お兄ちゃんが出場した北斗杯。
結果的に日本は負けてしまったけれど、お兄ちゃんと高永夏の指した一局は、今でも覚えてる。
当時小学校6年生だった私は、それをきっかけに囲碁を始めたんだ。
「ヒカリ!ヒカリ起きなさい!」
「んっ、……あれ、お母さん?」
目を開けると、そこには母親の姿があった。
両手を挙げて背筋を伸ばす。
「いつまで寝てるの!今日から棋院に通うんでしょ?」
「えっ、棋院?」
何の事だっけと重たい瞼を擦りながら今日が何の日かを思い出そうとする。
起きたばかりで頭が働かない。
「今日から院生になるんでしょ?」
「そうだった!!」
お母さんの言葉を聞いて、すくっと立ち上がり時計を見る。
しかし、予想に反して幾分か余裕のある時間だった。
そう、先月院生試験を受けた私は見事合格。
色々な手続きを済ませて、今日から院生として囲碁の学舎に通うのである。
「絶対ヒカリは寝坊するだろうって言ってたから」
「誰が?」
「ヒカルよ。起こしに来て正解だったわ」
小学生の頃までは、だらしのない生活をしていた兄のヒカル。
何があったのか、小6で囲碁を始めて、中2の秋にプロ試験に合格。
それから数年で礼儀やら生活習慣を改めるようになっていった。
今ではこの家を出て、一人暮らしを始めている。
簡単にいえば、大人になったのだろう。
北斗杯をテレビで見たあの日から3年。
ヒカリは、ヒカルがプロになった年である中学2年生に進級した。
お兄ちゃんよりも1年遅れて院生になったけど、囲碁を覚えて3年でそれは充分早いと、お兄ちゃんは言ってたっけ。
お兄ちゃんは今や、若い身でありながら、様々なタイトルのリーグ戦にも出場。同い年のライバル、塔矢アキラさんとも日々研究会で互いを高め合っている。
「お母さん!」
急に大きな声を出した娘に、美津子は何事かと振り返る。
「私、絶対プロになるから!」
「もう、分かったから早く準備しなさい」
母親に言われ、すぐさま着替えてからヒカリはリビングへと降りる。
「お父さんは?」
「もうとっくに出かけたわよ。ほら、早くご飯食べちゃいなさい。お弁当もここに置いておくからね」
そう言われてテーブルに行くと、朝食とその隣にはお弁当箱が用意されていた。
「ありがとうお母さん」
私はすぐに朝食を済ませてお弁当をリュックに入れた。
「それじゃ、行って来るね!」
「定期は持ったの?お財布は?」
「ちゃんと持ったから大丈夫!それじゃ、行ってきます!」
そう母親に言ってからヒカリは道路へと駆け出した。
◇◇◇◇
南北線に揺られ、目的の市ヶ谷駅に到着。
ここからが日本棋院に行く1番の近道なのだ。
「お兄ちゃんも、この道を歩いて通ってたんだ」
棋院への行き方は、ヒカル本人から聞いた。
中学時代、院生として棋院に通っていたヒカルは、妹のヒカリも院生試験に合格したと聞いて、忙しいにも関わらず、一度家に帰ってきてくれた。
直接言われたおめでとうと共に、棋院への行き方とか、1日のスケジュール等様々な事を教えてくれた。
子供の頃は向こう見ずに突っ走ってばかりだったお兄ちゃんが、私の為に色々してくれた事は嬉しかったな。
駅からしばらくそんな事を考えながら道なりに歩いていくと、棋院が見えてきた。
来るのは院生試験を含めれば2度目だが、その時とは違う緊張感があった。
(今日からが、本当のプロへの道の第一歩なんだ)
そうして、正面玄関から入り、売店を抜けてエレベーターに乗った。
「何階?」
「あっ、7階でお願いします!」
先に乗ったお兄さんに聞かれて咄嗟に答える。
「もしかして君、今日から来るっていう院生?」
「はい!そうです。あの、なんで知ってるんですか?」
「僕も院生だからね。院生師範の篠田先生から聞いたんだよ。今日から君が来るって」
「そうなんですね!あっ、紹介が遅れました。私、進藤ヒカリです」
「……進藤?って、もしかして」
「どうかしました?」
「あっ、ごめんね。僕は福井雄太。よろしくね」
そんな事を話しているうちに、院生研修が行われるフロアへと着いた。
「お先にどうぞ」
「ありがとうございます。福井さん」
福井さんに促され、エレベーターを降りる。
院生試験の時は、試験だけ受けて帰っちゃったから、研修部屋の方ちゃんと見れなかったんだよね。
「……もしかして、最近噂になってる進藤くんの妹って」
すると、福井が未だエレベーターを降りていない事に気づくヒカリ。
「福井さん?」
「ん?あぁ、今行くよ」
何か考え事でもしていたのか、彼に声をかけると、ハッとして急いでエレベーターを降りた。
「せっかくだから案内するね。あっちが研修室で、ここで靴を脱いで入るんだ」
「はい、分かりました」
どっちに行けば良いのか分からなかったヒカリに、福井は優しく教えてくれる。
靴を脱ぎ下駄箱に靴を入れた後、先を行く福井について行く。
「そしてここが、僕らがいつも対局してる研修部屋だよ」
廊下を歩き、突き当たりの部屋へと入ると、結構な人数が入れそうな大きな和室へと案内される。
部屋には既に、他の院生の人達も集まっており、碁盤を置いて検討をしたり、座ってお喋りなどをしていた。
私よりも歳上の人から歳下の子まで、色々な人がいるんだ。大体40人くらいだって聞いてたけど、年齢ってこんなにバラバラなんだ。
「ん?なぁ、あれ」
「おっ、今日から来るっていう子か?」
「やった!女の子だ!」
「俺は男が良かったよ〜」
すると、何人かは私に気が付いたようでこちらを見ながら何やらコソコソと話している。
まるで転校生みたい。
って思ったけど、私転校したことないや。
「もうすぐで始まるから、好きに過ごしてていいよ」
「あっ、福井さん。案内してもらってありがとうございました!」
そう言って頭を下げると、福井はいえいえと手を振ってヒカリの元を去っていった。
(好きにしてていいって言われても、友達もいないし。どうしよう)
ひとまず、研修開始の時間まで視線を浴びながらも、邪魔にならなそうな場所に移動して座る事にする。
(今日からここにいる人達が、みんな仲間で、ライバルなんだ)
そう闘志を燃やし、刻々と迫る最初の院生研修の始まりを待つのであった。
原作もアニメも全部見ましたが、囲碁のルールについては微妙な所があるので、温かい目で読んで頂けると幸いです。
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第二話
1話を書いてからだいぶ間が飽きましたが!気ままに書いて参ります!!
「……ありません」
そう声を漏らしたのは碁盤を挟んで対面に座る男の子。
彼は膝の上でぎゅっと拳を握りながら確かにそう言った。
「ありがとうございました」
私はそれに応えるようお辞儀をして中央の碁石を指し示す。
「ここでの中央。先に変化したのは良い手でしたけど手をかけ過ぎたのかもしれないですね」
院生手合いでは、終局後短い時間ではあるが打った相手との検討の時間が設けられている。
午前中の一局で、すぐに片付けようとした所を相手に教えられ、同じ間違いをしないよう自分から碁の内容を切り出した。
ちなみに1日の手合いは午前と午後の一局づつ、つまり1回の研修で2局打つことになる。
初めての院生相手との対局で緊張もあったけど、無事2局とも勝ち星を掴む事ができた。
初日にしてはかなり上出来だと自分でも思う良い碁が打てた。
「だよなー。もたついてるうちに下辺の地を少しずつ荒らされて勝ち筋がなくなっちまった」
対面に座る彼も、自身の悪かった点を認め唸りながらどうすればよかったかを互いに意見を出し合って検討を終えた。
「ふぅ」
碁盤や碁石を片付けて、帰り支度をしながら息をつく。
(やっぱり院生の人達ってレベル高いんだ。碁会所の人とかと全然違う)
ヒカリは院生2組の最下位からのスタート。
少なくとも、最初の1、2ヶ月は2組の生徒達と対局する事になる。
2組とはいえ、さすがは院生。少しでも気を抜いたら勝つ事は出来なかっただろう。
これからも、どんどん強い人達と対局していく事になるんだ。
ヒカリは、改めて今後対局していくであろうライバル達の壁の高さを身をもって理解していた。
「進藤さん。初めての研修はどうだったかな?」
不意に声をかけられ振り向くと、そこには眼鏡をかけたスーツ姿の中年男性が立っていた。
「篠田先生…」
院生師範の篠田先生。
日本棋院所属のプロ棋士で、私が受けた院生試験で試験官を務めてくれた。
お兄ちゃんが院生だった頃も色々手解きを受けたって言ってたっけ。
「すごく緊張しました。でも、実際打ってみると気は抜けないし、なによりすごく勉強になります」
「ははっ、それは良かった」
篠田先生は安心した表情で言う。
「しかし緊張しても尚、あの実力。進藤くんが院生になった頃とは大違いだ」
「おにい……、兄はどんな感じだったんですか?」
そういえば、お兄ちゃんが院生だった頃の戦績って私は殆ど知らないんだよね。
その時は囲碁にもあまり興味はなかったし、その辺の話しはしなかったからなぁ。
「うん、彼は院生になったばかりの頃は、中々勝つ事が出来なくてね」
今のお兄ちゃんからは想像も出来ないけど、私は先生の話しを黙って聞いた。
「2組で足踏みをしていたが、若獅子戦やプロ試験が近付くにつれてどんどん力をつけていったよ」
「兄の成長の早さって、やっぱり先生から見ても凄いんですか?」
「そうだね。院生になって最初のプロ試験で合格を決めたのは凄いと思う。倉田くん並みだ」
「倉田八段と…」
何度か倉田先生の対局は見た事がある。
お兄ちゃんが出場した北斗杯でも日本チームの団長を務めていたし、その後もタイトル戦の中継とかで倉田先生の棋譜は目にした事もあった。
そんな凄い人と同格なんて、やっぱりお兄ちゃんは凄い。
「しかし、そんな倉田くんもちゃんとした師匠がついてプロの世界に足を踏み入れた。なのに、進藤くんには師匠がいない、今思えば彼の囲碁への才能には目を見張るものがある」
「囲碁の、才能」
「だけど、そんな進藤くんの妹である君の才能も負けていないと私は思っているよ」
「えっ?」
予想外の篠田先生の言葉に思わず顔をあげる。
「一ヶ月前、君との院生試験で打った際、置石はあれど、あのまま対局を続けていたら、私は進藤さんに負けていただろうからね」
それを聞いて、その時の事を思い出す。
確かに先生との対局の途中で先生から合格を言い渡されたけど、試験では最後まで打ち切る事はなかったってお兄ちゃんから聞いてたからあまり気にしていなかったな。
「篠田先生にそこまで言ってもらえるなんて嬉しいです。ありがとうございます」
師範とはいえ、篠田先生がプロ棋士である事に変わりはない。
その先生からそう言ってもらえた事に、ヒカリは素直に喜んだ。
「おっと、引き止めて悪かったね。それじゃあ、これからも頑張って下さいね」
その言葉に会釈を返して、篠田先生を見送る。
(私も帰ろう)
途中まで進めていた帰り支度を済まし、ヒカリは棋院を後にするのだった。
>>>>>>
ヒカリが院生となった日から数日後の夜。
ヒカルが住むアパートでの一室にて。
「進藤」
「ん?なんだよ塔矢。早く並べろよ」
一人暮らしを始めた家で塔矢と先月のリーグ戦で指した棋譜を並べていると、急に呼ばれてどうしたのかと顔をあげる。
「君の妹、ヒカリさん。院生になってからの彼女の調子の程はどうなんだ?」
「えっ、なんでお前知ってんだよ」
「君がこの前話したんじゃないか。妹が院生になったって」
「そうだっけ?」
いつも通りのヒカルの振る舞いに対して呆れたように溜息を吐くアキラ。
「まぁ、最後に実家に帰ったのはヒカリが院生試験に受かった時だったからな。俺も手合いのスケジュールが詰まっててその後の事まで知らねー」
ヒカリが試験に受かったって聞いて嬉しかったし、応援したいと思ったけど俺も自分の事があるからそうもいかなかったんだよなぁ。
「そうか」
「でも、順調なんじゃねーの?あいつの才能ハンパねーし」
「一度、ヒカリさんとは碁会所で打った事はあるが」
「ヒカリのやつ、だいぶ力つけて来てるぜ。篠田先生も才能あるって言ってたからな」
「篠田先生……。あぁ、院生師範の」
この前、週刊碁のインタビューで棋院に行った時篠田先生に会った。
その際、院生試験のヒカリとの碁の内容を聞いたけど一段と強くなったみたいだ。
「塔矢が打った時は指導碁だったんだろ?」
「ああ」
「いつか互先で打ってみろよ。まだ俺らとやり合うには力は足りねーだろうけど、きっと面白い内容になると思うぜ」
「君がそこまで言う程か」
「ああ、妹びいきってのもあるかもしれないけどな」
互いに知った顔を思い浮かべながら、ヒカルとアキラの勉強会はスタートするのであった。
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