな人たちばかり。」

「騎士……わたしは、もう騎士ではありませんので……。」

 落とされたサンダーレインの目線の先を遮るように手を広げ、ジュウシャは彼女の背を叩く。

「切り替えが早いのもある種、サンダーレインちゃんの長所っすけど。……もうちょっと諦めが悪くなっても良いんじゃないっすか? うちはそういう体育会系的なノリ、苦手っすけど。」

「良いんですよ。……結局、憧れていた騎士も、わたしと同じ理由でカジミエーシュを追われたんです。今どこで何をしているのかもわかりません。……だから、わたしも――。」

 その時、乗員室の壁に据えられていた無線機が甲高い着信音を鳴らす。バネで弾き飛ばされたように無線に飛びついたサンダーレインが聞いたのは、運転室にて走行中の列車の制御を執り行う操縦士からの緊迫した一言だった。

 

「――燃料狙いのハイジャック?」

 

「サンダーレインちゃん、まずは現在地の確認!」

「……付近の信号機にロドスのビーコンが取り付けられています、ロドスの管理区域内です!」

「パニックにもならずに素早い判断、上出来よアーシャ。次、車内放送。」

「はいっ!」

 レントゲンの指示に無線機のチャンネルを車内放送へとスイッチし、サンダーレインは列車に搭乗する全乗客へと、現状起きている事実を簡潔に、かつ聞き取りやすい活舌で伝える。

 武装した所属不明の集団が列車前方にて対列車用の妨害装置を用いて列車の進行を止めた事。集団の目的は列車に搭載された源石エンジンと燃料であること。

「――ご乗車いただいた皆様には不安な思いをさせてしまう事、深く陳謝いたします。ですがどうか、どのまま座席にて待機ください。必ずや、フロンティア鉄道社員が運行を再開させてみせます……!」

 無線機のチャンネルを乗員用のそれへと再び切り替え、サンダーレインは大きく息を吐く。

「カッコよかったっすよ、サンダーレインちゃん!」

「僕はシアユンを保護してるから、外の事は任せたわよ。操縦士(ミーシェル)くんの方も任せてちょうだい。僕のアーツはこういう時くらいしか輝かないんだから。」

「ロドスのオペレーター試験に楽々合格できるアーツ適性を持ってる御仁が何を言ってるんすかね……。」

「……はい、荒事はわたしにお任せを。でん――サンダーレイン、いってきます!」

 背中を押してくれる先輩たちの声援を双肩に受け、サンダーレインは制帽を壁に掛けると、きつく締めたネクタイを右手で緩めながら、左手で外界へ通じる扉を押し開けるのだった。

 

 そこには、一様に覆面で顔立ちを隠した武装集団が、刀剣やクロスボウを手に車両下方に搭載された機関部を乱雑に叩いたり開閉したりと好き勝手を働いていた。勢力にして三十人以上。とてもではないが、徒手のサンダーレインが鎮圧できる人数では無かった。

「お、責任者が降りて来たぜ。」

「せ……責任者ではありませんが、わたしがお話しましょう。」

「ははは、こりゃ可愛い乗務員さんが出てきたもんだ。それで? お前さんはエンジンの取り外し方を知ってるのか?」

「……一通り、理論と構造は叩き込んであります。」

「そうかい、そりゃ――。」

「でも。」

 ぐっと、サンダーレインは白手袋の中指先をもう片方の手で力を込めて摘まむ。その力に、先程までの緊張や、自らを鼓舞しようという無理な力は入っていなかった。

「わたしがスカウトされた理由は、こういった事態をより的確に、確実に鎮圧できる実力を買われての事です。わかりますか? ……ろくに訓練も受けていない雑兵を相手に後れを取るわたしでは……ない!」

 サンダーレインが勢いよく手袋を脱ぎ捨てると、彼女の素肌から青白い電光が大気を切り裂いて爆ぜる。

「おいおい……正気か?」

「わたしが妄言を吐く時は、病に悪夢を見せられている時だけよ! 全身粉砕骨折が覚悟できているヤツからかかってこいっ……!」

 もはや呆れすら滲む笑い声をあげながら、遠巻きにサンダーレインの臨戦態勢を眺めているだけの武装集団だったが、やがてそのうちのひとり、大ぶりの鉈を手にした男が前へと飛び出し、サンダーレインへと襲い掛かった。

「――っ!」

 だが、振りかぶったその刃がサンダーレインの首筋に届くよりも素早く、彼女の雷光とも見紛うほど超高速の手刀が男の肋骨へと滑り込む。皮膚を切り裂き、筋肉をちぎり、骨を砕くその一撃は、瞬きをする間もなく男の右の橈骨と骨盤を粉砕させて見せた。

「……終わりか? 立てよ駄犬、戦士の風上にも置けない愚図め。」

 それまでのサンダーレインとは大きくかけ離れたその冷たい眼差しが、苦痛に悲鳴を上げる男へと注がれる。

「あいつ、ただの女じゃないぞ! 黙らせろっ!」

「……さっきから、そう言ってる。」

 次々に襲い来る剣士たちを、それぞれ支点と力点に相当する部位の骨を高速の格闘技を用いて砕き割る事でノックダウンさせていく。彼女が纏う濃紺の制服は、見る見る間に返り血で真っ赤に染まっていった。

 しかしついに、彼女自身の血によって制服が汚れる瞬間が訪れる。

「……っ!?」

 気が付くと、サンダーレインの二の腕には鋭い鏃が深く突き刺さっていた。咄嗟にサンダーレインの手が腰へと伸びるが、そこにあるべきだった(・・・・・)『盾』へとその指が届く事は無い。

「そ……う、だった……! わたしっ……もう……!」

 唐突に思い出す、自分自身の立場。盾は無い。剣は無い。ふと目を上げれば、弩を構える射手たちに混じってその向こうに、サンダーレインの背中が見えた。今はもう故郷に置いてきた、煌めく甲冑に身を包んだ騎士の幻影がゆっくりとこちらへ振り向き、言葉を紡ごうと唇を震わす。

「ちがう……違う、わたしは……!」

 幻影がサンダーレインへと告げようとする侮蔑を遮るように伸ばした手に、射手たちが放った矢が刺さる。

「うっ……ぐ、ぅ……! わ、わたし……っ!」

 聞きたくない、聞こえたくない、気付きたくない、気付かされたくない――。その真実が、幻聴となってサンダーレインの脳を揺さぶる直前に、その裂帛の気迫は野火のようにその場に轟いた。

「――そうだっ!!」

 

 射手のひとりの装備を穿ち、地へと突き刺さった槍は、明らかに高空から落下してきていた。その場にいた誰もが、その槍が飛来した方向――直上の空を見上げていた。

「貴方の心にはまだ誇りが燃えている、電雨騎士! 槍を握れ、諦めるにはまだ――早いぞ!」

 大地を揺らし、装着した超重量の甲冑を質量武器にして、武器を失った射手を圧し潰しながら着地した小柄な少女はオレンジ色の髪と尾を陽炎のように揺らしながら、クローとアンカーが装備された大盾で隣にいた別の射手を殴り飛ばしてサンダーレインへと槍を投げ渡す。

「あなたは……陽炎、騎士……? どうしてここに……?」

「そうだっ! 当官こそが陽炎騎士、ジーラ・フランベルジュ! ずっと言いたかった……ジョアンナ・ゾーヴァ! あなたは昔から、勘違いが激しい上に頑固な人だった! 当官がカジミエーシュを去ったからって、あなたはきっと当官が騎士道を捨てたんだと勘違いすると……どうやら、的中していたようですね!」

「わたし……、わたしは……!」

 ロドス所属の重装オペレーターにして、かつてサンダーレインと同時期にカジミエーシュで競技騎士として一定の人気を獲得していた新進気鋭の突撃騎士、フラムベルクの登場により、事態は急変する。

「さぁ立て、電雨騎士! 貴方にまだ心残りがあるのなら! 騎士として立ち、騎士として新たな戦場で、新たな武器を手に騎士の道を全うしろ! それが我らカジミエーシュの騎士の在り方だ!!」

 全身から焔のように体表結晶を露出・肥大化させ、その表面上から超高温の熱波を放ちながら、フラムベルクは反抗の意思を見せる戦闘員たちを次々に薙ぎ倒していった。

「……!」

 握り締めた槍の柄から、自分の血液と共に、心の奥底で淀み沈んでいた濁りが弾け飛ぶような、澄み渡る清涼感が心臓を早打つ。

「本当に……あなたは、どこまでも真っ直ぐだね。だから憧れちゃうんだ。……そう、あなたはきっと謙遜するし、すぐに心を閉ざして否定してしまうだろうけど……。そんなあなたに焦がれて、あなたと同じ生き方をなぞろうとする見習い騎士が……わたしを含めて何人いたことか。」

 ばちんと、槍の矛先から青い稲妻が弾ける。

「大丈夫、大丈夫よ……ジョアンナ。」

 未だに目の前にかつての自分が幻影として立ち尽くしていたが、その顔は既にサンダーレインと同じ方向を向いていた。

「今はここが、わたしの闘魂の在処。ここが、わたしの戦場――だから! わたしはあなた(・・・)が歩きたかった道を歩くことはもうできないけれど、同じ方を向いて歩いてみせる! だから――見守っていて。」

 そして、サンダーレインの脚は、前へと一歩を踏み出すのだった。

 

 ロドスが管理するエリアに設置されたフロンティア鉄道の駅舎で、ゴールドラッシュは駅員から遅延の連絡を受けていた。

「さっきジーラの嬢ちゃんが飛び出してったのはコレかよ……。ちぇっ、弱ったな。先方との約束の時間過ぎちまうぞ。マフィアとの約束に遅れるなんざ……ひえっ、おっかねぇや。」

 その手には、狼頭を象った封蝋が押された封筒が握られていた。



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