虚無宙域 (伯林 澪)
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プロローグ

はじめまして、銀乌と申します。まだこのサイトでは新米中の新米ですが、どうぞよろしくお願い致します。


──旧・馭者(ぎょしゃ)δ(デルタ)星宇宙管区 第七宙域──

『こちらGB721、こちらGB721、どなたか応答願います……こちらGB721――』

宇宙塵(スペース・デブリ)瀰漫(びまん)する大海原――かつて〈馭者(ぎょしゃ)δ(デルタ)星宇宙管区 第七宙域〉とよばれた場所――に(たたず)む一隻の宇宙船から、弱々しい一条の電波が疾駆(しっく)する。だが、その声を聴く者は誰ひとりとしていない。

宇宙船の船体はあちこちへこんでおり、いくつか破孔もあいていた。船体に推力を与えるはずのエンジンは、四基中三基が沈黙している。

「――応答願います……はぁ、今日もだめだよ。全天探査も限定探査も失敗(ネガティヴ)通信衛星(サテライト)は一基も反応しないし……」

〈GB721〉――民間宇宙船〈ポラリス7号〉の無電船室(ラジオ・キャビン)に座る少女の片方が、探査装置の制御コンソールに赤々と表示された〈NEGATIVE(成果無し)〉の文字を見ながら呟く。――その探査装置は高速通信装置により半径二光年の範囲を走査可能な代物(しろもの)であったが、その広漠たる空間にすら、()()宇宙船は一隻たりとも存在しなかったのだ。

少女の顔は見るからに憔悴(しょうすい)しており、飢餓と疲労で落ちくぼんだ眼には濃く絶望の色が漂っている。

「まあまあ、明日やり直せばいいよ。ね? たまたま誰も応えなかっただけだって……ほら、晩御飯食べよ?」

もう片方の少女が、自分に言い聞かせるように、殊更(ことさら)に快活に言いながら、真空包装された小さな袋の口をあけ、中にはいっていたカロリー・バーの欠片(かけら)を二つ取りだす。――二人は数立方センチに満たないその無味乾燥な欠片を、小さな顎で必死に咀嚼し、からからに乾いた舌に絡みつかせた。あたかもそれが最後の晩餐であるかのように……

 

彼女らがこの探査作業をはじめてかれこれ一ヵ月――頼るべき大人たちは全員、二号エンジン・ルームの爆発事故で死亡し、あとには彼女ら二人だけが残されていたのである。

――かくして〝食事〟をおえた彼女らは、死んだような静寂にかえった船内で、無意味と知りつつ考える。()()()()()、人類という育ちつつあった若木は、かくも無惨な終末をむかえたのか――と。

 

それを説明するには、×年前――()()忌まわしき兵器の開発された()()()に――戻ってみる必要があろう……




いかがでしたでしょうか。励みになりますので評価・感想等、よろしければお願い致します。


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第一話・螻蟻潰堤

その日、世界各国の新聞の一面を飾った「全面核兵器廃絶条約調印!」の大見出しはしかし、既に多くの知識人から予測されていたものであった。

人類が積極的に宇宙空間へ進出し、「海外領土」ならぬ「()()()()」を領有するようになってから、「核攻撃による敵国領土破壊」はもはや不可能となった。――さよう、破壊すべき「領土」が広すぎたのである。いまや政府機能は移転が容易なものとなり、仮令(たとえ)国土が荒廃していたとしても、政府中枢が有りあまる宙外領土に避難すれば、充分に〝国家〟として存続できるようになっていた。

そして、いまや維持コストばかりが(かさ)む無用の長物と化した核兵器は、もはや防衛戦略の一翼を担うことは()()()()不可能となった。ゆえに、それらは代《・》()()()の研究開始と同時に――反核兵器団体の圧力もあいまって――鷲座β(ベータ)星宇宙管区δ(デルタ)―19宙域からη(イータ)―5宙域にまたがって設けられた巨大な廃棄用宙域へと廃棄されたのである。

そしてそれは、北米大陸全土をその版図(はんと)におさめたアメリカ自由連邦ですらも、例外ではなかった。――少なくとも、その()()だった。

 

──米国・ホワイトハウス 地下会議室──

「さて、今日皆様にお集まりいただきましたのは、先日締結されました〈全面核兵器廃絶条約〉にもとづく核兵器の廃棄と、それにともなう代替兵器の開発を協議するためであります……」

白堊館(ホワイト・ハウス)の地下二階をまるまる占領する大会議室で、大統領の右前に座る副大統領が言った。各方面の最高権力者がずらりと並ぶマホガニー製の長机に、レジュメと珈琲(コーヒー)が配られる。

「では、私からご説明いたしましょう……」副大統領から目くばせをうけた国防長官が言うと、全員の視線が彼に注がれた。

「現在、我が国の保有する最高の核兵器は、ミズーリ兵器(しょう)製の〈ポセイドン級恒星間核ミサイル〉であり……この兵器は二七〇メガトンの核・サーモバリック複合弾頭を装備し、単独で半径八キロ級の小惑星を破壊可能な代物ですが――この核兵器をもってしても、宇宙空間における〝抑止力〟とはなり得ません。問題は、宇宙空間が()()()()という点にこそあるのです」彼は大学で講義でもするような口調でつづける。

「広大な空間にたいする兵器としては、BC兵器――すなわち細菌兵器などの生物兵器がもっとも効果的な手段となります。ですが、宇宙空間はご存じのとおり真空であり、BC兵器は『宇宙船=宇宙船』、あるいは『宇宙船=宇宙ステーション』の二経路のみでしか伝染できません。これはBC兵器が宇宙空間において有効な手段ではないことを示します。その点、電子兵器――有り体にいえば「コンピュータ・ウィルス」でしょうか――は、ネットワークを経由して伝染するため、〝真空における伝染性〟という点でBC兵器にまさるのです」

「コンピュータ・ウィルス?」誰かが言った。「たしかにあの感染力は驚異的ではありますが……制御コンピュータを潰したところで――せいぜい、手動操縦に切りかえる必要が生じるだけではありませんか?」

「いいえ……」国防長官がこたえる。「宇宙船や宇宙ステーションには――()()()()()()というものが存在します。たいていの場合、それらはコンピュータによって自動管理されていますので、コンピュータの機能停止はそのまま――生命維持装置の動作停止を意味します。よほど原始的な宇宙船でないかぎり、生命維持装置は厳重にロックされており、簡単には手動操作に切りかえられませんからね……ほとんどの場合、内部の人員は死亡することになります」

一同のあいだに奇妙な沈黙がながれる。――数秒後、大統領が口をひらいた。

「ふむ、では君は、代替兵器として電子兵器を推薦するのだね?もしそうなら――極秘に専門機関を創設してやってもいい。だが――我々への被害はどう回避する?」

国防長官は小さく溜息をつき、カップに残っている珈琲(コーヒー)を飲み干してから言った。「そこまでは、我々では調査できませんでした。資金不足がたたりましてね……ですが、専門機関の設立を承認してくだされば、より深く研究することが可能です。ですが、おそらくは――じっさいに作ってみなければわからないでしょう」

大統領はしばらく(うつむ)いて考えこんでいた。――彼の頭では、「絶対的な力」と「自国への損害の可能性」という二つの要素が拮抗(きっこう)していたのである。

しかし、いまなお勢力を拡大しつつある仮想敵――中国のことを考えた瞬間、後者の考えはたちまち、彼の頭から吹き飛んだ。

「よし」彼は熱をおびた口調で言った。「国防長官、君の意見具申を受けいれよう。今夜、極秘に専門機関を設立する。君は――その長官を兼任したまえ」

国防長官が我が意を得たりと顔をほころばせる横から、今まで黙りこくっていた統参議長が口をはさんだ。

「大統領閣下、では現在保有している核兵器は――すべて廃棄されるのですか?」

「もちろんだ……条約にも署名したしな」大統領はそう言ったが、統参議長はすばやく反論をくわえた。

「閣下、どうかお待ちください。核兵器は()()()において、いまだ最高の抑止力として君臨しています。ここは保有核兵器の大半を廃棄するにとどめ、最低限の数は残しておくべきではないでしょうか?」

「しかし……」大統領は顔を曇らせた。「条約は締結されたのだぞ。我が国だけ条約を――」

「条約()()()が何でありましょう!」統参議長がわめいた。「すべての国が核兵器を完全に廃絶しているという証拠がどこにあるのです!?」

統参議長の剣幕に()され、大統領と国防長官が無意識に後ずさる。――だが、そんなことは意に介さず、日にやけた筋肉質の巨漢は、威圧するようにつづけた。「へたをすれば、我が国()()が愚直に核兵器全廃絶を実行したということにもなりかねませんぞ!閣下は国防を何だと思っていらっしゃるのか!」

「わかった、統参議長……」大統領は滝のような冷汗をながしながら言った。「廃棄するのは余剰核兵器だけにしておこう」――彼は憲兵隊にこの失礼な男をつまみ出すよう命じることもできたのだが、統参議長派の議員が上院の七割を占めていることを思い出し、二の足をふんだのである。

「ふん」統参議長はまだ不満そうな顔をしていたが、しぶしぶ席にもどっていった。

この男さえいなければ……と、大統領はいつもおもうのだった。――情けない!米国大統領たるこの私が、一部下の態度すら(ただ)せんとは!

 

はたしてその夜、大統領は大統領令RY―五五七〇号をもって()()核兵器の廃棄を命令し、極秘大統領令RY/F―五七七一号をもって宇宙電子戦研究所 (SERC)の設立と、敵陣営に致命的な経済的および()()()()をもたらす電子兵器の開発を命令したのであった……

 

──米国国防総省(ペンタゴン)B棟・35号特別機密室──

極秘大統領令RY/F―五七七一号の発令から×ヵ月後、米国国防総省(ペンタゴン)の特別機密室で、アルフレッド・ダグラス大佐は極秘の訪問をうけていた。彼の眼前に座る大柄な職員は、彼に〈CLASSIFIED(機密)〉と書かれたステンレス製の軍用USBメモリを手渡すと、その体軀(たいく)に似合わない小声で切り出した。

「大佐、SERCのE―9課で研究させていたものが完成しました。といってもまだ試作品(プロトタイプ)なのですが――これだけでも充分に効果があるでしょう」

「ふむ、E―9というと……」

大佐はノート・パソコンのキイをいくつか叩き、極秘命令書の一枚を呼び出す。

「……RQ―21号か」

「おっしゃる通りです。計画名はギリシャ神話の軍神から〈アレス〉……説明はUSBメモリにテキスト・ファイルとして格納してありますので、そちらをご覧ください。ただ、一つだけ注意点が――()()()はまだ、使わないでください」

「なぜだ?敵をたたくのは早い方がよかろう」ながいこと続けてきた国防関係の仕事は、大佐の頭に〝先手必勝〟の概念を染みつかせていた。

「それであってもです。〈アレス〉はあまりにも強力で、我々にも()()()()()()()()()()()()のです」職員は頭の固い老将校に、言いきかせるように言った。「いまこいつを野放しにしたら……それこそ取り返しのつかないことになります。わが国も無事ですむかわかりません。ですから大佐、USBメモリの中身は絶対に電波の届かない場所で閲覧し、誰にも送信しないでください。衛星回線を経由しても、通信衛星自体がやられてしまいます」

「よくわかった。ほかに報告は?」大佐はまだつまらなさそうな顔をしていたが、ようやく納得したようだった。

「そうですね……八分儀座λ(ラムダ)μ(ミュー)―23宙域周辺で、CIAがなにやら嗅ぎつけたようです。まだ詳報がないので詳しくはわかりませんが。あとは――あぁ、言い忘れていました……つい先ほど、中国のスパイがB棟に侵入したと報告がありました。じき捕縛されるでしょうが……一応報告書RT―五五九号にまとめてありますので、詳細はそちらをどうぞ」

「ご苦労。戻りたまえ(グッド・デイ)

職員が部屋から出ていくと、大佐はノート・パソコンにUSBメモリを挿し込み、内部データを見ようとした――画面が明滅し、冷却ファンが猛然と回りだす。

くそっ(シィット)……そろそろ換え時か」

大佐は忌々しそうに言うと、荒々しく職員呼び出しボタンを叩いた。――まったく、ちかごろの電子機器というものは壊れやすくてかなわん……私の家にはたしか――いやに頑丈な一九六〇年代製の鋳鉄(ちゅうてつ)製タイプライターがあったはずだが……

 

そのころ、米国国防総省(ペンタゴン)B棟・35号特別機密室の天井裏に、一人の男が隠れていた。その顔は東洋人を思わせ、痩軀な長身に黒スーツを着込んだその姿は蜘蛛を連想させた。近くの警備員は毒ガスで昏倒しているので、ほかの警備員が駆けつけてくるまで、あと三分はある……男は防音器と電波遮断器の組み込まれた排気口(ダクト)の蓋を慎重に取りはずすと、手に持った棒を室内に挿し入れた――さいわい、室内の耄碌(もうろく)した老将校は蓋を外すときの微かな音に気付かず、ノート・パソコンのディスプレイに見入っている。

数秒後、男の持っている端末の画面が点灯し、ハッキング先のノート・パソコンが表示している〈TOP SECRET – PROJECT RQ-21 “ARES”(極秘―計画RQ―21号“アレス”)〉と名付けられた機密ファイルが表示された。男は端末を操作し、そのファイルをどこかへ()()()()()()()()()()()

――〈アレス〉はさっそく開発者の想定通りに行動をはじめ、ものの数秒で衛星のコンピュータを掌握すると、周囲の衛星に自身の複製(コピー)を送信しはじめた。

地球の大気圏の上層部、ほとんど大気のない領域には厖大(ぼうだい)な量の人工衛星や()()宇宙ステーションがそれこそ櫛の歯をひくように往来しており、そのことごとくがコンピュータによって動いているのだ……



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第二話・序章

──宇宙空間・国際協定座標TQ201/AR998──

「――!?」

ジョン・ヘインズ中尉が異変に気付いたのは、仮眠から()めたときだった。口に酸素マスクをあてがわれていたのだ。辺りを見まわすと、周囲からエラー音や船員の怒号が聞こえてきた。

 

「システム再起動を試せ!」

「姿勢制御エンジン動作停止!」

「バックアップはまだか!?」

「前方レーダー3号、ブラックアウト!」

「整備班は何をしているんだ!」

 

USS〈スペース・パイオニア号〉は最新鋭の宇宙巡洋艦だ。よほどの大規模攻撃に(さら)されたのでないかぎり、このような事態にはならないはずだが――そう考えた中尉が制御コンソールを見ると、船体の破損は見られないかわりに生命維持装置の表示が〈DISABLED(無効)〉となっている。原因を示す欄には〈UNKNOWN SYSTEM ERROR〉。

しばらく啞然としていた中尉が少しでもシステム復旧作業に加勢するべく立ち上がると、すぐ横で低いビープ音がした。振り返ると、エア・ロックの気密状態表示が〈UNLOCK〉となるところだった。――生命維持装置が故障し、さらにエア・ロックから空気が漏れ出していては、この宇宙船の船員の命はもって十数分だ……酸素タンクの残量はすでに危険領域に入っているうえ、いま起きている船員は現状把握に手一杯で、救助を呼ぶことまでは手がまわっていないようだ。このまま誰も救援をよこしてくれなければ、我々はまず助かるまい――中尉は過呼吸にならないよう気をつけながら、無電機の前まで歩いていき、周波数を国際緊急周波数にあわせて通信を試みた。

メイデイ(MAYDAY)メイデイ(MAYDAY)メイデイ(MAYDAY)!こちらSA972、USS〈スペース・パイオニア号〉!ワシントン管制センター (WACC)へ、WACC応答願います!」

『WACCよりSA972へ、感度良好』

五秒とたたずに管制官が応答したので、中尉は心中で安堵しつつ救援要請を返す。

「こちらSA972、至急救援機を出していただきたい。当艦はシステムエラーにより生命維持装置が停止、さらにエア・ロックの故障により残存している酸素も漏洩している」

『WACC了解、ただちに救援機を送る。貴艦の位置は?』そう問われ、中尉は戦術マップを見る。

「こちらSA972、本艦の現在位置は、国際協定座標TQ201/AR998だ」

『WACC了解。救援機はただいま出発、当該座標到達まで約七分』

中尉は反射的に酸素残量表示を見る――表示は〈3min.〉。中尉は酸素をセーブすることも忘れ、ほとんど叫ぶようにいった。

「こちらSA972、私の酸素ボンベ残量はあと三分しかない!救援機の速度を上げていただきたい!」

『こちらWACC、救援機は最高……中だ……その……待機……』

管制官の声にノイズが走ると、とたんに無線がブツッと音をたてて途切れた。

「WACC?WACC応答願います!こちらSA972――」

そこで、中尉は酸素残量が少ないことを思い出し、叫ぶのをやめて残量表示を見た……表示は〈05sec.〉。五秒間はまたたく間に過ぎ、中尉は化学合成の酸素がマスクへ排出されなくなるのを感じるや否や、恐怖で失神した。

 

〈スペース・パイオニア号〉の亡骸(なきがら)に救援機が到着したのは、船員全員が死亡した三分後のことだった。彼らはシステムに精密検査を行い、システムエラーの原因を突き止めるべく、当該機の中枢制御コンピュータをつんで帰路についた。だが、救援機は()()()()をおこして大気圏再突入に失敗し、燃えつきた……

 

 

──米国宇宙防衛司令部──

八月の蒸し暑い朝、米国宇宙防衛司令部 (USSDC)長官は、寝起きで眠い目をこすりながら青年将校の報告を聞いていた。――ここ数十年で、地球温暖化はますます加速し、ときには最高気温四五度を記録することもあったが、長官室のエア・コンディショナーは囂々(ごうごう)と音をたてて、摂氏二五度の風を長官の胡麻塩(ごましお)頭に吹きつけていた。

「本日早朝、第六八九戦闘航空団が哨戒飛行を実施し、フロリダ半島沖で民間宇宙船の残骸を発見しました。当該機はジェイムズ&ポーター商会所有の〈アルファ・ケンタウリ号〉と特定、墜落原因は()()()()による意図せぬコース変更と思われます」将校は淡々と告げる。

「ご苦労。それくらいならさして珍しくもない。当該機の残骸は回収し、所有者には連絡を入れておけ」長官は乱れた髪を搔きながらこたえる――何だってこんな()()()()()()事件で俺が起こされなけりゃならんのだ?

青年将校が部屋を出ていくと、長官は大欠伸(おおあくび)をした――カレンダーはAUG・27を指している……今日は日曜日だ、もうしばらく寝たところで罰は当たるまい……

そう考えるなりベッドに横になり大いびきをかき始めた長官が、〈スペース・パイオニア号〉の事故を(しら)せる(くだん)の青年将校の大声で叩き起こされたのは、それから五分後のことだった。

 

RQ―21の漏洩から数週間がすぎるころには、事故宇宙船・衛星の数は指数関数的に増加しつつあり、その数が一日に千件をこすことも珍しい話ではなくなっていた。だが、その原因をコンピューター・ウィルスにもとめる声は、ほとんどおきなかった。

そして――開発元たるSERCのE―9課は、いま起きている現象がRQ―21の効果と吻合(ふんごう)しているのにもかかわらず、上層部への報告をためらった。――責任の追及をおそれたのである。

さよう、()()()()()()()()()()……その思考の根底には、人類という若木への淡い期待があった。

――我々が報告せずとも、きっと人類はRQ―21への対抗策をうみだせるはずだ。凶悪ウィルスのHawkeye(ホークアイ)CastDie(キャストダイ)をも駆逐しえた人類なのだから……

だが、RQ―21が〝乗務員の死亡〟を引きおこし、それによって被害報告自体があがりにくい――すなわち、ウィルスの解析をおこなうための〝サンプル〟が集まりづらいということに、E―9課はついに気づかなかった。

 

──ワシントン宇宙管制センター (WACC)──

『……以上、現場からの中継でした。次のニュースです――今月の未帰還宇宙船の報告件数がついに一五〇〇件をこえ、連邦宇宙捜査局 (SBI)が調査に乗りだしました。所属不明の宇宙船が地球周回軌道上の宇宙船を撃墜しているというデマも広がりつつあり、当局は根拠のないデマへの注意を呼び掛けています……』

レーダー・コンソールの横で、携帯テレビ受像機が早口でそうまくし立てているのを聞きながら、マーク・キャンベル一等宇宙管制官は山と積み上げられた〝事故機〟の報告書と格闘していた。書類を一山片付けてから、すこし休もうとコーヒー・サーバーに歩いていくと、同僚のピーターに出くわした。

「ようマーク、随分と顔色がわるいな。鏡を見てみろ、今にも死にそうだぜ」

と、暇にあかして管制室を訪ねたその男は揶揄(からか)うように言う。

「ああそうともさ、だからコーヒーを飲みにきたんだ。カフェインが必要でな――ここ数ヶ月で急に事故機がふえ出したのはお前も知ってるだろうが……ここワシントン管制にも救難信号はごまんと届く。お前は――たしか会計だったかな……噂くらいは届いてるはずだ」マークは紙カップにコーヒーを注ぎながら答えた。

「うん、確かにきいている。この間なんぞ、エウロパ航空のボウイング971型機が天王星α(アルファ)-7宙域で大事故をおこしたそうじゃないか……」ピーターはアール・グレイを注ぎながら、軽い調子でいう。

「そうさ――彼らはもちろん、機体が操縦不能だとか、()()()()()()()()()()()とかで救難信号を送ってくるんで、俺たちも仕方なく救援機を出す。で、救援機は事故機の生存者と一緒にブラック・ボックスやら制御コンピュータやらを持ち帰るわけだが、なぜだか毎回毎回()()()()だかをおこして墜落するんだ。おかげで事故理由もろくろく判らん」マークは目を(すが)めながらつづけた。

「しかし、そこら辺には軍用の偵察衛星がうようよいるだろう。なぜ事故理由も判らんのだ?」ピーターが怪訝そうに眉をひそめる。

「それはだなピーター……事故現場付近の衛星が、軍用・民間問わず、すべて消息不明になっているからさ。しかも衛星が死んでいる範囲が()()()()()()してやがる――また中国やらネオ・ナチやらが何か企んでやがるのかな……」マークは忌々しそうにそう言うと、手にもったコーヒーを飲み干し、別れの挨拶もせずに自分のデスクに戻った。――()()、救難信号が聞こえてくる……そこで、彼ははたと気づいて後ろをふり返り、帰ろうとしていたピーターにいった。

「おい……お前は明日、冥王星に出張の予定があったな――あれはキャンセルしろ。なぜだか嫌な予感がする」

「何だって?」ピーターはとんでもないという風にかぶりを振った。「俺の乗る便は()()ゼネラル・シャトルズ225-991型機だぜ――おまけにスイート・クラスだ」

そういうと、マークが次に何かをいう前に、ピーターは高速水平エレベーターの扉をぴしゃりと閉め、上階へと消えていった。

 

はたして次の日、冥王星第七宇宙港行きのオリオン航空三五五四便――ハーマン・メルヴィルの著作から〝白鯨(モビー・ディック)〟と渾名(あだな)されたゼネラル・シャトルズ225―991型機の白い優美な巨体は、()()()()によって冥王星の渇いた大地に墜落した……

 

 

「ミスター・キャンベル? ミスター!起きてください!」

管制官の一人が、声を抑えながら呼びかけている。

「うむ……?どうした、何か用か?」

と、まだ勤務時間中にもかかわらず、居眠りをしていたらしい、ミスター・キャンベルとよばれた男――キャンベル・スミスが目をこすりながら答えた。

「それが……たったいま入ってきたニュースですがね――ゼネラル・シャトルズの225―991が、冥王星D―12区に墜落したようです」最近はいってきた若い管制官が興奮気味にこたえる。

「例の……〝白鯨(モビー・ディック)〟か。いったい何万ドルつぎ込んで――いや、それより――乗客は無事か?」キャンベルは欠伸(あくび)を噛み殺しながら()いた。

「ニュースにも中継がでていましたが――三〇億ドルを費やした機体はすでに粉微塵(こなみじん)です。生存者がいるとはとても……」

「ふん、おおかた共産主義者(コミー)の奴らがやったんだろう――まったく……うちのお偉方は何だってあんな連中を野放しにしてやがるんだ?」彼はぶつくさ文句をいいながら、制御コンソールの赤いボタンを叩いた――管制塔から耳をつんざくようなサイレンが響き渡り、スピーカーから男の野太い声がこだまする。

『第四一六救難隊、出撃準備。目標宙域はHR577/RU244、磁方位(マグネチック)二四〇度。オリオン航空三五五四便を発見し生存者を救助、輸送艦に遺留品を積載し帰投せよ』

とここで、男は言葉を切って考え込み、追加指示を出した。

『なお、同救難隊の通信手段は無線のみとする。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

そう言い終わったところで、彼は管制室の隅で微かな声で啜り泣く、一人の管制官に気がついた。

「彼は?」と、男は隣の二等管制官に訊いた。

「ああ、マークの奴ですか。同僚が彼の忠告をきかずに三五五四便に乗ってしまったそうで――速報を見てからずっとあんな調子ですよ。私としては、ただでさえ人手が足りないのでいい迷惑なのですがね……」

「まあ、彼の気持ちはわかる。俺も彼と同じ立場なら同じことをしたかもしれないしな」と、男は冷淡な若い同僚をやや軽蔑しつつ、同情をこめていった。



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第三話・麻痺

〈アレス〉が米国国防総省(ペンタゴン)より流出してから五週間が経った。全宇宙交通網の麻痺はじつに六七パーセントにまで及んでおり、中小国――ミクロネシア諸島連合、シベリア地方政府、東欧共同体、アフリカ連合など――の宇宙船や宇宙ステーションは、その()()()()()()()弱が完全に沈黙していた。この事態をうけて、国際宇宙評議会 (ISC)は緊急会議を招聘(しょうへい)し、一刻も早く事態の解決をはかるよう各国に強く要請したが、「軍事機密」の厚いヴェールは他国をそう簡単に通しはしなかった。国連安全保障理事会も連日のように開かれていたが、後ろぐらい背景をもつ国家――すなわちほぼ全ての国家――の代表は口をそろえて自国のしわざではないと言い張り、「人類統一戦線」への参加と情報の共有を渋りつづけた。

だが、もはや自国の利益を追求している場合ではなかった。今は恥も外聞もかなぐり捨てて、共同で解決策を探すよりほかなかったのだ――さよう、恥も外聞もかなぐり捨てて……だが、彼らは己がこの災禍を招いていた場合のことを考え、戦慄し、恐怖した。

 

 ――この災禍の原因が我々であるならば、きっと未来永劫、わが国は責め続けられるにちがいない。そうなれば、我が国が今まで国際社会で築いた地位も、国富も、すべて烏有(うゆう)に帰すことになるのだ……

 

かくして、「嵐が過ぎ去るまで待て」が、世界共通のスローガンになったようだった。安保理会議は遅々として進まず、時間をいたずらに浪費した。だが――そうして一週間、二週間と過ぎるうちに、全宇宙交通網の麻痺はさらに進行し、ついに全体の()()()()()()()に達した……だが、残った一三パーセントも、次第に沈黙しつつあった。

しかし、オリオン航空三五五四便の救援機――管制センターの指示で通信封鎖を行い、〈アレス〉の感染を免れた機体――が地球に帰還すると、状況は一変した。北米連邦宇宙局 (NASA)が突如、中国航空宇宙局 (CNSA)に事故機の情報提供を提案したのである。

 

──中国・中国国家航天局(CNSA)本部──

「こちらが発見された被害機の画像と機体名の一覧になります。我々の救援機が撮影したものです」

席につくと、NASA局長のロバート・リチャードソンは、挨拶もそこそこに、CNSA局長の李広成(リー・カンチャン)にタブレット端末を差し出した。李は画面を注意深く見つめ、スクロールしながら事故機の機体名を読みあげた。

「テルスター57号、ヘリオス19号、神舟55号、スペース・パイオニア号、アルゲマイネ6号、蒼天9号、ダンカン2号……」

「ご覧の通り、世界各国の宇宙船と衛星が破壊されています。これは特定の国家が宇宙船を撃墜してまわっているわけではなさそうですよ、李局長――さらにいうなら、〈スペース・パイオニア号〉は我が国の最新鋭巡洋艦で、極秘扱いの機体です。〈蒼天9号〉もそうでしょう?」

「ええ、確かにその通りですが……」最高機密を探り当てられたショックで、李はややたじろいだ。だが、リチャードソンは気にも留めない。

「とにかく、(くだん)の救援機はそれから、数十機の難破船を調査し、ある事実を発見しました。それは――」

 そこでリチャードソンは言葉を切り、囁くように続きをいった。

「――すべて、()()()()()()()()()していたのですよ。原因はすべて、()()()()()()()()()()()です」心なしか、李には彼の顔が引きつって見えた。

「それはつまり……何らかのコンピューター・ウィルスの類、と?」

「あるいは、単なる偶然か、ですが――何にせよ、なぜか無線以外の通信を封鎖していた件の救援機だけが帰還できたのですから、ひとたびデータ通信を行えば、一巻の終わりだといってよいでしょう」

「しかし、残存している宇宙船に危険を(しら)せようにも、無線電波が地球から直接届く範囲は限られていますぞ。それに、無線中継衛星もあらかた故障しています」李がうめいた。

「ええ、ですが――それについては心配なさらずともよろしい」

「なぜです?」李はリチャードソンに、なにか別の手段があるのか、とでも言いたげな目を向ける。しかし、リチャードソンの返答は違った。彼は顔に皮肉めいた笑みを貼りつけてこたえた。

()()()()()()()()()()()()



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第四話・最後の砦

誰か感想ください(懇願)


リチャードソンは李が心底驚いた顔をしているのを見て、ああなるほどと合点がいった。

中国は、結果的に米国ほど発展はしなかったものの、シベリアのほとんど全域とインド半島東部を併呑(へいどん)し、宇宙開発競争においても米国と比肩(ひけん)するほどだ。その中国の宇宙機関であるCNSAの局長たる李が現状を把握していないというのは(いささ)かおかしな話だった。

「………」

彼が李のそばに控えている緑制服の政治将校とおぼしき男を見据えると、男は一瞬目を合わせたなり、視線を宙へと彷徨(さまよ)わせる。

(やはりか)

親米派との噂が絶えない中、実力のみを足がかりとして()()()の局長に就任した李は、()()()()の〝最新情報〟に踊らされていた、というわけだ。

だが、李に〝真実〟を教える前にいちいち中国共産党の上層部に諒承(りょうしょう)を得ている暇はない。こうしている間にも事態は刻一刻と深刻化しているのだ……リチャードソンは秘書に耳打ちをして護衛を増員させてから、「いいですか」と前置きをして切り出した。

「人類はいままで、大量の人工衛星や宇宙ステーション、あるいは探査機を打ち上げてきました。しかし、役目を終えた人工衛星などはそのまま軌道上に残存しつづけ、二年前にNASAが行った調査では――低・中高度周回軌道のうち、すくなくとも五七パーセントが航行禁止宙域の基準に該当しました。原因は、宙域一帯に存在する宇宙塵(スペース・デブリ)です」

そこまでいうだけで事態の深刻さを察したのか、みるみるうちに李の顔が蒼褪(あおざ)めていった。

「……とすると、最近頻発している人工衛星などの事故で、航行不能宙域が爆発的に増加している、ということですか」李が顔を伏せ気味にして言う。

「その通りです。すなわちこれが意味するところは、たとえ生き残った宇宙船が地球へ帰還しようとしたとしても、大気圏再突入を行う前に()()()となってしまい――」リチャードソンがそこで言葉を切ると、李が引き取って言う。「最悪の場合、地球が全宇宙から孤立してしまう、と?」

「ええ――これが二〇〇〇年代ならばそれでも問題は少なかったでしょうが……」リチャードソンは残念そうに続ける。「いまや地球の資源はあらかた採り尽くされてしまいましたしね」

彼の言葉に嘘はなかった。いまや地球では石油、石炭、天然ガスといった天然資源がほぼ完全に枯渇してしまっており、唯一残っているウラン鉱石も、あと五〇年たらずで尽きようとしていた。再生可能エネルギーで代替しようにも、太陽光パネルや風車をつくるための金属資源の確保にすら汲々としている有様なのだ。

「し、しかし」だが、李は動揺しつつも反駁(はんばく)を試みた。「それならば、なぜ今になってそのような話をされるのです?我々にできることは、ただ諦観(ていかん)することだけではありませんか」

両者のあいだに沈黙が流れるが、そのわずかな静寂は、リチャードソンの妙にはっきりとした「いいえ」という声に破られた。彼はさらに続ける――「たしかに、宇宙塵のせいで()()()()()宇宙船や人工衛星は破壊されてしまいます。地球から頑丈な宇宙船を打ち上げるにしても、金属資源はもうありません。ですが、お忘れではないですか……〈ドナウ9号〉のことを」

〈ドナウ9号〉――李もその名前には聞き(おぼ)えがあった。二五年前、欧州連合宇宙軍 (EUSF)が()()()の宇宙船をスクラップにした鋼鉄の塊からつくりあげた、耐核地雷原型宇宙船である。――だが、たとえ地球を覆う宇宙塵(スペース・デブリ)のヴェールを突破できたところで、その先に何があろう?そこにあるのは()()()宇宙だけなのだが……

そこまで進んだ李の思索の糸は、先ほどの調子とくらべて妙に甲高くなったリチャードソンの声に断ち切られた。

「ええ、ええ、そうでしょうとも!たしかに、〈ドナウ9号〉は宇宙塵(スペース・デブリ)の層を突破する道具にすぎません。ですが――我々が国防情報局 (DIA)の機密室の奥底で発見したこの文書こそ、〈ドナウ9号〉を人類救済の救世主へと変貌(へんぼう)させる(キイ)となるのです」リチャードソンは銀色に光るアタッシェケースから一束の書類を出すと、勢いよくテーブルに叩きつけた。書類には〈SC66〉とあり、その上を〈CLASSIFIED(機密)〉の赤文字が横切っている。

「これは、スカンジナビア統合評議会が極秘で作成した文書の複製(コピー)です。この計画は三年前に実行にうつされ、EUSFが極秘裏に協力したようです」彼がめくったページには、宇宙ステーションのような建築物のイメージ図が載っている。図の上には、黒々と〈OPERATION LAST STAND(“最後の砦”作戦)〉の文字があった。

「こ、これは……?」李は困惑しつつリチャードソンに訊く。リチャードソンはただ微笑み、彼の手元にその書類を押しやった。

 

李が〈“最後の砦”作戦〉と題されたその書類を読んでいると、CNSAの職員が彼のもとへ走り寄り、一枚の書類を手渡した。彼はそれを一瞥してからリチャードソンに声をかける。

「今しがた、残存宇宙船の確認がとれました。といっても無線を傍受しているものだけですが――人民解放宇宙軍〈蒼天3号〉、EUSF〈ピレネー12号〉、USS〈アラバマ号〉、カリフォルニア・エアロスペース社〈プロキシマ8号〉、欧州客船協会〈パスファインダー号〉、民間宇宙船〈()()()()()()〉ほか二五隻です」李はそういうと、もう一度書類に目をおとした。

生き残りは()()()()()()……李は書類の文字を目で追っていたが、内容は何ひとつ頭に入ってはこなかった。かわりに頭痛と眩暈(めまい)がはげしくなり、彼は椅子からずり落ちようとする老体を必死で押しとどめた。――さよう、人類が築きあげた巨大な――しかし全宇宙に(くら)べれば矮小(わいしょう)極まりない――文明は、宇宙船三一隻と〝死んだ〟地球とを遺して滅びようとしていたのだ……

だがそこで、彼の眼は〈Kepler―22b〉の文字をとらえた。

 

――ケプラー22b!

それは地球から約六二〇光年の距離にある、白鳥座ケプラー22星系のバビタブル・ゾーンに位置する惑星であり、これまで発見されたものの中でもっとも人類移住に適した地球様惑星(アースライク・プラネット)である。――だが、と李は考えた。〈ドナウ9号〉を移住用輸送船として使うとしても、あの堅牢(けんろう)という言葉を具現化したような宇宙船ですら、何度も宇宙塵(スペース・デブリ)の嵐をくぐり抜けるには力不足だ。とすると、私の眼の前に座っているこのリチャードソンという男は、移住できる人類の()()をするつもりなのだろうか――?

 

 

──描円具(コンパス)γ(ガンマ)星宇宙管区ε(イプシロン)―15宙域──

CNSAと連絡(コンタクト)がとれた宇宙船が一隻、欧州客船協会がユンカース・スペースクラフト社に発注し、二年前に完成したばかりの豪華旅客宇宙船〈パスファインダー号〉は、顕微鏡座γ(ガンマ)星宇宙管区ε(イプシロン)―15宙域に静止していた。

「ええ、ええ――本当ですか?信じられん――いや、しかし……」宇宙船の中央に位置する第一艦橋のせまい無電室で、船長がCNSAのオペレーターと交信していた。

「了解しました。NASAもそういっているのなら……ええ、まだ燃料棒を入れ換えずとも大丈夫でしょう」船長は早々に交信を終えると、無電室から出て船員に号令した。

「諸君、我々はただいまより地球へ帰還する。通信封鎖状態でだ――どうやら緊急事態で、我々の宇宙船が必要らしい……くわしいことは判らんが、一刻を争うそうだ」顔面蒼白の船長はそれだけいうと、船員の質問を無視して自室へ引きこもってしまった。

「なあ、おい――船長は何か隠してやしないか?顔が真っ青だったぜ」操縦士は隣に座る同僚にぶつぶつ言いながらも、出発にむけて原子力エンジンのスラスト・レバーをわずかに押し出し、いくつか計器を調整した。そして、地球への最短経路を検索しようと電子マップを開き、起動したソフトウェアは、自動的に()()()()〈青島43号〉に接続した。――十秒とたたないうちに、計器がでたらめな値を示しだし、艦橋のそこここからエラー音が鳴りはじめた。ひとりでにエンジン出力が最高に設定され、船尾で四基のP&W SNE―577型エンジンが囂々(ごうごう)と猛り狂う。静止していた〈パスファインダー号〉はゆっくりと動きだし、ぐんぐん速度をましていった。

「お、おい!何が起きているんだ!」と操縦士がどなる。「俺は何もしてないぞ!」

「原因は――不明です!システムが未知のエラーを吐いています!」システムを監視していた技術要員(エンジニア)が制御コンソールに表示された文字列を見て叫ぶ。

「解析しろ!何のためにお前を雇ったと思ってるんだ!」一等航宙士がわめいた。――だが、技術要員がこたえる前に、レーダー監視員が凍った声で叫んだ。

「約七〇キロ前方に反応あり!当該機は――EUSFのC―24E型武装輸送船です!回避信号を発信しましたが、当該機からの応答はなし!」監視員は大急ぎで機体番号をデータベースと照合する。画面に表示された文字を見て、監視員はほとんど悲鳴にちかい声で叫んだ――「回避してください!当該機はポセイドン級核弾頭を搭載しています!」

だが、もはや回避が不可能であることは誰の目にもあきらかだった。〈パスファインダー号〉はすでに秒速八キロの速さで驀進(ばくしん)していたのだ。――操縦士は緊急逆噴射装置のレバーを引いたが、返ってきたのはむなしく響くエラー音だけだった。

〈パスファインダー号〉は秒速九キロ、十キロとさらに加速しながら、ポセイドン級恒星間核ミサイルを満載した輸送船に衝突した……

そのC―24Eの乗員は、()()()()()三ヵ月前に全員が死亡しており、格納庫につまれていた核ミサイルは、その四分の三が経年劣化と、船体にあいた破孔による長期間の真空への曝露により機能不全に陥っていた。そのため、じっさいに爆発したミサイルはわずか十四基にすぎなかった――だが、その爆発は〈パスファインダー号〉の優美な船首を深々とえぐり、第一・第二艦橋をあとかたもなく吹き飛ばした。

 

 

宇宙への本格的な進出を果たした人類にとって、広漠(こうばく)たる宇宙空間は巨大な〝フロンティア〟であった。宇宙であれば放射能汚染の危険性はすくないので、宇宙船の動力は腐るほどあったウラン鉱石でつくられた燃料棒(フュエル・ロッド)を燃料とした原子炉(リアクター)で事足りたし、銀河系にただよう幾千万の惑星や小惑星は、厖大(ぼうだい)な量の金属やレア・メタル、さらには石油をも産出した。これは、人類がいままで節約に節約をかさねてきた金属資源と石油資源を、地球でふんだんに使えるようになることを意味した。地球温暖化を懸念(けねん)する学者もいるにはいたが、多くの人々は、地球をもはや単なる「母港」程度にしか思っていなかった。

 

――地球温暖化だって?なあに、俺たちにはあの広い宇宙があるじゃないか!あそこには資源が山ほどあるし、地球は最悪、()()()()()()()……

 

だが、宇宙空間から「切り離された」地球――錆び、朽ち果て、あちこちを喰いやぶられた「母港」――において、あれほど湯水のように使えた金属資源と石油資源は、にわかに節約が叫ばれはじめた。

従来の内燃機関をもちいたガソリン・エンジンの(たぐい)はほとんど駆逐された。そして、国内交通の主役は自動車から鉄道にうつり、国際交通の主役の座は航空機から〝原子力船〟へうつった。――小型宇宙船から取り出した原子炉(リアクター)とタービンのセットを、貨物船のコンテナー・ヤードやタンカーの油槽につみ、タービンからのびるロッドをプロペラ・シャフトと結合させただけの粗末な〝原子力船〟は、その加工の容易さと必要資源の少なさから、しだいにその数をふやしていった。

その反面、商業航空路線はほとんど破産していたが、デルタ航空・日本航空・アエロフロート航空・ルフトハンザ航空など数社は、各国政府の出資によってかろうじて破産を免れた。彼らは数十機が導入されていたAn―227〝ムリーヤⅡ〟型充電池(バツテリイ)式航空機のみを使い、ほそぼそながら運航をつづけていた。――交通機関をふくめて、地球文明は、あっという間に産業革命期の状態まで()き戻されたのである。だが、もう一度文明を発達させる資源は、もはや地球に残されてはいなかった。

だが、もし、手の届く距離に〝新品の〟地球が存在したとすれば――?



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