TS魔法少女の刑に処す (TS魔法少女を曇らせ隊)
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第一章 彼が魔法少女になったワケ
プロローグ 魔法少女ブラックアンリ


 知識としては知っていた。

 今もこの世界では、どこかで命が絶えていると。

 存外この世界では、命はあっけなく奪われてしまうと。

 

 ただ、それを実感していなかっただけのこと。

 それを悪いと言える人間はいないだろう、きっと誰もがそうだから。

 朝、液晶越しのニュースを聞いて、ああかわいそう、そう思うだけで誰も何もしようとしない。

 

 いつも通り食卓につき、パンにたっぷりジャムを塗り、口に運んで嚥下する。

 使いすぎとか怒られて、ごめんなさいと謝ったりして、けれど反省する気はなくて。

 ひととき覚えた感情も、それと一緒に消えていく。

 ただそれだけの日常(ルーティン)を、決して悪とは言えないだろう。

 

 

 ──けれど少女にとって、それは紛れもない“悪”だった。

 

 

 少女は走る。

 細い手足がもげそうなほどに酷使して、誰もいないアスファルトを駆ける。

 とうに他の人たちは避難している。遅れているのは彼女と、彼女の両親だけ。

 

「ごめんなさい」

 

 はぁはぁと呼吸が荒れていく。それが走る力を失わせるとわかっていても、少女の声は止まらない。

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。少女の口から漏れる画一的な謝罪は、人混みに吹き抜ける風のように意味がない。

 

「ごめんなさい、ごめんなさっ、げほっ、ごめんなさっ」

 

 

『GRUUUUUuuuuuoooOOOッッ!!』

 

 

「ぃっ」

 

 背後から迫る獣の雄叫び。少女の喉が引き攣り、力ない悲鳴を漏らす。

 ──振り向いてはいけない! 足を止めてはいけない!! 

 そう本能が警告を掻き鳴らし、スパークした脳髄によって少女の脚が持ち上がり、

 

「──え」

 

 少女の幼く細い脚は、急な指令に耐えきれなかった。

 ずるり、と世界が反転し、鈍痛と共にアスファルトに倒れ込む。うめき、立ち上がろうとする姿は鈍く、少女の身体が悲鳴をあげているのは間違いない。

 

「ま、ってよ、まって、まって、だめ、だめ」

 

『GUOOOooo……』

 

「──ひぃッ」

 

 少女はすぐ近くで聞こえた鳴き声に、反射的に振り向いた。

 振り向いてしまった。

 

 それは、獣だった。

 異彩を放つ赤黒いたてがみ。

 大地を踏みしだく発達した四肢。

 鼻腔を引っ掻く無遠慮な獣臭さ。

 少女の頭より大きな口、立ち並ぶ牙、隙間からじくじくと溢れる汚らしい唾液──それらすべてが捕食者のそれ。

 

 ()をアマイガス。

 人類の敵。

 

 少女の顔が蒼白に染まり、立ち上がろうとした身体がくず折れ、震え始める。

 

 知識としては知っていた。今までアマイガスによって、無数の人々が殺されていることを知っていた。朝食を食べながら、ニュースで散々報道されていた。

 だが、()()は知らない。知るはずもない。

 

 身をすくませる恐ろしさも、心臓を鷲掴むおぞましさも、脳髄が吐き気を覚える異臭も。

 少女はひとつも知らなかった。

 

「……ごめ、なさい」

 

 眼前に迫った獣の前で、震える少女の口から漏れ出たのは、謝罪。

 

「逃げて、ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 誰とも知れぬ謝罪を繰り返し、少女は瞳を閉じる。

 自分はここで終わる。もはや抵抗もできず、どうしようもない。

 だからせめて痛みなく、あの牙が開かれる瞬間を見ずに済むように。

 ごめんなさい、ごめんなさいと、うわ言のように謝る少女は、己の生を諦めて──

 

 

「クソが」

 

 

 ──何処か場違いな罵倒が聞こえた。

 獣のいななきとは明確に異なる、人の──それもハスキーな少女らしい声。

 当然少女のものではない。では誰が、という疑問と同時に、コツン、と何か硬いものが地面を打つ音が鼓膜を揺らす。

 

『GRUUU……!!』

 

 獣のいななきも何処か遠く、警戒するような色を孕んでいる。

 誰かが自分の目の前にいる。そう理解しても、少女の困惑は増すばかりで、安心感など抱けない。

 

「アラストル、審判を開始しろ」

『承知』

 

 少女よりも幾分低く、だが決して大人とは言えない程度のその声は、少女が今まで聞いたことがないほど険しい。

 まるで何かに深く怒っているようで、しかし自分に向けられているものではない。

 それが何処か──頼もしい。

 

 少女は、固く閉じた瞳を、恐る恐る──ゆっくりと開いた。

 

 それは、夜のようなドレスを着ていた。

 少女は知らないが、人に言わせれば“喪服”に似ている、頭をすっぽりと覆う黒く透明なベールが特徴的な黒ドレス。

 背丈はそれほど高くなく、けれどその後ろ姿は誰よりも大きいように感じられた。

 

 そして何よりも目を引くのが、少女が手に持つ無骨な剣。

 丸く潰れた先端や、片手では足りない長大な柄、少女の手にあって殊更異質さを放つ鈍色。

 それらすべてが戦うためのものであり、黒ドレスの少女が紛れもない戦士であると見る者に気付かせる威容があった。

 

 今更ながらに、少女の脳が思い出す。

 

 アマイガス出現と同時期に現れ、アマイガスと戦い続けてきた存在。

 どうして忘れていたのだろう。

 朝のニュースには、アマイガスの出現と同時に──それらと戦う彼女たちの姿も報道されていたというのに。

 

 ──魔法少女。

 人々を守り、希望をつなぐ──少女もまた、月並みに憧れていた存在。

 

 黒ドレスの少女が剣を振るい、切っ先を地面に突き立てる。

 刀身と持ち手の繋ぎ目、本来鍔がある場所──そこに取り付けられた髑髏(しゃれこうべ)が、虚無の眼窩に赤光を灯す。

 

判定(Judgment)──器物損壊(Destruction)傷害(Injury)、──殺人未遂(Miss Murder)

 

 

『──有罪確定(Guilty)

 

 

 髑髏から赤光がほとばしり、鈍色の刀身を覆うように駆け巡る。

 獣は本能でそれが危険だと感じ取っているのか、大きく牙を剥いて唸るも一定の距離を保っている。あの非力な少女を追い詰めていた獣が、だ。

 

「おい」

 

 眩い警戒色に照らされ呆然としていた少女に向けて、黒いベールがひるがえる。

 わずかに覗く彼女のかんばせは、やはりというか女らしい。楚々として整った顔立ちは、桜吹雪の舞う通学路が似合う気品と幼さがある。

 

 ──だが、向けられた瞳を見れば、そんな印象は露と消える。

 泥のように濁りきった深く鋭い瞳。声とは比較にならないほどの熱量。

 湖そのものが燃え盛るような炎を湛えるその瞳は、幼い少女にとってはあまりにも異質だった。

 

 呼びかけに声を返せず、冷えた心が身をすくませる。

 

「……」

 

 黒ドレスの少女は小さく息を吐くと、瞳を閉じて獣へと向き直る。

 助けに来てくれた人に、やってはいけないことをしてしまった──幼心にそう理解し、いよいよ瞳に涙が滲み始める少女だったが、しかし。

 

「目ェ閉じてろ」

 

 かけられたその言葉は、思いのほか暖かかった。

 

「……え?」

 

「こっから先は、ガキが見るようなもんじゃねえからな」

 

 戸惑う少女に向けてそう言い捨てた黒ドレスの少女は、腰を低くして剣を構える。

 

 その言葉は乱暴で、少女らしさなどかけらもなくて。

 怒っているように険しくて──けれど、ぶっきらぼうなその言葉は、不安に怯える少女の心を元気づけるには充分だった。

 

 言われた通り瞳を閉じる──その前に。

 

がんばって……ください

 

 かすれ、ぼやけたその声は、数瞬後には大気の中にほどけて消えた。

 発してすぐに、少女自身が恥じ入ってしまうような小さな声。

 

 そんな声援に振り向くことなく、けれど少しも躊躇わず。

 

「任せろ」

 

 黒ドレスの少女は、毅然として応えた。

 

 

 /

 

 

 そして、何かが叩きつけられ、潰れるような水音が響き。

 最後に、けたたましい獣の悲鳴が聞こえたかと思えば、激しい音がぷつりと途絶えた。

 

 

 /

 

 

「目、開けていいぜ」

 

 端的に告げられて、目を開く。

 少女は咄嗟に周りに目をやり、獣の影も形もないことを確かめて息を吐き……強張っていた身体から力が抜けてしまった。

 くらり、と少女は体勢を崩すも、すぐに黒ドレスの少女が抱き止める。

 

「身体の具合は?」

 

「だい、じょうぶです。ちょっと転んだ、だけで」

 

「そうか」

 

 少女の手足に残る擦り傷を見た黒ドレスの少女が「あんまり得意じゃねえんだが……」とぼやく。

 なんのことだろう、と疲れで鈍い頭が回り切る間に、黒い滑らかな手袋に包まれた少女の手が傷口に向けて翳される。

 

魔求数式(マグスクリプト・)第二番(ナンバーツー)──治癒(ヒール)

 

「えっ──わぁ」

 

 血が滲んでいた擦り傷が、徐々に塞がっていく。

 人々が夢見る魔法そのものな光景に思わず上ずる少女の声に、ベールで隠された口元が微笑む。

 

「これで歩けるか?」

 

「……うん」

 

「良い子だ」

 

 黒ドレスの少女は少女の頭を撫でると、剣を片手に立ち上がる。

 堂々としたその姿を見て、反射的に少女は叫んだ。

 

「ぁのっ! なまえ……お、教えてください」

 

「名前?」

 

 問われ、どこか困ったように頬を掻く。

 数瞬の躊躇いの後、剣に取り付けられた骸骨の目が淡く光る。どこか諌めるように明滅する光を受けて、黒ドレスの少女は深くため息を吐いた。

 

「……アンリ。ブラックアンリ」

 

「ブラックアンリ……」

 

 思い出すように繰り返すも、心当たりはまるでない。

 毎朝流れるニュースでは、アマイガスを倒した魔法少女の名前がその勇姿と共に流される。人並みにそれを楽しみにしていた少女であっても知らないということは、よほどマイナーかあるいは──

 

「……ぁ」

 

 ふと空を見上げて、気づく。

 風を掻き乱し滞空するヘリコプターが、地上にカメラを向けている。

 リポーターらしき人影が見えるほどその距離は近く、多分、気づいていなかっただけでずっと空から映していたのだ。

 

 きっと彼女──ブラックアンリの戦闘を、朝のニュースで流すために。

 というか、もしかしたら自分も映っているかも。そういうときってどうすればいいのだろう。

 

 少女がぼうっと空を見上げていると、それに釣られて空を見たブラックアンリもまた空撮する存在に気づく。

 剣を持たない片腕を振り上げ、魔法少女らしいファンサービスを──

 

 

「くたばれ、変態ども」

 

「えっ」

 

 

 ヘリに中指を突き立てた。

 魔法少女が。

 真顔で。

 報道機関に中指を突き立てた。

 その衝撃で少女が唖然とする。心なしか、リポーターらしき人影も慌てているようで。

 

「人を見せモンにしてんじゃねーよ、クソが」

 

 魔法少女(ブラックアンリ)の吐いた毒を聞くに、やはり冗談ではなく本気で中指を立てたらしい。

 ロック──ひたすらにロック。そしてブラック。いけないことだとわかっているのに、あまりに刺激が強すぎて、少女が魔法少女に向ける目線に熱が混ざり始める。

 

「……あぁ、変なモン見せちまって悪いな」

 

 自分の行動があまり良識的なものではないとわかっているのだろう、申し訳なさそうに謝る彼女は、しかし己の行動を恥じているようには見えない。

 

「い、ぃえっ、大丈夫ですっ」

 

「急に元気になったな。ま、それはそれで良いことか」

 

 少女の頭を優しく撫でて、魔法少女は踵を返し、ひび割れたアスファルトを蹴った。

 半壊した住宅の上に飛び乗ったアンリは、魔法少女の身体能力を改めて目にしてぽかんとする少女に向けてウィンクを落とすと、そのまま住宅の上を飛ぶようにして走り去る。

 

 一人残された少女は、遠くから隊服に身を包んだ人たち……回収部隊が近づいてくるのを横目に、胸に手を当てた。

 

 多分、自分が今まで彼女のことを知らなかったのは、あんなことをしていたからだ。

 堂々と報道機関に中指を立て、それを悪びれず毒を吐く。そんな魔法少女がいるなんて知られたら困る、幼い少女にもそれくらいはわかった。

 

 けれど、でも。

 

「すごかった」

 

 そう、すごい。

 どう言葉にすればいいのかわからないけど、とにかくすごいのだ。

 

 少女は空を見上げ、胸の高鳴りをとどめるように、ぎゅっと胸に抱いた手を握った。

 

 

 ──後日、ちょっとだけ”ロック“なファッションを母親にねだる少女の姿があったとか、なかったとか。

 

 

 /

 

 

『マスコミへの暴言及びファックサイン、取材の拒否。汝、紛れもない暴徒である』

 

「悪うございましたって。俺も褒められたモンじゃねぇとは思ってるよ」

 

『第一いつも言っているように、マスコミへの露出は完全な対価契約である。魔法少女という存在への信仰が高まれば、無意識を汲み取る魔法少女のパワーソースもまた増幅する。汝の行為は紛れもない妨害である』

 

「……そう言われると辛いんだよなぁ」

 

 首元に吊るした剣型のアクセサリー──ちょうど十字架にも見えるそれから聞こえる理路整然とした説教に、屋根を駆け抜ける魔法少女ブラックアンリはため息を吐く。

 

「ただなァ、気に入らねえんだよな。マスコミに媚びを売るのも……あいつらが俺を見せモンにしようとしてるのも、いまひとつ気に入らねえ」

 

『魔法少女イエローアイは見せ物(それ)を好んでいるようであるが?』

 

「ありゃあなんつうか、別モンだろ。自己表現が下手くそなだけだ、あいつは」

 

 事もなげに彼女がそう言うと、アクセサリーから声が途絶える。

 

『……汝はやはり、我らや彼女たちとは何かがズレているようだ。価値観、立場、主体性……あるいは、精神性』

 

 その声を聴いて、ブラックアンリは苦笑する。

 

「何()()()()のこと言ってんだ、アラストル」

 

『当たり前?』

 

「そりゃあそうだろ、なにせ」

 

 びゅう、と一際強い風が吹く。

 黒いベールが外れ、長い黒髪が蛇のようにたなびいた。

 

 それを手で抑える姿は──どうしてか苦しそうで。

 

「俺は、事情はどうあれ明確に人を殺した復讐者(ゴミ)で」

 

 けれど、言い切る姿に瑕疵(キズ)はなく。

 

「そんなクソ野郎の心理が、普通の女の子たちと一緒なわけねェだろうが」

 

 魔法少女ブラックアンリは──かつて鎌原(かんばら)定努(さだむ)と呼ばれた()()は、そう言って再びベールを被った。

 まるで、己の顔がうとましいとでも言うように。

 

『なるほど』

 

 アラストルは考える。

 それでこそ、我が契約者に相応しいと。



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第二話 ミストレス・アドラー

 ──ともに世界を救わないかな? 

 

 長いプラチナブロンドの髪。

 白い肌と碧い瞳。

 神が手ずから大理石より掘り出したかのような美貌を持つソレが俺の前に現れたのは、今から数ヶ月前のことだった。

 

 

 /

 

 

 狭い独房の窓から見える僅かな青い空だけが、俺にとって故人を想える唯一の共通項だ。

 だから曇ればとても悲しい。

 あの空は、妹を失った小雨の降る夜にそっくりだから。

 

 今にも降り出しそうな黒雲の下、ため息を吐く。

 

「あと何年で会えっかなァ……」

 

 随分と悪くなってしまった口で、俺の終わりを待ち望む。

 五年、六年、七年、八年──できるだけ早く執行してほしいものだ。俺はそれだけのことをしたし、それを望んでいるのだから。

 

 ……もっとも、俺が行くのは地獄だろうから、間違いなく天国行きの妹とは会えないだろう。

 それでもひととき、夢見るくらいは許してほしい。俺はクリスチャンじゃないが、たまの教誨室で教えを受けさせてもらっている。

 だから少しの温情くらい、期待してもいいだろう。

 

 そんな罰当たりなことを考えながら曇り空を眺めていると、廊下から足音が聞こえてくる。

 

「おい、023番」

 

「はい?」

 

 023番、それがこの拘置所における俺の名前だった。

 いわゆる称呼番号という奴で、本名の方は呼ばれもしない。

 それが俺たち、死刑囚へのせめてもの配慮なのだそうだ。

 

「そうだ、お前だ。ここから出て、ついて来い」

 

俺なんかしたかな……ま、いいや。どうもです」

 

 扉を開けてくれた刑務官に挨拶して、その後を雛鳥のように付いていく。

 ここでは刑務官が絶対だ。反抗する者はほぼいない。いたとしてもやけになった馬鹿だけで、ほとんどは俺のように過ごしているという。

 ……それは従順から来る落ち着きでなく、首吊って死ぬことがほぼ確定しているがゆえの諦めとも言えるだろうが。

 

 刑務官の後ろを歩くこと数分、見覚えのある扉の前にたどり着く。

 扉にかかっているプレートを見て、俺は思わず声を出した。

 

「面会室?」

 

「そうだ。023番、ここから先は下手な口を聞くなよ。向こう方への礼を失するな」

 

 俺と何かしら関わりがあるわけではなく、刑務官が慮るほどの大人物、か。

 ……シャバですべての縁を断ち切った俺に用があるお偉方ね、なかなかに胡散臭いじゃね

 ぇの──とは思うものの口には出さない。

 

「わかりました」

 

 それを聞いた刑務官は頷くと、面会室の扉を開けて俺を奥へと押し込んだ。

 内装はやはりというか、ステレオタイプな面会室だ。全体的に白く、部屋を二分するようにアクリル板と白いテーブルが中心に設置されている。

 

 それらを挟んだ向こう側に、この部屋には全くもって似つかわしくない人間がパイプ椅子に腰掛けていた。

 

「やぁ、君が023番──鎌原定努(かんばらさだむ)か?」

 

「私はミストレス・アドラー。気軽にミストレスとでも呼んでくれたまえ」

 

 金髪碧眼の人外、彼──あるいは彼女に対して最初に抱いたイメージはそれだった。

 死刑囚への配慮だとか、そういったことを一切気にせず俺の名前を言い放ったその姿は、あまりにも上位者としての気概に満ちている。

 

 その男だか女だか判別できない容姿も相まって、まるで巨人を見上げているような気分になる。今にも踏み潰されてしまいそうだ。

 

「久しぶりに呼ばれましたね、その名前」

 

 それでも、人生の大仕事を終えた俺にとっては単なる雄大な山に過ぎない。偉大であるのは間違いないが、気圧されて萎縮してしまうほど俺の心は柔くない。

 

 特に気負うことなく言葉を返すと、心なしかミストレスの視線が柔らかくなった気がした。

 

「人の名前は大切だよ。アイデンティティ、自己の根幹と言ってもいい。人は名前を持って初めて、個として生きることを許される」

 

「哲学ですか? あいにく、無学なもので」

 

「疎いと認めることも賢者の資質さ。無知の知を知る、と言うだろう? まあ、ひけらかせばそれは一転、愚者の証に変わるわけだが……さぁ、座りたまえ」

 

 お言葉に甘えてパイプ椅子に腰掛けると、自然、彼と向き合うことになる。

 ……先ほどは気圧されないとは言ったが、さすがに直視すると凄まじいものがある。美術館で佇んでいたらそのまま美術品に間違えてしまいそうだ。

 

「俺に何か用でもお有りで? 事情聴取には極めて協力的であると自負していますが」

 

 とはいえあまり見つめすぎるのも失礼なのでさっさと本題に切り込もうとすると、ミストレスもまた鷹揚に頷き……身を乗り出してまで俺の瞳を覗き込んでくる。

 

 恐ろしいほど透き通った碧い瞳は、こちらのすべてを見透かすような迫力に満ちている。それでいて宝石のように煌めいているのだから、好事家にとってはたまらないだろう。

 覗き込まれているこちらからすれば、さながらヒトに見つめられるアリの気分だが。

 

 数瞬が経ち、それでも俺の瞳を覗き続ける彼の口から言葉がこぼれた。

 

「……良い目をしている。修羅場をくぐり抜けた者特有の、荒みながらも生気に溢れた良い瞳だ。そういう目は好きだよ」

 

「それはどうも」

 

 お世辞というには真に迫り過ぎている言葉に、にっこりと謝意を示す。

 褒められるのは好きだ、それが世辞であろうとなかろうと、相手が俺を慮っているという証明になるのだから。

 ミストレスがくすりと笑い、姿勢を正した。

 

「確かに私は公務員で、人々を守る公務に就いている。だが間違っても警察ではないし、犯行に使った凶器だとかは微塵も興味はない。私は君に……『現代の復讐者』と称される君に興味があるのさ」

 

「……なんですかその仰々しい名前は」

 

「ニュースで連日報道されている君のあだ名だよ。あくまでも君の一側面だけを切り取っただけの、実に愚かな名前だが」

 

 そう嘲るように鼻を鳴らしたミストレスは、手元に何枚かの資料を並べる。

 なんとなしに覗き込むと、そこに見覚えのある顔があり、どこか胸の奥がざわついた。

 

「彼らは全員が名だたる家の御子息だそうだね。しかし彼らは皆札付きの不良(ワル)で、やってきた非行は数知れず。悪事を親の権力で隠蔽し、被害者は皆泣き寝入り。そんなつまらない連中だが、親の力は本物だから誰も何も言えなかった」

 

 そこで一度言葉を区切って、ミストレスがこちらを見る。

 

「そして君は、彼らを皆殺しにした。四年という歳月をかけて連中に取り入り、得た信頼をエサに廃墟の一室に誘き寄せて、とびきり惨たらしく殺害した」

 

 紛れもない計画的な犯行だね、とミストレスは笑う。

 

「その後、血まみれの凶器を丁寧に床に並べ、水を浴びて血を流し、身体を清潔にして()()()()()。てんやわんやの大騒動ののち、死刑が下され拘置所に至る……なんとも劇的な犯罪だ」

 

「さて、何故君がそのような行動を取るに至ったのか? それは彼らの行ってきた非行を鑑みれば、さして難しい話でもないが……」

 

 確認を取るようにこちらを伺うミストレスに、躊躇いもなく頷き返す。

 案外気遣いの心もあるのだな、などと思いながら。

 

「君が、連中に妹を殺されたから。それも女として最悪な死に方をして……君はその一部始終を、動画という形で見せられた」

 

「そうですね。連中、俺に笑いながら見せてきましたから」

 

 今も、ああ、脳髄の奥にこびりついている。

 連中に囲まれ、人気のない路地の硬い地面に押しつけられる妹の姿が。

 言葉にするのも忌々しい辱めを受けて、泣き叫ぶあの子の姿が。

 

 ──死後、まるで(フィギュア)か何かのように凍て付き、最期の瞬間、こちらに手を伸ばす彼女の姿を、覚えている。

 

「当然通報したが、誰もそれを受け取らない。何故か? それは彼らの親が政治家だから……資産家だからだ」

 

「そうですね。覚えてますよ、鮮明に」

 

 妹の死を笑い、呆然とする俺を嘲る奴らの姿を。

 両親の訴えを、マスコミの連中が少しの躊躇いもなく握り潰したことを。

 ──受話器越しに聞こえた、涙ながらに謝り続ける若い警察官の声を。

 

 今も鮮明に、覚えている。

 

「だから君は、自分の手で決着をつけた。長い時間をかけて、彼らを殺害した。

 これが、今君が此処にいる理由。合っているかな?」

 

 まるで演劇か何かのように事の経緯を語り終えたミストレスの目は穏やかだ。

 憐れみでもなく、同情でもなく、ただ真正面から俺を見つめる、穏やかなだけの目つき。

 実のところ刑務官たちからのそういった目に辟易している俺としては、幾分かやりやすい。

 

「ええ、その通りです」

 

 それにしても随分俺のことに詳しいようだが、もしかしてそれらもすべてメディアで報道されているのだろうか。もしそうなら、少しだけ不愉快だ。

 

「安心したまえ、メディアで報道されているのはもっと()()()()に整理されているものだ。凄惨な殺害内容だとか、デリケートな部分はすべてぼかされている」

 

 俺の心を読んだかのような答えを返したミストレスは、懐から新聞紙を取り出した。……どこから取り出してるんだ、それは。

 そんな疑問を脇に退けつつ、差し出された新聞紙を読んでみるが……すぐに閉じて、ため息を吐いた。

 

「おや? いいのかね?」

 

「これになんの意味があるんです? 一緒なのは名前だけで、他がまるっきり違う」

 

 誰だこいつは、としか言いようがない。新聞紙に好き勝手書かれている俺はもはや俺ではない、メディアや政治家に都合が良いように歪められた虚像の俺だ。

 特にこの『現代の復讐者』だかなんだか言って、まるで悲しきヒーローのように書かれているのが気に入らない。

 

「だが、そんな君が民衆には刺激的だったようだよ。SNSでは著名人たちがこぞってコメントを残し、民衆たちは日夜大騒ぎだ。中には再審、あるいは減刑のための署名を集める者までいる」

 

 それ自体も不愉快だ。不愉快だが……。

 それよりもわからないことがある。

 

「……つまり、何が言いたいんです?」

 

 俺に娑婆のことを聞かせる意味とはなんだ。

 貴女の目的は、一体なんだ? 

 

 言外の問いに、ミストレスは笑う。

 

「世論は君の死刑を望んでいない、ということだよ」

 

 ──さて、ここまでが前置きだよ鎌原定努。

 どこからかそんな声が聞こえた気がした。

 

「私がここに来て、君に会いに来た目的は一つ」

 

 

「──ここを出て、世界のために戦わないかな? 君にはその資格がある、私はそう考えている」



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第三話 復讐者に下されたモノ

「──ここを出て、世界のために戦わないかな? 君にはその資格がある、私はそう考えている」

 

 そう言って、ミストレスは手を差し出す。

 さしずめの釈迦の手、救いの手か。普通の人間がやればただの胡散臭い詐欺師だが、彼、あるいは彼女がやると本当に救われる気さえしてくる。

 

 ……ああ、容姿というのは本当に得だ。己が平凡な顔立ちだから、なおさらに。

 それさえあればもっと早くに復讐を終えられただろうに、と考えて、にこりと笑う。

 

「お断りです」

 

 あいにく、気分は釈迦の掌の孫悟空だ。

 眼前の野郎が尋常ではないだとか、ともすれば人ではないかもしれない、とか、そう言った疑念は()()()()()()

 

 たとえ何をされようが。

 何を対価として供されようが。

 俺はここから動かない。

 

「……理由を聞かせてもらってもいいかな?」

 

 ミストレスの顔は相変わらず穏やかで、断られたことによるショックなど微塵も感じさせる様子はない。

 やんわりと差し出した手を引っ込める姿に妙な愛嬌を感じながら、俺は口を開いた。

 

「まず大前提として、俺は犯罪者です。それも何人も人を殺した殺人鬼だ」

 

「人、あれを君はヒトと呼ぶんだね。苛烈な人に言わせればあれらは害虫、君の行為は単なる駆除……そう言うのかもしれないよ?」

 

「それは感情的なものだ。俺が言いたいのは法的な問題ですよ」

 

 たとえ連中がどれほど害悪であろうとも、奴らは人だ。虫ではない。

 その理由が復讐で、だから情状酌量の余地がある? そんなわけがない。復讐はあくまでも昔、メンツがすべてだった時代においてのみ特例として認められる行為だ。

 

 ゆえに、高度に形成された社会の裏で行った俺の復讐はただの犯罪だ。

 それが法秩序の前提。法に規定されない復讐を正当化すれば、後に待つのはかつて人と呼ばれた獣が蔓延る無法だけ。

 法があって初めてヒトは人らしく在れるのだ。それがなくなれば人は容易く獣に堕ちる。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だから俺は裁かれなければならない。

 復讐という私刑(むほう)を下した俺は、死刑(ほう)によって死ななければならない。

 

 俺は俺の行為を正当化しない。

 誰かがやるべきだった、と責任を押し付けることもしない。

 正しい裁きとは法の裁き。それが下ることを信じず、己の手で決着をつけた己がどうして正義を名乗れようか。

 

「法の庇護下から抜けて好き勝手やった犯罪者──所詮、俺と俺の復讐はそれに帰結する」

 

 つまり、世間一般の定義において、俺は罪を犯した犯罪者──悪でしかない。

 

「それで俺が刑罰を免れたら、一体奴らと何が違うって言うんだ?」

 

 奴らは悪だ。どうしようもない社会のカスだった。

 俺は悪だ。法を破って復讐を果たす道を選んだ社会のゴミだ。

 奴らは親の力で裁きを免れ、俺の場合は世論によって、万が一にも罪が軽くなる、あるいはなくなるかもしれないという。

 どっちもマトモな力じゃない。親の力はもちろんのこと、世論なんてメディアによって好きに操ることができるし、そして政治家にとってもそれは同じで、メディアを利用して好きに握りつぶすことができる。

 

「だから俺は死刑を喰らって死ぬ。私刑を下した愚かな犯罪者として、法秩序によって裁かれる」

 

 すべてを終わらせるために。

 法で裁かれぬ悪を裁いた次なる悪、それを法が討つことで、完全に怨嗟を断ち切るのだ。

 たとえ奴らの親族が俺を憎んでいようが意味がない。俺が法に裁かれることで、奴らの悪行を知りながら放置し──あるいは助長していた奴らはもはや何もできなくなる。

 

「世論は強いよ?」

 

 端的な言葉を鼻で笑う。

 

「世論がどうとか、そう言うのは()()()()()()()

 

「絞首台で首吊る覚悟なんて、あの時四人を殺す前からとっくに決まってんだ。今更減刑なんて望むかよ」

 

「俺が望んでいない以上、たとえ誰が何を言おうが俺の結論は変わらねェ」

 

 俺は法によって罰される。

 きっちり落とし前をつけなきゃ、好き放題してた奴らと何も変わらない。

 

「連中には俺が落とし前をつけた。……今度は俺の番ってだけだ」

 

 だからあなたの誘いを断ったのだ、と締めくくる。

 少し熱くなってしまって敬語を忘れてしまったが、許してくれるとありがたい──なんて思った瞬間に。

 

 

「ふ、ふ」

 

 

 掠れ、途切れるような小さな声。それが鼓膜を揺らした瞬間に、俺は椅子から飛び退いていた。

 それは静寂の中に消え──けれど俺の脳髄が、うるさいくらいの警鐘を鳴らしている。

 

 見るまでもない、聞くまでもない。

 この隔離された面会室で俺の他に何か言葉を紡げるのは、眼前の存在ただ一人。

 

 俯き、どこか堪えるように震えているミストレスだけなのだ。

 

「ふ、ふふ……ああ、嗚呼、すまないね。驚かせてしまったか……いやさ、君があんまりにも傲慢(ユカイ)だったから、つい」

 

「……なんだ、お誘いを無碍にされて怒ったのかよ? そんな様子には見えねェが」

 

 冷えゆく心肝を奮い立たせて問い掛ければ、ミストレスの震えがぴたりと止まる。

 

「怒っている? 怒っている……ふふ……いいや違うさ定努クン。──『閉じろ』」

 

 ミストレスが顔を上げる。だからその顔を見つめ返して──ゾッとした。

 

 頬は紅潮し、瞳は輝き、その口元は歪んだ弧を描く。

 言葉にすればそれだけだが、穏やかな顔立ちでも際立つ美貌を持つソレが行えば、その威圧感は計り知れない。

 存在が違う、格が違う、ソレを構成する元素が違う。

 

 巨人? 仏? そんな高尚なモンじゃない。

 人でない何かが、人を真似している──紛れもない化け物だ。

 

 

 

「私は今──感動しているのさ!」

 

 

 

 そんな化け物が言い放った言葉は、俺の脳を衝撃で貫くには十分だった。

 

 

「君の思考はあまりにも異常だ! 五年もの間、心底からの憎悪をたぎらせ続けた比類なき情動(イド)! クズの溜まり場に堕ちながらにしてどう油断を誘い、どう確実に仕留めるかを考え続けた強靭な意志(エゴ)!! どれも尋常の人では持ち得ないものだ!」

 

 後ずさる。額から流れる冷や汗をそのままに、興奮した獅子を前にしたがごとくに。

 ミストレスの言葉の意味はわからない。わからないが、このままコレの目前にいてはダメなことだけは理解できる。

 

「そして法秩序の裁きをこそ正義と信じながら、それを己が手で躊躇いなく振るう傲慢! 

──人が人を裁くという矛盾そのものだ

 

「……それで、何が言いたいんだ」

 

 何故か回らないドアノブを握りしめながら、俺は問う。

 それはきっと、もう逃げられないと観念したが故の足掻きか。あるいはこの後に及んでもなお打開策を探ろうとする俺の薄汚い生への執着のためか。

 

 どこか先ほどの焼き直しのような問いかけに、ミストレスは壮絶に笑う。

 

「私は君が気に入った、ということだよ。──ゆえに」

 

 彼の掌がこちらに向けられる。

 

「君に倣い、私は私らしく、私の都合で君を()()()

 

「ッ、このッ──」

 

 咄嗟に避けようとするも、ミストレスの掌はこちらを捉えて逃さない。

 彼の唇が開き、意味のある言葉を紡ぎ出す。

 

 

「──『変われ』」

 

 

 その声は()()に響いた。

 何か、とはナニカだ。俺には知覚できない何かに、その言葉は語りかけている。

 

 であれば何が変わるのか。

 何に変われと命じたのか。

 

「……ぁ?」

 

 身体の芯が熱い。

 きりきりと痛むような熱がある。

 全身がまどろむようにだるく、立っていられないほどに──熱い。

 

「そういえば、言っていなかったね」

 

 こちらに掌を向けたまま、ミストレスは懐から一枚の紙を取り出す。

 それが名刺だと気付いた時には、()()()()()()()()()()()

 

「私はミストレス・アドラー。

 人々を守る公務──日本魔法少女組合、通称、MAGIの()()を務めている者だよ」

 

 俺は絶叫した。

 

 

 /

 

 

「ぅぎ、ガァああああああ゛あ゛あ゛あ゛ッッ!!?」

 

 面会室に絶叫が轟く。

 倒れ、うめき、叫び、己の体を掻き抱く──そのようにして鎌原定努は苦しんでいる。

 それを対岸から眺めるミストレスは、取り出した名刺を手持ち無沙汰にひらひらと泳がせながら笑う。

 

「ふむ、身体が痛むようだね。本来あるべき姿を歪めるというのは、やはり代償が伴うか」

 

 風に煽られひらひらと──細かな粒子となって崩れ散る名刺から手を離す。

 

「まあ、こんな演出をしたところで君の苦痛は癒せないけれど」

 

「ぐ、ぅうウぅあああ゛あ゛ッ……!!」

 

 そのような言葉は鎌原定努には聞こえていない。そのような余裕は彼にはない。

 

 肋骨をえぐられ、眼前で磨かれたそれを懇切丁寧に胸の奥へと捩じ込まれるような──心身を傷みつける苦痛。人が経験していいものではないそれに苛まれれば、人並み以上に苦痛には慣れている彼であっても苦悶の絶叫は免れない。

 

 ひっくり返った内臓が破裂し、無理に動かされた骨が砕け、筋肉は断絶を繰り返し──そのすべてが瞬く間に、()()()()()再生する。

 それは喪失、あるいは変貌。鎌原定努の肉体が、彼という遺伝子情報をそのままに別のモノへと書き換えられていく。

 

 めぎめぎ、めぎめぎ骨が散り、角張った骨が丸みを帯びた。

 ぐちぐち、ぐちぐち肉が鳴き、どうしようもなく破裂した。

 

 かつて本人が密かに自慢に思っていた一八〇近い身長は、もはや一六〇もない。

 骨格から変貌していく彼の身体は、男としては随分小柄で──あるいは少女と見紛うような。

 

 

 ──やがて変貌が収まった頃、絶えず絶叫をあげ続けていた定努の声がプツリと止んだ。

 亡骸のように床に転がり、()()()()()()()()()()穏やかな寝息を立てる彼を見て、ミストレスは人を呼ぶ。

 

「後で殴られるのは必要経費だと思うことにして……ふふ」

 

 外に運び出されていく彼を見て、ミストレスはほのかに笑う。

 

「随分と可憐になったじゃないか。

 似合う名前、きちんと考えてあげないとね」

 

 その微笑みに邪気はなく。

 どこまでも、上位者らしい驕りに満ちていた。



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第四話 彼女の似姿

 赤、(あか)(あか)。おおよそその色で塗りつぶされ、脳髄に吐き気を催す血臭に包まれた部屋の中で、()()()()()()()()()()

 

 “またこの夢か、飽きねェな俺も”

 

 これは俺が復讐を果たした瞬間の夢。

 真紅と猟奇に彩られた──鮮血の記憶。

 

「……終わったか」

 

 夢の俺は、そう言ってナイフを投げ捨てた。

 

 苦節四年、あるいは五年。あの日から誕生日を祝うなんて頭にも浮かばなかったし、祝ってくれるような人たちとは縁を切ったから、正確な年数なんて覚えていない。

 それだけの時間を費やして、俺は復讐を完遂した。

 

 ──総勢四人、それらを殺し尽くした俺は、血溜まりに一人立っている。

 先ほどまで言葉を交わしていた人間たちを、肉塊にまで貶めて……そこにあるのはようやく成し得たというほの暗い徒労感だけ。

 

 罪悪感はない。それだけは間違いなく言い切れる。

 “たまたま目に入った女をマワして殺して、あとは親父にポイしたら何とかしてくれた”なんて──そんな大小嬉々な悪事を、武勇伝のように嬉々としてうそぶくカスどもだ。

 

 己が辱めた犠牲者の遺族に殺されるのは、連中には似合いの末路だろう。

 

「……」

 

 ただ、ひとつだけ思うところがあるとすれば。

 

 法に縛られぬ悪者(カス)を殺せるのは、法の庇護から抜けた悪者(ゴミ)だけだ、ということ。

 

「さァ、行くか」

 

 近くの警察署はどこだったか。ああ、思い出せないな。とりあえず近所で水でも浴びるか、そうしよう。

 血まみれの上着を脱ぎ捨てて、スマホの案内に導かれるまま、俺は廃墟を後にする。

 

 

 空は快晴、澄み渡るような夏の空。

 どこまでも遠い空の彼方で、どうか待っていてほしい。

 

 俺ももうすぐ、そちらに行くから。

 

 

 

 ──『その行い、紛れもなく罪である』

 『なれど我にとっては、好ましい』──

 

 

 

 /

 

 

 遠い意識が蘇る。

 

「……っ」

 

 目覚めは溺死にも似ていた。

 深海で縛られていた身体が、上に上にとがむしゃらに泳ぎ、果てに届かず手を伸ばすような息苦しさ。

 言うまでもなく最悪の寝覚めだ。

 

「クソ……何が起きたってんだ」

 

 汗だくの身体を無理やり起こし、澱んだ空気を肺から吐き出す。それで少しは楽になるかと思ったが、節々に鉛を括り付けられたような重さはそのままだ。

 自分に何が起こったのか考えようとしても、寝起きで鈍い頭は明晰な答えを返してくれない。

 

 仕方なく、目を瞑って意識を整える。

 無理な時は無理、ベストコンディションを保つためには心を落ち着け時を待つのが一番だ。

 長年の経験で得たそれを信じ、自分しかいない暗闇の中で逸る心を鎮めていく。

 

 その過程でようやく脳に血が通い、周囲に目を向ける余裕ができた。

 

「ここは……どこだ?」

 

 白い内装、部屋を区切るためのカーテン……どことなく学校の保健室を思わせる。

 どう見ても面会室ではない。

 

「そもそも俺に何が……ッそうだ」

 

 ミストレス・アドラー、あいつが何かしでかしたのは間違いない。

 奴が俺に手を翳した瞬間、どうしようもない痛みに襲われた。

 ……あの、自分が根本から作り替えられるような不快感と、肉や骨が弾けて一つにまとめられる苦痛は、喧嘩に慣れている俺であっても二度と体験したくない。

 

 そう思うと、今度は別の形で(アタマ)に血が昇りそうになる。

 一体なんの了見があって俺を痛めつけたのか、問いたださないと気が済まない。

 

 すぐさまベッドから降りようとして──さらり、と何かが視界で揺れた。

 最初は虫かと思ったが、一挙一動に付いてくる。というかなんだか頭が重──待て。

 

「いや、はァ? なんだこれ、え、──まさか、、か……!?」

 

 髪だ。長い黒髪が、視界の端で揺れている。

 慌てて後頭部に手をやると、やはりそこから生えている。それも大量に!

 恐る恐る、髪を梳かすように手をやれば──腰辺りまで伸びていた。

 

「お、おいおいおい、待て、どういうことだ!?」

 

 俺の髪はせいぜい耳に障るぐらいの短さだったはずだ。こんな長いはずがない。

 ハゲなら喜ぶかもしれないがあいにく俺の毛根は最盛期だ! 喜ぶどころか困惑しかない!

 

「っていうか妙に視界低くないか!? 俺の一八〇近かった身長はどこに行きやがった!!」

 

 慌てて両手で身体を弄るも次々異常が見つかっていく。日差しを知らない白い肌、筋肉のかけらもない細腕、少し走ったら折れてしまいそうな頼りない脚、()()()()()()()()胸元!!

 そして極め付けが──

 

「な、ない! 俺の息子が!?」

 

 情報収集で散々役に立ってくれたマイサンがない! どこにもない! 家出したのか、家出できるものなのか!?

 俺が復讐のために費やした四、五年のうちに気軽に取り外せるほど医療技術は進歩しているとでも言うのか!

 それが判明した瞬間に恐ろしくて手を引っ込めたから詳しいことはわからないが、膨らんだ胸と合わせると──もしかしたら()()()()()()()……!

 

「う、うおお……!!?」

 

 どれだけ唸っても身体の状況は変わらず、むしろ前より高くなった声が強調されてしまっている。

 前の声もダミ声というわけではなかったが、殊更美声でもなかった……しかし、細っこい喉から出力される今の声は随分とハスキーで、それにすら違和感を覚える始末。

 

「クソ、クソクソ! なんだってんだよ!!」

 

 こうなったのもおそらくミストレス・アドラーのせいだ! あの野郎ふざけやがって、何やったかは知らないがマジで一発殴らねえと気が済まねェ!!

 

「問いただすのはその後だ! 人の了承も得ずにこんなことした落とし前は付けさせてやらァッ!!」

 

 周りを囲っていたカーテンを荒々しく横にずらし、頼りない脚でズンズンと突き進む。

 内装はやはり保健室のようで、だからと言って俺の怒りを鎮めるには瑣末に過ぎる。最終学歴中卒を舐めるなクソが、などと吐き捨てながら出口に向かって猪突猛進──

 

 

 ──する寸前に、備え付けられた姿見に自分の姿が映った。

 

 

 視界の端で、わずかに捉えただけだったが。

 まさか、そんな。

 そんなこと、あり得るわけが──

 

「……っ」

 

 俺の脳髄が“それを見るな”と、怒りを打ち消すほどの警笛を掻き鳴らす。

 けれど、俺の身体は止まらない。

 

 夢見たそれに手を伸ばすのは、理性ではなく本能で。

 夢見たそれを瞳で追うのは、心に沿うに等しくて。

 

 ゆえに、何をしようが、止められない。

 

 

「──ぁ」

 

 

 うろこ一つなく磨き上げられた姿見に、その全身が映り込む。

 

 長い黒髪。射干玉のように、白い光を撥ねている。

 細っこくて小柄な身体は、どこまでも人の庇護欲を誘う。

 そのかんばせは楚々として、笑顔が似合う顔立ちで。

 日差しを知らぬ白雪の肌は、家に篭りがちだったあの頃のまま。

 

 

 “お兄ちゃんっ!”

 

 

 それは紛れもなく、“彼女”の姿。

 理不尽に奪われ、失ってしまった──最愛の妹、そのものだった。

 

「ぁ、あ」

 

 手を伸ばす。

 失ったものを、どうにか繋ぎ止めたくて。

 どうか何処にも行かないでくれと、縋るように無意識に。

 

 けれど、鏡の中に映る君も、そのようにして手を伸ばす。

 その顔は今にも泣きそうで、(ぼく)に助けを求めるように。

 

 

 “おにい、ちゃん”

 

 

「ぁ」

 

 嗚呼、本能よ、脳髄よ。

 やはり、おまえは正しかった。愚鈍な(おれ)を許してくれ。

 

 

 (ぼく)は、

 

 

 “おにいちゃあん……っ!”

 

 

 (おれ)は、

 

 

 “どこ、いるの”

 

 

 この、鏡を、

 

 

 “さむいよ……いたい、よ”

 

 

 見る、べきでは、

 

 

 “たすけて……おにいちゃん”

 

 

 なかった。

 

 

「ぁ、ああ、嗚呼あ、あああああアアアアアああぁぁぁぁぁぁぁ嗚呼ぁあああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛あ゛あ゛あ゛ア゛────ッッッ!!!」

 

 

 俺は発狂した。




トラウマスイッチっていいですよね。


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第五話 終身名誉ゲロイン

「……んぶぇ」

 

 奇怪な呻きとともに目を覚ます。起きてすぐ、喉に栗でも放り込まれたかのような焼け付くような痛みが走る。

 げほげほとわざとらしく咳をすると、覚えのある症状に顔を顰めた。

 

「俺、あの後……ゲロ吐いたのか」

 

 四、五年前に散々吐いたからわかる。これは胃液で喉がやられている時の痛みだ。

 できれば二度と経験したくなかった。……最近、そんなことばかり言っているような気がする。

 胸のむかつきを抑えながら周りに目を向けると、ここがついさっきまで寝ていたばかりの保健室のベッドだということに気づく。

 

 ぺたぺたと自分の病衣に触れてみるも、寝汗で少し湿気っているくらいでツンと来る胃液の臭いはない。

 

「これは……つまり、誰かが、」

 

 

「その通り〜」

 

 

 がさり、とカーテンが横にずれる。

 咄嗟に身をかがめて逃げようとするも、ベッドに横になっている状態では逃げようがない。舌打ちしようとした瞬間、()()()()()()()()()()

 

「っむぁっ!? にゃ、にゃにふぃやがるッ!」

 

「わぁ〜〜〜、やっぱりとっても可愛い子ですね〜。怒ってるのも子猫さんみたいでかわい〜」

 

 うっわ背筋にゾクッと来た、なるほどこれが被捕食者の感覚……じゃなくて!

 

「ッ離せッ!」

 

「わひゃっ」

 

 力を振り絞って両手から逃れ、渾身の敵意を込めて睨みつける──も、眼前の相手はにこにこと、花が咲くように笑うままだ。まったく意に介していない。

 そんなに怖くないのかと、脳裏で自分が睨んだ姿を想像しようとして、

 

「う」

 

 ああ、ダメだ。本当にダメだ。

 脳裏であの子が睨みつけるという、かつての日常の一風景を思い浮かべただけで……吐きそうになる。

 我ながらなんと情けないことだろう、口元を抑えてうずくまり──背筋を優しく撫でられた。

 

「大丈夫ですか〜?」

 

 その声は平坦で、抑揚はなく、撫でる手つきも不器用で、聞き取れる心を感じさせない。

 ただこちらへの気遣いだけが事実として込められていて、それが下手な慰めよりも心強い。

 わずかに頷き、しばしの甘えを享受した。

 

 こんなことをしてもらうなんて、いつぶりだろうか。

 吐き気で濁った頭にそんな疑問が浮かんだが、答えを出すような余裕はなかった。

 

 ──ようやく吐き気がおさまった頃、口元から手を剥がし、深呼吸して心身を落ち着けていく。

 俺の様子を見てもう大丈夫だと察したのか、背中から手が離れていき、それを契機として俺はゆっくりと顔を上げた。

 

「ふぅ……助かった、ありがとな」

 

「いえいえ〜。困った時はお互い様ですよ〜」

 

 語尾伸びしている口調が特徴的な彼女は、ゆるいウェーブがかった茶髪の可愛らしい女の子だった。

 大学生というには幼すぎるから、年はおそらく十五から十七だろう。推定十九歳の俺から見れば年下だ。

 ……もっとも今の俺が本当に妹そっくりなら、外見年齢は良いとこ中学生だから、傍から見れば俺の方が年下なのだが。

 

 胸中でミストレス・アドラーへの怒りを燃やしつつ、姿勢を正す。

 怒りをぶつける相手を間違えてはならない。そして感謝には感謝を、同量返す。

 クズの溜まり場においても原始的な法として機能していたそれを義理と呼ぶ。それを弁えていたからこそ、俺は復讐を果たせたのだから。

 

「それで、あー……俺の吐瀉物を片付けてくれたのは、君、か?」

 

「そうですよ〜? ものすごい悲鳴が聞こえたと思ったら、ぷっつり止んで……見たら吐瀉物の中に倒れ込んでる()()()がいて、びっくりしたんですから〜」

 

「そ、そうか。……思った以上に凄惨な現場じゃねェか、おい

 

 なんでもないように語っているが、意識を失った人体というのは非常に重い。それを持ち上げて服を取り替え、ベッドに寝かせる……言葉に起こせばこれだけだが、その苦労は凄まじい。

 それもゲロの海に沈んだ汚物(おれ)を、だ。恐ろしい重労働を背負わせてしまったことに、罪悪感を抱く。

 

「改めて言うが、助かった。君がいなかったら俺ァまだ吐瀉物の中だ」

 

 同時に深く頭を下げて、改めて謝意を示した。

 

「いえいえ、そんな畏まらなくても〜。あなたもミストレスさんにスカウトされたのでしょう〜? なら仲間ですよ、私たち〜」

 

「……スカウト……まあ、確かにされた、な、そうだなァ、うん」

 

 そもそも人の身体を勝手に弄り回して了承も得ずに連れてくるのは、もはや誘拐ではなかろうか。

 スカウト自体はされたが、それを断ってこうなった身としては釈然としないものの、あまり事情を説明したくはない。

 ……男が女に造り変えられるとか、誰が信じるってんだよクソが。

 

 沸々と湧いてくる怒りを深呼吸で鎮める。

 まずは情報を集めなければ。

 

「そもそも、ここはどこなんだ? ミストレス……さんにスカウトされた後の記憶がねェんだよ」

 

 彼女はにこにこと、戸惑った様子もなく口を開く。

 

「ここは日本魔法少女協会(MAGI)の保健室ですよ〜。もう知っていると思いますけど〜、ミストレスさんはここの代表を務めているんです〜」

 

「……おう」

 

 知らねェ。

 なんてことを臆面もなく言おうものなら不審がられることは間違いないので、とりあえず知っている風を貫き通すしかない。

 

 だが、日本魔法少女協会が何かぐらいは知っている。

 

……魔法少女……魔法少女だと? なんだってそんなモン……!

 

 魔法少女。数十年前に現れた人類に敵対的な()()、通称『シン棲種(アマイガス)』を滅ぼせる存在。

 その名の通り女性にしかなれないが、その戦闘能力は圧倒的で、ミサイル並みの攻性能力と特異性を持ち合わせている。

 そのため『人が多いところに出現する』性質を持つアマイガスとの戦いを有利に進められることから、メディアでは彼女たちをヒーローとして扱っている。

 

 そして彼女たちの支援拠点として作られたのが『日本魔法少女協会』──だったか。家族と一緒に朝のニュースを眺めていた頃の知識だが、そう間違っちゃいないはずだ。

 

「よし、よし、ある程度考えがまとまってきた」

 

 状況を整理しよう。

 

『俺は目覚めたら女になっていた。』

 

『ミストレス・アドラーは日本魔法少女協会の代表を務めている。』

 

『魔法少女は世界を守るヒロインである。』

 

()()()()()()()()()()()()。』

 

 ──段々と膨れ上がる疑念、確信。

 あの時、俺をスカウトしにきたミストレス・アドラーはなんと言っていた。

 

 

 “ともに世界を救わないかな?”

 

 

 そして先ほど、目の前の少女はなんと言っていた?

 

 

 “ あなた()ミストレスさんにスカウトされたのでしょう〜? なら仲間ですよ、私たち〜”

 

 

 つまり──

 

「一つ聞いていいか」

 

「いいですよ〜」

 

()()()()()()()?」

 

 端的な俺の言葉を受けても、少女の貌は何も変わらず、その微笑みは曇らない。

 それこそが何よりも雄弁な答えであり──彼女は、懐から片眼鏡を取り出した。

 

 一体それがなんなのか、俺が口を開く前に、彼女はそれを胸元で握りしめる。

 まるで神に祈るように、彼女の口から意味ある言葉が紡がれた。

 

 

「《変身(アマド)》」

 

 

 刹那、握られた両手の隙間から淡い光が溢れ出す。

 その光は少女の腕を液体のように滴り、彼女の身体に行き渡る。その様は敬虔な修道女が海面に沈み込むような──信仰に殉ずる残酷さを思わせた。

 

 やがて顔をも覆い隠した淡光(たんこう)が、つま先から順に晴れていく。

 

 無個性だった彼女の服は、白衣を基調とした黄の衣装に。どこか大人びたシンプルな装飾に飾り付けられ、それでも少女らしい可愛らしさを発している。

 彼女の手は白手袋に包まれ、どこか機械的な指輪が一つ、片手の指にはまっていた。

 

 茶髪だった髪は先ほどよりももっと明るい黄色へと塗り変わり、顔立ちこそ変わらないものの、わずかばかりの化粧が彼女の柔らかな印象をさらに受け取りやすくしている。

 

 そして黒が際立つ片目には──先ほどまで手に持っていた、怪盗を思わせる片眼鏡。

 

 一瞬で見違えるほどの()()を遂げた彼女は、どことなく誇らしげに、けれど先ほどと変わらない微笑みでウィンクする。

 

「魔法少女イエローアイ──うふふ、これからよろしくお願いしますね〜?」

 

「……まったく」

 

 本当に──あの野郎は。

 どこまでも、どこまでも、ふざけた真似をしてくれる。

 

 

()()()()()()()()()()()()だな、ミストレス・アドラー……!」

 

 

 どこからか、彼の高笑いが聞こえたような気がした。



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第六話 不良仕込みのファーストパンチ

 我ながら突飛な考えだ。

 だがこれ以上、ミストレス・アドラーの画策に相応しい考えもまた、浮かばない。

 何より、人の身体を女にしてしまうような人外であれば、このようなことでもおかしくないとさえ思えてしまう。

 

「……ッチ」

 

 やはり、やるべきことはただ一つ。

 ミストレス・アドラー、奴を問い詰め詳しい事情を吐かせるのだ。

 俺の考えは所詮考察でしかない。他人の真意なんて本人にしかわからないものを考えすぎるのは時間の無駄だ。

 幸いにしてここは日本魔法少女協会(MAGI)、その代表であるならば、ミストレス・アドラーはここにいるはずだ。

 

 そして道案内ならば──目の前でポーズを決めている、打ってつけの少女がいる。

 

「もう一つ、頼みたいことがある」

 

「? はい〜?」

 

「起きて早々、色々頼み込んで悪いと思うが──道案内をしてくれねェか」

 

 君もよく知る、ミストレス・アドラーのところへと。

 俺の言葉に、魔法少女イエローアイの微笑みがわずかに深まったような気がした。

 

 

 /

 

 

 彼女の跡を、雛鳥のように付いて離れず歩いていく。

 コツコツと廊下に反響する不協和音じみた脚の音を背景に、俺は身体と意識を馴染ませるのに必死だった。

 脚がもつれて転びそうになり、意識的に動かさなければ両手両脚を同時に踏み出しそうになる。激減した身長による感覚の違いも相まって、まるで自分の身体でなくなってしまったようだ。

 

「大丈夫ですか〜?」

 

「お、ぉう、大丈夫、だっ」

 

 すでに変身を解いた少女に先導されながら、男女での骨格やら筋肉やらの差異を思い出す。

 早急に慣れてしまいたいが、女の動きに慣れてしまったら今度は男に戻ったときに酷い目に遭いそうだ。

 

「そ、うだっ」

 

 うっかり鏡を見たら吐き散らかすような身体で、日常生活を送れるはずがない。

 意識が女に調整されてしまう前に、さっさと男に戻らなければ。なによりも俺の健全な精神のために。

 

 時折倒れそうになるのを少女に支えてもらいながら、覚悟を下に自分の脚で廊下を歩く。

 さらにエレベーターを使わずに階段を登るとか、あえて自分の身体に無理を押し付けて動かしていると、やはり自分の脚で歩いていたのが功を奏したのか段々と脚が意識通り動き始めた。

 

 付き合わせてしまった少女には悪いが、こうでもしなければ()()()()()()()()()

 

 

 やがて建物の上層に着くと、廊下で通り過ぎていったものとはまた異なる──巨人でも通れてしまいそうな黒木のドアが現れた。

 

 少女が言うには、ここがミストレス・アドラーの執務室であるという。

 本当は()()()に紹介するのが先なんですけど〜、と息を吐いていた彼女に改めて頭を下げつつ──最後にひとつ、言葉をかけた。

 

「ところで──ミストレスさんの『変われ』、これに聞き覚えは? 別にそれに限らず、同義語ならなんでも良いんだがよ」

 

「? 何かの謎かけですか〜?」

 

「いや、普通に聞き覚えはあるかってだけサ。ないならないで構わねェ」

 

 少女は顎に手をやり、考え込む仕草を取って……首を振る。

 

「聞き覚えはないですね〜」

 

 その朗らかな顔を見て、ああやはり、と胸中でミストレス・アドラーに唾を吐き捨てる。

 彼女は本物の女の子だ。おそらくは()()()も。

 

 ──奴に言ってやりたいことが増えたぜ、クソッタレが。

 

 そんな内心はおくびにもださず、手を振りながら去っていく少女を見送る。

 ……これから先のことは、あまり人には聞かれたくない。

 

「さァて」

 

 ゆっくりと息を吐き、ワンツー、ワンツー。

 掌を開き、また閉じて、軽く屈伸をして身体を整える。パン、と両手を激しく打ち合わせ、ひりつく痛みに口角を上げる。

 

 俺は非力だ。貧弱で、男だった頃とは比べ物にならないほど弱い。

 この細腕では公園に落ちている木の枝を折るにも苦労するだろうし、足腰も脆い。

 それは認めよう。

 認めた上で、今どうすればいいのか考えるのだ。

 

 少ない手札でどう戦うか。

 いつも考えていたことだろう、俺よ。

 

 ドアに手をかけ、……俺の膂力では重すぎるので、体重をかけてドアを押し込み、中に入った。

 

 

「やあ、さっきぶりだね。元気してるかい?」

 

 

 ──内装がどうとか、そう言ったものがすべて吹っ飛ぶほどの美しさ。

 あるいは面会室、何もない白ゆえに『それ』しかなかったものが、内装という比較対象を得てしまったことでさらに際立っているのだ。

 

 おそらくその美しさの前では、あらゆるものが従ってしまうだろうと──無意味な確信まで抱いてしまう。

 

 

「ふふ、改めて見るとやはり可愛らしいね。もちろん私ほどじゃないけれど」

 

 

 腰を落とし、脚を縮ませバネのように力を溜める。

 一歩一歩、着実に。空回らないようゆっくりと。

 ──悟られないよう、内なる怒りを潜ませて。

 

「ああ、そういえば肉体と意識の差異はどうかな? 今歩けてるところを見るにある程度調整できたようだけど、何か不便があったら存分に言ってくれたまえ」

 

 近づく、ミストレスが座る机へと。

 捉え、られるか─

 

「ん? 何か用向きがあって──」

 

 

 

「っしゃ死ねオラァアアアアアアアアッッ!!!!!」

 

 

 

 無防備に乗り出した上体、その鳩尾に渾身の拳を叩き込む! 

 人間、掌を閉じればいつでもお手軽に武器を得られるんだよ! 喧嘩と尋問に明け暮れた俺の積年パンチを喰らえやこの男女(オトコオンナ)ァッ!! 

 

 どむ、とわずかに拳が沈み込む感触に命中(クリティカル)を確信する。いくら非力になったとしても体重を乗せた拳を弱点に喰らえばキくはずだ。

 

 そう、キくはずだった。

 実際、キいたのは間違いない。

 

「〜〜〜〜〜ッッッっ!!?」

 

 ()()()()

 

 忘れがちだが、基本的に人間の拳は何かを殴ると反作用で痛みが返ってくる。だから普通の人間が何かを正面から殴ろうものなら逆に悶えることになる。

 

 だがそれでもめげずに殴り続けていると、段々と拳の骨が変化していき、反作用を喰らってもそれほど痛みを感じなくなるように変化していくのだ。

 俺も実際にそうだったから、今の今まで忘れていた。

 

 筋肉も骨格も足腰も弄られ、腕に至ってはもやしのごとき貧弱さな俺が何かを殴ろうものなら──

 

「ッッッ痛ぅっ……!」

 

 ──このように、無様な姿をさらすことになると。

 赤く腫れた掌を抑えて後ろに飛び退き、胸の辺りに押し付けながらへたり込む。心なしか視界もどこか滲んでいて、情けなさで喉が詰まる。

 

 まったく考えていなかった、今の自分の肉体強度をまったく考えていなかった。

 ならば脚で顎を狙いにいくべきだったか、そう考えてかぶりを振る。俺の身長の低さだと、必然的に脚も男であった頃から縮んでいる。いくら奴が上体を乗り出していても顎にまで届かない! 

 しかもまだ完璧に操れるとは言い難いのに、無理にハイキックなんざかましても自滅するだけ。

 

 つまり何もかもミストレス・アドラーが悪い。

 

「おのれここまで考えていやがったかミストレ……ス?」

 

 恨み辛みを込めた言葉とともにミストレスを見た俺は、その異様な光景に思わず疑問符を浮かべてしまった。

 

 ──突っ伏している。

 あの、いつも超然としていたミストレス・アドラーが。

 高そうなモダンの机に、頭を突っ伏していた。

 

「……ふ、ふふ。まさか初撃で、それも身体が慣れていないのに鳩尾を狙ってくるとはね……さすがは元アウトゴホッ」

 

 しかも思いっきりむせた。

 

「……なんでテメェが悶えてんだよ」

 

「いやあ、ね? 実際に悪いことしたなぁって思ってたゴホッから、一発殴られてもいいように肉体強度を常人程度にゲホッ引き下げていたんだよね。それでもひ弱な少女の拳なッゴホら受け切れると踏んでいたんだゴホゴホけれど……」

 

「むせながら喋るな聞き取りづれェ……」

 

「こうしたのは君なのにひどいことゲホッゴホッゥエッ

 

「拳が痛ェ……」

 

 ──閑話休題(数分後)

 

 何やらボソボソと呟いたと思ったら復活し、とびきりの笑顔を向けてくるミストレスに気持ち悪いものを見る目をくれてやりながら、対面に用意されたソファーに座る。

 もはやこいつの前で姿勢を正す必要性を感じないので、遠慮なく脚を組んでミストレスを睨みつけた。

 

「さて、そろそろ聞かせてもらおうか」

 

「何のことかな?」

 

「しらばっくれんじゃねェ」

 

 親指を自分に向けて突き出し、己の心を吼える。

 

俺を魔法少女にする、なんていうクソにも劣る所業をしでかそうとするその魂胆(ワケ)、とっとと聞かせてもらおうか……!!」

 

 俺の言葉に、ミストレスは笑う。

 その微笑みは、どこまでも、どこまでも──化け物らしい笑みだった。

 

 ……随分とまあ、親しみが持てる化け物だが。



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第七話 魔法少女刑

「ふふ、目覚めて少ししか経っていないのに、すぐにそれに辿り着くとはね。君を見込んだ者としては鼻が高いよ」

 

「与えられた要素を組み立てればすぐにわかるだろーが。茶化してねェでさっさと答えろ」

 

「まあまあ、慌てない慌てない。きちんと説明してあげるとも」

 

 ミストレスが片手を振ると、俺たちを挟むソファーの上に一枚の紙が現れた。

 もはや超常を隠そうとしないミストレスに呆れつつ、その紙を取り上げる。

 

「これは……棒グラフか? なんのグラフだ、これ」

 

()()()()()()()()()()()()

 

「っ!?」

 

 さらりと告げられた言葉に絶句してしまう。グラフには45とか、ひどい時には102とか、そんな数字が記されている。

 そのすべてが年間死亡者数、ミストレスはそう言ったのだ。

 

「……確認するが、これはアマイガスとの戦闘によるもの……だな?」

 

「その通り。日々出現するアマイガスに対処するため魔法少女が駆り出され、そして対処できずに死んでいく。そんな例が後を立たないのさ」

 

「政府は何してんだ。こんだけ死んでたら民衆に突き上げられて……」

 

 そこまで言って、ハッと気付く。

 つい先ほどまでの俺はこれを認識していなかった。魔法少女という存在の死亡者数など、知る由もなかったのだ。

 すなわち、何かに誤魔化されているということ。そして国家には、そういうのがお得意な組織というものが存在する。

 

「……メディアか」

 

「そういうことさ。ヒーローとして支持を集める魔法少女という存在は、()()()()()()()そうされているだけに過ぎない。事実として人々を救うヒーローであっても、実情を見ればこんなものさ」

 

「相変わらず中立の立場を捨て去っているようで何よりだな、クソが」

 

 メディアが全面的に協力しているなら、暴露なども起こらなかった──握り潰していたのだろう。報道するメディアを抑えてしまえば話題も広がりようがない。

 だが、なるほど。メディアの過剰な魔法少女アゲにこのような裏があるとするなら、見えてくるものがある。

 

「あんだけヒーローとして報道してりゃ、人も自ずと集まってくる……か」

 

「加えて言えば、政府は魔法少女への手厚い支援を表明している。扱いとしては国家公務員で税金から出る給与も高いから、貧乏な家庭の子女が逆転を求めて志願することも多い──が、結果はこの通り」

 

 命を担保にして稼ごうとしてすべてを失う。珍しいことではないが、それが年頃の少女──それもこれだけの数に起こっていると考えれば薄寒いものがある。

 その中には、きっと幼い頃の憧れのままに志願して、その果てに届かず墜落した者もいるのだろうから、なおさらに。

 

「そこんトコ、日本魔法少女協会の代表サンとしてはどう考えてんだよ、オイ」

 

「痛いところを突くね。うん、日本魔法少女協会はこれの改善に取り組んでいる。魔法少女のレベルに適した支部に振り分けたり、危険なアマイガスの発生を感知したら他支部の強力な魔法少女に支援を要請するとかのシステムを整えたり……ね」

 

 ただ、と前置きしてからミストレスはため息を吐く。

 

「魔法少女の中には部活感覚で近くの支部に勤めている者もいるし、そう都合良く強力な魔法少女の予定が空いていることもない。端的に言えばシステムが完璧に整っていないんだ。

 加えて魔法少女の給与は歩合制だ。強力なアマイガスを仕留めればそれだけ貰えるから、他支部に要請する者も少ない」

 

 グッダグダじゃねェか、とは思うものの、口には出さない。今まで魔法少女の恩恵で無事に生きていた俺が何を言おうと意味のない批判だからだ。

 それに、目の前の現実に争っている当のミストレスを見れば、そのような言葉は軽々しく口にはできない。

 

「政府としては、そもそも死ぬことを前提として高い報酬を約束している側面もあるから、あんまりシステムが整って死者数が少なくなると資金が枯渇しかねない。だから妨害も時折入る。

 まったく、こんなこと()()は望んでいないというのに」

 

「彼女?」

 

「──ああ、こちらの話だ。聞き流してくれたまえよ」

 

 つまり触れられたくない話か。誰しもそういうものはある、人外でもそれは同じということだろう、と首肯すれば、ミストレスの口角が歪む。

 

「人は愛おしいが、物分かりが悪いのが玉に瑕だ。君がそうでなくて助かるよ」

 

「世辞は受け取っとくぜ。ともかく、俺の立場からすればクソ政府としか思えねェが……」

 

「お互いのスタンスの差はあれど、きちんと考えることはあるのさ」

 

 なるほど、政府も何か手を打っていると。であればその構図を考えよう。

 日本魔法少女協会(ミストレス)は死者数を減らしたい。

 日本政府はとにかく数を動員したいが、金がないので死なないのも困る。

 彼の言い分をすべて信じるのはどうかと思うが、今はそれしか情報がないのでそれを前提に考えると──

 

()()()()()

 

「……ふふ、話が早いね。そう、政府も無策じゃない」

 

 死んでも誰も困らず、外部から隔離されているから隠蔽も容易く、単純に頭数に入り、それどころかやりようによっては金すら払わず死ぬまで酷使できる。

 そんなおあつらえ向きの連中がいる。

 

「『情状酌量の余地がある死刑囚』にのみ適応される、()()()()()()()()()──」

 

 

「──通称、魔法少女刑

 

 

「君がそのモデルケース、第一号というわけさ」

 

 

 /

 

 

 告げられた事実に言葉を返さず、身体を柔らかなソファーに沈める。

 数瞬の静寂の後、息を吐いた。

 

「……首吊って死ぬ手間かけさせる前に、戦って死ねってことか?」

 

「違うさ。言っただろう、『情状酌量の余地がある』と。魔法少女として戦うことが罰、そう考えてくれ──」

 

 すなわち、戦い続ければそれだけ罰を受けることになり、いずれ釈放されることすらもあり得る。

 そう続けたミストレスに、ひとつ、問うた。

 

「それは強制的なモンか?」

 

「いいや? もちろん拒否権はあるとも。その場合通常通り死刑執行までの間、拘置所で過ごすことになるから、断ることはないだろうと政府高官は考えていたけれど」

 

「じゃあ断ったのに女にされたのは?」

 

「私の勝手さ。私は君を、()()()()()()()()()からね」

 

 その笑顔に欺瞞はない。それがわかってため息を吐く。

 どうやら本当に、とんでもない化け物に目をつけられてしまったらしい。

 

 ──ミストレス・アドラー。こいつは決まりを破ることに一切の呵責を覚えていない。

 それは生まれ持っての悪性だとか、そういったものでは決してない。それらを尊重する心はあるくせに、いざとなれば平気で破り、それを当然だと考えている。

 

 いわば法よりも人を上に置いているのだ。

 化け物らしいと言えばそうだが、まったく。

 

「………………」

 

 法的には問題がない、ということはわかった。魔法少女として戦うことが、俺に与えられたもう一つの罪の形であることも。

 

 ──だが。

 

「ミストレス。俺をこの容姿にしたのはテメェの趣味か?」

 

「違うさ。私はあくまでも君を少女に変化させただけ。その時、遺伝子情報はそのままに、“もしも君が少女だったら”という仮説の下再構成される。もしも君が誰かに似ているというならば、それが少女である君という夢の構成要素になっただけの話だよ」

 

 そうか。

 

「やっぱり、俺には無理だわ」

 

「ふぅん?」

 

「鏡を見たら、思っちゃうんだよ。苦しみ抜いて死んだあの子が……実はもう俺は俺じゃなくて、あの子が成り代わって生きているんじゃないかって、そんな夢に囚われるんだ」

 

 そんなことはあり得ない。俺は俺として生きていて、あの子はあの時死んだのだ。

 それはもう覆らない。けれどどうしても夢見てしまう──あの子が生きていたのなら、と。

 

「そもそも俺は殺人鬼だ。普通の女の子に、何か悪影響でも出たら俺はそれこそ奴らと同じだ」

 

 だから怒った。こんな俺を彼女たちの仲間として扱うなんて、と。

 

「金も、自由も、何もいらねェ。俺はもう……終わってる」

 

 誰かを殺した罪は、死で償わなければならない。

 俺はもう、己自身にそう定めている。

 それを翻すことは……できない。

 

 言い切った俺を、ミストレスはじっと見ている。

 俺もまた、彼の瞳を見返して──先に折れたのはミストレスだった。

 

「……ふぅ。わかった、そこまで言うならそのようにしよう。ただそれには時間がかかるし、何より私の気が進まないから、しばらくは遅めのモラトリアム期間といこうじゃないか」

 

「ぶっちゃけたな、オイ。ま、それでいいさ。いくら時間をかけても、俺の結論は変わらねェし」

 

「ただ、私にも言いたいことがある」

 

 ミストレスはピシャリと言って、その長い指で俺を指す。

 自然、部屋中で緊張感がひりつき、背筋がピンと伸びた後で、彼は言った。

 

()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……は、」

 

「以上、私の言いたいことは終わりだ」

 

 呆然とする俺から目を離し、ミストレスは席を立つ。

 黒塗りのドアに手をかけた彼は、振り向きざまにこちらに向かって何かを放る。

 

 慌ててそれを受け取ると──

 

「……水晶玉?」

 

「それは()であり、()であり、()()()()()()()()だ」

 

 透き通った水晶玉からかけ離れた、どこか哲学じみた言葉に眉を顰める。

 

「……どういう意味だ?」

 

「そのままの意味さ。それを肌身離さず持っていたまえ、悪いことにはならないからね」

 

 悪戯っぽくウィンクを落とし、彼は執務室から去っていく。

 残された俺は、掌を転がる小さな水晶玉を眺めて、つぶやいた。

 

「……本心? 逃げ? 行き詰まり?

 そんなの──そんなモン、わかりきって……」

 

 そこから先の言葉は。

 何故か、どうしても、出てこなかった。

 



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第八話 日本魔法少女協会本部

昨日は更新できず申し訳ありませんでした。
色々立て込んでおり、加えて内容にウンウンと悩むこともあるため、時折このように空く事があると思いますが、ご了承ください。


 ふらふらと廊下を歩く。

 脳裏にはミストレスの言葉がずっと反響し続けていて、意識は明晰だというのに深い水底を歩いているようだ。

 

 何もかも定かでない中で、手の中で転がる小さな水晶玉の硬さだけが俺に現実を伝えてくれる。

 ……これは俺で、ミストレスで、そして俺とミストレス以外の誰か。

 

「ダメだ……まったくわかんねェ」

 

 謎かけか、と思うものの、ミストレスはそのままの意味だと言ったのだ。

 彼が無意味な嘘を吐くとは思えない。ただあまりにも哲学的すぎて、考えれば考えるほど理解できなくなる。

 

 ウンウン唸りながら歩いていると、どこからか足音が聞こえてくる。

 俺のものではなく、この聞き覚えのある足音(リズム)は──

 

「イエローアイか」

 

「正解〜」

 

 さっきぶりの抑揚のない声に、何故か安心感を覚えてしまう。

 後ろから階段を経由して追いついてきたらしい彼女は、穏やかな笑顔を浮かべていた。

 

「それで〜どうでした〜? ミストレスさんと話したんですよね〜?」

 

「ああ……ちょっとな」

 

 曖昧にぼかして、彼女から視線を外す。

 彼女を、魔法少女を見ていると、あのグラフを思い出してしまう。

 あの残酷な数値という名の現実を、彼女は知っているのだろうか。余計なお世話だとわかっていても、そればかり気になってしまうのだ。

 

 はっきりしない俺の態度に、彼女は不思議そうに目を瞬いたものの、すぐに笑顔に戻って俺に手を伸ばす。

 

「詳しいことは聞きませんけど〜……()()()()()()()ですね〜?」

 

 突きつけられた言葉に苦笑する。

 こんな女の子にまで看破されてしまうほど、俺の態度に出ていたのか。情けなくてため息まで出そうだ。

 

「……わかっちまうかァ。そんなに俺、わかりやすいかな?」

 

「そんなに所在なさげにふらふら、歩いていたら誰にでもわかりますよ〜」

 

「……そうか。ったく、もう四年も前に、迷わないって決めたはずなんだけどな」

 

 今俺は迷っている。すでに定めたはずの決定が、彼の言葉で揺らいでいる。

 思わず自嘲の言葉が漏れてしまう。間違っても、出会ったばかりの少女に吐露することではないだろうに。

 

 少女は微笑んでいる。思いっきり笑ってくれてもいいのに、何も感情を持たないただの微笑みを浮かべている。

 今は、その優しさが染み渡──

 

「あはは〜。初めて来るところですし、迷っちゃうのは仕方ないですよ〜」

 

「……ぅン?」

 

 その言葉にどこか、深い行き違いを感じた瞬間。

 彼女はこちらに手を伸ばした。

 

「もう迷わないよう〜、私が案内してあげます〜」

 

「……………………ハァ」

 

 脱力した。

 

 

 /

 

 

 俺の勘違いはともかく、彼女の提案は渡りに船だ。……適当に歩きすぎて迷っていたのは事実なので。

 そんな訳でイエローアイに導かれ、施設を巡ることになった。

 

 まずここは、保健室で彼女が語っていた通り日本魔法少女協会、MAGIの本部であり、地理的には東京二十三区に位置している。

 

 何故東京なのか。それは東京が日本の首都──『日本で最も人口が多い場所』だからだ。

 それすなわち、アマイガスの被害が最も出やすい場所、ということを意味している。対アマイガスの矢面に立つ日本魔法少女協会、その本部が置かれるのも道理だと言えるだろう。

 なお、同じ理由で有力とされる支部はそのほとんどが政令指定都市の支部である。

 

 彼女の語り口によれば、本部や有力な支部のサポート力は非常に優秀らしい。

 加えて発展した都市に属しているため気軽に遊びに行けて便利だそうだ。

 

 年頃の少女らしくて、久方ぶりに心が安らいだのは秘密である。

 

「ここが〜私たちに与えられた自室ですよ〜。本当はたくさんあるんですけど〜本部に属している魔法少女の数が少なくて〜あんまり使っていないんですよね〜」

 

「税金の無駄じゃねェかな、それ……」

 

 居住区画には百以上の個室が設けられていたが、そのほとんどが使われていない。

 思わず苦言を呈したものの、本当は魔法少女の家族も保護目的で入ることができるという。ただ今現在その制度を使っている魔法少女は一人だけだそうで──

 

 ──天涯孤独、そう思ったが口には出さなかった。

 

 そんなこんなで案内は進み、ある程度施設の構造を理解した頃。

 

「実は、紹介したい子たちがいるんです〜」

 

 イエローアイからそう切り出されるも、すぐに察しがついた。

 彼女は俺がミストレスにスカウトされ、魔法少女になったと思っている。おそらく、紹介したい仲間とは──仲間の魔法少女。

 

 だからこそ、ここは断るべきだろう。今まではなあなあで誤魔化してきたが、きちんと“自分は魔法少女になる気はない”と、伝えなければならない。

 

「悪いけど、俺は──」

 

 

──ドゴォオオオッ!!!!

 

 

 まるで重機が壁に突っ込んだ光景を思わせる轟音が建物中に響き渡る。

 それは心構えも何もしていなかった俺の脳を深く揺らし、思わず立ち眩んでしまう。

 

「な、んだこの音……!?」

 

「この音は〜……あぁ〜」

 

 混乱する俺とは対照的にどこか納得するような声を漏らしたイエローアイは、小さくため息を吐き──「『変身(アマド)』」

 

「ちょっと急ぎますよ〜」

 

「はァ!?」

 

 急に変身したかと思えば、両手で俺の身体と脚を支えて抱き上げた。

 いわゆるお姫様抱っこだが、いきなり抱きかかえられたこちらとしてはただ困惑するばかりである。というか今の俺軽すぎやしないか。

 

 そもそも年頃の少女が破廉恥な……今は俺が女の子だから破廉恥も何もねェ!

 

「ちょ、敵襲なら俺が行く意味は……!!」

 

「そういうのじゃないですよ〜。これはちょっとした……()()()()()()

 

 なんだって、と聞き返す前に、イエローアイが地面を蹴る。

 トントンと軽快な足音とともに──自動車を思わせるスピードに加速した。

 

「うわっ、うわわっ、いや待て早いはやいっ!?」

 

 嘘だろ魔法少女ってこんなスピード出せるのか!? 人間としてどうなってんだマジで!

 

「あんまり喋ると舌噛んじゃいますよ〜」

 

「ふんっぐぐぐ」

 

「あら怖がってる子猫みたいで可愛い〜」

 

「ふんっぐぐぐぅうう!!!」

 

 口を閉じたまま不平を表明してやると、魔法少女イエローアイは小さく笑った……ような気がした。何分早すぎて目が回るのだ。

 そんなふうに廊下の背景と俺の視界を置き去りにして、轟音の元へと突っ走る。

 乗り心地はもちろんのこと最悪だった。

 

 

 /

 

 

 音の発生源は本部一階、出入り口近くのロビーだという。

 そこに入る前の廊下で急停止したイエローアイは、慣性をマトモに食らってうめき声をあげる俺を地面に下ろすと、ロビーの中を指差した。

 

 とりあえず後で文句言ってやる、などと思いながら指差す方向に目を向けて──その光景に、唖然とした。

 

 赤髪を後ろで束ねた少女が、()()()()()()()()()

 ちょうど思いっきり何かを殴ったような前傾姿勢で、荒い息を吐いている。

 その前にいるのは──椅子に座る、まだ中学生くらいに見える青い短髪の少女。

 

 紅い手甲に包まれた拳が、青髪の少女に当たる直前で止まっていた。

 見れば青髪の少女の前には薄い水色の膜があり、それが拳を堰き止めているのだ。

 

「……相変わらず短気ね。そんなに言われるのが悔しかったの?」

 

「……ああ、言われるのは悔しいさ。悔しくて、悔しくて……だけどそれ以上に、人をおちょくるテメエの根性に腹が立つ……!」

 

 赤い少女は拳を引いて、一拍の後鋭く少女に突き込んだ。

 だがそれも青い膜に阻まれる。ぎりぎりと拳を押し込んでも、空気のように触れられず、どうやっても侵すことはできない。

 そう自負するがごとく、眼前に拳があるというに青髪の少女は動じていない。

 

「人を安全圏から馬鹿にするみてえに眺めやがって……! ざっけんじゃねえ!」

 

「そう思うなら、自慢の拳で突き破ってみなさいよ。なんなら()()()()でもいいわ──ああ、でも」

 

 青髪の少女は首を傾げ、笑う。

 それはどこまでも明確に、赤髪の少女に向けた嘲りだった。

 

 

「あなたの第一魔法(よわび)じゃ、私の第一魔法(ちから)は破れないか。()()()()()()()()()()()()()

 

 

「────ぶっ殺す」

 

 少女の手甲が光り輝き、何か致命的なモノに変わっていく。

 それが()()()()()だと気付いた瞬間、隣に立っていたイエローアイが叫んだ。

 

 

「はぁ〜〜〜い、やめやめ〜! それ以上やるとミストレスさんに怒られるよ〜!」

 

 

「……ちっ」「ふん」

 

 互いに悪態を吐き捨てて、身体ごと顔を背ける。心底から顔も見たくない、そう主張しているかのようだ。

 青髪の少女は竹刀袋を持って椅子から立ち上がると、そっぽを向く赤髪の少女に顔も向けずにこちらに歩いてくる。イエローアイの隣を通り過ぎる刹那、

 

「……優等生気取りは楽しい? 人がわからないと、せっかくの笑顔も台無しね」

 

 そんなことをボソリと呟いて、去っていった。

 ……イエローアイの側にいた俺には、一目もくれてやらないで。

 

 やがて、ローファーで地面を蹴る音が遠のき、消え去った頃。

 

 ふと、イエローアイの顔から笑顔が消えた。

 それは一瞬だった。見間違いかと惑う間に同じ笑顔を浮かべていたが──それがかえって、ひどいことを言われたというのに未だ微笑んでいる矛盾性を匂わせる。

 

 赤髪の少女も苛立ったように歯を噛み締めており、部屋の主体である彼女たちがそんなことになっているからかロビー全体が剣呑とした雰囲気に包まれていた。

 

 そんな中で、唯一誰とも関わりが薄い俺だけが取り残されている。

 とんでもない現場に居合わせてしまった居心地の悪さが胸中に居座り、どこか釈然としない気分で──ぼやく。

 

「……なんつうか、全方面に喧嘩売ってるような子だったな」

 

 現実逃避じみた言葉は、やはり、部屋の空気を重苦しくするばかりだった。

 



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第九話 彼女の名前

 

「アタシは竜胆あかね。魔法少女レッドパッション……」

 

 明るい、ともすれば光の加減で赤にも見える綺麗な茶髪が特徴的なポニーテールの少女は、そこまで言って肩をすくめた。

 

「その顔は知らねえってカンジだな。これでも結構テレビで報道されてるんだぜ?」

 

「気にする必要はねェよ。四、五年くらい、テレビを見る生活の余裕がなかっただけだからな」

 

 何を食べていても、何を見ていても、何を考えていても脳裏から憎悪が離れることはなかった。ゆっくりテレビを見る余裕などなくて、必然的に魔法少女のことを知る機会もない。

 裏を返せばこの少女は今から四、五年までに活動を始めたということになるが……。

 

「…………」

 

「……なんだよ?」

 

 その竜胆あかねが俺のことをジッと見つめている。

 女性にしては高身長な彼女にジッと覗き込まれると、少しだけ居心地が悪い。今の自分は一五〇弱だからなおさらに。

 男の頃は逆に見下ろす側だったから慣れないものだが、それで目を逸らしては負けである。

 

 何が勝ちだとかは別として、とにかく心で負けてはならない──彼女を見上げるようにして目を合わせた。

 

 そのまま数秒の睨み合いが続き。

 ──少女の両腕が動いた。

 

 喧嘩で慣れている俺でも目を見張るほどの所作、わずかな気負いもなく伸ばされた両腕は俺の顔に迫り、すわ殴られるかと咄嗟に顔を引いた瞬間。

 

 もにょん、と。

 両手が頬に触れた。

 

「なーんか……キャラ被ってね?」

 

「!?」

 

「っていうかほっぺ柔らけえ……うちの妹に勝るとも劣らないぜこれは……!」

 

「!!?」

 

 なんだ何が起きている、と脳が理解を拒む。

 そういえばイエローアイにも初対面で頬を握られたような……男だった頃には馴染みが薄いからわからないが、もしかして女の子同士ならこれが普通なのか? 女の子同士ってこんなにボディタッチ多いのか……? は、破廉恥だぁ……!

 

 混乱している俺が揉まれるがままになっていると、横からむにゅっと人影が──

 

「こら〜あかねちゃん、困ってるでしょ〜」

 

「んっ、お、おお、悪い。ちょっと我を失ってた」

 

 ばっ、と竜胆あかねの手が離れ、俺は一歩後ろに飛び退いた。

 イエローアイの言葉に正気を取り戻したらしい竜胆あかねが、気まずそうに頬を掻く。

 ごほん、とわざとらしく咳をして、彼女は俺に笑いかける。

 

「ともかく、新入りがいるとは嬉しい報せだ。アンタもミストレスさんにスカウトされた口だろ?」

 

「……まあスカウトはされたけどよ。っつか、イエローアイもそうだがなんでスカウトだってわかるんだ?」

 

 政府に志願して本部に派遣された、とか、色々ルートはあるはずだ。

 俺の場合、ミストレスが法令に則って死刑囚に魔法少女刑を提案するときに、奴の意向(ワガママ)で本部にスカウトされて強制的に女体化した……というルートだから、スカウトであるのは間違いないが。

 

 問われた竜胆あかねは、特に考える様子もなく答えた。

 

「本部の魔法少女は、全員あの人にスカウトされてここに来てるからな」

 

「そうなのか?」

 

「そうなんです〜。あかねちゃんは元は地方の魔法少女だったんですよ〜」

 

 ちなみに私は進学して東京に来たときに偶然スカウトされました〜、というイエローアイの補足に、竜胆あかねもうんうんと頷く。

 

 ただその後、顔を暗くしてため息を吐いた。

 

()()()も、あの人にスカウトされたんだよな。必要だからってんで……」

 

「アイツ、って、さっきの青髪の子か?」

 

「ああ。楓信寺(ふうしんじ)静理(しずり)──魔法少女、ロンリーブルー

 

 遠くを見つめ、おそらくはあの少女の姿を夢想しながら、竜胆あかねは息を吐く。

 

()()()()()()()()()()

 

 そう語る少女の顔はひどく暗い。

 ……こういう顔に、少しだけ見覚えがある。まだ復讐を終えられていない頃、ろくでなしの巣窟で、だ。

 “アイツにできて何故自分にはできないんだ”──つまりは羨望、嫉妬の感情。

 

 ただ、羨むだけで何もしなかった彼らと違い、眼前の少女には怒りがある。

 どうしようもない現状への怒り。──どうしようもない己への怒りが。

 そういう顔には覚えがある。

 

 ほんの少し前まで、俺がそうだったから。

 

「…………」

 

 “落ちこぼれのあかねちゃん”、か。

 こういうのは自己の根幹にまで関わってくる──少なくとも俺にとってはそうだった。

 だから容易に触れていいものではないと、俺は彼女の問題を棚上げした。

 

 部外者は部外者らしく、最後まで、何もしないのがお似合いだ。

 

 

 ──“本当に?”

 

 

「っ」

 

 どこからか脳裏に言葉が響く。

 鈍痛を伴うそれに顔を顰めそうになって、咄嗟に顔に無表情を貼り付けた。

 

「……ま、アイツのことはいいんだよ。とにかく、歓迎するぜ。なにせ東京は広いからな、三人だけじゃ忙しくてたまらないんだわ」

 

 ──いや、俺は魔法少女じゃねェ。

 咄嗟にそう言おうとして、しかし、喉からその言葉が出ることはなく。

 

「アンタの名前、聞かせてくれよ」

 

 自分でも戸惑っている間に、握手とともにその言葉をかけられる。

 名前ならば話が早い、と少しだけ気が楽になった俺は、自分の名前を言おうとして──気付いた。

 

 あの時、面会室でミストレスはなんと言っていた。

 

 メディアで俺が連日報道されていると言ってはいなかったか。

 

 ならば──もしかして、彼女たちは、

 

 

 俺の名前を、知っているんじゃないか?

 

 

 そう考えて、血の気が引いた。

 

 

「? どうしたんだ、顔面蒼白じゃんか。気分でも悪いのか?」

 

「い、いや、大丈夫だ。なまえ、名前だよな、おう」

 

 心配そうに覗き込んでくる竜胆あかねに言い訳じみて言いながら、必死に頭で考えをこねくり回す。

 俺の名前を知っている相手に、俺の本名を告げたらどうなる。……わからない、そもそも男が女になってるとか、信じられないことでいっぱいだ。冗談だと思われるかもしれない。

 

 だがもしも、アマイガスと戦う魔法少女であり、超常にも慣れているであろう彼女たちが、本当だと理解してしまったら。

 

 別に蔑まれること自体はいい。それくらいは慣れているし、そもそも気にもしない。そこは()()()()()()のだ。

 

 

 だがもしも。

 もしも、年頃の少女たちに何か──何か、悪影響が出てしまったら。

 

 

 そんなことはないかもしれない。そんなことは起きないかもしれない。

 俺の考えすぎかもしれない。俺の影響なんてそこまでなくて、精々殺人鬼だと蔑まれるくらいかもしれない。

 

 だが、脳裏をよぎるのだ。

 こちらに手を伸ばす彼女の姿が。

 悪党に目を付けられたがばかりに──無残な死を遂げた妹の姿が。

 

 俺は悪党だ。

 単なる犯罪者のカスだ。

 そんな男に関わっていると彼女たちが自覚したら、何か、起きてしまうかもしれない。

 

 そう考えるだけで、震えが止まらなくなる。

 

「…………ぁ」

 

 どうする、どうすればいい。どう答えればいい。

 答えない、というのはあまりに不自然すぎる。絶対に言えない、隠していることがあると告げているようなものだ。

 そんなもの不審者でしかないし、何よりそんな奴をミストレスがスカウトしてきたと思われたら何か悪いことが起きるかもしれない、ああダメだ思考がとっ散らかっている。

 

 動悸がどんどん激しくなって──

 

「お、俺は、……なた、だ」

 

「おい、大丈夫か? そんなにつらいなら無理しなくても──」

 

「俺は、()()()、だ」

 

 咄嗟だった。

 それは、あるいは本能が吐き出した、反吐のようなものだった。

 

「これからよろしく、……な」

 

 それは、彼女の名前だった。

 どうしようもなく奪われ、失い……魂の奥深くにまで刻み込まれ、取り戻すことなどできないはずの──

 

 ──彼女の、妹の、名前。

 

 悲鳴をあげる心を無視して、俺は彼女の手を握る。

 

「そうか、ひなたか」

 

 心配そうな顔をそのままに、竜胆あかねは納得したように頷いて、それからにこりと微笑んだ。

 それは気遣いに満ちた、快活に溢れる笑みであり。

 

「良い名前じゃんか」

 

 ──ああ、本当に。

 本当に、本当に本当に──そう思うよ。

 そんな言葉を返す代わりに、俺は歪に口角を釣り上げた。

 



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第十話 “本当に、それでいいのだろうか?”

筆が 乗り申した


 鎌原ひなた、それが彼女の名前だった。

 健常であった俺と比べて身体が弱く、それでいて日差しの下で走り回ることが大好きで、俺とは似ても似つかないほど可愛くて──俺の愛しい、大切な(かぞく)だ。

 

 だから彼女を失って、さんざんに吐いて考えて。

 その末にすべてを擲った、愚かな選択に後悔はないのだ。

 

 

 /

 

 

 俺は、その名前を名乗った。

 鎌原定努は知られているかもしれないと、手前勝手に名前を使った。

 鎌原ひなたの──妹の名前を。

 

 “ねー、お兄ちゃん”

 

 嗚呼──

 

 “お兄ちゃんっ!”

 

 ──吐き気がする。

 

 

 /

 

 

「ぅっ」

 

 急いでベッドから降りて備え付けの洗面台に向かう。

 力の入らない両腕で身体を支えて、今日何度目かもわからない吐瀉物を吐き出した。

 否、“物”とさえ言えるかも不明な、色のない胃液でしかない。それだけ吐いても俺の身体は落ち着かず、吐き気を催す胸のむかつきは居座るままだ。

 

「今日、は、本当に……最悪だ」

 

 竜胆あかねに自己紹介をした後、俺の顔色はどんどん悪くなっていったらしい。蒼白を通り越して土気色だとか言っていた。

 そんな俺を心配して、竜胆あかねとイエローアイは俺を保健室まで連れてきてくれたのだ。去っていく際、無理すんなよとか、お大事にとか、長らく聞いた覚えのない労りの言葉が新鮮に思えた。

 

「なっさけねェなァ……俺」

 

 ここに来てからずっと吐いているような気がする。こんなに吐いたのは、あの日、奴らに妹の死に様を動画で見せつけられた時以来だ。

 

 何度も嘔吐を繰り返したことで焼けるように痛む喉と、倦怠感に澱む身体を引きずって、俺はベッドに倒れ込む。

 口をゆすぐ気力もない。どうせすぐ吐いてしまうのだから、なおさらに意味を見出せない。

 

「俺ァ、何やってんだ……」

 

 ベッドに身体を沈めて、独りごちる。

 それは嘆きで、悲鳴で、何よりも鋭く己の胸に突き立てるべき問いかけだ。ミストレスはモラトリアム期間だ、などと洒落た形容を使っていたが、俺は何をするべきなのだ。

 

「……今の俺は、ひなたそっくりで、名前も“ひなた”だ」

 

 だから俺は“ひなた”だ、そう考えて口を抑える。

 迫り上がってくる胃液を飲み込んで、不快感溢れる息を吐く。

 

「じゃあ、俺は“ひなた”として振る舞うべきなのか?」

 

 

『人の名前は大切だよ。アイデンティティ、自己の根幹と言ってもいい。人は名前を持って初めて、個として生きることを許される』

 

 

 脳裏にミストレスの言葉が蘇る。

 もしもこれが、彼の目論んだ通りならば──ああ、彼は悪魔に違いない。

 

「なら、名前を失った俺は、“ひなた”としてしか生きられないとでも言うのかよ」

 

 違う。

 “ひなた”は死んだ、死んだのだ。

 だから俺は“ひなた”ではなく──けれど俺は俺であると言える材料がどこにもない。

 

「俺は……俺は……」

 

 

“──ならば、変わってしまった汝が、今も変わらず願うものは、なんだ?”

 

 

 どこからか、声が聞こえた。

 きりきりと脳が萎縮するような痛みの中で、俺は、朧げにつぶやく。

 

「男に戻って……首吊られて死ぬ」

 

“──本当に?”

 

 がつん、と脳裏に響く鈍痛。

 漏らした悲鳴は声にもならず、澱んだ空気に消えていく。

 

 しかし、それがかえって気付けになったのか意識がわずかに透き通る。

 爛れた喉を酷使して、俺は砕け散りそうな脳裏に叫ぶ。

 

「そう、だっ、それが、正しいんだよ……」

 

“──何故?”

 

「俺ァ、殺したんだっ……! 俺のために、人を、殺したんだッ……! 許せなかったから殺したんだッ!」

 

“──彼女のための敵討ち、だろう?”

 

「ちがうッ!」

 

 その言葉通りひなたのためと、そう嘯くことができればどれだけ無慙無愧(ハジシラズ)でいられただろう。

 

 だが俺は、俺という魂にかけて絶対にそれは言えないのだ。

 

“──であればなにゆえ、汝は願う”

 

「ひなたは、優しい子だったんだ……そんなあの子が、自分のために、人を殺すなんて、……喜ぶわけが、ねェんだよ……!」

 

 あの子は優しく、そして同時にとても強い(おのれ)があった。

 いけないことはいけないと言い、俺が何か悪いことをしたら怒ってくれる強さがあった。

 もちろんあの子が間違えることもあって、そういう時は俺が怒ったが、それは俺が“兄”だから、俺が彼女の上にあったからできたこと。

 

 身近な目上を嗜めるというのは、思った以上に勇気がいるのだ。

 お互い喧嘩して、どちらからともなく謝って、また一緒に過ごして来たから知っている。

 

 そんなあの子が自慢だった。

 何よりも大切な妹だった。

 

「でもッ……!」

 

 でも、きっとあの子は、その強さゆえに本物のゴミに目をつけられてしまったのだ。

 そしてあの子は、たとえあんな無残な死を遂げたとしても、奴らに復讐するために俺が道を踏み外すことを望みはしないだろう。

 

「……俺には、他に道があったんだ」

 

 奴らへの憎悪を胸に真っ当に努力して、奴らより上の地位になってから社会的に叩き潰す。

 あるいは同じ目にあった者たちと結託してもいい。彼らとともに奴らを叩き潰すための真っ当な社会的地位を得てもいい。

 ともかく、獣道を歩む以外にもやり方はあったはずだ。

 

 そして彼女は、もしもやり返すとするならばそういった方法を望むだろう。

 それはわかっていた。さんざん吐きながら考えた時に、確かにそのことはわかっていた。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

「ふざけるな」

奴らはどうして生きている!!

 

「ふざけるな」

お前よりもッ俺よりもッ! 何千何万も価値があったあの子の人生を奪った奴らがどうしてのうのうと生きている!?

 

「ふざ、けるな」

強く大切なあの子を汚し、犯し尽くして殺した奴らが何故今日の日を生きている──!

 

 

「ふざっけんな、ゴミクズが……!!」

 

 だから殺した。

 俺は俺のために奴らを殺した。

 法で裁かれない悪を裁く、そのために俺は悪に堕ちた。

 

“──であればなにゆえ、汝は願う”

 

「あったかもしれないあの子の願いを、俺は、俺のために切り捨てたから」

 

 ひなたは優しい子だったから。

 一目合わせて欲しいと、俺がクリスチャンに願ったのも、きっと──

 

「……守るべき法秩序を信じずに、己の手で決着をつけることを望んだから」

 

「法が裁くならそれでよかった。それが正しいことだからって、納得したさ……だが」

 

 俺は彼女が殺されたことが許せない。

 法に従い真っ当に生きていた俺たちを、法の闇に潜む奴らが害したことが許せない。

 奴らが法に裁かれず、のうのうと生きることが、気に食わない。

 

“──であれば汝は、己が心をなんと知る”

 

「明らかな罪人が、不公平に裁かれないのは、正しくない」

 

 だから奴らは全員死刑にした。

 人らしく、人の作った法に則って全員裁いて殺してやった。

 資格だとかはどうでもよくて、俺は法を基にして裁きの剣を振るうことに一切の呵責を覚えなかった。

 

 

 だから次は俺の番だ。

 犯罪者は法で裁かれて死ぬことが一番正しく──相応しい罪であるから。

 

 

「……そうか」

 

 俺の本音は、結局それなのだ。

 法に則って裁いた以上、俺もまた裁かれねば道理に合わない、()()()()()()

 そして、誰が何を言おうが、俺のやったことは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 俺は主観と客観で罪を見ている。

 客観として、俺は俺の行いを悪だと断じた。

 主観として、その行いは悪であると認識し、しかし同時にそれが正しいと思っている。

 

 そのどちらもが、俺が悪を成した以上、ケジメをつけなければならないと──そう言っているのだ。

 

 だから難しく考える必要はない。

 

「これは、俺のための復讐で……俺は、死刑になることに、納得しているんだ」

 

 随分とまあ──矛盾だらけ(ワガママ)で、傲慢(ユカイ)な話だ。

 

“──であれば我が、汝に送る言葉は唯一つ”

 

“汝が心の解釈を、唯一無二と定めるべからず”

 

「…………」

 

 脳裏に響いていた鈍痛は、その言葉を最後に霧のように消えた。

 代わりに思い出したのは、いつの間にか胸ポケットに入っていた、彼からもらった水晶玉。

 

 それを掌で転がして、透き通るようなそれを見る。

 

「これは俺で、ミストレスで、俺とミストレス以外の誰か」

 

 今ならその意味がわかるような気がして、ほのかに笑う。

 暗い部屋、水晶玉がほのかに光ったような気がして──

 

 

 ──ガチャリ。

 保健室の扉が開いた。

 

 目を向ければ、そこには見知った顔があった。

 

「なんだ、毎度毎度タイミング良すぎじゃねェ?」

 

「うふふ、()()()()()()()()ので〜」

 

 先ほどまでと何も変わらない笑顔を浮かべ、イエローアイはベッドの横の椅子に座る。

 彼女の言葉とその笑顔に、胸に飛来した感情は一つ。

 

「なるほど、それが魔法少女の力ってか」

 

 納得だ。不思議と馴染みのある感情である。

 奇運じみた心に苦笑し、身体を起こしてベッドの上であぐらをかく。

 その拍子に姿見が目に入りそうになって、慌てて目を逸らす。

 

 ──今の俺が何者か、まだ俺にはわからない。

 ただ、あの声を聞いてから、考えるべきことはわかった気がする。

 

 “本当にこれでいいのだろうか?”

 

 己の心にそう問いかけて、どこか軽くなった気分でイエローアイに笑いかけた。

 

「何か話したいことがあるんだろ? いいぜ、不思議と気分が良いんだ」



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第十一話 約束

「つまり、俺にあいつらの仲立ちをしてほしいって?」

 

「はい〜」

 

「念の為一つ聞いておくけどよ……冗談だよな?」

 

「いいえ〜?」

 

 肩を落として嘆息する。

 

 イエローアイの話とは、端的に言えば仲が悪い二人の仲を取り持ってほしい──そういう頼みだった。

 俺はひらひらと手を振って、結論をどうにか装飾するための言葉を探す。

 

「あのなァ、言っとくけど俺はここに来て一日目のほぼ部外者だぜ? そもそも楓信寺静理がなんでああなのか、竜胆あかねの詳しい事情も性格だって知らねェのに、どう仲立ちしろってんだよ」

 

 つまるところ無理である。一応経験はあれど、それは乱暴な解決法であって今回のような花の女子生徒たちにはまったくもって似合わない。

 いくら機嫌が良くても無理なものは無理だ、と断りを入れると、イエローアイはにこにこと微笑んで口を開いた。

 

「ひなたさんって、魔法少女が持つ力が何か知ってますか〜?」

 

「あ? 魔法だろ?」

 

 名前からしてそうであるし、メディアでも散々取り上げられていた。その魔法の内容自体は、機密保持ゆえか触れられることはなかったが。

 

「ええ〜。正確には汎用魔法と──第一魔法と表現される〜、固有の魔法があります〜」

 

 第一魔法、それは聞いたことがある。

 あの時、二人の言い争いの中にあった言葉だ。状況がそれどころではなかったので後回しにしていたが、思えば随分とファンシーな、魔法少女らしい言葉である。

 

「私の第一魔法は“電子機器の遠隔操作”です〜。正式名称は別にあるんですけどね〜」

 

「……それで監視カメラか何かの映像を見たってことかよ」

 

 俺が吐いた後にすぐに駆けつけたのも、施設を彷徨っている俺を見つけたのも、先ほどのように俺が落ち着いた頃の登場も、やたらタイミングが良かったそれらの符号に合う。

 

「はい〜。これでも魔法少女のサポートとして、本部内のほとんどの業務を執り行う権利がありますので〜」

 

「……一人で全部やってんのか?」

 

()()()()()()()()()()()()〜?」

 

 一瞬、探るようにその目を見て、しかしすぐに息を吐く。

 考察するのは後でいい。それにどうやら、口止めされていそうだし、な。

 

「二人の第一魔法は矛と盾のようなもので〜、それもあって仲が悪いんです〜」

 

「矛と盾……」

 

 それと言い争いの時の言葉を思い返せば、自ずとそれが見えてくる。

 

 おそらく、楓信寺静理の第一魔法は“防御に特化したバリア”。

 そして竜胆あかねの第一魔法は──“攻撃に特化した銃火器”。

 

 そのどちらが勝るかは、“落ちこぼれのあかねちゃん”という言葉からして察しがついた。

 

「それはなんだ、アレか? 単純に才能だとか、そういう問題じゃないのか?」

 

 この四、五年でそういう不条理は染み付いているから、今更惑うことでもない。

 だがイエローアイは横に首を振る。

 

「ミストレスさんはこう言っていました──“魔法少女の才能は肉体に根付くものではない。私が選んだ君たちは、皆等しく多大な素養を持っている。あとはそれを自覚できるかどうかだ”と〜」

 

「……また小難しいことを」

 

 ううむと唸る。その言葉を考えるに、条件は同等のはずだ。

 であるなら足りないのは──自覚?

 

「そもそも魔法少女の才能ってなんだ? 自覚でどうにかなるものがあるのか?」

 

「──それについて〜、ミストレスさんはこう言っていました〜」

 

 イエローアイはふと笑みを消して、感情の伺えない目でこちらを見る。

 どこか人形じみた雰囲気に部屋の空気がピリついて、自然、身構えてしまう。

 

 

「──“現時点で、君たちの中で一番魔法少女の才能に富み──そして誰よりも()()()()()相応しいのは、綺麗な黒髪が特徴的な、新しく入ってきたあの子だよ”」

 

 

「……ァ?」

 

 それは、つまり。

 

「自己紹介が終わった後、あなたが倒れているときに、ミストレスさんは私にだけそう告げていきました。あかねちゃんや静理ちゃんには、そんなことは匂わせもせず」

 

 間伸びした口調はどこにもない。抑揚がなく平坦で、どこまでも鋭利なその言葉を、俺に向けて突き出してくる。

 もしも言葉のナイフというものがあるならば、これ以上に相応しい声はあるまいと確信できるほどだ。

 

「すでに魔法少女として活動している私たちより、あなたの方が可能性に溢れている?」

 

「いいえ、あの人は人類は大好きだけど人間のことは見下している。そんな殊勝なことは言わない──けれど彼は、あるいは人以上に誠実です」

 

「だからその言葉にあるのは真実だけ」

 

 

「──教えてください、ひなたさん。

 あなたは“自覚”しているはず。あのミストレスさんに、私の理想に相応しいとまで言わしめたあなたの才能を。

 その才能で──どうか、彼女に与えるべき言葉を、見出してはくれませんか?」

 

 

「……私には、わからないんです」

 

 ただひたすらに(こいねが)う、鮮烈なまでに鋭い言葉。

 その言葉には泣きそうになるほどの哀しさも、あるいは身命を賭して叶えたいという激しさもない。

 どこまでも冷えたその言葉は、しかしそれゆえに必要なのだとこちらに迫り来る合理性に溢れている。

 

 俺はどう答えるべきか。

 

 どう考えるべきか。

 

 俺は──

 

 

 /

 

 

 ──無理だ、と答えようとした。

 俺は部外者だ。魔法少女ではなく、そして、彼女たちと関わっていい人間ではない。

 

 だから無理だ、そう答えようとして、その寸前に脳裏に声が蘇る。

 

 ──“汝が心の解釈を、唯一無二と定めるべからず”

 

 俺の心は、なんと言っている。

 俺は俺を、なんと心得る。

 俺は俺を、どう解釈すればいい?

 

 そう考えた時、自ずと言葉が口から出た。

 

「イエローアイ、あんたの頼みは聞けねェよ」

 

 イエローアイの瞳にわずかな失望が宿る。

 あるいは失望とも呼べず、冷めきっている落胆に過ぎないかもしれないが──

 

「だが、やらないとも言ってねェ」

 

 俺はベッドの上に立ち、イエローアイを見下ろした。

 こちらを見上げる彼女の瞳は、相変わらずの無色透明──しかしその瞳が、見間違いかと思う程度に見開かれているのを見て、俺は笑う。

 

「悪ィが、俺にはミストレスの理想だとかは知らん。だからお前が寄せる期待には答えられねェ……けどよ、ちょっとばかし考えさせられることがあってなァ」

 

「考えさせられること、ですか?」

 

「ああ。だから、()()()()()()()()()。俺のことも……そうじゃない奴らのことも」

 

 ハナから拒むのではなく、選択肢を置いておく。

 その上でよく考えて拒むのなら、それならそれで納得できるはずだ。

 ミストレスの理想とか、才能だとか、自覚だとか、そういったもので決められるのではなく……俺が俺として、きちんと考えて決められるように。

 

 ポカンとするイエローアイにそう告げると、彼女はわずかに、くすりとだけ笑った。

 

「それ、“善処する”っていう言葉をそれっぽく言い繕ってるだけじゃないですか〜」

 

「ん、……痛いところを突きやがる」

 

「けど〜、すげなく断られるよりはマシ……ですかね〜?」

 

 ゆったりと首を傾げて、少女はわざとらしくため息を吐いた。

 

「私のお願い、断られてしまいましたね〜。残念です〜」

 

「ん、おお? いや、善処するって」

 

「それは一般的に受諾とは言いません〜」

 

 ばっさり切られてしまい、苦い顔をするしかない。

 対してイエローアイの方は、何故かとても嬉しそうだ。

 

「あ〜あ、残念だな〜。ひなたさんのことベッドまで運んだり〜、吐瀉物片付けたり〜、お着替えさせてあげたのにな〜。残念だな〜」

 

「っぐ」

 

「道案内もしてあげたのにな〜。色々やってあげたんだけどなぁ〜〜〜?」

 

「っぐぐ」

 

「……なので〜、代わりに一つだけお願いを聞いてくれませんか〜?」

 

 にんまりと笑いながら突きつけられた言葉に、それが目的かと嘆息する。散々人の罪悪感を煽っておいてこれとは、なかなかのやり手である。

 観念して頷くと、ぱぁっと花が咲き誇るような、見間違いでないのなら今までで一番の笑顔を浮かべやがったイエローアイは、こう言った。

 

「色々落ち着いたら〜、私と一緒にデパートに行ってくれませんか〜?」

 

「……そんだけでいいのか?」

 

「ええ〜。できれば着せ替え人形になってくれると嬉しいです〜」

 

 まるで気負うことなくそう言い放つイエローアイに、いっそ呆れにも似た感心を滲ませ……服飾屋には付き物の姿見(アレ)のことを思い出して表情が固くなる。

 その顔を見て察したのか、あるいは自分が片づけた惨状のことを思い出したのか、あはは〜と間伸びして笑いながら首を振る。

 

「もちろん〜最大限の配慮はしますよ〜。鏡は見ないでいいようにしますし〜、きちんと気を配りますから〜」

 

 そうまで配慮されてしまうと、断りづらさに拍車がかかりそうである。

 ……そもそも拒否権なんざ与えられているかどうかは別として。

 

「……まあ、それなら」

 

「えへへ、楽しみに待ってますね〜」

 

 渋々と頷いた俺の手を握って、本当に楽しそうにイエローアイは笑っている。

 

 そんなに俺のことを着せ替え人形にしたいのか……何が楽しいのか、俺も経験すればわかるだろうか。

 些細な疑問を残しつつも、俺とイエローアイは終始和やかに時を過ごした。




ウンウン悩んでいたらこんな時間になっていました。


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第十二話 家族

 ──『此方より、“(レコード)”への接続』

 

 どこかから、声が聞こえる。

 

 ──『我が権能を以て、ふさわしき者の元への道を成す』

 

 聞き覚えのある、声。

 

 

 ──『ふふふ、彼は果たして、どのような心を掴み取るのかな?』

 

 

 その声が誰のものか、気づく前に。

 まるで海流の只中にあるがごとくに、俺の意識が巻き上げられた。

 

 

 /

 

 

 目覚め、身体を起こし、洗面台で顔を洗う。

 そんな朝のルーティーンに、言い知れない懐かしさを感じてしまう。

 

「……張り切りすぎンのも考えモンだぜ」

 

 鏡から顔を背け、自分の過去を思い返して苦く笑った。

 

 ──イエローアイから頼み事をされてから、早くも一日が過ぎていた。

 あの後すぐに動こうとしたら、イエローアイに注意されてしまった。曰く何度も嘔吐して倒れているのだから、今日ぐらいはきちんと身体を休めなさい、と。

 実際、言われてみれば身体が重く、不調であるのも間違いなかったので、改めて床につき……ぐっすり眠っていた、というわけだ。

 

「……にしても、なんだったんだろうなァ、あの夢」

 

 疲れているから見た夢、という割には穏やかで、それでいて意味がわからない。

()()()()()()()()()、悪いものだとは思えなかった。

 

「ま、いいや。すぐに忘れんだろ」

 

 覚えてもいないことを深く考えても無駄である。

 しっかりとタオルで顔を拭って……浴室に目を向ける。次いで、服の襟を掴んでクンクンと嗅いでみるも、それほど嫌な匂いはしないことにほっと息を吐く。

 

 保健室のテーブルの上に何故か服が用意されているし、それに着替えれば見れるようにはなるだろう。服が臭くないということは、俺もそれほど臭くないということだし。

 

「……よく考えりゃゲロ吐きまくってこの程度なら御の字か」

 

 まして最初は吐瀉物に塗れて倒れていたのだ。酸っぱい匂いがしていてもおかしくなかった。イエローアイには改めて感謝しよう、そう考えてふと気付く。

 

 ──吐瀉物まみれの人間の服を変えただけで、嫌な匂いは取れないことに。

 嫌な匂いを取るために、一番確実な方法は──服をひん剥いて身体を洗う、ということに。

 

「……お、おお、落ち着け。きっと介護用のロボットとかを使ったんだ、きっとそうだ」

 

 遠隔で操作できるならそれくらいはできるはずだ、そう自分を納得させてうんうんと頷く。

 これ以上考えると次会った時に変な目を向けてしまいそうなので、さっさと服を着替えてしまおう。

 

「…………」

 

 無地の白いTシャツに黒地のチノパンツ、そして質素なスポーツブラにショーツ……。

 用意されたそれらに躊躇いがちに手を伸ばそうとして、しかし、羞恥心を抑えきれずに引っ込める。

 

「こういうのにはノータッチだったんだよ俺ァ……」

 

 小学生までに一緒に風呂に入っていただけで、妹の身体なんて知る由もない。そもそも知るべきものではない。

 中学高校と周りからシスコン呼ばわりされていても、否、だからこそあまりデリケートな事柄には慎重に対応してきた。

 妹の身体とかその最たるものであろうし、何より羞恥心に並んで罪悪感が込み上げてくるのが非常に辛い。

 

「………………」

 

 服を抱えてベッドに戻り、周りのカーテンを閉めて罷り間違っても見られないよう、そして俺も姿見を見てしまわないように万全を期する。

 ベッドの上に並べた服を前に唸り……まず、スポーツブラを手に取って、

 

「ぜってェ無理……!!」

 

 やっぱり置いて横のTシャツを手に取った。そもそも付け方もわからないし俺の精神が耐えきれない。

 胸に抱え込み、キョロキョロと田舎者のように天井を見渡して、そこにある監視カメラを精一杯睨みつける。

 

「み、見るんじゃねーぞ……!!」

 

 小声で威嚇してやってから、ふぅふぅと息を吐いて緊張を吐き出した。

 どうすればこの状況を打開できるのか、俺の脳髄が未だかつてないほどの回転を見せてさまざまな妙案が脳に浮かんでは理性に否定されていく。

 

「……そうだ」

 

 目を瞑るんだ。目を瞑れば自分の身体を見ることもない、なんと冴えた妙案か! この時ほど自画自賛することは多分ない!!

 最適解を導き出した我が脊髄を褒め称え、いざや鎌倉と言わんばかりに目を瞑る。着慣れてしまった病衣を触覚を頼りに脱ぎ捨てて、新しいTシャツに腕を通し──

 

「む」

 

 衣が擦れて音を立てる。

 

「……っ」

 

 どこが擦れるかわからないから不意の摩擦でピクリとする。

 

「ンひぅっ!?」

 

 腕の可動域が変わったせいで、不意に身体に触れてしまう。

 少女らしい、かつての俺とは明確に異なる柔い肌──

 

 そんなことが何度もあって、目を明けた頃にはすっかり頬に熱がこもっていた。

 

「……ダメだわ、俺の脳みそ」

 

 視覚を閉じているからか、他の五感が強調されてしまい、かえって羞恥心を煽ってくる。

 妙案かと思えばとんでもない罠を仕掛けていきやがった。先ほどは散々褒め称えたその口で悪態を吐き捨てて──残った黒地のチノパンツとショーツにスポブラを見て、頭を抱える。

 

「ぉ、おおおおお……!!」

 

 唸ってみるも、やはり現実は変わらない。

 かと言ってこれはいずれ通る道。まさか男に戻してもらうまで着替えない、なんてことは衛生上できない。

 結局、俺はショーツに手を伸ばした。

 

 質素なショーツ。恐る恐る広げてみれば、トランクスとのあまりの違い──主に布面積に眩暈がしそうになる。

 

「女の子はいつもこんなモンを付けてるのか? は、破廉恥な……!」

 

 自然と目線が下に行き、病衣に隠された俺の下半身に意識が向く。

 これを着るのか……着るのか……本当に……!?

 

「し、心頭滅却すれば火もまた涼し……!」

 

 つまり気にしなければ羞恥心も感じない、無理。

 待て、こんな時こそ考えるべきだ。先ほどは罵った俺の脳みそよ、どうか俺が精神的に死なないための妙案を!

 

「──あ」

 

 そして思いつく、本当の妙案を。

 

「ふ、ふふふ……勝った」

 

 そんなことを呟いて──俺は、チノパンツに手を伸ばした。

 

 

 ──数分後。

 ベッドの上にスポブラとショーツ、()()()()()()()()()()()()、意気揚々とカーテンを引いた俺は保健室のドアノブに手をかけた。

 

「病衣の上からチノパンツ……ふふふ」

 

 これなら羞恥心に苛まれることなく、しかしある程度清潔に動ける。やはり俺の脳髄は最高だ、などと自画自賛しつつ、ちょっとばかし動きにくい下半身に眉を顰めるが、背に腹は変えられない。

 チノパンツと腰の間に指を差し入れ、一周回して調節する。

 

「病衣は薄くて軽いはずなンだけどなァ」

 

 チノパンツのサイズが小さいのだろうか、などと疑問に思いつつドアノブを回し、扉を開け──

 

「っ」

 

「ぅおっ!?」

 

 ちょうど突っ込んできた小さな影を抱き止めきれずに、思いっきり後ろに倒れ込んでしまった。

 ゴツン、と臀部に響く鈍痛に顔を顰め……自分に抱き着いているような体勢のまま一緒に倒れ込んだ、小さな子供に目を丸くする。

 

「っとと、大丈夫か?」

 

「ぁ、ぇと、大丈夫、です」

 

 まだぼーっとしているが、俺の身体が緩衝材になったらしく子供に怪我はない。ポンポンと頭を優しく叩いてやると、頬を赤く染めて俯いた。

 

 明るい茶髪が特徴的な、まだ子供らしく男と女の境目にいる小学生程度の子供だ。そこまで把握したところで、はて、と首を傾げる。

 この髪色と顔立ち、最近どこかで見たことがあるような──

 

 

「──おいっ、おいっまことっ! 大丈っ……はっ?」

 

 

「ン、ああ」

 

 そうか、思い出した。座り込んでいる俺たちの前で、目を丸くしている赤混じりの茶髪が特徴的な少女を見て、胸中で独り頷いた。

 

「え、も、もしかしてまことが転ばせたのか!? 病み上がりの人になんてことっ!」

 

「別に問題ねェよ。俺もこの子も怪我はないしな」

 

 最後に一度、優しく子供の……竜胆あかねの弟妹だから、竜胆まことの頭を撫でて、その手を掴んで起き上がらせる。

 まだ呆然としている様子の竜胆まことに微笑みかけて俺も起き上がり……何故かまた目を丸くしている竜胆あかねに目を向けた。

 

「なんだよ、変な顔しやがって。俺が怒るとでも思ったのか?」

 

「あ、ああ……いや、口調とかも荒いし、それに病み上がりだから、怒るだろうって……」

 

 申し訳なさそうにボソボソとぼやく竜胆あかねに苦笑して、そばに居る弟の肩を叩く。

 

「ま、そう思うのもしゃあねェか。実際チンピラみてーな口調だしな……ほれ、お前の姉ちゃんだぞ。早く帰んな」

 

「ぁ、う、うんっ。ありがとうっ」

 

 姉の腰に抱きついた姿を見て、どこか胸が温かくなると同時に、胸の奥がじくじくと痛む。

 ああ、まったく。失う前から大切さなんてわかりきっていたのに、失ってからも延々と大切さを見せつけられるなんて──

 

「冗談、キツいぜ」

 

 思わずそう呟くと、片手で家族をあやす竜胆あかねの目がこちらに向く。

 

「またかよ。気になることでもあるのか?」

 

「……いや、なんつーかさ……すごい、良い姉ちゃんっぽいっつうか……」

 

 その言葉に、一瞬だけ喉が詰まる。

 それを気取られないように意識して顔を歪めて、笑った。

 

「それこそ、冗談キツいっての」

 

 家族の危機に駆けつけられたなかった俺が、なんて。

 

「俺よりも、そっちの方が良い姉ちゃんをしているよ」

 

 お互いに何処かよそよそしく言い合う俺たちを、竜胆まことが不思議そうに眺めていた。



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第十三話 手伝いの申し出

「へぇ、んじゃあやっぱり家族のために居住区画を使ってる魔法少女ってのは君だったんだな」

 

「ミストレスさんの好意でさ。やっぱり心配だろうって」

 

 竜胆まことを一緒に部屋に送り届け、せっかくだからお礼がしたいと招かれた彼女の私室でゆったりと駄弁っていた。

 それほど豪奢ではないが、少女らしいファンシーさを感じさせる部屋でクッキーを一口。

 

「ン、」

 

「どした? 不味かったか?」

 

 心配そうに問いかけてくる彼女に、それは無用だと首を振る。

 

「いや、思った以上に美味しくてさ。そもそもクッキー食うの自体が久しぶりってこともあるけど、普通に美味ェ」

 

「……嬉しいこと言ってくれるじゃん。作った甲斐があるってもんよ」

 

 ニヤリと笑いながら告げられた言葉に、まじまじと食べかけのクッキーを眺めてしまう。

 形もいいし、おそらく市販のものに劣らない出来だ。

 

「菓子作りが趣味なのか?」

 

「お菓子作りっていうか、料理全般だな。最初は必要だったから手を出しただけなんだけどよ、いつの間にか家事と同じで趣味になっちまった」

 

 どこか遠い昔を思い返すようにして答えた竜胆あかねは、しかし過去に苦しんでいるには見えなかった。

 その顔を見て、俺の頬も緩んでしまう。

 

「それなら向いてたってことだろうよ。家族も喜んでるんじゃないか?」

 

「それがうちのチビどもは味より量なんだよー。アタシもそうだったからいいんだけどさー、味の凝り甲斐ってやつがねーよなー」

 

 ため息を吐く竜胆あかねは、良好な家族関係にある普通の少女と言った様相だ。そこに魔法少女としての悩みは見えない。

 イエローアイ、ミストレスの言葉によれば、彼女には自覚が足りないというが──やはり、まだ触れるべきではないか。

 彼女が話してくれるまで、こちらから無理にモーションをかける必要はない。

 

 彼女自身のことも、彼女の家族のことも、だ。

 

 そう決め、残ったクッキーを口に放り込んだ瞬間、突如竜胆あかねが立ち上がった。

 

「さてと、アタシはちょっと予定があるから失礼するぜ。もてなせなくて悪いけど、その分勝手に使ってくれていいから」

 

 立ち上がった竜胆あかねは、確かによく見れば外行き用にオシャレしているようだ。赤いジャケットを肩に羽織る姿が凛々しい。

 

「どこ行くんだ?」

 

「近所のショッピングモールで買い物。食品とか、生活必需品とか、ま、色々入り用があんだよ」

 

 腰に巻かれている洒落たポーチをポンと叩き、部屋のドアノブに手をかけた竜胆あかねに──勢いよく手を掲げる。

 バター香る美味しいクッキーを名残惜しく思いながら噛み砕き、喉に詰まらないよう嚥下して、首を傾げている彼女に向けてにっと笑ってみせた。

 

「色々入り用だってンなら、人手が必要だろ? 手伝うぜ」

 

「……そりゃ助かる、そりゃ助かるが……いいのか? 病み上がりで迷惑かけちまったのに」

 

 ボソボソと竜胆あかねが遠慮がちにぼやく間に立ち上がり、俺よりも高い彼女の肩を軽く叩く。

 

「気にしてないって言ってるだろ。倒れたのもメンタル的な問題のせいで、肉体的にはなんら問題ねえよ」

 

「……ホントか? 無理してるわけじゃない、よな?」

 

「ホントホント」

 

 あえて軽い調子で言うと、竜胆あかねは露骨にほっとして微笑んだ。

 その様子は年下の親戚を相手にしているようで、少々癪だがこの容姿なら仕方ない。むしろ新たな武器が加わったと考えて有効活用するのが吉である。

 

 これを機会に、少しでも心の距離が縮まればいいのだが──

 

「それじゃあ頼むわ。こっから少し歩けば着くからさ」

 

「おう、任せとけ」

 

 ──まあ、それはそれとして。

 家族のために頑張る少女の力になりたいと思ったのも、紛れもない事実であるが。

 

 

 /

 

 

 やはり都会、それも東京のショッピングモールはスケールがでかい。

 それまで東京を見て回ったこともほぼなかったから、余計にだ。

 

 竜胆あかねと駄弁りながら買い物を済ませていくうちに、実体験として腕や足が感じるその意味の重さ(エコバック)を、必死に両手で持ちながらよろよろと歩いている。

 竜胆あかねは俺以上に大量のエコバックを抱えながらも、歩幅の差か回転率かで俺以上の速度で歩いているから、着いていくので精一杯だ。

 

「肉野菜魚日持ちする惣菜菓子パン洗剤リンスシャンプーその他諸々……おい、大丈夫か?」

 

「だ、大丈夫ッス」

 

「なんだそのッスって、下っ端かよ」

 

 それはもう、この広いショッピングモールで迷うことも止まることもなく必要なものを買い込むような手練れと比べれば俺なんぞ下っ端以下だ──そう言おうとしたものの、疲労で舌が回らない。

 

 甘かった、甘く見ていた。

 人混みの中、俺は数刻前の自分の見通しの甘さを呪う。

 俺以上にエコバックを抱えているというのに、竜胆あかねはなんでもないふうにスマホをいじりセールなどを確認している。そういえば俺のスマホどこ行ったんだっけ、と考えて、おそらくミストレスのところだろうとため息を吐く。

 

 ──男から女に変わったことで、明確に劣ったものがいくつかある。

 筋肉、体躯、すなわちパワーと体力だ。ちょっとばかし身体に慣れてきていたが、肝心のそれを忘れていた。

 

「とりあえずひと段落ついたし、そこらへんのベンチで休むか?」

 

「ぉ……おう、ありがてェ……」

 

「今にもゲロ吐きそうな顔してんぞ……」

 

 大丈夫かよ、と心配されたものの、手……は塞がっていて動かないので、首を振って大丈夫だと意図を伝える。引きずるようにして側のベンチに近寄って、俺が座ろうとする寸前に……側に老婆がやってきた。

 どうやら老婆もベンチに座ろうと考えているらしい、俺とベンチを交互に見て、困ったような顔をした。

 

「……スゥー……」

 

 俺は数瞬天を仰ぎ、その気まずい時間の後──

 

「……どうぞ、座ってください」

 

 俺はなんでもない顔をして、老婆にベンチを譲った。ペコペコと頭を下げてベンチに座る老婆に優しく微笑みかけて、すぐに力を入れてエコバックを持ち直した。さて……どうすっかなァ……!

 そんな俺の側に、呆れるようにして歩み寄ってくる者が一人。

 

「……どう見てもあの婆さん以上に疲れてるだろ。なんで席譲ったんだよ」

 

「なんでっ……って言われてもなァっ……婆さんだったから、としか言えねェよ」

 

 重い身体を引きずるようにして歩きながら、心情をそのまま伝えると、竜胆あかねは呆気に取られた顔をして、

 

「それで自分が損してちゃ世話ないだろ、ハハッ」

 

 ポン、と俺の肩を叩き、竜胆あかねは勝ち気に笑った。

 

「自分で席を譲ったんだ、残った用を済ませるまでは付き合えよ」

 

「ぅ……や、やってやらァ!」

 

「その意気その意気、つってもそんなに重い用じゃないからな。安心しなよ」

 

 歩き出した竜胆あかねに、ひいこら言いながら俺も小走りで着いていく。

 やはり大きい彼女の歩幅にどう追いついたものかと鈍り始める頭で考えていると、ふと彼女がスピードを落とした。

 

「これで大丈夫か?」

 

「ン、おう。ありがとよ」

 

 意識して脚の回転率を下げてくれている竜胆あかねに、一言だけお礼を言って……胸中に滲む悔しさを抱えて、彼女の横でゆっくり歩く。

 次はこんな無様はさらさん──そう誓いながら階段を下る竜胆あかねに声をかける。

 

「最後の用って、一体なんだ?」

 

「──……花屋」

 

 言い淀んだ一瞬に、どこか重苦しいものを孕ませて竜胆あかねは前を向く。

 俺が聞くか聞かないか少し悩み、彼女もそれを感じ取ったのか、顔は見えないながらも苦笑したように頬を震わせた。

 

「見舞いのための花がいるんだ。

 ……入院してる母さんへの、見舞いのための花が、さ」

 

 そう答えた彼女は、こちらを決して振り向かない。

 だから、彼女がどんな顔をしているかもわからない。

 

 けれど、彼女の声だけは、どこか暖かく震えていた。




そろそろ山場なので書き溜めします。


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第十四話 あなたに贈る花、──あなたと別つ音

 ショッピングモール一階に位置する、こじんまりとした花屋。

 時折客が出入りする程度の店先で花を生けていた妙齢の女性は、近づいてくる俺たち──というより、竜胆あかねに気付くと、片手を振り上げて柔和に笑った。

 

「久しぶりねぇあかねちゃん! はるかさんは元気ぃ?」

 

「おばさんの花のおかげでな! おばさんも相変わらず元気そうじゃん!」

 

「ウフフ、まだまだ現役だものぉ!」

 

 親しげに話し合う二人だったが、ふと店主がこちらを見て首を傾げる。

 

「あらぁ? 初めて見る子ねぇ……この可愛い子が例の静理ちゃん?」

 

 違う、と俺が否定する前に、肩をがしっと掴まれて抱き寄せられる。

 

「ちっげーよおばさん、こいつはひなた! あいつとは違ってすげー良いやつなんだ!」

 

 竜胆あかねの凛々しく整った顔が迫り、ちょっとだけ背筋が跳ねるも、彼女がそれを気取った様子はない。

 ごほん、と気恥ずかしさを吐き出すように咳をした後、俺は意識して笑顔を貼り付けて頭を下げる。

 

「ご紹介に預かりましたひなたと言います。今回は竜胆あかねさんの手伝いを、ということで同行させていただきました」

 

「あらあら、礼儀正しいわねぇ……って、どしたのあかねちゃん、びっくりして」

 

 目を丸くして俺を見ている竜胆あかねは、俺と店主に怪訝そうに見つめられたことでバツが悪そうに頬を掻いた。

 

「いや……なんつーか、そんな口調も出来るんだなって。いつも乱暴な口調じゃんか」

 

「失礼な、俺ァお前より年上だぞ。そンぐらいの礼儀は弁えてるわ」

 

「は、はぁ!? アタシよりチビなくせに年上とかウッソだろ!? アタシよりチビなくせに!!」

 

「俺だって好きでこんなチビになったわけじゃねェんだよ、つか二回言うな」

 

 本当は一九〇近い、誰に憚ることなく高身長と言えるような立派な背丈だったのだ。

 それが今では一五〇弱のミニマムサイズへと……これもすべてミストレスのせいだと怒りが湧いてくるも、いつものごとく表には出さない。

 竜胆あかねの失礼な物言いには、フンと鼻を鳴らすに留めた。

 

 そんな俺たちのやりとりを見て、花屋の店主はくすくすと笑う。

 

「あらあら。口調も似てるし、まるで姉妹みたいねぇ」

 

「違ーし!」「違ェし」

 

 たまたまイントネーションが違うだけで同じ言葉を発してしまい、お互いに見つめ合ってため息を吐く。

 花屋の店主は、とうとう堪えきれないとばかりに笑い始めた。

 

 

 /

 

 

「ウフフフ、ごめんなさいね、あんまりにも微笑ましかったものだから……」

 

 店主はそんなことを宣った後、気を取り直して、と言わんばかりに店の中に俺たちを案内した。

 話を打ち切ってくれるのは有り難かったので、俺たちもその後を着いて店に入った。

 

 ──ふわり、と派手すぎない香りが鼻腔をくすぐる。大小さまざま、色とりどりに綺麗な花が陳列されている店内は、そういったものに疎い俺であっても主人の確かなセンスを感じさせた。

 

 思わず感嘆の息を漏らす俺を微笑ましそうに見た店主は、最後に一つ、と前置きしてから人差し指を立てた。

 

「常連のあかねちゃんに言うことじゃないけどね、お店の中のお花は好きに見てもらっていいわぁ。触るのもちょっとくらいならいいけど、度が過ぎるようなら()()()()()()()()()()()()()から、気を付けてね?」

 

 そんな注意を述べて、店主は店の奥に消えていく。

 やはり一国一城の主というわけか、と残された言葉に納得していると、ちょんちょん、と肩をつつかれる。

 

「さ、早く見ようぜ。色々候補は決めてあるけど、やっぱり自分で見るのが一番だからな」

 

「俺ァ花とかわかんねェぞ……」

 

「わかんなくても楽しいだろ?」

 

「……ま、それもそうだな」

 

「だろ?」

 

 快活に笑った竜胆あかねに手を引かれるまま、黄色い花のコーナーに入る。

 

 俺でも名前を知っているポピュラーな花、あるいは他の色として知っていた花の色違い、見たこともない小さな花、名前は知らないけれど姿形をわずかに記憶するほどの派手な花。

 そのどれもが俺の想像を超えて生き生きと輝いていて、純粋な美しさで俺の脳髄をかぐわすのだ。

 

「綺麗、だな」

 

「……ああ」

 

 他に人はおらず、聞こえてくる雑踏もまた花の香りに掻き消える。

 黄色を中心とした花を穏やかな顔で眺める竜胆あかねは、やはり、普通の少女と言った様相で。

 彼女が魔法少女であることが、少しだけ信じられなくなりそうだった。

 

 そんな己を誤魔化すように、ただ、ぽつりと言葉をこぼす。

 

「……色々種類があるんだな」

 

「黄色い花は、いろんな時に使えるからな。単純に見た目が華やかだから観賞用、父の日の祝い、……お見舞いの花、とかさ」

 

 竜胆あかねの顔は、俺からは見えない。

 見ようとも思わない。

 見てはならないと思う。

 

「そうか。じゃあ、似合う花を選ンでやらねェとな」

 

「……聞かねーの?」

 

「人の傷口を開いて眺めるような趣味はねェよ」

 

 これはきっと、彼女の“自覚”という不明瞭な何かに関わることだ。それを聞き出せば、イエローアイの願いは叶う。……おそらくはミストレスの助けにもなるだろう。

 だがそれは、無理に聞き出すようなことではない。

 

 人は決して、他者に触れさせたくない部分を持っている。

 今の俺は、その深層(きずぐち)に片足を踏み入れている状態だ。むざむざ踏み躙る真似はしない。

 

 俺も同じく、触れさせたくない部分があるからわかるし──それ以上に感情が訴えてくるのだ。

 苦しめるな、と。

 

「……やっぱお前、優しいよ」

 

「うっせ」

 

 竜胆あかねの生暖かな目を睨みつけて、俺も俺で花を吟味する。

 常連の花屋なのだから、俺の素人目が役に立つとも思えないが──そこまで考えた時、ふと一輪の花が目に入った。

 

 それは小さくて、どこにでもありふれている花だった。それこそ、道端にでも生えているだろう。

 けれどそれとは何かが違うような、しかし言語化できない違和感があるそれを、

 

「これとか、どうだ?」

 

 俺は細心の注意を以て引き抜いた。

 理由はわからない。黄色だからいいだろうとか、そんな安直なものかもしれないが、しかし気になったのは事実なのだ。

 

 素人ながらに良い選択ではないか、そう思いながら竜胆あかねにそれを見せると……難しい顔をして唸る。

 

「ン、ダメか?」

 

「いや、ダメってわけじゃねーんだけど……これ、あれだな。フキタンポポだ」

 

「フキタンポポ?」

 

 なるほど、道端に生えているたんぽぽとは少し違うと思ったが、品種がちょっと違うのか。違和感の正体の合点がいった。

 しかしフキタンポポ、聞いたことのない名前である。

 

「参考までに、ダメな理由教えてくれ」

 

「ダメなわけじゃねーつってんだろ。……花言葉だよ」

 

「花言葉ァ?」

 

 男であった頃には本当に無縁だった言葉に、眉を顰める。

 竜胆あかねは、怪訝そうな俺の反応に仕方ないと首をすくめて人差し指を立てた。どこか店主を彷彿とさせるその仕草は、人にモノを教える時にはぴったりだった。

 

「いいか、黄色い花ならなんでもいい、ってわけじゃねーんだ。

 たとえばこれ、マリーゴールド。綺麗だろ? でもコイツは祝い事には適さない、なんでかわかるか?」

 

「ああ……それが花言葉か」

 

「そ。ちなみにコイツの花言葉は嫉妬、絶望、悲観だな」

 

「論外じゃねェか……」

 

 見た目は綺麗なのに、それに反して縁起が悪すぎる花だ。一体何を思ってそのような言葉を授けたのだろうか、理解に苦しむぞ。

 そんなふうに顔を顰める俺をくすりと笑って、竜胆あかねは別の花を指差した。

 

「で、反対にお見舞いに向いてるのがダイヤモンドリリーとか、アイリスだな。こいつらは色も明るいし、花言葉も希望の再来とかで縁起が良い」

 

「ってことはそいつらから選ぶってことか?」

 

「ま、基本はそうなるな。……実のところ、もう何を贈るかは大方決まってんだ。でも、花を見るのが好きで……オマエにも、それを見てほしかったのかも、な」

 

 アイリスの茎を撫でた竜胆あかねは、苦いものを含んだ顔でこちらを見るも、俺は肩をすくめて取り合わない。

 別に気にしてねェよ、と言葉を返す代わりに、しっかりを笑顔を向けてやった。

 

 ──その後も綺麗な花と、それに付属するような花言葉を次々教え込まれ、すっかり花言葉を覚えてしまったときに、竜胆あかねはフキタンポポを指差した。

 

「で、肝心のこれなんだけどさ、コイツの花言葉はそう物騒なものじゃないんだよ。ただやっぱりお見舞いには合わない花言葉でなー」

 

「綺麗な花にも色々あンだな……で、コイツの花言葉は?」

 

 ちょっとだけ気になってきたのでワクワクしながら聞いてみると、竜胆あかねはさしたる間も置かずにさっぱりと答えた。

 

「フキタンポポ、コイツの花言葉は、確か──」

 

 

「──公平な裁き、だったかな」

 

 

「……そうか」

 

 公平な裁き、か。

 なるほど、なるほど──

 

「洒落が効いてるじゃねェの、オイ」

 

「洒落? ……まあ、気に入ったんなら良いんじゃね?」

 

 それにしても出来過ぎな話だ。

 偶然気になった花が、まさか公平な裁きなどという花言葉を持っているとは。

 ありえないそれに、心臓がどくどくと高鳴った。

 

 だが、それは決して不愉快なモノではない。

 

「ま、所詮素人目だったってことだな」

 

「そんな卑下しなくても……って、冗談かよ! 心配して損したわ!」

 

「ハハッ、悪ィ悪ィ」

 

 その証拠に、今もこうして笑えているのだから。

 自分の気遣いを無碍にされたと思ってツンとそっぽを向く竜胆あかねを宥める傍ら、俺は横目でフキタンポポを見る。

 

 公平な裁き、か。

 もし四、五年前に見つけていたら、ゲン担ぎで買っていたかもしれない。

 花畑ではしゃぐ彼女の姿を脳裏で思い返しながら、そんなことを思う。

 

 だからだろうか、竜胆あかねがポツリとこぼした。

 

「……そんなに気になるなら、買ってやろうか?」

 

「ン?」

 

「……気になるなら買えばいいってことだよ。でもスマホすら持ってねーんだから、金も当然ないだろうし……その、買い物に付き合ってくれたお礼、的な……」

 

 言ってる途中で恥ずかしくなってきたのか、耳元まで赤く染めて、竜胆あかねは笑いながら頬を掻く。

 反応が気になったのか、ちらりと俺の方を見て──何故か急に慌て出す。

 

「……ダメか? か、金の心配なら大丈夫だ! ちょっと分不相応なくらい貰ってるし、生活費とかチビどもの進学費用は全部別に取ってあるから……!!」

 

「いや、そうじゃねェ、そうじゃねェんだ。っつか見た目に似合わずきっちりしてンなァオイ」

 

 とりあえずツッコミを入れてから、ふぅ、と息を吐く。

 ……俺はどれだけ酷い顔をしていたのだろう。まったく、情けない。

 

 俺はかつて、彼女らに関わって何か影響を及ぼすのが恐ろしい、そう思った。

 今でもそれは変わっていない。だが、あの言葉で少しは考える余裕ができて……ここまで関わってしまった。

 そのことを今自覚して、かすかに笑う。

 

 ──やはり、これだけ断るのも妙な話だ。

 

「……年上として、年下に奢ってもらうってのも情けねェ話だけどな」

 

「そう言われるとなんか変な気分になるな……ホントに年上か?」

 

「やめろ、俺ァ間違いなく一九か二〇の大人だ」

 

 それを聞いても竜胆あかねは訝しげな目を向けつつ、右手を俺の頭に、左手を自分の頭に乗せ──

 

「……身長差を比べンな、余計惨めになるだろうが」

 

 乗せられた右手を剥がしながらそう睨みつけてやると、竜胆あかねは気まずそうに目を逸らす。それはそれで傷付く反応で、ハァ、とため息が出た。

 

「別に怒ってねェから気にすんな。……なんつーか……俺も慣れてねェんだよ、こういうの。けど、よ……」

 

 もにょもにょと口の中で言葉を咀嚼した後、さすがに気恥ずかしくて俯いてしまうも、それでも、しっかり口に出した。

 

「嬉しいのは、間違いねェ。……ありがとよ」

 

「!」

 

 俺の言葉を聞いて露骨に嬉しそうにした竜胆あかねは、早速、と言わんばかりにフキタンポポを一輪と、おそらくは母に贈るためのアイリスを数本手に取って店の奥に向かっていく。

 

 そして花越しに聞こえてくる、忙しない彼女と店主のやり取りに自然と笑みが浮かぶ。

 

「ったく、まだまだ子供じゃねェの」

 

 未だ熱が残る頬を掻いて、そんなことをぼやいてしまう。

 両腕に力を込めてエコバックを持ち上げ、少し遅れて彼女の元へと足を進めようとして──

 

───ヴィー・ヴィー!!

 

 直後、けたたましい警鐘が鳴りいた。

 聞くものに例外なく身の危険を想起させる警戒音に、咄嗟に音の出どころを探すが、それはすぐに見つかった。

 

 幸いなどとは、決して言えないところから。

 

「────」

 

 ()()()()()()()()()から、大音量の警鐘が響き渡る。

 ポケットからそれを取り出した彼女は、ばっとこちらに振り返る。

 

 おそらく先ほどまでは、楽しそうに談笑していたその顔は──今は、蒼白に凍りついていた。

 

 見つめ合う一瞬、それ以外がすべて凍てついて色を失う。

 咄嗟に口を開こうとして、その瞬間、

 

 

『アマイガス出現の予兆を確認しました。予測出現地点、送信完了。近場にいるあかねちゃん──いいえ、魔法少女レッドパッション、至急討伐に向かってください』

 

 

 どこか機械的な冷たい声が、警鐘に続いて波紋を広げ──次いでスマホのものにも負けないアラートを伴う緊急放送が、ショッピングモール中で鳴り響いた。

 外の雑踏は一瞬で悲鳴へと変わり、アラートと重なって心臓が破裂しそうなほどの緊張感を撒き散らす中、俺は無意識に言葉を発していた。

 

「この声は、イエローアイ……!?」

 

『──? ひなた、ちゃん? 何故そこに──』

 

 やはり彼女のものであるらしい声がプツリと途切れる。

 見れば竜胆あかねが、スマホの電源を切っていた。

 

 彼女はスマホと一緒に、持っていたエコバックを床に落とし──そのまま何も言わずに駆け出した。

 咄嗟に手を伸ばし、けれど、俺の短い手をすり抜けて、彼女は止まることはない。

 

「オイッ!」

 

 咄嗟に出た声は、狼狽切った無様な声で。

 けれどすれ違いざま、彼女の口は──

 

「ごめん、行ってくる」

 

 それだけ残して、彼女は前を向いた。

 決意と、あるいは何かの激情に突き動かされた彼女は、店の外に踏み出す瞬間に大きく跳んだ。

 

 

「《変身(アマド)》ッ!!」

 

 

 刹那、彼女の胸元から赤色の光が溢れ出す。

 一瞬で彼女の身体を染め上げたそれが晴れたときには──彼女は、ただの少女ではなくなっていた。

 

 その髪は炎のように紅く輝き。

 ジャケットを羽織っていた身体は、動きやすいスポーツウェアを基調としたモノへと塗り替えられ。

 炎のごときオーラをまとい、彼女は空を鋭く睨んだ。

 

「いくぞ、サラマンダーッ!!」

 

『QUAッ!』

 

 脇に蜥蜴じみた炎を従え、分厚いガントレットを打ち鳴らした彼女は、地面を蹴って何メートルも跳ね上がる。

 俺が店先に走った頃には、彼女は吹き抜けを通じて上へ上へと駆け登っていき──そのまま姿が見えなくなる。

 

 俺が呆然としている間に、周囲の喧騒はにわかに大きくなっていく。

 

「魔法少女だ」「レッドパッション? レッドパッションだよな!?」「すげ、魔法少女初めてみた」「吹き抜けで上まで行ってたぞ」「俺ニュースで見たことある」「一瞬だけどヘソ見えてたよね?」「早く逃げよーぜ」「最上階に出たんだって!」「魔法少女がいるなら大丈夫だろ」

 

 民衆の声、──無責任な声。

 先ほどまで悲鳴をあげていた彼らは、“魔法少女が来ている”という一点で落ち着きを取り戻していた。

 彼女たちに任せれば安心だ、と──おそらくはメディアで見ている通りに。

 

 彼女らも同じ人間なのだと、認識しないままで。

 

 それを責めることはできない。

 俺だって、もしもそのような事態になったら──ほんの少し前までは、そう考えていただろうから。

 

「……は、あ?」

 

 だからこそ、俺の胸中に満ちるものは、彼らに言わせれば蛮勇でしかないのだろう。

 

「……ッ!」

 

 エコバックを抱え、呆然としている店主のもとに走る。

 

「すみません、これ預かっててもらえますか!?」

 

「えっ、ちょっとっ!」

 

 有無を言わさず押し付けて身を翻し、吹き抜けを睨みつける。

 俺にはあんな芸当はできない。追いつけるか? 追いつくとしたらどんな方法がいい? エレベーター、は止まるかもしれない。階段だ。人で溢れているかもしれないが別の階に留まる人もいるだろうしここまで流れてくる間に人は少なくなる、そこを通っていけば──よし。

 

 進路を定めて走り出そうと脚に力を込めた瞬間、頭に何かがぶつかった。

 無意識に何かをキャッチして──それが何かわかった瞬間、花屋の店主に振り返る。

 

「店主さん」「ひなたちゃん」

 

 カウンターに乗り出した彼女は、毅然と俺を見つめている。

 

「頼むわよ」

 

 ただ一言。

 ただそれだけで十分だった。

 

「……おうッ!」

 

 俺は地面を蹴って、全速力で駆け出した。

 目指すは階段、それを登ってさらに上へ。

 

 手すりに手をかけ、覚束ない身体を支えながら階段を走り抜ける。

 

「待ちなさいッ君」「今小さいのが上に行ってたぞ!?」

 

「うるせェ」

 

「上は立ち入り禁止だ!」「やめなさいっ!」

 

「うるせェ!」

 

 ああまったく、常識というのは本当にありがたい。だがこの状況では邪魔なだけだ。

 こんな俺でも心配してくれる優しい人たちの手をすり抜けて、竜胆あかねが数十秒で超えた道を何分も費やして登っていく。

 

「ああっクソ、こういうの、俺の、得意分野じゃ、ねェ……んだよッ!」

 

 荒げる息を、張り裂けそうな胸を抱いて、ジンジンと痛む脚をさらに上へと振り上げる。

 

 前の俺なら、もっと慎重に動いていた。

 激情になど突き動かされてはいけないと、鉄の仮面で心を完全に殺していた。

 目的を、復讐を果たすために、俺の心を隠し通していたのだ。

 

 

 だから今みたいに、心が先行することなんて一度もなかった。

 目的も定かではないのに、走り出すことなんて一度もなかった。

 ──けれど、不思議と後悔はない。

 

「は、ァあっ……! あ、ぐ、ァッ……! も、っと、早くッ!!」

 

 立ち止まり、ひゅうひゅうと息を吐き、走り、こけて、擦り傷を作って、無視して、走って、さらに上へと、走って、走って、走って!!

 

──“どうして走る?”

 

 誰かが脳裏でそう言った。

 

 知るか。「っ」

 声すら出ない。「ァっ」

 そんなもの今はどうでもいい。「ァあっ!」

 

 今はただ、その激情に身を任せよう。

 理由を考えるのは、「まだ、後で、いぃっ……!!」

 

「ァ、アアアアアアアアッ!!」

 

 

 ──無様な永遠を走り抜け、四階へ。

 もはや人影はなく、近づいてくる音もない。

 

 ……響いているはずの、戦っているはずの、音も、ない。

 

 ぼやける視界で彼女を探す。

 

「どこだっ」

 

 耳鳴りすらする俺の鼓膜は、何も音を捉えない。

 

 ただの静寂。

 何もない。

 

 ゆえに、その不安が膨れ上がり──そして。

 

 

 

 

『あラぁ? お友達、ですかァ?』

 

 

 

「……ァ」

 

 いた。

 

 彼女がいた。

 

 倒れていた。

 

 彼女は、

 

 

「ぁ、ひな、た……?」

 

 

 彼女は、巨大な獣の死体に──埋もれるように。

 

 血を流し。

 

 ところどころ、欠けた姿で。

 

 

「ッ、あかねぇえ────ッ!!!」

 

 

 倒れていた。




空きます。


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第十五話 激情──憤する炎

お待たせしました。


 吹き抜けを翔け上がり、アマイガスが出現したという最上層へと向かう。

 竜胆あかねは、魔法少女としての超常的な身体能力を駆使した強引な行軍を行う最中に、店に置いてきた彼女のことを考えていた。

 

 ひなた。苗字は明かしてくれなかったが、アイツは良いヤツだ。

 口調は乱暴だし、立ち振る舞いだって粗雑の一言。同じ女子であるとは信じられないほど荒っぽい──けれど。

 

 アイツは、見ず知らずのお婆さんに席を譲った。

 アイツは、アタシのことをほとんど何も聞かなかった。

 ……アイツは、まことにも優しく接してくれた。

 

 その所作には優しさがある。

 時折覗かせる穏やかな瞳は、見ていて引き込まれそうになるほど暖かい。

 竜胆あかねにとって、それだけで彼女は信用する人物に足り得たのだ。

 

 だからこそ巻き込んでしまったことに罪悪感すら覚えてしまうし──せっかく、()()()()()()()()()()()()()()とのお出かけで現れるアマイガスへの怒りも膨れ上がる。

 彼女は魔法少女ではないから、なおさらに。

 

 胸が破裂しそうなそれを吐き出すように、竜胆あかねはかすかにぼやいた。

 

「……ホント、間が悪いよなあ、サラマンダー」

 

『QUA?』

 

 不思議そうに首を傾げる小さな蜥蜴の頭を撫でて、吹き抜けのフェンスを蹴り上げる。

 まだ破壊音は響いていない。イエローアイの第一魔法によって東京全域を観測し、早期にアマイガス出現の予兆を感知できる──だから、出現してまだ間もないだけだ。

 

「さっさとぶっ倒してやる……!」

 

 理性的にそう考えて、さらにフェンスを蹴って加速して一気に最上層へと到達する。

 手足から炎を噴出、跳躍の勢いを殺しながら勢いよく地面に着地して周囲を油断なく見渡し──自分達以外の人影が消えていることと、敵手の存在を確認した。

 

「魔獣型か……!」

 

『GooOo……』

 

 巨大な猪、としか形容できない、獣そのものなアマイガス。

 我が物顔でフロアを歩き回る姿は、床が抜けそうに思えてしまうほどその場所には不釣り合いだ。

 

 その時、暗色のごわついた毛並みを逆立てて鼻を鳴らすそれの赤い瞳が、ちょうど彼女の目とかち合った。

 

「オラアアァアアアッッ!!」

 

 一瞬の躊躇いもなく竜胆あかねは地面を蹴って加速して、手足のガントレットから炎を噴出して滑空するように接近する。

 対して獣が取った行動もまた、獣らしく単純な──

 

『BUMOoooooOッッ!!』

 

 突撃だった。

 片や炎によるブーストを受けたとはいえただの少女、片や見てわかるほどの圧倒的質量。真正面からぶつかり合えば、その勝敗は見るまでもなく確定している──もしも彼女が尋常の存在ならば。

 

 竜胆あかね──レッドパッションは迫り来る巨躯にわずかな怯えも見せず、それどころか正面衝突上等とばかりに加速度を乗せて両脚を地面に突き立てる。

 獣は突き進みながら嗤う。愚かなり、そのような短躯で我がすべてを受け止め切れるものかと。

 

 それが聞こえたのだろうか、竜胆あかね(レッドパッション)は口角を歪に上げ、獰猛に笑う。

 

「やってみろよ、鈍間なデカブツがよッ!!」

 

『──BUMooOッッ!』

 

 彼我の距離は一瞬で縮まり──衝撃。

 猪の全体重を乗せた突撃がレッドパッションに突き刺さる、そう錯覚させるほどの大気中を震わせる衝撃。喰らえば人間ごとき即座にミンチになるであろう圧倒的質量の突撃は、

 

「ぬ、ぐ、ぉおおッ……!!」

 

『BuMo……!?』

 

 少女ただ一人潰せずに、完全に受け止められていた。

 両腕を広げたレッドパッションは、動揺する猪の鼻を抱きしめるように鷲掴み──額と両腕に青筋を浮かべ、ガントレットから炎を噴出しながら、徐々に猪を持ち上げていく。

 

 全長一〇メートル以上にもなり、重さはトンを軽く超えるであろう化け物を、炎によるブーストはあれど身一つで。

 

「アタシ、だって、なぁッ……!!」

 

 ぎりぎりと歯を噛み締めて、己を鼓舞するように声が漏れる。

 

『Bu──』

 

「このくらいっ、できるんだよッ!!」

 

 一気に両腕を振り上げて、そのまま彼女は猪を手放した。

 刹那の滞空。猪であるが故に踏ん張ることも、まして動くことすらできない気の抜けた浮遊。

 それはこの攻防の中において、

 

 ──絶対に攻撃を避けられない、死への飛翔を意味している。

 

 彼女の脚を包むガントレットが炎を吐く。

 ぎちぎちと地面に出来た窪みに己の脚を当て嵌めて、刹那のうちに人間のそれとは比べ物にならない力を貯めていく。

 

 猪の脚が、身体が、墜落するその瞬間。

 彼女の野生的な反射神経は、猪の身体が重量ゆえの加速度を最大限得た瞬間を見逃さず──

 

「オッラァッ!!」

 

 さながらデコピン理論のごとく、直線上に脚を振り抜いた。

 炎による加速、硬いガントレット、それらの威力を爆発的に高める原理、加えて猪の重量と落下の加速度──総計すれば絶大な量になる破滅的な運動エネルギーを、

 

──ド、ゴォッ……!!

 

『GyAGaッ!?』

 

 純粋な膂力で以て、猪の柔らかい腹に叩きつける──!

 

 めぎ、と折れ曲がる猪の腹。皮膚を強引に貫き、脂肪という鎧を超えてその衝撃が内部まで響き渡る。その勢いは猪の身体をわずかに跳ね上げるほどで、やはりこれも常人が喰らえば一たまりもないだろう。

 

 レッドパッションは猪の腹に食い込んだ脚が、蓄えた力をすべて吐き出した瞬間に強引に引き戻す。

 

 ガンッ、とそれを地面に突き立て両脚で踏ん張ると、無防備に落ちてくる猪を前に彼女は片手を腰だめに引いた。

 

 ──ごお、と炎が散る。

 空気を焼き尽くす高熱で、ガントレットが覆われる。

 

「死ぃねぇええええッッッ!!!」

 

 猪の頭蓋めがけて全力で拳を振り抜き──刹那、何の抵抗もなく猪の頭に彼女の拳がめり込んだ。

 何か硬いものを砕き、柔らかいものを潰す感触。生々しいそれに眉ひとつ顰めず、それどころか口角を上げさえしながらも彼女に一切の油断はない。

 

 もはや猪の鳴き声すら聞こえない。

 ──当然だ、喉もろとも頭を殴り潰したのだから。

 

 べちゃっ、と地面に墜落した猪の死体を一度蹴る。それは嘲りゆえではなく、死んでいるかを確認するための行いだ。

 何度かそれを繰り返して念入りに死を確認した後、ガントレットから噴き出していた炎が徐々にその勢いを弱めていく。

 

 ふぅ、ふぅう、と何かを抑え込むように息を吐き、少女は猪の、化け物の死体を見る。

 そしてどこか不安げに目を瞑った。

 

「そうだ、アタシは強い。今だってこんな簡単に……アマイガスを、倒せたじゃんか」

 

 それも、かつて己がいた地方では倒せる者がほとんどいないだろうアマイガスを、だ。間違いなくエース級であり、どこの支部でも両手をあげて歓迎されるに違いない。

 事実としてそう認識しているのに、彼女の言葉は、自分に言い聞かせているようで。

 

「……くそっ」

 

 彼女の脳裏を占めるのは、魔法少女ロンリーブルー──楓信寺静理の姿。

 

“落ちこぼれのあかねちゃん”──そう言った彼女には、そう言えるだけの力があった。

 

 迫り来るアマイガスの爪も、牙も、何もかもを遮断して──確かな拵えの日本刀で切り捨てていったあの姿。

 あまりにも優雅で涼しげで、当時ミストレスに勧誘されて浮かれていた彼女のプライドを木っ端微塵に打ち砕いた彼女は、まだ中学生だという。

 竜胆あかねが、守ってやらなければならない年頃の少女なのだ。

 

 だというのに、彼女は自分より強い。

 それ自体は構わない。悪いのは弱い己であり──怒りを向けるべき相手も、また──

 

「っ違うッ!!」

 

 胸中に湧き上がるそれを抑えつけて、ふぅう、と深く息を吐く。

 噛み締めた唇から流れ出る鉄の味も気にせずに、ガントレットに包まれた拳を強く握り込む。

 こびりついたアマイガスの血が、燃えるように塵となって消えていく。

 

「アタシは、違うんだ。……アタシは、アイツとは……!」

 

 彼女の呻きは、どこか悲鳴にも似ていて。

 

 

『んーふフフ』

 

 

 そのせいだろうか。

 彼女は、突如背後に現れた存在に対応できなかった。

 ぞわりと粟立つ背筋。吹きかけられた鼻息に神経が逆立ち、少女らしい生理的な嫌悪感で身がすくんだ一瞬、

 

『あァーン』

 

「ぎっ!?」

 

 ──“ぢうぢう”と。

 噛みつかれた首元から、生命として致命的なモノが吸い出されていく。

 鋭い痛みが近い脳髄に叩き込まれ、混乱した竜胆あかねは抵抗するように肘を後ろに突き出した。

 

『暴れナぁいノ』

 

 だが離れない。それどころか堪えている様子もない。間違いなく肘が肉体にめり込んでいるのに、勢いが乗っていないからか首筋を貫く鋭い牙は離れない──!

 

『うフ、やっパりぃ、可愛らシい魔法少女ノ血は濃ゆゥいですねェ』

 

 甘ったるい声が耳元に吹きかけられるたび、心臓に不快感が注がれるような気色悪さが彼女を満たす。

 

『不細工じゃだァめなんでスよぉ……健康的でェ……みずみずしくてェ……容姿に恵まれたァ、そウ、君みタいな子が一番』

 

 

『私の“欲”がァ、満たされるゥ……』

 

 

「っ、サラマンダーァアッ!!」

 

 絶叫とともに炎の勢いが爆発的に高まり、己もろともに敵を消し炭にせんと燃え上がる。

 さすがのナニカも大気を糧としてさらに勢いを増す炎に包まれてはたまらないのか、名残惜しそうに彼女の首筋を舐めた後に炎を裂いて飛び退いた。

 

「〜〜〜……っ!!」

 

 舐められた首筋を念入りに炎で燃やしながら、深い激情を湛える紅瞳でナニカを視界に収める。

 そして、ポツリと。

 

「……吸血鬼?」

 

 そう呟いた。

 

 ソレは一見、シルエットで見れば人らしい。顔も、手足も、きちんと欠陥なく揃えている。

 だがその耳は鋭く尖り、男か女か見分けられないほど醜い顔には頬まで裂けた口元からは犬じみて歯並びの悪い牙が並んでいた。手足もほっそりとして長く、それに反して身体は分厚いために難病に侵された患者を彷彿とさせる。

 

「まさか」

 

 その醜い口が弧を描き、レッドパッションの頬が引き攣る。

 紛れもなく、先ほどまでの猪とは比べ物にならない脅威。地方はもちろん東京においても今まで遭遇したことがない怪物。

 

「高位の『シン棲種(アマイガス)』──ヒトガタか……!」

 

 たどり着いた彼女を祝福するように、吸血鬼(ヒトガタ)は慇懃に、それでいて嘲りが見て取れる仕草で頭を下げた。




19時にもう一話投稿します。


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第十六話 激情──“呼声”

これより前にもう一話投稿されていますので、お気をつけください。


「高位の『シン棲種(アマイガス)』──ヒトガタか……!」

 

 それを把握したレッドパッションはすぐさま地面を蹴って飛び退き、腰のスマホを強く叩いて()()()()

 次いで側に現れた火蜥蜴と頷き合い、両手をヒトガタに向けて思い切り突き出した。

 

「《炎火焔砲(ドラゴン)》──ッ!!」

 

 上方に突き出した両手で被害が出ない照準を定め、()()()()を発動しようと言葉を紡いだ瞬間に、

 

『そレは頂ケないなァ』

 

「ッ!?」

 

 刹那のうちに現れたヒトガタによって、光が集い始めていた両腕を掴まれる。

 咄嗟に炎を噴き出して引き剥がそうとするも、片手で抑え込まれているだけなのに、動かない!

 

 純粋な膂力の差を突きつけられ、レッドパッションは歯噛みする。だがそれでも、どうにか状況を打破しようとヒトガタを睨みつけ──その表情が凍り付く。

 

『ほォんと、ずルいよねェ』

 

『QUA、AAッ!』

 

 ヒトガタの、使われていなかった片手が火色の蜥蜴をぎりぎりと掴んでいる。サラマンダーも必死に抵抗しているが、矮小な体躯のせいで抜け出すことも叶わない。

 

()()()()()()()()()に、さァ……象るモのが違うだケで、立場も何も、ぜェんぶ変わってしマうンだもの……』

 

「サラマンッ……てめ、離しやがれッ!!」

 

『すこォし、黙っておこうねェ』

 

 ──めぎっ。

 暴れるレッドパッションの両腕が、歪に曲がった。その鈍痛でレッドパッションのこめかみが引き攣り、喉が震え、脂汗が滝のように流れる。

 

「ぎ、……づゥ、ァッ!!」

 

 それでも彼女は悲鳴を噛み殺して、痛みで瞳が潤みながらも気丈にヒトガタを睨みつけている。

 ヒトガタはそれにほォと愉快そうな声を漏らし……直後、片手で捉えたサラマンダーが悲痛な鳴き声を発した。

 

 ぎりぎり、ぎりぎりと締め付けて──片腕がゆっくりと、レッドパッションに見せつけるようにして上げられていく。

 近づいていく先は、犬歯の生えた醜い口。

 

「お、いっ、やめろッ……!」

 

 悲鳴にも似て焦燥を孕んだ声に、ヒトガタは醜悪に微笑んだ。

 

『ン』

 

 暴れる蜥蜴を口元に。

 

「やめッ──!!」

 

『ばクり』

 

 ふざけるように、あざけるように、下手な擬音を吐き出したその口で。

 

 ヒトガタは、サラマンダーを噛み砕いた。

 血の気が引いていくレッドパッションの目の前で、ばりばり、ばりばり──鱗が砕け、血潮が弾け、とびっきり露悪的にヒトガタはソレを咀嚼した。

 

「あ、ァあ」

 

 呆然と、レッドパッションはうめきにも満たない息を漏らす。

 そんな彼女の姿が心底楽しくて仕方がないとでも言うように、下劣に笑うヒトガタは、ごくん、とわざとらしく喉を鳴らし──がパァ、と頬まで避けた口角を、限界まで広げ見せつけて。

 

()()()()()()()からァ、大丈夫でスよぉ。……ゲプッ』

 

 汚らしい噯気(おくび)とともに、吐瀉物にも劣る言葉を、さも楽しげに吐き捨てた。

 己がへし折ったレッドパッションの両腕をふらふらと揺らし、その苦痛に喘ぐ彼女を眺めてにやにやと嗤い──少女らしく健康的に引き締まった前腕の肉を、ぶちり、と。

 

「っづ、ぁあ──ッッ!!?」

 

『んーフ、美味シいですねェ』

 

 引きちぎったそれを口に運び、だらしなく頬を緩める姿は、怪物らしく悼ましい。

 肉を抉られたレッドパッションはだくだくと流れる血をそのままに、それまでの鈍痛とはあまりにも異なる鮮烈な痛みに悲鳴を堪えることができずに身体を震わせていた。

 

「げはっ!?」

 

 ヒトガタは彼女を枯れ木のような脚で蹴り飛ばし、塵となりかけている獣の死体に叩きつける。

 幸い獣の脂肪が緩衝材となったことで衝撃そのものはそれほどではなく──しかし。

 

「が、はっ、はっ、っぐぅッ……!」

 

 純粋な蹴りの破壊力で筋繊維が弾け、肋骨が砕ける。内臓が血を吐いて、彼女の口から呻きとともに血反吐が垂れた。

 

 圧倒的な、どうしようもない力。

 人間が想像する人外を体現するがごとき悪趣味な言動と言い、()()()()()()()()()()()化け物だ。

 

「……くふっ」

 

 畜生、そう悪態を吐き出そうとするも、その余裕すら彼女にはない。

 意味を成さない吐息だけを吐き出して、唇を噛み締めた。

 

 そんな彼女をとても愉しそうに眺めて、ヒトガタは唇を厭に歪めた。

 

『後はァ、そうですねェ……太もも、いイなァ。かぶりツいたらドれだけ美味しいダろう……久しブりだカら、目移りしてしまマうなァ……』

 

 腕、二の腕。

 脚、ふくらはぎ。

 首元、流れる血。

 

『でも、早くシないと、死んで(冷えて)しまうから……ねェ』

 

 それらを順々に指差して、舌なめずりするヒトガタは、細い片腕を少女に伸ばす。

 

 

 レッドパッションの瞳は、もはや霞んで何も見えない。わずかな影のみを捉える瞳を必死に細めている。それは光を見つけようと足掻いているようにも、見たくないものを拒む諦めのようにも受け取れた。

 だくだくと腕から流れる、生々しく温い鮮血──広がっていくそれ。

 

 ああ。

 

 もっと自分が強ければ。

 

 こんな無様な死を、迎えることはなかったのに。

 

 ──“勿体ないと思わないかな?”

 

 端から感覚を失っていく中で、そんな声が脳裏に聞こえた。

 

 ──“オマエが心に秘めたるモノを、むざむざ、抑圧しているなど”

 

 聞いたことがある──けれど、違う気もする妙な声。

 

 ──“もしもオマエが、汝が炎に焼き尽くされる覚悟があるなら”

 

 傷口から、体温もろとも血が流れ出ていく。

 

 

 ──“■れ”

 

 ──“■れ”

 

 ──“■れ”

 

 

 ──“■れ”

 

 

 

 折れた骨の痛み。

 理不尽にも与えられたそれが、少女の意識を支えていて──

 

 

 ──どこだっ

 

 

 遠く、声が聞こえた。

 気のせいかと、気の間違いかと聞き流してしまうほどの小さな声。

 

 だが。

 

 迫り来る手が、わずかに止まったのを感じて確信する。

 

 彼女が、来たのだと。

 

 行ってくると、言ったはずなのに。

 

「ぁ」

 

 痙攣し、震える喉がわずかに開き──

 

「ひな、た……?」

 

 竜胆あかねは、彼女の名を呼ぶ。

 相変わらず、瞳は霞んで見えないけれど。

 どうして来たと怒鳴りたい──けれど、それでも。

 

 

「ッ、あかねぇえ────ッ!!!」

 

 

 嗚呼。

 ようやく、名前を呼んでくれた。

 それだけで竜胆あかねは──この絶望的な状況の中で、救われるような気がしたのだ。



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第十六話 契約──“ずっと見ていた”

 なりふり構わず彼女の元へ駆け出した。

 それをやったのが誰だとか、そういった危機意識は完全に頭から抜け落ちていて──だから多分、あかねの元に辿り着けたのは、純粋に奴の気まぐれだったのだろう。

 

 塵となってはらはらと消え行く獣の死体、それに力なく背を預けている彼女の姿は、荒事に慣れている俺であっても一瞬言葉を失うほどに痛々しい。

 

 腕は妙な方向に曲がり、二の腕の肉が抉られている。腹部には青痣になる前の腫れが生々しく這っていて、引き締まっている脚も力なく頽れている。

 

「あかねっおいッ! しっかりしろッ!」

 

 頬を叩いて呼びかけるも、彼女の唇はわななくだけで意味のある言葉を吐き出さない。

 おそらく、()の名前を呼ぶために、最後の力を振り絞ったのだ。腹の奥で積もっていく焦燥が、どうすれば助けられるかと思考を突き動かし──

 

『君ぃ、その子ノお友達ィ?』

 

 ──ふざけた声が聞こえた瞬間に、すぅ、と脳髄が冷えた気がした。

 どくどくと高鳴る心臓を他所に、俺は顔だけを後ろに向ける。

 

「てめェが、これをしたのか?」

 

『わァ、怖い顔ですねェ。でも、最初に質問しタのは、こっチでしょう?』

 

 にやにやと嗤うソレの言葉に確信する。コイツが彼女をこんな目に遭わせたのだ、と。

 質問には答えずに立ち上がり、あかねを庇うように怪物を睨みつける。

 

 それに何かを察した──あるいは妄想したのか、わァ、などと大袈裟にソレは喜んだ。

 

『良い覚悟ですねェ──でモぉ、あなた、一般人だよねェ?』

 

「そうだな。ああ、そうだ。俺ァただの一般人だよ」

 

 嘲るような言葉を肯定してやれば、怪物は意外そうに首を傾げた。

 何者をも軽んじているその瞳には、嗚呼、とても覚えがある。

 

『私が怖くないンですかァ?』

 

「あ? 怖いに決まってんだろうが」

 

 今でも頭の冷静な部分が泣き叫んでいる。

 やめろ、やめろ、今すぐ身を翻して帰れ──見捨てて帰れ、さもなくば死ぬぞと泣き叫んでいるのだ。

 

 そんな己の声を事実として受け止めて、()()()()()()()()()()()()()

 

 もう、覚悟はできている。

 

 

「怖いと感じることと、ソレに膝を屈することはイコールじゃねェんだよ、ボケが」

 

 

 俺の言葉を聞いて、ソレは理解できないとばかりに首を傾げて──唐突に、納得したように手を打ち合わせた。

 

『なァルほど! つまり──勇気、というモのですねェ?』

 

 その言葉を聞いて呆気に取られてしまう。

 勇気、勇気と来たか。よりによって──勇気と言ったか。

 

 あんまりにも的違いで、思わず嘲笑がこぼれてしまう。

 

「笑えねェ冗談言うなよ、馬鹿が露呈してンぞ?」

 

 ソレのこめかみがぴくり、と跳ねる。どうやら馬鹿にするのは慣れていても、馬鹿にされるのは気に入らないらしい──どこまでも不公平な話だ。

 

 そう、どこまでも不公平だ。

 怪物としても浅さが見えるこの化け物に、家族のために頑張っているあかねが、レッドパッションがこんな目に遭わされている。

 

 だからチラつくのだ。

 脳裏に、血潮に、骨の髄にまで刻まれた──彼女の最期が、いつだって俺を離さない。

 

 ああ、この激情には覚えがある。

 どこまでも、そう、あの日からずっと俺の脳髄を焼き続けていたもの。

 ずっとずっと俺を蝕み、同時に俺という心を薪として永遠に燃え続ける冷たい炎。

 

 ──俺とともに燃え尽きたと思っていたソレが、深い心の奥底で、再熱する。

 

 それが勇気?

 これが勇気?

 

 何を馬鹿げたことを言っている。

 否、馬鹿だ。馬鹿そのものの発言だ。

 

「いいか化け物、てめェにひとつ教授してやる」

 

()()()()()()()()を無視し、一歩踏み出して己の心臓を指差した。

 

 

「──これは、憎悪だ」

 

 

 ひたすらに冷たく──どこまでも重苦しく。

 

 おおよそ尋常を生きていれば持ち得るはずのないドス黒い殺意。

 こんなものが、勇気であるはずがないのだ。

 

 

『──キミは』

 

 化け物の瞳が不可解そうに細められ──しかし、首を振る。

 

『キミがその子の友人ナら、むしろ好都合ですよぉ。見ればキミもなかなカに麗しい……久しぶりの食事で、ご馳走がまとめテやってくるなんて! なァんて幸運なんでしょウ……!』

 

 醜い口を広げ、まるで讃美歌を歌うように大げさに天を仰ぐ姿に、心の底から嫌悪感が湧いてくる。

 麗しいと、ご馳走だと言ったのだ。

 俺の姿を──妹の、ひなたの姿を、麗しいと、ご馳走だと。

 

 脳裏に焼き付いた記憶(トラウマ)の色が濃くなっていく。

 その意味は性欲ではなく、おそらくは言葉通り食欲なのだろうが──いずれにせよ、弩級のゲスなのは間違いない。

 

 本当に、どこまでも癪に触りやがる。

 化け物だけではなく──俺に対しても、苛立ちが募る。

 

 ひりつく空気の中、一歩、怪物は俺に近づく。

 俺は一歩も退かず、ただ、後ろで倒れるあかねを見た。

()()()()()()を宥めて、ぎちりと唇を噛み締める。

 

「……悪いな、あかね。俺ァいつも、こうなんだ」

 

 いつも遅い。

 いつも、いつも、いつも、何かが起こった後に駆けつける。

 あの日もそうだ。何もかもが壊れた後、俺は必死に駆けずり回って──あのゴミどもの嘲笑う声が、いつまでも脳を揺らして止まない。

 

 じりじりと焦らすように──まさしく肉を弱火で炙るように、化け物は俺に近づいてくる。

 奴は俺を食おうとしている。あかねにやったように、俺の肉を貪ろうとしている。

 

 であれば、その隙に目玉の一つでも潰せるだろうか。

 ふぅと息を吐き、身体から余計な力を抜く。その姿が生を諦めたように映ったのか、化け物の笑みが深まったが──油断上々。

 

 化け物は俺を見下ろして、醜悪に微笑んだ。

 

『ここかラは悲鳴しか聞こエませんからァ──最後に、何か言イ遺すことは?』

 

 まるで泣いている幼子を宥めるような口調に失笑する。

 そのまま、化け物の眼前に中指を突き立てた。

 

()()()()()()()()、クソ野郎」

 

『──冗談デも笑えまセんねェ』

 

 その表情から幾度目かの笑みを消して、化け物は俺の首元に手を伸ばす。

 この舐め腐った化け物に一泡吹かせてやるためにも、最期まで悟られてはならない。わざわざ死後を強調したのだ──殺せないまでも無様に泣き叫ばせてやらなければ割に合わない。

 

 ──ああ、しかし、それにしても。

 胸元が、熱い。

 

 

”素晴らしい“

 

 

 そう感じた瞬間に。

 何かが砕け散るような音とともに、聞き覚えのある鮮明な声が響いた。

 

「な」

 

『にっ!?』

 

 周囲を硝子のような粒子が覆い、俺の首元にまで伸びかけていた腕がそれに遮られる。化け物はそれでも手を伸ばして、その一拍後に何か見えないものに弾き飛ばされた。

 俺──ではない、間違いなく。であればなんだ、なんなんだ!?

 

 混乱する俺の前で、光を反射する粒子が収束する。

 

 “我は汝を見た。そして汝こそが、我にふさわしい存在だ”

 

 どこからか響いていた声もまた、収束に伴ってどこか確たる響きを帯び始める。

 やがて粒子が完全に一つに収束した時──現れたのは、鏡で構築された異形。

 

 下半身はなく、光を乱反射する鎧のような上半身のみが宙に浮遊している。

 鏡で形作られた顔は精巧なフィギュアのようで、しかし無貌としか形容できない無機質さで覆われている。

 

「おまえは、なんだ……?」

 

 先ほどの生物的な吸血鬼とは全く異なる、それでいて()()()()()()()を感じる異質なソレに、思わず後ずさってしまう。

 人が向き合うにはあまりにも冷たすぎる。

 

 端的に言えば、恐ろしかった。

 

 この存在からは敵意も何も感じないというのに──押しつぶされそうな威圧感が。

 

『我は()にして()にあらず』

 

 対する硝子の異形は、まるで謎かけのような言葉を返す。

 

「何を」

 

『我は()であり、()()()()()()()()であり、そしてその()()()()()()()

 

「だから、何を言って──ッ!」

 

 叫んで気付く。

 誰か、似たようなことを言っていなかったか。

 

『それは()であり、()であり、()()()()()()()()だ』

 

 そうだ、ミストレスは俺に投げた水晶玉をそう形容した──そこまで考えて咄嗟に胸ポケットに手を入れる。

 

「ッ、砕けてる……!?」

 

 原型を止めないほど砕け散っている水晶玉は、ほのかに熱を持っている。そうか、俺がさっきまで感じていた熱はこれだったのか!

 

『その珠は門にして鍵。我らがヒトを観測し、ヒトが我らに繋がるための道具。

 ──我らによってもたらされた、()()()()()()()()()()()()()()()()()()の道具』

 

「なら、なら、お前は一体、なんだって言うんだ……?」

 

 それと同じ言葉で己を形容した硝子の異形は、我らとは、一体──

 その疑問に答えるように、硝子の異形は手を差し伸べた。

 

『我は“裁き“。ヒトが無意識で夢想せし必罰の化身』

 

『我らはヒトの、()()に棲まう者

 

『──すなわち、シン棲種(アマイガス)

 

 アマイガス。

 アマイガス──それは、魔法少女が討伐するべき敵の名前。

 咄嗟のことで身構えることしかできない俺に、ソレは言った。

 

『我からも問おう、鎌原定努(かんばらさだむ)──あるいはそれを捨て去る者よ』

 

 

『──我と契約し、()()()()となれ』

 

 

 そんな、あまりにも理解を飛び越えた言葉に、俺の思考は今度こそ停止した。




課題とかで死にそうなので来週まで更新できないと思います。
すみません


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第十七話 契約──守るための力

夏季休業記念!
夜更かしのお供にどうぞ!


「……ま、ってくれ」

 

 かろうじて絞り出せたその言葉を契機にして、呆然としていた俺の脳が動き出す。

 

 その言葉が意味することはすなわち、魔法少女とは──アマイガスと契約を結んだ人間、ということだ。

 何故? アマイガスは人類の敵ではなかったのか? そんな疑問が脳裏に浮かび……イエローアイの『相棒』や、あかねが従えていたサラマンダーの存在で、否応にも納得させられてしまう。

 

「お前に、何の得がある。俺と契約して、何のメリットが……」

 

 

()()()()

 

 

「……現代社会じゃきょうび聞かねェ話だな」

 

『汝には馴染みある言葉だろう?』

 

 渋々ながら頷く。自己救済、それは文字通り己の力で己を救う……近代国家に属するために、真っ先に捨てなければいけない概念だ。

 そして硝子の異形の言う通り、俺の復讐も広義的に言えばそれになるから馴染みが薄いわけではない。

 あまり愉快な話ではないが。

 

 その辺の感情が目つきから漏れていたのか、硝子の異形は歪みない宝石じみた貌でクツクツと笑う。

 

『我々は我々を、汝らを救うために我々と敵対することを選んだ。その筆頭こそが──いいや、なんでもない』

 

「そこまで言ったンなら言えやテメェ」

 

『生憎と、口止めされた。()()()()()

 

「そうかよ」

 

 自然、舌打ちが漏れる。薄々察しがついているから余計に苛ついているのだ。

 否、正確にはそれだけではない。

 苛立ちの原因は、もっと根本的なところにある。

 

 ……契約。

 魔法少女としての、契約。

 

 それは、かつて断ったミストレスの誘いに、今更になって乗るということ。

 

「…………」

 

 俺は、ミストレスの誘いを断った時から何も変わっていない。

 俺は死ぬべきだと考え、その通りに誘いを断り、……暗い部屋の中、おそらくはコイツに語りかけられて、それでも俺は迷っている。

 

 正しく、()()()()()()()()

 

「………………」

 

 だが──それは果たして、本当に必要なのだろうか。

 俺は、後ろで倒れ込むあかねの姿を見た。

 

「……助けられるのか?」

 

『確証はない』

 

 硝子の異形は、助けられるとは言わなかった。

 あるいは、助けられないとも言わなかった。

 ──俺の選択肢でどちらか決まる、そう告げているようだった。

 

「なるほど、な」

 

 ふぅ、と息を吐く。

 であれば、覚悟はできた。

 納得なんて必要ない──俺の心なんざ、どうでもいい。

 

 彼女を助けられるのなら、それでいい。

 

 そう結論付けて、硝子の異形に向き合って、拳を突き出す。

 

「俺に、この子を守れる力をよこせ」

 

『それは──』

 

 俺の言葉を聞いて、硝子の異形はなにか物言いたげにこちらに身を乗り出した。

 だが数瞬、逡巡するように頭を抑え──こちらに手を差し伸べる。

 

『あるいはそれも、汝の本心か。いいだろう』

 

 硝子の異形の掌が、俺の拳を受け止める。

 ……彼の掌はひどく硬い。人ではあり得ない、人外の掌。

 

 だがそれがかえって、頼もしさを感じさせる。

 

 俺は笑う。口角を上げて、わざとらしく勝気に笑う。

 

「さあ、()()()()()()()()()()()!」

 

 

 /

 

 

『いた、タ。まったク』

 

 瓦礫から這い出たアマイガスの口から、ため息とともに声が漏れる。

 せっかく極上の食事を楽しめるところだったのに、ケチが付いてしまった──その苛立ちに任せ、手元の瓦礫を握りつぶす。

 

『あア、久しぶリの食事なノに……』

 

 折れた骨がずるずると、逆再生のように一体化していく。“食”を起源とする彼にとって、再生とはすなわちエネルギーの消費に他ならない。

 ただでさえ腹が減っているのにさらに消耗するなどたまったものではないが、そのように生まれてきた以上仕方のないことだと己を納得させるしかない。

 

『でスが、空腹は最高のスパイス……あァ……』

 

 魔法少女、魔法少女、なんと素晴らしい響きだろう。

 特に見目麗しい少女しかいないのが素晴らしい。そのような仕組みを作った裏切り者には感謝しかない──裏切り者とともに、己を一度殺した存在も、とても美味しそうだった。

 

 だが、油断したのはいただけない。

 

 魔法少女の友人の、見目麗しい少女。

 そんな存在が、常人であるはずがなかったのに。

 

 現に、今。

 

 その少女が、己の前に立っている。

 毅然として。

 敵として。

 

 

 少女は、赤毛の少女を守るようにして立っている。

 

 

『ふフ、随分と修羅場をくぐっているようで』

 

 だが、彼女の全身からたぎらせるものは、そのような献身的な動きとはまったく異なるものだった。

 憎悪、あるいは殺意。尋常に生きていれば決して得られるはずのない、ドス黒い情動。

 それを完全に御している。御して、その上で“殺してやる”と──こちらを睨みつけている。

 

 まるで荒野に吹き抜ける風のようだ。

 あらゆるものを砂塵に帰す風。長く浴びれば、全身が風化しかねない。

 

『随分と、()()()()()()()()ですねェ──』

 

 だからこそアマイガスは嗤う。

 足りていない。

 それではまったく足りていないと、愚かな少女を嘲るのだ。

 

 

「──やるか」

 

 

 そんな彼の内心を他所に、少女の凛とした声が響く。

 よく通るハスキーな美声。そこに気恥ずかしさも、まして躊躇いなど存在せず、街角で歌えばおそらくは時の人になるだろう。

 

 ──だが、アマイガスは咄嗟に身構えた。

 

 透き通るようなその声は。

 あらゆる障害を貫き、首元に迫り来るナイフのようで。

 

『な、ニ……?』

 

 身構えたアマイガスは、眼前の少女に意識を集中させ──気付く。

 

 その口角が、歪に弧を描いたことに。

 

 

「『(オレ)秩序(セカイ)に、(オマエ)()らない』」

 

 

 彼女の口が紡いだのは、男女の声色を織り込むがごとき、純粋な殺意。

 あまりにも傲慢に、その存在を否定する──抹消宣言。

 

 

「『──疾く(とっと)(くたば)れ』」

 

 

 獰猛に笑う。

 片手で胸を、掻きむしるように握り締め──血反吐を絞り出すように、唱えた。

 

 

「《変身(アマド)》」

 

 

 バキン、と何かが砕け散る。

 舞い上がったそれは、光を乱反射する硝子の欠片。

 それが少女を包み込むように集い、戦にふさわしい姿を形作っていく。

 

 肩から手の先まで、一切の肌を包み隠すように光が覆う。

 ゆったりと腹部を這うように、くびれた腰に張り付くように。

 そして光が脚部までもに届き、それらがふわりと風にたわむ。

 

 硝子のドレス、そう形容して差し支えない美しい光──だが少女が手を掲げた瞬間に、それらが一気に()()()()

 

 輝いていた布地は黒く。

 真っ白なキャンパスを墨に浸したがごとく、隅々にまで黒が行き渡る。

 

 それはまるで、少女の憎悪がドレスを染め上げるように。

 

「来い」

 

 行き場をなくし、残された光が掲げられた右手に集う。

 少女は光を握り締め、大気を裂くようにして鋭く振るう。それによって光が振り落とされ、姿を表すは鈍色の剣。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──

 

『……なンて』

 

 わなわなと、アマイガスの身が震える。

 抑えきれない情動(イド)が、心の底から湧き上がる欲求が、どこまでも醜悪に膨れ上がる。

 

 ああ、なんということだろう。

 足りていない。まったくもって足りていない──だというのに、彼女はどこまでも美しい。

 

『なん、テッ!』

 

 ──少女もまた、何も遮るものがないその瞳をアマイガスに向ける。

 ただそこに宿るのは凄絶なる殺意。冷たく、静かに手段を見定めるその瞳に翳りはない。

 

『なんテ、食べ応えがあルんでしょう──ッ!!』

 

「──死ね、クソ野郎」

 

 風に黒髪をたなびかせて、少女は震える化け物に突貫した。




これから感想がえしと一緒に更新ペースをもとに戻していきます、お楽しみに。


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第十八話 殺すことより、大切なこと

 少女は騎士剣を腰だめに構え、地面を蹴って急激に加速する。おそらくはトラックと激突しても、真正面から貫けるであろう気迫──それを前にした怪物は、身を震わせながらもその両手を交差させる。

 鈍化する視野でそれを眺めながら、ぎちり、と少女は歯を噛み締める。

 

 ──受け止めるつもりか!

 

「ハッ、上等ォッ!」

 

『くフっ!』

 

 ズシン、と大気を震わせる轟音。構えた剣が怪物の交差した腕を貫き──肉と骨を断ち切るも、しかし、身体には届かない。

 一転して懐で留まることになった少女を見下ろし、醜悪に怪物は笑う。さあて、どのように調理して、

 

『くッ!?』

 

 本能的な寒気。本能が訴える危険信号に従い、怪物はたまらず大きく後ろに──違う。

 腕を貫いた剣が、今度は逆に己を縫い止めている!

 

「オラァッ!」

 

 少女はわずかな躊躇いもなく剣から手を離し、幾度も繰り返した経験をもとに最速で拳を抜き放つ。

 体重と重心を乗せた小さな、しかし紛れもない魔法少女の拳が怪物の下腹部に突き刺さった。

 

『手癖ノ悪いッ!』

 

 負けじと怪物も脚を振り上げて迎撃するも、少女は小さい体躯を器用にねじってその勢いを殺し、逆に後ろに飛び退いた。

 脚を振り上げて無防備になった怪物、そこに再び飛びかかり──脚を向けるは、腕に突き刺さった剣の柄。

 

 少女の脚が剣の柄を正確に蹴り飛ばす。その勢いでさらに剣が腕に食い込む。

 どろどろと粘着質な血液が噴き出し、怪物の口元がひくりと歪む。自動車を彷彿とさせる膂力によって食い込んだ剣が、怪物の胴体に傷を付け──その姿が掻き消えた。

 

 からん、と剣だけが地面に落ち、その音だけが虚空に響く、

 

「あァ?」

 

 チンピラのような悪態を吐きつつも、少女の目に油断はない。隈なく周囲を見渡しながら、落ちた剣を取り上げる。

 こびりついた血反吐を払うように剣を振るい、ゆっくりと、一歩一歩竜胆あかねの元に戻る。

 

 コツン、コツン──足音。

 それ以外に音はない。

 

 ──逃げた、か……あるいは──“我に任せよ”

 

 脳裏に聞こえたその声に、少女の口角がわずかに上がる。

 辺りを一度睨みつけた後、少女は躊躇いなく目を閉じた。

 

 戦場においてあり得ない行動。一廉の武人であるならまだしも、青年であった頃から武術を修めたことなどない少女にとってそのような行動は危険極まりないものだ。

 所詮尋問と拷問と喧嘩が得意な程度のチンピラ、姿を見せない相手を心眼で探るなどできるはずがない。

 

 ──それが少女だけであるならば。

 

 音が消える。

 景色が消える。

 在るは瞼の裏ばかり。

 

 視界と聴覚、二つの器官が何も捉えなくなったことで、残る触覚が最大限励起する。

 

 肌を撫でる風、滲む肌、じっとりと線を引く汗が地面に滴り落ちる。

 極限まで高まった緊張感の中、けれど少女は気負うことなく剣を握り──“来る”

 

 

「ッ!!」

 

 

ガッ、

 

 

『ッ!?』

 

 

キィンッ!!

 

 

 背後に現れ、少女の首元を掻き切ろうと伸ばされたその手を剣で弾く。

 見開かれた少女の瞳が、怪物の姿をありありと捉え──爪を弾いたその瞬間に、剣を携えて突っ込んだ。

 

 伸長し、硬質化した爪と鈍色の騎士剣が幾度も何度も打ち合わされる。

 両者の動きに技巧はない。ただ最速で相手を殺す、それを軸に素人が反射神経にモノを言わせて繋ぐ剣戟はあまりにも無骨で、けれど数奇な噛み合いを見せていた。

 

「死ねェッ!!」

 

 呵声とともに振るわれる剣──を囮にしたハイキックを受け止めた怪物は、クツクツと笑う。

 何がおかしいのか、と少女の眉が顰められる中、ついには堪えられないとばかりに口を開けて大笑した。

 

『くフふ、うフっ、なんて素晴らシいッ! 可憐な装束に似合わず、随分と()()()()しているよウだッ!』

 

「テメェに褒められたって気色悪ィだけなんだよッ!」

 

 拳を、蹴りを受け止め、あるいは弾き、それでも怪物は笑い続ける。

 

『そウ、その口調ッ! 男勝り? 否ッ、アナタのそれはそんな可愛ラしいものではないッ! おおよそ女性が身にツくハズのないけったいな口調──そしてその長剣に見合わぬ喧嘩殺法ッ!』

 

「何が言いてェんだッ!!」

 

『──アナタのことが、知りたァいのです』

 

 ぞわぞわと、背筋が粟立つような不快感。耳に入るごとに、鼓膜をぶち破ってやりたくなる甘い声──心の底から湧き上がる不快感を吐き出すように、少女は凛として吐き捨てた。

 

「そうかよ、俺ァテメェのことなんざ少しも知りたくねェけどなァッ!!」

 

 剣を弾かれた勢いを活かし、怪物の腹めがけて回し蹴りを叩き込む。防がれた。

 少女が舌打ちする隙に、怪物の腕が振るわれる。圧倒的膂力のそれを剣の腹で受け止めて、あえて距離を離して竜胆あかねの側に戻った。

 

 その一連の動きを見て、不気味な怪物の笑みがさらに深まった。

 

 ──大きく強化された身体能力。

 ──それに振り回されない動体視力。

 ──総合して、凄まじい戦闘センスがある、そう言ってもいい。

 

 それらに加えて怪物の興味を引くのは、今も怪物の肌を焼くように貫いているその圧倒的な()()

 

『足りてイない、アナタは全然足りテない……だというのに』

 

 その身体能力は、先ほどの魔法少女に匹敵するか上回るほど。今まで()()()()()数多の魔法少女など、歯牙にも掛けない最高位。

 

 だが本来あり得ないのだ。

()()()()()()彼女が、それらを圧倒的に引き離すなんてことは。

 

 ──情動(イド)意思(エゴ)、その二つが揃って初めて魔法少女は戦力たり得るというのに、彼女の力はなんなのか。

 

 いやはや全く、末恐ろしい。先ほどの麗しい少女も含めて、かくも才能とは残酷なのか。

 今まで己が食ってきた魔法少女を哀れに思い、同時に腹の底から笑う。

 

『そんなアナタを食うことができれば、ワタシの空腹も随分とマあ満たされるでしょうねェ……!!』

 

「それしか言えねェのかよ、テメェは」

 

 地面に剣を突き立てて、黒の少女は呆れたように呟いた。

 口を開けば食う、食う、そればかり。自分勝手にボルテージを上げて盛り上がる姿は、側から見れば滑稽だ。

 本当に憎たらしいし、殺したいほど苛立たしい。

 

 

 だが、まあ。

 

 そんな己の心こそ、一番どうでもいいのだが。

 

 

 ──“来たぞ”

 

 脳裏に響く声に、少女は口角を吊り上げる。

 

「なァ、化け物」

 

『なニか?』

 

「おまえ──俺の目的、忘れてねェか?」

 

 少女の言葉に、訝しげにしたのも一瞬。

 バッと気付いたように怪物は天を仰ぐ。それに追随するように、少女も剣を振り上げた。

 

「チェックだ」

 

 

──大丈夫ですかー!?

 

 

 大音量として叩きつけられたのは、少女にとっては馴染みのある声。

 同時に空気を裂き、大気をホバリングする聴き慣れない音が無数に続く。

 

 ここは四階、ショッピングモール最上階。

 

──ブブブブブ……!!

 

 吹き抜けに現れたそれを仰ぎ、少女は呆れと、少しばかりの喜びをその表情に滲ませた。

 

「まさかドクターヘリとはな。さすがにちょっと驚いたぜ」

 

『救援……!? いツの間に!?』

 

「俺ァ呼んでねェよ。……俺は、な」

 

 少女の言葉に狼狽する怪物であるが、確かに少女は救援を呼んではいない。

 

 何故なら必要ないと、そう脳裏で伝えられていたからである。

 

 

 ──敵影、並ビニ味方確認! コレヨリ救助態勢ニ移ル!

 

 

 しゅるしゅると下ろされたロープを伝って降りてくるのは紛れもない救助隊員──だが少女がそれに違和感を持つと同時に、彼らは手早く竜胆あかねを担架に乗せるとドクターヘリへと運び込んでいく。

 それを見て怪物が地面を蹴る──獲物は逃さない、と言わんばかりにこちらへと向かってくる怪物に、

 

 少女は、盛大に笑みを向けた。

 可憐で勝気な、麗しい少女の笑顔──だがそれを向けられた怪物は、ぞわぞわと背が粟立った。

 

 咄嗟に勢いを殺し、両腕を顔の前でクロスさせる。

 ──その瞬間、無数の衝撃が怪物を撃ち抜いた!

 

『こ、レは……!!』

 

 咄嗟に構えた両腕に食い込み、逸れた一つが頬を掠め、庇うものがない脚にもいくつかのソレが叩きつけられる。

 ぶちゃあ、と弾ける肉と熱い血潮。傷が発する激痛に苛まれながらも怪物は空を見上げ、己を撃ち抜いたソレに憎々しく顔を歪めた。

 

『銃、でスか……! やってくれるゥ……!!』

 

 人間一人など一度の掃射で肉塊(ミンチ)に貶めるドクターヘリの機銃、それを食らってはさすがの怪物と言えど一瞬動きが鈍ってしまう。

 身体中に満ちる激痛、それを秤にかけるわずかな逡巡を経て、怪物はその身を再生させた。

 

『ぎ、ヅぃ……ッ!!』

 

 体内の弾丸と潰れた肉を、強靭な筋肉がともに押し出す。激痛とともに吐き出して、さらに訴えを増す空腹にぎりぎりと歯を噛み締めた。

 

 ──もういい、二兎を追うのは諦めよう。

 今はせめて、黒衣の少女を腹に収めねば割に合わない……!

 

 空腹に苛まれる脳髄でそれだけを考え、眼前で待ち構えているだろう黒衣の少女に飛びかかろうとして──気付く。

 

 

 少女がいない。

 あれだけ己を殺そうとしていた少女が、逃げた──?

 

 

「そもそもの話だ」

 

 困惑する怪物の上方から、凛とした声が響く。

 天を仰ぐ怪物、その視線の先で佇む少女は、吹き抜けから覗く屋上に佇みながら、怪物を睥睨していた。

 

「俺の目的はテメェを殺すことじゃねェ……あかねを助ける、それだけだ」

 

 それはおかしい、と怪物は思う。であればその殺意はなんだ、今も全身からみなぎる殺意は、一体なんのためにある?

 そんな怪物の疑問をよそに、側で滞空するドクターヘリから吊るされたロープを片手で掴んだ黒衣の少女は、騎士剣を腰に差し入れたその手を振り上げた。

 

「だから、俺の心なんてどうでもいい。

 ──結果としてテメェが死ねば、それで万事解決なンだよ」

 

 少女は振り上げた手を下ろす。

 それを合図にしてか、ドクターヘリの機銃が唸り──怪物に向けて無数の鉛玉が、また。

 

 迫り来るソレを前にして、怪物はどこか納得していた。

 

 “なるほど、なるほど──アナタの才能は、それか”

 

 彼女は今も、己を殺したいと思っている。それはみなぎる殺意が証明している。

 だがそれは己の手でなくてもいい、そう割り切っているのだ。彼は完全に己の感情を支配下に置いている、“殺したい”だとか“憎い”だとか、そう言った感情に()()()()()()()

 だから()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ──少女は最初から、“守る”、“助ける”という意志(エゴ)のために動いていた。

 それ以外のものなど、端から切り捨て一切を勘定に入れていない。

 

 それに気付いた瞬間に、怪物の脳髄に悪寒が走る。

 それは近付いてくる死に対する恐怖ではなく、あまりにも、あまりにも合理に傾いた冷たい思考への畏敬。

 

()()()()()()()()()()()アマイガスだからこそ、その常軌を逸した思考に興奮すら覚えるのだ。

 

『あハ』

 

 思わず溢れてしまった笑み。少女が怪訝な顔をする。

 そんな彼女に、恋情にも似た熱っぽい目を向けて、怪物は口角を歪ませる。

 

 

『また、会いましょうねェ……』

 

 

 迫る弾丸、灰色の景色。

 その中で唯一色付く黒衣の少女は、嫌そうな顔をして中指を立てた。

 

 

「俺ァ二度と会いたくねェよ。とっととくたばれ、変態野郎」

 

 

 一瞬の交錯──怪物はどこまでも愉快な気分で、

 

 

 鉛玉に全身を貫かれた。



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第十九話 願うこと、想うこと、変わること

 ドクターヘリに乗り込み、ショッピングモールから離れていく間、俺はずっと奴が消えていった場所を眺めていた。

 あの気色悪い最後の言葉。速攻で中指を突き立ててやったが、背筋を這う悪寒は消えない。あれだけの鉛玉を叩き込まれたのだから、臨終したと思いたいが……。

 

 だが、まさかいつまでも怯え続けるわけにもいかない。

 

「……警戒、頼むぜ」

 

 “承知した”

 

 俺の中にある俺でない誰か、姿を消した硝子の異形に言葉をかける。

 完全に信用したわけではないが、それでも利用しなければ意味がない。張り詰めた神経を意図的に弛緩させながら、俺は窓から目線を外した。

 

「…………」

 

 担架に縛られ、穏やかに眠る赤毛の少女。

 竜胆あかね──と、側に控える見覚えのある黄色の少女。

 

 彼女は俺の目線に気が付くと、にこりと笑って手を振った。

 それに俺も苦笑して、彼女の隣に足を進める。

 

「今回は助かったぜ。ありがとな」

 

「いえいえ〜。あかねちゃんを助けられたのは、ひなたちゃんと……彼女自身の行動のおかげですよ」

 

 ふと微笑みを暗くして、イエローアイはあかねの髪をこわごわと、とても不器用に優しく撫でた。

 

「突然、あかねちゃんのスマホから信号が途絶えたんです。それでこちらも、緊急事態が発生したことに気が付いて……」

 

「……そうか、なるほどな」

 

 だから硝子の異形は、“救援を呼ぶ必要はない”と言ったのだ。

 とっくのとうに、あかねが救援を呼んでいた。悠長に通話などせずに咄嗟にスマホを破壊するという、あの変態野郎にも気取られぬ手段によって。

 

 彼女と俺はそれによって命を拾った。

 あるいは、近隣の住民すべての命をも。

 

「すげェな、あかねは」

 

 対して俺はひどいものだ。

 意地を張って己の心を主張して、彼女を救うための力を手放しかけていた。

 結果論と言えばそうかもしれない。だが、結果論だから仕方ないと……そう納得できるほど俺は無責任になりたくない。

 

「ええ。本当に、この子はすごい。魔法少女としてだけでなく、学校の勉強もこなして、下の子たちのお世話まで……この子は、ほんとうに」

 

 イエローアイはどこか、眩いものを目の前にしたように俯いて。

 

「とても、情に溢れている」

 

 苦悶にも似た呟きを漏らして、力なく笑った。

 それにかけるべき言葉などなく、俺もつられるように苦く笑う。必然、空気がどんよりと重みを増した。

 

「……なんだか暗くなっちゃいましたね〜。さ、はやく治療しちゃいましょう〜」

 

 雰囲気を誤魔化すように立ち上がった彼女の言葉に、目を見開く。

 

「治療……できるのか? この傷を、この場で?」

 

「え、……ああ、そうでしたね。ひなたちゃんはまだ知らないか」

 

 納得したように独りごちた後、まずは実演と言わんばかりにイエローアイは左手をあかねに翳した。

 

魔求数式(マグスクリプト)第二番(ナンバーツー)── 治癒(ヒール)

 

 次いで彼女が英語か何かの言語を紡いだ瞬間──彼女の手から生じた淡い光が、あかねの身体を包み込んだ。

 その姿は幻想的で、大概非日常にも慣れたと思っていた俺でも、思わず見入ってしまうほどに美しい。

 

「これは……魔法……?」

 

「ええ、これは私たちが汎用魔法と呼んでいるものです〜」

 

 思わず口からこぼれた言葉に、イエローアイは手を翳したまま答えた。

 

「人々が無意識のうちに夢想する、“こんな魔法があったらいいな”とか……そういう幻想への憧れ、信仰とも言い換えられるそれを、無意識と繋がっているアマイガスを通して私たちが現実に出力する……原理で言えばそんな感じですね〜」

 

「……哲学的な話だな。汎用ってことは、そうじゃないのも……あァ」

 

 つまり、それこそが第一魔法か。俺はヘリの運転席をチラリと見た。

 その視線で俺が察したことを理解したのか、イエローアイは右手をこちらに差し出す。

 

 ──その掌で、ぴりり、と静電気のようにまたたく雷光。

 

「人々が夢想する汎用魔法とは違い、魔法少女にのみ許された固有魔法は“魔法少女の強い意識”によって決定される……ミストレスさんはそう言っていました」

 

 イエローアイは掌を閉じ、その雷光を握りつぶす。

 彼女の微笑みは変わらない。額面通りに、あまりにも歪みなく整えられた美しい笑顔。

 

「私の第一魔法、名を傀雷姫の劇情(トール・ド・ローン)。私が発する生体電流を増幅し、プログラム化して遠隔で機械を操作する……とても便利な魔法ですよ」

 

 その魔法によって、彼女はこのヘリを動かしている。

 否、それは適切ではない。

 

 

 彼女は、プログラム化した電流を飛ばすことで、無数の機械人形(アンドロイド)()()()()()()()()()()()()()()

 

 このヘリを動かす操縦士も、あの時あかねを担架に乗せた救助隊員も。

 すべて彼女が思うがままに動かし、同時に並行して複数の作業を行わせている。

 加えて言えば、ヘリ自体にもプログラムを飛ばして操作の助けにしているのかもしれない。

 

 ──人の意識で動く機械。

 それは確かに、人類の夢だ。

 

「別に卑下する必要はねェだろ」

 

 だからこそ俺は言った。

 彼女の笑顔のその裏で、どこか己を卑下するような色が見えたから。

 

 俺の言葉にイエローアイが動揺する。それでも左手はあかねに翳したままで、彼女の冷静さが垣間見えた。

 

「俺ァおまえに助けられた。今回だけじゃなくて、ずっと、目覚めてから何度も助けられてきた。だからおまえの魔法はすごいんだ」

 

「あはは〜。卑下なんて、してませんよ〜?」

 

「それならそれでいいんだよ。……それがホントなら、一番良い」

 

 俺の言葉に誰かを変える力はない。

 けれど、気付きを得る機会になれば。もしも良い方向に向かうための一助になれるなら。

 それは、どれだけ嬉しいことだろう。

 

 故意に道を踏み外した俺が偉そうに言えたことではないが、それでも、このくらいは手を、口を出してもバチは当たらないだろう。

 

 “それでバチが当たるわけがないだろう”

 

 そんなことを考えた折、脳裏に響くは呆れたような男の声。

 それに小さく頬を緩めて、息を吐いた。

 

 ──なんだよ、結構喋れるじゃねェの。

 

 “……以前語りかけたときより、汝が柔らかくなっていたからか? 驚いて口を出してしまった”

 

 柔らかくなった、俺が? 肉体的には変わらずのぷにぷに……じゃない、精神面の話だろうが馬鹿か俺は。かぶりを振って逸れた思考を洗い流すと同時に、水晶玉以前のやりとりを思い出して──

 

 ──途端、胸中にわずかな驚きが満ちるも、しかし不快感はない。

 

 そうか、そうかと呟いて、俺と同じように考え込んでいるイエローアイを見て薄く笑う。

 

「変わってない、変われてないって思ってたが」

 

 自分でも気付かないうちに、少しは変わっていたんだな。

 それが良いことか、あるいは悪いことか、将来のことはわからない。

 それでも今、俺は愉快な気分になった。

 

 今はそれだけで充分だった。

 ──今はそれだけが、唯一手に入れた真実だった。




少し主人公が変われたところで、とりあえずここで一区切りとなりますが、章的には終わっていませんので明日も続けて投稿していきます。

面白いと思った方はブックマーク、並びに評価をなにとぞよろしくお願いいたします。


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第二十話 病床での目覚め

 夢を見ていた。

 モノが壊れる夢。

 ヒトが壊れる夢。

 そこに垣根はなく、対象もまちまちで、夢らしい無骨滑稽さはなく、ただひたすらに壊れていくだけの、ひたすら破滅的な夢。

 

 縁も欠片も存在せず、けれど一様に壊れていくそれらに、ひとつ、共通点があるとすれば。

 

 

 それらすべてを壊しているのは、自分だということだ。

 

 

 ──竜胆あかねは、いつも何かに怯えている。

 

 

 /

 

 

 見上げた空は白かった。

 それが病室の天井だと気付けたのは、ひとえに彼女と真っ白な空が縁深かった故だろう。

 竜胆あかねは過去何度か、アマイガスとの戦いで敗走し、ここで療養させられていたことがある。

 

 それに加えて、心労と過労で入院した彼女の母を見舞うため、何度も病室を訪れているから、一目見れば見慣れたものだとすぐに気付いた。

 

「…………」

 

 起きあがろうとして、しかし、身体が動かない。手足の感覚が消えていた。

 首だけ起こして身体を見れば、やはり、包帯と麻酔でミイラのごとき白達磨。はぁ、とため息を吐こうとするも、衰えた喉は痙攣のみを返すばかり。

 

 凄惨たる有様だが、不思議と焦りはなかった。あるいは焦燥を伝える器官が麻痺しているのかもしれないが、ともかく、それを踏まえても彼女は落ち着いていた。

 

 寝起き、病み上がりの身で何故だろう、と鈍い首を回し……気が付いた。

 

「……ん、ん」

 

 見覚えのある長い黒髪の綺麗な少女──ひなたが、これまた見覚えのある装いで、ベッド脇の椅子に座りながら船を漕いでいた。

 ふらふらと身体は力なく揺れ、今にも椅子からずり落ちそうなほど頼りない。けれどそこから目線を下にやれば、同様に力なく垂れた腕の先が、己の手を包帯越しに握っていることに気付く。

 

 感覚はない。現に今まで気付かなかったから間違いない。

 けれど、それが焦りが湧いてこない理由の証明だという暖かさは、胸の奥に感じられた。

 

「ぁ」

 

 それが嬉しくて、だから声を出そうとして、しかし、声が声として出ない。

 どれほど眠っていたのだろう、寝起きと疲れで振動を忘れた声帯は、ありったけの感情を込めても音を出力してくれない。

 

 それが悲しくて、だからまた声を出そうとして──

 

「ン、ン、……?」

 

 甘い吐息をかすかに漏らして、黒髪の少女の目がゆっくりと開かれていく。

 眠気でぼやけ、茫洋とした彼女の瞳に、段々と意志の光が宿る。いつも毅然として凛々しい彼女もこういうところは人間らしいと、ぼうっとする脳で考えているうちに。

 

「……おはよう、あかね。

 随分と気持ちよく寝てたじゃねェの?」

 

 完全に目覚めたひなたに意地悪を言われて、少しだけ彼女の口角が上がった。

 とはいえ笑おうにも喉は引き攣るばかりで、ろくに笑えやしない。それを察したのか、ひなたは表情を曇らせて少女の喉に触れる。

 

「ちょっと喉が衰えてンのか……ま、少しでも出せるようになりゃ喉の筋肉はすぐに戻るさ。それまで少しの辛抱だぜ。イエローアイの治癒魔法も完璧ってわけじゃない……らしいからな」

 

 パッと喉から手を離し、元気付けるように明るく声を出したひなたは、最後にあかねの頭を撫でて席を立った。

 

「悪ィな、リハビリ(おしゃべり)に付き合ってやりてェのは山々なんだが……ちょっとミストレスに呼び出されてンだ。それが終わったらまた話そうぜ。……積もる話もあるしよ」

 

 ふらふらと適当に手を振りながら離れていくひなたに、あかねは咄嗟に手を伸ばそうとした。

 けれど両手は動かない。病床のあかねに許されたのは、ただ動かせるだけの首だけ……。

 

 ひなたが病室のドアに手をかける。

 

「じゃ、また近いうちに、な」

 

 最後に振り向いた彼女の笑顔は、ひどく穏やかで優しかった。

 

「……ぃ、ぁ」

 

 声を無理に出そうとしても、喉が張り詰めて痛みが走る。

 それでもあかねは言いたかった。

 

 行ってらっしゃい、──ありがとう、と。

 

 カシャン、とドアがスライドして、ひなたは病室から出ていった。

 

 あかねはぼんやりと天井を見つめて……ひなたが、自分の元に駆けつけた時のことを思い出す。

 

「…………」

 

 あんなに必死で、自分の名前を呼んでくれた。

 脇目も振らずに走ってくる余裕のない姿は、彼女の容姿が幼いということを差し引いても、痛々しかった。

 

「………………」

 

 そんな彼女を、己は守り切れなかったのだ。

 あの状況で自分は意識を失った。サラマンダーも()()に食われた。

 だから自分に、状況を打破する力はなかった。

 

 自分が助かったのは、奇跡的に自分が呼んだ救援に助けられたから。

 だがそもそも、自分があの怪物を殺せていれば彼女が危険に晒されることもなかったのだ。

 

 

 それがどうしようもなく、腹立たしい。

 

 

「…………っ」

 

 行き場のない心が胸中で暴れ出す。けれどそれを出力する喉は、腕は、脚は、麻酔で麻痺して動かない。

 己の力不足を象徴するそれが余計に苛立ちを刺激する。まるで檻の中に閉じ込められた獣のようだ、そう客観視するほど胸中に、深く、昏く、燃え上がるものが満ちていく。

 

 アタシは。

 アタシは、()()()()()()()んだ。

 

 膨張した袋が張り詰め、跡形もなく裂けるように。

 叫べず動けず、中身を吐き出すことができないソレが、耐え切れずに決壊するまで──

 

 

 ──そのとき、病室の扉が開いた。

 コツコツと、鋭利に床を踏み締めるローファー……聞き覚えのある靴の音。

 

 まさか、とあかねがそう思う暇もなく、ベッドの隣に一人の少女が腰を下ろす。

 

 肩で切り揃えられた黒い髪。

 あるいは光の反射で青を浮かばせるそれ。

 体躯はひなたと並んで小さいが、手に携える古ぼけた竹刀袋は彼女の背丈に並ぶほど長い。

 

「ぁ」

 

「無様ですね」

 

 あかねのうめきを遮るようにして叩き付けられた罵倒は、明確な嘲りを孕んでいる。

 だがそれ以上に、あかねを表すにこの上ない言葉だと、彼女自身が認めてしまった。

 

 何も言い返せないあかねに、少女は──楓信寺静理は、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。




正直展開が早い気がしている


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第二十一話 誤魔化さないという『誠実』①

前話の内容が少し違和感があるので、少し書き直すかもしれません。
それを踏まえて今話では前の話の一部を含んでおりますのでご承知いただけますようお願いします。


 あかねの病室から出て、ミストレスの執務室に足を進める。

 

 “あの少女の容態はどうだった?”

 

 その最中、脳裏に声が響いた。

 俺は胸元に吊り下げたネックレス……削り出したばかりの原石のような硝子の装飾を握りしめた。

 

「ああ、傷自体はイエローアイの魔法で少しは塞がったらしいが……血液が足りてねェし、寝たきりだから筋肉も衰えてる。死にはしねェが、戦線復帰はしばらく難しいってよ」

 

 “それは良き結果だ。魔法少女の死者数を鑑みれば、幸運と言ってもいい”

 

「……そうだな」

 

 事実として、もしも俺がいなかったら、救援が間に合わずにあかねは死んでいただろう。

 あの変態クソ吸血鬼なら変な理屈で生かしたかもしれないが……敵にそれを期待するほど愚かなこともない。

 

「それで、本当に……」

 

 “何度も言っているだろう。我と治療の想念は相性が悪い……魔法少女になったばかりの汝が扱えるものではない”

 

「チッ、そうかよ」

 

 “心配する気持ちもわかる。だが()()()()()()()()()()()()それが覆ることはないぞ”

 

 つまり無理ってことじゃねェか、と手の中にあるネックレスを睨みつけるも、その先にいるだろう怪物は素知らぬ顔だ。

 はぁ、とため息を一つ落とし、握りしめていたネックレスから手を離した。

 

 

 ──本部に戻り、あかねが病室に運び込まれた後。

 そのままあかねの病室に入ろうとした俺を止めたイエローアイに言われた通り、変身を解除すると硝子の異形は姿を消した。

 その代わりとして現れたのが、この硝子のネックレス。

 

『それは〜変身の時に使う道具ですね〜』警戒して手を伸ばそうとしない俺を見かねたイエローアイによると、それは彼女が持っている片眼鏡……俺がゲロを吐き散らかしてぶっ倒れた医務室で見せたモノクルに当たるモノだという。

 

 それを握りしめて《変身(アマド)》と宣言すれば、また変身できるのだとか。

 

 ただ、ネックレスを見たときに、彼女がひっそりと呟いた。

 

『本当はもっと明確な形になると思うんですけど〜……ひなたちゃんだから特別なのかな〜?』

 

 今もその言葉が、何故か脳裏に染み付いている。

 

 そんなことを考えていると、いつの間にか豪奢な黒木の扉の前にたどり着いた。

 

「……行くか」

 

 “異論はない”

 

 やけに理屈っぽい言葉に苦笑して、コンコン、と上質なドアをノックする。

 声がかかるまで十秒と少し──経っても声がかからないので、気付けの意味を込めてもう一度ドアをノックした。

 

 ゴンッ、コン──「入りたまえよ」

 

「おう、入るぜ」

 

 一声かけてからドアを開いた俺を出迎えたのは、優雅に寛ぐミストレス。

 

「君はいちいち真面目だね。許可を得る必要なんてないのに」

 

 中でソファーに腰掛けて待っていたミストレスは、気品ある所作でティーカップを傾けながら俺に呆れたような目線を寄越した。

 

「社会の一般常識だ。テメェが良くても俺ァ気にするんだよ……そもそも、それはテメェを蔑ろにしてるってことにならねェのか?」

 

「それもその通りだね。ふふ、いいだろう、今後私の部屋に入る時は必ず許可を取るように」

 

「なんでそこで上から目線なんだテメェは……」

 

 呆れと一緒にため息を吐き、ともかく、と話を戻すように俺も対面のソファーに腰掛ける。

 柔軟に沈み込むその感触に少しだけ危機感を覚えながら、俺は本題を切り出した。

 

「わざわざテメェから俺を呼んだンだ……説明、してくれるよな?」

 

「まあね。誤魔化し、はぐらかしは悪魔の特権だが、ここでうやむやにする意味はない」

 

 こほん、とわざとらしく咳をして、ミストレスは飲みかけのティーカップをテーブルに置く。

 そのまま体勢を崩し、天を仰ぐようにして両腕をソファーの背もたれに乗せる。当たり前だが、その所作には気負いも何も感じられない。

 

 ありのままの自然体で、ミストレスは微笑んだ。

 

「それで、何が聞きたいんだい? 君が魔法少女になった記念だ、聞くだけ聞いてみるといい」

 

「……言い方は腹立つが……まあ、いい。それより重要なことがある」

 

 俺もまた身を乗り出して、ミストレスを睨みつけた。

 

全部だ。すべて、きっちり話せ。

 魔法少女のこと、アマイガスのこと……そして」

 

 

「──()()()()()()()、とか?」

 

 

 ミストレスの微笑みに翳りはない。

 それに臆することもなく、俺ははっきりと頷いた。

 

 それにますますミストレスの……彼、あるいは彼女の笑みが、深まった。

 

 

「私の正体、か。おそらく君は、もう察しているんじゃないかな?」

 

「なんとなくはな。だがテメェの口から言われねェと納得できねェんだよ、こっちは」

 

「なるほどなるほど、ヒトらしく答えを求めるか。いいね、そういうところは好きだよ……()()()()()()()()()()()()

 であるならば、私は君にこう答えよう」

 

 ミストレスの唇が震える。

 

 

「──()()()

 

 

「あ゛?」

 

 今(なん)()った、テメェ。

 

「おっと、誤解しないでくれたまえよ。確かに私は聞くと言った……だが答えるとは言っていない。話さない方が都合が良い、そう判断しているからだ」

 

「……それが体の良い誤魔化しと何が違うってンだ、あ゛ァ?」

 

()()()()()()

 

 我ながらガラの悪い声を一蹴して、ミストレスは微かに微笑む。

 

「いいかな? 君は察していることだろう……私が人外であることを。であるならばわかるはずだ。

 私にとって、君に真実を話さずして適当に誤魔化すことは、聖者が善を成すより簡単だってことをね」

 

「……それを信じる証拠はどこにある?」

 

「──()()()()()()()()。イエローアイ……本部の魔法少女の治療でも、血液を取り戻すことは難しいというのに。……その事実では足りないかな?」

 

 反論の言葉を探すも、しかし、見つからない。

 感情に任せて足りないと、そう叫ぶのは簡単だ。だがそれをしたところでミストレスは話さないだろう、彼には彼の中で納得できる理由があるのだから。

 

「……チッ。それもそうだな、クソが」

 

 だから渋々、己を納得させるしかない。

 胸中のモヤモヤごと悪態を吐いた俺を見て、ミストレスがにっこりと微笑む。

 

「君なら理解してくれると思ったよ。……とはいえ、だ」

 

 続く言葉に、否応なしに俺の心臓が跳ね上がった。

 

「さすがにそれは不親切にすぎる。そもそも、君が魔法少女になったことを祝いたい……という気持ちに嘘はないのだから」

 

「ッ、なら……!」

 

「そうだね。私の正体、君が察するモノを超える事実は言えないけれど……それ以外の事柄なら、答えてあげよう。──そもそも、アマイガスとはなんなのか、とかね」

 

 パチリ、とウィンクしたミストレスの言葉。そこに嘘はないと思えた。

 俺は自然と胸元のネックレスを握りしめ……頷く。

 

「教えてくれ。俺が知りたいことを……おまえが許す限りのことを」

 

「ふふ、なんだか教師のようだね。──いいだろう」

 

 ミストレスは立ち上がり、懐から見覚えのあるものを取り出した。

 それは透き通るように美しく、光を反射して輝く──水晶玉。

 

「アマイガス。それはヒトの心を起源とする存在だ。

 そうだね、ドイツのとある心理学者の言葉を借りるなら……()()()()()()

 

「集合的無意識……」

 

「ヒトの無意識(ココロ)の深層。人類全体が共有する認識の元型(アーキタイプ)。そう形容されるモノから、特定の概念に向けられる想念によって形作られ、現実に()()()()ものたち」

 

 浮上。それはまるで、海中から海面に顔を出すような──

 ──ああ、なるほど。俺は一人でに納得した。

 

 ヒトの、動物にとっての起源は海だと伝えられている。

 それを踏まえて考えれば……それらにとっては、ヒトの心こそが母なる海に当たるのだろう。

 

 ゆえにこそ、浮上。

 

「彼らはヒトの心から生まれる、いわばヒトの生み出した無意識(ココロ)の代弁者。だから彼らは相応の、現実を変えるための力を大なり小なり持っている。

 ……けれどまあ、ヒトの心はどうやら二元論ではないらしい。善悪双方入り混じっているから、その両方からアマイガスが出現する可能性があるんだよ」

 

 ミストレスは水晶玉を光に照らして、薄く微笑む。

 

「この水晶玉はね、その顕現を手助けするものなんだ。今、君の側に控えている彼のように……ヒトに味方するモノもいるから」

 

「……コイツは、人を助けるメリットは自己救済っつってたが。それはどうなんだ?」

 

「自己救済。言い得て妙だね……うん、個体差はあれど概ねその考えが一般的、そう言っていいだろう。もっとも彼の性質上、それだけではないだろうけど」

 

 

「アマイガスは人類を起源とし、そして()()()()()()()()()()()()()()()()だ。人が滅びればアマイガスもまた滅びる、ゆえにヒトに味方するアマイガスも存在する」

 

 

 ……待て。

 

「それならなんで人類に敵対的なアマイガスがいるンだよ。自分達だって滅びるんじゃ意味ねェじゃねェか」

 

「そこを深く考えているアマイガスは人類の味方になるんだよ。……あるいは深く考えた上で、人類を滅ぼそうと考えている者もいる。つまるところ個体差だ」

 

「なんだそりゃ……」

 

 何がしたいんだ、アマイガスは。

 そんな心の声が漏れていたのか、ミストレスはため息を吐いて……口を開いた。

 

 

「己が司るモノに則って行動する。それがアマイガスの基本性質さ。

 だから欲望の一部を起源とするならそれに伴い行動する。ヒトの願いを起源とするなら……それを叶えるために存在する」

 

 

 ……だから、善悪双方か。

 悪に分類される心を起源とすれば敵対し、善に分類される心を起源とすれば味方する。

 その中でも個体差が存在し、それによって味方か敵かはさらに変わる。

 

「で、味方するアマイガスと契約したのが魔法少女、か」

 

「その通り」

 

「……おまえ、魔法少女の現状をなんとかしたいって言ってたよな。だけど、おまえの話を聞く限り……魔法少女の戦いに、終わりがあるとは思えない」

 

 あの、変態野郎の言葉が、耳に染み付いて離れないのだ。

 

 俺の言葉に──しかし、ミストレスは、首を振る。

 

「いいや、違うさ」

 

 

「私は、この状況を根本的に変えるつもりでいる」

 

 

「……どうやって?」

 

 もはや、問いかけることしか俺にはできなかった。

 

()()()()()

 

「っ」

 

()()()に、私から言えるのはそれだけだ」

 

 ミストレスはソファーにどかりと座り込み、すっかり冷めてしまったティーカップを口に運ぶ。

 その姿は、これ以上伝える気はない、と意図があることは明らかで。

 

「さて、それ以外に聞きたいことは?」

 

「……なら、あと一つだけ。あかねを襲ったアマイガスについて、なんだが」

 

「ふぅん、“偏食”……どちらかと言うと“美食”の彼か。彼は個性的だからね、何か気になることでも?」

 

「何知り合いみてェなこと言って……いや、いい。大体察した」

 

「それはそれは」

 

 ミストレスが何を考えているか、俺にはわからない。

 だが、彼が現状をなんとかしようとしていることは理解した。

 ならば今はそれでいい。

 

 実りある話し合いをしよう。

 あとは、それを俺がどう活かすかだ。

 

 俺の中で、何かが定まっていくような気がした。



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第二十二話 誤魔化さないという『誠実』②

 ガチャリ、と執務室の扉を後ろ手に閉じて、息を吐く。

 

 “なんだ? 疲れたのか?”

 

「ちィと情報過多でな……ま、歩く間に適当にまとめるか」

 

 “それがいいだろう、我とて知らぬことは多かった”

 

 廊下を歩きながら、両手の指を立てて脳内の情報を整理する。

 

「まず、魔法少女が女にしかなれない理由……それは女性が生物的に“他者を受容する機能”を有しているから」

 

 “要するに──”

 

「そこは流せ、生々しくてやってられンわ」

 

 他者を受容、まあ、つまりそういうことだ。破廉恥だ。

 アマイガスは人類の集合的無意識から生じた存在なので、それを受容するとは他者を体内に抱え込むのと同じ、というわけなのだろう。

 

 同様に、変身に関してもアマイガスの力を利用して行われるものなので、前提としてアマイガスの力を受容できる女性でなければ難しいという。

 

「“人々の助けを求める心”を利用して救世主(ヒーロー)の力を得る、ね」

 

 ──そもそも敵としてアマイガスが顕現している以上、味方するアマイガスも顕現して勝手に殺し合ってくれればいいのではないか。

 そうミストレスに問いかけると──()()()()()()()、と明確に否定された。

 

「実際、そこんとこマジなのかよ?」

 

 “事実としてその通りだ。我らは悪たる我らを除き、この世には顕現できないようになっている。理屈は知らん……我らはミストレスが整えた道を通してのみこの世に現れ、そして人に宿る形でしか力を行使することができない”

 

「あの水晶玉か……ったく、都合が悪いったらありゃしねェ」

 

 ミストレスとコイツが嘘を吐いているかもしれないが、俺がそれを判別する術はない。だったら信じるしか選択肢はない。

 ……その場合、これでそもそも戦わない、戦わせない道、というものが消え去るわけだからあまり好ましいことではないが。

 

「確かに色々話してはくれたが……結局、その分謎が増えた気分だぜ」

 

 とはいえ、だ。

 俺のやることは変わらない。

 

「戦って守る。戦って助ける俺にできるのはそれくらいだ」

 

 “──では、彼から聞かされた我らの基本性質については?”

 

「…………」

 

 アマイガスの基本性質。

 あの変態クソ吸血鬼の言葉とも合致するソレ。

 

「──不愉快な話だな」

 

 だが、それだけだ。

 それだけでしかない。

 

 それだけでしか、ないはずだ。

 

 “……なるほど”

 

 納得した、とは到底思えない声色を最後に、彼の声は聞こえなくなった。

 それはどこか、不自然に何かを飲み込んだが故の沈黙にも思えた。

 

 俺にとっても、彼にかけるべき声はなく。

 曇天に降る白雪のような重苦しい沈黙は、当分晴れそうにない。

 

 

 /

 

 

 そんな雰囲気の中、長い廊下をひたすら歩き、あかねの病室の近くまで来た頃。

 向こう側から歩いてくる人影に、思わず足を止めてしまった。

 

 まだ高校生にも成りきれていない、幼くも可憐な顔立ち。青い瞳はとても鋭く、思わず気圧されてしまいそうな冷たさがある。まるで抜き身のナイフのようだ。

 俺よりもさらに低い一五〇あるかないかの身長に、それに反して非常に長く、使い込まれた様子の竹刀袋。

 それを背負いながらも、修行僧を思わせる余裕ある足捌きとピンと張った背筋は、見ていてこちらも姿勢を正してしまうほどに整っている。

 

 楓信寺静理。

 あの時、あかねと言い合いをしていた以来の遭遇だった。

 

「どうも」

 

「……どうも」

 

 とりあえず頭を下げてみると、意外にも会釈を返してくれた。

 案外社交性は悪くないのか、そう思いつつ上目で少女を見るも、露骨に舌打ちされてしまう。やっぱり社交性ないかもしれない。

 

「……その目、何か気になることでもあるのですか?」

 

「ン、……まあな。そっち方面、知り合いの病室があるからな……もしかして、と思わなくもない」

 

「曖昧な言い方ですね。はっきり聞いてみたらどうですか? あなたは竜胆あかねの病室から出てきたのですか、と。まあそんなことが最初からできるなら」

 

「お前、あかねの病室から出てきたんだな?」

 

 まるで吐き捨てるように言われたが、この程度の煽りにはアングラでの暮らしで慣れているので気にしない。そもそも煽りに乗っかって答えを自爆している時点で可愛いものだ。

 

 煽りを途中でさえぎる勢いで身を乗り出すと、その分楓信寺静理は咄嗟に身を引いてこちらを睨みつける。

 その口が罵倒を吐き出そうと開きかけたとき、俺はすぐに頭を下げた。

 

「近づきすぎたな。気を悪くしたみたいだし、謝るよ」

 

「え、……ふん、おかしな奴ですね」

 

 やはり、と頭を下げたままにやりと笑う。先ほどの自爆で察してはいたが、機先を制してやればこの通り、実に可愛らしいものではないか。

 加えて即座に切り返せずに生ぬるい毒でお茶を濁す様を見るに、この子──

 

 ──今まで罵倒と煽りでイニシアチブを取ってきたタイプのコミュ障と見た。

 

「それで、あかねの病室でどんなことを話したんだ? あんまり仲良くないんだろう?」

 

「はっ、まだここに来て一週間も経っていない貴女が何を偉そうに」

 

「いやいや忘れちまったのか? 顔合わせの時バチバチに喧嘩してたじゃねェか……それで察しないってのも無理あるぜ?」

 

 微笑みとともにツッコミを入れてやると、途端にそっぽを向いてしまう。

 こういうタイプは自分が一方的に言えなくなると弱い。その手の輩への対処自体は、アングラで手慣れている。

 

 ……だからこそ慎重に出方を探らなければならない。

 出鼻を潰されれば弱い、それは裏を返せば先手を取られると強いということ。

 改めて先の喧嘩を見ればわかるが、おそらくあかねは、この子が吐いた毒を飲み込めずに毒されてしまったのだろう。

 

 であればあかねと仲が悪いこの子が一体、弱っている彼女にどれだけの毒を吐き捨てたのか。

 

 本格的にキレて有耶無耶になる境界線で、それを探る。

 

「俺ァ別に怒ってるわけじゃねェんだ……そンくらい、話してくれてもいいだろう?」

 

 できるだけ神経を逆撫でせず、それでいて離れすぎず、言葉を選んで問いかける。

 楓信寺静理は俺の言葉に数瞬、目を迷わせると、はぁと息を吐いた。

 

「……気持ちの悪い人ですね」

 

「さすがに傷付くぞ?」

 

「どうだか。……別に、大したことは話していませんよ。大口を叩いていながら、肝心なところで失敗するのはどうなのかと……そう言っただけです」

 

「ふぅん?」

 

 想像していたよりはだいぶおとなしい内容だが、まあ、嘘ではないだろう。初対面でマウントを取ろうとしてくる奴がそれをする意味はない。

 

 それでも訝しげに目を細めると、少女は鬱陶しそうにかぶりを振った。

 

「……声も手も出ない相手と話したところで、何が楽しいのですか。聞きたいことがそれならもう行きます」

 

 俺を押し退けるようにして歩き出す少女と交差する瞬間、俺は口を開いた。

 

「最後に一ついいか?」

 

「なにか?」

 

 

「──おまえ、自分があのショッピングモールにいたら……どうなると思う?」

 

 

 最後、ひどく踏み込んだ俺の言葉に、楓信寺静理の瞳が鋭くなる。

 冷ややかにこちらを睨みつけた彼女は、ふと目を閉じて歩き出す。

 答えはないか、と前に向き直った刹那、

 

()()()()()()。──あのような無様は、さらさない」

 

 そのように声を張り上げて、楓信寺静理は去っていった。

 

 咄嗟に振り向くも、歩き去る彼女の後ろ姿は何者をも尻込みさせるほど冷たくて。

 

「……地雷踏んじまったか?」

 

 などとぼやきつつ、彼女の言葉を頭の中で繰り返す。

 

 負けはしない。

 ……負けはしない、ね。

 

「なんだかんだ真面目じゃねェの」

 

 そんなことを微笑みとともに呟いて、彼女とは反対側に向き直る。

 聞くべきことはもう聞いた。無理に追いかける意味はない。

 

「さァて、あかねはどんな様子かね」

 

 どこか落ち着いた気持ちで廊下を歩く。

 

 そのまま、彼女の病室のドアに手をかけた。



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第二十三話 誤魔化さないという『誠実』③

レンセイ……レンッセイ……


「よっ、さっきぶり。暇して……は、なかったみたいだな」

 

 あかねに声をかけてすぐ、嘆息する。傍目から見てわかるほど空気が重い。

 楓信寺静理は一体、どんな毒を吐きかけたのか。急いであかねが寝ているベッドに近づいていくと、むくり、と彼女が起き上がった。

 

「……なぁ」

 

「ん、おォ? 喋れるように」

 

「んなこと、どーでも、いい、だろ」

 

 なったのか、と続く言葉を切り捨てて、あかねはこちらを睨みつける。

 だがその割に威圧感はなく……むしろその顔は、俺に苛立っているというより、

 

「ひなた……おまえ、魔法少女に、なったって、本当、か?」

 

 今にも泣きそうな子供の、精一杯の虚勢のような──

 

 たどたどしくもはっきりと呈された疑問──とも呼べない確信を孕んだそれに、思わず口をつぐんでしまう。

 同時に、楓信寺静理が吐きかけた毒とはこれのことか、と納得した。とはいえ、納得したところでこの状況が変わるわけでもないのだが……まったく、楓信寺静理め。やってくれる。

 

「……ああ」

 

 だからこそ、ここで誤魔化す意味はない。もう少し落ち着いてから話すつもりだったが、仕方ない。

 睨みつけてくるあかねを正面から見つめ返す。俺の肯定を聞いたあかねは、わずかに目を伏せて「そうか……」と呟いた後、静かに肩を震わせる。

 

「そ、っか……そう、か。……アタシ、ほんと……」

 

「おい、どうした? アイツから何を言われたんだ?」

 

 やんわりと肩を撫でてやると、あかねは顔を上げないままにポツポツと。

 音もなく雨に降られた河川のように、言葉がこぼれた。

 

 

 /

 

 

『貴女が無様に敗北した後、救援が来るまで誰がその場で持ち堪えたと思いますか?』

 

 病室を訪れた彼女は、そう言った。

 それは、あえて考えずにいた可能性──とてもとても、恐ろしいこと。

 

『あの新入りの娘ですよ。あの娘がその場で契約して、魔法少女になったそうです。そして貴女が敗れたあのアマイガスと真正面から殴り合い、イエローアイの救援まで時を稼ぎ』

 

『──そして、貴女を迅速に救助した』

 

 彼女の口から語られるのは、己が意識を失っていた後の話。

 まだ知らされていなかったそれを客観的に語られ、呆然とする己をふんと見下して、少女は己の胸に手を当てた。

 

『貴女がやったことは獣型を一匹殺しただけ。その後のヒトガタには、不意を突かれたとしても一矢報いることもできず、いいようにあしらわれた』

 

『──私であれば、あのヒトガタは私に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、私であれば』

 

 そこで言葉を切って、楓信寺静理はあかねを見た。

 嘲るように、あるいはわざとらしいほど冷酷に──

 

()()()()()、そう息巻いていた貴女は、逆に新入りに守られている』

 

『──貴女は一体、何がしたいのですか?』

 

 どこまでも鋭い苛立ちが、少女の首元を貫いた。

 

 

 /

 

 

「……アタシ、は」

 

 絞り出すような声。それを聞いて、俺の胸元も締め付けられる。

 かつて、二人の喧嘩を目にしたことがある。あの時はおそらく、楓信寺静理があかねを煽り、それを受け流せなかった彼女が手を出してしまった、という経緯なのだろう。

 

 だが、今回のそれは、以前のものとはいささか異なるようにも見えた。

 

「…………」

 

 守る魔法と壊す魔法。

 楓信寺静理と、竜胆あかね。

 固有魔法──第一魔法の性質、“魔法少女の強い意識”。

 一方的に、劣る関係。

 ミストレスの言葉。

 

 もしかしたら。

 もしかしたら、二人の間にわだかまるものは、単純に仲が悪いとか──そんな一つの言葉で形容できるものではないのかもしれない、そう感じた。

 

 だが、わからない。

 俺にそれ以上のことはわからない。

 あまりにも情報が足らない。考察するには何もかもが不足している。

 

「………………」

 

 であればそれは切り捨てよう。

 考えても答えが出ないものを考えても仕方がない。時間、熱量、容量の無駄だ。

 

 肩を震わせるあかねの側で、彼女の背をあやすように静かに撫でる。

 赤く染まった彼女の耳に、子守唄を歌うように、かすかな、けれど聞こえる程度に明晰な声を囁いた。

 

「俺ァ、後悔はしてねェよ」

 

「でも、アタシ、は……」

 

「……自分を責め続けるのは、辛ェぞ。俺も経験があるけどな……いつまで経っても終わらねェ」

 

 他人の説教はいずれ終わる。どうしたって顔を合わせない、離さなければならない時間が生まれる。

 だが、自責は話が別だ。なにしろ己が己を責め続けるのだから、そこに際限はない。

 自責とは、すなわち己を責める己をも苛むということ。それで生まれる鬱憤は、溜まっていくだけで晴れやしない。

 

 俺も、よくわかる。

 

「俺ァその時、自責の原因に当たることにした。俺がこうなったのはテメエらのせいだ、許さねえ、ぶっ殺してやる、死んで詫びろってな」

 

「……だいぶ、物騒、じゃん」

 

「物騒なほど活力になるってモンよ。……ただまァ、それができないってンなら仕方ねェ」

 

 くすりと笑ったあかねに微笑んで、俺は俺の胸を叩く。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……え?」

 

「おまえがなんでそうまで自分を責めるのか、まァなんとなくわかる。アレだろ、俺を守りきれなかった、俺を戦わせてしまった、とか、そんなモンだろ?」

 

 訝しげに頷くあかねの頬に手を添えて……ペちり。

 手首のスナップを効かせて、頬を軽くはたく。

 

「もっかい言うぞ、俺ァ後悔してねェんだ。そンで迷いなくそう思えるくらい、()()()()()()()()()()。ならそれでいいじゃねェか。結果オーライってヤツだ」

 

「で、でも、それ、は、無責任じゃっ……!」

 

「叫ぶな叫ぶな、また喉を痛めるぞ」

 

 からからの喉を酷使しようとするあかねを宥めて、ピン、と指を立てる。

 

「これは無責任とは違ェぞ。確かに現実逃避だが、いつまでも逃げていいわけじゃねェ……これは先送りだ」

 

「……先、送り?」

 

「そうだ。そもそもの話、病み上がりに加えて馬が合わねェヤツに煽られた今のおまえが、まともに答えなんて出せるはずがねェ。そういうときは一旦逃げて、まずは体調を整えてから存分に苦悩しやがれ」

 

 第一、せっかく目覚めたのに精神的なストレスを抱え込むなど合理に欠ける。

 まずは体と心を整えて、それから自分と殴り合えばいい。疲れた自分と殴り合ってもスッキリするはずがないのだから。

 

 と、まあつらつらと語ったものの、あかねはまだ釈然としない様子である。

 そんな彼女に苦笑して、俺はポン、と頭に手を置いた。

 

「ま、簡単に言えば……めんどくせェことは後に回して、今はお互いの無事を喜ぼうぜってことだよ」

 

「……ぁ」

 

 そのままうりうりと撫で回して、はぁあ、と息を吐いた。

 

 色々と語ってみせたが、結局はそれに帰結する。

 俺も、あかねのことをとても心配していたのだ。……正直なことを言えば、治癒魔法のことを信じきれていなかった。

 あかねが目を覚まさないのではないか、脳裏にそんな不安がよぎって仕方なかったのだ。

 

 あかねが起きてすぐにミストレスのところに行ったのも、実は目覚める前から呼ばれていたのを無理言って引き伸ばしていたせいである。

 アイツは胡散臭いし微妙に信頼できないが、こういった機微には不思議と理解を示してくれる。そのことには、素直に感謝を示すほかない。

 

「ホント……無事で良かったよ」

 

「ぁ」

 

 俺の口からこぼれた言葉に、あかねの瞳がわずかに強張る。

 震え、赤くなり、俯いて──また顔を上げたとき、彼女の顔には、不器用ながらも笑顔が浮かんでいて。

 

「うんっ……ひなたも、無事で、良かったっ……!」

 

「そうだな」

 

 一瞬、彼女の背に手を伸ばそうとして、しかし気付かれないよう引っ込める。

 それはダメだと、そう訴える声に逆らわず──同時に心の底から誓う。

 

 彼女を守らなければ、と。

 




更新が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
傀異の錬成術師として現在討究に明け暮れておりまして、その影響に加えて色々ありまして遅れました
今後とも頑張りますのでよろしくお願いします


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第二十四話 力の確認

 “では、魔法少女の力の確認を始めよう”

 

「おう」

 

 あかねが目覚めて数時間後、泣き疲れて眠ってしまった彼女を置いて訪れたのは、本部地下に設けられている訓練場。

 そこで俺は首にかけていたネックレスを手のひらに乗せ、脳裏に響く声に従い目を閉じていた。

 

 あかねを守るには、俺はまだまだ力不足だ。あの変態クソ吸血鬼を退けることこそできたが、あかねやイエローアイ……楓信寺静理が備えている第一魔法を持っていないのだから、それで満足するのは間違いだ。

 

 少なくとも知識不足を解消して、不足なく戦えるようにしなければ話にならない。

 

 だからこそ、俺は身近にいる魔法少女に詳しい存在に頼った。

 

 “魔法少女の力の根源は我々……を通して汲み上げる、人類の認識、想念だ。ゆえに汝はそれを理解し、その認識を現実に出力する術を学ばなければならない”

 

 ネックレスから語りかけてくる硝子の異形の声に従い、彼が導くままに俺は意識を闇に沈める。

 

 “人々の認識、すなわち“魔法とはこういうものだろう”という基盤(プレート)に、それぞれの想念を乗せる。それが汎用魔法の基本的な原理だ”

 

「それは前に聞いたぜ。それで、それはどう使うんだ?」

 

 “汝──我々と繋がっている魔法少女の意志、精神の力によって、それを現実に引き上げるのだ”

 

「……すまん、もうちょっと明確に説明してくれねェか?」

 

 引き上げるだの言われての、と困ってしまう。そんな俺に呆れたようにため息を吐いて、硝子の異形はかぶりを振った……気がした。

 

 “汝の頭は硬いな、凝り固まった石のようだ”

 

「うっせ」

 

 “……まあ、そうでなければこうはならない、か。そうだな……少し我に意識を傾けながら、汝が思う魔法らしい魔法を思い浮かべてみろ”

 

 呆れたような声はともかく、その言葉に従って彼に意識を向けながら、考える。

 魔法らしい魔法、ね。

 

「…………」

 

 ──思い浮かぶのは、数年前。

 ひなたと一緒にゲームをしていた時のこと。

 

 あの頃は、暇さえあれば日本的なRPGをやっていた。

 俺がやっているところに、ひなたが頭を突っ込んできて……それを押し退けるのも忍びなくて、頬が当たるくらいの近さでさまざまな技を使っていた。

 

 そのうち、ひなたも興味を持ち始めて……カセットを取り合って喧嘩して、二人仲良く母さんに怒られた覚えがある。

 

 確か、そう。

 あのゲームで一番最初に覚える攻撃魔法。

 敵を倒す、第一歩(ちから)──その名前は。

 

「──《ファイアボール》

 

 静かに、確かな想像(イメージ)のもとに紡いだ言葉。

 それが空気の解け、消えゆく刹那──ポッ。

 

 俺の掌に、炎……と言えるほどの勢いはないが、しかし、人間が決して生理的に生み出せるはずのない火球が生まれた。

 

「……これが」

 

 “それこそが原始的な魔法だ。個々人の想像(イメージ)によって現実に想念を引き上げる──これを『魔乞(マゴイ)』と呼ぶ”

 

「『魔乞(マゴイ)』、ねェ……っとと」

 

 燃え続ける火球を眺めていると、ふとくらりと来て身体を揺らす。咄嗟に体勢を立て直すが、どこか身体に倦怠感を覚えてしまう。

 首を傾げる俺の掌から、音もなく火球が消えた。

 

 “現実に魔法を引き上げる『魔乞(マゴイ)』には、個々人の精神力を必要とする。大幅に精神力が強固になる戦闘時ならともかく、平時であればこの程度の使用でも疲れるだろう”

 

「まあ、そら万能じゃねェわな……」

 

 “これを明文化し、体系化することで想像(イメージ)を素早く、そして強固に行えるように技術として確立したのが『魔求数式(マグスクリプト)』だ。魔法少女イエローアイが使っていた《治癒(ヒール)》もこれに当たる”

 

 つまり、『魔求数式(マグスクリプト)』は『魔乞(マゴイ)』の発展形、というわけだ。

 これは骨が折れそうだが……引き出したい情報に合わせて拷問(じんもん)の形式を変えるようなものだろう。

 

 その辺は慣れているし、習熟すればどんな状況でも最適な魔法を繰り出せると考えればやりがいもあると言うものだ。

 

 “これに加えて特定の宗教を基盤とする魔法もあるが……難易度が高いゆえ、まだ後に回しても良いだろう”

 

「そこら辺は基礎に慣れてからってことだろ、別にいい……けどよ、例えばどんなモンがあるんだ?」

 

 ふと気になって聞いてみた。

 宗教に所以する魔法、と言えばなんだか不穏な気配がするが、宗教は人類の認識の中に深く根付いている概念だ。それをもとにする魔法というのは、やはり強力なのだろうか。

 

 “そうだな、一番有名なものであれば『聖典魔法(ダウンワード)』だろうか”

 

 そんな俺の考えを知ってか、硝子の異形はさらりと教えてくれた。

 ……『聖典魔法(ダウンワード)』。なんとなく字面で想像はできる。

 

「キリスト教、か?」

 

 “その通り。キリスト教の聖書に所以する、言葉によって物質を創造する大魔法だ。通常、汎用魔法は『理想の結果』のみを出力し、それらは自ずと消え去る運命にある”

 

 先ほど、俺の生み出した炎はすぐに消えた。熱も形もあったが、俺が精神力の供給を止めるとすぐに消えたのだ。そこに残るものは何もなく、まるで夢のように掻き消えた.

 ということは、この炎は温度が上がった結果として発火するという理屈に反して──炎が炎として、何を燃やすわけでもなく、現象として存在していることになる。

 

 “──だがこの魔法によって生まれたモノは消えず、永劫世界に残り続ける”

 

「それは……!」

 

 “もっとも我らの規模では創世など叶うべくもないが……それでも人類には手に余る代物だ”

 

 それはそうだろう、少し考えるだけでいくらでも悪用の仕方が思い浮かぶのだから。

 例えば危険物質を作って物理的に害することや、あるいは金塊などを作って市場価値を破壊することもできる。

 考えるだけで恐ろしく──常日頃から言葉に振り回される人間は、あまり持つべきではない力にも思えた。

 

 “これの習得には汝ら魔法少女の適性や我らの相性も関わってくる。聖書に関連する概念のアマイガスならば、比較的習得は容易だろうが……”

 

「…………」

 

 聖書に関連するアマイガス。

 それはどのような概念なのだろう。

 あるいは、どのような存在(すがた)なのだろう。

 

 いずれにせよ、その力をヒトが振るうのは……とても覚悟がいるのだろう。

 

「……まァ、そんな恐ろしいモンに夢を見るより、今は堅実に力を身に付けていきますか」

 

 そんな魔法は、きっと己の手に余る。

 

 “……そうだな。であれば、まずは我らと相性の良い『魔求数式(マグスクリプト)』から訓練を始めよう”

 

 彼もそれに頷くと、俺の脳裏に『魔求数式(マグスクリプト)』の一覧を送ってくる。

 そんなこともできるのか、と驚きつつ──

 

 

「『魔求数式(マグスクリプト)』──」

 

 

 俺は、自分の力を高める訓練に没頭した。




色々展開に困っておりまして少し間が空いてしまいました
情報の開示は本編ですべき、後書きで語るものではないと考えているので、少し構成に迷っていますが、必ず書き切りたいと考えているので応援よろしくお願いします。


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第二十五話 招待状

『 ──ざあざあ降りの雨の中。

  水滴が、雑踏にも似て土を撃つ。

  その音を煩わしく思う心も捨てて、ただ俺は、灰色の空を見上げていた。

 

 「…………」

 

  傘もささずにそうしていると、雨水が瞳を撃った。

  ぱつん、と違和感とともにはじけて、咄嗟に浮かんだのは不衛生という一般常識。

  であるなら、それほど都合の良いことはない。

 

  ──脳裏に浮かぶのは、彼女がこちらに手を伸ばす、あの姿。

 

  あんなものしか映さない瞳など、いっそ、嵐に潰されてしまえばいい。

  そう自嘲するも、しかし、咄嗟に瞼を閉じてしまう。

 

 「………………そうだな」

 

  まだ、やらなきゃいけないことがある。

  まだ、この目で見なきゃいけないことがある。

 

  俺は空を見上げるのをやめた。

  前を見据える。

 

 

  ──奴らへの、裁きを。

  のうのうと生きる奴らの破滅を見るまでは──死ねない。

 

 

  俺は一歩、ぐしょ濡れの路地裏に足を踏み出した。 』

 

 

 

 /

 

 

 

「っ」

 

 咄嗟に起き上がり、空に向けて手を伸ばす。

 しかしそれは(くう)を切り、次に見えたのは自室の天井。

 

 すぐに夢見心地が過ぎ去って、後に残されたのは、寝汗で気持ちが悪い己の身体だけ。

 

「……クソ」

 

 寝巻きに汗が染み付いて、どうにも着心地が悪い。

 あかねから譲ってもらったヘアゴムでまとめた髪も乱れに乱れ、首筋に張り付いているせいでその気持ち悪さを助長していた。

 

 のろのろとベッドから這い出て、ヘアゴムを強引に抜き去ってかぶりを振る。

 ふわりと揺らぐ髪の毛と、じんわりと撒き散らされる汗の匂いに顔を顰めた。

 

「シャワー……」

 

 ぺたり、とこれまた高い湿度で床に張り付く足を持ち上げ、肌と離れない服を強引に剥ぎ捨てながら浴室に入る。

 こんな朝には熱いシャワーが良い。

 不愉快な汗やつらいことを、少しでも洗い流してくれる──とびきり熱いシャワーが良い。

 

 今までも、そうしてきたのだから。

 

 浴室に押し入り、スイッチを押して雨のように降ってくる熱いシャワーを受け止める。

 

「…………はァ〜〜〜」

 

 知らず、ため息が漏れた。

 男だった頃も連日悪夢で寝苦しかったが、女になってからは輪にかけてひどくなっている。

 

 ……やはり。

 やはり、彼女を思い出すこの容姿が原因なのだろうか。

 シャワーに打たれる長い黒髪が、熱気で滲む視界の端で、首の折れたひおうぎのように重たく揺れた。

 

 “そんなに不快ならば、切ってしまえばいいのではないか?”

 

 ふと脳裏に響いた声。

 純粋な、硝子の異形の提案に、頷くことは簡単だった。

 

「……いや」

 

 きゅ、とシャワーを止めて、立ち上る湯気に息を吐く。

 両手で長い髪をしぼり、滝のように滴り落ちる水気が地面に撥ねた。

 

「それは、ちょっとな」

 

 曖昧な言葉を返して、俺はほのかに笑った。

 それを追求されるのを避けるように急いで浴室を出て、常備したタオルを手に取った瞬間に──ン、と気づく。

 

「……つか、テメェさりげなくいるけど……まさかよォ……」

 

 “我が汝を覗いていると?”

 

「まァ、な」

 

 この身体はほとんど、妹の──ひなたのものに瓜二つだ。

 それを覗かれたのなら、やはり良い気分はしない。

 

 “歯切れが悪いな──しかし、安心しろ。我にそのような欲求はない”

 

「そうだとしてもちったァ気ィ使ってくれや。こっちにも色々あるからよ」

 

 “……ふむ、であれば気を付けよう”

 

 その声に抑揚はなく、気にもしていないのは明白だったが、彼は脳裏で頷いた。

 

「……悪ィな、こっちの都合で」

 

 “構わん。歩み寄るには互いの気遣いが必要だ”

 

 こともなげに言う彼に頭を下げて、タオルで全身の水気を拭う。

 熱いシャワーは寝起き特有の気だるさも一緒に洗い流してくれたようで、身体の動きに支障はない。

 暖められた筋肉をほぐすように肩を回し、部屋着に着替えてリビングに戻る。

 

 “これから何をするのだ?”

 

「まァ昨日に続いて『魔求数式(マグスクリプト)』の練習かなァ。あかねのお見舞いにも行きてェし、そんで要請来たら討伐に行って……と、そんなモンか」

 

 予定、とも呼べない一日を言葉にして、改めて自らの平穏を自覚する。

 ほんの少し前までは、奴らをどう殺そうかずっと頭の中で考え、そのために行動していたのに。

 

 今では鍛錬と戦闘と見舞いを繰り返す日々だ。

 

 それは間違いなく穏やかな日々で──しかし。

 

 “……フン”

 

 鼻を鳴らした硝子の異形は、どこか不機嫌そうに見えた。

 その様子に、数日前にミストレスから言い渡された指令を思い出す。

 

 ──『悪いとは思うけれど、こちらもせっかくの人材を遊ばせておく余裕はないんだ。君にはこれから、要請が来たら魔獣討伐に出かけてもらうことになる』

 

 まったく、これっぽっちも悪いとは思っていなさそうな笑顔だったミストレスはいいとして。

 なんだかんだ俺とて魔法少女となった身、力には責任が伴う(ノブレスオブリージュ)──だとか古臭いことを宣うつもりはないが、それでも果たすべき責任はあると思っている。

 

 だからこそ要請には素直に応じて、討伐に出かけているわけだが……。

 

 “気に入らん話だがな”

 

 この通り、なんでかコイツはそれが気に入らないらしい。

 思えばあの吸血鬼と戦った後から、時折このように不機嫌な面を覗かせている。一体何が彼をそうしているのか、考えても答えは出ない。

 

 とはいえ、それで戦闘中に何かするわけでもなく、それどころか最大限俺に力を貸してくれている。

 それで無理に問い詰めるのもなァ──なんて、(ただ)しづらく思っているのも事実だった。

 

「おいおい、そんなに戦うのが嫌なのか?」

 

 “それが嫌なはずがあるまい。それもこれも……フン”

 

「わけもわからずキレられても困るンだけどなァ……」

 

 軽くため息を吐く。このように、彼はどうあろうと話してくれない。

 

 “それもこれもすべて奴が悪いのだ、まったく”

 

 行き場のない怒りごと吐き捨てられたような言葉に、居心地が悪くなる一方だった。

 ともかく、食堂に行って適当に飯でも食おうかと逃げるようにドアノブに手をかけたとき──

 

 

 ──チリリリン。

 

 

 部屋に備え付けてある電話が鳴った。

 ここに住み始めて初めてのことだから、少し面食らってしまう……というか、電話番号とかあったのか、ここ。

 

 と、そんなことを考える意味はないか。

 

 チリリリン、と再度鳴り響く電子音に鼓膜を突っつかれながら受話器を手に取って……。

 

『やあ、起きてそうそうすまないね』

 

 先ほど思い浮かべた言葉の主人の声が聞こえた。……心の中でも読んでるのではないだろうか、この男。

 

「……そう思ってるならもっと声色に謝意を滲ませろよ。素直すぎて嫌味だぜ」

 

『あっはは、眠気は覚めているようで何よりだ』

 

 心からの指摘を軽く受け流され、自然とため息が出てしまう。

 

『さて、時が許すならいくらでも聞いてあげるところだが、今はあいにくそうもいかなくてね』

 

「アンタが手ずからかけてくる時点で、そんな気はしてたよ。……何があるってンだ?」

 

 くすくすと、受話器の向こうで笑う声。

 ミストレスは、それはそれは楽しそうで。

 

 

()()さ。それも丁寧に、君宛ての招待状まで用意して、ね』

 

 

 ──知らず、受話器を握る手が強張った。




大変申し訳ありませんでした。これで本当にいいのか? と自問自答しているうちにこんな有様に……ただある程度は決まったので、しばらくは更新できると思います。よろしくお願いします。


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第二十六話 「違う」

 竜胆あかねは天井を見上げていた。

 白く、白く、無機質な──灰色と見紛うほどに、色褪せたそれ。

 嫌というほど見慣れているから、今更、何を言うつもりもないが──

 

 彼女はすぅと息を入れ、ぐ、と手足をゆっくり動かす。

 その姿は頼りないが、療養を始めた一週間前と比べれば雲泥の差と言えた。

 

「……ふ、ぅう」

 

 熱を持つ息を重く吐き出し、彼女はゆっくりと手足を動かす。

 やはり、喉がそうであったように手足の筋肉も衰えている。それにあかねは歯噛みするも、その力すら弱々しい。

 寝たきりであったから仕方ない、事実としてそうなのだから仕方ない──そう言い訳できればどれだけ楽だろう。額に浮く脂汗が、たらりと垂れて視界を曇らせた。

 

 腕を上げ、脚を下げ、思い通りに動かない身体に鞭打つようにして筋肉を駆動させる。

 リハビリは辛いが、やらねばならない。この程度のことで諦めるわけにはいかないのだ。

 

「いち、に、ぃい……さ、ん……しぃ……っ」

 

 そう、諦めるわけにはいかない。

 脳裏に浮かぶのは、己が守るはずだった少女。己が守られた少女の姿。

 

 今度こそ、今度こそはと、力を込めて四肢が張り詰めた瞬間に。

 

 コンコン、と扉が叩かれ、ぴく、と少女の喉が痙攣した。

 身体の動きが止まり、ゆっくりと首が揺れ動いて、扉に向けて怯えを孕む目を向ける。

 

 思い返すは先日のこと。彼女が去った後にこの部屋に現れ、己に(しんじつ)を吐き捨てた少女がまた現れたのではないか、と──だが、扉を開いて部屋に入ってきた姿を見て、安堵する。

 

「よっ、昨日ぶり。リハビリ頑張ってるみたいじゃん」

 

 ひなたはすっかり定位置となったベッドの隣の椅子に座ると、足を組んであかねに微笑みかける。

 それに安心感を覚えながらも、あかねは形の良い眉を顰めた。

 

「……脚、はしたない、ぞ?」

 

「あ? ズボンだから問題ねェだろ」

 

 そういうことじゃねーんだけどなぁ、と思うものの、ひなたはどこ吹く風である。

 両手を後頭部に回した拍子に、彼女の長い黒髪がはらりと舞った。

 

 ──思えば、不思議な少女だった。

 少女らしくない乱暴な口調……あかねのそれが男勝りと呼べるなら、ひなたはチンピラじみている。

 その所作に女らしさは微塵もなく、自分のことに無頓着で。

 

 かと思えば、女らしさの象徴とも言えるほど手入れの大変な黒髪は長く伸ばしており、チンピラじみた口調に反してその声色は暖かく、失礼をした弟のことも快く許す懐の広さがある。

 

 そんなちぐはぐさを感じさせる彼女は、自分をつぶさに見つめるあかねに気づくと、ふっと軽く息を吐く。

 

「どうしたよ、そんなに俺を見て。別になァんも出やしねェぜ」

 

「そんなの、期待して、ねーよ」

 

 一見して吐き捨てるような、けれど静かでゆったりとした言い合い。

 お互いにかすかに笑い、あかねは瞳を閉じて力を抜く。何も変化がないこの時間において、ひなたとの語らいは確かな癒しの時だった。

 

 かち、かちと時計の針が独りでに鳴る。

 

 この時間が、できるだけ長く続けばいいのに──あかねがそう思った時だった。

 

「なぁ」

 

 何を気負うことなく口を開いたひなたに、閉じていた目を開くあかね。

 それを横目で確認したひなたは言った。

 

「俺ァ、今から──()()()()()()()()()()()()()()

 

「……なにか、買い残し、でも?」

 

「ああ、違う違う。向こうさんからの招待でなァ……ご丁寧に俺一人だけをご所望だとよ」

 

 向こうさん? 彼女にあのショッピングモールで遊ぶような友人がいたのか──ぼんやりとした顔で一瞬そう考えて、違う、とすぐに気付いた。

 

 ひなたの目。

 いつも暖かなその瞳が、それら一切を捨て去って鋭く何処かを睨め付けている。

 鋭い瞳、というだけを鑑みれば楓信寺静理で見慣れている──だが違う。そこに込められた“質”が違う。

 

 静理の瞳を抜き身の刃と例えるならば、ひなたの瞳はさしずめ突き付けられた拳銃か。

 すでに()を見定めた凶器。

 誰彼構わず向けるのではなく、撃ち抜くべきものに向けられた、非日常的で明確な殺意。

 

 知らず、あかねの肩がかすかに震える。

 それが向けられているのは自分ではない、それがわかっていてもなお、恐怖してしまうほどの──

 

「……ああ、悪ィ」

 

 だが、そんな言葉を最後にひなたの瞳が柔らかくなり、自然と殺意も霧散する。

 は、ァあ、と浅く息を吐くあかねに、ひなたが咄嗟に手を伸ばして──しかし、頭に触れる寸前に、拳を握り締めて手を引いた。

 

 それに気付かないあかねは、震える喉から必死に声を絞り出す。

 

「も、しか、して……向こう、さん、っていう、のは──あの」

 

「そうだな、大体察してる通りだと思うぜ」

 

 ひなたは引いた腕を自然に胸元に走らせ、そこから一枚の黒い封筒を取り出した。

 そこからさらに一枚の便箋を取り出し、ひらひらと風に躍らせる。

 

「『拝啓、麗しき乙女よ』だってさ。クサすぎて吐き気がしてくらァ」

 

「……じゃあ、や、っぱり……」

 

「ああ。──おまえを痛めつけ、昏倒させ、イエローアイの機関銃でミンチにしたはずのクソ吸血鬼が、蘇ってきやがった」

 

 とてもつまらなさそうに、それでいてひどく不機嫌に、ひなたは便箋を投げ捨てた。

 

 あかねの顔から血の気が引いて青ざめていく。

 あの吸血鬼が、蘇った。自分がいいようにあしらわれたあの怪物が。

 助けがなければ間違いなく死んでいた、殺されていた……その存在が、蘇った。

 

 その事実に震えるあかねを見て、ひなたは深くため息を吐く。

 

「ホンット、ありえねェよな」

 

 

「──殺しても死なねェとか、マジでふざけてる」

 

 

 吐き捨てたひなたの言葉は正しい。

 それこそが先日、ミストレスに告げられたアマイガスの()()()()

 

 ──アマイガスとはヒトの心を起源とする、ヒトが先に立つ存在である。

 ゆえにヒトが滅びればアマイガスもまた滅び、しかしアマイガスが死のうともヒトが滅びることはなく──ヒトが抱く想念もまた、潰えることはありえない。

 

 だからこそ──()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 アマイガスは死ぬ。あの時、ひなたとイエローアイがそうしたように。

 だが、生まれる。ヒトが滅びぬ限り何度でも。

 

 

 ()()()

 

 

 それを表すのに、ふさわしい言葉がある。

 

 ──転生。

 

 アマイガスは、確固たる意志と自我を有したまま、何度でも生まれ変わるのだ。

 

 

 それを知識として知っていたあかねだったが、しかし、実感を伴ってはいなかった。

 何故ならヒトガタ──高位の、明確な怪物として発生するアマイガスに遭遇したのはあの時が初めて。それ以前は自我の薄い魔獣を倒すだけだったからだ。

 

 震えるあかねを宥めるひなたの脳裏で、硝子の異形の声が響く。

 

 “復活には相応の時間が必要だ。それは生前に与えられた肉体、精神の損傷に比例する。此度の一週間という短期間は現代兵器による殺傷が原因であることが大きいだろう。……以前、とある魔法少女に()()()()()()()()()()()()()()()()ときには、復活まで一年(ひととせ)を幾度も繰り返すほどの時間を要したと聞く”

 

(……どんな火力だよ、核兵器でも使ったのか?)

 

 “破壊力で言えば似たようなものだ”

 

(嘘だろ……)

 

 化け物にも程があんだろ、と裏で戦慄しながら、ひなたは俯いて震える彼女に躊躇いがちに身を寄せる。

 身体には触れず、身を寄せながらも触れることを厭うように距離を置く様は、まるで何かを恐れているようで──

 

「……ひ、なた」

 

 小さく、ともすればその距離を伝わらず掻き消えかねないほどかすれた声があかねの耳を打つ。

 

「いく、って、言った、よな……あそこ、に」

 

 それが怪物が待ち構える城、ショッピングモールであることは明白だった。

 かろうじて声を聞き取ったひなたは首肯する。それを横目に見たのだろう、ゆっくりと顔を上げたあかねは、彼女の肩を傾れ込むようにして鷲掴む。

 

「そ、れは、だめ、だ……! 一人じゃ、かて、ない……!!」

 

 あかねの急な動きと心理的な衝撃で硬直するひなたに向けて、あかねは腹の底から搾り取るように声を吐いた。

 

 幾度目かのお見舞いの折、あかねは雑談としてあの時の状況を詳しく聞かされている。

 ひなたの魔法少女としての覚醒、戦闘、そして救援と離脱……その戦闘において、確かにひなたは吸血鬼と競り合った。

 だがそれは吸血鬼に勝った、ということを意味しない。あの勝利には、あかねが呼んだ救援(イエローアイ)が大きく貢献している。

 

 単体の戦闘力はせいぜいイーブンと言ったところで──しかも、ひなたは戦力差をひっくり返す切り札を、第一魔法を未だ身に付けていない。

 そんな状態で一人で挑んで、勝てるという確証がない。

 

「……そうかもな。だが、俺がやらなきゃいけねェんだ」

 

「なん、で……!? 他に、人を……他支部の、エースだって……質なら、楓、信寺だって……!」

 

「悪いが、それはできん。──俺が一人で来ない場合、今後は陰から害を成す。奴は手紙にそう書いていた」

 

「陰、から……」

 

 高位のアマイガスであるヒトガタは、高い知恵を持つ。

 ゆえにこそ潜伏という選択肢が取れる。あの瞬間移動の力を考えれば、警戒網をくぐり抜けることなど容易だろう。

 そうやって人を、魔法少女を食って力を得て──手がつけられなくなっていく。

 

 それはまさしく、最悪の未来だ。

 

「なァに、しっかりと対策は練っていくさ。ミストレスから奴の情報を搾り取ってな。それくらいは当然の権利だ」

 

 青白く、というよりもはや土気色の顔に変わっていくあかねを慰めたひなたは、ぎこちない動きであかねの腕を解き、後ろに引いた。

 勢いのままベッドに倒れ込む彼女の手を握って、ひなたは言う。

 

「何度でも、何度でも、奴が生まれるたびに殺す。人々に害を成す前に……お前をこれ以上、傷付ける前に」

 

 その言葉に、あかねが顔を上げる。

 

「アタ、シ、を……?」

 

「ああ。俺は守りたいんだよ。お前を……君を、守りたい」

 

 躊躇いがちに、慄くように、何かを確かめるようにひなたの手が伸びる。

 

「俺は守る。守ってみせる。──()()()()、必ず」

 

「そ、れは」

 

「大丈夫だって。俺はそれなりに強い。荒事にだって慣れてる。……あんまり、褒められたことじゃないけどね」

 

 最後にとぼけるように苦笑したひなたは、あかねの頭を柔らかく撫でた。

 

 

 ──久しぶりだった。

 お互いに。

 

 

 だから、あかねは言葉が出なくなった。

 ひなたの瞳が、あまりにも悲しそうで──それと同じくらい、狂喜的に輝いていたから。

 

「……っ」

 

 彼女は、怯えてしまったのだ。

 何も言えない、何もできないまま、ただあやすように遠慮がちに頭を撫でられ……ひなたの手が、ゆっくりと離れていく。

 

「そんじゃあ、良い子にして待ってろよ」

 

 最後に微笑みを落として、ひなたはあかねの病室から去っていった。

 コツコツと廊下を歩く音だけがドア越しに響き、それが聞こえなくなって始めて、あかねは仰向けにベッドに倒れ込んだ。

 

「ちが、う……違う、違う、んだよ……ひなた……アタシは、アタシは」

 

 違うんだ、と。

 

 ただそれだけをうつろに繰り返して、あかねは拳を握りしめる。

 握りしめた拳は、されどそこにあるのは非力な少女の拳でしかない。魔法少女の力がなければこんなもの──あの吸血鬼を殴ることすら叶わない。

 

 それがひたすらに──にえたぎるように、腹立たしい──

 

「アタシ、は……っ!」

 

 それを吐き出すように、衰えた喉が潰れても構わないと声を出して。

 

 

 

「──おっと、身体は大事にしないとね」

 

 

 

 口元を、大きな手で覆い隠された。

 誰だ、とあかねが思う暇もなく、にっこりと眼前で彼は微笑む。

 

「……ミスト、レス?」

 

 腰まで伸びた、金糸のごとく美しい髪。

 高い身長──ヒトとは思えぬ美貌を持つ、この魔法少女協会が長。

 

「そう、私は女主人(ミストレス)だ。だからこそ、私は君に問いかけよう」

 

 ミストレスは顔に微笑みを、常に変わらぬそれを浮かべて、あかねの額に人差し指を突きつける。

 

「──(オマエ) 悪魔(ワタシ)魂を売る覚悟があるかな?」

 

 あかねが唾を呑み込む音だけが、重苦しく部屋に響いた。




次からは流れが定まっているので、おそらくもっと早くに投稿できる……はず。


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第二十六話 吸血鬼の棲まう“城”

 空腹は、すなわち極上のスパイスである。

 ありふれた格言であるが、ありふれているからこそその意味を理解している者も多い。

 

 であればこそ、試さざるを得ないというのが人の心理。

 そこから生まれた己であっても、それから逃れ得ることはできない。

 

 ぐぅう、と鳴る腹をそのままに、吸血鬼は彼女を想う。

 

『早ク来ないカなァ……クふ』

 

 あの黒衣の、麗しい少女。

 あれを骨まで貪って、この空腹を満たせれば、どれだけ幸福になれるだろう。

 無理を押しての顕現だったが、それを思えば後悔など湧くはずもない。むしろあれだけの才能を持つ魔法少女を食うことができれば、全盛期に近しい力を取り戻すことだってできる。

 

 ──そう、全盛期。

『悪』の絶頂、あの裏切り者が道を築く前のことだ。

 

『思えバ、あの時もワタシは食い逃シた……』

 

 麗しい少女を。

 力ある魔法少女を。

 

 己は()()に一蹴され、数多のアマイガスと同じく骨も残さず滅ぼされた。その損傷(ダメージ)はかつての力を奪い去るだけでなく、今もこの身を蝕んでいる。

 

 だが、あの姿に対する焦がれは、魂の奥底に焼き付いていた。

 

 “偏食”たる吸血鬼にとって、それはあまりにも鮮烈だったのだ。

 あれに比するモノを一つでも備えていなければ食えない……食指が伸びない。そう思わせるほどには。

 

 そういう意味でも、あの少女は合格だった。

 卓越した戦闘センス、日本人形のごとき麗しさ、そして常軌を逸する精神性。どれもあの彼女に比する、あるいは凌駕する面すら持ち合わせている。

 

 あの赤い少女もまた並み居る魔法少女の中では別格だが、黒い少女の方が上物であることは間違いない。

 

 

 ──だからこそ、食わねばならない。

 

 

 そのためにこの場所を──ショッピングモールと呼ぶらしいここを、決戦場として仕上げたのだから。

 

 ほの暗いショッピングモールの最上層、天への道を閉ざすように張り巡らせた夜の帷が、空から吸血鬼を見下ろしている。

 それは陽の暖かさを遮り、魔性にとって棲み良い世界へと変貌させる天幕だ。夜の貴族と形容される吸血鬼、その特質を与えられた彼にのみ許された『魔乞(マゴイ)』である。

 

 それは空きっ腹をさらに痛めつける所業に等しいが……問題にはならない。

 

 

 ……コツン──

 

 

『…………あァ』

 

 夜闇にも似た静寂に、かすかに響いた靴の音を、彼は聞き逃さなかった。

 長く、枯れ細った脚を使って立ち上がり──『くハ』

 

 笑う。

 嗤う。

 (わら)う。

 

 ──微笑(わら)う。

 

 極上の馳走が、腹に収めるべき獲物が、来た。

 ぐぅぐぅと、腹が鳴る。

 

 

 /

 

 

 その道を歩むことに恐怖はなかった。

 はぐれ、薄汚れた飼い犬が、ようやく見つけた帰路を辿るに等しい喜びがあった。

 

 階段を一歩ずつ登るたびに、心の底から笑える気がした。

 はるか彼方に忘れていたものを、もう一度拾えた気がした。

 

 “………………”

 

 だから、思ったのだ。

 

 この道行で車に撥ねられ、死んでしまったとしても。

 (ぼく)はきっと、笑いながら死ねるだろうと。

 

「ここか」

 

 ショッピングモール最上層、黒い天幕に包まれた場所。

 おそらくは吸血鬼が施したのだろうそれは、まるで扉のように最上層と階段の境を断絶していた。

 

 “一方通行の結界だ。入ることは容易いが、出ることは難しい……夜という環境(セカイ)を模るこれは、安息()を捉えて離さない”

 

「なるほど、まさしく決戦場ってワケだ……視界不良の可能性は?」

 

 “充分にある。今のうちに闇を見通す魔法を使え”

 

「了解」

 

 ここに来る前に積み重ねてきた議論の通り、短い確認をする。

 夜を恐れず、踏破するための魔法──人類が積み重ねてきた原初の歩みを再現する力。それを拝借して、充分に目を慣らす。

 

「さて、と。それじゃあ行くかァ」

 

 とりあえず暗幕に触れてみると、ふわりと歪み、しかし力では破れない柔軟性を備えている。

 それでも片手を押し込めば、つぷ、と水面に手を沈めたのと同じ感触で暗幕を貫いた。なるほど確かに、これなら入ることは容易だろう。

 

 一旦手を引いてから、すぅ、と息を吐く。

 そして自覚的に頬を歪めて、俺は笑う。

 

 恐怖は、なかった。

 

 大きく一歩踏み込んで、暗幕に身を躍らせる。

 数瞬の拮抗を経て、水面に沈む小石のように、俺は夜に脚を踏み入れた。

 

「…………」

 

 薄暗く、月明かりすら見えず、喧騒からは遠く離れた静かな夜。

 田舎、曇り空の夜がこれに近しいのだろうか。俺は田舎とは縁遠く、明確に断ずることはできなかったが。

 

「……寒いな。ああ、寒い」

 

 それでも、肌を突き刺すこの冷気だけは何もかも違うと思えた。

 命を包容する夜とは真逆の、あるものを拒む鋭い冷気。それを醸し出す存在は、考えずともよくわかる。

 

 闇を見通す視界の先、夜闇の中心でそれは居座っていた。

 

『やァ、お久しぶリですねェ』

 

 あの戦闘で破壊された瓦礫の山、我が物顔で居座る姿はつい先日と変わりない。

 アマイガスの不死性を改めて見せつけられて渋い顔になる俺とは真逆に、ニタニタと笑う吸血鬼は瓦礫の上に立ち上がり、高貴ぶった礼をした。

 

『このワタシの招待、受ケていタだキ感謝しまスよォ』

 

「ハ、小狡い脅しで引き摺り出したテメェが何を言う。そうじゃなきゃ二度と会いたくねェし、俺が来ることもなかったさ」

 

 たとえどれほど強かろうが、頭数を揃えてリンチすれば大抵は殺せる。高位のアマイガスたるヒトガタ、その危険性を鑑みれば他支部からエースを引っ張ってくることも現実的に可能だろう。

 そもそもショッピングモール最上階という場を兵器で破壊してしまえばいい。地の利も罠も意味を成さなくなる。

 

 もっとも、ヒトガタであるが故にそのような真似ができなかった、と言われればその通りだ。

 

 知性があるなら、そのような状況を許すはずがない──あるいは陥った瞬間に逃げるだろう。

 眼前の吸血鬼が良い例である。

 

『くフ、それは手厳シい。ワタシはアナタに、恋焦がれていタというのニ』

 

「チッ、相変わらず気色悪ィな」

 

 夜の冷気と合わさって鳥肌が立ちまくり、もはや山脈の如しである。

 そんな腕をさする素振りで腕を引き──直後、死角に剣を振り抜いた。

 

『GYUAッ!?』

 

 脳天から股下まで、一息に切り裂かれたそれは、耳障りな断末魔とともに墜落し……地面に叩きつけられる瞬間に、溶けるようにして闇に消える。

 

「……眷属(コウモリ)か。吸血鬼らしい、舐めた真似してくれるじゃねェの」

 

 奇襲、とも呼べない児戯だ。しかし、軽視することはできない。

 剣を構え、腰を引き、たなびく風さえ捉えるように、全方位に神経を集中させる。

 それは待ちの構えであり、受動の働き。焦れる心は耐え難く……俺にとっては慣れたものだ。

 

 吸血鬼が笑う。

 

『素晴らシい。アナタはいつも、ワタシを昂らセてくレる』

 

 吸血鬼は天を仰ぐ。

 空を抱きしめるように、捉えて逃さず、絞め殺すように。

 

 

 ──刹那、世界が変わった。

 

 

 微睡む夜が赤く移ろう。

 仰ぎ見れば、空に浮かぶは赤い月。

 鼻腔をつんざくそれは、かつての俺が嗅ぎ慣れた──血潮にまみれた風の臭い。

 

 先ほどまで、あれだけ穏やかだったのに。

 今や月光に照らされ──否、月光に蝕まれて、()()()()()()()変わったのだ。

 

「随分とまあ、典型的(ステレオタイプ)じゃあねェの」

 

 これはまるで。

()()()()()()、吸血鬼が棲まう“(よる)”そのもの──

 

 

『──まさしく、これなるは人の想いし我が世界』

 

 

 天を仰いだ吸血鬼は、どこか流暢に宣言する。

 それはきっと、夜に棲まう怪物としてのさが。俺も人であるからわかる、人が想像する吸血鬼らしい姿。

 

 夜でなければ本気を出せないという、特質(さが)

 

『人が想い、人が考え、人がその身に秘める(ココロ)によって、“偏食(ワタシ)”はそう在れと特質されたのですよ』

 

 周辺に集う数多の眷属(コウモリ)、数える気すら失せるほどの、雲と見紛うばかりの大群。

 戦における絶対の真理──俺がやろうとし、しかし叶わなかった数の力を、よりによってこの化物が振るおうとしている。

 

「不服か?」

 

 まったく、反則に過ぎる。そういうのは人間サマの十八番(おはこ)だろうに。

 それでも口は止まらない。止まることなどあり得ない。言葉を吐き出し、思考を回す時間を稼ぐ。

 

『──まさか』

 

 俺の端的な言葉を吸血鬼は笑うでも、まして無視するでもなく、まるで偶然出会った街角で話し込むような気軽さで言葉を返した。

 

『ワタシは嬉しいのです。ワタシという存在を定義づけられるほど、人類は発達している……人類が積み重ねてきた歴史、すなわちヒトという無垢を彩る最高のスパイスに他ならない……』

 

『ワタシはそれを、この身に与えられた特質によって理解し、咀嚼とともに嚥下できる。なんと素晴らしきことか』

 

 そのか細く痩せ細った掌で胸を掻き抱き、けれど穏やかな──矛盾した顔で彼は言う。

 

『ゆえにこそ、ワタシは“ワタシ”として、在るがままに振る舞いましょう! うつくしきものの血を啜り、骨の髄までしゃぶり尽くして、その身その姿を我が魂に焼き付けて──それを、永遠に、繰り返すのです』

 

 どうしようもない。

 この吸血鬼は、己の業をふさわしきものとして受け入れ、その義務を娯楽として楽しんでいる。

 人であれば、欲を仕事の中で満たそうとするある意味真面目な姿だが──それが道理から外れていると、かくも醜悪に見えるのか。

 

 ……人も人で、醜悪なのは同じことか。

 脳裏に浮かぶ、罪を罪とも思わず嗤うけだものじみた男たち──そして、あれらを拷問にかけて惨殺した俺もまた、道理に背いた同じ穴の狢だ。

 

 だからこそ“そうかよ”とだけ、呆れにも似た言葉を吐き捨てた。

 剣を構え、腰を引き、脚を曲げて、筋肉を張り詰める。

 

 夥しい数のコウモリは、その場で羽ばたき赤い瞳でこちらを見つめている。その目に野生的な遊びはなく、ただ俺を食い殺すことだけを夢想し、汚らしい涎を垂らしていた。

 そんなところまで主人と同じで、吐き気がするほどの純粋な食欲──吸血鬼が一声かければ、これが一斉に襲ってくるのだ。

 背筋が粟立ち、冷たい汗がたらりと額を伝った。

 

 “正面から相手をしようと思うなよ。無為に苦しんで死ぬだけだ”

 

「わかってらァ……」

 

 はぁ、ふぅ、と息を吸い込んで……剣を握りしめていた片手を開き、それをコウモリの群れへと向ける。

 剣ではこの数を処理しきれない。それは自明の理──であれば畢竟、()()()()()()()()()()()()

 

 ……そうだ、この状況に陥ることを知らずとも。

 

魔求数式第六番(マグスクリプト・ナンバーシックス)──」

 

 俺はいずれ来る脅威を打ち破るため、牙を磨いてきたのだから──!

 

「──撃水弾(ウォーター・ショット)ッ!!」

 

 言葉を契機として現れたのは、大きなバケツ数杯分の、透き通るような穢れなき水。

 それは鏡よりもなお強く、俺の認識を濾し取り望むがままに形を変え──盛大に、俺はコウモリどもにありったけの水を叩きつけた。

 

 それは、開戦の号砲と呼ぶにはささやかな物だったのかもしれない。

 けれどそれは、紛れもなく明確な形で、この“(よる)”の王たる吸血鬼に叩きつけられた──俺の意志(殺意)そのものだった。



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第二十七話 おのれが人の命を断ち①

お待たせしました


 叩きつけた水弾を背に、ひなたは円を描くようにして地面を蹴る。ひどく硬いその感触は、ここが自然の中ではなく人工物(アスファルト)の上なのだと改めてひなたに知らしめた。

 その安定感を頼りに吸血鬼を中心にして距離を取り──水に撃たれたコウモリが悍ましい鳴き声とともに霧となって消えていく様を見て確信する。

 

「やっぱり水が弱点かッ! 撃水弾(ウォーター・ショット)ッ!」」

 

 ──吸血鬼は流水を渡れない。古代より伝承されてきた吸血鬼の弱点のひとつだ。

 ゆえに吸血鬼の特質を持つ彼、そしてその眷属たるコウモリには水が弱点として働く……と、ひなたが知っていたわけではない。

 

 これは危険な“賭け“だった。

 貴重な初撃を使った検証、もしかしたらそれが無駄に終わるかもしれないという恐怖。

 その躊躇いをねじ伏せて、ひなたは賭けを実行した。

 

 そしてそれに勝ったのだ。

 

撃水弾(ウォーター・ショット)》ッ! 撃水弾(ウォーター・ショット)》ッ!! もいっちょ撃水弾(ウォーター・ショット)》ォッ!!!」

 

 その達成感と溢れ出る殺意を糧として魔力を引き出し、水弾を乱射する。初撃にも劣らない水量、それが三つも同時に放たれ早くも夜から滲み出していたコウモリたちを消滅させた。

 それだけでなく今度は飛沫が吸血鬼の頬に擦り……しゅう、とドス黒い瘴気とともに蒸発する。

 

 ──かすかな赤い傷を残して。

 取るに足らないかすり傷、だが流水が本体にも有効であることが確認できたのだ。

 

「ちっ……!」

 

 それがわかったのにも関わらず、ひなたのかんばせに快心の色はない。それどころか険しく歪んだ。

 

 “虫が湧くみてェにコウモリどもがうようよ生えてきやがる……召喚には代償(コスト)が付き物だろうが! せめてクールタイムでも設けやがれ、クソがッ! ”

 

 胸中で呪詛を吐きながらも、その怒りを糧にさらに魔力を引き出していく。

 それこそが『魔乞(マゴイ)』の本質である、と硝子の異形に教授された通りに。

 

 ──『魔乞(マゴイ)』とは、精神力の高まりを通じてアマイガスから魔力を引き出し、それによって人類の想念(イメージ)を現実に具現化するものである。

 魔法少女の基礎にして真髄である『魔乞(マゴイ)』、それすなわち激情をそのまま力へと転化させる術技に他ならない。

 

 さながらスポーツマンが、今まで積み重ねた鍛錬への自負と試合への緊張感で肉体のパフォーマンスを最大限発揮させるように。

 さながら復讐者が、内心に溜め込んだ鬱屈した激情で以てどんな苦難をも踏み砕く原動力(モチベーション)にするように──

 

 ひなたは次々に水弾を放ちながら、縦横無尽に夜を駆ける。

 いくら撃ち落としても、吸血鬼の周りから生まれるコウモリが尽きる気配はない。やはり数は無限と捉えていいだろう、とひなたは再度舌打ちする。

 

 “それならそれでやりようはある……!! ”

 

 付かず離れずの距離を保ちながら旋回するひなたは、吸血鬼というより増えつづけるコウモリを抑制するために水弾を打ち込みながら、握った剣で引きずるように地面に傷をつけていく。

 そのひとつひとつにわずかな魔力を残し、気づかれぬようゆっくりと──黒地のキャンパスに、水を一滴垂らすように。

 

 自然な動きを装うだけでいい。

 だが気付かれてはならない。コウモリを一掃し、ひたすら場当たり的に──真正面から打ち合うことを避けるためだけに動いているよう偽装する。

 これは仕込みだ。かつてと同じように、決定的な瞬間に至るまで気取られてはならない。

 

「ふ、うぅ……ッ!」

 

 すぅ、とひなたの額に脂汗が浮く。冷たくも血生臭い、ひどく矛盾した夜の臭気が彼女の脳を腐らせる。

 それでもその表情に怯えはなく、むしろその全身にみなぎる力はさらに濃度を増していた。

 

 さながら獰猛な獣が、これ見よがしに牙を剥くように。

 溢れ出る敵意は全体の把握を鈍らせる──首元を引き千切らんと狙う鋭い爪に気付かぬように。

 

 ひなたはそれを意識的に──けれどその大元たる激情は、意識するまでもなくたぎらせて。

 ただ狡猾なけだものとして、吸血鬼の命を狙う。

 

 

 

『──くフ』

 

 

 飛沫に打たれる彼が笑った。

 

 

 /

 

 

 ──ぞ、と背筋を走るそれ。

 それに名づける時間さえ惜しんで、ひなたは咄嗟に放ちかけていた水弾を()()()()()

 

 バァン、と盛大に舞い散る水飛沫、それが地面に衝突するまでのわずかな時間、無理な動きをしたせいで硬直するひなたの前で……淡い霞が立ち上る。

 それは今まで散々見てきた、眷属(コウモリ)たちの残り滓──

 

「──くっ!?」

 

 このまま立ちすくむのはまずい、と脚に力を入れて飛び退いた瞬間に、そこに向けて無数のコウモリが突っ込んだ。コウモリどもが衝突し、飛散した()()がひなたの頬を掠める。

 

 もしもあのまま立っていたら……そんな嫌な想像をかぶりを振って追い払って、ひなたは片手をコウモリに向けて水弾を叩き込み、すぐさま反転して駆け抜けた。

 

「クソがッ、遠隔召喚もアリなのか──」

 

 “上だッ! ”

 

「よッ!?」

 

 突如頭上に現れた影、反射的に剣を振り上げるも──掴まれる。すぐに剣から手を離すも、かつてのそれとは違い無理な体勢でのそれはただの苦し紛れでしかない。

 

『腰が入っていませんねェッ!!』

 

「づっ!」

 

 避けきれず、彼女の腹にか細く、けれど怪物の腕がめり込む。風船を殴るような手応え。必然漏れ出す空気のように、ひなたの唇から声にならない悲鳴が漏れた。

 ぐ、と拳はさらに強く食い込んで──そのとき、ひなたはあえて身体から力を抜いた。

 

 それは咄嗟の判断だった。

 ひなたが路地裏(アングラ)で日常的に耽っていた殴り合いの喧嘩、その経験から導き出されたものかもしれなかった。

 

 拳がめり込む──その勢いにひなたの矮躯は耐えきれず、殴られるままに吹っ飛んだ。

 

『ッ』

 

 拳を振り抜いた吸血鬼が己の判断ミスに気付くのと同時に、ひなたは殴られた力を利用して身をひねり、その勢いのまま地面を滑るように距離を取る。

 まるで猫か何かのような軽業を披露して、浅く息を吐き出した。

 

「骨ァ折れて……ねェな」

 

 かつての殴り殴られの経験から自身の負傷を判断して、ペッと血混じりの唾を吐く。

 それを見て情けなく囀るのは、彼女の軽業に感嘆の息を漏らした吸血鬼。

 

『あぁ、もったいない。どうせ捨てるならワタシに吐き捨てればいいものを』

 

「過去最高に気色悪ィな、オイ」

 

 わざとらしく鳥肌が立ったと両腕をさすりながら、ひなたは彼に人を刺し殺せそうなほど鋭い目を向ける。しかしその吸血鬼は、人でないから死にませんと言わんばかりに気色悪い笑みをニヤニヤと浮かべていて、それもまた癪に触る。

 

 こうしている間にも眷属は増え続けているだろう。つまり時間は彼の味方なのだ。

 だからそのような戯けたことをほざいていられる。……素でほざいていそうなのはともかくとして、とひなたは脳裏でつぶやいた。

 

 “剣、再生成はできるか? ”

 

 “難しいな。あの剣は我らの象徴だ。気安く作ることはできないし……手放すなどもっての外だ”

 

 声から伝わる非難の色に苦笑するひなただったが、すぐさま真面目な顔をして吸血鬼に向き直る。

 

 “ピンチだったから許してくれよ”

 

 “無論だ。だが、取り戻さねば厳しいことには違いないぞ”

 

 それもひなたはわかっている。

 純粋に、ひなたと吸血鬼は体格に確たる差が存在する。魔法で強化されていることなど考慮にも値しない。何故なら吸血鬼は、アマイガスは魔法そのものと言えるのだから。

 

 ひなたはゆっくりと拳を構える。言うまでもなく我流の動き。荒事のみで磨き上げられた、荒削りの技。

 

「なァに、心配すんな……こっちにだって“奥の手”はある」

 

 全身から壮絶なまでの警戒心と殺意を漲らせながらひなたは笑う。

 彼女の不敵な言葉には、その幼い姿からはかけ離れた凄まじい気迫に満ちていた。



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第二十八話 おのれが人の命を断ち②

爆速更新


 ──奥の手、ですか。

 彼女の言葉を舌で転がし、その甘美な響きに酔いしれる。武器を奪われてもなお抵抗しようとする彼女の姿は、まるで機嫌を損ねた猫のように愛らしい。

 

 それはつまり、吸血鬼にとっては猫と戯れる程度の警戒で事足りるということ。

 無論、その全身に満ちる魔力(サツイ)は驚異的だが。

 

 “恐ろしいほどの魔力。尋常の魔法少女であれば、あれだけ魔法を使えば疲弊するというのに”

 

 彼女は息を荒げるどころか、壮絶な笑みを浮かべている。

 やはり己の見立ては間違っていなかった、と吸血鬼は確信する。

 あれは極上の獲物だ。喰らえば間違いなく全盛期の力を得られるほどの──己を殺した魔法少女に比肩する才を持つ女だ。

 

 ゆえに。

 

『くフ』

 

 その美貌、その才覚、人類に貢献するだろう遺伝子を備えたその胎に至るまで、余すところなく貪らねば吸血鬼(おとこ)としてあり得ない!

 

 吸血鬼は指を立てる。枯れ枝のような細い指──それを大仰に、横に薙ぐ。

 

『お喰べ』

 

「ッ」

 

 ひなたは指が振られた瞬間にそこから飛び退き、足腰を巧く使ってその速度を乗せて疾駆した。

 その彼女に向けて飛び立つは彼のコウモリ。明らかな補正(まほう)ありきの速度、弾丸に届き得る音速で以てその身を彼女に叩きつける。

 

 当然その加速度にコウモリの脆い身体が保つはずもない。空気を貫く衝撃でその身は砕け、羽はもがれ、飛散した肉のかけらまでも彼女に降りかかる。

 

 だがそれを成すは音速──ゆえに彼女を砕き得る生きた機関銃(マシンガン)である。

 

「神風も大概にしとけやクソがァッ!!」

 

 その気色悪(グロテスク)さと純粋な破壊力に思わず悪態を吐いたひなたは、脳内で囁く異形の言葉と生来の反射神経でコウモリの強襲を紙一重で交わしていく。

 

 背に迫るそれには身をひねり、その隙を狙うコウモリには身をかがめ、次の瞬間には頭を振り上げてばねのように跳ね上がり、飛散するコウモリの()()は風の魔法で受け流しつつ空を舞う。

 それでも受け流せないそれにはあえて左手の甲を差し込んで軌道を逸らし、血が滲むそれを意に介することなく踊るように身を躱す。

 

 そこに思考が介在するときはなく、半ば反射で行われるそれは少女となったことで得た身軽さだ。この短い期間で己の身体をそこまで掌握したひなたは、しかしそれを誇りなどしない。

 コウモリの強襲が一瞬途切れたタイミングで全方位に水壁を張り巡らせ、息を吐く。

 

「埒が明かねェな……」

 

 “どうする? ……使()()()?”

 

「……それもアリではあるが、なァ……」

 

 水の壁に次々とコウモリが衝突し、その命を薄い霞へと還らせていく。その衝撃が波打って、まるで防壁を雨のように揺らす。置き土産とばかりに叩きつけられたコウモリの飛沫が防壁と混ざり合い、清い水壁が、外を翳らす夜のように淡い赤色に染まっていく。

 

「ゆっくり話す余裕はねェか」

 

 それだけであれば一種幻想的であるが、術者であるひなたは直感的に理解していた。徐々にコウモリたちが水壁の深みへとその身を沈めていることを。

 眷属(コウモリ)どもはその命と引き換えにその身で水を汚すことで効力を失わせ、防壁を突破しようとしているのだ。

 

 ひなたは静かに瞳を閉じる。

 必要なのはわずかばかりの思案と覚悟。視覚を排除し、雨のごとき衝突音に包まれて、ただ危機感を募らせる。

 ──かつてもこのように、雨に打たれながら何かを決意した気がする。だがそれを思い出す前に、彼女は瞳を開けて考えを打ち切った。

 

「後手に回っても仕方ねェ。ならやるべきは、一つだけだ」

 

 徐々に赤く染まる水壁を見渡して、ひなたはクッと不敵に笑い、慣れた様子で指を鳴らした。

 

 

 /

 

 

『いち、に、さん……』

 

 ひとつ数を数えるごとに、彼の眷属が防壁に突っ込み命を散らす。片手に握った少女の剣で、弄ぶように地面を擦った。

 リズムを刻みながらのそれに、彼の躊躇いは一切ない。彼にとってコウモリは、都合よく使える駒でしかない。

 彼そのものとさえ言えるこの“(よる)”において、自然と湧き出る垢に等しいのだ。

 

『なな、はち、きゅう、じゅう……あと少しですね』

 

 水の防壁は確かに高い防御力を誇るが、コウモリの血と臓物を混ぜせばその純度は爛れ、やがてそれは彼女を守る壁から彼女を捕らえる檻となる。

 そうなればもうお終いだ。好きなように料理できる──そのように彼が夢想を始めた瞬間。

 

 バン、と防壁が弾け飛んだ。

 赤色に蝕まれていた水が吸血鬼の頬をかする。かすかに焼け爛れた頬を押さえて、吸血鬼は目を細め──その直後、自身に向けて突貫してくる少女の姿に目を見張る。

 

「オッラァッ!! しーねーェええッ!!」

 

『なんともはや』

 

 直線上に向かってくる少女に驚き、それが一瞬で失望に変わる。

 愚かとしか言いようのない選択に、ひどく醒めた目付きで手のひらを向けて、

 

()()()()ッ! 喰らえッ!!」

 

 鏡写しのように魔力を持った右手を向けた彼女に、吸血鬼の思考がそれに傾いた。

 奥の手──いつ──どこから──そもそも何故口に出して──その思考速度は人外と呼ぶに相応しかったが、しかし、一瞬動きが止まる。

 

 その一瞬こそが、ひなたの目的とは気付かずに。

 

 彼女の()()がポケットから引き抜かれる。

 最短の距離で、最速で。手首のスナップと最小限度の力で以て──投げつける。

 

『っ、それは──』

 

 右手に注目していた彼は、小さなそれに気付くのが遅れた。

 一見して小石のようにも見えるそれ。黒く、ともすれば夜に紛れて見失ってしまいそうなほど矮小なそれが眼前に迫り、

 

「爆ぜろッ!」

 

 彼女の言葉通り、破裂した。

 至近距離での発破、それが自身に到達するまでのわずかな間、吸血鬼は安堵する。確かに今はノーガード、まともに喰らえば手傷を負う──だがそれだけ。

 

 であればそれを覚悟に突っ込み、愚かな少女を捕らえよう。

 大方以前現代兵器が効いたからまた使ったのだろうが、その過信(あやまち)の代償はその体で──『がッ』

 

 その醜い口から漏れた言葉がなんなのか、吸血鬼は理解できなかった。

 それが己の悲鳴であると認識したとき、彼は己が愚かだと謗った少女を見た。

 

 彼女は、笑っていた。

 “ざまあみろ”と、華やかに。

 

 

『──が、ァあ、ぐァアアアあああああッ!!?』

 

 

 そのとびきりの笑みを最後に、彼は絶叫した。

 全身が焼けるように爛れ、反射で吸い込んだ空気はすでに汚染されきっている。鼻腔が痺れ、潰れ、壊れ、喉に至るまで火で炙られるような不快感に苛まれる。

 

『こ、れは──これは、まさかァァああッ……!!』

 

「そうその通り、随分と察しがいいじゃねェか!」

 

 悶え苦しむ吸血鬼へと一直線で突き進む。

 爆風を、撒き散らされた内容物の層を突っ切り愚直に迫る少女に吸血鬼は堪らず腕を振り回す。しかしそれに当たるほど少女は愚鈍ではなかった。

 

 そして暴れる吸血鬼の懐に潜り込み、剣を握りしめている腕を逆方向に捻りあげる。鈍い悲鳴が少女の耳をつんざき、しかしそれこそ福音であると躊躇うことなく彼の腕から剣を取り上げた。

 

「効くだろ!? 辛ェだろ!? そりゃあそうさ、なんたってそれは──」

 

『ぐ、っづぅッ!』

 

 わずかに視界を取り戻した吸血鬼の振るった腕を難なく躱し、さらに彼の腹に取り戻した剣を突き立てる。

 

「──それは、万国共通の吸血鬼の弱点ッ!

 ミストレス謹製、ニンニク爆弾なんだからなァッ!!」

 

 笑う少女は、突き立てた刃をぐりぐりと──殺意に満ちた鋭い剣で彼のはらわたを切り裂いた。



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第二十九話 おのれが人の命を断ち③

『ニンニク爆弾、だと……!? ふざ、けるなァ!!』

 

 自分を悶え苦しませた爆弾(それ)の由来がニンニクであることに激昂し、取り付いたひなたを振り払おうと吸血鬼が両腕を振るう。

 当たれば大木をも薙ぎ倒せるだろうそれは、しかしひなたには当たらない。

 

「ふざけてなんかねェよボケッ!!」

 

 迫り来る嵐のごとき薙ぎ払いを軽やかに躱し、時にはその勢いを利用して、罵声を叩きつけながらその懐を剣で抉る。

 

「テメェは吸血鬼だ!! 人より強ェ怪物だッ!! そのテメェの弱点を突くことの何がおかしい!?」

 

『ぐ、ぅううッ……流水は、このための、布石かァ……ッ!』

 

「その通りッ! 撃水弾(ウォーター・ショット)ッ!!」

 

『づ、ぃいあああッ……!!』

 

 そもそも吸血鬼の弱点として挙げられる“流水”は、しかし弱点の中ではマイナーと言っていい。

 それに初手まで費やしたひなたの狙いは、まさしく“弱点の存在”を確かめることにほかならない。

 

 すなわち吸血鬼の弱点としてメジャーではない“流水”が効くのなら、“他の弱点”も存在するだろう──そんな数学における集合を彷彿とさせる考察ゆえ、彼女は爆弾(ニンニク)も有効であると判断したのだ。

 

 “つっても俺ァ中卒だけどな!”

 

 “自虐はそれくらいにしておけ! 来るぞッ!!”

 

『こ、のッ……離れなさいッ!』

 

 脳裏で鋭く発された警告に従い周囲に意識を向けた瞬間、憎悪に塗れた吸血鬼の一声とともに突っ込んできたコウモリたちを猫のように危なげなく躱す。

 それでも無数の弾丸に襲われれば攻撃を止めざるを得ず、追尾してくるコウモリの群れに水弾を叩き込んで距離を離した。

 

「ちっ……仕留め切れなかった」

 

 彼女のぼやきが届いたのか、コウモリの向こうで吸血鬼が忌々しげに口角を上げる。

 

『ワタシにこれほどの無体を働いて、挙句それですか……く、ハハ、いいでしょう、ならばッ! ならばこのワタシが、その減らず口を塞いで──』

 

「あっそ。だから遅ェんだよ、テメェは」

 

『な──』

 

 地面を転がってきたそれ。

 吸血鬼は瞬間的に飛び退こうとしたが──「遅ェ」

 

『ぬ、っぐぅぉおおお……!?』

 

 起爆したそれが刺激臭と白い内容物を撒き散らす。

 集ってきていたコウモリまでもがそれに充てられて地に墜落し、直撃は避けたものの余波で悶える吸血鬼に、ひなたは言葉を投げかける。

 

「誰が一個しか持ってない、なんて言ったよ?」

 

『ア、ナタ、はッ……!?』

 

「ほら、三個目だ」

 

『っづぁあああアアアア゛ア゛ッ!!?』

 

 二度目の影響で避け切れず、三発目をまともに喰らい絶叫する吸血鬼は、憎々しげにひなたを睨む。

 その視線を心地よさそうに受け止めて、ひなたはわざとらしく笑う。

 

「さぁ、俺はあといくつ爆弾(これ)を持ってる? いくつテメェにぶち込める? テメェはそれを、恐れずにいられるか?」

 

『くッ……!!』

 

「それとも何か? ニンニク大好きだからもっとぶち込んでほしいってか? わざわざ長口上(ながこうじょう)を垂れるくらいだもんなァ、そりゃ好きだよなァ、あ゛ァ!?」

 

 まるでチンピラのような挑発──事実として彼女はチンピラだったが、その瞳に油断はなく、鋭く吸血鬼を睨め付けている。

 そして彼女は勘付いていた。

 

「……テメェ、実戦経験がロクにねェな?」

 

 彼の動きはお粗末だ。無論弱点を狙われて気が動転しているというのもあるだろうが、その動きに洗練された歴史はなく、個人として積み上げられた経験も感じることができない。

 ひなたもまた武術に関しては素人である。だが路地裏で積み重ねてきた殴り合いの喧嘩で培った直感によって彼女はそれを理解した。

 

 問いただされた吸血鬼は、露骨にひなたの手元に注視しながらのろのろと立ち上がる。

 

『……ええ、その通り。ワタシに、アナタの言う戦闘経験は……ない』

 

 そしてひなたにとっては意外なことに、素直に彼女の言葉を肯定した。

 わざわざ己の弱みを認めた彼に、ひなたの目が細められる。不可解なものを見る目だった。

 

『くふ、そのような不躾な目をするものではありませんよ。ワタシとアナタたちとで、()()()()()()()が違う……』

 

 そう諭すように言う彼の身体が、ふと解けるように薄くなっていく。すぐには気付けないほど緩やかな隠形──ひなたは咄嗟に水魔法を使ったが、

 

『ただ、それだけのことなのです』

 

 水弾が彼の身体をすり抜け、その言葉を残して露と消えた。

 剣を握り直したひなたは油断なく周りを警戒しながら、脳裏で異形に問いかける。

 

 “どうだ? 前のときみたいに、気配は掴めそうか?”

 

 “……無理だな。あの時とは違い、完全に世界に溶け込んでいる”

 

 以前の戦いでは、硝子の異形が異物たる吸血鬼を感知することで不意打ちを防ぐことができた。

 だがこの“(よる)”においては彼ら魔法少女こそが異物──世界を識ることができないように、感知は不可能である、と異形は断言した。

 

「……ッチ、霧化ってのは厄介だな」

 

 伝承における吸血鬼は、己の身体を霧に変化させるという。

 ゆえにその特質を持つ彼もまたその能力を持っている。かつての瞬間移動や今行われている隠形も、それを応用したものだろう。

 

 今この瞬間にも、感知できない不意打ちを喰らう可能性がある。

 現れる一瞬に即応できるなら問題ないが……そこまで己の反射神経を信じることは、ひなたには難しい。

 

 ゆえにひなたは決断した。

 

 “仕方ねェ、か”

 

 “決定的な場面まで伏せておくのが効果的ではないのか?”

 

 “それで死んだら意味ねェだろ。あくまで札は札、俺たちがそれに使われてどうする”

 

 

 “──二枚目(エース・オブ・エース)を切るときだ”

 

 

 脳裏でそう告げたひなたは、最大限警戒しながら“(よる)”の中心へと歩く。

 到達し、息を吐き、神経を皮膚から曝け出すように警戒心を強く深めて……ひなたは、手に持つ剣を地面に突き刺した。

 

 そして今も身を包む膨大な魔力を流し込む。

 

「 “励起(れいき)せよ、()斬痕(ざんこん)” 」

 

「 “──()憎悪(いのり)()たす(とき)だ” 」

 

 その詠唱(ことば)を契機として、“(よる)”全域から彼女の魔力が噴き出した。

 それは間欠泉のように──彼女が剣で傷を付け、そこに残した無色の魔力が、注ぎ込んだ魔力を通じて瞬く間に彼女の殺意に染まる。

 

 それは一種の魔法陣。

 人々の信仰を、願いを、興味関心を受ける概念を再現した──彼女の二枚目の切り札。

 

魔求数式(マグスクリプト・)第六十番(ナンバーシクスティ)

 

「──大瀑布(ウォーター・フォール)

 

 刹那、“(よる)”に荒れ狂う水が──



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第三十話  おのれが人の命を断ち④

レポートッ(イイワケッ
祝30話。


 ──「たす、け、て」

 

 かすかに響いたその声が、俺の耳に届いたのは偶然だったのだろうか。

 否、そんなはずがない。そのようなことがあるはずがない──頭に血が通うよりも早く理解して、だからこそ俺は仰ぎ見た。

 

 沈んでいく夜の世界を。

 一抹の黒すら余さず押しつぶす濁流を。

 

 吞まれていく闇の中に──どこか、小柄で、見覚えのある、少女の影が──

 

 

 “たすけて”

 

 

「ッッ…………!!」

 

 

 “おい、おまえ、まさかッ!?”

 

 

 脳裏で響く叫び声。俺を引き留めようとする、当たり前の声。

 その声に従うのが正解だ。そうすることが当然なのだ。

 

 

 それが仕組まれた必然(わな)で、愚にもつかない行いであると理解しながら。

 

 

「……クソが」

 

 

 俺は魔法を解除した。

 

 

 /

 

 世界()を渦巻いていた濁流が、粒子となって消えていく。

 現実を塗りつぶす術者の魔力が──それに変換される意思が途切れ、夢が夢として消えていく。

 

 それが完全に消え去るまでの短い間にひなたは駆け出し、宙に投げ出された人影を優しく抱きとめる。

 だがひなたは安堵の息を漏らすこともなく、首が揺れないよう少女を後頭部を支えながら瞬時に水の膜を張った。

 

 “おまえ、自分が何をしでかしたかわかっているのか!?”

 

 その途端、怒りを込めて叩きつけられた言葉に、ひなたは神妙に頷く。

 彼女は理解していた。あれがどれだけ悪手なのかを。

 言われずとも理解していて、それでもなおその手を執ってしまった。

 

 ひなたは己の腕の中にある少女を見て、息を吐く。

 

「……似ても似つかない、か」

 

 顔立ちは地味で人並みで、楚々とした彼女のかんばせには似ても似つかない。

 確かに小柄だが、痩せぎす──病弱だった彼女とは違い肉が付いている。

 総じて一般人の少女だ。無論ひなたの知り合いではなく……。

 

『やはり、そうしましたか』

 

 これ以上ないくらいの笑みを浮かべて、水壁の向こうに姿を現した吸血鬼の仕込みであるのは明確だった。

 

「……クソッタレが。人質なんてどこに隠してやがった」

 

『その質問に恨み節以上の意味などないでしょう?』

 

 ひなたは力なく息を吐く。それが何よりの答えだった。

 

『アナタは強い。魔法少女として不全であるのにも関わらず』

 

「不全……?」

 

『ええ、そうでしょう? だってアナタは──己の魔法(ユメ)を持たないのですから

 

 己の夢。

 己の魔法。

 

 それはなんだ、と考えるまでもなく、ひなたの直感が絶叫する。

 

 ──第一魔法を、ひなたは発現できていない。

 

「夢、夢だと? ふざけんじゃねェ、俺はあいつらを守るために……!」

 

『ひとつ、アナタに教示しましょう』

 

 声を荒げる彼女に向けて、吸血鬼は指を向ける。

 細く、枯れ枝のような土気色の長い指──まるで串刺しにされるような威圧感がひなたの口を縫いとめた。

 

『魔法少女の力の根源、それは情動(イド)意思(エゴ)とされる心の所作。

情動(イド)とは感情。誰もが身に秘め振り回される、過去より生ずる非合理的な心の動き。

意思(エゴ)とは理性。己が行き先を定め、未来へ向かおうとする合理的な心の誓い。

 それらの合議によって成される相補性の心こそが、魔法少女の力なのです』

 

「……」

 

『要するに、燃料(エネルギー)炉心(エンジン)なんですよ、その二つは。アナタがそれだけの魔法を使えるのも、膨大な情動(イド)を……エネルギーを持っているから。

 そこから生まれる魔力もまた、ほぼ無尽蔵と言ってもいい』

 

 簡潔にまとめた吸血鬼は、はぁ、とわざとらしくため息を吐いた。ギザに髪をかき上げて、その姿に苛立ちを募らせるひなたを無視して至極残念そうに首を振る。

 

『けれどアナタにはその片割れたる己だけの炉心(エゴ)がない。汎用魔法にあれだけ注ぎ込み、それでも尽きない燃料(イド)がありながら……己というものがないのです。

 そのような有様では、第一魔法を使えないのも当然と言うもの』

 

「……ッ!!」

 

『みんなを守る? ええ、とても尊い決意だ。その行動からも、口だけでないのがよくわかる……アナタには確かにその意思(エゴ)がある』

 

 

『──けれどアナタ、本当にそれだけですか? それだけの殺意(イド)を撒き散らしておきながら…… 格式ばった正道気取り(テンプレート)が、アナタのすべてだと言うのですか?』

 

 

『そうであるなら……不全の魔法少女(アナタ)は、ワタシには勝てませんよ』

 

 夜風のように穏やかで、しかし逆らいようのない言葉だった。

 ひなたはぐっと剣を握りしめる。彼女の戦意は潰えていない──だが彼女の両手はかすかに震え、青白む。

 それに気付かないふりをして……ひなたは笑う。

 

 “お兄ちゃんっ!”

 

「俺は……俺は……守る」

 

 脳裏に浮かぶ彼女の姿が、嵐の向こうでザアザアと。

 

「守る……んだよ、俺は。それ以外、俺にあるわけ……ねェだろうが」

 

 “おにい、ちゃん”

 

「それ以外……汚ねェところを……見せていいわけがない……!」

 

 歯を食いしばり、立ち上がる。

 

 “たすけて……おにいちゃん”

 

 

 

「……俺みたいなゴミクズがッ! あいつらを守るために戦うことを選んだ俺がッ!! 魔法少女(ヒーロー)以外の在り方を選べるわけがねェんだよッ!!!」

 

 

 ひなたは己を悪だと叫ぶ。そもそも己は死んで然るべきゴミクズだと。

 そんな存在が何かの間違いで娑婆に出た。加えて仲間は彼女(いもうと)に近い年頃の少女たちだという。

 

 清らかな──その手に澱んだ翳りなき、無垢な少女たちだという。

 

 だから彼女は、彼女となった彼の魂は叫んでいる。

 彼女らの瞳に、汚物(まこと)を写してはいけないのだと。彼女らを汚してはならないのだと。

 

 あるいはそれは、記憶の向こうでザアザアとさざめく遠い彼女に殉ずるがごとく。

 

 “…………”

 

 誰かが脳裏で、処置なしとばかりに首を振ったような気がした。

 

『……そうですか。ああ、残念──とても残念だ』

 

 相対する吸血鬼もまた、彼女の狂気を理解したのか息を吐く。

 そもそも彼とて“偏食”の──ひとつの狂気じみた心より生まれた怪物だ。(こいねが)う相手の心の狂度(きょうど)を見抜くことなど造作もない。

 

『アナタのことが知りたかった。それに嘘偽りはなく……だからこそ悲しい。アナタが不全であることが。不全なままでアナタを喰らうことが、どうしようもなく勿体無い』

 

「……テメェ、何勝ったつもりでいやがる。確かに奥の手は切ったがな、それで終わると思って」

 

『いいえ、これで終わりですよ』

 

 吸血鬼は断言した。

 ただ川に流される子供をどうしようもないと見下ろしている。そう思わせる態度。決して驕りではなく、けれどただ残酷で無感動的な言葉。

 怪訝に感じるのも一瞬、ひなたは警戒を深めるが、吸血鬼は変わらない。

 

『アナタは間違いなく魔法少女(ヒーロー)だ。けれど、いいえ、だからこそ』

 

 

 ──とす。

 

 

『アナタは、魔法少女(それ)ゆえに死ぬのです』

 

 ひなたの腹を、黒い刃が食い破る。

 

 “な、に?”

 

 まるで今、腐肉を貪り這い出てきた蛆虫のように蠢いたそれは──影。

 

「……づ」

 

 ぶちゃあ、と馴染みのある生暖かいものが、はらわたから溢れ出る。

 廃ビルの舞い散る埃すらも染め上げたそれ──赤く濁った鉄の臭気は、彼女の驚愕を麻痺させた。

 だからひなたは突然のそれにも硬直せず、その瞳だけを動かして──

 

「……くそ、が」

 

 先ほど助けた少女、その片腕が影となり、ひなたの腹を貫いていた。

 魔法少女ゆえに死ぬ。つまりはそういうことなのだと、倒れゆく己を罵れればどれだけ気が晴れただろうか。

 

「……見捨てられるわけ、ねェ……だろ……」

 

 そのようなことができないからこそ、ひなたは忸怩(じくじ)たる思いとともに血反吐を吐き出した。

 見捨てられるわけがない。

 己が、年若い少女を、見捨てられるわけがない。

 

 妹を理不尽で失ったひなたが……“仕方ない”と、犠牲を容認できるはずがないのだ。

 

 身体の端から冷えて、しかしそれすら消え去り欠けていくように。

 腹から溢れる血と熱を、どうにか抑えようと蹲るも……だくだくと流れるそれは止まらない。

 

『残念だ。アナタがどれだけのものを抱えているのか……ワタシは知りたかった』

 

 意識もおぼろげに俯く彼女に、吸血鬼が歩み寄る。

 すでに水壁は消えていた。

 

『けれどアナタは、ワタシに何を言われようがその信念を剥がすことはないでしょう。であるならば──その魂ごと貪って、心根もろともに咀嚼(リカイ)してさしあげます』

 

 床に広がる血の海を愛おしそうに手で掬い、醜悪な口元をひなたの首筋に寄せる。

 

『さぁ……受け入れて』

 

 がぱりと開けたその口が迫る。

 感覚とともに色まで失うひなたの視界は灰色で、迫り来ると理解していても、動くことなどできなくて──

 

 

 ──“きぃん”

 

 

『……?』

 

 何かが軋むような、夜にそぐわぬ機械音。

 それを聞き逃すはずもなく、吸血鬼は空を見た。

 変わらぬ紅の闇が広がる──否。

 

 

 その彼方に、()()点がただひとつ。

 太陽に浮かぶ黒点、それを反転させたような──太陽そのものを一点に収束したがごとき矮小な光。

 

 

 ──“きぃん”

 

 

 ようやくひなたも空を見た。

 灰色の空に、紅に際立つ茜色が、ひとつ大きく瞬いて。

 

 

『……ッッッ!!!』

 

 吸血鬼は身を退いた。

 ひなたもまた動こうとして、しかしふらつき、叶わない。

 

 けれどそれで充分だった。

 

 

 太陽が──輝く赤が──またたく茜色の星が、

 

 

 

 “(よる)”を、

 

 

 

(なまぐさ)い世界を、貫いた。

 

 

 

「────」

 

 

 力任せに砕かれたガラスのように、空から闇が散っていく。

 紅の夜を、茜色の光が照らし出す。

 ひなたの灰色すらも染め上げるその色彩は、きっと夜明けに等しくて。

 

 そして──降り立つ影がひとつ。

 

 

 

 血よりも赤い、美しい髪。

 太陽を撥ね、影をたなびかせるそれは、明確な彼女のトレードマーク。

 

「ごめん」

 

 血を燻るよりも焦げ臭い白煙を生じる大口径を肩に担ぎ、傍らに炎の蜥蜴を控えさせた彼女の姿は──

 

「待たせた」

 

 まさしく、魔法少女(ヒロイン)そのものだった。



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第三十一話 おのれが人の命を断ち⑤

「あ、……か、ね……?」

 

 おぼろげに声を絞り出すひなたに駆け寄った魔法少女──レッドパッションは、だくだくと広がっていく血の海に倒れ臥す彼女にぱっと身を震わせ、瞠目する。

 そして躊躇いもなく血溜まりに足を踏み入れ、『ああ、もったいない』などと背後で聞こえる戯言を無視して彼女を抱き上げると、その腹部に手を添えて……新緑色の光を浴びせかけた。

 

 治癒魔法だ、とひなたが気づく頃には、身体を貫通する鋭い傷跡は微かな痕を残して消え去っていた。

 

「…………おまえ、治癒魔法、得意、だったンだな……」

 

「力任せに薄皮一枚繋いだだけだ。得意だなんて言えないっての……っていうかしゃべるな、ばか」

 

 吐き捨てるような罵倒に鋭さはなく、心配の色を多分に含んで震えていた。

 血の不足でくらつく頭でも理解できるほどわかりやすいそれに、ひなたは自嘲するように笑みをこぼす……こともできずに、血混じりの吐息を漏らすのみ。

 

「アタシじゃこれくらいしかできないけど、応急処置にはなるだろうから……アタシがやってもらったコトができるかはわからないけど、できる限り頼んでみるから、それまで待っててくれ」

 

 そう言って立ち上がり、身を翻すあかねに、ひなたは咄嗟に手を伸ばし……鈍いそれは虚しく空を切る。

 それでも彼女は、手が届かぬなら声を、有形で掴めぬなら無形でと、必死に腹から声を出す。それは傷口をほじくり返すに等しい所業だったが、彼女はおのれの痛痒を気にも留めない。

 

「お、れは……俺は、まだ、やらなきゃ……」

 

「……」

 

「俺は……守らなきゃ……いけない……だから……」

 

「…………なぁ、ひなた」

 

 擦れ、遠のき、もはや誰に言っているのかも釈然としないひなたの声に、あかねは静かに振り返る。

 

 その凛々しく整ったかんばせに、わずかな感傷を乗せて……。

 

「アタシたちはさ──“守って”なんて、言ってないぜ

 

 決定的な一言を突きつけた。

 

「…………は、あ?」

 

「ひなた、おまえは良いヤツだ。口調は乱暴だし、態度だって悪いけど、めちゃくちゃ優しいすごいヤツだ」

 

「…………そんな、俺は」

 

「何かを抱え込んでるのだってわかってる。詳しいことは知らないけど……まあ、人に言えない秘密なんて、大なり小なりみんな持ってるし、そう変なことじゃない。……アタシだってそうだしな」

 

 自分も秘密を持っていると、そう告げるとき少しだけ、水底であえぐ顔をした。

 それに言葉をなくしたひなたに、あかねは決然と胸を張る。

 

「だから言わせてもらうけどな。アタシは、()()()()()()()()()()()()()

 アタシは選んで戦場(ここ)に立っている。

 アタシはアタシの意志で戦場(ここ)にいる。

 ……色々無様を晒したし、説得力がないのはわかってる」

 

 

「でも、それでも、アタシは戦いたい。

 おまえと一緒に戦いたいんだ」

 

 

 そこまで言い切り、あかねは笑う。

 

「第一、アタシは“か弱い女のコ”ってタマじゃねえんだよ!」

 

「………………」

 

「ま、そーゆーわけでアタシは戦う。あとは安心して眠ってろ」

 

「っ、まっ……」

 

 一歩踏み出し、吸血鬼に向き直るあかねを止めようとして、しかしひくりと喉が閉じる。

 極限まで痛めつけられた己の身体が休息を欲しているのだと、そう直感的に理解したひなたは、徐々に狭まっていく視界の中で、吸血鬼に殴りかかる彼女の姿を、どうしようもなく見つめることしかできなかった。

 

 その胸中に満ちるは迷い。

 どうすればよかったのかという……後悔だけ。

 

 

 “──時はきた、か。

 まったく、遠大に舞台を整えるのも大概にしろと言うものだ”

 

 

 ゆえにこそ、彼女の中に巣食う異形は、やれやれとばかりにつぶやいた。

 

 

 /

 

 

「悪いな、こっからはアタシが代役だ。原型が残らなくなるまで殴り飛ばすから覚悟しやがれ」

 

 ガントレットをまとった拳を打ち鳴らし、あかねは威勢よく叫ぶ。

 だがその瞳は油断なく細められ……そうして睨めつけられている吸血鬼はと言えば、はぁ、とため息を吐いた。

 

『その御高説の邪魔をしなかったワタシに対する返礼がそれですか。

 以前は手も足も出なかったアナタが、このワタシを殴り飛ばす……くふ、冗句(ジョーク)にしては笑えませんねぇ』

 

 “やはり、彼女に比べれば劣る……か。我ながら贅沢なものですね”

 

 あかねの瞳は確かに鋭い。──しかし、全霊の殺気を伴っていた彼女の睥睨には劣る。

 全身にみなぎる魔力は、彼女の決意を示しているよう。──こんこんと魔力を放出していた彼女のそれにはやはり劣る。

 

 唯一並ぶところと言えばその勝気な美貌であろうか。楚々としたかんばせからドスの効いた罵詈雑言を吐き出し続けた彼女のギャップとは毛色が異なるが、見た目からわかる素直な魅力というのも、やはり甲乙つけ難いほどに素晴らしい。

 

 つまり──ご馳走であるのは間違いないが、妥協した産物でしかない。

 

 ゆえに吸血鬼は重苦しくため息を吐く。せっかくの、待ち侘びた食事を邪魔されたのだ。焦らしも過ぎれば料理は冷めるというもので、いやがおうにも気分は盛り下がってしまう。

 

『まあ、別の馳走が自分から据え膳に乗ったと思えば──』

 

 舐め腐った戯言をのたまう彼を前に、あかねは小さく息を吐く。

 事実として己は彼に一蹴された。彼がそういうのも当然で──しかし。

 

「気に入らねえよなあ」

 

 腹の底がうずうずと、赤く疼いて(はなは)だしい。

 無骨なガントレットの関節部、構造的に脆い部分から炎が漏れる。

 それが鋼を伝い、焼き照らし、血生臭い夜の冷気と馴染むことなく、対極的な温度差を視覚的に演出する。

 

 拳を握る。固められた五指の隙間から篭れ火が散る。

 キリキリと張り詰めた全身の筋肉(バネ)に熱が灯り……それを一足で解放して、

 

 

 舐め腐り、背後に現れた吸血鬼の顔面に、

 

 

 爆熱を灯す鋼の拳を、

 

『なッ』

 

 あらゆる加速度(ブースト)を駆使して──叩き込んだ。

 

「おっ──ら、あぁッ!!」

 

 油断していたそのツラに直撃(ドンピシャ)。痩せた醜面に硬い拳がめり込む。

 ガントレット越しに伝播する“ヒトの顔を殴る”厭な感触に顔を顰め、しかしそれすらも炉心に回して全身の魔力をたぎらせて──拳を振り抜く。

 

「まだまだァッ!!」

 

 そして肘から、踵から炎が噴出(ブースト)、全身をめぐる熱によって高速化した肉体は、只人のそれを超えた超反応を、

 

 

『っっっッッッ!!?』

 

 

 人外たる吸血鬼に回避も許さず、さらなる追撃を加えるという力任せの荒技を可能とした。

 さらなる加速度を乗せて慣性のままに腹を打ち、顔を殴り、脚で蹴り飛ばしながら噴出する炎が散る血飛沫をも焼き払う。

 

『ぎ、ぐぉおおッ!!? こ、れは、なぜ!?』

 

 吸血鬼は殴打の痛痒と焼かれる肌の痛みに悶え、苦しみ、そしてそれすらも置いていくほどの困惑に包まれていた。

 これほどの身体能力、反射、以前は備えていなかった。炎にしてもそう、以前はちりちりと肌を炙る程度の火力しか持たなかったのに、今では“(よる)”に座す己をも焼き尽くさんばかりに燃え盛っている。

 

 何故急にこれほどの力を──! 困惑する吸血鬼だったが、振るわれたハイキックで顎を叩かれ、脳髄が()()()気色悪さにたたらを踏んだとき、それが良い刺激となったのか雷撃にも似たひらめきが走った。

 

 身体能力に限らない、あらゆる基礎能力の向上。

 純粋な鍛錬で引き上げるには時間が足りない、ならば取りうる選択は何か。

 

『まさか、()()()()()を──いや、違う』

 

 そうであるならこの程度で収まるはずがない。

 人の理想を具現化する第一魔法、それに続くは人の本質を知らしめる第二魔法。必要だからと覚醒できるものではないし、確かに覚醒した段階で基礎能力は向上するがそれが主題ではない以上、それを使っていない彼女が目覚めているはずがない。

 

 であれば道はひとつだけ。

 

『馬鹿なっ! 二重契約はヒトの精神には重すぎる! それもッ、それも()()()()()()で能力が引き上げられるような高位存在との契約などッ──』

 

 吸血鬼がうろたえる間にも、あかねは容赦なく炎と鋼でその痩身を打ち据えていく。

 その推論は半分正解だと、見た目に似合わず回る頭に苛立ちを吐き捨てながら。

 

 

 ──確かにあかねは契約した。全身を余すところなく補完(ちりょう)される際、対価としてミストレスに要求されるまま──しかしれっきとした覚悟を以て。

 

 だがあかねは知らなかった。

 それは未来にどうなるかとか、具体的な契約の対価だとか──決してそういう話ではない。

 

 

 彼女は知らないのだ。

 

()()()()()()()()()

 

 

 

 ゆえにその契約は不完全で、得られる恩恵もまたわずか。

 それでもあかねの基礎能力を引き上げるほどの力を持つなど、吸血鬼が叫ぶ通りに極めて高位のアマイガスしかありえない。

 ──何故そんな存在があかねと契約を結ぶのか、名を知らせない理由はなにか、そしてそのような存在との仲立ちをしたミストレスの目的は何か。

 

 なにひとつ明瞭とせず、あるいはその先に破滅が立ち込めているとしても。

 

「アタシはテメェと殴り合えんぞッ、変態野郎ッ!」

 

 今、ひなたを守れる力を得たことに変わりなく──そして後にあるかもしれない破綻に恐れて現在(いま)抗わないのは馬鹿であると、あかねは猛り拳を振るう。

 

『っづッ……まったくッ』

 

 その拳を顔で受け止め、吸血鬼は口角を上げる。

 焦げていく顔、じゅうじゅうと沸き立つ激痛に苛まれ……悶え、苦しみ、それでいて彼は笑っていた。

 

裏切り者(ヤツ)はどれだけッ、ワタシ好みの規格外(ジンザイ)を揃えれば気が済むのですかねェッ!』

 

 拳を叩き込まれる間隙に霧と化し、ちりちりと蒸発する水分(おのれ)を歯牙にもかけずに距離を取る。

 それに追い縋り、仕切り直しも許さないとひなたは脚で追撃を加え……それと対抗して突き出された拳と打ち合い、跳ね返されて距離を取られる。

 

『殴り合い……よろしい、よろしい! 付き合って差し上げますッ!

 戦場(パーティー)での淑女の誘いを断るなど、男としてあり得ないのでねッ!!』

 

 それに思いっきり眉を顰め、あかねは炎をたぎらせる。

 気持ち悪いんだよコノヤロー、そう全身で訴えるような様相に高笑いして、吸血鬼は拳を振りかざした。




久々の定時更新……いつの間にか2万字くらい戦闘している……もうちょっとテンポ早くした方がいいのかなぁ……?
しかしこの変態、よく喋る。


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第三十二話 ストレイ・シープ①

 睡眠然り、気絶然り、意識の断絶は落下に似ていた。

 一度身を委ねれば抗えず、何もできることはない。

 睡眠ならば定められた墜落とともに現実に立ち帰るだろう。睡眠の浮遊感と地に足ついた現実の落差は、それだけの衝撃を持っている。

 

 だからこそ気絶は恐ろしい。

 一寸先すら見えぬ闇に身を投げるのと同じように──夢見る失墜に果てはないのだから。

 

 “俺は……”

 

 ひなたは──否、その魂たる鎌原定努(さだむ)は、無明の闇を落ちていく。

 彼は確かに少女となった。だがその本質は以前と変わらず、男性相を顕す魂が肉体を解き放たれ、ただ後悔に沈んでいく。

 

 “俺は……どうすればよかったんだ?”

 

 “守りたいと……思ったんだ”

 

 その思いに嘘はない。あのとき、血まみれで倒れていた彼女を……守りたいと思ったのだ。

 けれどその彼女から告げられた──守ってくれと頼んだわけじゃない、と。

 そして今、己は無様に倒れている。

 

 守りたいと思った人たちを守れず、ましてや救われ、己の一方的な感情を指摘された。

 それは彼の、復讐のために歪め、削り、先鋭化させた心根をも打ちのめすには十分だった。

 

 “なら……どうすればよかったんだ”

 

 堂々巡りの自問自答は終わらない。

 

 “汚い自分を見せたくなかった”

 

 “それがいけなかったのか?”

 

 “けれど、もしもそれで彼女たちを歪めてしまったら”

 

 “俺は……俺を、許せない”

 

 彼にとって彼女たちは、かつて己が失ってしまった清い輝きそのものだった。

 健常な道から外れ、己の手を汚濁(おぢょく)に染め切った彼が触れることすら憚るもの。

 あるいはそこに……理不尽に奪われた妹の輝きを重ねてしまったのは否定できず、だから殊更に触れることを、晒すことを厭うてしまったかもしれない。

 

 もっとも、それを自覚したからと言って何が変わるかと言えばそうではない──何も変わらないだろう。

 彼は己を汚らしいものであると定義しているし、それを晒すべきではないと考えているのに変わりはない。

 

 “俺は……俺、は……”

 

 凝り固まった思考から出力される後悔は、型も成分も定められたところてんのようなもの。物も形も変わらないから、そこに変化は何もない。

 ゆえにその自問自答に意味はない。ただ永遠と繰り返すだけの、現実逃避じみた思考の渦。

 

 だからこそ。

 

 

“────アタシは、アタシの意思でやるべきことを選び取るッ!!”

 

 

 第三者の言葉が必要なのだ。

 魂に響いた少女の意思(こえ)に、彼の思考が停止した。

 

 

 /

 

 

 拳を振るう。

 人を殴る。

 それがあまりにも堪え難い。

 ──殴る度に疼く衝動(こころ)が、忌々しくてたまらない。

 

「ぶっ飛べ変態ッ!」

 

 渾身の力を込めた拳が、吸血鬼の腹を叩く。

 それに苦悶の声をあげて、しかし浮かぶ怪笑に澱みなく、吸血鬼は長い細腕で殴り返す。ガントレットで防ぐも、その衝撃で骨が軋んだ。

 

 零距離格闘戦(インファイト)。相手の隙にどれだけ拳を捻じ込み、圧倒(マウント)するかが問われる戦い。けれどあかねも、無論吸血鬼も一度や二度殴られる程度で隙を生むほど柔ではない。

 ゆえに必然、ターン制じみた殴り合いになる。

 

『かはっハァッ! 楽しいですねェ!!』

 

 殴り殴られ骨が軋み、肉が裂け、血潮が炎で蒸発する。

 脳内より興奮剤(アドレナリン)が分泌。刺激された神経が励起し彼女の心が奮起して、盛んに炎をたぎらせた。

 

 そして炎が膨れ上がり、吸血鬼の肌をちりちりと焼くほどに、彼女は表情を歪めていく。

 堪え難いと──湧き上がるものを抑え込むように。

 

『──? アナタ──』

 

 それを感じ取って不可解そうに傾いたその顔に、それを隙と見たあかねの拳が突き刺さる。

 そのまま思いっきり殴り飛ばし、あかねの周りに赤い炎が巻き上がる。

 炎を手繰り吸血鬼へと向かわせながら、あかねは腹の底から声を絞り出した。

 

「ひなたが何を隠してるか、なんて知らないよ」

 

 そして訊くつもりもない。

 誰もが身に秘めていることだから──それは己も例外ではないと、あかねは己の顔に触れる。ガントレット越しの唇は、やはり、歪に上がっている。

 

「ひなたがアタシを大切に思ってくれてるのはわかってる」

 

 イエローアイ、葛澄(くずみ)明子(めいこ)は優しいが、空気が読めないところがある。

 ロンリーブルー、楓信寺静理はあの様子で、仲良くなんてできやしない。

 けれどひなたは違う。

 

 そう思っていた。

 

「けどそれは……()()()()()()()()()と、アタシを重ねているからだ」

 

 ひなたはあかねを、おそらくは彼女にとって大切な誰かと重ねて見ている。

 それが彼女にとってどういう存在だったのかは、想像に難くない。あかねもまた弟妹を持つ身だから……きっと、ひなたがあそこまで頑なに自分を晒さないのも、家族に何かあったからだとわかるのだ。

 

『彼女に語りかけているのですか!? 瀕死の状態で聞こえるはずがないでしょうにッ!』

 

「そうしたのはテメェだろーがッ!」

 

 炎を振り切り飛び掛かってくる吸血鬼を紙一重で躱し、その刹那に蹴りを叩き込む。

 鞭のようにしなり薙ぎ払う細腕には素直に後ろに飛び退いて、しかし泥に沈むように気絶しているひなたを守れるよう、彼我の距離を取り直しつつ彼女は叫ぶ。

 

「ひなたッ! アタシはそんなに弱いか!? アタシはただ守られるだけの存在か!?」

 

 ひなたはあかねを庇護対象として重ねて見ている。一般人として、守るべき存在として。

 それこそ歪なのだ。何故なら彼女は魔法少女なのだから、守られる存在ではなく共に協力するべき守護者なのだ。

 

「アタシは──アタシたちはっ」

 

 突っ込んでくるコウモリを炎の膜で炎上させ、怪物ゆえの暴力的な身体能力で迫り来る吸血鬼は炎の噴出を駆使していなす。

 一時も気の抜けない戦場。拳を振るうたび炎が散り、先鋭化した神経にヒトを殴る感触がダイレクトに浸透する。

 

 ハァ、と漏れる息は熱に浮かれ──

 

「──おまえが思ってるほど……綺麗じゃないんだよ」

 

 それを恥じるように片手で覆った口元は、歪んでいた。

 燃え盛る炎に照らされたその口角は妖艶で、けれど怖気が走るほどのどこか野獣じみた悦び。

 身のうちに秘める秘密など、どれもこれも穢れたものだと告げるように──己のそれこそ忌むべきものだと拳を握る。

 

「アタシら全員、純粋培養のお嬢様じゃねえ。少し間違ったら死ぬ戦場に、自分から身を置いてる訳ありだ!! そんなヤツらがッ、今更何を知っても穢れるはずがねえだろうが!!」

 

 自分たちは清流にしか生きられない存在ではないのだと。

 泥に塗れて生きてきたのだと……今も脈々と流れている赤いそれを吐き出すように彼女は叫ぶ。

 

 

「だから──アタシを見ろ!

 アタシは戦ってる! 戦えてる! おまえを倒した吸血鬼と、今もこうして殴り合えてる!!」

 

 頬を吸血鬼の爪が掠める。

 

「アタシはアタシだッ!! 戦ってるんだッ、アタシは今、ひなたを守るために戦ってるッ!」

 

 鋭く走った一筋の傷、たらりと流れた血の一滴。

 頬を伝うそれは涙のようで、しかし赤い炎は躊躇うことなく焼き尽くす。

 

 それだけ言っても、彼女に反応はない。

 当然だ。気絶しているのだから反応できるはずがない……けれど何故だかそれに無性に苛立って、

 

「──アタシはッ、ひなたのっ、おまえの妹じゃねえって言ってんだぁ──!!」

 

 決定的な言葉を叩きつけた。

 それは同じく弟妹を持つ身としての、共感ゆえに察したことだったのかもしれず。

 

 

 ゆえに、

 

「──────あァ」

 

 何よりも強く、何よりも鋭く。

 彼の魂を打ち穿った。

 

 

 /

 

 

 無様であると、そう思った。

 己のことが、無様であると思ったのだ。

 

 重ねていたのかもしれない? 彼女たちの清い輝きに? 彼女のことを?

 ふざけるな、ふざけるなと己を罵倒する。その程度ではなかったのだと、何よりも己が忌々しい。

 

 己は、彼女たちの少女性のみに妹の姿を重ねて、無意識に彼女たちを代替として扱っていた。

 妹を守れなかった。だから今度こそ、今度こそはと──あまりにも滑稽な人形劇。

 

 “それでも──守りたいという願いは間違いではないだろう?”

 

 そう己を卑下する彼の魂に、新たな声が響き渡る。

 だが……それは、独りよがりの、一方通行のもので、それが間違いでないなんて──

 

 “ふふふ、何を言うかと思えば! 人の善意も、悪意も、すべからく一方通行なもの! どちらも意思(エゴ)そのものだろう?”

 

 “そもそも君は復讐者だ! 独りよがりの究極と言える復讐を成し遂げた君が、今更何に怯えるというんだい?”

 

 善意も悪意も等しく独りよがりであり、復讐はその極地であると声は云う。

 

 “君は復讐を成しえた意思と、守りたいという意思を別のものとして考えている。だけどそれはおかしいんだよ。

 君は何故復讐をした? 何故復讐しようと思った? 何故復讐を完遂できた?”

 

 

“──それは君が、妹を守れなかったからだろう? 君は守りたかったから、復讐を果たしたんだろう? 復讐を完遂するに至らしめた意思(エゴ)から、守りたいという感情だけを抜き出せば、それは歪にもなるだろうさ!”

 

 

 違う、違うんだ。

 あれは俺のための復讐で、ひなたはきっと、そんなことは望んでいなくて──

 

 “それこそ間違っているぞ、鎌原定努。

 根本的な話だ──己のためであろうとも、他者を害されたがゆえに復讐を果たそうとする者は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ッ!”

 

“だから君の善意と悪意は不可分なんだ! 何故か? どちらも復讐者(おひとよし)としての君を形成する根幹だからッ! どちらが欠けても、私が求めた復讐者(しっこうしゃ)としての君にはならないッ!”

 

“片方だけでは中途半端な意思(エゴ)にしかならない──すなわち、()()()()()()()()()()()()()()()、鎌原定努”

 

 ……ならば。

 

 ならば俺は、どうすればいいと、彼は尋ねた。

 

 “己の意思(エゴ)から目を逸らすな。

 君はもう、“自覚”している──後はそれを表に出すだけだよ”

 

 その言葉を契機に、彼を取り巻いていた闇が晴れる。

 

 そして現れたのは──三対六枚の黒翼を持ち、上二枚で顔を、下二枚で体を隠した、人ならざるもの。

 闇が晴れ、光に満ち溢れる世界でなお、それより上位の天にまたたく──あまりにも輝かしい異形。

 

 気づけば定努もまた、男であった頃の身体で座り込んでいた。

 

「……世話、かけたな」

 

「ふふ、声色が変わったね」

 

 まるで親しい友人のように短い言葉を交わし合って、天の異形は彼に手を差し伸べる。

 それは、あるいは悪魔の誘いかもしれず……。

 

 けれど彼は、決然としてその手を取った。

 その様を見て、くすりと──彼は天上の美酒を湛えるがごとき微笑みを浮かべた。

 

「大いに悩み苦しみたまえ、若人よ。

 ──それこそ、人を解き放った私にとって、何よりも喜ばしい(たから)なのだからね」

 

 揺れる金糸の髪は、あまねく光を浴びて、美しく輝いている。




次回、覚醒、そして決着。


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第三十三話 我は法の執行者

 ──どくん、と。

 夜が()()ほどの魔力の胎動に当てられ、吸血鬼は硬直する。

 それを隙とみて殴りかかろうとしていたあかねもまた、一拍遅れて全身を絶大な魔力に包まれ──

 

 

『こ、れは……ぐ、ぅう』

 

「なんだ、これ……」

 

 しかし、同じく膨大な魔力に包まれたというのに、二人の様子はまるきり違っていた。

 苦悶の声を漏らす吸血鬼に対し、あかねはどこか安心しており、そんな自分に困惑している様子だった。

 

 

 まるで温かく、柔らかなタオルで全身を拭われるような……幼い頃に母がしてくれた、張り詰めていた神経が良くほぐされているような心地よさ──対して吸血鬼が感じているのは、全身に細い針を差し込まれるような……無遠慮で不快な敵意そのもの。

 

 

 抱擁と敵意を()()()()()二面性の強大な魔力──互いの様子からそれを見て取った二人は、通じ合ったわけでもないのに、瞬間的に魔力の発生源に目を向けた。

 

 

 ──黒衣のドレスを鮮血で染め上げた黒髪の少女が、血だまりの上に膝を突いていた。

 

 

「っ、ひなたっ!!」

 

 ぐらり、と揺れた彼女に駆け寄り、熱された籠手を使わないように抱き止める。

 その衝撃と未だ冷めらやぬ熱が伝わったのか、ひなたの目がゆっくりと開き……。

 

「あぁ……助かったぜ、あかね」

 

 流暢に言葉を話し、血の気のない顔でくたびれた笑みを浮かべた。

 

「助かった、って……顔面土気色じゃんか! いいから寝てろって、今にも死にそうだぞ!?」

 

「悪ィが、そういうわけにもいかねェんだわ……」

 

 ひなたはふらふらと腕を掲げ──「展水球(ウォーター・スフィア)

 彼女の宣言とともに、有り余る魔力が分厚い水球に変わり、彼女たちを外界から隔離した。

 

 目覚めたばかりでこれだけの魔法を、と驚くあかねの横で、ひなたはふぅと息を吐く。

 

「おまえ、やっぱり無理して……アタシに言ってくれれば、炎で──」

 

「あほ、それで落ち着いて話ができるかよ……」

 

 あかねの提案をばっさりと切って捨てて、ひなたは苦し気に息を吐く。

 

「俺も余裕があるわけじゃねェんだ……だから、手短に話す」

 

「……」

 

 話してくれ、と顎をやるあかねの腕を掴み、ひなたは水球の向こうにいる吸血鬼を睨めつけた。

 

「──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「そのために、おまえの力が必要だ。……一緒に、戦ってくれるか?」

 

 

 そのとき、おのれが覚えた感情を言葉にする(すべ)を、彼女は持たなかった。

 歓喜、大願、応報……それらすべてが混ざり合った、熱としか形容できないそれ。

 

 

「ああ──任せとけっ!」

 

 

 それはまさしく、彼女を突き動かす原動力(モチベーション)そのものだった。

 

 

 /

 

 

 すぅ、と水球が薄れるように消えていく。

 魔力が尽きたのではなく、おのれの意思での魔法の取り消し。おや、と吸血鬼はわざとらしく声を出した。

 

『随分とお早いお目覚めだったようですが……いかがしましたか? もしや、降伏でもするつもりで?』

 

「馬ァ鹿、そんなわけねェだろ」

 

 水球が晴れると同時に、ちりちりと水気を蒸発させる炎が広がる。

 その奥で不敵に笑うのは、やはり魔力が尽きる気配のない少女(ごちそう)

 しかし妙なことに、先ほどまで瀕死であったはずなのに、そのかんばせは死人のそれを脱している──炎で照らされていることを差し引いても、せいぜいが不健康を通り越した顔面蒼白であろう。

 

 “と、なると”

 

 その隣で炎を展開している赤髪の少女に目を向ける。

 ──やはり、先ほどまでに比べて魔力がごっそり減っている。適性のない回復魔法で黒髪の少女を治療したのだ……かけた分に見合った成果が得られたかは疑問だが。

 

 “であればその意味は? 何故彼女を治療した? 残存魔力を消費してまで……そこに如何な意味が──”

 

「あかね、頼む」

 

「任せなッ!」

 

 吸血鬼が思索に没頭しかけたその時、炎を防護膜として残した赤髪の少女が彼に向かって突撃する。

 向かってくる彼女の拳を腕を盾にして受けて……予想よりも強い勢いによろめいた。

 

『っ、これは……?』

 

「ふんッ!!」

 

 続いて脚を刈り取る勢いで叩きつけられたローキックも、先ほどに比べて妙に響く。

 わずかな、けれど確かな変化──鞭のようにしならせた脚でお返しに薙ぎ払いながら、吸血鬼は声を漏らす。

 

『くフ、なるほど使命感、あるいはやる気? 何がアナタをそこまで突き動かすの──ですかねェッ!』

 

 コウモリを使役、弾丸として飛ばされたそれらを直感的に察知したあかねが大きく炎をたぎらせる。

 うねり乱れ散る火花、呑まれるコウモリ、焼き焦げる()()の臭いなど気にもせず、彼女は美しく獰猛に笑う。

 

「言われたんだよ──ダチに、頼むってッ!! それ以外に理由がいるかッ!?」

 

 突き出される拳、追い縋る炎、どれもが吸血鬼を殺すと猛々しく息巻いている。

 そこに彼女の何かを見たのか、にたりと吸血鬼は笑って──

 

 

『──我は汝、汝は我。ゆえに我ら分かち難く……』

 

「我ら、此処に一つと成ろう」

 

 

「『──斯くや在らん』」

 

 

 

 

 ──その(うた)が聞こえた瞬間、その微笑は露に消えた。

 

 

 /

 

 

 第一魔法。

 それは魔法少女の理想──地に足付かず、“こうあるべき”という先行した願いの具象化。

 ゆえにそれに至ろうとする俺たちの始まりには、“斯くや在らん(この言葉)”こそ相応しい。

 

 俺という魂、俺という肉体に精神体(アマイガス)が絡みつき、一体となって奥の奥へと沈んでいく。

 無意識に通ずるアマイガスとの接続により、現実に想念を引き上げる『魔乞(マゴイ)』……その次段階に位置する術理。

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

『すなわち『魔儀(マギ)』──これこそが、我らが一体になることで、より強い無意識への接続を行う魔法少女が基礎にして秘奥。……ここに至るまで、随分とかかったな』

 

「魔法少女になってから一ヶ月も経ってねえ初心者(ニュービー)に何言ってんだ」

 

『フン、己が願いから目を逸らし続けた馬鹿者が何を言う。ある意味自覚していない者より性質(たち)が悪いぞ』

 

「……悪かったよ」

 

 思えばそう、こいつはさんざんヒントを出していた。それを無視した、目を逸らし続けたのは俺なのだ……と言っても始めたばかりなのは事実なので、やっぱりせっかちすぎやしないだろうか。

 

 それはともかく、だ。

 

『さあ、我が契約者よ。汝は何を思い、何を理想とする? ──汝は何のために戦い、敵を殺す?』

 

「…………」

 

 守りたい、という気持ちは、今もこの胸に確かにある。

 そうさ、あの吸血鬼や──彼の言っていた通り、この思いは間違いじゃない。

 明確に正しいもので──けれどそれだけでは、俺のすべてとは到底言えない。

 

 俺はそれから目を背けていた……ドス黒いそれを表に出しては、彼女たちとともにいる資格などないと思っていたから。

 それが恐ろしかった。彼女たちを穢してしまうと……けれどそれすら一方通行の気遣いで、彼女たちはそれほど弱くないのなら。

 

「そんなもの、ずっと前から決まってる」

 

 ──今こそ俺は、俺の理想(ぞうお)をさらけ出す。

 

 

 /

 

 

「 “(なんじ)(ほう)執行者(しっこうしゃ)(のが)()(やいば)(くび)()つギロチン” 」

 

 炎に守られ、そして溢れ出る魔力が輝き始める。

 ヒトとアマイガスの合一、『魔儀(マギ)』が執り行われると同時に、彼女が──彼の魂が秘めたる意思(エゴ)が、確かな決意を以て表出する。

 

 真紅に染まった彼女の黒衣がゆるやかに光と散り、彼女を言祝ぐように漆黒のヴェールに編み直されていく。

 

「 “おのれが(ヒト)(いのち)()ち、その肉叢(ししむら)(むさぼ)るものよ” 」

 

 その声色から滲み出るのは、溶岩にも似たあまりにも冷たい理想(ぞうお)

 ヒトを殺し、欲望のままにそれを貪るけだものじみた畜生どもへの──殺意。

 

 それに当てられた吸血鬼は、炎で身を焼かれるのも気にせずただ少女へと飛び掛かる。

 これはダメだ、これはダメだ、()()()()()()()()()()()()()

 

「 “きさまは(みにく)(けもの)にあらじ──(さば)かれるべき(ヒト)である” 」

 

 続く言葉は、畜生をヒトと認めるもの──大切なものを奪われた彼が、しかしその復讐は罪であると断じたように、彼女はその行いを駆除としない。

 ただ対等に滅殺する──対等なものであるがゆえに混じり気のない、“殺してやる”という純粋な殺意が、剣のように吸血鬼へと突き刺さった。

 

 そう、彼女が携え、今も先端の鋭利さと引き換えるように分厚くなっていく剣のように。

 もはやそれは騎士剣にあらず──断頭台にて頸を切り落とす、由緒正しき斬首剣。

 

「 “ゆえに(あお)げよ()憎悪(いのり)末期(まつご)()けよ、()()げられし(ばつ)()を” 」

 

 彼女に迫る吸血鬼を、炎をまとう赤髪の少女が食い止める。

 彼女は感じていた。この魔法(いのり)はただ恐ろしいものではないと……これは守護の側面をも併せ持つのだと。

 下種がこれ以上被害を出さないよう、我が手を汚して皆を守る──あまりにも澄み切ったその決意は、ただただ彼女たちのことを思うがゆえに。

 

 ──宣誓は最終局面へ。彼女の意思に呼応した魔力がさざ波のように夜を揺らす。騒ぎ立てるそれはまさしく、その時を待ちわびる観衆のように五月蠅(うるさ)くて。

 

 

「 “──その永遠を処断する(逃がすものかよ、ここで死ね)” 」

 

 

 彼女の決意を宿した宣誓(それ)の完遂とともに魔力が完全に収束し、彼女の衣服(コスチューム)に織り込まれ──新たな彼女を祝福する。

 

 ──黒の喪服(ブラックドレス)と斬首剣、折り合わないそれが、しかし折り合わないがゆえの調和を着飾った少女に、今も彼女を殺そうとしていた吸血鬼の目が奪われる。

 

 ああ、なんて──美しいと。

 

 

「第一魔法、開廷── 《其は善き秩序のための断頭台(アラストール・ボワ・ジュスティス)》」

 

 

 刹那、吸血鬼が地に伏せた。

 否──赤髪の少女が留め、そして黒髪の乙女に彼が目を奪われた一瞬に、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼を押しつぶし、地に縫い留めて今もきぃきぃと軋むのは──あまりにも古めかしく、同時に物々しい……断頭台(ギロチン)

 

『こ、れは──!?』

 

 抵抗しようとする彼の手足をも拘束するように、小さいそれが叩きつけられる。

 

「さあ、吸血鬼──“偏食”、あるいは“美食”の者よ。

 おのれの所業を鑑みろ──テメェの罪を裁くときだ」

 

 少女の笑みと凄絶な宣言を前にして、吸血鬼は何を思ったのか。

 

 抵抗をやめ、どこか穏やかで満足気な笑みを浮かべて──

 

 

 ──直後、断頭台から解き放たれた重厚な刃が、その頸を一息で断ち切り。

 彼の頭だけが、独りでに……どこか滑稽に物悲しく、ずるり、と地に落ちた。



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第三十三話 “不死殺し”

「終わった……の、か?」

 

 突如現れた断頭台、それによる拘束とあっけない斬首──急な展開に目を白黒させていたあかねがそう呟いた瞬間に、ひなたが静かに崩折れた。

 慌てて駆け寄り、肩で支えてくれるあかねに礼を言いながら、ひなたは緊張感とともに息を吐いた。

 

 ああ──これで終わったのだと。()()()

 

「これ、ひなたの魔法だよな? すげー……なんていうか……すげー魔法だな、うん」

 

 自分で問いかけておきながら、あかねはうんうんと頷くばかりで、そんな彼女に苦笑する。

 

「誤魔化さなくていいぞ。怖いって、そう思っただろ?」

 

「ん゛っ、それは──」

 

「いいんだよ、それが正常な感覚だ。……こんな魔法(りそう)は、本来誰の目にも晒さないべきなんだ」

 

 それでも己が行使したのは、その泥まで己が被ると決めたから。

 守りたいという善意……それと表裏一体で、今も魂に深く根付くドス黒い憎悪。

 この魔法はそれを完璧に写し取っているのだと、ひなたは直感的に理解していた。

 

 彼女が彼であった頃、理不尽にも妹が──集団で強引に押し込められて、口にするのも悍ましい所業の末、()()されるまでの一部始終を、薄く嗤う畜生どもに動画という形で見せられたときから。

 その畜生どもに復讐するために内面をひた隠し、ストレスで吐血しながらも奴らに取り入ったときも。

 ──彼らを廃ビルの一角に集め、罠にかけて惨殺するときも、ずっと彼の中で渦巻いていたそれ。

 

 すなわち、“絶対に逃さない”という、殺意。

 

 この魔法は……その理想を、忠実に写し取っている。

 

 ぐ、と拳を握りしめたその瞬間。

 

『くフ、それがよろしいでしょう……この魔法は、あまり周知させるべきではない』

 

 首だけになった吸血鬼が、笑いながら口を開いた。

 それに驚いたのはあかねである。当然だ、化け物とはいえ首だけになった状態で喋るなど、あまりに常軌を逸している。

 対してひなたは、己が頸を刎ねたというのにそれほど驚いていなかった。

 

「落ち着けあかね。まだこの夜が明けてねェ、つまり術者のこいつもまだ消えてねェってことだ」

 

「いや、そういうことじゃなくてっ! 生きてんだぞこいつ、ゴキブリみたいにさっ! それ自体が問題だろ!?」

 

「だから落ち着けって言ってんだ。──こいつはもう、()()()()()()()

 

 彼女の瞳はどこまでも冷めきっている。

 それに言葉をなくしたあかねに対し、生首の吸血鬼は笑いかける。

 

『その通り、ワタシはもう終わっている。……このワタシは、もうすぐ消え……そして』

 

 

『二度と、アナタたちの前に“偏食(ワタシ)”は現れない』

 

 

「……なんだ、それ。もうちょっかいかけるのはやめだってことか?」

 

『いいえ、そのような──そのような生易しいものでは、ない』

 

 断言した吸血鬼の顔から笑みが消える。

 その赤瞳がひなたを貫く。けれど彼女は動じない。どこまでも冷たく、彼を見下ろしている。

 

『ああ、ああ、裏切り者よ、(かみ)に、(はは)にそむきし偉大なる魔王よ! アナタは……アナタは、なんと! なんと恐ろしきものを見出したのか!! なんと恐ろしい──我らが天敵を見出したのか!』

 

「天、敵?」

 

 彼のさえずりに呆然と、あかねが言葉をこぼす。

 

「……おまえらは人の道理が通じない獣じゃない。確固たる己を有したおまえたちは、間違いなくヒトなんだ。だからこそ俺は願った──“ヒトの道理に反いたおまえの罪は、絶対に裁かれなければならない”──“絶対に逃さない”ってな」

 

 逃さない。おまえたちはヒトなのだから、その道理に則って裁かれるのが道理なのだと。

 かつて彼女が復讐を果たしたときのように──否、まさしくその時からずっと身に秘めていた願望、理想と言い換えてもいい憎悪。

 

「だからこそ、その願望をそのままそっくり写し取った俺の魔法は……ある特性を備えている」

 

 それは誰に説明されることもなく、ただ生まれながらに備えていた器官のように、彼女はその機能を理解した。

 彼女が有する第一魔法、《其は善き秩序のための断頭台(アラストール・ボワ・ジュスティス)》──それが有する特性は、魔力による断頭台(ギロチン)の具現化()()()()()()

 

「“転生批判(逃さない)”──すなわち」

 

 

『──“不死殺し”。我らが転生(えいえん)を断ち切り……死を以て終わらせる、断罪の刃』

 

 

 恐れおののく吸血鬼の言葉に、あかねは声を失った。

 それは──魔法少女とアマイガスの戦いの道理を破壊し、公平にする天秤。

 ()()()()()()という当たり前の道理を叩きつける、秩序の剣。

 

 あるいはそれを持つ女神のごとく──法秩序の下、罪人に振り下ろされる天秤の剣。

 

 まさしく、人とアマイガスの戦争を終わらせる力。

 誰にも叶わなかった完全なる滅殺を成し遂げられるのが、この、黒髪の乙女なのだ。

 

「今まで悪を成し続け、死んでもそれが罰にならないテメェらには効くだろう? 今更テメェが何を喚こうが俺には響かん、自分がやってきたことを悔やみ反省しながら──死んでいけ」

 

 その残酷な台詞には、しかし嘲りも何もない。

 ただ罰を下した者として、その死に様まで見てやろうという義務感だけがそこにあった。

 

 吸血鬼は呆気に取られて、それからくすりと笑う。

 

『……くフ、そう言われると、むしろ、喚きたく、なくなり、ますねェ』

 

 彼はすでに己の死を受け入れていた。

 その上で何を残せるのか、少しずつ損なわれいく己に怯えながら……口を開く。

 

『まず、アナタ。ああ、黒い方ではなく、赤い方の美少女です、ええ』

 

「「人を色で区別すんな」っ!」

 

『くフ、フ、それは別にいいとして……アナタは、もう少し……自分に目を向けた方がよろしい

 

 突如アドバイスされたあかねは、胡乱げな目をして生首を見る……すぐに逸らした。

 そんな彼女に笑いかけて、はらはらと散っていくおのれをどこか感慨深そうに見る。

 続いてひなたに目を移した。

 

『アナタは……そうか、合一化、を、果たしたのですね?』

 

「……ああ」

 

『であれば、ワタシから、送れるのは、ただ、ひとこと……0().()2()()()()()()()()()()()

 

 息も絶え絶えに告げられた言葉に、ひなたの眉が細められた。

 

「0.2秒? なんだそりゃ、おい、詳しく──」

 

『くフ、フ……残念ながら、それは、教えられ、ませんね……これでも、殺された、身ですので……せいぜい、考えてごらん、なさい……ああ、いや、しかし』

 

 吸血鬼は微かに微笑んで──

 

『死ぬというのは……くフ、これほど、恐ろしいものなのですねェ──』

 

 ただその言葉を残して、塵と消えた。

 

 ──同時に、夜を下ろしていた天蓋もまた、砕けるように散っていく。

 ひなたはあかねに促され、空を見上げた。天頂に太陽が輝いている。

 朝から昼まで戦い続けていたのだと、彼女はこのとき初めて気付いた。

 

 夜に馴染んだその瞳には、太陽の光は堪え難い。

 

「……最初くらい、気持ちよく勝たせやがれ」

 

 それでも彼女は影に隠れようとはせず、天に向けて拳を突き出した。

 太陽に見せつけるようなそれは、これからは陽の下を歩くという彼女の宣言に他ならなかった。




第一章はもうちょっとだけ続きます。
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エピローグ 余暇と誓い

「うふふ〜、やっぱりパンクファッションが似合いますね〜。立ち仕草が男性的だからでしょうか〜?」

 

「俺が知るかよそんなこと……」

 

 着なれないロックなレディース──穴あき(ダメージ)ジーンズやら黒を基調とした独創的なシャツ・パーカーなどを散々に着せ替えられた俺は、その疲れもあってか思わずげんなりとうめいてしまう。

 そんな俺をにこにこと見つめる清楚にキメたイエローアイ……聞くタイミングを逃したが、本名を葛澄(くずみ)明子(めいこ)というらしい彼女と、その後ろでチラチラとこちらを見ているあかねも、俺とはまた違うヤンキーファッションでお洒落にキメていた。

 

「ちぇ、なんだって葛澄と一緒なんだよ」

 

「んも〜、そんなつれないこと言わないでくださいよ〜。私だって頑張ってたんですからね〜?」

 

「わかってるよ! 色々頑張ってくれたのはわかるけどっ……!」

 

 そこであかねは、とうとう我慢できないとばかりに地団駄を踏んだ。

 

「なんだってアタシたちのっ、モールへの遊び直しに着いてくんだって言ってんの!」

 

 と、まあそんなふうに……言いたかないが、全員容姿が整っているために悪目立ちしてしまった。

 

 今日この日、俺たちは諸々の因縁が始まり、そして俺が断ち切った場所であるショッピングモールに遊びに来ていた。

 あれからまだ数日しか経っていないのに最上層以外の店舗が復旧しており、遊ぶことにほとんど支障はなく……それらの様子を見るついでに、“アマイガスの乱入で台無しになったあの時のやり直しをしよう”とあかねに提案された。

 俺に断る理由はなく、いいぜ、と許諾したそのとき──そこに混ざってきた、というより約束の履行を迫ったのが葛澄明子だった。

 

 かつて俺と交わした、『色々落ち着いたらデパートにでも遊びに行く』という約束。

 デパートもモールも似たようなものでしょう、という理論で同行を強請る彼女を、俺は断ることができなかった……。

 

 おかげであかねがちょっと不機嫌になっている。

 そんなに俺と二人で行きたかったのか、と不思議ではあるが悪い気はしない。東京は遊びどころに溢れているというし、今度はこちらから誘ってみよう。

 

「まあまあ、葛澄だってあの吸血鬼の隠蔽とかメディア対策とか帰還用のヘリの要請とか色々やってくれたんだし、な? ……よく考えたら俺たちが色々疎かにしてたモンを全部やってくれてんだぜ?」

 

「くっ……ちぃっ、まあ、おまえが言うなら……」

 

 そうやって渋々納得したあかねの頭をポンと叩いて、今もウキウキと服を選んでいる葛澄に「あんまやり過ぎんなよー」と釘を刺しておく。

 世話になったのは事実だが、彼女がちょっと……空気が読めないのも事実だった。

 

「……そういえば、アイツからも言われたっけな」

 

 魔法少女イエローアイは少し空虚なところがある──そう評したミストレスの笑みが脳裏に浮かぶ。

 何が面白いのかは理解できないが、相応の考えがあるのだろう……そう思いつつ、彼に任せきりというのも気持ちが悪い。

 俺も俺で考えてみることにしよう。

 

 俺も、彼女たちと同じ魔法少女なのだから。

 おれと共に着せ替え人形にしてやろうと葛澄に追い回されるあかねを微笑ましく見ながら、俺は自然と微笑んでいた。

 

 “……フッ”

 

「なんだよ、何か言いたいことがあるのか?」

 

 “いいや。迂遠で遠大ではあったが……それもまた正道であったのだ、と考えていただけさ”

 

「なんだそれ」

 

 胸元で揺れるアクセサリー──ミニチュアサイズの処刑剣から伝わる思念に苦笑する。

 あの戦いを終えた後、あの不恰好な硝子玉はこのように形を変えていた。

 きっとこれが本来の姿で、俺が目を逸らしていたから原石(ガラス)のままだったのだ。そこに宿る硝子の異形──俺の魔法から取ってアラストルと命名された彼も、居心地が良さそうである。

 

「……変わった、な」

 

 俺を取り巻く環境は、以前とは比べ物にならないほど変わっている。

 正直、あまりにも穏やかで、俺はここにいていいのだろうか──そんなことをふと感じてしまうほどに。

 

 “ならばおまえも変わっていけばいい。彼女たちと共に在れるように……()()()()()()()()()()()、己を新しく変えていけばいい”

 

「そうだな。……その通りだ」

 

 今度は俺に似合うファッションはなんなのか、でギャンギャン騒ぎ始めた二人にため息を吐き、二人にゆっくり近づいていく。

 

「おら、どっちも着てやるからくだらねェ喧嘩すんな。周りの迷惑を考えろ」

 

「う……悪い、ひなた」

 

「あほ、俺ァもうひなたじゃねェよ」

 

 そう、俺はもう(ひなた)ではない。

 彼女の面影を重ね、嘔吐し、受け入れられなかった末の逃避は、もうやめだ。

 

「俺はあんり蒲蕗(めぶき)あんりだ。そこんトコ、きっちり区別してくれよな?」

 

 俺を女に変えるに伴い、ミストレスが用意していた偽の、けれど本物の新しい戸籍。

 アイツは本当に意地が悪い。俺がひなたと名乗る前にこれを用意していたんだから……もしも聞いていればあれだけ悩み、苦しむことはなかったはずだ。

 

 だが、それもある意味で良かったのだろう。

 迂遠で遠大──アイツはどこまでも先を見ていて、これも必要な一手なのだと、今となっては理解できる。

 

「そーだな、あんり、あんり……まだちょっと慣れねえ」

 

「どうして本当の名前を隠したりしたんですか〜?」

 

「……相変わらず直球で来るなァ」

 

 濁したが、まあ空気が読めない、ということだ。

 慌てて葛澄の口を塞ごうとするあかねの腕をひょいひょいと避けて、彼女はじっと俺を見つめる。

 その目線にまたため息を吐いて……二人から服をむしり取って、俺は更衣室に真正面から入った。

 

 ──つまるところ、それは更衣室に備え付けられたガラスを直視することになり。

 

 

 鏡に、彼女そっくりの容姿が映る。

 

 

「あっ」「ちょ、大丈夫かよ!?」

 

 心配する二人を手で抑えて、ふぅ、と息を吐く。

 ……こんなパンクな不良ファッション、妹は絶対しなかったな。似合わないとも思ってたが、こう見る限りなかなか似合ってるじゃねェの。さすが我が妹、どんなものも着こなせるってか?

 

 ちょっと変な気分になるが、それはきっと嫌悪感とか脳裏に巡る最期のときとか、そういうものではない。

 どっちかと言うと清楚な少女がヤンキーに染められていく過程というか……やめやめ、それはそれで地雷だ。

 

「……あれ? 大丈夫……なのか?」

 

「ああ。ま、ちょっと気分は悪ィけどな……っつか葛澄、俺が不慮の事故で見たらどうするつもりだったんだよ、オイ」

 

 半眼になって睨んでやると、あははーと乾いた笑いを出す葛澄に、俺とあかねでため息を吐く。

 鏡越しの俺も、呆れたような顔になっている。自然と手を伸ばして……鏡に触れる寸前に、ぐっと握りしめた。

 

「…………まあ、なんていうか。妹がいたんだよ、俺に……そっくりの。ひなたってのは、妹の名前なんだ。……悪いけど、これで察してくれると助かるわ」

 

「……おう」

 

「わかりました〜」

 

 カチン、とわかりやすくあかねがキレた。

 

「おまえはホントに反省してんの!?」

 

「失敬な、悪いこと聞いたな〜って思ってますよ〜!」

 

「はいはい、喧嘩しない。俺が着せ替え人形になってやるから」

 

 再び勃発しかけた喧嘩を俺を生贄に仲裁する。

 では早速、とばかりに新しい服を持ってくる葛澄と、それに対抗するがごとくおのれのヤンキー系の服を勧めてくる二人に向けて声を張り上げる。

 

「た・だ・し! こういうロックというか、男っぽいレディース以外は却下な! 清楚とか言語道断だから!!」

 

「えぇ!? 色々着なきゃ好みもわからないじゃないですか〜!?」

 

「うるせェ、俺は女の子らしい服は苦手なの! せめてあかねのヤンキーファッションが関の山だわ!!」

 

「っしゃー!」

 

「そんなぁ〜……!!」

 

 勝利の雄叫びを上げるあかねと絶望に沈み込む葛澄、そして二人にため息を吐く俺が、店員さんに騒ぎすぎだとまとめて(キレ)られるまで五秒前。

 

 けれど、それでも──久方ぶりに楽しかったと、臆面もなく言えるくらいには、とても懐かしい時間だった。

 

 

 /

 

 

 日本魔法少女協会本部が最奥、執務室。

 カツン、と遊戯盤(ゲームボード)に駒が置かれる。

 死神のごとき鎌を構えた黒い駒──それを指で転がすミストレスは、ふぅ、と息を吐いた。

 

(ピース)は揃った」

 

 蜥蜴を──あるいは炎をまとう怪物を象る真紅の駒(スカーレッド)

 天使を──瞳孔が落ち窪んだ眼球、それが翼を備えた異形を象る灰混じりの黄色の駒(プリンセスイエロー)

 子供を──ただ独り海に沈み行く子供を象る深青の駒(ディープブルー)

 

 そして死神を──外套で顔と身体を隠し、祈るように大鎌を振るう漆黒の駒(ダーティーブラック)

 

「“紅い天賦の欠落者(レッドパッション)”、“天より網す恢眼(イエローアイ)”、“深海に揺蕩う少女(ロンリーブルー)”……さて、最後の一人はどんな名前がふさわしいかな?」

 

 どれもこれも会心の出来だった……彼にとっては。

 ふんふんと鼻歌を歌いながら盤上を見る。今彼が挙げた四つの駒と向き合うように並べられているのは──六つの駒。

 

 紛れもなく、敵対者の配置。

 

「……決めた」

 

 しばらく考え込んでいたミストレスは、そうつぶやくと黒い駒に触れ、コトン、と盤上に転がした。

 

「やはり、彼女に与えた名前以上にふさわしいものはないだろう。……うん、うん」

 

「彼こそが鍵だ。彼女こそが事象の中心となり、世界は彼にして彼女のもとに収束する」

 

 

──“人が人を裁く傲慢(ブラックアンリ)。ああ、やはり私のネーミングセンスは最高だ!」

 

 

 自画自賛とともに──両手で遊戯盤を押し潰す。

 《聖典魔法(ダウンワード)》による物質の組み替え、それによって駒もろともに遊戯盤を再構成し創り上げたのは──創造神を象る偶像。

 

 それに手を翳し、ミストレスは言う。

 

「待っていろ、父なる(はは)よ。彼らがおのれの意思に従いまこと完成を迎えたとき……彼らが、私が、貴方を必ず殺すだろう」

 

「──ヒトガタどもの魔王が長、傲慢を司りしこのルシファーがそう定めた。それはたとえ貴方(カミ)であろうと覆せない決定だ」

 

 

「だからそれまで待っていてくれ……ミサキ」

 

 

 それまでにない、どこか感傷的な色を宿した言葉とともに……彼は神像を握り潰した。




第一章、完ッ!(以後裏事情と反省など、興味がある人だけ見てください)
第二章も書きたいと思っておりますので、少々お待ちください。




……正直ここまで時間(4ヶ月)も、文字数(15万字)もかかるとは思っていませんでした。それもこれもあんりが頑固すぎるのと、ひとえに私の構成力不足が悪いのです。
それに反省も多い章でした。オリジナル長編を書いたのはこれが初めてで、展開にうんと悩んだり、設定にうんうんと悩んだり、詠唱にうんうんうんうん悩んだり、ネーミングにうんうんうんうんうんうん悩んだり……。
途中冗長になっていると思うので、やはり、後悔に絶えません。

ですがそれでもここまで書き上げることができたのは、読者の皆様の応援のおかげです。本当にありがとうございます。
最初はTS魔法少女を曇らせたいという邪な欲望から書き始めた作品でした……しかし曇るということはいずれ晴れるということ。
主人公・鎌原定努改めひなた改め蒲蕗(めぶき)あんりの行く末を、どうか見守っていただければ幸いです。

……ちなみに蒲蕗(めぶき)という苗字に一番時間を使ってたりします。詠唱はぶっちゃけ感性のフィーリングなので、凝ろうと思えばひたすら凝れる名前の方に時間が吸われるんですよね。
イエローアイの名前が最終盤まで出なかったのはそれもありますが、あんりがイエローアイの本名を聞かないやつだからです。多分あかねから聞かされなかったら今後もずっとイエローアイで通してたと思います……ホントコイツッ……!


まあそれはともかくとして……皆様の感想も評価もとても励みになりました。皆様がこの物語を楽しんでくれることがとても嬉しく、同様に感謝しています。
またご縁がありましたら、ご愛読いただけると嬉しいです。
本当に、ありがとうございました。


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番外編
用語集(ネタバレ注意)


色々出てきて混乱したかもしれない+私もちょっと自信がないので、ひと段落したところで整理用用語集です。お茶を濁すとも言う。
ネタバレ注意。
今後も追記、あるいは解放していくと思います。


 ※日本魔法少女協会・内部データベースより、現在のクリアランスレベル相当の情報を開示します

 ──成功しました

 

 ・魔法少女

 アマイガスとの契約を行った人間の女性。揺れ動く感情を魔力へと変換し、それによって現実に想念(イメージ)を引き上げる魔法を扱うことができる存在。

 対アマイガスにおいてもっとも有効な打撃を与え得るもので、同時にアマイガスとの戦闘で最初に犠牲になる人材である。

 そのため常時人手不足であり、死傷者をカバーする治癒(ヒール)系統の魔求数式(マグスクリプト)を扱えるものも非常に数が少ないため、一度致命傷を負うとそのまま死んでしまうケースが多い。

 本部においても魔法少女イエローアイ:葛澄明子以外の魔法少女は治癒系統の適性が乏しいが、魔法少女レッドパッション:竜胆あかねと魔法少女ブラックアンリ:蒲蕗あんりは膨大な魔力によって無理矢理発動させている。

 そのようなことをすれば魔力が即時枯渇しかねないが、魔法少女ブラックアンリはおのれの情動を完璧に制御し、半永久的に魔力を生み出すことが可能であり、その魔力量は支部の平均的な魔法少女百人分という脅威的な数値を誇る。魔法少女として極めて異例なことである。

 魔法少女レッドパッションは単純に激情家ゆえの膨大な魔力からだろう。しかし本部所属の魔法少女なだけあって、支部の魔法少女とは比べ物にならない精神力と感情の揺らぎを備えている。

 

 ・アマイガス

 人類が生み出した、人類が想像する人類の敵。悪性顕現。

 知性も知恵もない下等な悪性から出力される魔獣型、対して高位な……人類が創作的、宗教的に用いてきた特殊な属性などから出力されるアマイガスはヒトガタと呼称される。その造形はさまざま。

 ミストレス・アドラーによれば善性のアマイガスも存在している──集合的無意識に存在はしているようだが、何者かによって悪性のみが顕現することを許されているという。後述の水晶玉の仲立ちがあって初めて、善性のアマイガスが顕現することを許される。

 アマイガス特有の性質として、顕現した時点で「人類が願う“こうあってほしい”」という想像を叶えているため、魔法少女に比べて比較的容易に現実を歪めることができる。人類が想像する悪、そのひとつの属性の代弁者としての機能である。

 

 ・魔力

 アマイガスによって感情が変換されることで生み出される高次的エネルギー。現実を歪め得る力であり、物理法則とは別のルールで働いている。

 アマイガス及び魔法少女の力の源であるが、しかし永久機関というわけではない。怨恨を燃やすためにも気力を必要とするように心から湧き出る感情は有限であり、それを魔力と代替している以上、変換のしすぎは感情の枯渇──すなわち精神の死に行き着いてしまう。

 もっともあくまでも一時的なものであり、疲労感ゆえに感情の揺らぎをシャットダウンする心の自衛機能である。そのため疲労が回復すればまた感情も湧いて出る……しかし注意が必要なのは確かなのだ。

 またその性質上、激情家であればあるほど魔力量が増えると言えるが、魔力が充満するほど高まる万能感を、感情を爆発させた年頃の少女たちが御しきれるかは別問題である。

 実際に支部ではそれによる魔力過多、爆発させた感情が属する不完全な■■■■(クリアランスレベルが不足しています)への接続など暴走の事例が数多く報告されており、やはりミストレス・アドラーの監督を挟まない「界廊の水晶玉」だけを利用した魔法少女の運用には問題があると指摘されている。

 

 ・界廊の水晶玉

 ミストレス・アドラーが《聖典魔法(ダウンワード)》によって創造する、人間とアマイガスを繋ぐ媒介となる結晶石。ミストレス・アドラーが有する■■(クリアランスレベルが不足しています)を利用されて造られているため、彼以外にこれを創造することは、たとえ同じ《聖典魔法》の使い手であっても不可能である。

 どうやら「純度」が設定されているらしく、それが高ければ高いほど道としての性能も高くなるという。最高純度の水晶玉は、ミストレス・アドラー自身が管轄する日本魔法少女協会本部においてのみ流通しており、各支部において独自の判断で使用される水晶玉は、それから少し純度が落ちているらしい。

 契約を仲立ちし、成立したあとはアマイガスが宿る依代として再構成され、魔法少女の変身アイテム兼アクセサリーとして常に保持することが求められる。人類の希望、魔法少女を象徴するアイテムである。

 その希少性から外部への持ち出しは禁止されている。

 

 →技術体系

 ・『魔乞(マゴイ)

 アマイガスをその身に宿した生物の感情を魔力に変換し、それにより想念を現実に引き上げる術理。

 魔法少女の技術体系の基礎に位置する術理であるが、同時に秘奥へ通ずる奥義。

 これを修めなくして魔法少女としての完成はない。

 

 ・『魔儀(マギ)

魔乞(マゴイ)』の次段階に位置する、魔法少女の■■■(クリアランスレベルが不足しています)の秘奥。

 アマイガスとヒトが認識を同じくする一点、それを指し示す言葉を誦んずることで行われる術技。

 アマイガスとヒトの融合──より深い場所へ接続するための儀式。肉体に間借りさせている状態の『魔乞(マゴイ)』とは異なり、肉体の深きところへ、そして魂に至るまでアマイガスと絡み合うため同調率が跳ね上がる。

 感情を魔力に変換する際に生じる誤差(ロス)並びに時差(ラグ)が極限まで省略化される。

 それによりありとあらゆる基礎能力が向上するが、その本質は進化ではなく■■(クリアランスレベルが不足しています)である。

 

 なお、魔法少女ブラックアンリの特殊事例から勘違いする者もいるが、固有魔法の覚醒と『魔儀(マギ)』の習得はまったく別のものである。確かに併用すればその効果は高まるが、その敷居は極めて高く、ほとんどが実用にまでは至っていない。

 

 ──そして誦んずる譜も、個々人、それぞれの組み合わせにと心理の変化よって万華鏡のように姿を変える。

 

 ・汎用魔法

 大凡一般的な「魔法とは何か」という大衆的なイメージによる魔法。別称魔求数式(マグスクリプト)

 効果が安定しており、特殊な条件も必要ないが、契約するアマイガス及び個人の精神的な傾向から、どの系統に向いているかという適性が発生する。

 この中で“手術という医療が発達しているためにイメージしにくい”治癒系統への適性が一番希少で、逆に魔法というイメージに合致しやすく、“ありがちで想像しやすい”炎系統は適性がある者が多い。

 言葉によって素早くイメージを固めて投射する、技術化された魔法である。

 

 ・固有魔法:第一魔法

 汎用魔法とは真逆の、「魔法少女本人の“こうしたい、こうありたい”という心のイメージ」を具現化する魔法。理想魔法。

 一般的なイメージとはまったく別で、個々人の意思力によって大衆のイメージをねじ伏せ、現実を歪める。そのため固有の性質を持っていることが多く、代表的なものでは魔法少女ブラックアンリの“不死殺し”、魔法少女ロンリーブルーの“■■”(クリアランスレベルが不足しています)であろう。

 魔法少女にとっての必殺技であり、その多くが派手なことからメディアでも多く取り上げられている。

 ──だが注意が必要である。この魔法が具現化するのは“地に足がついてない、現実に先行した結果という理想”である。そのためこの理想そのものは強固なものではなく、脆い。

 もしもそれが崩れるようなことがあれば、第一魔法自体発動できなくなる恐れがあり──そんな自身の理想を崩し得る天敵と相対した時、どうなるかは彼女たちが“次の段階”に進むか否かで別れるだろう。

 また、汎用魔法とは異なる弱点として、個々人の心象を写し取ったものであるがゆえに鍛錬にも共通するものはなく、おのれの手で磨き上げなければならないことが挙げられる。

 おのれの第一魔法、理想をつぶさに見つめる……それができる青臭さを捨てるなかれ、若人よ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・■■■■(クリアランスレベルが不足しています)

 誰もが持ち得るもの。

 誰もがそれを認識し、奥底に押し込め、しかし滾々と溢れ出すもの。

 ヒトが御しきれず──身の破滅をもたらすもの。

 求めよ、けれど身を委ねてはならない。

 それは人間が原初より備え、今に至るまで信仰されてきた罪の王冠。

 あるいはそれを象徴する彼らが与える利用許可証。

 クリアランスレベルが不足しています

 クリアランスレベルが不足しています

 クリアランスレベルが不足しています



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番外編イチ:魔法少女的偶像崇拝(アイドル)

 それはあんりが魔法少女として、本当の意味で覚醒を果たした後のこと。

 あかねたちの力になろうと鍛錬を行い、要請を受けては出動し、魔獣型のアマイガスを鎧袖一触に屠っていた彼女は、ある時ミストレスに呼び出された。

 なんかこうも呼び出されるとありがたみも薄れるよなァ、などとほざく彼女を薄笑いで迎え撃ったミストレスがもたらしたのは、まったく彼女が想定もしていなかったこと。

 

「は? メディア露出ゥ?」

 

 胡乱気な彼女の言葉に頷いたのは、それを彼女に持ちかけたミストレス本人である。

 

「そう、メディア露出。この情報化の時代、我が日本魔法少女協会及び所属する魔法少女にとって避けては通れぬ大問題だ。なにせ君たちはヒトでありながらヒトの範疇を逸脱した力を振るう者……ちょっとでも油断すれば英雄(ヒーロー)から人外(モンスター)にまで零落しかねないからね」

 

「だから自分たちはそうじゃない、と示さなきゃならんと」

 

「もちろんそれだけじゃない。魔法少女という存在が人類の守護者として浸透するほど、君たちが行使できる潜在的な力もまた増えていく……そのように()()構築したからね」

 

「さらっとすげェこと言うな、オイ」

 

 今明らかになった事実は横に置いておくとして、そうであれば納得はできる。彼女たちの力になりたいと決意したおのれにとっては願ってもない申し出だ。

 ただ、とあんりは前置きして、ため息を吐いた。

 

「正直、クソほど気乗りしねェ」

 

「……ぶっちゃけるねぇ、君は」

 

 さしものミストレスであっても、頬がぴくりと引き攣った。

 ……それはそれとしてそれでこそだ、とうんうんと頷いているので問題ないだろう、と判断したあんりは、さらに詳しくぶっちゃける。

 

「メディア露出ってことはアレだろ? カメラとかの前でポーズ取ったり、愛想振り撒いたり、最後には芸能界の重鎮に目を付けられてドナドナ……みてェなのがあるんだろ?」

 

「それを私が許すと思うのか? とか、それこそ君の言うところのクソほど偏見が入ったものではないか、とか、言いたいことは色々あるけど……うん、続けて?」

 

「あァ、いやまあさっきのはちょっと誇張が入ってるけどよ……言いたいことはまさしくソレなんだわ」

 

 ソファーに身体を預けたまま苦い顔をしたあんりは、自分の顔や身体を指差した。

 楚々としたかんばせや、それに反するパンクファッションに身を包む平坦な自身の身体を。

 

「今の俺は妹に、ひなたとそっくり瓜二つだ。これは身内の欲目かもしれねェが、ひなたは間違いなく綺麗な子だった。……だからこそあいつらに目を付けられた」

 

「思い返すのも苦しいなら、誤魔化すのも手ではないかな?」

 

 そう言われて初めて、掌に血が滲むほど握りしめていたことに気付く。

 気付いたことでびりびりと生じる鈍い痛みに息を吐いて、しかしあんりは首を振った。

 

「気遣い感謝するぜ。だけど、だからこそはっきり言いたい。……心情的に、俺はこの容姿が衆目にさらされることが死ぬほどキツい。特にマスコミ……あいつらが俺の姿を、ひなたの姿を報道すると考えると、ああ、本当に虫唾が走る。気に入らねェ」

 

「はっきり言うね。けどその言い方だと、心情とはまた別に気乗りしない理由があるようだけど?」

 

「実際にあるぜ。俺の容姿は、もしかしたらあのクソどもを通してどこかに拡散してるかもしれねェってことだ」

 

 彼らに復讐するため路地裏に飛び込んだあんりは、彼らの薄汚い人脈があんり一人では把握できないほど深く広がっていたことを認識している。

 けだものじみた彼らとて、元を正せば名家や有名政治家の子息。そこに有用なコネクションを見出した者は、きっと裏社会に限らず表社会にも紛れ込んでいるに違いなかった。

 

 まるで下水道のように広大かつ暗中に広がるそれは、しかし人間社会に害しかもたらさない点で決定的に下水道とは異なっている。

 ゆえにそれらを把握できるのは彼ら自身のみであり、そして彼らを拷問し惨殺したあんり──鎌原定努でもすべてを把握することは叶わなかった。

 

「それで何が起こるのかはわからん。俺ァ頭が良くねェからな。……だがもしも何かが起きる場合、その対処が面倒ってだけで済むほど容易だとはとても思えねェ。

 だから俺は気乗りしねェんだ。リスクとリターンを秤にかけて……どうしてもリスクが勝る、そう思った」

 

「……そこまで考えられれば頭が悪いとは言えないだろう」

 

 とはいえそれもまた復讐完遂者ゆえの危機を嗅ぎ付ける嗅覚か、と納得して、ミストレスは改めて顔に微笑を浮かべた。

 

「うん、仔細承知した。君の危惧も危機感も、余すところなくすべてを、ね」

 

「だが、協力したいってのも本当だ。もしも俺にできることがあれば──」

 

「仔細承知した、と言っただろう? 君のその気持ちも含めて、やりようはある……ということだよ」

 

 呆気に取られたあんりにくすりと微笑かけて、ミストレスは立ち上がる。

 

「まあ見ているといい。このミストレス・アドラー、日本魔法少女協会代表兼メディア対策室長として、君が思う通りに振る舞えるだけの自由を与えよう……それは年若い君たちに対する当然の配慮だからね」

 

 まるで気負うことなく当然のこととして宣言するミストレスに、あんりの口からかすかに笑みがこぼれる。

 

「……俺、もう二十歳前だぜ?」

 

「どっちにしろまだ未成年(こども)だし、私から見ればもっと子供さ。これでも君が生きてきた人生の数百倍の時間は記憶しているからね」

 

 

 /

 

 

 そんなこんなでミストレスが対策を打つと表明してから数日後。

 いつも通り鍛錬と討伐、メディアの撮影にファックサインを叩きつけてアラストルにキツい苦言を呈される日々を過ごしていたあんりのもとに、学校帰りのあかねが訪れていた。

 

「おう、お茶とか出せなくて悪ィな」

 

「別に気にしなくてもいいって。つーか、そういうのは急に入ってきたアタシがやるべきなんだよ」

 

 そんなことを駄弁りつつ、ふとあんりは気になった。

 

「そういえばあかね、おまえってメディア関連の対応どうしてんの?」

 

「え? メディア……あー、マスコミとか? 別に、普通に対応してるぜ? アマイガス殴り飛ばした後に手とか振ったり……あんまりやりすぎるのは恥ずかしいけど、そのくらいなら、さ……応援してくれる人もいるし」

 

「ふぅん……ファンサか」

 

「まあ、そんなもんかな」

 

 はは、と照れたように頭を掻くあかねが、多分魔法少女のスタンダートなんだろう。過度に媚びず、けれど蔑ろにもせず、あなたたちの声援は届いているとしっかり証明する振る舞い。

 俺にはできそうにねェな、と背もたれに身体を預けながら思う。

 

「あと、マスコミの取材とかは、ミストレスさんが色々確かめてくれた上で受けたりするかな。金はいくらあっても足りないし……稼げるだけ稼いでおきたい」

 

「兄妹多いからなァ……ってかミストレスはそんなこともやってんのか」

 

「アタシたちに来る取材とかの仕事って、全部ミストレスさんが一回確認してるらしいぜ。多分、ダメそうだから弾いてるのも結構あると思う」

 

 そういえばメディア対策室長とか言ってたな、とあんり思い返す。ミストレスもきちんと仕事している、ということだろう。メディアへの不信感を持つあんりにとっては、それは少しの安心材料になったらしい。

 

「でもイエローアイ……葛澄はそういうのも受けてるっぽいけど。あいつ、目立ちたがり屋なんだ」

 

 少しだけ表情に不安をのぞかせて、あかねはため息を吐いた。

 

「……なんつーか、それもちょっと違う気がするけどな」

 

 うまく言語化できないけど、と引き摺られるようにあんりも嘆息して、お互いに苦笑する。

 

 ──魔法少女イエローアイは積極的にメディアに関わっている。偶像(アイドル)に相応しい自身の容姿の良さを自覚しながらも、ミストレスの力を借りて自由に振る舞っているその様は、ある意味魔法少女らしいと言えるだろう。

 ただその姿勢が気に入らない人間もいるようで……。

 

「エゴサすると結構多いんだよなぁ、アンチ」

 

「自分から目立ってんなら仕方ねェだろ。アイツもそれを気にするタマじゃねェし」

 

「……それもそうか。あ、そういえば」

 

 知り合いのアンチについて話題にしたくないのか強引に話を逸らすあかねの意図を察して、あんりは差し出されたスマホをなんとなしに眺めた。

 検索欄──ブラックアンリ。

 

「あんりも結構人気だぜ? ロックな立ち振る舞いがかっこいい、とか、ほら」

 

 そこには──彼女が見たことのない特殊な人たちが『ブラックアンリいいよね』と話し合っている検索結果が表示されていた。

 

「……えぇ」

 

「めっちゃ引くじゃん」

 

「いや、これ見せられて引かないヤツいねェだろ」

 

「ロンリーブルー……楓信寺は引かなかったぜ。ちょっと眉ピクしたけど」

 

「……後で謝っとけ」

 

 はぁあ、と深くため息を吐いて頭を抱え、画面をスクロールして業が深い人たちの投稿を眺める。

『ロックな姿勢が好き』、『喪服のヴェールの下はどんな顔してるんだろうなって……へへ』『中指立てる魔法少女とか初めて見た』『ファンにもマスコミにも完全無視を決め込むロンリーブルーちゃんと並ぶ逸材が現れたァ!』『チビでロックな男口調魔法少女とか属性特盛すぎませんかありがとうございます』『ロンリーブルーと一緒に朝に映ったらお茶の間凍りつきそう』『なんで東京の魔法少女はこうも両極端なの?まともなのレッドパッションしかいねぇジャン!』『そりゃこんなもんニュースで映せんわ』『俺わかった、東京本部の魔法少女は性癖人事だ』……エトセトラエトセトラ。

 

「うわぁ……」

 

「めっちゃドン引きするじゃん」

 

「逆にこれ見て平然としてるおまえはなんなの?」

 

「魔法少女として結構やってきてるし、もう慣れっこなんだよ」

 

「……ああ、そう」

 

 俺には無理だわ、と天井を見ながらため息を吐く。

 大体ミストレスは何をしているのか。自分の危惧とかをわかってくれたんじゃないのか、これでは意味がないじゃないか……そんなドロドロとした感情のまま、据わった目で画面を見ているうちに、気づく。

 

「……俺の顔が写ってない」

 

 どれもこれも、ファンが投稿したと思わしき写真は、隠し撮りのように真正面からのものはない。

 喪服で身体のラインが隠れ、ヴェールで顔が見えづらくなっているため、あんりの顔が写っているものは一枚もなかった。

 

 “ミストレスによる認識阻害魔法だ”

 

 “認識阻害?”

 

 “ああ。おまえがヴェールを被っている限り、顔への認識が阻害される、というものだ。魔法少女という魔法の特性を活かしているようだな。魔法少女術式もミストレスが編んだものだからな、改変をするのも容易なのだろう”

 

 つまるところ、あんり=ブラックアンリに繋がりづらくする魔法であるらしい。

 

 “おまえがメディアへの露出をしたくない、顔を流出させたくないと言っていただろう? それを汲んでメディアの干渉を弾くと同時に、顔の流出を防ぎ……それでいてコアな一部のファンに支持されることで力を高める。偶像崇拝の一種だな”

 

「……なるほど」

 

 あんりは微かに微笑んだ。

 ミストレスに感謝しないといけないなと、柄にもないことを考えながら。




ミストレス「(予想以上に特殊なヘキの人たちがいて爆笑中)(これだから人類は面白い)(でもあんりのファックサインを炎上ごとからパフォーマンスに変えるのちょっと大変だった)」

今後、取り扱うのがめんどくさい政治的な問題は、今回のように「有能な大人(ミストレス)がなんとかした」で通していきます。


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第二章 激する心は他が為に
プロローグ 魔法少女(ヒロイン)にヒーローは現れなかった


 天童春美にとっては、それはちょっとした小遣い稼ぎのつもりだった。

 適性があると認められたから、ちょうど帰宅部で暇だったから、ちょっとした自慢にもなるから、テレビで見る勇姿に小さな憧れを抱いたから──適当に理由を並べるが、いずれも軽い気持ちからだったことは間違いない。

 彼女は両親を適当に説得して、魔法少女になった。

 

 パートナーはリスの姿をしたアマイガス。人語を解さないそれは言うまでもなく低級のアマイガスだったけれど、それは他の魔法少女も同じだったし、何より可愛かったから不満はなかった。

 

 “ま、東京の魔法少女はもっと強いアマイガスを連れてるらしいけど、私は可愛ければなんでもいいや”

 

 そもそも魔法少女になれた時点で、彼女のだいたいの願いは叶ったと言ってもいい。

 友人たちへの自慢、旧友たちへのマウント、それに伴うスクールカーストの上昇……思春期の少女らしいそれらが大した苦労もなく叶った時点で、彼女の中に──そもそもあるかも定かではなかった魔法少女への原動力(モチベーション)は消え失せていた。

 

 現状のままでも弱いアマイガスを何匹か倒せば、遊ぶには十分すぎる金が手に入る。

 そもそも魔法少女になったのは小遣い稼ぎとマウント用だ。それなのに遊ぶ時間を削る馬鹿がどこにいる?

 魔法少女として強くなったところで、得られるものと言えば他の支部への転属、エースとしての強制出動、あるいは本部──東京への栄転だけ。

 

 “無理無理、あんなバケモノみたいな人たちの中とか、絶対無理”

 

 そうせせら笑う彼女の脳裏に映るのは、自分達では一蹴されるだろう巨大な(アマイガス)を一瞬で仕留める魔法少女(エース)の姿。

 曲がりなりにも同業者であったから、春美はその凄まじさを……異常性を肌で理解していた。

 だから彼女はぬくぬくと、緩い支部で過ごしていた。

 

 少しだけ性格が悪い女子高生として日々を適当に、楽しく過ごす。

 それだけで彼女は充分だった。

 

 

 

 /

 

 

 

 ──だが、それだけでは足りないのだと、何よりも世界に叩きつけられたのだ。

 

「ひっ……ひ、ぃ」

 

 喉はすでに枯れている。

 かすんだ悲鳴は誰にも届かず消えていく。

 否、もはや聞き届けるものがいないのだ。

 

 死んでいる。

 死んでいる。

 

 仲間たちが死んでいる。

 同じ支部の魔法少女たちが、目を見開いて絶命していた。

 わけもわからず、ひゅうひゅうと喉から空気が漏れる。

 誰から、だっただろう。誰から息を引き取ったろう。恐怖で麻痺した彼女の頭は、明確な答えを返さない。

 

『…………』

 

 唐突だったのだ。唐突に、唐突に──この()()()()()()現れたのだ。

 どくん、どくんと脈打つそれは、彼女が今まで倒してきたアマイガスとは決定的に異なる異形。

 

『え』

 

 まず一人、先輩風を吹かしてきたウザい先輩が死んだ。

 現れたそれに瞠目し、棒立ちになったかと思えばひゅうと息を漏らして倒れ込んだ。滑稽なそれが彼女の終わりだった。

 

『ちょ、何やって』

 

 次に死んだのは頭が足りない同期の尻軽。倒れた先輩を下品に笑おうとした瞬間に、ぐったりと椅子にもたれかかった。引き攣る喉が、妙に艶かしかった。

 そしてようやく緊急事態だと春美が気付き、身構えたときには残った一人も倒れ伏し、すでに全員が死んでいた。

 

 自分だけはそうならなかった意味はわからない。

 だがそれに安堵する暇など彼女に与えられなかった。

 鼓動する肉塊がいる。瞬く間に支部を壊滅させた怪物が、眼前で震えている。

 すぐに警戒心より怯えが上回った。

 

 恐れ、竦み、逃げようとした脚が崩折れた彼女を前にして、肉塊から赤紫の細長いものが這い出る。

 ずるずると床に得体の知れない水気を垂れ流しながら這い回った触手は、もはや声も出ない彼女のすぐ側を通り過ぎて──

 

 ──ず。

 

 死骸を啜る。

 

「あ……」

 

 三本の触手が死骸に触れる。まるで雛に餌をやるように慎重に、少女たちの死骸を突く。

 そしてわずかな抵抗とともに()()に潜り込んだ触手が、ずるずると──じゅるじゅると──致命的なものを啜る。

 

 投げ出された手足が萎んでいく。

 瑞々しい肢体が枯れていく。

 光を湛えていた頭髪は、色を失い乾いていく。

 

 まるで病んだ老婆のように、彼女たちの輝きが、乾いていく。

 

 “いのち”。

 そうとしか形容できないものが啜られていると気付いた春美は、自分がまだ狂っていないことを憎悪した。

 それでも彼女は今死んでいないことに感謝した。まだ死んでいないなら何とかなる、何とかしてもらえると──根拠のない楽観を抱いたのが間違いだったのか。

 

 

 ()()()()()()()()()

 

 

『ド()……(いく)の?』

 

 

 そして聞こえた、幾重に連なる少女の声は、

 

 今啜られた、“いのち”の声帯(さけび)

 

 がぱりと開いたそれは、まさしく人の口腔だった。

 

「ひ」

 

 枯れた喉から悲鳴が漏れる。けれどそれが本当に自分の喉から漏れたのか、もはや彼女にはわからない。

 どこか愉しげに笑うようにその全身を震わせて、醜悪な肉塊がよたよたと──赤子のごとき短い手足で一歩一歩、歩み寄る。

 

「い、や」

 

 それを跳ね除ける力すら、彼女には残っていない。

 

「死に、たく、な」

 

 眼前でぐちゃりと広がる肉塊が、春美を呑み込んだ。

 

 

 /

 

 

 被害報告。

 日本魔法少女協会■■県支部にて高位のアマイガスの出現を確認。

 同時刻、所属する魔法少女四名の死亡も併せて確認。

 内、老化した三名の死体を確認。行方不明の一名の死体を警察が捜索中。

 四名の内、固有魔法所有者は零。よって被害は軽微と判断。

 

 現在、高位アマイガスの所在は不明。

 非常に危険な存在である。警戒を怠らず、発見者には即時エース出動の要請を求める。




第二章の大まかな流れの構築に成功したため、投稿を再開します。
11月中は色々予定が立て込んでいるため定時更新は難しいと思われますが、ご了承ください。


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第一話 転生

 あの吸血鬼を倒してから数日が経った。

 その間も次なる敵に備えて鍛錬に没頭──とはいかなかった。

 

「……うん、これで必要な書類は全部だ。悪いね、時間を取らせてしまって」

 

「そもそも俺が書くべき書類だったんだろ? 後回しにしてたモンを自分で片付けただけだ、謝る必要はねェよ」

 

 ……とはいえ、さすがに鍛錬をする暇もないほどとは思わなかったが、とため息を吐いた。

 必要な書類の数々、つまり正式に俺が魔法少女になるための手続きと、俺はこの数日間のほとんどを費やして格闘していたのだ。

 

 日本は法治国家であり、何事にも手続きが必要だ。それが『魔法少女刑』という、前例のないものであるなら尚更に。

 だからその点に文句はない──そもそも、本来ならシャバに出た時点で済ましておくべき無数の書類(けいしき)がここまで膨れ上がったのは、主に俺のわがままのせいなので言える文句などないのだが。

 

「……もしかしなくても謝るべきは俺の方じゃねェか?」

 

「あっはは、そうかもしれないね。でもその必要はないさ」

 

 手渡した書類をトントンと整えながらミストレスは言う。

 

「元より遅めの猶予期間(モラトリアム)、そう言っただろう? それで生じる諸々ごとき、我々大人がやるべきことだ。そこに遠慮、ましてや謝罪なんて必要ないよ」

 

 その書類を丁寧に封筒に落とし込んで封を閉じる。その社会人みたいな所作を、人外(アマイガス)であるミストレスが慣れた手付きでこなしていくのがどことなく面白くて、じっと見てしまい……目が合った。

 

「うん? 何か気になることでも?」

 

「……なんつうか、おまえでもそういう形式を大事にするんだなって。そういうのより自分の気持ちを上に置くタイプだと思ってたわ」

 

 俺を女にしたみたいに、とまでは言わなかったが、副音声として読み取ったのかミストレスは苦笑する。

 

「確かに、私はそれ自体は至極どうでもいいと思っている。だからといって破らなければいけない、とはならないだろう。必要があれば破ることを厭わない、そうでないなら従ってやる……それだけの話さ」

 

「決まりを破る必要があるなら、か」

 

「君にはその価値があると判断した。そして実際に、君はその一端を示してみせた」

 

 ミストレスは人差し指をピンと立てる。第一魔法のことだとすぐに気づいた。

 ──第一魔法。魔法少女の、人の理想を象徴する固有魔法。

 俺はあの吸血鬼との戦いでおのれの理想と向き合うことで第一魔法に目覚めた。ミストレスの言う価値とは、それが宿す特性に他ならない。

 

「アマイガスの不死性(てんせい)を断ち切る“不死殺し”。ギリシア神話ではハルペーという武器が似た特性を備えているけど、それを魔法そのものの性質として備えているのは君が初めてだ」

 

「まあ、俺みてェな精神性から発現するモンを普通の魔法少女が持てるとは思えねェからな」

 

 そういう意味では、俺の存在は反則に近いだろう。彼女たちが経験し得ない、愚かで無秩序な道を歩いた男が魔法少女をしているのだから。

 

 そんな男と同じ理想を抱ける少女など、きっとこの世には存在しない──存在しない方がいいのだ。

 

「そうだね。“不死殺し”は、狂おしいほどに純化した君の殺意を土壌として芽生えた特殊な性質(りそう)だ。まったく同じものはもちろん、似通った性質も生まれ得ないだろう──近いものは、過去に存在したけどね」

 

 俺の魔法(りそう)は一度きりだと認めた口で、どこか懐かしむように紡がれたその言葉を聞いて、首をかしげる。

 

「近い魔法が、過去にあったのか?」

 

 その瞬間にミストレスの目が泳ぐ。あまりに露骨で、余計に興味がそそられる。

 はやる気持ちに促されるまま再度問いかけると、はぁあ、と大きくため息を吐いて……。

 

「──ん。ちょっと口が滑ってしまったか……まあ、君にも無関係ではないし……そうだね、確かに存在したよ。君とは似ても似つかないけど、でも確かに近しい魔法が」

 

 どこか渋々と言った様子でミストレスは話し始めようとして──

 

 

 ──プルプルプル。

 

 

 執務室の机に置いてある電話が鳴った。

 

「ごめんね?」

 

「チッ」

 

 人差し指に唇を当てて悪戯っぽく微笑むミストレスに舌打ちを返す。なんと間の悪い電話だと吐き捨てたくなるが、しかし仕事の邪魔をするのも本意ではないのでため息を吐いて黙り込む。

 

 そんな俺を良い子だと褒めるように微笑んだミストレスは受話器を取る。

 耳に当て、気品あふれる美声で「どうした?」と受話器越しに問いかけたミストレスは──その表情をひどく冷ややかなものにした。

 それだけでなく、全身から溢れ出した異質な魔力が、瞬く間に執務室を彼の存在で染め上げた。

 

()()()()()()()()()()()と、今すぐ跪いて許しを請わずにはいられない──人とはあまりにも格が違う絶大な魔力。

 滲み出るだけでもそうとわかる上位者(アマイガス)の威圧、それに屈しようとする身体をグッと堪えて、俺は執務室から足速に出ようとする。

 この尋常でない様子から、部外者()はいない方がいいだろうという考えだったが──

 

 

 しかし、ミストレスの左手が待ったをかける。

 

 

「……発生時刻は? ……ああ、なるほど。では今すぐ報告をポイント別にまとめて送りなさい……見れるものなら構わない、三十分でやれ。わかったな? ……よし」

 

 一通り会話が落ち着いたのか、ミストレスが受話器を置く。

 そのまま傍らのパソコンを恐ろしい勢いでタイピングしながら、厳しい目で俺を見た。

 

「あんり君はそのままここで待機していなさい。今迎えをやっているから、三十分もすれば全員集まるだろうからね」

 

「……一体、何が起きたんだ?」

 

「とても不愉快なことが起きたのさ。──かつて、君に近い魔法を備えたという件の魔法少女に滅ぼされた高位のアマイガスが出現した」

 

「ッ!」

 

 高位の──すなわち、ヒトガタのアマイガス。

 それに思わず身構える俺に、ミストレスは言う。

 

「実を言うと、今回の事例に緊急性はほとんどない。だから身構えなくともいいよ──ただ、危険性は極めて高い。そう留意していてくれたまえ」

 

「……どういうことだ?」

 

「緊急性はないと言っただろう? 詳しい話は、みんなが──特にあかね君が来た時にしよう」

 

 

「……彼女には、少し辛い報告になるかもしれないけどね」

 

 

 パソコンを見つめたままポツリとこぼしたその言葉が、厭に響いた。

 



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第二話 孤立、そして会議

ただでさえ難産なのに用事が立て込んだことでしばらく更新できませんでした、申し訳ありません。


 竜胆あかねにとって、学校はそれほど居心地の良いものではなかった。

 それはある意味で年頃の少女らしく、けれど当人にとってはひたすら深刻な問題で──

 

 昼休憩を迎え、自炊して作った弁当を机に広げたあかねはピクリと動きを止めた。

 

(……見られてる)

 

 魔法少女として戦う中で磨き抜かれた第六感が、自分に注がれる好奇の目線を感じ取ったのだ。

 そろりと横目を忍ばせて──目があった途端逃げられた。

 

「……はぁ」

 

 物憂げなため息を漏らして、あかねはカパリと弁当箱の蓋を開ける。

 ふわりと香る自信作も、彼女の憂鬱を癒すには威力不足──代わりに鳴った腹の音に、彼女はがっくり項垂れた。

 

 このように、彼女は学校で遠巻きにされている。

 そんな有様なので、当然机をくっ付ける相手もいない。

 周りの女子はそれぞれ弁当を仲良く持ち寄ったり、駄弁りながら食堂に赴いたりしている中で、である。

 

 一人弁当にだけ向き合う虚しさは、筆舌に尽くしがたい。

 無論教室中をよく見れば、一人弁当に耽っている寂しい同輩は幾人かいる──だからと言って仲間意識が持てるわけもないし、彼らから言わせれば竜胆あかねという存在が同輩(ぼっち)だなんて、それこそ何かの間違いであると親近感など湧かないだろう。

 

 わずかに赤みがかって、後頭部でひとまとめにされた艶やかな黒髪。

 勝気に整ったかんばせの輪郭は健康的に丸みを帯びて、ちりちりと鮮やかに散る火花を思わせるほどに美しい。

 平均よりわずかに高い一本筋が通った背丈は女性らしい曲線美(ボディーライン)を描き、そのかんばせと相まって凛々しさを与えるのに一役買っていた──俯く姿もまた、くたびれた花のように庇護欲を誘う。

 

 彼女は明確に、美少女なのだ。

 もっとも、だからこそ余計に遠巻きにされているとも言えるが。

 

(これは、アタシが魔法少女──だからかな)

 

 そう思って、すぐに首を振る。

 彼女が魔法少女ということは、周りの誰にも知られていない──《変身(アマド)》という魔法の力で『魔法少女レッドパッション』と『竜胆あかね』が認識的に切り離されているからだ。ちょうどあんりに施されたものと同じである。

 この認識阻害は、彼女が自分から打ち明ければその効果を失うが……。

 

(まあ、アタシが魔法少女だって知ってる奴、いないんだけどさ)

 

 つまり、そういうことであった。

 堪えきれない陰鬱さを吐き出すように、重苦しい息を吐いて……。

 

「あ、あの、さ」

 

「うん?」

 

 あかねが顔を上げると、明るく髪を染めた同級生の女子が所在なさげに佇んでいた。

 同時に、あかねは気付いていないが──今まで彼女に向いていた目が、その少女に注がれている。

 しかし咎めるようなものではなく、どこか勇者を──もっと言えば養豚場で、飼育員にも果敢に立ち向かう豚を見るような視線であり、それを感じ取ったのかさらに身をすくませて、しかし少女は意を決して口を開く。

 

「今日さ、友達と一緒にどっか遊びに行こうって思ってるんだけどさ……一緒に、行かない?」

 

「お、おお?」

 

 誘い。

 遊びの誘いだ、と一拍遅れて彼女は気付き、嬉色を数瞬顔に滲ませ……すぐにそれが掻き消えた。

 ぎゅうと拳を握り、息を吐いて──脳裏を()ぎるかつての姿に目を瞑り、

 

 

────ビー、ビー、ビー──!

 

「っ!?」

 

「ひゎっ!?」

 

 突如、教室中の雑音を消し飛ばすほどの着信音(サイレン)が、彼女の懐から鳴り響いた。

 それに一番驚いたのはあかねである。無防備なところに至近距離で叩きつけられた爆音に情けない声を漏らして、すぐに席を立った。

 

「ッと、おぉっとすまんちょっと急用が入ったみたいだ! その話はまた今度な!!」

 

「え、……あ、ちょっと待って!」

 

「……すまんっ!」

 

 言い訳よろしく事情を捲し立てたあかねは、スマホなど重要なものだけを鞄に突っ込んで足速に教室を出た。

 最後に吐き出した謝罪の声が届いたのかすら見ることもなく──彼女は奥歯を噛み締める。

 

 この着信音は、魔法少女としての『レッドパッション』にミストレスが連絡する時に用いられるもの。

 だから自分に友達がいない、学校で孤立しているのは魔法少女だからなのだ、と。

 

(そう思うなら、()()()()()()()()()()()()()

 

 スマホの画面を指で叩き、届いたメールを開いた。

 

『校門前に迎えを寄越したので執務室に来なさい。

 学生の本分の邪魔をしてすまないが、面倒なアマイガスが出たからね。至急説明しなければならないため、出来るだけ早く来るように』

 

 最初に本題を記した、ミストレスらしい非常に簡潔なメールをさっと読んでスマホをしまう。

 気持ち早めに──教師に指を指されない程度に廊下を駆けるあかねの瞳は、どこか遠いところを見つめている。

 

『え、……あ、ちょっと待って!』

 

 後ろ姿にかけられて、脳裏で反復するクラスメイトの声。

 それに彼女が抱いたのは罪悪感──だけではない。

 

(アタシは一人なのは)

 

 それは──()()

 

(アタシが魔法少女だから、とかじゃなくて)

 

()()()()()()()()()()

 

(アタシがこうだから、拒んでるだけなんだ)

 

 諦めにも似た安堵の裏で、かつての光景が浮かび上がる。

 

 ──腫れ上がった顔を涙で濡らす男の子。

 ──その胸元を鷲掴む小さな右手。

 ──殴り続けて血が滲んだ左手。

 

 気付けばそのようになっていた。

 紛れもなく自分が行ったはずなのに、その行いに恐怖した。

 そして思い出し、振り返れば。

 

 ──守りたかった友達もまた、おのれを見て恐怖していた。

 

「っ」

 

 彼女は拳を握りしめる。その姿まで、思い出の少女と重なる。

 当然だ。それを成したのは──やってしまったのは、竜胆あかね。

 

 それゆえに人を拒んでいる──彼女自身なのだから。

 

 /

 

 彼女が執務室の扉を開いた時には、すでに本部に所属している魔法少女は皆揃っていた。

 

「ミストレスさん、あかねちゃん来ましたよ〜」

 

 緩いウェーブがかった茶髪が特徴的な、いつもニコニコと笑う魔法少女イエローアイ──葛澄明子。

 他の魔法少女と一緒にソファーに腰掛ける彼女は、どこか落ち着かない様子だった。

 

「…………」

 

 礼儀正しくソファーに腰を下ろしながらも、その瞳は硬く閉ざされ、他の誰にも意識を向けることなく瞑想している魔法少女ロンリーブルー──楓信寺静理。

 肩に届かないまでに切り揃えられた黒髪とその所作は質素で、しかし優然の美を象るミストレスとはまた違った態度の整いを見せている。

 

「よ、数時間ぶりだな」

 

 そして──他二人とは明確に異なる姿を見せるのが、東京本部に所属する魔法少女の中で最も遅く加入した少女。

 以前、一緒に出かけた際に見繕った黒を基調としたパンクファッションを我が身同然に着こなして、ソファーの背もたれに身体を預けながら脚を組んでいる。

 あまりにも少女らしくないが、それに気負いも恥じらいもない堂に入った彼女の態度は、あかねの目には眩しいものと映っていた。

 

 幼少期から男勝りと称されてきたあかねでも、こうまで自然に男性らしい振る舞いを身につけられることはできない。

 彼女にも何かがあったのだと、それだけ知っているからこその眩さ──おのれの態度を偽らず、服に着られずおのれの魅力とするあんりは、あかねから見れば本部に所属する魔法少女の中では唯一気安い仲と言えた。

 

 あんりに手を振り、彼女の隣にあかねが座る。

 ぱふ、と彼女の腰がソファーにゆるく沈み込んだ瞬間に、その奥でパソコンをいじっていた一人の男が立ち上がった。

 

「やあ諸君、急な招集にも関わらず集まってくれてどうもありがとう。特にあかね君、勉学の邪魔をして済まないね」

 

 夜空に輝く一等星を織り込んだような金糸の髪。

 まさしく神が造りたもうた天上のかんばせ。

 人体の黄金比を描く肉体──どれもが容易く人間を超越している。

 

「さて、そのような呼び出しをした私が長話をするわけにもいかない──端的に説明に入らせてもらおう」

 

 彼こそが日本魔法少女協会会長。

 彼女たち魔法少女の長、ミストレス・アドラー。

 そして彼が主導する東京本部──あんりを加えてから初めての緊急会議が始まる。




12月もなかなかなので、更新速度は安定しません……ご了承ください。


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第三話 踊る会議

今回はちょっと説明会。


「先日、新たな高位のアマイガスが出現した。君たちにとっては、例の吸血鬼に続く二体目、ということになるね」

 

 ぴくん、とあかねの眉が跳ねる。それほど露骨でなくとも、その吸血鬼の情報を聞いている本部の魔法少女たちは皆、似たり寄ったりな顔をしていた。

 それに苦笑したミストレスは、白い繊指を振って資料を飛ばす。

 

「かの吸血鬼は“偏食”──『暴食』の系統に属する悪性のアマイガスだ。こだわりゆえか、随分と弱っていたけどね……」

 

 ──系統? あんりの眉が訝しげに跳ねる。

 しかし今尋ねることではないと、その疑問を抑え込んでミストレスの声に耳を傾ける。

 

「それでもあかね君が瀕死の重傷を負い、覚醒したあんり君と快調したあかね君の二人がかりで、なおかつ彼が“踊り食い”のために手加減していなければ勝てないほどの力を持っていた」

 

 あかねにとっての苦い記憶であり、あんりにとっては戦いを決意するきっかけにもなったアマイガスである。

 厭な顔を隠さない二人を他所に、ミストレスは資料を捲った。

 

「此度現れた高位のアマイガスも同等か、あるいはそれ以上の危険性を持つと考えてくれ。尤も初動からして、あまり緊急性はないだろうが……」

 

「その根拠は?」

 

 すらりとした腕を掲げてそう尋ねたロンリーブルー、楓信寺静理の目は、ミストレスではなく資料に向いている。

 そんな無礼にも思える彼女をミストレスは気にすることもなく答える。

 

「そうだね、簡単に言ってしまうとそれが今回のアマイガス──“摂取欲(パッチワーク)”の性質だからだ」

 

「性質?」

 

 ミストレスが(ページ)を捲ると、それに続いて彼女たちも資料に目を落とした。

 そこに描いてあるのは、件のアマイガスと思わしき肉塊。

 

「そのアマイガスは自分より優れた人間が有する意識や精神、肉体、素質に至るまでを()()し、取り込み、その情報を元におのれの肉体を模倣、整形していく。それだけが存在理由と言ってもいい。

 だからおのれより劣る人間は狙わない。そのように選別し、優れたものを取り込んでいくほどに、より優れた、より整った性質を求める……その意味がわかるかい?」

 

 一瞬、執務室を沈黙が支配して、

 

「……なァるほど? つまり初動で優れた存在を取り込んだから、もう一般人を襲わない……襲う意味がない、そういうことか?」

 

 顔を顰めたあんりが引き継いでまとめると、その通り、とミストレスは頷いた。

 あかねは、少女らしい嫌悪感で口をつぐんだおのれを恥じる。横目で他の魔法少女を見れば、静理も嫌悪感を示すような表情を浮かべていた。

 いつも通り花が咲くように笑っている明子ですら、その表情に翳りを感じさせた。

 

 当然だ。

 ミストレスの言っていることはつまり、すでに犠牲者が出ている──それも摂取、すなわち捕食というけだものじみたやり方で、喰われているということなのだから。

 

「……わからねェな」

 

 そんな中、あんりだけがつぶやいた。

 

「わからない、とは?」

 

「より優れた性質を求め、それのみを喰う……それは理解できる。あァ、わかりたくねェが理屈としてはな。だけどな、もう一般人には被害が出ないってのがわからん」

 

 追いつけていないあかねは未だ混乱していたが、彼女の言葉で静理や明子が何かに気付いたようだった。

 ミストレスをチラリと見て、こくり、と彼が頷いたのを確認してから、あんりは持論を述べた。

 

「確かに何人か喰えば、優れた性質の一つや二つは手に入るだろ。ミストレスが言うほど優れているなら、十や二十じゃ効かないかもなァ。

 ──でもな、()()()()()

 

()()()()

 そこまで言われて、あかねもようやく気付いた。

 

「誰でも、とは言わねェが、自慢できるものを一つか二つ持っている人間はたくさんいる。そういう奴らが摂取対象にならないと何故言い切れる? 俺にはそれがわからねェ」

 

 どれだけ優れた人間を初動で取り込んでいても、必ずどこかに漏れがある。

 すべてを網羅している人間など存在しない。ヒトの無意識に触れる魔法少女だからこそ、ヒトの限界というものを知っている。

 

 あくまでも論理的(ロジカル)な彼女の問いに、ミストレスは嘆息した。

 

「君は頭のキレがいいね。それも長年の経験ゆえかな?」

 

「そうならねェと目的を果たせなかった……それだけだ」

 

「そうか。ならばやはり、君をスカウトして正解だった」

 

 独り頷いて、ミストレスは口を開いた。

 

「言ってしまえば簡単なことだ。──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「!」「っ」「……」「チッ」

 

 それで全員が納得する。納得せざるを得なかった。

 

「どれだけ低級な魔法少女でもその肉体は魔力で強化されている。精神もまた同様に……大なり小なり“現実を歪める”意思力とその素養を秘めているんだよ。だから魔法少女を一人でも喰らえば──」

 

「──一般人を喰う意味はなくなる」

 

 明子がつなぎ、そしてため息を吐いた。

 ミストレスの言葉を素直に受け取れば、確かに一般人に被害は出ない……だが、彼女たちはそれを素直に喜べない。

 

 何故ならば、彼女たちは皆魔法少女である。

 付け加えれば──全員が固有魔法を習得しているA級魔法少女である。

 

「君たちは皆私が選りすぐった魔法少女たちだ。他支部なら切り札(エース)、あるいは切り札中の切り札(エースオブエース)の地位にいてもおかしくない戦力だ。……実際にその地位にあり、私が引き抜いた者もいる。

 ゆえにこのアマイガスが次に狙いを定めるとすれば、君たちという優秀な魔法少女が集まるこの東京を除いて他にない」

 

 固有魔法とは魔法少女の意思そのもの。

 その始まり、少女が見る理想(ユメ)で現実を塗り替える第一魔法は、ただ運があれば目覚める類の異能ではない。

 地に足つかない思春期特有の理想を、それでもと描く意思力こそがその根幹。深く、澄み渡るほどの想いがなければ綺麗な絵画《ユメ》は生まれないのだ。

 

 ゆえに、それに目覚めるということは、精神もそれ相応の高みにあるということだ。

 そこから引き出される魔力によって強化された肉体も、低級の魔法少女とは比べ物にならないだろう。

 

 だからこそ、初手で低級の魔法少女を取り込んだアマイガスは、今度はより優れた魔法少女──固有魔法を得たエースを狙う。

 そのために狙われる場所はA(エース)級が集まる東京であると、ミストレスはそう断言したのだ。

 

 あんりは資料をペラペラとめくって、ふぅん、と唸る。

 それに倣うようにして資料をめくったあかねは、ふと疑問に思って顔を上げた。

 

「あの……ミストレスさん」

 

「何かな、あかね君?」

 

「さっき、緊急性はないって言いましたよね? 今のはその根拠だとも……でもそれは一般市民に対する緊急性ですよね? アタシたちからすれば、さっさと倒さないと際限なく成長するように思えるんですが」

 

 あかねの意見に、確かに、とあんりたちは頷いたが、しかしミストレスは首を振った。

 

「それは違う。このアマイガスが行うのは()()だ。優れたところをそのまま模倣……ただ真似するだけ。だから()()()()()

 そうだな……君たちは命を糧にして成長するだろう? けれどこのアマイガスは、取り込んだものを継ぎ接いで、精神までも玩具のように組み上げる。そうすることで、より良い“だけ”のものになっていく……それがこのアマイガスの存在理由だ」

 

 丁寧に説明するミストレスだが、その声色はどこか冷めている。アマイガスを語る口ぶりからも、彼がその理由を快く思っていないのが読み取れた。

 

「あかね君の言う通り、優れたものを喰えば喰うほどこのアマイガスは強くなる。だが成長はしないから、支部のA級をビュッフェのように貪らない限り発見次第()()()当たれば対処は可能と判断した」

 

「全員で、か」

 

「うん。あの吸血鬼のように、単独で挑んで喰われたくはないだろう? 私も君たちを容易く失う気はないからね」

 

「支部のA級を喰って回った場合はどうなるんです〜?」

 

「一人でも喰らえばその時点で連絡が行く。そうならなくとも、発見時点で連絡するように通達しているから大丈夫さ。()()()()()()()()()。……まぁ、他に目を向けず本当に東京に来てくれるならその手間も省けるが」

 

 ミストレスは明子に目をやる。彼女も心得たとばかりに満面の笑みで頷いた。

 

「今回の作戦においては、アマイガスの早期発見が非常に重要だ。そのために明子君」

 

「はい〜」

 

「君と、君の契約者であるラグエルの第一魔法── 傀雷姫の劇情(トール・ド・ローン)によって東京全域の監視カメラに干渉し、対象の早期発見に努めなさい。

 あんり君、静理君は、来るべき戦闘に備えて英気を養っておきなさい。世間話でもして親睦を深めてもいいんじゃないかな?」

 

「任されました〜」

「オーケー、たっぷり休ませてもらうわ」

「…………ふん」

 

 それぞれ三者三様の反応を見せた後、一人だけ名前を呼ばれなかった少女が不安げに手を挙げる。

 

「あの、アタシは──」

 

「あかね君はまだここにいたまえ。話さなければならないことがあるからね」

 

「はぁ……」

 

 そんな気の抜けた返事をしたあかねは、ふと隣でくつろぐあんりを見た。

 その視線にすぐに気づいたあんりは首をかしげる。

 

「どうした?」

 

「……いや、なんでもない」

 

「ふぅん。……なんかあったら言えよなァ」

 

 さすがの観察眼か、不躾な眼を向けた答えを濁したあかねに優しく笑いかけた。

 そんな姿に、きゅっとあかねは拳を握りしめる。知らない、けれど懐かしい暖かさがこぼれて──思わず。

 

 ミストレスは二人を見た。

 そこに確かな喜びを滲ませて、彼は椅子から立ち上がる。

 

「さて、それでは今回の会議は終わりだ。長々と、すまなかったね。……此度のアマイガスは、少々性質(タチ)が悪い。君たちの善き日々が壊されないことを、心から祈っているよ」

 

「……ああ、先程言った通りあかね君はこっちに。……訊かねばならないことがある」

 

 彼の言葉に従い執務室に残るあかねは、振り向いてあんりを見る。

 小柄な身体。溢れる魔力とともにどこか頼もしく──けれど。

 

 彼女は、一緒に残ってほしい、という願いを、口にすることができなかった。

 うつむき、肩を落とす彼女は、黙ってソファーに腰を下ろした。




整理
肉塊アマイガス→“摂取欲《パッチワーク》”
A級魔法少女→切り札(エース)、第一魔法を得た魔法少女
本部は全員がA級なので非常にレベルが高いです。他支部はA級が一人いればいい方。
それら魔法を覚醒させた、させる素質がある者から、ミストレスが自分の手で選んだのが本部の魔法少女たちです。


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第四話 劔の乙女

 日本魔法少女協会本部、地下修練場にて。

 

「……ふぅむ」

 

 黒喪服(ブラックドレス)をまとったあんりは、手に持つ剣を眺め嘆息した。

 斬首剣──切っ先はなく、刀身は分厚く、鈍く輝いているそれは、人の頸を斬るという目的に特化しているためにひどく重い。

 幼げな少女が振るうにはあまりに似つかわしくない処刑人の剣──

 

「うぅん」

 

 であるのだが、あんりはぶんぶんと片手で剣を振り回していた。

 頸の代わりに大気を裂くその様は、本来想定されたものとはまったく異なる使い方だ。無論見た目に反して軽い(ハリボテ)というわけではない。

 大人であっても容易には振り回せぬ重量こそが斬首(だんざい)の要なのだから、それを象徴とするアラストルが造形に手を抜くはずがない。

 そして、彼を相棒とするあんりは魔法少女である。

 変身に伴う自己強化が、成人した男を遥かに凌駕する膂力を彼女に与えているのだ。精神性も含め、彼女に相応しい得物と言える。

 

 そんな得物をぶんぶんと、あんりは朝の修練場で振り回していた。

 どこか浮かない顔だった。

 

 “……どうした? 鍛錬するのではなかったのか?”

 

 彼女に間借りしているアラストルが困惑とともに問いかける。

魔儀(マギ)』を果たしたアラストルは、あんりの心理を少し察することができた。

 

 ──あの吸血鬼を斬首してからも、あんりは気を抜かず鍛錬している。

 それは生来の真面目さだけではない。いずれ現れるだろう次なる(アマイガス)への危機感から、守れる力を欲するがため。

 “たっぷり休む”と言い放った会議を後にしたその脚で、すぐに鍛錬場を訪れるほどにその思いは強い──だから彼女が惰性で鍛錬を蔑ろにするはずがないと、そう理解しているがゆえの困惑。

 

 問われたあんりは、苦々しい顔を隠そうともせずにため息を吐いた。

 

「ああ、わかってる。わかってるんだが……」

 

 彼女は斬首剣を構えて、首を傾げた。

 

「どうにもわからん。……これ、どうやって鍛錬すりゃいいんだ?」

 

 “…………”

 

 あんりの当惑に、アラストルは答えを持たなかった。

 

 /

 

 さて困ったな、と俺は剣を振るう。

 ぐおん、と物々しく大気を切り裂く斬首剣は、武器としては一級品だ。

 だが、それを活かす術を見出せない。

 

 正確に言えば、知らないのだ。

 

「前みたいな騎士剣ならまだしも、処刑人の剣(コレ)はなァ」

 

 そもそもこの剣は、俺がやっているように片手で振るうものではない。

 大の男が、動かない頸に向けて振り下ろすものだ。だからこれを武器として使うような術理が存在しない。

 つまり。

 

「ふんッ!」

 

 適切な動きがわからず、結果としてこのように──野球のバットを振り抜くような、不恰好な素振りしかできない。

 これでも元々の重量で何とか攻撃として成立しているが、それはシャベルで降りしきる雪を掬おうとするようなもの。適切に使えばもっと有効に扱えるものを、非効率なやり方で強引に扱っているに過ぎないのだ。

 

「アラストルも知らねェんだろ?」

 

 “……うむ”

 

 そもそもアラストルが司るのは“裁き”──正面切って戦うような概念ではない。

 だから斬首剣の使い方を知らないのも当然と言えば当然だが……思わぬところに落とし穴があるものだ。

 

「さァて、どうすっかな」

 

 ただ闇雲に素振りをしても意味がない、どころか変な癖がついてしまうことを考えれば躊躇してしまう。

 ミストレスに聞くにしても、おそらく今はあかねと話している最中だろうし……いよいよ手詰まりだ。

 

 まあ、それがわかったのならやりようはある。

 こうやって悩み、迷っている時間は無駄だ。今どうにもできないなら、その今をどの鍛錬に傾けられるかを考えよう。

 それこそ合理というものだ。

 

「……仕方ねェか。今日は魔法に時間を──」

 

 そうアラストルに告げようとした時だった。

 

 コツ、コツと──鍛錬場に誰かが降りてくる。

 鍛錬場は本部地下に存在する。入るにはエレベーターか階段を使うしかないから、それ自体は何もおかしくない……しかし何故かそれが気になり、じっと階段に目を向ける。

 一人しかいない鍛錬場で、厭に足音が強く響く。

 澱んだ水面に波紋が重く立つように。

 

 冷たい緊張感を突き破って現れたのは──身の丈ほどもある竹刀袋を携えた黒髪の少女。

 

「……楓信寺?」

 

 かつて、あかねの病室に向かう最中にバッタリと出会った、毒舌が特徴的な女の子だった。

 そのときは中学生らしい制服だったが、今は身体のラインが浮き出るスポーツウェアを着用していた。それが妙に様になっている。

 

「あなたは……確か、蒲蕗あんり、でしたか?」

 

「ああ。名前、覚えててくれたんだな」

 

「覚えたくて覚えたわけではありません」

 

 そのように俺の言葉を突っぱねて、楓信寺静理はその所作に警戒心を滲ませた。

 以前のやり取りで苦手意識を持たせてしまったのか。……まあ、どんな煽りも受け流してきた俺は、彼女にとってはやりにくい相手だろうから仕方ないか。

 

「…………」

 

 楓信寺静理は俺を警戒しつつも脇を通り過ぎ、持っていた竹刀袋をロッカーに突っ込むと、鍛錬用に置いてある竹刀を一本、無造作に掴み取った。

 しかし、その体幹は揺らがない。

 それなり以上の重量がある竹刀を、変身もせずに悠々と掴み上げて、だ。それなりに長く、太い枝を持つだけでも揺らぐものは揺らぐというのに……まるで樹木が根を張る岩石のように安定している。

 

「……鍛え込んでるな」

 

 よく見れば、手足にしなやかな筋肉が付いている。闇雲に鍛えて身につくものではない、明確な目的のために要求される、合理的で必要な筋肉のつき方。

 男であった頃の俺も相応に鍛えていた。だからこそ理解できる厳しい鍛錬の跡──それを高校生にもならないだろう少女が身につけているということに、驚きを隠せない。

 

 俺の驚愕を尻目に、少女を竹刀を振り上げ──

 

「ッふ!!」

 

 ──爆発じみた裂帛の踏み込みとともに振り下ろした。

 全身の体重に加え、竹刀の重さをも完璧に利用した踏み込みが硬い地面を打ち鳴らす。

 ごうごうと地を打つ大雨を、たった一足で踏みしだき、凌駕するような圧倒的な震脚。

 

 ブレた剣先は、しかしその加速を刹那に留める。

 相手がいるならちょうど頭部があるだろう虚空に、震脚で生まれた勢いを余さず叩きつけたことによる急停止。竹刀が空気を面として叩いたと、そう錯覚するほどの風切り音。

 

 空を雲が流れるように。

 山から川が流れるように。

 縫い目が見えないほど自然に結び付けられた一連の動きは、剣術などかけらも知らない俺という素人をも魅了するほど美しい。

 

「ふッ──ふッ──ふッ……ふ……ッ!」

 

 何よりも凄まじいのは、それを彼女はこともなげにこなしているということ。

 その所作と同じく、おそらくは身体に完璧に染み付いているのだろう。俺から見れば渾身の素振りも、彼女からすれば当然のように繰り出せる反復動作(ルーティン)に過ぎないのだ。

 

 絶え間ない鍛錬、一日と欠かすことのない反復を繰り返した先にある無骨な美しさがそこにある。

 

「…………」

 

 俺は見惚れていた。

 ミストレスの、ただ独り在るだけで万物を凌駕する人外の美とは異なる、人が連綿と合理的に積み重ねてきた術理に、圧倒されていたのだ。

 

 やがて、百に届くかというところで、素振りが終わる。

 踏み込み、振り下ろし、鋭く息を吐き、竹刀を腰だめに構えて、彼女はこちらを呆れたように振り向いた。

 

「あなたは何をしているんです? 他人の鍛錬にかぶりつく暇があるなら──」

 

「──頼みがある」

 

「独り寂し、く?」

 

 嫌味を遮られてぽかんとする少女に向けて、俺は恥も外聞もなく、勢い良く頭を下げた。

 

 

「俺に、君の剣を教えてくれないかっ!」

 

 

「……………………はっ?」




参考資料
ミストレス 平常時:APP21(人間の美的感覚の頂点)
      本気時:APP22〜24(人外の美貌)
あかね
あんり(ひなた)
静理
明子 四人全員で平常時:APP17〜18(美しい容姿〜非常に美しい容姿)
        変身時:APP19(飛び抜けた美貌)

APPは信仰補正により上昇
一般魔法少女は平常時下限APP13


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第五話 不穏

「つまり、その武器を剣として活かすために、私の技術が欲しいと?」

 

「そういうことになる」

 

「…………」

 

 頷くと、楓信寺静理は黙り込んでしまった。

 どこか思い悩むように目を瞑り、片手が腰あたりを彷徨っている。何かを求めるような、子供が拠り所を探すような──この凜とした、かつて聞いた“本部最強”であるという毒舌の少女には似合わない仕草だった。

 

「あくまでも、これは俺の独断だ。依頼であって、請求じゃない」

 

 正直に言えば、断られると思っていた。事前の対応からもわかる通り、俺はこの子に警戒されている。

 ただでさえ気難しい、煽りと罵倒で場のイニシアチブを取るような子だ。言った瞬間に袖に振られる可能性が高いと踏んでいたが……それがどうしてか迷っている。

 

 あるいはそこに、彼女が彼女である理由があるのだろうか。

 

 “人読みをしすぎるのは汝の悪い癖だな。そうでなければ目的を果たせなかったのだろうが……やり過ぎれば、好かれる者にも好かれなくなるぞ”

 

 脳裏に響いたアラストルの提言を、声には出さずに受け入れる。

 わかっている。俺は変わろうと思ったのだ。あの時とは──俺一人で復讐を果たそうとしていた時とは、何もかもが違うのだから。

 

「だから断ってくれて構わない。

 でも、それでも、君の剣術に俺は見惚れた。俺がこれを剣として扱うなら、その術理に従いたいと……そう思ったんだ」

 

 俺はただ、本心からの言葉をぶつける。

 彼女の剣術を見た時に覚えた熱を言葉に込めて伝えていく。

 

「もしも抵抗がないのなら……どうか、教えてほしい」

 

 もう一度、頭を下げる。

 誠心誠意、俺の熱意が嘘ではないとわかってもらえるように。

 俺は社会のゴミだが、頭を下げるべき時と相手は自分で決められるつもりだ。

 

「…………」

 

「……どうだ?」

 

「……………………」

 

 長い長い沈黙の後、楓信寺静理は構えていた竹刀を俺に放り投げた。

 慌ててそれを受け取り、構えると、彼女も新しく竹刀を籠から引き抜いていた。

 

「私は……この剣を教えられるほど強くはない。そのような資格は、私にはない」

 

 それは俺に語りかけるようで、しかし、その声色には苦いものが滲んでいる。

 小さく響かない声も相まって、静かに溺れているような──誰にも届かない、独白。

 

「だから──変身(アマド)

 

 ──ッ!?

 咄嗟に足首のバネで半歩飛び退き──刹那、俺の胸元を狙った竹刀は、薄皮一枚の大気を切り裂いて振り抜かれる。

 

「こ、れは」

 

 一拍置いて、胸中に驚愕が広がった。

 それは軌跡を追うのが精一杯なほどの剣速──に対する驚きではない。

 俺は一瞬、()()()()()()。避けねば殺すという本気の殺意を、この少女から感じたのだ。

 

 それを発した楓信寺静理──青髪の魔法少女ロンリーブルーは、

 

「楓信寺流剣術、鬼氣壌々(ききじょうじょう)の構え──剣舞連番」

 

 振り抜いた勢いで身を翻し、竹刀を腰だめに構える。

 それは一見して平常通り、なんら変わらない構え──けれど、鍛えられた曲線を描く彼女の脚は、今にも弾け飛びそうなほどにきりきりと張り詰められている。

 力を溜めているのだ。今か今かと刃を振り抜く先を求めているのだ!

 

址殿(しでん)轆々地(ろくろくじ)

 

 わずかな幼さも感じさせない冷利な宣言とともに、少女は一切の躊躇いなく腰だめの竹刀を振り抜いた。

 俺は竹刀を盾にするも受け切れず──バチンッ!!

 

「ッッッつ!?」

 

 魔力で強化された肉が裂けかねないほどの斬撃が肩に響く。

 幸いにして血は出ていない、だがその痛みは凄まじい。明らかに魔力で強化している……俺も魔力を込めなければ、竹刀ごと骨を砕かれていた。

 

 しかしそれに抗議する暇もない。

 

「まっ」

 

継殿(けいでん)面抜融(つらぬきとおし)

 

 俺の肩を打った竹刀が、わずかな停滞もなく引かれ、雷鳴のごとき踏み込みで鋭く突き出される。

 顔面を狙った一撃は、咄嗟に顔をずらすことで対処──

 

参殿(さんでん)降鐘(おろしがね)

 

 したと安心するには早いとばかりに、突き出された竹刀が今度が袈裟懸けに振り下ろされる。

 

「ッチ!」

 

 息も吐かせぬ連撃、しかしあまりに合理的だ。

 俺とて男の……男だった意地がある。竹刀が俺の側を過ぎ去った瞬間に身構えて、竹刀が振り下ろされる瞬間に飛び退いて距離を取った。

 

「おい! 意図を説明しろッ!!」

 

「──竹刀を構えなさい。理解できないのなら、それまでです」

 

「!」

 

 ダメだハナから説明を放棄してやがる、と歯噛みすると同時に気付いた。

 中段から振り下ろされた竹刀が、ゆらり、と波のように彼女の側に戻っている。竹刀が床と擦れ合うほどの下段──そこから行われる動作は、想像に難くない。

 

 だが、

 

就殿(しゅうでん)

 

 わかっていても、尚、

 

虎成之月(こじょうのつき)

 

 その踏み込みに、反応、できない。

 裂帛、大地を撃ち鳴らす震脚によって膨大な加速度を得た竹刀が、

 

「──ッッ!!」

 

()()()()()()()()()()を、天高く弾き飛ばした。

 反応できず、がら空きだった俺の胴ではなく──竹刀だけを。

 

「理解、しましたか?」

 

「…………ああ」

 

 残心──未だその身に剣気を迸らせながら、彼女は俺に問うた。俺はそれに明確に答える。

 ……この行いの意味。何故竹刀だけを弾いたのか──それを考えれば、彼女の意図は自ずと理解できた。

 

 これは、稽古だ。

 実戦形式の稽古なのだ。

 

「我が流派には、あなたの得物を扱う術理はない。しかし、根底に流れるものを汲み取ることはできる」

 

 落ちてきた竹刀をつかみ取る。

 俺がそれを真正面に向けると、彼女もまた竹刀を腰だめに構えた。

 

「だから、私はあなたを打ちのめす。足りないものを突き崩し、柔い防御を叩き折る。無論、魔力を込めて──あなたを害する意思を込めて」

 

「わかった」

 

「……それから何を得るかは、あなたの自由です。得られず終わるのもひとつの定めでしょう。……私にできる返礼は、それだけです」

 

「それだけで、ありがたいよ」

 

 俺の本心からの言葉に、彼女は意表を突かれたような顔をする。けれどその貌は、すぐに冷たいものに戻った。

 

「始め」

 

 端的な言葉を合図にして、彼女の竹刀が大気を裂いて俺に迫る。

 その一挙一動を見逃すまいと、俺は腰を落として彼女の剣劇と向き合った。

 

 

 /

 

 

 竜胆あかねはふらふらと、独り廊下を歩いていた。

 制服のまま、危なっかしく歩く様子は、早退を誘うように不調を隠しもしていない。

 あるいは隠せる余裕もないのか、紅顔の美貌は今や血色を欠いていた。

 

「……サラマンダー」

 

 ポツリ、と彼女は相棒の名を呼ぶ。

 けれどその相棒は姿を見せない。その声すらも、聞こえない。

 

「……どこいっちゃったんだよ」

 

 彼女の相棒、契約を結んだアマイガスたるサラマンダーは、あの吸血鬼にやられてから一度も姿を現していない。

 あのとき、奴に喰われたから? しかしアマイガスは死しても蘇る……ミストレスの見立てでは、すでに蘇ったと言われていたのに。

 

 それとも、新しく契約を結んだことがいけなかったのだろうか。

 ミストレスの仲介を受けて結んだ契約が、サラマンダーの気に障ったのだろうか。

 

 いくら悩んでも答えは出ない──あと少しで蘇るから大丈夫だと、ちょっと前までは何も疑わなかったのに、独り心細くなって……彼女はその恐ろしさを思い出した。

 

「……う、ぅ」

 

 一人、執務室に残された。それだけで嫌な予感はしていた。

 けれど──事態は彼女の想像を超えていたのだ。

 結果、あっけなく精神は均衡を失い、腹の底から湧き上がるえずきに、廊下でしゃがみ込むほど弱っている。

 

 手で口を抑え、どうにか吐き気を乗り切っている少女は、回らない頭で必死に現状を案じている。

 だから単純明快に、なにがしたいかという欲求を答えとしてひねり出す。

 

「どうしよう」

 

 誰かに助けてほしい。

 誰かの熱を分けて欲しい。

 独りは嫌だ。

 

「でも」

 

 居住区に住む家族は頼れない。彼らには、弱い自分は見せたくない。

 ミストレスも頼れない。あの人はきっと、寄り添えるほど弱くない。

 ならば、他の魔法少女は──青は論外で、黄は熱がない。

 

 であれば、残された解はただひとつ。

 

「……あんり」

 

 あの、ぶっきらぼうな黒い少女がいい。

 彼女ならば、弱い自分も受け入れてくれる……そうさせてくれるだけの暖かさがあると、少女は知っていた。

 

 つりそうな脚を引きずって、彼女は歩き出す。

 多分、彼女がいるだろう場所──修練場に向けて、ゆっくりと。




技名考えるの難しいけど楽しいですね……。


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第六話 爆発

最近ボリューム不足だったので6000字になりました。


「ッ!」

 

 バチン、と竹刀を打たれ、弾かれる。

 手の甲を打たれ、取り落とす。

 飛び退こうとした脚を打たれ、尻餅をつく。

 

「ッづ!?」

 

「シッ!」

 

 魔力を通した斬撃は疾く、骨が軋むほどに強い。

 しかし、そのどれもがただ痛めつけるためではなく、俺の身体に染み付いた間違った動きを矯正するための、いわば鞭なのだ。

 それがわかるからこそ竹刀を構え、その度に叩き落とされ、弾き飛ばされた竹刀をまた拾い──何度もそれを繰り返すごとに、冷えた意識が戦闘に最適化されていく。

 

 全神経が蒼い少女に集中し、その所作を余さず捉え、本能がどう動けばいいのかを弾き出し──

 

()()()()()()()()

 

「ぐっ!?」

 

 ──そしてその度に、緩急を付けて走り出した竹刀に対応できずに身を打たれる。

 見えていた。だが、反応できない。いつ、どのタイミングで竹刀が加速するのか判断できず、そして俺が仕掛けようと身を屈めた瞬間に、彼女の全身が連動して竹刀を繰り出すのだ。

 

()(せん)(せん)(せん)先々(せんせん)(せん)

 

「……どういう意味だ?」

 

「あなたは存外、素直に過ぎる。本能のままに動くだけなら、手に持つ(つるぎ)に意味はない」

 

 それだけを告げて、彼女は竹刀を構え──停まる。

 隙だらけ、のように見えて、散々打たれた俺にはわかる。

 意図して力を抜いているのだ。いつでも瞬時に動けるように、最低限の気を残して。

 

「……」

 

 俺もそれに倣い、彼女と鏡写しのように竹刀を構える。

 

「そうではないでしょう」

 

「何?」

 

「あなたの得物は、本当に竹刀(それ)ですか?」

 

 言われて、気づく。俺の本当の得物はこの頼りない竹刀ではなく──あの大振りで、肉厚で、無骨に過ぎる斬首剣だと。

 気づかせてくれた少女に頭を下げて、斬首剣を持っているような心算(こころづもり)で身体を動かし、竹刀を少女に向ける。

 

「……」

 

「……ふ、ぅう」

 

 待つ。

 先ほどのように、全神経を動きの予兆を感じ取ることに集中させる。だが、それで焦って先ほどのように突っ込んではいけない。

 これは先にマウント取って殴り飛ばせばいい喧嘩とは違う、技術がモノを言う戦い──言い換えれば機を図る、人間らしい戦いだ。

 それを身に付けねば、彼女には決して届かないだろう。

 

 息を吐き、俺の精神を研ぎ澄ます。

 俺の闘志とあちらの殺気、それらを総和した異様な緊張感が、鍛錬場に張り詰める。

 その(つる)を一歩一歩、双方が対岸から渡り歩くように──距離を詰める。

 

「…………」

 

「…………」

 

 言葉はない。必要ないと断じているか、あるいはそれすらも緊張感を壊しかねないと感じているのか。

 手に持つ竹刀が重みを増す。脳裏を過ぎる斬首剣が、竹刀の影に重なり、消える。

 

「シッ!」

 

 初手は蒼い少女から。その剣筋は、静寂にも似た弦を断ち切り、俺の首へと迫り来る。

 

「ッは、ッ!」

 

 それを辛うじて捉え、振り上げた竹刀で上に弾く。

 

「無様」

 

 だがそれは、後のことを考えない咄嗟の防御であり。

 氷のように凍てついた表情筋をどこか呆れたように緩めて、弾かれた竹刀を無防備な俺の頭に振り下ろした。

 

 

「〜〜〜〜〜ッッッっ!!?」

 

 

 ……打ち、弾かれ。

 打たれ、転び。

 蒼い少女は鋼を打つ鍛治師のように、何度も何度も、言葉なく俺に竹刀を打ち込んだ。

 その身で喰らって学び取れ──一昔前のスパルタであるが、これはこれで単純明快。

 

 俺はじんじんと痛む節々に顔を顰めながら、正確無比な彼女の竹刀に立ち向かう。

 

 

 /

 

 

『私は大丈夫だから』

 

 母の口癖だ。

 その後に続く言葉は、決まってこうだった。

 

『大丈夫だから、心配しないでいいのよ』

 

 ──そんなの、無理に決まってる。

 心配しないはずがない。

 大丈夫であるはずがない。

 

 青白い顔で無理に笑う母親の姿を見るたびに、幼かったおのれの腹の奥底に、汚らしいものが湧き出してくる。

 それは誰のせいでもなく──少女自身が抱える(さが)として、何よりも少女が疎ましく思い、それでも封じ切れない……()()()()()()()()()()()()()

 

 たとえそれが、

 

「……あんり?」

 

 ひどく独善的で、

 

「なんで、全身、あざだらけで──」

 

 身勝手なものであったとしても。

 

 

「笑って、る──?」

 

 

 鍛錬場に辿り着いたあかねが見たものは、一方的に叩きのめされる、黒い少女の姿。

 かすかにうめき、それでも立ち上がり、その度に頭や腕を竹刀で打たれて転び、荒く息を吐く。

 それでも彼女は()()()()()。苦しそうに、笑っている。

 

 あの、遠く花を愛でるような。

 今まで幾度もおのれに向けてくれた優しい笑顔が、獰猛に歪み、自分ではない誰かに向けられている。

 

「…………」

 

 それを受けている誰かの顔は、冷たくて。

 ただただ痛めつけるように竹刀を振るい、それを当たり前に受け止めて、無理に笑う彼女たちは。

 

 

 ──今は床に臥せった母親と、彼女を殴る、()()()のような。

 

 

「……やめろ」

 

 湧き上がる。

 全身が痺れて、筋肉が張り詰める。

 

「やめろ」

 

 どろどろとしたものが、心の底から湧き上がる。

 (フカ)(ココロ)から、その()(シン)に至るまで──どこまでも(ツミ)(ブカ)いものが、湧いて出る。

 

 

 ──“善き、■りかな”

 

 

 どこかから聞こえた愉快そうな声が、背を突き飛ばしたような気がした。

 

「やめろォオオオオッッッ!」

 

 全身が、炎のように燃え上がる。

 

 

 /

 

 

 最初に気づいたのはほとんど偶然だった。

 突如、鍛錬場の入り口で爆発的に膨れ上がった魔力。一瞬敵と見紛うほどの全方位への敵意──しかし魔力の質そのものは、俺のよく知る彼女のもので。

 

 “これは──、ッ! 彼女を止めろ、あんりッ!”

 

「なっ!?」

 

「ちっ!」

 

 思わず振り向いた俺とは違い、舌打ちひとつで蒼い少女は動き出す。

 即座に竹刀を投げ捨てて、空いた左手をロッカーに向けて、叫ぶ。

 

「ミヅハッ!」

 

 端的な命令を発したその瞬間、ロッカーの扉を盛大に吹っ飛ばして彼女の左手に飛翔したのは、彼女が抱えていた竹刀袋──否、違う。

 

「日本刀……!?」

 

 彼女の背丈を遥かに超える、少女が手に持つにはあまりに無骨で古ぼけた刀。それこそ、竹刀袋が包み込んでいたものであり、彼女が常に持ち歩いていたものの正体だった。

 手に戻ってきた唐鍔(からつば)の太刀を、祈るように胸に抱く。

 

「 “()えざる貴方(あなた)(わたし)(ねが)う” 」

 

 そして誦んずるは彼女の唄。

 その所作は、先ほどまでと比べてあまりにも緩慢で。

 

「楓信寺ぃいいいいッ──!!」

 

 その頭部に、膨大な魔力と炎を宿した拳が突き刺さり── 「 “どうか(わたし)()れないで” 」

 

 ガキィィインッ!!

 

 拳が皮膚一枚を食い破る刹那に、間一髪で生じた光が掻き乱す。まるで“拒絶”するように拳を堰き止める蒼い障壁は、かつて俺が見た盾と同じもの──つまり、楓信寺静理の固有魔法。

 

 自身の眼前で静止した拳の先で、抜き身の刀を携えた少女はため息を吐いた。

 

「なんですか、その無様な姿は」

 

「……あかね」

 

 彼女の言う通り──認めたくはないが、彼女の姿は、痛々しい。

 

「ふ、ぅうううぁ、アアアアア…………!!」

 

 全身にみなぎる魔力は、かつて吸血鬼の“城”をぶち抜いたときよりも濃度──“純度”が高い。それから生じる甚大な炎は、冷えた鍛錬場の空気を焼け焦がし、少し離れた俺の喉が渇いてしまうほどの熱量を秘めて暴れ狂っている。

 それはちょうど、楓信寺静理の全身を覆った蒼い光と相反する──澱みながらも輝く紅い炎。

 

「あかね、落ち着け。今、自分が何してるかわかるか? そもそも、はっきりとした意識はあるのか?」

 

 ともかく、できるだけ冷静に声をかける。ここで俺が狼狽しては落ち着くものも落ち着かない。

 そうして声をかけ、彼女の様子をつぶさに観察し、気付いた。

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()

 皮膚に手甲(ガントレット)に、少しずつヒビが入る。その度にヒビから血が滲み、それを押し退けるように()()()()湧き上がる炎によって蒸発する。

 

 これは──炎に身体が耐え切れていない?

 違う、逆だ。()()()()()()()()炎が湧き上がるのだ。

 彼女の肉体には、おのれですら抑え切れない熱量が今も渦巻いている!

 

「……ちっ」

 

 俺と同じ結論に至ったのだろう、蒼い少女は汗ひとつかかず舌打ちをする。

 おのれを睨みつけるあかねの瞳を負けじと睨み返し──あるいはあかねのものより色濃い憎しみすらも浮かべて、ぎちりと歯を噛み締める。

 

 間違いなく、キレていた。

 ……これはちょっと、いやだいぶ、否、かなりまずい!

 

「待、」

 

「その体たらく、何たる無様か──ああ、本当に度し難く、許し難い。それで誰かを守る? 誰かのために戦う? そんなもの、できるはずがない」

 

 尾を引く紅炎が蒼い光を舐める。

 

「これは、あなたが吹っ掛けた喧嘩だ。泣いて詫びても、もう、遅い」

 

 光がその色味を強くする。全身に満ちる魔力が凪いで、光を舐めた炎を呑み込む。

 炎がますます燃え盛る。全身にみなぎる魔力が暴れ、呑んだ光をおのれごと焼き尽くす。

 魔法だけでなく、その魔力性質までも相反する──間違いなく相性最悪の両者は、矛と盾を彷彿とさせた。

 

「そっちも煽るな! おい、ちょっと待てっ」

 

「腕の一本、脚の一本、併せてかたわに貶めれば、我が気も少しは晴れるでしょうし、そちらも少しは落ち着くでしょう」

 

 俺の声が聞こえていないのだろう、刃物のごとくキレッキレにブチギレている蒼い少女は、唐鍔の太刀をゆっくりと引き抜く。

 引き抜かれた鈍色の刀に、蒼い光が纏わりついた。

 

「だから待、」

 

「楓、信寺ィ……!!」

 

「剣を持たぬ(けだもの)が血で、御祖(みおや)が祭剣を汚す無礼をお許しください──」

 

 

「静理ぃいいいいッッッ!!!」

 

「お前も落ち着、」

 

「──半分殺して、連れていく

 

 楓信寺静理は刀を引き抜き、あかねはますます炎をたぎらせる。

 

 ……あぁこいつら、もう何を言おうが聞こえないなと。

 俺はそれをようやく察して、どこか懐かしい──出来れば年若い少女二人の血生臭い喧嘩で思い出したくはなかった気分になって。

 

 

「──待てって言ってンだろうが、馬鹿どもがッ!」

 

 

 冷や水を浴びせかけるように。

 最大限の魔力(サツイ)を込めて、俺そっちのけでどこまでもヒートアップする二人に罵声を叩きつけた。

 

「っ」「ッ」

 

 それでようやく二人の意識に間隙ができる。意識していなかった横から殴られれば誰でもこうなる──よく不良同士の殴り合いの仲裁で使っていた手だ。

 ……まさか魔法少女同士の仲裁にも使うことになるとは思わなかったが。

 

 俺を認識したあかねの顔が、炎越しにでもわかるほど青白く染まり、炎の勢いも衰えていく。

 楓信寺静理はいつも通り氷のようだが、少しはばつが悪いと思っているのか、顔を逸らした。

 

 そんな対照的な少女二人を交互に眺めて、ため息を吐く。

 

「なんでこうなったのかは知らねェ。お前らの間に、何か複雑は事情があるとは知ってるから、それを聞くつもりもない」

 

「ぁ……あの、あんり……ごめ、」

 

「俺じゃねェだろ」

 

 おずおずと繰り出されたあかねの謝罪を切り捨てる。

 え、と惚けた声を漏らすあかねに再度ため息を吐いて、蒼い少女を指差した。

 

「謝るべき相手は、俺じゃねェ。──今のは明らかに、お前から手を出した喧嘩だ。だからお前が謝る相手は、俺じゃない」

 

「……わかった」

 

「……フン」

 

 鼻を鳴らして、楓信寺静理はそっぽを向く。

 そんな彼女にもため息を吐いて、声をかけた。

 

「お前もだ、楓信寺」

 

「……は? 先に喧嘩をふっかけたのはそちらでしょう」

 

「だとしても、要らん煽りでヒートアップさせたのはそっちだろうが」

 

 そう言うと、また顔を逸らす。……ある意味わかりやすいな、こいつら。

 

「俺はお前らの事情は知らん。だから今起きたことで考える。そして、相手が悪いのは、自分が悪くないってことにはならねェんだ。……喧嘩両成敗、知ってンだろ?」

 

「……ちっ」

 

「…………」

 

「……わかり、ました」

 

「よろしい。そんじゃあお互いに、ごめんなさいだ」

 

 しゅう、と二人の変身が解けると同時に、改めて向き直る。

 どこか気まずそうに向き直った二人は、ゆっくりと頭を下げて──「「ごめんなさい」」と、しっかり謝った。

 それを見て俺は頷くと、意気消沈して項垂れるあかねの腕を掴んだ。

 

「え、な、何?」

 

「あんな変な魔法使ったんだ、身体に何が起きてるかわからねェ。さっさと医務室行くぞ。……あと、色々事情、聞かせてもらうからなァ」

 

「え、えっ、えっ?」

 

 変身による膂力を活かし、混乱しているあかねを鍛錬場の外に引きずっていく。

 この場は確かに収まった。だが、あかねの様子はどこかおかしい……会議前は普通だったから、体調不良、というわけでもなさそうだが、さて。

 

 しばし抵抗するあかねだったが、俺に離すつもりがないと悟って身体から力を抜く。

 そんな彼女の頭を撫でて、俺はあかねを背におぶり、鍛錬場の外に出る──前に。

 

「楓信寺」

 

「……なんです?」

 

 呆然と、あかねを連れていく俺を見送っていた楓信寺静理に顔を向ける。

 

「今回はちょっと色々あったし、最後には説教しちまったけどさ。嫌じゃなかったら、またバシバシしごいてくれ」

 

「…………」

 

「ま、そんだけだ。……怪我はなさそうだし、大丈夫そうだけど、念の為に医務室に行くことをオススメするぜ」

 

 最後に頭を下げて、俺は鍛錬場を出るのだった。

 

 

 /

 

 

「…………」

 

 鍛錬場に冷たさが戻る。

 一人残された少女は、唐鍔の日本刀を鞘に収めた。

 

「………………」

 

 その脳裏に映るのは──おのれを厳しく諭し、最後には花がほころぶように微笑んだ黒衣の少女。

 いつか遠い日に、失ったはずの暖かさが……少女の胸に滲み入る。

 

「……………………変な、ひと」

 

 知らず、少女は刀を胸に抱いていた。

 強く、強く。離したくないと言うように。




今年も終わりますが、色々用事が片付いて更新ペースは少しずつ元に戻せると思います。
来年も、彼女たちの物語をよろしくお願いします!


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第七話 嫌いになんかならないよ

前回年内最後とか言ってましたが書けたので投稿します。
※ちょっと最後を修正


 ──全身に軽度の火傷と、開きかけの裂傷痕。

 医務室でそう診断され、ギギギと壊れたブリキのように俺を見るあかねにため息を吐いたのも仕方ないだろう。

 

「私としても、こんな複雑怪奇な症状は経験がないね」

 

 そんな俺たちを他所に、医務室を管轄する先生──どこか煤けた気怠げな女性は、診断結果を見ながらタバコをふかしていた。

 

 この人は、協会本部に勤める、魔法少女ではない大人だ。医務室を管轄してはいるが、それ以外にも色々仕事があるらしく、ふらふらと出張しているという。

 俺と顔を合わせたのは、その色々な仕事をこなして帰還したあと──吸血鬼事変を終えたあとだった。

 

 ふぅ、と吐かれた白い煙が俺の頬を撫でて、咄嗟に顔を顰めてしまう。

 

「センセイ、医務室でタバコは──」

 

「あぁ、これ、電子タバコ。ニコチンとタールないから……ふぅ。まぁ、その分リラックス効果は薄いんだけどね……」

 

「じゃあなんで吸ってるんスか……」

 

反復動作(ルーティン)さ……ふぅ。ところで君、その舎弟口調似合わないねぇ?」

 

「やかましいわ」

 

 くすりと笑い、その白髪をゆるく掻いて、先生はタバコを灰皿に置いた。これで雑談は終わり、ということなのだろう。

 

「さて、今回の診断結果だが……回復魔法で問題なく治るだろうね。ミストレスに頼る必要はないよ」

 

「そうか……」

 

「自分の組織のボスが一番治療に精通してるのもどうかと思うけどねぇ」

 

「アタシ、今まで結構頼ってるから、ちょっと耳が痛い……」

 

 力なく笑うあかねの肩をたた……こうとして撫でるにとどめ、手のひらを翳す。

 さて、あまり得意ではないが──魔力量には自信アリ、だ。

 

魔求数式(マグスクリプト)第二番(ナンバーツー)──治癒(ヒール)

 

 思い出すのは、原初の怒り。

 未だ尽きぬ俺の根底で燃える憎悪を糧として、アラストルを通して魔力を引き出す。

 

「ん……」

 

 それをすべて回復魔法に注ぎ込んで、濁流のような緑の光をあかねに浴びせかける。

 途中、どこか()()()()()ようなものを覚えたが、それごと押し流すと言わんばかりに魔力を込めて回復させる。

 

 “もうそのあたりで大丈夫だ”

 

(おう)

 

 魔法の効き目を俺よりも理解しているアラストルの呼びかけで、俺は魔法の行使をやめた。

 優しい光を存分に浴びたあかねは、心地よさそうに目を細めて、腕を回して動きに問題がないことを確認したあと、俺に笑いかける。

 

「……ふむ」

 

 だが、俺の治療魔法を見た先生は、どこか釈然としない様子で目を細める。

 

「どうしたんだよ、先生」

 

「いや……あかねちゃん、少し変身してみてくれないか?」

 

「え? あ、うん── 変身(アマド)

 

 いつも通り、それなりに露出度の高いスポーツマン……あかねの場合スポーツウーマンだろうか? ともかく活動的な臍出しスタイルの戦闘装束に変身したあかねは、「……あれ?」と首を傾げた。

 

「なんか……魔力がいつもより少ない?」

 

 ……はァ? と思わず出かけた声を飲み込む。それは無駄な確認であり、言うべきことは別にある。

 

「……非戦闘時だからってワケじゃなくてか?」

 

「ああ……やっぱり、いつもより魔力の出が悪いし……動きも澱んでる気がする」

 

 偶然、あるいはコンディションの差と切り捨てる、ことは難しい。何故なら横にいる本職が、難しい顔をしてため息を吐いたからだ。

 

「なるほどね……副作用(デメリット)は肉体面に限らず……いいや、こちらが本命というワケか」

 

「納得したなら説明を頼むぜ、先生」

 

「そうだね。まず結論から簡潔に言うと、あかねちゃんが先ほど行使したという魔法は、心身に著しい負荷をかける。聞く限り実際の発動は一分か、それに満たない程度だろうが……」

 

 ──それでも確たる形で反動が出ている。

 なるほど……なかなかに()()な、とあかねを見れば、俺の目に何かを感じ取ったのか慌てて顔を逸らした。

 

「で、これは治るんです?」

 

「治る。それは間違いないが……あかねちゃん、今君はどう感じている? ああ、変身は解いていいよ。疲れるだろう」

 

 問われたあかねは変身を解き、目を瞑って自らの精神に意識を向ける。

 数秒の沈黙ののち、あかねは口を開いた。

 

「えっと……ちょっと、だるい、くらいかな? 変な感じはそれくらい、です」

 

「そうか。であればそこのベッドを使いなさい。傍に甘いお菓子も置いてある」

 

 急な話にぱちくりと目を瞬かせるあかねに、先生はゆるく笑いかけた。

 

「疲弊した精神の回復には、療養と糖分摂取が一番だと相場が決まっているのさ」

 

 

 /

 

 

 ぱくり、とあかねが口にチョコレートを入れる。とても甘い、噛み締めると歯が痛くなるようなチョコレートだ。

 病衣に着替え、ベッドに下半身を預けた彼女は、ベッド傍の椅子に座りながらリンゴを剥く俺を見て、何故か微妙な顔をした。

 

「あの、あんり? そこまでしてくれなくても……」

 

「あァ? なんだ、丸齧りの方が好きだったか?」

 

「いや、そういうワケじゃないけど」

 

「なら黙って世話されとけ。大した手間じゃねェからな」

 

 果物ナイフでしゅりしゅりと皮を剥いていく。まだ妹がいて、帰る家があった頃は、このように妹を世話していたから慣れたものである。

 あかねの顔がものすごいことになっている……似合ってないってンだろ、わかってるわ。

 

 皮を剥いたリンゴを、食べやすいように六等分。

 あかねがチョコレートを食べ終わると同時に、その一欠片を差し出した。

 

「ほら……食えるか? 食えないなら口を()け、」

 

「いや食べれる! 食べれるから!! 流石にそこまでされるとその……っあ、ありがとう!」

 

 俺からフォーク付きりんごをふんだくると、ヤケになったように口に運ぶ。それに肩をすくめて、俺は果実が盛られたバスケットを手に取った。

 

「さて、次は何が食べたい?」

 

「それより先に聞くことがあると思うんだけど!?」

 

 身を乗り出して叫んだあかねに、俺はニヤリと口角を上げた。──かかった。

 

「ああ、その通り。俺には聞くべきことがある」

 

 にっこりと笑ってバスケットを手放す。あ、と何かに気づいた様子のあかねは、おそるおそるこちらに問いかけてきた。

 

「……もしかして、このやりすぎなくらいのお世話も、アタシの方から言わせるために?」

 

「いや、それは純然たる善意だ」

 

「……ああ、そう」

 

 どこか諦めたような顔をして、“妹さんもこの調子で世話されてたなら堪らなかっただろうな……”とあかねはぼやく。

 失礼な、妹には好評だったぞ。ちょっとばかし甘えたがりでわがままに育ってしまったが、それはそれでかわいいからな。

 下の子に好かれれば守りたくなるし、嫌われれば悲しくなる。兄というのはそういうものだ。

 

 ……そんなかわいい妹を守れなかった愚兄が言えたことではないが。

 身のうちから湧き上がる怒りと憎悪を、腹の奥底に押しとどめる。

 吐き出すべきは、今じゃない。

 

 すぐに平常心を取り戻して、俺はあかねを真っ直ぐ見つめる。

 

「俺はな、お前がどうしてあんなことをしたのか、理由が知りてェんだ。話していいこと、話したくないこと、そっちにも色々あるだろうが……それでも、こっちは聞かなきゃならん」

 

 先の診断でわかったように、あかねが使ったあの魔法はとても危険だ。

 俺の一喝で正気に戻ったとはいえ、次も同じようにできるかはわからない。しかも戦闘に支障が出る可能性すらある。

 だから最低限、何をトリガーにして発動するのか、把握しなければならない。

 

 たとえそれで、彼女に嫌われてしまったとしても。

 

 あーとかうーとか、迷子のように声を漏らすあかねだったが、俺がじっと見つめると観念したように息を吐く。

 

「……わかった、わかったって。だからそんな、覚悟決めたような顔するなよ」

 

「あ?」

 

「アタシ、そんな子供じゃないし。そっちだって色々考えてアタシから話を聞こうとしてるってわかってる。……だから、嫌いになんかならないよ」

 

 ……そんなにわかりやすかったか、俺。ポーカーフェイスには自信があったんだが。

 

 “むしろ、ポーカーフェイスがゆえ、だろうな。いやに真剣味が増すだろう?”

 

「……そうかよ」

 

 揶揄うようなアラストルの声に、思わずツンと言葉を返す。

 ……なんだか妙に手持ち無沙汰になってしまったので、バスケットから洋梨を手に取り、果物ナイフを走らせる。

 りんごが食えるなら洋梨も食える。もし食えなかったら俺が食う……完璧な理論だな。

 

「結局剥くんだ……」

 

「梨、嫌いか?」

 

「……ううん、嫌いじゃない。ありがと」

 

 しゅりしゅりと洋梨の皮を剥く音が、病室に響く。

 ふ、とあかねは息を吐いて──ポツリ、ポツリと話し始めた。

 

「あのときは……そう、ちょっとだけ、弱ってたんだ」

 

 力なく笑ったあかねは、自分の手元に目を落とす。

 それから、女性らしくも角張った両手を、ぐっと握りしめた。




病弱な妹が死ぬ前のあんりは家事万能のクソ過保護なお兄ちゃんでした。ド級シスコンです。
第二章は第一章に比べて世界が広がると思います。


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第八話 それはとても残酷なこと

長らくお待たせしました。
これから五日間、毎日更新となります。


 弱っていた。

 精神的に──あるいはいつもなら堪え切れたであろう些細な出来事で、感情が爆発してしまうほどに。

 

「あの後、ミストレスさんに一人だけ残されて……アタシは、……」

 

 その影響が今も残っているのか、落ち着いていたあかねは、震える両手で顔を隠す。

 俺は何も言わずに、彼女の側で洋梨を剥く。しゅりしゅりと皮を剥き……何が起ころうが対応できるように、心を冷たく、尖らせていく。

 

「……アタシは、ミストレスさんに、確認だって言われた」

 

「確認?」

 

「ああ。……あの、アマイガスの被害者に……アタシの()()()()()()()ってことの、確認」

 

 洋梨を剥く手が止まる。

 顔をあげれば、彼女は、どこか遠くを見るように茫洋としていた。いつもの活力に溢れた様子からかけ離れたその様子に息を呑む。

 

「知り合い……うん、そうだ、知り合いなんだ。友達じゃあ、なかったんだ。でも、あいつは……いや、あいつも、友達なんて……アタシは……」

 

「おい、落ち着け」

 

 強く握りしめられて、石膏のように硬く白く染まったあかねの拳を、ほぐすように手を添えた。

 それでようやく俺がいることを思い出したのか、弾かれたように俺を見る。俺もまたそんな彼女を、真剣に見つめ返した。

 

「……ごめん」

 

「何度だってこうしてやる。だからゆっくりでいい、話してくれ」

 

 こくり、とあかねは頷いて──俯きがちに、ポツリ、とこぼす。

 

「アタシが、ミストレスにスカウトされて本部にきたってのは前に話したよな?」

 

「ああ」

 

「その、アタシがスカウトされる前に所属してたのが……今回、アマイガスに壊滅させられた支部なんだ」

 

 その事実は確かな驚きとともに響き、しかしすぐに納得する。

 ……だからミストレスはあかねだけを残したのか。それ自体は理解できるが、アフターフォローもなしとはどういう了見だ?

 そんな内心の苛立ちはおくびにも出さず、会議の折に眺めた資料を思い出す。

 

「確か、死亡者数は四名、だったな」

 

「……ああ。死体が見つかってない一人が、アタシの同期で、それで……ううん、なんでもない」

 

 あかねは無理に笑顔を作る。

 それがあまりにも痛々しく、その同期がただの知り合い未満ではないことは明らかだった。

 

「……そのせいで、弱ってたのか」

 

「多分。……正直、現実感とか、ないんだ」

 

 だから悲しいとか、そういうものはなくて──

 

「同期が、知り合いが死んで……もう会えないってのはわかってるのに。悲しいとか、寂しいとか、全然思い浮かばない……なのに、変に心がささくれ立ってる。よくわからないんだ」

 

 その独白は、コップに並々と満ちた水を彷彿とさせた。

 今にも溢れそうなのに、ひどく歪に安定している。だが少しでも小突けば綻び、こぼれてしまう。

 ──それは、俺にも覚えがある。

 

「それはな、ただ心が麻痺してるだけだ」

 

「ま、ひ?」

 

 こくん、と首を傾げるあかねに、俺は頷いた。

 

「ああ。そのうち、何もしてないのに涙が出てくるようになる。身体を動かすのがひたすら億劫になって、死体みてェに座り込む。そのまま泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣きまくって……悲しみとかは、その後に腐るほど湧いてくる」

 

「…………」

 

 あかねの顔が歪む。

 構わず話す。

 

「悲哀が一滴ずつ、無数に押し寄せる。少しずつなら対処できても、濁流のように降り注ぐそれを対処できるほど、人の心は強くない。耐えて、()えて、悲しみを湛えて……ぶっ壊れそうな心をどうにか繋ぎ止めるんだ」

 

「………………った、……に」

 

 また歪む。やめてくれ、と悲鳴(コエ)が聞こえた。

 それでも俺は口を止めない。

 

「今のうちに備えておけ。自覚できればまだマシになる。寝るのもいい、睡眠は心身を落ち着かせる」

 

「っ、知っ、ふ、うにっ……!」

 

「今泣けないのは、ただ心が疲れているだけだ。別におまえがドライだとか冷血だとか、そういうマイナスなモンじゃ──」

 

 

「──知った風に言うなよッ! アタシの気持ちがッ、アンタにわかるのか!?」

 

 

 あかねは叫んだ。

 堪え切れなかったものを吐き出すように。

 それも俺は知っている。

 

()()()()()

 

 叩きつけられた彼女の悲鳴を受け止めて、薄く笑う。

 

「……っ!」

 

「俺だって、親しい人を失う苦しさは知っている。どういう気持ちになるかも、知っている」

 

 俺のときは、ああ、そうだ。

 雨の降りしきる曇天を、力なく見上げていた。

 そのどうしようもない虚脱感を知っている。それを埋めるのは難しいと、実感付きで知っている。

 

「だけど、俺はおまえの気持ちを理解することはできない。知っていても、まったく同じであるわけがない……おまえの気持ちを理解できるのは、おまえだけだ」

 

 家族であろうとその心の波形を掴み取ることは難しいのに、まるきり違う人生を送ってきた俺たちが、相手の心を完璧に理解できるわけがない。

 

 ただ知識として、実感として、知ることはできる。

 知ろうとすることはできる。

 そう在ろうとする姿勢は、まさしく、心に寄り添うということ。

 ともに濁流を呑み下すことはできずとも、押しつぶされないように支えて、少しずつ悲しみを呑み込んでいく助けにはなれるのだ。

 

 ──俺のときは現れなかった、誰かのように。

 彼女を守れなかった俺が、誰かを助けようとするおのれであろうとするために。

 

「だから俺はその手伝いをしよう」

 

「落ち着くまで泣けばいい。誰かに当たりたくなることだってあるだろう。誰かの喪失は、おのれの嘆きでしか埋められないんだ」

 

「尻を蹴り飛ばすのはいつでもできる。なら、少しくらい遅らせたっていいだろう」

 

 しゅりしゅりと皮を剥き、テキパキとカットしてフォークを刺す。

 それをあかねに差し出して、俺はわざとらしく笑った。

 

「ほら、食ってみろ。疲れた心には、甘い果物が一番だ」

 

 その頬を伝う滂沱の涙は拭わない。

 ただ俺は、彼女が悲しみを乗り越えるための手伝いをする。

 

「……ぅん…………う、ん」

 

 泣きながら、あかねは洋梨を齧り──俯いて。

 

「……()()()()()。はるちゃん……アタシ、あたし、言えなかった」

 

「ああ」

 

「アタシっ……アタシっ……! 謝れ、なくてっ……! 何、もっ! 言えな、かったっ……! 逃げて、それでっ……! う、ぁああ゛あ゛あ゛……っ!」

 

「……ああ」

 

 涙とともに嗚咽をこぼす彼女の側で、俺はただ彼女の言葉を受け止めた。




色々と展開を練りながら書き溜めしておりました。
次回は二月十六日18時となります。


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第九話 いない

「…………」

 

 日本魔法少女協会本部、最上階。

 周辺を一望できるガラス張りが特徴的な展望室──その中心で、一人の少女が目を閉じていた。

 

 怪盗を思わせる片モノクル、白衣を基調として黄色の差し色が入った衣装。

 白手袋の上から機械的な指輪をひとつ、左の人差し指にはめた少女は、その全身に淡い白の魔力光をまとわせている。

 

 まるで凪いだ水面のような、起伏のない魔力。

 それが展望室の床に刻まれた溝に滴り落ち、やがて少女を取り囲むような円陣を形成、そこからさらに分化して幾何学的な文様となる。

 

 それを成した少女、すなわち変身した葛澄明子は、聖職者と見紛うほどの真摯さで祈っていた。

 否、それは紛い物ではなく、ある意味で真実だった。

 ここは彼女のためにミストレスが用意した特殊な祭壇であり──少女は、おのれを見出した天使のために祈っているのだから。

 

「──範囲指定、東京全域」

 

 まるで揺らぐことのない、平坦な声が祭壇に響く。

 

「──対象指定、高位アマイガス」

 

 一つ一つ、明確に目的を定めていくごとに魔法陣が輝きを増す。

 

「使用魔力、充填完了。以って光を受けたまえ、世界を映す瞳──鍵譜完誦(オールクリア)

 

 魔法陣から湧き上がった光が、少女の頭上で寄り集まり──一瞬だけ円球の()()が浮かび上がり、水泡のようにはじけて消えた。

 同時に、明子が大きく息を吐いた。眼は閉じたまま、魔力の流出で荒げる息を落ち着かせて……。

 

「……いません、ね?」

 

 首を傾げた。

 

 

 /

 

 

「ふうむ」

 

 執務室で、ミストレスは唸っていた。

 迅速に指令をこなした明子から上がってきた連絡。本部の展望室を利用しての、東京全域の監視カメラを利用した索敵──その結果を見て、彼もまた首を傾げた。

 

「私の予想では、すぐにでも現れると思ったんだがね」

 

 あれが最初に支部を壊滅させてから、今まで被害報告は上がってこなかった。

 ゆえに明子が東京を索敵をすれば容易く引っかかる──と想定していたが、結果は空振り。

 

「監視カメラを避けた? いいや、あれにそんな知恵はない。まだ東京に入っていない……誰にも発見されずに? それこそあり得ない」

 

 以前相対した“摂取欲(パッチワーク)”は、ただおのれより優れたものを取り入れるだけの怪物だった。たとえヒトの頭脳を模倣しようが、それを動かす知識が欠けていた。

 

「単独でないのなら、他のアマイガス……も、明子くんなら索敵できるか」

 

 あの展望室の力で増幅させた明子の魔法は、東京の監視カメラにおのれのパートナー……システムに等しい天使ラグエルを電子を通じて接続し、それにより高精度の索敵を行うことができる。

 それをさらに生かすため、ミストレスが東京二十四区中に監視カメラを増設させたのだ。

 

 それに一つも引っかからないなど、少々考えづらい。

 しばし考え、ため息を吐く。

 

「……仕方ない。しばらく彼女には索敵を維持してもらおう」

 

 つまり展望室暮らしである。

 年頃の少女には堪えるだろうが──幸いにして、彼女はそれを気にするような人間ではない。

 もちろん給金も色を付けるが、それすらも彼女にとっては大した意味を持たないだろう。

 

 そのように結論付けて、彼はため息を吐く。

 

「我が身の無能が嫌になるねぇ」

 

 ──もっとも、それを受け入れたのはおのれ自身の選択だ。ゆえに後悔は絶対にしない。

 魔王ルシファーとしてではなく、協会長ミストレスとして立てた魂の矜持に誓って、それを翻すわけにはいかないのだ。

 

 ふぅ、と再度のため息で気持ちを切り替えると、机の端に置いてある端末に目を向けた。

 

 そこに映っているのは、医務室の映像。

 

 泣いている赤毛の少女と、その手を握っている黒の魔法少女の姿だった。

 

「……」

 

 そんな二人を見つめる瞳は、深い暁闇に塗りつぶされている。

 彼が何を考えているのか、それを知るものは彼だけで──あるいは彼すらも自覚していないのか。

 

「……ああ、まったく。嫌になるね」

 

 何が、なのかは口にせず。

 

「嫌になるほど、順調だ」

 

 瞳を閉じて、天井を仰いだ。

 

 

 /

 

 

「落ち着いたか?」

 

「……うん」

 

 恥ずかしそうにそっぽを向くあかねに苦笑する。

 天気雨のように泣いて、泣き続けて、これは雨というより(かめ)をひっくり返したようなものでは、と思えるほどに泣いたあかねは、今やすっかり落ち着いていた。

 やはり一度泣いて鬱憤を吐き出すというのは、男女に共通する精神安定法らしい。

 

 その最中にこぼしていた誰かのことは……触れるべきではないと決めた。

 

「さて、これからどうするかね」

 

 色々吐き出してすっきりしたあかねだが、その魔力には未だ澱みが残っている。

 これはもう、あの炎の反作用(デメリット)だと諦めるしかないだろうが……。

 

 “そこンところどうなんだ、アラストル”

 

 オマエ、あかねが暴走してからずっと黙ってただろ。

 何か知っているんじゃないのか?

 

 “…………禁則事項だ”

 

 どこか躊躇いがちに切り出された言葉に、俺は唖然とした。

 

「はァ?」

 

 “それを口にすることは禁じられている……誰もが持ち得、それでいて誰もが忌避するヒトの心……知れば身の破滅も招きかねん。ゆえに我らは口にせず、それが許されることもない”

 

「オイオイ……」

 

 これでも自己制御には自信があるんだが。

 

 “たとえ汝であっても──否、()()()()()()()()()()だからこそ、知らせることはできん”

 

「なんだそりゃ」

 

 精神でつながっているからこそわかる、巌のごとき断固拒絶。

 さすがに、今聞き出すことは諦めて……。

 

「……あんり、なんで百面相してんの?」

 

「あぁ〜……」

 

 ちょっと引いた様子のあかねをどう誤魔化すべきか、頭を回すことにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “…………偶然か?”

 

 “いや、だが……第一魔法に目覚め、精神的に安定しているエースなら、他の支部にもいくらかいるはず”

 

 “楓信寺静理……竜胆あかね……未だ不明瞭なれど、葛澄明子”

 

 “()()()()()()()()()()()

 

 “──そして、蒲蕗あんり”

 

 “我が契約者にして”

 

 “苛烈なる復讐者である彼を、何故?”

 

 

 “──ミストレス、貴様は何を考えているのだ?”



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第十話 それは万能であって全能でなく

 あかねが眠る病室から出て、俺はため息を吐いた。

 

「禁則事項、ね」

 

 アラストルは何を考え込んでいるのか、また黙っている。そうでなくとも彼は答えなかっただろうが、明確な答えを示されないまま動くというのは、どうにもしっくりこない。

 ここ最近は、ずっと復讐に邁進してきたからな。そうでない今にも慣れなければ……って、何度目だろうなこれ。

 

 ともかく、これからどうするか。

 

「アラストルが言えねェ、言わねェってことは、ミストレスに聞いても多分教えてくれねェだろうし……」

 

 “嫌だ”の一言で退けられる気がする。飄々としているミストレスと、骨の髄まで真面目そうなアラストルとは対照的だが、だからこそ譲れない一線は重なり合うように思えるのだ。

 

 “頑固さで言えば汝も大概に思えるが”

 

「……こっちの呼びかけには答えねェくせに、急に口挟んでくるなよ」

 

 “思索の只中に呼びかけられても、すぐに応えられるほど我は器用ではない……が、謝罪はしよう。すまなかった”

 

「……ああ、はいはい」

 

 一歩間違えたら煽りだが、精神でつながっているからこそ、コイツが本当に謝っていることが理解できる。

 そういうトコロだぞ、と呆れる気持ちもないわけではないが、飾りっ気のないアラストルの言葉を好ましく思うおのれがいるのも事実だった。

 

「ま、別にいいけどよ。そっちから話しかけたってことは、その思索は終わったのか?」

 

 “今考えても答えは出ない、という結論が出た”

 

「ああ、なるほど」

 

 それはさておき、というやつだ。飛躍する思考をとっ捕まえるやり方として、俺もよくやっている。

 そんなわけで、思索の旅からようやく戻ってきたアラストルを加えて考えることしばし──

 

「……今日はもう休むか」

 

 そんなありきたりな結論が出た。……もちろん、ふざけているわけではない。

 

 思えば、今日は色々なことがあった。

 新たな敵の存在、楓信寺静理の教え、彼女とあかねの確執、そしてあかねが秘めたる心。

 それらに一挙に触れたのだ、疲れない方がおかしい。

 

 “精神に疲労は見えないが?”

 

「気付いてない、麻痺してるだけかもしれん。もし疲れなくても、一回寝て整理すりゃ、やるべきことも浮かぶだろ」

 

 路地裏(アングラ)にいるときの俺は、常に神経を張り詰めていたが、今はそうではない。

 ならば好きに休息を取るのもいいだろう。

 

 ミストレスにも、戦いのために英気を養えと言われたことだし。

 

 “合理的だな。その選択を支持しよう”

 

 そんなどこまでも堅物なアラストルの賛同を得て、俺は自室に向けて歩き出す。

 

 と同時に、ポケットに突っ込んでいたスマホが震え出した。

 

 このスマホは魔法少女としての、つまり仕事用のスマホ──と言っても俺はこれしか持っていないのだが、それはそれとして。

 これが鳴るということは、つまり。

 

「どうやらもう一仕事あるみたいだぜ、アラストル」

 

 “そのようだ”

 

 脳裏で不敵に笑みを浮かべて、俺はスマホを取り出して。

 

 

 

『すまないが君たち、緊急放送だ』

 

 

 

 その瞬間、館内に響き渡った、心なしか焦っているようなミストレスの声に、“もう一仕事(それ)”どころではないと直感で理解した。

 

 

 /

 

 

「あの“摂取欲(パッチワーク)”とかいう肉塊が、大阪に現れたァ!?」

 

 マジでそれどころじゃなかった。

 いつもなら冷静になれと告げてくるアラストルも、脳内で愕然としているのがわかる。それほどまでの衝撃であり……。

 

「悪いね。今すぐ東京に来ると思ったんだけど、ちょっと想定外だった」

 

 先日の会議での諸々が無に帰した瞬間だった。

 例のごとく執務室の机に肘をつき、顔だけバツが悪そうにしているミストレスはため息を吐く。その憂鬱な様子すら優然と美しく、どこまでも癇に障る男だが、今はそれで脳を鈍らせる場合ではない。

 喉元まで迫り上がってきた文句を呑み込みつつ、ドン、と机越しにミストレスに詰め寄る。

 

「大阪……東京から、確か新幹線で二時間と三〇分! 今から救援に行って間に合うのか!?」

 

「詳しいじゃないか、旅行が趣味なのかい?」

 

「使いっ走りで色々行かされたンだよってか茶化してんじゃねェ!!」

 

 場を弁えない頓珍漢な答えに怒鳴り散らすと、ははは、と山彦のように笑い声が返ってくる。蹴り飛ばしてやろうかと思ったが……コイツの額に、一筋の汗が流れるのを見て、思い直した。

 

「……何か、あるんだな」

 

 ミストレスが何も備えていないなんて、あるはずがない。グッと机越しに顔を近づけて、囁くように問いただすと、ミストレスはゆるりと笑った。

 嵐を泳ぐ天女のような、下手な言葉を尽くすより雄弁なその微笑み。そこに一切の陰りはない。

 

 ならばオマエが用意しているものは何か、と続けようとしたその瞬間。

 

 ──ガコンッ!

 

 何かが外れるような音が聞こえ、そして、()()()()()()()()()()()

 急なことで対応できずにバランスを崩し、転びかけた俺を、椅子から離れたミストレスが支える。

 

 一瞬のこと……知覚できないほどの早業で抱き抱えられ、硬直する俺の耳元で、ミストレスの瑞々しい唇が、触れる間際で囁いた。

 

「これから君が見るのは、魔法少女協会だけが持ち、秘匿するものだ。外に広まれば、最悪、()()()()()()()()()()()()()()()代物でね……守秘義務を敷かせてもらっている」

 

「……オイオイ、盛りすぎじゃねェの? あと近い、離れろ」

 

 さっきの仕返しかよこの野郎、と至近距離で睨みつけるも、ふふふと笑うだけで躱される。ある意味で、その軽い態度こそが、彼の言葉が真実だと裏付けている証拠のようだった。……あと俺を離してもくれなかった。

 

 ──ガコッ!

 

「着いたようだね。はい、お嬢さま」

 

「誰がお嬢さまだテメー……ったく」

 

 結局、最後まで離してくれなかったミストレスは、到着の衝撃を揺らぎもせずにやり過ごしたあと、ゆっくりと床に俺を下ろした。

 悔しいが、見た目に似合わずどっしりとしていて、安定感があった。チビになった俺では、最後の衝撃でまた体勢を崩して……いや、やめておこう。わざわざ自分で自分のプライドを傷つけるほど虚しいこともあるまい。

 

「あれだよ、あんり君」

 

 そんな俺の葛藤を無視して、ミストレスは執務室の扉を指差した。

 一瞬、部屋ごと着いてきたのかと思ったが、どうもそれは違うらしいとすぐに悟る。

 

「上のとは別物、か? デザインは、一緒みてェだが」

 

 この秘密エレベーターは床だけを移動させるもので、元の扉自体は天井付近、つまり本来の執務室の位置に残っていたのを確認している。

 なので、ここにある扉は、執務室とは別物だった。……デザインに加えて、X線上の位置まで同じにする意図はわからないが。

 

 ミストレスはカツカツと床を慣らして、その扉のドアノブに手をかける。

 同時に、扉の上方に設置されていた水晶玉が淡く輝き、かちん、と鍵穴が回ったような音がした。

 

「さああんり君、覚悟はいいかい?」

 

「何の覚悟だ?」

 

「竜胆あかねは魔法の反動で戦闘に支障が出ている。

 楓信寺静理はその外交能力に極めて大きな不安が残る。

 葛澄明子は能力上、東京を離れることがない。

 よって現在、本部(うち)が外に救援に出せる魔法少女は君だけだ。

 ──君は、よく知らない誰かのために、命を懸けて戦えるか?」

 

 今更、つまらないことを訊くなと思った。

 何の躊躇いも葛藤もなく、ただそれだけは覆ることのない事実として、俺の口を動かした。

 

「当然。

 誰かのために戦えば、回り回って誰かの命を助けられる。その中には、きっと知り合いもいるだろう。

 なら俺が、あいつらのために戦うと誓った俺が、それに否やと唱えるとでも?」

 

 胸を張ることはできないし、遠慮がちに言うこともない。

 それは俺にとってごく自然な、当たり前の行動なのだ。そう在れるように俺は俺を決定した。だからそれは変わらない。

 だからその問いは無粋に過ぎる。

 

 ミストレスはくすりと笑う。

 俺の答えを予期していたのか、その通りに動く俺が滑稽なのか、あるいは予期していても、その通りに答えたことが嬉しかったのか。いずれにしろ構わない。どうでもいい、と言ってもいい。

 ミストレスの感傷は、俺には意味を持たないのだ。

 

「ふふ、君には遅すぎる話だったか」

 

 ミストレスはドアノブから手を離した。

 けれど水晶は今も輝いており、まるで、俺に開かれるときを待っているようで。

 その光に導かれるまま、俺はドアノブに手をかけた。暖かな、ヒトの熱が少しだけ、俺の掌に伝わってくる。

 

「これから君が体験するのは、いずれヒトがたどり着くべきもの」

 

「私はね、信じているのだよ。ヒトは全能(カミ)には手が届かずとも、いずれ万能をその代名詞に、(ほしいまま)にできるのだと」

 

「これはその一旦、前借りだ。現行の技術では叶わない、あり得ざる空想(ユメ)……未だ熟さぬ文明には、()()()()()()()()()()()

 

()()()()()()()()()──《転相門》」

 

 俺はドアノブを回し、扉を開く。

 そのさきにあるのは、何の変哲もない場所。

 

「ヒトは未来を変えることはできない。けれど、未来につながる現在においては、ヒトの(チカラ)(ヨロズ)に通じ、より良い今を築き上げる」

 

「さあ、いってらっしゃい。行って、目指すべき先を見ておいで」

 

 俺はミストレスに振り返ることなく、一歩、足を踏み出した。

 同時に、ゆっくりと扉が閉まる。

 それでもなお、俺に躊躇いは生じなかった。

 

 

 /

 

 

「そして忘れないことだ、あんり君」

 

 彼女は、彼はもういない。すでにこの先に踏み入った。だから口にする意味はない──であるというのに、止まらない。

 

「ヒトがその未来を凌駕し、踏みしだくことができないように」

 

 降り出した雨のように、うめく亡者の苦しみのように、一度こぼれれば、還らないもの。

 

「──現在(イマ)につながるおのれの過去は、どうあっても、消し去ることはできないんだよ」

 

 名付けることすら億劫なそれを、強引に、おのれの喉に押し込んだ。

 焼け爛れる喉元で、希望と絶望にとびきりの苦汁(くじゅう)をブレンドした、最高に罪の味がした。



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第十一話 大阪の魔法少女

 踏み出した先は、見慣れた、けれど慣れない装飾が施された協会の大広間。

 これが支部の大広間か、などと物珍しがるおのれを必死で奥に押しとどめ、こちらを呆気に取られた目で見る少女たち──と、彼女たちより一回り、二回りは年上であろう妙齢の女性に向けて、俺は声を張り上げた。

 

「俺はあんり、蒲蕗あんり。支援要請を受け、東京から出向しました、魔法少女です」

 

 さて、これなら聞こえない、ということはないだろうが、どうなるか。

 静かに様子を伺っていると、衝撃で固まっている少女たちとは違い、これを聞かされていたのか、ゆっくりとこちらに駆け寄ってきた。

 

「あなたが……本部の、魔法少女。ということは、ミストレス協会長が援軍を送ってくださったんですね」

 

 支部長と思わしき落ち着いた女性は、そう言って俺に会釈した。

 やはり支部長を務めるだけあって、情報も行き届いているのだろう。それにしても、礼儀正しい人だった。

 

「はい。魔法少女としては若輩ですが、戦力としては、本部の他魔法少女に劣るものではないと認識しています」

 

「それはありがたい援軍ですね。今回出現したアマイガスに関する情報は?」

 

「本部で行われた会議においてある程度は。新たな情報がありましたら、是非」

 

「ふふ、小さいのにとてもしっかりしていますね。あのひとが送ってくるだけはあります」

 

 小さいのには余計だ、とは口に出さず、愛想笑いに止める。そんな子どもらしくない小賢しさも良く映ったのか、支部長はゆるく笑い、俺と入れ替わるようにして廊下に出る。

 

「私は色々、やらねばならないことがありますので、失礼します。あんりちゃんはここでみんなと親睦を深めていてくださいね」

 

 そうやって声をかけられた他の少女たちが、ようやく再起動した。

 

「……いやいやいや!! どーやって来たんですこの子ぉ!!? 東京!? 本部って、えぇ!!?」

 

「落ち着いてシバちゃん、すごい顔になってるわよ」

 

「だぁれがシバちゃんやとこのボケェ!!」

 

 まるで向かってきたボールを打ち返すように、シバちゃんと呼ばれた大阪弁の少女のチョップが、隣の頭に綺麗にクリーンヒットした。流れるような、あまりにも自然かつ手慣れた様子のノリツッコミに、思わずぱちぱちと拍手してしまった。

 

「なにアンタも拍手しとんねん天然か!! ったく、いきなり東京から来た言うもんやからビビってしもたやないか……」

 

「それは本当(マジ)だぜ。俺は正真正銘、東京の魔法少女だ」

 

「そこは疑ってへんし。シブチョーがまじめに応対しとったもの……つーかけったいな口調しとんな」

 

 じ、とこちらを見つめられる。

 たしかに、この見た目だと俺の口調はさすがに似合わない。とはいえ、出会ったばかりの少女に事情を話す気もないので、肩をすくめるだけに済ませた。便利な処世術そのいち、察してちゃんである。

 

「そんなコテコテの関西弁なシバちゃんが言えたことじゃないと思うけどね。あなたもそう思わない?」

 

 なお、察してくれずにキラーパスを出されると、一転窮地に陥ったりする。

 にこにこと笑いながらこちらに変化球をぶん投げた少女は、すでに変身しているようで、身体から魔力が漏れている。同時にそれが消費されていることから、何かしらの魔法を使っているようだった。

 

 そうやって観察していると、笑う少女と目線がかち合い、すぐに気づいて後悔する。

 

 ──また無遠慮に見ちまった。警戒されてる、よな。

 

「……魔法を見られるくらい、別にいいわ。どうせすぐにわかることだし、むしろ、用心深くて頼もしいとも言えるわね」

 

 そんな俺の危惧もお見通しだったらしく、ひとつため息を吐いた後に、少女は俺をフォローした。

 関西弁の少女もうんうんと頷きながら、俺の肩に手を置いて、どこか慈愛を込めて生暖かく俺を見る。

 

「せやな。魔法少女には変わりものが多いし、気にしなくてええで」

 

 ……俺がこうなったのは俺自身のせいではない、とか、それフォローになってねェよ、とか言いたいが、うん、我慢しよう。

 確実に殺せる瞬間が訪れるまで耐え忍んだのが俺である。ストレスで血反吐を吐きながら臥薪嘗胆の心持ちでいたあの頃に比べれば、この程度屁でもないわ。

 

 “それと今回の我慢では、いささかレギュレーションが違う気がするが”

 

 黙ってろアラストル。

 

 “人に当たるのはよくないと思うぞ”

 

 黙っていろアラストル……!

 ごほん、と場の意識を切り替える意味を込めわざとらしく咳をする。それで意図を察したようで、関西弁の少女が俺から離れ、まず最初に自らを誇示するように、薄い胸を張った。

 

「うちは(いぬい)紫乃(しの)! 大阪魔法少女のリーダーや! そんでこいつが」

 

木嶋(きじま)陽鶴(ひづる)よ。シバちゃんは別にリーダーじゃないけどね」

 

「やかましいわ! そこ突っ込むところやあれへんやろ!」

 

 ビシ、と再度脳天に一撃。しかしそれを受ける陽鶴は変身しているからか、それに堪えた様子もなく、流れるように漫才じみた舌戦が始まる。

 ああ、なるほど。このノリが平常運転なのか。さすが大阪、俺たちとは空気感が違うぜ。

 

「っつーか美雲(みくも)もそうやけど名前が綺麗すぎんねん! うちなんて紫乃やで! 乾と合わせて柴犬やで!! ホンマうちの親はセンスないわー、経営センスも含めて皆無や!」

 

「内輪ネタとブラックジョークは使い所を選びなさい。両方を兼ねるなら、もう、どうしようもないわ」

 

「今うち陽鶴っていう身内と話しとるんやけどなー? もしかして陽鶴うちのこと嫌いなん?」

 

「本能で喋るのも大概にしてほしいわね。もう少し頭を使ったら? そしたらすぐにわかるわよ」

 

「ほんで嫌いってわかったらうちすぐに泣くで!?」

 

「安心なさい、そうはならないから」

 

 ……とても、本当に、仲が良さそうで羨ましくもあるが、このまま流されていてはいずれ本題が海の藻屑と消えそうだ。

 

「あー、ちょっといいか?」

 

「そうならないって……ン、なんや?」

 

「俺ァ緊急要請を受けてここに来たンだが……なんか、そっちの様子を見てると、結構余裕そうだな? 何か秘策でもあるのか?」

 

 ミストレスの様子を見るに、それなりの緊急事態だと感じたのだが、この二人からはそんな様子は伺えない。

 そう疑問に思い、口に出すと、乾紫乃は驚いたと言わんばかりに手のひらを打ち合わせた。

 

「あんりちゃん知れへんの? あんまテレビ見ないタイプ?」

 

「生憎と、最近は縁遠くてな」

 

 まさか大阪に来るとは思ってなかったし、と独りごちる一方で、内心ではおのれの浅学を恥じる。テレビでいくらでも研究資料は残っているのだから、研究しようと思えばできたはずだ。

 今後はそれも考えてきちんと時間を使おう。

 

「はぁ〜、まあ今時は動画とかもあるからなぁ。そういうこともあるわなぁ……」

 

「それで私のことを随分眺めていたのね。納得だわ」

 

「この一件が終わったら他支部のも見てみるよ。そんで、実際に何かあるのか?」

 

 まあ隠すもんでもないな、と乾紫乃は前置きして、チラリと隣の木嶋陽鶴を見る。確認をするような眼にしっかりと頷いてみせた彼女は、俺を見てにこりと笑った。

 

()()()()()()()()

 

「正確には、こいつの姉の美雲が()()()、な」

 

 ──は?

 

「……助けに行かなくてもいいのか?」

 

 一瞬、漏れかけた感情に蓋をして、問いかける。それを察知しているのか、俺を落ち着かせるように、乾紫乃は軽く答えた。

 

「必要あれへんやろ。な、陽鶴?」

 

「そうね。“私達”にその心配は無用よ。きちんと退路は用意しているもの」

 

 “私達”──その呼称に違和感を感じたのも束の間、薄く笑った木嶋陽鶴が、支部の外へと目を向ける。

 

威力偵察(おためし)も、そろそろ終わりかしら」

 

「あとはシブチョー待ちやな。あんりちゃんもほら、そんな気張ってたら疲れんで?」

 

「あ、ああ」

 

 そうだ、と俺は思い出した。

 アマイガスは、周辺人口に応じて強大になるということを。

 確かに東京本部は強い。俺を含めた全員が第一魔法に覚醒している──だが、それがすべてというわけではない。

 

 大阪、大阪市。

 その人口は全国屈指のものであり。

 

「“私”、もう少し頑張りなさい」

 

 そこを守護する魔法少女たちが、東京に劣るわけがないのだ。

 

 

 /

 

 

 東京から幾ばくかの山を越え、鬱蒼とした深い森を過ぎ去り、岩肌を打ち据える荒波を乗り継いで。

 などと、そんな直通便は存在しないが、いずれにせよ東京からは少々離れた近畿地方、その中心。東京都に続き、日本の人口密度第二位の高みにある都道府県──大阪府。

 

 その県庁所在地である大阪市には、魔法少女組合の大きな支部がある。

 東京本部にも劣らぬ居住性と利便性を備えた大阪支部に所属する魔法少女の数は、とある黒衣の少女が加入する以前の東京と同じ()()

 

 そしてその全員が、第一魔法以上の覚醒に成功している、A級魔法少女であった。



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第十二話 双子(ひとつ)の魔法

 通常、魔法少女になれる適性を持つ少女はとても少ない。それは肉体的に他者を受容する機能はともかく、アマイガスとの契約に耐え切れる精神が培われているかどうかが、個々人によって変わってくるからだ。

 自尊、野心、羨望、義憤、守護、興味、自衛──言い表せる言葉は、それこそ虹のように無数にある。

 要するに、おのれだけの芯があれば、魔法少女としての土壌ができるのだ。後はその土壌の質、貧富の差が、魔法少女の力を決定する。

 

 弱く貧しい土壌では、美しい花は芽吹かぬように──強く富める心がなければ、魔法少女は強くなれない。

 根本的に土壌がある者を、一〇〇〇人に一人の割合としよう。

 そこからさらに()()()()()()()()()()だけが、強大なアマイガスと契約し、()()()()()を得る機会がある。それほどまでに、この平和な現代においては、突出──あるいは、社会において求められる通常の規格から外れた精神は生まれづらい。

 

 たとえば、魔法少女ブラックアンリ。

 彼は女性化によって他者を受容する機能を得、その上で、男であった頃の強靭きわまる精神をそのまま持ち越したことで、アラストルと呼ばれるヒトガタとの契約を成功させた。ほとんどの魔法少女が、低級の獣型アマイガスと契約を交わしているのに対し、である。

 

 それは驚くべき才能と言えよう。

 彼はその境遇に折れず、復讐を決意し、その過程で精神を幾度も打ちのめされながらも目的を遂げた。そうやって、歪ながらも豊かな心を培ったのだ。

 

 それは刀剣を生む工程に似ている。

 曲がれど折れず。

 憎悪で熱された精神を、深い挫折が打ちのめし、それでも彼は諦めず、その精神を研ぎ澄ました。

 憎き者どもの喉元を掻っ切り、その血飛沫でようやく心を休めるまで、彼はおのれを打つ刀工だった。

 

 それは現代社会においては特級の規格外だ。

 彼女のような存在が生まれるようなことは二度とない。

 二度目を期待してはならない、異常と言い換えてもいい特例。

 

 

 ──であれば彼女以外の魔法少女は皆、社会の歯車に収まる程度の、弱々しいものなのか? 

 

 

 断言しよう。

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 確かに彼女の経歴は壮絶だ。それは違えようがない。

 だがそれは()()()()()()()

 不幸自慢など意味はない。彼女の規格(スケール)を壊すに足る出来事が、()()()()()()()それであったというだけで、何が原因で何が起こるかは個々人によって変わってくる。

 

 他者がその出来事をまるきり経験することはできない。まさしく()()()()()()()()

 何を感じ、何を思い、どうやっておのれを慰めるかはおのれ次第。

 その出来事で如何なる土壌(ココロ)が育まれるかも、おのれ次第なのだ。

 

 

 

 ──魔法少女協会・大阪支部に所属する、三人のA級魔法少女たち。

 彼女たちは極少数でありながら、大阪府全域をカバーしており、その体制は奇しくも東京都と似通っている。構成員も、ブラックアンリが加入する以前と同じ三名──大阪府と東京都、全国的に見て非常に小さな面積と、それに反比例する人口を持つ都道府県を担当するがゆえの少数精鋭。

 

 そんな彼女たちの固有魔法を見たミストレスは、ちっとも微笑むことなく冷静に、組織の長としてこう告げた。

 

東京(うち)と同じ少数精鋭をコンセプトに、ここまで高水準で安定させるとはね。何より素晴らしいのは生存力だ。魔法少女の殉職率は、常々改善したいと思っているけど……その際、理想となるのは大阪だろうね。それほどのものだとも』

 

『そうだね、大阪支部の総合的な戦闘能力は、()()()()()()()()()()()()──今のところは、だけど』

 

 東京本部に匹敵、ないし上回るという高い評価を下したミストレスは、それを以て彼女たちに魔法少女としての称号を授与することを決定した。

 本来、魔法少女としての名前は、支部長及び個々人の裁量で決まる。しかし協会長たるミストレスに限り、全魔法少女に正式な名称を与える権限を持つ。それを行使したのである。

 

『今回は少しシンプルに行こうか』

 

 そうして与えられた名前は、()()

 

『乾紫乃には“輝矢姫”。

 残る二人には“天に瞬く双子星”。

 ──君たちにとっては、これが一番相応しいだろう?』

 

 

 

 /

 

 

 

「……変なことを思い出したわ」

 

 魔法少女スタージェミニは、自身の周囲に散らばせた星々の数と残存魔力を数えながら、遠のいた意識を取り戻した。

 ──後、五つ。補充できるのは十個くらい? そのくらいが潮時かしら。

 

「情報によると、一般人は攻撃しない、らしいけど」

 

 こんな肉塊のごとき奇怪な化け物の良心に期待するなど、それこそ馬鹿というものだ。少女はため息を吐きながら、ぽこん、とさらに五つの星を生み出す。

 監視カメラで見たものよりも、一回りか二回りは大きいその異形──“摂取欲《パッチワーク》”。気味の悪い見た目もさることながら、その全身から滲み出る魔力は、まるでパレットの上で適当にかき混ぜられた絵の具のように穢らわしい。

 

 個性も特徴もまるごと煮詰めた黒い魔力が、肉塊がずるずると這うにつれて、その痕跡を残すように道路に染み付いていた。

 

『R、UU……』

 

「女の声で鳴かないでよ、気持ち悪い」

 

 鬱陶しいほど甘く、身の毛がよだつ鳴き声。何もかもが不快感を掻き立てる怪物に、半ば本気で侮蔑の言葉を吐き捨てると、その瞬間に怪物は動き出した。

 

『UA、AAaAAAAAAAAa──』

 

 ぐにゃり、と肉が破裂する。否、それと見紛うばかりに分裂し、増殖し、それらが結合して無数の腕を形成する。その根本がたわみ、物理的に考えてあり得ない張力を溜め込んで──

 

「──()()()()()()()

 

 打ち出された無数の腕を、少女は瞬時に形成した障壁によって、こともなげに防いで見せた。同時に、障壁の角に位置していた五つの星が、輝きをなくして散っていく。

 その分の星をすぐに補充し、スタージェミニは冷たく笑った。

 

「もう効率化は済んでいるわ。星五つ、小技も小技。もう少し気合を入れなさいな」

 

 ──とは言うものの、さすがに高位アマイガスね。魔獣型なら三つも使えば余裕で防ぎ切れるのに。

 それにわずかに焦りが生まれるも、しかし、彼女の魔力は揺らがない。

 

 

 そう──“私達”の魔力は、この程度では揺らがない。

 彼女は確信している。彼女たちが今まで積み上げてきた実績、経歴、それらがすべて、彼女を支える自信。

 

『“私”、もう少し頑張りなさい』

 

「もう、こういうときは発破じゃなくて応援が欲しいわ」

 

『はいはい、頑張って美雲(わたし)

 

 そこに叩きつけられた肉の巨槌を防ぎながら、通学路で駄弁るような気軽さで、魔法少女スタージェミニは笑い合う。

 ──残数、四。

 

「そういえば、東京から応援が来たらしいけど、どういう子なの?」

 

 彼女たちは二人で一人。

 全国的に見ても極めて数が少ない、()()()()()()()()()()()()()()

 

『ええ、とても可愛らしい子よ。あなたのことを心配しているわ』

 

 砕けた星を即座に補充。間髪入れずに、先ほどよりも多量の魔力が込められた黒い腕を防ぎ切る。

 ──残数、ゼロ。

 

「なら尚更ね。伝えておきなさい、陽鶴(わたし)

 

『なにかしら、美雲(わたし)

 

 木嶋陽鶴と木嶋美雲。

 瓜二つの可憐な少女たち。

 

 

東京(あなた)の手を煩わせるまでもないわ」

 

「このアマイガスは、私たちが処理する」

 

「大阪は、強いもの」

 

 

 彼女たちが持つ()()()()──我らは輝く一等星(ワン・トゥインクル・シングス)

 その効果は、概念的同一化。

 

「潮時ね。そろそろ帰るわ、陽鶴(わたし)

 

 肉塊がさらなる変貌を遂げる。

 

『U、AAAAAAAAAAAAAAAAAA──!!』

 

 いつまで経っても喰えない餌に苛立ち、赤児のように唸りながら、ぐじょぐじょと無数の細く艶かしい手足と歯並びの良い口を()()()

 あまりにも悍ましい姿へと変わっていく“摂取欲”を、スタージェミニは観察する。そこに諦めは存在しない。

 

『わかったわ。偵察、ご苦労様』

 

 肉塊が跳ねる。無数の手足をばねのように使って、身を守るための星が尽きた極上の獲物を喰らわんと、大口を開けて飛びかかり。

 その刹那、スタージェミニが薄く笑う。

 

「それも知ってる。──じゃあね、間抜けな怪物さん」

 

 ()()姿()()()()()()()

 

『…………………………A?』

 

 瞬きをするよりも早く──まるで最初からいなかったように、魔法少女スタージェミニはその場を後にして。

 残された怪物だけが、無数の首を、ごきり、と傾げた。

 

 

 

 /

 

 

 概念的同一化。

 それは木嶋美雲は木嶋陽鶴で、木嶋陽鶴は木嶋美雲であると示している。

 そこに二人は存在する。ゆえに二人は一人であり、そこに矛盾は存在しない。

 

「おかえり」「ただいま」

 

 魔法少女スタージェミニが、魔法少女スタージェミニの元に、寸分違わず現れる。

 その姿は傷だらけで、魔力も枯渇寸前で。けれど役目を果たした清々しさに満ち溢れている少女たちは、まさしく瓜二つの、仲良しの姉妹そのもの。

 

 それこそが双子(ひとつ)の奇跡。

 

「お帰りなさい、スタージェミニ。あらましは陽鶴ちゃんから聞いていますから、今は体と心を休めてください」

 

 支部長の労りを受けて、二人は魔法少女のまま、ともに大広間のソファーに座る。

 

「「ありがとうございます、支部長。シバちゃんも、スポドリありがとう」」

 

「ええよええよ。お疲れさん」

 

 そして、突然少女が転移してきたことに驚き、固まっている蒲蕗あんりをくすりと笑って、二人は一緒に口を開いた。

 

 

「「さあ、作戦会議をしましょう。あなたの手を煩わせるつもりはないけど、万全を期すためにね」」

 

 

 二人は一人、一人は二人。

 木嶋美雲/木嶋陽鶴の第二魔法は、その存在を同一にする。

 

 魔力も。

 魔法も。

 ()()()()()

 

 彼女たちは常に、お互いが同時に存在している。

 ゆえに、基地にいる木嶋陽鶴の元に、木嶋美雲が現れても、何らおかしいことはないのだ。




これにて連続更新は終わりです。
今後もエタらずに頑張って書きたいと思いますので、応援よろしくお願いします。
……評価とか感想とか、手っ取り早く応援する手段がここに……!


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第十三話 刃は届かず①

 帰還した双子に、乾紫乃が魔法をかける。

 東京と変わらない、光を伴う回復魔法──まるで生命の息吹そのものが染み込んでいるような深い碧が、二人の身体を癒している。

 帰還してからずっとこうだ。少なくない魔力が治療のために費やされていくのを見て、ついつい口を挟んでしまう。

 

「そんなに使って大丈夫なのか? これから戦闘だろ?」

 

「大丈夫大丈夫、うちの魔法でどうとでもなる。今はさっさとこいつらを復帰させるのが先や」

 

 回復魔法は肉体だけでなく、魔力の源である精神までも落ち着かせ、その休息を促す。確かに威力偵察に出た木嶋美雲の回復も早まるだろうが──

 

「……なんかすげェ速度で回復してねェか?」

 

 早まる、どころの話ではない。回復魔法の光を二人が心地よさそうに浴びるほど、先ほどまですっからかんだった木嶋美雲の魔力がどんどん回復していく。そもそも乾紫乃の回復魔法が、俺のものより効果が高そうなのもあるが、それにしても異常な回復速度だった。

 それを気にした様子もなく、二人は揃って口を開く。

 

「「敵性アマイガス、個体名を“摂取欲(パッチワーク)”。その性質は、捕食した存在の模倣」」

 

 まるでオルゴールを奏でるように。

 まったく同じ抑揚で、まったく同じ言葉が、ズレることなく紡がれている。異口同音、どころの話ではない。声色に至るまで完全に同じ──双子であってもあり得ないほどに、その波長が同一だった。

 

 “これが、第二魔法、か”

 

 彼女の魔法は、二人が持つものを共有すること──二人分の回復が合わされば、魔力の回復もその分早くなる。単純かつ論理的だが、驚きが優ってしまった。

 

 ……人の理想を体現する第一魔法の先、人の本質を突きつける第二魔法。

 そこに至るには、おのれの内側──見たくもない陰を、真正面から見定める必要があるという。それは理想を、地に足つかない夢を掲げる第一魔法とは、まったく正反対のものだ。

 

 俺は、それを目覚めさせることができるのだろうか。

 

「「奴は魔法少女を捕食したことで、その超常の味に酔いしれています。ずっと観察していましたが、市街地に手を出す気配すらありませんでした」」

 

「美雲の張った結界を感じ取ったからちゃうんか?」

 

「「だとしても、そちらに意識を向けようともしないのはおかしいわ。奴に取り繕おうとする知性はない、それは戦って確認したもの」」

 

「そう。なら、ミストレス協会長の情報は間違いなさそうね」

 

「「あまり過信するのもやめた方がいいと思いますが」」

 

 ……いけねェ、作戦会議中に呆けてしまった。自分のことは後だ後。

 

「“摂取欲(パッチワーク)”のことは東京で確認しています。現状、奴は固有魔法を持つ魔法少女を取り込んではいないはずです」

 

「「ええ、その通り。使ってくるのは模倣・増殖された肉体と黒い魔力、それを用いた汎用魔法くらいで、固有魔法は確認していないわ」」

 

 もしも捕食するような場面があったとしたら、とっくに通報がないとおかしい。それに加えて、奴に知性はない。威力偵察と認識して、固有魔法を温存するような真似はしないだろう。直接戦った彼女たちの実感付きだから、信憑性は高い。

 なら俺でも充分戦えるはず、と口に出そうとした瞬間、双子が、俺に向けて手を突き出した。

 

「「あなたはここで待機していてちょうだい。今回のアマイガスは、私達で対処するわ」」

 

「は……? いや、それは」

 

「「わかっているわ。あなたも含めた四人で戦った方が、より確実に仕留められることは」」

 

 であれば何故、俺に下がっていろと言うのか。

 納得できない俺に、今度は支部長が諭すように言う。

 

「先月、東京に現れた高位アマイガスは、そちらで討伐したのでしょう?」

 

「……はい。一度目は俺が。二度目は、もう一人の魔法少女と一緒に」

 

「そして今、もう一匹のアマイガスが、この大阪に現れた。今までほとんど確認されていなかったヒトガタが、立て続けに……これは、明らかに何かの予兆と言ってもいい、私はそう考えています」

 

 そこまで言われてようやく気づく。はっとした俺を見て、乾紫乃はからからと笑った。たんぽぽのように華やかで、けれど気丈な笑みだった。

 

「いっつも応援を呼べるわけちゃうさかいな。今回はタイミングがずれたからまだええけど、同時に出現したら、そのときどないすんって話やし」

 

「つまり、大阪は自分たちで充分処理できると、今後に向けてそう示すための……?」

 

「「そういうこと。日本に存在するA級魔法少女が複数人集まれば、ヒトガタは討伐可能。その前例を作ってくれた東京(そちら)に続くためにも、ね」」

 

 純粋に、()()()()()と、そう思った。

 彼女たちは、これから先に起こることを見据えている。確証がなくとも、“もしかしたら”を考えて、それを実行しようとしている。

 

 彼女たちは、ただ大阪を守っているのではない。

 大阪を守った上で、のちにどれだけの命を拾えるか──日本全体の先を考えて行動しているのだ。

 

「……俺はそこまで、考えが及ばなかった」

 

 俺は、東京にいる彼女たちを死なせないために、今度こそ守るために魔法少女になった。だから、と言って良いのかはわからないが、それ以外のことには目を向けていなかった気がする。

 “あの子たちのためになる”──誰かを助けることも、それにつながると考えたのだ。

 

 まさしく、魔法少女としての格が違う。

 彼女たちは遥か先を見つめながらも、足元の花を慈しんでいる。それを可能とする力と経験が、花にも勝る気高さとして、彼女たちを飾り立てている。

 

 ……個人の復讐のため、全体を旨とする社会からドロップアウトした俺にとっては眩すぎる。不甲斐なさで目が潰れそうだ。

 

「「仕方ないわ。第一魔法を覚醒させたとは言え、あなたはまだ魔法少女としては駆け出しだもの」」

 

「うちらは魔法少女としては、例外的に(なご)う生き残ってるさかい、こんなんを考える無駄があるだけや。あんりちゃんが卑下するこっちゃあれへんで」

 

 そこに嘲りはかけらもない。純粋な慰めだが──しかし。

 

「……その視点はきっと、俺も持つべきもの。だから無駄なことなんて言わないでください、乾先輩」

 

 反論しようとして自然と口を突いて出たのは、使い慣れた舎弟口調だった。

 

 ロクデナシの集まりにも、最低限の秩序はある。それが上下関係であり、それを乱すものは拳で罰せられていた。

 もちろん俺はそんなヘマはしなかったが、金髪の半グレが隣で何度も殴られていれば、いやがおうにも厳格にならざるを得ない。

 

 なかなかどうして、汚水を呑み干して芯まで根腐れしたような連中との付き合いも無駄にならないものだ、と染み付いた舎弟根性に我ながら感心していると。

 

「センパっ……ちょ、そら小っ恥ずかしいわ〜! そんな偉いもんちゃうで〜!?」

 

「「いいじゃない、シバちゃん先輩。似合ってるわよ、シバちゃん先輩」」

 

「あんたらはもうちょっと遠慮せぇやっ! 親しき仲にも礼儀ありやろうがっ!」

 

「さすがシバちゃん先輩、流れるようなツッコミだ……!」

 

「あんりちゃんっ……そのノリはええから早よ戻ってきてっ……!」

 

 行けそうだと思ったから挟まってみたが、乾先輩と木嶋先輩たちの域にはまだまだ及ばないらしい。

 ──ギャグセンス、それは復讐者には無縁の代物。生半可な腕で挟まると恥で死にたくなるので注意しよう、うん。

 

「スン、って真顔になるのもちょっと怖いであんりちゃん……」

 

「「なるほど、天然ボケね」」

 

 “周りにツッコミがいると自分はボケに回るタイプ、か。だが悲しいかな、経験値が足りない”

 

 黙ってろアラストル。

 

 “何故我にだけ……?”

 

 

 /

 

 

 そのようなことがあって、しばらく。

 俺は変身を済ませた状態で、大阪市街で息を潜めていた。

 内側のアラストルの力も借りて、外に漏れ出る魔力を極限まで抑え込む──気配を殺す業など素人も同然の俺ができる、最大限の潜伏だった。

 

 閑散とした市街地は、普段の活気からは想像もできないほどに暗く澱み、沈んでいる。

 まな板の上の魚のようだった。

 とっくに死んで横たわるか、あるいは、死を間際にして捌かれることを悟り、無力にあえぐ矮小ないのち。

 

 捌くか、捌かれるか。

 殺すか、殺されるか。

 血まみれの二元論が、俺たちとヤツとの間で、主導権(イニシアチブ)という形で明確化されていた。

 

『A……a、a……』

 

 歌っているのだろうか。

 路地をずるずると這いずりながら、意味をなさない音の連なりを、呑気に醜くさえずっている。

 よしんば意味があるのだとしても、それを解読する気にはなれない。だってその口は、俺の知らない誰かのもの──揺らぐ弦すら他人のものなら、賢しげに振る舞ったとして、そこに品性が欠けている。

 

 知らず、両手を握りしめる。

 たとえ関わりがない誰かのものでも、不愉快なものは不愉快だった。

 

「「大丈夫よ」」

 

「……先輩方」

 

「「過度な激情は身を滅ぼすけど、今のあなたはそうじゃない──自信を持って怒りなさい。それが魔法少女の、根源的な力だもの。……というか、もう感情制御を身に付けてるとか、あなたほんとうに新人なの?」」

 

「前歴がちょっとへんてこなもので。ともかく──俺の怒りも含めて、お願いします」

 

「「任されたわ」」

 

 前に歩み出る二人の背中は頼もしい。強烈な自負から来る高純度の魔力が、第六感を安堵させていた。

 俺は彼女たちとは反対に、後ろに下がる。戦いに巻き込まれない位置まで──それがこの戦いで目指すもの。

 “大阪は大阪で戦える”と、そう示すための前提条件。

 

「手ェ出しそうになったら、殴ってでも止めてくれ」

 

 “必要ないだろう。汝の理性は、とても硬い”

 

 ならばいい。

 俺は俺の仕事をこなす。

 

「頼みます、木嶋先輩……乾先輩」

 

 木嶋姉妹が両手に輝く星を浮かべる。

 それぞれ青と赤、陽鶴と美雲の色に染まった、二人だけの第一魔法。

 

「………………」

 

 怪物が彼女たちに気付く。

 先ほど逃げ出した餌だと気付く。

 

 

『u、AAAAAaaaaaaaaaaaa!!!』

 

 

 その大口をぱかりと開いて、肉塊が猛然と、二人にして一人の魔法少女に飛びかかった。



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お知らせ

しばらく更新できておらず、申し訳ありません。

1月にも似たようなことがありましたが、実はあのときから、ひしひしと考えていたことがあります。

 

単刀直入に申しますと、書いていくうちに自分の中で違和感が膨らんでいき、自分はこれが書きたいのか疑わしくなってしまいました。

さらに設定面の不備、納得できない構成など、正直、このまま続きを書いてもせっかくの作品がダメになる予感でいっぱいになっています。

 

そんな状態で書いても読者の皆様を楽しませられるような作品をお届けできるとは、どうしても思えないのです。

あんりを始めとする彼女たちの物語が、そのような形で終わってしまうのはとても不本意なので、このたび、思い切って書き直し──世界観の根幹は同じながら、それらを彩る枝葉を付け直したいと考えています。

 

ですので、この作品は旧作として、一度完結させたいと思います。

急な話で申し訳ありません……しかし、しばらく考え、悩んだ結果、このような結論が出ました。

先述した通り、今のまま続きを書いても、ろくなものが出来上がる気がしないのです。

 

あんりというキャラクターが根幹、世界を揺るがす主人公であることは変わりません。

あかね、静理も、明子も、少し形は変わるかもしれませんが、あんりを支える仲間たちも、決して欠けることはないでしょう。

ミストレス……ルシファーもまた、あんりに並ぶかそれ以上のキーパーソンです。

 

生きるか死ぬかも自分次第。

そして彼女たちが生きていく世界は、今のままではダメだと考えました。

そして構成も……正直、一章時点から構成に不満、不安があり、書き直してえなあと常々考えていました。山場と山場の間が冗長だとか、魔法の設定ちょっとダサかったなとか、まあ色々。

 

 

正直、現時点の世界観は、少し狭い苦しいというか。

何もない暗闇に未知を期待して、やみくもに手探りしているというか。

ともかくそのような不自由に過ぎる世界観だと思えて仕方なく……より劇的なドラマを描くためにも、世界観の練り直しは必須であると決意した次第です。

結局、自分が納得できないというだけの話なのですが、クオリティに直結する以上、それを無視するのは妥協未満の代物だと思えて仕方なく……。

まこと自分勝手で申し訳ありませんが、どうかご理解の程、よろしくお願いします。

 

 

 

追伸

リメイクする際も「TS魔法少女の刑に処す」というタイトルは変わりないと思いますので、もしも見かけた際は、一読していただけると嬉しく思います。



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