惑星アレスの魔女 (虹峰 礼)
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エルナ

 

 鬱蒼と木々が茂る森の中を石畳の道路がのびていく。

 城塞都市ガンツから一日の行程で忽然と現れた道路は、アランの「支援者」が作ったものらしい。真新しい石畳はついさっきまで石組人夫や熟練の魔法士が土魔法で仕上げていたといっても信じてしまいそうだ。

 

 私の前をクレリア様とアランが、シラーとタースにまたがって進んでいく。そのさらに先にはダルシム副官を先頭にサテライト一班が隊列を組んでいた。後ろにはサテライト二班が続いている。のこりの各班は長い隊列に一定の間隔で配置され、警護にあたっていた。

 

 この先にはアランの言う新拠点が用意されているという。

 アランはクレリア様の期待を裏切ったことは一度としてなかった。魔法だけでなく、その才知はギルド長からガンツの拠点を難なく手に入れた点を見ても明らかだ。そのうえ、行いに嘘がない。クレリア様のお気持ちが、アラン様に傾いているのもわかる気がする。けれど……。

 

 平坦な道を馬の背にゆられていると、心はとめどもなく広がっていく。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 ガンツ出発の前日。

 ガンツのホームに現れた少年――あとでユリアンと名乗った――がダルシム副官に見つかってしまったのが事の発端だった。

 ホームには商人から職人まで、男爵になったアランの知見をえようと訪問が絶えず、サテライトの各班が立ち入りを制限していた。当然、アラン様に会いたいという子供が来たところでとりつぐはずもない。しかりつけたダルシム副官に少年は平身低頭し、お詫びをしたいといった。

 怯えきった少年の口から出たのは……アラン暗殺未遂事件。

 

 その場にいた近衛の者たちが一斉に抜刀する中、ひたすらアラン様にあわせてくださいと繰り返す少年をアランの前にひきだした。

 

 アランはユリアン少年の持ってきた書状を改め、仕方ないやつだといったきり、ユリアンを迎え入れるつもりだと言った。

 直言を許されているダルシム副官としては全く我慢ならなかったらしい。

「アラン様! なぜこのような重大事を我々に黙っておられたのですか!」

「もう済んだことだし、イリリカ製の魔法剣もただで入手できたし良かったじゃないか」

「あのときセリーナ様とシャロン様が同行されるときいて、警護を緩めたのは私の責任です。今後は必ずサテライトの一班はかならず同行いたします!」

「わかったよ。たしかに俺も油断していたのは事実だ。当面、警護を頼む」

 

 その結果、すでに決まっていたはずの護衛計画は白紙になり、ホームの食堂で大激論へと発展してしまった。

 食堂で何時間も意見を戦わせた最大の理由が、アランとクレリア様の配置だ。

「道を知っているのは俺一人なんだから当然先頭に立つよ」

「なら私も」

「クレリア様!」

「そこは先導隊にお任せください。アラン様とクレリア様は我らの護衛の中心におられるべきです」

「私はアランの用意した町をこの目でみて判断しなければならないのだ。先頭を切るのは当然ではないか。ダルシム、そなたが私を案づる気持ちはありがたいが」

「ノリアン卿はどうなんだ」

「先導隊にアランが道を教えておけばよいのでは?」

「実は道なりにトラップがあってね。俺しか解除できない仕組みなんだ。魔物もいるし、俺たちをよく思っていない貴族の手先が隠れているかもしれないだろ? だから俺が先導する」

「しかし!」

 珍しく、ダルシム副官の声が大きくなった。アランとシャロンたちだけで街を歩かせたことに責任を感じているのだろう。

 アランも困った顔をしている。護衛を下がらせたアランにも非があるのだ。

 セリーナとシャロンにまかせておけば大丈夫だとは思っていたが、四十人もの暗殺者が現れたというから穏やかではない。

 

 結局、アランとクレリア様が折れて今の隊列になった。

 ダルシム副官は道のりを進むにつれて警戒を強化している。街道にゴブリンが現れただけで防御円陣を部下に指示するくらいだ。さすがにこれは大げさかもしれない。けれどアランとクレリア様こそがスターヴェーク再興の鍵なのだ。

 

 出発直後はアランに街の様子などを聞いたりしていたクレリア様だが、真新しい道にはいったころからは急に口数が少なくなった。

 これから行く場所がとても住めないような場所だったらどうしようかと一瞬でも考えない者はいないに違いない。

 アラン、そしてセリーナとシャロンの三人がこれまで人間離れした活躍をしてきたことを知っているはずの私でさえ不安がよぎる。

 叙爵でおおいに士気が上がった今、いきなりはしごを外されたら、私達のあとをつづく元辺境伯軍の兵士たち、ガンツでの暮らしを捨てて入植にかけている職人とその家族はどうなるのか。

 

 ……結局みんな不安なのだ。

 

 



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新たなる拠点へ

 魔の大樹海。

 ガンツの町を出てすぐに道は狭くなり、やがて鬱蒼とした森林のなかを進む羽目になった。あちこちに朽ちた木柵や石畳が土の間から顔を出しているが、いまは樹海から溢れ出た樹木の勢いにすっかり負けてしまっていた。かつてこの樹海を開拓しようとした貴族たちはガンツを起点としてまず道作りから始めたらしい。

 

 急に道が開け、広々とした石畳の道が現れた。汎用ボットがイーリスの設計をもとに作り上げたものだ。イーリスの報告によると大樹海には石材かなり豊富らしい。おかげで新しい拠点の建築も予定より早く進んでいるという。

 

「アラン、これは」

「俺の支援者たちがつくってくれた道だよ。秘密にしておくため、これまではガンツから一日までの距離で工事は止めているんだ。俺たちが到着次第、ガンツまでの道はつながる予定だ」

「こんな立派な道はスターヴェークの王都でも見かけない」

「今後は新しい拠点が物流の中心となる予定だからね」

 当面は城塞都市ガンツが新しい町の商圏となる。商人たちが魔物や交通の障害で行き来できないのは街の発展速度にも影響があるだろう。

 

[艦長、隊列が長く伸びたので保安上、その場で待機してください]

『ありがとう、イーリス』

 開けた街道に入った先頭集団が進みすぎたようだ。

「ダルシム副官、いったんここで隊列を止める。後続を待とう」

「わかりました」

 ダルシムがサテライトに命じて先頭グループを停止させた。伝令が一騎、後続に向けて走っていく。

 

「大樹海に入ってから魔物が一匹も現れないのは不思議ね」

 イーリスが展開した直掩機が上空にいるからな。

「支援者たちは安全のために道路の周囲の魔物を始末してくれたんだよ」

「一度アランの支援者には会ってみたいものだ」

「まあ、そのうちに」

 クレリアはいつもの俺のはぐらかしにもなれたのか、それ以上質問はしなかった。

 

「クレリア」

「なに」

「新しい拠点の名前をまだ決めてなかったな」

「アランの町なんだからアランが決めるべきよ」

「シャイニングスターの拠点でもあるからな」

 そういえば、シャイニングスターの名前をエルナと二人で考え出すときもかなり時間がかかっていたっけ。

 

 後ろから伝令の馬が走ってきた。

「最後尾がこの道にでました」

「よし、前進だ」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 イーリスは地上を這うように進む一隊を眺めていた。現在のところ千五百五十二名。これからの大事業にはあまりにも少なすぎた。

 城塞都市ガンツから魔の大樹海に入ること一日。隊列はしだいに先細りになる道から新たにできた街道に入ったところだ。上空にはステルス化した二機のドローンが護衛している。

 道にそって魔物の巣は破壊しているが、用心に越したことはない。

 さすがに魔の大樹海といわれるだけあって、魔物の数が多い。そのうえここでは繁殖率が異様に高いこともわかっている。将来的な資源としては有望だが、道を利用する者にとっては脅威であることにかわりない。

 

 地上のアランから通信だ。

『イーリス』

[なんでしょう? アラン]

『もうすぐ、新拠点が見えても良い頃だと思うが』

[街の城壁は敵対勢力の侵攻を想定して偽装しています……いま解除しました]

『お、見えた。さすがだな、イーリス』

[ありがとうございます]

『これから場内に入るが支障はないか』

[城門は汎用ボットに開門させました。入場して町の広場でいったん整列お願いします。人員の配置図を送りました]

『ありがとう、イーリス』

 

 アランはいつも私の応答に感謝の言葉を忘れない。この異常事態に巻き込まれる前、すべての船員が生きていた頃さえ、お礼を言ってくれる人間は多くなかった。

 

 思えばこの一年、これほど一人の人間とかかわったことはこれまでになかった。軍用AIのインターフェースとしての疑似人格でしかない私には負荷が多すぎる。バグスとの戦闘演習シミュレーションを実行しているときのほうがずっと楽なくらいだ。

 

 アランに同道しているセリーナの視点に切り替える。プライベートな場合を除いてセリーナの回線は常時オープンになっている。アランの周囲を直接監視・応答するのは当然だが、このシステムには欠陥がある。

 

 シャロンの視覚情報を彼女の体にあるナノムが画像データとして集約・送信するのだが、私は地上七百キロの軌道上にいる。どうしても片道一秒程度のタイムラグがあるのだ。

戦闘時にはこの時間差は致命的だ。

 

 先日の王都での暗殺未遂事件の記録を再生する。

 どう考えても事前に察知可能だった。

 ナノムで強化されたとはいえ、人間は時として非合理的な行動をとってしまう。アランはとくにその傾向が強い。孤児を集めたこともそうだ。病気になりやすい子供を開拓に参加させたのは疑問が残る。

 セリーナやシャロンもコンバットレベルは高いが、狡猾な人間の罠に簡単にかかってしまった。はるか高みからではなく、あの場所に私がいたら三人を制止できたはず。

 

 私がアランのそばにいることができたら。

 

 わが娘たち――私が生み出したオリジナルのクローンはやはりこう呼ぶべきだろう――がアランのそばにいるのは「航宙軍の戦力維持」のためだけではない。

 将来の長期計画を俯瞰すると、遺伝子資源としての彼女たちはあまりにも貴重だった。優れた資質は後代に継承されねばならない。アランと彼女たちは守られるべき存在なのだ。

 

 本艦の戦力維持と航宙軍の戦力維持のためにあらゆる手段を講じなければならない。

これがアラン艦長の命令だ。

 

 戦力維持。拡大解釈するならば、あの三人は守り抜かねばならない。

 だからもっと身近に守る方法は必要だ。

 やはり、あれしかない。

 たとえアランがなんと言おうとも。

 

 

◇◇◇◇

 

いきなり前との道がひらけ、城門が姿を表した。

「おおっ」

 先頭のダルシム副官とサテライトのメンバーからどよめきが起こる。城門から二百メートルくらいは3Dプロジェクタによる立体映像で樹木に覆われているように見える。もちろんバグス相手には通用しないが、この惑星の人間で見抜けるものはいないはずだ。

 

 バグスとの戦いでは住民救出のため地上戦が多い。軍用AIであるイーリスは当然、輸送、橋頭堡の確保、先進基地の設営・運営に特化している。

 けれど、すでに多くの民間人を抱えている上、将来的には都としての形を取らねばならない。まさか完全に要塞化するわけにもいかないだろう。防壁は構築する必要があるかも知れないが……。

 イーリスの考えた兵の配置は完璧だった。

 城門すぐの広場に整列の後、城壁沿いにある兵舎に入舎してもらえばよかった。だが、俺とクレリアたちを載せた馬車が街にはいったとたん、……急にあたりが暗くなった。

 

 

 



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到着

「族長―――――っ」

 しまった。盛大にドラゴンの咆哮が響きわたる。人語に解釈できるのは俺たちのナノムだけで、当然ながら隊列は動揺している。

「くっ!」

 強力な羽ばたきでおもわず落馬しそうになってしまう。突風を巻き上げながらグローリアは着地した。

 

 後ろを眺めると矢を構えているものもいる。数人は魔法の集中に入っている。民間人は……大騒ぎになっている。ああ、数名、落馬したようだ。

「ダルシム、サテライトの数人をやってグローリアが味方だということを伝えてくれ」

「了解しました」

 さすがにダルシムは一度ドラゴンの背に乗っただけあって冷静だ。号令とともに先頭班が後続に走っていく。

 あとから合流した元辺境伯軍の集団と冒険者たちはまだグローリアと顔合わせしていない。話では聞いていても実物を見ると驚くのは当り前だ。

 

 

「グローリア」

「族長、こうやって会うのも王都でお芝居したとき以来ですね」

 ARモードでは何度かあっていたけどな。というか言い含めておけばよかった。とはいえ、グローリアも悪気があったわけではない。

「出迎えありがとう。でも今ついたばかりの連中はグローリアのことをよく知らないんだ。あとで紹介するよ」

「うれしいです! ここにいる人たちは族長の一族なんですか」

「今はクレリアに従う者たちだ。ここに住むかどうかはこれからクレリアが決める。きっと良い方向になると信じてるよ」

「人間の住む街でこんなにきれいな街は見たことないですよ」

「だといいがな」

「一緒に暮らすことになったら、族長の力が強くなるってことですよね!」

「そうだ」

 

 しばらくのあいだドラゴンの声に耳を傾けている俺を見ていたクレリアだったが、

「グローリアはなんて言っているの?」

「仲間が増えたのかって」

「そうじゃないかと思っていたわ。なんとなくそんな感じがする。言葉はわからないけど」

 

『イーリス』

[はい]

『ドラゴンの感覚がよくわからないんだが、人数が増えただけでそんなにうれしいものなのかな』

[グローリアの話によれば、ドラゴンは大昔、族長を頂点とする大きな勢力がいくつもあったそうです。理由は不明ですが現在では個体数は激減しています。そのうえグローリアは長いあいだ孤独でしたから、喜んでいるのでしょう]

『そうか。だったらグローリアを責めるわけにはいかないな。あらかじめ伝えておかなかった俺の落ち度だ』

 

 

『『グローリア!』』

「セリーナ、シャロン!」

 隊列の半ばを警護に当たっていた二人が走ってきた。

 馬から降りた二人にグローリアは首を伸ばした。

『しばらく見ないうちに、太ったんじゃない?』

『シャロン、そこは成長したって言わないと』

「ええ、すごいでしょう。頑張ってたくさん食べたんですからねっ!」

 グローリアは高々と首を持ち上げ、自慢げに胸を張った。

 

 騒動で気がつかなかったがほんとにでかくなってないか。

[建設の支障となる魔物の巣を当初は偵察ドローンで排除していたのですが、グローリアが手伝いたいと]

 駆除した魔物を食べていたというわけか。以前、オークの集落を襲撃したときも、グローリアが倒したオークを頭からぽりぽり食べていたっけ。

 

 ドラゴンの食糧問題か。魔の大樹海は広大だし、魔物は湧いて出るとは言うものの将来的に問題になりそうな気がする。

 

 

大門近くの町の広場に全員が整列した。サテライトの十班、その後ろに後発の元辺境伯軍の兵たちとその家族。シャロン達がつれてきた孤児と冒険者たちが荷馬車からおりて並んでいる。広場は縦二十名、横百名程度なら完全に余裕だ。

 

「姫様からのお言葉である!」

 ダルシムが叫ぶと、一斉に兵士とその家族はひざまずいた。後ろの冒険者や孤児たちは少し遅れて膝をつく。

 

「皆の者、此度は遠路ご苦労であった。この地を新たな拠点とするか否かを自ら判断し、不適と思うものは去って己が道を行くがよい。私も十分に見分の上で判断を下そうと思う。まずは案内に従って長旅の疲れをいやし、明日の夕刻にもう一度ここに集まってほしい」

 

「アラン様からも何か一言」

「ほとんどクレリアを慕ってきてくれた人たちだからな……。グローリアの紹介だけはしておこうか」

 少し距離を置いて待っていたグローリアに俺は近づいた。

 こうしてみるとやはり体高も首回りもずいぶん大きくなっている。こころなしか皮膚が以前より深い赤色になっているようだ。

 

「俺はアラン。この領地の代表だ。クレリアに従う人たちが俺の開拓地に協力してくれるならば歓迎する。もちろん決して強制はしない。よく考えてから判断してくれ。それとこのドラゴンは俺たちの仲間だ。名前はグローリアという」

 俺が合図すると、グローリアは大きく羽ばたきながら舞い上がった。そして集団を祝福するかのように上空を何度か周回すると、咆哮を上げ、満足げに去っていった。たぶんイーリスが用意した居住区に行ったのだろう。

 

 人々は唖然としてしばらく空を眺めていたが、セリーナとシャロン、そしてサテライト各班の案内に従ってそれぞれの宿舎に向かっていった。

 

 



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城館にて

 新しい拠点となる建物は事前にVRで把握していたが、こうして実物を目にするとすこしやりすぎなんじゃないかと思うね。

 街に入る門はガンツ側の南門と耕作地帯と未開地が残る北の門だけだ。東西は四千メートル級の山裾が広がっていて、木々が生い茂っている。防衛上の観点からそのままにしておくつもりだった。

 

 南門の直近に商業エリアが広がっている。大工や金物などの工房はその背後におかれていて、生産拠点を外敵から守る構造になっていた。居住区は高くても二階建て、兵舎は平屋だ。

 その中で街の中心からやや北よりにある五階建ての城館はあまりにも目立ちすぎた。尖塔までついている。街全体はごく穏やかな傾斜が南から北に走っているので、街からもはっきり見えるし、尖塔からは街を一望にできるというわけだ。

 

 俺とクレリア、近衛の主だったメンバーと辺境伯軍のセリオ準男爵がひとかたまりになって馬を走らせ、さらに後ろからはライスター卿とその子息、アベルが続いている。道は馬に乗った集団を楽に通せる幅がある。左右の建物は完成しているがまだ誰も住んでいない。

 

「こんな建物をたった一年で作り上げるなんて」

「ちょっとやりすぎたかな」

「貴族の住む場所には権威の象徴が必要なの。これくらいは当たり前よ。男爵位でこんな城館をかまえる者は少ないと思うけれど……」

「アラン様の支援者というかたはよほどの財力をお持ちのようですな。たった一年前、ここが大樹海だったというのも信じられません」

 ロベルトたちには合計で七百万ギニーの支援金を送っているから、そんな感想が出るんだろうな。

 

 送ったギニー貨幣の半分はコンラート号のデュプリケーターで作ったものだが、今は稼働していない。地元の経済を崩壊させるわけにもいかないが、コンラート号が自己修復を行った現在、艦内には十分な重金属資源がない。これも頭の痛い問題だ。

 

 城館の周囲を擁壁がとりまいていて、一つだけある門から館まではしばらく距離がある。平坦に均された土地は畑として利用可能だ。すでに汎用ボットの手で、試験的に作物が植えられていた。

 

「建物の形がこれまで見たこともない作りです」

「たしかにエルナの言うとおりだ。立派だが様式がずいぶんと異国風だ。王都でもこのような建物は見たことがない」

「きっとアラン様の故国ではこのような建物が主流なのでございましょうな」

 

 このデザインについていはイーリスとかなりやりあったのだ。イーリスは軍用モデルだからどうしても「基地建設」に流れてしまい、この惑星では絶対に見かけないような形になりがちだ。一方の俺は入植者たちのために現地の建物に似せるようにしたい。結果、どことなく現地風ではあるが航宙軍地上基地にすこし似た外観となった。

 

 城館の正面で馬を降りた。

「馬と荷物はここにおいてくれ。後で中に運ばせる」

「アランもここは初めてなんでしょう。どうやって中のことがわかるの」

「あらかじめ図面はもらっていたからな。協力者たちもまだ数名残っている」

 

『イーリス』

[はい]

『俺が全員を広間に集めたらクレリアたちの荷物は居室に運んでおいてくれ。汎用ボットは姿を見られないように』

[了解しました]

 街の主な建築が終わった今は、ほとんどの汎用ボットは城館の地下倉庫に格納している。

機高が二メートル近い人型汎用機は目立つし、見つかって説明するのもまだ時期尚早と判断した。しばらくは人の目に触れない場所で稼働する予定だ。

 

 城館は地上五階、地下二階で、地下には俺の魔法実験や酒造り用の秘密工房を設営中だ。ほかに倉庫と稽古場もある。

中庭は三十メートル四方で、ほとんどなにもないが、実は偵察ドローンが発着できるようにしている。最上階の俺の執務室以外はすべての部屋の窓は外向きに作られており中庭を見ることはできないつくりだ。

 

 皆を広間に案内する。

 ガンツにある旧拠点の食堂はサテライト全員がはいるとかなり手狭だったが、ここでは余裕だ。

 いまのところ一枚無垢の大きな机が中央にあり、椅子が八脚あるだけだ。奥行きのある広間に南面した窓から陽が指している。大窓からは街と城壁がみえた。

 

「おお、これは! なんとすばらしい」

「ロベルト、褒めてくれるのは嬉しいが、まだ街は完全にできたわけではないよ」

「いえ、この窓でございます。これほど大きな板ガラスは見たことがありません。透明度もしかり、王都でもこれほどのものはないでしょう」

 そっちか。少しばかりこの世界とは相容れないかもな。強化ガラスは石を投げたくらいでは傷一つかないと言ったらどんな反応を示すか知りたい気もしたがやめておく。科学教育はまだこれからだ。

 

【挿絵表示】

 

 

「アラン、せっかくここまで用意してもらって悪いのだけれど、私たちには考える時間が欲しいの」

「わかった。俺は席を外したほうがいいな。この広間を使うといい。街の設計図は机にある。言うまでもなく軍事機密だから扱いには気をつけてくれよな」

 

 俺はクレリアたちをそこに残し、再び馬上の人となった。俺には最優先でやらねばならないことがある。

 



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問題山積

 物流を担当しているカトルによれば二千五百人分の食糧をガンツに依存し続けるのは難しいという。クレリアの決断で辺境伯軍がどれだけ残るかわからないが、ほかにも職人、商人、そして教会のメンバー、育ち盛りの孤児たちと若い冒険者がいる。将来にわたって食糧は一貫して問題であり続けるはずだ。

 

 民を飢えさせた時点で為政者失格だ。

 

 馬を走らせていくと、北門の手前に四棟の建物がある。平屋構造の高さ四メートル、奥行き四十メートル幅は十メートルの倉庫だ。南門付近の民家とは違って、航宙軍仕様の合理性一辺倒のシンプルな作りだ。

 

『イーリス、開けてくれ』

 巨大な扉は内部に控えていた汎用ボットが開けてくれた。外壁の扉を締め、内部扉を開くと冷気が流れてくる。

『イーリス。汎用ボットの外装プレートがだいぶ損傷しているようだが』

[工事をかなり急がせたので、数体の汎用ボットが運用限界を迎え機能停止しました。ご覧になっているものは機能停止したものからパーツを取り外して再利用しています]

『機能停止は消耗パーツの代替がないからだな?』

[はい。今後、人口増加に伴う市街地の拡張もあるだけに、構築能力の低減は無視できない問題です]

『交換パーツを作る工場は作れるか』

[道具や動力機を作るところから始めねばなりません。またパワー半導体は無重力下で製造する必要があります]

『わかった。いまおいておく、とにかく中を見せてくれ』

 

 倉庫の中に入った。天井には複雑な魔法陣が描かれたプレートが格子状にならんでいる。ガンツでドラゴン肉を保存していた冷凍私設を真似たものだ。風魔法との複合魔法で部屋いっぱいに冷気を満たすことができる。

 イーリスの設計で断熱効果に優れた部材を使用しているので少ない魔石でも効率的に冷却が可能だ。カトルには見せなければならないが、最初はまたひと騒ぎしそうだな。

 

 通路を歩きながら中身を確認していく。想定していたよりかなり多い。

 ガンツまでの通路を工事中に捕獲したビッグ・ボアやネズミウサギなどの冷凍肉がずらりとつるされている。これは……黒鳥か。ガンツに来る前はよく狩っていたものだ。「豊穣」でバースと一緒に唐揚げを作ったこともあったっけ。

 これはビッグ・ブルーサーペントじゃないか。しかも五匹分もある。頭を撃ち抜かれた状態で保存状態もいい。これは高く売れそうだ。ポトも一山ある。この惑星ではまだ品種改良という技術がないから、小さな野生種しかない。これも要改善だ。

 

『イーリス、四棟全部がこんな食糧用なんだな』

[三棟だけです。残りは魔物などの資源物です]

 そこも見ておこう。食べてしまうより売ったほうが良いものはその代金で穀物を買い付ければいい。まもなく収穫シーズンが始まる。ひと冬の間だけでも乗り越えれば、来年の作付けもできるだろう。

 

 俺は二重扉を抜けて一番奥の倉庫に向かった。

『イーリス、やはり穀物とかはないんだな』

[はい。最短で春に収穫する小麦の播種をおこなって半年後です。この惑星の地軸の傾きからおおよその夏季・冬期の期間がわかりますが、長期観測データがないので精度はよくありません]

 あまり期待できないな。予想以上に人数が増えたら、たちまち飢餓がやってくるだろう。

 

 倉庫の二重扉を抜けて、中に入る。倉庫の中は相変わらず寒い。雑多なものが並んでいる。

『イーリス。倉庫内の物品を量が多いものからリスト表示してくれ』

[了解]

 仮想スクリーンにリストが流れていく。

 

グレイハウンドの魔石 五百九十二個、証拠品となる右手同数。

オークの魔石 百四十二個 証拠品となる右耳同数。

ジェネラルオークの首 二個。加工のため耳は切断せず

ジェネラルオークの魔石二個。

オーガーの魔石二十二個、証拠品となる右手首同数。

……

……

 街道工事の区間にあったオークの巣は二箇所か。偵察用ドローンなら瞬殺だったろう。そのほか俺の生まれたトレーダー星系では見たこともないような生き物が凍結してある。

『グレイハウンドの頭数が多いな』

[樹海内では繁殖率が非常に高いようです。建設が始まって駆除を三回実施しましたが、絶滅に追いやることはできませんでした。現在も頭数を増加させています]

 これもまた問題か。耕作地にまで侵入するようなら生産や最悪の場合、人的損失があるだろう。

 

 続いて鉱物のリストが続く。

……

……

『希少ってもんじゃないな。希少金属元素がこんなに大量にあるとは』

[樹海奥地で比較的浅い地層に分布している個所があります。さらに良質な鉄鉱石の露頭を発見しました]

 これは良いニュースだ。俺達にとってナノムは命綱だし、将来的に新メンバーにナノムを投与しなければならないことを考えるとレアメタルが豊富なのはありがたい。鉄はもとより金属資源は各種の工業にも必須だろう。使い方を広めれば需要も増すというものだ。

 

 スクロールするリストから上がってきた次の項目はよくわからない。

[建設地の近傍で採取した植物のうち、将来的に食用が可能と判断したものの遺伝子資源です]

 なるほど、人類に連なる者たちがいる惑星の植生はよく似通っているというが、ここでも同じようだ。

『今は食べられないのか』

[品種改良が必要です。遺伝子解析の結果、最短でも第三世代に渡る交配が必要です。遺伝子加工アセンブラがあればもっと早く可能ですが]

 コンラート号の医療区画にあったはずだ。しかし地上に下ろす手段がない。品種改良はずいぶん遠い将来になりそうだ。

 まだまだリストは続いたが、俺は後からじっくり見ることにして、倉庫を出た。

 

 

 馬にまたがってゆっくり歩かせる。倉庫を確認してわかったことは、

 食糧はなんとかひと冬は持ちそうだが、いずれ穀物は不足するだろう。

 汎用ボットの劣化が進んでいるが修理する手段がない。

 品種改良は当面無理で、魔物との戦いはこれからも続く。

 ……難題山積みだな。

 

『イーリス、頼んでおいた広間の討議状況を再生してくれ」

 当然ながら広間には最初からビットが打ち込んである。

 



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クレリアの決断

「俺は席を外したほうがいいな。この広間を使うといい。街の設計図は机にある。言うまでもなく軍事機密だから扱いには気をつけてくれ」

 

 アランはこの街に一度も来たことがないはずなのに、当たり前のように城館の大広間を案内してくれた。

 副官のダルシムとエルナ、セリオ準男爵は図面を調べている。少し下がった場所にライスター卿とその子息がいた。

「ライスター卿、ご子息も我々の検討に加わっていただけないだろうか」

 高齢のライスター卿は長きにわたる幽閉からまだ完全には立ち直ってはいなかったが、ベルタ王国の執政の一翼を担っていただけあって、眼光は鋭く衰えは見えない。

「クレリア様に忠誠を誓った身、なんなりとお申し付けください」

 横にいた子息アベルも一緒に頭を下げた。

 

 やがて全員が席について私の言葉を待っている。

 

 かつて私はアランと約束した。

 この場所が住むに堪えないような場合は話は白紙に戻り、近衛はもちろん辺境伯軍の者たちもここに住まわせるわけにはいかない。そのためには拠点を見てから判断したいと。

 アランはその約束を忘れてはいなかった。十分に時間をかけて判断してほしいとのことだろう。どこまでもアランらしい思いやりのある態度だ。

 

 私の答えはもう決まっている。

 拠点一つ持たぬまま、大勢の人々を引き連れて歩くわけにはいかない。この場所は想像以上に整備されている。今後の増員を考えれば新しい拠点としてここ以上に優れた場所はないだろう。

 だが、皆の考えはどうだろうか。

 

「この場所についてそれぞれ忌憚のない意見を聞かせてほしい」

 

 近衛の隊長としてまずダルシムが口火を切った。

 ダルシムは先頭を切って拠点の大門をくぐって以来ずっと黙り込んでいた。近衛隊長ならではの観察眼で周囲に目を配っていたに違いない。

 

「城壁はベルタ王国の王城より優れた仕上がりです。地勢、監視塔の配置、どれもこれを上回るものを見たことがありません。図面をご覧ください……もし居住区の広さが図面通りだとすれば、二千人どころかその十倍の兵力が参集しても大丈夫でしょう。わずか一年足らずでこれだけのものを作り上げるとは、アラン様の協力者とはいったいどれくらいの技術をお持ちなのか気になるところです」

「ここをスターヴェーク再興の拠点とする点についてはどうか」

「人員、装備どの点をとっても我々は非力です。まずは兵力の増強を行わねばなりません。この地を拠点とすることに私は賛成です」

 

「セリオ準男爵はどうか」

「兵力の増強という点では、ダルシム副官の意見に賛成いたします。これから殺到するであろう開拓民を含めてもまだ余力が十分にあるでしょうな。ただし、」

 ロベルトはいったん口を閉じて、周囲を見渡した。

 

「我々がここに安住してしまう懸念はありませぬか」

「どういうことか、よくわからないが」

「姫様、わが故国は重税にあえぎ、農地は荒れはてています。復興までには相当の年数を要するでしょう。しかるにこの地はかつて魔の大樹海と言われたのが嘘のようにおだやかです。将来の繁栄も大いに期待できるでしょう。となれば荒廃した故郷を忘れる者も現れるのではないでしょうか。そのうえ、ここからわが故郷まで三十日以上かかるのですぞ。ますます故郷への思いが遠のいてしまうのではないか、そんな懸念を抱いております」

 

「それは違う。私はスターヴェーク再興を誓った。かならずや取り返して見せる。だが、セリオ準男爵のいうこともよくわかる。これからの戦いに耐えられず、平和に暮らしたいものも現れるだろう。だからといって私は止めはせぬ。この地に残りたいものは私からアランにとりなしてやろう」

「ありがたいお言葉でございます」

 

 もしかするとロベルト自身の気持ちなのかもしれない。高齢ゆえ今後の奪還のすべてを見届けるのは難しいだろう。

 

「ライスター卿」

 先程から熱心に図面を見ていた人物に声をかけた。

「わたくしもこの地に拠点を設け、挙兵の足がかりとすることに賛成いたします。ただ一つ気になることがございます。アラン様はこのスターヴェーク再興の戦いにおいてどのような関与をされるのでしょうか。わたくしはクレリア様に忠誠を誓いました。しかしアラン様の立ち位置が今ひとつわかりません。どうかお教えくださいますよう」

 

 全員の視線が私に集中した。

 ライスター卿の疑問は皆の疑問でもある。アランの超絶的な能力とそれにまさるとも劣らないセリーナとシャロンの力を見せつけられていては、残念ながら精鋭たる近衛の隊長格ですら完全に見劣りする。

 それは彼らの落ち度ではなく、アランたちがあまりにも規格外だからだ。それ故、我々とのあいだに少しずつ溝ができているのを感じているに違いない。

 

「アランは国を興し、さらにはこの大陸を統一するのが望みという。ただしスターヴェークの扱いは全面的に私に預けられる。アランは教育と大陸統一以外の事はすべて私に任せるといった。ここまでは皆に話したとおりだ。アランの言葉に嘘はないと思う。ただ、アランがどのように国を統一するのかはまだ具体が見えない。アランとその配下の力をもってすれば、ベルタ王国など簡単に攻略できるとは思うが」

 

「なるほど、今のお言葉ではアラン様とクレリア様は同格同位として我ら父子の忠誠の対象とするべきですな」

「ライスター卿にはそうしてもらいたい。このなかで実際に執政に深くかかわった者は卿をおいてほかにいない。ぜひとも今後は内政に助力してほしい」

「ライスター卿、実はアラン様と姫様はゆくゆくは新たな国を共同統治されるおつもりなのだ」

「ロベルト殿、そこまで話が進んでおられるとは」

「それはまだ先のことだ。まずは足元を固めようではないか」

 ライスター卿とアベルは深々と頭を下げた。

「この命、クレリア様とアラン様のものであること誓います」

 

 

「サテライトのリーダーがこちらに来ました」

ダルシム副官が言った。

「部下を宿舎に配置したのち、町をできるだけ調べてこちらに向かうように指示してあります」

 さすがにダルシム副官は抜かりがない。

 窓の外は日が傾いて、門からやってくる一騎の人馬を残照が染めている。南門周辺の家屋は城壁の影に入りかけていた。

 

 エルナが席を立った。

「私が玄関まで迎えにいきます。この広間の場所はわからないでしょうから」

「頼む」

 

 扉をあけて出ていったエルナはすぐに戻ってきた。

「クレリア様、廊下にこのようなものが。茶器と湯の入った容器が一そろい用意してありました」

「たぶんアラン様のご厚意だろう。いただいておけ。私が代わりに迎えに出よう」

「ありがとうございます。ダルシム副官」

 

 エルナが茶器を詰んだ台車のようなものを押してきた。

「屋敷内には使用人の気配が全く感じられませんが」

「アランのことだ、ここを出る前に用意していたのだろう」

 エルナが慣れた手つきで私に、それから周囲の者に茶器を並べているうちに、広間の扉が開いた。

 ダルシム副官と一緒に入ってきたのは、サテライト第六班のヴァルターか。ロベルトと一緒に辺境伯軍残党の取りまとめをやっていたはずだ。アランからの信頼も厚い。

 

「姫様、ご報告が遅れました」

「よい。まずは座って話を聞こう。この町の様子はどうだ」

「それではご報告いたします。……ひと言でいうとこの町は異常です」

 



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ヴァルターの報告

「兵舎に入ってまず驚いたのがその広さです。兵士の居室に加え、共同浴室や武器庫が一体となっています。兵舎群の中央には訓練のための広場までありました。浴室はレバーを回すだけで湯が出ます。案内してれたセリーナ隊長によると、アラン様の軍では清潔が何より重要視されたとのこと。戦闘の前に伝染病や疾病で倒れることなどないように最新の設備が用意されるようです」

「本当かヴァルター。兵がそのように贅におぼれるとろくなことがないぞ」

「いいえ、ロベルト様。それだけアラン様が兵一人ひとりを大切にされているということではないでしょうか」

「その兵舎は隊長クラスの専用だったのではないか」

「サテライト全班と後続の辺境伯軍全員が利用できます」

 

「……すでに利用可能なのか」

「はい。それだけではありません。シャロン隊長から聞いたのですが、アラン様は兵の中から治癒魔法に優れたものを集めて教育し、兵のための医療隊を作るおつもりです。戦時においてすぐさま傷病兵を治療するのが目的と聞いております」

「アラン様はそこまで我らを助けてくださるのか。何というお方だ。まるで使……」

「ダルシム副官、このなかで私ほど信仰にうるさいものはいないと思うが、その一言はかるがるしく口にしてはなりませんぞ。とは言え思わずその言葉が口の端に上るのも理解できないではないが……城を追われ、農村に姿を潜めていた頃に比べればさぞ士気があがるだろうな」

「ありがたいことです」

 

 

「ヴァルター、兵舎のほかはどうだ」

「実は商人たちの方も同様でした。兵舎に兵を割り当ててから、商業エリアにむかったのですが、騒ぎが起きていました。そこにいた鍛冶屋の親方にたずねたところ、各戸になんと魔石を使った加熱器があるとのこと。そればかりか兵舎と同様に水の管が配され金具を回すと水が出てくる仕組みになっておりました」

 

「ガンツの拠点でも使っているのをみたが、あれは一基四万ギニーは下らないぞ。それが各戸にあるというのか。アラン様はどれだけの財力をお持ちなのか……」

「この噂が流れようものなら、入植者は殺到するでしょう。中には間諜のたぐいも紛れ込んでくるのは間違いありません。入植者の選定についてはアラン様とも相談せねば」

「ダルシム」

「は」

「もうここを新拠点にするつもりで策を練っているようだな」

「これは失礼しました。我々は姫様のご命令に従います」

 

 私は立ち上がって皆を見回した。

「もはやこれ以上議論を重ねる必要もないだろう。我々はこの地を当面の拠点として力を蓄えたのち、スターヴェークを奪還する!」

「「御意!」」

 



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始まりの晩餐

 なんとか検討は終わったようだな。

 俺は倉庫群と城館の半ばあたりでイーリスからの記録を再生していた。

 クレリアたちがここまで来てさらに流浪の旅を選ぶとは考えていなかったが、みんなが総意で決意を固めてくれたことにほっとする。まずは建国の第一歩というところだ。

 

『セリーナ、シャロン。現状を報告してくれ』

『今はシャロンと一緒に孤児たちを宿舎に入れ終えたところです』

『城館に戻れるか』

『同じ孤児院出身の冒険者が数名いますので、面倒を任せます』

『クレリアがここに残ることになった。明日の夕方まで結論を待つまでもないだろう』

『私は別に心配してませんでしたけど』

『リアがアランをおいてほかに行くとも思えません』

 ……そうなのか。

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 兵舎に皆が戻ってまもなく、アランたちが帰ってきた。

 大広間に入ってすぐ、アランが扉の横に手を置くと天井のシャンデリアが輝き出した。ろうそくが一本も使われていないのに陽の光のように明るい。

「魔石を使った照明器具だよ。そのうち太陽や風の力を蓄えておいて後から使うこともできるようにしようと思っているんだ」

 そんな事ができるんだろうか。いや、アランが口にしただけで実現しそうな気がする。

 

「アラン、私たちはここを新しい拠点とすることにしたわ」

「そうだろうと思っていた」

「……というのは嘘で、アランはかなり心配していたみたいですよ」

「そうなんです。なんども私たちにリアは残ってくれるだろうか、なんて言ってました」

「この二人の言うことを信じないように。……これから城館の中を案内する。まだ完全にはできていないが、当面ここに住むことになるから見ておいたほうがいい」

 

 アランがもう少し喜んでくれると思ったが、なんか肩透かしだった。あとでエルナに聞いてみたら、そういう態度は男らしくないので格好をつけているだけですよ、とのことだった。本人よりもセリーナとシャロンの言葉を信じることにした。

 

 五階建ての各部屋は調度品はまだだそうだが、部屋数はどの大国の貴族からなる外交団が来訪しても余裕で宿泊できるだろう。

 地下にはシャイニングスター専用の稽古場と武器庫があり、稽古場はまだ工事中なので見せてもらえなかった。

 

 武器庫は木剣から始まって魔法剣が六振り、鎧も人数分揃えてある。王都で入手したイリリカ製の短剣も壁に展示してあった。ブレードナイフのほうが切れ味がいいからこれは使うことはないだろう。

 武器庫には以前アランが見せてくれた「ぱるすらいふる」というアーティファクトもあった。使い方はまだ教えてくれないらしい。

 

 

 城館内をひととおり見終わった。まだ厨房や食堂ができていないのでアランの勧めに従って、一階の広間に戻った。

 テーブルの上にさっきまでなかった箱が置いてある。

「みんなに話したいことがある。すわってくれないか」

 なんだろう。

 

「俺とクレリアが初めてであってからもう一年近くになる。俺はこの大陸に流れ着いてクレリア、エルナと出会い、部下だったセリーナとシャロンが合流し、今や二千五百人の仲間がいる。俺は大陸の統一、クレリアたちはスターヴェーク王国の復興が目的だ。この二つは相反するものではなく、同じ道のりの通過点だと思う。……クレリア、ここを新たな拠点として選んでくれて感謝している。ありがとう」

 

 アランに出会ったのは女神ルミナスさまのお導きだった。もしアランに出会わなかったら、ファルやアンテス団長のようにグレイハウンドに殺されていただろう。

 私のために命を捧げてくれた者たちを丁寧に埋葬してくれたことは今でも鮮明に思い出せる。あれからもう一年がたったとは信じがたい。

 

「クレリア様、アランの言葉にお答えしませんと失礼ですよ」

 そのとおりだ。王族たるもの、心のこもった言葉には謝意を伝えなければ。

「アラン。私は命を救われたことを忘れない。その恩を返すと女神ルミナスに誓い、女神に受け入れられた。これまではその恩を返せずにいたどころか、スターヴェークを出自とする同志に手厚い支援までしてもらえた。これからは共同統治と言うかたちでその恩に報いたい。ありがとうアラン。そしてこれからもよろしく」

「こちらこそよろしく、クレリア」

 セリーナとシャロンが静かに手を叩いてくれた。エルナも続く。広間に広がる散発的な拍手ではあるけれど、今はどんな大群衆の喝采より嬉しい。

 

 この仲間がいれば私たちは無敵、そんな気さえする。

 

 アランがまた立ち上がって、皆を制した。

「もう一つ。クレリアには贈り物があるんだ」

「贈り物?」

 アランはポケットから小さな箱を取り出した。開けると青いサテンの内張りに、指輪が二つある。これってもしかして……。

 自分でも顔が熱くなっていくのがわかる。

 

 エルナは驚愕の表情で指輪を凝視しているし、セリーナとシャロンも驚いている。二人も知らなかったらしい。

「ア、 アラン。これってももしかして……。その、私はちょっと準備が」

「俺の生まれたトレーダー星系のランセルでは商業が盛んでね。商業パートナーは同じ指輪を割り印にして持ち歩き、共同の判断が必要なときは合意の上で二人で押すという習慣があったんだ。大昔のことだけどね。それにちなんでガンツの職人に作らせたんだよ。さあ、クレリア。これは共同統治の証として受け取ってくれ」

「それは結、」

 エルナが何かを言いかけたが急に黙り込んだ。

 差し出された箱から小さい方の指輪を取り出す。変わった意匠だがどこかで見たことがある。

「シャイニングスターだよ。二つの指輪を合わせると俺たちの星型になる。なにか重要な判断が必要なとき、記録に残さなければならないときに使うことにしよう」

「アラン、これは商業とか統治の象徴以外の意味は無いのですね」

「そうだよエルナ。他にどういった意味があるんだ?」

「それはクレリア様にお聞きください」

 エルナ! なんてことを。

 なんか急に正気に戻ったようで、その落差にもやもやする。

「わかったわ。アラン、この指輪を使う必要がある時は教えてね」

「無論だ」

 視界の隅でセリーナとシャロンが頭を抱え、エルナが笑いを噛み殺している姿が見えたが無視することにした。。

 

「そろそろ食事にしよう」

 アランが立ち上がって包に手を伸ばした。シャロンが机の横にあるカートから茶器を取り出す。包みを開けると銀色の箱がいくつか入っている。

「厨房が完成していれば、到着祝いを盛大にやりたかったんだけど、非常用固形食で我慢してくれ」

「これは……」

「初めて会ったときの食事もこれだったな」

 容器の銀色のフタをめくると焼き菓子が現れた。一口かじると濃厚でありながら口当たりの優しい塊が口なかでとけていく。

 初めてアランと食事をしたときにもらった銀の箱。その中に入っていた焼き菓子はこの世にこんな美味しいものがあるのかと感激したものだ。いまもその時のことを鮮明に覚えている。

 あの日からはじまったアランとの旅はようやく一つの到達点にたどり着いた。王国の復興という遥かな目的から見れば始まったばかりだったけど、これまでの冒険者生活もここで一区切りになる。

 食事も終わりかけの頃、アランが言った。

「これからは初めてあったときのことを忘れないように、一年に一度はこれをたべて思いだすことにしよう」

 

 片手と片足をを食いちぎられ、意識を失っていた私はある意味、あの日死んだのだろう。今の体はアランに治癒してもらった新しい体。風邪一つかからず、傷も精霊様の力でたちまち治ってしまう。こんなことは聞いたことがないが、現実に私の体がそうなのだから認めざるをえない。これはアランと同じ精霊様の、ひいては女神ルミナスさまからの贈り物なのだ。

 そして私には大切な新しい仲間がいる。アラン、セリーナ、シャロン。もちろんエルナもだ。グローリアだってそうかもしれない。

 

 最後のひとかけらを口に入れながら私は思った。

 あの日、新しい私が生まれた。だから一年に一度は自分の誕生日を祝い、初心に帰るのは大切なことなのだと。

 



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新体制

「アラン・コリント男爵は貴族として、新拠点の最高位として領地を治める。民の教育並びに大陸統一にかかる権限をアラン・コリントが統括するものとする。

 クレリア・スターヴァインは上記以外の全ての項目について権限を有するものとする。ただし、教育並びに大陸統一に係る事項と重複する案件については両名の協議によるものとする。

 

 なお、アラン・コリントの私的団体であるシャイニングスターは今後とも存続し、アラン・コリントを指揮官とする直轄組織として活動を行う。シャイニングスターの次席指揮官はセリーナ・コンラート。活動詳細については別記のとおりとする。

 シャイニングスターの下部組織であったサテライトはシャイニングスターのメンバーであるクレリア・スターヴァインの直轄とする。アラン・コリントの指揮下にはあるが、スターヴェーク王国復興にかかる案件についてはクレリア・スターヴァインの意向が優先する。

 

 ヴェルナー・ライスター並びにその子息アベル・ライスターはクレリア・スターヴァインの政務補佐とする。

 ロベルト・セリオ準男爵は旧辺境伯軍の統括及びアトラス教会との交渉担当とする。さらに…………」

 

 

 クレリアがここを拠点にすると宣言した話が住民たちに広がった結果、だれ一人反対するものはいないことが午前中のうちに判明した。

 午後になってあらためて民を広場に集める必要もないということで、サテライトの隊長と主だったメンバーが城館に集まることになった。議題は「新体制」だ。

 

 素案を俺とクレリアがそれぞれが考えたのだが、まったく意見がまとまらない。特に問題になったのが、サテライトの位置づけとダルシム副官の立場だ。

 

 これまではシャイニングスターを守護する意味でサテライトの十個の班は存在していた。

 いまはスターヴェーク王国再興という目標が明確化し、冒険者としての意味は失われている。近衛と旧辺境伯軍は亡命政府のれっきとした軍組織だ。

 だから俺の直接の指揮下にサテライトを入れず、クレリア直轄とした。ダルシムもクレリアの近衛隊長として復帰してもらう。というのが俺の素案だったのだが……。

 

「サテライトは解散なの? アランの部下はシャロンとセリーナだけになる。もしこの拠点が攻められたら、三人だけで戦うつもり?」

 俺の素案を提示した途端、クレリアの声が広間に響き渡った。

 まあ、イーリスと俺たち三人に偵察ドローン全八十二機を加えればこの惑星のどんな軍にも負けるつもりはないが、まだ詳細は話せない。俺の直属の諜報機関の構想もあるが、例のエルヴィンたちを紹介しようにもユリアンを迎え入れるだけであの騒ぎだ。まだ時期尚早だろう。

 第一、エルヴィンはかつてヴェルナー・ライスターの宰相時代に影の実行部隊として長きにわたり忠誠を誓っていた。いきなり俺の直轄というのもためらわれる。ライスター卿への確認がまず先だ。

 

「サテライトは解散しない。組織上の位置づけでクレリアの直轄とするだけだ。それに俺とセリーナ、シャロン、そしてグローリアも含めればほぼ無敵だ。拠点を守ることぐらいはできる」

「ここはアランの領地であると同時に我々の拠点でもある。一緒に戦うのは当然でしょう!」

「クレリアにとってはスターヴェーク王国の再興が最重要だ。俺の目的のためにクレリアの部下たちを一人も失ってほしくないんだ」

 口を開きかけたクレリアは急に黙った。俺の言葉の意味するところがわかったらしい。要は他人の部下の命を使ってまで俺が目的を遂げるつもりはないってことを。

 

 それまで沈黙を貫いてきたダルシムが口を開いた。

「アラン様、近衛隊長復帰については了解しました。もともとスターヴァイン王家の護衛としての任務を拝命している以上、当然の措置と考えます。……ただ、ひとつ質問してよろしいでしょうか」

「何でも言ってくれ」

 

 しばらく間をおいてから、ダルシムは静かに言った。

「私は副官の器ではないと?」

 急にあたりが静まり返った。ダルシムは近衛にとって傑出したリーダーであることは全員の認めるところだ。

「そんな事は言っていない。クレリアの王国復興軍においてダルシムの能力は不可欠だ。ダルシムにとって俺の目的よりクレリアの目的が何より優先するだろう?」

 

 実は俺も直言してくれるダルシムを副官として留め置きたい。心の底からそう思う。現時点での用兵と戦争技術の範囲内では、現地人としての意見は貴重だ。

 しかし今後の軍の近代化を考えると科学知識は必須となる。いかにダルシムが優秀だとしてもいつか理解が及ばなくなるだろう。それは本人にとっても辛い出来事であるはずだ。

 

「能力の優劣ではない。目的の優先度から考えての配置だ」

「……了解しました」

「俺からは以上だ。クレリアからなにかあるか」

「アランが私たちのことを考えてくれているこはわかった。けれど、この拠点が危機にさらされるようなことがあれば、私がサテライトや辺境伯軍の人たちに立ち上がるように言うわ。アランがなんと言おうとね。……皆もよいな?」

「もちろんです」

「この拠点を守るために戦います!」

 全員が強く賛同するさまにすこしばかり、こみ上げるものがある。が、なんとか顔に出さずにすんだ。

 

「では今までの討議内容をまとめたから、読み上げるぞ……」

 

 

◇◇◇◇

 

 ようやく組織体制も大まかだがまとまって、近衛のエルナとクレリアを残して、残りのメンバーは兵舎に戻っていく。ライスター卿とその子息は元貴族なので城館への滞在を勧めたのだが、固辞されてしまった。

「いまはクレリア様配下として、ベルタ王国時代の爵位は無きものとお考えください」

 こう言われると俺も引き止める理由がなくなってしまう。このような人物が国政の一翼を担ってくれるとありがたいのだが。

 

 とうに日付は変わって、ここから見る商業エリアは寝静まっているようだ。兵舎の一部に明かりが見える。不寝番の班が巡回しているのだろう。

 

 今日の打ち合わせで一つだけ決まらなかったポストがある。そこそこの大国ならば必ずある「通商大臣」だ。

 カトルにはそれとなく伝えたのだが、

「自分は商業ギルドのメンバーで、しかもまだ修行中の身です。父タルスからは政治に近づきすぎると商人の本分を忘れると厳しく言われていますので」

 ということでやんわり断られてしまった。

 タルスさんは立派にカトルを教育していたようだ。商業ギルドの中では自分の商会を最優先する人間も多い。サイラスさんが聞いたら苦笑することだろう。それぞれの考えがある以上、無理強いはできない。

 

 風呂でも入って寝ようかと思ったが、兵舎の給湯システムを先につくってしまい、城館の給湯はまだだった。やれやれだ。

 



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華麗なるコリント卿の魔術研究

 昨夜の会議は精神的に疲れた。

 議題の取りまとめや各人の意見要約はナノムを通じてイーリスにまかせ、仮想スクリーン上で論旨を追うだけだが、感情的な対立は当然ある。

 この拠点の最高位に位置するのが俺だから仕方がないとは言え、これから入植が本格的になると「政務」に明け暮れることになるだろう。

 そのうえ、例の暗殺未遂事件が発覚してからというものダルシムは常に近衛の誰かを俺に護衛に付けたがった。クレリアからの指示もあるのかもしれない。

 新しい拠点は大樹海の奥地だし、刺客が紛れ込むほど人も多くないから大丈夫だと思うのだが。

 もうガンツの旧拠点には軽い気持ちでは行けないな。いまや爵位持ちのアラン様だ。しかもこの星系での人類銀河帝国の大使代行、アレス星系の最高指揮官(戦時任官)という。この俺が最高指揮官とは世も末だな。

 

 

『イーリス』

[なんでしょう]

「個人的に魔法を研究したいのだが、場所がない」

[城館の稽古場は来週には利用可能です]

「外に出たいんだよ。一人で。指揮官でもプライベートな時間くらいあるだろう」

 航宙艦にいたときは艦長は雲の上みたいな存在だった。それでいて、ヘマをやると即座に譴責くらったりするもんで、俺は密かにイーリスに監視されているんじゃないかと思っていたものだ。

 

 仮想スクリーンにマップが表示された。居住区のずっと北側にある湖のあたりだ。そこまでは北門から出て結構な距離がある。まだ伐開にとりかかったばかりの場所だが、湖の周辺は平地が広がっていて練習には良さそうだ。

 仮想スクリーンにクレリアたちの予定を呼び出した。

 クレリアとエルナは建設準備中の教会を視察に行っている。セリーナはサテライトの教練、シャロンは学校だ。校舎ができるまで、野外講習するらしい。……教育担当の俺としては講習の内容を知っていなけければならないんだが、あとでイーリス経由で情報を入手しよう。

 

 タラス村でクレリアに選んでもらった平民の服がまだとってあったので、着替えて外に出た。もともと城館は街の中心から北寄りだし、このあたりの真新しい通りにはまだ人影は少ない。平服に着替えた俺を男爵様と見抜く者もいないだろう。

 北門には衛兵を配置していない。敵が来るとすればガンツ方面で、四千メートル級の山を超えて側面から攻撃するものもいないだろう。大樹海方面から俺たちの街に背後から攻め入るのはさらに難しいはずだ。

 

 門を通り抜けてしばらくして、念のため探知魔法を起動してみる。仮想スクリーンの中心点から魔素の波動が円状に広がっていく。

「ん? 誰かついてきてるな」

 観察しているとかなり尾行技術に長けているのがわかる。俺と歩調を合わせて距離を一定間隔に正確に保っている。振り返ってもその姿は見えない。狩猟の経験があるとみえる。散歩のたぐいではないだろう。

 魔素の濃度を変えて放射してみる。これは俺の研究の結果、対象物を識別するためのテクニックだ。

 人間、女性。蓄えている魔素の集まる胸の位置が高い。

 クレリアではないだろう。もう少しよく観察すると魔法剣に含まれている魔素を感知した。……これまでの動きからするとエルナだな。

 

 俺一人を残していくのが気がかりでクレリアがエルナに俺を監視するように指示したというところだろう。

 ちょうどいい。エルナは近衛随一の風魔法のエキスパートだ。俺は前から風魔法について考えていたことがある。

 しかし探知魔法を展開していなかったのもそうだが、宙兵としては追跡に気が付かなかったのは面白くない。エルナを巻いてやろう。

 宙兵をなめるなよ。

 林の中を迂回して背後から接近して驚かしてやろう。幸い周囲には魔物はいない。

 

「ナノム、高速走行モードだ」

[了解]

 俺は近くの木陰に飛び込む。センサースクリーン上の追跡者の足取りが止まった。俺の姿を見失ったので前に進むのをやめたらしい。この用心深さは間違いなくエルナだ。

 

 血液中の酸素濃度が跳ね上がり、通常人を遥かに超えるスピードで茂みを抜ける。木々が視界を流れ去り、俺は障害物を高速で回避する。

 もうすぐ魔素が描く輝点が近い。草むらをかき分けエルナの背後から……。

 

 ……誰もいない。そんなバカな。

 

「エアバレット!」

「うわっ!」

 いきなり右からの突風で俺は跳ね飛ばされる。

 目の前にエルナが立っていた。

「くそっ、やられた」

 笑みをこらえきれないエルナが言った。

「このところの仕事で体がなまっているのではないですか。アラン」

「いったいどうやったんだ。エルナ、よかったら教えてくれないか」

 エルナは近くの木に向かい、ちょうど自分の胸のあたりに結びつけてある革袋を取り外した。

「魔石をそこに入れていたんだな」

「以前、アランが探知魔法について説明してくれたでしょう? あれからシャロンにも話を聞いてどんなものか理解できました。魔素の濃度差と反射を利用して距離を目に見えるようにしたもの、ですよね」

「魔石を自分のダミーにつかって自分はすぐ近くに隠れていたんだな?」

 探知魔法のスクリーン上では一個の輝点にしか見えないくらいの近い距離で。そこへ背後を取ったと勘違いした俺がやってたところへ容赦なくエアバレットを放ったというわけだ。

 

 俺はナノムに頼りすぎかもしれない。

 エルナはナノムや近代兵器で強化されていない分、生き残る感覚が特に鋭敏なのだろう。戦士として求められる良い素質だ。体術や魚釣もそうだったがエルナは体捌きが絶妙にうまい。どんな技能でもあっというまにものにしてしまう。剣技もセリーナがつきっきりで教えているから、全く油断ができない。

 

「完全にいっぱいくわされたよ」

「これで一勝一敗というところですね」

「冒険者ギルドで近衛たちと模擬戦をやったときのことか」

「あのときは時間稼ぎができると思ったんですが」

 エアバレットの速度を落とし、そのうしろから剣戟を放つのは普通の人間ならよけきれなかっただろう。

 

 話しながら俺とエルナは街へ続く小道にでた。

「クレリアはまだもどってないんだよな」

「教会関係者と打ち合わせ中です。女神ルミナス様のためですから聖堂はりっぱなものにしたいと。クレリア様の護衛は同じ近衛のサーシャに頼みました」

 

 俺はいったん街へ向かいかけた足を止めた。

「エルナ、時間はあるか。ちょっと付き合ってほしいんだが」

「えっ、何をですか」

「いいから早く。クレリアが戻る前には城館に戻りたいからな」

 俺は湖に向かって走り出す。

 エルナがなんとかついてこれるくらいのスピードで。

 

 

 

 湖畔で待つ俺の場所にようやくエルナが追い付いてきた。

「すまない。エルナ」

「……いいえ。私の鍛錬不足です」

 息を切らしながらも、こう返してくるところはエルナらしい。俺もちょっとだけ仕返しをしたかったのかもな。

 

 俺とエルナは湖畔の少し開けたところに立っていた。風がなく、陽が湖面を照らしている。凪いだ水面は鏡のようだ。

「風魔法についてもっと知りたいんだ」

「アランは近衛の魔法士が束になってもかなわないほどの力を持っています。いまさら知見とか言われても」

「いや、魔法についてはまだよくわからないことがたくさんある。試しにここでやってみてくれないか」

 

[解析のためにエアバレットを水面と平行に放つように伝えてください]

 

「エルナ、すまないんだけど」

 俺はナノムのメッセージを伝えた。エルナは俺の指示にちょっと疑問をいだいたようだが、すぐに集中に入り始めた。

「エアバレット!」

 エルナの声と同時に水面が割れていく。手から放たれた空気の流れが円弧上に水を押しのけて飛沫を上げながら、四十メートルほど先で弱まって消えていく。

 

 魔法の発動時間が以前見たときの半分くらいになっている。日々研鑽を怠っていないということか。俺も負けていられないな。

 

「エアバレットの広がり方は調節できるのかな」

「もちろん。アランと模擬戦をやったときに見せたでしょう」

 スピードもコントロールできるということか。エアバレットは透明な空気の移動だから暗闇で無詠唱だったら俺でも避けきれないだろう。

「逆に早くしたり、エアバレットの展開角度を変えてみてもらえないか」

「アランの風魔法のほうがずっとすごいんですが」

 あれはなんというか、ちから任せの雑な感じがする。制御されたエアバレットは閉ざされた空間、室内とか通路とかで放たれるのが一番怖いんだよな。俺のだとあたりをめちゃくちゃにしそうだ。

「そうかも知れませんが……」

 それから何回かエルナは条件を変えてエアバレットを放ってくれた。

 

 空気の流れは全く見えないが、水面がエアバレットの速度と広がりを間接的に伝えてくれる。ナノムの指示理由は多分それだ。

 

[解析が終了しました]

『結果を明示してくれ』

 仮想スクリーンに身体のエネルギーの流れとエアバレットの種類に応じた変動幅が視覚的に展開している。条件を変えるごとにエネルギーの流れが微妙に違う。

 

「エルナ、このエアバレットには反動がないみたいだが」

「大昔の風魔法は反動のせいでかなり使い勝手が悪かったみたいです。長い年月をかけて魔法研究者たちによって改良されたのがいまのエアバレットなのです」

 術者がエアバレットを放った瞬間、作用・反作用の法則で自分も吹き飛んでしまうようであれば、戦闘には使えないだろう。さっきのエルナは髪一つ揺らすことなくエアバレットを放っていた。これはつまり、

 

[無反動機構が組み込まれています。エアバレットが放たれた瞬間の反動は無効化されています]

 

 だとするともしかして……。湖の水面がしだいに落ち着いていくのと同時に、俺の頭にはある考えが浮かんでいた。

 

「エルナ、反動ありで何回かやってみてくれないか」

「魔法書の工程を一部回避すれば古魔法は再現できると思います。やったことはないですけど。自分が吹き飛んでしまいます」

「そこをなんとか、俺が後ろから支えてるから」

「ちょっ! アラン!!」

「だって反動が危ないんだろ」

「大丈夫です!!」

 

 顔を真っ赤にしてまで怒ることはないだろう。いきなり腰をつかんだのは良くなかったのかな。おなじクランの仲間だし、エルナは俺に対して言葉に容赦がないから同僚といってもいいくらいなのに。よくわからない。

 

「アラン、少し離れてください」

 エルナは岸辺に立ってから、体を支えるように左足を後ろに出して手を伸ばした。

 風が鳴って水面が震える。さっきよりずっと範囲が狭い。エアバレットを打ち出すほどに、エルナの上体が前後に震えている。

 

「これぐらいでどうですか」

「さっきより発射間隔が短いのは、工程を省略したからだな」

「エアバレットの詠唱の半分以上は反動抑止、風力の絞り込みなどの工程でできています。省略すると無詠唱でも可能ですよ」

 

『ナノム、いまのエネルギーの流れをトレースしろ。そして俺の両手からエアバレットを放出できるように、出力は通常の半分で、ただし毎秒五回のペースで連続だ』

[了解しました。トレース完了。……エネルギーストック完了]

 やはり魔素のエネルギーを相当使うようだ。全部でファイヤーグレネード二個分はある。一気に爆発させずにエネルギーを絞り出すイメージでやってみる。

 

 俺は手を広げ地面に向けた。

 エアバレット!

 毎秒五発のエアバレットが生み出す振動が手から肩にかかった。ふわりと両足が地を離れる。

……飛んだ! 飛んだぞ!

 伸ばした手のひらから連続的に小出力エアバレットがジェット噴流を吐き出している。

 こんなに簡単にできちゃっていいのか。ちゃんと手から出る風のおかげで俺は宙に浮いている。ただ、毎秒五回では振動がひどいな。おっと、もう水面から三十メートルは上を飛んでいる。

 もう少し出力を絞ってみるか。毎秒三回の出力ではどうだろう……。

 

 

◇◇◇◇

 

 

「アラン」

「なんだ」

「今日は温かい日で良かったですね」

「言うな、エルナ」

 ずぶ濡れの俺の前でエルナが焚き火に枯れ枝をくべている。

 このまま帰ったらクレリアになんと言われるか。護衛につけたエルナもお小言の一つくらいあるかもしれない。乾くまでの辛抱だ。

 

 降下中に魔力補給に失敗し、落下する俺の視野に驚愕の表情のエルナがちらりとみえたが、今はほとんど呆れ顔だ。両手がふさがっていては魔石を使えないのを忘れていた。

「エルナは先に帰ってくれ」

「クレリア様にはアランを監視するように言われていますので」

「俺ってそんなに信用ならないのかな」

「いえ、逆です。ダルシム隊長をはじめ、近衛全員、そして辺境伯軍の多くがアランを信頼しています。アランなしで国を取り戻せると考えているものはいないでしょう。私はときおり疑問に思いますが」

「疑問とは」

「もう少し威厳を持たれたほうが良いかと」

 俺に威厳を求めるなんて無理な話だ。とはいえ俺はこの地を治める貴族様だ。それなりの立ち振る舞いを要求されているのだろう。わかってるさ。

 

「古魔法の欠点を逆に利用して飛翔するとは、実際に目にしても信じられません」

「両手がふさがるのが欠点だな」

「私が言いたいのはそこではありません。あまりにも非常識というか」

「これくらいでちょうどいいのさ」

 とはいえ、ここはエルナに従っておこう。まだ改良の余地があるが今日はここまでだ。

 服が乾いたので俺とエルナは城館へと歩みを向ける。少し後ろから歩いてくるエルナは、なぜか城館に着くまで一言も口を開かなかった。

 



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アランとエルナ

 岸辺に泳ぎ着いたアランは笑っていた。新しい魔法を作り出したことが単純に嬉しいのだろう。ときおりアランが見せる子供っぽさが今日は全開だ。クレリア様によるとアランは今年で二十六歳というが、年齢よりずっと若く見える。

 これで男爵位というのだから呆れてしまう。

 

「いやー、ひどい目にあったよ。魔法はうまくいったんだけどな」

 アランは盛大にくしゃみをした。この時期、湖の水温はかなり低いはずだ。

「魔法を悪用するからですよ」

「改良と言ってくれ」

「枯れ木を集めますから衣服を乾かしましょう」

 

 まだ伐採が進んでいないので燃えそうな落ち枝はすぐに集まった。アランが無造作にファイヤーを使った。無詠唱で使う姿にはいまだに違和感を覚える。

 焚き火の前に座り込んだアランがつぶやいた。

「時間がかかりそうだな。少し体温を上げるか」

 よくわからない。体温は自在に上げ下げできるのものなのか。

 

「古魔法の欠点を逆に利用して飛翔するとは、実際に目にしても信じられません」

「両手がふさがるのが欠点だな」

「私が言いたいのはそこではありません。あまりにも非常識というか」

「これくらいでちょうどいいのさ」

 こんな規格外のことをあっさりやってのけて何がちょうどいいんだろう。ため息しか出ない。

 

「エルナ、古魔法ってなんだ? 魔法も進化するのか」

「進化というのはどういうことですか」

「ええと、世代を繰り返すごとに以前とは違った形や性質を持つようになることだよ」

「もちろん、魔法は進化します。女神ルミナスさまが人間に魔力を与えたのは魔物に対抗するためだというのが定説です。けれど与えてくださった魔法は現在と比べてごく基本的なものだったそうですよ」

「魔法研究者が改良したってことだな」

「最初の研究者は聖者アトラスだと伝えられています」

「たしかこの惑……大陸で一番大きな宗派のアトラス教会と関係があるのか」

「ええ。女神ルミナス様が使徒イザーク様を遣わせ、魔法の詳解を聖者アトラスに啓示したのです。それから魔法研究が盛んになった、というのがアトラス派の主張です」

 

「なるほど……」

 アランは急に黙り込んで何かを考えているようだった。ただの伝説になぜこんなに興味を示すのかよくわからない。

 

「もう少しきいていいか? 宗教は個人的なことだから失礼なことかもしれないが」

「私はクレリア様ほど熱心ではありませんから。近衛に配属されるまでは魔法と剣術の練習ばかりで典礼や教義問答はさぼってましたし。分かる範囲でお答えしますよ」

「そうか。じゃきくけど、「誓い」ってなんだ? クレリアとエルナがすごく大事なことのように話していたのを一度きいてからずっと気になっていたんだ」

 

 いきなりその質問?

 「誓い」は信仰宣言とならぶ信徒の行いでもっとも重要なこと。これまでアランは信仰についてほとんど関心がなかったのに。なぜいまになってこんな質問をするのだろう。

 

「アラン、質問に答える前に確認したいのですが、アランやセリーナたちが住んでいた大陸には教会がないのですか?」

「教会は……ある。けれどこの大陸とはちがって、ルミナス様とは関係がない」

「そんなこと信じられません。ルミナス様なしでどうやって教えを広めるのですか」

「うまく説明できないんだけど、人間としての理想のあり方を規定してそれを守るように指導する、とでもいうか。かなり発言力がある団体だよ。帝国国教会って言うんだけどね」

 

 それは単に政治団体なのでは、と思ったが黙っていることにした。ところ違えば考え方も違うのだろう。そんな教会ではルミナス様の恩寵はえられないし理解できないような気がする。

 

「誓い、とは女神ルミナス様を信じるものにとってはとても大事なものです。他の宗派では誓願ともいいますが、内容は同じです。」

「誓いを立てるとどうなるんだ? なにかこう、印が現れるとか」

「はい。信仰者は軽々しく誓いを立ててはいけませんが、その者が心の底から願った約束がルミナス様の御心に叶うものであれば、徴があらわれます。信者もそれを感じることができます」

 

 あの日、私はルミナス様に誓った。

 クレリア様を一生涯、守り抜くと。

 誓いが認められた証拠に私の体が薄っすらと輝いたのがわかった。誓いは一生の間何回もできるものではない。しかし女神ルミナスのみ心にかなう誓いには、かならず加護の恩寵を与えてくださるという。

 思えば流浪の旅を続けた私が、この広い大陸で再びクレリア様とめぐりあったことはまさにルミナス様のお導きに違いない。

 

「エルナ」

「失礼しました。すこし思い出したことがあったので」

「立ち入ったことを聞いてすまなかった」

「かまいませんよ」

 

 気づけば、アランの衣服はすっかり乾いて、濡れそぼった髪の毛まで元に戻っている。ひょっとして……。

 

「アラン、風魔法を応用しましたね」

「わかるのか」

「わずかですが魔力の放出を感じました」

「さっきエルナがいろいろ見せてくれただろう? 自分の周囲にだけ風の流れを作ってみた」

「はぁ……。ほんとうに規格外ですねアランは。服も乾いたのであればそろそろ戻りませんか」

「そうだな」

 アランは無造作に水魔法で焚き火に水をかけた。やっぱり私は無詠唱には馴染めないようだ。

 

 

 帰る道すがら何度も私の頭を同じ考えが巡っていた。

 ……この人と出会ったのもお導きなのだろうか。

 クレリア様を探しあてたとしても、そこから先のことは考えていなかった。まして建国などとは。十万を超える敵兵。逆賊に投降した貴族たちの軍勢を加えればその三倍はいるだろう。ダルシム隊長を始め近衛のみんなはもちろん、クレリア様を発見できることを確信していたし、事実そうなった。それが建国とは……。

 

 アラン。

 これまでの困難を圧倒的な力でねじ伏せ、クレリア様の未来を開いていった。といって奢るわけでもなくまるで仲間のように接してくれる。不思議にその行動に嘘がなく、これまで出会った人間の誰よりも善良で、しかも心豊かな感じがする。セリーナとシャロンも常に心に余裕があるように見える。

 アランとセリーナたちが住んでいた大陸はよほど豊かな土地だったのだろう。

 

 

 あの日、私はルミナス様に誓った。

 だがもし……私が近衛でなかったら。

 誓いを立てる前にアランと出会っていたら、どうなっていただろう。

 そこから先にはなぜか考えが進まない。

 

 無意味な考えはもうやめだ。今日のアランの魔法を見たおかげで、自分もなにかできそうな気がする。それこそ有意義な考えというものだ。

 



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資源

 午前零時。城館内は寝静まっている。

 イーリスがARモードで現れた。もちろん送られたデータを視覚神経にオーバーレイして、その場所にいるかのように見えるだけだ。周囲が暗いと映像はくっきり見える。

 続いてセリーナとシャロンが現れた。二人ともARでは軍服を着ているが、実際にいま何を着ているかは知らない。

 倉庫街でイーリスからもらった資源リストは二人にも転送してあった。

 

[それでは帝国航宙軍幹部会を始める]

 メンバーは今のところ四人しかいないが、なにかしらの仕切りが必要と思って幹部会にした。

 顔を突き合わせての打ち合わせからARモードへ変えるのはイーリスが言い出したことで、適齢期の男女が一室で長時間過ごすのは周囲に誤解を招くとかいうコジツケ的理由だ。

 考えをまとめるのを装ってARモードで長い時間目をつぶっているのはたしかに目立つ。戦闘中は危険だし、クレリアにも一度言われたことがある。精霊様と会話していることにしてその場を切り抜けたが、いつまでも通用しないような気はしていた。

 

 

 仮想スクリーンに樹海のマップが広がる。

[これまでの資源探査の結果です]

 仮想スクリーン上に広がった図面は以前見たものよりずっと多くのマーキングがされている。

「拠点に最初の住民を集めるところまではうまくいった。今後の作戦遂行に当たり、セリーナとシャロンの意見を聞きたい。資源探査の分析はそれからだ」

 

「バールケ伯爵の私設軍がここを狙うのは確実ですし、クレリアたちを追跡する追手もまだいるでしょう。エルナから聞いたのですが冒険者を装った怪しい者たちがいたそうです。ですので防衛体制を整えるのが先です」

「私は拠点の充実が先だと思います。特に食糧はいずれ問題になってくるでしょう。カトルにも聞いてみましたが、二千五百人分の食糧をガンツに依存するのは危険です」

 

「どちらかといえば食糧の問題をどうにかするべきだろう。地球のニホンには腹が減っては戦はできぬということわざもあるくらいだ」

 俺はスクリーン上のマップを見つめる。

「イーリス。探査範囲内の資源活用で可能な食料供給はどれくらいだ」

「魔の大樹海の二十パーセントを開墾すれば、約八万人の食糧は供給可能です。この数字には軍馬や家畜に必要な飼料も含まれています」

「将来的にもっと面積を増やせないのか」

「可能ですが、それ以上だと周辺環境が悪化し、生態系に深刻な影響を与えます」

 まあそうだろうな。開拓そのものが環境破壊といえなくもない。時期も悪い。俺たちがいる緯度ではまもなく寒季に入る。開墾したところですぐには収穫にはつながらない。

 

 

「食糧工場はどうだ」

 完全な閉鎖系である航宙艦は積載には限りがあるため、リサイクルの徹底に加えて食糧工場が置かれているものもある。コンラート号も頻繁に帰投できない長期探査だったからユニットはあった。

「大型食料ユニットを地上に下ろす手段がありません」

 これもだめか。

 王都では王族の広大な直轄領の農地や、辺境伯から物納される食糧でまかなっているが、俺たちの現状では難しい。ビッグボアや黒鳥の家畜化も考えたが、ここでは家畜を養うだけの飼料が不十分だ。

 

 ほかの食料源といえば……。

「魔物って食えるのかな?」

「…………」

「…………」

 一瞬の沈黙のあと、

「絶対に嫌です!」

「オークやゴブリンをたべるなんて……」

『サイラスさんの邸宅でビッグ・ブルー・サーペントのステーキを食べただろ。あれだって魔物の一種じゃないか』

 とたんに二人は嫌な顔をした。気づいていなかったらしい。サイラスさんは結構大きな声で話していたんだけど。ガンツの屋台で食べたブルー・フロッグは魔物かどうかは知らないがかなり美味かった記憶がある。辺境伯軍のヴァルター曰く、オークを何度か食べたことがあり、脂がのっているものはまあまあ美味いらしい。とはいえ俺だって人の形をしたものを食べるのには抵抗がある。ほかの魔物ならいいかと言われてもためらいは消えない。

 

『ふたりとも教練過程でサバイバル訓練はうけたはずだよな』

[航宙艦内でできるサバイバル訓練は限られています]

 だろうな。俺もオークを解体して、食うというのは生命に直結する危険がない限りできないような気がする。

 

[次善の策ですが、艦のユニットを下ろす代わりに工場を地上に建設してはどうでしょう]

『ここでか? 工場生産のための動力がないぞ』

[こちらをご覧ください]

 仮想スクリーンには点滅するマークが現れた。

[この付近の地下に良質な熱泉があります。汎用掘削機を使用すれば小型の地熱発電設備を建設可能です。発電機などはコンラート号の艦内工作室で製造し、残存する脱出ポッドで小分けにして投下します]

 熱泉……つまり温泉じゃないか。いまは魔石で湯を沸かすようになっているが、そこから温水を引けばいい。

 

『パイプラインで街まで温水を引くことは可能だろうか』

[冬期に温水を利用した水耕栽培を行うのですね。検討します]

 温水が引ければいいからそういうことにしておこう。

[電力が得られるまで、当面は魔石でバイオリアクターを動かします。空気中の窒素、炭素、水素などからタンパク質を合成します]

『魔物を食べるくらいなら合成タンパクのほうがずっとマシです』

『イーリス、合成したタンパク質を加工して美味しくできないの?』

[検討します]

 もっと人口が増えれば、この程度では到底養っていくことはできないが、ひと冬くらいならなんとかなりそうだ。継続的に樹海の動物や木材、魔石などを売却して得た利益を穀物の購入にあてればいい。

 

 

『食糧問題についてはある程度めどが立ったようだな。イーリス、地熱発電、食糧工場建設の方向で設計を開始してくれ。優先度は食糧工場が先だ』

[了解]

『それと艦内の居住エリアに残された私物だが、有用なものがあれば脱出ポッドでおろしてくれ。選別は任せる』

[了解]

『イーリス。まだ大量に衣料品が残っていたでしょう? それもおろしてほしいの』

 俺の感覚では衣料品より医療品のほうが優先度が高いが、まあいいだろう。

『イーリス、脱出ポッドはあといくつ残っている』

[衝突の際に失われたものを除くと、五十七機残っています]

 戦艦クラスだけあって脱出ポッドの数も多いな。欠陥品だったけど。

『改良は終わっているな?』

[はい]

『では定期的に街の北側にある湖に落下させてくれ。人目を引かないように着水は深夜だ』

[了解]

『今日のところはこれぐらいにしておこう』

 衣服のことを俺が咎めなかったからか、セリーナとシャロンは満足した様子で、ARモードを解除していった。

 

 

 まだイーリスがARモードで待機している。

[艦長、ひとつお伝えしなければならないことがあります]

『なんだ』

[バイオリアクターに使用する菌株がありません]

『え。じゃリアクターは稼働しないじゃないか』

[ですが、菌株の遺伝子データは艦内にあります]

 艦内の生物兵器セクションには遺伝子改良施設が当然あるが、膨大な遺伝子サンプルを持ち運ぶ訳にはいかないので、すべてデータ化されている。

 

『ならそれを利用すればいいだろう』

[はい。まずリアクター用の菌株を作り出すためにナノムにデータを送信します]

『それで?』

[次にナノムが細菌を遺伝子改良し、菌株を作り出します。ある一定以上の濃度に達した時点でとりだして、リアクターに投入する、という工程になります]

『ではその方法で作成しろ』

[了解。……アラン艦長のナノムにデータを転送しました]

 

 ん? ちょっとまて。

[腸内細菌の遺伝子改変を開始後、48時間で目的量に達するでしょう]

『……それどうやって取り出すんだ?』

[排出してください]

 俺にもようやく理解の光が射してきたようだ。

『それ以外の方法はないのか』

[この惑星上で遺伝子改良可能な場所はそこしかありません。有害物は完全に除去された状態で排出されますのでご安心ください]

 

 不安要素しかない。俺の腹の中を一時的とは言え遺伝子改良構造にするのか。というか俺じゃなきゃだめなのか……だめだろうな。

 セリーナとシャロンに頼めば、いや、命令すれば実行してくれるかもしれないが、なにか大切なものが失われるような気がする。

 

『イーリス』

[はい]

『魔物を食糧にしたほうがいいような気がしてきた』

 

 



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商業ギルド

 クレリアが新拠点を宣言してから一ヶ月たった。新拠点の建物はほとんど完成しているが、家具はまだ全戸に行き届いていないし、生活必需品の多くはいまだにガンツに依存している。

 いまではガンツからの商人が大挙してやってきては、日用雑貨を売って樹海の産物を購入していく。こちら側の価格はカトルの提案で市場価格より低めにしてある。ガンツ商人たちから見れば移動にかかる手間を考えてもボロ儲けであることには変わりない。噂を聞きつけた周辺の村々からも商売人がやってくるようになった。

 

 まずは人が集まること。これが街を育てるもっとも重要な要素だ。

 

 ガンツの旧拠点にはサテライトを一班だけ交代で常住させるようにしているが、入植希望者が殺到していて、さばくのに一苦労しているらしい。

 選ぶ基準は、何らかの技能を有していること、年齢が行き過ぎていないこと。可能であれば家族で入植できること。読み書きができればなお良い……といった将来性を考えたものだ。このレベルでも条件を満たす人材はなかなかいない。任官を希望する傭兵や冒険者も多いが、今のところお断りしている。

 ダルシムとも相談したが、近衛と旧辺境伯軍の兵力を一定以上に底上げしてから、厳選の上、次の集団を受け入れるべきという意見に落ち着いた。航宙軍でもそうだが、先達はあとから来た者たちより常に優れた能力を持っていることが望ましい。

 

 

 一階の広間におりていくと、すでにクレリアたちがお茶を飲んでいた。

「アラン、今日は教会の司祭様から聖堂建築についてお話があるんだけど、一緒に聞いてもらえないかしら」

 んー、王都のゲルトナー大司教とはうまく行っているし、いまは宗教関係者と話すことはないんだけどな。例によって話が長くなりそうだ。

「司祭さまがぜひアランの意見を聞きたいんですって」

「教会のことはクレリアに任せるよ。ロベルトも教会に詳しいようだし、一緒に行ったらどうだ」

「当然、ロベルトも打ち合わせに参加するわ」

「建築方針が決まったら顔をだすよ」

「アラン、これはとても大事なことよ。女神ルミナス様のお導きがあってここまで来れたのだから」

 エルナから話を聞いてはいたが、どうも宗教とか誓いとかまだよくわからない。教会組織は利用するが信じないというのが俺のスタンスだからな。とはいえクレリアが女神に誓ったその瞬間、ナノムによれば何らかのエネルギー放出があった。この惑星の人間と信仰の間には謎が多すぎる。

「俺の支援者たちも聖堂までは作れなかったからな。そこはクレリアにまかせる」

「方針が決まったらかならず参加してほしいわ」

 そういうとエルナと二人で食堂を出ていった。

 

 

「宗教はなんとかしなくてはなりませんね」

 セリーナがいつかのイーリスと同じことを言った。

「さっきからリアに信仰の大切さを説かれてまして」

「ここに到着するまで気持ちが揺らいでいたんだろうな。無理もないさ。その不安が消えたんで神様に感謝を捧げようとしているだけだろう」

「神様というよりすべてアランの働きがあったからです」

 シャロンの言う通りかも知れないが、クレリアには話せないことがたくさんある。今は信仰が大切ならそれでいい。

 ……いつかは宗教と科学が対立する時が来るにしても。

 

「ふたりとも朝食は?」

「非常用固形食で済ませました」

「厨房も明日には完成だからもう少し我慢してくれ」

 非常食ばかりの生活がつづいて一番こたえているのはたぶん俺だろうな。

 厨房はいったんは完成したものの、俺の趣味が続けられるように小ぶりに作ったのがクレリアには不満らしい。エルナの意見によると城館の厨房としては規模が小さすぎるという。やむなく設計を変更して拡張工事中だ。

 

「二人の予定は」

「私は引き続きあとからきた旧辺境伯軍の兵士に教練を行います。サテライトの兵士は教育が進んでますが、後発組は体力づくりから始めないと。とくに幽閉されていたエンデルス卿ほか八名は定期的に治癒魔法の施術が必要です。体術とかコリント流剣術の指南はまだ先ですね」

 コリント流剣術は教えなくてもいいような気がしたが、セリーナはここへ来て次席指揮官としての認識を強めたらしく、兵士教育に入れ込んでいる。

 

「シャロンの進捗はどうだ」

「孤児たちの多くは読み書きできません。また病弱な子も多くて問題だらけです。教会のシスターも年長の生徒には手を焼いているのが現状です。教育も午前中だけで午後からはそれぞれの親方のところで働かねばなりませんし」

「いつもすまない。教育には俺ももっと関わらないといけないんだが」

「いえ、これは大変やりがいのある仕事です。セリーナも私も全然苦にしてません」

「ありがとう。二人とも」

 

「そろそろ時間ですので」

 二人が食堂を出ると、やがて馬を駆る音が遠くに聞こえてきた。

 

 

 用意してあった非常食糧で味気ない朝食を済ませ、外に出た。午前中はカトルと商業ギルド(建設中)で打ち合わせの予定だ。

 城館からしばらく正門に向けて馬を走らせると商業エリアだ。かなりの数の店舗が開いており、工房もあちこちで稼働している。建設中の商業ギルドの建物はガンツのものと引けをとらないほどの規模だ。まだこんな小さな町なのに支店建設に踏み切ったところを見ると、ギルド長のサイラスさんは俺たちの将来性を認めてくれたのだろう。

 建物の入口で小柄な青年が人夫に指示しているのが見えた。

 

「よう、ウィリー」

「アラン様、ようこそ。残念ですが内装の工事中で中には入れませんよ」

「いや、いいんだ。カトルはいるか」

「いま親方と話しているはずです。こっちの現場指揮所に案内します」

「悪いな、ウィリー」

 

 敷地の隅に丸太づくりの簡素な建物があって、ウィリーの案内で中に入る。

「アラン様!」

 カトルが大声を出したせいで、図面を見ていた技師たちが一斉に立ち上がった。

「邪魔して悪いな。作業は続けてくれて構わない」

 カトルの隣にたっている髭面の大男の頭の上に名前がポップアップした。

 

「たしか、トルコ親方だったな。以前はホームの内装で大変世話になった。商業ギルドの建築にも関わっていたんだな」

「覚えていただいて光栄です。内装はうちの組が一括で引き受けました」

「よろしく頼む」

 俺が言うと、丁寧に頭を下げた。

 うーん。どうも堅苦しくていけない。最近はクレリアからあんまりくだけた調子で一般民衆と話さないようにと固く言われているのがつらいところだ。

 

「カトル。進捗はどうだ」

「サンプルとしていただいた材木が素晴らしいですね」

「そうなんだよ! この試作したテーブルを見てくれ。なんとこの大きさで一枚板だ。乾燥しても歪みが全くない。おまけにこの木目の細かい均一な年輪ときたら! こんな大木はもうガンツ周辺にはほとんど残ってないんだ。みんな切り尽くしたからな。樹海にあることはわかってたが、魔物のせいでほとんど切り出せなかったんだ」

 トルコ親方は興奮のあまり敬語がどこかへ言ってしまったようだ。俺としてもそのほうが助かる。

 テーブルの表面に触れると、木工には素人の俺でも材質の良さがわかる。かすかに魔素のエネルギーをまとっているようだ。魔力感知能力のある者にとっては価値あるものかもしれない。

 

「これまでに試験的に販売した木材も好評です。すでにガンツだけでなく近隣の街からも買い手がやってきています。このぶんだと木材の販売だけで大儲けできますよ。良質な木材はいくらでも需要がありますからね!」

 樹海の木々の生育はかなり早い。ガンツへの街道沿いは魔物の巣窟にならないように適度に間伐しなければならないし、イーリスの分析によれば奥に行くほどに大木が茂っているらしい。長期にわたって利益を出すには大規模な伐採は避けるべきだろう。そうすれば希少価値もつくというものだ。

 

 

「商業ギルド支店の建設も順調なようなら、カトルに頼みがあるんだが」

「アラン様の儲け話ならよろこんで!」

 俺からの依頼はすべて儲け話と思っているらしい。俺は機会を提供するだけで儲けにするのはカトルの才覚だ。父親のタルスさんも大商人だったが、カトルはいずれ父親を凌ぐかもしれない。

「実はガンツのサイラスさんから連絡があって、こっちに来るそうなんだ」

「ギルド長が? 支店の完成はまだ先ですが」

「支店建設の視察という名目で、この街をさぐりにくるつもりだろう。視察のあとは城館でもてなすことになっている。カトルも参加してほしい」

「分かりました。僕が商人の目でギルド長がなんの目的で来たかを見抜けばいいわけですね」

「さすがカトル。わかってるな」

「ありがとうございます」

 

 

 それからしばらくカトルと建設中の施設を外から見せてもらいながら、最近の取引についてあれこれ話を聞いた。

「一つ気になる情報があります。ガンツの小麦の価格が高騰しているそうです」

「収穫期はこれからだ。小麦の備蓄量が減ってきているんだろう」

「いえ、もしかするとアラン様が原因かもしれません」

 ……蒸留酒か。

 サイラスさんに教えたのはワインのアルコール濃度を高める技法だったし、規模も小さい。どうやら俺は人間の創意工夫を侮っていたようだ。エールのように麦を発酵させて酒を作る技術はすでにある。それを蒸留することに気がついたんだろう。サイラス商会が大規模な買付をして、市場価格が上昇しているに違いない。

 

「蒸留酒は大量に小麦を使う。燃料の木材と魔石も価格が上昇しているはずだ。……役に立つ情報だ。カトルありがとう」

「いえ、このくらいのことは当たり前です。ガンツの情報については定期的に報告します。蒸留酒についてはここでも作りたいですね」

「わかった。考えておこう」

 

 サイラスさんにたった百五十万ギニーで蒸留技術を伝授したのはまずかったかもな。ただでさえ植民地で穀物が不足しているのに、魔石や狩った魔物を売っても十分な穀物が購入できなければこの冬は越せない。……まいった。

 



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カリナ

「よう、アラン。元気そうだな。これが入植して一ヶ月たらずの街とは信じられん」

 南門の広場に馬車から降り立ったのは、ガンツのギルド長であるサイラスさんだ。相変わらず声がでかいな。娘のアリスタさん、そしてお付きのカリナもいる。

 

「アラン男爵様直々のお出迎え、ありがとうございます」

 アリスタとカリナが丁寧に頭を下げた。

 さすが正式な貴族教育を受けたアリスタさんだ。父親も少しは見習ったらどうかと思わないではないが、虚礼なんか俺とギルド長のあいだにはない。

「お父様、アラン様は貴族様なのですよ。失礼ではないですか」

「いや、悪かった。気をつけないとな」

 配慮するつもりがまったくない雰囲気でサイラスさんが答えた。

「別に構いませんよ。ガンツのホームをお世話してもらいましたし」

「おいおい、世話になったのは俺の方だぜ。娘を助けてもらって、酒の製造法にドラゴン肉の競売……全部アランのおかげだ」

 よほど儲かったんだろうな。何度かガンツに買い出しにいったカトルによれば、ガンツの商業ギルドも増築中らしい。

 

「まだ建設途上でガンツの足元にも及びませんが、ご案内しましょう」

「アラン様が案内くださるのですか」

「セリーナとシャロンが多忙で案内を頼めなくて」

「アラン、人に任せて自動的に金が回るのはいいことだ。ここの仕事はうまく回ってるみたいだな」

 いや、そうでもないんだけどな。

 

 カリナが馬車の御者台に座ったので、俺もとなりに並んだ。

「アラン様! 馬車にお乗りください。指示いただければ私だけでも大丈夫です」

「ここは俺の街だから、俺が案内するよ」

 最初はどこへ行こうか。商業エリアはまだ店舗数も少ないし、最初は倉庫でも見てもらおうか。商人に在庫を見せるなど商取引の常識からはずれるかもしれないが、少しばかり考えがある。

 カリナに道筋を教え、馬車はガンツの門からまっすぐ北に向かう道を走る。通りは二頭立ての馬車が横に並んでも余裕で通れる幅に作ってある。真新しい石畳はみていてきもちがいい。

 

 カリナは周囲の建物を見て驚嘆している。

「ここが大樹海の真ん中だなんて信じられません。こんな大きな街がいつの間にかできていたなんて」

「真ん中というか、まだ大樹海の南の端と言ってもいいくらいだよ。樹海は広いからね」

「それでもすごすぎます。アラン様にはたくさんの支援者がいるとカトルさんが言ってました。どれくらいの人数がいればこんな街を作れるのやら」

「支援者には感謝している」

 

[ありがとうございます。艦長]

『イーリス、聞いていたのか』

[プライベートモードがオフです]

 うっかりしていた。まあいいか。

 

「アラン様?」

「ああ、すまないカリナ。ずっと奥に大きな白い建物が見えるだろう。そこに馬車を止めてくれないか」

「了解」

 と言ってカリナは微笑んだ。

「サテライトの皆さまがいつもこの言葉を使ってらしたので」

「別にいいんじゃないか。カリナにはガンツの拠点で本当に世話になったし」

「まだアラン様には返しきれないご恩があります」

「もう済んだことだよ……そうだ。この街の商業ギルドの支店長は決まってないんだろう? もしよければ、俺からサイラスさんに推薦しておくけど? サイラス家にはナタリーもいるから家政には余裕があるんじゃないか」

「とんでもない! 命を助けてくださった上にそんなことまでしていただくなんて」

「まあ、ナタリーほど優秀だとサイラスさんも手放せないか。アリスタさんも当然そうなるよな」

「そのお言葉だけで十分です」

 

 ドラゴンの競売を担当したカリナは、全国から集まった指折りの商人たちを完全に仕切っていたけれど、こうやって笑みを見せる姿は年頃の娘さんだ。グローリアの背に乗って空を飛んだ時は感極まって涙をこぼしていたっけ。意外と感激屋さんなのかもな。

 

 カリナにそれとなくグローリアの話に振ると、また機会があったらぜひ乗ってみたいとという。あのときはグローリアの飛翔は乗り手が変わるごとにひどくなって、錐揉み降下や急上昇の連続で歴戦の冒険者たちがグローリアから真っ青になって降りてきたのは今では笑い話だ。

 

 話を咲かせているうちに気がつけば倉庫群の入り口に着いていた。

「アラン。この中に樹海産のお宝を詰め込んでるんじゃないだろうな」

「はい」

「簡単に言ってくれるが、こんな巨大な倉庫は見たことがない。一体どんな建材を使ってるんだ?」

「樹海産の木材です」

 ということにしておく。

 

 外壁を開けて中に入る。

「このでっかい彫像は何だ」

「俺のいた大陸では倉庫の門番がわりにこの彫像をおいておくんですよ。一種のおまじないです」

 倉庫の汎用ボットは扉を開け締めするとすぐに停止モードに入って動きを固定するように指示してあった。門番の与太話も昨日の夜に考えておいたものだ。

「薄気味のわるい彫像だな」

 サイラスさんの言葉を流して、内扉をあけると冷気が流れ出した。

「む、これだけの大きさ全部が冷蔵倉庫なのか」

「そうですね」

「天井全面が魔法陣か……」

「サイラス様、天井の魔法陣はガンツのものと違います」

「アラン特製ってわけだな」

「以前、魔道具の作製講習を受けたことがありまして。この倉庫は内容積はガンツの冷凍庫の十五倍ほどありますが、使用する魔石はガンツの半分ですみますよ」

「信じられん。ガンツのA級魔術師が総力を上げて作った冷凍倉庫だぞ。その十五倍とは」

「特別な断熱材を使っていましてね」

「なんて部材だ。ガンツの冷蔵倉庫も改造したら経費が浮くな」

「えーっと、これは」

[シリコン・エアロゲルです]

「鉱物を溶かして空気を含むようにした部材です。断熱性能は木材の十倍以上ありますね」

「売ってくれ。いや作り方を教えてくれ。どの支部も冷蔵倉庫は金がかかって大変なんだ」

「その件についてはまた後ほど」

「そうだろうな。これほどの技術なら酒造りどころの話じゃねぇ。ま、折を見て取引させてもらおうか」

 意外とすんなり引き下がったな。たぶん、ドラゴン関係の儲けで食指が伸びなかったというところか。満腹だとデザートに手が出なくなるようなものだろう。いずれにしてもガンツの職人ではこの部材は作れない。数世代は先だ。

 

 この倉庫は食料だけだが、ビッグ・ブルーサーペントなどの珍しい生き物も冷凍してある。

「これは開拓時に捕まえた獲物だな。この倉庫全部がこれか」

「三棟全部が食料ですね。残り一棟はこれからお見せします」

「アラン。これは在庫というより兵糧戦への備えだろう」

 さすがに鋭いな。まあ、在庫を見せるというのはそういった弱みも見せることだから仕方がない。

「国王の指示により進めている開拓地が襲われるようなことはないと思いますよ。これは越冬用と商売用です」

「だといいがな。俺からの助言だが、一度に放出しないほうがいいぞ。いかに珍しい樹海の産物でもすぐに見慣れたものになって価値は下がっていくものだ」

「ありがとうございます。出荷量についてはカトルとも相談します」

「あの小僧もなかなかできる奴らしいな」

「ゴタニアのタルスさんの息子ですよ」

「おお、あのタルス商会のか。中堅ながら手広くやっているようだな」

 サイラスさんくらいの規模になるとタルス商会ですら中堅になるらしい。

 

 次に樹海産の物品倉庫に案内する。

「魔石をこうも無造作に袋詰めにしてあるとはな。しかも五百個とは。こうしてみると魔石もただの石ころに見えてくる」

「大樹海ではグレイハウンドの繁殖力はほかの場所の数倍はあるようですね」

「このオーガの魔石、直径が五センチ近くあるぞ」

「オーガも奥地に結構いますよ。そこまでたどり着く冒険者は少ないようですが」

「それとジェネラル・オークだが」

「ぜひこの首を引き取ってもらえませんか」

「冒険者ギルドに卸すんじゃないのか」

「そのほかの資源もサイラス商会への独占契約としましょう」

「おいおい、正気か。これだけの産品なら直売したほうが儲かるぞ」

「悪い話ではないでしょう? ただし支払は……」

「穀物払い、だな?」

 さすがにサイラスさんは理解が早い。

 

「サイラス商会は蒸留酒を製造するため、穀物の大掛かりな買付をおこなっているはずです。支払いを穀物でいただけると、ほかの零細な売り手を何軒もあたるよりよほど効率的ですからね。我々に卸した穀物分の蒸留酒を減産することで希少価値がつくでしょうし」

「街の人間を養うためだけにこんな貴重なものを売り飛ばすとは」

「まあ、領主ともなると領民のことを考えねばなりませんので」

 いきなりサイラスさんが俺の肩を叩いた。

「世の中の貴族様がみんなこれくらい物わかりがよいといいんだがな」

「冷えてきましたしここを出ましょう。商談の続きは会食のあとにでも」

「いいだろう。つぎは商業エリアを見せてくれ」

 

 

◆◆◆◆

 

 馬車のドアが締まると同時にアリスタは向かい席の父に声をかけた。

「お父様、さきほどの商談ですけれど」

「アランは領主としては理想的だが、商人としては素人だな」

「私は違うと思います」

「なぜだ。あれほどの産物をすべて俺の商会におろして、売上の一部を穀物で支払うだけでいいんだぞ」

「アラン様が魔石やジェネラル・オークが無価値になるほどの財宝をもっているとしたらどうでしょうか。アラン様としては塵芥を売って穀物を得たも同然です」

「いったいどういうことだ」

「お父様とアラン様が談笑しておられるあいだ、私とカリナは倉庫を見て回りました。鉱石の山があったのですが、武器店に資材をおろしているカリナによると間違いなく鉄鉱石だそうです」

「なに! それは本当か。人が掘れる範囲の鉄は取り尽くしているのはアリスタも知っているだろう。しかもスターヴェークの内戦以来、武器の価格は高止まりだ。まとまった量があれば、一財産どころの騒ぎじゃないぞ」

「それだけではありません。お父様は冒険者タスカーの伝説をご存知ですか」

「あの黄金伝説のか」

「はい。およそ百五十年前、冒険者タスカーは樹海の奥地で黄金の川床を発見したと書き残しています。彼は実際にその証拠としていくつかの金塊を持ち帰ったといいます」

「だが、タスカーは二度目の樹海探索で消息を絶ったはず……まさか」

「アラン様が再発見していたとしたら?」

「冒険者にしては異様なほど金を持っていたり、開拓地に大樹海を選んだのも全て合点がいく。ここにその財産の根源があるからだ」

「わたくしもそのように考えました」

 

 御者台からアランとカリナの笑い声が聞こえる。何を話しているのだろう。熱心に話しているのはアランだ。今日のカリナは本当によく笑う。

 

 しばらく腕を組んだままだまっていたサイラスは言った。

「見方を変えればとんでもねぇ極太客だ。取引を拡大するのはもちろんだが、アランには謎が多い。アリスタ、幼い頃からお前に使えてきたカリナには悪いが、」

「カリナにはアラン様に極力接触をもたせましょう。そこで提案があるのですが……」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 商業エリアの説明をしている最中、アリスタとカリナからは盛んに質問を受けた。特に魔石を使った給湯システムにはかなりご執心だ。毎日汗を流せる浴室が一般家庭にあるのはかなり衝撃的なことらしい。

 一方、サイラスさんはずっと何かを考えているようだ。ギルド支店の建設現場でもあまり質問がない。支店の作りはすべて頭に入っているのだろう。口は悪いがさすがギルド長だけあって頭は切れる。

 

『セリーナ、シャロン、そっちの状態はどうだ』

『全員着替えを終えて待機しています。夕食はガンツのホームから呼んだロータルさんたちがアランのレシピ通りに作っています』

『ありがとう。これから客人を連れて城館に戻る」

『了解』

 

 



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談笑の影に

 城館の真新しい謁見室に入ったとたん、一瞬誰かと思った。

 セリーナたちは航宙軍女性士官が公的な催しで着用するフォーマルドレスを着ていた。クレリアは例のゴスロリ風のドレスを――かなりお気に入りらしい―着込んでいる。

 もう一人、航宙軍のドレスを身にまとっているのはエルナだった。

 すこし高めのカラー、純白の生地に腕の金のカフスが眩しい。エルナはセリーナたちより背が高いうえに、剣技の修行のせいか背筋を伸ばした姿は凛々しいという言葉だけで足りない気がする。兵学校時代の女性教官をふと思い出した。

 目が合うと、エルナは顔を赤くしている。ちょっと長く見つめすぎたかもしれない。

 

『シャロン、エルナの制服だけど』

『昨夜着水した脱出ポッドの中に航宙軍の儀礼用の制服が一式あったので。私たちとおそろいにしてみました』

『エルナは自分の所属する軍ではないからと固辞していたのですが、礼服だというと着てくれました。似合うでしょう?』

『ずっと着慣れているような感じだな。よく似合ってる』

『エルナに伝えておきます』

 容姿はともかく、エルナは兵士としての素養は卓越している。この世界で二番目のナノム投与はエルナにすべきかもな。

 

 

 謁見室の高座からクレリアが話しかけた。

「サイラスギルド長」

「クレリア様」

 サイラスさんたちは高段に座るクレリアにひざまずいて貴族への挨拶をした。

 なんか俺のときとだいぶ態度が違わないか。

「遠路はるばるご苦労。この街に支店を設けた英断に感謝する」

「お言葉痛み入ります。今後とも商業ギルドとして可能な限り協力いたします」

 サイラスさんもごく自然に貴族むけの振る舞いで、こなれた感じだ。ガンツの屋敷で饗応されたときとはえらく違う。クレリアを完全に貴族と認めているようだ。

 ……叙爵されたのは俺なんだけど。

 

 なんとなく俺から見れば堅苦しいやり取りが続いたあと、晩餐となった。

 シャンデリアが煌々と輝く一階の広間は、すでに給仕役の使用人が控えていた。俺とクレリアが最後に広間に入り、着席するまでサイラスさんたちとカトルは起立したままだ。クレリアが着席すると同時にようやく晩餐が始まった。

 

 給仕が食前酒を細長いガラス製の盃に注いでいく。

 一口飲んで、サイラスさんが言った。

「これは発泡酒か。適度な冷たさが胃の腑にしみるな。食欲が増すような爽快さもある……。アラン、ここで作ったのか」

「ええ。この城館にも小さな工房がありましてね。実験を重ねているところです」

 実験は七百キロ上空のコンラート号艦内にあるシミュレーションモジュールで実行し、ダウンロードした結果をもとに地下工場で醸造している。大量生産を目的としていないので量はつくれないが、発酵迅速化技術によって大抵の酒は短い期間で醸造可能だ。

「……美味いな。こんな美味い酒が食前酒とはな。王族でも飲んでいないだろう。アラン、いったいいくらで、」

「お父様。お招き頂いた晩餐会で商売の話は失礼ですわ」

「いえ、構いませんよ。以前、ギルド長の邸宅で会食した際もいろいろと便宜を図っていただきましたし……前菜が来たようですね。どうぞ召し上がってください」

 

 といいつつも、俺の心は穏やかではない。

 つい先日、バイオリアクターが俺の犠牲的精神の末、本格稼働してアミノ酸合成に成功したのだ。今回はタンパク合成まではしていないが、旨味調味料ぐらいはすぐにできた。今日はその試食会も兼ねている。製造した調味料は人類銀河帝国内ではよく知られたもので、この惑星の人間にも好評だったら製品化できるかもしれない。

 個人的にはまだ引っかかるものがあるし、菌株作製については大いに問題にしそうなセリーナとシャロンには伝えていない。イーリスにも箝口令を敷いている。

 

 前菜は蒸したポトと葉野菜のサラダにドレッシング(リアクター菌株由来)をかるく振りかけたものだ。ちょっとカラシがきいた小洒落た一品だ。

 

 俺は自分の皿には手を付けずみんなの反応を待った。サイラスさんはまだ食前酒が気にかかるのか、上の空で口に入れている。あれ、お気に召さなかったかな?

「うまっ!」

 変な声を出したと思ったらテーブルマナーそっちのけでガツガツ食べている。

「お父様!」

 まだ口をつけていなかったアリスタさんが青くなって止めに入っていた。貴族の前ではとんでもないマナー違反だ。

「アリスタ、お前もだまって食べろ」

「アリスタ様、このサラダは……」

 そのまま絶句するカリナに目をやったアリスタは恐る恐る口に入れる。

「…………!!」

 

「お気に召したようで何よりです」

 セリーナとシャロン、クレリアにも好評なようだ。エルナの視線が俺の手つかずの皿に向かっているのにはちょっと笑った。そういえばエルナはポトを使ったサラダに目がなかったな。カトルはすでにきれいに皿を空にして思案顔だ。おそらくこの調味料をいくらで売ったら儲かるかを考えているに違いない。

 

「いや、おかしいだろうこれは。ただのポトと葉野菜のはずだ。なんという深みのある味だ。これをかけると野菜の青臭さが消えて実に旨い」

「お野菜にはお酢と塩を混ぜたものをよく使いますが、普通のお酢ではなく、果実酒から作ったお酢のようですね。あと素晴らしく深みを与えるものが入っています」

 さすがにアリスタさんは貴族の教育を受けただけあって舌が肥えている。気に入ってくれたのなら何よりだ。商品化決定だ。

 

 メインディシュはビッグボアのステーキにガーリックもどきを添えて、塩コショウをふったシンプルなもので、しばらくつづいた非常用食料にあきた俺の舌には十分満足できる味だった。

 が、さっきの衝撃からサイラスさんたちは立ち直っていないのか、なんとなく食が進まないようだ。最初のがインパクト強すぎたせいか。

 

 会話は食材の話から、近隣のよもやま話に終止して、なんとなくだが上っ面に終止した。クレリアとエルナがなかなか会話に入らず、そっけない。きっと疲れているのだろう。

 当たり障りのない会話が続く中、サイラスさんの視線とぶつかることがあった。なぜか俺以外に聞かせたくないことがあるような気がする。

 

 デザートはナッツを散りばめたケーキだ。これはゲルトナー大司教のところで出されたお茶菓子がうまかったので参考にさせてもらった。その上には冷蔵器具で作ったアイスクリームが載っている。

「これは! このつめたいクリーム? のようなものいったい」

「うまいな。これも。王族でもこんなものは……」

 この人さっきから同じことばかり言っていないか。

「お父様は辛党ではなかったのですか」

「いや、うまいものは旨い。アラン、これを販売するつもりはないか」

「いえ、まだ実験中でしてね。冷凍した食材を販売するとなるとそれなりの施設も必要でしょうし」

「うーむ。ここでしか食べられないとは残念だ」

 

 食事が終わり、食後酒が給仕されていく。

 俺は自分のグラスに手を付けず、全員の反応を観察する。実験室で結構テイスティングしたから今飲む必要はない。ここは酒の味がわかるサイラスさんの反応を観察するのが一番だ。

 サイラスさんは一口飲んで口の中で転がすようにしたあと、ごくりと飲んだ。

「これは……酔わせる成分が強めだな。それでいてさっぱりしている。甘みもあるがさっきのデザートのせいか逆に柔らかくかんじる。満足した食事を埋める最後の一ピースというところか。ただ、うますぎて飲みすぎる危険はあるな」

「私はあまりいける口ではないのですが、甘みがあってとても美味しいですね」

 この親子が太鼓判を押すなら合格だ。

 シャイニングスターのなかでも酒に強いエルナも頷いている。クレリアはほんのすこし飲んだだけで、杯を置いていた。そういえばガンツで祝いがあったときにワイン樽を開けて大騒ぎをしたことがあったっけ。あのときのクレリアは結構面白かった。あとでエルナに酔っ払った状態を事細かに教えてもらってだいぶダメージを受けたらしい。自粛しているのはそれが原因だろうな。

 

 食事の終わりかけの頃にクレリアが言った。

「せっかく来たからには居城の中を見学してもらったらどうか」

「まだ完全にできたわけではありませんが、良ければご案内しましょう」

『セリーナ、シャロン、案内を頼んでいいか。俺はサイラスさんと話がある』

『了解』

「残念だが私は少々飲みすぎたようだ、失礼かと思うがこれで退出する。見学を楽しんでくるといい」

「クレリア様、本日のご饗応に感謝いたします」

 アリスタさんとカリナが頭を下げた。

 

 俺は大広間に残った。テーブルの上がきれいに片付けられたあと二人だけになった。なぜかカトルのやつは居城見学についていってしまった。やれやれだ。

 

 サイラスさんはグラスを持ったまま、巨大な窓ガラス越しに商業エリアの方を眺めていた。夜も更けたが、まだあちこちに明かりがついている。魔石製の照明器具が行き渡っているせいで、夜も作業する工房も出てきた。

 ガンツではどんなに忙しい工房でもオイルランプが主流なので照度も低く、夜間作業はしない。当然、こちらのほうが生産性は高くなる。

 

 グラスを傾けながらサイラスさんは言った。

「アラン、今日見た限りでは開拓も順調なようだ。だが、街が充実するのにまだしばらくかかるだろう。そのあいだ新しい仕事に参加してみないか」

「新しい仕事、というと何でしょう。酒造りはごめんですよ」

「酒造りは問題なく進んでいる。さっき飲んだ酒にくらべれば品質は落ちるがな。それでも今までの酒造業者は潰れるだろう。ほとんどうちの独占になる。潰れた業者は引き取ってうちの酒造場で働かせる。言うことなしだ」

 

「ただ問題が一つある。護衛だ。もう二回もうちの酒運搬の隊商が襲われている。醸造所もだ。同業者の妨害というところだろうな。それとうちの専属の鍛冶屋から蒸留器の設計図を盗もうとするやつがいた。アランが作ったやつだ」

 たしかに酒商売はもうかる。一度顧客を開拓すれば、ずっと消費が望める。それはライバルも同じで、サイラスさんが高品質な酒を廉価で売りさばけば、恨む者も出てくるだろう。

 

「どうだ、アラン。うちの商会と専属護衛契約を結ばないか。冒険者ギルドのケヴィンにはわるいが、お前のもっている兵のほうが腕が立つ」

「叙爵されたとは言え、冒険者ギルドへの義務は残っているので。例えばスタンピードが起これば出動することになります。サイラス商会との専属契約によりほかの冒険者たちが職にあぶれるようだとギルドからも悪感情を持たれるでしょうね」

「貴族なんだからそこは押し切れ。というか冒険者ギルドに参加し続けるにはギルドに貢献しないといけないはずだ。最後にギルドからの依頼を受けたのはいつだ?」

 しまった。すっかり忘れていた。依頼の実績報告をしないと、ランクが下がるんだった。

『イーリス。今のランク維持の刻限はいつだ』

『あと九日です』

 くそ。あと九日で降格か。せっかくシャイニングスターのみんなで勝ち取ったランクだ。降格すればクレリアも残念がるだろう。

 

 サイラスさんは俺の心を読んだかのようにニヤリとした。

「アランが冒険者ギルドのメンツを潰したくないなら、商会が雇っている冒険者どもはほかの物品輸送に振り分けて首にしないでおこう」

「その方がいいですね」

「俺の情報だと、こちらの兵には元貴族とかがいるんだろう? 護衛業務をやってくれるかどうか……。痩せても枯れても貴族様だ。プライドが高くて断られるかもな。だがな、隊商の護衛であちこちに行くんだ。それこそアラン、というかクレリア様の欲しがっている情報が手に入るかもしれんぞ」

 

 ほんと、この人は奥が深いな。豪放磊落で、派手なことが大好きなくせに恐ろしく頭が切れる。人を動かす術にもたけている。硬軟使い分けるところはさすがに「長」と言われるだけのことはある。

「いいでしょう。十分な人材を手配できる心当たりがあります」

 腕が立ち、情報収集にたけた集団だ。一族代々に伝わる実績もある。ライスター卿にも一声かけておこう。

「よし、隊商一つにつき往復の護衛で五万ギニーでどうだ。情報収集代と隠れ蓑の提供でこの値段は十分すぎるだろう」

 安すぎなばかりか、あまりの恩着せがましさに思わず笑ってしまう。

「護衛は一人でいいんですか? 五万ギニーだとそれくらいしか出せませんが」

「最低十人。酒運搬は最低でも荷馬車六台で移動する。二十万ギニー」

「六十万ギニーでお受けします」

「くっ……。四十万ギニー」

「費用を激減させる方法を助言できます。そのかわり六十万ギニーは譲れません」

「助言だと。こんなにふっかけておいて何を言う」

「酒をほとんど製造しなくてももうける方法です」

「なに! そんな方法があるのか」

「六十万ギニー」

「よし、乗った」

 言い切ったサイラスさんはグラスの酒を一気に飲み干した。

 

「すぐに教えてもらえるんだろうな。その方法とやらを」

「契約書を作成した後にお教えましょう」

「……そうか。なかなかやるな。今日はここに泊まるつもりだったが、俺はガンツに戻る。サイラス商会で正式に契約書を作らせよう。アランも近いうちにガンツに行く用事があるはずだよな? ケヴィンが会いたがってたぞ」

 この人は骨の髄まで商人だな。まあいい、俺の予想ではこれから一、二年は相当な荒稼ぎができそうだ。

 

 

 広間にセリーナたちが現れた。居城見学は終わったらしい。エルナとクレリアの姿は見えない。俺は玄関までサイラス親子を送った。急に戻ることになってアリスタさんは残念がったが、素直に父親に従った。

「本日は多大なるおもてなしに感謝いたします」

 アリスタさんとカリナが丁寧に頭を下げた。サイラスさんは俺をしばらくじっとみてから、

「これからの取引を楽しみにしてるぞ。大樹海のお宝についても話していこうな」

「お父様! お言葉にお気をつけください」

「いいんですよ。こっちもお世話になっていますから」

 なんだろう。サイラスさんは俺が金鉱でも掘り当てたかのように言っているがそんなに財政よくないんだけどな。本当に樹海に金塊が埋まっていればいいんだけど。

 

 サイラス父娘が馬車に乗り込み、カリナがドアをしめた。そして俺に向かって深々と頭を下げると御者台に登っていく。その顔からは昼間見せた笑みの欠片もない。

 

 おっと、俺の視界からフェードアウトしようとしている若者を捕まえる。

「カトル」

「すみません、つい見学の方にいってしまいました。サイラスギルド長の目つきが尋常でなかったものですから。逆らったらやばいかなと」

 それは気が付かなかった。あの人の人心掌握術は馬鹿にできないな。まあ、いい。

「カトル。サイラス商会と護衛契約を結んだぞ。隊商一隊、一往復で六十万ギニーだ」

「ろっ、六十万ギニー! 護衛だけで? 一体どうやったらそんな契約ができるんですか! 教えてください」

「まあ、俺の人徳かな?」

「アラン様!」

 カトルには今日の打ち合わせを逃げた罰としてすぐには教えないでおこう。

「カトル、この件でサイラス商会で契約を結ぶことになった。数日中に出かけることになると思う。準備していてくれ」

 それからもカトルは内容を知りたがったが、適当にいなして帰ってもらった。

 

 もうクレリアもセリーナたちも居室に戻ったらしい。

 ただ一人、大広間で俺を待っているらしい人物を除けば。

 



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みんな片思い

 大広間にはまだ明かりがついていた。

「エルナ」

 航宙軍女性士官の制服を着た姿がふりかえった。

「クレリア様はお休みになられました。食後酒が強かったせいかもしれません」

「その口ぶりではそうではないのか」

「今日、私はクレリア様のお供で教会の建設現場に参りました。司祭様と一緒に進み具合を確認するためです」

「それがどうかしたか」

「ご存知の通り、教会は南の門から北に伸びる道筋にあります。今日、アランは商業ギルドの人たちを案内するということでしたよね」

「それと教会がなんの関係があるんだ」

「ちょうど教会堂からでてきたクレリア様と私の前をアランの乗った馬車が通り過ぎていきました。アランの横にはカリナさんもいました」

 エルナはいつになく厳しい顔で俺を見ている。いったい何が問題なのかわからない。

「ご自分の立場というものをよく理解されていないようですね」

 

 そうか。思い出した。

 あれはシャイニングスターとサテライトの連中をグローリアの空中飛行に誘ったときのことだ。今日と同じように俺はカリナと一緒に御者台に並んで座っていた。それをエルナにたしなめられたことがあった。そのときは気にもとめなかったが……。

 

「アラン。私は近衛として主をお守りせねばなりません。それは外敵からだけでなく、将来おこりうる禍根からも守る、ということです」

「カリナが将来、問題になるのか」

「男爵位ともあろう者が、将来的な共同統治者がいながらほかの女性に関心を寄せるのは良くない、ということです」

「それは誤解だ。エルナも知っていると思うが、カリナは非常に優秀な人材だ。サイラスさんに彼女をこの街のギルド支店長として推薦するつもりだ。そんな人物と良好な関係を築くことになんの非がある?」

 

 エルナは深い溜め息をついて俺を見つめた。あきらめと困惑が入り混じったような微妙な表情だ。

「さすがはアラン、いまの説明に全く誤りはありません。そのとおりです。カリナさんはとても優秀です。あの一癖あるギルド長から一目置かれているくらいですから。ですが、今後は公人としての付き合い以上のことはやめたほうが良いと思います」

「リアがそう言ったのか。エルナにそう言えと」

「違います! すべて私の……近衛としての……一存です」

 なぜか、エルナは目を伏せた。

「もしかして、帰り際にカリナになにか言ったのか。少しうつむいていたようだが」

「庶民の立場をわきまえた方がいい、くらいのことは言ったかもしれません」

「それは言いすぎだ!」

 

 一瞬、俺に声にびくっとしたエルナだったが、すぐさま言い返した。

「貴族には貴族の、庶民には庶民の役割があります。その線引を曖昧にすることは許されません。どうしてアランはそのことがわからないのですか」

 この惑星では王族を頂点とする身分制が長く続いてきた。エルナもクレリアもそれ以外の世界を知らない。俺との間にどうしても埋めきれない深い溝ができるのはしかたがないことだ。だからエルナは悪くない。自分なりに正しいと思うことをやっただけだ。カリナには俺から謝ればいい。

 

「わかったよ。これからは気をつけよう。エルナ、忠告をありがとう。ダルシムが隊長に復帰した今、諫言してくれるのはエルナくらいだ。これからも頼む」

 なぜかエルナは硬い表情で俺に一礼して、俺の前を通り過ぎ、ドアに向かった。後ろ姿が一瞬、誰かに似ているような気がしたが、よく思い出せない。

 

 

 ドアの閉まった音がうつろに大広間に響いた。

『セリーナ、シャロン。聞いていたな』

 ややしばらく間があって、二人がARモードで現れた。

『大広間のビットで収集した情報は私たちも共有しています』

『分かっている。一つ聞きたい。今日俺は間違ったことをしただろうか。いや、これは命令ではないから無理に答える必要はないし、回答は軍務に関係なくても構わない』

 

 二人は一瞬、目を合わせたがシャロンが答えることに決めたようだった。

『冒険者をしていた頃は五人だけでした。ですがこれからは大勢の人と関わりを持たねばなりません。それらの人々は航宙軍のことなど知りませんし、そのルールについても無知です。だから私たちの価値観と相違が生じることはあると思います』

『それは一般論だろう。今日のこととどうつながりがある』

『二人はアランを失いたくないのです。彼女たちの目的実現はすべてアランにかかっています。エルナはアランの気持ちがリア以外に向くことを懸念しているのでしょう。たとえアランが航宙軍の一人の兵士としての価値観で許容できても、リアたちにはとても恐ろしいことなのかもしれません』

『俺は商業ギルドの人達を案内しただけだ。他意はない』

 

 今度はセリーナがARモードでもはっきりわかるくらいのため息を付いた。

『アラン。それは私たちも同じです。たとえば、アランが……エルナさんでなくてもいいですが、ほかの女性に心を奪われ、目的を忘れてこの惑星で一生を終える決心をしたとしましょう。それを私たちは止めることはできません。しかし、そうなったら大変残念です。いえ、悲しい』

『セリーナ……』

 シャロンが驚いている。普段は冷静なセリーナがここまで言うとは俺も思っていなかった。俺が周囲の人間の心情に無関心だったということか。

『わかった。これからは気をつけよう。カリナも理解してくれるだろう」

『彼女はアランにあまりにも深い恩義を感じています。それが別のものに変わるかもしれません』

 シャロンの言っていることはよくわからないが、一つだけ今の俺たちに言えることがある。

『俺が叙爵されてからの数ヶ月はあまりにも忙しすぎた。俺たちはバラバラになりかけている。冒険者として一致団結していた状況が大きく変わってしまったからな。セリーナとシャロンの気持ちもわかった。みんながまたあの頃のように一つになれる方法を考えよう。夜中、呼び出してすまなかった。ありがとう』

 



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かかっておいで

「クレリア、ついに稽古場が完成したぞ。久しぶりに手合わせしないか。剣も魔法も使わないとさび付くぞ」

 夕食が終わると、突然アランが誘ってきた。

 ギルド長がガンツに戻ってからアランがずっと地下にこもっているのを知っていたが、原因はそれか。

 昨日からずっと気持ちがささくれだっていて政務に身が入らない。今日は教会建設の立会も休ませてもらっている。エルナもめずらしく寡黙だった。

 

 アランに言われるまでもなく、ながいこと魔法を使っていない。

 盗賊狩りで一隊をまかされたときも、ダルシムが防御円陣を指示したので私が先頭を切ることはなかった。魔法もファイヤーボールだけ。最近はかろうじて就寝前に頭の中で練習するのが精一杯だった。剣の稽古もすっかりご無沙汰している。

 

「鎧もクレリアとエルナの寸法に合わせて用意してある。ガンツの職人に作らせたんだ」

 そこまで言われて断る理由はない。アランは私が練習できないのを見かねて声をかけてくれたのかもしれない……だと嬉しいんだけど。

 

「いいでしょう。受けて立つわ。エルナも参加しなさい」

「セリーナ、シャロンどちらかお手合わせできませんか」

「じゃ、わたしが」

「セリーナずるい。わたしも練習したい」

「まるでセリーナだけで練習が終わるみたいな言い方ですね。シャロン。大丈夫、ちゃんと順番が回ってきますよ」

「エルナ、すごい自信だな。新しい技でも考案したのか」

「そのうちわかります」

 エルナもしばらくぶりに自信たっぷりな笑みを見せた。

 

 鍛錬場は地下一階にある。階段を降りていくと城館の地下だというのに天井が高い。城館の重量を支えるためだろうか、ひと抱えもある石柱が一定の間隔で並んでいる。魔石を使った照明が室内を昼間のように明るく照らしていた。

「サテライトも兵舎の訓練場で鍛えている。追いつかれないように俺たちも技を磨き続けないと」

「アランのレベルに追いつく兵士などいないと思いますが」

 エルナが返したが、アランは笑みを浮かべただけだった。

 

 セリーナとアランが防具を手にとるとエルナが制止した。

「アランはだめです。実力が違いすぎますから、ハンデをつけましょう」

「防具なしか? それはちょっと」

「魔法もなしです。木剣はいいでしょう。対してクレリア様は防具あり、魔法ありで対戦をお願いします。これくらいでないと対等とは言えません」

「エルナ、ひどすぎないか。俺だってファイヤーボールが直撃したら怪我くらいするぞ」

「ヒールはセリーナとシャロンに頼みます」

 エルナもアランも言葉の割には楽しんでいるようだ。こんなやり取りは久しぶりのような気がする。

 

 深く考えるまもなく、私とアランは稽古場の中央に立った。

 シャロンが審判をするようだ。私たちから距離をおいて立っている。セリーナとエルナは防具をつけて控えていた。

 

 アランに剣技で勝ち目はない。私がかつて習っていた神剣流ではなおさらだ。コリント流でも相手が本家のアランでは結果は見えている。さらにアランの動きは通常人よりはるかに俊敏だ。

 ……ならば魔法を最大限に利用するしかない。

 

 アランは魔法はイメージだと言っていた。魔法書に書いてある工程より早く、自在に扱えるのだという。私はアランの言葉を信じて、実践はできなくても眠る前に頭の中で練習をしていた。それがきっと役に立つに違いない。

 まだ練習は始まっていないけれどイメージを広げ、集中する。いまでは目を開けたままでも集中できるのはアランには秘密だ。

 

「おふたりとも準備よろしいでしょうか」

「いいぞ」

「準備はできている」

「はじめっ!」

 

 全力で横に飛んだ。シャロンの声が稽古場に響くより早くアランがすさまじい突きを放ってくる。打ち合いなどできるはずもない。

 アランの顔面にフレイムアローを放って私は全速で稽古場の壁に向かって走った。

 振り返るとアランが立ち止まってこちらを見ている。当然ながら無傷だ。あの距離で完全に回避するとは……。やはりアランの運動能力は侮りがたい。

 

「やるな、リア。無詠唱でその速さ、しかも剣を握ったままとは……。相当練習したんだな」

「さび付いてなどいないはず」

「でも、何度フレイムアローを放ってもこっちはよけるだけだぞ」

 私とアランの距離は約五メートル。アランなら助走なしで一瞬で跳躍できる距離だ。

 アランの軸足に力が入った瞬間、私は全力のフレイムアローを放った。

 

 同時に中段に構え、前に出る。

 炎の矢の射線をかすめるようにアランが上体をそらした瞬間……。

 フレイムアローは四つに分裂、扇状に拡散した!

 一本がアランの肩に刺さる。

「しまっ……。ぐわっ!」

 一瞬の隙をのがさず私はアランの鳩尾を突いていた。腹を抑えたまま、アランは床に崩れ折れた。

 

「リアの勝利!」

「クレリア様、お見事です!」

 エルナは大喜び、セリーナは唖然としている。

 

 アランに勝った! これまで一太刀もあてられなかったアランに一撃できた!

 自分でも信じられない。これがアランの言うイメージトレーニングの成果なんだろうか。

「嘘だろう。いったいいつの間に」

 シャロンにヒールをかけてもらいながら、アランはいまだに信じられないといった表情だ。

「アランはフレイムアローをたくさん出して、盗賊全員に命中させていたでしょう。私はそれほど正確に扱えないから、目標の直前で広がったら一つは当たるんじゃないかって考えたの」

「……俺も負けてられないな。クレリア、本当に見事な技だった。俺には絶対に思いつけない発想だよ。長いあいだ魔法を習っていただけのことはある」

 アランがここまでほめてくれたことってあっただろうか。なんだか頬が熱くなって笑みを抑えきれない。

 

 エルナが駆け寄ってきた。

「魔法も素晴らしかったですが、最後の突きは完全にコリント流でしたね。鮮やかでためらいのない一撃でした! ……クレリア様は本当にお強くなられました」

 そういわれるとうれしいが、褒めちぎってくれている当のエルナが私より嬉しそうだ。しばらくぶりのエルナの笑顔につられて私もつい笑ってしまう。

 

 

「次! エルナ対セリーナ。両者中央へ」

「クレリア様、私もそれなりに魔法では練習をかさねておりまして」

「期待しているぞ」

 エルナを残し、私は控えにもどった。アランはまだ自分の肩に手をやっている。まだ痛みが残っているのだろうか。少しすまない気がするが、勝負は勝負だ。

 

 稽古場の中央でエルナとセリーナが向かい合った。

 エルナが近衛の神剣流、右薙ぎの構えで木剣を持っている。セリーナは隙を誘うかのように大きく上段の構えだ。これは確か……賊の首魁を倒したという「ジャスティス・ジャッジメント」? アランの話ではコリント流には珍しい一撃必殺の技だ。

 

「始め!」

 シャロンの声が響いたが、二人とも動こうとはしない。さっきの私とアランの対戦が頭にあるのか、セリーナはエルナを観察している。さすがにアランより体術が優れているだけあって慎重だ。

 エルナも間合いを保ったまま構えを解かない。

 

 いきなりエルナが裂帛の気合とともに水平に薙ぎ払った。

 ああ、その距離ではセリーナは回転半径のずっと外だ。セリーナは隙を逃さずエルナに迫る……、いや、迫ろうとした、その時。

 セリーナはまるで見えない剣に打たれたかのように飛ばされて尻餅をついた。なんと防具が割れている。

 エルナが木剣を放り出して駆け寄った。

「ごめんなさい、セリーナ!」

「いえ、気にしないで。私も気を抜いていたのかもしれない。……ろっ骨をやられたかも」

 シャロンがまたヒールを発動している。骨が折れているならひどい痛みがあるはずなのにセリーナは平然としていた。勝負に一喜一憂する私とは違う。見習わなければ。

 

 黙って観戦していたアランが言った。

「風魔法は手を伸ばして前に射出するイメージしかなかったが、ウインドカッターの回転力とエアバレットの風圧を剣の回転に同期させて射出した、というところか」

「まだ考案したばかりでそんなに力は出ないはずなんです」

「さっきのリアの魔法もすごかったが、エルナも相当修行しているようだな」

「古魔法の応用ですよ。だれかさんの真似です」

 エルナが挑戦的な目つきでニヤリとした。アランは少しため息をついていった。

「今日はもうエルナと対戦する気にはなれないな。降参だ」

「まだ一つしか見せていませんが」

「次はシャロンだ」

「……いえ、私は遠慮します。対抗策を考えてからにします」

「同じ魔法を使う、とはいってませんよ」

「どんだけ隠し玉があるんだよ。エルナ、あとでいいから俺にも教えてくれ」

「アランはあとだ。そんな大事な発見はまず主に教えるものだぞ」

 

 防具を脱ぎ捨て、向き直ったエルナは晴れやかに言った。

「もちろんですとも。クレリア様」

 



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解析結果

『イーリス、もう一度再生してくれ』

 仮想スクリーンでさきほどの模擬戦合が始まる。

 クレリアとエルナが十分満足したようすで居室にもどったあと、俺は執務室にもどりARモードでセリーナ、シャロン、そしてイーリスを呼び出した。呼ばれた三人は何も言わない。要件は模擬戦ことに決まっているからだ。ざっくりいうと「反省会」ということになる。

 

『イーリス。魔素のエネルギーを視覚化して、画像にオーバーレイしてくれ」

『了解』

 これは俺とクレリアの魔素を画像化して人物に重ね合わせたものだ。画像では俺の胸あたりにある魔素の集合体はクレリアと比べて輝きも強く、大きい。対するクレリアは輝きこそ控えめだが、胸から全身のシルエットに魔素が隅々まで満ちているような美しい姿をしていた。これがこの惑星の人間と俺の違いだろうか。

 

……クレリアが最初のフレイムアローを放つ。俺が避ける。次にクレリアは壁に向かって全力で移動し、俺と距離を取る。

 俺が突っ込む。

 第二弾のフレイムアローがクレリアから放たれる。

 俺は即座に上体をそらしそのまま直進しようとする。

 俺の一メートルほど手前で、フレイムアローは分裂。

 そのうちの一本が俺の肩に刺さる。

 次の瞬間、クレリアの凄まじい突きが俺の鳩尾に当たる……。

 

『みんなの意見を聞かせてくれないか』

『リアの火魔法が劇的に向上しています。無詠唱で手も使っていません。試合前の集中で魔素を蓄えていたのは間違いないでしょう』

『シャロンの言うとおりだな。セリーナはどうだ』

『以前より剣の正確さが増していますね。アランの鳩尾を正確に突いています。真剣ならば致命傷だったでしょう』

 俺は思わず腹に手をやる。普通の人間だったら木剣でも死んでいたかもしれない。容赦ないな。クレリアは日頃の鬱憤がかなり溜まっていたのかもな。これくらいで解消されるならいいことだが。

 片手片足をグレイハウンドに食いちぎられて瀕死の重傷を負っていた姿を思い出した。あれからここまでよく頑張ったものだ。

 

『リアの体にあるナノムの影響もあるのではないでしょうか』

『いや、治療機能だけだ。ナノムとのインターフェースは構成していない。クレリアはナノムを操作できないはずだ』

『だとすると、これはもともとのリアの才能……?』

 

『イーリス。魔素のエネルギーをもっと明るく強調表示してみて。リアが最後のフレイムアローを放つ直前から再生速度を十分の一くらいで』

 シャロンは審判として直近で俺とクレリアを見ていた。なにか気づいたことがあるのか。

「はっきりとはいえないんですが、二回目のフレイムアローが気になります」

 

 再び再生が始まる。

 ……五メートルの距離を一気に縮めようとする俺にクレリアがフレイムアローを放ち、体にあるエネルギーが輝きを増す。これは発射時の残存エネルギーだろう。試合中は気が付かなかった。

 そしてフレイムアローが分裂する直前、再びクレリアの体が一瞬、激しく輝いた。

 

『これは……』

『発射したのちに、フレイムアローの弾頭部を魔法でコントロールしているようですね。まるでミサイルのように指示を与えているとしか』

 思い出した。あれはタラス村からゴタニアの街までをベックたちと旅していたときのことだ。馬車の進行方向にネズミウサギが現れ、クレリアの放ったフレイムアローは進路を変えていた。ホーミング機能かな? と思ったのを覚えている。

 

 あれ以来、クレリアはひたすらに自分の技を磨き続けていたということか。

『これからはリアとの模擬戦は慎重にしないといけませんね』

『シャロンならどうする』

『リアの魔力が尽きるまで回避し続けるしかないでしょうね。なにか別の方法がないか考えてみます』

 

 

『次はエルナ対セリーナ戦だが』

『対戦者としての意見ですが、魔法でも剣技でも近衛の中でエルナにかなう者はもういないでしょう』

『もともとエルナは風魔法では近衛随一の使い手だ。それが進化したのだから当然だな』

『今回は複数の魔法を組み合わせた複合魔法です。以前、エルナから聞いたのですが、それぞれの魔法の習得に要する難度より、複合魔法を一つ操れるようになる方がはるかに難しいそうです』

 ファイヤーボールで十七工程、エアバレットですら四十近い工程を集中して念じなければならない。混合魔法の難易度はかなり高いだろう。おそらく俺の飛行魔法研究に付き合ったせいで魔法への理解が進んだのかもしれない。

 しかもエルナはナノムなしで複合魔法をやってのけた。まだシャロンとの対戦向けに隠し玉があるらしい。

 

 再生が始まる。

 それぞれの構えのまま微動だにしない二人。

 エルナが大きく木剣を振るう瞬間、胸部にある魔素の光量が爆発的に上昇する。放たれた光の帯は剣を伝って、回転半径のはるか外へ伸びていく。

 輝く円弧が接近するセリーナに直撃、セリーナは吹き飛ばされる。

 

『すごい……』

『まるで風魔法を木剣に載せているかのようです』

 どちらかというと木剣を依代にして魔素のエネルギーを放出しているようだ。これが魔力伝導性の高い魔法剣だったらどうなっていたことか。威力は数倍ではきかないはずだ。

 

『エルナはセリーナに当たった瞬間、明らかに動揺していました。ということはまだコントロールしきれていないのでは』

 エルナに限ってそんなことはないだろう。技の完成を待って俺たちに披露したはずだ。ところが完全には制御できなくなったらしい。以前見せてもらったウィンドカッターより魔力が明らかに強い。

 

『セリーナ、シャロン、自分のナノムに体内の魔素エネルギーを測定させてみてくれ」

『『あっ』』

 やはり……か。

『蓄積できる魔素の量が増えているんだな』

『はい、私は二割近く増えています』

『私もです』

 俺の蓄積量は五割も増えている。ここにいる誰よりも魔法の使用頻度は高いから、それだけ適性があるのかもしれない。

『イーリス。クレリアの身体データは記録しているな?』

[はい]

『魔素の許容量が上がってないか』

『二十五パーセント上昇しています』

 今日の結果を見るかぎり、間違いなくエルナの魔素量も増えているだろう。

 魔素をたくわえる量は限界が決まっているとクレリアは言っていたが、増える話は聞いていない。

 

[おそらく大樹海の影響だと想定されます]

『ガンツとここでは大気中の魔素の量が違うのか』

[はい。奥地に行くほど濃度は上がります]

『魔素の蓄積量が増えるだけなら問題ないが、人体に悪影響はないのか』

[サンプルが少ないので確実なことは言えませんが、王都で収集した文献に気になる記述が見つかりました]

『再生してくれ』

 



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魔の大樹海の秘密

 

[……以上はコルネリウス伯爵家の開拓記録から発見された手記となります]

 

 あいた時間をみつけては、財政面から過去の開拓記録を読んでいた。どの貴族家も初期の入植基地を設営するだけでも莫大な費用を投じている。

 道路の建設と魔物との戦い。人員の補充。はじめのころは相当の人間が魔物にやられたらしい。

 イーリスによれば、この開拓記録はベルタ王国で最初期のものでおよそ百二十年前という。財政ではなく開拓監督官の個人的な手記というのが興味深い。

 

 伯爵家もかなりの兵力も動員していたようだが、最初の植民地は壊滅し、撤退した。その後コルネリウス伯爵家は王命に背いたかどで廃絶となっている。力をもちすぎた伯爵家をつぶす政争という側面もあるだろうが、ほかにもこれまでに四つの貴族家が開拓を試み敗退している。

 過去の失敗をかえりみずに何度も樹海に入植するのは理由は何なのか。

 

 この記録では魔物から開拓民を守るためにS級魔術師が護衛についていたが、その多くが途中で熱にやられている。一方で爆発的に魔力を増大させたものもいるが、記録を見る限り魔力を使い尽くして命を落としている。最後に残った魔術師などは大樹海を焼き払うべく火炎魔法を使用した挙げ句、スタンピードを巻き起こしてしまい、結果的に植民地は滅びた。

 

 

『今回の記録でいくつか気になったことがある。一つは魔法の適性を持つ者が奥地に長期間滞在すると魔力が増大すること。まれに発熱をともない、樹海熱とも呼ばれるらしい。もう一つは開拓に失敗すると廃絶される可能性があることだ』

『今回はアランの希望でこの地を望んだのですから、失敗したところで地位を追われることにはならないでしょう。そうなったとしても新拠点はもうできているのですから問題はないかと』

『問題なのは病気です。いまのところセリーナも私もとくに体調に問題はないですが』

『セリーナの言う通り、廃絶の可能性は低いな。魔力の増大が病の原因なのかを知る必要がある。今後しばらくは情報収取につとめよう。セリーナ、辺境伯軍のなかに魔力増加を感じる術者がいるか調べてくれ。孤児院の子供たちの中にも魔法の才能をもつものもいるだろう。樹海でそれが開花するかもしれない。シャロンは子供たちの魔法適性について観察、記録するように」

『『了解』』

『イーリス、この惑星に大樹海のような場所はほかにあるのか』

[規模が小さいものはいくつかありますが、この場所が最大です]

『上空からの探査も限界がある。地上班による現地調査が必要だろう。地形や植生情報などから最適な探索ルートを設定してくれ。第一次調査隊は約二週間を目途とする』

[了解しました]

 

 三人がARモードを解除して、執務室は俺一人だけになった。

 冒険者時代の仲間意識を呼び戻そうとして、予想外の事態を引き起こしてしまった。魔法についてはまだ謎が多すぎる。

 

 魔法の源泉でありながら、多くの住民に忌避される土地。

 他の惑星世界にもこのようなものはないだろう。

 例外が、エリダー星系の第二サルサで発見された未知のエネルギーだ。原生動物が瞬間移動に使用していたということだ。だが知的生命体が利用できるほどに魔法が発達している世界はここが唯一だろう。

 大樹海と魔力、女神ルミナスと魔法。この惑星のすべての問いに対する答えのような気がしてならない。

 

 もう一つ気になる記述がある。

 記録には大樹海の魔物に対して爆裂魔法を使用した記述が何箇所かある。この当時はまだ使える術者がいたようだ。クレリアによるとファイヤーボールよりはるかに強力な魔法だがいまはそれを使える者はいないという。俺のファイヤーグレネードをみるまで、エルナもクレリアもこの魔法を見たことがなかったらしい。

 

 昔はもっと大規模に魔法を使った戦争があったのだろう。戦闘は爆裂魔法やさらに強力な魔法をつかった激しいものだったはずだ。それを憂いた聖職者たちが魔法書の工程をあえて難解かつ効果の小さいものだけにして、無制限の魔法による殺戮をやめさせようとしたのではないか。

 

 エルナも魔法書の工程を一字一句操作することをやめて自由に扱えるようになった。これはつまり、俺が過去の封印を解き放ってしまった……のか?。

 

 想像だけでは何にもできない。明日、ガンツの商業ギルドに行く際、魔術ギルドにもよってみるか。

 



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ユリアンの手紙

 エルヴィン叔父上 様

 

 アラン様とともにこの拠点にたどり着いて、はやひと月がたとうとしています。その間にあった出来事を思いつくままに書きます。

 

 私が襲撃事件とかかわりがあることはアラン様が口止めしてくださったので、ほかには数名の方しか知りません。私は遠い田舎町からきた孤児ということになっています。

 

 アラン様の設営した学校というものに通うことになりました。

 物心ついてからずっと家業に従事したおかげで読み書きはできますし、商売のこともわかりますが、どうしても行く必要があるそうです。

 学校は午前中に座学があり、読み書きのほか算学を学びます。午後からはそれぞれの適性に合わせて街の工房で下働きをしています。私は農作業の腕を買われ、アラン様の邸内にある畑で働くことになりました。里でも畑仕事をしていたので、私の農作業の知識は重宝されています。農地の監督はニルス班長で、カトル様とガンツにでかけていないときは、仕事を教えてもらっています。このあいだは手際の良さを褒めていただきました。

 

 学校では教会のシスターのほか、シャロン様が教壇に立つこともあります。

 きくところによると、シャロン様にはあのアラン様でも体術がかなわないそうです。

 ときおりアラン様の魔法のことやこれまでのご活躍の様子なども聞かせていただきました。

 一介の冒険者から、ドラゴンを倒し、貴族に列せられたというだけでもすごいことですし、シャロン様のほかにも辺境伯軍の兵隊さんの話では、魔法は全軍を相手にしても勝てるということです。

 

 まだまだ話題はつきませんが、今回はこのくらいで。

 この手紙はアラン様がガンツに向かうときに届けてくれるそうです。ほんとうに不思議なことですが我々のガンツの隠れ家の場所もアラン様はとっくにご存知でした。

 

 叔父上様もどうかご無事で。

 樹海よりお祈りしております。

 

 追伸、この手紙の内容は叔父上様の命令通り、アラン様に目を通していただいています。魔法の下りは大げさすぎるとアラン様は苦笑されておりました。

 

 

◆◆◆◆

 

 

「ライスター卿、わざわざ呼び立てして申し訳ない」

「いえ、我々親子はアラン様に従います」

「お体もだいぶ回復されたようだが」

「もしお救いくださらなかったら今頃は地下牢で朽ち果てていたでしょう」

「救い出したのはエルナたちだ」

「あのご三方には感謝しております。さらに治癒魔法と滋養のある食事のおかげで、私もここまで回復するとは思いませんでした」

 

 俺はライスター卿に椅子を勧め、向かい合って座った。

 街が一望できる執務室の大窓からは早朝の陽が入りこんでいた。山すそはすでに赤や黄色の落葉の色に変わりつつある。

 

「最近はご子息のアベル殿が領内を見て歩かれているようだ」

「クレリアさまの指示でございます。この街の発展のために為政者の立場になって見聞きし報告するようにと」

 

『イーリス、アベルの活動範囲を街の地図に表示してくれ』

[了解]

 仮想スクリーン上の街路図に青と赤の移動線が浮かび上がる。青が騎乗で赤が徒歩だな。耕作エリアと街道は青、商業エリアは赤く染まっている。丹念に見て回っているようだ。

「クレリアもそこまで考えてくれているとはな。報告の際には同席させてもらいたいものだ」

「この件、アラン様に秘匿するつもりは毛頭ございません」

 

「さて、ここに来てもらったのはほかでもない、ベルタ王国での宰相をしていた際のことをいくつか確認したい」

「なんなりと」

「ベルタ王国では代々の宰相は国軍とは独立した諜報組織を抱えていたそうだな」

「ど、どうしてそれを」

「ある筋から聞いた情報だ。その組織は歴代の王も知らず、宰相だけに継承されていたという。ベルタ王国初代宰相のころからな」

 ライスター卿の見開かれた目は、一転して細く鋭くなった。俺がここまで知っていることより誰が漏らしたのかを考えているに違いない。

 

「長エルヴィンは我が配下となった」

「なんと!」

 俺は暗殺未遂事件のあらましを話して聞かせた。話が進むにつれてライスター卿の顔に驚愕が浮かぶ。

「それでは佞臣バールケはもう手駒を持たないわけですな」

「自領地の私兵以外はもういないはずだ」

「長のエルヴィンは義に厚い男。いつまでもバールケの配下にとどまってはいないと思っておりました。先祖より歴代の宰相に仕えた一族ゆえ、迷いもあったことでしょうが」

「いや、決心したのは卿がクレリアに忠誠を誓ったことを俺が話したからだろう。つまりバールケと手を切ったのは卿の人徳によるものだ」

「とんでもない。これもアラン様の御威光ゆえのことと存じます」

「改めて確認したい。ライスター卿、彼らを我が私兵として使ってもよいか」

「もはや、かの者たちは我が手駒ではございません。ご随意に」

「そう言ってくれると助かる。だが、かの者たちに指示を与える前にライスター卿の助言が欲しい」

 

 俺はサイラス商会と護衛契約を結び、アルヴィンたちを護衛を隠れ蓑にして調査に当たらせる構想を話した。

「なるほど、商会の護衛を隠れ蓑に各地に探りを入れるというわけですな」

「そうだ。クレリアは現在のアロイス王国の情報を切実に欲しがっている。近衛の者たちも同じだろう。得た情報は皆と共有する。どうかクレリアを補佐してやってほしい」

「ありがたきお言葉でございます。息子ともども力を尽くします」

 

 それからも政治絡みの案件をいくつかきいてみたが、深い含蓄のある回答が速やかに返ってくるのに驚く。老いても頭脳は明晰なようだ。隣国セシリオ王国の内情にも詳しく、好戦的な王太子については相当調べていたらしい。ライスター卿の読みでは、セシリオ王国の現国王が逝去のあかつきには間違いなくルージ皇太子はベルタ王国に侵攻するという。

 この件についてはクレリアも含めた主要メンバー全員の協議が必要ということで俺と卿の意見は一致した。

 

「ライスター卿、最後に一つ頼みがあるのだが、きいてくれまいか」

 ライスター卿は快く俺の頼みどおりにしてくれたあと、ペンを置いて深々と頭を下げて執務室を出ていった。

 



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城塞都市ガンツ

 翌朝、俺はガンツへ馬を走らせていた。

 休みを入れても昼過ぎにはガンツに着くだろう。例によって俺に護衛をつけるのつけないの、クレリアが一緒に行くとか行かせないとか諸々の問題が噴出しそうだったので、夜が明けきらないうちに単騎で出てしまった。セリーナたちには連絡していおいた。ま、戻ったとき戻ったときだ。

 カトルと仕入れ担当は先日、ガンツへ向けて街を出ている。ガンツのホームで合流し、サイラスさんの邸宅にお邪魔する予定だ。

 

 曙光さすあたらしい街道を走るのは実に気持ちがいい。最初は苦手だった乗馬もだいぶ上手になった。タースもよく俺になついてくれる。最近はナノムやアップロードに頼らずに覚えるのが楽しくてならない。

 

『ディー・ツーよりアランへ』

 なんだよ。せっかく一人旅気分を楽しんでいたのに。心配性のイーリスが上空に直掩機を置いているのは知っていたが、なんの用だろう。

『千五百メートル先で戦闘行為が発生しています』

『仮想スクリーンに投影しろ』

 俺は手綱を引いてタースの速度を落とした。スクリーンに上空からの画像が出る。荷馬車が一台横倒しになっている。倒れたまま動かない人影が二体。丸腰の若者を剣を持った三人の風体の怪しい男たちが取り囲んでいる。

 どう見ても盗賊だな。若者は横倒しになった荷馬車に背を預け、もう逃げ場がない。

『ディー・ツー、三人を抑止しろ。殺す必要はない』

[了解]

 スクリーン上に三人の男たちがズーム表示され、大腿部にマーキング表示が点滅する。

[発射]

 男たちが転がりまわっている。若者が上空を見上げた。ふと思いついて俺はドローンに指示する。

『ステルスモードを一時的に解除、攻撃地点を周回ののち、再度ステルス化しろ』

[了解]

 

 いきなり若者は跪いて手を合わせた。布教完了だな。

 これで噂話があたりに広がってくれれば、樹海も祝福された場所になるかもしれない。ベルタ王国内での大樹海のイメージは最悪だ。これを何とかするには宗教でも何でも使うしかない。街を成長させるにはまず人を集めねばならないのだ。

 

 画像を見ていると跪いたままいきなり崩れ折れた。怪我をしているのか。少し急いだほうがいいようだ。新拠点とガンツをむすぶ街道は定期的に魔物を間引きしているが、かわりにこういう強盗まがいが湧いて出る。盗賊狩りも再開すべきだろうな。

 

 近づいていくにつれ、のたうち回っていた盗賊どもはあきらめたのか動かなくなっている。若者も横たわったままだ。よく見ると俺より明らかに年下で、繊細そうな顔つきから少年と言ってもいいくらいだ。肩にまでとどく長い金髪が女性的な印象を与える。衣服からすると平民ではなさそうだが、たったひとりでこの街道を移動する理由がわからない。

 近くに転がっていた二人は黒焦げだ。どうやら若者は火魔法の使い手だが二人を倒すところが精一杯だったのだろう。

 

 外傷はなさそうだが念のため全身に治癒魔法をかけた。

「おおっ」

 盗賊共が驚いた声を出した。若者はまだ目が覚めないし、こいつらの事情聴取といくか。こちらを反抗的な目つきでにらんでいる髭面に声をかける。

「そこのお前、名前は何と言う」

「うるせえ」

「元気そうで何よりだな。ところでこの馬車を襲った理由を聞かせてもらおうか」

「護衛もつけない荷馬車なんて獲ってくださいって言ってるようなもんだ。俺たちはその通りにしてやったのさ」

 すばらしい自己正当化だな。奴隷鉱山でも同じ理屈が通用するかな。

 

 さっきまでぐったりしていたもうひとりが言った。

「荷馬車の横板を見てみろ。ガンツ伯の家紋が付いてるだろ。奴らが俺たちから酷税でうばったものを取り返したのさ。どこが悪い」

「さっきよりはマシな理由だが、どれが本当なんだ?」

「全部ほんとうだって!」

「といって、襲っていい理由にはならないが」

 

 荷馬車は倒れて馬も逃げたようだ。四人をタースに担ぎ上げるわけにもいかない。

「お前たちはここにいろ。あとからガンツの守備兵に回収に来てもらおう」

「ええっ」

「樹海の真ん中に置いていくんですかい」

「魔物が来たらどうすんだよ!」

「魔物が現れる前に守備兵が来るのを祈るんだな」

 

 倒れた荷馬車の横に倒れている黒焦げ死体を改めて観察する。けっこうな火力だ。俺のファイヤーボールよりずっと火力がありそうだ。必死で全力投球したんだろう。ということは怪我じゃなくて魔力切れによる昏倒か。クレリアもファイヤーボールを連続で三十発以上発射すると丸一日は寝込んでしまうと行っていた。この少年がすぐに目を覚ます可能性は低い。

 倒れている若者をタースにのせ、俺はまだ文句と哀願を連呼している盗賊どもを無視して進むことにした。

 

 

 ガンツに近づくに連れ、道を歩く人々が俺の顔を視認するたびに会釈を返してくる。シャイニングスターの盗賊退治とドラゴンを巡る騒動で俺もクランもガンツではすっかり有名人らしい。

 

 タースは身動きできない人間を載せているのがわかるのか、ゆっくり歩みを進めている。賢い馬だ。乗馬を覚えたのはこの惑星に来てはじめてだったが、エルナに教えてもらってからはすっかり好きになった。教官が教え上手だったのもあるだろう。冒険者時代は馬車で移動するときはいつも御者台に俺とエルナが並んでいたものだが……もうずいぶん前のような気がする。

 

 ガンツに着いた頃にはすっかり日は傾いて大門が夕日に染まっていた。

 門前の広場は以前ドラゴンを解体した場所だが、今は広く整備されている。カトルによれば今年から収穫後のガンツの大祭ではここが会場の一つになるということだ。

 

 守備兵詰所に顔をだしたとたん、守備兵の一人が奥に駆け込んだ。すぐにギード守備隊長が現れた。

「アラン……様、お久しぶりでございます」

「途中でけが人を拾ったんだ。一応、治癒魔法をかけておいたが念のため手当を頼む。この若者を襲った下手人は街道に放置してある。荷と一緒に回収を頼む」

 俺が抱きかかえた若者を見るとギード隊長の顔色が変わった。知り合いなのかな。

「わかりました。すぐに回収させます。討伐報酬は明日までに報告いたします」

「よろしく頼む」

 

 ドラゴンを見せてからというものギード守備隊長の態度は一変した。王都の盗賊を一斉捕縛した話もおそらく伝わっただろう。護国卿の盾を出さずともたいていの話は通りそうだ。

「このところの守備状況はどうだ」

「残念ながら、アラン様に一度は一掃していただいたのですが、最近になってまた不埒な輩が徒党を組んでいるようです」

「今日も新しい道の近くに潜んで荷馬車を狙ったらしいな」

「はい。交通量が増えておりますので。商人たちによるとガンツを出るときより戻るときのほうが危険だそうです。もう一度お力を拝借したいところです」

 やはりな。商人たちはガンツの日用品や穀物などを樹海産の珍しい商品と交換しているようなものだ。だから帰りの荷馬車が襲われるわけか。盗賊たちも利に聡いとみえる。

「考えておこう。俺の街への物流をとめる訳にはいかないからな」

「ありがたいお言葉でございます」

 ギード隊長は頭を下げた。

 

 

 ガンツのホームに戻ったのはひと月ぶりだ。

 今週はサテライトの八班が当番のはずだ。班長はケニーだな。少々軽いところがあるが任務はしっかりやる男だ。

 門のところにはすでにカトルとケニーの姿が見える。

 ケニーのやつしばらく見ないうちに、すっかり身ぎれいにして鎧も新調している。給料の支払いはつづけているし、どちらの拠点でも風呂に入れるからな。

「アラン様」

「今日は入植希望者がいないみたいだな」

「カトルからアラン様が来られると聞いていたので、今日は受付していません。人が集まっているところにアラン様が現れたら大混乱になりますよ」

 それもそうだな。

「ケニー、こっちに来る途中で強盗を捕まえたんだ。あとから連絡があるから対処してくれ」

「了解です」

「カトル、準備はいいか」

「アラン様。あとでガンツのホームの者たちにも声をかけていただけるとありがたいのですが」

「わかった」

「それからそのお召し物だと目立ちすぎます。どうかこれを」

 言われてみればそのとおりだな。今日はサイラス邸に招かれているから航宙軍の制服のままで来てしまった。市中では確かに目立つ。

 カトルからフード付きのローブを受け取って身にまとう。カトルも同じ服装だ。

「アラン様。この荷物は?」

「サイラスさんへの土産だよ」

「では私がお持ちします。町中は大変混んでいますので馬で行くのは難しいです」

 

 しばらく街を歩いているとカトルの言葉に納得した。ガンツの町中は秋の大祭が近いせいか、商業街の賑わいは王都に引けを取らない。こうやって歩いて町中を行くのもよいものだ。

「我々の街もこれぐらいになるといいですね」

「共存共栄できればいいがな」

 

 星間貿易ではありがちなことだが、とある星系に居住可能な惑星が発見された瞬間に、それまで繁栄していた星区が経済的な優位性を失う、ということはよくある。だからバグスの本拠地を探す以上に民間の惑星探査も盛んに行われている。

 ただし、ワープアウトした先の惑星がバグスの植民惑星だったらただではすまない。多くの民間探査船が消息を絶っているのも事実だ。

 狭い惑星内ではなおさら、一つの街の繁栄は他の街の滅びの序曲ともなりかねない。それは為政者が一番良くわかっているはずだ。

 特に莫大な税収を得ているガンツ伯は俺たちの新拠点が栄えるのを望まないだろう。

 

 ガンツ伯くらいになると酒場で情報収集とはいかない。ビットによる収集にも限界がある。こういうとき必要なのは収集に特化できる現地の人間だ。

 

「カトル。サイラス邸に行く前にちょっとよるところがある。付き合ってくれ」

「はい」

 

 ユリアンに預かった手紙をエルヴィンの配下に渡しておこう。本人がいるといいのだが。

 



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隠れ家

 エルヴィンの組織はベルタ王国のおもな都市にはかならずアジトを構えているはずだ。

 俺を襲った四十名全員の顔はイーリスがデータ化し、偵察ドローンが定期的に撮影した高解像度写真を常に精査している。あとは確率の問題だ。確認された顔の持ち主の出現頻度が高い場所に連中の隠れ家はある。すべての構成員がずっと仮面をかぶって行動しているならともかく、かならず集合場所は明らかになるはずだ。

 

 結果、俺とカトルが現在向かっている先は、イーリスによると九十八%の確率で彼らのガンツ支部ということだ。

「アラン様、ここはガンツの旧市街地であまり治安はよくありませんよ」

「とくに問題はないが」

 直掩機は常に俺の上空にいるわけだし、以前の失敗に懲りて警戒はしている。いまのところ武装した人間は近くにいない。

「アラン様が負けるはずがありません。ですがここは悪所です。悪い評判がつかぬかと」

 ん? よくみると暗い路地のあちこちにこの時期にしては薄着の女たちが立っていた。カトルに言われるまで気が付かなかった。……守るべきは評判か。

「カトル、クレリアには内緒だぞ」

「はい」

 

 

 仮想スクリーンにマーキングされた場所は三階建の建物だった。かつては旅籠だったものか、みあげると朽ちかけた看板が間口の上に残っている。だが階上に用はない。連中はここでも地階に隠れているらしい。王都でも地下に連絡通路をつくっていたな。

「カトル、後ろについてこい。離れるなよ」

「はい」

 地下室への階段を降りていく。カトルのために手のひらにライト魔法を展開した。石組みの階段はずいぶん古いものだ。ガンツの歴史は大樹海に出入りする冒険者の起点、宿場町が起源というが、その頃からあるのかもしれない。

 

 ドアをノックする。

「だれだ!」

 しまった。なんか合言葉があったらしい。いきなり警戒感ありまくりの声だ。

「ユリアンからの手紙を預かっている。エルヴィンに渡してほしい」

「なんだと。ユリアンは街にはいないぞ。とんだ嘘つきだな」

「ドアを開けてくれないか」

「だめだな」

 ……面倒くさいな。俺は電磁ブレードナイフを引き抜いて蝶番を切断、ドアを蹴った。

「なにしやがっ、」

 それはこっちのセリフだ。せっかくノックまでしているのに殴りかかることはないだろう。男は威勢のいい声の割には鳩尾を軽く打っただけで尻餅をついている。

 部屋の中にはあと二人の男がいた。机にはグラスと酒瓶、地図らしきものが広がっている。一人は年若だが、目付きが鋭い。頭上にマークアップが展開した。

「お前は俺を襲ったときにその場にいたな」

「……ア、アラン様?!」

「そうだ。さっきも言ったがユリアンに頼まれてな。手紙をもってきてやった」

「おい、フランツ。こいつ何者だ」

「だまれ! 死にたいのか」

「シャイニングスターのアランだ。よろしくな」

「シャイニングスター……ってドラゴンスレイヤーで貴族で魔法使いの?」

「まあ、そんなとこかな」

 いきなり、男は跪いた。さっき倒れた男もあわててあとに続いた。

「この二人は里の者か? あの場所にはいなかったな」

「はい。いったいどうやったらそんな事がわかるのでしょうか」

「前にも言ったが、俺の手は長い……。エルヴィンはこの街にいないんだな」

「はい。いまは王都にいます。実はアラン様ご依頼の件が思いのほか難航しておりまして」

 ギニー・アルケミンか。国家機密だから俺も簡単に手に入るとは思っていない。

 

 俺は懐からもう一通の手紙を机に投げた。

「これはライスター卿からだ」

 フランツと呼ばれた男は手紙を読み始めたとたん愕然としている。

「こ、これは……。ライスター卿が自らアラン様に従うよう書いてこられるとは」

「そうだ。お前たちは現宰相のバールケと袂を分かった。それを元宰相として認めた上で、俺の配下につくようにと言っている」

 

「この二つの手紙はかならず、エルヴィンに渡します」

「頼んだぞ。ああ、それから俺に連絡したいときはこの街のホームにつなぎを入れてくれ。俺から連絡するときは……もっと別な場所に居を構えたらどうだ? まともな兵士の住むところじゃないぞ」

 俺は金貨の入った小袋を机においた。

「これでなんとか場所を変えろ」

 

「アラン様、いま兵士とおっしゃいましたが」

「そのとおりだ。お前たちは我が兵、国のために情報収集をする兵隊だ、武器を振るうことは少なくても、知恵と知識が武器にまさることはある。大剣を振るう猛者をもしのぐ働きを期待しているぞ」

 今度はフランツも含めて三人がいきなり跪いた。

「この命、アラン様に捧げます!」

 感激のあまりか声が上ずっている。よほど日陰者あつかいが腹にすえかねていたと見える。

「エルヴィンによろしく頼む」

「「はっ!」」

 航宙軍の情報小隊時代に叩き込まれたモットーをすこしばかり調整して、演説してしまった。少しやりすぎたかもな。この惑星に降下直前に受けた艦長教育の影響が残っているらしい。

 

 

 俺とカトルは地階から地上に戻った。

「アラン様。ほんとうに生きた心地がしませんでしたよ。あんな連中でもアラン様には従うんですね」

「あんな連中とは言い過ぎだな。かつてはライスター卿の右腕としてベルタ王国のために働いて来た者たちだ。決して見下すようなことはするなよ」

「はい」

 

 裏路地から大通りに出た。夜も更けたがあちこちに人だかりがしている。商店にはたくさんのランプが吊り下げられ、通行人はいまだに多い。秋の大祭はたしか来週だったな。クレリアたちと一緒にお忍びで来てもいいかもしれない。

 警護はまた問題になるだろうが……。

 

 まもなく街の中心部に豪壮な屋敷が見えてきた。サイラス邸の門は明かりが煌々と灯っている。

 手提げランプを持って門扉のそばに立っていたのはカリナだった。到着時刻を伝えたつもりはないが……。商業ギルドは守備兵とつながりがあるんだろう。

 

 

 



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契約の前に

「アラン様、ようこそお越しくださいました」

 カリナは優雅にお辞儀をして俺を見上げた。

「カリナ、先日はすまない。まず最初に謝りたい。エルナも本気で言ったわけじゃないんだ」

「いえ、私も節度を超えていたように思います。お許しください」

「この話はこれでおしまいにしよう。カリナは俺とこれからのことを考えてほしいんだ」

「ええっ!」

「新しい拠点の支店長の話だよ」

「あ、あの。ごめんなさい。そうでしたね、そんな話もありましたね……。まずは中にお入りください。サイラス様がお待ちかねです」

 カトルと俺はカリナに導かれて門をくぐった。

 

 

「アラン、よく来たな」

「アラン様」

 招かれた応接室ではサイラス親子がまっていた。正装しているところをみると晩餐は期待できそうだ。俺はカトルを紹介した。

「おお、あのタルスの息子さんか。タルス商会はゴタニア一の規模と聞いている。アランは優秀な部下を持ったようだな」

 このあいだはタルス商会は中堅とか言って見下していたような。カトルは単純に喜んでいるようだが、まだまだ甘いな。

 

「食事の前に契約を済ませよう。アリスタが立会人だ」

「わかりました。こちらはカトルを立会人にします。ですがその前に」

 持ってきた荷物をアリスタさんに渡した。

「ご好評でしたので食前酒代わりに」

「まあ、ありがとうございます。戻ってからもあのお酒のことが忘れられなくて」

「アランの酒を飲んで以来、自分のところの酒がマズく思えてならん。アランのおかげで遥かにましになったはずなんだが」

「調味料もどうぞ」

「これは先日の魔法の調味料ですね」

「風味を変えたものが三種類です。サイラス家の厨房でお使いください」

 アリスタさんは酒よりこちらのほうが嬉しいようだ。

 

 調味料はイーリスに命じて地下工場でフル生産している。カトルの発案で、無料試供品をガンツの飲食店に供給し、需要の掘り起こしをやる。いずれこの味になれた庶民は調味料なしではいられなくなるはずだ。

 

「せっかく頂いたんだ、開封して飲もう」

 カリナが包装を解いて、グラスを用意しはじめた。

 

 サイラスさんは机上にすでに用意してあった書面を俺に手渡した。

「これが契約書だ。今回は冒険者ギルドを介さないので詳細に作ってある」

 ギルドは冒険者が仕事に専念できるように対外交渉や契約なども仕切っている。今回は俺、つまり貴族と商家の直接契約だ。内容は詳細かつ多岐にわたるはずだ。

 

 羊皮紙に小さいけれど達筆な文字で三十ページはある。俺は一枚一枚丁寧にめくっていき、俺の目から得られた情報をナノム経由でイーリスに送信する。

『イーリス、内容を査読してダイジェストを送ってくれ』

『了解』

 

 一通り眺めたあと、俺はカトルに手渡した。

「先に目を通してくれ。俺よりカトルのほうが契約の実務経験があるからな」

「わかりました。しばらく時間いただけますか」

 ん? サイラスさんが微妙に口の端を歪めなかったか。俺はイーリスの契約分析を聞きながら机上のグラスに手を伸ばす。

 

「アラン。これは新しい拠点から持ってきた酒だな」

「そうですが」

「なんでこんなに冷たいんだ? 冷凍の魔法を使ったわけではあるまい」

「私は何も魔力を感じませんでしたが」

 アリスタさんは魔法を使えるのか? これは知らなかった。

「娘は魔法は使えないが、感受性はかなり高い。商取引でも魔法を使ったごまかしは多いからな。大事な取引の際には必ず同席させている。これまでも何度も危ないところを助けてもらった。ほんとうに親孝行な娘だよ」

「お父様。褒めすぎですよ……。アラン様、ではなぜこのお酒は冷たいのでしょうか」

「これを運んだ容器はまだありますか」

「これでしょうか」

 カリナが白い梱包容器を俺に渡した。

 

 惑星の科学の水準があるレベルに到達すると、一度は化学合成でつくった樹脂容器を利用するものだが、分解できないことからたいへんな公害を引き起こしてしまうことが多い。かわりに発明されたのがこの高速生分解性樹脂から作られた保温容器だ。

「この部材はほとんどが空気と分解性の樹脂でできていまして、まったくと言っていいほど熱を伝えません。夏でも氷をいれて密閉すれば十日くらいは溶けませんよ。使い終わったらこうして……」

 俺は容器の表面を覆っているコーティングフィルムを剥がした。

「「あっ!」」

 みるみるうちに容器は空気中の酸素と反応し縮小していく。やがて燃やしても無害な小さな塊が残った。フィルムも内側から反応して消えている。

 

 いきなりサイラスさんがグラスを持ったまま怖い顔になった。ゴタニアのタルスさんも取引のときはこんな顔をしていたっけ。その息子の方はと見るとこちらの騒ぎがまったく聞こえないかのように、書面に没入している。やはり商人の子は商人だな。

「アランのところで作れるのか」

「作れますね」

「これは……物流に大革命がおこるぞ。ガンツは直近の海岸からでも一週間はかかる。だから海産物は干物か塩漬けばかりだ。逆に海洋大国のデグリート王国では新鮮な野獣の肉が手に入らない。冷凍する魔法も大量の食料には不向きだ。この容器が手に入れば、二つの欠乏を解消する巨大な物流が発生するだろう。アラン、この容器の作り方だが……」

「護衛契約が済んでからにしませんか」

「うーむ」

 サイラスさんはグラスを握ったまま唸ったかと思うと、そのまま中空を睨んで微動だにしない。おそらく壮大な商圏ビジョンでも見ているのかもしれない。

 

「アラン様。申し訳ございません。父は集中すると時折こうなるんです」

「いえ、だからこそ今の地位を築かれたのでしょうね」

「お褒めの言葉、感謝します。私からも一つお聞きしてもよろしいですか」

「なんでしょう」

 アリスタさんは俺の横にすわったまま、ちょっと間をおいた。ちょっと近すぎな気がする。カリナがこちらから目をそらしたのが見えた。

 

「魔術ギルドが専売している髪を乾かす魔道具ですが、あれもアラン様がご発明になったとか」

「ええ、そうですね。それほど難しい構造ではないですよ」

「あの魔道具は王都でも大評判で魔術ギルドに益をもたらしているそうですね。仲介をしている商会も途方もない富を得ているとか」

 

 ゴタニアのギルド長のカーラさんが俺の設計どおりに作り、タルス商会が販売する流れだったな。売り上げの何割かはギルドの収益となっているはずだ。

 またアリスタさんは俺と距離を詰めてきた。

「サイラス商会にもなにか一つ作っていただけないでしょうか。もちろん利益は折半、いえ、六四でも構いませんわ。どうか……」

 

「アラン様、契約書を読み終わりました!」

 ちょっと大きめの声でカトルが言った。ナイスタイミングだ。さすがのカトルもアリスタさんが持ちかけた話を見過ごすことはできなかったらしい。儲け話がサイラス商会に取られるとでも思ったようだ。サイラスさんもグラスを置いてカトルを見ている。

 

「契約には一つだけ問題があります」

「どんな問題だ」

 サイラスさんはカトルを睨んだ。大店の商家の契約にケチをつけるのは大した度胸だ、とでも言いたげだ。

「この契約では一回の護衛で六十万ギニーとありますが、後払いでしかも任務中の宿泊などの費用はこちら持ちです」

「冒険者ギルドとの契約でも同じだろう」

「ここからゴタニアくらいまでなら採算がとれますが、例えば片道三十日のアロイス王国まで往復すると、十人の護衛では一人あたりの報酬が一万ギニー。日数で割ると百六六ギニー。移動中の支出は自費なので赤字です。距離に応じた増額を契約に加えていただきたい」

「なるほど。タルス商会はしっかり後継を育てているな。距離に応じた増額を記載しよう。ということで、契約は……」

 サイラスさんは締めに入った。カトルはギルド長に褒められたのがよほど嬉しかったらしい。得意げな笑みが隠しきれていない。しかたがないな。カトルにも見つけられなかったか。

 

「契約書の第二十六条第四項にこんな記述がありますね。”輸送時に貨物が失われた場合の措置は護衛者側による弁済とする” これでは災害やワイバーンに襲われて隊商が全滅した場合でも我が方の責任になってしまいます。無制限責任は負いかねます」

「ええっ! そんな記述が……あった! アラン様はちらっと見ただけなのに!」

 文書の最後の方だったんだが、カトルのやつ見落としたな。

 このほか契約上の罠を二箇所ばかり指摘する。もちろん俺は仮想スクリーンにイーリスがマーキングした箇所を読んでいるだけだ。

 

「さすがだなアラン。移民団の打ち合わせで商人たちの提案を一人で取りまとめたとは聞いていたが、本当だったんだな」

「ここは対等な契約を結びたいですね。今後のためにも」

 サイラスさんは謝罪するそぶりは見せない。最初からこちらを試すつもりだったようだ。見破れなかったら、これからも足元を見られていただろう。

 ……ほんとうに商人というのは油断も隙もないな。

 自分の財産や権力に慢心し、契約書をおろそかにして大金を巻き上げられた貴族も結構いることだろう。

 

 それから小一時間ほどで修正版の契約書ができた。幸いカリナは食事の準備のため席を外していたので、俺はサインする前にサイラスさんに一つお願いをして、その条件でサインすることにした。

 

「三週間後に次の出荷が始まる。行き先は王都だ。試供品を少し向こうに送ったら大評判でな。今回は最初の大きな出荷だ」

「それまでには人員を用意しましょう」

「それと商業ギルド名義でジェネラル・オークの首をシャイニングスターに指名依頼しておいた。そっちの倉庫に入れてある首を一つもってくればいい。冒険者ギルドとしてはほかのギルドに貸しを作れるし、ケヴィンも文句はいえんだろう。アランのランクも下がらずにすむというものだ」

 

 まったくこの人は抜かりがないな。そこまで手配してもらえるとは思っても見なかった。ギルドへは持参が原則だから新拠点にいったん戻らねばならないな。秋の大祭が始まる頃にクレリアたちと来てもいいかもしれない。

 

 



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儲け話と新たな門出

「さてと、契約が終わったぞ。例の話は聞かせてもらえるんだろうな」

 テーブルの真向かいから俺を見つめるサイラスさんの語気が強い。

 どこから話したらいいだろうか。この惑星ではまだ商業法令や流通が未発達だ。まずは外堀から埋めるとしよう。

 俺は昨晩イーリスに受けたレクチャー通りにいくことにした。俺のアイデアではあるのだが、俺みたいな一介の航宙軍兵士には荷が重い。イーリスは、叙爵の際に王都で収集した書籍の内容を踏まえて、いろいろと補足してくれたのだ。

 

 

「いくつか質問があります。話を進めるには情報を共有したほうがいい」

「わかった。何をききたい」

「新しい酒の需要はこれからどれくらい伸びるでしょうか」

「四、五十倍は軽いだろう。いまの醸造者はほとんど廃業になる」

「では五十倍としましょう。一台の蒸留器で五十倍の生産は可能ですかね」

「十台でも二十台でも増設するしかないだろう。当然アランの協力も頼みたい。蒸留器は設計図があっても非常に難しい工程があるからな」

「やめてください」

「なに? 生産量を増やさないと儲けは出ないぞ」

「各都市への通行が賊や災害で寸断されるとか、各地の貴族がサイラス商会の莫大な利益をみて通行税を跳ね上げるかもしれません」

「まさか作り方をほかの商会に教えるわけにはいかんだろう」

「教えましょう」

「わけがわからんぞ。そんなことをすればサイラス商会はたくさんある酒造の一つになってしまう。俺は儲けを独占したいんだよ!」

 いきなり手のひらで机を叩いた。まるで俺が慈善で製法をばらまくとでも思っているのだろうか。実際は正反対なのだが。

 

「許可を与えた業者のみに製法を売ります。蒸留器は貸し出しましょう」

「馬鹿な。そんなことをすればあっという間に真似されるぞ」

「俺の作った蒸留装置には酔う成分をたかめる凝集器が組み込まれています。現時点で似たようなものは作れるかもしれませんが、これを超える効率のものは不可能ですね」

 凝集器は一種の熱交換器だからな。熱力学や冶金学の知識がないと最高のものはできない。

 

「よくわからん。それでどうやって利益が出るんだ」

「まず、免許と蒸留装置の賃料から利益が上がります。さらにアラン式蒸留装置を使った醸造レシピを定期的に販売します」

「いや、それでは利益も限られるはずだ」

「サイラス商会が独占するよりは長期的には儲かります。加盟店は増税や運搬、盗賊やほかの業者からのクレームなどを全部かぶってくれた上に、俺の醸造レシピの販促までやってくれます。売上にかかわらず毎月、賃料をサイラス商会に払いながらね。払わなければ免許はく奪の上、蒸留装置は回収すればいいだけです」

「サイラス商会は酒を造らなくて良くなるのか」

「特上の醸造レシピをサイラス商会だけに卸しましょう。そうすれば価値をつけることができます。ほかの醸造業者が賊に襲われようがその土地の貴族が酷税をかけようが、淡々と賃料を徴収し、サイラス商会だけの高級酒を売ればいいのです」

 

「アラン、だったらさっきの護衛契約は無意味だろう」

「いいえ、まずは酒の味を覚えてもらいましょう。売上が伸びた頃合いを見計らって加盟店を募集すればいいのです。それまでは全国の各都市に現物を輸送しなければなりません。だいたい販促は一年程度で十分でしょう。もちろん護衛料はいただきますよ」

 

「うーむ」

 サイラスさんはグラスに残った食前酒を飲み干してから唸った。

「アランの国ではこんな事業形態が普通なのか」

「まあ、そうです。規制はありますが」

 いまでは人類銀河帝国ではよほどの辺地でもなければこんな悪辣な商売は禁止されている。

「この商売を考え出したやつは悪魔に入れ知恵されたに違いない。やばい案件はすべて加盟店に被ってもらいながら、何もしないで定期的に金が懐に転がり込んでくるとは……。しかも言うことを聞かなければ廃業に追い込める」

 

「まだ話していないことがあります」

「なんだ」

「醸造用の小麦を新拠点で栽培します」

 イーリスによれば、野生種では時間がかかるが、すでに食用として供されているものを醸造用に改良するのは比較的簡単だという。

「発酵が早く、酔う成分がたくさん絞れる麦です」

「それを俺が加盟店に販売するわけだな? アランの醸造レシピはその麦でないとできない」

「よくおわかりで」

「酒は独占しないが、手段と材料は完全に独占している……ライバルはいない」

「いい話だと思いませんか。サイラス商会には特別に蒸留装置一基あたり百五十万ギニー、毎月の醸造レシピの配布に一件あたり二十万ギニーで卸しましょう。お買い得ですよ」

「なんと、俺を儲けさせてから上前をはねるのか。お前は悪魔か。法外すぎるぞ」

「俺も領民を養わねばなりませんので」

 

 サイラスさんは目をつぶり黙考を始めた。

 頭の中ではこれからの商売の展開が目まぐるしく回転しているに違いない。

「よし、乗った! 最初の加盟店が手を挙げるまでに詳細を詰めよう。アランも蒸留装置の製造にかかってくれ」

「わかりました。もちろん税の話は避けて通れませんが。賢明な貴族なら醸造業を活発化させるために他の貴族より税率を下げるはずです」

「貴族が乗り出してくるのは間違いないな。いちど顔を繋いでおいたらどうだ。領主のユルゲン様が一時、ガンツに戻られるらしいぞ」

「ほとんどガンツには戻られないと聞いていましたが」

「半年に一度、帳簿の確認のために戻るんだが、今回は予定より二ヶ月もはやい。おそらくアランが原因だな」

 これはまずい。王都の盗賊掃討作戦でガンツ伯も被害を受けたと聞いている。裏でそうとう悪事を働いていたにちがいない。

 

「ガンツは魔の大樹海の窓口に当たる場所だ。かつては樹海に入り込む冒険者に防具や武器を売って、戻ってきたら樹海の産物や情報を買っていた。アランの拠点ができたことで、その優位性は下がっていくだろう」

 なるほど、それが俺に肩入れする一つの理由だな。俺の街が繁栄するなら早いうちに手を結んでおきたいということか。

 

「ユルゲン様には一度お目通りしたほうが良いですね」

 エルナから聞いたが、伯爵と男爵ではその威勢は雲泥の差だ。上級貴族が領地に帰還のおりには近くの身分の低い貴族は挨拶に行くものだという。

 

「そのまえに家令のデニス様にお会いできるように手配しておこう」

「デニス様はたいへん実務能力に優れた人物で、領民の信頼も厚い。そのような人物がユルゲン様にお使えしている理由がわからないですね」

 城塞都市ガンツの人が集まりそうな場所はビットが集中的に打ち込まれている。収集した膨大な会話データから住民の関心をひろいあげるなどイーリスにとっては簡単な仕事だ。

 

「地元ではユルゲン様の評判はよくない。莫大な税収をつかって王都の貴族たちとの交流に腐心している。ガンツの街の繁栄はほとんど家令のデニス様の采配だが、あれ程の人物が仕えている理由は俺にもわからん。……おっとこの話はここだけにしてくれ」

 

 カリナが応接間に顔を出した。

「サイラス様、晩餐のご用意ができました」

 

◆◆◆◆

 

 晩餐のメニューは満足すべきものだった。

 最後の方に出てきたのがチャーハンだったのには笑った。これは家庭料理のはずだ。どうやらゴタニアで流行っているのがこの街には高級料理として伝わったらしい。デザートもこの国特有の乾燥果実をつかったもので、ひなびた味わいがまたいい。

 最後は俺の持ってきた酒で饗応は終わった。

 

 終わりがけにサイラスさんが立ち上がった。

「カリナ、まもなく完成する支店だが、お前を支店長にしようと思う」

「サイラス様!」

「ドラゴンの競売でも立派に仕切ったお前の働きは見事だった。いつまでもアリスタの世話係にしておくのはもったいない。ここらで独り立ちしないとな。それにアランが是非にとお前を推薦してくださったのだ。りっぱに仕事をやり遂げてくれ」

「アラン様……」

 カリナの目がうるみ始めた。

「サイラス家の家政はナタリーに頑張ってもらうので、心配しなくてよいのですよ。カリナは支店長としてアラン様の領地のギルド員たちを助け、商業をもり立てる仕事についてもらいたいの。これはサイラス商会にとっても大事な仕事です」

「サイラス様、アリスタ様……。ありがとうございます。孤児の私をここまで育てていただいて、さらに大きな信頼を寄せていただいて……本当に感謝しています」

 頭を下げたカリナの目から涙がこぼれ落ちる。

「ではカリナの新しい門出を祈念して乾杯といこう」

「「乾杯!」」

 

 



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帰還要請

 ガンツの拠点に宿泊するのはしばらくぶりだ。

 カトルと戻ってから、サリーさんたちに一通り声をかけた。一時はサテライトと使用人合わせて百人近い人間がいただけに、みな残念がっていた。

 ここはガンツにおけるシャイニングスターの橋頭堡だ。サイラスさんとの関係がうまくいっている間は確保しておきたい。

 

 久しぶりのホームの風呂はひとりきりで貸切状態だった。新拠点の温泉計画も早いところ実現せねばならないな。

 八班の連中は俺に遠慮して入浴をしないでいるんだろうか。変な気づかいはやめてほしい。最近は新拠点でもクレリアとロベルトが妙な儀式や格式張ったルールを「発明」するのにはほんと困る。貴族様として必要な格式とかが必要なのかもしれないが……。

 

 まあいい。今日のところはもう寝ることにしよう。明日は魔術ギルドに行って懸案の魔法と信仰について調べる予定だ。

 

『プライベートモードのところ失礼します』

『セリーナか。入浴中なんだが』

『し、失礼しました。至急、拠点にお戻りください』

『なんでだ』

『拠点内で暴動が発生したようです』

『暴動? セリーナたちは大丈夫なのか』

『私たちは無事ですが、商業エリアで火災が発生しています。ダルシム隊長が現場に向かっています』

『すぐに拠点に戻る』

 

『ディー・ツー、ガンツの城門前の広場にステルスモードで待機』

[了解]

 

 暴動とは穏やかじゃないな。

 浴室を飛び出した俺は着替えるとすぐにカトルの部屋へ行く。

「カトル。開けるぞ。……起こしてすまない。拠点で急用だ。すまないが明日の魔術ギルド訪問は中止だ。それからタースをつれてもどってくるように」

「アラン様、どちらに」

「これから拠点に戻る」

「え、馬もなしでどうやって」

「頼んだぞ」

「アラン様!」

 

 カトルの声を後ろに俺はホームを飛び出し、ガンツの正門へ向かう。守備兵との応対はめんどくさい。高速走行モードで走りぬけたが誰も気がつかなかったようだ。

 暗視モードでみると広場の草木が激しく揺れている。サイレンスモードでも隠しきれないかすかな排気音が耳朶を打つ。俺を認識したドローンが後部ハッチを開く。偵察ドローンは後部に二人くらいの人間なら搭乗可能だがかなり狭い。機体がすぐさま上昇を開始する。

 

『セリーナ、いまガンツを出発した。状況は』

『消火活動中です。騒いだ連中は全員捕縛しました』

『原因はなんだ』

『それが、アランにだけ話したいと』

『クレリアたちは』

『居城でまだ就寝中です』

『首謀者を俺の執務室に連れてくるように、クレリアは起こさないほうがいい。それと被害状況の概略を送ってくれ』

『了解』

 

 話しているうちに、新拠点の上空についた。

「ディー・ツー、赤外線モードで観測し、俺の仮想スクリーンに送れ」

[了解]

 画像を見ると商業エリアの一角がオレンジから赤にまだらに染まっている。まだかなり余熱があるようだ。派手にやったな。

「ディー・ツー、居城の中庭に着陸してくれ」

[了解]

 

 

◆◆◆◆

 

 

「言い訳を聞こうか」

 執務室のテーブルの前にはサテライト六班のヴァルターと以前エルナたちが地下牢から救出した近衛のブルーノがいる。どちらの目のまわりに青いアザがついていた。ブルーノは左目が、ヴァルターは右だ。ブルーノは左利きらしい。どうでもいいが。

 俺としてはクレリアの耳に入る前に片付けたい。

「せっかく作った酒場もいまは跡形もない。なにしろサテライトの六班と近衛の一団合わせて三十人近くが大暴れしたからな。まったくやってくれる」

 

 辺境伯軍のロベルト、近衛のダルシム隊長が立席を強く主張したが、セリーナとシャロンと一緒に広間に控えてもらっている。

 主犯を連行してきた不寝番の兵士たちは廊下で待機だ。酒の話は俺にも責任の一端があるし、二人の口から不穏な話が飛び出さないとも限らない。俺だけに話したいこととはなんだろう。

 

 どこの集団にも酒好きの連中がいる。そいつらが街にやってくる商人から調達しては兵舎で飲んでいたのは早くからわかっていた。兵舎に仕掛けたビット経由の情報だ。監視社会みたいであまり気が進まないが、これも兵士の民度を上げるためだ。

 とはいえ俺自身も嫌いじゃないから、きちんと管理された状況で飲む場所を作ったつもりが裏目に出てしまった。

 街に入植した商人の中から信頼できる人物をカトルに選んでもらい、経営を任せていた。こっそり買い飲みするよりはいいだろう。営業時間も勤務に支障がないように厳に守るようにしてあったはずなのだが……。

 

 

「ヴァルター。辺境伯軍のとりまとめ役のお前まで乱戦に参加するとはな」

「アラン様にはなんともお詫びのしようがございません。騒ぎの元凶が隣に座っているので締め上げれば吐くでしょう」

「なんだと!」

「ブルーノ、今はお前の話す番じゃない」

 俺はブルーノを制した。あやうくヴァルターに掴みかかるところだった。どうなってるんだこの二人は。ブルーノは地下牢で長期間の拘束に耐え抜いている。すぐに頭に血が上るような人間ではないはずだが。

 

「今回の騒ぎは私怨や酔った勢いのおふざけとは違います。これだけはアラン様にわかっていただきたいと」

「では一体何のためだ」

「一言で言えば、名誉です」

「酒場で暴れるのに名誉が関係あると思えないが」

 ヴァルターは隣にいるブルーノをちらりと見やってから言った。

「この野郎はセリーナ様を侮辱したのです」

「アラン様、こいつの言うことを信じないでください。けっしてセリーナ様を貶めるようなことは言っておりません」

「じゃ、なんと言ったんだ」

「……セリーナ様よりシャロン様のほうが剣技にすぐれている、とは言ったかもしれません」

 

 セリーナ・シャロン優劣論争か。

 盗賊狩りでシャロンとセリーナの二人に隊をまかせて以来、サテライトの隊員たちの間でずっと続いている話らしい。

 あのときは隊員たちからシャロンの指揮とセリーナの索敵行動が絶賛されていた。俺から見ればどちらも同じくらい優秀で、あえて比較するまでもないと何度も言っている。

 

「ヴァルター、ブルーノの発言にどこに乱闘に繋がる要素があるんだ?」

「この男は剣技の練習でこっぴどくセリーナ様に指導されたのを根に持っておるのです。たまにやさしいシャロン様がご指導くださるときは、借りてきた猫のようにおとなしいくせに」

「き、貴様、言うに事欠いて何を言うか。お前にシャロン様の指導を受ける資格はない。田舎に帰ってオークでも食ってろ!」

「!!」

 

 両者ともに席を蹴って柄に手をやった。

「やめろ! ふたりともいい加減に酔いを覚ませ。セリーナとシャロンに能力の差はない。どちらも献身的に指導しているはずだ」

「しかし指導教官を侮辱したということにかわりありません。ですので辺境伯軍のまとめ役として、こ奴の目を覚まさせてやろうとしただけです。なにしろ言葉が通じない相手ですのでやむなく手を使ったまで」

「おまえこそセリーナ様の指導に心酔するあまり、盗賊狩りの際には六班の指揮を代わっていただきたいとか抜かしただろ?」

 普段は冷静なヴァルターがなんと顔を赤くしている。

 

「とにかくふたりとも席に座れ」

 ブルーノはわざとらしく椅子をヴァルターから離して座った。ヴァルターは唇を引き絞ったまま、黙り込んでいる。

 

 ここまでこじれるとはセリーナとシャロンも罪作りだよな。

 普段はあまり意識していないがセリーナ、シャロン、そしてエルナもいずれも人目を引く容姿をしている。エルナは剣士だけあって目つきはきついが、セリーナたちははっきり言って美形だ。

 指導教官としてはどちらも剣技に優れ、辺境伯軍の精鋭でもかなうものはいないだろう。その年若い二人が本当に献身的に兵の育成に尽くしてくれている。

 これではちょっと勘違いしてしまうやつも出てくるというわけだ。隊長格が殴り合いというのだから、もう部下は全力だろう。結果的に、酒場のあった場所にはもう残骸しかないらしい。火魔法をつかった馬鹿者のせいだ。

 

「話はわかった。この問題は俺に預けてくれ。追って連絡する。今日のところは宿舎に帰って呼び出しがあるまで謹慎しろ。暴れた連中全員だぞ」

 俺は廊下で待機していた不寝番の兵を呼び、二人を送るように頼んだ。二人きりで帰らせたらどうなることかわからない。

 

 

『イーリス、この惑星の一般的な軍規というものはどうなっている?』

[王都で入手した文献によりますと、非戦闘時の騒乱は程度によりますが大目に見られているようです。兵士が戦闘時に略奪するなど珍しくない世界ですから]

『それでは困る。航宙軍レベルにまでする必要はないが、これからの建国に向けて犯罪行為は一切あってはならない』

[艦長はこの領地の最高指揮官ではありますが、スターヴェークに関する人事権はクレリア王女にあります]

 戦闘時における兵士の素行は永遠の問題だが、この場合は少し違う。セリーナたちを責めることもできない。もともと近衛と辺境伯軍の間に確執があるんだろうか。

 

俺は一階の広間に降りた。

「「アラン様!」」

 ダルシム隊長とロベルトが同時に立ち上がった。セリーナは困惑したような顔をしているし、シャロンはうつむいている。

 

「まず落ち着いて話そう。二人にはよく言っておいた。これにこりて素行は改まるものと判断した。しばらくの謹慎は必要だろうがな」

「アラン、兵の間の仲違いをを引き起こしたのは私の指導不足です」

「セリーナは謝罪する必要はない。四人に待ってもらったのは今後どうするかを考えるためだ。感情ぬきでいこう。シャロンもだ。責任を感じる必要はない。責任を取らねばならないのは俺だ」

 

「ダルシム隊長、それとロベルト、まずは座ってくれ。最初に聞きたいのは近衛と辺境伯軍の間に確執があるのかということだ。ダルシムどうなんだ」

「その前にまずお詫び致します。言い訳のしようもありませんが、ブルーノは王都での救出以降、体力の回復と剣技の向上に専念してきただけに、残念でなりません。責任は隊長の私にあります」

「責任問題はあとだ。ここは原因と対策を考える場にしたい」

 

 俺はロベルトを見やった。一晩ですっかり老けたように見える。今回のことがよほどこたえたらしい。

「ロベルトはこの中で一番の年長者だ。近衛と辺境伯軍の関係についてわかっていることがあれば教えて欲しい」

 

「どこから話したものか……。ヴァルターもまだ修練が足りませぬ。私からもよく指導しておきます。ただ、今回の騒ぎはセリーナ殿、シャロン殿が原因ではなく、これまで蓄積されてきたものがあらわになる切っ掛けにすぎないと愚考いたします。辺境伯軍と近衛の確執は今に始まったことではありません。まことの原因はクレリア様の立ち位置かと」

 

 やはりそうか。クレリアの立ち位置はあまりにも微妙だ。

 スターヴェーク王国はスターヴァイン家が王家として統治していた。しかしクレリアの母は辺境伯ルドヴィーク家出身だ。だから王家の守護となる近衛からみてクレリアは王女だが、辺境伯からみれば、姪でありルドヴィークの血を継ぐ姫君でもある。クレリアはスターヴェーク再興の折にはルドヴィークの再建を約束してもいる。

 

 近衛の王国再興の悲願と辺境伯軍のルドヴィーク家再建の願いが交錯するのがクレリアなのだ。どちらも目的とするところが微妙に違う上、近衛からみれば辺境伯軍の兵士は王都から離れた辺境防衛の集団に過ぎず、はっきり言って格下だ。

 一方で、辺境伯側は最後まで謀反者と戦い抜いた誇りがある。

 

 俺は今度はセリーナとシャロンに向き直った。

「セリーナはヴァルターが支持していて、シャロンはブルーノに尊敬されている。おそらく彼らの部下も同じだろう。まるで代理戦争だな」

「私がアランの次席指揮官なのは皆も知っています。ですので近寄りがたい印象があるのでしょう。その上、私の指導に十分について来られるのはいまのところ訓練を先に始めた近衛の者ばかりです」

「で、厳しさに耐えかねた後発の連中はシャロンの指導に頼ってしまったわけだ」

「アラン、私の指導が甘かったのかもしれません」

「いや、指導法は多様であるべきだ。目標を達成する手段はいくらでもある」

 

 これは難問だ。建国の最初の段階で反目し合う二つの集団をかかえるのはまずい。

 

 ダルシムが静かに言った。

「任務が必要です」

「建国ために力を蓄える今も任務の一環だぞ」

「たしかにそうですが、配下の者は長期的な視点を持つことが難しいのです。手の届きやすい短期の目標や任務がないと、特に年若のものは腐ります」

 

 ダルシムの言うことは正しい。訓練だけでは軍隊は成立しない。しかし……。

 

 こんなときに航宙軍ではどうしていたか。

 俺も新兵の頃は絶えず任務に追いまくられていて休む間もなかったし、それでいて充実感はあった。

 人類銀河帝国の諸惑星には士官学校がある。俺のトレーダー星系のランセルでも著名な士官学校が二つあった。たしか士官学校の対抗で競技する集まりがあったな。つまり良い競争というわけだが……。

 任務としてはほかに二つほど考えていることがある。若干、時期尚早だがこの際しかたがない。

 

「ダルシム隊長の意見は正しい。ではこうしよう。このまま出自の違う集まりを一つにすることはできない。だが共通の目的に向かって競わせることはできる。そこで、セリーナを長とする近衛班とシャロンを長とする辺境伯班にわけて定期的に競技をやろう。詳細は二人で検討して報告するように」

「「了解」」

 ロベルトはあまり良くわかっていないようだ。こういう発想はこの惑星にないのかもしれない。ダルシムは顔には出さないが不満のようだな。

 

「つぎに街道沿いの盗賊刈り部隊、および旧スターヴェーク領内の偵察部隊を設立しよう。両隊とも近衛と辺境伯軍の混成部隊とする。人選、派遣回数などはロベルトとダルシム隊長に任せる。これはスターヴェーク奪還のためにもなくてはならない仕事だと思うが。どうだ」

「わかりました。アラン様のご指示に従います」

「もちろんクレリアの許可を取ってからだ。この案件は完全にクレリアの所掌だからな。そうだ。この提案はすべてロベルトとダルシムの提案ということにしよう」

 俺がそう言うと、明らかにロベルトとダルシムはほっとしたようだ。

 

「それとクレリアが街の視察に出るような場合、目につかないように今日の現場は速やかに復旧させること。もちろん壊したやつらに直させるんだ」

「はっ」

俺がすべてを取り仕切らず、セリーナたちとダルシムに任せたのが良かったのだろう。四人は先程の悲壮な顔つきはどこかへ消えていた。これも彼らにとってわかりやすい任務なのかもしれない。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 突然の呼び出してすっかり予定が狂ってしまったが、俺を呼んだセリーナの判断は正しい。急な帰還のお陰で単騎で街を離れた言い訳もせずに済んだ。ダルシムもすっかり忘れているようで助かった。

 

ここ数日の成果を振り返ってみても、サイラス商会との大口契約、調味料の販売など成果は上がっている。金、金、金……このところずっと金がからんだ仕事ばかりだ。ほんとうに植民地経営は金がかかるな。

明日はジェネラルオークの首を持ってガンツにいき、冒険者ギルドと魔術ギルドで情報収集だ。俺にもそろそろ休みがほしいところだ。

 

……などと考えつつ、ベッドに横たわった途端。

 

なにかとても大事なことを忘れているような気がした。

絶対に忘れてはいけない約束、忘れてはいけない人のことを。

 

 

『イーリス、手伝ってほしいことがある』

 

 



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ドラゴン結婚行進曲

[なにか忘れているような気がする、ですか]

『開拓が始まって多少のトラブルはあったが順調だ。けれど何か忘れているような気がする』

[アップデート過剰に寄る脳障害でしょうか]

 イーリスはいきなり怖いことを言う。脳内アップデート技術が未熟だったころに起きた事故と聞いている。いまは厳重な制限下にあるためそのような事故は起こらないはずだ。というか冗談のつもりなんだろうか。

 

『そうじゃない。大事な契約というか約束のようなんだが』

[人間は都合の悪い記憶を思い出せなくなるようです]

 今日のイーリスは辛辣だな。

 

[これまで艦長が第三者に対して行った契約および約束に類する行為を精査します。その時点より、まったく進展していなものを不履行とカウントします。お待ち下さい…………]

 

 イーリスは艦内の上級士官の行動はすべてモニターしている。特に重大な責任が問われる戦闘時は詳細な行動ログが記録されているのだ。現在は第一級非常事態宣言下にあるので俺のログは当然ある。これもあまり思い出したくない事実だ。

 

[一つありました。グローリアとの約束ではないでしょうか]

 ……何のことかわからない。グローリアには街の近くにちょうどいい洞窟が見つかったので、住まいにしてる。俺たちとの距離がずっと近くなって喜んでいた。もともと住んでいた洞窟の宝物も監視している。その場所はシャイニングスターのメンバー以外は立入禁止だ。

 

[族長としての責務です]

『族長はやめてくれ』

[グローリアにとってアランは族長であることには変わりありませんよ]

「わかった。まず最初からゆっくり説明してくれ」

[わかりました。現在グローリアの健康状態は良好です。ドラゴンの寿命が短くなる病気については調査中ですが、現状では異常は見当たりません。むしろ急速に成熟しているのではないかと推察されます。こちらをご覧ください]

 

 仮想スクリーンにグラフが移る。

 緩やかな線が右肩上がりに伸びていたのが、ある一点から急上昇している。

『これは?』

[グローリアの体重です。偵察ドローンのディー・テンが定期的にグローリアと競争しているのですが、その際、テラヘルツ波による身体スキャンをおこなっています]

 

 体重は着実に増えている。それもここ数か月の体重の伸びが著しい。

『これはガンツまでの街道を建設していたころだな』

 グローリアが俺たちのために、というか一族の役に立ちたいと必死なのはよくわかるし、イーリスもそれを理解して手伝わせたのだろう。

 

「排除した魔物は偵察ドローンなら放置だが、」

[汎用ボットが魔石を取り出したあと、グローリアが頑張って全部食べてしまいました]

 街の広場で出迎えてくれたときもかなり大きくなっていた。本人は自分が未熟だと思っていて、もっと大きくなりたいのだろうか?

 イーリスの推測では人間にするとグローリアは青年期に該当するというからその可能性が高いな。人間と同じで背伸びしたい年ごろなんだろう。

 

[グローリアの活躍はそれだけではありません。資材の運搬や、上空からの探査でわかりにくい樹海の奥地へ試掘用の汎用ボットを何回も移送しています。こちらがその時の記録です]

 仮想スクリーンに建築中の居城が映し出された。汎用ボットたちが石材などを運搬している中、樹海で伐採した樹木をもって降下するグローリアの姿が見える。汎用ボットを二体つかんで奥地に輸送している画像があとに続いた。さらにグローリアはひとりで定期的に街道沿いの魔物を取り除いている。しかも夜間だ。街道を利用する人間に迷惑をかけないようにしているのだろう。

 

「イーリスが指示したのか」

[いいえ。すべてグローリアの自主的な行動です]

 俺の思った以上にグローリアは頑張ってくれているようだな。母ドラゴンを亡くしてからずっと一人きりで暮らしていたところで俺と出会い、つづいてイーリスに始まりセリーナとシャロンが話し相手になってやったものたから、うれしかったんだろう。なんというかいじらしい。

 

[彼女の献身には族長として、シャイニングスターのリーダーとしても何らかの報酬を与えねば不公平です。しかも彼女は正式に人類銀河帝国の航宙軍兵士でもあります]

 まあ言っていることは理解できる。確かに兵士である以上、無報酬は良くないが……。

『わかった。報酬を与えよう。だがギニー金貨を渡しても無意味だ。グローリアは俺たちのなかで一番金持ちだからな』

 

 人類銀河帝国の現行法に照らしても、母ドラゴンが集めた貴金属と、一族のドラゴンがなくなったあとに取り出される魔石はグローリアの相続財産だ。全部合わせると天文学的な額になるだろう。ちょっとした規模の貴族の領地を領民もいっしょに買収しても全然目減りしないくらいはあるはずだ。

 

『……で、何を与えればいいんだ?」

[グローリアの伴侶です。若くて健康な者が良いそうです]

 

 思い出した!

 族長は配下にいる適齢期のドラゴンに伴侶を見つける義務があるんだった。これは俺的には最高にめんどくさい話だ。なので俺は記憶を封印していたらしい。

『俺がグローリアに伴侶を見つけてやるんだったな。しかし俺にはドラゴンの知り合いなんかいないぞ」

[実は艦長の代わりにこの惑星のドラゴン探索も進めていました]

 イーリスのやつ、人間ならニヤリとでも表現できそうな一瞬の笑みを見せたような気がする。なぜだ。

 

[グローリアから聞き取ったのですが、彼らは特別な鉱石を食べることにより皮膚を強化したり色を付けたりするそうです。そこで鉱石に含まれる金属のスペクトルを有する物体を上空から観測し、それが高速で移動していれば]

『この惑星には我々のほか航空機は存在しない。つまり移動しているのはその鉱石を摂取したドラゴン、というわけだ。生息域のマッピングも可能なはず』

[ご覧ください]

 

 仮想スクリーンに俺たちのいるセリース大陸が表示された。この大陸が惑星アレスで一番大きいが、人の住んでいない未踏の大陸もいくつかある。

 

 セリース大陸の北側、高緯度地方の極地といっていいくらいのところにドラゴンの推定生息域があり、これが一番大きい。他の大陸にも存在するが規模が小さく、いくつかは数個体しか生存していないようだ。ドラゴンの個体数が減っているというグローリアの話は正しかったな。

 

「イーリス、俺たちはドラゴンの言葉を理解できるわけだろう。だったら呼びかけてみてくれないか。多少の方言はあるかもしれないが、話は通じるんじゃないか」

[私が極地のドラゴンと話して、相手が従うとは思えませんが]

「じゃどうすればいい」

[あまりお勧めできませんが、相手方のドラゴンを屈服させ、こちらのクランに加えればよいのでは]

 

 それはどうかな。はぐれドラゴンとちょっとのあいだだけ戦ったが、ファイヤーブレス一回で俺のファイヤーグレネード数個分はあった。紙一重でよけたが戦闘時のドラゴンの動きは俊敏だった。

 すこしばかり魔法の力が強いからといってドラゴンをなめてたことは否定できない。グローリアが現れて、はぐれドラゴンの注意がそれていなかったら俺も危なかった。もう一度戦えるかといえば……。

 

『セリーナ、シャロン来てくれ』

 即座に二人の姿がARモードで現れた。制服姿だ。俺は二人にグローリアのことを説明した。

 

「グローリアが結婚するんですか?」

「シャロン、まだ決まったわけじゃないわ」

「でも、グローリアが望んでいるんでしょう?」

「もう一匹をクランにいれるのは無理ではないでしょうか。食料とか魔石が不足するような気がします」

 

 二人とも俺の命はどうでもいいのか。相談相手を間違えたようだ。

『食料は増産できますし、樹海の魔物からは十分な魔石が供給できます。まずグローリアの願いをかなえてあげないとかわいそうです』

『そうね。私たちのアランが負けるわけないし』

『セリーナと私も同行します』

 

 ちょっとまて。まだ決まったわけじゃないんだからな。

[前回の教訓を生かして、上空には四機の偵察ドローンを待機させ、ターゲットにロックオンしておきます。艦長の生命に危険が生じた場合は即応します]

 イーリスまで賛成か。俺の命を誰ひとり心配していないとは……。

 

 よし、みんながそこまで言うなら仕方がない。グローリアはシャイニングスターの仲間だ。それに強力な戦力でもある。これまでの貢献も申し分ない。クランのリーダーとして願いをかなえてやろうじゃないか。ただし前回みたいに行き当たりばったりというわけにはいかないが。

 

 四人で小一時間の検討の結果、意見はまとまった。

 グローリアは参加させない。万一、ドラゴン同士の戦いになってしまっては元も子もないからだ。俺に危険が及ぶときはイーリスの操作する直掩のドローン群が対処する。

 セリーナは城館に待機。もし俺がけがを負うとかしたら次席指揮官であるセリーナが俺が復帰するまで指揮しなければならない。本人はかなり不服そうだったが、残ってもらうことにした。

 シャロンは俺と同行する。もし俺またはドラゴンが負傷した場合、現地で治癒魔法を展開してもらう。グローリアの傷を治すのにはオークの魔石をたくさん使ったから、城館にストックしてある魔石を治療用にできるだけ多く持っていく。

 

 俺も当然ながら魔法戦闘に使う魔石を持参するほか、パルスライフルとハンドガンを装備だ。正々堂々と相手のドラゴンにも理解できる魔法だけを使って勝ちたいが、相手の実力がわからない以上、用心に越したことはない。

 俺たちはすでにドラゴンの言語を翻訳できるから最初は対話を心がけよう。いきなり戦闘に持ち込んだら竜族全体を敵に回しかねない。

 

 現地との往復は偵察用ドローンを使う。ドローンの格納庫はほかに荷物がなければ数人の人間は格納可能だ。

 目的地はセリース大陸の極地方。偵察ドローンのラムジェット推進を全速にすれば二時間。うまくいけば日帰りだな。

 

 もちろんクレリアたちには一切秘密だ。セリーナには俺とシャロンが支援者たちと一緒に魔物狩りに出たと伝えてもらうことにした。ま、嘘は言っていない。

 



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婿取り合戦へ

[朝です。起きてください]

 久しぶりにナノムに起こされた。この頃は政務に忙殺されているせいか眠りがあさく、明け方に自然に目がさめることも珍しくない。

 兵士の健康状態をつねに監視しているナノムは、これ以上の早朝覚醒がつづくなら強制的に強化睡眠をすると警告していたが、俺が夜更かししたのにはわけがある。

 

 はぐれドラゴンと戦った時の記録は上空を旋回する偵察ドローンによって撮影されていた。可視光のほか、赤外線など偵察ドローンの感知機能をフルに使った映像からは学ぶところが多かった。

 

 とくに俺の動きの悪さが。

 ドラゴンはオークやビッグ・ボア、あるいは大海に潜む大型魚類をおもな食糧としている(グローリア談)。

 餌は常にドラゴンの眼下にある。偵察ドローンの視点がはからずもドラゴンの視点と一致しており、画像を見るとドラゴンは終始ポジション的優位にたっていた。

 俺の動きはドラゴンから見れば地上をはい回る小ネズミのようなものであり、広域のファイヤーボールを獲物の移動予想点に展開すればいいだけだ。

 ドラゴンは狩りのあいだ、つねに空の覇者として主導権を握り続けているのだ。

 

 もう一つ気が付いたたことがある。

 ドラゴンのブレスまたはファイヤーボールを放出するときは待機時間があることだ。

 これは王城での近衛救出作戦Gルートでグローリアに暴れてもらった時の画像とも一致する。赤外線モードで見るとブレス放出の三秒前にドラゴンの胸郭内の熱量増大が感知されている。射出後は次のブレスまでに最短でも十秒の間がある。もちろん個体差はあるだろうが、はぐれドラゴンとグローリアのタイミングも同じだった。

 おそらくこの辺がドラゴンを倒す突破口になるのではないか……。

 

 ナノムには感知したドラゴンの胸郭内の温度を赤外線モードでモニターしてもらい、温度が急上昇したら警告メッセージを、ブレスやファイヤーボールを放出した直後から仮想スクリーンに十秒のカウントダウン表示してもらう。この時間はドラゴンの火炎を警戒しなくていいはずだ。おそらくこっちが逃げる羽目になったときに一番知りたい情報だ。

 ナノムとやり取りして、システムがなんとか完成したところで、睡魔に負けて眠りに落ちてしまった。

 

 

[シャロンはすでに中庭で待機しています。装備は汎用ボットにより格納済みです。〇六〇〇時には離陸しますので急いでください]

 イーリスのやつ妙にやる気だな。いつもとは語気が違うようなのは気のせいか。

 

 近衛の控え部屋やクレリアの居室の窓は外側を向いているので、中庭は見えない。一度つれてきたがあまりにも殺風景なので、貴族らしく庭園として整備したほうがいいと言ったきりだ。それ以来クレリアは中庭に顔を出さない。俺が見せたくないものがあるのを察してくれたような気もする。

 

 シャロンは駐機中の偵察ドローンの前でまっていた。

 帝国航宙軍の制式防寒服だ。航宙軍が作戦降下するときは寒地であれ熱帯であれ気密性の高いパワードスーツを着用するので防寒服はめったに使用しない。最後に着用したのは寒冷惑星での訓練の時に使用したくらいだ。懐かしい感じがする。

 

「おはようございます」

「シャロン、防寒服よく似合ってるぞ」

「あ、ありがとうございます。その格好で出撃されますか。防寒服も用意していますが」

 朝の気温が低いせいか、シャロンの頬が赤い。

 

 体内のナノムは体熱産生を加速する機能があり、ちょっとやそっとの寒さではダメージを受けない。今回は話し合いだけで済むものでもないし、野外戦闘は避けられないだろう。念のため着ていくか。

 

 偵察ドローンの貨物室に身をかがめて乗り込むと、すぐに後部ハッチが閉じた。かなり狭い。急造のシートらしき場所にシャロンと俺が並んで座り、それぞれシートベルトを締めた。足元には魔石を詰め込んだバックパックとパルスライフルが二丁。

「シャロン、よほどのことがない限りこれを使うことは避けてくれ」

「それは状況によります。ご指示ができない状態になった場合は私の判断で対処します」

「そうならないことを祈っているよ」

 

 ドローンががアナウンスした。

[発進します]

 機体が轟音とともに垂直離陸を始めた。ステルス機能は稼働している。街周辺の飛行はつねにステルスモードだ。

[到着予定時刻は○八三○を予定]

 

 俺とシャロンは会話をナノム経由の通信に変更した。大声を出すのは疲れる。

 シャロンがバックパックから箱を出して俺に渡した。

『朝食はまだでしたね』

『すまない』

『お茶も用意しました』

 箱を開けるとカツサンドと切り分けたオレンジに似た柑橘類が入っている。

『これは』

『材料はガンツのホームから取り寄せました』

『ピクニックに行くわけじゃないぞ』

『任務とはいえ、食事は楽しまないといけません』

 そんなもんかな。このところシャロンも孤児たちのために骨を折ってくれているから、ちょっと息抜きしたい気分があるのかな。

 カップについでくれた液体からニホン茶に似た香ばしい香りがする。

 俺が問うまもなくシャロンが答えた。

『商業ギルドに頼んでタラス村から取り寄せていました。やっと昨日届いたんです』

 

 クレリアと旅をして最初にたどり着いたのがタラス村だった。村に入る直前で、ビックボアの黒斑を倒して、村人と仲良くなったんだっけ。暦の上では一年と少しくらい前なのに、ずいぶん遠くまで来てしまったな。

 カトルの紹介で綿織物の商売が大成功して喜んで帰っていくベックとトールの姿を思い出す。あの二人、今頃どうしているか。この惑星の住民はかなり早婚だからもう所帯を持っていたりしてな。

 

[まもなく通常航行からラム・ジェット推進に切り替えます]

 ドンッ!という衝撃音とともに加速がかかった。騒音がずっと甲高くなる。

 

『アラン。お味はどうですか』

 うっかりしていた。うわの空で半自動的に口に運んでいたようだ。

『”豊穣”のバースと同じかそれ以上だ。この甘辛いソースも効いてる。……まさか』

『お肉は厨房で試行錯誤したんですけど、ソースもゴタニアから取り寄せています。バースさんは調味料の販売もされているようですね』

 バースも手広く商売してるみたいだな。味も地球産のトンカツソースとそん色ない出来だ。俺たちがガンツへ向かってからもずっと研究していたらしい。

 

『シャロンも調理に興味があるのか』

『いつも作っていただいてばかりですからね』

 興味があるのではなくお礼、というわけか。ちょっと気になるけど今は良しとしよう。

 

 それからシャロンとは料理談義となったが、俺にはわかっていた。これからの任務からちょっとだけ目をそらしたかったのさ。シャロンも話を合わせてくれたが、気持ちは同じだったんだろう。

 それにしてもシャロンとセリーナは双子、というかクローンなのにどうしてこうも性格が違うんだろう。

 

 食事を終えて俺は、昨日考えた作戦の復習をすることにした。。

 はじめにイーリスのドラゴン言語変換機能を使用して、ドローンの外部拡声器を使ってドラゴンに語りかける。内容は俺がドラゴンの社会における族長にあたるものであること、配下にドラゴンがいること、そして族長の務めとして部下にふさわしいパートナーを選びに来たことを伝える。

 それで相手が了解すればよし。だめなら……戦うしかない。我ながらおよそ作戦の体をなしていないな。

 

[まもなく目的地上空に到達します。通常航行に切り替えます]

偵察ドローンのアナウンスとともに高度が下がっていく。

 

『イーリス、来てくれ』

 仮想スクリーンにイーリスの上半身が浮かんだ。

『目的地周辺の状況説明を頼む』

[マップをご覧ください。ここ数日のドラゴンの飛行経路を表示しています]

『ドラゴンは複数いるな。飛行経路はある一点でとぎれたように消えている。つまり、このポイントに上空からは探知できないドラゴンの洞窟がある。そうだな?』

[ご明察です。推定個体数は六体です。飛行経路は主要な餌場を定期的に周回しています。このあたりに生息している大型海洋生物を餌にしているようです]

 

 六体か。そのうちの一体が相手側の「族長」なんだろうが、一体だけを選んで戦うのは無理か。

『直掩機は』

[偵察ドローンを本機をふくめ七台に増強して上空を旋回しています]

『洞窟近くの広場に着陸させてくれ。ただし非常時にシャロンをつれてすぐに離陸できるように待機だ』

 

『私も行きます』

『救援が必要になったら呼ぶ。それまでシャロンは無傷でないといけない。これは命令だぞ』

『わかりました。ご命令があるまで機内で待機します』

 一瞬、不安を見せたシャロンだったが、すぐに表情を引き締め俺の命令を復唱した。

 

 電磁ブレードナイフをベルトの右側に差した。ハンドガンはおいていく。パルスライフルですら出力に不安がある。ドラゴン相手では意味がない。魔石も防寒服のポケットに詰め込んでおく。

 

 腰をかがめて格納庫からでた。

 洞窟のある山のふもとはかつて雪に覆われていたようだが、強風で粉雪は飛んで圧雪部分だけが固く残っている。その跡はまぎれもなくドラゴンの足跡だ。

 洞窟の高さはこの距離にしてはかなり巨大だ。測距モードで改めて観察する。仮想スクリーンには直高二十二メートルと表示された。大洞窟じゃないか。あの中にドラゴンがうじゃうじゃ、というか少なくとも六匹はいるわけか。気が重くなるな。

 

[アラン、防寒マスクも装着してください]

 なぜだ。死ぬほど寒いというわけではないし、ナノムの熱産生強化のおかげで風に奪われる熱量もカバーしている。

[グローリアの身体を調査した結果、ドラゴンの視覚は赤外域の波長も感知するようです。その防寒服は皮膚から発生する赤外線を外に出さない機能があります]

 今の俺はドラゴンから見れば、顔や手足が光り輝いて見えるってことか。もっと早くに教えてくれよな。

[装備の扱いは訓練で学んでいるはずですが]

 急いで手袋を装着しゴーグル付きのマスクをつけようとした途端、すでに手遅れなのがわかった。

 洞窟の中に光る巨大な瞳が見えた。やがて姿を出したその体はグローリアを二回りは大きくしたようなドラゴンだった。

 

 

[熱量増大を感知]

 

 

 



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クレリアの想い

 今日、聖堂の建設が本格的に始まった。仮の教会堂を今まで使っていたけれど、聖堂が完成の暁にはこの街の中心となる大切な建物だ。

 アランは打ち合わせに一度も来てくれなかった。何度も誘ったのに。精霊様を体に宿していながら女神ルミナス様の話をアランから聞いたことがない。アランと出会ってから不思議に思うことの一つだ。

 セリーナに聞いてみると、アランは朝早くに魔物を狩りに出たまま戻らないという。シャロンと支援者たちも一緒だから問題ない、と言ってくれたが気にかかる。行き先も教えてもらえない。

 アランは行き先を告げずにふらっと姿を消すことがある。それが私をどんなに不安にさせるのか気にもとめていないのだろう。

 

 夕食を済ませ、居室で日記を書こうと机に向かったけれど、筆が進まない。

 新拠点に来てからずっと政務にふりまわされている。スターヴェーク王国にいた頃は、政治や経済は父上と兄のアルフにまかせっきりだったのが悔やまれる。ああ、いけない。それ以上はいま思い出すべきことではない。

 剣技と魔法をもっと練習したいのに。このまえの模擬戦ではアランに勝ったけれど勝ちを譲ってくれたような気もする。

 

 驚くほど透き通った窓ガラスの向こうは一面の星空が広がっている。

 アランが話してくれた人類銀河帝国の銀河とは、スターヴァインと似たような意味らしい。輝ける星々からなる大河とは素晴らしい名前だ。この大陸の遠い遠い彼方にあるというその国はどんなところなのだろう。いつか私が訪れることはあるだろうか。

 もし大陸統一が成って、大きくて頑丈な船を作れるようになったらアランが去ってしまわないだろうか。

 

 ぼんやりながめていると、ドアをノックする音が聞こえた。

「クレリア様」

「エルナか、入れ」

 ドアが開いて私服に着替えたエルナが現れた。

「もう遅うごさいます。明日はサテライトの定期報告の日ですので」

 サテライト各班はガンツに週替りで滞在している。今週の帰宅組がガンツの様子を報告に来る予定だった。ほかにもあとからやってきた辺境伯軍の隊長たちから陳情がある。近衛と辺境伯軍の待遇は変わらないし、セリーナもとくに近衛の者を贔屓せずに指導しているはず。はじめに訓練を受けた者たちの力量が卓越しているのは当然だが……。

 

「隣の部屋からでもまだ起きてらっしゃることはわかります」

「すまない、できるだけ音はたてないようにしているのだが」

「どんな厚い壁でも乙女のため息は筒抜けと申します」

「……エルナ」

「冗談です。よく眠れる茶葉をガンツから取り寄せております。いかがですか」

「いただくわ」

 エルナが廊下に戻り、やがて茶器と恒温ポットをもって現れた。このポットは最近アランが発明したものだ。魔力で温度を保つという優れもので、側面にある穴に魔石を入れると何日でも適温に保たれる仕組みだ。試作品だというのにまたカトルが大騒ぎしたらしい。

 私の前に湯気の立つ茶器を置くと、エルナは私の斜め前にすわった。臣下は目上の者の真正面には座らない、という礼儀を守っている。

 エルナもいまは個人的な時間のはずだが、臣下の立場を決して崩さない。時にそれが重く感じることもある。

 

 しばらく二人で黙ってお茶を飲む。

 珍しい風味だ。タラス村で飲んだ緑色のお茶によくにている。国を追われて以来、初めて暖かく迎え入れてくれたのがあの村だった。もうずっと遠い昔のような気がする。アランと私の二人だけの旅だった……。

 

「クレリア様」

「すまない。少しもの思いにふけってしまったようだ」

「アランが心配なのでしょう?」

 エルナはいつもどおり単刀直入だ。ごまかしてもしょうがない。

「そうだ。気にはなっている」

「ため息をつくほどに、ですか」

 そんなに盛大にため息をついたつもりもないのだが。ここは冗談と受け取っておこう。

 

「行き先も告げずにアランが出かけるのは珍しくない。つい最近も湖で魔法の練習していたというではないか。エルナの報告がなければ知らずじまいになったところだ」

「アランが一人で行動しているときは何かが始まる前触れです。王都でゲルトナー大司教に一人で会いに行ったこともありましたね。おかげで司祭様がこの町に派遣されることになりました」

 

 アランがこの街にしてくれた最大の貢献だ。もし大樹海の中で信仰の証たる聖堂がなければ、私がここを拠点として選ぶことはなかったかもしれない。

「アランが単独で行動した結果は我々のためになることばかりだが……」

 何となく言葉が続かない。

 

「シャロンと二人で狩りに行ったことが気になりませんか。クレリア様」

「…………」

 私が感じていた言葉にできない気持ちはそれが原因なのだろうか。全てではないがそれを問題と感じているのかもしれない。

「シャロンとセリーナはアランの部下だ。同じ軍の所属だとアランは言っていた。支援者たちも同行するというなら、今度の狩りも任務と考えればよいのだ」

 

 エルナは手に持った茶器を机において私を見つめた。

「狩りに行ったのが私とアランだとしたらどうですか」

 いったい今夜のエルナはどうしたというのだろう。模擬戦の前後からエルナの気持ちの振れ幅が大きいのは感じていた。大きいと言っても冷静で少々斜にかまえていたのが少し常人に近づいた、くらいだが。

「任務ならかまわない」

 エルナは私をまっすぐに見つめた。透明な瞳にはなんの感情もこもっていない。けれど私はエルナがなにか思い切ったことを言う前にこんな目をするのを知っている。

「クレリア様、もっと正直になりませんか」

「…………」

「スターヴェーク再興という大義も大事です。けれどクレリア様がご自身の気持ちをすっかり殺してしまったら、スターヴァイン家が絶えてしまうかもしれません」

「エルナはどうなのだ。自分の想い人はいないのか」

「私は一生、クレリア様にお仕えすると女神ルミナス様に誓いました。輝きの御印があらわれたので、その誓いはルミナス様の御心にかうものだったのでしょう」

 ああ、エルナ。なんということをしたのだ。臣下の間でもこれほどの誓いを立てるものは少ない。

「それこそ自分の気持ちを殺すことではないのか」

「いいえ。私は尊敬する方にお仕えできるだけで十分です」

「……エルナ。もうこの話はやめよう。ため息もつかないようにする」

「はい」

 エルナは私の冗談がわかったのか薄く微笑んだ。

 

「とにかく私はアランのことは心配していない。ドラゴンを従えたアランにかなう魔物などいるはずはないではないか」

「もしかして、またドラゴン狩りにでかけたのでは」

「だとしたら今度は一匹と言わず三匹くらい連れてくるかもしれぬ」

 思わず二人で笑ってしまう。が、すぐに笑いが覚めていく。

「ま、まさか」

「いくらアランでもそんな暴挙は」

 ……ありえる。

 行き先も教えずに出かけたのは、私を心配させないようにという気遣いだろうか。

 女神ルミナス様、どうかアランがそんな無謀なことをしていませんように。

 

 

「……夜も更けました。長居をして申し訳ありません」

「エルナ、ありがとう」

「どういたしまして」

 エルナは頭を下げると自室に戻っていった。

 日記帳を閉じベッドに横たわる。

 眠りに落ちる直前のまどろみが急に冴え、エルナの言葉よみがえった。

 

“私は尊敬する方にお仕えできるだけで十分です”

 

 私は尊敬に値するだろうか。もしそうでないとしたら、エルナの尊敬の眼差しはいったいどこへ向いていくのだろう。

 

 



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勝機あり

 全力で走る俺の背後で爆音がはじけ、熱風が襲いかかる。背中が熱い。とんでもない熱量だ。

『ディー・ワン、離陸準備!』

『了解』

 視野の隅で容赦なくカウントダウンが進んでいく。

[直掩機がターゲットをロックオンしました]

『待て! まだ打つな!』

 

 機に俺は飛び込むと同時に、後部ハッチが閉まった。

「発進しろ!」

 エンジンの回転音が急上昇し、体がシートに叩きつけられる。

「お怪我はありませんか」

「大丈夫だ。いきなりドラゴンブレスをぶちかましてくるとは」

「ドラゴンの間に共通の挨拶のようなものがあったのかも」

「いまさらだけどな」

 

 仮想スクリーンに機体の後部カメラの映像が写った。

 ドラゴンが六匹追尾してくる。そのうちの一匹はひときわ大きな個体だ。全身が黒い鱗に覆われている。年齢と大きさが比例するとしたら、あれがこの群れの族長というわけか。

 

「高度三千メートルまで上昇、高度を保ったまま周回しろ」

[了解]

 加速がかかって、見る間にドラゴンとの距離が開いていく。

 一匹、また一匹と脱落していき、最後の巨大なドラゴンも高度を落としていく。

「ドラゴンの限界高度は二千メートルくらいでしょうか」

「あの巨体では筋力だけで二千メートルは無理だ。おそらく魔石の力を借りているんだろうな」

 グローリアから聞いた話だ。飛行の前に魔石をたべると力が出るらしい。はぐれドラゴンをガンツに運んでもらったときにも魔石を食べていたっけ。

 あらかじめ魔石を食べていたということは、着陸するまえから俺たちを感知していたということか。ステルスモードを解除していたのは失敗だったな。

 

「少しは理性的な生き物だと思っていたが。グローリアだけ特別なのかな」

「まあ女の子ですから」

 女の子ね……そうか。

『イーリス、色々問題があるが、差別的な言葉を使うがいいかな』

[いつものことです]

 これは心外だな。俺ってそんなに差別主義だったか? まあいい。

『今のドラゴンはひょっとして全部雄じゃないのか』

[はい。間違いありません]

「ドラゴンの社会構造については疎いが、ドラゴンは狩りを行うときは雄だけなのか」

[グローリアからの伝聞でしかないのですが、狩りには全員参加です。ただし、幼体がいる場合は女性は狩りに出ません]

 雌ドラゴンのことを女性というのはどうかと思うが、人間を凌駕する知性の持ち主だとすればその表現しかないか。

『可能性としては、洞窟に雌がいて幼体もいる。あるいはこの群れには雄しかいないのどちらかだ』

[可能性としては後者の確率が高いと言えます]

『理由は何だ』

[ドラゴンの母親は産卵期、育児期はほかのドラゴンとは距離を置くそうです。グローリアも幼い頃は父親の姿をめったに見なかったと言っています]

『このあたりで単独行動する雌はいるか』

[現在のところこの集団だけです]

 

『なんとか方向が見えてきたようだな』

[艦長、伝聞や憶測だけで行動するのはやめてください]

『わかっている。ディー・ワン、高度を落としてもう一度あの広場に向かってくれ。ただし上空二百メートルほどでホバリングしろ』

『了解』

「シャロン、どうやら答が見えてきたようだぞ」

「どうするのですか」

「しばらく競争することになりそうだ」

 

 俺の予想は当たった。

 こちらが高度を下げれば、すかさずドラゴンは迎撃体制に入り急上昇してくる。偵察ドローンはすみやかに上昇してドラゴンの射程外に離脱する。その繰り返しだ。

 ドラゴンは空中の覇者として君臨するがゆえに、自分の頭上に誰かがつねにいるのが耐えられないのだろう。

 

 高度を上げ下げすること五回、ようやくドラゴンはあきらめたのか力尽きたのかは不明だが、洞窟前に一体のドラゴンを残してあとは洞窟に入ってしまった。残ったのは一番大きなドラゴンだ。……交渉開始だな。

 

「もういいだろう。着陸して俺をおろしてすぐに上昇してくれ」

「大丈夫なのですか」

『もし俺が逃げ切れなかったときは最終手段だ。ほかのドローンに対処してもらう……イーリス 』

[はい]

『ドラゴン語の通訳を頼む。翻訳した俺の言葉はすべてドローンの外部拡声器を通してくれ』

[了解]

 

 俺は戦闘に備えて、バックパックとパルスライフルを持って外に出た。振り返るとシャロンの心配そうな顔がちらりと見え、ハッチが閉まった。その間、洞窟前の広場にいるドラゴンは微動だにしない。

 

「我が配下の者に配偶者を与えるために来た。そちらの族長と話がしたい」

 ほぼ同時に上空のドローンからドラゴン語に変換された音声が響き渡る。

 とたんに、ドラゴンが首を持ち上げた。俺と上空の偵察ドローンを交互に見つめている。

「目の前にいる人間の声をお前に聞こえるようにしている」

 その言葉が伝わるとドラゴンはゆっくり俺を見つめ、いきなり牙をむき出しにしたかと思うとすぐに引っ込め、つづいて低い声で唸った

 

[人間で言うところの”笑い”に相当する表現です]

 イーリスが解説したが、解説なしでも何となく分かる。ドラゴン視点で見れば、人間ごときが突然やってきて族長とかほざいたら笑いたくもなるだろう。

 

「紅き森一族は我が配下となった」

 グローリアから聞いた彼女の正式な一族名だ。今はグローリアしかいないが一族が配下になったと言っても間違いではない。

 腹に響く重低音がドラゴンの口から発せられた。声量もグローリアより遥かに大きい。翻訳された言葉がナノム経由で伝わる。

『その一族は滅びた』

「たしかに我が配下となった」

『人間に下るとは落ちぶれたものだ』

 ドラゴンは尾をいきなり地面に叩きつけた。振動がここまで響いてくる。

「俺はお前の考えるような人間ではない」

『そのようだ。人間にはありえない魔力をもっている』

「竜族の流儀に従って、改めて申し入れる。わが配下のために若く健康な雄を一族に迎えたい」

 それまで微妙に動きを止めなかった尾の動きがピタリと止まった。首を下げて俺の方に頭を近づける。巨大な角におもわず後ろに引けそうになったが、ここは我慢だ。

『虜囚となった乙女がいるのだな』

「俺が命を救い、配下になった」

『我は一族の誇りにかけて虐げられし乙女を救い、わが血族に与えんとするなり』

 どうしてそうなる!?

 

[熱量増大を感知]

[熱量増大を感知]

[熱量増大を感知]

[熱量増大を感知]

 

 くそ、今度はいきなり四匹かよ。遮蔽物はさっきのブレスですっかり溶けている。逃げ場ゼロだ。

[全機ロックオンしました]

『いや、撃つんじゃない! 交渉中だ!』

[とても交渉している状態には見えません]

 高速走行モードで突っ走る俺のあとをドラゴンどもが追いかけてくる。ブレスは引っ込めたらしい。俺を生きたまま捕まえて「乙女」の場所を吐かせようということか。ドラゴンは頭がいいな……とか言ってる場合ではない。

 

「数人がかりは卑怯だぞ! 俺が負けたら言うことを聞いてやる。勝ったら俺に従え!」

 上空からドラゴン語が響き渡ったとたん、地響きがとまった。振り返るとドラゴンの追跡は止んでいる。

 危ないところだった。

 先程よりは二倍くらいの距離を開けて再び俺は黒いドラゴンに向かいあった。少し小ぶりの三匹が後ろに控えている。やっぱりこいつが族長か。

 

「ドラゴン同士の戦いでは、負けたものが勝ったものに従うという。俺もその掟に従おう。俺が負けたら配下のドラゴンの居場所を教える」

[艦長。危険すぎます。ドローンで対処しましょう]

『だめだ。戦って配下に入れろって言ったのはイーリスだろ』

[生命の危機と判断した場合はこちらの判断で対処します]

 イーリスも心配性だな。勝算がないと思っているのか。

 

 ドラゴンが重低音で話し出す。少しの間をおいて翻訳された言葉が続く。

『お前の挑戦を受けよう。ただし乙女の居場所が先だ。消し炭から場所を聞き取ることはできぬ』

 こいつ……殺る気十分だな。

『イーリス、大樹海からここまでグローリアの最大速度で何日だ』

[教えるのですか。艦長が負けた場合、新拠点を危険にさらすことになります]

『問題ない』

[……飛行を日中に限れば一週間ほどかと]

 俺は南を指して言った。

「ここより南に向かって七日間飛び続けると樹海だ。彼女がいるのはその南端にある人間の街近くの洞窟だ」

『我が裏切るとは考えなかったようだな』

「掟に忠実な一族だと信じている」

「良い。実に良い。我も配下に伴侶をあてがう義務がある。お前もだ。ともに掟に従い戦おうではないか」

 俺は黒ドラゴンの配下の若いやつを一匹もらえればそれでいいんだが。黒ドラゴンも部下に雌をあてがうつもりらしい。族長の義務、というやつか。これは……油断がならないぞ。

 

『ナノム、ファイヤーグレネードをストックしろ。八回分だ』

[了解]

 以前ならせいぜい最大でも六回分だが、樹海効果のおかげで魔力はましている。まだ余裕だ。

 

 強烈な羽ばたきで俺をあざ笑うかのように、黒ドラゴン以外の三匹は上空へ舞い上がった。高みの見物というわけか。一匹だけが残った。試合開始の合図があるわけではないよな。

『竜族の掟を尊重した見返りに、死ぬ前に願いをひとつ聞いてやろう』

「俺に負けろ、ってのはどうだ?」

 

[熱量増大を感知]

 

……ほんとわかりやすくて助かる。

 



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コリント流秘技

 ドラゴンの視野から一瞬で脱出できる加速魔法は素晴らしい。エリダー星系第二サルサの原住生物が行う瞬間移動を再現したものだ。いまのところ通常の三倍速を二秒間続けられる。

「ヒール」

 俺の体を一瞬の輝きが包んでいく。

 調子に乗って使い続けると強化された肉体でもアキレス腱や筋肉を痛めてしまう。この技はまだ身体にダメージが大きすぎるのであまり使いたくないんだよな。加速するたびにヒールをかけ続けるのも不便だ。

 

 ドラゴンブレスの第一波は俺のずっと後ろで圧雪を蒸発させていた。白い蒸気煙を縫ってドラゴンが姿を表す。周囲を見渡しているところを見ると俺を倒したと思っているらしい。

 上空を見上げると三匹のドラゴンはゆっくりと周回している。ひと声吠えれば俺の位置を教えることは可能だろうに、そうしないのは誇りゆえか。

 

 フレイムアローを放つ。もちろん倒せると思っちゃいない。居場所を教えてやっただけだ。フレイムアローは直撃したが、見る限りダメージはゼロだ。巨大な体躯を動かしこちらにやってくる。

『ナノム、次のドラゴンブレスの射出速度を測定しろ』

[了解]

 加速魔法とナノムのブレス警告さえあればドラゴンのファイヤーブレスは回避可能だ。はぐれドラゴンと戦ったときはいきあたりばったりだったが、考えれば対策はいくらでもある。まさに知識は力だな。

 

[熱量増大を感知]

 一、二、三。加速。

 ドラゴンの顎が開くと同時に俺は横っ飛びに加速した。停止して素早くヒールをかける。ブレスの着弾位置はドラゴンの前方の俺がさっきまでいた場所よりずっと離れている。こちらが横に逃げるとは考えなかったらしい。ブレスによる攻撃をあきらめたのか、黒ドラゴンは上空に舞い上がった。

[排気速度は毎秒二十メートル程度です]

 ……意外と遅いな。これで勝ち筋が見えたな。

 

 

◆◆◆

 

 

 アランは一体何をしているのだろう。

 地上の様子は仮想スクリーンでずっと監視している。もしアランに危険が及ぶことがあれば対処せねばならない。ほかのドラゴンが手を出さないとがわかってからは、偵察ドローン全機のターゲットは巨大な黒ドラゴンだ。

 アランを直接助けられないのがもどかしい。命令とは言え安全なドローンの中で待機するのが辛い。

 

 ドラゴンが近づいてはブレスを放射し、アランが加速魔法で回避する。加速魔法は私もまだうまくできない。アランはもう五回も加速し続けている。

『イーリス。このままだと勝負が見えないわ。アランには悪いけどあのドラゴンを撃ちましょう』

[ドラゴンブレスで水蒸気煙が発生し、姿が見えなくなったときにドラゴンの翼を打ち抜きます]

 非可視光のレーザーならアランには見えない。助勢したことを咎められることはないだろう。 地上で次々と加速魔法を繰り出すアランの姿を追いきれなくったのか、ドラゴンは突然飛翔した。

 

『シャロン、イーリス。これで勝率が上がったぞ。一切手出しするなよ』

[了解]

『イーリス!、上空からファイヤーボールを放たれたら避けきれないわ』

[ブレスの射出速度から仮定すると、ドラゴンが高度を上げるほど到達時間はおそくなり、着弾位置がわかりやすくなります。アランは持久戦に持ち込もうとしているのでは]

 無謀すぎる。持久戦……あのドラゴンがどれくらい魔素を蓄えられるかわからないのに。

 

 ドラゴンが空中に静止した。アランの直上だ。まるでアランの動きを待っているかのようだ。頭上を見上げるアラン。やがてドラゴンは意を決したかのように羽ばたきをやめ、垂直降下した。そして……ファイヤーボールを放った。

 すでに地上にアランの姿はない。

[ファイヤーボールの弾着を確認]

 地上に到達したファイアーボールの紅蓮の炎が地上を舐めるように進んでいく。半径二百メートルはある。地面の氷塊が一瞬で沸きたって気化していく。

『アラン!』

『ファイヤーボールの爆発範囲があれだけ広いとはね』

『お怪我はありませんか』

『大丈夫だ。問題ない』

 

◆◆◆◆

 

 

 ……危ないところだった。

 ドラゴンもブレスの速度が遅いことは認識しているらしい。だから直上からの急降下で距離を縮め、広範囲のファイヤーボールを射出したわけだ。

 再び上昇したドラゴンはかなり離れた位置で高度を下げ、低高度のままこちらへ飛行してくる。

 ドラゴンの高度を測距すると八メートル。はげしく雪煙をあげながら一直線に突っ込んでくる。巨大な翼が地面に触れない限界高度だ。接近戦に持ち込んで、進路上をブレスで焼き尽くすつもりだろう。

 

『イーリス、シャロン。一切手出しは無用だぞ』

 ポケットからオーガーの五センチくらいある魔石を二つ取り出して、両手に握る。

『アラン、逃げて!』

 シャロンの悲鳴を無視して直進コースを取るドラゴンの真正面に立つ。

 

「……エアバレット」

 こんなときのために地下鍛錬場で改良に改良を重ねてきた。

 コリント流飛行魔法が俺の足元で展開し、強力な連続噴射が発生する。俺はドラゴンの顔をかすめるようにして直上に到達、ストックしたファイヤーグレネード八発を全弾発射……同時に全力で急上昇する。

「うわっ」

 爆発の衝撃波でおもわず姿勢が乱れる。眼下のドラゴンは青白い炎の中心にいた。ドラゴンの絶叫が響き渡る。ドラゴンは強力な火炎耐性があるらしいが、爆発の衝撃波がダメージを与えているようだ。

 

 戦闘の終了は誰が判定するのかしらないが、見上げると三頭のドラゴンがまだ上空にいるところを見ると終わったわけではないらしい。黒ドラゴンは身動きしない。俺は警戒しつつ、ドラゴンの周囲を旋回する。

 ドラゴンの両翼の根本に小さな穴が開いている。

『イーリス、手助けしたな』

[艦長を守るためです]

 相変わらずイーリスは心配性だな。十分勝機はあったんだが。これでは偵察ドローンからの攻撃と俺のファイヤーグレネードどちらが有効だったか判断できないじゃないか。いずれにしてもドラゴンはもう飛べないようだが……。

 

 俺は横たわる黒ドラゴンの頭の方に着地した。

「聞こえるか」

 ドラゴンが一声うなった。翻訳はない。俺の言葉は理解したが返答ができないようだ。上空から三体のドラゴンが降下して、俺と黒ドラゴンを取り囲んだかとおもうと、一斉にうずくまった。勝った……のか。

 黒ドラゴンの喉からしわがれた唸り声をだした。俺には振り絞ったように聞こえた。

『我は敗れた。掟に従い我はお前に帰順する』

 なんか済まないような気になる。イーリスのやついいところで邪魔したな。

『シャロン、降りてきてドラゴンの治療を手伝ってくれ。それとナノム玉だ』

 

 偵察ドローンが着地すると防寒服姿のシャロンがバックパックを背負ってやってきた。ドラゴンたちはシャロンを見るとなぜか一層身を低くして動かない。

 ナノム玉はナノムの凝集体で大量に移植が必要になった場合のために準備しておくが、今回はなにしろこの巨体だ。時間がかかるかもしれない。

『イーリス、このドラゴンが俺と直接会話できるようになるまでどのくらいだ』

[グローリアにナノム注入した際の記録があるのでドラゴンの神経系については把握済みです。男女差はありますが一時間ほどあれば]

 

 早速取り掛かろう。

「これから治療に取り掛かる。ドラゴンの掟では敗者にどんな扱いをするのか知らないが、俺たちはこうするんだ。じっとしていてくれ」

 偵察ドローンからの翻訳音声を理解したのか、黒ドラゴンはじっとしている。首のところの鱗がすっかり剥がれ落ち、血がにじみ出ている。長い首への直接衝撃がけっこうダメージを与えているようだな。少々やりすぎたか。

 シャロンがおそるおそるドラゴンの背に乗り、両翼の根本の傷口にそれぞれ特大のナノム玉を押し当てる。見る間にとけたようになった銀色の流れが傷口から入りこんでいく。

「「ヒール!」」

 

 結局、応急的な治療だけでシャロンと二人で二時間近くかかった。そのうち内部に展開したナノムの修復機能が働き始めたのか、出血は止まり、鱗が取れたあとの赤いにじみはすっかり消えている。

[艦長、まだ微調整は必要ですが、暫定的にドラゴンとの会話が可能になりました。ドラゴンの発声は自動的に翻訳され、ドラゴンは艦長の言葉を体内のナノムが変換します]

 グローリアにナノムを投与したときはドラゴンの認識や語彙が全くわからなかったからずいぶんグローリアには負担をかけてしまった。おかげで短時間ですんだようだ。

 

「俺の声が聞こえるか」

 ドラゴンが耳障りなごろごろとした響きを返したが、瞬時に翻訳される。

「言葉は理解できる。これは魔法なのか」

『イーリス、来てくれ』

 ARモードで瞬時に俺の視界に制服姿のイーリスが現れる。ドラゴンの視覚系にも干渉しているから見えるはずだ。とたんに族長ドラゴンのまぶたが見開かれ巨大な眼がイーリスを見つめたかと思うと、上体を起こし、イーリスに向き直った。

 

 巨大な鉤爪をゆっくりと動かし、イーリスに触れようとする。当然、爪先は空を切るばかりだ。おどろいたことにイーリスはほほ笑みを浮かべている。

 族長ドラゴンの声が重々しく響いて、俺の耳にはこう聞こえた。

 

『わが主よ、あなたのしもべはここにおります』

 



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女神

 一体どうなっている?

 いつの間にかドラゴンが洞窟から出てきている。すべての個体がグローリアより大きな角と牙をもっていて体重もグローリアよりはありそうだ。すべて雄なのは間違いない。

 

『イーリス、どうなってる。倒したのは俺のはずだ』

[伝達がうまくいっていないようです。この個体とイメージ共有し、語彙を更新します……お待ち下さい]

 たしかグローリアにも一晩中映像を見せてはその反応を記録していたな。ドラゴンの雄と雌では反応が違うのかもしれない。俺はドラゴンに勝ったはずだ。ドローンの打撃も俺の攻撃にしか見えないはず。

 

『アラン、治療しているあいだもずっとドラゴンたちの視線を感じていました。周囲のドラゴンは私を注視しているようです』

 あらためて俺たちを取り囲んでいるドラゴンたちを見やった。真昼の雪原にずらりと揃った巨体も異様だが、その視線の先はシャロンをひたと見ている。猛禽類が獲物を見るような鋭さはいっさいない。ドラゴンの表情を理解はできないが全く違うなにかを見ているかのようだ。

 族長ドラゴンの方もすぐ目の前に現れたイーリスを見つめたまま微動だにしない。ナノム経由の会話ができるようになったのか。

 

[ドラゴン語の語彙と文法をアップデートしました。彼の思い違いの原因も判明しました]

 イーリスはドラゴンから目をそらし、少し遠くを見るような微妙な表情を見せた。こんな表情ができるとは知らなかった。時折、イーリスと会話するときは単なる対人インターフェース以上の人格を感じることがあるが、ここまで人間的な表情をするのはなぜだろう。

 

[王都で収集した書籍の中に、アトラス教会からは異端とされる書物がありました。その主張の一つに女神ルミナスに仕える使徒イザークは竜族だったというのものがあります]

『その伝承は人間とドラゴンにも共有されていたということか』

 グローリアによれば、かつて人間とドラゴンはアーティファクトを使って互いに意思の疎通ができていたという。その後、アーティファクトは何らかの理由で動作しなくなって、争いが多くなり両者は別々の道をたどることになったらしい。

 

『突然現れて、姿が見えるが触れることのできないイーリスを見て、ドラゴンは女神様と勘違いしたんだな。さっき珍しく笑みを浮かべていたのはそのことを初めから知っていたからか」

[いいえ。グローリアと同じくらい優しく接しただけです]

 

『で、俺の立場はどうなる。俺のヒガミかも知れないが、せっかく治療してやったのになんか見下されているような気がする。イーリスとシャロンしか眼中にないぞ』

[さしずめ私が女神ルミナス、シャロンが守護天使、艦長はその従者のように見えているようです]

 ……従者とはひどすぎないか。グローリアの伴侶はなんとか確保できそうだが、族長としての俺の立場はどうなる。

 

[傷が完全に癒えたあとに、掟にしたがって新拠点にくるように言っておきました。ドラゴンは強力な戦力ですし、グローリアも喜ぶでしょう」

『イーリス……。これからも女神様をやるのか』

[任務に必要ならば、そうします]

 そう言ったイーリスは微妙な笑みを見せた。

 イーリスもドラゴンに肩入れしすぎだよな。たしかにドラゴンは人間なみの知性を持っている。独自の掟、社会構造をもち、高度な言語、魔法も使える。人類銀河帝国の諸惑星の中で人間以外でこれほどの知性を持っている存在はほとんどいない。今回の旅でドラゴンについての知見が得られたのは成果と言える。あとでイーリスが発見した書籍をナノムにダウンロードして確認しよう。

 

「シャロン、戻るぞ」

「アラン、せっかくここまで来たのですからなにか収穫がほしいですね。表向きここには狩りに来ていることになっているので」

「ドラゴンに頼んだらどうだ。俺なんかよりシャロンとイーリスのほうが人気があるみたいだぞ」

 俺はシャロンの先に立ってドローンのハッチへと向かう。

「アラン」

 振り返るとシャロンが口を手袋でおさえている。

「どうしたシャロン、俺の顔になにかついてるか」

「イーリス、私の視点からの画像をアランに転送してあげて」

[了解]

「ああっ!」

 これはひどい! 後ろ髪がチリチリじゃないか。しかも髪の先端が完全に炭化している。最初のドラゴンブレスはかなり熱かったがまさかこんな被害が出ているとは。シャロンは身を震わせて必死に笑いをこらえている。

「……そんなにおかしいか」

「も、申し訳ありません。ど、どうしても我慢できなくて」

 帰ったときにどうやって言い訳すればいいんだよ。髪の毛は無血管組織だからナノムが到達できないし。

『ナノム、毛根細胞の分裂を促進できないか』

[現在、医療行為は必要ありません]

 無慈悲かよ。ナノムの医療行為には増毛は入っていないらしい。まいった。

 

 シートに座ると同時にハッチが閉まった。

「もしアランがよければ、電磁ブレードナイフで切りそろえるくらいは……ぷぷっ」

 いつまで笑ってるんだ。

 たしかに首を前後に振ってみると微妙に空気抵抗がある。さらっとではなくなんとなくぶわっとした感じだ。このままクレリアに見せると焦げた原因をなんやかんや追求されるだろうし、間違いなくエルナの容赦ないツッコミも予想される。新拠点に着くまでになんか理由を考えるか。ただ、このままではひどすぎるな。

 

「……シャロン、慎重に頼む」

「はい」

 

 偵察ドローンのエンジン音が高まり、機体は滑らかに上昇していく。

 

 

 



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人類に連なるもの

 惑星アレスは人類銀河帝国の版図からはるかに離れた位置にありながら、ほかの多くの人類居住惑星と似かよっている。

 イモによくにたポトやガーリックもどきはこの惑星に降下してすぐに見つかったくらいだし、豊穣のバースにもらった香辛料の中にはカラシによくにたものあった。これは植生、すなわち生存環境と食料供給の二つの重要な要素が共通しているのだ。

 

 人類に連なる者たちが存在する惑星はみなよく似ているというが、事実は逆で何者かが人類の祖先を居住可能な星系に移住させた、というのが人類世界では定説だ。

 

 穏やかで安定期が長い主星。高い海洋-陸比率をもち、適度な地軸の傾きにより四季があり、炭素系生命に適した気温が保たれている惑星だ。

 

 主な共通点はそれだけで、違いはたくさんある。

 ある惑星では海水中の塩分濃度や微量元素の割合が違ったり、気圧や大気組成が生存可能な範囲内ではあるが明確な違いがある。ほかのどの惑星にもいないような独自の生命体が存在していたり……。 

 

 俺の生まれたトレーダー星系の惑星ランセルはどちらかというと寒冷な気候が長く、厳冬期を生き延びるために人々は長い鼻梁、色素のかけた肌、体温保持のため体格が大きくなったとされている。最近発見されたばかりの惑星、地球のように多種多様な人種・文化が花開いているところもある。

 このことから、人類を広大な銀河の星々に播種した存在は、よく似た惑星を選びだしたけれども、大規模な惑星改造をすることはなかったと推察される。彼らにも何かしらの制限、というか限界があるということらしい。

 

 人類の祖先を星々に広げた存在……播種者がバグスの存在を知っていれば、奴らの星域からもっと離れた場所に人類の祖先を配置してくれてもよかったはずだ。だが事実はそうならなかった。

 バグスとの長きにわたる戦いの中で鹵獲できたバグスの戦闘艦はわずかだったが、データを解析するとバグスは人類と同じくらいかそれ以上に古い種族であり、幾多の種族を滅ぼしてきたらしい、ということがわかっている。また征服した種族を奴隷化することも。

 

 イーリスに解説してもらったが、バグス本星をさがすことと人類に連なるものたちを探索するのは同義である。

 なぜなら広大な銀河といえども我々のような炭素系生命体が生存できる範囲は限られているからだ。

 銀河中心付近では密集した星々からの激烈な宇宙線により炭素系生命体は生存不可能だ。遺伝子構造そのものが形成されない。反対に銀河縁辺だと決定的に重金属元素が不足しており、炭素系生命体の呼吸系に必要な元素が得られないために、知的生命体の誕生が難しいことは探査結果からもはっきりしている。

 

 銀河中心から一定の距離――三万光年から四万光年――からなる円環ゾーンが炭素系生命体の存在範囲とされている。

 人類にとって不幸なことにバグスもまた炭素系生命体であり、このゾーンの中で対立している。だから航宙軍の戦艦がバグス本星を探す旅の途上で、人類に連なるものが住む惑星を発見したことは何度もある。また、人類がかつて住んでいたらしい廃墟の惑星も……バグスが先に見つけたのだ。

 

 探査アルゴリズムはこの円環宙域にそって展開されるため、円環の任意の位置にいつ到達するかは予測可能だ。また円環宙域のバグスの出現頻度から、やつらの侵攻ベクトルはすでに判明している。

 

 その結論は……バグスがこの惑星アレスに到達するのは人類銀河帝国の探査船がやってくるよりずっと早い。その後の悲惨な展開は明白だ。この惑星は地獄になる。

 俺はバグスにまつわるあの惨状の記憶を再生しそうになり……いまは考えたくない。

 

 

 大樹海の新拠点は開拓も本格化し、人口も三千を超えた。教育も進んではいるが目的実現までの道のりは遠い。バグスが到達する前にFTL通信で人類銀河帝国に救援を求めるのが最低限で、可能であればバグスに対抗できるだけの科学技術を獲得していることが望ましい。

……あまりにも遠大な目標だ。

 

『イーリス、来てくれ』

 即座に制服姿のイーリスが俺の仮想スクリーンに現れた。背景が居室の石壁とかさなっていてなんとなく違和感を覚える。

 

[おはようございます。計画の進捗についてですね]

『どうしてわかった』

[先日の拠点視察の際、艦長はずっと何か考えていらしたようですので]

 イーリスは俺の行動ログを観察していたようだな。

[私も任務とは言え一個人とここまで長い関係はじめてです。すでに前任の艦長にお仕えしていた期間を越えています]

 俺はちらりと前の艦長のことを思い出した。あの高潔な指導者の後任が俺、というのはいまだに信じられない。とはいえ、与えられたカードでゲームを回すしかない。少なくとも俺にはイーリスという最強のカードがある。

 

『現在の進捗状況と、達成率はどのくらいだ』

[新拠点の人口は現在三千百十二名、あと四年以内に一万人に到達するにはあまり良いスタートとは言えません。科学技術の発展には人口の集中による情報密度の向上が必要です。通信回線がないため、人々は集合して知恵と知識を交換しなければなりません。学校教育もより高度にしなければ、目標達成は難しいでしょう]

『実現可能性は』

[三パーセント弱、でしょうか]

 初めて聞いた時とほとんど変わってないな。自然増による町の規模拡大は無理か。やはり任官希望者やベルタ国王のお墨付きで王都から植民を徴募しなければならないようだ。そうなると一時は解決の方向に向かった食糧問題がまた復活してくる。

 

『樹海の伐採を早めよう。入植者主体で実施を考えていたが、夜間の汎用ボット運用で進めてくれ。劣化したボットのパーツはコンラート号の艦内工場で製作し、脱出ポッドで降下させるように』

[脱出ポッドの数には限界があります。さらに今後のパーツの損耗を補うだけの金属資源が艦内にありません]

 いくつかの部品は無重力下で生成しなければならない。コンラート号の船内工場がどうしても必要だ。

 

[第一級緊急事態宣言下でこのような発言は不適当かもしれませんが……わたしの存在とて永遠ではありません]

 そうだった。うっすらと思っていながら口に出せないでいた事実。軍用艦は戦闘不能になった時点で秘密保持のため爆破されるか、無事でも規定の年数で退役になる。数百年に及ぶ運用は設計時点で考えられていないだろう。しかし俺たちの計画は中央値でも600年は続く。

 

 イーリスに耐用年数という言葉は使いたくないが、実際のところどうなのだろうか。

[現在は復旧しているものの、多くの資源を失っています。本艦は地上七百キロ上空にあり、つよい宇宙線にさらされているため、残念ながら計算の上では二百年程度かと。万一この星系の主星が太陽フレアを発生させるとさらに運用可能年数は下がります]

 それでは計画は途中からイーリスなしで実行しなければならない。俺たちの計画はイーリスなしでは難しい。

 

[ただし、地上からの定期的な物資補給と運用要員の供給があれば別です]

 地上からコンラート号へはシャトルによる運用が必要だ。偵察ドローンは宇宙空間までは到達できない。地上から軌道上に打ち上げるための施設もいるだろう。

 

[偵察ドローンによる補助推進を提案します]

 仮想スクリーンに画像が現れる。

 補助燃料タンクを追加したドローンの左右に偵察ドローンがアームでつながっている。

[ドローン二台で成層圏まで出力増強型ドローンを運搬、その後切り離しと同時に自力推進します]

 

 ドローンには人員を二人程度のせるスペースがある。そこの気密性をたかめれば、人だってイーリスに送り込める。艦内の酸素は失われているが、こちらから運搬して気密性を確保すればいい。まずは循環システムの再構築、次にシールドの強化か……。

 よし、それでいこう。

[ドローン三台を分解、機関部および燃料タンクの統合が必要です。積載量の増強のため貨物エリアの容積を増やします]

 この際、ドローンの数が減るのはやむを得ない。

『八十二機のうち六機を分解統合し、シャトルは二機体勢で運用する。そのほか老朽化に応じて一部を地上管理にする。全機一斉に老朽化ということは避けたいからな。シャトル運用は中庭では手狭だ。新規に離発着場の設営も検討するように』

[了解]

 



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ナノム

 ベッドに横たわったまま、俺は取り残された兵士の話を思い出した。

 どこまでが本当なのかはわからない。故郷であるトレーダー星系ランセルから遠く離れた航宙軍の訓練キャンプで聞いた話だ。ナノムを投与されたばかりの俺にとっては忘れられない話だった。

 

 ある辺境惑星の出来事だという。

 バグスに制圧され、軌道上の艦隊も壊滅的な被害をうけたため、航宙軍は撤退した。しかし死んだものと思われた一人の降下兵がナノムの助けで生き残ってしまった。

 理由は不明だがその惑星の人類を殲滅したあと、バグスは去った。おそらく惑星に居住する人類を殲滅することだけが目的で、星系そのものには戦略的な価値を見いだしていなかったのだろう。

 

 その兵士はナノムとともに七年間、ふたたび航宙軍の探査船がやってくるまでたった一人で生き残った。ところが当時のナノムは今と違ってかなり人間に近いAIだったらしい。

 孤独な兵士はナノムとやり取りするうちに、ナノムに死んでしまった恋人の名前までつけていた。救出されてもほかの人間とコミニュケーションができなくなっていたという。

 

 自分を最もよく知っている理想の話し相手が存在する以上、誰と話す必要があるのか。ナノムは彼の見聞きしたことすべてを知っており、彼の体を本人以上に理解している。その上、ナノムは宿主に絶対的に服従し、昼夜を問わず心身を支え続けてくれる。

 彼は退役によるナノム除去を断固拒否して、いまは人類銀河帝国のどこか遠い辺境空域で孤独なパトロール任務についているということだ。

 

 天井を見上げながら考える。

 俺はどうなんだ?

 

 現在も十数億のナノマシンが俺の体に存在し、俺の五感を通じた情報収集だけでなく、探知魔法による知覚すら獲得している。最新バージョンのナノムは人格モジュールが初期モデルよりはずっと簡素化されている。必要以外のことは話せないし、人間味はない。

 おそらくあの伝説の男の話と似た事例がたくさんあったのかもしれない。現在の航宙軍はナノムの非人格化を実施して今に至っている。

 ……ただし、航宙艦の軍用AIは別だ。人間とのコミュニケーションが絶対的に必要とされているため、人格モジュールは必須とされている。

 

 イーリス・コンラート。

 近年最大の航宙軍兵士の英雄。航宙軍士官学校を最優秀で卒業、順調に出世の階段を上がり、最初の艦長としての任務でそのキャリアに自ら終止符を打った。多数の民間人の命を守るために。

 俺がいつも相対しているのは亡くなった英雄の人格を模して作られたAIだ。正確には対人インターフェースモジュールの一つにすぎない。

 人間に対する絶対服従というモジュールの最奥にくみこまれた枷を除けば、どんな人間よりも優秀で、冷静さを失うことなく目的のために最善の行動を取る存在、イーリス。

 

 もしたった今、バグスの艦隊が惑星アレスへの侵入軌道をとったならば、彼女はためらうことなく戦端を開き、すこしでもバグスの戦力を削ごうとするだろう。たとえ自らの存在を失うことになろうとも。

 

 

イーリス、直掩機を送ってくれ。

イーリス、調査結果を表示しろ。

イーリス、蒸留器を設計できないか。

リーリス、……。

 

 何もかもイーリス頼みだ。俺は依存していないのか。

 艦長としての悩みはさておき、シャイニングスターのリーダーとしての悩みすら、イーリスは助言することを厭わないでくれる。

 

 そのイーリスが出した結論。

 彼女の寿命はそう長くない。超長期にわたる太陽輻射と宇宙線が、シールドを失った彼女の船体を劣化させいく。

 修復が進んだとはいえ、この状態のイーリス・コンラート号をこのままにしてはおけない。リアクターは無理でも長寿命化はできるはずだ。

 

 俺たちの大陸国家統一にはイーリスの力が必要だ。

 ……いや、これは建前だ。

 

 俺は彼女を助けたい。これまでの献身に報いたい。ただそれだけだ。

 これは依存だろうか? そうではないと信じたい。

 

『イーリス』

[はい]

『シャトル便が完成したら、まず俺が艦にもどる』

[了解。……ありがとう、アラン]

 

 



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大樹海へ

[新たな発着場の候補地はこちらになります]

 仮想スクリーンに投影された箇所は大樹海の西側にある開けた丘陵地だ。ただし拠点からはかなり距離がある。

[増強型ドローンは高出力のためステルス化が困難です。拠点から目視されることのないように距離が必要だと判断しました。また近くに有望な金属鉱床があります]

 

 今朝考えていたコンラート号増強計画はシャロンとセリーナに話すと大賛成してくれた。俺が一番乗りすることは反対が予想されるのであとにする。

『俺からも提案がある。偵察ドローンを使った候補地探索をやめて、かねてから検討していた樹海の地上探索を行いたい』

 

 スクリーンにイーリスに指示していた地上ルートが現れた。ルートをやや西寄りにすれば候補地点まではさほど距離はない。

『今回は深層地質探査を行う』

 地質探査装置はコンラート号から脱出ポッドで投下してもらう。脱出ポッドの数も少なくなってきた。なんとしても早期にシャトル便を運行させねば。

 

『”あれ”を使うということは、資源探査以外にも目的があるのですね』

 流石にセリーナは鋭いな。深層地質探査機はたしかに普通の調査旅行には過剰装備だ。

 

 ミューオン深層地質探査機はバグス占領下での戦闘には欠かせない。バグスは惑星に降下すると果実に群がる害虫のように地下に潜り込んで巣を作る。巣ができると餌――つまり人類――をもとめて地上に溢れ出し、虐殺が始まる。

 惑星ミルトンの戦いではディスラプターのアップグレードで辛くも地上は制圧したものの、地下のバグスを根絶するには大変な時間がかかった。

 ミューオン探査機を一定間隔ごとに埋設すれば、探査ネットワークを形作ることにより地下のすべてをあらわにできる。残念ながら大気圏外からでは恒星由来の自然ミューオンの雑音で精度が出ないのだ。

 降下兵が最初にやる任務の一つが探査機設置であり……もっとも人的被害が大きい戦闘フェーズでもある。

 

『まさかアランは大樹海にバグスが潜んでいるお考えなのですか』

『もし巣があったらこの惑星の人類は滅びているはずだ。俺が探すのは遺跡だよ』

『アーティファクト、ですね』

 今度はシャロンが言った。ふたりともよく勉強しているようだな。

『そうだ。それと参加メンバーだが……』

『今回は私が行きます。いつも留守番ばかりなのは嫌です! シャロンはこのあいだドラゴン探しに行ったのだからここに残るべきよ』

『次席指揮官はアランの不在時にその任務を代行するとても大切な役目。セリーナ、任務をおろそかにしてはいけないわ。……というわけで絶対に私がアランと行きます!』

 

『残念だが今回はふたりとも留守番だ。最強の案内人がいるからな』

『まさか、グローリアですか』

『そうだ。その代わり二人のうちの一人は常に直掩機と視覚共有リンクで調査に参加してくれ』

『では私が最初にリンクを……』

『セリーナ、ずるい!』

 ふたりともそこまでだ。もっと重要な問題があるだろう。

 

『……申し訳ありません。グローリアといえば、あの問題ですね』

 先週、グローリアの未来の伴侶が極地方を発ったことはわかっている。だが、グローリアに予告なしに会わせるのもためらわれる。それに俺はまだドラゴンの習慣と言うか風習をよくわかっていない。

『伝え方が難しいな。グローリアは人間で言えば青年期なわけだろう。本人の望みとはいえ、いきなり伝えていいものだろうか。例えば……グローリア、ほら望み通りに頑丈そうなやつを連れてきたぞ、みたいな』

『ひどい』

『アランがそこまで差別主義者だったとは、信じられません』

 ふたりとも言ってくれる。俺がどれくらいの犠牲を払ったかわからないんだろうか。俺はようやく形をなしてきた後ろ髪に手をやる。まあ、犠牲というよりはドラゴンブレスをなめてかかった報いかもしれないが。

 

『イーリス、俺もよく知らないんだが、ある種の動物は雄が雌に求婚のダンスを踊ったりするそうだが、ドラゴンにもそういった習性があるのかな』

[グローリアはれっきとした知的生命体です]

『……わかったよ。その知的生命体としてドラゴンは何らかの求愛行動するのか。もし代わりに族長が踊ったりするというなら俺は無理だ。拒否権を発動する』

『アランとダンス……。もしそうなら私と』

「シャロン、勝手に決めないで。まだわたしの権利が残ってるわ」

 

 話が変な方向にそれた。セリーナとシャロンもまだ十代だからな。王都の宝石店でアクセサリーを選んだときも年齢相応の騒ぎだったな。……とにかくダンスは駄目だ。

[王都で入手した博物誌にはドラゴンの求婚についての記載はありません。ただし、伝承はあります]

『続けてくれ……ダンス以外なら何でもいいぞ』

 

[ドラゴンの男性は、求婚のときに貴金属を女性に送るようです。ほかに競合する求婚者がいた場合は、財宝の価値で伴侶を選ぶとの言い伝えです]

 そういえばグローリアの母親は金銀や宝石類を大量に溜め込んでいたな。きらきら光るものが大好きだったと言っていた。

 ドラゴンはどうやって貴金属を入手しているんだろう。貴金属も精製しなければただの石ころだ。……まさか人間から奪ったりしているのか。遥か北方では人間との関わりも少ないから財宝なんかあるわけがない。ドラゴンの到着が遅れているのはそれが原因なのだろうか。

 グローリアは母親がためこんだ貴金属があるからそうとう価値のあるものを持ってこないと関心を持たない可能性もある。

 

 

 セリーナとシャロンがARモードを解除した後、イーリスだけが残った。まだ俺にはやることがある。

『イーリス、特定のDNAをもった植物を上空から探査することは可能だろうか』

[広範囲に繁茂しているか、探知しやすい性質のものであれば可能です]

『探知しやすさに違いがあるのか』

[ある種の植物は特定の元素を生物濃縮します。また葉緑素の濃度や分布は種によってことなるので上空からの探査が可能です]

 できれば直接、現地に行ってナノムをつかって調べるのが一番だが、なにしろ樹海は広大だ。ある程度領域を絞りたい。

 

『これまでの探査結果をもとに人類に有用な植物が生育していると思われるところを図示してくれ』

 瞬時に仮想スクリーンにマップがあらわれた。何種類もの色分け区分がされている。色ごとに作物の名称がポップアップしている。

[いずれも品種改良が必要なものばかりですが、食用は可能です]

 黒い線が樹海とガンツの境界線だろう。周囲を囲む山脈の前後で植生は大きく変わっている。当然ながら大樹海のほうが多様性がある。着色されていない箇所は裸地や岩石の露頭など生育に適さないところだな。

 お、ポトやガーリックもどきの群生も結構ある。

「俺たちの人類世界で知られている植物との類似性が強いものを表示してみてくれないか」

……やはりな。結構な面積で群生しているようだ。

[アラン、またシミュレーションモジュールを酷使するつもりですか]

 

どっちかというと、エラや孤児たちのためさ。俺にも息抜きが必要だ。

 

 朝起きてすぐに風呂に入り、朝食までぼーっとするのが冒険者時代の俺には至福の時間だったが、今はそうも言っていられない。

 このところ”アラン・コリント男爵”のためにいろんな儀式が発明され、俺はそれに引っ張り回されている。クレリアはもちろん、ロベルトが気合い入れまくりで貴族の儀典とやらを俺に教えたがる。一応王都で儀典官に教育を受けているのだが。

 俺は民衆との距離が近すぎるらしい。もっと威厳を保たねばならないとか何とか……。正直、疲れる。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 翌朝。

 久しぶりに軍のツナギを着てブレードナイフをベルトに差し、パルスライフルを肩にかけた。この頃は拠点にやってきてはお目通りを願う商人たちの前で堅苦しい衣装を強いられてきただけに、入隊したばかりのような新鮮な気持ちになる。

 

 最上階から屋上に出た。ちょうど朝日が昇りかけたところで、周囲には誰もいない。屋上の床には頑丈そうな革製の鞍がおいてある。ほかには小ぶりのワイン樽と鉄鍋が一つ。それから直径十センチ、長さ八十センチくらいの円柱が六本。探査機の数はこれで樹海の西側をほぼカバーできる。昨夜のうちにイーリスにコンラート号から脱出ポッドで降ろしてもらった。

 

 空を見上げると朝焼けの空にグローリアが姿を表した。

「族長、おはようございます」

 即座にナノムが翻訳してくれるおかげで、ドラゴン特有のゴロゴロした音声も気にならない。

「悪いな、グローリア。こんなに朝早く仕事を頼んでしまって」

「全然、そんなことないです。シャロン隊長とセリーナ隊長はこないんですか」

「どちらか一人は上にいるよ」

 ちょうどディー・テンが雲間を切って姿を見せ、俺たちの上で旋回した。

『おはよう、グローリア』

『シャロン隊長、どこにいるんですか』

『ディー・テンと視覚を共有しているの。あなたの姿も見えるわ。また少し大きくなったみたいね』

『一緒に旅行に出るのは嬉しいです』

『旅行じゃなくて調査任務だよ』

 いいつつ俺は鞍を用意する。ガンツの馬具職人に安価に作らせたものだが、カトルによれば、その工房の親方は俺の教えた裁縫技術で大儲けしているらしい。グローリアも慣れたもので、俺が鞍を装着するあいだじっとしている。

 

「族長と二人だけで任務って初めてですよね」

「シャロンも見守ってくれているけどな。今回は魔物を狩ったりはしない。どっちかと言うと、一族のみんなに喜んでもらうことなんだ。特にイーリスのためだよ」

「イーリスのためなら頑張ります。きっと喜んでもらえるようにしますよ」

 イーリスはドラゴンに大人気だな。

 荷物を鞍にしっかりとくくりつけてから俺は席に座り、固定具をつけた。

「場所はこのあたりだ」

 最近、仮想マップの使い方を覚えたグローリアは小さく頭をかしげている。その姿は微妙に人間っぽい。

『どうした。グローリア』

『わたしもこのあたりは行ったことはありません。あまり大きな魔物がいないので』

 なるほど、それはいいことを聞いた。魔物の生育分布についてはスペクトル分析だけじゃなく、住人に聞くのが正解だな。

『よし、グローリア頼む。陽が高くなる前に大樹海の奥に飛んでくれ。途中で何回か降下するが、そのときは合図する』

『了解!』

 グローリアは大きく吠えると、力強く飛翔を始めた。

 



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樹海の奥で

『グローリア、このあたりで一度、降ろしてくれないか』

『了解』

 グローリアも人を乗せることに慣れたのか、飛行はまさに”風に乗るがごとし”で、この一体感は強襲降下艇などでは絶対に味わえない感覚だ。

 木々を縫ってグローリアはわずかに周囲がひらけた場所に着地した。大樹海の中心まではかなり距離があるはずなのに、周囲の落葉高木の樹高は三十メートル近くある。いまだ一度として人の手が入っていないのだろう。

『グローリアはよくこのあたりに来るのかな』

『住んでいた場所からは遠いのであまり来たことがありません。でも獲物が少なくなる時期には足を伸ばしたことがありますよ』

『獲物が少なくなる時期があるのか』

『母が生きていた頃は食べる量も多かったですからね』

『ごめん、悪いことを聞いちゃったな』

『いいんですよ。今はたくさん仲間がいますし』

 じっと俺を見つめるグローリアの目は穏やかだ。なんか急にセリーナたちが俺を非難した理由がわかったような気がした。本当にグローリアは性格が真っ直ぐだな。俺がひどい差別主義者に思えてくる。

 

 地面に積み重なった枯れ枝を取り除き、鞍から探査機を一本取り出して地面が平坦な箇所にそっと置く。上端の起動スイッチを押すと円柱はサラサラとした粉塵を上げながら地面にゆっくり潜っていく。先端部はディスラプターと同様な機構が内蔵されており、原子間の結合力に干渉して掘削するため、騒音はほとんどない。

 探査機にはミューオン発生機と受信機が内蔵されており、他の探査機と協調しながら探査ネットワークを構築する。精度を上げるには観測点を増やせばいいが、今回は西エリアの主要部分をカバーするだけだ。

 

『アラン、グレイハウンドの集団がそちらに向かっています。排除しますか』

『シャロン、応援は不要だ。いちいち現れた魔物を狩っていては時間がもったいない。設置を終えたらすぐに移動する』

『了解』

『族長。この仮想スクリーンは便利ですね』

『グローリア、普段はどうやって獲物を取っていたんだ。こんなに樹高があれば見つけにくいだろう』

『夜は魔物の動きも鈍いですから』

 うーん、やっぱりか。赤外領域まで見えるんだな。これをもっと早く知っていれば、ドラゴンとの一騎打ちの被害も少なくてすんだはずだ。

 探査機の音が止んだ。円柱の数センチ上部を地上に残してあとは潜り込んでいる。

「よし、次にいこう」

 

 

 グローリアのお陰で作業は順調に進み、最後の探査機の設置が終了した。

『グローリア、ちょっと寄り道をしたいんだが』

 俺は仮想スクリーンのある場所にマーキングした。探査ルートからほど近い森林地帯だ。上空からの探査結果と一致していればいいが。

 

『このあたりはよく来ていましたね。ビッグ・ボアがけっこういます。この時期のビッグボアは木の実をいっぱい食べているので脂が乗っておいしいですよ』

『冬を越すために体に脂を貯めるんだな』

『はい。一匹捕まえるので族長も食べませんか』

『それは助かる』

 非常食は持ってきているんだけどな。ここはグローリアに合わせよう。グローリアは勢いよく飛び立っていった。ドラゴンが張り切っている状態、というのは知らないが、多分いまのがそれだろう。

 

 寒暖の差が大きくなるには季節は若干ずれているが、まあいい。俺は直径が一メートル近い大木の根元に向かった。枝ははるか上空に広がっているが、この際、樹皮でもいい。電磁ブレードナイフで少し削って指先と人差し指で強く押す。

[目的の植物と遺伝情報が酷似しています]

 間違いない。

 まさか俺の故郷と同じ植物が惑星アレスにもあるとは。冷涼な惑星ランセルでは寒暖の差が激しい時期に樹液をとって加工するのが古来からの習わしだった。

 ブレードナイフで地上から三十センチくらいのところにくさび形の穴を開ける。すぐに勢いよく樹液が出てきた。指でそっと触れてみる。

[食用可能です]

 ナノムのお墨付きがあれば問題ないな。持ってきた鉄鍋がいっぱいになったところで、切り口を木片で閉栓しておく。

 

 純粋な糖分は貴重だ。甘味料は需要が多いが、この惑星ではほとんど南方から入ってきていて、ガンツはもとよりゴタニアでさえ甘味料は贅沢品だ。大手の商人か貴族でなければ、普通に使えない。庶民は未だに乾燥果実や麦芽糖が主流だ。

 

 煮詰めるには時間がかかる。火を起こして水分を沸騰させ、糖分だけを残すのはいかにも非効率な気がしてきた。ゴタニアの宿、”豊穣”でピザを焼いたときは炉に低火力の火魔法を使えばうまくいったが、今回は煮詰めるのが目的だからちょっと違う。

 

 エネルギーを直接、水分子に叩き込めばいいんじゃないかな。

 通常の火魔法は魔素からなるエネルギーを火炎に変えて、その炎が輻射と言うかたちで熱を伝える。つまり湯を沸かすには一工程余計だ。この工程を省略したらどうだろう。

『ナノム、火魔法の改良だ。エネルギーの流れというより、周波数を上げるという感じで放出量をあげてみろ』

[了解]

 俺は水分子に直接、エネルギーが注がれるさまをイメージした。手のひらから放たれた魔素のエネルギー。炎と違って振動数が高いから色は紫外光を超えて人間の視覚では見えないが、イメージの世界では話が別だ。手のひらから伸びるエネルギーの触手が水を包み込んでいる、水分子クラスターがふつふつと泡立って気化していくイメージだ。エネルギーはファイヤーボール一個分のエネルギーでどうだろう。

 

「ファイヤー……うわっ、熱ちっち」

 いきなり蒸気が立ち上がった。鍋の中には茶色の塊しか残っていない。ちょっとやりすぎたか。茶色の塊をナイフで少し削って口に含む。……間違いない。焦げて渋みはあるものの間違いなく樹液糖だ。懐かしい故郷の味だった。

 

『アラン、いったい何をされているのかさっぱりわからないのですが』

『まあ見ていてくれ。シャロン、ほかの連中には内緒だぞ』

『……はい』

 

 根元の木栓を抜いて、樹液を鉄鍋に注ぐ。

 樹液の水分を半分ほど蒸発させる。

 もってきたワイン樽にいれる。

 この工程を繰り返すうちに、すぐに樽は一杯になった。ちょうど使い切った地質探査機の重量と相殺するくらいだからグローリアには負担はかからない。

 よし、拠点の孤児院でなにか甘菓子でも作って振る舞ってやろう。こういう楽しみもないとやっていられないよな。

 

「わっ」

 いきなり頭上を黒い影がよぎった瞬間、ビッグボアの巨体が地面に落ちて地響きを立てた。……でかいな。タラス村で暴れていた黒斑くらいある。大樹海では動物も巨大化するんだろうか。グローリリアが羽ばたきながら着地した。焚付用に用意していた枝が吹き飛んだが仕方がない。

『おそくなってごめんなさい』

『グローリア、謝ることはないぞ。大収穫じゃないか』

『あまり大きなものが見つからなくて、時間がかかっちゃいました』

 ……これより巨体のビッグ・ボアっているのか。小屋くらいのが突進してきたらフレイムアローくらいじゃ太刀打ちできないな。

 

『族長、一番いいところを獲ってください。族長の権利ですから』

『そうか、悪いな』

 俺はブレードナイフで肩ロース部分を少しもらった。皮脂の厚みがすごい。肉質もいいな。

『たったそれだけでいいんですか』

『ありがとう、グローリア。これでも多いくらいだよ』

 本当はもう少し熟成させたいが、このままソテーにしよう。散らばった枯れ枝をもう一度集めて、ファイヤーで火をつける。鉄鍋に脂身を少し入れて、鍋全体に馴染むようにする。薄く切った肉を並べて木蓋をかぶせた。

 

 俺の背後では何かが滴るような音や、柔らかいものを地面に叩きつける振動が響くが気にしない。時折、バキッとかボキリという音がするが、たぶん木の枝が折れた音だろう。ちょっと鉄さびのような匂いもするが気のせいだ。

 

 お、火が通ったようだな。少々赤みが残っているところに持ってきた塩と胡椒をふりかける。そして最後に樹液シロップをほんの少し、円を描くように回し入れる。……よし、できた。

 ビッグボアの樹液糖シロップ風味。これは旨いぞ。故郷では今時分よく食べたものだ。もちろんビッグボアではないが、この仕上がりは故郷でたべた本物と引けを取らないにちがいない。

 一切れ口に入れた途端、樹液糖の澄んだ甘みと濃厚な脂が胡椒のアクセントにのって鼻孔と味蕾を直撃した。

「う、うまい」

 思わず言葉に出てしまう。野趣のある肉汁が樹液糖と混じり合って、なんとも言えない極上の旨味を引き出している。ふいに懐かしい記憶が次々に溢れてくる。家族と過ごしたあの冬の夜、大切な人たちのことが。

「…………」

 なんだろう。焚火の煙が急に目に染みてきた。周囲の木々のかたちが急に歪んで見えたかと思うと……頬を流れていった。

 

 再び故郷で同じものを味わうことは、もうないだろう。

 



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婚儀

 うしろから優しく押されたような気がした。

 振り返ると俺に寄り添うようにグローリアが首を伸ばしている。

『族長』

『すまないグローリア。もう食べ終わったのかい』

『あのう、わたしにはよくわかりませんけど……、族長にはもっとたべて元気をだしてほしいです』

『ありがとう。ちょっとこのごろは忙しくてね」

 俺は後片付けを始めた。懐かしい料理に不意を突かれたみたいだな。仮想スクリーンに映る時刻はとっくに予定を過ぎている。

 

『人間は食べるのに本当に時間がかかりますね。そのままでもおいしいのに』

 さっきビッグボアを落としたところは地面が真っ赤だった。それ以外は何も残っていない。

『もうちょっとたべたいけど、あとにします』

 ってこれだけ食べてまだ足りないとはドラゴンの食欲も相当だな。タラス村の黒斑だって全部食べるのに村人総掛かりだったのに。

『グローリア、もうひと仕事だ』

『はい!』

 

 

◆◆◆◆

 

 

 シャトルの離発着場の候補地は大樹海の西にある丘陵地だが、支障となりそうな大木はなく、丈の短い草が生えているだけだった。少し歩いてみると、簡単な整地作業でかなりの敷地が確保できる。風がほとんどないのは西側の山脈が壁になっているようだ。シャトルの基地としては理想的だ。

 拠点の方向を見渡してみる。わずかに居城の尖塔が小さく見えるだけで、街から目撃されることもないだろう。探査機設置は午前中いっぱいかかってしまったが、直線距離だとさほど飛行時間はかからない距離だ。

 

 あとは汎用ボットと掘削機械をここまで運べばいいだけだ。金属鉱床のありかまでは道を造成せねばならない。地中探査ネットワークを樹海の西側だけでも展開して、鉱床の位置を確定してからだな。

 よし。樹液糖も穫れたことだし、当初の目的の三つのうち二つは達成したな。次が難物だが……。

 

『アラン、あと十五分ほどで有効視認範囲に到達します』

『わかった。シャロンはそのまま俺の上空で待機してくれ』

『了解』

 

 俺が周辺を歩き回って調査しているあいだ、ずっと静かに待機していたグローリアの正面に立った。

 

『グローリア、大事な話がある』

『ありがとうございます』

『まだ何も言ってないが』

『イーリスは族長は必ず願いを叶えてくれると言っていましたから。たぶん、あのことですね」

 なんだ、もう知っているのか。昨夜はけっこう言い方の練習をしたんだけどな。イーリスもグローリアにいろいろと伝えているようだが、俺にも一言ぐらい欲しいところだ。

「そうだ。俺は族長の勤めを果たしたよ。もう一人、俺たちの仲間にドラゴンが加わることになった」

 突然、グローリアがぐいっと顔を俺に近づけて、人間で言うなら大声に近い叫びをあげた。無論、俺の耳には十代の年若い女の子の声に変換される。それにしてもすごい迫力だ。

『嬉しい! ずっとずっと願っていたんです。族長のお力添えがなければ、わたしで赤き森一族が絶えてしまうところでした』

 そうか、そんなに喜んでもらって俺も嬉しい。

 

『いつ到着するんですか』

『ドラゴンの流儀にのっとって戦ったせいで、少々怪我をさせてしまった。傷が治ったら来るように言っておいた。それが一週間前のことだ。そろそろ来る頃だよ」

『ええっ、そんなに早くですか』

『ただ、問題があるんだ。うまく言えないんだが、もしかするとそのドラゴンはグローリアより貧乏かもしれない』

 

『アラン、なんてことを』

『シャロン、これ以外の伝え方はないだろう。正直に言っただけだよ』

『はぁ……』

 シャロンが気の抜けたような返事をした。俺は別に変なことは言っていないはずだが。

 

『ぜんぜん問題ありませんよ。わたしの母はキラキラ光る金属が大好きでしたけど、わたしはそうでもないですから』

 グローリアは優しすぎるよな。とはいえ、財宝を贈るのがドラゴンの風習らしいし、向こうも手ぶらでは来ないだろう。……とか言っているうちに北の空に飛影がみえてきた。

 ん? なんか数が多くないか。

 

『シャロン、いったいどうなってる』

『あの洞穴にいた一族全員のようです』

『全部で六匹もいるぞ。俺が倒したのは黒い族長ドラゴンだけだ。……イーリス』

[私が指示しました。族長の黒ドラゴンがアラン配下になったのですから、全員がアランの部下です]

「いや、どうしてそうなる。グローリアの伴侶は一匹だけのはずだろ。それともドラゴンは一妻多夫なのか」

[伴侶はグローリアに選ばせましょう]

 

『族長! まさか、あの人たちは』

『あたらしく配下になったドラゴンだよ』

『ええっ!』

 可愛らしい少女の驚きの声と咆哮に近いドラゴンの叫声がかぶった。

「わっ」

 いきなり俺を背後から鼻先でつついて前に押した。巨大な体を丸めるようにして俺の後ろに隠れたつもりでいるらしい。なんだかこっちも感化されてきたな。娘を送り出す父親の気持ちがわかるような気がする。

 

『グローリア、俺もドラゴンの風習はよくわからないんだ。こんなときは族長としてどうすればいいのかな?』

『母から、必ずその時が来ると言われてきました。だから準備はできています。イーリスにも手伝ってもらいましたから』

『イーリス、何を手伝ったんだ?』

[お忘れですか。この星のドラゴンが惑星サティクの恐竜、サティロンに遺伝子レベルで酷似していることを]

『そうだったな。サティロンにも会話能力がある。それでドラゴンにナノムを投与してみてはどうか、という事になった』

[はい。実は遺伝子や会話能力以外にもドラゴンとサティロンの共通点があるのではないかと思い、グローリアを訓練していました]

『なんの訓練だ』

[サティロンの後追いの儀式です。簡単に言えば、求婚者の男性は相手の女性と競争しなければなりません。この競争の結果次第で夫婦の上下関係が決まるのです]

『それでドローンのディー・テンたちと競争をさていたんだな……。イーリス。なにもかも助けてもらってすまない』

[艦長がこれから私にしてくださることに比べれば些細な事です]

 

 一番巨大な黒ドラゴンを筆頭に六匹が逆V字陣形で飛行している。黒ドラゴンが金属の棒のようなものを掴んでいるのが見えた。

 ドラゴンたちは俺の頭上をゆっくり大円を描いて一周し、族長の黒ドラゴンから先に一匹ずつ降下を始めた。

 すべてのドラゴンが揃って着地した姿は壮観だった。全高十メートル近い巨体がきちんと間隔を開けて整然と並んでいる姿には優れた知性を感じる。黒ドラゴンの首周りを注視すると、すっかり新しい鱗に生え変わっていた。ナノムの働きもあったのだろう。

 

『よく来てくれた』

『我は我が主のご命令のよりこの地に来た』

 いや、ちがうだろ。俺が族長として配下のグローリアに引き合わせるためだ。

「イーリス。俺がグローリアに引き合わせるべきだよな」

[はい。ここは艦長のやり方に従うように私から彼に伝えます]

『頼む』

 

『まず名前を教えて欲しい。そうでないと引き合わせる段取りがつかない』

 黒ドラゴンはこっちの腹に響く重低音で大きく吠えた。

“ぐれぐるぉるる”

 いや、わからない。族長権限でこっちから命名しよう。

「お前の名前は、俺にはこう聞こえる。グレゴリー。通称グレッグだな。正式名は人間の小さな口蓋では発音できないんだ。悪いがこの名前で呼ぶことを許してほしい」

 ドラゴンはしばらく考えていたようだが、

『その貧弱な喉なら仕方あるまい。是としよう』

 

 どうしてこのドラゴンはグローリアのようにもっと自由に話せないのかな。

「イーリス、翻訳がなんか古臭いぞ。年配者と話しているみたいだ」

[彼の実年齢はこの惑星年で二百歳を超えています。人間ならまだ中年期です]

「グローリアはまだ青年期だよな。老人に嫁ぐのか。これって人間なら犯罪だぞ」

[グローリアは実年齢で艦長より年上です]

 ……そうなのか。

 年齢のことは後回しだ。ちゃっちゃと済ませよう。こういうのはスピード感が大事だ。

『グローリア、こちらはグレゴリーだ。北方に住むドラゴンの一族の長だ』

 黒ドラゴンが周囲を圧するような声で咆哮した。つづいてそれに答えるようにグローリアがやや長い応答をする。これが挨拶なのか。

 

 黒ドラゴンが掴んでいた金属の棒をグローリアに差し出した。表面は磨き上げられているが、金銀の輝きではない。まさか、これは……。

 グローリアは黒ドラゴンと差し出された金属棒を交互に見ていたが、やがて一声吠えて頭を上下に動かした。

 

 やがて黒ドラゴンが喉を響かせ始める。

『麗しの乙女よ、我はそなたの族長にくだり、配下となった。新しい族長の命令によりそなたの伴侶となる事もできる。しかしここは我が配下の若き者共にその機会を譲りたい』

 グローリアが俺を見つめた。そうか、この黒ドラゴンは自分より一族の若い連中のことを考えているのか。立派なやつだ。

『族長として、グレゴリーの希望を認める。配下の若者にチャンスを与えてやるがいい。グローリア、いいかな?』

『はい!』

 

[これより後追いの儀式を始めます。参加者は礼を尽くすように]

 

 イーリスが俺の後を引き取った。俺より女神様のほうが説得力があるかもな。ドラゴンたちが一斉に首を動かして俺を見つめた。どうすればいいんだ?

[族長は儀式に立ち会い、結果を見届ける義務があります]

『族長、はやくわたしに乗ってください。飛び立ちますよ!』

『地上で見ているだけでは駄目なのか』

 

『『『だめです』』』

 イーリスとグローリアに加えてシャロンまでが否定にかかるとは。この中で真剣なのはグローリアだけだな。

 仕方がない。俺は手早くグローリアの背にある荷物を地上におろして座席に座った。

 

 ……こうなったら最後まで付きあってやる。グローリアのためだ。

 

 

 



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(閑話)とある間者の墓碑銘

 ルチリア卿の命令はいつもと同じだった。

『アランを探れ』

 卿の言うことはいつも簡潔でわかりいい。報酬も莫大だ。ルチリア卿はヴィリス・バールケ侯爵の子飼いなのは公然の秘密で、命令は侯爵の政敵を排除することだ。そのためには相手の弱みをにぎる必要がある。

 

 呼ばれた理由はわかっている。ほかの奴らが任務に失敗したのだ。卿によるとに数百人からなる盗賊団の襲撃や、毒酒などが完全に失敗に終わったという。それで敵の弱みを探るために熟練の技術を持つ者が必要となった。つまり、私だ。

 

 ライスター宰相一族を滅ぼす手助けをした報酬で地方にぶどう園を買った。すっかり引退気分だったところにこの呼び出しだ。これを最後にしよう。あまり深入りすると疑い深いルチリア卿のことだ、秘密保持を名目に消される可能性もある。

 

 アラン・コリント男爵。

 ルチリア卿からもらった情報ではかなり手ごわい相手らしい。

 ドラゴンスレイヤー。A級魔術師にして貴族。護国卿でもある。その上、自らの流派を興せるほどの剣技の持ち主。現在は魔窟と呼ばれた大樹海の開拓に挑んでいる。……はぁ。たまにいるんだよな。歩く誇大広告みたいのが。

 いいだろう。相手に不足はない。今回の報酬でぶどう園をもう一つ買える。こんどこそ最後の仕事だ。

 

 ◆◆◆◆

 

 ガンツから新しい植民地までの街道へ入ってすぐに気がついた。路面の整備水準はかなり高い。日が浅いにも関わらずこれだけの整備ができるのは、お抱えの職人団でもいるのだろうか。渓谷や川筋の工事の難所も見たこともないつくりだった。これは記録に値する。

 ガンツとの交流は盛んなようだ。荷馬車が列をなして行き来している。だから隊商の一隊にまぎれ込むのは簡単だった。荷馬車は軽快に進んでいく。

 

 隊列が急に止まった。前方から悲鳴が聞こえる。

「グレイハウンドだ!」

「みんな、徒歩のものは馬車にのれ!」

 隊商の長が叫んでいる。

 紛れ込んでいる隊商には無事に植民地に着いてもらわねば。一人で城門をくぐるのはいかにもまずい。

 目立つのは好きではないが、これでも火魔法はBランクだ。隊商の先頭集団に向けて馬を走らせる。グレイハウンドはたった二頭か。たわいもない。大騒ぎしやがって。

 

「ファイヤーボー……わっ!」

 いきなりグレイハウンド二頭の体が弾け飛んだ。何もしていないのに……なぜだ。

「使徒様だ! 使徒様が現れたぞ」

 人々が指差す方向を見上げると、巨大な鳥のようなものが一瞬姿を見せ、雲間に消えていった。

「ありがたい!」

「イザーク様、道中をお守りくださり感謝します!」

 なかには跪いている者もいる。ほんとうに使徒とやらが現れたのか。

 グレイハウンドは背中にぽっかりと親指が入るくらいの穴が空いて、くすぶっている。まるで雷が打ち下ろされたかのようだ。まさか使徒が守護する都市なのか……そんなはずはない。偶然、雷が落ちたのだろう。それにしては音がしなかったが……。一応、記録しておく。

 

 それからは何事もなく植民地の門にたどり着いた。

 衛兵はそこいらの傭兵くずれを雇ったものではないと見た。統率が取れているうえ、商人たちの身分を確認する手間も丁寧だ。

 とはいえ、自分の姿はどう見ても年季の入った行商人にしか見えないはずだ。売り物として王都であつめた各地の珍しい種子を行嚢にいれてある。商業ギルド証は死にかけの商人から買い取った。

 ギルド証のおかげで、先に入城した商人たちの一人と思われたのだろう。すんなり城門を通り抜けることができた。

 

「これは!」

 門の前の広場には市が立っていた。これが開拓地だと? この賑わいはなんだ。あそこで魔石を検分している痩せた連中は隣国のセシリオ王国の商人だろう。厚い冬着にマントまで着込んでいるのは南方のデグリート海洋王国の商人だな。良くわからない異国の者も多い。これは記録に値する。

 広場の外れの店先に、さっきまで一緒だった商人たちが列をなしている。何を売っているんだろう。

 相手の警戒心を解くため、できるだけおどおどした様子で聞いてみる。

「あの、ここでは何を売っているので?」

「おまえさん、ここまで来てなにを売ってるのか聞くのかい。この店は評判の万能調味料を売ってるんだよ。ここでしか手にはいらないんだ」

「万能調味料?」

「南門のすぐ近くに商人向けの喰処があるから行ってみな。食ってから来たんじゃ売り切れかもしれんがな」

 口は悪いが親切な男だ。任務の前に腹ごしらえをしておこう。万能調味料とやらも気になる。

 

 店はかなり混んでいた。一歩足を踏み入れると、なぜか焦げた匂いがした。壁にもところどころ色濃く煤がついている。食事をしているのは商人たちがほとんどで、非番らしい衛兵や帯剣した兵士も何人かいる。男爵の私兵か。

 兵士の剣はあの伝説のイリリカ製だ。騎士階級ではない者が帯剣を許される品ではない。おそらく略奪品だろう。アランの私兵も程度が知れるというものだ。一応記録しておくか。

 座席はぜんぶ埋まっている。しかたなくカウンター席に向かう。呑助どもが酒臭い息を吐くので嫌だったが仕方ない。

 

「今日でやっと修理が終わったな。ようやく新装開店か」

「思えばつまらんことで争ってしまった。俺も大人げなかったよ。ヴァルター」

「右に同じってところだ。隊員たちにもよく言っておく」

「まあ、隊長が戦っているのを黙ってみている部下よりはマシだぜ」

「違いない」

 

 席に座ると、隣の男同士で謝罪しあっている。どうやら酒席での狼藉だろう。哀れな連中だ。カウンター向かいにいた太った男に声をかける。

「なにかおすすめの料理はあるかね」

「あんた、旅の人だな。この街は初めてかい」

「はい」

「よし、ならアラン様特製のレシピがあるんだ。初めて街に来たお客に食べてもらうことになってる。お代はいらねぇ」

 なにが特製レシピだ。有閑貴族が気まぐれに作ったのを領民に無理やり作らせているんだろう。変わった貴族もいるものだ。せっかく来たのに素人料理とはな。樹海の中ではちゃんとした食材もないだろう。

 

 しばらくしてカウンターに皿が並べられた。

「たっぷり楽しんでくれ」

 太った男はニヤリと笑うと、ほかの客の相手をしにいった。

 皿には油の乗った魚の煮物とスープ。卵で何かをとじたような一品がついている。魚はよく食べるがここは海から遠いから塩漬けだろう。

 フォークで触れた途端、ほろりと骨から身がはがれた。ちゃんと火が通ってはいるようだが……。これは塩漬けではないな。魚醤か? 一切れ口に入れたとたん、魚の身が口の中で溶けていく。

「ぶまっ!」

 思わず変な声が出た。うまい。旨すぎる。これが田舎料理? 貴族様のレシピだと?

 魚はあっという間になくなって次は卵料理だ。卵液で薄い衣を作って何かを詰めたもののようだ。そっとナイフを入れてみる。濃厚なバターと半熟卵の香り。黄金の粒のようなこれは……米か。最近、ゴタニアで流行っているらしいな。ひとくち食べてみる。

 荒れた胃の腑を和らげるかのような、黄金の米の優しさにバターの香りがたまらない。一瞬でなくなってしまった。スープはどうだろう。一匙すくって口に含む。なんという雑味のない素直な旨味だろう。乾いた舌を癒やし、喉を優しく下っていく……そして余韻。この味は一体……。

「はっ」

 あっという間に食べ終えてしまった。この味が万能調味料なのか。商人たちが群がる理由がわかった。任務を終えたら買い占めてやろう。持ち帰れば大儲けができそうだ。

 ……報告の必要性、なし。

 

 いつの間にか太った店主が戻ってきていた。

「すげぇ食いっぷりだな。あんた気に入ったよ。どこから来たんだい」

「アロイス王国からだよ。向こうは景気が悪くてね」

 そらきた。聞かれそうなことはあらかじめ頭に入れている。遠い国の話題は珍しがられることはあっても疑われることはない。行ったことのないやつには裏のとりようがないからな。こっちの情報を小出しにして、相手から引き出しまくってやる。

 

「なに! アロイス王国だと。スターヴェークと言い直せ」

 隣で飲んでいた男ががいきなり声をあげた。

「ブルーノやめておけ。謹慎が明けたばかりだぞ」

「だまれ。あの場所は昔っからスターヴェークと決まっている! それ以外の名は許さん!」

 隣りにいた男が諌めたが、ブルーノとよばれた酔っ払いは目が座っている。面倒くさいやつだ。

「もう一度聞いてやる。三度目はないぞ……どこから来た?」

「……スターヴェークです」

「よし。過ちをすぐに正すとはいい心がけだ」

 さっきヴァルターと呼ばれた男は酔いが冷めたのか、ブルーノの腕に手をやっている。早く引っ張り出してほしい。

「景気が悪いんだってな」

「はい。戦争が終わってから、不作や重税が続いていますからね」

「ちがうだろ」

「は?」

「不作はいつだってある。そのたびにスターヴァイン王家は税を軽くしたり民のことをお考えになっていたのだ。つまり不景気は不作が原因ではない。ということは誰が悪いんだ?」

 あの滅びたスターヴァイン王家のことか。南部貴族に甘い顔をしたせいで寝首をかかれたんだったな。間抜けな王族もいたものだ。

 

「現在その地を治めているアゴスティーニ侯、ロートリンゲン様でしょうか」

「今なんて言った?」

 くっさ。息が死ぬほど酒臭い。というか面倒くさい。

「ロートリンゲンさ、」

「盗人に様は不要だ!!」

 いきなりコップをカウンターに叩きつけた。

 だんだん腹が立ってきた。火魔法で炙りたおしてやろうか。

 

「ブルーノもうやめておけ。旅の者に八つ当たりしても国は還ってこないぞ」

 ほう、このふたり旧スターヴェークの残党か。これは報告に値する。兵士だけでなく貴族もこの地にいるなら、情報はアロイス王国の関係者に高く買ってもらえるはずだ。まだほかにもいるに違いない。ここは這いつくばってでもこいつらから名前を聞き出してやる。

 

「もうしわけありません。旦那。スターヴェークも貴族同士の闘いがなければ、本当にいいところなんですがねぇ」

「その通り。わかってるじゃないか」

「わたしも商売があがったりになって噂を聞いてここに来たんですよ」

「噂とは何だ」

「もちろんアラン様の評判です」

「スターヴェークにも評判が届いているのか」

「もちろんです」

「実はな、アラン様はスターヴェークの、」

「ブルーノ、よせ」

 ヴァルターがブルーノを遮った。惜しい。私の直感が叫んでいる。もうすこしで、もの凄いネタが穫れそうだ。

「話の途中ですまないが、こいつは酔い過ぎたようだ。これで飲んでいってくれ」

 ヴァルターはギニー硬貨を数枚カウンターにおいてブルーノを出口に引っ張り出している。なかなか紳士的な男だ。高級剣を略奪するような男には見えない。

 まだ兵隊はまだ数人いる。なんとか聞き出してやろう。と、腰を浮かしたそのとき……。

 

 

 いきなり店のドアが大きく開いたかと思うと、男が飛び込んできた。

「みんな外に出ろ。ドラゴンだ!」

「グローリア殿ではないのか」

「それどころじゃねぇ!」

 血相を変えた男の勢いにおされた兵士たちと商人もぞくぞくと店を飛び出していく。

「あそこだ!」

 人々が指差す方向に何かが飛んでいる。

 

 まさか。嘘だろう。七匹の巨大なドラゴンが空中を舞っている。

「おおっ」

「グローリア殿の背にアラン様がおられる!」

「なんと新たに六匹のドラゴンを配下とされたのか」

 すこし小ぶりのドラゴンの背に、一人の若者が乗っている。そのドラゴンの後をもう五匹がぴったりと追尾している。最後に巨大な黒いドラゴンが悠然たる羽ばたきで後を追っていた。こんなことが……、こんな事があるはずがない!

 

「ドラゴンの力があれば、祖国奪還などたやすい!」

「アラン様ぁ!」

「アラン様ぁ!」

 食堂の連中だけでなく、広場の店からもつぎつぎと人々が飛び出してきた。口々に男爵の名を叫んでいる。ドラゴンは急上昇に急加速と、街の上空を自在にとびまわっている。

 あの若者がアラン・コリント男爵か。こちらに激しく片手を振って何かを叫んでいるようだ。雄叫びだろうか。

 

 七匹のドラゴンを率い、民の信頼も厚いとは。

 こうしてはおれぬ。すぐに馬を駆って王都に戻らねば。もう十分に情報は集めた。この情報さえあれば、アラン打倒にアロイス王国は喜んで兵を貸してくれることだろう。ぶどう園がもうひとつ、いや三つは余裕で買える。待っていろよ、夢の引退生活!

 

 いっせいにまた歓声が上がる。

 アランの乗ったドラゴンが建物の直上にまで降りたかと思うと急上昇した。つづくドラゴンたちが同じように回避したが黒いドラゴンが避けきれない! 巨体が屋根にぶつかり、レンガが木の葉のように飛び散っている。

 

 もう十分だ。はやく馬のところにいかねば。

 

 

 

 ……急に真っ暗になって何も見えない。

 

 

 



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二人の約束

 正直、死ぬかと思った。

 グローリアの最初の急加速で右肩が脱臼して、右手がぶらぶらの状態でしがみつくのはさすがにこたえた。最初は樹海の上だったが、徐々に拠点へと流れていったのは自然な流れだ。グローリアも拠点の仲間に見せたかったのだろう。これは気持ちとしてわかるし、許せる。

 競争が始まってすぐにナノムが警告アラートを鳴らしまくっていたが、グローリアの大事な儀式に水を差すわけにはいかない。俺の気持ちを知ってか知らずか、グローリアの超絶飛行は二時間におよび、惑星降下訓練を受けた俺ですら、吐きそうになった。なんどか悲鳴を上げたような気もする。幸いグローリアは追いかけっこに夢中で気が付かなかったようだ。

 

 ようやく後追いの儀式は終わり、居城の屋上に着地した虚脱状態の俺は儀式に則りグローリアの勝利を宣言した。今後、グローリアの伴侶はグローリアの生きている限り、頭が上がらないことになる。若者ドラゴンは結局、脱落して、グレッグが最後まで脱落しなかったのだ。爺さんのくせによくやるな。

 

 グローリアは俺に長々と感謝を述べてから、自分の住む洞穴にもどり、ほかのドラゴンは大樹海の湖のそばでしばらく養生するという。七日間ぶっ続けで飛んできてあの競争だ。疲れたんだろう。

 

 ……ドラゴンたちが夜の闇に消えていく。そこから先はあまり覚えていない。

 俺の腕の異常を目ざとく見つけたセリーナとシャロンに羽交い締めにされたことは覚えている。たかが脱臼なのにそんなに大騒ぎしなくてもいいだろう。セリーナの肩関節復旧の施術がこれまた荒っぽくて痛いのなんの。もうあとはベッドになることしか頭になく、クレリアが会いたがっていたが(当然だ)、ことわった。明日の午前中の予定は全てキャンセルだ。

 

 

 

 翌朝。

『朝です。起きてください』

 ナノムの声で目がさめた。寝ている間に疲労感は軽減している。とりあえず朝風呂に入ってから朝食後はだらだらしよう。グローリアへの義務も果たしたことだし、それこそが俺が今一番求めているものだ。

 

 ベッドから起き上がった瞬間、セリーナから通信だ。容赦ないな。

『お疲れのところ申し訳ないのですが、リアが会いたいそうです』

『セリーナ、昨日の騒ぎは居城からも見えたんだよな』

『はい。ぜひともアランから話を聞きたいのでしょう」

『わかった。その前に確認したいことがある。シャロン、昨日の荷物はどうした』

『これから回収にいきます。あのワイン樽は何に使うのですか』

『樹液糖だよ。まだ拠点では甘みは贅沢品だからな、孤児院の子供に配布するつもりだった』

『それなら手伝いましたのに』

『最終的には製糖工場までいければいいんだが。回収作業が終わったら頼みたいことがある。戻り次第連絡をくれ』

『了解』

 

 

◆◆◆◆

 

 

 広間ではすでにクレリアとエルナが待っていた。

「アラン」

「おはよう、クレリア。急な呼び出しだったけど、なにかあったのかな」

 我ながら間抜けな会話だが、風呂でずっと考えていたものの、のぼせるばかりで妙案はでない。クレリアからみれば、俺とグローリアとはなんとか意思の疎通ができるレベルでしかないから、とてもあの騒ぎが大事な儀式だとは説明できない。

 

「昨日の騒ぎのことはあとでじっくり話を聞く。いまはそれどころではない。エルナ、詳細を話してやれ」

 ドラゴンの話ではない、のか。

「最終的な報告はのちほどダルシム隊長からあります。……昨夜の騒ぎで死者が出ました」

「…………」

「ドラゴンが建物を倒壊させたためです。アランのせいではありません」

「気の毒なことをした」

「気の毒がるのはまだ早いです。所持品を改めたところ、この拠点のことを詳しく書いた紙片が見つかっています。近衛の者が何人かこの男が街のことを聞いてまわっているのを目撃しています。直接話したヴァルターの話では、本人はスターヴェークからきたと自称していましたが、服装や話し方から王都のものではないかと推測しています」

「バールケ侯爵の手の者だな」

「おそらく」

 

「アラン」

 クレリアがエルナから話を引き取った。

「おそらく、バールケ侯爵の攻撃が近いのだろう。ライスター卿によれば侯爵は強敵には一旦引くと見せておいて、徹底的に相手の弱みをさぐった上で攻勢をかけるという。近衛と辺境伯軍ともに警戒を厳にするよう指示を出しておいた」

 

 俺は改めてクレリアの顔を見つめる。真剣に話す彼女の姿には為政者としての片鱗がほのみえる。本来ならば拠点防衛は俺の案件だ。

「ありがとう、クレリア。だが前にも言った通り、この件ではクレリアの兵は一兵たりとも失いたくない」

「私の兵をいつ、なんのために使うかは私が決める!」

 クレリアは言い切った。

「アランが強いことは私も含め誰もが認める事実。だからといって全部を任せて傍観者にはならない。私は……あなたと一緒に戦いたいの。同じ目的のために。それは冒険者だったころからずっと同じ。なのにアランはいつも一人で行動しようとする。私はこれからもっと強くなる。足手まといにはならない」

「よくわかった。助けが必要になったらクレリアに協力してもらうと約束する」

 だが俺は絶対にクレリアの配下を一人たりとも失わないようにするつもりだ。彼女がなんと言おうとだ。

 

 クレリアがすっと手を俺の方に伸ばした。

「アランの国では話がまとまったら手をつなぐんでしょう?」

「そうだったな」

 俺はクレリアの手を取った。クレリアはそっと俺の手を握りしめて言った。

「アラン。これからは協力の証として、あの指輪をいつも身に付けていることにしない?」

「……そうするよ」

 

 なぜかエルナが笑いをこらえているように見えたが、俺は無視することにした。

 



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現場検証

「で、ドラゴンが街に来たのはどうして? 六匹もいるのはなぜなの?」

 クレリアが真剣な顔つきで聞いてきた。エルナも平静を装ってはいるが聞きたくてたまらないようだ。

 いまのところ、クレリアには俺とグローリアはぼんやりとした意思の疎通しかできないと言ってある。黒ドラゴンとの会話はもちろん、当然、ナノムとイーリスのことは話せない。

 

 というわけで大嘘つき大会の始まりだな。

「大樹海の調査をグローリアに手伝ってもらったんだ。これからもっと拠点を広げる前に、調べる必要があるからね」

「ひと声かけてくれても良かったじゃない。私も行きたかったわ。二人でグローリアに乗って空を飛ぶなら魔物にも会わないし、ダルシムも認めてくれるでしょう」

 甘いな。”二人”、”大樹海”、”飛行”……どのひとことでもダルシムは断固反対するだろうよ。

 

「それで大樹海の奥地を飛んでいると、ドラゴンたちが急に現れたんだ」

 よし。ここまでは嘘を言っていないな。まずは真実で畳み掛けるというのが嘘をつく鉄則だ。まあ何やってんだ俺感はぬぐえないが、人には開かせぬ秘密というものがある。

 

「ドラゴンってそんなに簡単に現れるものなの?」

「クレリア様。ドラゴンが人里に現れるのは十年に一度とかそのくらいです。それも一匹だけです。ワイバーンと違って群れをなすなど聞いたこともありません」

 ガンツのクラン“疾風”のカールも同じことを言っていたな。半ば伝説と化している存在がいきなり現れるとは考えにくいのだろう。それゆえに人々に与えた衝撃は大きかったようだ。

 

「ドラゴンはほかのドラゴンの存在を感じることができるらしいんだよ。だから、ドラゴンに乗っているとほかのドラゴンに合う可能性が高くなる。それでグローリアに地上に降りてもらったんだ。このドラゴンたちの考えがわかるか確認してみようと」

「わかったの?」

「たぶん精霊様の働きはドラゴンにも共通のようだね。よく心を鎮めて耳を澄ませてみると、ドラゴンたちは花嫁探しの旅だったようなんだ」

「花嫁?」

「そのドラゴンたちの住んでいた場所では、女性のドラゴンはもういないらしい。それで旅に出たとか」

「ドラゴンって、性別は雄雌じゃないんだ……」

「クレリア。それは違う。ドラゴンは気高い高貴な生き物だ。人間以上の知性の持ち主なんだ。雌とかいったら失礼だよ」

 われながら全力で自分のことは棚に上げモードだな。

 

「わかったわ。それでグローリアのあとを追いかけたのね」

「そうだよ。グローリアは追いかけっこで勝負したいみたいだった。ドラゴンの風習らしいね」

「その勝負はどうなったの」

「もちろんグローリアの勝ちだよ。グローリアから伝わったんだけど、勝負に勝った場合、夫となるドラゴンは妻のドラゴンに一生頭が上がらないらしい」

「素晴らしい慣習だわ。人間もそうすればいいのに」

「クレリア様と魔法勝負して負けたら従う、というのもいいですね」

 エルナ、そこで余計なことを言わないように。

 

「というわけで、グローリアは俺たちの仲間だし、あとから来たドラゴンも間接的にではあるが俺達の仲間になった」

 と、いっていいのかどうか。グローリアが本気で黒ドラゴンを選べばそうなるが……。

 

「わかったわ。こんど一人ひとりに会ってみたい」

「もちろんだよ」

 その前にそれぞれの名前をなんとかしないとな。

 

 ……こんな小細工をせずにクレリアに何もかも打ち明けられる日はやってくるんだろうか。すっかり信じ切ったようなクレリアの顔を見て、少しばかり罪悪感を覚える。

 

◆◆◆◆

 

 午後からは、倒壊現場の確認に行くことになった。

 ダルシム隊長が現地で待っている。移動には馬をつかうが、サテライトの二班が護衛についた。そのうえクレリアの意見、というか命令で貴族様にふさわしい服を半ば強制的に着せられている。

 こういった過剰消費が地元の経済を回している、という側面もあるのだろうが、現時点で拠点は衣料が生産できないため、結局、ガンツの服飾店が潤っている。

 外に出ると吐く息が白くなった。冬が近づいている。課題は多く、歩みは遅々として進まない。一度このあたりで優先順位を付けないとな。

 

 倒壊した家屋は商業エリアの南門ちかくの酒場だった。周囲には復旧作業に当たる人夫のほか、周囲を辺境伯軍の兵士が固めている。

「アラン様だ!」

「アラン様!」

 たちまち人々が群がってきた。先導するサテライト班が人をかき分けている。

「アラン、民の声に応えないと」

 馬を寄せてクレリアがささやく。

 仕方なくおれはロベルト仕込みの”寛大なる貴族様の薄い笑み”とやらを顔にはりつけて、軽く手を振った。練習を重ねたおかげで、ごく自然な動作だ。

 徹頭徹尾どうでもいいプロセスだが、クレリアたちにはとても大事なことらしい。

 

 修復作業が行われている現場でダルシム隊長が数名の近衛と待機していた。

「ダルシム、報告を頼む」

「はっ。まずは兵舎にお越し下さい」

 ダルシムの先導で城壁近くの兵舎に向かう。人も多くなってきたので現場説明は諦めたらしい。

 真新しい一番大きな兵舎は集会場兼、兵の鍛錬場として作られたもので、ゴタニアの冒険者ギルドにあった練習場より大きな作りだ。

 

 中に入ると巨大な机に、所持品らしきものがきちんと並べておいてある。上着は赤黒く変色していた。

「アラン様、倒壊した街の被害は酒場が一棟だけです。幸いに店内の者はドラゴンを見に外へ出ていたので無事でしたが、旅の者に崩れた建材が直撃しました」

「ケンカ騒ぎで全焼した店だな。店主もつくづく運がないな。補修費は俺の私費で充当してやろう」

「ありがたいことです。……旅の者は近くで飲んでいたヴァルターの話だと、スターヴェークから来たといったそうですが、訛がなかったようなので王都から来たのは間違いないでしょう」

「身元はわからないのか」

「所持していたギルド証を商業ギルドに照会したところ、正規の持ち主は先日、病でなくなっていたことが判明しました」

「おそらく、敵の間者だな」

「はい、これをご覧ください」

 大机に並べられた紙片を見ていく。ガンツからの行程に始まり、記述は時系列できちんとまとめられている。聞き込み内容と思しき記載は簡潔だが要領を得ていた。さらに、拠点の南門付近の配置図がある。

 

「いつ拠点に到着したかわかるか」

「先日の当番だった南門の衛兵に面通しさせたところ、昼過ぎには門を通過したようです」

「短い時間でよくこれだけ情報を集められたものだ」

「相当、訓練を受けた者だと思われます」

 最後の紙片で俺の目は止まった。几帳面な文字が急に乱れ、なぐり書きになっている。

 

“アラン、スターヴェーク”

 

 クレリアが顔色を変えた。

「もしアランがスターヴェークの再興に関わっていると思われたら、ベルタ国王はきっと男爵位を剥奪するわ。近衛の者を幽閉していたくらいだから」

 そうだった。クレリアの再従兄弟にあたるベルタ国王を頼った近衛のエルデンス卿たちは捕縛され、王宮の地下牢に閉じ込められていた。王としては滅びたスターヴェークより力を増しつつあるアロイス王国に恩を売っておきたいと考えるのが自然だ。当面、俺とクレリアは冒険者上がりの新参貴族以上のものであってはならない。

 

「情報漏洩は未然に防げたと考えていいんだな」

「連絡が途絶えたとなれば、送り込まれる間者は今後も増えるでしょう」

 情報統制が必要だな。武芸だけでなくこういった教育も兵に必要になってくる。

 

「姫殿下、アラン様。誠に申し上げにくいのですが、今後はご一緒の行動は控えていただかねばなりません。クレリア様とアラン様のつながりが悪意ある者に露見すると、この拠点は危機にさらされます。我々はまだ力を十分に蓄えておりません。どうかご自重願います」

「わかった。もう昔のように皆で自由に行動することはできないのね。……少し寂しい気がする」

 

「ところで、ヴァルターがこの者と話したそうだが。ブルーノも一緒だったのか」

 珍しくダルシムが困ったような顔をした。

「……はい。おそらくスターヴェークの件もあの二人の過失と思われます」

「二人はどこだ」

「アラン、これは私に預けて」

 そうだったな。スターヴェークにかかわることはクレリアの所掌だ。

 

 

『……アラン、至急居城へお戻りください』

『何かあったのか』

『黒ドラゴンが所持していた金属棒の分析結果が出ました』

『すぐに送ってくれ』

 仮想スクリーンに分析結果が表示される。

 

 流れていく記号列は、この惑星に存在するはずのないものを示していた。

 

 



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緊急幹部会

 このまま飛行魔法で居城に戻ろうかとも考えたが、護衛がいるのでそうもできない。本当にわずらわしい。

 居室に戻り、動きづらい貴族服を脱ぎ捨て、すぐさまARモードへと移行する。セリーナ、シャロン、そしてイーリスが立体画像として現れた。

 

『イーリス、報告してくれ』

[グローリアの許可を得て、サンプルを採取し分析しました。結果はご覧の通りアルミ合金です。純粋のアルミニウムにレアメタルが数種ふくまれています]

 

 アルミニウムはどの惑星でも地殻中の含有量が高い。そこいらの土壌を分析すれば、ほぼケイ素とアルミだと言ってもいいくらいだ。だが、純度を上げるとなると話のレベルはまったく違ってくる。

 人類銀河帝国に含まれるどの惑星世界でも、銅や鉄の利用に比べるとアルミニウム精錬と大量生産はずっと遅くなる。生産には電気化学の発展と、莫大な電力供給基盤が必要だからだ。天然の純粋アルミニウムは希少だが、見つかる場所といえば……隕石ぐらいしかない。

 

『人工物、なのか』

[まだ確定はできません。惑星アレス特有の地殻条件で生成された可能性もゼロではないでしょう。なにしろ魔法が存在する世界ですから。グローリアとグレゴリーにも聞き取りをしたのですが、金や銀より遥かに珍しい宝物だとか]

『グレゴリーはどこから入手したんだ』

[先祖から代々伝えられてきたそうです]

 グローリアには最も価値のあるものを捧げたんだな。グレゴリーのやつ、配下のドラゴンにどうしても伴侶を見つけたかったのだろう。

『金属棒は今どこにある』

[グローリアの宝物庫に収納しました]

 宝物庫というのはグローリアの母が溜め込んだ財宝を収めている洞窟だ。シャイニング・スターのメンバー以外は入れないように、洞窟の上空には常に偵察ドローンを待機させてある。時間を見て実物を見に行くか。

 

『ほかにもドラゴンに伝わったものがないか、詳しく聞き取ってくれ。……この件は進展があるたびに逐次報告するように』

[了解]

 

 ドラゴンが金銀よりも高い価値があると考えているとすれば、簡単に入手は難しい。もしかするとアーティファクトの部品の一つだろうか。だとしたら遺跡に関係があるはずだ。

『人工物だとしたら、この星系で遭難した宇宙船があったのかも』

『長命なドラゴンに代々伝わってきた、ということはかなり大昔だな。セリーナが期待したい気持ちはわかるが』

『地上に墜落したとしたら、金属類は人間たちが消費してしまったでしょう。もし存在するとしたら、人の立ち入らない大樹海の中でしょうね』

『イーリス。昨日の地中探査機はあとどれくらい埋設する必要がある?』

[金属鉱床を探査するレベルならあと十八機あれば十分かと]

『地中探査ネットワークの密度をあげよう。鉱床以外のものも見つかるかもしれない。艦内の地中探査機はすべて脱出ポッドで投下してくれ」

[了解]

 

 今の俺にとってこれは大きすぎる問題だ。集中して取り組みたいが……このところグローリアの関係で、政務がすっかりおろそかになっている。このあたりでほかの案件も整理しておかないとまずい。

「イーリス、セリーナ、シャロン。いまそれぞれが抱えている問題を列挙してくれ。問題は小さいうちに片付けたい」

 

[離発着場の建設を開始します。汎用ボットと汎用掘削機械の運搬が必要です』

『今度は偵察ドローンを使ってボットを運搬しよう。掘削機械は複数機のドローンで運搬。地中探査機の埋設作業は俺だけでいい。……これからグローリアは忙しくなりそうだからな」

『アラン、地中探査は私も手伝います。若い冒険者の中には読み書きができる者が何人かいますので、私の授業を代わってもらいます』

『そうしてくれると助かる』

 

 お次はセリーナだ。

『ガンツから戻ったカトルから連絡があり、魔術ギルドの打ち合わせ日時が決まりました』

『いつだ』

『明日しか空いていないそうです。またすぐに薬草の採取旅行に出かけるとか』

 そうだったな。一度ドタキャンしたのが悪い印象を与えたのかもな。だが魔術ギルドには大樹海については聞きたいことがたくさんある。今回のアーティファクト(?)の件もだ。これを第一優先とすべきだろう。

『これもカトルからですが、商業ギルドのカリナさんが着任の挨拶を希望しているとのこと』

『もう来ているのか』

『昨夜、到着したそうです』

『わかった。明日の夕刻に居城に来てもらってくれ』

 昨日の夜に到着ということは拠点上空の騒ぎを目撃されたんだろうか。

 

『近衛・辺境伯軍の武闘競技会について企画書を作成しました」

『送ってくれ』

 

『次はシャロンだ』

『先日ご指示のあった、孤児院の魔力調査の結果を見ていただきたいのですが。数名の児童に明らかに魔法の才があります』

『重要な問題だが、魔術ギルド訪問を優先する。あとで孤児院に出かけ、その児童に会おう』

 

『拠点教会の司祭から面会の申し入れが』

『要件は』

『ゲルトナー大司教の信書を渡したいと』

『すぐに持ってこさせてくれ』

 信書というか救助要請じゃないかという気がする。近く大きな式典があると見た。そこでイザーク様の奇跡を周囲に期待されているんだろう。内容は俺がいつ夢を見たかの問い合わせだな。大司教も気の毒だな。

 ……とはいえ教会内部に作った大事なコネクションは守らねばなるまい。

『イーリス。王都の司教座聖堂上空にステルスモードで偵察ドローンを展開。ビット打ち込み開始。ピンポイントでゲルトナー大司教を監視しろ』

[了解]

 

 

『まだ何か問題はあるか』

『アラン、あと一つ重大な問題があります』

 セリーナとシャロンは顔を見合わせた。なんだ共通の問題か?

『実は兵の給与に当てる財源がありません。再来月以降は未払いとなります。』

『なに』

『現在、入植者は樹海産の資材の売り上げなどで収入を得ています。来春からは作付けも始まりますので、域内の産業は活発化するでしょう。しかし、兵士への給与は今後の任官者の増大も加味するとまったく足りません』

 会計担当のセリーナの報告は予想されたものだったが、実際に耳にすると事態の深刻さが身にしみる。

 

『まだサイラスさんに卸す蒸留器製造が軌道に乗っていないし、万能調味料の販売も拠点のみだ。現状ではガンツでは試供品の配布段階だからな。まだ民から税を取り立てられるほど豊かではない状況で、収入が不足しているわけだな』

 

[開拓地の税金免除は三年間です。その前に男爵家として王からの課税に耐え得る健全な財務状況を確立せねばなりません。貴族家の中には領民から取り立てる税金のほかに独自の産業を営んでいるところもあるようです。参考にされてはいかがですか]

『ほかの貴族領の産業についてダイジェストを送ってくれ』

[了解]

『さらなる財源の確保が必要……か』

『防具や武具も定期的に更新が必要ですね。辺境伯軍と近衛あわせて一千名近い兵はこれからさらに維持費がかかりそうです』

 セリーナの指摘は正しい。兵隊は存在しているだけで財政を圧迫する。役に立つのは戦時だけだ。

 最大の問題は領民三千人の内、一千名が兵隊という歪な構成比率だ。どんな軍事大国でも兵が総人口の二パーセントをこえれば、財政負担は相当なものになる。とはいえ、武器の経年劣化はみすごせない。

『少し時間をくれ。あらたな財源については考えてみよう』

『了解』

 

 

 

 ARモードを解除して一人になった。

 これまでの疲れがどっと押し寄せる。またしても経済問題か。なんとかしなくては。

 

 以前までは机と椅子しかなかった部屋には、クレリアの意向で次々とガンツ製の高級調度品が運び込まれている。貴族の執務室はそれなりの「格調」が必要ということらしいが……。こういった贅沢品の購入も馬鹿にならない。クレリアは経済感覚がお姫様のままだからな。エルナも給与を支給される兵士たちの一人で、財政にはあまり関心がないのだろう。

 

 兵士の給与は士気に直結する。スターヴェーク奪還の志を持つ兵士たちが反逆するとも思えないが、無償で戦地に送ることはできない。すでにスターヴェークから家族を連れてきている者もいる。

 

 酒や調味料だけでなく、潜在的に巨大な需要がありそうなもの。単価が高く、かつ大量に売れそうなもの。それでいて地元の業者には絶対に真似できない。そんな商品はあるんだろうか。武具や大樹海産の木材で作った家具などはたしかに高額で売れるだろうが、耐久品だからな。酒や調味料のように消費してなくなるものが望ましい。となると……。

 

 

 もしギルドで協力が得られるなら、なんとかなりそうだ。

 



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魔術ギルド

 拠点からガンツまでは荷馬車で一日、単騎でも昼過ぎまでかかる。偵察ドローンを利用すると五分だ。急用はこれに限る。まだ日も明けないうちに拠点を立った俺は、ガンツのホーム裏手にある広い庭に着陸して、

ドローンから降りた。

 

「ア、 アラン様?!」

 しまった。探知魔法であらかじめ確認しておくんだった。早朝なのでここには誰もいないとばかり思っていた。

「おはよう。サリーさん」

「いつお越しになったのですか」

「ついさっきだよ」

「突然、裏庭にお姿が現れたように見えましたが……」

「馬を厩舎において出てきたところだ」

「そうでしたか……。事前に連絡していただければ、準備をいたしましたのに」

「ガンツに少し用事ができた。午後には戻る予定だ」

「では、ぜひこちらで昼食を召し上がってください。前回いらしたときも急な出立でしたので……」

「分かった。昼までには戻る」

 ガンツの家政を取り仕切っているサリーさんもサテライトの連中ばかりでは張り合いがないのかもしれないな。

 

 俺はホームの裏口から小路に出た。魔術ギルドまではさほど距離はない。ガンツにいた間につなぎをつけておけばよかったな。カトルは樹海産の珍しい薬草などをギルドに卸している。それほど悪い待遇は受けないはずだ。

 

 表通りに出て俺はフードを目深に被って移動する。いまやガンツで俺の顔を知らぬものはほとんどいない。いっそ高速走行モードで走り抜けるか。こそこそしているのもつまらない。

 

 三分ほど走るとすぐに目印の尖塔が見えた。アトラス教会の大聖堂と比べれば小ぶりだが、ゴタニアの魔術ギルドよりはひとまわり大きい。石材を多用した建物の仕様もどことなく似ている。

 窓口はこの時間なのに人が多かった。掲示板には依頼文書が何枚も貼ってある。内容は薬草採取だったり希少な鉱物の入手、そのほか魔法護衛士として冒険者と同行などの案件だ。商業ギルドよりは落ちるが報酬もそこそこあるようだ。

 窓口もゴタニアではリリーが一人でいつも暇そうにしていたが、ここでは二人も受付がいる。いずれもリリーよりずっと年配の女性だ。

 

「本日、ギルド長と面会の予約をしている」

「お名前は?」

「シャイニングスターのアランだ」

 受付の職員は一瞬、目を見開いたかと思うと、すぐに目を伏せて足早に奥に消えた。なかなかしっかり教育されている。名前を出しただけで大騒ぎしたどこかのギルドとは大違いだ。

 

「アラン様。ご案内します」

 戻ってきた職員は受付横のドアを開けた。

 ギルド長の執務室は三面が書架になっており、おびただしい書籍で埋まっていた。

 机で書き物をしていた女性が立ち上がった。カーラさんより背が高く、一見ごつい感じがする。白いものが混じった髪は後ろできちんとまとめていた。素人目に見てもいい生地のローブをまとっているが顔はすっかり日焼けしている。研究職ときいていたが薬草採取などで野外に出る機会が多いのだろう。

 

「アラン様。わたくし、当所のギルド長を努めておりますシーラと申します」

「シャイニングスターのアランだ。急な訪問で失礼する」

「とんでもない。貴族の方がお越しになられるのは大歓迎ですわ。それもAランクともなれば私たちのお仲間ですからね」

「あまり魔術ギルドには貢献していないようで申し訳ない」

 ギルド長は俺に席を勧め、自分も腰を掛けた。

 

 なんだろう。甘い香を焚きしめたような匂いがする。蜜蝋に香料を混ぜて燃やしたらこんな匂いがするのではないだろうか。

『ナノム、この匂いは害がないのか』

[短期間なら問題ありません。芳香族成分が含まれ、若干の抗菌作用があります]

 害虫よけだろうか。

 

「まず、ひとことお礼をいわせてくださいな」

「商業ギルドへの貢献ばかりで、礼を受ける資格があるかどうか」

「まあ、ご謙遜ばっかり。カーラはアラン様を絶賛しておりましたよ。アラン様の魔道具はいまや全国の女性たちの話題とか。売り上げは我がギルドおおいに貢献しています」

 温風機ひとつで喜んでもらえるとは、よっぽどこれまでの売上が悪かったんだな。

 魔術は適性が必要な上に秘匿性が高い。なにしろ魔術書を許可なくコピーしただけで死罪だから、商売繁盛とはいかないんだろう。そういえばカーラさんも治癒魔法でバイトしてたな。

 

「これもカーラさんのご指導あってのこと。魔道具作成講習ではたいへん世話になった」

 受付の女性がお茶碗をおいてくれた。ギルド長の茶碗が満たされるのを待ってから、口をつける。

「メンバーの能力向上に務めるのはギルド長の義務です。アラン様は特別の資質をお持ちのようですが」

「伝聞には尾ひれがつきものですから……。話は変わりますが今日は教えていただきたいことがあります」

「私でお役に立てることがあればなんなりと」

「魔法について」

 突然、シーラさんは低めの声で笑い出した。

「ご冗談を。A級魔術師のアラン様の口から出るお言葉とは思えませんわ」

「歴史的な経緯をより深く知りたいのです」

 俺はかつてカーラさんから聞いた、魔法の始原と女神ルミナスの話を持ち出した。人間以外に魔力を持つ生き物、魔物がなぜ存在するか、さらに過去の開拓記録にある謎を解明したいことをかいつまんで話した。

 

「多くのギルドメンバーは研究より実用を重んじるので、魔法の歴史に注目する人は少ないのです。私はおもに魔法薬の研究で支部長になったので、カーラよりはお役に立つかと思いますよ。ただし、」

 シーラ支部長はいったん言葉を切って、思わせぶりにお茶を飲んだ。声がさらに低くなって目に力がこもった。

「アラン様は風魔法、火魔法に加えて水、光、土のすべての魔法を習得されているとか。噂ではこれまで知られていない魔法もいくつか発見されたと聞いております。ぜひ私に教えてください。そうすれば私は喜んでアラン様をお手伝いいたします」

 

 探究心旺盛、というよりはがめつい感じだ。この支部は逼迫しているようには見えないが……。支部長クラスはみんなこんな人ばかりなんだろうか。カーラさんも魔法の買い取りを断ったら舌打ちをされたことがあったっけ。

 

「じつはアラン様が発明された温風器はゴタニアでのみ生産・販売されておりまして、売上の一部は王都にある魔術ギルド本部へ上納されるほかは支部長の裁量に任されます」

「ゴタニア支部が儲けてもこちらの支部には無関係とか」

「そのとおりです。なのでアラン様には新しい魔法を教えてほしいのです。ガンツ支部の権限でアラン様の魔法を独占販売します。いい考えでしょう」

 なんかこうぐいぐい迫ってくるような感じがサイラスさんに似ている。魔法の世界も世知辛いな。各支部は独立採算制らしい。

 提供できるような魔法はあったかな。俺は魔法の工程なんか考えないでほとんどイメージとナノムの解析能力に頼っているから、探知魔法のように教えられない魔法も結構ある。

 

「どんな魔法が求められているか教えてもらえれば、その中から有望なものを選んで対応しましょう」

 満面の笑みを浮かべたシーラさんは立ち上がり、執務机にあった紙を俺に手渡した。あらかじめ準備しておいたらしい。やる気満々だな。

 

 ぐっすり眠れる熟睡魔法

 シワやシミを取る魔法

 体臭を消す魔法

 日焼けを防ぐ魔法

 有毒な生物に噛まれたときの解毒魔法

 ……

 ……

 ほとんどが女性向けのような気がする。一番必要そうなのは俺の目の前に座っている人だろうな。果たして要望通りの魔法を作れるものだろうか。

 

「シーラさん、一つ質問が」

「なんでしょう」

「ヒールの施術を何度かカーラさんに見せてもらったことがあります。自分もよく外傷に使うのですが、それ以外への病気に効能はあるのですか」

「とてもいい質問です。ヒールが外傷に多用されるのは、施術者も患者もそれを怪我であると認識しやすいからです。施術者には治す心構え、患者には治りたい気持ちが現れやすいのですね。一方、自覚症状がはっきりしない病には効き目が現れにくいのです」

 なるほど。施術者と患者の気持ちが治癒に向かっているほうが治りやすいのか。

 

「このギルドで扱っている薬種を見せてくれませんか」

「研究材料は別室にあります。こちらへどうぞ」

 ギルド長に案内された部屋は棚がいくつも並んでいて、ガラス製の容器が整然と配置してある。さすが魔法薬の研究家だけのことはある。

「この私が直接現地で採取した薬種や鉱物ですわ。これだけ集めるのにどれだけ野山を行き来したことか……。お役に立てれば光栄です」

「考えをまとめたいので、しばらく一人にしてもらえませんか」

「わかりました。考えがまとまったらお呼びください。……期待していますよ」

 ギルド長はローブをひるがえして、倉庫を出ていった。

 

……よし、この部屋は全て調べさせてもらおう。

 



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新製品

『イーリス』

[はい]

『ここにある物質を分類したい。こちらのナノムからデータを送る』

[了解]

 

 棚に並べてあるガラス容器のラベルを眺めて現地名称を転送、そのうえで指先で触れていく。植物由来の素材は人差し指と親指でグニグニとつぶすようにして成分を分析していく。鉱物にふれると指先がわずかに光るのは指の表皮にナノムが集まってマイクロレーザー光を放射しているからだ。反射光で成分分析をする。

 

[放射性や揮発性の高いものを除けば、地表面で取れる鉱物はほぼ網羅しています。遺伝子資源としても有用な植物種が多数あります。可能であれば入手してください]

 これだけの薬種を収集するとは相当長期にわたってフィールドワークを重ねたようだ。材料としては申し分ない。大抵のものは作れるだろう。

 

 

『イーリス、化粧品を作りたいんだが』

[艦長、このところ私が軍用AIであることをお忘れではないでしょうか。……できる限りのことは致しますが]

『いつも済まなく思っている。……ところで内惑星任務中に飲む薬剤があったな』

[放射線防護薬剤でしょうか]

 

 バグスは基本的に低温惑星を避ける傾向にある。なので多くの場合、湿潤で暖かい内惑星に前進基地を設営することが多い。内惑星は太陽に近いため、紫外線その他の有害な宇宙線の線量が高い。パワードスーツにも耐放射線機構はあるが、内惑星に戦闘降下する部隊員は全員、防護薬の服用が義務付けられている。

 

『それの応用だと思えばいい。皮膚劣化はほとんどが紫外線と血液中の糖分により血管壁のタンパク質が劣化することで進行するんだ』

[昨夜、ナノム経由で本艦のデータベースにアクセスしていたのはそのためですね]

 いまさらながら、イーリスには隠し事はできないな。

 

[防護薬には含硫アミノ酸を主体として抗酸化物質、数種の亜鉛化合物などが使用されています。ナノムと併用することで効果を高めています]

『そのなかから人体に影響の少ないものを使う。内服用と塗布しやすいような塗り薬タイプにすればいい。アミノ酸ならバイオリアクターでも製造できるはずだ』

[お待ち下さい]

 イーリスには本来の任務以外のことをずいぶんやってもらって申し訳ないが、今は第一級非常事態宣言下にある。宣言したのは俺だが。

 

 兵士と通常人の決定的な違いは治癒能力の差だ。兵士は最大戦力で戦闘に当たらねばならない。故にナノムは常に兵士の体をモニターしている。その比較対象となるのが、ナノム投与した時点の身体データである。訓練終了後の兵士はナノムを投与された時点では最高の健康状態にある。

 ナノムは投与時の身体と比較して異常が見つかれば補修にかかる。ナノムで分析できない場合は外部のより強力な医療AIの力を借りる。こうして兵士は常に投与時点の健康状態からほとんど劣化しないでいられるのだ。

 

 逆に、一般人は――とりわけこの惑星の住人は――徐々に劣化していく身体を認識できないし、直せない。老化が異常だという認識がない。

 そこに予防的な化粧品の巨大な需要があるはずだ……。昨夜あまり寝ないで考えた結論だ。すくなくとも温風機よりは需要はあるだろう。

 

[……可能です。ただし現在のバイオリアクターは食糧増産に特化しているので、新規にもう一基増設したほうが良いでしょう]

『また俺が菌株を作らないとだめか』

[すでに稼働しているリアクターの菌株を遺伝子改良後に移植します]

 それは良かった。あれは精神的負担が大きいからな。

[先程、送信していただいたデータからは、いくつかの植物を加水分解することで原料の一つとなることがわかりました。ギルドから採取地を聞き取ってください]

『分かった』

 

 

 俺はギルド長の執務室に戻った。

「アラン様、良い考えが浮かびましたか」

「なんとかなりそうです。シーラさん、受付の人をお借りできませんか。ちょっと実験してみましょう。いや、大丈夫です。命にかかわるようなことは決してしません」

 

 俺は椅子を部屋の中央においた。

 シーラさんの指示で、さっきお茶を入れてくれた女性が椅子に座った。

「名前を教えてくれませんか」

「マルタといいます。こちらにお勤めさせていただいて二十五年になります」

「ありがとう、マルタ」

 

 俺は立ち上がってマルタさんの前に立った。俺はマルタさんの目をまっすぐ見下ろしながら、権威者の目線で説明する。あまりこういうことはしたくないがまあ演出だ。

 

「それではマルタ、私が治癒魔法を使えることを知っているな?」

「もちろん存じ上げています。重傷を負ったサイラス家の使用人を一瞬で治療されたとか」

 事実だが、どこからそんな話が伝わったんだろう。

 

「いまから治癒魔法をマルタにかけようと思う」

「私はどこも悪くありません」

「とても気づかないような傷があるとしたらどうかな?」

「小さな傷ですか」

 マルタは自分の手を見つめた。俺から見ても肌は健康とは言い難い。手や顔にもシミがあちこちにある上、長いあいだに保湿成分が失われて皮膚が硬化している。本人は意識していないようだ。

 

 保湿か。ヒールとウォーターの混合魔法でどうだろう。ナノムの解析能力はこの場合は必要ないだろうが、魔法の作業工程は記録をしてもらう。

「毎日少しずつ、気づかないうちにできた小さな傷は実はたくさんある。そして傷は治癒魔法で治るものなんだよ。わかるかな」

「はい。私は不器用なので、調理中によく指先を切ってしまうのですが、小さな傷は治ったようでもあとに残ることがありますね」

「その通り。でも傷は完全に治るものなんだよ。その上、私は噂どおり治癒魔法がとても得意でね」

 

 俺は彼女の後ろに立って、肩に手を置く。血管壁の無数の小さな傷が塞がるように、乾いた皮膚に保湿成分がじわじわと行き渡るようにイメージする。

『ナノム、記録しろ』

[了解]

 

 

「ヒール」

 彼女の体全体が光のシャワーを浴びたかのように輝いた瞬間、シーラさんとマルタさんが同時に叫んだ。

 

「「ああっ」」

「手のシミが……」

「マルタ! あなた、顔が、顔が……!」

 

 シミはすっかり消えた。鼻筋にそって広がっていた腫れやガサガサした皮膚が解消されている。ただし、経年変化による手指の筋肉の減少は変化がない。傷と認識できなかったからだろう。

「皮膚に悪い生活をしていると元に戻るので、それを抑える処方を、」

 

「アラン様、ぜひその処方を! 魔法の工程もっ!!」

 シーラさんの声はほとんど絶叫に近い。そんなに興奮することだろうか。

「マルタ、ここからは職業上の秘密事項です。窓口に戻りなさい! 当面のあいだ、誰にも話してはなりません! わかったわねっ?」

 

 立ち上がったマルタさんはほとんど上の空でドアをでていく。まもなく窓口で驚きの声がするのがここまで聞こえた。さっきまでいた同僚がいきなりまっさらのシミなしの顔でもどってくればやっぱり驚くよな。

「アラン様……」

 振り返るとシーラさんが俺に手を合わせている。なんの真似だろう。

 

「……私は長らく野外で薬種を収集してきました。だからこの肌は仕事の勲章と考え、恥じたことは一度もありません。でもそれが治るとわかってみると、その……。アラン様。その魔法を私にもかけてください。お願いです!!」

 

 



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大樹海の伝説

「シーラギルド長」

「はっ!? し、失礼しました。」

 術が終わってから、この人ずっと手鏡を見て黙り込んでるんだよな。大丈夫なのかな。

 

「魔法の工程と保湿を高める成分の一覧です。ここで作れないものは拠点で製造したほうが良いですね。それと何種類か植物の生息地を教えていただけると助かる」

「これほどのものをお教えいただけるとは……。想像していた以上のお力です」

 俺を見る目つきがガラリと変わって尊敬の眼差しだ。ちょっと思い込みが強い人なのかもしれないな。

「魔法はヒールとウォーターの複合魔法ですね。このような組み合わせは見たことがありません。工程数がとても多いのでアラン様のように一瞬ではできないかも……」

「練習あるのみです」

 さっき資料室の中で思いついたということは黙っておこう。

 

「では、契約ですが無償供与というわけにはいきませんよ」

「わかりました。利益は折半しましょう。これだけのものを頂いたうえで値切るつもりはありませんわ。アラン様しか作れない成分もギルドがすべて買い取ります。ただしほかの魔術ギルドにはご内密に願います」

「いいでしょう。正式な契約書は商業ギルドの立会の上で作成します。販売も委託するべきでしょうね」

「お心あたりがあるのでしょうか」

「サイラス商会ではどうでしょう」

「さすがはアラン様。サイラス商会につてがあるとは」

 まあ、このあたりのやり取りはゴタニアのカーラさんとタルスさんを仲介した経験があるからさくさく進みそうだ。

 しばらく話し合った結果、正式な契約はシーラさんが次の旅行からもどってからになった。俺は契約時に製品のサンプルを用意しておく。

 

 

◆◆◆◆

 

 

「今後の見通しも立ったので、ご質問にお答えしましょう」

 シーラさんはまだ手鏡を持ったままだ。ちゃんと回答してもらえるんだろうか。簡単そうな質問から初めて、徐々に難易度の高そうな質問をしていくのが良さそうだ。

 

「女神ルミナス様はどれくらい以前から信仰されているのですか」

「最古の記録にすでにルミナス様の記載があります。現在はアトラス教会が認めたものを聖典としていますが、異端とされたものを含め、王都の魔術ギルド本部で研究している部署があります」

「なるほど。そこへの紹介状などいただけると助かります」

「これほどのご貢献ですもの。喜んで用意します」

 やはり専門の研究者に聞くのが一番だな。これでもう一つ王都内の有力組織にコネができそうだ。

 

「教会と魔術ギルドはどちらも女神ルミナス様を信仰していますが微妙な違いがあるようですね」

「ともに女神ルミナス様を信じることは同じですが、微妙な解釈の違いがあるのです。例えば、」

「使徒イザーク様のことですね」

「どうしてそれを……。アラン様はほかの大陸から来られたと伺っていますがよくご存知ですね」

「司祭様ともおつきあいがありまして」

「アトラス教会はイザーク様は巨大な鳥の形で現れ、魔術を信じる者の多くはイザーク様はドラゴンだと信じています」

 なるほど、もとは一つの信仰集団だったが、解釈の違いで二つに分かれたのかな。この惑星ではアトラス教会が主流派で、魔術ギルドは異端扱いされているらしい。ただし互いに教義争いをしているわけではないようだ。

 

「開拓記録には大樹海の中では魔力が強くなる、という記述があります。私も樹海内で生活するうちに魔力が増しているような実感があります」

 シーラギルド長の顔色が変わった。さきほどまでの饒舌さが消え、じっと俺の方を見つめている。

「大樹海では草木や土壌にまで魔力が宿っています。偉大な魔術師たちがその謎を解き明かそうと大樹海の奥に向かいましたが、戻ってきたものはおりません。人々は魔物のせいにしますが私はそうは思いません……」

「と、言うと?」

「魔法は人の心と一体不可分の関係にあります。そして人には器というものがあり、魔力は生まれながらに上限が定まっているのです。魔力が過ぎると器から最初に溢れてしまうのは人の心です。人間には深入りしてはいけない領域があり、それが大樹海なのです。いえ、アラン様の開拓を否定するわけではありませんわ。ただ、魔術師はあの地に長くいるべきではない」

「心を失ってしまうということですか」

「樹海に入らずとも、より強い魔力を求めた魔術師の末路は悲惨です。よくて昏睡状態に成って死に至るか、悪くすると強大な魔力を持ったまま人心を失ってしまいます。そのような魔術師が現れるとギルドは総力を上げて処罰に向かわねばなりません」

 

 魔法にそんな負の側面があるとは知らなかったな。あまりにも便利すぎるのでナノムの力を借りて使いまくっていたが、大丈夫なのだろうか。

 このあまりにも便利すぎる、というのがこの惑星の科学技術が足踏みしている理由でもある。

 

「アラン様。もしお体に変調を覚えられたなら、しばらく魔法はお控えください。万一アラン様が暴走されるようなことがあれば、おそらくこの大陸で封止できるものはいないでしょう」

「ご紹介いただければ、この国一番の魔法使いのかたにお会いしたいですね。学ぶところもあるでしょう」

「わかりました」

 

「ではあと一つだけ。実はこの金属を樹海で偶然見つけたのですが」

 俺は地中探査機と一緒に投下してもらったアルミ箔をシーラさんに魅せた。

「金や銀でもないようですし、ずいぶんと軽いものです。博識なシーラさんならご存知かと」

「こ、これをどこで……」

 アルミ箔を震える手で受け取って、すかさずポケットからレンズのようなものをとりだして観察を始めた。

『この輝き、この軽さ……間違いなく輝礬石です! それをこんなに薄く加工するなんて。これをどこで?』

『大樹海のどこか、としておきましょう』

 実際はコンラート号の食料工場にあったものだ。俺は笑顔でシーラさんからアルミ箔を返してもらう。

「価値のあるものなんですかね。酸にも溶けやすいですし、軽く火で炙ると……」

 俺はファイヤーを低出力にしてアルミ箔に近づけた。パチパチと音がしてアルミが急速に酸化していく。

「ああっ!」

 シーラさんが俺の耳元で絶叫したかと思うと、くすぶっているアルミ箔をひったくった。熱くないのかな。

「アラン様! なんということをされるのです。輝礬石は金銀より遥かに希少で価値のあるものなのですよ。たったこれだけでも家族が二ヶ月は楽に暮らせます!」

 ほう、これはいいことを聞いた。大樹海の地熱発電所が稼働して触媒を使えば、いくらでも製造できる。

「では、それは今日のご教授料金として差し上げましょう」

「えっ!」

 シーラさんは感情の起伏が激しいみたいだな。さっきからずっと叫びっぱなしでこっちも耳が痛くなってきた。

「よ、よろしいので? シミ取りの魔法と処方だけでなく、こんなにいただけるなんて」

「これからも長い付き合いを期待していますよ」

 

 興奮気味のシーラさんとは大樹海で期待されるいくつかの産物についても話を勧め、見つかった場合は連絡するということになった。希少な植物は魔法薬にとって必須らしい。商売に繋がる可能性があるなら大歓迎だ。

 アルミの産出場所についてもしきりに聞きたがったが、俺ははぐらかした。この人なら樹海のど真ん中でも一人で探しに行きそうだ。適当なことは言えない。

 

 悪くない取引だった。

 契約してみるまでは分からないが、継続的に兵士に払う給料に足りそうな気がしてきた。アルミを武具などに加工して、金を持っている貴族連中に販売するのもいいかもな。こつこつ商売の種を拾っていこう。

 

 



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届いた荷物

 しきりに頭を礼を言うシーラギルド長と別れ、またしても高速走行モードでホームによって食事をすませた。サリーさんのすきをみて偵察ドローンで拠点に戻る。今度、時間のあるときにでもゆっくり来るとしよう。

 このところガンツとの行ったり来たりが多すぎるんだよな……。

 

「アラン」

 中庭の発着場から居室に戻る途中、クレリアとエルナに出くわした。

 ……しまった。中庭に向かう通路はクレリアはめったにこないはずなんだが。ひょっとして俺を探していたんだろうか。

 

「アラン、午前中またどこかへ行ったみたいだけど」

「魔法の調査だよ」

 俺は百パーセント真実を言った。場所はガンツだが。

「大樹海に出るときは護衛は必要ですよ。アラン」

「人手が必要ならそう言うさ。ところで今日の午後からの打ち合わせだけど」

「アラン」

「なに」

「なんかこう、すごく甘い匂いがする」

 クレリアがいきなり至近に鼻を近づけた。

「これ、香水じゃない?」

「はは。香水なわけないだろ。魔法の調査をしていたのに」

 

[不自然な脈拍の増加を感知しました]

 ナノム。お前はだまってろ。

[了解]

 

 魔術ギルドに長居したせいで、部屋の匂いが服に移り香したらしい。

 エルナも近寄ってきた。

「クレリア様、これは退魔香という香木ですね。治療院で奉仕するシスターなどが病魔から身を守るために衣服につけるものです」

「アラン。この街には治療院はまだないわよね」

「大樹海に自然に生えていたのを知らないうちに触ったんじゃないかな。今度よく探してみるよ。とてもいい匂いだし」

「退魔香は南方が原産ですが」

「…………」

 なんで俺はこんなに焦っているんだろう。べつに魔術ギルドのことを話してもいいような気がしてきた。でも話せばまた一緒に行くとか護衛をつけろとかが始まるんだよな。ダルシムにも自重するように言われたばかりだ。

 

「ま、いいわ。アランの言葉を信じる。しばらく魔法練習をしていないから、そのうち今日行った場所に連れて行ってもらうから」

 それだけいうと、クレリアは先に立って歩いて行く。後に続いたエルナが振り返って言った。

「アラン、私にも退魔香をいただけませんか……樹海産の」

 エルナのやつ、わかってて言ってるな。覚えてろよ。

 

◆◆◆◆

 

 誰をスターヴェークへの斥候班に加えるか。

 たったそれだけの問題で日が傾きかけている。近衛の隊長格十人と辺境伯軍のリーダーたち全員がこの任務に関わりたいようだ。合同調査隊にしようといったのはいまさらながら後悔しかない。

 参加しているクレリア、エルナ、そしてライスター卿までが、ダルシムとロベルトの論争から距離をおいている。この三人はどちらか一方に肩入れしづらい立場だからな。

 

 激論を戦わせる二人をおいて、俺は大窓の外へ目を向ける。樹海を囲む連峰の頂には早くも雪冠が見える。残された時間はすくない。冬将軍の本格的な攻勢が始まる前に、食料備蓄と兵士の給与を確保せねば。

 

 大広間のドアをノックしてニルス班長が顔を出した。今日はカトルと一緒にガンツへ買い出しの予定のはずだ。

「アラン様、南門に四十人くらいの集団があらわれ、お目通りを願っております」

「名は名乗ったのか」

「エルヴィンと名乗っております。アラン様に依頼されたものを届けに来たと」

「ここに通せ」

「アラン、誰なの」

「俺を殺し損ねた連中さ。ユリアンの叔父とかいったな」

 

「アラン様!」

 いきなりダルシムが立ち上がった。

「そのような者たちを拠点に入れるわけにはいきません。危険すぎます!」

「すっかり改心したようだぞ? いまセリーナとシャロンに出迎え……」

「サテライト一斑から四班、直ちに南門に向かえ! 武装解除するまで一歩たりとも拠点に入れるな!」

 ダルシムは俺の言葉を最後まで聞かぬうち指示を出し、サテライト・リーダーの後に続いて走り出していった。

 

「ダルシムも困った奴だ」

「アラン」

 クレリアとエルナがいつになく厳しい顔をしている。

「近衛は王族の護衛を拝命しています。クレリア様が将来において共同統治するとなればアランも護衛の対象なのです。たとえアランがどんなに強くとも、近衛は護衛のために先に動かねばなりません」

「じゃ聞くが、この世界に魔法と知識で俺を上回るものはいるか」

「それは私にはわかりません。たとえそうだとしても……」

 クレリアがエルナを手で制した。

「ここからは私が話す。アラン、貴族というのは一人で成るものではない。配下の者たちにはそれぞれ役割がある。それを無視しては統治の形が成り立たなくなる。ダルシムの気持ちをわかってやってほしい」

 

 最近このパターンが多いな。貴族としての立場が俺の目的遂行能力を微妙に狭めているような気がしてならない。

「わかった。クレリア、教えてくれてありがとう。ダルシムの献身は俺もわかっている」

 

◇◇◇◇

 

 謁見室に引き立てられたエルヴィンは手を拘束されていた。

「拘束を解いてやれ」

「しかし」

「丸腰の一人の男には何もできまい。問題ない」

 兵の一人が鍵を出して手鎖を解いた。エルヴィンはずっと跪いたままだ。

 広間には俺とエルヴィン、ダルシムと隊長たちに集まってもらっている。クレリアたちはダルシムの意見で、席を外している。ライスター卿には俺から立席を頼んだ。

 

 

「エルヴィン」

「大変遅くなりまして申し訳ありません。お望みのものを入手しましたのでご報告に上がりました」

「これで全員か。南門で待機している人数は以前より三人たりないが。それと新顔がいる」

「わが主の命令を遂げるために払った対価にございます。新顔は里の者です」

「多大な犠牲を払ってもらったようだな」

「ユリアンからの手紙を読みました。ライスター卿のご指示もあり、晴れてアラン様の配下になったことを喜んでおります」

 エルヴィンはライスター卿に一礼した。

 

 とたんにダルシムの表情が硬くなったのを視野の片隅におさめつつ、

「エルヴィン、お前たちの住む場所と畑地は用意してある。荷を納めたら、追って次の指示があるまで待機するように。必要な資材があれば俺の名で商業ギルドに依頼するといい」

「ありがとうございます」

「追っ手はどうした」

「王都からずっと追っ手が迫っておりましたが、不思議にガンツ近郊で気配は消えました」

「国宝に匹敵にするものをすぐに諦めるとは思えないが……。ライスター卿、もし卿が在職中にギニー・アルケミンが失われたらどう対処する?」

「箝口令、でしょうな。必要によっては事実を知りすぎた者の名をエルヴィンにつたえます」

「処理するということだな」

「具体的な方法については存じ上げません」

 ライスター卿は温厚な容貌をまったく変えないまま穏やかに答えを返した。実務となるとさすがに元宰相だけのことはある。綺麗事だけでは済まないのだろう。

 

「ギニー・アルケミンの喪失は国が通貨発行権を失ったことと同義。他国に知られれば亡国の引き金となりかねません。故に公にすることは決してありません」

 そうだろうな。となると、追手が手を引いた理由は、一つだ。

「エルヴィンがガンツに向かったのを確認した時点で、盗んだのが我々の手の者だと確信したのだろう」

 

「申し訳ありません。もっとうまく追跡をかわしていれば」

「エルヴィン、相手も手練だったのだ。謝罪の必要はない。指示したのは俺だからな。ここから先は俺に任せろ。まずは疲れを癒やし、その後の指示をまて……。誰かサテライトの一班をつけて最近造成した東区画の居住区へ案内してやれ」

「わかりました」

 

 サイラスギルド長の輸送隊が王都に向けて出発するのは一週間後だ。エルヴィンたちには当面の間、町に馴染んでもらうとしよう。

 

 エルヴィンと隊長の一人が広間から出ると同時にダルシムが言った。

「私は反対です。一度はアラン様の命を狙った人間を配下に加えるとは」

「アラン様、ここはわたくしが説明いたしましょう」

 ライスター卿がダルシムに体をむけた。

「かの者たちはベルタ王国の宰相が代々私兵としてきた。いまはアラン様の説得により、バールケのくびきを離れている。万一、過失があった場合、この私が一命をもって償おう」

「その過失がアラン様の命だとしたら償いきれるものではない」

 ダルシムの奴、本気だな。世が世であれば、ライスター卿は宰相の身分だ。近衛の隊長レベルが対等に話せる相手ではない。

 

「ダルシム、エルヴィンたちは俺の目的だけに限って運用しよう。必要ならば監視役を近衛から迎えてもいい」

 しばらくダルシムは黙っていたが、やがてしぶしぶといった感じで答えた。

「しばらくお時間をいただきたいと思います」

 

 考えてみれば、近衛と辺境伯軍に加え第三の勢力を拠点に置くことになる。このあたりの手綱さばきはライスター卿から教示してもらうしかない。

 新しいメンバーについて隊長たちにも意見があるのだろう。小声で話しながら謁見室を出ていった。

 

 日はすっかり傾いている。大広間の明かりをつけておこう。そろそろカリナが来る頃だ。

 



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化粧

 ……まだ到着まで少し時間がある。

 

 俺は三階にあるクレリアの居室に向かった。たぶんエルナもいるだろう。部屋から聞こえるのはシャロンの声だ。ドアをノックする。

「アラン、ちょうどいいところへ」

 顔を出したのはセリーナだった。めずらしく笑みを見せている。経験上、この笑みは要警戒だ。いつだったかこれで近衛の稽古に強制参加になってひどい目にあったっけ。

 

「……入っていいのか」

「どうぞ」

 こんどはシャロンの声だ。なんだろう。

 クレリアの部屋は人類銀河帝国の流行服らしいものが散乱していた。昨夜投下してもらった脱出ポッドに俺の頼んでいた荷物と一緒に入っていたようだ。

 

「アラン、この衣装どう思う?」

 無論、俺は紳士だから答えは一つだ。

「とても良く似合っているよ。以前来ていたゴスロリ風のよりずっと大人っぽいね」

「そう……」

 俺は何が大人っぽいのか説明する必要もなかった。率直に受け止めてくれたようだ。大喜びするほど子供ではないが、さらりと流すほど大人ではない、そんな微妙な時期なんだろう。

 クレリアのドレスは、寒冷惑星によくある保温と実用を兼ね備えたものだった。生地は軽いが、完全な中空糸の織物で保温性が高く、柔らかく包み込むように体のラインを強調している。色調は最近流行りの地球産のターコイズ・ブルーだ。故郷のランセルでも流行っていたな。

「セリーナ、例の荷物を広間に運んでおいてくれ」

「了解」

「シャロン、準備はいいか」

「もちろんです」

「アラン、準備ってなんのこと? 今日は来客だけではないの?」

「挨拶が終わってから説明するよ」

 クレリアはそれ以上質問をよこさなかった。俺がエルナの方を見ているのでそれと察したようだ。

 

「エルナ。相談がある。今日の来客のことだが……」

「クレリア様。今日の来客は謁見室に通し、正式に着任の挨拶をしてもらいましょう。そのうえで、広間で簡単にもてなしすれば良いと思います」

 エルナは俺の方を見ずに言った。

 

「エルナの言う通りにしよう。庶民との間にはきちんと距離を置くのだったな」

「ありがとうございます」

「俺も異論はないよ。今日は仕事の話もあるからね」

「アラン……。声をかけていただいて助かりました」

 エルナが俺を見る瞳にはなんの感情もない。だから俺はそれ以上返す言葉もなく、クレリアの居室を出た。

 

 

◆◆◆◆

 

 

「商業ギルドの支店開設にあたり、ご挨拶に参りました」

 正装したカリナはクレリアの前にひざまずいた。

「着任ご苦労。街にギルド支店ができたのは喜ばしい。これからの活躍を期待している」

 クレリアもひさびさの貴族の態度で返答している。

 

 着任報告と当たり障りのない時候の挨拶がおわって、俺とクレリアは大広間に向かった。

カリナとセリーナ、シャロンは先に退出している。貴族のしきたりとしては高位のものは一番あとから、仕える者はそれより先に控えていなければならないらしい。実にめんどくさい。

 

「挨拶も済んだことだし、堅苦しいことはこれでやめよう。実は今日はここにお集まりの皆様へお願いが……」

 言ってるそばから語りが不自然になる。相手は全員女性でそれぞれに一家言ある者ばかりだからな。こういうのは苦手だ。

 

「アラン、慣れない話し方をしなくてもいい。このあいだのことはもう気にしていない」

「わかった。今日の目的は市場調査だ。皆の意見を聞きたい」

 

 大広間の机には試作した化粧品と、昨夜イーリスに投下してもらった「本物の」化粧品がある。かつての女性士官の私物だが、艦のなかで使用することはすくない。ほかの有人惑星へ補給のために訪れたりとか、艦内で特別な行事があるときくらいだ。

 使っていた女性士官たちのことを思い出すと心が痛む。なかには個人的に知っていた人もいる。けれど、彼女たちの化粧品が俺たちの命をつなぐかもしれない。

 

「アラン様、市場調査というと新しい商品ができたのですね」

「そうだ。売り上げの見込みや販路についてカリナの助言が欲しい。魔術ギルドと有利に契約を結びたいんだ」

 俺はみんなに化粧品と新しい魔法について説明した。

 

「魔術ギルドとの契約ですか。少し残念ですね」

「回復魔法と一緒に考えているので魔術ギルドをはずせないんだ」

「シーラギルド長ですね。薬種を卸している同業者からはかなりのやり手と聞いています」

 先日はそうでもなかったけどな。別れ際はずっと俺に頭を下げっぱなしで、ギルドから出るときはマルタさんと一緒に見送りまでしてくれたんだけど。

 

 商売の話に入ろう。

「カリナ、この大陸ではどのくらいの人間が化粧をしたりするものなんだろうか。俺の知りたいのは需要だ」

「そうですね……。貴族階級や富裕な商家の子女は当然ですが、傷を隠すとか治療的な要素があれば一般の市民にも売れそうですね」

 なるほど、製薬か。そうなるとこの惑星の人間たちの遺伝情報をもう少し調べる必要がある。アラン印の薬で死者が出たりしてはまずい。それまでは上下水道の整備や衛生観念の向上が先だな。

 

「クレリア、貴族たちは化粧をするんだろう?」

「私はあまり興味がなかったわ。他国の大使を迎えるなど公式行事では紅白粉をすこし。あとで落とすのが大変なのでめったに使わない」

「クレリア様は化粧などせずとも十分おきれいです」

「そういうエルナこそ武芸一筋なのは残念だ。言い方も手厳しいところがある。口さえ開かなければどんな貴族家にも嫁入りできる容貌なのにと、父君が嘆いていたぞ」

「ク、クレリア様こんなところで!」

「俺もエルナは化粧なんかしなくても十分通用すると思うがな」

 しまった。何を言っているんだ俺は。

「アラン……。こんど新しい技を開発したのでお手合わせ願えませんか」

 エルナの目が怖い。なぜか知らないがこれはエルナにとって触れられたくない話題らしい。つまらないことを言ってしまった。……ちょっと新しい技を見てみたい気もするがいまはよそう。

 

『シャロン、化粧品の説明は頼む。俺には無理そうだ』

『最初からお任せくだされば良かったのに』

『すまない』

 

 昨夜、ナノム経由でシャロンとセリーナに頼んだところ、セリーナはあまりこの種のことにアップデートを使いたくないということで、シャロンがコンラート号の総合ライブラリからアップデートした。……メイクアップ技術をだ。時間がなかったので仕方がない。ふたりともこれまであまり関心がなかったからな。そもそもこの二人には化粧なんかしなくても……。いや口に出す必要はないな。

 

「こちらにあるものは、この拠点で作成した医療効果が高い製品です。……カリナさん。お手を拝借してよろしいですか」

 カリナがおずおずと手を出す。カリナはあまり化粧っ気はなく、いつもは清潔で仕事にふさわしい事務服を着ているだけだが、目鼻立ちが整っている上に、エルナとも共通する職業人としての姿勢の良さがある。そのうえ今日は正装だ。化粧が似合うかもな。

 

 シャロンはカリナの手の甲に数滴の乳液を落として伸ばしながら言った。

「ヒール」

 ほわっとした穏やかな一瞬の輝きだ。俺と色も形も違うのはイメージ力に違いがあるからだろうか。

「…………」

 しばらくだまって両方の手の甲をカリナは眺めていたが、

「あ、あの。効果はどれくらい続くのでしょうか」

「きちんと手入れをすれば何回も施術しなくても大丈夫。手荒れ予防の成分もふくまれているので、定期的に使うといいわ」

「素晴らしいです。地肌の透明度が増したような自然な仕上がりです。これは貴族の婦女子が争って飛びつくでしょう。庶民向けには薬効成分を加えて製品を差別化するといいかもしれません」

 なるほど、さすが商才はサイラスさんに見出されただけのことはある。カリナの助言は合理的だ。

 

「施術は希望者に魔術ギルドに訪れてもらったほうがいいかな。多数の者がいる場所で施術すると、才あるものに真似されるおそれがある」

「アラン様がお考えになった魔法ならそれはないと思いますが、特定の場所で施術できるといいですね。例えば、美容の医療院……美容院とか」

「施術と同時に化粧品も販売するわけだな。ギルドには治療費と化粧品の売り上げの一部、サイラス商会は販売手数料が入る」

「販売をサイラス商会にお任せいただけるのですか?」

「もちろんだよ。カリナ。サイラスさんとの付き合いもあるからな」

「ギルド支店長として最初の大仕事になりそうです。契約時にはぜひ立ち会わせてください」

「わかった。日時を合わせよう」

 

「アラン。サイラス商会の酒運搬にこちらから人手を出すと聞いています。一緒に運搬してはどうでしょう。化粧品ならさほど荷物になりませんし、あらかじめ商業ギルドをつうじて販促費用を送金するときにメッセージを添えておくれば話も伝わります」

 なるほど、セリーナらしい合理的な考えだな。とはいえ、暗殺者集団に化粧品売りというのはどうかと思うが。エルヴィンはやってくれるだろうか。

 

「送金に使うアーティファクトはガンツ支部にしかないので、今後の作業はガンツになるでしょう」

「わかった。送り先はサイラス商会と繋がりのある店舗としよう」

「分かりました」

「だいたいどれくらいの需要が見込めるだろうか」

「酒販売の数倍ではきかないでしょう」

 よし、この先の見込みは明るいな。あとは契約を詰めるだけだ。正式な契約書の作成は商業ギルドに頼むとして、素案はここで決めよう。

 

◆◆◆◆

 

 小一時間ほどでおおよその骨子は決まった。

 拠点の支店にも契約に詳しい者を連れてきているそうなので一旦作成したものを俺が目を通すことになった。

 

「アラン、覚えた技能を試したいです。せっかくの機会ですからメイクをどなたか……」

 アップデートまでしたシャロンの気持ちはわかる。覚えた技能を使いたいんだろう。それにきれいに使い切れば亡くなった女性士官たちも浮かばれるというものだ。

「ではカリナ、シャロンに付き合ってやってくれないか。売り手が商品を理解するのは大切なことだからね。それと……」

 目が一瞬あったエルナがさっと顔をそらした。

「エルナ……」

「嫌です!」

「エルナ、化粧をするように」

「クレリア様! わたしがこのようなものが嫌いなのはご存知のはず!」

「たまには良いではないか。私もエルナのより美しい姿が見てみたい」

「というわけで二人には別室でシャロンの指示に従うといい」

「私も行きます」

 なぜかセリーナまでが机上の化粧品を取りまとめて後に続いている。俺にキツめの一瞥を放ったエルナは音を立てて広間のドアを閉めた。

 

 



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翼を持った使いの神

 女ごころが理解できると称する男のほとんどは妄想で、よくて不完全な近似値にすぎない。特に俺の場合は……。

 二人が別室から戻ってきたときに思ったことが二つある。

 一つはエルナとカリナもなぜか自分の魅力を押し込めていたということだ。最良のメイクは日常という見慣れた仮面に隠れていた良きものを明らかにする。決して覆い隠すものではないのだろう。

 二つめはシャロンの技量が素晴らしい。一回のアップデートで習得できる技能がこれほどまでとは、思いもよらなかった。どうりで一生の間に可能なアップデート回数が厳しく制限されているわけだ。

 

 俺は率直に二人の姿を称賛した。クレリアなんか激賞といってもいい。

 でも、エルナは口を固く結んで俺と目を合わせようとしないし、カリナもなんとなくうつむきがちだ。笑顔の一つも見せてくれてもいいのに、なぜなのかその時はわからなかった。

 

 結局、わずかなお披露目の後、二人はまた別室に戻りメイクを落とした。

 なんとなく白けてしまい、その場はお開きになった。俺が拠点の商業ギルドまで送ろうとしたが、カリナは辞去していった。何か俺が悪いことをしたみたいな気持ちになる。

 二人に装いを凝らしてもらうという趣向はうまくいかなかったようだ。クレリアはシャロンを捕まえてなにか相談していたようだが……。

 結局、

「アランの段取りが悪い」ということになった。

 やれやれ、だ。

 

◆◆◆◆

 

 届いたばかりのギニー・アルケミンを調査したかったが、今日はつかれた。明日にしよう。

午前中の仕事をセリーナに預けていたので、一旦執務室に戻ると、机に蝋印つきの書状があった。そうだ。王都のゲルトナー大司教から送られてきたんだったな。

 

 手紙と言うには分厚すぎるが、開いてみるとおよそ十枚の羊皮紙にしたためてある。美辞麗句をつらね、聖職者らしい聖句をちりばめているが、内容は二語ですむ。

“夢は” “まだか”

 高位の聖職者ともなると不特定多数に見られる可能性を考えて婉曲を極めたような文章になるんだろう。大司教様が宗教とは無関係な人間に伺いを立てるなどありえないからな。

 

 もうすこし読み込んでみると、この大陸にも冬至の祭があるらしい。大樹海をふくめベルタ王国は惑星アレスの北半球に位置する。冬至は一年で一番日が短い。

 人類銀河帝国の版図には地軸の傾きがある惑星もたくさんあるが、共通して言えるのは農耕の始まる以前から冬至がなんらかの祝祭日となっていることだ。

 その日を起点に遠い春への道のりを思う重要な催事だ。俺の故郷ではもちろん、全土を挙げての祭りだった。

 

“恐れ多くもイーヴォ枢機卿猊下より冬至の例祭の主任司祭を命ぜられ……、”

“……宵越の祭儀に使徒イザーク様の顕現を期待されており”

“日々祈りの中にあれど、我が信仰で奇跡とは不遜のそしりを……”

 

 読んでいるうちに気の毒になってきた。

 要は、お偉いさんから冬至祭のフィナーレ(?)にイザーク様を登場させろと言われたわけだな。おそらく何度かイザーク様を呼ぶ練習をしたが当然ながら現れない。日限は近づくばかり。おもいあまって俺に信書を送った、というところだろう。

 

『イーリス、ゲルトナー司祭のここ二日の行動ログを高速再生してくれ』

[了解]

 

 久しぶりに見るゲルトナー大司教は別人かと思うほど痩せていた。

 朝夕の礼拝の前には必ずベランダで天に向かってひざまずき、長い長い祈祷を捧げていたかと思えば、ビットから拾ったテキストログにはシスターたちに一日に七回も俺からの返事を確認させている。先日は枢機卿に問い詰められて、よせばいいのに必ずイザーク様が現れるように祈祷いたします、と大見得を切った。で、さすがにまずいと思ったのだろう。昨夜は一睡もしていない。

 

 初対面のときは高額の寄付金ですぐに面会できた。どことなく俺を見下すような態度だったのが、イザーク様の話で態度を急変させて、すこしあきれたのを覚えている。あのころの面影はもう残っていない。

 使徒イザーク様こと偵察ドローンのディー・ワンのおかげで司教から大司教に昇格したものの、あれ以降、すっかり俺も忘れていた。

 ……なんか、悪いことしちゃったな。

 

 明日の朝でもベランダに姿を確認したら、視認方向にドローンを出現させてやるか。そうしてしまえばゲルトナー大司教は俺の介在なしでもイザーク様の顕現を得られるというわけだ。

 だが俺の関与は今後を考えると必要かもしれない。まだこの大陸では教会の影響力は絶大だ。なんとかして俺の息のかかった人間を高位に持っていきたい。

 信書に冬至祭の夜に現れる夢をみた、と書いてもいいが早馬でもすでに祭事には間に合うか微妙なところだ。

 

 直接会いに行こう。馬車ならひと月弱だが、偵察ドローンなら一時間だ。仮眠も取れるし。

 

『イーリス、居城直近の偵察ドローンを中庭の駐機場に待機させてくれ』

[了解。ディー・ツーを向かわせます。……艦長、本日は働きすぎです。どうかご自愛ください。この星系の最高指揮官なのですから]

『下士官に暇なし、ってやつだな。俺は指揮官には向いてないらしい』

[…………]

 音声モードをオンにしたまま、イーリスは沈黙した。たぶんイーリスにその機構があったら盛大に溜息をついていることだろう。いつもすまないな。

 

◆◆◆◆

 

 大司教に会うので普段着というわけにはいかない。航宙軍の正装に着替えて中庭に出た。すでに偵察ドローンは待機している。ハッチから狭苦しい貨物室にもぐり込み、シートに横になった。

『ナノム、到着するまで聴覚情報をカット、着いたら起こしてくれ』

[了解]

……

[到着しました。起きてください]

 まだ横になったばかりだぞ……といいかけて仮想スクリーンの表示を見る。すでに六十五分も経過している。睡眠というより意識が飛んだみたいだ。そろそろご自愛しないとだめなようだが、もうひと頑張りだ。

 

 上空から見る王都は寝静まっていた。司教座聖堂上空で周回しているディー・ワンからの三十分前の映像では、まだゲルトナー大司教が起きていて、聖堂に隣接する居住区、四階の部屋で行ったり来たりしていた。時々ベランダに出てきて夜空を仰いでいたようだ。かなり重症だな。

 ようやく五分ほど前に床について眠りに落ちたようだ。

 

 司教座聖堂は尖塔そのもので周囲の建物から屹立している、ドローンを着陸させる場所がない。王都の大広場に着陸するのも距離がある。早く帰りたいんだけどな。

 幸いポケットに魔石が何個か入っていた。偵察ドローンから飛行魔法で降下しよう。なにも難しいことはない。航宙軍の降下訓練でやった高高度降下、低高度開傘の要領でやればいいだけだ。

 

「ディー・ツー、ハッチを開けろ」

[本機は地上一千メートルの高度にあり、ハッチを開けることはできません]

『イーリス、ドローンに上位権者としてオーバーライドしろ』

[艦長、不確実な魔法に頼るのは危険です]

『俺が飛行魔法を使うのは何度も見ているだろ』

『練習も含めて、使用回数十七回のうち、四回失敗しています。いずれも魔素エネルギーの補給時点で発生しています』

 イーリスは本当に心配性だな。成功確率は七十五パーセント以上あるじゃないか。

『わかった。四十メートル上空でホバリングしてくれ。それぐらいなら制動に魔素はあまり消費しないだろう』

[了解]

 

 ハッチが開いた。眼下の王都は城壁の篝火を除けば、すっかり灯火は消えている。

 ……けっこう高いな。いまさらやめるとはいえないか。ハッチを飛び出して俺は叫んだ。

「エアバレット!」

 黙っていても可能なことは分かっているが、こんな状況では心理的に叫んだほうが落ち着く。魔法も確実に稼働するような気がする。

 

 俺の足元で発動した風魔法は渦を巻きながら確実に俺の体を支え、ゆっくりゲルトナー大司教の居室にあるベランダに降りていく。……四十メートルにしてよかった。

 

 

 ベランダの鍵はかかっていない。何度も行き来するからだろう。

「ゲルトナー大司教」

 答えはない。死んでいるかのようだ。ベッドの上で微動だにしない。

 あまり手荒なことはしたくない。そうだ。ライト魔法を使おう。

「ライト」

 

 “” カッ!! ””

 

「眩しっっっ!」

 悲鳴を上げた司教が目を覆っている。

 しまった。軽く光らせるつもりが、激光がゲルトナー大司教を直撃してしまった。大樹海の影響で俺の魔素出力は劇的に向上していたんだった。しかたないな。暗闇の中でも問題はない。俺はライト魔法を中止して、視覚を暗視モードにした。

 

 そう、夢の話だ。こんな状況で話すのはちと非現実的な感じがするが、手早くすませよう。司教はねちっこく質問する上、話が長いからな。

 

「アランだ。夢の話を伝えに来た。冬至祭の宵越しの祭儀にイザーク様が姿を表す」

「ア、 アラン様?!、王都にいらしていたのですか?」

「いや、ちょっと寄っただけだ。すぐに戻る」

「ぜひ、枢機卿様にお会いになってください! もう私の言葉は信じてもらえないのです!」

「心配するな。宵越の祭儀に必ず現れるだろう。それと一つ頼みがある」

「なんなりとお申し付けください」

「祭儀の中で我が植民地を祝福してほしい。そしてイザーク様の庇護の下にあることを知らしめ、植民地を襲うものに災いが下る、と。王都に植民地の発展を妨げようとする者たちがいる。信仰の子らを守るために尽力せよ」

「はっ。つつしんでお受けいたします」

 司教は俺にひざまずいた。

 

 よし、伝えるべきものは伝えた。早く帰ろ。

 俺はダッシュしてベランダから跳躍した。飛行魔法を展開、上空で待機するステルスモードの偵察ドローンがハッチを開放して内部の光が漏れた。まるで光の輪のように輝いて見える。

 飛び乗った俺が下を眺めると、大司教が驚愕の表情で空を見上げていた。よし、確かに伝わったようだな。俺はハッチを閉めた。

 

『ディー・ツー、帰投だ。ナノム、』

[到着時に起こします]

 

 ふぅ。……今日は忙しい一日だった。

 

 



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鋳造機

[朝です。起きてください]

 夜おそくても定時起床は兵の努めだ。まだ疲れを残す体を鞭打って俺はベッドから体を起こした。窓からは冷たい冬の陽が室内に長い影を落としている。

 肉体的には過剰に生成された疲労物質はナノムが分解してくれるので無問題のはずだが、なんか疲れた。

 

 決めた。今日は休暇にしよう。

 一昨日の幹部会で俎上に上がった問題はほとんど潰した。このあいだ樹海で取って来た樹液糖はたっぷりある。午前中は甘味でも作って、昼に孤児院でふるまってやろう。

 午後は樹海の湖に行って、魔法と剣技の練習といくか。エルナがまた新しい技を考え出したみたいだし、この間の模擬戦みたいな失態は二度とごめんだ。

 

 朝風呂を浴びて頭をはっきりさせると、突然名案が浮かんだ。

 いまのところ、エルナの新型風魔法――名前はまだない――を回避する方法は思い付けていない。

 宇宙空間の戦闘でも電磁パルス系のショックウェーブを広域に放つ兵器はいくつかあるが、一対多の近接戦闘になった場合は非常に有効な手だ。出力は低くても出力円の内部にある戦闘艦はひとたまりもない。こんなときは影響圏から急速離脱し、遠距離からピンポイントでショックウェーブ兵器を積載する艦を潰していくしかない。

 

 対エルナ戦でいえば、彼女の魔法は広域に広がりつつも防具を打ち砕くだけの力があるのが最大の難点だ。一度でも触れたらそこで勝負は決まる。おそらく消費する魔素の量も膨大に違いない。連続して使えないのでは……。それに風魔法と言えどライトアローよりは遅い。

 お、なんかいい感じで解決法が見えてきたぞ。

 

『おはようございます。アラン、本日のご予定です。仮想スクリーンをご覧ください』

 セリーナか。せっかく名案が浮かびそうだったのに。

『今日は休暇にする』

『すでに予定は埋まっていますが』

 

 仮想スクリーンを展開してスクロールする。

 ギニー・アルケミンの検分

 孤児院を訪問し魔力のある児童と接触

 拠点の商業ギルドにて契約書の査読

 拠点の司祭にゲルトナー大司教宛の返書

 地中探査機の設置作業

 ……

 ……

 

 なんだかんだで十項目近くもある。今日中にこなせるかどうか。

 シャロンもセリーナももう働いているのに俺だけ休みはないか。休むときは皆と合わせよう。

 最初に孤児院に行こう。たしかシャロンが報告書を送ってきてたな。俺は厨房の隣りにある小食堂へいった。このところ朝食はここで取ることにしていた。誰もいない大広間よりずっと落ち着く。魔石冷蔵庫を除くとビッグボアのベーコンと卵があった。ベーコンエッグ一択だな。

 鉄製のフライパンにベーコンを並べ、じゅうじゅう音がするまで加熱する。いい感じだ。この脂が焦げる匂いは宇宙船の中では決してかぐことはできない。卵を割り入れ、湯をさして蓋をする。パン籠から堅パンを取り出して薄く切っておく。

 

 朝食を取りながら、シャロンの報告書を仮想スクリーンに表示して流し読みする。

 魔法の才があるのはマリーとユッタの二名。たしかこの二人はシャロンとセリーナが悪辣な借金取りから助け出して身元を引き受けたんだった。

 報告書はシャロンが探知魔法をつかって、体内の魔素量をはかって記録していたものだ。この二人だけが突出して高いという。理由については不明。長女のユーミに聞いたところ遠い祖先に魔法使いがいたらしい。魔法って遺伝するのだろうか。

 

 これでは直接会いに行ってもわかることはあまりないだろう。年齢や性別に関係があるのかないのか、場所の影響はどのくらいあるのかなど、あまりにも俺に知識がなさすぎる。

 ガンツにひとっ飛びしてシーラギルド長に……だめだ。薬種さがしの長旅に出ているんだった。となるとこの城館の中で一人だけ詳しそうな人物がいる。

 

『セリーナ、エルナはいまどこだ?』

『リアと一緒に地下の稽古場で剣技の練習中です』

 剣技か……嫌な予感がする。

『ひとっ走り行って、二人を図書室に連れてきてもらえないか』

『たまには一緒に練習でもされたらいかがですか』

『まだエルナに勝てる自信がない』

『じつは私もです。図書室で合流します』

 コンバットレベルが俺より上のセリーナもまだ勝ち筋が見いだせないらしい。やはり図書室に来てもらうのが正解だ。

 

◆◆◆◆

 

 居城の二階にある図書室は王都の廃業した古書店から入手した書籍を納めている。一千冊の書籍の中から有用なものを選別し、セリーナたちと三人がかりですべて目を通して、イーリスには送信済みだ。目を通しただけで俺の頭にはほとんど残っていない。

 

「アラン、せっかく久しぶりに朝の練習をしていたのに。よほど重要なことなんでしょうね」

 図書室に入った二人はまだ身動きしやすい練習用の上下を着ていた。防具をおいてすぐに来てくれたようだ。

「まあ、すわってくれ。お茶も用意してある」

「ずいぶん手際が良いですね。アラン」

「練習を中断してしてもらったんだからこれくらいはするよ」

 

 三人がソファに座った。報告書を書いたシャロンは午前の授業ですでに孤児院に行っていた。子どもたちは午前中が勉強、午後からはそれぞれ建築や裁縫、鍛冶職などの親方について仕事を学ぶことになっている。

 

「実は子どもたちの中に明白な魔法の才を持つものが現れた。ふたりとも女の子だ。まだ十四歳と十三歳だ。才能を見出したときの育て方を知りたい」

「アラン、その子をすぐに普通の子供とは離さないといけないわ」

「そうですね。もう遅いかもしれません」

 

 よくわからない。魔法を持っているものは嫌われたりするんだろうか。

「よければ、そのあたりのことを詳しく教えて欲しい」

「エルナ、アランは基本的な知識が本当にないようだ。わかりやすく説明してやってくれ」

「……わかりました。人間は魔法の才能があるものとないものに分かれます。それがはっきりするのが十三歳前後と言われています」

「なんで普通の子供と一緒にしたらだめなんだ」

「自分の能力に気が付かなかったり、気づいてもそれを隠してしまうから、と言われています。私の場合は父に早くから認められ、魔法の師につけてもらいました」

「クレリアもそうなのか」

「王族には魔法属性を持つものが多いから、必ず魔法を学ばなければならない」

「ということは才能のある子どもを集めればいいんだな」

「まずは師の指導が必要です」

「エルナはできるのか」

「アランのほうが適性があるのでは」

「俺が魔法を使えるようになったのはクレリアと出会ってからだよ」

「ええっ!」

「エルナ、これは話したと思うが、私が火魔法を見せるまでアランは魔法を見たことも聞いたこともなかったのだ。それが今のレベルに到達するとは信じがたいが」

「そんな事ありえません! 思春期を過ぎて魔法力が発現することはないとされています」

「俺の場合は特別なんだろう」

「アランがまだ思春期を終えていない可能性が高いのでは」

「そうかもしれない。本当の大人なら淑女をほっておかないはずだ」

 ……理解不能だ。笑っているところを見ると冗談なのだろう。

 

「これからは魔法力がある児童は選別して特別クラスに入れよう」

「私も協力しよう」

「ありがとうクレリア。これとは別に一つ頼みたいことがある」

「なに」

「ギニー・アルケミンだ」

 

 

◆◆◆◆

 

 

「これがギニー・アルケミンか。意外と大きいな」

 高さ五十センチ、一メートル四方の金属の箱だ。台座は二十度くらいの傾斜を本体に与えるように作られている。上端と下端に蓋付きの開口部がある。上端に何かを入れると下から生成物がおりてくるような構造だ。

 

 城館の地下倉庫に運び込まれたギニー・アルケミンは天井の魔石ランプの光を筐体から反射させていた。そっと手を載せてみる。

『ナノム、分析しろ』

[了解……。アルミニウム合金です。元素構成比を明示しますか]

『詳細なデータはイーリスに送れ』

[了解]

 ……やはり、か。

 

「ギニー・アルケミンがこんな形をしているとは知らなかったわ」

「たしか王太子にしか継承されないんだったな」

「操作することができるのは王と筆頭王位継承者だけ。私にはわからない」

「ギニー・アルケミンについてそれ以外のことは知らないんだよな」

「私は王位継承順位が二位だったから、最小限のことしか知らされていない。スターヴェークのギニー・アルケミンがどこにあるかもしらないし。ただ、魔石で動くとは聞いた」

 

 台座に載せられた箱をぐるりと回ったがそれらしいものはない。この台座は運搬用で、稼働時は立てるんだろうか。俺は片手で箱を押し上げてみる。けっこう重いな。

 お、台座に隠れていた部分にもう一つ小さな開口部がある。

 

「ア、アラン」

 クレリアとエルナが固まっている。ん、どうしたんだ。

「大丈夫なの?」

「なにが?」

「ここに運ぶときに兵が四人がかりだったのに」

 うっかりしていた。調べるのに気を取られて、身体強化モードで箱を挙げていた。俺はそっと台座に箱を戻した。

 

[艦長、城館の工場内では精密な分析はできません。ぜひとも艦に収納しなければ]

『発着場が完成してもそれは賛成できないな。未知の作動原理で動く機械だ。万一、コンラート号内で爆発でもしたら被害は甚大だ』

[そのような危険はないと思われますが]

『イーリス。俺はもうこれ以上コンラート号に損害を与えたくない』

[ありがとうございます]

 

 ギニー・アルケミンに触れて開口部をのぞいていたクレリアが言った。

「アラン、一つ思い出したわ。ギニー・アルケミンはアーティファクトなんだけれど、数は限られているそうよ。みんな遺跡から発見されたものなの」

 じゃあそれを独占したら、この世界は俺のものだな。というのは冗談だが、この大陸では強国しか所有していないのか。それを巡る争奪戦も過去にはあったことだろう。

 

『イーリス、ギニー硬貨はどこの国でも同じなのか」

[これのほかに貨幣は確認されていません。王都の文献によると大昔には沢山の種類が流通していたようですが、硬貨の品質が安定しなかったので、ギニーが流通すると廃れたようです]

 

「今日はこれくらいにしよう。これ以上はわからない。操作を知っていそうな人間を連れてくるのもいいかもしれないな」

 解体して壊れてしまっては俺たちの強みがなくなる。慎重に調査していくほかはないようだ。まずは魔石を入れて稼働試験くらいはするべきだろう。

 

 ん? クレリアが俺の右腕を掴んだ。次の瞬間、エルナが素早く俺の左腕を固定する。

「アラン、せっかく地下まで来たのですから少し足を伸ばしませんか……稽古場まで」

「エルナの言う通りだ。樹海に出かけては一人で魔法練習を重ねているのはずるいぞ」

「それなら私も参加します。実は考えていることが」

 セリーナまでも……。

 

 仕方がないな。実はこんなこともあろうかと……。

 



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さらなる加速

 加速魔法には深刻な欠点がある。

 通常の三倍速を二秒間継続できるが、筋肉や腱に大きな負担を与えるため、治癒魔法と併用する必要がある。治癒中は加速の優位性は失われる。

 加速・治癒・加速・治癒……。断続的な速度変化は初見でない限り、簡単に見切られるだろう。かつてゴタニアの街でダルシムを始めとする近衛たちと戦ったときは、向こうも初めてだったからな。くり返し使えばかならず欠点は露呈する。

 

 負担がかかる原因は加速にムラがあるためだ。体全体で均等に加速できていないのだ。手足が三倍速で質量の大きい胴体がわずかに遅れるだけで、関節に多大な負担がかかってしまう。急停止するときも同じだ。

 速度を落とせば体の負担が少なくなり、稼働時間も伸びる。例えば通常速度の五割増し程度におとすと持続時間は四秒になる。これでは加速の優位性はだいぶ下がる。エルナくらいなら見切られてしまうだろうし、広域の風魔法は回避できない。

 

 俺はもっと早く、もっと長く加速し続けたい。

 

 体全体で均等に加速・急停止ができるようにならないかと思ったが、剣技と併用するのはかなり難しい。ナノムでも体全体の速度を負担なく実用レベルで調整するのはお手上げだった。どうしても治癒魔法のお世話になってしまう。

 結局、解決の見通しが立たないまま、俺は新加速魔法の開発を断念していたのだが……。

 現状、エルナの風魔法を光魔法で打破する案はまだ煮詰まっていない。

 あれを使うしかないか。

 

◆◆◆◆

 

 倉庫の隣りにある稽古場では二人分の防具がすでにおいてあった。練習中に呼び出したクレリアとエルナのものだ。セリーナも自分用の防具をつけている。俺はもちろん、エルナに言われるまでもなく防具なしだ。

 

「クレリア様、対戦相手はいかがなさいますか」

「そうだな、まずはエルナの新しい剣技をアランに見せてやったらどうだ」

「分かりました」

「エルナ、最初に私と対戦しない?」

「いいでしょう。セリーナ。自信がありそうですね」

「少しだけ」

 

「アランは今回も防具なしで。魔法も」

「分かった。水、火、土、光魔法は使わない」 

「ほかにあるんですね」

「さあ」

「まあ、いいでしょう。セリーナの次ですね」

「相変わらず強気だな」

 

 クレリアを見るとなぜか笑みを隠しきれていない。何か企んでるな。

 シャロンがいないので俺が審判役だ。

 稽古場の中央で二人は向かい合っている。

「ふたりとも準備はいいか」

「はい」

「準備できています」

「はじめっ!」

 

 驚異的な速度でセリーナが木剣を振り下ろす。対するエルナはかろうじて受ける。

セリーナのやつ、近接戦に持ち込んでエルナに風魔法付きの太刀を振らせないつもりだな。小刻みに刻んでいく戦法らしい。

 短く素早い木剣の打撃が続く。エルナの額に汗がにじむ。セリーナの戦法が予想外だったらしい。それでも近衛随一の腕前はだてじゃない。セリーナの一撃一撃を確実に受けている。

「ウインドカッター!」

 剣を構えたまま叫んだエルナを中心として光り輝く円環が現れ、急拡大した。

 バキッ! という音と同時にセリーナの防具が弾け飛ぶ。エルナの背後の壁にも亀裂が入った。

 だがセリーナは怯むことなく打ち込みをやめない。むしろ速度が早くなっている。

 一撃、二撃、三撃……。

 さすがのエルナも善戦するがかろうじてと言った感じだ。

 これは……まさか。

 突然、エルナの木剣が折れた。

 

「そこまで! ふたりとも大丈夫……」

 といいかけて、言葉が続かない。二人の顔つきが尋常じゃない。息を切らしたまま真っ青な顔で互いを睨んでいる。本気かよ。

「やるわね。エルナ。……あの状態でウインドカッターを使うとは」

「セリーナも……。直撃しても平然としているとは。さすがです」

 

『セリーナ、加速魔法を使ったな。それも打ち込む瞬間だけだ』

『はい。エルナの新魔法に勝つには超接近戦でこれを使うしかないと』

『たいしたもんだ』

『コンバットレベルが八十五のかたに言われたくありませんね』

 いきなりセリーナは剣を取り落とした。手やひじの腱をやられたんだろう。自分でヒールを発動して、全身が治癒の光に包まれていく。

 

「エルナ、怪我はないか」

「クレリア様、残念ながら負けのようです」

「いえ、引き分けよ。エルナの木剣を折ったときに、もうそれ以上続けられなかったから」

「というわけで引き分けだな。エルナも凄いな。ウインドカッターを自分を中心に周囲に放つとは」

 エルナは何も言わず笑みを返した。目は笑っていない。闘志満々だな。

 

「エルナ、しばらく休め。アランは私が倒す」

 言い切った! どこからそんな自信が湧いてくるのか。

「いえ、これくらいなら大丈夫です。アランはなにか魔法を使うようなので私も助勢します」

「いいだろう。セリーナ、すまないが審判を頼む」

「了解」

 ヒールを終えて手を開いたり閉じたりしていたセリーナは壊れた防具を拾って場外に持っていく。

「アラン、剣は使わないの」

「どちらか一方が戦闘不能になれば勝敗は決まる。試合と言えど女の子を木剣でなぐるのは俺の趣味に合わない。そっちは遠慮しなくていいぞ」

「あまり見くびらないほうがいいと思いますよ。アラン」

「エルナも全力を出し切ってくれよ。あとで後悔しないように」

 エルナの顔つきが変わった。いいぞ。最高の技を見せてくれ。

 

 

 クレリアとエルナは俺と向かい合って、横一列になった。

『ナノム、二人の体の魔素分布を視覚にオーバーレイしろ』

[了解]

 二人の体が胸のあたりを中心として輝き出した。以前よりも遥かに強い光だ。心臓から手足に向かってエネルギーの流れがあるようだ。この輝きからすると、始まってもいないのにすでにチャージしているな。クレリアはフレイムアロー、エルナはエアバレットだろう。

 準備万端だな。こころなしか二人の魔素エネルギーの脈動がシンクロしているようにも見える。相当練習していたようだ。

 

「三人とも準備はいいですか? では始めっ!」

 クレリアは直進し、エルナが背後にまわった。同時に”八つの”輝く光点が俺に放たれる。

 嘘っ。これまでせいぜい四個だったのに……と思うまもなく光点はそれぞれ四つに分裂、クレリアの前面を三十二個の光点が面状に広がっていく。まずい。

 

 加速魔法でかろうじてフレイムアローの射程外に出る。

「エアバレット!」

 俺が逃げる方向を確認した上で発射したな。残念だがこっちの加速が早い。俺の加速能力は二秒から二十秒ほどに伸びている。

 

 

 極地での対ドラゴン戦で俺は一つの知見を得た。

 傷ついた黒ドラゴンの治療には数時間を要したが、そのあいだに間欠的に一回ずつヒールを使用するのがめんどくさくなった。俺はファイヤーボールやフレイムアローを放出直前で複数チャージしておくことができる。つまり治癒魔法をあらかじめたくさん用意しておいて、連続的使用できないか……?

 あっさりナノムはやってのけた。一回の発動で何十回分ものヒールを連続的に発動することに成功したのだ。

 ここに新加速魔法のヒントがある。動作原理はわかってしまえば簡単だ。

 俺はとどまることなく加速し続け、治癒し続ければいい。腱や関節がほんの僅かでも異常があれば、その瞬間に治癒される。言い換えれば動作中は自身の加速によって体が傷つくことはない、というか常時治癒中の俺は傷つくことができない。

 ただし、この魔法には莫大な魔素を消費する。

 

 

 エルナのエアバレットを回避した俺はすかさずクレリアの前にたった。軽く足払いをかけると唖然としたまま、床に尻餅をついた。

 次はエルナだな。クレリアが倒れても戦闘をやめないつもりらしい。

 エルナは気合とともに木剣を横薙ぎに払った。が、新風魔法の範囲内にすでに俺はいない。加速跳躍してエルナの前に降り立つ。しかしエルナは躊躇なく木剣を袈裟懸けに振り下ろした。こわっ。殺す気か。

 音で肩にひびが入ったのがわかる。痛みはない。ただ俺の体から発する光が激しくなっただけだ。治癒魔法が増強されたのだ。

 輝きに一瞬怯んだエルナの鳩尾を軽く打ち、木剣を取り上げた。

 俺の傷はもう治っている。

 

「そこまで!」

 

「エルナ。怪我はないか。今のエアバレットはなかなか良かったぞ。発射時間、速度も的確だった。相当手練の剣士でもあのエアバレットは回避不可能だったろうな」

「私が考えた新しいフレイムアローが回避されるなんて……。アラン、体が光っているように見えるけど」

「治癒魔法の連続稼働だよ。加速魔法とセットで使うんだ」

「加速魔法?」

 

 俺はできたばかりの混合魔法について二人に話してやった。

「そんな魔法があるなんて」

「これではアランには当分、勝てませんね」

 

 当分……ね。エルナはまだやるつもりらしい。

 それにしてもさっきの袈裟懸けは怖かったな。治癒魔法がなかったらどうなっていたことか。エルナは本当に俺には容赦ないな。

 



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新たなる攻勢

「……ン艦長! アラン艦長!」

「はい、起きています!」

 条件反射で飛び起きた。イーリスのやつ、聴覚刺激が強すぎるぞ。

 眠っていたのか。さっきまで稽古場にいたような気もするが。

 

「アラン!」

 なぜ俺の居室にクレリアがいるんだという疑問は直ちにどうでも良くなった。クレリアが泣いている。なんとエルナまでが目が真っ赤だ。セリーナとシャロンもいる。

「一体どうしたんだ」

「鍛錬場でいきなり倒れたの。たぶん魔力切れよ。初心者でもめったにやらないのに……馬鹿じゃないの……ほんとうに心配し、」

 あとは言葉にならない。クレリアは手で顔を覆った。

「心配させてすまない。すこし調子に乗りすぎたみたいだ」

「あんな馬鹿みたいに魔法力を使うから! アランは魔法を覚えて一年もたっていないのを忘れたの?」

「そうだな。少し魔法を使えるからといい気になっていたな」

 魔法の修行には何年もかかるみたいだ。俺は基本的なことは何一つ知らないままナノムの力を借りて魔力だけを増大させてきた。そのツケがきたのだろう。

 シーラギルド長の話していたのはこのことか。大樹海の影響で魔力が増した人間は魔力に取り憑かれるのかもな。

 

「アラン……」

 エルナも俺の名を呼んだまま、言葉が途切れた。

「エルナのせいじゃない。新しい魔法になれてなかった俺が悪い。……まあ、最後のエルナの一撃は少し、きつかったかな? 次の対戦には俺も木剣をつかうことにするよ」

 エルナは突然踵を返すと、俺の部屋から出ていった。

「エルナを許してやってほしい。最後の一撃でアランの治癒魔法を全開にしてしまったと悔やんでいる。私も今まであんな動揺したエルナは見たことがない」

「むしろ手を抜かず全力できたエルナは褒められるべきだ。だから気にしてない。気になるのはクレリアの体調だ」

「私の?」

「以前、ファイヤーボールを連続で三十発で魔力切れになると言っていたけど、今日は一度に三十二個だ。クレリアはなんともないのか」

「感覚的にはもう一組を余裕で使用できる。ここに来てから魔法の調子はほんとうに良くなっている」

 ……やはりそうか。これからも魔力上昇は続くのだろうか。

 科学教育を推進するはずの俺がすっかり魔法にのめり込んでしまった。

「クレリア、俺はもう大丈夫だ。魔法の使い方には注意するよ。心配かけてすまない」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 みんなが各自の居室に戻ってから、ARモードを起動する。

 待ち構えていたかのように、イーリス、セリーナ、シャロンが制服姿で現れた。

『イーリス。どれくらい俺は気を失っていたんだ?』

[約二時間です。身体データには異常が見当たらないのに意識が戻りませんでした]

『起こしてくれてありがとう。心配かけたな』

[魔法の扱いは気をつけねばなりません]

『エネルギー供給を忘れて全力にしたのが良くなかったな。いつもなら魔石を携行しているんだが』

 

『アラン』

『セリーナ、シャロン。すまない』

『魔力切れのことは聞いていましたが、いきなり倒れるとは』

『ずっとイーリスがアラン艦長に呼びかけていたんです』

[当然です。アラン艦長にもしものことがあれば、私は宇宙のゴミになってしまいますからね]

『一番俺を心配してくれたのはイーリスだったみたいだな』

[もちろんです。艦長]

 

『それより、エルナが心配です。さきほども廊下で涙をこぼしていました』

『エルナは感情が極端だな。……もうこの話はやめよう』

 俺はエルナを責めるつもりは毛頭ない。ただ彼女の気性があまりにも一途すぎるような気はする。

『アラン、今日の執務はどうなさいますか。ご体調がよろしくなければ明日に順延しますが』

『構わない。魔法を使わなければ大丈夫だろう。何かあったのか』

『サイラスギルド長が面会を希望しています』

『もう来ているのか』

『はい。拠点の商業ギルドにいます』

『会おう。こちらから出向く。クレリアは今何をしている』

『自室にいます。エルナも一緒です』

『二人には知らせなくてもいい。セリーナも同行してくれ』

『了解』

 

 サイラスギルド長が来るとは、例の化粧品販売の話かな。いや、それならカリナだけでも十分だろう。醸造用の蒸留器は第一号が引き渡し目前だ。それにしたって期限はずっと先の話だが……。

 

◆◆◆◆

 

 商業ギルドに入ると中には誰もいない。今日は休みなのだろうか。

 ギルド内の内装はガンツのそれよりも規模は小さいが、支店にしては素人目にも良い家具を使っている。ドラゴンの競売でかなり儲けたらしいな。

 窓口からカリナが現れた。

「アラン様。お呼びくださればこちらから伺いましたのに」

「いいんだ。まだ完成してから来たことがなかったからな」

「どうぞこちらへ」

 

 招かれた先は応接室で、すでにサイラスさんが待っていた。

「よう、アラン。元気そう……でもないか。顔色が青いぞ」

「貧乏暇なしですよ」

「お前が言うと嫌味に聞こえるな」

 サイラスさんと話すときは虚礼廃止だ。肩のこらない会話ができるのはありがたいが、気を抜くとひどい目にあう。油断は禁物だ。

 

「化粧品の話をカリナから聞いたぞ。この話は当然、うちの商会が手掛けるが販売手数料についてはちょっと難があるな」

 始まったか。値切り攻勢かな。化粧品の潜在的な市場はサイラスさんなら俺よりよくわかっているはずだ。俺と魔術ギルドが丸儲けなど黙って見ているはずがない。

 

「……という話はあとにしよう。アラン、俺の得た情報だと、近々この植民地に王都から査察団がくるらしい。王都の商業ギルド本部ではその話で持ちきりだそうだ」

 

 査察とは穏やかじゃないな。

『イーリス』

[王都で入手した書物によると開拓状況を調べ、王都に報告する調査団です。開拓が遅れていたり、不祥事があると開拓が中止になることもあるようです]

『例の伯爵家の樹海開拓を失敗と断定したのも査察団か』

[はい]

 

「王都のギルド本部では数十年ぶりの開拓ということで、市場の拡大を見込んでこの植民地には期待している。ところが査察団が派遣されると聞いて、入植希望者の間にも動揺が広がっている」

「別にやましいことはしていませんが」

「アラン、査察団というのは、普通は開拓がある程度進んでからくるものだ。ところがまだ三ヶ月もたってないこの時期に来るってことは、開拓が失敗しかけてるんじゃないかとみな恐れているんだ」

 

 ようやく俺にも事態が読めてきた。バールケ侯爵一味は私兵を使ってギニー・アルケミンを奪還するのを諦めたんだな。かわりに開拓地調査の名目で査察団を送り込んで、こちらに過ちが少しでもあれば攻撃材料にするつもりだろう。

 

『アラン、この話は一度引いて主要メンバーで検討すべきです』

『わかった。セリーナはイーリスと共同して査察団対応について調べてくれ』

『了解』

 

「植民地だけでなく俺の商会の存亡もかかっている。アランからの技術供与がなければ、商売も上がったりだ。査察合格のためできるだけのことはしよう。アランには対策があるのか」

「一旦この話は持ち帰って検討したほうがいいですね。それからサイラスさんに頼むこともあるかもしれません」

 

「わかった。カリナ、茶を頼む」

「はい」

 カリナが席を立って出ていく。

 

「アラン、最近カリナの様子はどうだ? 俺もあいつに仕事を任せれば安泰だが、なにぶん女の身だからな。今後も植民地の成長には商業ギルドは必須だ。これからもいろいろと手を差し伸べてやってくれ。俺からも頼む」

 珍しいな。サイラスさんがこんなことで頭を下げるなんて、意外と部下思いなのかもな。

 

 カリナが茶器をもってくると、サイラスさんは声を大きくして言った。

「さて、化粧品の話だが、この契約内容では魔術ギルドが強欲すぎだろう。そこで俺から提案なんだが……」

 強欲という言葉がサイラスさんの口から出るとは思わなかった。契約の話は長くなりそうだな。

 

 



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偽装作戦

 長い契約話を終えて商業ギルドを出ると、外は雨が降っていた。すっかり暗くなっている。

 念のため持ってきた防水フードで凌ぐとするか。セリーナも同じものを持ってきている。いつの間にお揃いにしたんだろう。シラーとタースにそれぞれまたがると城館へと向かった。

 

 雨音のおかげで思い出したことがある。

 来年の作付けまでに天気予報ができるようにしたかった。が、予報演算は計算リソースを膨大に消費してしまう。交換用のプロセッサモジュールもまだいくつか残っていたから、それを天気予報用にするか……。いやだめだ。

 イーリス本体のメインモジュールの交換用にとっておくべきだろう。天気予報は農業だけでなく、戦略的にも非常に重要だ。計算メッシュの精度を落として概略的に計算するのはどうだろうか。

 

『アラン』

『なんだ』

『今、私のナノムで計算したのですが、先程の契約内容と需要予測では再来月の給料支給はなんとかなりそうです』

『もう少し余力がほしいところだな」

『そうですね。蒸留器、化粧品、調味料どれも本格生産には程遠いです。好調なのは材木販売だけですね』

 城館の地下工場も拡張が必要だな。

 

 濡れた路面をリズミカルに馬の蹄が叩いている。城館の灯が見えてきた。

『もうひとつ、いいでしょうか。リアとエルナのことです』

『分かっている。拠点の教会が完成してからは多少の来客はあったが、手持ち無沙汰だな』

『はい。リアは共同統治と言いながらも何一つ関与できないことに、いらだちを覚えているようです』

『スタヴェーク調査隊のメンバーを早急に決めて、出立式をやろう。全部クレリア主体で』

『分かりました。根回しは私がやります』

『頼む』

『クレリアとエルナを外に連れ出してやってくれ。グローリアたちに会わせてもいいし、地中探査に同行してもらってもいい。俺が一緒にいくのはもう無理だが、セリーナたちがいれば大丈夫だ。必要ならドローンの直掩を何機か上空に配置しよう』

『わかりました。何か考えてみます。案ができましたら一度、お目通し願います』

『分かった』

 

◆◆◆◆

 

 執務室に戻ると、いつのまにか家具が増えている。今度は豪勢な作りの書棚だ。不要だと言っているのに。

 

『イーリス、発着場の進捗はどうなっている』

[作業機械の搬送を終え、本日より整地作業を開始しています。作業配分と工程チャートはこちらをご覧ください]

 

・発着場建設

  汎用ボット四十機、掘削機三台、汎用トラクタ二台

・畑地拡張に伴なう森林伐採(夜間)

  汎用ボット二十二機、汎用トラクタ一台

・地下工場での生産・資材運搬ほか

  汎用ボット十二機

・予備パーツ用

  八機

 

『投下したボットは八十二台だったな。もう十パーセントが機能停止したのか』

[はい。今後、急速に増加していくものと思われます]

 仮想スクリーンの予想値では発着場建設が終わった時点で損耗は三割を超える。汎用ボットは樹海開拓の要だ。地下工場の拡張も予定している。かなり苦しいな。補修用のパーツはコンラート号の艦内工場でなければ製造できない。

『資材は足りているか』

[いくつかの金属元素が不足しています]

『わかった。地質探査を急ごう』

 明日からは午前中は査察団対策、午後からはシャロンと二手に分かれて地質調査だな。

 

『ほかには』

[グローリアが正式に伴侶を選びました。グレゴリーです]

『イーリス、まさかグローリアにグレゴリーを選ぶように示唆したりしてないよな? ……例えば、グレゴリーを選べば俺の配下にドラゴンが増える、とか』

[いいえ。後追いの儀式で最後まで着いてこれたのはグレゴリーですから。グローリアがそれを認めたのでしょう]

 ならいいが、グローリアもずいぶん俺を気遣ってくれている。自分の幸せを第一に考えてほしいものだ。

[グレゴリーから伝言があります]

『俺に? 女神様へじゃないのか』

[族長が配下のドラゴンに伴侶を用意する掟は不変です]

『まさか……』

[配下の若いドラゴンにも伴侶を願っています]

『……それはあとにしよう』

 俺はようやく揃いかけた後ろ髪に手をやる。ほかの大陸にまで遠征してドラゴンを呼んでくるわけにもいかない。

 

◆◆◆◆

 

翌朝。

「商業ギルドからの情報だが拠点に植民地査察団が来る」

 サテライトの隊長格、ロベルトと辺境伯軍のリーダーにも集まってもらった。ライスター卿には最近は内政にかかわる案件には必ず出席してもらっている。全員で三十名くらいになるが大広間は余裕だ。

 

 これだけの人数でも事態の深刻さを理解した者は少ないようだ。

「ライスター卿、植民地査察団についてはご存知か」

「はい、貴族家が最後に開拓に挑んだのが五十年以上前ですので、私も歴史書を紐解いた程度の理解しかありません。一言で言えば、査察に不合格となれば植民地は廃止、貴族家は取り潰しとなります」

 

「なんと!」

「端緒についたばかりというのに」

「査察が早すぎる!」

 参加者に動揺が広がっていく。

 

「ただし、抜き打ちにはならないかと。過去の記録ではそれなりの爵位を持つ者が団長となり、その前に王都から先触れが行われるようです」

「王都までの距離を考えると最短で三十日後、か」

 

「拠点内を自由に調べるということであれば、敵の間者も……」

 さすがにダルシムは鋭い。

「その通りだ。間者どもは査察団の随行員に姿をやつして街中を探るだろう」

「随行員であれば、捕まえることもできないのでは」

「なにしろ王命による査察だからな」

 

 大広間に沈黙が広がっていく。ようやくことの深刻さが伝わったようだ。このままでは敵のなすがままになるということが。

 

「平民から思わぬ形で情報が漏洩しないとも限らない」

「一人ひとりに監視は付けられまい」

「査察団の入る場所を限定してはどうか」

 

 ぽつりぽつりと隊長たちから意見らしきものがでるが、決め手にはならない。

「査察ではどのような観点から合否が判断されるのでしょうか」

 ダルシムの疑問はもっともだ。試験範囲がわからなければテスト勉強できないのと同じだな。

「街がどれぐらい繁栄しているか。つまり人口、生産物などだろう。まだ詳しくは知らないが」

「やはり平民が心配ですな。貴族の随行者が強い口調で攻めれば、あらぬことを喋るやもしれません」

 ロベルトの懸念は正しい。平民は権威には弱いものだ。

「もう一つ問題があります。この街はアラン様の私兵というには兵が多すぎます。査察団が誤解するかもしれません。反旗を翻す拠点と」

「兵は隠しようがない。なにしろ一千名もいるからな。一時的にガンツか大樹海に潜んでも気取られるような気がする」

 

 今までずっと黙っていた辺境伯軍のヴァルターが口を開いた。

「私に考えがあります。民と兵を上手に隠す方法です。……すべての兵士に平民になってもらいましょう」

 よくわからない。武器は捨てろということか。

 

「平民はすべて造成したばかりの東ブロックに退避させます。代わりに平民の服装をしたわれわれが査察団にたえずつきまといます。商業エリアの店員から鍛冶屋にいたるまで全員、兵で固めるのです。職人たちの中には元兵士や傭兵だったものもいます。それら以外は我らが平民になりすまし、査察をやり過ごしては」

 それはいい。兵にも刀鍛冶や馬具制作の技能を持つものもいる。ほかの者も三十日も職人の下で学べはそれらしくなるだろう。

 

「ダルシム、もし随行者が入るべきではない場所に入ろうとしたら」

 ダルシム隊長はニヤリとしながら言った。

「アラン様、そうなれば我々”平民ども”がちょっとした事故を起こします。ご心配には及びません。」

 

 俺があれこれ指示する必要はなかったな。問題に直面すれば知恵も働くというものだ。

「では査察には偽装で対抗する。本作戦の立案はヴァルターに任せる」

「はっ!」

 



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王都から来た使者

 サイラスギルド長からの情報があってから一週間が過ぎた。

 大樹海の地中探査機設置は少しずつ進んでいる。万能調味料はガンツでの販売が始まった。ものすごく売れているらしい。酒の醸造及び蒸留器制作も予定通りだ。

 エルヴィンに商会の酒運搬の護衛を兼ねて情報収集する件を伝えたところ、すぐに動いてくれた。化粧品サンプルの運搬もやってくれるという。話を聞いてみると敵国で探りを入れる場合は商人に変装することもあり、手慣れたものだという。王都にもビットを配置しているがやはり直接聞き込みしなければわからないことは多いものだ。

 

 スタヴェークへの偵察隊もさきほど旅立った。クレリアは出立式にたいそう張り切って演説を行い、一人ひとりに言葉をかけた。隊員たちも感激していたようだ。長い鍛錬期間が終わって実務にもどるので気合が入っている。

 

 ……悪くない一週間だった。

 大事なのは自分が前に進んでいる、という感覚だ。入植して以来の右往左往がようやくここに来て実を結び始めている。前へ前へ……俺たちの目標はあまりにも遠い。

 

◆◆◆◆

 

「アラン様、南門に王都よりの使者が参りました」

 クレリアたちと昼食を取りながら出立式の様子などを話しているところだった。サイラスギルド長の情報は確かだな。

「名は名乗ったか」

「フォルカー・ヘリング士爵です」

 入植したばかりの大樹海の植民地ともなれば、査察団の先触れですら行きたがる貴族はいないだろう。ヘリング士爵はまた貧乏くじを引いたらしい。ご苦労なことだ。性格の温厚なヘリング士爵は王都ではほぼ唯一、俺の味方のようだ。王都への旅で町々の名物料理の話で盛り上がったのが懐かしい。

「居城まで丁重にお迎えしろ。俺も出迎える」

 

 馬車から降り立った旅装姿のヘリング士爵は以前よりも少し太ったようだ。叙爵の件ではかなり気をもんで焦燥しきっていたから、これが普段の体型なのかもな。

 続いて降り立った女性の姿を見てその場にいた全員が息を呑んだ。まるで宮廷舞踏会にでも参列するかのような純白のドレスをまとっている。王都からこの状態で来たんだろうか。

 

「アラン様。お久しぶりでございます。お出迎えありがとうございます」

「遠路はるばる我が拠点にようこそ……こちらのかたは?」

「おぉ、うっかりしておりました。これはわが妻リーナでございます。アラン様のおかげで今の私があることはしっかり伝えてあります」

 思い出した。リーナさんはまだ十八歳のはず。冒険者時代のヘリングが一生に一度の勇気を奮って、オークに襲われていた彼女を助けたのが縁で二人は結ばれたんだったな。リーナさんのほうがぞっこんだとは聞いていたが……それにしても若すぎる。

 そういえば、グレゴリーとグローリアの関係も人間にするとこれくらいかもしれない。グレゴリーの奴め。

 

「主人から、命の恩人とまで聞かされております。主人の命をお救いくださったのなら我が命を救われたも同然、感謝は言葉にしきれません」

 

 いきなりふたりとも玄関で跪いた。

「こんなところでひざまずく必要はありませんよ。さあ、来訪された理由ついてお話ください」

「おぉ、そうでした。王都からの車中、ずっとどのようにお礼申し上げればよいかその事ばかり考えておりましてな」

 フォルカー士爵はあいかわらず、貴族らしからぬ気さくな感じが好印象だ。

「リア殿、お久しぶりでございます。ご健勝でなにより。相変わらずお美し、」

 ガスッと変な音がした。リーナさんがヘリング士爵のかかとを蹴ったように見えたが気のせいだろう。

 

 まず大広間に移動してもらった。いまさら謁見室で貴族のご挨拶は願い下げだ。ヘリング士爵の雰囲気に飲まれたのか、クレリアも何も言わない。

 

 広間に用意していたお茶を囲んで、ヘリング士爵の話を聞くことになった。

なぜか先程までの笑顔が消え、声が小さい。

「実は、大樹海の開拓に着手したアラン様の評判は高く、入植を希望するものも多いと思われます。が、不確かな植民地に民を送るわけにはいかぬと、ヴィルス・バールケ侯爵の発案により、査察団が結成されたのです」

 やはり、侯爵の差し金か。となると侯爵の手駒となる貴族が団長になるだろう。随行団の多くは間者と考えたほうがいいだろう。

 

「貴族の中には時期尚早という意見もあったのですが、あまりに入植を希望する民が多いため、慈愛深いわが王の名により、正式に認められたのです。査察団はすでに王都を出立しており、私はこちらで見聞きしたことをガンツにて一旦報告する手筈になっております。その前に……その、アラン様は貴族家の長として査察受け入れの意思表示が求められております」

 

「もし断ったら?」

「お願いいたします。どうか、それだけは……。もし受け入れ拒否となれば、王命に背くこととなり、私は爵位剥奪の上、最愛の妻とも法的に別れねばなりません」

 ヘリング夫妻はまたしてもひざまずこうとしている。

「大丈夫です。窓から街をご覧ください。すでにこのぐらいの規模を達成している以上、入植が失敗したようには見えないでしょう。自信を持って査察をお受けいたします」

「おぉ! ありがたい。アラン様。査察に合格すればもう王のお墨付きを得たも同然、入植者も殺到するでしょう」

……だといいんだけどな。増えすぎても食糧問題がまだ復活するだけだ。まだ拠点の生産能力は低い。特に冬の間は。

 

 ガンツで報告書を渡す必要があると言うので、セリーナとシャロンに街を案内してもらうことにした。リーナさんはあの派手派手しい衣装でいくらしい。変わった人だ。

 

 

◆◆◆◆

 

「いや、驚きました。これほど施設が整っているとは。とくに金具を回すと自由に湯が出る仕組みは王都にもありませんぞ」

 ヘリング士爵夫妻を迎えた歓迎の宴だ。といっても参加者は念のためスタヴェーク関係者はクレリアとエルナだけにしている。この二人は王都への旅でも一緒だったから疑われることはないだろうとの判断だ。

 メニューは俺が考え、夫妻が街を見学している間に食堂の厨房で作った。たまには調理の腕を振るうのもいいものだ。

 

 魔石シャンデリアの輝く来客用の食堂で、俺とクレリア、エルナ、そしてセリーナとシャロンが席についてた。ヘリング士爵はそのままだが、リーナさんは馬車に一旦戻り化粧直しをしたらしい。

 

「お褒めいただいて光栄です。まだすべてをお見せするわけには行きませんが、査察団が来着するまでには整うと思いますよ」

 兵の偽装計画が、だが。この人にも話すのはよそう。

 

 用意してあった食前酒――サイラス商会向けの特級品だ――が給仕の手で各人のグラスに注がれていく。

「では、遠方からの客人を歓迎して」

 

「これは……」

 言葉を切ったまま、ヘリング士爵は目をつぶった。舌に残る余韻を確かめているかのようだ。

「何という雑味の少ないまろやかな味だ。爽やかな喉越しもまたいい。これほどのものはこれまで飲んだことがありません。まさか、こちらで?」

「幸いに料理だけでなく、酒造りにも才があるようでしてね」

「いや、これは驚きました。以前なんどかアラン様お手製の料理をいただきましたが、酒造りでもこれほどの腕前とは……」

 食通の士爵が絶賛するところを見るとこの酒も上々の仕上がりのようだな。

「さあ、料理が冷めないうちに召し上がってください」

 

 久しぶりの俺の手料理ということでクレリアたちもけっこうな勢いで食べている。やがて士爵も貴族にはあるまじき速度で食べ始めた。

 ……夫人の食が進んでいない。単純作業のように口に運んでいるだけだ。うまくないはずがない。俺は同じ川魚のソテーを一切れ食べる。間違いなく万能調味料だけでなく、くさみのない良質な魚の旨味を感じられる。どうしたのだろう。

「ヘリング夫人、お口にあいませんか」

「いいえ、とても美味しいですわ。実は夫の舌が肥えているせいか、つい食べすぎてしまうので、この頃は控えているのです。決してアラン様の料理が口に合わないわけではありませんわ」

「なら安心しました。ゆっくり召し上がってください」

「アラン様、妻は体重をことのほか気にしておりまして。今のままでも十分美しいのに。いえ、王都ひろしと言えども妻ほど真・善・美を兼ね備えたものはいないと、断言しますぞ」

 そうなのか。

「アラン様、主人の話を真に受けないでくださいませ。ところで、一つ伺ってよろしいですか?」

「何でしょう」

「このテーブルに飾ってある花ですが……」

「これは大樹海にだけ生育しているもののようです。きれいなので持ち帰りました」

「アラン様、百合はベルタ王国の国旗に描かれるほど国民から慕われています。百合の栽培も盛んなのですよ。そのため新しい百合の原種が常に求められています」

 

 食事の手を止めて、ヘリング士爵が話に割り込んできた。

「リーナはとても百合が好きでしてな。妻には高貴な百合こそがふさわしい。百合を手にした妻の姿は天使もかくやというところで、いつかリーナ専用の百合温室を作ろうかと画策しております」

 士爵は夫人にべた惚れみたいだが、平気で思ったことを口にする度胸には恐れ入る。俺だったら命の危険にさらされない限り、こんなセリフを言うことは出来ないし、そもそも褒める相手もいない。

 

「これが百合の一種なのですか」

「私にもいささか心得があります。花弁は小さいですが間違いなく百合の原生種でしょう。育種家の貴族が求めれば、一株百万ギニーは下らないでしょう」

 こんな小さな花が百万ギニーだと?

 居城の一室を温室に改造して、栽培する案が即座に頭に浮かんだ。もうすっかり商売人だな。王都への輸送手段も考える必要がある。

「アラン様、よろしければ心当たりのある貴族をご紹介しますわ」

 夫人の控えめな笑顔はヘリング士爵が惚れ込んだだけはある。夫人はヘリング士爵のどこに惚れ込んだかが未だに疑問だ。それにしても機転が利く上に知恵に富んだ女性だ。士爵も果報者だな。

 

「アラン」

 クレリアがこちらを見ている。

「苗か種があればちょうどいい土産になると思うが」

「まあ、とんでもない。私は僅かな知識をお伝えしただけですのに」

 

「ヘリング士爵がガンツで報告された後はどうされるのですか」

「査察団に同行することになっています。じつは私の報告に偽りがないか確認されるのです。バールケ侯爵はそういうところがありましてね。私は信頼されていないのでしょう」

「フォルカー、そんなことを言わないで。私は永遠にあなたの味方よ」

「おぉ、リーナ!」

 聞いているうちに頭がくらくらしてきた。こういったセリフを平然と言うのが貴族なんだろうか。それともこの二人が特別なのか。

 

 

 ……ずっとあとになって、俺はクレリアから何度もこう言われるようになる。

 

“フォルカー士爵を見習いなさい” と。

 

 

 



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噂話

 デザートの時間になった。

 主菜よりもデザートに料理人の腕の真価が問われるというのが俺の持論で、今回は自信作だ。いや、過去最高作と言ってもいい。

 ゴタニアのタルスさんのところで作った甘味はプリンだった。奥さんのラナさんやカトルの妹も喜んで食べてくれた。今思えば味はお子様向けだったな。

 定番のカラメルシロップもいいが、今回は煮詰めた樹液糖を使っているし、アクセントにアラン酒造(仮)最高の果実酒が隠し味だ。居城の魔石を使った加熱器はこまやかな温度管理が可能で、調理もうまくいった。樹液糖の濃く深みのある味わいはまさに甘美なる大人の味。最高傑作である。

 

 食通というだけあって、フォルカー士爵の健啖ぶりはすごい。デザートも余裕だろう。夫人は相変わらず少食だ。士爵の食味の解説を静かにききながら、ゆっくり口に運んでいる。夫人が主菜のトンカツを切り分けるカトラリーの運び方は実に優雅だった。

 トンカツってこんなに美しく食べられるものなのか。いや、どんな食材でもきれいに食べるように教育されているに違いない。真の良家の子女といえるだろう。士爵よりもずっと上位の家系とは聞いたが……。

 

 クレリアも夫人にデザートを盛んに勧めるのだが、やんわり断られると急に食べる勢いがなくなった。いつも大盛りを爆食する王女様、というのはあまりいないんじゃないか、というのは黙っておいたほうがいいな。

 クレリアの食欲増進は、新たな体組織を作るという治療上の必要性からナノムが食欲中枢を刺激しているためだ。まだ継続中なのだろうか。

 

『イーリス、クレリアの治療は完了したはずでは』

[失った肢体にかわる体細胞の急激な分裂に伴い、細胞自体の老化が部分的に進行しています。ナノムを使ったテロメア補正などの処置には安定したエネルギーが必要です]

『いつ終わる?』

[現在、九十七パーセントまで補塡を終えています。完了予定はおよそ十一日後です]

『それからは食欲はもとに戻るんだな』

[はい]

 

 エルナですらいつもより食べているのに、夫人の節制ぶりは凄い。俺の料理を初めて食べたものはみな夢中になる。だがこの俺史上最高の甘味をもってしても、節制は揺るがない。鋼鉄の意思で自分の食欲をコントロールしているのだろう。

「樹液糖はかなり珍しい甘味ですね。クレリア様、もう召し上がらないのですか」

「クレリア、せっかく作った甘味なのに食べないのか」

「主菜のトンカツとカラアゲでもう十分」

 

 いいつつ、俺の濃厚プリンの樹液糖がけに目が釘付けだ。久しぶりの貴婦人のマナーを見せつけられて内心忸怩たる思いがあるのだろう。よし、もうすこしからかってやろう。

「よかったら魔石冷蔵庫にはまだたくさんあるぞ。こんなに美味しいのに残念だな。普段のクレリアなら秒でなくなるのに、どうしたんだ? 体調でも悪いのかな?」

「今夜はもういいわ。アラン、ありがとう」

 ……なんかクレリアの目つきが怖くなってきた。やめよう。

 

 

 食後酒が注がれ、ありきたりの歓談から王都の話になった。

「ここ数ヶ月というもの、王都ではアラン様の噂で持ちきりです。ドラゴンスレイヤーに始まり、叙爵に盗賊団の捕縛など話に事欠きませんが、実はもう一つ面白い噂がありまして」

 途端にエルナの顔に警戒感が現れる。ここでもし俺がスターヴェーク関係者と行動をともにしている、などという内容であれば看過できない。まずは噂の出所を探らねばならない。発言者を特定後は、場合によっては事後をエルヴィン配下の者に頼むことになるだろう。

 

 こちらの警戒をよそにヘリング士爵はにこやかに話を続ける。酒を飲むと陽気になるたちらしい。

「実は使徒様が人の姿として現れたのがアラン様だと」

「はぁ」

 クレリアが急に脱力した。エルナは吹き出しそうになったのをかろうじてこらえたようだ。俺は当然、貴族様の薄い笑顔をたたえたままだ。この程度で動揺するとはクレリアも修行が足りないな。俺を見習ったらどうだ。

 

「その噂はあるガンツ出身の商人から伝わったとされています。ある日、商人がこちらの街で商売を終え、ガンツに戻ったときのことです。なんとガンツにいるはずのないアラン様が正門から飛び出して来たのを目撃したそうです。さらに正門前の広場で忽然とその姿が消えたとか。これはアラン様が翼でもなければ不可能なこと」

 あの暴動騒ぎの夜だな。周囲への警戒がおろそかだったらしい。もう人目のつくところは歩けないな。

 

「じつはこの街に来る前にガンツで色々と噂を聞き込みました。中には夜中にアラン様が恐ろしい速度で町中を走り回っているとか、なんと悪所でその姿を見たという者も……。いやはや噂話というのは面白いものですなぁ」

「ははは」

 力なく笑うしかない。人の目は恐ろしい。どこで見られているのか想像もつかない。

 

 痛っ。クレリアが足を踏んだ。

「なに」

「いつだったかしら、香水の匂いがしたことがあったわね……」

「なるほど、退魔香はガンツ産でしたか。ほんとうに珍しいですね」

 エルナ、なぜそこで笑みを見せる。

「クレリア、誤解だ。後で話そう」

 

「アラン様……」

「すみません、こちらの話です。続きをどうぞ」

 というか、続きがあるのか。もうやめてほしい。

 

「最近、アラン様のご功績を綴った書が販売されております。元冒険者のハンスなる者が取りまとめたもので、これが王都中の大評判となり、近々劇場化の運びとか。アラン様の役は王都最高の俳優が務めることになっておりますぞ。王都来訪の節は是非、ご観劇するとよろしいでしょう」

 ハンスのやつ……。ダスカー商会から父親の遺した書店を買い叩かれていたのを救ってやったのに。恩を仇で返すとは。本屋の息子だから文才があったのかもな。ハンスに頼まれてドラゴンの話なんかしなきゃよかった。劇場化? やめてくれ。

 脳裏に軌道上のコンラート号から劇場を艦砲射撃するイメージが一瞬浮かんだ。

「アラン。王都に行く機会があったらぜひ観に行きたいものだ」

 当面行く用事はございませんが。いや絶対にいかない。

 

 ……このあたりで一旦閉めよう。

「夜も更けてまいりました。今夜はぜひこちらにお泊まりください」

「ありがとうございます。僅かな従者だけでリーナをガンツに連れ帰るのに不安を覚えておりました。私の珠玉、リーナのためにもご厚意に甘えさせていただきます」

 俺が強引に話をまとめ、歓迎の宴は終わった。

 ヘリング士爵にはしばらく、拠点に滞在するように勧めた。明日には士爵がもってきた査察受諾書へ記名して渡すことになっている。士爵が町中を見て回るときは、もちろんこちらの護衛とヴァルター配下の”平民”が目を光らせている。

 

◆◆◆◆

 

 気疲れの多い日だった。というか毎日が気疲れの連続だ。

さて、今夜も残務整理だ。少々眠い。執務室の中央に立って声を出してイーリスを呼んだ。

『イーリス』

[はい]

『スターヴェーク偵察隊とエルヴィンの護衛隊それぞれに偵察ドローンを一機ずつ配置してくれ。異常があればすぐに連絡するように』

[了解]

『地中探査機の進捗は』

[現在、六十パーセントです]

『もう発着場周辺は地質解析できるんだったな』

[こちらをご覧ください]

 仮想スクリーンに発着場周辺の航空写真が投影された。赤茶けて周囲と色が異なっている部分は土木工事が行われているエリアだろう。発着場のある丘の裾に広い幅で赤いハッチングマークが輝いている。

[このエリアは重金属を主体とする鉱物が豊富に含まれています。比較的浅層に位置しているので採鉱は容易です]

[発着場の開設と同時に鉱物を軌道に上げたい。採鉱施設と運搬路の建設を始めてくれ]

[了解]

『イーリス』

[はい]

『もうしばらくの辛抱だ。不自由かけてすまない』

[ありがとう。アラン]

 

 俺は念のため時間を確認した。まだプライベートな時間ではないな。

『シャロン』

『はい』

『夜中にすまない。頼みがある』

『何でしょうか』

『化粧のことだ』

『アランのお化粧ですか? できなくはないですが』

『違う。リーナさんだよ。彼女には王都で広告塔になってもらう』

『なるほど。滞在中、何度かメイクをお教えして、化粧品のサンプルもたくさん王都に届けてもらいましょう』

『シャロン。これも我々の生存戦略だ。頼むぞ』

『了解』

 

『セリーナ』

『はい』

『明日のことなんだが……』

 

 



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次の一手

 今日はシャロンに代わって、セリーナに地質探査機の設置をするように頼んだ。調査旅行ということでクレリアとエルナも一緒に連れて行ってもらう。当然、移動はグローリアだが、彼女もこころよく返事をくれた。なんだか俺に話したいことがたくさんあるみたいだったが、いつもイーリス経由となるのが奥ゆかしいというか、ドラゴンの族長には直接話せないというしきたりでもあるのだろうか。

 

 すでに四人は今朝早くに城館の屋上から大樹海に向かっている。偵察ドローンは念のため二機、直掩として上空に配置している。ドローンとグローリアがいれば問題はないはずだ。

 

 

『イーリス』

[艦長、至急ご報告したいことが]

『先にグローリアのことを聞きたい。なにか話したいことがあるようだった』

[グレゴリーのことでしょう。これまでも何度か彼について相談に乗っています]

『仲がうまくいっていないとか』

 ドラゴンでも年の差って問題になるんだろうか。だいたいドラゴンは何歳まで生きるんだろう。

 

[原因はどうやら私のようです]

『イーリスはグローリアに言葉を教え始めてから、彼女につきっきりだったじゃないか。感謝することはあっても恨みを買うようなことはないはずだ』

[グレゴリーは私のことばかり話しているとか。つまり女神ルミナスのことです]

 

 嫌な予感がしてきた。グローリアも人間でいえば青年期だからな。付き合い始めた相手が別の異性(?)のことばかり話題にしていては付き合いも難しいだろう。イーリスも今回ばかりは当事者だ。あとで俺が会いに行って話したほうが良さそうだ。

『しばらくの間は、女神様を演じていてくれ。ドラゴンへの影響力は確保しておきたい。いつか彼らの力を借りるときもあるかもしれない。グローリアには少しかわいそうだが』

[了解]

 

『緊急の報告とは何だ』

[艦長、ガンツ近郊を周回していた偵察ドローンからの映像です]

 仮想スクリーンに拡大映像が投影された。ガンツからほど近い街道に沿って五十人くらいの一団がゆっくり進んでいる。一番先頭の騎手が旗印を掲げている。隊商ではないな。中ほどに六頭立ての巨大な馬車が続いていた。

 

[旗印はガンツ伯のものです。王都から自領に戻る途中と思われます]

 まずいな。

 ガンツ伯は俺の王都での犯罪者撲滅作戦で被害を被っている。いまの時点でガンツという直近の商圏が絶たれるのはまずい。査察団とも関係があるのだろうか。まずはご挨拶、というかたちで情報収集に行くべきだろう。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 来客用の食堂で、俺はサラダをつつきながら尋ねてみた。ヘリング士爵は朝だというのにすごい食欲だ。冒険者時代にしみ付いたくせが抜けていないのかな。

「ガンツ伯がこちら向かっているという情報が届いたのだが」

「査察団がお膝元の植民地に来るというので、王都にいるわけにはいかなくなったのでしょう。ユルゲン様には一度、お目通りしたことがありますがたいへん厳しいお方です」

 

「ユルゲン様にお会いしたいと考えている。こちらで事前に知っておいたほうが良いことなど、ご助言いただけないだろうか。失礼があっては今後の付き合いにも支障が出るので」

「ならば、そのあたりの儀礼に王都一くわしい人材が私の横に座っておりますぞ。リーナ、アラン様の頼みを聞いてあげてくれまいか」

「喜んで。アラン様はどのようなことを御知りになりたいのですか」

 

「身分差が大きい貴族のあいだの儀礼、とでもいうか」

「アラン様のお考えはわかりますわ。貴族が王族に接見する場合は厳格なルールがあります。貴族は常に上の存在を意識しながら行動すればよいので、ある意味わかりやすいですが、貴族同士だとかなり微妙ですね」

「爵位の違いで上下関係がわかるのでは」

「そうとも言えません。たとえば侯爵であっても、領地が狭く資産が少ない場合は、財力のある下位の者を無碍にはできません。爵位に応じた領地があるとは限らないですし、陛下のご不興を買って領地を削られた貴族もいます。その背景をよく知らないで行動すると無礼、ということなのですよ」

 

「ユルゲン様と私ではどうでしょうか」

「そうですね……。財力についてはよく存じ上げませんが、王都での知名度はアラン様がはるかに上で、陛下からの信頼もおありのようです。一方でガンツ伯は莫大な税収を背景に王都で暮らし、貴族の間ではよく知られた存在です。ほぼ互角かと。ですが形式上はアラン様の爵位が下なのでそこから始めれば良いと思います」

 なるほど、ありがたい助言だ。別に卑屈になる必要もないか。リーナさんは美しいだけでなく人間関係の機微にも通じているようだな。

 

 対等よりやや下くらいの立ち位置で望んだほうが良いみたいだ。ただ、俺はガンツ伯とつながりのあった犯罪組織を壊滅させている。ガンツ伯がその連中に何をさせていたのかしらないが、快くは思っていまい。

 

「……お役に立ちましたでしょうか」

「もちろんです。ヘリング士爵、私からリーナさんにプレゼントがあります。ぜひお立ち会い願います」

 

『シャロン、準備はいいか』

『大丈夫です』

 

 食堂を出るとシャロンが廊下で待機していた。

「どうぞこちらへ」

「しばらくリーナさんをお借りします」

 

「いったいなにをなさるので?」

「しばらく待ちましょう」

 俺とヘリング士爵は広間に向かった。

 

 広間のテーブルには茶器が用意してあった。シャロンは気が利くな。

「最近、新しい商売を初めまして」

「領地が広い貴族は何かしら産業を興すのが普通ですね。私も広い土地があったら」

「百合園でも作りますか」

「もちろん。ただ私は平民上がりということで、リーナの親戚筋のものに頭が上がらないのです。あまり派手なことはできません」

「親戚の方々が上流貴族なんですね」

「実は、リーナの本家筋はあのバールケ侯爵を含む一党なのです。王宮では並ぶもののない権勢を誇っておりますが、ここだけの話、本家には後ろ暗い話も多くて……。」

 あのリーナさんがバールケ侯爵とつながりがあるとは意外だな。ヘリング士爵も苦労が絶えないようだ。

 

「で、新しい商売とはどのようなものでしょう」

「樹海で取れるいくつかの産物をつかって化粧品などを作っています」

「化粧品、ですか? 私は商売に疎いのですが消費地からは距離がありすぎて商いが成り立たないのでは」

「本当に欲しい物があれば人はここまで買いに来ますよ。それぐらいは自信があります」

 

『シャロン』

『今終わったところです。そちらに行きます』

 

 シャロンとリーナさんがドアを開けて入ってきた。

 とたんに、ヘリング士爵が深い息をついて、手のひらで顔をおおった。

「天使だ。間違いない」

 今回ばかりは、ツッコミの入れどころがない。シャロンの技量もあるだろうけど、リーナさんの姿は純白のドレスも相まって、神々しいばかりだ。滑るように俺の前に現れて頭を下げた。

 

「アラン様、このような施術を頂きまして感謝いたします」

「いえ、とてもお美しいですよ。もともとの土台がいいからですかね」

 言っているそばから自分が馬鹿なことを言ってるのがわかる。もっと言い方はあるだろう。

「シャロン様からもたくさんのお土産を頂きました。王都に持ち帰ればきっと評判になることでしょう」

 と、俺の横からすすり泣きが聞こえてきた。士爵は感涙の涙を頬から滴らせている。

「こんな女性と一緒にいられる私は……なんと幸せなのだろう」

 リーナさんはヘリング士爵の横にそっとすわった。

「ありがとう、あなた」

 

 なんか胸にせまるこの気持はよくわからない。あまりに仲が良すぎだろう。いったいどうやったらここまで信頼しあえるのか。

 もともときれいな人だったけれど、メイクについてはあまり驚いていないようだ。ガンツのシーラギルド長は大騒ぎしていたが……。

 

『シャロン、メイク中にリーナさんは驚かなかったのか』

『それが、一言だけ……ようやく本来の自分の姿になれた、と言っていました』

 ほんとうにすごい人だな。リーナさんは。

 

 午前中は査察受諾書へのサイン、という重大な仕事があるのだが、ヘリング伯爵の様子がこれでは、しばらく待ったほうがいいようだ。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 執務室で受諾書に俺がサインを終えると、ヘリング士爵は言った。まだ少し鼻声で目頭が赤い。

「アラン様、この度は大変お世話になりました。受諾書はもちろんですが、リーナへあのようなプレゼントまで……」

「お気になさらずに。これから街の報告書を書かれるかたに悪い思いはさせられませんからね。案内をつけますので街をご覧になってください」

「ありがとうございます……。そうだ。もしユルゲン様が査察団より早くガンツに到着するようであれば、私も一緒にお目通りしましょう。一度はお会いしておりますし、よろこんでアラン様のご紹介をさせていただきますぞ」

 これはありがたい。一人で行くのは抵抗があったからな。礼儀を失しそうになれば士爵に助けてもらえそうだ。

 

「なにしろ、ユルゲン様はとても手厳しいお方。以前お会いしたときは、私の知識などいかに浅学かを思い知らされました」

「知識、ですか」

「ユルゲン様はこの大陸のすべての珍味を食し、食の知識は王国一を自称されております。それだけでなく、芸術にも深い造詣をお持ちです。客人の不用意な発言で、席を蹴ってその場を立ち去ることもあるそうです。一方、芸術を愛するものには援助を惜しみません」

 

 ……ふーん。これはいいことを聞いた。

 

 

 



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汝の敵を知れ

 情報を制するものが戦に勝つ。

 査察団を送り出したバールケは俺の敵だ。なんせ俺を毒殺しようとしたくらいだからな。

 王宮で目の前が真っ赤に染まった解毒処置の瞬間は忘れない。普通の人間なら三十分かそこらで絶命しただろう。……もう戦いは始まっているのだ。

 

「今回の査察団はヴィリス・バールケ侯爵の提案だということがはっきりした。バールケの性格を知り尽くしているライスター卿に聞きたい。査察団の目的は本当に情報収集だけなのだろうか」

 

 士爵とリーナさんに案内をつけて街に送り出した後、俺はライスター卿を執務室に呼んだ。最近は子息とともに町中を視察できるくらいまで体調が回復したという。まさに気力で持ち直した感がある。

 この人物はぜひ手元に置きたい。城館に住むように勧めているのに頑なに拒んでいる。もったいないことだ。

 

「あの男が最も恐れているのは開拓が成功することでしょう。ならば直接攻撃せずとも隊商を襲う、商業ギルドに圧力をかけるなどいくらでも手は考えられます。今回はこちらの様子を探るための前哨戦と判断いたします」

「そのまえにガンツのホームを襲う可能性はないか。サテライトの班とあとは民間人だけでは、人質に取られる可能性もある」

 

「城塞都市の中でほかの貴族の部下を襲うなどすれば、用心深い有力貴族の信頼を失い、交流が絶たれることでしよう。ユルゲンはいわばバールケの飼い犬ですが、そこまで思い切ったことができるかどうか微妙です」

 なるほど。街を治める貴族としては揉め事は外でやってほしいはずだ。あくまで希望的観測だが。

 

「ユルゲンは莫大な財産を持ちながら辺地の生まれゆえに、王都の貴族に知己を得られず、それをバールケにいいように利用されているようでしたな。地方貴族にはよくあることです」

 王族への取次や爵位をちらつかせながら骨までしゃぶっているというところか。王都での盗賊掃討作戦で被害を受けたというから、バールケと関わるうちに裏世界とのしがらみもできたんだろう。

 

「性格的なものはどうだろうか。莫大な税収があっても没落する貴族も多いと聞く。悪い商人に食い散らかされて身分を失った例もあるそうだが……」

 昨夜の一夜漬けの知識を小出しに出してみる。王都からの書籍はすべてイーリスの手によって電子化され、いつでも参照可能だ。

 

「一つだけ長所があるとすれば、金銭感覚、でしょうな。王都でも手広く美術品の売買に手を染めていたようです。美術品への目利きは鋭く、美術品以外にもアーティファクトの知識も豊富ときいております」

 俺が何を聞いてもライスター卿が即答するのは、かつてエルヴィンの配下を使って王都中の貴族を調べていたからだろう。王都内に敵性貴族の芽がでれば即座に手を下していたはずだ。

「ライスター卿、ご協力に感謝する。おかげで対策が見えてきたようだ。まとまり次第、またお知恵を拝借したいものだ」

「バールケの首を落とすまでは、この老体に鞭打ってでもアラン様にお仕えする所存です」

 ライスター卿はそう言って一礼し、執務室を出ていった。卿との約束を守れるかはまだわからない。しかし、守るべき理由は山ほどある。

 

 

『イーリス、昨日頼んだデータ処理はできたか』

[はい。王都内に展開しているすべてのビットからの音声データのうち、直近二週間の中で特定単語をサーチしました]

 

 特定単語とは”ユルゲン”、”ガンツ”、”査察”だ。この三つが集中的に現れる箇所に必要な情報があると見込んでのことだ。

 

 仮想スクリーンに件数とインデックスが現れる。一万件以上ある。さすがに王都は人口が多いだけに絞り込みは難しいか。

『イーリス、話者が特定できる情報はあるか。貴族、僧侶、王宮関係者に限定してみてくれ』

[了解]

 千二百件。これで世間話や酒場の酔っぱらいの噂話など、低レベルなデータは除去されたはずだ。

 

『その中からデータの採取地点が王宮に近い順でソートしてくれ』

 リストがすぐに並び替えられる。一行に距離、職業、単語の出現頻度、記録日などが表示される。

 よし、距離別に見ていこう。直近はゼロ距離。すなわち王宮のビットからの情報だ。

 ……

 ……

 ……

 ……十七件目。

 王宮にほど近い食堂らしい。店内の調度品を見ると庶民向けではないな。

スクリーンには一週間前の日付と、

 “話者1:貴族の家令(?)、氏名:ヴォルフ”

 “話者2:不明”

と表示されている。

 

「ユルゲンがガンツに戻る」

「ヴォルフ、本当か? やつが帰るのは年越しくらいだろう。まだ間があるぞ」

「新しい植民地に査察が入るらしい。ガンツは通過点だからな。査察団の貴族様をもてなしたいんだろう」

「そんなことをしたって田舎貴族が王都の永世貴族になれるわけないだろ」

「その通り。哀れなやつだ」

「それでも鑑定の目は確かだからな。お前が流してくれるブツを鑑定できるのは奴しかいない」

「最近はやつが判定したというだけでどんな古美術品も高く売れる」

「すぐに王都に戻ればいいが」

「ガンツに調べられたら困るものでもあるんじゃないか」

「査察は植民地だけだろ……?」

 

 ……

 ……

 ……二十八件目

 場所:王都内宝石店。

 “話者1:美術商、氏名:ザロモン(会話内容から特定)”

 “話者2:貴族令嬢(推定)”

 

「こんな指輪に本当に価値があるのかしら」

「もちろんでございます。これはあのユルゲン様が直々に鑑定されたもの。間違いなく大遺跡の発掘品でございます。古代の人々はいまの人間より遥かに高度な工具をもっていたとか。この紅玉のカットを御覧ください。実に見事でしょう。このカッティングは今の技術では不可能です」

「わかったわ。ザロモン。あの豚ちゃんじゃなくて、あなたを信頼するわ」

「しーっ。お嬢様、声が高い。誰が聞いているかしれたものではありませんぞ」

「いまは査察とやらでガンツに戻ってるんでしょう。だから平気よ。私はデブが嫌いなの」

 ……

 ……

 ……

 五十件目くらいで大体わかってきた。

 ・ユルゲンの人的評価は「最悪」である。

 ・しかし古美術の鑑定では王都一らしい。相当な権威者だ。

 ・恐ろしく太っている。また、大変な食通である。

 ・裏では適当な鑑定で値を吊り上げてボロ儲けしていようだ。

 ・古美術窃盗団とのつながりがあるらしい。

 

「ありがとう、イーリス。これぐらい調べれば十分だ」

 窃盗団との上下関係はまだわからない。騙しているのか騙されているのか。それを知っているのは焦点となる人物、ユルゲンだけだ。一都市を治める地方貴族ながら鑑識眼があり商売に長けている。手強そうだが弱点も見えてきた。

 

 美食で釣るだけでは不十分だろう。舌が相当肥えていそうだからな。

 サイラスさんはユルゲンよりは家令のデニスを高く買っていた。

 

『イーリス、ユルゲンがガンツに到着するのはいつだ』

[現在の速度では、明日の夕刻には到着するでしょう]

 到着前に家令のデニスに会おう。サイラスギルド長から紹介してもらうのがいいだろう。それから……。

 

『イーリス、艦内の不要なアルミ資源をできるだけ投下してくれ。包装や容器など、船内維持とは無関係なものだけでいい』

[了解]

 よし、あとは今夜、地下工場の汎用ボットと加工機械に任せよう。

 

『シャロン』

『はい』

『これからガンツに向かう。今日中には戻る。それまではヘリング士爵とリーナさんを頼む。メイク技術のレッスンとか万能調味料の使い方を伝授すればいい』

[了解。どうかお気をつけて]

『ありがとう』

 

『イーリス、中庭に偵察ドローンを待機させてくれ。ガンツに向かう』

[了解……。艦長は指揮官なのですから、部下に任せても良いのでは]

『セリーナとシャロンにはずっと頑張ってもらってるからな。今日のセリーナの外出には休暇の意味もあるんだ。二人には交代で休みを取らせるつもりだよ』

[では、私もたまには休暇を頂いてもよろしいでしょうか]

 

……冗談、だよな?

 

 

 



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家令

 

 ヘリング士爵の話では俺が目撃されることなく移動するのはかなり難しいようだ。

 偵察ドローンのハッチから飛び降りた俺は、すぐに飛行魔法を展開させた。上空十メートルほどだから、失敗するおそれはない。サイラスギルド長の邸宅にある庭に降り立った。広大な庭は季節柄もうなにも咲いていなかったが、温室が二棟もある。さすがはガンツ有数の富豪だ。

 その大富豪の邸宅を先触れなしで訪れるのは失礼だが、しかたない。正門にまわって改めてドアノッカーでドアを叩いた。

 

「ア、アラン様!」

「ナタリー、久しぶりだな」

 カリナの代わりにいまはナタリーがサイラス家の家政を行っていたな。

 

「アリスタ様!」

 ナタリーが慌てて奥に入っていく。

 やがてアリスタさんがにこやかに現れ、身をかがめ貴族に向けた丁寧な挨拶をした。

「アラン様。ご来訪いただき嬉しいですわ。父はギルドにおります。いま人をやりましたのでしばらくお待ち下さい」

「突然の訪問ですまない」

「いえ、アラン様ならいつでも大歓迎です」

 

 以前も来たことのある応接室に通された。また調度品が新しくなっている。ドラゴンの競売で大儲けした余波といったところだろうか。

「ナタリーにお茶を入れさせます。どうかゆっくりなさってください」

 アリスタさんは俺のやや斜め前に座った。これも作法通りだな。

「父から聞きましたよ。お化粧品を販売されるとか」

「ええ。魔術ギルドのシーラギルド長の協力が得られまして」

「ご謙遜ばっかり。ほとんどアラン様のご考案でしょう? 魔術ギルドの窓口にいたものから聞いております。同僚の顔がすっかりシミなしになったとか」

 品よく笑いながら、アリスタさんは言った。

 さすがは商業ギルドだな。情報の裏を取ったわけか。マルタさんは黙っていたようだが隣りにいたもう一人の職員が喋ったんだな。

 

「ほんとうに残念ですわ。これほどの商品、サイラス商会独占で扱いたかったです」

「治癒魔法と組み合わせて使うので、商会が独占すれば魔術ギルドも快く思わないでしょう」

「そうですね。では他のギルドの手を借りないでも売れる商品、ほかにはないでしょうか」

「サイラス商会はこれからの酒の販売で莫大な富を得ることになりますよ」

「実は父はが……」

 ナタリーが茶を入れたカップを机においた。アリスタさんは急に口をつぐんだ。

 カップには薄緑色の香り高い液体が注がれている。これはたしか……。

 

「このお茶がお好きだと聞いております。アラン様が立ち寄られたタラス村ではこのお茶を名物にして売り出しておりますよ」

 別に悪気はないんだろうが、商売のネタにつかわれるのはどうかな。王都でも俺に関する本が出版されたと言うし、ますます動きづらい。

「アラン様と少しでも関係のあった者たちはみな儲け話にしています。たとえばアラン様が革製品を注文された馬具屋とか、ご利用された食堂なども繁盛しているようですね。このお茶もたいへん売れているそうです」

 儲かるのは良いことだが。もうバースの”豊穣”には泊まれないな。俺とクレリアが一緒にでかけたら大騒ぎになるだろう。

 

「アラン様、悪く思わないでいただきたいのですが、先の契約をする前に、ギルドを使ってずいぶん調べさせていただいたのです。でもタラス村以前のことは全くわからない。どこか遠い大陸から来たという話も聞いていますが……」

 

 俺はこの惑星の人間をなめていたようだ。科学技術が進んでいなくても人間の好奇心は変わらない。俺、といういわば特異点が現れた瞬間から人々は俺のことを知りたがり、やがて出版するやつまで現れた。中には俺の力を利用しようとするものも居るだろう。……たとえば斜め前に上品に座っているこの女性だ。ただの商家のお嬢さんではない。俺の中でアリスタさんは評価が上がった……危険度の。

「そのうち話すこともあるでしょう。いまはその時期ではない、とだけ」

「その日が来ることを楽しみにしていますわ」

 

 応接室の扉が空いた。

「アラン、きてくれて助かったぞ」

 サイラスギルド長はソファにどっかりと腰を下ろした。

「アリスタ、俺にも茶をくれ。……実はな。ガンツに戻ってすぐにデニス様に伝えたらぜひとも早急に会いたいと言われていてな」

「たしかに好都合ですね。だが俺が会う理由はあってもデニス様に理由などないはずですが」

 

 サイラスギルド長はアリスタさんから受け取ったカップを握ったまま、しばらく俺を眺めていたかと思うと、ニヤリとした。

「アラン、お前ってやつは本当に芝居が上手いな。どうして俺に教えなかったんだよ。絶好の商機だろうが」

 さっぱりわからない。が、ここはわかっているふりをして俺も薄い笑みを返しとこう。何やっているんだ俺は。

 

「お前、メラニーお嬢様の命を救ったんだってな。なんで黙ってたんだ? まさか謙遜とか言うなよな」

 メラニー……お嬢様? 誰?

 

『イーリス、メラニーって誰だ?』

[艦長が酒造販売の契約のため、ガンツに移動中、強盗の手から救った女性です]

『女性? どう見ても少年だったぞ』

[……艦長は男性としていささか問題があるのではないでしょうか]

 イーリスもひどいな。しかしあの少年がお嬢様だって? 確かに髪は長くて華奢な感じがしたが。服装は完全に男性のものだった。

 

「アラン、しらを切る気か? ギード守備隊長も間違いなくアランが助け出したとデニス様に報告していたぞ」

 しょうがないな。俺は適当に言葉を見繕っていった。

「……いろいろと忙しくて些事にはこだわらないようにしているので」

「あれが些事だと? デニス様は謹厳実直、俺みたいな商人風情とは一線を画しているうえに、貴族だからといって簡単に頭を下げるようなタマじゃないんだ。アランのおかげでコネが作れそうだ。まあ、デニス様があのブ、いやユルゲン様に使えているのは謎だがな」

 やっぱり、仕事のことか。俺が助けたことよりも今後のことを考えている。父娘そろって骨の髄まで商売人だな。

「よし、これからデニス様の屋敷に伺おう。ナタリー、馬車の用意だ」

 

◆◆◆◆

 

 本当は御者台のほうが気楽でいいんだけどな。

 ナタリーの横に並んで馬車を走らせたら騒ぎになるだろうが、とのサイラスさんの一言でしかたなく馬車に乗った。

 馬車の中ではサイラスさんは興奮して喋り続けていた。

 これまでユルゲンは貴族でありながら直接商人たちと交渉するのだが、サイラス商会ははずされていたらしい。ユルゲンの悪行を知っている俺としてはそれは良いことだと思うのだが、サイラスさんは自分のガンツ最大の商会が蚊帳の外になっているのが許せないらしい。

 デニスが噂通りの人間だとしたら、まっとうな商売をやっているサイラス商会をあえて外していた、と考えるほうが自然だ。ギルド長の商会が契約を曖昧にするはずもなく、ほかの商会とはユルゲンの命令でやばいことをやっている、あるいは何らかの理由でやらされている可能性が高い。

 

「デニス様の邸宅はこの街の重要人物にしては簡素すぎると思わないか」

 たしかに、敷地面積はギルド長の邸宅よりは狭い。建物もギルド長の邸宅が三階建なのに、こちらは二階建て、しかも門構えは門柱のみという簡素さだ。ただし、入り口には衛兵が立っていた。

 衛兵はサイラスさんの馬車をすぐに通した。最近来たばかりだからナタリーの顔を覚えていたのだろう。

 

◆◆◆◆

 

「ようこそお越し下さいました。アラン様」

 わざわざ玄関にまで出てくることもないだろうに。俺とサイラスさんたちが玄関に入ってすぐに姿を表したデニスさんは俺より頭一つはある高身長だが、着衣は貴族の家令らしく、サイラスさんのよりずっと上等な仕立てだった。

 デニスさんはいきなり跪いた。

「ユルゲン家の家令を努めておりますデニスと申します。このたびは我が娘の命をお救いくださり、感謝しております。本来ならばアラン様の拠点に伺うべきところ、わたくしは事情があってこの街を離れることができず……。本当にありがとうございました。この受けた恩は必ずお返しいたします」

「当然のことをしたまでです。もうひざまずくのはやめませんか」

 俺が手を取って立ち上がらせていると、

 

「アラン様!」

 突然、玄関ホールに少年が飛び込んできた。

「メラニー、下がりなさい! ……申し訳ありません。娘のメラニーでございます」

 どう見ても少年にしか見えないが。服装もガンツの町中で見る少年たちと何ら変わりない。吊りズボンに半袖、長い髪は変わらないが。少し顔に赤みがさしているところを見ると元気になってよかったな。

「君がメラニーか。助けたときは少年とばかりおもっていたが」

「この通り、男勝りの上、女性の衣装は一切身につけないたちでして、不調法申し訳ございません」

「いえ、私も服装にはこだわらない方ですので」

「ギード守備隊長から聞いて初めて、救ってくれたのがアラン様とわかったんです。それまで使徒様がお救いくださったものとばかり……」

「あのままだとろくなことにはならなかったろうな。よかった」

「アラン様!」

 突然少年、じゃなかったメラニーは俺の前にひざまずいた。

「僕を弟子にしてください。ずっと前から魔法使いになりたかったんです」

「メラニー、よさないか」

 デニスさんの声を完全に無視して、メラニーは続けた。

「魔法使いになりたくて、樹海に出かけては練習していたんです」

「もしかして、樹海のほうが魔法が使いやすかったんだろう?」

「はい! 僕、ファイヤーボールもフレイムアローも使えま、」

「よさないか!」

 デニスさんがいきなり、メラニーを軽々と抱えあげるとどこかに連れて行った。

 

 

 サイラスさんが言った。

「……育て方が悪かったんだな」

「まだ子供です」

「仮にも貴族に仕える者の子女があれではな。女の領分をこえている」

 魔法に夢中の女の子か。野盗どもの好きなようにされなくてよかった。

「娘は二人と聞いていたが、もうひとりもあんなのだとデニス様の心配も大変だな。俺はアリスタで本当に良かったよ」

 さり気なく娘自慢をするところがまたサイラスさんらしい。実際、この人の娘は優秀過ぎるが。

 

 

 しばらくして、デニスさんがハンカチで額を拭きながら戻ってきた。

「お見苦しいところをお見せしました。妻をなくして以来、教育が疎かになっていたようです……。ご要件に入りましょう」

 

 ようやく本題だな。応接室に案内され、俺とサイラスさんはデニスさんと向かい合った。

「デニス様もお聞き及びのこととおもいますが、このほど私の開拓地に査察団が派遣されます。それに先立ちユルゲン様も王都をお立ちになりまもなく到着すると聞いています」

「どこでそれを……」

 言いかけて、サイラスさんに一瞬目をやる。

「いまさら隠すわけにもいかないようだ。査察の件はお気の毒としか言えません。私もガンツに長くおりますので、過去の植民地についても知っております。五つの貴族家が大樹海に挑み、後に査察団に失敗の烙印を押されています。一時期はもはや開拓が政争の具と化していたようです」

「力を持ちすぎた貴族家に開拓を命じ、うまくいかなければ廃絶、というわけですね」

「ええ、アラン様のことをよく思わない人間が王都に居るのでしょう。こればかりは私にもどうすることもできません」

「そこでユルゲン様にお会いしたい。私も儀礼には疎いのですが、大貴族が帰還したさいには近隣の位の低い貴族が挨拶に伺うのが作法と聞いております。挨拶の際に王都の様子などをお聞かせいただければ今後の道標となるでしょう」

「それならば問題ありません。ただし、ユルゲン様は大変気難しいお方、くれぐれも言動にお気をつけください」

「気をつけましょう。デニス様、今後、連絡を取る必要が生じることもあろうかと思います。ただ私は査察に合格するまではいつ廃絶となるかも知れぬ身。ガンツの私の拠点に連絡するとデニス様の身の危険となる場合もあるでしょう。今後の連絡などは、私がお世話になっている商業ギルドまたはこちらのサイラスギルド長にお願いします」

「私の方もそうしていただけると助かります。娘を助けていただいただけでなく、お気遣いまで感謝に耐えません」

 

 それからしばらくはサイラスギルド長が商業関係の四方山話で座をまわし、最後に化粧品の話をすると、デニスさんは残念そうに言った。

「娘が少しでもそういったものに興味を持ってくれれば……」

「年頃になれば、自然と興味を持つと思いますよ」

 と言いつつ、俺はちらりとエルナのことを思った。興味を持たないのがもう一人いたようだ。

 

 デニスさんの邸宅を辞去して、ナタリーの待つ馬車へと歩いていた。

サイラスさんが俺の肩を叩いた。

「アラン、恩に着るぜ。これでアランへの連絡はギルド経由だ。これからユルゲン家には食い込んでいくぞ」

 今晩にでもデニスさんの邸宅にはビットを打ち込んでおこう。ギルドに伝わってからは情報が改変される可能性がある。

 

 馬車のステップに足をかけ、ドアを開けると、中に少年が座っていた。

「いっしょにつれていってください」

 とメラニーは言った。

 



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証拠

「お嬢さん、行き先が違いますよ」

 サイラスさんは慣れた手つきでメラニーを馬車から引きずり出した。

「アリスタもこのくらいの時がいちばん可愛かったんだが。ナタリー、馬車を出してくれ。アラン、すまんな。そっちは任せる。じゃ」

 なに言ってんだこの人は。あんたの馬車へ侵入したんだろ。ていうか俺の問題なのか。

 

「サイラスギルド長」

「アラン、そう怖い顔するな。俺としてはデニス家令につなぎができただけでいい。そっちのガキは任せる。万一、脱走の手助けを疑われてみろ、せっかくの成果が台無しだ。あとで迎えの馬車をやる。ここは貴族の力で解決できるだろ? ……ナタリー出せ」

 ナタリーがすまなそうな顔をして、馬に一鞭振るった。呆然とする俺を残して馬車はデニス邸の門を抜けていく。

 

「……あのう、アラン様、ごめんなさい。どうしてもここから出たいんです」

「家にもどれ」

「嫌です!」

 そうしがみつかれてもな。困った。

 

「なぜ、家を出たいんだ」

「あいつがくるから」

「ガンツ伯のことか」

「…………」

 少しわかってきたような気がする。

「弟子になるというのは嘘なんだな」

「違います! 本当なんです。この街には強い魔法使いがいなくて」

「魔術ギルドにいって紹介してもらえばいい」

「父が魔法使いになるのに反対なんです」

「とにかく、いったん戻ったほうがいい。俺も一緒に行こう」

 相変わらず俺の腰のあたりに手をやって剥がれない。

 

◆◆◆◆

 

「込み入った事情があるようだな」

「誠に……、まことに申しわけありません」

 平謝りするデニスさんの額に汗が浮かぶ。やり手の家令でも娘の対応は手に余るらしい。この程度で慌てるとはまだ甘いな。あと数年して、エルナみたいな口撃をするようになったら蹂躙されるぞ。

 

「人質と言っていたが」

「実はもうひとりの娘が王都におります。……妻が亡くなってからは上の娘がユルゲンの邸宅に幽閉されており、私は逆らうことができないのです」

「今度は末の娘というわけだな」

「はい」

「まさか、ユルゲンの……」

「いえ、ユルゲンには正妻が目を光らせております。そのような扱いを受けたら娘は自害するでしょう」

 

 俺はしがみついて離れないメラニーを見る。男物の服を着て魔法使いになりたいというのもこの子なりの知恵なのだろう。魔法の才能はあるようだが……。

 

「この子は俺が預かろう。拠点の学校に入学させてもいい。どうしても魔法を学びたいなら俺が教える」

「し、しかし、アラン様、まもなくユルゲンが戻ります。そのとき娘がいないとわかればどんな不興を買うかわかりません」

「メラニー、自分の部屋で旅の準備をするといい」

「やったぁ!」

 脱兎のごとく部屋を飛び出ていく。

 

 よし、ここからは貴族モードで強気に出よう。全容は概ね把握した。だが、俺一人の判断では危険だな。

『イーリス』

[はい]

『俺の行動ログは撮っているか』

[もちろんです。現在は第一級非常事態宣言下にあり、作戦行動中ですから]

「よし、特に視覚データについてはここを出るまで高解像モードで記録しろ」

[了解]

 

「ガンツの税収はすべてユルゲンの懐に入るわけではあるまい」

「はい。税収の内、守備隊の給料、城塞の維持管理費などの支出と王都に治める税を差し引いたものがユルゲンのものです」

 俺が急に話を変えてもデニスはすぐに追従した。さすがだ。

 

「ガンツは近隣の都市と比べても税収は桁違いだ。……それを正しく王都に報告しているか。どうなんだ?」

「…………」

 デニスの顔が急に無表情になる。

「図星、か。王都へはガンツの税収を意図的に低く報告しているな? ユルゲンが個人的に古美術売買などで得た利益も管理しているのだろう?」

「ど、どうしてそれを」

 無表情から一転、驚愕の表情だ。さっき拭き取ったばかりの汗がじっとりと額を流れていく。

「内心それが良くないことだと知りつつ、人質がいるために抵抗できないでいる。だが心配するな。俺が後ろ盾になろう」

「本当にそのようなことが可能なのですか。ガンツ伯に何かあれば、娘の命は……」

「こんな状態がいつまでも続くはずがない。そのうち脱税の濡れ衣を着せられるのがおちだ。覚悟を決めろ!」

 

 デニスはしばらく黙っていたが、やがて立ち上がった。

「アラン様、どうぞこちらへ」

 

 デニスに導かれて俺は書斎に入った。

 書架が並んでいるだけの簡素な部屋だ。壁に何枚も肖像画が架けられている。どこかメラニーに似ている。デニスの妻だろう。自分の書斎に架けておくくらいだから、まだ思いが残っているようだ。俺にはよくわからない感覚だが。

 

 デニスが壁にある一つの書架を押すと反転した。隠し扉か。

 小部屋の中には書類の束が整然と並んでいる。そのなかから一つの包みを取り出して俺に渡した。

「これはユルゲンの邸宅にある税務記録の写しです。私がユルゲンに向けて作成したものは必ず二部作成し、一部をここに保管してあります。これをアラン様にお預けします」

 複写を作っていたということは、ユルゲンに対して思うところがあったようだ。これぐらいの覚悟があれば、俺のやり方に賛成するはず。

 

「一つ頼みがある。ユルゲンの王都宅の見取り図が欲しい。できれば娘がいる場所がわかるような」

「お救い、くださるのですか」

「王都にも俺の手のものがいる」

「ここにすべて用意してあります。娘とは一年に一度だけ会うことを許されています。いつかこの日が来ることを信じて、その時の記憶を書き写していました。アラン様ほどの方が現れるのをどれほど待っていたことでしょう……どうか、娘をお助けください」

 デニスは再び跪いた。こういう愁嘆場は好きではない。

 

「もういい。ところで明日のユルゲンの動向だが」

「明日の夜に安着の儀を行います。例年ユルゲンが帰着と同時に行う祝宴です」

「よし、そこで全ての決着をつけよう。その席には俺が挨拶伺いということで参加できるように手配してくれ」

「わかりました」

 

◆◆◆◆

 

「アラン様、本当にありがとうございます」

 迎えに来た馬車の中で、よほど嬉しかったのかメラニーは七回目の礼を言った。

「今日は俺のガンツの拠点に泊まってもらう。使用人にもよく言っておこう。俺が迎えに来るまでそこにいろ」

「開拓地にいかないんですか」

 急にがっかりした顔でメラニーは俺の服をつかんだ。いい加減はなしてほしいんだが。本当に子供だな。

「家を離れるのがそんなに嬉しいのか」

「あいつに会うくらいなら死んだほうがましです! 去年、帰ってきたときは歓迎会でずっと私のことを見てました。あいつと毎日顔を合わせているマルティナ姉様がかわいそうで」

「……メラニー、歳はいくつだ」

「先月、十三になりました。姉様は十六です」

 ユルゲンが死んでいい理由がまた一つ増えたな。メラニーの背丈が高かったのでもう少し年上だと思っていたが。

 

 馬車の前にある小窓から御者台にいるナタリーに声をかけた。

「すまないが、俺の拠点に馬車を回してくれないか」

「サイラス様がお待ちですが」

「別途、用ができた。サイラスギルド長には改めて伺うと伝えてほしい」

「わかりました」

 

 ナタリーの馬車が拠点から去っていく。

 拠点前の広場に降り立ったが、人がいない。今日は植民者の受付をしていないのだろうか。

 ……ちょうどいい。

「メラニー、頼みがある」

「なんでもします!」

 気合い入れまくりだ。気持ちはわかるが俺はまだこの子に何かをしてやったわけではないのに。

「俺を見ろ」

「アラン様を見るんですか」

「そうだ。それから五歩くらいはなれて、後ろを向け」

「いったい何をするんですか」

「弟子になるんじゃなかったのか」

 

 俺が言うと、ぱっと距離をおいて直立不動になった。

「自然な感じでいいから……。よし。もういいぞ」

 

 馬車の音を聞きつけたのか、サリーさんが正面玄関に現れた。相変わらず姿勢のいい人だな。

「アラン様。ようこそガンツの拠点にいらっしゃいました」

「今日は入植希望者の募集は中止か」

「じつは、ユルゲン様が戻られると聞いて、今日は取りやめにしたのです。サテライトの皆様も庭で稽古をされております」

「ユルゲンはあまり植民地にいい印象がないようだな」

「あまり良い噂は聞きませんわ……。ところでこちらのお客様は」

「しばらく預かることになった。よろしく頼む。内密にな」

「わかりました。どうぞこちらへ」

 俺の言葉に何も疑義を挟まないところがプロ、という感じがする。この人をまとめ役にしてほんとうによかった。

 

 俺はサリーさんにメラニーを預けたあと、久しぶりに拠点の四階にある執務室に入った。

ここは俺が樹海の新拠点に軸足を移してからもそのままにしてある。

 

『イーリス』

[先程送られた画像データ並びに年齢からの推定画像です。相似確率八十八パーセント。遺伝子サンプルがあればもっと精度は上げられますが]

『仕事が速いな。これだけあれば十分だ』

 画像は俺が送ったデータ、すなわちデニス、彼の妻の肖像画、メラニーの映像から得た骨格モデル、年齢などから姉のマルティナの姿を再現したものだ。

 幽閉されているならもう少し痩せているかもしれないな。

 

『シャロン』

『……はい』

『ヘリング士爵は』

『街から戻って報告書を作成中です。視察にはトラブルはありませんでした。夫人はお疲れになったようで、居室でお休みになっています』

『夕食後、お二人が休まれたら頼みたいことがある』

『何でしょう』

『人質奪還だ』

 



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帰着

「今回はシャロンにも同行してもらいたい。人質が女性だからな。セリーナは地質探査からもどりしだい、指揮官代行ということで作戦終了まで待機するように伝えてくれ」

[了解]

『救出するのはガンツ伯ユルゲンの家令、デニスの長女マルティナだ。デニスの妻が亡くなってからは人質として王都の邸宅に幽閉されているらしい』

 仮想スクリーンに小柄な女性の姿が映し出される。

『イーリスに再現してもらった姿だ。実際にはもっとやつれているかもしれない』

『救出後の人質の扱いはどうしましょう』

『ガンツに連れ帰る。したがって、偵察ドローン二機の運用となる。ドローンは最大で二名が限界だからな』

『現地人をドローンに乗せるのは問題です。高度なテクノロジーに触れるのはまだ時期尚早です』

『民間人用の麻酔薬があっただろう? 俺たちはナノムがあるので不要だが、被害を受けた民間人向けの医療ストックもコンラート号からおろしてある。彼女は一時間ほど、意識を失ってくれれば問題はない。ただし体調はモニターしたほうがいいので、シャロンは人質とガンツの拠点に戻ってくれ』

[了解]

『シャロン。奪還に必要な物資はリスト化して送った。用意でき次第、ドローンでガンツの拠点に届けてくれ。それとヘリング子爵にはユルゲンの到着予定を伝え、明日の朝、ガンツに向かってもらうように』

 

 アランとの通話が切れた。ガンツで何をしているのかと思えば、人質救出とは。

でも、久々に緊張感のある任務だ。リストにはパルスライフルなどもある。地下倉庫にいかねば。

 

 

 突然、城館が揺れた。なにか重いものが屋上に落ちたたようだ。

『セリーナ?』

『いま戻ったわ』

『屋上でものすごい音がしたみたいだけど』

『上がってきて自分で確認したら?』

 なんだろう。あの振動だと、まさかグローリアが怪我をした?

 高速走行モードに切り替えて階段を駆け上がる。

 屋上の扉を開けると、夕焼けを背にグローリアと黒ドラゴンがいた。振動の原因はドラゴンの前にある巨大なビッグ・ボアだろうか。

 リアとエルナが笑いをこらえきれない顔でこちらにやってきた。

「シャロン、狩りは大成功よ!」

「こんなにたくさん穫れるとは思いもよりませんでした」

 エルナは紫色の果実がついた蔓性の植物を持っている。野生の葡萄だろうか。

 屋上の床にはビッグボアと黒鳥が四羽。いずれもゴタニア周辺では見かけないほどの大きさだ。

 

『セリーナ、これはいったい?』

『今日はグローリアに運んで貰う予定だったんだけど、グレゴリーもついてきたの。おかげで狩った獲物は全部持ってこれたわ』

 

「リア、あとでその時の話を聞かせてくださいね」

「いいとも。早速アランに調理してもらおう」

 しまった。リアはまたアランがガンツに行ったのを知らない。正直に話す訳にはいかない。

「アランはギルドの用事でガンツに向かいました。明日の夜には戻るでしょう」

「……そうなの。仕方ないわね。明日の夕食にしましょう。今日はもう疲れたわ」

「お疲れ様です」

 

 リアとエルナは階下に降りていった。

『グローリア、今日はご苦労さま。グレゴリーも』

『お役に立てて良かったです』

『どうしてグレゴリーも一緒に行ったの?』

『心配なのでついていくって』

 なるほどね。グレゴリーはグローリアに頭が上がらないのかもしれない。

『わるいけど、ビッグボアは中庭におろしてくれると助かるんだけど』

『あのう、内臓はもらっていいですか。お腹が空いちゃって』

『もちろん。中庭で私達の分を残してくれるだけでいいわ』

 後で汎用ボットに処理させよう。直接見に行く気にはならない。

 グローリアは四羽の黒鳥を、黒ドラゴンがビッグボアを運ぶようだ。軽々と掴み上げると中庭に降りていった。

 

「セリーナ、今日は一日リアとエルナの世話で大変だったでしょう」

「リアが狩に夢中だったおかげて、地質探査の方はかなり進んだわ」

「ということで悪いんだけど、アランからの指示で、しばらく私と代わってほしいの」

「任務なの?」

「王都で人質奪還」

「えっ! なにそれずるい!」

「アランの命令ですから」

 言うそばから笑みがこみ上げてくる。兵士として育てられた私にとって久々の戦闘だ。嬉しくないはずがない。

 

 それからもずっとセリーナは文句を言っていたが、屋上まで資材を運ぶのを手伝ってくれた。

 ディー・ツーとスリーが頭上で待機している。やがてディー・ツーが屋上に降下してきた。

「じゃ、セリーナ。あとはよろしくね」

「せいぜい楽しんでらっしゃい」

 セリーナがふてくされたように言ったのがおかしかった。

 

◆◆◆◆

 

 王都までは偵察ドローンで一時間。その前に敵の情報をアランに解説してもらう。狭いドローンの中で仮想スクリーンを展開する。

「これはデニスから入手した図面ですね」

「そうだ」

「これだけ詳細な図面を記憶だけで書き上げるとは、相当注意深い人物のようですが」

 

[このデニスという人物についてこちらをご覧ください]

 仮想スクリーンにイーリスが会計簿のようなものを投影した。

[王都で収集した資料にもない、極めて近代的な会計学の萌芽がみられます。独力で発明したとしたら、大変な才能です。この人物はぜひとも登用すべきです]

『だが身内を人質に取られたばかりに、いいように才能を利用されていたわけだ』

『今回はそのくびきを外し、ユルゲンをくじくための第一歩ですね』

「そのとおり」

 

 見取り図によるとユルゲンの王都邸は郊外にある。

 中心部は上流貴族の邸宅が集中しており、地方貴族は町中に居を構えることができないのだろう。それでも広い敷地の中には庭園が整備されており、貴族によくあるぶどう園と温室も建てられている。

 

 すでに上空にはアランの指示で偵察ドローンが配置してある。

 仮想スクリーンにドローンのマルチセンサーの赤外線探知結果が映し出された。

 正門に二人の衛兵、場内には四名常駐している。倉庫の周りを定期的に巡回している。よほどの貴重品があるようだ。

 邸宅の離れに小さな建物があって周囲を塀で囲われている。入り口にも兵が二名。間違いなくここに幽閉されているに違いない。裏手にある広い敷地はおそらく小麦畑だろう。

 着地地点はここかな。

 

「アラン、これでは我々の敵ではありませんね。もっと厳重な警備だとやりがいがあるのに、つまらないです」

「まあ、そう言うな。王宮での人質奪還もそうだったが、予想外のことは常に考えておかないと」

「ルートGは今回はなしですね。グローリアが聞いたらさぞ残念がることでしょう」

「グローリアにも正式に任務についてもらいたいところだが……」

「グレゴリーが心配性でグローリア一人では無理かもしれません」

「それもまた困った話だな。なにか頼むたびに七匹のドラゴンが全員出動では目立って仕方がない」

「そのうちアラン・コリント・ドラゴン男爵みたいな勇名がつくかもしれません」

 

[王都上空に到達しました]

 

 アランがなにか言いかけたようだったけれど、ドローンのアナウンスでよく聞き取れなかった。

 

「シャロン、任務開始だ」

「はい」

 私はパルスライフルを持っていかないことにした。剣があれば十分だ。

 



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根回し

 日没から一時間。王都上空……。

 

 王都の官僚機構は王族と密接な関係がある。ゆえに王宮内に徴税局がある。

 これは王都での叙爵式の直前に、ベルタ王国の税制について講義してくれた主任主計官のナダルスから聞いていた。

 初歩的な儀礼はクレリアに教えてもらっていたから、ザード儀典官の儀礼練習はなんなくクリアした。けれど、税制については当時の俺はさっぱりだった。

 ナダルスは何も知らない俺にずいぶん親切に教えてくれた上、俺にくれた参考書は非常にわかりやすく理解の助けとなった。税務に携わっているためか筋道だった話しぶりに好感が持てたのを覚えている。

 主計官というのはベルタ王国の官僚機構でも比較的高位の地位にあるらしい。

 

 ナダルスはまだ王宮内にいる。王宮内に打ち込まれたビットの情報はすべて俺が出会った人物と紐づけられており、特定の人物がどこにいるかはある程度の確率で特定できるのだ。

 

 上空からの侵入には王宮の警備はほぼ無意味だ。

 執務室のドアを開ける。机に向かっていたナダルスが振り返った。以前会ったときよりやつれている。税務はどこの国でも繁忙らしいな。

「あ、あなたは」

「アラン・コリント男爵だ。訳あって王都に来ている。叙爵の際は世話になった」

「いったい何用あってこられたのですか」

「ガンツ伯ユルゲンに謀反の疑いがある」

「なんですって!」

 驚愕の表情で立ち上がったナダルスに、俺はデニスが作成した書面とイーリスに頼んで作成してもらった概要書をわたす。

「長期にわたり、虚偽の申告をしていた証拠だ。脱税によりユルゲンは富を蓄えている。……明らかに反逆だ」

「もしこの書面が本当なら、ユルゲンはその資産をすべて失うことになっても、追徴に応じなければなりません、でなければ領地没収の上、死罪となります」

「その判断は任せる。宮廷内の派閥からの圧力もあるだろう。すぐには動けないのではないか」

「はい。ユルゲンはバールケ侯爵の庇護下にある地方貴族の一人です。いわば金づるなので司直の手がなかなか及ばないのです。それに私には捕縛する権限がありません」

「近く、ユルゲンは別件で捜査が入る。それと同時に税務調査にかかれば良い」

「まず、この書類と王宮に保管されているガンツの税務記録を突き合わせます」

「間違いないと思うがそうしてくれ。もし不当な圧力を受けるなどした場合は、ゲルトナー大司教に俺の名前を出して相談するといい」

「わかりました」

 ゲルトナー司祭の執務室と居室にはビットが打ち込まれている。そこで話された内容はすぐに俺に伝わる。ゲルトナー大司教も俺の名を出せば、それなりに動いてくれるはずだ。開拓を阻むものは信仰の敵なのだ。

 早くも書面に目を通し始めたナダルス主任主計官をおいて、俺たちは部屋を出た。

「シャロン、次に行くぞ」

「はい」

 

◆◆◆◆

 

 王都守備軍のヘルマン・バール士爵はまだ軍団長兵舎にいた。

 王都の犯罪組織は根こそぎ粉砕したはずだが、また復活してきたんだろうか。

 さすがに軍団長ともなれば警備も厳重だ。

 警備兵が立ちふさがった。

「止まれ!」

「何者だ」

 すかさずシャロンが護国卿の盾をかざす。

「アラン・コリント男爵だ。軍団長のヘルマンに会いたい」

「ア、アラン様!?」

 警備兵の一人が目を見開いて固まっている。もう一人が兵舎に駆け込んだ。

 

「大変失礼いたしました。どうぞこちらへ」

 警備兵の案内で、俺たちは執務室に通された。

 兵舎らしい簡素な室内には、ヘルマンと正門守備隊のラルフ隊長がいた。ラルフは恰幅の良い体を縮こまらせている。なにか叱責されている最中だったらしい。

 

「これはアラン様! いつ王都にいらしたのでしょうか。ラルフ、王都正門守備隊は何をしている!」

「そんなはずは……。今日は貴族の入城は一件もないはずです」

「アラン様、大変申し訳ありません。正門守備隊からの連絡が遅れているようです」

「気にするな。ヘルマン、王都の警護はうまくいっているか。この時間まで働いているところを見るとそうでもないようだな」

「ラルフ、正門詰所にいって記録を確認してこい」

「わかりました!」

 ラルフは太った体にしては異様に素早く走り出していった。

 

「こちらへ」

 ヘルマンの導きで俺とシャロンは奥に招かれた。

「ここなら聞き耳を立てるものはおりません。どうぞお座りください」

 

「王都掃討作戦で、主要な犯罪組織は壊滅したものと思っていたが」

「掃討作戦のお陰で、民は平和に暮らせるようになりました。また守備隊の会計も大いに潤い、人員の拡充や備品購入のたびに頭を悩ますこともなくなりました。ありがたいことです」

 

「軍団長みずから捜査にあたるということは、貴族の依頼だな?」

「はい。実は有力な貴族の方々の美術品が盗まれ、闇市場に流れているようなのです。おそらく、貴族の邸内に手引する者がいるのではないかと。ですが捜査は難航しておりまして」

 

 俺はソファの前にある小机に数枚の紙をおいた。

「この中に犯罪に関与している者がいる」

 紙面に目を通したヘルマンの顔色が変わった。

「このヴォルフという男は依頼のあった貴族の家令をしている男です。美術商のザロモンは一度、盗品売買の疑いをかけられたことがあります。本人は盗品を掴まされただけと言っていましたが……。ほかにも数名、美術品を横流しできる立場にある者ばかりです。これは間違いのない情報でしょうか」

 ビットの情報を俺も直接聞いたからな。これ以上確かな情報はない。

 

「俺の名にかけて保証しよう。事実でなかった場合は俺の名を出してくれても構わない」

「……わかりました。早速明日にでも身柄を拘束し、確認します」

 貴族の名、というのはそれだけ重いものらしいな。

 

「それともう一つ。ガンツ伯ユルゲンがこの件に関与している」

「!」

 精悍なヘルマンの顔が驚愕に歪んだ。

「ユルゲンは盗品の鑑定を自ら行い、一部を我がものとしているだけでなく、犯罪組織から鑑定料の名目で莫大な金を受け取っている」

 

 俺はデニスがまとめていた古美術品の取引記録を渡した。

「おそらく、こちらで把握している盗品リストと一致するものもあるだろう」

 ヘルマンは立ち上がって書棚から一冊の帳簿を取り出し、確認している。最初の数ページで確信したらしい。

「間違いありません。一体どうやってこの資料を」

 俺は黙ってヘルマンを見つめる。しばしの沈黙の後、

「……失礼しました。この資料をもとに捜査を進めさせていただきます」

「ヘルマン、王都守備軍は独自の捜査権をもつと聞いているが、その力は貴族にまでおよぶのか」

「王都内の犯罪であれば、貴族も変わりがありません。しかし平民の犯罪者と違い事前に陛下に報告する義務があります」

「ユルゲンには近く大規模な税務調査が行われる。それと軌を一にして家宅捜査を行えば、未鑑定の盗品が見つかるだろう。盗品は捜査する理由になる。陛下にはそのように報告するといい。つまりタイミングが大事だ。……日取りは主任主計官のナダルスと調整を取れ」

「わかりました。調整します」

 

 ヘルマンの引き絞った口元に決意を感じる。頭の中はもう捜査計画でいっぱいに違いない。

「邪魔をした。機会があればまた来よう」

「このようなご協力に感謝の言葉もありません」

「気にするな。今後、また俺から頼むこともあるだろう。シャロン」

 シャロンは持ってきた箱を机においた。

「手土産だ。樹海の開拓地で醸造したものだ」

「感謝いたします」

 ヘルマンはわざわざ俺たちを軍団長兵舎の入り口まで見送ってくれた。

 

◆◆◆◆

 

 ユルゲンの邸宅までは歩いていくことにした。この時節、フードをすっぽり被っても誰も怪しむことはない。ただし会話はすべてナノム経由だ。

 

『アラン、人質のいる場所の警備は規模が小さすぎます』

『ユルゲンと一緒に家臣一同もガンツに戻っているからだろう』

『これだとセリーナに勝てないです』

 

 よくわからない。二人の勝負と救出に何の関係があるのだろう。

『セリーナは元神剣流の師範代だった盗賊の首領を倒しました。私が警備員五人とかだったらはやり格が落ちるというか』

『斬り伏せた人数で勝ち負けにはならないよ。シャロン、貢献は別の形でも可能だ。例えば学校教育とかだ。シャロンは生徒に慕われているんだろう? 読み書きできない子ができるようになって独り立ちすれば、それは人を切り伏せるよりも俺たちの拠点に貢献したことになるんだ』

『そうなんですけど、なにか自分でもわだかまりがあるんです』

『そのうちわかってくるさ』

 ……だといいんだが。俺も最近、忙殺されて何かを見失いかけているような気かがする。けれどそれは部下に話すことではない。

 

 ユルゲンの邸宅が見えてきた。裏から回ろう。

 

 

 人質奪還はあっけなく終了した。シャロンの言ったとおりだった。

 金で買われた警備兵ごとき、俺たちの敵ではない。蹴散らして幽閉小屋に突入した。電磁ブレードナイフでドアの蝶番を叩き切って飛び込んだときは一瞬ひやっとした。やせ細った女性がベッドに横たわって身動きもしない。まさか……。

 シャロンが駆けよって脈を測った。

「大丈夫です。脈拍は減弱していますが、単なる栄養失調のようです」

「人質に食事を与えないとは」

「ユルゲンは機会があれば私が殺ります」

「自分から絶食したのかもしれない」

「女の子をそこまで追い詰めた時点で、完全に有罪です」

「わかった。ここから出るぞ」

「いま麻酔薬を投与します」

 

 警備兵たちとユルゲン夫人は全員、自分たちに何が起こったのかもわからないまま昏倒している。比較的距離のある近隣の邸宅から異常を察知されることはないだろう。

 マルティナを持ち上げたが、びっくりするほど軽い。いまさらながら酷い扱いを受けていたのがわかる。あやうくメラニーもこうなるところだったのか。

 着陸地点の裏の畑に急ぐ。

 空中に二機の偵察ドローンがステルスモードで待機している。

『ディー・ツー、スリー、俺たちを回収してくれ』

[了解]

 

「アラン、この屋敷は焼き払いましょう」

「その必要はない」

「財力を削ぐのは効果があるのでは」

「将来この場所を使うことがあるかもしれない」

「よくわかりませんが……」

「明日にはすべてが決まる。さあ戻るぞ」

 

 

 



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地方貴族

 

 翌朝。

 朝食もそこそこに執務室に入った。今日の作戦を予習するとしよう。マルティナのことはシャロンに任せた。

 

『イーリス、来てくれ』

 ARモードで制服姿のイーリスが現れた。なぜかイーリスはARによる投影を好む。俺も面と向かって話すほうが安心感がある。

『貴族制度についてもう一度おさらいしたい』

 昨夜、コンラート号から王都の書籍をダウンロードしたのだが、時代や著者によって相反する内容だったりして、疲れた俺には理解できなかった。

 

『地方貴族と王都の貴族は、王との主従関係は同じなのに、なぜこうも扱いが違うんだ』

『主な理由は三つあります。王都の貴族のうち、高位のものは王家と姻戚関係にあることが多いのがひとつ。次に数世代に渡る主従関係。王都には永代貴族とよばれる七世代以上にわたって王家に忠節を誓った家系がいます。三つ目が地方貴族は歴史上、近隣の強国へ寝返った例が何度もあること、です」

 なるほど、王都の貴族が地方貴族を見下すわけだ。

 

「俺のように平民から叙爵によって地位を得た者は」

「地方貴族以下です。平民から貴族になった者は、ベルタ王国ではほとんどが一代限りのようです」

 なるほど扱いが軽いわけだ。商家は将来にわたって継続的な利益が見込める王都の貴族と関係を持ちたがる。サイラスギルド長の商人としての視点では俺よりもユルゲン家のほうが利用価値がずっと高いはずだ。

 

 たまたま俺のもっている技術に価値を見出しているだけで、つねに資金繰りに汲々としているように見える俺に貴族としての権威も威光もないのだろう。デニス家令との話がついた途端、俺の扱いが軽くなったのも仕方がないことかもしれない。

 以前、城館に娘のアリスタさんと訪れたギルド長は、クレリアにだけは正式な貴族への礼儀を守っていた。これは血統、血の重みが違うということだ。

 

「もし俺が地方貴族に逆らった場合の王都の動きだが……」

「王都でのユルゲンの評判いかんにかかってくるでしょう」

「やつの評判は最悪だ。しかし、古美術鑑定の権威でやつに並ぶものはない。財産もある。王には貢献していないが、バールケの手駒だからな。支援する連中も多いだろう」

 

 地方貴族への反逆が受容される方法は一つしかない。

 ユルゲンの権威と評判を地に落とし、相対的に俺の評価は上げることだ。しかも王への貢献というかたちで実現すればいい。これまでのところ予定通りに進行している。

『ありがとう、イーリス』

『どういたしまして』

 

 

『シャロン、そっちはどうだ』

『さきほど意識を回復しました。背中にひどい傷があったので治癒魔法を使用しました。なんとか起き上がれそうです。まだ詳しい話はしていません』

『いきなり俺たちが話しかけても混乱するだけだ。しばらくまっていてくれ』

『了解』

 

 俺は執務室をでて、以前クレリアとエルナが使っていた部屋に向かった。

 ドアをノックする。

「メラニー、入るぞ」

「はい」

 すでに身繕いを終えて俺を待っていたらしい。すぐにでも拠点に向かえそうだ。こういうところはやっぱり貴族の子女だな。着衣はかわらず男性向けだが。

「メラニー、お前にあってほしい人がいるんだ」

「僕に、ですか?」

「俺の話を聞いてもらうためにお前が必要なんだよ」

 怪訝な顔をしたメラニーをシャロンの部屋まで連れていき、ドアを開ける。

 目を見開いたまま一瞬固まったメラニーは中に飛び込んだ。

「姉様!」

「メラニー! どうして」

 ふたりともそこから言葉が続かないばかりか、二人は抱き合ったまま号泣している。

 何年ぐらい会っていなかったのかな。

 

「いったいどうなってるの? 昨日気分が悪くて横になっていたら、急にこの人たちが現れて」

「俺の名はアランだ。こちらはシャロン。ここはガンツの俺の拠点だ」

「えっ!」

「マルティナ、もう誰もあなたを閉じ込めたりしないわ」

「まさか、アラン・コリント男爵……」

「デニスさんから話を聞いて救出することにしたんだ。メラニーも会いたがっていたからな」

「でも、わたしが王都にいないと父の立場が」

「デニスさんの立場が悪くなることはない。これから家に送ろう。デニスさんも含めてみんなに頼みたいことがある」

 

◆◆◆◆

 

 ガンツ伯、ユルゲンの邸宅内。

 歓迎の席なのに、張りつめた雰囲気なのはなぜだろう。

 謁見室は幅十メートル、奥行きは二十メートル以上はある。王宮の広間には劣るが、拠点の教会堂くらいはある。一地方都市の城主にしては内装が豪奢すぎだ。邸内の使用人たちは緊張しきっている。誰も歓迎していないのは明らかだ。

 

 豪勢な室内をみて、すぐに”脱税”の二文字が浮かぶのは、俺がデニス家令の書類を読んだからだ。典型的な二重帳簿で、ガンツの住民から徴収した税はおよそ三割低く王都に報告されていた。

 主任主計官ナダルスから参考書を何冊かもらったが、それによると貴族の脱税はすなわち王の財産の収奪であり、発覚した時点で反逆罪だ。よくて廃絶、厳しいところでは死罪になる。

 それでも後をたたないのが、税務が基本的に申告制だからだろう。完全なデジタル上の”相互信用”に支えられている人類銀河帝国ではありえない。

 

 俺は、もう長いこと跪いていた。到着時には近隣の下級貴族があらわれるというが、俺一人しかいない。俺の横にはヘリング士爵、まるでその場所だけがスポットライトを浴びたかのように感じるのは夫人のリーナさんがいるからだ。ガンツの拠点に一度寄ってもらい、シャロンの手でメイクを施している。

 

 禿頭の肥え太った男が現れた。金糸の上着がはち切れそうだ。人間はこんなに太れるものなのか。たしかゴタニアの街で購入した魔物図鑑にもこんなのがのってたな。大樹海で遭遇したら躊躇ゼロ秒でフレイムアローを放つ自信がある。

 女の召使い二人がかしずいているが、いずれも子供にしか見えない。

 目を伏せる。危うく目があうところだった。中央にある椅子がギシッという音をたてたので着席したのがわかった。

 

「ヘリング士爵」

「王都より、無事ご帰還されたことをお慶び申し上げます。査察団の先触れのためこの地を訪れておりましたが、ユルゲン様のご帰還を聞き、参上した次第にございます」

「横にいるのはそなたの妻だな。さすが王都の華と讃えられたほどのことはある。辺地にあっても美しさは変わらぬな。まことに美しい。近うよれ」

 ヘリング士爵の挨拶を軽く流し、リーナさんに手を出すとは……。これってヘリング士爵に対してかなり失礼なのではないだろうか。俺のことは完全無視だ。まあ、紹介があるまで口を利けないのはしかたがない。

 

「突然の訪問をお許しください、ユルゲン様。退屈な王都を抜け出し、夫とともに来てしまいました。ユルゲン様の地元のお話、楽しみにしておりますわ」

「よし、宴では隣に座れ、良いな」

「喜んで」

 リーナさんがその時どんな表情をしていたのかは見えないが、普通に笑顔で答えたとしたら、相当の神経の持ち主だ。

 

「ユルゲン様、こちらが新規に開拓に着手されたアラン・コリント男爵です。ユルゲン様がご帰還と聞いてさっそくご挨拶にこられたとのこと」

「わかっておる。アランとやら、おもてをあげよ」

 

 やっぱりどう見ても超肥満のオークにしか見えない。こいつの二世代くらい前にオークがいたと言っても信じてしまえそうだ。マルティナもかわいそうに。

 

「叙爵でいい気になっているようだが、お前は王宮から出てすぐに、ワシのところに来るべきだった。直近の街の城主に挨拶もなく植民地に戻ったのは無礼であろう」

「なにぶんこの大陸の慣習には不慣れなもので」

「聞けばほかの大陸から来たと称しているようだが、そんな話は虚偽に決まっておる。そのうち化けの皮が剥がれないようにするのだな」

 明らかに挑発だが、こんなとき礼を失せずににどうやって答えればいいんだろう。さっぱりわからない。

「ユルゲン様、さぞ長旅にお疲れでしょう。アラン様には宴の席で詳しくお聞きになると良いですわ」

「まあ、よいだろう。ここでつまらぬ挨拶口上など聞きたくもないわ。まあ挨拶に来たことだけは認めてや、」

 

 バキッ!

 

 妙な音がした。あまりの重さに耐えかねたのか、椅子の脚が一本折れた。ユルゲンがごろんと横転する。あわてて女の子たちが駆け寄るが無力だ。

「ユルゲン様、ご無事ですか!」

 ドレスをひるがえし、リーナさんが駆け寄った。

 

 俺も駆け寄るべきなんだろうか。そうではないような気がする。横にいる士爵は……床を見つめて体を震わせている。旦那が必死に笑いをこらえているのはダメだろう。

「おおリーナ、すまぬ。実は手を貸してもらいたくてな。ちょっとした小芝居だ。許せ」

「広間までご一緒しますわ。万が一のことがあればたいへんですもの」

 リーナさんはほんとうに傑物だな。頼んでよかった。

 これからの対応が成功するかどうかは彼女にかかっている。

 



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安着の儀

 

「料理長を呼べ!」

 

 これだけ太っているならさぞかし獰猛な食いっぷりにちがいない。……という俺の予想ははずれた。

 一口ずつ味わうように口に運んでいる。俺の隣に着席しているヘリング士爵も居城でみせた勢いはない。あいかわらずリーナさんは恐ろしく少食だ。俺は沈黙を守りユルゲンとの会話をリーナさんに任せていた。

 

 白い調理衣をきた料理長が緊張しきった顔つきで現れた。

「たいへん申し訳ありません!」

「なぜ謝る。不在のうちにずいぶん料理の腕を上げたようだな」

 料理長がちらりと俺の方を向いたが、無視した。

 

「最近、ガンツで出回っている新しい調味料を使いました」

「ほう、こんどその製造元を買い取っても良いかも知れぬな。食材の質もいい。スープにはアミタケの干物と塩、胡椒のほかその調味料だな。深みがあって良い。主菜はビッグブルーサーペント、それも上位種のステーキだ。なかなか野趣があって良い」

「ありがとうございます」

「それとこのカラアゲというのはなんだ。珍しい黒鳥を使ったもののようだが、隠し味に魚醤を使っているな?」

「はい。ゴタニア周辺でたいへん流行しておりまして……下々のお味、お気に召さなかったでしょうか」

「非難どころかこのような旨味は初めてだ。修行を積んでいるようだな。あとで褒美を取らせよう。……下がって良いぞ」

「はっ」

 離れていく料理長の背中の調理衣が、すっかり汗で滲んでいる。だいぶ無理をさせてしまったな。

 

「ユルゲン様はベルタ王国一の食通、神の舌をお持ちと言われております。食材の分析はさすがですわ」

「食を極めんとする者の饗応にふさわしい料理だった。料理長として教育のしがいがあったというものだ」

 たしかにユルゲンの舌は確かだ。食材も調味料もきちんと理解している。

 

「アラン、これこそ真の貴族の料理だ。樹海ではなにを食しておる。オークの肉か?」

「最近は川魚が多いですね。あと、ビッグボアの肉とか」

 俺は正直に答えた。毎日カラアゲばかりではさすがに飽きる。

「ほう、ビッグボアは意外と繊細な食材だぞ。甘みのある脂を活かすのは難しい」

「勉強になります」

 それからも料理の講釈は続いた。絶賛ばかりなのはたとえオークからだとしても悪い気持ちはしない。

 最後はデザートにでた果実をたっぷり使ったパイについて、ユルゲンはすぐさま甘味が樹液糖であること喝破し、続いて甘みに関する蘊蓄を長々と話し始め、

「樹液糖を安定的に供給できる森林があればすぐにでも買い取ろう」と締めくくった。

 それはどうも。

 

 食後酒は給仕頭が自ら盃に注いでいく。

「商業ギルドのサイラスギルド長より、安着の儀に供していただきますようにとの言伝を賜っております」

「ほう、なかなか気が利いておるな。果実酒か……これはいい。甘味は最小限に抑えられているが口に含むと芳醇が広がる。しかもこれだけ個性的な香りを持ちながら飲み終えて口に残らない。よほどの醸造家が作ったものと見える」

 ……俺ですが。

 

「私はお酒にはあまり詳しくはないのですが、この醸造所を買い取ってはいかがでしょう」

「そうだな酒税の加増をちらつかせれば、安価で買えそうではあるな」

 なるほど、そうやって買い叩いているのか。

 

「アラン! お前にこの味がわかるか。王都でもめったに入手できない銘酒だぞ。存分に味わって飲むが良い」

 テイスティングはもう何回もやっているんだけどな。

「昨日のんだ果実酒と変わりありませんね」

「はっ! これだから無教養は困る。この味がわからんとは……。まあいいだろう。商業ギルドさえこうやってワシに敬意を表しているのだぞ。お前はどうなんだ。オークの肉とかだったら受け取らんぞ」

「ご帰還を祝う席に使っていただきたいと、いま手にお持ちの盃は私からのものです」

 

 この盃は純アルミ製で、表面には酸化皮膜処置とヘアライン加工がしてある。この惑星の人間は、たとえ十分な量のアルミを持っていてもこの加工はできない。

「盃だと?」

 ユルゲンはまるまると太った手で盃をもち、じっと目を凝らしている。

「この輝きは金銀ではないな……。表面は見たこともない処理がしてある。驚くほど軽い」

 ユルゲンの目がいきなり見開かれた、今までの小馬鹿にしていたような表情はもう微塵もない。

「まさか……。輝礬石か」

「魔術ギルドに鑑定していただいたところ、間違いないと」

「どこでみつけた」

「大樹海のどこか、としておきましょう」

 ユルゲンは盃を見ながら言った。

「輝礬石の加工は大変難しい。もしや、遺跡を発掘したのではあるまいな」

 俺は薄い笑顔を返すのみだ。あとは勝手に想像してくれ。

 

「場所をお教えしてもいいですよ」

「なんだと」

「残念ながら我々には人手や初期投資に回す金がありません。そこでユルゲン様のお力を借りたいのです。利益の半分はユルゲン様がガンツを治めている限り、お支払いし続けます。必要であれば私の持っているほかの資源も共有していただいても構いません。すこし商業ギルドへの調整が必要ですが」

「ほかの資源とは」

 

「ユルゲン様、アラン様は実に謙虚なお方ですわ。ずっと黙っていらっしゃるので、僭越ながらわたくしがご説明いたします。実は晩餐に使われたすべての調味料、食材はアラン様のご提供によるもの。それどころか厨房でアラン様ご自身がお作りになったのですよ。お酒もアラン様がご自分で醸造されたものです」

「…………」

 ユルゲンの目が急に細められ、口が引きしめられた。怒れるオークといったところだ。この時点の暴露は失敗だったか……。いや、これは獲物を目にした猛禽の目だな。だが自分が獲物になっているとは思いもよらないに違いない。

 

 ユルゲンは突然、ニッと笑みを見せると盃の果実酒を飲み干した。目は相変わらず細めたままだ。

「なかなかやるな。アラン。このようなもてなしは初めてだ。最高の食事を持って饗応し、ワシがすべてを評価した後に種明かしとは。いまさら前言を撤回するつもりもない。素晴らしい味だったことは認めよう」

「ありがとうございます」

「だがもうひと押しほしいところだ。取り分は七割にしろ」

「いいでしょう。ただし問題が一つあります。王命によれば開拓した土地はすべて私の所領として良い、というものです。ですので、大々的にユルゲン様が発掘されると誤解を招くでしょう。ここは共同開拓ということで公的な認知をいただきたい」

 

「しかし、王都には植民地の発展を望まぬものもいるが」

「その方々には私の植民地経営がうまくいっていないと伝え、ユルゲン様が手を差し伸べた、と言うかたちでもよろしいのでは。陛下もさぞお喜びになるでしょう」

「なるほど……。だが話が旨すぎる。何か隠しているのではないか」

 

 なかなか鋭いな。だがそれらしい話は用意してある。

「実は、植民地の人口はすでに三千人を超えております。ですが最初の播種は来春となり、食料が足りません。開発が順調ではないというのは事実なのです。そこでお力を借りたいと」

 

「商業ギルドが関わっているんだな?」

「製造販売を任せています」

「ならば割り込む必要はない。ガンツ領内での酒、調味料の製造、販売すべてに課税しよう。売れることが確実な商品にはそれが一番取りこぼしがなくて良い」

「課税品目の増加については陛下の許可が必要かと。実は王都向けの酒の出荷が進んでいます。そのうちこの酒に目をつける貴族が現れるかも知れません」

「すぐさま王都に引き返し、陛下に拝謁ねがわねばならんな。アラン、契約内容についてまとめたものをよこせ」

「ここに用意してございます。よろしければ酒も馬車に積み込みますが」

「周到だな。よかろう」

「ユルゲン様、ぜひとも我が植民地のためにお慈悲を賜りたく存じます」

 俺は深々と頭を下げた。

 

 ……このくそオーク野郎が。

 

◆◆◆◆

 

 肥満体にしては異様な速度でユルゲンは大広間を出ていった。

 

「本当によかったのですか。アラン様のご指示通りにしましたが……」

「ご心配は無用ですよ、ヘリング夫人」

「アラン様、七割も利益を取られては今後の植民地の経営に支障が出るのでは」

「ユルゲンはおそらくこの地に二度と足を踏み入れることはないでしょう。契約書にはユルゲンがガンツを治めている限り、という条件がわかりにくい形でくみこまれています。戻らなければ契約は有効にはならない。結果については査察が終わる頃にはお耳に入るかと思います。……本日のご協力に感謝します」

 

◆◆◆◆

 

 翌日、ユルゲンは慌ただしくガンツを旅立っていった。

 ガンツの正門でギード守備隊長と一緒に俺は見送った。ガンツの住民誰一人見送りに出ないとはよっぽどだな。ユルゲンは俺の見送りの挨拶すら聞く耳を持たず御者に急がせている。

「アラン様、わざわざお見送りとは、ユルゲン様のご指示で?」

「いや、正直に言うが心の底からお別れしたいと思ったのさ」

「はあ」

 俺の気持ちがわかるはずもないギード隊長をおいて、俺はデニス邸へと向かった。

 

 

 玄関でお出迎えとは。デニス、マルティナ、メラニーそしてシャロンが待っていた。

「アラン様」

 デニスは汗じみたハンカチを額に当てているし、メラニーとマルティナは互いの手をしっかり握ったまま、すがるような視線をよこしている。シャロンは当然落ち着き払っている。ナノム経由で情報は共有していたからな。けれど、結果については俺に花を持たせてくれるらしい。シャロンらしいな。

 

「成功だ。昨日、皆に話したとおりになった」

 とたんに張り詰めた気持ちが切れたのか、デニスは床に膝をついた。メラニーが俺に飛び込んできた。

「アラン様! ほんとうなんですか」

「ああ。ユルゲンがガンツに戻ることはない。たとえ戻ることがあったとしてももう領主ではいられないだろう。マルティナはもう王都には帰らなくてもいい。やつは自宅にたどりつくことすらできないだろうからな。メラニーもこれからは男の服は着なくていいぞ」

 わっとメラニーとマルティナは抱き合って泣いている。

 

「それではアラン様、我々の今後は……」

「ユルゲンの処遇がきまりしだい、この領地について沙汰があるだろう。過去の事例では重罪に問われた貴族の領地は王都直轄領になる可能性が高い。王都からの連絡があるまでは普段どおりの生活をしていればよい」

「しかし過去の罪が」

「人質を取られていた事実がある。必要ならば俺も証言しよう。……まて」

 三人が一斉に跪いた。俺はデニスの手を取る。

「ひざまずく必要はない。これからもガンツの拠点がある限りいろいろと世話になると思う。だからお互い様だ」

「アラン様のためならどんなことでも致します。ありがとうございます!」

 

「シャロン。もどるぞ」

「はい」

 いきなりメラニーが俺の腕をつかんだ。

「アラン様っ!僕を樹海に連れて行く約束は!?」

「メラニーよさないか! ……申し訳ありませんアラン様」

「せっかく家族がそろったのに! アラン様やめさせてください!」

 

 あの……父娘三人で俺にしがみつくのはやめてもらえませんかね。

 こいうのってほんと苦手なんだよな。

 



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【閑話】狩り日和










 

 久しぶりに遠出だ。

 アランが出かけるときは――これが最近多いのだが――次席指揮官としての仕事が山積みだったけれど、これからしばらくはアランが政務に専念するらしい。

 ……いつまで続くかは疑問だけれど。

 

 わたしは城館の屋上で二人が来るのを待っていた。ここ数日のあいだに気温は下がり、屋上の床面には薄く霜が降りている。

 東の山脈から曙光がさし始めたばかりなのに、もう街の数少ないパン屋さんと鍛冶の火起こしが始まっていた。ほそく長い煙が薄霧がかかった冬の空に登っていく。

 

「おはよう、セリーナ」

「本日のお誘いありがとうございます」

「急に誘って、悪かったかしら」

「今日は楽しみにしている。樹海に出かけるのもほんとうに久しぶりだ」

 リアはまだすこし眠そうだ。昨夜の士爵夫妻を歓迎する宴のお酒がまだ残っているのだろう。

 エルナに二日酔いの気配はない。彼女は目覚めているあいだは貴族であることを決して忘れない。それでいて戦闘中は恐ろしく勇猛で大胆な動きをする。アランから一目置かれているのがちょっとくやしい。でも、わたしは航宙軍兵士。アランの正式な部下だ。エルナはそうではない。

 

『ナノム、クレリアのナノムに昨夜の代謝残存物を処理させなさい』

[了解]

 

「リア、お茶を用意しています。グローリアが来るまで一杯いかが」

「頂くわ」

 二人にカップを渡し、魔石式恒温ポットからお茶を注ぐ。

「狩りをするには少し寒いな」

「大丈夫。こちらをどうぞ」

 航宙軍の制式防寒服を用意してある。女性士官用だけれど、これを着ていた先輩たちはもういない。ネームははずして大切に保存している。

 

「雪豹の毛皮より軽いな」

「腕を通しただけなのに体に暖気がこもるようです」

 二人にはすこしずつ人類銀河帝国の方式になれてほしいけれど、あまりに急激な異文化との接触は元の文明をこわしてしまう。コンラート号のライブラリーで見つけた記録だ。どうすれば、この人たちが自分たちの文化への誇りを失わずに科学を発展させることができるだろうか。

 

「お茶のおかげで頭がすっきりしてきた。ありがとう、セリーナ」

 わたしは黙って笑顔を返した。ナノムの処理が終わったようだ。

 

「今日は大樹海の調査と聞きましたが、どのように調査するのですか」

「樹海の有用な植物や鉱物などの資源を調査します。お二人には私が調査の間、狩りをおねがいします。昼食は現地調達なので」

 急にリアの顔が明るくなった。なにか難しいことをやるものだと思いこんでいたらしい。

「それなら任せてもらおう。セリーナは調査に専念するといい。私とエルナが獲物を捕まえよう」

「セリーナ、わたしもすこしは薬草の知識があります。みつけたら報告しますね」

「ありがとう、エルナ」

 

 東の空に巨体が現れた。今日はグローリアにしか声をかけていないのに、なぜか黒ドラゴンまで一緒だ。

「グローリア!」

「もう一体、後ろからついてきています」

「すごい! グローリアより大きいなんて」

 

 風を巻き立てながら黒ドラゴンと少し小柄な赤いドラゴンが着地した。

「リア、グレゴリーを紹介します。グレゴリーはこれからグローリアと一緒に暮らすことになったの」

 黒いドラゴンはリアとエルナに見向きもせず私の方をじっと見ていた。

 

『グレゴリーはじめまして。わたしの名はセリーナ。もう一人のシャロンと双子なの。わたしもグローリアの友達なの。これからよろしく』

『グレゴリーはまだ私のように考えを黙って相手に伝えることがうまくないんです。声を出すと人間を驚かすので黙っているそうです』

 意外と気配りのできるドラゴンのようだ。

 

「セリーナもドラゴンの考えがわかるの?」

「いえ、それができるのはアランだけです。わたしは名前を教えてもらっただけ」

 ということにしておく。でないと旅行中ずっと、ドラゴンがなにを考えているかリアの質問攻めにあいそうだ。

「グレゴリー。私はクレリア、今日はよろしくね」

 人間の言葉はグレゴリーのナノムによってすぐに翻訳されるはずなのに、グレゴリーは軽く頭を振っただけでしゃべらない。

 

 グローリア専用の革製鞍を装着しながら聞いてみた。

『グローリア、どうして彼はついてきたの』

『どうしても一緒にいきたいってうるさくて。荷物は彼に任せていいですよ』

 ドラゴンの掟では敗者は勝者に帰順する。男女のあいだでもそうらしい。グレゴリーは完全に頭が上がらないみたいだ。

 

 グローリアに三人がのり、荷物をひとまとめにすると、一人の人間ではとても持てない重さなのに、大きく翼を動かしたグレゴリーは舞いあがると片手でひょいと掴んだ。きてくれて助かった。

 わたしたち三人を載せたグローリアは凄い勢いで空に登っていく。

 

『アラン族長から場所は聞いています』

 仮想スクリーンに機器設置ポイントが表示された。グローリアは仮想スクリーンの使いかたがとても上手になった。人間以上の知性の持ち主だとイーリスは断言していたのもわかるような気がする。

『グローリア、拠点から近い順におねがい』

『分かりました』

 

 後ろを振り返ると、リアとエルナが鞍に必死にしがみついている。

『グローリア、少しだけ速度を落として、リアが驚いているわ』

 

 水平飛行になった。登る朝日が朝霧の樹林をすみれ色に染めていく。見渡す限りの大森林の向こうに点々と小さな湖が見える。いつかこの場所がこの惑星の首都として大都市に変わるのだろうか。

 

 一回目の設置点に着地した。巻き上げた木の葉に驚いたのかネズミウサギの群れが飛び出して、森の奥に逃げていく。

 グローリアの着地は以前クランのメンバーと遊覧飛行したときよりはずっとなめらかだった。わたしたちを気遣ってくれているのがわかった。

 

 念のため、探知魔法を発動する。遠い検知限界付近にグレイハウンドの群れがいる。三十頭の大きな群れだ。距離があるから大丈夫だろう。狩猟中らしいオークが三匹。探知範囲内に集落はないが……。グローリアもいるから大丈夫。

 

 グレゴリーが少し離れた開けた場所に、巨体にしては驚くほど静かに降り立った。

 グローリアの鞍から降りたクレリアは大きくのびをした。

「なんだか懐かしい感じがする。街と空気が違う。力が湧いてくるかのようだ」

「本当に空気に力が満ちてくるような気がします」

 エルナも感じているのか。

 

『ナノム、わたしの魔素貯蓄量を拠点に着いた時点と比較して』

[二十三パーセント増加しています]

 アランは魔素の増加を危惧していたけれど、二人は元気そうだし、わたしも身体に異常はない。

『グローリア、体調はどうなの』

『元気ですよ。ふるさとの森よりここのほうがいいです』

 グローリアの魔素の量はどれくらい増えたかは、元の量がわからないと調べようがない。とんでもない量であることは容易に想像がつく。極地での戦闘中、グレゴリーがアランに放ったブレスは凄まじかった。あれが更に増大するなんて想像もしたくない。

 

「リアとエルナは狩りの方をお願いします。でもあまり離れないでください。私はこっちで調査していますから」

「「了解」」

 二人が同時に言って、おもわず笑ってしまう。リアも笑みを隠さない。……そうだった。”了解”は森の中で作戦行動するうちにシャイニングスターのみんなが自然と使うようになっていた。

 二人が慎重に周囲を見回しているうちに、わたしは草をかき分けながら、黒ドラゴンのいる場所に向かった。まとめた荷物は荷崩れもせず、丁寧にドラゴンの前に置いてあった。

 グレゴリーの首筋にそこだけ灰色になっている部分はアランとの戦闘でできたものだ。

それ以外は全身がくろぐろとした鱗に覆われている。微動だにせず佇立する姿は、古代人が一枚岩から切り出した彫像のようだ。あらゆる点で異質、という感じがする。

 荷物を解いて、地中探査機を取り出した。できるだけ平坦な場所に置くと、静かに探査機は地面にめり込んでいく。

 

 地中探査機は頭を少しだけ地上に出すまでに潜り込んだ。

 よし、次に移動しよう。

 

 それから上昇と設置を繰り返したけれど、クレリアとエルナは獲物がなかったことをしきりに残念がった。一箇所ごとの滞在時間が短いので仕方がない。

 ここには魔物以外の動物があまりいない。奥に進むに連れ、魔物の個体数はへるものの、体は巨大化していく。

 おそらく彼らがこの大樹海の生態系の頂点なのだろう。小動物も生き延びるために賢く、素早くなっていく。リアたちと旅を始めた頃の森林帯はまだずっとのんびりしていた。強力な捕食者がいなかったからだろうと今になって気がついた。

 

 昼頃になって、予定最後の地中探査機の設置を終えた。

 このあたりは樹海の中心よりやや南側に近い。おそらくこの惑星の人類はここまで到達したことはないだろう。

 

「リア、獲物は穫れた?」

「ネズミウサギにフレイムアローをはなったのだがなかなか当たらない」

「リアは追跡型フレイムアローをつかえるでしょう?」

「あれは目標物の姿が見えていないと使えない」

 これはいいことを聞いた。リアが追跡型フレイムアローを放った瞬間、視野の外に移動するか、遮蔽(クローキング)できれば優位に立てるのでは。問題は小型戦闘艦規模でないと遮蔽装置は使えない。対象物が一人の人間だけなら魔法でなんとかできないものだろうか……。

 

「セリーナ」

「あ、ごめんなさい。ちょっと考え事を」

「セリーナはよく目をつぶって考えていることが多いけど」

 これはアランに注意されてやめた。ARモードは使用せずに音声通信のほうが周囲の疑念を招かずにすむ。

「もしかして、追跡型フレイムアローの対策を考えていたのではないですか」

 エルナは相変わらず鋭い。

「模擬戦ではリアとエルナの組に勝ったのはアランだけ。わたしも追いつきたいの」

 コンバットレベルでは上なのに魔法ではずっとアランの後塵を拝してばかりだ。このあいだようやく飛行魔法がなんとか、というレベルだ。

 

「私も魔法の工程を変えてもいい、と気づいたのはアランのおかげですけれど」

「これまでずっと魔法書通りにやってきたのね」

「エルナも私も魔法を覚えるときは絶対に工程を違えてはいけないと厳しく指導されたものだ」

「もうクレリア様の魔法にはどの宮廷魔術師でもかなう者はいないと思います」

「最前線に出れないのは残念だ」

 

 ふたりは最近、地下の稽古場場にこもることが多くなった。クレリアは政務時間以外はすべて鍛錬に当てている。前回の模擬戦からのエルナの進歩も目を見張るものがある。

 アランのおかげ、だけなのだろうか。私を含めて大樹海が何かを変えていくようなきがする。

 

 

 樹液糖が穫れる森林の上空についた。グローリアにゆっくり周回してもらう。

「セリーナ、このあいだアランが来たのはここですよ」

「樹木の種類がさっきまでの場所と違うようだ」

 樹高は高く、幹はどれも一律に一抱えくらいある。下草が少なくまるで誰かが整備したかのようだ。

『グローリア、着陸をお願い』

『はい』

 

『リアの狩りがうまくいっていないみたいですけど。よかったら追い込みしましょうか』

『獲物を追い込んでくれるの?』

『はい。待っててください』

 

 グローリアが着地した場所は地面が赤黒くなっている。近くに火を炊いたあとが残っていた。

「リア、グローリアとグレゴリーが獲物の追い込みをしてくれるわ」

「セリーナ、やっぱりグローリアの言葉がわかるのね」

 しまった。うっかりしていた。

「なんとなく、でしょうか。それより追い込みが始まったようですよ」

 

 グローリアと、グレゴリーが二百メートル位先でぐるぐる回りながら飛んでいる。

「多分こちらの方に獲物が追い込まれてきますから、お二人で捕まえてください」

「よし、ここは任せて」

 周囲の小鳥や小動物がこちらにやってくるのがわかる。二人は上手に私たちへ誘導しているようだ。

 グレゴリーが空中に静止した。何かを狙っているようだ。そしてその口から……

「リア、エルナ、身を伏せて!」

 凄まじい爆発音とともに炎が上がった。私たちの視界に数羽の黒鳥が入ってきた。

「リア!」

「分かっている」

 即座に無詠唱でフレイムアローが放たれる。追跡型だ。……全弾命中。

「リア様、私が獲ってきます」

「頼む」

 エルナが落下地点に走っていく。

「以前見たときより追跡速度が上昇していますね」

「練習のおかげだろうな」

 

 突然、煙の中を小山のようなビッグボアが突進してきた。

 クレリアは落ち着きはらって手を前方に伸ばす。

 ひとすじの輝く光束が手から放たれ、突進してくるビッグボアを直撃した。何という威力だ。勢い余ったビッグボアがクレリアの直前で止まった。すでに絶命しているようだ。

 

「一度に三十発分のフレイムアローを使ってみた。分散・追跡型より楽でいいな」

「リア、なんともないの? めまいとか。ここでアランみたいに倒れるのは勘弁してね」

「それどころかまだ全然余裕だ」

「クレリア様!」

 大きな黒鳥をひきずりながらエルナが戻ってきた。

「これを、クレリア様が?」

「もちろんだ。……グローリアたちが戻ってきたぞ。二人には礼を言おう」

「セリーナ、これだけあれば十分です。黒鳥を探しているうちに、野生の葡萄も見つけました。そろそろ戻りませんか」

「……わかったわ」

 

 

 もしこのとき、気がついていたら。

 すでに徴候が現れていたことに気づいていたら。

 

 

 でも、その時のわたしは二人が狩りの獲物の前で笑っている姿を見て、そんなことは忘れてしまったのだった。

 



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銀河

 ナノムとコンラート号の強力なAIの力を持ってしても、惑星アレス全域の文明化という遠大な計画途上のどこかで俺の命の灯は消える。

 

 この惑星の住人よりは長生きはできるだろう。

 人間としての基本的な防御機構に加えて、ナノムが有害な老廃物を身体から取り除いてくれる。兵士としてのメンタル的な訓練や規則的な生活が俺の寿命に貢献することも間違いない。

 体細胞のほとんどはナノムによる若化処理が可能だが、脳細胞だけはリセットできない。リセットしてしまえば人格は失われる。すなわち「俺」という人間は消滅してしまう。

 航宙軍でも優秀な兵士の経験を外部記憶に取り出して保存できないかと苦心していたようだったが俺の知るかぎり成功した事例はない。

 

 バグスとの千年に渡る戦いの中で、航宙軍がナノムの導入に踏み切ったのはバグスと対等に戦える兵士を育成するためだが、歴史的に見れば比較的最近といえる。

 投与された兵士たちの多くは戦闘で命を失い、除隊まで生きながらえたとしてもナノムは除去される。ナノムを常駐させたままで何歳まで生きられるのかはまだよくわかっていない。

 人生の大部分をナノムとともに生きるということは、もはやある種の共生体といえるかもしれない。

 もう人間ではない「何か」。

 

 

 

 眠れないので屋上にあがって空を眺めていた。

 城館の眼下に広がる街並は静まり返っている、わずかに南門の不寝番の灯火が見えるだけだ。

 壮大な冬空の銀河がくっきりと目に映える。光害のないこの世界では星の輝きをさえぎるものはない。けれど星景はかつて訪れたことのあるどの惑星からの眺望とも異なっている。俺は人類銀河帝国の版図を遥かに超えた星域に流れ着いてしまった。

 

 今にして思えば、この惑星に漂着する前の俺は――戦闘時を除けば――気楽だったといえる。指導者の責務とか、民を導くことになるとはつゆ知らず、艦内での任務をそつなく真面目にこなし、空いた時間は研究活動や、料理を作っては同僚に振る舞ったりしていた。それがたった一年と少しまえのことだとはいまだに信じられない。

 突然目が覚めて、自分がコールドスリープチャンバーの中で覚醒処理を受けている最中だったなどということはありそうもない。今、目にしているものは変えようのない現実なのだ。

 

 俺はあと何年生きられるだろうか。あまりにも遠大な計画に対して俺の寿命は短すぎる。

 かつて人類種の寿命は遺伝的に百二十歳が限界とされていた。

 トレーダー星系にかぎらず、航宙技術を獲得するくらい科学が進歩した惑星世界では生物・医療技術もまた進歩している。人類銀河帝国では――帝国国教会の圧力はあるにせよ――兵士の遺伝子から不安定な要素を取り除き、異星での生活に耐え得るようにする改造が行われている。

 

 その結果わかったことは、遺伝子改良技術など生物科学のサポートがあれば人間の細胞はほぼ半永久的に生きることは可能だが、人間の精神はおそらく耐えられないとされている。

「俺」という自我を構成しているいわば天然のソフトウェアは永遠の情報処理ができるように設計されていないのだ。

 

 ……だが、ナノムを宿していれば話は別だ。

 情報処理の多くを任せることができる。二百年は生きられるかもしれない……ナノムを投与される前の「俺」のことなどすっかり忘れてしまうくらいには。

 それでも計画の中央値の三分の一でしかない。そもそも二百歳の俺はまともな判断能力があるだろうか。

 

 だからこそ世代を通じた進歩が必要なのだ。特定個人の力にたよることなく、すべての住人が一定以上の科学技術を学ぶことが。

 シャロンの奮闘のお陰で学校はすっかり街にとけこんでいる。読み書きができるのは貴族と宗教関係者、一部の富裕な商人だけのこの世界では、学校というものは馴染みがなかったようだ。

 子どもたちは午前中に学校、午後からは拠点内の職人の下で就業してもらうことでようやく一般住民から奇異の目で見られることはなくなった。……目標とするレベルにはほど遠いけれど。

 俺が生きているうちにどこまで教育レベルを上げられるだろうか。俺はその行く末を確かめたい。

 

 

 時間圧縮という方法もある。

 コンラート号はリアクターを失っているためワープ航法は使えないが、残された補助機関を使えば時間をかけて光速に限りなく近づくことができる。

 

 人類の歴史の最も古い時代から知られていることだが、光の速度に近づくと時間はゆっくりになる。例えば光速の99%の速度で五光年先に行ったとすれば……往復十光年。

 減速・反転する時間を無視すれば、第三者から見て十年が必要だが、コンラート号に搭乗している俺の主観では経過時間は二年以下だ。99.9%だと比率は客観時間十年に対して主観では六ヶ月、なんならもっとスピードを上げてもいい。

 定期的に光速に近い速度で移動を繰り返しては、惑星アレスにもどって定点観測する。そこでまずいことがあれば積極的介入をすればいい。俺の蒔いた教育という種が花開くまで……。

 

 問題は俺が旅立っている間にバグスが来る可能性だ。

 準光速の時間圧縮の旅が終わってこの星系に帰還したものの、惑星アレスがバグスの巣窟になっていた、では話にならない。

 時間が経過するたびに”バグス侵攻”は刻々と近づいてくるのだ。

 やはり俺はこの惑星から離れるべきではない。シャロンかセリーナに頼んでも断られるだろう。第一、イーリスの存在無くしてこの作戦は成功しない。

 

 コンラート号のコールドスリープ装置は乗員もろとも失われてしまった。なんとか地上に再構築したらどうだろうか。

 コールドスリープ中にナノムに細胞若化処置をさせれば、脳以外は真新しい体で覚醒できる。俺たち三人が交代で眠りにつけば……。

 ナノムのサポート下での脳の機能限界が百五十年として、活動期一年睡眠三年といったスパンで繰り返しても、寿命は暦上では計画中央値には到達しない。しかもコールドスリープの使用回数には制限がある。これほどの連用は不可能だ。

 

 ……もうやめよう。どんなに思考実験を繰り返したところで結論は同じだ。この惑星で一生を終えるにしても精一杯生きるしかない。やがてこの惑星に生まれる数十億の命をバグスの魔の手から救うことになるのであれば。

 

 [体温低下のため代謝を一時的に上昇させます]

 ナノムの警告で我に返った。仮想スクリーンの数字はもう一時間以上ここにいることを示している。

 階下に降りようと階段に向かうと、クレリアが立っていた。以前シャロンが渡した航宙軍の制式防寒服をきているようだ。いつからそこに立っていたんだろう。

 城館で探知魔法を使う必要はないし、クレリアはナノムを宿しているから俺のナノムは、警告を発しなかったのだろう。極力、音を立てないように居室を出たつもりだったが。

 

「アラン」

「少し考え事をしていたんだ」

「何を考えていたの」

「……故郷のことだよ」

「そう」

 

 屋上階段のドアの前で俺とクレリアは向かい合った。光源は天の星だけで、表情はよくわからない。けれど俺は暗視モードにせず耳を傾けていた。クレリアがなにか言いかけていながら、躊躇しているようだ。こんなときは黙っているのが一番いい。

 

「アラン……。もし大陸統一が終わったらどうするつもりなの?」

「民のために教育に尽くすつもりだよ。皆が豊かに、幸せになるように」

「頑丈な船を作って故郷に帰ったりしない?」

「この大陸のどんな国でも俺の乗っていた船と同じものはできないよ。いや、いつかはできるだろうし、そうなって欲しいけど俺の生きているうちは無理だ」

「アランのいた大陸からお迎えがきたりしない? アランは向こうではそれなりの地位があるんでしょう」

 

 ある日、この惑星に人類銀河帝国の輝かしい紋章を記した巨大な航宙艦が飛来したらどんなに素晴らしいことだろう。惑星アレスは人類銀河帝国の強力な指導の元、諸国は統一され、暫定政府が作られる。そのすべてが終わるまで十年もかからないだろう。人類銀河帝国は一つでも多くの居住可能惑星を欲しているのだ。

 

 人類銀河帝国では発見した惑星に人類に連なるものが存在した場合、極力その文化を尊重することが定められているが、例外もある。

 地球の次に発見された居住可能惑星がそのいい例だ。

 その星系には豊富な金属資源を有する惑星が三つも存在しており、それぞれに人類に連なるものが存在したものの、あまりにも文明レベルが低くかった。

 

 悪いことにこの星系は、バグスの想定侵攻ルート上では地球との中間点にあることから軍事上の重要度ははかり知れなく、人類銀河帝国は強制接収を決定し、原住民は一つの惑星に設けられた居住キャンプに移住させられてしまった。

 いまでは巨大な軍事防衛星系となっているが、原住民は教育処置を受けることなくほそぼそと文化の命脈をついでいるにすぎない。

 この件は人類銀河帝国内でも激しい論争を引き起こし、いまでもその是非が問われていた。

 

 ……俺はこの惑星でそんな事が起きてほしくない。

 己の文化・伝統を失うことなく、誇り高いアレス人として自立してほしいのだ。

 ベルタ王国でもセシリオ王国でも、スターヴェーク人でもなく、アレス人だ。

 アレスに生まれた者としてこの惑星を守るためにバグスと戦う。俺はその手助けをするために生きる。

 

 クレリアは俺が考え込んでいるあいだもずっと辛抱強く待っていた。俺が迎えの船で帰るか悩んでいると思っているみたいだ。

 

「残念だけど、俺を迎えに来る船は決して来ない。俺がこの惑……大陸にたどりついただけでも奇跡に近いんだ。ほかの乗組員はほとんど死んでしまった。遭難したことなんて故郷には伝わってすらいないはずだ。俺はここから故郷にはもどれない」

「アラン、私は船が来るか来ないかではなくて、来航した時の話をしている」

「船は来ないよ。絶対に」

「その船はたぶんデグリート海洋王国の一番大きな港に到着するわ。そして迎えの人たちはアランを探すでしょう。セリーナがアランを探し当てたときのように……。いつかこの拠点にやってきて、”アラン様、我が国にお帰りください” って言ったとしたら?」

 

 ……そうか。ようやく俺にもクレリアの気持ちがわかってきた。俺はここではっきり伝えなければならないのだろう。

「クレリア。俺は残る。たとえ船が来ても。ここでの仕事が終わっていないからね。一生を捧げるにふさわしい仕事だ」

 

 

 気がつけば、クレリアの頭は俺の胸に押し当てられていて、俺は倒れないようにするのが精一杯だった。どれくらいそうしていたかよくわからない。こんなときはなんと言っていいのだろう。俺は黙って輝く銀河を眺めていた。

 

 やがてクレリアは、かるく鼻をすすったかと思うと身を離し、

「ここがアランの新しい故郷になればいい」

「俺はずっとここにいるよ」

「アラン……。ありがとう」

 クレリアは小さく息を吐いて、踵を返し、階段をおりていった。

 

 

 ……気のせいか階下で誰かのため息が聞こえたような気がした。

 

 



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節目

 

「ここがアランの新しい故郷になればいい」

「俺はずっとここにいるよ」

「アラン……。ありがとう」

 

 

 屋上からの階段を降りると階下で私服のエルナが待っていた。

 私の気持ちを察してくれたのか、エルナはだまってハンカチを差し出した。居室に向かいながら、濡れた頬をぬぐった。こんなときのエルナの気遣いはありがたい。

 

「エルナにも心配をかけてしまったな」

「いえ、アランがこれほどはっきりと断言するのは初めてですね」

「もっと早く聞くべきだった」

 

 問題は放置すればするほど大きく育つ。セリーナが初めて私の前に現れてから芽吹いた疑問は気づかぬうちに大きくなっていたのだろう。

 

 スターヴェークで謀反が起こった数ヶ月前、南西部の貴族諸侯に不穏な動きがあったのはたしかだ。それを看過した結果、私は父母と兄そして国を失ってしまった。

 予兆を感じたら、内にこもることなくすぐさま可能な限り情報を集め、必要であれば直接足を運ぶべきなのだ。

 ただ、もっとも事情を知っていそうなアランが教えてくれることはあまり多くないのが問題だ。アランの秘匿主義は今に限ったことではないけれど、フォルカー士爵夫妻が拠点に査察団の先触れとして現れてから、さらに強くなったように感じる。

 城館を留守にすることも多くなった。表向き在城していることになっていても実はこっそり夜間にどこかへ出かけているような気すらしていた。

 

 けれど、これまでの不安は、今日のアランの言葉で何処かへ消えてしまった。アランは一生この大陸にい続けることを約束してくれた。それは私との共同統治を生きている限り続けるということだ。

 それはつまり……。自分でも顔が赤くなってくるのがわかる。

 今夜は眠りが浅くなりそうだ。

 

◆◆◆◆

 

 すっかり寝坊をしてしまった。

 厨房の隣りにある小食堂に顔を出したときには、もうアランは朝食の準備をしていた。

「アラン」

「おはよう、クレリア、エルナ」

「昨日はありがとう」

「俺も気持ちが吹っ切れたよ。こういうことははっきりさせておくべきだったんだ。礼を言うのは俺のほうだよ。ありがとう、クレリア」

 アランの言葉で残っていた眠気の残渣がいっぺんに消えていく。もうあれこれとアランの行く末について悩むことはない。

 アランが引いてくれた椅子に私とエルナが着席すると、セリーナとシャロンもやってきた。二人して私の顔を見つめていたかと思うと、何も言わず席についた。

 

 アランが用意してくれたのはポトとザッパの葉の肉野菜炒めだ。肉は一昨日、大樹海で獲ってきたビッグボアだろう。あとはスープと堅パンだった。久しぶりにアランが早くにおきて作ってくれたようだ。

 冒険者時代はこの組み合わせが多かったのを思い出して懐かしくなった。思えばアランとの思い出には不思議と料理と食材が現れるのはなぜだろう。

 

 

「朝食を取りながら、みんなに聞いてほしいことがある。特にクレリアとエルナには黙っていたことが多かったからね。実は……」

 

 アランの口から語られた話は驚愕の内容だった。

 ガンツ伯のユルゲンが、不祥事を起こし失脚するという。貴族でありながら古美術品窃盗団と関係を持ち、さらに巨額の脱税を働いていたらしい。アランは早くからユルゲン家の家令からその情報をつかんでいて、ヘリング士爵夫妻に手伝ってもらい、ユルゲンが王都で捕縛されるように商売の話を持ちかけて誘導した……。

 

 アランの言葉だから嘘はないと思うけれど、どうやって王都の情報を手に入れたのだろう。アランが手駒にすると言っていた元ライスター卿の配下は酒運搬の警備隊として王都に向かっているが、到着まであと一週間はかかるだろう。

 

「……というわけで、王都ではすでに王都守備隊と徴税局がユルゲンの到着を待ち構えているはずだ。お咎めなしではすまないだろうね」

「ユルゲン失脚のあと、ガンツは誰が治めるのですか。領主不在となれば、徴税や商業に悪影響があるのでは」

「エルナの心配ももっともだ。当面は王都の直轄領になる可能性が高いそうだ。だからこれまで通り二つの街の行き来や商売は継続できるだろう。情報によればユルゲンは俺に、というか樹海の開拓に否定的だったようだから、結果的に良かったよ」

 

 あまりに予想外の話だった。そのせいか食事が進まない。朝食を取りながらする話でもないだろう。脚光を浴びる者、失脚や造反する者はどこの国にもいる。今回それがスターヴェークのように大事に至らなかったことは幸いだが……。

 

「無関係のヘリング士爵を巻き込んだのは迷惑だったのではないか」

「どちらかというと、査察中にガンツで騒ぎが起こるよりは、という気持ちのほうが強かったようなんだ。特にリーナさんがね。彼女はとても機転の効く素晴らしい女性だよ。ヘリング士爵の言葉を借りれば、貴族の良いところをすべて集約したような人だ」

 

 そうかもしれない。何度か食事をともにしたが、スターヴェークの王族や上級貴族の子女にも夫人ほどの人物は思い当たらない。ここは素直にアランの言葉通りと認めておけばいい……のだけれどなぜかわだかまりが残る。私が困るようなことは何もないはずなのに。

 

「クレリア、食事が進んでいないようだね。朝からビッグボアの脂は重たかったかな」

「しばらく前から以前ほど食欲がない」

「それはよかった」

「どうして」

「クレリアの体が完全に治癒したからだよ。その……精霊様の働きで。もとに戻ったように見えても体には負担がかかっていたんだ。だからたくさん栄養が取れるように精霊様の働きで食欲が増していたのさ。いまはもうすっかり元通りだよ」

 

 エルナが食事の手を止めた。アランがまたしても我々を煙にまこうとしていると思ったようだ。

「エルナ、まだ話していなかったと思うが、私の手足が回復したのは。女神ルミナス様の眷属たる精霊にアランが働きかけてくれたからなのだ」

 言っても信じてもらえなさそうだったので私はテーブルナイフをとって、指に当てて素早く切った。

「クレリア様!」

「大丈夫だ。よく見ているといい」

 痛みは一瞬で血の量も少ない。すぐに傷は塞がりナプキンで血を拭うと指には傷一つ残っていない。

 かつての私も今のエルナと同じように愕然とした表情をしていたに違いない。

 

「アランは精霊様に命じることができるのですか」

「……そうだ」

「セリーナとシャロンもですか」

「そうだな。ふたりとも精霊様の助けを得ることができる」

 アランは困ったような表情だ。私がエルナに精霊の働きを見せるは思っていなかったのだろう。

「アラン、私の手足をもとに戻してくれたことは感謝という言葉では足りないくらいだ。さらにお願いするのは心苦しいが……」

「エルナにも精霊様を宿してほしいんだね」

「エルナは私にとってかけがえのない忠臣だ。だから頼みを聞いてくれまいか」

「クレリア様……」

 

 ずっと黙っていたセリーナとシャロンが一瞬目を見合わせた。

「アラン、エルナにはその資格があると思います。シャイニングスターの一員としてエルナだけが……精霊様の力がないのは不公平です」

「私もセリーナと同じ意見です。エルナには精霊様の力が必要」

「しばらく時間をくれ。考えておく」

 

 話してはいけないことなら、アランが私一人だけに話せばよかったのにと思わないでもなかったが、それからは食事が終わるまでみんな黙々と朝食をとることに専念した。

 

「ガンツの件も片付いたし、拠点の運営も軌道に乗ってきた。あとは査察に合格することだけだ。いろいろと節目の時期かもしれないな」

 立ち上がったアランにシャロンが声をかけた。

「アラン、一つ大事なことをお忘れですが」

 

「ああ、そうだった。クレリア、明日かららこの居城に住む人間が一人増えるんだ。よろしく頼む」

 

 

 



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ビット報告

 怪訝な顔をするクレリアを置いて、俺は執務室に向かった。

 セリーナは兵士の鍛錬とヴァルターの偽装計画の打ち合わせだ。これはあとから俺も合流することになっている。

 シャロンは午前中に学校で指導して、午後からはリーナさんにメイクのレッスンの予定だ。無償で教えていただいては申し訳ないというリーナさんらしい意見で、宮廷作法についてシャロンに教えてくれるらしい。今後なにかの役に立つかもしれないな。

 

 俺の仮想スクリーンに流れる予定表には空欄がない。容赦なく仕事が降ってくるのが領主様のつらいところだ。ほかの領地では優秀な家令がいて、貴族はほとんど何もしないところもあるらしいが……。航宙軍の秘密を分かち合える優秀な家令とか執事がいればいいんだが。

 

 

『イーリス、来てくれ』

[はい]

 ARモードで制服姿のイーリスが執務室に現れた。俺の視覚に干渉してそう見えているだけだが、映像にはセルフシャドウまでついている。朝日が差し込む部屋の中でもまったく違和感はない。

 数千の艦船が入り乱れる艦隊戦で指揮をとる旗艦クラスの航宙艦だと、計算リソースは膨大だ。発着場建設ぐらいしか指示していないから計算リソースに余剰があるんだろう。このところシミュレーション・モジュールも使っていないし。

 

『先日の王都の動きを報告してくれ』

[主要なビット情報を再生します]

 

◆◆◆◆

 

場所:王宮、徴税局内、主計官執務室

話者1:ナダルス主任主計官

話者2:不明(部下?)

「脱税の情報はわざと城内に故意にリークするべきだな」

「任務で知り得た情報を漏洩すると、我々の立場が危うくなるのでは」

「脱税は大罪だ。容疑者と関わりを持とうとするものはいなくなる。今のうちにユルゲンの交友関係を切り崩しておいた方がいい。攻撃材料にするんだよ」

「それだけ確信があるということですか」

「アラン様からもらった資料だけでも十分だが、内偵課のガンツの記録を見ろ。報告書によればこのところ周辺諸国で不作が続いているにも関わらず、ガンツではずっと豊作だ。それでいて納税額はほかの地方とあまり変わらない。これまで脱税が疑われなかったのが不思議なくらいだ」

「じゃあ、やつはクロですね」

「真っ黒だろうな」

 

 

 

場所:王都、王都守備隊、軍団長兵舎

話者1:ヘルマン・バール士爵(軍団長)

話者2:ラルフ隊長(王都正門守備隊)

 

「陛下の許可は得られたのですか」

「無論だ。アラン様と王都周辺の犯罪者を捕縛して以来、王都では大きな犯罪は起きていない。陛下もことのほかお喜びだ。アラン様の情報ということで、貴族の邸内での調査もすぐに認めてくださった」

「では今夜にでも」

「いや、徴税局との調整がまだだ」

「徴税局? なぜです」

「ユルゲンはほかにも大罪を犯しているらしい」

「そういえばアラン様がいらした夜、ユルゲンの邸宅に強盗が入ったとの情報が」

「なに。なぜ報告がなかったのだ?」

「私も今朝、当番の警備兵からきいたばかりでして。近隣の者の証言によれば裏門が打ち破られ侵入されたようですが、ユルゲン家からは被害届がなかったんです」

「おそらく、美術窃盗団が証拠品を取り返しにきたが、護衛にみつかって退散した、というところだろうな。よほど重要なものが邸内にあるに違いない。こちらが踏み込むまでは証拠品はユルゲン邸になければならん。守備隊から人数を割いて周辺を警戒させろ」

「わかりました。しかし我々が悪党の家を守るとは……」

 

 

場所:王都、司教座聖堂

話者:ゲルトナー大司教

「みなさん、冬至の例祭まであとわずかとなりました。この日は一年の締めくくりにして新たな春への一歩を踏み出す日でもあります。この一年を振り返って、最初に思い浮かぶのは、皆さんも御存知のアラン・コリント男爵です。

 

 今、ドラゴンを従え、この王都の悪を殲滅した英雄が開拓に着手されています。これまでに何度も試みられたにも関わらず失敗に終わった試みに再び挑戦するのです。しかし、開拓に反対する者が王都にいるのは残念でなりません。ベルタ王国の繁栄のためにも植民の火を絶やすことは許されない。全信徒一丸となってアラン様の開拓を支援しようではありませんか! ベルタ国王陛下と開拓に臨む者たちに女神ルミナス様の祝福のあらんことを!」

 

◆◆◆◆

 

[以上が、監視対象者の動きです]

『ありがとう、イーリス』

 貴族家の窃盗事件と脱税は独立した案件だが、立ち入り調査はユルゲンが王都に帰着と同時に行われるようだ。ユルゲンの有罪を確信した二人が、戻るまで待つことにしたんだろう。

 

 国軍と税務官僚、そして国教の三つは最強の布陣といえる。動きを制止するのは国王でも難しいはずだ。ユルゲンの悪事があまねく王都に広がってしまえばおそらく無理だろう。そんなことをすれば民心は離れてしまう。ナダルスの狙いはこれだな。

 やつが正当な裁きを受け、ガンツに二度と戻らなければそれでいい。

 

 俺は大きく息を吐いて、執務室の椅子に寄りかかった。今のところ予定通りだ。

だが、ガンツ関係ではもう一つ問題が残っている。

 

『メラニーのことで相談がある』

 軍用AIに児童相談とは我ながらどうかしているが、教育担当のシャロンは魔法を持つ子供には肩入れする派だし、第三者の意見を聞きたい気持ちがある。たとえ軍用AIだとしてもだ。

 

 デニスさんの強い要望でメラニーは今日一日だけ家族とすごしてもらい、明日、樹海に送ってもらうことになっている。メラニーも悪い子ではないんだが、十三歳か……難しい年頃だ。俺を一方的に英雄視しているのも困ったものだ。

 

 俺がユルゲンの見送りに行っている間、シャロンが聞き取ってくれた話によればメラニーはほかの子供たちと一緒に教育するのは難しいようだ。

 貴族家の家令をしているデニスさんは娘への教育を怠っていなかった。読み書きはもちろん、基本的な算術もしっかり教えていた。すでに今の拠点で孤児たちに教えているレベルを超えている。

 魔法に秀でた子どもたちの特別教育も構想中ではあるが、彼女はすでに盗賊二人を焼き殺すレベルの魔法が使える。

 孤児院で過ごしてもらうわけにもいかないし、城館で過ごしてもらうほかはない。

 

[シャロンの報告書によると、魔力の増大は年少の女性に多いようです。すでに能力発現している児童がいるので、彼女を加えることに問題はありません]

『大樹海での魔力増大の謎が解けていない。俺たちですら強い影響を受ける環境に子供をおくのは抵抗がある』

[ナノムを投与してはどうでしょうか。現状、現地人で監視可能なのはクレリア王女のみで、サンプル数が足りません]

 

「航宙軍でも未成年にナノムを投与することはない。帝国国教会は人間の体が完成するまではいかなる改造も認めないからな。イーリスもわかっているはずだ」

[現在は第一級非常事態宣言下にあり、セリーナとシャロンには生後まもなく投与されています]

「べつにシャロンとセリーナを異端視するわけではないんだが」

[アランがクレリア王女にナノムを与えたのは彼女が十七歳のときです]

『それは命の危険があり、ナノム以外に治療方法がなかったからだ。この惑星には帝国国教会も存在しないし』

 

 唐突に俺はイーリスの姿に違和感を覚えた。

 これまでイーリスとなにか違うような。たしかに解像度はあがっている。計算リソースに余剰があるなら別に問題はないが……。

 瞬きや息づかい、人間の起立時の微妙なゆれまでが再現されている。こちらを見つめるイーリスの表情は人間で言うなら真剣そのもので、まさに意見具申する士官の姿にほかならない。

 

[アラン艦長]

『……すまない。ナノムは兵士の能力向上のために存在する。魔法を観察するためじゃない』

 エルナにすらナノム投与はためらわれるのに、子供を実験動物のように扱っているようで気が引ける。体内のナノムからデータを得るのは理解の助けとはなるだろうが……。

 

[では、メラニーの体を守るために投与しましょう。彼女に万一のことがあったら、デニス氏との信頼関係が損なわれるでしょう]

『わかった。メラニーにナノムを与えよう。ただし通信機能は当面ブロックしておく。身体モニター機能ならびに治癒モードのみアンロックする。体調不良がおきた場合、すみやかにガンツに戻そう。イーリスはシャロンと協力して児童の魔力増大について観察するように』

[了解]

 

 イーリスの姿が消え、俺は執務室に残された。

 部屋にはクレリアの提案で運び込まれた無駄に豪華な書棚と長卓、ソファがある。イーリスがいない広い部屋に急に孤独感が満ちていく。

 航宙艦での任務よりイーリスと関わる頻度が激増したせいかもしれない。このところイーリスの接続が切れるとよく感じるようになった。

 

 俺はイーリスとの会話を振り返ってみる。

 彼女の言っていることに誤りはない。クレリアやセリーナたちへのナノム投与を持ち出すまでもなく、今後のガンツとの関係や魔法研究を考えれば、メラニーにナノムを与えることは正しい判断のはずだ。

 

 ……本当だろうか?

 



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偽装作戦

「アラン!」

 しまった。城館の玄関でクレリアとエルナが待ち構えていた。ふたりとも防具の下に着る胴着を付けている。

「今日は兵舎で打ち合わせがあるんでしょう?」

「そうだけど」

「配下の兵の前に立つときは必ず貴族にふさわしい着衣が必要だと何度も言ったのに」

 

 俺はタラス村でもらった平民服を着ている。黒いズボンにクリーム色っぽい綿シャツだ。始めて着たときはごわごわしていたが、もうすっかり体になじんで、最近できた拠点の服飾職人に密かに同じものを作らせているくらい、気に入っている。

 

「今日は朝から鍛錬の予定のはずだが」

「セリーナから打ち合わせのことを聞いて、もしやと思って待っていたの。……やはりね」

「アラン、その服装で隊長格との打ち合わせされるのですか」

「アランがいつまでもその服を着たがるのか理解できないわ。なぜなの?」

 

 答え。貴族服は着るのが面倒くさいから。

 それにあの服は辺境伯軍の連中から距離があくような気がしていやなんだよな。むこうも俺が正装していると礼を失してはいけないと口調も態度も改めてしまう。そもそもこの服はクレリアが選んでくれたものだろう。

 ……というようなことは言ってはいけないんだろうな。

 

「もしかして、今日の打ち合わせに参加できないのをまだ怒っているのかな?」

「いや、怒ってなどいない」

 どう見ても不機嫌そうな顔だぞ。それが苛立ちの表情でないのなら心底怒ったらどうなることやら。

 

 平民へ偽装して兵を隠し、査察官とその調査員たちを煙に巻く作戦は、幹部会議で了承され、辺境伯軍のヴァルターとセリーナを軸に作戦が練られている。

 クレリアも大いに乗り気で平民に化けるのを楽しみにしていた。ところが近衛のダルシム隊長が断固として反対した。というか猛抗議した。

 

 ダルシムいわく、査察団長はそれなりの貴族で、その随行員も公式行事などで来賓としてスターヴェークにきていた可能性が高い。クレリア様のお顔をおぼえていたら、我々が拠点にいることが発覚してしまう。クレリア様ご自身にも危険が及びます……云々。

 

 ダルシムが自分の身を深く案じていることがわかったのだろう。クレリアは不承不承、今回の作戦は報告だけ聞く立場となった。その怒りの矛先が俺の頭上で炸裂した、というところだろうな。困ったな。

 

 クレリアは大扉の前で一歩も動かないつもりらしい。

「アラン、今すぐ着替えて。この間みたいにカフスが外れていたり、変な着方をするようだったら私が直々に着付けてあげてもいいわ」

「クレリア様、それなら私が」

 エルナの方はクレリアと違った表情をしている。つまり半笑いだ。楽しんでいるようで何よりだな。

 

「クレリアの意見は完全に正しい。これは配下の兵士の前でする服装じゃない」

「ならどうして」

「偽装作戦に俺も参加するからさ」

「なんですって!?」

 

 クレリアの大声が広い玄関ホールに響き渡った。

「アランは査察官と応対する必要があるのでは」

「あいた時間に商業エリアをぶらついて、調査員をからかったりするのも面白い……わっ」

 クレリアが俺の腕をつかんだ。すかさずエルナも反対の腕をがっちり掴む。俺を捕縛するつもりか。

「あきれたわ! 領主としてそんなこと許されるはずがないでしょう!」

「お迎えする立場の貴族が平民の変装をするなど許されません」

「二人ともやめろ!」

 結局、俺の抵抗も虚しく居室に押し込まれ、クレリアの監督下で堅苦しい貴族服を切る羽目になった。さすがにズボンを着替えるときは席を外してもらったが。

 

◆◆◆◆

 

 なんとか着替えてクレリアを納得させるまで一時間近くかかってしまった。集会用の兵舎にはもう全員が集まっているに違いない。

 タースからおりると、すでに馬が隊長たちと同じ数だけ、兵舎横につながれている。もう全員来ているようだ。遅刻する領主様というのはなんとも情けない。

 

 兵舎の扉を開けて、集会場に入った。

 ん? なんで平民の職人がいるんだ。司祭様まで……。

「アラン様」

「ヴァルターか」

 見事な変装ぶりだ。どう見ても年季のはいった鍛冶職人にしか見えない。

「訓練の結果を見ていただこうかと思いまして、皆もそれぞれの役割に扮してみたのです。衣装は実際に職人たちに金をやって借りました」

 

 おどろいたな。上腕が太く肩幅も広いから、ヴァルターの姿は一般的な鍛冶職人のイメージにそっくりだ。煤けた感じの衣装もよく似合っている。鍛冶職人の下でしばらく修行したといっていたが……。よし、すこし試してやろう。

 

「ヴァルター、魔法剣の製法を教えてくれないか」

「近年は浅層で取れる鉄鉱石が枯渇しているため、砂鉄で作ることが多いですね。製鉄には、火力が必要なので木炭か石炭を使います。魔法剣は純度の高い魔石を砕いたものを製鉄中に混入しますが、温度と割合は流派によって異なり、多くは門外不出とされています。魔法剣は高い魔力伝導性を持っているため、持ち主の魔力にもよりますが、様々な特性を付与できることが知られています」

「素晴らしいぞ。概要としては完全に合格だな」

「ありがとうございます」

 普段は謹厳実直な感じがするヴァルターだが、嬉しかったらしい。満面の笑みだ。

 

「だが、言い方は訓練された兵士そのものだ。すぐにばれるな」

 俺の言葉で周囲の連中がどっと笑った。

「アラン様の目は誤魔化せませんな。本番では注意します。……私はだめでもこちらの方はどうですか」

 

 司祭様が僧帽を脱いで顔があらわになった。祭儀用の司祭服を着ていたのは……。

「ロベルトか」

「お気づきになるのが遅かったですな。わたくしめの変装も捨てたものではないようで」

「まったく違和感がないぞ」

「実はロベルト準男爵は、幼少期に修道院にいたことがあるとか」

「長兄が早世したのでやむなく、家を継いだのです」

 

 なるほど、ロベルトは信心深いと聞いていたが……。それにしてもよく街の司祭様が協力してくれたな。

「聖堂が完成して以来、毎日のように礼拝に参加しております。司祭様も快く礼服をかしてくださいました。……献金は当然ですが」

 やはり金か。ゲルトナー大司教もそうだが、アトラス派の教会はみんなこんななのかな。

 

 集会室に、数人の町娘が入ってきた。辺境伯軍の妻子か女性兵士が変装したのだろう。

「セリーナ? その服装は……」

「平民が男ばかりということはありえないですし、酒場には給仕も必要です。酒場では思わぬ情報収集もできます。ですのでセリーナ殿にもこの格好を……」

 

 縞模様のロングスカートの上に着たブラウスの襟ぐりは深く、胸元は開きすぎで目に毒だ。給仕役らしくエプロンもあるが、見かけない薄青い生地だ。実用よりは見栄え、という感じがする。

「実は自分の育った田舎では秋の大祭でこの服を着るのがならわしでして」

「似合っているというべきか、悩ましいところだな」

「任務ということですので別に気になりませんが」

 まあ、本人が気にしないならいいだろう。

 

 

 やがて全員が平民の衣装で着席した。室内は俺だけが貴族の服装で場違い感がある。タラス村の服を着てくればよかった。

 

「ヴァルター、作戦概要を聞こう」

「ライスター卿のご助言および、ガンツから取り寄せた書物などから査察は次の手順で行われるようです」

 ヴァルターは立ち上がって懐から紙面を取り出した。

「最初に書面での検査。支出、収入などの帳簿改めですね。これはセリーナ殿がすべて作成済みです。収入はアラン様の私財投入、支出の殆どは兵の給料です。拠点の建設物はできたばかりですし、維持管理費は殆どありません。植民開始直後ですので問題はないかと」

 

 問題ありまくりなんだが。入植して三ヶ月はほとんど資金繰りに汲々としていた。ようやく先が見えてきたのはここ数週間というところだ。

 

「つぎに場内視察ですが、査察官みずから調査されるので、随行はアラン様にお願い致します」

 もう貴族相手の対応は慣れっこだ。あとは王都のビット情報を確認して、査察団長の人となりを調べておけばいいだろう。

 

「辺境伯軍の偽装部隊は、調査員の行動を監視、場合によっては阻止します。質問にはすべて肯定的な返事をし、心象を悪くしないように対応します」

「平民たちの当日の動きは」

「査察団到着の前日までに、拠点の一番北側にある住居エリアに退避させます。査察が終わるまで一切、出歩かないように指示します。商工業関係者、辺境伯軍の家族あわせておよそ一千名です」

「商業ギルドへ連絡したか」

「失礼しました。すぐに連絡します」

「いや、俺から伝えておこう」

「恐れ入ります……。計画の内容は以上です」

 

「ここで俺から一つ提案がある。ここに来る連中が査察だけに集中されると困る。だから、目を引くようなイベントをいくつか考えている……セリーナ、説明してくれ」

「査察の目をそらすために、演武、模擬戦を行います。これは我々の実力を印象付けるためでもあります」

「おお、それは面白い試みですな」

「残念なことだが、近衛の者は査察団に顔が知られている可能性があるので、この催しは辺境伯軍のみでおこなう」

「では近衛の連中は演武すらできないのですね」

「そうだ」

 室内にどよめきが広がる。中には笑い声を上げるものすらいる。

 近衛と辺境伯軍の確執はまだ相当色濃いようだな。

 

 ロベルトが立ち上がった。飾帯で着飾った司祭服のせいか、いつもより雰囲気が重々しい。手をあげて制すると周囲は静かになった。

「アラン様。ことさらに近衛との対立を煽るわけではありませぬが、この試みは日頃の鍛錬を見せる絶好の好機となりましょう。このような機会を与えてくださり感謝いたします。査察団はもとより近衛の者にもわが辺境伯軍の実力をお見せできるかと」

 

「辺境伯軍から武術に優れたものを選んで模擬戦をやろう。組み合わせはまかせる」

「ここはぜひ、アラン様、セリーナ殿も参加されては。模範演技ということで皆の者にも大変意義深いものになるでしょうし、査察官もきっとお喜びになることでしょう」

「分かった。詳細はセリーナとヴァルターに任せる。セリーナいいな?」

「了解」

 

「査察まで、残すところ二週間を切った。この拠点を守るためこの作戦はなんとしても成功させるぞ」

「「はっ!」」

 

 



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城館にて

 ガンツにかりそめの平和が訪れてからというもの、拠点は少しずつ変わっていった。

 とりわけ目を引いたのが、ユルゲンの目を恐れて商売を手控えていた商人たちの買付が以前より一層盛んになったことだ。目ざとい業者がガンツと新拠点の間に定期便の馬車を走らせるようになったおかげで、商売以外の目的でやってくる人たちもずいぶん増えた。

 

 多くは入植志願者の下見だったり、珍しい樹海の植物を求めてくる魔術ギルドの人たちや、さらに見物でやってくる一般市民もいる。農閑期というせいもあって商売っ気のある近隣の農民たちが収穫物を売りに来る姿も見かけるようになった。この流れがずっと続いてほしいものだ。

 

◆◆◆◆

 

 デニスさんの案件がすんだあと、査察団がガンツに到着するまでヘリング夫妻は新拠点にしばらく滞在することになった。

 兵舎での打ち合わせに参加できなかったクレリアとのわだかまりを残したまま、俺は予定をこなしていった。夕食の席で顔を合わせてもクレリアは口数が少なかった。

 

「もう食事はお済みなのですか」

「もう十分だ……失礼する」

 以前の半分も食べていない。クレリアは夕食の席で唐突に席を立ち、エルナが後を追った。

 

「リア殿は体調がすぐれないご様子ですが」

「一時的なものですよ」

「以前、ガンツから王都へ向かう際、リア殿はたいへんな食欲をお持ちだと感嘆しておりましたが、やはり旅行中は食欲が増すのでしょうな」

「そうかもしれません」

 

 クレリアが故郷を追われたのは、十七歳になるかならないかの年頃だったようだ。

 王族として最初の実務が、すでに離反の兆候が現れ始めた領地の視察だったというから、王族としての教育を受けたとしてもまだ日は浅く、王都で生まれ育ったリーナさんのほうが宮廷作法では一日の長がある。

 

 大人の立ち振る舞い、言葉遣い、食事のマナーに至るまで、リーナさんは貴族としての姿勢を崩さない。年齢は一つしか違わないが、リーナさんのほうが俺の見た感じでは圧倒的に大人だ。

 

 リーナさんの影響力の根源は、つまるところ貴族は生涯にわたって貴族らしさを保たねばならないという強い意志、だろうか。

 食事、歩き方、話し方、女性としての意見の通し方、普段の生活の中の所作すべてに細やかな神経が行き届いていて、それをまるで息を吸うように自然におこなっている。

 これまで数々の宮廷行事の経験があるエルナですら絶賛するくらいだ。クレリアもこれまでは謁見などでもほぼ素顔だったのだが、薄化粧をするようになった。

 

「ところで本日の食後酒ですが、士爵のご提案に沿うようにつくってみました」

「提案したのは先週ですが……。もうできたのですか」

「ちょっとした技法がありましてね」

 地下工場には発酵迅速化技術による醸造ユニットがある。大量生産はできないが、遺伝子改良された酒造酵母の種類や熟成工程はかなり自由度がある。完成してからはシミュレーション・モジュールも使っていない。

 

 盃に注がれた酒を一口含んだフォルカー士爵は、いつものように目をつぶった。

「これはぶどう酒のようですが、酔わせる成分がやや高めですね。ただ、以前頂いた蒸留酒とは違う。かわりに柔らかな酸味があって、未熟な発酵に伴う雑味がない。香りも深い熟成を感じます。この酒は……もしかして酔わせる成分を高めながらも発酵が継続する特殊な酵母を使っていませんか」

 

 すばらしい。士爵の分析は的確だった。狩りにでかけたエルナが樹海の奥で見つけた葡萄と、房の表面に付着していた酵母を遺伝子改良して醸造したものだ。

「ご指摘のとおりです」

「聞いたこともない新酒よりは、ぶどう酒のほうが親しみやすく思われるでしょう。この酒ならより大きな販路を獲得できるでしょうな」

「ヘリング士爵のご助言は数百万ギニーに値します。リーナさんからも百合の原生種を教えていただきましたし、一体何をお礼に差し上げればよいのやら」

「とんでもない、主人の命を何度も救ってくれたことにくらべれば、些細な事ですわ」

 何度も救ったつもりもないんだけどな。叙爵に同意して王都に行ったこと、査察受け入れの受諾をしただけだ。

 

 やはり現地の人間、それも食通のフォルカー士爵のアドバイスはたしかだ。これからもお願いすることにしよう。

 

◆◆◆◆

 

 夕食が終わり、俺は執務室に戻った。

『イーリス、来てくれ』

 ARモードでイーリスの姿が俺の仮想スクリーンに投影される。

『査察団の今日の動きを報告してくれ』

 

[現時点で査察団はガンツより約十日の地点を通過しました]

 王都のビット情報や上空からの観察では、査察団長となる貴族、調査官が十名、貴族の身の回りの世話をする女官や侍従二十名で、あわせて三十名前後らしい。調査する人間より侍従のほうが多いのは貴族故だろう。

 

『査察官の個人情報はまだわからないのか』

 フォルカー・ヘリング士爵は査察団の先触れとして、派遣決定時にすぐさま送り出されたという。目的は俺への伝達とこの拠点の事前調査だ。ガンツで査察官に報告するように指示されていたから、ヴィリス・バールケの野郎が直接来るものとばかり思っていたが、どうやらそうでもないらしい。

 昨日、王宮に仕掛けたビットの映像にバールケ侯爵の姿が写っていたのだ。

 

 王都で収集した書籍によれば、過去には伯爵家の開拓状況を査察したくらいだから相当上の地位にある王都の貴族が派遣されるのは間違いない。

 

[ビットによる収集情報を統括しますと、おそらくこの人物ではないかと。実際ここ三週間ほど自領や王都で姿を見たものはいないようです]

 

 仮想スクリーンに、人物像と概要が流れていく。

 この惑星の住民の年齢を推察するのもだいぶ慣れたが、画面の人物の年齢は五十代だろうか。年齢の割にはかなり鍛えているようだ。口ひげを蓄えた容姿に隙がない。画像の多くは簡素な服装だった。

 名はマテウス・エクスラー公爵。

 公爵位か。階位は俺より三つ上、侯爵の一つ上だ。公・侯・伯爵位はほとんど王家と血縁にあるという。言われてみれば目元はアマド・ベルティー国王陛下によく似ている。スクロールする文字列の途中に、家系図があった。現国王の父の弟か。つまり叔父だな。相当な大物じゃないか。

 

 だが、王宮内の評判では変わり者らしい。

 王宮の行事にもほとんど参加せず、不作が続くと農民の支援、寡婦の受け入れ作業場、領地の開畑などに私財を投じ、自領に閉じこもることが多いという。イーリスが保管していた俺の行動ログを見ても、叙爵の当日にはいなかった。

 情報を見る限り美食や金銭で動くような相手ではないだろうな。バールケとの関係も不明だ。事前情報がないのは痛い。

 明日にでもリーナさんに聞いてみよう。王都で生まれ育ったリーナさんならなにか知っているかもしれない。

 

[……次の報告です。建設中の発着場の進捗が七十%に達しました。現在は燃料精製プラント及び格納庫の建設中です]

『燃料精製プラントには地熱発電からの電力供給が必要なはずだが』

[地熱発電はまもなく完成しますが、発着場への電力供給は樹海内を陸路で送電するのが困難なため、無線送電となります]

『飛行禁止区域及び送電時間の設定が必要だな。グローリアにも連絡しておいたほうがよくないか』

[すでに連絡済みです。……グローリアも船長と会いたがっていました。ご多忙のところ恐縮ですが、たまには顔を合わせてもよいかと]

 このところ査察団関係であいだがあいてしまったな。

『ありがとう、イーリス』

 

 

 イーリスの画像が消え、俺は明日やってくるメラニーのことを思い出した。到着するまでに、いくつか決めておかなければならない。

 

 俺は再び仮想スクリーンを展開した。個人的なスペースを除けば城館内はビットが設置されているが、最近ナノムに命じて、ビット情報と個人データをリンクさせて、城館内の位置情報を一望できるように改良している。

 

 エルナは地下稽古場か。午前中も練習していたのに大した気の入れようだ。稽古の間は同じ近衛のサーシャにクレリアの警護を替わってもらったようだ。クレリアは居室にこもったままだ。さすがにのぞき見するわけにはいかない。

 

◆◆◆◆

 

 地下稽古場の照明はなぜか落とされていた。

 暗視モードに切り替えようとした刹那、ヒュッと剣が風をなぐ音がした。

 とっさに加速魔法で回避する。入ってきた扉が何かに殴られたかのような大きな音を立てた。

「さすがですね。アラン」

 すぐ近くでエルナの声が聞こえた。

 

 と、照明がついた。

 入り口のそばで防具をつけたエルナが照明のボタンを押している。

「いきなりウインドカッターとははひどすぎないか。しかも剣に載せる新型だ」

「アランなら問題ないかと。無事、回避できたでしょう?」

「そういう問題でもないと思うが。俺じゃなかったらどうする」

「階段をおりてくる足音でアランとわかりました。少なくともクレリア様ではなかったので」

 耳で誰が来た判別できるのか。

 

「夜遅くまで練習とは見上げたものだ」

「いつでもお相手しますよ」

 木剣をもったままニッと見せた笑みが怖い。

「貴重な練習時間を削ってもらうんだし、あとで付き合おう。……聞きたいことがある」

 

 



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魔法の時間

 俺とエルナは稽古場の控えの椅子に座った。

 エルナは防具をつけたまま、きちんと俺から距離をおいて姿勢よく座っている。クレリアに付き従っているときより、すこし距離をあけるのはエルナらしい。

 

「魔法のことなんだが」

「私のほうが教えてもらいたいくらいですが」

「明日、ガンツで世話になったデニスさんの息女がここにくる。俺から見ても明らかに魔法の才がある。いろいろあって預かることにした」

「拠点にも才能をもつ子供がいます。一緒に教育すればいのでは」

「魔法の教育係を頼みたい。もちろん俺も教育には関わりたいが、魔法が発現したのはいまのところ全員女の子だし、つきっきりというわけにはいかない。居城で一番魔法に詳しいのはエルナだからな。もちろんクレリアには俺から話しておこう。必要ならダルシム隊長にたのんでもいい」

 

 あまり無理をかけたくはないが、正直なところメラニーは扱いが難しい。盲目的に俺に従うことは将来に禍根を残すような気がするのだ。第三者の冷静な目線が必要だ。それができるのはエルナしかいない。リーナさんに頼むわけにもいかないし。……彼女は素振りすら見せないが、魔法は使えるのだろうか。

 

 エルナはしばらく黙っていた。

「……いいでしょう。空いた時間を児童の教育に当てます。ただし教えるのは魔法と剣技だけです。ほかシャロンにまかせます」

「デニスさんの息女はメラニーというんだが、基本的な学力は身についてる。いや、算術ではこの街のほとんどの商人を上回るんじゃないかな」

「学ぶことはほかにもたくさんあります……。アランの頼みはそれだけですか」

「そうだ」

 

 エルナは立ち上がった。

「では一戦お相手願います」

「いいだろう。……ちょっとまて。この壁の傷は」

 以前よりずっと増えている。しかも切り口が鋭い。壁面は通常の掘削面に土壌硬化剤を含浸させて平滑仕上げをしたものだ。木剣で殴った程度では傷一つつかないはず。

 

「すこし練習していたんです。でも相手がいないとつまらないですね。壁は逃げ回ったりしませんし」

 

 嫌な予感がする。まだエルナには俺たちに見せていない隠し技がある。

『ナノム、エルナの魔素分布を俺の視覚にオーバーレイしろ』

[了解]

 

 む、この間の模擬戦よりさらに輝きが強いな。よくみると剣先にまで輝きが伸展し、鼓動に合わせて脈動している。これは例の新型ウインドカッターをスタックしているのか。即時発射できるようだ。

 あれから相当訓練したらしい。こと魔法の習得についてはエルナにはいつも驚かされる。

 

「エルナ、魔石をもってきてもいいか。稽古場の武器庫にいくらかストックがある」

「どうぞご自由に。このあいだみたいに卒倒されてもこまります」

 

 ますますやばいような気がしてきた。

 魔石から供給するときに片手をつかうのをエルナは知っている。供給時に約五%のロスがあることも。その間はライトやウォーターなどで逃さなければならない。だから俺が剣から手を離した時点で魔素の枯渇がわかってしまう。

 

 

『シャロン、プライベートな時間ですまないが』

『何でしょうか』

『エルナに殺されるかもしれない』

『ええっ!』

『地下稽古場でエルナと模擬戦なんだが、勝てる気がしない。審判と治癒の担当を頼みたい』

『すぐ行きます!』

 

 戦いにおいて力量の差は経過とともに明瞭になる。けれどほぼ同じ力量で、最近コンバットレベルが上ってまもなくとか、新しい技を習得したばかりという二人がやり合うときはきれいに勝敗に持っていくのは正直難しい。長くてつらい不毛な戦いが続く。航宙軍の訓練でも俺はそれを嫌というほど味わった。

 

 今のエルナと俺はまさにその状態だろう。もともと魔法にも剣技にも才能のある兵士が魔術工程の縛りを解かれて、さらに魔力は樹海の力で増強している。

 かく言う俺もナノムの力を使いつつも、新しい技を作り出すのが楽しくてならない。

……長期戦になるかもしれない。

 

 武器倉庫にあった魔石を手にとった。直径は二センチくらいだ。グレイハウンドのだろう。そういえばゴタニアの武器店で見かけたワイバーン製の盾には、魔石を入れる小さな穴があったっけ。あれとちょうど同じくらいの大きさだ。その盾は魔石の力を引き出して硬化する機能があったんだよな……。

 

 まてよ? ……俺はなんで魔石をいつもポケットに入れているんだ?

 俺は防具を固定する紐を見つけ、左手の手のひら側の静脈に当たる位置に魔石をおき、縛って固定する。

『ナノム、魔石からエネルギーが取り出せるか』

 途端に手が輝き出した。吸収に伴うエネルギー漏出だ。つまり魔石を固く握りしめなくてもエネルギーの吸収は可能だ。あとでベルトとかネックレスとかヘッドバンドに加工してもいいかもしれない。

 

「アラン」

「もう少し待ってくれ」

 念のため右手につけようと思ったが、両方につけると木剣が握りづらいのでやめにする。

 

 稽古場の扉が開いてシャロンが顔を出した。

「ちょうどよかった。シャロン、審判をやってくれないか。いまエルナと模擬戦をするところなんだ」

「了解」

 

 エルナは俺とシャロンを見つめていたが、

「アラン、もしかして精霊様をつかってシャロンを呼んだのではないですか」

 俺の小芝居は即バレしたようだ。エルナは相変わらず鋭い。

 

「そうだ。万一、俺が倒れたら、エルナはヒールが使えないだろう?」

「少し手加減したほうがいいかも知れませんね」

 言ってくれる。おそらくまだ見せていない技をつかうつもりだな。

 

 俺とエルナは稽古場の中心で向かい合った。距離は三メートル。

 あまり広いとはいえない稽古場ではエルナの広域エアバレットや新型ウインドカッターは圧倒的に有利だ。何しろ逃げ場が瞬時になくなる。

 

「始め!」

 エルナは例の右薙の構え、俺は正段の構えだ。エルナが俺の動きを待っているのがすぐに分かった。最初に新型ウインドカッターを放っても俺が加速すれば回避できるのがわかっているからだろう。さっきも扉のところで回避できたしな。

 

 じゃ、こちらから行きますか。俺は木剣を投げ捨て、肩の力を抜いた。

 シャロンが何かを言いかけたが、審判なのを思い出したらしい。

 言いたいことはわかる。

 

 気軽な感じで俺はエルナに近づいていく。

 じりっと後退を始めた。やはりな。以前の模擬戦で俺が気を失ったのは自分のせいだと思っているようだ。エルナの反撃で治癒魔法を全力で発動し、魔力切れになったのだと。

 心理戦というわけだ。

「エルナ、どうした。思いっきりやってもいいんだぞ」

 今回は武器を持ってくるはずの俺が丸腰で来るとは思わなかったのだろう。近づくほどにエルナは壁の方に押されていく。ひたいに汗がにじむ。

「こっちからいくぞ」

 俺の左手首が輝き出す。連続ライトアローで勝負ありだな。

 

「アバレット!」

 エルナの発声と同時に木剣が鮮やかな弧を描いて右から左へ走る。俺はジャンプし上空からエルナにライトアローを……。

 

 飛び上がった瞬間、剣の弧とは反対方向からとてつもない強風が俺にぶち当たった。

 上体は左からの風、下半分は右からの強風。俺は空中で一回転し、床に叩きつけられた。

 

「そこまで! エルナ勝利!」

 

 いったい、どうなってる?

 エルナとシャロンが床に倒れた俺の顔を覗き込んでいる。

「アランがこんな卑怯なことをするとは」

「アランならやるとおもいましたよ。私は」

 シャロンに手を借りてなんとか起き上がった。腰をしたたかに打ってしまった。

 

「エルナ、いったいどうやったの。アランが回避しようとした途端、転倒するなんて……」

「実は、」

「いやまて。自分で考えさせてくれ……。もしかして魔法は二回発動させたんじゃないか。剣と同時にあらかじめチャージしていた魔法を無詠唱で発動。同時に発声で発動。しかもそれぞれ風の向きは違う。俺は一回だけと勘違いしてジャンプしたが、空中で第二波につかまった、というわけだ」

「さすがですね、アラン。そのとおりです」

 つまりエルナは完全無詠唱と詠唱タイプの魔法を同時に放ったことになる。

 

「負けを認めよう。エルナ、すごい進歩じゃないか」

「アランが工程の縛りを解いてくれたからです」

 俺は魔法の工程をショートカットするように頼んだだけだ。

 今回の魔法はかなりの大技だったのか、頬が赤くなるほど汗ばんでいる。無理をさせてしまったな。

 

「大樹海で暮らすようになってエルナも魔力は増大しているんだな」

「もし私がスターヴェークにまだいたら、こんな技は思いつけないでしょう。アランもですか」

「おそらく魔法が使える者は全員だろうな」

「良いことばかりではないようですね」

「過去には樹海熱というものがあったらしい」

「定期的にガンツにもどって体調を比べてみるほうがいいかも知れませんね」

 

「今日は練習時間をつぶしてすまなかった」

「アランがどんな人物か少しわかったような気がします」

 それは皮肉か。

 まあ、とにかくメラニーの教師役は確保できたし良しとしよう。

 

 向きを変えた俺の前で扉が開いた。クレリアがこちらを見つめている。

 

 ……なんか良いことばかりではないような気がしてきた。

 



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商業ギルドにて

 

 昨夜はひどい目にあった。

 就寝したはずのクレリアが稽古場に来たのはエルナが原因らしい。

 俺とクレリアが二人だけで旅をしていたとき、探知魔法の構築中に俺の魔法をクレリアが感知したことがあった。

 同じ原理でエルナの大技の魔法の衝撃波でクレリアが目覚めてしまい、魔素の余韻とも言うべき感覚をたよりに地下にやってきたという。

 

 そこからがよくなかった。

 俺とエルナ、シャロンだけで隠れて魔法の練習をしていると思ったらしい。一応そうではないことを伝えようとしたが聞く耳なんかありはしない。

 

 それから一時間、クレリアの魔法が尽きかけるまで、俺は追跡型フレイムアローの標的になるという光栄に浴し、タラス村からずっと愛用してきたシャツがぼろぼろに破れるまで加速魔法を使う羽目になった。魔法の練習にしては気合が入りすぎだろう。

 

 それでもいくつかの発見があった。

 一、魔石は握らずとも皮膚に触れてさえいれば、供給源として作用する。

 二、標的になったおかげで体バランスが向上し、治癒魔法の消費が減った。

 三、追跡型フレームアローは恐ろしい。加速魔法を使っても数発着弾したくらいだ。

 

 疲労困憊の俺に投げかけられたクレリアの言葉にはいたわりはなく、

「こんどからは必ず私も呼ぶように。自分だけ魔法が強くなろうなんて許せないわ」

 ……エルナには言わないのかよ。

 

◆◆◆◆

 

 もちろん起床時には筋肉痛などかけらもないが、ベッドから離れたくない。とはいえ領主として弱ったところは誰にも見せられない。今の俺には拠点人口の三千人の運命がかかっている。長期的には惑星アレスに住む人類すべての。

 だから、こんなときは仕事に集中するしかない。こんなときでなくともだ。

 

 仮想スクリーンを展開して今日の予定を閲覧する。

 早朝に拠点の商業ギルドに行く約束がある。先日の兵舎での査察団対応の打ち合わせの後、ギルドに向かったが人が多すぎるので予定を変えたんだった。あとで人をやって日時はカリナ支店長に伝えてある。

 

 

 厩舎からシラーを引き出していると、セリーナがやってきた。

「今日はヴァルターと打ち合わせはしないのか」

「先日、ほとんど決めてしまいましたから。商業ギルドへはご一緒します」

「エルナだな?」

「はい。今日の予定を聞かれたので答えたところ、一人でいかせないでほしいと」

 また平民との距離の話か。

 もちろん俺も気をつけている。現に今はクレリアが指定した貴族の外出着を身にまとっている。一人で行くことにこだわるつもりもない。

 

「悪いがつきあってくれ」

「いえ、お気遣いなさらずに」

 セリーナは慣れた様子でタースに馬具をとりつけ、準備している。俺よりずっと手際がいい。近衛との訓練には騎馬戦闘もあるんだった。またすこし差をつけられたな。

 

 城館の門を抜けて南門につづく石畳の通路に出た。

 久しぶりの外出が嬉しいのか二頭とも心なしか足取りが軽いようだ。それほどの距離がないのは残念だ。

 

 この惑星に来てからは乗馬が好きになった。賢い馬は乗り手の気持ちを汲むというが、タースもシラーも、手綱を荒く扱う必要はまったくない。ムチを振るうなど論外だ。つくづく、馬を選んでくれたゴタニアのヨーナスさんには感謝するしかない。

 当時の俺はその価値がまったくわからなかった。

 

 人類に連なるものが居住する惑星に、似たような使役動物が存在する理由ははっきりしていない。人類と同じくどこからか運ばれてきたというのは多少無理がある。

 というのは、爬虫類やその惑星特有の動物を労働力としてつかっている惑星も多くあるからだ。

 最近では、人類に連なるもの自体が進化の圧力となって収斂進化したのではないか、というのが定説だ。

 水中を移動する生き物の形状がすべて流線型になるように、地上にある草木を食する生き物は四足歩行が多数となり、そのなかで力が強く従順な性格を持つ生き物が選択されていくうちに、世代を経て今の形になったのだろう。人間は必ず周囲の自然環境や生物を改変していく。

 タースもシラーも俺の惑星にもいた馬と酷似してはいるが、哺乳類ではあるものの実は別の系統から発生した別の生き物だ。蹄の形もちがう。

 

 一方で、人類に連なるもの自体はゼロから播種者に作られたものではなく、どこかに本来の生まれ故郷である原初の惑星が存在するのではないかと唱える者もいる……。

 

「アラン」

 馬に揺られながら、考えを彼方にさまよわせていると、セリーナが声をかけてきた。ナノム経由の通信でないところをみると気を使ってもらったようだ。

「昨夜の練習のこと、シャロンに聞きました」

「すまない。呼べばよかったかな。エルナにメラニーの魔法教諭になってもらいたかったんだよ。なりゆきで模擬戦になった」

 

「……わかっています。次席指揮官としての責務が重くなるほどに、アランと行動することが難しくなるのは」

「そうだな。イーリスによれば組織の中で上位二人が一度に失われるような可能性は排除しなければならない。まあ、模擬戦くらいはいいと思ったんだが、すまないな」

 

 過渡期にある現在、後続のアレス人による航宙軍兵士が生まれるまでは、シャロンとイーリスだけでは計画の実現は難しい。

「もう以前のようにみんなで一緒に冒険できないのは寂しいです」

「拠点の中では極力一緒に行動するよ。ここで誰かに襲われる可能性は低いからな」

「ありがとうございます。嬉しいです」

 

 拠点の人数が増え、やがてはっきりとした軍組織が成立すれば、ますます俺とセリーナ、シャロンとの距離は開いていく。しかし航宙軍兵士としての絆は絶対だ。誰かが困難に見舞われれば必ず救いに行く。それこそが誇り高い宙兵の流儀なのだ。

 

◆◆◆◆

 

 かなり早く着いたつもりだったが、商業ギルドの中にはもう数人の商人たちが掲示板を見たり、フロア内のテーブルで向かい合って商談を始めている。

 つぎつぎに挨拶を重ねられ、他所から来た商人には深々とお辞儀をされる。俺も見知った顔があれば話を聞いてやり、俺が忘れているような場合は当該人物の頭上に名前が自動的にナノムによってポップアップする。いまのところ拠点は武力よりも商業で回っている。領主が健全な商業活動を支援しているという姿勢は強調せねばならない。

 

 ひととおり挨拶を交わすと、辛抱強く待っていたカリナに案内されて応接室に入った。

カリナはガンツの商業ギルドの制服から、以前城館にまねいたときの正装をしている。貴族の来訪に備えたマナーだろうか。気にしなくてもいいのに。

 

「アラン様、わざわざご足労いただき感謝します」

「忙しい時期に訪問してすまない。今日来たわけは」

「査察団への対応、でしょうか。兵士の方々があちこちの工房に入門して修行を始められたときいております」

 さすがにカリナは耳が早い。支店長を任されるだけはある。

 

「そのとおりだ。今回の査察は植民の成否が判定される大事な試練だ。俺たちも完璧な状態で査察に望みたい」

「そこで、我々商業ギルドにも協力を要請というわけですね」

「話が早くて助かる」

「サイラス様の指示で、アラン様には協力するように指示を賜っています」

「実は兵士を一時的に査察官の目からそらしたいんだ」

 

 セリーナがナノム経由で話しかけてきた。

『アラン、ここまで彼女に話す必要はあるのでしょうか』

『問題はない。協力してもらう以上、隠すべきではないだろう』

『分かりました』

 

「では、アラン様の配下の方に必要な道具は供給します。おそらく衣服の数が足りなくて困っているのではありませんか。この街の兵士の方々は人数が多いですし、平民の服の持ち合わせはないように思えます」

「さすがだな。カリナ。ぜひ頼む」

 後続の辺境伯軍の連中はほとんど着の身着のままでここに到着している。ダルシムたち近衛も流浪の旅を続けてきた。持ち合わせは乏しい。

 

 それからしばらくは衣類や道具の搬入時期、正確な数量についてセリーナと相談しながら決めていった。計画の全容を知悉しているセリーナが来てくれたおかげで、方針が次々とまとまっていく。打ち合わせはこの二人だけでも良かったかもしれない。

 

「アラン様。もう一つ提案が。査察団が来訪する日に合わせて、こちらの街で大市を開いてはいかがでしょう。南門の広場を使いましょう。あまり遠くの街からはむりでしょうけれど、ガンツや近隣の村々から人を集めるのです。そうすれば街が栄えているようにみえるのでは」

 名案だ。街の実情をよく知っている民を隠し、秘密を守れそうな兵士に変装させて、さらに何も知らない近隣の買い物客をカモフラージュにする。これくらいやれば、査察団は繁栄の姿しかみえないだろう。その影に強力な軍が隠れていることなど……。

 

「これほどの協力に無償とはいかない。しばらく酒造の利益配分を調整して協力の対価にしよう。サイラスギルド長にもそう伝えてほしい」

「いえ、この拠点の存続は我がサイラス商会にとって今後の飛躍にかかわる重大事。無償で協力いたします」

 まるで予習していたかのような受け答えだ。話が順調に進みすぎているような気もする。これがサイラスギルド長の差し金だとすると油断は禁物だ。ただほど高いものはないというからな。

 

「気持ちはありがたいが、無償というのはいかにも心苦しい。金銭的なものでなくとも拠点内で俺にできることがあれば言ってほしい」

「よろしいのですか」

「もちろんだよカリナ。商業ギルドあっての街の繁栄だ」

 

 しばらく、カリナは黙って考えていたが、やがてぱっと笑みを見せると、

「もう一度ドラゴンの背に乗って空の上に連れて行ってもらえませんか。対価はそれだけで十分です」

「分かった。グローリアにも相談しておくよ」

 

 

 商業ギルドの門扉までカリナに送ってもらい、再び俺はシラーにまたがった。しばらくしてセリーナが無言でナノム通信を送ってきた。

 

『アラン』

『分かってる。いま気がついたところだ。なんか非常にまずい約束をしたような気がする』

『説明するのはかなり難しそうですね』

『そうだな』

 城館にはできるだけゆっくり帰るとしよう……。というか、帰りたくない。

 



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大樹海にて

 セリーナは途中で進路を変えた。

 今日は近衛の鍛錬に向かうという。予定表を見ると嘘ではない。ちゃんと午後から鍛錬と記載してある。いまはまだ午前だが。

「私とアランが同時に危険にさらされるのは避けねばなりません」

 何という言い訳だ。セリーナはちらりと笑みを見せたかと思うとタースを駆って兵舎の訓練場に向かっていく。振り返りもせずにナノムでメッセージを送ってきた。

『結果は教えていただけると助かります』

 

 困った。商業ギルドの協力内容について話すのは構わないが、……そこから先は難易度が高いな。カリナとの約束も破りたくない。カリナは最初からこれが目的だったんだろうか。

 

 そういえば、今日の午後にメラニーも来るんだった。一日だけガンツで久しぶりに家族で過ごしたあとに、拠点にやってくる。こなくていいのに。一応魔法の教師はエルナが担当するが、俺がなにもしないわけにもいかないし。

 シラーは俺の気持ちを知って知らずか石畳の上を軽快に走っていく。

 

 そうだ。久々にグローリアに会いに行こう。予定では偵察ドローンに搭乗して建設中の発着場の視察に行くことになっていたが、グローリアも俺に会いたがっている。よし、そうしよう。

『イーリス、予定変更だ。発着場の視察は後にして、グローリアに会いに行くことにする』

[了解。グローリアに守ってもらうのもいいかもしれません]

 何を言っているんだ。俺は純粋にグローリアの気持ちを汲み取っただけだ。少なくともグローリアは俺にフレイムアローを放ったりはしない。

 

 それにグローリアだけでなく、ナノム投与で意思の疎通がはかれるようになったグレゴリーとも話をしたい。族長たるもの、配下に心を配って当然だろう。……などと数々の言い訳を展開しつつ、俺はシラーを北門へと向かわせる。

 シラーが走りたそうだったので、城館の周辺は急いで走り抜けた。主人の気持ちを汲むいい馬だな。

 

 北門を抜けると樹木の伐木が終わったばかりの広い空き地にでた。

 枝払いの終わった樹木が同じ長さに切りそろえられて、一定間隔で積んである。定期的にカトルとウィリーたちが人夫をつれてここに木材を取りに来る。毎年、ガンツの燃料不足は深刻らしい。木目がよく加工用に適した材木は、より高額に取引されて遠方の街に運ばれていく。いまのところ木材販売が一番拠点の収益に貢献していた。

 

 伐開地を抜けて、森に入った。冬枯れの森は静かだ。

 拠点の一番近い湖まで北上すること十五分。湖の近くにある洞窟がグローリアの新しいすみかだ。黒ドラゴンことグレゴリーはどこにすんでいるんだろう。

 と思うまもなく、俺の頭上を巨大な翼影がよぎった。シラーが一瞬、驚いて首を振ったが、すぐに自制したのかその場で歩みを止めた。利口な馬だ。

 グレゴリーが五匹の配下ドラゴンをつれて頭上を旋回している。俺が近づくのをかなり離れたところで察知したようだ。これも樹海の影響だろうか。このあたりのこともドラゴンたちに聞いてみたい。

 

『族長!』

 つづいて黒ドラゴンよりはやや小ぶりの赤いドラゴンが俺の視野に入ってきた。シラーを近くの木につないでいると、風を巻き上げながらグローリアが着地した。黒ドラゴンたちは依然として上空だ。

「だいぶ間を開けてしまったな。会いたがっていたと聞いて俺も嬉しい」

「イーリスに頼んでよかったです!」

「イーリスとはよく会っているのか」

「ほとんど毎日です」

 相変わらず熱心だな。まあ、自分を女神と崇めるドラゴンがいるせいもあるだろう。あまった計算リソースをこういったことに使うのは俺も大賛成だ。

 

『イーリス、ドラゴンとの会話でわかったことはあるか』

[ドラゴン語のアップデートは定期的に行っています。語彙の拡充、男女の発声の違い、地方語などもわかってきました。その成果として、艦長のナノムに新しい音声フィルターをインストールしました]

 

[グローリア、お願いがあるの。アランにグレゴリーの事を話してあげて]

『はい。なんでもいいんですか? グレゴリーは……』

 いつも翻訳音声と被って聞こえるドラゴンの低い声が聞こえない。

 

[会話中はドラゴンの発声はマスクされ、アランには翻訳された人間の言葉だけがきこえるようになります。いまのところ複数のドラゴンが同時に話し始めるとむずかしいですが]

 これでずっと話しやすくなった。マスクされるのはドラゴンの声だけで周辺の音ははっきりと聞こえる。これは助かるな。

 

「今日は、樹海の上を飛びましょうか。それともまた樹液糖をとりにいきますか?」

 ドラゴンの表情はよくわからないが、喜んでいるらしいことはわかる。ただ俺は気まぐれでここに来ただけで、グローリアに何かを頼むつもりで来たわけじゃない。

 少し話したくらいで帰ったら可愛そうだな。

 

『イーリス、グローリアにできそうな仕事はないか』

[偵察ドローンを使わずに発着場に来てはどうでしょう]

『わかった。電波送電はやっていないな?』

[今のところ夜間だけです。日中は太陽光で賄っています]

『シラーをここにおいていく。あとでセリーナに頼んで回収してくれ』

[了解]

 

『グローリア、今日はイーリスが作っている発着場にいかないか。あいにく革鞍は持ってきていないが』

『発着場ってなんですか』

『……ディー・テン伍長やその仲間が休んだり、故障を直したりする場所だよ』

 偵察ドローンのディー・テンにはグローリアのためだけに飛行競争などをさせている。報告によれば、いつも熱心に練習するせいか、グローリアの飛行速度は以前より増しているという。

 

『そうなんですか、伍長はいつも飛んでいるところしか見たことがなかったです。やっぱり休む場所は必要ですよね。……鞍はなくても大丈夫です。ゆっくり飛びますから』

 

 俺はグローリアの仮想スクリーンに発着場の座標を落としてやり、ゆっくりグローリアの背にのる。一回りくらい大きくなったような気がする。鞍も新調したほうがいいかもしれないな。

 グローリアは驚くほど慎重に飛翔を始めた。大きな赤い翼をゆっくり力強く上下している。見栄えは悪いが、鞍がなくとも首にしがみついているだけでなんとかなりそうだ。

 

 空中から見ると、拠点側の木々はほとんどが葉を落としている。やはり北側は針葉樹が多いのか緑の色が濃い。視界に黒ドラゴンが入ってきた。ゆっくり飛ぶ俺とグローリアの横に並んだ。残りの五匹もついてくる。

 

『グレゴリー』

『何用か』

『大樹海の暮らしはどうだ』

『食物には以前ほど困ってはいない』

 広大な大樹海の多様性、潜在的な生産力はこの惑星でも有数だ。七匹くらいのドラゴンなら余裕で生活できるだろう。

 

『こんなに豊かな場所があるのに、なぜ今まで極地で暮らしていたんだ』

『我々は他の者の領域に足を踏み入れることは稀だ』

 今は俺の配下だからここで暮らせるということか。

 グローリアですら、自分の領域に入ってきたはぐれドラゴンに戦いを挑んだくらいだ。他の領域に踏み込むことはかなり罪深いことらしい。高い知性と縄張り意識が合わさったばかりに交流が途絶え、ドラゴンの個体数が減っているとしたら皮肉だ。

 

『グレゴリーはこの場所に正式に移る前に、一度戻るそうです』

『忘れ物でもしたのかな』

『グレゴリーの話では、遠い昔からつたわった宝物がまだたくさんあるんだそうです。北の国にいたのも人間に奪われないようにするためらしいですよ』

『グローリアの母親の遺産とは別に場所を確保するのがいいだろう』

『感謝する』

 

 発着場の姿が見えてきた。

 相当な距離があるはずなのに、開けた丘陵地にすでに三棟の巨大な倉庫のような建物がみえる。仮想スクリーンに配置図が投影された。西側から順に、資材倉庫、燃料精製工場、格納庫だ。八百メートルほどの滑走路は完全にできあがっており白い誘導線までがペイントされている。

 

『族長、この開けた場所は何のためにあるんですか』

『ディー・テン伍長たちはグローリアと違って、飛ぶのに長い助走が必要なんだ』

『ちょっと不便ですね。一度、伍長が地上に居るところを見てみたいです』

『機会があればそうしよう』

 

 資材倉庫の片側から道が伸びて山裾に続いている。その先は採鉱施設だ。イーリスの話ではすでに試掘坑が完成しているという。

 上空からは直径四十メートルほどのすり鉢状の穴が見えてきた。法面を螺旋状に運搬路が走っている。汎用トラクタが一台、積載貨物車を牽引しているのがみえる。

 重金属は比較的浅層にあるといっていたが、縦穴よりは効率がいい。

 

 黒ドラゴンが隊列から離れ、急に降りていった。穴の底を目指しているようだ。残りの五匹のドラゴンも、俺のせいでゆっくり飛んでいるグローリアを追い抜いて下降している。

 

 何かを見つけたんだろうか。

『グローリア、後に続いてくれ』

『はい』

 

 

 



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秘匿と暗躍

「イーリス・コンラート号艦長として、本件を最高機密事項に指定する。艦長の許可なく開示は禁止とする。艦長死亡の際は規定則り次席指揮官に継承するものとする」

[第一級非常事態宣言下における秘密指定を了解しました。ドラゴンの処置は如何しますか]

『彼らには今やっていることの意味も自覚もない。このままにしておく。ただし俺の許可無く採掘場に来てはならない』

 

 巨体を縮めるようにうずくまったグローリアは済まなそうに頭を垂れた。

『ごめんなさい。族長』

『気にしなくていい。ドラゴンの習慣だからな。いきなりだったんで驚いたが』

『グレゴリーにはきつく言っておきます』

『もういいよ。当分ここには来なくていいだろう。必要が生じたら俺にいってくれ』

『はい』

 

 グレゴリーは何も言わない。恥じているのか、かつての族長としての誇りが邪魔をしているのか。六匹のドラゴンは空に上昇していく。五機の緊急展開したドローンがドラゴンを回避しつつ、俺の頭上で周回している。

 

 今日は偵察ドローンに乗って帰る気になれない。このままグローリアを返すのも可愛そうだ。

『拠点まで送ってくれないか。グレゴリーたちはついてこなくていい。拠点の人間が驚くからな』

『はい。あのう、族長……』

『もういいんだよ。また機会があったら樹海に来よう。今度は俺だけじゃなくてほかの人も連れてくる』

 いいつつ、カリナとの約束を思い出し、冷や汗が出る。

 

 気を取り直したらしいグローリアは、ここに来たときよりもずっと静かに舞い上がっていく。首にしがみつかなくても大丈夫だ。ずいぶん気を使わせてしまったな。

 

◆◆◆◆

 

 城館の屋上に降りたときにはすでに日は傾いていた。グローリアは心残りがあるかのように上空を一周して、自分のすみかへと向かっていった。

 

 そろそろメラニーが到着する頃だ。

『イーリス、メラニーはあとどれくらいで到着する? たしかガンツ伯の記章がついた馬車で来るはずだ』

 もしかしたらそんなマークは剥ぎ取っているかもしれないが。

 

[本日は街道が大変込み合っているので、あと二時間というところでしょうか。ドローンの熱源探知により乗車人数は三名]

 仮想スクリーンに画像が展開される。画像を拡大……。御者はナタリーだ。すると後の二人は誰だろう。メラニーとデニスさんか。

 

 とりあえず、遅くなったが昼食だな。あまり深刻に考えても仕方がない。

 階下に降りて厨房横の小食堂に入る。食料棚にあった堅パンとチーズを皿に並べ、お茶を入れる。タラス村のグリーンティーはもはや城館の定番だ。

 ここは厨房から続く小さな部屋だが清潔そのもので、浴室を除けば一番気持ちが楽になる場所だ。

 お茶をすすりながら、仮想スクリーンに城館の見取り図を展開する。

 

 クレリアとエルナは自分の居室にいる。無論、俺は紳士であるから居室に居るときは二人の姿のかわりに輝点だけが表示されるようにしてある。

 シャロンはリーナ夫人の部屋でメイクのレッスン中らしい。シャロンの話によると、リーナさんはここ数日でままたくまに人類銀河帝国の化粧技術を使いこなすまでになっていた。普段のメイクもベルタ方式から脱却したようだ。ヘリング士爵も相変わらず、リーナさんに称賛の言葉を惜しまない。いまヘリング士爵は図書室で熱心に筆を走らせているはずだが、査察団への報告書でなければ、リーナさんに捧げる詩でも書いているのかもしれない。

 

 留守中には何事もなかったようだな。

 ……さて、わびしい昼食といきますか。

 

◆◆◆◆

 

 南門まで迎えに出たかったが、今日は上空の偵察ドローンの映像を見るとかなり混んでいる。門の警備兵の前には分厚い外套を着込んだ商人やガンツからの見物客の列ができていた。例のバールケ侯爵のスパイが潜り込んで以来、ダルシム隊長の命令で入場者への警戒を強くしている。

 

 街の喧騒を抜けて、一騎の馬が城館に向かっている。セリーナが近衛の鍛錬を終えたようだ。馬車が南門をくぐったあたりで俺は城館の玄関ロビーへ降りた。今日はだれも待ち構えていない。なんとなくほっとする。

 

 外に出るとちょうど城館の門にセリーナがタースを駆って入ってきたところだ。

『アラン』

『聞きたいことは言わなくてもわかる。まだクレリアとエルナには話していない』

『せっかく危険回避したのに……冗談です』

 冗談じゃないんだよな。なんであんな約束をしたんだろう。

 

 しばらくして厩舎にタースを納めたセリーナがやってきた。

「近衛の練度はどうだ」

「スターヴェークへの偵察隊を出してからは、一層鍛錬に取り組むようになりました。そのうちアランにも成果を見てほしいですね」

「わかった。そろそろメラニーが来る頃だ」

「ではお迎えをご一緒します」

「すまないな」

 

 

 馬車が止まった。御者台にいたナタリーが降車してドアを開けると、最初に出てきたのはメラニー、そしてマルティナだ。

「アラン様!」

 メラニーが脱兎のごとく俺に走り寄ろうとするのをマルティナが抑え、

「アラン様、メラニーを連れてまいりました。ここに父からの書状がございます」

 差し出した手紙が震えている。まだ体力が回復していないのだろう。

 

 ざっと目を通すと、

 “メラニーを預かっていただくだけでも心苦しいが、査察団にマルティナが王都にいることを知っている者がいた場合、怪しまれる懸念がある。査察団がガンツに滞在中はメラニー共々預かっていただけないだろうか……云々” 以下、謝罪の言葉が続く

 

 その考えはなかったな。たしかにマルティナの存在を不審に思うものがいるとまずいだろう。デニスさんの警戒心はかなり強いようだ。

 

「マルティナ、ようこそわが拠点へ。せっかく来たのだから、しばらくゆっくりここで養生していってくれ……できればメラニーの監督も頼む」

「ありがとうございます。突然の依頼で父も大変恐縮しておりました」

 マルティナの瞳が潤んでいる。まだ疲れが残っているんだろう。

 

「マルティナさん、こちらへ。早速部屋を準備するわ」

 セリーナがいてくれて助かる。ついでに俺の右手をがっちり握り締めてはなさないやつも連れてってくれ。

「メラニー!」

 マルティナの一声で、渋々メラニーは手を離した。

「アラン様、あとで魔法を教えてください」

「もちろんだよ。メラニー」

 笑顔で俺は答える。……教えるのはエルナだけどな。

 

 ナタリーが御者台に登ろうとしている。

「ナタリー、よかったら夕食でもどうだ」

「滅相もない。私はサイラス様のご指示でお二人を送っただけです」

「サイラスさんが?」

「はい。アラン様は必ずサイラス商会の助けを求められる。だからカリナと一緒に全力でお仕えするようにと」

 大変ありがたい話だが……。これまでの経験上、サイラスさんが何の見返りもなく助力だけをしてくれるとは思えない。

 酒造販売の利益を守るという意味合いもあるだろうが、カリナの大市の提案といい、なにか企んでいるな。

 

 

 ナタリーの乗った馬車が城館の門を通り抜けていく。あたりはもう暗くなり始めていた。

 

「メラニーはとてもいい子だと思わないか。エルナ」

 俺は振り向きもせずに声をかけた。

 

 ドアの影からエルナが姿を見せた。

「探知魔法ですね」

「ああ」

「ナタリーにまで声をかけるなんて」

 振り返るとエルナの顔には怒りはない。どちらかというと諦め顔だ。

 

「単なる社交辞令だよ」

「そういうことにしておきます。……さきほどセリーナから紹介がありました。姉の方に比べてメラニーの魔力は見ただけでわかります。貴族でもない市井の娘にあのような才能があるとは」

「すまないが魔法教諭として指導してやってくれ、マリーとユッタもそのうち合流させよう」

「シャロンにも手伝ってもらいます」

「そうだな。……クレリアは?」

「厨房でアランを待っておられます。私はアランを呼びに来ただけです」

「クレリアが調理でもするのかな」

「さあ?」

 エルナはわずかに笑みを見せて、玄関ロビーに入っていった。

 

 なんか急に寒気がしてきた。中に入ろう。

 

 



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新しい絆

 厨房の横にある小食堂で、クレリアは待っていた。

「アラン、来客は歓迎してあげないといけないわ。まだ子供なんだし、心細いでしょう」

 急に女の子二人を匿うことになって文句の一つもあるかと思っていたが。

 

「アラン、よく聞いて。あのくらいの年齢では魔法が開花するのはとても難しいの。まして市井の娘、これまで正式に師についたことはないのでしょう? あとから簡単な魔法試験をしてみるけど、才能だけでは足りないわ」

「メラニーは間違いなく優秀だよ」

「私ですら、王宮でスターヴェーク最高の魔術師をつけてもらったわ。魔法の成長には先達の導きが大切なの。もちろん私はアランの助けもあったけど……」

「あのくらいの年頃では、怪我や病気、小さな疑いに苛まれたりするだけで能力が失われてしまうことがあるのです。皆で支える必要があります」

「エルナも師匠がいたのか」

「もちろんです。父に才能を見出されてすぐに宮廷魔術師の元で修行しています」

「わかった。できるだけ協力しよう」

「だから、暖かく迎えてあげましょう。このあいだセリーナと一緒に狩りに行ったときの獲物がまだ残っていたはず。たしか黒鳥も……」

「要はカラアゲが食べたいんだな? 最初からそういえばいいのに」

「違う! 私は魔法の話を、」

 

 顔を赤らめたところを見ると図星だったようだ。俺もこのところ査察関係の仕事が目白押しで厨房に立つことがなかったからな。

「わかったよ。もうすぐシャロンたちも戻る頃だ。エルナ、二人を適当な部屋に案内してやってくれないか」

 ま、とにかくクレリアが快く二人を受け入れてくれたのはありがたい。

 

 

 シャロンとセリーナが悪徳高利貸しから救い出したユッタとマリーは午前の授業のあと、商業エリアの裁縫職人のもとで奉公している。午後からは地下の稽古場で魔法の授業だが、これからはメラニーも一緒に授業を受けてもらおう。

 メラニーは火魔法を使えるから、エルナよりクレリアのほうが教えるのに向いているかもな。どのみち、クレリアもこのところ拠点の教会に礼拝に行くほかはすることがなさそうだし、ちょうどいい。

 

 

「シャロン、オーブンの様子を見てくれないか」

「うまく焼けています」

 シャロンは鉄扉の小窓から中をのぞいている。

 魔石オーブンを開いて、中の鉄板を取り出す。パンはエルナが樹海で見つけた葡萄に付着していた酵母を使っている。一次発酵だけで焼き上げてみたが、大成功だ。冒険者時代に食べていた焼き締めたパンとは大違いだな。

 

 メニューはビッグボアの角煮とクレリアが所望している黒鳥のカラアゲ、そしてトリガラからとった野菜スープだ。シャロンに頼んだスープの出来は上々だった。

「ずいぶん調理がうまくなったな」

「まだアランにはかないません」

「セリーナは料理に興味ないのかな」

 以前からずっと思っていた疑問だ。遺伝的には同じクローンだから、趣味や嗜好も同じだと思っていた。

「興味はあるようです。冒険者をやっていたころは手伝いもしていましたし……よし」

 シャロンは小皿に取った野菜スープの味を確認した。

 

「二人で決めたんです。私たち二人が同じことをすれば視野が狭くなってしまいます。だから極力別のことをしようって。もちろん情報共有はします」

「いざという時は交代できるわけだ」

「セリーナは子供が苦手ですけど、最近コンラート号から楽器を投下してもらって非番のときに練習しています。嗜好の違いはやっぱりあるんです」

「それが個性なのかもな」

「そう言ってくださると嬉しいです。クローンだからといって何もかも同じじゃありませんから」

「すまない。別にそういう意味じゃ」

「いいんですよ。お気遣いなさらずに」

 気を使ってもらっているのは俺のほうかもしれないな。

 

 最後にエルナの好物、ポトサラダも作っておこう。みじん切りにしたビッグボアの炙りベーコンを入れて、たっぷりと胡椒をきかせてある。ピリッとした舌触りで大人の味だ。ザッパの葉を敷いた皿に盛り付けると完成だ。

 子どもたちにはデザートとして樹液糖のカラメルをたっぷり使ったプリンを用意してある。子供がいるとお菓子を作る機会が増えて、これも楽しい。俺は天職を間違えたかもしれないな。

 

 そうこうするうちに小食堂に全員が集まった。俺とクレリアは厨房の入口からはなれた上座にすわり、その隣にエルナ、向かいにシャロンとセリーナと子供三人。マルティナはエルナの隣に座った。彼女は十六だからこの世界ではもう立派な大人だ。

 

 クレリアがアトラス教会の食前の祈り――女神ルミナスと天地万物の実りに感謝する長ったらしいやつ――を唱えて、ようやく食事になった。クレリアの信心ぶりは以前にもまして深まっているようだ。たぶんほかにすることがないからだろう、などと言ってはいけないんだろうな。

 

 俺が作った料理の反応を見るのはいつだって楽しいものだ。

 ユッタとマリーは小柄な体に似合わず、すごい食欲だ。ものも言わずに夢中で食べている。孤児院の食事の質はあまりよくないんだろうか。査察が終わったら抜き打ちで行ってみるか。

 マルティナはマナーを無視しがちなメラニーを注意しつつ、ゆっくり口に運んでいる。十六歳というにはあまりにやせ細った姿が痛々しい。少しでも体力が回復するように俺も料理に腕を振るうとしよう。

 

「アラン、昼からずっと商人たちと話していたけど、うまく話はまとまったの?」

「査察に合わせて大市を開くんだけど、天幕の配置がなかなか決まらなくてね。みんな少しでも有利な場所を取りたいからな」

「査察の間は城館に引きこもっているのはつまらない」

「しばらく辛抱してくれると助かる」

「わかっている」

 

 そのあいだにメラニーたちの教育に取り組んでもらおう。査察団の饗応は辺境伯軍関係者だけが参加する。準備はガンツのホームから呼び寄せたロータル料理長とサリーさんを筆頭に使用人たち十人が対応する予定だ。

 

「クレリア様、食事に手を付けておられないようですが」

 とっくに自分の前にあったポトサラダを食べて終えたエルナがこちらを見つめている。

「子どもたちの食欲につい見入ってしまった」

 クレリアの体の補修は完璧に終わっている。食欲中枢への刺激は少なくなり、かつてのような食欲はもうない。ちょっと物足りないのかもしれない。

 

「アランもですか」

「手料理を喜んでもらえるのは嬉しいからね」

「我が子を愛でる親のような目線でしたが」

 とたんにクレリアと目があった。

「残念ですが、女の子だけでは家族とは言えません。王族には男子が必要です」

「エルナ、いったい何を言い出すのだ」

 クレリアは俺から急に目をそらし、耳たぶまで真っ赤になっている。

 

「クレリア様の祖母にあたるエリカ様は二十歳で身ごもられ、その妹のイレナ様は十八歳でベルタ王国に嫁がれました。婚姻はクレリア様にも遠い未来の話でありません」

「その理屈だとエルナはとっくに結婚してるはず、」

 エルナの目つきが変わった。しまった。どうやらこれは禁忌らしい。

 

「私はクレリア様に一生お使えすると女神ルミナス様に誓った身。そのようなことは考えておりません。アランはルミナス様に誓ったわけではないのでしょう? ならば」

「エルナの気持ちはありがたいが、これはアランと私が決める問題だ」

「失礼しました。つい……」

 

 この大陸の住民が人類銀河帝国と違ってかなり早婚なのは、平均寿命が短いからだ。生活環境が向上すればどの惑星でも婚期は遅くなる。この惑星ではまだ先の話だ。大陸を統一して全土に科学教育を施す前に、大樹海の開拓が成功すること、つまり今は査察に合格することが先だ。

 エルナもみんなで食事をしているうちに、昔のことでも思い出したんだろう。たしかに家族、という概念はこの惑星の住民ほどではないが、俺にも理解できる。

 

「ここにいるシャイニングスターは将来の統治の要だ。だから俺とみんなの子どもたちが支えることになるだろう。エルナの子供だって希望すれば跡を継げる。まあ、家族のようなものかもしれないな」

 

 シャロンやセリーナも現地の人間と一緒になることを選ぶかもしれないし、エルナだって心変わりするかもしれない。ナノムを体内に宿す俺はこの惑星の人間より遥かに長寿だから、皆の子孫は文明の促進のために活躍してもらわねばならない。

 

「ん? みんな食事がすすんでないが」

 マルティナを除く女性たちは妙な顔をしている。エルナはなぜか目を見開いて絶句したままだ。どうしたんだろう。

 

 食事が終わるころには、もう子どもたちは眠たそうだ。

「アラン、私はユッタとマリーを孤児院に送っていきます」

「頼む。俺は厨房で後片付けでもするよ。クレリア、メラニーの魔法試験の結果は明日教えてくれないか」

「わかった」

 なぜか目を合わせないまま、クレリアとエルナは食堂を出ていく。ドアの向こうで、エルナがクレリアに小声で謝っているのが聞こえた。……よくわからない。

 



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襲撃

[アラン艦長、起きてください]

『はい、起きています!』

 仮想スクリーンを展開すると、ベッドに横になってから二十分もたっていない。イーリスも容赦ないな。

 

[偵察ドローンの画像を分析したところ、査察団を追跡している集団を発見しました]

 仮想スクリーンに暗視モードで映像が投影された。

 先頭の紋章旗を掲げた一騎の先触れの後ろに、護衛兵と馬車が何台も続く。その後方、約三百メートルほどの距離をおいて三十名ほどの集団があとを追っている。

 

『イーリス、これが単なる旅行者の可能性は』

[査察団は今朝、一つ前の宿泊地であるサンザノの街を立ちました。夕刻になってこの集団が追跡を始めています。武装していることから旅行者とは考えられません]

 ドローンの視点が後方集団に向き、ズームした。全員が黒装束で身分を示す記章のたぐいは一切ないが、おなじ覆面をしている。

『野営した査察団を夜陰に乗じて襲撃、というわけか』

[襲撃の可能性は九十五%……。推定襲撃地点はこちらになります]

 

 場所はガンツにほど近い、街道からすこし離れた川辺だ。

 野営にはちょうどいい広さがあって、俺も利用したことがある。あれはアリスタさんやカリナを盗賊から救出した直後だったな。覚えたての土魔法の練習に土小屋と厠を作ったのでよく覚えている。

 サンザノからの出発が妨害工作で遅れ、やむなく途中で野営するように仕向けられていたとしたら……? となると背後に組織的な関与があったと考えるほうが自然だ。

 

 この襲撃で誰が最大の利得を得るかを考えれば答えは自明だ。やつらはヴィリス・バールケ侯爵の私兵だろう。

 開拓の失敗を糊塗するために、俺の手勢が査察団を襲撃した……などという噂を流されればひとたまりもない。王命である査察を妨害することは、すなわち反逆だ。俺に濡れ衣をかぶせ、爵位剥奪という筋書きが見えてくる。

 

『イーリス、偵察ドローンをさらに一機、査察団上空に送れ。攻撃の徴候が見られしだい、敵勢力を無効化せよ』

[了解]

 

 こういった間接的な攻撃は想定していなかったな。酒に毒を仕込んだり、手駒による暗殺で俺を倒せなかったバールケが方針を変えたのだろう。やつの立場からみれば、俺を滅ぼす理由は開拓の失敗でも反逆でもどちらでもいい。

 

 まだプライベートな時間ではないのを確認してから、セリーナとシャロンを呼んだ。先ほどの画像を共有する。即座に二人の姿が制服姿で俺の寝室に現れた。

 

『バールケの手の者でしょうか』

 さすがにセリーナは理解が早いな。

『近隣の貴族で査察を妨害するものなどいないはずだ』

『査察団長のエクスラー公爵はバールケの政敵なのでは? 今回はアランと政敵を一度に倒す絶好の機会といえます』

 

 若きベルタ国王、アマド・ベルティーはまだ跡継ぎがいない。ただ一人の兄も早世しているらしい。前王亡き今、王位継承順位が最も高いのは叔父のエクスラー公爵だ。万一、国王が逝去した場合、政敵が国王になってしまう。そうなればバールケ自身の首が危うくなるだろう。……セリーナの説が正解かもな。

 

『査察団長を味方につけよう』

『敵の敵は味方、というわけですね』

『そうだ。ドローンまかせにせず俺が行く』

 

 査察団の一行は街道から広い川辺に降りて野営の準備を始めている。仮想スクリーンに映る襲撃者たちは馬を降りて散開し、河畔林に身を隠しつつ野営地に移動し始めた。

 査察団が眠りについてから一気に襲うつもりか。あまり時間がない。しかし偵察ドローンで即座に駆けつけるのはいかにも不自然だ。自作自演を疑われる可能性もある。

 

『イーリス、グローリアはどうしている』

[すみかの洞窟を出てこちらに向かっています]

『まだ何も話していないが』

[グローリアは夕方になると自主的にガンツまでの街道をパトロールしています]

 グローリアは遠慮して自分から俺に言わない傾向がある。自主的なパトロールは俺たちに認めてもらいたい一心からなんだろうけど……。

 

『イーリス、グローリアに連絡を頼む』

『了解』

『アラン、私も救出に参加します』

『シャロンはこの間、王都で人質奪還したでしょう? たまには私が』

『わかった。シャロンはすまないが残ってくれ」

『了解』

 あからさまにがっかりした表情のシャロンと、笑みを抑えきれないセリーナがARモードから離脱した。

 

[本来ならば、次席指揮官のセリーナは拠点に待機しなければならないのですが……。万一に備え、偵察ドローンをさらに増強します]

『この人数では俺たちの敵ではないよ。すぐに片付けて戻ってくる。早ければ今晩中に戻れるだろう』

[だといいのですが]

 イーリスは本当に心配性だな。

 

 

 航宙軍の制服に着替えて城館の屋上に出ると、寒地戦闘服を来たセリーナがすでに待っていた。行動が早いな。妙齢の女性が喜び勇んで戦闘に向かうのはすこし考えものだが。

 

「装備はパルスライフル、電磁ブレードナイフのほか、麻痺性ガス弾も用意しました。魔法剣も二振り、予備の魔石も用意しています。それと人数分の手鎖と一般人用の医療キットを一式」

 

 魔石はもらっておこう。魔石を利用した加工品はまだ先の話だ。当面、手で握りしめて利用するしかない。ガス弾は現地人に対しては過剰装備だな。バグス向けの化学兵器は人間には強力すぎないか。

「艦内工場で化学修飾を施して対人向けに改良済みです」

「今日は使わずに済みそうだが……。お、グローリアが来たな」

 拡大モードにした俺の視野に赤い巨体が入ってきた。

 

『族長!』

 見上げるような巨体ながら、グローリアは驚くほどなめらかに屋上の床に着地した。

『大事なパトロールの最中に呼び出してすまない』

『族長の命令ならいつでも大丈夫ですよ』

 この間の音声変換のアップデートで、完全にドラゴンの声がマスクされて、女の子の声しか聞こえない。今後、ドラゴンとの通話はこの機能が手放せないな。

『俺の客人が襲われそうなんだ。救出の手助けをしてほしい』

『任せてください! セリーナも一緒ですか?』

『そうだよ』

『嬉しい! 族長と出かけるのは本当に久しぶりですねっ!』

 大きく首を持ち上げた姿はちょっと穏やかではないが、ドラゴン的な喜びの表現と受け取っておこう。

 

『グローリア、準備をお願い』

 セリーナが専用の鞍をグローリアに乗せている。ずいぶん手慣れた様子だ。

『武器と手鎖まで入れると結構な重量だ。セリーナ、ガス弾は中止だ』

『わかりました』

 セリーナは少し残念そうだったが、また別の機会にしよう。非殺傷兵器はいつか使用することもあるだろう。

『グローリア、荷物が多くて悪いな』

『いえ、全然問題ないですよ。セリーナは本当に体重が軽いですし』

 ん? セリーナが俺から目をそらしたな。

 

『もしかして非番のときにグローリアを乗り回しているんじゃないだろうな』

『族長、私がセリーナとシャロンに頼んだんです。一緒に樹海の上を飛んだりしています』

 

 グローリアには特別な理由がないかぎり乗らないようにしている。優れた知性を持つドラゴンを単なる騎乗動物のように扱いたくない。それにグローリアとセリーナたちを一緒にすると、時にいらぬ知恵をつけるからほんとうに困る。王都でグローリアの口から演技という言葉が出てきたのには驚かされたっけ。

『その件は改めて話そう。準備ができたな……。出撃だ』

 

 

 グローリアは勢いよく上昇した。

 大市の準備で忙しい商業エリアから南門まではまだ明かりが見えていたが、あっというまに背後に遠ざかっていく。

 俺はグローリアの仮想スクリーンに位置情報を転送した。

『グローリア、この場所へはどれくらいで到着するかな』

『人間の時間で三十分くらいですね』

 

 ドラゴンは人間よりはるかに長命なせいで細かい時間単位は苦手だ。最小単位が日とか週だったりすることもある。仮想スクリーンの使い方を覚えるまでは、グローリアも細かい時間単位は理解できなかったようだ。

 

『イーリス、現状報告を頼む』

[敵集団は四つに分かれて野営地の天幕の背後に移動したあとは動きがありません。偵察ドローン三機が上空で周回中。敵全員をロックオン済みです]

『捕虜にするから殺すなよ。念のためビットを周辺に打ち込んで情報収集してくれ』

[了解]

 ビットは継続的な情報収集のために使用するものだ。ここで使い捨てにするのはもったいないが、拠点の運命がかかっている以上やむをえない。

 

 

 満月が白く照らす眼下は点々と小さな農村があるばかりで、街道は畑や森林を縫って続いている。グローリアは勢いよく夜空を羽ばたいていく。安定したしっかりとした飛行だ。

『グローリア、前より飛ぶのがずっと早くなったな』

『ええ、後追いの儀式がおわってからも、ディー・テン伍長とは競争しています。グレゴリーも一緒に』

 

 グレゴリーと五匹のドラゴンはあの事件があってから、コンラート号の修復に必要な金属の採鉱場に居を構えてしまった。イーリス経由で採掘の妨害をしないように伝えてある。俺より女神様の命令には従うだろうが……。

 イーリスの報告によれば、採鉱場に住むようになってからはグレゴリー配下の若年ドラゴンたちの成長が目に見えて良くなっているらしい。ドラゴンが摂取する金属の謎や配下のドラゴンの伴侶獲得は先送りできない問題だが、査察が終わるまでは動けそうもない。

 

 前方に野営地の明かりが見えてきた。川辺の大きな天幕のまわりだけが明るい。

 仮想スクリーンを偵察ドローンが直上から撮った画像に切り替える。衛兵が立番している一番大きな天幕に査察団長がいるにちがいない。

 焚き火のまわりで食事の準備をしているようだ。しかし背後の敵兵に動きはない。森に潜んでからもう一時間近い。

 

[艦長、いまなら偵察ドローンで一掃できます]

『少し待ってみよう。グローリア、悪いが上空を旋回してもらえないか』

『了解』

 

 なぜ動かない? 何を待っている?

 



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裏切り

『イーリス、ビットが拾った音声をこちらに繋いでくれ』

[了解]

『アラン、一番北側の天幕から人が出てきました』

 一人の男が天幕の後ろに潜む集団にまっすぐに近づいていく。明らかに目的があって移動しているようだ。男が口笛を吹くと、襲撃者たちは引き絞っていた弓をおろした。リーダーと思しき大男がでてきて、向かい合った。

 

…… 標的は川べりの一番大きな天幕にいる。残りの連中も皆殺しだ。目標は必ずおまえの火魔法で処分しろ ……

…… わかった ……

 

『内通者か。セリーナ、あの男は必ず生け捕りにしろ。俺は公爵の天幕を守る。イーリスは残りの連中を処理』

『了解』

 内通者だけが生き残り、査察団を全滅させたのは俺の手勢だと報告する筋書きだな。さらに俺が火魔法をつかって公爵を殺したことにすれば、もうどんな言い逃れもできない。バールケの考えそうなことだ。

 内通者と合流した賊は前後に別れ、先頭集団は抜刀、残りは弓を構えつつ、それぞれの天幕に近づいていく。

『グローリア、急降下して驚かしてやれ』

『了解です!』

 

[熱量増大を感知]

『グローリア、待て!』

 ドラゴンブレスが放たれ、襲撃者たちの前で轟音とともに爆炎が広がる。あーあ、やっちゃったな。賊どもを蒸発させないだけましだが……。グローリアには前もって言い含めておけばよかった。

 

『驚かしただけですよ』

 いや、そうでもないみたいだ。普通なら腰を抜かしても不思議はないが、一瞬の動揺はすぐに消え、天幕につき進んでいく。グローリアの放ったブレスの勢いで天幕からも護衛兵たちが飛び出してきた。抜刀したものの、賊から放たれた矢を防ぐので精一杯だ。

 

 この状況で白兵戦になるのはまずい。一気に片付けよう。

『イーリス、撃て』

 三機の偵察ドローンからパルスレーザーが連射され、たちまち足や肩を撃ち抜かれた賊の押し殺した悲鳴があちこちから聞こえた。

『セリーナ。内通者の確保と武装解除だ』

『了解』

 セリーナは飛行魔法を展開して降下していく。訓練したおかげで、これくらいの高さなら余裕だ。

 

『グローリア、あの一番大きい天幕の近くに降りてくれ』

『了解』

 

 グローリアの羽ばたきが激しく天幕を揺らし、中から顔を出した数人がすぐに顔を引っ込めた。護衛が槍をかまえて向き直ったが槍先は震えている。無理もない。

 

 天幕から一人の男が現れた。

 以前収集したビットの画像より若く見える。国王の叔父というから四十代より若いはずはないが、がっしりとした体格はかなり鍛えているようだ。髭をたくわえた精悍な顔から放たれる眼差しは鋭い。すでに帯剣しているところはさすがだ。二人の女官が公爵のそばに駆け寄っている。

 

 グローリアから飛び降りた俺はすかさず跪いた。

「マテウス・エクスラー公爵とお見受けします。拠点よりお迎えに上がりました」

「アラン・コリント男爵か。まさかドラゴンをつれてくるとはな」

「査察団襲撃の報を受け、馳せ参じた次第にございます」

「ならばもっと早く来るべきであろう。このような狼藉を許すとは」

 ……礼の言葉もなし、か。上級貴族は態度もでかいな。

 

 頭上で矢がバチッと音をたてて爆ぜた。

 俺への飛翔物は矢であろうと投石であろうと即座にドローンがパルスレーザーで焼尽するから問題はない。まだ戦う気力が残っているやつもいるようだ。さすがに本丸を襲撃する人間は気力が違う。

「賊がまだ抵抗を続けているようです。しばらくお待ち下さい」

 

 天幕の背後に回ると、二十メートルほど先の森から続けさまに矢を射掛けてくる。が、俺の周囲に見えない障壁があるかのように、矢は次々と花火のように激しい音を立てながら爆裂し、オレンジ色の火の粉が周囲に降り注いでいく。

 森の中から二発のファイヤーボールが飛んできた。すかさず高速フレイムアローで直撃し、消滅させる。

 早いな。連続でクレリアの射出速度より少し遅いくらいだ。かなりの技巧者だ。

 

[安全確保のため、敵を無効化します]

『俺は魔術師とはまだ戦ったことがない。どれくらいの実力があるのか試してみたい』

[明らかに危険な状況になった場合、こちらの判断で抑止します]

『頼む』

 探知スクリーンを展開すると、暗闇の中に人の形をした輝きがみえた。周囲の数人にくらべ桁違いに大きい。その魔素がみるみるうちに眩く増光していく。

 次の瞬間、周囲の雑木が波打つように倒れ始めた。かすかなきらめきを見せながら直進してくるのは間違いなくウインドカッターだ。しかも無詠唱とは。

 

「エアバレット!」

 俺は特大のエアバレットで対抗した。双方の風魔法は俺と賊の中間あたりで一瞬の風塵を撒き散らして霧散する。

 俺でなければ相当な手練でも切り裂かれていただろう。

 だが、お遊びもこれまでだ。

 

『ナノム、ファイヤーボールを五連発だ』

 仮想スクリーンの片隅に、[READY✕5]と表示が映る。探知スクリーンの輝く人物像にめがけて発射した。向こうがそのつもりなら俺も遠慮なく反撃だ。

 

 急に相手の輝きが前にもまして激しくなった。何をするつもりだ。

 ごっ、という火炎の響きが轟いたかと思うと、巨大なファイヤーボールが現れ、直進してくる。ボールというより直径が人の背より高い丸い壁だ。またしても中央付近で俺の放った五つのファイヤーボールと激突し、轟音とともに霧散していく。

 数に対して物量でくるとは……大口径のファイヤーボールで遮蔽壁をつくり、魔法はおろか投擲物すら吹き飛ばす作戦か。ファイヤーボールにこんな使い方があったとは。

 

 こいつはまだ俺の知らない魔法を知っているに違いない。殺すには惜しい。探知魔法で見る限り、やつの体の魔素は残り少ない。

 

「お前たちの襲撃は失敗した。命の保証はする。直ちに投降しろ」

 急にあたりが静まり返った。さっきまで聞こえていたうめき声すらしない。

「お前たちはベルタ国王の命令である査察を妨害した。その意味はわかっているな」

「…………」

「命だけは助けてやる。武装解除して出てこい」

「しばらく時間をいただけないだろうか」

 意外と物わかりがいいな。それなりの常識もあるようだが……。あれだけの技量を持ちながら暗殺者に身を落とすとはわからないものだ。

 

『族長。あのう、この人達は新しい仲間ですか』

 おっと、グローリアのことを忘れていた。天幕から出てきた人々は襲撃を受けたのもそっちのけでグローリアを遠巻きにながめている。

 俺は天幕の前にもどり報告した。

「賊は鎮圧しました。お付きの方に捕縛の手伝いをお願いしたいところです。彼らは動けないので大丈夫です」

 エクスラー公爵が衛兵を見やると、すぐに数名の者が走り出していった。

 

「矢がすべて途中で燃え尽きたように見えたが」

「少しばかり魔法に心得がありまして……。残念ながら襲撃の際、査察団より賊に通じた者がいることがわかりました」

「なに。その者はどこにいる」

 

『セリーナ、内通者を連れてきてくれ』

『了解』

 

 セリーナが後ろ手に手鎖で縛られた小柄な男を連行する。エクスラー公爵は男の顔を見るとため息をついた。

「ルチリア卿……。出発直前で査察団に参加したのはおおかたバールケ侯爵の指示だろうな」

「まったく覚えございませぬ。用を足しに天幕を出たところ、この女に襲われたのです。この者は何の権限でこのような狼藉を働くのでしょうか」

 こいつは確か、叙爵の際に俺に毒を持った野郎だ。ふてぶてしいとはこのことだ。まったく狼狽もみせないとは。

 

 エクスラー公爵はルチリアの言葉に耳を傾けようともせず、セリーナを見つめている。

「アラン・コリント男爵」

「私ごときに称号は不要です。アランとでもお呼びください」

「アラン、この者がルチリア卿を捕縛したというのは本当か」

「はい。我が配下の者にございます」

「そちの名は」

「セリーナ・コンラートと申します」

「コンラート姓の貴族は聞いたことがないが……このような年若い者が戦闘に加わるとはな。アラン、そちもなかなか良い趣味をしている」

「体術などは私より強いかと」

「ほう、一度手あわせ願いたいものだ」

 一体何の話をしているんだろう。

 

「エクスラー様、私は無実です! 早く縄を解くように命じてください」

 苛ついた様子でルチリアが割り込んだ。

 エクスラー公爵は冷え切った目つきでルチリアを眺めている。たぶんもう処分の方針は決めたんだろう。俺の眼の前で斬首などしてほしくはないが。

「まずはお前の手下から話を聞こうか」

「なんのことやらわかりませぬ」

 

 突然、仮想スクリーンに輝点が現れた瞬間、背後の森で叫び声が上がった。

 しまった! 降伏すると見せかけて攻撃か。

 ルチリア卿がわずかに笑みを見せた。こいつ、絶対に自分が安全だと確信しているな。そうはさせるか。俺は叫び声がした林の中に走った。

 

 



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輝く霧雨

 身動きできない襲撃者たちから少し離れて、さっきのリーダー格の大男が倒れていた。衣服はまだ燻っていて、顔は覆面ごと焼けている。自分に向けて火魔法を放ったのか。責任か、秘密保持かは知らないが賊にしては覚悟がある。ただの野盗の類ではないな。

 ……もったいない。この男は未知の魔法をたくさん知っているはず。

 

 周囲の衛兵たちは呆然として動きを止めていた。捕縛しようと近づいた賊がいきなり火だるまになれば驚くのは無理もないか。

「お前たちはさがれ。ここは俺が処理する。公爵にもそう伝えてくれ。余力のある者はほかの天幕近くに転がっている賊を捕縛しろ」

「はっ」

 駆け出していく衛兵たちの足音が遠ざかっていく。

 

 

 皮膚を急速再生させる治癒魔法を俺は知っている。魔術ギルドのシーラさんのところで思いついた、ヒールとウォーターの混合魔法だ。

 今回は熱変性した体組織を回復、失われた水分を補填する、そんなイメージだ。俺はポケットにあった特大の魔石を左手で握りしめた。

「ヒール!!」

 まばゆい治癒の光が俺の右手から放たれ、横たわる体を包み込む。……これは時間がかかるかもしれないな。

 

『ナノム、魔石から供給を開始しろ。供給ロスの五パーセントはウォーターに変えて散布だ』

[了解]

 オーガーの魔石一個を使い切る勢いで全力の治癒魔法だ。強烈な治癒光が俺のまわりの霧煙を爆発的に発光させている。第三者から見れば異様な光景だろうが、いまはどうでもいい。

 

 

 ……手に握っていた魔石がすっかり半透明になった。

 施術のあいだは気づかなかったが、男の身長は俺より高く、全体的にがっしりしていて魔術師という感じはしない。魔素の量は体格に比例するのだろうか。焦げた覆面を取ると、青白い顔はやつれきっていた。首筋に手をやって脈拍を取ると微弱な脈動が伝わってくる。傷は癒えたが目が覚めない……魔力切れか。

 自分に火を放った時点で枯渇したなら、すぐには目が覚めないな。クレリアも魔力が切れると一日かかると言っていた。

 

 ふいに周囲が静まり返っているのに気がつく。

 倒れていた襲撃者たちは驚愕の表情で俺を見つめ、中には跪いている者もいる。

 

 振り返ると、エクスラー公爵と衛兵たち、数人の女官までが呆然と立っていた。

「敵の首領を回復させました。残念ながら魔力切れのため、目覚めるには時間がかかるかと」

「いや、聞きたいのはその魔法だ。なかば死にかけた人間を蘇らせたのだぞ」

「簡単な複合魔法ですが」

「……信じられん。これが簡単だと?」

「ルチリア卿は公爵におまかせ致します」

「その魔法については後ほど詳細を語ってもらう」

 

 公爵は天幕まで戻ったかと思うと、剣を抜き放ち、ルチリア卿の頬に刃を当てた。

「王都に帰りたくば、すべてを話すことだな」

 まさかここで拷問するつもりなんだろうか。

「まだ仲間がいるかも知れません。いま出立すればガンツには夜半には着くでしょう。ガンツで体制を立て直してからでも尋問は遅くはないと愚考いたします。残りの捕虜は私にお任せください」

 

 公爵はしばらく俺の顔を見つめていたが、

「よかろう。我らも急ぎガンツに向かうことにしよう」

 公爵が傍らにいた副官らしき男にうなずくと、たちまち撤収の命令が立て続けに出され、あたりに出立の喧騒が広がっていく。

 

 セリーナと俺は衛兵たちに手伝ってもらい、あとから回収する捕虜を手鎖でつないで焚き火の前に集めておいた。

 俺はもう一度エクスラー公爵の前に跪いた。

「我らは上空より、ガンツご到着までお守りしております」

 

『セリーナ、帰還するぞ。イーリス、ガンツにつくまで査察団をドローンで直掩。もう一機は捕虜が魔物に襲われないよう監視だ』

[了解]

 下を見下ろすと、グローリアを見上げていた査察団の人たちもやがて作業に戻り始めた。エクスラー公爵だけが一人、ずっと俺たちの方向をいつまでも眺めていたようだ。

 俺たちの救出活動が少しでも拠点の好印象につながればいいのだが。

 

 

 飛翔したグローリアは水平飛行に移行した。

『族長、さっきの人は族長より偉いんですか』

『俺たちの拠点が順調かどうか調べに来た人だよ』

『もし順調でなかったらどうなるんですか』

『開拓は中止になるだろうね』

『もし私にできることがあったら言ってください!』

『ありがとう。グローリア』

 正直、グローリアの気配りはありがたい。こんなに心優しい高貴な生き物をこの大陸の人間は畏怖している。互いの言葉を伝えていたというアーティファクトはそのうち探さねばならないな。

 

『グローリアのお陰で、あっという間に終わってしまったな』

『たまにブレスを吐くとすっきりします』

 グローリアがドラゴンブレスを使ったのは、救出作戦ルートGで王城のバリスタを黒焦げにしたとき以来だな。俺の前では我慢していたのだろうか。

 

『もっと族長のお役に立ちたいのに』

『グローリアは十分役に立ってくれたぞ。俺だけだと相手は納得しなかっただろう』

『もっと強い敵と戦ってみたいです』

『気持ちはありがたいけど、この大陸にドラゴンより強い存在はいないからね』

『イーリスから族長がグレゴリーと戦った話を聞きました。ええと……模擬戦? を族長とやってみたいです』

 

 イーリスのやつ、余計なことを……。グローリアも仮想スクリーンが使えるからな。あの後ろ髪チリチリ状態で右往左往する俺の姿だけは封印しとくんだった。

 

『機会があればね。グローリアの気持ちは大切にするよ』

『ありがとうございます!』

『グローリア、今の約束は私が証人になるわ』

 グローリアに模擬戦とか教えたのはセリーナだな。まあ、いいか。グローリアの頼みとあれば断れないな。

 

 

『セリーナ、グローリアとは一週間にどれくらい会っている? ARモードの回数を除いてだが』

『……週に三回くらいです。今度から事前にアランに報告するようにします』

 ほとんど一日おきじゃないか。一体どこをなんのために飛んでいるんだろう。

 

『グローリア、二人が頻繁に背中に乗るのは迷惑かな』

『いいえ。……族長にお願いがあります。もうひとつ鞍を作ってもらえませんか。グレゴリーの分です』

『ドラゴンの伝承は知らないが、ずっと背中に人間を乗せるのは問題ないのかな』

『お二人が伝説の女神様によく似ているんですって』

 ……イーリスが女神様なら、シャロンもセリーナも自動的にそうなるよな。

 

 

 そろそろガンツが近い。

『今週のガンツ駐留班に捕虜の回収を指示しよう』

『私が指揮を取ります。ガンツにはしばらく行っていませんし、指揮をするのも楽しみです』

『頼む』

 

 ガンツの街は守備隊の詰所に不寝番の篝火がみえるばかりで、ほかに灯火はほとんど見当たらない。

 俺はグローリアの仮想スクリーンにガンツのホームの位置を送った。

『グローリア、城壁の近くに大きな建物があるだろう。その裏側の広場に降りてくれないか』

『はい』

 

 ふわりと着地したホームの広場は、サテライト全員で剣技演習できるくらいの広さだが、ドラゴンの巨体のせいでいかにも狭く感じる。グローリアは物珍しそうにあたりを見回していた。確かドラゴンは夜目がきくんだったな。街の中に入るのも初めてなんだろう。

 

 着地と同時に、セリーナが裏口から入っていった。

 最上階の執務室で待っているとセリーナがサリーさんをつれてきた。いつもの家政服を着ている。夜更けにもかかわらずあっという間に身支度したらしい。

 

「夜遅くすまないが、至急、デニス家令に査察団が本日夜半に到着すると伝えてほしい」

「仰せのとおりに」

 査察団はガンツのユルゲン邸に滞在する予定だ。デニスさんのことだから迎えの準備はできていると思うが念のためだ。

 

 館内にあちこちで掛け声が聞こえ始めた。部屋をまわって叩き起こしているらしい。あの声はサテライト八班のケニーだな。久々の出動でかなり気合を入れているに違いない。

 

 しばらくしてケニーがやってきた。すでに武装している。

「アラン様、八班はいつでも出撃可能です」

 早いな。サテライトは日頃の訓練を真面目にやっていると見える。

 

「王都からの査察団が襲撃を受け、こちらに向かっている。八班の任務は捕虜を回収することだ。指揮はセリーナが取る」

「査察団の護衛ではないのですか」

「襲撃した連中は俺たちが排除した。捕虜は現地で拘束している」

「了解しました。サテライト八班はセリーナ隊長のもと、捕虜の回収に向かいます」

 

 

 広場にはサテライトのメンバーがすでに帯剣して整列していた。騎乗する馬も厩舎から引き出している。グローリアまでかしこまって列の後ろに並んでいるのはちょっとおかしかったが顔には出さずにすんだ。

 久々のセリーナの指揮とあって、本人はもちろんサテライト全員の意気もおおいに上がっている。

 

 兵士たちが一斉に騎乗すると、グローリアまで羽ばたき始めた。一緒に行くつもりらしい。

『グローリア、悪いんだけど今夜の仕事は……』

『アラン、グローリアにも参加して欲しいです。ドラゴンと一緒だと捕虜も騒がないでしょうし』

『グローリア、それでもいいか』

『私も一族の役に立ちたいです』

 ……今夜の仕事がよほど物足りなかったんだな。

 

『わかったよ。続けて頼んでしまってすまない』

『では、私がグローリアにのって先導します』

『あまり捕虜を驚かすんじゃないぞ』

『了解』

 セリーナは軽く笑みを俺に返すとグローリアに飛び乗った。

「出発!」

 

 

 



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捕虜

[アラン艦長、起きてください]

「はい、起きています!」

 条件反射で身を起こすと、居室のベッドで着替えもせずに横たわっていた。冬の朝日がしんとした室内を照らしている。しまった。夜のうちに拠点に帰るつもりだったのに。

 

『イーリス、査察団が到着したら起こしてくれと言ったはずだが』

[査察団は予定よりかなり遅れて先ほどガンツに到着しました。セリーナとサテライト八班も捕虜を連れてまもなく到着します]

『捕虜はガンツ守備隊に襲撃犯として引き渡すようにセリーナに連絡。捕虜が何を言っても無視するように。これから俺はギート守備隊長に会ってくる』

[了解]

 グローリアとセリーナにもねぎらいの言葉をかけておこう。一晩中働いてもらったからな。

 

 

 人目が気になるのですっぽりとフード付きのローブを身にまとい、ガンツ守備隊のいる正門に向かった。

 ガンツの正門は人でごった返していた。ガンツから出ていく馬車のほとんどは拠点で明日から始まる大市向けの荷を積み込んでいるようだ。

 セリーナからの連絡では、捕虜は混雑した正門詰所から守備隊の営倉に移動している。

 営倉の近くまで来ると、サテライト八班のメンバー、そしてセリーナが見えた。

「ケニー、夜中にもかかわらず任務の達成ご苦労だった」

「いえ、久々の出動で皆の士気が上がりました。セリーナ隊長とグローリア殿のおかげです」

 

 そういえばグローリアの姿が見えない。

『セリーナ、グローリアはどうした』

『意識不明の魔術師を運んだのですが、ガンツに到着してすぐに街の人たちが騒ぎ出してしまって……。グローリアは先に大樹海にもどりました。気を使わせてしまったみたいです』

『あとで俺から謝っておこう』

『魔術師は守備隊の一室で保護しています』

 魔力切れは回復に何日もかかる。ましてあの魔素量では一日やそこらで回復は難しいだろう。

 

 守備隊のギート隊長がやってきた。

「これはアラン様。先ほどセリーナ様からお話を伺いましたが、改めて守備隊が聞き取ったところ、この者たちはいずれも容疑を否認しております」

「否認とは」

「自分たちは襲撃などしていない、と主張しています」

「俺の証言が信じられないというなら、直接、査察団長に聞いてみるがいい。ただし、その場合は言葉に気をつけた方がいいぞ」

「気をつける、と申しますと?」

「査察団が襲われたのはガンツ領内だ。襲撃を受けたエクスラー公爵はこう考えるだろう……これほど街道が危険と知っていながら、ガンツの守備隊は何をしている? 査察団を見殺しにするつもりだったのか、とな」

 言っているそばからギート隊長の顔から血の気が引いていく。

「俺からも公爵に伝えよう。ガンツ守備隊は襲撃犯が容疑を否認したのですぐに釈放しました……と」

「お、おやめください! わかりました! 直ちに身柄を拘束し、然るべき処置を行います!!」

「尋問の後、いつも通り盗賊扱いで査定してくれ。意識を失った魔術師は俺が引き取る」

「すぐに報告いたします!」

 叫ぶように言うと、足早に守備隊営舎に戻っていった。

 

 すごい気合の入れようだ。地方貴族の俺なんかより、王都の貴族の威光はケタ外れだな。

「アラン様、こいつらの持っていた所持品などはどうしますか」

「ケニー、身元がわかるものがあれば報告、魔術師は拠点に運んでくれ」

「わかりました」

 

「セリーナ、戻るぞ」

「アラン、魔術師を連れ帰るのですか」

「あの男はかなりの使い手だ。俺の知らない魔法を知っているかもしれない」

「賊の目的とか背後関係ではなく?」

「最近はクレリアとエルナに魔法で押され気味だからな。魔法の知識を蓄えておきたい」

「そんな理由で捕虜を連れ帰るとは……」

 

[艦長、襲撃者を拠点に連れて行くのは危険です]

『イーリス、気持ちはわかるが拠点には俺だけでなく、強力な魔法の使い手が何人もいる。問題はない。傭兵なら俺が雇ってもいい』

『アランは人を信用しすぎでは』

 俺の見立てでは、かなり有為な人材のようだ。魔法の知識は口伝が多い。なんとしても聞き取って役立てたい。

 

『これは今後の魔法研究に必要なことだ。もし反抗的な態度をとるならドローンで荒野にでも捨ててくればいい』

『では、城館の一室に保護して、警備をつけます』

『そこまでする必要もないと思うが……気になるならそうしてくれ』

『了解』

『イーリス、ホームに偵察ドローンを二機よこしてくれ。拠点に戻る』

[了解]

 

 

 ホームの門前に一台の馬車が停まっていた。馬車の横板に商業ギルドの旗印が見える。

「セリーナ、拠点に先に戻ってくれ。サイラスさんと話がありそうだ。俺はあの男を連れて戻る」

「了解」

 セリーナは玄関に入らずにホームの裏手の広場に向かっていく。頭上からはごく僅かな排気音が聞こえた。もうドローンは到着しているようだ。

 

 玄関の扉を開けると、サリーさんが足早にやってきた。

「アラン様。お客様がいらしています」

「サイラスさんだな」

「サイラス商会のアリスタ様でございます」

「一人で?」

「はい」

 

 酒造場の蒸留器の調子でも悪いんだろうか。アリスタさんだけだと、なんとなく警戒心が首をもたげてくる。

「会おう。すまないがお茶をたのむ」

「お持ちします」

 

 客間に入ると、立ち上がったアリスタさんが深々と頭を下げ、貴族に対する礼をとった。

「早朝にも関わらず、お時間を頂き感謝いたします」

「かまいませんよ。ギルドにはお世話になっていますからね」

 

 こんなに早くに来訪したにしては、衣服も正装で貴族の館に訪れるにふさわしい姿だ。豊かな金髪を後ろにまとめて、俺の見間違いでなければ、薄化粧もしている。念を入れて準備を整えてきた感じだ。こうなると来た理由はさっぱりだな。

 

 俺はソファに座って、アリスタさんにも席をすすめた。

「カリナとナタリーのお陰で、拠点の大市も盛況が期待できます。貴重な人材の提供には感謝の言葉もありません」

「当然のことをしたまでですわ。もしアラン様がお助けくださらなかったら、私たちは今ごろあの洞窟で朽ち果てていたでしょう」

 

 サリーさんがお茶を運んできた。茶器が前に並んだところで本題だな。

「昨夜、ユルゲン様の邸宅で慌ただしい動きがあり、知り合いの者に尋ねたところ査察団が夜中に到着されるとのこと。そのうえ正門からアラン様の配下の方々が出動されました。もしやこちらにいらっしゃるのではと、一縷の望みをかけてきた次第です」

 商業ギルドの情報網はガンツの隅々にまで及んでいるらしいな。今後注意しよう。

 

「じつは、父のことでご相談が……。父を査察団長の貴族様にお目通りさせていただけないでしょうか。アラン様にはお取次をお願いしたいのです」

「別に構いませんが、なぜでしょう」

「父には現在の王都商業ギルド長であるヤン様のご退任の後、後を継ぐという夢がございます。この機会に有力な貴族様と知己をえておけば夢の実現にすこしは役に立つかと。まことに身勝手な申し出で恐縮ですが、なにとぞお願い致します」

 アリスタさんはまた俺に頭を下げた。

 

 これだけ手広く事業をしていて、さらに頂点を目指すとはサイラスさんらしい。

「いいでしょう。ただし査察に合格してから、開拓の成功に尽力した協力者としてサイラスさんをご紹介しましょう。このほうがより好感をもっていただけるのではないでしょうか」

「そこまでしていただけるとは……。ありがとうございます!」

「一つ心配なことがあります」

「なんでしょう。私にできることでしたら」

「サイラスさんが王都の商業ギルド長に就任すると、今後拠点はサイラス商会の協力を得られなくなるのでは」

「サイラス商会は代々ガンツで商売を営んでおります。この街を離れることはありません。今後もお付き合いさせていただきたいと考えております」

 

 これが本音だろうな。俺の植民地経営が成功すれば、ベルタ王国に全く新しい商圏が誕生することになる。ガンツ周辺でのサイラス商会の影響力はより大きくなり、王都商業ギルド長としての名声も盤石になるだろう。

 なんとなく踏み台にされているような気もしないでもないが、ここは互恵関係を維持しよう。

 

「アリスタさんがこちらに来ることを、サイラスさんはご存知なのですか」

「いいえ。愚かな娘の親孝行の一つと思ってお笑いください」

「とても立派なことだと思いますよ」

「ありがとうございます。朝早くの訪問お許しください」

「門までお送りします」

「ありがとうございます」

 

 別れ際にアリスタさんはまた頭を下げ、馬車に乗った。

 父親思いの娘……と言うには違和感がある。サイラスさんが王都でギルド長に就任しても、サイラス商会の本店がガンツにあるなら今後とも良好な関係であるはずだが……。その場合、新たなガンツのギルド長は誰だろう。

 

 



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言い訳はしない

 城館に戻って広すぎる厨房で昼食を作っていると、城館内に展開していた探知スクリーンにクレリアたちの反応が現れた。朝の礼拝で教会に出かけていたようだ。早足に玄関から廊下を移動している。

 一晩ガンツで過ごしてしまった言い訳はしない。いつもどおり正直に話せることだけを話すまでだ。

 

「アラン!」

 クレリアは勢いよく厨房にはいってきた。これは……相当、手強そうだ。出かける前に必ず声をかけるという約束を破ったのもこれが初めてではないな。

 

「また夜中にでかけたの?」

「まあそんなところだ」

「昨日、メラニーの魔法を評価してくれって言っておいて、出かけるなんてどういうこと? よっぽど大切なことなんでしょうね」

 と言いつつ、距離を詰めてくる。ここで押されるようであれば説得も難しい。一気に片付けよう。

 

「実はきのうの夜、査察団が襲撃されたんだ」

「ええっ!」

 

 まずは目を引く事実で回避だ。さすがのクレリアも驚愕している。エルナは急に目つきが鋭くなった。理解が早いな。

「そんな! 査察は王命でしょう。妨害は反逆罪だわ」

「査察団を守れなかっただけでも罪に問われるのでは」

「誰かが俺に罪を被せようとしたらしい。そうなれば反逆罪で俺を捕まえて、開拓も中止になるだろう」

「査察団は無事なの?」

「賊は捕まえたよ。査察団は無事だ。俺の名誉もね」

 

 先ほどまでの思い詰めた様子はどこへやら、クレリアは深い溜め息をついた。

「査察の件は俺の所掌だし、クレリアには心配かけたくなかった」

「アラン、まさかその賊にセリーナと二人で立ち向かったのですか」

「敵は三十人くらいだったからね。問題はなかったよ。グローリアも手伝ってくれたし」

「それは過剰戦力では」

 グローリアを使った戦法に興味があるのかエルナは真剣に聞いている。ダルシム隊長と辺境伯軍の隊長格もドラゴンを使った急襲作戦を盛んに議論していたな。個人的には性格の温厚なグローリアを戦争に駆り出すのは抵抗があるが。

 

「アラン」

「すまない、話がそれたな。査察団は無事にガンツに到着したよ。明日にはこの拠点に来る」

「査察団長はそれなりの貴族が務めるとライスター卿からきいたけれど」

 クレリアには査察団長のことはまだくわしく話していなかったな。シャロンが子どもたちを連れて戻ってくるまで、まだ少し時間がある。

 

 俺は厨房に隣接する小食堂にいき、クレリアに椅子を引いてやって、向かいに座った。

「査察団長を迎えたのはガンツから少し離れた場所だ。以前みんなで野営したこともある川べりの広場だよ。団長の名前はマテウス・エクスラー公爵。国王の叔父だそうだ。クレリアは知っているかい?」

「知っているもなにも、私の祖母の妹、イレナ様のご子息だわ。お会いしたことはないが……」

「昨夜、見た限りではすこし目元が国王に似ていたな」

「公爵のご尊顔を拝見したいものだ」

「ダルシム隊長が猛反対してただろ。査察団の随行員の中にはスターヴェークを訪れた者がいるかもしれない。だから今回は我慢してくれ」

 

 クレリアとベルタ国王はおたがいの祖母が姉妹だから再従兄弟(またいとこ)にあたる。この惑星の貴族制度の距離感では親しいと言ってもいいくらいだろう。しかし、国王は庇護を求めたエルデンス卿らスターヴァイン王家の近衛を捕えて幽閉していた。

 ベルタ王国としての方針は間違いなく反スターヴェークだ。すなわち、現在その地を支配しているアロイス王国を支持しているということだ。

 

「ほんとうに血の繋がりがあるかどうか顔を見ればわかるでしょう?」

「査察前にクレリアの存在が発覚するのはまずいんだよ」

「唯一、残された親族に会うことがそんなにも悪いことなの?」

「アラン、王族にとって血の繋がりは何よりも大切なものです。なんとかできないでしょうか……例えば、広間の壁に小さな穴を開けておくとか」

「んー、考えておくよ。あまり危険なことはしたくないな。……シャロンとメラニーたちが帰ってきたようだ」

 

 

「アラン様、今日の昼ごはんはなんですか」

 相変わらずメラニーは元気いっぱいだな。ガンツ伯と二度と会うことがない、とわかっていても吊りズボンに白シャツという男の子の服装は変わらない。前より金髪を長く伸ばすようになって、男の子で通すのはだんだん難しくなっているが、本人に言ったことはない。こういったこだわりはやがて時間が解決するものだ。

 

「今日はフイッシュ・フライサンドだよ。油で揚げた魚に特製ソースをかけて、香味野菜と一緒にパンに挟んだものだ」

「食べたことないけど、楽しみです!」

「メラニー、手を洗ってから席について」

 シャロンもすっかり教師役が板についてきたな。メラニーも懐いているようだ。

 

 セリーナが小食堂に入ってきた。

『男の具合は』

『まだ意識はありませんが、脈拍は安定しています。午後から交代で護衛を付けます』

『警護の者には俺からも念を押しておこう』

 あれだけ大規模な魔法の使い手なら、枯渇から目が覚めるのはとうぶん先だな。

 

「セリーナ、昨夜のことを教えてほしい。アランは詳しい話をしてくれないから」

「食事のときにする話でもありませんが、いいでしょう」

 セリーナはちらりと俺の方を見てから話しだした。

 

「アラン、厨房を手伝います」

「いや、今日は俺がやるよ。シャロンは子どもたちの面倒を見てくれ」

 セリーナが昨日の襲撃の話をクレリアとエルナにしているあいだに、料理を済ませよう。

 

 前の晩にパン種は仕込んでおいたし、特製タルタルソースは魔石ブレンダーがあるからそれほど手間はかからない。

 ゴタニアの「豊穣」で初めてマヨネーズを作ったときは強化された腕の力でも疲れ切っていたっけ。魔術ギルドのカーラさんは今ごろブレンダーと温風機の専売で大儲けしているはずだ。窓口の女の子、リリーの給料も上がったことだろう。

 

 魚は開いて内蔵を取り、香草と塩、すりつぶしたガーリックもどきと一緒にワインに漬け込んでいる。拠点の北にある湖で釣れたのは、マスに似た大きな魚だったが淡水魚なのに脂がのってうまそうだ。よく汁気をきって、乾燥ポトをパウダー状にしたものを衣にして揚げ油に投入する。一回目は薄茶色になるまで、二回目はしっかりと。二度揚げの技術も地球の料理書で学んだものだ。……我ながら上出来だ。粉末ポトの応用は広そうだな。

 油はガンツから取り寄せている。大豆に似た油脂植物から採ったものらしい。中鎖脂肪酸が豊富で、品種改良すればかなり有望な食材になりそうだ。拠点でも育てられるだろうか。

 バンズにシャキシャキしたザッパの葉を敷いて、サックサクに揚げた身をのせ、タルタルソースをたっぷりかければ完成だ。

 

 フィッシュフライサンドを山盛りにした大皿をテーブルにおいて、あとはお茶を用意した。クレリアが食前の祈りをおえると、あとはものもいわずに一同は食べだした。すこしは感想がほしいところだが、まあいいか。

 脂ののった魚身に濃い目のタルタルソースが意外に合ってしつこくない。フレッシュなザッパの葉が、口の中の脂っけを丸く感じさせる。……うまいな。

 マルティナは手づかみで食べるというのに少し抵抗があるようで、ナイフで切り分けている。

 

「アラン、査察のことだけれど」

「……ん?」

 食べるときぐらい別の話題がいいんだけどな。ま、クレリアにとってはかなり大事なことらしい。俺はお茶でバンズの残りを胃に流し込んだ。

「公爵を救ったのだから査察も悪い結果になるとは思えないわ」

「だといいけどね。あくまで公務として来訪するわけだし」

「エクスラー公爵がスターヴァイン王家のことをどう考えているか、確かめるわけにはいかないだろうか」

「国王陛下の意向は変わらないと思うよ」

「叔父として考えが違うかもしれない。自分の母の出身地でもあるし」

「まちがいなく国王の意向を汲むだろうね」

 クレリアも珍しくご執心だな。血は繋がっているとはいえ、エクスラー公爵も母親の出身だというだけで、ススターヴェークに思い入れなどなく、支援は望み薄だ。

 マテウス・エクスラー公爵とヴィルス・バールケ侯爵は敵対関係にあるらしい。俺にとって公爵は政治的な利用価値しかない。

 

 黙って話を聞いていたエルナが食事の手を止めて言った。

「アラン、この食材なんですが」

「エルナの口にあわなかったかい。いつものポトサラダを作っておけばよかったな」

「いえ、これはいつもの川魚ではありませんね。ガンツから運んだのですか」

「いや。拠点の北にある湖で釣ってきたんだ。川よりずっと大きな魚が釣れる。冬場の魚は身が引き締まって旨味があるだろ」

 

 突然、クレリアが手を止めた。食べかけのバンズを皿に戻している。

「アラン、まさか自分だけ釣りに行ったの? 辺境伯軍の皆が準備しているというのに」

「俺だって働いてるさ。だけど気晴らしは必要だろ。迷惑にならないように朝釣りを少々……」

「これは許せません」

「アラン一人だけずるいです」

 セリーナとシャロンまで指弾するのか。別にいいだろう迷惑をかけないようにしているんだから。

 

「アラン」

「なに」

「釣りに行くときは必ず皆を誘うように」

「わかった。朝でもいいのかい」

「釣りならばいつでも出かけるわ。自分ひとりだけ楽しむなんて許せない」

 なんかクレリアの目ぢからがきつい。たかが釣りぐらいでと思わないでもないが、クレリアにはこのところずっと外出を我慢してもらっているからな。

 

 今後は獲ってきた食材の産地がバレないように気をつけよう。しかし、食事の時ですらエルナに油断ができないとは……。

 



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査察前夜

 査察団は明日、ガンツに到着する。

 今ごろはフォルカー・ヘリング子爵がエクスラー公爵に事前報告をしているはずだ。できるだけ好意的な評価を期待したいところだ。念のため査察が始まるまでに街の様子を見ておきたい。念のためクレリアに声をかけ――かなり不機嫌な同意を得た――て、俺は商業エリアに向かった。一緒に行きたい気持ちはわかるが。

 

 タースを駆って商業ギルドへと向かうと、南門の前にある広場には色とりどりの天幕の設置作業がたけなわだ。商業ギルドの建物にはさまざまな衣装を着た各地の商人たちがせわしく出入りしている。明日から始まる大市の準備も大詰めといったところだ。

 商業ギルドの前でカトルが待っている。事前にシャロンを通じて連絡していた。

 

 ……人目が多すぎるな。

「カトル、カリナを目立たないように呼んできてくれないか。俺がお忍びできていることも伝えてくれ」

「分かりました」

 

 タースをギルド横の厩舎にいれていると、カトルがカリナを連れてきた。手に厚手のコートを持っている。俺の意向は伝わったようだ。カリナは深々と頭を下げた。

「アラン様」

「悪いな、カリナ。忙しい時間に来てしまった」

「いいえ、アラン様なら大歓迎です」

「大市の準備を見学させてもらえないか」

「喜んで。でも、よろしいのですか。お一人で」

「護衛をつけると目立つからね」

 俺は外套のフードを目深にかぶってみせた。

「この格好だとあまりにもありふれていて、誰も気づかないだろ」

「私には遠くからでもわかりそうです」

 ……そうなのか。

 

「仕事の方はいいのかな。客が引くまで待っていようか」

「いえ、ナタリーにまかせました。大市が終わっても、ここに残って欲しいくらいです」

「ふたりはサイラス商会の両輪だからな。俺だけに便宜をはかってもらうわけにはいかないな」

 

「アラン様、カリナ様、そろそろ会場に向かいましょう」

 カトルも張り切っている。先日、サイラス商会から酒蒸留器の入金があったばかりだ。手配はすべてカトルに任せた。その勢いが残っているに違いない。

 カトルにはガンツでの仕入れも続けてもらっているが、ニルス班長の話では、市価の七割くらいで手に入れることも珍しくないという。それだけの実力でも今回の取引はよほど嬉しかったらしい。

 

「カトルさん、私に”様”は不要です」

「カリナ様は商業ギルドの支店長ですからね。僕はまだ一介の商人にすぎません。父からも自分の立場をわきまえるように言われています」

「カトル、タルスさんからは便りはあるのか」

「こちらの様子をとても知りたがっていましたね。ゴタニアで売れそうな大樹海の産物はないか、とか。僕のことは全然心配していないみたいです。どっちかって言うとウィリーが最近ホームシックみたいで。まだ子供ですからね」

 ウィリーはカトルとはそんなに年は違わないはずだが。カトルもちょっとばかり背伸びしたいのかもしれないな。

 

 南の大門からは次々と荷馬車が入場している。周辺の村々から物売りにきた商人たちだろう。門衛の兵士たちは今晩も忙しそうだ。おっと、見知ったサテライトの班長もいるな。気づかれないように外套のフードを深くかぶりなおした。

 

「月に一度の市よりずっと人出が多いな」

「商業ギルドの力を借りました」

「カリナの提案からたった二週間だ。連絡にはアーティファクトを使ったのかな」

「はい。この話が決まってすぐにガンツ支部から近隣の支部に連絡しています」

 

 ギルドの通信アーティファクトはまだ俺も見ていない。商業にとって通信の秘匿性は重要だが、理由はそれだけではないような気がする。その由来や構造についてもカリナは口をつぐんでいる……。

 

「今回は持ち込みが多いな」

「いつもは樹海の産品を安く販売しているだけですが、春先に開拓が本格化するのでこの拠点の需要は拡大する……というのが商人たちの読みのようですね」

「そうやってギルドから伝えたんだろ」

「さて、どうでしょうか」

 カリナは軽い笑みを返しただけだった。しつこく問いただすのも野暮というものだ。まあ、結果がよければそれでいい。

 

「ガンツからの連絡馬車を増便したので、観光客も期待できますよ」

「運送業者に金をやって増便したのも商業ギルド、おそらくガンツの住民に広く伝えたのも……」

「そんなところです」

「カリナ、何もかも本当にありがとう。これだけ盛況なら、査察団は俺たちに失敗の烙印を押すことはないだろう」

「そのお言葉だけで十分です」

 

 頭を下げたカリナは控えめに微笑んでいる。それは今が仕事中だから抑えたものになっているだけで、本当はおもてに見せる表情以上に喜んでいるのが俺にもわかる。メラニーのように全身で大喜びするのとは違って、相手に深い印象を与える美しい大人の微笑みだ。

 

「アラン様、店をご案内します」

 あらかじめ店を見ておいたらしいカトルが先頭を切った。

 店頭には商品が陳列され始めている。日用雑貨と食料品のほかに書籍を扱う店まであった。これは一度じっくり目を通したいな。

「カトル、この書籍は言い値のニ割増しで全部買い取って居城に運んでくれ」

「わかりました」

 市価よりずっと高く買ってやれば、今後、書籍の販売業者も拠点に集まってくるだろう。なにしろ俺たちはこの大陸の歴史と住民について知らないことが多すぎる。

 

「あの店はセシリオ王国から来たようですね。何度か取引していたので、服装からわかります」

 カトルの指差す先には、厚手のコートに毛織物の帽子をかぶった集団が天幕づくりをしている。セシリオ王国はガンツ北東の寒冷地だったな。天幕を組み立て中の監督者らしい男が、なぜかさっと俺を一瞥して目をそらした。

 大樹海にほど近いセシリオ王国は、ベルタ王国の王都よりガンツに近い。二つの国のあいだには表向き対立はないが、ライスター卿の話ではセシリオ王国の王太子はかなり好戦的な気質だという。査察が終わったら本格的に探りを入れたほうがいいだろう。

 

「カリナ、商業ギルドはベルタ王国のほかにも支店があるのかな」

「はい。よほどの僻地でもないかぎり、どの街にもギルドはあります」

「例えばの話だが、もし戦争になったらギルド同士も敵対するんだろうか」

「ギルド同士が不仲になることはありません。貴族もギルドに手をだせば領地の商業が廃れるので昔ほど横暴ではなくなったと聞いています」

 

 国をもたなくても強力な権力を持つということか。

 教会はもちろんだが商業ギルドとは良好な関係を保っておこう。ゲルトナー大司教が教会における開拓支援の窓口ならば、商業ギルドも同じくらい重要だ。一つの商会だけに肩入れするのはすこし問題だが。

 ……唐突にアリスタさんの姿が脳裏に浮かんだ。

 

「カリナ、一つ教えてほしいことがあるんだが」

「なんでしょうか」

「ギルドの内情に触れることで、答えにくいことならそう言ってくれ」

 カリナは足を止め、俺を見上げた。笑顔が薄まり、さっと仕事の顔になるのは普段から自分を律しているからだろう。

 

「今朝、ガンツの拠点にアリスタさんが来た。査察団長にサイラスギルド長を紹介してほしいそうだ」

「そのことなら大丈夫です。サイラス様が次期王都ギルド長の候補なのは公然の秘密ですから。王都の貴族様との繋がりを持ちたいと思うのは自然なことです」

「ギルド長は選挙で選ぶんだろうか」

「王都ギルド幹部会の推挙で決まります。幹部会は候補者のギルドへの貢献度や商家の規模などから判断します」

「もしサイラスさんが選ばれたら、ガンツのギルドはやっぱり……」

「アリスタ様がギルド長に就任するでしょう。アリスタ様は十分な才覚をもってらっしゃいます」

 

 やはりそうか。穿った見方かも知れないが、父親の望みを叶えるかたちで遠くへ送り出し、自分がガンツのギルドを掌握するつもりだな。ガンツはベルタ王国内でも有数の都市だ。それを二十歳そこそこのアリスタさんが仕切るのになんら違和感がないとは……。

 

「アラン様、こちらの店はきっと興味を持たれるのではないかと」

 先に入ったカトルが天幕から顔を出した。

「こちらは海洋王国からの出店です」

 中に入ると潮気のある匂いがする……海産物か。箱詰めされているのは塩蔵品か干物だろう。干物だけだけでも思いつく料理はたくさんある。

 お、魚醤もあるじゃないか! これはうれしい。ゴタニアの街で買った物はもう使い切ってしまったからな。

「カトル、この魚醤樽を全部と、魚の塩蔵物を……これと、あれを合わせて四箱だ」

 塩蔵物は試験的に届けてもらうことにしよう。そういえば、サイラスさんからは拠点で作っている保冷箱の製法を教えてほしいと言われていたな。あの件も大儲けできそうだ。

 俺はカトルに数枚の金貨を渡した。

「アラン様! 多すぎです!」

「気にするな。拠点の仕入れじゃなくて俺の趣味だからな」

「いいえ、いけません。金を投げ与えては商人に舐められます」

 さっそくカトルは店主と価格交渉を始めた。カトルに任せたほうが正解だな。

 

「カリナ、デグリート海洋王国はここから片道一週間以上の距離があるはずだが」

「ガンツに来ていた商人たちにも声をかけています」

「この拠点のことをよく知らない商人がすぐに来るわけがない。カリナ、もしかして彼らのここまでの旅費は商業ギルドが負担しているとか?」

「はい」

 まさに商業ギルド全面協力だな。ありがたいが、その対価は高くつく。俺はカリナともういちどドラゴンの背に乗って空を飛ぶ約束をしてしまった。もしバレたら、エルナから何を言われるやら。クレリアだって気にするだろう。

 けれど、控えめに喜んでいるカリナをみていると、なかったことにはできない。

 これさえなければ、査察自体に問題はないはずだ。初日は植民地の財政の書面検査だが、念のためガンツのデニス家令にも書面には目を通してもらっている。

 カトルの値引き交渉も無事終わったようだ。笑みを隠しきれないところを見るとうまくいったらしい。

 

 ……いよいよ明日だ。

 



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クレリア

 査察当日、午前……。

 

「これから外出されるのですか?」

「査察団が到着すれば、私は城館を一歩も出られない。今のうちに様子を見ておきたい」

「すでに部外者も多数この拠点に来ております。護衛を増やします」

「エルナがいれば護衛は十分だ。私とて無抵抗でいるつもりもない」

「……わかりました。馬をご用意いたします。お待ち下さい」

 エルナは静かに部屋を出ていった。

 

 教会の関係者はロベルトたち辺境伯軍の者に入れ替わったから、とうぶん朝の礼拝はない。アランが査察団に対応しているあいだ、私は何もすることがなくなった。

 スターヴェークへ送り出した偵察隊がもどるのは来月だ。女神ルミナス様に彼らの無事を祈らずにはいられない。

 居室の大きな窓からは大樹海を囲む山肌の雪が見えた。少しずつ山すその黒い部分が広がっているようだ。この拠点にも遅い春がやってくる。……なにひとつ拠点に貢献することなく、もう半年が過ぎてしまった。

 

 いつしか心は昨日の夕食の席に漂っていく。

 アランはときに私の理解の及ばないことを言うけれど、言葉の使い方が間違っているからではない。あとになってアランが正しかったことは何度もある。けれど先日の言葉がわからない。

 

 アランの言葉より、エルナの真意ははっきりしている。王家に生まれた息女の最も尊い大切な努め……それは血脈を次世代につなげることだ。もう私もそんな年齢なのだろう。

 

 私はかつて叔父上の前で、女神ルミナス様に誓った。

 我が直系をもってルドヴィーク家を再興する、と。その願いがルミナス様の御心に叶うものだった証拠に、誓いの御印として体が輝いた。この体に誓いが刻みつけられた忘れ得ぬ瞬間だった。

 

 もし籠城戦で果てた叔父上が生きていたとしたら、今の私を見てどう思われるだろうか。ルドヴィークはおろかスターヴァイン王家の再興すらまだずっと先の話だ。アランのお陰でこの地に拠点を構えるところまできたけれど、そこに私自身の努力はほぼない。エルナも近衛として、私がアランに頼り切りなのを危惧していたのだろう。それで子どもたちを囲む食卓で、王家の血脈の大切さを説いたのに違いない。

 

 兄上を失い、父母亡き今、スターヴァインの血を引くのは私と、査察団長のエクスラー公爵のみ。ベルタ王国に嫁がれたイレナ様も亡くなっているはず。公爵はどんな方なのだろう。ご自身の母親、イレナ様からスターヴェークの血統について聞いているだろうか。ぜひ直接会って話をしたい……。

 

 居室のドアを叩く音がした。

「外出の準備ができました。そとはまだ寒うございます、お召し物を」

 エルナがもってきたのはセリーナからもらった防寒衣だった。これまで着たことのあるどんな冬服よりも暖かく、しかも驚くほど軽い。いまではこれなしに外出はできないくらいだ。

 

 居城の正面玄関から外に出ると、黒毛のシラーとエルナが騎乗する栗毛の馬が厩舎から引き出されていた。アラン曰く、荷馬車を引いてもらったのが申し訳ないくらいの良馬だというが、私もおとなしいシラーが好ましい。

 私の気持ちを汲んだのだろうか、騎乗するとゆっくり前に進み始めた。わずかに遅れて横にエルナが並ぶ。城館内の園地を抜けて、門を過ぎると真新しい石畳の通路に出た。のんびりと蹄が路床を打つ音が心地よい。

 

「アランが査察用に見晴らし台をつくったそうです。そこなら城館より広場を見渡すことができますが」

「そこに行ってみよう」

「ご案内します」

 南門前の広場に続く道から右に折れて石畳の斜路に入った。しばらく馬を歩かせていると、開けた場所に見晴らし台が作られていた。短い間によく作ったものだ。がっしりとした柱が二階建ての天覧台を支えている。この高さなら商業エリア全体が見渡せるはずだ。馬をつなぎ、階段を登る。

 

 眼下にはたくさんの天幕が広がっていた。天幕の間にすでに人々が行き来しているのが見えた。商売も始まっているようだが明らかに商人以外の者たちもいる。観光目的のガンツの富裕層だろう。

 ……冒険者だった頃なら、アランと一緒に買物だってできたはずなのに。

 アランのおかげで体が回復してからの数ヶ月、冒険者時代のあの頃が生きているうちで一番楽しかったような気さえする。いつでもどこへだって行けたような。

 

「これほど大掛かりなものとは予想しておりませんでした。ガンツの市に引けを取らない規模です」

「アランが商業ギルドに働きかけたと聞いたが」

「商業ギルドとの関係が気になります。拠点にとって必要なことかもしれませんが」

 エルナが警戒しているのは商業ギルドというよりカリナ支店長のことだろう。

 

「アランにかかわる女性すべてを監視しても詮無きことだ」

「アランは相手を信頼しすぎます。もし悪意ある女が近づいたらと思うと……」

「私の兄上も貴族の子女から大変な人気があった。だからといって近衛が警備を厳重にしたという話を聞かない。エルナ、気持ちはありがたいが私はアランを信頼している」

 

 最初の頃はアランの言動にヤキモキすることもないではなかったが、今は違う。アランの言葉に嘘はない。エルナの忠誠はとてもありがたいけれど、アランと私のことになると頭に血がのぼりやすいのが玉に瑕だ。

 

「エルナ」

「はい」

「先日のことだが」

「出過ぎた発言でした。申し訳ありません」

「いや、諫言と受け止めておく。思えば冒険者のころに比べれば城館の暮らしは恵まれすぎている。王家の息女として大切な勤めを忘れていた。エルナには感謝している」

「もったいないお言葉です」

「だが、一つわからないことがある」

「アランの言葉ですね」

「そうだ。自分と皆の子どもたち、とはどういう意味なのか」

「男子に恵まれない貴族家では側室をもうけることもありますが」

 

 アランのいた大陸ではそれが当たり前なのだろうか。けれどアランは自分が貴族ではないと言っていた。でも婚儀もまだなのに側室のことを話すなんて……。

 

「一つ気になったことがあります。セリーナとシャロンの様子が変でした。もしアランの大陸でそれが当たり前なら動揺しないはずですが、二人はすこし顔を赤らめていたようにみえました」

 それは私も気がついていた。アランの部下である二人が顔色を変えるのはおかしい。アランのいた大陸では部下を側室にする風習があるのだろうか。

 

 セリーナとシャロンは、近衛の隊長格全員でかかってもかなわない実力がある。もし、私がアランの立場なら貴族でなくても二人の血筋を絶やすのは損失と考えるだろう。ということは、やはりそうなのか。

 アランはあの二人を指揮官と部下という関係以上に大切にしている。アランほどの立場ならばありえないほどの親しさは、セリーナが突然現れてからずっと変わることがない。……いや、正しくは親しさ以上のもの。

 アランはあの二人に命令するときにわずかに躊躇することがある。アランにとって二人の姿が、ある種の尊敬というか敬意を呼び覚ましているかのようだ。

 ……ああ、私は一体何を考えているのだろう。

 

「大市をご覧になりますか」

「もうよい。城館に戻ろう。近づきすぎて人だかりなどすれば、ダルシムにお小言の一つも免れまい」

「はい」

 

 シラーの手綱を駆って方向を変える。

 もうだいぶ長い間、乗馬練習をしていない。査察が終わったらアランと二人きりでガンツまで遠出をしてみたい。初めて出会った頃のように道々の草花の名を二人で確認したりして……。

 そうやってアランのいた大陸の言葉を教えてもらうのもいいかもしれない。アランの故郷の言葉で私が話せば、今よりは心をひらいてくれるに違いない。

 

「クレリア様」

 エルナの声で、我に返った。城館の玄関の前に荷馬車が停まっていて、人だかりがしている。男女合わせてニ十人はいるだろうか。なかには人夫とは思えない年若い女性もいる。

「査察団の饗応のため、アランが拠点から呼んだ使用人のようです」

「それにしては人数が多いな」

 馬車から運び入れているのは大量の食材と食器類のようだ。城館は部屋数こそ多いけれど、もてなすための資材が不十分なのだろう。

 

 人々の中から姿勢の良い一人の女性が足早にやってきた。私の前に来ると、片膝をついて礼に則った優雅なお辞儀をした。

 ガンツのホームの家政を一手に任せているサリーさんだった。

 

「久しいな」

「クレリア様もご健勝で何よりでございます。騒々しくて申し訳ありません」

「ガンツのホームの者たちではないのか」

「はい。ロータル料理長以下、ホームの料理人のほか、給仕や手伝いの者たちをデニス様がご提供くださっています」

「今夜は盛大な宴になりそうだな」

「はい。先ほど城館の厨房を拝見しましたが、ガンツのホームより種々の設備が整っており、ロータルも感激しておりました。今夜はクレリア様にもきっと喜んでいただけるものになるかと」

「よろしく頼む」

 

 私が参加できないことは知らないらしい。遠い王都から来た貴族をもてなすというのに残念だ。

 ……でも、なんとかしてほんの少しくらい、遠くから公爵の姿を見るだけならアランも許してくれそうな気がする。

 



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査察団

 

[まもなく査察団の馬車が南門に到着します]

『ありがとう、イーリス』

 

 予定よりかなり遅れている。拠点の大市に参集する商人たちの隊列でガンツからの街道が混雑しているからな。

 視点を上空で旋回しているドローンのディー・スリーに切り替えた。

 行列は街道を長く続いて、道幅いっぱいの巨大な馬車の前後には護衛の姿も見える。査察団長のマテウス・エクスラー公爵以下、随行員と護衛隊の行列だ。王都からガンツに至る宿場町も査察団が落とす金で大いにうるおったのではないだろうか。これも貴族のたしなみの一つ、とヘリング士爵も言っていたな。ヘリング士爵とリーナさんも査察団と一緒のはずだ。

 

『イーリス、査察団の到着以降、俺の応対はすべて真偽判定モジュールにより分析するように』

[了解]

 俺の言葉、所作一つで査察団長の心象が変わってしまう。ここはイーリスにも手伝ってもらおう。まずは査察が始まる前に、査察団襲撃事件は完結させておきたい。

 

 城館の門の前に整列した辺境伯軍の兵たちと査察団を出迎えた。すでに日は傾きかけている。

「アラン・コリント男爵」

「ようこそ我が拠点へ。まずは城館にてご休憩ください」

 

 一行が城館の大広間に入っていく。護衛兵たちは城館の外に待機するようだ。

 査察団長であるエクスラー公爵、そして財務担当者と女官たちが席についた。高齢の女官長を除けば、若い二人の女官は大柄な体躯をしている。公爵は変わった趣味をお持ちらしい。俺の叙爵のときに女官を連れ歩く貴族の話を聞いたが、もしかして公爵のことだったのかもな。

 

 査察団一行に少し遅れて、フォルカー・ヘリング士爵と夫人のリーナさんが続いて着席した。リーナさんは表情が固く、ヘリング士爵にいたっては顔が土気色だ。ガンツでなにか悪いものでも食べたのだろうか。

 

「一次報告はガンツでフォルカー・ヘリング士爵より受けている。街の詳細な記録には好意的な記述が見て取れるが、改めて査察はこの報告書にそって進めることとする」

「恐れながら、先の襲撃事件についてご報告を」

「報告せよ」

「捕虜への尋問の結果、彼らは傭兵集団であり、ルチリア卿より襲撃場所を指示されたと申しています。なお、捕縛した捕虜はガンツ守備隊に引き渡しました」

「こちらの聞き取り結果とも一致する。敵は自らの私兵を使わず傭兵を雇った。目的は我が命だけでなく開拓を阻止することのようだな」

「ルチリア卿の処置はいかがされますか」

 俺に毒を盛った野郎だ。俺がやり返してもいいかもな。

「ルチリアは行方不明だ。最後尾の馬に騎乗していたようだが、夜間の移動ゆえ、背後からグレイハウンドにでも襲われたのだろう。気の毒なことだ」

 淡々と話す公爵の顔には、何の感情も現れてはいない。

 

[真偽判定モジュールは彼の言葉に虚偽を感知しています]

 やはりな。公爵はおそらく”聞き取った”上でルチリアの野郎を……処分したんだろうな。到着が遅れたのはそれが原因だろう。上級貴族は歯向かう者には容赦がないな。残念だがこれ以上の追求は無意味だ。

 

「では、これよりの査察、謹んでお受けいたします」

 城館の一室でセリーナと辺境伯軍のニルス班長が調査員に財務関係の説明をするあいだ、俺は拠点を視察する公爵に随行する。すでに旅装もとかずに現地調査員たちが向かった商業エリアでは、平民に変装したヴァルターたちが張り付いて監視する予定だ。

 

 

 城館の前にはすでに馬が用意してある。

「拠点内は厳重な警戒を敷いており、護衛の方をすべて同行させる必要はないかと」

 エクスラー公爵は、そばにいた副官がなにか言いかけたのを手で制しつつ、

「もし我が身に何かあれば、査察妨害である。開拓地も失敗とみなされよう。そなたも身を挺して我が命を守るべきであろうな」

 俺の答えを待たずに、慣れた様子で騎乗している。そのあとを女官が二人、兵たちに代わり騎乗して後に続く。帯剣しているところを見るとやはり護衛か。

 

 俺も急いでタースにまたがり、公爵の横に並んだ。

 商業エリアに続く真新しい石畳の道をゆくと、人々が道を開け、帽子を取り、つぎつぎに跪いている。全員、平民に変装した辺境伯軍の兵士だ。一般の市井の住民らしく査察団関係者には敬意を払うことにしている。

「こちらに商業エリアを見渡せる場所を用意してございます」

 南門の広場を見渡せる小高い場所に、さらに高く見渡せるように作った二階建ての施設だ。上階のひろさは二十人くらいの人間が楽に見渡せる広さがある。街の大工には手間賃をはずんだが、工期が短すぎてずいぶん無理をかけてしまった。

 

 上階からみわたすと、商人たちの色とりどりの天幕が南門広場を埋め尽くし、人混みでごった返している。今頃、カリナとナタリー、そしてカトルたちは大忙しだろう。

 

「アラン。この街は一見、繁栄しているようだ」

「お褒めの言葉に感謝いたします」

「しかし、女子供の姿が少ない。男だけでは領地は収まらぬ」

「はい」

 意外だな。情報によると拠り所のない寡婦の就業支援などをしているらしいが、この惑星の住人にしてはかなり開明的だ。だからこそ王宮では変わり者扱いなのだろう。どこへ行くにも女官を侍らせているだけでもお察しだが。

 

「わが開拓地では技能に優れたものは男女にかかわらず積極的に登用しております」

「昨夜の救援に参加した部下もそうなのだな」

「極めて優れた人材です」

 セリーナは英雄イーリス・コンラート准将のクローンだ。人類銀河帝国広しと言えどもこれほどの人材は稀有だろう。あの人類銀河帝国内で知らぬものはない准将そっくりの二人を俺ごときが手足のように使って良いのか、という思いは消えることはない。

 

「とはいえ、我が護衛はベルタ王国近衛隊の精鋭に匹敵するであろうな」

 二人の女護衛は俺のすぐ後ろに立っている。探知魔法を展開すると、あざやかに輝く人の形が浮かび上がった。体に蓄えられた魔素の輝きで手足の輪郭がくっきりと浮かび上がり、脈動している。剣技だけではないということか。魔法が使えるなら二人は貴族の子女だろう。公爵は武芸に優れた女性がお好みらしいな。

 

「開拓に着手してから何日になる」

「第一次植民から数えておよそ六か月です」

「わずか半年でここまで開拓するとは」

「おほめいただき、光栄です」

「だが、この開拓地がこれ以上の繁栄を遂げるかどうかは査察次第だ。つまり国王陛下への報告は私が行うことを忘れるな」

「承知しております」

「短い期間にこれだけの発展を遂げたとなると、さぞ費用がかかったであろう」

「討伐したドラゴンからの利益や、大樹海の資源などから得られる利益もすべて投入しています」

「それだけでは今後の発展には足りぬはずだ」

 さすがだな。経済状態を見透かされている。自領地の管理もかなり厳しく行っているとみえる。

 

「それで今後の発展を見越して、ギニー・アルケミンを略取したのだな」

 突然の問いにとっさに答えが出ない。

 否定しようにも公爵が何らかの確信があってこの質問をしたとしたら、俺は嘘をつくことになる。肯定したら俺はギニー・アルケミンを盗んだことになり、有罪確定……どちらに転んでも査察は不合格だろう。……完全に油断していた。

 街を眺めていた公爵はゆっくりとこちらを振り向いた。穏やかに俺を見つめている。

 

『イーリス。エクスラー公爵は根拠があって言っているのか』

[真偽判定モジュールによれば、虚偽やブラフの可能性は二十パーセント以下です]

 微妙だな。しかし考え込んでいる時間はない。

 

「そなたが叙爵してまもなく、秘匿した洞窟からギニー・アルケミンが奪われた。追跡した者の報告によれば、ガンツ周辺で見失ったという。このふたつの出来事は無関係とは思えぬ」

「…………」

「ギニー・アルケミンは世界に三つしかないアーティファクトだ。大陸共通貨幣を鋳造できるのはこの機械だけなのだ。ベルタ王国にとってどれほど重要なものかわかるであろう」

 そうだったのか。クレリアにもっと詳しく聞いておけばよかった。軽い気持ちでエルヴィンたちに命令してしまったのが悔やまれる。

 この大陸の経済はまだ鋳造貨幣が主流だ。為替や債券という概念は発明されていない。公爵の言うことが事実ならギニー・アルケミンを巡って諸国が熾烈な争奪戦を繰り広げるだろう。

 

「此度の査察、予定されていた人物を団長にするわけには行かなかったのはそれが理由だ。あの者の手にギニー・アルケミンを渡すわけには行かぬ」

 失われたギニー・アルケミンを巡ってヴィルス・バールケ侯爵とエクスラー公爵の間で対立があるということか。ならば答えは一つだ。

 

「ならば、かの機械はこの大陸でもっとも安全な場所に保管すべきと存じます」

「……それが答えか」

 

 俺の後ろの緊張が伝わってくる。探知スクリーンに投影された護衛の体内魔素が激しく脈動していた。すでに剣に手をかけている。何らかの指示があれば、俺を切り捨てるつもりか。査察というのはたんなるお題目で、真の目的はギニー・アルケミン奪還だったとは。

 俺が傭兵集団の襲撃から救ったところで、予定を変えるほど甘くはないようだ。

 

 護衛を倒すのは簡単だが査察前にやるのはまずい。しかし……。

 



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危機

『族長ぉぉぉぉ!』

 うわっ。びっくりしたぁ。突風とともにグローリアが天覧台に着地したとたん、ぐらりと揺れて思わずよろけてしまう。ああ、公爵が床に尻餅をついている。なんてことを……。

 

『族長、大丈夫ですかっ!』

 上空から見守ってくれていたのか。護衛が剣に手をかけた時点で、急降下したんだな。気持ちはありがたいんだけど……。北の空にはグレゴリーと五匹のドラゴンの姿も見える。グローリアが一人で来るはずもない。

 

『グローリア、すまないんだけど、”演技”をしてくれないか。すごく怒っているふりだよ。俺も演技するから』

「がおぉぉぉぉ!」

 グローリアの両手の鉤爪が床板に突き刺さると同時に床板に亀裂が走った。

 グローリアの理解が早くて助かる。

 

 二人の女官は剣を持った構えを解かない。決死の表情でドラゴンを見上げている。相当訓練されているな。優秀なのは嘘ではないみたいだ。

「グローリア、下がれ! 俺の心配は無用だ」

「がぉ!」

「客人に何をするつもりだ! 下がれ!」

 一瞬、頭を垂れたグローリアが力強く羽ばたいたかと思うと、俺の頭上を大きく旋回し始めた。まるで俺のことが心配でたまらないとでも言うように。

『グローリア、演技がうまくなったな』

『ありがとうございます! グレゴリーにもときどき使ってます。とっても効果がありますよ』

 そうなんだ……。

 

 エクスラー公爵がよろけながら立ち上がると同時に、俺は眼前に跪いた。

「わが配下のドラゴンが大変失礼いたしました。護衛のかたが剣に手をかけたので誤解したようです」

「上空の六匹のドラゴンもそなたの配下なのか」

「はい」

「まさか七匹のドラゴンを従えるとは……。フリーダ、ゲルトルード、剣を収めよ。無駄だ」

 護衛たちは不服そうに剣を鞘に納め、俺をにらんでいる。まるでドラゴンを使ったことが卑怯だとでも言いたげだ。

 

「ギニー・アルケミンはこの通り、私とドラゴンの守護下にあります。たとえ奪取に来る者が攻め入ったところで、蹴散らしてご覧に入れます」

 

 エクスラー公爵は頭上で旋回するドラゴンたちを眺め、腕組みをしてしばらく黙っていた。

「アラン、そなたの剣は誰のためにある? 叙爵の際、陛下の前で誓ったはずだ」

「わが剣は国王陛下のために、国のためにあります」

「それが真ならば、ギニー・アルケミン略取の件は不問に付そう。どのみちもう王都近郊に秘匿するのは難しくなっていたのだ。今後は私の指示よってのみ鋳造し、責任を持って王都に運ぶように。鋳造資源は大樹海から採掘せよ」

「はっ、謹んでお受け致します」

「査察は一度限りではないぞ。ギニー・アルケミンの奪取など本来ならば死罪に相当することを忘れるな」

「ははっ」

 なんかいいところを全部持っていかれたな。公爵側の持ち出しは一切ないまま、俺にギニー・アルケミンの護衛、ギニー貨幣の鋳造、運搬をやらせて、しかもその原資は存在するかどうかわからない大樹海の貴金属資源とは。

 しかもギニー・アルケミンは政敵バールケには絶対に手の届かない場所におくことになる。公爵側としては俺を査察の合否で恫喝し、ギニー・アルケミンを守らせるわけだ。

 ……査察合格のためにはここは飲むしかない。完全に従うつもりもないけど。

 

 エクスラー公爵はドラゴンを見て臨機に方針を変えた。為政者としてもかなり老獪だ。あのバールケ侯爵と対立しているのだから無能なはずもない。というか、鋳造した貨幣は一ギニーたりともバールケに渡さないだろう。まさにギニー・アルケミンは政争の具だな。

 

「それにしてもドラゴンは絵巻物の似姿以上に迫力がある。ドラゴンを配下とした次第は今宵、十分に聞かせてくれるのであろうな?」

 

 えぇ? あれをまたやるのか。もう何十回もやっているので流石に飽きたんだよな。

「今宵、城館にて歓迎の宴を開催致します。ドラゴンの話はその席にて……。大市の視察はいかがなさいますか」

「調査の者にまかせる」

 エクスラー公爵はあっさり言った。ギニー・アルケミンに比べて査察はずいぶん軽い扱いだ。

 

『セリーナ、そっちはどうなってる』

『現在、監査中ですがまもなく終わります。なにしろ支出の大部分がアランの私費ですので、記載ミスさえなければ問題はありません』

『これから公爵と城館に戻る』

『了解』

『グローリア。ありがとう。たすかったよ』

『どういたしまして!』

 

 

 エクスラー公爵は晩餐会のために着替えするため客室に戻った。大貴族も大変だな。威厳を保つためには状況に応じた衣装が必要なのだろう。……歓迎の宴が始まるまでしばらく時間があるな。

 

『セリーナ、シャロン、準備はいいか』

『いま、シャロンにメイクを施してもらっています』

『衣装は』

『拠点の服飾職人に作らせたベルタ王国風の夜会服です』

『ベルタ王国では高位の貴族が来訪するときは、下級貴族は家族総出でもてなすらしい。クレリアがいない分、がんばってくれ』

『アランと私たちが家族……』

『もちろんだよ。ふたりともそのつもりで応対してくれ。頼りにしてるぞ』

『『…………』』

 妙な沈黙の後で接続は切れた。まああの二人に任せればなんとかなるだろう。

 

 晩餐には辺境伯軍のロベルトも拠点側の代表として参加する。ロベルトには打ち合わせ通りルミナス教会の司祭の役だ。万一、俺と団長の間に意見の相違があった場合に中立的な立場として間に入ってもらう。

 

 歓迎の宴としてはごく小規模だが、今回は俺の特製レシピをロータル料理長に渡してある。給仕や配膳係もデニスさんの好意でユルゲン邸から派遣してもらっている。どのみちユルゲンの野郎は二度とガンツに戻らないので問題はない。

 

 王都での叙爵の際、ザード儀典長からマナーを叩き込まれてからというもの、礼儀作法書を何冊か読んでおいた。ベルタ王国の祝宴では、全ての料理が参加者の地位に応じた配置で食卓に整然と一度に並べられる。最も高位の客人の前には肉なら最も良い部位が、野菜や果物なら最も新鮮なものが配置されるのだ。

 大広間に戻るとすでにテーブルが並べられ、忙しく召使いたちがセッティングに立ち働いている。入室は最も位の高い貴賓が最後になるから、俺たちは待機だ。

 

 辺境伯軍のロベルトが広間の窓際に立って、日が沈んだばかりの街の灯を眺めていた。荘厳な雰囲気を漂わせた僧服に司祭の飾帯までつけているが違和感はゼロだ。

「アラン様」

「いつ見ても僧服がよく似合っている」

「今夜は拠点の将来を左右する大事な催しゆえ、いささか緊張しております」

「歓待の席で揚げ足を取られる可能性もある。貴族の事情をよく知るロベルトがいて心強い」

「この老体に鞭打ってでも今回の査察は成功するように、」

 ロベルトの言葉が途中で途切れ、俺の背後をみつめたまま、目を見張っている。

 

 並んで大広間に入ってきたセリーナとシャロンの姿はロベルトが絶句しただけはある。

 衣装はベルタ様式の貴族のロングドレスだった。生地は地下工場で生産した合成繊維だが、腰回りはコルセットで強調されて、タイトで均整のとれた体つきがすこし人形じみて見える。整った顔立ちだけに、人類銀河帝国最新モードのメイクアップ技術が加わるとどこかの王族の子女といっても十分通用するはずだ。ヘリング士爵なら天使が舞い降りたとでも言うかもしれない。

 

 襟ぐりの深いドレスを着用した二人の胸元には、俺の叙爵の際、王都の宝飾店で買った宝石が輝いていた。やはり衣装と宝石はセットで見ると実に映える。

 俺に近づいてきた二人は片膝をついて貴族に対する挨拶をした。そういえばリーナさんから貴族のマナーを教えてもらっていたっけ。

「二人に言っておきたいことがある」

「なんでしょう」

「とても良く似合っているぞ」

 二人に化粧してもらったのは、拠点で製造する化粧品の宣伝効果を狙ったものだ。宣伝も立派な任務だ。二人には頑張ってもらわねば。

「……どうかしたか」

「い、いえ。アランの指示通りにします」

 二人はどういうわけかもじもじしている。きっとコルセットがきつすぎるんだろう。晩餐はあまり長くならないほうがいいな。

 

 

 ようやく、大広間の大テーブルに全員が揃った。

 この大陸のマナーではもてなす側の主人とその妻は来客の隣に座って接待しなければならないが、俺には妻にあたるものはいない。だから席は変則的になった。

 エクスラー公爵、女官三人、副官が一人、フォルカー子爵夫妻の七名に対して、こちらは俺とシャロン、セリーナ、ロベルトの四名だ。

 

 最初にもてなす側が乾杯と祝辞を述べるが、こういうのは苦手だ。航宙軍ではセレモニーはほとんど上官の出番で下級士官の出る幕はなかったからな。

「エクスラー公爵、そしてお付きの皆様。我が城館へ、そして開拓地へようこそお越しくださいました。まずはご到着を祝し、歓迎致します」

 各人の前にあるグラスに給仕人から食前酒が注がれていく。用意した酒はここで醸造したものだ。食通のヘリング士爵にも試飲の上、太鼓判を押してもらっている。

 突然、まだ飲んでもいないのにヘリング士爵の顔色が変わった。完璧に自制心を保っているはずのリーナさんまでが微妙に目を泳がせている。

 

 その視点の先にはワインを注ぐ女性の給仕人……クレリア? なんで!?

 

 



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露呈

 黒を基調とした給仕の制服を着ていたのは、間違いなくクレリアだった。髪を後ろにまとめているのは男装のつもりだろうか。俺の向かいの席にいるロベルトも気づいたらしい。顔面蒼白のまま、胸に手をやっている。頼むから倒れたりしてくれるなよ。

 客人のグラスにワインを注ぎ終えたクレリアは、俺のグラスにも注いでいく。全くの無表情というわけでもなくて……目がちょっと笑ったように見えた。

 クレリアは何も言わず、食前酒を注ぎ終えるとほかの者と一緒に大広間から去っていく。

 なんてことをしてくれるんだ。

 

「アラン・コリント男爵」

「……失礼しました。査察の成功を祈念して乾杯!」

 もてなし側が一斉に顔色を変えてはだめだろう。とにかく取り繕わねば。

 

 セリーナと目があった。

『アラン』

『親族の顔を確かめたかったんだろう。自分が唯一の生き残りというのが負担になっていたのかもな』

『客人の反応は特にないので気づかれていないようです』

『これからもできるだけ自然に振る舞ってくれ』

『了解』

 

 こうなるくらいなら大広間の壁に穴でも開けてやればよかった。変装までして公爵の顔を見たいのは、よほど血縁というものが大切なのだろう。……いろいろ忙しくて、ついクレリアの話を聞き流してしまったのが悔やまれる。

 

 饗応は続いていく。

 前菜は地下の水耕工場で生産した新鮮な野菜とクラッシュチーズのサラダ、スープには川魚と香味野菜のブロスに大樹海産のハーブを散らし、隠し味には万能調味料を使っている。主菜はビッグボアの極上ロースを挽いて焼いたハンバーグに、ポトの揚げ物、それと城館の厨房で焼いたパン。デザートには樹海の野生ぶどうで作った冷たいジェラートが並んでいる。この大陸の住人はもちろん、貴族でさえも冷菓はとても珍しいはずだ。

 地下で栽培した野菜はエルナに味見してもらって、現地の人間の嗜好に合うことは確認している。王都から離れたこんな場所で季節に合わない新鮮な野菜が供されるとは思ってもいないだろう。ロータル料理長の調理も完璧だった。

 

 ……はずなのだが。

 会話がまったくはずまない。査察団側は年老いた女官長をのぞけば全員が夢中で食べているし、こちら側はクレリアのことで悪夢のど真ん中だ。ヘリング士爵ですらハンバーグをちょっとつついだだけで、俺の方にしきりに視線を飛ばしてくる。

 クレリア秘匿の件は夫妻にもお願いしていたな。気苦労をかけてしまった。あとで詫びを入れておこう。

 

 ろくな会話もなく晩餐が終わり、食後酒の時間になった。クレリアは公爵の顔を確認しただけで良かったのか、酒をついでまわった給仕人の中にはいなかった。……よかった。ロベルトは胸をなでおろしている。そうとうショックだったらしい。

 

「ところでアラン、その二人だが」

「我が配下、セリーナとシャロン・コンラートです。セリーナとは襲撃事件の際に一度お目見えしているのでご記憶にあるかと」

「やはり体術などを使うのか」

「シャロンは私より強いくらいです」

「これほどよく似た美しい双子は見たことがない。しかも武芸に優れているとは」

 

 エクスラー公爵はリーナさんに目を向けた。

「これがそなたが言っていた、新しい化粧法だな?」

「すべてアラン様のご考案によるものです。あの魔術ギルドからも協力を得られております。ベルタ流の化粧術はまもなく廃れるでしょう」

「一筋縄ではいかぬ魔術ギルドまで利用するとは。これが王都に伝われば大評判となるであろう」

「お褒めの言葉、感謝致します」

 魔術ギルドは必ずしも王命に従ってはいないらしい。これは貴重な情報だ。対立する要素はなんだろうか。

 

 公爵の両脇に座っていた二人の若い女官は不快そうな顔を隠さない。二人も正装していて、そこそこの美形と言ってもいいが、正直、シャロンたちの足元にも及ばない。

「エクスラー公爵さま、ぜひこのかたたちと剣を交えてみたいものです。必ず勝利を持ち帰ります」

 言った女官は珍しい深紅の赤毛のせいか、性格がきつそうな感じがする。初めて会った頃のエルナに雰囲気が少し似ている。容姿に加え武芸のことまで言われて気に触ったんだろう。

 

「実は大市にあわせて、我が配下の演武会を明日に予定しております」

「おお、それは良い機会だ。優勝者には我が護衛、フリーダとゲルトルードの二名と戦う栄誉をくれてやろう。倒した者には報償を与える」

「この拠点まで褒美をお運びの上、来地されるとは恐縮です」

「相当な自信があるとみえる」

 エクスラー侯爵が初めて笑みを見せた。まずは言葉のやり取りはうまく言っているようだ。

 

 俺も演武のほうが楽だ。いくら辺境伯軍の兵が一般市民に変装してもどこでボロが出ないとも限らない。その点、兵たちで固められた競技場はありのままの姿を見せればいい。

 

「フリーダ。アランの配下と戦ってみよ。よいなアラン」

「はっ。どうかお手柔らかにお願い致します」

「武人の真価は剣を交えないと分からぬものだ」

 公爵は政治家としても優秀だが、本人もかなり武芸を嗜むようだ。

「この二人に勝利した暁には我が護衛として取り立ててやっても良い。ベルタ王都が近いほうがなにかと利便が図れるというものだ。どうだセリーナ」

 セリーナはちらりと俺に目をやり、俺が小さくうなずくと話し始めた。

「ありがたいお言葉ですが、私はアランの下で働くことに生きがいを感じています。シャロンもそうだと思います」

「そうか。アラン、そなたも果報者よの。一体どこでこのような人材を手に入れたかはそのうち教えてくれるのであろうな?」

 一体なんの話をしているんだろう。なんか護衛二人の目つきがかなり険しくなっている。セリーナに護衛の役を取られるとでも思っているんだろうが……。

 俺が躊躇していると、

 

「まあよい。アラン、ドラゴンを配下とした次第を語ってもらおうか」

 もう何十回と話した内容に新味はないし退屈だが、エクスラー公爵は俺の叙爵の際、王城にいなかったからしかたない。

 

 俺ははぐれドラゴンが出現したところから、グローリアの治療のところまで――ナノムによる治療とかは当然カットだ――を語って聞かせた。俺も慣れたもので話しているうちに興が乗ってきたのは我ながら不思議だ。演劇方面に才能があるのかもしれないな。

 

「アランはドラゴンの言葉を理解しているのか」

「私はドラゴンの言葉をおぼろげに把握する程度でしかありませんが、ドラゴンは私の言葉をよく理解しているようです。ドラゴンは人間より賢く、高貴な生き物であることは間違いないでしょう」

「そのドラゴンをそなたは従えているのだがな」

「ドラゴンは恩義を忘れないようです」

「そなたも忘れぬことだ」

 公爵が暗に言っているのは査察の報告を国王にするのは自分だということだ。ギニー・アルケミンの件も含めてこうやって釘を刺すのも上に立つものとしては当然だ。大貴族としては常に上位にあるということを示さねばならないらしい。

 

「先ほど担当から報告を受けたが、財務関係の書面に不備はなかったとのことだ。猶予期間後の納税を期待している」

「ありがとうございます」

「明日は現地調査員の報告取りまとめをおこなう」

「何卒、良き結果をお聞かせくださいますよう」

 エクスラー公爵は薄く笑みを返しただけだった。まだなにかあるんだろうか。

 公爵は傍らの女官長に目をやると、彼女はうなずきを返した。なんだろう。

 

「アラン、スターヴェーク王国のクレリア王女がここにいるな?」

 

 



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心は一つ

 とたんにヘリング夫妻とロベルトの視線が俺に突き刺さった。俺にどうしろと? 困った。クレリアは公爵とは面識がないと言っていたはず。

「恐れながら、そのようなお考えに至った訳を教えていただけないでしょうか」

 急に公爵は無表情になった。

 しまった。上位の貴族の問いかけに質問で返したら大変な失礼になる。叙爵の席でも俺は国王の前でやらかしてしまい、周囲の貴族から大顰蹙を買ってしまった。

 

「私は樹海の開拓という大事業に当たって、私を慕い支持してくれるものを拒んだことはございません」

「ではここにいるのだな」

「……はい」

 ああ、言ってしまった。これまでのクレリア秘匿作戦は無に帰した。

 

「謁見の場を用意致します。しばらくお時間をいただきたく」

「アラン。こんどは下賤の者の衣服などを着用せず、正装でくるように伝えよ」

「はっ」

 全部見抜かれていた? 親族だからか。それともクレリアだと見抜く根拠が……あの老女官長か。過去にスターヴェーク王宮へ行ったことがあるにちがいない。

 グローリアが俺を助けに入らなければ、天覧台で俺を切り捨てた上で城館内をくまなく探し、あの女官長に確認させる予定だったんじゃないか。だとすると単なる人探しではない。なんとしてもクレリアを我がものとしたい決意を感じる。

 

『セリーナ、謁見室の準備だ。サリーさんにも手伝ってもらうといい』

『了解』

『シャロン、公爵の呼び出しをクレリアに伝えてくれ。メイクを施し、正装で来るようにと。俺もすぐあとから行く』

『了解』

 

 

 客室に戻る公爵一同を見送った俺は、大広間に戻った。

 フォルカー・ヘリング士爵とリーナさんが席を離れ、跪いた。

「どうか立ってください。ご存知だったのですね」

「いや、これはなんというか、その」

「あなた、ここは私が」

「リーナ、頼む」

 ヘリング士爵は本当に具合が悪そうだ。査察の先触れをしたときもずっと俺が受諾するかどうか悩みに悩んでいたくらいだからな。そうとう神経に堪えたのだろう。

 

「ユルゲン邸にて、夫が報告書を提出した際、公爵様は他国からの流入民がいないかお尋ねになりました。とりわけスターヴェーク王国出身者についてご関心がおありのようでした。アラン様には食事の前にお伝えしようと思ったのですが、私がおそばから離れるのを公爵様はお許しにならず、機を逸してしまったのです。どうかお許しください」

「大貴族からの命令では逆らえません。なのでそのことは気にしませんよ」

 二人も若い女官を引き連れながら他人の妻をそばに侍らすとは相当だな。だが秘密を守ろうとしてくれたヘリング夫妻に罪はない。

 

「なぜクレリアがここにいると考えたんだろうか」

 ロベルトが額の汗をハンカチで拭いてから言った。

「アラン様。おそらく私の失態が遠因ではないかと。まことに軽率のそしりを免れませぬ」

 

 ロベルトは俺のドラゴン討伐と叙爵が伝わってすぐに、クレリアの指示を待たずに辺境伯軍とその家族合わせて一千名と移動を始めてしまった。しかもベルタ王国領内を通過している。これほど大勢の人間がスターヴェークからベルタ王国内を移動すれば疑うものも出てくるだろう。それで流入民について質問があったということらしい。

 

 だが、これが全てではない。

 俺たちが王都からエルデンス卿を含む十名の近衛を救出したのも一因だ。叙爵と同日にスターヴェーク関係者が消えたとなれば、答えが見えてくる。

 さらに、簒奪者ロートリンゲンは継承者クレリアを捕縛して斬首すれば、自らの正当性を確立するために、一族断絶を諸国に触れ回るだろう。それが聞こえてこないということは……。

 

 これらを合わせ考えるだけの知恵があれば、クレリアが存在する可能性が一番高い場所は必然的にこの拠点になる。迂闊だった。

 

「ここからは俺がすべての責任を負う。ロベルトは立場上、拠点の司祭だから謁見に参加する必要はない」

「では我々も」

「ご夫妻もクレリアの存在を知っていながら伝えなかった、などと思われては困るでしょう」

「まことに申し訳ございません」

「ロベルト。わかっていると思うが、」

「ご指示あるまで決して他言いたしません」

 クレリアを守るための努力が本人の気まぐれで無になったときけば、士気にも関わる。

 

 三人は俺に向かって深く頭を下げると広間を出ていった。

 

 

 

 三階のフロアに上がってすぐにクレリアの居室から声が聞こえた。もめているのかな。

 扉をノックして扉を開けた瞬間、クレリアがかけよって来た。

「アラン!」

「顔を出さない約束だったはず」

「変装すればわからないと思ったの。まさか見抜かれるなんて……。アラン、ごめんなさい」

「血縁だから会いたくなるのは当然だよ。ただ、むこうが一枚上手だった。今はどうやって切り抜けるかを考えよう。とにかく支度を進めたほうがいい」

「わかった」

 クレリアは椅子に座り、すぐさま真剣そのものといった様子でシャロンが化粧の準備を始めた。持ち運び式の鏡台まで持ち込んでいる。

 

『シャロン』

『全力で対応します』

 

「俺は廊下で待っているから支度ができたら呼んでくれ」

 クレリアの所在が発覚した以上、もう隠し立てするのは無意味だ。しかし、エクスラー公爵がクレリアを手に入れたい理由とはなんだろう。

 クレリアが政治の道具に使われる可能性はないだろうか。たとえばアロイス王国の一部地域の割譲と引き換えにクレリアを引き渡す、とか。

 そうなれば、もうまどろっこしい手段はなしだ。当初の予定通り、ベルタ王国は大陸制覇の最初の贄となってもらう。

 

 俺とセリーナ、シャロン、そしてイーリスがいれば、王族を”処理”するのは簡単だ。しかし暴力による支配は後々になって障害になる。特に科学教育を大きく阻害してしまう。

 人類銀河帝国の諸惑星の歴史から見ても、暴力で支配する絶対権力は科学の発展を遅延させる。科学の発展に必要な健全な競争関係が生まれないからだ。

 

 セリーナが階段を登ってきた。

「謁見室の準備ができました。サリーさんが謁見のあと、ぜひともアランに謝罪したいと」

「謝罪の必要はないと伝えてくれ。クレリアが頼めば断れないだろう。それにサリーさんにはクレリアの所在を秘匿する話はしていない」

「了解」

 

 居室のドアが開いた。

 クレリアは以前から愛用しているゴスロリ風の衣装ではなく、セリーナたちと色違いのベルタ王国風のロングドレスだった。セリーナが注文したときに揃えたのだろう。シャロンにメイクしてもらうのも初めてだが、口元を引き締めたクレリアの顔は青白く、普段よりずっと大人びてみえる。メイクにこんな力があるとは。

 

「俺がエスコートしよう。一人では行かせないよ」

「もしアランが罪に問われたら、私……」

「この大陸では誰も俺を断罪できない」

 なにしろ、この惑星では俺が人類銀河帝国の総代、司令官だからな。……戦時任官で、臨時だが。

 

「セリーナ、シャロンも頼む。エルナ、もし公爵の護衛がクレリアを連れ去ろうとしたら、」

「この命に代えてもお守りします」

 間髪入れず答がかえってきた。

 

 ……みんなの気持ちは一つにまとまったようだ。

 



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謁見

 クレリアは正面の台座の真向かいに立ち、俺は少しうしろ、続いてエルナ、セリーナ、シャロンが背後を固めた。

 

 先導役の二人の女官に続いて、エクスラー公爵が入ってきた。公爵は王宮で見るような正装に着替えている。衣装も相まって別人のような迫力だ。女官二人も防着を着用して帯剣までしていた。

 

『セリーナ、帯剣しているな?』

『シャロンも電磁ブレードナイフを携行しています』

『万一のときは頼むぞ』

『お任せください』

 

 俺たちはいっせいに跪いて、声がかかるまで待った。

 正面の台座にエクスラー公爵が座ったのが気配からわかった。

「おもてをあげよ」

 クレリアが顔をあげると、公爵は目を細めた。

「おお、我が母の若き頃によく似ておる。だが似ているだけではスターヴァイン王家の血を引くにふさわしい者とは認めぬ」

 

 公爵は懐から数枚の紙を取り出し、矢継ぎ早に質問を投げ始めた。スターヴァイン王家に伝わる伝承とか、家系、父母との関係など王族しか知り得ない内容が次々と問われていく。これは本人確認だな。

 

「スターヴェーク王国、王城謁見の間に掲げたる紋章は」

「スターヴァイン王家の紋章、双頭のドラゴンと星々が描かれたタペストリーにございます。星は忠誠を誓う四つの貴族家を表し、我が母の出身、ルドヴィーク家もその一つ」

「ルドヴィーク家、ダヴィード家は見事な戦いぶりだったと聞いている」

「残念ながら残り二家は簒奪者に下りました」

 宴の席とうってかわって公爵の言葉は強い。一方、クレリアは淀みなく言葉を返していた。このあたりは王家の息女としての教育のたまものか。

 

「そなたのここに至るまでを話すのだ」

 クレリアはちらりと俺をみてから、話しだした。

 スターヴェークの南部と西部貴族を率いたロートリンゲンの反逆により国を失い、追われる身となったこと。追っ手から逃げるうちに、グレイハウンドの群れに襲われ、お付の者たちが全滅し、瀕死の重傷を追ったところで俺に助けられたこと……。

 クレリアは途切れることなく話を続け、内容は簡潔でしっかりしたものだった。俺がクレリアの手足を治療した話は蛇足だが。

 

 続いてクレリアはエルナと再開してからの冒険者の日々を語り、やがてドラゴン退治と叙爵により俺が大樹海開拓を始めたところまでを話した。

 建国とか、大陸制覇などという言葉は当然ながらまったく出ない。ダルシムはじめ近衛の隊長格のこともぼかして話している。今後のことをよく考えた上でのことだろう。

 

「では改めて問う。王位継承者ならば必ず知っていることだ。そなたはスターヴェーク王国のギニー・アルケミンの所在を知っているな?」

 初めてクレリアが言葉に詰まった。

「……存じ上げません。王位継承第一位の兄のアルフには父が伝えていたはずですが」

「そうであろうな」

 わずかに落胆した声で公爵は言った。

「スターヴェークのギニー・アルケミンは失われたらしい。ロートリンゲンは貨幣の鋳造ができないがゆえに、かの地の商業は衰退しているのだ」

 ギニー・アルケミンはこの大陸に三つしか存在しないらしい。実物貨幣経済のこの大陸では、二つを手に入れれば優位に立てるはずだ。残り一つはどこだろう。

 

「アラン、今の話に嘘偽りはないのだな」

「はい。私の大樹海開拓に参加していただいています」

「スターヴァイン王家ゆかりの者と知ってのことか」

「はい。しかし簒奪者ロートリンゲンに引き渡そうとは思いません」

「何故」

「頼ってきた者を裏切ることはできません。クレリア王女は我々の中にあってかけがえのない存在です」

 クレリアの拳がきゅっと握りしめられたのが見えた。

「よくぞ申した。ベルタ王国の貴族で簒奪者を認めているものなど誰もおらぬ」

 

 そうか、これは宮廷内の権力闘争だな。

 母がスターヴァイン王国出身のエクスラー公爵の派閥と、旧来のベルタ王国の永世貴族からなるバールケ派が対立している。

 エクスラー派は出身地を簒奪したロートリンゲンを許すはずはない。

 一方、バールケ派は頼ってきたスターヴァイン王国の近衛を助ける理由はない。スターヴェーク王国を滅ぼしたロートリンゲンとは事を荒立てたくはないからだ。

 ……そして国王は二つの派閥の間で苦慮しているに違いない。一度はバールケ派の主張を飲んで、頼ってきたスターヴェークの近衛を幽閉したが、それは国王の本心ではないのでは……。

 

「クレリア。そなたを紛れもなくスターヴァイン王家の血を継ぐものと認めよう」

 公爵は立ち上がり、台座からクレリアの方に降りてその手を取った。

「クレリアよ。よくぞ困難に耐えて生き延びたな」

「これも女神ルミナス様、……そしてアランのおかげです」

 クレリアの声は震えていた。親族から気持ちのこもった声で張り詰めた気持ちが緩んだんだな。

 

[真偽判定モジュールは彼の言葉に虚偽を感知しています]

 やはり、か。クレリアを探し出すところまでは理解できるが、何か隠しているな。クレリアが信じたい気持ちはわかるが、むこうは一枚もニ枚も上手だ。

 

 俺に向き直った公爵は言った。

「アラン、査察の報告は国王陛下の御前で行う。その意味はわかるな?」

「はい」

 成功ならその場で褒賞が、失敗なら即座に断罪されるに違いない。逃亡させないという意味もある。

「その席でそなたはスターヴェーク王国の王女を救出したと述べるがよい」

「王宮内には反対される方も多いと思われますが」

「二ヶ月もあれば、かの者は身を滅ぼす。なによりかの者の政策を支持する者が今では永世貴族にもほとんどおらぬ」

 

 バールケは前宰相のライスター卿を王宮地下牢に閉じ込め、息子を人質にして政策立案させていた。知恵袋を失ったバールケは政務に支障をきたしているらしい。

 

 再び公爵はクレリアに声をかけた。

「クレリアよ。祖国を再び興す気概はあるか」

「はい」

「そなたが国王陛下と婚儀を結べば、ベルタ王国は正当な理由で”自領”を奪還できる。アラン、そなたも陛下に誓いを立てた身。ベルタ王国のために協力せよ……よいな?」

 

 驚愕の内容に言葉も出ない俺たちをのこして、公爵は謁見室から去った。

「査察団出立までに覚悟を決めよ」との言葉を残して。

 

 

 

 

 謁見室に平手打ちの音が響き渡った。

 クレリアの腕の動きで叩かれるのわかったが、俺は避けずに受けた。じわりと熱い痛みが広がっていく。

 

「アラン」

 クレリアの手は震えている。見開かれた瞳はまっすぐに俺を見つめていた。

「どうして、アランは公爵を止めなかったの? 大陸制覇という目的を忘れたの?」

「いきなりだったからね。ずっと早く祖国を奪還できる可能性もある。それに査察の評価が、」

「私が見も知らぬ王の后になると本気で思った?」

「いや、違う。クレリアは王族として配下のダルシムや辺境伯軍の意見にも耳を傾けるべきだ」

「アランと私の約束が何よりも優先するはず。それなのに……」

 そこから先は言葉にならず、一筋の涙が頬を伝った。

「クレリア!」

 俺の手を振りほどいてクレリアは足早に謁見室を出ていく。その後をエルナが追った。

 

 頬の痛みが増してきた。こんなに怒ったクレリアは始めてだ。婚儀の話は別にして、査察のためを思えば無下に断る訳にはいかないだろう。国王がアロイス王国との対外関係を考えてクレリアを拒否する可能性のほうが高いはず。

 

「俺はクレリアともう一度話してみる。……これからヴァルターたちの報告があるんだったな。シャロンとセリーナはかわりに出席してくれ。本来ならこれはクレリアの仕事なんだが」

「アランはすこし女性に鈍感すぎるのでは」

 シャロンがため息まじりに言った。ため息を付きたいのは俺のほうだよ。

 

 

 クレリアの居室に向かいながら、今の会話を振り返る。たしかに王族の血縁へのこだわりを見過ごした俺にも非がある。まるでクレリアを公爵に差し出したかのようになったのもよく考えてみればまずかった。

 

『イーリス、俺はそんなにクレリアを怒らせるようなことをしたんだろうか』

[指揮官として間違いのない判断ですが、伴侶としては評価値ゼロです]

 イーリスも酷いな。伴侶というか、今の俺は将来の覇権国を共同統治する片割れ、すなわち周囲からは推定伴侶とみなされていることも否定はしないが……。

『いま、新しい選択肢が明らかになった。だからそれを闇雲に否定せず、皆で話し合う。それだけだろう』

[シミュレーション・モジュールを使った検討結果をお忘れですか]

 それを言われると痛いな。

 イーリスが今後の大陸制覇に必要な既知の人物と、その行動予測から重要度別にランク分けした結果、現時点でクレリアの評価が最高数値を叩き出した。今後、大陸統一の過程で降りかかるありとあらゆる問題の焦点なのだ。まだ十八歳に満たぬ女性には過酷すぎる。

 

 クレリアの居室のドアをノックすると、エルナが顔を出した。

「今は誰にもお会いしたくないそうです」

「わかっている。謝りたいんだ。通してくれ」

 エルナは何も言わずドアからそっと離れた。部屋の照明はテーブルの魔石ランプ一灯だけだ。それでもこちらを向いたクレリアが目の縁が赤いのがわかる。

 

「クレリア。さっきは不用意な発言だった。まず最初にクレリアとの約束を守るべきだった」

 クレリアは俺と向かい合ってまっすぐ見つめている。異様な落ち着き具合が逆に怖い。

 

「そのことについて考えていた。アラン、これから話すことは不愉快に思うかもしれないけど」

「言いたいことがあったら遠慮なく言ってくれ。どんなことでもいい」

 もうそろそろ互いに隠すのはよくない頃合いだ。抑圧された秘密はときに思わぬ形で他者を深く傷つけることがある。

 

「エルナ、これから私が話すこと、アランが答えることについても証人になってくれ」

「わかりました。クレリア様」

「私は今まで思ったことを包み隠さずにいうつもりだ」

「俺はすべての質問に正直に答えると約束する」

 

『イーリスも証人になってくれ』

[了解]

 

 エルナはクレリアの斜め後ろに控え、俺とクレリアを見つめている。エルナも聞きたいことは山ほどあるに違いない。イーリスは俺のすぐ横に立っているようにみえる。ARモードで自身の姿を俺の視神経に投影しているだけだが、なんとなく安心感がある。

 

「アラン。本当はスターヴェークを奪還するくらい簡単なんでしょう? なぜそうしないの?」

 

 



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アランの秘密

 

「…………」

 予想外の質問に言葉が返せない。

 イーリスはクレリアを見つめているだけで俺に助言しようともしない。つまり俺自身の確たる答えが欲しいんだな。クレリアも、イーリスも……。

 

 スターヴェーク奪還。

 一番手っ取り早いのはスターヴェークを簒奪したロートリンゲンの一族を居城もろとも軌道上のコンラート号から艦砲射撃すればいい。まだそれぐらいの攻撃能力は十分にある。

 その後、残存勢力を偵察ドローンから各個撃破する。旧スターヴェークの投降者を含む統率の取れない敵軍などまたたくまに瓦解するだろう。

 これは俺とイーリスの検討した多数の作戦の一つにすぎない。だが俺はそうするつもりはまったくない。

 将来的なバグスによる殺戮を防ぐために今のアレス人を殺戮するのは本末転倒だ。それどころか有害ですらある。人的被害を最小限に抑えつつ大陸統一する。空爆よりは遥かに困難なのはわかっている。

 

 俺の目的は、この惑星の住民自身でバグスに対抗できるようになるまで手助けすることだ。

 

 バグスが蹂躙した諸惑星のことを話すことは可能だろうか。

 この大地が惑星と呼ばれる球体で、光の速さでも何年もかかるような場所に似たような惑星を抱える無数の星系が存在し、人類とバグスは互いに銀河の覇権をめぐって血みどろの戦いを繰り広げている、などということを。

 

 二人は身動きもせず俺の答えをじっと待っていた。

「奪還は決して簡単なことではないよ。だが俺と支援者たちがいれば可能だ」

 俺の答えに一瞬、息を呑んだクレリアは目を伏せた。エルナは模擬戦で見せたあの鋭い目つきで俺を見つめている。まるでそうしなかった俺を非難するかのように。

 

「そうだろうと思っていた。だから私がベルタ王国に嫁いでもいいのね」

「それは違う! クレリアとの約束、大陸の共同統治は必ず実現させる」

「だったらなぜ? もしかして誰かに止められているの? たとえばアランより立場が上の者とか」

「なにを根拠に」

「アランはとても強い。セリーナやシャロンもね。魔道具があれば三人でもこの街の全兵士を倒せるでしょう。アランの国の兵士は何人いるの? 三千人? 三万人? アランのような兵士が”ぱるすらいふる”みたいな魔道具をもっていれば、大陸なんかあっという間に統一できるはずだわ。……でもそうしようとしない。なにか別の目的があるからなんでしょう」

 

「別の目的ってなんだ」

「アランは人を殺さない。盗賊を倒すときも肩や足を狙うし……。魔物には容赦ないのにね。もしかして、この大陸の人間を誰も殺さずに統一するつもりなの? だとしたら統一が目的じゃなくて、たくさんの人間が必要なんだわ。アランはこの大陸を統一したら、新しい国の人たちを使ってなにか大きなことを考えている」

 

 俺はクレリアの観察力を見くびっていたようだ。

 政務の経験が浅くても俺の挙動をじっと観察しているうちに、今のような洞察に辿り着いたに違いない。思えば俺もずいぶん曖昧な態度を取り続けてきた。

 

 俺はどう答えたらいいんだ? 

 あのバグスに襲われた惑星ミルトンの戦いを語るのか? 惑星のすべての街はバグスに文字通り食い荒らされた。人間の肉を嗜好するバグスにより老若男女すべての血がありとあらゆる通りを浸した、あの惨状を二人に伝えるのか。この惑星がそうならないように科学技術を発展させると説明して納得するだろうか。

 

 クレリアは俺の瞳をまっすぐに見つめながら、微動だにしない。覚悟ができているんだな。

 

「わかったよ。クレリアの質問は二つに分けられると思う。一つ目はスターヴェークをなぜすぐに奪還しないのか。もう一つは大陸統一の本当の目的だ。違うか?」

 クレリアはなにも言わなかったが、俺はその沈黙を同意と受け取った。

 

「まず、謀反の原因がわかっていない。奪還したとしても病巣がはっきりしなければ再発するだけだ。その理由が判明してからにするべきだ。それにクレリアは祖国を自分自身の手で取り戻したいのが今はっきりわかった。……これがひとつ目の質問に対する答えだ」

「原因がわかれば、手伝ってくれると考えてもいいの?」

「もちろんだ。だが虐殺には手を貸さないし、クレリアの兵がむやみに死ぬような作戦は反対する。人命は失われてはならない」

 

 俺とイーリスの検討の結果、スターヴェーク王国が滅びた理由は概ね判明している。ただの地方貴族の謀反などではない。だが、ここでクレリアに話せば激しい反論が予想される。いまはよそう。

 

「次の答えはどこまで信じてもらえるかはわからない。大陸統一の真の目的だ。正直に言おう……実は俺の大陸ではもう千年近く戦争が続いているんだ。そして俺の国は負けかかっている。今こうしている間にも領土のどこかが占領されているかもしれないんだ」

「そんな! アランのような兵士がいても勝てないなんて」

「嘘じゃない。敵は狡猾で、恐ろしく強い。考え方も容姿もすべて人間からかけ離れた怪物だ」

「ドラゴンより強いの?」

「どうかな。奴らは強力な武器を持っているからね。でも問題はそこじゃないんだ。やつらはいずれこの大陸にもやってくる。間違いなく」

 

「アランはこの大陸の人間を戦いに巻き込むために統一するの?」

「違う。そうしなければ蹂躙される。この大陸の人間はほとんどは食い殺されるか、家畜として飼われるようになるだろう」

 

 二人は驚きよりも疑念が強いみたいだ。無理もないか。

 

『イーリス、エルナのナノムはどうなってる』

[先日の食事でちょうど臨界量に達しました]

 

 エルナにナノムを投与することが決まってから、俺はエルナの好物に少しずつナノムを混入してきた。いきなりナノム玉とか錠剤を渡しても警戒するだろうし、まして血液を与えるなんかもってのほかだ。

 

『二人のナノムの通信機能をアンロックしろ。例の映像を送信する』

[時期尚早と思われます。ここはいまだ科学の兆しすらない惑星です。この二人はその住人にすぎません]

『分かっている。記憶防護処置をナノムに取らせる』

 

 二人に伝える情報は強烈なトラウマを生む懸念がある。

 人間の脳は情報をいったん短期記憶として保存し、取捨選別の後、海馬の奥深く長期記憶に移行する。ナノムが脳内で産生する薬物は一時的に長期記憶化を阻害する。さらにナノムは記憶中枢の挙動をモニターし、出来事が心身に深刻な影響を与えると判断された場合、インプットされたばかりの短期記憶をリセットする。体験してもほとんど記憶に残らない。ある種の前向性健忘を人工的に作り出す方法だ。

 

 ただし連続使用は個人の自己同一性を著しく阻害するため、使用は厳しく制限されている。特に帝国国教会の強い意向もあり、第一級非常事態宣言下の艦長権限でも医師の同意が必要だ。イーリスは軍用AIなので、医師のかわりはできない。

 

『イーリス、艦内の統合医療AIとの情報連結を開始。医療AIのインターフェースを開放しろ』

[了解。医療AIとのインターフェースを開放。ただ今より医学的判断が可能となりました]

『現状、当該者二人に情報開示することによる心的損傷は』

[現地人の心理モデルが不明なため、正確な予想が困難です。人類銀河帝国の同年齢の一般女性に対する刺激としても過剰と判断します]

 

『心的損傷を回避するため、艦長権限で記憶防護処置を申請』

[対象者は人類銀河帝国の市民ではないため、実験として認可します。ただし、将来的に当該惑星の”人類に連なるもの”が帝国市民に昇格した場合、遡及適用となり、発生した心的損傷の責はアラン艦長にあるものとします。防護処置を開始しますか]

『始めてくれ』

 ……これで俺が銃殺刑に処される理由がまた一つ増えたな。どのみち俺が生きている間にこの星系に人類銀河帝国の探査船が来ることはないが。

 

 俺の長い沈黙のあいだもクレリアとエルナは辛抱強く待っていた。以前、俺が話した精霊様と会話しているとでも思っているのだろう。……まだこのレベルでしかナノムを説明できないのがもどかしい。

 

「ふたりとも座って聞いてくれないか」

 クレリアが最初に椅子に座り、エルナはその斜めうしろに座った。

 二人は俺を凝視している。クレリアは手を固く握りしめて膝においていた。

 

「これから俺の大陸で実際にあった出来事を見てもらう。精霊様の力でその時の映像が見えるようになる。まるでその場にいるように感じるはずだ。もしつらくなったらすぐに声を上げてほしい」

 

「声だけじゃなくて絵もみえるの?」

「そうだよ。最初は驚くかもしれない。これこそが俺が大陸を統一する本当の理由なんだ。……クレリア、そしてエルナ。本当にこれを見る覚悟はできているかい。よく考えてからでも全然遅くないよ」

 

「アラン、私が質問したのだから、その答えを聞く権利がある。エルナは見たくなければそれでもよい」

「クレリア様、よければ私もアランの答えを見る許可をお与えください」

「……わかった。アラン、心の準備はできている」

 

 俺とイーリスは次世代の後継者たちにバグスのことを伝えるべく、AR資料映像を用意していた。……これほど早く使うとは思ってもいなかったが。

 惑星ミルトンにバグスが侵攻したときに、コロニーのセキュリティシステムがその状況を逐一記録していた。映像はそれを編集したものだ。当然ながら軌道上の艦隊戦などはカットしている。それらはまだ見せるにはあまりにも早すぎる。

 

「ふたりとも目をつぶってくれないか」

『イーリス、例の惑星ミルトンの映像を俺たちに送ってくれ。十分間でいい』

[了解]

 



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選んだ道

「クレリア様!」

 開始五分でクレリアが倒れた。

 椅子から崩れ折れたクレリアにエルナが取りすがった。

「ただの映像だ。害はない」

「さわるな!」

 クレリアを抱き起こそうとする俺をエルナが蹴った。俺は避けずに胸で受ける。本気の蹴りだ。痛みが胸から心臓に抜けるように伝わっていく。

「エルナ、今見たのは過去の記録なんだ。この大陸には奴らはいない」

「黙れ!」

 エルナはクレリアを抱えあげようとするが、震えがとまらない。実戦経験のあるエルナでもこの状態か。

 俺はエルナを押しのけ、クレリアをベッドにそっと横たわらせた。クレリアには無理だった。

『イーリス、クレリアの記憶は定着させないように』

[了解]

 明日の朝には何の記憶も残ってはいない。クレリアにはその強さがまだ足りない。

 

 エルナは膝を抱えたまま震えている。

 俺はひざまずいてエルナの手を握ってやった。

「本当にすまない。もしエルナがそうしたいなら、精霊様にお願いして記憶を消すこともできる」

「……アラン、あれは本当の出来事なのですね」

「そうだ」

「男も女も小さな子供までが殺されていった……。魔物でもあんな殺し方はしない。まるで楽しんでいるかのよう」

「そうだ。奴らは楽しんでいるのさ」

 

 バグスの高等種は航宙艦を建造できるほどの知性があるのに、下位種はその知性を弱者の虐待に使う。人類とはけっして相容れない存在なのだ。

 

「あれがこの大陸にもくるのですか」

「俺たちはあれをバグスと呼んでいる。間違いなくここに来るだろう」

 人類銀河帝国の探査船が惑星アレスを発見するより、はるかに早くやつらは来襲する。人類銀河帝国の版図から離れすぎたこの惑星は、悲劇が確約されていると言っていい。

 

 エルナは膝を抱えたまま、魔石ランプのおぼろな光を見つめていた。俺はエルナの手を握ったままじっと待っていた。

 

「アラン……。この記憶は残してください。近衛は主を守護する者。ならば私は敵のことを知らねばなりません。たとえ敵がどんなに強大であろうとも」

 エルナは俺の手を力強く握り返した。

「私はもっと強くならねば」

「わかっている。強くなる手伝いをしよう」

「クレリア様は、まだなのですね?」

「この状態では当分先のことになるだろうね。それにクレリアには祖国奪還という大義がある。一人で強くなることより、政務に集中して将来に備えたほうがいいんだ。大勢の人を動かす立場になるんだから」

「わかりました」

「クレリアは明日の朝まで眠って、映像の記憶は残らない。エルナには眠っている間に精霊様の力で教育を施してもらう」

「眠っている間に、ですか」

 

 エルナやクレリアの宗教観では、精霊とは女神ルミナスの眷属である。精霊が教える知識は信仰にかかわるものだけのはず、という思い込みは当然だ。

「ここは俺の言葉を信じてほしい」

 今一つの納得がいかないようなエルナだったが、疑問は後回しにすることにしたようだ。

「アラン、見苦しいところを見せてしまいました」

「いや、俺に比べれば立派だよ」

 俺が初めて訓練キャンプでバグス侵攻の映像を見たときに比べればずっとましだ。剣で切り合う戦場経験があるエルナだからショックは一時的なものですんだのだろう。

 

 しばらく黙って俺とエルナは互いを見つめていた。やがてたった今気がついたかのようにエルナは俺の手をそっと離した。

「おやすみ、エルナ」

「おやすみなさい、アラン」

 エルナはドアを開けて音もなく廊下の闇に消えていった。

 

『イーリス、エルナの神経系をナノムにより最適化しろ』

[了解]

 

 

 俺は執務室に戻った。まだ眠るには早い。

『セリーナ、シャロン。そっちはどうなっている』

『いま城館に戻りました』

『詳しい報告はあとで聞く、概要を教えてくれ』

『了解』

 執務室にセリーナとシャロンのAR画像が現れた。ふたりともすでに航宙軍の制服を着ている。

 

『調査員十名は主に商業エリア、および大市周辺を細かく調べています。辺境伯軍の報告によると、武器が飛ぶように売れています。樹海で発掘された鉄鉱石も完売しました。旅商人の話では大陸全土で武器の価格が上がっているとのこと。おそらく戦争を予想して商人たちが買い漁っているのではないかと』

『誰が買い取ったのか記録しているな? セシリオ王国の商人か』

『はい。ご推察の通り、セシリオ王国の者がほとんどです』

 元宰相のライスター卿からはセシリオ王国の脅威についてなんども忠告を受けてきた。いまさら遅きに失した感はあるが、対策を練らねば。

 

「イーリス、ドローンの余力は」

[コンラート号へのシャトル便として六機を解体再構築中です。そのほか減耗劣化による地上駐機分を除くと余力はありません]

『惑星アレスの全測地サーベイは終わっているな?』

[はい]

『サーベイの更新頻度を下げ、人の居住していない極地方の巡航をやめ、かわりにセシリオ王国の走査に充当しろ。主要施設へのビット打ち込み、情報収集開始』

[了解]

 

 

『続けてくれ、セリーナ』

『調査員は大樹海産の資源についてかなり調べています。大市での聞き込みは詳細を極め、衛兵やサテライトメンバーへの接触も試みられています』

『もちろん、阻止したんだろうな?』

『ヴァルターたちが荷崩れや暴れ馬とかでアクシデントをいろいろ工夫はしたようです』

 それは後できいてみよう。できれば俺も平民に化けて加わりたかったが、もうそんな事はできない立場になってしまった。

 

『なお、数人の調査官が拠点の商業ギルドに集まる商人たちから樹海産資源について聞き取りを行っています』

『将来的な徴税額を算出するためだな』

 

 これまでも五大貴族家が開拓に挑んだのは大樹海の資源目当てだが、いずれも失敗に終わった。それ故、俺たちを――実のところ経済的にはまだ脆弱なのだが――将来的な納税者として期待しているのだろう。すこしでも納税額を減らしたい地方貴族と、搾り取れるものは取りたい王国府とのせめぎあいだ。

 

『アラン、明日は私も町娘に変装して酒場で情報収集の予定でしたが、変更してもよろしいでしょうか』

『なぜだ』

『今日、調査員の気を引くために酒場の女性たちがいろいろと細工をしたようなんですが……。その、男女の親密さが特に要求されるようなものでした』

『予定を変更し、演武に参加してくれ。公爵もそのほうが喜ばれるだろう』

 これはあとでヴァルターに問いただす必要があるな。いったいどこまで聞き取りをやったのやら。査察合格に協力してくれるのはありがたいが。

 

「ご苦労だった。俺からも連絡がある。エルナのナノムをアンロックしたうえで、適応処置を行っている」

『導入が早すぎます! 一般人には強い副作用があるはず』

『私とセリーナに副作用がなかったのは遺伝子適性に恵まれていたからです。エルナには危険だと思います』

 

 確かに殉職したイーリス・コンラート准将の遺伝子を持つ二人がナノム不適合を起こすはずもない。一般人への投与が危険なのは百も承知だ。だが、これはいつか通らねばならない道だ。俺はエルナにバグス映像を見せた上で、本人の同意の元、ナノムを本格運用する事になった経緯を話した。

 

『本人の決意は固い。シャロン、しばらくエルナに付き添い、ケアを頼む』

『了解』

『アラン、公爵への返答はどうなさるのですか』

『クレリアには公爵の命令を受諾してもらう』

『『ええっ!』』

 

 ふたりとも驚愕の表情だ。まさか俺が賛成するとは思ってもいなかったらしい。賛成するつもりはもちろんない。

「説明しよう。査察団が王都に戻るまで一ヶ月、エクスラー公爵とバールケの政争が落ち着くのに二ヶ月と見れば、我々が王都に召喚されるのはさらに先だ」

『エクスラー公爵が政争に敗れる可能性もあります』

『いや、バールケの資金源だったガンツ伯ユルゲンの捕縛も近い。政策が失敗し、支持する永代貴族もいないなら、公爵側が政争に勝つ可能性が高い。その上で王とクレリアを傀儡にして実質的にベルタ王国を支配するつもりだろう。だが公爵の野望はそこまでだ』

『まさか』

『もしかして……』

『その三ヶ月の間にスターヴェーク奪還という既成事実を作れば、クレリアは政争の道具にはならない。セリーナ、シャロン。作戦立案を始めよう。イーリス、来てくれ』

 待ち構えていたかのようにイーリスの立体映像が浮かび上がった。

 



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【閑話】セシリオ王国の野望

 セシリオ王国――。

 

 ルージ皇太子居城。地下閣議室。

 四面の漆喰の壁に押し殺した声が響いている。

 

「……我が国の総兵力はベルタ王国に劣るゆえ、短期決戦でベルタ王国の王都を落とし、王族を根絶するのが最適解かと。現にロートリンゲン侯は南部諸侯と連携を取り、旧スターヴェーク王都を陥落させたのち、辺境伯軍を撃滅しています」

 

 旧スターヴェークの国王はかつての敵である南部貴族に融和的だった。これも弱さの現れと言える。敵と自身に甘い態度が滅びへとつながったのだ。スターヴァイン王家の王女が生き延びたという噂もあるが、一人では何もできまい。

 

 わがセシリオ王家は長寿の家系とは言え、父王は平和という名の怠惰に溺れ、その治世は長すぎた。王太子である自分はもう齢五十に手が届こうとしている。なんの進歩もない年月だった。商業では隣国のベルタ王国に圧倒され、山がちの領地の冬は厳しく、収穫量は伸びないまま人口だけが増えていく。

 

 我が国にはより多くの領土と経済力が必要なのだ。

 

 閣議室の大テーブルには国境付近の地図が広げてあった。記されているのはセシリオ王国からベルタ王国に至る進軍ルートだ。国境を越えてまもなく道は二つに分岐していた。

 

 ひとつはベルタ王国の王都へ続く遠路であり、もう一本は国境にほど近い城塞都市ガンツへと続く道だ。

 ベルタ王国討伐は閣僚の総意で一致しているが、侵攻ルートの結論は出ていない。さきほどから持論を展開しているのは「王都侵攻派」の老将である。

 

「我が国からベルタ王都まで二週間を要することは事実。しかしながらガンツを経由すると更に一週間を要します。通過する村々には伏兵が置かれ、侵攻軍の勝機は失われることでしょう。敵の王族が逃亡する可能性も高い。したがって王都への侵攻ルートを改めて提案いたします」

 

 どれも言い尽くされたことだ。提言になんの新味もない。閣僚の多くは王都侵攻ルートを支持していた。ガンツ経由では兵の損耗が避けられまい。

 

 ルージ王太子は次の閣僚に目を向けた。

「ガンツ攻略派」の論者である。閣僚の中で最も若手でありながら辣腕と評判だ。故に目上の者から煙たがられている……今日はいつもより自信があるようだ。なにか秘策でもあるのか。

 

「ガンツ攻略の最大の利点は、我が国の国境からの距離が近いことです。富裕なガンツは戦利品として十分な富をセシリオ王国にもたらします。兵の損耗を恐れる意見もありますが、城塞は過去の拡張工事が中断したまま打ち捨てられ、警護しているのはガンツ守備隊のみです」

 

 多大な犠牲を払って王都へ侵攻するか、最短で莫大な実利を得、王都は後回しにするか。父王が病のため政務を休むようになったころから、ルージ王太子のもとに集まった者たちの意見は平行線をたどってきた。

 

「さて、ここでガンツ攻略を行うべき決定的な情報が入りました」

 このところ旗色の悪いガンツ侵攻派にしては珍しく言葉が強い。

 

「ベルタ王国はギニー・アルケミンを喪失し、通貨発行能力を失ったとの情報です」

 閣議室に動揺が走る。

「それはまことか。この国取りはギニー・アルケミンを確保するのが目的と言ってもいい。ならば王都に攻め入ることは無意味ではないか」

 

 ギニー貨幣はこの大陸の統一通貨でありながら、発行能力を有する国はわずかに三か国。いずれもこの大陸有数の国々である。ただし旧スターヴェークはアロイス王国にとってかわられ、通貨発行の情報が流れてこない。一説によると旧スターヴェークのギニー・アルケミンは失われたらしい。

 通貨を発行できないわが国は、経済において常に他国の商業政策に蹂躙されていた。ギニー・アルケミンこそ大国の証なのだ。

 

「ベルタ王城内の協力者によれば、盗まれたギニー・アルケミンはガンツ方面で消息を絶ったとのこと。おそらくその近辺に秘匿されているのでしょう。さらに、近くガンツ伯ユルゲンが脱税の咎で捕縛されるとのことです」

 

 怠惰な悦楽主義者のガンツ伯ユルゲンはほとんど王都で暮らし、巨大な税収を背景に王都で享楽におぼれているという。城塞の補修に要すべき資金も懐に入れているのだろう。

 

「ギニー・アルケミンを盗んだのはガンツ伯とも思えぬが……」

「おそらく脱税を理由にガンツ伯を廃し、ベルタ国王の直轄領とするためでしょう。彼の地では半年前に着手した大樹海の開拓が大成功しているのです」

 

 閣議室に一瞬の沈黙が降りる。

 大樹海は資源の宝庫である。鉄、銅などの有用な金属に加え、貴金属や石材、膨大な材木資源が存在する。国内の樹木をほとんど伐採してしまったセシリオ王国にとって喉から手が出るほど欲しい資源だ。

 しかし、ベルタ王国の貴族家が次々と開拓に挑んだものの、いずれも失敗したことで知られる。魔物による襲撃や、開拓の守り手だった魔術師が樹海熱により失われ、幾度も挫折を繰り返してきた。その開拓が成功しているとは……。

 

 居並ぶ閣僚の頭の中で、ベルタ王都の優先順位が滑り落ちていく。

 商業都市ガンツの莫大な税収。大樹海の途方もない資源と新しい成功した植民地。そしてギニー・アルケミン……富と力の源泉が国境すぐ近くのところにある。しかも、その城主は廃され、係争の続く地域にぽっかりと権力の空白地帯が生まれようとしている。

 

 ……絶好の機会ではないか。

 

「開拓の成功は確かなのか」

「新興貴族のアラン・コリント男爵なるものが開拓しているのですが、すでに数千人規模が常駐できる街が造成されているとのこと。商人に紛れて我が”影の手”の者が侵入に成功しております。報告に間違はないかと」

 

「その者なら聞いたことがある。ドラゴン討伐に成功しただけでなく、さらにもう一頭のドラゴンを従えたとか。しかもA級ランクの魔法を自在に操るらしい。にわかには信じられぬが」

 一人の閣僚が半ば笑いながら話の腰を折った。まったく信じていないのが明白だ。暗に開拓成功の情報についても疑問を呈しているのだ。

 

「もし虚偽ならばベルタ国王は爵位を与えなかったでしょう。現に、叙爵の際にドラゴンが王城に出現し、男爵は撃退に成功しています。これについては別途、報告書を提出しましたが」

 王都侵攻派の閣僚たちは沈黙で答えた。まともに目を通した者はいなかったらしい。ドラゴンを従える魔術師など、まるでルミナス神話に出てくる使徒のようではないか。

 

「さらに、朗報がございます。わが軍は五千名の兵を増強できました」

「どこからその兵が湧いたのだ?」

「民兵は春先の作付のため動かせぬぞ?」

「まさか近衛まで動員するのではなかろうな」

 つぎつぎと王都侵攻ルート派の重鎮たちから嘲笑混じりの意見が飛ぶ。

 

「アロイス王国より、兵の提供について同意を得ました」

 驚愕した閣僚から次々に声が上がった。

「独断専行が過ぎる!」

「出過ぎた真似を!」

 

「その追求はあとだ……。続けよ」

 ルージ王太子の一言であたりは再び静かになった。

 

「アロイス王国は現在、凶作に悩まされており、穀物を諸国から輸入しております。財政が逼迫する王国府は代金の代わりに兵を各国に貸し出しているのです」

「我が国とて財政に余裕はないが」

「成果報酬として、ガンツ攻略後にその税収の一部で支払うという方法もございます」

「金で雇った兵など信頼できぬのでは」

「アロイス王ロートリンゲンの命令により、旧スターヴェーク王国の旧臣および北部諸侯が兵を供出しています。彼らは妻子を人質に取られているも同然。傭兵としては使い勝手がいいと申せましょう」

 

 旧スターヴェーク軍の残党を再利用するつもりか。かつての王族に忠誠を誓った者どもなどは皆殺しにするのが当然のところ、身内を人質にとって傭兵化し、他国に貸し出すとは……。厄介者の処分というわけか。アロイス王も狡猾よの。

 

「五千名の軍勢は当然ながらベルタ王国を通過できないため、アロイス王国から北陵山脈を超えて我が国に入国させているところです。まもなく当地への終結を完了します」

「この時期の山越えでは人員の損耗も避けられまい」

「わが軍に実害があるわけではありませんので。損耗をみこした兵を要求しました」

 説明者が薄い笑みとともに返すと質問者は黙った。しょせん、使い捨てなのだという事実に思い至ったのだろう。

 

「……以上により、セシリオ王国軍七万、傭兵軍の五千を合わせてガンツ攻略、開拓地を接収の後、引き続きベルタ王都への侵攻は可能と判断いたします。旧スターヴェークの傭兵どもは先鋒に配置し、わが軍の盾とするのがよろしいかと」

 

 王太子は閣僚の面々を見渡した。異論を唱える者はいない。方向さえ決まれば、相争うのが無益と皆理解しているのだ。

 

「結論は出たようだな。我軍は傭兵軍の到着をもって直ちにガンツを攻略し、ベルタ王国への橋頭堡とする」

 

 父王亡き今、ベルタ王国侵攻を妨げるものはいない。長きにわたる忍従の日々は終わった。ベルタ王国を討滅し、凱旋と同時に新王国を統べる王となるのだ。

 

 

 



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