目覚めたらそこはワイバーンの巣でした (天寧霧佳)
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001 エンバークリスタルワイバーン

闇。

どこまでも続く黒い闇。

光はどこにもなかった。

 

そこを、少女は歩いていた。

ふらつきながら、熱に浮かされたような虚ろな瞳で進む。

そこには何もなく、彼女自身は何かを掴もうとするでもなく。

そして、どこへ行こうというわけでもなく。

ただ、歩いていた。

 

何も思い出せなかった。

いや、元から何もなかったのかもしれない。

自分が誰であり、そして何だったのか。

少女はそれを知らなかった。

 

闇の先。

遥か、ずっと、ずっと先に点のような一つの光が見えた。

少女は、とりあえずそこに向かって歩くことにした。

裸足の足で進む。

 

光は徐々に強くなっていき。

そして、彼女はそこへ向けて手を伸ばした。

 

 

目を開く。

何だか、ずっと悪い夢を見ていたかのようだ。

頭の奥に何かがつっかえていて、目の奥が重い。

 

「うーん……」

 

小さく呻いて、少女は伸びをした。

そして深く息を吐く。

何だか左腕がとても痒い。

無意識に手を伸ばし、手首を掻く。

 

カチン、という無機質な音がして、彼女は不思議そうに手首に目をやった。

そこにはひし形の石のようなものが嵌まっていた。

薄い青色をしているそれは、陽の光を浴びてキラキラと光っている。

 

「何……これ……」

 

ポカンとして、自分の腕に埋め込まれているそれを見る。

特に重さも痛みも感じない。

しかし、体と一体化している。

先程の音は、爪と手首の石が当たった音のようだ。

 

見たところ、14、5歳程の少女だった。

赤茶けた長い髪。

小綺麗に整った顔立ち。

少し痩せた体。

そして、粗末な布の服を着ている。

 

もう一度腕の石に触れて、そこに感覚はないことを確認してから……。

少女は、周りを見て言葉を失った。

声も出せないくらいに縮み上がり、目を見開く。

 

彼女は、険しい崖の切り立った岩。

その中程にある、藁と木で編まれた巨大な鳥の巣のような所にいた。

 

「…………」

 

ゴクリと唾を飲み込み、尻もちをついたまま後ずさる。

暑く、乾いた風が吹いていた。

太陽は中点に差し掛かるところで、日差しが眼下の……遥か下、数十メートルもあるであろう、一面に広がる森を照らし出している。

 

「え……えええ……?」

 

わななきながら、完全に抜けた腰を引きずって後ろを向く。

そこには、また巨大な崖がそびえ立つばかりだった。

何度も瞬きをしてみるが、変わらず同じ光景だ。

 

その事実から導き出される結論はひとつ。

自分は今、崖の真ん中にいる。

それも、今まで体験したことのない程の巨大な自然のど真ん中に。

 

「どこ……ここ……」

 

震える声を出して、彼女はゆっくりと周りを見た。

何かの巣と思われる場所の中にいたのは、彼女だけではなかった。

大人の男性が一抱えしてやっと持てる程の、大きな卵が一個、中心部にある。

 

卵は熱を持っていて、そのまわりはゆらゆらと熱気を発していた。

こんなにも大きな卵は見たことがない。

唖然としながらそれを見つめる。

硬直すること数分。

彼女はそこでやっと我に返った。

 

帰らなきゃ。

そう思って、よろめく足で何とか立ち上がろうとする。

しかし風に飛ばされそうになり、慌ててしゃがみ込む。

この数十メートルもあろうかという崖から落ちたら、間違いなく死んでしまう。

 

助けを呼ばなきゃ。

そう思う。

だが、そこで彼女はハッとした。

 

助けを呼ぶって、誰に?

 

心の中で自分が自分に問う。

その前に。

私の、名前は何だっけ。

 

思い出せない。

 

「あれ……?」

 

小さく呟いて頭を押さえる。

脳の奥がズキリと傷んだような気がして、吐き気を抑えて息を止める。

 

私は誰だろう……?

単純なことなのに。

何も、頭に湧いてこない。

 

私は誰で、今までどんな所にいて。

そして、どんな生活をしていて。

家族は誰で。

友達は誰で。

どこで生まれたのか。

お父さん、お母さんは……。

 

何も、思い出せなかった。

 

風が吹く。

切り立った崖は岩に囲まれている。

呆然としたまま周りを見る。

どうやらここは、岩山の中腹らしい。

少し窪んだ、光を凌げる場所だ。

 

しかし自力で下には降りられそうにもない高さだった。

太陽光の直撃は受けないまでも、卵の発する熱もあり、とても暑かった。

視界がグラグラと揺れる。

汗を垂らしながら、少女はその場にへたり込んでいた。

 

目の前が歪む。

その耳に、空気を裂く音。

何か巨大な物体が、空気を切り裂いてこちらへ近づいてくる音が聞こえた気がした。

 

 

ピチャン……。

小さな水音と共に、少女は目を開けた。

涼しい。

そして、冷たい。

顔が水で濡れていた。

 

「…………」

 

息をついて、不思議そうに顔を上げる。

すっかり夜になっていた。

やはり先程のことは夢ではなかったらしい。

切り立った崖の巣にいる。

 

しかし、そんなことより少女の目を奪ったのは。

巣の端の方に着地している、大きな影。

少女一人分はある、トカゲのような頭。

そこには沢山の水晶が生えており、真っ白に輝いている。

 

白銀に光る飛膜。

逞しい腕。

そして尻尾。

 

四足の翼竜が、静かに少女を見ていたことだった。

 

その真っ青な瞳は穏やかに、しかし力強く真っ直ぐに少女を見つめていた。

荘厳すぎるそれに、少女はただただ圧倒されて言葉を失っていた。

恐怖ではない。

怯えでもない。

 

感動。

 

そう、感動だった。

心を、魂までもを揺さぶる感情。

本当なら恐怖して泣き喚いてもおかしくないのに。

少女は胸を強く打たれていた。

 

月が輝く。

真っ赤な鱗を月光に光らせて、翼竜は僅かに身じろぎをした。

喉を小さく鳴らしている。

 

そこでやっと、少女は自分の隣にお腹をまんまるに膨らませた大きな虫がいることに気がついた。

その口からポタポタと水が垂れている。

 

そこから水を飲んでいたらしい。

羽が動いていて、涼しい風がこちらへ来ていた。

 

虫から目を離し、少女はもう一度、静かな翼竜を見た。

数分の時間が経った。

水晶を生やした翼竜。

赤い鱗と、白い水晶のそれは、やがて喉を鳴らした。

 

「……何故泣く?」

 

穏やかな、壮年男性の声だった。

少なくとも少女にはそう聞こえた。

翼竜は、少女に問いかけ、覆いかぶさるように顔を近づけてきた。

 

巨大な顔面。

何よりも、透き通った宝石のような、真っ青な瞳。

 

少女は、自分の目に手をやって、そこから生温い涙が溢れているのを知った。

そして嗚咽を漏らしながら顔を覆う。

 

「あなたが……」

 

かすれた、小さい声で言う。

 

「あなたが……あまりにも綺麗で……!」

 

翼竜は、それを聞いて少しの間沈黙した。

そして体を揺らして小さく笑い出す。

 

「クク……ハハハ!」

 

面白そうに首を揺らしながら、彼は言った。

 

「奇妙なことを言う。焼き殺そうかと最初は思ったが、もうじき産まれる一族の子の前で無益な殺生はしたくなくてな。水バグ(※ジャグ・バグ)を連れて、お前に水を与えた訳だ」

「水バグ……?」

 

少女は隣でキチキチ……と鳴いている青い虫を見た。

 

「私を、助けてくれたの?」

「結果的にはそうなるな。しかし、奇妙な生き物だ。それに、そんな情熱的な口説きをされたのは、実に長いこと遥か昔のことだ。妻を思い出すわ」

「あなたは……?」

「儂(わし)は、この地域を治めるワイバーン。エンバークリスタルワイバーンの長(おさ)だ。周りはワシのことをヘアーと呼ぶ」

「ヘアーさん、ですか。ありがとうございます。助けてくれて……」

 

ぎこちなく笑った少女を見下ろし、ヘアーは近づいてきた。

そして不思議そうに彼女に問いかける。

 

「しかし、ここにどうやって登ってきた? 見たところ翼も飛膜もないではないか。それにやはり、ギガントピテクスではないようだ……華奢すぎる」

「私は……私は、人間です」

「ニンゲン? 何だ、ニンゲンとは?」

 

問いかけられて、少女は口をつぐんだ。

何だろう……。

思い出せない。

いや、思い出してはいけないような気がしたのだ。

下を向いてしまった彼女に、ヘアーは続けた。

 

「……まぁ良い。お前に悪意がないことは分かる。我らワイバーン一族は、生き物の悪意や邪気に敏感でな」

「ごめんなさい……」

「いろいろ疑問はあるが、夜も遅い。お前の巣へ案内するが良い。送ってやろう」

 

そう言われ、少女はまた俯いた。

 

「どうした?」

「私……その……覚えてないんです」

「覚えていない?」

「はい。目が覚めたらここにいて……前のことも何も全然分からなくて……」

 

少女の目に涙が盛り上がる。

彼女は、輝く翼竜を見上げて声を絞り出した。

 

「ヘアーさん、私どうしよう……?」

 

森を抜けた風が、木々を凪ぐ。

空には依然、漫然と輝く白い月が浮かんでいた。



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002 トロオドン 1

夜は、思いのほか寒かった。

ヘアーの巣の中で、彼の翼と体の間に入る。

ためらわれたが、促されて座ってみると暖かかった。

 

「このあたりは寒暖差が激しい。お前のように肌を剥き出しにしていれば、途端に死んでしまうぞ」

 

頭の上からヘアーに言われ、少女は膝を抱えて俯いた。

 

「私は、どうしてここに……」

「さてな。嘘をついている訳ではなさそうだが……その体でここまで登って来れるとも思えん。何者かに落とされたのかもしれん」

「何者か……?」

「知らぬ。だが、そうとしか解釈がつかぬではないか」

 

ヘアーはそう言って、周囲をふわふわとたゆたう蛍に目をやった。

黒塗りにされたかのように広がる夜闇に、蛍が舞っている。

その幻想的な光景を目に、少女は小さな声で言った。

 

「そう……ですね」

「だが、どうするのだ。儂以外のワイバーンは、お前のような奇妙な者をよく思わない奴らも多い。ましてやここは、ワイバーン族のテリトリーだ。即座に焼き殺されてもおかしくはない」

 

脅しのようには聞こえなかった。

唾を飲み込んだ少女に、ヘアーは続けた。

 

「運が良かったな」

「ありがとう……」

「記憶を無くしているのか……頭などは痛くないのか?」

「全然痛くないです。でも……」

 

グゥ、と少女のお腹が鳴る。

腹を押さえててから、彼女は言った。

 

「ちょっと、お腹が空いたかも……」

「赤子のようだな。自分で採って来れば良いだろう」

「採ってくればって……でも……」

「普段は何を食しているのだ?」

「普段……うーん……」

「まさかそれも忘れてしまっているのか?」

「…………」

 

考え込んで、暫くしてから頷く。

 

「……そうみたい」

「何と……」

 

流石に困った様子で、ヘアーは巣の脇を見た。

 

「儂らの様に水晶を食しているようにも見えん」

 

巣の隅には、山積みに、虹色に煌めく水晶が置いてあった。

 

「綺麗……あれは何?」

「儂らワイバーン族が体内でつくりだす、プライマルクリスタルという水晶だ。普通の水晶より柔らかく、赤子に与えるものだ」

「食べられるかな……」

「どうだかな」

 

立ち上がり、ヘアーの体を抜け出してプライマルクリスタルに近づく。

そして小さな欠片を手に取った。

夜だというのにキラキラと発光している。

 

意を決して口に入れる。

ガリリッと歯が鳴った。

慌てて口から吐き出した彼女を、呆れたようにヘアーは見た。

 

「やめておけ。その様子だと、ベリーあたりが妥当なところだろうな」

「ベリー?」

「少し下の方にメジョベリーが茂っている筈だ。空腹が強いようだな。寒さを我慢できるなら連れて行ってやろう」

 

お腹を押さえて、少女は頷いた。

 

 

ヘアーに言われたように、彼の背によじ登り、背中の鱗にしがみつく。

不安で仕方なかったが、彼はゆっくりと輝く飛膜を広げ、上下に振った。

空気が周囲に巻き散らかされ、巨体が浮く。

 

「きゃ……」

 

小さく悲鳴を上げた少女を乗せて、ヘアーは一瞬で上空に飛び上がった。

輝く月。

蛍。

すべてが夜空の下で輝いていた。

 

少し離れた眼下には、巨大な青い水晶が見える。

転々と水晶が地面から生えて点在していた。

様々な色をしていて、まるで宝石のようだ。

 

ヘアーはゆっくりと崖から海沿いの方に下降すると、茂みのある森の中に降り立った。

そして地面を踏み、体を下げる。

 

「……まだ乗っているか?」

 

問いかけられ、少女は飛び出しそうに脈動する心臓を呼吸で落ち着かせ、答えた。

 

「は……はい」

「そうか。ゆっくりと降りるが良い」

「分かりました」

 

鱗をはしごのようにして地面に降りる。

ふらついてからしっかりと立った少女を、心配そうにヘアーは見ていた。

 

「ベリーはそのあたりの茂みによく生えている筈だ。自分で採ってくるが良い」

「ありがとう……!」

「儂からは離れるでないぞ。夜はお前のような動物には危険だ」

「はい……!」

 

しかし、お腹が空いていた。

指示されたように、ヘアーの脇の茂みを手で探る。

紫色の果実が鈴なりに実っていた。

食べられるのかな……?

そう不安になったが、柑橘系の美味しそうな匂いに負けて口に入れる。

甘酸っぱい芳醇な香りが口の中いっぱいに広がった。

 

「おいしい……!」

「ここのメジョベリーは、地脈の影響もあり大きい。儂は好きではないが、美味いらしいな」

「いくらでも食べられる!」

「沢山あるだろう。急ぐでない」

 

メジョベリーを口に運んでいる少女を、ヘアーは複雑な表情で見下ろしていた。

その目は、どこか悲しみを持っていた。

 

 

少女がお腹をさすって、ヘアーの足元に座り込む。

 

「お腹いっぱい……」

「満足したか?」

「はい。ありがとう、ヘアーさん!」

 

笑顔を向けられ、ヘアーは戸惑ったように視線をそらした。

 

「い、いや……満足したのなら良い」

「……?」

「念のため、少し採っておくと良い。仕方がない。儂の巣に戻るぞ」

「うん……!」

 

頷いた少女を見て、そしてヘアーは、彼女の後ろの茂みが小さく揺れていることに気がついた。

彼が、息をついて口を開く。

 

「何をしている?」

「え?」

「お前ではない。後ろの小心者に言うたのだ」

 

ガサッ、と少女の後ろの茂みが揺れた。

少女が悲鳴を上げて、ヘアーの足にしがみつく。

そこで、キンキン響く高い男性の声がした。

 

「ちょ、ちょ、ちょ、待ってくださせえ! ここらはあっしらのナワバリですぜ。入ってきたのは旦那の方だ!」

「別にお前らに許可を取るせんもない」

「め、滅相もない! 分かりやした。出ていきますから、怒らないでくだせえ!」

 

茂みからちょこん、と頭が丸く、体が細い、黒色の肉食獣が出てきた。

小さな両腕を神経質そうに動かしている。

挙動不審になっているようで、落ち着きなく足踏みもしていた。

 

「トロオドンだな」

「何て夜だ! 小腹が減って狩りに出てきたら、よりにもよってワイバーン! しかもヘアー様と来たもんだ!」

「…………」

「な、何でしょう旦那……? 何かあっしらがしましたでしょうか……?」

 

不安げに言われ、ヘアーは息をついて首を振った。

 

「そうではない。別にお前らに用は何もない」

「へ?」

「メジョベリーを採りに来ただけだ。すぐにここを去ろう」

「え……? はぁ、そうですか。旦那がメジョベリー好きだったとは……」

「儂ではない。そこの者の食事をな」

「そこの者って……そうそう!」

 

トロオドンはキンキン声で言った。

 

「何でこのギガントピテクスはつるっつるなんでしょう! 小さいし細い! 病気ですかね?」

 

興味津々に言葉を投げつけられ、少女は完全に萎縮してヘアーを見上げた。

翼竜は困ったように少女を見てから、トロオドンに視線を戻した。

 

「ギガントピテクスのように見えるが、どうも違うようだ。あまりにも弱すぎる」

「どこで拾ったんで?」

「さぁな……」

 

ヘアーは息をついてから、トロオドンに続けた。

 

「ついでだ。お前に問う。この者の所在を知りたい。仲間を集めてはくれぬか?」

「所在って?」

「何も覚えていないようなのだ。儂も困っておる」

「へえ……? ま……まぁ、旦那がそう言うなら、家内達を連れてきますわ」

 

素直にヘアーの言うことを聞き、トロオドンは闇の中に消えた。

少女が不安そうにヘアーを見上げて言った。

 

「あの……あれは……」

「トロオドンだ。小さいが、この一帯を仕切っている。あいつの仲間が、お前のことを知っているかもしれんと思ってな」

 

ヘアーは小さく喉を鳴らした。



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003 トロオドン 2

茂みからワラワラとトロオドンが出てくる。

少女はその様子に完全に萎縮しながら、ヘアーの足の後ろに隠れた。

ヘアーは、集まったトロオドン族達を見回して、進み出た先程の一頭に目をやった。

 

「すまんな。儂の我儘につきあわせてしまって」

「いやいや! ヘアーの旦那の号令となれば、あっしらはいつでも駆けつけますぜぇ!」

 

仲間が集まったからか、威勢よく彼は言って後ろを見た。

 

「ってことだ! 何か知ってる野郎はいるか?」

 

しかしトロオドン達は、皆、一様に真っ赤な目で不思議そうに少女を見るばかりだった。

少しして、言いにくそうな様子を醸し出しながら、一頭が前に出る。

 

「あんた、悪いけどあたしらもそいつが何なのか分からんよ。分からんものは答えようがないねえ」

 

どうやら、リーダーの妻のようだ。

リーダートロオドンは苛立った様子で足踏みをしてキンキン声を出した。

 

「お前! 何とか思い出してくれよ! あっしの面目もあるだろう!」

「面目ったって、最初から無いものは無くしようがないじゃないか」

「そんな言い方!」

「リ、リーダー?」

 

別の一頭が口を開く。

 

「毛が抜けたギガントピテクスの子供じゃねえですかね? 病気か何かで……」

「それだ!」

 

リーダーは頷いて、自信満々にヘアーを見上げた。

 

「てことで! 毛が抜けたギガントピテクスの子供じゃねえですかね?」

「…………」

 

ヘアーは呆れたように彼を見てから、少女に目を落とした。

どう見ても納得はいかないようだった。

彼のその態度を見て、リーダートロオドンは慌てて後ろを向いた。

 

「ち、違うってよ! てめえら考えろ! 何かあるだろ!」

「アニキ、つっても知らないもんは何も……」

「うるせぇ! 嘘でもいいから絞り出すんだよ!」

「あんた、そんなヘアー様の前で……」

「ああもう!」

 

地団駄を踏んだリーダーを見て、ヘアーは口を開きかけた。

そこで、後ろから別のトロオドンが進み出た。

 

「アニキ、オレらでわかんねぇなら、別のヤツに聞けばいいじゃねえか」

「それだ! 冴えてるなてめえ!」

「でも聞くって言ったって誰によ?」

 

リーダーの妻が言うと、また別のトロオドンが言った。

 

「そりゃあまぁ、ギガントピテクスのことはギガントピテクスに聞けばいいんじゃね?」

「だなぁ」

「うんうん」

 

周りのトロオドン達も頷く。

リーダーは少し考えてから、ヘアーの方を向いて小さく伺うように言った。

 

「……ってことで、レッドウッドのギガントピテクス達に聞くってのはどうですかね?」

「そうか。いや、騒がせてしまってすまなかったな。これは礼だ」

 

ヘアーはそう言うと、小さく咳き込んで喉の奥から大粒のプライマルクリスタルを数個吐き出した。

 

「何だって!」

 

トロオドン達が色めき立つ。

ざわざわしている彼らを後目に、ヘアーは少女に言った。

 

「戻るぞ。背中に乗れ」

「う……うん」

 

戸惑って頷いた彼女を、そこでリーダーの妻トロオドンが見た。

そして、あ! と驚いた顔をする。

真ん丸な赤い目に見つめられ、少女は肩をすぼめた。

妻トロオドンが、おずおずとヘアーに言う。

 

「あ……うろ覚えでもいいですかねえ……?」

「助かる。何でも良いから知っていることを話してくれ」

 

ヘアーが頷いたのを確認して、彼女は続けた。

 

「前にレッドウッドから来たギガントピテクスが言ってたような……毛がない仲間みたいなのがそこらへんをうろついてて、あいつら、結構な騒ぎになったそうですよ」

「何と」

 

やっとでてきた有力そうな情報に、ヘアーは頭をもたげて彼女に聞いた。

 

「いつ頃の話だ?」

「ええっと……月が沢山のぼったあたりですかねえ……」

「随分前なのか?」

「あたしらの子供が大きくなる前ですかね」

「成る程な」

 

ヘアーは少し考え込んでから、トロオドン達を見回した。

 

「ありがとう。それを聞けただけでもよかったとしよう」

「へえ。そんなんで良ければ」

 

妻トロオドンが頭を下げて下がる。

背中に少女が乗ったのを確認して、ヘアーは翼を広げ、空に飛び上がった。

 

 

巣に戻った時には、空が白みかけていた。

もうすぐ夜明けだ。

ヘアーの翼に、卵と一緒に護られながら、少女は不安げに呟いた。

 

「どうすればいいのかな……」

「…………」

 

ヘアーは少し沈黙してから、彼女に言った。

 

「トロオドン達は、頭は悪いが嘘はつかぬ。おそらく、ギガントピテクス達がお前のような者を見たという噂をしていたのは、本当のことだろう」

「その、ギガントピテクスって何?」

「お前によく似ている種族だ。しかし……」

 

ヘアーは軽く首を傾げて続けた。

 

「似ているが、全く違う」

「……そうなの?」

「ああ。儂の見立てだが、お前はギガントピテクスではない。その、前に言っていた『ニンゲン』とは何だ?」

「何? 何って……人間は人間……」

 

問いかけの意味が分からず、少女は狼狽して口をつぐんだ。

 

「ニンゲンと言われてもな。そんな種族はとんと聞いたことがない」

「…………」

「いろいろと分からぬことが多いが、仕方がない。儂が見つけてしまった縁もある……お前をレッドウッドに連れて行ってやろう」

「レッドウッド?」

「ここからはだいぶ遠いな。長旅になる」

「そうなんだ……」

「だが、すぐには発てん」

「……?」

「その子を、無事に孵さねばならん」

 

そこで彼女は、少し離れた脇でゆらゆらと熱気を発している卵に目をやった。

 

「これって、ワイバーンの……」

「そうだ。卵だ。もうじき産まれるだろう」

「もしかして、ヘアーさんの子供?」

 

問いかけられ、ヘアーは少し表情を昏くして、視線を空に向けた。

真っ赤な太陽が水平線の向こうから昇ってくるところだった。

 

「……この子の母は、ワイバーン同士の争いに巻き込まれて死んだ」

「えっ?」

「父親もだいぶ前に死んでおる。だから、儂が護っておるのだ」

「ワイバーン同士の争いって……」

「おかしいことではない」

 

ヘアーは、しかし少女の疑問を穏やかに否定した。

そして静かに続ける。

 

「テリトリー間の抗争、水場での争い、獲物の取り合い……この世界ではよくある話よ。儂らワイバーン族とて例外ではない。争い、争われあって命は流れていくのだ。何ら不思議なことではない」

「…………」

 

小言葉を発しかけた少女だったが、彼女はヘアーの真っ青な目を見て口をつぐんだ。

その目に、深い悲しみが宿っているのを読み取ったからだった。

どこか憂いを含んだ目は、太陽をまっすぐ見ていた。

水平線の向こうから光の煌きが広がっていく。

辺りが真っ白に輝き始めた。

 

「それが、この世界なのだ」

 

朝がやってきた。

鳥の声なのか、何かが鳴く声が周囲に広がる。

少女は、採ってきていたメジョベリーを口に入れた。

 

彼女は、そこで水平線を見て手の動きを止めた。

何かが段々空を飛んで接近してくるのが見えたからだった。

水色に輝く飛膜が光を反射している。

最初は遠すぎて虫かな……? と思ったくらいだったそれは、ものの数秒でヘアーの巣に急接近した。

 

ヘアーより少し小さいくらいだったが、巨大だった。

白銀に輝く鱗のワイバーンだ。

それは、熱い息を吐きながらヘアーの巣の端に着地した。

重低音と共に周りが揺れる。

足音を立てながら近づいてきたそれを見て、ヘアーは口を開いた。

 

「早いな」

「ヘアー様、少しお休みになってください」

 

穏やかな女性の声だった。

彼女は咎めるようにヘアーに続けた。

 

「……親が死んだ卵でしょう? あなた様がそこまでして護るものではありません」

「…………」

「子が淘汰されるのも自然の摂理です。何より、お眠りになっていない筈です。あなた様の優しさが、ご自身を傷つけていらっしゃる」

 

寝ていない。

それを聞いて、足の裏に隠れていた少女は、弾かれたようにヘアーを見上げた。

ヘアーは白銀のワイバーンに言った。

 

「良いのだ。子を護る親は、卵が孵るまで睡眠をとらないのが、儂らワイバーン一族の掟。寝ずに護ることこそが愛なのだ」

「あなた様の子供ではない筈……!」

「違う」

 

ヘアーはそう言って、静かに続けた。

 

「お前も、他のワイバーンも。この世界に生きるクリスタルワイバーンのすべてが、儂の子供なのだ。親が子を護ること。そこには何ら間違いはない」

 

彼の穏やかな断言に、白銀のワイバーンは黙り込んだ。

そしてその目が、ヘアーの足元で小さくなっている少女に向いた。



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004 ブラッドクリスタルワイバーン 1

「…………?」

 

不思議そうに自分を見下ろした白銀のクリスタルワイバーンの視線を受けて、少女はバツが悪そうに後ずさった。

白ワイバーンがヘアーを見る。

 

「ヘアー様。そこな者は『何』でしょう……?」

「さてな……」

 

ヘアーは息をついて彼女の方に顔を上げた。

 

「いつの間にか儂の巣に入り込んでいた、奇妙な生き物だ。言葉は話せるようだが、何も覚えていないらしい」

「ふむ……?」

「先程、ここのトロオドン一族から、レッドウッドのギガントピテクス達が何か知っているかもしれない、と教えてもらってな。一段落したら、レッドウッドに連れて行ってやるつもりだ」

「ギガントピテクス……の、ようにも見えますが。やけに毛がないですね」

「ああ」

 

話している二頭の巨竜を見上げて、少女は卵の方に下がっていった。

白いワイバーンがいつ激高するか分からない。

でも逃げ場はどこにもない。

ここは崖のド真ん中なのだ。

怯えている様子の少女を見て、しかし白ワイバーンは軽く笑うように喉を鳴らした。

 

「そう構えるものではありませんよ。そなたからは邪気を感じない。すなわち安全だということです。私は、そなたを傷つけない」

 

それを聞いて、少女は少し安心してヘアーの足の隙間から、彼女を見上げた。

白い鱗が銀光りして空中に光を撒き散らしていた。

頭に透き通ったクリスタルが生えている。

 

「私は、少し先の小島を管轄しているトロピカルクリスタルワイバーンです。ヘアー様の巣に、どうやって入り込んだのですか?」

 

穏やかに問いかけられ、少女は首を振って答えた。

 

「分からない……覚えていないんです」

「覚えていないとは? ここまで上がってきたのでしょう?」

「目が覚めたらここにいて……」

「そんな馬鹿な話があるものですか。翼も飛膜もない者がこんな高さに登れる筈など……」

 

困惑している白ワイバーンに、ヘアーは言った。

 

「分からぬが、本当に覚えていない様子だ。何者かにイタズラされてしまったのかとは思うが」

「不憫な……そんなよこしまなことをする者がいるのですね」

 

白ワイバーンは鼻を鳴らした。

そして少女を見る。

 

「レッドウッドは遠く向こうです。そこから来たとも思えませんが……」

「そうだな……」

 

ヘアーは頷いて、少女を見下ろした。

 

「まだ、思い出すことは何もないか?」

「うーん……」

 

少女は考え込んだが、息をついて申し訳無さそうに二頭を見上げた。

 

「ごめんなさい。本当に何も覚えていないの」

「そうか……」

 

ヘアーを見て、白ワイバーンが言う。

 

「ヘアー様。本当にレッドウッドまでの長旅をなさるおつもりですか……?」

「ああ。しかしその前に解決しなければならない問題も多い。今日明日で発つ訳にはいかんな……」

 

そこまでヘアーが言った時だった。

空気を切り裂く咆哮が辺りに響き渡った。

少女が悲鳴を上げて、ヘアーの足にしがみつく。

白ワイバーンが苦虫を噛み潰したような声で言った。

 

「またあいつ……!」

「…………」

 

口をつぐんだヘアーが向いた方向に目をやる。

先程咆哮が飛んできた空に、ワイバーンの姿が見えた。

それは白ワイバーンよりも速く、そして力強くヘアーの巣に急接近した。

重低音を立てて、その赤い体が巣を踏みしめて着地する。

 

喉を鳴らしているそのワイバーンは、赤と黒の鱗を輝かせたクリスタルワイバーンだった。

真っ赤な血の様な目が、太陽の光を反射して煌めいている。

頭から飛び出した水晶を揺らしながら、それは野太い男性の声を発した。

 

「貴様、何故ヘアー様の巣に居る?」

 

白ワイバーンを睨みつけた彼を、ヘアーは諫めるように言った。

 

「この辺りは鳥達の安住の地でもある。無闇に周りを怖がらせるものではない」

「ヘアー様……! 砂漠のアルファ達が幅を利かせてるってのに、呑気に卵護りかよ! あんたもあんただ。いい加減力を貸してくれ!」

 

赤ワイバーンは呻くように言った。

 

「昨日もウチの若い衆が一頭殺られた。何故報復しない!」

 

また赤ワイバーンが咆哮した。

周囲の空気がビリビリと揺れ、少女の肌に痛いくらいの彼の「怒り」が伝わってきた。

そこでヘアーと赤ワイバーンの間に、白ワイバーンが割って入った。

 

「ブラッドクリスタルワイバーンの問題は、ブラッド一族の間で片付けるということで、我らの考えは一致したはずです。アルファに抗争をかけたのは、そもそもあなた方ではないですか」

「黙れ! トロピカル一族の姫ごときにワイバーンの掟を説かれる道理はない! 小娘は引っ込んでいろ!」

「何ですって……!」

 

侮辱を受け、白ワイバーンが足を踏み固める。

 

「今この場で決闘をしてもいいのですよ」

「面白い。血肉に変えてやる!」

 

随分と血の気が多いワイバーンだ。

完全に怯えている少女を足と羽の裏で隠し、ヘアーは穏やかに言った。

 

「前にも言った通りだ。砂漠のアルファワイバーンと最初に抗争を起こしたのは、お前達ブラッド一族である。クリスタルワイバーン全体でお前達に協力をすることはできん」

「何を言っているんだ!」

 

赤ワイバーンが、口からモヤのような煙を出しながら怒鳴った。

 

「仲間が殺られている! 今更ここで引き返せるか! ヘアー様、あんたが出てくれさえすれば、アルファを殺れる。俺達に力を貸してくれ!」

「ならぬ」

「何故だ!」

 

怒鳴った赤ワイバーンの声が崖に反響する。

ヘアーは息を吸ってから、そっと彼に言った。

 

「若いワイバーンが死んでいるのは知っている……悲しいことだ。しかし、それは生存競争の螺旋に巻き込まれた果てのこと。強い者が生き残り、弱い者が死ぬのは自然の摂理。それは、誰よりもお前が一番知っている筈だ」

「…………ッ」

 

歯ぎしりするように喉を鳴らし、赤ワイバーンは巣を踏みしめた。

そして白ワイバーンを睨みつける。

 

「俺達ブラッドは、臆病で保守的なトロピカルとは違う。『逃げ出した』貴様らとは違うのだ。必ずアルファは追い詰め、なぶり殺しにして報復を与える」

「逃げ出した……ですって?」

 

白ワイバーンは高い声を張り上げた。

 

「私達までもがアルファの被害を受けているんですよ! 他ならぬブラッド! あなた達のせいです!」

「殺られたのは貴様らが弱いせいだ! 弱者はもういい!」

「言わせておけば!」

「やめぬか」

 

ヘアーがそこで、重く静かな言葉を発した。

その一言は小さかったが、崖中にその声は響き渡った。

思わず、二頭のワイバーンが言葉を止めた程、その言葉は重く、力強かった。

 

そこで少女ははじめて、ヘヤーの巣がおびただしい数のワイバーンに囲まれていることに気がついた。

色は様々だが、全員一様に口から赤いモヤのようなものを発している。

ブラッドクリスタルワイバーンの一族を率いた赤ワイバーンは、背を伸ばしてヘアーを見た。

 

「今日。太陽が中天に入った時、俺達は一族全員でアルファに仕掛ける」

「……死ぬぞ。それも普通の死ではない」

「…………」

 

ヘアーは赤ワイバーンをまっすぐに見て、言った。

 

「全滅だ。アルファには勝てん」

 

周囲のブラッドクリスタルワイバーン達が、一斉に怒りの咆哮を上げた。

空気が裂ける様に揺れ、周囲が怒りに包まれる。

それはブラッド一族の怒り。

憎悪の波だった。

 

さすがに圧倒され、白ワイバーンも口をつぐむ。

しかしヘアーは、依然こつ然とした姿勢で赤ワイバーンに言った。

 

「お前達では、アルファには勝てない」

「……分かっている」

 

赤ワイバーンは押し殺した声を発した。

 

「だが、たとえ最後の一頭になってでも! アルファの喉笛を絶対に食い破る! それが俺達の覚悟だ!」

 

周囲のワイバーン達が、赤ワイバーンの言葉を聞いて沸いた。

それは戦いの狼煙。

戦の叫びだった。

ヘアーは息をついて体を丸めた。

 

「話はそれで終わりか?」

「…………」

「……去るがいい。儂はここを動かぬ」

 

赤ワイバーンは、しばらくの間ヘアーを見ていた。

その目がどこか深い悲しみをたたえている。

彼はしばらくして背中を向けた。

 

「あんたは絶対に来る。俺は信じている」

 

赤ワイバーンが空に飛び上がる。

そして、崖にとまっていたワイバーン達が次々に空中に消えていった。

ヘアーはそれを見上げて、深い溜め息をついた。



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005 ブラッドクリスタルワイバーン 2

「ヘアー様! ブラッド一族が……」

 

白ワイバーンが狼狽した声で言う。

しかしヘアーは、ブラッドクリスタルワイバーン達が全員空の向こうに消えていくのを、悲しそうな目で見て黙り込んでいた。

やがて彼は、ゆっくりと巣に座り込んだ。

少女は尻もちをついた。

そして、小さな声で言う。

 

「い、今のは……」

「ブラッドクリスタルワイバーン達だ。仲間を殺され、殺気立っている」

「他にもワイバーンの種族って、沢山いるの?」

 

問いかけた彼女を、ヘアーは見下ろした。

 

「ああ。そして、その他の生き物もな」

「さっきのワイバーンさんの仲間を殺したのは……?」

「…………」

 

黙り込んだヘアーに代わり、白ワイバーンが口を開く。

 

「砂漠のエンバークリスタルワイバーン……私達が『アルファ』と呼んでいる者です」

「アルファ?」

「その者は殺戮を愉しみとする、とても邪悪な存在です。長い年月の間に、繰り返しどこかで産まれるのです」

「邪悪な……」

 

少女は怯えた顔でヘアーを見た。

 

「強いの……?」

「……うむ。とても、な」

「ブラッド一族で太刀打ちできる相手ではありません。あの数では全滅してしまう……」

 

白ワイバーンは、ヘアーを見た。

そして訴えかけるように声を絞り出す。

 

「ヘアー様……私達トロピカル一族も、戦いに……」

「ならぬ」

「しかしこのままでは……」

「お前達まで全滅しては、誰が島を護るというのだ。それに、これはブラッド一族が始めた戦いだ。始末をつけるのはブラッドであるべきなのだ。それが、勝利であれ敗北であれ……な」

「私は……」

 

白ワイバーンは俯いて言った。

 

「それでも私は、まだ納得ができないのです」

「…………」

「アルファの脅威は、我が一族にも代々語り継がれています。『抗ってはならぬ。流れに身を任せよ』……そう、私も母から教わりました」

「すべては自然の流転にある。敵が強ければ強い程、弱い者は淘汰されるべきなのだ」

「しかし……!」

「ブラッド一族が負けたとして、それはブラッド一族の弱さの問題だ。他のワイバーンまで、被害を受ける必要はどこにもない。何より……」

「…………」

「アルファは、近づかない限り動かぬのだ。儂と同じよ。砂漠に近づかねばいいだけのこと」

 

言い切ったヘアーに、白ワイバーンは歯を噛んで言った。

 

「ヘアー様、それでも……」

「…………」

「あなた様は、参戦なさるおつもりですね」

「…………」

 

答えを返さなかったヘアーに、彼女は続けた。

 

「優しいあなた様のこと。絶対に向かわれることと思います。しかし……!」

「……話は終わりだ。日常に戻るが良い」

 

白ワイバーンの言葉を切ったヘアーに、そこで少女が言った。

 

「ヘアーさん……?」

「何だ?」

 

口を挟んできた彼女に、怪訝そうに彼が答える。

少女はおずおずと続けた。

 

「その、アルファさんっていうのはどうして襲ってくるの?」

 

意外な問いかけだったらしく、二頭のワイバーンが考え込む。

ヘアーが少ししてから答えた。

 

「……さてな。アルファには言葉が通じん。産まれた時から殺戮のことしか考えておらぬ。邪悪の塊なのだ。そこには理由など無いのかもしれんな」

「話し合うことはできないの?」

 

少女が言う。

そんな事は考えたことがなかったようだった。

ヘアーも、白ワイバーンもきょとんとして彼女を見下ろした。

しばらくして白ワイバーンが言った。

 

「……話し合う? とは?」

「だって、何の理由もなく戦うのは変だよ。襲ってくるのにも理由がある筈だよ。だったらまず、話し合わなきゃ」

「ですから、アルファには言葉が通じないと……」

「……ふむ」

 

ヘアーが息をついた。

そして白ワイバーンを見る。

 

「成る程。儂も考えたことはなかったな。アルファと話し合うなど。なかなかに一興かもしれん」

「ヘアー様……!」

「お前は、アルファのことは伝え聞いているだけで見たことはないだろう。儂は過去、何頭か奴らを屠ったが、一様に言葉は通じない様子ではあった。だが……」

 

ヘアーは少女を見た。

そして脇の卵を見る。

 

「話し合って戦いを終わらせることができるなら……」

「…………」

「そんなことがもし可能であるなら。産まれてくるこの子に、これから無益で残酷な未来を見せる必要はないのかもしれない」

「夢物語です……アルファは戦いのことしか考えない存在なのです。ヘアー様。あなた様が殺られてしまう!」

「…………」

 

ヘアーは白ワイバーンの目を見て続けた。

 

「トロピカル一族の元に戻るのだ。お前の役目は、一族を護ること。誰もブラッド一族に加勢しないように見張ることだ」

「ヘアー様……!」

「行け。儂には儂の。お前にはお前の責務がある。そして……」

「…………」

「すべては自然のままに。自然の螺旋が象る流れには誰も逆らえん。儂が傷つけられたとして、それはそこまでの運命なのだ。悲しむことも、怒り狂うこともない。すべてを受け入れよ」

 

ヘアーは少女を見下ろした。

 

「レッドウッドには必ず連れて行く。約束しよう。少しかかるかもしれんがな」

「ヘアーさん……」

 

少女は不安そうに彼を見上げた。

その宝石のような瞳が太陽の光を反射して煌めいている。

そこには誰にも屈しない力強さがあった。

少女は少し言葉を飲み込んだが、やがて息を吸って続けた。

 

「私も行く」

「……何だと?」

「何ですって!」

 

同時にワイバーン達が声を上げる。

少女は服の胸を掴んで、脈動する自分の心臓を押さえた。

何故かは分からない。

分からないが、ヘアーを見ると不安になるのだ。

そして、頭の何処か片隅に、血まみれになって墜落していくヘアーの姿がちらつく。

 

それは、とても恐ろしく、そして悲しい光景だった。

そんなのは嫌だ。

絶対に嫌なことだ。

自分も行って、助けないと。

そう、彼女は思ったのだった。

 

「ヘアーさんにはお世話になったもの。私も、一緒に戦う!」

「戦うとな……」

 

ヘアーはしばらく目を真ん丸にしていたが、やがて大声を上げて笑い始めた。

 

「クッハッハッハッハ!」

「ヘ、ヘアー様?」

 

困惑している白ワイバーンを見て、彼は続けた。

 

「見よ。こんなにも小さき者が、儂と共にアルファと戦い、話し合うと言うているのだ! こんなにも力強く、そして愉快なことはあるまい!」

「そんな無茶なことを……」

「気に入ったぞ。儂と共に来るが良い。もしかしたら……アルファに言葉が通じるかもしれんからな」

 

少女は笑っているヘアーを見て、口元を崩して笑顔になった。

 

「うん!」

 

彼女は、しっかりと頷いた。

 

 

白ワイバーンは、トロピカルという自分の一族を率いる若長のようだった。

自分も共に向かうと言う彼女を拒否し、ヘアーは彼女が帰っていくのを見送ってから、少女の方を向いた。

 

「さて……見事なものだな」

「……?」

「お前は、儂が死ぬ覚悟であることを見抜いたのであろう?」

 

ビクッとして、少女が体を揺らす。

 

「隠すことはない。お前達の様な二つ足は、そのあたりの感覚が鋭いらしいからな」

「私は……何だか、ヘアーさんが死んじゃうような気がして……」

「…………」

「ヘアーさんが死んじゃったら、この卵の子は一人になっちゃう。そんなのは絶対悲しい!」

「……そうだな」

 

ヘアーは頷き、森の向こうを見た。

乾いた風が吹いていた。

どこか砂の匂いがする。

 

「アルファは強い。儂は老いた。もはや太刀打ちできる力はない。だが……もし話し合いで済むのなら。絶対にその方が良い。誰も死なぬ。それが素晴らしいことなのだ。たとえそれが、自然の摂理に反しているとしても……」

「うん……!」

「儂はずっとそう思ってきた。自然の摂理と、自分を律して、言い聞かせてきた。だが……」

 

ヘアーは喉を鳴らして続けた。

 

「仲間が死ぬのは悲しいものだ。子がいなくなるのは身が切り裂かれる思いだ……だから、儂は……」

「…………」

「この戦いを、とめたいのだ」



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006 ライトニングワイバーン 1

重低音を立てて、ワイバーンの巨体が地面に墜落する。

血まみれのその巨躯が、砂埃を巻き上げて砂漠に突っ込んだのだ。

周囲を飛んでいたブラッドクリスタルワイバーン達がざわつく。

取り囲まれた中心にいるのは、赤い煙を体から発した、異様な風体をしたワイバーンだった。

 

その体は浅黒く、目は真っ白に輝いている。

体から飛び出した水晶は、紅い煌めきを発していた。

深く息を吐き、そしてそのワイバーンは砂漠に着地した。

今しがた殺したブラッドクリスタルワイバーンの亡骸を踏みつけ、躙りながらにやけ顔を上に向ける。

 

「ケヒヒャヒャ……」

 

けたたましくそのワイバーン……アルファエンバークリスタルワイバーンは嗤った。

焦点の合わない目で周囲を見回して叫ぶ。

 

「どうしたァ! その程度か! オレは痛くも痒くもねえぞ!」

 

ゴリゴリと異様な音を立てながら死したワイバーンの頭を踏み潰し、それはがなった。

 

「かかってこい! オレに痛みを与えてみろ! オレを苦しませるんじゃねぇのか! まだオレは……」

 

凄まじい爆音が周囲をつんざいた。

アルファが咆哮したのだ。

それは、砂漠中に空気の渦となって広がり、衝撃となり炸裂した。

 

「こんなんじゃ全然足りねぇぞォ!」

 

アルファが炎を噴いた。

今まさに飛びかかろうとしていた三体のブラッドクリスタルワイバーン達が火に包まれる。

もがき苦しみながら墜落したそれらを足で踏みつけ、噛みつき砕き、翼で薙ぎ倒して、アルファは宙に舞い上がった。

 

巨大だった。

ワイバーンの中でも特大の大きさだった。

取り囲んでいるブラッドクリスタルワイバーン達に比べると、大人と子ども程の大きさの差がある。

また飛びかかってきたワイバーン達をまとめて焼きつくしながら、アルファは宙に浮くように翼をはためかせた。

 

「へ……ヘヘ……へへへへへへ……!」

 

耳障りな声で喚くように笑う。

 

「オレはここを一歩も動いてねえ! お前らが来てから一歩も後退も前進もしてねェぞ!」

 

掴みかかってきたワイバーンの喉笛に噛みつく。

鮮血と絶叫。

亡骸を投げ捨てて、アルファは叫んだ。

 

「雑魚が! 弱い! 弱すぎる!」

「バケモノが……!」

 

長ブラッドクリスタルワイバーンが、アルファの手前に飛び出す。

 

「俺が相手だ……! ゲス野郎!」

「誰が相手だってェ?」

 

馬鹿にしたように怪物は嘲笑った。

空中を、長ブラッドクリスタルワイバーンとアルファが滞空しながら睨み合う。

炎の噴射と、長の吐く赤い煙が交差したのは同時だった。

赤い煙がアルファの顔面に突き刺さる。

しかし、絶叫を上げたのはアルファではなかった。

 

一寸速く、アルファの炎が長の翼を薙いだのだった。

炎は瞬く間に飛膜に燃え移り、豪炎を上げた。

旋回しながら長が墜落していく。

 

「若頭!」

 

ブラッドクリスタルワイバーン達が咆哮を上げ、アルファに殺到する。

アルファは、顔面から噴水のように血液を吹き出しながら、またけたたましく嗤った。

 

「痒い! 痒いぜ! 雑魚どもがよォ……ブンブンブンブンと飛ぶだけならメガネウラにもできらァ!」

 

戦場。

それはまさに、命と命を賭けた戦いだった。

多数のブラッドクリスタルワイバーンのオス達に囲まれながら、アルファは目を爛々と輝かせている。

 

「飛ぶってのはァ……こうやるんだよォ!」

 

翼で近くのワイバーンを殴りつける。

吹き飛ばされたそれに、間髪をおかずに炎を浴びせる。

火の塊となって、また一頭が墜落した。

 

「へへへへへ!」

「ヘアー様はまだか……!」

 

ブラッドクリスタルワイバーン達が息を切らして言う。

太陽は既に中天に差し掛かっていた。

 

 

少女を背中に乗せて、ヘアーは空を飛んでいた。

大きな翼をはためかせながら、彼は言葉を発した。

 

「戦場に向かう前に、行かねばならぬ所がある」

 

風でよく目も開けられない状態で、少女は必死に鱗にしがみつきながら声を張り上げた。

 

「ど……どこに?」

「儂だけではアルファの前では力不足だ。話し合うにしても、助太刀が欲しい。ブラッド達が全滅する前に、急がねばなるまい」

「助太刀?」

「ここだ」

 

砂漠と森の境目に、渓谷があった。

その滝が流れる場所にヘアーは近づいた。

 

「目を閉じているのだ。水に溺れるぞ」

「う……うん!」

 

ヘアーの声に頷く。

彼は少女が身をかがめた途端、一気に滝に突っ込んだ。

悲鳴を上げた少女が、水を浴びてずぶ濡れになる。

危うく鱗を離しかけて、少女は必死にしがみついた。

 

ヘアーはそのまま滝の裏にある、巨大な洞窟に出た。

円形のそこは、水で削れているのか、天井からポタポタと水を垂らしている。

真っ暗だ。

何も見えない。

 

入り口から反射する太陽光で、薄っすらと洞窟の中心に小島のような岩の塊があるのが分かった。

ヘアーはそこに飛び乗り、少女に言った。

 

「大丈夫か?」

「う……うん、大丈夫」

 

少女は髪の毛を顔から引き剥がしてから、滑るようにヘアーの足元に降りた。

 

「暗い……」

「いるのだろう? 応えよ」

「……え?」

「お前ではない。暗闇の奥に居る者に声をかけたのだ」

 

次の瞬間だった。

少女は全身が怖気立つような殺気に包まれ、言いようのない悪寒を感じて震え上がった。

それは純然たる殺意。

憎しみ。

 

負の感情の塊を、少女は感じたのだ。

暗闇の奥に何かいる。

それも、とてつもなく恐ろしい者が。

後ずさってヘアーの足の後ろに隠れる。

 

「……何をしに来た?」

 

暗闇の奥から、ガサガサに潰れたような男性の声がした。

その汚い声は、ヘアーに向けて鋭い牙のような殺気を発しながら続けた。

 

「貴様はもう、俺と対峙することはないという掟ではなかったのか?」

「久しいな」

「その様な感情は湧かぬ。決着をつけたいのなら、表に出ろ」

 

剥き出しの殺意だった。

しかしヘアーは平然として、少女を庇いながら言った。

 

「力を貸せ。アルファがまた現れた」

「……何?」

 

ガサガサ声はそう言った。

暗闇の奥で何かが身じろぎをした。

重低音の足音を立てながら、それはゆっくりと近づいた。

そして、ヘアーと鼻先がつくくらいの距離まで顔を出す。

 

青白いワイバーンだった。

しかし、水晶は生えていない。

薄く光を発しているヘアーとは違い、どこからも光を出していない。

青白い鱗に、透き通った灰色の皮膜をしているのが、暗闇に慣れてきた目に薄っすらと見える。

 

ガサガサ声のワイバーンは、小さく舌打ちをしてヘアーの鼻先で息を吐いた。

細く吐き出されたそれが、ヘアーの鼻先でバチバチと弾けるような音を立てる。

まるで、雷のようだ。

 

「俺が、貴様に……力を貸す?」

 

嘲るようにそう言い、そのワイバーン……ライトニングワイバーンは喉を鳴らした。

 

「クク……面白いことを言う。アルファ? 知ったことではない。俺には関係がない話だ」

「はぐれライトニングワイバーンのお前に頼むほど、今回のアルファは強力なのだ。儂よりも二周りは大きい」

「……ほう?」

 

首を傾け、ライトニングワイバーンはゆっくりと、その視線をヘアーの足元に向けた。

凶悪そうなワイバーンと目が合ってしまい、少女は後ずさった。

 

「猿が。貴様、何故猿を連れている?」

「ギガントピテクスではない。よく見ろ」

「…………」

 

焦点のない目に見つめられ、少女はヘアーの足にしがみついた。

 

「…………」

 

ライトニングワイバーンは無言だった。

彼は興味を失ったようにヘアーに視線を戻した。

そして押し殺した声で続ける。

 

「……ブラッド一族とやらが、殺気立っているのは知っている。お陰でここの生き物は皆砂漠から避難してきている。とんだ大迷惑とやらだ……」

「同じワイバーンとして、その戦いに儂と共に赴いて欲しいのだ」

「アルファを殺せと言うのか」

「違う」

「……?」

 

怪訝そうに口を閉ざしたライトニングワイバーンに、ヘアーは言った。

 

「説得したいのだ」



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007 ライトニングワイバーン 2

「説得……?」

 

予想だにしていない言葉だったのか、青白い翼竜は目をしばたたかせてヘアーに言った。

 

「気でも触れたか?」

「儂は正気だ。よく見ろ。その眼は飾りか?」

 

ヘアーがそう言うと、ライトニングワイバーンは鼻先を彼の鼻に勢いよくぶつけた。

少女が小さく悲鳴を上げて尻餅をつく。

そのまま顔面で押し合い、ライトニングワイバーンが息を殺して囁くように言う。

 

「……俺には、関係がない話だ……」

「左様。しかし、儂には関係がある話なのだ」

「知った事か」

「儂の正気を疑う前に、自分の耄碌(もうろく)加減を知った方が良いのではないか?」

「何を……!」

「逃げて来ている動物達を見て怪訝には思わぬのか? ここに、お前を頼って避難して来ている者達を見て、何も感じぬのか?」

 

ヘアーに言葉を投げつけられ、彼は発しかけていた言葉を止めた。

そして数秒考えてからそっと一歩退く。

彼は少し離れた場所に腰を落ち着けると、ヘアーを見た。

 

「……俺を謀(たばか)っている訳ではないようだな。聞こうか……『話』とやらを」

 

 

ヘアーからいきさつを聞き、ライトニングワイバーンは吐き捨てるように言った。

 

「ブラッドなど全滅すれば良い。奴らは血の気が多すぎる。要らぬ犠牲を好む凶悪さもある」

「ブラッドのオス一頭一頭にもつがいがおる。子供もいる。オスが全滅したら、メスと子供しか残らん。その先にはお前が言う本当の『全滅』がある」

「…………」

「一族としてのブラッドクリスタルワイバーンが、この地域からいなくなる。そうなればどうなる? 新しく力を持つ者が支配を始める」

「それが今回のアルファだとでも言うのか?」

「そうだ」

「可笑しな事を言う。アルファは知性がある殺意の塊だ。手を出さない限り襲っては来ない。支配など考えるわけもない」

「お前は、今回のアルファを見たことはあるのか?」

「…………」

 

黙り込んだライトニングワイバーンに、ヘアーは続けた。

 

「儂は……実は対峙したことがある」

 

少女は不思議そうにヘアーを見上げた。

彼は、アルファを見たことがないようなそぶりをしていた。

しかし、実際は戦ったことがあったらしい。

ヘアーは真っ青な目を暗がりに光らせながら言った。

 

「随分前になるが、火山でヤツと対峙した。その頃はまだ子供だったようだ。だが、既に巨大だった。儂はヤツと戦い、火山に落とした。ヤツが溶岩に飲み込まれていくのをこの目で見ている」

「では今回のアルファは、別のアルファだろう」

「そのアルファは、ブラッドクリスタルワイバーンではなかったのだ」

 

ヘアーの言葉に、はじめてライトニングワイバーンが驚いたように顔を上げた。

 

「何……?」

「今までの歴史で、ワイバーン族から出現するアルファは、ブラッドしかおらんと聞かされていた。だが、儂が戦ったあヤツは、血の煙ではない。確かにか炎を吐いてきたのだ」

「…………」

「儂はこの事実を、今まで誰にも話さずにいた。儂の思い違いだと思っていたからだ。しかし、生き残ったブラッドクリスタルワイバーンに話を聞き、確信した。あの時のワイバーンだと。溶岩に飲み込まれながら生きながらえ、更に成長するまで様子を窺(うかが)っていたのだ」

「……強いのか、そこまでも?」

 

彼の問いかけに、ヘアーは頷いた。

 

「儂よりもな。あの時は辛くも今まで培った経験で勝ったが、今は確実に負けるだろう」

「成程な」

 

小さく笑って、ライニングワイバーンは続けた。

 

「クク……衰えた貴様が助力を請うほどだ。さぞや歯ごたえがある相手だろう。だが……」

 

横目で少女を見て、彼は言った。

 

「その猿が言う『話し合い』とやらは知らん。俺は殺しは好きだが、それ以外の戦う術など持ち合わせてはいない。勝算はあるのか?」

「…………」

 

黙り込んだヘアーを横目で見てから、ライトニングワイバーンは少女に顔を近づけた。

そして生臭い息を細く吐き出す。

 

「貴様に聞いているのだ……」

「しょ……勝算、ですか……?」

 

完全に怯えながら、少女は声を絞り出した。

そして目の前のライトニングワイバーンをまっすぐに見る。

そこで彼女は気づいた。

 

ここで恐怖していたら、アルファに面と向かった時にも、腰を抜かしたままだ。

 

それは駄目だ。

自分を信じてくれたヘアーにも、申し訳が立たない。

彼に迷惑をかけて、死に追いやってしまう。

そんなのは嫌だ。

 

少女は唇を小さく噛んだ。

そして真っすぐ立ち上がり、ライトニングワイバーンの鼻先に立つ。

震える声で、彼女は言った。

 

「だ……大丈夫です。私が、アルファさんと話をして、暴れるのを辞めてもらいます!」

「…………」

 

ライトニングワイバーンが、きょとんとして目を見開き、固まった。

数秒後、彼は喉を鳴らしながら頭を引っ込めた。

そして腹の底から、おかしくてたまらないという調子で笑い出す。

 

「クク……ハハハハ……! ハハハハ! 何だこの猿! 馬鹿か?」

「……!」

 

自分を睨みつけた少女に、彼は嘲るように続けた。

 

「俺が貴様を一吹きするだけで、その小さな体は消し炭になるぞ! アルファと話す? 説得する? 馬鹿が! ハハハ! 近づくことさえも出来んわ!」

「出来ます!」

「無理だね! 賭けてもいい」

「なら儂は、この子がアルファを説得する方に賭けよう」

 

ヘアーが静かに言った。

笑い声を止めて、ライトニングワイバーンはヘアーを見た。

 

「……何を言っている?」

「聞いた通りの意味だ。儂は、この子の言葉に、命を賭けると言うているのだ」

 

ゆっくりとヘアーが言う。

ライトニングワイバーンは少しの間黙り込んでいたが、やがて体を起こして地面を踏みしめた。

 

「天下のエンバークリスタルワイバーン、ヘアーにそこまで言わせるとはな。これは一興だ。貴様が焼け死ぬのを見るのもまた愉悦。その光景を見せてくれるのなら、行ってやっても良い」

「ほう、儂が死ぬ方に賭けるか?」

「ああ。代償は……」

 

ニヤァ、と彼は口を裂けるほど大きく開いて笑った。

 

「俺の『介錯』だ」

 

 

貴方が、あまりにも綺麗で。

そう、金色に輝くワイバーンは言った。

陽の光をキラキラとまばゆく反射しながら、彼女は声を詰まらせていた。

 

「オレが……?」

 

そんなことを言われたのは、生まれて初めてのことだった。

彼は、一人で生きてきた。

父親も、母親も、顔を知らない。

崖の下に赤子の時に墜落し、それから必死に、ガムシャラに生きてきた。

 

周りは全て敵だった。

一人で生きてこれたし、これからもそうするのだと思っていた。

だが、彼の心は大きく揺らいでいた。

 

「オレのことを言ったのか?」

 

問いかけると、彼よりも一回りも小さなワイバーンは頷いた。

 

「ええ。思わず声をかけてしまいました。迷惑でした……でしょうか?」

「いや……」

 

困惑した顔で彼……ヘアーは目をそらした。

そして語気を強くして言う。

 

「ここはオレの縄張りだ。去れ。殺すぞ」

「……す、すみません。怪我、してしまいまして……」

 

金色のワイバーンが小さく言ってから、慌てて起き上がろうとする。

しかしすぐに苦痛の声を上げてうずくまってしまった。

見ると、右足がおかしな方向に曲がっている。

 

「……着地に失敗でもしたか?」

 

問いかけたヘアーに、彼女は小さく笑って言った。

 

「……貴方には関係がありません。すぐに去ります……」

 

足を引きずりながら、彼女は離れようとしていた。

その様子をヘアーは見ていた。

そこに、幼い頃、怪我をしてボロボロになっても、誰も助けてくれなかった時の記憶が蘇った。

 

父も、母もいない。

誰も自分を護ってくれる者はいなかった。

そう。

自分のことを。

「綺麗」と言ってくれる者さえも。

 

「待て」

 

ヘアーは、気づくと彼女を呼び止めていた。

 

「……?」

「この奥にオレの巣がある」

「え……?」

「…………」

 

ヘアーは、しかし続く言葉を思いつけずに、苛立った様子で彼女に近づいた。

そして上から見下ろし、威圧するように言う。

 

「殺すぞ。黙って着いてこい」

 

それが、妻との出会いだった。



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008 アルファエンバークリスタルワイバーン 1

おかしなワイバーンだった。

体から生えている水晶から、クリスタルワイバーンであることは分かったが、自分がどこから来て、どの種族なのか、自分から話そうとはしなかった

 

とは言え、勿論そんなことに興味はなかった。

彼にとって、彼女が何であれ、そんなことはどうでも良かった。

なら、何故助けるような真似をしたのか。

今考えてみると、分からないことでもある。

 

ただ、彼はそのワイバーンを見てみぬふりをすることが、どうしても出来なかった。

自分が今まで、ずっとそうされてきたから。

周りが、今までずっとそうだったから。

 

もしかすると……。

周りから見た自分はこんなにも情けないものであり。

か弱い存在だったのだろうか。

 

その恐怖もあった。

そして同時に、彼は彼女に別の言いしれぬ感情を抱いたのだ。

 

彼女が彼を綺麗だ、と形容したように。

彼もまた、そのワイバーンの金色に輝く姿を見て、同じ想いを抱いたのだ。

それは自覚していたことではない。

その時に、明確にそう感じていたわけではない。

 

だが、思い起こすとやはり。

そのワイバーンは、美しかった。

 

怪我をしているということは本当だった。

足の骨が片方、折れている。

これでは自然で生きていくことは難しい。

それは巨体を持つワイバーン族であろうと、別例ではない。

 

だが、彼は彼女を庇い、そして保護した。

自身の巣で休ませ、食事を与えた。

彼女は、それに抵抗はしなかった。

ただただ不思議そうに自分を見上げる金色のワイバーンに、彼は言った。

 

「……傷が癒えたらここを出て帰るんだ。お前には、お前の一族がいるのだろう」

 

しかし、そう言われた金ワイバーンは、目を伏せて視線を反らせてから口を開いた。

 

「……私には、私の一族などおりません。私は一人で生きているのです」

「一人で……? ハッ、笑わせる」

 

罵るように吐き捨て、彼は巣の入り口に座り込んだ。

 

「足を折って動けなくなっている輩がそんな台詞を吐くとはな。笑いも出るわ」

「これは……」

 

金ワイバーンが、折れた足を隠すように体を動かす。

 

「…………」

「黙っていては分からん。何者かにやられたのか?」

 

問いかけを受け、彼女は俯いてから言った。

 

「……貴方には感謝をしています。こうして私は、身を隠せているのですから」

「隠している? 何からだ?」

「砂漠の、エンバークリスタルワイバーン一族からです」

「へぇ……お前はエンバークリスタルなのか」

「…………」

 

また黙り込んだ彼女に、しかし怪訝そうに問いかける。

 

「何故同族がお前の足を折る? そんなことは聞いた試しもない」

「貴方こそ、こんなところでどうして一人で……? 砂漠からはだいぶ離れています」

「俺はエンバーだが、砂漠の一族とは無関係だ。子供の頃から一人で生きてきた」

「一人で……?」

 

驚いたように顔を上げた金ワイバーンに、彼は小さく笑って答えた。

 

「ああ。仲間や家族などくだらないものは、俺は持ち合わせていない。俺は、俺のことを自分で全てできる。これからも必要などない」

「貴方は、とてもお強い方なのですね」

 

金ワイバーンが少しだけ笑う。

その煌めくように笑顔に、彼は戸惑ったように目を逸らした。

そして歯を噛んで言う。

 

「……フン。弱いお前に言われても、嬉しくも何ともないわ」

「私にも、そんな強さがあったらな……」

 

彼女は小さくそう言って、息をついた。

 

「気に入らない者がいたら焼き尽くせばいい。噛みついて引き裂けばいい。喰らえばいい。俺は今までそうしてきた。お前もそうすればいいだけの話よ」

「…………」

「エンバーの力は飾りか? 炎を吐け。牙を鳴らせ」

「私は……」

 

金ワイバーンは目を伏せて、寂しそうに言った。

 

「私は、アルファです」

「……は?」

 

彼はそれを聞いて、数秒停止した。

そして喉を鳴らして笑い始める。

 

「ハハハ! こんなに弱いアルファがどこにいる! 嘘をつくのも大概にしろよ! 面白い冗談を言う」

「冗談ではありません」

 

彼女は体を起こし、真っ直ぐに彼を見た。

その透き通る瞳に見つめられ、息を呑む。

言葉を止めた彼に、彼女は続けた。

 

「私は、エンバー一族から産まれた、アルファエンバークリスタルワイバーンです。ですが、私にはアルファとしての戦闘の力はなかった……受け継ぎきっていなかった、突然変異のようです」

「本当……なのか?」

「はい」

 

目を伏せて、彼女は言った。

 

「父と母は、それを知りながら、隠して私を育ててくれました。しかし先日……一族に、私がアルファであると見抜かれてしまい、二人は殺されました」

「…………」

「私は命からがら逃げ、ここに墜落したのです。足は、他のエンバー一族に折られました」

「……なら何故俺を見て逃げなかった? 俺も、お前に酷いことをするかもしれなかったんだぞ」

 

彼の言葉に、小さく笑ってから金ワイバーンは答えた。

 

「だって、貴方はとても『綺麗』だったから。今まで見た、どのワイバーンよりも、ひときわ強く」

「…………」

「話しすぎましたね……夜明けには出ていきます。私を匿っていることが分かったら、貴方まで父と母のように殺されてしまう。ですが、体が動きません……もう少しだけ休ませてください」

 

うずくまった金ワイバーンに、彼は言葉を返すことが出来なかった。

自分をアルファだと言うこのワイバーンは、とても弱そうに見えた。

だが、嘘をついている感じはどこにもなかった。

そこには悲しい現実を受け入れている心であり、静かな「諦め」の感情が読み取れた。

 

ゆっくりと折れたらしい足を見る。

砂漠からここまで、傷を抱えて逃げてきたそうだ。

 

何故だ。

 

彼は、心の中でそう思った。

 

何故、アルファというだけで狩られなければいけない。

何故、同じワイバーンにこんな事ができる。

こんな。

こんな風に。

自分も一人で見捨てられて、吐き捨てられて。

 

こんな風に、生きていたのか。

 

「……ああ」

 

考え込んだ後、一言、彼は肯定した。

吹きすさぶ風に、砂が混じっている蒸し暑い夜だった。

 

 

ワイバーン達の咆哮が、森に響き渡ったのは、夜明け間際のことだった。

大地を揺るがし、空気を切り裂くその怒りの声は、森中に響き渡り、動物達を一気に目覚めさせた。

混乱した鳥達が夜明けの空に一斉に飛び立つ。

 

眠りから一気に現実に引き戻されて、弾かれたように顔を上げた金ワイバーンは、しかし巣の中に彼が居ないことに気づいた。

そして青くなる。

 

「まさか……」

 

呟いて、足を引きずりながら立ち上がる。

 

「駄目……」

 

視線の先には、おびただしい数のエンバークリスタルワイバーン達。

自分を追ってきた、追撃の手が映っていた。

 

 

彼は、空中でエンバークリスタルワイバーン達と対峙していた。

先頭にいた赤い翼竜が、歯を鳴らして怒鳴った。

 

「何だ貴様ァ! そこをどけ! どこの一族だ!」

 

ギャアギャァとエンバー達がざわめき立つ。

彼は、しかし落ち着き払った様子で周囲を見回して口を開いた。

 

「ここは俺の縄張りだ。お前らこそ何だ?」

「我らは邪悪なるアルファの根を絶やすために動いている! 貴様のような野良ワイバーン風情に縄張りを主張される言われなどない!」



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009 アルファエンバークリスタルワイバーン 2

「へぇ……? 言われはないねえ……」

 

馬鹿にしたようにヘラヘラと笑った次の瞬間、彼の表情が豹変した。

口から豪炎を吐き出し、目の前のワイバーンに浴びせかける。

噴出された炎を真正面から受けてしまい、不意打ちを食らったエンバークリスタルワイバーンは、燃え上がりながら空中を旋回して墜落していった。

 

「貴様……!」

 

ワイバーン達が喚き始める。

その言葉を吹き飛ばす勢いで、彼は怒鳴った。

 

「ここは俺の縄張りだ! 誰であろうと、俺の縄張りで勝手はさせない! 通りたければ俺を殺してみせろ!」

 

彼の発する圧に気圧されたのか、エンバー達が空中を一歩下がる。

彼は鱗を陽の光にきらめかせながら、真っ青な目を爛々と輝かせて言った。

 

「俺が……相手をしてやる。かかってこい。砂漠のエンバーとやら!」

 

 

よろめきながら空中を飛び、金色のワイバーンは森を抜けた。

まさか……まさか。

彼は、一人で向かっていったのではないだろうか。

そんな不安が胸を押しつぶす。

今まで見たどんなワイバーンよりも優しい目をしていた。

 

そう。

自分を隠し、育ててくれた父や母よりも。

何よりも優しい目で、こちらを見ていたのだ。

その目を思い出し、彼女は最悪の想像をしてしまったのだった。

 

多数のエンバーワイバーンに囲まれては、流石に、嬲り殺されてしまうだろう。

そんなことは嫌だった。

ならば、自分が身を捧げればいい。

自分が殺されればいい。

彼は、もともと無関係なのだ。

この件とは全くの……。

 

歯を噛んで、必死に翼をはためかせる。

間に合って。

お願い……。

 

しかし、森を抜けた先で彼女が見たのは、想像と全く違う光景だった。

 

「え……?」

 

小さく呟いて、空中で静止する。

見渡す限り、墜落したワイバーン達の山だった。

全員飛膜や体を燃やされて、無惨な様相になっている。

 

そして。

その先で彼女が見たのは。

 

真っ青な目を輝かせた、空中に燐と浮かぶ巨体。

はぐれエンバークリスタルワイバーン。

一頭で、全てを相手してなおまだ空に浮かび続ける、傷だらけのワイバーン。

 

彼の姿だった。

 

口から炎の息を吐き出しながら、彼は墜落したワイバーン達の中に降り立った。

よく見ると、エンバー達は死んではおらず、致命傷ではあるが、生きている様子だ。

 

その一頭の頭を踏みつけると、彼は押し殺した声で言った。

 

「ワイバーンの争いは、力が全てだ。だから俺は、弱い貴様らに告げる」

 

風が吹いた。

彼女の体を、心までを吹き飛ばすような風が。

 

「今この時より、弱い貴様らは全て、俺の配下とする! 俺は、貴様らワイバーンを統べる者、『ヘアー』だ!」

 

咆哮。

空気をつんざき、大地を震わせ、全てをうならせるその『声』はまっすぐに彼女の胸を突き抜けた。

 

その瞬間、彼女はすべてを理解した。

彼の心を、すべて受けとった。

それは、まぎれもない、嘘偽りのないただ一つの真実であり。

抗いようもない、絶対的な『力』を示していた。

 

私は。

私は、この方に出会う為に産まれてきたんだ。

そしてここに来て。

出会った。

 

金色のワイバーンの目が潤む。

咆哮を続けるその声は勝どき。

エンバークリスタルワイバーンの、新たな長が生まれた瞬間であり。

ワイバーン族の戦いが始まった狼煙でもあった。

 

 

そのワイバーンは、あまりにも巨大だった。

翼竜と言うには異質すぎた。

砂漠の砂を踏みしめ、体中から血を流しながらも、それは絶叫のような雄叫びを上げた。

 

死屍累々だった。

無惨に焼かれ、踏みにじられたブラッドクリスタルワイバーン達が、砂漠のそこかしこに転がっている。

 

「クキャキャキャ! ギャハハハ!」

 

狂った様相で喚き笑い、アルファは一歩前に踏み出した。

それだけで、彼の上空を飛んでいたブラッド達が一歩下がる。

地面に降りて対峙している、ブラッド達の長が押し殺した声を発した。

 

「バケモノめ……!」

「あぁ? 負け犬の遠吠えなんて聞こえねえなぁ?」

 

体をもたげ,彼はブラッドの長の眼前まで近づいた。

そして鼻先がつくほどの距離まで顔を近づけ、焦げた息を吐く。

 

「もっとデケェ声で喋ってくれねえとなぁ? 聞こえねえんだよなぁ!」

「……ッ!」

 

牙を噛んだ長とアルファが睨み合う。

 

「若頭……!」

 

空中を飛ぶブラッドクリスタルワイバーン達が口々に叫ぶ。

 

敗北。

 

それは、紛うことなき、揺るがない事実。

ブラッドクリスタルワイバーンの群れは、アルファに負けた。

そして、長が殺されれば、それは「事実」として確定する。

 

アルファの勝利。

 

それはもはや、確定した事実だった。

片翼が焼け落ち、動くことができない長ブラッドを見下ろし、アルファは汚らしい声で嗤った。

 

「へへ……ヒャヒャヒャ! 声も出ねえか? 所詮その程度なんだよ! 貴様ら『ワイバーン』一族はなァ!」

「何が望みだ……!」

 

長ブラッドにそう言われ、アルファはニヤケ顔で足を振り上げた。

そして彼を踏みつけ、地面に叩きつける。

巨大な足に踏みにじられ、呻いた彼を見下ろして、アルファは怒鳴った。

 

「ワイバーン一族の支配! それこそが俺の目的だ!」

「ぐ……支配だと……?」

 

苦しそうに声を上げた長を強く踏みつけながら、彼は周りを見回して怒鳴った。

 

「今この時より、貴様らブラッドクリスタルワイバーンは俺が支配する! その始まりの儀として、こいつを処刑する! 弱きワイバーン達! よく見ているがいい!」

 

空中に豪炎を吐き出すアルファ。

その炎の勢いに、ブラッド達は近づくこともできなかった。

唖然としているワイバーン達を見てから、アルファは長ブラッドの前に顔を近づけ、大きく息を吸い……。

 

次の瞬間、吐き出された水の濁流に吹き飛ばされ、地面を転がった。

完全に予想外だったのか、アルファは目を白黒とさせながらすぐに立ち上がり、叫んだ。

 

「な……何だァ?」

 

倒れた長ブラッドクリスタルワイバーンを庇うように、白銀のトロピカルクリスタルワイバーンが地面に降り立つ。

彼女を先頭にして、次々にトロピカル達が飛来した。

 

「お前……!」

 

長ブラッドを横目で見て、トロピカルの姫が押し殺した声で言った。

 

「助太刀に来たのではありません……! 逃げるのです!」

 

少し離れた場所で、アルファが巨体を動かし、起き上がろうとしている。

 

「時間がありません。全滅する前に、早く!」

「く……!」

 

傷ついた体を引きずりながら、長ブラッドが翼を広げる。

そして彼は叫んだ。

 

「全軍、森まで下がるんだ! 急げ!」

「へェ……? 伏兵とはな……」

 

森に向かって撤退をはじめたワイバーン達を見て、アルファの顔からにやけた表情が消えた。

彼は鉄のような無機質な目で、周囲を見回した。

傷ついたブラッド達が撤退をしていき、それを守るように、トロピカル達が少しずつ下がっていく。

 

「気に入らねェなァ……」

 

首の骨をゴキゴキと鳴らして、彼は空気をつんざく勢いで咆哮を上げた。

撤退していたブラッド、そしてトロピカル達が体をすくませるほどの咆哮だった。

 

「てめェらは俺に負けたんだ……何勝手なことしてくれてんのかなァ?」

「早く森に……!」

 

トロピカルの姫が叫ぶ。

その声をかき消す程の大声で、アルファは怒鳴った。

 

「なら! 皆殺しだなァ!」

 

アルファの巨体が宙を待った。

そして、飛び立とうとしていたトロピカルの姫の真上に一瞬で移動する。

鉤爪が、彼女の細い首をへし折ろうと迫り……。

 

一瞬後。

飛来した青白い閃光が、アルファの体を貫いた。

 

「ッが……!」

 

くぐもった悲鳴を上げ、電撃の直撃を受けたアルファがよろめく。

空中から二撃目の閃光が走った。

それはまたアルファの胴体をつき抜け、地面に突き刺さって炸裂した。

巨体が重低音を立ててまた地面に倒れる。

 

「……何が……」

 

呆然としている姫トロピカルクリスタルワイバーンの横から、押し殺した声がした。

 

「お前も早く下がれ! 儂らがおさえている間に!」

「ヘアー様!」

 

ワイバーン達を守るように立ったヘアーが雄叫びを上げる。

彼の頭上には、ライトニングワイバーンが翼をはためかせて浮いていた。

 

「暴れ足りないであろう。我らが相手になるぞ! アルファ!」

 

ヘアーの声が、大地を突き抜け響き渡った。



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010 アルファエンバークリスタルワイバーン 3

「何だァ……? てめぇ、エンバーだな……?」

 

アルファが口から炎を小さく吹き出しながら大勢を立て直す。

そして彼は、着地したライトニングワイバーン、そしてヘアーのことを睨みつけた。

 

「何でもいい! 邪魔するヤツァ全員敵だァ!」

 

殺意を込めた威嚇の咆哮が空気を裂く。

その衝撃に震え上がりそうになりながら、少女はヘアーの首の後ろの鱗を強く掴んだ。

 

しかし、先程のライトニングワイバーンが吐いた二撃の雷が効いているのか、アルファはすぐに動き出そうとしなかった。

ギリギリと歯ぎしりをしながら、ゆっくりと、目を光らせているライトニングワイバーンに距離を詰めていく。

 

「猿よ」

 

そこで、押し殺した声でライトニングワイバーンが言った。

ヘアーの背で、少女が引きつった声を上げる。

 

「は……はい!」

「話し合いとやらはできるのか……? このままではどちらかが確実に死ぬぞ……」

 

嘘を言っている声音ではなかった。

早口でかわされた言葉を聞いて、少女は息を呑んだ。

周囲には、肌を焼かんばかりの灼熱の殺意が立ち込めていた。

動いたらすぐにバラバラになってしまいそうだ。

ライトニングワイバーンの脇に進み出て、ヘアーが四肢を踏み固める。

 

「時間を作る……お前は絶対に儂から離れるな」

「時間を作る……? 見ろ、ヘアーよ」

 

ライトニングワイバーンは、円を描くようにアルファから距離を取りながら続けた。

 

「殺意しかない。止めるには殺すしか無いぞ」

「何をぶつくさ言ってやがる!」

 

アルファが、そこで雄叫びを上げた。

 

「来るぞ!」

 

考えている暇などどこにもなかった。

ライトニングワイバーンがまた雷撃を吐いたのと、アルファがいきなり頭から突っ込んできたのは同時だった。

 

「ぐあ……!」

 

ライトニングワイバーンが、一瞬で距離を詰められて懐に飛び込まれ、苦悶の声を上げる。

雷撃はアルファの体を貫いていた。

しかし、アルファは止まらなかった。

体中で雷を浴びて、それを臆さずに飛び込んできたのだ。

 

二頭のワイバーンが地面を転がる。

地鳴り、地響き、咆哮が絡み合う。

 

「ライトニング!」

 

ヘアーが我に返り、まさにライトニングワイバーンの喉笛に食らいつこうとしていたアルファの頭を、翼で思い切り殴り飛ばした。

巨体が地面に衝突し、また地鳴りがする。

ヘアーは大きく空気を吸い込むと、倒れたアルファに対して、豪炎を浴びせかけた。

 

少女が悲鳴を上げて鱗の影に隠れる。

ライトニングワイバーンが態勢を立て直し、空中に飛び上がった瞬間、また雷撃を吐いた。

砂煙と爆炎。

二頭のワイバーンによる、雷と炎の嵐の直撃を受け、アルファの巨体がよろめく。

 

実に二呼吸もの間、雷撃と豪炎はアルファの体を焼いた。

ライトニングワイバーンが、ヘアーとアルファの間に降り立つ。

 

「ぐう……」

 

牙を噛んだ彼の首筋から血が流れている。

先程、喉笛に噛みついたアルファの牙がかすっていたらしい。

倒れたアルファは、しばらく荒い息をしていたが、少ししてからゆっくり立ち上がった。

そして爛々と輝く目で、二頭のワイバーンと対峙する。

 

「……少しはできるヤツらが出てきたか」

 

アルファの声音が変わった。

いままでのヘラヘラした調子ではなく、はっきりと、突き刺すような熱気を帯び始める。

 

「なら手加減しなくてもいいなァ……?」

 

一歩下がり、ライトニングワイバーンが言う。

 

「強いぞ……どうする?」

 

それは、牙と牙を交えた彼らには、はっきりとわかったことだった。

アルファは、自分達より強い。

そう、ライトニングワイバーン、ヘアーの二頭の力を合わせても尚、目の前の敵の方が強い。

 

一瞬の判断。

 

それは、野生の生き物には必須の能力だった。

自分よりも強者と対峙した際、どういう行動を取るのが正解か。

答えは、「逃げる」……それも全速力でだ。

間違っても立ち向かおうとしてはいけない。

自分の身を守ること。

それが、自然で生きていく中では一番大事なことなのだ。

 

それゆえ、ライトニングワイバーンが数合でアルファを「自分達よりも強い」と判断し、逃走をヘアーに促したのは、何らおかしいことではなかった。

死んでしまったら全てがお仕舞いなのだ。

 

しかし、ヘアーは口の端を歪めて裂けんばかりに開いた。

そして空気をつんざく咆哮を上げる。

それは、にじりよっていたアルファが足を止めたほどであり。

逃走していた全てのワイバーン達が振り返るほどの大咆哮だった。

口の端から炎をちらつかせつつ、ヘアーは笑うように言った。

 

「どうする……? こうするに決まっておる!」

 

次の瞬間、ヘアーは少女を乗せたままアルファに踊りかかった。

先程の自分と同じ行動をされ、アルファの対応が一瞬遅れる。

恐怖等微塵も抱いていない様子で、ヘアーはアルファに肉薄すると腕を振り上げた。

 

「我が名はヘアー! クリスタルワイバーンを統べる者だ!」

 

ヘアーの腕が、アルファの頭を今一度強く殴りつけた。

衝撃が周囲に広がり、砂を噴き上げながら、アルファが頭から砂漠に突っ込む。

 

「なっ……」

 

驚いた声を発したアルファの眼に、ヘアーが大きく口を開くのが見えた。

一拍も置かずに、ヘアーが豪炎をアルファの顔面に浴びせかける。

 

「ギャアアア!」

 

目に炎を浴び、アルファが激痛に咆哮を上げる。

怯んだ。

そのスキを逃さず、空中からライトニングワイバーンの雷撃がアルファの背に突き刺さった。

 

直撃だった。

どちらの攻撃も最高のものであり。

それで、勝負はついたかと思われた。

よろめいたアルファの口から大量の血液が噴出する。

もう一撃。

ライトニングワイバーンの雷撃が彼を貫く。

 

アルファがよろめきながら倒れる……と、思った瞬間。

ヘアーが吹き飛ばされた。

何が起こったのか分からずに、少女が叫び声を上げ、ヘアーの背にしがみつく。

 

「ぐ……いかん……!」

 

翼で殴られて態勢を崩したヘアーに向けて、アルファは血の混じった豪炎を吐き出した。

それを避けることが出来ずに、ヘアーが足を踏み固める。

 

焼け死ぬ。

 

少女の目に、ボロボロになって倒れるヘアーの姿が浮かぶ。

駄目だ。

そんなのは嫌だ。

絶対に。

嫌だ!

 

気づいた時。

少女は、硬い鉱石が埋め込まれた左手を真っ直ぐに突き出していた。

考えての行動ではなかった。

無意識。

そう、無意識に行ったことだった。

 

炎を噴出して、血走った目をしていたアルファの眼が、驚きに見開かれる。

噴き付つけられた死の豪炎は。

ヘアーの眼前。

少女の左手の部分で、滝のように綺麗に割れていた。

彼女の腕の鉱石が、ほのかに白く光っている。

 

「あ……? アァ?」

 

怪訝そうに、血を吐き散らしながらアルファは喚いた。

 

「何だそいつはァ! そ、そいつは……それは……」

 

左手を真っすぐ伸ばしている少女。

その、自分を睨みけている目を見て、アルファは一歩後退した。

そして震え上がったかのように地面を掴んだ。

 

「俺は……俺は認めねェ……そんな、そんなちっぽけな生き物にィィ!」

 

様子がおかしいアルファの動向を見逃す訳はなかった。

二撃、三撃と、矢のように空中からライトニングワイバーンの雷撃が降り注ぐ。

うめき声を上げて、アルファが後退する。

 

「話を聞いて! アルファさん!」

 

そこで、少女のか細い声が響いた。

輝く左手を前に突き出しながら、ヘアーの背中の上で彼女は叫んだ。

 

「戦うことはないよ! もうやめようよ!」

「うるせェェェ!」

 

口からまた大量の血液を吐いて、アルファは、まるで少女が発する白い光を恐れるように怒鳴った。

 

「こ、こっちにくるんじゃねぇ! やめろォ! 俺は! 俺はァ!」

「どうして戦うの! 落ち着いて! もうやめよう、みんな仲良くできるはずだよ! お願い……!」

 

アルファは、少女を恐怖していた。

明らかに、白い光から逃げるように下がっていく。

 

「お前は……」

 

ヘアーは少しのあいだ呆然としていたが、ライトニングワイバーンが咆哮と共に降り立ったのを見て、翼をはためかせた。

 

「……好機であることは間違いない! 説得を続けるのだ!」

「はい!」

 

左手を突き出しながら、必死に少女は叫んだ。

 

「お願い……! 話を聞いて!」

「来るんじゃねェェエ!」

 

恐慌を起こして、アルファが崩れ落ちる。

ヘアーが、傷だらけの彼の上で足を振り上げ、頭を強く踏みつけた。

 

「ぐううおおおお!」

「ぬううう!」

 

起き上がろうとするアルファと、踏みつけるヘアーの力任せの衝撃が周囲に広がる。

 

「アルファさん!」

 

泣きそうになりながら、少女が悲鳴のような声を上げる。

そこで彼女は、アルファの首筋に、自分の腕に嵌まっているものと同じ様な石が埋まっていることに気がついた。

大きさは明らかにアルファのものの方が大きいが、先端が飛び出している赤い石だ。

 

「ヘアーさん、首!」

 

少女が叫ぶ。

ヘアーは口を大きく開けて、アルファの喉笛に噛みついた。

巨大なアルファエンバークリスタルワイバーンの体が跳ねる。

 

そのまま、二つの影はもつれあって止まった。

一拍。

二拍。

不意に、周囲に充満していた殺気が膨れ上がって破裂した。

熱気と砂に覆われた空気が炸裂し、周囲に散る。

そして、アルファの巨体は、地面に崩れ落ちた。



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011 アルファエンバークリスタルワイバーン 4

アルファが倒れた。

それは一目瞭然のことであり。

そしてそれは、対峙していたヘアー、ライトニングワイバーンの二頭の勝利を意味していた。

白目を剥いて崩れ落ちたアルファの首元から口を離し、ヘアーは天に向かって咆哮した。

 

いつしか、散り散りに逃げていたワイバーン達が集まってきていた。

砂漠を多数のワイバーンが埋め尽くす。

ヘアーの咆哮に呼ばれるように。

アルファという脅威を伏した彼の力の前に、皆ひれ伏すように。

 

ライトニングワイバーンが足を進める。

彼はヘアーの脇に立つと、体から白い煙をあげているアルファを見下ろした。

そしてくぐもった声で小さく言う。

 

「……殺せ」

 

弾かれたように少女は顔を上げた。

しかし言葉を発しあぐねている彼女を横目で見てから、彼は続けた。

 

「ヘアーよ、殺すのだ。結局は言葉ではなく、力でねじ伏せた。お前の、我らの勝利だ」

「そんな……」

 

少女はやっと、しゃっくりのような声を上げた。

そして喉を引きつらせながら言う。

 

「そんなの駄目……駄目だよ……」

「ならどうしろと言うのだ」

 

ライトニングワイバーンが重苦しく続けた。

 

「お前は、この凶暴なワイバーンを生かして、これからまた何も起こらないと、そう言うのか? 証明できるのか? それを、ここで我らを見ている全てのワイバーンに」

 

そんなことは。

そんなことは……。

できない。

 

少女はそれを自覚して、口を閉ざした。

それほど、自分達を見つめるワイバーンのおびただしい数の目は語っていた。

 

『殺せ』

 

と。

その敵を殺すのだ。

とどめを刺すのだ。

すべての目がそう言っていた。

ヘアーが息を吸い込んで、四肢を踏み固める。

少女は転がるようにヘアーの背から地面に降りると、アルファと彼の間に割って入った。

そして両手を広げる。

 

「駄目……駄目だよヘアーさん!」

「どけ。もはや説得の余地はない。その者は敗者として焼かねばならん」

「そんな……ヘアーさんはそんなことを望んでない! そうでしょ? ヘアーさん!」

 

ヘアーは少女を青く輝く目で見下ろした。

そして、静かに言った。

 

「どくのだ。お前は良くやった。だが、これが自然の摂理だ」

「…………」

「敗者は強者に破れて命を落とす。落とさねばならない。そうでなければ、誰が納得するというのだ。だから、儂は殺らねばならん。其奴を、我が手にかけねばならん。力で斃したのならば、もう逃れる方法はない」

 

アルファに殺された、沢山のブラッドクリスタルワイバーン達。

そして、被害を受けたトロピカルクリスタルワイバーンの一族。

砂漠に住むすべての者達。

アルファの力に恐怖し、戦い、逃げて来た者達。

 

そうだ。

私は、説得出来なかった。

力でねじ伏せただけだ。

それは説得ではない。

暴力だ。

 

少女はその事実に気が付き、両手を下ろした。

彼女の大きな目から涙がボロボロとこぼれ落ちる。

彼女は泣きじゃくりながら、掠れた声で言った。

 

「それでも……私は、私は、ヘアーさんにこの人を殺してほしくないよ……」

「……どけェ……」

 

そこで背後からくぐもったうめき声がして、少女は慌てて振り返った。

アルファが白目を剥きながら、血反吐とともに言葉を絞り出す。

 

「こんなチビザルにかばわれるほど……俺ァ落ちぶれちゃいねェ……」

「…………」

 

アルファは、まだ殺気を発していた。

その淀んだ空気に、少女がヘアーの方によろめいて数歩下がる。

 

「クソがよ……折角、強くなれたと……思ったのによ……」

「アルファさん……」

 

少女が震える声で彼を呼ぶ。

アルファは自嘲気味に笑うと、少女に向かって言った。

 

「誰も助けちゃァくれなかった……誰もいなかった……なら、自分が強くなるしかねェ……だから俺ァ……」

「…………」

「殺れよ……てめぇらの勝ちだ……」

 

動くことも出来ない、傷ついたワイバーン。

ヘアーは、しばしの間その姿を、深い悲しみをたたえた目で見つめていた。

やがて彼は、大きく息を吸い……。

 

 

アルファは、エンバークリスタルワイバーン、ヘアーの手によって斃された。

その知らせはワイバーンの谷中を駆け巡った。

自分達を脅かす敵がいなくなった。

家族を失ったブラッドクリスタルワイバーン達は、悲しみ、苦しみの中生きていく。

そして、新たな生命が生まれていく。

 

ヘアーの巣の中で、少女はメジョベリーを齧りながら空を見ていた。

朝焼けの陽が昇るところだった。

 

「……こんなに早く起きて、大丈夫か?」

 

そこで、少女の脇で座っていたヘアーが言った。

少女はヘアーを見上げて、小さく笑った。

 

「うん。ここから見える太陽、すごく綺麗で」

「そうだな……」

 

砂漠の方角から、太陽が昇ってくる。

 

「自然は残酷だが、美しい。不思議なものよ」

「ヘアーさん、私、アルファさんを説得できなかった」

 

少女は、自分の足を体に引き寄せて、膝に顔を埋めた。

 

「私は、何も出来なかった」

「お前は、立派に儂を救ってくれたではないか」

 

ヘアーはそう言って、少女の顔の前に鼻先を持ってきた。

 

「お前がアルファの炎を割ってくれなかったら、儂は危なかった。感謝している」

「感謝だなんて……それに、あの時は無我夢中で……」

 

左手の灰色の鉱石を見る。

手を振ってみるが、あの時のような輝きを発することはなかった。

何なのだろう。

これは。

そう思った時、ヘアーが言った。

 

「あの時、アルファの首にも、お前の手にあるような石を見た」

「うん……」

「おそらくこれが、アルファの異常な力の正体だ」

 

ヘアーは何度か咳をして、喉の奥から、少女が一抱えするほどの石を吐き出した。

それは緑色に輝いており、所々が飛び出して刺々しい見た目になっている。

そして、地面に当たる……と言う瞬間に、重力に逆らってふわりと浮いた。

 

「え……?」

 

目を丸くしてそれを見る。

 

「これは……?」

 

小さく呟き、指先でつついてみる。

不思議なその石は、緑色の光を内側から放っているようだった。

 

「アルファの首にあった石の中から出てきたものだ」

「何だろう……何か、懐かしいような……」

 

少女は光る石を撫でて微笑んだ。

 

「…………」

 

そんな少女の様子を見下ろし、ヘアーは重く言った。

 

「アーティファクト……」

 

顔を上げた少女に、彼は続けた。

 

「我々はそう呼んでいる」

「アーティファクト……? それって?」

「どこから現れたのかは分からない。誰が掘り出したのかも分からない。ずっと前から存在していたとも言われる。それは、生き物に力を与えるそうだ」

「じゃあ、これがアルファさんを……」

「そうだと考えてもいいだろうな」

 

ヘアーはそう言ってから、また緑色のアーティファクトを飲み込んだ。

 

「あ……」

「これは、誰も見つけられぬところに捨てよう。その時まで、儂が預かっておく」

「……うん!」

 

頷いた少女に、彼は小さく笑って言った。

 

「はは……変な奴よ」

「そう……かな?」

「だが、嫌いではない」

 

彼が言葉を続けようとして、息を止める。

不思議そうに彼を見上げた少女に、ヘアーは

 

「しっ……」

 

と小さくそれを打ち消して止めた。

ヘアーが温めていた卵が揺れていた。

内側から。

 

「これって……もしかして……!」

「ああ。やっと産まれるか……!」

 

固唾を呑んで見守る二人の前で、卵は内側からつつかれ、少しずつヒビを広げていた。

そして少しして少女と同じくらいの大きさの、小さな黒いワイバーンが顔をのぞかせる。

ちょうど目が合ってしまい、少女はびっくりした顔のままその小さなワイバーンを見た。

 

丸い目が丸い目を見つめる。

そして、小さなワイバーンは首を傾げて少女に小さく鳴いた。



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012 パキケファロサウルス

ワイバーンの谷に夏が来た。

草木は芽吹き、鳥や虫達が宙を舞っている。

少女は草むらを掻き分けながら声を上げた。

 

「待って、まだ一人で湖は危ないよ!」

 

大きな水音がして、周囲に澄んだ水が散った。

ケラケラと笑って、少女程の大きさに成長した子ワイバーンが水を浴びる。

 

「大丈夫だよ! お姉ちゃんも早く!」

 

子ワイバーンが快活そうな声で言う。

夏の暑い日には、水浴びは格別だ。

ボロの布服で湖に入り、少女は子ワイバーンの首に掴まった。

 

「もう。そんなこと言って。この前もピラニアにお尻を齧られて、気絶する所だったじゃない」

「ピラニアになんて、もうやられないもんね! 僕は強いんだ!」

 

子ワイバーン……ヘアーと少女が孵化を見守った子供。

その子は、グングンと成長を続けていた。

赤黒い鱗に、金色の瞳。

少女はこの子のことを「ジュニア」と呼んでいた。

どういう意味なのかはよく覚えていなかったが、おぼろげな知識の中で「子供」を意味する言葉だとは分かっていた。

 

すでに、ヘアーが眠りについて一週間程が経過していた。

ヘアーは、アルファとの戦いの後、死んだように眠ってしまっていた。

一度巣にやってきたライトニングワイバーンに、戦いで消耗した傷を眠って癒やしているのだ、と言われてから、少女はジュニアの世話を一人でしていた。

 

水をパシャパシャと巻き上げて、ジュニアが笑う。

ブラッドクリスタルワイバーン。

今は、アルファの襲撃によりだいぶ数が減ってしまい、貴重な種族の子孫だ。

少女はジュニアの鼻を水で洗ってやり、頭上のヘアーの巣を見上げた。

 

「ヘアーさん、まだ目を覚まさないね」

「お父さん、今日もいびきかいてた」

 

ジュニアが羽根を伸ばして水面に浮かぶ。

少女はその背中に移動し、横になった。

仰向けになると太陽の光が心地よく肌を焼く。

 

「あー……生き返る」

「そうだねえ……」

 

一頭と一人はぼんやりとそう言いながら、水に浸かっていた。

ヘアーが、少女をレッドウッドに連れて行くという約束はまだ果たされていなかった。

しかし、赤子のジュニアの世話をするだけで今はいっぱいいっぱいだ。

最近やっと言葉を覚えて、いろいろ話してくれるようになっていた。

 

「お姉ちゃん。お腹空いた」

 

しばらく太陽を浴びていたが、やがてジュニアが顔を上げてそう言う。

子ワイバーンの背の上で、少女は言った。

 

「じゃあお昼ごはんにしようか。お弁当、持ってきたよ」

「やったァ!」

 

水を泳いで、ジュニアと少女が岸辺に戻る。

少女は草で編んだ風呂敷に包んだプライマルクリスタルとベリー類を、地面に広げた。

クリスタルを一つ手に取り、ジュニアの口に入れる。

ジュニアはそれをもぐもぐと咀嚼した。

 

「美味しいねえ」

 

メジョベリーを齧りながら少女が微笑む。

ジュニアはクリスタルを飲み込んで喉を鳴らした。

 

「うん!」

「食べたらヘアーさんの所に帰ろうね」

「…………」

 

そこで、ジュニアの動きが止まった。

彼の目線が草むらに向いている。

 

「どうかした?」

「お姉ちゃん、僕の方に来て」

 

何か居る。

それを察して、少女は慌ててジュニアの脇に移動した。

ジュニアが威嚇するように歯を鳴らす。

ここは水辺だ。

肉食竜も草食竜も、蟲もみんな集まってくる。

その中には当然凶暴な者もいる。

 

「誰ですか? 私達なら、すぐここを出ますから、戦うのはやめましょう」

 

草むらの奥で目を光らせている者に、少女は声を掛けた。

ジュニアが歯を鳴らしながら、口から赤い煙を吐き始める。

そこで、ガサッ、と草むらが掻き分けられ、慌てた男性の声がした。

 

「ちょ、ちょ、ちょ、戦うなんてとんでもねえ! あんた達、ヘアー様のところの子達だろ? ここらへんであんた達を襲うのは、能無しのピラニアくらいでさぁ」

 

頭がツルツルにハゲた、小さい恐竜だった。

少女達とほぼ同じ位の大きさだ。

後ろ足で地面に立ち、小さな前足でバランスをとっている。

彼は、つんつるてんの頭頂部でキラキラと光を反射させながら、小さな手を一生懸命に動かして続けた。

 

「ヘアー様に伝えたいことがあってさ! でも、俺の足じゃあ巣まで上がれないし、どうしようかと思ってたんだ」

「あなたは……?」

 

見かけない恐竜だ。

問いかけられた彼は、胸をそらしてハゲ頭を光らせた。

 

「俺はパキケファロサウルス! レッドウッドから来た伝令でさぁ」

「レッドウッドから?」

 

少女は身を乗り出して聞いた。

レッドウッド。

自分によく似た者がいると言われている場所。

どういうところなのか想像もつかないが、彼はそこからやってきたらしい。

 

「そうそう。ここらの奴らから、あんた達のことを聞いてね。この暑さだ。待ってたら水辺で会えるかもと思ったんだ」

「ヘアーさんは、今眠っちゃってるの。まだ起きないんだよ」

 

少女に言われ、パキケファロは目を丸くして彼女を見下ろした。

 

「どっか悪いんで?」

「うーん……アルファさんとの戦いで、結構傷を負っちゃったから、それを癒やしてるんだって」

「なるほどなるほど。レッドウッドにも、アルファエンバークリスタルワイバーンを斃したという噂は届いてますぜ」

 

パキケファロはそう言うと、小さな体なのにやけに大きな重い足を立てて少女とジュニアに近づいた。

 

「お姉ちゃん、こいつ、ハゲてるよ!」

 

ジュニアがびっくりした声を上げる。

パキケファロは湖の水を飲んでから、ジュニアを見た。

 

「坊や。パキケファロ一族にとって、『ハゲ』とは褒め言葉! 俺の頭を見るんだ。否の打ちどころのないハゲ具合だろ!」

「うん、凄いハゲてる!」

「はっはっは!」

 

満足そうに笑って、パキケファロは頭を水に突っ込んだ。

しばらくして息をついて顔を上げる。

ハゲ頭に被った水が、太陽の熱で音を立てて蒸発している。

 

「ってなわけで、ヘアー様に話したいことがあったんだが……」

「そうねえ……ジュニア君の翼じゃ、私一人しか上に運べないだろうから、ちょっと待ってね」

「ジュニア?」

 

怪訝そうにパキケファロに聞かれ、少女はきょとんとして答えた。

 

「この子の名前だよ」

「名前? 名前って何でさ?」

「何って……うーん……」

 

問いかけられ、困った顔で少女は考え込んだ。

 

「ジュニア君は、ブラッドクリスタルワイバーンだけど『ジュニア』って名前なの。私がつけたんだ」

「へぇ! そいつはえらいシャレオツだな!」

 

ズシン、ズシン、と地面で四股を踏んで、パキケファロは少女を見下ろした。

 

「俺にもつけてくれ!」

「ええ……? あなたにも?」

 

突然そんな事を言われて、少女は目を白黒とさせた。

ジュニアが首をかしげてパキケファロの頭を見ている。

 

「……変なやつ」

「うーん……」

 

呟いたジュニアの脇で考え込み、少女は言った。

 

「ええと、パキケファロさん達の中では、ハゲっていい言葉なんだよね?」

「ああ! 特段ハゲてるやつが強い!」

「じゃあ『ハゲマル』とかはどうかな……?」

 

自信なさげに言う。

しかし、名前をつけられたパキケファロ……「ハゲマル」は、目をキラキラさせて少女を見た。

 

「ハゲマル! それが俺の名前か!」

「う、うん」

「何ていい響きだ! 俺はハゲマル! こりゃあいい土産ができたぞ!」

「ええと……あなたがそれでいいなら……」

 

引きつった笑いをしてから、少女はハゲマルに向き合った。

 

「ジュニア君。ハゲマルさんを先に巣に運ぶ事はできる?」

「できるよ!」

 

ジュニアが元気に言って、翼を広げる。

飛び上がった彼は、ハゲマルを掴み……しかし、そのあまりの重さに目を白黒とさせた。

 

「こ、こいつ重……」

「はっは! 鍛えてるからな! いっちょ頼むぜ坊主!」

「坊主じゃない! ジュニアだよ!」

 

息を切らしながら、ジュニアが頭上に消えていく。

少女は不思議な感覚に高鳴る胸を、服の上から押さえた。

名前をつけて喜ばれた。

思えば、ジュニアを名付けた時も嬉しそうだった。

名前……。

 

そういえば、私の名前って……。

 

そこまで考えて動きを止める。

自分は一体何なのか。

どこから来て、どうしてこんな不思議な力を持っているのか。

その答えはレッドウッドにある気がする。

ハゲマルさんの話を聞かなきゃ。

少女はそう思い、巣を見上げた。



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