ストライク・ザ・ポゼッション (風呂敷マウント)
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偽典:聖者の右腕編
暁の古城


悪ふざけと悪乗りの産物。とりあえず聖者の右腕編だけはやります。十話くらいで終わります。古城や一部キャラの性格を若干改変していますのでご注意ください。


 街を黒い影が走る。誰に気づかれることもなく闇に紛れ、黒に包まれた空へと飛び上がる。縁へと座ると、ビルへ飛び乗った影は下にある街を見下ろした。眠ることもなく活動を続ける人工島である絃神島。海原に輝く作られた光たちの正体である。ビルの縁に腰かけている影の正体である少年はまるで自分に語りかけるように、眼前に見える光景を眺めながら言葉を発する。

 

「――なぁ。俺達は本当にこの街で生きているんだよな?」

『なんだよ。いきなり家から飛び出たと思ったら』

 

 少年の脳内に別の少年の言葉が響いた。周りに人はいない。彼の中から直接語りかけているのだ。

 

「風に当たったらすぐに帰るよ。明日、お前は学校だしな」

『勘弁してくれ……』

 

 熱気を孕んだ生暖かい風が少年の頬を撫でる。鴉のように黒い髪が風に靡く。しばらくの間、少年は目を閉じて風を感じていた。徐に目を開けた少年は持っていた携帯の電源を入れ、時間を確認した。

 

「そろそろ戻るか。こんな街へ出てたのが那月にバレたらことだからな」

「――すでにバレてるぞ」

 

 後方から苛立っている雰囲気を纏った少女の声が聞こえた。少年は軽く溜息を吐きながら、後ろへ振り向く。そこには季節感など知らんと言わんばかりのゴシックドレスを着た少女が腕組みをしながら立っていた。風が彼女の長い黒髪を撫で上げる。

 

「よぉ、那月」

『な、那月ちゃん!?』

 

 堂々としている少年とは違い、意識の中にいた別の少年は大声を上げ、急に慌て始める。眼前に居る少女は中に居る少年が通っている学校での担任なのだから、慌ててしまうのも無理なかった。少年は縁から立ち上がり、内側に降りると南宮那月へ向き合う。

 

「暁古城――ではないな。いま出ているのはお前か、辰成」

「悪いかよ」

「まぁいい。今回は見逃してやる。どうせ暁もお前に無理矢理付き合わされただけだろうしな」

『何故わかったし……』

 

 少年の中で古城が突っ込みを入れる。少年の中で古城がそんなことを呟いているのを察したのか、那月は少年を見つめながら言葉を口にする。

 

「当たり前だ。いま出ているそいつと、何年幼馴染やっていたと思っている」

「二十三年くらい?」

「実際に言うな」

「それは悪うござんした」

『あの、そろそろ帰りたいんだけど……』

 

 古城がそう言いだしたので少年は会話を終わらせ、その場から去ろうと振り返る。だが、そんな少年を那月は止めた。少年は大きく息を吐くと、再び那月の方へ振り返る。

 

「お前、いつまでそうしているつもりだ?」

「さぁ、俺の体が元に戻るまで。かな?」

 

 じゃあなと言い残し、少年はその場から消えた。最初からその場に存在していなかったかのように。残された那月は闇夜に輝く月を仰ぎながら、小さく呟く。普段の彼女からは想像できない弱々しい声音が響く。言葉が静かな空へと流れる。

 そんな中、那月はただ暁古城の中にいる少年に謝罪の言葉を述べる。だが、夜の空に懺悔するかのように零れた言葉は風に掻き消されていくだけだった。自分が彼の人生を狂わせたと、大声で叫びたい衝動に駆られ続けながら。

 

 

「あっぢい……」

『まぁ、窓際だしな』

 

 残存兵である夏休みの課題をやる為に友人達とファミレスを訪れていた古城なのだが、余程運が悪かったらしい。クーラーの冷気が届きにくい上、直射日光に当たりやすい窓際が古城達の席になってしまったのだ。ある体質の所為で直射日光が苦手になっている古城は、とても人様には見せられない顔をしながら呻き声をあげるしかない。

現在の古城の頭髪は狼を思わせるような白であり、昨夜の黒髪ではなくなっていた。理由は単純だ。表に出ていた辰成は古城と入れ替わって中へ入っているからである。

 

「課題怠い」

「残りたかだか二科目だけだろ。何言ってんだよ、古城」

「そうよ。二科目だけで済むんだから、ちゃっちゃとやりなさい」

 

 二科目の部分を強調する古城の友人でもある、矢瀬基樹と藍羽浅葱の二名。テーブルを挟んで向こうの席に座っている二人に、古城は頭を掻きながら反論しようとするが、古城の手が止まらないように目を光らせていた辰成がそれを制止する。古城は仕方なく溜息を吐いてそのまま出された課題に取り掛かる。黙々と書き続けた古城は手早く課題を終わらせた。書き終わったのを確認した辰成は一時的に目のコントロールをしてからそれを確認し、古城にOKサインを出した。

 

「……終わった」

『お疲れ。あとでアイスを買ってあげよう』

『俺は小学生か。あと、そのアイス買う金は俺とお前共通だからな?』

『……そうでした』

 

 中に居る辰成へと突っ込みを入れる古城。そんなことをしているとは知らない浅葱と矢瀬は口を開けて、古城の方を見ていた。まるでありえない物を見ているかのように。

 

「いつも思うけど。あんた、本当にあの古城?」

「浅葱。多分こいつは古城のドッペルゲンガーだ。本物は何か月も家に監禁されてるぞ」

「お前等なぁ……」

 

 本人が居るのに好き放題あーでもないこうでもないと言い始めている二人に古城は気怠そうに突っ込む。内心、そう言われても仕方ないと古城は溜息を吐いた。確か五月まで無断欠席に早退とやりたい放題していたなと、古城はこれまでのことを振り返る。

 全ては彼に厄介な体質がプラスされた所為なのだが、ついに担任の那月に何故か辰成が注意を食らったのだ。那月曰く「お前があいつを甘やかしているのが悪い」と言われ、流石に不味いと感じたのか。古城が休むのを大目に見ていた辰成は毎日学校に行くことを古城に強いることとなり、現在に至る。

 閑話休題。

 

「無断欠席はしてたけど、成績は良くなったし。あんなに勉強できたっけ? 私が教えることなんてないじゃない」

「馬鹿みたいに口煩い家庭教師がいるんでな。ちゃんとやらないとそいつがガチギレするんだよ」

『口煩いとは失礼な。俺はお前のことを思ってだな』

 

 勝手に意識の中で語り始めた辰成を無視し、古城は浅葱との会話に集中することにした。

 

「その家庭教師って、女の人?」

「いや。男だ」

 

 浅葱の問いに古城がそう断言すると浅葱はほっとした顔を浮かべた。その理由を辰成は何となく察しているが、口には出さない。

 

「っと、これからバイトだから私はこれで」

「おう。頑張れよ」

 

 古城は浅葱に激励の言葉を贈る。浅葱は一旦足を止めたが、すぐに席を立ってファミレスから出て行く。バイトへと向かうその足取りは心なしか嬉しそうであった。

 

『浅葱にフラグを立てていくルートですね。分かります』

「古城、お前……」

 

 二人から集中攻撃を受け、古城は不服そうな表情を浮かべた。特に辰成の言動に対して。徐に矢瀬も「浅葱がいないから帰るわ」と言い残し、ファミレスを出て行ってしまった。古城に三人分のファミレスの代金を押しつけて。いままでの貸した金の借りを返せと言わんばかりに。

浅葱の食事代に古城と辰成は目を剥いた。彼女に比べれば、矢瀬や古城自身のジュース代とピザ代なんて可愛いものだった。

 

「オーマイゴッド……」

『おふぅ……』

 

 今の財布の中身でファミレスの代金を払ったら小銭がほんの数枚しか残らないのは確実であった。電車にすら乗れない可能性がある。だが、そんな古城に救いの手を差し伸べる者が現れた。他ならない辰成だ。

 

『帰りにATMで口座から金降ろしていいぞ。俺のバイト代入っただろうし。ただし今日降ろしていいのは五千円までな。ゲーム買う都合あるからよ』

『お、恩に着る』

『これに懲りたら、誰かから安易に金を借りるのだけはやめとけ』

『分かったよ……。はあ……』

 財布の残金を知っていた辰成の提案に古城は乗らせてもらうことにした。料金を払い、ファミレスから出た古城は熱気と直射日光に項垂れながらコンビニに入り、ATMでお金を下ろした。そのお金で棒アイスを一本購入し、コンビニから出ると袋を剥いてアイスを舐めはじめる。

 

『味わって食えよ』

『絶対ゲスな顔してるだろ、お前』

 

 相変わらずな姿勢を崩さない辰也に呆れながらも、古城は駅に向かって戻ろうとしながらアイスを舐めながら歩く。しばらく歩いていると古城と辰成の二人は気づいた。

 

『古城』

『あぁ、気づいてるぜ』

 

 何かが自分達を見ている気配を感じた。邪な感じはしなかったが念の為と、辰也は即座に自分達を見ている者の気配を探る。そしてあっけなく見つけた。あまりにもバレバレな尾行に辰成は呆れていた。二人は駅に行くのを諦め、そのまま別方向へと歩きだした。

 

『四時と五時の間にいるぞ。っと、古城。一旦止まれ』

『え?』

 

 古城がそのまま歩きそうになったのを辰成は一時的に表に出て、体をコントロールして古城を動かす。古城の体は先程とは別のコンビニの前で止まった。丁度鏡に自分達を尾けている者の姿が一瞬だが映った。だが、追跡者はすぐに柱の影へと体を引っ込めてしまう。一応姿を確認したので前髪を整える仕草をしてから、体のコントロールを古城に戻す。古城は辰成に促されるまま、指示通りの方向へ歩いて行く。

 

『あの制服は彩海学園中等部のだな。しかも女子生徒の』

『だよなぁ。あんな女子中学生、俺は知らないぞ。彩海学園に入りたかったコスプレ少女か? だからうちの中等部の制服着てんのか?』

『あれは絶対に黒髪美少女だ。俺もコスプレ少女に賭けるぜ』

 

 辰成の言葉に呆れながらも、辰成を尊重するために古城は一応頷いておいた。同時に自分達を尾けているのが学生服を着たコスプレ少女という、尾行している彼女にとって不名誉な誤解を生みだしていた。

 一方、辰成はそれとは別の事を考えていた。自分達を付けている何かについて。自分の知識の中でこの気配に一番近いのは何だろうという考えが回る。そして思い至った。

 

『――獅子王機関の剣巫。目的は監視か? まぁ、遅かれ早かれこうなることは予測していたが。古城、とりあえず尾行を撒け』

『おう』

 

 いつになく真剣な辰成の声に古城は答える。一気にアイスを食べ終えると、アイスの棒をゴミ箱に入れる。それから近場にあったショッピングモール内にあるトイレへと逃げ込んだ。入り口で自分達を追っていた女子生徒が止まる。おろおろしながら古城が出てくるのか不安そうな顔をしていた。辰成は溜息を吐き、古城に進言した。

 

『あ、古城。やっぱ俺がこの場を切り抜けるからさぁ、入れ替わって貰えるか?』

『あぁ、そうか。分かった』

 

 古城は辰成が言わんとしていることが分かったのか、辰成の申し出を二つ返事で了承した。トイレの個室に入る。古城が中へと引っ込み、代わりに辰成が表に浮上した。個室から出た辰成は鏡で自分の姿を確認する。そこにあったのは古城の瓜二つの顔。だが、髪の色が昨夜と同じ黒へ変貌していた。

 

「よし」

『頼んだぞ』

 

 パーカーを脱ぐと鞄の中へ丁寧に畳んで入れる、そのままトイレの出入り口へと行く。入り口で待ち構えていた少女が辰成を見るなり、別人である古城の別の呼び名である“第四真祖”と叫びながら、背中に背負っていた黒いギターケースを自分の前へと構えている。辰成は騒がずに、ゆっくりと周囲を見渡す。幸い、周囲には辰成とその少女以外誰も居なかった。

 辰成はその少女に見惚れていてしまった。肩まで伸びた黒髪。その綺麗な瞳。服の上からでも分かる整えられたスタイル。まだまだ成長の余地がありそうなその体に、辰成は目が釘付けになりそうであった。否、すでになっている。

 と、次の瞬間、

 

「――俺の妹になってください!」

 

 その少女に向かって、辰成は告白(?)をしていた。完全に通報されても警察に連れて行かれてもおかしくない発言である。最初はいきなりのことに何を言われたのか分からずにぽかんとしていたが、徐々に言葉の意味を理解したのか、少女の顔は茹蛸みたいに赤く染まっていく。一方、意識の中で辰成の言葉を聞いていた古城は頭が痛くなり、用法用量はお守りくださいなどという注意書きを破り捨てて、今すぐにでも頭痛薬をがぶ飲みしたい気分に陥っていた。

 辰成の言葉に不意打ちを食らった所為で呂律がちゃんとまわっていないにも関わらず、少女は辰也を捲し立ててくる。

 

「にゃ、にゃに言ってるんですか!? しょ、初対面の相手にいきにゃり妹になれだにゃんて!」

「か、可愛い」

『辰成……』

 

 いきなり俺の妹になってください発言をした辰成に対して、古城は突っ込みする気力すら湧かずただ呆れるばかりだった。というより、もはや軽蔑の域に入っている。古城に呆れられていると知った辰成は不服そうな声をあげた。

 

『ぶーぶー』

『気持ち悪いから黙れ』

『マジギレすんなよ……』

 

 古城に大真面目な声で黙れと言われた辰成はう~んと唸る。目の前の黒髪美少女はいまだに暴走状態なのでまともに言葉を聞いてくれそうにもなかったので、とにかく元の状態に戻そうと辰成は実行に移す。

 

「あ~、今のは冗談なんで」

「――じょう、だん? 冗談でそういうことを平気で言うんですか!? 第四真祖、暁古城! あなたは変態です!」

 

 辰成の言葉で元に戻ったのか、少女は強い口調で辰成に詰め寄る。しかも盛大に勘違いされながら。辰成の所為で、いきなり変態扱いされた古城は意識の中でひっそりと辰成を恨みながら涙を流していた。とりあえず、自分は古城ではないという事だけは言おうと、辰成は口を開く。

 

「何言ってるんだ? 俺は古城じゃないぞ」

「え? でも、だって……」

「俺は古城の兄貴だ。あいつへの伝言なら俺が聞くぞ」

 

 少女が先程とは表情を一変させ、そんな報告聞いてないとかそんなはずはなどと少女は呟いている。こちらに反応する素振りがないと判断した辰成は横を通り、そのまま歩いて行こうとする。その前に立ち止まって踵を返すと少女に向かって笑った。まるで、手のかかる妹を愛でるかのようでいて、自分達を尾けようとしたことを小馬鹿にするかのように。

 

「あと、さっきのバレバレな尾行は直しておいた方がいいよ」

「待ってください! 私は獅子王機関三聖の命により、あなたの監視をする為に派遣され――」

「――知ってるさ。そんなことくらい」

 

 辰成の言葉に少女が纏っていた雰囲気が一気に変わる。先程よりも彼女の警戒心が跳ね上がっている。辰成はやっちまったかと口の中で呟くも時すでに遅し。雪菜はいつでも支給された“秘奥武装”を取り出せるよう構えながらも、内心では動揺していた。何故、自分と一部の者しか知らない命令のことを目の前の男が知っているのだ。この男は何だ、と。

 

「古城が第四真祖の力を手に入れた時から、そんなことくらい予測可能だっつうの。獅子王機関からしたら、あの力は人間や魔族が起こした戦争やテロと同じ扱いだからな。家族である俺からしたら、弟がそんな扱いを受けてるなんて胸糞悪いことこの上ないけどな」

 

 辰成はわざとらしく肩を竦め、そう言ってのけた。

 

「あなたは一体……」

「と、時間だ。それじゃあね」

 

 去って行こうとする辰成に対し、少女が何かを言おうとするが気にせずにそのままショッピングモールから出た。自分達の家へ帰ろうとしたが、その前に辰成は古城と意識を入れ変えようとする。

 

「古城。終わったから変わるぞ」

『あぁ、ありが――』

 

 古城が言い終わる前に魔力の爆音が辰成の後方から木霊した。振り返ると少し離れた場所で先程の少女とチャラいホストのような格好を男が牙を剥いて、少女を睨みつけている光景が広がっていた。

 D種。辰成はそう判断した。近くには獣人と思わしき魔族が転がっていた。魔力が溢れる。周囲へと魔力を撒き散らし、影響を及ぼしていた。眷獣から溢れ出す魔力に当てられた辰成を激しい頭痛により、彼はその場に膝をついた。辰成からはいつもの変態発言などをしている時のふざけた調子はなくなり、その表情は真剣そのものだった。

 

「こんな場所で俺を“魔力痛”にさせる気かよ……!?」

『それヤバくないか? 一時的に魔力供給するぞ』

「あぁ、頼む……」

 

 辰成を助けるべく、ホースとホースを繋ぐイメージで古城は辰成へ魔力を送る。古城の魔力を得て、一時的に魔力痛への耐性を作る辰成。彼の頭を襲っていた鈍痛は少しだけ治まった。だが、予断を許さない状況であることには変わりない。

 

『で、どうするんだ? あの二人、戦い続けるつもりだぜ』

「対力弾《アンチ・ブレット》を使う。ここが誰の領域(シマ)なのか思い知らせてくれるわ」

『お前はヤクザかよ……』

「ただのアルバイターだ」

 

 立ち上がった辰成は鞄の中から一丁のオートマッチ式のハンドガンと弾倉を一つ取りだす。鞄を地面に置くと銃の安全装置を外し、術式を組み込んである銃弾が込められている弾倉を入れ、スライドを引いて銃弾を装填して両手で構える。撃鉄を起こし、コッキングを行った。弾丸に埋め込んである妨害術式を発動させるまでには時間が掛かる。発動準備が整うまでの間、辰成は少女とD種の戦いを観察することにした。

 

『D種の眷獣とあれは件の獅子王機関の秘奥兵器か。設計者は十中八九、俺の予想通りだろうがな』

『眷獣はともかく、秘奥兵器ってなんだ?』

『知らない方がいい』

 

 視界の右側には獅子王機関の武器である槍を所持している少女。左にはD種と呼ばれる一般人の多くがイメージする吸血鬼とその眷獣。D種の眷獣が主の命令により少女へと火の粉を撒き散らし、雄叫びを上げて突撃する。だが、

 

「――雪霞狼!」

 

 少女に接近した途端、彼女が構えていた槍――雪霞狼により眷獣は掻き消されてしまう。その光景を見ていた辰成だが驚きはしない。むしろ、自分の考えが正しかったという思いに浸っていた。

 ――“神格振動波駆動術式”を組み込んであるから当たり前だな。あれを設計図から作った職人は腕が良い。少女が振るっている雪霞狼を見つめ、辰成はそう心の中で呟いた。D種は困惑しているかのような表情を見せる。だが、すぐに勝ったと言わんばかりの表情に変わり、まだ消えていなかった眷獣が少女の頭上から襲いかかる。妨害術式の準備が整った。瞬時に辰成は引き金を引き、妨害術式を組み込んだ銃弾を辰也は放つ。

 突如、響き渡った銃声にD種は声をあげ、眷獣に少女を攻撃するのをやめさせる。少女の方も眷獣を穿とうと構えていた槍を構え直す。だが、彼を見る前に弾丸はすでに彼女達の間へと向かい、両者の間で空中に一時停止する。瞳が瞬かせた少女はこの後に起こる現象を察知したのか、咄嗟に後方へ飛んで銃弾を回避。だが、逃げ遅れたD種は避けることなど出来なかった。

 空間にノイズが走ったかと錯覚した次の瞬間、空中で炸裂した銃弾から辰成が込めていた霊力の波が襲い掛かり、眷獣を強制的に消滅させた。眷獣が消滅したことにより魔力の異常。辰成を襲っていた頭痛も最初からなかったかのように消える。

 

「て、てめぇ! 何をしやがった!?」

 

 乱入者がいきなり銃を撃ったかと思ったら、自分の眷獣が掻き消されてしまったことにD種は恐怖の感情を顔に張り付かせていた。

 

「何もなにも、妨害しただけだ。ああ、これだけは言っておく。今後一切、俺の――いや、俺達の領域で暴れるな」

 

 そう言葉を返すと、頭痛を引き起こしてくれたお礼に辰成はD種に向かってダッシュした。慌てているD種の腹を左手で力一杯殴り、気絶させる。ただのパンチ一つだけで人間の耐久力を凌駕する吸血鬼を無力化させたことに、離れて見ていた少女はありえないといった表情を浮かべている。

 

『お前、相変わらず滅茶苦茶だな』

『この身体能力の異常さは元を辿ればお前の所為だけどな』

『俺が言ってるのはその銃弾の事なんだが……』

 

 D種の首根っこを掴んで地面へ乱暴に寝かせると、辰成は後退するように飛び上がってバンの上に乗った少女に吐き捨てた。乱暴な口調になっているのは辰成が仕事モードに切り替わっている所為であり、他意はない。

 

「おい。そこの黒髪中学生。何があったのかは知らんが、こんなやつ相手に七式突撃降魔機槍を使ってんじゃねぇよ。査問に掛けられて剣巫から降ろされたいのか?」

 

 それは、魔力痛になりかけたなったことにまだイライラしながらも、辰成なりに彼女のことを気にかけての言葉だったのだ。無闇に暴力を振るったとあれば、彼女が処罰される可能性があるのだから。だが、彼女は警戒心を露わにする。辰也の方を見る少女。何か言いたげな視線を感じた辰也も少女の方を向き、お互いに視線をぶつけあっている。

 

「あなた、何者なんですか? 暁古城には妹さんは居ますが、兄がいるなんて記録はありません」

 

 雪霞狼の主刃と副刃を展開させたまま、少女は辰也へと疑問をぶつけはじめた。こうなってしまったか、と溜息を吐きたい気分だったが、実際に溜息をついてしまえば要らぬ勘違いをされるのは明白なので我慢するしかなかった。

 ――こちらが不審な動きをしたら、いつでも攻撃できるように両手で構えているあたり、曲がりなりにも剣巫か。辰成はそう彼女を心の中で一応褒めていた。

 だが、一方の少女は混乱していた。獅子王機関から渡された資料に載っていなかった暁古城の兄と名乗る存在が現れたのだから当然である。警戒するに越したことはないのだから。

『質問責めか。俺、黒髪美少女に質問責めされてる……グヘヘ』

『本当に気持ち悪いぞお前』

『何を言う。こんな時にこそ変態でいなければ男ではないぞ?』

『俺はそんな男になりたくねえよ!? お前と一緒にすんな!』

 そんなことを考えている少女とは違い、辰也と古城の間では少女を無視して馬鹿なことを言う辰也に古城が突っ込むという状況になっている。ふざけた調子がなくなったと思ったらこれだ、と古城は溜息を吐いた。

 こんな阿呆な会話が繰り広げられているとは知らず、目の前の男が黙っていることに少女はあらぬ誤解をしていく。言葉にすることが出来ない、残忍なことを画策しているのではないかと内心穏やかではなかった。そんな考えを強制終了させるかのように、お互いに睨み合っている二人の耳にサイレンが聞こえた。

 

「やべっ、特区警備隊《アイランド・ガード》か。じゃあね」

 

 辰成は疾走した。少女が後方からまた何か言っているが、聞く耳を持たずにそのまま道端に落ちてあった財布を拾って走り去る。あの場にそのまま居て、もし那月に事が露呈でもしたら余計な迷惑を掛けることになるからだ。だったら最初から手を出すなよ、という古城の突っ込みを聞かないふりをしながら辰成は駅へと逃げ続ける。定期券を改札に翳し、丁度駅に停車していた電車へと飛び乗った。

 

『危機一髪だな』

『何か面倒なことに巻き込まれた気がするんだが……』

『……ホントにすまん。アレだ、今度昨日の夜に凪沙ちゃんが食べたいって言ってたステーキ奢るから許してくれ』

 

 辰也は古城の疲れた声を聴いた素直に謝った。絶対あの女子中学生はまた絡んでくるだろうなぁと辰也は遠い目をしながら、心の中で呟く。

 

『ところで、さっき拾った財布はあの子のか?』

『ポケットに入ってるから見てみそ。確認したら、明日にでも彼女の担任経由で届けようぜ。担任が居なかった場合は直接だな。どうせ明日も俺達をストーキングしてくるだろうし』

『……だよなぁ。っと、どれどれ。三年C組、姫柊雪菜か』

 

 そこにはあの少女の名前やら、学年と組が書かれた学生証と諭吉さん一人と野口さん数人のお札、そしてクレジットカードが入っていた。例の黒髪美少女の名前を知って、意識の中で狂喜乱舞し続けている辰成に古城は本日二度目の溜息を吐くしかなかった。というか、ぶん殴りたい気持ちで一杯だった。

 古城が部屋に帰り、その数十分後に部活から帰って来た妹である凪沙にさきほどD種との騒動を起こした少女が自分のクラスに転校してきたと聞かされたのはまた別の話である。

 

 翌日。起床した古城は身支度を整えてから、自室を出た。リビングに向かい、妹が家を出る前に残していった書置きを手に取る。書置きを流し読みした古城はテーブルにラップして置かれていた料理を書置き通りにレンジで温めることにした。温め終わるのを待っている間、古城はふと呟く。

 

「今日もあいつは部活か」

『凪沙ちゃん、頑張り屋さんだねぇ。汗を掻いた黒髪女子中学生の肢体……ぬふふ』

「てめぇ、人の妹でなに想像してやがる。殴るぞ」

『俺を殴ったらお前も怪我するぞ?』

 

 そうだったと、古城は肩を落とす。昨日もぶん殴ろうとしたが、辰成がこちらとリンクしている限り、当然ダメージも同じ様にリンクされるのだ。なので、安易に殴る事も出来ない。ましてや第四真祖となって、身体能力が上がっているのだ。殴ったら、普通の人間が殴りつけるよりも大変不味いことになりそうな予感がしているのだ。

 古城は胃の痛みが更に加速したような気がしていた。本来なら辰成のような変態を妹に近づけさせないようにしたい古城だが、辰成が自分の中に入っている手前、体のコントロールを奪われたら徒労に終わるのが目に見えていた。料理を温め終わったことを電子レンジが告げる。中から料理を取り出すとそれをテーブルに並べる。椅子に座り、古城は朝食を食べ始める。

 ちなみに、食事の際には二人で感覚を共有しているので辰成のお腹も満たされる。常時感覚を共有するのは疲れるので、極力食事の際にだけ感覚を共有するようにしているのだ。

 

「さっさとお前の体が元通りになればなぁ」

『俺もその方が良いんだけどねぇ。古城の体で那月や凪沙ちゃんに頬擦りするって想像しただけでも気持ち悪いし』

「おい」

 

 古城は大声で突っ込みたい衝動に駆られるが、朝っぱらから近所迷惑になるのでなんとか小さく突っ込みだけに踏みとどまった。辰成が古城達を困らせるためにわざと変態的な言動をしているわけでは無い為、本当にキツく叱って良いものか悩み始める。それでも辰成の言動を見聞きした那月に、五回も補導されかかっているのだが。

 

「こいつが凪沙と仲が良いのも問題だよな……」

 

 それも古城を悩ませる種の一つだった。ひょんなことで、妹である暁凪沙や母である早苗に自分の中に辰成がいるとバレた際に、何故か辰成が二人に気に入られてしまい、凪沙に至っては辰成とハイタッチやらゲームやらを気軽にする仲になっていたのだ。

 

「もう、マジでやばい……」

『どうした古城? 凪沙ちゃんが作った朝ご飯に食えない物でもあったか? もしそうなら、俺がお前を潰さなきゃいけなくなるが』

「どうしてそうなる……」

 

 無駄にカッコつけたような声で古城を脅迫する辰成に毎度のことと思いながら、古城は自然と突っ込んでいた。

 

「はぁ、さっさと飯食おう」

 

 財布事情は厳しいが帰りに薬局にでも行き、胃薬の備蓄を増やそうと凪沙が作った朝ご飯を食べ続けながら考える古城であった。

 古城は食べ終えた食器をボウルに入れて水に付ける。その後、ちゃんと戸締りをした古城はエレベーターに乗って一階へと降りていく。学校へ行くために電車に乗る古城。

 ほどなくして学校へと着いた古城は職員室に行く。昨日の黒髪美少女――姫柊雪菜が所属しているクラス担任である笹崎先生を探すも、たまたま職員室に居た男性教師に今日は来ていないという遠回しな「お前、今日来た意味ねぇから」という無駄骨宣告を受けた古城は、茹だるような暑さと無駄足だったことに二重の意味で項垂れながら帰路に着こうとしていた。

 笹崎先生経由で雪菜へ財布を返すという、当初の計画がつぶれてしまった。プランBとして雪菜へ直接財布を返すということも辰成は考えていたのだが、肝心の彼女が見つからなかったのだ。周囲を探っても、雪菜の気配すらしなかった。

 

「監視するんじゃなかったのかよ……」

 

 暑さに対して露骨に嫌そうな表情を浮かべる古城。中学の校舎と高校の校舎を繋ぐ通路まで戻ってきた彼は柱に背中を預けながら辰成に聞いた。

 

「なぁ、これからどうするよ」

『バイト代で18禁ゲーム買う』

「お前はまだ十八歳じゃないだろうが。つうか、その手のモノを買うのはやめろ。いや、買ってもいいが家に置こうとするのだけはやめろ」

『一応、これでも那月と同年齢なんだけどなぁ……』

 

 辰成の意見を却下し、とりあえず街へ行こうと高校の校舎まで戻ろうとする。そんな古城の耳に右方から誰かの足音が聞こえた。そちらを振り返ると視界にある人物が映る。そこに居たのは件の落とし主である雪菜だった。彼女の登場に辰成は大喜びしているがそんな声は無視して、古城は彼女に財布を返すために声をかける。

 

「君が姫柊さん?」

「あ、暁先輩」

 

 彼女から返って来たのは誰が聞いても、あきらかに引き攣っている声だった。その瞳には僅かながら警戒心が見え隠れしている。こちらの正体を知っているんだから当たり前かと、雪菜の反応に少しだけ傷ついた古城だったがめげずに彼女が落とした財布を手渡そうとする。

 

「これ。兄貴が拾ったらしいから、代わりに渡してくれって」

「あ、ありがとうございます。先輩」

 

 古城から財布を受け取った雪菜は頭を下げて素直に礼を言った。だが、古城には先程から気になることがあった。

 

「なんでさっきから俺のこと先輩って呼ぶんだ?」

「私、明後日からこの学校の生徒ですので。学年は暁先輩の一年下です」

『うん。知ってた』

『俺は凪沙にあの話をされるまで、コスプレ少女だと思い込んでたんだが……』

 

 辰成の発言に古城は本気でコスプレ少女だと思っていたと告白した。何故か辰成に呆れられたため、古城は軽くイラっとし始める。確かに学生証まで見ておいて勘違いした俺も悪いけど、という古城の意見は辰成には聞き入れられなかった。そんなやりとりをしていると、雪菜が古城へとあることを訪ねてきた。

 

「……暁先輩に聞きたいことがあるのですが」

「な、なんだ?」

「その、お兄さんのことで。あれって暁先輩の演技ですよね?」

『ホワッ!?』

 

 雪菜に指摘されて、変な声を上げる辰成。どうしたもんかと古城は頬を掻く。完全に自分が雪菜を騙すために演技をしたと思い込まれていると、彼女の目を見て古城は確信する。

 

『俺の雪菜ちゃんとのファーストコンタクトがぁ……』

 

 辰成はまさか雪菜にそんな風に思われているとは思わなかったのか、よほどのショックだったと言わんばかりに落ち込んだ声を上げ始める。凹んでいるのが古城には手に取る様に分かった。とりあえず、辰成に対して黙れとだけ言っておいたが。

 

『仕方ない。こうなったら俺が実在するという事を、雪菜ちゃんに“いっぱい教え込まなければいけない”ようだなぁ?』

『お前が言うと卑猥な方に聞こえるのは何故なんだ?』

『そういう風に聞こえるよう言ってるから』

『いっぺん車に轢かれて来いよ……。もしくは那月ちゃんにガチで捕まれ』

『車に轢かれるのはともかく、那月に捕まれという単語出すのだけはマジで勘弁してください。あいつ、俺を見る時の目がマジなんだもん……』

 

 とりあえずツッコミを入れるのだけは忘れない古城。短く息を吐いた辰成は古城に作戦を伝える。作戦内容を聞き終えた古城は辰成に言われた通りに雪菜へと言葉を発した。嘘を嘘で塗り固めることに僅かに罪悪感を覚えながら。

 

「いや、実在するんだが」

「嘘ですね。調べましたけどお兄さんの戸籍は存在しませんし、あれは暁先輩が黒のウィッグを使っていただけですよね?」

『うわぁ、メンドくせぇ……』

 

 辰成の心底面倒臭いという感情を孕んだ声が古城だけに聞こえた。まさか、そこまで調べてくるとは思っていなかったのだろう。作戦通りに辰成は存在すると信じさせようとするが、彼女にはそんな辰成と古城の気持ちは届かない。

 

「いいから聞いてくれ。辰成は養子なんだよ」

「養子、ですか?」

「それに戸籍もないのも当然のことなんだ。あいつは失踪した事にされてるからな」

「え?」

 

 これまた本当のことを嘘の中に混ぜ入れる古城。彼の中で罪悪感が先程よりも膨れ上がるが辰成のためと我慢し続ける。

 

「すでに失踪してから八年経ってるんだけど、数か月前に失踪していたあいつが見つかってさ。子供の頃にあいつの親が不慮の大事故にあって、その時にあいつの姿が見えなくて失踪扱いになったそうなんだ。今は戸籍を復活させている最中でさ。んで、親戚筋のうちが今預かってるんだわ」

 

 嘘の中に本当を混ぜる。それが辰成に教わったもっともらしい嘘のつき方だった。嫌なことばかり教えてくる辰成に古城は何回目かもわからない呆れを感じていた。

 

「そうなんですか……。疑ってすいませんでした」

 

 あっさりと雪菜は古城の言葉を信じてしまう。辰成は彼女の様子に拍子抜けしたので、思いっきりずっこけるところだった。古城も「今の言葉、マジで信じちゃうの?」と言わんばかりな表情を浮かべるが、雪菜は若干下を俯いているので気づいていない。

 

「あ~、姫柊さん。あいつ自身はもう気にしてないらしいからあんまり気にしない方がいいぜ」

 

 暗い顔をして謝った雪菜だったが、古城の言葉によってすぐに明るい表情へと戻っていた。すると、何処からかお腹が鳴る音が古城の耳へと届いた。音が鳴った方へ視線を送ると雪菜からその音が出ていたのが一目瞭然だった。顔を紅潮させ、口が開いたままだったからだ。それだけで古城と辰成は察した。昨日から何も食べてなかったのだと。

 そろそろ昼飯時である。目の前の少女を見て、古城は放ってはおけなかった。たとえ自分を監視するために来た少女だとしても。それに、彼女をここで放置すれば辰成からしつこく文句を言われるのは明白であった。

 

「飯、食いに行くか?」

「は、はい」

 

 余計なことは言わず、古城はそれだけ言葉を発した。雪菜は静かに頷いて、古城の横を歩いて行く。

 

『顔が真っ赤な雪菜ちゃんかわゆい……。なんで写メらなかったんだよ!?』

 

 古城は昼飯を食べる場所を探す間。ずっと自分に対して、意識の中から話し掛けてくる変態(バカ)の言葉は無視し続けた。

 しばらくすると古城と雪菜は昼飯を食べる所見つけた。古城と辰成御用達のファミレスである。店員に案内されてテーブルに二人は座る。先に雪菜へメニューを渡す古城。

 

「あ、金は俺が全額払うから気にしなくていいぞ」

 

 店員に案内されている間、辰成から「俺の金を使っていいから奢ってやれ」というお達しが来た。古城はこの場は辰成の言う通りにしようと思い、雪菜に奢ると告げた。すると何故か雪菜は「別に奢って貰わなくても!」と慌て始めたのだが、古城は強引に自分から払うともう一度言う。それを聞いて引いてくれそうにないと感じた雪菜は素直に諦めた。

 

「先輩は私が思っていたよりも普通ですね」

「ん? どういう意味だ?」

「第四真祖の力を受け継いだと聞いて、もっと凶悪というか「財布を拾ってやったんだから、有り金全部寄越せ」といった感じで脅されるかと思ってました」

『節子、それ第四真祖ちゃう。チンピラや』

『誰だよ、節子って……』

 

 辰成のボケに対し、反射的に古城はまた突っ込んでいた。目の前の美少女が自分にどれだけ的外れな想像をしているということを、古城は痛いほど理解した。

 

『でも、辰成ならそれくらい平気で言いそうだよな。金よこせって』

『え?』

『え?』

 

 変な会話を繰り広げている二人の耳に、「でも」という雪菜の潜めた声が聞こえた。なにか嫌な予感を感じた古城は静かに彼女を見ている。

「これも何か作戦ですよね。私にご飯を奢るという口実で口止めでもする気なんですね。先輩はこの島で何を計画しているんですか?」

『あれ? もしかしなくても俺、姫柊さんに勘違いされてる?』

『されてるね。まぁ、ここはさっきみたいに嘘をつかない方が得策かもしれないな。本当のことを話せ』

 

 古城の焦り具合とは対照的に辰成は冷静だった。小さく溜息を吐き、古城に的確に指示を出す余裕まである。とりあえず雪菜の誤解を解こうと古城は雪菜に話し掛ける。

 

「あのさ、姫柊さん。多分それは勘違いだ」

「勘違い、ですか? それとさん付けはやめてください。なんかこう、体に鳥肌が立つというか」

「……なら、姫柊。俺は少なくともこの力を使って、何かしようって気はない。むしろこの力なんて要らないくらいだ。そもそも、この力だってあの馬鹿に力を押しつけられたのが原因だし」

 

 あんまりなことを言われながらも、雪菜への呼び名を訂正した古城は自分の心意を彼女に話し始める。古城から出たその言葉は紛れもない彼自身が紡ぎ出した言葉。辰成による言葉ではない。

 

「押し付けられた?」

「先代の第四真祖。焔光の夜伯(カレイドブラッド)にだ」

 

 古城の言葉を聞いた雪菜はありえないと大声を張り上げようとするが、寸前のところで古城に止められる。周囲を見渡し、自分たちの他にも客が居ることに気づいた雪菜は小さく息を吸う。少しは気分が落ち着いたのか、そのまま話を続ける。

 

「真祖になるには真祖を喰らう、もしくは失われた神々の秘呪で不死者になる。いま挙げた二つの方法以外に、真祖に変わる方法などないはずなのですが。それでも暁先輩は、先代の焔光の夜伯に力を押しつけられたと言いたいんですか?」

「でも事実だし……」

 

 古城の言葉を聞いて少しの間、熟考していた雪菜は言葉を発せずに黙っていた。押しつけられたというのは古城が辰成から聞いたことと、自分の僅かな記憶を照らし合わせた推測にしか過ぎない。古城は辰成に力を手に入れた時のことを思い出すな、とキツく念を押されているのだ。実際、前に無理矢理思い出そうとした際に頭に激痛が走り、辰成を心配させたのは記憶に新しい。

 

「すまない。これ以上詳細は話せないんだ。思い出そうとすると頭に激痛が走るから」

「……とどのつまり、先輩は吸血鬼になりたくてなったわけではないということですね?」

 

 彼女の言葉に、古城は頷いた。その反応を見た雪菜は拍子抜けしたような表情を浮かべる。世界を壊すかもしれない吸血鬼の真祖が邪悪な計画を何も企んでいないうえ、真祖になったのが先代の第四始祖に押しつけられたからなどという理解しがたい理由によるものだと聞かされたのだから当然である。

 

「やっぱ嘘っぽいか?」

「先輩が嘘をついている様子もないですし。……信じます」

『意外と素直だね。雪菜ちゃん』

 

 柔らかい笑みを見せる雪菜に辰成はいつものふざけた調子でそう言葉に出した。古城の中にいる変態がすぐ近くにいるということに雪菜は気づいていない。辰成にとりあえず自重するように言い聞かせる。だが、辰成は大して気にも留めていない。再び雪菜の腹が鳴った。頬を赤くして、雪菜は顔を古城の方から逸らしていた。

 

「さっさと注文して食べるか」

「そ、そうですね……」

 

 頼むメニューを決めた二人は店員を呼び、注文をした。店員が注文を確認して去っていくのを見計らって、雪菜は再び話し始める。

 

「ですが、私はまだ先輩のことを完全に信じたわけじゃありませんから」

「藪から棒になんだ?」

「暁先輩のお兄さんには言いましたが、私は監視の他にも先輩を危険な存在だと判断したら抹殺するように命令されてますので」

『抹殺、ねぇ。なあ、古城。俺が口を酸っぱくして言ってた通りだろ?』

 

 抹殺の件は辰成が古城に耳にタコが出来るほど聴かせていた話である。いつ何処の誰がお前を殺しに来るか分からないから用心しろ、と。古城に今更たじろぐ様子はない。そんな古城を不審に思った雪菜が問い詰める。

 

「先輩。なんのリアクションもなしですか?」

「いや、辰成に散々聴かされてたんでな。何処かの機関やら名を挙げる為に殺しに来るヤツがくるぞってな具合で」

「お兄さんは一体何者なんですか……」

「俺が聞きてえよ……」

 

 辰成が何者なのか古城は根掘り葉掘り聞かないでいた。古城が第四真祖になってしまい、どうすればいいのか途方に暮れていたところへ突如最初から居たかのように現れたのだ。常に変態ではあるが、自分に勉強も教えてくれて凪沙や自分の母親である深森とも仲良くやっている。そんな人物に口では文句を言っていても、心の中では感謝していたのだ。

 そんな彼が言った。これ以上過去の事は聞くな、と。だから古城は聞かなかったのだ。必要以上に彼の過去を。



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誘い

 店員によって運ばれてきたミートスパゲティを雪菜が咀嚼しているのを見ながら、古城は口へハンバーグを運びながら考えていた。

 

『姫柊。なに考えてるんだ?』

『すごい分かりやすい表情してるねぇ。多分、自分や一部の関係者しか知らなかった獅子王機関三聖からの命令を知っている暁先輩のお兄さんは何者なんだとか考えてるんじゃないの?』

『なんで具体的なんだよ……』

 

 辰成が口にしたことは完全に当たっており、まさに雪菜が考えていることをそのまま言い当てたのだ。因果関係は不明だが、雪菜はくしゃみをしそうになるのを堪えた後、スパゲティを食べ続けている。口の中に入っているものを飲みこんだ雪菜は古城に聞いた。

 

「もしかして、お兄さんは凄腕の国家攻魔官だったりするんでしょうか?」

「あいつ――Cカードだっけ? 資格は持ってないからフリーの便利屋だったかな」

 

 古城からの即答に雪菜は自分の予想が外れたことに頭を悩ませているかのような表情に変わる。だが、そんな彼女の様子に気づいていない古城は言葉を続けた。

 

「まぁ、本人はバイトって言ってるけどな」

「バイトですか?」

「あぁ。たまに那月ちゃん――うちの担任に手伝わされてるみたいだけどな。その、ノーギャラで」

 

 料理と一緒に頼んだアイスコーヒーをストローで啜る古城。その表情を見て、雪菜は古城が嘘をついている様子はないと判断したのか、納得したかのような顔をしている。フォークでスパゲティを絡め取り、綺麗に食べる雪菜を古城の中から見ていた辰成がまた余計なことを話し始める。

 

『いまの雪菜ちゃんをスマホに撮ってくれませんかねぇ』

『無理だろ。ていうか、この状況で写真撮ったらまた変な誤解されるだろうが。少しだけ打ち解けたってのに』

『ちぇ……』

 

 わざとらしく、つまらなそうな声をあげて辰成は引き下がった。流石にこれ以上しつこくしてくることはないだろうと、古城は残っているハンバーグ定食をナイフとフォークを使って食べ進める。手早く食べている古城に雪菜は思わず、

 

「先輩。ちゃんと噛んで食べてますか?」

「あ、やべっ。少し前に辰成と山籠もりしてた時の癖が……」

「く、癖?」

「家では凪沙がいるから注意してるんだがなぁ……」

 

 島と外との出入りすることさえ厳しいこの島の住民から、山籠もりなどという言葉が出て来たことに雪菜は一瞬だけ訝しんだ顔を浮かべるが、そんなどうでもいいことは気にしないことにした。

 

「噛んで食べないと駄目ですよ」

「わ、分かった……」

 

 雪菜に諭されるように古城は叱れてしまう。中学生である雪菜に怒られる、高校生であるはずの古城。そのような状況に辰成は思いっきり吹き出し、腹を抱えて笑っている。辰成の笑い声が脳内に響き渡り、流石に五月蠅いと感じた古城は辰成に苦情を言う。

 

『辰成、うるさいんだが』

『ごめんちゃい』

 

 相変わらずのふざけた調子で謝る辰成。これ以上言っても真面目に謝ろうとしないのを分かりきっていた古城はそこで辰成に話し掛けるのをやめる。唐突に辰成の大きな欠伸が聞こえた。

 

『少し休むわ。夜は那月に呼ばれてるし』

『……分かった。夜になったら起こしてやるから、大人しく寝ろ。いいな、大人しくだぞ』

『あいあい。じゃあ、あとは頼むわ』

 

 言い終わると、辰成は古城の中で眠りについた。やっとうるさいのが黙ったので、古城は心の中でほっと息を吐く。その所為で余計早食いに拍車が掛かったのか、あっという間にハンバーグ定食を平らげてしまう。

 

「先輩……」

 

 雪菜がジト目で古城を睨む。注意した傍からこのザマである。近くの席で魔族連続襲撃事件がどうのという話をしている集団がいたが、雪菜と古城は右から左へと聞き流していた。程なくすると料理を食べ終わり、料金を払ったファミレスを出た古城は自宅へ帰る為に歩き出すのだが、

 

「何で尾いてくるんだよ」

「私は先輩の監視役ですから。当然です」

 

 古城はげんなりとした表情を浮かべる。一緒にファミレスを出た雪菜の所為だ。雪菜は、なぜそんな顔をされるのか分からないといった顔をしていた。今日のところはこれくらいで監視するのは諦めてくれるかと期待していた古城の思いは、あっけなく打ち砕かれてしまった。

 美少女である雪菜が隣を歩いている。それだけでも周りからの視線が集中するのだから、古城の胃は痛みに支配される一歩手前になっていた。辰成の所為で以前から蓄積していた胃へのダメージが限界に近いのか、古城の胃は堪え切れそうもなかった。

 

「い、胃が……」

 

 隣にいる少女に監視されるストレスと、いま感じている視線たちをこれからも雪菜と共にいると起こるのかと軽く絶望しそうになる古城。辰成は眠っている為、手助けしてくれる人物などいない。

 

「せ、先輩? だ、大丈夫ですか?」

 

 古城は先程食べた料理が逆流しそうなのを我慢する。胃の部分を押さえて、道端に座った。そんな古城を心配した雪菜が声をかける。

 

「だ、大丈夫だ。鞄の中に胃薬が――ない」

 

 自分の鞄を漁り、中身を探すが鞄に入れていたはずの胃薬が入っていなかったのだ。

 

「マ、マズい……」

 

 絶望に染まった顔に早変わりである。古城はムンクの叫びにも引けを取らない表情をしている。見かねた雪菜は古城の腕を取り、その場に立たせると古城へと肩を貸した。それが古城へのトドメになるとは知らずに。周囲からの視線が先程よりも強くなり、古城の胃へと多大なダメージを与えた。

 

「ちょ!? ま、待て、姫柊! 俺の胃が! 俺の胃があああああああああああああああ!」

「だからこうして、肩を貸してるんじゃないですか!」

「ちょ、待てえええええええええええ!」

 

 少年の悲痛な叫びが近辺に木霊したという。雪菜に連れられ、自宅付近まで戻ってきた古城の胃はすでにボロボロだった。古城は軽く白目を剥いていて、話す気力もほぼなかった。古城に心配そうな声をかける雪菜の後方から、別の少女の声が響いた。

 

「あれ? 古城君と、雪菜ちゃん?」

 

 白目を剥いて意識朦朧としている物体とその物体を支える少女を見た部活帰りの暁凪沙が、自然と声をかけていたのだ。古城へと近づいた凪沙は、彼の表情だけで何となく察してしまった。

 

「また胃がやられたんだね……。辰成君の所為だよもう」

 

 自分の兄である古城の顔を見ただけでそう判断した凪沙。頭に手を当てて、軽く溜息を吐いていた。溜息を吐き終わった彼女は雪菜から古城を預かる。

 

「雪菜ちゃんはもう帰っていいよ。もうホントに古城君は駄目だよね。女の子に家へ運んでもらうなんて。辰成君の方がその点まだちゃんとしてるよ。なんで白目を剥いてるかな、古城君は」

「お、お前。ほ、本人がいるのにそういうこ――」

 

 古城は僅かながら残っていた気力で凪沙からマシンガンの銃弾の如く放たれる言葉にツッコミを入れようとするが、途中で力尽きてしまった。雪菜は傍に居た凪沙の言葉に圧倒されたのだろうか、ぽかんとした表情を浮かべている。雪菜の表情を見て、何を勘違いしたのか凪沙は雪菜に心配そうな声をかけた。

 

「雪菜ちゃん、大丈夫? あ、まさか古城君に何かされた?」

「い、いえ! 大丈夫です! な、何もされてませんから!」

「本当に?」

「わ、私はこれで。先輩にはお大事にと伝えておいてください」

 

 雪菜はそう言い残すとそそくさと古城のマンションから逃げて行く。残されたのは呻いている古城とその妹である凪沙であった。

 その事を夜になって起こされた時に聞いた辰成は彼を笑う事はせず、慰めるような目で見た。自分の胃を弱くした張本人である辰成にまで気遣われた所為で、古城は余計に落ち込んだのであった。

 

 その夜。未だに胃へのダメージが残っていることを気にしながら就寝した古城と入れ代わり、辰成は眠っている凪沙に気づかれないようにマンションから出て行った。ちなみに辰成と古城は入れ代われば、体へのダメージは共有しないので古城の胃にダメージがあろうとも、辰成の胃が痛くなる事はない。エレベーターを降り、目的地まで徒歩で歩いて行く。

 指定された場所の近くまで来る。そこは大きなビルの前だった。辰成はふうと小さく息を吐き、ビルの中へと入る。指定されたフロアまで来ると、そこには小さなブリーフケースを足元に置き、右手に畳んだ日傘を握っている那月が仁王立ちで待っていた。

 

「悪いな。こんな時間に」

 

 申し訳なさそうに言う那月。だが、本当に申し訳なく思っているのか疑いたくなる彼女の表情に辰成は心の中で苦笑した。

 

「いや、問題ないさ。どうせ俺はお前の言う事を聞かなきゃいけないんだからな。取引の所為で」

 

 そこで一旦言葉を止め、辰成は那月の目を見た。辰成でなければ分からなかったであろうその視線。罪悪感に苛まれているかのようなその瞳を見た辰成は言う。

 

「だけど、そうでもしなければ連中は俺が体に戻ったら、永遠に刑務所かお前の監獄結界へぶち込んでいたはずだ。こうしていられるでも俺はありがたく思ってるよ」

「……そうか」

 

 那月は辰成の言葉に短く返事をする。辰成が言わんとしていることを即座に理解したからだ。

 

「で、今度の仕事はなんだ、那月?」

「場所が悪い。私の家――というか、隠れ家みたいなのに移動しよう」

 

 足元のブリーフケースを手に取った那月が消える。空間制御の魔法を使ったのだ。高位魔法使いや魔女でなければ使用するのは難しいと言われている魔法である。気配を辿り、ビルの屋上に那月の気配を感じた。辰成は同じようにその場から姿を消す。魔法ではなく、自分自身の能力で。

 空間掌握。彼は自分の力をそう呼んでいた。一応、辰成は過適応能力者と呼ばれる存在である。那月の隣へと空中から辰成が急に現れ、地面へと着地する。那月はそのことを事前に知っていたかのように堂々としていた。同じ空間を操る者同士、お互いの能力は把握しているのだから。

 

「相変わらず、私の一歩下を行く能力だな」

「ひでぇ。本人がここにいるのに貶したよ、こいつ」

 

 他人からすれば、幼女に高校生の男子が小馬鹿にされているようにしか見えないが、本人達にとってはいつも通りである。

 那月が再び消える。辰成もそれを追って消えた。夜の街を、空間移動を繰り返す。そして、那月宅の前に二人は出現した。家を視界に入れた辰成はちょっとした違和感に気づいた。

 

「ん? もしかして、ここの空間を弄ってあるのか?」

 

 試しにスマホを取り出し、常に機能を停止させている位置情報を使用する。起動させ位置を特定しようとした辰成だが、スマホの位置情報はエラーを起こして、正常な位置が分からないようになっていた。スマホをスリープ状態にしてポケットにしまう。

 

「やはり気づくか。当たり前だ。私を狙う者も少なくはないからな」

「ホテルは……何処から誰が襲ってくるかも分からんから却下だよな、うん。あとお前、警備とか嫌いだろうし」

「あぁ、その通り。ホテルに泊まるよりは自分で決めた家や部屋の方がまだマシだ」

 

 玄関の鍵を開けると、入れと那月は言う。彼女の言う通りに辰成は家へ入る。廊下を歩き、リビングへ繋がると思われる扉を開けた。眼前に広がるリビングを見た辰成は、思わず呟いた。

 

「なんですかこれは? なんで無駄に高そうな家具ばかりあるの? 俺みたいにどっさり置いてるじゃん」

「お前の場合は、自分の部屋に入りきらないアニメグッズで埋め尽くしているだけだろ。一緒にするな」

 

 リビングへの入り口を防いでいる辰成の腰を、那月は邪魔だと言わんばかりに日傘の柄で小突いた。体を動かし、辰成がリビングに入る。それに続き、那月もリビング内へ入室した。辰成を椅子に座らせると那月はブリーフケースを椅子に置くと、すぐさまポットに保温しておいたお湯でインスタントコーヒーを入れて、彼に出した。自分の前には紅茶をそっと置いた。それを見た辰成は驚嘆したかのような声で言う。

 

「お前が人に飲み物を出すとは……」

「私だって客にはこれくらいするぞ」

「客に茶を注がせてるのかと思った」

「どうやら、私と肉体言語で語り合いたいようだな? いや、お前の肉体年齢的に補導がいいか?」

「補導は勘弁してください」

 

 その言葉を聞いた瞬間、辰成は反射的に頭を下げて謝っていた。面白くなさそうな顔になる那月。

 

「全く。どうしてこんな性格なってしまったんだ、お前は」

「時の流れかな?」

「あの辰成は何処へ行ったのか……」

 

 那月は腹立たしそうな顔をしながら、左手で米神を押さえる。頭痛もするのか、痛み止めはどこだと言い始めている。辰成が日頃から女への変態的な言動を発するようになったのがどうしても理解出来なかったからだ。人生を変えるような出来事の所為で、彼の性格が豹変したのだとしても。

 

「さぁ、どっちが本当の俺なのか分からんよ。自分でもどっちが本性なのか。那月は前の俺の方がいいか?」

「それを決めるのは私ではないさ。私は、お前がこうして暁を介してでも生きていてくれるだけで十分さ」

「……那月。ありがとう。昔からの付き合いでそう言ってくれるのはお前だけだよ」

 

 辰成の混じり気の無い感謝の言葉。何故、平気でそういうことが言えるのか。再会して数か月は経つのに、那月は分からなかった。辰成に聞こえないように小さく深呼吸する。

 

「何故そんなことが言える? お前は私の被害者だぞ。私に仕返ししてやりたいとは思わないのか?」

 

 辰成はすぐに答えない。しばし考え込むような仕草をしてから言葉を口に出した。

 

「お前をぶん殴ったり殺したりしたところで、あの日々は戻ってこない。それに、あれはお前だけの責任じゃないだろ。ちゃんと気付けなかった俺にも非はある」

 

 自分の所為だと言い張る那月とお前だけが悪いんじゃない。自分にも責任があると言う辰成。二人の意見は噛み合わない。そんなことなどすでに分かりきっていた辰成は両手を上げて降参の意を示す。

 

「それより仕事の話をしようぜ? そのことで俺を呼んだんだろ?」

「あぁ、そうだ」

 

 那月は紅茶を一口飲むと、自分の隣にある椅子に置いていたブリーフケースから書類を何枚か取り出す。その書類を、コーヒーに口をつけている辰成へ手渡した。コーヒーの入ったカップを邪魔にならないようにテーブルへ置くと、辰成は書類をペラペラとめくっていく。一通り見終わった辰成は書類を無造作にテーブルへゆっくりと置いた。

 

「この事件か」

 

 書類に書かれた事件のことを知っていた辰成は顔を右手で覆いながら、小さく首を横に振る。それ最近この島で横行している魔族狩りに関するものだった。そういえば那月もこの事件を担当していたなと、コーヒーが入ったカップに触りながら辰成は得心した。

 

「どうかしたか?」

「俺の所に依頼が来ててな。荒事関連で俺を贔屓にしている企業があってさ、そこの副社長の息子が襲われたんだと」

 

 敢えて企業名を出さず、そう説明する辰成。那月から手渡された書類に挟んでにあった被害者の写真。そのなかの一枚を取り出して、那月の手元へと突き出した。

 

「この少年か。確か今も危篤状態で入院中のはずだが……」

「あぁ、だからその敵討ちして欲しいんだとさ。ま、小難しい依頼よりそっちの方が手っ取り早くて助かるが。でもやめてほしいんだよなぁ、別の依頼もあるってのに」

 

 そこで一旦言葉を止め、

 

「はぁ、俺は一応、無闇にそういうことが出来ないはずなんだけどね」

 

 強調するかのように一応の部分を力強く言う辰成。その言葉を聞いただけで那月は分かってしまった。目の前にいる幼馴染である男がまた闇に一歩近づくつもりなのだと。依頼であろうがなんだろうが、また荒事に介入するということを。

 

「お前……最初から取引の内容を守るつもりはなかったということか」

「いや、守ってるよ。あくまでも取引の範囲内でヤバいことをする必要性が出てくるって話なだけ。それなら連中も納得するだろ? そうすれば、この島の治安は守られるんだから」

 

 那月は黙っていた。自分よりも権力を持っている者がそのような行動をとることを、ある種の契約の範囲で許可しているのだ。彼が非合法な事を行うのを。自分が言ってもどうにもならないというのを、イヤになるほどに分かっていた。だから、余計なことは言わないのだ。

 リビングに設置してあるテレビさえつけていない静かな部屋に、二人の呼吸音が一際大きく聞こえる。二人の間に流れる沈黙はほんの数秒のことだったが、本人達にとっては数分にも及んでいたかのように感じられた。那月が切り出す。彼女の小さな唇が揺れる。

 

「お前はそれでいいのか?」

「闇に浸かるのは得意だからな」

 

 そうきっぱりと言い切る辰成に那月は再び黙った。彼女らしくない態度に辰成は首を傾げる。言い方は悪いが、独特である那月から発せられるいつもの雰囲気がいまの彼女からは感じられなかったのだ。

 

「おい、いつもの傲岸不遜っぷりはどうしたよ?」

「お前の前でそれが出来るなら苦労はしない」

 

 那月は再び紅茶を口にする。それに合わせて辰成もコーヒーを飲む。小さな溜息が那月から漏れる。彼女が溜息とは珍しい。先程のらしくない態度に続いて、辰成は心の中でそう呟いた。

 

「はぁ、少し気にしすぎだと思うぞ」

「いつもなら気にしないんだが、お前が絡むとなるとそうもいかん」

「そんなに俺の事を思ってくれているなんて、黒髪美少女愛護冥利に尽きるな」

 

 古城が起きていたなら「キモイ」と突っ込みを入れていたであろう笑みを浮かべる辰成。那月はその笑みを見ながら表情や目つきを微動だにせず、虚空から戒めの鎖(レージング)を出現させて彼を絡め取ろうとするが、

 

「お前さ、俺にこれが効かないってこと忘れたのか?」

「ふん」

 

 戒めの鎖の出現方向を空間の僅かな歪みから探知した辰成は、片手で那月が出現させた鎖を叩き落したのだ。なんともないといった風に辰成は那月に出された飲み掛けのコーヒーに再び口をつけた。神々が鍛えた鎖をいとも簡単に落とされたにも関わらず大したリアクションも見せない那月は、辰成の反応を見て戒めの鎖をしまう。

 

「なんだよ。褒められるのがそんなに嫌なの?」

「お前のその見るに堪えない気色悪い笑みさえなければ、十分嬉しかったさ」

 

 ひでぇ、と小さく呟いた辰成はカップに残っていたコーヒーを全部飲み干した。座ったまま、書類を纏めて那月に返す。

 

「俺の呼んだのは、その事件の捜査を手伝えってことだったんだろう。お前の指示には従うが、行動する時は俺一人で動かせてもらってもいいか?」

「よかろう。お前の場合、単独の方が色々とやりやすいだろうからな」

「ありがと、なつちゅきちゃん」

「気持ち悪い」

「ありがとうございます」

 

 真面目な雰囲気から一転、辰成の所為でふざけた雰囲気になってしまった。那月の罵倒に笑顔でお礼を言う始末である。その表所を見て怒る気力さえ湧かず、呆れ顔になった那月は溜息を吐いた。

 

「全く……」

「んじゃ、俺はこれで帰るわ。コーヒー、ごちそうさん」

 

 那月にそう言い残すと、リビングから出て玄関へと向かう。その後ろを那月はついて来て、辰成が帰るのを見送ろうとする。靴を履き終わり、那月の家から出ようとした辰成に那月は声をかけた。

 

「辰成」

「なに?」

「気を付けて帰れよ。それと暁には明後日は学校だから、絶対に遅刻するなと言っておけ」

「あいよ」

 

 辰成を心配した那月の言葉。その言葉に対して、振りながら辰成は那月の家から去って行った。

 

 

 空間掌握で夜の街を移動している辰成はある地点まで来たところで地面へと足を付けた。だが、周りを見渡した辰成は頭を掻いている。

 

「あれ? 着地する位置ミスったかな……。仕方ない、歩くか」

 

 足を一歩、前へ踏み出したところで辰成は僅かな異変に気付いた。風に運ばれた鉄の匂いが辰成の鼻を突いたのだ。眉を顰め、臭いが漂ってくる右方へ体を向ける。嫌な予感を覚え、隠し持っていたオートマチック式のハンドガンを取り出し、それを左手に持った。万が一の為に妨害術式を発動させる準備をする。

 

「――おいおい。まさかとは思うが、冗談じゃねえぞ」

 

 先程まで那月の家で話していた魔族狩りの話が、辰成の脳内をちらついていた。自分の感が外れていることを祈りながら、視界の先に居る人影の方へと近づいていく。一人は大柄な男で右手に武器を持ち、風が羽織っていると思われるマントを靡かせている。もう一人は小柄な子供のようだった。隣の男と比べれば、かなり小柄だと素人目にも判断出来るほどだ。

 

「あれは……」

 

 その二人の足元に何かが倒れている。倒れている何かはピクリとも反応しない。雲に隠れていた月が姿を現し、いま居るこの場所を照らす。

 そこにあったのは血に濡れた二つの物体だった。片方は肩から腰にかけて体を引き裂かれ、呻いている獣人。もう一方は左腕があり得ない方向へと曲がり、激痛に喘いでいる男だった。辰成は彼らに見覚えがあった。昨日、あのショッピングモールで眷獣を召喚した吸血鬼とすぐ傍で気絶していた獣人だったからだ。

 辰成の予感が当たった。本能が告げる。いま自分がいるのは件の魔族狩りが行われている現場なのだと。そして、視界にいる二人の人影が倒れている二人を襲撃した張本人だと。息を吐いた辰成はわざとハンドガンのコッキング音を大きく鳴らし、彼らを見下ろしている大柄な男と子供――少女の体を自分の方へと向かせた。

 

「テメェら、そこで何してやがる?」

 

 粗暴な口調に早変わりしている辰成。彼の登場に、男の方は予想外だったと言わんばかりの顔で彼を見ている。少女の方は無表情のままだ。

 

「これは思わぬことが起きましたね。日本語で言えば、飛んで火に入る夏の虫といったところでしょうか。私達のことを陰から見ていたのでしょうが」

 

 そこで一旦言葉を止めて、

 

「少年、気配から察するにあなたは魔族に近い存在ですね」

 

 丁寧な口調で男が言う。獲物を見つけたといわんばかりのギラついた目付きで。辰成は男の表情だけで即座に分かった。こいつは自分を殺す気なのだと。空間掌握を使えば、追いつかれずに逃げるのも簡単だ。だが、一度犯人と対峙しておいてすぐに逃げるという選択肢を、辰成は取るつもりなどなかった。辰成の意識が左手に集中する。すでに妨害術式の準備は完了していた。

 一番の優先順位は襲撃の容疑者である男と少女の捕縛。プランBとして、捕縛は出来なくても、せめて撃退だけでもすると計画を即座に立てた。依頼は捕縛した後で果たせばいいと、頭の隅に追いやる。少し離れた位置に立っていた少女が半月斧を右手に構えている男の隣へ来る。辰成は彼女の顔を見た。

 機械的な少女。それが彼女を見た辰成が抱いた第一印象だった。男の服装に何処か見覚えがある辰成は思い出そうとするのを一旦やめ、目の前のことに集中する。

 

「もう一つ実験といきましょうか? 少年、得物はどうします?」

 

 スポーツバックを辰成の前へと男は放り投げた。眼前にスポーツバックが転がる。中身を見た辰成は中身に顔を顰めた。中に入っていたのは大量の武器だった。なんでこんなものをという疑問が湧いたがすぐに答えに行きついた。視線の先にいる獣人の近くに武器が転がっているからだ。

 ――こいつ、襲撃した相手にわざと武器を持たせているのか。胸糞が悪くなる嫌な事実に行きついた辰成は舌打ちをしながら武器を選ぶ。辰成は迷わずに両刃の西洋剣を持ち上げた。それを右手だけで構え続ける。

 

「ほう。それだけでいいのですか?」

「あんたこそ、そんな斧一つで大丈夫かよ?」

 

 男に対して、高圧的な態度でそう言ってのける辰成は、那月のアレが移ったかなと心の中で少しだけ息を吐いた。

 先に動いたのは辰成だ。右手で西洋剣を引き摺りながら、右薙ぎで男を引き裂こうとする。男の戦斧がそれを防ぐ。右手に力を入れた男は剣を弾き、態勢を崩させてから辰成へと戦斧を振り下ろす。直撃したと確信した男だったが、

 

「なにっ!?」

 

 辰成の姿はそこにはなかった。空間掌握で消えた辰成が男の後方から襲い来る。辰成の気配に気づいた男は振り返り、戦斧で西洋剣を薙いだ。西洋剣を握っていた辰成の右手に、男の攻撃の重さにより痺れが走るが一時的なものだったのですぐに治まった。

 男との剣戟により辰成の中にある記憶が蘇った。西欧領域にいるある者達のことが脳内を駆け巡る。その人間たちと目の前にいる屈強な男が重なって見えたのだ。

 

「今のは空間制御の魔術――否、これは魔術ではない」

 

 男の値踏みするかのような表情に対する返答として、剣の柄で男の腹を小突こうとするが男が身に着けていた金属製の何かに阻まれてしまう。その隙をついた男が戦斧で辰成の胴を寸断しようと振りかぶった。だが、素早く反応した辰成には効かず、空間掌握により再び躱されてしまった。

 男が間合いを一気に詰める。戦斧を水平に薙ぎ、辰成の首を切断しようと迫る。咄嗟に上半身を逸らして斬撃を回避した。距離を取り、地面に着地した辰成は息のリズムが少しずつ乱れて来ているのを感じ取っていた。それはこれ以上の戦闘は危険というサインでもあるのだ。古城の身体能力が辰成のスペックとうまく適合できていないのが一番の原因ではあるのだが、ここまでラグが出てくるのは予想外だった。

 

「良い腕だ。流石は西欧教会の祓魔師といったところか」

「ほう、私の正体を僅かな時間で見抜くとは。貴方、只者ではありませんね?」

 

 辰成の口から出た言葉にそんな感嘆を述べる男は、自分の顔は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。

 

「アスタルテ!」

 

 名を呼ばれるまでずっと辰成と男の戦闘を眺めていた少女が動き出した。男の前まで来ると目を見開き、静かに言葉を発した。

 

命令受託(アクセプト)

 

 少女がそう小さく呟いた瞬間、魔力の異常を感知した辰成を魔力痛が襲う。苦悶の声を上げ、その場に立っていられなくなった辰成は敵の前で膝を付いてしまった。だが、隙だらけになっている辰成に対して男が襲ってくる様子はない。少女に手を下させる気なのだ。

 

執行せよ(エクスキュート)

 

 少女の背中から虹色の巨大な腕が二本、体内から這い出てくるかのように出現した。少女は表情を変えず、そのまま歩き続け辰成へと近づいて来る。少女の背中から這い出てたものを睨んでいた辰成はそれが何なのか、本能的に悟った。

 

薔薇の指先(ロドダクテュロス)

 

 ――眷獣。本来なら吸血鬼のみが保有できる強大な力。それが今、辰成の前に居た。昨日のD種が放った眷獣とは比べ物にならないほどの魔力濃度に頭痛は激しさを増していく。古城は寝てしまっている為、古城の魔力による頭痛の中和は不可能である。激痛に苦しむ辰成へ巨木と見間違わんばかりの両腕が迫る。

 

「クソが……!」

 

 辰成は苦し紛れに指を屈伸させ、左手に握っていたハンドガンから事前に準備しておいた対力弾を射出した。眷獣の右腕に銃弾が直撃する。直撃した部位から眷獣は崩壊を起こしていき、消失した。眷獣を無理矢理消滅させられた少女はその衝撃を直に受けたのか、苦痛の表情をしている。自分の眷獣をいとも簡単に消失させられたという異常な状況に後退せずにはいられなかった。男の隣に接近し、現状を報告しはじめる。

 

実行不可(エラー)。眷獣の即時再顕現は不可能。顕現過程に致命的な欠陥(バグ)があります」

「なに……?」

 

 アスタルテから告げられた言葉に殲教師は驚きの表情を浮かべた。眷獣を消滅させただけではなく、今すぐに再顕現すら出来ないほどの何かを少女に叩き込んだ辰成に警戒のレベルを上げる。

 魔力痛から解放された辰成は立ち上がり、殲教師の男に対して右手に握っている西洋剣の切っ先を向けた。対力弾の再チャージも忘れずに行う。

 

「さぁ、どうする? いまの弾を俺はまだまだ撃てるぜ」

 

 (フェイク)だ。また対力弾を撃てたとしても、現在の状態で撃てるのは精々一、二回が限度。見破られれば、相手の攻撃により辰成はこの場で眠っている古城を残して消滅する。殲教師と辰成は、お互いに何かを隠し持っていることは分かっていた。緊張が走る中、先に殲教師の男が声をあげる。

 

「……いいでしょう、ここは引くとします」

 

 そう言い残し、殲教師の男は少女と共にその場から逃げて行った。残されたのは男に重傷を負わされたD種と獣人、息切れ寸前の辰成だけだった。地面に尻がつきたい衝動を抑えながら辰成はD種と獣人の傷を確かめた。人間であれば間違いなく即死であっただろう傷が辰成の目に飛び込んできた。幾ら生命力の強い種族であるからといって、このまま放っておけば彼等は死んでしまう。

 治癒能力などという力を持ち合わせていない辰成は右手でズボンのポケットのチャックを開けて、中から仕事用の携帯を取り出して警察に匿名で電話を掛ける。

 

「もしもし、警察ですか!? 男性二人が誰かに襲われて、場所は――」

 

 わざとらしい声をあげて現在の場所を告げると急いで電話を切り、仕事用の連絡先である別の番号に連絡を入れ始める。二、三回の呼び出し音が鳴った後、相手が電話に出た。

 

『辰成。どうした、家に帰ったんじゃなかったのか?』

 

 電話の相手は那月だった。辰成は簡潔に今しがた起こった出来事を告げる。

 

「件の犯人に遭遇した。捕縛は出来なかったが、なんとか撃退した。他に被害者が二人いる、重傷だ。警察にはもうすでに通報してある」

『なにっ!? ……怪我はあるか?』

「ない。……っくそ」

 

 魔力痛の影響により、急な頭痛に襲われた辰成は左手で頭を押さえた。辰成の苦しそうな声に那月は心配したかのように声をかける。

 

『大丈夫か?』

「いや、魔力痛で頭が吹き飛びそうになった挙句に、今度は普通の頭痛が襲ってきただけだから問題ない。本当なら今すぐにでも説明しにいきたいとこだが、この頭痛じゃ無理そうだ。明日、時間あるか?」

『少しなら』

「じゃあ、そん時に説明するわ。わりぃ」

 

 気にするな、という那月の言葉を聞いた辰成は、いま自分がいる場所を伝えて救急車を寄越すように告げると通話を終わらせた。気が抜けたのか、地面へと座り込んでしまう。体感では十分ほど経った頃、四方八方から救急車と特区警備隊のサイレン音が鳴り響いているのに辰成は気づいた。

 これ以上この場に居られないと、辰成は頭痛を我慢しながら立ち上がる。空間掌握でその場から消え、移動を繰り返して自宅マンションの前まで戻って来ていた。

 

「やっぱり、自分の体じゃないと駄目だな」 

 

 無理な連続移動により、陸酔いに似た体調不良に襲われた。頭痛と吐き気、嫌なダブルパンチに見舞われながらも深夜帯に外出をしていたことがばれないよう、自宅のドアを凪沙にバレないようにこっそりと開ける。自室のベッドへとダイブした辰成はそのまま寝間着に着替えることもせず、戦闘による疲れからそのまま寝てしまった。

 翌日の朝。気怠さと頭に残っている痛みに耐えながら、辰成は何とか起きていた。状態異常などは共有が出来ないので、古城には何の影響もない。頭痛薬などを飲んだり朝食を食べていた際に学校まで行く許可を古城から貰い、体を一時的に借りることとなった。那月へ昨日の出来事を教えに行くことになった。自分が寝てる間に何があったのかという古城の問いに辰成が閉口して答えないまま、マンションの一階まで下りてきた。そこへ、

 

「おはようございます、先輩」

「おはよう、雪菜ちゃん」

 

 雪菜は自分を呼んだ声に違和感を感じ、辰成へ下げていた頭を上げた。雪菜の鈴を張ったような目が揺れる。眼前に居たのは古城ではなく、瓜二つの顔をした少年。一昨日、自分に妹になれと逮捕ものの発言をした男だったのだから。

 

「し、失礼しました。暁先輩と見間違えました……」

「まぁ似てるからね。俺と古城」

『似てるっていうか、俺の容姿を借りてるだけだろお前は』

 

 あの時の嘘を貫き通そうとしてる辰成は古城の発言に対し、それは言わんでいいとツッコミ役に回った。もちろん心の中で。辰成にツッコまれたことに古城は不服そうな声をあげる。そんな古城は蚊帳の外へと追いやり、辰成は雪菜との会話を続けることに決めた。

 

「いや~、一昨日はゴメンね。あんなところで魔力ぶっ放したアホの所為でついキツイ言葉をぶつけちゃって。イラついてたのよ、あの時」

「い、いえ、謝らないでください。私が軽率な行動をしたのは事実ですし」

 

 嘘偽りなく本当に反省してる様子の雪菜を見た辰成はそれ以上余計なことを言わないようにした。やはりと言うべきか、雪菜はまだ辰成の方を若干警戒している様子も伺えた。当の辰成は何食わぬ顔で雪菜と会話を続けようとする。

 

「それで、雪菜ちゃんはここで何してるの? やっぱり古城の監視?」

「はい。それもありますけど、来る予定になってる引っ越しの荷物を待ってるんです」

「引っ越し……あっ」

 

 完全にこの後に起こることが予測できた辰成は歓喜しそうになるが、古城にとってはたまったもんではないので表情には決して出さなかった。そんな二人の近くに一台の引越し業者のトラックが止まった。トラックを見た古城が疑問の声をあげる。

 

『なんでまた?』

『お隣の山田さんが引っ越して行ったし、それにほら隣にいるでしょ。荷物を待ってる子が』

『……おいおいおい、冗談だよな? 冗談だって言ってくれ。こいつだけでも大変なのに隣に姫柊が越して来たら……でも待てよ。四六時中女の尻を追っかけてる辰成より、姫柊の方がまだマシなんじゃ……』

『おい、さり気なくディスんじゃねぇよ。いつ俺が四六時中女の尻を追いかけたよ』

『え?』

『え?』

 

 二人がアホな会話をしているうちに、引っ越しの業者は雪菜の荷物を彼女の部屋まで運んで行っていた。段ボール三箱という荷物の少なさに思わず辰成の目を通して見ていた古城は首を傾げた。辰成はそれほど気にしている様子はない。自分で荷物を運んで部屋に行こうか、このまま辰成に聞きたい事を問いただそうか考えている雪菜に辰成は声をかけた。

 

「俺でよかったら荷解き手伝うよ」

「い、いえ。一人で大丈夫です。それにお兄さんは何か学校へ用事があるんじゃないですか?」

 

 辰成の服装を見た雪菜はそう返事をした。今の辰成は古城の制服を借り、待ち合わせ場所である彩海学園に向かおうとしていたのだ。

 

「いや、別にそんな急ぎの用でもないからいいよ」

 

 時計を見て、まだ予定の時間まで余裕があることを確認した辰成の言葉に雪菜は甘えることにした。とりあえず、彼女の部屋までエレベーターで行くことにした二人は一緒に中へ入る。そしてエレベーターが古城と雪菜の家がある階層まで上ったことを告げた。

 エレベーターから降りた二人。雪菜に先行してもらい、先に部屋の鍵を開けてもらうことにした。

 

『マジでうちの隣かよ』

『いいじゃん、これで雪菜ちゃんにエンカウントする確率上がったようなもんだし。嬉しくないのか?』

 

 喜んでるのはお前だけだと、古城はまた溜息を吐いた。もう一生分の溜息を吐いたんじゃなかろうか。先程はああ言ったものの、自分を監視する為に派遣された少女がお隣になってしまい、頭を悩ませ始める羽目になった。彼女自身のことを別に嫌っていない古城だが、流石に近くでこれからも監視し続けられるとあっては堪ったものではない。

 

「……家具、なんにもないね」

 

 だが、そんな古城の心情を知ってか知らずか。辰成は彼の言葉に何も返事をせず、雪菜の部屋を見渡した感想を口に出した。

 

「その、前までは寮に住んでたので」

「高神の杜か。まぁ、あそこに住んでたなら家具は要らないよね」

 

 何でそんなことまで知っているんだ、と言わんばかりに雪菜は振り返り、彼を見ていた。自分の素性を辿らせるヒントをあまり残したくなかった辰成だが、どうも雪菜の前ではそういう意識が弛んでしまうことを自覚した。この話を掘り下げたくない辰成は、

 

「食器とかはどうするの? あと食材とかも。まさか毎日レトルトやカップ麺ってわけにはいかないでしょ」

「必要なものは出来るだけ買いに行きたいんですけど、その……」

「古城の監視があるからいけないと」

 

 大変だなと、辰成は他人事であるかのような感想を抱いた。実際、彼にとっては他人事なのだからそう思うのも必然である。だが、困っている彼女を放って置くほど冷徹ではない辰成は彼女の荷解きを手伝いながら提案をした。

 

「じゃあさ、俺が帰ってきたらまだ寝てるあの馬鹿を叩き起こしてあげるから、アイツを引っ張り回して買い物につき合わさせるってのはどう?」

『おい辰成! お前、勝手にそういう事を決めるなよ――っていうか、馬鹿ってなんだよ! 馬鹿って!』

 

 古城が抗議の声をあげるが辰成がその意見を聴くわけもなく、

 

「え? でもそれって、暁先輩に迷惑なんじゃ……」

「なんでそこで遠慮するかな……。いや良いんだよ。監視し続ける身なんだから、監視対象に買い物に付き合わせるくらいしてもバチは当たらないよ」

『なんだその無茶苦茶論は』

 

 もうどうにでもなれ、といった感じで古城は本日二度目の溜息を吐いた。辰成に何を言っても無駄な気がして来た古城は奥に引っ込んでいってしまった。少々やりすぎたかと辰成は頬を掻くが、そんなことはすぐに右から左へと動いてしまう。荷解きを手伝い終えた辰成は立ち上がり、雪菜の部屋を出ようと玄関まで足を動かした。雪菜はそんな辰成を見送ろうとあとをついていく。

 

「じゃあ、また後でね」

「は、はい。ありがとうございます」

 

 勝手に話を決められてしまったと思う雪菜だったが、辰成の良心を無碍にすることも出来なかったので提案を受けて入れた。雪菜に軽く手を振って部屋から出て行く辰成。ご満悦といった表情を顔に出しながら出て来たその姿に奥に引っ込んでいたはずの古城が戻ってきてツッコミを入れた。

 

『キモい』

「分かってるよ」

『ったく……。ほら、早く那月ちゃんのとこ行かねぇと。遅れたらあの人ブチギレるぞ』

「大丈夫だろ、問題ないよ」

『大問題な臭いしかしないんだが……』

 

 辰成が放った言葉に一抹の不安を覚えた古城は、本気で大丈夫なのか真顔になった。辰成はそんな古城の心配を余所に、那月に会うため学校への道を歩き出した。

 

 

 雪菜は自分でも理解出来ない感情に唸り声を上げた。古城の兄と名乗る男。獅子王機関の関係者でもないのに自分が言い渡された任務の内容を知っていたり、得体の知れない相手であるはずなのに何故か心を許してしまいそうになっていたのだ。あんな台詞を直接言われたにも関わらず。

 

「一応、式神に見張らせておきますか」

 

 古城と凪沙の家、そして辰成自身を見張る為に式神を飛ばそうと術式を発動させるが、声が喉から出なかった。急に心臓を鷲掴みにされたかのような衝撃が雪菜の体に走ったからだ。息も上手く出来ず、息苦しさに喘ぐしかない。膝を床に付けた雪菜は咄嗟に発動させていた術式を解除した。

 

「……あ、あれ?」

 

 途端に彼女を襲っていた苦痛が、まるで最初からなかったかのように掻き消えたのだ。早鐘を打っている彼女の心臓の鼓動が休ませることも出来ない。部屋の中に何かがいる気配がするのだ。まるで部屋に押し込まれた人間達が無数の目で雪菜のことをじっと見つめている、そんな吐き気がする感覚に彼女は陥っていた。今まで感じた事のない邪悪な何かに雪菜は険しい目つきになる。

 誰かがいる。そのことを本能で察した雪菜は声を張り上げた。

 

「何者ですか……!」

 

 返答はない。同時に大多数の視線に晒されたかのような感覚はいつの間にか無くなり、唯一残っていたのは不気味なほどの静けさだけだった。

 妖魔か悪霊の類かと雪菜は推測したのだが、それにしては何かが決定的に違っていると即座に判断した。すぐに答えを出す事は出来ないと判断した雪菜は自分の部屋から立ち去るかのように出て行き、そのまま辰成が向かった彩海学園へと足を運ぶことにした。




前回がピークだったような気がしてきた。


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少女

一年以上も更新放置しててすみませんでした。最新話です、どうぞ。


 彩海学園。どういう理由でそうなっているのか分からないが、理事長室よりも高い場所に設けられた一教員である那月の部屋。無駄に高価な椅子やらテーブルやらが置かれているそこでは那月が仁王立ちで辰成の前に立ち、彼を見下ろしている光景が広がっていた。心なしか、那月が酷く不機嫌な表情になっているのを辰成と古城は感じ取っていた。いや、実際には古城だけはその理由を知っている。

 

「あの、何で俺はあなたに会いに来て早々、正座させられているのでしょうか?」

「自分の胸に手を当てて聞いてみろ、馬鹿者」

 

 那月にそう言われる辰成だが、なんでだと言わんばかりの顔をしている。自分が那月に怒られる原因が本気で分かっていないようだった。

 

『そりゃあお前さ。俺が止めてんのにあっちこっち勝手に本屋だのアニメショップに出入りするからだろうが。そのせいで時間食い過ぎて待ち合わせに遅れたんだろ! つうかさ、ゲームはともかく俺はアニメだとか興味ねえーんだから、んなとこに入るんじゃねえよ!』

 

 古城の指摘通り、辰成が正座させられている原因はこれ以外に存在しないのである。だが、辰成は反省するどころか隙を見ては鼻をほじろうとする始末である。それを見た那月は呆れたと言わんばかりに頭に手を当てながら辰成を睨む。

 

「お前、私のこと舐めているだろ?」

「そりゃあ、那月をペロペロはしたいけど――なんだよ、そのすぐにでも俺に飛び蹴りでもしたそうな表情は」

「……もういい」

 

 彼の言葉に怒る気力も失せたのか、那月は頭を押さえると静かにそう呟いた。乱暴にソファーへ腰を下ろした那月。自分の隣を指差し、座れと辰成に合図してくる。正座の状態から

解放された辰成もソファーに座る。

 

「辰成、話の前に暁を下がらせろ」

「そうだな。古城、悪いが奥の方に行っててくれないか?」

『あ、あぁ。分かった』

 

 自分に聴かせたくない会話をこれからするのだと、二人の雰囲気から感じ取った古城は大人しく意識の奥へと引っ込む。

 

「下がらせたぞ」

「それで、魔族狩りの犯人は分かったのか?」

 

 急かしてくる那月に辰成は焦るなと言う。

 

「これはあくまで俺の推測なんだが、それでもいいか」

「よかろう。話せ」

「犯人はおそらく、西欧教会の殲教師だ」

「……やはり、か」

 

 那月は納得いったかのような声音で言う。那月の言葉を聞いた辰成は眉根を寄せながら彼女に尋ねた。

 

「殲教師が襲撃犯だったことを知ってたのか?」

「いや、確証はなかったが被害者が襲われた近くに設置されていた監視カメラの映像からそういう推測がなされていただけだ。……聞くが、その犯人はお前の目から見て本当に殲教師だったか?」

「……本物の殲教師かどうかは怪しいし、物証もないからなんとも。ただ、あの戦闘能力と武装は殲教師のそれに近いものだったよ」

 

 辰成は昨日戦った際の感覚を思い出しながら那月にそう告げる。あれは間違いなく場数を踏んだ経験からなされる戦い方だった。それは疑いようはない。だが、先程述べたように本当に殲教師なのかと問われれば言葉を濁すことしかできない点がかなり痛いのだ。那月は顎に手を当てながら続けて訊く。

 

「奴等の狙いはなんだ? 何故、この島で殲教師が殺戮を」

「多分だけど、あいつの狙いはこの島を支えているモノだよ。あれはあの教会の連中とって余程大切な物らしいからな」

 

 少しだけ肩を竦ませると、辰成は正座させられる前にテーブルへ無造作に置いていたコンビニの袋から缶コーヒーを取り出し、プルタブを開けて口をつけた。自分だけが飲むのもなんだと思い、辰成は那月に自分が買った紅茶をあげようとするがそんなもの要らんと言われ、断れてしまう。

 

要石(キーストーン)、供犠建材……。絃神千羅の所為で私達は余計なツケを払わされているというわけか」

「あの時代の技術じゃそうでもしなきゃ絃神島なんて作れなかったからな。ある意味、天才と言えるとは思うぜ。絃神千羅は」

 

 それが人道的かどうかは別だけどな、と辰成は息を一つ吐きながら付け加える。那月は頭が痛くなりそうだった。以前辰成に聞かされたよくある噂話程度に捉えていたものが、まさかこんな形で現実味を帯びようとは予想だにしてなかったのだから当たり前といえよう。

 

「その殲教師は教会のバックアップを受けているように見えたか?」

「いや、それはないな。もしバックアップを受けているなら昨晩の戦闘時に潜伏している他の殲教師が助けに来ていたはずだ。でも、あいつの隣にいたのはホムンクルスだけだった」

 

 自信はなかったものの、辰成はそう言わざるを得なかった。確かめようにも本当に組織ぐるみで動かれていたら証拠も消されている可能性が高いからであった。那月は辰成がしれっと口にしたある単語に反応した。

 

「待て、ホムンクルスだと? 映像では殲教師が現れる際に必ず少女がいたが……まさかお前の依頼にあったやつか?」

「ありゃ? 知っていたのか。なら話が早いや」

「私の権限で調べたんだ。お前、わざと見つかり易いようにしていただろう?」

「まあね。どうせ那月ならそこら辺の問題を潜りぬけて見つけ出そうとするだろうしな」

「嬉しくない気遣いだな……」

 

 苦々しい表情をしている那月をよそ目に、時計を見た辰成はそろそろ用事の時間帯になっているのに気付いた。仕方ないと判断し、話を早々に切り上げようとする。彼が立ち上がる姿を見ながら那月が問う。

 

「これから何処かに行くのか?」

「待ち合わせしてんだよね」

 

 何故かドヤ顔をしている辰成を見た那月はなんとなくムカついたのか、待ち合わせしている相手がだれか適当に相手を当ててみることを思いついたような顔をしている。彼女は適当に相手の名前を口にしてみた。

 

「お前、いや暁が財布を届けたとかいう例の転校生とか?」

「何でバレたし」

「……なぜ獅子王機関の剣巫と仲良くしている。忘れたのか、あの機関は――」

 

 辰成の姫柊雪菜に対する態度に解せない那月は問う。口にも出したくない名前を出してしまったことへの不快感で顔を歪ませる。自分の言葉に振り向いた辰成の目をずっと睨んでいた。

 

「別に忘れてなんかいねえよ。別にあの子のことが個人的に気に入ったから仲良くしているだけだ。まあ、これを機に連中との関係が良くなるなら万々歳だが」

「連中は潰すと断言していた男の台詞とは思えんな」

「色々と疲れたんだよ。それに俺はすでにこんな状態だしな。元にでも戻らない限り、そんな気は起きねえよ」

 

 そう言い切ると辰成は手をひらひらさせながら、那月の部屋から出て行った。彼の後姿を那月はただ黙って見つめていた。小さく息を吐くと残っている書類やらの片付けに取り掛かり始めた。

 

「近いうちに辰成が何かをやらかすかもしれないな……」

 

 そんな、嫌な予感を頭の隅に追いやりながら。

 

 

 校舎を出て、校門を出ようとしている途中。辰成がおもむろに意識の奥から戻ってきた古城に聞こえるように心の中で大声を出した。

 

『あ、やべ』

『なんだよいきなり』

『家に仕掛けた盗聴&盗撮防止用の魔術トラップ、解除するの忘れてたわ』

『は?』

 

 こいつは何を言っているんだと言わんばかりに古城が言葉を漏らす。彼が明らかに機嫌が悪くなっていることに気づき、バツが悪くなったのか辰成は頭を掻きながら言い訳を始めた。

 

『ちなみにだけど、発動すると誰かに見られている恐怖感に苛まれます。運が悪いと発狂します。SAN値直葬ってやつです』

『人の許可なくなんつーもん取り付けてくれてんだコラ』

 

 軽い感じで謝り始めた辰成に軽くイラつき始めた古城を余所に、見覚えがある人影が校門近くにいるのが見えた辰成は目を凝らす。その人物は紛れもない雪菜だった。彼女の表情から嫌な感じを覚えた辰成は恐る恐る雪菜へと声をかけた。

 

「や、やぁ、雪菜ちゃん。ここで何してんの?」

 

 何となく理由は分かっているが一応聞いておくことにした。

 

「い、いえ、その。何となく待っていられなくなったので、散歩ついでに来ちゃいました」

 

 散歩って距離じゃなくね。と雪菜の言葉を聞いた辰成はなんとなくだが確信してしまう。この子、間違いなく俺のトラップに引っかかった、と。

 

『あのさ辰成。これってアレだよな、間違いなくトラップ踏んでるよなこれ……』

『や、やっちゃったぜ』

『あとで謝っておけよ……』

『うん……』

 

 このまま戻って芝居するのも億劫になってきた辰成は、雪菜を待たせて古城に電話するふりをする。適当な芝居をした辰成は再度雪菜に話しかける。

 

「ごめん。古城のやつさ、重い物が入った段ボールを持ち上げようとしてギックリ腰になったみたい。だから俺が代わりに行くよ」

『お、おい。お前、幾らなんでもそんな嘘に騙される奴が――』

「それは大変ですね。暁先輩にお大事にと伝えておいてください」

 

 この子、もしかしなくても古城が第四真祖だってこと忘れてないか。と辰成は本気で頭を抱えそうになる。裏の方では古城も同じ考えをしているのか、苦笑いの声が聞こえてきた。そんな辰成の心情を知ってか知らずか、天然な雪菜は本気で心配している表情を浮かべていた。このまま固まったままでいても怪しまれるだけなので、いつも通り辰成は演技をすることにした。歩きながら辰成と雪菜は会話をする。

 

「お、オッケー。じゃあ行こうか、うん。それで買う物のリストとかあるの?」

 

 辰成にそう言われた雪菜はスカートのポケットから一枚のメモ用紙を取り出した。メモを手渡された辰成は一通り読んだ後に雪菜の方を見た。

 

「これなら近場のホームセンターで買えるよ。そこまで時間がかからないとは思うけど」

「そうですか。売ってないと言われたらどうしようかと」

「いやいや、それはないから。ここに書いてあるものを売ってなかったら商品を取り扱っている店として駄目だから」

 

 雪菜の天然発言に自然とツッコミに回っている辰成を見て、古城は珍しいこともあるもんだと他人事ように考えていた。そうこうしている内にホームセンターに着いた辰成と雪菜は入店し、カートを押しながら店内を歩く。冷房の効いた内部に辰成はだらしない声を出す。

 

「あ~、涼しい」

「お兄さん。顔がだらけていますよ」 

「え、そう?」

 

 自覚がないのか。裏に入っていた古城は内心溜息をついた。古城が考えていることを敢えて無視しているのか、辰成は雪菜と共に買い物を進めていく。工具売り場のところを通った雪菜の目にあるものが止まった。辰成も彼女に合わせて足を止める。

 

「チェーンソー? 雪菜ちゃん、チェーンソーに興味あるの?」

「昔、これを映画で見た事があります」

「……間違っても武器に使えるだなんて考えちゃ駄目だからね?」

 

 チェーンソーを見ている雪菜の思考回路が段々と手に取るように分かった辰成は冷静にそう忠告した。色々とスプラッターな光景が浮かんでしまい、思わず身震いした。だが、雪菜はまさか自分が考えていることを読まれると思っていなかったのか、驚愕した顔をしながら何かぶつぶつと言い始める。

 

「ま、まさか。お兄さんには人の思考を読む力が……!?」

「いやいや、違うから! そんな力ないから!」

 

 真顔でそんなことを言い始めた雪菜に対し、辰成は右手をぶんぶんと振って違うという意思表示をする。辰成とて流石にそんな能力など持っていない。ゆえにそれは雪菜の勘違いでしかないのだ。

 ――まあ、違う能力を持っているけどね。その言葉だけは口に出さず、心の中にしまう。ここで言う必要もないし、余計な猜疑心を持たれては困る。

 

「それよりもさ、早く雪菜ちゃんの買いたい物買いに行こうよ」

「そ、そうでした……」

 

 すっかり忘れていたのか、顔を赤らめながら歩を進める雪菜。だが、すぐ彼女はまた足を止めた。そこは洗剤売り場。彼女は塩素系漂白剤と酸性の洗剤を両手に取り、何やら考え事をしていた。コロコロと表情を変える雪菜を可愛いなと思いつつも、何か物凄い嫌な予感を覚えた辰成は遠慮がちに、声を掛けた。

 

「ゆ、雪菜ちゃん。そんな顔をして何を考えてるのかなあ?」

「前に習ったことがあります。これとこれを混ぜると毒ガスを――」

「それ絶対にやめようね!? 物凄く危険なやつだからそれ! つうか、それ教えたの誰!?」

 

 ちょっとそのやり方を教えた人間と話合いをしたいと思った自分は悪くないと辰成は言い聞かせる。本当に買い物をちゃんと終える事が出来るのだろうか。軽く天然が入っている彼女との買い物は前途多難の予感がして仕方がない辰成であった。

 その後の結果を言えば、なんとか買い物を終わらせることが出来た。辰成は荷物持ちとなり、雪菜が購入した品物。特に重そうな物を両手に抱えている。軽い物も持つと言ったが、彼女が「それではお兄さんに悪いです」と言って聞かなかったので素直に重い物だけを持つ事にした。

 

「そういえば、雪菜ちゃん。これだけ買いこんでたけどお金は大丈夫なの?」

「はい。必要経費等を前払いしてもらった支度金がありますから」

「不躾な質問だけど、いくら貰ったの?」

「えっと、一千万円くらいです」

『いっ、いっせん!?』

 

 雪菜の言葉に辰成が固まった。幾ら攻魔師とはいえ、雪菜は中学生だ。学生の身分がある彼女に一千万円を簡単に渡した獅子王機関に溜息を吐きかける。古城に至っては、辰成の裏で口を金魚のようにパクパクさせていた。だが、次の瞬間、辰成の発言により古城の驚きの矛先が彼女から辰成に変わってしまう。

 

『一千万か。安いな』

『は?』

『だから、安いなって言ったの』

『……』

 

 金銭感覚が狂ってやがる、と古城がぶつぶつ言い出したのに構わず、辰成は雪菜との会話を続けた。

 

「獅子王機関の経理のおばさまには、相手が第四真祖だからいつ死んでも悔いがないようにと言われて……そのための支度金だそうで」

「あー、やっぱり古城の所為か。うん、何となく察してた」

『俺なのか? 俺の所為なのか!?』

 

 そう彼女の支度金の大元の原因は古城である。第四真祖とかいう危険因子に対して用意された金がその金額なのだ。どちらかというと迷惑しているのは古城の方なのだが。元々胃を痛める存在だった変態に加え、監視をしてくる彼女が加わった所為でストレスが更に加速しているのだ。

 

「獅子王機関は馬鹿なのか?」

「お兄さん?」

『辰成……?』

 

 いつになく真面目な声音でそう呟く辰成に対し、自分のことを心配してくれたのかと淡い期待を抱いた古城だったが、

 

「なんで一千万なんだよ。一億くらい雪菜ちゃんに渡せよ。ケチだなあいつら。こんなに可愛い美少女が傷物になったらあいつらどうするつもりなんだよホント」

 

 全然違った。辰成は、古城のことなど一ミリの心配もしていなかった。古城は数秒前の自分を殴りたい衝動に駆られるが手足の主導権は今、辰成の手にあるのでどうにもできない。軽く泣きたい気分になる古城であった。



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満たす夜

 そうこうしているうちに、二人は住んでいるマンション近くまで来ていた。エントランスをくぐると、二人はそこで一人の少女と鉢合わせた。右手には部活の荷物が詰め込んであるスポーツバック。左手には大量の高そうな食材ばかりが入った買い物袋が握られている。

 

「あ、凪沙ちゃん」

「ありゃ、辰成君。今日は古――んんんっ!?」

『ちょ、辰成!?』

 

 辰成はいつもの調子で凪沙のマシンガントークが炸裂しそうになる彼女の口を右手で押さえた。彼女に向かって「ちょっとこっちに来てて」と言うと、凪沙を雪菜から遠ざける。古城が戸惑ったような声を上げているが知った事ではない。彼女に自分達の会話を雪菜に聞かせないための処置である。凪沙の口から手を離すと、辰成は小声で彼女と会話を始めた。

 

「雪菜ちゃん、俺と古城が入れ替わっているのを知らない、姿が似てる兄弟だと思ってる。OK?」

「辰成君、教えてないの?」

「言えるわけ無いでしょうが、一人の人の中に二人の人間がいるなんて。それにまだ知り合って一ヶ月も経ってないのよ」

『まあ、確かに……ん?』

 

 そんなこと言って信じる人間が何処にいる。そこまで考えたが、目の前の凪沙、自分達の母親でもある深森。そして、簡単にその話を信じそうな雪菜の計三名がいる。そのことに気付いてしまった古城は思考を中断すると口を閉じてしまった。

 

「というか、辰成君って雪菜ちゃんと知り合いだったの?」

「うん、まあ色々あってね。と、ともかく。もうちょっと仲良くなるまでその話は禁止でお願いします!」

「むー。分かったよ、辰成君のお願いだから聞いてあげるけど――」

『凪沙の奴、なんで辰成のお願いは簡単に聞くんだよ……』

 

 小言を言い始めた凪沙と何故か呆れた様で途方に暮れた声を出している古城を尻目に、辰成は雪菜へと近づいて行き謝った。

 

「ごめんね。ほったらかしちゃって、凪沙ちゃんが普段買わない食材買わないから何事だと思って話し込んじゃってさ」

「は、はあ……」

「でさ、なんで高そうな食材買ったのか聞いたらさ、歓迎会するんだってさ」

「歓迎会ですか? それって……」

 

 そう雪菜ちゃんの歓迎会だよ、と辰成は言い切った。あれだけの食材を買う理由などそれ以外にないだろうという辰成の予想だったが外れてはいなかったようで、凪沙が辰成に続いて彼の言葉を肯定する。

 

「そうそう! 雪菜ちゃん、越してきたばかりで今日はご飯の支度なんて出来ないでしょ?」

 

 そういえば、と辰成は自分が持っている雪菜の荷物に少しだけ目をやる。確か彼女が買った物に調理器具類はなかったはずだ。もちろん食器もだ。そんな状態でもピザだの出前を頼めば済むだろうが、辰成はそんな食事をしている女子中学生の姿など見たくないし、想像するのも嫌だった。凪沙からの誘いは助け舟に他ならない。その所為か辰成には一瞬、彼女が天使に想えて仕方なかった。

 

『人の妹を簡単に天使扱いするのやめてくれないか……』

 

 別にいいじゃんか、と辰成は古城に反論するとエレベーターに近づき、エレベーターの横のボタンを押す。二人に手招きをすると三人で一つのエレベーターに入った。閉鎖空間に女子中学生二人と一緒に入った事にテンションが上がりまくってる辰成だったが、喜びの声を心の中で叫ぼうものなら古城にキレられることは確定的なのでその思いは内に秘めたまま、エレベーターボーイに徹することにした。

 凪沙や雪菜の自宅がある階へと到着する。凪沙と雪菜を先に降ろして、辰成は最後にエレベーターを降りた。

 

「じゃあ凪沙ちゃんは鍋の準備しておいて。俺はこれを雪菜ちゃんの部屋に運んでくるからさ」

「うんわかったよ。あ、でも辰成君、雪菜ちゃんに変なことしちゃ駄目だよ? 相手は中学生なんだから」

「わかりましたから早く鍋の準備をしてください」

 

 凪沙にそう言われて軽く涙目になっている辰成は凪沙を自宅に押し込むと、自分は雪菜と共に彼女の部屋へと入る。雪菜にそこでいいと言われたので、荷物をリビングに置くと二人で古城の自宅へと向かう。中に入るとそこにはすでにエプロンを身に着け、料理の支度を始めていた。こんな夏日に冷房をガンガン効かせた部屋で寄せ鍋とか正気かと考えもしたが、まあそれもそれで乙だから問題ないと片付ける。

 何気なく雪菜を古城の部屋に招き入れようとするが、即座にこの行動は不味いと判断する。中に肝心の古城はいないのだ。このまま室内に一緒に入ろうものなら、色々と面倒臭いことになる。まだ彼女に正体を明かすのは早すぎる。仕方ないと、辰成は雪菜の方を向く。

 

「雪菜ちゃん、俺は古城を起こしてくるから凪沙ちゃんとお話しでもしててくれる?」

「はい、わかりました……」

 

 彼女の言葉を背に、辰成は古城の部屋の中へと入る。もちろんそこには誰もいない。古城に変わる前に部屋に張り巡らされたトラップを弱めるのを辰成は忘れなかった。これで相手を発狂させる効力は失ったものの、盗聴への防備は以前と変わらなく効力がある。辰成がこのトラップにわざと雪菜が監視しやすいように、彼女の力を感じるとトラップの効果が弱くなるという仕掛けを仕込んでいることに古城は全く気が付いていない。

 

「古城。変わるぞ」

『はいよ』

 

 辰成と古城が入れ替わった。いつもどおり、髪の色が黒から白に戻っている。

 

『とりあえず、服は着替えた方がいいぞ』

「……だな」

 

 辰成の意見にそう返事しながら、古城は私服の着替えを引っ張り出す。と言っても、代わり映えしない白地のパーカーとズボンなので今着ている服と大差ないのだが、何とか誤魔化せるだろう。着替え終わり、部屋を出た古城は洗濯機にそれらを突っ込むとリビングへと向かう。

 

「先輩、こんばんは。ギックリ腰は大丈夫ですか?」

「ん……ああ、もしかして辰成から聞いたのか? 心配してくれてありがとな。まあ大丈夫だ。少し横になったら良くなったよ」

 

 雪菜が小さく声を掛けてきたので、古城は同じ様に小声でそう返した。実はギックリ腰になんてなっていないし、ずっと辰成と一緒にいたという事実が罪悪感を増幅させているのが何とも言えないが。そんな二人を後ろに鍋の準備中である凪沙が言う。

 

「ねえ古城君」

「なんだ?」

「宿題終わったの?」

「浅葱たちとファミレスに寄った時、とっくに終わらせた」

 

 何気なく言う古城。そう、もう宿題はあの時に終わらせてある。辰成の目があった為、サボるわけにも行かなかったのだから。

 

「やっぱ辰成君のお蔭だよね」

「まあ、な」

 

 否定はしなかった。事実、彼のお蔭で助かっていることもある。なんだかんだ言って感謝している。このまま凪沙の手伝いをしてもよかったが、自分よりも彼女の方が料理が上手い。ここは凪沙に任せるべきだろうと、リビングのテーブルに座りながらそんなことを考えている古城の横から雪菜が話しかけてくる。

 

「そういえば先輩、お兄さんは……」

「あ」

 

 ヤバい、と古城は直感した。辰成は古城と入れ替わってしまった為、すでに古城の中だ。ゆえに辰成の存在はすでにこの家の中にはない。どうするかと頭を悩ませていると、辰成が俺の言う通りに言えと言ってきた。その内容を聞いた古城は呆れ返るが、他にアイディアも浮かばないのでそれに乗る事にした。

 

「辰成なら那月ちゃんに呼ばれて、「那月からラブコールが来たぜ! ヒャッハー!」とか言いながら窓から飛び出してったわ。止める暇もなかった」

 

 口にしておいてアレだが、何だこれはと古城は頭を悩ませる。明らかに自分の口から出してはいけない単語が飛び出た気がする。後でシメると辰成に向かって呟くと、奥の方で「ヒッ!? まさか、地下駐車場に呼び出すつもりか!」などと、辰成が意味不明な事を言っているが古城はいちいちツッコんでいたらキリがないと思い、無視することに決めた。やはりこいつには一回鉄拳制裁しなければならないと、古城が決意を固めていると雪菜はちょっと理解しがたい事を聞いたのような声音で訊いてくる。

 

「あの先輩、ここって何階でしたっけ?」

「……一応、五階以上はある」

 

 その高さから飛び出して大丈夫なのでしょうか、と雪菜は困惑気味に言う。彼女がそう思うのも無理からぬことだろう。だが古城はそれくらいで辰成が死ぬとは思っていない。多分あいつは核爆弾を頭上に落とされようが、猛毒液で満杯に入った水槽に突き落とされようが、空中で飛行機からパラシュートなしでスカイダイビングしようが、宇宙が消滅しようが生きているイメージしかない。

 というか、辰成は本当に死ぬのだろうかという疑問が湧いてくる。精神体だけでこうして生きているのだ。これは完全に魂レベルで消滅させなければいけないレベルであろう。

 

「大丈夫だ。あいつはアメーバレベルに分解されても死なないから」

『お前、そんなに俺の事が嫌いか……』

 

 辰成の涙声と雪菜の乾いた笑いが聞こえた。普段、あんなことしておいて嫌われない方がおかしい、と古城は無慈悲なツッコミを入れると、辰成は古城の言葉に反論することなく黙まってしまった。タイミングよく、凪沙も鍋の具材を切り終えたらしい。これで五月蠅いのに気を回しつつ飯を食う必要がなくなったと、古城は安堵した。

 

 七、八人分はあった食材は食べ盛りである古城たちによって全て駆逐された。最後はおじやまでして食べる始末。料理の後片付けをしていた凪沙は薄いキャミソール姿でソファに寝転がっている。後片付けを手伝うと言った雪菜を強引に自宅に返し、台所を綺麗にしたところで力尽きたようだ。

 

「ったく、こんなところで寝てんじゃねえよ。風邪ひきたいのか」

 

 ぶっきらぼうに言いながら、古城は玄関へと向かう。彼の背中に向かって凪沙は声をかける。

 

「古城君、どこ行くの?」

「コンビニだ。なんか飲み物でも買ってくる」

「あー、だったらアイス買ってきて~。こないだと同じやつ」

「……太るぞ」

 

 そんな言葉を吐いた古城に向かって、凪沙は「そんなことを言う古城君は嫌いだよ」と頬を膨らませていた。そんな凪沙をスルーした古城は財布を持ったことを確認すると、靴紐を結んで外へと出る。

 

「――先輩、こんな時間に何処へ行くつもりですか?」

 

 古城は思わずビックリして変な声を出してしまう。それはそうだ。扉の前でお隣に越してきた美少女が、それも不意打ちになる形で立っていたのだ。驚くなと言う方が酷であろう。

 

「なあ、姫柊」

「なんですか?」

「お前、その格好でついてくるつもりか?」

 

 恐らくシャワーを浴びていたか、お風呂にでも入っていたのだろう。雪菜の髪は濡れ、素肌の上に制服のブラウスを引っかけた状態だった。このまま彼女が自分の後ろをついてきたら、間違いなく変態扱いされる。最悪の場合、お縄につく可能性だってある。

 

『雪菜ちゃん! なんて格好してるのあなたは! けしか――らん!』

 

 言い切ったよこいつ、と古城は心の中で呟く。あれだけ食事中はだんまりを決め込んでいた癖にいきなり出てきたことにはビックリしたが、何かもう通常運転に戻っていた。

 

「俺はここにいるから、さっさと髪とか乾かしてこい」

 

 馬鹿を無視しつつ、古城はそう言うと雪菜は「逃げないでくださいね」と言い残し、自分の部屋へと戻っていく。逃げねえよ、と口の中で呟く古城。

 

『ところで古城』

 

 いつになく真面目な辰成の声音が響いた。辰成が真面目な雰囲気になるということは、何かこれから起こるのだろうかと眉根を寄せる。

 

『何かが起こるかもしれん。一応、気を張っていろよ』

 

 おう、と短く返事をする。ここは素直に辰成の忠告を受け入れることにした。あいつがあの普段のアホ態度を見せていないのだ。それだけで否応にも警戒心が芽生えるに決まっている。そこへ雪菜が身なりを整えて戻ってきた。きちんと制服に袖を通し、いつものギターケースを背負っている。

 

「それでどこに行くつもりだったんですか、先輩は」

「コンビニだよ、コンビニ。まさかコンビニを知らないとか言わないよな?」

「はい、それは流石に知ってますけど、その……こんな夜中に入ったことがないので」

 

 期待と不安が合わさったような弾んだ声で雪菜が言う。コンビニにそんな期待されてもと、古城は苦笑しつつ、

 

「あー、その、なんだ……。さっきは悪かったな、疲れたろ?」

 

 古城が発言した意図が分からず、雪菜は首を傾げている。

 

「夕飯の時のことだよ。凪沙のやつ、騒がしくてさ」

「いえ、そんなことありませんよ。お鍋も美味しかったですし」

 

 照れたように言う雪菜に対し、古城は「それはよかった」と返した。少なくとも凪沙に対する雪菜からのイメージは悪くないようだ。むしろ良いほうだと言ってもいいだろう。

 

「でもいいですよね、兄妹って。私には家族がいないので、憧れます」

 

 何気ない口調で言った雪菜に反応し、辰成が一瞬反応したのを古城は感じ取った。

 

「家族がいないって、どういうことだよ」

「高神の森にいるのは全員、孤児なんです。全国から資質のある子達を集めてきて攻魔師を育成する組織ですから」

「そうなのか……」

 

 雪菜に家族がいないとは思っていなかった古城は、完全に言葉を失っている。古城の中にいる辰成も余計な口は挟まずに黙っていた。そんな古城の様子を見た為か、雪菜は慌てて高神の森のスタッフはみんな優しいし、剣巫の修行も嫌ではなかったと補足を入れる。

 

「剣巫か。辰成が言うには剣術を収めた巫女って聞いたけど、マジなのか?」

「ええ本当です。実は私もあまりよく解っていないんですけど」

 

 はは、と頬を掻く雪菜。ふと、疑問に思った古城はそんな雪菜に対して訊いてみることにした。

 

「巫女ってことは、姫柊は祈祷や占いも出来るのか?」

「ええ、一応は。形だけですけど……その、あまり得意ではないので」

 

 恥ずかしそうに言う雪菜を見た古城は「そうか」と納得した。雪菜はどっちかというと、儀式的なモノは苦手な性質なのだろう。自分の本能やら直感で動くタイプだ。儀式的なものより、そっちの方が本来の巫女の資質なのかもしれない。

 

「先輩、失礼なことを考えていませんでしたか?」

「は? いや、そんなこと一ミリたりとも考えてないぞ?」

「私、霊感霊視はそれなりに使えますから、嘘をついても無駄ですよ」

「やっぱり動物っぽい……」

 

 そんなこと考えていたんですか、と笑ってない目で雪菜はこちらを見てくる。古城は彼女の視線に表情を引きつらせるしかなかった。

 

 雪菜と会話している古城を眺めつつ、辰成は考える。彼女のような者を何度見て来た。家族はいない。でも、高神の森で育った仲間やスタッフ達がいる。だから寂しくないと言ったのを。だが、やはり血のつながった家族が欲しいと心の奥底で叫んでいた者がいたのも事実だ。

 さて、彼女はどっちかな。今の状況に満足するか、血の繋がった家族が欲しいと叫ぶか。それとも――。いや、と辰成は首を振る。それを決めるのは彼女自身だ、と自分に言い聞かせた。

 ――それにしても、雪菜ちゃんの恋人や旦那になった男は嘘がつけなくなるな。

 面白いものを見つけたかのような笑いを浮かべる辰成。さて、彼女の旦那様や恋人になるのは一体どんな男なのかねえ、と呟きながら辰成は今夜の二人の行く末を見守ることに決めた。

 



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夜襲

 雪菜と古城は目的地であるコンビニへと近づいていた。その途中にあったゲームセンターの前で、雪菜が急に足を止める。彼女につられて、古城も立ち止まる。

 

「どうした、姫柊?」

「あ、すみません。なんでもないんです」

 

 ちらりと雪菜が凝視している店頭の筐体に古城も視線を移す。それはクレーンゲームだった。中には二頭身の猫ような姿をしたマスコット人形が入っている。その人形たちへと雪菜の視線は完全に吸い寄せられており、その瞳はキラキラと輝いていた。

 

「このクレーンゲームがどうかしたか?」

「クレーンゲームというんですか。ネコマたんが入っているのは」

「ネコマたん? ああ、このマスコット人形の名前か」

「はい。前の学校で人気があって……」

 

 古城に返事を返しつつも、視線を外そうとしない雪菜。そんな彼女に対する辰成の感想が古城には聞こえた。やっぱ年相応の可愛らしいところあるじゃん。と、妙な嬉しさを含ませた声で辰成は古城にある提案をしてきた。そのクレーンゲームの筐体の中に入っているマスコット人形を取ってやれと。

 古城も間を置かずに辰成の考えに同意すると、これくらいなら獲れそうだなと呟いた。古城の言葉を聞いた雪菜は彼に疑惑の視線を向ける。

 

「獲るってどういう意味ですか? 先輩、まさか……」

「いや違うから。別に盗むとかそういう意味じゃなくて、これはそういう機械なんだよ」

 

 そう言いながら古城は財布から小銭を取り出すと、クレーンゲームの機体に備え付けられているコイン投入口にお金を投入した。凪沙のやや強引なリクエストに付き合わされることが多かった古城は手慣れた手つきでレバーを操作していく。雪菜も先日の魔族との戦いの時よりも真剣な表情でそれを見ている。

 古城はあっという間に、招き猫モドキのマスコット人形を取り出し口へと落とした。それを見ていた辰成は上手いことやるもんだなあ、と古城の腕前に感心しており、古城が別にいいだろと人形を取り出そうとしつつ辰成と会話をしていたのだが、

 

「おい、そこのさん――二人。彩海学園の生徒だな。こんな時間に一体何をしている」

『うばああああああああああ!?』

 

 突如、悪魔の呼びが古城の耳に届いた。古城の中にいた辰成がその声を聞いた途端、悲鳴をあげてそんな辰成の悲鳴に驚いた古城は人形を取ろうとした手を引っ込め、何事かと周囲を見渡そうとするが背後から感じる異様な気配に体が硬直してしまった。隣にいた雪菜も同様に硬直して動いていない。

 声をかけてきた人物の正体など予想するまでもない。古城はそう判断した。何故ならその声は、自分の担任である南宮那月のものなのだから。

 

『あ、悪魔だ! サタンとかベルゼブブとかが裸足で逃げ出す悪魔の登場だ! あ、でもこんな可愛い悪魔なら別に問題ないか』

『いやいやいや!? そういう問題じゃねえだろ!?』

『うーん。生活指導の見回り中なのかなぁ。運がねえなおい』

『人の話聞いてんのか!?』

 

 自分の言葉を無視している辰成に突っ込みながらも古城は時計は店頭から見えるゲームセンター内の時計に目をやる。時刻はすでに午前零時を回っており、日付が変わってしまっていた。そんな時間帯にゲーセンにいたのでは言い訳なんて出来るわけもない。

 完全に条約違反だ。しかも、中学生である雪菜が同伴しているので状況は更に不味い。そんな古城と雪菜の様子が面白いのか那月は楽しそうな口調で言う。

 

「そこの白パーカーの男。どこかで見たような後ろ姿だが、フードを脱いでこっちを向いてもらおうか」

 

 この人、絶対に分かってて言ってるだろ。と古城は心の中で叫ぶ。筐体のガラスに移り込んだ那月の顔もどこか楽しそうだった。相変わらずの暑苦しそうな季節感を無視しているフリルが付いた黒色のドレスを身に着け、夜中なのに日傘を差しながらそんな顔をしているので、古城は一瞬だけ本気でイラっとしてしまった。

 

「どうしたんだ? 振り向かないというなら、こちらにも考えがあるぞ――」

 

 どうすればいいのかと頭を働かせている古城に那月がそう言いかけた時だった。突如、人工島全体を鈍い振動が襲った。そして数秒遅れて、爆発音が一回、二回と響き渡る。

 

『……っ!? 頭が……!?』

『辰成? まさか、魔力痛か!』

『ああ。どっかの馬鹿が魔力を放出しまくってるみたいだ。くっそ……』

 

 辰成の苦悶に満ちた声が古城の耳に届いた。未だ断続的になり続けている爆発音。辰成が頭痛を起こすほどの魔力の波動。事故や自然現象ではないのは明白だった。

 那月の注意がそちらに引き付けられたのを見計らい、雪菜の手を引いて走り出した。雪菜も古城の意図に気づいたのか、その手を握り返す。那月が何か言葉を発しているが、爆発音の所為で何も聞こえない。那月は咄嗟に張った結界も雪菜が気合を入れた一撃で粉砕した。そのまま走っていた古城と雪菜は人工島の岸壁で立ち止まる。古城は走っている間、今も絶え間なく起こっている爆発を引き起こしているものの正体に気付いていた。

 

「先輩。さっきのはまさか……」

「ああ。それにあの魔力……恐らくあれの宿主は相当な大物だろうな」

 

 古城が顔をしかめつつ上空を見つめていると、再び爆発が起こった。人工島の上空に爆発による炎を浴びつつ、黒の妖鳥が出現する。数日前。雪菜がショッピングモールで戦っていた眷獣とは比べものにならない、島を振るわせるほどの威力から貴族(ノーブルズ)長老(ワイズマン)までとはいわないまでも、名のある吸血鬼――旧き世代の使い魔であることは想像に難くなかった。

 

『古城。あれは間違いなくそこそこ強い吸血鬼の使い魔だ。ただ、問題はそこじゃない』

『なに?』

『吸血鬼が勝手に眷獣を顕現させたのはアレだが、恐らくは自己防衛の為に必要なことだったんだろう。……今もなお戦闘が続いている。これが意味することがどういうことか解るよな?』

 

 古城は辰成の言葉にハッとした。そう、敵は旧き世代の吸血鬼相手に未だ攻撃をしかけている。それが意味することは敵も旧き世代と同等の戦闘力か、辰成の対力弾(アンチブレット)のような特殊な力を持っているということになる。とてつもない非常事態になっているという答えに辿り着いた古城が更に顔を強張らせていると、

 

「――先輩。すみません、ここでお別れです。先輩は早く自宅に戻ってください」

「姫柊?」

 

 雪菜は一方的にそう言って、古城と繋いでた手を離した。

 

「私は何が起きているのか調べてきます。安全が確認できたらすぐに戻りますから」

「ちょっと待て。確認に行くなら俺も一緒に――」

「……先輩が行ってどうするんですか? 自分の立場を少しは弁えてください」

 

 雪菜に自分の立場を弁えろと言われた古城は少しの間呆けるが、すぐに頭を動かして見つけた。彼女が発した言葉の意味を。

 古城は第四真祖だ。その身に宿した力の所為で、下手に手を出せば様々な問題にぶち当たる事になる。他の血族の吸血鬼を攻撃すれば大問題になり、逆に攻撃されている吸血鬼の味方に付けばそれはそれで揉めることになるのだ。力が大きすぎるせいで身動きが取れないことに歯噛みしている古城を雪菜は見つめながら言う。

 

「あなたは何もしなくていいです。先輩に危険な事をさせない為にわたしがここにいるんですから」

「姫柊が無理に行く必要もないだろうが。大体、魔族特区の治安維持は警察や特区警備隊の仕事だろ。俺が手を出さないように監視してろよ。なんのための監視役だ!」

 

 古城が死地に踏み込もうとする雪菜を睨みながら叫んだ。だが、雪菜は迷わずに首を横に振り、

 

「先輩は本当に大人しくしてくれるならそうしますが……。それは無理ですよね。もしかしたら、先輩の知り合いが戦闘に巻き込まれでもしてたら――」

 

 雪菜の指摘に古城は口を閉ざした。

 彼女の言う通りだ。大規模な戦闘が起きたのだ。戦場が市街地から離れている無人の工業地区であるアイランド・イーストの倉庫街だとしても、民間人が巻き込まれていないとは断言できない。この島には古城の知り合いも多い。彼らの安全が確認できれば、古城も大人しくしていられるのだが。

 

「それに、よほどの攻魔師でもない限り眷獣が暴れ回っている戦場になんて入れませんよ。でも、私にはこれがありますから」

 

 雪菜はそう言って、背負っているギターケースを開いて武器を抜いた。小気味の良い金属音と共に銀の槍の刃が展開される。

 

「これは真祖と戦う為に与えられた武装です。あのくらいの眷獣ならば、私と雪霞狼の敵ではありません。……ですから、先輩は凪沙さんやお兄さんの傍に居てあげてください」

 

 優しげな笑みを浮かべる彼女の意図が解らず、古城は戸惑う。

 

「姫柊。お前、何を言って――」

「聖域条約にも魔族の自衛権は明記されています。自分の家族や庇護すべき領民を守るためになら、先輩が力を行使してもなんの問題にもなりませんから」

 

 姫柊は何を言っているんだ。古城は動揺する。何故そんなことを今言いだすのか。だが、答えはすぐに見つかった。

 彼女は、雪菜は自分のことなんて気にしていないで妹や辰成を守れと言っているのだ。その事に気づいた古城は雪菜を止めようとするが遅かった。彼女の腕を掴む前に雪菜は駆け出し、人口島の断崖から飛び降りた。その下には貨物運搬用のモノレールが走っている姿があった。走行中である車両の上に雪菜は危なげなく着地する。自動運転されているモノレールは今も戦闘が行われている絃神島東地区へと向かっていく。

 南地区の岸壁に取り残された古城は無言のまま右手で拳を握ると、荒々しく目の前にあるフェンスを殴りつけた。右手に軽く痛みが走るがそんなものを気にする余裕など古城にはない。

 彼女は凪沙や辰成の傍にいて力を振るっても問題ないと言った。だが、それを行うことなど古城には土台無理なのだ。先代の第四真祖から力を受け継ぐ前の古城はただの人間だった。第四真祖の力を行使するには誰かの血を吸う必要がある。だが、誰かの血を吸うということは相手に性的興奮をすると同義である。加えてただの人間であったことも加え、吸血するのに躊躇いがあったのだ。

 どうすることも出来ないのか。古城が髪を乱暴に掻いていると、二人の会話中あまり言葉を発さなかった辰成が口を動かした。

 

『馬鹿が……』

 

 背筋に冷たい何かが走るのを古城は感じた。誰に対して言ったのか判らないが、その声はとてつなく冷たい何かが包まれており同一人物が出したものとは思えないくらい鋭い言葉だった。

 

『おい、古城。お前は『雪菜』を助けたいか?』

「あ、ああ。助けたいさ。だけど、俺が下手に手を出せば……」

『ああそうだな。『第四真祖』が手を出せば大問題になるな』

 

 辰成が雪菜のことをちゃん付けしないで呼び捨てにしたことに目を丸くする。そして第四真祖という部分を強調する辰成の言葉に古城はまさかと呟いた。

 

『――けど、俺が行けば問題ないだろ? 俺は第四真祖じゃないんだし』

「……いいのか?」

『いいんだよ、俺は元々島で起きたこういった荒事を処理するための権限を持ってるんだし。……あの子を一人なんかにさせてたまるか』

 

 最後の言葉に引っ掛かりを覚えたが、わかったと辰成の言葉に頷いた古城は目を閉じて辰成と入れ替わる。狼を思わせるような色彩だった髪の毛はカラスを彷彿させる黒へと変わった。

 

 

 古城と入れ替わった辰成は目を見開く。頭が痛むのを堪えながら、即座に虚空から対力弾が装填されたリボルバーとオートマチックのハンドガンをホルスターごと呼び出して取り出すと銃を一丁ずつ両足の太腿に装着する。保険としてもう一つ武装を呼び出し、それをいつでも取り出せるよう準備を整えた辰成は空間掌握でアイランド・イーストの倉庫街へと向かう。

 能力を全力で回転させた辰成の視界に、アイランド・イーストの倉庫街が見えてくる。移動し始めてから三分も経たない内に辿り着くことに成功した。彼の視界に巨大なワタリガラスのような眷獣が見えた。吸血鬼が出現させてただろう眷獣は次の瞬間、虹色の巨大な腕が妖鳥の翼を根本から引きちぎり、鮮血が飛び散った。そして、体勢を崩した妖鳥をその腕は貪り喰らうように引き裂く。だが、腕からの攻撃が止むことはなく妖鳥は容赦なく蹂躙されていた。

 眷獣の魔力を喰らっているのか。頭に走る頭痛に苦しげな表情を浮かべながら、攻撃が届かない距離にある倉庫の屋根に着地した辰成はそう分析し、驚愕していた。だが、辰成が驚いている理由はそれだけではなかった。あの虹色の腕に見覚えがあったからだ。自分の予想が外れていなければ、この騒ぎの原因はあの殲教師とホムンクルスの少女であろう。

 早く雪菜を見つけなければ。と辰成は思うが、頭痛が止むことがない。無理をした所為か余計頭痛が悪化している有様だ。

 

『古城、頼む』

『わかった』

 

 ホースとホースが繋がり、水が通るイメージを思い浮かべると辰成の頭痛は治まっていく。頭痛が治まっているの内に探しだすために辰成は跳び上がって倉庫の上を移動していく。辰成の視界に雪菜の姿が映る。雪菜は雪霞狼を手に、あの眷獣を操っていた少女に向かっていくようだ。

 

「……やっぱり!」

 

 辰成は苛立ちを隠さず、露骨に顔を歪める。

 ――間違いない。と辰成の中の疑念が確信へと変わる。辰成の視線の先にいたのはあの時の殲教師と、眷獣を顕現させたホムンクルスの少女だったからだ。あんな風貌の男と少女を見間違うことなどあり得ない。間違いなく本人達だろうと辰成は結論付ける。

 ホムンクルスの少女の背中から生えている彼女の眷獣である虹色の腕に雪菜の雪霞狼が突き刺さる。普通ならこれで勝ったと思うところだろう。だが、辰成はそんなことは考えず、対力弾が籠められているリボルバーを構え、撃鉄を起こす。

 少女が裂帛すると彼女の背を引き裂くように、もう一本の腕が出現した。その腕が雪菜へと向かっていく。それに合わせて、辰成は照準を定めるとリボルバーの引き金を引いた。ホムンクルスの少女が顕現させたもう一本の腕が、雪菜の体を横殴りに叩きつけようとした瞬間、放たれた対力弾は彼女達の頭上で弾け、ホムンクルスの少女が出現させていた薔薇の指先を消滅させる。

 

「――これって、まさか……!」

 

 そう呟く雪菜の前へと辰成は空間掌握を使って現れた。彼女を庇うように。これ以上手出しはさせないといった覚悟を含ませた視線を雪菜と戦っていた殲教師とホムンクルスの少女にぶつけながら。

 




今回の話に中央寄せの特殊タグを使用していますが、うまく反映されてますかね?


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夜襲 2

お久しぶりです。以前投稿し忘れていた話を投稿しました。


 突如現れた闖入者に雪菜や殲教師は驚いているようだった。その闖入者である辰成は背後にいる雪菜の方へ振り返る。彼女に対して優しげな笑みを浮かべるとその表情を瞬時に真剣なものに変え、吸血鬼と雪菜を襲撃していた者達に向かい合う。そこにいたのは、自分と少しの間ではあるが命のやり取りをした殲教師とホムンクルスの少女。辰成は目を眇めながら、戦闘態勢を解いていない殲教師に対して口を開いた。

 

「昨日振り。――とでも言えばいいか? 殲教師さんよぉ?」

「……少年、貴方でしたか。薔薇の指先を消し去った攻撃を見て、もしやとは思いましたが」

 

 落ち着きを取り戻したのか、辰成の言葉に対して冷静な声音でそう返してくる。辰成はそんな彼の声をわざと聞き流す。相手は敵だ。それも既にかなりの数の被害者を出している凶悪犯だ。昨日もこちらを殺そうと様々な攻撃を仕掛けてきた。何も敵に遠慮する必要はない、と辰成は自分に言い聞かせる。

 

「なあ。ここは退いてくれないか?」

 

 だが、相手がこちらの要求を呑むなら別である。後ろにいる雪菜を気にしながら、辰成は自分の意見を口にする。剣巫としての訓練を積んでいる彼女のことだから多少の血なまぐさいことが目の前で起きてもある程度は大丈夫だろうが、辰成個人としてはあまりやりたくないのだ。ただの無差別襲撃犯ならそのまま静かに存在ごと闇に葬っても良かったのだが、ここまで派手な騒ぎを起こされた所為でその選択肢はなくなった。

 警察や獅子王機関の剣巫までも絡んでいる状況になってしまっているのだ。そんな状況で下手に犯人を消せば色々と辻褄合わせやら裏からの情報操作で手間取るのは目に見えている。それに加えて、単独行動をしている可能性がある殲教師とはいえ、その存在を消したとなればあちらの国との軋轢を生みかねない。そんなリスクを背負うつもりなど辰成にはなかった。幾らある程度権限を持っているとはいえ、あくまでもこの島及び日本本土での権限しか持っていない。諸外国に対してに影響力など皆無なのだ。

 

「ふむ……正直に言って、あなたと戦うのは得策ではありませんからね、それも良いでしょう。ですが、その前に一つ聞かせて貰えませんか?」

「……なんだ?」

 

 殲教師の言葉を聞き、辰成は返答を待つことにした。殲教師が再び口を開こうとするが、殲教師を庇うように藍色の髪をしたホムンクルスの少女が前に出る。その瞳からは何の感情も感じ取れなかった。機械的な命令を繰り返しているだけの人形と化している彼女の唇がただ言葉を紡ぐ。

 

「――再起動(リスタート)完了(レディ)命令を続行せよ(リエクスキュート)薔薇の指先(ロドダクテュロス)

「――なっ!?」

「待ちなさいアスタルテ! 今はまだ彼と戦う時ではありません!」

 

 辰成の驚愕した呟きと殲教師の叫びが重なった。焦燥する辰成は再度リボルバーを構える。対力弾の効き目が悪かったのか、彼女が短い間に対力弾に態勢を付けたのかは分からないがとにかくアスタルテと呼ばれたホムンクルスの少女が再びあの虹色の腕をした眷獣を顕現させようとしているのだけは確かだった。少女は殲教師からの命令に戸惑うような仕草を見せるが、時既に遅し。彼女の命令を受けてしまった眷獣が止まることはない。再び対力弾を撃とうとリボルバーを辰成が構えた時だった。

 

「お兄さん、下がってください!」

 

 銀の槍を構えた雪菜が辰成を突き飛ばすように、後ろから飛び出てきた。下がるのは君だと叫ぼうとするが、その雪菜の動作を待っていたかのようにアスタルテの足元からもう一本の腕が現れて雪菜に向かっていく。

 

「――雪菜!」

 

 辰成は咄嗟に雪菜を呼び捨てにしながら、彼女を突き飛ばした。無防備だった背後からの衝撃に雪菜はなす術もなく吹き飛ぶ。目標を見失った薔薇の指先の右腕が眼下から、左腕が辰成の頭上から襲いくる。

 

「お兄さん!? なんてことを――!」

 

 雪菜が体勢を立て直し、辰成を援護しようとするが間に合わない。こうなったら近距離で対力弾を撃つしかない。と辰成は腹を括った。近距離で対力弾を使えば、自分にどんな影響が出るか分らないがやるしかないと。保険として用意していた武器も取り出す準備を済ませ銃口を眷獣に向けた。だが、それを好しとしない存在がいた。

 

『辰成!』

 

 他ならない古城だった。古城と辰成との間で感覚の共有が行われ、無理矢理にでも体の指揮権を自分に戻そうとしている。辰成は理解した。古城は体の主導権を自分に移し、襲いくるであろう攻撃によるダメージを自分の体で受けるつもりなのだ。そうすれば、辰成がダメージを追う事はないから。古城に向かって、何をしていると辰成は叫ぼうとするが、突如右腕に電撃が走るような感覚に襲われる。その感覚にとてつもなく嫌な感じを覚えた。古城の中から這い出てきた何かが自分にも流れ込んでくる。

 ――それは古城の魔力だった。その事に気づいた辰成とシンクロしかけていた古城の右腕に顕現したのは青白い閃光。それは周囲を照らし出すと同時にとてつもない衝撃波が放ち、アスタルテが顕現させた虹色の眷獣をいとも簡単に消し飛ばした。

 

「いけません! アスタルテ!」

 

 怒気を含ませた声で殲教師がアスタルテに向けて叫ぶ。だが、その声は放たれた衝撃波が生み出した轟音によってかき消されてしまう。

 古城と辰成の腕から放たれたのは実体化した高濃度の魔力の塊だった。薬も摂りすぎれば毒になるように、魔力痛の鎮痛剤代わりとして使わせてもらっていた古城の魔力は今の辰成にとっては過剰摂取状態になっており、猛毒にも等しいものになっている。一瞬でも気を抜くと気を失ってしまうだろう体に走る激しい激痛と頭痛に蝕まれる中、辰成は悟った。自分の腕から放たれているこれは眷獣の力だと。それならばこの濃密な魔力も説明がつく。

 今の古城や辰成では制御などできない巨大な雷が地上にあった倉庫を食い荒らし、生み出されている衝撃波が暴風となって空を駆けまわる。辰成と古城の体は光に呑みこまれ、周辺に雷の弓矢を放っている。周囲を蹂躙していく眷獣の力を見ていた辰成は何とか歯を食いしばり意識がなくならないように必死に耐える。

 雪霞狼の結界で雪菜とその近くに転がっている吸血鬼は大丈夫だろうがこのまま眷獣の暴走が終わり、気絶してしまえば雪菜に自分たちの秘密がバレてしまうだろう。それだけは避けなければならない。今はまだその時ではないのだ。辰成が眷獣を使ったことへの矛先は当然向けられるだろうが、それくらいは後でなんとでも弁解することができる。

 時間にして二十秒。眷獣の暴走が収まった隙を見計らい、辰成は空間掌握を連続で使って古城の自宅があるマンションへとテレポートして、古城の部屋と逃げ込んだ。荒い息が辰成の口から漏れる。倦怠感と睡魔に襲われた辰成は古城に体の主導権を返すと、意識を手放してしまった。

 

 

 辰成は軽い倦怠感の中で目を覚ました。すでに空には太陽が昇っており、昨夜からある程度の時間が経ったことが窺えた。古城の視界を通して周囲を見てみると、そこは彩海学園内だった。となれば、古城は今学校にいることになる。そして、こうして自分が無事でいることから考えるに古城は間違いなく無事であろう。でなければ彼の鼓動を感じ取ることなどできないのだから。

 雪菜は大丈夫なのだろうか。ひとまず古城の無事を確認した辰成は次にそう思った。あの時は魔力痛による想像を絶する激痛と古城の眷獣が暴れた事や早くあの場から去らなければいけないという事ばかりにいっていたので、正直に言って辰成には彼女のことを考えている余裕などなかった。幾ら雪霞狼の結界があったとはいえ、あれだけの魔力の暴走を引き起こしたのだ。辰成が不安に思っていると古城から声がかかる。

 

『辰成。起きたのか……大丈夫か?』

『一瞬だけ魔力痛で死ぬかもと思ったけど、なんとか生きてるよ』

『そうか。……すまなかったな。眷獣を暴走させちまって』

『俺は別に気にしてないんだけどさ……』

 

 辰成は古城の謝罪にそう返す。古城は自分を助けようとした所為で結果的にああなっただけで、彼を責めたてることはしない。だが、暴走させてしまったことは事実だ。あの後の被害状況がどうなったのか気になったので辰成は古城に尋ねる。

 

『なあ。あの後、一体どうなったんだ』

 

 古城は上擦ったような声を出しながら説明してくれた。まず大手食品会社の倉庫などが六十棟ほど破壊され、二万世帯にも渡って停電を引き起こした。その内の半分は未だ復旧の目途が立っていない。アイランド・イーストとサウスを結んでいた連絡橋とモノレールの軌道も破壊されてしまい、直接的な被害だけで約七十億。間接的なものまで含めると被害総額は約五百億にもなるらしい。死傷者が出なかったことだけが唯一の救いだったが、学校に登校する際に雪菜に古城は「お兄さんは何処ですか?」とか被害総額の事などで色々と言われたそうだが。

 

『あー、そうか。やっぱ俺がやったことになってるんだな』

『ああ。あの時表に出ていたのは辰成だからな……』

 

 力を暴走させたのは古城だが、あの時体を動かしていたのは辰成なのだ。当然、辰成の姿を眷獣が暴走する直前まで見ていた雪菜は、辰成のことを探すのは必然なわけで――

 

『……どうする? 姫柊とのこと、このままって訳にもいかないだろ。面倒な事態が更にややこしくなってるぞ。誤魔化すにしてもあんなことしちまったし、正直このままの状態を続けるのは無理だと思うぞ』

『……確かにな。まあ、そのことに関しては後でなんとかするよ。……ところでさ、お前なんでこんなところにいるの? ここって生徒指導室のあるほうじゃん』

 

 ここが学校であり、生徒指導室がある場所の近くであることが学校の間取りを頭に叩き込んでいる辰成には理解出来た。数か月前の古城ならともかく、今の古城が生徒指導室に呼ばれる理由はないはずだ。今の状況がさっぱり分からない辰成に古城は説明を入れる。

 

『あれだよ。ゲーセンで那月ちゃんとエンカウントした時のことで呼び出されたんだよ。んで、今しがた那月ちゃんからの呼び出しを終えたところ』

『ああ、あれか。すっかり頭から飛んでたわ』

 

 辰成は古城の言葉を受け、納得した。古城は続ける。あの殲教師が起こしている事件でお前やお前の中にいる辰成にも危険が及ぶかもしれないから気を付けろという主旨の警告を那月から受けたそうだ。辰成云々の部分は近くに雪菜が居たため、大分暈した言い方をしたそうだが。が、古城の中にいる自分が殲教師と接触した時点で色々と手遅れな気がしてならないと那月の気遣いが無駄になったことを申し訳なく思いながら、辰成は小さく息を吐いた。

 

「やっぱり、南宮先生は知っていたんですね」

 

 ふいに雪菜の声が聞こえた。古城の視線が動き、辰成の視線もそれを合わせて彼女の方を向いた。そこには昨日あの場に忘れてきたはずのネコマたんの人形を嬉しそうに眺めている雪菜がいた。彼女の様子からして体にも異常がないようなので、辰成はほっと息を吐いた。それにしても、あの人形。あの後ゲーセンで那月が回収して彼女に渡したのだろうか。と辰成が考えていると古城は雪菜に対して、深刻そうな表情で答える。

 

「まあな。やっぱあの場にその人形を置いてきたのは失敗だったな」

「いえ、そうではなくて……昨晩、私やお兄さんが戦った相手のことです。そういえば、先輩がお兄さんに私を助けるよう頼んだそうですね」

「あ、ああ。今朝も言ったけどその通りだ。あいつならそういったゴタゴタを何とかしてくれそうだったから」

 

 どうやら古城は自分が雪菜ちゃんを助けに現れた理由をごまかしてくれていたらしい。助かったと辰成は心の中で古城に礼を述べる。

 

「……それで、お兄さんとは連絡取れましたか?」

「いいや駄目だ。電話にも出ねえ」

「そう、ですか。大きな怪我とかしてないといいんですが……」

 

 雪菜は心配そうな声音で呟いた。その顔を古城の目を通してみていた辰成は罪悪感に駆られる。俺は何をしているだろうかと辰成はため息を吐きそうなるのをなんとか堪えながら、古城と雪菜の会話に耳を傾けることにした。

 

「あの、その、お兄さんや私と戦った犯人のことなのですが……」

「えっと。那月ちゃんが見せてきた写真に写っていたおっさんだっけ?」

「はい。それと、彼と一緒にいたホムンクルスの少女も。彼らが魔族狩りをしていたのを、警察はすでに知っていたということですよね」

「……だろうな。市内の登録魔族に警告が出ているって那月ちゃんも言ってたしな。でも本当なのか? そのおっさんがロタリンギアの殲教師って」

 

 古城は雪菜にそう尋ねると、雪菜は首肯した。自分と戦っていた時にそう名乗っていたと自分の記憶力に誓ってそう断言する。

 ああ、那月から説明を受けたのか。そう辰成は納得していると、古城は雪菜の言葉に違和感を得たのか彼女に尋ねた。

 

「犯人がそう言っているだけで、本当は違う可能性があるからか?」

「はい。他に襲撃を受けた被害者たちの殆どが意識不明の重体ですから、私の証言だけでは……」

 

 古城と雪菜を会話しているのを聞きながら、辰成は頭を働かせる。確かに雪菜の言う通りだ。ロタリンギアの殲教師の襲撃を受けて無事だったのは、自分と雪菜くらいのものだった。自分と一心同体になっている古城も含めれば三人になるが。

 雪菜にあの殲教師が素姓を明かしたということは、確実にあの倉庫街で雪菜を倒す自信があったのだろう。殲教師本人の戦闘力に加え、あの眷獣を召喚するアスタルテと呼ばれていたホムンクルスの少女の戦闘力を鑑みるに不可能ではなかったはずだ。結果的には辰成の乱入というイレギュラーによって、雪菜は無事に生還することになった。だが、それだけでは証言が足りない。たった一人だけでは確たる証拠にはなり得ない可能性の方が非常に高いのだから。

 

「なあ姫柊。どうしてさっき那月ちゃんにそのことを言わなかったんだ? あの人、攻魔師資格保持者だし、警察にも顔が利いたはずだぞ」

「あの、先輩……。本気で言っているんですか?」

『……』

 

 雪菜に半眼で睨まれ、辰成にも同じような視線を向けられている気がしたのか古城が戸惑っている。そんな古城に対して辰成が声を掛けた。

 

『警察と獅子王機関は仲が良くないんだよ。前にも教えただろ?』

『……そういえばそうだったな。だからさっきの姫柊と那月ちゃんのやり取りに妙な緊張感があったのか』

 

 古城は納得したのか辰成にそう言葉を返している間に、雪菜は古城に何故攻魔師資格を持っている獅子王機関の人間が警察に泣きつかなければならないのかと古城に向かって言い出し始めていた。もう、と雪菜が息を吐くと、

 

「いいですか? ただの通り魔事件なら警察の管轄ですけど、ロタリンギア正教、それも殲教師クラスの人間がこの事件に絡んでいるとなれば立派な国際魔導犯罪――獅子王機関の管轄です」

「え、そうなのか? ただの縄張り意識じゃないんだな」

「当たり前です。それに先輩、忘れたんですか? 今朝の話を」

「今朝? ああ、辰成の正当防衛が認められるどうかって話か?」

 

 古城の言葉に雪菜は「ええ」と首肯する。そんな話もしてたのかと辰成は余計なことを古城に言わず、話を聞くのに徹していると古城は顎に手を当てながら言う。

 

「だけど、証拠もないし姫柊の証言だけじゃ足りないって……。おい、姫柊。まさか」

「ええ、そのまさかです。相手は旧き世代クラスの吸血鬼を倒した無差別魔族襲撃犯です。その危険性はこの島にいるであろう誰もが把握しているでしょうから、彼らに危害を加えられたという事を証明できれば、お兄さんの罪についてはなんとかなると思います」

 

 雪菜の意図に気づいた古城に彼女はそう説明を入れる。雪菜は「それに」と言葉を続けた。古城は真祖なのだから、親族である辰成が襲われたから動いたと言えば文句を言ってくる勢力は殆どいないだろうと言う。それを聞いた古城は合点がいったように呟いた。

 

「……要は、俺達がその殲教師のおっさんを自らの手で捕まえればいいってことか」

 

 それを聞いていた辰成もなるほどなと心の中で呟いた。元々彼らのことは追うつもりだったが、大義名分さえ確保できれば騒ぐ者は少ないだろう。こっちは被害者、あっちは加害者なのだから。辰成は雪菜の話を聞き付けようと、耳を傾けるのだった。




現在最優先で連載している作品があるためこちらに割く時間がありませんが、書くつもりはあるので待っていただければ幸いです。


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