Hologram Diary (パラベラム弾)
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3期生
白銀ノエル① Alternative


ちなみに推しは団長です。


白銀聖騎士団(しろがねせいきしだん)

 

百万を超える猛者達によって構成される、周辺国への抑止力であると同時に国内の治安維持を担う大規模な軍事組織である。

 

そんな大層な肩書きとは裏腹に、彼ら彼女らの本質は闘争とは程遠い。街の警邏に始まり行商の護衛や外交の窓口、町や村から要請があれば雑事であろうと人足を派遣する、有り体に言ってしまえば何でも屋のようなものだ。

 

しかし、聖騎士の名のもと集う彼らが謳うのは滅私奉公、清廉潔白。

 

悪逆を赦さず正義を成す。

 

万人から愛されるとまで言われたその在り方に一切の矛盾はない。

 

そして、騎士団に属する者たちが等しく敬愛し付き従うのは、誉も高き白銀聖騎士団の長たる女性。女の身と侮るなかれ、振るう鉄槌は破壊の嵐を巻き起こし、纏う気風は老若男女を惹き集める。

 

あどけない印象の残る端正な顔立ちと、それを覆すかのような豊満な肢体、されど娼婦のような下品さはなく。純銀を溶かして寄り集めたかのような御髪は白銀に輝き―――

 

 

 

 

「―――って、ちょっと誇張しすぎだと思う訳ですよ団長は」

 

呆れたようにそう言いながら満更でもないのか、白磁の頬をほんのりと赤く染めながら抗議するのは白銀聖騎士団団長・白銀(しろがね)ノエル。

 

休憩中の暇潰しにと手渡された週刊誌一面を飾る『白銀聖騎士団特集』を流し読みした感想が先の一言であった。

 

確かに表現を可能な限り美化して拡大解釈を重ねて何重にもフィルターをかけて元の形が分からなくなるくらい加工してはいるが、書かれている内容に関してはほとんど事実である。だからこそ彼女も手放しの賞賛に照れているのであろうが。

 

「―――?」

 

「嫌…って訳じゃないけど。こうやって団長や団員さん達を褒めてくれる人が居るのは素直に嬉しいし」

 

そう言ってはにかむ彼女はまるで絵画のワンシーンのように美しく、表現力足りてねぇだろ書き直せ―――と週刊誌の執筆者へ謂れもない非難を向けたくなる程には魅力的であった。

 

騎士団長という肩書きと立場ゆえ、直接言葉を交わすことが出来なかったのか週刊誌の記事は容姿についてをまとめたものがほとんど。顔立ちやスタイルについては再三取り上げられてきており、顔写真だって国民なら知らぬ者は居ないだろう。

 

極めつけは―――

 

「? どしたの。団長の顔に何かついとる?」

 

そのはち切れんばかりの大胸筋である。

 

白と紺色を基調とした制服と、旗印の紀章を鋳込んだ黒金の甲冑が騎士団の正装な訳だが、実力者になればなるほどその面積は減っていく傾向にある。

 

全身を堅牢な装甲で覆う代償として機動力は当然落ちる。人相手ならいざ知らず、獣や魔物、果てはドラゴン等を相手にするなら、甲冑など紙屑同然だ。

 

故に、騎士団最強の彼女が纏う装甲は最低限。四肢にガントレットとグリーヴ、そして肩当とブレストプレートは左半身のみ。あとは制服だけという超軽装である。

 

更にその制服も、胸元を大きく開けているため当然その鍛え上げた大胸筋が半分ほどこんまっする(?)しているのだ。ブレストプレートのサイズ間違ってんだろと常々思うことはあれ、当事者たる彼女がそれで納得しているのだから間違いないのだろう。

 

「―――。」

 

「ありゃ、もうそんな時間?」

 

束の間の休憩時間もあっという間に終わりを告げる。彼女が座る黒檀のデスクには承認待ちの書類やら報告書やらが山と積まれており、彼女の判子を今か今かと待っているのだから。

 

地位が上がればそれだけ書類仕事も増えていくのは世の常だ。

 

しかし、

 

「―――!」

 

「お、やる気だねぇ。よぉし、それじゃ団長も気合い入れて頑張っちゃおうかな! 」

 

紙束から書類の仕分けをするのは副団長たる自分の役目。手馴れた動作で承認待ちのもの、確認するだけのもの、様式に不備があるもの、団長(ノエル)の確認が必要なもの、などなど各種書類を素早く分けていく。

 

いつぞや彼女の食べ歩きツアーに付き合った時に比べればこの程度の書類何するものぞ。

 

私を過労死させたければ、その3倍は持ってこい―――!

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

「―――ほい、ほいっと。…うん! おしまい!」

 

紙束の最後の1枚に朱印が押されると同時に、壁掛け時計が昼休憩を告げる鐘を鳴らす。意外とこういった書類作業は苦手な彼女だが、書類の山を見やすいように整理しておくことで効率の底上げを図り、なんとか昼前には終わらせることが出来た。

 

「―――。」

 

「うん、お疲れ様。キミもありがとうね、団長すごい助かったよ」

 

礼には及びません、と返すも、太陽のように屈託のない笑顔を向けられれば仕事の疲れなぞ吹き飛ぶというもの。これだけで午後も頑張ろうと思えるのだから我ながらチョロい人間である。

 

ともあれ午前の執務は終了し、昼休憩を挟んでから午後の執務だ。

 

「あ、ちょっと待って!」

 

「―――?」

 

一礼し、団長室を後にしようとしたところで彼女に呼び止められる。はて、書類は全て処理したし、特に不備は無かったはずだが。

 

「そうじゃなくって。良かったら、お昼ご飯一緒にどうかなって。団長の知り合いから招待券貰ったんだけど、2人まで使えるみたいだから」

 

そういって、懐から1枚の紙を取り出す団長。

 

此方としても断る理由は無いし、食事代が浮くのであれば大歓迎だ。しかもお供とはいえ、あの団長と2人で食事ができるなんてそうあることではない。

 

「―――!」

 

「そ、そんな畏まらなくてもいいと思うけど。じゃあ、早速行こっか」

 

二つ返事で了承し、そのまま騎士団本部を後にする。数分歩けば城下町の喧騒が周囲を満たし、食欲を刺激する香辛料の香りが風に乗って流れていく。

 

「あ、ノエルだんちょーだー!」

 

「こんにちはー!」

 

すると、近くを通りかかった少年達がこちらへ駆け寄ってくる。大人達は食休みだというのに、この年頃の子供はどうにも元気が有り余っているらしい。まして、男子というのは格好いいものには目がない。甲冑やメイス、ブロードソード等を携える騎士というものは殊更輝いて見えるのだろう。

 

「こんにちは。皆元気いっぱいだねー。ところで、キミたちこのお店って何処にあるか知ってる? よければ教えて欲しいんだけど」

 

ずいっと前かがみになり、少年たちと目線を合わせて無料券を見せる団長。そこに書いてある店名を見ようと少年たちが近寄ってきて覗き込み、どこだったかなと話し合う。

 

「ぼく行ったことないや」

 

「ご飯なら、多分三番街じゃない?」

 

「あ、ここ前にママと行ったよ。確か中央通りの噴水のそば!」

 

「中央通りだね。ありがとー」

 

よしよし、と彼らの頭を撫でる団長。傍から見れば市民と触れ合う聖騎士という素晴らしい光景だ。…よく見ると団長が少年たちを見る目付きがちょっと危ない感じになっていることを除けば、だが。

 

知っている人は少ないが、団長は大の子供好きである。特に男子。単純に可愛がったり触れ合う程度ならば問題なかろうが、時折危ないラインを踏み越えてしまいそうになる時があるためちょっと注意が必要なのだ。

 

ばいばーい、と後ろ手に手を振り走っていく少年たちを見送りながら、

 

「……、?」

 

「な、なんのことかなぁ? 団長にはさっぱり分からん太郎なんじゃが」

 

知り合いの店の場所分からないはずが無いでしょうが。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「あった。ここだね」

 

昼飯時でごった返す中央通りの中でも、目的の店は直ぐに見つかった。店の外まで続く長蛇の列がその人気を物語っており、果たして休憩時間内に入れるのかどうか…と思っていたが、招待券を見せたところすぐに店内へ通してくれた。

 

「―――?」

 

「うーん、団長が直接知り合いっていうか、フレアがやってる事業の一環として、飲食業にも手を出したみたいで。それが軌道に乗りそうだから、国から正式に出店許可を貰ったんだってさ。で、フレアと仲が良い団長の元へ招待券が届いたという訳です」

 

「―――、」

 

「そうそう、ハーフエルフの。あれ、キミはまだ直接話したことはないんだっけ? そっかー、でもフレアもすっごい良い子だから、きっと仲良くなれると思うよ!」

 

それは貴女の人柄あってのものだと思うのですが。

 

などと会話を重ねている内に、注文しておいた料理が運ばれてくる。店主だろうか、白い毛並みが特徴的な獅子の獣人女性が机に置いたのは湯気を立てる熱々の麺料理だ。茶色いスープの中に浮かんだ麺と、厚く切った肉と野菜。見たことの無い料理だが―――

 

「はいお待ちー。麺屋ぼたん特製、羊ラーメンだよー。あと、そちらの騎士さんには必ず特盛で出すようにって社長から言われてるんで悪しからずー」

 

なるほどこの料理はラーメンというらしい。備え付けのフォークで一巻きして口へ運ぶ。続いて匙でスープをひとくち。

 

「―――! ッ!?」

 

「うわぁ、これ美味しいねぇ!」

 

美味しいですね、と隣に声をかけようとした時には、山盛りにされていた野菜が既に半分ほど消えており思わず二度見した。相も変わらず健啖家である彼女だが、その細い身体の何処へ吸い込まれていくのだろうか。

 

柔らかそうな頬をいっぱいに膨らませ、リスのようになっているその姿を見ていると何だかこちらも頬が緩んでしまう。幸せそうに舌鼓を打つ彼女を邪魔するのも無粋か、と大人しく自分の器に向き直った。

 

スープを飲んで、もうひとくち。

 

おかわりください! という元気のいい声に、店主の顔が引き攣ったのは見なかったことにした。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

午前の書類仕事が終われば、午後は武芸の鍛錬が中心となる。いかに団長とはいえ騎士としての役目、すなわち守護と防衛を満足に果たせないようでは話にならない。

 

故に、修練場へとやってきた訳なのだが。

 

「―――さぁ、いつでもおいで! お腹いっぱい食べたし、今の団長強いかんね!」

 

「……、」

 

どうして騎士団最強(ノエル団長)副団長(自分)が戦うことになっているのか教えて欲しい。

 

訓練用の木製メイスを構えて半身で佇む団長。その姿からは先程までのゆるふわっとした癒し系オーラではなく、正に白銀聖騎士団団長の名に相応しい威圧感を放っている。

 

訓練とはいえ実践を想定しているから寸止めはない。まぁ甲冑してるし、当たったところで合金と木製武器ではダメージは無いに等しいだろう。

 

 

 

―――と、思っているなら大間違いだ。

 

 

 

合金製の甲冑程度、彼女の膂力ならば易々と粉砕できる。模擬戦と言えど当たり所が悪ければ最悪大怪我をしかねないし、実力も踏まえると団長の模擬戦相手を務められるのは騎士団の中でもほんのひと握り。

 

そして運がいいやら悪いやら、自分もそのひと握りに含まれているのである。

 

以上、説明終わり。

 

「む。団長から仕掛けさせるつもりだね。じゃあ、遠慮なく行くよっ!」

 

「―――ッ!」

 

悠長に現実逃避をしていようと、時間が巻き戻るはずもなく。動きを見せないコチラに対し、団長が先手を打った。

 

5メートル近い距離を一歩で詰め、小手調べとばかりに上段からの振り下ろし一閃。馬鹿正直に受け止めれば、巨岩が降ってきたかのような衝撃にブーツの踵が地面に沈む。

 

たまらず剣を振り抜いてメイスを弾き、距離をとって仕切り直そうとするが眼前の女傑がそれを許さない。ぴったりと肉薄したままコンパクトにメイスを振るい、こちらが1歩下がる度に同じだけ1歩踏み込んでくる。

 

勿論、踏み込みながら武器を振るえるあちらの方が優勢だ。先の反省も踏まえて受け止めることはせず、剣の側面を合わせて衝撃を流しながら紙一重で猛攻を捌いていく。

 

「おおっ…! 流石は副団長!」

 

「あの軽やかな身のこなしを見ろ。まるで舞を舞っているようだ」

 

「あぁ、凛々しいお顔の団長も美しい…!」

 

「わかる…!」

 

「わかる…!」

 

半分程おかしいのが交じっているが、周囲を囲む部下達の手前、無様な姿は晒せない。

 

「―――!」

 

「むっ…!」

 

重心を後ろから前に移し、剣先を持ち上げて攻勢に出る。一撃の重さよりも手数重視の、相手の動きを制限するための連打。メイスと剣という得物自体の重量差がありながら、彼女は的確にこちらの攻撃を打ち落としていく。

 

彼女にとってはただの防御行動でも、その衝撃で剣を握る手が軽く痺れてくるのだから恐ろしい。気を緩めれば手放してしまいそうになる木剣を殊更強く握り締め、振り下ろす。

 

ガァンッ! という鈍い音。今までと違う衝撃は、木剣が当たった物質の違いを示している。

 

アーマーで覆われた左肩を突き出すようにして放たれた団長のタックルは、見事こちらの一撃にカウンターとして突き刺さった。握る剣ごと両腕を跳ね上げられ、一際強い衝撃に足元の踏ん張りも効かなくなる。

 

「―――っ!」

 

まずい、と直感的に悟る。

 

タックルの姿勢に併せて後方へ引き絞られていたメイス。踏み込んだ足から腰、背中を伝い、無駄なく溜め込んだ運動エネルギーがインパクトになって振り下ろされる。

 

なんかちょっとシャレにならない勢い付いてるんですけど、これって一応模擬戦ですよね団長―――と、一縷の望みを掛けて見下ろした翡翠の瞳は、それそはそれは楽しそうに輝いておりました。

 

 

 

あ、これ多分めっちゃ痛いやつ。

 

 

 

「―――あびゃぁっ!?」

 

来る衝撃に耐えるため力んでいた身体が謎の奇声を拾う。流れゆく視界の中で捉えたのは、恐らく団長の膂力に耐えられなかった木製メイスの先端が半ばから折れて吹き飛んでいく光景。

 

そして、振り抜く直前で手に持つ重量が無くなったことでバランスを崩し、こちらへ倒れ込んでくる団長の姿であった。

 

「―――!!!」

 

急いで木剣を手放し無理矢理姿勢をかがめて受け止めいやこれキツいわでも団長にかすり傷のひとつでも負わせるものか―――ッ!!

 

上半身に軽い衝撃。

 

暗転。

 

そして、後頭部に強い衝撃。

 

「あびゃあああ!? ちょっ、大丈夫!? あわわわ、と、とりあえず救護班! 救護班呼んで来て―――」

 

団長の焦った声が聞こえる。

 

顔面を覆う暖かく柔らかい感触と、噎せ返るような彼女の香りに包まれる中、意識は闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――………、?」

 

瞼を刺す光に、うっすらと目を開ける。

 

視界の端に映るのは見慣れた作りの窓と、深い橙に染まる空と雲。ぼけっとそれを眺めていたが、後頭部に感じる違和感と視界の半分を覆う謎の影が気になって脳がゆっくりと働き始める。

 

「……あ、起きた?」

 

と、その謎の影のさらに向こうからひょっこりと美貌が覗き、そこでようやく自分の状況を把握した。前方に団長の顔が見えるということはつまりこの影は彼女の大胸筋、そして今自分が頭を乗せているのは彼女のおみ足太もも膝枕―――!!!!

 

「ッ、―――!?」

 

「こらっ、まだ寝てなきゃダメ。あれだけ強く頭をぶったんだから、しばらく安静にしてなさいって医療班の人達が言ってたよ。……団長のせいで、迷惑かけちゃってごめんね?」

 

体を起こそうとするが、両頬をがっちりとホールドされているためそれは叶わない。こういうことに関しては頑固な彼女のことだ、こうなったらもう梃子でも動かせないだろう。

 

ふぅ、と一息吐き出して、大人しく団長の膝枕(極上の寝具)へと頭を戻す。素肌&ニーソックスという感触の暴力が理性をガリガリと削り取るが、そこは白銀聖騎士団副団長の意地が耐え抜いてくれると信じたい。

 

「―――。」

 

「怪我がなくて良かった?……もう、それでキミが怪我しちゃってたら元も子もないよ。団長のことを心配してくれるのは嬉しいけどさ、同じくらい自分のことも大事にしてあげて?」

 

よしよし、と頭を撫でてくる団長。この歳になって頭を撫でられるのは少し、いやかなり気恥しいが、この程度で彼女の気が済むのであれば安いものだ。というかご褒美まである。

 

目を瞑り、大人しくされるがままの自分にご満悦なのか、ご機嫌に子守唄まで歌い始める団長。その柔らかな声に、身体の芯から余計な力が抜けて行くような気がする。……時折音程が外れるのはご愛嬌と言うやつだろう。

 

「〜♪……ん? 眠くなってきちゃった? ふふ…いいよ、そのまま寝ちゃっても。団長が傍にいるから……」

 

幼子をあやす様に優しく語り掛けられ、いよいよ瞼が重く落ちていく。

 

声色ひとつでこうも人を無力化するとは、水妖精(セイレーン)の生まれ変わりだったか。

 

眠気のせいか、頭も上手く回っていないようだ。

 

「……いつもありがとう。これからもずっと、団長のこと支えて欲しいな。だから、今日くらいはお休みしていいよ……? また明日から、一緒にお仕事頑張ろうね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、翌日の作業効率が数倍にまで跳ね上がり、団長の声に魔力が宿っているのではないかと真面目に考察したのは余談である。

 

 

 

 

 

 

 

 



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潤羽るしあ① Alternative

死霊術師(ネクロマンサー)という存在がいる。

 

字のごとく、死した存在の魂魄や霊体の召喚・交信・使役を生業とする者たちの総称だ。死霊術の他、降霊術や霊魂術、その道を極めた者であれば、死者の蘇生など輪廻の理にすら介入し得る禁術を行使できるという。

 

しかし、世間一般に見れば死霊術師の肩身は狭い。

 

分類としては黒魔術に属し、眠れる魂魄を再び呼び起こしている訳であるから、倫理や道徳の観点から見れば諸手を挙げて歓迎されることは稀だ。

 

それでも魔道の道を極めんとする者は確かに居るが、そうした者たちは自然と他者との関わりを断つようになっていく。

 

向けられる視線と心無い言葉から離れるため、ということがひとつ。

 

もうひとつは、

 

 

 

 

 

いつか訪れる別れを、自らの手で汚さないためだ。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

王国の城下町から少し離れた場所に位置する、手付かずの森。

 

多くの動植物が生息するこの自然豊かな地に訪れた目的は、とある人物に会うため。付け加えて言うのであれば、その人物は極度の人見知り(かなりマイルドな表現)であるため、片手で数えられるくらいの人しか会うことが適わないのである。

 

本来交渉を担当する予定であったノエル団長は火急の任務が入ってしまったため、急遽自分に白羽の矢が立ったというのが事の顛末だ。

 

かくいう自分とて、彼女とは特別親しいという訳では無いのだ。人相や人柄こそ知ってはいるが、それも団長のお付きで訪れた際に見た程度のもの。実際に言葉を交わしたことはないのだから。

 

果たして、気難しい彼女は今回の訪問を受け入れてくれるのだろうか。

 

がさり、と茂みを掻き分けて一歩踏み出したその瞬間、空気の質が僅かに変質したのを鎧の下で感じ取った。深い穏やかな森林の香りと静謐な空気が満たしていた空間から、生命の気配が薄れていく。

 

同時に覚える、冷たい息苦しさ。

 

彼女の領域に踏み入ったことの証左だ。

 

余程のことが無ければ、普通の生物はこの異質な空気に呑まれて後戻りをするだろう。だからこそ彼女は、この人里離れた森の奥に住んでいるのだ。不必要な生者との接触を断つために。

 

後退りしそうになる脚に喝を入れて、再度1歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

そのまま歩くこと数分。

 

唐突に視界が開け、小さな洋館が姿を現した。外壁を蔦に覆われてはいるが、ひび割れや崩れた箇所はなく綺麗に整備されている。うっすらとした乳白色の霧に烟るその姿は、確かに幽世の気配を漂わせていた。

 

丁寧に剪定された中庭へ入り、石造りの通路を歩いていく。

 

これだけ美しい外観を持っていながら、およそ生物の気配を感じられない。虫のさざめき、鳥の鳴き声、風の吹く音ひとつさえも。……今更ながら、本当に目的の人物がここに居るのかどうか不安になってきた。

 

さてどうしたものか、と考えていると、視界に何かが入り込む。

 

ふわり、と羽ばたいたそれは、1匹の美しい夜光蝶であった。幻想的な青い鱗粉を漂わせながら、まるでボディチェックをするかのように自分の周囲をクルクルと飛び回る。何周かした後、ゆったりと正面玄関と思しき扉の前まで飛んでいく蝶。

 

もしかして先導してくれているのだろうか。どちらにせよ、このまま足踏みしていても仕方がない。

 

後を追って扉の前まで歩いていくと、役目は果たしたと言わんばかりにその姿は空気に溶けるように消えていった。

 

意を決し、扉を押し上げる。見た目に反して滑らかな動作で開いたそれを押し広げると、淡い光の筋が内部を照らし出す。

 

内部の作りは特別変わった所はない。基本的な構造のエントランスに、踊り場から左右へ伸びる階段。小綺麗なカーペットには埃が積もっている様子はなく、蜘蛛の巣なども見当たらない。館の主が気を配っているのだろう。

 

後ろ手に扉を閉め、僅かな警戒を忘れないようにしつつ視線を巡らせる。中に入れたはいいが、この洋館を端から端まで手当り次第訪ねるのは中々に骨だ―――

 

「―――誰なのです?」

 

よく通るソプラノボイスが、思考を遮った。

 

ハッとして声のした方向に顔を向けると、そこには先程まで居なかったはずの少女が佇んでいた。

 

明るいエメラルドの髪を左右の頭頂で纏めた、小柄な少女。警戒するようにこちらを見つめる双眸は血のように赤く、身に纏う装束に施された蝶の意匠は確か、彼女の御家が掲げていたものだったか。

 

彼女から放たれる濃密な「死」の空気に思わず息が詰まりそうになる。やはり、自分程度ではこうなってしまうか……!

 

来訪の目的を伝えようとする心とは裏腹に、少女の発する圧に充てられて強張った身体は上手く動かない。無言を敵意と受け取ったのか、少女の瞳がすうっと細められる。

 

「…勝手に人の家に上がり込んで、弁明も謝罪も無しですか。その戦装束は白銀聖騎士団のものですが、あなたのような無作法者が聖騎士とは思えないのです。盗品の類であれば後からノエルに返すとして、中身(・・)は要らないですよね―――」

 

ボゥ、とその指先に燐光が灯る。

 

話し合いをする前に臨戦態勢に移ってしまった少女に、大慌てで懐から1枚の手紙を取り出す。両手を上げて敵意がないことをアピールしながら必死に白銀聖騎士団としての正式な遣いであることを伝える。

 

少女は胡乱気な瞳でこちらを見詰めたまま、おもむろに指を弾いた。すると、足元から現れた無数の骨片がカタカタと組み上がっていき、1人分の骸骨となった。骸骨は私が手に持っていた手紙を受け取ると、主のもとへと歩いていく。

 

間近で見せられた怪奇現象に肝を冷やしつつ、少女が手紙を読み終わるのを待つ。ファーストコンタクトは最悪に近いが、あの手紙を読めばきっと協力してくれるはず。

 

そうしているうちに手紙を読み終わったらしく、折りたたんで封書に戻した彼女は小さくため息を吐いた。こちらを射抜く視線からは、既に敵意は霧散していた。

 

「……要件は分かりました。白銀聖騎士団の協力要請、潤羽家現当主潤羽るしあがお受け致します」

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

「……それで、ノエルの代役としてあなたが来たと」

 

「―――、?」

 

「う……それについては申し訳ないのです。ノエル以外で態々こんな所まで足を運ぶ人が居るとは思いませんでしたし、るしあの魔術資料を盗みに来た悪党という線も消しきれなかったのです」

 

「―――?」

 

「え? う、うん。住んでるのはるしあ1人なのです。掃除とかは使い魔の皆さんにやって貰っているので、特に不便を感じたことはないですが……」

 

こちらの素性が判別したことでようやく『圧』が消え、代わりに彼女本来の小動物のような性格が段々と垣間見えてきた。この洋館でひっそりと暮らす彼女だが、それはそれとして寂しさはあるらしい。こうして足を運ぶ人間も稀であるから、お喋りの相手は基本的に使い魔とのコミュニケーションくらいだとか。

 

「ふーん。キミ、副団長なんだね。あれだけの団員さんが居て、その中で事実上のトップってことでしょ? すごいねぇ」

 

「―――。」

 

「ノエルはどう? 元気にしてる? ……うん、そっか。あの子もお人好しだから、きっとまたどこかで無理しちゃうこともあると思うんだよね。その時は、キミがしっかり支えてあげてほしいな」

 

「―――!」

 

「ふふ、いい返事。るしあの代わりに、しっかりお願いね?」

 

外見は齢二十にも満たないであろうに、何処か大樹のような落ち着きを感じさせる声音で彼女はそう言う。……確か、死霊術師の中には自らの生死の境界すらも曖昧にすることができると聞いたことがある。もしくは、彼女自身が人間ではなく魔界の出身であると考えれば―――

 

……やめよう。

 

いくら自分が考えても詮無きことだ。

 

今はただ、白銀聖騎士団副団長としての務めを果たすだけでいい。

 

「―――?」

 

「うん。じゃあ、早速始めちゃおうか。術式はもう組み終わってるから、すぐにでも始められるよ」

 

いつの間に、と素直に驚く私を見て、彼女は悪戯っぽく笑った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

事の経緯はこうだ。

 

数日前に狩りへ出掛けた夫が戻ってこないと、騎士団に通報が入った。昼夜問わず多くの人員を投入して捜索にあたったが、手がかりのひとつも見当たらない。状況から考えると、魔獣の類に襲われたか、野盗などに着ぐるみを剥がれて殺されたかのどちらかだろう、と団としては結論を出した。

 

この国ではそう珍しくもないケースだったが、諦めきれない妻は、どうにかして夫の遺品を探して欲しいと引き下がらなかった。それで何か見つかったのであれば諦めます、と。

 

……要は、切っ掛けが欲しいのだろう。

 

頭で理解していても、強い未練を断つのは簡単ではない。『遺品』という物によって、『夫が死んだ』という事実を自らに認識させるための防衛的反応なのだ。

 

「今から行うのは『還魂術』という霊魂術の1種。東国では黄泉比良坂とも呼ばれる、冥界へと向かう道程にいる魂を呼び出して交信するもの。あくまで交信ですからこの世界に物理的な影響を及ぼすことは出来ないということと、完全に冥界へ定着してしまった魂はこの程度の術では呼び出せません」

 

「―――。」

 

「まず前提として、この術式に応じるということは対象が亡くなっているということ。そして、応じないのであればまだ生きているか、既に冥界の住人となっているかのどちらかなのです。さらに注意点なのですが、あなたは呼び出された者の魂と一切の会話をしてはいけません。耐性のないものが交信を行えば、正気を保っていられる保証はないのです。……それでも、同席したいのですか?」

 

「―――!」

 

「……分かりました。万が一には備えておきますが、今伝えた事は絶対に守るようにお願いします」

 

水銀で描かれた精巧な魔法陣を前に、朗々と詠唱が紡がれていく。彼女の詠唱に呼応するかのように水銀が光を放ち、蝋燭と紫水晶のみで照らされていた室内を青白く染め上げる。

 

同時に、何処からか風が吹く。締め切られているはずの部屋に、無機質な冷たさを纏う風が頬を撫でた。身震いひとつ、無意識に腰に提げる剣の柄に手が触れる。

 

いよいよ術式も佳境を迎えたのか、詠唱の強さと魔法陣の光が共鳴するように強まっていく。

 

「―――境界を繋ぐ要石。逆しまの砂時計。突き立てる霊銀の楔。汝、我が呼び声に応え、その姿を現し給え」

 

一際強く魔法陣が発光し、思わず目を庇う。そっと手を下ろした時―――そこには、1人の男性の姿があった。髭を蓄えた彫りの深い顔立ちだが、その瞳には感情の色が感じられなかった。

 

ゆっくりと周囲を見渡す。そして私たちを視界に捉えると、合点がいったように1人頷いた。

 

『……ああ。そうか……私は、死んでしまったのか。こうして呼び出された今、ようやく理解できた。……私を呼び出したのは、そちらのお嬢さんかな?』

 

「はい。安らかな眠りを望まれていたことは承知しているのです。しかし、残された貴方の妻はそうではない。深い悲しみと絶望に沈む中で、それでもと私に依頼されたのです」

 

『うむ……そうだろうな。妻には申し訳ないことをした。……しかし、今の私からしてあげられることは、何もないのではないかな』

 

「妻からの依頼は遺品の捜索。……命絶える直前、あなたが何処で何をしていたのか。その時の所有品などについて、心当たりがあれば話してほしいのです。それさえ分かれば、あとは私たちが引き受けます」

 

『最期。最期、か。覚えていることといっても、あまりにも少ないのだが……確か、闇、暗闇だった』

 

「……他に、感じたことや聞こえたこと。何でも良いので覚えている限りのことを」

 

『あとは、そうだな。あれは……光? 薄紫色の光が、見えた気がする。後は、熱と、痛み、と。獣の唸り声、が……! 俺の、腕を、食っていて……あァ、嫌だ、助けてッ! 喰われる!! 嫌だ、死にたくないッ!! なぁっ! 見てないで助けてくれよォッ!!?』

 

「―――ッ!?」

 

「危ない、下がって!」

 

突如として半狂乱となり、るしあさんの後ろに控えていた私に飛び掛かろうとする男性。しかし、るしあさんがその間に割り入ったことで彼の手は空を切り、突き飛ばされた私は無様に尻もちをつく。

 

「……死者の中には、自らの死を認識できないまま霊魂となる者もいます。この方のように、私たちが語りかけることで自らの死を認識する方もいるのです。……呼び出した時の穏やかな雰囲気からして、何となくそんな感じはしていました」

 

そう言って男性を見つめる彼女の瞳からは、感情が読み取れない。転がる私を庇うように立ちながら、その視線はずっと荒ぶる男性の霊魂へと向け続けられている。

 

宥めるでもなく、祓うでもなく、ただじっと。

 

今際の際の絶望と悲しみを叫ぶその姿を、魂に刻むように。

 

「……刻限なのです」

 

『―――あ、ァ……すまない、ナタリア……』

 

その言葉を最後に、空気に溶けるように消えていった。

 

魔法陣の輝きも、吹き荒んでいた風も、全てが嘘だったかのように元通りになる。しかし、早鐘を打つ心の臓と、背中を濡らす気持ちの悪い汗が、今のが紛れもない現実の出来事であったと告げている。

 

なんとか立ち上がるが、酷く気分が悪い。そんな私の姿に、るしあさんは僅かに苦笑を覗かせた。

 

「初めての還魂に立ち会って、気絶していないだけ立派なのです。その身体で帰るのは大変でしょうし、少し休んでいってください」

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

「どうぞ。鎮静作用のある薬草を調合したハーブティーなのです」

 

ありがとうございます、と受け取り遠慮なく口にする。清涼感のある香りが鼻に抜け、嫌な寒気に震えていた身体を芯から温めていく。カップの半分程を飲み下したところで、ようやく人心地をつけたような気がした。

 

そんな私の心中を知ってか知らずか、対面に座るるしあさんが口を開いた。

 

「どうでしたか? 死者との邂逅は」

 

「―――、」

 

今更誤魔化す気にもなれず、素直に胸の内を吐露する。文字に起こせば単純な出来事であっても、実際にこの身で体感してみて理解できた。成程確かに、これは生半な気持ちで手を出して良い類のものでは無いと。

 

下手をすれば、こちらの身をも危険に晒しかねない。

 

「その通りです。死者と生者の接触は、本来あってはならないこと。その道理を捻じ曲げられてしまうからこそ、るしあ達死霊術師(ネクロマンサー)も生者と距離を置くのです」

 

「……。」

 

「あなたも、今回の件で理解してくれたと思いますが。体調が戻り次第、なるべく早く騎士団本部に戻った方がいいのですよ」

 

ともあれ、今回得られた情報は貴重なものだ。彼の発言からして、実際に亡くなった場所は王国北部の山岳地帯だろう。その中でも紫水晶が採れる洞窟と言えばかなり限られる。……そして、彼を殺めたのは恐らく魔獣の類。

 

しかも、近隣の森から北部の山岳地帯まで成人男性1人を捕らえて移動できるということは、かなり大型の魔獣だろう。そんな生物が王国の付近まで足を伸ばしてきたということは、討伐隊の編成も視野に居れるべきか。

 

つらつらと思案しながら過ごすこと半刻程度。ようやく身体の具合も普段程度まで快復してきたため、帰り支度を始める。その間、何かの書物を読んでいたるしあさんだが、見送りのために正面玄関まで来てくれた。

 

「―――、」

 

「うん。気を付けてね。……もう会うこともないと思うけど」

 

そう言って、少し寂しそうに笑うるしあさん。

 

やはり、1人で長い時間を過ごすのは寂しいのだろう。彼女には協力していただいた恩もあるし、個人的にももう少しお話していたかった思いはあるのだが……。

 

「―――!」

 

「えっ? い、いいよ別に、キミも忙しいでしょ! 態々こんな所まで来なくたって、るしあは慣れてるからさ……いやほんとに! 大丈夫だってばぁ!」

 

 

 

しばしの押し問答。

 

 

 

「―――?」

 

「う、うん。それじゃあ本当に気をつけて帰ってね」

 

ばいばい、と小さく胸の前で手を振るるしあさんに見送られながら洋館を後にする。本部に戻ったらまた仕事の山だな、とげんなりしつつも、行きより少しだけ重くなったような気がする肩をコキリと回した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いい子だったなぁ。いつか、ノエルの元を離れた時は……るしあが貰っちゃっても、良いかな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……なんだか寒気がする。

 

近いうち、教会でお祓いして貰おうか……。

 

 

 

 

 



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宝鐘マリン① Alternative

海賊が出た、と騎士団に一報が入った。

 

報せに来てくれた若い女性はかなり慌てていたようだが、対応するこちら側としてはいい加減慣れたものである。白銀聖騎士団の本部があるこの王国近辺で堂々と海賊旗を掲げる海賊団なんて記憶にある限り1つしか存在しない上、ほとんど人畜無害と言ってもいい。

 

当然、この程度で執務中の団長を引っ張り出す訳には行かないので(本人は行きたい行きたいと結構ゴネていたが)、何かと便利な副団長こと私が出動する。すぐに動ける直属の部下を10人ほど集め、早馬に乗って本部から港へと駆ける。

 

私たちを見る住民の皆さんの顔には「またかぁ…」と書いてあるし、苦笑いまで浮かべている方もいる。通報してくれた方はきっと最近この街に引っ越してきたか、出会すのが初めてのどちらかだろう。

 

城下町から港へ続く坂を一気に駆け下りれば、青空にはためく海賊旗が目に入る。海賊旗と言う割に髑髏はなく、ハート型を真ん中で二分割したものを矢が射抜いているといった独特の意匠。4本の帆柱と左右に砲列を備えた巨大なガレオン船がゆったりと港へと入ってくる。

 

一応、安全のために周辺住民への声掛けは済ませているが、何か起こるとは思っていないしあちらもそんなつもりは毛頭ないだろう。ただ、海賊という肩書きを掲げる以上、護国の騎士たる我々が対応しない訳にはいかないのである。

 

そうこうしている間に、海賊船は船着き場へと到着した。

 

錨が降り、渡し板から船員達が降りてはもやい綱をかけて船体を固定していく。私たちはそれを少し離れた位置から見守っている訳だが、積荷や木箱と格闘している者たちとは別の一団がこちらへと歩いてくる。

 

先頭を歩くのは小柄な女性。赤を基調としたセーラー服の上から大きめの黒コートを羽織っており、ツインテールに結んだ髪も艶やかなワインレッド。勝気な光を宿す双眸は特徴的な赤と金に輝き、起伏に富んだスタイルを惜しげも無く晒している。

 

彼女は私の前まで来ると、おもむろに腕を持ち上げて―――

 

 

 

 

「Ahoy!! 宝鐘海賊団船長、宝鐘マリンですぅ〜!!」

 

 

 

 

いや知っとるが。

 

名状し難いポーズを取りながらご丁寧に自己紹介をしてくれた女海賊こと宝鐘マリンさん。後ろの船員達もヒューヒュー言ってないで何とかしなさい。あなたらの船長でしょうに。

 

「あー、何ですかその塩対応。せっかく船長が会いに来てあげたって言うのにぃ〜。あ、さては照れてますね? んもぉ、聖騎士すらも虜にしてしまうなんて船長ったら罪な女……!」

 

「―――我がいと聖なる主よ、彼の者の穢れを浄め払いその魂を……」

 

「お゛ぉ゛お゛い!? ノータイムで浄化魔法はやめて!ちょっとしたコミュニケーションでしょうが!」

 

いつも通りこちらを煽るような文言を吐き散らかしていたので最上位魔法をぶっ放しそうになってしまった。時折こうしておかないと何処までもマリンさんの流れになってしまうので、会話の主導権を握らせない為にも必要なことなのである(マリンさんは《わからせ》とかなんとか言っていたが)。

 

「うーん、ノエルなら笑って流してくれる所を副団長殿も堅物ですねー。トップがあれだから次席がこうなったとも考えられますが」

 

「―――?」

 

「はーい。いつも通り換金して備蓄揃えたらすぐに出航しますとも。滞在期間は……あー、キミたちぃ?」

 

「今回の収穫・消耗からすると凡そ1週間といったところっスね。補給自体は2、3日で終わると思いますけど、アイツらのガス抜きも考慮するとその位は見積もっといてください」

 

「うんうん。だ、そうですよ?」

 

船長補佐の男が代わりにそう答え、私はそれを手元の紙へと書き込んでいく。こうして寄港の目的を明確にしておけば、王国への報告も行いやすくなるからだ。

 

ビジネスな話にはなるが、海賊とてリスクを背負って海に出るのだ。収穫が得られなければ稼ぎはマイナス。そこで、王国から報酬と引き替えに情報収集を請け負う形でギブアンドテイクの関係を結んでおけば、比較的安定した収入源の確保にもなる。

 

ロマンと堅実さどちらを選ぶかといったところだが、そもそもこんなビジネスライクな関係を築ける、良識のある海賊団の方が少数派である。

 

「―――?」

 

「海域の異常……は、確か……あー、キミたちぃ?」

 

「うっス。半月ほど前から、南西海域に海獣の目撃情報が挙がってましたね。割とデカめのヤツで、俺らは直接出くわしたことはないっスけど、商船が何隻か被害受けてるみたいッス」

 

「……だ、そうですよ?」

 

情報ありがとう。そしてマリンさんはもう少ししっかりしてください。さっきから補佐の人しかまともに喋ってくれてないんですが。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

「―――それでですねぇ、船長の勘だと中央海域のカリシュティア島が怪しいって思う訳ですよ。明らかにあの周辺だけ海獣の目撃情報が多いし、今のところ判明してるのは島の大きさくらいですからね」

 

「―――?」

 

「うーん、どうですかねー。海獣を相手取っても沈まない自信はありますけど、陸の上じゃどうなるか分かったもんじゃないですよ。上陸した矢先に壊滅なんてオチは勘弁なんだワ」

 

酒樽に腰掛けて船員達の作業を監視する傍ら、隣に座るマリンさんが今回の航海記を楽しそうに話している。ちなみに彼女が海へ出た目的は、この世界の何処かに存在するという『黄金郷エルドラド』を見つけ出すことらしい。

 

マリンさんの船なら確かに海獣の攻撃にも耐えうるだろうし、カリシュティア島近海の荒波を乗り越えることも出来るかもしれない。しかし、彼女曰く島へ上陸してからが問題だという。

 

「船と船の戦いならまだしも、白兵戦なんて経験無いですからね。対魔獣戦闘のエキスパートでも居れば話は別なんでしょうケド、海賊に協力しようなんていう物好きは居ないでしょうよ」

 

やれやれ、とマリンさんは肩をすくめる。

 

海賊はほとんどが荒くれ者の集まりで、一部の優れたカリスマを有する者が統率しているに過ぎない。仮にトップ同士が協力を約束したとて、その下まで一枚岩になるかと言われたら首を横に振らざるを得ないのだ。

 

信頼関係を築きつつ、互いの利害が一致する状態で、尚且つ障害を踏破できるほどの実力を有する。そんな組織など中々見つかるものではないだろう。と、そこまで考えてからふと気付く。

 

白銀聖騎士団(うち)なら条件満たしてるのでは、と。

 

思わず漏れたその言葉を聞いたマリンさんは、大きな瞳をぱちぱちと瞬かせていた。が、すぐにその顔が喜色に彩られる。

 

「うん……うんうん! ノエルが戦力として来てくれるなら魔獣でも何でも来いってもんですよ。贅沢言うならフレアには森の中を先導して貰って、ぺこらには動物使って探索してもらうのもいいですね〜。るしあには船長たちを守る壁になってアヒィッ!?」

 

「―――!?」

 

「い、いえちょっと悪寒が……」

 

そう言って両腕をさするマリンさん。海賊が海風に当たりすぎて体調を崩すなど笑い話にもならないが、具合が悪いなら船に戻った方が良いのではなかろうか。

 

……それにしても。

 

ノエル団長やるしあさん達の話をする時のマリンさんは本当に楽しそうに笑う。心の底から、彼女達のことを大切に想っている証左だ。種族や肩書きの垣根を超えて繋がる絆がどれほど得難く尊いものであるかを、彼女はよく理解しているのだろう。

 

「―――?」

 

「ええ。船長はみんなのこと大好きですよ」

 

迷う素振りすら見せない即答だった。

 

「金銀財宝、宝石輝石。海賊ですからそういったモノも勿論好きですが、言ってしまえばそんなのいつかは手に入るんですよ。でも、みんなとの繋がりや絆は、望んで手に入れられるモノじゃない。だから船長は一度できた繋がりを大切にしたいし、出来れば消したくないんです」

 

「船長が追い求めてるエルドラドだって、船長1人じゃどうやったって見つけられない。1人で見つけたって意味が無い。船長のことを慕ってくれる一味のみんなや、ノエル達と一緒に喜怒哀楽を分かちあった末に得られるものだから価値があるんだと思ってます。……かけがえのない仲間と共に、最高の景色を共有する。それこそが―――」

 

言葉を切り、酒樽から飛び降りるマリンさん。

 

肩越しに振り返ったその顔には、いつものイタズラな笑顔。

 

 

 

 

 

「―――マリンのお宝だと、思うんだワ」

 

 

 

 

……なるほど。

 

これは確かに、紛うことなき『船長』だ。

 

野心と欲望のままに振る舞う姿は諸人を魅せ、己もまた彼女と志を同じくせんと心の薪に火を焚べられる。ノエル団長とはまた異なった魅力を有する彼女だからこそ、一味の人たちも安心してついていけるのだろう。

 

「―――。」

 

「ふふん、そうでしょうそうでしょう。惚れてくれてもいいんですよ? 船長は男も女も等しくウェルカムですからねー」

 

「……我がいと聖なる主よ―――」

 

「だぁからなんで浄化魔法撃つんだって!?」

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

時間が過ぎるのは早いもので、宝鐘海賊団の出航予定日はいよいよ明日に迫っていた。換金・補給を済ませた彼女らは、今頃出航前の馬鹿騒ぎに興じている頃だろう。今日ばかりは、我らがノエル団長もマリンさんと話がしたいと夕方から出掛けている。

 

壁に掛けられた時計をちらりと見れば、短針は9を示すところであった。

 

日没後の騎士団本部は静かなものだ。

 

今日は自分が宿直であるため、こうして詰所で雑務を片付けている訳だが、この時間に本部を訪れる者など滅多にいない。春先の穏やかな夜風を感じながら、のんびりと書類を仕上げていく。

 

時間に追われず精神的な余裕があるせいか、昼間よりも考え事が多くなってしまうのは仕方ないことだろう。そもそも、団長とマリンさんが2人で酒を飲むというだけで少し……否、割と心配なのである。

 

普段は優しいながらもしっかりしている団長だが、酒が入ると高い確率で使い物にならなくなってしまうのだ。更にそこへマリンさんを投入してしまったら果たしてどうなるか分かったものではない。

 

自分で言っておいて不安になってきたが、城下町で飲むならそう酷いことにはならないだろう。団長が人の目がある所で醜態を晒すまで酔い潰れるというのは考えにくいし、彼女たちに何かあれば白銀聖騎士団と宝鐘海賊団が修羅と化すので手を出す猛者は居ないと思いたいが―――

 

 

 

半ば自動で回っていた思考を、扉を叩く音が遮った。

 

 

 

すわ事件か、と一瞬で切り替わった頭が考えるよりも先に身体は動く。側に立て掛けておいた剣を腰に提げ、詰所の扉を開け放つ。

 

そこには、

 

「んへへぇ〜、流石副団長殿は仕事熱心ですなぁ! ノックしたらすぐに開けてくれるなんてよく出来た部下だねぇノエルぅ〜!」

 

「あたぼうよぉ〜! だんちょの頼れる右腕だかんね! 潰れたら助けてくれるから大丈夫だよマリン〜!」

 

「ん〜? 潰れるって何がぁ? おっぱいか? おっぱいなのか!? ちょっと、ノエルのおっぺぇは船長のものですからね! キミにあげる分はないでーす! 残念でしたー!」

 

「えーそうなのぉ? じゃあ代わりにマリンのあげればいいじゃん。そうしたらみんな幸せだね!」

 

「やーんノエたん天才! いぇーい!」

 

「いぇーい!」

 

『あはははははは!』

 

泥酔という二文字をこれ以上ないくらい体現したノエル団長とマリンさんが居た。

 

マリンさんはいつものセーラー服チックな赤い服で、黒コートは羽織っていない。団長はオフということもあって白いニットセーターにダークブラウンのチェックスカート。伊達眼鏡のせいかいつもと雰囲気が違って非常に美しい、のだが。

 

二人とも耳まで真っ赤になっているうえ、若干呂律が回っていない。外でしこたま飲んで酔っ払ってきているというのに、見間違いでなければマリンさんが提げている紙袋から酒瓶が覗いている。

 

まさかとは思うがこの人達、騎士団本部の詰所で二次会始めるつもりなんじゃなかろうか。

 

それは流石にまずい。団長の立場上もそうだし、職場にプライベート全開で来てるのもそうだし飲酒もそうだしそもそも私まだ一応勤務中なんですが。とにかくここで酒盛りを始められては色々とアウトなのである。

 

「―――!? ―――!」

 

「えー、ちょっとくらいいいじゃないですかー!」

 

「そーだそーだ! たまにはキミも一緒に飲もうよー!」

 

ダメだこの人達。早くなんとかしないと。

 

普段ならブレーキ役になるハズの団長も、酒の力で暴走列車と成り果ててしまっている。これは、私ひとりでは止められない……!

 

冷や汗が一筋、頬を伝う。

 

その時だった。

 

「お疲れ様です、副団長。交代の時間です 」

 

おお我らが神よ、感謝致します。

 

時間交代で仮眠から戻ってきた団員が、詰所に戻ってきたのだ。これで彼女達を任せて、自分は執務に戻る事が出来る。最悪仮眠なんて取らなくてもいいし、幸い明日は宿直明けで休日。少し騒がしくはなるが、後ろで酒を止めつつ耐久してもらおう。

 

「―――!」

 

「えっ、私がですか? うーん……私よりも副団長の方が適任だと思うんですが」

 

「―――!?!?」

 

おお我らが神よ、寝ておられるのですか。

 

まさかまさかの部下の裏切り。まあ先に人身御供に仕立てあげようとしたのは私の方なのだが、これが因果応報というものか。

 

「副団長どのぉ〜?」

 

「ほらぁ、こっち来なってぇ!」

 

がっし、と団長に首根っこを掴まれる。

 

酔っていても騎士団最強の名は伊達じゃない。そのままずるずると引き摺られ、奥の仮眠室へと運ばれていく。必死に抵抗するが、団長の体幹は微塵も揺らがない。こんな所で実力の差を見せ付けられる事になるとは思ってもみなかった。

 

「……副団長の勤務表、代わりに付けときますので」

 

合掌しながら言わないでほしい。そしてお前はいつか模擬戦で泣かす。

 

「さあ、今夜は寝かしませんよ☆」

 

「朝まで飲んじゃうぞー!」

 

―――私に明日は来るのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 



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不知火フレア① Alternative

 

振るわれる剛腕を紙一重でやり過ごし、地を擦るように剣を振り抜く。足の腱を狙った一撃はしかし、魔獣特有の超反応で直撃の寸前に飛び退かれてしまい、表皮を浅く切り裂くのみに留まった。

 

一瞬で間合いの外まで逃げられたが、相手の敵意は衰えていない。少しでも隙を見せればすぐにでも襲いかかってくるだろう。

 

「―――……、」

 

視線は外さぬまま、身体中に溜まった熱を呼吸に変えて吐き出す。

 

乗っていた荷車を引いていた馬たちは最初の奇襲攻撃でやられてしまっており、逃亡は厳しい。それでもなんとか御者の男性は逃がすことが出来たので、彼が助けを呼んできてくれる事を願うしかないか。

 

しかし、村と王都の丁度中間点で襲ってくるとは中々に厭らしい。報告に上がっていた特徴とも一致するし、ここ最近立て続けに村を襲っている魔獣に間違いないだろう。知性を付けてこれ以上の被害を出す前に、この場で仕留めておきたいが……

 

今の私は甲冑も身につけておらず、手に持つ得物も荷馬車の中にあった数打ちの剣1本だけ。少しでも相手の攻撃が掠ればそれだけで致命傷になりかねない。

 

救援が来るまで30分か、1時間か。

 

そもそも、逃がした男性も近くの村に辿り着けているかどうか。

 

脳裏をよぎる嫌な想像を振り払う。その瞬間、私の集中の糸が緩んだのを見逃さなかったらしい。大地を抉る勢いで駆け出した魔獣への対応が一瞬、遅れた。

 

「―――ッ!!」

 

避けられるか。

 

いや、間に合わない。

 

逃れられぬと強張る身体を無理矢理に駆動させ、せめてもの抵抗と衝撃に備え―――

 

 

 

「YAGoooooOOOOO!?」

 

 

 

想定していた衝撃はやって来ず、代わりに魔獣の苦悶に満ちた咆哮が耳朶を揺さぶった。視線を跳ね上げてみれば、一抱えもありそうな魔獣の眼球を貫く矢。おそらく救援に応えてくれた者が放ったものだろうが、高速で動き回る相手の眼球を正確に射貫くとは恐るべき技量だ。

 

一体誰が、と振り返った私の視界を、眩い黄金が駆け抜ける。

 

瞬時に魔獣の背後へ回り込み、地面を削って制動を掛けながら矢を番えて1射。音に反応した魔獣が振り向く頃には既にその死角へと入り込み、後脚の関節に2本を打ち込んでいた。

 

残された左眼で必死に下手人を追おうとする魔獣だが、野生の勘を以てしてもその姿を捉えることはできない。大地を縦横無尽に駆け巡り、時には木々を蹴って宙を舞いながら、瞬く間に魔獣を針山に変えていく。

 

嵐のように浴びせられる矢の暴風に耐えかねたか、魔獣が一際大きく吼えた。その口内には、赤く輝く劫炎が揺らいでいる。炎で周囲一体を焼き払うつもりだろうか。

 

ざり、と足音。

 

気が付けば、彼女は隣に佇んでいた。

 

風に靡く黄金色の長髪は陽光に煌めき、隙間からは長く伸びた耳が目を引く。深い小麦色の肌に映える白装束は、王国では目にすることの無い特徴的な意匠。手に持つ弓へ矢を番える所作に一切の澱みはなく、穿つ目標を捉えた琥珀色の瞳が鋭く細められる。

 

弦の弾ける甲高い音と共に、疾風のような矢が放たれた。唸りを上げて飛翔する矢は狙い過たず、今まさに火炎を吐き出そうとしていた魔獣の口内へと吸い込まれていく。炎熱によって矢が焼失するよりも早く、口蓋から脳髄を刺し穿ち、その生命活動を停止させた。

 

ゆっくりと地に倒れ伏す魔獣を睨めつけながら、暫く待って動き出さないことを確認してからようやく彼女は残心を解いた。

 

「ふぅ……大丈夫? どこか怪我してない?」

 

問われて、簡単に身体を検分する。体力的にはそれなりの消耗であるが、見た限り外傷は無さそうだ。痛みや違和感も今のところ感じない。大丈夫だと返事を返すと彼女は僅かに口の端を笑ませ、

 

「そう、それなら良かった。それじゃあ改めて―――私は不知火(しらぬい)フレア。しがないハーフエルフだよ」

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

「ふーん……キミも災難だったね。たまたま私が近くに居たから助けに来られたけど、あの男の人が村まで走る羽目になってたらもっと時間掛かってたよ? それまで1人で凌ぐつもりだったってこと?」

 

「―――。」

 

「そうするしかないならそうする、って……たまに思うけど、騎士って大変だよね。そうまでして誰かを護らなきゃいけないなんてさ。生きるか死ぬかの瀬戸際で、自分の命を優先したって誰も咎めないと思うけどな」

 

「―――、?」

 

「え? でも助けに来てくれた? ……いや、だってあんな必死に頼まれたら断れないし……」

 

ところ変わって目的の村。あのあと最低限の休息を取った私たちは徒歩で残りの道程を進み、昼過ぎには村へと辿り着くことができた。フレアさんに助けを求めてくれた御者の男性も無事だったようで、戻ってきた私を見て大号泣していたのは少し申し訳なかった。

 

散らばった積荷は村の若者を集めて後日回収しに行くらしい。幸い資材や物資が大半なので、時間でダメになるということもないそうだ。

 

そして私たちはというと、今は遅めの昼飯を食べている所である。村の特産品である新鮮な葉野菜で肉を巻いて食べるのだが、単純ながらも非常に美味である。乾燥ハーブを挽いたスパイスもアクセントになっていて飽きが来ないのも良い。

 

料理に舌鼓を打ちつつ、先程から疑問に思っていた質問をフレアさんにぶつけてみる。

 

「―――?」

 

「まぁ、いつもノエちゃんの後ろで控えてたし。それに私、人の顔覚えるのは得意なんだよね。副団長なんでしょ? それなら、普段のノエちゃんがどんな感じか聞かせてよ。他にも面白い話があれば、大歓迎」

 

それから、色んな話をした。

 

白銀聖騎士団に入ってからのことや、こなしてきた任務の数々。執務中の団長の様子や、マリンさんやるしあさんとの出会い。小さな悩みや仕事の愚痴まで話題に挙がったが、聞き手に回ったフレアさんは嫌な顔ひとつせず楽しそうに聞いていた。

 

聞き上手とはこのことを言うのか、適度な相槌と時々投げられる質問が話を際限なく膨らませる。元々多くは喋らない私だが、後にも先にもこんなに喋ることはないだろう、と感じるくらいには喋り通しだった。

 

「―――うん。キミの人柄も知れたし、ノエちゃんの様子も聞けたし、とても楽しい時間だったよ。それにしても、マリンやるしあとも面識があるだなんて、意外と顔が広いんだね。会ったことがないのはぺこらだけかな?」

 

「―――?」

 

「そう。兎の獣人なんだけど、喋り方が特徴的だし分かりやすいと思うよ。そのうち何処かで出会(でくわ)すんじゃない? 良い子だし、仲良くしてあげてほしいな」

 

そう言われても、件のぺこらさんとは本当に面識がない。お互いの顔も知らないのに何をどう仲良くすればよいのだろうか。フレアさんとは団長の知り合いという共通点があったから良かったのだが……。

 

うーん、と凝り固まった身体を解すように伸びをするフレアさん。窓の外を見てみれば既に陽は傾いてきており、雲の端を橙色に染め始めている。かなりの時間話し込んでしまっていたようだ。

 

私は数日間の休暇を申請しているから問題は無いのだが、彼女の方は大丈夫なのだろうか。団長から聞いたところによれば、いくつかの事業を取りまとめているとのことだったが……そんな重要な役職の人(?)が、私との雑談で貴重な時間を無駄にしていなければ良いのだが。

 

しかし、同じく役職者である手前どうしても気になってしまう。

 

「―――?」

 

「ん? あー……、まぁ大丈夫。それよりも、キミと話をすることの方が私にとっては大事なんだよ。だって―――もう、会えないかもしれないし」

 

薄く、息が漏れた。

 

なんでもないように告げられたその言葉を脳が理解するのに、やけに時間がかかった。

 

会えない?

 

フレアさんが?

 

誰に? 私に?

 

いや、私のことはどうだっていい。それよりも、団長は? あんなにもフレアさんのことを慕っている団長を置いていくというのか?

 

二の句を告げずに居る私を見て、慌てたように彼女は口を開いた。

 

「ああいやっ、違うよ。今のは言葉のアヤで、別に今すぐ私がどっか行くとかそういうんじゃないから! ……言い方が悪かったけど、なんていうか、癖みたいなモノかな」

 

「私たちエルフは、キミたち人間よりも遥かに永い寿命を持ってる。だから、過ぎて行く時間、1分1秒がキミたちより何倍も軽く感じてしまうんだ。それこそ、10年や100年なんて、エルフの生から見ればあっという間の出来事に過ぎない。……でも、キミたちは違うでしょ?」

 

「私にとっては一生のうち1パーセントにすら満たない時間でも、キミたちにとっては貴重な時間だ。だから私は、そんなキミたちと過ごせる時間を大切にしたいし、出来ることなら忘れないでいたい。何百何千年経っても思い出せるように、キミたちと過ごす時をこの目と心に焼き付けておきたい」

 

「ノエちゃんたちに限った話じゃないよ。キミもそうだし、これから出会う人たちのことも。たとえ歴史に刻まれなくても、私がずっと覚えていればいい。それがきっと、永い時を生きる私の役目なんじゃないかなって思うんだよね」

 

橙色と濃紺のグラデーションに彩られた空を見上げて、フレアさんは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。

 

緑の賢者、森の妖精と称えられるエルフ族の彼女ならば、可能不可能の話で言うなら可能なのかもしれない。たとえ夜空に輝く星々の全てを記憶しろと言われても、やり遂げてしまうのかもしれない。

 

だが、それはきっと―――とても、辛い役目なのだと思う。

 

絆を育むほど、繋がりを重ねるほど、喪われた時の反動は大きい。我々人間の短い生の中でさえ耐え難い離別の苦しみ。フレアさんは、それを何回とも知れず繰り返していくことになる。

 

常に『見送る側』に立たざるを得ない彼女の心中を想うと、どうしようもなく胸が苦しくなって―――

 

「こーら。余計な心配はしなくていいの。顔に出てるぞ?」

 

ぴん、と額を指で弾かれた。

 

困ったように笑うフレアさん。弾かれた額を擦りつつ、自分の頬をぐにぐにと解してみる。はて、自分もそんなに表情が変わる方ではないと思うのだが。エルフ族特有の超直感的なナニカだろうか。

 

「その気遣いは、ノエちゃんやマリンに向けてあげてよ。私たちと違って、2人は普通の人間だからさ……キミみたいに、同じ歩幅で歩いてくれる人が必要だと思うんだよね」

 

「―――。」

 

「うんうん。頼んだぞ若人よ」

 

パシパシと肩を叩くフレアさん。身長は私よりも彼女の方が低いし、外見年齢でいえば団長と変わらないくらいだが、なんというかこう、貫禄のようなものを感じる。強いて言うなら、実家の祖母―――

 

「余計なことは考えないように。いいね?」

 

アッハイ。

 

 

 

 

 

 

 

 



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兎田ぺこら① Alternative

「―――という訳であんたたちぃ! 道中の護衛しっかり頼むぺこよ! 積荷がダメになったらぺこーら達この冬乗り越えられねーぺこ!」

 

荷台の上でぺこぺこと叫ぶのは今回の依頼主である兎の獣人女性こと兎田(うさだ)ぺこらさん。

 

青と白の髪を三つ編みにして左右へ流しており、その三つ編みには何故か所々に人参が突き刺さっている。黒いバニースーツの上から白を基調としたファー付きのワンピースを重ねるというなんとも奇抜なファッションだが、彼女が身に付けているとさほど違和感を感じないから不思議なものである。

 

今回の依頼は、ぺこらさんの御家が営む農場から王国に向かう道中の護衛任務だ。季節は夏に差し掛かる頃だが、冬を越すための備蓄や来季に向けた種籾の仕入れなどを考慮すると、商いをするにはこの時期がちょうど良いのだろう。

 

ぺこらさんのご両親、つまりはこの『兎田農園』の農場主から直々の依頼が舞い込んだのが先週のこと。ゆくゆくはこの農場を継ぐ娘に経験を積ませてやりたいが、最初はやはり心配なので信頼出来る白銀聖騎士団に娘の護衛をお願いしたい―――とのこと。

 

そして、今回はノエル団長の人選のもとで隊を編成している。団長の友人でもあるぺこらさんの護衛に選ばれるということ、それ即ち信頼の印に他ならないだろう。

 

心の中で最敬礼を送りつつ、再度出立前の確認を行う。特に問題も見当たらなかったため、ぺこらさんに声を掛ける。

 

「―――。」

 

「よーし、それじゃあ出発するぺこ。重たいかもしれないけどあんたたちも頑張りな〜! 到着したら美味い人参食わしてやるぺこだからね〜」

 

御者台から、荷馬車を引く馬にそう語り掛けるぺこらさん。言葉が通じているのか、任せろと言わんばかりに嘶きを返してかっぽかっぽと進み始める。手綱もないのに真っ直ぐ歩いていく辺り、どうやら本当に意思疎通が図れているらしい。

 

後方の部下たちにハンドシグナルで指示を出し、荷馬車を囲うように人員を配置する。有事の際すぐ護衛に入れるように、私はぺこらさんの隣についた。

 

農園から王国まではそれなりに距離があるが、道程自体は1本道だ。この辺りの地域で報告に上がるような獣の類は居なかったはずだし、時期を見ても天候の急変や環境生物の異常発生も起こりにくいだろう。

 

周囲に目を配りつつ、考えられる危険因子を脳内でリストアップしていく。なにせ護衛対象は団長の友人だ。言い方は悪いが王国貴族の警護任務より余程緊張するし、有事に備えすぎて悪いということもないだろう。

 

ふと、隣のぺこらさんから視線を感じる。ちらちらと時折こちらを見ているようだが、話しかけてくる様子はない。警戒されているというのも少し違うようだが……

 

「―――?」

 

「うぇっ!? あ、べ、別になんでもないぺこだけど、ノエールから聞いてた話そのまんまな人だな〜って思って……あ、悪い意味じゃないぺこだよ!? ほんとに仕事熱心っていうか、真面目っていうか!」

 

任務中なのだからそれはそうなのでは。

 

団長からは『キミはもっと笑ってた方が素敵だと思うけどなぁ』と言われたこともある。が、どうにも私は公的な場ではほとんど表情筋が動かないのである。無感情ってワケじゃないけど無表情なんですよねー、とはマリンさんの談だ。

 

ぺこらさんの隣を歩くのが団長であれば話も弾んだ事であろうが……残念ながらトークスキルは鍛えていない私である。外交を行う際にはかなり助かっている表情の少なさが実は致命的なのではと、ここ最近思い始めていたりもするのだ。

 

「―――。―――?」

 

「ぺこらさんは分かりやすい? え? ぺこーらそんなに顔に出てるぺこ? 自分じゃあんまり意識したことないぺこなんだけど」

 

ぺたぺたと自分の顔を触っては首を傾げるぺこらさん。感情をストレートに表現するタイプなのか、ころころと変わる表情は見ていて飽きない。加えて、頭頂から生える立派なうさ耳が彼女の内心を表すかのように動くので非常に分かりやすいのである。

 

まず間違いなく腹の探り合いや騙し合いには向かないヒトなのだろうな、と場違いな感想を抱きつつ、当たり障りのない会話を続けていく。ぺこらさんは意外と人見知りをするようで、最初は探り探りといった様子で話をしていた。

 

しかし、ノエル団長をはじめとしてぺこらさんと共通の話題には事欠かない。互いのことを話していくうち、徐々にではあるが彼女の顔から緊張が薄れていく。

 

「―――?」

 

「うーん……まぁ大体は分かるぺこ。人と接する時間が多い動物ほど詳細まで汲み取り安いぺこだけど、野生動物なんかはニュアンス的になんとなーく分かる程度ぺこ」

 

「―――、」

 

「生まれた時からずっとそーいうもんだと思ってたぺこ。むしろあんた達が動物とコミュニケーション取れないってわかった時の方が衝撃だったぺこ」

 

「―――?」

 

「厩舎とか行ったら大変そう? ファッ↑ファッ↑ファッ↑ファッ↑ファッ!! ……えちょっと、なにあんた珍獣見るみたいな目ぇしてるぺこなんですけど? 言いたいことあるなら言ってみなぁ? ん??」

 

特徴的な笑い方だなぁとか思ってませんとも、ええ。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

馬を進めること数時間。

 

王国まで残り半分に差し掛かろうかという林道で、問題は起きた。

 

「はっはァ! 命が惜しけりゃ積荷と身ぐるみ、全部置いていって貰おうかぁ?」

 

いかにも三下ですと言わんばかりのセリフを吐くのは、オークのようにでっぷりと肥え太った山賊の男。周囲にはざっと数えて30人ほどの山賊たちが斧やマチェットを手に、血走った目をギラつかせている。

 

どこから嗅ぎ付けたのか、今回の運送ルートを把握して待ち伏せされていたようだ。我々だけならこの程度の人数差は問題にならないのだが、今回はぺこらさんを含めて積荷を護りながらの戦闘だ。イレギュラーが起きないとも限らないが、

 

 

 

―――黙ってやられるつもりもない。

 

 

 

返答の代わりに無言で剣を抜き放つ。部下たちも各々得物を構え、ぺこらさんの乗る荷馬車を背に円陣を組んで素早く戦闘態勢へと移っていた。

 

部下のひとりが声を上げる。

 

「貴様ら、我々が白銀聖騎士団と知っての狼藉か」

 

「応とも。てめぇらを狙うためにわざわざ待ち伏せしてたんだからよぉ。しかも副団長サマまで居るたぁツイてるねぇ! こいつは俺たちの名を売るまたとないチャンスだぜぇ!!」

 

下卑た笑いがそこかしこで起こる。数を揃えただけで既に勝った気でいるならばおめでたい限りだが、襲撃を仕掛けてきたからには何かしらの策があるのだろう。油断なく周囲を警戒していると、山賊の頭目らしき男が胴間声でがなり立てる。

 

「まずは邪魔な騎士サマ達から片付けるとするかぁ? ―――出番だぜ犬公! 精々働きな!」

 

ズン、と地面が揺れる。

 

木々をなぎ倒しながら現れたのは、体高5メートルはあろうかという巨大な狼だった。特徴的な青白い体毛を逆立て、鋭い牙を剥き出しにしてこちらを威嚇している。……この獣は。

 

「なっ、アルマガルムだと!? 隷属化しているのか!?」

 

『GYAOOOOOOOOO!!!』

 

ビリビリと鼓膜を震わせる大音量の咆哮。狼型の魔獣アルマガルムは高い知能を有しており、人間に付き従うことはまずありえない。となれば、隷属魔法で強制的に傀儡としている魔法使いがどこかに居るはずだ。

 

そいつを倒せば隷属化は解ける。仕組みとしては簡単だが、山賊とアルマガルムを相手にしながら魔術使いを探し出すのは正直厳しい。部下たちは迎撃に、私はアルマガルムを抑え込むので精一杯になるだろう。

 

何か打開策は―――

 

「あわわわ……なんかやべーやつ出てきたぺこ……!? しかもなんかめっちゃ怒ってるし、これぺこーら食われるんじゃねーぺこか!? 」

 

……あるかもしれない。

 

「―――!!」

 

「うぇっ!? なにぃ!? こいつを操ってる魔術使いを探して欲しい!? そ、そんなこと言われてもぺこーら全然戦えねーぺこなんですけど!?」

 

「―――。―――!」

 

「音で分かるぅ!? あんたそれ本気で言ってっ……あーもう! やるしかないぺこ!? これでやられたらマジで許さないぺこだからな!」

 

「なにをごちゃごちゃ話してんだぁ!? おら、やっちまえ!!」

 

頭目の合図で、山賊たちが一斉に襲いかかってくる。荷車とぺこらさんの護衛は部下に任せ、アルマガルムを相手取るために前線へと飛び出していく。

 

素早い動きに牙や爪を使った攻撃が脅威的ではあるが、アルマガルムは本来群れで狩りをする魔獣だ。統制の取れた群れならともかく、一頭だけなら私でも何とか渡り合える。

 

振るわれる爪をいなし、迫り来る牙を避け、時間を稼ぐことを目的にアルマガルムをその場に釘付けにする。横目にぺこらさんの様子を見てみると、うさ耳を忙しなく動かして術者の所在を探っているようだ。

 

私もその方面に明るい訳ではないが、隷属魔法の仕組みは洗脳に近く、多くは音を用いて対象の意識を縛るという。対象とする相手にのみ効果を発揮するよう調整するので、その他の生物が聞いてもただの不快な音にしかならないとか。

 

人間の私にはその音とやらは聞こえないが、聴力に優れた獣人であるぺこらさんならあるいは―――

 

「うぁ……ッ、なにこの……!? ちょっとあんた、あっちの方からすげー気持ち悪い音してるぺこなんですけど! さっき言ってたのってこれのことぉ!?」

 

「―――!!」

 

読み通りだ。

 

攻撃を捌きつつ、ぺこらさんが示した方角を確認する。木々の間に隠れるように、黒いローブが揺れているのが見えた。奴が隷属魔法の術者で間違いないだろう。

 

簡単な光魔法でアルマガルムの眼を眩ませると同時、身体強化魔法で脚力を跳ね上げ一息に距離を詰める。慌てて迎撃に移ろうとする黒ローブに先んじて、側頭部へ剣の柄頭をぶち込んで昏倒させた。

 

これで、隷属魔法の効果は切れるはずだが……。

 

目眩しから回復したらしいアルマガルム。周囲の状況を把握出来ていないのか、唸り声をあげながらも襲い掛かってくることはない。どうやら解除には成功したようだ。

 

「ちっ、魔法が解けやがったか! まぁいい、暴れてくれりゃあ結果は同じ―――」

 

『(あんた聞きなぁ! あんたに魔法かけてこき使ってたのはそこのバカタレ共ぺこ! ぺこーら達はあんたを助けてあげたぺこだよ!)』

 

「あぁ? 何言ってやがんだこの兎女?」

 

突然、鳴き声のような声を上げるぺこらさん。一瞬、何を言っているのか理解出来なかったが、ふと気付く。そもそもあれは私たちに向けた言葉ではなく、語り掛けている対象は―――アルマガルムだ。

 

『(野生の誇りを汚した奴らぺこ! やっちまいなぁ!)』

 

『GUOOOOOOOOO!!!!』

 

「なんだこいつ急にっ、ぎゃああああああ!!!」

 

「に、逃げろ! 殺されるぞ!!」

 

先程とは一転、私たちではなく山賊に文字通り牙を剥いたアルマガルム。有象無象を束ねた程度の戦力で魔獣を相手にできる訳もなく、我先にと散り散りに逃げていく山賊。私たちとは違い、魔獣は手加減も容赦もしない。逃げ遅れれば死するのみだ。

 

一瞬で近くにいた山賊を3人ほど噛み殺したアルマガルム。一際長い遠吠えの後、視線を此方に向けた。武器を構えようとする部下たちを手で制し、互いに動くことなく睨み合う。

 

しばらくそうしていたが、先に動いたのはアルマガルム。自らが噛み殺した山賊の死体を咥えると、フンと鼻息を鳴らして森の奥へと消えていった。

 

アルマガルムの姿が消えてから1分ほど経ち、ようやく警戒を解いた私は大きく息を吐いた。ぺこらさんは無事、積荷も無傷、部下たちにも怪我はない。予想外の襲撃ではあったが、こちら側の被害ゼロで抑えられたのは不幸中の幸いだろう。

 

「しッ、死ぬかと思ったぺこ!! え、ぺこーら生きてるぺこだよね!? 実は死んでましたとかいうオチは嫌ぺこなんですけどぉ!? ちょっとあんたぺこーらの声聞こえてる!? 大丈夫ぺこか!?」

 

「―――。」

 

「なに笑ってんだバカタレ!」

 

ぺこらさんの慌てる姿を見ていると妙に落ち着くのは何故なのか。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

そんなトラブルもあったものの。

 

日没前には王国の城下町へとたどり着くことができた。護衛の範囲としてはここまでになるのだが、どうせ来たのだからと卸先までついて行くこととした。部下たちは襲撃の件についての報告を上げてもらうために先へ本部へと帰還させている。

 

夕方となって活気づき始めた市場の喧騒に目を白黒させるぺこらさんを微笑ましい気持ちで眺めつつ、ゆっくりと人混みの中を進んでいく。

 

「おっ、副団長殿じゃねぇか! 任務帰りかい? ご苦労さん!」

 

「騎士様、今日もお勤めご苦労様でした」

 

「きしさまおかえりなさーい!」

 

「おぉ騎士様! 今日は新鮮な魚が揚がったんだ! 是非帰りに寄っていってくれよ!」

 

「……あんた、大人気じゃん。人気者は色んな意味で辛いぺこだな」

 

四方八方から送られる労いの言葉を聞いて、ぺこらさんは小さく笑った。

 

国や民を守護するのは騎士の責務として当然のことであるが、それは一方的なものであってはならない。私たちが国を愛するように、私たちも国から、民から愛されてこそなのである。

 

「―――。」

 

「私は何もしてない? 全てはノエル団長の活躍があってこそ……って、あんたも素直じゃない奴ぺこだねぇ。まぁそりゃ基盤を作ったのは確かにノエールかもしれないけど、あんたたちの頑張りがなんの意味も持たないなんてことは有り得ねーぺこ」

 

「実際ぺこーらは今日あんたたちに助けられたぺこだし……滅私奉公の志は良いぺこだけど、行き過ぎた謙遜は逆に嫌味に取られちまうぺこだからな! あんたはもっと胸張って堂々としてりゃいいぺこ。この街の住人は別にノエールだけに感謝してる訳じゃねーぺこだろうし……まぁ、他所の事情だからぺこーらがあんまりアレコレ言うのも良くないかもしれねーぺこだな、うん」

 

……なるほど。

 

団員以外からの視点では、そう映ることもあるのか。質素と清貧が旨である故に必要以上の誇示はしないよう心掛けてきたのだが、それが逆に壁として映ってしまうこともあると。ぺこらさんのように、気ままに振る舞うことも時には大切ということか。

 

「兎の嬢ちゃんの言う通りだぜ副団長殿。てなワケでほれ、せっかく町まで来たんならこいつを引いていきな! 在庫処分も兼ねた景品のクジ引き、ハズレはなし!! 副団長殿は無料サービスだ!」

 

ぺこらさんのよく通る声で大方の内容は聞かれていたのか、雑貨屋の店主がそう言いながらクジをこちらへ差し出してくる。……こういった好意も、素直に受けとっておくべきなのだろう。

 

お言葉に甘えて、と1本引き抜く。

 

クジの先は黒。……これは、どうなんだろうか。

 

無言で首を傾げる私を見た店主が豪快に笑う。

 

「がっはっはっはっ! 幸運の女神は今日は寝てるみてぇだな! 6等は紅茶の瓶詰めだ、持っていきな!」

 

「ファッ↑ファッ↑ファッ↑ファッ↑ファッ↑ファッ!! あんたツイてないぺこだねぇ、ちょっとぺこーらに任せときな!」

 

「おっと、嬢ちゃんは1回200ゴールドな」

 

「アッ、ハイ。すいません……おっし、行くペこ。見てなよあんた! おらァァァああああ!!!」

 

ぺこらさんの人見知りが発動。私を煽り散らかしていた時のイキイキした状態から一瞬で借りてきた猫のように大人しくなっている。私への対応はまあ、それなりに気を許してくれているということで別に何とも思わないのだが、落差がありすぎて本人が疲れないかだけは心配だ。

 

店主から紅茶の瓶を受け取り、蓋を開けて香りを確認。……ネザーウッド産の茶葉とは、6等の景品としては破格に過ぎるのではなかろうか。在庫処分と言っていたし、有難く貰っておくことにするが。

 

今日の報告が終わり次第、団長へ一杯淹れて差し上げてみるとしよう。夕暮れに染る空を見上げ、そんなことを考える。

 

 

 

 

 

 

きtらあああああああああ!!!! というぺこらさんの絶叫と共に、特賞の当たりを告げる鐘の音が市場に木霊するのだった。

 

 

 

 

 

 



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6期生
沙花叉クロヱ① Alternative


世の中には、裏稼業というものがある。

 

通常ではありえないレートの取引だったり、ちょっとアブないお薬の開発だったり、荒事や抗争だったり、それに参加する傭兵や用心棒だったり。表社会に馴染みのないお仕事を請け負っている人間は、当然その素性も大手を振って公表する訳にはいかない。

 

だからこそ、そんな彼ら彼女らを束ねる裏の世界のリーダー的存在が必要になってくる。諸人を惹き付ける、ある種のカリスマを有する人達の元に集えば、組織や会社が出来上がるのも自然な事だ。

 

かくいう私も例に漏れず、構成員の1人としてとある組織に名を連ねている。高名な大悪魔の名を冠する総帥のもと、一癖も二癖もある4人の実力者と私たちのような下っ端達で構成される、裏社会でも名の知れた大組織。

 

 

 

 

 

それが、秘密結社holoX(ホロックス)である。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

某日、昼下がり。

 

基地の廊下を歩く私の手にはバケツとモップ。バケツの中には雑巾やらポリ袋やらハタキやら除菌スプレーやら、とにかく様々な掃除用具がぎっしりと詰め込まれている。頭に三角巾を装着し、マスクを二重にした上でゴム手袋まで嵌めているのだから、傍から見れば文字通りの掃除屋である。

 

しかし、こんなフル装備の私が向かっているのはガチの『掃除屋』の部屋。正直言って非常に気が重いのだが、我らが総帥直々の命令とあってはYes My Dark!(了解しました)以外の返答なぞ出来るはずもなく。

 

すれ違う同僚たちに奇異の視線を送られつつ、向かう先は幹部棟。総帥から貸与された上位IDカードキーをパネルにかざし、高級そうな絨毯が敷かれた区画へと足を踏み入れた。

 

背後で扉が閉まると同時、あれだけ騒がしかった構成員達の声が一切消える。廊下を照らす照明の暖かな光とは裏腹に、静まり返った空気に凄まじい場違い感を全身に感じながら歩を進める。

 

案内板なんてものは無いが、ここへ来るのが初めてという訳でもないので今更迷う事もない。子鹿のように震えながらさまよい歩いたことも、今となっては昔の話である。

 

閑話休題(それはさておき)

 

目的地という名の戦場へと辿り着いた私は、深呼吸をひとつしてから呼び出しボタンを押したのだが……返事が、というよりも反応がない。幹部棟は全部屋に声紋認証システムか搭載されているので、部屋主の返事があればロックは解除されるはずなのだが。

 

数秒待ってもう一度押してみるが、扉はがっちりと施錠されたまま。

 

呼び出しの音に反応しないとなると、寝ている可能性が高い。

 

となれば最終手段。部屋に無断で侵入するのは非常に申し訳ないが、そんな事を言っている暇はないため即座に行動。懐からシャチの図柄が描かれたカードキーを取り出し、タッチパネルに滑らせる。

 

ポン、と軽い電子音と共にロックが解除され、スライド式の扉が滑らかに開く。

 

一言断ってから中へ入ると―――そこは、ゴミの山だった。

 

ミルフィーユの如くオブラートで包んで表現をぼかしたとしても擁護できないくらいの汚部屋が広がっていた。開けっ放しのダンボールやパッケージがそこかしこに散らばり、入り切らなくなった紙くずや包装紙が小さなゴミ箱からこぼれ落ちている。床は脱いだ衣類やタオル類、積み重なったビニール袋で埋め尽くされ足の踏み場がなかった。

 

とてもじゃないが人の住む空間ではない、と戦慄しつつ、部屋の奥に据え付けられたベッドに視線を向ける。

 

そこには、こんなゴミ部屋からは想像もできない程に可憐な少女がすやすやと寝息を立てていた。

 

色素の抜けた薄い灰色に、黒い三日月が跳ねた特徴的な髪。眠りについた穏やかな表情が、あどけない印象の顔立ちを更に幼く見せている。しかし、寝返りの際に着崩れたらしいキャミソールから覗く谷間は意外なほど深く、危険な色香を漂わせている。

 

よくもまあこんな部屋で爆睡できるなと呆れ半分感心半分のため息を吐いてから、この惨状を作り出したゴミ部屋の主こと沙花叉(さかまた)クロヱさんの肩を揺する。

 

「ぅ、ん……んー……、もぉすこし、ねかぇて……」

 

寝起きに弱いクロヱさんの舌っ足らずな甘い声に、思わず手を弛めてしまいそうになる。が、心を鬼にして声をかけながら覚醒を促すことしばらく。可愛らしい欠伸と共に、ようやく彼女の意識が眠りの淵から引き上げられてきた。

 

「ふわ……ぁ、おはよぉ、飼育員さん……」

 

「―――。―――?」

 

「ぽぇ……? あ、部屋のお掃除しにきてくれたんだ。ありがとね、ここ最近任務続きで忙しくって……ちょっと散らかっちゃってるけど」

 

この惨状を『ちょっと』と表現するのは無理があるのでは、と喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込む。ともあれ部屋主の了承は得られたので、早速取り掛かることにしよう。

 

腕まくりをして気合を入れ、ゴミの山に向かって突撃を敢行した。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

掃除を開始してから1時間。

 

ようやく散らばっていたゴミよりも床の比率が高くなってきた所である。文字通り足の踏み場がない状態から、なんとか人が生活できるレベルまでは持ち直せたのではなかろうか。生ゴミが混じっていなかったのは本当に幸いだった。

 

次は、溜まった衣類の洗濯になるのだが……これは流石に本人にやってもらった方が良いだろう。シャツや上着だけならまだいいが、この様子だと下着類が出てきてもおかしくはない。そんな見え見えの地雷に突っ込んでいく程の勇気は持ち合わせていないのである。

 

「―――、?」

 

「えぇー……さかまたがやるのぉ? 折角だし飼育員さんがやってくれればいいじゃん」

 

「―――。」

 

「下着とかもあるしそれはダメ? さかまたは別に気にしないけどなぁ。むしろほら、さかまたのパンツだよ? こんな近くで見て触れる機会なんて滅多にない―――ねぇ汚いとか言わないでよぉ!?」

 

ぽぇー! と抗議のスタンスを取るクロヱさんだが、そういったセリフは毎日風呂に入ってから言ってほしいものである。一部の特殊な人間を除いて、男女問わず衛生面の観点からご遠慮願いたい。

 

かといって、

 

「―――?」

 

「お、お風呂はねぇ……さかまた疲れてるから、今はいいかな、うん!」

 

何を隠そう、クロヱさんは大の風呂嫌いなのである。シンプルな風呂嫌いに加えて元々の低血圧があるため、湯に浸かった後はあまり体調が優れないことが多く、風呂に入らない方がコンディションは良いとかなんとか。

 

しかし『風呂に入らない』という事実が周囲の人間に与える印象の悪さはトップクラス。本人が気にしていないからといって、周りがそうとは限らない。

 

「―――?」

 

「……え? 前に入ったのは何日前か? ん、んー……任務帰ってきた直後だったから3日前―――えっ、ねぇ今さかまたのこと臭いって言った!? 臭いって言ったよねぇ!? そんな臭わないよさかまたは! ほら! ほら嗅いで!どう!? 臭わないでしょ!?」

 

「―――!?」

 

クロヱさん的にスルーできない発言だったらしく慌ててベッドから跳ね起きると、此方へと駆け寄ってくる。が、今のクロヱさんは頑丈なコートを脱いだキャミソール姿だ。そんな格好で、顔面偏差値が高すぎる美貌を間近で見せつけられてはこちらの心臓が持たない。

 

というか、クロヱさんの言う通り鼻につく臭いが全くしないのが驚きである。むしろ、さらりと流れる髪からほのかに甘い香りすら漂ってくるではないか。流石に体質がバグっているのでは? ボブは訝しんだ。

 

餅のような頬を膨らませるクロヱさんを宥めすかしてやんわりと押し戻しつつ、それとなく風呂……まではいかずとも、シャワーで汗を流してきてはどうかと提案してみる。彼女も女性なのだから、その辺は気にするはずだ。

 

「ん……まぁ、そうだね。ルイ姉たちとの用事もあるし、ちょうどいいかも」

 

どうやら上の面々で会合か何かがあるらしく、私の提案に対し素直に首を振ってくれた。人と会う時にはやはり身だしなみを気にするようだ。さしものクロヱさんも、そこまで自堕落になっていなくて良かった良かった。

 

歩きやすくなった部屋をすいすいと抜けて、クローゼットをがらりと開くクロヱさん。私は部屋の片付けを再開しつつ、視線を床に落としてそちらを見ないようにする。……ゴミの分別はあらかた終わっているので、次は掃除機とクイッ○ルワイパーで床の掃除に取り掛かるとしよう。

 

いそいそと準備する私の背後から、声が掛けられる。

 

「じゃあ飼育員さーん、さかまたシャワー浴びてくるねー。そんなに時間かからないと思うけど―――」

 

そこで途切れる。どうしたのだろうか、と振り向いた瞬間。

 

「―――覗いちゃダメだよ?」

 

反対側の耳元で、甘い囁き。

 

背筋を羽毛でなぞり上げられたような感覚が走り抜け、思わず耳を抑えながら慌てて身体ごと飛び退いて向き直る。その時にはもう、イタズラな笑みを浮かべたクロヱさんは脱衣所へと消えていくところ。

 

……ほんとにあの人は……。

 

まったく気配を感じさせない接近に『掃除屋』の片鱗を垣間見つつ、ため息と共に掃除を再開したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

「はーさっぱりしたぁ!」

 

シャワー上がりでほこほこと湯気を立てるクロヱさん。ご満悦の表情でベッドに寝転がっているが、それならもっと早く入浴すれば良かったのではないだろうか。言っても聞かないだろうし言わないけれども。

 

「飼育員さん、さかまたが居ない間に変なことしてない〜? カメラ仕掛けたりとかしてないよねぇ?」

 

……あの、片付け中なので後にしてもらえると助かるんですが。

 

「―――。」

 

「……さかまたが言うのもアレだけど、こんな美少女にそんな塩対応出来るの凄くない? え? さかまたってもしかしてあんまり魅力ない?」

 

微妙な表情を浮かべるクロヱさん。本人は文句無しの美少女なのだが、いかんせん残念な部分が多すぎてマイナスに偏っているだけなのである。身近に鷹嶺さんのような完璧超人が居ることもあって、比較対象のレベルが高過ぎるというのも否めないが。

 

「え? クロヱさんは素敵なところもありますよ? 『も』ってなんだよ『も』って! フォローになってないんだけど!? さかまただってやる時はしっかりやるんだからね! 飼育員さんは普段のさかまたを知らないからそういうこと言えるんだよ!」

 

「―――?」

 

「いやっ……部屋、の片付けは! 任務で外に出ることが多いから時間取れないだけだし! ……分かった。じゃあ、さかまたの魅力を再確認してもらう為に、飼育員さんのお願いをひとつ聞いてあげるね? なんでもいいよ?」

 

ん? 今なんでもするって言いました?(幻聴)

 

「―――、?」

 

「うん。いいよ? ……さかまたにしてほしいこと、言ってみて?」

 

ごくり、と無意識に生唾を飲み込む。

 

私は―――

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

普段なら、絶対に見ることも触ることもできないだろう。

 

クロヱさんが申し出てくれた今だからこそ、この手でじっくりと堪能することができる。

 

その幸運を噛み締めるように、この光景を脳裏に焼き付けるように。

 

「―――?」

 

「え? あー、これはワイヤー使う時に嵌める手袋。ソコの輪っかにワイヤーが仕込まれてるから触らないでね。素手で触ると指落ちるよ」

 

「―――!?!?」

 

「そっちは仕込み暗器。袖口とかに隠しとくと不意討ちに使いやすいんだよね」

 

「―――!?!?!?」

 

「それは見ての通りただのコンバットナイフなんだけど―――いや待ておかしいだろぉ!?」

 

ぽえぇぇ!! とキレ散らかすクロヱさん。

 

「おかしい……絶対おかしいって……さかまたのことはスルーなの? 確かになんでもいいって言ったけどさぁ、あんな状況で迷いなくその選択肢取れるのはホントに凄くないか? さかまたへの対応が非常によろしくて泣きそうなんだけど」

 

私がクロヱさんにお願いしたのは、彼女が仕事で使用する道具を見せて欲しい、というものだ。holoXの『掃除屋』はその仕事の内容が内容だけに、組織の中でもあまり表立って動くことは無い。

 

一般構成員も利用するエリアではクロヱさんは基本的にマスクで素顔を隠しているし、あまり喋らない謎の多い人物として振舞っているのである(実態はさておき)。

 

しかし、実際のところどんな仕事をしているのか気にならないといえば嘘だ。私の知る限りではPON全開なクロヱさんだが、その腕に関しては総帥からのお墨付きを貰っているのだから人は見た目で判断できないいい例である。良くも悪くも。

 

ひとしきり堪能させて貰ったので、そろそろ本気で凹んでいそうなクロヱさんのフォローに回る。部屋は片付いたのに本人の周囲だけ空気が澱んでいる感じがするのは気の所為だろうか。

 

「―――。?」

 

「ぽぇ……? さかまたはちゃんと魅力的な女性だから心配しないでほしい? ふんっ! 今更そんなこと言われたって……」

 

「―――、―――!」

 

「等身大の目線で接することができるからつい気が緩んじゃう? ふ、ふーん……? まぁ、そういうことなら仕方ないけどさぁ……」

 

「―――!!!!」

 

「えっ? 普段とは違う奔放な姿に魅了されるんです……? ……も、もぉーしょうがないなぁ! そんなに言うなら許してあげなくもないけど! やっぱさかまたの可愛さ出ちゃったかなぁ!?」

 

ぽぇぽぇと鳴きながらにっこにこのクロヱさん。

 

ひとつ言わせて貰うとすれば、

 

 

 

 

―――そんなチョロさで大丈夫か?

 

 

 

 

 



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鷹嶺ルイ① Alternative

腹が、減った。

 

幽鬼のように覚束無い足取りで、ふらふらと廊下を歩く。

 

情けない声を上げる腹の虫をすぐにでも宥めたいところではあるが、生憎と今の私の冷蔵庫には食材と呼べる物は何一つ入っていないのである。最後の希望だった乾パンも昨日で食べきってしまったし、頼れるもやし先輩も居ない。

 

給料日を明日に控えてこそあれど、空きっ腹を抱えて今日一日を乗り切れるかどうか怪しいところだ。そもそもこのぼやけた思考でまともに仕事が出来るかどうか。

 

ああ、食べたい。

 

血の滴るような分厚いステーキ。ふわとろ卵のオムライス。じっくりと煮込まれたカレー。肉々しいまでに盛られた牛丼。フレッシュな野菜を挟んだサンドイッチ。

 

意図している訳でもないのに次々と脳裏に浮かんでは消えていく料理の数々。というか、具体的なイメージが浮かんできたせいで余計に空腹が増したような気がする。策士策に溺れるとはまさにこの事か……?

 

いよいよ思考が回らなくなってきたところで、踏み出した足からかくんと力が抜けた。まずい、と思ったが踏ん張ることも出来ず、同時に意識が急速に遠のいていくのを感じる。

 

狭まっていく視界の中、猛禽類のような黄金の双眸が見えたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――知らない天井だ。

 

目覚めた瞬間に浮かんできたのはそんな言葉だった。

 

確か、廊下で気を失ってしまったはずだが……どうやら誰かが助けてくれたらしく、柔らかいソファーをベッド代わりにタオルケットが掛けられていた。起きようとしたが鉛のような身体を動かすのも億劫で、視線だけを動かして周囲の状況を確認する。

 

室内は落ち着いたワインレッドとマホガニーで統一されており、奥に見える棚にはワインボトルが並べて置かれている。いくつか並んだ丸椅子に、広々としたオープンキッチン。利便性と機能美を兼ね備え、小綺麗に整頓された部屋は居心地の良い空間を作り出していた。

 

クロヱさんの汚部屋とは真逆だなぁ、とシンプルにクッソ失礼な感想が浮かんできたのは許して頂きたい。なにせ私のお腹は未だに空っぽであり、脳に回すエネルギーなぞ残っていないのだ。

 

などとぼんやり考えていると、突如視界の半分を覆う鳥さんの顔。灰色がかった体毛と、マントのファーのように生え揃った白いワンポイントが特徴的な鳥さん。頭には餅のような丸っこい雛鳥が二匹乗っかっている。何を言っているのか分からないと思うが私も何を言っているのか分からない。だがそれ以外に形容できないのである。

 

慌てて上体を起こすと、

 

「―――おや、目が覚めたかね?」

 

隣から投げ掛けられたその声に、霞がかった頭が一発でクリアになる。

 

女性にしては少し低めの、落ち着いた声色。短く揃えた薄桃色の髪はところどころ白く色が抜けており、鳥類の翼を思わせる。モデルのような長身にスラリと伸びた四肢、ボディラインを浮き彫りにするタイトな服。部屋の内装に溶け込むようなマントが、人の上に立つ者の気風を感じさせる。

 

―――holoXのNo.2、鷹嶺(たかね)ルイさん。

 

組織の経営を一手に担う、頼れる女幹部だ。

 

「―――っ!」

 

「ちょっと、そんなに動いて大丈夫? 廊下で倒れそうになってたから運んできたんだけど……どこか悪いなら、こよりに診てもらった方がいいんじゃ……」

 

心配そうに眉を下げるルイさん。お心遣いは非常にありがたいが、あの人に身体を任せるのは焼肉のタレを頭から被って肉食獣の檻へ入っていくのと何も変わらないので。控えめに言って被検体確定である。

 

しかし、気を失うというのも実際そうあることでは無い。ルイさんにこれ以上気を遣わせるのも申し訳なかったので、恥ずかしながらも素直に白状することにした。

 

うんうん、と真摯に話を聞いていてくれたルイさんだったが、途中から困ったような顔になり、最終的には片手で顔を覆って項垂れてしまっていた。……いやまあ、そうなりますよね。空腹でぶっ倒れましたなんて間抜けにも程があるので。

 

「や、違うんですよ。いくらholoX(ウチ)が資金難とはいえ、そこまで切り詰めないと食べていけない程だったのか、とショックを受けておりまして……」

 

「―――、」

 

「えっ? もやし!? ちょ、ちょっと待って! 今からキミの給与明細見直してみるから!」

 

言うが早いか、どこからともなく取り出したノートPCを何やら高速で叩き始めるルイさん。重要データも入っているだろうし画面は覗かないようにしているが、彼女からすればあまり宜しくない方向に進んでいそうな気配はヒシヒシと感じる。

 

「基本給がこれ、手当がこれ。雑費と支給品は抜くとして、業務と追加業務はOKで……月々の勤怠もしっかり切ってあるし……ん? あれ? キミ、確かクロヱの部屋掃除とか、こよりの実験手伝ってたりしたよね? それ、特別業務として申請してくれてる?」

 

「―――?」

 

「通常の時間外業務とは別に、幹部メンバーに対して直接的なサポートを行う場合は特別業務として別途手当が出るんだけど……そういう話、聞いてない?」

 

(聞いて)ないです。

 

ルイさんの話が本当なら私はもう少し給料を多く貰えていたということであり、ここまで食い詰める必要もなかった………ってコト?!

 

愕然とする私と、額に手を当てて天を仰ぐルイさん。

 

「まじかぁ……ラプ……そういう大切な話はちゃんと書面で通知しなさいっていつも言ってるのに……。キミも、本当にごめんね? しっかり伝えてなかったこっちが悪いし、未申請分の給与にちょっと色つけて支払わせてもらうから。今日は有給扱いかつ、残日数は据え置きにしておくね」

 

「―――。」

 

「いいのいいの、キミは何も悪くないし。後は……あ、そうだ。お腹すいてるって言ってたよね。お詫びと言っちゃあアレだけど、私で良ければ何か作るよ。嫌いなものとかある?」

 

そう言ってコートを脱ぎはじめるルイさん。了承する前に動き始めるあたり善意で言ってくれているのは分かるのだが、流石にそこまでお世話になる訳には―――と、遠慮しようとしたところで。

 

大人しくしていたはずの腹の虫が、部屋中に響き渡る程の叫びをあげる。飯が食えるとなった瞬間元気になる辺り、丸一日絶食した分の恨み辛みは相当に深いとみえる。

 

「―――、……。」

 

「あははっ。それじゃあすぐに作っちゃうから待っててね」

 

しかしこの人本当になんでも出来るなぁ……。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

台所こそ我が戦場と言わんばかりに手際よく調理を進めていくルイさんの後ろ姿をボケっと眺めながら、私の膝上を陣取る鳥さん(名前は『がんも』と言うらしい)を撫で回す。

 

ほらここかぁ!? ここがええのんかぁ!? とばかりに右の五指を巧みに動かして顎下から首元をカリカリと掻き回してやれば、目を閉じて気持ちよさそうに鳴き声を漏らすがんも。白い雛鳥×2(『つみれ』と『つくね』と言うらしい。非常食?)も左手で同時に相手をする。羽毛はふわふわとして非常に触り心地が良い。

 

気分はさながら飼育員。そういえば、クロヱさんも私のことを『飼育員さん』と呼ぶが果たしてどんな意味が込められているのだろうか。

 

FXで有り金全部溶かしたみたいな顔でがんも達を愛でる私を、肩越しに見遣ったルイさんが小さく笑う。

 

「や、凄いねぇ。そんなにリラックスしてるがんも、私も初めて見るわ。変な人に対してはめっちゃ威嚇するから、どうやらキミは無害認定されたみたいだねー」

 

「―――?」

 

「ん? うーん……、…………クロヱとか?」

 

クロヱさん、同僚に変な人認定されてますが。

 

可哀想だろさかまたがぁ!! と脳内でキレ散らかす一般通過シャチをスルーしつつ海へ帰していると、えも言われぬ良い香りが室内に漂い始める。食欲をハンマーで殴り付けられるかのような、暴力的な刺激。

 

腹の虫も鳴くどころかデスメタル並に騒いでいるが、そろそろ腹を食い破って直接食べに行きそうな勢いだ。頼むから上司の前でこれ以上の醜態を晒す前に自重してほしいところではある。

 

「あはは、そんなに楽しみにされると緊張しちゃうなぁ。急に食べ物お腹に入れると体に悪いから、まずはスープから。ゆっくり飲んでね」

 

そう言って出されたのは、トマトが丸々ひとつ入ったコンソメスープ。鮮やかな赤色と、黄金色に輝くスープの彩りが美しい。スプーンで崩せる程に柔らかく煮込まれたトマトを掬い、口へと運ぶ。

 

……じっくりと火を通すことで引き出されたトマトの甘みと僅かな酸味。コンソメの旨味がしっかりとした満足感を与えながらも、くどさを感じさせない絶妙な調和。これなら大鍋一杯でも飲み干せてしまうかもしれない……!

 

料理の美味しさもさることながら、久々に誰かの手料理を食べた気がする。しかも作ったのがルイさんとあれば、その感動は何倍にも膨れ上がる。

 

あ、なんか涙腺緩んできた。

 

「ッ……!」

 

「? どうし―――ぇえ!? ちょっ、なんで泣いてるの!? あ、熱かった!? それとも何か味付け失敗しちゃったかな!?」

 

な゛ん゛で゛も゛な゛い゛で゛す゛! と鼻水と涙を垂れ流しながらスープを啜る姿はさぞかし異様な光景だったことだろう。しんぱいそうにちらちらと私の様子を窺いつつも、鷹嶺シェフの腕は止まらない。

 

立て続けにカウンターの上に並べられていく料理の数々。ルイさんの得意料理だというビーフストロガノフに、瑞々しい葉野菜のサラダ。こんがりと表面を炙られたクロワッサンと、デザートにはリンゴやオレンジなどのカットフルーツ。もうコース料理としてお金を払ってもいいレベルだ。

 

美味しい。本当に美味しい! 人はあまりにも美味しいものを食べた時に言葉を失うというが、今がまさにそれ。本当は色々と感想を語るべきなのだろうが、今は何を食べても『美味しい』しか言えない。うおォン私はまるで人間火力発電所だ―――

 

吸い込むように料理を平らげていく私。ルイさんはカウンターに肘をつき、組んだ手に顎を乗せて嬉しそうに微笑んでいた。

 

「味の方はどうかな? おいしい?」

 

「―――ッ(無言の頷き)」

 

「それは良かった。喜んでもらえたのなら、作った甲斐があったってものさ。……っと」

 

不意に、ルイさんが身を乗り出した。

 

長い睫毛に縁取られたターコイズブルーの双眸が間近に迫り、心臓の鼓動が一気に跳ね上がる。白魚のような指先が伸ばされ、私の頬に触れた。

 

突然のことに固まってしまった私。頬をなぞられるむず痒さに思わず目を瞑り―――

 

「―――はい、ソース取れたよ?」

 

…………え?

 

「え?」

 

キョトンとした顔で指にソースを乗っけたルイさんと、間抜けな表情を晒す私。唯一、隣のがんもだけが『何やってんだお前ら』とでも言わんばかりのため息を吐いていた。

 

…………冷静に考えてみれば、あの場面で汚れを拭き取る以外の目的は有り得ないだろうけども。有り得ないだろうけども! かといってこの胸のドキドキは一体どうしてくれるというのか!!

 

羞恥心で顔が熱くなるのを感じつつ、半ば八つ当たり気味にルイさんを睨む……という無礼は働けないので精一杯の抗議の視線を送ってみる。当の本人は全く自覚がないらしく、小首を傾げ―――

 

「?? 急にどうしたのよ……ん、美味しい」

 

ぺろりと指についたソースを舐め取っていた。

 

ッこの人は!! この人はもうホントッッ!!!!

 

『人たらし』とはこういう人のことを言うのかと納得しつつ、出された料理はしっかり完食した私なのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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風真いろは① Alternative

「―――いやぁ、やはり語り合う相手がいるというのはいいものでござるな。あっという間に時間が過ぎていくでござる」

 

朗らかに笑いながらそう言うのは、秘密結社holoXの用心棒こと風真(かざま)いろはさん。

 

ひとつにまとめた色素の薄い金髪が、彼女の動きに合わせて揺れる。翡翠の双眸は柔和な光を宿し、健康的なスポーツウェアに包まれた肉体には一切の無駄がない。小柄な体躯ながら引き締まった四肢は、野山を駆け回る牝鹿を思わせる。

 

「holoXに身を寄せてから、朝の鍛錬に付き合ってくれる人も中々居なかったでござるからなぁ。こうやって誰かとランニングできるなんて思わなかったでござるよ」

 

笑顔で私の隣を走るいろはさんの額には、汗のひとつも浮かんでいない。対照的に、私の全身からは滝のような汗が流れており、既に正常な呼吸すらままならない有様だ。

 

いろはさんの肩にしがみつくタヌキのような生物『ぽこべぇ』が彼女の肩を必死にタップしているが、生憎と私の状態に気づく様子はない。

 

「あなたさえ良ければ、これからもかざまと一緒に朝のランニングをして欲しいんでござるが……。無理強いはできないけど、かざまの話相手も兼ねて是非にお願いしたいでござる!」

 

こひゅー、こひゅー、と明らかにヤバい呼吸を繰り返すうち、徐々に視界の端が黒く狭まっていく。暑さを通り越して寒気を感じ始めると同時、一瞬の浮遊感に襲われて―――

 

「あ、でもそうするとお仕事に支障が……んぇ? ぽこべぇ? どうしたでござ―――ふわぁあああぶっ倒れてるでござる!? なぁんでぇ!?」

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

「本当に申し訳ないでござる……」

 

ところ変わって幹部棟・いろはさんの自室。

 

しょぼん、という効果音が聞こえてくるほど、落ち込んだ様子で正座するいろはさん。酸欠でぶっ倒れた私を担ぎ込んだはいいが、手当てをする前に目を覚ましたので取り敢えず謝罪を、ということで今に至る訳なのだが。

 

ランニング中にぶっ倒れたのは単に私の体力不足だし、いろはさんが何か悪いことをした訳でもない。だというのにここまで謝られてしまっても居心地が悪いというか、正直やりにくい。相手が幹部ともなればなおさらだ。

 

というか、先程からぽこべぇがいろはさんの頬を引っ張っているので絵面が酷いことになっている。お目付け役の仕事とはいえ、もうその辺にしといてあげてほしい。

 

「うぅ……あ、そうだ! お詫びと言ってはあれだけど、せめて朝御飯をご馳走させてほしいでござる! かざまからの迷惑料と思って、遠慮せずに食べていってください!」

 

「―――、?」

 

「任せるでござる。これでも料理はそれなりに嗜んでいるのでござるよ」

 

むん、と胸を張るいろはさん。確かにキッチンと思しきスペースには調理器具が並んでいるし、どれもそれなりに使い込まれた輝きを放っている。いろはさんのような美少女に手料理を振舞ってもらえるとなって、断固拒否できるほど私も聖人ではない。お言葉に甘えてご相伴にあずかることとした。

 

「承知でござる。と、その前に……汗だけ流してきても良いでござるか? かざまが戻ってくるまで軽く食べれるものを用意するでござるよ」

 

言って、冷蔵庫の中を探し始める。流石にそこまで気を遣わせてしまうのは悪いかとも思ったが、いろはさんは既に何かを抱えて戻ってくるところであった。すぐに食べられるものといえば、何だろうか。やはりサムライということで和食的さむしんぐなのだろうか―――

 

「はいっ。遠慮せず食べてほしいでござる!」

 

満面の笑顔でいろはさんから生のナスを手渡された。

 

なぁんでぇ???(宇宙猫)

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

生ナスに齧り付くという貴重(?)な体験といろはさんお手製の朝食を頂くという貴重な体験を味わった後。いろはさんの日課であるという鍛錬に協力(見学ともいう)することになった。かざまのお手伝いなのでこれも仕事のうちでござるよ、と言われたが……上司がそう言うんだからそうなのだろう。きっと。

 

いつもの和装に着替えたいろはさんに連れられて、やってきたのは道場のような場所。磨き抜かれた飴色の床板は足裏に吸い付くような錯覚すら覚えるほどで、静謐な空気に満たされた空間はまるで別世界のようだった。

 

まさか幹部棟の一角にこんな場所があったとは。

 

「一応、かざまの希望でラプ殿に設えて貰ったでござるが……他の皆はほとんど使わないから、ぶっちゃけかざま専用スペースみたいなものでござるな」

 

「―――、?」

 

「それこそ、任務があればいいんだけどねぇ。最近はさかまた案件が多くって、あんまりかざまの出番がないのでござるよ。だからこうして非番の時も鍛錬は怠らず、勘が鈍らないようにするのでござる」

 

実力者揃いの幹部達の中でも、こと戦闘においてはいろはさんが頭ひとつ抜けているのだとクロエさんが言っていた。暗闇や障害物に溢れたステージを整えた上で五分五分に迫るかどうか、とも。ふわふわした雰囲気からは想像もつかないが、外見≠強さというのは嫌という程知っているので、今更そこに驚きはない。

 

道場の壁際に座り、ぽこべぇと共にいろはさんの鍛錬を見守る。

 

「まずは肩慣らしも兼ねて、基本の型からでござるな」

 

ゆっくりと息を吐き、目を閉じるいろはさん。直立不動の姿勢ながらも、彼女の身体から余計な力が抜けていくのが素人目にも分かった。

 

背負った刀を抜き放ち、型をなぞるように振るう。地盤を固めるように、鉄を打つように、何千何万回と身体に染み付いた動きを繰り返す。

 

そこにどんな術理があり、どんな理論が行使されているのかは分からない。が、鋭い眼差しで刀を振るう―――『剣舞』という言葉が相応しいのだろうか―――いろはさんの姿は力強く、それでいて美しかった。

 

そんないろはさんに見蕩れることしばし。

 

一区切りがついたのか、動きを止めたいろはさんは体内に籠った熱を吐き出すかのように息をついた。朝のランニングでは顔色ひとつ変えなかったというのに、その額には大粒の汗が浮かんでいる。肉体的に、というよりも精神的な負担が大きいのだろうか。

 

「―――、」

 

「ふー……、あっ、ありがとうでござる」

 

「―――、!」

 

「え? かっこよかった? ……ま、まあ? かざまも伊達に用心棒を名乗ってないでござるからな! このくらいは嗜みというか、当然でござる!」

 

タオルと飲み物を手渡しつつ感想を伝えると、若干頬を赤くしながらも胸を張るいろはさん。一々言動が可愛いなこの人。

 

私の隣に腰を下ろし、スポーツドリンク片手に息を整えながら他愛もない話に花を咲かせる。

 

「かざまの故郷は田舎も田舎、山奥の小さな里でござるよ。なにぶん外界から閉鎖された所だったから、初めて街に出た時は目を回したものでござる」

 

「―――?」

 

「ん……別に戦うことが好きって訳じゃないでござるよ? むやみな殺生はかざまも好きじゃないし、余裕があれば生かすでござる。ただ、holoXのみんなや大切な人を守るためなら―――っ」

 

不意に言葉を切ったいろはさん。傍らに置いてあった刀を掴んで腰を浮かせる。鋭く細められた瞳に怜悧な光を宿し、羽織を翻した彼女は簡潔に告げた。

 

「―――侵入者でござる」

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

holoX基地・正面入口。

 

10m程の距離を保ったまま、侵入者と睨み合ういろはさん。私はというと、巻き込まれないようにぽこべぇを抱えて少し離れた物陰から事態を見守っている。なにせ私は一般構成員、期待される程の戦闘力など持ち合わせていないのだから。

 

内心ハラハラしつつ、堂々と乗り込んできた侵入者へと視線を向ける。

 

上背はおよそ150cm弱といったところか。黒と赤を基調とした和装に身を包み、腰あたりに交差させる形で二振りの大刀を背負っている。長く伸びた白い髪と丸みを帯びた体躯から女性であることが分かる。素顔を隠すように面を被ってはいるが、その額から覗く一対の角を見れば誰しも勘づくだろう。

 

「―――此処は我等が主君、大悪魔の居城。如何なる用向きがあろうとも、許可なき者、通るに能わず。鬼よ、疾くこの場を立ち去るがいい」

 

凛とした声で警告が投げられる。先程までの柔らかな雰囲気は消え、触れれば斬れそうな程に硬く研ぎ澄まされた空気を纏っていた。

 

「むっ、そんな冷たいこと言わないでほしいな。どっちかというと、余の目的は悪魔の総帥よりお侍さんなんだ余」

 

「……かざまの知り合いに鬼は居ないでござるが」

 

「余が一方的に知ってるだけだから大丈夫だ余。という訳で―――今から果たし合いを申し込む!」

 

しゃらん、と流れるような動作で二刀を抜き放つ鬼娘。構えは独特だがそこに一切のブレはなく、気楽な声音が紛れもない強者であると告げていた。その様子を見たいろはさんも目を細め、腰を落として刀の鯉口を切った。

 

そうしてお互い構えたまま、時間だけが過ぎていく。

 

10秒か、20秒か。身動ぎひとつ、呼吸すらも探り合う程の緊迫した空気。自分が無意識に生唾を飲み込む音が、嫌に大きく聞こえた。

 

やがて、張り詰めた糸が限界を迎える。

 

「「―――ッ!!」」

 

大地を蹴り砕いて弾丸のように飛び出した鬼娘と、残影すら残して疾駆するいろはさんの距離が一瞬で食い潰される。

 

刹那の交錯―――を、したのだろう。私の目では何が起こったのか全く視認できなかったが、いろはさんは既に納刀している。鬼娘も二刀に血振りをくれており、緩やかに鞘へと納めていく。

 

かちん、と。鎺が小気味の良い音を立てると同時、鬼娘の付けていた面が正中から真っ二つに分かたれた。隠されていた美貌にうっすらと笑みを湛え、白髪赤眼の鬼娘は楽しそうに宣言する。

 

「うん、余の負けだな」

 

「……今の一太刀、敢えて受けたでござるな」

 

「ん? そんなことない余? まあ全力は出してないけど、それはお互い様ってことでな。それよりも今の歩法はなんだ!? 余、見たことないんだけど!」

 

先程までの殺伐とした空気はどこへやら、まるで茶飲み友達のように再会の宣言をする鬼娘。マイペースというかなんというか、でも不思議と悪意は感じない。純粋、なのだろうか。

 

いろはさんも眉を下げて困惑している様子だ。あ、でも人が良いから何だかんだ教えてあげてる。やさしい。

 

出るタイミングを失ったまま、私は二人のやり取りを見守ることしか出来ない。腕の中のぽこべぇも思いのほか触り心地がいいのでモフらせてもらおう。

 

「むっ、そろそろ時間だな。それじゃあ余は帰るぞ! また遊びにくるから、その時はよろしく頼むぞお侍さん!」

 

「や、できれば二度と来ないで欲しいんですけど……」

 

「酷い余ぉ!?」

 

満面の笑みでぶんぶんと手を振りながら歩いていく鬼娘と、引きつった笑顔で応じるいろはさん。対象的な二人だけど、意外と相性は悪くないのかもしれない。

 

鬼娘の姿が見えなくなった辺りで、いろはさんが疲れたようにため息を吐いた。急いで駆け寄るが、どうやら怪我はない様子だ。ぽこべぇも心配そうにいろはさんの周りをくるくると周っている。

 

「―――?」

 

「うーん、果たし合いとは言っていたでござるが、文字通り遊びに来ただけ(・・・・・・・)でござるな。どこでかざまの話を聞いたのかは分からないでござるが、えぇ……なぁんでぇ?」

 

「―――、?」

 

「それは心配ないでござるよ。非常時に限り、かざまとクロちゃんには独断で戦闘行為を開始できる裁量が与えられてるでござる。なので事後報告でも全然問題ないでござるよ」

 

刀を背負い直し、肩を竦めるいろはさん。

 

「ともあれ、ラプ殿に報告でござるな。その後はまた鍛錬の続きでござる! あの鬼も相当の手練、気は抜けないでござるからな!」

 

「―――!」

 

「おっ、手伝ってくれるでござるか? それはありがたいでござる! よーし、やる気出てきたでござるー!」

 

腕を突き上げてやる気をみせるいろはさん。力になれるかは分からないが、私もできる限りのサポートはしていきたいと思う。

 

さしあたって、幹部棟とは正反対の方へ歩いていくいろはさんを引き戻すところから始めなくては。

 

 

 

 

 

 

 

 




一体どこのお嬢なんだ……


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0期生
星街すいせい① Alternative


『―――すいちゃんはー?』

 

『『『『『今日もかわいいー!!!!』』』』』

 

揺れる青色のサイリウムが、光の海を形作る。

 

美しい衣装を身に纏う彼女は誰よりも眩しく輝いていて。

 

パフォーマンスで上気した頬が。スポットライトに煌めく汗が。魂を揺さぶる言の葉を紡ぐ声が。凛々しくも愛らしい笑顔が。演舞の如く流麗な踊りが。

 

彼女が織り成すもの全てが、より一層彼女の魅力を引き立てている。

 

偶像(アイドル)という言葉がこれ程相応しい人間がこの世に存在するのだろうか。そう思わずに居られないほど、ステージの上に立つ彼女は眩しくて、綺麗で、可憐で、美しかった。

 

その輝きを一度目にすれば、追い掛けずにはいられない。

 

 

 

彼女の名は、星街(ほしまち)すいせい。

 

 

 

彗星の如く現れた、スターの原石である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

彼女との関係は、街角の小さなライブハウスから始まった。

 

音楽に詳しくない私でも知っているような、有名なユニットのライブ告知の掲示。その隅に小さく貼られた、可愛らしい丸文字で書かれたソロライブの告知が目に留まって。出演者の欄をよくよく見てみれば、クラス名簿で見たことのある名前が載っていた。

 

最初は多分、興味本位だったと思う。

 

特別親しいという訳でもないが、まったくの見ず知らずという訳でもなし。興味半分、冷やかし半分の曖昧なきっかけだった。

 

チケットを購入し、メインホールへと流れる人波をかき分けかき分け、サブホールへと辿り着く。扉を開けてみれば、二十人も入れないような手狭なスペースには誰一人として観客は居なかった。

 

スポットライトに照らされる、小さなステージ。

 

その中央で彼女は―――すいせいさんは佇んでいた。

 

開始前の精神統一をしていたのだろうか。自然体で立ったまま目を瞑っていたすいせいさんが、扉を開ける音に気付いて此方を向いた。

 

勝気に吊り上がった深い藍色の瞳は、何処までも続く夜空と星々を思わせる。お洒落なチェックの衣装に身を包み、アップに纏めた水色の髪が活発な印象を与えている。ただでさえ整った顔立ちに薄く化粧が乗って、まるで―――そう。まるで、アイドルのようだった。

 

目線が合う。

 

少しだけ驚いたように目を見開いたすいせいさんは、数度瞬きをすると軽く会釈をしてくれた。そんな丁寧な対応をされるとは思っていなかった私は慌てて会釈を返し、席へと向かう。

 

他に観客も居ないので最前列を陣取ったは良いのだが。開始時刻の1分前になっても、私以外の席が埋まる気配はない。変わらず佇むすいせいさんと、一抹の不安を抱えて見守る私を他所に―――開演の合図が鳴った。

 

本当に大丈夫なのだろうか、と。何を心配しているのか自分でも分からないまま始まったすいせいさんのライブは、私の不安を吹き飛ばす程の衝撃を与えてくれた。

 

心に響く歌詞と、それを歌い上げるすいせいさんの力強くも美しい歌声。30分にも満たない時間で、歌った曲も数曲しかなかったけれど。それでも私は、今までの短い人生の中でかつてないほど心を揺さぶられていた。

 

もっと聴きたい。もっと聞きたい。すいせいさんの歌う姿をもっと見ていたい。彼女の放つ輝きを、もっと間近で見ていたい。

 

まぁ、要するに。

 

一言で言うと、ファンになってしまったのだ。

 

ライブが終わり、肩で息をするすいせいさん。額に流れる汗が、彼女がどれだけの想いでこのライブに臨んだかを物語っている。私は多分、思いつく限りの言葉で賞賛を送ったと思うのだが……生憎、どんな言葉を口にしたのかまではさっぱり覚えていない。ライブの衝撃が強すぎてそれどころじゃなかった。

 

それでも、私の言葉を聞いたすいせいさんは、弾けるような笑顔を見せてくれて。たった一人の観客と共に始まった彼女のファーストライブは、そうして幕を下ろしたのである。

 

以降、『アイドル』星街すいせいの映えあるファン第一号となった私は、欠かさず彼女のライブへと足を運んだ。最前列を陣取ってはサイリウムを振って声援を送り、ライブが終われば感想を書いて彼女の下駄箱へ入れた(恋文と勘違いされて一悶着あったらしい。すいせいさんから連絡先を叩き付けられた)。

 

最初は感想を送るだけだったのが、新曲の歌詞についてや次回のライブのことなど、だんだんと話のタネは増えていき。物怖じしない彼女との距離が縮まっていくのに、それほど時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

「……………………、ねぇ」

 

朝から惰眠を貪っていたところをすいせいさんに呼び出されたのが二時間前。半分寝ぼけた頭で身だしなみを整えて、集合場所のファミレスに到着したのが一時間前。そして、目の前のすいせいさんが腕組みをしながら人でも殺しそうな表情で問題集と睨み合い始めたのが三十分前のことである。

 

「……ねぇってば。もったいぶらずに答え見せてよ。すいちゃんを助けると思ってさー」

 

「―――。―――?」

 

「え? 自分で解かなきゃ身につかない? 先生みたいなこと言うなってぇ……あーもう! なんで貴重な休日をテスト勉強なんかに消費しなくちゃなんねーんだよぉ!!」

 

うがーっ!! と天を仰ぐすいせいさん。試験前の学生なんて誰しも同じことを思っているだろうが、迫り来る試験から逃れる術はないのだ。アイドルを志す身とはいえど、学生であることに変わりはない。

 

しかも、すいせいさんは部活動に所属していない。学園外でのアイドル活動など内申点に響くはずもないので、余計に試験での成績が大きく影響してくるのだ。そのことはすいせいさんに伝えてあるし、彼女も理解はしているはずだ。だからこそ、こうして私を呼び出してまで机に向かう決意を固めている訳なのだし。

 

「ん、んっ―――ねぇお願い☆ すいちゃんにはあなたの力が必要なの! あなたが手を貸してくれるだけでとっても助かるんだ☆ だから、その問題集をすいちゃんに見せてくれると嬉しいな!」

 

かわいい。

 

じゃなくて。

 

いつものハスキーな声から一転、かわいさ全振りボイスと笑顔でそんな事言われても―――

 

「バチコーン☆」

 

かわいい。

 

いや違う、普通に洗脳されそうだった。

 

唐突に『すいせいさん』から『星街すいせい』にジョブチェンするのはやめていただきたい。推しの力を盾にするのは卑怯だと思うの。

 

「ちっ、強情なやつだぜ」

 

おいアイドル志望。舌打ちはいかんでしょうよ。

 

などと、あの手この手で最短ルートという名のカンニングを果たそうとするすいせいさんを説き伏せつつ。こうなるだろうと詰め込んでおいた私の知識を少しでも役に立てるべく、授業の板書と教科書の範囲から要所要所をピックアップして解説していくこととした。

 

こうしてすいせいさんに教えていくことで、私の復習になり知識の再確認を行う機会になるのでお互いにメリットがある。すいせいさんは勉強できるし私も勉強できる。なんなら推しの役に立てるし一石三鳥まである。

 

「って言ってもなぁー。なんかこう、やる気が出ないっていうか……ご褒美的な何かがあると嬉しいんですけどもね? ちらっ?」

 

しかし、この中身幼女なすいせいさんはこの程度では靡かない。私のマンツーマン指導のみでは不服と見える。まあ、大体この後の展開は読めているので今更感が拭えないが。ホストクラブに通う女性とかキャバクラに通う男性ってこんな感じなのだろうか。

 

「―――。」

 

「おっしゃあ言質取った! じゃあ昼までは頑張る! そしたらお前の奢りでカラオケな! あとドリンクバー取ってきて! すいちゃんりんごジュース!」

 

うーんこの。もしかして可愛ければなんでも許されると思ってるフシがあるのではなかろうか。自分の強みを武器として扱えるタイプの人間はこれだからタチが悪いというかなんというか。

 

せめてもの抵抗として、湿った視線をすいせいさんに送ってみる。が、私の視線に気づいた彼女は渾身のドヤ顔を晒して言った。

 

「我を誰と心得る。アイドルぞ?」

 

(仮)ですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

勉強開始からおよそ3時間。ひとまず区切りのいいところまで進んたので、休憩がてら昼食にすることにした。

 

「……疲れた。ライブより疲れた」

 

「―――。」

 

「そーだぞー、私は頑張ったんだぞー。だから昼飯も奢ってくれよなー」

 

机に突っ伏してダウンしているすいせいさんに労いの言葉をかけつつ、メニューから適当に何品か注文する。適当とは言っても、偏食家の彼女でも食べられるようなものをチョイスした。星街家の食卓事情はさぞやすいせいさんに振り回されていることだろう。

 

料理の到着を待つ間、机の上を片付けているとふと思い出す。そういえば、次回のライブの開催日について聞いていなかった。テストが終わるまではやらないとだけ聞いていたが、予定は立ててあるのだろうか。

 

グラスの中の氷をストローでつつき回していたすいせいさんにそう訊ねると、にやりと笑って『耳を貸せ』というジェスチャー。身を乗り出して片耳を差し出すと、喜色を隠しきれない彼女の声が耳朶に染み込んできた。

 

「聞いて驚け? なんとすいちゃん、芸能事務所にスカウトされたんだよね。だから次は、正真正銘『アイドル・星街すいせい』の1stライブになるわけです!」

 

「―――!!」

 

「うわびっくりしたッ―――てちょっと、声でかいって! 抑えろ抑えろ! ここファミレスだから!……ったく、なんですいちゃんよりお前の方が喜んでんだよって……」

 

頬をかきながら視線を逸らすすいせいさん。

 

嬉しいのは当たり前だろう。だって、それは彼女の夢だったのだから。アイドルになって皆を笑顔にしたいと憧れを追いかけ続けてきたすいせいさんの努力が、実を結んだのだから―――!

 

諸手を挙げて祝福したいところだが、これ以上悪目立ちする訳にもいかないので口頭での祝福に留めておく。しかし、ついにすいせいさんも事務所所属になるのか……自称ファン第1号として、とても嬉しく思う。例えが合っているのかは分からないが、気分はさながら子の成長を見守る親の気持ちだ。

 

「―――?」

 

「あー、前回のライブの時に、事務所の人が歌を聞いてくれてたらしくってさ。楽屋で名刺渡されて、ちょっと話した。面接やって、早ければ再来月くらいにデビューできるかもって言われたけど……」

 

そこで、言い淀む。

 

竹を割ったような性格の彼女にしては珍しく、次の言葉を選んでいるかのようにみえる。形の良い唇が僅かに開いては閉じ、星を散りばめたかのような藍色の瞳が不安そうに揺れていた。

 

数秒程悩む素振りを見せたすいせいさん。

 

深呼吸をひとつすると、意を決したように口を開く。

 

「……お前はさ、いいのかなって。私のことをずっと応援してくれて、ライブにも欠かさず来てくれてさ。色々相談にも乗ってくれたけど、私がアイドルになったら、今までみたいに気軽に遊べなくなるかもしれない。レッスンとか始まったら、連絡も遅れるだろうし、その、なんていうかさ……」

 

話しているうちに、自分でも何を話したいのかが分からなくなってきたのだろう。誤魔化すように飲み物に口をつけるすいせいさん。彼女が伝えたかったことと、私が感じ取ったものが同一のものかは分からないが。

 

―――すいせいさんの想いを尊重して欲しい。

 

私は変わらずアイドル活動を応援するし、ファンの1人として彼女の輝きを追い掛けたい。彼女が許してくれるのなら1人の友人としても接し続けたいし、これからも変わらない関係でありたい。

 

包み隠さず、そう伝えた。

 

私の言葉を聞いたすいせいさんは、いつかのように目を瞬かせていたが。やがて、安心したような笑顔を浮かべてくれた。

 

「……心配してたすいちゃんがバカみたいじゃんか。あーなんか一気に肩の力抜けたわー」

 

「―――?」

 

「あーあーあーうるさいうるさい! 別にお前のことなんて気にしてないからぁ!? すいちゃんのファンが減るのはちょっと嫌だなーって思っただけだし!」

 

かわいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は歌う。超歌う。ありとあらゆるストレスを発散するわ。マイクは渡さないからお前はすいちゃんを崇め奉り、場を盛り上げろ。あとりんごジュースよろしく」

 

「―――。」

 

「なんだいつものことか、って鍛えられすぎだろ……」

 

その後、5割増で不機嫌になってしまったすいせいさんを宥めるべく、当初の約束通り私の奢りでカラオケ店へとやってきた。部屋へ入るなりマイクを独占し、ドリンクバーもそっちのけで曲を入れまくるすいせいさん。

 

そもそも私は歌うのが得意ではないし、他の人が楽しそうに歌うのを隣で聞いている方が性にあっている。しかも歌うのが自分の推しとくればそれを邪魔する道理はない。なんならサイリウムのひとつでも持ってくれば良かった。

 

いそいそとマラカスやタンバリンを準備していると、イントロが流れ始める。これは確か、すいせいさんが最初のライブで歌っていた曲だったか。儚くも力強さを感じさせる、アップテンポな曲調。

 

部屋に備えられた小さなステージに飛び乗ったすいせいさんが、マイクを片手にリズムを取る。見慣れたステップに、見慣れた姿。晴れ舞台でなくとも、彼女の放つ輝きは決して色褪せない。例え彗星(彼女)の行先が宇宙の彼方であったとしても、その光は遍く総てを照らすだろう。

 

『―――♪』

 

カラオケ店の小さな部屋で始まった、星街すいせいのミニライブ。

 

今宵も、音楽はきっと止まない。

 

 

 

 

 

 

 



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白上フブキ① Situation『世話焼きキツネのフブキさん』


とっぷりと日の暮れた帰り道。

 

鉛の如く重くなった身体を引き摺るようにして歩く私の姿は、傍目から見ればゾンビにでも見えることだろう。

 

今日も今日とて激務に忙殺され、心身ともに疲弊しきっていた。口ばかり動かしてちっとも働かない上司の分まで仕事を回され、そのくせミスのひとつでも見つけると鬼の首を取ったように私を責め立てる。

 

こんな会社辞めてやろうと考えたことも、両の手では数え切れない。けれど実際そんな勇気もなくて、転職したって上手くいく未来も見えなくて。自分が務める会社がいわゆるブラック企業であることなんてとうの昔に気付いていたが、現状から抜け出す努力をする気概も尽きていた。

 

このまま社会の歯車のひとつとして、ひっそりと使い潰されていく。特に疑いも持たずそう考えていた。

 

―――半年前までは、の話だが。

 

路地の角を曲がった先に見えるアパート。所々錆び付いた階段を上り、向かう先は三階の角部屋。以前は会社に行くのも家に帰るのも変わらないと思っていたのに、今やポケットから鍵を取り出す時間も惜しく感じてしまう。環境が人を変える、という事実を良くも悪くも痛感させられるようで複雑な気分だ。

 

少し動きの悪い扉を開けて、玄関に入った瞬間に感じる暖かな空気。温度の話ではなく、部屋を満たす空気と言おうか雰囲気と言おうか、無意識に安らぎを覚えてしまう。

 

そんな空気に混じる、仄かな甘い香り。

 

今日も彼女が居てくれることを実感できるようで、頬が緩む。私が玄関を開ける音に気が付いたのか、奥から軽快な足音が聞こえてくる。

 

「―――おかえりなさーい! 今日もお仕事おつこんでしたー!」

 

ふにゃっ、と人好きのする笑顔を浮かべながらリビングから姿を見せたのは、全体的に白い印象の少女だった。くりっとしたアイスブルーの瞳に、うなじで緩く結ばれた白絹のような長髪。巫女服とパーカーを組み合わせたような不思議な作りの装束。そして何より目立つのは、時折ぴこぴこ動く狐耳と左右にゆらゆら揺れる尻尾。

 

狐めいた少女の名は、白上(しらかみ)フブキさんという。

 

古来より、狐は美女に変化し人を誑かすと云われているが·····こんなに可愛らしい女の子ならば、国が傾くのも頷けるというものだ。

 

「いやぁ〜見事にやつれた顔をしておりますなぁ。ささ、まずは手を洗って―――にゃあっ!?」

 

鞄を受け取ろうと近付いてきてくれたフブキさんを、不意打ち気味に真正面から抱きすくめる。猫っぽい鳴き声をあげるフブキさんには悪いが、エネルギーチャージにはこれが一番効果的なのだ。

 

小柄な彼女と私とでは身長差があるので少し屈まないといけないが、腕の中にすっぽりと収まったフブキさんから感じる温もりが身体に伝わってくる。深呼吸をすれば一層強く感じられる、この世のどんな香水にも勝る彼女の香り。

 

猫吸いならぬフブ吸いとでも名付けよう。

 

「あぅぁ……ほ、本日も大変お疲れなご様子でっ。定番のセリフを言うまでもなく白上を選んでくれるのはひじょーに嬉しいのですが、いきなり過ぎて心の準備ができてないんです!?」

 

腕の中でわちゃわちゃしているフブキさんだが、無理やり抜け出そうとするような気配はない。抵抗がないのをいいことに、たっぷりとフブ吸いを堪能させてもらう。あぁ、癒される……。

 

「うぅ〜·····っ、とっても恥ずかしいですけど、これであなたが元気になるなら! えいっ! 白上ホールド!」

 

頬を赤く染めながらも、キッと顔を上げたフブキさん。何事かと思えば、フブキさんもおずおずと私の背中に手を回してくれた。そうなると必然、互いの密着度は増して彼女の顔が私の首元に埋められる形となる。

 

息苦しくないだろうか、と視線を下げてみる。が、とうの白上さんは形の良い鼻をすんすんと鳴らして、

 

「……えへへ、あなたの匂いがします」

 

なにこの可愛い生き物。

 

蕩けたような顔でそんなことを言われて、ノックアウトされない人間がこの世に存在するだろうか。いや、するはずがない(反語)。

 

ともあれ心の疲れはある程度回復できた。そうなると、次の欲求を満たしたくなるのが人の性。思い出したかのように空腹を訴える私の胃袋に、フブキさんと顔を見合せて苦笑する。

 

「―――?」

 

「はい、ご飯にしましょう! その前に、ちゃーんと手を洗ってきてくださいねっ」

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

「―――、」

 

「お粗末さまでした。お皿は水につけておいてくださいね〜。私はお風呂の準備をしてきちゃいますので!」

 

フブキさんお手製の夕食を済ませた私は、幸せなため息と共にソファーに沈み込む。味もさることながら、自分の為にと作ってくれた料理はなんとも心が暖まるものだ。

 

片付けまで任せてしまうのは流石に申し訳ないので、手伝おうかと提案したことは何度もある。しかし、その度に善意100パーセントの笑顔でやんわりと押し留められてしまうので、皿の浸け置きくらいはやらせてもらっている。

 

……フブキさんはその間に別の仕事を始めてしまうので、負担が減らせているかというと微妙なところではあるが。なにせ料理洗濯掃除に買い物、家事全般を私の代わりにこなしてくれているのだから到底頭があがらない。

 

「はーい、あと10分くらいでお風呂が―――む、なにかお悩み事ですか? よければ白上が相談相手になっちゃいますよ?」

 

「―――、」

 

「え? いえいえ、これは私が好きでやっていることですから。あなたはお仕事を頑張る。私はお家のことを頑張る。それで良いと思うのですが……それでも、いつものお礼をしたい、ですか? うーん、そう言われると困っちゃいますねぇ……」

 

形の良い眉をへにょりと下げたフブキさん。併せて頭の狐耳もへにょりと下がる。かわいい。うーんうーん、としばらく考え込む素振りを見せていたが、やがてポンッと手を叩いてから、人差し指をぴっと立てた。

 

「ではこうしましょう。今からゲーム対決をして、負けた方は勝った方の言うことをなんでも聞いてもらう! これならお互い遠慮することもないでしょう!」

 

名案とばかりにドヤ顔をキメるフブキさんだが……何を隠そうこのキツネ、ゲームがめちゃくちゃに上手いのである。主には1人用のソーシャルゲームやRPGなどを好んでいると本人は言っているが、かといって格ゲーやレースなどの対戦ゲーが苦手という訳でもない。

 

私とてそれなりにゲームは嗜んできた方だ。学生時代、友人の家にコントローラー片手に入り浸っていた時期もある。初めてフブキさんからゲームに誘われた時も、軽く揉んでやろうと内心余裕をかましていたのだが―――

 

『むっ、その差し込みは甘いですよぉ!』

 

『―――!?』

 

『カウンター始動! Ex足刀! そしてトドメに必要のない起き攻め昇〇拳ッッ!!』

 

格ゲーではろくにHPを削れないままサンドバッグにされ。

 

『フゥーハハハァ! 白上のドラテクに酔いしれな!』

 

『―――!?!?』

 

レースゲーでは影すら踏めずに後塵を拝し。

 

『ふっ……私の手にかかれば男女問わずメロメロですね』

 

『―――!?!?!?』

 

あげくはシミュレーション系でも圧倒的格差を見せつけられ、彼女との格付けはとっくに済んでいる。大人しそうな顔をしておいて自分の土俵に引きずり込むあたり、中々の強かさである。

 

だがしかし、これも日頃の恩を返すため。

 

「―――!」

 

「よぉし、ではジャンルを選んでくださいっ。何が来ようと負けませんからね!」

 

負けられない戦いが、ここにある―――!

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

フブキさんには勝てなかったよ―――

 

即落ち二コマよろしくそんなセリフが浮かんでくる。少しでも勝算のある格ゲーで挑んだにも関わらず、ストレートで10本取られたのだから笑えない。というか前よりもっと強くなってないかこのキツネ。

 

コントローラー片手に真っ白になっている私を他所に、フブキさんは尻尾を揺らしながら嬉しそうに笑う。

 

「いやー楽しかったです! 1人でやるゲームも良いですけど、やっぱり誰かと一緒にやるのが1番ですね! あなたもそう思いませんか?」

 

「―――、」

 

「え? タコ殴りにしといてそれはない? ま、まぁゲームとはいえ勝負は勝負、簡単に負けるのはゲーマーのプライドが許さないというかなんと言いますか……」

 

両の指をつんつんと突合せ、目線を泳がせるフブキさん。負けたくない気持ちは分かるけれども結局目的は果たせず終いである。

 

「ともあれ、さっそく勝者の特権を利用させて頂きましょう! ちょうどお風呂も準備できたので、ゆっくり疲れを癒してきてください。白上からの命令です!」

 

「―――?」

 

「いーいーんーでーす。ほら、負けたんですから文句言わずにお風呂へGOですよ!」

 

背中を押され、言われるがまま着替えと共に脱衣所へ放り込まれる。特に拒否する理由もないので、服を脱いでから浴室へ。手桶で身体を流し、頭から洗っていく。暖かい湯が疲れごと流していくようだ。

 

ふと、脱衣所に気配。フブキさんがタオルでも置きに来たのだろうか。そんなことを考えていると、浴室の扉越しに声が掛かる。

 

『もしもーし、お湯加減はどうですか?』

 

「―――、」

 

『うむうむ。それでは―――ちょいと失礼しますよっ』

 

「―――!?!?!?」

 

がらっ、と浴室の扉が開き、私の頭は一瞬で混乱した。ナンデ!?

 

「背中を流すだけですから、大人しくしててくださいねー。あ、白上はちゃんとTシャツ着てますから大丈夫ですよ?」

 

鏡越しにおそるおそる背後を確認してみると、確かにフブキさんはシンプルな白いTシャツに短パンという格好。シャツにプリントされた「すこんぶ」の4文字がシュールだ。

 

かくいう私はというと、タオルで身体を隠したまま微動だにできないでいた。シンプルに恥ずかしいのと、突然の事に理解が追い付いていないのである。フブキさんのような美少女に身体を流してもらう? 前世でどんな徳を積んだんだ私は。

 

イスから動くこともできずに硬直する私を他所に、フブキさんはスポンジにボディソープを馴染ませている。鼻歌まで歌って非常にご機嫌な様子だ。

 

「はーい、それじゃあお背中洗っていきますねー」

 

わしゃわしゃと背中にスポンジが滑る。こちらの身体を労るような優しい手つきだった。さして広くない浴室に、スポンジが擦れる音とフブキさんの小さな息遣いが響く。

 

最初こそ強ばっていた私の身体もが 、彼女の善意に満ちた献身によって少しずつ力が抜けていく。今はただ、目を閉じてフブキさんに身を委ねるだけだった。

 

「お痒いところはございませんか〜? って、1回やってみたかったんですよねー」

 

「―――、」

 

「……ふふっ。こちらこそ、いつもありがとうございます」

 

お互いに感謝を伝え合い、どこかこそばゆさを感じて笑い合う。

 

ぬるま湯のように穏やかな時間は、ゆっくりと過ぎて行った。

 

 

 

 

 

 



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