多種族世界で繫栄を謳歌せよ (片道ころり)
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本編
1話 天使族エリーとパンといつものやつ


名称:エリー・マックガバン
体格:160cm、巨乳、金色碧眼、たれ目、ウェーブのついた長髪
種族:天使族
年齢:15歳
備考:実家はパン屋さん+α


 今よりも昔、血で血を洗うような大きな戦がありまして。

 種族を問わず多くの死体が積み上げられたそうな。

 それがなんやかんやで和平が結ばれてもう数百年。

 普人族にとっては教科書に載るような昔の話で、

 長命種族にとってはまだまだ当時を知る者がそれなりにいる時代。

 そんな多種族共栄の世界を生きるヘンリー少年──の周りの女の子の話。

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

 夜が明けて間もない街を急いで走る。

 胸に抱えたパン籠には焼き立てのパンをぎっしりつめた。

 重くはないが落とさないように気を付けないと。

 大通りを抜けて、角を曲がり、大きな屋敷が並ぶ住宅街の中の邸宅の一つ。

 ラインバッハ家の門の前までノンストップで走ってきた。

 昨日夜更かししたせいで遅刻するところだった。

 私は息を整えて守衛さんに声をかける。

 

「え、エリー……マックガバン、です……いつもの……ひぃ……パンを」

「落ち着けよ、息も絶え絶えじゃねえか。門を開けるから通って良いぞ」

「はぁー、すぅー、はぁー……ああ、おはようございます。おひとつどうぞ」

「いつも悪いね。濡れタオルあるけど使う?」

「いつもありがとうございます!」

 

 まあ、この私ともなれば顔パスってものよ。

 もう何年も通ってるんだから当然なんだけどね。

 守衛さんに賄賂のパンを渡した後、手早く身だしなみを整える。

 殿方に会うのだから淑女然としなければね。

 ちょっと遅れたかもしれないので急がなければ。

 っしゃあ行くわよ!待ってなさいヘンリー!

 

「門の中では走んなよー」

「……はい」

 

 もうちょっと待ってなさいよヘンリー

 あなたの幼馴染が今行くわ!

 まあ早歩きで行くんですけどね。

 煉瓦敷の道を抜けて勝手知ったる庭を横切りショートカットを図りつつ、邸宅の玄関前へと向かう。

 これならぎりぎり間に合ったかな?

 急ぎ足で角を曲がると、真っ黒な髪がすぐ目の前にいた。

 急制動だ。パンを落とさないように抑えつつブレーキをかけて踏みとどまる。

 セーフ!

 

「もう危ないじゃない」

「エリーが突っ込んで来たんでしょ」

「ごめんごめん……おはようヘンリー!パンを届けに来たよ」

 

 目線を頭一つ下に向けると、黒い瞳と目が合った。

 彼はヘンリー・ラインバッハ。

 私の幼馴染でこの家の嫡男。

 将来はきっと私と結婚する。少なくとも私はそのつもりだ。

 ラ・ヴィンセルでも珍しい黒髪黒目の少年は、柔らかく笑いかえしてきた。

 

「おはようエリー、いつもありがとう」

 

 はー、可愛い。

 12歳なのにこの物腰と雰囲気よ。

 もう結婚したい。

 年齢的にまだ結婚できないけど。

 家の格は釣り合ってるはずなんだよね。

 未婚の男女が二人で会うことを公認してるってことは、もうこれ許可されてるようなものでは?

 ヘンリーの成人まであと3年かあ。長いなあ。

 

 まあそれはそれ、これはこれ。

 毎朝のパンを届けるのは私の仕事。

 仕事はこなさなければならない。

 少し離れたラインバッハ家に届けるのは少し面倒だけれども、これがあるから1日を頑張れるのだ。

 そう思いつつパン籠に伸びるヘンリーの手からパン籠を離す。

 

 いつものやつがまだでしょうが!

 してくれるまでこいつは人質だぞ!

 

「ね、ほら、ヘンリー。いつものやつ……ね」

 

 この瞬間はいつになっても恥ずかしい。

 私はヘンリーの了解を待たずに自分の背中に手を回し、ボタンをいくつか外す。

 背中の羽がちょっとずつ膨らんできて窮屈だったんだよね。

 人前で羽を晒すのははしたないことだけど、ヘンリーと私の間柄だからいいのだ。

 ゆらゆらと前に広げた羽でヘンリーを囲んで逃げ場を奪いつつプレッシャーをかけると、ヘンリーは息をついた。

 

「仕方ないなあ……」

 

 ふへへ、口はそういっても体は正直じゃねえか。

 この羽の感触が忘れられなかったんだろう?

 ちょっとおどけつつも慎重にヘンリーの背中を羽で包み、そのまま無抵抗の彼を抱きしめる。

 はー、いい匂い。

 同年代でこんなことしてるの私くらいでしょ。

 勝ち組で辛いわ。

 

 彼の身長は私よりも頭一つ小さいから、ちょうど胸のあたりに顔が来る。

 引き寄せた彼の顔を胸で受け止めると、これがジャストフィットするんだな。

 無駄に大きな私の胸はヘンリーを抱きしめるためにあったんだ。

 これがええんやろ、ヘンリーがおっぱいが好きなことは知ってるんだぞ。

 私は髪を手で撫でつけながら、彼の頭に頬ずりする。

 彼は口では仕方ないと言いながらも嫌がる様子はない。

 むしろ腰に手を回して抱きしめ返してくれるほどだ。

 よしよし、今日はこのためにコルセットつけてきたからね。

 正直キツくて走ってるときしんどかったけど、ヘンリーが喜びそうだから我慢できる。

 

 私は手と頬っぺたでヘンリーの髪を堪能しながら、彼の背中側に広げた羽でヘンリーの足から腰、背中、首筋と擦るように撫でていく。

 羽を擦りつける度にぞくぞくとした快感が背中を走った。

 羽先で擽るように動かすと、彼の体がぴくぴくと震えるのが分かった。

 いやーたまんねえっすわ。

 この時の為に日々を生きているといっても過言ではない。

 ただ至福の時間はいつまでも続かないのが辛いところだ。

 

 ひとしきりヘンリーの匂いを嗅ぎつつ深呼吸。

 興奮が収まれば羽は小さくなるのだ。

 ゆるゆると羽が背中に収まると、ヘンリーが背中に手を回してボタンを留めてくれる。

 いいよねこういうの。

 ピロートークみたいな事後感が溜まらない。

 いや、経験なんてないけど。

 

「はい、ボタン止め終わったよ、エリー。……エリー?」

「もうちょい、もうちょいだけ……」

「お店の準備だってあるんでしょ? 前もそれで叱られたっておばさんから聞いたよ」

「ん、んー、……よしっ! 補給完了!これで1日が乗り切れるよ

 ヘンリーは今日はタチアナさんと訓練だっけ、頑張ってね」

「午前中は剣で午後は勉強だけどね。エリーもお店頑張ってね」

 

 名残惜しいけど淑女は耐えるものだ。

 エリー・マックガバンはパン籠をヘンリーに渡して仕事に戻らなければならない。

 マックガバン家もただのパン屋という訳ではないのだ。

 まだまだ覚えることはたくさんある。

 将来の伴侶の為にも頑張るんだぞ私。

 

 私は見送ってくれるヘンリーに淑女らしく力いっぱい手を振ると、鼻歌を歌い我が家に帰還するのだった。

 




≪TIPS≫
天使族の羽は実はフェロモンの分泌器官
羽の膨張は性的な興奮とリンクしている
未成年の男児に羽を擦りつけるのは淑女の行いではない


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2話 虎人族タチアナと訓練とご褒美

名称:タチアナ・トムソン
体格:175cm、筋肉質、巨乳、短髪、栗色の癖毛、虎耳と尻尾
種族:虎人型獣人族
年齢:18歳
備考:元傭兵


「いいぞ坊、型も様になってきたな! 少し休んだら私と組手だ!」

「はっ、ッ、はい、タチアナさん!」

 

ヘンリー坊は素直で可愛いなあ。

稽古を始めた頃に比べて剣筋も綺麗になってきた。

ガキにとっては詰まらない型稽古を真面目にやってる証拠だ。

普人族の男の訓練と聞いたときはどうなるもんかと思っていたが、仕事を受けて良かったわ。

あたしの勘も捨てたもんじゃねえな。

それなりに時間をかけた型稽古で坊は息も絶え絶えで地面に寝っ転がっている。

あたしは音を立てないようにさり気なさを装いつつ近づくと、じっくりと坊を見下ろした。

 

息の度に上下する胸とおなか。

首筋に流れる汗。

そして膝上からむき出しになった足。

いやあ無理言って鍛錬服を半ズボンにして正解だったわ!値千金だぞ当時のあたし!

 

坊の為に設けられた鍛錬スペースにいるのはあたしと坊だけだから気兼ねなく凝視できる。

まあ体を壊さないように弟子を注視するのは師匠の義務なんだが建前は大事だよな。

うーん最近は気温も上がってきたから汗の量が少し多いな。

息が整ったら果実水でも飲まよう。

しかし健康的な男児の汗の匂いってマジで最高だよな。これだけで金取れるってマジで。

金と住処と飯を用意してもらってする仕事がこれとか天国じゃん。

あたしは不審に思われない程度に息を吸い込み坊の匂いで胸を満たす。

 

天使くせえ*1

 

いや本当にくせえわ。念入りにマーキングしすぎじゃねえかあの女。

ヘンリー坊はまだ12歳だぞ発情すんじゃねえよ。

確かに坊は性格良くて将来が有望だが、ものには限度ってもんがあるだろ。

これがただのパン屋の女ならすぐにでも分からせてやるところだが、あの小娘はマックガバン家だ。

麦を一手に扱う商業組合のトップを敵に回すのは得策じゃない。

金と地位がある癖に品がねえよ。

こりゃあ坊には訓練後は念入りに風呂で洗わせねえとダメだな。

ひでえことしやがる。

 

「よし、果実水を飲んだら組手だ。使用するのはそのまま剣。あたしが止めというまで組手は続ける。準備は良いな?」

「はいっタチアナさん!」

 

ヘンリー坊は本当に可愛いなあ!

それはそれとして剣の筋も良い。

臆することなく相手の間合いに入るのは勇気がいるもんだが、坊にはそれがある。

2度、3度と振られる剣を弾き、隙を見て返しの剣を振るう。

よしよし、型に沿った防御ができてるな。呑み込みのいい子だ、…おっと、

 

「よく見ていたな! 筋が良いぞ!」

 

良く出来たらちゃんと褒めてやらねえとな。

おっ、口元が緩んだな、やっぱ素直で可愛いなあ。

何度か続けてみるが問題はなさそうだな。

 

じゃあ次は対応力を見るか。

息を吸って、吐いて、はい今。

坊が呼吸を整えようと一歩引いたのに合わせて間合いを潰す。

構えはそのままのぶちかましだ。

 

「ッ! ぐうっ!」

で、それを剣で受け止めて鍔迫り合いか。

それはいかんぞ。

あたしは少し力を込めて坊を崩すと、坊の首元に剣先を当てたまま引きずり倒した。

 

「はい止め。体格で負けてるのに組み付くのは悪手だ。受けるかどうか一瞬迷っただろ? 実戦なら迷うと死ぬぞ」

「はい…」

「ああいうときは地面に転がってでも避けろ。

 種族的な能力差はそうそう埋められるものじゃないからな。相手の土俵で戦うものじゃない。ああ、全体としての動きは悪くなかったぞ」

 

ちょっと凹んでる坊も可愛いなあ。

あたしは坊を押し倒した状態で、至近距離で坊の顔を見て悦に浸っていた。

相手を屈服させた態勢で講釈を垂れるのってすげえな。

なんか満たされるものを感じる。

坊って意外とまつ毛も長いんだよなあ。

 

いかんいかん、もうちょっと密着していたいんだが、変に思われたくないしそろそろ離れるか。

誇り高き虎人族のタチアナ様が成人前の男児に欲情してるなんて噂でもされたら生きていけなくなる。

というかヘンリー坊に嫌われたくない。

しゃーねえ次だ。

仕事の出来る女であるあたしは倒れていた坊を抱え上げると指導を続けることにした。

組手と反省会を何度か繰り返して、頃合いを見て訓練を切り上げる。

根を詰めすぎても良くはない。休憩と水分補給を挟んで最後の訓練だ。

 

ッしゃあッ!待ちに待ったマッサージと柔軟の時間だぁ!

合法的かつ大胆にスキンシップ出来る時間だからなあ!ボーナスタイムだぜ!

 

 

「ほら、ちゃんと足を延ばせ。抑えといてやるから」

「痛たたた痛い痛いってばこれ以上無理ですってぇ!」

「よーしこのまま10秒ホールドだぞー。いーちぃー、にーぃ…」

「長い!一秒が長いよタチアナさん!」

「我慢しろ」 

 

坊の伸ばした膝を手で抑えて、抱え込むようにあたしの胸で坊の背中を押してやるが、坊は拒否するそぶりも見せない。

嫌がるのは痛みの方であって、あたしとのスキンシップじゃないんだなこれが。

坊のこういう無防備なところ可愛くて仕方ねえんだけど、ちょっと心配になってくる。

普通の男ならこんなにベタベタされて逃げ出してるんじゃないだろうか、まあ坊以外の男とか知らんから酒の席で伝え聞いた話だけども。

鼻が利く獣人は密着状態なら臭いで相手の精神状態が多少は分かるからなあ。

まあ内心嫌がってるか分かる程度だが。

 

その点坊は全然嫌がってないからなあ!

あー可愛いなーでもなー成人前の依頼人の息子だからなぁ!

 

「よし、いい子だ。次は逆な」

「あいったたたた痛い痛いぃ」

「痛くないぞー、いぃー…ちぃー…、にーぃ…」

「長い長いって!さっきよりも長いって!」

 

しかしこうも密着してると天使くせえのが鼻につく。

こっちはこんなに我慢してるっていうのによ、なんか腹立ってきたな。

落ち着け、あたしは誇り高き虎のタチアナ。

できる女だ。

 

「次は股を広げて倒すぞー、息をゆっくり吐けよー」

「いたいぃ…」

 

ヘンリー坊の耳って良い形してるよな。

他の奴のなんて態々見たりしねえけど、うん、アレだわ。エロいわ。

パン屋の小娘がこんなに好き勝手してるならちょっとくらい良いんじゃなかろうか。

あたしの中で性欲が首をもたげているのを感じる。

いかん坊の耳から目が離せない。

頭では分かっているのに体と口が言うことをきかん。

 

「…よーし、よく頑張ったな」

「めっちゃ痛かった」

「頑張ったヘンリー坊にはご褒美をやろう、耳を貸せ」

「んー…、うん…?」

 

何が耳を貸せだよお前。

しれっと耳にキスしてんじゃねえよお前バレたらどうすんだよマジで。

母祖に恥ずかしいと思わないのか、年下の男のそれも未成年相手だぞ。

一族に知られたら袋叩きの上で放逐されても仕方ねえ所業だぞ。

やわらけえじゃねえか。

未だかつてないほど興奮してきた。

 

「これがご褒美…?」

「お、なんだ不満か? あたしのこれは安くはないんだぞ?」

「不満じゃないけどさあ」

「おーし、なら満足するまでしてやろうじゃねえか」

 

何なんだよタチアナお前。

過去イチで口が回りすぎだろ。

うわーやわらけえ、ヘンリー坊の耳すっげえ。

おいおいおい舐めるのはやべえだろちょっと汗の味がするな最高かよ。

いかん性欲と罪悪感が留まるところを知らない。

 

 

「くくくっ、随分とくすぐったそうだな、耳にされるのは初めてか?」

「そりゃそうでしょうよ…うわあ!」

 

そうかそうか、耳のキスはあたしが初めてかそうかよっしゃあ。

もはや理性の鎖から解き放たれた浅ましい獣のようだった。

まああたし虎人だしな。本能強めなんだよ。

理性に反して勝手に動くあたしの体は、恥ずかしがるように身じろぎするヘンリー坊を後ろから抱え上げると何度も坊の耳にキスを落としていく。

調子に乗って舌先で舐めても、坊の体臭からは嫌悪の匂いがこれっぽっちも感じなかった。

やべえよ坊。

いや、やべえのはこんなことしてるあたしなんだが。

でも唾つけ行為*2が止められねえんだ。

 

「んははは、くすぐったいってば」

「おう満足したか? するまで続けるからな?」

「した、満足したよ…満足したって言ってるでしょ!」

「今のはサービスだ。皆には内緒だぞ?」

 

追加でさらにキスした上に、さりげなく口止めまでしてんじゃねえよ。

これで初犯とはとても思えねえな。

手口がこなれ過ぎてんだよ。

恥を知れ。

めっちゃ興奮したわ。

 

「今日はここまでだ。片づけはこっちでしとくから、坊は風呂入ってきな。結構汗かいただろ?」

「はい、タチアナさん今日もありがとうございました」

「午後も頑張れよ、また明日な」

 

ヘンリー坊は人懐っこい笑顔で礼儀正しくお辞儀をした。

頭を下げた相手は恥ずかしくも性欲に飲まれた女だというのに。

背徳の味とはこういうことを言うのだろうか。

また一つ賢くなってしまったなあ。

 

坊の背中を見送ると、散らばった木剣を回収する。

ちょっと芝が荒れちまったかな、後で手入れしとかねえと坊が怪我するかもしれん。

素振り用の巻き藁も交換しとくかね。

坊は物覚えが良いから、木剣がある程度済んだら長物を教えてみるか。

うん。

あたしは現実逃避を試みたが無理があった。

まだ口元に余韻が残ってるわ。

 

やっちまったなあ。

坊の耳に唾つけしちまったなあ。

一回ならセーフかもしれんが、さっきので何回したんだっけか。

というか坊は全然嫌がらねえのな。

はー、やっべえ。

あの小娘のこと悪く言えねえな。

他の男なんてもう目に入らねえわ。

*1
獣人族は最も嗅覚に優れた種族である

*2
自分のつがいであることを知らしめるマーキング行為




 ≪TIPS≫
獣人族のキスはマーキング
マーキングの上書きは宣戦布告を意味する
公正決闘委員会への届け出と決闘見届け人の立会いのない決闘は法的に認められない違法行為である


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3話 魔法族マリナ・ウィンテールと歴史の授業

名称:マリナ・ウィンテール
体格:160cm、おっぱいは普通、やせ型、濃いブラウンの内巻き髪
種族:魔法族
年齢:17歳
備考:【星座】持ちの凄腕魔女、むっつりすけべ


「……大戦による被害とそこから和平が結ばれたところまでは前回の授業で話したね。

 今日はこの国の歴史を学んでいこうか」

 

 ラインバッハ家の邸宅内の一室。

 派手さこそないが上品で落ち着いた雰囲気の勉強用に設けられた部屋で私は教鞭を振るっていた。

 強弁と言っても生徒は一人だがね。

 ヘンリー君の為に講義と自習用の為だけの部屋を用意するとは、さすがはラインバッハ家の財力だ。

 生徒一人の教室だと声がよく通って楽で良い。

 とはいえ、この程度は当然の措置というものだろう。

 

 机を挟んで座るヘンリー君をちらりと見る。

 たしか東方の血筋だったか、特徴的な黒髪黒目は人目を惹く。

 ラインバッハ家という血統というだけでも価値があるというのに、

 その上、()()()()()()()()()()()()()()()ともなれば警戒してしすぎるということはない。

 男というのは難儀なものだと思う。

 一昔前は危険すぎて外も碌に歩けなかったというらしいし。

 いやまあ、今でも護衛なしだと誘拐のリスクはある訳なんだがね。

 

「我らがラ・ヴィセルの建国は和平締結直後、竜人族を筆頭に各種族の有力者が主導で成立した。

 国是は知っての通り多種族共栄だ。

 建国初期は種族間の文化の違いでかなりごたついたそうだ。

 このあたりは興味があれば長命種の年寄り連中にでも聞いてみると良い。

 今からは考えられないような混沌具合だったと聴く」

 

 特に男を巡っての刃傷沙汰が。

 有名なもので獣人族のマーキング関係か。

 今でさえ獣人族の唾つけ*1でいざこざが起きるんだ、公正決闘委員会のなかった当時はさぞ混乱したことだろう。

 このあたりはいずれ詳しく説明しないといけない。

 彼の人生に深く係ることで、むしろもっとも重要なことだと言っても過言ではないだろう。

 こういうのはその種族から直接教わるのが一番なんだろうけど。

 

 獣人族の唾つけ順守*2なんかはタチアナから説明してもらう方が良いか? 

 知らないうちにされたりなんかでよく決闘沙汰になると聞く。

 まあ成人するまでにそういった教育を受けるものだし

 知識がないことに託けて未成年の男児に唾つけする恥知らずはそういないだろうが。

 

 というか普人族の歴史をどう説明しようか迷う。

 ヘンリー君は聡い子だ。

 私が口を濁したとしても、その内自分で気付いてしまうかもしれない。

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「…………」

 

 迷う。

 これってかなりの貧乏くじだ。

 嫌だよ私、ヘンリー君に嫌われるの。

 でもそれ込みだからこその高待遇なんだよな。

 覚悟を決めろ私。

 心に鉄を纏え。

 お前は出来る女だ。

 

 そう意気込んだ私はヘンリー君の澄んだ瞳と目が合ってしまった。

 咄嗟に目を逸らしたが、目の奥に熱を感じる。

 【星】が光っていたのを見られてはいないだろうか。

 恥ずかしい。

 

「マリナ先生、どうかしましたか?」

「いや……、いや大したことじゃないさ。続きを話そう。

 この国は議会制度を敷いていて、特に竜人族の議員が……」

 

 私は問題を先送りにすることに決めた。

 未来の私がなんとかしてくれることを期待しよう。

 無垢な視線に晒されながらセクハラまがいの講義をする勇気が今の私には足りなかった。

 というか言えるわけなかろうが。

 

 他種族間で子をなせる唯一の種族だとか、

 元は他種族にとって子を増やすための奴隷で、生きた資産扱いだったとか、

 奴隷待遇から生殖能力だけで今の待遇を勝ち取ったセックスモンスターだとか! 

 過去の大戦は普人族の男の取り合いで起きたとか! 

 大戦終結も結局普人族のアレコレで解決したとか! 

 神が作りたもうた奇跡、歩くポルノ種族だとか! 

 言える! 訳が! ないだろうが! 

 

 そりゃあヘンリー君も将来は多数の伴侶を持つだろうし、知っておくべき知識だよ。

 そして私はそういった教育をすることを期待されて雇われているのも自覚してるよ。

 でも嫌なもんは嫌なんだよ。

 男の子とワンチャンあるかと思って、頑張ってこの職を勝ち取ったんだよ。

 曲がりなりにも【星座】に至ったのだってモテたい一心からなんだよ。

 嫌われたくないんだよ。

 

 二人だけの教室で、私の声と書き込むペンの音、たまに飛んでくるヘンリー君の質問に答えながら、

 被った三角帽子でバレないように彼の顔をチラ見しつつ思うのだ。

 尊敬される先生と生徒の関係を壊さない、そして普人族のあれこれを説明しきる。

 そんな素晴らしい解決策を未来の私が考え付くことを期待して。

 まずは視線がぶつかっても目を光らせないように気を付けようか。

 

*1
自分のつがいだと周知するマーキング行為、個人によってマーキング部位は異なる

*2
複数の獣人族の伴侶を持つ場合、マーキングの部位が被ると血みどろの争いが起きる




≪TIPS≫
魔法族は瞳に概念的な【星】を宿した一種の魔眼を持つ
目を合わせ続けることは求愛行動か威嚇のどちらかを意味する
【星】の輝きは性的な興奮とも直結している
それを隠すためにつばの広いとんがり帽子や眼鏡等を着用しているが、魔法族の伝統衣装であると強く主張して譲らない
キスするときは絶対に目を閉じない


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4話 鼠人族タマラ・ファーレンボックと驚異の生態

読み返したら3話がかなり短かったからマリナちゃんには後編を追加してあげるね
そしてこいつは鼠人族、作中屈指のやべーやつらだよ
イメージはナズーリンだよ、可愛いね

名前:タマラ・ファーレンボック
体格:140cm、丸く大きな耳、ちっぱい、関節が柔らかい
種族:鼠人族
備考:姉妹はいっぱいいる。家族大好き


 ぶっ続けの長時間授業よりも休憩を入れた方が学習効率が良い。

 というわけで私とヘンリー君は休憩時間ということでダラダラしていた。

 私たちの傍らには、丸く大きな耳のメイド服を着た女性が紅茶とお茶菓子を用意している。

 彼女の名はタマラ・ファーレンボック。

 子供のような体躯と童顔だが、これでも成人した鼠人族の女性だ。

 

「お勉強お疲れ様です。坊ちゃま、今日はグレモンティーとシナモンクッキーですよ」

「ありがとうタマラ。良い香りがするね、……うん、おいしいよ」

「申し訳ありません坊ちゃま、少し濃いめに入れてしまったようです。

 用意したこちらのジャムを入れますが、よろしいですか?」

「うん」

 

 ヘンリー君は素直にカップを渡した。

 受け取ったタマラは適量のジャムを丁寧な手つきでスプーンに掬い上げると、ゆっくりとグレモンティーに入れてこれまた丁寧に彼に手渡した。

 タマラのことだ、グレモンティーの味を損なわない多すぎず少なすぎずの絶妙な量のラインを攻めたのだろう。

 

「タマラはヘンリー君を甘やかしてばかりだな」

「うっさいですね。ほら、マリナの分ですよ」

「私にはジャムを入れてくれないのか?」

「面倒なんで自分でやれです」

「ヘンリー君と対応が違い過ぎないか???」

 

 さっき見て覚えたから量は分かるけどさ。

 一応は私って客人身分なんだけどなぁ。

 タマラからは我関せずの気配しかしないので、仕方なく自分でジャムを入れた。

 うーん美味い。

 紅茶本来の渋みをジャムの甘みでバランスをとっている。

 私の好みの味だった。

 甘さが控えめなシナモンクッキーがよく合う。

 あとでこのジャムの銘柄も聞いておこう。

 

 そこで私は気づいた。

 グレモンティーってそもそもジャム前提の渋めの品種じゃなかったか? 

 お茶請けのシナモンクッキーにしてもそうした上での組み合わせに見える。

 この女は給仕に託けてヘンリー君とそういうプレイしたかっただけじゃないのか? 

 ついでにヘンリー君がお茶の苦さに顔をこわばらせる瞬間を至近距離で見たかっただけじゃないのか? 

 私は彼女の足元に視線を移す。

 ひざ下まで伸びるロングスカートの裾、そこから覗いた細長い尻尾は気分良さげにゆらゆらと揺れていた。

 確信犯だなこの女。

 ヘンリー君に甲斐甲斐しくお世話しやがって。

 

 私は視線を戻し、もう一度グレモンティーを傾ける。

 うーん美味い。

 この紅茶に免じて気付かなかったことにしてやろうじゃないか。

 私は広い心で彼女を許してやることにした。

 

「恩に着ろよ」

「うっさいですよ」

 

 なんで私にはこうも塩対応なんだろうな。

 まあいいか。

 私は椅子と紅茶をヘンリー君の横に動かして座りなおす。

 つまり私とタマラで挟み撃ちの形だ。

 

「君は今日もよく頑張ったからな。ご褒美に私が食べさせてあげよう

 ほら口を開けてくれ。あーん、だ」

 

 ははは。何て顔をしてるんだタマラ。

 ヘンリー君には見えていないから良いものを。

 

 恥ずかしそうにしつつも、素直なヘンリー君は私が差し出したクッキーに噛り付く。

 もっと口いっぱいに頬張ってくれても良いんだよ?

 ほら、そのキュートなお口を大きく開けて、私に見せてくれないか?

 ちょっとセクハラの気配がしたので口には出さない。

 その代わりに私はじっくりとヘンリー君に視線を合わせる。

 不意打ちでなければこのくらいなんてことないさ。

 彼の黒く美しい瞳。それに私の目の【星】が映るのが見える。

 思ったよりも光ってる気がするが、多分気のせいだろう。

 

「ふふっ、私のクッキーは美味しいかい?」

「お、美味しいです」

「作ったのは私なんですけど???」

「細かいことは気にするな」

「細かくありませんけど???」

 

 悔しかったら君も同じことをすればいだろう。それとも恥ずかしいから出来ないのかい? 

 うっさいですね……! 

 ふーん? ふふーん? ……出来ないのぉ? 

 で、出来らあ! 

 

 おろおろしているヘンリー君を挟んで、私はアイコンタクトでタマラを煽った。

 自慢じゃないが私は口先と煽り耐性にはそこそこの自信があるんだ。

 魔法学会でクソエルフ共に鍛えられたからな。

 私の軽い煽りを受けて、ようやくやる気になったタマラがクッキーを手に取った。

 こちらに顔を向けていたヘンリー君の頬に手を添えて、自分の方へそっと誘導する。

 

「坊ちゃま。タマラの作ったクッキーですよ。はいあーん」

「タマラ、あの……」

「あーん、です」

 

 鼠人族は共通して小さいから、ヘンリー君が椅子に座っていても若干の上目遣いになる。

 目が大きいからか睨んでいるように見えないのも鼠人族の特徴だ。

 庇護欲を感じる子供のような体躯、全種族で最も肉体が脆弱な彼女たちだが、それはただの擬態にすぎない。

 いやはや恐ろしいものだね。

 私は彼らの基本情報をつらつらと思い起こす。

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 竜の逆鱗には近づくな、悪魔に嘘をつくな、等と並ぶ、この国で暮らす上での基本知識だ。

 筋力は弱いし、体格は痩躯そのもの、魔力もさほど多くはない、奴隷に使うにも適さない。

 そんな種族が絶滅もせずにあの大戦でも生き残った最たる理由。

 

 異常なまでの生殖能力と女王を頂点とした絶対的な社会構造。

 それらに裏打ちされた圧倒的な種族人口と諜報力。

 あらゆる種族を孕ませる普人族とは別ベクトルのヤバさだ。

 

 彼女たちは街のいたる所に居て、様々な仕事をしている。

 人当たりもよく、決して悪い連中ではない。

 だが決して忘れてはならない。

 この国にいる鼠人族はほぼすべてが同じ部族であり、たった1人の女王に統率されているのだ。

 女王の命令一つですべての鼠人族が敵に回る。

 その女王も所在は分かっていない。

 どこぞの安全な巣の中に引きこもってるのが定説なんだが、はたして真相はどうなのだろうね。

 案外、そこら辺のメイドの中に混じっているかもしれない。

 

「ふふ、次はグレモンティーですか? はい、どうぞ」

「あの、そのくらいは自分で……」

「だめですよ坊ちゃま。ほら手は膝の上においてくださいね」

 

 要は種族全体に喧嘩を売るような真似をしなければ良いってことだ。

 この前も外から来たアホが鼠人族に横領の罪を擦り付けようとしてお縄になってたし。

 発覚してから逮捕されるまでが30分くらいだったか。

 この国の何処にでもいるんだから逃げ切れるわけないだろうに。

 なんで獣人族とは別に単独でカテゴリーされてると思ってるんだ。

 この国最大の諜報機関みたいなものだぞ。

 

「カップが空になってしまいましたね、おかわりは如何ですか?」

「うむ、よきに計らってくれ給え」

「今のは坊ちゃまに言ったんですよ」

「良いじゃないか、私たちの仲だろう?」

「はいはい、仕方ないですね。……坊ちゃまは如何ですか?」

「ありがとう、僕も頂くよ。

 ……タマラ、落としたりしないから、カップから手を離してくれないかな」

「だめです」

「紅茶は自分で飲めるから…! カップから手を放すんだタマラ…!」

「だめです…! 坊ちゃまの手を煩わせるわけにはいきません…!」

 

 タマラは新しく入れた紅茶をこぼさない様にしつつヘンリー君とカップを奪い合っている。

 隠しているつもりだろうが、しっぽが揺れてるのが見えてるんだよ。

 二人でいちゃつきおってけしからんな。

 そうはいかんぞ。

 

 私は力ある言葉を一句節唱える。

 物質転移と保護力場、あと変質術式といくつかの魔法を一度に行使する。

 二人が引きあっていたカップが消え、私の手元に出現。

 同時に展開した力場を変質させてクッション状に変えて、二人が体勢を崩さないように軽く抑えた。

 どうだ、私にかかればざっとこんなもんさ。

 驚く二人をよそに、ヘンリー君のカップを手に席を立つ。

 そしてヘンリー君に背後から覆いかぶさるように手を回し、彼の顎下に手を添えて逆の手で口元にカップを近づけた。

 言っては何だが、ヘンリー君は本当に抵抗しないな。

 この全てを受け入れる肯定感が私を狂わせるのかもしれない。

 

「私を無視してひどいじゃないか。

 次は私の番だ。ほら、ヘンリー君。口を開けたまえよ」

 

 大丈夫、氷結術式を調節して唇が触れる辺りから適温にしてるから火傷したりはさせないよ。

 安心して私に介護されるんだ。

 ヘンリー君が口をつけるのに合わせてゆっくりとカップを傾ける。

 そして一口分を含んだあたりでカップをそっと離した。

 驚いているのが分かるよ。

 まるで自分で飲んでいるときのようで不快感がないだろう? 

 君の望むタイミングで、君の望む丁度いい量を、君の望みどおりに与えている状況だからね。

 ヘンリー君のことはこの目の【星】でずっと見てきたんだ。

 このくらい造作もないのさ。

 ああ、次はクッキーが欲しいのかい? 

 テーブルからクッキーを1枚、私の手元に浮遊させて持ってくる。

 はい、あーんだよ。

 良い子だね。

 よしよし。

 なんだか楽しくなってきたな。

 子供が出来たならこんな感じなんだろうか。

 調子に乗った私は手に持っていたカップを魔法で浮かせると、恥ずかしそうにクッキーを齧るヘンリー君の髪を撫でた。

 

 

 

 ◆ー〇ー◆

 

 

 

 私は目の前で坊ちゃまといちゃつき始めた魔法族に一瞬、言葉を失った。

 怒りによるものではなく、たった一句節で複数の魔法を行使する離れ業を見た所為だ。

 

 カップの瞬間移動、背中に感じるクッションのような力場。

 おそらくまだあるだろう術式行使の数々はまさしくもって余人の真似できない離れ業。

 流石は【星座】持ちの魔女といったところですか。

 マリナ・ウィンテール。

 冠する魔法名は大弓鷲。

 

 あのエルフ族と魔法戦で勝利する腕前は伊達ではないのでしょう。

 まあ性格はむっつりすけべですけど。

 チラチラと坊ちゃまの顔や体を見てるのには気づいてますよ。

 その度に目が光ってて分かりやすいんですよ。

 他の奴ならともかく、マリナなら別に怒ったりはしない。

 こいつは良い奴ですからね。

 堅苦しい言葉遣いの割には妙に気安いし、魔法の腕が良いからって他人を見下すこともありません。

 なんだかんだで付き合いも長い。

 私にとってはもう家族のような立ち位置にいますし。

 だからついつい対応が雑になってしまいます。

 

 マリナの良いところはもう一つ。

 それは坊ちゃまを独占しないところです。

 私がやりたくても中々動けずにウジウジしている時は、こいつはちゃんと発破をかけてくれる。

 前回もそうだったし、今回だってそうだ。

 良いものは皆で分け合うもんですよね。

 マリナは本当に良い奴です。

 多分この家の中で一番良識があってまともなのはマリナでしょうね。

 双子様もマリナのような良識をお持ちになって下さればいいのに…。

 毎朝のように当主様からの折檻を受けて、縄で縛られて屋根から吊るされているのはもう見慣れてしまいましたよ。

 

 まあタマラが良い奴であることと私がそれを黙って見ているかは別なんですけどね。

 もう十分堪能したでしょうが。さっさと私と代わるんですよ。

 ええい胸を坊ちゃまに押し付けて頬ずりするな。

 私はクッキー皿を片手に装備して、いちゃつく二人の間に鼠人族特有の大きな耳を差し込んで、頭を捻じ込むのであった。




≪TIPS≫
本来なら鼠人型獣人族と呼称されるはずが、特殊過ぎる生態から単独でのカテゴリー分けされているやべー奴ら
鼠人族には生まれつき子種袋と呼ばれる精子を貯蔵し保管する器官が備わっている
複数の子宮を持つため、理論上は常に妊娠と出産を行うことが可能
妊娠と避妊を自分の意志で選択できる唯一の種族である
人口爆発の懸念から女王の勅命の元、国全体の人口を見てその年の出産数を制限する措置が取られている
他種族ではできないようなアクロバティックな体位と複数プレイが好き
鼠人族の恋人との最中に、気付いたら鼠人族の数が増えていたという都市伝説が存在する


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5話 シルヴィア・ラインバッハと闇夜の試練

名前:シルヴィア・ラインバッハ
体格:168cm、ふわふわおっぱい、金髪金目、ロングヘア、長い耳
種族:エルフ族
年齢:16歳
備考:リオーシス魔法学校主席


 深い水底へ潜るように

 夜闇と一つになるように

 息を殺して

 鼓動を殺して

 私はそこを目指して進む

 

 

 ◆ー〇ー◆

 

 

 噴水、庭園、芝生に競技場。

 昼間は何の変哲もない金持ちの邸宅だが、夜のラインバッハ家の顔は全くの別物だ。

 敷石から草木の一本に至るまで、敷地内の全てが侵入者を捕縛する何かに化けるのだ。

 それらの変貌は邸宅そのものにも及ぶ。

 門に詰めた守衛は見せ札であって、生半可な腕前では半歩進むうちに無力化されるだろう数多の罠こそが侵入者対策の本命だ。

 なにしろラインバッハ家の当主は悪魔族。

 悪魔の根城が生半可なもののはずがない。

 

(ひとつ……ふたつ……よし、解除)

 

 今解除したのは接触型の警報術式。

 それと隠蔽されていたが吐いた息に反応して起動する捕縛術式だ。

 これには先日ひどい目に遭ったからな。

 一つ目の警報解除して息を吐いた瞬間、突然壁が動いてそこから出てきた魔導機械が猛スピードで突っ込んで来た時は本当に死ぬかと思った。

 呼吸一つが命取りだと思うんだ私。

 一時たりとも警戒は緩めてはならない。

 

 私はナメクジのような速度で暗い廊下を進む。

 例え明かり一つない暗闇であろうが、私にとっては何の障害になりもしない。

 足音を殺し、周囲の気配に気を配りながら一歩──踏み出す前に再度確認。

 これは転移罠か、危なかった。

 おそらく行先は家の地下牢だろう。

 あそこジメジメしてて嫌いなんだよね。

 飛ばされるのは御免被るので迂回する。

 解除は前にミスったからしない*1

 

 目を皿のようにして床の模様を観察する。

 わずかなオゾンの匂いを感知──床が放電している。

 念のため頭上を確認する。

 一定の高さから上は警報術式が刻まれているから飛び上がることはできない。

 いつも通りの天井で安心感すら沸くね。

 

 足裏に絶縁術式を張り付けて放電エリアを歩く。

 床に刻まれた絶縁破壊術式を一歩ごとに無効化しつつ、右、左、右、ジャンプして飛び越える。

 感圧式のトラップくらい見ればわかるんだよ。

 トラップ床を踏まないように足を上げて、さらにその奥に張られた黒糸を跨いで超える。

 こんな見え見えの2重のトラップには引っかかりはしない*2

 

 よし次だ。

 何もない空間に走る不可視の警戒網を体を捻じって潜り抜ける。

 一定時間で不規則に変化する線に触れると碌なことにならないだろう。

 這いずり、時には片手で支えつつ軽業師さながらの動きで回避しながら、当たり前のように床や壁に設置された罠を解除する。

 順調だ。

 と忌諱が緩みかけたその時だった。

(……あっぶなッ!)

 驚きすぎて心臓が止まるかと思った。

 魔法術式に紛れて機械式のトラップまで仕掛けてあるとは思わなかった。

 だが誇りあるエルフ族ともあろう者が、ドワーフの小癪な技術なんぞに引っかかるわけにはいかない。

 音と振動で感知するタイプと判断して、対応できる独自魔法をこの場で組み上げる。

 不味い。

 もうじき警戒網が切り替わるタイミングだ。

 手間取れば潜入がバレてしまう。

 頭に血が上るのを感じる。

 術式の難度もそうだが、片手逆立ち状態では流石に苦しい。

 ここを突破すれば目的の場所までもう一息なんだ。

(急げ)

 これを仕掛けた女の憎たらしい顔が目に浮かぶ。

(早く)

 なんという悪魔族らしい悪辣さ。

(もう少し)

 流石はラインバッハ家の当主だ。

 だがこの程度で私の情熱が止められるものかよ! 

 オラッ! 隠蔽偽装術式をくらえ! 

 そしてすかさず体を捻じって無効化した空間に身を投げる! 

 伸ばした手から床に触れ──圧力感知式のトラップが──読み切ったァ! 

 もう片方の手で偽造術式を叩きつけて渾身の身体制御で衝撃を殺す。

 

 時間が止まったかのような一瞬の静寂。

 警報は──鳴らない。

 よし。

 よおし。

 よおっしゃああ! 

 私は勝鬨を堪えてゆっくりと息を吐く。

 この先は罠はないセーフティーエリアだ。

 万が一にでも部屋の主を罠にかけるわけにはいかない為、こうした処置がとられている。

 我知らず高まりそうな鼓動を抑えて、廊下に佇む魔導機械に3つ目の偽装術式を叩きつけて一時的に無力化する。

 

 はい、私の勝ち。

 何で負けたか明日までに考えておいてくださいね。

 高まるテンションのままに廊下を進み、目的の部屋の前に立つ。

 もちろん音を立てるような無作法な真似はしない。

 そっとドアを開ける。

 

 ここが私の目的の場所。

 数多の艱難辛苦を乗り越えて辿り着いた理想郷。

 私の可愛い可愛い弟の寝室だ。

 どんなにアホみたいな量のトラップを設置しようとも、私の添い寝を阻めると思うなよ。

 

 ヘンリーちゃーん! お姉ちゃんですよー! 

 今日も一緒に寝ましょうねー! 

 一晩中なでなでしてあげるよー! 

 私は達成感にステップを踏みながらヘンリーの眠るベッドに近づく。

 だが、夢心地の気分はそこまでだった。

 

 ベッドの上。

 1人で使うには大きく余るベットの真ん中で寝息を立てている愛しいヘンリーの横に、私とヘンリー以外の不純物が紛れ込んでいた。

 銀の髪、褐色の肌、そして私と同じ長い耳。

 私の妹のミレーヌ・ラインバッハがヘンリーに添い寝をしていたのだ。

 私の接近に気付いていたのだろう、起きていたミレーヌは添い寝したままこちらを横目で見る。

 お互い声は出さない。

 今日も訓練と勉強を頑張っただろう、すやすやヘンリーが起きてしまうからな。

 

 何故そこにいるとも問わない。

 彼女もまた私と同じものを求めて、あの試練を突破してきたのだ。

 

 目を合わせて数秒、どちらからでもなく息をついてヘンリーに視線を向け直す。

 出遅れたものは仕方がない。

 左側は妹にくれてやろう。

 ミレーヌと私の求めるものは同じだ。

 私は決して譲りはしないが邪魔もしないよ。

 淑女協定って奴だね。

 

 私はヘンリーの空いている右側の空間に潜り込んだ。

 体をぴったり寄せて、彼の耳と私の耳を触れ合わせる。

 耳先を当てて、耳の輪郭をなぞり、ゆっくり根元を擦りつける。

 ヘンリーの体温と私の熱が混ざり、一つになったような錯覚。

 溢れだす幸福感に溺れてしまいそうだ。

 ダメだよこれは。もう麻薬そのものだよヘンリー。

 ご禁制だよ。

 半分以上茹った脳みそがこのまま眠るのは最高じゃないかと囁いた。

 それも悪くはない。

 悪くはないどころかむしろ最高だが、まだまだ夜は長いんだぞ。

 

 名残惜しみつつもそっと体を起こした。

 ヘンリーは相変わらずすやすやと眠っている。

 反対側のミレーヌの様子をうかがうと、彼女はヘンリーの寝顔をじっと見つめていた。

 瞬きぐらいしろ。

 まあいいや、ベッドをきしませないように注意しつつ、仰向けからうつ伏せに体制を変更。

 ヘンリーの顔を見ながら覆いかぶさるように胸に耳を当てる。

 とくん、とくんと心臓の音がする。

 ヘンリーの匂い、ヘンリーの体温、ヘンリーの心音。

 耳と頬ごしにじんわりと感じる生命の鼓動。

 そしてヘンリーの胸。

 堪らねえぜ。

 もうこれ最高の子守歌じゃん。

 一生こうして生きていたい。

 脳みそが段々働かなくなってきたのを感じる。ダメだこのまま寝るな私。

 寝るな、寝るなよ……起きろって言ってんだよ! 

 気合を入れて強まっていく眠気に抗って体を元居た位置に戻す。

 極度の緊張と疲労の直後に多幸感を味わった所為か、脳が休息を強く求めていた。

 

 仰向けでミレーヌのようにヘンリーの横顔をじっと見てから、もぞもぞと動いてもう一度最初の体勢に戻る。

 やはりここがベストポジションだ。

 耳をくっつけたまま寝るのが王道にして最高なんだよ。

 少し物足りなさを感じたのでヘンリーの腕をとって抱き枕のように腕を回す。

 最高が整った。

 強まる眠気で瞼が重い。

 名残惜しいが私はここまでのようだ。

 力を振り絞った私はヘンリーの腕と絡めた逆の腕を持ち上げて、ヘンリーへ手を伸ばす。

 髪を優しく撫でて、柔らかいほっぺたをさすり、鼻先を擽った後ぷにぷに唇にタッチ、首元から鎖骨をなぞる。

 胸をさすって、おなかに手を当てて堪能した後、もう一度手をヘンリーの胸に戻してそのままキープした。

 ついでに顔を寄せてほっぺたに唇を落とす。

 よしっ! 

 満足したから寝よう。

 おやすみヘンリー。あとついでにミレーヌも。

 一通りセクハラして満足した私は、ゆっくりと深呼吸して心地よい微睡に身を任せた。

*1
2敗した

*2
1敗した




名前:ミレーヌ・ラインバッハ
体格:166cm、むちむちおっぱい、銀髪褐色、ショートヘア、長い耳
種族:ダークエルフ族
年齢:16歳
備考:リオーシス魔法学校次席

≪TIPS≫
過去に耳人族という呼び方もされたが「響きが格好悪い」という意見が多く現在の表記になった。
エルフとダークエルフは別種ではなく、肌の色と主な活動時間が異なるだけの同種族。
種族的にパーソナルスペースを強く意識する傾向があり、耳が触れるほどの距離を許されることは好意を示すのと同じ意味。
身内にはあまあまだがそれ以外には塩対応するものが多く、無自覚に知識量でマウントを取りたがるという悪癖がある。
性感帯は特徴的な長い耳。
そのため耳同士を触れ合わせることはかなりえっちな行為である。
触れる位置が根元に近づくほどに意味合いは重くなる。


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6話 クラウディア・ラインバッハと悩みの種

名称:クラウディア・ラインバッハ
体格:172cm、わがままおっぱい、紅色のつり目、白髪、側頭部から伸びた湾曲した2本角、背中に羽、先端がスペード型ににた細い尻尾
種族:悪魔族
年齢:不詳
備考:ラインバッハ家当主。ヘンリー君のかーちゃん。つよい。


 微睡から目覚めた私は寝台から身を起こす。

 夜が明けてすぐの早朝、いつも通りの時間だ。

 昔は悪魔族らしく昼近くまで寝ていたものだが、12年前にヘンリーが誕生してからはこんなにも健康的になってしまった。

 身支度を整え、毎朝の日課である邸宅内の防犯ログに目を通しつつ部屋から出る。

 

 門斬、庭、玄関──異常なし

 東棟──異常なし

 西棟──異常なし

 北等──異常なし

 南棟──異常なし

 南棟に異常なし……? 

 警報術式も捕縛術式も作動ログがない上に、地下牢の転移陣も作動していないだと? 

 それはおかしい。

 毎晩毎晩懲りもせずにヘンリーの部屋に突撃しては罠解除に失敗して地下牢で夜を明かすアホどもが自室で大人しく寝ているはずがない。

 この間バージョンアップしたばかりだったんだが、もう突破されたのだろうか。

 弟離れの為にと夜はヘンリーの部屋から叩き出すようにしてからもう2年か。

 トラップを設置し、突破されてはバージョンアップを繰り返した結果、ヘンリーの部屋の部屋周りが要塞の如く堅牢になったのは嬉しい誤算でもあった。

 アホ2人の魔術の腕が上がり、今では時折、私の魔術に介入するようになったのも嬉しい誤算といえなくもない。

 2年前は下から数えた方が早い成績だったんだがなあ。

 無駄に成長しおってからに、そんなに貴様らはヘンリーと一緒に寝たいのか。

 私だってヘンリーと添い寝したいわ。

 当主だから我慢してるんだぞ。

 というかヘンリーだっていずれ婿に行くんだから、いい加減に弟離れしろ。

 

 私は足早にヘンリーの部屋に向かう。

 廊下の術式を確認すると、魔術介入の痕跡が彼処にあることを視認した。

(なぜか偽装術式が2つ重なっている。術式に時間差があるな……。まさか2人で協力せずに単独で突破したのか……?)

 今回は魔術以外にもドワーフ製の機械式も導入したんだぞ。

 軍の特殊部隊でも梃子摺るという触れ込みの最新式を初見で突破したのか。

 あの偏屈女の血を引いてるだけはある。

 

 ヘンリーの部屋の前についた私は、扉を軽くノックする──前に魔術を発動する。

 結界術式を構築。

 構築式に偽装と対破壊術式を封入。

 指を鳴らして部屋を囲む内向きの結界を張った。

 魔術に反応して目覚めたのだろう、部屋の中で2人が動く気配がする。

 逃がさんぞ。

 

「(まずいぞミレーヌ! 結界に閉じ込められた! いつの間に近づかれたんだ!?)」

「(部屋の周りの探知術式に反応がなかった。偽装術式を嚙まされたみたい)」

「(なら窓だ! 逃げるぞ! 術式に穴をあけるから手伝ってくれ!)」

「(……術式が複雑すぎて介入できない。これは詰んだ)」

「(あのババア、また腕を上げやがった……!)」

「(なんて大人げないババアだ)」

 

 ヘンリーを起こさないための念話だろうが聞こえているぞ。

 大体にして私が何の対策もせずに普通に歩いてくるわけがないだろう。

 音、臭い、圧力、呼吸。接触・非接触を問わずよくもあれだけの数の探知術式を展開したものだが、まだまだ甘い。

 貴様らにできることが私にできないとでも思ったのか。

 小癪にも魔術で封鎖している扉に触れて術式に介入する。

 一呼吸程度で解呪した部屋の扉を開けると、反対側の窓に噛り付くアホどもの姿が見えた。

 シルヴィアとミレーヌ。

 性格も外見も正反対の姉妹は、私を見るや否や即座に命乞い──しつつも解呪の抵抗を続けている。

 私は諦めの悪い哀れなエルフの小娘共に笑いかけた。

 

「(まってくれ母さん! これには深いわけがあるんだ!)」

「(実はヘンリーが今日の朝に小指をぶつけるっていう夢を見た。きっと俗にいう予知夢。ここにいたのはそれを防ぐための致し方ない措置)」

「(そうなんだよ! すべては可愛いヘンリーちゃんを守るためだったんだよ!)」

「(褒めてくれなくて良い。姉として当然の行い)」

「(面白い冗談だな、命乞いはそれで終わりか?)」

「(……解呪は無理だ、やるぞミレーヌ! ここでババアを打倒してヘンリーと2度寝をするんだ!)」

「(今日こそは勝つ)」

「(かかって来い。格の違いを教えてやろう)」

 

 器用にも念話で気合を上げながら()()()()()()()()()()()に踊りかかる命知らずに向かって、私は握った拳を叩きつけた。

 

 

 ◆―〇―◆*1

 

 

 弟離れできないアホ2人を寝かしつけて手早く簀巻きにした私は、いまだに寝息を立てるヘンリーを見る。

 結界を解いて偽装術式を解除した私が近づいても起きる気配がない。

 ほっぺたをつっついてみる。

 起きない。

 そのまま頬をつまんでみる。

 起きない。

 頭を撫でてみる。

 顔が緩んだ。

 可愛い。

 ヘンリーも大きくなったなあ。

 少し前まではいはいしていたのに、いつの間にか剣や魔術を習うような年になった。

 あと3年もしたら成人である15歳だ。

 あと100年くらい子供でいてくれないものか。

 ずっと自分の手元で健やかに育ってほしい気持ちがあるが、現実はそうはいかない。普人族の男は平和な多種族共栄の世であっても未だに貴重な存在だ。ラインバッハ家のさらなる繁栄のためにも、ヘンリーには有力な他家と婚姻を結んでもらう必要がある。

 商業組合のトップであるマックガバン家や、傭兵から引き抜いた虎の氏族、【星座】持ちの魔法使いもその候補だ。

 あの小娘共はすでにヘンリーに骨抜きにされているようだし、あとはヘンリーの気持ち次第だろう。望まぬ婚姻などさせるつもりもないが、かといって婚姻はしてもらわねば当主としては困ってしまう。

 悩ましいといえば、もう一つ。()()()()()()()()

 200年物の処女を拗らせてた女の癖に12歳のヘンリーに恋慕を向けやがって。

 婚姻関係による家のメリットが多いのが余計に腹立たしい。

 これでヘンリーが嫌がっているのなら、断固として突っぱねることが出来るのだが……。

 

 やめよう、考えていると頭が痛くなりそうだ。

 私の手で好き勝手に弄ばれようとも安眠を続けるヘンリーを見る。

 全てはこの子次第だ。この子の意思を尊重しよう。

 ヘンリーが望むならあの小娘を義娘と呼ぶことだって受け入れよう。

 ヘンリーのおでこに唇を落として踵を返すと、アホを足で転がして部屋の外に押しやりながら外に出る。

 とりあえずこいつらは外にでも吊るそう。朝食の時間になったら勝手に起きて戻ってくるだろう。

 何度となく簀巻きで吊るしてきた所為で、我が家の屋根付近には折檻用の吊り下げ金具が設置されているのだ。

 私の拳を食らって意識が飛んだままの2人を肩に担ぎ上げると、私は羽を広げて廊下の窓から外に飛び立つのだった。

*1
ヘンリーと部屋に被害を出さない高度な駆け引きの末に2人は敗北、決まり手は4手目のキドニーブロー




≪TIPS≫
悪魔族は魔力に優れた長命種族である。
魔力で肉体を強化した肉弾戦を得意であるため、安易な接近戦は命取りになる。
稀に竜人族と張り合う猛者がいる。
性感帯は背中の羽の根元と尻尾。
種族的な性癖として噛み癖があり、自分のつがいにつけた歯形に性的な快感を覚えているものが多い。
目につく位置に態と噛み跡をつけて、それを包帯や服などで隠そうとする姿を見るのが最近のトレンドである。
言動や態度に反してベッドの中では組み敷かれることを好む隠れM属性。
背後から組み敷かれて頭の角を掴まれる体位、俗に云うドラフハンドルスタイルに弱い。


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7話 竜人族ヒルデガルド・エスターライヒと微睡の時間

名称:ヒルデガルド・エスターライヒ
体格:169cm、わがままおっぱい、紅色のつり目、赤髪、湾曲した鋭い2本角、背中に羽、ドラゴン尻尾
種族:竜人族
年齢:212歳
備考:エスターライヒ家次期当主。処女。

名称:ローザ・シュピッツ
体格:172cm、小ぶりのお椀型おっぱい、白髪に一筋の赤いメッシュ、体の一部に鱗
種族:鱗人族
年齢:24歳
備考:ヒルデガルド専属メイド


「ふーむ、これか?」

 豪華な部屋だった。

 真っ赤な絨毯に美しい調度品。

 壁や天井を彩る飾り細工はまるで王室か宮殿を思わせる。

 天井付近に嵌め込まれたステンドグラスからは陽光がキラキラとした光に変わり部屋に差し込んでいた。

「それともこれか? いや、こっちの方が良いか」

 そんな部屋にいるのは2人の女性。

 鏡の前で悩んでいる1人の後ろで、静かに控えていた。

「ちょっと派手過ぎるような、いや、むしろ少しくらい派手な方が……? いやしかし、うーむ……」

 鏡の前で服を合わせては、あれでもないこれでもないと服を次々にベッドに放り投げていく女性が一人。

 ベッドの上には積み上げた服でこんもりと山が出来ていた。

 

「年頃だからな、ちょっとくらい肌を見せた方が良いか? 

 ……よし、どうだローザ。これならヘンリーも喜ぶんじゃないか?」

「お嬢様、舞踏会でもないのにパーティドレスはどうかと思います」

「そ、そうか? 背中とか胸とか見えた方がよくないか」

「素直に言ってドン引きでございます。少々盛りすぎでは?」

「さ、盛ってなどおらんわ!」

「………」

「……そう見えるか?」

「性欲が透けて見えますね、端的に言って下品です」

「貴様ちょっと口が悪すぎないか???」

 

 使用人からのあまりの暴言に唖然とした顔をしているのは、燃え盛る炎を思わせる真っ赤な髪の女性だ。

 波打つ豊かな髪をかき分けて2本の角が天を指すように屹立し、髪と同色の瞳は宝石のように輝く。

 尻から伸びる特徴的な長い尾が不満げにゆらゆらと揺れていた。

 竜人族。

 この世界において最も強く、そして同時に最も数の少ない長命種。

 その中でも名高い【火のエスターライヒ】を継承すると期待されている女こそが、この部屋の主であるヒルデガルド・エスターライヒだ。

 

 そんな彼女と向かい合うのはメイド服の女性。

 白い髪に一筋の赤いメッシュ、切れ長の瞳には鱗人族特有の縦に割れた瞳孔がのぞいていた。

 溜息を吐いてツカツカとヒルデガルドの横を通り過ぎ、ベッドの山をかき分けて発掘した服を手に取った。

 

「これでどうでしょうか」

「少し地味ではないか」

「これでどうでしょうか」

「いや地味では」

「これでどうでしょうか」

「………」

「………」

「分かった、分かったからそんな目で見るでない!」

「ええ、それではちゃっちゃと着替えましょう。

 服を決めるのにどれだけ時間かけてるんですか」

「のう、ローザよ」

「何ですか? そろそろ約束の時刻に……」

「髪型はどうしたらいいと思う? 私としてはいつもとは違った印象を与えたいのだが」

「………」

「『時には髪型を変えて好印象を狙え』とこの指南書で……ローザ? のうローザよ、どこにいくのだ、話はまだ終わっていないぞ」

「おーい」

「……行ってしまった」

「そういえば髪飾りはどれにしようか」

 

 その後、鏡の前でああでもないこうでもないと、10分後に迎えに来たローザの雷が落ちるまで着替えもせずに髪を弄るヒルデガルドだった。

 20分もの議論の末、いつもの髪型にアクセントに小さな三つ編みを一つ作ることで決着した。

 

 

 ◆―〇―◆*1

 

 

「約束の時間ギリギリだなヒルデガルド、昼寝でもしていたのか?」

 

 ラインバッハ家に到着して、門をくぐったその目の前に。

 クラウディア・ラインバッハが仁王立ちしていた。

 

「久しいなクラウディア殿。いやなに、道が混んでいてな、中々馬車が進まなかったのだ」

「どこぞの紋章を引っさげた馬車が大慌てで大通りを走らせていたと聴いてな、私はてっきり貴様の馬車かと」

「そのようなことはないとも。なあローザよ」

「………」

「ローザ、そうよな? な?」

「そういうことにしておいてやろう」

 

 くつくつと喉を鳴らして笑うと、とクラウディアは踵を返して背を向ける。

 着いて来い、ということだ。

 竜人族を相手になんと尊大な態度だろうか。

 

「さっさと来い。ヘンリーを応接室で待たせている」

「それは急がねばならんな。なあクラウディア殿、ヘンリーは元気にしていたか? 

 あと、私のことで何か言っていなかったか?」

「自分で聴け」

「つれないのう」

 

 勝手知ったるラインバッハ家だ、道順を知っている私はクラウディアと並んで玄関までの道を歩く。

 ヘンリーに早く会いたい気持ちがあるが、当主直々の案内を追い抜いて邸宅に突っ込む訳にはいかぬ。

 もう少し早く歩いてくれんかのう。

 

「そういえばクラウディアよ、魔法学区で研究室が爆発したぞ」

「またか、今月で何度目だ。下手を打ったのはどこのどいつだ?」

「エルフだが」

「またエルフか……」

「くかか、何ぞ疲れた顔をしているな。あの姉妹が何かやらかしたか?」

「いつものことだから気にするな。

 それと、分かっているだろうがヘンリーに変なことはするなよ」

 

 前を向いていたクラウディアは私に向き直り、私と目を合わせた。

 紅色の瞳がぬらりと剣呑に光る。

 

「絶対にするなよ」

「分かっておるとも」

「舐めた真似しやがったらお前の家に殴り込みに行くからな」

 

 私の角を拳でへし折った女が言うと冗談には聴こえんな。

 というかこの竜の淑女たるヒルデガルドがそんな真似をするものか。

 応接室までの間、そんなクラウディアの注意を聞き続けるのだった。

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

「──で、エルフ連中の研究室が吹き飛びおったのだ。

 なんでも魔法族との共同研究で魔素を自動生成する永久機関の開発だったかをしているところでな。

 研究室を囲っていた空間隔離結界がなんと3層まで一気に破られたという話だ」

「魔法学区の結界って竜人族のドラゴンブレスにも耐えられるって聞いたけど」

「うむ」

「それが3層も?」

「うむ」

「やばい」

「あの時のエルフ連中の顔はそれは見物だったぞ」

 

 多くの予算を割いて作った研究室が目の前で一瞬で塵となったのだからな。

 大規模な戦術魔法並みの爆発規模だが、それでも一人として死傷者は出ていない。

 消滅したのは研究室一つだけで、爆発自体も隔離結界にぎりぎり封じ込める範囲だった。

 限界を攻めつつも致命的な一線は決して超えないあたりが実にエルフ族らしい話だ。

 

 部屋の前でクラウディアと別れた私は、応接間でヘンリーと談笑している。

 約束よりも少々遅れての到着ではあったが、ヘンリーは嫌な顔一つせずに応接室に通してくれた。

 これが竜人族の男なら見苦しいだのなんだと喧しく囀っていただろう。

 

 私とヘンリーは同じソファーに並び、後ろの壁付近にはローザとタマラのメイド2人が並んでいる。

 そう、肩が触れる距離で、未婚の男女が同じソファーでだ。

 そんなに私が魅力的かヘンリーよ。

 仕方のない奴だな。

 このヒルデガルド・エスターライヒに触れる名誉を許してやろうではないか。

 

「このケーキは新作でな、まだ店頭にも並んでいないもので……うひゃっ」

「あ、ごめんね。肩が当たっちゃった」

「いや問題ないぞ、うむ。

 ……ああ、カップが空いているな、どれ、私が注いでやろう」

 

 背後のメイドを後ろ手に制して、紅茶を注ぐ。

 落ち着け、ちょっと肩が当たっただけだ。

 

「ありがとう、ヒルダ」

「この紅茶も私が選んだものでな、特に……ッ」

 

 カップを受け取ったヘンリーの手が、私の指に触っ──たからなんだというのか。

 

「大丈夫? 顔が赤いよ」

「す、少し暑くてな」

「確かにちょっと暑いかも……タマラ、室温を少し下げて」

「畏まりました坊ちゃま」

 

 なんだその目はメイドどもめ。

 近寄ってきたヘンリーが私の額に手を当てた。

 

「ぬぁっ、何を……」

「うーん、ちょっと熱っぽいような気もする」

 

 婚姻前の男子がなんてことをするのだ! 

 私は慌ててヘンリーの手から額を離す。

 後頭部が背もたれに当たる勢いだった。

 なんという無防備さだろうか、これでは悪い女の食い物にされてしまうのではないか? 

 女というものを少しわからせてやるべきなのではないだろうか。

 ふと脳裏にひらめくものがあった私は、冷静さを欠いたまま口を動かす。

 

「そういえば昨夜は少し根を詰めすぎたかもしれないな」

「寝不足だったらうちで軽く眠ってく?」

「……ヘンリーが膝枕でもしてくれれば、疲れなんぞ吹っ飛ぶんだがなあ」

「じゃあそうしよっか」

「なんて冗だ……んん?」

 

 今なんて言った? 

 予想外の台詞に固まった私を置いてけぼりにしたまま、ヘンリーが腰を上げた。

 座っている位置をずらすと、太腿まわりのズボンのしわを伸ばしてソファーに深く座り直す。

 まるで夢に見た膝枕待ちの姿勢のようだった。

 

「どうしたの?」

 

 混乱のあまり、反射的に脊髄から頭部へ魔力を流して精神の安定化と気付けを行う。

 間違いなく夢ではなかった。

 そしてヘンリーは完全に膝枕の姿勢だった。

 さらに言えば私が頭を乗せるのを待っている状態で、男にここまでさせておいて、今更冗談なんて言える雰囲気ではなかった。

 脳内に様々な言葉が泡のように浮かんでは消えていく。

(婚姻前の男女が)(膝枕)(はしたない)(年上の威厳)(竜人族の誇り)(夢の膝枕)(火のエスターライヒ)(クラウディアに殺される)(膝枕)

「ヒルダ」

 ヘンリーの声。

 それが耳に響いた途端に猥雑な思考が吹き飛んで、私は呆けたように黒髪の少年を見た。

 彼は微笑みながら片手を伸ばして私の頭を撫でると、残った手で自分の膝をぽんぽんと叩いた。

 

「おいで」

「うん」

 

 頭は真っ白な思考のままで、しかしヘンリーに言われた通りに体は動く。

 彼の膝にゆっくりと頭を落とすと、後頭部に柔らかな感触が。

 続いてじんわりとした熱がゆっくりと広がっていく。

 見上げると視界の半分がヘンリーで埋まる。

 瞬きさえ忘れて見上げていると、暖かなもので視界が暗く塞がれた。

 もっと見ていたかったのに。

 抗議の声を上げそうになって、塞いだそれがヘンリーの掌だと気づく。

 心地良い。

 人肌はこんなにも安心するものだったのか。

 体から力が抜けて、出まかせだったはずの眠気が脳をひたしていく。

 眠りたくない。

 いやだ。

 眠りたくないのに。

 衝動のままにヘンリーへ手を伸ばすと、その手をぎゅっと握られた。

 ああ。

 心が満たされる。

 ヘンリーのぬくもり、ヘンリーの匂い、ヘンリーの脈拍、ヘンリーの……。

 いくつものヘンリーに包まれて。

 私は幼竜の時分のように喉を鳴らして眠りに落ちた。

*1
御者さんがクソほど頑張って約束の時間には何とか間に合った




恋 愛 ク ソ ザ コ ド ラ ゴ ン。
こんな有様で200歳超えてるんですよ皆さん。
ヘンリー君の母性が溢れすぎた感があるけどまあええやろ。

≪TIPS≫
強靭な肉体+豊富な魔力=さいつよ戦闘力。
竜人族はこの世界における最強種族である。
そしてパラメータを戦闘力に全振りした結果、つよつよ戦闘力に反したよわよわ生殖能力で個体数が最も少ない種族でもある。
実力に裏打ちされた高いプライドを持つ反面、ベッドの中では超媚び媚びのドMに変貌することは竜人族の伴侶のみが知っている。
有識者によると男の寵愛を受け易くするための進化ではないかと推測されている。つよつよ傲慢女の媚び媚び全裸土下座からのみ得られる栄養は確かに存在する。
性感帯は逆鱗と呼ばれる一枚の鱗。 生殖器と肛門の間、もしくは尻尾の裏にあることが多い。
竜人族の女性は生まれつき2枚の逆鱗を持つが、恋人・伴侶が出来ると自然に逆鱗を1枚散らせる為、いい年なのに逆鱗が2枚の者を”鱗余り”と揶揄する文化がある。
普人族とは肉体性能に大きく差があり、全力で首を絞めてもちょっと苦しく感じる程度。強気で責められるプレイ全般を好むため首絞め程度ではむしろ興奮させるだけである。
角が悪魔族と似通った形状をしているのはMの定向進化によるもの。
逆鱗に響くくらいの鬼ピストンされると性的に死ぬ。


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8話 ドワーフ族ダリア・マルティンとデートの贈り物

名称:ダリア・マルティン
体格:148cm、肩までのボリュームある癖毛、むっちりおっぱい、むっちりヒップ
種族:ドワーフ族
年齢:21歳
備考:国家認定の製錬技師


 ドワーフの工房が多数並ぶ製錬特区の一角にある、少し洒落た外観の石造りの工房がダリア・マルティンの住処だ。

 特徴的な赤い屋根に白い石壁は金属細工とレリーフで彩られ、軒先には金槌とインゴット、そして手袋を模した看板が掲げられている。

 金槌は鍛冶技術。

 インゴットは精錬技術。

 手袋は魔道具製作。

 それぞれが国認定の技術者にのみ看板に刻むことを許される一流の職人の証であり、ドワーフ族の誇りの象徴。

 それが3つすべて揃えて掲げる工房は、ラ・ヴィンセルにおいてもそう数は多くなかった。

 

 質実剛健を好む気質のドワーフ的感性において()()()()()()()()と感じる外観をしたその工房は、エルフや魔法族が多数生息する魔法学区という名の危険地帯に隣接しているためか、周囲の街並みになじんでいたが、少し先のドワーフ工房は金属細工とレリーフで彩られつつも入店する客を威圧するような堂々とした佇まいであり、明るい色合いのダリアの工房は比較すれば()()()()()()()()と思えなくもなかった。

 そんなハイカラな工房の主であるダリアは、今まさに一つの魔道具を仕上げ終わったところだった。

 

 ドワーフ族特有の小さくも力強さを感じさせる体躯。

 ボリュームのある癖毛を頭の後ろで結わえた彼女は椅子に体を預けるとゆっくりと背中を伸ばした。

 オーバーオールの野暮ったい作業着とそれを押し上げる豊満な胸が窮屈そうに揺れる。

 若輩ながらこの国有数の職人を自認するダリアが、自身の技術の髄を注ぎこんだ最高傑作であった。

 まさしく生も根も尽き果てたと形容するにふさわしい脱力具合が無言でそれを物語る。

 暫くの間ぼーっと虚空を眺めていた彼女は、思いついたように筋肉のこりをほぐすように首を揺らす。

 リビングデッドのような緩慢な動作で首を動かしていた彼女は、とある一点を見て目を見開いて動きを止めた。

 日付表示機能付きの時計と、その横にでかでかとした字で書き加えた今日の日付と「デート!」の文字。

 

 それを見つめて数秒後。

 先ほどまでの死人もかくやという姿が嘘のように生気に満ちた顔で、うっひょーいと椅子から跳ね起きる彼女の姿があった。

 手早く机の上を片付けて、出来たばかりの魔道具を彼女自作の掌サイズの宝石箱の中に入れて丁寧に梱包する。

 作業に没頭し過ぎてろくに風呂にも入っていない。

 お気に入りの入浴剤に香油で体を清めて、今日の為に用意した服に袖を通すのだ。

 買い置きの高級賦活栄養剤を3本、蓋を開けて一気に飲み干して、高まる感情に従ってゴミ箱に叩き込む。

 そして疲労など吹き飛んだとばかりに鼻歌を歌いながら、風呂と着替えと身支度と食事諸々の為に軽い足取りで工房を後にするのだった。

 ダリア・マルティン21歳。

 恋の季節である。

 

 

 ◆ー〇ー◆

 

 

 入浴よし。

 香水良し。

 勝負服良し。

 宝石箱良し。

 髪も切って化粧もした。

 見てくれもそう悪くないはずだ。

 つまりは準備万端ってことだ。

 私は時間通りに家を出て、約束通りの時間にラインバッハ家の門前に辿り着いた。

 

「よく来たなダリア、時間通りで感心するよ」

「は、はい。お久しぶりです、クラウディア様……」

 

 そして門前で仁王立ちのラインバッハ家当主に遭遇した。

 何でここにいるんだよ。

 竜とタメ張る化け物が軽いフットワークでほいほい動くんじゃないよ。

 門前で光り輝く白髪が目に入った瞬間に心臓が変に跳ねた所為か、まだ胸が痛い気がする。

 普段なら応接間あたりに通されるはずが、わざわざ門前に足を運ぶとは。

 愛息子のヘンリーに会う前に釘を刺しに来たのだろうか。

 しかし妙な話だ。私はそういった不評を買うようなことは可能な限り避けてきた筈だ。

 製錬技師となり、自分の店を持つようになってからも、私なりに謙虚な態度を貫いてきたと思う。

 ヘンリー君への対応だって、クラウディア様にお伺いを立てた上で、時には舌を噛み切って彼の色気に耐え忍んできたのだ。

 そうやってクラウディア様からの信頼を勝ち取ってきたからこその今日この時なのに、それなのに彼女の警戒心がやけに高い。

 どこかのアホが何かやらかしたかとも思ったが、その場合は既に血祭りにあげているはずだ。

 それとも身に思えがないだけで私が何かしてしまったのか。

 

 クラウディア様が胸の下で組んでた腕をほどく。

 竜を屠ったという噂のラインバッハ家の悪魔の構えだろうか。

 違った、腕を組みかえただけだった。

 一挙一動にビクつく私をよそに、彼女は口を開く。

 

「今日はヘンリーに製錬特区を案内する、その予定だったな?」

 

 ウッス! そうっス! 

 

「この間、クソ雑魚ドラゴンが……まあ良い。

 諸事情でヘンリーを一人だけ、というのも少々避けたくてな。護衛と一緒に動いてもらう」

 

 エスターライヒ家のクソザコドラゴンめ。

 なんてことをしてくれたんだ。

 この日の為に生きてきたんだぞ。

 許せねえよ。

 私は落胆と憤懣を抑え込むことに努めた。

 これは良くない流れだ。このままではツアーコンダクターの真似事をするだけで終わってしまう。

 深く息を吸って、ゆっくり吐いて、私は懐の宝石箱を意識する。

 ヘンリー君、私に目の前の人の形をした化け物に立ち向かう勇気をくれ。

 

「クラウディア様」

 

 紅色の瞳を見据えて私は言う。

 白髪紅眼、2本の角。多少の親しみやすさを感じた彼女の顔が、私の覚悟に感じ取ってラインバッハ当主としてのそれに変わる。

 彼女はゆっくりと組んでいた腕をほどき、体の横で軽く拳を握った。

 たったそれだけで私は地面に体を投げ出したくなった。

 怖い。

 跪いて、平伏し、許しを求めて懇願したくてたまらない。

 心臓が泣き喚き、流れる血の音で耳がうるさい。

 だけど、

 私は

 

「ヘンリー君に、()()()贈りたいのです」

 

 手の震えを抑えて、宝石箱を取り出して中身が見えるように開く。

 眼光がさらに鋭くなる。

 

「私は」

 

 喉が震える。

 舌が固まった石のようだ。

 それでもめを逸らさずに。

 

「贈りたいのです」

 

 一秒か。

 十秒か。

 目を合わせてどれだけ時間が経ったのか。

 紅の瞳が細まり、やがて瞼を閉じた。

 

「良いだろう」

 

 今まで以上の圧が体を縛り付ける。

 あまりの重みに体が軋むようだった。

 呼吸が抑えきれない。

 

「ヘンリーがそれを受け入れたのなら

 ラインバッハ家当主として、許可しようじゃないかダリア・マルティン」

 

 そしてもう一度、開いた紅眼が私を見据えた。

 いまにも襲い掛かってきそうな、恐ろしい瞳が

 それが、私を──

 

「節度は、守れよ。くれぐれもな」

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

 ──という訳で親公認のデートとなったわけだ。

 やったあ。

 まあ条件付きでの許可なんだけど。

 本当なら二人っきりのデートだったけど、こうなった以上は仕方がないよね。

 案内という体で雰囲気の良さげな場所を巡る予定だったから、予約のいくらかはキャンセルするしかなかったけど、そこは次の機会ということにしておこう。

 

 そう、次があるのだ。

 私はあの恐ろしい悪魔からチャンスを勝ち取ったのだ。

 私は得も言われぬ高揚感のまま隣に立つ女獣人を見上げる。

 彼女は獣人族の【傷なし】のタチアナ。

 めっぽう強い元傭兵で、今回のデートにあたってクラウディア様の出した条件が彼女を護衛に付けることだった。

 単純な腕っぷしでは私程度では相手にならないし、仮にうまく隙をついて彼女を撒いたとしても獣人族は鼻が利くからいずれ痕跡を辿って追いつかれる。

 取引を持ち掛けたとしても真面目で誇り高い彼女のことだ、所謂()()()()()()()を犯したりしないということなのだろう。

 ……間違いかあ。

 

「途中で酒場に行きたくなったらいつでも言ってね」

「ヘンリー坊の護衛なのに行くわけねえだろ」

「そこをなんとか」

「ならねえって」

 

 ならないかあ。

 そっかあ。

 畜生め。

 そりゃ未成年の、さらにいえば婚姻前のヘンリー君に無体な真似なんてしないけど、「しない」と「出来ない」の間には大きな溝があると思うんだ。

 

「……そういえば、クラウディア様がやけに機嫌が悪かったけど、何かあったの?」

 

 ずっと気になってたんだけど、結局怖くて聞きそびれちゃったんだよね。

 確かに戦闘力的には怖い人ではあるのは事実だけど、いつもはあんなに刺々しくはなかった。

 あからさまに高圧的な態度ってあまりしない方だから、びっくりしちゃったよ。

 予想の数倍くらい怖かった。

 

「あたしも詳しくは知らねえんだが、エスターライヒ家の令嬢が来てたらしくてな」

「うん」

「そんで坊とそいつとお付きのメイドの4人で応接間でお茶会して」

「うんうん」

「ヘンリー坊に膝枕されたまま爆睡してるところを御屋形様に目撃されたらしい」

「なんで???」

 

 お茶会は椅子に座ってお菓子とお茶を楽しみながら談笑するものじゃないのか。

 どうやったらそこから膝枕の状態まで持っていけるんだよ。

 それともお貴族様の言うお茶会というものは実は卑猥な意味の単語だったりするのか。

 

「そういう訳で御屋形様も神経質になってんだよ」

「そういうことだったのか……」

 

 それならあの態度も納得がいく。

 自分の家の中で可愛い愛息子が他所の女に粉かけられたのなら荒れるというものだ。

 しかもやった相手と婚約などしているわけではないときた。

 それなのに膝枕だと……? 

 

「婚約してるわけでもないのに、それはちょっとひどすぎるね」

「そうだよな、膝枕なんて良くねえ」

「まだ未成年の男の子だよ? いくらヘンリー君が魅力的だからって、普通なら我慢するものでしょう」

「……ああ、まあそうだな、我慢するもんだよな、うん」

「分別のつく大人の女が、相手の知識のなさに付け入って劣情を満たそうとするなんて許せない。

 人として恥ずかしいことだよ」

「………そう、だな。全く持ってその通りだ…」

 

 私がくどくどと性欲ドラゴンへの不満を垂れ流していると、タチアナの顔が苦々しく歪んでいることに気が付いた。

 タチアナがヘンリー君を気に入っていることは知っている。

 あんなに真面目で直向きな男の子を良いように弄ばれたのだ、彼女だって相当の怒りがあるはずだ。

 ヘンリー君に浅ましい劣情を向けられたのに、彼を守ることが出来なかったのだ。

 護衛役を兼任する彼女がどれほどの屈辱を嚙み締めたのかは想像に難くない。

 それでも彼女は口を濁すように私の言葉に相槌を打つだけで、決して怒りや不満を表に出そうとしていない。

 そうか、直接文句を言うわけでもなく陰で貶す行為を好ましいとは思わないのだ。

 いくら当人へ不満があったとしても、それを良しとせずに自分を律しているのだ。

 なんて誇り高いのだろうか。

 これで3つも年下なんだから、私は頭が下がる思いだった。

 

「ごめんね、タチアナ。

 陰口を聞かされて気分が悪かったでしょう?」

「……えっ、いやそんなことは……」

「いくら力では敵わない相手だからって、陰で貶すのは良くないよね。

 正面からガツンと言ってやらないと、”未成年にそんなことして恥ずかしくないんですか”って」

「………うん」

 

 タチアナは耳をぺたんと伏せて、まるで我が事のように恥じ入るかのようだった。

 そんな誇り高い彼女を見て決意を新たにした私は、ヘンリー君の用意が出来るのを今か今かと待つのだった。

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

 デートは上手くいったと思う。

 他に経験はないから断言はできないけどヘンリー君は退屈そうには見えなかった。

 有名どころの工房を回って、見学者用の研究ブースで鍛冶や魔道具の体験をして、ドワーフ名物の屋台を食べ歩いた。

 紹介してまわる場所はまだいくらでもあるのだけど、時間的には次で最後になるだろう。

 そうして私はヘンリー君を連れて、とある広場にやってきたのだ。

 少し高台にあり製錬特区を一望できるこの場所は、見晴らしもよく風が通るのだが、その見栄えに反して人気はあまりない。

 多分ドワーフ的には景色を楽しむことよりも作業台で何かを弄っている方が好みだからなのだろう。

 ヘンリー君は柵を握って目を輝かせて景色を眺めている

 そんな彼を見つめて、私は懐の宝石箱と、その中に入れたものを意識する。

 

 タチアナは少し離れた場所で周囲を警戒している。

 多分チャンスは今だけだ。

 クラウディア様に直談判した時以上に心臓が苦しい。

 いけ。

 言うんだダリア・マルティン。

 

「ヘンリー君」

 

 彼が振り向いて、すごにその黒い瞳が驚きに見開かれる。

 目の前の女が急に片膝をついているのだからそれも当然だろう。

 

 宝石そのものを散りばめているわけではない、ドワーフ族の伝統である金属細工で飾りつけた小さな入れ物だ。

 ドワーフ族の女が自分一人で作り上げる、決して店で売られることはないものだ。

 震えを押し殺して、何度も練習したようにふたを開く。

 

 箱の中には2つ。

 1つは装飾のないシンプルな指輪。

 もう1つはそれと対になる指輪を通したチェーンネックレス。

 

「君に受け取って欲しいんだ」

 

 言葉を重ねる。

 これに結婚だとか婚約だとかいったような意味はない。

 これはそんな綺麗なものではない。

 ドワーフ族の身勝手さそのものを表すような行為だ。

 それでも贈りたくて仕方がなかった。

 もしも、

 もしも君が、私が君に抱くこの感情を嫌いではないと思ってくれるのなら。

 

「どうかこの指輪を、私の指に嵌めてくれませんか」

 

 男性の前で()()()()()()()()()()()()()()()()を向けて、私は彼の言葉を待つ。

 長い、長い沈黙だった。

 もはや時間の感覚がおかしくなった私にとっては、永遠に見紛うような沈黙。

 彼は指輪を手に取った。

 

「薬指で良い?」

 

 そう言って、私と同じように片膝をついた彼は、言葉を忘れた私の右手に手を添えた。

 手袋を挟まない生の手指の感触。

 返事さえままならない私の指に、ヘンリー君は指輪を通してくれた。

 そして残ったもう一つのチェーンネックレスを手に取ると、私の手を取って、掌にそれを握らせた。

 ……駄目だったか。

 そうだよね、指輪以上は高望みが過ぎるよね。

 上々すぎる結果だというのに、私は思わず掌の上に目を落とした。

 

「着けてくれる?」

 

 そしてすぐに顔を跳ね上げた。

 いつの間にか彼は私の左手から宝石箱を取り上げていた。

 まるで私の両手を自由にするような。

 着けるというのは、つまりそういうことなのか。

 彼の首に手を回して、私の手で直接ネックレスをつけるということなのか。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんなえっちなことが許されるのか。

 

 私はもはや手の震えを隠せられないまま、覚束ない思考でヘンリー君の首へ手を回す。

 手が届かない。

 体を近づける。

 それでもまだ届かない。

 ネックレスが着けられる距離に体を寄せる、そうするとヘンリー君の顔に自然と近づいて──

 

「ふふっ」

「ごっ、ごめ、ごめんねっ! 嫌だったかな!?」

「くすぐったくて、つい」

 

 ごめんごめん、そう言って笑う彼の声に正気を取り戻した私は、何とか彼の首にネックレスを通すことに成功した。

 危なかった。

 あの瞬間、ヘンリー君の顔しか見えなかった。

 未成年の男の子を相手に、なんてことをしそうになっていたのか。

 彼が不意に笑うことがなければ、今頃は……。

 今更ながら早鐘を打つ心臓に気付いて胸を抑える私を余所に、ヘンリー君はネックレスと、それを通した指輪をしげしげと見つめている。

 受け取って貰えた。

 受け入れてもらえた。

 何度となく夢にさえ見たものは、もう夢ではなくなったのだ。

 私の利き腕の薬指。

 そこで日の光を浴びて輝く指輪を目に焼き付けた後、いつもの手袋で上から隠して。

 背後から突っ込んでくるタチアナの気配を感じながら、私は今のこの幸福を甘受するのだった。




これが恋愛強者というものだ。
クソ雑魚ドラゴンとタチアナちゃんの脳破壊が楽しくて、ついつい長くなっちゃったけど許してくれ
モチベを上げるためにも至急感想くれや

≪TIPS≫
ドワーフ族にとって手指をとはものをつくりだす象徴であり、半ば神聖視されている部位でもある。
そのため、日常的に特殊な魔道具である手袋を着用している。
手を褒めることはドワーフ的には最上級の称賛であり、異性に対しての場合は過激な口説き文句となる。
また、手袋のない手を衆目の前に晒すことは少々はしたない行為とされ、そのまま異性に触れようものなら相当にえっちな意味を伴う行為として扱われる。
異性に対して指輪を贈ることはプロポーズではなく、「私は貴方を好ましいと思っています」程度の意味であり、受け取った側が、相手の指に指輪をつけてあげる<贈られた自分用の指輪を受け取る<指輪を実際に身に着ける、の順で好意の段階が分かれる。
生まれた初めて聞いた「着けてくれる?」発言で軽く脳がバグった。
性感帯は手袋で隠れる手と指と掌。
どんなに汗をかいても繋いだ手を離さない。


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9話 獣人族タチアナと護衛と決闘秘話

強い奴ほど暴力を背景にした蛮族的求愛行動をとりがちで、そうでない種族は文化的になるという種族的傾向があるという設定。
これでも数百年にも渡る文化交流で蛮族指数がかなり下がった方なんだ。
今回はむっちりドワーフとヘンリー君がいちゃついてる裏でタチアナさんが何をしていたかという話だよ。

名称:アヤメ・リュウゾウジ
体格:198cm、赤髪の長髪、金の目、2本角(右直螺旋湾曲型・左円錐捻じれ文様)、長髪的なおっぱい、胸にサラシ、着流し姿
種族:鬼人族
年齢:20歳
備考:初恋


 あたしは恥知らずな女だ。

 ダリアを見てるとつくづくそれを思い知らされる。

 真面目、誠実、勤勉。

 若干21歳の若さで製錬技師に任命され、自分の店を持つまでになった。

 極めつけはクラウディア様への直談判だ。

 頑丈ではあるがドワーフ族は戦いに向いている種族ではないし、クラウディア様はやると決めたらやる方だ。

 決して敵いようもない相手に武器を持たずに体一つで立ち向かい、あまつさえ条件付きとはいえヘンリー坊とのデートを認めさせるなんて、一体誰が実行できるというのか。

 そんな彼女に知らないとはいえ自分の恥ずべき行為を糾弾されるのは想像以上に堪えるものがあった。

 あたしは坊が知らないことをいいことに、自らの欲望を満たす恥知らずな真似をした。

 彼女の言う通りだった。

 あたしは人として恥ずかしい女だった。

 せめてこの案内という名のデートの護衛は成功させなければ、本当に母祖に顔向けが出来なくなってしまう。

 ヘンリー坊のデートを見守るのは辛いが、我慢するんだタチアナ。

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

 邸宅を馬車で出発し、製錬特区の入り口で降りた。

 長命種族による綿密な都市計画により、特区内はエリアごとに分けられた構造になっている。

 市街に近い場所が商業区画で工房で作られた製品が並ぶ店舗が軒を連ねる。

 武器が並ぶ店、金属細工が並ぶ店、装飾品の店頭加工に加工前のインゴットを売る店もあり、それを目当てに訪れる客で賑わっている。

 初めてここに訪れた時はあまりの人の数と喧騒に度肝を抜かれたものだ。

 有料のパンフレットでは全ての店を把握しきれるものではなく、特区入り口には案内人が観光客に声をかけては売り込んでいる。

 

 そこを抜けるとドワーフ族の経営する屋台街だ。

 あたし好みの肉料理が食欲をそそる匂いをまき散らしているのは、あたしのような獣人族にとっては目に毒だ。

 持ち帰り専門があれば、店先で立ったまま食う店、小金持ち様にテーブル席を用意している店等も様々だ。

 その先にあるのが特区の心臓部である工房区画。

 ダリアの工房もそこにある。

 

 案内する場所は事前にダリアから聞いているため道順は頭に入っている。

 最初にいくつかの店舗を覗いて、屋台街で軽食を取り、工房を見学してから広場に寄った後馬車で帰宅するのが今回の大まかな予定だった。

 

 商業区画は道が広いが行き交う人も多い。

 本来なら人を先行させて危険がないかを調べるものだが、今回の護衛はあたし一人のため、ヘンリー坊とダリアの傍に張り付いて警護するしかない。

 あたしはゆっくりと鼻から息を吸い込み、頭上の耳をめいいっぱい広げて音を拾う。

 香水、体臭、機械油に金属、食べ物のソースの匂い、声に足音、金属音……知覚する情報量に頭が痛くなりそうだ。

 いつもならば意識的に切り離している嗅覚だが、今回はそういう訳にはいかない。

 あたしの鼻なら敵意を嗅ぎ分けられる。

 わずかに体臭に混じるそれを嗅ぎ逃さないためには、常に鼻と頭を働かせる必要があった。

 クラウディア様はラインバッハ家の令息に手を出す輩はいないだろうと考えて、ダリアの監視の為にあたしを護衛にしたのかもしれないが、護衛役のあたしはそうは思わない。

 少しでも考える頭があれば普人族の男子が護衛もなしに街中をうろつく筈がないし、この国の有力者と何かしらの関係を持っていることぐらいは思いつくものだが、そうではない者もいる。

 ラインバッハ家の威光が通じない類の女というものは居るところにはいる者なのだ。

 

 こうも人や物が多いと臭いや音が猥雑していて個人の識別が難しいものだが、ダリアはともかくヘンリー坊だけなら判別できる。

 もしも血迷ったダリアが坊を連れ出したとしてもあたしであれば追跡できるだろう。

 ありえない仮定だが、今のあたしは坊の護衛兼ダリアの監視役だ。

 考えうるすべてに備えなければ。

 

 行き交う人の群れの中で護衛する二人を常に視界に入れながら、あたしは油断なく耳を細かく動かして周囲を警戒し続ける。

 店の影、店員、人込み、並んだ武器、頭上、臭いと音と視界に広がる人の群れ。

 警戒するものは腐るほどあった。

 あたしの孤独な戦いはこうして始まったのだった。

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

 いちゃつく二人を見続けて神経を尖らせること数時間。

 工房見学を終えたヘンリー坊とダリアの二人は、特区を一望できる広場で一息ついていることだろうが、護衛のあたしはそうはいかない。

 あたしは二人から少し離れて、広場につながる1本道の真ん中に立っていた。

 広場に近づいてくる一人の女の前に立ちふさがる必要があったからだ。

 

 赤い長髪、2本の角、あたしより10cm以上高い長身の鍛えられた体に、巻き付けた布で胸を隠した特徴的な着流し。

 鬼人族だ。

 香に紛れた体臭にわずかな敵意が混じっていた。

 女との距離は数歩程度離れている。

 あたしから目を離さずに近づいてくるそいつが口を開く前に、あたしは単刀直入に問いかけた。

 

「屋台街あたりから尾けていたな、目的はなんだ」

「……なんだ、バレてたのか。

 そりゃそうだよな、あんな美人が護衛もなしに街をうろつく筈もねえし、その護衛が無能の筈もねえか」

 

 目的なんて訊くまでもなかったが、今のあたしはラインバッハ家に雇われている身だ。誰何の問いは建前上は必要だった。

 女は歩くのを止めない。

 無造作に距離を詰めるのは、勘違いしたチンピラか、強者の自負によるものか。

 どうでもいい。

 そのどちらであってもあたしがすることは変わりはしない。

 

「この国に来てから目を疑うようなことばかりだが、今日はその中でもとびっきりだ」

 

 女は笑ってまた一歩。

 もう距離は幾ばくも無いが、あたしは一歩も動かない。

 鬼人族の女の体には目につく場所に入れ墨がなかった*1

 ()()()()()()()()()()()()()

 

「あんな男は初めて見たもんでね。

 まるで濡れた烏を思わせる黒い髪、黒曜の如く輝く瞳、街で見た瞬間に下っ腹に衝撃が走ったよ」

 

 分かるよ。ヤバいよな。

 近づいてくる女の言葉には同意しかなかった。

 目の前の欲に突き動かされた女の姿は、どこかの浅ましい女を思い起こさせる。

 だから続く言葉も簡単に予想がついたし、あたしの返答も実にシンプルなものになった。

 

「そういう訳で、彼と()()()()()なりてえのさ。

 だからそこを退いてくれねえかな」

「失せろ」

 

 女にとっても予想通りの言葉だったのだろう。

 そいつはあたしの目の前で歯を剝きだして拳を握る。

 鬼人族と意見が対立してお互いがそれを譲らないのなら、結局のところ解決方法は一つきりなのだ。

 強い方が偉いという蛮族の流儀。

 獣人族にも通じるそれに従って、躊躇なく振り抜かれる女の剛腕を潜り抜けて。

 あたしは女の顔面に拳を叩き込んだ。

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

 決着はついたものの、想定よりも梃子摺ってしまった。

 お互いに武器を使わずに素手で戦ったこと、この女がやけにタフだったこと、そしてあたしが背後の広場にいる二人とその周囲に気を配っていたことが要因だろう。

 けして弱い相手ではなかった。

 拳の力強さも、繰り出す技の練度も相当に修練を積んだ者の動きだった。

 ただあたしにとってはそういった手合いとの戦いは手慣れたものであり、戦い方は戦闘前から大体の予想がついていた。

 だからこの結果はある意味で順当なものだった。

 

 手早く捕縛した女──アヤメ・リュウゾウジと名乗ったそいつを道の端に転がして、ヘンリー坊たちのもとへ急いで戻る。

 何故だか胸騒ぎがするのだ。

 敗走直前の負け戦にも似た嫌な感覚だ。

 もはや形振り構っている余裕はなかった。

 緩い坂道を駆け上り、階段を跳ね飛んであたしは広場に到着した。

 

 広場にはヘンリー坊とダリアの姿だけだ。

 アヤメのような敵の姿はない。

 ではこの胸のざわつく感覚はなんだというのか。

 足早に近づくあたしの前で、ダリアは坊の前に跪いて小さな箱を開いているのが視界に入った。

 箱の中身は装飾品、おそらくは、指輪とネックレス。

 指輪と、ネックレス。

 あたしは頭が真っ白になった。

 

 足が動かないあたしを置いてけぼりにしたまま、ヘンリー坊はダリアの手に指輪を通す。

 そして、ヘンリー坊からネックレスを受け取ったダリアが、ヘンリー坊の首に、ああ! なんてことだ! 

 クラウディア様にも約束しただろうがダリアてめえ! 

 指輪もネックレスも輪っかの形をしてるじゃねえか! *2

 それを手ずから男に身に着けさせるなんて見損なったぞ! *3

 あたしが言えた義理じゃないが! ヘンリー坊はまだ12歳なんだぞ! 

 あたしの可愛いヘンリー坊が! 

 あんな首輪を! 

 うわあああああ! 

 

 目じりに涙が浮かぶ。

 ようやく自由になった体を動かして、もしかしたら今までの人生で一番かもしれない混乱でぐちゃぐちゃになった頭のままにあたしは駆け出した。

 ヘンリーは首から下げたネックレスとそのれを通した指輪を持ち上げて、嬉しそうに眺めている。

 そんな坊の横で手袋の上から指輪をにやつきながら撫でている痴れ者に向かって、あたしはまっすぐに突っ込んだ。

 

*1
伴侶のいる鬼人族は刺青を入れるのが特徴

*2
獣人族にとって環状の装飾品は婚姻を意味する

*3
獣人族の結婚式の伝統的な作法




このあとすったもんだして誤解は解けたよ。
きりっとしたクール系美人が半泣きで縋り付く姿ってすごく良いよね。

≪TIPS≫鬼人族
蛮族オブ蛮族。
強靭な肉体を持ち、個体によっては魔術を扱うこともできるオールマイティな種族。
特徴は頭部に存在する角。形状や本数は個体差があり、遺伝の要素が大きい。
角が2本ある場合でも左右対称という訳ではなく、右直螺旋湾曲型・左円錐捻じれ文様など個性にあふれている。
角は固く、髪の毛のように成長を続けるため、整角屋という職業が存在する。日常生活の為に角カバーが売られていたりする。
鬼族の伝統衣装である着物などを好んで着るのは、Tシャツ等頭をくぐらせる服は角が引っかかって面倒だから。
種族的な性感帯は特にない。オールマイティに気持ちいい。
強い奴は偉いという価値観が根強く、意見の対立があると喧嘩で解決しようとする悪癖がある。特徴的な刑罰に「角割り」という角を根元から削って被害者に渡すというものがある。
他人には攻撃的な反面、身内にはダダ甘であり、特に伴侶や子供に対する庇護欲は群を抜いて高い。
恋人や伴侶が出来るとそれをイメージしたタトゥーを体に入れるのが一般的。
逆に男がいないにもかかわらず見栄を張ってタトゥーを入れることを「生墨女」と呼び馬鹿にする程度には神聖なものである。


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10話 鬼人族アヤメ・リュウゾウジと懺悔の天使

色んなお姉さんを出してきたけど、だんだん種族のネタが尽きてきちゃったよ。
人型で頭が一つで手足が2本ずつでえっちな種族はどこかにおらぬものか。



 俺は地元では負け知らずだった。

 生まれついての剛腕だった俺は、しかし馬鹿力だけの女だと言われるのが我慢ならず、それに釣り合うだけの技量を身に着けるべく鍛錬を積んだ。

 俺の努力は見事に実を結び、同年代はいざ知らず、上の世代と比べても比肩するものなど極僅かしかいなかった。

 だから調子に乗っていたのだろう。

 優れた自分に釣り合うツガイを見つけるのだなどと意気込んで、ラ・ヴィンセルまでやって来て。

 日雇い仕事で稼いだ金で食って遊んで、一週間。

 ドワーフの屋台街を冷かしている時、あの少年の姿を目にしたのだ。

 

 輝く黒髪、つややかな肌、次々に表情を変える美しい瞳。

 彼の隣に小さいのとでっかいのが2人くらいいた気がするけれど。

 買ったばかりの氷菓子が手の中で溶けたことにさえ気が付かないほどに、俺は少年に首ったけだった。

 屋台街から離れていく彼の背中をふらふらとした足取りで付いていく。

 その時の俺には少年を追いかけているという意識さえなかった。

 燃え盛る火に向かって飛び込む虫ように、少年の魅力にやられきっていたのだ。

 

 俺の意識がはっきりしたのは少年がドワーフ工房を出て暫くしてからだ。

 自発的なものではない。

 道の向こう、少年が向った広場に続く1本道のど真ん中にあいつがいたからだ。

 腰には反った片手剣。

 俺より頭一つ小さい体からは、抑えきれない強者の気配がにじみ出る。

 虎の獣人族。

 タチアナと名乗ったそいつ──後にあの【傷なし】のタチアナだと知った──は近づく俺を相手に一歩も引かなかった。

 獣人族の威嚇は髪の毛が逆立つことを俺は知っていたが、タチアナはそうではなかった。

 冷徹な瞳は俺の一挙一動を観察するようで、しかし俺だけを見ているわけではない。

 彼女に一歩近づくたびに、皮膚が泡立つように俺のボルテージが上がっていく。

 

 この女の向こうにあの子はいて、その道の真ん中にタチアナは立っている。

 タチアナと少年はツガイなのだろうと俺は思った。

 これほどの強者の伴侶というならば納得がいったし、これから俺のすることもシンプルにすむ。

 気に入った男にこうやって近づこうとすることも、自分のツガイにすり寄る虫を力づくで叩き潰すことも、どちらも鬼人族の流儀だ。

 あいにくと獣人族の文化には明るくないため確証なんてなかったが、それでも俺は確信していた。

 俺達がそうなのだから、この女も()()()()()()()()

 

「そういう訳で、彼と()()()()()なりてえのさ。

 だからそこを退いてくれねえかな」

「失せろ」

 

 タチアナが俺の予想通りの返答を返した時点で確信は事実へと変わった。

 戦の前口上にしては簡素なものをお互いに投げつけ合って、俺は拳を握り込む。

 既にお互いの拳の間合いの内側だ。ならばやることは決まっている。

 勝った方が我を通すのだ。

 咆哮と共に振りぬいた自慢の拳はあっさり空を切り、逆に俺の横っ面にタチアナの拳が突き刺さった。

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

 負けた。

 敗北も敗北。惨敗だった。

 今日まで生きてきた俺は、狭い世界で威張り散らしていたイキったチンピラでしかなかった。

 鍛えた拳も、母祖から継いだ技法の全ても、あの虎の獣人には通じやしない。

 あいつは一筋の傷さえ負わないまま、俺は見事なまでにボコボコにされた。

 怪我のない場所はどこにもなく、精魂尽きるまで食らいついたものの結局は殴り倒された。

 意識が戻った時はすでに夕暮れ時で、きっとあの少年も既に遠くへ行ってしまったことだろう。

 どれだけの力量差があるのかも分からないまま、いい様に転がされた。

 なんて無様なのだろうか。

 そうして物陰で1人で悔しさに震えていると、俺の顔に影が差した。

 見上げた俺が見たのは、鮮やかな金色の髪。

 天使族の女が心配そうな表情で俺を見下ろしていた。

 

「こんなとこで、何をしているんですか?」

「……見ての通りだよ、放っておいてくれ」

「そのままだと風邪ひきますよ。

 一体何があったんですか?」

 

 普段の俺ならば怒鳴りつけていたのかもしれない。

 ただ、自信というものを粉々に砕かれた今はそんな気にはなれなかった。

 これ以上の恥の上塗りなんてしたくはなかったし、縛られた状態で脅しても滑稽なだけだという自覚もあった。

 

「何があった、か。

 お前は聞きたいのか?」

「鬼人族がボコボコに顔を腫らして、その上縛られて転がっていたら誰でも気になりますよ」

「確かにそりゃそうだわ」

 

 自分の現状を客観的に説明されて、俺は思わず笑ってしまった。

 何をしているんですか、って訊きたくもなるわな。

 悔しさは未だに心に残っているが、少しだけ心が軽くなった。

 だからお節介な天使族に、お礼もかねて口を滑らせることにしたのだ。

 

「俺は地元で負け知らずだったんだが……」

「長くなりそうなのでそこら辺は端折ってください」

「……ドワーフの屋台街を冷かしている時なんだが──」

 

 良い性格してるなこいつ。

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

 私が彼女を発見したのは偶然だ。

 ヘンリーを見たという目撃証言をたまたま聞いた私は、パン屋の店番もそこそこに目撃情報を辿って製錬特区を走り回り、ダメ元で特区の外れにある広場へ向かう途中に見つけたのだ。

 物陰に何かいるな、と思って目をやれば、デカい図体した変なのが縛られて転がっているではないか。

 その場で衛兵を呼ばなかったのは、彼女が酷く落ち込んでいるように見えたからだ。

 しょぼくれた大型犬を思わせるその背中に思わず声をかけてしまったのはそのせいだ。

 

 アヤメは外見に反して意外と話せる女で、途中で茶々を入れても気にした様子もなく緊縛鬼女状態になるまでのあらましを語ってくれた。

 要約すればヘンリーに一目惚れしてタチアナにボコられたということらしい。

 ヘンリーの色香に惑わされた女がまた一人増えてしまったか……。

 罪な男だぜヘンリー。

 しょんぼりしたアヤメを見て、とりあえず彼女の誤解を解いておくことにした。

 

「タチアナはヘンリーの護衛なだけで、ツガイじゃないよ?」

「まじかよ……。あんなに強いのにあの子と結婚できねえのか……?」

 

 衝撃の事実、という顔で恐れ戦くアヤメには悪いけど、その通りなんだよね。

 ラインバッハ家は戦闘力という点で既に十分な戦力を保有している家だ。ヘンリーに何かあればラインバッハの悪夢が再来しかねないし、最悪の場合は竜が出張ってくる。

 もしもアヤメの行為が成功していたらこの程度では済まなかっただろう。

 

「……ん? ヘンリーっていうのはあの子の名前か? 

 何でお前が知ってるんだ?」

「そりゃ私は幼馴染でお姉さんだからね、マックガバン家(わたし)ラインバッハ家(ヘンリー)は家族ぐるみの仲なの」

 

 ふふーん羨ましいだろう。

 マックガバン家とラインバッハ家はズッ友なんだ。

 優越感に浸る私を無視して、アヤメはヘンリーの名前を何度も呟く。

 

「ヘンリー…、ヘンリー・ラインバッハ…それが君の名前か。

 なんて美しい響きだ」

 

 この国じゃ割と普通の名前なんだけどなぁ。

 というか出会ってから今まで、彼女はずっと縛られたままなんだけどそれは良いのだろうか。

 胸や腰に縄が食い込んでるけど痛くはないのか。

 縄をほどいて欲しいと言われなかったから放置してきたけど、流石に見てて可哀そうになってきた。

 緊縛姿でしょぼくれてる彼女の姿は、かつて私がヘンリーにセクハラし過ぎて裸吊りされた過去を思い起こさせる。

 ボコボコにされた上に魔力封印の魔道具で縛られたから自己治療すらできなくてすごくしんどかったんだよね。

 だから彼女がどうにも他人には思えなかった。

 

 私は悩んだ。

 目の前の恋する乙女状態の女をラインバッハ家に紹介するかどうかだ。

 おそらくアヤメはヘンリーを諦めようとはしない。

 そしてこの国の常識を、守るべきルールについてかなり疎いところがある。

 変に付きまとった挙句に一線を越えてしまえば、彼女はきっと不幸な目に合うだろう。

 それは嫌だった。

 少し話した程度の関係だが、彼女が純朴な性格だということは良く分かる。

 誰かが少しだけ手助けさえすれば、きっと彼女は正しい選択が出来る女なのだと思う。

 

 私はさらに悩む。

 それはつまり、ヘンリーを取り巻く女が増えるということで。

 恋のライバルが私の手で増えかねないということだ。

 悩み、悩んで。

 とりあえずアヤメの負傷を治癒魔法で回復させながら頭を巡らせる。

 じんわりとした治癒の光を受けて、アヤメはようやく顔を上げた。

 

「治療してくれるのか、有難てえ。

 やっぱあの子の幼馴染だけあって優しいんだな」

「……そうね」

 

 考えても答えが出なかったのだからしょうがない。

 しょうがないから助けてあげる。

 私はヘンリーの幼馴染だものね。

 幸い骨は折れていなかったから治療は早々に完了した。

 はえー、という顔をした彼女の縄に手をかける。

 やけにきつく縛られた縄は中々外れなかったけど、なんとか彼女を緊縛鬼女状態から開放できた。

 私に何度もお礼を言いながら立ち上がる彼女を見上げて、私は胸を張って言う。

 

「助けてあげるから着いてきなさい。

 ヘンリーとクラウディア様と、あとタチアナに謝りに行くわよ」

「それは助かるけど、本当にいいのか? 

 俺に返せるものがねえよ」

「良いのよ」

 

 お礼が欲しくてした訳じゃないの。

 私はヘンリーのお姉さんで幼馴染なんだから。




≪TIPS≫天使族・追記
豊富な魔力を持ち、魔術全般を得意とするほか、治癒系の魔術への適性は群を抜いている。
大戦時は堅牢な障壁魔法を身に纏い大規模魔術を連発しながら、傷は自己治癒で治すというワンマンア-ミーっぷりを発揮した。
マジギレ魔力完全駆動状態だと頭上に光の環が浮かぶ。
背中の羽は飛行のために存在する器官ではなく、フェロモンを放出する触手に近いものであり、抱擁時に獲物を翼で包んで逃がさないためか見かけによらず力強く強靭である。
同種族と嗅覚の優れた一部の種族のみ分かる程度のフェロモンでマーキングする。
羽の膨張は性的興奮とリンクしているが他種族にはあまり知られていない。
実質的にちんちんのため、勃起した羽で相手に触れること自体に強い快感を持つ。
奉仕を好む種族傾向が強く、おはようから墓場までありとあらゆるお世話をしたいとか考える程度には独占欲と執着心が強い。
好きな体位は翼で包んだ状態でする対面座位と騎乗位。


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11話 アラクネ族エレン・ヴェークマンと勝鬨の声(無言)

ちなみに前回の最後でエリー同伴で謝罪に行ったアヤメちゃんは、門前で遭遇したタチアナちゃんに有無を言わさず再度ボコられたよ。可愛いね。
今回登場するのは感想で見たいって意見があったから追加したアラクネ娘ちゃん。
勝気な生意気ロリ幼馴染お姉ちゃんだよ。
名称:エレン・ヴェークマン
体格:82cm、上半身がロリで下半身が蜘蛛(ハエトリグモのような太く短い脚と腹)、サラサラショートヘアーの青い髪
種族:アラクネ族
年齢:13歳
備考:色を知る年頃


 アラクネ族の朝は早い。

 朝日とともに目が覚める習性は狩猟種族の血によるものだろう。

 都市部に生活拠点を移してもこの身に刻まれた本能には抗えない。

 背伸びをして眠気を振り払った私はベッドから降りると、昨日寝る前に絞っておいた糸束に目をやった。

 朝日に輝く銀の糸。

 アラクネ族にとっての成人の証。

 この国の法律上の成人は15歳からだけど、2年程度は誤差のようなものだ。

 糸を吐き出した以上はもう成人と同じよ。

 

 1階からは私よりも前に起床した母が朝食の準備をしている音がする。

 あまりのんびりしていると朝食を抜かれてしまうし、なによりも今日はヘンリーの所に会いに行くのだ。

 こんなところで時間を浪費していては、彼との時間が目減りしてしまう。

 私は手に取ったアラクネ糸を机に戻して1階の台所へ向かうのだった。

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

 私は彼の家に着いた時。

 ラインバッハ家の修練場に木剣がへし折れる音が響き、角の生えた巨体が宙を舞うのが見えた。

 殴り飛ばされた人は鬼人族のアヤメといって、ヘンリーをストーキングしてタチアナにボコられた人だそうだ。

 前科だけを見るなら犯罪者予備軍の彼女がこうしてこの家の門を潜ることを許されたのは、私の友人でもあるエリーの関与によるものらしい。

 エリーの口利きで警備員の一人として雇うことになった彼女は、今は試験期間ということでタチアナに扱かれつつ、ヘンリーへの対応に問題ないかを図っている最中らしい。

 芝生が剥げて踏み固めた地面にはいくつもの折れた木剣が転がっていた。

 ヘンリーに言い寄った女ということで、彼に会いに行くついでに直接確認しに赴いたのだが、やはり杞憂のようだった。

 エリーもタチアナもそういった気配には敏感な質であるし、なによりもあのクラウディア様を欺くことなど不可能だ。

 彼女たちが曲がりなりにも許可したという時点で、アヤメの人間性は証明されたと言っていいだろう。

 それでもこの目で見もしないで判断することなんて私には出来なかった。

 狩人の性といったところだ。

 

 タチアナに殴られては即座に飛び起きて突っ込んでいく様子を見るに、アヤメと話が出来るのはしばらく先になるだろう。

 木剣の殴打音を背に、私はヘンリーの元に向かう。

 激しく打ち合う二人から少し離れた整地された芝生の上で、ヘンリーは一人で剣の型を練習している。

 彼の背中が目に入った瞬間、私は本能的に気配を殺して隠密歩行に切り替えた。

 アラクネ族の足は音を出さない。

 物陰から音もなく忍び寄り、強靭な脚力で間合いを食いつぶして獲物を捕らえる狩人が私たちだ。

 

 無防備に背中を見せるヘンリーが悪いんだからね。

 普通に声をかけるなんてもったいなさ過ぎて我慢ができない。

 私は本能が命じるままにヘンリーの背中に飛びついた。

 

「つっかまえた!」

「ぅわあ! ……ってまたエレンか。びっくりした」

「捕まる方が悪いのよ、油断大敵ってね」

 

 もちろんヘンリーに怪我なんてさせてはいない。

 綺麗な芝生の上であることを差し引いても、狩りについて熟知しているのが私たちアラクネ族なのだから、不意を突いて無傷で押し倒すぐらい造作もない。

 更に言えばタチアナから師事を受けるヘンリーには彼女の教えた技術がちゃんと根付いている。

 空中で位置を入れ替えて組み付いたまま背中から芝生の上に落とすと、彼はきれいに受け身を取ってみせた。

 私はそんなヘンリーのお腹の上に跨って、彼を見下ろして顔を寄せる。

 ヘンリーを押し倒しているという状況に、腰から走る快感を堪えきれず思わず笑みがこぼれた。

 

「ぅわあ、だって。ふふふ」

「お、驚いたんだから仕方ないでしょ。

 なんでいつもこうやって背中から飛びついてくるさ」

「ヘンリーの背中が無防備だったからよ」

 

 アラクネ族にあんなにも蠱惑的な背中を見せつけておいてなんて言い草だろうか。

 ヘンリーは自身の卑猥さを自覚するべきだと思う。

 いつもいつも私の本能を刺激するような姿を見せつけてくるのが悪いんだ。

 そうやって得意げな私がヘンリーの頬っぺたをぐにぐにと捏ねていると、ヘンリーが急に私の背中に手を回してきた。

 思わず手を離した私を胸に押し付けると、まわした腕で支えながらヘンリーは身を起こしたのだ。

 

 びっくりして声が出なかった。

 背中に回った手はそのままに、胡坐をかいた膝の上で彼に寄りかかる形だった。

 私は頬をくっつけたまま見上げると、悪戯を成功させたようなヘンリーの顔。

 してやられた。

 勝利宣言のつもりなのだろう無言で笑う彼に「まいった」とばかりに体重を預けて、改めて彼の胸に耳を寄せる。

 この少年には受け止めた好意にそれ以上の好意で返そうとする度し難い性質があった。

 全く持って度し難いにもほどがある。

 まるで底無しの沼のように一度入り込めば最後、二度と抜け出せない。

 少なくとも自分には無理だという確信があった。

 

「ねえエレン、何の用事でうちに来たの?」

「ふーん」

「悪戯したのは謝るから、へそ曲げないでよ」

 

 怒っているのは悪戯にではなく、むやみやたらと性癖を捻じ曲げてくるところだぞ。

 現に今も困った顔をしながら私の髪をあやす様に梳いている。

 そういうところだぞ。

 

「私ね、この間から糸が出せるようになったの」

 

 顔を背けて私は言う。

 彼はこちらを見ているのを肌で感じるけど、流石に目を合わせて言うのは気恥ずかしい。

 誤魔化す様に彼の胸に頬を擦りつける。

 

「だから、ヘンリーの服を作りたいなって」

 

 そっと窺うように彼を見ると、ヘンリーの視線とかち合った。

 

「良いの?」

「良いのよ」

 

 ヘンリーは悩ましいと言うように眉を寄せた。

 てっきり喜んで了承するとばかり思っていた私にとって、その反応は思いもよらないものだった。

 呼吸を忘れて凍り付く私にヘンリーは困った顔で続けた。

 

「アラクネ糸って高級品でしょ? それにエレンに返せるものがないし」

 

 服なんて作ったことないんだと彼は言う。

 ああ、そっちか。

 服を作るだけの労力に釣り合うものが返せないと言ってるのか。

 表情一つ、言葉一つでこっちの情緒をぐちゃぐちゃにして。

 本当にそういうところだぞ。

 

「良いのよ。()()()()()()()()()()()

「本当に良いの?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「分かった。約束する」

 

 はい言質取った。

 約束したからね。

 反故にしたら本当に許さないんだからね。

 何度も念を押す私に、何かお返しを考えておくよ、と嬉しそうに了承する彼を見て、私は内心でガッツポーズしながら勝鬨を上げた。




大胆な結婚の約束は幼馴染の特権

≪TIPS≫アラクネ族
成長しても100cm程度の身長にしかならない永遠のロリ。
成人男性と並んで立つと股間のあたりに頭が来る。
腕力に劣るが俊敏性、隠密性に優れた生来の狩人。
蜘蛛の尻にあたる部分から吐き出す糸はアラクネ糸と呼ばれ、滑らかな手触りと強靭さを併せ持つ高級品であり、アラクネ族の女性が初潮を迎えるのと同時期に糸の生成が可能になる。
アラクネ族が吐き出す糸で最初に作るのは将来の伴侶と自分の結婚衣装であり、その次に作るのは自分が生むだろう子供の産着。
婚姻した後も出産するまで延々と家族の衣類を作り続ける為、市場に流れるアラクネ糸の多くは経産婦の吐き出した糸である。
寒さに弱いため伴侶の体で暖を取とるというのが彼女たちの主張であるが、別に冬でなくとも暇があれば張り付いている。
意中の男性に対する追いかける、押し倒す、縛り付ける等の狩猟に似た行為は求愛行動の延長。
伴侶と認めた男を見初めた場合、どこまで逃げようとも追いかけて捕獲する執着心が特徴であり、彼女たちのテリトリーである森の中で逃げ切ることは困難を極める。
足よりも深い水場だと浮き輪のように胴体が浮かぶ為、アラクネ族に追われた場合は泳いで逃げることは森に近い場所に暮らす者の常識だが、多くの場合で獣人族と共生関係にある為に逃げ切れた者はいない。
好きな体位は対面座位と騎乗位。
満足するまでは絶対に上から降りないし、満足しても上から動かない。


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12話 竜人族ヒルデガルドと煌めく指輪

小さい頃から知ってる幼馴染組には平気でスキンシップするしされるけど、知り合って数年の大人組にはちょっと照れちゃうそんな感じ。
恋愛クソザコドラゴンには余裕で膝枕してたって? そうねぇ…。
タチアナさんは軽く脳破壊したから次はヒルダちゃんの番だよ。


 衝撃の膝枕寝落ち事件から数日、なんとかクラウディアに謝り倒して許してもらった私はヘンリーの元を訪ねていた。

 

 ヘンリーの膝という天国のような心地よさを知ったあの日。

 まるで揺りかごで微睡むような安心感から一転して背筋を走る戦慄に従って飛び起きてみれば、憤怒のオーラに満ちたクラウディアの姿がいた。

 正直めちゃくちゃ怖かった。

 角を折られた時以上の過去一番の恐怖だった。

 言い訳のしようがなかった私は、彼女に縋り付いて恥も外聞もかなぐり捨てて必死に平謝りをし続けたのだ。

 お目付け役として部屋に残っていたメイド2人の証言と、何よりヘンリーの助け船がなければ私の命はなかったかもしれない。

 でも仕方ないではないか。

 膝枕は私の夢だったのだ。

 あの色気に抗える者だけが私に石を投げるがいい。

 

 あの後は当然ながらラインバッハ家から叩き出されたが、謝罪品を山ほど抱えた連日に渡っての陳謝が功を奏して今日のヘンリーとの面会が叶ったという訳だ。

 事件後はメイドのローザからも多少は冷たい目で見られたものだが、今回の私には秘策があるから安心すると良い。

 私の迂闊な発言のせいでヘンリーに主導権を握らせてしまったことが原因ならば、その逆、私が主導権を握り続ければいいのだ。

 いざという時は懐に忍ばせた秘策を使えばいいのだ。

 勝ったなふはは。

 さあ、今行くぞヘンリー! 

 首を洗って待っているがいい! 

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

 前回と同じ応接間で出迎えてくれたヘンリーには変わった様子はなかった。

 彼の度量の広さは重々承知であるが、万が一、情けない奴!とでも思われて嫌われでもしていたらと居てもたってもいられなかったのだ。

 ヘンリーに会えない間に市井に溢れる指南書*1を読み込んできたのだ。

 今日の私は一味違うからな。

 

 ヘンリーは普人族の男児ということもあって、私たちのように自由に街を歩くというのは難しい立場だ。

 ラ・ヴィンセルの治安が良いとはいえ、ラインバッハ家の威光が通じない無頼女というのはいるものだ。

 特に国に来たばかりの国のルールを知らぬ相手というのは面倒極まりない。

 そういった相手に絡まれるようなことを避けるためにも、散歩一つであっても護衛をつけなければならないのが彼の現状だった。

 満足に外を歩けない不自由を強いる者に、せめて家の外の出来事を話して無柳を癒すことは、将来この国を背負って立つ竜人族の使命のようなものだ。

 決してヘンリーに会いたい一心で無理に時間を作っているわけではない。

 それに私が親しい普人族の少年は彼一人だけだなのだから、必然的に私が会いに行く相手は彼一択なのだ。

 まあ市井のことなら彼のメイドのタマラから色々聞くことだろうし、私は彼がいずれ足を踏み入れる上流階級の話を中心に語っていく。

 

 今の話題は議会に名を連ねる有力者とその身内についてだ。

 向かい合って椅子に座りながら、私はピンと立てた指の先に空間投影魔法で人物像を投射する。

 薄い水色の髪、歪曲しながらも天を衝く2本角に、隠しきれない傲慢さをにじませる竜人族だ。

 

「こいつはアウグスタ・シュタイエルと言ってな、【水のクフェルナーゲル】に連なる一族の出だ。

 とにかく性格が悪くて、他人の伴侶であろうとも平気で閨に誘うような淫売だ。近づいてはならんぞ」

「淫売ってことはお金をもらってそういうことをするってこと?」

「んんっ!? い、いや、あれだ、金銭でそういったことを強要するような奴という意味でな」

「なるほど、淫売か…」

「本当に分かったか? 近づいてはならんのだぞ」

「近づかない近づかない。それにそういうときはヒルダが守ってくれるんでしょ?」

「む、それは、まぁそうなんだが」

 

 何でちょっと興味を持った風な反応をするんだろうな。

 普通の男児なら嫌悪したりするのではなかろうか。ヘンリー以外の男を碌に知らぬから判断がつかない。

 私はとりあえずアウグスタがヘンリーに近づいてきたら殴り飛ばすことを心に決めた。

 

「こいつはジモーネ・フントゥゲボールト。先ほどのアウグスタの従妹にあたる奴だ。

 こいつも淫売だ」

「淫売か……」

「本当に近づくなよ?」

 

 本気で心配になってきた。

 ヘンリーはとにかく無防備さだからなあ。

 心の殴り飛ばす奴リストにジモーネの奴も追加していると、ヘンリーが少し屈んでテーブルの上のクッキーに手を伸ばすところだった。

 今日のヘンリーは胸元に余裕のある服装で、普通にしていても鎖骨がチラ見えする有様だ。

 そのまま屈んだりしたものだから、重力に従って胸元がわずかに、ほんのわずかに緩んで胸元の奥に肌色が一瞬だけ見えたことを私の眼は見逃さなかった。

 そして同時に服の下に細い鎖状のネックレスを着けていることも。

 

 はて、今までヘンリーはああいったアクセサリー類を身に着けていただろうか? 

 私は出会った当初からの記憶を脳内で再生して確認するが、着けてはいなかったと思う。

 そもそも彼自身にアクセサリーを自分で購入する趣味そのものがなかったはずだが。

 何故だかとても嫌な予感がする。

 良くない想像が頭を駆け巡る。

 

「……お、おやヘンリー、今日は珍しくネックレスをしているのか。

 それは…」

 

 いつのまにか口の中がカラカラに乾いていた。

 唾と一緒に息を飲み込む。

 

「それは、誰かのプレゼントだったりするのか?」

「実はそうなんだよ」

 

 ひぎぃ、と声にならない悲鳴が漏れた。

 幸いなことにヘンリーには届かなかったようで、「いやー見えちゃってたかー」なんて照れ笑いしている。

 いや、待て、落ち着け。

 ただのチェーンネックレスだろう。

 ヘンリー程の男児なら他の女に贈り物くらい貰って当然だし、気に入ったデザインなら身に着けることだってあるだろう。

 そもそも警戒心のかわりに包容力を詰め込まれて生まれてきたような彼のことだ、プレゼントを身につけないと相手に悪いなんて考えてもおかしくはない。

 そうだ、何もおかしいことはない。

 ないのだ。

 というか混乱のあまりつい口に出てしまったが、胸元を覗いてましたと自白したようなものなのにそっちには触れもしないのか。

 未だに胸元に視線を送る私を見て、ネックレスに興味があるのだと勘違いしたのだろう彼は胸元を開いてそれを取り出して見せた。

 もちろん肌が覗いた瞬間を私は見逃さない。

 

「一昨日にドワーフのダリアって子から贈り物をもらったんだ。

 ほら、綺麗でしょ」

 

 そう言って彼の鎖骨から視線を動かして服の下から引っ張り出されたばかりのネックレスを見る。

 精巧に編み込まれた細い鎖。

 そしてその先にある彼の掌に乗った指輪。

 指輪だ。

 なんてことだ。

 私の表情筋はギリギリで仕事をしているようで、ヘンリーは気づいた様子はなかった。

 

「て、手に取って見てもいいだろうか」

「良いよ。ほら、凄い出来でしょ」

 

 ヘンリーはあっさりと了承すると、首の後ろに手を回し、ネックレスを外して見せた。

 見せるだけでなく、私に直接触らせるのならば、それほど深い仲ではないのか…?

 たしかドワーフ族には男性に自分の手作りの贈り物をする習慣があったはずだから、おそらくはそれだろう。

 ようやく平静を取り戻した私は、先ほどのヘンリーの動きを思い返すだけの余裕が生まれていた。

 男の子のネックレスを外す仕草ってなんか良いな……。

 

 ヘンリーは私の手の上に外したネックレスを乗せた。

 彼の体温が移ったそれは、金属なのにほのかに暖かい。

 思わず唾を飲んでしまったが、気を取り直して見分していく。

 名のあるドワーフの作品なのだろう、材料、質、作り、どれをとっても一級品だった。

 自己主張を抑えたデザインはシンプルながらも気品に溢れおり、日常的に身に着けてもらうことを想定している様だった。

 すばらしい出来だった。

 私がヘンリーをイメージして作った指輪にそっくりだった。

 そう、今私の懐に秘策として忍ばせている用意した指輪と。

 

 まさかのプレゼント被りであった。

 

 私の受けたショックは計り知れないものがあった。

 たった数日、わずかそれだけで、ここまでの大きな差を付けられるとは。

 仮に今プレゼントしたとして、このネックレスのように常日頃から着けてくれるだろうか。

 そもそもドワーフからのプレゼントってことは、そいつの手作りということでは。

 金額なら私の指輪の方がはるかに上だろうが、彼は金額の多寡で喜び方を変える男ではないし、私がデザインしたオーダーメイドとはいえ私が手作りしたわけではない。

 これってアレでは? 「金に飽かせた金持ちの女が贈り物をして、でも真心籠もった手作りの贈り物には勝てません」的な恋の当て馬ポジションではないのか。

 この前、指南書で見た奴だ。

 どうしよう。

 本当にどうしようか。

 

「……、いい指輪だな。作ったのはダリアという者か。どういう女なのだ?」

「ダリアは精錬区画に店を持っている子で……」

 

 ヘンリーにネックレスを返すと彼はそれをテーブルの上において、製作者のドワーフについて語り始める。

 私が興味を持ったと思ったのだろう、彼女自身というよりも、彼女の作り出すものとその腕前を中心とした話しぶりだった。

 ああ、興味を持ったとも。腕前にも、そのダリアとかいう女にも。

 このことは絶対に忘れんからな。

 未だに頭の混乱は収まる気配がなく、指輪をプレゼントする踏ん切りがつかめないまま時間だけが過ぎていく。

 ヘンリーの笑顔がやけに眩しかった。

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

 手を振るヘンリーに見送られて、私とローラは連れ立って屋敷を後にする。

 結局指輪はプレゼントできなかった。

 余人からの視線を遮った馬車の中で、私は思わずローラに縋り付いた。

 

「ローラぁ…」

「はい、お嬢様」

「贈れなかったよぉ…ローラぁ…」

「見ておりました」

「なんでデザインまで丸被りなんだよぉ! おかしいだろ!」

「お二人ともヘンリー様をイメージしたからでしょうね」

「あれでプレゼントなんてしたら私は当て馬そのものではないか! 

 なぜじゃ! めっちゃ考えに考えてあのデザインに決めたんじゃぞ!」

「お嬢様が製錬技師と同等のデザイン力だったのは今回に限っては不幸なことです」

「そんなことってあるものか! うわあああん!」

 

 私は今までの自分をかなぐり捨てて、ローラの胸に顔を埋めながら声をあげて泣いた。

*1
恋愛系の小説と漫画(少女漫画含む)




女からのプレゼントを身に着けたまま違う女と応対する奴がいるかよ。
それが居るのさ、ここに一人な!
クソ情けない主人の泣き顔を見てローラさんは新たな扉を開いたよ。忠誠心も爆上がりだよ、良かったね。

ちなみに考えなしに結婚の約束をしているように見えるヘンリー君だけど、そもそも普人族の男に生まれた以上は重婚は避けられないことだし、自分の近くにいるという時点で母の選別は受けた結婚相手の候補であることは何となくわかってるんだよね。パッパも重婚してるし。
でも結婚後の妻の序列とか力関係とかを一切考えてないからホイホイと贈り物だの約束だのをしちゃうんだ。アホだね。


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13話 ヴァンパイア族 ルイーゼロッテ・ガルトナーと導きの月光

キャラ設定考えてたら髪が白いだけの刑部姫になっちまったぜ
イチから考えてたはずなのに…どうして…。
名称:ルイーゼロッテ・ガルトナー
体格:166cm、わがままおっぱい、眼鏡、紅色のたれ目、ぼさぼさ白髪
種族:ヴァンパイア族
年齢:420歳(普人族換算で21歳)
備考:漫画家


 この国においてヴァンパイア族は竜人族に次いで数の少ない種族だ。

 理由は大きく分けて2つ。

 1つ目の理由は竜人族と同じく出生率が低いこと。

 これは長命種族における共通の特徴であり、取り立てて珍しいことでもない。

 いくらヴァンパイア族が血を分けることで眷属を増やすことができるとはいえ、伴侶でもない相手と血を混ぜ合わせるなんて、股の緩い阿婆擦れのような真似が出来るわけがない。

 残った2つ目の理由は、正直に言えば少し情けない話だ。

 まず、主な活動時間が夜間であるため、他種族の多くの者たちと生活がかみ合わないこと。

 そして身内以外への警戒心が強いせいで他人と友好関係を築くことを苦手としていること。

 簡単に言ってしまえば、昼夜が逆転した引きこもり気質で人見知りが激しいのが我々ヴァンパイア族というものだった。

 無駄に頑丈かつ再生能力のある肉体があろうとも、性根が陰キャでは対人関係で無力でしかないのだ。

 

 そんな恋愛雑魚種族のヴァンパイアである私にも、理解のある彼君はいるんですけどね? 

 まだ正式に付き合ってるわけでもないし、告白はまだだけども、実質的にはもう彼氏彼女みたいなものよ。

 だってこの間、こっそり血を吸わせてくれたからね。

 首筋からなんてはしたない真似は勿論してないよ。吸ったのは手首からだよ。

 でも手首から一舐め程度でも吸血を許すってことはそう言うことだよね。

 まさに天国に上るような味だったよ。

 普人族の血液があんなに高価で取引されてて、それ以外が格安だった理由が改めて理解できたね。

 あれを知らないなんて人生の半分くらいは損してるよ。

 彼らの血のためなら何度となく肉体が血煙になってもお釣りがくるよ。

 ご先祖様はさぞかし頑張ったことだろうね。

 

「君もそう思うだろ?」

「手が止まってますよ先生。

 締め切りまでもう2日しかないんですよ。

 そんな暇があると思ってんですかこのボケナスがよ」

「ぴえん」

「ぴえんじゃねーよ殺すぞ」

 

 はい、ごめんなさい。

 黙って作画続けます。

 漫画の人気が出始めたのは良いことなんだけど、この作業量を私とアシちゃん2人で回すのは限界が近いね。

 碌に家に帰れてないからかアシちゃんのご機嫌も斜め状態がデフォルトになりつつある。

 でも人は増やしたくないんだ。

 最近になってようやくアシちゃんと仲良く会話できるようになってきたのに、ここで新しいアシちゃん2号を増やしたら私が会話からハブられてしまう。

 そんなことされたら寂しくて死んでしまうよ。

 どうしたらいいんだろうね、アシちゃんはどう思う? 

 

「あァん?」

 

 はい、ごめんなさい。

 アシスタント増やします。

 アシちゃんの睡眠不足からくる眼光と恫喝に屈した私は、口をチャックして机に向かい直すのだった。

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

「終わったー!」

「はいお疲れさまでした。

 私はこのまま帰って寝ますけど、私が次に出勤するまでに追加のアシスタント補充しといてくださいね」

「アシちゃんも一緒に面談しようよー。ご飯奢るからさー」

「私は帰って寝ますんで」

「そこをなんとか!」

「お疲れ様っしたー」

 

 けんもほろろって感じだ。

 取りつく島もなく仕事部屋を後にするアシちゃんの背中が遠いよ。

 知らない人と話すのってすごく疲れちゃうんだよね。

 それを二人っきりで仕事の話なんてもう地獄みたいなもんだよ。

 嫌だなあ。

 でもやらないと仕事にならないし、このままだとアシちゃんにも嫌われてしまう。

 うーん。

 やっぱり嫌だ。

 でもやらないとなあ。

 

 こういう気が滅入ってどうしようもない時に私が頼れるのは一つだ。

 我々ヴァンパイア族が愛してやまない吸血行為だけが、愛しの彼君の血をちゅーちゅーすることだけが私に踏み出す勇気を与えてくれるんだ。

 そうと決まればヘンリー君ちに出発しよう。

 守衛さんも護衛のタチアナちゃんも顔見知りだし、ノーアポだけどなんとかなるでしょ。

 うおーいっくぞー! 

 

 そうやって意気揚々とラインバッハ家に向かった私は、その門前で鬼人族に詰問されていた。

 彼女の眼光は鋭くて、私は竜を前にしたトカゲのように委縮して縮こまった。

 知らない人だ……怖いよぉ。

 

「誰だてめえは」

「えっと、……あの、私は、ルイーズゥエ……んっ、ルイーゼロッテ、ガルトナーといいまして……ふへへ」

「はっきりしゃべれ」

「ひぃっ! ルイーゼロッテ・ガルトナーですぅ! ヘンリー君に会いに来ましたぁ!」

「こっちには連絡は来てねえんだが」

「アポなしですぅ」

「……そこで待ってろ。動くなよ?」

「はいぃ!」

 

 着流し姿の彼女は私に背を向けると、知っている顔の守衛さんに声をかけて相談し始めた。

 私を知ってる人居るじゃん……。

 なんでそんなことするの。

 ネガ思考に陥ってる間に結論は出たらしく、さっきの着流しの人はすぐに戻ってきた。

 

「先ほどは大変失礼を致しました。

 ヘンリー坊ちゃんのご友人だと確認が取れましたのでお通しいたします。

 ……で、良いんだよな?」

「良い感じだよアヤメちゃん!」

「あとはお辞儀の角度が少し浅いかな、でも初めてにしては良い感じだよ!」

「へへっ、照れるぜ」

 

 着流しの人の口上と身振りを守衛さんが採点し始めた。

 話しぶりを見る限り、鬼人族のアヤメちゃんという人は新人なのだろう。

 こうやって適当な客人を相手に練習しているっていうことか。

 それはそうと私を出汁にいちゃつきやがってよ。

 でもそれに強く出ることはできない。

 陰に生きる者は陽の者特有の光のオーラに勝つことは出来ないのだ。

 

「ああ、ごめんねルイーズちゃん。

 こっちの子は最近入ってきた鬼人族のアヤメちゃん。

 ゆくゆくは坊ちゃんの護衛になるかもしれない期待の新人だよ」

「アヤメ・リュウゾウジだ。宜しくなルイーズ」

「よ、よろしくお願いしますぅ」

 

 呼び捨てぇ……、まあ良いんだけどね。

 寄ってきた守衛さんはアヤメちゃんの肩をばしばし叩きながら紹介してくれた。

 付き合いなら私の方が長いのに、そこはかとないアウェー感を感じる。

 

「最近はタチアナちゃん相手に良い勝負をするようになったんだ。

 凄いよねえ」

「そのうち俺が勝つから今に見てろよ」

「いやーまだまだ先は長いって。この間の鍛錬中、タチアナちゃんは一歩も動いてなかったんだよ。護衛役になりたいなら動き回るだけじゃなくて踏みとどまる戦い方も覚えないとね」

「まじかよ」

 

 こっちこそまじかよだよ。

 あのタチアナちゃんと日常的に鍛錬してるとか約束された強者の卵じゃんよ。

 改めて彼女の体つきを見ると、良く鍛えられた肉体が自らに課した鍛錬の密度を物語るようだった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 つまりはかなりの強者ということだ。

 ヘンリー君の護衛としては申し分ないね。

 

「まあいいか。ほらついて来いよ、屋敷まで案内するぜ」

「うん、よろしくお願いね、アヤメちゃん」

「またちゃん付けかよ……。まあいいけどよ」

 

 調子に乗って私もアヤメちゃん呼びしてみたけど、案外すんなり受け入れてくれた。

 この子絶対いい子だわ。

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

「久しぶりヘンリー君、元気してた? 

 ちょっと背が伸びたね」

「成長期だからね。そのうちルイズだって追い抜くから」

「ふへへへ、楽しみだなあ」

 

 普人族は成長が早いなあ。

 あと数年で成人するんだったよね、きっとヘンリー君も今よりもっとカッコよくなるんだろうなあ。

 

「今日は仕上がったばかりの原稿を持ってきたんだ」

「また仕上げた直後にうちに来たでしょ。

 ちゃんと休まないと体を壊しちゃうよ?」

「ヴァンパイア族は体だけは頑丈だからね。

 このくらいへーきへーき」

 

 血液飲んでれば一週間くらい寝なくても平気だしね。

 不摂生しても何とかなるから、ヴァンパイア族は皆絵描きだのエンタメ製作側に流れちゃうんだろうなあ。

 私は強固に封印処理した鞄から原稿を取り出す。

 ヘンリー君は私の表向き知られているもの以外に、裏のペンネームも知っている数少ない人物だ。

 今回持ってきたのは裏の方で連載している漫画。

 いわゆるえっちなやつ……の大人しいやつだ。

 ヘンリー君は私の漫画を受け取るとその場で読み始める。

 私はというと、彼が読む隣に座って、彼の姿を上から下までじっくりと鑑賞する。

 はー、まつ毛なっが。その場にいるだけで元気があふれてくるよ。

 今更ながら未成年に自分の書いたエッチな漫画を読ませて感想を聞くなんてかなり不味い気がしてきた。

 まあ未成年って言ってもあと数年もすれば成人するんなら、誤差みたいなもんでしょ。

 

「……どう?」

「良いね」

 

 読了した彼に問いかけると、ヘンリー君は満足げな顔でうなずいた。

 

「安易なエロに走らないで、少年少女の付き合う寸前のいちゃいちゃと、感情の揺れや情緒を中心に据えてるところが特にいいよ。

 こういうので良いんだよ」

「ふへへ、大絶賛だあ」

 

 ヘンリー君ったら編集さんと同じこと言ってる。

 たまにおっさんみたいなこと言うんだよね。

 私の漫画が売れるようになったのはヘンリー君のおかげでもある。

 女性層以外にも男性読者を取り込めるようになったのは、ひとえに彼の存在が大きい。

 ネームで悩んでるときにアドバイスをくれたこともあったし、何より私のモチベーションの維持に大変役立ってもらってきた。

 頑張った後にご褒美があるから、辛い作業にも耐えられる。

 つまりは今日この時の為の苦行だから意味があるのだ。

 

 私はヘンリー君に例のご褒美をもらおうと口を開いて、しかし中々言葉にできずに何度かパクパクと開閉させる。

 いつになってもこの瞬間は恥ずかしい。

 自分の卑しさを自覚するようで、その状況に興奮する自分もまた存在している。

 思わず俯きかけた私の口元に、ふにっとした感触が広がった。

 いつの間にかヘンリー君が差し出した手首の内側に、私の唇が触れていた。

 そっと彼の顔を伺う。

 いいんだよ、と言葉にせずに言ってくれていた。

 右手の手首を差し出したまま、残った左手で私の頭をそっと撫でて、私にそれを促してくれる。

 彼の視線から逃れるようにぎゅっと目を瞑り、恥じるように、許しを請うように、私は彼の手首に牙を突き立てた。

 

 甘い。

 芳醇な香りと言葉では言い表せない多幸感が脳髄を犯し、続く濃密な血の味が思考を塗りつぶす。

 まるで月から零れた雫のようだ。

 ヴァンパイア族の口にするその言葉に嘘偽りはない。

 正しく言葉通り、我らヴァンパイア族が抗うことが出来ない月光そのもの。

 度し難くも美しく、抗いがたく私を導くヘンリー君の味だ。

 

 吸血行為に痛みはない。

 量にして数滴の雫程度の量を私は舐めとって、繰り返したことで癖になった回復魔法で傷を治療する。

 もっと飲みたいという欲求をねじ伏せるのは大変だった。

 名残惜しさに耐えきれず、傷跡のない彼の綺麗な手首に何度も唇を落とし、甘く噛みついて、舌を這わせる。

 吸血の代償行為だと自分で自覚していても、私には止めることはできない。

 いつまでも手首を咥えて離さない浅ましい私を、ヘンリー君は突き放すことなくこの情動が収まるまで頭を撫でて優しく受け止めてくれていた。




特に話のオチはない
難産の割にはあんまりえっちに書けなかったが許せサスケ
僕ヤバは良いぞ

≪TIPS≫ヴァンパイア族
夜のつよつよタンク種族。
肉体強度と治癒能力に優れ、特に能力が最高潮となる満月の夜ではほぼ不死身である。肉体がミンチどころか血煙になろうとも即時再生して殴り返してくる光景は正しくホラーのそれ。
赤血操術みたいなこともできる。
普人族の血を好み、他種族の血は栄養補給のカロリーバーみたいな扱いをされる。
なお肉も野菜も穀物も普通に食べる。主食は米。
陰キャ属性で引きこもり気質のため、文化・芸術方面への種族的な傾倒が強い。
普人族が長命種族と付き合うための抜け穴その1。
他種族に血を分け与えることで眷属とすることができる。愛する伴侶に行うような神聖なものであるため、ヴァンパイア族1人に対して眷属はほぼ1人である。
悪魔族と近隣種であるため、つがいに対しての噛み癖も同じ。
首筋からの吸血は伴侶にのみおこなう行為であり、キスマークであり、マーキングであり、この世の唯一人に捧げる愛の証である。
性癖は噛み癖と吸血行為。
隠れM属性なのも悪魔族と共通している他、ベッドの上で主従が逆転して、男から逆に組み敷かれて噛みつかれることをヴァンパイア界隈では「リバカプ行為」と呼称して親しまれている。


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14話 虎人族タチアナと戦場秘話

今回はセクハラはないんだ許せサスケ。
おねショタが見たかったら読み飛ばして問題ないよ。
ヘンリーママとタチアナちゃんの凄いところを描写したかっただけなんだ。


 今から1年半程度前のこと。

 あたしが戦場で剣を振り回し、未熟な力と理に酔って過信していた時の話だ。

 

 当時はまだ傭兵だったあたしは、ギルドの発令した一級戦術発令(大規模クエスト)に参加した。

 国境付近で発生した正体不明の反乱と思われる何かを鎮圧するのがクエスト内容だった。

 国の目が届きにくい国境付近で勢力を拡大した犯罪者くずれが、調子に乗ってあーだこーだというよくある奴だと思ったんだ。

 あたしの他にも報奨金目当てに腕自慢が振るって参加したわけだが、蓋を開けてみれば相手は盗賊どころかトチ狂った特級死霊術師で、どこから仕入れたのかアホみたいな量の死霊の群れを率いて暴れまわってる戦場に碌な情報もないまま突っ込む羽目になったわけだ。

 

 あ? 斥侯は出したのかって? 

 出したに決まってんだろ、先手必勝が戦場の基本だぞ。

 それでもそこそこ見晴らしの利く平原のど真ん中で不意の遭遇(エンカウント)したのさ。

 聞いて驚けよ、連中な、操った死体で地中を掘り進んで作ったトンネルで進軍してたのさ。

 地中のわずかな振動に気付いたのは、流石は凄腕の斥侯ってことだな。

 そんで魔術使える奴らで試しに地面を割ってみたら、空いた穴から死体が次から次へとワラワラ湧いてきた。

 おそらくは国境から平原を抜けた先で国を強襲する算段だったんだろうな。

 平原の先にはいくつも村があったから、胸糞悪い話だがそこで材料を補充するつもりでもあったんだろう。

 ところが想定よりも早くあたしたちが感づいたものだからその算段が狂ったわけだ。

 流石にいくつも村や街を平らげた死霊の群れともなれば、それはもう区分としては戦争の類だ。

 発令等級も特級レベルになっていただろう。

 こうして「クラウド平原の死霊反乱」の戦端は開いたのさ。

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

 生者ならとうに動けなくなる損壊も、動死体は許容したまま戦闘が可能だ。

 地中から出現して最初は面を食らった醜悪な死体も、結局のところは数が多くて殺し難いだけだ。

 出現ポイントはまちまちだが、最初に開けた穴から差ほどの距離は離れていない。

 効率優先で真っすぐに一本のトンネルを掘っていたのだろう。

 多少の横道を増やしたところで、その先頭を叩いた以上は死体がやって来るのは前方の一方向だけだ。

 もしも地中の穴を蜘蛛の巣のように張り巡らされていたら、タチアナたちは今頃は為す術もなく敗走していた。

 足止めと時間稼ぎの間に構築した大規模魔術で戦線を強引に整理した結果、多少の余裕とともに援軍が到着するまでの戦線を維持できていた。

 

 その膠着状態に、一体の異形の動死体が地面を割って出現した。

 ぱっと見ではアラクネ族のような形の身の丈は6mを超えたそれは、歪な6本の足で巨体を支え、人型の胴体からは太い腕と細い腕が2本ずつ生えていた。

 

 土埃が晴れるにつれて、その醜悪さがより詳細に浮き彫りになった。

 手足や胴体はいくつもの死体を混ぜ合わせて出来ていて、頭髪のない頭は2つ前後を向き、視野角を増やす為か胴体のいたるところに瞼のない眼球が捻じ込まれていた。

 

 悍ましい死霊術師の隠し玉である特級改造屍体。

 戦場を蹂躙する暴力と冒涜の化身。

 それと相対したことでタチアナの名はこの国に轟いたのだ。

 

 ◆―〇―◆

 

 伸ばされる手、手、手。

 指が数本欠けた腐りかけのそれらを切り払い、続く2撃目で首を刎ねる。

 

 視界を埋める死体の群れに優先順位を振り分け、危険な順から処理していく。

 乱撃に思える片刃の剣は、しかし精緻な技量で以て刃筋を通す。

 絶え間なく襲い来る死体の波を相手取りながら、それでもタチアナの意識の大半は特級改造屍体を向いていた。

 

 視線だ。

 意識を移したか、それとも自身を改造したのかは判断できないが、アレの中の死霊術師から認識されている。

 目を付けられた以上、アレはタチアナを狙い、逃げれば追ってくるだろう。

 ならばやることは一つだ。

 

 呼息に高音域の音を混ぜる。

 獣人族なら聞き取れる念話を用いない符丁音。

 含んだ意味は露払い。

 

 返答の符丁音に合わせて、背後からの魔術援護で眼前の群れが吹き飛んだ。

 そうして出来た道をタチアナは駆ける。

 

 重心を体より前面に押し出した無拍子に酷似した挙動。

 呼吸を練り、気力を巡らせ、殺意を研ぎ澄ます。

 そして相手の殺意に即応する。

 

 特級改造屍体の突き出した太い前腕が、何の前触れもなく伸びる。

 体組織を変化させた爆発的な膨張によって遠い間合いを食いつぶした重撃は、しかしタチアナを捕らえられない。

 

 地面を舐めるように伸びる異形の腕のさらに下。

 這うような低さでタチアナは地を滑る。

 

 駆動する肉体を余すことなく認識し、術理を感覚で捉えて身を浸す。

 運動のベクトルを掌握し、疾走する速度はそのままに、剣を掴んだ右腕を除く3本の手足で大地を掴んで跳ねる。

 続く2本目の前腕を避けたタチアナの死角で、糸がほどけるように太い腕の表面から人間大の腕が無数に伸びるが、それすらも背面への一刀で切り払う。

 

 風を掴んだ鳥のように、あるいは風そのものの如く。

 タチアナは荒れ狂う殺意を潜り抜けて、今度は逆に異形の間合いを食いつぶした。

 今更のように展開される苛烈な防衛術式(レーザー)も、生者を腐食させる無数の手足も、無数に見開いた眼球があろうとも、もはや嵐となった彼女を抑えられない。

 

 四ツ腕を断ち、六足と無数の眼球を刻んだタチアナは、双頭の頸を刎ね飛ばして特級改造屍体を滅ぼした。

 つるぎの権威で以て特級魔術を超越したのだ。

 屍山血河のただ中で、しかしその体に腐食の痕はなく。

 それこそ我が身に触れることすら許さぬ【傷なし】の証明。

 クラウド平原の死霊反乱を終結させたタチアナの異名の幕明であった。

 

 ◆―〇―◆

 

 ……とまあ、上手いこと攻撃を食らうことなく特級改造屍体を退けたのさ。

 改造屍体は生体を腐らせる腐食術式をデフォで備えてる奴も多いから戦場で相手するときは注意するんだぞ。

 腐った血が体を回るとあっさり死ぬからな。

 

 そんでまあ戦場で一番働いたってことで、対死霊術師として編成した援軍を率いてきたクラウディア様に褒賞を頂いた。

 褒賞金の他に欲しいものはないかって訊かれたから、あたしはあの方との一騎打ちを望んだのさ。

 

 ……そんな顔すんなよ。

 あたしだってバカなことしたとは思ってるよ、後悔はしていないけどな。

 あの時は強敵との戦闘の高揚感が抜けてなかったから調子に乗ってたんだ。

 あたしの剣は、つるぎの権威は如何なる相手であろうとも通用すると本気で思ってたのさ。

 

 ◆―〇―◆

 

 クエストの後始末を終えた直後の興奮冷めやらぬ空気の中、タチアナとクラウディアは一足一刀の間合いで対峙する。

 片刃長剣のタチアナに対して、クラウディアは無手。

 武装の有無の差は明らかで、しかし【竜角砕き】のクラウディアが開いていた手で拳を作ったことで空気が一変する。

 戦意に呼応して解放された魔力が、物理的な圧力を伴って肌を焼く。

 

 体格はタチアナとほぼ同じ。

 だというのに特級改造屍体をはるかに超える気配の圧。

 それに正面から相対してなお、タチアナは剣を構えた。

 

 水平正眼。

 前に伸ばした両手の構え。

 間合いを惑わす幻惑の構えに反して、タチアナは即座に間合いを詰める。

 虚実と先手必勝が戦場の常だ。

 

 間合いを侵す剣先をクラウディアの左裏手が横から叩く。

 予想以上の理外の膂力に、しかし突き出す剣先は揺らがない。

 柄頭側の手で柄を腕ごと掴む握りの秘技。

 

 弾けぬ剣先にクラウディアの左手が絡みつく。

 無手による下方への巻き落とし。

 地面に引き落とす剣先の荷重に合わせて、今度はタチアナの剣がクラウディアの左手に絡みつく。

 剣による返しの巻き落とし。

 両者の体は下方に落ちる。

 

 地面へ向かう力をそのままにタチアナは剣先を上へ跳ね上げる。

 手首を用いた瞬きの秘剣。

 狙いは顔。

 だが未だに絡みつく左手がそれを許さない。

 逸れた剣先はクラウディアの顔の横を抜け──しかしそれも布石。

 

 本命は首の引き斬り。

 下方への力の流れをも利用した必殺の剣。

 鮮やかな軌跡を描いた刃がクラウディアの白い首筋を捉えた。

 

 肌に触れ、万力の力を込めた刃はしかし、静止したまま動かない。

 正体はクラウディアの左手。

 剣の根元。その柄を掴んだ左腕が圧倒的な膂力で以て力学を無視した不動を強制していた。

 

 剣を抑えられて死に体のタチアナに、クラウディアの右腕が伸びる。

 タチアナの腹部にふわりと触れる右拳。

 下方に落ちる力を踏み足と合わせて地面に叩きつけ、跳ね返る衝撃を勁力として増幅。

 勁を練り上げ、勁を束ねて、己を透して勁を捻じ込む寸打の極意。

 即ち寸勁。

 

 壮絶な轟音と共にタチアナが背後に吹き飛んだ。

 背を丸め、まるで弾丸のような速度で宙を飛んだタチアナとは対照的にクラウディアは残心したまま不動。

 クラウディアの踏み足は足首まで地面に埋まり、陥没を中心に放射状に走る深い亀裂がその暴力的な威力を余すことなく物語っていた。

 凡そ人体が受ければ致命を免れない一撃。

 見物していた野次馬の中から飛び出した治癒術師が血相を変えて駆け寄ろうとして、その足が不意に止まる。

 

 土埃の晴れた先で、足から着地したタチアナが、膝をついた姿でクラウディアを見据えていた。

 あれほどの一撃を無防備に喰らってなお、その身に目立った外傷はない。

 土汚れ一つすらなく、タチアナは無傷のその身をさらしていた。

 

 クラウディアに手心はなかった。

 正しく十全の威力で放った寸勁は、しかし打ち込む寸前で下方へ流された。

 クラウディアの足元の()()()()()()()()()()

 剣を手放したタチアナが大地を蹴って後方に逃れた痕跡。

 

 相手の武器を奪い地に2本の足で立つクラウディアと、武器を手放して片膝をついたタチアナ。

 お互い無傷であっても立会いの勝敗が決した瞬間であり、タチアナの【傷なし】の異名が不動のものとなった瞬間でもあった。

 

 ◆―〇―◆

 

「──とまあこんな感じで喧嘩売っておきながらボロ負けしたわけよ」

「ボロ負けって、怪我してなかったんでしょ?」

「いいか坊、剣士が自分で剣を手放した時点で負けなんだよ」

「……そうなの?」

「俺には分かんねえっす」

「そういうもんなんだよ」

 

 ヘンリー坊とアヤメとあたしの三人で車座になっての雑談だ。

 長命種と喧嘩するもんじゃねえってマジで。

 あの時は調子に乗りまくってたからなあ。

 まあでも後悔はしてねえよ。

 あの時に馬鹿な真似をしたからこそ、ヘンリー坊との今があるわけだからな。

 良い選択したぜ過去のあたし。

 

「その寸勁? ってのはどういうやつなんだよ、原理が良く分からん」

「単純な筋力以外の力を体内で上手いこと操作してだな」

「口で言われても良く分かんねえな……。

 なあ、実際に見せてくれよ。俺に打っても良いから」

「どうすっかな…」

「なあタチアナ。頼むよ」

 

 うーん。

 原理は体感したからなんとなく分かってんだけど、人に使ったことないんだよなあ。

 まあ鬼人族は頑丈だから大丈夫か。

 何かあっても治癒魔術が使えるマリナもいるし。

 お、坊も乗り気じゃねえか。

 これは格好良いとこ見せねえとな! 

 

「よし、じゃあ首筋に剣を当てられた状態から当時の動きを再現するぞ。

 お前があたし役な」

「押忍!」

「多分めちゃくちゃ痛いぞ」

「っしゃあこいや!」

 

 あたしは気合十分なアヤメの腹筋に拳を添える。

 3つ数えたらいくからな。

 マジで全身に力を籠めろよ。

 ヘンリー坊なんて齧り付きで見てるじゃねえか。

 よっしゃいくぞ。

 1、2の、オラァ!

 

 震脚。

 踏み足を通して跳ね返ってくる衝撃を己を透して勁と成す。

 足を通し、腰で増幅し、束ねたそれを拳で相手に捻じ込むこれは、あの日のクラウディア様の一撃の再現。

 この身で受けて会得した運体操作の極致の一つ。

 即ち寸勁。

 

「……どうだ?」

「………」

「おい、アヤメ、大丈夫か? 

 アヤメ?」

「うぐぇ」

 

 アヤメは吐しゃ物をまき散らして、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。

 あ、これやべえやつだ。

 意識も飛んでるわ。

 

「マリナ! マリナ助けてくれぇ! 急患だ!!」

「か、回復体位、回復体位!」

「坊はそのままアヤメを見ててくれ! 

 あたしはマリナを呼んでくる!」

 

 マリナー! 助けてくれー!! 

 あたしはマリナの部屋に向かって全速力で駆け出した。




ちなみに前回の吸血鬼ちゃんはタチアナちゃんに勝てないよ。
唯一の勝ち筋は満月の夜にゾンビアタックし続けて耐久勝負に持ち込むしかないんだ。


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15話 魔法族マリナと女の情け

シリアスな話の後は無性にセクハラがしたくなる。


「あいったたたたた!」

「うるさい動くな馬鹿者が」

「痛い! いたァい!」

「うるさいわ」

「な、なあ。アヤメの容体は……」

「お前は邪魔だから出ていけ」

 

 部屋で優雅に紅茶を傾けつつ論文を執筆していた私の癒しの時間は、私の名前を叫びながら窓を突き破り部屋に突っ込んで来たアホによって台無しになった。

 

 初めて使った寸勁とかいうのを実演したらアヤメがゲロ吐いてぶっ倒れたそうだ。

 そう早口で説明するアホによって、有無を言わさずに荷物のように担がれて鍛錬場に連行された私は、ぶっ倒れたアヤメに応急処置をして、近場のベッドのある空き部屋で治癒魔術を行使していた。

 既に体内の負傷部分は特定し終えて、各部のバイタルを確認しつつ治癒術式で治療する段階だ。

 簡単に言えばもうすぐ治療は完了する。

 

 ベッドの上のアヤメはデカい声で痛いと喚いている。

 強い沈痛術式をかけても良かったのに、それを拒否したのはお前だぞ。

 その場合は筋弛緩作用が働いてほぼ確実に漏らすだろうけど。

 私なら痛い方が嫌なんだけどなあ。

 

 しかし寸勁ね。

 タチアナがクラウディア様から打ち込まれ、無傷でいなし切った技だったか。

【傷なし】の異名を確立した一騎打ちの顛末は私も知っている。

 その話では寸勁のために踏み込んだ地面には数mに渡って深い亀裂が走ったそうだが、鍛錬場には地面に足裏サイズの窪みはあっても亀裂なんてものはなかった。

 あの程度の踏み込みでこの被害ならば、クラウディア様の寸勁はどれ程の威力だというのか。

 

 というかそれを受けて無傷でいるとかどういうことだよ。

 魔法族の私にとっては何一つ意味が分からない話だった。

 本気で意味が分からない。

 体術で物理法則を捻じ曲げるような真似をするのは止めろ。

 そもそも勁って何なんだよ。

 

 そしてそれを本家よりも威力が低いとはいえ身内に打ち込むんじゃないよ。

 何でただの鍛錬で外傷0で内蔵だけ損傷する特殊な怪我をするんだ。

 初めて人に使う訳の分からん技をその場の気分で実行するな。

 

 聡明なお前ならこの程度は大した怪我じゃないって直ぐに分かるだろうに。

 ヘンリー君の前でやらかしたからって簡単にパニクりおって。

 どうせヘンリー君の前で格好いい所を見せようと思ったんだろこの雌猫め。

 

 痛みを声で訴えるアヤメに我慢しろと言い放ちつつ、私は彼女の体を改めて見る。

 鬼人族の体はすごいな、もう損傷が快癒しつつある。

 痛い痛いと声を上げて喚くくらい元気になってるんだから、応急処置もいらなかったかもしれんな。

 放っておいても1時間くらいで自己回復できたんじゃないか。

 

 特に意味もなくぺたぺたとアヤメの腹筋を掌で叩いていると、背後で扉が開く音がした。

 ヘンリー君だ。

 アヤメを部屋に運搬する間に、布や着替えを用意してくれていたのだ。

 

 ああ、ヘンリー君ありがとう、水も汲んできてくれたんだね。

 アヤメなら大丈夫だよ。多分あと10分くらいで治るから。

 普人族にとっては内蔵の損傷は死に繋がるくらい重大な怪我だから心配になってるんだろうね。

 死んでなければ治せるから心配はいらないよ。

 死にたてでもギリいける。

 ああ、ほら泣かないで。大丈夫、大丈夫だから。

 

 少し落ち着いたヘンリー君はベッドの上のアヤメに近づいて心配そうに話しかけている。

 ちなみに彼が部屋に入ってきた途端、痛い痛いと喚いていたアヤメはスン…と静かになっていた。

 

「全然痛くねえっすよ坊ちゃん。この程度どうってことねえっす。

 してほしいことっすか。……あ、あー、じゃあ、手を握っててほしいかなーって……」

「こう?」

「う、うっす」

 

 おいこら調子に乗るんじゃない。

 私がそう口を開く前に、ヘンリー君はアヤメの手を取るとぎゅっと手を握る。

 額に浮いた汗を拭い、彼女の前髪を優しい手つきで撫でていた。

 そうやって甲斐甲斐しく世話を焼くから、周囲の女が放っておかないんだろうな。

 私の目には世話されてデレデレした情けない顔にしか見えないんだが、彼からしたら心配でそれどころではないのだろう。

 何ちょっと「まだ痛いけど我慢してます」みたいな顔してるんだお前は。

 もうほとんど治ってるだろお前。

 

「大丈夫、喉乾いてない?」

「少しだけ……」

 

 ヘンリー君はアヤメの頭を抱え上げると、口元にコップを近づける。

 アヤメはまるでひな鳥のように口を開き、美味しそうに水を嚥下する。

 この部屋に水がないのはさっきお前が飲み干したからだろうが。

 この状況を最大限楽しみおって。

 私がお前の行動に口を挟まずに黙って治療しているのはな、私がこの状況に陥ったのなら絶対に同じことをするだろうから、女の情けで見逃しているだけなんだぞ。

 それ以上の狼藉は許さんからな。

 私はヘンリー君の背後の死角からアヤメに視線を合わせ、瞳の【星】をビカビカと光らせて威嚇した。

 

「他にして欲しいことはない?」

「だ、大丈夫っす!」

 

 それでいい。

 お手手を繋いだ頭なでなでと病人介護プレイで満足しろ。

 恋人繋ぎなんてしようものなら、即座に沈静術式を打ち込んで気絶させるからな。

 

 私は片手で治癒魔術を続けつつ、残った方の手でヘンリー君の髪をあやすように撫でた。

 半泣きのヘンリー君の姿は初めて見る。下から見上げる上目遣いの視線、赤くなった目元に、涙でうるんだ瞳……。

 いかんな、興奮してきた。

 威嚇とは別の感情で瞳が輝いてしまう。そっちは意識的に抑えるのが難しいんだ。

 

 私は三角帽子つばを引っ張り、抑えきれぬ興奮でじんわり輝く瞳を隠しつつ、残る一人のアホを見る。

 タチアナは耳を伏せて大柄な体を縮こまらせていた。

 常ならば強さと聡明さを滲ませる彼女からは想像がつかない情けない姿だった。

 私の視線に気づいた彼女は眉尻を下げた顔で口を開く。

 

「なあ。あたしに出来ることはないか?」

 

 出来ること、ね。

 ああ、勿論あるぞタチアナ。

 お前にして欲しいことならちゃんとある。

 

 私はタチアナと改めて視線を合わせる。

 身長差から見上げる形になった。

 まるで睨んでるように見えるだろう。睨んでいるからそれで合ってるぞ。

 今の瞳の輝きは興奮と欲情からくるものではない。

 私の【星】の輝きを見て黙り込んだタチアナを見据えて、私は口を開く。

 

 お前にして欲しいことは、お前がぶち破って壊した窓の修理と、散らかった私の部屋の掃除だよ。

 

 私の言葉に【傷なし】のタチアナはさらに小さく背中を丸めた。




なお書いていた論文は紅茶でびちゃびちゃになっていた。
前回は急にバトル描写を入れてゴメンね。
話の枕のつもりが書いてて楽しくなっちゃったんだ。


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16話 鼠人族タマラと推理の時間

 専属メイドの仕事はヘンリー坊ちゃまに係ること全般を仕事として任されます。

 坊ちゃまのお傍に付いてからもう7年、いつだってお傍で侍ってきたが、最近は離れる時間が増えてきた。

 タチアナとの鍛錬の間がその一つです。

 そういった手の空いた時間に私は坊ちゃまの部屋を訪れれます。

 

 もちろん疚しい理由ではない。

 坊ちゃまの部屋の管理も私の仕事なのです。

 隅から隅まで掃除し、問題がないかをチェックすれます。

 調度品の手入れ、部屋の掃除、筆記用具の補充、ベッドシーツの交換、すべてよし。

 完璧な仕事の完了は、私の気持ちを何よりも軽くすれます。

 あとは洗濯した服を収納するだけです。

 私は軽い鼻歌を口ずさみながらクローゼットを開けて──なんてことです。

 他のすべての引き出しを開けて確認し直すが、ない。

 何度数え直しても1つ数が合わない。

 パンツが。

 

 坊ちゃまのパンツが消えた。

 

 落ち着いて状況を整理しましょう。

 昨日の午前中、坊ちゃまがタチアナとの鍛錬中に私が確認した時の数は合っていたのは間違いありません。

 パンツが消えたのはそれから今この瞬間までということになれます。

 そしてラインバッハ家のセキュリティは万全であり、その中でも最もセキュリティが厳しいのがこの部屋です。

 そんな場所から坊ちゃまの私物とはいえたった一つパンツを盗みに入る? 

 外部犯というのは考え難い。

 

 少し冷静になった私はもう一度引き出しの中の純白のパンツを確認します。

 そしてすぐにそれに気付いたのです。

 なくなったのは洗濯したものではありません。

 消えたのは昨日坊ちゃまが履いていたパンツです。

 洗濯前の使用済みのパンツが…! 

 つまりは昨日から今日にかけてこの家にいた者による犯行…! 

 

 なんてことだ。

 皆やりそうで犯人が分からない。

 どいつもこいつも坊ちゃまに色目を向けやがって。

 だが身内だからといってこの私が手心を加えると思うなよ。

 絶対に見つけ出してやるからな…!

 

 

 ◆ー〇ー◆

 

 

 というわけで個別に事情聴取を行うことにした。

 今日は当主様は出かけていて帰りは遅くなってしまう以上、この家の中で動けるのは私だけです。

 パンツの窃盗の件は坊ちゃまには伏せて単独で調査を行う。

 身内からパンツ泥棒が出たなんて聞いたらきっとショックを…。

 パンツ程度で坊ちゃまがショックを受ける…? 

 いや受けませんね。

 ちょっと困った顔はするかもしれないが絶対に気にはしないでしょう。

 でも私が許さないから犯人は必ず見つけ出します。

 

 まずはだいたいいつも自分の部屋に籠っているマリナからです。

 

「おや、どうしたんだいタマラ。私の部屋に来るなんて珍しい。

 うん? 昨日の午前中ならタチアナに窓ガラスと論文をめちゃくちゃにされてアヤメの治療をしていたよ」

「午後はどうしてたですか?」

「ヘンリー君に講義をしてから夕食を取った後は論文を書き直していた。

 風呂とトイレ以外は部屋から出てないかな。

 今朝は朝食をとってから今まで論文の続きを書いてたよ」

「一人で?」

「一人でだとも」

 

 動機はあってアリバイもない。

 そしてマリナは卓越した魔法技術を持つむっつり魔法族です。

 うーん怪しい。

 よし次です。

 

「よおタマラ、どうしたんだよ。

 昨日? 昨日はタチアナに寸勁を食らった後は普通に守衛の仕事に戻ったぞ」

「マリナに治療を受けたと聴きましたが」

「治ったんだから仕事するだろ」

「そういうものですか…?」

「そうだよ」

 

 うーん。付き合いは短いけどこの子めっちゃいい子なんですよね。

 こんな仕事熱心で真面目な子がパンツを盗むか…? 

 まあ盗むか。

 怪しい。

 よし次。

 

「昨日は、その、アヤメに寸勁をだな…。

 あとマリナの部屋の窓と論文を…、うん…」

「その後は?」

「部屋にいたよ」

「本当に?」

「なんだよ、嘘言っても仕方ねえだろ」

 

 お前が一番怪しいんですよタチアナ。

 動機はあるし、能力もあるし、虎の獣人で嗅覚鋭いし、坊ちゃまの臭い大好きでしょう?

 お前じゃないだろうな。

 怪しいなあ。

 うーん、よし次。

 

「昨日は…」

 

 怪しい。

 次。

 

「昨日でしたら…」

 

 お前も怪しい。

 次です。

 

「昨日なら…」

 

 怪しい。

 もう全員怪しい。

 何なんだお前らは。

 どいつもこいつもよお! 

 シルヴィア様とミレーヌ様に至っては前科があるしよお! 

 当主様以外は全員信用できないんだよ! 

 今日洗濯したパンツは昨日履いていたやつじゃないことは調べがついてるんだよ! 

 私はヘンリー坊ちゃまが今日どのパンツを履いてるか分かるんだ! 

 使用済みパンツを洗濯物から盗み出して、その代わりに引き出しから洗濯済みのパンツと入れ替えたんだろ! 

 小賢しい真似をしやがって! 

 

 まだ容疑者は一人残っているが、物理的に犯行は不可能です。

 応接間を訪れただけで、坊ちゃまの部屋にも浴室にも近づいていない外の人間です。

 もうこれ内部犯しかありえないでしょう。

 一体誰が盗んだんだ…! 

 

「どうしたのタマラ」

「あ、坊ちゃま…」

 

 答えが出ないまま廊下を歩いていると、曲がり角で坊ちゃまと遭遇しました。

 鍛錬後でシャワーを浴びたばかりなのだろう、わずかに石鹸の臭いがします。

 今日も薄着でえっちですね。

 

「何か悩んでるでしょ」

「いえ、そんなことはないです」

「それは嘘、そういう顔してるよ」

 

 何で坊ちゃまは分かるんでしょう。

 そういう訓練もしてきたから表情や演技には自信があるのですけど。

 坊ちゃまは私から視線を離さない。

 坊ちゃまはこういうとき凄く頑固だから一歩も譲らないのでしょう。

 

「昨日はショッキングな出来事がありましたから、

 あの後に会ったヴェークマン様とはどうでしたかと思いまして」

 

 嘘は言ってない。

 目の前でアヤメがゲロ撒き散らしましたからね。

 ヘンリー坊ちゃまのパンツの方がショッキングなんですけども。

 私は何て言えばいいんでしょうか。

 

「エレンとはいつも通りだったよ。

 アヤメもすぐ元気になったし。内臓を痛めたのに凄いよね

 あ、そういえば傷んでた下着を直してもらったかな」

「はあ、傷んでいた下着を……」

 

 下着を直して貰った…? 

 そういえば昨日のパンツは少しほつれていた様な…。

 確かに坊ちゃまのパンツはアラクネ糸製で、製作したヴェークマン様からの贈り物だが…。

 いやいや、流石の坊ちゃまでも履いていたパンツを渡すわけが。

 そんなまさか。

 

「……もしかして昨日履いていたパンツですか?」

「そうだよ」

 

 そのまさかでしたか。

 つまりは、外部犯でも内部犯によるものでもなく──

 

「流石に恥ずかしかったけどね、洗濯して傷む前に修繕したいって言うから」

 

 そっかあ。

 坊ちゃまご自身が昼に洗濯済みのパンツと履き替えて、ヴェークマン様に手渡した。

 そして履き替えた方は夜の入浴時に洗濯物に出した。

 全ては坊ちゃまの手で行ったことで、洗濯物の数もいつもと同じだから洗濯係も不審に思わなかったと。

 矛盾の一切ない完璧な理屈だった。

 そういうことだったのかあ。

 使用済みパンツ盗難事件なんて初めからなかったんですね。

 

 私は照れくさそうに笑う坊ちゃまを見ながら、心の中で疑った皆様方に心からの謝罪をするのだった。




使用済みのパンツは製作者が責任をもって修繕したよ。
ちなみにアラクネ族は自分の贈った衣類に他人の糸が混ざることを嫌う傾向があるよ。
分かりやすく言うとNTRの不快感に近いね。
ヘンリー君の下着はすべてエレンちゃんが自分の糸で作ったものなんだ。リッチだね。


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17話 ラミア族ベアトリーチェ・コンソリーニと春のぬくもり

名称:ベアトリーチェ・コンソリーニ
体格:全長6m(人型1.5m、蛇部分4.5m)、縦の瞳孔、白紫色の髪、ゆるい巻き毛、ママ味溢れるおっとりおっぱい、眼鏡
種族:ラミア族
年齢:27歳
備考:頭部調整師


富裕層や長命種の館が並ぶ通称・貴族街のほど近くにその店はあった。

白を基調にしたモダンな二階建て、道に面した一階部分は小さなテラス状になっていて、木材の床が暖かな印象を与えている。

ゆったりとした広さの扉の横にはテーブルと、子供数人が座れるような布張りの大きなデッキチェアが一つ。

店名を記載した看板は見当たらず、代わりに軒下に赤青白の縞々がぐるぐる回る柱状のアレが、開店中であることを元気に主張していた。

ヘアメイクから有角種の角の手入れまで何でもこなす富裕層向けの高級店。

頭部調整師ベアトリーチェ・コンソリーニの名前のない調髪店である。

 

 

◆ー〇ー◆

 

 

春の日差しは最高に暖かい。

寒さに弱いラミア族にとっては、冬の乗り越えた後にくるこの季節はすべてにおいて最高だ。

良いよね春。

こういう日はテラスに設置してあるラミア族用のデッキチェアに体を預けながら本を読みつつダラダラするのが日課なのだが、今日のこの日だけはそれはできない。

ラインバッハ家からの予約とくれば、もう心が躍って中々寝付けなかったよ。

今まではこちらが家まで出張して髪を整えていたのだけれども、自分の足で店に来れるような年になったのか。

ヘンリーちゃんを小さい頃から知っているこの身からすると、より一層に感慨深い。

早く来ないかなあ。

予約の二時間前から店で待ってるせいで開店用の準備も何もかも終わっちゃってやることがない。

お茶の用意もしたし、手作りのクッキーもとうに焼き上げてしまった。

ラミア族の子供のように尾の先持ち上げてなんともなしに弄っていると、私の目が店に向かってくる人影を捉えた。

 

約束と同じで数は3人。

二人は大柄な獣人と鬼の女で、残ったもう一人は小さな背丈の黒髪の子。

そこまで認識した私は、いてもたってもいられずに店から飛び出した。

 

会いたかったよヘンリーちゃーん!

こっちこっちー!

ベアトお姉ちゃんはここだよー!

 

感情のままにいつも以上に尾を使って背を伸ばして両手をブンブンと振って自分をアピールする。

尻尾の先が持ち上がって左右に振ってしまうのを、はしたないとは分かっていても止められない。

店から飛び出してきた私を見て、即座にタチアナちゃんがヘンリーちゃんの前に出て、隣の知らない鬼人族の子が背後を警戒する。

まあそんなことはどうでもいいんだ。

ヘンリーちゃんの姿しか目に入らない。

彼はタチアナちゃんに声をかけて了承を貰ったのだろう、私に向かって小走りで駆け寄ってきた。

 

ヘンリーちゃんが私に!

まっすぐに駆け寄って!

うわああああ!

 

後でタチアナちゃんに何をされるかなんていう考えは頭から吹き飛んでいた。

私は可能な限り足を曲げると、ヘンリーちゃんに向かって両手をめいいっぱい広げる。

私の受け止め待ちの姿勢を見てヘンリーちゃんの動きが少し鈍った。

昔はこうしていたら飛び込んできてくれたのに、成長して恥ずかしさを覚えたのだろうか。

 

それでも私はこのポーズを崩さない。

あの子は心の優しい子で、心を許した相手にはダダ甘なサービス精神の塊だ。

だからきっと、私がこのまま不動の構えを貫けば、きっと飛び込んできてくれる。

私はヘンリーちゃんを信じている。

 

私の胸に飛び込んでおいで!

 

期待と不安が入り混じる中、ヘンリーちゃんが意を決した表情をしたのが見えた。

そして最初の速度を取り戻した彼の足が、最後の一歩を踏み切った。

勝利を確信する私の胸に彼の顔が埋まり、続いて心地良い衝撃と重みが体を打つ。

彼に痛みがない様に蛇の尾で衝撃を流して、両手でヘンリーちゃんの背中をホールド。

ヘンリーちゃんを受け止めた私は、彼を両手で抱えたままその場でくるくると回る。

 

この前よりも少し重くなったね!

成長期かなー!

お姉さんもっと回っちゃうぞー!

 

拳を握り締めて駆け寄ってくるタチアナちゃんのことは視界の端に追いやって、私は恥ずかしそうに笑うヘンリーちゃんの笑顔を目に焼き付ける。

春の暖かな日差しの中、私の最高の一日はそうして始まったのだった。

 

 

◆ー〇ー◆

 

 

いうても髪を切るだけなんですけどね。

私は大きな鏡の前で椅子に腰かけたヘンリーちゃんの後ろに立つと、彼の髪を撫でまわす。

良い肌触りだ。

毎日でも触りたい。

1日に5cmくらい髪が伸びてくれれば毎日弄れるのにね。

 

「いつまで触ってんだよ」

「気のせいよ」

 

これは触診だよタチアナちゃん。

こうやって丁寧に撫でて髪の毛ちゃんの機嫌を取ることで最高のヘアスタイルが誕生するんだ。

ヘンリーちゃんの髪はもっと撫でてと私に言っている。

 

「…本当か?」

「ええ」

 

時間がかかるからアヤメちゃんみたいにテラスのデッキチェアで休んでても良いんだよ?

体の大きなラミア族用の特注品で寝心地は私が保証するからさ。

私の背後で腕組みしてるよりもよっぽど有意義だと思うんだ。

 

「二人っきりになどさせるものかよ」

「…お茶でも飲む?」

「いらねえ」

 

薬なんて盛ったりしないのにタチアナちゃんは真面目だなあ。

ヘンリーちゃんはどうかな、良い茶葉が入ったんだよ。

 

「ベアトさんのお茶は美味しいから楽しみだなあ。

 この前持ってきてくれたクッキーってどこで買ったの?

 凄く美味しかったけど、誰に聞いても分からなかったんだ」

「実はこのベアトお姉さんの手作りクッキーでしたー!

 …うふふ、驚いた?」

「お店のクッキーだと思ってた…」

「今日も作ってみたから、この後お茶をご一緒しましょうね」

「うん」

「………」

「タチアナちゃんも一緒にお茶しましょ?」

「……おう」

 

表のアヤメちゃんも一緒に食べましょう。

実は早起きし過ぎた所為でクッキーを焼きすぎちゃったんだ。

ぶっきらぼうに顔を背けるタチアナちゃんに目を細めて笑うと、私はヘンリーちゃんの髪から断腸の思いで手を離して腰のベルトから鋏を取り出す。

それじゃあヘアカット始めまーす。

 

「お客様、今日はどんな風にしましょうか?」

「…短めで」

「ヘンリーちゃんはいつもそれだね。じゃあ私の好みでカットするね」

「良い感じでお願いします」

「はいはーい」

 

 

◆ー〇ー◆

 

 

よし完璧。

いやー男の子の髪を弄って髪を洗ってお金まで貰えるんだからボロい仕事だわ。

ヘンリー君も髪をちょいちょい触りながら満足げに頷いている。

それじゃあいつものやっていくね。

 

「お客さん、凝ってますね~」

「あぁ~^」

「ふふ、おじさんみたい」

 

彼の頭を掴んでぐりぐりと指で揉む。

普人族は体が強くないからね。こうやって丁寧にメンテナンスしないと壊れちゃうよ。

一通りの頭皮のツボを刺激した私は、唾を一度飲み込むと、意を決して掌を頭から首筋へ走らせる。

これは肩と首のマッサージであって疚しい気持ちがあるわけじゃないよ。

私は鏡越しに背後のタチアナちゃんを確認する。

 

「……。」

「……ふん」

 

どうやら許されたらしい。

やったあ。

私は目を閉じて弛緩した顔のヘンリー君に改めて向き直ると、彼の体を好き勝手に弄ぶ作業に没頭した。

 

耳の後ろ、首筋、うなじに肩。

掌全体で抑えながら、丁寧に筋肉を解していく。

首筋は太い血管の上だけあって、彼の体温を特に感じる。

肌に触れる掌を通して私と彼の体温が混じり合う感覚。

心地良くも、蠱惑的な、いつまでも触れていたいぬくもりに私は誘い尾*1を止められない。

あと呼吸が荒くなるのを止められない。

まずい興奮してきた。

 

「はぁ…はぁ…」

「おい」

「……ッ! な、ん、でもないよ。大丈夫大丈夫。

 大丈夫だからタチアナちゃんは座ってて?」

「次はないぞ」

「はい」

 

あっぶね。

私としたことが我を忘れかけていたよ。

でも仕方ないんだよ。

ラミア族に首筋を晒した無防備な姿で、簡易的とはいえ肌合わせ*2みたいなことをしてたらこうもなるって。むしろ私は耐えた方だよ。

だから至近距離で威嚇するのは止めて欲しい。

 

さっきまで少し離れた壁際に立ってたじゃん。

音もなく距離を詰めて、気付いた時には至近距離で睨みつけられているっていうのは本当に怖いんだ。

冷水を頭からかぶったみたいに頭が冷えたよ。

いや掌は暖かいままなんですけどねふへへ。

 

「………」

 

はい。

もうしません。

だからそんなオーラを放って威嚇しないで。

もう落ち着いたから、異変を感じたアヤメちゃんもドアを開けてこちらを確認しなくても大丈夫だよ。

本当に大丈夫だから!

 

…。

よし、何とか誤魔化せた。

二人が獣人族に鬼人族で良かったよ。

これが鱗人族だったら最初の段階で気付かれて喧嘩になっていただろうからね。

何が優雅な朝寝だよ気取りやがって。

自分の欲望を中途半端に取り繕ったあいつ等だけは仲良くできない。

体重を預け切った愛しい相手を受け止める安楽椅子に成りたいとなぜ言い切らないんだ。

私は声も高々に言い切れるぞ。

そうして表のテラスのデッキチェアに腰かけて、微睡の中で眠りにつきたい。

 

そんな理想の未来予想図をつらつらと考えつつ。

疑惑の目を向けながら元の位置に戻るタチアナちゃんを鏡越しに見ながら、彼の心地良い温もりを堪能するのだった。

それとヘンリーちゃんの切った髪の毛は全部回収してタチアナちゃんに渡したよ。

エチケットだからね。

*1
尻尾の先を左右に振り、地面を叩くラミア族の求愛行動の一つ

*2
体温を混ぜ合わせる行為。すごいえっち




≪TIPS≫ラミア族
下半身の蛇の体が特徴的な種族。
普段は収納されているが、口内の上顎に毒牙を隠し持っていて神経毒を打ち込むことが出来る。
ラミア族の毒腺は個体によって種類が違う。
薬学に精通し、毒腺、牙、ピット器官、ヤコプソン器官を保有するラミア族は生来の暗殺者に他ならない。
鱗や髪色が白に近いほど氏族内の序列が高いく、氏族の直系には魔眼を持って生まれるものが多い。
ラミア族は特に着用義務はないが、おしゃれ目的で魔眼封じの眼鏡を着用している。
寒さに弱いことや鱗などの特徴が鱗人族と似ているが近隣種ではない。
お互いにdisり合うような間柄だがこれは主にキャラ被りが原因。
人と蛇の境目は鼠径部からで、年1で脱皮する。
激しい行為よりスローでねっとりした行為を好む。伴侶や恋人を安楽椅子のように抱え込んで肩や首にを甘噛みしながら寝かしつけることが好きなシチュエーションNo.1。
尻尾で床を叩くのは本能的な求愛行動の一つである。
体温フェチ・キス魔の他、異性の肌を舌で舐めて味を楽しむ性癖がある。
毒牙を口内に格納している関係上、キスに特別な意味合いがあり、ディープキスは性行為以上にエッチかつ神聖なものとして扱われる。
種族的に母性とM属性が強く、伴侶の布団になりたい派と椅子になりたい派の2大派閥が鎬を削っている。


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18話 婚活舞踏会DX 前編

タイトルはめっちゃ悩んだ


ある者は人脈を求め、ある者は商談の機会を伺い、ある者は己を誇示する場として参加する。

豪華なドレスは財力の主張、身分と役職はお互いを斬り合う武器に変わり、時には純粋な武力で上下を付ける。

主な参加者は若い世代の未婚の女ども。

誰が呼んだか婚活舞踏会。

場合によっては血が流れる夜の戦場である。

 

暴れる規模など高が知れているし、会場のスタッフも手慣れているから死者が出たことは一度もない。

常ならば立食パーティーのまま()()()()()穏やかに進むものだが、今回の舞踏会は一味違う。

なんせあのラインバッハ家の嫡子が参加するとあっては、他の参加者の気合も違うというものだ。

 

実際、あたしが入手した情報では、例年の数倍の数の参加希望者が殺到したらしい。

ただでさえラインバッハ家とのコネを望むものは多くいる上に、その当主の直系の子で、さらには()()()()()()()()()ともなれば、その参加者の数も当然だ。

金銭欲と結婚欲に飢えた獣の前に、丁寧に調理された山盛りの熟成肉に酒と金塊も一緒に並べるようなものだ。

クラウディア様の威光があったとしても、馬鹿をやるやつはやりかねない。

そいつらの相手があたしたち護衛組の仕事ってわけだ。

 

この日の為に作っていただいたバトルドレスに身を包む。

ドレスコードを満たしながらも体の各所を覆う装甲服は、見栄えと着心地と防御能力を兼ね備えたあたし専用の特注品だ。

首から指先までを黒と赤の抗呪術式インナーで覆い隠し、その上から各部位の装甲を装着する。

肩、前腕、胸の装甲部分はドワーフによる合金加工と金細工の装飾技術の粋が込められ、過酷な戦闘に耐えうる強度と芸術性を両立させている。

真っ赤なドレスの布地は耐衝撃・対刃・対呪の三重構造で、それを彩る薔薇の刺繡は糸の一針毎に障壁術式が装填された一級品だ。

緊急時には刺繍に仕込まれた糸がほどけ、攻撃に応じて自動で障壁を展開してダメージを肩代わりしてくれる。

 

脚部も同様のインナーに、術式を装填した黒のブーツを履き、腰から下げたベルトには支給された各種武装を仕込んでいる。

危険極まりないそれらはラインバッハ家の家紋の入った純白のスカートで覆い隠す。

腰回りを覆うコルセットもどきやブーツの踵などには隠し武器と触媒が仕込まれていて、緊急時にはそれだけでも戦える設計だ。

これほどの重装備にもかかわらず、全体のシルエットは細く、夜会のドレスの範疇にさえ見えるのは恐ろしいというほかない。

変質的なまでに緻密に作られたこのバトルドレスは、肌に吸い付くようで装備してから一切の違和感を感じない。

 

値段については正直言うと考えたくはない。

一流のドワーフ、一流の服飾技術、一流の術式加工技術…、どれほどの技術者がこれの製作に携わったのか想像もつかない。

確実に現役時代の装備を全部足しても足りはしないだろう。

 

勿論これらの装備はあたしだけではなく、参加するアヤメにも支給されている。

あたしの服と違ってアヤメのバトルドレスはやや重厚な作りなのは、ドレスの製作にあたってアヤメの多少の被弾を想定した戦い方を落とし込んだ為だ。

その点あたしのドレスは回避を前提にしているだけあって、スカートに腰から大きくスリットが入ったり背中の装甲を全部オミットして赤いインナーがむき出しだったりしている。

実際に身に纏って軽く動かしてみても、スカートのスリット部分がうまく機能していて、上段回し蹴りや開脚に一切の不便さは感じなかった。

スカートで隠したベルトは外部からは決して見えずに蹴り足だけがスリット部分から覗くのは、やはりあたしの身体データが正確に反映されているからだろう。

 

当然ながらバトルドレスに見合った武装も用意されている。

片手剣なのはいつもと変わらないが、柄から鞘の細かな装飾は儀礼目的にすら思える荘厳さで、鞘の内側にドワーフが鍛えた刃が眠っているとは思えない逸品だ。

正直外側の装飾だけで小さい家くらいなら買えるんじゃないだろうか。

それをあたしとアヤメは一振り腰に佩く。

今更獲物を壁だのにぶつけるような下手をするつもりはないが、一財産に相当する武器を腰に下げるというのは中々に恐ろしい。

同質量の金よりも価値が高いとなれば猶更だ。

 

自分での装備確認が終わったら、お互い向き合ってダブルチェックだ。

各種武装は隠れているか、ドレスの着方に問題はないか声に出して確認していく。

なにせ相手をするのはクソほど金持ってる連中だ。少しでも相手に付け入る隙を与えたくはない。

単純な戦闘以外にも、そういった戦いもあることくらいあたしでも知っている。

 

そういった舌戦や交渉事が得意なシルヴィア様やミレーヌ様は今回は同行なされない。

当初は参加を切望していたものの、どうしても仕事の都合がつかなかったらしく、「ヘンリーちゃんをお願いね」「傷一つでも付けたら分かっているな」と泣きながら最新式の非殺傷の各種武装を支給してくれた。

 

そんな姉様方の代行として舞踏会に参加してくれるのが魔法族のマリナだ。

あたし達2人は坊の護衛という立場だが、マリナはラインバッハ家のエルフの嫡子の代行だ。

主に参加者の対応は彼女に任せることになる。

学会でそういった手合いとの弁舌に長けた彼女がいて本当に心強い。

あたしらでは売り言葉に買い言葉で早々に殴り合いに発展しかねないからな。

マリナの格好はいつも目にするものローブなのだが、彼女曰く「ドレス用のローブ」ということらしいが、いつものローブとの違いがまるでわからねえ。

まあ実際に殴り合うのはあたしら二人の仕事だしそれで問題はない。

交渉役を矢面に出させるなんて、護衛役としての面子があったもんじゃねえしな。

 

「服装乱れなし」

「こっちもなし」

「ベルト各種武装の固定よし」

「少しスカートがずれてないか?」

「いやこれで良いんだ。ここにスリットが来るようになってんだよ」

「各種固定問題なし」

「随分と重装備だが重くはないのか?」

「意外とそうでもねえんだよ。重量が分散するように設計してあるんだってよ」

「ほうほう、うわ、スカートの下の武装えっぐいなこれ。

 最新式の鎮圧装備じゃないか」

「ピンを抜いて投げれば良いらしい」

「3秒で破裂するらしいっすね」

「場合によっては手で2秒くらい保持してから投げつけた方が良いかもしれねえな」

「あー、確かに」

 

お互いのチェックが済んでしばらくすると、ヘンリー坊も着替えを完了してあたし達3人と合流した。

 

ヘンリー坊の衣装は黒がメインのスーツベストだ。

最近成長著しい坊の体を包むのは黒のタイトなシャツ。

ワンポイントに手首をぐるりと一周する赤い刺繍が彫られている。

その上からはグレーのベスト。

手首と同様に

ラインバッハ家の家紋が赤で刺繍されていて、色合いに反して地味な印象は与えない。

肌の露出を抑え、しかしやや大人な装いをした彼の姿は、いつもの坊を見慣れているあたしの目にもとても魅力的に見えた。

坊の衣装のアイデアを募っている時に半ズボンを強く主張したのだが、今回はその希望は反映されなかったようだが、こういう坊も新鮮で良いな。

でも半ズボンが一番良いと思うんだけどなあ。

あー、でも坊の足を余所の連中に見せてやるのはやっぱり嫌だな。

 

…おっといかん、見惚れている場合ではない。

あたしは少しわざとらしく咳払いをすると、固まったまま坊を凝視していたマリナとアヤメの目を覚まさせる。

恥じ入ることはない。あたしも半ズボン姿だったら危なかったよ。

 

「良く似合ってるよ坊」

「え、ええ、凄く似合ってるっす」

「まるで紳士のような立派な出で立ちだよ」

「ふふ、そんなに褒められると照れるね。

 タチアナさんもアヤメも、すごい似合ってるよ。

 まるで騎士みたいで格好いい」

「んん? その格好良いの中に私が入っていないんだが?」

「いや、だっていつもと変わんないし…」

「いやいやこれはれっきとした魔法族のドレス用ローブだからね。嘘じゃないよ?」

「うーん…」

「伝統衣装をいつも着ている弊害か…!」

 

坊もこの間の散髪で短くした髪を上にあげてるから、いつもよりも大人の印象を受ける。

そんな坊に褒められると、あれだな。妙にドキドキしてくるな。

私だけじゃない、坊も含めた4人とも全員が若干浮ついている。

いかんぞ、この先は一種の戦場なんだ。気を引き締めねば。

 

「分かっていると思うが、これから舞踏会の会場に向かう。

 あたし達の仕事は護衛だ。いつもしていることだが、今回は貴賓相手だからな、そこら辺の配慮をした対応が求められる」

「配慮っていうとどんなやつっすか」

「こちらからは決して手を出すな。相手に先に殴らせろ」

「うっす」

「来賓の主な対応はマリナに一任する。

 ()()()()()()()が来たらすぐにあたし等に流してくれていい」

「分かっているとも」

「ヘンリー坊にして欲しいことは、引かないことだ。

 今回の舞踏会は全員が坊を目当てで集まっていると考えても良い。

 女どもの視線を一心に集めることになるが、狼狽えたりしないで腹を据えて臨んで欲しい。

 どんな相手であろうとも、あたしたちで絶対に抑えて見せるから、マリナと2人で対応してくれ。

 顔や名前を覚えるのは追々でも構わない。きっと数が多くて全員覚えるのは無理だろうしな。

 ……出来そうか?」

「やれるよ。

 大丈夫、みんなが付いてるんだからこのくらい楽勝だって」

「嘘じゃないよな?」

「出来なかったら、そうだね、罰ゲームとして今度何か奢るよ」

「よーし、じゃあラーメンでも奢って貰おうじゃねえか。

 2人ともそれで良いか?」

「いいとも」

「美味いラーメン屋なら知ってるんで、行くならそこに行きましょう」

「よしよし。…おっ、ちょうど馬車の用意もできたみたいだ。

 行こうか、坊」

 

屋敷の前に止まった派手に豪華な馬車に、あたし達4人は乗り込んだ。

距離はさほど離れてはいない。

場所は同じ貴族街の一角の邸宅だ。

こういった夜会を開催するためにお互いの家が金を出し合って運営・維持管理をしている共用施設だ。

 

既に舞踏会は始まっていくらか時間が経っている頃合いだ。

夜会の時間よりも少し遅れて到着したのは当然意味がある。

事前に参加者のリストは入手したが、こういう会場では長命貴種どもが飛び入り参加しかねないから、受付でそれを確認することが一つ。

二つ目は後から入場して入り口に近い場所に陣取ることで、不測の事態が起きた場合に真っ先に坊を連れて離脱するためだ。

 

幸いなことに飛び入り参加はいないようで、受付のスタッフは「部屋は静かなものですよ」と言っていたから、連中は今は大人しくしているのだろう。

あたしたちは連れ立って廊下を歩き、会場の扉の前で立ち止まる。

 

過去の経験から大幅な改造が幾度となく施された大広間は、中で魔術戦闘が発生しても外に影響を及ぼさない構想をしている。

当然の措置として防音処理もされている為、この中の喧騒は外に出ることはない。

 

いいか、この先は戦場だと思え。

あたしは坊たちの顔を順番に見て、最後の簡易ミーティングをする。

 

「何かあった場合は例外なく坊を最優先とする。

 殴る時は相手に先に殴らせろ。

 だがラインバッハ家が侮辱されたのなら例外として即殴ってよし。

 相手が誰であれ容赦はするな。

 命を大事に。

 確認は以上だ」

 

行くぞ。

あたしは小さな声でそう言うと、先頭に立って扉を開いた。

 

大広場には天井から3つは下がっていたのだろう大きなシャンデリアが、1つに数を減らして部屋を照らしていた。

残った二つは床に落下し無惨な破片となって部屋中に散乱している。

内部で魔術戦が勃発したのだろう、壁や天井、床にはその爪痕がいくつも刻まれていて、テーブルや椅子は例外なく折れるかひっくり返され、夥しい量の食器や料理、酒瓶が床にぶちまけられていた。

そしてそれらと同様に、舞踏会参加者たちは目につく限り全員が呻きながら床に転がっていた。

 

力なく床に転がる参加者たちは、大広間内に散った何人ものスタッフ達によってその場で応急処置を受けたり、別の場所に担架で移動されたりと様々な処置がとられている。

彼らの行動は実に機敏で洗練されていて、何度も繰り返した結果手慣れたことを伺い知れる動きだった。

ぐちゃぐちゃに荒れた舞踏会の会場と、倒れ伏した参加者たち、それを介抱するスタッフたちだけがそこにあるすべてだった。

 

「ねえ、ここで何が起きたの?」

 

あたしの背後からヘンリー坊が訊いてきた。

何が起きたかなんて一目瞭然なんだが、坊が訊きたいのはそういうことじゃないんだろうな。

何と答えるかちょっと迷った私は、少し考えて口を開いた。

 

「大乱闘だよ」

 

婚活女が血迷った結果ともいうが。

まあよくあるやつだな。




後編に続くよ


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19話 婚活舞踏会DX 後編

サブタイトルは「そして誰もいなくなった」
分かりにくいけど天使族のエリー視点だよ。


 どいつもこいつも目を血走らせやがって。

 

 マックガバンの家の者としては有るまじきことだが、唾でも吐きたい気分だった。

 私はヘンリーの幼馴染ということもあって、こういった出会いを求める場所に出向く必要を感じなかった為、夜の舞踏会はこれが初めてになるが、流石にこの状況がおかしいことぐらいすぐに分かった。

 人が多すぎる。

 この会場のキャパは500人だっていうのに、何人いるのか分からない。

 イモ洗いかよ。

 こいつらの目当てが何なのかなんて、言うまでもないだろう。

 なんせ今まで社交界に顔を出してこなかったヘンリーの初の舞踏会なのだから。

 

 この国有数の名家の当主の子、普人族、成人前の男児という考える限りの優良物件なのだから、ワンチャンあるかもと考えておかしくはないのだ。

 もしもラインバッハ家に嫁入りできれば玉の輿だし、顔を覚えてもらえればそれだけでも儲けものだからな。

 

 だがな、そんな汚い理由でヘンリーに近づこうとするなんてこの私が許すとでも思ったか。

 お金の大事さは重々承知している身ではあるが、それとこれとは別問題だ。

 私の怒りのボルテージがギュンギュンと音を立てて上がるのを感じていた。

 

 もはやドリンクの受け取りさえも困難な人の群れの中で、やはりというか至る所で声が上がりだした。

 

「あ? 今、何つったよテメェ」

「どれだけ雁首揃えようとも選ばれるのは私なのだから、ここにいるのは無駄なことだと言ったんだが? 

 もしかして言葉の意味が理解できなかったのかな?」

「うるせぇぞクソエルフ」

「両手広げて無駄にスペース取ってんじゃねえよモヤシが」

「この顔面偏差値没個性がよ」

「こ、この高貴な顔を没個性だとお!?」

 

「おい場所開けろや。最初に挨拶するのは俺が先だ」

「その貧弱な体でイキってんじゃねえよ。後ろに並べボケナス」

「おい押すんじゃねえよ、押すな……押すなってんだろオラァ!」

「痛ってえなテメエ!」

「人の一張羅を酒で汚しやがって! 表に出ろてめえ!」

「押すなっつってんだろ!」

「ざっけんなてめえコラ! っすぞてめーおらぁ!」

「んだっるるぁっ! もるっ! もるるあ!」

「共通語で話せ田吾作がよぉ!」

 

「貧民共は大人しく後ろに並びなさいな。

 貧相なドレスで彼とお会いするなんて恥ずかしいと思いなさいな。

 なんですのその汚ったないローブは、パジャマで舞踏会に来るなんてどういう教育を受けたのかしら」

「んだとてめぇクソエルフが」

「貧相なのはてめえのスッカスカの胸の方だろ! ぎゃははは!」

「ころす」

 

「うわ、出入り口で脳筋が殴り合い始めちゃったよ」

「やばいやばい逃げ場がない」

「あ、エルフが切れた」

「端っこ! せめて端っこに行かないと巻き込まれる!」

「こんな閉所で魔術を使うなよ! 不味いこっちに飛んでうわああああ!」

 

 何だここは馬鹿しかいないのか。

 不穏な空気だとかいう予兆なんてものは全くなく、会場全体が沸騰したかと思えば一瞬で殴り合いが始まった。

 なんでマウントを取った数秒後につかみ合いに発展するんだよ。

 

 あっちでは興奮した獣人族同士がもみくちゃになって目につく相手に殴り掛かっては殴り返されている。

 向こうではマウント合戦にキレたエルフ族と魔法族が魔術戦をはじめ、それに巻き込まれたヴァンパイアがブチ切れて撃ち合いの渦中に突っ込んで双方に殴り掛かっている。

 早々に有利な立ち位置を求めて壁に飛び上がり、ポジションが被った所為でお互い不本意なまま戦闘に突入するアラクネ族とラミア族。

 喧騒の中、ドワーフ族と鼠人族が安全地帯を求めて悲鳴を上げながら走り回り、その合間を縫って殺傷力を抑えた魔力弾が数人相手に大立ち回りをしていた鬼人族に直撃する。

 謎の言語らしき奇声を発しながら相手を酒瓶で殴る者。

 近場の相手に協力を持ち掛けて背中を見せた瞬間に即裏切られる者もいた。

 なんだここは。

 動物園かよ。

 

 こんな猿山のエテ公どもが、彼に色目を向けるに飽き足らず、唾棄すべき性欲を露わに彼へにじり寄るだと? 

 面白いなお前ら。

 私がそれを許すわけがないだろうが。

 こんな連中を近づかせてなるものかよ。

 私はヘンリーの幼馴染だぞ! 

 

 私は周囲に展開していた魔法障壁を一時的に解除する。

 壁が消えたことで、好機と見たらしく詰め寄ってくる知らない獣人族に局所集中障壁魔術(ピンポイントバリア)でカウンターで吹き飛ばす。

 背後から突っ込んでくる別の獣人族に真下からの圧縮空気弾(アッパー)を顎にぶち当てて意識を飛ばす。

 左右からの魔力弾を拳で弾き飛ばし、お返しに誘導弾をプレゼントだ。

 何人か寝かしつけた程度では女どもの数は減った気がしないが、それが一体どうしたというのか。

 元よりこの会場にいる連中を全員叩きのめすつもりで来たのだ。

 私の覚悟はその程度で揺らぐような軽いものではない。

 相手が何百人いようとも関係あるか。

 

 天使族の本気を意味する光環を頭上に輝かせ、立ち上る魔力でもって体を限界まで強化して。

 彼に恋慕する女どもに拳を叩きつけて私は叫ぶ。

 

「私がっ! ヘンリーを守るんだ!」

 

 死にたい奴から、かかって来いやぁ! *1

 

 

 ◆ー〇ー◆

 

 

 戦いは苛烈を極めた。

 床には敗者が転がって足の踏み場もなくなり、しかしまだ数人の敵が残っていた。

 獣人族が一人、鬼人族が一人、ヴァンパイア族が一人、それと私。

 

 意識を逸らした獣人族を今私が撃ち抜いたから、残るはあと2人。

 三つ巴になった瞬間、目の前の二人は息を揃えて同時に突っ込んで来た。

 

(……ッ! 卑劣な真似を!)

 

 こいつら土壇場で手を組みやがった。

 そんなにヘンリーにすり寄りたいのか、この不埒者め。

 だが二人がかりではなあ! 

 

 既に対応魔術は組みあがってるんだよ! 

 鬼人族の踏み出した足に拘束魔術が絡みつき、その反対側から私を挟もうとしたヴァンパイア族には予め設置しておいた専用の拘束魔術で全身を縛り上げる。

 あとは魔力弾で意識を刈り取るだけだ。

 口ほどにもないなあ! 

 ヘンリーの隣に立つ女は、この私! 

 エリー・マックガバンよ! 

 

 ふははは、と勝利を確信した私は、これから敗北者の列に加わる二人の顔を見る。

 だが二人は笑っていた。

 まるでその顔は勝利を確信した今の私のように──―

 

 不意に頭上から影が差した。

 頭上という完全な死角からの強襲。

 今の今まで天井に潜んでいたというのかこのラミア族めがああ! 

 

「んなあっ!?」

「殺ったぞおらああああ!」

 

 まずい。

 高速戦闘に対応するために障壁魔術のリソースを別に回していた所為で、防御が間に合わない。

 仮に間に合ったとしてもラミア族の勢いづいた尾の一撃を食らっては一溜りもない。

 だけどそれでは。

 ヘンリーが、

 間に合わないならいっそ、

 ラミア族の尾が振り抜かれ、鱗が私の視界を埋めて──

 

「うおおおおおおお! 玉の輿じゃあああああ!」

「よくやったぞラミィ!」

「信じてたぜ!」

「もっとだ! もっとこの私を褒めな!」

「「ラミィ! ラミィ! ラミィ!」」

 

 舌を噛む。

 明滅する視界を根性でねじ伏せて。

 たった一つの魔術を、人生最速で構築する。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 これが幼馴染の底力だ。

 たっぷりと味わうがいい。

 

「くら、え……」

「私にかかればこのくらい……なんか言った?」

「しまった! まだ俺たちの拘束魔術が解けてない! ラミィ!」

()()()()()()()()()()()*2

 

 死なば諸共の空間爆砕術式じゃあああい! 

 気付くのがちょっとばかし遅かったなあ! 

 例え! 私自身が敗者の列に加わることになろうとも! 

 ヘンリーは! 

 私があ! 

 守るんだ! 

 

「た、対ショック姿勢いい!」

「拘束されてんのに出来るわけねえだろ!」

「ガッツのある娘だねぇ、気に入ったよ」

 

 真っ白な閃光が弾けると同時に、私の意識は闇に沈んだ。

 

 ……。

 ……揺れ、てる。

 何かに乗せて運ばれているのを自覚して、私の意識は浮上する。

 念のために構築して時間凍結しておいた治癒魔術が上手く機能したようだ。

 乗っているのは担架だろうか。

 霧がかかったような視界で周囲を見回すが、会場内でまともに息をして動いているのはスタッフだけのようだった。

 良く見えなかったが多分そうだ。

 私が勝ったに決まっている。

 

 担架に揺られる私の目に、ぼんやりとだが人影が映った。

 きっとヘンリーだ。

 確証はない。

 だけど私にはわかる。

 ねえ、ヘンリー。

 彼の横を担架で運ばれながら、思ったことをそのまま言葉に乗せる。

 

「わたし……勝ったよ……」

「エリー!」

「おさななじみは……さいきょうだぁ……」

 

 あ。もう無理。

 

 

 ◆ー〇ー◆

 

 

「あ、あの、その子の怪我の具合は……?」

「気絶してるだけなんで30分くらいで治りますよ。

 自分で治癒術式を起動してますし、ベットに寝かせてれば勝手に起きだすでしょうね」

「そう、なんですか?」

「どちらかというと周りのお客さんの方が怪我の具合は酷いですね。

 まあそれも1,2時間したら起きるでしょうけど。

 この惨状の半分くらいはあの子がやったみたいですよ」

「へ、へえ……」

 

 思わぬ残虐ファイトの片鱗にヘンリーはちょっと引いていた。

 担架に揺られ遠ざかっていくエリーを見送りながら、ヘンリー達4人は顔を突き合わせて相談し始める。

 崩壊した会場と気絶した参加者の群れ。

 どこからどう見ても舞踏会の体を成していなかった。

 

「こういうのって良くあるの……?」

「まあ割とあるな。会場が半壊するのは滅多にないが」

「それよりもこれからどうする?」

「なんか食って帰ろうぜ」

「お腹減ったね」

「この辺りの地理は明るくないな、いいお店はあるかい?」

「あたしもよく知らないな。アヤメはどうだ?」

「さっき言ってた美味いラーメン屋の屋台が近場にあるんスけど……」

「じゃあそこに行こうぜ、坊も良いよな?」

「え、でもラーメン屋っすよ」

「ラーメンは豚骨? 醤油?」

「両方ありますが、味噌が美味いっす」

「よし行こう!」

「夜のラーメンの背徳感は堪らないねえ」

「本当に連れてって良いんすかね……」

「坊が良いって言ってんだから良いんだよ、ほら行くぞ」

「替え玉ってある?」

「なんすかそれ」

 

 4人は舞踏会に背を向けて、夜の街に歩き出す。

 幼馴染の見せた思わぬ一面を飲み込むには、何かきっかけが必要だったのだ。

 なお、ラーメン屋の店主はとんでもない格好でやってきた客にビビりまくっていた。

*1
殺しは誓ってやってません

*2
ラミィちゃんには殺す気はありませんでした。言葉の綾です




他に息を潜めてた連中も全員道連れにしたエリーが今日のMVPだよ。

  ドラゴン娘「遅刻したら舞踏会の会場が壊滅していて、ヘンリーの姿もおらんのじゃが」
  ヘンリー君「ラーメンうめぇ」
タチアナちゃん「ラーメンうめぇ」
 マリナちゃん「ラーメンうめぇ」
 アヤメちゃん「おかわり!」


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20話 虎人族タチアナと涙の季節

やられたらやり返されると古事記にもそう書いてある。
セクハラとはそういうものだ。


 この時期のラ・ヴィンセルには毎年必ずと言っていいほど流行る一つの症状がある。

 くしゃみ、鼻水、目のかゆみ、酷いものだと頭痛も併発する、この国の負の遺産の一つだ。

 

 その経緯は数百年前の建国初期にまで遡る。

 建国初期のあまりの木材消費量に懸念を抱いた国は、より成長の早い木材に利用可能な植物の()()()()に着手した。

 それらは実を結び、いくつもの優れた品種が世に送り出され数百年たった今もなお国民の生活を支えている。

 だがその中にはどうしようもなく悪さをする種類が存在する。

 品種番号A-1377YT、通称・杉の木。

 それらが撒き散らす花粉によって引き起こされるアレルギーの過剰反応。

 つまりは花粉症である。

 

 

 ◆ー〇ー◆

 

 

「うあー…」

「目が真っ赤だよ、大丈夫タチアナさん?」

「クッソかゆい」

 

 この季節は本当につらいんだよな。

 毎年毎年花粉をまき散らしやがってクソ杉め。

 折角のヘンリー坊との鍛錬だって言うのに、教師役の私がこれじゃあ訓練にならねえじゃねえか。

 この状況だと万が一で危ないからアヤメは向こうで自主練している。

 すまねえな。

 

「そっか、花粉症かあ」

「まあ毎年のことだしな。

 

 花粉症の金持ち連中がギルドに杉抹殺依頼をかけてるだろうし、そのうちこの周辺のクソ杉どもは姿を消すだろうからもうしばらくの辛抱だ

 魔術的に改良しまくったのは分かるんだが、何なんだよあの頭おかしい生命力は。

 数百年かけても根絶しきれねえなんてマジで意味が分からない。

 

 乾燥させねえと全然燃えねえし、数か月でめちゃくちゃ数が増えるし、全然病気にかからない。

 こいつら特攻の枯れ葉菌なんてものも発明されたそうだが、効果があったのは最初だけでいつのまにか克服しやがったそうだ。

 結局は人海戦術で目につく範囲を刈り尽くすのが一番効果的ということになり、この時期はそういう依頼でギルドは忙しなく動いているだろう。

 

 あー、目がかゆい。

 

「擦っちゃダメだよ、薬は処方してもらったの?」

「マリナから経口薬と点鼻薬と目薬を貰ったんだが…」

「効かなかったの?」

「いや…そうじゃなくてな」

 

 歯切れの悪いあたしに、不審に思った坊がにじり寄ってくる。

 そんな目で見ないでくれ。

 坊の視線に耐えきれなくなったあたしは、ぼそぼそと口を開いた。

 

「その、苦手なんだよ」

「うん」

「目薬を入れるの」

 

 口に出すとめちゃくちゃ恥ずかしい。

 いい年して目薬が怖いんですとか情けない。

 でもどうにも苦手なんだよアレ。

 眼球に当たる前に反射的に避けちまうんだ。

 おかげで今も目が充血してかゆみが止まらない。

 

 ヘンリー坊はアタシの真っ赤な目を見て、少し考えた後あたしの手を取った。

 ちょっとびっくりしたじゃねえか

 何の前触れもなしにそういうことされると心臓が跳ねるだろ。

 

「その目薬は今も持ってるの?」

「い、いや、部屋に置いてあるけど…」

「じゃあタチアナさんの部屋に行こっか」

 

 そう言って坊は固まったままで動かないあたしの手をくいくいと引っ張った。

 

「目薬入れるのを手伝ってあげる」

 

 

 ◆ー〇ー◆

 

 

 あたしの部屋はラインバッハ家の他の部屋とそう大差はない。

 用意してくれた家具や調度品はそのまま使わせてもらっているし、部屋にあれこれ手を加える方ではない。

 精々が傭兵時代の武器防具を部屋の隅にいくつか飾っているくらいだ。

 だからおかしなものなんてないはずだ。

 メイドたちが掃除してくれているおかげで部屋も綺麗な状態で保たれている。

 だから心配なんて何もない筈なんだが、ヘンリー坊を入れるとなると緊張して仕方がない。

 そわそわと落ち着かないあたしを絨毯に座らせると、ヘンリー坊は目薬を手に取ってあたしの背後に立った。

 

「じゃあ行くよ。上を向いて」

 

 あたしは首を反るように上を向くと、頭頂部が坊のお腹に触れた。

 顎下に坊の手が添えられて軽く固定される。

 そのまま残った方の手で目薬を構えて──

 

「あっ」

「…すまん」

 

 ふいっ、と反射的に首を捻じってしまった。

 当然目薬は目に入らない。

 

「もう一回、上を向いて」

 

 ふいっ

 

「もう一回」

 

 ふいっ

 

「……もう一回」

 

 4回目も避けてしまった。

 思わず目を逸らすあたしに、坊はため息をつくと背後のソファーの端に腰を下ろす。

 マジでどうしようもないんだよ。

 わざとじゃないんだよ坊、信じてくれ。

 あたしを見捨てないでくれ。

 

 あわあわと慌てる私を見て、坊は膝をぽんぽんと叩いた。

 その様子に、そのシチュエーションに、あたしの脳内に電流が走る。

 まるで誰かが寝っ転がることを想定したようにソファーの端に座る坊の姿。

 そして膝ぽんぽん。

 これはまさか…!

 夢にまで見た膝枕というやつではないのか!?

 

「おいで」

 

 …っは!?

 あたしとしたことは頭が真っ白になっていた。

 いかんぞヘンリー坊。

 そういうことを軽々とするようじゃ、いつか女から酷い目に遭わせられるぞ。

 まあそんなことはこのあたしがさせねえんだけどな。

 というかまるで横になっているような感触が背中から感じる。

 それとやけに後頭部が柔らかくてあったけえ。

 不思議に思って見上げると視界のほとんどをヘンリーの顔が占めていた。

 

 ……え?

 いつの間にかあたしはソファーに寝っ転がって、頭を坊の膝にのせていた。

 本当に記憶がない。

 あたしの体が無自覚のままに坊の膝枕を求めていたというのか。

 求めてるに決まってんだろ。

 いつだって熱望してるわ。

 夢にまで見た膝枕だ。

 興奮してきた。

 いや興奮してんじゃねえよボケナスがよ。

 落ち着けあたし、この状況は人に見られたら言い訳が出来ない。

 あのドラゴン女でさえクラウディア様にめちゃくちゃ詰められたんだから、雇われている身のあたしでは何をされるのかちょっと想像もつかない。

 ……でもあたしの部屋だから見つかる心配はないよな。

 ヘンリー坊のいい匂いがする。

 

 違うそうじゃない落ち着け。

 性欲に流されるんじゃない。

 既に唾つけ*1したあたしが言えることではないが、自分の部屋に成人前の男児を連れ込んで膝枕させるなんて正気の沙汰ではない。

 恥を忍んでアヤメあたりに頭を固定してもらえば済む話だ。

 そうだ、そうするべきなんだ。

 それが分かっていながらもあたしの体は言うことを聴いてくれない。

 あたしの理性は本能と欲望を前に既に敗北していた。

 あっ、だめ、額を優しく撫でないでくれ!

 マジでなけなしの理性が擦り切れるから!

 本当に今ギリッギリだから!

 

 坊は額に手を置いたまま、目薬をかざす。

 そうだった。目薬を入れるための膝枕だった。

 じゃあちゃちゃっと済ませればいいだけの話じゃねえか。

 流石にこの状態なら反射的に避けることはないだろう。

 

 顔の前で手を構えたヘンリー坊の持つ目薬から水滴が生まれ、それがあたしの眼球に向かって落ちる。

 あたしはその水滴を冷静な頭で見つめ、

 

 ふいっと首が動いてそれを避けた。

 

「………。」

「………。」

 

 違うんだ。

 違うんだよヘンリー坊。

 そんな顔をしないでくれ。

 もっと膝枕されていたいとは正直思っているけど、そのためにこんな真似をしたりはしない。

 本当なんだ。

 信じてくれ。

 

「タチアナさん、少し頭を上げてくれる?」

「あ、ああ…」

 

 あたしは言われた通りに頭を持ち上げる。

 絞首台に向かう囚人のような気分だった。

 思わず目を伏せるあたしを余所に、ヘンリー坊はソファーに横向きに座り直す。

 ソファーに横になっているあたしに向き直った膝立ちの姿勢だ。

 そのまま坊は正座のように腰を下ろして、あたしの顔を太腿で挟み込んだ。

 うわあ柔らかい。

 

「……ッ!?、???」

「もう、暴れないで」

 

 い、いやいやいや!

 不味いって!

 マジで不味いって坊!

 これはダメな奴だ!

 言い訳どころの話じゃねえよこれ!

 うわあああああすべすべして柔らけえ良い匂いするあったけえじゃねえよ頭が回らねえ!

 あたしが指定した運動着のままだから坊は半ズボン姿じゃねえか!

 あたしの頬と坊の生肌が触れるとか過去のあたしはマジでいい仕事をしたけど今はそういう場合じゃねえよ!

 というかあたしの頭上の柔らかい感触ってもしかしてこれ坊の……え、マジで? 今あたしってヘンリー坊のヘンリー坊にまさか触ってんの?

 あ、ぁああああ!

 もうどうしたら良いのか分かんねえよ!

 

 あたしの視線の先では、坊がやけに楽しそうな顔で笑いながらあたしを見下ろしている。

 止めてくれ!あたしの中の重要な部分が変な感じになってしまう!

 歪んで元に戻らなくなってしまう!

 碌に動かない体でイヤイヤとかぶりを振るあたしの頭を、ヘンリー坊はさらに太腿でぎゅっと固定する。

 うわあああああああ!

 

「へ、ヘンリー坊…ダメだって…」

「タチアナ、動かないで」

「いや、いや駄目だ坊、これは…」

タチアナ

 

 ヘンリーの声。

 不意を突くような初めての呼び捨てが、混乱の絶頂にあったあたしの頭にするりと入り込んで思考を満たした。

 真っ白な頭のままで、あたしはヘンリーの顔を見上げる。

 

動くな

 

 言われるままに、あたしの体は抵抗をやめた。

 被りを振っていた首も、変に力のこもっていた背筋や手足も弛緩して力が抜ける。

 ヘンリーは未だにあたしの顔を両サイドから抑えていた太腿でそれを感じ取ったのだろう、手に持った目薬をあたしの眼前に持ってくる。

 呼吸だけして力の抜けきった脱力した体は、この時だけはあたしのものではなかった。

 今のあたしはヘンリーのものだ。

 あたしはただ漠然と、しかし確信をもってそう思った。

 だからこれは当然の帰結だ。

 動くなと言われたのだからこの体が動く筈がない。

 彼の言葉通りに不動を貫く体は、迫る水滴を無感動に見つめたまま。

 反射的に顔を背けるどころか瞬き一つすらすることなく、あたしの体は坊に言われた通りにあっさりと目薬を受け入れた。

*1
マーキング行為。成人前の男児にするのは恥知らずそのもの




クール美人が自分の足元でイヤイヤとかぶりを振って力なく抵抗する姿に興奮しないものだけがヘンリー君に石を投げなさい。


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21話 天使族マックガバン親子と直談判

名称:マリン・マックガバン
体格:166cm、ヤンキーは巨乳、金色碧眼、ポニーテール
種族:天使族
年齢:32歳
備考:エリーの母親にして、【衝撃】のマックガバンの異名を持つパン屋さん兼麦の商業組合の元締め


 己の娘が舞踏会を一夜で半壊させた。

 

 それを聴いた第一声が「でかした!」だったのは、自宅で口が緩んでいたせいだろう。

 少しばかり淑女らしからぬ物言いだった。

 いかんな、こういうのがエリーの教育に良くないんだろう。

 

 報告に来た我が家の会計係もそれを見とがめるように眉を寄せていた。

 お前いつも皺寄せてるな、そんなんだから男が寄ってこないんだぞ。

 

「それで相手の数は?」

「少なくとも500以上かと」

「でかした!」

「マリン様、でかしたじゃありませんよ」

 

 別に自宅なんだから取り繕わなくても良いだろうが。

 それにどんなに言葉で飾ろうとも力がなければ意味がないんだ。

 信用や信頼って言葉はたしかに美しいし、商売では重要なものだが、それを支えるのは結局は力なんだよ。

 権力、財力、そして暴力。

 この3つの力さえあれば結果は後からついてくるもんだ。

 そして他の二つは親から引き継ぐことが出来ても、最後の暴力だけはそうはいかないことをエリーは幼いながらも理解している。

 個人に紐づいた武の力は、そいつ本人が磨くしか道はない。

 

 だからこそあの子は私の力に頼りもせずに、たった一人で舞踏会に乗り込んでいったのだ。

 ちょっと前まではよちよち歩きの雛鳥だった奴が、一丁前に自分の羽で飛ぼうとしたのさ。

 これを褒めないで何を褒めろって言うんだ。

 それにこの影響はマックガバン家だけに留まらない。

 ラインバッハ家ご自慢のバトルドレスを着せた護衛を2人連れて行くような場所に、たった一人で突っ込んで道連れとはいえ全員のしてみせたんだ。

 これだけの結果を見せたのだ、ラインバッハ家といえども無視はできまい。

 どうだ、うちの自慢の娘はすごいだろう!ふはははは!

 

「その請求書がこちらです」

「ははは…は?」

「お嬢様が半壊させた会場の修繕費です」

 

 修繕費ね。

 まあぶっ壊したんだから仕方がねえ話だな。

 半壊といっても、こういうことも想定した上でクソ頑丈にできてるのがあの場所だ。

 精々が模様替えと調度品の修繕程度だろうと思っていたが、この眼鏡が態々直接持ってくるってことはそう言うことではないのだろう。

 私は手渡された紙切れに目を通す。

 請求元は管理運営してるグレイストン家か。

 添えられた修繕の目録は数枚に渡って文字と数字でびっしりと埋まっていた。

 ふむふむ。

 シャンデリアに机、調度品、壁に床板…割れた皿の数まで計上している。

 なるほどなあ。

 

「ゼロが一つばかり多くないか?」

「添付された修繕目録の数は妥当ですが、こちらで精査したところ費用がいくらか水増しされていますね。

 手数料を差っ引いても、仰る通りゼロが一つ程度多い計算になります」

「そうだよなあ」

「ご明察、お見事でざいます」

「はははは」

「ふふふふ」

 

 舐め腐りやがってあの雌狸がよ。

 このマックガバンを怒らせたらどうなるか、あいつの足りねえ脳みそじゃあ理解できなかったみてえだな。

 それとも分かっててやってんなら大した度胸じゃねえか。

 上等だよ。

 

「おい、若ぇの集めろ」

「既に全従業員に招集をかけております」

 

 お前は本当にそつがないなあ。

 本当に可愛げのない眼鏡だよ。

 おそらく家の前に集めた連中に音頭を取りに行くのだろう眼鏡を見送って、私は2階でべそかいてる可愛げのある娘の部屋に足を向ける。

 お前が望んでいる汚名を返上するいい機会だぞエリー。

 直談判(カチコミ)の時間だ。

 

 

 ◆ー〇ー◆

 

 

 何やら足元が騒がしいことに気付いていたが、私は布団をかぶったままで微動だにしなかった。

 舞踏会に殴り込んだのは昨日のことで、怪我なんて昨夜のうちに全治して不調なんて欠片もない。

 それでもこうしているのは昨夜を思い返して羞恥心に苛まれていたからだった。

 

 恥ずかしい。

 ヘンリーの前でなんて無様を晒してしまったのだろうか。

 エリー・マックガバンは、ヘンリー・ラインバッハの幼馴染で、頼れるお姉ちゃんだ。

 少なくとも私はそうありたいと努力してきたつもりだし、そう思われるような振る舞いを心掛けてきたつもりだった。

 

 それなのに昨夜の醜態は一体何だ。

 自分の能力を過信して一人で舞踏会に赴いて、足掻きに足掻いて何とか引き分けに持ち込んで。

 あまつさえ担架に揺られて運ばれている現場を彼に見られるなんて。

 

 なんという醜態。

 なんたる恥辱。

 これではお姉ちゃん失格だ。

 あまりに恥ずかしすぎて、今朝のパンだって守衛さん経由で渡してしまったくらいだ。

 

 昨夜の戦いを思い返すほどに、自分の稚拙さが浮き彫りになる。

 リソース管理に無駄があった。状況確認が甘かった。

 頭上なんて一番に潰しておく死角だというのに、目の前の敵を叩き潰す快感に酔っていた。

 そもそもの話、戦いになることは初めから分かっていたのだから事前に組んだ術式をもっと凍結しておけば良かったのだ。

 

 反省点は腐るほどあって、そのどれか一つでも足りていれば昨夜の醜態はなかった筈だ。

 それらが足りていれば、今も私は頼れる可愛くて美人な幼馴染のつよつよお姉ちゃんでいられた筈なのだ。

 

 認めよう。

 私は弱かった。慢心していた。心構えの時点で既に敗北が決まっていた。

 だから強くならねばならない。

 戦いの経験が、実践の経験値が足りていないのならば、それを手にするしか道はない。

 強くなるには、汚名をそそぐには、戦いを積み上げてかつての自分を取り戻すしかないのだ。

 

 だけどそんなに都合よく戦いの機会なんて得られるはずが──―

 

「行くぞエリー! 雌狸の家にカチコミだぁ!」

 

 都合よく得られたわ。

 

 背後のドアの鍵が吹き飛ぶ音とともに、お母様の声が飛び込んできた。

 私は即座にベッドから飛び起きてドアを見るも、扉を蹴破ったお母さまの姿は既にない。

 声だけをかけに来た訳ではないことは私が一番分かっていた。

 私が参加すると当然のように思ってくれているのだ。

 こんな布団に包まってメソメソしていた情けない女だというのに。

 慰めの言葉なんてなくても立ち上がると信じてくれているのだ。

 

 家族からの信頼があったけえ。

 私は心に燻っていた火が大きくなっていくのを感じた。

 時間は私を待ってはくれない。

 だからそう。

 善は急げ(カチコミ)だ。

 

 30秒で手早く支度を済ませて階段を駆け下りた私は、既に家の前に集結していたマックガバン家の屈強な従業員たちの最善列に割り込んだ。

 おら!道を開けろ!私はヘンリーのお姉ちゃんだぞ!

 見ててねヘンリー。

 エリーお姉ちゃんは強くなるよ。

 強くなって迎えにいくからね!

 

 

 ◆ー〇ー◆

 

 

 グレイストン家当主である狸人族のアリソン・グレイストンは遅い朝食を済ませたばかりだったが、やけに家中が慌ただしいことに気付いた。

 どたどたという喧しい足音が自室に近づいてきて、騒々しい音とともにドアを開けた配下が一人飛び込んできた。

 

「おふくろぉ!」

「朝っぱらからうるさいわ、何があったっちゅうねん」

「ま、マックガバン家が……!」

「ああ、請求書の件で文句でもいいに来たんか?

 ゼロ1桁は吹っ掛けすぎたかもしれんなあ」

「そうじゃありません!文句とかいうレベルじゃないんです!」

「じゃあなんだって……」

 肩で息をする女は、アリソンの言葉を遮って息も絶え絶えに声を上げた。

 

「マックガバン家に門を破られました!」

「……は?」

 

 報告を聞いて慌てて外へ向かうと、既に戦いは終わっていた。

 無惨にもひしゃげた門の付近には、この日の為に雇っていた警護や配下どもが地面に転がっていた。

 今や最後の一人となった警護の女は、私を見ると慌てて背後に庇うように立つ。

 

 マックガバン家の連中のほぼすべてが門の外で包囲したまま敷地に入っていない。

 唯一敷地内に侵入しているのは一人の天使族だ。

 顔に見覚えがある、こいつは確か【衝撃】の娘っ子だったな。

 じゃあ【衝撃】の本人は何処かと身構えたが、あの女は壊れた門に背中を預けて暢気に煙草を吹かせていやがった。

 手前の娘一人に任せて煙草たぁどういう了見だ。

 余裕のつもりかクソ女が。

 私は目の前の小娘を無視して、憎たらしいそいつにむかって怒鳴り声をあげた。

 

「おい、どういうつもりや、ああ!?」

「貴方が当主ね」

「喧しいわ、ガキはすっこんどれ!、……ぅおぉ?」

 

 くらり、と。

 何の前触れもなしに膝から力が抜けて尻もちをついた。

 私の前に立っていた警護も、私の横にいた配下の女も、気付けば完全に意識を失って倒れ伏している。

 自分を襲うこの異常はおそらく脳震盪だろう。

 余韻のようにわずかに残る顎先への痺れがそれを確信させた。

 

 私の背筋に冷たい汗が流れる。

 これでも私は一端の魔術師だ、魔法障壁だって当然展開していた。

 それを正面からぶち抜いた上に、衝撃だけを残して怪我一つさせずに無力化された。

 一瞬で、それも警戒していた3人同時に魔術の起動を気取られることなく。

 

 小娘は……いや、目の前の天使族の女は無造作に私に歩いてくる。

 罠や奇襲を踏み潰すという気迫のこもった、王者のように迷いのない足取りだった。

 その顔を見て──正確にはその頭上を見て、私は思わず泣きたい気持ちになった。

 天使族の種族特性、全力で魔力を稼働している時に否が応でも出現してしまう頭上の光環が、そこになかったからだ。

 

 嘘だと思いたかった。

 それではこの女は、この家の門をぶっ壊してから、私を無力化する今この瞬間も本気ですらいなかったことになるじゃないか。

 門でタバコ吸ってる【衝撃】のあいつの同じことをその年で再現するとか悪夢じゃないか。

 そんなことってあるかよ。

 

 というか請求書に文句があるなら抗議から始めろよ。

 なんでそれをすっ飛ばして最初から殴り込みに来るんだよ!

 するにしたってもっと段階踏むだろうが!

 恋人が出来てもまずは手を繋ぐことから始めるもんだろ!? 段階を踏んでくれよ!

 言いたいことは腐るほどあって、しかしそれを口に出せる実力差ではないことは痛いほど痛感していた。

 娘が出来て丸くなったかと思ったら、その娘もとんだ狂犬じゃねえか畜生。

 

 あと我が家を囲んでいるマックガバンの連中のお嬢コールがクソ喧しい。

 近所迷惑をちったあ考えろ。

 まあ考える訳がねえか、負け犬の都合なんてよ。

 全てはこいつらの沸点の低さを見誤った私の失態だ。

 今回は私の負けにしておいてやるが、次はこうはいかねえからな。

 覚えていろや。

 脳裏に浮かぶあれこれを腹の底に飲み込んだ私は、眼前に突き付けられた請求書を見て媚びるように笑みを浮かべるのだった。




一方その頃、お見舞いに行ったヘンリー君は店番すらいないパン屋さんを見て首をかしげていた。


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22話 サロンの一幕と竜の純白装束

更新しなくてごめんやで


 いかに国が発展しようとも男が希少であることは変わりはしない。

 彼らの安全を守るためには生活に制限がかかってしまうのは仕方がないことだ。

 ただ行動を制限するばかりでは外れすが貯まるばかりで心身に悪影響だということは、この社会が形成されたころから分かり切っている事実である。

 必要とされたのは女性から離れ、同性間でのみ成立する気安い遊び場で、言葉を変えるならば紳士的な社交場。

 いかに尊い血筋であろうとも関係なく男以外は門前払いをされる男性限定の社交場のサロンである。

 ちなみに過去に強行突破しようとした性欲に狂ったアホは入り口を超えることも出来ずにボコられて半日ほど追い回された挙句、広場に3日ほど晒されたとか。

 

 ともあれサロンは入り口の警備を除いて全てが男性だけの空間であり、それは運営するスタッフも含まれる。

 ヘンリー少年がやってきたのは若年層が多く利用するゲーム中心のサロンだ。

 ちなみにサロン名は「札狐亭」。

 狐系獣人族の夫婦がオーナーを勤めるこのサロンは、とにかくゲームの種類が豊富なことで有名だった。

 一応はバーカウンターと酒類を並べてはいるものの、あくまでサロンの体を成すだけといったものであり、メニューは軽食とアルコール以外のソフトドリンクで占められるような場所だった。

 当然ながらスタッフは少ないため、かなりの部分がセルフサービスというのもこのサロンのハウスルールである。

 レッドカーペットに白黒チェックの壁、部屋は全体的に薄暗く、間接照明や範囲を絞った照明器具により、ややアダルティな空気が漂う部屋であるが、やっていることはカードショップとボードゲームカフェにその他遊戯場を足したような在り様であるため、成人前の男児も多く入会しているのが特徴でもあった。

 

 サロン内に用意されたダーツやビリヤードや持ち込んだカードゲームに興じる子供の姿も多く、ラインバッハ家のヘンリー少年もそんな同年代に混じって卓を囲んでカードゲームに興じていた。

 ヘンリーの対面に座るのはショタ好きには堪らないだろう生意気そうな顔をした犬耳が生えた獣人族の少年。

 あと1年と少しで成人を迎えるお年ごろである。

 二人の手には渦巻柄の背面が特徴的なカードが数枚。

 

「喰らえヘンリー! 魔王軍催眠目玉でダイレクトアタックだ!」

「はっはー! 残念だったね! 罠カードオープン、強制催眠解除!」

「なんだって!? ……ちょっとテキスト見せて」

「うん」

「……あー、これって対象を取る効果だから、この目玉はカード効果の対象にならないから通じないよ」

「分かりにくいから表現を統一してくれないかな……」

「勘違いしちゃうよね」

「ねー」

「あと隠された効果は本当にやめて欲しい」

「ごめんね」

 

 成人前の子供が集まっているだけあって少し騒がしくもあったが、その程度は珍しいことではなく、彼ら以上に騒がしい集まりもあって目くじらを立てるほどではなかった。

 そもそも消音系の魔道具も設置されている為、他所の会話は耳を澄まさなければ聞き取ることはできない。

 余計なトラブルを避ける措置が十分に機能しているのがサロンであるが、トラブルの方から寄ってくる場合はその限りではない。

 例えば因縁のある相手を見つけた酔っぱらいに見つかったり等がそうだ。

 

「あぁ~? 誰かと思ったらラインバッハ家のお坊ちゃんじゃねえかよ」

 

 やや怪しい足取りでボトルを片手に近づいてくるのは一人の男。

 まるで女に見られることを目的としたような大きく胸の空いた白いシャツに鱗を模した派手なスーツ。

 竜を模した指輪に首飾りをジャラジャラと身に纏っている。

 そして湾曲しながらも頭上を刺す2本角。

 全身で竜人族アピールに余念のない男であった。

 既に成人しているだろう男は、赤らんだ顔を隠しもせずににやにやとした笑いを張り付けている。

 一目でわかるくらいにトラブル臭のする男を見て、ヘンリー以外の少年たちは早々に撤収準備に取り掛かった。

 これが私物ではなくサロンの貸し出し品なら今頃はダッシュで逃げていただろう。

 この世における最強種族として君臨するのが竜人族だ。兎にも角にもプライドが高いのが種族共通の特徴であり、トラブルが起きると果てしなく面倒であることは成人前の子供でも知っている常識であった。

 そんな常識を知ったことかと言わんばかりに、委縮する友人たちを庇うように男の前に立ったのがヘンリー少年である。

 彼に言わせれば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と答えるだろうが端から見れば正気の沙汰ではなかった。

 

 そんな「かかって来いや」と言わんばかりのヘンリーの袖を引っ張ったのは、先ほどデュエルしていた犬人族の少年だ。

 やべー奴に正面から立ち向かうアホを見捨てない気高さをもった良い子である。

 彼は男の顔に見覚えがあったらしく、ヘンリーの耳に口を寄せて小声で耳打ちした。

 

「(何してんのマジで。本当にヤバいって。あれシュタイエル家の奴だよ……!)」

「声が小さくて聞こえない」

「(だからシュタイエル家だって! 竜人族の!)」

「聞こえないってば」

 

 竜人族に聞こえない様にと焦りすぎたのか、少年の声はヘンリーには聞こえない音域の声だった。

 普人族の耳はそんな高音域の声が聞き取れるほど性能が高くないのだ。

 ヘンリーは少年の必死な顔を見ながら「なんかパクパクしてるしくすぐったいな」なんて思っていた。

 そんな二人を前にして、竜人族の男が口を開く。

 物理的にも精神的にも上から見下した、嫌な声だ。

 

「名高いラインバッハ家のご令息には木っ端名家の男は記憶にないってかあ?」

「(ああっ、この声は聴こえなかったのか! ええと、このくらいで……入り婿だよ! シュタイエル家の!)」

「シュタイエル家の?」

「(なんで口に出すのさ!?)」

「おお? そうそう、そうだよ知ってんじゃねえか。そのシュタイエル家のダリルだよ。よろしくなぁ?」

「(喧嘩しちゃダメだよ! ねえ聴いてる!?)」

「……ええと、お会いするのは初めてになりますね、シュタイエル様。ヘンリー・ラインバッハと申します。

 私に何か御用がありましたでしょうか」

「(そう! そうだよヘンリー!)」

 

 ヘンリーは胸に手を当て、僅かに会釈をした。

 簡略的ではあるが、凡その種族に通じる上位者への挨拶の一つである。

 ヘンリーの普段のアホさを良く知る犬耳の少年はちょっと目を見張ると、撤収作業を手伝うことに決めたらしくヘンリーから離れてテーブルに寄った。

 まさかこの対応にケチをつけて喧嘩になる様なことはないだろう。

 そもそも普人族に勝ち目なんてありはしないのだから。

 そんなアホがいるはずがない。

 

「ごようがありましたでしょうか~?」

 

 何が楽しいのかゲラゲラと笑う酔っぱらいを余所に、ヘンリーの背中を犬耳の少年が軽く叩く。

 撤収作業は完了したらしい。

 ヘンリーは目線で出口を見やると、少年も意味を察して他の友人たちを出口に誘導する。

 じゃあ適当に逃げるかと踵を返そうとした瞬間に、男の声が耳に入った。

 

「いやぁ、あのヘンリー・ラインバッハって言っても、ションベン臭えガキかぁ」

「じゃあ僕はこの辺で、空手の稽古がありますの……」

「あの鱗余り*1に言い寄られてるっていう哀れなガキの顔を見たくてよぉ」

 

 友人たちを追いかけようとした足が止まる。

 鱗余り。

 そう言った。そう聴こえた。

 ヘンリーのややたれ気味の目が細まる。

 それを見たダリルの目もまた、喜悦を伴って細まった。

 

「鱗余りだよ、う・ろ・こ・あ・ま・り。聞こえなかったのかぁ?」

 

 見下ろしながら、にやにやと。

 ようやくヘンリーも思い至る。

 ああ、こいつは喧嘩を売っているんだと。

 絶対に歯向かってこない相手を使って、ヒルデガルド・エスターライヒを侮辱して反応を楽しんでいるのだと。

 あの美しくも可憐なあの子を侮辱してるのだと。

 

「角を折られて竜人族の男に相手されねえからって、精通前のガキ相手にみっともねえよな」

 

 ダリルの誤算はただ一つ。

 

「情けなさ過ぎてエスターライヒの名が泣くぜ」

「取り消せ」

 

 目の前の普人族のガキはこの世界における普通からかけ離れた精神性のアホだった。

 普通なら尻尾を撒いて逃げるところを、どうしようが絶対に勝てない相手に噛みつく狂犬だった。

 一回り大きい男を前に睨め上げながらの、それも普人族が竜人族を相手にしての仁王立ちである。

 

「今なんつった?」

「取り消せっつったんだよボケコラ」

「正気かよお前。俺はシュタイエル家だぞ。そんなにウチとやり合いたいってのか?」

「関係あるかよ。三回目だ、取り消せ」

「……あー」

 

 ガシガシとダリルは頭を乱暴に掻きむしった。

 アルコールで緩んでいた頭を回して考える。

 気弱そうなガキでちょっと遊ぶ程度のつもりだったが、普人族とはいえ、あのラインバッハ家の血を引いているのを忘れていた。

 竜人族に喧嘩を売る馬鹿が実在するなんて欠片も思わなかったのだ。

 逸らしもせずににらみ返してくる狂犬じみた目つきを見るに、向こうが折れることはないだろう。

 ようやく回り始めた頭で冷静に考えるが、どう考えてもラインバッハ家と事を構えるのは拙い。

 そもそも竜人族と普人族では性能差が大きすぎて喧嘩にすらならないのだから、どちらに非を問われるかは明らかだった。

 それに魔道具によって音が聞こえにくいとはいえ、既に騒ぎは周囲の目を引いていた。

 出口に向かって全速力で駆けていった犬人族のガキが警備の人間なりを呼んでいる頃だろう。

 大事になれば自分の家にも報告が行くだろうし、こんなちょっとした遊びで顰蹙を買うのも面白くはない。

 かといって目の前のガキに頭を下げるのは御免だった。

 ダリルは適当に煙を撒いてさっさと引くことを決めた。

 

「……おいおい、今のはただの軽口だろう、本気にするなよお坊ちゃん」

「なんだよ、女の陰に隠れないと喧嘩の一つもできないのか?」

「てめえ、あんまり調子に乗るなよ。俺が本気になったらな」

「なら理由を作ってやるよ」

 

 ヘンリーは卓上のグラスを手に取ると、中身を男に向かってぶちまけた。

 避ける間もなくドリンクを被った男の服に葡萄の香りが染みを作る。

 ダリルの呼吸が一瞬止まる。

 避けられなかったこと以上に、汚された服と汚した液体の色が問題だった。

 グラスの中身は赤ワイン。

 着ていた服は、シュタイエル家の象徴ともいえる水をイメージした色のスーツ。

 赤色の染みがじわりとスーツに広がるのをダリルは見た。

 エスターライヒの象徴の色を、よりにもよってシュタイエル家の自分の服に。

 ヘンリーの渾身の煽り芸は偶然にも竜人族が同族を挑発するときの作法に則ったものだった。

 ダリルが無自覚にヘンリーの一線を越えたように、こうしてヘンリーもまた無自覚にダリルの一線を越えた。

 無言のダリルに、グラスを背後に放り捨てたヘンリーが顎をしゃくり上げて唇をひん曲げる。

 

「かかって来いよ腰抜け」

「クソガキが」

 

 クソ生意気なヘンリーの煽り顔をゴングにダリルはヘンリーに躍りかかり、

 ヘンリーは為す術もなくボコられてあっけなく気絶した。

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

「これは僕の喧嘩だから」

「お前が怪我をさせられたのに黙っていられる訳がないだろう」

「家の力でどうこうしたくない」

「駄目だ」

「嫌だ」

「ヘンリー」

「嫌だ」

 

 ラインバッハ家ではヘンリーが家族と睨み合っていた。

 ヘンリーの怪我はあの後即座に治癒魔術で治療され完治しているものの、彼がシュタイエル家に怪我をさせられたという一報はラインバッハ家を闘争に駆り立てるには十分すぎる理由だった。

 母のクラウディアを初め、姉のシルヴィアとミレーヌや食客のタチアナにマリナ、守衛のアヤメたちはもちろんメイド達やコック長などなど、家にいる全員が完全武装で門前に集合していた。

 シュタイエル家に突入して血祭りにあげる突撃班とラインバッハ家に残ってヘンリーを守る防衛班に分かれて簡易ミーティングもとうに済ませている。

 彼女たちがまだシュタイエル家になだれ込んでいないのは、偏にヘンリーが門を背にして立ちふさがる様に相対しているからだった。

 

 ヘンリーの頑固さは筋金入りだ。

 こうなったら意識がある限りこのままだろう。

 怪我をさせずに気絶させる手段はいくらでもあったが、誰もそうはしなかった。

 口論自体は相手が先であったが、ダメ押しにグラスをぶちまけたのはヘンリーであり、対外的には非の天秤は釣り合っているように見えなくもない。

 ラインバッハ家としては面子を守るという理由はあるものの、この殴り込みの大部分はヘンリーを傷つけられたからである。

「面子とか醜聞とかどうでも良いからさっさと殴りに行こうぜ、日が暮れちまうよ」というのが彼女たちの総意であったが、ヘンリーをケガさせた相手に殴り込む為にヘンリーの意志を無視して押し通るのは本末転倒であったし、何よりもヘンリーに嫌われたくなかった。

 

 そういう経緯もあって貧乏くじを引いたクラウディアがヘンリーと押し問答をしているのだった。

 我が息子ながら肝が据わってて素敵だわー、嫌われたくないしゴミどもには別口で難癖付けることにして今日は解散しようかなー、なんてクラウディアが考えていると、シュタイエル家が逃げないように監視させていた配下の一人が息を切らせて報告に戻ってきた。

 成人前の一人の男児と完全武装の女衆が門前で睨み合う異様な光景に一瞬息を飲みつつも、職務に忠実な彼女は気を取り直して声を張り上げた。

 

「報告があります!」

「申せ」

「ヒルデガルド・エスターライヒ様が、シュタイエル家を襲撃いたしました!」

「……なんだと?」

「申し訳ありません、先を越されました!」

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

「シュタイエル家のクソがヘンリーを怪我させた!?」

「はい、お嬢様」

「怪我の具合は?」

「その場で治療されたそうで、今は完治していると」

「そうか……、ならばあのクズ共を……いやしかし、……ローザ、ラインバッハ家は?」

「動きはありません」

「そうか」

 

 ヘンリーの一報をローザから聞いたヒルデガルドは即座に立ち上がり、しかし暫らく逡巡して再度椅子に座り直した。

 あのラインバッハ家がヘンリーを傷つけられて動かない筈がないのだ。

 既に襲撃してしかるべき彼女たちに動きがないということは、何かしらの要因で止められているということだ。

 そして怒れる彼女たちを止められるのは怪我をしたヘンリー本人くらいだ。

 つまりヘンリーが復讐を望んでいないということになる。

 それを気に入らないからと自分がシュタイエル家を殴りつけるのはどうにも筋違いというものだった。

 忌々し気にヒルデガルドの尾が床を叩く度に部屋の調度品が部屋ごと揺れる。

 手慰みに持ち上げたお気に入りのグラスにびきりと罅が入った。

 そんな怒りに震えるヒルデガルドの前で、一人のメイドが走り寄りローザに耳打ちする。

 

「……それは事実ですか?」

「同サロンでその場にいた方から確認を取りました。裏取り済みです」

「よくやりました。下がりなさい。……お嬢様、追加の報告があります」

「なんだローザ、今の私は機嫌が悪いぞ」

「御聞き下さいお嬢様。騒動の発端はヘンリー様の前でシュタイエル家のクズがお嬢様を侮辱したからですが、まだ続きがあります」

「……続けろ」

「あの恥知らず共はお嬢様を角を折られた鱗余りと罵り、それを聞いたヘンリー様がその発言の撤回を求めたとのことです」

「そうか」

「軽い口論の後、ヘンリー様が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()挑発したと」

「……何と言ったのだ?」

「『かかって来いよ腰抜け』」

「……そうか」

 

 そうか。

 ヒルデガルドは静かに思う。

 そもそもあのヘンリーが多少煽られた程度で自分から喧嘩を売るはずがないのだ。

 膨れ上がる憤怒とは別に、不思議と胸の裡に暖かなものが込みあげる。

 果たしてこの国の歴史において、否、竜人族というものがこの世に生れ落ちて今に至るまでに、竜人族の女の為に、男が竜人族に立ち向かったことがあったのだろうか。

 爪もなく、牙もなく、角もなく、魔を操る術もなく、武器すら持たぬその身一つで。

 胸の奥の奥。 

 心臓のさらにずっと奥が燃えるように熱い。

 この熱はこの先もきっと消えることのないだろう。

 未来永劫、この身が続く限り消えることのない炎の熱を、ヒルデガルドは今初めて自覚した。

 

 吐く息には乗せず、胸の裡に溶かす様に彼の名を呼ぶ。

 音にするだけで何かが減ってしまいそうな気さえした。

 ヘンリー。

 ヘンリー・ラインバッハ。

 私の熱。私の太陽。私の愛しき半身。

 彼を思い、彼の名を繰り返す度に、己の胸を焦がす炎が燃え盛る。

 

 そうだ、私の為にヘンリーは怒ってくれたのだ。

 私の為に勝てない相手に戦いを挑んだのだ。

 私の為に傷ついたのだ。

 私の為に。

 私の為だけに。

 なんて甘美な響きだろうか。

 ならばもう筋違いなどとは誰にも云わせない。

 つまりはそう、

 

「ローザ、戦装束の準備をしろ」

()()()()()()()()()()()

()()()()()()()()()()()

 

 これは私の戦争だ。

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

 シュタイエル家当主であるバーバラ・シュタイエルは矢継ぎ早に配下に指示を出していた。

 バリケードの構築、魔術式の装填、慌ただしく走り回る配下に混じって当主自ら籠城の用意を急ぐ。

 なにせ向こうからの挑発されたとはいえ、ラインバッハ家の嫡男を傷つけたのだ。

 血気盛んな武闘派で知られる連中だ。

 燃え盛る火にガソリンを放り込んだようなものであり、どこまで燃えるのか予想もつかなかった。

 名家の一員として私兵の類は当然備えているものの、既に館の周囲はラインバッハ家の手の者による監視網が敷かれていることは分かっている。

 彼女にできることは、やらかした自らの夫を自室の奥に隠し、そう遠くない未来に襲ってくるだろう化け物共にせめてもの意地を見せることだけだった。

 戦力差を自覚する彼女たちだったが、まだ希望の目は残っていた。

 ラインバッハ家は未だに監視だけにとどまっている。

 バーバラの知るラインバッハ家なら今頃は既に攻め込んで来ている筈なのだ。

 襲ってこない以上は何かが起きているのは間違いない。

 もしかしたならば、シュタイエル家よりも優先する何某かが出来たのかもしれない。

 もしかしたならば、謝罪といくらかの賠償で何とかなるかもしれない。

 もしかしたならば、何もかもが、うまく──

 

 次々と頭の中で泡のように湧いて出る淡い希望。

 それを砕くような轟音と共にバリケードで補強した門が吹き飛んだ。

 空高く舞い上がる数秒前は門だった鉄屑が、大きな音を立てて手入れの行き届いていた庭に突き刺さる。

 吹き上がる余波の衝撃が芝生をぐちゃぐちゃに引き裂いた。おそらく庭は見る影もなくなっているだろう。

 だがそのようなものは些事だ。

 敵だ。

 あのラインバッハ家の悪魔がやってきたのだ。

 轟音に即座に対応できたのも、張り上げた声が裏返らなかったのも奇跡に近かった。

 バーバラの声に即応した配下が果敢にも土埃の向こうに雪崩込み、次の瞬間には全員殴り飛ばされて宙に舞う。

 舞い上がる土埃を肩で斬って現れた人影は一人。

 その姿を見て、その燃え盛る様な髪の色を視界に捉えてたバーバラの目が、いくつもの驚愕で見開かれた。

 

「エスターライヒの……、それは一体何のつもりだ!」

 

 一つ目の驚愕はラインバッハ家ではなかったこと。

 二つ目の驚愕はこの蛮行を行ったのが騒動の発端である鱗余りの小娘であったこと。

 そして三つ目の驚愕はその身を包む装束が純白であったことだ。

 

 肘までの手袋。肩と背中が大きく開き、右足の付け根まで大きくスリットの入ったドレス姿。

 龍の鱗と爪と牙の精巧な装飾がされたそれは、このまま夜会に参加しても目を見張る様な耽美な様相だった。

 配下の返り血で汚れていなければの話だが。

 

 竜人族は鎧を纏わない。

 自らの肉体に対して多大な信を置く彼らにとって、鎧とは多種族の文化に合わせる礼服程度の意味しかなく、戦いの場で身に纏う者は臆病者と詰られた。

 だからこそ竜人族の戦いの装束は鎧ではない。

 自らの家を象徴する色とその一族の紋章を背負ったものこそが戦装束。

 そしてエスターライヒの戦装束は炎の様な真紅の色。

 決して純白ではない。

 白であっては困るのだ。

 シュタイエル家の当主としてその色の意味を知るバーバラはだからこそ狼狽えた。

 

 純白の戦装束は鬼人族の白無垢にも似て、しかしその意味はまったくの真逆。

 穢れなき白は相手の返り血を映えさせるため。

 流れた血潮によって完成する深紅の純白装束。

 それは敵対者の返り血で赤く染めるという無言の主張であり、投降を許さぬ不退転の証。

 竜の逆鱗に触れた証明だった。

 

「先日のサロンでの一件は知っているな?」

 

 ヒルデガルド・エスターライヒは口を開く。

 やけに良く響く、恐ろしいほどに静かな声だった。

 ぞわり、と背筋が凍るのを感じるほどに。

 数拍おいてようやく我に返ったバーバラは慌てて口を開いて返答する。

 

「あ、あれはラインバッハ家との問題だ! 貴様には関係がないだろう!」

 

 もはや数が少なくなった配下を前に虚勢を張るしかなかった。

 目の前の小娘に気圧されたと思われたくはなかった。

 バーバラの声に返答はなく、ヒルデガルドは静かに見つめている。

 それに急かされるようにバーバラは声を張り上げた。

 

「それに夫は一度折れたはずだ! それでも喧嘩を売ってきたのは向こうの方だろうが!」

「一度折れた! 引くことを示唆した! それをあんな、あんな挑発をされて黙っていられるものか!」

「弱っちい普人族の男が調子に乗るからああなるんだ!」

 

 取ってつけたような安易な挑発を受けてもヒルデガルドは口を開かない。

 まるで時間と共に膨れ上がる爆弾を見ているようだった。

 問答をしているようで問答になっていない。

 ラインバッハ家の男児を馬鹿にしても反応がない。

 焦燥感に駆られたバーバラはもう恥を覚悟で形振り構わず下手に出ることを決めた。

 

「さ、サロンで夫が鱗余りと言ったことなら、後程正式な謝罪をする準備が……」

「そんなものはいらん」

 

 返ってきたのは酷く短い拒絶の言葉。

 聞くことは終わったとでも言うように、ヒルデガルドは手袋を外した。

 配下の兵どもを殴り飛ばした際の返り血で汚れた手袋だ。

 ヒルデガルドは手に持ったそれを一瞥するとバーバラに放り投げた。

 足元に落ちた赤い斑のついた白手袋。

 その意味を知っているバーバラは震える声で言葉を返す。

 

「な、なんの真似だ……」

 

 古から続く伝統的な決闘作法。

 狼狽するバーバラを前に、ヒルデガルドは朗々と続ける。

 この戦装束を見てこの展開を予想しない時点で、シュタイエル家の程度が知れた。

 少なくともこういう類の経験は少ないのだろう。

 そんなことは知ったことかよ。

 竜人族の喧嘩はこういうものだ。

 逃げることなど許さない。

 ()()()()()()()()()()()()

 

「君の細君が我が愛しき半身に拳を振るい、彼と彼の名誉を著しく傷つけた」

「よって我らの名誉の章典に従い、君に私を殺害する機会を与えよう」

「私は今ここで君に決闘を申し込む」

 

 かかって来いよ腰抜けが。

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

 場所は変わってラインバッハ家。

 返り血でべしょべしょになった手袋を携えたヒルデガルドは、クラウディアの前に身を投げるように土下座をしていた。

 

「許してくれクラウディア殿! この通りだ!」

 

 ヒルデガルド・エスターライヒの渾身の全力土下座である。

 自分の所為でヘンリーが怪我をしたこと。

 クラウディア達を差し置いてシュタイエル家に殴り込んだこと。

 そしてヘンリーの意志を無視して我を通したこと。

 それらすべてを踏まえての土下座謝罪であった。

 その場のテンションに任せて実行したが、冷静に考えるとどの面下げてというものだ。

「こんな女にヘンリーを会わせられない」と言われてもぐうの音も出ない所業である。

 そんなことされたら死んでしまうではないか。

 もうヘンリーなしでは生きていけない体になっているのだ。

 それを避ける為ならば土下座程度安いものだ。

 もはや形振りなど構っていられない。

 ヒルデガルドは全力で声を張り上げて許しを乞うた。

 

「どうかヘンリーだけは! へんりーだけはぁぁぁ!」

 

 まあヒルデガルドの単身殴り込みはクラウディア達からしたら渡りに船だった訳だが。

 自分たちの手ではないとはいえシュタイエル家の面々は物理的にボロボロになり、万一ヘンリーに嫌われることは避けられた訳である。

 これで臍を曲げたヘンリーに冷たくされる心配はないのだ。

 ヘンリーは滅多に怒ることはないが、一度怒ったり臍を曲げると許して貰えるまで大変だからな。

 クラウディアは未だに顔を伏せたまま、ついには泣きが入り始めたヒルデガルドの肩を優しく叩くと、不承不承という顔をしながら許しの言葉を贈るのだった。

*1
竜人族的表現での処女




ちなみにヘンリー君は喧嘩を売って無様にもボコられただけだよ
普人族がイキるとこうなるんだよ
分かったら調子に乗るんじゃねーぞ、ぺっ
黒博物館の決闘シーンはマジで良いぞ


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23話 ヘンリーパッパと男の講義

普人族の男と竜人族には控え目に言っても室内飼いのチワワと熊ぐらいの差がある。
何で喧嘩を売ったんですかねぇ。
今回は普人族の軽い説明とフォロー回だよ。間が空いてごめんね。


 僕は三日ぶりに顔を合わせる愛息子と一対一で向き合っていた。

 例の一件での怪我は大したことがなかったらしく、その場の治療で完治したと聞いている。

 ケンカ相手はかなりの手加減をしてくれたのだろうね。

 本気の竜人族とやり合ったのなら、今こうして無事でいられるはずがない。

 君が無事でいてくれて良かったと思ってるんだ。

 だからヘンリー、ちゃんと目を合わせてくれないかな? 

 僕は膝を曲げて、少し背が伸びた息子に目線を合わせて口を開く。

 

「サロンで怪我をしたと聞いたときは腰が抜けるかと思ったよ」

「心配かけてごめんなさい、父様……」

「もうこんな無茶はしちゃダメだよ、いい?」

「……」

「ヘンリー、返事をしなさい」

「……気を付けます」

「気を付けますじゃなくてね……。

 全くこの子ったら、くーちゃ……お母さんに似ちゃったのかなあ」

 

 反省はしているのは分かるよ。

 ヘンリーは僅かに顔を背けて僕と目を合わせようとはしない仕草は、

 彼の母親であるくーちゃんが拗ねた時の様子にそっくりだった。

 普人族は母親側の特徴は遺伝しないものなんだけどなあ。

 ふと思い至って、母親にそっくりの我が子の頭を指でぐりぐりとまさぐってみる。

 

「なんですか急に頭を撫でて」

「いやあ、やっぱり角なんてないよねえ」

 

 ヘンリーに角も尻尾もないことは勿論知っているよ、これでも父親だからね。

 魔力も力も普人族そのものだということも知っているし、

 くーちゃんの子供であってもその力をこれっぽっちも受け継いでいないことも知っている。

 それは普人族であるヘンリーも同じように自覚していることだ。

 普人族は竜人族には敵わない。

 これは本能に刻まれた紛うことなき事実だし、恥ずかしいことでもない。

 そもそも僕らほど戦いに不向きな種族はいない。

 戦わないことで生き残ってきた種族が僕たちなのだから当然のことだ。

 それをまあ、この子は何で自分から喧嘩を売るんだろうね。

 

 仮に仲のいい女の子が手酷く侮辱されたとして。

 人目のある社交場で、治癒術師が常駐しているサロンだから死ぬことはないと仮定したとしても。

 正面から一人で立ち向かい、あまつさえ一度は引こうとした相手に逆に噛みつきさえした。

 それも確実に負けると分かっている相手に臆することなく。

 

 危うい子だと思う。

 衝動に従って本能さえも振り切るその在り様は、僕らに有るまじき狂犬の様な勇猛さだ。

 きっとくーちゃんがこの子に剣の鍛錬を課したのも、当主である彼女自らが戦場で見出した強者を護衛役に据えたのも、この子の危うさに気付いたからなのだろう。

 とてもじゃないが目が離せない。

 誰かを傍に置いて錘にしなければ、どこかに飛んで行ってしまいそうだ。

 女の子の扱い方は普人族そのものなのに、変なところでくーちゃんに似ていて──どうにも僕らの子供だと強く実感する。

 男の子は腕白なくらいが丁度良いっていうしね! 

 

 それに危かろうが何とかするのが親の役目って奴だよ。

 家同士のいざこざなんてくーちゃんが何とかするから別に問題じゃないし。

 奥さんがつよつよだと落としどころを悩まなくて良いねえ。

 

 ……おっといかんいかん、ヘンリーへのお説教途中なのに思考があっちこっちに飛んで行っていた。

 これじゃこの子のことを悪く言えないね。

 僕は咳払いで誤魔化すと、努めて真面目な顔でヘンリーに向き直る。

 

「件の竜人族の子と、まだ顔を合わせてないんだって?」

「うっ……」

「あの日から毎日、家に謝りに来てるんだよね」

「……うん」

 

 ヘンリーは僕から顔背けたまま、視線がゆっくりと下へ、ずるずると落ちていく。

 本当にくーちゃんにそっくりだねキミ。

 でも僕は君のパパだからね、ママたちほど甘くはないんだよ。

 

「ねえヘンリー。

 本当は、もう怒ってはいないんだろう?」

「……うん」

「君がエスターライヒのお嬢さんにこれっぽっちも怒ってないことは、

 顔を見なくても分かったよ。

 くーちゃん達は男のケンカの邪魔をしたからだとか、

 横から手を突っ込んで面子を潰したからだとか思ってるみたいだけど、そうじゃないよね。

 女の子を馬鹿にされて、それを撤回させたくて、でも君に出来たのはそこまで。

 その後は事態はもう自分の手を離れて、あまつさえ侮辱された女の子本人にまで話が行って、

 その本人が自分の手で解決してみせた。

 ……情けなく思ったんだよね。

 自分の気持ちを優先して中途半端に事態を大きくして、結局は誰かに事態の解決を押し付けた。

 何もできなかった君は、それを成したエスターライヒのお嬢さんに会わせる顔がなかっただけなんだよね」

 

 長々とした台詞を区切ると、ヘンリーは僕にゆっくりと顔を上げた。

 なんだいその唖然とした顔は。

 これでも僕は君のパパなんだぞ。

 息子の考えてることぐらい手に取るように分かるんだよ。

 パパの偉大さを噛み締めたまえよ。

 これから凄く真面目なことを言うんだから、ちゃんと噛み締めるんだ。

 

「いいかいヘンリー、よく聞きなさい。

 君のするべきことはここに閉じこもって自分を納得させることじゃない。

 これはただの逃避で、君の最も嫌悪する行為のはずだ」

 

 僕と同じ黒い瞳に、膝を折って目を合わせる。

 ヘンリーは賢い子だ。

 言葉にして気持ちを伝えることの大事さを理解している。

 なんせ僕とくーちゃんの子供だからね。

 

「戦いに勝利した乙女には大きく腕を広げて迎えなさい。

 感謝を示し、勝利を祝い、私の為に戦ってくれてありがとうと口に出して讃えなさい。

 女性の気持ちに寄り添って受け止めることが、戦いに駆り立てた僕たちの義務だ」

 

 そして僕たちにしか出来ないことでもあるんだよ。

 

 だからねヘンリー。

 こんなところにいないで、さっさと部屋から出て女の子を口説くんだ。

 案ずるよりも産むが易しって言うじゃないか。

 まあ僕たちは産ませる側なんだけどね。

 

 はい、大真面目なお説教タイムはお終いですよ。

 ほらヘンリーもそこに座って。

 今回失敗したなら次から気を付ければいいんだよ。

 一回や二回の失敗で愛想をつかされるような間柄じゃないでしょうに。

 

 ここからは女の子を口説くお勉強の時間です。

 もうこれより大事なことなんてないよ。

 

「ドワーフ族の子から装飾品を貰ったそうだね」

「え、あ……うん」

「あの子たちは家庭菜園でとれた野菜位の気軽さで装飾品を贈ってくるから、あまり重く受け止めちゃダメだよ」

「そ、そうなの?」

「そうそう。あと指が敏感だから触れるときは優しく触れてあげるんだよ」

「そうなんだ……」

「手を握る時には、まず指先を擽るように触れてから、じっくりと馴染ませるようにだね……」

 

 竜人族はチョロいから講義は別の機会でいっか。

 この後、エーリカちゃん*1とデートだから多少巻いていくよ! 

 頑張って付いてきてね! 

 

 

 ◆ー〇ー◆

 

 

 あっという間に家を出る時間が来てしまった。

 可愛い我が子との語らいは時間を忘れてしまう。もう年だろうか。

 ヘンリーの反応が芳しくなかったけど、もしかしたら既にやらかしてしまったのかもしれないね。

 大丈夫だよヘンリー、童貞卒業前の失敗はノーカンだから。

 後でいくらでも挽回できることはお父さんが保証するから。

 父も歩いた道程だから安心して進むんだよ。

 そういうのも後々のプレイの良いアクセントになるからね。

 

 久しぶりに父親らしいことが出来てご満悦の気分で廊下を歩いていると、後ろから鈴のような声がした。

 エルフ族の声は特徴的で耳にするりと入ってくる。

 エーリカちゃんとの間にできた僕の可愛い愛娘のシルヴィアちゃんとミレーヌちゃんだ。

 

「うわっ! パパがいる!」

「こっちの家にいるなんて珍しい、お久」

「おはようシルヴィアちゃん、ミレーヌちゃん。

 あと珍しいなんて言わないで。傷つくから」

 

 だって奥さん達がそれぞれの別宅で別々に研究したりしてるんだから仕方ないじゃん! 

 自分は家から出たくないけど、会えないと不機嫌になるっていうならローテーションで各家を回るしかないじゃん! 

 ヘンリーが結婚するときは、僕のように通い夫しないでも済むと良いのにね。

 あとそんなに家を空けてないからね。

 昔はいつも後ろに引っ付いていたのに、今じゃヘンリーに首ったけでお父さん少し寂しいよ。

 

「そうだ、聞いてよパパ! こないだのシュタイエル家の一件(アレ)以来、ずっとババアがヘンリーと添い寝してるんだよ!」

「独占は良くない。そろそろ私たちに譲るべき」

「パパからも何か言ってよ!」

「お願いパパ、あとお小遣い頂戴」

「ババアとか言わないの。くーちゃんだって血は繋がってなくても二人のお母さんなんだからね」

「でも!」

「でもじゃないよ」

「ママはババアで良いって言った」

「エーリカちゃんには僕が良く言っておくから。とにかくダメだよ」

「……」

「ダメだよ?」

「……」

「お小遣いあげるから」

「はーい」

 

 二人してこんなに生意気になっちゃってもう。

 エーリカちゃんも本気ではないとはいえ相変わらずだね。

 くーちゃんがあしらい、エーリカちゃんが食って掛かって、僕が宥めて仲裁する。

 いつも通りすぎてもうプレイの一環な気さえするよ。

 というかそれ目当てだよね。

 あと君たちはいい加減にヘンリー離れしなさい。

 ヘンリーだってもうすぐ成人して結婚するんだから。

 お父さんは心配で仕方ないよ。

 この子たちは果たして結婚できるのだろうか……。

 

「というかママの方は良いの? もうすぐお昼になっちゃうけど」

「今日はデートだって珍しく浮かれてた」

「え? ……うわ、馬車を待たせてるんだった! ごめんね二人とも! またね!」

「またねー!」

「またお小遣い頂戴」

 

 お小遣いはまた今度ね! 

 じゃあ近いうちにまた来るよ! 

 本当に! 珍しいなんて言われないように! また来るからね! 

 名残惜しみながらそう叫び、僕は慌てて玄関前に留まっている馬車に向かって走るのだった。

*1
シルヴィアとミレーヌの母、ツンデレ誘い受けチョロエルフ、別宅で寝泊まりしながら研究中




≪一口TIPS≫普人族
通称:神の与えたもうた奇跡。歩くセックスシンボル。一人おちんちんランド。
その最大の特徴は他種族と交配可能な種族であること。
普人族と交配して生まれるのはどちらかの種族の子だけであり、その特性上、古くは多くの種族から奴隷として扱われる生きた資産であった。


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24話 竜人族ヒルデガルドと招福の御守り

 あのクソ淫売共の一件からヘンリーと面会できなくなってはや3日。

 朝からラインバッハ家に噛り付いて、ようやく面会が許された。

 長かった、長かったぞ……! 

 1日に1回はヘンリーの顔を見ないと落ち着かない体になってしまったではないか。

 今日は私の謝罪の場ということで、今までとは違いローラたちメイドがいない部屋で会うことになった。

 ヘンリーと私だけ。

 つまりは二人っきりだ。

 かつての私ならその事実だけで舞い上がってしまっていただろうが成長した私は一味違う。

 名目上は部屋に二人だけであろうとも、隣の部屋に武装した護衛を仕込むくらいはしているだろうことは予想済みだ。

 冷静だ。

 かつてないほどの冷静さで思考が回っている。

 これこそが本来の私よ。

 ヘンリーとの長い別離は私を成長させた。

 そうよな、ローザ? 

 

「お嬢様、尻尾が当たって痛いです。

 無意識に振り回すのをおやめください」

「そんな幼子でもあるまいし……」

 

 背後に侍る仏頂面のローザに振り返り、視界の端に動き回るものが目に入る。

 視線を下げると、私の澄み切った思考とは裏腹にやけに元気な我が尻尾が風切り音をたてながら力強く揺れていた。

 ふむ。なるほど? 

 

「ちなみに何時からだ?」

「屋敷を出る前からですが」

「その時になんで言わんのだ貴様???」

 

 我が家からラインバッハ家に入るまでずっとこうだったと? 

 馬車で移動したとはいえ、ラインバッハ家の守衛や警護の連中の前でも? 

 それではまるでヘンリーに会えることが嬉しすぎて、自制の利かぬ幼子の如く恥ずかしげもなく尾を振り回している様ではないか! 

 

「事実その通りでは?」

「心を読むのは止めろ」

 

 最近敬いの心が足りてないぞ。

 昔はそうではなかったよな貴様。

 なんだ? 反抗期か? 鱗人族にはそういう時期でもあるのか? 

 

「もうそろそろヘンリー様のお部屋ですので、私はここで失礼致します」

「後で覚えておれよ貴様」

「ご武運を祈っております」

「それで誤魔化せたと思うでないぞ」

 

 ええい、ローザは後回しだ。

 扉の前に立ち、私は頬を叩いて気合を入れ直す。

 まずは謝罪からだ。

 ヘンリーは責任を感じているかもしれないが、騒動の原因は私なのだから。

 ……無いとは思うが、謝罪を受け取って貰えなかったらどうしよう。

 あんなカスどもに舐められる情けない女だと、愛想をつかされてしまってはないだろうか。

 段々怖くなってきた。

 手汗がべったりとして気持ち悪い。

 これはいかん、ちょっと一呼吸おいて──

 

「ヘンリー様、ヒルデガルド・エスターライヒ、ただいま到着いたしました」

 

 ローザぁ!? 

 なんでまだそこにおるんだ貴様ぁ!? 

 勝手にノックして声をかけるでない! 

 まだ心の準備が出来てないであろうが! 

 こういうのは本人のタイミングというものがだなぁ! 

 

「どうぞ」

 

 どうぞって言われちゃったであろうが! 

 もはや迷っている時間はない。

 ローザの手からハンカチを奪い取り手汗を拭って投げ返す。

 い、行くぞお! 

 

「へ、ヘンリー、……入るぞ!」

 

 勢いよく扉を開ける。

 三日ぶりに顔を見た黒髪の少年は今までと同じ空気を纏ったまま、だけど今まで以上に魅力的に見えた。

 鼻腔を擽る麗しい香り。

 こちらを見て少しだけ目を細めて笑う仕草。

 ヘンリーだ。

 ヘンリー・ラインバッハがいた。

 体は緊張で石のように固まっているのに、脳髄だけじんわりとほどける不思議な感覚だった。

 気が付いた時にはヘンリーは手の届く距離にいて、無意識に近づいていたことに脳のどこかが驚いていた。

 まるで光に誘われる虫の如く、誘われるように。

 黒色の瞳が私を捉えて離さない。

 正気に戻れたのは事前に装填した時限式の精神安定化術式のお陰だった。

 冷水を流し込んだ様に思考の靄が晴れる。

 

 そして晴れると同時に今までの緊張が一気に襲ってきた。

 お、おち落ち着け私は火のエスターライヒ。

 そうだ、まずは謝罪からだ! 

 

「すまなかった!」

「ごめんなさい!」

 

 謝罪がかぶった。

 全く同じタイミングで下げた頭がヘンリーにぶつかりそうになって、竜人族パワーで半歩下がる。

 角が刺さってしまうところだったな、危ないぞヘンリー。

 そうじゃないだろう、悪いのは私だろう。

 なんでヘンリーが頭を下げるんだ。

 私はやや混乱した頭で彼の顔色を伺う。

 同じくこちらを怪訝そうに見るヘンリーの視線とぶつかった。

 

「……」

「……」

「この間の騒動は私が」

「余計なことをしてことを大きく」

「……私が! あの知れ者どもを増長させて!」

「……僕が! あの場で喧嘩を売ったから!」

「悪いのは私だ!」

「僕だよ!」

 

 竜人族の起こした問題なんだから私が悪いに決まっておるだろうが! 

 ヘンリー相手でもこればかりは譲らんぞ! 

 ええい強引に頭を下げようとするでないわ! 

 こうして竜人族パワーで押さえられては頭の下げようが……つ、角を、角を掴むのは止めろぉ! 

 おのれ、こちらが怪我をさせない様に手加減をしているのを逆手にとって……こ、小刻みに爪でカリカリするなぁ! 

 この身は火のエスターライヒの後継であるぞ、この程度で退くものか! 

 そうやってわちゃわちゃして暫し、気付けばお互いの頭を押さえて額を押し付け合っていた。

 

 至近距離。

 ヘンリーの瞳がこんなにも近く。

 吐いた息が唇に触れる。

 近い。

 

 う、おお、おおお? 

 うぉおおおおお! いかんぞヘンリー! 

 婚姻前の男子がこんな! 

 今、ヘンリーと私の鼻先がちょっと擦れた! 

 はしたない! 

 良い匂いがする! 

 は、離れねば……このままではおかしくなってしまう……! 

 私はヘンリーの頭から手を放し、ヘンリーから離れ……ヘンリー! 

 角から手を放してくれヘンリー! 

 ひ、額でぐりぐりするのもダメだ! 

 許してくれ! 

 この状態で僅かに目を伏せるのは止めてくれ! 

 変な感じになる! 

 

 暫くしてヘンリーが満足したころには、私は息も絶え絶えになっていた。

 

「はぁ、はぁ……」

「……ごめんね?」

「……い、いや、私こそ、悪かった……」

 

 おかしいな、こんな予定ではなかったのだが。

 もっとスマートに謝罪するはずが、何故こうなったのだ。

 ま、まあ良い。

 ヘンリーは怒っていないことが分かったし、私の謝罪も受け入れてくれた。

 良い思いもできた。

 最高ではないか。

 よし。

 

「あ、ああ。そうだ。

 今日は贈り物を持ってきたのだ。どうか受け取って欲しい」

 

 私は懐から手のひらサイズの箱を取り出す。

 中身は色気のあるものではない。

 護身用の魔道具だ。

 おそらくはクラウディア殿も用意しているだろうが、こちらは少し趣が違う。

 六角柱の水晶の中には私の魔力が充填してある。

 強く握れば自動で私が感知する。

 この首都の範囲内なら数秒以内に到着できる。

 もう二度と前回の様な失態は起させない。

 絶対に。

 

 受取ってくれたヘンリーは水晶を頭上に翳して、内部で揺れる赤色の魔力光を覗き込んでいる。

 それを見ていた私とヘンリーと目が合って、彼は自分の懐に手を入れた。

 

「ありがとうヒルダ。実は僕も贈り物があるんだ」

「贈り物……?」

 

 贈り物とは男からも貰えるものだったのか……? 

 つまりヘンリーが私に……? 

 半ば呆然としている私を余所に、ヘンリーは私の前に手を伸ばした。

 

 手の上には一つの赤い布地の長方形の袋。

 上部には紐で縛る巾着口と飾り紐。

 正面には招の文字が刺繍されている。

 

「御守り。

 この間から作ってたんだ。

 いつも貰ってばかりだと悪いから」

「御守り……」

 

 御守り。

 ヘンリーの手作りの。

 

 私は誘われたように受け取ったお守りに顔を寄せる。

 やや乱れた手縫いの跡。

 そして香るヘンリーの強い匂い。

 残り香にしては強いそれに、本能的に魔力感知を走らせる。

 私の魔力に反応して僅かに魔力を散らす淡い光。

 巾着口の奥の魔力反応はヘンリーのものだった。

 この魔力光の形状は繊維の束を三つ編みしたものか。

 ……ヘンリーの魔力光、三つ編み、そしてこの麗しい香り。

 私の脳裏に電流が走る。

 間違いなくこれは──! 

 

「中に入ってるのは僕の髪の毛を編んだものなんだ。

 そういう伝統だってお父さんから聞いたんだけど、気持ち悪かったらごめんね」

 

 ──普人族の祝福の御守りぃ! 

 お母様から聞いたことあるぞ! 

 常勝不敗を約束する神通力が宿るという! 

 普人族の穢れなき男児*1の髪を編みこんだ、親密な相手にのみ贈られるというあの! 

 その妻でもなければ手に入らないというあの伝説の御守り……! 

 てっきりエルフ共よくやるマウント用の作り話だと思っていたが実在していたのか……。

 

「初めて作ったから、不格好なんだけど」

 

 しかも初めてだとぉ!? 

 お、おお……! いかん、いかんぞヘンリー……! 

 尾が揺れるのが抑えきれん。

 これは本格的に抑えがきかんぞ。

 う、うおおおおおおぉっしゃあおらぁ! 

 

 私は辛うじて掻き集めた自制心を振り絞り、我が身に渦巻く浅ましい情欲を振り払う。

 この場を設けてもらったのは、偏にラインバッハ家からの信頼の証だ。

 そんな場所でいくところまでいってしまっては、あの淫売共の同類になってしまう。

 何よりもヘンリーに嫌われたくない。

 

 そうだ、私は勝ったのだ。

 何を慌てる必要があろうか。

 他の女を差し置いて、この御守りを贈られたのはこの私なのだ。

 私は内心で勝利の勝鬨を挙げた。

 見たかローザ! 私は勝ったぞぉぉぉ! 

 

 

 ◆―〇―◆

 

 

「……という感じでな! 

 これはもう勝ったと言っても過言ではないな!」

 

 私は帰りの馬車の中でローザにヘンリーから貰った御守りを見せびらかしていた。

 幸せのおすそ分けというやつだったか。

 私がやられた時は相手を殺してやりたくなったが、いざ自分がその立場になってみるとその気持ちが分かる。

 なんて晴れ晴れとした気分なのだろうか。

 

「あの、お嬢様……」

「んん? なんだローザ、ラインバッハ家に向かう時のあれこれなら気にしなくても良いぞ?」

 

 最高の気分だからのう! 

 これはもう尻尾が荒ぶっても仕方がないわ! 

 ふはははは! 

 

「その……」

「なんださっきからもごもごと、言いたいことがあるならばはっきり言え」

 

 ローザは逡巡すると、意を決したように口を開いた。

 

「例の一件での怪我で、ヘンリー様には他の女性からお見舞いの品が多数届いたと聞いております」

「まあそうだろうな」

 

 それがどうしたというのだ。

 贈り物をしてきた女は数多くいようが、面会したのは私が最初だと守衛の連中もクラウディア殿も言っていたではないか。

 

「そのお見舞いの品のお返しのつもりでヘンリー様は作ったのでは……?」

「祝福の御守りだぞ? そんなまさか……そんな」

 

 お母様の言っていた半ば伝説的な御守りだぞ? 

 それを今迄の感謝の気持ちみたいな感覚で贈り物にするなど。

 まさか。

 そんな。

 でもあのヘンリーなら……。

 気付いてしまったそれを認めようとしない私に、ローザは言葉にして突き付けてきた。

 

「その御守りは、はたしてお嬢様だけに贈られたものなのでしょうか」

「……あぁ」

「ヘンリー様は誰か一人だけに贈り物をするような男性でしたか?」

「……」

「お嬢様……」

 

 ヘンリーは贈り物とは言ったが、果たして私だけに、と言っただろうか……? 

 言ってない。

 そうか。

 そっかぁ。

 

「ローザ」

「はい」

「……ローザ」

「はい」

「ろーざぁ!」

「はい」

「うわあああああん!」

「尻尾が痛いです」

 

 だってそういう仲の相手にしか贈られないものだって聞いてたんだよ! 

 それを! メイド達の監視のない部屋で! 

 二人っきりの状況で貰ったんだから、勘違いしてもおかしくはないだろう!? 

 

 自分だけが御守りを贈られたというぬか喜びから一転、ただ順番が一番だったという事実に気付いてしまった私は、その事実に堪らず目の前のメイドに縋り付いた。

*1
つまり童貞




呪術的に本人の髪の毛があれば催眠とか暗示とか色んなことに悪用できる。
だから信用された相手にか贈られないんだよ、と母親から教えられたヒルデガルドは一瞬で機嫌を直したよ。チョロいね。

≪TIPS≫普人族の祝福の御守り
穢れなき童貞の普人族の男児の髪が納められた御守り。
成人するまでの期間限定の希少品であり、ごく親しい相手しか受け取ることはないため、半ば都市伝説のような扱いを受けている。
決して婚姻の証という訳ではない。
贈られる相手とは大体結婚するので、他種族からはそういうものだと思われている。
勿論、神通力なんて宿っていないただの手縫いの御守りである。
ちなみに髪の毛は17話の散髪時に回収したもの。


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25話 馬人族マーガレットと我が背の君

散々迷った挙句に登場させことに決めたよ。
みんな大好き馬娘だよ。
強いよ。
名称:マーガレット・ダグラス・ストーンズ
体格:250cm(馬体170cm)、半人半馬、巨乳、長髪栗毛、頭部に馬耳、ポニーテール
種族:馬人型獣人族
年齢:20歳
備考:ハンター


危険な場所は稼げる場所だ。

 

例えば戦場。

領主同士の小競り合いなんてのはこの時代でもよく起きることだ。

傭兵は稼げる。生き残れるだけ強ければ。

 

例えばダンジョン。

魔素とも瘴気とも呼ばれるそれが濃い溜まり場には魔物を吐き出すダンジョンが生まれる。

ダンジョンハックは稼げる。知恵と力と運があれば。

 

例えば辺境。

魔境とも呼ばれるそこには特殊な動植物が群生する云わば金脈だ。

安定して持ち帰ることが出来れば好事家や金持ち連中に飛ぶように売れるだろう。

ハンターは稼げる。辺境の悪意に負けなければ。

 

それでも彼女たちは危険に身を投じ、命をベットして大金を稼ぐ。

そして稼いだ金で男を手に入れるのだ。

全てはまだ見ぬ我が背の君のために。

辺境から一仕事を終えてラ・ヴィセルに戻ってきた馬人族のハンター、マーガレット・ダグラス・ストーンズもそういった馬人族の一人であり、ヘンリーという魔性の男児を追いかける愛の狩人だった。

 

◆ー〇ー◆

 

その一報を聞いたのは、南の辺境*1という悪意の坩堝から帰還してすぐ。

彼に会う前に汗と埃を落として軽く一杯やりましょうかなんて、久々の娑婆の空気に浮かれつつ馴染みのお店に寄った時。

最近何かありましたか? なんて隣の名も知れぬ獣人族の方と世間話をしていると、クソ面白くもない話が耳に飛び込んできましたの。

 

「ヘンリー様が怪我をされたですってぇ!?」

「お、おう。もう3日…いや4日だったか前の話でよ。

 それが」

「相手はぁっ!?」

「その」

「どこのどいつがし腐りやがりましたの!?」

「りゅ」

「さっさと言いなさいな! 隠してると貴方の為になりませんわよ!!」

「だから」

「それとも話せない事情でもありまして!?」

「ちょt」

「私でしたら力になりましてよ!!」

「うるせえ黙って聞けコラ」

「むごっ…」

あ、熱々のポテトが口に…!

粗びきの胡椒が良い味を出してますわ!

少し残った皮が良いアクセントに!

 

「サロンでシュタイエル家の男がいざこざで怪我をさせた。

 怪我は大したことなかったらしい。

 そんで良く分からんがエスターライヒ家がカチコミかけて手打ちも済んでる。

 分かったか?」

「…んんっ、良く分かりましたわ。

 店主さん、お勘定ですわ! 彼女の分も!」

「奢ってくれるのか、ありがとな」

「ポテト、美味しかったですわ!」

 

こうしてはいられません。

今すぐにでも彼の元に駆けなければ。

私は勘定に多分足りるだろう金額をカウンターに叩きつけると、店から飛び出した。

ヘンリー様! 貴方のマーガレットが今! 風よりも早く向かいますわ!

うぉおおおおお!…ですわ!

 

◆ー〇ー◆

 

馬人族の誇る健脚で飛ぶように走れば、ラインバッハ家にはすぐに到着しましたわ。

ラインバッハ家の門前で鬼人族の女性にあっさりと止められました。

何度も…そう!何度も!ラインバッハ家には伺っておりますが、この方との面識はありません。

腰に吊るした剣に手を置きながら誰何の声を上げる彼女に向かって私は口を開きました。

 

「ヘンリー様はご無事ですの!?」

「まず名を名乗れや」

 

失礼、間違えましたわ。

 

「マーガレット・ダグラス・ストーンズですわ!

 それでヘンリー様はご無事ですの!?」

「怪我一つねえよ。

 えっとマーガレットマーガレット…アポはなしか」

「ありませんわ!」

「んじゃあちょっと待ってろ、確認してくる」

 

言うが早いか、別の警備の方に向かって歩いていく彼女の背中を見る。

ううむ、隙のない身のこなし。

それに全速力ではないとはいえ、走る私の前に躊躇なく踏み出す胆力。

タチアナ程ではないですが、中々やりますわね。

それでこそヘンリー様を守る警護の方ですわ。

 

「確認できたぞ。

 何度も通った顔馴染みのハンターなんだってな。

 私は最近雇われたアヤメ・リュウゾウジだ。よろしくな」

「改めてまして、マーガレット・ダグラス・ストーンズですわ。

 職業はハンター稼業を少々、今後ともよろしくお願いしますね」

「ヘンリー坊ちゃんなら、もう少しで鍛錬が終わるそうだ。

 待つついでに背中の荷物を確認させてくれるか?」

「ダメですわ」

「…あ? なんでだよ」

 

すん、と彼女の顔から親しみやすい笑顔が消えて、即座に剣呑な光が宿る。

切り替えの早さも好印象ですわね。

ああいえ、そうではありませんわ。

私としたことが言葉が足りませんでした。

相手は私を良く知らない相手だというのに。

彼女の気に思わず反応しかけた体を抑え込んで、慌てて説明を付け足します。

 

「この中には南の辺境から持ち帰った品々を封入しておりまして、

 開ける時はいつもマリナさんに同席して鑑定してもらっていますの」

「…あー、そういうことか。トラブル防止ね。悪かった、早とちりした」

「私こそ言葉が足りずに申し訳ありませんわ」

「いや、マリナ先生に連絡が行ったのは知ってたんだよ。

 ちょっと考えれば気付くことだった。本当に済まねえ」

「いえいえそんなことは…」

 

アヤメは申し訳なさそうに大きな体を目に見えて縮こませました。

元はといえば私の説明不足が原因なのに、どうしましょう。

鬼人族は恥や礼を失する行為を重く見ると聞きますし。

ええと、ええと…そうですわ!

 

「鑑定後に一緒に試食してみませんか?

 今回は南の辺境に行ってきましたので」

「試食…? ああ、南の辺境ってことは…」

「はい、そういうことです。ヘンリー様にも試食して貰いますし」

 

美味しいものを食べれば元気が出ますわ!

その分ちょっと損しちゃうかもしれませんが、細かいことは気にしません。

 

「とにかくヨシ!ですわ!」

「私の鑑定前に何を言ってるんだ君は。

 南の辺境の品を何だと思ってるのかな?」

 

声がした方に振り返ると、三角帽子にローブの女性の姿。

閉ざされたままの門を浮遊魔法で飛び越えて、ふわりと地面に降り立つところでした。

私の耳が感知できなかったということは、態々消音術式をかけて近づいてきましたわね。

ぐぬぬ、背後を取られるとは馬人族として屈辱ですわ…!

私の視線に気づいたのか、三角帽子の影の向こうで、彼女の瞳が悪戯っ子のようにきらりと光った。

 

ま、まあ今回は私の負けにしておいてあげます。

次はそうはいかなくってよ!

それはそうと目の隠れた三角帽子が今日もキュートですわね!

今日もよろしくお願いしますわ!

 

「ふふ、そう煽てても鑑定価格は贔屓しないよ?」

「それでも宜しくお願いしますわ!」

「じゃあ門を開けるぞー、おーい、かいもーん」

「開けなくても、私ならこのくらいの高さ、飛び越えられますのに」

「防衛術式が起動するから飛び越えるなよ。…これはフリじゃないからな? マジですんなよ?」

「注意するのが遅かったね。もうやった後だよ」

「あれは痛かったですわぁ」

「じゃあ何で飛び越えるなんて言ったんだよ…」

 

ヘンリー様に早く会いたくて気が逸ってしまって…でも、あの時は不意を突かれただけです!

愛の力で成長した今の私なら、あの斥力の壁を突破することなんて造作もありませんわ!

門が開いて顔なじみの守衛の方がアヤメに近づいて話しかけるのが見えましたが、私は門を見据えて呼吸を整えます。

 

「はい開門っと。

 そうだアヤメちゃん、門前の警護はこっちで引き継いでおくから鑑定作業を見学したら?

 まだ見たことなかったでしょ」

「え、良いんスか先輩」

「良いの良いの」

「ねえ、マーガレット…門は開いたんだから、道を前足でガリガリしてないで早く収納袋を持ってきてくれないか? 私では重くて持ち上がらないんだが」

「今からあの斥力の壁を突破してご覧に入れますわ…!」

「この間バージョンアップして倍はスペックアップしたんだが」

「…きょ、今日のところは止めておきますわ!」

「はいはい」

 

ヘンリー様に会う方が先決ですものね。

これは敗北を恐れて逃げたわけではありませんわ。

本当ですのよ!

 

◆ー〇ー◆

 

庭の一角の大きな卓上に辺境の恩寵品を並べて暫くして。

マリナさんの鑑定タイムが終わる頃に、聞き馴染みのある足音が背後から聞こえました。

鼠人族よりは重く、そして隠す気のまるでない無警戒そのものな足音。

間違いありませんわ!

 

「ヘンリーさまー!」

「うわっ」

 

馬人族には不意打ちは通じませんわよー!

私は振り返って一息で我が君に近づくと、ズザザザザー!と膝を折りつつ地面を滑り、ヘンリー様の目の前で体の側面を向けながらピタリと停止する。

どうぞお乗りになって!

私の背中に! さあ!

さあお早く! もう我慢できませんわ!

ふんすふんすと鼻息も荒く目を輝かせていると、彼の小さな手の平が馬体の背中を撫でた。

お゛ぅ、と口に出かけたクソ汚い悲鳴を必死に嚙み殺している私を余所に、私の背を跨いだヘンリー様のおみ足が背中と横腹を挟む。

待ち望んでいた1ヵ月ぶりの触感に体を震わせて歯を食いしばる。

なんという幸福感なんでしょうか、天にも昇るとはこのことを言うのでしょう。

お金を貰える上に、こんな良い思いが出来るなんて。

我が身の幸運に打ち震えていると、ヘンリー様がもじもじと体を動かし始めた。

座りが悪かったのか、軽くお尻を浮かせると私の背中を彼のお尻が軽く叩く。

だ、ダメですわヘンリー様!

そんなことをしては、お尻が!

お尻の形が!

 

「久しぶりだね、マリィ。1ヵ月ぶりかな?」

 

……はっ! 多幸感が過ぎて一瞬意識が飛んでいましたわ。

私は唇の端の涎を拭いつつ、慌てて返答する。

 

「い、1ヵ月と8日ぶりですわ!」

「ねえマリィ、今回はどんなところに行ってきたの?」

「ええと、今回の探索は南の辺境ですわね」

 

私は慎重に立ち上がると、ゆっくりと庭に歩き出す。

そして素知らぬ顔で、足を踏み出す度に揺れるヘンリー様のお尻を堪能する。

ラインバッハ家の庭園が平坦なのが残念でなりませんわ。

もっと起伏があればこの素晴らしいお尻の感触もより深く味わえたでしょうに。

いつかはこうして街に繰り出したいものですわね。

いいえ、絶対に実現させて見せますわ。

そのためにももっと稼がなければ。

 

「魔境と呼ばれるだけあって、とても危険に溢れていましたわ。

 例えば何気ない草花に擬態した…」

 

飛び跳ねたい衝動を堪えながら、私は表明上は冷静な顔を装いながら、ヘンリー様にあの悪意しかないクソ緑のマイルドな説明を続けます。

包み隠さずに説明すると、流石にゴア表現が過ぎますからね。

それはそうと、背中に広がる楽園が私の脳を溶かしていきますわ。

ヘンリー様の体温! ヘンリー様のおみ足! お尻!

最高ですわー!

 

 

◆ー〇ー◆*2

 

 

ヘンリー君を背に乗せてお馬さんごっこに興じているマーガレットから目を離すと、鑑定した品々をリスト化して卓上に並べる。

それらが一段落した所で、ふと側にいたアヤメが口を開いた。

 

「……で、これが南の辺境からの恩寵品ね。

 そんな大層なもんには見えねえけどなぁ」

「まあ、外見上はそうだろうね」

 

私はその内の一つ、赤い果実を手に取ると、ついでに寄ってきたタチアナにも見えるように翳して見せる。

 

「これが何かわかるかな」

「何って…アロニアの実じゃないのか?」

「露店でよく見るよな」

「そう、そのアロニアの実だ。

 正確に言うなら、アロニアの実の原種だよ」

 

片手で掴める程度の大きさの赤い果実。

中心の種以外は皮も可食部に含まれる甘い果実は、そこらの露店に積まれているようなありふれた果物ね。

それら全てはこの実を人工的に繁殖させたものなんだ。

同じ種を魔境から回収して栽培し、幾度となく品種改良も施された。

ただ、何をどうしても原種の様には育つことはなかったのさ。

魔境の特殊な環境によるものだろうとは当たりがついているんだが、肝心のその環境が未だに再現できていない。

私は手の中の果実を二つに割って見せる。

途端に溢れだす芳醇な香り。

アヤメが僅かに後ずさり、タチアナの虎耳がピンと立ち上がり、彼女の髪の毛がわずかに逆立つのが見えた。

魔力を視覚化できなくてもやはり感付くか。

この果実の含有魔力の異常な量に。

 

「これが恩寵品と呼ばれる所以さ。凄いものだろう?」

「…匂いだけで分かる。ヤバいな」

「び、びっくりした…」

「ふふふ、驚かせて悪かったね。

 これを外から見て判断するのが鑑定のメインなのさ。

 それには魔法族が適任って訳だね」

「なら割って見せたのはまずいんじゃねえのか、これ結構高いんだろ?」

「まあまあ高いね」

 

まあ大丈夫だよ。

なんせこれら全ての恩寵品を買い取るのはラインバッハ家だからね。

マーガレットはラインバッハ家の専属ハンターみたいなものだ。

卸す先もこの家だけ。

この家は金払いも良いし、なによりもヘンリー君がいる。

恩寵品を回収すればするほどクラウディア様からの覚えは良くなり、ついでに大金も稼げて、何よりヘンリー君にも好印象を与えられる。

今更他の家や商店に持ち込んだりはしないだろう。

なにせ馬人族は種族を通して重度の普人族フェチだ。

いやまあ、大体の奴は普人族が大好きなんだがね。

彼女たちはそれが度が過ぎるというか…まあそれは置いておこう。

ともかく、これらの恩寵品はラインバッハ家が全て買い取る。

支払うのは多額の金銭と、ヘンリー君との面通しの権利ってところだね。

ほら見給えよ、ヘンリー君を背に乗せている彼女のだらしのない顔を。

馬人族にとっては、あれがかなりの高待遇らしいぞ。

 

「そんなに背中に乗せるのは気持ちが良いのか…?

 どうなんだタチアナ」

「そんなことあたしに訊かれてもな。いや、まあ、確かに悪くはないか…?」

「というか良いんすかタチアナさん。あれ、あの女すげえ顔してますけど」

「御屋形様がヨシって言ってたからな」

「実際、それだけの価値はあるのさ。

 これだけの恩寵品を魔境から持ち帰ってこれるハンターは一握りだ。

 それも安定してともなればね」

 

彼女はあれでも中々凄いハンターなんだよ。

ほら、あの状態でもアロニアの実が割れたのを感じ取ってこちらに寄ってきた。

分かってるよ、最初の一つはヘンリー君に食べさせるのが約束だものね。

私はアロニアの実を浮遊させると、器用にもヘンリー君をほとんど揺らさないまま軽くスキップしつつ近づいてくる凄腕のハンターに手渡した。

*1
いくつかある魔境の一つ、通称:クソ緑

*2
ここからマリナ視点だよ!




魔境をざっくり言うとメイド・イン・アビス。
生半可な腕では生還できないクソみたいな場所だよ。

≪TIPS≫馬人族
半人半馬、いわゆるところのケンタウロス。馬娘だがウマ娘ではない。断じてウマ娘ではない。
かつては戦士階級と内務階級に分かれる氏族タイプの社会構造をしていた。過去形。
戦士は馬体がばんえい馬なので一目でわかる。
伴侶以外は絶対に背中に乗せない。
伴侶を意味する「我が背の君」という言葉がそれを端的にそれを示している。
特産もクソもない草原に住んでいたため、半ば諸外国に取り残されたガラパゴス諸島みたいな立ち位置で生活していたが、共栄思想の広まりと共に草原の外に出てくるようになった。
そして普人族に遭遇してドはまりした。
異性を背中に乗せることは性行為の時だけだった彼女たちにとって、馬体の背中に腰かけて人目のある街中を当然のように練り歩いて連れまわせる普人族は、エグイくらいに性癖に合致したドチャシコドスケベ存在だったのだ…。
こうして彼女たちは自らのワンピースを求めて、慣れ親しんだ草の海から外海に雪崩のように流出していったのだ。
ちなみに馬人族にとって背中に乗せて街中を練り歩く行為は、大好きホールド状態で街を歩く「頭が沸騰しちゃうよぉ…」に等しい。
男の尻を支える椅子に成りたいというのは馬人族の女の一般性癖である。
健脚を生かした運び屋や、ハイリスク・ハイリターンな傭兵・ハンター稼業に従事する姿がよく見られる。
ちなみにミドルネームを持つ馬人族は氏族内で上位の戦士の家の名残。


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26話 獣人族タチアナと脱法プロマイドの行方を追え!前編

プロマイド:魔術であれこれした動く写真。白黒、カラー、音声付与など種類は多岐にわたるが、その分高価で編集には高い技術がいる。
動かない静止画は写真世呼ばれていてお手頃価格で市場に出回っている。
盗撮への法的罰則は存在しないが、種族によっては執拗な追跡と報復が発生するリスクが伴う。
とある伝説の大怪盗は延べ1万を超える男児を盗撮し、貧しきものに分け与えたという。


「ヘンリー坊の脱法プロマイド…?」

「そうです」

 

いつも通り鍛錬に汗を流していると、周りに人がいないことを確認してちょいちょいと寄ってきたメイドのタマラが出し抜けにそう云い放った。

タマラが珍しくヘンリー坊に引っ付いていないと思えば、坊には言えない話だからか。

しかし脱法プロマイドって言われてもな。

プロマイドに違法も脱法もないと思うんだが…。

 

「プロマイドっつーと、あの動く写真のやつだよな。それが脱法ってのはどういうことなんだ?」

「年頃の男性のプロマイドは売買が禁止されています。

 目的はあくまで性的なそれが出回ることを防止するためであり、所謂()()()()()については法に問われることはありませんが」

「罪に問われないのに禁止って」

「法は許してもその親族や家が許さないという意味ですね」

「そういうことかぁ…」

「実際、坊ちゃまのプロマイドが知らない女に売りさばかれていると思うとムカつきますでしょう?」

「めっちゃムカつくな」

 

気持ちは痛いほどわかるけどな。

ラインバッハ家は力が強いから並大抵の相手でなければ交友を結べないし、直接的な手段を取ろうにも外を歩く時は常に護衛が止めるからお近づきには成れないときた。

あたしにボコられたのにラインバッハ家に雇われたアヤメはただのレアケースでしかない。

そりゃプロマイドの一つや二つ欲しがるわ。

普段から身近にいるあたしでも欲しいくらいだ。

それに普段からガチガチに警護されているヘンリー坊の所持品ならともかく、写真ならいくらでも流通しておかしくはない。

だって坊が外を歩くとちょくちょく写真を頼まれるからなぁ…。

それに基本的に断ることがないし。

あのファンサービス精神は何処からやって来るんだろうか。

マナーを弁えた奴ばかりということもあって坊への危険度は大したことが無い。

それに何より坊本人が嫌がっていないものをあたしらが追い散らすのも筋が通らない。

御屋形様からも危険がなければ好きにやらせて欲しいと言われているからなおさらだ。

 

「プロマイドは別件の盗難事件の押収品の中から発見されました。

 現在は元の所有者を調査中です。

 購入経路が判明するにはまだしばらくかかるというのが私の予想です」

 

ちょっと待てよ。

確かに坊は写真を頼まれて快諾していた。

隠し撮りなら間違いなくあたしが気付くから、おそらくはそれらの写真の内のどれかだろう。

だがあたしの記憶が正しければ、その時は確か…。

あたしが考えを巡らせていると、タマラは懐から掌二つ分の大きさの一枚の薄い板を取り出した。

 

「そしてこれが密売されているプロマイドになります。

 丁寧に編集されて画面には映っていませんが、ヘンリー坊ちゃまの隣にいたであろう人物が恐らくその犯人でしょう」

 

今思い出したわ。

そうだよ、坊はすべての写真に自撮り2ショットで応じていたじゃんよ。

自分の顔が映ってるものを他人に譲ったりしないだろうという判断で、御屋形様も「これなら密売されることもないだろう」と渋々ながらお認めになっていた筈のものが。

御屋形様のブチ切れ案件じゃねえのかこれ。

オイオイオイ、死んだわあたし。

未来予想図に震える手で受け取ったプロマイドには、外行きの格好をした坊の姿が映っていた。

あたしの都合の良い脳みそは寸前の恐怖をころっと忘れた。

 

うわあ坊だ。

動いてる坊がいる。

しかもめっちゃ喋ってる。

画質も凄いなこれ。

 

プロマイドの中の坊は相手の女らしき影と少しばかり話した後、女に寄り添って輝く笑顔でイエーイとピースサインをキメた。

ピースサインの後もヘンリー坊は止まらない。

ダブルピース、見下した表情での挑発的な指差し、上目遣いのあっかんべー…。

ノリノリで何度かポーズを変えた後、最後のウインクでようやく再生が停止した。

……長くね?

あたしの知ってるプロマイドって写真の前後数秒が動くやつなんだが。

1分以上続いてたぞ。

なんだこれは。

芸術品か?

 

「坊ちゃまの神聖なチェキ写に密売などという狼藉をよくも…!

 到底許せるものではありません!」

 

これってチェキ写っていうのか。

良いなチェキ写。

坊に頼んだらあたしにもしてくれるかなぁ。

なぁタマラ、さっきのをもっとよく見たいからさ。

プロマイドを握っているその手を放してくれねえかな。

 

「………」

「いや取らねえよ。

 取らねえから、もうちょっと良く見せてくれってだけで」

「ふーっ、ふーっ…!」

「目が怖いんだが」

 

プロマイドが壊れない程度に引っ張ってみるがピクリとも指から離れない。

これが本当に非力なはずの鼠人族の握力なのだろうか。

もう分かったからその目をやめろ。

目力強すぎて血管浮いてるぞ。

あたしが諦めて手を離すとタマラは大事そうにプロマイドを懐に仕舞い込んだ。

いや仕舞うなよ。

証拠品なんだろそれ。

というかあたしも欲しいんだが。

魔法族のマリナに頼んだら複製とか出来そうじゃないか?

金ならあたしが出すからさ。

 

「ちなみにこれを編集した者はかなり高い技術を持っているらしく、

 マリナ様に見て頂きましたがプロテクトを破れそうにないとのことです。

 つまり複製は出来ません」

 

ああなんだ、もう頼んだ後だったか。

そりゃそうだよな。このプロマイド良く出来てるもん。

複製は無理かぁ。

しっかし専門ではないとはいえ【星座】持ちのマリナが降参するレベルのプロテクトか。

とんでもない変態がいたもんだな。

プロマイドの情報から追えないとなると、地味に聞き込みしていくしかないのか。

…いや、違うな。

いかに技術力に優れた変態であろうとも、こちらにはまだ打てる手がある。

プロマイドには坊の上半身がはっきりと映っていた。

つまり坊を良く知る人物なら映ったのが何時頃のことなのかを大まかにでも見当つけることが出来るということだ。

そしてここにはヘンリー坊のその日の服を決定している女がいる。

ハイテクで駄目ならアナログな変態をぶつけんだよ。

そうだよなタマラ!

お前ならきっと覚えているよなぁ!

 

「もちろんです。このタマラ、ヘンリー坊ちゃまがいつどんなお召し物だったかを()()記憶しています」

「おおっ! 流石だぜタマラ!」

「ふふっ、それ程でもございません」

 

タマラはそう言うと自慢気に薄い胸を張った。

そっか、来ていた服を全てか。

かなり適当に言ったんだが、マジで一切の誇張なく全て覚えてるんだろうな。

すげえよタマラ。

でもちょっと怖えよ。

 

「あー、それで、このプロマイドが撮られたのは何時頃なんだ?」

「7日前ですね。間違いありません」

「おお…」

「何か?」

「いや何でもない」

 

悩む素振りさえ見せずに即答されたからちょっとびっくりしちゃったよ。

有能な仕事ぶりと変態さは両立するもんなんだなって。

ヘンリー坊の周りにはキャラが濃い奴が集まりすぎじゃないだろうか。

変な引力かフェロモンでも振りまいてるんじゃなかろうか。

坊の将来への不安が積もるが、今はプロマイドの調査に集中しよう。

7日前ね。

運が良いことに、ここ一週間は雨が降ってない。

いけるか?

多分ギリいける。

ヘンリー坊の為ならばあたしは限界を超えられる。

 

「鼠人族ネットワークでなんとか聞き込みを…」

「あたしも()()()加えてくれ」

「遅くとも数日もすれば情報が集まりますが…。ん? 追跡ですか? 捜索ではなく?」

「ああ追跡だ。時間をかけると今以上にプロマイドをばらまかれるかもしれねえだろ?

 あたしならうまくいけば今日中には片を付けられる」

「きょ、今日中ですか? でもどうやって」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「おお…」

「何だよ?」

「いえなんでも」

 

何だその呆れたような顔は。

あたしはそこそこ出来る方だという自負はあるけど、この程度でデカい顔をするつもりはねえよ。

本職はこんなもんじゃねえからな。

 

何はともあれ犯人の目星はついた。

時間は駆けたくないし、下手に気取られて地下に潜られると厄介だ。

となれば少数精鋭。

電撃作戦が望ましい。

相手の力量は不明だし、追跡役のあたしの他には魔術の対応役とついでに肉壁が必須だな。

ならマリナとアヤメで良いか。

どうせあいつらも暇してんだろ。

タマラは一応別ルートで聞き込みを頼むぜ。

しくじるつもりは微塵もないが、それでもしくじらないとは限らないからな。

しかしアレだ。

内容的にも不謹慎で口には出さないけども、久しぶりの狩りでワクワクしてきたな。

楽しくなってきたぜ。




後編へ続くよ


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27話 獣人族タチアナと脱法プロマイドの行方を追え!後編

名称:ラミティエ・マーロウ
体格:161cm、黒髪赤目、背中に一対の黒翼、お椀型おっぱい
種族:天狗族
年齢:22歳
備考:写真家、プロマイド調整技師


「抵抗は無意味だオラァ!」

「グワーッ! ラインバッハ家の手練れグワーッ!」

 

 犯人はあっさり見つかった。

 ついでに言えば抵抗らしい抵抗もしなかったし、なんなら住居を特定するのにすら大した労力でもなかった。

 ヤサは普通の居住区の中にある普通のアパートの一室だった。

 こういう後ろめたいアングラ系の物を捌く奴は追跡を振り切る対策をするもんなんだがなぁ。

 あたしの経験上だと下水を経由して嗅覚での追跡を妨害したり、自分そっくりの偽装ゴーレムで住居をかく乱なんてしていた。

 突入直後に自爆装置で吹き飛ばされたこともあったっけなぁ。

 その経験を踏まえて魔術解体要員と肉壁を連れてきたんだが予想が外れちまったな。

 

 犯人の女は玄関を蹴破って突入したアヤメに呆気なく組み伏せられて力なく項垂れている。

 背中の一対の黒い羽。

 天狗族か。

 すかさずボディチェックを済ませて周囲のトラップを確認するが、あるのは一般的な防犯警報装置のみ。

 寸鉄一つも身に帯びていなかった。

 こんなことをしておいて無防備すぎやしないだろうか。

 拘束されたそいつに向けてあたしの隣に立つマリナが口を開く。

 

「それ君の名前は? そしてなぜこんなことをしたんだい? 

 これほどの技術を持っているなら、危ない橋を渡らずとも楽に稼げるだろうに」

 

 それだよ。

 正直あたしも気になってたんだよな。

 マリナでも破れないプロテクトを組める腕前なら態々後ろ暗い手段を取る必要なんてない。

 他では見ないレベルの編集技術を駆使すれば普通に商売するだけでも金は稼げるだろう。

 いくら裏の売買で値段を吊り上げようとも、そんなはした金ではラインバッハ家を敵に回すリスクと釣り合わない。

 なんというかちぐはぐすぎる。

 

「わ、私はラミティエ、……ラミティエ・マーロウ……」

 

 女……ラミティエは苦し気に声を絞り出す。

 演技には見えないがまだ信用できない。

 アヤメに目線で首元の拘束を緩めるように指示をだす。

 いつでも剣を抜けるように集中する。

 場合によっては抑えているアヤメ諸共にぶちのめすことは織り込み済みだ。

 さあ、良いぞ。

 やれるものならやってみろ。

 

「私はただ……」

 

 息を吸い込む音。

 何をする気だ? 風、もしくは音か? 

 構うものか。

 届く前に叩き切ってやる。

 

「推しの良さを広めたかっただけなんですぅ!」

 

 ……。

 推し。

 推しとは……? 

 

 謎の単語に動きを止めた私の耳に、この部屋に近づいてくる足音が届く。

 反射的に剣を抜きそうになって、直前ではたと気付く。

 敵ではない。

 むしろ知っている足音だ。

 おっかなびっくり歩くような独特の間の音。

 ……出不精のあいつがなんで外を出歩いてるんだ? 

 まあでもアイツなら推しとやらも知ってそうだし、丁度良いといえば丁度良いのか。

 あたしの疑問を余所に足音はこの部屋へずんずんと進み、入り口に散乱する瓦礫を踏み超えてそいつはやってきた。

 紅い瞳にぼさぼさの白髪。

 いくつものペンネームでちょっとエッチな漫画からドスケベエロ漫画までこなす、一部界隈で名の知れた漫画家にして出不精の吸血鬼にしてヘンリー坊の友人。

 ルイーゼロッテ・ガルトナーがやってきた。

 脱法プロマイドの密売所に。

 寄りにもよってあたし等が突入したこの時に。

 

「も、もしもし……プロマイドの噂を聞いたんです、が……」

 

 ルイズは侵入時に蹴り壊した入り口からひょっこりと顔をのぞかせて、すぐにあたしらの視線とかち合った。

 家主であろうラミティエを容赦なく組み伏せるアヤメ。

 腰の剣に手を掛けたあたし。

 その後ろで偉そうに腕組みするマリナ。

 おそらくは瞬時に状況を理解したのだろうルイズは震える口で言った。

 

「違う、んですよぉ」

「……」

「これは違うんです」

 

 そうか。

 違うのか。

 

「あ、あくまで漫画に使う資料目的での購入というか決して後ろめたい如何わしい目的ではなくてですね」

「おう」

「そ、そう! これはいわば芸術……ではなく自分の画力の向上の為に……ええと、絵の仕事の……いえエッチなものではなくて……」

 

 分かってるよ。

 何も言わなくても良いんだルイズ。

 お前がエロ漫画を描いてることをあたしは知っているんだよ。

 この間出た新刊かなり良かったぞ。

 

「その、このことはヘンリー君にはどうか内密に……」

 

 分かってるさ。

 あたしにだってラミティエの情けぐらいはある。

 今日のことはヘンリー坊には内緒にしておくさ。

 御屋形様には報告するけどな。

 

 ◆ー〇ー◆

 

 ルイズはその後もあれこれと言い訳をしていたが、要はプロマイドの噂を聞いてここに来たらしい。

 ついでに推しという単語を聞いてみると、かなり詳しく説明してくれた。

 人に推して勧めるくらい好きな物。なるほど、だから推しね。

 

「つ、つまり彼ラミティエは金儲けが目的ではなくて、ヘンリーきゅんの格好良さや愛らしさを世に広めたかったってこと、何だと思う……」

「そうなのか?」

 

 説明は助かるがヘンリーきゅんとか言うんじゃねえよ。

 あたしがラミティエに目をやると、ラミティエは組み伏せられたままコクンと頷いた。

 

「その通りです……。

 私がカメラを向けても嫌な顔一つせずに、あんな笑顔を。

 それに隣でチェキまでしてくれて、それで、いてもたってもいられずに」

「あー……」

「でもそれっきり会えなくて、手慰みにプロマイドを作ってみたら思いのほか良く出来て。

 家に飾っていたら、それを見た人が売ってくれって」

「それで販売を始めたと……君、複製できない様にプロテクトをガチガチに固めたのは?」

「複製されてしまってはヘンリーきゅんが嫌がった時にプロマイドの回収が不可能になってしまいますので、そこは念入りに……ぐえっ」

 

 お前もさり気無くきゅん付けすんじゃねえよ。

 アヤメもあたし同様にイラついたらしく、ラミティエを一層強く締めあげた。

 

「なるほど、理に適ってはいるねえ。

 そこまでして何で売ったりしたんだい?」

「こ、この愛らしさを世界に広めたかった……!」

「分からなくもないねえ」

「ヘンリーきゅんを知らないなんて、人生を損してますよっ!」

「それな」

「あと身元確かな相手にしか誓って売ってません。

 購入者リストは机の2段目の引き出しの隠し収納にあります。

 製作したプロマイドの残りもそこにあるもので全てです」

「タチアナ、頼めるかい」

「あいよ」

「あと私が死ぬと自動的にデータはすべて消えるように設定しています」

「なぜそこまで……?」

「ヘンリーきゅんの不利益になるぐらいなら死にます」

「おお……」

 

 本気の顔じゃねえか。

 なんて覚悟を据わった変態なんだろうか。

 それはそれとして机を漁ると二重底の下から1枚のリストと複数枚のプロマイドが出てきた。

 あたしはその内の一枚を抜き取って懐に忍ばせる。

 同封してるのは……ああ、売上金か。

 購入日の日付、金額、氏名に似顔絵まで付いてる。

 最初の一人は……へえ、こいつか。

 リストを捲る。

 二人目は……んん? 

 捲る手を早める。

 三人目、四人目、五人目六人目! 

 全員あたしの知ってる奴じゃねえかよ! 

 嘘だろお前ら。

 なんであたしに教えてくれなかったんだよ! 

 友達だと思ってたのはあたしだけだったのか!? 

 見事にハブりやがって……! 

 

「どうしたんだタチアナ。尻尾が興奮して膨らんでいるぞ」

「マリナ、これを、このリストを見てくれ」

「これは……なんてことだ。

 これが事実だというなら……」

 三角帽子のつばの向こうでマリナの魔法族特有の【瞳】が輝くのが見えた。

 そうだよなあ! 許せんよなあ! 

 マリナは珍しくあたしと目を合わせた。まるで心が一つになったようだった。

 するべきことは決まった。

 こいつらからはあたしたちが回収するぞ。

 決意を新たにしたマリナは証拠品の中から堂々とプロマイドを一枚抜き取って懐に入れた。

 大丈夫だアヤメ、そんな顔をするな。

 お前の分もちゃんとある。

 

「……なあ、何でこんな手段を取ったんだよ。

 普通に周りに見せびらかせば良かったじゃねえか」

「私は、その、なんというか人と喋るのが得意ではなくてですね。

 あと友達も少なくて……」

「酒場とかなら行けんじゃねえの?」

「お酒も苦手で……」

 

 あたしはマリナやアヤメを顔を見合わせた。

 毒気を抜かれるというか、なんか怒る気がなくなるというか。

 いやまあやったことはやったことだし、見逃すわけにもいかないんだが。

 そしてプロマイドの為にも死なれる訳にもいかないんだが。

 

「取り合えず当主様の沙汰を待つべきではないかな。

 私は怒る気が失せたよ。あとこのプロマイド欲しい」

「俺も右に同じっす」

「あたしも同意見だ……ルイズは?」

「ふぇあ? わ、私も同じかな……ふへへ」

 

 身柄の確保と販売経路を入手できたわけだしな。

 ラミティエを立たせて手錠型の拘束具を嵌める。

 あたし等で動いても良いんだが、一つ手伝ってもらうとするか。

 

「売った奴の所に案内してくれよ。

 その方がアンタの為にもなるさ」

 

 リストに書かれている名前は全部で6件。プロマイドの数は7枚。

 なに、同額を返金すればそう角も立たんさ。

 それに御屋形様の心象も多少は良くなるだろうし。

 ああ見えて優しい方だから多分許してしてくれるって。

 貰ったプロマイド分はあたしも嘆願するからさ。

 

 ◆ー〇ー◆

 

 回収は順調に進んだ。

 所有者はドワーフ族のダリア、アラクネ族のエレン、ラミア族のベアトリーチェ、馬人族のマーガレット。

 なんでヘンリー坊の知り合いしかいねえんだよ。

 こっちは返金もするし罪に問わないっつってんだからさっさとと手放せよ。

 変に粘りやがって。

 こんな時間になっちまっただろうがよ。

 そうしてなんやかんやでプロマイドを回収し、残る最後の3枚の在処へやってきた訳だ。

 

「……一応聞くけど、間違いないんだよな?」

「間違いありません」

「本当だよな? 嘘ついてたら承知しねえぞ」

「ヘンリーきゅんに誓って」

「そうか……誓っちゃうのか……」

 

 あたしたちは貴族街のひときわ大きな屋敷を見上げる。

 門前には竜を象ったド派手な紋章がでかでかと彫り込まれた屋敷だ。

 もちろん竜の紋章は竜人族だけが使える象徴で、この家の主はその竜人族でも有数の有力者だ。

 赫角の竜。

 比類なき赤。

 偉大なりし火のエスターライヒ。

 その後継者と目されるヒルデガルド・エスターライヒの根城こそがリストに記された6件目の在処だった。

 

「いや本当にどうすっかなコレ」

「ここって竜人族のアレのアレっすよね……」

「そうだねえ。竜人族のアレの家だねえ……」

 

 まあリストを見た時点で分かってたことなんだけどな。

 偽名でエスターライヒを名乗る馬鹿がいる訳もねえし。

 御屋形様に報告すればそれで済む話ではあるんだが、それはちょっと可哀そうだしな……。

 

「とりあえずアポなしだけど行ってみるか。夜も良い時間だけど何とかなるだろ」

「ほ、本当に行くんですか……? 

 ああ、死ぬ前にもう一度ヘンリーきゅんに会いたかった……!」

「君、早く歩き給えよ」

「めんどくせえな、アヤメ担げ」

「うっす」

「ああー……」

 

 側付きのメイドが起きてれば話は早いんだがなぁ。

 

 ◆ー〇ー◆*1

 

 明日は待ちに待ったヘンリーとの約束の日だ。

 早く明日にならんかのう。

 私はベッドに飛び込むと、枕もとのプロマイドを起動する。

 実に良い買い物であったわ。

 ヘンリーのプロマイドの密売など本来ならば製作者のラミティエを脅して独占する蛮行だが、あそこまで頑強に抵抗されれば考えを改めるしかないというものだ。

 私相手にだけ専売してくれればそれで良かったのだが。

 流石に死を覚悟されてはなぁ……。

 そういうのはちょっと困る。

 

 しかし本当に出来が良いのう。

 1分以上のプロマイドなど早々見られるものではない。

 そして明日は特注のカメラでヘンリーの撮影会よ。

 この日の為にローラと共に撮影技術を磨いてきたのだ。

 あー! 早く明日にならんかなー! 

 楽しみ過ぎて目が冴えて仕方がないわ! 

 うはははは! 

 

「お嬢様」

「うはは……なんじゃローラ、私は見ての通りこれから寝るところなんじゃが」

「お客様がお見えです」

「今何時だと思っとるんじゃ。追い返せ」

「ラインバッハ家のタチアナ様が例のプロマイドの件でいらっしゃったと」

「早うそれを言わんか!」

 

 何故バレた。

 これは本当にまずいぞ。

 いくら健全なものとはいえ、密売された脱法プロマイドを購入して夜な夜な楽しんでいたなどと知られては流石のクラウディア殿もブチ切れる。

 そうなれば早朝だろうが深夜だろうが関係なく襲撃されるだろう。

 

「……む? 来たのはクラウディア殿ではなく、タチアナとな?」

「はい」

「つ、つまりはまだ誤魔化せる可能性が……」

「いえ、例のプロマイド製作者に手枷を付けて担いでお出でですので、誤魔化すには無理があるかと」

「なんでそれを早く言わんのだ???」

 

 もはや言い逃れ不可能ではないか。

 予備のプロマイドで買収しようにも、おそらくはガサ入れ時のどさくさで既に入手済みだろう。

 もうこれ詰みでは? 

 クラウディア殿の耳に入れば自動的にヘンリーの耳にも届くだろう。

 そうなれば年頃の男児のプロマイドが密売されていることを知りながらも、それを隠れて購入して夜な夜な楽しんでいる破廉恥ドラゴンだと思われてしまう! 

 それだけは回避せねば……! 

 

「……もう大人しくプロマイドをお渡しになられては?」

「それは嫌じゃ」

 

 絶対に嫌じゃ。

 

 ◆ー〇ー◆

 

「絶対に嫌じゃが?」

「何でお前が偉そうなんだよ……」

「絶対に嫌じゃが」

「だから」

「絶対に嫌じゃ」

「それで押し切れると本気で思っているのかい?」

「……無理かのう?」

「こちらも子供のお使いって訳でもないからねえ」

「そこをなんとか頼めんかの」

「あたしらでダメなら御屋形様の出番になるんだが」

 

 応接間に通されて、ヒルデガルドがやってきてからずっとこの調子だ。

 もうあきらめてプロマイドを出せよ。

 あたしたちを追い返してもブチ切れた御屋形様がやってきて、力づくで奪われるだけだって。

 どちらが賢い選択かは明白だろ? 

 

「渡すのも嫌じゃがクラウディア殿に凸られるのも嫌じゃ! キレたクラウディア殿を説得なんて私には出来ん!」

 

 我儘だなこいつ。

 夜も良い時間なんだしもうさっさと出せよ。

 前の四人は渋々ながら返したぞ。

 誇り高き竜人族ならそれを見習ってプロマイドを寄越せ。

 

「それに先ほどからプロマイドの回収と言っておるがなあ! だったら貴様らの懐のそれは一体何だというのだ! 

 ヘンリーのプロマイドをちゃっかり着服しているではないか! 

 ずるいぞ!」

「こ、これは証拠品だから……」

「貴様ら全員が隠すように懐に入れておいて証拠品もくそもあるかっ!」

「ふふふ、ぐうの音も出ないね」

「というかそこの鬼人族はいい加減こっちを見ろ! いつまでヘンリーのプロマイドを連続再生しておるんじゃ!」

「…………」

「おいこら貴様のことだぞ。無視するな」

「アヤメのことは許してやってくれ。こいつはさっき初めて視聴したばかりなんだ」

「……こいつ、よく見たら瞬きしとらんし鼻血も出とらんか? ティッシュ使うか?」

「すまねえな」

 

 田舎から出てきた純情娘には刺激が強過ぎたみたいだ。

 顔から出る液体が全部出ていて流石に見苦しい。

 鼻血と涎を流しながら声もなく泣くなよ。

 顔面が凄いことになってるぞ。

 アヤメの醜態のおかげかヒルデガルドも多少落ち着いたらしい。

 話すなら今だな。

 

「ヒルデガルド様。何も我々はプロマイドを奪い取りたいわけではないのです。

 内容自体も我々が確認した範囲では健全なものでしたし。

 ですが事が事ですのでご当主様の裁定が必要であることもまた事実。

 そのため、一時的にすべてのプロマイドを回収したのち、ご当主様の判断で返却という形にさせて頂きたい」

「む……。しかしな……」

「ここで拒まれても後程ご当主様による暴力的な解決手段が実行されるだけですよ?」

「むぅ……」

「その場合、内容に問題なしと判断されても返却されるかは断言できかねます」

「むむむ……」

 

 しばらく不機嫌そうに唸っていたヒルデガルドだが、不満を飲み込んだのかため息を一つ吐くと、背後の鱗人族のメイドに声を掛けた。

 

「ローラ、例のものを持ってきてくれ」

「すでに持ってきております」

「ああ、助か……なんで二枚とも持って来とるんじゃ?」

「ご命令ですので」

「こういう時は片方だけ渡して予備は残すもんじゃろうが!」

「おっとこれはこれは……てへぺろですね」

「謀りおったな貴様ァ……!」

 

 コントかな? 

 こっちは仕事で来てるんだからそういうのは後でやってくれ。

 それとなローラ。

 主人思いなのは良いが、それを通すわけにもいかねえんだよ。

 こっちも仕事なんでね。

 あたしは苦虫を噛み潰したようなヒルデガルドから2枚のプロマイドを受け取ると、中身をざっと確認する。

 ヘンリー坊は可愛いな、よしっ。

 2枚とも本物だ。

 

「最近ではプロマイドがないとよく眠れぬというのに……。

 む、何じゃ。もう私は隠し持ってなぞおらんぞ。

 正真正銘それで全てじゃ」

「ああ。確かに持っているものはこれで全てだな」

 

 そして視線をメイドのローラに移す。

 平常心そのものの顔だが、ほんの僅かに緊張している臭い。

 中々の胆力だが騙されたりはしねえよ。

 そもそもこっちには購入者のリストがあるから無駄な抵抗って奴だよ。

 

「主人への忠義は素晴らしいものだが、こっちも仕事なんでね。

 アンタが持っている最後の一つを渡して貰おうか」

 

 最後の購入者はアンタだよ。

 ローザ・シュピッツ。

 

 私の言葉に最後の抵抗なのか渾身の「てへぺろ」をかましてプロマイドを差し出すメイドの隣で、主人であるヒルデガルドはまるで初めて知ったように驚いた顔をしていた。

 ……え。マジで知らなかったのか? 

 

「なん……えぇ? どういうことだ……? 

 いや本当にどういうことだローザ」

「私が事前に購入しておくことで発覚後にお嬢様のものが持っていかれたとしても手元には一つ残る、という算段でした

 今回はさらにその上をいかれたようで申し訳ありません」

「そ、そういうことか。流石は我がメイドよ。見直したぞ!」

「これも敬愛するお嬢様の為ですから」

「その割には何度となく再生した記録があるな」

「おっと」

「ローザ? 嘘よな? これはこの事態を予想して私の為に購入したのであって、自分一人で楽しむためではないよな?」

「てへぺろ」

「ローザァ!?」

 

 なにはともあれプロマイドの回収完了。

 仕事人のあたしらはクールに去るぜ。

 ぎゃいぎゃい言い合う仲良し主従に背を向けて、ちょいおこ状態の御屋形様の元へ急ぐのだった。

 ミッション・コンプリートだぜ!

*1
ヒルデガルド視点だよ




御屋形様からは渋々OKサインが出たのでプロマイドは無事返却され、ラミティエちゃんはラインバッハ家に正式に雇用される運びになったよ。やったね。

ちなみに盗まれたのはドワーフ族のダリアちゃんでした。
正確には肌身離さず持っていたら買い物中に不注意で落として、それを置き引きされたんだね。
時系列としては、落としたのは本編の昼ごろで、その2時間後くらいには置き引き犯が捕まって押収品がタマラの目に留まった感じだね。
鼠人族の捜査力が凄すぎるね。
ダリアちゃんは気づいてからタチアナにつかまるまでずっと外を探し続けてたんだって。
ヘンリー君に迷惑がかかるからって落としたことに気付いたら即座に鼠人族を捕まえて洗いざらい吐いて協力を依頼したりもしたんだよ。可愛いね。

≪TIPS≫天狗族
背中の黒い羽が特徴的な種族。
天使族とは違って実用的な翼であり、飛行速度はかなりのものであるり、脚力も他種族と比較して高い。
空間認識や記憶力に優れている他、所属を賭して方角を見失うということがない。
その反面、肉体的な強度はさほど高くはないため、戦場でその姿を見ることは少ない。
性感帯は翼の付け根。
背中に手を回されながらの対面座位が好き。


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28話 普人族フィリア・ガーランドと戦う理由

名称:フィリア・ガーランド
体格:171cm、小ぶりなおっぱい、ダークブラウンの髪、ショートボブ、勝気な瞳
種族:普人族
年齢:18歳
備考:冒険者組合所属、戦闘用魔導義肢ユーザー、ヘンリーの幼馴染その3


 お金が欲しいなぁ。

 

 そう思いながら腕を振るう。

 給金につられて腕長猿の討伐クエストに飛び入りで参加したは良いが、猿の数がやけに数が多い。

 痕跡を辿って巣穴である洞窟に乗り込んでみれば、奥から次々と出てくる様はまるで虫のようだった。

 腕長猿。

 1m程度の体躯と不釣り合いな腕。全身は茶色の体毛に覆われた醜悪な顔をした肉食の猿だ。

 脅威度はさほど高くはないしむしろ雑魚の部類だが、その討伐難易度に反して報酬は高い。

 理由は単純にアホみたいに臭いから。

 余りの体臭に獣人族連中は近づくことすら拒否する始末だ。

 普人族の私にとっても中々きついんだから、連中にとっては地獄なんだろうね。

 獣人族用の鎮圧兵装としてこの猿の体毛が使われていたのしてくるなんてどんな悪臭だよ。

 臭気対策にそれ用のマスクを着けて来たのに、そのフィルターを貫通する臭気は中々きついものがある。

 

 物陰から飛び交ってきた猿の頭蓋を皿を割る様にかち割ると、その悪臭はさらに強まった。

 体臭だけじゃなくて血肉も臭いんだよね。

 気分が萎えつつある私とは裏腹に、鈍色の機械仕掛けの両腕は高らかに唸り声をあげる。

 買ってよかった魔導義手。

 高い金払って手術をして、腕を切り落とした甲斐があるってものだね。

 義手にかかった猿の脳汁を振り払い、続く2匹目を逆の腕で叩き落とす。

 まだ息がある。打撃の入りが浅かったか。

 飛びついてくる3匹身がいないことを目の端っこで確認し、追撃。

 落とし、転がし、踏みつける。

 習った型の通りにブーツの踵で首を踏み折った。

 支給品の臭い消しでキレイに消臭できるらしいんだが本当だろうか。

 今更ながら心配になってきた。

 

 でもお金が欲しい。

 次の猿は何処だ。

 

 巣穴の奥を見やるとなかなかの規模の巣穴だったようで、討伐対象は奥から次々に湧いて出るようだった。

 ちょっといすぎな気もするけど、報酬は討伐数の数だけ支払われる契約だ。

 臨時ボーナスだと思えば気分も多少はマシになる。

 死んだ猿を横に蹴り転がして深く息を吸う。

 くさい。

 ちょっと涙が出てきた。

 頑張れ私。

 これもお金のためだ。

 

 距離を取ろうと背を向ける猿に一足で近づいて背骨を砕く。

 ええい逃げるな。

 先ほどの猿を見習って飛びかかって来い。

 討伐数が最多だと追加報酬が貰えるんだ。

 私は基本一匹ずつしか倒せないから追いかけてると効率が悪いんだよ。

 

 そう思っていると少し離れた位置から豪快な風切り音が耳に届いた。

 同時に2~3匹の猿が壁際まで吹っ飛んで肉の潰れる嫌な音が響く。

 私と同様にクエストに参加した鬼人族のこん棒の一振りだ。

 これがエンチャントもされていない普通の武器だっていうんだから嫌になるね。

 生まれつきの恵体連中は良いよねえ。

 今まで何度嫉妬したことだろうか。

 羨ましい限りだよ。

 体を鍛えればただの棒切れでもあんな威力が出るんだもの。

 こっちは体を機械化しないとまともに戦えないっていうのにね。

 

 ああ、本当にお金が欲しい。

 もっとお金があれば、もっといい腕にできる。

 もうちょっと腕のアップデートもしたいし、普段使い用の代椀だって買い換えたい。

 もっと良い腕に換装して、それでもっと功績を積んで。

 もっともっとお金を稼いで。

 そしてあの子の隣に立つんだ。

 この権利を実力で勝ち取ったのだと、胸を張って宣言するんだ。

 私はもっとお金を稼がなきゃならないんだ。

 だからお前も私のお金になるんだよ! 

 猿からの投石を掴みとって逆に投げ返し、私は気炎を吐きながら巣穴の奥へと向かう。

 逃げんな猿ぅ! 討伐最多報酬は私のものだ! 

 

 ◆ー〇ー◆

 

 討伐から帰ってきた私は身綺麗にした後、酒屋で管を巻いていた。

 理由は単純い最多報酬を逃したからだ。

 あと一匹多ければ私のものだったのに……。

 討伐数が同数だと等分なんだよね。

 最後の手投げ斧が命中していたら私の総取りだったんだけどなぁ。

 私が投擲の鍛錬を増やそうと決意していると、隣からデカい笑い声が体を叩く。

 そこにはクエスト完了から酒場まで付いてきた鬼人族の女がいて、酒がなみなみ注がれた大ジョッキを一息に飲み干していた。

 ちなみに私から追加報酬の半分を奪った女がコイツね。

 更に乗った肉を豪快に噛み千切ると、酒の大ジョッキを豪快に煽る。

 そして女は当然のような顔で私の肩に太い腕を回してきた。

 何じゃボケが。

 馴れ馴れしいんじゃ。

 

「いやー、この俺と同数とは普人族の癖にやるじゃねえかよ!」

 

 うるせえよ。

 鬼人族は体もデカければ声もデケえのかよ。

 というか背中をバンバン叩くな。

 骨格も合金に換装してなかったら普通に骨が折れてるぞ。

 私が邪険にしても堪えないのか、鬼人族の女は無駄にデカい乳をだぷんと揺らして声をあげて笑った。

 あらゆる意味で腹立つわ。

 

「そう言うなって! 同じクエストに参加した仲じゃねえか! 

 ……あー、ええと、お前の名前って何だっけ?」

 

 クエスト報酬を受け取ってから酒場まで結構な時間一緒にいたんだけど。

 そういう私もコイツの名前を知らないんだけども。

 私は返答代わりにぐびりと酒で喉を潤した。

 

 手に入りかけた金子を逃したやるせなさは酒と男でしか癒せない。

 そしてここには女しかいない。

 私はあの子一筋だけどね。それでも男っ気がないというのは虚しいものだ。

 私はもう一度酒に口を付ける。

 虚しさを感じる脳をアルコールで溶かせば楽になれる気がした。

 もう酒を飲まずにはいられない。

 なんとなく手の中のジョッキを隣の鬼人族のジョッキにぶつけて乾杯してみた。

 一緒に飲もうよ名前を知らない人。

 ああ、もう飲んでたか。

 良い感じに脳が溶けてきた。

 この調子だ。

 どんどんいこう。

 

「……まあ細けえことは良いか!」

「良くはない」

「なら自己紹介だぁ!」

「仕方ないなぁ」

 

 あれ、仕方ないのか? 

 うーん……まあいいや。

 ぐびりと酒を煽り、適当に頼んだ料理を摘まむ。

 労働後には塩っ辛さがたまらないね。

 

「俺はカザリ・ゲンジョー! 鬼人族!」

「私はフィリア・ガーランド! 普人族!」

「俺とお前の出会いに乾杯だぁ!」

「いえーい!」

 

 ふはははは! 

 夜は長いぞー! 

 

 ◆ー〇ー◆

 

 いくらかアルコールが回って脳がふやけてきた頃。

 身の上話に花を咲掛けていると、今までの声量とはかけ離れた小さな声でカザリがポツリと言った。

 

「お前って変わってるよな」

「んあー?」

「ああいや、馬鹿にしてるわけじゃねえんだよ。

 ただ、ほら、普人族って戦いに向かねえだろ」

「まあね」

 

 鼠人族よりはましだとはいえ、普人族は戦いに不向きだ。

 というかほぼすべての事柄において他の種族に勝てる要素がない。

 そんなことは生まれた時から知っていることだ。

 金をかけて骨格を強化し、手足を機械に換装し、魔導兵装を身に着けてようやく戦いの場に立てる。

 そこまでしてようやく対等だ。

 支払った対価と釣り合わないうとは思えない。

 その金で傭兵を雇った方がよっぽど建設的だ。

 そんなことは重々承知なんだよ。

 自分でもアホかと思ってるしね。

 

「つーかアレだよ、さっきの話が本当ならよ、態々戦わなくても男と結婚できるんだろ?」

「まあね」

 

 昔からずっと続いている制度だ。

 普人族の血を保つために、普人族の男児は同じく普人族の女と婚姻して子を成す決まりだ。

 うちの家格だってラインバッハ家ほどではないがそれなりに高い。

 ほぼ確実に私が選ばれるだろう。

 

「何が気に入らないんだ?」

「全部だよ」

 

 たまたま家同士で交流があって、たまたま家格が釣り合って、たまたま同年代だから? 

 そんな下らない理由で選ばれて堪るかよ。

 恵んでもらうなんて冗談じゃない。

 あの子の隣はそんなに軽くはないんだよ。

 私はこの手で勝ち取るんだ。

 

「だから体を弄ってでも戦う訳か」

「理由としては十分でしょ」

 

 苦しい鍛錬。装備の更新。金策。仕事。

 それが一体何だっていうんだ。

 全然、全く、これっぽっちも辛くなんてないね。

 私が戦う理由なんて、きっと単純なことだ。

 私はあの子に胸を張りたいんだ。

 貴方の価値を私は知っていると。

 そのための努力を欠かさなかったと。

 

 だから私は道を作るのだ。

 木を切り崩し、大地を均し、石材を切り出して、隙間なく敷き詰めて作るあの子に至るための私の道。

 やがてはヘンリーの手を引いて二人で歩む道が、貧相な物であってはならない。

 そうでなければ、その、アレよ。

 アレだからとにかくダメ。

 

「アレって何だよ」

「結婚した後、他の女どもにマウントとられちゃうでしょうがよー!」

「おお?」

「他の女はぁ! どいつもこいつも強い上に家の格もたっかいの! あと癖も強いし!

 最初の一歩目で引け目を感じてたら勝てる相手じゃないの!」

「勝てんの?」

「勝つわボケぇ!」

「竜人族相手でも?」

「ったりめぇよぉ!」

「恋する乙女は?」

「最強だあ!」

「ぎゃはははは!」

「ひィーひっひっひ!」

 

カザリと顔を見合わせて汚い声で爆笑してはまた酒を煽る。

もう何が面白いのか分からないけども、とりあえず楽しいからこれで良いのだ。

明日もまた依頼を受けて、金策へ奔走する日々が始まるだろう。

それで良い。

この苦難の道の先に、ヘンリーという栄光が待っているのだから。

そうして私はカザリと肩を組んで下手糞なダンスを踊り、屈強な店の主人から邪魔だと叩き出されるまで酒宴を続けるのだった。




≪TIPS≫戦闘用魔導義肢
別名:普人族ガンギマリバトルフォーム
己が男子を守るために普人族の女たちが辿り着いた一つの結論。
それこそが自己改造による肉体の強化である。
ゴリラに勝てないならゴリラになるだけよ理論ともいう。
魔導兵装に身を包み、特に気合の入った女は四肢を切り落として鋼鉄の体を獲得した。
これらは全て魔法族との技術協力によって実現したものであるが、もっぱら普人族にしか使われることはない。
義手義足を使わなくても部位欠損は通常医療で復元できるからだ。
一見して生身にしか見えない廉価版の強化義肢は普人族の間でそれなりに広まっている。
骨格にまで手を入れて 戦闘用義肢に換装するのはかなり気合の入った者だけである。


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