Continue to NEXT WORLD.../SIREN2(サイレン2)/SS (ドラ麦茶)
しおりを挟む

第九十五話 『殲滅』 須田恭也 夜見島 33:33:33

 四鳴山山頂の鉄塔が崩壊し、()()()()が消えてから十時間以上が経過していた。

 

 写し世の夜見島に残された闇人達は、島南西部にある潮降浜(しおふりはま)の小学校に集まり、これからどうするかの決断を迫られていた。母の気配は消えたままだ。恐らく、もう二度と戻って来ることはないだろう。写し世の夜見島から母の気配が消えたのが、昨夜の十一時頃だった。その一時間後の、ちょうど日付が変わる寸前。島に、母の悲痛な叫びが響き渡った。あれは、断末魔の悲鳴だった。信じられないことだが、恐らく母は、人間どもに殺されたのだ。

 

 残された我々はどうすべきか――集まった者で話し合い、まず挙がったのは復讐だった。母の命を奪った者を見つけ出し、報復すること。それが、母の無念を晴らす唯一の手段である、というのだ。

 

 母の命を奪った者の見当はついていた。母の気配が消える前、若い人間の男女が鉄塔を登っているところを、複数の仲間が目撃している。鉄塔の崩壊現場から、その男女の死体は見つかっていない。鉄塔の先端部は地上世界へと繋がっていたから、恐らくその二人は地上世界へ帰還したのだ。ならばその者を追い、見つけ出して復讐すべきだ。

 

 この意見に、多くの仲間たちが賛同した。現在闇人達のリーダーを務める自衛官の人型闇人にも、母の仇を討ちたいという思いは、もちろんある。

 

 だが、現状それを実行するのは不可能だと言わざるを得ない。

 

 九時間前の母の断末魔の悲鳴と共に、島を赤い津波が襲った。これにより、ほとんどの仲間が流されてしまったのだ。現在この島に残っているのは、人型・巨体・四足の『殻』を持つ闇人が十体、そして、それら『殻』を持たない闇霊が二十体ほどだ。地上世界へ向かい、母を殺した者を見つけ出して復讐するには、あまりにも数が少ない。そもそも、鉄塔が崩壊してしまった今、残された者たちには地上世界へ行く手段が無いのだ。これで、復讐など果たせるわけがなかった。

 

 ならば、我らがすべきことはひとつだ、と、別の者が言った。母の仇を討てぬのであれば、我らも母の元へ向かうことで、母への愛を示すのだ、と言う。

 

 死んでしまった母の元へ向かう――すなわち、殉死。

 

 この意見に、仲間たちは黙り込んでしまった。賛成する声は上がらないが、反対する意見も出ない。沈黙こそが、その回答だった。皆、判っているのだ。もはや、そうするしか道がないことを。

 

 この写し世の夜見島は、間もなく崩壊する。写し世は母が創り出したものだ。母がいなくなった今、その形を留めておくことはできない。崩壊に巻き込まれることは、すなわち、消滅である。

 

 だが、闇人の隊長は、断じて殉死を許さなかった。母の後を追って死ぬことが愛ではない。母の遺志を継ぐことこそが真の愛である、と、説得した。母の遺志、それは、人間どもに奪われた地上世界の奪還。無論、いま残された者たちでそれを果たすことは不可能だ。だから、一度地の底の冥府へと戻り、次の侵攻に備えて力を蓄えるのだ――かつて、光の洪水で地上世界を追われた母がそうしたように。どれだけ時間がかかるかは判らない。母でさえ、地上へ帰還するための準備に途方もない時間を費やした。卑小な我らでは、さらなる時間を要するだろう。もしかしたら永遠にかなわないかもしれない。それでも、生き残りさえすれば、ほんのわずかでも希望は残る。ここで我らが全滅すれば、母の野望は完全に断たれるのだ。

 

 隊長の説得に、殉死を訴えていた仲間も応じた。そうと決まればぐずぐずしてはいられない。冥府の門がある夜見島遊園は、この潮降浜地区の反対側だ。島が崩壊する前にたどり着かなければならない。隊長の号令で、闇人達は遊園地へ向かおうとした。

 

 そんな彼らの前に、突如、光の柱が出現した。

 

 突然のことに戸惑う闇人の前で、光の柱は空へと伸びてゆく。最初は細い光だったが、伸びるにつれ、少しずつ太くなり、眩しさを増す。

 

 闇人達は一斉に脅え始めた。闇人にとって光は天敵だ。特に、殻を持たない闇霊たちは、懐中電灯程度の光でも致命的になりかねない。それが、天を貫くばかりの巨大な光ともなれば、闇霊どころか殻を持つ闇人でも無事ではいられないだろう。

 

 だが、その光を浴びても、誰も痛みや苦しみは感じなかった。眩しくはあるが、目を焼かれることもない。不思議な光だった。

 

 光に害が無いことに安堵した闇人達だったが、今度は疑問が湧いてくる。この光は、いったいなんなのだろう? 写し世の夜見島には、まれに地上世界から光が射し込んでくることがあるが、現在空は厚い雲に覆われている。それに、この光は空から注いだのではなく、地面から空に向かって昇っていった。光には必ずその源となるものがあるはずだが、地面には何も無い。それはまるで、地上から天へ昇っていく龍のようであった。

 

 やがて。

 

 その光が消えると、そこに、一人の人間が立っていた。

 

 薄緑のシャツにジーンズ姿の少年だった。耳に当てたヘッドフォンから、ハードなメタル曲が漏れ聞こえてくる。背中に二本の猟銃を背負い、右手には日本刀を持っている。まだ顔に幼さが残る少年とは思えない武装だった。左手には奇妙な土人形を持っていた。刀や猟銃と比べると、明らかに不釣り合いな物だ。

 

 隊長は首をかしげた。この少年はどこから現れたのだろうか? 島にいた人間どもは、母の最期の鳴き声による津波にさらわれたはずだ。どこに隠れていようとも、人間があの津波から逃れることなどできない。ならば、津波の後、島にやってきたことになる。だが、人間が自力でこの写し世の夜見島へ下り立つことなど可能なのだろうか? 少年はあの光の中から現れたように見えた。ならば、あの光はなんだったのだろう?

 

 いや、今は少年の正体などどうでもいい。急いで冥府に戻らねば島の崩壊に巻き込まれてしまう。隊長は、部下の闇人に少年を排除するよう命じた。巨体闇人の一体が前に出る。少年が刀を頭上に振り上げた。それを見て、巨体闇人は小さく笑う。巨体闇人の正面は装甲車のように頑丈だ。刀や猟銃などでは傷ひとつつけることはできない。少年がどんなに武装していようとも、巨体闇人の敵ではないだろう。

 

 だが、少年は恐れる様子もなく、決意のこもった目で闇人共を見つめ。

 

 

 

「……お前らみたいなのがいる限り、俺は、何度でも現れる」

 

 

 

 静かな声で、そう言った。

 

 その瞬間、少年が頭上に振り上げた刀から青い炎が吹き出し、勢いよく燃え上がった。

 

 ぞくり、と、隊長の背中を冷たいものが走った。まるで、大型の獰猛な獣と対峙したかのような恐怖が襲う。少年と対峙した巨体闇人も、同じく得体の知れない恐怖を感じているのだろう。下腹部の顔を歪ませ、一歩退いた。

 

 少年が動いた。青い炎をまとった刀を振り上げ、巨体闇人に向かって走る。恐怖に縛られた巨体闇人は動けない。少年が刀を振り下ろした。巨体闇人の正面は、人間が作った武器などでは傷ひとつつかないはずだ。しかし、少年が片手で放ったその一閃は、巨体闇人の正面を、いや、正面から背後にかけてを、真っ二つに斬り裂いてしまった。巨体闇人の身体は、鉈で薪を割ったかのごとく、左右に別れて倒れた。闇人達は、呆然とその光景を見つめていた。

 

 いち早く我に返ったのは隊長だった。あの刀はマズイ。この島には、穢れを滅する木の枝や、母さえも恐れる天魚の骨など、恐ろしい()()がいくつもある。あの刀も、それらのひとつかもしれない。たかが少年一人と侮ってはいけない。この部隊の総力をもって戦わなければ。隊長は、全員で突撃するよう命じた。その号令に我に返った闇人達は、一斉に襲い掛かる。一〇体弱の闇人と、二十体の闇霊だ。いかにあの刀が恐ろしく斬れようとも、その一本では対処しきれないであろう。

 

 だが、少年はそれでも恐れたり怯んだりする様子はない。右手の刀を下ろすと、左手の土人形を頭上に掲げた。その動作に合わせるかのように、少年の全身が薄青色に光り始めた。ぼんやりとした輝きが全身を包み込んだかと思うと、一転、全ての光が凝縮して土人形に集まり、眩しく輝き始めた。

 

 その光が、天へ向かって放たれる。

 

 次の瞬間、天から、無数の青い炎が降り注いだ。

 

 炎を浴びた闇人達が、次々と燃え上がる。悲鳴を上げ、闇人達が()()()いく。()()()()()のではない。一瞬で灰になったかのごとく――いや、灰の一塵さえも残さず、完全に()()してしまったのだ。通常の炎ではありえない。あの土人形もまた、恐ろしい神器なのだ。

 

 やがて天から降り注いだ炎が消えると、元々少なかった闇人の部隊は、()()()()()()()()

 

 少年は土人形をポケットにしまうと、両手で刀を持ち、隊長に向かって走った。

 

 だが、その少年の身体を、後ろから巨体闇人が羽交い絞めにした。天から降り注いだ炎を、どうにかかわしていたのだ。

 

 巨体闇人の力に抑えつけられ、少年は身動きが取れない。いまがチャンスだ。隊長は小銃を構え、引き金を引いた。小銃に装填されている弾は三十発。その全てを、少年の身体に撃ち込んだ。銃弾は少年の身体を貫き、肉を引き裂き、骨をも砕いた。血が飛沫(しぶき)となって散り、肉片が飛び散り、腕が半分ちぎれ、頭は内部から小さく爆発したかのように弾けた。全ての銃弾を撃ち尽くした後、少年の身体は、もはや()としての役割を果たせぬほど損傷した、ひとつの肉の塊と化していた。巨体闇人が放すと、少年の肉塊はその場に崩れ落ちた。

 

 大きく安堵の息を吐く隊長。なんとか倒すことができたが、元々少なかった仲間が、ほぼ壊滅してしまった。もちろん、わずか二名であっても、生き残ったならば希望はある。早く遊園地へ向かい、冥府へと戻らなければならない。隊長は、生き残った巨体闇人と共に、学校を後にしようとした。

 

 巨体闇人が、小さなうめき声をあげ、倒れた。

 

 なんだ? 隊長は振り返り、倒れた巨体闇人を見る。背中が大きく斬り裂かれていた。鋭い刃物で斬りつかられたかのような傷。そして、そのそばに立つ、炎をまとった刀を持つ少年。あり得ない。少年には、人間の形を留めないほどの銃弾を撃ち込んだ。人間はもちろん、高い治癒能力を持つ闇人でさえ、無事でいられるはずがない。なのに、少年の身体は、ちぎれた腕も、吹き飛んだ頭も、元通りになっている。銃創はおろか、かすり傷ひとつついていない。それはもはや、()に匹敵するほどの力だ。

 

「……化け物!!」

 

 恐怖に歪んだ隊長の顔が、ごとり、と、地面に落ちる。

 

 遅れて、頭を失った胴体が倒れた。

 

 隊長は、己の首が落とされたことにさえ気づくことなく、絶命していた。

 

 

 

 

 

 

 闇人の生き残りを倒した須田(すだ)恭也(きょうや)は、刀を下ろし、小さく息を吐いた。これで、()()()()の闇人共はすべて倒した。もう二度と、闇の住人が現れることはない。

 

 刀身を包んでいた青い炎が消える。ポケットに入れた土人形(うりえん)からも、熱が失われていく。殲滅が完了したのだ。

 

 島全体が大きく揺れ始めた。崩壊が始まった。

 

 この学校も、遊園地も、漁港も、廃墟も、森も、採掘所跡も、砲台跡も、中央にそびえ立つ山も、そして、赤い海も。

 

 全てが崩れ落ち、消滅する。

 

 再び光の柱が現れた。使命を()()()果たした恭也は光に身をゆだね、この世界を離れる。

 

 写し世の夜見島は虚無へと還り、闇の住人の野望は、完全に潰えた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十二・五話 『収束する世界』 一樹守 四鳴山/離島線4号基鉄塔 24:44:44

 

 

 

 

 一樹守が目を覚ましたのは、古いビルの屋上だった。正面に、山の頂から見下ろす格好で森が広がっており、その先には赤い海が見えた。写し世の夜見島に戻って来たのだろうか? そう思ったが、すぐにそうではないことに気がついた。頭上を見上げる。この場から見ると、天まで届くと錯覚しそうなほどの巨大な鉄塔が建っていた。ここが写し世の夜見島なら、鉄塔は謎の爆発により崩壊したはずだ。いま一樹が見上げる鉄塔は崩壊などしていないし、大樹や多数の建物とも融合していない。

 

 そして。

 

 再び視線を海へ戻す。写し世の赤い海は血のような色をしていたが、いま目の前に広がっている赤い海は、同じ赤でも全く異なる赤――燃え上がる炎のような色だった。水平線のすぐ上に、写し世の海よりも、血よりも、炎よりもなお赤い太陽が、ゆらゆらと揺らめいている。朝日が昇り、その燃え上がる色が、海に映っているのだ。

 

 一樹は確信した。現実の夜見島に戻って来たのだと。

 

 だが――。

 

 郁子はどうなった? 一樹のそばにはいない。右手が凍えるように冷たかった。赤い津波にのみ込まれる前にしっかりと繋いでいた手を――決して離さないと約束したその手を、離してしまった。ひょっとしたら、()()()()()()()()()に流されてしまったのかもしれない。立ち上がり、周囲を見回す。屋上の隅には下層へおりるための梯子があり、その下は中層階の屋上になっていた。そこに、倒れている郁子の姿が見えた。慌てて下層へおり、駆け寄った。そっと頬に触れると、郁子は小さく声を出し、くすぐったそうに顔をほころばせた。

 

 どうやら無事なようだ。一樹は、ようやく安堵の息をついた。

 

 一樹は郁子のそばに腰を下ろすと、膝を抱えて朝日を眺めた。

 

 郁子が小さな声を上げた。意識を取り戻したようだ。上半身を起こし、周囲を見回して、すぐに状況に気がついたのだろうか――なにも言わず、一樹と共に朝日を眺めた。一樹も何も言わず、そのまま二人、朝日を眺めつづけた。写し世の夜見島に飲み込まれていたのは一日程度のはずだが、何年振りかに太陽を拝んだような気分だった。

 

「綺麗だな――」

 

 一樹は朝日を見つめたまま、郁子に言った。

 

 郁子は――。

 

 

 

 

 

 

 郁子は、ひどく眩しげに朝日を見つめていた。目の前に右手をかざして()()()にし、まるで()()()でも見るような目で、太陽を見つめている。

 

「――どうした?」

 

 一樹は、首をかしげて郁子を見る。

 

 郁子は、憎らしげに太陽を見つめるその目を、そのまま一樹に向けてきた。

 

 不意に、胸をナイフで刺された――ような気がした。

 

 無論、一樹の胸にナイフなど刺さっていない。そう錯覚してしまうほどの、鋭く、悪意に満ちた視線であったのだ。

 

 しかし、郁子はすぐに顔を伏せると、「ううん、なんでもない」と言って、再び顔を上げた。

 

 その目からは、先ほどの鋭い悪意は消えていた。見間違いだったのだろう。そう思った。

 

 ただ。

 

「――それより、()

 

 郁子は、急所を刺すような視線の代わりに、魂を吸い取るような妖艶な瞳を向けてきた。

 

 そして、一樹の手を取り。

 

「ここは寒いわ。二人で、どこか温かい所へ行きましょう?」

 

 潤んだような声で言うと、一樹の二の腕に、胸を押し当てた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十七話 『並行とループ』 観察者A 不明 99:99:99+

 

 

 

第十六話 『咆吼』 一樹守 冥府 5:40:39

 

 

 

 地下に、サイレンが、鳴り響く。

 

 百合が、両手を広げ。

 

「――さあ、守。ひとつになりましょう。これからあたしたちは、ずっといっしょにいられるの。守と、あたしと、お母さんと、いつまでも、いつまでも、いっしょに――」

 

 妖艶な笑みと、邪悪な笑みで、一樹に近づいて来た。

 

 

 

 

 

 

 ――同時刻。

 

 

 

 

 

 

 姉を追い、蒼ノ久集落から貝追崎へやってきた作家の三上脩と愛犬のツカサは、かつて日本軍が建造した要塞跡をあてもなくさまよっていた。二十九年前、漁師たちの襲撃から逃れた姉の加奈江と幼い三上。彼女たちを追ってここまで来たのだが、その後、まったく手がかりがつかめないのだ。新たな記憶はよみがえってこない。もしかしたら、貝追崎へ逃げたと思ったのは勘違いだったのだろうか? 三上は、そう思い始めていた。

 

 

 

 

 

 

 自衛官の永井頼人は、上官の三沢岳明と共に四鳴山の頂上を目指していた。山の頂上には巨大な鉄塔があるのだが、現在、その先端が雨雲の中に吸い込まれるようにして消えているのだ。あの鉄塔の先に何かある、と、三沢は言う。何の根拠もないことであり、ただの勘にすぎない。それでも、永井は三沢を信じることにした。この夜見島に上陸して以降、三沢は常に正しい行動をしている。彼について行けば間違いない。永井は、そう確信していたのだ。

 

 

 

 

 

 

 赤い津波が襲う前に夜見島を離れた警察官の藤田茂は、四キロほど離れた隣の島で夜が明けるのを待ち、日の出とともに三逗港への帰路へ就いていた。すでに上司には状況を報告してある。夜見島では全く繋がらなかった無線が、島を離れた途端高感度で繋がるようになったのだ。無断で行動したことをこっぴどく叱られたし、帰ったらまた叱られるだろうが、幸いクビは免れそうだ。明日からは真面目に勤務しよう。いつかまた、娘と暮らすことを夢見て。そう胸に誓っていた。

 

 

 

 

 

 

 崩谷地区を離れ、夜見島遊園へと向かった占い師の喜代田章子とその連れの阿部倉司は、途中で行き先を変え、島の北部にある貝追崎という地域へと向かっていた。理由は判らないが、章子が修得した新スキル・夜見島ガイドがそう指示したのだ。コロコロと行き先を変えることに文句を言う阿部を無視し、章子は貝追崎へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

 

 

 一樹守を追って夜見島遊園へやってきた一人の少女が、冥府への階段を駆け下りていた。この下に一樹の気配を感じている。そして、ひとつの邪悪な気配と、もうひとつ、大きな禍々しき気配も。一樹の身が危ない、早く助けなければ。そう思うが、階段の先は漆黒の闇に飲み込まれており、底はまだ見えない。一体どこまで続いているのか想像もつかなかった。このままでは間に合わないかもしれない――少女はそう感じていた。ここに来る途中、遊園地の門が閉ざされていたのが大きな痛手だった。内側から南京錠が掛けられており、それを開けるのにかなり手間取ってしまったのだ。門が開いてさえいれば……そう思わずにはいられなかった。

 

 少女は、走り続ける。

 

 

 

 だが――。

 

 

 

 少女が冥府に下り立つ前に、一樹守の気配は消えた。

 

 

 

 

 

 

 八月三日、早朝六時。

 

 

 

 島に、サイレンが、鳴り響く――。

 

 

 

 

 

 

 ――その、約二十七時間後。

 

 

 

 

 

 

 鉄塔のふもとに集まった闇人の()()を見つめ、異形の生物は美しい岸田百合の顔に満足げな笑みを浮かべた。侵攻の準備は整った。地上にはびこる人間どもを排除し、再び我らが世界を支配する――永遠とも思えるほど長き時間望み続けた故郷への帰還が、ようやく叶うのだ。

 

 異形の生物は、集まった闇人達の頭上で、一度弧を描いて舞うと。

 

《――さあ! 子らよ! 機は熟した! 醜き人間どもを根絶やしにし、光によって奪われた我らが故郷を取り戻すのだ!!》

 

 異形の生物の(げき)に、銃で武装した自衛隊員の闇人が、漁具や日用品で武装した島民の闇人が、巨体闇人が、四足闇人が、()を持たない闇霊たちが、両手を振り上げ、あるいは奇声をあげて応じる。

 

 そして、地上をめざし、一斉に鉄塔を登り始めた。

 

 だが、その侵攻を阻むかのように、突如、地面から光の柱が出現した。

 

 闇人にとって光は天敵だ。わずかな光でもダメージを受けてしまう。ある程度ならば治癒能力で相殺できるものの、どんなに黒い布で全身を包もうとも、あるいは殻を利用しようとも、光に対する完全な抵抗力を持つことはできない。

 

 地面から現れたその光の柱は、空を貫くばかりの勢いで伸びあがり、周囲を照らした。

 

 突如現れた強烈な光に、闇人達は恐れおののき、悲鳴を上げて逃げ惑う。だが、不思議なことに、その光は闇人達に苦痛をもたらすことはなかった。懐中電灯程度の光でも消滅してしまう闇霊でさえ、消滅することがない。

 

 害がないことに安堵した闇人達だったが、今度は疑問がわき上がる。この光はなんなのだ? 光の柱には、光源となるものが無い。突如地面から現れ、天へと昇っていった。その姿は、まるで龍のようでもある。

 

 光の柱はしばらく闇人達を照らし続けたが、やがて消える。

 

 そこに、左手に奇妙な土人形を、右手に日本刀を持った少年が立っていた

 

「……お前らみたいなのがいる限り、俺は、何度でも現れる」

 

 少年が刀を頭上に振りかざすと、刀身から青い炎が吹き出し、勢いよく燃え上がった。

 

 

 

 

 

 

第六十話 『闇人』 木船郁子 四鳴山/離島線4号基鉄塔 20:19:42

 

 

 

《……子らよ、その不完全品を始末しておけ》

 

 よそを向いたままそう言い残すと、異形の生物は飛び去って行った。

 

 代わりに。

 

 ビルから、鉄塔から、あるいは階段から、大勢の闇霊や闇人が現れ、集まってきた。人型の闇人の他に、四足歩行をする闇人や、巨体の闇人もいる。あっという間に、何十体もの闇人達に囲まれた。数が多すぎる。ゴルフクラブはもちろん、例え銃を持っていたとしても太刀打ちできる数ではない。感応は一人にしか使えないし、感応中は郁子自身が無防備になってしまう。

 

 郁子を囲んだ闇人達は、ニヤリと笑うと。

 

 一斉に、襲いかかってきた。

 

 

 

 

 

 

 同時刻――。

 

 

 

 

 

 

 暴言と共に上官の元を去り、一人、夜見島をさまよっていた永井頼人は、蒼ノ久集落で三沢岳明に見つかり、説教されていた。憎らしい相手だが、今は我慢するしかない。三沢の元を去り、一人で行動してみたものの、どこに向かえばいいか、何をすればいいか、まったく判らなかったのだ。自分一人では何もできない。そのことを悟った永井は、極めて不本意ではあるが、もう一度、三沢と共に行動することにした。忌々しいことではあるが、それでも、この得体の知れない島を一人で行動するよりはマシだろう。

 

 

 

 

 

 

 潮降浜の学校の大道具倉庫に逃げ込んだ矢倉市子は、今もそこに隠れていた。学校内から化物どもがいなくなるのを待っていたのだが、いなくなるどころか、かえって多くなっている。それも、ずっと市子を襲ってきたゾンビのような化物・屍人ではなく、全身に黒い布を巻きつけた青白い顔の化物だ。このままでは身動きが取れない。誰かが助けに来てくれるのを待つしかないのだろうか? しかし、いったい誰が助けに来てくれるだろう? 希望は、無い。

 

 

 

 

 

 

 一人で勝手にどこかへ行ってしまった喜代田章子を探す阿部倉司は、瓜生ヶ森にある夜見島金鉱採掘所の休憩室から上機嫌で出てきた。たった今、人生最大の危機を乗り切ったところだ。実にすがすがしい気分である。鼻歌を歌いながら煙草を取り出して咥えたが、ライターを落としていたことを思い出した。舌打ちをして、煙草を戻す。朝からずっと煙草を吸っていない。これは、占い女を探すより、まずライターを探すべきだろう。どこかに百円ライターでもないだろうか? あるいはマッチでも、最悪ガスコンロでも構わない。とにかく火だ。阿部は煙草を吸う手段を求め、採掘所内を探索し始めた。

 

 

 

 

 

 

 四鳴山の山頂にある離島線4号基鉄塔のふもとで、加奈江は彼女が母と呼ぶ存在と対峙していた。加奈江の手には、三上家の庭の物置で見つけた謎の骨が握られている。骨は、その姿を微妙に変えていた。先端が鋭くなり、骨身が刃のようになっている。それは小太刀のような形だ。加奈江は本能的に悟る。これを使えば、たとえ母と言えどただではすまない。その証拠に、小太刀と化した骨を見た瞬間、母の表情は明らかに変わった。小太刀を恐れているように見える。一定の距離を保ち、ずっと加奈江を睨んだままだ。警戒し、手が出せないのだ。ただ、手が出せないのは加奈江も同じだった。脩が、まだ母の体内に取り込まれたままだ。仮にこの小太刀を使って母を倒せたとしても、脩がどうなるかが判らないのだ。母の地上侵攻を阻止できても、脩を救えないのでは意味が無い。

 

 加奈江の迷いに気付いた母は、唇の端を吊り上げ、不敵に笑った。空に向かって甲高い声で鳴く。

 

 その声に応じるかのように、空から光の刃が落ちてきて、加奈江の身体を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 昭和八十年八月四日、深夜〇時。

 

 

 

 闇の住人達の、地上への侵攻が始まる――。

 

 

 

 

 

 

 ――その、約九時間後。

 

 

 

 

 

 

 鉄塔の先端部から地上世界へ侵攻した闇人たちは苦戦を強いられていた。人間どもの思わぬ反撃にあった――という訳ではない。地上世界の夜見島には人間がいないため、まだ戦闘は始まっていない。まずは人間どもがいる近隣の島へ渡る必要があるのだが、東の水平線から太陽が現れ、そこから放たれる光に苦しめられているのだ。その光は、身体に黒い布を巻いただけの闇霊はもちろん、()を使ってある程度光への耐性を得たはずの闇人でさえ、まともに浴びれば数分で消滅してしまうほどの強烈な光であった。これでは、遮るものが何も無い海を渡ることなどできない。

 

 だが、問題はない。母は、地上世界を奪還するにあたり、最大の障害となるのは人間ではなく太陽の光であることをあらかじめ予見していた。ゆえに、その対策も考えてある。母は現在、太陽の光を遮る()()を飛ばす準備をしている。その石を、この惑星(ほし)と太陽の間に固定すれば、地上へ降り注ぐ光を永続的に遮ることができるのだ。闇人達の行動を阻むものはなくなる。そうなれば、人間など敵ではない。地上世界の奪還は、太陽の光を遮ることができるかどうかで決まるのだ。今は、母が黒石を固定し終えるのを待つだけだ。

 

 だが、その闇人達の目の前に、地上から空に向かって、昇龍のごとき光が現れた。

 

 そして、その光が消えると。

 

「……お前らみたいなのがいる限り、俺は、何度でも現れる」

 

 左手に奇妙な土人形を、右手に刀身から青い炎を発する刀を持った少年が、立っていた――。

 

 

 

 

 

 

第七十二話 『共闘』 永井頼人 四鳴山/離島線4号基鉄塔 18:05:01

 

 

 

 物陰に隠れていた一樹のそばに、覚えのある気配が現れた。

 

「……か……み……くゎぁ……ざ……るぃい……か……え……せ……」

 

 それは、あの着物女の屍人――姿は四足闇人のままだから、四足屍人というべきか。

 

 着物女の四足屍人は、巨大な口を開けた。

 

 ――俺は屍人としてよみがえるのか、それとも、闇人としてよみがえるのか。

 

 意識が途切れる寸前、一樹は、そんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 数時間後――。

 

 

 

 

 

 

 屍人の勢力を率いて鉄塔に攻め込んだ矢倉市子は――いや、矢倉市子の姿を模した者は、ひとり、鉄塔の先端部に立っていた。右手に日本刀を、左手には機関銃を持ち、地上を見下ろす。彼女の眼下では、鉄塔で、あるいは森の中で、漁港で、要塞跡で――島のいたるところで、屍人と闇人が戦いを繰り広げていた。戦況は五分五分だ。最終的にどちらの勢力が勝つのかは、自分にも、そして、恐らく母にも、まだ()()()()

 

 市子の姿を模した者は、唇の端を吊り上げて笑った。ようやく、待ち人が来たのだ。

 

 機関銃を投げ捨てた。両手で刀を持ち、頭上に振り上げ、鉄塔から跳ぶ。

 

 そして。

 

 凄まじい速さで上昇してくる母の顔に向かって、刀を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 蒼ノ久集落で一樹守と別れた木船郁子は、鉄塔そばの竪坑櫓に身をひそめ、途方に暮れていた。鉄塔は現実世界と繋がっており、登れば元の世界へ帰れる――そう思ってここまで来たのだが、鉄塔は闇人と屍人が激しく争っており、混乱状態だ。到底郁子一人で登れるような状況ではない。さらには、つい先ほど、闇人達を束ねるあの異形の生物が現れ、宙を泳いで鉄塔の先端へと向かって行った。闇人と屍人、どちらが勝つかは判らないが、どちらにしても、勝ち残った勢力が地上へと侵攻するだろう。阻止するためには、この鉄塔を破壊するしかない。しかし、爆弾でもない限り、この巨大な鉄塔を破壊するのは不可能だ。それに、鉄塔を破壊すれば、郁子自身は島に取り残されてしまう。どうすればいいのか、郁子には判らない。

 

 

 

 

 

 

 人生最大の危機を乗り切ることができなかった阿部倉司は絶望していた。どうあがいても絶望だった。とにかくひたすら絶望だ。絶望しか存在しないのだ。もはや生きる資格は無い。生きていても無意味だ。だから、何もせず、ただ大の字になって横たわる。化物どもに見つかればなすすべもなく殺されるだろうが、知ったことではない。いや、それこそが今の彼の望みだった。一刻も早くこの世界から消えてなくなりたかった。だが、化物どもは遠巻きに阿部を見守るだけで、一向に襲ってくる気配はない。どうやら化物どもにまで見捨てられたようだ。情けなくて涙が出る。

 

 

 

 

 

 母に取り込まれた脩を救うべく奔走する加奈江は、鉄塔の中層で闇人及び屍人と戦っていた。彼女の手には、三上家の物置で見つけた骨が握られている。小太刀のような姿となったそれは、たった一振りで、屍人や人型の闇人はもちろん、巨体闇人や四足闇人さえも両断してしまうほど強力な武器だった。それでも、いまの混乱状態の鉄塔を登るのは容易ではない。見上げると、鉄塔の上層では、母と、屍人の勢力が放った鳩の女が、激しい戦闘を繰り広げている。どちらが勝つかは加奈江にも判らない。自分もあそこに到達し、母と戦って脩を救わねばならないが、今の状態では困難だと言わざるを得ない。

 

 さらには。

 

 加奈江は、もうひとつ異なる気配を感じていた。南西の方角、潮降浜という地域から、邪悪な気配が近づいて来るのだ。それは、母に匹敵するほど大きな存在だ。おそらくこれは、屍人たちを束ねている者。

 

 これが母と接触したとき、いったい何が起こるのか、加奈江にも想像がつかない。

 

 

 

 

 

 

 昭和八十年八月四日、深夜〇時。

 

 

 

 ふたつの闇の勢力はひとつとなり、地上へと侵攻する――。

 

 

 

 

 

 

 ――その、約九時間後。

 

 

 

 

 

 

 抗争を続ける闇人と屍人は、やがてひとつの存在になった。すなわち、屍人のように光への完全な耐性を持ち、闇人のように高い知能と肉体の修復能力を持つ者――互いの弱点を克服したその者は、地上世界奪還の最大の障害となるはずだった太陽の光をものともしない、まさに最強の兵士であった。もはや黒石を使って太陽の光を遮る必要もない。地上世界の奪還は、母の想定以上に早く終わりそうだ。

 

 だが、その闇の住人どもの前に、光の柱が出現した。

 

 そして。

 

「……お前らみたいなのがいる限り、俺は、何度でも現れる」

 

 土人形と日本刀を持った少年が、立ちはだかった。

 

 

 

 

 

 

第八十一話 『狂笑』 一樹守 四鳴山/離島線4号基鉄塔 22:27:08

 

 

 

 一樹たちは地上へと落下する。いや、そこは、正確に言えば地上ではない。冥府に潜む異形の生物が創り出した偽りの世界。地上へ落下したのは恐らく市子の方で、自分たちは、地上とは反対側――地下世界へと()()()いるのだ。地上への帰還は叶わなかった。自分たちも。そして、闇人達も。

 

 一樹は堕ちてゆく。郁子と、有象無象の闇人と共に。

 

 多くの者が鉄塔に群がり、崩壊して地下世界へ引き戻されるさまは、芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』のようだ――一樹は、そんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 数刻の後――。

 

 

 

 

 

 

 鉄塔の先端部に到達し、崩壊を免れた矢倉市子は、現世と虚無の世界の狭間という本来は存在しえない世界に飲み込まれていた。そこで、追って来た母と激しい戦闘を繰り広げている。鉄塔が崩壊し、地上世界奪還の野望は打ち砕かれた。母は怒りに満ちた顔で次々と子を産み落とす。子は闇霊となり、群れを成して市子に襲い来る。いかに雑兵とはいえ、あまりにも数が多い。機関銃の弾は尽き、刀の斬れ味も鈍い。市子自身も疲弊している。闇霊に喰いちぎられた傷が治らない。この現世と虚無の世界の狭間には、市子を作り上げた主の力が及ばないのだ。

 

 空中からその姿を見ていた母は、勝利を確信したかのような笑みを浮かべた。空に向かって甲高い声で鳴く。それに呼応するかのように、市子の正面から、あるいは背後から、左右から、巨大な赤い津波が押し寄せる。市子の背丈の十倍はあろうかという高さの津波だ。疲弊した市子に、かわす術など無い。

 

 赤い津波は、母が産み落とした闇霊ごと市子を飲み込み、その身体を引き裂いた。

 

 

 

 

 

 

 自衛隊員の永井頼人は、潮降浜の廃校で、かつての上官・三沢岳明と戦っていた。絶望的な戦いだった。巨体闇人というだけで手ごわい相手なのに、戦闘技術という点において、三沢は永井を大きく上回っているのだ。それでも、隙を突いて背後から狙撃し、どうにか倒すことはできた。だが、直後に新たな闇霊が憑りつき、よみがえってしまったのだ。校舎内にはまだ無数の闇霊が潜んでいる。運よくもう一度倒せたとしても、またすぐによみがえるだろう。こんな状況で倒せるはずがない。

 

 

 

 

 

 

 鉄塔破壊の犯人・阿部倉司は、三上脩の愛犬ツカサとともに、森の中を逃げ回っていた。怒り狂った闇人共が大勢追いかけてくるのだ。阿部としては、わざとやったんじゃないからそんなに怒らなくてもいいじゃねぇかと思うのだが、とてもじゃないが許してもらえそうもない。ニヤケ顔で激怒する闇人の姿は違う意味で怖い。とにかく逃げるしかない。ごめんなさい、もう二度と煙草のポイ捨てはしません――阿部は、そう心に誓っていた。

 

 

 

 

 

 

 鉄塔崩壊に巻き込まれた木船郁子は、無数の瓦礫の中、一樹守の身・体・を抱きしめて泣いていた。二百メートル近い高さから瓦礫と共に落下したにもかかわらず、郁子は一時的に意識を失っただけで、気付いたときには傷ひとつ負っていなかった。その理由は考えたくもないし、もはやどうでもよいことだ。元の世界への帰還は叶わず、大切な人を失ってしまった。一樹を抱きしめる。直接肌が触れても、彼の心の声は聞こえない。そこに魂は存在せず、一樹はひとつの『殻』と化してしまったのだ。もう二度と、間の抜けた行動で郁子を呆れさせることも、理屈っぽいこと言って困惑させることもない。ようやく心を許せる人と出会えたのに――郁子は一樹を抱きしめ、ただ泣き続けた。

 

 

 

 

 

 

 そして――。

 

 

 

 

 

 

 劣化種が生み出した分裂体の娘を始末した異形の生物は、虚しい気持ちを抱え、現実と虚無の世界の狭間を離れた。鉄塔が崩壊し、地上への侵攻は不可能になった。これ以上力を維持することは難しい。間もなく、写し世の世界も崩壊するだろう。地上世界の奪還は断念するしかない、今回は。

 

 そう。あくまでも、此度の侵攻が失敗しただけだ。けっして野望が潰えたわけではない。今回の侵攻の何がいけなかったのかを考え、策を練り直し、再び力を溜め、また機会を待てばよい。そして、次こそは野望を果たすのだ。

 

 異形の生物は、再び冥府へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 昭和八十年八月四日、深夜〇時。

 

 

 

 闇の住人は再び眠りについた。次に目覚めるのは、二十九年後か、三三三年後か、一三〇〇年後か、あるいは、地上世界に人類に代わる新たな支配者が現れた時か。

 

 それは、誰にも判らない。

 

 

 

 

 

 

 ――その、約九時間後。

 

 

 

 

 

 

 夜見島遊園の観覧車が建つ丘――閉ざされた冥府の門の前に、光の柱が現れた。

 

 そして。

 

「……お前らみたいなのがいる限り、俺は、何度でも現れる」

 

 現れた少年は、青い炎をまとった刀を振るって門をこじ開け、冥府へと下りていった。

 

 

 

 

 

 

第九十三話 『奪われた世界』 永井頼人 不明 24:32:22

 

 

 

 永井は、絶叫と共に引き金を引いた。

 

 買い物帰りの闇人が倒れた。夜見島では数発撃ち込まないと倒れなかった闇人が、一発肩を掠めただけで倒れたのだ。東屋で食事をしている闇人を撃った。弾が小さく威力が弱い機関拳銃なのに、三人の闇人は車に撥ね飛ばされたかのように倒れた。ビーチバレーをしていた闇人を撃った。海水浴をしていた闇人も撃った。すぐに弾が切れたので弾倉を取り替え、また商店街に向けて撃った。武器を持っていない闇人も、女の闇人も、子供の闇人も、すべて容赦なく撃った。予備の弾倉が無くなるまで撃ち、銃弾が尽きた後は、ミリタリーナイフを振りかざして襲い掛かった。とにかく、目につく闇人は全て殺していった。

 

 やがて、何台ものパトカーがけたたましいサイレンを鳴らして駆けつけ、永井は、闇人の警官数十人に囲まれた。

 

 

 

 

 

 

 ――その、約九時間後。

 

 

 

 

 

 

 のどかな海水浴場に突如現れた()()は、平和に暮らしていた住民を次々と虐殺していった。駆けつけた警官によってなんとか取り押さえられ、連行されたものの、混乱は収まらない。太古の昔に滅びたはずの人類が、なぜ突然現れたのか? 人知れず生き残っていたとしたら、まだ他に仲間がいるかもしれない。静かな田舎村は、恐怖と不安に包まれていた。

 

 そこに、光の柱が現れた。

 

 そして。

 

「……お前らみたいなのがいる限り、俺は、何度でも現れる」

 

 現れた少年は、先に現れた人類とは比較にならないほどの虐殺を行った。

 

 

 

 

 

 

第九十二・五話 『収束する世界』 一樹守 四鳴山/離島線4号基鉄塔 24:44:44

 

 

 

「――それより、()

 

 郁子は、急所を刺すような視線の代わりに、魂を吸い取るような妖艶な瞳を向けてきた。

 

 そして、一樹の手を取り。

 

「ここは寒いわ。二人で、どこか温かい所へ行きましょう?」

 

 潤んだような声でそう言うと、一樹の二の腕に、胸を押し当てた。

 

 

 

 

 

 

 ――その、約九時間後。

 

 

 

 

 

 

 島を離れようとする()の前に、光の柱が現れた。

 

 そして。

 

「……お前らみたいなのがいる限り、俺は、何度でも現れる」

 

 現れた少年は、鳩に抵抗する間を与えず、一刀で斬り捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――と、いう具合にですね、あたしが()()した限り、全ての並行世界において、最終的にはうつぼ船に乗った恭也君が現れて、屍人さんや闇人さんたちを殲滅し、去っていったんです」

 

 夜見島から遠く離れた山間の小さな村・羽生蛇(はにゅうだ)村。その異界の一角にある羽生蛇村小学校織部(おりべ)分校の一・二年教室で、元城聖(じょうせい)大学講師で現羽生蛇村小中学校教師兼現世に迷い込んだ屍人を異界へ帰す係の竹内(たけうち)多聞(たもん)は、元教え子で現異界の支配者兼異界に迷い込んだ人間を現世に帰す係の安野(あんの)依子(よりこ)からの調査報告を受けていた。少し前、とある事件(SIREN VS. BIOHAZARD)によって羽生蛇村の縛りから解放された安野は、羽生蛇村同様に異界が存在するという夜見島へと向かったのだ。そこには、羽生蛇村の神と同等の存在である通称『闇の住人』がおり、地上世界の支配を目論んでいたという。しかし、島を訪れた一樹守という雑誌編集者や永井頼人という自衛官、阿部倉司というリーゼントらの活躍により、その野望は阻止されたそうだ。

 

 もっとも、それは無限に存在する並行世界のひとつの出来事にすぎない、と、安野は言う。

 

 安野の報告によると、闇の住人の野望が阻止された世界の他にも、一樹守が異形の生物に取り込まれた世界や、永井頼人が殺された世界、阿部倉司が○ンコを漏らした世界など、多数の世界が並行して存在するという。それらの世界では、おおむね闇の住人どもが地上へと侵攻を開始するのだが、その前に宇理炎(うりえん)焔薙(ほむらなぎ)を持った須田恭也が立ちはだかり、一人残らず殲滅させられたそうだ。

 

 竹内は、安野がホワイトボードに書いた各並行世界の詳細を見つめ、「ふうむ」と唸り声を上げた。「その、永井という自衛官が飛ばされた世界の闇人も、恭也君は殲滅したのか」

 

 竹内はホワイトボードに書かれた世界のひとつを指さす。それは、自衛官の永井頼人が最後に飛ばされた世界、安野曰く『奪われた世界』だ。永井は写し世の夜見島での戦いを終えた後、赤い津波にのみ込まれ、闇人が地上世界を奪還した世界へと飛ばされた。そこは、人類が遠い昔に滅んでしまっており、永井は『地球最後の男』状態となってしまった。須田恭也はその世界の闇人も滅ぼしたのだろうか。

 

「はい、そうです」と、安野は頷く。「さすがに、全人類ならぬ全闇人類六十五億人を全員殺したので、数百年かかったみたいですけど」

 

「永井という自衛官はどうなった? 元の世界に帰ったのか?」

 

「いえ、そのままです。恭也君の目的は闇人さんを殲滅することだけですから、永井君なんて眼中にないでしょう。どうなったのかまではあたしも見ていませんが、まあ、普通にのたれ死んだんじゃないでしょうか?」

 

「……お前も、その世界に行ったのなら、助けてやれば良いだろうに」

 

「あ、そうでしたね。観察に夢中になり、気づきませんでした」

 

 安野はてへぺろ、とおどけて舌を出す。あまり悪いとは思っていないようだ。

 

「まあ、所詮は無限に存在する並行世界のひとつです。今回あたしは永井君を助けるのを忘れていましたが、助けた世界もどこかにあるはずですし、仮にあたしが助けていたとしても、助けてない世界も、やっぱりどこかにあるんです。なので、今ここで助ける・助けないの話をしても、あんまり意味がありませんよ」

 

 案の定悪びれた様子もない安野に、竹内も「そうだな」と返す。

 

「話を続けます」と、安野。「あたしが観察した世界で恭也君がやって来なかったのは、阿部ちゃんが飛ばされた世界だけですね。あそこは怪異が存在しない世界なので、恭也君も殺戮する相手がいませんから」

 

「ふうむ」と、竹内はもう一度唸り、ホワイトボードを見つめた。リーゼントの阿部倉司が飛ばされた世界は、屍人や闇人などの闇の住人が元から存在しない、安野曰く『失われた世界』だ。闇の住人が存在しないため、他と比べると平和な世界ではある。

 

「ただ、これは余談なんですけど」と、安野が捕捉する。「阿部ちゃんが飛ばされた世界は、たぶん、羽生蛇村が存在していないのではないかと思います」

 

「なぜだ?」

 

「怪異が存在しない世界とは、闇人さんを束ねる異形の生物や、夜見島型屍人さんを束ねる顔の怪物など、いわゆる闇の住人が存在しない世界です。彼らは、この宇宙ができる前に存在した『闇那其』という唯一無二の存在が死に、その骨が全宇宙に散らばって生まれた存在です。その骨が転じた闇の住人のひとつに、羽生蛇村の神様も含まれるんです」

 

「ほう」

 

「なので、それら異形の生物や顔の怪物が存在しないなら、羽生蛇村の神様も存在しないことになります。神様が存在しなければ、一三〇〇年前に空から突然降ってくることもないでしょうから、八尾(やお)比沙子(ひさこ)さんが神様を食べることはないわけです」

 

「当然、そうなるな」

 

「ですが、それは呪いを受けなくてみんなハッピー♪ という話ではありません。天武十二年の八月三日のその村は、長く日照りが続き、村人が全滅しかけていました。そこへ、魚によく似た生物が落ちてきたものですから、比沙子さんたちは喜んで食べたんです。それが原因で比沙子さんは不死の呪いを受けることになったんですけど、結果的には、その呪いのおかげで生き残ることができたんです。そして、そのあと比沙子さんには子供が生まれ、孫が生まれ、子孫が生まれ、現在の神代(かじろ)家及び羽生蛇村の住人に繋がっているんです」

 

「そうだな」

 

「でも、怪異が存在しない世界では神様が落ちて来ませんから、食べるものがありません。比沙子さんは不死になりませんから、そのまま死んで村も全滅。当然のごとく、比沙子さんの子供や孫や子孫も生まれませんから、現在の羽生蛇村は存在しない、ということになります。あのとき阿部ちゃんが言っていた『みんな消えちまったのか……』のみんなというのは、羽生蛇村の人たちのことを言ってたのかもしれませんね」

 

「さすがにそれは考え過ぎだと思うが……しかし、我々が長年呪いを解こうと調査・研究を続けても打開策が見つからない上に、呪いが存在しないと今度は村自体が存在しなくなるとは、本当に厄介だな、この村の呪いは」

 

「そうですね。まあ、あくまでも仮説です。実際確認したわけではありませんし、仮に説通り羽生蛇村が存在しなかったとしても、それも無限に存在する並行世界のひとつなので、気にしてもしょうがないです」

 

「そうだな。それで、結局それらの結果、何が判ったんだ。わざわざ村を離れて遠方まで調査に出たのだから、ただ恭也君の殲滅行為を見ていただけではあるまい」

 

「もちろんです。これらの結果から、非常に興味深いことが判りました」

 

「ほほう。聞こうか」

 

 腕を組んで少し上体を逸らした竹内。安野は人差し指を立てると、身を乗り出した。

 

「なぜ、羽生蛇村がループし、夜見島が並行世界なのか、それが判ったんです」

 

「――――」

 

 安野のことだからどうせくだらないことだろうと高をくくっていた竹内だったが、予想外の話に、思わず言葉を失う。

 

 ループ――それは、羽生蛇村にかけられた呪いの本質だと言っていい。

 

 羽生蛇村の異界に取り込まれた者は、本人たちは気付いていないものの、同じ時間を何度も何度も繰り返している。それはただ同じ行動を繰り返しているのではなく、繰り返すことで少しずつ行動に変化が起こり、特定の条件を満たすことで先へ進むことができるのだ。逆に言えば、その特定の条件を満たさない限り、時間は戻り、永遠にループするのである。

 

「――その、特定の条件というのは、恭也君と美耶子(みやこ)ちゃんが出会ったり、高遠(たかとお)先生が灯篭(とうろう)に火を灯したり、宮田(みやた)先生が宇理炎を入手したり、先生がトップアメリカで配電盤を壊したり、といったものですね。中には、求導師様が手ぬぐいを凍らせたり、求導師様が(ほこら)の鍵を壊したりといった、一見するとワケが判らない行動も含まれてたりするんですけど、それらの行動が積み重なった結果、二〇〇三年八月五日二十三時、『恭也君が神様の首を落とす』、という結末に繋がるんです」

 

 竹内はあごに手を当て、安野の話を吟味する。確かに、恭也と美耶子が出会ったことで恭也は神代の血を受けついて精神的な不死となり、高遠玲子(れいこ)が灯篭に火を灯したことで聖獣・木る伝(きるでん)が解放され後に神代の宝刀・焔薙に宿り、宮田司郎(しろう)が宇理炎を入手したことでそれが恭也の手に渡り、竹内が配電盤を壊したことで恭也は屍人の巣の中枢にたどり着くことができた。他にも謎の行動は沢山あり、それら全てが神の首を落とすことに繋がっていると証明することは難しいかもしれないが、概ね安野の言う通りであるように思う。少なくとも、ループを繰り返した果てにあるのが『須田恭也が神の首を落とす』であり、それが現状唯一のループから抜け出せる方法である以上、そう考えるのは自然である。

 

 安野はさらに話を続ける。「つまり、羽生蛇村では『恭也君が神様の首を落とす』以外の結末は存在しないんですよ。それが実行不可能になる展開――恭也君と美耶子ちゃんが出会わなかったり、高遠先生が灯篭に火を灯さなかったり、宮田先生が宇理炎を入手しなかったり、先生が配電盤を壊さなかったりした場合は、神様の首が落とせなくなります。だから、『神よりも上位の者』さんが、強制的に時間を戻してしまうんです」

 

『神よりも上位の者』――それこそが、羽生蛇村にループの呪いをかけた張本人とされている。そいつがなんのためにこんな凶悪な呪いをかけたのかこれまでは判らなかったが、安野の説が正しいとしたら、そいつには何としてでも神の首を落とさなければならない理由があったのだろう。

 

「これに対し――」と、安野はさらに話す。「夜見島では、さまざまな結末が存在します。一樹君や永井君や阿部ちゃんの活躍で闇の住人の野望が阻止された世界や、阻止できなかった世界、屍人さんと闇人さんが入り乱れてバトルを繰り広げる世界もあれば、闇人さんが侵攻を諦めて再び眠りにつく世界もあるんです。夜見島では、およそ想像しうる限りの世界が存在すると言って良いです。ですが、どのような世界であろうとも、最終的には恭也君がやってきて、闇人さんや屍人さんなど、闇の住人を殲滅してくれる――一樹君が取り込まれようが永井君が死のうが阿部ちゃんがウ○コを漏らそうが、最後には恭也君が全部解決してくれるんです。だから、夜見島では多数の結末があっても問題ないんですよ」

 

「ちょっと待て。そうするとお前は、夜見島にも『神よりも上位の者』が介入していると言うのか?」

 

「そうです。羽生蛇村の神様を倒した恭也君が、夜見島で無限に存在する並行世界の闇人さんたちを殲滅し続けているのなら、そう考えるのが妥当ではないかと。羽生蛇村の神様を倒した恭也君は、比沙子さん同様心も身体も不死となっています。闇人さんに倒されることはありませんし、宇理炎も焔薙も使いたい放題です。闇の住人を倒すのに、これほど適した人はいません。『神よりも上位の者』さんとしては、良い手駒を手に入れた、ってところでしょう」

 

「だが、そうなると、『神よりも上位の者』は、闇の住人どもと敵対していることになる」

 

「そうですね。そこで、ひとつの仮説が成り立ちます」

 

「なんだ?」

 

「夜見島に伝わる古い伝承をまとめた『夜見島古事ノ伝』の『光に追われし者』の章に、『天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)』さんというヒトが登場します」

 

「人ではないが、天之御中主神といえば、古事記や日本書紀に登場する、宇宙最高神あるいは宇宙の中心を成す神とされる存在だな」

 

「その通りです。夜見島の伝承では、この天之御中主神さんが、闇に包まれていた地上世界に光の洪水を起こし、闇の住人どもを地上から追い払った、とされています。この天之御中主神――言いにくいので『光の洪水を起こした者』さんと呼びます――と『神よりも上位の者』さんは、同一人物ではないかと」

 

「――――」

 

 ()()ではない、というツッコミは飲み込み、竹内は安野の説を考える。『神よりも上位の者』が羽生蛇村にかけたループの呪いの末に、須田恭也は神の首を落とした。その結果不死の精神と肉体およびそれに付随する強力な神器を得た恭也は、無限に増殖する夜見島の並行世界を渡り、闇の住人どもを殲滅している。ならば、夜見島で闇の住人どもと敵対関係にある『光の洪水を起こした者』と『神よりも上位の者』が同一と考えるのは、あり得ない話ではない。

 

 竹内は「なるほど」と頷いた。「仮説にさらに仮説を重ねているためもはや妄想といってもいいレベルの説だが、なかなか興味深い話だ」

 

「でしょ? わざわざ夜見島まで足を運んだ甲斐がありましたよ」

 

「しかし、わからんことがある」

 

「なんでしょう?」

 

「お前の言う通り、『神よりも上位の者』と『光の洪水を起こした者』が同一の存在だとしたら、『神よりも上位の者』は、闇人の地上世界侵攻を阻止していることになる」

 

「そうですね」

 

「それはつまり、人類の味方ということだ。そんな存在が、なぜ羽生蛇村には、これほど凶悪な呪いをかけたのだ」

 

 夜見島では人類を救った『光の洪水を起こした者』が、羽生蛇村では、一三〇〇年前に飢饉で全滅しかけていた村に魚によく似た神を落とし、それを食べた女に不死の呪いをかけた。その呪いは女の子供、孫、ひ孫、その後の子孫全て――現在の羽生蛇村の住人ほぼ全員に引き継がれている。そして、神が死んだ後もその呪いは解けず、むしろ悪化しているのだ。なぜ、この村はそんな扱いを受けるのか。

 

「はい。問題はそこなんですよ」安野は、ぱん、と手を叩いた。「あたし、今回の調査で、なんとなーくですが、『神よりも上位の者』さんの目的が、判った気がするんです」

 

「なんだと!」竹内は椅子を転がす勢いで立ち上がった。「それはなんだ!?」

 

「まあ、そう慌てないでください。ちょっと長くなってしまったので、ここらで小休止しましょう。お茶をいれてきますので、待っててください」

 

 そう言うと、安野は教室を出て給湯室へ向かった。竹内は一度心を落ち着かせるために大きく深呼吸をし、ゆっくりと席に着いた。『神よりも上位の者』の目的――それはいったい何なのか。後半へ続く。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十八話 『神意』 観察者A 不明 99:99:99+

「――さっきもチラッと言いましたが、羽生蛇村にかけられた呪いの本質は『ループ』です。この呪いに関わってしまった人たちは、『神よりも上位の者』さんが定めた特定の行動をするまで、何度も同じ時間を繰り返すことになります」

 

 夜見島土産の夜見鍋と夜見アケビでお茶をしながら、竹内多聞は引き続き安野依子の報告を聞いていた。二〇〇三年八月三日、羽生蛇村の異界に取り込まれた人たちは、本人たちは気付いていないが、何百何千とループを繰り返し、その果てに、八月五日二十三時の『須田恭也が神の首を落とす』という結末にたどり着いた。現状、これだけがループから抜け出す条件である。

 

「恭也君と美耶子ちゃんが出会ったり、高遠先生が灯篭に火を灯したり、宮田先生が宇理炎を入手したり、先生が工場の配電盤を壊したりといった行動は、すべて、恭也君が神様の首を落とすことへ繋がっているんです。逆に言えば、それらの行動が行われず、恭也君が神様の首を落とせなくなった場合に時間が戻ってしまう、ということになります。要するに、羽生蛇村の呪いは、『神よりも上位の者』さんが、三日間ひたすらリセマラしたものなんですね」

 

「では、なぜそこまでして、『神よりも上位の者』は神の首を落とすことにこだわるのだ?」

 

「ポイントは、ただ神様を倒すだけでなく、神様の首を落とすことにあるんです」

 

「どういうことだ?」

 

「はい。それを説明するためにちょっと話がそれますけど、先生は、『因果律』というものをご存知ですか?」

 

「『全ての事象には原因があり、原因無しには何も起こりえない』という哲学的考え方だ。例えば、とある天才の言葉に『ギョーザを食べたらギョーザクサくなった』というのがあるが、これは典型的な因果律を表したものだ。『ギョーザを食べた』という原因があるからこそ、『ギョーザクサくなった』という事象があるのだ」

 

「そうです。まあ簡単に言えば、『原因があるから結果がある』という、きわめて当たり前のことなんです」

 

「うむ」

 

「通常、原因は事象よりも前の時間にあります。今の先生の例で言えば、『ギョーザを食べた』という原因は、『ギョーザクサくなった』という事象よりも前の時間にあります。事象よりも後の時間に原因があったら、『ギョーザクサくなった』後に『ギョーザを食べた』になってしまいます。これは、明らかにおかしいです」

 

「当然ではないか」

 

「しかし、その明らかにおかしいこと――事象よりも後の時間に原因があるということが、羽生蛇村では、実際に起こってるんですよ」

 

「――――」

 

「例えば、恭也君が羽生蛇村を訪れるきっかけとなったのは、二〇〇三年の七月、インターネットの掲示板で、『××村三十三人殺し』のウワサに興味を持ったからです。しかし、このウワサが村に流れ始めたのは、二〇〇三年の八月以降。恭也君が、異界で屍人さんたちを虐殺したことがきっかけです。事象よりも後の時間に原因があるんです」

 

「…………」

 

「他にもあります。二〇〇三年八月二日深夜、村では神の花嫁である美耶子ちゃんを神様へ捧げる儀式が行われようとしていましたが、この儀式は美耶子ちゃんが事前に御神体である神様の首を壊していたことで失敗しました。しかし、八月四日の早朝、壊されたはずの首が届き、儀式の再開が可能になります。このとき届いた首は、二〇〇三年八月五日の夜、恭也君が焔薙で神様の首を斬り落とし、それを比沙子さんがうつぼ船で届けたものです。これも、事象よりも後の時間に原因があることになります」

 

「しかし、もし、恭也君が屍人を虐殺しなかったり、比沙子が首を届けなかった場合はどうなるのだ? 因果が成立しないではないか」

 

「その通りです。物理学においては、これを『因果の破れ』というらしいです。実際、事象が光速を超えた場合、相対性理論によって時間の流れがゆっくりになるため、事象よりも後の時間に原因があることが起こり得るんじゃないでしょうか? まあ、この辺はドラえもんのウラシマ効果的なヤツで覚えた知識なので、ホントにそうなるのかはあたしに判りませんけどね。それはそれとして、羽生蛇村では実際に原因と事象が逆になってしまった事例がいくつかあるんです。先生の仰る通り、このままでは因果が破綻してしまう可能性があります。恭也君の例で言えば、すでに恭也君が村に来る『××村三十三人殺し』のウワサ話がネット上に出回っているのに、もし恭也君が屍人の虐殺を起こさなければ、ウワサが発生せず、恭也君が村に来る原因が無くなってしまい、因果が成立しません。比沙子さんの例も同様です。すでに首が届いているのに、もし恭也君が神様の首を落とさなければ、その原因が無くなってしまい、因果が成立しなくなります。因果が成立しないとどうなるのかは判りませんけど、ひょっとしたら、世界が破綻してしまうのかもしれません」

 

「つまり、神よりも上位の者は、それを防ぐために……」

 

「そうです。『神よりも上位の者』さんは、それらの因果を成立させるために、三日間ひたすらリセマラをしたんだと思います」

 

 ううむ、と唸り、腕を組んで考える竹内。安野の言う通り、恭也と比沙子の例は事象よりも後の時間に原因がある。すでに事象が存在するのにその原因が起こらないとなると、致命的な矛盾が生じる。因果の破れ――つまりはタイムパラドックスだ。それを防ぐために、『神よりも上位の者』は、三日間何度も時間を戻した――。

 

「いや、その話には、ちょっとおかしな点がある」

 

「なんでしょう?」

 

「お前の言う通り、恭也君と比沙子の例は、確かに事象よりも後の時間に原因がある。因果を成立させるために『神よりも上位の者』がひたすら時間を戻しているというのは、あり得る話だ。しかし、そもそもそんなことになったのは『神よりも上位の者』が比沙子に呪いをかけたからではないのか? 羽生蛇村の呪いが無ければ、何百何千回と時間を戻して因果を成立させる必要など無いはずだ。もし、なんらかの間違いによって比沙子に不死の呪いをかけてしまったのだとしても、時間を戻せるのなら、一三〇〇年前に戻して比沙子に呪いをかけなければいいだろう? 無論、そうなると現代の羽生蛇村は存在しなくなるんだが」

 

「そうですね。そこもきっと、『神よりも上位の者』さんには、どうしても比沙子さんに呪いをかけないといけない理由があったんでしょう」

 

「その理由とは」

 

「はい。羽生蛇村の神様は、村人からは神様なんて崇められていますけど、その正体は夜見島の闇人さんのボスである異形の生物や、夜見島型屍人さんのボスである顔の怪物と同じ、闇の住人です。もしかしたら、羽生蛇村の神様にも、闇人さんたちと同じく地上世界へ侵攻する野望があったのかもしれません」

 

「神に……地上世界侵攻の野望があった……?」

 

「そうです。もし、そうだったとしたら、これ、大変なことなんですよね……」

 

 これまでずっとにこやかに話していた安野が、急に真面目な顔になり、声のトーンも落とした。

 

 もし、羽生蛇村の神に、地上世界侵攻の野望があったら――安野が続きを言わずとも、竹内にもその恐ろしさは判った。

 

 夜見島の異形の生物は、かつて光によって奪われた地上世界の奪還を目論んでいた。そのための兵とも言える闇人は、高い治癒能力を持ち、倒しても何度も復活する。しかし、それは死体に新たな闇霊が憑りついているだけで、決して不死ではない。死体に憑りつく闇霊どもを全滅させるか、修復できないほど死体を粉々に破壊すれば、それ以上よみがえることはない。

 

 これに対し、羽生蛇村の屍人は完全に不死だ。たとえ頭を吹き飛ばそうがバラバラにしようが全身焼き尽くそうが、時間さえあればよみがえることができる。倒すためには宇理炎や焔薙といった神器を使う必要があるが、どちらも普通の人間に使えるものではない。

 

 ボスである神に至ってはさらに凶悪だ。まだ誰も試してはいないが恐らく人間の武器では傷ひとつつけることはできないだろう。宇理炎や焔薙といった神器を使って一応倒すことはできるものの、それでも、過去に首を届けることでまたよみがえろうとするのだ。生死の概念が無い存在というのは、大げさなことではない。

 

「その通りです」竹内の話に、安野も同意する。「ハッキリ言って、羽生蛇村の神様と比べたら、ウン○爆破で野望を阻止された夜見島の異形の生物なんて、ザコ同然です。フリーザ様とピラフ大王くらいの差があります。それくらい、うちの神様は危険なヤツなんですよ」

 

「だが、それと因果を成立させることが、どう関係する?」

 

「はい。こういった完全無欠の不死身の敵は、どこかに封印するしかありません。超人ロックがフォン・ノイマン博士をラフノールの鏡に封印した的なヤツです。宇理炎や焔薙を使ってもまだ復活しようとするんですから、『神よりも上位の者』さんとしては、神様を封印するしかなかったですよ。『虚母ろ主の輪(うろぼろすのわ)』の中に」

 

「――――」

 

『虚母ろ主の輪』――眞魚(まな)教の経典・天地救之伝(てんちすくいのつたえ)にある言葉だ。自分の尾を噛んで輪となった蛇あるいは龍のことで、始まりも終わりも存在しないものの象徴とされている。

 

 二〇〇三年八月五日二十三時、神の首をもって奈落へ落ちた八尾比沙子は、この『虚母ろ主の輪』に取り込まれた。

 

 首をもって奈落へ落ちた比沙子は、二〇〇三年八月四日六時に首を届ける。そこで首を受け取った比沙子は儀式を再開し、神が復活するも、やがて神は恭也に首を落とされる。比沙子は首をもって奈落へ落ち、過去へ首を届け、また儀式が再開し、神が復活し、首を落とされ……これが、永遠に続くことになる。そこには、始まりも終わりも存在しない。まさに『虚母ろ主の輪』だ。

 

「そうですね」と、安野が頷いた。「その『虚母ろ主の輪』には、比沙子さんだけでなく、神様も取り込まれています。神様もまた、復活しては首を落とされ、また復活しては首を落とされ……を、永遠に繰り返すことになってるんです。もう、完全に抜け出すことはできません。これこそが、『神よりも上位の者』さんの目的だったのではないでしょうか?」

 

 安野の話に、竹内はもはや唸ることも忘れてただ絶句する。羽生蛇村の神に、地上世界侵攻の目的があった――神は一三〇〇年前の天武十二年にこの地に降臨した際、陽に焼かれて弱り、そこを比沙子に食べられ、すぐに死んでしまった。その一三〇〇年後の二〇〇三年八月五日〇時に復活するものの、不完全体であったためか知性のようなものは見られず、ただ暴れるだけだった。その後、比沙子が自ら身を奉げて完全体として復活するも、直後に恭也が首を落としている。そのため、神が何をしたかったのかがこれまで判らなかったのだが、神が夜見島の異形の生物と同じ闇の住人であるのならば、地上世界侵攻を企んでいてもおかしくはない。

 

「だいぶ長くなったので、短めにまとめますね」

 

 安野はこれまでホワイトボードに書いたものを全部消すと、きゅぽん、とマジックのフタを取り、新たに書きながら再度説明を始めた。

 

「事の発端は、一三〇〇年前の天武十二年。後に羽生蛇村になる山間の小さな村に、神様が降臨します。これに関しては、夜見島の異形の生物とは違い、元々地球にいたのではなく、彗星に乗って宇宙から落ちてきたのでしょう。で、それを見た『神よりも上位の者』さんは、なんかヤベェやつが来たと思い、比沙子さんが神様を食べたのをよいことに、不死の呪いをかけました。いつか神様が完全体として復活したとき、即座に首を落とし、『虚母ろ主の輪』に封印するためです。呪いを受けた比沙子さんは、贖罪のためにおよそ二十七年周期で神様に花嫁を奉げる儀式を始めます。恐らくですけど、そのたびに『神よりも上位の者』さんは神様を封印しようと試みたんですけど、うまくいかなくて、先送りにしたんでしょう。で、最初の神様降臨から一三〇〇年後の二〇〇三年八月、遂に最大のチャンスが訪れます。この年の八月三日から五日までの間でリセマラを繰り返し、『神よりも上位の者』さんは、ようやく神様を『虚母ろ主の輪』に封印することに成功した――というワケですね」

 

 説明をしながらホワイトボードにさらさらと書くと、安野はマジックのフタをした。

 

 竹内は無言でホワイトボードを見つめる。仮説に仮説を重ねているためもはや説とも呼べないという点は今までと変わらないが、辻褄はあっているように思う。

 

 と、安野が。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 何か言いたそうな顔で、じっと竹内を見つめていた。

 

「なんだ、まだ何かあるのか?」

 

「いえ、別に」

 

「そうか」

 

「はい」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……言いたいことがあるのだろう?」

 

「まあ、そうですね」

 

「なら、早く言え」

 

「いえ、この話はあまりにも妄想がヒドイので、やめておきます」

 

「今までの話も充分妄想レベルだったから、今さら気にするな」

 

「しかし、これを披露したら、あまりに先鋭的な論理の展開に、学会から異端視されるかもしれません。あたしはまともな研究者を目指しているので、先生のように干されるのはごめんです」

 

「もったいぶるのはやめろ。ホントは言いくてしょうがないから、そうやってにおわせをしているのだろう」

 

「まあ、そうなんですけどね」

 

「なら早く言え」

 

「では遠慮なく」安野はコホンと咳払いをすると、ようやく話を始めた。「あたしはさっき、『もしも羽生蛇村の神様に夜見島の異形の生物と同じような地上世界侵略の目的があったとしたら』で、話をしました。でも、神様が復活してからの行動を見る限りそんな様子はなかったですし、屍人さんたちを見ていても、そうは思えないんですよね。羽生蛇村の屍人さんは、人間を見たら襲い掛かってきますけど、それは別に人間と敵対しているわけではありません。あれは、屍人さんの目か見たら人間が化け物に見える、化け物はぶっ殺せば仲間になる、ならぶっ殺そう、という、彼らなりの救済行動なんです。人間にとっては大きなお世話ですけどね。その辺の誤解を解いたら、屍人さんたちは人間を襲わなくなりました。あたしには、屍人さんたちが人類に敵対する存在だとは、どうしても思えないんです」

 

 神が死に、八尾比沙子が奈落に堕ちた後、安野は屍人の言語を覚え、屍人たちに人間を襲わないよう説得して回った。その説得はあっさり受け入れられ、現在異界に人間が迷い込んでも襲われることはない。彼らは化け物のような姿になってしまったものの、羽生蛇村の住人であることに変わりはないのだ。確かに、これでは彼らに地上世界侵略の目的があるようには思えない。

 

「で、そう思って、改めて羽生蛇村の様子を観察していたら、あたし、大変なことに気がつきました」

 

「……なんだ?」

 

「二〇〇三年の八月五日二十三時、一三〇〇年間続けた神に花嫁を奉げる儀式が永遠に失敗したと悟った比沙子さんは、最後の手段として、自分自身を実として奉げます。これにより、不完全体だった神様は完全体としてよみがえるんですけど……この時、神様のお腹って、結構大きく膨らんでるんですよね。これが写真です」

 

 安野は写真を一枚撮り出した。祈りをささげる比沙子の頭上で、完全体となって復活した神が首をもたげている。その上半身はほっそりとスレンダーだが、お腹は()()前のカマキリのように、大きく膨らんでいる。

 

「……産卵前のカマキリ……だと……?」

 

 思わず自分の脳内の言葉にツッコんでしまう竹内。

 

「そうなんですよ」と、安野は満足げに頷いた。「正直、なんで今までこのことに気づかなかったのかってレベルの話なんですけど、これって、お腹に子供がいたんじゃないでしょうか?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……父親は誰だ?」

 

「判りませんけど、比沙子さんが自身を実として奉げたら妊娠したんですから、比沙子さん自身が妊娠していた可能性がありますね」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「仮にそうだったとしても、質問は同じだな」

 

「でしょうね」

 

「父親は誰だ?」

 

「それも判りませんけど、まあ、二〇〇三年当時の比沙子さんの生活環境から考えて、可能性が高いのは、()()()でしょう」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……あの男も、隅に置けんな」

 

「ですね。ああ見えて、あっちの方はヘタレではなかったのかもしれません」

 

「ええい、父親が誰かなどと野暮な詮索はするな! それより、神が子を宿していたらなんなのだ!」

 

「先生、何度も言うようですが、自分から話を脱線させておいて、あたしが乗っかったら逆ギレするのはやめてください」

 

「まあ、ここまでがひとつの流れだからな」

 

「ですね。たとえマンネリと言われようとやり続けることに意味があるのは、あたしも理解していますから」

 

「では、お約束も終わったことだし、話を続けてくれたまえ」

 

「はい。えーっと、神様のお腹に子供がいたとしたら、羽生蛇村一三〇〇年の因果が成立するんですよ」

 

「……急に難しい話をするな。頭が追いつかん」

 

「だから、先生が話を逸らして、そして話を続けろと言ったんでしょうが」

 

「羽生蛇村の一三〇〇年の因果とはなんだ?」

 

「はい。一三〇〇年前とは、この地に神様が降臨し、比沙子さんがそれを食べて不死の呪いを受けた、全ての始まりです」

 

「そうだな」

 

「このとき降臨した神様って、その大きさから考えて、生態ではなく幼体、つまり子供なんですよ。ほら」

 

 そう言って、安野はもう一枚写真を取り出した。ボサボサの髪にボロボロの服の痩せこけた三人の人間が、木の板の上に横たわった神を食べている写真だ。神の身体は、比沙子が自身を実として奉げた後の完全体の姿ではなく、その前の段階――美耶子を実として奉げた時の不完全体の姿だ。その大きさは二〇〇三年時と比べてかなり小さい。確かにこれは、幼体である可能性が高い。

 

「この神様の子供がどこから来たのかっていうのが問題なんですけど、宇宙から飛来した生物って説は根強いですし、正直あたしもそっちの方が信憑性は高いと思うんですが……もし、仮に、この子供が、一三〇〇年後の二〇〇三年から時間をさかのぼって落ちて来たのだとしたら、どうなると思います?」

 

「――――」

 

 天武十二年にこの地に降臨した神が、二〇〇三年から時間をさかのぼって落ちてきた――羽生蛇村では、あり得ない話ではない。比沙子も恭也も、そして、安野と竹内自身も、うつぼ船を使い、何度も時間をさかのぼっている。

 

「二〇〇三年から来たっていう証拠になりそうなものも写ってるんですよ」と、安野は写真に写っている神の幼体のそばを指さした。「神様の下に、木の板が敷かれています。これ、どこかで見たことないですか?」

 

 そう言われ、竹内は改めて木の板を見返す。支柱となる棒に四枚の板が張り付けられてあるが、うち三枚は水平に張りつけられてあり、残りの一枚は斜めに張りつけられていた。ちょうど、漢字の『生』の字のような形だ。

 

「おい、これはまさか!?」

 

 竹内の反応に、安野は満足げに頷いた。「そうです。眞魚教のシンボル・マナ字架です。それが、神様が降臨した天武十二年の段階で、既に存在しているんです。おかしいですよね? この地に眞魚教が誕生したのは、比沙子さんが神様から受けた恩を返し、同時に、罪を償うためです。当然、神様を食べた行為よりも後の出来事のはずです。その上、眞魚教が、寺院を教会、布教者を求導師求導女と呼んだり、週に一度の礼拝式で賛美歌を歌ったり、といった今のスタイルになったのは、十五世紀に伝来した南蛮宗教の影響を受けたからです。マナ字架ができたのも、その時代のはずです」

 

 確かに、安野の言う通り天武十二年の段階でマナ字架が存在するのはおかしい。マナ字架は、漢字の『生』の字をひっくり返した形であり、『死』を意味しているとされている。だが、天武十二年、西暦で言えば六八三年は、まだ日本に漢字が広まっていない頃だ。読み書きができる人など、海外で仏教や道教を学んだ、極めて一部の人間に限られる。都から遠く離れた山奥の村に、漢字の読み書きができる者がいたとは思えない。

 

 つまり、このマナ字架も、二〇〇三年から落ちていった可能性があるのだ。

 

 そして。

 

 もし、安野の言う通り、神が二〇〇三年から天武十二年に落ちて行ったのなら。

 

 そこに、もうひとつ、因果が破綻してしまう可能性が出てくる。

 

「そうなんです。『神様が生まれた』という原因があるから、『比沙子さんが神様を食べた』という事象がある。でも、『神様を食べた』のが天武十二年で、『神様が生まれた』のが二〇〇三年なら、これも、事象よりも後の時間に原因があることになります。すでに『比沙子さんが神様を食べた』という事象があるのに、もし『神様が生まれた』という原因が起こらなければ、因果が破綻するんです。なので、『神よりも上位の者』さんとしては、なんとしてでも、神様に子供を生ませないといけないわけです」

 

「つまり、その結果が、羽生蛇村一三〇〇年の呪いだと?」

 

「そういうことになりますね。羽生蛇村のループは、二〇〇三年八月三日から五日の三日間だけではないんです。一三〇〇年間、ずうううううううぅぅぅぅぅぅっっっっっっっっっっっっと続いていたんですよ。全ては、二〇〇三年八月三日二十三時、恭也君が、神様の首を落とすために」

 

 全ては、二〇〇三年八月三日二十三時に須田恭也が神の首を落とすため――それが、羽生蛇村の呪い。

 

 竹内は、頭の中で安野の話を整理する。

 

 二〇〇三年八月三日二十三時、須田恭也が神の首を落とし、比沙子がそれを拾って過去に届けることで神が復活する儀式を行い、ひとつ目の因果が成立する。

 

 その約一時間後、神の首を落とした恭也が常世から異界へ帰還し、屍人を虐殺することで、現世の羽生蛇村では『××村三十三人殺し』の都市伝説が生まれ、それに興味を持った恭也が村を訪れ、ふたつ目の因果が成立する。

 

 そして、首を落とされた神様のお腹から子供が生まれ、一三〇〇年前の天武十二年へ堕ちていき、それを比沙子が食べることで呪いが始まれば、終わりにして始まりの因果も成立する。

 

 恭也が神の首を落とすことで、少なくともこれだけの因果が成立する。逆に恭也が首を落とせなかった場合、全ての因果が成立しないため、ヘタをすると世界が破綻するかもしれなかった。ゆえに、『神よりも上位の者』としては、なんとしても因果を成立させる必要があった。その結果が、羽生蛇村一三〇〇年の呪い(ループ)……。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「正直、話が壮大になりすぎてなんと言っていいか判らんな。『神よりも上位の者』は、天武十二年の段階で、一三〇〇年後の二〇〇三年八月五日二十三時に神の首を落とすための筋道を立て、そこから逸れるたびに時間を戻してやり直しをさせ、いまに至ったというのか」

 

「そうです。そう考えると、比沙子さんが一三〇〇年もの間、自身に宇理炎を使って消滅したり、最初から自身を実として奉げたりしなかった理由も判ります。しなかったというより、してもムダなんですよ、時間が戻るんですから。比沙子さんがいなくなったり、首を落とす準備が整っていない段階で神様が復活したら、因果が成立しなくなります。だから、比沙子さんが消滅したり自身を実として奉げたりしたら、『神よりも上位の者』さんが時間を戻し、しなくなるまでループするんです。そうなると、比沙子さんって、実質何年生きたんでしょうね?」

 

「二〇〇三年の八月三日から五日までの三日間でさえ、多くの人が何百何千回とループしたんだからな。それが一三〇〇年も続いていたとなると……恐ろしいな。いくら必要なこととはいえ、巻き込まれた我々の気持ちも考えてほしいものだが」

 

「まあ、『神よりも上位の者』さんが、夜見島の伝承にある『光の洪水を起こした者』さんと同一人物なら、少なくとも地球が誕生した頃から世界を()()していたことになります。最低でも四十六億歳。そんなヒトから見た一三〇〇年なんて、人間の感覚で言えば一〇分程度です。『神よりも上位の者』さんとしては、ソシャゲで一〇分間リセマラしたくらいの感覚なんでしょう」

 

「一〇分なんてリセマラの内に入らんな。リセマラで捨てたキャラの気持ちなど考えたこともないし」

 

「ですね。これからは、ときどきでも、リセマラで捨てたキャラのことも思い出すようにしましょう」

 

「そうだな」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……いや、ソシャゲの話などどうでもいい。もし本当に『神よりも上位の者』が一三〇〇年の因果を成立させるためにこの村に呪いをかけたのだとしたら、大変なことではないのか」

 

「はい、そうなんですよ。ループから抜け出す条件が因果の成立だった場合、この村の呪いを解くことはできません。神様に地上世界侵攻の野望があった場合、もしくは、一三〇〇年前の因果を成立させる場合、どちらの場合でも、因果が成立しなかったら、世界が崩壊してしまうかもしれないんですから。あたし、以前、一三〇〇年前の飢饉の村に食料を届けたり、二〇〇三年の村人全員を宇理炎で消滅させたりして問題の解決をはかりましたが、あれ、全部ムダでした。結局は時間が戻ってしまい、無かったことにされたんです。この村では『二〇〇三年八月五日二十三時に恭也君が神様の首を落とす』という結末しかありません。それ以外の結末は全部やり直しさせられ、無かったことになるんです。ハッキリ言って、現状ではどうしようもありません」

 

 恭也が神の首を落とすことで因果が成立すれば世界は救われるのかもしれないが、この村の呪いは残る。村人は不死の呪いを受け継いだままだ。死んでも異界で海送り・海還りの儀式を行わないと常世へ行けないのに、神が死んだからサイレンが鳴らず、儀式は行えない。放っておけば、いつか異界は屍人でパンクしてしまう。また、比沙子は虚母ろ主の輪に飲まれたままだし、恭也は無限に存在する並行世界を永遠に渡り歩き、永遠に闇の住人達を虐殺し続ける。竹内と安野も、この村に留まり、死ねなくなった村人を永遠に宇理炎で消滅させるか、決して解くことができない村の呪いを解くために永遠に調査を続けるかしかない。まさに、どうあがいても絶望だ。

 

 だが、それでも安野は、ケロリとした顔で言う。

 

「まあ、異界があるのは羽生蛇村と夜見島だけとは限りません。まだ見つかっていないだけで、日本各地、いえ、世界各地、それどころか、宇宙各地に存在する可能性があります。また別の異界が見つかって、そこを調査すれば、進展があるかもしれません」

 

「だが、それはいつだ?」

 

「さあ? 来年の()()()()か、三年後の昭和一〇〇年か、前回の儀式から二十七年後の昭和一〇五年か、三十三年後の昭和一一一年か、三三三年後の昭和四一一年か、一三〇〇年後の昭和一三七八年か、もしくは、もう永遠に無いのか……それは、誰にも判りません。あたしたちにできることは、希望を持って待つだけですね。それまでは、こうしてあたしたちにできることをやって、ヒマをつぶしましょう」

 

 あっけらかんと言う安野に、竹内は頬を緩ませた。「まったく、相変わらず楽観的だな、お前は」

 

「はい。それだけは、たとえ何千年経とうと変わりませんよ」

 

 そう言うと、安野はずずっとお茶を飲み干した。

 

「では、あたしは引き続き調査を進めます。先生、()()()()()()()()()()()()()()

 

「ああ、気を付けてな。まあ、気を付けなくても死んだりはしないが」

 

「はい。ではまた」

 

 安野は最後ににっこりとほほ笑み、教室を出て行った。

 

 しばらくして校庭に光の柱が現れ、安野の気配は()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十九話 『永遠の約束』 須田恭也 不明 33:33:33+

 

 

 

「……お前らみたいなのがいる限り、俺は、何度でも現れる」

 

 

 

 写し世と現実世界の狭間という本来は存在しない世界で、須田恭也はふたつの敵と対峙していた。ひとつは、夜見島の屍人共を束ねる顔の怪物、もうひとつは、闇人共を束ねる異形の生物だ。すでに、島にはびこっていた屍人や闇人は殲滅した。残る敵は、この二体だけだ。

 

 まず動いたのは顔の怪物だ。身体を丸め、転がりながら突進して来る。恭也の身体の数倍はある巨体だ。激突すれば、猛スピードの軽トラックに撥ねられるようなものだが、恭也は恐れず、刀を手に走る。刀身が青い炎で燃え上がった。両手で頭上に構え、転がる怪物に向けて振り下ろす。その一閃で、巨大な顔の怪物は真っ二つに裂け、恭也の左右に分かれて転がった。怪物がどれほど高い治癒能力を持っていようとも、聖獣が宿る焔薙に斬られた者は無事ではすまない。ふたつに斬り裂かれた顔の怪物は、しばらくうめき声をあげながら節くれだった無数の足をもぞもぞと蠢かせていたが、やがて動かなくなった。

 

 恭也は異形の生物を見る。異形の生物は忌々しげに歯を噛みしめながら、しかし、闇雲に突撃はせず、宙に舞い上がって距離を取った。決して刃が届かない位置に留まり、頭上に広がる赤い海に向かって、甲高い声で鳴く。その鳴き声に応じるように、海面が大きくうねって盛り上がった。それが鋭い槍となり、恭也へ襲い掛かる。恭也は右へ跳んでかわす。異形の生物は続けざまに鳴き声を上げた。次々と水流の槍が生まれ、恭也を襲う。恭也はかわしながら、ポケットから宇理炎を取り出した。頭上に掲げ、生命力を注ぎ込む。恭也の生命力は全てを消滅させる炎となり、異形の生物の真下から柱となって燃え上がった。炎の柱が、宙を舞う異形の生物を包み込む。身を焼かれた異形の生物は、悲痛な叫びと共に地面に落ちた。それでも、首をもたげ、憎々しげな目で恭也を睨む。

 

 そこへ、恭也が刀を振った。

 

 断末魔の悲鳴と共に、異形の生物の首が、地面に転がった。

 

 

 

 

 

 

 闇の住人どもを殲滅した須田恭也は、一人、立ち尽くしていた。これで、いくつの世界の闇の住人を殲滅しただろう、もう覚えていない。これから、いくつの世界の闇の住人を殲滅するのだろう、それも判らない。

 

 

 

 ――殲滅せよ。

 

 

 

 声が聞こえる。それは耳に聞こえたのか、あるいは頭に直接響いたのか、それも判らない。

 

 ただ、その声に従い、次の世界へ向かうしかない。

 

 すべて消さなければならない。たとえ、どれほどの時間がかかろうとも。それが、()()()との約束だから。

 

 ――――。

 

 あの()……?

 

 あの娘とは、誰だ?

 

 …………。

 

 ……美耶子。

 

 そう、美耶子だ。美耶子と約束したのだ。()()()()を、すべて消す、と。それを忘れるなど、どうかしている。

 

 だが、それも仕方がない。長く戦い続けてきたのだ。記憶が曖昧になるほど、長く。

 

 時々、不安になる。この戦いは、いつまで続くのか。いずれ俺は、全てを忘れてしまうかもしれない。

 

 美耶子の名前も。

 

 美耶子の顔も。

 

 美耶子と過ごした数日のことも。

 

 そして、美耶子と交わした約束も。

 

 いや、そもそもこれは、美耶子との約束なのだろうか? 戦い続けることを、美耶子が望んでいたのだろうか? もう、なにも判らない。戦い始めた頃は常にそばにあった美耶子の気配も、もう遠い昔に消えた。美耶子の気持ちを確かめることはできない。その声を聞くこともできない。その姿を見ることもできない。いずれ、声や姿を思い描くこともできなくなるだろう。長い戦いの果てに、美耶子との約束通りあいつらをすべて消したとしても――もう二度と、彼女に逢うことはできないのかもしれない。

 

 それでも。

 

 

 

 ――殲滅せよ。

 

 

 

 その声に突き動かされ、恭也は戦い続ける。

 

 地面が揺れる。頭上の赤い海が波打つ。世界が、崩壊する。

 

 足元から光の柱が現れて、恭也を包み込んだ。

 

 

 

 ――殲滅せよ。

 

 

 

 恭也は、また、次の世界へ向かう――。

 

 

 

『Continue to NEXT WORLD.../SIREN2(サイレン2)/SS』 終わり

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。