「いかないで」と全力で引きとめられるまで転校できません (嵯峨野広秋)
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三度目の正直

 いよいよ転校の日。

 

 やれることはぜんぶやった。

 どんな場所でもチャンスがあれば声をかけたし、二人きりで親密な会話もできるようになった。誕生日にはプレゼントももらったし、先週の日曜日には念願のデートにだって行けた。

 

 ゼロからのスタートだったら、これでもまだむずかしいかもしれない。 

 しかし――あいつは、気心の知れたおれの幼なじみだ。

 

 決め手となる告白こそしていないものの、おれの想いはじゅうぶんに伝わっているはず。

 いや……逆に伝わりすぎてはいけないんだ、きっと。

 サジ加減(かげん)というか、とにかくこっちからよりも向こうから――熱烈に――すきになってもらわないといけない。じゃなきゃ、「いかないで」という強い〈引きとめ〉は引き出せない。

 

 おれは「いかないで」のために、一ヶ月、いやそれ以上の時間をかけて努力してきた。

 ミスればすべて水のアワだが、けっこう自信まんまんだ。

 

 さあ行こう。

 

 この中学ですごす最後の一時(ひととき)へ。

 

 

「元気でなー」「元気でね」「転校先でもがんばれよ」「バイバイ」

 

 

 拍手まじりにそんな声がきこえてくる。

 学校の正門の手前につくられた、左右にずらりとクラスメイトがならんだ花道。

 数分前、お調子者の安藤(あんどう)が手をふりながらその真ん中を歩くフリをすると「おまえじゃねーだろ!」と笑いが起こっていた。

 

 深呼吸。おちつけ自分。

 

 ここまでやってダメなんてことはないさ。

 

 ある日、なんの前ぶれもなくおれの人生にあらわれたハードすぎるハードル。

 飛べるまで何度でもやり直しさせられるっていう冗談みたいなファンタジー。

 

 だが、

 だが!

 おれはこれを乗り越える!

 

 あとはたった一言だけ、あいつが言ってくれたら……

 

(……あれ?)

 

 異変に気づいた。

 左右の列のどこにも、あいつの姿が見えない。

 手招きして、花道の真ん中あたりで拍手していた背の高い友だちを呼んだ。

 

「ベツ。どうした?」

「いや……その……なんというか……」

「ん?」

「も、萌愛(もあ)のヤツは、どこにいる?」

 

 親友は行動力があるから、すぐに小走りで女子や先生のところに聞きこみに向かった。そしてもどってきて、

 

「トイレ」

 

 と一言。

 

「トイレ?」

「トイレ」

「ト………………」

 

 んなバカな!!!!

 おれがまさに転校しようとしている、この大事なタイミングで?

 ただのおわかれの演出じゃなくて、正門をこえたらおれはこの学校にノーリターンなんだぞ?

「いかないで」はどうしたっ⁉

 大だか小だか知らないが、ちょっとぐらいの間、ガマンできなかったか? 

 

「どうしたんだ、ベツ」

「いや……。な、なんでも……ないんだ。じゃ……、元気で、な。優助(ゆうすけ)

「おまえも。くっそー、明日からさみしくなるなー」

「明日……か」

「おい。そんな暗い顔すんな。今生(こんじょう)のわかれじゃねーさ!」

 

 と、目にうっすら涙をうかべて明るく笑う。

 こいつは底抜けにいいヤツだ。

 そして言ってることは正しい。たしかにおれたちはまたあえる。まだ転校することすら伝えていない、一か月前にもどされるから―――。 

 

 ……。

 こうなったら誰か、

 誰でもいい、

 お願いするようなことじゃないのは百も承知だが……おれを……遠いところへ行くおれを…………

 

 泣いて引きとめてくれーーーっ‼

 

 

「いってきます」

 

 おれは家を出た。

 3度目の10月1日。さわやかな秋晴れの朝。

 1度目でループに巻き込まれたのを自覚して、2度目でベストと思える選択肢をえらんだ。

 だから、おれにとっては、ここはもうくるはずがなかった日。かえりたくなかった時間。

 

 しくじったのは、ぜんぶ――――

 

 

「なに?」

 

 

 この気まぐれな幼なじみのせいだ。

 

 里居(さとい)萌愛(もあ)

 

 たくさんの時間とエネルギーをムダにさせやがって。まったく。

 おれと同じで中学には歩きで通学しているが、萌愛はギリギリまで寝るタイプで朝はあまりエンカウントしない。今日みたいな日はめずらしい。おれは学ランでこいつはセーラー服に赤いスカーフ。こうやってならんで歩くのは今のうちだけで、学校が近くなったらどちらからともなくすーっと距離をあけるのが暗黙(あんもく)のルール。

 

「なんかいいたそうな顔してるじゃん」

「べつに」

「べっしょ」

「それおれの名前」

「あはは」

 

 お気楽に笑ってくれる。このやりとり、小学校からずっとやってるのに、まだ面白いのかよ。

 おまえにはいいたいことがありすぎて頭ん中はパンパンだ。

 

(最後のデートのときとか、あんなにいい感じになったのに……)

 

 それでも結果はあのザマ。

 で、はっきりわかった。

 

 

 ―――こいつはおれのことなんて、たいしてすきじゃなかったんだな。

 

 

「モア。大切な話がある。じつはおれ、こんど転校するんだ」

「知ってるよ。すこし前、アンタのお母さんから聞いた」

「いなくなったら悲しいよな?」

「はぁ⁉ なにいってんの? なんのボケ?」

 

 ぷいっと後ろ頭を向けた萌愛。中学に上がるときにばっさり切った長い髪は、今はもうない。ショートボブっていうのか、丸っこい輪郭の髪型にしてる。

 

 とにかく、

 忘れるなよ、おれ。

 

 こいつは「いかないで」と決して口にしなかったこと。

 あまつさえ、おれとのわかれよりトイレを優先させたこと。

 

 でも手ごたえはあった。

 現時点のこいつぐらいとの関係性でも、一ヶ月間がんばって女の子の好感度さえ上げれば、「いかないで」の可能性が出てくるってことがわかったから。

 

 両手を頭のうしろに回して、横顔を向けたまま萌愛は言う。

 

「まっ、でも……ちょっとだけ、ほんのほ~~~んのちょっとだけは」

 

 問答無用で再スタートしたループ。

 おれは一人の女子と――わかれを悲しんでくれるぐらいまで仲良くならないといけない。

 

「さみしいかな」

「はいはい」

「『はいはい』じゃないでしょー! よろこぶトコだろうがー!」

 

 

 げし、とおれのケツをけったこいつ以外で、まずは相手をさがすところからだ。

 



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蛍雪の功

 やっぱり恥ずかしい。

 マニアックな推理小説とダムの写真集でごまかすのはムリがあるみたいだ。

 受付の人に「おまえが?」という目でチラリと見られた気がする。

 

 ――『恋愛心理学』の本。

 

 うちの学校の図書室は、一度にかりれるのは三冊までで期限は二週間。

 はあ……。

 まさかまたこの本のお世話になろうとは……。

 

 クサってる場合じゃないか。

 やれることをやろう。

 

 いまは昼休み。

 

 適当な席をみつけて、座って少し〈勉強〉することにした。ノートももってきてる。おれは書かないとおぼえられないタイプなんだ。

 

(えーと、恋がはじまる条件は、と)

 

・好きな相手があらわれる

・相手が自分を好きになる

・二人の相性がいい

・ステキな出会いをした

・まわりに彼氏彼女がいる友だちがいる→自分も同じように恋愛したくなる

 

 おれなりにまとめると、こんな感じだ。

 まーあとは、こまごまと本の中でいろんなことを書いているが、究極、

 

 ほめる!

 

 の一手につきる。

 

 なんでも、ひとには誰でも〈自己肯定欲求〉っていうのがあって、つねに自分をプラスに評価してもらいたいらしい。SNSでよくある「いいね!」ってやつだ。

 ほかにできることは……

 

 

「意外」

「うわーっ!!!?」

 

 

 おれの全身がとれたての魚みたく、ピチピチピチッ、とはねた。

 おどろいたからだ。

 ふいうちの声かけ。しかもかなり、耳の近くで。

 一瞬、幼なじみの萌愛(もあ)かと思った。でも声がちがう。

 

「あなた、そんな本、読むんだ」

 

 言葉の中の「、」でしっかりと()をとる、ちょっとロボットみたいなしゃべりかた。

 それより、おれあんなにおどろいたんだから、まずそこを処理してくれよ。スルーしないでくれ。

 

「まいったな……急に話しかけるから、びっくりし……」

「私以外、誰も手にとらないと思ってた。卒業の日までずっと。くり返すけど、意外」

 

 じっと見つめてるのはおれではなくて推理小説のほう。

 なんてマイペースな……あっ!

 

「ふ、深森(ふかもり)さん⁉」

「大きな声ださないで。ここは図書室。私語厳禁」と小気味よくリズムにのせたように言う。

 

 だいぶおくれて衝撃を受けた。

 同じ二年三組の深森さんじゃないか。

 彼女は――――

 

(おれがずっと気になってる子だ‼)

 

 むかしから頭のいい女の子に弱かった。人生で最初に好きになったのも、小五のときの女子の級長。

 

「……恋愛心理学?」

「あっ!」

 

 とっさにかくしたが、おそかった。

 気持ち、メガネの奥の彼女の目が、じとーっと細くなっている気がする。

 

「それもまた意外ね。あなたのキャラじゃない」

「いや、なんというか、こういうことに……興味があって……」

「そんな本を読まなくても、里居(さとい)さんなら大丈夫だから」

 

 まわりから視線を感じて、おれは「えっ⁉」という大声をのみこんだ。

 どうして萌愛がここで出てくる?

 おれたちが幼なじみで親しいってことは、まあ、何人かの同級生にバレているといえばバレてることだけど。

 

「じゃあね」

 

 くるりと回って背中を向ける。

 ほどよい長さのツインの三つ編みで、すっきりと出てるきれいなうなじに思わず目がいってしまった。

 ……できれば、もっと話がしたい。

 

「ま、まって!」

「なに」

 

 呼びかけに立ち止まってくれたが、彼女はこっちを見てくれない。

 

「じつはこの小説……もう読んだんだ。面白かったから、今日また借りた。内容について、できればおれとおしゃべりを――――」

 

 後ろ姿のまま肩ごしにひょいっと手が出てきて、こいこい、とお辞儀させるように動かす。

 ?

 とりあえずついていくと、そこは図書室の奥のほうの〈世界文学全集〉みたいな本ばかりの人気(ひとけ)のない一角(いっかく)。 

 棚と棚の間に立って、彼女はやっと口をひらいた。

 

 

「私、ウソはきらい」

 

 

 おもむろに彼女は腕を組んだ。セーラー服の赤いスカーフが、エアコンの風でゆれる。

 

「ウソ?」

「そう。その本は誰にも借りられたことがない。私がはじめて図書室をつかったのが一年前の四月。そのときから一度も、本が棚から出されたことはなかった。私、毎日チェックしてたから」

 

 うっ。

 なぜか、ものすごい勢いでおれが()められる流れになってる。 

 

「あー……本屋で買ったから」言った一秒後にあっと思うも、後悔先にたたず。

「じゃあ借りる必要は、どこにもないはず」

「えっと、えー……」

 

 おれはそこで苦しまぎれに、

 

「すごい!」

 

 とホメた。

 

「すごい?」

 

 彼女は敬礼のようにメガネの横のところをさわった。ぶあついレンズと黒いフレームのメガネに。

 

「め、名探偵みたいな推理だったね。感心したよ」

「……」

「ほんとに。それで、意地をはるわけじゃないけど読んだのはウソじゃなくてさ、その証拠に犯人は――」

 

 ちょうどチャイムが鳴って、おれの声とかぶってしまった。

 やばい。あと5分で授業だ。

 あわてて席にもどってノートを片づけて借りた本をもって図書室を出る。

 

(まさか深森さんと話ができるなんて)

 

 良かった。

 気分転換にちゃんとあの本を読んでて。前回の10月1日でも同じ本をカモフラージュにえらんでたからな。

 ウソつきの疑いも晴らすことができたぞ。

 

 教室の入り口に萌愛がいる。

 

 あと一歩のところでしくじったループのときとちがって、好感度がまったく上がってない幼なじみ。

 つきあいが深まったときは、おれの顔を見かけただけでうれしそうに駆け寄ってくれたんだけどな……。

 

「あ。コウちゃんじゃん。昼休み、どこ行ってたの?」

「べつに」

「べっしょ」

「だからそれおれの名前」

「あははっ!」

 

 大口をあけて明るく笑う。

 コウちゃんっていうのはこいつのおれの呼び方だ。(むかう)を音読みしただけ。

 笑っているスキに、本を見えないようにおなかに抱え込んでさっさと教室に入る。

 

 ――そしてその日の帰り道。

 

 校門を出ようとしたところで、図書室のときと同じように、いきなり耳元で彼女は言った。

 ただ、背後から影が近づいてくるのがわかってたから、心の準備はできていた。

 

 

「別所君」

「何」

 

 

 精一杯のかっこいい顔でふりかえろうとした寸前で、想像をこえた二言目(ふたことめ)がきた。

 

 

「あなた、タイムリープしてない?」

 

 



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以心伝心

 いきなり見抜かれた。

 クラスの中では目立たない、でもひそかに成績トップの読書好きの女の子ぐらいにしか思ってなかったのに。

 全然――ちがった。

 はるかに頭が切れる。

 

「これ見て」

 

 スクールバッグから何かを取り出して、顔の高さにそれをかかげる。

 

「あ……」

「べつに私も推理小説のマニアってわけじゃないけど、これって特別な本なのよ」

 

 ばん、と少し乱暴に表紙をパーでたたいた。

 図書室でかりて、いまおれのバッグに入っているのと同じ本を。

 

「すでに絶版で発行部数も少ない。そんじょそこらの図書館にはなくて、もちろん書店でも手に入らない」

 

 とんでもなく早口でいった深森(ふかもり)さん。

 頭のうしろの二本の三つ編みの髪が、片方、セーラー服の前に()れていて先端は新品の書道のふでみたいだ。

 

「けれどあなたは内容を……ちゃんと読んだ上で理解していた。当てずっぽで犯人を言い当てたとかそんなレベルじゃない。作中、真犯人の名前はどこにも明かされていないんだから」

「いや、まあ、おれミステリーとかけっこう好きで……」

「だまって。いまそんな話、してないから」

 

 ずい、と一歩接近する。

 華奢(きゃしゃ)な女の子でおれより背は低いのに、この迫力。

 っていうか、

 

(かわいい)

 

 この魅力。

 メガネの向こうの目は大きくて、近くで見ているだけでドキドキする。

 

「ほかに考えられる可能性は、以前にどこかで買ったけど捨てたり失くしたりしたとか――」

「あの、じつはおれ時間を」

「時間を?」

「もどされたんだ! 今月の31日から今日に! それで、その、それで……もどされる前に()いた時間でちょこちょこ読んでて」

「そう。なら納得」

 

 話はおしまい、という感じでスタスタいってしまう。

 え? 終わり?

 おれが時間をさかのぼった点は、興味ゼロ?

 しんじられない。

 もっとくわしい事情をききたくならないか?

 

 ぽつーん、とその場にとり残されたおれ。

 けど残り時間は一秒も待ってくれない。

 

 日付はかわり、10月2日になった。

 

 

「おはよう」

 

 

 めずらしい。

 近所に住む幼なじみの萌愛(もあ)と、二日つづけてエンカウントした。

 もしかして、

 

(昨日「転校する」って投げやり気味に伝えたけど……その影響?)

 

 理由があるなら、それしか考えられない。

 いつもなら遅刻すれすれまでベッドでねばるのに、こんなに余裕をもって登校してる日が連続するなんて。

 ひどいときは三度寝までしてるってこいつのお母さんもあきれてたしな。

 

「おはようって言ってるじゃん」

「おお」

「『おお』じゃなくて」ぶん、と手持ちのスクールバッグを振り回しておれの肩に当てようとする。スッとかわした。「あー‼ ムカつく~!」

 

 くちをトガらせる萌愛。

 わるいが、トガらせたいのはこっちだ。

 おまえが「いかないで」を言ってくれたら、最後の瞬間にトイレに行かずにそうしてくれてたら、おれはこんなことになってないんだよ。

 が、苦情をいってもしょうがない。

 顔を真っ赤にしておれに誕生日プレゼントのマフラー――しかも手編み――をくれたあいつは、もうどこにもいないんだから。

 

「なあモア」

「…………なによ」

「好きな子いないか?」

「え?」一瞬きょとんとした表情になって、そこから、視線を目の前の地面に向けた。「へ、へぇー……、興味あるんだ、やっぱり。ふーん」横を歩きながら、ちょっと前傾姿勢になって顔だけおれのほうに向ける。「そりゃあ、こんなにかわいい幼なじみなんだから、気になるのは当たり前かな?」

「おれのことを、好きな子」

「はぁぁぁ⁉」

「知らないか?」

 

 萌愛はくさいものを()いだときみたいな、かわいくない顔つきになって、

 

「そんな子いないよっ!」

 

 大声をだして、タタタと先に行ってしまった。

 いないか……。

 

(これはこまった問題だ)

 

 女子を()り好みできる身分じゃない、っていうのはある意味ではこのループにおける絶対的な〈ハンデ〉。

 

(だからあいつに最初にアタックしたのに――)

 

 あーなんか、気持ちが前に向かないな。

 やってやろうという気分が……

 

「うぃ」

 

 靴箱のところで肩で肩を押してきたのは、おれの友だち。

 三方(みかた)優助(ゆうすけ)だ。

 こいつもおれといっしょでイケメンではないけど、身長が高くてスポーツ万能。バレー部のキャプテン。

 マネージャーの子と、夏からつきあっている。

 夏休み明けに、なんかこいつが大人になってみえたのは、はたして気のせいだろうか。いやちがう。

 

「なんだよベツ、おれの鼻に鼻くそでもついてるか? ははっ」

 

 本人は無自覚みたいだが、ガンガンにモテるオーラが出ている。

 できればおれにも分けてほしいよ、このオーラを。

 

「あのさ優助」

「おう、どうした」

「くだらないヤツだと思うだろうけど……おれ、おれ」ぐっ、とバレー部のたくましい腕をつかんだ。「ノドから手がでるほど、彼女がほしいんだ」

「くだらなくねーよ!」

「えっ」

「よく言った親友! その言葉を待ってたぜ。ってか、そんなこと言われんじゃないかなーって予感してたんだ」

 

 ポケットからスマホをだした。

 おれの持ってる親のおさがりとはちがって、こいつのは最新型だ。

 

「親友同士で通じるものがあるんだな。これ昨日、撮ったばっかなんだ」

「撮った? 昨日? なあ優助、なんの話だ?」

「みろよ」

 

 さしだしてきた画面をのぞきこむと、ちがう学校の制服をきた一人の女の子がややうつむいてピースしている静止画。

 

「どうだ?」

「いやどうだって言われても……」

「この子と塾でいっしょでさ、誰か彼氏ほしいんだって」

「おれのことは知ってるのか?」

「まあいっぺん会ってみろって。会うセッティングぐらいなら、おれもしてやれるんだから。それに――」

 

 ひじでおれの胸をかるくこづく。

 

「彼女がほしいんだろ?」

 

 だまってうなずくおれ。

 

 結局、トントン拍子で話をすすめて、さっそくその日の放課後に駅前で会うことになった。二人きりで。

 

 

「優助くんがうれしそうに言ってたけど、マジなの?」

 

 

 放課後。

 教室を出ようとするおれに近づいてきた萌愛。

 

「きいたのか? あいつ口がかるいな。べつに、いいけど」

「ほんとに行く気?」

「ああ」

 

 何も行動を起こさなかったら10月が永久に終わらないからな、とはもちろん言わない。

 

「じゃあな。がんばれよ、ダンス部」

「あ……うん……」 

 

 ひらひらと手をふって萌愛に背を向ける。

 部活にいく生徒や家に帰る生徒でゴミゴミしている廊下。

 

 一秒、二秒、

 三秒。

 

 そのとき、ワイワイガヤガヤの雑踏(ざっとう)の音にまじって、ちっちゃいころからずっと聞いてきた女の子の声がした――気がした。

 

 

 いかないで

 

 

 おれはふりかえった。

 出てきたばかりの教室のほうを見ようとしても、人ごみでかくれて見えない。

 

(……ソラミミだよな。きっと)

 

 あるいは、そう言ってほしいっていう期待。

 このところずっと「いかないで」を意識して生きているからな。

 

 

 ――数時間後。

 

 

「ベツ!」

「どういうことだよ!」

「いくら待ってもこなかったって」

「女の子カンカンだぞ」

 

 そんなラインの連打が、優助から届く。

 おれは「ほんとにごめん。死ぬほどハラがいたくなったから」と言いわけしておいた。

 

(……)

 

 せっかくの約束をすっぽかした理由は、おれにもよくわからない。

 



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猪突猛進

 朝から大雨だ。夜までずっとやまないらしい。

 教室で、まず友だちの優助(ゆうすけ)にあやまった。気のいいこいつは「たのむぜベツ」と言っただけで、昨日のことはさらりと水に流してくれた。できれば会う約束をした女の子にもあやまりたかったが、連絡先を知らないのであとのフォローは優助にまかせるしかない。

 そして一時間目の授業中、おれはこんな結論にいたったんだ。

 

(やっぱり〈クラスメイト〉の中からさがそう)

 

 一ヶ月という短さを考えると、そうするのがベスト。

 仲良くなるには、とにかくたくさんエンカウントできないと話にならないからな。

 

 一時間目の休み時間。

 

 前のほうに誰もいない机がひとつある。

 萌愛(もあ)の席だ。

 休み?

 いやそんなはずは……風邪とかそういう様子はなかったけど。

 

「ねーねー」

 

 左右から同時に声がきこえた。

 いつのまにか、おれの席の両サイドに二人の女子が立っている。

 

「モアっちは? なんか知らん? 別所くん」

「既読すらつかないんだよぅ」

 

 と先に右から言ったのが中山(なかやま)、つづいて左から言ったのが山中(やまなか)

 

「知らないけど」

「まー、薄情なダンナさんだよぅ」

「ダンナとかいわないでくれよ、山中さん」

「ほぼそんなもんでしょー? あなたたち、はっきり言って結婚フラグたってるじゃん」

「中山さん……ほんとに、そういうんじゃないから」

 

 話が終わると、二人は教室の外へ出ていった。

 

 友だちからのラインも無視だって?

 休んで家にいるとしたって、スマホで返事ぐらいはできるはずだ。

 おれは窓のほうを見た。

 

 どしゃぶり。

 つよい風がふいてて視界もかなりわるい。

 

(いや、まさか、あいつにかぎってな)

 

 二時間目がはじまる。

 

(でもけっこうそそっかしいところがあるし、遅刻しそうになって無茶な信号無視とか……) 

 

 イヤな想像をしてしまった。

 落ちつかない。気がつけば、右足で貧乏ゆすりしていた。

 萌愛――

 

 

「コウちゃん。ねえ……あ、あのさ、今日のデートたのしかったね? また今度……は、もうムリなんだっけ」

 

 

 最初から転校することがわかってて、それでもこんなおれにつきあってくれた幼なじみ。

 もしあいつの身に何かあったのなら……

 

(今回のループはあきらめよう。一ヶ月じっとして、またやり直せば……)

 

 

「すいませーーーん! 寝坊しましたーーー‼」

 

 

 どっとクラスが笑いで()いた。

 豪快にドアをスライドさせて元気よくそう言ったのは、もちろんあいつ。

 っていうか、髪もきちんとととのえてるってことは……どうせ遅れるならと思ってひらきなおりやがったな?

 

(心配してソンした)

 

 放課後。

 文句のひとつでも言ってやろうかと思ったが、あいつはさっさと部活にいってしまう。

 おれはため息をついた。

 ゆっくり帰り支度をして、ちょっとまわりを見わたしてみる。

 

(優助のやつもバレー部にいったか。深森(ふかもり)さんも帰ったみたいだな)

 

 今日は金曜日。

 土日は授業がないから、そのぶん恋愛するチャンスもへる。

 

 だが、こういうことはあせってもしょうがない。

 むしろあせると、裏目(うらめ)に出てしまうだろう。

 

 すこし歩きながら考えるか。

 外は雨だから、校舎の中を適当にぶらつこう。

 二階から一階におりようとしたとき、

 

「ひどい! ウソでしょ⁉」

 

 と上から女子の声。誰かとモメているようだ。

 

「そんな仕打ちはないじゃない! いやっ!!!」

 

 なんか……かなりはげしくやってるみたいだな。

 他人のトラブルをのぞく趣味はないが、自然に足が階段をあがっていた。

 そこで耳をうたがう言葉。

 

 

「いかないで!」

 

 

 えっ。

 まさかおれのほかにも、これから転校しようとする男子がいたのか?

 三階から屋上に向かう階段の踊り場――の下からは死角になって見えない位置にいるようだ。

 

「行ったら許さない! って…………誰かそこにいる?」

 

 ひょこっ、と階段の手すりの上から頭だけが。

 つぶらな(ひとみ)の、セミロングの髪の女の子。

 

小原(おはら)さん?」

「ん? まー上がってきてよ」

 

 階段の途中にいたおれは、踊り場まで上がった。

 ザー、と締め切った窓越しに雨音がきこえてくる。

 

「恥っず~。誰も来ない場所だし外もうるさいからバレないと思ったのに」

「あ……ごめん」

「こっちこそごめんっていうか、誰くんだっけ?」

「おれ別所です」

「うん、そーだ、そーそー!」小原さんは笑顔になった。「サトちゃんの彼氏だ!」

 

 今日おれに話しかけてきた女子3人中3人に、おれとあいつがそういう仲だと誤解されていた。

 ……そんなに教室で親しくしたおぼえはないんだけどな。

 

「たしか演劇部ですよね」

「私? そうだよ」

「さっきのはお芝居のセリフとか?」

「まあそんな感じ」

「よかったら……その……おれが相手役をやりましょうか?」

「え? まじ? いいの?」

 

 こくっとうなずきながら、おれは内心ガッツポーズしていた。

 これは思ってもないラッキー。

 タナからぼた餅じゃないのか?

 

(そんなに甘くないという気もするが……)

 

 やってみる価値はある。

 

「じゃあ、いくよ? とりあえず、そこに立っててくれるだけでいいから。目の前に人がいるのといないのじゃ、だいぶちがうんだよね」

 

 そしていくつかのセリフのあとで―――

 

「いかないでっ!」

 

 感情たっぷりに、そう言われた。

 ど、どうだ?

 一応、ループ脱出の条件はこれで満たせたぞ。形だけは。しかし手ごたえは全然ない。

 

 ……。

 

 これでクリアっていうのは、ちょっと現実的じゃないな。

 そういえば「涙ながらに」っていう条件もあったはずだ。

 おれは心の中で肩を落とす。

 

(こういう抜け穴みたいなやりかたじゃなく、地道に恋愛するしかないのか)

 

 気づけば、じーっと顔をのぞきこまれていた。

 すごい至近距離で。

 

「どうかな?」

「えっ?」

「私の演技。別所くんの感想をきかせてよ」

 

 髪を耳にかきあげながら言う。

 演劇をやっているせいかは知らないけど、小原さんは雰囲気が大人っぽい。高校生ぐらいのお姉さんを相手にしているようだ。

 だが実際は同級生。気おくれするな、おれ。

 

「うまいと思ったけど」

「ほんと? うれし…………きゃっ!!??」

 

 なんのまえぶれもなく、どごぉぉぉん、と爆音がとどろいた。

 おれはとっさに抱きつかれ――ることもなく、彼女はその場にしゃがみこんだだけ。

 

「カ、カミナリ? すごかったね。近くに落ちたのかな」

「そうかも」

「あーあ、やっぱりもう帰ろーっと。お母さんに迎えにきてもらわなきゃ」

 

 おれに向かって彼女はウィンクした。

 その仕草でおれに電撃が走った。

 

 ――クラスメイト――演劇部――自然に「いかないで」というセリフを口にできる女の子。

 

 見事につながる。

 おれには見えた。

 最終日、まさに校門を出ようとする花道の途中で、周囲の視線にもかまわずそう叫んでくれる彼女の姿が。

 

「あのっ‼」

 

 階段を下りる足をとめて、小原さんはふりむいた。

 

「ん?」

「よかったらまた、おれを練習の相手役にしてくれませんか」

「あはは。わるいから、いいよ。今日はありがとね」

 

 ダダダダっとおれは高速で階段を駆け下りた。

 下から、彼女を見上げる。

 

「ぜひ! どうしても、キミの役に立ちたいんだ!」

「お、おう……急にグイグイくるんだね」

「とりあえず明日、おれとデートしてくれませんか?」

 

 バカが暴走してると思われるかもしれないが、これはれっきとした戦略だ。

 

 毎晩、ダテに『恋愛心理学』の本を読みこんでいるわけではない。

 

 ――その名も、(シャット・ザ・)ドア・イン・ザ・フェイス。

 

 一番ことわられやすい要求を最初に相手にぶつけて、二番目、つまりこの場合だと〈演技の相手役〉っていう要求を受け入れてもら……

 

 

「映画でいい?」

 

 

 カッ、と見つめ合うおれたち二人が、まもなくカミナリが落ちるの確定のまばゆいフラッシュにつつまれた。

 



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前門の虎 後門の狼

 こういうとき、本当に制服があってよかったと思う。

 毎朝これじゃ身がもたない。

 

「ん~~~~~、なんていうか、根こそぎダサいなぁ!」

 

 鏡ごしに目を合わせるおれと姉。

 別所行美(いくみ)

 

「そんなことないだろ。こんなもんだって」

「弟よ~、おまえはわかっていないのじゃ~」ぽんぽんとおれの頭をソフトにたたく。「姉君(あねぎみ)は悲しいぞよ?」

「具体的にどこがいけなかったんだよ」

「そうだなー、とりあえずそのこげ茶のズボンはやめなって。オッサンくさいから」

「はあ……もっかい着替え直してくる」

 

 と姉の部屋を出ていくが、もうあまり時間がない。

 クローゼットをあけた。

 

(ちょっと身だしなみを見てもらうだけだったのに……)

 

 こまったもんだ。

 自分はネズミ色のパーカーつきスウェットの上下のくせに、人の服にダメだしばっかりして。

 ――やむをえない。

 この服装だけは避けたかったんだが、

 

「おー! いいじゃん! それそれ!」

 

 姉のOKをとれて、やっと家を出れた。

 本日10月4日土曜日、天気は快晴。

 

 絶好のデート日和だ。

 

 

「あっ。おーい」

 

 

 駅前の人だかりで彼女をさがしていると、うしろから声をかけられた。

 ここから先は、脳内でスローモーション。

 

 足元。

 黒いクツから、 

 ちょっと足がみえて、

 赤系チェックのロングスカートがあって、

 うすいピンクのえりつきシャツの上から、

 羽織ったクリーム色のニット。

 

 そして口をきゅっとしめたままほほ笑む。

 

小原(おはら)……さん」

 

 昨日はじめて口をきいた女の子――むこうはおれの名前すら忘れていた――とデート。

 どんな奇跡が起こってるんだ?

 

「うん、おたがい時間どおりだね。じゃあ行こっか。映画館、すぐそこだから」

「ん」

 

 とみじかいハミングで返事。

 てか、緊張で口がうまくあけられなかった。

 歩きながら彼女はいう。

 

「別所くんって、オシャレだったんだね」

「これ?」

 

 着ている服のえりを、自分でひっぱる。

 本当は、これじゃない服がよかった。

 

(思い出すんだよな。あいつとの最後のデートを……)

 

「どうかした?」

「え? いやべつに」

「今日は手ぶら?」

「ああ、まあ」

「いいなぁー。男子って楽だよね」肩にかけたポーチを引き寄せて、そこに手のひらをあてる。「うらやましいよ」

 なんとなく、直感で「そこに何が入ってるの?」という問いかけはしちゃダメだと思った。

 それより話題をかえよう。

 

「なんの映画みるんだっけ?」

「むかしの映画でね、こんど文化祭でそのダイジェストみたいなヤツをやるんだけど」

 

 きけばリバイバル上映というものらしい。

 むかしもむかし、かなり古い映画だ。さすがに白黒じゃないみたいだが。

 

(いつでも「いかないで」を忘れるなよ)

 

 そう自分にいいきかす。

 

「か、かわいいね」

「またまた」ぱん、とやさしく肩をたたかれた。「ムリしなくていーよ。それに私、お世辞とか好きじゃないからさ」

「いや、かわいいって!」

 

 つい声がデカくなって、まわりに注目された。

 バツがわるくなり、すこし歩くスピードをおとす。

 手前の青信号が点滅してる。

 無理してわたらずに、おれと彼女は横断歩道の手前でとまる。

 ポケットティッシュをくばっている人が近づいてきて、ひとつそれを受け取った。 

 

「おもしろ。キミ、いーね」

「えっ」

「意地になって言うようなことじゃないじゃん」

「まあ……たしかに」

 

 そこから話しやすい空気になって、おれたちはナチュラルに会話できた。

 

 彼女は、小原(さくら)

 セミロングの髪ですらっとした体つきの女の子。

 

 主人公の女の人と名前が同じだからという理由で、文化祭の劇の主役にバッテキされたらしい。

 

 クラスだと、目立つグループとそうじゃないグループの中間ぐらいにいて、ときどきどっちにも加わるみたいなそんな女の子だ。コミュ力は高いと思う。

 

「今日が最終日なんだって。前から見よう見ようと思ってたんだけど、ふんぎりがつかなくてさ。一人で映画館に行くのがなんかね……でも今日、別所くんがつきあってくれてよかったよ。ほんとありがとー」

「役に立てたなら、うれしいよ」

 

 チケットを買って、余裕をもって上映10分前で席についた。

 観客席のイスはたがいちがいというか、列ごとに横にずらしている配置だった。これなら前に背の高い人がいてもスクリーンが見えないってことはないだろう。

 

(どんな人が()るんだ?)

 

 ふと気になった。

 そのとき、

 

 おれはそこに焦点を合わせた。

 前の列のイスとイスの間から、まるでそこから生えているかのように生々しい、きれいな三つ編みの髪に。

 

(ふ―――深森(ふかもり)さんなのか⁉) 

 

 そんなはずは……と、おれは腰を浮かしてこっそり盗み見る。

 メガネのフレームの色と合わせたかのような、黒ずくめのコーデ。魔女っぽいたたずまい。

 

 人ちがいではない。

 確実に本人だ。

 同じクラスの、おれが一ヶ月後の世界からもどってきたことを知ってる、ただ一人の女の子。

 

「どうしたの、立ったり座ったりして」

「ん? いや、まあ」

「トイレは大丈夫?」

 

「どうして?」ってたずねると、彼女は上映時間が3時間半ちかくあるからという。

 じゃ一応、いっておくか。

 

 よっと立ち上がると、

 

 

 がささっ

 

 

 と視界の一部が大きく動いた。

 うしろの席の人。見た感じ、同い年ぐらいの女の子のようだけど……

 

(なんで手で顔をかくしてるんだ?)

 

 頭からパーカーをかぶって、おれから顔をそむけているような体勢。

 しかし、ほんのわずかにチラ見えしてる部分だけで、すぐに誰だかわかってしまった。

 判断にまよう。

 

(……はたして声をかけたほうがいいのか、気づかぬフリをしてやったほうがいいのか)

 

 トイレに行って、帰ってきたときも、不自然に顔面を両手ガードしていたあいつ。

 逆にそれ、もう本人だと白状してるようなもんだろ。

 

(なんのつもりだよ、モア)

 

 とにかく、こんな状況では口数がへらざるをえない。

 スパイされてて楽しくおしゃべりなんかできない。

 

 映画がはじまった。

 あっというまに終わった―――のは、途中でまるっと眠りこけてたからだ。

 ラストの手前でちょうど目がさめた。

 

 

 いかないで

 

 

 と、英語で主演の女の人が言ってた。

 経過はわからないけど、すごくいいシーンだった。あれだけでチケットのモトはとれた。

 

 

「……」

 

 

 照明がついて明るくなって、深森さんが無言で席を立った。

 うしろの席にいるおれのほうを見るそぶりはない。

 もしかしてたんなる偶然だったのか?

 思えば、モアはともかく、深森さんにはおれの動向をチェックする理由はないし。 

 ずいぶん早歩きで出ていったけど、そのとき、

 

(目元をハンカチでおさえてたな)

 

 メガネをはずしてそうしてたのが意外だった。

 結局、一度もふりかえらずに深森さんはドアの向こうに姿を消した。

 

「つかれたねー。あー、お尻いたっ」おれが立ったままなのに気づいて、首をかしげる。「ん? 外にでないの?」

「ちょっと……映画の余韻(よいん)があって」と、口からでまかせを言う。

「お手洗い、いってきてもいいかな?」

 

 もちろん、と返事する。

 そして小原さんもドアの向こうへ。

 

 さあ――やっとこれであいつに話しかけることが―――

 

 カッ、とおれはするどく視線を移動させて、うしろの席をみた。

 

「も……」

 

 言いかけたとき、寝息のような音が。

 うそだろ?

 デートの尾行がバレて観念しているのかと思いきや、

 

(寝てるのかよ‼)

 

 って、おれも人のことは言えないが。

 かぶっていたパーカーは、もう下ろしていた。

 ハーフパンツから伸びるぴたっとそろえた両足。

 背もたれにもたれた上半身。

 同じように成長してきた、おれの幼なじみの萌愛をまじまじとみつめる。

 

 寝顔のその目元。

 

 ここでもなぜか、スローモーションになった。

 つー……と、ゆっくり流れ落ちたんだ。きらきら小さい光を反射させながら。

 

 涙が。

 

(それは――映画で感動したからか? それとも、なにか泣くような夢でもみてんのか?)

 

 おれはポケットから、道端でもらったヤツを一枚とりだした。

 吸わせるように涙のつぶにあてて、その通り道をふいてやる。

 こんな形でティッシュが役に立つとはな。

 

「おい、起きろってモア」

「……」

 

 反応がない。

 すこし肩をゆすってみる。

 ――と、ゆすられるのをイヤがるように、おれの手をつかんできた。

 そのまま、ぎゅっ、とにぎる。

 萌愛の両目は、まだつむったままだ。

 

「…………コウちゃん、どこにも行か―――」

「えっ」

「……」

「モア?」

 

 いきなりパチッと目をさました。

 同時に、あわてたようなそぶりでおれの手から手をはなす。

 

「ふ、ふわぁぁぁ……っと、あ、あー、たっぷり寝たなー」

「やっと起きたのか。とっくに映画は終わってるぞ」

「そっか」

 

 ゆっくり座席から立ち上がった萌愛。

 なにも映ってないスクリーンをみながら言う。

 

「コウちゃんさぁ、いつからこういう映画の趣味になったわけ?」

「べつに」

「べっしょ」

「それはおれの名前な」

 

 いつものやりとりにクスリともしないこいつと外に出た。 

 

「あれっ? なんでサトちゃんが?」

 

 合流した小原さんは、さすがにおどろいた。

 でもすぐ、

 

「せっかくだから三人で遊ぼうか」

 

 と提案してくれたんだ。

 そのあとファミレスで食事して、ボウリングにいって、夕方に駅前で小原さんとわかれた。

 

 帰りがけの道で、

 

「なあモア。あのとき、おまえじつは起きてたんじゃないのか?」

 

 とおれは何気なくたずねた。

 ほんとに何気なく。なんの狙いもなく。

 

 

「はぁ!!?? ばっ、バカいわないでよ。そんなわけ……ないじゃん……」

 

 

 萌愛はすかさず否定した。

 

 しかし、ずいぶんあとの寝る前になっておれはこんな疑問がわいた。

 

 ――どうしてあいつは「あのとき」がいつのことか、すぐわかったんだ?

 



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呉越同舟

 日曜日の昼間にダムの写真集をみながらおれは考えた。

「いかないで」にはダムがいる。

 昨日の映画をみても思ったんだが、こんな言葉はそうそう口から出るものではない。

 よっぽど相手の感情がたかぶってなきゃ、ダメだ。

 つまりおれへの好意がある程度たまっている状態で、がつん、と一撃くらうぐらいのことがないと。

 

 そのために――

 

(ギリギリまで転校することは秘密にする)

 

 というのは有効だろう。

 

 週が明けて月曜日。

 

 おれは校門の前を、行ったり来たりしていた。

 待っているのは、もちろん演劇部の小原(おはら)さんだ。

 一回デートにいって、逆に相手のことを意識しすぎてよそよそしくなる――なんて思春期をやっている場合じゃない。

 押して押して押す!

 

 

「そこ邪魔」

 

 

 と、背後から声。

 おれに敬礼のポーズ……ではなく、メガネの横に指先をあてている。

 

 

「調子はどう? タイムリープくん」

 

 

 さわやかな朝日の逆光で、表情はよく見えない。

 ほんのわずか微笑んでいるような気もする。

 同じクラスの深森(ふかもり)さん。

 

「まあ、はい」

「だれかを待ってるのね」

 

 ぜんぶお見通しのような口調で、ぼそっとつぶやく。

 

「ご苦労さま」

「あ、まって、えーっと……」

「なに?」

「土曜日、映画館で泣いて――――」

 

 電光石火。

 言い終わらないうちに、両手で腕をつかまれた。

 

「どっ……、どうしてそれをしっしし知ってるのっ⁉」

「いや、そんなにおどろかなくても。おれ、うしろの席にいたから」

「あれは中学生の男の子が興味をもつような映画じゃないでしょ!」

「それはその……デートだったから」

「デート?」

 

 手の力がゆるんだ。

 セーラー服の胸の前で腕を組んで、くぃっとあごを上げて、なにを言うのかと思ったら、

 

「お(さか)んでけっこう。とにかく、絶対に私が『泣いてた』とか言いふらさないように。いい?」

「そんなことしないけど……」

「あなた、意外とあなどれない存在ね。まさか里居(さとい)さんとそこまですすんでいたなんて」

「モアと? いや、べつの子だよ」

 

 数秒、無言でおれをみて、

 はっ、とあきれたように息をはいて首をふった。

 

「それがあなたの生き方なら、私はなにも言わない」

 

 どいて、と手でおれをどけてさっさと行ってしまう。

 登校するたくさんの生徒の流れの中にまじって、三つ編みの後ろ姿が消える。 

 

 ――ん?

 

 いまのどういう意味……これって盛大に誤解されてないか?

 あたかも女の子とイチャイチャするためにおれがタイムリープしている――みたいに。

 

 ま、いいか。

 深森さんに嫌われたならそれもかまわない。

 実験で証明されてるらしいからな。

 

①最初はわるい評価、途中からいい評価

②ずっといい評価

③ずっとわるい評価

④最初いい評価、途中からわるい評価

 

 この場合、①がもっとも相手に好意をもつって話だ。

 どうせ正面からアプローチしても、おれなんかじゃ彼女と仲良くなれる可能性はうすいだろう。

 嫌われに嫌われて……ぐらいの展開のほうがまだチャンスがある。なんならおれの〈(てき)〉になるぐらいでも。

 

(あっ)

 

 いつのまにか小原さんが、友だち数人とおれの近くまできていた。

 通りすがりに目が合って、ウィンク。

 ドキッとした。

 まわりに気づかれないように、こっそりひみつの信号を送ってくれた感じが、すごくいい。

 

 ◆

 

 放課後。

 いきなりダムが決壊した。

 

 

「転校するって、ほんと⁉」

 

 

 小原さんが駆け寄ってきて第一声がそれ。

 うろたえつつも「まあね」とこたえたおれ。

 

「せっかく別所君とは仲良くなれると思ったのに。残念だなー」

「いや、まあ、でも、まだ時間は……あるから」

「もちろん。それで、どこに行っちゃうの?」

 

 おれは転校先の場所を伝えた。

「えーっ!」とひときわ大きくなる彼女のリアクション。

 なんか急いでいる感じがしたので、そう長くは話しこめなかった。

 バイバイ、と手をふって、小原さんは教室を出ていった。

 

 おれは心の中で、ストーンと両ひざを地面に落とす。

 

 彼女の姿と――「いかないで」が、いっしょに遠ざかったからだ。

 

 

 犯人の目星はすぐついた。

 

 

「……なによ」

 

 

 来週の火・水に中間テストがあるから、今日から部活はないし、みんなさっさと下校している。

 こいつもそうだ。あと数秒おそかったら、つかまえられなかっただろう。

 

「どうしてバラしたんだ?」

「知らないじゃん」

「おれからナイショにしてくれとは言わなかったけど……だいたい空気でわかるだろ。それなりに長いつきあいなんだから」

「はいはい。あやまればいいの?」

「……モア。おれはそんなことを言って――」

 

 ビンビンに周囲からの視線を感じる。

 言葉にすれば「おーおーチワゲンカやってんな~」という、そんな見守り。

 いい見世物(みせもの)だ。

 

「もういいよ」

 

 そんな捨てゼリフでおれは教室を出た。

 さすがに今日は、放課後に校舎をブラつこうという気にならない。

 もはやそれどころじゃなかった。

 こうなった以上、すみやかにプランBがいる。

 

(まいったな)

 

 帰り道。

 ときどきうしろをふりかえるが、誰もいない。

 

(ほかの女の子に好きになってもらうより、確実におれを好きになってくれる子が一人だけいる)

 

 萌愛(もあ)だ。

 一週間ほどロスしてしまったが、今からでもアタックして、前回と好感度を同じくらいにまでもっていけないか?

 

 

「こ、このヘアピン……どうかな? ヘンじゃない……?」

 

 

 咲いた赤い花の飾りがついたヘアピンを、あいつは最後のデートのときにつけてきた。

 あのとき「かわいい」とホメたおれの心は、たしかにウソじゃなかったはずだ。

 

(今度は前もって、あいつをトイレにいかせるとかしてれば……あるいは) 

 

 ぶーんぶーんとスマホがふるえた。

 

「やっぱりか」

 

 と、ついひとり言を口にしてしまった。

 みじかい「まってよ」というメッセージ。

 ふりかえった。

 そこには丸っこい髪型の、セーラー服の女の子が立っている。 

 30メートルぐらい向こうに。

 

(…………?)

 

 様子がおかしい。

 その場から、動こうとしないんだ。

 びゅう、とつよい風がふいてクラゲみたいにあばれるあいつの髪。 

 

 スマホに電話がかかってきた。

 

 

「私、決心したことがあるんだ」

「この距離で電話しなくていいだろ」

「きいて」

「なんだよ」

「本日10月6日(むいか)をもって、私―――」

 

 なんだ?

 急にドキドキしてきた。

 いつもの幼なじみが、いつもじゃないまなざしでおれを見ている。

 

 

「コウちゃんの(てき)になるっ!」

 

 



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百戦錬磨

 あいつの言葉はウソじゃなかった。

 

 

「ベツ。おれはな……やめといたほうがいいと思うんだよ」

 

 

 昼休み。

 次の授業は体育なので、着替えて運動場にいる。

 天気、気温ともにスポーツにはもってこいの日だ。

 

「やめる、ってなんのことだ?」

「演劇部のあの子に言い寄ってるだろ? めっちゃ女子ん中でウワサになってるぞ」

「ウワサか……」

「ひどいのだと、里居(さとい)ちゃんからのりかえたとか言ってるのもいる」

 

 それはこまるな、とおれは女子がいる体育館のほうを見た。

 これもこまるな、とおれは友だちの優助(ゆうすけ)に視点をもどす。

 

 昨日だされた萌愛(もあ)の、おれの敵になる宣言。

 

 しっかり外堀(そとぼり)から埋めにきたか。

 つまりこいつに同情させて、自分の味方に引き込む作戦にしたようだ。休み時間に二人でなにか話してたと思ったら、これだったか。

 

優助(ゆうすけ)。きいてくれ。おれは、小原(おはら)さんをあきらめるつもりはない」

「かっけー…………」ぶるっ、と濡れた犬みたく首をふって真顔にもどる。「いっ、いや、かっけーじゃなくってさ‼ それじゃあかわいそうだっていってんだよ!」

「モアが?」

「そう!」優助がおれの肩をつかむ。「おれはずっとフシギでしょうがねぇよ。そんなにナチュラルに呼び捨てしてるのに、なんでおまえらつきあってないんだ?」

 

 ぽん、ぽん、と目の前をサッカーボールがバウンドする。

 もともとバレーよりサッカーが好きなこいつが、反射的にトラップにいこうとしたのがわかった。背が高いとキーパーやらされるからって、いまの部をえらんだんだ。

 

「ベツ彼女ほしいって言ってたよな?」

「それには事情があって……モア以外じゃないとよくないんだ」

「なんで?」

「なんでも」

「あんなにいい子なのにか」

「優助」おれは目をそらす。「幼なじみっていうのは、恋愛感情がわきにくいもんなんだよ」

 

 口にしてる言葉とは真逆で、これ以上ないほどわいた―――ようにみえたけどな、あのときは。

 結局おれのカンちがいというか、「いかないで」といってくれるほど好かれてなかったんだけど。

 

(もしかして幼なじみじゃなかったら、よかったのかもな)

 

 あの彼女みたいに。

 体育館の外に立って、肩までの長さの髪を風になびかせて、こっちをみている子。

 表情がわからないほどはなれているが、たぶん、ウィンクしてくれた感じがする。

 

 その日の帰り道にそのことをきいたら、

 

 

「うん。うれしいな、あの距離でわかってくれたんだ?」

 

 

 やっぱり的中。

 それと、イチかバチかで「いっしょに帰らない?」と勇気をだしてよかった。

 家がある方向は正反対だが、たくさん歩くぐらいは全然ツラくない。

 

 ――「いかないで」のためならば。

 

「えっと、あのさ、演劇部っていつでも『おはようございます』ってあいさつするってほんと?」

 

 とか、

 

「意外と筋トレするんだよね」

 

 など、

 ネットで仕入れた〈演劇部あるある〉で会話も退屈させない。

 おれだって努力してるんだ。

 まだまだ場数(ばかず)は足りないけど。

 小原さんを相手に練習――女の子にしゃべりかけること――をつんでれば、いつか一対一で誰とでも自然に話せるようになれるかもしれない。

 ある意味、修行でもしている気分だ。恋愛の技を(みが)くっていうか。

 

 

「じゃ、このあたりでバイバイしよ?」

「うん」

 

 

 見えなくなるまで彼女を見送った。

 途中二回、こっちにふりむいてくれた。

 

 

 やがて中間テストも終わり、おれたちが話すようになって2週間ほどたったある日――

 

 

 帰り道で(さくら)さんはこんなことを言った。

 

 

「主演……はずされちゃった」

「えっ」

 

 

 とびだし注意のこどもの看板の前で、おれたちは立ち止まった。

 

「三年生の先輩がね、やっぱ名前とかで役を決めるのはよくないって、また配役をふりなおしたの」

「そんな!」

 

 オハラって名前が、こんど文化祭でやる劇の主人公といっしょで、同じ名前の彼女がえらばれたというのは以前にきいた。

 

「ひどすぎるって! 演技の勉強のために映画までみにいったのに――」

「あはは……。あれはまあ……単純に楽しむっていう目的もあったから」

 

 おれと向かい合ったまま、一度目線を下に下げて、ゆっくり顔を上げる。

 

「自分のことみたいに怒ってくれて、ありがとね。なんかちょっとラクになったよ」

「いや、ほんとに……」

 

 ぱちっと片目をつむった。

 そのアクションに気をとられて、おれは言いかけた言葉のつづきを忘れた。

 

「また行ってくれる? 今度はさ、スカッとするアクションがいいなぁ……」

「いこう。絶対いこう」

「約束だよ?」

 

 で、週末の19日に桜さんと2回目のデートすることになった。もちろん二人きり。萌愛があとをつけてこないように、さんざん気をくばったからな。

 

 そしてその翌日の20日(はつか)は、おれの誕生日。

 彼女は手ぶくろをくれた。

 近ごろ、すでに「(むかう)」とも呼ばれている。同級生の女子から下の名前で呼ばれるのは言いようがないほど刺激的で、当然、おれも「桜」と呼びかえしてる。

 

 一気に距離が縮まった気がした。

 いや気のせいじゃない。

 一ヶ月の間に、おれたちはとても親しくなれたんだ。

 一ヶ月と思えないぐらい、みじかい時間だったけど。

 

 

 とうとう最終日。

 

 

 やれることはやった。

 やり残したことはない。

 念のため……

 

(ふう。なんとか花道にいてくれてるか)

 

 おれを新しい場所へ送り出すために、クラスメイトが左右にならんでつくった列の中に桜が立っている。

 一応、もうひとつ確認するか。

 萌愛のヤツは、と――――

 

「つまんない」

「わっ」

 

 すぐ横にいた。

 

「せっかく敵になって邪魔してやろうと思ったのに」

「モア」

「女の子と仲良くなろうとして必死すぎるコウちゃんをみてたら……そんな気もなくなっちゃったよ」

「そもそも、どうして敵になろうとしたんだ?」

「知らないじゃん」萌愛はおれの肩を、痛いぐらい、強めにたたいた。「じゃっ、元気でね」

 

 スタスタ歩いていって花道の列に混じった萌愛。

 とくに泣くのをガマンしている様子はない。

 

(あいつの好感度がそれほど上がらなかった〈10月31日〉は、こういう感じなのか……)

 

 

「そのままきいて」

 

 

 うしろから声がする。

 おれの足元には、三つ編みを二つつくった女子の影がのびていた。

 黒一色なのに、どうしてだか彼女が腕を組んでいるのがわかる。

 

「ふ、深森さ――」

「そのままだっていってるでしょ。そのままといったらそのまま。うごかずに、耳だけに注意して」

 

 イラついたように言う。

 校舎から担任の先生がこっちに向かっているのが見える。

 いよいよ、おれのこの学校でのタイムリミットがせまっていた。

 

「もし、あなたがまた時間をもどることがあれば、そのときは」

「えっ⁉ えっ⁉」

「10月3日に、私の机の中をみること。いい?」

 

 深森さんの影がスーッと逃げるようにはなれていく。

 クラスのお調子者の安藤(あんどう)が手をふりながら花道の真ん中を歩くフリをして「おまえじゃねーだろ!」と笑いが起こる。

 

 ラスト数分。

 

 おれは――本当にループを終わらせられるのか?

 



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触らぬ神にたたりなし

 去りぎわが一番大事(だいじ)なんだ。

 たとえば今、ここで「転校したくなーいっ‼」とブザマに地団駄(じだんだ)ふんだとしたらどうなる?

 

 きっと女の子は「いかないで」といってくれない。

 

 こんな極端な話じゃなくても、とどまりたい気持ちが前面に出てしまったら、おそらく逆効果になるはずだ。

 いつもの下校のときのように、あくまでも自然に出ていくべきだろう。

 

 

「残念だな」

 

 

 3回目のデートでの、(さくら)の言葉を思い出した。

 

 

「ね? (むかう)だってそう思う……よね?」

「もちろん」

「もし転校がなかったら、ねえ、私たちどうなってたかな?」

 

 ぎゅっとおれの手をにぎる。

 手から伝わってきた気持ち。

 

 あのときおれは確かに、手ごたえを感じたんだ。

 小原(おはら)桜を大切に想う心にもいつわりはない。

 ――うん。

 深呼吸。

 まような自分。

 

(よし! いくぞ!)

 

 きっと彼女なら言ってくれる。

 ループ脱出を確信して、おれは一歩、前にふみだした。

 

(しかしこの瞬間は、いつも恥ずかしいな……)

 

 両サイドからクラスメイトの拍手と、はげましの声かけ。

 無表情でいるのもおかしいから、それなりに愛想を浮かべるおれ。

 

 だが意識は一点に集中。

 

(桜!)

 

 彼女のところまで、もうすこし……一人、二人、三人、

 そのとき、おれの視界が強制的に横に流された。

 

 

「ベツぅ~~~~~っ!!!!」

 

 

 ぎゅっとつむった目からぼろぼろ涙をこぼす優助(ゆうすけ)

 おれにはもったいないくらい、いいヤツだ。

 つかんでる両肩に力が入りすぎて、ちょっと痛いけどな。

 

「そんな泣くなよ」

「くっそー! おまえが……明日からいないなんて(しん)っっっじらんねー!」

「いままでおれと仲良くしてくれて、ありがとな」

「……ベツ。おれは、おれはっ――」

「下向くなよ優助。べつに今生(こんじょう)のわかれじゃないだろ?」

 

 へんなめぐりあわせだ。

 ひとつ前のループでこいつがおれに言ってたことを、逆におれが口にしてるなんて。

 

(…………もし、うまくいってループを出れたら)

 

 この気のいい友だちとは、これで最後になるのか。

 もちろん、ただの社交辞令のつもりはないから、かならず優助とはいつかどこかで再会したい。

 

「もうはなせって。おれ、いかないと」

「わるい。ははっ、シワになっちまったな」

 

 花道の、もといた場所にもどっていく優助。

 ちょっと空気が、おちついたというか……。

 おれと優助で「いかないで」みたいなムードが、いったんできてしまったのはよくないかもしれない。

 行動を起こしにくくなったか?

 

(……)

 

 おれは、ある女子の目の前で立ち止まった。

 桜。

 

(……)

 

 何秒間か、見つめ合う。

 向こうはやわらかい表情で拍手をしている。

 

 さらに数秒。

 拍手する彼女。

 こらえきれず、おれは声をだした。

 つきあっていることは同級生にはオープンにしてないから、ちゃんと呼び方をかえて。

 

「じゃ、じゃあ、あの――――小原(おはら)さん、元気で」

「うん。別所君もね?」

 

 あまり親しくないクラスメイトの男子に言うような口調。

 え?

 これは……一体どういう…………

 

 あーーーっ!!!!

 

 ――かすかにかみしめているような口元。

 ――とりつくろったような声色(こわいろ)

 ――すでに泣いたあとのような、充血した瞳。

 

(おれはとんでもないミスをおかしていた)

 

 一瞬でスッとわかった。 

 まるで推理小説で犯人を追いつめる名探偵のように。

 いくつかの点が、一気につながったんだ。

 

 

(これは〈演技〉じゃないか……)

 

 

 演劇部は、悲しくないのに泣く、っていうお芝居だけをするんじゃない。

 その正反対だってある。

 

「どうしたの? 別所君」

 

 心配そうな表情で小首(こくび)をかしげる。

 

「なにか忘れ物でもした? とか言って」

 

 あはは、とまわりの女子が笑った。

 おれは笑えない。

 彼女がせいいっぱいやってる迫真の演技を、まだ、受け入れることができなくて。

 

 頭の中で、

 デカい石でできた「いかないで」の文字が、

 ヒビわれてガラガラとくずれてゆく。

 

 もはや認めるしかない。

 おれは今回もループに負けた。

 

 担任の先生が、花道の終点で声をはりあげる。

 

「はーい。じゃあ、最後にもう一度、別所くんに大きな拍手をして~~~!」

 

 ぱちぱちぱちぱち。

 おれは棒立ちで、みんなの拍手を浴びる。

 大泣きの優助、よそよそしい桜、興味なさそうにそっぽを向いてる幼なじみ。

 

(……)

 

 また過去にもどってやり直しだ。

 

 ふだんつかわない言葉なんだが、これははっきり言って「無理ゲー」だ。

 もっと汚くいえば「鬼畜ゲー」。

 あるいは告白しても玉砕する「死にゲー」であり、つまりは「クソゲー」だ。

 

 ――エンディングは用意されてるのか?

 

(どうしたら……いやまて、深森(ふかもり)さんがおれを助けてくれるようなことを言ってたじゃないか)

 

 それは現時点のおれの唯一の希望。たのみの(つな)

 おれは彼女のほうをみた。

 スンとした顔つきで、手もたたかずに立っている。

「10月3日に机の中を見ろ」――か。

 

 おれは先生と同級生たちと校舎に背中を向けた。

 

(あーあ……)

 

 足、重っ。

 それでも校門の外に出なきゃ、だよな。

 ループする境界線は、ぴったり校門の(さく)のレールのところ。

 その先へふみだしたら、吸い込まれるように引っぱられて、はじまりの日の朝のベッドの上に移動するんだ。

 

 

 ざわっ

 

 

 とうしろでどよめいた。

 

 なんだ?

 おれはあやうく境界線をまたぎかけていたのを()めて、くるっと体をターンさせる。

 

「コウちゃん!」

 

 花道のど真ん中に仁王立ちしているのは幼なじみ。

 いつつけたのか、さっきまであいつの髪にはなかったはずのヘアピンが。

 (かざ)りの赤い花がキラリと光る。

 

 この感じは……

 まさか、ここから大逆転があるのか?

 

「まって! コウちゃん! わ、私、わたしっ、ほんとは……。お願い! まってーーーーっ!!!」 

 

 どぉん、と突進してきたあいつと正面からぶつかった。

 そのはずみで、おれの体は――校門のラインをこえてしまう。

 

 

「わっ!!!」

 

 

 つよい衝撃があった。

 外からきこえてくる、スズメの鳴き声。

 カーテンのスキマからさしこむ朝の光。

 

(いってー…………)

 

 おれはベッドから転落していた。

 スマホで確認するまでもなく、本日は10月1日。

 

(なんだったんだ、最後のバタバタは)

 

 気になる。

 けど、すでに時間はもどされて新しいループがスタートしている。

 切り替えていくしかないようだ。

 二度と着るはずじゃなかった制服を着て「いってきます」と家を出た。

 

「モア。おまえさっき、なにを言おうとしたんだ?」

「はーーーぁ!!!??? さっきもなにも、いま会ったばっかじゃん!」

「そうだよな。まちがえた」

「意味わかんない。バカ。まじバカ。もしかして寝不足なの?」

「べつに」

「べっしょ」

「それはおれの名前」

 

 あっはは、と萌愛(もあ)は笑う。

 おれはわからなくなった。

 この無限ループにおいて、こいつは勝利の女神なのか、負け(かく)の疫病神なのかが。

 



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負けるが勝ち

 学校がみえてくると、まわりに生徒の数も増える。

 その数に比例するように、じょじょにおれたち二人の間隔もあいていく。

 一学期のある日、正門の前でクラスメイトのお調子者の安藤(あんどう)に「おまえら登校デートじゃーん‼」とハヤしたてられたのには、まいった。

 あれ以来、こうするのがおれたちのルールになっている。

 

 ループ初日の昼休み。

 

 もはや恒例となった……

 

 ――『恋愛心理学』の本。

 

 だが、目的はべつにある。

 この図書室で彼女に会う。

 

 一度目はそもそも本を借りていない。

 二度目は本を借りてさっさと出ていったから彼女には会っていない。

 三度目でやっと会えた。そのときと同じようにすればいいだけだ。

 

 すわっている席も、テーブルの上の本の配置も、前回を完全に再現したぞ。

 そして、しばらくまっていると――

 

 

「意外」

 

 

 ――そうくるのがわかってたから、当然おれはおどろかない。

 真後ろにいるのは、同級生の頭いい女子の深森(ふかもり)さん。

 ふりかえって言う。

 

「そうかな? おれ、こういう推理小説、けっこう好きだから」

「私、まだなにが意外なのか、あなたには言ってないんだけど」

「えっ?」

「どうしてわかったの?」

「いや……なんとなく」

「あなたって不気味ね」

 

 ぶあつい辞書を3冊重ねてたたかれたような衝撃。

 女の子に「ブキミ」っていわれてしまった……。

 

「話しかけたことは、忘れてちょうだい」

 

 去っていく背中。セーラー服のうしろでリズミカルにゆれる二本の三つ編み。

 味方になってくれるはずの彼女が、早々(はやばや)といなくなってしまった。

 ぽっきり、心のシンが折れた。

 

(……でていくか……)

 

 思えば、やりすぎたかもしれないな。

 未来を知ってるからって、得意になってたんだ。

 以後気をつけよう。

 そんな念押しをしながら、階段の踊り場で方向をかえた途端(とたん)

 

「いったぁ」

 

 ぶつかってしりもちをついたのは、知っている女の子だった。

 地面にぺたんと座りこんで〈ル〉の字におりたたんだ両脚。

 スカートをおさえながら、もうしわけなさそうに言う。

 

「ごめんなさーい。ちょっと考えごとしてて……」

「そっちこそ大丈夫? さ―――」

 

 おれは全力でコトバをのみこんだ。

 この世界で彼女の名を、そんなに親しく呼んじゃいけない。

 

小原(おはら)……さんのほうは」

「あれ? 私の名前を知ってるんだ」立ち上がりながら、しっかりおれの顔をみる。「あーっ! ごっめーん! 同じクラスの人だねー」

 

 セミロングの髪にさっと手櫛(てぐし)をとおして、

 よそいきの表情と声で彼女は問いかけた。

 

 

「えっと……誰くんだったっけ?」

 

 

 いまはじめて自覚した。前回のループで敗北したことを。

 あの桜はもう、どこにもいない。

 

「別所です」

「あっ! そうそう!」

「じゃあ……」

 

 (わか)れぎわ、チラッと手元の本をみられた感覚があった。

 表紙にでかでかと『恋愛心理学』と書かれた本を。

 だからって、いまさら恥ずかしいとかじゃないけど。

 

「あ。コウちゃんじゃん。昼休み、どこ行ってたの?」

「図書室」

「なんか借りてる?」

「ダムの写真集と小説。あと……」

 

 言おうとしたら、すばやく横取りされた。

 

「げっ」

「おい。なんだよそのリアクション」

「げっ、げっ」

 

 と自分の声に合わせて表紙を指でたたく。しっかり本をおれのほうに向けて。

 きらいな食べものを見る目で。

 

「なーにコジらせちゃってんだか。だっさ。ひくわー。恋愛って本読んでするもんじゃなくない?」

「じゃ、どうやってするもんなんだよ」その大事な大事な本を、おれは萌愛(もあ)からうばい返す。

「知らないじゃん。本能? とかそんなヤツだよ」

 

 しれっと恋愛を語りやがって。

 最後の最後でおれとのわかれよりも生理現象をえらんだおまえがいう……

 

(まてよ)

 

 席にもどって、はたと思った。

 

 最終日の萌愛の行動をまとめると――

 

 一度目=花道にいた。(態度はふつう)

 二度目=トイレ。

 三度目=いた。(態度はふつうから、ラストで少し変化)

 

 こうだ。

 んー……、おなじ〈10月31日〉でおなじ人間が、こんなにブレるもんか?

 たとえば、お調子者の安藤(あんどう)なんか、花道の「おまえじゃないだろ」のボケは完全にいっしょなのに。

 

 とくに、二度目だけが大きく仲間外れだ。

 いったいこれは……。

 まあ、考えても答えは出ないか。

 それより、すみやかに考えるべきは「いかないで」をいってくれる相手だ。

 

 10月2日。

 

 朝の通学路では萌愛に会わなかった。

 

「うぃ」

 

 靴箱のところで肩で肩を押してきたのは、おれの友だち。

 

「また会えたな」

「へっ? なんだよそりゃ。おれたち昨日もふつうに会ってるだろベツ」

 

 教室にいく途中、

 

「なあ優助(ゆうすけ)。彼女をつくるコツを教えてくれ」

「ストレートな質問だな~。ってか、そういう話をベツからすんの、めずらしくね?」

「おまえの……ほらバレー部のマネージャーの子とはどうだったんだ?」

「やめろよベツ。()じーって」

 

 教えてくれ→やだよ、のラリーを何度かしたら、

 

 

「誰にもいうなよ」

 

 

 教えてくれた。さすが優助だ。

 

「部室で二人っきりになったとき、あいつが、うしろから……こう」

「おれでやるなよ」

「抱きついてきたんだ。で、まあ、そういうことさ」

 

 優助がおれにしたのは、いわゆるバックハグ。

 こいつにはわるいが、参考にはならないな。

 おれがこんなことを女子の誰かにしたら、一発でアウトだろう。ヘタしたら親を呼ばれてしまう。

 

 結局、その日も収穫なし。

 

 10月3日。

 

 朝から大雨。

 放課後になって、雨はさらにいきおいを増した。

 

(とうとう、きたか)

 

 おれにとっては運命の日。昨日の夜は緊張してあまり寝られなかった。

 ただ「おや?」とも思う。

 ややこしいが、この〈10月3日〉はひとつ前の〈10月3日〉とはちがう。

 すなわち、ひとつ前の深森さんがおれのために何かを仕込んでくれていたとしても、その〈10月3日〉はあくまでひとつ前のものであって、今日ではない。

 

(彼女でもカンちがいってことはあるだろうしな……)

 

 ましてやこんな特殊な状況だ。

 もし、彼女も同じようにタイムリープか、あるいは記憶を持ち越せるとかなら、話はべつだけど。

 

(机の中になにがあるっていうんだ?)

 

 小説を読むフリをして時間をつぶす。

 あいかわらず外はザーザーぶり。

 一時間後。

 やっとおれが最後の一人になった。

 

(よし)

 

 立ち上がって、一度、廊下の様子をたしかめる。

 大丈夫だ。ちかくにクラスメイトはいない。

 

 では―――――

 

 手をつっこんで、とりあえず、最初にさわったものを出してみよう。

 

 あれ?

 

 何もない。カラだ。カラだって?

 もしかしておれは、からかわれたのか?

 

 

「盗難やイタズラを避けるために」

「なっ!!??」

 

 

 教室の……廊下と反対側、非常階段につながる外の通路側のほうのドアがあく。

 ドギモを抜かれた。

 びしょ濡れで、腕を組んだポーズをとる彼女が突然あらわれたからだ。

 

「私は机にモノを置かない。ぜんぶ」とん、と足元にある重そうなスクールバッグをつまさきで蹴った。「持ち運んでいるんだけど、ところであなたは何をしているの?」

「いや……えーっと……」

 

 今、おれの体は、机に腕を食われているかのような状態でフリーズしている。

 言いわけは苦しい。

 ゆっくり近づいてきた彼女が、おれの背後に回る。

 

(ん)

 

 かさ、と指先に何かふれた。

 

(どうせ怒られるんなら――っ‼)

 

 思いきってそれを引き出した。

 紙ははがきの大きさ。()かれているのはイラスト。

 ピンク色のコブタをうしろからとらえたアングル。

 

「はい。バカがみるブタのケツ、ね」

「バカ? え? ケツ?」

 

 おれは肩ごしにふりむく。

 深森さんがそんな下品な言葉を口にするなんて。

 

「いいえあなたはバカじゃない、ただのあほ」

「ふ、深森さん?」

「あ・ほ」

 

 と、言ってすぼめた彼女のくちびるが、いきなりぶぅんとぼやけた。

 くちびるというか全身が。

 おれにとってはそれどころじゃないんだが、今、落雷の爆音があったようだ。

 音とほぼ同時。スピードは光のはやさ。

 

 

「きゃーーーーーーーーーーーっ!!!!! いやーっ!!!」

 

 

 背中で彼女は絶叫した。

 おれにうしろから両腕を回して、ぎゅ~っと抱きしめている。

 まるで「いかないで」といわんばかりに、はげしく。

 

 これは感じたことのない感触。

 はじめての()らかさ。

 優助のときとは、あきらかにちがう。

 

「だ、大丈夫?」

「わわ私カミナリは――ダメなのっ!」

 

 こんな経験ができるなら、前のループで失敗してよかったかも。

 そんなふうにさえ思わせる悪魔的な魅力が、このぬくもりにはあった。

 



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能ある鷹はツメをかくす

 ピアノにはいい思い出がない。

 おれじゃなくて、幼なじみの萌愛(もあ)が。

 ある日、あいつの家に遊びに行ったら、両手で目元をおさえてギャン泣きしていたんだ。近くにはピアノの先生と、その人にあやまる萌愛のお母さんが立っていて。

 

「ほんとにすみません……、ほら、萌愛も先生にあやまって」

「……」

 

 体が四頭身で、おかっぱロング。

 なんかピンク系のフリフリした服を着ていた記憶。

 そんな萌愛が玄関にいるおれをみつけ、

 

「コウちゃーーーん!!!!」

 

 一目散に走ってきて、両手をひろげ、胸にとびこんできた。

 とっさに「たおれる」と思って後ろ足をひいてふんばったが、その必要はなく、思いのほか萌愛の体はかるかった。

 

「コウちゃん、コウちゃん」

 

 涙も鼻水もおかまいなしで、おれのお気に入りのアニメのTシャツにぐりぐりこすりつけてくる。

 はやくかえってセンタクしてもらわないとな、というのがそのときの正直な感想だ。

 かわいそう、という気持ちも多少はあったけど。

 

 

「いま、なんか言った?」

 

 

 小学校の卒業前、このときのことを萌愛にたずねたら、こんな反応だった。

 それでおれはすべてを(さと)る。

 ピアノでギャン泣きした件は、こいつの中では黒歴史なんだと。

 

「じゃあ……、何からはじめましょうか」

 

 ピアノの前のイスに、背筋をのばして足を組んで座っている女の子がいる。

 あれから、おれたちは教室を出て音楽室へと移動していた。

 壁が防音になっていて、かつ遮光(しゃこう)カーテンがあり外からの音と光をさえぎることができるからだ。

 

「まずは、あなたから話して」

 

 どこからもってきたのか、深森(ふかもり)さんはヘッドホンを耳にかけていた。

 よっぽどカミナリの音がきらいらしい。

 それにしても、こんな場所をえらぶとは。

 どうせ中には吹奏楽部や合唱部がいると思ったのに、

 

「今日は活動日じゃないから」

 

 と入り口のドアをあける前、深森さんは一ミリもまよわず断言した。

 おれが知らなかっただけで、じつは彼女は音楽系の部活をやってる(やってた)んだろうか。

 とにかく―――

 

(やはりタダモノじゃない)

 

 広い空間。

 奥に向かって高さが階段状に上がり、一番ひくいところに黒板やグランドピアノがある。

 

「えっと……じつはおれ、タイムリープしてて……」

 

 いったん言葉をとめて、彼女の顔色をうかがった。

 どこにもおどろいたような様子がない。

 おどろいてないことに、おれのほうがおどろいた。

 

「どうしたの? 私をじっと見てないで、つづけて」

「お、オッケー。それで未来のキミに『今日、机の中をみろ』っていわれたんだ。だから放課後の教室でずっと一人になるまで待ってた」

厄介(やっかい)

 

 深森さんは片手でおでこをおさえる。

 

「どうして〈私〉は、こんな人を助けようとしたのかしら。魔がさしたとしか思えない」

「あの……きいていいかな?」

「なに」

「あのブタのイラスト、いつも机の中においてるの?」

「文句ある」

 

 うっ。

 最後の音を〈(あげて)〉疑問形にしていない。

 あるわけねぇよなぁ~、と(あん)に言ってるようなど迫力。

 

「も、もうひとつ。どうして、おれが机をさぐったときに、タイミングよく出てきたのか……もしかして外にずっといた?」

「ふだんさっさと帰宅してる人が、あからさまに読書のフリで時間かせぎしてたら、何をするつもりなのか気になっても当たり前でしょ?」

 

 おれに言い返す()もくれず、深森さんはメガネの横に右手をそえてつづける。

 

「確認するけど、ほんとに今日なの?」

「それは、まちがいないよ」

「そう。どうして私は、こんなカミナリにびくびくするような日に……」

 

 はっ、とうつむき気味だった顔を上げて、 

 

「このことは一切、他言無用。誰にも。いい?」

 

 するどい目つきでおれをみる。

 おれがうなずいたのを確認すると、

 

「どれぐらい未来からきてるの」と、深森さんは腕を組んだ。組んだ腕の前に、セーラー服の赤いスカーフが()れている。ひかえめながらけっこう――とか盗み見してる場合じゃないな。

「未来からというか……今月の終わりから」

「もしかしてループ?」

 

 この激早(げきはや)の理解力に、おれはひそかに感動した。

 

「なにか条件を満たせば出られるとか? そこから永遠に出られないってことはないんでしょう?」

「そう! そうなんだ! まさにそのとおりで、おれがループを出るには〈あること〉をしな……いや、されないといけないんだ」

「それは?」

「それが……すごく突拍子(とっぴょうし)もないというか……どうしてそんなことを、というか……」

「ブツブツうるさい」

 

 深森さんは立ち上がって、おれのほうに寄ってくる。

 息がかかるぐらい近くに。

 

「いってみなさい。ほら」

「い……『いかないで』って女の子にいわれないといけないんだ」

 

 彼女は、あきれたように棒読みで言う。

 

「いかないで。はい達成」

 

 くるりと回って背中を向けた。

 その瞬間、カーテンの向こうが白く光って、彼女の小さな背中がビクってなった。

 

「あの、それじゃダメだったよ。けっこう判定がきびしいっていうか……涙を流して、心の底から転校するおれを引きとめてくれないと――」

「あなた、転校するんだ?」

「うん。今月末で」

 

 そう、とつぶやいて彼女はまたピアノのイスにすわった。

 無言で、ゆっくり鍵盤(けんばん)のフタをあける。

 

「深森さん、()けるの?」

「ぜんぜん」

「え? じゃ、なんでフタをあけたの?」

「さあ」

 

 そこで、スマホにラインが入った。

 

 

「電気は?」

「コウちゃんの部屋の電気」

「もしかして、落ちこんでる? 親となんかあった?」

 

 

 萌愛からだ。

 なぜか勝手に誤解して、おれを心配してる。

 

「いやおれまだ学校」

 

「…………はぁぁぁ⁉」

「なーにやってんのよ!こんな時間まで!」

「あーあ、かっこわりー」

「てっきりアンタが」

「暗い部屋で一人、えんえん泣いてるかと思ったのに」

 

 一方的にラインは終わった。

 泣いてたのはおまえだよな、と心の中で返信する。

 ねぇ、と深森さんが口をひらいた。

 

「その子は『いかないで』って言ってくれた?」

 

 おれは首をふった。

 彼女も首をふった。

 

「もう帰って。こんな静かな場所に男女二人でいたら、あらぬ疑いをかけられるから」

「まあ、そうだね」

「また来週。ただし、私の協力は期待しないように」

 

 音楽室を出た。大雨でみんな下校を急いだらしく、ながい廊下は無人。

 出て、その場に3分、いた。

 

(なっ!!?? これ……プロ級じゃないのか?)

 

 ドアごしにきこえてくるのは、大人っぽい、ジャズみたいな曲。

 その音楽のせいじゃないだろうけど、ちょっと外の雨足(あまあし)は弱まってきたようだ。

 

 そして翌々日の日曜日。天気はからりと晴天。

 

 

「出かけない?」

 

 

 おめかしした萌愛が、おれの家の玄関にあらわれた。

 



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鶴の一声

 おれは、おじいちゃんからこう教えられている。

「一回目は遠慮しろ」と。

 お年玉でもプレゼントでもなんでも、とにかく人様(ひとさま)からの申し出は最初は「いただけません」って言うものなんだよ、と。

 

「出かけない?」

「いや、いい」

 

 数秒、見合ったままでかたまるおれたち。

 家の外で一回、となりの家の犬がほえた。

 おれは教えられたことを、守っただけだ。

 

 ――萌愛(もあ)は無反応。

 

 しかしそのみじかい時間、不思議とテレパシーのように、

 

「はぁぁぁ!!!???」

「それ本気でいってんのぉ⁉」

「こんなかわいい子がさそいにきてるのに!」

「ことわるとかありえないでしょーーーっ!」

 

 そんな心の叫びを感じとった。

 表面上は、口元に余裕をたたえた〈おすまし(がお)〉なのだが。きっとこれは、長い時間を共有した幼なじみだからこそ成せるワザだろう。

 

「ウソだよ。いくいく」

「じゃ、はやく用意して。お邪魔しまーす」

 

 勝手しりたるという感じで、ずかずか上がりこんでくる萌愛。

 しかも脱いだクツの向きさえ直さない。

 

(はあ……)

 

 しゃがんで、あいつの赤いスニーカーをそろえてととのえる。

 部屋にもどって時計をみると10時前。

 

(お出かけか。これは今までになかった流れだな)

 

 ただ、デートという雰囲気でもない。

 服装はそれっぽかったけど。

 

(まさかワンピースでくるとは)

 

 水色で、肩には白いカーディガンみたいなやつを羽織っていた。

 そして母親に借りたのだろう、大人なデザインの赤いハンドバッグに赤いスニーカー。ソックスは白とピンクのしましま。

 

「えーーーーっ⁉」

 

 リビングのソファのど真ん中にふかぶかとすわった萌愛が、着替えたおれをみた第一声。

 

「それコンビニいく格好じゃん!」

「いいだろ。さ、いこうぜ」

 

 ()せぬ、という表情だが、しぶしぶ萌愛は立ち上がった。 

 たしかに文句を言いたい気持ちもわかる。

 が、こいつがオシャレしてる分、おれのほうが肩の力を抜かないとバランスがとれないというか……そんな微妙な感覚があったんだ。

 

(さて。どうなることやら)

 

 バスで駅前に移動。

 そこからさらに電車にのり、高いビルがならぶ大きな街へ。

 改札を出てスタスタあるく萌愛が、いきなり立ち止まった。

 

「来てないなぁ」

「えっ?」

 

 思わず「誰が」とたずねた。

 すると「~~ちゃん」と「~~くん」と、おれが知らない名前をあげる。

 すごい早口でよくききとれなかった。

 ききかえすか迷う()に、その二人があらわれた。

 

「あ……こんにちは」

 

 一人はおとなしそうな女の子で、

 

「うぃーっす」

 

 一人はおれより背の高い男子。

 なんか……ラッパーみたいなファッションだ。

 この時点でもしやと思ったが――

 

「ダンス部の友だちだよっ」

 

 と、萌愛はニコニコして彼らを紹介した。

 いや、おかしくないか?

 どう考えても、ここにおれいらないだろ。どうして、おれをつれてきた?

 

「じゃレッツゴー」

 

 元気よく先頭をきってすすむ萌愛に、その丸っこいショートヘアに、うしろからテレパシーを送る。

 

(おい!)

(おまえ知ってるよな⁉ おれの人見知りを!)

(二人きりじゃないのなら先にいえよ!)

 

 くるっ、と日光を反射した黒い髪が回転して、

 

「うっさいなぁ」

 

 目をほそめておれにそんなことをいう。

 

「なにも言ってないだろ」

「顔が言ってるじゃん、顔が」

「あーはいはい」

「今さら帰るとかいうのやめてよね」

「まあ来た以上はつきあうけどさ」

 

 チラッとうしろをついてくる二人を確認した。

 それぞれべつな方向を向いていて、会話ゼロ。

 女の子のほうは、心なしか恥ずかしそうにうつむいているようにも見えた。

 

「ダブルデートなのか、これ?」

「へー。コウちゃんそんな言葉、知ってたんだ」

「あの二人がケンカしてて(わか)れそうだから、仲直りさせようとでも思ってるのか?」

「生意気に推理(すいり)なんかしちゃって」

 

 萌愛がそう思ったのなら、きっとそれは深森(ふかもり)さんの影響だろう。

 彼女のおかげで、おれもある程度〈先読み〉っぽく考えるようになってきてるからな。

 

 だがやはりおれは凡人だ。

 

 まったくアテがはずれていた。

 

「じゃあペアになって卓球しよーか。私はコレと組むから」

 

 ラケットでおれをつつく萌愛。

 待ち合わせから、一時間ほどゲーセンで遊び、ファミレスで昼食をとって、今はスポーツ系のアミューズメント施設みたいなところにいる。

 

「ちょっと……コウちゃんさぁ……ヘタすぎだからっ!」

 

 へらへら愛想笑いするしかないおれ。

 相手チームは、ぺちっ、と小さな音でハイタッチしていた。

 

 そのあと、できもしないビリヤードをみんなでやって、つぎはカラオケにいこうかという話になったが、女の子が猛反対したので却下となる。

 時刻は午後三時。

 新しい場所へ行くにも、帰宅するにも、ものすごく中途半端な時間帯だ。

 

「はい。女子チームはいったんお手洗いにいってきまーーす」

 

 萌愛たちがいなくなって、

 当然、おれは男とツーショット。

 

「なぁ」

「えっ」

「おまえ里居(さとい)とつきあってんの?」

 

 カンペキにタメ口。

 遊んでいるときも食事のときも彼とはほとんど話してないから、まだおたがいの名前ぐらいしか知らないのに。

 苦手なんだよなおれ……こういうタイプ。

 

「つきあっては、ないけど」

「里居っていいよな。今日もあいつ、友だちとおれをくっつけようとして、ずっとがんばってんだぜ?」

「あ……そうだったんだ」

 

 そこでやっとわかった。

 萌愛のたくらみが。どうしておれをさそったのか――それはダブルデートの形にする必要があったから――だ。

 

「おれ的場(まとば)。射的の(まと)に場所の()な。最初にいったけど、もっかい自己紹介しとくわ」

「ああ、はい。おれは―――」

「アンタのことはいい」

 

 ズボンのポケットに両手をつっこんで、あごをひいて、強い目をおれに向ける。

 

「里居から()くほどきいてんだ。アンタの話。おれの気も知らずに、うれしそうにしてさ」

 

 もうわかっただろ? と言いたそうな視線。

 カラフルなバスケのゼッケンみたいな服の下に、黒のロンT。ぶかぶかのズボン。登山靴みたいなごついクツ。

 この日一番、おれは彼の姿をしっかり眺めた。

 

「正直、きらいだよアンタ。できればずっと遠くに……はっ、転校でもしてくんねーかなーって感じだな」

 

 おれはなにも言えない。

 言えないまま、駅で解散になった。

 

「帰り道、むっちゃテンションひくかったじゃん」

「もしかして、的場になんか言われた?」

 

 夜、そんなラインがあいつからきた。

 

「なあ」

「ん?」

「おれの転校のこと、誰かに言った?」

「言うわけないじゃん」

 

 つづけて「あれ? 私が知ってるってことは、コウちゃんのお母さんからきいたの?」とくる。

 たび重なるループのせいで知ってるんだが、説明はめんどくさい。

 

「そうだよ」

「ふーん。で、今なんでそんなこときいたわけ?」

「べつに」

「べっしょーーー!」

 

 ふう……元気よく返しやがって。

 しょうがないから「それはおれの名前だから」と、「そ」の予測変換から入力した。

「も」の予測変換は、萌愛やモア。

 あいつのスマホも、「べ」と入れたら一番上におれの名前が出るんだろうか。

 

 ◆

 

 10月6日。

 

 

「うわっ!!?」

 

 

 靴箱のカゲから、ぬっと深森(ふかもり)さんがあらわれた。

 おどろくおれにおかまいなしで、

 有無を言わせぬ口調で、

 

「あなたにぴったりな相手がいるから。彼女にしなさい」

 

 という。

 ことわったら「そう」とあっさり行ってしまいそうで、たとえ一回目でも遠慮できるような空気じゃない。

 おれは即答した。 

 

「わ……わかった‼ それで……いったい誰?」

「いいましょうか」

「ふ、深森さん、たのむ、ぜひ!」

「いいましょうか」

 

 彼女は同じセリフを二度くりかえした。

 おれをからかっているようには見えない。

 ずい、とこっちに一歩接近して「だから」とダルそうに前置きし、

 

「いいましょうか!」

 

 と三度めのリピート。

 片手を腰にあてて、おれをもう片方の手の人差し指でさして、声を大にして。

 

「はあ……朝からつかれた。あとは知らないから。しっかりやって。あまり、私に世話を焼かせないこと。いい?」

 

 すっ、と登校する生徒の人ごみにまぎれるように気配を消していなくなった深森さん。

 

(い、いってなくない…………?)

 

 おれは靴箱の前で立ちつくした。

 

「いいましょうか」がクラスメイトの女子の名前だと気がついたのは、その日の昼休みだった。

 



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百聞は一見にしかず

 女子の目立つグループが教室の真ん中で、好きな男子の話をしている。

 男子の目立つグループは黒板の前にかたまっていて、ほかのやつらもバラバラに散って会話しているが、この話題になってからはあきらかに声のボリュームが小さくなっていた。

 

(……おれだって気になる)

 

 参考になるという意味で。

 ループ脱出のためには、同級生の女の子の情報はできるだけ欲しい。

 こんな理由で耳をすましているのは、きっとおれだけだろう。

 

 つぎの授業の準備をしてるフリしておしゃべりを聞いていると、

 

 

「私さー、つきあうよりも別れたいんだよねー」

 

 

 足を組んで座っている女子が、ふいにそんなことをいった。

 まわりの女の子がわっと笑う。

 グループは全員で4人。

 

「ウケる! ショウカそれどういう願望なん?」

「まだ男の子とつきあったこともないのに、わかれる前提とか!」

「ほんとショウカは斜め上いくわー」

「だって……そっちのが面白そうじゃん」

 

 友だちから「ショウカ」と呼ばれる女の子。 

 シュシュでまとめた長い髪。小顔。160センチごえの身長。

 残念なところがまったくない。

 まさに、このクラスのアイドル的存在といっていい。

 つづけて、

 

「『いかないで』とか言ってみたくない?」

 

 がたっ

 

 思わずおれは、イスから立ち上がっていた。

 男はみんな彼女たちに意識がいっているから、おれの動きなんか誰も気にしちゃいない。

 ただ一人の例外をのぞいて。

 

「あれっ? どっかいくの?」

 

 ゆっくり座り直す。

 

「いかないよ」

 

 ふーん、と萌愛(もあ)はみじかい髪を耳にかきあげる。 

 

「コウちゃんも、やっぱり興味あるわけだ」

「なにが?」

「みんなかわいいもんね。ね? あの中だとさ、誰が好み?」

 

 人差し指を向けた先は、教室の真ん中。

 そのタイミングでトイレからもどってきた友だちの優助(ゆうすけ)がおれのところにきた。

 

(……おいおい)

 

 しかし、空気を察して、おれに「グッ‼」と親指をたててうしろ歩きで遠ざかる。

 やめてくれって、そんな気づかいは。

 

「答えてよ」 

「いや」

「ほらほら」

 

 と、右手でおれの肩をつかんで、体をゆする。

 

飯間(いいま)さん?」

「そう」

 

 即答――してしまった。

 口がすべった。てっきりこいつが「誰もいないの?」とかそんな質問するって先読みしたせいで。

 直前に飯間さんの口から「いかないで」が出たことも、たぶん影響している。

 

 萌愛の両目がカッとみひらく。

「おまえが!??」と言いたそうな表情だ。

 

(そりゃあ、つりあわないってわかるけどさ)

 

 頬杖(ほおづえ)をついてだまっていると、萌愛は興味をうしなって山中(やまなか)中山(なかやま)のいるほうに行ってしまった。

 

(ん? 「飯間さん」と、話の中で「ショウカ」って――)

 

 いいましょうか。

 スマホに入ってるクラス名簿でたしかめると、たしかに飯間(いいま)翔華(しょうか)

 チカ、と視界の一部で小さなフラッシュ。

 窓際の席の前のほうで、メガネのレンズが光っている。

 

(なっ⁉)

 

 親指をたてた。

 おれに。

 背中に三つ編みを二本おろした彼女が、肩ごしに顔をこっちに向けて。

 

 まばたき一回すると、深森(ふかもり)さんは窓の外に向き、おれなんか知らないという態度にチェンジしていた。

 

(ほんとにあの……クラスの外でも目立ちまくりの飯間さんが、おれに「ぴったりの相手」なのか……?)

 

 だがやるしかない。

 ここは深森さんのアドバイスを信じよう。

 それに、目的はつきあうとかじゃないんだ。彼氏彼女の関係にはなれなくていい。

 

 ――ただ「いかないで」と心の底から言ってくれればいい。

 

 この瞬間、おれの覚悟は決まった。

 

 ◆

 

「ねぇっ!」

 

 三日後の10月9日(ここのか)

 ついにおれは怒られた。

 

「しつっっっこい! もういいから!」

「いや、あの……」迫力に()されて、一歩あとずさった。「おれは飯間さんに……朝のあいさつをしてるだけだけど……」

「それがヤなの!!!」

 

「ヤ」のところをとくに大声で言った。

 まるで口から弾丸をとばすみたいな、するどい言い方だった。

 おれは撃ち抜かれた。

 ただの恋愛だったら、確実にここで試合終了してる。

 

「あいさつはいいよ……でもさ、なんでわざわざ私を校門の前で待ってるわけ⁉」

「いや教室だと迷惑になるかと思って」

「ここだって迷惑だから‼」

 

 これ以上ないくらい、ズバっと言われた。

 今、だいたい8時15分。まわりの生徒は登校を急いでいるが、彼女のことに気づいた男子が何人か足をとめる。

 

「おれ……」

「何」

「キミと仲良くなりたくて」

 

 そう言ったとたん、ポッ――と顔が赤くはならなかった。

 なに言ってんのこいつ、という冷めた雰囲気。

 

「私はヤ。ヤったらヤ。お・こ・と・わ・り」

「ただの友だちでいいんだ」

「別所くん、私のタイプじゃないから」

「明日も待ってていいかな?」

「はあ……なんでそんなにメンタルつよいのよ……そこだけはソンケーするわ、まじで」

 

 ほんとに明日はやめてよね、と念を押して彼女は校舎に向かった。

 

「なにやってんだよ、おまえ」

「あっ」とっさに、名前が出てこなかった。

的場(まとば)だよ。忘れてたろ。おぼえなくていいけどな」

 

 すこし茶色く染めた髪と、ダルそうな猫背の姿勢。

 第三ボタンまで前をあけた学ラン。中は黒いTシャツ。

 

「幼なじみをすべりどめにして、ダメ(もと)できれいな女のシリを追ってるってわけか」

「それは、ちがうよ」

「どうでもいいさ」

 

 彼はダンス部の萌愛の友だち。

 なぜか、あのデートの日以来、廊下でおれを見かけるたびににらんでくる。

 

「大事な話がある。一度しかいわねー。いいか?」

「話?」

「おれは今日、里居(さとい)に告白する」

 

 ほんとに一度しかいわなかった。

 チャイムが鳴る。

 

(放課後すぐに、自転車置き場の一番奥だって……?)

 

 なんなんだこの(むな)さわぎは。

 一時間目から六時間目まで、あっというまに終わった。 

 

(あいつ)

 

 友だちにもなにも言わず、そーっと一人で教室を出ていく萌愛。 

 おれは、そのあとを追い―――

 

 

「まちなさい」

 

 

 目の前に、腕を組んだメガネの女子。深森さん。

 

「今のあなたに、里居さんの動向(どうこう)は関係ないはず」

「まあ、そうだけど……そんなに他人ってワケでもないから」

「ブレないで。もうわかってるでしょ? 飯間翔華こそ、あなたがループから出るためのキーだって」

 

 反論はできない。

 ただ……なんか、このモヤモヤをどうにかしたい。

 直接見に行かなければ、いけないような気がするんだ。

 萌愛に告白。 

 たぶんあいつは、そう簡単にオッケーなんかしないはずだが……。

 

「おい」

 

 顔をあげると、深森さんがいた位置に、ちがう女子が立っていた。

 

「……朝はちょっと、いいすぎたかも。私、朝って機嫌わるいから」

「だ、大丈夫っ!」声が妙にカン高くなってしまった。「ぜんぜん気にしてない、よ?」

「カンちがいしないでよね。これあやまってるんじゃないから」

 

 おれに言いたいことを言うと、すばやくグループの中にもどっていく彼女。

 すごい。

 さすがは『恋愛心理学』の本だ。

 毎日あいさつするだけっていう〈単純接触〉が、ここまで()き目があったとは。

 とにかく、今日はこれが飯間さんとの交流のマックスだろう。

 

 急いで自転車置き場に―――

 

 

(いない)

 

 

 まだ告白してないのかと思って30分ぐらい様子をみても、そこには誰もこなかった。

 帰宅してから寝るまでにラインしようかと思ったが、結局できなかった。

 

(まーあいつが男とつきあうなんて、想像もできないしな)

 

 イメージできない。

 気にしすぎだろう。

 必ずことわってる。

 

 

「コウちゃんだから私……キス、したんだよ?」

 

 

 最後のデートでのあいつが、昨夜のおれの夢の中にあらわれた。

 

 10月10日(とおか)

 

 いつもの場所に立って待っていると、

 

「もー! なにやってんのよー!」

 

 まったくちがう声なのに、一瞬、幼なじみの萌愛(もあ)だと思ってしまった。

 

「やめてって言ったじゃん! 絶対にヤだってさー!」

 

 言葉とはウラハラに、顔はちょっと笑っている。

 おれも相手に合わせて笑おうとしたとき、

 

「……どうしたの?」

 

 顔面がフリーズ。

 想像をこえるものを目にしてしまった。

 喜怒哀楽のどの感情になっていいかわからない。

 

(おれが昨日……告白の場に立ち会えなかったせいなのか?) 

 

 遠目でもわかる丸いショートカットのあいつのとなりを、同じダンス部の背の高い男友だちが歩いていた。

 肩がぶつかりそうな距離で。

 二人とも、どことなく照れてるようで。

 まるで登校デート。恋人がいるとこういう感じなのか。

 

「あれ……里居(さとい)っちじゃん。へー、彼氏できたのかな」

 

 感きわまってしまった。

 なぞの涙腺(るいせん)の刺激。目の奥で水風船がわれた感覚。

 や、やばいっ―――!

 

「別所くん?」

「あっ、ちょっとまって」

 

 横に向けた顔を、飯間さんに回りこまれてのぞかれた。

 

「泣いてるじゃん」

「泣いてないよ」

「ショックだったの? 里居っちのこと」

「べつに」

「べっしょ」

 

 なっ!!??

 その受け答えは萌愛がやる、萌愛だけの……

 

「泣き顔みちゃったからしょうがない! 友だちぐらいならなってあげるか」

「いま『べっしょ』って……」

「でも教室では話しかけないでよね」

 

 シュシュでまとめた先の、しっぽのようにゆれる髪。校舎の中に入って見えなくなるうしろ姿。

 

(ブレないで、か)

 

 この10月がいったいどういう結末になるのかも、おれにはまったく見えない。

 



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起死回生

 おれと幼なじみの間には不平等条約がある。

 ケンカしたら、必ずおれからあやまること。

 双方の母親立ち会いのもと、近所の公園で決められたこの約束には、そういえば期限というものがない。あれから十年以上たっているが、いまだに有効なんだろうか。

 

(ケンカってわけでもないんだけど)

 

 なんとなくケンアクな空気だ。

 たとえば、朝のときも近くにおれがいたのに知らないフリして通りすぎたし、廊下で会ってもシカトだし、休み時間にこっちの目線に気づいているはずなのに見返してこなかったし。

 

 心当たりがあるとすれば――――

 

 

「ねえっ‼ コウちゃん、どうして昨日……私が告白されるところを見てくれなかったのよっ!!!!」

 

 

 うーん……。

 ケンカの理由を言葉にするとこうなるんだが、しっくりこない。

 違和感があるというか、

 

(人類史上いないんじゃないか? こんな怒られ方したヤツは)

 

 いや、萌愛(もあ)だったらあるのかも。

 

(おっ)

 

 いいチャンスに出くわした。

 昼休み終わりの、次の授業の理科室への移動中、前後にクラスメイトがいなくて話しかけやすい絶好の機会。

 

「……それはないだろ」

 

 あいつ、おれの姿をみて180度ターンしやがった。

 あわてて追いかけて、前に回りこむ。

 

「モア」

「なにか御用? 別所(べ・っ・しょ)くん」

 

 ツン、と目をつむって横を向く。

 ――瞬間。

 長い髪でおさない顔つきの萌愛が、今のこいつとうっすら重なって見えた。

 ヘソを曲げたときはこういう態度だったなー、となつかしさすらおぼえる。

 

「おれなんかした?」

「べつに」

「べっしょ」

 

 イチかバチかの賭けだったんだが、萌愛の表情はくずれない。

 そもそも「べっしょ」っていうのはおれがいうパートじゃないしな。

 

「つまんないんだけど」

「モア。説明ぐらいしろよ」

「わからない? 私、アンタに協力してあげてんじゃん」

 

 爆速(ばくそく)なのに一度もつっかえなかった萌愛の早口の説明によると、

 

 

・おれたちはクラスで「つきあってる」と誤解されてる(ただし全員にではない)

・おれは「飯間(いいま)さん」に熱を上げてアタックしている(と、こいつは思ってる)

・おれが「つきあってる」と「飯間さん」とは絶対にうまくいかない

・だからわざと他人行儀にして、おれのサポートに回ってあげてる

 

 

 だいたい、こう。

 しかしこいつは肝心(かんじん)の部分にふれなかった。

 おれから質問するしかない。

 

「あの、あれ、ほら……ダンス部の的場(まとば)ってヤツは」

「……気になるの?」

「気になるよ。幼なじみとして」

「なんでそう、余計な一言つけちゃうかな」

「えっ?」

「あいつはただの友だち。今のところはね」

 

 スッ、とおれと肩があたるギリギリのところを抜けて、行ってしまった萌愛。

 追いかけないでよ‼ とはっきり背中に書いてあるので、ぼーっと見守るしかできない。

 窓の外で、イチョウの黄色い葉っぱが一枚落ちた。

 

(友だち……か。それより飯間さんのこと、クラスメイトにはバレないように、おれなりにうまくやってたつもりなんだが)

 

 それだけ女子のネットワークはあなどれないということだろう。

 あるいは本人が言いふらしたってこともありえる。

 どうせバレバレなら、もっと大胆に仕掛けてみるか?

 

(……そんな度胸(どきょう)ないけどな)

 

 みんなの前だと、せいぜいチラ見ぐらいしかできない。

 せめて一対一になれれば、って感じだ。

 

 そして授業が終わって理科室から教室にもどると――

 

 手紙。

 

 っていうか、たしかフセンっていうんだっけ、これ。

 うすいピンクの正方形の紙で、裏の一部がくっつくようになっているもの。

 それが、おれの机のど真ん中にバチッと()られている。

 

「だいたい5時 校門でマテ」

 

 名前は書いていない。

 文字の最後には〈β(ベータ)〉みたいな羽のマーク。

 すぐに見当(けんとう)はついた。

 

「おっす」

 

 片手をあげてあらわれたのは、予想通りの人物だった。

 

 飯間翔華(しょうか)

 

 あの羽のマークはきっと下の名前の翔の字からだな。

 赤い夕日を体の正面に受けながら、ゆっくりおれのほうに歩いてくる。

 

「あっ!」左右をきょろきょろみる。「…………クラスの誰かに見られてない?」

「たぶん」

「はやくいこ。こっち」

 

 と、彼女はきれいなフォームの早歩きでズンズンすすむ。

 

「あの……」

「もう! 私と横ならびにならないでったら!」

「ごめん」

 

 おこったような口調だったが、顔はそうでもなかった。

 なんとなく、うれしそうだった。

 おれはこの〈うれしさ〉の理由を、30分後に納得する。

 

 彼女にボッコボコになぐられた。

 対戦格闘ゲームで。

 

 

「よっわ~~~~い。男の子のクセにぃ~~~」

 

 

 クリっと丸い猫のような(ひとみ)を上目づかいで向けて、きつい言葉。おでこの前髪は夕焼けで赤く染まっている。

 

「もっとがんばってよ~! 小学生の妹でも、キミよか強いよ?」

 

 くっ。

 残念だが言い返せない。戦歴は30戦30敗。

 

 場所は、学校からけっこうはなれた児童公園。

 おれと飯間さんは、ひとつのベンチにはなれて座っている。

 公園についてスクバから出したのは、ちょっと古めのゲーム機だった。2台。色はピンクとシルバー。彼女はおれにシルバーのほうをわたした。

 

「あーあ。じゃ、次でラストにしよっか」

 

 べつにまったくゲームをしない人間じゃない。それなりに経験はある。アクションゲームも対戦格闘ゲームもだ。

 

 ――シンプルに、彼女が強すぎるんだ。

 

 反則だろこれ。コンボかなにか知らないけど一発はいったらバンバンつづくとか、いいタイミングで必殺技も出されるとか。なんなんだよ。つかってるキャラも女の子じゃなくて、両手に(かたな)とかもっててイカついし。

 

 勝てないって。まじで。

 そもそもどうしておれと――

 

「女の子はさ、やろうとしてくんないんだよ」

「飯間さんの友だち?」

「そ。やらせようとしてもさ、ヤだヤだって」

 

 きいてみたら、そんな答えだった。

 

(初心者を問答無用でサンドバッグにしてるからじゃ……)

 

 そんな疑いの目を向けてしまう。

 

「はい。はやくキャラえらぶ。最後くらい、キミの男をみせてよね」

「お、オッケー」

「んー、ラスト一回、別所くんが本気をだせるように、こんな提案をしよう!」

 

 おれに向かって、細い人差し指を立てた。

 

「提案……?」

「そっちが勝ったらデートするっていうのはどう? 私と」

 

 なっっっ!!!???

 これは―――なんてすばらしいことを言ってくれるんだ!

 最高の展開じゃないか。

「いかないで」が一気に近づいたぞ。

 

 が、有頂天(うちょうてん)になってもいられない。

 格ゲーの腕は、天と地ほどちがう。

 

(くそっ、起きろ奇跡!)

 

 開始。

 

(……あれ?)

 

 攻撃が、おもしろいように入る。入る。入る。

 反撃されてダメージもあったが、なんと勝てた。

 

「こうじゃないとねー。ギリギリの緊張感っていうの?」

 

 勝てたといっても1ラウンドとれただけで、

 とれたといっても、これはいわゆる「なめプ」。 

 この対戦ゲームは、2ラウンド先取。

 それでもこれで、あと一つ勝てば……

 

K.O.(ケーイオー)ーーーッ!!!」

 

 おれのえらんだカンフーをつかうキャラはあっさりダウンした。

 瞬殺。パーフェクト負け。

 やはり……実力の差が……

 

「あっ。あそこにモアが。同級生もいる! みんなでこっち見てる!」

「えっ⁉ うそっ⁉」

 

 おらぁ!!! と死ぬ気の連打。

 

「いないじゃん! あーーーっ⁉ もー最低っっ‼」

「わっ! こんなに減らされてる!」

「えーっ! めくり当ててきてるじゃん!」

 

 そして運命の(とき)はきた。

 

「スパコンでフィニッシュ……。信じらんない」

 

 がっくりと肩をおとす飯間さん。

 やりかたはどうあれ、おれは勝った。

 

「………………かえして」

 

 手を伸ばしてきた彼女にゲーム機をわたす。

 それをスクールバッグに仕舞(しま)って、無言で立ち上がった。

 おれは座ったまま、斜め下から飯間さんを見上げる。

 心なしか、長い髪をまとめたシュシュがぷるぷるふるえているような気がした。

 

「行き先は私が決めるから」

「デートの?」

「デートのっ!!!」

 

 ふりむいて両目をぎゅっとつむって、口を「イー」と発音する形で、いう。

 表現しようがないほど、かわいい。

 

 今しかないと思っておれはラインのIDを交換してもらった。

 

 予想もしないところから、いきなりふってわいた幸運。

 

 その週末は、来週の最初にテストがあるからという理由でダメだった。

 

 テストが終わって10月18日。土曜日。天気はくもり。

 

(今日はなるべく彼女の話をきこう。もっとよく、おれは飯間さんのことを知ら―――)

 

 玄関のドアをあけた。

 

 

「あっぶないなぁ‼ 鼻にあたるとこだったじゃん!」

 

 

 あけてすぐ、

 ダブルデートのときとはちがう服でしっかりオシャレして、

 小さいころにおれが「いい」とホメた、思い出のヘアピンを髪につけた、

 

「どっか……出かけるの?」

 

 幼なじみがいた。

 



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嵐の前の静けさ

 

「もしかして、これからデート?」

 

 じろ、じろ、じろっ、と直立するおれをなめ回すように見たうえで、

 

「そんなわけないよね」

 

 ハッ、とバカにしたような鼻息つきで言う。

 こいつにはおれの格好(かっこう)が女の子に会いに行くような服装に見えなかったのか、それともデートなんかするはずがないと思っているのか。

 おれの背中側から、お母さんが萌愛(もあ)に「あがっていかない?」と声をかける。

 

「あ。大丈夫です~。すぐ出かけま~~~す!」

「どこにだよ」

 

 よそいきの笑顔のまま「ちょっと」とおれにささやいて、外に出た。

 おれもついていって、玄関のドアをしめると、

 

 

「ねぇ、コウちゃん。誰と遊びに行くの? 優助(ゆうすけ)くん?」

 

 

 言い終わったタイミングで、となりの家の犬が「わん?」と疑問形でないた。

 ここは……意外に考えどころだな。

 

(どうする)

 

 ウソでやりすごすことだってできる。

 むしろ、それがもっともラクな選択――

 

 ――のはずなんだが。

 

「ほんとにデートなんだよ。それもあの飯間(いいま)さんとな。すごいだろ?」

「またまた」

「信じろよ。ウソじゃないから」

「そんな妄想はいいからさ、ね? ヒマだったら、私といっしょにどっか行こうよ」

 

 ざざっ、と見づらいノイズがかかったような映像で、あのときの萌愛が頭に浮かんだ。

 あの……おれじゃない男と歩いている、幼なじみのあいつが。

 やられたらやりかえす、とかそういう感情じゃない。

 たぶん……。

 

「えーーーーっ!!!???」

 

 おれはスマホをとりだして、昨日の夜の飯間さんとのやりとりをみせた。

 まちあわせの時間と場所を彼女が送ってきて、おれが「了解」とこたえただけのメッセージ。

 

「モア、うるさくすると近所迷惑だろ」

「いや、うるさくもなるでしょ……」

 

 萌愛は右手で頭をおさえた。

 

「今年一番の衝撃。アンタ、彼女のどんな弱みをにぎったわけ?」

「なんだよそれ」

「飯間さんはねぇ、ねらってる男子が多くて競争率たかいんだから。コウちゃんなんか正攻法でいって相手にされるわけ――」

 

 っていうかさ、とおれは切り返した。

 

「おまえ、今日どこに行こうとしてたんだ?」

「言いたくない」

「おれと、どこかに行きたかったのか?」

「知らないじゃん……」

 

 ツン、と横に向く萌愛。

 緑色のパーカーに、下はベージュのチノパン。そして、お気に入りの赤いスニーカーと、こめかみの斜め上でキラリと光るヘアピン。

 空を見上げた。

 白い雲がべたっと広がる、くもりの空模様(そらもよう)

 これから晴れるのか雨がふるのかはっきりしない天気。

 

(こうなったら、正直にいってみるのもアリか) 

 

 おれは心を決めた。

 

「なあ……モア」

「ん?」

「もしおれとすごく仲良くなって、ほとんど彼氏と彼女みたいな関係になったとしてだな」

「……なんの話してんの?」

「いいからきけよ。つきあってる同然(どうぜん)みたいにおれたちがなったとして」

 

 おれの真剣な雰囲気が伝わったのか、萌愛の顔つきが少しかわった。

 どこか不安そうな表情で、ひかえめな声で言い返す。

 

「うん。私とコウちゃんが、そうなったとして……?」

「おれ今月いっぱいで転校するだろ?」

「そうだね」

「もう明日は会えないっていう、最後の日の最後のときにさ」

 

 萌愛とまっすぐ合う目。

 

 

「おまえはおれに『いかないで』って言ってくれるか?」

 

 

 予想外。

 あいつは即答した。

「言うわけないじゃん」――って。すこし笑いながら。

 

 わかってたことだけどな。

 実際、おれとほとんど恋人ぐらいにまで関係をふかめたときでも、言ってくれなかったから。

 

 

「明日が、()なかったらいいのに」

 

 

 それがあの――2回目の10月での――最後の夜に、あいつがおれに送信したメッセージだった。おれたちの恋愛は、そこまで進んでいた。でも結果は失敗。

 

 わかってたことだよ。

 性格上、そうなるというか、

 おれが好きじゃないとかそういうんじゃなくて、

 あいつはおそらく、ダダこねたってしょうがないみたいなドライな考え方なんだ。

 

 

「いい度胸だよね。約束の時間におくれてくるとか」

「ごめん」

 

 

 10分、遅刻してしまった。

 迷いに迷って、電車をひとつスルーまでしたのが、やっぱりいけなかったみたいだ。

 そういうフリとかじゃなく、ガチで飯間(いいま)さんはご機嫌ななめ。

 つまり本日のデートは、マイナスからのスタート。

 まずはどうにかプラスにもっていかないと。

 萌愛のさそいをことわって、ここにきたんだからな。

 

(ん……?)

 

 まちあわせの駅前から歩いてやってきたのは、

 

「はい。見ててあげる」

 

 かーん、きーん、という金属音が鳴りまくるバッティングセンターだった。

 むりやり背中をおされてバッターボックスに立たされるおれ。

 

(…………130キロだと⁉)

 

 いや、せめて一番おそいとこから……。

 だが、もはやあとにひけない。

 球をよく見ずにブンブンふりまわす。

 一回だけ、バットがかすった。あとはぜんぶ空振り。

 

 

「なっさけないよぉ~~~。男の子なのに~」

 

 

 かわって! とおれと入れかわる飯間さん。

 いつものように長い髪をシュシュでまとめて、ひざ(たけ)の白いスカートに、赤系チェックのえりつきシャツ。そして小型の迷彩柄(めいさいがら)のショルダーバッグみたいなのを肩にかけたままで打席にたっている。

 

 

 かっきーーーーん

 

 

 いきなり快音(かいおん)

 

(すご……)

 

 ずっとホームラン級の当たりばっかり。130キロで。スイングのたびにひらひらするスカートにも目がうばわれてしまう。

 そういえば萌愛の友だちの、山中(やまなか)中山(なかやま)かのどっちかが、

 

「あの子は運動神経ぶっ飛んでる」

 

 って言ってた。それと、

 

「そのことは、まわりにかくしたがってる」

 

 とも。

 打ち終わって、ベンチにすわるおれのほうにきた。

 

「どう? すごくない?」

「うん」おれは相手のリズムをずらすつもりで、「すごくかわいいと思う」と口にした。

「えっ……」飯間さんは手でサッと前髪をなおした。「急にへんなこと言わないでよ」

「野球、やってたの?」

「ま、まあね。少年野球っていうの? 小学生のときに。でも中学からは、やってないんだ」

「ソフトボール部しかなかったから?」

「半分正解半分はずれっ」くすっ、とやっと今日はじめて微笑んでくれた。「私、もともとチームプレーって苦手だしさ、汗流してがんばるのもきらいだし」

 

 おれたちの前を高校生ぐらいの男子がぞろぞろ歩いていく。

 全員、飯間さんのほうを見た。二度見してる人もいた。

 

 結局おれは一度も球を前に飛ばせなかった。

 まあ、べつにいいけど。

 それよりアテがはずれたな。

 てっきりゲーセンにでもいって、おれをフルボッコにしてくると思ったのに。

 

(2時間も……? まじか)

 

 つぎの場所はカラオケ。 

 1曲目からノリノリの彼女。アップテンポの曲を立って歌った。

 もちろん、おれも歌わされた。有名なアニソンを歌って、うまくもヘタでもなかったから、飯間さんの反応は微妙だった。

 

 いつしかどちらもマイクをおいて、会話する空気になった。

 長いソファに、1メートルぐらいの間隔をあけてすわっている。

 

「おい別所」

「……はい」

「どういうつもりなの? あーーーんなにかわいい幼なじみちゃんがいて、ほかの女子に手をだしてるとかさー」

 

 名前の呼び捨てでイヤな予感はしたが、彼女はおれに説教しようとしているらしい。

 

「ワケを言ってよ! ワ・ケ・を! じゃないと、この部屋から出さないんだから!」

 

 まるでお酒に酔ったみたいに、ほんのり顔を赤くしていて、ふだんよりも強い口調。

 もちろんお酒なんかたのんでいない。

 もしかしたら、萌愛に同情しているせいで感情がたかぶっているのかもしれない。

 

「前に教室で飯間さんが言ってたこと、おぼえてる?」

「私が?」

「『いかないでって言ってみたい』って」

「えーっと……そんなこと……言ったような気もするかなー」

「おれ、キミの希望をかなえたい」

「はっ⁉ えー? なに、なにをいってるの?」

「『いかないで』って大声で叫ぶぐらい、おれのことを好きになってほしいんだ」

 

 部屋の中の緊張感が、一気にゆるんだ。

 飯間さんは、おなかをおさえて大笑い。

 

 

「あはは! いやー、別所ってこんなにおもしろかったんだ!」

 

 

 笑いながら、肩から二の腕あたりにかるくタッチされた。

 

(おれはまじで……「いかないで」と言ってほしい)

 

 萌愛じゃなく、キミに。

 笑いすぎて涙ぐんだ(ひとみ)を彼女はおれに向けて、

 

「いかないでーっ!」

 

 ふざけた感じで、でもたしかにそう言った。

 これでOKにならないだろうか、とおれはひそかに願った。

 

 その日の夕方5時すぎに、おれはデートを終えて帰宅。

 

 あくる日の日曜日も終わって、月曜日になった。日付は10月20日(はつか)

 

 

(モアは……?)

 

 

 出席していない。いつかのように寝坊かと思って様子をみるも、一向(いっこう)にあらわれない。昼休み、おれは担任の先生に確認しにいった。病欠だといわれた。

 

 そんなはずはない。

 そんなはずはないことは、この世界でおれだけが知っている。

 あいつは〈10月〉に学校を休んだことなんか、一日だってないんだ。

 

 何が起こって―――――

 

 

「別所君」

 

 

 考えこんで下にさげていた顔をあげる。

 目に飛びこんできたのは、ずいぶん近くにある、セーラー服の前にたれる三つ編みの髪。ふちの黒いメガネ。

 深森(ふかもり)さんがそこにいた。 

 

「調子はどう?」

「いや……その……まあまあ、かな」

「まあまあじゃダメ。死ぬ気でやりなさい。ループから出られないと、あなたはずっと(とら)われたままなんだから」

 

 きびしい言い(かた)だが、そのとおりだ。

 

「そんなにあの子の欠席が気になる?」

 

 さすがの観察力。

 おれのことなんか見てないようで、ちゃんと見ている。

 

里居(さとい)さんは『いかないで』を言ってくれなかったんでしょう?」

「そう、だよ」

 

 放課後の教室には、あまりクラスメイトはいない。

 人目(ひとめ)がないからいいと思ったのか、深森さんは前の席のイスにすわった。

 

「ほんとにそう?」

「あいつは……最後のところで、トイレにいったから」

「最後っていうのは?」

 

 おれはくわしく説明した。

 31日、校門を出ていくときにみんなで花道をつくってくれることとかを。

 話をききおわって、深森さんはこう冷たく言った。

 

 

「あほ」

 

 

 おれは絶句した。

 彼女は腕を組んだ。

  

「あなたみたいなスペシャルなあほ、現実に存在したのね。ある意味、おどろき」

「えっ? どういうこと……」

 

 そのとき、たまたまか、教室にいるみんなのおしゃべりが止まるタイミングが一致した。

 しん―――と物音ひとつなく静まる。

 なんだか背筋が冷たくなるような、こわい時間だった。

 

「ただの推測で確実性はない」

 

 水を打ったような教室で、深森さんの言葉が呪文のようにひびく。

 

「それでも言いましょうか? きっと彼女は、現実にたえられなくてその場所から逃げたのよ」

 

 メガネの横のところに指先をそろえてあてる。

 

「あなたと、わかれたくなかったから」

 



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花に嵐

 まさしく「みやぶる」だった。

 放課後の教室で(やぶ)ったんだ彼女は、おれの中の何かを。

 幼なじみに対する思いこみを――――だろうか?

 

 フに落ちつつフに落ちない。

 

 反論したい気持ちもあった。

 

 おれが積極的にグイグイいって、好感度がMAXまで上がった萌愛(もあ)が、

 転校する最終日の大事な場面で、しれっとトイレに行ってしまうことは、

 べつに矛盾(むじゅん)しないんだ。

 

 むしろそういう……いつでもマイペースなところこそ、もっともあいつらしい。

 

 靴箱で靴をはきかえる。

 よっ、とスクールバッグを肩にかけた。

 

(とにかく深森(ふかもり)さんはすごいな)

 

 おれのタイムリープを「みやぶる」スピードからして超人的だったが、会ってもいないあのときの萌愛(もあ)の胸の(うち)まで想像できるなんて。

 

 それと飯間(いいま)翔華(しょうか)の件。

 彼女がループを脱出するカギだ、って深森さんは教えてくれた。

 それが確かなら、おれは正しいルートをすすんでいるといえる。

 

(でもまだ〈押し〉が足りない……なにかあと一回ぐらい、飯間さんと急接近できるような出来事がないと……)

 

 学校の外に出る。

 いきなり左右から黒い影があらわれた。

 

 

「はい確保ーーーっ!!!」

「おとなしくするんだよぉ」

 

 

 えっ⁉ ちょっ⁉ なにっ⁉ ととまどうおれにおかまいなしで、

 

 

「別所くんに拒否権はないのよっ」  

「拒否しない権利だったら、あるよぅ」

 

 

 両腕をとられた。

 萌愛の友だちの中山と山中だ。 

 おれの右腕をがっちりつかんでいる中山が片手を高くあげて、

 

「さー、モアっちの家にレッツゴー!」

 

 と口にしたところで、やっと状況がわかった。

 おれの左腕の制服のそでをつまんでいる山中がそっと無言でうなずく。

 

「おれを待ってたの?」

「そうそう」中山がこたえる。

「案内させるために?」

「これはおもしろいジョーク」山中が、ふっ、と小さく息をはいた。「モアちぃのおウチを、親友の私たちが知らないはずはない」

「ん。別所くん。これはね、そうだなー、レンコーだと思ってちょうだい!」

 

 そう明るい声で言うと、中山はおれの腕から手をはなした。山中も同じようにはなす。

 れ、連行(れんこう)……だって?

 

(まいったな)

 

 両手に花。

 しかし、あまりうれしくない強制イベントな感じ。

 ムリヤリつれていかれる―――――幼なじみの家まで。

 

 

「きたの」

 

 

 そんなそっけないセリフで、おれたちは出迎えられた。

 お母さんに呼ばれて、玄関前にやってきたのはうすい黄色のパジャマ姿の萌愛。

 丸っこいショートの髪は寝癖(ねぐせ)ひとつなく、きれいにととのえられていた。

 ぱっと見、いつものあいつだった。調子もわるそうじゃない。

 中山がおどろいて言った。

 

「モアっち! 病気じゃなかったの? 大丈夫?」

「心配ないよー。朝、ちょっと熱っぽかったから休んだだけで……今は平気。お昼もトンカツ食べたし」 

 

 立ち話もなんだから、とお母さんがおれたちを家に上げてくれた。

 てっきり、リビングにでも行くのかと思いきや――

 

(萌愛の部屋っ⁉)

 

 か、顔が赤くなる。

 

 

「お願い。もう少し、あと1分だけでも……いっしょにいよ?」

 

 

 10月30日の夕方から夜にさしかかる時間。

 親にバレないようにこっそり萌愛の部屋に上がって、おれたちは……まあ、話をしただけで、とくにやましいことはしていないけど。

 それでも(あつ)かったんだ。

 テーブルの下でふれた、あいつの手は。

 

「あ。コウちゃんはクッションないからね。じかに(ゆか)だから」

 

 ひんやりしたフローリングに、おれはあぐらをかいて座った。

 冷たい仕打ちだ。さがせばあるだろ、座布団のひとつぐらいは。

 だが安心した。

 土曜日のことは、とくに怒っているワケじゃないようだ。

 

 

「あれっ?」

 

 

 さっき中山はトイレに、山中はスマホの電波がわるいとか言って、それぞれ部屋を出ていった。

 それがなかなか帰ってこない。

 

「おそすぎない?」

「そうだな」

「ね、おとといのデートはどうだったの?」

 

 ひくいテーブルに組んだ腕をのせて、その腕の上にあごをのせて、萌愛は問いかけてきた。

 

「楽しかったんだろうなー。私のさそいをことわってまで行ってきたんだから」

「そう言うなって。ああいうときは、先約(せんやく)を優先するのがふつうだろ?」

「まってラインきた」

 

 そのままの姿勢で視線だけスマホに流す。

 その目をゆっくり閉じて、無言で首をふった。

 

「え? あの二人、帰ったのか?」

「帰った」

 

 まったくサインを()わしてるようには見えなかった、あざやかなコンビプレー。

 

(っていうか、じつはこうするのが目的だったとかじゃないだろうな?)

 

 おれは息をととのえて、部屋の中を見回す。

 デカデカと壁に貼られたむかしのミュージカルのポスターよりも、一番おれの目をひくのは机の上にあるぬいぐるみだった。

 それをじーっとみつめていたら、

 

「ちょっと。あんまり女の子の部屋をじろじ―――――」

 

 おれの視線の先を追った萌愛が、幼なじみじゃなくてもわかるぐらい「しまった‼」という表情になった。

 

「あのキャラ、おまえ好きだったっけ?」

「あ、あー、そうね、そう! このなんともいえない愛らしさが気に入ってるのよ」

 

 頭のてっぺんに黒い毛が三本たった、黄色いアヒルみたいなキャラクター。

 おれが小学生のとき人生ではじめてクレーンゲームでとったやつだ。

「あげる」と言ったときは全然うれしそうじゃなかったのに、いまでは勉強する机の上という特等席に置かれている。

 

(あからさまに動揺するなよ……おれもおかしな気持ちになるだろ)

 

 ソワソワして落ちつかなくなった。

 よく考えれば、おれがここにいる意味はないんじゃないか?

 萌愛の無事は確認できたし、やるべきことは他にある。

 

「じゃあ、このへんで」 

「アンタも帰る?」

 

 おれが立ったら萌愛も立ち上がった。ふわっ、といいにおいがした。

 

「帰る前にひとついい?」

「なんだよ」

「お見舞いにきてくれて、ありがとね」

「いいよ。べつに」

「べっしょ」

「それは、おれの名前だよな」

 

 くすっ、という小さな笑いだった。

 まだこいつの体調が万全じゃないのか、またはこのやりとりの賞味期限が切れてきたかのどちらかだろう。

 部屋をでていくおれの背中に、萌愛はひとりごとみたいに言った。

 

「私、コウちゃんのことが大好き」

 

 ◆

 

 翌日。10月21日。火曜日。

 

 おれは大勝負に出ることにした。

 

 

「……なんか、顔つきがちがうんだけど」

飯間(いいま)さん」

 

 

 学校の正門前。

 今日は朝から風がつよい。

 びゅうびゅう、と音もうるさい。遠くのほうを通過している台風のせいらしい。

 

「今日おれと、あの……」

「え? なに?」

「いっしょに、下校してほしいんだ!」

「ヤだ。友だちと帰るし」片手を腰にあてる。もう片方の手で前髪をおさえる。「キミも里居(さとい)ちゃんと帰りなよ。どうせ家も近いんだろーし」

「だから、おれとあいつはそういう――」

「『あいつ』って呼ぶのは、仲がいいからでしょ?」

 

 と、おれの心を見透(みす)かしたように口元だけで笑う。

 

 シュシュでまとめた髪の先が、強風で(こい)のぼりのように横に流れている。

 

 よくない展開だ。

 

 萌愛(もあ)と幼なじみだという事実が、ここにきて足をひっぱりはじめた。

 

 これを突破しないと今回もループから出られない。

 

「風つよっ。じゃあ、私いくからね」

 

 このまま飯間さんの好感度も下がって、すべてが水のアワになってしまうのか?

 

 

「まって。いまの話、私たちのことを誤解してる」

 

 

 ききなれた声がすぐ近く、うしろのほうから飛んできた。

 おれはふりかえった。

 

「ずっと迷惑だったんだよね。幼なじみだから(イコール)仲がいいとか思われるのって」

「……おはよう、里居ちゃん」

「おはよう。飯間さん。ほんとに私は」おれのほうを一瞬チラッとみる。「別所くんとはなんでもないから。この人とウワサになるの、すごいイヤなんだよ」

「そこまでいわなくて、よくない?」

 

 萌愛が首をかしげる。

 おれも心の中では、こいつよりも倍の角度で顔を斜めにしていた。

 

 

「別所はねぇ―――めっっっちゃいいヤツなんだから!!!」

 

 

 風に負けない大声。

 彼女の前髪がぶわぁと上がって、おでこ全開。

 思いがけない結果になった。

 萌愛がおれをけなしたことで、逆に、それが飯間さんの感情を刺激したんだ。

 こんな化学反応があるなんて。

 

(モアは助けてくれた……のか?)

 

 それともただ飯間さんとの恋愛を()らしたかったんだろうか。

 わからない。

 昨日の「大好き」だってわからない。本気の告白だったのか、友だちとして好きっていうだけか。

 ただ、たとえ本気だとしても、こいつは「いかないで」と言わない。

 つまり、萌愛と恋愛することは無限ループにはまることを意味する。

 

 ――放課後。

 

 

「別所さぁ、あのね、もうキミとこういう仲になったから言うんだけど」

 

 

 夕日の当たり具合でキラキラしてる目をおれに向けた。

 横ならびで、川沿いの道を歩いているおれと飯間さん。そんなに大きくない川で、横断歩道ぐらいの幅しかない。

 

「ひかないでよ。絶対。約束して」

「わかった」

「私ね」

 

 すぅ、と息をすって、意を決したように彼女は告白した。

 

「生まれてからまだ一度も、男の子を好きになったことがないの」

 



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秘すれば花

 まるで居合斬(いあいぎ)りだった。

 サヤを走る(かたな)のように、言葉がノドからシャッとすべり出ていった感覚。

 

 

「だったらおれが、はじめて翔華(しょうか)が好きになった男になるよ!」

 

 

 前回のループで(さくら)に好かれようと努力したことで、おれは体でわかった。

 恋愛には〈ここしかない〉っていうタイミングがあるんだ。

 特別な瞬間に100点の行動がとれれば、ウソみたいに女の子の好感度が上昇する。そんなヒミツの仕組みがある。

 いまの場合だと、こう言い返すこと――だと思った。

 

(どうだ……?)

 

 立ち止まったまま、彼女は動かない。

 目はおれと合っていて、まばたきすらしない。 

飯間(いいま)さん」と呼んでいた状態から、階段二段飛ばしで「翔華」と呼んだ。

 それも計算のうちだ。

 逆に、ここで呼び捨てをイヤがられるようだったら、もうおれに勝ち目はないだろう。

 いさぎよくあきらめ―――

 

「なにそれ」

 

 ――くっ!

 やっぱり、そうだよな。

 こういうセリフは、それなりにかっこいいヤツじゃないと……

 

「わけわかんない。それにキミさぁ、しれっと『翔華』っていってない?」

「……いった」

「どういうつもり?」

「それは……」

「責任とれるの?」

 

 飯間さん、いや翔華は背中を向けた。

 純白のシュシュが正面にみえて、長い髪の毛は風にゆれている。 

 

「その気にさせた責任」

「えっ」

 

 クルっと回り、ふりかえった。

 

 

「もし私が好きになっても、別所は……どこにも行かない?」

 

 

 片手を胸にあてて言った彼女の表情は真剣だった。

 

 考えが甘かったか?

 (だい)チャンスには、まだつづきがあったんだ。

 むしろ、さっきよりもこの問いかけにどう答えるかのほうがはるかに重要な気がする。

 

 ――まぎれもなく、ここが勝負どころだ。

 

「行かないよ。絶対に」

「ほんと?」

「うん」

 

 あはっ、と翔華に笑みが浮かんだ。

 で、肩のあたりを、グーでぐーっと押された。

 小さな川に沿った道で、水面が夕日をまばゆく反射させている。

 

「かわってるキミ。かわりすぎ」

「そう、かな」

「ね、正直にきかせて。どう思った? 私が男子を好きになったことないっていうの」

「それは……翔華の好みのタイプに今まで出会えなかったから……」

「やっぱりそっちか。そうだよね」

 

 歩き出した彼女。

 

「じゃあさ、私が女の子しか好きになれない、って言ったら、どう?」

「どうとも思わないよ。べつに」

「そっか。即答……できちゃうんだね」

「なんだったら、おれが女の子になってもいいし」

 

 そんな冗談を言いながら思いを(めぐ)らせていた。

 この飯間翔華の重大な告白について。

 記憶をたどれば、彼女は「男の子のクセに」とか「男なのに」とか、そんなことを何回か口にしていた。

 あれはもしかしたら「自分は男になれない」という不満が下敷きになっていたのかもしれない。

 

 

「バイバイ別所、また明日!」

 

 

 おれは手をふりかえした。

 転校のことを打ち明けなかった罪悪感をかくすように、ムリして明るく笑って。

 

 ◆

 

「なに笑ってんの」

 

 翌日。

 朝、家の外にでると、萌愛(もあ)が待っていた。 

 丸い輪郭のショートの髪に赤いスカーフのセーラー服。

 こいつのこの姿も、あと10日で見れなくなると思ったら、ちょっと名残(なご)りおしいかもな。

 

 そりゃニコニコもするさ。

 昨日の夜、週末にデートにいこうって翔華からさそわれたんだから。

 

「いいことあった? 教えなさいよ」

「べつに」

「ムカつく」

「おまえだってナイショにしたいことぐらいあるだろ?」

「私にナイショにしたいような、いいことがあったんだ?」

 

 こいつ……いつになく頭が回ってるな。おれの言葉から推理なんかしやがって。

 

「まっ、いいけどね」

 

 そっけなく言い、萌愛はスクールバッグから何かを取り出した。

 ぽいっ、とそれをおれに向けて(ほう)る。

 

 赤い袋に入っていて、口のところが金色のリボンで結ばれているもの。

 

 

「まじか」

 

 

 あけると、マフラーだった。

 20日(はつか)に渡しそびれた、おれへの(たん)プレらしい。

 ただ、店に売っているヤツで、手編みじゃなかった。

〈あのとき〉の萌愛は、おれに手編みのをくれたんだが。

 その高低差による、ほんのわずかなガッカリ感を、幼なじみのこいつはしっかり見逃さなかった。

 

「なによ。あんま、うれしそうじゃないじゃん」

「うれしいよ。ただなモア。これがおまえの手編みだったら、おれはもっと感激してただろうな」

「それも考えたけど、めんどくさかったのよ。アンタに2回も――――」

 

 はっ、と萌愛が目を丸くした。

 一瞬、ピタッとおれたちの時間がとまる。

 はっ、と次で目を細め、はっくしょん! と横を向いてクシャミ。

 

「あはは……ごめんごめん。まだ体調がベストじゃなくて。じゃ、じゃあね‼ いっしょに登校は恥ずかしいから……」

 

 だーーーっ、と逃げるように萌愛は行ってしまった。

 いま、なにを言いかけたんだあいつは?

 

(たしかにあいつ――「アンタに2回も」って言ったよな)

 

 どういう意味だ?

 アンタに2回も、マフラーをあげたくない?

 アンタに2回も、プレゼントをあげたくない? 

 

(なぞだな)

 

 とにかく、これから冬になるからありがたいよ。

 おれの転校先の場所で、必要になるかどうかはちょっとわからないけど。

 というか、まだ今回でループを脱出できるかはわからない。

 気をひきしめていこう。

 

「おはよう、翔華」

「あ……うん、おはよ」

 

 いつものように校門前であいさつ。

 今朝の気温はけっこう低かった。

 だからか、彼女のほっぺはうっすらピンク色になっていた。

 その顔が、とんでもないほどかわいい。

 

 ――昼休み。

 

 女子の目立つグループが教室の真ん中で、いつかと同じように、好きな男子の話をしていた。

 

 そこで急に、悲鳴のような声。

 

 もちろんクラスの男子も女子も、いっせいに彼女たちに注目する。

 

「えぇええぇぇぇーーーーっ!!!???」

「やっばーーい!!!」

「まってまって! こっ、これはさー、うちの男子全員、心臓バックバクじゃね⁉」

「もー、みんなリアクションでかいって」

 

 両手をトリのようにバタバタうごかして、友だちをなだめているのは翔華。

 両手で頭をおさえて、クラスで一番ギャルっぽい子がイスから立ち上がる。

 

「好きな男子きいても、いっつも斜め上の答えでカワしまくってたショウカが……ショウカが……」

「ね? みんなもきいたでしょ?」女子の学級委員長がまわりを360度見ながら言う。

「その人が誰なのか、ぜひぜひっ、教えてくださいっっっ!」机にすわっている女の子がマイクをにぎっている形の手を向ける。

 

「それは……いえないよ」

 

 はぁ、というため息が翔華がいるグループだけでなく、男子の間からもあがった。

 

「でもいるんでしょ? このクラスにショウカの好きな人が」

「………………うん」

 

 おぉーーー! と野太いどよめき。

 そこで、そのうるさい男子の声にまぎれるように、背中から――

 

 

「グッジョブ」

 

 

 と。

 この声は深森(ふかもり)さんだ。

 とっさにふり向いて追いかけようとしたが、

 

「あーあー、すっかり野郎(やろう)が盛り上がっちゃってるぜ。ははっ。けど、おれたちには関係ない話だよな、ベツ」

「え? あ、ああ……」

 

 目の前に、友だちの優助(ゆうすけ)がきた。

 たっ、たっ、とかすかに足音がきこえて、彼女が遠ざかっていくのがわかる。

 

「ベツの相手は、もう決まってるもんな?」

「モアのことか?」

「幼なじみ」優助は言いながら指を折る。「かわいい」「性格がいい」「家が近い」「ベツのことをよく知ってる」ぜんぶ言って、グーになった手の真横でニカッと笑う。「なっ?」

「あいつだって好きな男子ぐらいいるよ」

「としたら、それはベツだって」

「んー……」

「自信もてよ。おまえの見た目とか、けっこうイケてんぜ? わかるヤツにしかわかんねーかもしんねーけど」

 

 ばんばん、と少し乱暴に優助はおれの肩をたたいた。

 

 頭の半分で向こうの会話も気にしていたが、結局、翔華は友だちの質問()めにも負けずに秘密をつらぬいたようだ。  

 

 ここからおれたちの仲は急速にふかまった。

 親しく名前呼びすること。

 何回かの下校デート。学校が終わってからのライン。

 翔華との関係をクラスメイトに知られないようにする、ある意味ではかくしごとを共有していたのも、いい方向にはたらいたと思う。

 

「きゃっ‼」

「ひっ!!??」

「ちょっ‼ あっ、そんなに早く行かないでよ(むかう)

 

 デートでは遊園地にいった。そこでのお化け屋敷では、彼女の気弱な一面をみれた。

 

 やれることはぜんぶやった。ここまでやったら後悔もない。

 

 あとは最後に一つ、彼女に()げることがある。

 

 最終日。10月31日の朝。

 もはや定位置になった校門前で、いつものように翔華にあいさつをしたあと、

 

「大事な話があるんだ」

「なに? マジメな顔して……あっ! わかった! 私になにかサプライズするつもりとか?」

「翔華。おれ、今日でこの学校を転校する」

「え……」

「明日からはもう会えない。気軽に会いにいけるような距離じゃ、ないんだ」

「え、そんな……ウソでしょ」

「ウソじゃない」

(むかう)。ウソだって……いって?」

 

 おれは首をふった。

 

「『どこにも行かない』って約束、まもれなくてご―――――め、ぶぁっ!!!!???」

 

 見えてるものがぜんぶブルブルにふるえるほどの、

 (きょう)(れつ)なビンタ。

 まわりの登校中の生徒が立ち止まる。

 

「そんなの……そんなのって……どうして今まで言ってくれなかったの? 私たち、そんな浅い関係だった?」

「翔華」

「私は、キミのことが―――」

 

 ばっ、と彼女は体の向きをかえて、校舎のほうへ駆けていった。

 

(わるいことしたな)

 

 心の底から彼女には申し訳ないと思う。

 ヒリヒリするほっぺた。

 あと2、3発はもらってもよかった。

 

(……これでループともさよならだ)

 

 おれは手ごたえを感じていた。

 ビンタされたのは、あらかじめ考えた中で最高の結果。

 感情が大きく()れたあとに、二人の距離はぐっと接近できるから。

 その最も近くなるゼロ距離に「いかないで」はあるんだ。

 

 さあ行こう。

 

 この中学ですごす最後の一時(ひととき)へ。

 



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断じて行えば鬼神もこれを避く

 クラスメイトの反応は、いい意味で予想とちがっていた。

「ふーん」ぐらいかと思っていたら、何人か「えー!」「うそ?」「まじかよ」と残念そうに言ってくれた。 

 それが地味にうれしかった。

 

 四回目の最後の登校日。

 

 一回目から三回目までは先生が一週間前にみんなに伝えていたんだが、今回はギリギリまでぜったいに誰にも言わないでくれとお願いしておいた。

 

 もちろん――「いかないで」のために。

 

 だから、あらかじめ知っていたのは、萌愛(もあ)と昨日の夜に電話した優助(ゆうすけ)だけだ。

 

 まだざわついている朝の教室。

 

 今日も通常どおり、六時間目までしっかり授業がある。

 でもおれは昼の12時きっかりの飛行機に乗る予定だから、一時間目だけで下校しないといけない。

 その一時間目の授業をつぶして、ちょっとした〈おわかれ会〉みたいなのをやってくれた。先生が花束をくれて、おれは前に出て「今までありがとうございました」みたいなことを言って、あわただしく書かれた寄せ書きをもらって、

 

(校門の前に全員集合……いよいよこのときがきたか)

 

 先生の呼びかけで、教室からぞろぞろと移動していく同級生。

 おれはなんとなく、しばらくその場に残ってみることにした。

 

「……」

 

 一瞬だけ、廊下に出ようとしていた翔華(しょうか)と目が合った。でもすぐそらした。おれじゃなくて向こうが。

 

「……」

 

 つづけて、そのうしろを歩く萌愛がおれを見る。何か言いたそうな感じだったが、幼なじみの長いつきあいをもってしても読み取れないフクザツな顔つきをしていた。幼なじみじゃないヤツがみると、ただの無表情にしかみえないと思う。

 

「ベツっ!!!!」

「わっ、びっくりした!」

「なぁ! 親にムリいってさ、ここで一人暮らしするとかできねーのかよ!!」

「できないよ。せめて高校生だったら、わからなかったけどな」

 

 くっ、と友だちの優助がくちびるをかみしめる。

 こいつは……本当に、わかれたくないほどいいヤツだ。

 

「ベツ。握手してくれ」

「ああ」

「元気でやれよ」

「わかってる」

 

 にぎっていた手をはなして「先に行ってるからな!」あいつは走っていってしまった。

 

 しーーーん、と静かになった。

 

 見わたすと、いつのまにか教室にいるのはおれ一人だけ。

 

 となりのクラスからかすかにチョークの音がきこえてくる。

 

(この一ヶ月、いろいろあった。ほんとに)

 

 思い出ぶかい。

 楽しいこともあったけど、とまどうことも多かった。

 とくに、前回のループの終わりぎわに出されたミッションというか、机の中をみろってやつ。

 

(まさか……)

 

 まだあるんだろうか。

 あの子ブタのイラスト。「バカがみるブタのケツ」。

 そういえば、前もっておれの転校を知っていた人間が、クラスにあと一人だけいた。

 

 深森(ふかもり)さんだ。

 

 おれは見えない力に引き寄せられるように、彼女の席のほうへ向かっていた。

 花束を机の上におき、

 手が……勝手に奥に入っていく。

 

(!)

 

 かさっと指先にふれる、かわいた感触。

 

 迷う時間は一秒もなかった。おれはそれをつまんで、ゆっくりと中からだした。

 

 白い紙。何本かの黒い線にそった、横書きのていねいな文字。

 

 これはおれに――なのか?

 

 手にした紙の向こうに、二本の三つ編みと黒ぶちメガネの彼女がうっすら浮かんでみえる。

 彼女が読み上げるように、文字も頭の中で音声つきで再生された。

 

 

 

 別所君。

 

 もし、またタイムリープしたときは、

 もうあなたを助けない。だから当てにしないこと。いい?

 

 私は私の目利(めき)きに自信がある。

 

 いまでも飯間(いいま)翔華で正しいと思うし、次の10月の私もきっと同じ結論をみちびくはず。

 

 そういう意味で〈もう助けない〉。

 より正確にいえば〈もう助けようがない〉。

 

 ただ、ふいに不可思議(ふかしぎ)な仮説を思いついた。

 わざわざ書き残しておくほどでもない気がするけど。

 

 心の準備をして読んで。

 

 あなたの幼なじみの里居(さとい)萌愛(もあ)は―――――――

 

 

 

 ――「コウちゃん!!!!!」

 

 ぴーん、と丸めていた背筋がのびた。のびすぎて、少しうしろに()った。

 とっさに手紙を背中に回してかくす。

 

「えっ⁉ ど、どうした?」

「なかなか来ないと思ったら、まだ教室にいるじゃん。てかアンタ、なにやってんの?」 

「べつに」

 

 にまぁ、と萌愛がアヤしく微笑む。

 

「べっしょっ‼」

 

 元気よく言いながらおれの背後に回りこんだ。

 

「さー! おとなしくその手にもっているものを……はぁぁーっ⁉」

 

 おれは手紙をもつ手をすばやく前に回す。

 しつこく萌愛がついてくる。

 またうしろに。

 萌愛もうしろに。

 

「ムカつく! 見せなさいよ‼ へるもんじゃないでしょ‼」

「いや、これは……」

「まさかラブレター?」

「そんなんじゃないって」

「見せて!」

 

 おれは窓際に追いつめられた。

 面白そうにおれのまわりをくるくる回って、なかなかやめようとしない。

 そして、

 

 

「あっ!」

「あーあ……」

 

 

 萌愛がため息をつく。

 おれに密着したままで。こいつの髪からシャンプーのいいにおいがする。

 紙は、紙飛行機でもないのに、さっそうと空を飛んでいった。青い空に向かってぐーっと上昇して。

 

(最後まで……いや、最後しか読めなかったな……)

 

 じゃさっさときなさいよ、とあいつは何事もなかったように教室を出た。

 もしかしたら、おれといっしょに行ったら恥ずかしいみたいな気持ちがあるのかもしれない。

 

(でも、どういうことだ?)

 

 あの手紙のラスト。

 深森さんはおれに〈ある指示〉を書いていた。

 とても信じられないことを。

 

(だめだ! はやく頭を切りかえろ、おれ!)

 

 こんなときに浮き足だってどうする。

 大事なことは―――――

 

 

 飯間翔華に「いかないで」と全力で引きとめてもらう。

 

 

 ――それだけだ。

 

 校門の前に移動して、

 クラスメイトが左右にならんでつくった花道を歩いていく。

 さわやかな秋の風が、顔にあたってすずしい。

 一歩一歩、おれは道をふみしめた。

 やがて彼女の前を通りすぎて、その数秒後、

 

「ちょっとまって!」

 

 タタッと駆け足で出てきたのは、

 

「別所くんに……ううん、ちがう、(むかう)に、言いたいことがあるの!!!」

 

 翔華だ。

 おわかれムードの空気をがらりと変えた、思い切った行動。

 何が起きているのか、みんなまだよくわかっていない。

 

「それは、ね……」 

 

 おれは翔華に歩み寄って、向かい合った。

 大きな目から一粒(ひとつぶ)、涙がこぼれ落ちた。

 

「あなたが好き! 私、あなたが大好きなのっ‼」

 

 セーラー服の赤いスカーフの前で、手はお祈りのように組み合わされている。

 

「だから、だからっ……!」

(く、くるぞっ‼)

 

 おれは身構(みがま)えた。

 こうなるとクリアは時間の問題。ほとんど勝ちを確信している。

 高鳴る胸。

 ほんの数秒がすごくながく感じた。

 

「い」

(よしっ!)

「い……」

(そうだ、そのまま、正直な気持ちを言ってくれーっ!)

(むかう)

 

 一度、翔華はおれの名前を呼んで、

 

 

「いってらっしゃい」

(………………へっ!!??)

 

 

 泣いていたのを一転、満面の笑みを浮かべる。

 まわりはよくわかってないながらも、お祝いするように拍手している。

 

「私、明るく(むかう)を送りだしたいから!」

「あ、あの翔華……おれに『いかないで』は……?」

 

 彼女は目をつむって首をふって、ふたたび目をあけて言った。

 

 

「私はそんなに、弱くないよ?」

 

 

 この言葉が完全終了の合図(あいず)だった。

 または無情なループ延長のお知らせ。

 おれはどこで、なにをまちがえたんだろうか。

 

 反省してみると……

 

 あの格闘ゲームの強さ。あれはハンパじゃなかった。よっぽどの負けず嫌いじゃないと、あそこまで上達しないだろう。

 バッティングセンターもそう。あの正確できれいなフォーム。かなり努力しないと身につかないはずだ。

 

 そしてときどき翔華は「男らしさ」と「強さ」を重ね合わせていた。

 きっと彼女の中では、それはどっちも同じ意味だったんだ。

 どっちにもあこがれていた……んだな。

 そこまで考えがいけば、彼女が「いかないで」というタイプなんかじゃないって気がつく。

 

 おれレベルで気づくことを、どうして深森(ふかもり)さんが……。

 

「朝、たたいてごめんね」

「それは、べつに……」

(むかう)はやさしいから、気をつかってナイショにしてたんだよね? 私……ショックで、ショックすぎて八つ当たりしちゃったみたい」

「ほんと……気にしてないから……」

「もしちゃんと言われてたら私」

「えっ」

「一週間まえとかにキミの転校を知らされてたら、しがみついて引きとめてたと思う」

 

 ガン!!!! とトンカチでぶんなぐられた気分だった。

 イメージしているのは、あのダムの写真集。

 おれは、翔華のおれへの気持ちをためてためて、最後に「いかないで」につなげようと思っていた。

 

 この考え方がまちがっていたんだ。

 

 先に転校を伝えて、翔華の「いかないで」をためてためて、いまのこの時間にもってこないといけなかった。

 

 つまり深森さんは「先生が一週間前に伝える」というのを()りこんでいて、

 おれがみずからそれを台無しに…………

 

「元気でねーーーっ!!!! コウちゃーーーーん!!!!」

 

 うしろに幼なじみのバカみたいに大きい声をききつつ、

 次のループへのラインを、またいだ。

 

 

「い……いってきます!」

 

 おれは家を出た。

 5度目の10月1日。さわやかな秋晴れの朝。

 パジャマのままで。

 

「あ、あのっ、そのっ、も、萌愛(もあ)はいますか⁉」

 

 玄関で出迎えてくれたお母さんは、もちろん、おれのヤバい雰囲気にとてもおどろいた。

 それでもただごとではない何かを感じとってくれたのか、急いで部屋に呼びにいってくれる。

 

 朝一番のふいうち。

 ひらきなおって無敵モードでいくしかない。

 

「もぉ~~~、まだねむいじゃ~ん」

 

 目をこすりながら、おれと同じくパジャマであらわれたあいつ。

 

 

 ――もしかしたら、おれに大ウソをついてたかもしれない幼なじみ――

 

 

「なあモア」

「ふわぁぁ……なーに? コウちゃん」

「おまえも今、もどってきたのか?」

 



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災い転じて福となす

 おれは自分の顔以上に、幼なじみの顔をみてきた。

 だから、もしこの状況で萌愛(もあ)がシラをきったりウソをつこうとしたって、

 見破れる自信がある。

 

 ましてや今は寝起き。

 まだじゅうぶんに頭も回っていないはず。

 

「……?」

 

 萌愛はきょとんとしていて、知らない人に声をかけられたみたいな反応だ。

 これが演技かどうかはまだ微妙。

 うまい言いわけを考えている可能性もある。

 なら、考える時間を与えちゃダメだな。

 

「いいかモア、もう一度きくぞ? さっきまで、おまえも〈学校の校門前〉にいたのか? どうなんだ?」

「は、はぁ!!?? なによ、それ」

 

 質問をきいたあとに、こいつの表情にいつもとちがう変化がないか注目する。

 ここが一番大事なところ――前のループの深森(ふかもり)さんの指示なんだからな。

 

「アンタ寝ボケてる?」

「おれは真剣だ。ちゃんと正直にこたえてくれ」

「……知らないじゃん」

「知らないじゃんじゃなく―――――てっ!!!??」

 

 ぱっかーん、といい音がした。おれのアタマから。

 ふりむくと、高校の制服を着た姉の別所行美(いくみ)。手に持ってるのはおれの家のスリッパ。

 

「パジャマのまま家を飛び出したかと思ったら……なーにをやっとるんだウチの愚弟(ぐてい)は」

「いや、おれは……」

「ご迷惑をおかけしました~! ほらっ帰るぞ」

 

 こうしておれの奇襲は強制終了した。

 

 

「ねえねえコウちゃん、〈もどってきたのか事件〉ってのはどう?」

 

 

 あはは!!!! とエンリョなく笑う幼なじみ。

 おなかをおさえるように前かがみになって、サラサラのショートの髪がゆれた。

 

 ループ初日の10月1日。

 

 おれたちは――また――通学路を二人でならんで歩いている。

 

「やっぱりシンプルに〈お寝ボケ事件〉がいい?」

「どっちでもいいよ」

「じゃ、〈もどってきたのか事件〉ね」

「はいはい」

 

 恥ずかしい思い出に名前をつけてる場合じゃないんだよ、こっちは。

 萌愛には勝手にしゃべらせておいて、すこし頭の中を整理しないと。

 

(あの深森さんの推理がはずれてた……?)

 

 最終日におれに残してくれた手紙。

 途中で萌愛の邪魔が入ったせいで、ぜんぶは読めなかったが、

 

 

 ――里居(さとい)萌愛は、なんらかの理由でループしていることをかくしている。

 

 

 そこまでは目に入った。そして最後のところに、

 

 

 ――時間がもどったらすぐ、里居さんに会ってそれを質問すること。

 

 

 とあった。これが指示だ。

 おれなりに想像すると、すぐ会えっていうのはたぶん、萌愛に心の準備をさせないためだったんだろう。

 電話じゃ表情がわからないし、メールやラインだといくらでも考える時間ができるから。

 

 とにかく結果は……。

 きびしくチェックしてみたものの、あいつにアヤしいそぶりはなかったといわざるをえない。

 なのになぜか、スカッ、とつかみそこねた感覚もある。

 

(彼女の意見をききたい。でも今の深森さんには、わかってもらえないんだよな……)

 

 朝の教室。

 窓際の席にいる三つ編み二本の彼女は、窓の外をみていた。

 そこから視線を前に向けると、(さくら)が友だちとしゃべっていた。

 おれと目が合う。

 しかし、あっというまに視線をはずされた。当然ウィンクなんかしてくれるわけもない。

 

 はあ……。

 

 その横のほう、イスにすわって足を組んでグループの中心で話しているのは、翔華(しょうか)だ。

 楽しそうに笑ってる。

 おれと目が合う。

 しばらく合ったままだったから、もしかしたら翔華にも前のループの記憶が――と思いかけたが、

 

「キモっ! めっちゃこっちみてる」

 

 友だちにそう言ったように彼女の口がうごいた。ちょっと眉間にシワの寄った、イヤそうな顔で。

 声がこっちまで届かなかったのが、せめてもの(さいわ)いだ。

 

 はあ……、はあ……。

 ため息も出まくるよ。

 

 おれ、こんなんでループを抜けられるのか?

 

 ◆

 

 初日の昼休みは、まずここにくるしかない。

 図書室。

 借りるのはもちろん『恋愛心理学』の本。

 

(でも、もう必要ないかもな)

 

 ふつうに考えれば、これからおれがやることは決まっているんだ。

 飯間(いいま)翔華に再チャレンジ。 

 同じ方法、同じ順番でやれば、結果だって同じになるはずなんだから。

 

(しかし……なんか、それはちがうような予感が……)

 

 そもそも、ぴったり〈同じ〉になんかできっこない。

 どこかで必ずズレる。

 前回のループは、たまたまうまくいっただけってこともありえる。

 

(そうなると、またクラスメイトの中から――――)

 

 

「いたっ」

「あ。ごめん」

 

 

 自習してる人の背中に、本のカドがぶつかってしまった。

 思いっきりジト目でみられたが、あっ、と目が見ひらいて、

 

「なんだ別所くんか」

 

 耳元から首元までまっすぐ()らした髪。毛先がやや内側にカーブしている。

 

「ちょうどよかった。いまヒマ?」

「え? ああ……まあ」

「キミ、マンガとか読む?」

「読むよ」

 

 どんなの? ときいてきたのでいくつかタイトルをこたえた。

 ほぉ……、とあごに手をあてて感心するようなリアクション。

 

「趣味が合うね。いい感じ。私―――――」

 

 立ち上がりながら、彼女はおれの耳に口を近づけた。

 

 

「あなたみたいな人、さがしてたの」

 

 

 ゾクゾクっ‼ と今まで経験したことのない新感覚だった。

 とくに息が鼓膜まで届いた瞬間。

 やばい。

 

「え……えっ⁉」

「いっしょにきて」

 

 こ、これは。

 いったい何が起きてるんだ?

 おれをどこへつれていくつもりだ?

 

(この子は江口(えぐち)さんだよな)

 

 おとなしい印象の同じクラスの女子だ。たまに、萌愛、中山、山中と合流して四人でおしゃべりしてるところをみかける。

 

(名前の中にエロがある……って、バカなのかおれは)

 

 しかし、先ほどの〈ふきかけ〉からのこの急展開だ。

 そんなことだって想像してしまうだろ。おれもそれなりに思春期だから。

 

 やってきたのは――――

 

 

「…………どう? よかった? 感想きかせてよ」

 

 

 ――美術室だった。

 わたされて「読んで」と言われたのは、マンガの原稿。

 20ページぐらいある。

 ジャンルは恋愛ものらしく少女マンガな作風で、おどろいたのがテーマが〈転校〉ってところだった。

 

「ストレートにお願い。これ、月末のコンテストに出そうと思ってるんだ」

 

 図書室にいたときよりも気持ちキラキラした目をおれに向けて、そんなことを言う。

 

「どうしておれなんかに?」

「うーん」こめかみに指先をあてる。「ピンときたから、かな」

「内容がおれと関係してる……とかじゃなくて?」

「ん?」江口さんは、きき心地のいいハミングを鳴らして首をかしげる。「どうしてー?」

「いや……べつに」

 

 べっしょ、とニヤニヤしながらつぶやく萌愛が頭に浮かんだ。

 彼女は本当に疑問に思ってるみたいだ。

 ってことは、おれの転校を知ってて、というわけではないのか。

 

「もう昼休み終わっちゃう。はやくはやく」

「わかった」

 

 迷ったが、

 

 

「おもしろくなかったよ」

 

 

 本音(ほんね)で伝えることにした。

 これはガチでがんばって()いたヤツだ。だからこそ、うわべだけのことを言ってもしょうがない。

 ループ脱出っていう点でいうなら、ここはとりあえずホメておくとこなんだが。

 

「…………」

「ごめん。なんか」

「ひっど~~~~~~~~」

 

 ぷぅ、と彼女はほっぺをふくらませて、ゆっくり空気を抜く。

 おれは手に持っていたマンガを彼女に返した。

 

「どこがいけなかったかな?」

「主人公が最後にさ、転校していくところだけど」

「ふんふん」

「ヒロインの女の子がだまって見送ってるだろ? だからなんか……こう、肩すかしっていうか」

「なるほどね」

 

 あっ、というヒマもなかった。

 すばやい動き。

 となりに座っていた彼女が立ち上がったと思ったら、

 その原稿を縦にまっぷたつに()るように、

 びりぃぃ~っ‼ といきおいよく(やぶ)いた。

 さわやかな笑顔で。

 

 

「うん。私もこれ、つまらないと思ってた。正直に言ってくれてありがとう」

 

 

 強がりとか負けおしみじゃなかった。

 江口さんはたぶん本心で言っている。

 クラスでは目立たない女の子で、気弱なタイプなのかと思っていたけど、こんなにシンがしっかりしてたなんて。

 

 おれは――パワーを分けてもらったような気がした。

 

(そうだよな。失敗は失敗だ。くよくよ考えてもしょうがない。もっと前向きにいかないと)

 

 次は絶対うまくいく。

 成功を信じてがんばろう。

 

 教室の入り口に萌愛がいる。

 

「あ。コウちゃんじゃん。昼休み、どこ行ってたの?」

「美術室」

「はぁーー!!!?? なにそれ、からかってんの? アンタみたいな絵心ナシ()のいくトコじゃないでしょ!」

 

 からかってないよ、と、この声はおれではない。 

 さっきまできいてた声。

 

「そこにいるのアオイ? えっ? なんでコウちゃんといっしょに……」

「モッちゃん。私と彼ね、美術室でさっきまで、すっっっごいオトナなことしてたの」

 

 なーーっ⁉

 どうしてここでそんなウソを?

 どういうつもりなんだ、江口さんは。それとも、ふだんからこんな冗談をいう子なのか?

 

「二人でオトナな……こと?」

「私、彼のこと気に入っちゃった」

「どいて」

 

 萌愛と江口さんの間に割って入ったのは、深森さんだった。

 無表情でスタスタと教室の中にすすむ。

 すれちがうみじかい時間、彼女はこっちをみた。

 

(あなたはなにをやってるの?)

 

 そんな表情のように読み取れた。

 おれが自分で自分をそう思っただけかもしれない。

 

 放課後。

 

「別所くん別所くん」

 

 と名前を呼ぶ声に、おれは顔をあげた。

 両手をうしろで結んで立った、江口さんがいた。

 

「自転車通学だっけ?」

「いや、おれは歩きだけど」

「そうなの? 残念。私、自転車だよー。でもキミさえよかったら、いっしょに帰ってくれない?」

「えっ」

「好きなマンガの(はなし)とかしながら、帰ろうよ」

 

 と、彼女はまわりの目も気にせず、おれといっしょに校門を出て下校した。

 おたがいに昨日まで名前しか知らなかったのがウソみたいに盛り上がった。

 ラインも交換した。

 

 帰宅して『恋愛心理学』の本を読み返す。

 

・類似性は心のガードがゆるみ、とても安心する

・いくつ似ているかより、どれだけ似ているかが重要

・感性が近ければ近いほど、相手への好意が増す

 

 つまり、これは、その、なんだろう。

 なんかドキドキしてきた。

 彼女のことを想うだけで……

 

(あっ!)

 

 スマホがふるえた。

 江口(あおい)というフルネームとともに、彼女の手書きらしい自画像のアイコンが画面に表示されている。

 このメッセージは―――もしかして遠回しな告白なのか。

 図書室で本が体に当たったアクシデントが、最終的にこんなことになってしまうなんて。

 まだ10月1日だぞ。信じられない。新しいループは、はじまったばかりなのに。

 

 

「別所くんは、好きな子っているのかな?」

 

 



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下手の考え休むに似たり

 中学の入学式があった日。

 親からではなく姉から「ほれ」と人生初のスマホを手渡しされたとき、なんかイヤな予感はしたんだ。

 中をみたら、やっぱり。

 電話番号、メール、ラインのぜんぶに問答無用で登録ずみだったその名前は―――「モアちゃん♡」。

 

「しょうがないじゃん。ことわれなかったんだから」

 

 ぶすっとしたあいつの顔がみえるようなメッセージ。

 これが、幼なじみからのはじめてのラインだ。もちろん、いまでもスマホに残っている。

 そこからしれっと一年以上連絡ナシ。

 最近だと夏休みに一度「宿題みせてよ」というのがあったぐらい。

 

 

「ふかい意味はないんだよ?」

 

 

 しまった。

 返信を考えすぎて、彼女から次のメッセージがきてしまった。

 

「ただ、きいてみただけ」

「ほんとほんと」

「でも興味あるんだよね」

 

 ……こまったな。既読もつけちゃってるし。

 はやく返さないと。

 

「いるよ」

「おっ! それは……誰かな?」

「そ」盛大に指がすべった。「それはおれの名前だから」

 

 まちがって予測変換をえらんで、あやまって送信ボタンにふれる。

 これは萌愛(もあ)とのやりとりでつかう定型文。

 江口(えぐち)さんには、意味不明すぎる。

 

 新しいメッセージがきた。

 

 

「?」

 

 

 ……そりゃそうだよな。

 

「ごめん!打ちまちがえた!」

「あー」

「前に、友だちに送ったやつの予測変換のせいでさ」

「友だちね。なるほど」

 

 そして――――フルスピードのフリック入力。

 相手よりもはやく、はやくないと意味がない。

 

 

「江口さんは、好きな人はいるの?」

「じゃ~また明日~☆」

 

 なっ⁉

 冗談っぽく、かつ、あざやかに質問がかわされた。

 

 つづきがこないかしばらく待ったあとで、おれはスマホを机の上にもどす。

 

(もしかして、けっこう恋愛経験が豊富なのか?)

 

 っていうか、じつは元カレとかいたり……。

 いや現在進行形で彼氏がいても、べつにおかしくないのか。

 どちらにせよ、おれよりオトナなのは確実だな。

 

 10月2日。

 

 朝の通学路では萌愛に会わなかった。

 

「うぃ」

 

 靴箱のところで肩で肩を押してきたのは、おれの友だち。

 

優助(ゆうすけ)。こんなにながくつきあってもらって、わるいな」

「あぁ? 朝イチからおかしなこと言うぜ。ベツとダチんなって、まだ一年もたってねーぞ?」

「いや、もうだいたい一年になる」

「ははっ。わけわかんねーよベツ」

 

 そして教室まで向かう途中。

 

「ひとつ教えてくれないか?」

「おお。いいぜ」

「こう……ある程度、なんていうか、おれが女子に好かれてる状態だとしてだな」

「えっ⁉ 里居(さとい)ちゃんのことか!」

 

 おれは否定せずに、話をさきに進めた。

 

「その子に対して、どういうアクションを起こしたらいい?」

「それはなベツ」優助は平泳ぎのマネをした。「流れに身をまかせんだよ」

 

 ほんとにそれでいいのか?

 でも、たしかに追えば逃げるとかいうしな。

 江口さんにかぎっては、おれからグイグイいくのはやめておくべきなのだろうか。

 

 

「部活はやってないの?」

 

 

 と、ナチュラルに靴箱で話しかけられる。

 セーラー服に斜めにさしかかる夕陽(ゆうひ)

 ストレートのきれいな髪の、少し内側にカールした毛先。

 この流れは……まさか今日もおれといっしょに下校してくれるのか。

 

「別所くん、帰宅部だっけ?」

「一応、入ってる。あ、いや入ってた」

「どこ?」

「サッカー部」

「えーっ‼ めっちゃ意外だねー!」

 

 手を口元にあてて、彼女は一瞬、おれの足をみた。

 

「スポーツ得意なの?」

「ぜんぜん。小学校がいっしょだった友だちにさそわれて、なかばムリヤリ。半年でやめたよ」

 

 まるでずっとそうしてるみたいに、自然に話しながら歩きだすおれたち。

 

「江口さんは?」

「帰宅部」

「そう……なんだ」

「そんな残念な女子をみる目でみないでよ~。ラクでいいじゃんか」

 

 笑顔で、ぽん、とやさしく胸を手でおされるおれ。

 女子と二人でこんな会話するとは。リア充ハンパない。

 

(まてまて。ここだと〈入ってる〉ぞ。そーっと……)

 

 おれはダテに『恋愛心理学』の本を何度も読み返していない。

 

 人間にはパーソナルスペースっていうのがあるらしい。

 わかりやすくいえばナワバリ。

 

 そこに入りすぎると警戒――つまりきらわれる原因になってしまう。

 で、さらにむずかしいのは、はなれすぎてもダメってことだ。

 45センチが基準。だいたいペットボトルを縦に二本つないだぐらいの長さ。

 それより接近すると〈親密ゾーン〉っていって、ようは彼氏彼女の距離感となる。

 今はそこに入るのはまだはや―――

 

「もっと近づこうよ」

 

 ぐいっと腕をひかれた。

 

「私といっしょにいるの、はずかしい?」

 

 友だち同士だと45センチから120センチ……の、はずなんだが。

 友だちの関係をスキップするような間合(まあ)いだ。

 ついカンちがいしそうになる。

 おれがそんなにモテるはずないのに。

 

(本当にこの道をすすんでいいのか? 「いかないで」にたどりつく……のか?)

 

 10月3日。

 天気は朝から大雨、夕方には雷雨(らいう)

 

 おれは決心した。

 

 もう助けてくれない―――って言ってたけど、やっぱり彼女はたった一人のたのもしい味方なんだ。

 

 放課後。

 

 わかりやすく読書のフリをしていれば、気がついてくれて前のループと同じになるはず。

 会おう。もう一度だけ。

 深森(ふかもり)さんに。

 

 

「なに読んでるの?」

 

 

 声をかけられて、目線をあげる。

 そうか。江口さんがいたんだ。

 ニコニコした顔で、本をのぞきこむように顔を寄せてくる。いいにおいがした。

 

「私も自習でもしようかな。帰る気になったら、教えてね」

「あ、あのさ」

「ん?」彼女は口をとじたままでハミングをならす。

「ごめん。今日友だちと……約束があるんだ。しばらく教室で時間つぶさないといけなくて」

「えー。ほんとにー?」

 

 じゃしょうがないね、と案外あっさり引き下がってくれた。

 正直ホッとした。

 彼女まで居残(いのこ)ってたら、出てきてくれない可能性があるからな。

 

 そしてザーザーザーと切れ目のない雨の音をきくこと数十分。

 テスト前のせいかこの荒れた天気のせいか、教室はからっぽになった。

 

 いける。

 

(……)

 

 おれは彼女の机に近づくと、手をゆっくり中へさしこんだ。

 

 

「盗難やイタズラを避けるために、私は机にモノを置かない」

(よしっ!!! ばっちりだ!)

 

 

 教室の外側、非常階段につながる通路へのドアがあく。

 あらわれたのは、びしょ濡れで腕を組んだポーズの彼女。

 タイミングもセリフも、あのときのままだ。理由はわからないが、ちょっと泣きそうになってしまった。

 

 おちつけ。

 ここからが勝負。

 ちゃんと、おどろいておかないとな。

 

「な、なにーーっ!!??」

 

 ドギモを抜かれた―――演技。

 無言で近づいてくる深森さん。

 歩きながら、メガネの横に手をあてて一言(ひとこと)

 

 

「あなた、タイムリープしてる」

 

 

 バリバリッ!! と心に電撃が走った。

 演技じゃなくてホントにおどろく。

 見抜いたスピードが人間ワザじゃない。

 最後の音を〈(さげて)〉断定するように言ってるところが、とくにふるえる。

 

「すくなくとも3回。ちがう?」

「え、えーっと……」

「なにもしなかった1回目、〈私〉にいわれて机の中をのぞいた2回目―――」

 

 ばん、と彼女は乱暴に机をたたいた。たたいた音は、ほとんど雨音にかき消された。

 

「目的は何?」

「こ……こうなったら白状するよ。おれはずっと10月がループしてて、出られない。深森さんだけがそれに気づいて、助けてくれたんだ」

「あほ」

「えっ⁉」

「私が私なら、とっくにあなたなんかループを出てる」

「そ、それは……」

「あなたの失敗のシリぬぐいを、私にさせないこと。ケツは自分でふいて。話は以上」

 

 くるっと回って背中を向けた。

 遠心力で回った三つ編みの髪が、おれの顔に(こま)かい水しぶきをかける。

 

「おれ、どうしたら……いいのかな?」

「まよったときは、原点にかえるのよ」

 

 深森さんはふりかえって言った。

 直後、どっがぁあぁん、というど派手なカミナリの音。

 ワープしたように、彼女はおれに抱きついてきた。

 パーソナルスペースなんかおかまいなしで。

 

(原点――――か)

 

 おれもうっすらそう思っていた。

 最初の失敗は、じつは失敗じゃなかった……そんなことも深森さんが教えてくれたから。

 

 翌々日の日曜日。天気は晴れ。

 

 

「出かけないか?」

 

 

 せいいっぱいオシャレしたおれが、萌愛の家の玄関で言った。

 



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渡りに舟

 忘れもしない2回目のループ。

 おれは幼なじみの萌愛(もあ)一途(いちず)にぶつかっていった。

「いかないで」と言ってもらうために。

 そのときも、最初はこんなふうにことわられた気がする。

 

 

「コウちゃんと出かける? えー……ふつうにイヤだけど」

 

 

 腰に片手をあてて、ちょっと口をつきだすようにして言う。

 さっき起きたばかりみたいな、うすい黄色のパジャマ姿で。

 

(やっぱり、ことわられたか)

 

 ここまでは想定してた。むしろ、こうじゃないと調子がくるう。

 おれはパン――と大きな音を鳴らして手をあわせた。

 

「たのむ! そこをなんとか」

「……行かないけど、どこ行くつもり?」

「水族館」

「はぁーー!!!?? めっちゃデートじゃん!!!」

「そうだ。おれとデートしてくれ、モア」

 

 ピュウ~~~ッ、とリビングのほうから口笛がきこえてきた。

 きっと萌愛のお父さんだ。明るくてノリがいい人で、道ばたであったら必ずなにか冗談を言ってくる。

 いい追い風がふいた――と思ったんだが。

 

「かえって」

 

 ダメだった。

 しかも、しっしっ、という動作つき。

 こうなるともう、帰宅するしかない。

 ――が、

 

(あいつなら絶対にくる)

 

 そんな確信が、おれにはあった。

 そして待つこと約30分。

 インターホンが鳴る。

 

(モアだ!)

 

 いそいで玄関にむかってドアをあけると、

 

 

「わっ! おどろいた~」

 

 

 口元に手をあてて、目をぱっちりあけた女の子。

 

「まだ名前も言ってないのに。もしかして、なにか配達でも待ってたの?」

「あ、いや、そうじゃなくて……」

「私がくる予感がしてたのかな?」

 

 ニコニコして言う彼女。

 おれは(うし)()でドアをしめた。

 

「っていうか、別所くんかっこいい服きてる。これからお出かけなんだ?」

「えっと、まあそんな感じ」

「誰かと?」

 

 もわぁ、と頭の中にさっきのあいつが浮かぶ。

 だがここでその名前は出せない。

 

 ――江口(えぐち)さんには、いえない。

 

 服装はグレーのタートルネックに紺色のジーパン。手には黒いトートバッグで、頭にかぶった白いベレー帽がよく似合っている。

 

「ひ、一人で……だよ」

「ラッキー。ちょうどよかったぁー‼」

「え?」

「今日いっしょに、どっか行こうよ」

 

 おれはこんなにカミサマにお願いしたことはない。

 どうか今だけはあいつがきませんように――――と。

 きたっていい……んだっけ?

 いやそれって〈シュラバ〉っぽくなんないか?

 

 

「おーい、コウちゃーーん。もー、しょうがないから…………」

 

 

 ぴたっ、と動きがとまった。この場にいる三人みんな。

 おれとあいつで江口さんをはさんだ位置関係。

 となりの家の犬がウーとうなった。

 ゆっくり萌愛の口があく。

 

「……アオイ? どうしてここにいるの?」

「モッちゃんこそ。どうしたの、そんなオシャレして」

「私? 私は……」

 

 あいつは目でおれに質問してきた。

 外見はかろうじて無表情だけど、心の中ではかなりアセっているのがわかる。

 

「どういうことよっっ⁉」

 

 わるいがおれにも答えようがない。

 完全にふいうちされてるんだから。

 家はどこ? ってきかれて教えたことはあるけど、まさかこうしてアポなしでくるとは思わなかった。

 

「あのー……」

 

 萌愛が返答にこまってる。

 ここは、おれが助け(ぶね)をだすか。

 

「どうせ(あね)キに用事なんだろ? でもさっき出ていったぞ?」

「えっ⁉ あ、あー……そうなんだー」白々しく頭のうしろに手を回す。「行美(いくみ)さんいないんだ。じゃあ、しょうがない。また今度にしようっと」

 

 あいつが家にもどっていくのを確認して、あらためて江口さんと向かい合う。

 

「そういうことなんだ。二人、友だちみたいに仲良しでさ」

「別所くん、お姉さんいるんだ。ウチと同じだね」

 

 チラッと一秒だけ、遠くから萌愛がこっちを見てきた。

 幼なじみのおれが見ても微妙な表情。

 なにか言いたそうな顔だったんだが、なにが言いたいのかまではわからない。

 

 ◆

 

「カクレクマノミだー!」

 

 思いのほか、江口さんははしゃいだ。

 

「ねえ、すごいよこれ、エイの裏側!」

 

 バスと電車を乗り継いでやってきた水族館。

 日曜日の昼間だから中はかなり混んでいる。

 

「別所くん、一面クラゲの水槽(すいそう)があるって! ほらはやくはやく!」

 

 白いベレー帽から胸元まで下りるきれいな髪。今日も毛先は内向きに曲がっている。

 追いかけるおれは、心中フクザツだった。

 

 きているのだ。

 おれのうしろからもう一人。

 

(おい萌愛っっっ! デートの尾行はやめろって!)

 

 と、スキをみてはアイコンタクトしているのだが、あいつは言うことをきかない。

 それどころか、どんどんやる気になっているみたいだ。

 ときどき数メートルの距離まで近づいてきたりして。

 服は、いつかの映画館で着ていたパーカーつきのトレーナーとハーフパンツ。

 

(まいったな。せめて……絶対に見つかるなよ)

 

 もうデートを楽しむことはあきらめた。

 江口さんが楽しんでくれたら、それでいいことにする。

 

 

「告白――――していいかな?」

 

 

 180度クラゲが泳いでいる前で、唐突に彼女は言った。

 おれは急に……なんか恥ずかしい表現だが、胸がときめいてしまった。

 たった2回の下校デートと、1回の休日デートでもうそれ?

 これがもしかしたら、リアルな恋愛のスピード感なのか?

 

「いいよ」

 

 平静をよそおうも、心臓はバックバク。

 

「いい?」

「うん」

「私ね、12月になったら、転校するの」

「えーーっ!!!??」

 

 じろっ、と周囲の視線がささる。

 このクラゲのところは静かな雰囲気だったから、思いっきり目立ってしまった。

 

(わ)

 

 つよく手をひかれた。

 江口さんにひかれるまま、あまり人のいない通路へ。

 

 少しずれたベレー帽をなおして、彼女は上目づかいにおれをみつめた。

 

「ヘンな言いかただけどさ、あんなにびっくりしてくれて……ありがと。うれしかったよ」 

「いや……」

「でね、ひとつキミにゆるせないことがある!」

 

 さらに手をぐぃーっとひかれて、壁のちょっとヘコんだスペースにつれこまれる。

 やばっ、と思うも時すでにおそし。

 

「モッちゃん。おつかれ」

「………………あ」

 

 おれたちをあわてて追いかけてきた萌愛は、当然このトラップにひっかかった。

 足元がぼんやり青く光る通路で、おれたちはちっちゃい三角形をつくるようにして立っている。

 

「別所くん。知ってたよね? 彼女があとから来てるのを」

 

 もはやシラを切っても意味はないな。

 

「知ってたよ」

「あなたが『こい』って指示したの?」

「それは、してない」

「じゃあ……モッちゃんがそうしたかったから、したんだね?」

 

 瞬間。

 あいつのほっぺのあたりが、わずかにピンク色になった。そういうメイクをしてる――のではないと思う。

 態度もどこかモジモジしている。

 ふだんの萌愛なら「そうだよっ!」と胸をはってひらきなおりそうなものだが。

 

「いいタイミングだから質問するね」

 

 江口さんは笑顔だけど、まなざしがマジ。

 萌愛の目つきも、つられて強くなってる。

 おれはただただ棒立(ぼうだ)ち。

 

 ――10月5日(いつか)にして、はやくも「いかないで」にかかわる分岐点にきたか。

 

 午前中の自分に教えたい。

 

 

「別所くんは、私とモッちゃんのどっちが好きなのかな?」

 

 

 (しん)の〈シュラバ〉はここにあったと。

 

 ◆

 

 夜になった。

 明日からまた一週間がはじまる。

 そろそろ寝るかというときにラインがきた。

 

「感謝しなさいよ」

「か・ん・しゃ! OK?」

「私が気を()かせなかったら、アンタ終わってたんだから」

 

「わかってるよ」

「ありがとな、萌愛」

 

 とメッセージを送ったら、満足したのかあいつは静かになる。

 

 ――あのとき、

 

 

「どっちが好きなのか知ってるよ」

 

 

 と言って、あいつは江口さんを指さした。

 えっ、と照れる彼女。

 それだけで一応丸くおさまったんだ。

 

 おさまったけど……

 

「あいにく、私はコウちゃんのタイプじゃないから」

 

 その一言は必要だったか?

 いらなかっただろ。

 べつに。

 ……。

 またラインがきた。

 

「今日はありがとう」

 

 江口さんだ。

 

「こちらこそ。途中からデートにムリヤリ入ってきたあいつのことは、ほんとにごめん」

「いいよ気にしてない。それより私には時間がないから」

「時間?」

「転校のこと。私ね、最後の思い出を」

 

 別所くんとつくりたくて。

 はっきりそう書かれていた。 

 おれも転校するんだよ、と返信して伝えることは、なぜかできなかった。 

 

 

「マンガ書き直してみたんだけど、どうかな……?」

 

 

 水曜日の放課後。

 美術室で読ませてもらった原稿は、みちがえるほど面白くなっていた。

 中でも心がひかれたのは、ラスト直前の大きなコマでヒロインの女の子が――

 

 いかないで

 

 と泣きながら叫んでいるところ。

 

「もし別所くんが転校するなら、絶対に私もこの子みたいに『いかないで』ってなるよ」

「えっ!!??」

「そんなおどろくことかなー? ふふっ、まるで、ほんとに転校しちゃうみたいだね」

 

 江口さんは何気なく口にしたけど、

 もしかしたらカギなんじゃないか。

 あるいはループを抜ける可能性がある、大きな一歩。 

 彼女ならそう言って引きとめてくれるって、たしかな証拠を手に入れたようなものだろ?

 

 しかし今回のループは、深森(ふかもり)さんのアドバイスにしたがって萌愛を……

 

 

「私、別所くんが好き」

 

 

 その日の帰り道。

 おれは告白された。

 

「返事は、すぐじゃなくていいから!」

 

 ダーッと彼女は自転車に乗って走り去る。

 今日は10月8日(ようか)。まだ20日以上も時間が残っているのに。

 勝ち(かく)。そんな言葉が頭をよぎった。

 

「……なにしてんの、そんなトコで」

「おまえが帰ってくるのをまってたんだ」

「『テスト前だから図書館で勉強してる』ってアンタにラインかえしたじゃん」

「どうしても直接、会いたくてな」

 

 萌愛の家の前。

 空はもう暗くなっている。

 

「おれ、ある女の子にコクられた」

「コウちゃんが? っていうか、それってアオイでしょ?」

「どうしたらいいと思う?」

「はぁ⁉ 知らないじゃん! 自分で決めてよそんなの」

「モア。おれが……ループを出ていってもいいのか?」

「ループ」萌愛は真上を見上げた。ショートの髪がサラッとゆれる。「――って、なに?」

 

 ひっかからなかったか。

 ひそかに、うまくいくかと思ったんだが。

 

「それは忘れてくれ。で、だな、おまえの意見をききたい。おれは江口さんとつきあったほうがいいか?」

「当たり前でしょ、そんなの」

 

 即答。

 迷うことすらしなかったから、そのぶん冷たい感じがした。

 船がスーッと港をはなれていくように、おれから遠ざかっていったみたいだった。

 

 現実は、幼なじみってこんなもんだよな。

 わかってたことだろ?

 悲しむなよ、おれ。

 

 

 ――もう2回目のループのあいつは、この世のどこにもいないんだ。

 

 

(……本当に〈今月〉でさよならだな、モア)

 

 二度とあともどりはしない。

 おれはおまえじゃない女の子をパートナーにして、すべてを終わらせるつもりだ。

 

 次の日の朝。

 

「おはよう。別所くん」

「あ……」

 

 校門の、学校名が書かれた柱のウラに、

 ポニーテールの深森さんが立っていた。

 おれは二度見(にどみ)した。

 ポニー……テール……だと……?

 

 

「気が変わった」手の形は敬礼。メガネの横に片手の指先をそろえてあてている。表情は無い。二つの(ひとみ)は、おれの顔の真後ろの、ずっと向こうを見ているみたいだ。「ふたたびあなたに世話を焼いてあげようと思う。ただし地獄の業火(ごうか)で」

 

 



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毒を食らわば皿まで

 やっとループの終わりが見えてきた。

 頭がキレる深森(ふかもり)さんが協力してくれるっていうし、しかも「いかないで」と引きとめてくれそうな女の子までいる。

 ――ってことは、あいつとの(わか)れもいっそうリアルに……

 

 

「私ね、コウちゃんが幼なじみで……本当によかったと思ってる」

 

 

 ぎゅっ、とつよくにぎってきたあいつの手。最後のデートの最後の時間。

 風がふいた。

 中庭。

 おれと深森さんは背中合わせのベンチに、背中合わせにすわっていた。

 

「なるほどね」

 

 彼女はいつもどおり、ため息がでるほど理解がはやい。

 ファンタジーすぎる〈10月のループ〉の説明さえ、すんなり納得してしまう。

 

「話をきいたかぎりだと、やっぱりカギは2回目のループのようね。でももう完全な再現はできないから、アレコレ考えたってムダ。生産的じゃない。それは4回目にしたってそう。転校を知らせるタイミングを変えてうまくいくかどうかなんて、正確に知るすべがない。だったら――」

「だったら……?」

「ちょっと! こっち見ないで! 目線は前に向けたままでって言ったでしょ」

「あ、ごめん」

 

 あわてて顔の向きをもとにもどす。

 足元で、意味ありげな感じでイチョウの葉っぱがつむじ風でくるくる回っていた。

 いい? 別所くん、と前置きするように小さな声で言って、

 

「過去のミスにとらわれるよりも、新しい方法をためすべき」

 

 ばっ、とそっちに向きたい思いを必死でガマンした。

 こうやって他人のフリしとかないと、深森さんはイヤだっていうからな。

 新しい方法――――?

 ものすごくありがたい感じがするが、おれには告白してくれた……江口(えぐち)さんがいる。

 彼女と「いかないで」を結びつける方向がベストなんじゃないのか。

 

「告白された? あなたが?」

「そうだよ」

「同じクラスの女子に?」

「もちろん。さすがに名前は言えな――」

「江口(あおい)でしょ? 逆にまさか、あの子といい仲なのをかくせてる気でいたの? それなら」

 

 3秒、5秒、10秒と、

 無言の()をためにためて、

 

「あ・ほ」

 

 一気に()きはなつ。

 頭の中では、翔華(しょうか)に格ゲーでK.O.(ケーオー)されたときのシーンがチラついた。

 

「無限大のあほ。わるい意味で、ポテンシャルがはかりしれない」

「いや……でも、教室ではほとんど二人でしゃべってなかったし……」 

「帰り道、ウの目タカの目、どこにでも」

 

 俳句みたいなリズムで深森さんは言った。

 

「女子のネットワークを甘くみないこと。すでに今週の月曜には、クラスの女の子たちの間で下校デートが周知の事実になってたんだから」

「ま、まじで……?」

「クソまじ」

 

 と、おとなしいキャラに似合わない言葉づかい。

 でもおれは「あほ」とか「クソ」とか口にしてくれるたびに、すごくうれしいんだ。

 深森さんが教室で見せない一面を、おれだけに見せてくれてる気がして。

 

「そういえば、以前、江口さんに自作のマンガをみせてもらったことがある」

「えっ」

「私はあなたみたいにやさしくないから『おもしろい』ってこたえておいたけど」

 

 ゾッと背中が冷たくなった。

 どうしておれが『おもしろくない』ってこたえたのが、わかったんだ? そこは説明してなかったぞ。

 

「処女作って言ってたっけ。あの作品のモチーフが、きっとあの子のコアな部分なんだと思う」

「転校することが?」

「べつにどうでもいいけど」

 

 かさっ、とかわいた音がした。見えないが、たぶん腕を組んだんだろう。

 

「別所くん」

「はい?」

「心してきくように」

 

 彼女は立ち上がって、おれの前に回りこんだ。

 目が行くのは、やっぱりポニーテール。三つ編みからの急すぎるチェンジだからな。

 腕を組み、足を肩幅にひらいた、堂々たる仁王立ち。

 逆光になっていて、表情はよくわからない。

 サーッ、とさわやかな風がふいて、セーラー服のスカートがゆれた。

 ん?

 かすかに、にぃ、と片方の口のはしが上がった…………か?

 

 

「私に好かれる覚悟はある?」

 

 

 ◆

 

 まだ気持ちがおちつかない。

 一時間目の授業中。

 (むね)で何度もループしているのは去りぎわの彼女とのやりとり。

 

「ループを〈確実に〉出たいのなら、うってつけの方法がある」

「確実って……それほんと?」

「あなたが、私に圧倒的に好かれればいいだけ。デレッデレになるぐらい」

「えっ⁉」

「二回も言わせないで」

 

 そこで深森さんは背中を向けた。

 まったく、おどろくべき発想だった。

 

 つまり――

 

・おれは好かれようとひたすら努力する

・深森さんも(なるべく)おれを好きになろうとする

・最終日までに好感度がMAXになったら、あとはその言葉を口ずさむだけ

 

 という、いわば「いかないで」のはさみうち。

 

 江口さんとちがって事情を知っているぶん、「いわない」というミスのないたしかな方法といえる。

 

 だが、ひっかかってしょうがない。

 んー、うまくいくイメージがなー……。

 あのとき、さっそく髪型をほめてみても、

 

「ただの気分転換」

 

 と一蹴(いっしゅう)。 

 負けじと、もっともっとほめてみたんだが、

 

「テ、テストの成績がいいよね」

「あなたは成績で人をみるの?」

「メガネかけてると知的にみえるよね」

「だから?」

「え、えっと、セーラー服がとても似合って―――」

「ど・変態」

 

 ひどいいわれようだったが、おれも最後のヤツだけはほめる部分をまちがえた気がする。

 ふーっ、と長い息をはいたあと、深森さんにさりげなく質問した。

 

「……あのさ、どうしておれに手をかしてくれる気になったんだ?」

 

 じろり、と光を反射させながらこっちを向くメガネ。

 詰め寄るようにおれに接近してきて、くいっ、とすこし上がるあご。

 

「終わらせることが大事なの」

「えっ」

「あなたをとりまく異常現象を」

「ループのこと?」

「偶然とはいえ事情を知ってしまった以上、それを途中でほうりだすのは、すこぶる気持ちがわるい。私はどんなにつまらない小説でも最後まで読みとおすクチなのよ」

 

 さっ、と敬礼にみえる手つきでメガネをさわる。

 

「なぜならラストシーンには物語のすべてがあるから」

 

 すがすがしいくらい、ドヤッ! のカオでそう言った。

 あの深森さんのドヤ顔は、さぞかし貴重だろう。

 

(あっ)

 

 運動場に向いた窓際(まどぎわ)の一つ横のならびの、前から三つ目の席。おれの席からみると左のちょっと前のほう。

 

 視線を感じると思ったら、江口さんがじっとこっちを見てた。

 上半身をやや前にかたむけた、ノートをとってる姿勢で。自然な感じで内に巻いた髪の毛の先は、机の数センチ上。

 にこっと笑ってる。

 目が合うと、ちいさく手をふってくれた。

 

(おお……。なんか……いいな、こういうの)

 

 おれだってできたんだな、こういう恋愛が。

 ステキだ。こうなると、転校するのが残念に思える。

 

(あれっ? まてよ)

 

 なんか、ひらめいた。

 深森さん提案の〈はさみうち〉の件。

 もしかして……

 

 

「なーーーにたくらんでんの」

 

 

 これ以上まぶたを落とせないぐらいのジト目でそう言う萌愛(もあ)

 両手は腰。髪はショート。スカーフは真っ赤。

 空も赤い。

 

「ここ、家がたったんだな」

「話かえてる。ごまかせてないからね。コウちゃん、さっきから私のこと尾行してたでしょ」

「この空き地でおまえとよく遊んだよなー。ほら、一時期、いっしょにバドミントンばっかりやってただろ?」

 

 はぁ~、とため息をつく。

 そして、あきらめたように、

 

「……そうだね。やってたね」

「久しぶりにやるか?」

「いや。スカートだからパンツみえるじゃん」

 

 と、また不審者をみる目つきになって、さっと両手でおしりのあたりをおさえた。

 最初はむかしの思い出バナシからっていうおれの作戦は、そうわるくないスタートだ。

 

 しかしもっと助走がいる。

 なるべく空気をなごやかにしておく必要があるんだ。

 

 いきなり本題に入ったら、ヤバいヒトと思われるのは確実だからな。

 

「そこの自販機のところで、ちょっと休んでいかないか?」

「えー」

「いいだろ。ちょっとだけ。5分、いや3分」

「もー。テスト勉強しなきゃいけないのにー」

 

 サイフをとりだして、お金をいれた。

 がこん、とジュースが落ちてくる。

 

「ほら」

「お。ももソーダ。私が好きなやつ」

「最近どうだ、学校生活は」

「ヘンな質問」ぷしゅっ、といい音。「アンタもしかして、あの話をしたいわけ?」

「なにが?」

「て・ん・こ・う」

 

 そう発音してつきだしたくちびるが、思ったより距離が近かった。

 おれは体を浮かして、もっと(あいだ)があくように赤い色のベンチにすわりなおす。

 

「この道さ、知ってるか? ベビーカーでよく散歩してたって。おまえの家もそうだろうから、まだ歩けないうちから、おれたちはすれちがってたかもしれないな」

「どうだろ。でも、そのころは私のお母さん、元気だったんだよね」

「あ……わるい。べつに――そんなつもりじゃなかったんだ」

「はい。べっしょ」

 

 元気のない声でつぶやいた。

 ムリに笑おうとしてるような、微妙な表情で。

 

 おもいっきり話題えらびを失敗してしまった。

 

 が、こうなったらひらきなおってみるか。

 

「あのヘアピン、赤い花が咲いたデザインのあれ、いまも持ってるのか?」

「知らないじゃん」

 

 ぷい、と萌愛は横顔を向ける。

 

「大事な形見なんだろ?」

「……当然でしょ」

 

 いけるかどうか――――このしんみりしたムードからの急展開。

 

「あのな萌愛。おまえにひとつ、かくしてたことがある」

「えっ?」目を大きくひらいて、おどろいた表情になる。

「かなり真剣なんだ。心の準備をして、きいてくれ」

「はぁ⁉ そ、そんないきなり……」 

「おれ、じつはタイムリープしてるんだ」

 

 そう打ち明けたら、

 ジュースを右手にもって、無言で立ちあがった。

 そっとおれの肩に、左手をおく。

 

「コウちゃん、あんまりストレスためないようにね」

「スト……いや、そうじゃなくて、これは」

(なや)みがあったらきいてあげるから」

 

 と、夕日をバックにあいつは去っていった。

 くっ。

 あるていど信頼関係をきずいた、幼なじみでもこれかよ……。

 

(あらためて深森さんは特別だな。萌愛でこの態度なら、江口さんには絶対にわかってもらえないってことか) 

 

 おれもジュースでも買うか、と自販機のほうを見たとき、

 気のせいか、どこからか視線を感じた。

 けれど見回しても誰もいない。

 はは……。

 みごとに作戦をミスって、神経質っていうのになってるのかもな。

 

 

 次の日。10月10日(とおか)。金曜日。

 

 

 昼休み。

 

 おれは一人、たから探しをしていた。

 

 机の中に、~~~へ行け、みたいな指示が書かれたメモがあったんだ。

 おそらく深森さんだろう。

 

 図書室のある本のあるページ→自転車置き場の柱のウラ→中庭のイチョウの木の根元→つかわれていないロッカーの中→教室のおれの席……って、もどってくるのかよ!

 

優助(ゆうすけ)はこんなイタズラしないし……さては萌愛か?)

  

 手さぐりで机の中をさがす。

 あった。

 紙が二枚。

 

 

 別所くんへ。

 朝、こんなものが靴箱に入っていた。

 あなたに連絡する必要があると思って。

 

 

 ―― 一枚目はここでおわり。

 二枚目をみたとき、これが〈こんなもの〉なんだとすぐに理解できた。

 クセのないきれいな字でこう書いてある。

 

「別所(むかう)に 近づくな」

 

 うわっ!!!?? と大声をあげそうになった。

 それはこの威圧的な文面のせいじゃなくて、その下に〈(こめじるし)〉をつけて残されていたメッセージのせいだ。

 

 

 この置き手紙の犯人は 江口(あおい)

 あなたの幼なじみにも注意すること。

 

 

 おれは顔をあげた。

 いま、教室の中に〈彼女〉はいない。

 

 数分後、江口さんは姿をあらわしておれの前を横切って――他人のように――、自分の席についた。

 

 おれは深森さんをみた。

 窓際の席で、もの静かに読書している。

 

 萌愛は、友だちとバカ笑いして楽しそうにしている。

 

 窓の外はどんよりとしたくもりの空。

 ドス黒い暗雲(あんうん)だった。

 



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青天の霹靂

 うっぷんを()らしたかった。 

 だからここにきたんだ。

 前回のループで翔華(しょうか)とデートしたバッティングセンターに。

 えらんだ球速(きゅうそく)は、もちろん130キロ。

 

 そして、

 

「やった!」

 

 何球目かのあとで、ようやくボールが前に飛んだ。あの日、あざやかに打った彼女のフォームをおぼえていたからかもしれない。

 こうなると、コツをつかめたも同然(どうぜん)

 しだいにゴロじゃなく、フライも打てるようになって、

 

「…………まじか」

 

 おっめでとうございまぁ~す! とまわりのみんなにきこえるようにハデな場内アナウンスが入る。

 ホームラン。

 なんか、急にハズかしくなってきた。

 バットを置いて、逃げるようにバッターボックスから出た。

 

 おれの目の前には――ぱちぱちぱち――と小さな拍手でむかえてくれる、

 

 

「やるじゃん、(むかう)

 

 

 飯間(いいま)翔華がいた……らいいな、っていう妄想をしてしまう。

 現実は、おれとソエンな、たんなるクラスメイトにすぎないのに。

 どうして、あの子を思い出すような場所に来てしまったんだろう。

 

(でもスカッとしたな)

 

 そのあと、映画館にいく。

 なんとなく気になったヤツをえらんで、座席にすわった。

 

 

「上映前の、このワクワクする感じが大好きなの」

 

 

 いつか(さくら)はそんなことを言ってたっけ。おれとのデートのときに。

 あの子のウィンクは今でも目に焼きついている。かわいかったから。

 

 館内が暗くなり……二時間後……また明るくなる。

 

(まあまあだった)

 

 そうだねー、と彼女だったら同意してくれそうだ。

 

 せっかく(まち)まで出たんだから、次は本屋に行こう。  

 

 基本、ループはかなりタイクツなんだ。流れてくるネットニュースは同じだし、当然テレビもそう、毎日ずっと知ってることばかりが起こりつづける。

 

 そんな中、つよい味方は本。

 読書すること、これが新鮮なんだ。

 おれは読むのがおそいほうだから、だいたい一ヶ月に3冊もあればじゅうぶん。それだけ、おこづかいで買っておけばいい。

 

 今日は三連休の最終日。スポーツの日。

 明日からテスト――なのに、おれは外出をして楽しんできた。

 

 

「へー、ずいぶん余裕あるじゃんか。勉強もせずに遊びにいってたなんて」

 

 

 ふらっとコンビニによると萌愛(もあ)がいた。

 ナマイキにも――というとこいつはおこるだろうが――大人の女性向けのファッション雑誌を読んでいる。

 

「そっちは家でずっと勉強してたのか?」

「当たり前でしょ。私、頭そんなよくないんだから」

「モア、おれの(なや)み、きいてくれよ」

「はぁ~⁉ とつぜん何いってんの?」

 

 と、イヤそうな顔になるも、萌愛は立ち読みしてた本をおいておれについてきてくれた。

 ならんで歩きながら、

 

「これ、いるか?」

 

 ホームランの景品でもらった〈うまい棒〉を萌愛にみせた。

 しゃっ、とネコみたいなすばやさでうばいとられる。

 

「レア(あじ)じゃん……」

飯間(いいま)さんに、もらったんだよ」

「飯間さんて同じクラスのあの飯間さん? まーたウソばっかいって」

 

 と言いながら、もう袋をあけていた。

 ぱくっ、と一口かじる。かじって、そんなに長くない髪を耳にかきあげた。

 

「で、悩みは?」

「たとえば誰かを好きになって……」

「まさかの恋愛相談っ⁉」

「きいてくれ。それでな、その子の意外な一面をみてしまうんだよ。ちょっとコワい部分を」

 

 萌愛は考え事をするように、上を見上げた。おれもつられてそっちを見た。

 夕方の赤い色と、夜の青い色が半分半分みたいな空。

 

「もうちょい具体的におしえなさいよ。どうせそれアオイのことなんでしょ?」

 

 そうだよ、とおれは否定しない。したって、もう意味がない。

 

「なんかされたわけ?」

「いや、まあ、ジェラシーやシットされたっていうか……いきすぎたヤキモチというか……」

「コウちゃん、そういうの女の子だったら誰だってあるから。この私だって―――」

 

 ん?

 時間停止……か?

 お菓子を食べている萌愛が、そのままうごかなくなった。

 歩きながらだったから、足まで止まっている。

 

「途中でやめるなよ。おまえもあるのか? そういう感情が」

「……べつに」

 

 その返事からあとは、あからさまに無口になった。早歩きにもなった。

 こうなると、なんだか質問をムシかえしにくい。

「じゃね」と小声でいって家に入っていく萌愛を見送ると、おれも帰宅した。

 

(あんま考えすぎないほうがいいのかな……)

 

 しかし〈告白〉にはこたえないといけない。

 保留したままなのは、彼女にわるいだろう。

 

 その翌日、翌々日は中間テストで、

 次の日の昼休み。

 

 おれのとなりに、となりにふさわしくない人間がいる。

 

 

「押しだまらない。もっと軽快なトークで私を楽しませなさい」

 

 

 ぶおん、と遠心力で髪の毛をふっておれのほうを見る深森(ふかもり)さん。

 あの日から、彼女はずっとポニーテールだ。

 

「あえてきたない言葉をつかうけど、私をオトす気できて。ラテンのノリで(ねつ)っぽくクドくのよ」

「そうは言ってもさ……」

「あなた、ループを終わらせたくないの?」

 

 教室の外。

 カーテン全開なのを確認した上で、さっき深森さんが「出ましょう」と言った。

 非常階段につながっている、どういう名称なのかよくわからない場所。ベランダ……で合ってるんだろうか。そこから運動場をながめるように――教室には後ろ姿を向けて――おれたちは横ならびで立っている。

 

「きょ、今日もとても、めちゃくちゃかわいいね」

「もし私よりもスーパーかわいい子があらわれたら、そっちを好きになるっていう意味?」

「ならないよ。おれには深森さんだけだから」

「……」

 

 再度、ポニーテールを横方向にふった。

 後頭部しか見えなくなって表情は不明。

 

(んー、あとはどんな話題が……あっ!)

 

 思い出した。あれ。小原(おはら)さんと映画みにいったときのこと。

 

「あ、あの」

「つづけなさい」すっ、と顔の向きがもどっておれと目が合う。いつもと変わらないポーカーフェイス。

「2週間前の土曜日……映画みてた?」

 

 がっ、と片手で肩をつかまれた。

 

「どっ、どうしてあなた、それをししし知ってるのっ!!!???」

「いや、そんなにおどろかなくても。偶然、うしろの席にいただけだから」

「あれは中学生の男の子が興味をもつような映画じゃないでしょ!」

「終わったあとに、ハンカチで目元を――」

「あーあー! だまってっ!」

 

 つかんでいた手をはなしてバイバイのようにふる。

 ふと、教室に目線がうつった。

 おわっ⁉

 ほぼクラスメイトの全員が、こっちをガン見してる!

 

「別所くん。その記憶はただちに全消去で。いい?」

「お、おーけー……」

「そしてすでにタネはまいた。このメは、明日の朝に出るでしょう」

「えっ?」

「いつもより一時間はやく登校。さもないと世話を焼くのもこれにて終了」

 

 ラップみたくインをふんで、深森さんは非常階段へ歩いていった。

 い、一時間もはやく家を出る……のか?

 しょうがない。今日ははやめに寝るか。

 

 

 ―――翌朝。

 

 

「昨日のあの行動によって、かならず二枚目の〈脅迫状(きょうはくじょう)〉がとどくはず」 

 

 メガネの横に指先をあてながら、深森さんは言った。

 

「犯行現場をおさえられたら、彼女も言い(のが)れのしようがない。そのあとどうなるかは――」

 

 あなたしだいね、と指をピストルにする。

 おれはフクザツだった。

 だって、こんなことをしたら、江口(えぐち)さんがキズつくんじゃないか?

 たしかに「近づくな」とか書いてオドすのはよくないことだけど……。

 告白を保留しつづけてるおれにも、責任はあるような気がするんだ。

 でも今さら中止にしてくれとも言えない。

 

(あとはおれしだい……か)

 

 待つこと40分から50分。

 とうとうそのときはやってきた。

 思わず何か口走りそうになったおれのくちびるに向かって、深森さんが人差し指をタテにする。「しっ!」

 

(こんなに思いどおりになるなんて)

 

 おそるべし、すぎ。

 あらかじめ靴箱の位置はカドの一番下よ、と彼女はおれに教えてくれていた。

 そこにしゃがみこんでいる人影。

 むろんセーラー服の女子だ。

 

「もう。バレるからそんなに身を乗りださないで」

「ごめん」

 

 靴箱に近い大きな柱のカゲに、おれたちはいる。

 ここなら、ばっちり江口さんのことが―――

 

 

「あの……二人でなにしてるの?」

 

「えっ?」「えっ!!??」

 

 

 おれと深森さんがほとんど同時に声をあげた。

 おれはともかく、彼女がこんなにきょとんとした表情になるのはめずらしい。

 反応も、カミナリが落ちたときと似ていた。

 とっさに抱きつくようなそぶりを見せたが、せいいっぱいのブレーキでおれに伸ばしかけた両手をピタッととめたのがわかった。

 

 ゆっくり二人でふりかえると、

 

 

「?」

 

 

 無言で首をかしげる――――江口さんがいた。

 まじで江口さんか? とおれは必要以上にじろじろ見てしまう。エンリョもなく、顔、胸、腰、足と。

 

 首をターン。

 

 あっちにも、いる。

 

 靴箱にモノを入れ終わったのか、しゃがんでいた姿勢から立ち上がったところだ。

 

「おーっ、おはよー!」

「………………おは」

 

 からっとした萌愛の声が、あたりにひびいた。

 そして、いま返事をしたのが、おれたちがずーっと江口さんだと思いこんでいた人物。

 

「どうかした? なんかきょろきょろしてる?」

「べつに、べっしょ。それはモアちぃの未来のダンナさんの名前」

「もー、朝からくだらない冗談はやめてよー! ヤッちゃん!」

 

 ぱしん、とスナップをきかせた手で肩をたたいた。

 あいつの親友の山中(やまなか)小柄(こがら)な体を。

 

「未来といえばね、ヤッちゃん。私……いっこ知ってるんだよ、この先の世界のこと」

「ほう?」

「今から一年後、戦争がはじまっちゃうの」

「それは悲しいお知らせ」

「ねっ。私もさぁ、なんとかならないかな~って思うんだけど―――」

 

 ギリギリ会話がきこえる距離。

 萌愛は、すぐうしろでおれが盗み聞きしていることに、気づいていない。

 

「ちな、どこ?」

 

 山中の問いかけに、萌愛は即答した。

 

 それが耳に入った瞬間、

 ぴりっ、とおれの体に小さなカミナリが落ちた。

 

(おいおい……)

 

 あいつは冗談でこんなことをいうヤツじゃないと思っていたが。

 いいや、冗談にしてもタチがわるすぎる。

 

(萌愛。おまえも行き先ぐらい知ってるはずだろ?)

 

 その戦争になるっていう国は、おれの転校先なんだぞ。

 



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善は急げ

 昼休みのあとは体育がある。

 体操服は、男女共通でブルーのジャージ。

 このせいで萌愛(もあ)は以前、知らない男子に友だちとまちがわれたことがあった。

 その一件は、もちろんとびっきりのタブーだ。

 

 

「話がある? 私に?」

 

 

 めんどくさそうな顔をかくそうともしないで、鎖骨(さこつ)のあたりに自分の人差し指をあてる。

 体育館へつづくわたり廊下。

 そこで運よく、ジャージ姿のこいつをつかまえることができた。

 

「また(なや)みの相談する気?」

「そういえばモア」

「ん?」

「男子だと思われて人まちがいされたのって、たしかこのあたりだったよな」

「…………ケンカうってんの?」

 

 と、誰かをホウフツとさせるような力強い腕組み。

 でもまだまだ、こいつじゃあの人の迫力にはとどかない。

 

「それはおれのセリフだよ」

「はぁ~~~っ!!?? なにそれ。意味わかんない。いまおこってんの、私じゃんか」

「きいたんだ、朝の廊下での山中(やまなか)との会話」

 

 むかしから表情ゆたかで、小細工ができなかったヤツだ。

 ドキッ! とわかりやすく眉毛と肩の高さが上がった。

 

「一年後に戦争がはじまるんだってな」

「あー、あれ……ね。コウちゃん、きいてたんだ……」

「出まかせもほどほどにしてくれよ。これからそこに引っ越そうっていうのに縁起(えんぎ)がわるすぎるだろ? それに言葉にはコトダマがだな――」

「い、言ってないし!」

「えっ?」

「ぜんぶソラミミだから!!!」

 

 ぎゅっと目をつむって、だだーっ、と萌愛は土煙(つちけむり)をあげながら運動場に走っていった。

 とり残されて、ふう、とため息をつくおれ。

 足元で黒い影がうごいた。

 

「ヘタね」

 

 深森(ふかもり)さんだ。

 半回転するようにおれの前に回りこんで、おもむろに腕を組んだ。

 黒ぶちのメガネでポニーテールでジャージ姿。

 さすが本家の存在感は一味(ひとあじ)ちがう。

 

「あれじゃ追い()みかたが甘い。動線(どうせん)もガラ()き。さあ逃げて下さいと言ってるようなもの」

(その道のプロみたいな言いかただな……)

 

 おれに背中を向けて二、三歩はなれて、くるっとふりかえった。

 

「ストレートに質問したって、言った言わないで話がもつれるのが予想できなかったの? ん?」

 

 ん、ともう一度ハミングを鳴らす。

 遠くから授業前にサッカーで遊んでいる男子のさわぐ声がきこえてくる。

 

「一応幼なじみだし、なんとかなるかと……」

「なんとかなってないじゃない」組んでいた腕をほどいて、片手を腰に、片手をメガネの横にもっていく。「とりあえず別所くん、あのプロジェクトはもうナシだから」

 

 おれの疑問に先回りしてこたえる。

 

「プロジェクトっていうのは、私に『いかないで』をいわせること」

「ナシ? どうして?」

「靴箱に入っていた手紙を確認したら、こう書かれていた。『別所くんは 運命の相手。お願いだから 邪魔しないで』って。相手っていうのは、もちろん山中(やまなか)さん本人じゃなくて、あなたの幼なじみなんでしょうね」

「その手紙は?」

「あんなもの残しても意味がない。とっくにゴミ箱よ」

「書いたのは江口(えぐち)さんじゃな……」

 

 まだ言い終わってないうちに、かぶせぎみに深森さんは言う。

 

「文字のクセまでコピーされたんじゃ、私も完全にお手上げ。あれは、よく考えればじつに巧妙なトリック。江口さんだと思わせたことで、私と彼女の両方をあなたからいっぺんに遠ざけようとしたんだから」

 

 あはは……ととりあえず愛想笑いするしかない。

 文字をみてクラスメイトの誰が書いたか当てられるなんて、彼女にとってはなんでもないことなのか?

 

 じゅうぶんカミワザだよ――おれにとっては。

 こうして世話を焼いてくれてなければ、きっと事実を知ることはできなかっただろう。

 

「まだ何かあるの?」

 

 あと何分かで昼休みも終わる。

 おれは、これだけは伝えておかないと、と早口で急いで説明した。

 萌愛が「未来で戦争」なんて物騒(ぶっそう)な、あいつらしくないコトバを口にしたことを。

 

 あー、はいはい、というかるい感じで深森さんはアイヅチを打つ。

 やや首をかしげて、冷たい――でもきれいな――(ひとみ)でおれをみる。

 近づいて()げたセリフは、両足が地面にめりこむぐらい重かった。

 

 

「あなた、すでに死んでるのかも」

 

 

 ◆

 

 笑えない話だ。

 

(おれが? まさか……)

 

 まるで、お医者さんが聴診器をあてて「心臓がとまってますね」っていうコントみたいじゃないか。そういう場合、たいがい耳に入れるところを耳に入れてなかったりして、ほんとにとまっているっていうのはない。

 ないんだ。

 ない。

 ない……よな?

 おれはこんなに元気なのに。

 

 六時間目の授業中。

 迷いに迷ったが――――もっとくわしいことを、一秒でもはやくききたい!

 

「せ、先生……」立ち上がって手をあげているおれに、クラス中が注目する。「気分がわるいんで、保健室にいってもいいですか?」

 

 もろに仮病なんだが、うたがわれなかった。

 一人でいけるか→いけます、というやりとりだけで、あっさり教室を出る。

 これでたぶんOK。

 あとはまつだけだ。

 

(彼女なら、あの一瞬で送ったサインが伝わるはず)

 

 そして、おれが保健室にいなければ、前にいっしょに話した〈ここ〉だと思ってくれる。

 10分後。

 ざっざっ、という規則的な足音がきこえてきた。

 

 

「ウィンクきも」

 

 

 それが第一声。

 

「二度とああいうこと、しないで」

「……わかった。でもこうやってきてくれて、うれしいよ。深森さん」

 

 中庭におかれた背中合わせのベンチ。

 意外にも、彼女はうしろのやつじゃなくて、おれの横にすわった。

 ふわっ、と風がふくたびにシャンプーらしい香りがする。

 思わず舞い上がりそうになるが、そんな場合じゃない。

 まずは―――

 

「おれ、死んでるの?」

 

 という、ブラックジョークみたいな問いかけからスタート。

 

「一見、私には死んでいないようにみえる」

「いやまじで深森さん……」

「あなた、里居(さとい)さんにチョコをもらったことはある? バレンタインで」

「チョコ? なんの話?」

 

 い、い、か、ら、とベンチに片手をおいて、ずいっと上半身をおれに近づけてきた。

 首元からその下へとつづく、セーラー服の胸元のちょっとあいたスペースからあわてて目をそらす。

 

「こたえて」

「あー、ない……よ」

「じゃ当然、彼女に『すき』って言われたこともない。そうね?」 

「おれに告白ってこと?」

 

 こく、と彼女はタテに、おれは横に、首をふった。

 ただし、おれが熱烈にアプローチした2回目のループのときは、何回かあったかもしれない。

 でも告白っていうほどじゃなく、デートのとき、彼氏彼女っぽい会話の中で自然に――――

 

「いてっ」

 

 頭をパシッとシバかれた。

 

「思い出にひたってる場合? 私が言いたいのは、つまり〈2回目の里居さんを別人〉とする仮説なのよ」

「えっ」

「あなたもあほじゃないんだから、女子なら誰でもしつこく言い寄れば恋人になれるなんて思ってないでしょ?」

 

 返事もきかず、彼女はベンチから立ち上がった。

 

「私の記憶にある〈4月から9月までの里居さん〉は、あなたには耳がいたい話かもしれないけど、まったくミャクがないように見えた」

「そ、そうかな? おれたちは、けっこう仲がいい幼なじみだと思うんだけど」

「近所にすむ幼なじみだからこそ、冷たくあしらえないケースだってある」

「けど、朝、タイミングが同じだったら、いっしょに登校することもあったし……」

「正直に『イヤ』ってことわったらカドがたつ。それを避けたのかもね」

 

 すわっているおれを見下ろすような角度で、彼女は腕を組む。

 今までの中で一番、とてつもなく不吉(ふきつ)な予感がした。 

 

 

「結論をいうと、中学二年の10月の里居萌愛は、別所くんのことなんかカほども気にしてないってことよ」

 

 

 カ?

 おれは無意識に、深森さんの言葉をくり返していた。

 カ?

 

「そうモスキート」

 

 と、彼女はダメ押しをしてくる。

 気持ち、体がちっちゃくなって逆に深森さんがデカくなったような気がした。

 とはいえ、とその先をつづける。

 

「心のどこかであなたに好意をもっているのは、まずまちがいない。こういう感情は寄せては返す、波みたいなものだから。けれども14才の現時点では、死ぬ気でコクってもOKしてくれないほどはなれている―――というのが私の観測(かんそく)

「おれは……ずっとあいつのことをカンちがいしてた?」

「そこで未来の話につながる」

 

 いつになく、深森さんはよくしゃべった。

 時間はあるのに、どこか急いでいるような感じで。

 これでおれと話をするのが、最後っていうわけでもないのに。

 

――「彼女が一年後からやってきたとしたら?」

――「そこからあなたのループがはじまったとしたら?」

――「やけにつじつまが合わない?」

――「2回目のループは、あなたじゃなくて、むしろ彼女のほうから好意を向けてきたのよ」

――「じゃあ、あなたを急に好きになったのはなぜ?」

――「自分の本当の気持ちに気づいた、いや、気づかされたんじゃない? とてもインパクトがある〈なにか〉をきっかけにして」

――「そのきっかけこそ…………」

 

「コウちゃん、大丈夫?」

「わっ」

 

 おれは机にダイブするようにたおしていた上半身を起こす。

 もう放課後だ。

 六時間目の終わりぎわに教室にもどってきて、掃除があって、ちょっとそんな体勢のままで考えごとをしていた。

 

 目の前に萌愛がいる。

 

「大丈夫。保健室にいったのは、たんにサボリたかったからなんだ」

「うっわ~。わるぅ。不良不良」

「それより、クラスで話題にならなかったか?」

「話題?」

「深森さんも、あとから出ていっただろ?」

 

 そうだったかな~、と萌愛はとぼける。 

 で、おれにまた〈あのこと〉をきかれると思ったのか、さっさとどっかへ行ってしまった。

 

「ベツ。平気か?」

 

 廊下で、ぱんぱんと2回背中をたたかれた。

 友だちの優助(ゆうすけ)だ。

 テストが終わったから、こいつは部活でいそがしいはずなんだが、もしかしておれをまっててくれたんだろうか。

 

「ああ。ばっちり回復したよ」 

「それはそれとして――」声をひそめて、おれに顔を近づける。「ベツ、じっさい深森さんとはどうなん?」

「え?」

「おれはさー、だんぜん里居ちゃんのほうだぜ? あの人もスッゲーかわいいけど、ベツとのトータルの相性じゃくらべもんになんねぇよ」

 

 んじゃまた来週会おうぜ! と優助は重そうなスポーツバッグを肩にかけて走っていった。

 そういえば今日は金曜か。すっかり忘れていた。

 

(「いかないで」のことがあるから、休みってあんまりありがたくないんだよな)

 

 靴箱のところで靴をはきかえていると、

 

「あ、あのっ」

 

 前から声。

 顔をあげれば――

 

 

「いっしょに帰ってくれる……?」

 

 

 江口(えぐち)さんがいた。

 萌愛より5センチぐらい背がたかく大人っぽい雰囲気の、絵をかくのが上手な女の子。

 

「もちろん」

「そっか。うれしい」

「あれっ? すこし前髪きった?」

「あ……。わかってくれるんだね……。友だちみんな、わからなかったのに」  

 

 二人で歩きながら、おれはもくもくと考えていた。

 今日、久しぶりにおれと下校しようって彼女が行動を起こした意味を。

 

 理由は、ひとつしかない。

 告白の返事がほしい、ということだ。

 

 おれのハラはすでに決まっていた。

 かけひきなんかできるほど恋愛レベルが高くないから、

 やや急ぎ足で、学校も出てないうちに話を切り出した。

 

「告白のことだけど」

「えっ⁉」指の間をひらききった右手を、口元にあてた。「う、うん……。まって。心の準備する」

 

 最終日にここを越えたらループがはじまる、校門のレールをまたいだ。

 空は夕焼け。

 いいよ、と彼女が小声でささやく。

 至近距離で向かい合って、まっすぐ目をみながら、

 

 

「おれでよかったら、ぜひ、つきあってほしい」

 

 

 と伝えた。

 

 これでいいんだ。

 彼女なら絶対に「いかないで」でループを打ち破ってくれる。

 

 だから――― 

 

 おれは萌愛でも深森さんでもなく、残っているすべての時間とエネルギーを、江口さんだけにささげようと思う。

 



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大は小を兼ねる

 土曜日。

 デートは照れ笑いからはじまった。

 

「色、(おんな)じだね」

 

 思いがけずペアルックっぽくなったというか……ときおり、すれちがうオトナのカップルの人が、ほほえましいものをみる目でおれたちを見てくる。

 

「ね、別所くん。私たちって、ほんとうに相性がいいよね?」

 

 風で少しずれた真っ白なベレー帽をなおしながら、江口(えぐち)さんが言った。

 今日も髪の毛先は、ふんわりと内側にカールしている。

 お店のガラスに、街を歩くおれたちの姿が映っている。

 クリーム色のジャケットを着ていて中は黒のタートルネック、下は茶色のスカート、クツは新品みたいな白いスニーカー。

 

「ほんとにぴったり」

 

 と、ジャケットをおれのパーカーにあててくる。ちがいがわからないレベルで同じ色だ。「ほらほら」と、スカートの生地(きじ)もつまんで、おれのズボンに。

 

「なんかうれしい。こういうの、心が(つう)じあってるとか、いわないかな……」

 

 上目づかい。

 その表情で、おれのハートがぐらぐらゆれた。

 同時に、なぜかあいつのことがチラッと頭に浮かんだ。

「む~~~」という顔でおれをにらんで、ほっぺをふくらませている。

 髪が長くて今よりも顔のまん丸い、むかしの萌愛(もあ)だ。

 

「どうしたの?」

「べ、べつに……」

 

 まさかデート中にほかの女の子のことを考えていた、なんて言えない。

 知らないふりをして、おれは「いこう」とスタスタ歩きはじめた。

 すると、

 

「…………ごめんね。でも、こうしたほうが自然だから」

 

 にぎっ、と手に感触。

 またしてもハートが―――ぐわんぐわんうごく。

 

(さくら)翔華(しょうか)のときとは少しちがう……うまくいえないけど、展開を急いでいるというか)

 

 まだおたがい、親しく名前呼びもしていないのに。

 ひょっとしたら江口さんは転校――おれがするんじゃなくて、彼女がする――のことがあるから、かもな。

 

「タイクツでしょ? お買いもの、すぐにすませちゃうね」

「大丈夫。こういうトコあまり来ないから、興味ぶかいよ」

 

 やってきたのは大きな文具店だった。画材屋(がざいや)さんとも言うらしい。

 きけば、ほしいスクリーンなんとかがあるとのことだった。

 ああスクリーンのね、とおれが知ったかぶりすると、くすっと笑う。

 

 べったりくっついていてもさがしにくいだろうから、いったん距離をとるか。

 

(おれもなにか買おうかな)

 

 目の前に、ずらーっとペンがならんでいるコーナーにきた。

 そういえば、アレはいま思うと衝撃的だったな。

 美術室でマンガの原稿をビリビリに破いたこと。

 おれが〈江口(あおい)〉を意識するようになったきっかけだ。

 

(…………ん⁉)

 

 視界のスミで何かがササッと流れた。

 あわててかくれたような感じ。

 

(いや、そんなはずは……) 

 

 けれども二度あることは三度ある。

 追いかけるように移動すると、ショートカットの女の子が、背中を向けて立っているのをみつけた。

 考えるより先に、おれは声をかけていた。

 

「おいモア。たのむから、今日ぐらい空気を読んで……」

「はい?」

 

 ふりかえったのは、知らない子だった。

 目、はな、口、どこも萌愛と似ていない。

 まちがえました、すいませんとキョドりつつ、すみやかにその場をはなれる。

 

(よくよく考えたら、うしろ姿もそんなに似てなかったじゃないか。服だって、微妙にあいつのシュミじゃないし……)

 

 もしや、いてほしかったのか?

 しつこくデートについてくるのを、心のどこかで期待――――

 

 いーやっ‼ と心の中で首をふる。

 

(萌愛はもういいんだ。で、おれは恋愛に夢中にもなっちゃいけない。目的はループからの脱出のみ!)

 

 おれは見えないハチマキをしめなおした。

 

「おまたせー。いこっ?」

「うん」

 

 その3秒後、

 おれは「ダーリン」と呼ばれてしまう。

 おそらく人生初の「ダーリン」。

 言葉が出てこなくてだまっていると、江口さんが高速で手を顔の前でぶんぶんふった。

 

「あっ、あのっ! 誤解しないで。じつは次の作品がね、そう呼び合うカップルが主役なの。だから私も、どんな気分なのか経験したかったから……」

「おれはなんて呼べばいいかな?」

「えっ」

「おれも『ダーリン』って」なれない発音で、ちょっと舌をかみそうになった。「呼ぼうか?」

「それは……はずかしいかな」

 

 チャンス。

 じゃあ(あおい)って呼んでもいい? と一気にふみこんだ。

 ん、とちいさなハミングの返事でうなずく。

 

「私も『(むかう)』って呼ぶね。ときどき『ダーリン』でもいい?」

 

 いいよ、とこたえたら葵は、そっか、と小声で言いながら目を()せた。

 そのあと、大型書店にマンガをみにいって、

 

「おいしい」

 

 サンドイッチ屋さんで昼ごはんを食べることになった。

 あとでおなかがすかないように、おれは小さいのよりも大きいのを注文した。

 

「別所く……じゃなかった、向は将来の夢ってあるの?」

「今は、とくにないよ」

「お父さんって、どんな仕事してる?」

「新聞記者」

「じゃあ向も、そっち系の仕事を目指すのかな?」

 

 どうだろ、とサンドイッチをかじりながらこたえる。

 こたえながら思った。

 

(あれ……そういえば、おれ『恋愛心理学』でおぼえたこと、あんまジッセンしてないな)

 

 たとえば〈とにかくホメる〉とか、そういうやつ。

 しなくていいぐらい、おれたちは気が合ってるってことだろうか。

 っていうか、返却するのを忘れてた。図書室に返しにいかないと。

 

 次の日の日曜日も、デートした。

 当然、この日も萌愛はついてこない。

 冬物の服をさがしたい、ということでいろいろ見て回った。

 結局なにも買っていないけど、おれにとっては彼女と交わした言葉とにぎった手のぬくもりでじゅうぶんだ。

 

 ところで――

 

(あいつとは、前からこんな感じだった……っけ?)

 

 土日で萌愛の姿は一秒もみていない。ラインもない。

 あの話も、このままウヤムヤになってしまうんだろうか? 家族で引っ越す予定の場所が、一年後に戦争に巻き込まれるっていう予言みたいなやつ。

 

 だが、おれはこう考えることにした。

 

 深森(ふかもり)さんの推理どおり、おれがヤバいことになって萌愛が未来からやってきたのなら、

 そこはきょうだい同然(どうぜん)にすごしてきた幼なじみのよしみで、

 何かしら手を打ってくれるはずだ。絶対。

 

 サイアクでも「気をつけてね」ぐらいのアドバイスはあるだろう。

 

 現状、それがまったくない。

 逆に言えば、萌愛がそれっぽいアクションを起こさないかぎりは、おれの未来は心配する必要がないんだなって思ってる。

 

 ――翌日。

 10月20日(はつか)は、おれの誕生日だ。

 

 いっこ前のループのときは、ここで萌愛がまっていた。(たん)プレをわたすために。

 

(いない、な……)

 

 ということは今回のループはプレゼントはゼロか。

 (あおい)には、まだおれの誕生日を教えていないから、もらえるはずがない。 

 この残念な事実に、朝から少しがっかりした。

 

 昼休み。

 かりていた本を返却しようとしてカウンターに置いたら、

 

 

「なによ、この『恋愛心理学』ってゆーのは」

 

 

 やけになれなれしい女子の声。

 おれはハッと顔をあげた。

 そこには、かりたときの図書委員の人じゃなくて、

 

「期限もすぎてるし」

 

 クラスメイトがいた。 

 ちょうどエアコンの風がそこにあたっているのか、セーラー服の赤いスカーフがバタバタと大きくゆれている。

 うっ、と鏡をみなくても自分の顔がひきつっているのがわかった。

 おれはこいつが苦手なんだ。

 

「……かんべんしてくれよ、安藤(あんどう)

「まー、べっちんと私の仲だ。よきにはからってやろう」

「図書委員だったのか?」

「まあね」

 

 目をつむって、しゃっ、と耳元の髪を外にひくように指を流した。

 実際はそこに髪がないというか、横の髪は編みこんで上にあげてカチューシャみたいにしている。

 どうしてこんな、お調子者のボケキャラに合わないお嬢様みたいな髪型にするのか、一年のころからマジでわからない。

 

「それはそうとべっちん、最近モテまくってない?」

「気のせいだろ」

「あー! 逃げんなよぉ!」

 

 おれは図書室をあとにして、教室にもどった。

 

(おっ)

 

 入り口のところに萌愛がいる。

 近づくおれに気がついて、おたがいに目が合った。

 そのまま、あいつの口がスローモーションで「コウちゃん」の「コ」の形になったとき、

 

 

「ダーリン!」 

 

 

 教室の中から、親しげに呼びかけられる。

 はぁ!!?? と声もなく萌愛がそんな顔つきになった。

 つけ足すならば「アンタがなんでそんなふうに呼ばれてるのよ⁉」とかか。  

 

「どこに行ってたの?」

「図書室……だよ」

「へー。私も、もっと小説を読まなきゃなーって思うんだけど―――」

 

 文字を読むとねむくなるんだよね、と話しながら、なめらかに二人で教室にはいった。

 さながらカップルみたいに。

 

(ちょっと萌愛としゃべりたかったような気も……)

 

 正直、おれの(むね)の中ではまだ〈2回目のループ〉の想いがくすぶっている。

 

 

「コウちゃん。私、さみしいよ」

 

 

 最後のデートのとき、あいつはいきなりおれに抱きついてきてそう言った。

 その声が、今でも耳に残ってる。

 印象的だったんだ。萌愛らしくない弱気な態度だったから。

 

(ブレるなって、おれ! あと一息でループも終わる!)

 

 そして10月最後の日曜日。

 

 楽しかったデートの帰り道でこんな確認をした。

 

「葵。おれがもし、どっか遠いところに向かうことになったら、引きとめて……くれるんだよな?」

「ん」と、かわいらしい音でハミングを鳴らす。「きっと『いかないで』って、どれだけ(むかう)がこまっても、大声で泣き(さけ)んじゃうんだから」

 

 かちっ、と歯車がかみ合った手ごたえ。

 ここまできたら、もう失敗するほうがむずかしいといえる。

 ただ、不安な要素がひとつだけある。

 それは――――

 

(おれから告白してない、ってことだ)

 

 はっきりと彼女への想いを伝えていない。

 そこを葵が不安に思っているとしたら、最後の最後でつまずく可能性もある。

 

(よし!)

 

 だったら、伝えよう。

「好き」や「大好き」じゃ足りない。そういう小さく切り売りしたようなものじゃなく、もっと大きなほうがいい。

 大きければ大きいほどいい。

 かといって、中学生のおれが大人みたいに「愛してる」なんて言うのもウソっぽいし……

 

「葵。あのさ」

「なに?」

「おれと結婚してくれないか?」

「え……、えーっ!!???」

 

 10月30日の下校の途中で、おれはプロポーズした。

「いかないで」のダメ押しのつもりで。

 

「ん、ごほっ、ごほっ!」

「大丈夫?」

「もう、(むかう)がびっくりするようなこと言うから、ムセちゃったよー。こほっ」

 

 そう笑っているけど、たしか昼間も何度かセキをしてた。

 体調がわるいのかなと、気になっていたんだ。

 

 ――このときすでに、おれの運命は決まっていたのかもしれない。

 

 

(なんだとーーーーっ!!??)

 

 

 5回目の転校の日。

 朝、先生が黒板の前に立った時点で、誰もすわっていないイスが二つあった。

 

 二人の欠席者がいる。

 

 それは萌愛と葵だった。

 



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七転び八起き

 先生がおれの転校をみんなに伝えたとき、

 

「かわいそー」

 

 と、女子の誰かがつぶやいた。

 その子にはたぶん、おれがかなり落ちこんでいるように見えたんだろう。

 たしかに、このショックはかくしきれない。

 

(あおい)が最終日に欠席してる……しかもなぜか萌愛(もあ)まで)

 

 教室を出ようとする先生にきくと、二人とも「体調不良で欠席」。

 そうですか、と返事して、おれはその場でがっくりとうなだれた。

 

「ベツ! ベツっ!」

「…………優助(ゆうすけ)

「そんな下向(したむ)くなって!」

 

 友だちのこいつが、おれの両肩をつかんで強引に体をゆする。

 イケメンじゃないのにイケメンにみえる、最高に気のいいヤツ。

 

「かわってやりてーよ! くそっ! ベツがこんなにヘコんでるとこ……見たくなかったぜ!」

「ありがとな……そのコトバだけで、うれしいよ優助」 

「おう」さっ、と優助は親指で目元をぬぐった。「じゃあ先に行ってるからな」

 

 手をふって、ダッシュで廊下の奥に消える。

 しん、と物音ひとつなくなった。すでにクラスメイトのみんなは、正門のところへ移動してしまったようだ。

 

 ―――たった一人をのぞいて。

 

 教室には、まだ彼女が居残(いのこ)ってくれていた。

 やわらかな光がさす窓の近くに立っていて、今、顔をおれのほうに向けた。

 

「人生は約三万日」

「えっ」

「そして一月(ひとつき)はその千分の一。わかる?」

 

 メガネの横に手をあてながら、深森(ふかもり)さんがスローにこっちに歩いてくる。

 ちなみに髪型は、昨日までのポニーテールとちがって、ツインの三つ編みにもどっていた。

 

「いや……ちょっと……」

「あ、っ、ほ」

 

 クールな表情で、くちびるをほとんど動かさずに言った。

 

「もっと頭をつかうこと。そんなふうに、そうそうにあきらめない。さもないと、永久にあなたの問題は解決しないんだから」

「……ごめん。で、それってどういう意味?」

「1000回くり返す覚悟を決めなさいって意味」

 

 想像以上にハードなことをいわれた。

 おれはおでこに手のひらを、深森さんは人差し指の先をこめかみにあてる。

 

「思うに、まだ失敗のサンプルが全然足りないのよ。なまじ成功しそうなパターンばっかりだから、逆に成功に近づけないでいる。それが現在のあなた」

「おれは、これからどうしたら……」

「そこは心配ご無用。言ったでしょ? 世話の炎で別所くんを焼きつくしてあげるって」

 

 彼女はおれの耳に口を近づけた。

 

(――!)

 

 こくっ、とまっすぐ目をみてうなずく深森さん。

 

「いい? それが次のループで、必ずやるべきこと」はっ、と彼女にはめずらしく、いきなりおどろいたようなカオになった。「かすかに汗のにおい……こんなに涼しくて、私には寒いぐらいなのに」

「えっ? なにが?」

「じっとして」

 

 わっ!

 おれの頭のうしろに片手を回し――――

 

 

「やっぱり。熱がある。きっと、江口(えぐち)さんの風邪をもらったのね」

 

 

 自分の頭をつきだしてきた。

 ぴたっとくっつく、おれと深森さんのおでこ。

 

「彼女に電話はしてみたの?」

 

 至近距離でささやくように言ったその声が、ふだんきいてる声とちがうようで、少しドキドキした。

 明かりを消して寝る前に小声でおしゃべりしている感じ、っていうか。

 

「いや、してない――よ」

「そう」

 

 ふっ、とおでこがはなれる。

 

「お大事に。それじゃ、もう私は行く。あまり長い時間ここで二人きりでいたら、わるいウワサになって、今後の学校生活にさしつかえるといけないから」

「わかった。今まで」

「まだお礼はいらない。それは、ループが終わりをむかえるときの〈私〉に言ってくれる?」

「深森さん」

「私の明日は11月。二度とあなたと会うこともないでしょう」

「ま、まって‼」

 

 追いかけようとしたら、足がもつれてコケそうになった。

 ふつうに歩いてるようにみえたのに、すでにあんなところにいる。

 とおくで、深森さんが肩ごしにおれをふりかえった。

 なにか言いたそうにしばらくそのままの姿勢でいたけど、結局、無言だった。

 

 ついに誰もいなくなった。

 

(いや、まだ……あの深森さんとわかれずにすむ方法がある!)

 

 おれはスマホをとりだした。

 操作しながら廊下を、近くの教室の先生に見つかって注意されないように、階段のところまですすんだ。

 

「……あれ? うそ。(むかう)? ほんとに? 授業中じゃないの?」

(あおい)。じつは大事な話が――」

「ごほっ、ごほっ」

「あっ、大丈夫?」

 

 ん、とききなれたハミングの音。 

 見えないけど、電話の向こうで葵がほほ笑んだような気がした。

 

「大事な話って?」

「おれ今日で転校する」

「ん?」と疑問のハミング。「なに、きこえない」

「ずっと言いだせなかったんだ。ごめん」

 

 三秒ぐらいの、静かな()のあと、

 

 

「私こそごめん」

 

 

 葵のほうもあやまった。

 反射神経で「どうして」という言葉が口から出る。

 

「最初に美術室で、私がマンガをみせたのおぼえてるかな?」

「おぼえてる」

「あれってね、計算だったの」

 

 気がつけば、おれはスマホを耳にぎゅーっと押しつけていた。

 いったん肩の力を抜き、息をととのえる。

 慎重にいこう。

 どうやら、ここが今回のループの最大の山場のようだからな。

 

「あらかじめ原稿にカッターで切れ目をいれててね、……うん、中身はお父さんにスキャンっていうのをやってもらったから、データはちゃんと残ってる」

 

 二回目のおれの「どうして」に、

 葵はこうこたえた。

 

 ――おかしな行動をする女の子って、不思議と印象に残るでしょ?

 ――私、(むかう)に、転校していく私をおぼえててほしくて。

 

「そういう、なんていうか……ずるいところがあるの。いきなり向の家に押しかけたのもそう。よく考えたら、あんな迷惑なことって、ないよね?」

「ぜんぜん!」

「えっ」

「おれ……あの、この一ヶ月楽しかったよ。ほんとに。めちゃくちゃ楽しくて、胸がときめいた」

 

 ぷっ! と葵がふきだした。

 つられて、おれも笑う。

 せまい階段のスペースに、あはは、という二人の声がひびいた。

 

「おもしろい。ときめくなんて表現。でも、それは私だって、同じだよ……」

「葵。それで、おれ転校―――」

「ごめん。お母さんがきちゃった。もう切るね」

「え⁉ う、うん……」

「また明日、学校で会おうね」

 

 通話――終了。

 10月1日にもどること――決定。

 

 しかたなくスマホをしまって、とぼとぼ正門へ向かう途中、

 グサッ!!! とするどいものが、おれの体のどこかに刺さった。

 体っていうか、たぶんハートに。

 

 これってザイアクカン……なのか?

 

 彼女は純粋におれを好きになってくれたのに、おれはループ脱出のために利用していただけ。

 恋愛するんじゃないって割りきっていたのは、あくまでもおれの都合にすぎない。

 最後の最後であの子の体調や気持ちとかより、自分のことばっかり考えていたりして。

 

 すってーん、と思いっきりころんでしまった気分だ。

 

 こんなメンタルじゃ、とてもこの先、がんばっていけない。

 

 まったくおれはとんでもない「あほ」だった。

 まじで……。

 結婚してくれ、とか、どの口が言ったんだよ。

 でも、けっこうガチで葵のことが好…………

 

(なんで今あいつのことがチラつくんだ?)

 

 おれの幼なじみが。

 昨日はピンピンしてたように見えたんだが。

 

(まあ、あんなヤツでも体の調子がよくないときぐらいあるだろ)

 

 正門前についた。

 

 わっと笑いが起こってそっちを見たら、中心にお調子者の安藤(あんどう)がいる。

 どうせ今回も、花道をおれのかわりに歩いて「おまえじゃねーだろ!」ってツッコまれたんだろうな。深森さんと話しこんでいたから、その場面は見れなかったけど。 

 

 はあ。

 しょうがない。いさぎよく失敗を受け入れよう。

 しかしユーウツだ。

 次のループがな……。

 

 

「いってきます」

 

 おれは家を出た。

 6度目の10月1日。さわやかな秋晴れの朝。

 

 

「コウちゃんじゃん」

 

 

 おれはあいつが家から出てくるのを、まちぶせしていた。

 が、いかにも偶然とおりかかったというふうな芝居をした。

 

「しょうがないなぁ~~~、いっしょに登校してあげよっか?」

 

 右足、左足とくつの先で地面をトントンとして、おれに近寄ってくる。

 

「うれしいでしょ? ん?」

「べつに」

「べっしょ」

 

 ずいぶん久しぶりだな、このやりとり。

 あかるく無邪気に笑う萌愛(もあ)をみて、ほんの一秒、心がゆらぎそうになった。

 

 こんなんじゃダメだ。ループを抜けるためには鬼にならないと。

 

「あれ? どうしたの? 忘れものでもした?」

 

 ついてこないおれに気づき、萌愛がふりかえって言う。

 

「おれ……はずかしいから一人でいい」

「はぁ!!?? ちょっとそれどーいう意味?」

「いっしょに登校なんかしたら、つきあってるんじゃないかって誤解されるだろ」

 

 うっ。

 犬、猫にかまれる寸前みたいなこの感じ。

 両手をピーンと下に伸ばして手先はグー。

 ショートの髪の毛先をぷるぷるゆらして、あごをひいてて。

 

「お、おれが前をあるくから、適当に間をあけてくれよ?」

 

 返事もきかずに早歩きで前進した。

 そのすぐあと、

 

 

「いった!!!」

 

 

 たぶんスクールバッグで、おれは思いっきり背中をたたかれた。

 前のめりに、ヘッドスライディングみたいにこける。

 タタタ、とこっちをふりかえりもせず走っていく萌愛。

 

 深森さん……これ、出だしからキツいって……。

 

 

――「次のループで、できるだけ里居(さとい)さんに冷たくして、彼女がどういう行動をとるのかチェックすること」――

 

 

 でも、やりとげなきゃな。おれの未来のために。

 

 次の日。10月2日。

 

「おはよ。べっちん」

 

 朝、席についていたら安藤(あんどう)が近づいてきた。

 

「なんだよ、おれにたのみごとでもあるのか?」

「そんなんじゃなくて、ただアイサツしたかっただ・け」

「やめろよウィンクとか。似合ってないぞ」

 

 うれしそうに笑いながら安藤は向こうに行った。

 相変わらず、今日もキャラに似合わない、いいとこのお嬢様みたいな髪型だ。

 ……ん⁉

 

(あれは)

 

 あいつが手にしている本。

 おれが何度も読んだ『恋愛心理学』の本。

 もう必要がないと思って、昨日は図書室にいかずにかりなかった本。

 

(もしかして……今のは毎日あいさつするだけっていう〈単純接触〉だったのか?)

 

 いやいや、

 それは恋愛のテクニックだぞ? 気になってる男子にやることだ。

 

 翌日。

 朝から雨。

 校舎に入ってカサをたたんだら、すぐ真横に、

 

「おはよう、べっちん」

 

 安藤がいた。

 すこし前髪がぬれている。

 

「おはよう、って」

「あ、ああ……うん」

「言えよ。はい。お、は、よ」

「おはよ」

「う」

「う」

 

 あはっ、と笑顔をみせる。

 おれは不覚(ふかく)にも、かわいいと思ってしまった。一年のときから同じクラスのこいつを。見た目だけはたしかに、バカみたいに調子にのったりボケたりしなければ、かなりいい。

 でもなんか苦手なんだ。

 中身と外見が合ってないミスマッチな部分が。

 

 クツをぬいではきかえる。

 同じようにはきかえたところで、上半身を起こしながら安藤はこう言った。

 

「ところでべっちん、明日ヒマ?」

 



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水泡に帰す

 どこのクラスにも一人はいる、お笑い担当。

 たいていそういうのは男子なんだが、うちのクラスではなぜか―――

 

 

「はじめましてー‼ 私の名前は、安藤(あんどう)可恋(かれん)でーーーす!」

 

 

 今でも記憶にあたらしい、一年のときの横ピースの自己紹介。

 クラス全員、ぽかーん、とした。

 おれもだ。

 黒板の前に出てきた彼女は、クラシックをききながら紅茶を飲むのが似合いそうな、いかにも上品でお嬢様な雰囲気をただよわせていた。

 そんな子がいきなりコレをやったんだから、おどろくのは当たり前だといえる。

 

 もっとおどろいたのは、そのコミュ(りょく)

 

 誰にでもタメ口なのはもちろん、男子女子どっちも名字で呼び捨てにするというストロングスタイル。

 

 なのに、なぜかおれだけ「べっちん」とあだ名で呼ばれている。理由はわからない。 

 

 とにかくそれが、

 

 ―――安藤なんだ。

 

「ヒマだろ、どうせ。なぁ、べっちん」

「うるさいな。おれはヒマ……」ではない。ループ脱出のために、こっちは一日たりともムダにできない状況だ。「かりにそうだとしたら、どうするんだ?」

 

 ちょっと興味がわいたので、一応、質問してみた。

 かすかに「いかないで」の可能性を感じたからだ。

 まあどうせ……大人数でぱーっと遊びに行こうよ、みたいなそんなオチだと思うけどな。

 ぱちぱちっ、とまつ毛の長い目が二回まばたいて、

 

「え? ヒマかどうかきいただけだよん」

 

 にこっと笑う。

 イタズラがうまくいったときの子供みたいな表情だ。

 

「もしかして、いまデートにさそわれると思った? 思っちゃった?」

「…………思ってない」

「またまた~」

 

 ぐりぐりっとおれをひじでついてくる。

 はあ……まいったな。

 こうなるともう完全にこいつのペース。

 

「かんべんしてくれよ。おまえのボケにつきあう気分じゃないんだ」

「そりゃまたどうして?」

 

 横にならんでおれの顔をのぞきこみながら、首をかしげる安藤。

 今日も横の髪を()みこんでカチューシャみたいにしている。

 

「トラブルがあってな。ナヤんでるんだ」

「グーゼン‼」安藤がおれの肩をさわった。「私も同じ! こまってるの!」

 

 ああそう……とおれは話を流す。

 これはせめてもの、さっきのイタズラの仕返しのつもりだ。

 そのあと、ほとんどひっきりなしに彼女が「おはよう」と声をかけられたせいで、つづきの会話はできなかった。

 

 ――そして運命の放課後。

 

 

(準備はオーケーだ)

 

 前回、前々回と同じようにやれば、きっと大丈夫だろう。

 唯一、朝ヘンなことを言ってきた安藤だけが不安だったが、あいつはもう教室にいない。

 あとはアピールするようにモクモクと読書するだけ……

 

「ねぇコウちゃん」

 

 びくっ、と肩が上がってしまった。

 読んでいた本をとじて、正面を向くと、

 

「昨日といい今日といいさぁ、やけにアオイのほう見てない?」

 

 気持ち、ジト目ぎみにおれを見ている萌愛。

 片手はおれの机に、もう片手は自分のショートの髪にあてている。

 

「あ、アオイ? 江口(えぐち)さんのことか?」

「そう」

 

 気のせいだろ、とおれはまた本を読もうとした。

 すると萌愛は、ばん、とすばやく表紙を上から手でおさえる。

 

「ひょっとして好きになった? ねぇ? だったら私、協力してあげよっか?」

「協力?」

「うん」

「いいよ。べつに」

「べっしょ」

 

 そう言って笑顔をうかべる。

 おとといの朝の一件を、もう忘れているかのように明るい。

 こういうさっぱりしたところが、こいつのいいとこ……

 

――「次のループで、できるだけ里居(さとい)さんに冷たくして」

――「冷たくして」

――「つ、め、た、く」

 

 うっ。そうだった。

 この〈10月〉でそうしろ、っていう指示があったんだった。

 おれは意味もなく窓の外をみた。

 ザーザーぶりの大雨だ。

 

「ところでコウちゃんさ、今から帰るんでしょ? よかったら私がいっしょに」

「まてモア」おれは言葉をさえぎって、手のひらをあいつの顔の前にかざす。「それはできない。おれたちは、たんなる幼なじみで、つきあってるわけじゃないんだからな」

 

 むむむ、と眉間にうすいタテのシワができる。

 あきらかにおこってる様子だ。

 ぷいっ、と顔を横に向けて、

 

「あーそうですかっ!」

 

 捨てゼリフとともに教室を出ていった。

 近くにいたクラスメイトが何事かと、出ていく萌愛を目で追いかける。

 

(地味にメンタルやられるな、これは)

 

 だが「いかないで」のためだ。心を鬼にするしかない。

 

 ため息をついて、おれは読書を再開した。

 

 時間がたつごとに一人また一人と教室からいなくなってゆく。 

 そして無人になり、その数十分後。

 

(よし。そろそろ――)

 

 やろう。

 おれは非常階段につながる通路に出るドアをちらっと見た。

 おそらく、すでにあの向こうには彼女がスタンバイしてるはずだ。

 

 深森(ふかもり)さんの席に移動する。

 

 すこしイスを引いて、彼女の机の中へ、そっと手を差し入れた。

 予想どおりドアがひらく。

 

 

「あーーーーっ!!!!!」

「んまっ!!??」

 

 

 おれはびっくりしてシリモチをついてしまった。

 びっくりさせた張本人が、かけ足でこっちにやってくる。

 

「あっははは! なに今の! べっちんが『んまっ』だって!」

 

 と、指をさしてバカ笑い。

 

「『んまっ』って! あはは! おもしろすぎるじゃん!」

「あのなぁ安藤……」床に手をついておれは立ち上がった。「おまえが大声で……」

 

 ちがう。

 そんなことはべつに、どうだっていいんだ。

 そもそも、おれのコシが抜けたのは、安藤が思っているのとは全然ちがう理由なんだから。

 

 

 ――どうして、あらわれたのが深森さんじゃないんだ?

 

 

 おれはまだ笑ってるこいつをほっといて、急いで外に出た。

 いない。

 あの深森さんがどこにも。

 

 カッ、と空が白く光る。

 

(もしかしてこういうことなのか?)

 

・安藤がおれをおどろかそうと、非常階段のほうから教室に回りこむ

・そこで深森さんを発見

・「なにしてるの?」みたいなことを話しかけたら、深森さんはその場から退散した

 

 大筋(おおすじ)、まちがってはいないだろう。

 っていうか、貴重なファーストコンタクトの機会が台無(だいな)しに……。

 

「あ~あ、おっかしい」目をこすりながら、安藤も外に出てきた。「ごめんごめん。笑いすぎたよ。そんなにおこるなって」

「べつに」

「べっちん」

 

 わざとやりとりっぽく言ったのかと思ったら、たんに呼んだだけのようだ。

 

「だからごめんってば」

「おこってないけど」

「ほんとに?」

 

 教室にもどる。

 

 でも、今さら深森さんの机をどうこうしても、もうおそい。

 

 あきらめて家に帰るしかないか。

 

「べっちん、明日ヒマー?」

「あーヒマ。めっちゃヒマ。死ぬほどヒマだよ。こう答えればいいんだろ?」

「半額のチケットがあるんだけど、いっしょに室内プール行かない?」

「なにっ⁉」

「ね? 決定? ね?」

 

 両手をうしろで結んで、廊下がわの入り口近くにいるおれに近づいてくる彼女。

 おれに何かしようとしたのか、安藤がスピードを上げたのとほぼ同時に、

 まぶしいほどのフラッシュと耳をつんざくような爆発の音が鳴りひびく。

 

「きゃっ!!??」

 

 びっくりして思わずつまずいて、

 目をとじて、

 前のめりに、

 てかほとんどダイブで、

 

 体ごと飛びこんできた。

 

 おれはよけたりせず、とっさに受け止めようとしたんだけど――――

 

「…………あのさ、安藤」

「なに」

 

 両肩をつかんだまま、

 大事なことを確認しなくてはいけない。

 

「もしかして、あたった?」

「あたったね」としれっという。「私とべっちんの(くち)(くち)

 

 ◆

 

 翌日。

 昨日のことの整理もつかないまま、おれは室内プールに出かけた。

 

 

「はい、えっちな目でみるの禁止」

 

 

 最初からドキドキが止まらない。 

 まさかのビキニ。色はピンク。

 

(これは萌愛よりも……)

 

 なにとは言わないが〈ある〉。

 っていうか、同級生のこんな姿をみれるとは。

 日ごろ苦手としている女子ではあるんだが、かなりうれしい。

 

 まわりを見回した。

 

 でかいプールと高い屋根。

 微妙に季節はずれのせいか、たまたまなのか、意外に人がいなくてけっこう穴場(あなば)な印象。

 たのしい一日になる予感……

 

「じゃ行ってくるね」

「え?」

 

 ……のはずが、いきなり自由行動になってしまって、ずっと安藤は一人でガチで水泳していた。

 

 

「つかれた~」

 

 

 肩にバスタオルをかけた彼女と、プールサイドでふたたび合流。

 ぷしゅ、と缶ジュースをあけて、なぜかカンパイみたいに二人で缶をあてる。

 

「でね、折り入って相談があるんだけどさ」

「まてよ安藤。それより、昨日の……」

「あー、あれはいったん忘れよう」

「忘れるって――――」ぼっ、と体のシンが熱くなった気がした。まがりなりにもあれはキスなんだぞ。そう簡単になかったことにはできないだろ、ふつう。「いや……なんていうか」

「私の相方(あいかた)になってくれない?」

 

 テーブルをはさんで座ったまま、上半身をおれのほうにかたむける。

 胸元に目がいっていると思われないよう、視線のコントロールに集中しないと。

 

 プールで水がざぶんと音を立てて、泡がこぽっと鳴った。

 

「な、なんだよ、それ。もしかして、つきあってくれっていう意味なのか?」

「ちがうちがう」

 

 ゆっくりと首をふって、

 安藤にはめずらしく真剣なまなざしで、まったく笑わずに言った。

 

「今年の文化祭で、私と漫才のコンビを組んでってこと」

 



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寝耳に水

 目的のためなら手段はえらばない。

 おれも、そういうところを見習う必要が――

 

 

「もしことわったら、べっちんのセクシーな水着姿、みんなに一斉送信しちゃうよ~?」

 

 

 いやいやいや! ないってーーーっ‼

 ありえない。

 こんなアクどいシワザがあってたまるか。

 プールサイドで「コンビ組んで」って言われた次の瞬間、

 ぱしゃっ、と電光石火でおれは写真をとられてしまう。

 目の前にはスマホをかまえて、にっこりと笑う安藤(あんどう)の姿。中二男子の目にまぶしい、ピンクのビキニなんか着ていて。

 

「さあ、どうする? おとなしく私とステージに立つのか、それとも」

「…………わかったよ」

「ほんと?」

 

 ああ、とおれはヤケクソで返事した。

 やった、とうれしそうなリアクションの安藤。

 

「サンキュー! べっちん!」

 

 がしっ、とおれの両手を両手でにぎりこむ。

 このあったかい感触は……はっきり言ってわるくない。

 でも漫才なんて、とんでもないムチャを言いだすヤツだ。

 

(ま、いっか。どうせ文化祭の日には、おれはもう〈いない〉わけだし)

 

 適当なところで、転校することをあいつに打ち明けよう。

 さんざん練習したあとはショックがでかいだろうから、なるべく早くに。

「えー!」ってあいつはイヤがるだろうけど、

 やりかたの強引さを考えたら、自業自得ってやつだよな。

 

 そして土日が終わって月曜日。

 

 教室の前で顔をあわせた安藤の「おはよう」からはじまって、

 何事もなく一日が終わるかと思ったそのとき、

 

(あれは)

 

 図書室の方向へ歩いていく二本の三つ編みの髪。何回も見たあのきれいなうなじ。

 深森(ふかもり)さんだ。

 ループ脱出を手伝ってくれている、おれの唯一の味方。

 

(まてよ……でもどうやって話しかけたら……)

 

 迷っているうちに、校舎と校舎をつなぐ二階の渡り廊下まできた。

 夕日がななめに()しこんで、深森さんのうしろ姿を照らしている。

 まわりに人はいない。

 とりあえず、なにか一言(ひとこと)だけでも言葉を()わしたい。

 

「あ、あのっ!」

 

 ふり向いて―――くれない。

 

「ふかも……」

「べっちん!」腕をぐーっと引っぱられる。「放課後、ソッコーで私から逃げようとするなんて、ひどいじゃん」

 

 見ると、安藤がそこにいた。

 しゃっ、とサイドの髪を外に向かって手ではらう仕草。もちろん今日も編みこみでカチューシャをつくっているから、髪は横に流れない。

 

「土曜日にした約束、もう忘れたの?」

 

 と、おれは教室につれもどされた。

 テスト前のせいか、中にはあまり人が残っていないようだ。優助(ゆうすけ)もいないし、萌愛(もあ)もいない。

 

「これヒマなときにみといてよ」

「DVD? もしかして漫才の?」

「できればリピートして何度もみてね」

 

 タバでごそっと渡された。ざっと10枚以上はある。冗談だろ。

 

「あのさ、安藤……」

「なーに?」

「おまえ、まじなの?」

「ガチ、まじ」

「ネタっていうか、こういうのって台本があるんだろ? それはできてるのか?」

「できてないよん」

 

 にひっ、とイタズラっぽく笑う安藤。

 至近距離でのふいうちだったせいか、ちょっとドキッとしてしまった。

 おれは横顔を向けてごまかす。

 

「まだ一ヶ月ぐらいあるんだから、そこはどーにかなるっしょ。ぜんぜん書けてないわけじゃないし」

「ほんとか? ちなみに、いま書いてるのはどういう内容なんだ?」

「えーっとねぇー、『おまえって機関車トーマスみたいなカオしてるよな』からはじまってぇー」

「それ……おれが言われるのか?」

「うんにゃ。べっちんが私に言うんだよ?」

 

 ものすごくカオスな予感……。

 ま、まあいいんだよ、べつに。

 くり返すが、おれは文化祭の日には、とっくにとおくの場所に行ってるんだからな。

 

「サプライズみたいにしてびっくりさせたいから、このことは誰にも言っちゃダメだよ?」

「ああ」

「とくに里居(さとい)にはね」

「なんでモアの名前が出てくるんだよ」

「なんでかな~」

「おい」

「じゃ、また明日ね。バイバイ」

 

 靴箱のところで、安藤とわかれた。

 すっかり友だちみたいな気安(きやす)い関係になってるけど、あいつはアレのことをどう思っているのだろうか?

 

 ――あのときのキス。

 

 たしかに、ただの事故といえば事故なんだけど。

 向こうが気にしてないのなら、おれも気にしないでいいのかな。

 

 そんなことを歩きながら考えて、

 校門を出た直後、

 

「ねえ」

 

 横から声をかけられた。そっちを見ると、

 

「アンタ、最近私のこと()けてるでしょ?」

 

 幼なじみがいた。

 あからさまにムスッとしている。

 すでにケンカ腰というか……たぶん風のせいだろうけど、ショートの髪も少し逆立(さかだ)っているようにみえた。

 

「どういうつもり? カレンと仲良くしたいから邪魔するなってこと?」

「カレン?」数秒おくれて、ああ安藤の下の名前か、と気がつく。「いや、そんなつもりじゃ……」

「急に距離とろうとしちゃってさ。ムカつく」

 

 げし、とクツの先で、おれのクツをけってくる。

 

「そんなにおこるなよ、モア」

「おこってないから。おこる理由がないし」ツーン、と横顔を向けた。

「もしかして、おれのこと待ってたのか?」

「は、はぁ⁉ はあーーっ!!??」

 

 耳まで赤くして、ダンス部の用事してただけだからっ‼ と力強く反論した。

 わかったよ、とおれは納得したフリ。

 

(まったく、むかしからウソがヘタなヤツだ)

 

 でもこういうところが萌愛の魅力なんだよな。

 

 ん?

 

 たしか深森さんはこんなことを言ってたっけ。

 

 

――「中学二年の10月の里居(さとい)萌愛は、別所くんのことなんかカほども気にしてない」

 

 

 そんなおれに対して、こんな態度をとるもんだろうか。

 べつに、すごく矛盾ってワケでもないけど。

 ちょっとした違和感っていうか。

 

「誤解しないでよね。これ、アンタといっしょに帰ってるんじゃないから。方向が同じだけだから」

「はいはい」

 

 言いつつ、おれと横にならんで歩く萌愛。

 さりげなく世間話をふってきたりもして。

 話しているうちに盛り上がったりもして。

 

 

「……あ。もう家か。……じゃあね」

 

 

 最終的には少し残念そうな表情をみせたあいつと、わかれた。  

 じつはおれも、もっと話したかった。

 前回のループの深森さんにはわるいけど、どうやらこのへんが限界みたいだ。

 

(やっぱりおれは、あいつに〈つめたく〉なんかできない)

 

 はやくもこの時点で敗北宣言というか、10月がつづくのが決まった。

「いかないで」はおあずけで、ひたすら終わるのを待つだけの一ヶ月になりそうだ。

 

「みたみた? べっちん。DVD。ぜーんぶおもしろかったでしょ?」

「私が好きな芸人さんはさ……」

「やっぱり()が大事なんだよねー」

「そうじゃなくて、こう。ぺしっ、と私の肩をうしろからたたくの」

 

 あっというまに一週間がすぎて、中間テストも終わった木曜日。10月16日。

 おれは心に決めた。

 っていうか、もっと早く言うつもりだったんだけど……

 

(キスの一件で、こいつに(じょう)がわいたみたいだな)

 

 あと、思いのほか安藤がおれと漫才をすることに真剣に取り組んでいたもんだから、なおさら言えなかった。

 

 

「――――えっ」

 

 

 口の下に細い指先をあてて、もともと大きな目をさらに見ひらく。

 放課後。

 みんなにバレないようにと練習場所にえらんだ、学校の近くの河原で。

 オレンジ色の光が安藤の顔にあたっている。

 キラッ、と目の下のほうで、小さくかがやいたような気がした。

 

(……えっ)

 

 安藤がつぶやいたのと同じことを、おれも心の中でつぶやいた。

 これは、そんな、まさか。

 完全に油断していたタイミングで〈それ〉をきいて、おれは耳をうたがった。

 こんなにトートツに、あっけなくおとずれるものなのか?

 

「べっちん。うそでしょ。転校なんて……そんな……」

 

 つーーーっとスローモーションで涙のつぶがほっぺを下りていった。

 瞬間。これまでのことが、つぎつぎと頭に浮かんでくる。

 (さくら)のこと。翔華(しょうか)のこと。(あおい)のこと。

 

 萌愛のこと。

 

「いかないで」

 

 陽気に笑っている印象しかないこいつが、八の字に眉毛を下げて、 

 泣きながら、そう言った。

 

「いかないでよっっっ! べっちん!!!!」

 

 おれは『恋愛心理学』の本で読んだんだ。

 もう会えなくなると思うことで、はなれたくないっていう気持ちが強まる――そんな心理があるって。

 くわしくは、よくわからないけど。

 でも、本も、恋愛心理みたいな知識も、おれには必要がなくなってしまった。

 

「いかないで……」

 

 長かった10月は、これでやっと終わる。

 



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旅は道連れ世は情け

 たしかに「いかないで」と言われた。

 涙まで流して、全力でおれが転校するのを引きとめてくれたんだ。

 あれでもダメってことは、さすがにないと思いたい。

 

(――とうとうループも終わるのか。あいつのおかげだな)

 

 安藤(あんどう)可恋(かれん)

 おれに漫才のコンビを組んでくれと(せま)ってきた、クラスで一番のお調子者。

 親しいどころかどちらかといえばニガテな女子で、おれは本当に(ねら)ってなかったっていうか……いやそれは「いかないで」をっていう意味であって、恋愛的にはそんなにナシじゃないような……静かにしてればふつうに美人だし。

 

 

「えっ⁉」

「当たり前でしょ、べっちん!」

 

 

 翌日の朝の教室。

 クラスメイトの視線も気にせずこっちにダッシュでやって来た安藤が、おどろきの一言を口にした。

 今日の放課後あけといてね、と。

 

「いい?」と、立ったまま片手を腰にあてて、すこし首をかしげる。

「べつにいいけど……」

「ぜったい私とやるんだからね、ア・レ」

 

 そこで、しゃっ、と横の髪を肩のうしろへ(はら)うみたいな動き。

 だが、いつもどおり安藤は長い髪を編みこんでカチューシャをつくっているので、そこには髪はない。耳のまわりはスッキリしている。

 

「いや……あの、だからな、おれは」

「ん?」

「ぶ……文化祭のころには」と、かなり小声でささやいた。今さら転校のことをかくさなくても、とは思うけど。

「わーかってるっ。動画にとって残しておきたいの。ね? ね?」

 

 気づけば、ほぼクラス全員がおれたちのほうを見ていた。

 いっしょにアレをやる――動画にとって残す…………まわりにへンな誤解されてないといいけど。

 安藤はこんな状況でも背筋をのばして堂々としている。おれはけっこう恥ずかしい。

 よく、こんなにみんなに注目されてる中〈放課後のおさそい〉なんかできるもんだ。

 いや―――

 

(おれにもこれぐらいの行動力があったら、きっと、もっとはやくループを脱出できてた)

 

 何度も何度もくり返した10月。

 思えば遠すぎる道のりだった。

 ある意味じゃ、旅だった。

 その旅ごとに、すてきなパートナーがいた。

 もしかしたら、しなくていい回り道をしたのかもしれないけど、おれは一ミリだって後悔してない。

 

 ぜんぶいい思い出だ。

 

 

(いってーっ。まったくあいつ、チカラの加減を知らないんだから……)

 

 

 ぱん、と何度も平手打ちされた肩がヒリヒリする。

 昨日と同じ河原でやった練習のあとの帰り道。

 空は真っ赤な夕焼けで、ときどきビューと吹いていく風が冷たい。

 

(にしても、なんであいつ、あんなに漫才に本気なんだよ)

 

 わからん。直接きいても「まーまー」といつもはぐらかすし。

 ま、いっか。「いかないで」のこともあるから、つきあえるとこまでつきあってやろう。

 それより、考えることはほかにある。とても大事なことが。

 

 

 ――萌愛(もあ)

 

 

 まじでループが終わるなら、あいつともこれっきりだ。

 残りは、今日と最終日をのぞいてたった十日(とおか)あまりしかない。

 おたがい物心つく前に出会った、スジガネ入りの幼なじみ。

 あいつと……。

 ん?

 でももう「いかないで」を言ってもらう必要もないし、もはや萌愛の好感度を上げる必要もなくないか?

 

「あら、別所(べっしょ)くん? いらっしゃい、どうしたの?」

「えっと、モアさんは―――いますか?」

 

 ふかく考えるより先に、指がインターホンのボタンを押していた。

 この大胆さは、きっと安藤の影響だろう。

 いま出てくれたのはお母さん。小学生のときに萌愛のお父さんが再婚した女の人だ。

 

 

「はぁ~~~~⁉」

 

 

 そんな第一声だった。

 ドアを片手で支えたまま、ちょっと迷惑そうなカオ。

 服装はうすい灰色のTシャツに、下は制服のスカート。

 一回、肩ごしに家の中を見た。そして、おれのほうをじっと見る。「きかれるとまずいことはやめてよね」というメッセージかもしれない。

 おれは、気にしないけど。

 

「なあモア、明日いっしょに出かけないか?」

「―――っ!!!」

 

 ばん、とあわててドアをしめた。

 で、体は家の外。2倍速みたいな身のこなしだったな。

 

「バカなの? どこの世界に親の目の前で女の子をデートにさそうヤツが……」

「べつにいるだろ、たぶん」

「い・な・いっ!」

 

 最後の「いっ」で思いっきり口を横にひらいた。乳歯のときはここにとがった八重歯みたいなのがあったな、となつかしく思い出す。

 

「まあ、それはいいとしてさ」

「よくないでしょ‼」

「とにかく、これはデートとかじゃないんだよ。ただ、なんていうか、その……」

「え?」

「転校までの残された時間、少しでもおまえといたいんだ」

 

 くるっ、と萌愛は背中を向けた。

 すーはー、と深呼吸してる音か? これは。

 

「………………転校」

 

 とぼそっとつぶやいて萌愛はふりかえった。

 心なしか、沈みかけている夕日のせいか、目がうるんでみえる。

 

「……やっぱり、そうなんだ。そんな予感っていうか、ヘンな感覚っぽいものはあったんだけど」

「いやいや予感とかじゃなくて、前から知ってただろ」

「知らないじゃん」

 

 また萌愛は背中を向けた。

 そして「十時に家の外に出てて!」と早口でいって、そのまま家の中に入ってしまう。

 

(よし。なんとかなったな)

 

 おれは満足して帰宅。

 次の日。10月18日。土曜日。天気はくもり。

 

「昨日はあんまり眠れなかったんでしょ? 緊張して。んっ? かくさなくていいんだよ?」

「べつに」

「なっ⁉ な~んかムカつくけど……べっしょ」

「それはおれの名前な」

 

 ずいぶん――ほんとに、何ヶ月かぶりなんじゃないかとサッカクしそうになるほど――久しぶりにこのやりとりをした気がする。

 たのしい。

 こいつも笑顔になってるし、心があったかくなる。

 

 しばらく横並びで歩いたところで、萌愛に声をかけた。 

 

「じゃ、今日はどこに行く?」

「えー、決めてないのー? しょうがないなぁ……じゃあ」 

 

 とりあえず、という感じで映画をみに行った。そのあとファミレスで食事して、適当にぶらぶらして、

 

「バイバイ」

 

 ふつうに、萌愛の家の前でわかれた。

 失敗、ってほどじゃないと思うけど、盛り上がりみたいなものはとくになかった。

 てか、案外デートってこういうものかもしれない。

「いかないで」のせいで、どう女の子の好感度を急上昇させるのかに、こだわりすぎてたかもな。

 

(……まだ来週の土日もある)

 

 さそってみるか、と考えたそのとき、

 

 

「コウちゃん!」

 

 

 えっ、と思うマもなかった。

 体を反転させる前に、うしろから抱きつかれている。

 

 

「あ、ありがとね、ほんとに……」

「えっ。いいよ、そんな」

「ううん。ありがとっていうのは、今までのことぜんぶなの。私と幼なじみでいてくれて―――」

「それはおれもだよ」

「……コウちゃん」

 

 声の感じから、こいつが泣きだしたのがわかる。

 

「あ、あのねっ」

 

 ずーっ、といっぺん大きく鼻をならした。

 

「もしね、もし、私がコウちゃんの前からいなくなっても、その」

「まてよモア。なに言ってるんだ? いなくなるのはおまえじゃなくてお……」

「きいて! ね? もしいなくなっても、私のことをわかってほしいの。ちゃんと見抜いて、私の本心。コウちゃんを想ってるこの気持ちを」

「……」

「ね? いい? 約束――――だよ?」

 

 どん、とおれの背中を両手でつよく押した。

 よろめきながら後ろを向くと、いたずらっぽく笑ってるあいつがいた。

 

(おれへの告白……じゃなかったよな。なんだったんだ、今のは)

 

 で、このときのことを、よく消化できないまま、

 

(あっというまだったな)

 

 ついに最終日になってしまった。

 

 

「まってたよ」

 

 

 朝。

 校門の手前でおれを呼びとめたのは、

 

「おはよ、べっちん」

 

 安藤だった。

 しゃっ、といきなり髪をはらうような仕草をしてみせて、セーラー服の赤いスカーフが少しゆれた。

 

「どうしても言っておきたいことがあってね」

「ああ、わかってる」

「えっ⁉ まじ?」

「漫才のことだろ。まー、やっぱり向いてなかったっていうか、ネタはすごく面白いのを書いてくれたのに、おれのせいで台無しになったよな。文句を言いたいのも――」

「ちがうちがう。私ね、べっちんのことが好き」

 

 さらっと流れるような告白。

 みごとな音速のふいうちだ。

 

「ずっと前、このあたりでべっちんのこと冷やかしたことがあったじゃない?」

「え……ええ……?」言葉が、うまく出てこない。

里居(さとい)と歩いてただろ? そのときからさ、ずっと気になってたんだ」

「えー、えーっと」

「ちがうなー。気になってたのは、同じクラスになったときから、だね。べっちん、なんか私の初恋の男の子に似てたから」

 

 私がボケたらキレッキレでツッコんでくれた子でさ、と安藤は下を向く。

 

「そういうのと、なんか同じ目標でがんばってたらいつか仲良くなれるんじゃないかと思って、いっしょに漫才してもらったんだ」

「な、なるほど」

「あわよくば、コクってくれないかなーなんて」

 

 あは、とムリしたように笑うと、顔を上げた。

 

 

「元気でね」

 

 

 おれの返事もきかずに、安藤はタタタと校舎のほうへ走っていく。

 

(あいつ、そんなふうに思ってたのか)

 

 意外だ。

 てか、かなりのドンカンってことじゃないのか、おれが。

 あの安藤にコクる、か……それは、考えなかったな。 

 でもそういう道にすすむのも、アリだったのかもな。

 

 教室につく寸前―――

 

(! 忘れてた‼)

 

 大切なことを。

 廊下から教室の中をのぞく。

 いない。まだ彼女は登校していないようだ。

 

 

 ――深森(ふかもり)さん。  

 

 

 おれはおぼえてる。

「お礼はループが終わりをむかえるときの〈私〉に言ってくれる?」って言葉を。

 それは絶対に言わなきゃならない。

 

 

「どいて」

 

 

 はっ!

 忍者のように気配を消して、スッと接近されたこの手ごたえ。

 きゅっとまとまった二本の三つ編み。がっしり腕を組んだ姿勢。キラリと光る黒ぶちのメガネ。

 

「深森さん」

「……私に言いたいことがあるの」

 

 例によって理解がくっそ早い。

 語尾に「?」がつくような発音じゃないことから、それがわかる。

 

「どうぞ。一応、きくだけきく」

「あ、あの……」

「はやく。今なら、誰もこっちを見てないんだから」

「あっ、ありがとう!」

「……」

 

 深森さんはだまって、口元に指先をあてた。なにか、推理してるみたいなポーズだ。

 

「……」

「意味は、わかんないと思うけど」

「いえ、わかる。ふしぎと、わかる。なぜだか、わかる」

 

 ラップみたいにリズミカルにいう。

 おれは内心、おそろしくビビった。

 わかるはずなんかないのに。そもそも、この〈10月〉では一度も、どころか一言たりとも彼女とはしゃべってないんだ。当然、ループの説明もしてない。

 

別所(べっしょ)くん」

 

 やはりいつでもどこでも、深森さんはとんでもなかった。

 

「お礼をいうのは、まちがえている気がする」

「えっ。いや、まちがえてないよ。おれは何度も助けられたんだ」

「まって。議論する気はない。私は〈まちがえている〉という結論をだした。それがすべてなの」

 

 …………いっちゃった。

 追いかけていって教室でつづきを話してもしょうがなさそうだ。

 まちがえてる? どういう意味?

 

(―――可能性は……そうか、そういうことか)

 

 今回のループでは協力できてない、からだな。

 それなら納得できる。

 だから、きっとケンソンしてああ言ったんだ。

 うん。

 ともかくお礼は言えた。これで良しとするか。

 

 そして、

 

 学校の正門前。

 

 転校するおれを送り出すための花道が、そこにはあった。

 

 お調子者の安藤(あんどう)が手をふりながらその真ん中を歩くフリは―――しなかった。まるでふつうの女子のように、あいつは静かに立って、ただ待っている。

 

 あれ?

 急にドキドキしてきた。

 そうだよな。このあとすぐに、飛行機にのって海外へ向かうわけだし。

 

(萌愛)

 

 クラスメイトが左右にならんだ花道が終わって、ループのスタートラインだったところをまたぐ寸前、

 ターンして、あいつのほうを見た。

 手をふってる。

 笑ってるようだが、なんかこどもが泣きだす一秒前の顔つきみたいな、微妙な表情だ。

 

(やっぱり、ちゃんと伝えておくべきだった)

 

 ばしん、とおれはおれの頭を心の中でたたく。

 いまさらだぞ、自分。

 遠い場所に行く自分が告白しても迷惑だって、よーく考えたすえで決めたことじゃないか。

 前を向け前を。

 足をふみだせ。力強く。

 

 うしろをふりかえらずに……

 

 

「おーベツ! どした、朝からニガムシかみつぶしたようなカオして」

 

 ばんばん、と優助(ゆうすけ)がおれの肩をたたき、

 

「恥ずかしいトコを親にみられでもしたかー? ああ、ああ、心配すんな。んなの、おれだってあるよ」

 

 と、明るい表情。遠くからだったらイケメンにも見える、背の高いおれの親友。

 

「い、いや、ちょっとな。なんでもないんだ」たぶん、こう言ってるおれの顔はひきつってると思う。

 

 なんでもなくない。

 スーパー大問題だ。

 本日、10月1日。

 ループは終わってなかった。

 

(まいったな…………)

 

 さすがに、なにも手につかない。

 初日のルーティン、図書室で『恋愛心理学』をかりることもなく、ただぼんやりと一日をすごした。

 我ながら(なさ)けない。

 その帰り道。

 

 

「ねえ、ちょっといい?」

 

 

 声をかけてきたのは幼なじみ。死ぬほどきいてきた声だから、満員のスタジアムでもききわける自信がある。

 

「モアか。どうしたんだよ」

「……」

「モア? 話しかけといてだまるなよ」

「……」

「いっしょに帰るか? ここからだと、おまえの家まですぐだろうけどな」

「…………あきれた」

「え?」

「ほんとさ、ずーーーっと前から言おうと思ってたのよ」

 

 丸いショートの髪が夕焼けで赤く染まっている。

 きっ、とおれに飛ばしたまなざしは、どこか別人のようだった。

 

「その『モア』って呼ぶの、やめてほしいんだけど」

 



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五十歩百歩

 タイミングはばっちりだった。

 まさしく漫才の呼吸だといえるだろう。

 なんでだよ‼ っていう、おれのあざやかなツッコミ。

 なのに―――

 

 

「…………はぁ?」

 

 

 ぜんぜん笑ってない。この()め切ったリアクション。あきらかにスベってる。

 さんざん安藤(あんどう)のヤツと練習してたから、ちょっとは笑わせる自信があったんだけど。

 

「ねえ、どういう意味なの? それ」

「いや……えっと」

「私が『やめて』って言ってるのに『なんでだよ』じゃないじゃん」

 

 赤い夕やけの空をバックに立ってて、あいつは両手をグーにしてる。

 数メートルの距離をたもったまま、おれのほうに近づこうとしない。

 やっと気づいた。こいつはマジだ。ふざけていい空気じゃなかった。

 

(あっ)

 

 と両方の眉毛を高く上げたのは萌愛(もあ)

 そして、たたた、とすばやくおれに接近し、

 

「とにかくそういうことだから。明日からずーーーっとなんだからね。私ももう別所(べっしょ)くんって呼ぶことにするから」

「えっ? えっ?」

 

 スカートをひらひらさせながら、とまどうおれの横をダーッと駆け抜けていく。

 そのままうしろ姿をながめていたら、遠くのほうで立ち止まって近所のおばさんにペコリと頭をさげた。むかしからよく知ってる人だ。

 

(あの人、おれたちが二人でいると必ず「お似合いだよ」ってからかってくるんだよな)

 

 ……萌愛はそれがイヤだったのか?

 てか、おれあいつにめっちゃキラわれてる?

 心当たりは……ないな。

 そもそも今日は学校では一言もしゃべってないし、登校のときだってエンカウントしてない。

 なぞだ。

 

(明日になったらキゲンなおしてるだろ……) 

 

 そして夜が明けて、10月2日。

 登校しながら指を折って数えてみると、左手の人差し指までいってしまった。つまり〈今日〉は今回で7回目。

 

「うぃ」

 

 靴箱のところで肩で肩を押してきたのは、おれの親友。

 

優助(ゆうすけ)。心の底からすまん。おれの都合で、こんなに長々とつきあわせてしまって」

「あぁ~~~? 朝からわけわかんねーこと言ってるぜ。長々とってなんだよ。ベツとダチんなって、まだ一年もたってねーぞ」

「いや、もう余裕で二年目に突入してる」

「ははっ! そんなボケたおすなよ、ベツ!」

 

 と、笑ってる優助の向こうから、見なれた姿がやってくる。

 ショートの髪をゆらして、おれたちのそばを――――

 

(……)

 

 無言で通過。

 口元はきゅっと結んで、視線はずっと反対方向に流していた。

 おれと目が合うのを()けるかのように。

 

 いよいよこれは……ヤバい気がするな。

 なにかがおかしい。

 確実に、萌愛のヤツに変化が起きてる。

 

「おはよ。べっちん」

 

 教室に入ったら、いきなり安藤(あんどう)が近づいてきた。

 正直今はかまって……

 

(ハッ⁉)

 

 手には『恋愛心理学』の本。

 はげしく見おぼえのある――いや、これはほぼ前回のループと同じじゃないか?

 

「あーっ! あいさつしたのに返してくれないとかー、ひどーい!」

「おいおい。さわぐなよ。するから」

「じゃ、してよ。ほら」

「おはよう」

「フツーに()うんかーい!」

 

 どっ、と近くにいた女子のグループが笑った。その中には(あおい)もいた。もちろんこの〈10月〉の彼女にとっては、おれはたんなる同級生の男子にすぎない。

 

 しかし、おみごと。

 

 はやからずおそからず、じつにいいタイミングだった。あれじゃ笑わない子はいないよ。感心してる場合じゃないけど。

 

「今日も一日がんばろーね、べっちん」

 

 ニコニコでウィンク。

 相変わらず、今日もキャラにふさわしくない王女様みたいな髪型で。

 

(朝の「おはよう」からのポジティブな声かけ――か。基本的な恋愛のテクニックだ)

 

 ってことは、つまり前回の安藤といっしょで今回の安藤もおれのことを……

 だがあいつの「いかないで」じゃ、おれはループを脱出できなかった。

 いったいどういう「いかないで」ならオッケーなのか、たのむから教えてくれ。

 

(萌愛のこともあるし……よしっ! もうやるしかない!)

 

 明日まで待てない。

 というより、〈明日〉は安藤にジャマされて、彼女と接触できないことを―――

 

 

「あ、あのっ‼」

 

 

 おれは知っている。

 

 だから強行突破だ。

 

 理科室へ移動中の三時間目の休み時間。

 優助にはあらかじめ「先に行っててくれ」と伝えておいて、

 廊下でまちぶせして、とおせんぼするように彼女の前に立ち声をかけた。

 横の窓がすこしあいてて、胸の前の赤いスカーフが風でバタバタゆれている。

 

「なに?」

 

 と、腕を組みながら目をスーッと細めていう。

 

「ふ……深森(ふかもり)さん。おれ、もうどうしたらいいかわからなくて」

「それは私が解決できるような問題なの?」

「まず言わなきゃいけないんだ。おれ、じつは」

 

 ―――「タイムリープしてる。」

(ぴったりハモった⁉ まじか!)

 

 敬礼のような手をメガネの横にあて、深森さんは言葉をつづける。

 

「あなたの〈今日〉ははじめてじゃない。それだけはなんとなくわかった。ほんとに、なんとなくね」

「…………」

「はいそこ、絶句(ぜっく)しない。たいして親しくもない私にこんな大胆な行動をとった以上、ただならぬ理由があってのことなんでしょう?」

「も、もちろん!」

 

 爆速。

 おれはセキを切ったように、これまでのことを超早口でしゃべった。

 身ぶり手ぶり。まわりのヤツらはヘンな目で見るけど、気にしない。

 休み時間はみじかい。10月もみじかい。チャンスは今しかないんだ。

 

 きき終えた深森さんが、ふう、と細い息をはいた。

 

「―――で、あなたが今一番問題だと思ってるのはどっち? このループを出る正しい条件について? それとも、幼なじみの急な心変わり?」

「それは……」

「その二つともに、私は同時にこたえることができる」

 

 なにっ!!?? とおれはビビった。

 にっ、と深森さんのくちびるがななめに上がる。

 

「じゃ、じゃあ、ぜひおしえ……」

「あほ」

「あほ……?」

 

 くいっ、と深森さんは無言であごの先をうごかした。

 まわりをたしかめて、というジェスチャーのようだ。

 

「……とおくでこっちを見てるのは、萌愛……か?」

「彼女に気取(けど)られるのはまずい。あなたは気づいてないでしょうけど、廊下の先の(かど)で安藤さんもこちらをうかがってる。というわけで、ここはここまで」

 

 そりゃないよ~、という気持ち。思わず「なんでだよ‼」と口から出そうにもなった。

 ん?

 おれの肩に手が……

 

 

「つづきが知りたければひとつだけ条件がある。それは――――」

 

 ◆

 

 放課後になった。なってしまった。

 まる一日チャンスを狙ってたんだが、あいつのそばにずーっと中山と山中がべったりくっついてて、ムリだったんだ。

 

 が、問題ない。

 なぜっておれたちは幼なじみだからな。

 家が近所というメリットを最大限に……

 

 

「あー! フシンシャはっけんだー‼」

「ターゲットの家の前に直立不動で待機。これはなかなかふてぶてしいストーカー」

 

 

 ひどいいわれようだ。

 先に中山がおれを指さしながら言って、次に山中が片手を口元にあてながら言った。

 

(いや、なんで今日にかぎってこいつらが萌愛の家まできてるんだよ!)

 

 よりにもよって。

 こっちには重大な任務があるというのに。

 こうなったら、明日でも……てかぶっちゃけウソつくっていう手も……

 

 ―――「ウソはすぐバレると思いなさい」

 

 うっ。

 だよな。そう言ってたもんな。なによりおれレベルで彼女をだましとおせるとも思えん。

 いくか……。

 全7回のループじゃいろいろあったが、いまが一番ドキドキしてるかもしれない。

 

 ガケからとびおりる覚悟で、

 

 も、も、も、

「モア。ちょっと話があるんだ……」

「はぁ~~~っ‼? そう呼ばないでって言ったじゃん。バカなの?」

 

 でだしは最悪。

 そしてきびしい視線をとばしてるのが萌愛のサイドに二つ。

 風向きはわるい。

 

「じゃあ、いいかえるよ」

「そうしてよ」

里居(さとい)さん。おれキミのことが」

「キミ~~~っ!!? なんかやだー、その言い方。他人みた」ぴたっ、と萌愛の口がとまった。

「そ、そうなんだ、おれたちは他人じゃないんだよ」

「………………知らないじゃん」

 

 ぷいっ、と横を向いた。

 すなわち、耳が、みじかい髪で外に出てるちいさな耳が、おれのほうに向く。

 近くでは、中山がなにか言いたそうに口をパクパクしてる。

 あいだに入らせちゃダメだ。せっかくの空気が台無しになるから。

 

 いけっ、おれ!

 

「おまえのことが、す、すす、す」

 

 あれ。

 なんだこの感じ、ぬかるみに足をとられたみたいな。

 おれがおれに、すごいパワーのブレーキをかけてる。

 

(すき、って言うだけだろ!)

 

 それが深森さんのだした条件。

「幼なじみに告白してきて」と。

 表現は問わない。ただしスマホですますのはNG。かならず面と向かって言うこと。

 

 面と向かって言うこと。

 

「えー、あ、すー、すっていうか、だな……」

「……」

「すきとかきらいとか、あるか? おれに」

「はぁ⁉」

「じゃなくて―――」

 

 かーっと赤面してるのがわかる。

〈それ〉を言ったとたん、全身まっぱだかになってしまうような予感。

 照れ、はずかしさ、ためらい、そういうののせいか?

 

 うそだろ。

 

 おれはくりかえすループで、たしかに失敗ばかりだったけど、あれだけ女の子と仲良くなれたじゃないか。

『恋愛心理学』の本だって、穴があくほど読んだ。

 なのに、たった一言がいえないなんてあるか? 

 

「おれは……」

 

 萌愛がまっすぐみつめている。

 横顔のときより、なお、告白しにくい。

 

「な、なんでもないよ、また明日な」

 

 あーーーっ!!???

 心でさけぶ。

 

 なさけない。

 

 がちゃ、とそばでドアがしまる音が冷たくひびいた。

 追いかけてノックする勇気は、いまのおれにはない。

 

 翌日。

 

 校門の前に、黒いカサをさした人が立っている。

 近づくと、

 

「でしょうね」

 

 深森さんだった。

 ちいさく肩をすくめながらそう言った。

 

「わ、わかる……?」

「できなかった、って顔にびっしり書いているじゃない」

「だけど、おれは」

「強がらないで。どうせ、あなたはこれまでのループで、ただの一回たりとも自分から告白できてないんだから」

 

 そうシテキされて、記憶をたどる前に、そのとおりだとわかった。

 きっとこれが図星ってやつだろう。

 

()けてきたのよ、ずっと」

「でもおれは、モアのことは大事に思ってる」

「戦場からどれくらい逃げたのか、その距離は問題じゃないの。そういうことわざがあったでしょ?」

 

 カサをもってない手を、メガネの横にもっていく。

 きれいにそろえた指でメガネにさわった瞬間、レンズが光を反射して白一色になった。

 

「あなたは逃げてる。幼なじみを好きになることから」

 



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ペンは剣よりも強し

 大雨をみてると思い出す。

 でかいカミナリが鳴って、いきなり彼女に抱きつかれたことを。

 でかいカミナリが鳴って、(さくら)とデートの約束をしたことを。

 あと、ひとつ前のループでは、あの安藤(あんどう)と予想外のアクシデントがあった。

 

 10月3日は特別な日なんだ。

 今日だって…………例外じゃない。

 

 

「ラブレター!?」

「そう」

 

 

 登校のときの校門前。

 黒いカサをさした深森(ふかもり)さんが、ゆっくり横顔を向けた。

 

「それって、だれに……」

「『だれに』を説明しないとわからないほど、あなたはあほではないはず」

「も、モアに……だよな」

 

 深森さんがおれのほうを見る。

 気持ち、ちょっとあごをひいて、上目づかいぎみに。 

 

「放課後までにぜんぶ書き上げて」

「えっ? ほ、放課後っ!? うそだろ。せめて明日とかでいいんじゃ……」

「文句ある」

 

 あっても却下、といわんばかりのど迫力。

 ――というわけで、なかばムリヤリ決められてしまった。

 まずい。ひじょうにまずい。

 

 六時間目。最後の授業。外の雨は、にわかにいきおいを増してきている。

 

(たったの一文字(ひともじ)も書けてないっっっ!)

 

 どうする?

 あの『恋愛心理学』の本にも、さすがにラブレターの書き方まではのってなかったぞ。

 昼休み、友だちの優助(ゆうすけ)に相談してみても、「やー、直接コクんのがいんじゃね?」とまったく参考にならなかったし。

 

(時間がない……もう、なるようになれ‼)

 

 カリカリカリカリ、とあまりにも加速がつきすぎて、となりの女子にヘンな目でみられてしまった。

 気にするな。集中集中。おれはまた便(びん)せんに視線をもどして、カリカリとシャーペンをすべらす。

 残り5分、からのドトウの追い上げだった。

 

(ふう~~~~~~っ)

 

 どうにか完成はした。

 じゃあこの手紙を折りたたんで、深森さんがくれた封筒にいれて……

 

(ん? いま気づいたけど、これってハートか!?)

 

 おもわず二度見してしまった。

 封筒といっしょに受け取ったときは、シールまであるなんて用意がいいな、ぐらいにしか思わなかったから。

 ハートだと……。

 ハート。

 しつこいがハート。

 あの深森さんが―――――

 

(うおっ!!!?)

 

 がたーっ、とイスからころげ落ちそうになった。

 となりの女子に、またしてもヘンな目でみられる。

 

(こ、これは彼女のほうに視線を向けてたから……だよな。そうだと思いたい)

 

 それでも超人的なんだが。ノールックでうしろからの視線を察知できるとか、スゴすぎないか?

 サッ、と深森さんは肩ごしにおれをチェックしていた姿勢を元にもどす。

 

(いや……もしかして「書けた?」っていう意味だったのかもな)  

 

 もしくはただの偶然。

 ともあれ、赤いハートのシールで(ふう)

 

 これで、準備はOK――ってわけか。

 

 

「かして」

 

 

 手のひらを上に向けて、まっすぐおれに伸ばしてくる。

 放課後。

 とりあえず人目のないとこへ、というわけでおれたちは二人で階段を上がった。

 三階から屋上につづく部分のおどり場のところで、この一言だ。

 

 イヤな汗がじわっと出た。

 

「え、えっと……何を?」

「ラブレター」

「あー……もうシールを……」

 

 関係ない、と深森さんは胸のまえに垂らした二本の三つ編みごと、腕を組む。

 

「一回はがしたぐらいならまたはれる。はやくかして」

 

 ギラッ、とメガネごしにするどいまなざし。

 どうやら問答無用らしい。

 おれはあきらめた。

 

「いい? これはデータとして私が知っておくために必要な手続きなの。けっして好奇心からではないから」

 

 と言いながら、どことなく表情がニヤニヤしてるような……。

 気のせいレベルで、ほかのクラスメイトがみても無表情にしか見えないだろうけど。

 ずいぶん長くつきあってもらって、おれもけっこう彼女のことがわかってきたみたいだ。

 

(もっとはやく話しかけてたら、よかったな)

 

 おそらくループが終わると、優助(ゆうすけ)萌愛(もあ)はともかく、この深森さんと再会することはできないだろう。

 おれにはそんな予感が…………

 

「萌愛へ。おれたちが知り合って、もうどれくらいになるんだろう。思えば、おれのとなりには」

(まさかの音読(おんどく)っ‼)

「いつもおまえがいた気がする――。まあ、わるくない書き出しね」

「いやあの、できれば声にださすに……」

「萌愛。じつはおれは、まだ」

 

 ピクッ、と深森さんの片方の眉がうごいた。

 

「まよっているんだ……? 別所(べっしょ)くん。これはいったいどういうこと?」

「正直な気持ちだよ」おれは階段の折り返し部分の手すりに背中をつける。「あいつにウソはつきたくないからさ」

 

 じと……というフキゲンそうな目つきになったが、また手紙に目線をもどした。

 

「この気持ちを伝えていいのかどうか、わからない。おれたちが幼なじみなのは、この先もずっと変わらないだろう。だから、ぎこちない関係になりたくないんだ。でも―――――」

 

 決心した。

 伝えるよ。

 萌愛のことが好きだ。

 

 ――頭の中で自分の声のナレーションが流れる。「でも」から先、深森さんは声に出さなかった。

 

 

「あっ」

 

 

 階段の下から声。

 なんか逃げるようなそぶりをしたので、おれはあわてて追いかけた。

 

「まって! 小原(おはら)さん」

 

 立ち止まってふりかえったのは、つぶらな(ひとみ)の、肩ぐらいまでの長さの髪の女子。

 

「いや……なんかごめんなさい、おじゃましちゃったみたいで……」

「ジャマもなにも、べつにそういうんじゃないんだ」

「ほんとに?」

 

 そこでおれと目が合って、ふむ? という表情で顔が少しななめになる。

 

「知らない人だなーと思ってたけど、同じクラスの」

 

 3秒か4秒、窓の外からの雨音だけの時間になった。

 そのみじかい時間で、おれは彼女といっしょにすごした日々があることを、なつかしく思い出した。

 

「……えと、ごめんね、(だれ)くんだったっけ?」

「別所です」

「だよね」と、いかにも知ってたみたいに言い返して、ちょっとズルい。「ところであのさ」顔を近づけて、ひそひそ声でいう。「あそこにいたの、もしかして深森さん?」

「そうだよ」

「告白?」

「ぜ、全然ちがうよ。ただ世間話してただけなんだ」

 

 ふーん、と桜がいたずらっぽく目をほそめて、片手を口元にあてる。

 

「おしゃべりにしちゃあ場所がちょっとねぇ……」

「カンベンしてよ、小原さん」

 

 一瞬で、あはは、と明るい表情に変わる。

 ははっ、とおれも笑ってノリを合わせた。

 で、階段のほうをチラッと見ると――― 

 

(いない!? 移動してる!)

 

 だがどこへ? しかも、おれのラブレターをもったままで。

 教室。その近くの廊下。階段の下。ダッシュで一回りする。

 どこにもいない。

 

(え?)

 

 靴箱の前に立っているのは、萌愛か?

 とっさにおれは柱のカゲに身をかくしてしまった。

 いつかと同じ場所だ。

 

 

――「もう。バレるからそんなに身を乗りださないで」

――「ごめん」

 

 

 脅迫状のアレ。そんなこともあったな。

 とにかく、いったんここからあいつの様子をうかがおう。

 

(なんか手に持って読んで…………おい、まじか!!!??)

 

 あれはまぎれもなくラブレター。

 〆切(しめきり)に追われて必死に書き上げたラブレターだ。

 奥のほうになっててよく見えないが、左手にはたぶん、封筒をにぎっていると思う。

 

 カッ、とはげしい閃光(せんこう)が走った。

 

 しかしラブレターをみつめている萌愛は、びくともしない。

 おれも正直カミナリどころじゃない。

 

黙読(もくどく)もけっこうキツいもんがあるよな……この待ってる時間が)

 

 なんか体のどこかがキリキリしてくる。

 くっ。

 もういっそ、ラクになるか。

 

「モア」

「わっ‼ びっくりした!」

「それ読んで……くれたか?」

「……」

「だまるなよ」

「知らないじゃん」

 

 すっ、とあいつは紙をスクールバッグのポケットにさしこんだ。

 

「私、もう帰るから」

「まてよ。こんな雨だし、よかったらいっしょに帰らないか?」

「……」

「だまるなって」

「だまるでしょ。ほんとに、いつもいつもなれなれしいんだから……」

「モア」

「バカ。『モア』って呼ぶな」

 

 とんとん、靴の先で地面をけるあいつ。

 ばさっ、と傘をひろげるあいつ。

 

 そしてとり残される、おれ。

 

 あいた正面玄関から吹き込んでくる風で前髪が巻き上がった。

 

「やっと理解できた? 今の彼女が、あなたにどれだけ冷たいかを」

 

 うしろを向くと、三つ編みに片手をそえた深森さんが立っていた。

 セーラー服の赤いスカーフが、生きものみたいにバタついている。

 

「あなたにてっとりばやくわかってもらうために、大事な手続きだったってわけ。……ねえ、きいてる?」

 

 ひどい大雨の中をパタパタ走ってゆく萌愛の小さい背中。

 注意してないとすぐに見失うぐらい、まじで小さい。

 

「別所くん。これはあなたの、あなた自身さえ知らない本当の〈10月〉―――――――」

 

 そのとき。

 真っ白なフラッシュとほぼ同時に、大音量のカミナリが鳴りひびいた。

 

「っ~~~~~~~!!!!!???」

 

 さけぶのをかみ殺したような声だった。

 メガネの奥の両目をぎゅっとつむって。

 

(……)

 

 ふいの落雷(らくらい)におどろいた深森さんに千切(ちぎ)れるぐらい右腕をひっぱられて、

 制服にアトが残るほどワシづかみされて、体もぐらんぐらんよろめいて、

 たぶんその(つよ)いダメージのせいで、

 

 

 ――「コウちゃん」

 

 

 おれは涙がでた。

 

 ◆

 

 翌日。

 よく晴れた天気のいい日。

 おれは一人で外出することにした。

 

 

「ごきげんよう、タイムリープくん」

「うん……」

 

 

 さすがの深森さんは、おれが〈この場所〉の〈この席〉にくることをすでに予想してたみたいだ。

 

 やっぱり彼女は平凡なおれなんかとちがう。

 

「お願いがあるんだ。協力してほしい」

「すでにしてると思うけど。べつの世界の私……いいえ、私たちがね」

「もっとたのむ」

「えっ?」

「全力で協力してくれたら、おれができることなら、なんだってするよ」

 

 まだ照明の落ちていない館内。

 ずらっとならんだ座席の真ん中ぐらいの位置に、おれたちはとなり合って座っている。

 

「あなた、すこし顔つきが変わった感じ。ようやく覚悟ができたの?」

「ああ、できた」

 

 じりりり……とベルが鳴って、ゆっくりと幕が上がる。

 明かりが弱まる寸前、おれははっきりと彼女にこう言った。

 

 

「おれは萌愛(もあ)に『いかないで』を言ってもらって、このループから出ていくよ」

 



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逃げるが勝ち

 まるで別れ話をしてるカップルみたいだ。

 カフェで向かい合ってすわっていて、二人ともだまっていて、女の人には泣いたあとのような雰囲気。ときどき目元にハンカチをあてている。

 なんか……まわりから興味シンシンで見られてる気がして、すごく話しだしづらい。

 

「あの、深森(ふかもり)さん? そろそろ……」

 

 メガネの奥の大きな目がおれをみつめて、こくっとうなずいた。

 クラシックみたいなBGM。外はいい天気。砂糖とミルクで甘くしたアイスコーヒーはおいしい。

 きっと会話がはじまったら、周囲もおれたちから興味を失うだろ――

 

 

「死になさい」

 

 

 がたーっ‼ と近くでデカい物音がした。視界のスミでぎょっとしたような顔もあった。

 が、意外にもおれは動揺してない。

 前にもこういうことはあったからだ。

 

「や……やっぱり?」

「私こそやっぱり。おどろかなかったということは、近いことをすでに〈私〉が言ってるみたいね。別所(べっしょ)くん、なにか書くものはある?」

 

 なかったので、お店の人にかりにいった。

 席に戻って彼女に手渡すと……

 

(おい、うそだろ)

 

 テーブルのはしにある紙ナプキンをサッととって、そこにペンを走らせる。 

 

「このマークがすべてのスタート地点になるの。いい?」

 

 いや、いい……もなにもさ。

 ドクロはやめてくれよドクロは。

 いくらなんでもエンギわるすぎ。

 

「ここから――」びーっと線をのばして、その先に丸をかく。「ここへ。この丸が10月、つまり今。これが里居(さとい)さんの動き。彼女は、このドクロマークの日から過去にもどってきたものと考えられる」

「あの……」

「まって。とりあえず、最後まできくこと」

 

 おれはだまってストローを吸った。

 深森さんの長い説明が終わるころ、もうおれたちを気にしてる人はいなくなっていた。

 右からは「あはは」と明るく笑う声がして、左にいる人は静かに読書している。

 ちいさいカップに入ったニガそうなコーヒー――たしか深森さんは「エスプレッソのソロを」って注文してたっけ――を一口のんで、おちついた口調でいう。

 

「疑問はあるだろうけど、矛盾はないはず」

 

 たしかに――そのとおりだ。

 おれは腕を組んで、ちょっと考えこむ。

 まず大きいナゾが三つあった。

 

・なぜ萌愛(もあ)が急におれに冷たくなったのか?

・なぜ「いかないで」と引きとめられたのにループを出れないのか?

・そもそも、なぜ10月がループしてるのか?

 

 このうちの二つは、だいたい()けたように思えた。

 

 前回の「いかないで」はちゃんと有効だったんだ。

 

 しかし〈10月〉から出ていったのが……

 

「おれじゃなくて、なんでモアなんだ?」

「さあ」ゆっくりまばたきして、そのまま目をとじた。「それはあなたをループさせている人にしてほしい質問。私にきかれたって無言。結論は、シンプルにリクツから引っぱっただけの正論」

 

 でた。深森さんのラップっぽい言い方……とかいってる場合じゃないな。

 ぱち、と彼女の両目があいた。

 

「おそらく、あなたはこう伝えられたんじゃない? ――『「いかないで」と言われたらループから出られる』」

「あんま……よくおぼえてないんだけど、そんな感じだったかな」

「これだと主語がないでしょ? つまり、あなただとは言っていない」

「そうだけど……ふつーは、おれだって思うよ」

「気持ちはわかる。私も、文句の一つでもいってやりたいぐらいだから」

 

 むっ、とほんの少し怒ったような顔つきになった。

 そして、いつものように敬礼のような手でメガネの横にさわる。

 おれは、うれしくなった。

 こんなおれのために、まるで自分のことのように――――

 

 

「どーぞ」

 

 

 えっ!? とめずらしい彼女のおどろいた表情。

 おれも、たぶんすごいカオになってると思う。

 

 なんだこの急展開。

 

「文句、ばっちこーい! って……ねっ!」

 

 うふふ、と微笑みながらストローに口をつける。

 テーブルの上にあるのはマンガ。大人の女の人がおとなしく読書してると思ったら、あれマンガだったのか。

 

 ひとつ左の席のほうから、

 ほおづえをついてこっちを見てる。

 

 OLさんっていうのか、そんな格好だ。長い髪。うすい水色のスーツで下はスカート。 

 

「だましたつもりはないのよ、(むかう)くん。べ・つ・に。これは意図した設計、そうです、シヨーってやつなのです」

 

 と言い、口元だけで笑った。

 なんだっけこの形……かわいい感じの……ああ、あれだアヒル(ぐち)

 しかし、なんというか、その。

 おれは言葉を失っている。

 なにか言おうにも、異様な緊張感で口が、口が、

 

 

「どうして別所くんが先じゃなかったの?」

 

 

 なにーーーっ‼?

 いきなり文句。まさに有言実行。

 てか、適応はやすぎ……。

 さすがすぎだろ深森さん。

 

「こたえなさい」

「むむ、おヌシ、どうやらただものではござらんなー」

「そういうの、いいから」

「もー、めっちゃシリアスなんだネ。ま、いっか。あのねぇ、あの子が先ってゆーのは、たんに結果的にそうなっただけなのです」

「もしかして、未来からきた里居(さとい)さんは自分が『いかないで』と口にしたらループを出ていく、というルールでもあったの?」

「するどいね、とだけいっておこうかな」

「別所くんをループさせている本当の意味は何?」

「そんなヤツギバヤにこなぁ…………あっ⁉」

 

 左のテーブルの上にある飲み物がこぼれた。

 そこに、ちょうど店員さんがやってくる。

 

(え)

 

 だがスルー。何事もなかったように、通りすぎてしまった。

 

(え?)

 

 視線をテーブルにもどすと、すでに誰もいない。何もない。消えた? こんな一瞬で?

 

「逃げたようね」

「あ、ああ……そうなのか……な?」

 

 とにかく、と深森さんは冷静に要点をまとめた。

 

・萌愛は未来からきて、「いかないで」で未来に帰っていった

・だから今の萌愛は、ループ関係なしの〈本来の10月〉の萌愛

・〈本来の10月〉で、あいつはおれにかなり冷たい態度をとってしまって、そのことをつよく後悔していた

・そんなある日、おれが転校先で危険にあったことを知る

 

 ――と、ここがドクロというわけだ。

 おれはじっと紙ナプキンをみつめた。

 

「なんで、あいつは自分が未来からきたことやループしてることをヒミツにしてたんだ?」

 

 おれの視線の先にあるものを彼女もいっしょに見ながらつぶやく。

 

「いっしょに家族のように育った幼なじみに、ウソはつけなかったのよ」

「でもそれって」

「こう言いかえましょう。彼女はウソでウソをかくしたの。あなたに最悪の知らせをすることがないよう、時間旅行した事実ごと()げない……ようするに〈とぼける〉っていう戦略をとったのね」

「おれにぜんぶぶっちゃけて、あぶないメにあう日を教えてくれる……っていうのは?」

「日付だけでどうにかできる? あなたはまだ中学生なんだから、自分だけ避難することすらむずかしいと思うけど」

 

 ふう、とほそく息をはく音。

 どこか()だるい態度で、(そで)なしのワンピースとその中に着てる服がどっちもまっ黒な彼女のファッションにぴったりに思えた。

 おれもなんかため息な気分だった。

 逆に、外の景色はまぶしいくらい明るくてキラキラしていた。

 深森さんのうしろは窓っていうか全面ガラスになっていて、道を歩いている人がたくさんいる。

 

「別所くん」

「なに」

 

 立ち上がって、ななめにおれを見下ろしながら彼女は言った。

 

「ちょっと気分転換に、カラオケにつきあって」

 

 ◆

 

 何事もなく日曜日が終わって、月曜日。

 来週、中間テストがあるから、今日から部活はなくなる。まあ、おれにはカンケーないんだが。

 

「気になることがあったんだけど」

 

 わっ、とおれは声をあげそうになった。

 学校への道。カドを曲がったところで出会いがしらみたいに深森(ふかもり)さん登場。あいさつも省略して話しかけてきた。

 

「土曜日のあのとき、別所くんは違和感なかった?」

「えっ⁉ もしかして……」

「そう。やはりあなたも―――」

「カラオケのこと? いやべつに、オンチとかじゃないと思ったけど」

「あっほ」

 

 無表情に言う。

 空気のかたまりをおれにぶつけるように、少しくちびるをつきだして。

 ののしられてるけどうれしい、っていうこの感情。

 っていうか、友だちとする会話って、こんな感じだよな。

 

「論外。朝から寝言(ねごと)はアウト。いい?」ずいっ、と間合いをつめてきて少し目をほそめた。朝のさわやかな風が、深森さんのいい香りをおれに直撃させる。

「お、オッケー……」

 

 ちなみにまわりには、登校中の生徒はいない。ずっと向こうにある信号をわたったら、中学校がみえてくる。

 

「あの場所に突然あらわれた女性。途中で一ヶ所、『あの子』って言ったでしょ?」

「えーと……どのあたりで?」

「別所くんが先じゃないっていう―――」深森さんはこめかみに手をあてて、一往復、首を横にふった。「もういい」

「ま、まあそう言わずに、一応きかせてくれよ」

「なんとなく他人を指すみたいなニュアンスじゃなかった気がした、ってだけよ。たとえば、自分のこどもに対するような自然な……私がスマホをもってたら、ちゃんと録音してたんだけどね」

「あ。もってないんだ?」

 

 沈黙。

 スンとした顔で、スタスタ先に歩いていく。

 まいったな。イヤミっぽくきこえたか? そんなつもりじゃないんだけど。

 

「まって。深森さん」

「ま……またない」

 

 ぐっ、とスピードが上がった。

 うそだろ。そんなに怒ってるのか? おれ地雷ふんだ?

 背中が少しプルプルとふるえているようにも見えるが。

 

「あのさ、おれはどうしたらいいかな? 萌愛(もあ)にちゃんとラブレターの返事をもらったほうがいい?」

「……」

「スマホのことでハラがたったんなら、あやまるよ。だから」

「ついてこないでってば!」

「そ、そこまで言わなくても……」

「ちがう! あなたのことじゃないっ!」

「へ?」

 

 チラッとおれを見て、また前を向く。スカートがひらりと舞う。

 そして逃げるように―――

 

「追いかけてこないでーーーーっ!!!」

(なっ!?)

 

 ダッシュ。

 メガネと三つ編みの外見に似合わない、しなやかな走りのフォームで。

 すっごいターボだ。もうあんなところにいるぞ。

 

 みごとな逃げ足。

 だが、おれのたった一人のパートナーが……。

 ん?

 

 

 ―――にゃあ

 

 

 この声は、ネコ?

 ふりかえると、おれと目が合った。白と黒のツートーンでハチワレっていうやつだ。顔の毛色が〈八〉の字に分かれていて、目のまわりが黒い。ネコ好きの姉キがみたら、とんでよろこびそうだ。

 

 おれはやっと理解した。

 

(ネコがニガテ?)

 

 ぷっ、とおかしくなった。

 これはおもしろい発見だ。

 でも本人に聞いてたしかめるのは、フキゲンになりそうだからやめておこう。 

 

 と、

 

「ベツベツベツベツ‼」

 

 すぐそこにある学校から、おれのほうに走ってくる背の高い男子。

 親友の優助(ゆうすけ)だ。

 マシンガンみたいに名前を連呼(れんこ)しながらこっちにきた。

 

「や、あの、さ、昨日でもよかったんだけど、ちょ、直接ベツに」

「おちつけよ優助。一回深呼吸しろって」

「お、おう……」

 

 やや()があったあと、スマホをとりだした。

 で、すっとタッチした指を左に流して、

 

(え? なんだこれ……ただの街の風景―――あーっ!!!!)

 

 これはおれだ。

 テーブルにはアイスコーヒー。

 そして、この三つ編みの背中はまちがいなく深森さん。土曜日のあのときの。

 

「やっぱ知らなかったのか。あ、あのなベツ、もう一枚あるんだ」

 

 再度、指が左へ。

 

 またしてもおれだ。

 んなバカな。信じられない。

 

 画面にうつっているのは三人。手前で体をくっつけるようにしてるのがおれと深森さん。奥に立っているのが萌愛。

 

 金曜日の放課後だ。

 

(……)

 

 ぼーっとしてしまった。

 なにが起きてるんだ?

 どうしてこんなモノが?

 

(おれはともかく、深森さんまでコレに気づかなかったっていうのは―――)

 

 ショックをふりきって、はやく考えないと。

 

 たぶんラブレターのときはカミナリに気をとられていて、土曜日は気を抜いていたんだ。

 テストも近いのに外出してるクラスメイトはそうはいない、って。

 実際、小原(おはら)さんだけには出くわす可能性があったけれど、彼女がこんなことをするはずがない。

 きっとこれは(ふせ)ぎようがなかったアクシデント。

 

 くやしそうな顔で優助がスマホをポケットにもどして言う。

 

「クラスで回ってる。だれが()ったのか、出どころはわからねぇ」

「じゃあ、も、モアも……」

「ベツ! ウワサをすれば、ほら!」

 

 指さす先には真ん丸なショートカットの女の子。

 たしかめるまでもなく、あれはおれの幼なじみだ。

 

(――――くっ! まじか!)

 

 この距離でおれに気づいてないはずがない。

 明らかにこっちから目をそらして、見ないようにしている。

 歩くコースも、わざわざ遠回りするようなコースで。

 

 バリアがあるんだ。()けようとする意志が。

 

 しかし、いくしかないっ!

 

「モア! モア!」

「……」

 

 がんばれベツ、とうしろであいつが小声でいった。

 近寄るほど、不自然に横歩きみたいにして逃げる萌愛。

 

「とにかく話を……」

「ききたくない」ぷいっと横に向く。「楽しかった? あの子と二人で(わる)だくみして、ウソのラブレターまでつくって」

「それは誤解だって。おれがおまえにそんなことを――」

「おまえ?」

「ああ、いや」

「二度とそんなふうに呼ばないで」

 

 あっ。

 ……行ってしまった。

 深森さんみたく、ダッシュで。

 おれは、その場にとり残された。

 

 

「大丈夫です?」

 

 

 心配そうな声。前からだ。

 いつのまにか地面に向いていた視線を、あわてて上げる。

 

「別所くん、幼なじみさんとケンカでもしたんです?」

「べつにケンカっていうか……」

「たぶんですけど、あの画像のせいですよね。あれ、ひどいと思いました」

 

 ぷぅ、とほっぺをふくらます。

 ちょうど上目づかいみたいな角度で、おれと目を合わしている。 

 

悪意(あくい)がありますよ。メッセージ性っていうのか、あれじゃまるで里居(さとい)さんに何かしてるみたいじゃないですか。まぁ、それはそうと……別所くんと深森さんというのは、意外なカップルなんです」

「ちがうんだ。彼女とは、そんなんじゃないから」

「あれっ? そうなんです?」

 

 彼女は、クラスの級長だ。男女一人ずついて、その女子のほう。

 ふちなしのメガネをかけてて、肩ぐらいまでの髪の長さ。うしろの右と左、〈(バツ)〉でピンで留めて下に垂らしている、ひかえめなツインテールのヘアスタイル。

 

「こまったことがあったら、いつでも相談してください」

「うん。ありがとう」おれは彼女の名前を呼んだ。「末松(すえまつ)さん」

 

 本日は10月6日(むいか)

 31日まで時間はある。

 まずは萌愛との仲を修復したい。さもないと「いかないで」はありえないからな。

 

 

 ――――ちゃんと見抜いて、私の本心。

 

 

 あいつとの約束から、おれは一ミリも逃げるつもりはない。

 



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犬も歩けば棒に当たる

 いま確実にドン引きされた。

 とっさに「あっ!」と思ったが、もうおそかったんだ。

 

「これは……お、おれが設定したんじゃなくて……」

 

 二人でいっしょに見つめている視線の先にはスマホ。

 その画面に、くっきりと表示されている文字は――

 

 

 ――「モアちゃん♡」

 

 

 幼なじみに「ちゃん」づけして、しかもハートマークつき。

 場所は公園のベンチ。天気はくもり。時間は夕方。

 

「キっ……キモいんだけどっっっ!!!」

 

 散歩中の人と犬が「ん?」とこっちに同時に顔を向けた。

 おれの目の前には、なぜか飯間(いいま)翔華(しょうか)。白いシュシュがトレードマークの、クラスのアイドル的存在。

 自分を抱くように腕をクロスして、上下にさすっている。

 いまさら、この名前は姉キがふざけて入れたんだと言い(のが)れしても、手おくれっぽい。

 

(まいったな……)

 

 10月8日。

 今日、授業が終わった教室で、

 

 

「彼女に電話を」

 

 

 とすれちがう一瞬のタイミングで言ったきり、深森(ふかもり)さんは行ってしまった。

 まるでスパイのやりとりだ。

 彼女、っていうのはもちろん萌愛(もあ)のことだろう。

 電話、っていうのはおそらくフォローしておくように、ということだと思う。

 

 いまクラスに出回ってる二枚の画像のせいで、あいつとの関係が最悪になってるからな。

 おれたちは、おとといから会話がまったくない。

 さっきも、こっちを気にするそぶりゼロでダッシュで下校していったし。

 こんなんじゃ、絶対に「いかないで」なんて口にしてもらえない。

 

 電話のシミュレーションをしながら、おれは長い距離を歩いた。

 それこそ、足が棒になりそうなぐらい。

 気がついたら、ここ―――翔華とのデートを勝ち取った公園まで来ていた。

 公園の手前で、偶然そこにいた彼女に「なにやってんの?」と声をかけられて、今にいたっている。

 

 ともあれ、

 

 おれは、今回で最後のループにしようと決めている。

 

 全力で引きとめてもらいたい相手は、萌愛一人だけだ。

 

(いくか)

 

 ひいてる翔華をよそに、おれは受話器のマークをタッチ。

 

 

「なに」

 

 

 フキゲンをかくそうともしないブスっとした声。

 しかし意外にも、サッと出てくれたのは助かる。

 

「モア……じゃなくて里居(さとい)さん。す、すぐ終わるから話をきいてくれ」

「……」

「まず、あの金曜日のラブレターはな、ウソなんかじゃないんだ。もちろん、からかうのが目的でもない。そこだけは信じてくれ」

「……」

「おれと深森さんが二人で(うつ)っていたのが気になってるんだろ? そこは、ちゃんと理由がある」

「理由~~~? あのさぁ、つきあってもいないのに二人っきりであんなお店で……」

「きけって。おれな、彼女に恋愛相談にのってもらってたんだ」

「恋愛相談?」

「それならナットクできるだろ?」

「まー…………たしかにアンタとじゃ、圧倒的に不釣り合いだもんね」

「おいおい」

 

 ぷっ、と電話の向こうで笑ってる感触があった。

 いい傾向だ。

 心の中の深森さんも、一回、力強くうなずいてくれた。

 

「とにかくラブレターだけは本気で書いたヤツなんだ」

「はいはい。わかったから」

「じゃ、じゃあ、今度の週末……よかったら、おれと……」

「でもさ、そもそもなんで相談しようと思ったわけ?」

 

 むっ‼

 けっこうクリティカルなトコをついてきたな。

 教室だと深森さんはおとなしい女子だから、なるほど〈恋愛〉のイメージはない。

 

「っていうか、いつのまに仲良くなったの。ねえ」

「お……おお」

「『おお』じゃないでしょ。いつから? どっちから話しかけたの? それ何月ぐらいの話?」

 

 グ、グイグイこられてるぞ。

 いや、たぶんこれは問い()められてるんだ。

 答えをミスったら「いかないで」がグンと遠ざかる、やばい予感。

 

「…………あ」

「えっ、どうしたんだモア……じゃなくて里居さん」

「お母さんに呼ばれた。ちょっとまってて」

 

 だだっ、という足音を残して、スマホが静かになる。

 これはチャンス――か?

 

飯間(いいま)さん!」

「なっ!!?」セーラー服の肩がびくっと上がった。彼女はおれから興味を失って、スクールバッグをゴソゴソしてる最中(さいちゅう)だった。「えっ⁉ なに?」

「質問があるんだ。どういうヒトだったら、恋愛相談したい?」

「はぁ~~~~⁉」とあきれたように言うその表情が、幼なじみのそれと似ていた。「意味わかんないんだけど」

「はやく。はやく!」

「なんで()かすのよっ!」

 

 おれたちのテンションに合わせたように、救急車のピーポーピーポーの音。

 向こうの道を、右から左に走り抜けて行った。

 

「たのむ。ぱっと思いついたヤツでいいから……」

「んー」翔華は人差し指を口の下にあてる。「それはやっぱり、経験でしょ。実際にモテて、たくさんつきあってきたって人だったら、話をきいてみたい気もするよね」

 

 いける。

 おれはそのアイデアをかりることにした。

 

 

「うっそ!!??」

 

 

 ふだんの深森さんのイメージとのギャップに、萌愛はおどろいたようだ。

 それほど衝撃的だったのか、電話も切られてしまった。たぶん、まちがえてタップしたんだろう。

 

(かけなおす、か?)

 

 ま……今日はやめとこう。

 

 多少は好感度も持ち直したはずだし、『男女の関係には時間が必要なときもある』って、あの本にも書いてたしな。

 

 さて、かえ――――

 

 

「別所くーん? どーこいくのかなぁ?」

 

 

 がしっ、と手首をつかまれた。

 立ち上がろうとした姿勢が、中途半端なところで止まる。

 

「え?」

「助けてあげたんだから、ゲームにつきあってよ」

 

 じゃん! と言ってもう片方の手でつかんでいる2台のゲーム機をおれに示した。

 顔はニッコニコ。

 ドラマのワンシーンかと思うほど、かわいさが現実ばなれしている。

 実際、4回目のループを体験していなければ、おれはここで淡い恋心をいだいていたかもしれない。

 

(ボコる気マンマンなんだろーな……)

 

 もちろんリアルなケンカじゃなくて対戦格闘で。

 

(適当につきあうか。おれ弱いから、すぐにあきるだろ) 

 

「あれ? ねぇキミ、このゲームやったことあんの?」

「まあね」

 

 まよいなくキャラセレクトしたおれを、翔華がフシギがっている。

 

「誰とやったの? 友だち?」

(いま目の前にいる女の子と、だよ)

 

 さて当然、

 

 

「よっわ」

 

 

 おれは勝てない。

 体力をあらわす画面の上の黄色い棒は、あっというまに消えてなくなった。

 

「なんか強いヤツのオーラ出てたのに。めっちゃがっかりじゃん」

「はは……ごめんごめん」 

 

 しかしあのときは、よく勝てたもんだ。

 ズルでもしないと、どうにもならなかった。

 ちょうどあのあたりを見ながら、「みんなが見てる!」って叫んだんだっけ。

 みんなが……

 え……

 あれは……

 

「きゅ、急用おもいだした!」

 

 だだーっ、とベンチから立ってダッシュ。

 ちょっと、とうしろで彼女が怒ったような声をだす。

 

(いま誰かがいた!)

 

 電柱に身をかくすようにして、こっちをうかがってたんだ。

 よっぽど用心深いのか、肩から上はほとんど見えなかった。

 だが女子の制服だったことは確実。当然、うちの学校のだ。

 

(女子って……誰だ?)

 

 スッ、と人影が曲がり(かど)の向こうへ消えた。(かど)の、家の囲みの灰色のブロックのところで、スカートらしきものがたしかに動いた。

 

(せめて後ろ姿だけでも……っ!)

 

 それだけわかれば、大前進だ。っていうかほぼ犯人がわかるといっていい。

 犯人っていう強い表現をしてるのは、たぶんあいつはクラスに画像――萌愛と不仲になりかけた写真――を広めたヤツでまちがいないからだ。

 はぁ、はぁ……。

 サッカー部をやめてなかったら、もっとはやかったと思うけど……。

 このコーナーを曲がれば、

 

(わっ!!!)

 

 おれは、おもいっきり地面にダイブした。

 ずでーん、と音がつくダサいヘッスラ。

 曲がってすぐ、なぜかそこにころがっていた棒に当たってつまずいたんだ。

 野球のバットを細くしたような木の棒。 

 

(……)

 

 顔をあげても、おそかった。視界には誰もいない。

 かすかに(のこ)()が……なんてあるわけないか。あっても、おれは犬じゃないんだし。

 

(今回だけは、まじでやばいかもな)

 

 三枚目を()られた可能性がおおいにある。

 公園のベンチで仲良くしてる(ようにみえる)おれと翔華のツーショット。

 

 それが萌愛の目にふれたら、おそらくゲームセットだろう。

 

 ◆

 

 次の日。10月9日。木曜日。

 

 

「おはよ」

「えっ?」

 

 

 靴箱のところで偶然顔を合わせたら、あいつから声をかけてきた。

 

「ああ、おはよう。モア……じゃなくて里居(さとい)さん」

「はあ~」ため息をついて「もういいよべつに、モアでもなんでも」あきらめたように言った。

「ほ、ほんとか?」

「でも教室でだけは、や、め、て、よね」

 

「やめて」のとこで、おれにまっすぐ伸ばした人差し指を三回タテにふった。

 表情はフラットで一見感情がなさそうだが、なんとなくキゲンがいいのはわかる。

 

(ということは、流れてないのか? 〈三枚目〉は)

 

 念のために優助(ゆうすけ)にも確認したが「ないと思うぜ」との返事。

 

 おれは胸をなでおろした。

 文字どおり、スッと学生服ごしに上から下に。

 

 とたんに気持ちがかるくなる。

 まだ20日も残っているし、相手は気心のしれた幼なじみだ。

 ヘンに(さく)をめぐらす必要もない。ただスナオにいけばいい。

 

(とはいっても――)

 

 やっぱり不安がある。

 ここはいっぺん、基本にもどろう。

 

 おれの〈教科書〉を読み直すんだ。

 ふたたび、『恋愛心理学』の本を。

 

(……あれ?)

 

 ないぞ。

 教室から図書室に移動したんだが、あるはずのところにあるはずの本がない。

 

 

 ――「おはよ。べっちん」

 

 

 あ。思い出した。あれ、安藤(あんどう)が持ってるんだっけ。

 似たような本でも……と思ったが、あいにく本棚には恋愛心理学系の本はまったくなかった。

 しかたない。最悪、安藤に頭を下げればなんとかなるか。

 

「別所くん」

 

 よくとおるクールな()んだ声。

 ふりかえると、おれは目がくらんだ。

 キラキラした朝の光。風にゆれる半透明のうすいカーテン。細くてスタイルのいい体に、よごれひとつないセーラー服。胸元で火のようにゆらめく赤いスカーフ。意味ありげに、おれのほうに伸ばした右手。

 絵だコレ。ばっちり。すべてがキマりすぎている。

 

深森(ふかもり)さん」

 

 まるで時間がとまったようだった。

 世界には、おれたちしかいない、みたいな。

 実際、たぶん今の図書室には、おれと彼女しかいない。

 

 夢のようだ。

 にこっ、と微笑む彼女。

 ただ棒立(ぼうだ)ちしてるおれ。

 

 そして――――

 

 

(なにーーっ⁉)

 

 

 右手を〈いいね!〉の形にしたかと思うと、

 ソッコーで上下ひっくり返して、

 親指の先を地面に向けたまま、ごおっ、と垂直に打ちおろした。

 

「え? え?」

「別所くん! あなた、彼女に何を言ったの⁉」

 

 そこで少しピンときた。

 

「モアとの電話……だよな。ってことは」

「くっそ広まってるから! クラスで! もう!」

 

 知的な顔立ちの深森さんの口から「くっそ」。

 なかなか衝撃的だが、それどころじゃないな。

 

「ごめん……ちょっと、コチョーしすぎた、かも」

「しすぎしすぎしすぎ!」

 

 言いながら、こっちにズンズンつめよってきた。

 でもって、がっしり腕を組む。いつもの彼女のポーズだ。

 

物事(ものごと)には限度ってものがあるでしょ!」

「そ、そうですね」

「なんなの経験人数三十人っていうのは!!? 14歳でそんなわけないからっ!!!!」

 

 昨日の公園にて。

 おれは電話で――いきおいにまかせて――萌愛にそう伝えてしまった。

 経験が多ければ多いほど、説得力があると思ったからだ。

 

「話の流れっていうか、なりゆきで……」

「あーーーっ、ほ!!!!」

 

 かつてない声量の「あほ」だった。

 それだけアタマにきてるってこと。

 でもなんか、まじっぽくないというか、どことなく友だち同士のノリという気もしている。

 

「ま……まあまあ、どうか落ちついて」

 

 無言で、ぎろっとおれにをにらむ。

 

「あんまキレると体に良くないから――」

 

 すう、と小さく息をすう音がきこえた。

 やば。またスイッチはいった? なだめるの逆効果だった?

 

「…………あなたが」

「えっ」

「あなたが私をビッチにするからでしょ!」

 

 おれは反射的に言い返す。

 

「ふ……深森さんはビッチじゃないよ!」

「そんなのわかってるっ!!!」

 

 しーーん、とそこで静かになった。

 深森さんはメガネに敬礼のように手をあてて、ゆっくり首をふった。

 

「はぁ、私の静かな学校生活が…………」

「ごめん」

「あやまられても、ウワサは消えてくれない」

 

 そこまで言うと、彼女は教室にもどってしまった。

 

(たしかに盛りすぎたな)

 

 おれは深く反省した。

 ただ、彼女にはわるいが、おかげで萌愛との関係はいい方向にいった。

 これでループをちゃんと終わらせられたら、深森さんもきっとわかってくれる―――と思いたい。 

 

 放課後。

 

 おれはアテもなく校内をぶらぶらしていた。

 ぶらぶらというか、ぐるぐるというか、とにかく歩いてる。

 考えてるんだ。つぎの一手を。

 

(とりあえずデートにさそわないとな)

 

 萌愛を……あ、あの子の髪型あいつに似てる。

 サラサラのショート。

 自転車置き場のハジのほう。あまり日の当たらないすみっこのあたり。

 あの二人カップルか? 恋人っぽい男女で向かい合って……

 

 

里居(さとい)

 

 

 その声でおれは足をとめた。

 急いでしゃがんで身をかくす。

 

(里居? じゃ、あの子はやっぱり萌愛なのか?)

 

 自転車よりも体を低くして、じりじりと近づいていく。

 すると棒読みぎみに、男のほうがこう言ったのがきこえた。

 

「好きだ。つきあってくれ」

 



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灯台もと暗し

 チアガールの姿で、あいつはグチっていた。

 上は真っ赤なノースリーブの服で、下は白いミニスカート。

 

「……好きでやってるんじゃないから」

 

 聞けば、応援団の女の子が体調をくずして代役をたのまれた、ということだった。

 一年のときの秋の体育祭。

 

「ほんと、男子がチラチラみてきてウンザリ。どうせ、アンタもラッキーとか思ってるんでしょ」

「べつに」

「はぁ~~~!!??」

 

 と、幼なじみは両手を腰にあてて(おこ)り顔になった。

 風でショートの髪が一部ふわっと浮き上がり、てっぺんにツノのように立つ。

 そんなタイミングで、

 

 

「おーっ、色気のねぇチアがいると思ったら、里居(さとい)じゃねーか」

 

 

 そう言ったのは、数メートル向こうにいる背の高い男子。

 髪の色が少し茶色くて、くちびるをななめに曲げている。

 

「うっさいなぁ!」

 

 だーっ、と萌愛(もあ)はそいつのほうに走っていってしまった。

 おれをそこに置いて。

「おこんなよ」となだめる彼の声。

「おこるでしょ」と言い返す幼なじみの声。

 

 向かい合う二人。

 青い空と運動場をバックにしたその光景がカッ‼ と記憶によみがえって―――

 

 

(告白されてるのかっ!!??)

 

 

 ばっちり今のアングルと重なった。

 近さといい、萌愛が男を見上げている角度といい、あの日を再現したかのように同じだ。

 空が赤くて、場所が自転車置き場のスミっていうところだけが、ちがう。

 

 おれは姿勢を低くしたまま二人のほうに少し近づいた。

 

「おい。なにだまってんだよ、里居」

「……」

「わるいけどすぐに返事くれ。ここで。じらされんのは、好きじゃねぇんだ」

「うん……」

 

 おれのほうから斜め前を向いている角度で見える男。

 片手をズボンのポケットにつっこんだポーズで、第三ボタンまであけた学ラン。中は黒いTシャツ。

 あれは的場(まとば)ってヤツだ。萌愛と同じダンス部の。

 いっしょに遊んだこともあった。たしか、翔華(しょうか)に「いかないで」を言ってもらおうとした――――

 

(あれっ? そういえば、あのループのときも10月9日(きょう)だった気が……)

 

 幼なじみが告白されるイベント。

 前もそういうことがあったが、その日付が同じっていうんなら、ただの偶然とは思えない。

 もしや、

 

(このイベントは〈確定〉……?)

 

 ひょっとしてループするたびに、萌愛はあいつに告白されていたのか。

 ということは、つまり、毎回オッケーせずにフッてきたってわけだよな。

 だったら、きっと大丈夫だろう。うん。あいつを信じて…………

 

 

 ――「これは」

 

 

 ちりっ、と頭の中に静電気がはしった感覚。

 

 

 ――「あなた自身さえ知らない本当の〈10月〉」

 

 

 ふいに思い出したのは深森(ふかもり)さんの言葉だった。

 そしてなぜか、はげしくドキドキしはじめる。

 こっそり告白を盗み見してるから……ってだけじゃ、こうはならない。

 

 萌愛の後頭部が、わずかに斜めになった。

 

「とりあえず、ありがとね。気持ちをはっきり伝えてくれて、うれしかった」

「おう。で、どうなんだ? 里居」

「あの、さ……」

 

 ぐっ、と言葉につまったような()

 それがちょっと長くて、その長さにおれは不安になってしまう。

 

(おい、まさかだろ……まさかだよなっっっ⁉)

 

 あいつの答えしだいでは、ループの終わりが絶望的に遠ざかる。

 いや、もうループなんかどうでもよくて、おれは萌愛のことを―――― 

 

 

「返事は……まって。すこし、考えさせて」

 

 

 音のしない息がおれの口から「ふう」と抜け出た。

 ひとまず、告白成功とはならなかったようで安心だ。

 どっちつかずな物言(ものい)いが、気がかりではあるけど。

 

 うごかない二人。

 

 うしろ頭の微妙な動きで、自分をみつめつづける的場から、萌愛が目をそらしたのがわかる。

 

(いったか…………)

 

 男が先、萌愛があとの順番で立ち去ったのを、おれはかくれたままで見送った。

 ドッとつかれが来る。

 時間にすると『好きだ』からたった数分のみじかさだったはずなのに。

 

(……)

 

 ぼんやり、しばらくそこにいた。

 楽しそうに下校してる話し声や、自転車のガシャンガシャンいう音をききながら。

 

(おれもあんなふうに―――直接コクったほうがよかったのかな)

 

 手紙じゃヨワかったか、なんて思いながらゆっくりと立ちあがる。

 自分の影が、実際の身長以上にぬーっと伸びた。

 その先に足があって、おれの影の頭のあたりを()んづけてる。

 白いスニーカーに白いソックス、から見上げて、紺色のスカート、赤いスカーフ。

 どこか落ちついた雰囲気があって、てっきり深森(ふかもり)さんだと思ったんだが、

 

 

「あのぉ……大丈夫です?」

 

 

 ちがった。うちのクラスの級長だった。

 

「……末松(すえまつ)さん」

「しゃがみこんでたようですけど……具合でもわるいんですか?」

 

 片手を口元にあてて、めっちゃ心配そうな表情だ。

 

「とりあえず保健室に……」

「あっ、大丈夫。平気平気」

「ほんとです?」

 

 と、体が当たるほど接近した状態で、上目づかいで言われた。

 どきっとする。

 末松さんは、メガネをかけた女の子だ。深森さんがかけているのとはちがって、レンズにふちがなくて軽そうなタイプ。

 彼女の性格もそんな感じだと思う。

 バリアをつくらずにフットワークが良くて、女子のどのグループとも仲いい、みたいな。

 

「道、こっちです?」

「うん、まあ」

 

 うしろの髪を左右、バツの形でクロスしたヘアピンでピシッととめたソフトツインテールが、おれの右どなりでゆれている。それもけっこう近くで。

 てか、

 

(ナチュラルにいっしょに帰ってる??)

 

 どーなってるんだ。

 そう思いつつ、おれはさりげなく歩く速度をおとしてまわりをチェックしていた。

 まさかとは思うが、この状態で萌愛とエンカウントするわけにはいかないからな。

 

「来週はテストですねー。別所(べっしょ)くん、準備はしてますか?」

「えーと、うん、そこそこかな」

「今回の社会の範囲、広すぎません?」

「たしかに。大変だよね」

「得意な教科とかあるんです?」

「それは―――」

 

 そこからしばらく、ラリーがとまらなかった。

 彼女がつねに「?」をつけてきいてくるもんだから、ヘンな()があくこともなかったし。

 正直、おしゃべりしてるうちに、おれも楽しい気分になってきた。

 そしていつのまにか、

 

「いいですよね。幼なじみがいるって」

 

 話題が、そこへいった。

 横顔でそう言い、彼女はおれのほうに向く。

 

「別所くん。はっきり言って、男子からうらやましがられてますよー」

「いやいや」

 

 とヘラヘラこたえた直後―――

 

 

「やっぱり、初恋って幼なじみなんです?」 

 

 

 無邪気になげられたその質問に、

 おれは、かたまってしまった。

 

 びっくりしたんだ。

 

 自分の知らない部分に光をあてられたみたいで。

 

(そういえば、そうだよな……。どうして、おれの初恋は萌愛じゃなかった……んだ?)

 

「どうかしたんです?」

「あ……いや」おれは末松さんに、幼なじみに言うようにつぶやいた。「べつに」

 

 なにかを察したのか、そこで「じゃあ失礼しますね」と末松さんは手をふった。

 夕陽(ゆうひ)と逆方向に歩いていく。

 道路のずっと向こう、曲がり角のところで、彼女はおれのほうをふりかえった。

 

 遠すぎて表情はわからないけど、フシギとにっこり微笑んでいるように見えた。

 

 ◆

 

 10月10日。金曜日。

 以前のループで、クラスのアイドル的女子の飯間(いいま)翔華(しょうか)とゲームでバトってデートを勝ち取った日だ。

 そこまで急接近できたことには、萌愛(もあ)が告白されたことが関係している。

 だからおぼえていたんだ、昨日(9日)があいつが的場(まとば)からコクられた日だってことを。

 

(うまくいかないな)

 

 こう……告白で水をさされた、っていうのか。

 全力疾走をハガイじめでムリヤリとめられたっていうか。

 とにかく、スピード感がなくなってしまった。

「いかないで」もスーッとはなれていくようで。

 

(デートにさそったりしたいけど、あいつが返事をするまではな……)

 

 そういうのってなんとなくフェアじゃない。

 むろんフェアとかいってる場合じゃないが。

 

 

「バリうまくいってる」

 

 

 と、彼女はおれの反対を言う。

 敬礼のようにメガネの横に手をあて、そのまま、おなじみの腕を組んだポーズにかわった。

 

「幼なじみがほかの男子に告白されて、あなたは彼女への想いがいちだんと強くなったわけでしょ?」

「それは、まあ……」

 

 あらためて、はっきり言葉にされるとハズかしい。

 いつものように深森(ふかもり)さんは、照れるそぶりもなくポーカーフェイス。

 

「私の見立てでは、きわめて順調。ダメなのは慎重。行動に応じて好感度は上昇」

「……そうだよな」

 

 昼休み。

 体育館につづく渡り廊下。

 空はどんよりとくもってて、風が少しつよい。

 セーラー服の前にたれる二本のおさげ髪が、同じ角度でななめにゆれた。

 

 なんで二人でこんな場所にいるかというと――

 

「ここは動線(どうせん)じゃないから」

 

 そう彼女はいった。

 教室は二階にあり、次の授業は理科で理科室。それは向かいの校舎の三階にある。つまり、わざわざ一階のしかも体育館のほうまでくるようなクラスメイトはいないだろうってことだ。

 

「よっぽど予想外のことがない限り、あなたはこの〈10月〉から出ていける。最悪、うまくいかなくてもあなたには好きなだけやり直せる手段がある」

「かんべんしてくれよ。もうおれ、ループするのいやだって」

「いえ現在の状況では、私はループは希望だと考える。逆に、それができなくなってしまうことこそ、およそ考えられうる中で最悪なパターン」

「できなくなる?」

「そう。たとえば―――」

 

 深森さんの言葉をきき、おれはある意味、安心した。

 自分が平凡な男子でよかったと、はじめておもえた。

 ただ唯一、あの安藤(あんどう)にだけは注意する必要があるが。

 

「わかってるの?」

「ああ。オッケー、問題ないよ」

「まったく。ほんとにあなたは、私に世話を焼かせるんだから」敬礼っぽくメガネの横に指先をそろえてあてる。口元は、笑っている感じだ。「でもこうやってたよられるのも、中々(なかなか)わるくない」

 

 おれは笑ってるようなこまってるような、微妙な表情をつくった。

 深森さんはおだやかな顔で、両手をおへそのあたりで組んでいた。はじめて見るポーズだ。

 

「話は終わりね。じゃ、あなたから先に行って」

「あー、あのさ……深森さん」

「なに」

「初恋って、いつ?」

「ふぁっ!!??」

 

 うおっ、とおれのほうがびっくりしてしまった。

 ききまちがえ、とか、ソラミミ……だったのか?

 土煙(つちけむり)があがるようなはやさで、深森さんはターンして背中を向けたけど。

 

「深森さん?」

 

 こん、とちいさくセキばらいするような音がした。

 半分だけふりかえる形で、おれからは横向きの深森さん。

 彼女のうしろのずーっと向こうには、おれが何度もループした学校の正門がある。

 

「あまり感心しないインタビューね。まさか私を、からかってるの?」

「そんなつもりは、ないけど……」

「なら、どういうつもり? いきなりそんな質問をした(ねら)いは?」

「いやなんていうか、ただ気になったっていうか」――ここで昨日の末松(すえまつ)さんとのやりとりを説明するには時間が足りない、とおれは思った。「意味はないよ」

「ほんとうね?」

「? ほんとだよ」

 

 うたぐりぶかい。

 てか、なんでそんなに気になるんだ?

 初恋っていうワードに反応したのかな?

 まあ、話も一段落したし、もう教室にもどるか。

 

 

「あっ」

 

 

 校舎に入って二階に上がったところで、ばったり女の子と顔をあわせた。

 段ボールを体の前にかかえている。

 

「ちょうどよかったですー。あのぉ……これ重くて……手伝ってもらえません?」

 

 末松(すえまつ)さんだ。メガネが、すこし下にずり下がっている。

 

「いいよ」

「えーと、私も片方もつので……」

「いや逆にもちにくいよ。おれが一人でもつから」

 

 段ボールの両サイドにある手をいれる用の穴。

 当然、おれが片手をいれると、彼女――――級長の末松(すえまつ)さんは手をぬく、と思ったんだが、

 

(えっ⁉)

 

 手が不動。

 なんかしっとりしてて、おれのよりちょっとあったかい。

 下にずれたメガネの上目づかいでこっちをみつめてくる彼女。

 時間がとまったようなサッカクがあった。

 これは……

 

「わ! ごめんなさい、ボーッとしちゃってました……です」

 

 末松さんはあわてて段ボールから手をはずそうとする。

 一瞬おたがいの頭が近づいてシャンプーのいいにおいがした。

 どきっ、どきっ、と心臓がはやくなってるのがわかった。

 どうしたんだ、おれ。

 今まであんまりイシキしてなかった女の子なのに……。

「いかないで」のためにくり返した日々の中で、一度だって気にしたことのない女子だぞ。

 

 ずっと見落としてたとでもいうのか?

 

 てか、おれが盛大(せいだい)にカンちがいしてるだけだろ。

 たまたま気がある、ように受け取れた。そういうオチだ。

 

 よりにもよって最後のループにしようってときに、萌愛(もあ)以外の女の子に目うつりしてる場合じゃない。

 

 ――下校時刻。

 

 おれは靴箱のところで、立ち止まった。

 そこに末松さんがいたからだ。

 

「別所くん!」

 

 反射的に「いっしょに帰ろう」とさそわれる、と思って身がまえた。

 でも、

 

「また明日です」

 

 あっさりした声で、それだけだった。

 おれが片手をあげるとマネするように彼女も手をあげた。

 

(はは。現実はこんなもん、だよな……)

 

 べつに、さそわれなくてガッカリとかしてない。

 そこまでおれはカルい男じゃないと思ってるし。

 

 深森さんは、あのときこう言ってた。  

 

 

「――たとえば、あなたにアプローチする女の子があらわれた場合、

 『いかないで』って引きとめられると、もう〈ここ〉にはもどってこられない……それは、わかってるの?」

 

 

 安心していいよ、ぜんぜん。そんな可能性はゼロだ。

 うん。

 ゼ――

 

「あ、あのっ‼」

 

 ロッッッ!!?? と、おれは息がとまりそうになった。

 クツを取ろうとしてるハンパな姿勢で体がストップ。

 いつのまにかスッと間合いをつめて、至近距離で上目づかいしてる末松さん。

 

 これはまさか……いったんフェイントでやっぱりさそうとかじゃなく、

 おれに告白でもするような勢い……

 

「気を、あの、落とさないでくださいね」

「え? 落とす? 気?」

「あの……もしかして、まだ知らなかったんです? 私ったらヨケイなことを……」

「ごめん、なんの話?」

「別所くんの……幼なじみさんが」

 

 目をつむって、首をふって、また目をひらいて、小さく口をあけて息をスゥっとすいこむ。

 そして彼女はまっすぐおれを見つめながら、

 

 

「ほかのクラスの男子とつきあうことになったって、友だちから聞きました」

 

 

 言って、末松さんは横を向く。

 髪をとめている〈×(バツ)〉のヘアピンが、夕暮れの光で赤くキラッと光った。

 



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鉄は熱いうちに打て

 ――『ウラをとる』

 新聞記者の父さんがよくつかってて、おれは小さいころにこの言葉を耳でおぼえた。

 

(いまこそ、そのときだ!)

 

 告白をOKしたのが本当かどうか、はっきり、あいつの口から教えてもらいたい。

 家は目と鼻の先。スマホで連絡だってとれる。

 カンタンなことじゃないか。

「なあモア。ダンス部のやつとつきあうことになったって、ほんとか?」って切り出せばいい。

 

(ウラをとるんだ、ウラを………………)

 

 きょうは土曜日。月曜はスポーツの日だから、三連休の初日だ。

 火・水には中間テストがあるが、今回で7度目なので勉強はもう必要ない。

 

(え~~~~いっ!!!)

 

 ようやく決心がついて、家の外に出ようとしたら――――

 

「おっ。いいトコにヒマそうな少年発見」

「いやヒマじゃな……」

「はい! メモとエコバッグとお金。お姉さまの代わりに、おつかいよろなのじゃ~」

 

 手をひらひらふりながら、姉の行美(いくみ)が自分の部屋のドアをばたんと閉めた。

 おつかい? いまからー? まじかよ。くっそー。

 

(まあ……、時間はあるからいいか)

 

 けっしてモアのことを先のばしにできてラッキーとか、思ってない。

 しかし気持ちがちょっとラクになったのも事実。

 いま昼の2時ごろ。

 スーパーに行って帰ってきても、まだ夕方にもならないだろう。

 

 そして、

 

 

「なぁ、キミだよキミ。こっち向けし」

 

 

 お菓子売り場にて、めっちゃギャルにからまれた。

 チラ見で顔をたしかめたが、まったく知らない人だ。もしかしてカツアゲ?

 はやく逃げなきゃな……。

 おれは、彼女がつかんできているヒジを、そっとふり払った。

 

「あの、えっと、急ぐんですいません」相手と目を合わせて、きっぱりと言った。

「あー! ほら、やっぱり‼」

「はい?」

「私、私っ!」と、自分を指さした。爪は長くトガっててシルバーのラメっぽいのがついてる。

「あの……どちらさま……ですか?」

「あーっ、ひっどーーーい!」

 

 どん、と肩をおされた。

 くちびるをつきだしたフキゲンな表情で、じーっとおれを見てくる。

 

「ねーぇマジでおぼえてないのぉ? ほらぁ、五年生のときに同じクラスだったじゃん。ってか、私学級委員長やってたんですけど」

「あ」

 

 瞬間――。

 頭の中で彼女の写真がバサバサバサってつづけざまにあらわれた。

 休み時間に静かに本を読んでいる彼女、窓辺(まどべ)で外をみつめる横顔、黒板の前でせいいっぱい大きな声をだしてクラスをまとめようとするケナゲな姿。

 

 よみがえった。おれの初恋が。

 ある意味、それはゾンビ的な復活で―――――

 

「まさか春尾(はるお)さん?」

「そーだよ」

「まっ、まじで!!??」

「あっははは‼ リアクション、まじウケるんだけど!」

 

 なんなんだこのヘンボーぶりは。

 ぶあついメガネ→コンタクト、黒髪→茶髪(しかもくるくるカールしてる)、ひかえめな口元→パッと明るいピンクのくちびる、ふつうのまつ毛→バッチリつけまつ毛。ざっと見ただけでも、ここまで変わってる。

 

「あーね。でもそうだよね。ちっともオモカゲないもんね」

 

 と、彼女は横を向いた。

 このさみしそうな横顔の感じは、あのころの彼女のイメージとすこしリンクした。

 長いまつ毛の目でパチパチッとまばたきして、またこっちに向いた。

 

「でっ、なにしてんの?」

「いやべつに……おつかい」

「キミ一人で?」

「うん、まあ」

別所(べっしょ)くんてさぁ……」ななめ下から、至近距離でおれをのぞきこんでくる。「けっこーオトナっぽくなってるよね」

 

 おれは首をふって、おそらく姉が追加で書き込んだと思われるお菓子を手につかみながら、考えていた。

 初恋の子がみごとなギャルになった。

 人生で最初に好きになった、小五のときのあのマジメでおとなしい女の子が。

 

(もしかして、なんかあったのかな……)

 

 彼女はお嬢様学校に進学したときく。

 そこで今までの自分を根っこから変えないといけないような〈何か〉にぶつかったのか。

 それとも、もともと〈こう〉だったのを、小学生のときはガマンしておさえていたのか。

 

 わからない。

 

 でもこれは、かるい気分でウラをとっちゃいけないヤツだ。そのへんだけは、わかる。

 

「いっしょじゃないんだ。あの子と」すっ、と春尾さんは長い髪をかきあげた。出てきた耳にはピアスがついていた。

「あの子って?」

「わかってるくせに~~~」うりうり、とおれの横っ腹をヒジでついてくる。「サッちゃんだよ、きまってんじゃん」

「あいつは……ただの幼なじみだから」

「ふーん。ところでさ」ぱちぱちっ、と二回大きくまばたきして世間話のように彼女は言う。「二人ってもうヤッた?」

 

 ループで流れる店内のノリのいいBGM。

 ニヤニヤしたままの彼女。

 そばをパタパタ走る子どもと、カートを押しながら注意するお母さん。

 どフリーズ(ちゅう)のおれ。

 数秒してやっと声をだせるようになり、

 

「ええっ!!??」

「あっはは。おもしろ。ごめんごめん。ちょっとからかいたくなってさ。私ね」

 

 ぐいっ、と服のソデをつかまれる。

 持っている買い物カゴの中の牛乳パックが横にたおれた。

 

「別所くんのことがずっと………………」

(おおっ!!?? まじか! トートツにこの流れがくるとは……。まってくれ。心の準備が)

「き・ら・い、だったから!」

 

 彼女はパッと手をはなした。

 パーにした手を顔の横に。表情は笑っている。「にひひ」って感じの笑顔。

 

「……えっ?」

「私だけじゃないよ。たぶん女子全員。まじだよこれ」と言う彼女の目の色は、たしかにガチ。

「全員っ⁉ ど……、どういうこと? 春尾さん、おれなんかしたっけ?」

「あれ? ってか逆に、別所くん知らなかったんだ?」

 

 知らないよ、と言い返す前に、食いぎみに彼女はぜんぶ説明してくれた。

 

 彼女いわく――

 

「三年生のさ、たぶん給食の時間って言ってたと思うけど」

「そんときたしか、サッちゃんと同じクラスだったでしょ?」

「男子のだれかがキミに質問したんだって。ふざけてリコーダーをマイクみたいにしてさ。『あなたはサトイさんとケッコンしますか?』って」

「キミってば、すーぐ否定して」

「『するわけないよ』とかって。ひどくない?」

「その日の帰り道にさ、サッちゃん泣いてたらしいよー?」

「キミはもっと幼なじみを大切にしなきゃ」

 

 またね、と春尾さんは手をふって、おれよりも重そうな荷物を持って向こうに歩いていく。どうやら彼女も、家のおつかいだったようだ。

 またね……か。

 たぶんもう、彼女と会えることはない。

 

(引っ越しするの、言ったほうがよかったかな)

 

 でもそれより、

 いまは考えることがあって、

 過去、 

 おれがおぼえていない〈おれ〉が、

 あいつをキズつけてたっていう出来事。

 

(いやおぼえてるぞ。思い出してきた。あのとき……モアは席がとおくて、てっきり聞こえてないと思ってたんだ)

 

 歩くテンポがはやくなる。

 気づけば走りだしていた。

 

 ソッコーでエコバッグを家の台所におき、高速でくるっと回転して、また外に出る。

 

 びゅっ、と正面から吹いてきた10月の風がつめたい。

 だがこの気持ちは冷めない。まちがいなく(あつ)い。

 

 

「モアっ‼」

「わ! ……なによ、急にどうしたの?」

 

 

 すぐ家から出てきてくれ、とおれは電話した。

 10分ぐらいたって、あいつはあらわれた。

 

「なに……?」

 

 おそるおそるドアから顔だけ出して、目つきは警戒心バリバリ。

 そりゃそうだよな。理由も()げずに家まで押しかけてくるなんて、ふつうにアヤしいよな。

 

 おれはパチンと手を合わせて、頭を下げた。

 

「わるかった!」

「はぁ!?」

「心の底からわるかった! おれをゆるしてくれっ!!!」

「アンタ……私に何したわけ?」家の中に目を向けて、またもどす。「声、大きすぎ。今、お母さんが中にい―――」

「おまえを泣かせるようなマネをして、本当(ほんとー)にすまないっ!!!」

「は……はぁーーーっ!!??」

 

 萌愛(もあ)はあわてて、玄関のドアをしめた。

 バカじゃないの、とつぶやきながらおれの横を抜けて手招きする。

 

 向かった先は公園。

 おれたちがベビーカーに乗っていたときからつかっている場所だ。

 

「……知らない」

 

 ぷいっと萌愛はおれから目をそらす。

 

「きっとだれかが話を盛ったんでしょ。遠くから見て、私が泣いてるように見えただけじゃないの?」

「そうなのか?」

「本人が言ってるんじゃん」きっ、と萌愛は強いまなざしを向ける。「はい。もうこの件はおわり。じゃ、テスト勉強があるから私かえる」

「まてよ」

 

 ベンチから立とうとした萌愛に声をかける。

 おれはあいつの正面にいて、立ったままだ。

 服装は、うすいピンクのナイロンパーカーに、ひざ(たけ)のクリーム色のパンツ。みじかい靴下は真っ赤。スニーカーは白……だけど、はきつぶされていてけっこうボロボロだ。

 そして、左の耳の上あたりにつけられているもの。

 赤い花のヘアピン。

 

(あわてて出てきたからか?)

 

 これは萌愛のお母さんの形見だ。

 基本、家の中でしかつけないときいている。なくすとこまるから。

 

(まあ……ふれないでおこう。モアも、かるがるしくふれてほしくないだろうしな)

 

「なんか最近のアンタ、へん」

「えっ?」

「いきなりラブレターだしてきたり、今日のコレみたいなことしたり。まるで別人になっちゃったみたい」

「そう、かな?」

「でもさ」ちょっと上目づかいになる角度で、おれをみつめてくる。「むかしみたいでいいかも。こう、なんて言うか、いろんなことにガムシャラにがんばってるみたいな」にこっ、と口元だけで萌愛は笑った。「サッカー部やめたあたりから、コウちゃんなんか元気なくなってたじゃん。自信がなさそうな男子って感じでさ」

「いや……ジカクはないけど」

「っていうか、なつかしい名前だしてきたよね。ハルちゃんか~。スーパーで会ったの?」

 

 ん、とおれはうなずく。

 こんなときでもおれは『恋愛心理学』の本で身につけたテクニックを自然につかっていた。 

『うなずき効果』。

 よくうなずけば相手はいい印象をもってくれるっていうヤツ。

 

「アンタにインタビューって、たぶんトンちゃんだよね。富田(とんだ)のトンちゃん。あの子、めっちゃ面白かったもんね」

「そうだな」また一回、うなずいた。

 

 そこからしばらく思い出ばなしになった。

 おもに先生とか同級生とかの話題だ。

 一段落(いちだんらく)したところで、

 

「とにかく、あやまれてよかったよ」

「スッキリできたんなら、よかったんじゃない?」

 

 ベンチから萌愛が立ち上がる。

 

「じつは、おたがいさまだったりね」

「なにが?」

「私も、コウちゃんの知らないうちに迷惑かけてるのかな」

 

 うなずきかけた動きをとめて、おれは質問する。

 

「どういうことだ? おれに迷惑なんか、かけてないだろ」

「ウワサできいたんだよ。ほんと、ただのウワサだよ? ある女の子がね、私に気をつかってコウちゃんに告白するのをあきらめた―――とか」

 

 萌愛の顔は、スーパーの方角にむいていた。

 あっ! とおれは思った。

 ひらめいた、という感覚にちかい。

 スーパーで、あのときの、

 

 

「別所くんのことがずっと………………」

 

 

 やたらとながく感じた()

 あれはもしかして、彼女の急ハンドルだった?

 ジャマにならないように、正反対の言葉で……。 

 

(って、まさかな)

 

 はげしくカンちがいしてる場合かおれ。

 それより確認だ。

 ここから本題に。

 

「モアっ!」

 

 え? という表情であいつはふりかえる。

 

「つきあうのか? あのダンス部のやつと」

「はぁ⁉」

「こ……告白、されたんだろ?」

「なんでそれ知ってんのよ!」

 

 おちつけって、と近づいてきた萌愛に手のひらを向けた。

 

「つきあってるのかどうか、それだけきかせてくれ」

「……」

「モア」

「ちがうから。あいつとは……まだそういうんじゃないの」

 

 それだけ言って、おれはあいつの数メートルうしろをついていって、いっしょに帰宅した。

 

(つきあってないのか)

 

 なら安心していい。

 ベッドに寝転がる。

 

(とりあえず『ウラはとれた』わけだな……)

 

 でも不安がのこった。

 ウラどりは不完全。

 告白したがわ、つまり的場(まとば)にも話をきく必要がある。

 それでもウソをつかれたり、かわされたりっていうこともあるわけで。

 

(もう、なりふりかまわずアタックするか。テストが終わってからが勝負だ)

 

 残り時間は三週間を切っている。

 

 おれは、やるしかない。「いかないで」のために。

 

 三連休が終わって翌週の火曜日。10月14日。

 

 

「おはよう」

 

 

 おどろいた。

 校門の手前に、彼女が立っている。

 みなれた二本の三つ編みに、細い体なのに堂々とした立ち姿。

 深森(ふかもり)さんだ。

 指先をメガネの横にあてたタイミングで、レンズに太陽の光が反射してキラっとなった。

 

「すこしでも早いほうがいいと思って。あなたをまっていたの」  

深森(ふかもり)さん」

「テスト勉強もせずに私は週末、図書館に行っていた」

 

 うん、とおれはうなずく。

 これは恋愛のかけひきなしの、マジのうなずきだった。

 

「そこで資料をできるだけ集めて調べれば調べるほど、あなたの向かう国が戦争に巻き込まれる可能性は上がっていくばかりだった。近隣の国との関係……天然ガスの輸入先の急激なシフト……ねらわれるに()る豊富な資源……自衛可能な武力……」

 

 静かに語るその声に、おれは聞き()っていた。

 空気ごしに、彼女の熱量が伝わってくるようだった。

 

「そこで戦争が起こって、あなたがその犠牲になるのは、まずまちがいない。じゃあ、問題はその度合い」

 

 彼女は腕を組んだ。

 スクールバッグはもっていない。テストだから、手ぶらで登校したんだろうか。

 

「あなたがちょっとケガをしたというレベルでは、人間一人の時間をさかのぼらせて、かつもう一人を〈10月〉のループにとじこめるなんていう奇跡が起こる引き(がね)としては弱すぎ。ここまではいい?」

「いいよ」

 

 くるっ、と彼女は人差し指で空中に〈〇〉をえがいた。

 

「ただし、たとえ未来でどんな危険があるとしても〈この中〉にさえいればあなたは安全。命がおびやかされることはない。つまり、このループは〈シェルター〉。ここにいるかぎり、あなたはずっと、生きていられる」

 

 深森さんがゆっくりした動きで、

 黒ぶちのメガネをはずした。

 

(!)

 

 はじめてみる。

 すいこまれそうなほどきれいな両目。

 それ以外に、表現するコトバはみつからない。

 

「命がおしいのなら『いかないで』はあきらめるべき」

「でもおれは……」

「別所くん。私でよければ、あなたと永遠だろうとつきあってあげてもいい」

 

 まってくれというヒマもなかった。

 告白――でもないと思うけど、けっこう近い提案。死ぬほどやさしい気づかいだ。

 

 おれは首をふった。

 もちろん、横方向に。

 

「本当にあなたは世話が焼ける」

 

 深森さんはメガネをかけなおした。

 口のはしっこが、ちょっと斜めに上がっている。

 

「私をビッチにするだけじゃ満足せず、重たい十字架まで背負わせようっていうのね」

「テストが終わり次第、おれはモアに全力でぶつかっていくから」

「くそ上等(じょうとう)

 

 ―――そして、二日間の中間テスト終了。

 

 緊張がゆるんだ教室で、

 モアをみたら、あいつもおれを見ていた。

 

(よし……さっそくデートに)

 

 ふっ、と急に視界がさえぎられた。

 目の前に、紺色のセーラー服、赤いスカーフ。

 

別所(べっしょ)くん」

 

 級長の末松(すえまつ)さんだ。ふちなしのメガネに、うしろの左右、ヘアピンを交差させてとめているツインテール。遠くからだとふつうのセミロングの髪と区別がつかない。あまり目にしない髪型だなと思って調べてみたら、あれは『ハーフツイン』って名前らしい。

 ニコニコしながら、さわやかに彼女はいう。

 

「時間ってあるんです?」

「あ、ああ」ふいをつかれて、おれは反射的にうなずいてしまった。

 

 ふぅ、と彼女は胸に手をあてて、目をつむる。

 背後で、萌愛が近づいてくるのがみえている。

 目をあけて、おれだけにきこえる声でいった。

 

「これから二人でテストの打ち上げしませんか?」 

 



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魚心あれば水心あり

 ことわる、の一択(いったく)だったはずだ。

 だがなぜか、こんなことになってる。

 

「おお……なんか、すっげーメンバーだな」

 

 となりでつぶやいたのは、おれの親友の優助(ゆうすけ)

 背が高いバレー部のキャプテン。マネージャーがカノジョ。

 

 おれたちの前方に、タテに伸びて歩いている女子の集団がいる。

 学級委員の末松(すえまつ)さんを先頭に、お調子者の安藤(あんどう)、幼なじみの萌愛(もあ)、その友達の中山と山中、そして―――

 

(うっ)

 

 おれの視線を察したかのように、彼女は肩ごしにふりかえった。

 少し距離があってよくわからないが、メガネのレンズごしにするどい目を向けている気がする。

 深森(ふかもり)さん。

 おれのループを知っているたった一人の協力者だ。

 

 しかし、あのときはおどろいた。

 

 

 ―――「まって。私も行く」

 

 

 約30分前の教室でのこと。

 いや、おどろいたといえば、末松さんに「打ち上げしませんか」とさそわれたところからだろう。

 返事にこまっていると、

 

「……なるほどですね」

 

 彼女はターンして、いきなり萌愛に声をかけた。

 いっしょに打ち上げしないか、って。

 そこから、なぜか安藤も割って入ってきて、近くにいた優助も加わることになった。

 

(おれの気のせい、だったか?)

 

 あのターン前の一瞬、にっ、とくちびるのはしっこにフテキな笑みが浮かんだように見えたのは。

 こうなることも計算ずみ、みたいな表情で。

 だったらプランBにしましょうか、みたいな余裕で。

 ただのサッカクなのかな。

 

「うまーーーっ‼」

 

 おれのななめ前にすわる安藤の、デカい声の感想。

 ともあれ、打ち上げはスタートしてる。会場はファミレス。人数は八名。

 正直、けっこうお金かかるんじゃないかっていう心配があったけど、日替わりランチなら500円ちょっとで食べれて、さらに末松さんは人数ぶんのクーポンももっているから、大丈夫だっていわれた。 

 

 もし、だ。

 もし、この〈心配〉までもオリコミずみっていうなら…………

 

「わぁ~、おいしいですね、別所くん」

 

 じつにおそろしい。

 相手にNOといわせない計画力と、放課後にまよいなくおれに話しかけてきた実行力。

 二つを合わせたら、きっとすごい恋愛力となるだろう。

 それで向かってこられたとき、おれは――

 

「どうかしたんです?」

「あ、いや……」

 

 思わず彼女を見つめていた自分に気づき、あわてて目をそらした。

 

(それは深読みだな) 

 

 と、ハンバーグをナイフで切る。

 お皿は二つあって、片方にごはん、片方にハンバーグとエビフライとソーセージとサラダ。

 

「あー! べっちんちがうよ。ごはんはフォークの背中にのせるんだよ?」

「えっ? そうなのか?」

 

 ぴたっ、と正面にいる萌愛の手がとまった。

 あいつも、おれと同じようにしてごはんを食べていたからだ。

 

「べつに食べ方は、人それぞれだろ?」

 

 おれはそのままフォークのハラにのせて食べた。

 こうしないと、あいつも気まずい思いをするからな。

 って、

 

(なっ!!?? おいおい……)

 

 しれっとのせなおす萌愛。

 そして、おれと目を合わす。

 

「なに? なんかモンクあんの?」

 

 としか読み取りようのない、ジト目でこっちをじーっとみてる。

 だが、フォークをくるっと回すと、再度のせなおした。

 

里居(さとい)もなのかよ!!!」

 

 ずるっとコケるそぶりとともに、安藤がやかましく言う。

 そのやりとりで、あはは、と笑っているとなりの末松さん。

 

 で、

 

「これでいいんでしょ」

 

 という視線を、さりげなくおれに飛ばしてきた。

 けっこう、うれしい。

 たぶん10月1日のあいつなら、こんなことはしなかっただろう。

 おれへの好感度は上がってる、とみてもよさそうだ。

 

 あらためて座席を確認する。

 

 窓際の四人がけのテーブルを二つつかって、

 位置は、おれの左横に末松さん、おれの向かいに萌愛、その横に安藤。

 萌愛のすぐうしろには中山と山中がすわっていて、奥に優助と―――

 

(うわー……深森さんらしいなー)

 

 彼女は、ごはんをおハシで食べていた。

 おれもあのマイペース、見習いたいよ。

 

「来月は文化祭があるので、いい機会だから意見がききたいです」

「メイド喫茶ー‼ か、べっちんの女装カフェー!!!」

「なんでおれ限定なんだよ」

「べっちんのメイド女装カフェー!!!!」

「合体するなよ」

 

 まったく安藤にはタメ息がでる。

 

「あー……食べもの系は三年生じゃないとですね」

 

 と、末松さんの冷静な受け流し。

 

「二年は教室展示系か、舞台での出しものかなんです」

「なら、おどろーよみんなで! ミュージカルミュージカル!」

「ダンスってむずかしくないです? あまり時間もありませんし」

「いけるよね、べっちん?」

「おれは……」

 

 そのころにはもう転校していないんだ、ってぶっちゃけてもいいけど、

 それじゃあ、空気がわるくなるよな。

 

「まあ、べつに」

「なんだよそれ」しゃっ、とすばやく髪をかき上げる仕草。しかし今日もしっかり編みこんでカチューシャをつくったりうしろでまとめたりしているので、そこには空気しかなかった。「ヒトゴトみたいにさ」

「そうそう」と萌愛が会話にわりこむ。「ちゃんと考えないと。みんなでやることなんだから」

「お、おお……」

 

 おれは、ひそかにおどろいていた。

 この萌愛の、まるで何事もないようなナチュラルな言い方に。

 おれが文化祭の日まで、ずっといることを一ミリも疑ってないような表情と態度。

 

(こいつ、ダンスよりお芝居の才能のほうがあるんじゃないか?)

 

 

「じゃあ、ごちそうさまですね」

 

 

 すっ、と末松さんが立ち上がって、みんなそれにつづく。

 会計をすませて店の外に出ると、

 

「わりっ、ベツ。これから部活だから走ってくわ。じゃまた明日な!」

「あ、私も」

 

 ダッシュする優助を、早歩きで追っていく萌愛。山中と中山は二人でフラッとどっかに消えて、打ち上げは自然に解散になった。

 

「あーあ、私も部活か。だるー」

 

 両手を頭の上で組んでおおきく伸びをしている安藤に、おれは質問した。

 

「あれ? 帰宅部じゃなかったのか?」

「バカ言って。べっちんじゃあるまいし」

 

 手をふりながら横断歩道をわたって、クラス(いち)のお調子者もいなくなった。

 

「知らなかったです? あの人が何部なのか」

 

 ひょこっ、とおれの左側から末松さんが頭をのぞかせる。

 セミロングの髪の左右両サイド、耳の斜め上あたりで()めた〈×(ばつ)〉のヘアピンにも、だいぶ親近感がわいてきた。

 

「剣道部なんです。校外でも有名らしいですよ、美少女剣士だ、って。あの髪も、お面をかぶるから()んでまとめてるんだそうです」

「へー」

「本人はそれを、あまり周囲に言いたがらない」

 

 ぴん、と空気がはりつめたのがわかった。

 

「自分のキャラに似合わないと思ってるんでしょう。もしかしたら、別所くんにはできれば秘密にしておきたかったこともしれない」

「…………ですか、ね」おれから視線をはずして、深森さんのほうをみた。「それは本人じゃないと、わからないんじゃないです?」

「そう。気にしないで。ただの、かもしれない運転だから」

(運転って何っ⁉)

 

 ――と、思わずつっこみそうになったが、

 とんでもない。

 とてもそんな空気じゃないぞ……!

 

「打ち上げの目的はまだはたせていない。そんなところ?」

「い、いえいえ、目的も何も、これはたんなるレクリエーションというか」末松さんは手のひらを二つ、深森さんに向けた。

「単刀直入に言う。彼には」と、腕を組んだまま親指の先でおれをさす。「手をださないで」

 

 くちびるを結んだまま、わずかにアゴをひく末松さん。

 逆に、あごを上げて挑発的な角度で見下ろす深森さん。

「ありがとうございましたー」の声が、ファミレスから。

 歩道に三人。天気はくもり。風が少し強くなってきた。 

 

「あ……。私も部活がありますので、これで失礼します」

「にげる気?」

「えっと、もしかして、おこって……るんです?」

 

 と、彼女はセーラー服の赤いスカーフを指でおさえた。

 いかにもおそるおそるという表情。ふちなしのメガネごしの目は、おびえているようにも見える。

 

「ぜんぜん」

「それなら、安心しました」

 

 にこっ、とぎこちなく笑顔をつくって、末松さんは学校の方角へ歩いていった。

 

 しばらくその場でじっと立ちつくしたあと、

 

「あなた、あの子のことが好き?」

 

 ストレートな質問がきた。

 

「いや、そんなに……」

「あなたは気がついた?」

「えっ?」

「さっきの座席の位置関係が操作されていたことに、よ」

 

 そこからむずかしい話になる。

 

 まず〈シュードネグレクト〉という言葉を説明してくれた。

 これはざっくり、自分の〈左がわ〉にいる人間を重視して意識を向けやすいということらしい。

 で、〈スティンザー効果〉。

 心理的に、となりに座っている人は味方に感じて、真正面の人には敵対する感情をもってしまいがち、とか。

 だからパートナーとは、となりか、対面ならできるだけななめにずれるように、という補足までしてくれて。

 

「とにかく」と深森さんは組んでいた腕をほどいて、人差し指をたてた。「ヘンな気はもたないことね」

「わかってるよ」

「私にも気をつけて」

「?」

 

 意味がよくわからず、おれは首をかしげた。

 深森さんは黒ぶちのメガネの横に敬礼みたく手をあてて、横顔を向けた。

 いつものポーカーフェイス―――だよな?

 

(どことなく照れてるような……)

 

 相手に好意的なことをされたり言われたりすると、自分も好意をかえしたくなる。

『恋愛心理学』の本にそんなことを書いてた気がするけど、

 それとはちょっと、ちがう気がする。

 

 男女二人でいるおれたちをからかうように、車のクラクションがパパーッとうるさく鳴った。

 

 ◆

 

 夜。

 宿題をしていたらラインがくる。

 

「こんばんは」

「いま大丈夫です?」

 

 末松(すえまつ)さんだ。 

 昼間、彼女とはファミレスで連絡先を交換していた。

 もちろんおれだけじゃない。モアや安藤(あんどう)とも。

 

「いいよ」

 

 と文字を打って返す。

 一分ぐらいの()があって、

 

「おかしな感じになって、ごめんなさい」

「打ち上げのあとの」

「どうやらカンちがいされていたようなので」

 

「カンちがいって?」

 

「私、別所(べっしょ)くんのことは好きじゃないんです」

 

 ずきっ‼ と心にダメージがはいる一発。

 そんなにはっきり言う?

 まあ、おれだって……。

 おれも萌愛(もあ)一筋(ひとすじ)だし……。

 

(とはいえ、意外とつらいな)

 

 このフラれた感。

 なんというか、

 かなりテンションは下がる。

 

(いいように考えるか。これで望まない「いかないで」をもらうことはなくなったんだ)

 

 うんうん、と自分をナットクさせるようにうなずく。 

 なるほど。たしかに盛大なカンちがいだった。おれも、深森さんも。

 シュードなんとかっていう恋愛テクニックも、つかってなかったんだ。

 

「その……」

「それで、ですね」

「別所くん、土曜日、時間あいてませんか?」

 

 なんだ? と思いつつ、「一応あいてるけど」と返信。

 

「買い物につきあってほしいんです」

「勝手なお願いなんですが」

 

「ほんとに勝手だね」と、おれはイチかバチかで打ち返してみた。

「ごめんなさい」と、すぐくる。ゲキハヤだった。 

 

「私にも幼なじみの子がいまして」

「彼の誕生日に、なにかおくろうかなって」

「男の子目線で意見がききたいんです」

「おねがいします!」

 

 おれは、しばらく目をつぶって考えた。

 残り時間はすくない。とくに学校が休みの土曜日と日曜日は、もう一日だってムダにはできないんだ。

「わるいけど」と、おれは返事するつもりだった。

 

 でも―――

 

 

「ずっとその幼なじみのことが、好きだったんです」

 

 

 ―――ほっておけなかった。その最後のメッセージが決め手になった。

 

 土曜日。

 末松さんは、いつものヘアピンをつけてなくて、なんとメガネもしていない。

 

(オトナだな……)

 

 ファッションも。

 ベージュ系の服の上に、それと近い色の肩のあたりがシュッと細いランニングシャツみたいな服を合わせていて、下は暗い赤色とグレーのチェックの長いスカート。

 それと手にもったハンドバッグ。

 濃いめの茶色で(かわ)でできてるっぽくて、やばいくらいオトナだ。

 

「いきましょうか」

 

 はい、と敬語がでそうになった。

 いかん。

 これじゃ、完全に向こうのペースじゃないか。

 

(おれだってデートははじめてじゃないんだ)

 

 そう。

 ああいう格好をした、萌愛と遊んだことが…………

 

 

「コウちゃんとだったら、いっしょに歩いてるだけで楽しいよ」

 

 

 駅前。

 まわりが丸い大きな噴水があって、おれたちの真後ろにあたる場所に、おめかししたモアが立っている。

 まちがえようがない。

 あの服、あの身長、わずかにのぞく顔の部分。

 誰かをまっているようだ。

 

「別所くん? どうかしたんです?」

「あ、ああ、いや、べつに」

 

 ループがはじまって以降、最高に「べつに」じゃない「べつに」だった。

 それは心にもないコトバで、

 ドキドキしながら、

 見守っていると、

 

(―――あっ!!!)

 

 駅の改札口から向かってくる背が高い男が手をあげた。

 あれは萌愛と同じダンス部の的場(まとば)だ。萌愛に告白したヤツ。

 

 

「まったか?」

 

 

 うるさいぐらい水がふきだす音が流れる中、その一言ははっきりとききとれた。

 



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