ヴァンプスレイヤー・ダンピール (龍崎操真)
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EPISODE1-1 The Son of Alucard
第一話 酒場での一幕


皆様、お久しぶりです。
懲りもせずにまた似たような世界観で連載を始める事に致しました。よろしくお願いします。
では、スタートです。
どうぞ!


 霧の都、ロンドン。

 二つ名の通り、包み込むように深く霧が立ち込める紳士の街の名だ。この街では現在、深い霧とともに奇妙な噂がロンドン市街を包み込んでいた。

 内容は、深夜にビッグベンの時計塔を訪れた者は吸血鬼に攫われる、というチープな物。今日日(きょうび)、このような与太話(よたばなし)を信じる奴がいるのかと一笑にふされて終わりのはずだったのだが、不幸なことに数ヶ月前、噂を聞いて度胸試しに訪れた男女のカップルが揃って失踪し、消えた二週間後に遺体で発見されるという事件が発生する。

 しかも、笑えない事に二人の死因は失血死、首筋には小さな噛み傷が残っていたのだ。

 もちろん、ロンドン市警はこの事件の解決のため、捜査を始めた。だが何も成果が出ないまま犠牲者は増え続け、夜に現場を張り込んだ捜査員5人が干からびたの遺体(ミイラ)の状態で発見される事となった。

 おかげで、「ロンドンには吸血鬼がいる」という噂は現実味を帯び始め、人気観光スポットだったビッグ・ベン時計塔、その近郊で営業していた飲食店はすっかり寂れてしまった。中には、店を畳んで故郷(くに)へと帰ってしまった者もいる。その中では、このバーは何とか持ちこたえている方だと言えよう。

 来ている客の人品はお世辞にも良いとは言えないけれど、それでも食い扶持(ぶち)を繋いでくれる大切なお客様である事には変わりない。

 

「よぉ、兄ちゃん! ここはお前みたいな奴が来る場所じゃねぇぜ!」

「そうだ! とっとと帰ってママと一緒に寝ちまいな!」

 

 ギャハハ、と下品な笑い声を上げ、一人で入店してきた白い髪の少年に絡むスキンヘッドと金髪の二人の青年。卓を囲いブラックジャックを遊ぶ2人は、両方とも英国人の特徴である白い肌を持っていたが、その瞳はなぜか血のように(あか)い色だった。対して、店の空気を吸い込み、少し顔をしかめる白い髪の少年はというと、少し変わった特徴を持っていた。

 絡んでいる2人ほどではないがそれでも白い肌。だが、そんな事が霞むほどに印象に残るのはその眼差しだ。

 まだ十代そこそこにしか見えないというのに、戦いとは無縁の世の中になってきたというのに、いくつもの修羅場を潜って来たかのような紅と黒の鋭い眼差し。

 中から赤いフードが垂れ下がっている黒いコートの両脇の部分は、わずかにだが膨らんでいる。

 からかいの言葉を気にもとめず、ミリタリーブーツの靴音を響かせ、目を付けたカウンター席へと腰を下ろした白い髪の少年は、バーテンダーへと注文を告げた。

 

「ブルズアイを一つ」

「おいおい、ここはバーだぜ! 酒を飲む所なんだから酒を頼まなきゃダメじゃねぇか!」

 

 再び下品な笑い声を上げるスキンヘッドと金髪の英国人の青年。だが、気にかける素振りも見せる事なく、白い髪の少年はオレンジジュースとジンジャーエールを用意しているバーテンダーへと呼びかけた。

 

「いくつか聞きたい事がある。最近、ここら辺じゃ吸血鬼が出るって聞いたんだ。それは本当か?」

「さぁ? でも、その噂のおかげで客足は減ったね。おかげでこっちは商売あがったりだよ」

 

 注文のオレンジジュースとジンジャーエールを混ぜたノンアルコールカクテル、ブルズアイをコースターに乗せて差し出しつつ、淡々と答えるバーテンダーも英国人の特徴である透き通るような白い肌を持っていた。が、やはりその白さは病的で、彼の瞳もまた朱。そのせいか、この場の空気は不思議と鉄の匂いと生臭さが入り交じったような気分になってくる。

 白い髪の少年はさらに質問を重ねた。

 

「じゃ、次だ。ここら辺に料金を客の命で支払わせるって暴力バーがあるって聞いたんだけど」

「知らないね。もしかして、それはウチの事だって言いたいのかい」

「まさか。ここはそんなに景気が良い店に見えない」

「ははは。違いない」

「俺、ちょっと旅をしていてさ。繁盛している店をたくさん見てきたんだよ。良かったら繁盛する共通点を教えても良いけど」

「へぇ、それはぜひ聞いてみたいな」

「簡単さ。もっとノンアル系ドリンクも揃えりゃ良い。俺みたいなのも立ち寄りやすいようにな」

「それは良い考えだ。検討してみよう」

 

 冗談を交えつつ、笑い合う白い髪の少年とバーテンダー。和やかな雰囲気のまま、白い髪の少年はさらに質問を重ねた。

 

「じゃあ、最後の質問。ここは暴力バーじゃないと言った割に、酒の匂いが妙に()()()()()()()()()のは気のせいかな?」

 

 この質問を口にした途端、時間が止まったのかのように店内は凍り付いてしまった。

 そのまま数秒ほど経過した後、バーテンダーはカウンターの中から出てきて、近くにあったガラス製の灰皿を握った。

 

「皆……一杯奢るぞ!」

 

 勢いよく灰皿を振り上げたバーテンダーは白い髪の少年の頭に振り下ろす。

 だが、白い髪の少年は予期していたのか、軽々と不意打ちを避けて見せた。

 そして懐から抜いた白銀(しろがね)自動拳銃(オートマチック・ピストル)を突きつける。

 

「こいつを食らいな!」

 

 冷徹に白い髪の少年は躊躇うことなく引き金を引き、白銀の銃を撃つ。瞬間、カウンターは一気に血で染まった。その際、棚に並べてある酒瓶が幾つか砕け、中身が飛び散ってカウンターを濡らす血と同じように床を濡らした。

 店内は水を打ったように静まり返る。静寂に包まれる中、頭を撃たれたバーテンダーの身体は、まるで食べかけのビスケットが崩れるかのようにボロボロと崩壊した。

 一部始終を見ていた連れの金髪の青年は忌々しげに口を開いた。

 

「銀の銃弾……!? 吸血鬼(ヴァンパイア)ハンターか! しかもその眼は……」

「ああ、そうさ。お前らが血眼になって探してる半吸血鬼(ダンピール)、アーカードの息子だよ。吸血鬼(ヴァンパイア)

 

 挑発するかのように微笑む白い髪の少年は手持ち無沙汰なのか、白銀の銃をクルクルと回してもてあそぶ。

 その後、自らをアーカードの息子と呼んだ白髪の少年は銃を回す手を止め、水平撃ちの状態で構えた。

 

「さぁ、準備ができたらかかってきな。そんな度胸があればの話だけど」

「ナメるなよ半端者のガキが……!!」

 

 己の自信を示すように銃を構える白髪の半吸血鬼(ダンピール)と、殺意をむき出しに吸血鬼特有の白い牙を覗かせる純度100%の吸血鬼。動き出すタイミングを探るように二人は互いに睨み合う。

 いつの間にか、ちょっかいを出してきたスキンヘッドの姿が消えていた事に気付いてはいたが、尻尾を巻いて逃げるような臆病者を気にするのは時間の無駄なので意識から排除した。

 酒の水溜まりに(しずく)(したた)り落ち、ピチャ、ピチャ、と音が響く。やがて、割れた酒瓶の残骸が棚からずり落ち、床に叩きつけられて破片となった。その瞬間、酒瓶が割れる音を合図に、金髪の吸血鬼が白髪の少年へと襲いかかる。

 白髪の少年は薙ぎ払うような8連射で応戦した。が、一発も標的に当たらず撃ち出された弾丸は壁へ突き刺さる。その後、弾倉が空になった事によるスライドストップで安全装置がかかり、引き金が引けなくなってしまった。

 白髪の少年が苛立たしげに舌打ちした瞬間、素早く懐へと潜り込んだ吸血鬼は少年の顎に向けて全身のバネを駆使した掌底を繰り出す。

 古来より、大人20人分の力を持つとされている吸血鬼からそんな攻撃を貰えば、いくら普通の人間より頑丈な半吸血鬼と言えど、タダでは済まない。

 この場合、通常なら本能的に仰け反ることで体勢を崩す事になるが、この少年の場合は違った。

 バネが跳ね上がる前に頭突きを繰り出すことで逆に反撃して見せたのだ。予想外の反撃に固まってしまった所へ、少年はすかさずもう片方の手で抜いた黒鉄の銃を突きつける。

 

「くたばれ!」

 

 引き金を指をかける白髪の少年は、口の端を吊り上げニヒルな笑みを浮かべていた。そして、頭と心臓に3発ずつ銀弾を撃ち込むと、銃口から立ち上る硝煙を振り払うように黒鉄の銃をくるりと指先で回した。その後、流れるような動作で白銀の銃から空になった弾倉(マガジン)を取り出して新しい弾倉と交換する。

 ボロボロと崩れ去る死体に背を向け、少年は店を後にするべく入り口のドアへ手を当てる。開けたドアが閉まる事でチリンとドアにぶら下がっている鈴が鳴いた瞬間、逃走したかに思われていたスキンヘッドの青年がドアを蹴破り、背後から飛びかかってきた。

 白髪の少年は、襲撃に対して特に驚いた様子もなく、白銀の銃を向けることで迎え撃つ。

 からかわれた鬱憤を晴らすように弾倉内の銀弾を全て撃ち込んだ白髪の少年は、蜂の巣になった禿頭を前にうんざりしたかのようにため息を吐いた。残心を解いて撃鉄を戻し、両脇のホルスターへ愛銃を納めた少年は、今度こそ店を後にした。

 

 これが白髪の少年、朱渡(あかど) 明嗣(めいじ)のどこに居ても変わらない日常であり、父親の遺品を求めてやってきたロンドンから、生まれ故郷である日本へ発つ前のほんの些細な出来事であった。




いかがでしたでしょうか?
感想、評価大歓迎。気に入っていただけたらブクマもよろしくお願いします。
それではまた次回をよろしくお願いします。
では。


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第二話 写真を持った少女

どうも皆様、龍崎操真です。
なんか世間は夏休みらしいので今週はもう一話公開します。
では、どうぞ!


 春風吹き抜ける四月初旬。A県交魔市、この地の交通機関の一角である交魔駅の駅舎にて明嗣は筋肉をほぐすように身体を伸ばしていた。

 それもそのはず。なぜなら明嗣はこの駅に辿り着くまでに、ロンドンから日本の羽田までの長いフライト。その後、飛行機から降りたのもつかの間。東京駅から出発する新幹線に飛び乗り、三時間という弾丸旅行をこなしてきたのだ。このスケジュールでは、嫌でも身体がこり固まってしまうというものだ。

 

 足元には生活用品を入れた旅行カバン。愛用している二丁の拳銃や予備弾倉などの装備一式は、空港の持ち物検査に引っかかるので、裏の運送ルートで後から運んで来てもらう手筈となっている。吸血鬼狩りを行おうにも古の時代より吸血鬼は昼に眠り、夜に活動する夜行性なので、昼下がりである現在はぐっすりと眠っている事だろう。生きている中で、もっとも隙だらけになる睡眠中の襲撃を想定していないほど、相手だって間抜けではない。よって丸腰で突撃したなら、十中八九返り討ちに遭う事が容易に想像できる。

 と、言うわけで。今の明嗣はすることがない暇な少年なのだ。

 新幹線で食べた駅弁が期待外れだったりと不満はあったが、楽しい旅ではあった。これから、新幹線で食べた駅弁の口直しも兼ねて土産の品々を手に、馴染みの人物へ挨拶をしに行くのが筋か。

 思い立ち、足元の旅行鞄を拾い上げた瞬間だった。

 

「えっと、この駅を出てから……うわぁっ!?」

 

 明嗣の背中にドンと誰かがぶつかる衝撃があった。同時にバサッっと紙の束が落ちる音が明嗣の耳に入る。

 何事かと振り返り、背後を確認するとそこには、尻餅を着いた少女の姿があった。

 髪は紫がかった黒髪を背中まで伸ばしており、服装は青いポロシャツ、白のズボンに赤のスニーカーと動きやすい物だった。脇にキャスター付きの旅行鞄が置いてあるのを見るに旅行者である事が認められる。

 

「イテテ……。あ! ごめんなさい!」

 

 転んだ痛みを堪えつつ、少女は即座に立ち上がるとぶつかった事に頭を下げた。

 

「そんな大げさにしなくて良いよ。ところで、これおたくの?」

 

 明嗣が拾い上げた本を差し出すと少女は恥ずかしそうに俯きながら本を受け取った。

 

「あ、うん……ありがとう」

「どういたしまして。じゃ、俺はこれで」

 

 明嗣は(きびす)を返して、目的地へ向かうべく歩き出した。だが、少女はまだ用があるようで、「あ、待って!」と明嗣の背中に呼びかける。

 足を止めた明嗣は振り返ると、まだ何か用があるのか、と目線で問いかけた。

 

「あたし、人を探しているの。この写真に写っている人なんだけど、何か知ってる?」

 

 少女は、先程受け取った本の中から一枚の写真を取り出し、明嗣へと差し出した。どうやらスクラップブックだったらしい。明嗣は受け取った写真に何が写っているのか確認すると、その内容に思わず目を見開いた。

 そこに写っていたのは、一人の日本人女性だった。

 髪は黒く、瞳はブラウン。白のワンピースを着て写真撮影用の椅子に座り、微笑む彼女の表情は今が一番幸せだと言わんばかりの穏やかな物だった。

 だが、奇妙なポイントが二つあった。まず一つ目に、写真の中の彼女が座る椅子の位置が異様に右に寄っていた事だ。まるでもう一人、そこに立っている人がいるかのようなスペースがあったのだ。そして二つ目の奇妙なポイントは……。

 

「この女の人が抱きかかえている物、かなりぼけてるな」

 

 写真を差し出して奇妙だと感じたポイントを明嗣が指摘すると、少女は静かに語り始めた。

 

「そうなの。実はあたしの父はカメラマンとして活動していて、それなりに腕が良いって評判なんだ。でも、この写真だけはいくら撮り直してもこうにしか撮れなかった、ってあたしに話してくれて。それからどうしても気になって。だから、写真を撮った交魔市(ここ)に足を運んで写真に写った人を訪ねれば、何か分かるかなって思って来たんだよね」

「すげぇな……たかが写真一枚で……」

()()()? 今、()()()って言った?」

 

 げっ。なんか嫌な予感――!

 

 別に他意はなかった。しかし、不用意に明嗣がこぼした一言が少女の不興を買う事となってしまった。

 本能が「今すぐここから立ち去れ」、と警報(アラート)を鳴らす。だが、時すでに遅し。ジリっと左足を後ろへ擦らした瞬間、目の前の少女は明嗣へ詰め寄っていた。

 

「写真はね、思い出の一瞬を切り取って永遠のものにしてくれる素敵な物だよ!? それを()()()!? 何? 写真馬鹿にしてんの!?」

「あ、いや、その、そんなつもりじゃ……」

 

 明嗣は後ろ歩きで後退しながら、怒りを鎮めようと弁解の言葉を考える。だが、良い言い訳を考えつく前に、明嗣は背中に何か硬い物がぶつかる感触を覚えた。

 ちらっと横目で背後を確認すると、そこに映るは白のペンキで塗装された壁だった。幸い、すでにペンキは乾いているため、衣服が汚れてしまうという事態は免れた。だが、それでも明嗣へ詰め寄る少女の歩みを止める手立てにはならなかった。

 

「じゃあ、どういうつもりで言ったの」

「えっと、それは……」

 

 ずいっと、10cmほどの距離まで少女の顔が明嗣へ迫った。香水か、制汗剤を振りかけてあるのか、少し甘ったるい香りが鼻をくすぐるけれど、今の明嗣にそんな事を気にする余裕はなかった。今、明嗣の頭の中にあるのはどう言い訳したら目の前の少女が大人しくなってくれるのか、その一点のみである。

 体感としては永遠、現実の時間にして一秒ほどの時間が経過した。必死にあれこれ言い訳を考える明嗣の表情を見つめていた少女はふと我に返り、その場から飛び退いた。

 

「ごめん! 頭に血が(のぼ)っちゃってつい……」

 

 恥ずかしいのか、少女は顔を赤らめて気まずそうに視線を逸らした。とりあえず目の前の脅威が過ぎ去った事を悟った明嗣は安心感から、内心ほっと胸を撫で下ろしつつ少女に答えた。

 

「ああ、少しビビったけど大丈夫。ところで、えっと……」

 

 名前を聞いていなかったので、明嗣はどう呼べば良いのか分からず言葉を詰まらせた。すると、彼女も思い出したようで「あ、そうだったね」、と返した。

 

「あたしは彩城(さいじょう) (みお)! この春、高校に上がったばっかりで交魔市(ここ)の学校に通う事になってるの! よろしくね!」

「朱渡 明嗣。俺も高校に上がったばかりだ」

「そうなんだ! じゃあ、明嗣くんって呼んで良いかな?」

「お好きに。ところで、彩城はこんな所で話し込んでいて良いのか? どっか行く所があるんじゃないのか?」

 

 先程言いかけた質問を明嗣は、改めて投げかけると澪は慌てた様子でキャリーケースの取っ手を握った。

 

「そうだった! あたし、叔母さんと待ち合わせしているんだった! じゃあ、あたしはこれで。また会おうねっ!」

「そうだな。またどっかで」

 

 たぶん二度と会うことはないだろうけど、と言いたいのを飲み込みつつ、明嗣は鷹揚(おうよう)に答えて澪を見送った。

 それにしても、と明嗣は手を振りながら先程の写真について思い返す。こんな所で自分が持っているのと同じ写真に出くわすとは夢にも思わなかった。何せあれは――

 

「まさかお袋の写真を持った奴が現れるなんてな……」

 

 これも何かの運命か。誰に届く訳でもなく、明嗣の呟いた言葉は青空へ消える。

 そして、澪の背中が見えなくなるのを確認した明嗣は、今度こそ目的地へと歩き出した。




来週からは週一更新です。
それでは来週お会いしましょう。


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第3話 食事処のオヤジ

 突然だが、朱度明嗣という男には馴染みの食事処(レストラン)がある。その店の名は、Hunter's rustplaats。オランダの言葉で「狩人の休憩所」という意味を持つ言葉だ。大抵の料理は注文したら出てくるし、デザートのバリエーションも豊富。中でも店主イチオシのオランダ料理は中々に美味(びみ)だと評判である。店内の雰囲気も、大手ファミリーレストランのような喧騒ではなく、ジャズが心地よく鳴り響く落ち着いた男の隠れ家を彷彿させる物()()()

 そう。()()()のだ。

 

「な、なんだこれ……」

 

 記憶の中にある漆塗りの木製扉を求めて、明嗣は街中を練り歩き、ついに目的の住所の土地へたどり着いた。

 しかし、目の前に建っていたのは、隠れ家を彷彿とさせるような建造物ではなく、暇を持て余した奥様方がお茶を楽しみつつ、旦那の愚痴をこぼすなどの井戸端会議をしている光景が似合いそうなオープンカフェだった。

 

「おい、どうなってんだこれ……!? 俺の知ってるはHunter's rustplaatsはこんなんじゃなかったぞ……」

 

 変わり果てた馴染みの店を前に呆然と立ち尽くす明嗣。すると、ガサッと紙袋の擦れるような音が明嗣の耳へ飛び込んで来る。

 

「あれ? お前、明嗣か?」

「その声は……」

 

 背後から呼びかけられ、振り返った明嗣の前にいたのはシルバーグレーの髪を角刈りにした一人の男だった。

 体格は中肉中背。白いシャツの袖をまくり上げ、リンゴやじゃが芋などの料理に使う材料が入った買い物の荷物を両腕に抱えていた。くたびれたブルーのスラックスには懐中時計を留めておくための細いチェーンが揺れている。

 この男こそ、明嗣の馴染みのレストランの店主(マスター)、アルバート・ヘルシングである。

 ちょうど良い所に事情を知っているであろう人物が現れた。さっそく明嗣は、これはいったいどういう事なのか尋ねることにした。

 

「マスター! どうなってんだこれ!? なんでHunter's rustplaatsがオープンカフェになってんだ!? 店はどうした!?」

「あー、その事か。これが新しいHunter's rustplaats(俺の店)だ。開放感あって良いだろ? しかも改装したおかげで客足も増えてな。いや〜、思い切ってみて良かったよ」

 

 へへっ、と自慢するように笑って見せるアルバートは晴々とした表情だった。しかし、通だけが知っているような一見(いちげん)さんお断りの雰囲気を気に入っていた明嗣としては、深海のように暗く深い溜め息をつくほかなかった。

 

「やっちまったモンは仕方ねぇけどさ……。もうちょい常連を大切にするようなリフォームをしてくれても良かったんじゃねぇの? これじゃあまるで、頑張ってネアカになろうとしたのは良いものの、あんまウケなくて空気化していく哀れなネクラって雰囲気だ」

「おい、なんて言い草だ。これでも結構悩んだんだぞ」

「久しぶりに気に入ってた店に立ち寄ってみたのに、台無しになってたら誰だってこうなるさ」

「まあ、そう言うな。久しぶりにメシ食わせてやるから元気出せ、な?」

 

 両手が塞がっているため、顎をしゃくる事で中へ入れと促すアルバート。素直に従いはしたが、ぶつくさと何か呟く明嗣の表情は不満げだった。だが、悪いことばかりではない。何を隠そう、この店の店主は明嗣の父親であるアーカードと対決して生き残った事から精神科医を隠れ蓑にヴァンパイアハンターの道を歩む事になってしまった男、エイブラハム・ヴァン・ヘルシングの子孫にして、明嗣に吸血鬼(ヴァンパイア)と戦う(すべ)を仕込んだ師匠。

 店を一新したという事は店の地下にある射撃場(レンジ)、そして対吸血鬼(ヴァンパイア)用武器、魔具を作る工房の設備も一新したという事なのだから。

 

 

 

「おお……」

 

 店内へ入るなり、明嗣はさっそく感嘆の吐息を漏らした。

 明嗣の記憶の中にあるHunter's rustplaatsの内装は、カウンター席が8席、そして4人で座るテーブル席が5席と少し手狭な印象を与える物だった。だが、新装開店したHunter's rustplaatsの中の様子はカウンター席はそのままに、テーブルをまばらに配置する事によって広々とした印象を明嗣に与えた。

 

「なんか広くなってないか? いったいどんなマジック使ったんだよ?」

「今までのファミリーレストランで使うような四角の奴から丸型テーブルに変えたんだよ。それと外にも席を作ったから、その分のスペースができて広くなったように感じるんだろ」

「なるほど……。じゃ、地下の方は?」

「ま、お前が一番気になってんのはそっちだろうな。ちょっと待ってろ」

 

 食材を冷蔵庫にしまい終えたアルバートは、カウンターテーブルの天板の裏にある操作スイッチを押した。すると、ガコッという音と共にアンティーク調のインテリアを展示している棚がズズズ……と音を立てて門のように開いていく。そして、アルバートは棚の裏から現れた地下へと続く扉を開き、地下へと続く階段を降りて行くので明嗣も続いた。

 一番下まで階段を降りると、暗く広大な空間へと出た。アルバートが照明器具のスイッチを入れるとバチッという音と共に周囲が明るくなり、眩しさから一瞬だけ視界が真っ白になる。だんだん目が慣れてきて、何がどこにあるのかを認識できるようになった時、空間の全容が明嗣の視界へ飛び込んで来た。

 

「おお……!」

 

 本日二度目の感嘆の吐息を漏らした明嗣の前に広がるは、広さ250㎡ほどの地下射撃場だった。

 目測にして25m先から始まり、そこから5mごとに配置された大量のアルミ製標的(ターゲット)射手(シューター)が使用するカウンターテーブルには、銃声から耳を保護するための耳あてと標的に命中した場所を確認できるモニター。さらに、その背後にはショットガンやアサルトライフルなどが保管されたケースが設置されており、準備用スペースでは銃の手入れをするためのテーブルと工具が用意されていた。

 

 そして、工房の方では何か作っている途中なのか、バイクや車に使われるような回転計(タコメーター)とケーブル、そしてクレイモアサイズの剣が作業台の上に置かれていた。さらにその隣では、純銀製弾頭を作るための鍋に火がかけられており、中では()けて液体となった銀がグツグツと泡を作っていた。

 言葉を失い、立ち尽くしている明嗣に気を良くしたアルバートは満面の笑みを浮かべた。

 

「どうだ、気に入ったか?」

「気に入るも気に入らねぇもすげーとしか言いようがねぇよ……。お、これは新しい武器か?」

「それは作りかけだから触るな。どこに何があるか分からなくなるだろうが」

 

 目についた片刃の大剣を試してみようと手を伸ばす明嗣に、アルバートは低く重い声で制止する。こういう声を出す時は怒らせると後が怖いので、明嗣は大人しく手を引っ込め、銃が保管されているケースの方を漁り始めた。

 

「それにしても、ここまでの設備をよく揃える事ができたよな? 特にモニターとかさ。的だって今まで紙だったのがアルミ製に変わってるし」

 

 気に入った銃を手にした明嗣は、練習用のペイント弾の箱を持ってきて弾倉(マガジン)へ詰めながら呼びかけた。すると、アルバートは必要ない工具や材料などを整理しながら返事をし、雑談に応じる。

 

「まぁな。昔の仲間を頼って見繕ったんだ。いちいち確認しに行くのも面倒だったし、いい買い物したと思ってるよ」

「おー、すっげー。ところでさぁ……」

 

 弾を装填したハンドガンを構えながら、標的を見据える明嗣はふと気になった事を口にした。

 

「ぶっちゃけ、ここまで揃えるのにどんくらいかかった?」

「……聞くな」

 

 アルバートは居心地が悪そうに明後日の方向へ視線を逸らした。これだけで相当な額の金をつぎ込んだ事が伺える。

 さすがに可哀想だと感じた明嗣は、アルバートにこれ以上深く追求することをやめた。

 その後、射撃場で時間を潰していると電話がかかってきたので二人は店の方へ戻り、ついでに食事を摂ることにした。

 

 

 

 



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第4話 新顔と新武装

 Hunter's rustplaatsはオランダ料理が絶品だという評判で人気になった食事処だ。中でも軽食や酒のツマミにもなるクロケットが一番人気で、この店においては看板料理と言っても過言ではない。

 無論、常連である明嗣もいちいち言わなくても注文に入っているくらいには、クロケットを気に入っていた。

 

「はいよ」

 

 こんがりとキツネ色に揚がった小さな俵型の揚げ物にマスタードを添えた皿を、明嗣は待ってましたとばかりにアルバートから受け取った。

 

「ここに来たらまずこれを食わないとな。んじゃあ、さっそく......」

「おい、キベリングとアップルタルトも作ってるからもうちょい待ってろ。今日は新顔も来るんだよ」

「新顔?」

「おう、そうだ。しかも喜べ。それも女の新顔だ」

「女、ねぇ……」

 

 女と聞いた瞬間、明嗣の脳裏に交魔駅で出会った彩城 澪の姿が浮かんだ。しかし、彼女からは同業者特有の空気が感じられなかったのですぐに振り払う。もう一人、心当たりがあるにはあるが、そっちもそっちであまり良い印象を抱いていない。期待した通りの反応を返して貰えなかったアルバートは不思議そうに明嗣へ声をかける。

 

「どうした? なんか女で嫌な事があったのか」

「まあな。あれは今年のアタマくらいの事だったかな……。とあるレストランで……」

 

 明嗣が事情を語り始めた瞬間だった。表のドアが開き、ドアベルがチリンと鳴る。二人がその音に反応すると同時に、店の中へ入って来たのは明嗣と同年代と思われる少女だった。

 彼女はウエストの部分を結んだパステルイエローのサッシュ・ブラウスの上に白いカーディガンを羽織っていた。ボトムスは藍色のスキニーパンツ、靴はダークブラウンのローファーを履いている。そして、何よりも目を引くのは肩に背負った現代社会に生きる者のファッションに似つかわしくない、口を赤い紐で縛った紫の竹刀袋であった。荷物を持ったまま、軽く店内を見回しつつ、ティアラをイメージするように髪を編み込んだクラウンカットの栗色の髪を揺らす彼女は、店の内装や雰囲気に対して若草色の瞳を輝かせながら感動の声を上げた。

 

「わっ、すっごい! 店の中がピカピカ! 雰囲気も落ち着いてて良い感じ......ってあれ? 明嗣?」

「うーわっ、マジか。よりにもよって......」

 

 声を掛けられ、明嗣があからさまに嫌そうな声を上げた彼女の名は持月(もちづき) 鈴音(すずね)

 彼女も明嗣と同じ吸血鬼(ヴァンパイア)を狩る者であり、たった今話そうとしていた()()()の関係者である。

 

「なんだお前ら。知り合いだったのか」

 

 二人が知り合いだった事にアルバートは思わず目を丸くした。すると、明嗣は当時のことを思い出したのか肩を落として答えた。

 

「前に仕事した時、ちぃっとあったって所かな。つか、今その話をしようとしてたんだよマスター」

「何なに? アタシの話してたの?」

「ああ。お前が作ったクソまずいフィッシュフライバーガーを食わせられた上に雑魚掃除を押し付けられた話をな」

「まだ根に持ってたの!?」

「当たり前だ! 食いモンの恨みは恐ろしいって知らなかったのか!」

「あれは謝ったじゃん!」

「世の中ごめんで済めば世話ねぇんだよ! だいたいあの仕事で俺が貰えた依頼料は雀の涙だぞ! あれじゃ、弾一箱分だって買えやしねぇ!」

「貰えたんなら良いじゃん! アタシなんてあの後、依頼人がバックれてタダ働きだったんだからね!?」

 

 

 出会い頭に始まった明嗣と鈴音の言い争いをしばらく見守っていたアルバートだったが、いつまで経っても終わりの見えない事を見かねてか、ついに口を挟んだ。

 

「おい、お前ら。そこまでにしておけ。これからは二人で組む時もあるかもしれないんだから仲良くしろ」

「はーい……」

 

 アルバートの言葉に鈴音は素直に返事をしてみせた。だが明嗣は不服の声を上げる。

 

「俺は単独行動(ソロ)派なんだけど。誰かに背中を預けるなんてゾッとしねぇ」

「口答えするな。俺は子供(ガキ)に仕事は回さないからな」

「そう言いつつ、なんだかんだ俺に頼むくせに」

「ほぉ、そうか。じゃあ今回はテストも兼ねて嬢ちゃんにするかな?」

 

 ぴらっと人差し指と中指ではさんだメモ用紙をちらつかせるアルバート。ふたつに折られたそれは、この店に電話を掛けてきた相手が合言葉を口にした時に出来上がる依頼書、つまり吸血鬼(ヴァンパイア)狩りの注文書(オーダー)だ。このままでは、今回の依頼が鈴音の手に渡ってしまう。だが、明嗣は痛くも痒くもないと言いたげに口を返す。

 

「はっ。一匹持ってかれたくらいどうって事ないね。わざわざこっちから出向かなくても俺を殺しに向こうからやってくるからな」

「でも金はもらえねぇ。狙ってくる吸血鬼(ストーカー)を返り討ちにしてもただ疲れるだけ、だろ?」

 

 明嗣は返す言葉を持ち合わせてなかったため、黙り込んでしまった。

 仲間と袂を分かった吸血鬼は、裏切り者として同胞の者達から命を狙われる事となる。人間に味方し、仲間に矛を向けた明嗣の父親、アーカードも例に漏れず命を狙われる事となった。

 その際、明嗣のあずかり知らぬ所でアーカードはよっぽど吸血鬼達の顰蹙(ひんしゅく)を買ったらしく、「アーカードの血は根絶やしにしろ」という、明嗣からすると非常にはた迷惑な掟が出来上がったらしい。

 ならば、見敵必殺(サーチアンドデストロイ)。こちらから出向き、「()られる前に()る」事でしか生き残る道はない、と教えてくれたアルバートに付いて回り、経験を積み上げて現在に至るのが明嗣の半生なのである。

 

「……チッ。わかったよ。言う通りにするから注文(オーダー)くれよ」

 

 明嗣は敗北宣言代わりに舌打ちをし、メモ用紙を受け取った。すると、てっきり自分にお鉢が回ってくると思っていた鈴音は驚きの声をあげる。

 

「え!? アタシにくれるんじゃないの!?」

「悪いな、嬢ちゃん。ウチはメンバーズカードがねぇと仕事を回してやらない事にしてるんだ」

「えー、今までのやり取りの意味......。ていうかアタシ、そんなのなくても良いんだけど」

「特典として注文が無料になるとしてもか?」

「うっ。それはちょっとグラっとくるかも……」

 

 突如明かされた会員特典に鈴音は悩むように腕を組んだ。先程から横目で明嗣の前に置かれたクロケットをちらちらと見ていたので、おそらく脈はあるのだろう。アルバートは目線で明嗣に「クロケットを一つ分けてやれ」と指示する。先程のやり取りの直後だったので、明嗣は素直に指示に従い、鈴音へとクロケットが盛られた皿を差し出した。

 

「一つ食ってみな。うまいぞ」

「うー……じ、じゃあ一個だけ……」

 

 アルバートに促されるまま、鈴音はマスタードが塗られたクロケットを一つ口の中へと放り込む。二、三回ほど咀嚼してからクロケットを胃の中へと納めた鈴音は、思わず目を見開いた。

 

「なにこれ、うまっ! じゃがいもがホクホク! ねぇ、もう一個ちょうだい!」

「だめ」

「そんなぁ……」

 

 これ以上はやらないと明嗣に皿を取り上げられた鈴音は、おやつを没収された子供のような表情で悲しそうな声を出した。すると、アルバートは悪魔が召喚者を誘惑するような笑みを浮かべ、鈴音に声を掛ける。

 

「カードを作ればこれが食い放題だぞ。さぁ、どうする? 他にも色々あるぞ〜」

 

 そう言いつつ、アルバートは白身魚のフライにガーリックマヨネーズを添えたオランダ料理、キベリングを運んできた。まだ揚げた時の熱が残っているのか、パチッと魚の脂が弾ける音がした。そこへ、狙いすましたかのようなタイミングでアップルタルトの焼き上がりを知らせるオーブンのベルが鳴る。八等分に切られ、運ばれて来たアップルタルトの皿には、なんとご丁寧にアイスクリンで球体に整形されたバニラアイスまで添えられている。今ドキの"映える"スイーツを前にした少女の胃袋は思わず、あれが食べたい、と唸り声をあげる。

 さらに隣では、明嗣がさも当然のように料理を口へ運び、美味しく食事をしているのだから、お預けをされている鈴音としてはたまった物ではない。

 ここまでされては、いくら強情な姿勢を取ろうとしても育ち盛りなお年頃の少女の食欲には耐えられるはずもなく……。

 

「作る! カード作るからそれ食べさせて!」

「よし、交渉成立! それじゃ、歓迎会だ! 遠慮なく食え!」

「ぃやたっ! いっただっきまーす!」

 

 やっとお預けから解放された鈴音は、まずキベリングに手をつけた。魚のフライに刺さった楊枝を手にし、ガーリックマヨネーズをつけてから口へ運ぶ。

 

「ん〜! これも美味しい! ニンニクの風味が良い感じに効いてるからいっぱい食べれそう! ねぇ、他に何作れるの!?」

「大抵のモンは作れるぞ。朝に来たらパンネクックやトーストとかも出してやれる」

「パンネクック……って何?」

日本(ここ)で通りが良い呼び方をするなら、パンケーキみたいなモンだな」

「ほんと!? じゃあ、毎日ここに来たらいつも映える朝ごはんを作ってもらえるんだ!」

「おう、そうだ。まぁ約一名、米も食わせろと抜かす奴もいるがな〜?」

 

 目を輝かせる鈴音の質問に答えつつ、アルバートはジトッした視線を明嗣の方へ向ける。しかし、当の明嗣は痛くも痒くもないと言いたげに、涼しい表情でクロケットを口へ放り込んでいた。

 

「パンケーキ美味しいじゃん! アタシは毎日パンケーキでも良いくらいだよ!? なんでなの、明嗣!」

 

 信じられないと言いたげに明嗣へ話を振る鈴音。すると、明嗣は面白くないと鼻を鳴らした。

 

「毎日朝から小麦粉を食わされる身になってからそんな事言え。こちとら拾われてから十年、ずうっとだったんだぜ。たまには違うモンを食いたくもなるさ」

「うーん……そういうものなのかな……。っていうか拾われた?」

 

「拾われた」という明嗣の言葉に鈴音は耳ざとく反応した。しかし、明嗣はそれ以上言及をしなかった。

 その話題を深堀りする前に、アルバートが白い布をかけたトレイを持ってきたからだ。

 

「明嗣。お前、今丸腰だろ?」

「ああ。空港の荷物検査に引っかかるから運び屋に任せた。だから、届くまでここから適当にエモノを借りようかと思ってる」

「ふざけんな。お前に貸して無事に返して来た試しがないだろ。まぁそれは置いといて、だ。お前にいっつも世話ンなっている黒鉄(くろがね)銃砲店からプレゼントが届いているぞ」

 

 そう言いつつ、アルバートはトレイから布を取り去った。

 黒鉄銃砲店とは、銃把(グリップ)で相手の頭を殴りつけるなど手荒い銃の使い方をする明嗣がよく修理で世話になるガンショップである。もちろん、日本は銃規制が厳しいため、裏でこっそりと営業している()()()()()()()()店だ。

 バサッという布が跳ね上がる音と共に姿を表したのは、白銀と黒鉄の二丁で一対の自動大型拳銃(オートマチックマグナム)だった。

 

「高校に上がった進級祝い、だそうだ。二丁ともお前専用に作られた特注品だぞ。後で礼言っとけよ」

「物騒な進級祝いだなぁ......。つか、わざわざ新調しなくても今までので十分......」

 

 呆れたように口を返す明嗣だったが、白銀の銃を手に取り、弾倉を手にした瞬間、目の色が変わる。遊底(スライド)の側面に刻印されたその銃の銘は〈 Anti vampire automatic magnum White Dispell〉。銃身35cm、重量11kg。装填される弾薬、水銀製弾核を採用した10mm 水銀式炸裂弾(エクスプローシブ・シルバー・ジャケット)は、着弾すると一撃で吸血鬼(ヴァンパイア)の首から上を吹き飛ばす事ができる強力な代物だ。

 もう一つの黒鉄の銃、〈Anti vampire automatic magnum Black Gospel〉は、使用する弾薬、銃身、重量は前述のホワイトディスペルと同じではあるものの、引き金の幅が狭いショートトリガー機構を採用する事により、連射性能を高めた(つく)りとなっている。

 そして、何よりも特筆すべき点はこの二丁の大型拳銃に採用される弾倉(マガジン)にあった。

 

「これ、複製式(クローニング)複列式弾倉(ダブルカラム)か?」

 

 複製式(クローニング)とは、側面に掘られた魔法陣の式によって()()弾薬を精製する事を可能とした弾倉を指す名称である。通常、自動拳銃は決められた数の弾薬を詰めた弾倉を挿す事により、弾を装填する仕組みなので残りの弾倉の数や装填した弾倉内の残弾数を計算しながら銃撃戦(ガンファイト)を繰り広げる事となる。だが、この複製式(クローニング)弾倉は違う。

 この弾倉は底部に収まったサンプルを元に、10秒に一発のペースで弾薬を精製し、撃つ弾が無くなる問題を解決した画期的な代物なのである。

 

 しかも、複列式弾倉(ダブルカラム)なので装弾数は一本につき、15発。さらに、元々装填されている物の他に、予備として同じ物が二本も用意されている。しっかりと考えて運用したのなら、よほどの事がない限り、スライドストップにより撃てなくなる、なんて事態は起こらないはずだ。

 

「いったいどうやって手に入れたんだよ......。こんなモン使った銃を持てるのは、ローマ教皇庁付きの騎士(ナイト)の称号をもらった奴くらいだろ」

「え、何? 凄いの、これ?」

 

 隣から覗きこんでいる鈴音は、いまいち理解できていない様子だ。なので、明嗣は装填したホワイトディスペルのスライドを引いて薬莢室(チャンバー)から弾を一発だけ取り出した後、素人でも分かりやすいように説明を始めた。

 

(すげ)ぇなんてモンじゃねぇよ......。良いか? この弾はな、当たれば一発で頭が吹き飛ぶし、胴体にドデカい風穴を空ける事ができる。ここまでは良いな?」

「うん。それくらいは理解できるよ。それで?」

「じゃあ、そんな弾を理論上無限に撃ち続ける事ができる銃があるとしたら?」

「そんなの、凄いに決まってるじゃん。あったら見てみたいよ」

「それが目の前のコイツらだ」

「え、本当!? 凄いじゃん!」

「そうだよ。だからこそ、どこで手に入れたのかをお聞かせ願いたいね」

 

 疑るような目付きで明嗣はアルバートへ視線を向ける。明嗣が疑いたくなるのも無理はない。

 先程、明嗣が言った通り、複製式(クローニング)弾倉はローマ教皇庁付きの騎士(ナイト)の称号を持つ者しか所持していない貴重な物だ。

 ローマ教皇庁はカトリック教会の総本山、つまり異教徒や神に背く者からこの世の者ならざる化け物まで、神に仇なす者は一切許さぬ者達が一同に集まる集団だ。その中で騎士(ナイト)の称号を授かる者は文字通りの狂信者と呼んでも差し支えない程に敬虔なカトリック信者であり、化け物専門の祓魔師(エクソシスト)も兼任している。はっきりと言ってしまうなら、司祭が神に仇なす者、またはそれに類する化け物だと判決を下せば、容赦なく()()してしまうような冷酷な掃除屋なのだ。そんな奴が使うような武器をいったいどうやって手に入れる事ができようか。

 

 考えられる可能性は三つある。一つ目はどこかで拾った事。しかし、銃規制が厳しい日本において、モデルガンならともかく、銃本体や弾倉だけがポツンと落ちていた、なんて事はいくらなんでも無理があるのでこれは除外して良いだろう。ならば二つ目、同業者の誰かから譲ってもらった。有り得なくはない話だが、人に譲るくらいなら自分で使うという者の方が多いと思われるので、これも除外。

 と、なると三つ目の――

 

「まさかコイツに発信機か何かが仕込まれていて、神の尖兵を気取った祓魔師(エクソシスト)が俺の命を狙いにやってくる、なんてパターンじゃないよな?」

 

 そう。これがもっとも現実的かつ、納得しやすい選択肢。まんまと罠に嵌められて、相手の思惑通りに事が運んでいる可能性。

 明嗣は人間と吸血鬼の間に生まれた半吸血鬼(ダンピール)、主が作りたもうた創造物である生物の輪から外れた存在だ。カトリック教会の狂信者達にそんな奴が生きている事を許す道理があるだろうか? その答えは、明嗣の経験から言わせてもらうなら「否」である。

 

 なんなら、ロンドンにいた時にもローマ教皇庁の祓魔師とバッティングして大変な目にあった、なんて事もあったくらいだ。だからこそ、罠かもしれない目の前の銃を受け取れずにいた。そんな明嗣の疑念を感じたのか、アルバートは呆れたように溜息をついた。

 

「発信機の類が付いてる訳ねえだろ。これは見よう見まねで俺が作ったオリジナル弾倉(マガジン)だよ。ちゃんと機能する事も実験済みだ」

「……ははっ。すっげ」

 

 師匠からのお墨付きをもらった一点物(オーダーメイド)の自動大型拳銃。こんな上等な品をもらって喜ばない男子はいない。

 疑念が晴れた明嗣は目の前の銃を手に取り、銃把をしっかりと握り込む。初めて握ったのにも関わらず、ずっと一緒に戦ってきた相棒のように手に馴染むそれは、明嗣にとって最高の進級祝いとなった。

 新たな愛銃に合わせて用意されたホルスターを身につけた明嗣は、席を立ち外へと向かう。その背中へ、アルバートが声を掛けた。

 

「おい、試し撃ちはしなくていいのかよ?」

「いらねぇよ。問題あるなら俺に渡してない、だろ?」

 

 明嗣が答えると同時に、ドアベルがチリンと音を立ててドアが閉まった。

 外の様子はすっかりと日が落ちて暗くなっている。それは血に飢えた獣達が蠢き出す時間が始まった事を示していた。

 しかし、夜を明るく楽しもうと言わんばかり騒ぐ者達の溜まり場である繁華街の方は、クラブなどが放つ色とりどりのネオンの光で輝いている。その輝きに飲み込まれないようにフードを被った明嗣は、狩りの獲物を求めて歩き出した。



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第5話 吸血鬼の魔眼

 はぁ……はぁ……ぁ……はぁ……!

 

 街を照らす光が届かぬ裏路地で愛の交わりを彷彿とさせる女の苦悶と悦楽に悶える声が響いている。

 しかし、彼女は実際に相手を受け入れている訳ではない。その証拠に、辺り一面に響く嬌声には、助けを求めるような恐怖も混じっており、その行為は生き死にの境界線を侵し、魂の尊厳を快楽で蹂躙するように犯す物だった。

 

 ぴちゃん、ぴちゃん。

 

 血のしたたり落ちる音と共に()()()()()()()生命(いのち)の冒涜をしている。

 その様子を物陰からひっそりと伺う少女が一人いた。青のポロシャツに白のデニムを着たその少女は、昼間に明嗣が出会った彩城 澪であった。

 

 なぜ、彼女がこのような事になっているのかというと、数分前にまで遡る。

 澪は今日来たばかりの街なので、周辺を散策しておこうと思って商業施設や食事処を見て回っていた。そうしていく内に日が落ちて行き、空も暗くなってきたからそろそろ帰ろうかと思っていた矢先、ドサリと何かが落ちるような音が聞こえたのだ。いったいどうしたんだろう、と音のした方へ様子を伺いに向かうと、そこには向かい合う男女が立っていた。なにやら()()()()()を漂わせているから邪魔してはまずいと思ったけれど、同時にこれからどうなるのか、と気になった澪は物陰に身を潜め、様子を伺うことにした。

 

 女の風体はデートにでも行く予定だったのか、ハーフアップでまとめた黒い髪をバレッタで留めおり、パステルピンクのチュニックにブルーのミニスカートといった出で立ちで、足元に赤い革製のハンドバッグが落ちていた。男の方は黒い革の上着に黒のスキニーパンツ、シルバーのブレスレットを左の手首に身に着けていたが、何よりも目を惹いたのは病的なまでに白い肌と血のような朱い眼だった。今にも倒れてしまいそうなくらい顔色が悪いのに、なぜか力強さを感じさせるような情熱的な眼差しに、バレッタの女は熱に浮かされたように男に釘付けとなっていた。

 見つめ合う内に縮まる二人の距離を、澪は目を離せずに見守っていた。そして、二人の間がもう1cmもあるかという所にまで達した時、男は女を抱きしめた。

 

 突然のことに澪は、体の動かし方を忘れたかのように固まってしまった。自分の前にもあんな風に抱きしめてくれる人が現れるだろうか、と思うほどの情熱的な抱擁に、澪は思わず顔に熱が宿るのを感じる。

 だが次の瞬間、その熱は一気に引いていく事となる。

 女の身体を抱き寄せた直後、黒尽くめの男はまるで肉にかぶりつくかのように大きく口を開き、首筋へ噛み付いた。

 

 え……?

 

 目の前で起きた事に理解が追いつかず呆然と立ち尽くすしかできない澪。対して、傍観者を意に介す事なく男は流れ出す女の血の味を楽しんでいた。

 

「あン……んぅ……はぁ……!」

 

 一方、噛みつかれている女の方も、まるで情欲に火が点いたかのような、熱を帯びた嬌声をあげている。しかし、淫らに歪む表情と声の情熱に反して、顔色の方はみるみる内に青ざめていき、血色が悪くなっていく。

 

 え……え? な、何……!? 何しているのあれ……!?

 

 理解不能。というよりは、目の前で起きている事を理解したくないと言った方が正しいだろうか。血を流しながら嬌声をあげる女を貪る男という構図に澪は、ただただ立ち尽くす事しかできなった。

 そうして何もできないまま時間が経過していき、現在に至るのだ。

 

 あ、警察……! 警察を呼ばないと……!

 

 あまりにも常軌を逸した状況を前に混乱する澪は、市民の味方であるお巡りさんに助けを求める事にした。しかし、身体全体が恐怖で震えてしまい、ポケットから上手くスマートフォンを取り出す事ができない。ようやくスマートフォンを取り出す事ができた澪は、震える指で受話器のアイコンをタップし、通話機能を立ち上げて1、1、0、とたどたどしい手つきで緊急時の短縮番号を打ち込む。回線が繋がり、コール音が一回鳴った後、電話番をしていた警官の声が澪の耳に入ってくる。

 

「はい。交魔市警察署です。どうされましたか?」

「あ、あの! あたしのすぐ側でひ、人が襲われているんです! なんか女の人の首に噛み付いて、血が流れて、それで――」

 

 澪は隠れている事がバレないよう、小声で必死に状況を伝えようとするが、状況が状況なだけに頭が混乱して、上手く言葉を纏めて口に出す事ができない。

 それでも話を聞いている警官はただならぬ雰囲気を感じ取ってくれたようで、すぐに声のトーンが真剣な物へと切り替わる。

 

「分かりました。すぐ近くにいる者をそちらへ送ります。近くに場所の名前が分かる物や、目印になりそうな物はありますか?」

「えっと近くには――」

「こんばんは、お嬢さん」

「――ぁ」

 

 不意に聞こえたその声に、澪は呼吸を忘れたかのように凍りついてしまった。

 同時に力が抜けて、手のひらからスマートフォンが滑り落ちる。

 おそるおそる振り返ると、そこには口元を血で濡らし、仕方ないなと言いたげな苦笑を浮かべる男のような何かが立っていた。

 

「覗き見はいけないなぁ……。とりあえず"電話を切ってもらおうかな"」

 

 え、身体が勝手に……!?

 

 朱い眼に射抜かれた澪は、自らの意思とは関係なく無言でスマートフォンを拾い上げると、「どうしましたか!?」と呼びかける声を無視して通話を切ってしまった。しかも、その動作は先程まで指が震えて上手く動かせなかったのが嘘のように滑らかな物だった。

 口の端に残る血を手の甲で拭い、男は獰猛な笑みを浮かべる。そして、品定めするように澪の周りをぐるりと回り始めた。

 

「クククッ……良い子だ。今夜は運がいい。なんせ二人も美味しそうな女性(ひと)に出会えたのだから……」

 

 どのように料理してやろうか。そう言われているかのような視線を浴びながら、澪はどうやってこの場を脱しようかと思案する。

 だが、先程まで動かせていた身体は金縛りにあったかのように動かすことができなくなっていた。

 

 なんで……!? さっきまで動かすことができたのに……!?

 

 動けと脳が身体全体へ電気信号を送るも、やはり澪の身体が動くことはない。恐怖と焦燥で心臓の鼓動が早くなっていくのを感じる。

 

「あ〜、だめだめだめだめ。そういうのはできないようにしているんだよ」

 

 澪の考えている事を見透かしたのか、男は指を振って注意した。澪の品定めを終えたのか、再び澪の前に現れた男は澪が身体を動かせない理由を語り始めた。

 

「僕の目は特別でね。吸血鬼って知ってるかい? 僕はね、よく血を飲み、女の子を虜にしている()()吸血鬼なんだよ。だから、こうやって視線を向けるだけで、好きなように言うことを聞かせる事ができるんだ。まぁ、僕の目の力が効かない奴もたまにいるけどね」

 

 男はゆっくりと澪へ近付き、そっとガラス細工を扱うように両肩へ手を置く。手が肩に触れた瞬間、澪は背筋に不気味な寒気が走るのを感じた。

 澪に触れる手は、まるで氷で出来ているんじゃないかと錯覚するほどに冷たかった。いや、血の気が引いた皮膚の色からして、石膏の方が的確だろうか。とにかく服越しからでも感じるくらいに冷たく硬い感触だった。

 触れるたびにびくりと反射的に震える澪の反応に、男は愉悦が混じった笑みを浮かべた。

 

「怖がらなくて良い。すぐに怖いという気持ちも消えるよ」

 

 ゆっくりと澪の首筋に血に塗れた唇が迫る。澪はなんとか逃れようとするけれど、やはり身体が強張るだけで動くことができない。

 二人の顔の距離が5cmにまで迫った時、澪は覚悟を決めたように目を固く瞑った。

 だが、澪の首筋に男の唇が触れる事はなかった。その代わりにゴスッ、と鈍い音が澪の耳朶を打つ。

 

 なに……?

 

 何が起きたのか確認するため、澪は恐る恐るとゆっくり目を()けていく。すると視界に映っていたのは、襟から赤いフード垂れている黒いコートの背中だった。

 

「よぉ、色男。ずいぶん熱烈にナンパしていたようだけど、恋愛映画ごっこをやるにはちと顔色が悪過ぎるんじゃねぇの?」

 

 コートの裾を払いながら軽口を叩くその声には聞き覚えがあった。たしかこの街に来た時、駅の前でぶつかった……

 

「め、明嗣くん……?」

 

 確証はなかったため、名前を呼ぶ声は不安げだ。しかし、澪の直感は正解だったようで驚いたように黒い背中が跳ね上がった。素早く振り返った際に揺れる白いカーテンの隙間から覗くのは、黒と紅の特徴的な二色の瞳。間違いなく、交魔駅でぶつかった朱度 明嗣その人であった。

 

「なんで俺の名前を……って、あ! お前、昼の!」

「そんな事はどうでもいいの! 早く逃げて! このままじゃ、明嗣くんが殺されちゃう!」

「グッ……うぅ……」

 

 澪が明嗣へ早くこの場から逃げるように促すと呻く声が聞こえてきた。声のした方へ視線を向けると、いつの間にかできていた瓦礫の山の中から、血色の悪い腕が中から突き出していた。その腕は周囲を確認するように周りを叩く。そして、拳を握り高く振り上げた後、槌を下ろすように振り下ろした次の瞬間。瓦礫の山はたちまち粉塵と化す。

 一連の様子を見守っていた明嗣は、賞賛するように口笛を吹いた。

 

「おーおー……いったいどんな風にやればそんな事できるよ」

「関心している場合じゃないよ!? それより早く……って、あれ? 動ける?」

 

 二人で逃げるために反射的に明嗣の腕を掴もうと手を伸ばした澪は、金縛りが解けている事に気がついた。チャンスだ。今なら二人でこの場から逃れる事ができる。

 

「とりあえず、今のうちに早く逃げよ! あの人、何かおかしいよ」

「あーっと……あいにく、俺はあいつに用があるんだけど……」

 

 申し出を拒否し、申し訳無さそうな表情を作る明嗣。しかし、澪はそんな事は知るかとばかりにがっしりとコートの袖を掴み、明嗣の腕を引っ張る。

 

「なに言ってんの!? 今の見たでしょ!? あんな力で殴られたら明嗣くん死んじゃうよ!?」

「いや、さっきあいつを蹴り飛ばしたのを……あー! もうしゃらくせぇ! “寝てろ”!」

 

 明嗣の左目に宿る紅の瞳が妖しく光った。すると、力強くコートの袖を握っていた澪の両手がぱっと離れた。同時に彼女の身体は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。前のめりに倒れていく澪の身体を受け止めた明嗣は、頭をぶつけないようにそっと壁に預けた。

 これが明嗣の半分吸血鬼ゆえに与えられた能力(ギフト)の一部、服従の魔眼である。

 

 明嗣の吸血鬼(ヴァンパイア)である部分を象徴する紅の左眼には相手に命令を強制させる能力、そして、吸血鬼(どうるい)を見抜く力が備わっているのだ。しかし、この能力は完全な吸血鬼(ヴァンパイア)であれば誰にでも備わっている物だし、そもそも吸血鬼(ヴァンパイア)に対しては無力なので対吸血鬼(ヴァンパイア)戦においてアドバンテージを得るには至らない。効力も片方だけの瞳ゆえか、両の眼を駆使して能力を行使する吸血鬼(ヴァンパイア)に比べて薄い。なので、こうして端的に「眠れ」などの簡単な命令を下し、実行させる事は可能でも命令遂行後も拘束しておくほどの力を持っていない。その代わり、人に紛れて獲物を狙う吸血鬼を見破る事ができるし、他の吸血鬼からの命令を跳ねのける抵抗力も備わっているのだ。

 

 澪の顔の前で手を振ってしっかりと眠ったかを確認した後、忌々しげな視線を向けてくる男へ向き直る。

 

「よぉ、待たせたな。始めようぜ」

 

 明嗣は拳を握り、上体を(はす)に倒し、左腕で腹部を覆うような構え、ボクシングのヒットマンスタイルを取り、トントンと軽く跳ねてリズムを取り始める。対して、男はそんな明嗣の姿を憐れむように眺めていた。

 

「かわいそうに……。噂は聞いているよ。吸血鬼と人間の間に生まれた半吸血鬼(ダンピール)。実際に見るのは初めてだよ。()()()()が半端、なんだってね?」

 

 男は侮蔑と嘲笑が入り混じった視線と共に、自分が耳にした噂の真偽を確かめるような言葉を投げかける。対して、明嗣はニヒルに口端を吊り上げてはいたものの、面白くないと言いたげに視線を冷たくした。

 

「うるせぇよ。んな事で傷つくようなチョロい奴に見えんのか?」

「ああ、ごめん。別にそんなつもりはなかったんだ。ただね、半吸血鬼の銃撃手(ガンスリンガー・オブ・ダンピール)の名前の方も有名でね。半吸血鬼(ダンピール)のキミは吸血鬼(ぼくたち)と違って、玩具を持って戦わないといけないんだと思うと可哀想で可哀想で……」

 

 油断している吸血鬼の顔面が突如、軽快なパァンという音とともに弾けた。素早く拳が届く距離まで踏み込んだ明嗣が、腕を鞭のようにしならせて放つフリッカージャブを当てたのだ。続いて明嗣は右腕でボディブローを繰り出し、相手の身体をくの字に折り曲げる。その後、グシャッ!っと、顔面に何かがめり込む嫌な音が辺りに響く。これは明嗣が男の頭を掴んで飛び膝蹴りを叩き込んだ音だ。

 

「ンブゥ!?」

 

 相手が油断している隙を突いた奇襲攻撃に、男はたまらず情けない声を上げて後方へ跳ねた。さらに明嗣は、追撃の回し蹴りで腹をサッカーボールを蹴るように蹴り飛ばす。

 コンクリートの壁を破砕しながら飛んでいく肉塊は遥か彼方へと消えた。軽く息を吐いて呼吸を整えた明嗣は、標的を追いかけて行く前にぐっすり眠っている澪を一瞥した。

 

「んじゃ、いい夢見ろよ、ってな」

 

 手を振り返してくれる訳ではないけれど、明嗣はせめてもの礼儀として手を振り、別れの挨拶をする。その後、コンクリートの破片を踏みしめ、狩りの獲物を追いかけていった。



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第6話 怒りの吸血鬼と双銃使いの半吸血鬼

「ウゥ……グッ……!」

 

 どこかの廃ビルの一室にて、獣じみた声が響く。ここでは、明嗣が蹴り飛ばした吸血鬼が呻き声を上げていた。

 

「クソっ……。僕があんな……!!」

 

 未だに信じられないといった面持ちで吸血鬼は横たえていた身体をゆっくりと起こした。ポタリと何かが落ちる音がしたので下へ目を向けると、赤黒い雫が落ちている。ポタ、ポタ、と落ちて行くそれは、先ほど明嗣に叩き込まれた飛び膝蹴りによる鼻血だった。

 

「アイツはどこだ……! 僕の顔によくも傷を……!!」

 

 明嗣を探すその目には、絶対に許さないという怒りが宿っている。赤い瞳も相まってまるで業火が燃えているような眼差しだった。

 手の甲で流れる血を拭い、明嗣を探す吸血鬼はノロノロとした動作でゆっくり立ち上がった。同時にコツ、コツ、と靴音が鳴る。

 靴音の主は散歩でもするかのように悠然と歩いてくる明嗣だった。

 余裕をひけらかすような笑みを浮かべながら歩みを進め、吸血鬼との距離が目測10m辺りにまで迫ったその時。懐から白銀と黒鉄の双銃を素早く抜き放ち、急所である頭と心臓へ素早く狙いを定め、水平撃ちの構えで引き金を引く。

 対して吸血鬼の方は、咄嗟に仰け反り、狙いを外すことで難を逃れた。標的を失った銃弾は鉄筋コンクリートの壁へと突き刺さり、大きな風穴を開ける。上体を起こし、体勢を立て直した吸血鬼は、飛んできた銃弾の異常な威力を前に驚愕の声を上げた。

 

「な、なんだその弾丸は!? それは純銀の弾じゃないのか!?」

「10mm水銀式炸裂弾(エクスプローシブ・シルバー・ジャケット)。着弾と同時に弾頭内の炸薬が爆発し、水銀が拡散する特別製さ」

 

 満足げな笑みを浮かべて答えた明嗣から一瞬だけ視線を外し、吸血鬼は横目で背後に目をやる。壁に大きく空いたトンネルは「当たればお前もこうだぞ」と暗に告げているようだった。

 

 どうする? 逃げるか……?

 

 たまらず、吸血鬼は逃走する算段をつけようと頭を回し始めた。ただの銀の銃弾だったなら、数発くらい被弾したとしても勝てる自信はある。しかし、目の前にいる奴が使用している弾丸は、どう見ても当たればタダでは済まない代物だ。急所から外れたとして当たった箇所が吹き飛び、屈辱的な苦痛を味わいながら、トドメを刺される事になる事は想像に難くない。

 そんな物がこれから自分に襲いかかって来るのかと思うと、身震いせずにはいられなかった。

 幸いな事に、背後には開けたてホヤホヤの逃走経路が開通している。ここから被弾しないように立ち回れば、上手く人混みに混ざって逃げ切る事ができるだろう。鼻血と屈辱の礼はまたの機会に対策を施してから行えば良い。

 しかし、明嗣がそんな姑息な真似を許す事はなかった。

 

「おいおい、さっきまで良かった威勢はどこ行ったよ? お前は半端者の首を獲る事もできねえチキン野郎か? ほら、かかってこいよ!」

 

 両腕を広げてわざと隙だらけのポーズを取り、挑発して見せる明嗣。さらに先ほど自分が口にした言葉を引用しての煽り文句も追加されたとあっては、及び腰になっていた吸血鬼だって引き下がろうにも引き下がれるはずもない。気付いた時には明嗣に向かって突撃していた。

 明嗣も応戦すべく、双銃の引き金に指をかけて吸血鬼の急所である頭と心臓を狙う。が、身体能力においては向こうの方に利があり、明嗣は一息で懐に潜り込まれてしまう。

 相手が右フックを繰り出す体勢に入ったのが見えたので、明嗣はすかさず腕を十字に組んで拳を受け止める。高速で襲いかかる拳はまるで鉄球のように重く、響く衝撃で腕の骨がミシッと鳴ったような気がした。

 

「グゥ! 良いモン持ってんな……。けど……ってぇんだよっ!」

 

 受け止めた拳を押し返し、明嗣は右手に握った白銀の銃、ホワイトディスペルの銃把(グリップ)を鈍器で殴りつける要領で、吸血鬼の頭に勢いよく振り下ろす。しかし、攻撃は空振りに終わり、振り下ろした明嗣の右腕は空を切った。

 吸血鬼はチャンスとばかりに、固く握った左の拳を明嗣の鼻へ叩き込もうと腕を引く。しかし、空振りしたと思われた攻撃は外したと思わせるためのフェイントだった。腕を振りきった勢いを利用し、明嗣は身体を回転させて飛び回し蹴り二連撃を吸血鬼の顔面へ繰り出す。

 

「なっ……!?」

 

 予想外の攻撃で驚いて固まってしまった所に上方より明嗣の脚が襲いかかる。吸血鬼はなんとか蹴りを腕で受けて踏ん張るも体勢を大きく崩した。着地した明嗣は回転の勢いをそのままに左手に握った黒鉄の銃、ブラックゴスペルで狙いを定めて引き金を引いた。しっかりと衝撃を受け止める事ができない状態での発砲なので、反動により射線がブレた上に体勢を崩してしまったが、撃ち放たれた弾丸は着弾した吸血鬼の片足をたしかにえぐり取る。

 

「グッ……アアアアア!!」

 

 赤黒い血を撒き散らしながら痛みでのたうち回る吸血鬼に、体勢を立て直した明嗣が冷静にホワイトディスペルの銃口を向ける。しっかりと頭に狙いを定め、引き金を指に掛けると明嗣は獰猛に口の端を吊り上げた。

 

「じゃあな」

 

 直後、ズドンという音が辺りに響いた。 

 頭部を失った吸血鬼の残骸は全身が崩れ落ち、その場で灰の山と化した。

 相手は沈黙した。だが、明嗣は仲間の不意打ちを警戒し、双銃を構えたままで周囲に意識を張り巡らせる。しかし、数十秒経っても襲撃してくる気配がないので、今回はこれで終了のようだった。

 ため息と共に戦闘意識を吐き出した明嗣は、撃鉄を戻した後、指先に銃を引っかけて、クルクルと回してからホルスターへ納める。

 その後、明嗣は身体を引きずるような重い足取りで歩きだし、我が家で待っている愛しのベッドを求めて、帰路に着いた。

 

 

 

 一方、明嗣に眠らされた澪は……。

 

「んぅ……あれ……? あたし、なんでこんな所で寝てるの……?」

 

 寝ぼけ眼で周りを見回しながら澪は、眠ってしまう直前の記憶を探る。たしか、何か物音が聞こえて来たからここへ様子を見にやってきて、それから……。

 

「――あ」

 

 目の前に横たわる女の死体で、澪は全てを思い出した。

 そう。目の前で人が死んだ。しかも、刺殺とか、撲殺だとか、比較的に常識的な方法ではなく、血を吸われて体内の血が足りなくなった事による失血性ショック死だ。そして、自分もそうなる所だった所だったのだ。

 澪は自分の身体が震え出す事を抑える事が出来なかった。これでは、しばらく立てそうにない。

 見ず知らずの女の死体の前でへたりこみ、恐怖のままに俯いて身体を震わせていると、「君、大丈夫?」と、声を掛ける者が現れた。

 ゆっくりと顔をあげると、青いワイシャツの上に紺のベストを着用した男女一組が心配するように覗きこんでいた。先ほど電話を受けた警察署の人が近くの者を向かわせると言っていたので、おそらくこの人達がそうなんだろうな、と澪は二人の顔をぼんやりと見上げていた。

 

「人が襲われているって通報をくれたのは君だね? それで――ッ!?」

 

 周りを見回しながら男性警官のが澪へ優しく声がけをしていたが、澪の前に横たわる死体を目にした途端、言葉を詰まらせてしまった。同じく死体を目にしたもう一人の女性警官は、一度このような状況に立ち会ったことがあるのか、澪の介抱をしながら特に動じる事もなく純粋な疑問を口にする。

 

「またこの殺され方……。いったん収まったかと思えば、忘れた頃にまた始まる……。吸血鬼っていったい何なの?」

「え……? 吸血鬼ってあれ、本当なんですか?」

 

 澪は警官が口にした「吸血鬼」という単語に反応すると、女性警官は目を丸くし、メモ帳を取り出して澪へと向き直る。

 

「あなた、吸血鬼を見たの!? 怖いところを思い出させるから申し訳ないんだけど、どんな奴だったか教えてくれる?」

「えっと、黒い服装をしていました……。あ、あと左手に銀のアクセサリーを着けていました。それと……」

 

 女性警官がメモを取っているので、できるだけ正確に覚えている事を伝えようと澪は努力する。が、特徴を口にするごとにあの男に触れられた時の石膏のような冷たさと硬い感触が蘇り、背筋に寒気が走る。なんとか白い肌と朱い瞳の事まで話し終えると、女性警官は記したメモを睨んで難しい表情となった。

 

「うーん……やっぱり、他の人から聞いた話と一緒で白い肌と赤い目しか共通点がない……」

「あの……こんな事が他にも起こっているんですか?」

 

 おずおずと澪が気になった事を口にすると、女性警官は澪を安心させるように微笑みながら質問に答える。

 

「連日ずっと人がいなくなってしばらくしてから亡くなった状態で発見される事もあれば、あなたのように襲われたけど生き残ったって人もいるんだけど……奇跡的に生き残った人から話を聞いてみると犯人の顔も服装もバラバラでね……。事件が起こる場所も規則性がてんでバラバラ。しかも次の犯行までかなり時間が空く事もあるから、事件が起こる度に迷宮入りしちゃう事もしょっちゅうらしくて。とりあえず、保護する意味も含めて詳しく話を聞きたいから、署の方まで来て欲しいんだけど……良いかな?」

「あ……はい……分かりました……」

 

 女性警官の助けを借りてなんとか立ち上がった澪は、警官二名に連れられるままに車に乗せられ、交魔市警察署に向かった。その後、事情聴取やら供述調書やらに追われて、叔母の家に戻る事ができたのはもう日付が変わった頃の事だった。

 

 なんか、初日から散々だったな……。

 

 とりあえず、家の人に平謝りした後、用意された布団を被った澪は微睡みの中で愚痴をこぼした。睡魔に手招きされるまま意識を手放した時には、時計の針は午前2時を指していた。

 

 

 

 



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第7話 新生活初日

 新しい愛銃を手に吸血鬼狩りへ繰り出した夜から数日後。本日は明嗣が通う高校、交魔第一高等学校の入学式なのだが……。

 

「あ〜……ついに入学式の日が来ちまったよ……」

「おい、不景気な声出すな。客が逃げていくだろうが」

 

 この通り、明嗣はHunter's rustplaateのカウンター席で、テーブルに突っ伏して新しい生活の幕開けを嘆いていた。

 黒いブレザーを椅子の背もたれにかけ、白いワイシャツの袖に通した腕を枕代わりに、明嗣はなおも嘆きの声を上げる。

 

「昔は学校に行かないのがデフォだったのに、なんで俺らの時代は学校なんてかったるい所に行かなきゃならねぇんだよぉ〜……」

()()()()んじゃなくて()()()()()()んだバカヤロウ。恵まれてるのを嘆くなってんだ、ったく……」

「ちぇー、もうちょい優しくしてくれても良いだろ」

「あーもう、うるせぇな。これ食ってとっとと行ってこい」

 

 もう付き合ってられるかとアルバートは、明嗣の前に用意したモーニングメニューのパンネクックを置き、途中まで読んでいた朝刊新聞を手に取った。白い丸皿に盛ったレタスとパプリカをフレンチドレッシングで彩り、中央にはケチャップがかけられたパンケーキと茹でたての五本のソーセージが鎮座している。

 渋々といった様子で顔を上げた明嗣は、ナイフでソーセージを切り分け、フォークで刺して口へ運び始めた。

 ソーセージのパリッと鳴る音と口の中に溢れる肉汁を楽しみながら、店内BGMのジャズに耳を傾けていると、ドアベルが鳴った。

 

「おっはよー! 今日も良い朝だね!」

 

 入って来たのは太陽のような笑顔を振りまきながら元気いっぱいに朝の挨拶を店内に響かせる鈴音だった。彼女も今日から交魔第一高等学校の生徒になるので、女生徒の制服である白いブラウスに黒のブレザーにプリーツスカートを着ており、胸元には一年生の証である赤いリボンタイが揺れていた。髪型は初めてこの店にやって来た時のクラウンカットから打って変わり、白のシュシュで束ねたサイドテールとなっている。

 アルバートは新聞を読む手を再び止めて、鈴音に挨拶を返す。

 

「お、鈴音ちゃん。おはようさん」

「マスター、おはよ! 朝ごはん食べに来たよ!」

「おう、今作るからちょっと待ってな」

「はーい! あ、明嗣もおはよ! 今日はパンネクックなんだ?」

 

 ナイフでパンケーキにかけたケチャップを広げている明嗣に声を掛けながら、鈴音は隣の席へ腰を下ろす。すると、明嗣はパンケーキと格闘しつつ、口を開いた。

 

「なぜ、隣に座る」

「えー、良いじゃん。一緒に食べようよ」

「やらねぇぞ」

「アタシはそこまで食い意地張ってないよ!?」

「あっそ」

 

 素っ気なく返事をし、明嗣は切ったパンケーキを口へ運んでいく。その隣で鈴音はスマホを取り出して画面に指を滑らせ始めた。そして数分経過し……。

 

「モーニングメニューのパンネクック、出来上がったぞ」

「美味しそう! これ、ネットにアップしていい?」

「ああ。構わんが、その代わりにしっかり食うんだぞ」

「もちろん! じゃあさっそく……」

 

 許可がもらえたので鈴音はスマートフォンを構えて写真を撮影した。その後、素早く指を滑らせた鈴音はスマホを置き、ナイフとフォークを手にした。

 一足先に食べ終えた明嗣は、食後のコーヒーを啜りながら鈴音と入れ替わるようにスマートフォンをいじり始めた。

 

「明嗣、何見てるの?」

「ネットニュース」

「何か面白いニュースあった?」

「別になにも」

 

 鈴音の呼びかけを適当にあしらいつつ、明嗣は画面をスクロールしていく。ちなみに明嗣が見ているのは日本のニュースではなく、アメリカやフランスなど海外のニュースを取り扱うサイト、その中にあるイギリスの事件や事故を取り扱うページであった。

 なぜそんな物を読んでいるかというと、実はロンドンに明嗣が片付けた吸血鬼騒ぎの他にもう一つ奇妙な噂があったのだ。

 

 内容はなんと、あの伝説の殺人鬼、切り裂きジャックが復活したという物だ。霧に紛れて五人の売春婦を惨殺し、ナイフを用いて腹を裂き、内臓を一部持ち去るという凶行により19世紀のイギリスを震撼させ、英国中の女性を恐怖のどん底へ叩き落としたまま、霧のように姿を消した猟奇殺人鬼。そいつが現代のロンドンに復活し、内臓の他に血液を抜き取るようになっていたという物なのだから、地元新聞も新聞の顔である第一面を使って吸血鬼騒ぎなんかよりも大々的に取り扱っていた。

 

 しかし、今は収まってしまったのか、覗いているニュースサイトはどこもかしこも向こうの経済や、芸能人のゴシップ、他には強盗事件や交通事故についてのニュースばかりで、切り裂きジャックの事は霧が晴れたように触れていない。

 

「わ〜……外国のニュースだ……。明嗣って意識高いね」

「おいこら。なに覗き見してんだよ」

 

 いつの間にか鈴音が首だけ動かしてスマートフォンの画面を覗いていたので、明嗣は慌ててそれを遠ざけて睨んだ。しかし、鈴音は悪びれもせずに笑ってみせた。

 

「特に面白いニュースはないって言ったのに真剣にケータイの画面を見ているから、なにか見つけたのかなって思って。例えば芸能人のゴシップとか」

「違ぇよ。ロンドンで切り裂きジャックが復活したって聞いたんでその後どうなったのか調べていただけだっつの」

「なんだ、つまんないの」

「あ、そうだ、明嗣。ロンドンと言えば、昨日の夜にお前がロンドンから送ってきた荷物が届いたんだが、何か言う事はないか?」

 

 ロンドンという単語に反応し、アルバートも話に参加してきた。が、明嗣は質問に答える事なくぎくりとした表情で凍りついてしまった。

 そこへ鈴音も驚いたように目を見開き、追撃してくる。

 

「え、明嗣ってロンドンに行ってたの!? 良いなぁ……。ね、ロンドンってどうだったの?」

 

 キラキラと目を輝かせて鈴音は感想を求めてくるが、明嗣は無視してアルバートの質問にどう答えたものかと頭を回す。

 実はこの男、ロンドンで襲ってくる吸血鬼(ヴァンパイア)共を返り討ちにし、近くの仲介者などを通して賞金がかかっている吸血鬼の首を金に替えて日銭を稼ぎながら旅してきたのは良いものの、宿代に食事代など旅費が思った以上にかさんでしまった。なので、手持ちが間に合わなかった明嗣は裏の運び屋に頼む際、一部の荷物はここの着払いで手続きしたのであった。

 

 つまり、本人に黙った状態で運送料を立て替えてもらった訳なのだが、ここ最近、新生活の準備やら何やらで忙しくその事がすっかりと頭の中から抜け落ちていたのだった。

 と、言う訳でアルバートの質問により、忘れていた事を思い出した明嗣は引きつった笑みを浮かべてこう答えた。

 

「あー……いつもお世話になっています、じゃ……ダメか?」

「ようは忘れていたんだな?」

「……ッス」

「ったく、お前は本当に……。金の事はきっちりしとけといつも言ってるだろうが」

「悪い。その代わり、向こうで見つけた使えそうな武器とかあるからさ。それで許してくれよ」

「それは使えるように調整しろって事だよな?」

「……ッス」

 

 じとっとした視線を向けてくるアルバートの指摘に耐えられず、肩を竦めた明嗣はすっかりぬるくなってしまったコーヒーを飲み干した。

 

 

 

 交魔第一高等学校は創立から50年ほどの、特にこれといった輝かしい成績もない、平たく言えば平々凡々な学校である。全校生徒は150名、素行不良の生徒が度々事件を起こすなどの悪い噂も特になく平和な学校だった。

 入学式を終えた明嗣は、自身の名が記されている一年A組の割り当てられた自分の席で、ぼーっと虚空を見つめていた。他の生徒達は早々に友達を作ったり、以前から付き合いのある者たちとこれからどうするかを話し合っているが、あいにく今の明嗣にはこの教室でそんな事をできるような知り合いがいないし、新たに作ろうという気にもなれなかった。

 

 理由は、新たに与えられた二丁の大型自動拳銃にあった。帰国初日の戦い以降も何度か双銃を使い吸血鬼と相対した所、とある問題が浮上したのだ。その問題の内容とは、反動が強すぎて走りながら撃てない。正確に言うのなら、走りながらでは反動を受け止めきれず、狙いがブレ過ぎて明後日の方向へ弾丸が飛んで行ってしまうのだ。

 薬莢に詰めた炸薬にどんな物を使用しているのか不明だが、とにかく片手だと反動が強く、直立の状態で踏ん張って構えないと射出の衝撃で銃身が跳ね過ぎて狙い通りに当たらない。状況によっては相手だって移動するし、こっちだって走りながら撃たなければならない事もあるので、これは早めに対処しなければならない問題だ。

 

 どちらか一方だけ使用し、もう一丁を予備として運用する事はどうかと言うのも、もちろん考えた。だが一対複数になった場合、どうしても二丁拳銃(トゥーハンズ)スタイルが対応しやすいので、やはり逃れられない問題だったのだ。それに、同じ両手に一つずつ武器を持つ二刀流は近接戦闘において片方の刀で受けて、もう片方の刀で返す反撃重視の戦い方に対して、二丁拳銃(トゥーハンズ)は先手を打ち、中距離から複数の相手を一方的に蹂躙する超攻撃的な戦い方なので性に合っているというのもある。

 なので、明嗣は新しい銃に馴染むための肉体改造に取り組む事にした。という訳で昨夜は徹夜で筋トレに取り組み、脳内で出ていたアドレナリンも切れてしまい、現在は疲労困憊なのだ。

 それにクラスで友達がいなくても特に困る事はないし、生まれつきの真っ白な髪色のせいか、他の生徒達が向けてくる好奇の目が辛い。これでは、まるで動物園の檻で見せ物になっている動物になってしまったようで居心地が悪く感じる。

 

 喉が渇いたな……。何か飲み物買うか……。

 

 明嗣は視線から逃れるために、喉の渇きを口実に教室を出て、自販機を探しに学校内を歩く事にした。

 見つけた自販機は教室から出て一分ほどの距離に設置されていた。なんとなく甘い物が欲しくなった明嗣はさっそく硬貨を投入し、アイスココアの缶を選択する。

 排出された缶を手に取った明嗣はプルタブを起こし、栓を開けるとココアを口の中へ流しこんだ。カカオと牛乳による優しい甘さが口いっぱいに広がるのを楽しんでいると、ふいに背後から「ねぇ」と声を掛けられた。

 振り返るとそこにいたのは、新生活開始早々、不幸にも吸血鬼に出くわしてしまった彩城(さいじょう) (みお)だった。

 

「あぁ……いつかの。この高校だったのか。名前はたしか彩城……だっけ」

 

 明嗣が呼びかけに答えると、澪は安心したようにほっと胸を撫で下ろした。

 

「良かった……。目が覚めたらいなくなってるから、どうしたのかなってずっと心配してたよ」

「心配……? 何が?」

 

 明嗣は何も知らないフリでとぼける事にした。まさかここで、「はい。あれは俺が倒しました」と言ったとして、いったい何になるというのか。吸血鬼は実在するなどと言ったとして、コイツはどうかしているんじゃないかと思われるのがオチである。ならば、ここはとぼけて黙っていた方が賢い選択だと言う物だろう。

 だが、実際に吸血鬼に襲われた澪としては簡単に引き下がるはずもなく……。

 

「何が……ってあの夜の事、覚えてないの? 襲われてる所を助けてくれたでしょ?」

「夜? 心当たりがないな……。日が落ちてからは家に篭ってるし……ああ。なるほど。そういう夢でも見たとか?」

「えっ!?」

 

 少し考え込む仕草をしてから、それっぽい建前を作り出した明嗣は苦笑いを浮かべて見せた。今の状況はただ澪が言っているだけで証拠はない。

 ならば、ここは澪が寝ぼけているだけという事にしてしらを切る、こうするのがいいだろう。

 

 その代わり、彩城が夢見がちな空想家って事になるけど、まぁ吸血鬼(アイツら)に目をつけられるよかマシだろ……。

 

 一時の恥で危険が減るなら、彼女も儲けものだろう。たとえそれが、己の預かり知らぬ所での危険だったとしても。

 言いくるめる事に成功したのか、澪の方もどうしたものかと困った表情を浮かべている。あとはこのまま、電話がかかってきたフリでもして立ち去るだけと明嗣は心の中でほくそ笑んだ。スマートフォンを取り出し、「あ、悪い。電話がかかってきた」と言うために明嗣はスラックスのポケットの中に手を入れる。

 だが、ここで解放してくれるほど澪も甘くはなかった。

 

「えっと……あ! そうだ、電話! あたし、警察に通報もしたんだよ? これはどう説明するの?」

 

 そう言いつつ、澪はスマートフォンを取り出し、通話履歴の画面を明嗣へ突きつける。確認すると19時30分に緊急通報したとというデータがしっかりと残っていた。

 

「夢で実際に電話をかける事はできないよね。しかも警察になんてさ。さぁ、これはどう説明するのか聞かせてよ」

「うぐっ……」

 

 ここに来て、明嗣ははっきりと動揺した表情を浮かべてしまった。

 なにせ、今まで明嗣はこういうパターンに遭遇したことがない。ましてや、ここまで問い詰めてくるとは夢にも思っていなかった。

 はっきりと言ってしまえば、もう切れるカードが手元にない。

 明嗣が黙り込んでしまったのを受け、これを好機とばかりに澪はさらに畳み掛ける。

 

「黙っちゃってどうしたの? もしかして、あたしに隠している事があるとか?」

「あー……っと……」

 

 引きつった笑みを浮かべた明嗣は、なんとかこの場を自然に脱する妙案はないかと頭を回す。

 

 どうする……夢オチは通用しねぇし、あの時はっきりと会話しているから人違いも通用しねぇ……!!

 

 ちらりとまた眠らせてしまおうかという考えが頭を過ぎるが、それは澪の疑念を深める悪手なので即刻却下される。ならば、どうするか? どうしたらこの場を脱する事ができるだろうか。

 

 ヴー……ヴー……

 

「あれ? 何か鳴ってない?」

 

 微かに聞こえた振動音に澪はいったん追求の手を止め、耳をすませる。

 

 ヴー……ヴー……

 

 たしかに何かが震えている音がする。

 一方、ポケットに手を突っ込んでいる明嗣はその音の正体を知っていた。これは明嗣のスマートフォンが着信時に発するバイブレーションであった。

 助かった、と明嗣は心の中で深く安堵の息を吐く。同時に、このタイミングで電話を掛けてくるとはいったいどこのどいつだ、という疑問も浮かぶ。

 しかし、これは好機でもある。体勢を立て直すため、明嗣はこの着信を遠慮なく利用する事にした。

 

「あ、電話だ。悪い! 話はこれで終わりな!」

「え、ちょっと! あたしはまだ――」

 

 まだ食いつこうとする澪を振り切って、明嗣は脱兎のごとくその場から逃げ出した。そして、指を滑らせて、どこの誰が掛けてきたのかも分からない着信に応答のボタンをスライドさせた。



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EPISODE1-2 Dance in Night club
第8話 立ち込める暗雲


 走りながらスマートフォンを耳に当てた明嗣は開口一番、「誰だお前」と口にした。

 理由は至って単純。間違い電話なら申し訳ないが、誰かに詰められている時に電話が掛かってくるなんて()()()()()()()からだ。と、なれば。誰かがどこか見えない所で自分を見ている、と考えるのが妥当だろう。

 だからこそ、あえて明嗣は喧嘩腰に応答したのだ。

 その証拠に、もしもしの代わりに繰り出した明嗣の先制攻撃は効果ありのようで、相手から困惑の声が帰ってきた。

 

『知らない人からの電話に出る時に誰だお前、なんて初めて聞いた……。明嗣っていつもこうなの?』

「その声、持月か?」

『そうだよ。せっかく助けてあげたっていうのにご挨拶だなぁ……。それと、アタシの事は鈴音って呼んで。苗字で呼ばれるの嫌いなの』

 

 電話越しからでも伝わってくる程に気を悪くした鈴音の声を聞きつつ、明嗣は背後を振り返る。どうやら誰も追ってきてる気配はないので、澪を振り切る事に成功したらしい。なぜケータイ番号を知っているのか、という疑問が浮かぶが、おおかたアルバートから聞いたのだろう。

 

 走る速度を緩めて徐々に歩く速度に落としながら、明嗣は辺りを見回した。どうにも一方的に見られているというのは監視されているようで気分が悪い。

 しかし、鈴音の姿は見つける事が出来ない。たまらず明嗣が苛立たしげに舌打ちをするとケラケラと笑う鈴音の声が聞こえてきた。

 

『残念! そう簡単にアタシを見つける事は出来ないよ! だってアタシのウチはこれで生計を立ててる(しのび)一家だもん』

「あっそ。そんじゃあ、このまま監視しているつもりならお前の事はいない物として扱うからそのつもりで。じゃあな」

『わー! 待って待って! 今出るから早まらないで!』

 

 慌てた声とともに、ブツリと音を立てて電話が切れた。その直後、明嗣が背後に気配を感じたので振り返ると左頬に人差し指が突き刺さる。

 

「アハハ! 古典的な手に引っかかった! まだまだ修行が足りないんじゃない?」

「ここまで誰かをぶん殴りてぇと思ったのは生まれて初めてだ……!」

 

 イタズラに成功した事がよっぽど嬉しいのか、大笑いしながら喜ぶ鈴音の姿に対して、明嗣は怒りの拳を握った。対して鈴音は、笑いすぎて出てしまった目元の涙を拭い、ブレザーのポケットからスマートフォンを取り出した。

 

「ごめんごめん。話は変わるけど、チャットの交換しよ? これから何かと連絡する事も多いだろうし」

「しない」

「なんで!?」

「仕事とプライベートは分ける主義だ。今はプライベート」

「え〜電話だと通話料掛かるから無料のこっちの方が良い」

「我慢しろ」

「ケチ」

「どうも」

 

 明嗣は恨めしげな視線を送る鈴音をあしらいながら、スマートフォンをスラックスのポケットに突っ込んだ。そして、スマートフォンを握ったままの鈴音に背を向けて歩き出した。

 

「え、ちょ、どこ行くの?」

 

 慌てた声で呼びかける鈴音に対して、明嗣は振り返る事なく手を振った。

 

「帰る。(ねみ)いんだ」

「え、もしかしてまた仕事が来てたの? アタシ、聞いてないよ!?」

(ちげ)ぇよ。昨日から徹夜で筋トレしててずっと起きっぱなだけだ。やっと眠気が来やがった」

 

 そこから先は何を話したか、明嗣は覚えておらず生返事ばかりだった。

 明嗣は鈴音と別れた後、学校から出て30分歩いた場所にある死んだ両親と暮らしていた一軒家にたどり着くと、まっすぐにベッドへ向かい、制服のままうつ伏せの姿勢で倒れこんだ。すると一気に全身の力が抜けて、まぶたが重くなっていく。

 うつ伏せの姿勢のまま目を閉じ、明嗣は微睡みの中を漂う浮遊感に身を任せる。そうして2時間ほど眠った所で、スマートフォンが震えた。

 

「……もしもし」

『よぉ、明嗣。その声の様子だと寝てたのか?』

 

 寝起きのかすれ声で応答する明嗣に掛かってきた電話はアルバートからの物だった。明嗣は意識がおぼつかないまま身体を起こすと、ベッドへ腰かけて用件を尋ねた。寝ている最中に汗でもかいたのか、少しワイシャツが湿っているように感じる。

 

「マスターか……なんだよ」

『依頼が来たんだよ。今すぐこっち来い。今回は鈴音ちゃんのテストも兼ねてるからお前が審査しろよ』

「えぇ……メンド……」

『つべこべ言うな。一人じゃホネだからちょうど良いんだよ。分かったらさっさと準備しろ』

「うーっす……」

 

 通話はそこで切れてしまった。

 電話が切れた後、明嗣は5分ほど虚空を見つめていた。そして、緩慢な動作で立ち上がるとシャワーを浴びる事にした。温水を浴びて寝汗を流した後、頭に冷水を掛ける事で半分眠った状態の意識を叩き起す事に成功した明嗣はシャッキリとした気分で黒のシャツに袖を通す。

 その後、二挺の新しい愛銃が収まっているホルスターを着け、いつもの赤いフードが付いた黒のコートを羽織りながら家を出た。

 

 

 

 Hunter's rastplaatsに到着した時、時計の針は午後六時を指していた。

 明嗣が店のドアを開けると、中では女性客が数名ほどテーブル席でディナー用のメニュー表とにらめっこをしている。明嗣の記憶だと、たしかこの時間は閑古鳥が鳴いていたはずだったのだが、客足が増えたというのはどうやら本当らしい。ドアベルの音が来店を知らせるとアルバートが出迎えてくれた。

 

「おう、来たか」

「ああ。アイツは?」

「鈴音ちゃんなら、先に来て飯食ってるよ。いつもので良いか?」

「今回はシェフのおまかせコース。クロケットはなし。寝起きからあれは重い」

「あいよ。説明は飯食いながらで良いか?」

「それはいつもどおり」

 

 注文のやり取りをしつつ、明嗣はメンバーズカードを持つ者にしか入れない特別室へと案内される。一般の客がいる場合、ここで今回の依頼の説明をされるのだ。

 

 特別室の中では、先に来ていた鈴音がキャベツやにんじんなどの野菜を混ぜたマッシュポテトのオランダ料理、スタンポットや春先限定の特別メニューのホワイトアスパラガスのスープで食事を摂っていた。ホワイトアスパラガスのスープにはアレンジが加えられており、白くなめらかな海と表現できるような生クリームのスープに牛ひき肉で作ったミートボールが入っている。

 明嗣がやってきた事に気付いた鈴音は、食事の手を一旦止めて声を掛けてきた。

 

「あ、明嗣。もう仕事内容は聞いた?」

「いや、これからだ」

 

 鈴音の質問に答えながら、明嗣は椅子一つ分空けた場所の席に腰を下ろした。すると、鈴音は少しムッとした表情を浮かべた。

 

「なんでそこなの?」

「俺の本来のパーソナルスペースはこの距離なんだよ」

「なんか避けられているみたいで傷つく」

「まぁ、たしかにそれは合ってる」

「アタシ、何かした?」

「いや、信用してないだけだ。昔から女は魔物、って言うしな。今まで旦那を尻に敷いて奥さんが好き勝手してたけど支配できなくなった途端、後ろからショットガンでズドン!……なんて話もあるし? 最近だって地元出て東京行くために彼氏を利用して用が済んだら始末し――」

 

 明嗣が最近起きた男女間トラブルのニュースまで持ち出そうとした時だった。黙って聞いていた鈴音がテーブルを叩いて立ち上がった。

 

「アタシはそんな事しない!」

「おい、どうした?」

 

 ついに怒り出した鈴音が声を上げるのと同時にアルバートが明嗣の食事を手にしてやってきた。そして、明嗣と鈴音の間に視線を泳がせ、もう一度口を開く。

 

「お前ら、いったい何を揉めてる?」

「なんでもない」

 

 そう言いつつ、ムスッとした表情で鈴音はまた席に腰を下ろした。明嗣は、答える気はない、と言いたげにそっぽを向いた。

 二人の様子を前に、アルバートは呆れたように溜め息をついた。

 

「あのなぁ……お前ら、そんな調子で大丈夫なのか?」

「……」

「……」

 

 アルバートの問いに対して、二人からの返答はない。だが、二人の間に流れる険悪な空気を気にせず、アルバートは普段と変わらずに対応した。

 

「まぁ、お前らが仲が悪くても仕事をこなせば文句はねぇ。だがな、それでおっ()ぬ事になっても俺は知らないからな。そんじゃ、今回の依頼の説明を始めるぞ」

 

 アルバートは明嗣の前にホワイトアスパラガスのスープとライ麦パンを置く。そして、懐から2つに折ったメモ用紙を取り出し、今回の仕事内容について説明を始めた。 



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第9話 ナイトクラブへの潜入

 今回、明嗣と鈴音が送り込まれた吸血鬼が集まる“狩り場”は、夜を楽しもうと踊り狂う場であるナイトクラブだった。

 

 最近、このクラブの利用者がいなくなっては、数日後に首に噛み傷を残して亡くなった状態で発見されるという事件が相次いで起こっているらしい。捜査に当たった捜査官は、犯人の目星をつけることができずにお手上げ。被害者の中には大企業の社長の一人娘がいたので、その社長さんが今回、合言葉を手に入れて依頼してきたという形だ。

 

 クラブの出入り口では外からでも聞こえてくる腹の底に響くような重低音や、目に優しくない電光掲示板の光を浴びながら、やってきた客が中に入場するためのボディチェックを受けている。

 理由はもちろん、ナイフなどの殺傷性のある武器、そしてハーブや錠剤などの違法薬物(ドラッグ)を持ち込んでいないかの確認だ。

 方法は入り口に立った二人の内、一人がハンドバッグの中身を漁り、もう一人が手の甲で服などに触れて危険物を隠し持ってないかのチェックを行う。ただし、こういう施設の運営には()()()()()法律などを無視して生きている、いわゆる反社会的組織が関わっているので違法薬物(ドラッグ)に関しては他所の組織が薬物売買で縄張りを荒らしていないかのチェックの意味合いが大きい。

 

 さて、ここで一つ問題が浮上する。どこの反社会的組織にも属しておらず、なおかつ武器がなければお話にもならない明嗣たち、吸血鬼(ヴァンパイア)ハンターがこういう場でお勤めを果たす場合、この警備をどうやって突破するのだろうか。

 その答えの一つはこうだ。

 

「いいか。お前たちは何も“見ていない”。おたくらの基準に引っかかる危ない物は何も持ってないから俺たちを“通す”んだ。良いな?」

 

 髪を赤茶に染めて白いシャツの上に黒のジャケットを羽織った男と、同じ服装で耳にピアスを着けた黒髪の男、二人の警備担当の者の()をじっと見つめた明嗣は諭すように命令を下す。すると、門番の二名は「どうぞ」と中への扉を開いた。

 

「ご苦労さん。さぁてと、お仕事開始といきますか」

 

 明嗣は歩きながら左のホルスターからホワイトディスペルを取り出し、遊底(スライド)を引いて薬莢室(チャンバー)へ弾丸を送り込む。すると、背後から明らかに拗ねたような声が聞こえてきた。

 

「アタシだってこれくらい、明嗣にお世話してもらわなくても突破できるから」

 

 同じようにもう一方の黒鉄の銃、ブラックゴスペルの遊底(スライド)も引きつつ、明嗣は背後へ振り返った。

 振り返った先では、不満げな表情で睨む鈴音の姿があった。彼女の格好はナイトクラブという事でピンクのタイアップシャツにネイビーのミニスカートといった出で立ちで、惜しげも無く露出した太ももには革製ベルトがついたポーチが装着されていた。少しでも場に合わせたコーディネートを意識したのを伺えるが、やはり肩に背負った竹刀袋が目立ち、ミスマッチに見える。

 

 いかにも楽しむ気満々、と言った様子に反して不機嫌な気持ちを前面に押し出した表情の鈴音を前に、明嗣は呆れたように溜め息をついた。

 

「あのなぁ……いつまでむくれてんだよ」

「むくれてないですぅ〜。アタシの事信用してない奴の手なんか借りたくなかっただけですぅ〜」

「それをむくれてるってんだよ。ってか、ただ単に突破する()()ならできるだろうが、あれはどうするつもりだったんだよ」

 

 そう言いつつ、明嗣は人差し指を立てて天井の隅を指さした。指が()し示す先では、監視カメラが絶賛稼働中であり、ボディチェックの風景を映していた。ちなみに普通に大型自動拳銃を取り出している明嗣だが、しっかりと監視カメラの死角を利用して作業をしている。

 

「その口ぶりだと、おおかた気絶させるなりして強行突破するつもりだったんだろうが、そんな事したら俺たちはすぐ事務所に連れて行かれていただろうな」

「ぜ、全員眠らせちゃえば関係ないし」

 

 明嗣の指摘にたじろぎながらも、鈴音はなんとか反論してみせる。が、明嗣はさらに指摘する。

 

「騒ぎを起こせば対処のために時間をロスするし、カンの良いやつなら警戒してその場から離れて他の場所に行くだろうから面倒だ。それくらい、ちと考えれば分かるだろ」

「〜っ! ムカつく! そういう言い方することないでしょ!?」

 

 だから誰かと組むのは嫌なんだよ……。しかも、女とだなんて……。

 

 怒りに身を任せて詰め寄ってくる鈴音に対して、明嗣は深い溜め息を吐いた。コンビでの初仕事は前途多難、雲行きは雨模様のように思えてくる。

 

 第一、明嗣は女という生き物が苦手なのだ。男同士の時のようには行かない上に、ちょっとしたミスで泣かせよう物なら、同性が救援にやって来て周りはすぐ女の味方に回る。それが、女の方に非があるとしても、だ。

 しかも、この世界にいる以上、男女間のトラブルを避けて通る事もできない。痴情のもつれによる怨恨(えんこん)で、復讐のために吸血鬼をけしかける(やから)だっているからだ。体感的には、女の方が吸血鬼をけしかけるが、その後の後始末に困り、駆け込み寺よろしく尻拭いの依頼が飛び込んで来るパターンが多いように感じる。

 

 だから、明嗣は次第に女を避けるようになった。皆が皆、そうでは無いと分かっていても、一度毒を盛られたグラスで飲み物を飲む勇気はない。女性差別? 知るか。こっちは社会的生命が脅かされているのだ。少子高齢化が加速する? 政策で一夫多妻(ハーレム)制度を設けるなり、大奥とか言う江戸時代のハーレム制度でも復活させるなりして勝手にやってくれ。

「フランシス・マコーマーの短い幸福な生涯」のオチのような死に方なんて絶対にごめんだ。作中では事故のようにも思える死に方だったが、今の時勢を見れば、おのずと見方が分かってくる。あのマコーマー夫人によるショットガンの誤射は故意的にやった殺人だ。

 

「ねぇ! 話聞いてる!?」

 

 物思いにふける明嗣に痺れを切らした鈴音が、ついには掴みかかって来そうな勢いにまでヒートアップしていた。対して、冷めきった表情の明嗣は面倒だと言いたげな声で答えた。

 

「この際だからはっきり言ってやるよ。俺は実力が分からねぇ奴と組む気はねぇ。ましてや、最初からなぁなぁでベタベタしてくる奴なんて信用できるか。気を許しちまって、いざと言う時に盾にされても嫌だからな」

「なっ……! もういい! 勝手にしたら!?」

 

 話が通じないと悟った鈴音は、肩を(いか)らせてダンスフロアの踊る人たちが集まるブースの方へ行ってしまった。それを受け、明嗣はダンスフロアに併設されているバーカウンターを思わせる飲食スペースへと向かった。

 適当な席を見つけ、ブルズアイを頼んだ明嗣は盛り上がるダンスブースの外から、人混みに紛れて獲物の品定めをしているであろう吸血鬼の姿を探し始めた。

 

 

 

 同時刻、このクラブにある事務所のモニタールームから、ボディチェックの様子をカメラ越しから見守る者がいた。このナイトクラブの運営者と、その警備に携わる組織の者達だ。

 足をテーブルに乗せた状態で組み、ふんぞり返った状態で椅子に座る白いスーツの男がモニターを一瞥し、口を開いた。

 

「気に入らねぇな」

「何がですか?」

 

 取り巻きの部下が言葉の真意ついて尋ねると、白いスーツの男はモニターに映る鈴音を指さした。

 

「この女だよ。明らかにおかしいモン持ってるだろ。なのになんで通している? 狙撃銃(ながもの)でも入ってたらどうするつもりだ?」

「それは……たしかに……」

「それに空気も気に入らねぇ。この女と一緒に何かおかしなモンが入り込んだような、そんな空気だ。なんだ、お前らそんな事も分からねぇボンクラ共か、アァ?」

 

 白いスーツの男に返す言葉がなく、その場にいる者たちはいっせいに口をつぐんだ。萎縮する部下たちに呆れた白いスーツの男は画面を指さした。

 

「この女を連れてこい。用が済んだら好きにしていい」

「はい。すぐに!」

 

 指示を受けた部下たちは大急ぎでモニタールームから出て、鈴音を捕らえる準備に取り掛かる。慌ただしさが過ぎ去り、一人になった白いスーツの男はグラスに入ったウィスキーを煽り、グラスの中の液体と氷を混ぜ合わせる。

 

「本当に使えねぇ奴らだな……。まぁ良い。この女が他所(よそ)から送られてきた鉄砲玉(ヒットマン)だろうと、こっちにはアイツらがいるからな……」

 

 この前やって来た、自分を吸血鬼だと名乗ったイカれた奴ら。実際に首筋に噛み付いて血を吸う所を見るまでは、実在することを信じられなかった空想の生き物。どれだけ穴ぼこになろうと、生き血を飲むだけで即座に復活する不死身で無敵の兵士(ソルジャー)がVIPルームに控えている。

 強大な力に隠れて潜む危険に気づかぬまま、白いスーツの男は全能感に身を任せた下卑た笑みを浮かべていた。

 

 

 

 鈴音と険悪な形で別行動をすることになってから30分。明嗣は、ふと違和感を抱いた。なんと、ダンスブースで踊っている集団の中に吸血鬼らしき者が一人も見当たらないのだ。

 

 半吸血鬼(ダンピール)である明嗣の視界に映る世界には二つの“色”がある。人間に宿る赤と、吸血鬼に宿る黒。それらの色は身体中に張り巡らせた血管をなぞるように線を描いているので、それで人間と吸血鬼を判別しているのだ。しかし、不思議なことに今、この場にいる者たちは皆、“赤い線”ばかり。

 気に入った獲物へすぐに声を掛けて連れ出すことができるダンスフロアから、曲を流して観客の心を操りつつ品定めをできそうなDJブースに至るまで、見える線の色は赤ばかり。“黒い線”を持つ者が誰一人としていないのだ。

 いくらなんでもおかしな話だ。これでは、依頼にあった話と矛盾している。

 

 マスターがガセネタ掴まされたか? いや、ウラは徹底的に洗ってるだろうから、それは無いな……。となると……。

 

 明嗣は周囲を見回した。こういう場所にはVIPルームと呼ばれる個室が設置されている場合がある。特別な客にだけ入室を許されたVIPルーム。そこにカップルで入り、二人きりの時間を過ごす事に利用する者もいれば、()()()()()()()()()を楽しむ際にも利用される密室のスペース。もしかすると、吸血鬼はそこに潜んで、気に入った奴をむさぼっているのかもしれない。

 しかし、困った事に周囲を見回してみても、明嗣がいる地点からはVIPルームへの入り口が見当たらなかった。

 

「ねぇ! あんた、一人なの?」

 

 突如、明嗣の元へ一人の女がやって来た。服装はピンクのタックイン・ブラウスと黄のミニスカートはパステルカラーで統一されていた。その足取りは酔っ払っているのか、フラフラとしていて、今にも転倒してしまいそうなくらいにおぼつかない物だった。そして、明嗣の隣の席へ腰を下ろすと「バーテンさん、お水ちょうだい!」と言った。

 明嗣はグラスの中身を一息に煽り、飲み干す。隣でその様子を見ていた女は、トロンとした目つきと甘えるようなネコ撫で声とともに、再び明嗣へ声を掛ける。

 

「良い飲みっぷり。何を飲んでいたの?」

「ブルズアイ」

「そうなんだ。お酒飲めないの?」

「まぁ、未成年だから」

「そっかー。じゃあ仕方ないね〜。んふふ……」

 

 酔うと笑い上戸になるタイプなのか、女は笑い声を漏らす。明嗣はじりっと足を擦らせた。

 なんとなく、この女はとびっきり面倒くさいタイプだ、と本能的に感じ取ったからだ。酒を飲んで既に出来上がっているため、愚痴を聞かせてきたりなどウザったさがフルスロットルになっていると予想された。

 実際、目の前の女は「実はわたし、悩み事があってさぁ……」と聞いてもない身の上話をし始めた。

 

「彼氏とケンカしちゃって、別れようか悩んでんだよねぇ……。ソイツってばひどいんだよ!? 気は利かないし、みみっちいし、束縛激しいしでうんざりしてるの! だいたいさ、デート代は彼氏持ちってジョーシキでしょ! ジョーシキ! しかもさ、都合いい時だけすっごく優しくしてくるって下心丸出しでチョーキモイんだよね! それにぃ……」

 

 うーわっ。始まった……。

 

 うんざりしてるのはこっちの方だと言いたいのを飲み込みつつ、明嗣は適当な相槌を打ちながら逃げるタイミングを探っていた。だいたい、その手の話は「お前に見る目がねぇからだよ、マヌケ」で終わりなのだ。

 ただ、そんな事を口にした瞬間、トラブルになるのは目に見えているし、なんだかんだ言いつつズルズルと引きずり、捨てるか捨てられるかの結末を迎える事が目に見えているので、こちらとしては不毛な時間である事この上ない。

 しかも、こういう時に限って男は紳士的に話を聞いてあげる事を求められるのだから、余計タチが悪い。

 昨今のネットでの論調や、目の前の女を見て明嗣は思う。いったいぜんたい、男の女の関係はどこで歯車が狂ってしまったのだろう? こんな調子で「世の中には女性差別が蔓延(はびこ)っている」だって? 冗談じゃない。

 

「あ! リホ、ここにいた! ほら、その人困っているからやめなよ」

「ミサ〜。ねぇ、ミサもこっち来て一緒にこの子とお話しようよ〜」

 

 愚痴を聞かされている内に彼女の友人が迎えに来たらしい。助かったとばかりに安堵の息を吐いた明嗣は、本来の目的である吸血鬼狩りをするべく、VIPルームへの入口を探そうと席を立った。

 

「どこ行くの?」

「ちょっと用を思い出したんで」

「え〜、もっと一緒に話そうよ〜」

 

 よく言うよ。欲しいのは話し相手じゃなくて全肯定botだろ。

 

 心の中で毒づいた明嗣は、本音を必死に隠しつつ、微笑みを浮かべてその場を離れた。

 そして、VIPルームの入口を知っていそうなスタッフを求めてダンスフロアへと歩き出した。

 

 



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第10話 鈴音の狩り

 明嗣が吸血鬼の居場所の手掛かりを探していた一方で、明嗣の散々な言い様にご機嫌ナナメの鈴音は……。

 

「はぁ〜、疲れた……」

 

 ダンスフロアから少し離れた休憩スペースで、メロンソーダを飲んでいた。せっかくのクラブという事もあり、精一杯楽しもうという事でひとまず吸血鬼探しは置いといて場の雰囲気に浸っていた鈴音だが、ちょっとはしゃぎ過ぎてしまったようだ。喉が渇いたので一旦踊るのをやめて、飲み物を確保しに飲食スペースへと向かった。飲み物を確保する際、同じように踊り疲れて休憩しようとやってきた女性客に絡まれて辟易としている明嗣の姿を見つけたが、助け舟を出す事をせずにその場を去る事を選んだ。

 

 彼女持ちだと思い込ませて追い払う事もできたけど……まぁいっか。アタシ、そこまでお人好しじゃないし。

 

 それよりも喉の渇きを癒す方が優先、と鈴音はストローでメロンソーダを吸い込む。炭酸が口の中で弾ける感触を楽しんでいると、鈴音の元へ一人の青年がやって来た。黒のシャツの上に青いレザージャケットを羽織ったその青年は鈴音の隣へ無遠慮に腰を下ろすと「ねぇ」と声を掛ける。

 

「キミ、今一人? 誰かと一緒に来てるの?」

「見ればわかるでしょ」

 

 素っ気ない返事をしつつ、鈴音は周囲を見回した。

 見渡せば同じように踊り疲れた客が飲み物片手に一息ついている者がちらほらと見受けられる。鈴音の隣に座っている青年はおそらく、周りの席はカップルや友人で埋まっているのに対し、鈴音が一人でいるのを良い事に狙いをつけたのだろう。

 だが、今の鈴音は機嫌が悪い。ナンパ野郎など相手にする気になれなかった。

 

「アタシ、今そんな気分じゃないの。女の子引っ掛けたいなら他を当たって」

「そんなつれない事言わないでよ。なんか嫌な事あったんなら話聞くよ?」

「ふーん?」

 

 鈴音は値踏みするように青年を見つめた。顔は色白で、目鼻の形は整っていて悪くない。服の趣味も落ち着いており、鈴音の好みと合致する。ちょっと興味が湧いた鈴音は、せっかくなので青年の誘いに乗ってみる事にした。

 

「実は一緒に来ていた男の子と喧嘩しちゃってね。ソイツったら酷いんだよ? 『女は魔物だ〜』とか言いたい放題言っちゃったりして」

「うわ、そんな事言われたんだ。酷いね」

「でしょ? だからアタシ、もう勝手にすればって言ってソイツの事ほっといて一人で遊んでたんだよね」

「そっか。じゃあ、今喧嘩中なんだ?」

「まぁね〜。って言っても付き合っている訳でもないけど。あーあ……どっかにアタシに優しくしてくれる素敵な王子様でも現れないかな〜……」

 

 テーブルに両腕で頬杖をつき、鈴音はさりげなく相手が欲しいアピールをして見せる。すると、目の色を変えるように青年が即座に食いついた。

 

「せっかくだからさ、もうちょっと落ち着いた場所でお話しない? オレ、ここの常連でさ。二人っきりで話せる良いとこ知ってるんだけど」

「え!? ほんと!? あ、でも……」

 

 すぐに頷きかけた鈴音だったが、思いとどまり周囲を気にするように辺りを見回す。散々ボロカスに言われたとは言え、やはり明嗣のことが気にかかるらしい……と、言うのは建前。

 焦らす事で反応を伺うという駆け引きのテクニックである。

 対して青年は、迷う鈴音の背中を押すように手を握り、目を見つめた。

 

「一緒に来てたソイツ、キミの事を傷つけるような事言ったんだよね? ならさ、そんな奴のことなんて忘れて、オレと楽しい時間過ごそうよ。そっちのほうが絶対良いって!」

「んー……」

 

 なおも鈴音は悩むような仕草で青年を焦らす。そのまま、4、5秒ほど考え込むと、答えを出した鈴音は席を立つ。

 

「どこ行くの?」

「ここを出る前にお化粧直すの。ちょっと待ってて」

「……! うん、ゆっくりね」

 

 欲しかった言葉を引き出した青年は、心の中でガッツポーズを取った。

 その後、戻ってきた鈴音は荷物を置いたまま、青年と腕を組みダンスフロアを後にした。

 

 

 

 

 フロアを抜け出した二人がやって来たのは、豪奢な印象を与える個室だった。

 シャンデリアを模した照明に照らされる室内は、黒と赤を中心に彩られていた。

 部屋に入るなり備え付けの冷蔵庫の扉を開いた青年は、鈴音へ声をかける。

 

「まあ、適当に座ってよ。オレ、ちょっと喉渇いちゃったから何か飲むけど、キミは?」

「せっかくだからもらっちゃおうかな」

 

 呼びかけに答えながら、赤い革張りのソファーに腰を下ろした鈴音は、太もものポーチから透明な液体が入った小瓶を取り出した。そして、二人分のグラスとシャンパンのボトルを手にやってきた青年はボトルの栓を抜いた。コルクが抜けるポン、と軽快な音と共に注ぎ口から煙が上がる。慣れた手つきで二人分のグラスにシャンパンを注いだ青年は、自分のグラスを手に取り軽く掲げた。

 

「それじゃ、乾杯」

「あ、待って。アタシ、いい物持ってるよ」

 

 グラスに口をつける前に鈴音が先程取り出した小瓶をテーブルの上に置いた。すると、青年は不思議そうにそれを手に取った。

 

「何これ?」

「お酒が美味しくなる魔法の薬、かな?」

「あ、もしかしてキミ、悪い子?」

「さぁ、どうでしょう?」

 

 イタズラっぽく微笑み、鈴音はイエスともノーとも言えない返事で答えを濁す。そんな鈴音の様子を受け、青年は怪しむような目付きで見つめるが、すぐさま引っ込めて小瓶の中身をシャンパンが入ったグラスへ注いだ。

 そしてグラスを一息に煽ると、青年は苦しげな呻き声を上げながら、喉を押さえた。そして痛みにのたうち回るようにソファから転げ落ちる。

 

お……前……!! オレに……何を……のま……せた……!?

 

 ぜぇぜぇと全身で息をしながら、青年はなんとか言葉を紡ぐ。一方、鈴音は脚を組み、頬杖をついて見下ろすような形で苦しむ青年を眺めていた。右手では隠し持っていたクナイを指先で弄ぶようにクルクルと回っている。

 

「あれ〜? アタシが飲ませたのってただの()()()のはずなのに、なんでそんな事なってるの?」

「お神酒……だと……?」

「そう。理由は分からないけど、お神酒やお寺でお祓いを受けた水も聖水と同じ効果が得られるらしいんだよね。それで、お神酒を飲んでそれだけ苦しむ事は……あなたは吸血鬼(ヴァンパイア)って訳だ」

いつ気付いた……!

「ん〜、もしかしてと思ったのは、手を握られた時かな。冷え性にしては冷たすぎ。でも確信なかったから連れ出して二人っきりになりたかったんだけど、そんな必要なくなっちゃった。手間を省いてくれてありがと♪」

 

 鈴音が手首のスナップを利用し、クナイを青年へ投擲した。ヒュッという風切り音と共に、クナイはまっすぐ青年へと向かって行き、標的へ突き刺さる。

 このクナイは、ワスプナイフを参考にして作られた特別な物である。ワスプの名の通り、尻の針を刺して毒を注入するスズメバチを参考に作られたそれは、毒殺を目的としたナイフ。もちろん、このクナイにも吸血鬼にとって致死の毒である死人の血が充填されているのだ。

 刺さった瞬間、麻酔銃の弾のようにクナイに内蔵された注射器(シリンジ)のピストンが押し込まれ、死人の血が注入される。すると、苦しみで呻き声を上げていた青年は、消えかけのロウソクが消えるように息を引き取り、その身体を灰へと変えた。

 

「さてと、宝探しと行きますか」

 

 灰の中からレザージャケットを拾い上げた鈴音は、ポケットの中身を物色し始めた。

 しかし、めぼしい物は一向に出てこない。出てくるのは財布やスマートフォン、あとはこのクラブの会員証と思われる黒いカードのみだ。これらの持ち物をテーブルに並べた鈴音は首を傾げた。

 

「あれ? これだけ?」

 

 吸血鬼の中には、手に入れた獲物をシェアする者もいる。そういうタイプの場合は漏洩するのを嫌い、データなどに頼らず、手書きの集合場所を記したメモを持っているのだ。

 しかし、睡眠薬やクロロホルムなどの拉致に使うために使用する薬物や、獲物を運び込む場所の所在地が記されたメモが出てくるかと思われたが、どうやらあてが外れてしまったらしい。

 

「うーん……? こういう場合って仲間がいると思ったんだけどな……」

 

 これで終わりにしてはあっさりし過ぎだと感じる。なぜなら、アルバートから聞いた話によれば消えたこのクラブの利用者の人数は二桁に至るのだ。たった今片付けたコイツ一人がやったにしては、いささか規模が大きいように感じる。

 いったいどういう事かと鈴音が考え込んでいると突如、勢い良くVIPルームの扉が開け放たれた。

 

「よう。ここにいたのか。ちょっと来てもらおうか」

 

 入ってきたのは、いかにもと言った雰囲気をまとう黒いスーツを着た男が5人だった。おそらく、このクラブの警備を担当している者達だと思われる。

 入り口を塞ぐように男たちに対し、鈴音は小首を傾げてなんの事か分からないという(てい)で応対した。

 

「え、何? お兄さん達、誰? アタシ、なんにも悪いことしてないよ?」

「ウチのボスがお前を連れてこいと言ったんだ。良いから来い」

「ふーん、そうなんだ。なら、アタシにはフラレたって言っといてね。そっちのボスとか知らないから。じゃあね」

 

 鈴音が無理やり男達の間を抜けて、部屋から出ようとした瞬間だった。突如、鈴音は脇腹に何か尖った物を突きつけられる感触を味わった。

 ちらりと横目で脇腹へ視線を向けてみると、そこには折りたたみ式のナイフが突きつけられている。その状態でナイフを持った男が鈴音にもう一度命令した。

 

()()()()()()()()()

「あ〜、そんな危ない物持ってちゃいけないんだ〜。警察に通報しちゃおっかな?」

「今すぐここでブスリといかれてぇのか」

「あーもう、分かった。分かったからそんな物しまってよ」

 

 観念の意思表示として鈴音は両手を上げて降参のポーズを取った。そして、男に囲まれながら鈴音は事務所へ連行されていく。

 そこへ入れ替わる形で明嗣がやってきた。男達に小突かれながら連行されていく鈴音を遠目で視認した明嗣は、足を止めた。

 

 あれ、持月……? なんで囲まれ――! アイツ、とちったな!?

 

 あんな物言いをしたとは言え、一応審査を任された身である。

 鈴音が失敗をしたのなら、フォローに回るのが明嗣の今回の役目でもあるのだ。なので明嗣はすぐさまルートを変更し、“()()()”を持つ者達に囲まれて連行されていく鈴音を追いかけ始めた。



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第11話 吸血鬼の能力

 鈴音が連行されてきた場所は、このクラブの様子を監視するモニタールーム兼スタッフ達が休憩に使用するスタッフルームだった。

 

「ほら、入れ」

「痛っ! ちょっと蹴らないでよ!」

 

 抗議の声と共に鈴音が電子の錠を外した部屋の中に放り込まれた。

 中の様子は、無数のモニターがところ狭しと並んでおり、ダンスフロアの様子が全部映し出されている。怪しげな売買の様子から、トイレの入り口前でキスをしているカップルの様子まで、文字通り全部だ。

 いきなり、「プライベートなど存在するか」と言いたげな部屋に連れて来られた鈴音は、それはもうドン引きといった表情で圧倒されていた。

 

「うわぁ……もしかしてアタシ、最初から目をつけられてたの?」

「その通り」

 

 モニターの前に座っていた男が椅子をくるりと回転させて振り返った。回転椅子に座っていたのは白いスーツに赤いシャツ、一歩間違えば任侠映画に出てきたとしてもおかしくない見た目の男だった。グラス片手にふんぞり返るその男は、鈴音を見るなりククッと笑みを浮かべる。

 

「やぁ、お嬢さん。ウチの事務所へようこそ。狭い所だがゆっくりしていってくれ」

「じゃあ、この人たちをアタシの周りからどかしてくれない? それと、女の扱い方も教え直した方が良いかも」

「おいおい、今は男女平等の時代だろ? 男も女も同じ扱いにしねぇと最近うるさいからなぁ……。我慢してくれよ。さてと、それじゃあ自己紹介といこうか。俺は吾妻だ。ここを仕切っている。言ってみりゃここの経営者だな」

「知ってる。ニュースでよく出てるもんね。『指定暴力団の吾妻組』って。ここってその『吾妻さん』のとこだったんだ」

「へぇー。最近の若者はスマホばっか見ていると言われているが案外馬鹿にはできねぇもんだな」

「で? その暴力団の人がアタシに何?」

 

 さっさと本題に入れと鈴音は白スーツの男、吾妻を睨みつけ、用件を尋ねた。吾妻は口調はそのままに声を重くして鈴音の質問に答えた。

 

「いや、何。大した事じゃない。お嬢さん、ウチに入る時なんか(なげ)ぇモン持ってたよな? ありゃなんだ? 何が入っている?」

「さぁ? っていうか、そんな物持ってたっけ? 忘れちゃった。男の子が一緒に来ているから、そっちに聞いてみれば?」

「男の子? なんの事だ? ボディチェックを受けたのはお嬢さん、()()()()()()?」

「え……嘘……。そのモニターの監視映像に映っているでしょ?」

「おい、出せ」

 

 取り巻きの一人に指示を飛ばして、吾妻は鈴音がボディチェックを受けている映像をモニターで確認した。すると……。

 

「うそ……!?」

 

 鈴音は絶句してしまった。なんとそこに映っていたのは()()()()()()。明嗣の姿なんて文字通り、影も形もなかったのだ。

 全く予想外だった事態に鈴音は、頭の中が真っ白になっていく。その様子を受け、吾妻は愉快そうに口を歪めた。

 

「ははは。こりゃおもしれぇ! おい、嬢ちゃん。男の子はどこにいるのか言ってみろよ! なぁ!」

「そんな……!? だって明嗣はアタシの目の前で……」

 

 突きつけられた現実を前に鈴音の顔が青ざめていく。鈴音の反応に満足した吾妻は固定電話の受話器を手にし、内線の番号へ電話をかけた。30秒後、一人の男が入ってきた。黒のジャケットに白いシャツ、スーツ姿と言われれば誰もが想像するような服装の顔色が悪い男が入ってきた。

 

「なぁ、吸血鬼が存在するって言ったら信じるか? コイツがそうなんだけどよ。これがすげぇ。拳銃(ハジキ)で撃たれても短刀(ドス)で刺されても死なねぇんだよ。試してみるか?」

 

 冗談めかした口調で吾妻は木製の白く細長い物を差し出す。頭が働かない鈴音がおそるおそる引っ張ると、中から鈍く光る刀身の短い刃が出てきた。短刀、業界用語で言う所のドスだ。鈴音が手にしているのが木だけのあたり、引っ張ったのはどうやら鞘の方だったらしい。いったい何を思って鞘の方をわざわざ差し出したのだろう、と鈴音は当然の疑問を抱いた。

 その回答はすぐに提示された。立ち上がった吾妻は顔色が悪い男の方へ歩いていくと、一気に短刀で腹を貫いた。声もないままに顔色の悪い男が倒れる。

 

「ちょっと何してるの!?」

 

 思わず鈴音が声を上げた。いきなり人が刺されれば、誰でもこうなる当然の反応だ。対して、吾妻は鈴音の反応に「まぁ見てろ」と笑うだけで取り合ってくれない。

 全員が固唾をのんで見守っていると、異常が起きた。なんと、たった今腹を刺されて倒れたはずの男が何事もなかったかのように立ち上がったではないか。

 

「な? すげぇだろ? ハジキの方も試してみるか?」

 

 本当に愉快そうに、吾妻は笑っていた。まるでお気に入りのおもちゃを遊んでいる時の子供のようだ。しかし、鈴音は知っている。

 それは、腹を空かせた猛獣をいたずらに刺激するにも等しい、もっとも危険な行為だということを。

 鈴音がその行為の意味を教えようと口を開いた瞬間、部屋の外からドンドン、と扉を叩く音が聞こえてきた。

 

「……ッス! ……○ーイー……ッス! ピザの……りましたッス!」

 

 声の主が扉の向こうなのでよく聞こえないが、どうやらピザが届いたらしい。しかし、この場にいた者達は皆、困惑の表情を浮かべた。

 

「おい、お前ピザ頼んだのか?」

「いや、知らない」

「じゃあお前か? 今夜の夜食はお前の担当だったよな」

「いや、おれも知らない」

 

 誰がピザを頼んだのかと話し合う中、扉の向こうにいる者は言葉を続けた。

 

「……かい。……ぁ……いす……よ!」

 

 くぐもった声が()んだと思った瞬間だった。突如、電子錠で施錠された扉が爆発音と共に吹き飛んだ。その後、もうもうと立ち込める煙の中よりゆらりと黒い影が現す。その影は手に持った大型自動拳銃を指先で回して弄び、呆れた声を出した。

 

「居るんならとっととドア開けろよ。じゃねぇとこんな風にふっ飛ばされても文句は言えねぇぞ」

 

 煙が晴れ、影の正体が姿を現した。つまらそうに左手に握った黒鉄の銃をクルクルと回し、黒いコートの裾を揺らしながら悠然と部屋へ入ってくる明嗣だ。

 いきなり扉を吹き飛ばして押し入るという暴挙に出た明嗣を前に、吾妻は背中がスッと冷えるような声で明嗣へ呼びかけた。

 

「誰だてめぇ。どっかの組から送り込まれた鉄砲玉か?」

「まさか。ただピザ届けに来ただけさ」

「ふざけてんのか? ただの宅配屋がそんなデケェ拳銃(ハジキ)を持ってる訳ねぇだろ」

 

 吾妻の指摘に対し、明嗣は「そりゃそうか」と素直に無理がある事を認めて頷いてみせた。

 一方、鈴音は状況が飲み込めず、明嗣にここへやって来た理由を尋ねた。

 

「なんでここに来たの? アタシ、助けてって言った覚えないけど」

「勘違いすんなよ。勝手にしろっつったから好きに動いてるだけだ。ってか、簡単に捕まってんじゃねぇよ」

「アタシだって好きで捕まったわけじゃ……」

「まぁ、そのおかげで吸血鬼(エモノ)はここにいる事が分かったから結果オーライだけどな」

 

 不敵な笑みを浮かべ、明嗣は吾妻の方へ向き直った。対して吾妻は納得したように頷いた。

 

「ははぁ、そこのお嬢さんが言ってた男の子はお前の事だったのか。まぁ監視カメラに映ってねぇ理由を聞きてぇ所だが、それは後回しにするとして……。 エモノとはなんのことだ?」

「俺は掃除屋だ。社会のルールじゃキレイにできないこっぴどい汚れを掃除する掃除屋(スイーパー)さ。だから掃除しに来た」

「なるほど? つまり俺の事を掃除しにきたって訳か」

 

 聞くだけ野暮だった、と吾妻は笑ってみせた。が、明嗣は吾妻の背後を指差し、吾妻の言葉を否定する。

 

(ちげ)ぇよタコ。俺が用あんのはおたくの後ろにいるもやし野郎の方。最初からヤクザ映画みてぇな格好したチンピラなんか眼中にねぇっての」

「アァ?」

 

 吾妻はチンピラ呼ばわりされた事に対し、不快げに眉を潜めた。その反応を受け、明嗣は憐れむようにため息をつく。 

 

「あーあー、どうやら自分が置かれている状況に気付いてないらしい」

「なんの事だ?」

「ソイツはな、吸血鬼ってバケモンなんだよ」

「知ってるよ。だからウチの用心棒として飼っているんだ。ちょっとやそっとの傷じゃ死なねぇ、おまけに殺しにやって来た奴の血を与えてりゃ従順に従う最強の兵士だ」

 

 未だに明嗣の言わんとする事を理解できない吾妻は自慢げだ。そんな吾妻に対し、痺れを切らした明嗣はついに核心をつく質問を口にする。

 

「じゃあ、そんな奴がどうして大人しく従っていると思う? まさか、いつまでも同じ量の血で満足すると思ってるのか?」

「はぁ?」

「ほら、わかんねぇか? すぐ近くにお前の喉元狙っている猛獣がいるんだぜ」

 

 瞬間、吾妻は背中がゾッとするような感覚を覚えた。その原因を探ろうと周囲を見回すと答えはすぐに見つかった。それは自分の部下だと今まで思い込まされていて、たった今明嗣が「もやし野郎」と揶揄した黒いスーツで色白の男、吸血鬼だった。

 さらに鈴音の周りにいる吾妻の部下達を指差しながら、明嗣は言葉を続ける。

 

「さらに、そこの奴らも吸血鬼にされているぜ。手駒を増やしてここを乗っ取るつもりだったのか?」

「はぁ!? どういう事だよそれは!?」

「映画見た事ねぇのか? 吸血鬼に噛まれたら吸血鬼になるっつーあれだよ。噛まれた時に血を飲まされたって所だろうさ。まぁ、正確に言うなら吸血鬼ってよりは眷属になったが正しいけどな」

 

 明嗣は端的に状況を説明しつつ、右手で懐を探ってホワイトディスペルを引っ張り出した。が、撃鉄を起こす前にわなわなと震えていた吸血鬼が獣じみた叫びを上げ、吾妻へと襲いかかる。

 

「う、うわああああ!!」

 

 やっと自分の行動の意味を理解した吾妻は、腰を抜かしてリノリウムの床に尻もちを着いた。ここから待ち受けている結末はただ一つ。今まで良いように使ってきたツケの支払いとして、血を吸われて死ぬのみだ。

 現実を受け入れた吾妻は覚悟を決めてこれからに備えて目を(つむ)る。だが、そこへ割って入る者がいた。

 

「焦んなよ。こんな奴の血ぃ吸ったって腹壊すだけだぜ」

「はぇ……!?」

 

 おそるおそる、吾妻は目を開けて何が起きたのかを確認した。すると目の前には、大きく開いた吸血鬼の中にホワイトディスペルの銃口を突っ込む明嗣の背中があった。

 異物を口に入れられた不快感から、吸血鬼は銃身へ牙を突き立てる。しかし、ガチガチ鳴るだけで壊すまでには至らない。その滑稽な様子を前に、明嗣は口の端を吊り上げて引き金に指を掛ける。

 

Bang!

 

 撃針が装填された弾薬の雷管を叩くと同時に、赤黒い液体が周囲へ飛び散った。同時に、頭が吹き飛び、胴体だけになった身体が膝から崩れ、灰の山を築く。

 これが10mm水銀式炸裂弾(エクスプローシブ・シルバー・ジャケット)の真骨頂。着弾した瞬間に弾頭が皮膚を食い破り、中の炸薬が爆ぜると共に水銀が床に落ちた液体のように拡散する。通常の鉛弾(なまりだま)ではできない、対吸血鬼に特化した弾薬だからこそできることなのだ。

 以前、説明を受けてはいたものの、実際に目にした威力を前にした鈴音は思わず息を呑む。どう考えてもあれは、()()()()()ではない。嫌でも人間(じぶん)との違いを痛感してしまう。

 

「ほら、伏せねぇと頭吹っ飛ぶぜ!」

「え……?」

 

 明嗣の言葉で鈴音は現実に帰ってきた。気づくと双銃を水平に構えて自分の方へ銃口を向けている明嗣が姿が見える。

 

「ちょっ! 待っ……」

 

 鈴音が慌ててその場にしゃがみ込んだ次の瞬間、五発の銃声が鳴り響く。同じように頭を吹き飛ばされた吾妻の部下たちがその身体を灰の山へと変えた。

 

「嘘だろ……!? だって俺たちの拳銃(ハジキ)じゃ……」

「吸血鬼には銀の弾頭。これも俺らの業界じゃ常識」

 

 吾妻の言葉に明嗣は、本当に何も知らないんだな、と言いたげな呆れた視線を浴びせた。対して、吾妻は腰を抜かしたまま、呆けた表情で明嗣を見つめている。

 これで完全に終わりか。ふぅ、と一仕事終えたつもりだった明嗣は、撃鉄を倒して銃口から立ち上る硝煙を振り払うように回してから銃をホルスターに収める。

 安全が確保された事を確認した鈴音はおそるおそる明嗣へ声をかけた。

 

「め、明嗣って、カメラに映らないの?」

「まぁな。今は映る映らねぇを切り替える事ができるけど、小さい頃は俺だけ全部ピンぼけして上手く撮れなかったんだ」

「じゃあ吸血鬼と人間を見分ける事ができるのも?」

「ああ。昔から」

「なら最初から教えといてよ!」

「ペラペラ手の内明かすバカがどこにいんだよ、足手まといめ」

「アタシは――!」

 

 再び明嗣の物言いに反感を覚え、鈴音は明嗣へ詰め寄っていく。しかし……。

 

『きゃあああああ!!』

 

 突如、モニターの方から悲鳴が聞こえてきた。いったい何事かと明嗣と鈴音の二人が悲鳴の聞こえてきたモニターを覗くと、そこにはダンスフロアで首から血を流して横たわる客達の姿が映っていた。

 

 



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第12話 そして、少年少女はぶつかり合う

 モニターを確認した二人は即座にダンスフロアへ向かった。到着した時の光景は阿鼻叫喚と言うべき地獄絵図が広がっていた。

 今すぐこの場を脱したいと出入口へ殺到する群衆。響き渡る悲鳴。そして、何より目につくのが手当り次第にその牙を近くにいた者の首筋に突き立てていく吸血鬼達であった。

 

「なるほど……吸血鬼はあれだけじゃなかったんだな……!」

 

 状況を理解した明嗣は思わず歯噛みした。

 おそらく、今の事態に至ってしまった筋書きはこういう事だと思われる。

 

 鈴音がモニタールームに連行され、明嗣がそのフォローに回っている間に、もう一人か二人ほどの吸血鬼が我慢の限界を迎えたのだろう。その中の一人がトイレに向かった客が背後からガブリと首筋へ噛み付く。当然、腹が空いてすいて仕方ないので一気に飲み干し、噛み付かれた奴は失血性ショックで死亡。しかし、まだ足りない。もっと血が飲みたい。ならばどうする? 簡単だ。目の前の死体を使えば良い。目の前の死体に自分の血液を与え、眷属として蘇生させて従えれば良いのだ。そうしたなら、さらに効率良く血液を集める事ができるし、ゆくゆくは自ら出向かずとも大量の生きた人間から血を吸えるようになる、という寸法だ。

 そもそも、ナイトクラブは吸血鬼が活動する夜がメインの営業時間だ。吸血鬼からすると、何も知らずにのこのこやってきた人間(えもの)を好きに選ぶ事ができる、言わばビュッフェやバイキングのような状態である。利用しない手はない。ここを乗っ取って食堂にでもするつもりだったのだろう。

 だが、選んだ場所が「反社会的組織が運営しているナイトクラブ」というのが悪かった。来る日くる日も、弾除けや突撃してきた鉄砲玉(ころしや)を返り討ちにする事ばかり。生き血を(すす)る事に快楽を見出す吸血鬼から言わせれば快楽に悶え、恐怖に歪む女の表情で征服欲を満たしながら血を吸うのが至上の悦楽であり、虫の息の男の血を吸った所で面白くない所か、欲求不満による鬱屈としたストレスだ溜まっていくだけなのだ。

 その不満が爆発した結果が今、目の前に広がる光景、というのが明嗣の見立てだ。

 

 ここまでは良い。起こってしまったのだから事態の収集をつければ良い。やること自体は至って単純(シンプル)だ。問題は、その事態の収集をどうやってつけるか、その一点である。

 

 どうする……どうやってこの場を収めりゃ良いんだ……!?

 

 明嗣は現在の状況と吸血鬼を殺す方法についてを整理した。

 吸血鬼を殺すには、7つの方法が存在する。

 

 ①銀の銃弾で吸血鬼の頭か心臓を撃ち抜く。

 ②吸血鬼にとって毒である死者の血液を取り込ませる。

 ③首を刎ねる。

 ④日光を当てる。

 ⑤杭で心臓を貫き、地面に縛り付ける。

 ⑥火炙りにする。

 ⑦聖句を読み上げ、その魂を浄化し冥府へ送る。

 

 この内、明嗣が取れる手段は①の銀の銃弾で頭か心臓を撃ち抜く、ただ一つである。なぜなら、明嗣は首を刎ねる物や死者の血液を持ってはいないし、日光浴をさせるには時間が遅すぎる。杭はもちろん、火を点ける物も持ってないし、聖句に至っては聖書の文言なんて覚えていない。

 そういう訳で手元にある双銃で銀の銃弾を撃ち放ち、頭か心臓を撃ち抜かねばならないのだが、ここで現在の状況が障害となって立ちはだかる。

 

「ちょっと! 私を先に通しなさいよ!」

「うるせぇクソ(アマ)! 他所のとこ行け!」

「おい! こっちに来るな!」

 

 パニックを起こしたクラブの利用客が互いに罵詈雑言を浴びせながら、生き残るのは自分だと言わんばかりに外へ続くフロアの出入り口へ殺到している。そこへ“黒い線”を持つ吸血鬼達が絶好の獲物だとばかりに迫っていく。さらに……。

 

「うわあああああ!!」

 

 叫び声が聞こえたのでそちらの方へ視線を向けると、人間の証である“赤い線”を持つ者に混ざる“黒い線”を持つ吸血鬼がいる。おそらく、噛まれた際に吸血鬼の血液を牙を介して流し込まれたのだろう。“黒い線”を持った者が幽鬼のごとき足取りで近づいていき、一番近かった奴へと噛み付いた。すると、一瞬の内に“赤い線”は“黒い線”へと変わり、またすぐ近くの“赤い線”を持つ者へと向かっていく。

 

 さて、明嗣はこのような状況の中で()()()()()を撃ち殺さねばならないのだが、はっきり言って無理難題を突きつけられているに等しい状況だと言えた。

 考えてもみて欲しい。周りが吸血鬼だけで、こちらだけを狙ってくる乱戦だったならともかく、パニックを起こした群衆の中で行わねばならないのだ。

 それも()()に一般人に当てることなく正確に。

 アルバートから「一般人(カタギ)は絶対に傷つけるな」と教え込まれている明嗣からすると、今の状況は最悪な状況と言えた。

 

 左眼の力で眠らせながら吸血鬼を片付けていくか……? いや、時間がかかり過ぎる!

 

「……嗣」

 

 こうなりゃ無理に突っ込んで至近距離で確実に……。だめだ。対応できない数で囲まれたらそれで詰む!

 

「……い嗣!」

 

 あークソッ! どうする! このまま放っておけば、ねずみ算式で増えていくぞ! それもスゲェまずい!

 

「明嗣!」

 

 思考の袋小路に陥ってしまった所で、明嗣は自分の名を呼ぶ声で現実に引き戻された。明嗣が声のした方へ向くと、鈴音が覚悟を決めたように見つめていた。

 対して明嗣はそんな余裕なんてない事を隠しつつ、平静を装って鈴音の呼びかけに答える。

 

「なんだよ。今、考え事してんだ。話なら後にしてくれ」

「アタシ、この状況を一人でなんとかするなんて絶対無理だと思う」

「はっ。だから一緒にやりましょう、ってか」

「そう。アタシにはこの状況をなんとかできる考えがあるよ。でも、アタシ一人じゃ無理。だから明嗣にも協力して欲しいの」

 

 鈴音の「考えがある」の一言に飛び付きそうになった。しかし、明嗣は彼女の言葉を一蹴する。

 

「そうかい。あいにく、俺は手一杯でね。よそ当たってくれよ」

「まだ一人でやるって言うつもりなの?」

「ああ、そうさ。今その算段を考えてんだよ。だいたい、勝手にしろつったくせに都合いい時に助けろだなんて虫が良すぎだろ」

 

 冷たく言い放ち、明嗣は突破口を求めて頭を周囲へ巡らせる。戦いにおいて信じられるのは自分の力のみだ。これまでだってそうだったし、これからもそうだ。

 全部を自分の責任で済ませる事ができる一人の方が気が楽だから。ミスして追い詰められた時も、ピンチを切り抜けてなんとか生還した時の生きてる感触も、死ぬ時だって全部自分一人の責任で済ませる事ができる。

 明嗣は理不尽が嫌いだ。誰かに頼って理不尽に失敗を責めたり、逆に頼られて失敗して理不尽に責められる恐れがある共同作業なんて、明嗣から言わせるとナンセンス以外の何物でもないのだ。

 だから、鈴音の助けも借りない。この場だって一人で切り抜ける方法が何かあるはずだ。

 焦る思考を必死に制御しつつ、明嗣はひたすら頭を回す。一方、いつまで経っても埒が明かない事に業を煮やした鈴音は、ついに明嗣の肩を掴み、自分の方へ向かせた。

 

「いつまでも意地はってる場合じゃないでしょ! なんでそうやって自分一人で解決しようとするの!?」

「うるせぇな! 頼れるかどうか分からねぇ奴を信用できるかよ!」

「一回も頼ろうとしなかった癖に信用できるかどうか決めないでよ! 今までどんな奴と組んできたか知らないし、なんとなく女が嫌いなんだろうなって感じてたけどね、今まで会ってきた人たちとアタシを一緒にしないで!」

「じゃあこの状況を本当にどうにかできるってのか! アァ!?」

「できる!」

 

 その言葉で、初めて明嗣は鈴音と向き合って話したような感覚に陥った。鈴音が向けてきている眼差しは真剣そのもの。本気でなんとかできると信じている眼だ。しかし、そのためにはピースが足りない。そのピースがお前だと言いたげに鈴音は明嗣を見つめていた。

 

「この状況をなんとかしたいのはアタシだって同じ。組んだばかりで信用できないのも分かるけど、今だけはアタシを信じて頼ってよ。それでもアタシの事が気に入らないなら、それでも良いから」

 

 二人の間に重い沈黙が流れる。この間にも状況は刻一刻と悪い状況へ向かっている。このままではこのダンスフロアにいる人間たちが全員吸血鬼となり、こちらへ殺到してくることだろう。考えうる限りの最悪な結末だ。絶対に避けなければならない。

 やがて、取るべき最善の手段はこれだ、と腹を決めた明嗣は口を開いた。

 

「そこまで言うなら良いぜ。()()()()()()。どうすりゃいい?」

 

 やっと明嗣が話を聞いてくれる気になった達成感から鈴音の表情に輝きが宿った。この機を逃すものかと気合を入れた鈴音は太もものポーチから札を取り出しつつ、手短に作戦の概要を説明し始めた。

 

「アタシは式神を使ってこれを壁に貼って回りながら自分の武器を取りに行く。だから、明嗣はできるだけ吸血鬼の数を減らして」

「式神?」

「見てて」

 

 鈴音は札をもう一枚取り出すとクナイを使って指先を切り、その札へ自らの血を垂らした。すると、札の中から赤い羽根の鳥が飛び出してきた。

 火の粉を散らしながら、宙を舞うその鳥は鈴音の肩へ降り立ち、自らの毛づくろいを始める。

 

「この子はアタシの式神の内の一体、朱雀。アシスタントみたいな物だと思ってて。とにかく、アタシとこの子が準備をするから明嗣はその間の時間稼ぎをして」

「準備にかかる時間は?」

「この広さなら……1分あれば十分かな」

 

 指の止血を済ませた鈴音はトントンとつま先で床を叩く。どうやら彼女の方はいつでも行けるらしい。それを受け、明嗣も懐から白と黒の双銃を取り出し、撃鉄を起こした。

 

「本当に任せて良いんだろうな?」

「もちろん。失敗したら二人とも死んじゃうしね。絶対成功させるから」

「提案に乗った事を後悔しないよう祈ってる。行くぞ」

 

 覚悟を決めた明嗣はパニックの中に飛び込み、至近距離から吸血鬼へ銀弾を撃ち込む。時間稼ぎなら中に飛び込んで、できるだけ注目を集める形で暴れた方がちょうど良い。一方で、鈴音は明嗣の期待に応えるべく、疾風の如き速さで駆け出した。



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第13話 一仕事終えて

「ウゥ……ガァ……」

 

 ノロノロとした足取りで男がフロアを彷徨う。クラブで遊ぶために用意したブランド物のシャツや革靴、腕時計は首筋から流れる自らの血液によって汚れていた。この男は吸血鬼に牙を突き立てられ、眷属となったばかりだった。全身の血を抜き取られ、その代わりに僅かばかりの吸血鬼の血を与えられた彼は訳も分からぬまま、純粋に血を求める(しかばね)と化している。

 

「い、嫌……来ないで……!!」

 

 吸血鬼となった彼の視線の先には、明嗣に「彼氏が気が利かなくて最悪」と不満を垂れていた女、リホがいる。彼女は不幸な事に吸血鬼から逃れるための生存競争に敗れ、このフロア内を逃げ回る事を余儀なくされていた。

 助かる見込みがなくなったのなら、後は諦めて死ぬのみだが、本能がまだ死にたくないと叫ぶ。それだけ死ぬのは怖いし、まだ助かる(すべ)があるかも、という淡い期待が彼女の中にはあった。しかし、現実は非情だった。生き残れるかもしれないと逃げ回っていた時間は、逃げ場がないこの場所に追い詰められた事により、無駄になってしまったのだ。

 きっと、テレビで見た草食動物もこんな風な気持ちで肉食動物から逃げ回っていたんだろうな。

 諦めた彼女は、このような事を考えだす程に、もうどうしようもない事を悟った。

 もう1mもしない距離まで死が迫って来ている。

 

 もっと旅行とか色々したかったな……。あ、でもこんな事になったから無理かぁ……。今までワガママ放題だったし、バチが当たったんだ……。

 

 自嘲気味に諦めの笑みを浮かべ、リホはペタンとその場に座り込んでしまった。同時にゆっくりとした足取りだった吸血鬼がリホへ飛びかかる。

 吸血鬼が向かってくる様をリホは虚ろな目で見つめていた。このまま自分もさっき見かけた人達のように人へ襲いかかる化け物になるんだ。そう、思っていた。

 しかし、なぜかズドンという音が響くと共に吸血鬼の頭が爆散し、その身体を灰へと変えてしまった。

 

「え……?」

「おい! ボサっとしてんなよ! 死にてぇのか!」

 

 声がした方に目を向けると、そこには煙がたなびく大きな白銀の銃を持つ少年、明嗣が立っている。まさかの展開にリホは驚きの声をあげた。

 

「あ、アンタは……ブルズアイの……」

「んな(こた)ぁどうでもいい! 逃げるのか! 死にてぇのか! 死にてぇならそこでじっとしてな! コイツらに噛まれた瞬間に頭か心臓を()ち抜いてやるからよ!」

 

 怒鳴りながら、明嗣は襲いかかる吸血鬼の一体を蹴りあげて宙に浮かせた。空中で身動きが取れなくなった所に、明嗣は右手に握った白銀の銃、ホワイトディスペルを向けて引き金を引く。胸の中心部に大きな風穴が空き、灰となった吸血鬼が床へ叩きつけられ、その身を散らした。

 

「ほら! どっちか選びな! こっちは割と余裕ねぇんだよ!」

「で、でも逃げ道が……」

 

 リホの言葉で明嗣はフロアの出入口の方へ視線を向けた。出入口付近では、我先にと逃げ惑う人々とそこを狙った吸血鬼の集団でごった返しになっていた。その光景を目にした明嗣は、左手に握った黒鉄の銃を向ける。

 

「クソッ!」

 

 水平撃ちの状態で薙ぎ払うように黒鉄の銃、ブラックゴスペルの引き金を三回引いた。比較的当てやすい胴体へ着弾した銃弾は炸薬が爆ぜ、中の水銀が心臓を食い破る。

 

「ほら、道は空けたぞ! 逃げるんならさっさとしな!」

「あ、ありがとう!」

「そうだ、ちょい待ち!」

 

 道が拓けたので逃げようとするリホの背中へ、明嗣は呼びかけて引き止めた。さっさと逃げろと言っておいてなんだ、とリホが振り返ると明嗣は彼女を指さした。

 

「あんま彼氏の悪口ばっか言ってるといつか後悔するぞ! 恋人はアクセサリーじゃねぇんだからな!」

「……うん!」

 

 頷いたのを確認すると明嗣は、再び殺到する吸血鬼の対処へと取り掛かる。弾が自動で生成される複製式弾倉(クローニング・マガジン)と言えど、やはりスライドストップの宿命から逃れる事は出来ない。急いで二丁とも弾倉を交換した明嗣は、事態を好転させようと駆け回っているであろう鈴音へと思いを馳せる。

 

 早くしてくれよ持月……! 残りの弾は問題ねぇけど、俺にだって限界ってモンがあるからな……!!

 

 

 

 一方、作戦の準備と自らの得物を取りに行くため、別行動をしている鈴音は……。

 

「えっと……あった!」

 

 口を赤い組紐(くみひも)で縛り、結び目に鈴がぶら下がる紫の竹刀袋を見つけた鈴音は、ホッと息を()く。さっそく、中の物を取り出そうと鈴音は組紐の端を引っ張り、口を開いた。布が擦れる音と共に姿を現したそれは、一振りの刀だった。刀身の長さは三尺、鞘は漆によって真っ黒に染められている。

 己の愛刀を手にする事に成功した鈴音は、親指にたっぷりと唾をつけ、刀身と柄を繋ぐ根釘に塗る。こうする事で根釘が締まり、肝心な時に刀が分解する事故を防ぐことができるのだ。刀を扱う者にとって、この行為は気を引き締める儀式であり、鈴音にとっても本気を出すための特定行動(ルーティン)である。直に根釘へ唾を吐きかけて締めるのが一番手っ取り早いやり方だが、鈴音は好まなかった。

 左手に刀を持ち、右手に札を手にした鈴音はすぅっと軽く息を吸い込む。現在、鈴音の心は波一つ立たない湖面のように静かだった。仕込みは済んだ。得物は回収完了。ここから先は、一気に駆け抜けて明嗣の元へ駆けつけるだけだ。

 だが、その前に。眼前に立ちはだかる障害をなんとかしなければならない。鈴音が見据える先では確認の必要がないほどに、血に飢えた吸血鬼が逃げ回る人間を追い回している。鈴音はその吸血鬼達へ向けて札を放ち、印をつけた。そして、腰を落として刀の(つか)へ手をかけた。その後、左の親指で(つば)を押し上げながら、踏み込むための力を脚に込める。

 

「持月流居合抜刀術……散華の太刀」

 

 その剣を振るわれた者は、花が散るように命を取られると評された。その一太刀は椿の花が枯れる時のようだと見た者は口にした。ゆえに、その技の名は――。

 

斬椿(きりつばき)!!」

 

 刀が鞘から抜き放たれると同時に、印をつけられた吸血鬼たちは一気に首を落とされた。胴体と泣き別れになった首は、灰となるその時まで自分が首を刎ねられた事に気づかず、宙を舞う。その様は咲いた形を保ったまま地に落ちる椿の散る時のようだった。ゆえに斬椿。

 一気に振り抜いた刀を納めた鈴音は、大きく息を吐く。そして、最後の仕上げをするために明嗣の元へ駆け出した。

 

 

 

 場所は戻り、鈴音の準備を待つ明嗣は……。

 

「ほら、こっちだこっち! 捕まえてみろよ!」

 

 挑発で吸血鬼たちの注意を引きつつ、向かってくる奴には銀弾をお見舞いして順調に数を減らしていた。だが、長時間のあいだ神経を張り詰めていると注意力が散漫になっていき、思わぬミスを引き起こす事もある。

 この調子なら余裕だと気を緩めていた所で突如、死角から拳によって左手のブラックゴスペルを弾き落とされた。11kgの鉄塊が落ちたドゴン!という音が辺りに響き渡る。即座に右手のホワイトディスペルで対処するが、よりにもよってこのタイミングで注目を集めたツケが回ってきた。気がつくと明嗣を取り囲むように吸血鬼が集結している。ざっと見ただけでも周りを囲む吸血鬼は10体いるように見えた。

 

「おー……皆さん、お揃いで……」

 

 口の端を吊り上げ、無理やり笑ってみせるが明嗣の頭の中に「もう終わり」の五文字が過ぎった。ジリジリと包囲網が狭まっていく。銃口を向けて牽制しつつ、鈴音はまだかと思ったその時、赤い閃光が明嗣の前で閃いた。すると周りの吸血鬼の足元から火柱が上がる。

 いったい何事か、と困惑する明嗣の前に燃え盛る炎を纏った朱雀と共に待ちかねた鈴音が降り立った。

 

「お待たせ! 準備できたよ!」

「遅せぇよ!」

「これでも急いだ方! そして……ラスト!」

 

 怒鳴る明嗣に口を返しつつ、鈴音は最後の札を床に貼り付けた。そのまま、手のひらを叩きつけると朱雀が吸い込まれて魔法陣が展開される。叩きつけた手のひらを中心に波動が広がっていくと、ダンスフロアを暴れ回っていた吸血鬼達は身体が一気に燃えて消し炭となった。

 鈴音の実家、持月家は平安の頃より陰陽師として活動しており、時代が流れると共に、忍びの者として影から吸血鬼などの化物から人々を守ってきた退魔の一族である。明嗣に時間を稼がせていた理由は、この大掛かりな術の準備をしたかった所にあったのだ。

 

「はぁ〜……間に合った〜……」

 

 騒ぎが収まった事を確認した鈴音は、脱力してその場に座り込んでしまった。対して、明嗣はと言うと落としたブラックゴスペルを拾い上げ、ホワイトディスペルと一緒にホルスターに納めた。

 これでやっと一息つけると、明嗣は気を緩めて肩を落とす。すると、座り込んだ鈴音が手を差し出した。

 

「なんだよ」

「腰抜けちゃったから手を貸して」

「はぁ、たく……仕方ねぇ……な!」

 

 鈴音の手を取った明嗣は一気にその手を引っ張り上げた。すると、鈴音はすくっと立ち上がり、身体を伸ばした。

 

「ん〜! はぁ……ありがと、明嗣」

「はいはい、どういたしまして」

 

 素っ気なく答えた明嗣はそそくさと逃げるように歩き出した。その背中を「あ、置いてかないでよ!」と言いつつ、鈴音が追いかけた。すると……。

 

「おい! 待ってくれ!」

 

 足を止めて二人が振り返ると、今回の原因と言っても過言ではない人物、吾妻の息を切らせてやって来る姿が見えた。

 

「良かった……間に合った……」

「なんだよ。まだ何か用か」

 

 冷ややかな視線を吾妻に浴びせながら、明嗣が用件を尋ねた。

 

「いやぁ、今回は世話ンなった! アンタらがいなけりゃ終わりだったよ!」

「アタシらはこれが仕事だからね〜。でも、これに懲りたら二度と吸血鬼を用心棒になんてしようとか思わないでよ」

 

 鈴音の言葉に吾妻は頷き、揉み手をしてゴマをすり始めた。

 

「もちろんだ! 俺も今回の事でよーく分かったよ。それにしても、アンタら強えな! あんな化け物相手に勝っちまうんだからな! で、物は相談なんだが……」

 

 おそらく、これが本題だったのだろう。揉み手をしながら媚びを売るような笑みを浮かべ、吾妻は次のように話を持ちかけた。

 

「俺の所で用心棒をやってみねぇか? ここのアガリはたっぷり払うからよ! な、どうだ?」

 

 どうやら吸血鬼の次は自分らを利用する気らしい、と感じ取った明嗣と鈴音の二人は互いに顔を見合わせる。その後、揃って親指を下に向けた二人は「地獄に落ちろ」と答えた。返ってきた答えを前に呆然とする吾妻を残し、二人はクラブを去っていった。

 

 

 

 さて、クラブを後にした明嗣と鈴音は、クラブから少し歩いた所にある公園で休憩を取っていた。

 

「ほれ」

「うぇ!? あっとと……」

 

 設置された自販機で買った飲み物を明嗣はベンチに座る鈴音へ放り投げると、彼女は慌てた様子でキャッチした。

 

「いきなり投げてこないでよ、危ないなぁ……」

 

 文句を言いつつ、鈴音は受け取ったオレンジジュースの缶のプルタブを起こして飲み始めた。明嗣もコーラの缶のプルタブを起こして口の中へ流し込む。

 よっぽど喉が渇いていたらしく、一気に中身を飲み干した鈴音は満足気なため息をこぼした。

 

「はぁ……美味しい。にしても、ジュース奢ってくれるなんてどうしたの?」

「なんだよ。悪ぃか」

「別に嫌って訳じゃないけど、単純にどういう風の吹き回しかな〜……みたいな」

「別に。今回の事では世話になったから礼しとこうかってだけだ」

「ふーん……」

 

 ごくごくとコーラを飲む明嗣を、鈴音はじーっと見つめていた。その視線に気付いた明嗣は訝しむような表情を浮かべる。

 

「なんだよ」

「いやぁ、何考えているのかなって」

 

 鈴音が興味津々といった表情で見つめるが、明嗣は気まずそうに明後日の方向を向いて、その視線から逃れようとした。すると、鈴音はからかうように声をかける。

 

「変な事考えてたんでしょ」

「違ぇよバカ」

「いきなりバカはないでしょ!」

「うるせぇよ。変な事言い出すからだ」

「じゃあ何考えてたの」

 

 その質問をした途端、明嗣は黙り込んでしまった。何も言わなくなってしまった明嗣を受け、鈴音はこれを好機とばかりに追撃をかける。

 

「やっぱり変な事考えてたんでしょ!」

「だから違ぇっての! お前に言われた事を考えてたんだよ!」

 

 鈴音の追求に根負けした明嗣はポツポツと語り始めた。

 

「俺は今まで、マスターに付いて回って色んな奴を見てきた。自信満々に大口叩いておいて、いざピンチになるとしっぽを巻くって逃げ出す奴から、自分が原因のくせに無責任な後始末を押し付けてくる依頼人まで、それこそ色々な」

「うん」

 

 一旦、言葉を切って明嗣が飲み物を流し込んだので、鈴音は相槌を打って続きを待った。口の中の飲み物を飲み込んだ明嗣は、過去を振り返るように遠くを見つめて、続きを語り始めた。

 

「指摘された通り、俺は女が嫌いだ。すぐにヒスるし、自分の都合いい事ばっか押し付けてくるし、三文芝居で男女問わず常に味方は確保してるしで、良い印象が全くない」

「うわっ、ひどっ」

 

 散々な言いざまに鈴音は思わず、引きつった表情を浮かべる。だが、明嗣は「でも」と続けた。

 

「お前は真っ直ぐに俺を見て『一緒にすんな』って言っただろ。それで俺の前でちゃんと『なんとかする』って言葉を現実にしてみせた。だから、そこん所は認めるよ」

「それでジュース1杯かぁ……思ったより価値が安いんだね、アタシ」

「逆だ、逆。力があるって認めたお前にジュースの価値をプラスしてんだよ。だから、これからもその調子で頼むって事」

「ふーん? じゃあさ、それなりの態度って物があるよね〜? ほら、アタシに示してごらんなさい?」

 

 期待するような、それでいて少し意地の悪い笑みを浮かべて、鈴音は明嗣へある要求を言外におこなった。すると、明嗣は恥ずかしそうに顔を逸らし、歩き出しながらそれに応えた。

 

「ほら、さっさとマスターの所に行くぞす、()()……」

「うん! 素直でよろしい……って、お店はもう閉まってるでしょ?」

 

 要求が通った事に満足しつつも鈴音は純粋な疑問を口にした。すると、明嗣はニッと口の端を釣り上げて答えた。

 

「だからだろ? 店閉めたんなら賄い飯を作ってる頃だ」

「あ、そっか! 何作ってるのかな?」

「今日はホワイトアスパラのスープを作ってたからな。たぶん、それにパスタの麺ぶち込んでスープパスタにしてるんじゃねぇか?」

「良いね〜。楽しみ!」

 

 他にもあれこれと賄いのメニューを予想しながら、明嗣と鈴音はアルバートの待つHunter's rustplaatsへ向かっていった。

 

 

 

 その晩、明嗣達が預かり知らぬ所で女が一人死亡した。その死体は驚くべき事に、ロンドンで起こっていた内蔵の一部と血液を抜き取る「現代に復活した切り裂きジャック」が関わった物と酷似しており、警察は厳しい警戒態勢を取ると共に、捜査本部を設置する事を決めた。



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EPISODE1-3 Night laid “Jack the ripper”
第14話 昼休みの一時


 ナイトクラブでの仕事を終えて二週間が経過した。

 最初は仲違いするなどのトラブルがあった明嗣と鈴音だが、二週間も時間が経過したのなら、それなりに互いの扱い方も心得てくる物だ。学校生活も同じで入学初日は注目を集めた真っ白な頭髪も馴染んできたのか、すれ違う同級生は特に好奇の目を向けてくる事もなくなってきた。それは明嗣としてもありがたい事だ。別に好きこのんで真っ白な髪に生まれてきた訳ではないので、いちいち会う度に珍しい物を見るような視線を向けられてはたまった物ではないので非常に助かる。

 だが、白い髪の問題点はこれだけではなかった。

 午前の授業を終えて昼休みに突入し、騒がしくなる教室の雰囲気を嫌った明嗣は、コンビニで確保した昼食のサンドイッチやカスクートなどの惣菜パンとブラックの缶コーヒーを手に廊下に出た。

 向かうは、適当に散策していく内に見つけた空き教室。一人で静かに過ごせて風通しが良く、その上日光浴まで出来る、いわゆる穴場スポットだ。そこへ向かい、昼食を適当に済ませた後は昼寝するも良し、スマートフォンで電子書籍を読み漁るも良し、はたまた空を眺めているだけでも良しの穏やかな場所である。

 

 今日は電書でラノベでも読むかな……。いや、読みかけのハードボイルドも……。

 

 などと考えながら、鼻歌まじりに廊下を歩いていると、明嗣は不意にトントンと肩を叩かれた。だいたいの予想がついているので、面倒くさそうに背後を向くとそこにはにっこりと笑い、弁当箱の包みを抱えた澪の姿があった。

 

「これからお昼なんでしょ? 一緒に食べよ!」

「……もしかして暇なのか?」

「違うよ? あたし、新聞部に入ったんだよね。もちろん、写真担当で」

「で?」

「学校新聞で一年生の特集組む事になったから、明嗣くんを取材しようかと思って! ほら、明嗣くん目立つから一面を飾るのにピッタリだし!」

「帰れ」

 

 澪の言葉をバッサリと切り捨てて、明嗣はスタスタと歩いて行く。理由はこの取材にかこつけて、この間の自分は何に命を狙われていたのか説明するかしないかの問答の続きをしよう、という澪の魂胆が透けて見えているからだ。対して、澪はめげる事なく明嗣へ食らいついていった。

 

「ちょ、ちょっと待って! 一面だよ!? 雑誌で言えば表紙だよ!? なんで断るの!?」

「目立つのは嫌いなんだよ。他に良さそうな奴いるだろうからそっち当たってくれ」

「まぁそんな事言わずに話だけでもさ、ね!」

 

 明嗣の前に立ちはだかるように澪は取材を受けるように説得を試みる。このままでは離してくれないだろう、と感じた明嗣は気だるげにため息を吐き、足を止めた。

 

「ほら、周りをよく見てみろよ。俺よりもぴったりな奴がたくさんいると思うけどな」

 

 明嗣は澪の背後を指差し、周りを見ろと促した。それに従い、澪は自分の背後を振り返る。見たところ、確かに取材を受けてくれそうな同学年の生徒がいるにはいる。だが、真っ白な髪というインパクト十分な特徴を持つ明嗣と比べると、見劣りしてしまうのが正直な感想だった。

 

「うーん……たしかに他の人でも良さそうなんだけど、明嗣くんと比べてしまうとやっぱりパンチが弱いっていうか――」

 

 いまいちピンとこない、と言いたげな表情で澪は明嗣の方へ向き直る。だが、向き直った時には、すでに明嗣の姿は消えていた。

 

「え!?」

 

 驚いて澪は周囲を見回した。そして、理解した。あぁ、これは撒かれてしまったな……と。

 今から追いかけても捕まえられる気がしないので、澪はとりあえず引き下がる事にして、成果を期待しているであろう部員たちが待つ新聞部の部室へ戻ることにした。

 

 

 

 澪を振り切る事に成功した明嗣は、やっと昼食へありつけると日当たり良好の空き教室へ向かった。すると、明嗣より先にやってきた者がいた。その先客はガラガラと引き戸を開けて入ってくる明嗣の姿を見ると親しげに手を上げて挨拶した。手元には楕円形の弁当箱が広がっている。

 

「あ、遅かったね。先食べてるよ」

「……」

 

 今日は知り合いが誰もほっといてくれない日なのか、と明嗣は頬をひくつかせた。すると、親しげに手を上げた先客の鈴音はどうかしたのかと首を傾げた。

 

「あれ? 何かあった?」

()()()お前がここにいるんだよ、鈴音」

「あー、その事? ふっふっふ……それではあちらの窓にご注目〜」

 

 意味ありげな含み笑いしながら鈴音は、パチンと指を鳴らした。すると、その音を合図に開け放たれていた窓から火の粉のような赤い羽根を散らして、一羽の鳥が飛び込み鈴音の肩へと降り立った。先日のナイトクラブでの戦いの時、吸血鬼に囲まれていた明嗣を助け出した鈴音の式神、朱雀である。

 

「朱雀に明嗣を尾行させて先回りしたんだよね。どうせだから、ちょっと驚かせようかと思ってさ」

「普通に声かけろ」

「え〜、だって教室にはいないし、食堂とか体育館探してもいないじゃん。明嗣のクラスの人に聞いても知らないって言われたし、それで普通に声かけろって無理じゃない?」

「うぐっ……」

 

 ぐうの音も出ない正論だった。返す言葉が見つからないので、明嗣は素直に白旗を上げて降参するしかなかった。

 

「で、なんの用だよ。まさか、ただ一緒に昼メシ食おうって訳じゃないんだろ?」

「え? 用なんてないよ?」

「はぁ?」

「え、この間のあれって、これから仲良くしようねの流れじゃないの?」

 

 この間のあれ、とはナイトクラブを後にして公園でジュースを飲みながらしたやり取りの事だろう。だが、明嗣としてはビジネスライクに組む程度のやり取りであり、学校でも仲良くするだなんて一言も言った覚えがない。

 

「誰がそこまで言った」

 

 明嗣は鈴音の純粋な言葉をあっさりと一蹴した。すると、鈴音はグスッっとすすり声をあげて涙ぐみ始めた。

 

「うぅ……やっと仲間と認めてもらえたって思ったのに……。あれはアタシの勘違いだったのかぁ……」

「それとこれとは話が別だ。あと、手の中に目薬見えてんぞ」

「あーあ、バレてたか〜」

 

 舌を出して、鈴音は泣く直前のような涙声から元通りのトーンへ戻し、笑ってみせた。明嗣は呆れた表情で油断も隙もない、と言いたげなため息をこぼした。

 

「茶番はここまでだ。さっさと本題入れよ」

「はぁ……はいはい。ノリ悪いなぁ、もう……」

 

 残念といった表情で鈴音は肩を落とした。その後、ブレザーのポケットから自分のスマートフォンを取り出して指を滑らせ、ネットニュースを明嗣に見せた。

 

「なんか最近、変な死に方する人がいっぱい出てるでしょ? 血を抜かれて内臓一個持っていかれているって奴」

「あー、その事か。言いたい事は分かるぜ。俺がロンドンにいた時、向こうで話題になってた『切り裂きジャック』がこっちにいるんじゃないか。そう言いてぇんだろ」

「そうなの。だから、ちょっと意見を聞いてみたいなぁ、と思って」

「ただの模倣犯だろ。殺人でしか興奮できないサイコ野郎が日本(ここ)にもいた、それだけだろ」

「うん。それだけなら良いんだけど、内臓だけじゃなくて血を抜くって所が引っかかってね……。もしかしたら……」

 

 そこまで言った所で明嗣は、鈴音の言わんとすることを理解した。彼女はこう言いたいのだ。

 切り裂きジャックの影には吸血鬼がいるんじゃないのか、と。

 しかし、明嗣は鈴音の疑問に対して首を横に振った。

 

「ありえねぇな。そもそもアイツは十九世紀の殺人鬼だ。ギネス記録だともっとも生きた人間は119歳くらいの婆さんだったはずだろ。その上、今ほど医学が発達していない十九世紀なら、とっくに寿命でくたばってるだろうよ」

「切り裂きジャックの話は五人目の娼婦を殺したのを最後にぱったり消えた、でしょ? じゃあ、なんで五人目で姿を消したのかな?」

「知るかよ。飽きたから別の趣味を始めたんじゃねぇか? それに、もし現代まで生きていたと仮定して、アイツはパスポートを持っていない。日本(こっち)に来る事はおろか、海外渡航ひとつできやしねぇよ」

「そう言われたら……そうなんだけど……。でも、同じ手口っていうのがどうしてもね……」

 

 確かに明嗣の言う事も一理あるかもしれない。だが、それでも鈴音はいまいち釈然としないと言いたげ表情をしていた。これでは埒が明かないので明嗣は、打ち切るように言葉を畳み掛ける。

 

現代(いま)は科学捜査だってある。もう昔と同じ手を使って霧みてぇに消えるなんて事はできねぇよ。俺はそんな事より早く腹ごしらえを済ませたいね」

「あ、ごめん。そういえばまだだったね。ちなみに明嗣のお昼は?」

「惣菜パンと缶コーヒー」

「うわぁ……お店の時と違って質素……」

「こういう時は手軽が一番だろ?」

 

 そう言うと、明嗣はバリッっと音を立てて、ソーセージにからしマヨネーズが塗られた惣菜パンの封を切った。器用に中身を少しだけ出すと一口かじって、缶コーヒーで流し込んだ。その後、明嗣はぼうっと外の様子を眺め始めた。一方、鈴音は先程のやり取りにまだ納得がいってないようで、考え込むように腕を組んでいた。



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第15話 “切り裂きジャック”の影

 午後の授業も滞りなく終わり、放課後を迎えた。教室の雰囲気は、これからどうやって過ごそうか、と退屈な時間から解放された喜びで浮き足立っている。明嗣もその中の一人で、教科書などの荷物をバッグの中に突っ込んだ後、グーっと固まった筋肉をほぐすように腕を伸ばしていた。

 十分に伸ばしたかな、という所で明嗣はバッグを肩にかけて立ち上がった。そして、教室を出た所で何か言い様のない寒気が背筋を撫で上げた。

 

 嫌な予感がする……。

 

 今すぐこの場を去らねば何か面倒な事に巻き込まれるかもしれない、そのように本能へ訴えてくるような悪寒だ。帰り際にジュースでも買おうかと考えていたが急遽キャンセルし、明嗣は下駄箱がある昇降口へ急いで向かった。

 できるだけ早く上履きからスニーカーへと履き替え、明嗣は校門へ歩いて行く。すると……。

 

「待ってたよ、明嗣くん」

 

 漫画の効果音を現実で鳴らすとしたら、ビキリ、という表現が適切だろうか。その声を聞いた途端、明嗣は凍りついたように足を止めてしまった。おそるおそる振り返ると、明嗣の前には仄暗い笑みを浮かべる澪が立っていた。

 

「学校から出るには校門を通るしかないもんね? だから、ここで待っていたら必ず捕まえる事ができるって思ってたんだ」

「すげぇ執念だな……。どうしても俺に取材を受けさせたいらしい」

「あ、ううん。取材の事はもう良いの。明嗣くんが嫌がってたって伝えたら、じゃあ他の人にしようって事になったから」

「そうかい。なら、俺にいったいなんの用なのかな?」

「分かっているくせにとぼけないで。この間の続き。あたしが見たあれはなんだったのかって事」

 

 澪はまっすぐに明嗣を見つめて話を続けた。その状態のまま、澪は黙っている明嗣へ詰め寄るように近づいていく。

 

「怖い目に遭ったし、警察に連れてかれて何回も同じ話をすることにもなったんだよ。警察の人はただのおかしい連続殺人鬼だと思っているけど、実際に見たあたしには、とてもあれが人間には思えなかった。ねぇ、あたしが気を失った後、何があったの? なんで明嗣くんは生きているの? っていうか、そもそも明嗣くんは何者なの?」

「質問は一度に一つだって教わらなかったのか? まぁ、一回で答えられるから全部まとめて一回で答えてやると、俺は何も知らない。ただの高校一年坊だよ」

「嘘! 通話履歴を見せた時の表情を忘れてないからね!」

「ぐっ……余計なモンは覚えてるのな……」

 

 明嗣は澪の言葉にたじろいでしまった。まだ吸血鬼と明嗣を結びつける確定的な証拠は出てきていないが、このままではボロを出してしまいそうだった。重たい沈黙が二人の間を支配する。数秒して、澪は追撃の言葉を明嗣へ投げかけた。

 

「さぁ、黙ってないで何か言ったらどうなの? もしかして、また電話がかかってくるのを待ってるとか?」

 

 何か……! 何かないか……! 彩城が言い返せないような言い訳……!!

 

 明嗣は必死に頭を回して考える。潤滑剤として糖分を摂取したいほどに、明嗣は脳みそをフル稼働させていた。そして、その果てに導き出された結論は……。

 

「ノーコメントで!」

「えぇ!?」

 

 三十六計逃げるに如かず。哀れなり朱度(あかど) 明嗣(めいじ)。彼の頭脳では澪の追求から逃げおおせることができる言い訳をひねり出すことができなかったのだ。全身の力を抜き、よろめくように体勢を低くした明嗣は丁度いい高さになった所で、即座に脚に力を込めて学校の敷地外へ駆け出した。

 当然、脱兎のごとき勢いで逃げ出した明嗣を追いかけようとした澪だったが、陸上選手の名スプリンターも驚くスタートダッシュを決めた半吸血鬼(ダンピール)の明嗣に一般女子高生である澪が追いつけるはずもなく、30秒もしない内に振り切られてしまった。

 

「あぁ、もう!」

 

 まんまと逃げられてしまった澪はその悔しさをコンクリートの舗装路へぶつけた。そして、荷物を取りに澪が籍を置くB組の教室へ戻ると、残っていた生徒の一人が澪へ声をかけた。

 

「あれ、澪? 忘れ物?」

「うん。荷物置いたまま部室行っちゃって」

「そっか。あ、そうそう。ちょっと澪に相談したい事があるんだけど」

「相談? なんの?」

「澪、写真撮るの得意なんでしょ?」

「得意っていうか、お父さんに影響されて好きになったっていうか……それがどうしたの?」

「いや〜、じつは上手く写真撮れなくてさ。ちょっとアドバイスが欲しいんだよね。この写真なんだけど」

 

 澪は差し出されたスマートフォンの画面を覗きこみ、呼吸を忘れて食い入るように見つめた。最近のスマートフォンに搭載されたカメラは性能が良いものが多く、専門の知識がなくとも、それなりに良い写真が撮れる物が多い。だが、驚くべき事に差し出されたスマートフォンの画面に映る写真には不可解な点があったのだ。

 

「ねぇ、これ……何を撮ってこうなったの?」

 

 声を出した澪自身も驚くくらい冷静な声音だった。その質問を投げかけられた同級生は、澪の雰囲気に気圧されつつも、おそるおそる声をかけた。

 

「み、澪……? 急にどうしたの? なんか、怖いよ?」

「良いから答えて!」

 

 急に怒鳴られた事で相談してきた生徒はビクリと身体を震わせた。怖がられている事に気付いて、我に返った澪はすぐに怒鳴った事を謝った。

 

「あ、ごめんね! 同じような写真を持ってるからちょっとびっくりしちゃって……。話は戻るけど、何を撮ったらこうなったの?」

「A組の朱度 明嗣くん、知ってるでしょ? その写真は朱度くんを撮った時の物なんだよね」

「もしかして盗撮?」

「えへへ……ちょっと声かける勇気がなくて……」

 

 じとっとした視線を向ける澪に対して、問題の生徒は申し訳なさそうに笑ってみせた。だが、今の澪にとって重要なのはそこではない。澪はスマートフォンを返した後、自分の物を取り出して彼女へ話を持ちかけた。

 

「この写真、あたしにもシェアしてくれない?」

「え、良いけど……もしかして澪も朱度くんが気になるの?」

「違うよ。似たようなな写真と比べてみるだけ」

 

 そういう訳で澪は問題の写真を入手する事に成功した訳なのだが、頭の中は混乱でいっぱいだった。

 なぜならその写真は、周りはくっきり写っているのに一部分だけボヤけている、自分がこの地へ出向く決め手となった写真とそっくりな現象が起きている写真だったのだから。

 

 

 

 日が落ちて繁華街が賑わう時間となった。この日のHunter's rastplaatsも食事にきた客がいたので、明嗣と鈴音はメンバーズカードを持つ者限定の部屋にて食事を摂っていた。

 静かに食事をしていた二人だったが、先に食事を終えた鈴音は何を思ったのか、急に明嗣へスマートフォンを構えた。そのまま、カシャッ、とシャッターが切られる音がしたので明嗣は抗議の声をあげる。

 

「おい、なに勝手に人の事撮ってんだよ」

「いやさ、この間のクラブの時、カメラに映るか映らないを切り替えれるって言ってたでしょ? じゃあ普段はどうなのかな、って思って」

「だからって勝手に撮るか、普通」

「だってこういうのっていきなり撮るから意味あるんでしょ? 声かけたら撮るんだって心構えになって自然体の時がどうなのか分からなくなるじゃん」

「そりゃそうだけどよ、その状態の俺を撮ったって仕方ねえと思うけどな」

「たった今確認しました〜。これじゃ明嗣は盗撮しようにもできないね〜」

 

 つまらそうに鈴音は明嗣へスマートフォンの画面を突きつけた。そこに映っていたのは非常にボヤけた人型の何かが座っているのだけが分かる画像だった。画面を確認した明嗣は、だから言わんこっちゃない、と言いたげなため息をこぼした。

 

「そういう事。鏡や写真に映らない吸血鬼の血が半分流れてる俺を盗撮しようとしたらそうなるのさ。でも、なんだって急に写真の事を気にした?」

「それがね、なんか明嗣の事を盗撮してたクラスメイトがいたから……」

「いや止めろよ。肖像権侵害だ」

「だって、あんま仲良しって訳でもないのにいきなりそんな事言ったら、『何コイツ、ウザ〜』ってなるでしょ?」

「ったく、これだから学校は嫌いだ」

 

 明嗣は吐き捨てるように不満を吐いた。高校になったら多少は常識を弁えている奴が増えるかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。同性と言えど、女子に敵を作れば村八分に遭うのは当たり前、が学校生活なので、これ以上鈴音を責める事もできない。よって、明嗣はただガックリと項垂れて肩を落とすしかできないのだ。

 

 よくよく考えてみると、珍しいものを見たらまずスマホを構えてネットに投稿するのが今の社会だった……。

 

 自分一人ではどうする事もできない問題を前に、明嗣はさらに深く頭を垂らして項垂れた。そこへ、アルバートがデザートの皿を持ってやってくる。

 

「なんだ明嗣? いつにも増して不景気な顔して」

「元からこんなんだっつの。ただ、社会について考えていただけよ」

「やめとけやめとけ。おめぇの頭じゃすぐパンクして熱暴走を起こすよ」

「余計なお世話だ、失敬な」

「マスター、今日のデザートは何?」

 

 お待ちかねのデザートがやって来たので、鈴音の表情がすぐさま輝いた物へと変わった。鈴音の反応に気を良くしたアルバートは二人の前に皿を置くと、感激と言った表情を鈴音へ向けた。

 ちなみに、本日のデザートは薄めのワッフル生地にメープルシロップを挟んだストロープワッフルである。

 

「鈴音ちゃんが来てからと言うもの、飯の作りがいがあるなぁ……。明嗣(コイツ)なんて憎まれ口ばっか叩くから本当に嬉しいよ……」

「悪かったな、憎まれ口ばっかで」

「もう、ま〜たそういう言い方するー」

 

 鈴音が慣れた調子で注意するが、明嗣は意に介するアルバートへ声を掛けた。

 

「で、ここでメシって事は仕事入ったんだろ? 早く説明してくれよ」

「おめぇよぉ、もうちょい年相応の振る舞いを覚えた方が良いんじゃねぇのか」

「性に合わねぇよ。単刀直入が一番だ」

「はぁ……どうしてこうなってしまったのかねぇ……」

 

 今度はアルバートがため息をつく番だった。しかし、すぐに切り替えて今回、明嗣と鈴音を呼び出した理由を語り始めた。

 

「最近、ここらを騒がせている『切り裂きジャック』、いるよな? そいつの首に懸賞金が掛かった。なんとその額、3000万」

「わぁ……結構行ったねぇ……」

 

 ワッフルを齧りながら、鈴音が相槌を打つとアルバートは「それで、だ」と話を続けた。

 

「言うまでもないが、俺らの所にも話がやって来たって事は(やっこ)さんは吸血鬼(ヴァンパイア)だ。警察じゃ手に負えねぇ」

「ほらー! アタシの言った通りだったじゃーん!」

「分かったよ。その事に関しては俺が悪かった」

 

 昼休みのやり取りで鈴音が口にした、吸血鬼が関わっているんじゃないか、と感じた直感が正しかった事を、明嗣は素直に認めて大人しくするよう手で促した。その最中にアルバートが目線で、続けて良いか、と問うので二人はどうぞと手を差し出した。

 

「しかし、俺らには情報がない。監察医の友達(ダチ)に話を聞いてみても、全身を切り刻まれてから内臓と血を抜かれたって事以外何も分からなかった。と、いう訳で……」

「と、言うわけで?」

 

 明嗣と鈴音な二人揃って同じ言葉を口にした。重い沈黙が場を支配する。そして、5秒ほど溜めてからアルバートは続きを口にした。

 

「頭の片隅に留めて置く程度にして、殺れそうだったら殺る程度にしよう、って話さ。今回はそれで呼んだだけだ」

「なんだ。緊張して損した〜」

「そんな話で重いムード出すなよ」

 

 と、言った明嗣だったが、同時に頭の中である可能性が浮上してきた事を考えていた。

 

 なら、鈴音の言う通り、本当にロンドンの『切り裂きジャック』が……? いや、まさかだろ……。それなら、向こうのハンターが狩っているはずだ。だからたぶん、こっちのは模倣犯だな……。

 

 明嗣は自分に言い聞かせるように結論づけるが、それでも胸の内に湧いた胸騒ぎを抑える事が出来なかった。



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第16話 心象世界

 翌日の事。

 昼休みに入ったので、移動教室の授業を終えた澪は一年A組の教室に明嗣を呼ぼうと訪ねた。理由はもちろん、クラスメイトが盗撮した写真はどういう事か詰問するためだ。

 あれから一晩中考えてみたけれど、あの写真に写った女性が持っているボヤけた何かと明嗣が無関係だなんて、どうしても思えなかった。

 それなのに初めて会った時、写真を見せた時の明嗣の反応はどうだった? あたかも、初めて見ました、という反応だったではないか。

 

 今度という今度はもう許さないから! どういう事なのか洗いざらい話してもらわなきゃ気が済まない!

 

 散々はぐらかされた挙句、夢だったんじゃないか、だの言い訳のタネが尽きたら回答拒否するだの人を馬鹿にするのもいい加減にして欲しい。

 現在、澪の心は煮えたぎる怒りのマグマで満たされ、触れれば消し炭になるのではないかと錯覚するほどに熱くなっていた。

 やがて、目的の一年A組にたどり着いた澪は、教室の中へ呼びかける。

 

「ねぇ、朱渡明嗣くんはいる? ちょっと用事あるんだけど」

 

 明嗣からの返事はない。その代わり、入口付近で弁当を食べていた男子生徒が答えた。

 

「朱渡? あいつなら今日は休みだけど」 

「休み? なんで?」

「よく分からないけど家庭事情なんだってさ。だから今日は休みだし、もしかしたら明日も休むかもって担任が言ってた」

「あ……そうなんだ。ありがとう」

 

 礼を言い、澪はB組の教室へ戻った。そして、考え込むように手元へ視線を落とした。

 

 もしかして昨日の今日だから逃げたとか? だとしたらますます許せなくなってきた……!!

 

 澪の明嗣への不満はますます膨れ上がっていく。この後、澪はイライラした気持ちを抱えたまま午後の授業に臨んだため、内容が手につかず担当教諭から注意を受ける事となった。

 

 

 

 一方、その頃。昼食の時間帯で客のかきいれ時であるHunter's rastplaatsでは……。

 

「明嗣、二番のテーブルの注文の品上がったぞ」

「あいよー」

 

 配膳用のトレイに料理を乗せた明嗣は目的のテーブルへ運ぶ。そして、ニコッと微笑み、トレイの品物を並べた。

 

「お待たせ致しました。ブーレンオムレットのランチセットです。デザートのアップルタルトは食後のコーヒーと一緒にお持ちします。では、ごゆっくりどうぞ」

 

 軽く会釈をしてからカウンター席に戻った明嗣は、テーブルの向こうにある厨房へ呼びかけた。

 

「マスター、次は?」

「次は8番にデザートのパンネクックだ。今――」

「すいませーん。お会計お願いしまーす」

「はーい、ただいまー! 明嗣、こいつは俺がやるからお前は会計頼むわ」

「イェッサー!」

 

 アルバートの指示通り、明嗣がキーを叩いて料金を受け取り、レジスターの中へ納める。そして、注文の料理を届けた時と同じように笑顔を浮かべて客を見送った。

 しかしこの男、本職のような接客スマイルを作っているが、心の中は笑顔とは真逆な愚痴の吐き溜めのような状態となっていた。

 

 ランチタイムの飲食店ってマジで戦場だぜ……。あー休みてぇ……。

 

 釣り銭を渡し、見送りの挨拶をして次の配膳へ向かう。その一連の行動を午前十一時から午後二時まで繰り返し、昼の部の営業を終えた。

 

「終わった……」

「おつかれさん。ほら、まかない」

「おっ、ありがてぇ」

 

 差し出されたフレンチトーストとコンソメスープを受け取った明嗣は、いただきます、と手を合わせて食べ始めた。ある程度までフレンチトーストを食べ進めた所でコンソメスープをすすった後、ほっと息を()いた。

 

「やっと落ち着いたって感じだ……」

「今日はお前がいたおかげで楽できたよ。さすがに今日は多かったがな」

「これなら学校の方がマシだったかも……」

「なら、今からでも行くか?」

「冗談だろ。それじゃあ休んだ意味ねぇじゃん」

 

 答えながら、明嗣は椅子の背もたれに身を任せて脱力した。

 今日、明嗣が学校を休んだ理由は決してサボタージュや澪の追求から逃れるためではない。以前、ロンドンから明嗣がアルバートの着払いで送った荷物、対吸血鬼用武器、魔具の調整をするためにあった。

 魔具とは文字通り、魔の摂理によって生み出された道具の呼称の事である。それは、所有者の命をことごとく奪ってきたきた妖刀だったり、はたまたひとりでに動き出して周囲に災厄を振りまく人形だったり、いわゆる曰く付きと呼ばれる品々。アルバートはその()()()()を鎮めたり、武器へ加工することで吸血鬼と渡り合ってきた吸血鬼ハンターなのである。そして今回、アルバートが手を加える曰く付きの品は、なんと明嗣の父親、吸血鬼のアーカードが使っていたとされる品なのだ。

 通常の場合だったのなら、明嗣の手を借りる必要はなかった。だが、今回だけはどうやっても上手く加工、ないしは所有者の命を求める魔性の部分を抑え込む事ができなかった。そこで一晩考えた結果、アルバートはアーカードの血縁者である明嗣が必要なのではないか、という考えに思い至ったのだ。

 本来、学生の本分は学業にある。だが明嗣は学生であると同時に吸血鬼ハンター、これも本分の内だと拡大解釈し、今日は学校を休ませたという訳なのだ。

 その代わり、アルバートの店を手伝い悲鳴を上げることとなったわけだが、これも嫌いな学校を休むための必要経費と考えれば安いものである。

 

「まぁ、たしかにそうだな。今回はこれだけ手こずるとは思ってなかったよ。まったく、厄介なモンを持ってきたくれたな」

「俺に言うなよ。文句ならアーカード(親父)に言ってくれ」

「死んだやつにどうやって文句いうんだよ」

「お祈りしてみる、とかどうよ?」

「バカ言え。祈った所でどうにかなるか」

「そりゃそうだな」

 

 返す言葉がない、と明嗣は肩を揺すってみせた。話している内に自分の分を食べ終えたアルバートは、さっさと食器を片付けて立ち上がった。それに合わせて、明嗣も食器をまとめて厨房のシンクへ運び、軽く洗ってから食洗機へ送り込んだ。これからは、地下にある射撃場兼工房に向かい、夜の部が始まる午後五時まで、魔具の調整を行う時間となる。

 地下へと続く階段を降りる明嗣は気を引き締めて事へ望む事を決意した。なにせ、吸血鬼の魔性が宿った品だ。油断したらどんな目に遭うか、分かったものではない。やがて、工房へ到着した明嗣はそれと対峙した。

 

「さて、じゃあ始めますか」

 

 それはアーカードがかつてワラキア公国と呼ばれる地を治める立場にあった時、他国との戦の地を駆け抜けた戦友であり、時が流れると共に自らの姿を自動二輪車(バイク)へと变化させた戦車馬だった。意を決して馬で言うところの手綱であるハンドルを握った明嗣は、突如めまいを覚えて身体がよろめかせた。そして、一瞬の内に明嗣の意識は海の底へ沈むように真っ黒に染まり、気を失ってしまった。

 

 

 

 

 眼を覚ました時、明嗣の前に広がるのはモノクロの空だった。ありとあらゆる物が白と黒で構成された無機質としか表現できない場所だった。

 

「なんだ……ここ……」

 

 幸い、直立のままでここにいる事を認識できたので、明嗣はそのままぐるりと周囲に首を巡らせた。目に入る光景は本が乱雑に積み上がっていたり、途中まで飲んで中身がまだ残っている飲みかけのコーヒーが置かれていたりなどリラックスする場所だと伺える。一冊を手に取り、開いてみると中は真っ白だった。不審に思った明嗣は他の本も手に取り、開いて中身を確認していく。

 

 白紙。

 

 白紙。

 

 これも白紙。

 

 どれもこれも白紙ばかり。内容を記している物が一つも出てこないので明嗣はしだいに苛立ちを覚えていく。そして最後の一冊にたどり着き、ラストページまでめくると、一文だけ文字が書かれている。その内容は至ってシンプルな物だった。

 

 Look behind,Huh(後ろを見てみな)

 

 ようやく白いページの以外の物が現れたと思ったら後ろを見ろ? どういう事だ?

 

 不審に思いながらも明嗣は素直に背後を確認した。すると、そこにいたのは……。

 

「ブルルッ」

 

 興奮気味に鼻を鳴らし、蹄で地を蹴り鳴らして威嚇する一頭の荒馬だった。たてがみは黒い炎で包まれ、瞳には飢えた狼のような殺意が宿っていた。そして、その背には一人の少年が跨がり、手綱を握っている。明嗣にはその少年に見覚えがあった。いや、見覚えがある所の話ではない。なぜならその顔は、毎朝鏡で見ている物なのだから。

 

「俺……!?」

 

 思わず口をついて出た言葉に、馬に乗ったもうひとりの明嗣は正解だと言わんばかりの獰猛な笑みを浮かべた。そして、問題に正解したご褒美として握った手綱を鳴らし、馬を走らせ始めた。

 

「おい、待て! ってうぉっ!?」

 

 静止をかけても止まる気配が見えないので、明嗣はそのまま横に転がって難を逃れる。すると、走っていた馬は前脚を上げて急停止し、向きを反転させるついでに明嗣の事を蹴り飛ばした。

 

「ブへッ」

 

 情けない声と共に明嗣はごろごろと転がっていく。その様子を目にしたもうひとりの明嗣は、愉快だといった様子で笑い声を上げた。

 

「ハハハ! おいなんだよそのザマは! 仮にも俺なんだから情けない避け方すんなよ!」

「仮にも……だと……? 訳わかんねぇ事言うなマネっ子野郎(シェイプシフター)。第一、俺はここがどこかも分からねぇってのによ」

「言わなきゃ分からねぇのか? こういう状況になった時点でもうだいたい察しているんだろ?」

 

 頭を振って正気かどうかを確認しつつ、明嗣は自分と同じ顔した何かの言葉を反芻した。

 

 こういう状況になった時点で察している? 俺はこれを知っているってのか? いや、待てよ……?

 

 もしかして、と明嗣は再び周囲に首を巡らせた。その結果、もしかしてと感じた考えは確信へと変わった。なぜなら、モノクロである事は変わらないけれど、いつの間にか周囲の光景が本とコーヒーが置かれているリラックスできる空間から、欠けた天蓋から星空が覗き込む、寂れた決闘場(コロッセオ)に変わっていたのだから。

 状況を理解した明嗣の頬に冷や汗が一筋ほど流れた。未だに信じがたいことだが、ここの正体は――。

 

「驚いたよ。まさか、俺の心の中がこんなだった、なんてな」

That's right(その通りだ) じゃあ、もう一つ問題やるよ。お前の目の前に立っている俺は、いったい何者(だれ)だ?」

 

 もう一人の自分が出した問題に、明嗣は背筋がゾッとする感覚を覚えた。問題の答えは分かっている。まさか、自分がその立場に立つなどとは、夢にも思っていなかった。この後に待ち受けているであろう出来事に、明嗣はじりっと無意識に後ずさりながら質問の答えを口にする。

 

「お前は俺の片割れ、少年マンガで言えば内なる吸血鬼(じぶん)って奴だな」

「正解だ。それでは改めて。はじめまして、明嗣(おれ)。そして――」

 

 正体を言い当てられたもう一人の明嗣、内なる吸血鬼は馬から降りた後、ゆっくりとお辞儀をして挨拶をした。その後、虚空から黒炎と共に片刃の大剣を抜き、明嗣へ襲いかかる。

 

「さようならだ!」

「――ッ!?」

 

 やっぱそう来るよな__!?

 

 いきなりの斬り上げ攻撃に明嗣は咄嗟に身体を引くことで難を逃れるが、攻撃はそこで止まらない。内なる吸血鬼は空振りした大剣をすぐさま止め、明嗣の首を狙って水平に振る。それを受け、明嗣は上体を反らしながら襲い来る刃を見送り、体勢を起こすと同時に頭突きを繰り出す。対して、内なる吸血鬼は身体を反転させて頭突きを避けると、明嗣の腹へ中段の回し蹴りを叩き込んだ。

 

「ガホッ! ゲホッゲホッ!」

 

 地面を転がる明嗣は腹の中の物が一気に逆流するような感触を覚えた。しかし、ここは心の中の世界。そんな物はただの錯覚であり、出てくるのは咳と喘ぎのみだ。その様子を前に内なる吸血鬼はつまらなそうに声をかけた。

 

「おいおい、そんなもんかよ? あんま情けないとこれからは俺が表に出て生きていく事になる……ぜェ!」

 

 大剣を肩に担ぎ、内なる吸血鬼は再び明嗣へ襲いかかる。だが、明嗣もやられてばかりではない。振りかぶった大剣の袈裟斬りをやり過ごすと、先程のお返しとばかりに明嗣も中段回し蹴りを内なる吸血鬼へ叩き込む。一気に脚を振り抜いたおかげで明嗣と内なる吸血鬼との間に距離が開いた。腹に残る痛みで内なる吸血鬼は満足げに微笑み、明嗣へ声をかけた。

 

「やりゃできんじゃねぇか。そうこなくちゃな。でねぇと、奪い甲斐ってモンがねぇよなァッ!!」

 

 内なる吸血鬼は再び大剣を構えて明嗣へ突撃した。対して、明嗣は徒手空拳で対応しながらどうこの状況を抜け出すかを思案する。

 

 やべぇ、どうする……!?  どうやってこの空間を抜け出しゃ良い……!?

 

 突如始まった身体の主導権争いに、明嗣はひたすら耐える事しかできない。明嗣がこの戦いを生き残るにはどうしたらいいのか、その答えは内なる吸血鬼のみぞ知る……。

 

 



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第17話 澪の追求

 心象世界で突如始まった明嗣と内なる吸血鬼の戦いは続く。

 襲い来る大剣の攻撃を紙一重で躱しつつ、明嗣は果敢に反撃の拳を繰り出すが、手応えがまるで感じられない。しかも、ダメージを与えるどころかむしろ、元気になっているのではないか、と思うほどに攻撃は苛烈になっていく。反対に武器を持っていない丸腰の明嗣は、徐々に追い詰められているような焦燥感を覚えていく。

 

 俺にも何か武器が欲しいけど、どうやって出しゃ良いんだ……!?

 

 贅沢は言わないからせめて、自分にも何か武器が欲しい。このままではジリ貧になり、いつか致命的な一撃をもらう事になってしまう。

 だが、どうやって? 必死に攻撃をいなしながら明嗣は頭を回す。すると、攻防の最中に明嗣はある可能性を考えついた。

 

 そういや、ここは俺の心の中だと言ってたな……。なら、もしかして……!

 

 明嗣は大ぶりに振り下ろされた大剣を側宙で躱し、さっそく欲しい物を念じた。すると、両手の中に最近手に入れた白と黒の双銃、ホワイトディスペルとブラックゴスペルが現れる。

 思い通りに欲しいものが現れたことで、明嗣はひとまず安堵の息を吐いた。

 

「やっぱりか。考えてみればそりゃそうだ。ここは俺の心の中なんだからな」

「あーあ、気付いたのかよ。このまま、嬲っちまおうかと思ったのに……なァ!!」

 

 残念がるようにため息を吐いた内なる吸血鬼は、ここからが本番だと言わんばかりに両手でしっかりと柄を握り込む。そして、地を這わせるように剣を振る。明嗣はその攻撃をバックステップで回避し、自分と同じ顔した標的へ向けてためらいなく双銃の引き金を引いた。とっさに刀身を盾代わりに銃弾を防いだ内なる吸血鬼はニヤリと口を吊り上げ、明嗣へ声をかけた。

 

「おいおい、同じ顔しているのにずいぶん遠慮なくぶっ放すな? そんなに自分の顔が嫌いか?」

「遠慮がねぇのはお互い様だろ? 丸腰なのに斬りかかって来やがって」

「そりゃそうさ。お前を倒せば血が吸い放題なんだから当たり前だろ? それに、俺は人間(おまえ)と違って……欲望に素直だからなッ!!」

 

 再び内なる吸血鬼が明嗣へ向けて突っ込んでいく。明嗣も引き金を引いて応戦するが、先程と同じように大剣を盾にして銃弾が弾かれてしまい、剣の間合いまで接近を許してしまった。上段の袈裟斬りの構えが見えたので、目が慣れてきた明嗣は回避した後の戦略を立て始める。

 

 こんだけ分かりやすく振りかぶったんなら、簡単に避けられる。身体を反転させて空振らせた後に頭と心臓に()ち込めば俺の勝ちだ!

 

 思考に余裕にできたので心なしか身体が軽くなったように感じる。余裕が表情にも現れたのか、無意識に明嗣は口の端を吊り上げていた。しかし、内なる吸血鬼はその余裕をいとも簡単に打ち砕く。

 途中まで同じスピードで振り下ろされていた大剣だったが、明嗣の頸動脈付近にまで来た辺りで突如、内なる吸血鬼は右手で剣の柄をバイクのスロットルを開くように捻った。すると、エンジンが一気に高回転域(レッドゾーン)まで吹け上がるような高音が響き、刀身を黒炎が包み込む。同時に打ち出された弾丸のように剣が加速し、明嗣の胴体を一閃する。

 

「ぐああああアァッ!!」

 

 明嗣は身を切り裂かれる痛みと、傷口を業火であぶられる痛みでたまらずのたうち回る。その様子を目にした内なる吸血鬼は、期待外れだ、と言いたげにつまらなそうなため息を吐いた。

 

「ちょっと本気出したらこれかよ。がっかりだ。ちょうどお迎えの時間が来たみたいだし、命拾いしたな」

 

 お迎え……だと……?

 

 痛みで気が遠くなり、心象世界に来た時と同じように明嗣の意識は真っ黒に染まった。

 

 

 

 

 意識を取り戻した明嗣は荒い呼吸を繰り返していた。眠っている時に呼吸をしていなかったのか、浅かったのか分からないけれど、とにかく全力疾走した後のように心臓の脈打つスピードが早い。そもそも、ここは現実なのか? 確認するために急いで身体を起こした際、明嗣はゴツッと音を立てて頭を何かにぶつけた。

 

「いでっ!」

「〜っ! ちょっと! いきなり飛び起きないでよ!」

「はぁ……?」

 

 ぶつけた額を押さえながら、明嗣は声のした方へ目を向けた。すると、向けた先には同じように額を抑えて睨む鈴音の姿があった。どうやら、明嗣が頭をぶつけたのは鈴音の額だったらしい。額をぶつけたことで一気に目が覚めた明嗣は周囲の状況を把握した。どうやら意識を失った後、工房に設置された休憩用のソファに寝かされたらしく、背中には革とスプリングの感触がある。今いる場所が工房だというのは把握した。だが、学校にいるはずの鈴音がなぜここにいるのか。疑問に思った明嗣はすぐに彼女がいる理由を尋ねた。

 

「鈴音……? なんでお前がここにいんだよ」

「なんでって、もう学校終わって夕方だよ? 仕事ないか聞くついでにご飯食べに来たら、マスターが一人で準備してたんだもん。明嗣は、って聞いたらここにいるって言ったから様子見に来たの。そしたら、なんかうなされているっぽくて起こそうとしたらこれって酷くない!?」

「あー……そりゃあ、まぁ……悪い」

「はぁ……まぁ、コブとかできてないから良いけど。それでバイクがなんでここにあるの?」

 

 怒りが収まってスッキリしたのか、鈴音は例のバイクを指さした。明嗣は深呼吸してから、疲れ切った声で質問に答える。

 

「親父が乗ってた馬」

「馬? これが?」

 

 鈴音は警戒するようにバイクを睨んでいた。鈴音の様子に疑問を抱いた明嗣は、彼女へ声をかけた。

 

「どした」

「嫌な感じ……。何か良くない物が中にいるでしょ、これ」

 

 なにか良くない物がいる。その言葉に明嗣は納得したように頷いた。

 

「なるほど、それでか……」

「何が?」

「コイツに触った瞬間、俺は意識を失って心の中の世界に引きずり込まれたんだよ。で、そこでもうひとりの俺に会ったんだ。しかもそいつ、俺の吸血鬼の部分だって言うんだぜ? 笑えるだろ?」

「そんな事本当にあるんだ。で、どうしたの?」

「いきなり馬で轢こうとするわ、斬りかかってくるわで散々な目に遭ったよ」

「なにそれこわっ」

 

 平然としているのが信じられない、と言いたげに鈴音は明嗣の事を見つめていた。しかし、意に介す事なく明嗣はグッと身体を伸ばした。そして、スマートフォンを取り出して時刻を確認した。

 

「もう午後六時か……。準備しねぇといけねぇな」

 

 明嗣は作業台に置いてある愛銃が収まったホルスターへ手を伸ばす。とりあえず、依頼が来ていた時に備えて整備しておいた方が良いだろう。だが、鈴音がホルスターを着ける事に待ったをかけた。

 

「待って。明嗣にお客さんを連れて来てるんだけど」

「客?」

「うん。っていうか付いてきちゃったが正しいかな……」

 

 鈴音は影を背負うように目を泳がせた。その様子は何かミスしたような視線の逸らし方に思える。不審に思いながらも、明嗣は整備を後回しにして鈴音が連れてきた客に会ってみる事にした。

 

 

 

 地下から店に戻った明嗣は頭を抱える事となった。なぜなら、鈴音が連れてきた客の正体は……。

 

「あ、やっと来た! 持月さん、たまに明嗣くんと一緒にここへ入っていくって噂になってたけど、やっぱりあたしの考えた通りだったんだ!」

「な、な……」

 

 明嗣の姿を見つけたその客、澪は待ってましたとばかり椅子から立ち上がった。澪の姿を見た明嗣は拳を握り、鈴音に小声で怒りの言葉をぶつけた。

 

「なんで彩城がここにいるんだよ……! お前、俺があいつに付きまとわれてる知ってたよな……?」

「だ、だってまさか尾けられているなんて思わなかったんだもん……。って言うか、あの子は何?」

「吸血鬼に襲われている所を助けたら目を付けられたんだよ。まさかここまで来るとは俺も思わなかったけどな……」

「あの時問い詰められてのはそういう事だったのかぁ……ってやばいじゃん! どうするの!?」

「だから今困ってんだよ! どうやって追っ払うか……」

「ねぇ、こそこそ二人で何を話しているの? あたしも混ぜて欲しいな」

 

 事情説明する明嗣と状況を理解して狼狽する鈴音の間に澪の声が割り込む。話を中断しておそるおそる澪の表情を伺うと、なんと彼女は笑顔を浮かべていた。それも文句のつけようがない程に完璧な、微笑むような笑顔。だが、笑顔の先にいる明嗣と鈴音にとっては、逆に不気味な物に思えた。鈴音はどうしようかと言いたげな視線を明嗣へ向ける。対して、明嗣は面倒だと言いたげな表情で頭をかくと人差し指をクイクイと動かし、澪について来いと伝えた。

 同時に厨房で夜の準備をしているアルバートへ呼びかけた。

 

「マスター、ちょっと外出る」

「ああ、分かった……っていつ目が覚めた!?」

 

 明嗣の呼びかけに驚くアルバートと、どうするのかと言いたげな視線をぶつけてくる鈴音を店に残して、明嗣は澪を連れ出した。

 

 

 

 店を出た明嗣と澪の二人は無言のままひたすら歩く。そして、5mまで歩いた所で明嗣は足を止めて口を開いた。

 

「あのな、ここまで追い回して来る理由はなんだよ? そんなにあの夜の真実が知りたいのか?」

「それだけじゃないよ。これ見て」

 

澪はスマートフォンを取り出して指を滑らせた後、明嗣へ画面を突きつけた。画面の中には白くぼやけた人型のなにかが映っている。

 

「これ、同じクラスの子が明嗣くんを撮ったらこうなったって言ってたんだけど、初めて会った時に見せた写真と同じ事が起きてるよね? どういう事か説明してよ」

「盗撮かよ。感心しねぇな」

「良いから答えて。なんで初めて会った時は黙ってたの?」

「さてね、なんでかな?」

 

 初日から怖い目に遭ったストレスが溜まっていたのもあったのだろう。あくまで答える気はないと言いたげな明嗣の態度に、神経を逆撫でされた澪は、ついにその不満を爆発させた。

 

「ふざけないで! あたしの事を馬鹿にしてるの!? 明嗣くん、学校で会った時からずっとそう! 答えを知ってたくせに、今までどういうつもりであたしの話を聞いてたの!?」

「馬鹿になんてしてねぇよ。つーかさ、逆に聞くが……」

 

 明嗣は冷めた視線を澪へ浴びせ、切り込むように疑問を投げかけた。

 

「なんで答えないのか、彩城はその理由を考えた事をあるのか?」

「え……」

 

 その一言で澪は一気に言葉を詰まらせてしまった。そこへ明嗣は追撃の言葉を口をする。

 

「親切心で言っておくが彩城、好奇心や正義感で首突っ込もうとしてんならやめといた方が良いぜ。それともう一つ、ちょこまか付きまとわれると迷惑だ」

 

 ぴしゃりと言い放ち、明嗣は店へ戻っていった。その後ろ姿を見送る澪は呆然と立ち尽くし、ショックを受けた表情を浮かべていた。

 

 

 

 店へ戻るとさっそく鈴音が明嗣へ声をかけた。

 

「あ、戻ってきた。ねぇ、どうだったの?」

「丁重にお帰り頂いた」

「はぁ!? お前、せっかくの商売チャンスをよくも……」

 

 新しいリピーターが生まれるチャンスを潰されたアルバートの抗議の声が上がった。が、明嗣はカウンター席へ腰を下ろしつつ、難なく受け流した。

 

「悪かったよ。次は邪魔しないようにするさ。けど、色々嗅ぎ回られるよか良いだろ?」

「それはそうだが……」

「それより、メシくれよ。腹減っちまった」

 

 明嗣は強引に話題を変えて、澪の話題を打ち切った。過ぎた事は仕方ないと割り切ったアルバートも明嗣と鈴音に食事を作り始めた。

 現代社会は光と闇の境界が曖昧だ。ふとしたきっかけで、陽のあたる場所から光が差すことすらないドブ泥の世界に迷い込んで抜け出せなくなる、なんて事もザラにある。何も知らない人を食い物に私腹を肥やす外道ならともかく、少しでも良心が残っているのなら元いた場所へ突っ返してやるのが筋と言うものだろう。

 二人で食事の到着を待っていると、鈴音はふと純粋な疑問を明嗣へぶつけた。

 

「今更だけど、クラブの時みたいに吸血鬼の事を忘れろって命令できないの? その眼の力でさ」

「あー……まぁ、できなくはねぇと思うけど……あんまやりたくはねぇな……」

 

 答える明嗣の表情からは、少し複雑な心境が滲み出ている。対して、鈴音は不思議そうに首を傾げながら疑問を重ねた。

 

「なんで? それならこんな事にもならなかったのに……」 

「漫画やドラマでよくあるだろ? 記憶を消してもう一度初めましてってやる奴。あれの当事者になるのが嫌だなって」

「あー……あれ切ないよね……。たしかにそう考えると嫌かも……」

「そう言う事。それに記憶ってのは、脳が勝手に抜け落ちた箇所を自然な流れになるよう補完する事もあるけど、それにだって限界がある。だから、そう簡単にホイホイ消す訳にもいかねぇの」

「そっか……。その眼、便利だなって思ってたけど持ったら持ったで苦労してるんだね」

「見たくねぇモンまで見える時あるしな。世の中そう都合良くはねぇって事だよ」

 

 明嗣の言い分に納得した鈴音は、それ以上この話題について深堀することはしなかった。その後、アルバートが食事を持ってやってきたので、そのまま夕食の時間となった。

 そして、食事を終えた休憩中に合言葉が必要な吸血鬼狩りの依頼(オーダー)の電話が掛かってきたので、地下へ下りた明嗣は愛銃の整備を始めた。

 

 

 

 今回の依頼は、比較的簡単に片付けられる物だった。なぜなら、その吸血鬼は繁華街の片隅に潜んでおり、浮浪者のような出で立ちで、今まさに居酒屋にでも寄って酒盛りをしていたと思われる酔っ払いを襲おうとしていた所だったのだから。

 なので、明嗣は容赦なく吸血鬼の方を蹴り飛ばし、白銀の銃、ホワイトディスペルを向ける。

 

「ほら、さっさと逃げろよ」

 

 酔っ払いは何が起きたのか理解できてないようなので、明嗣は端的に去るよう促した。

 一方、吸血鬼の方はすぐに命の危機に陥っている事を理解し、明嗣へ命乞いを始める。

 

「お、お願いだ! もう人間を襲わない! 見逃してくれ!」

「ダメだね。お前、もう何人も()ってんだろ。信用できる訳がねぇ」

「ほ、本当だ! 俺はもう血を吸わない! 神に誓ってもいい! だから助けてくれ!」

「俺がこの世でもっとも信用してない言葉のひとつは『神に誓ってもいい』だ」

 

 明嗣は命乞いを一蹴し、撃鉄を起こして吸血鬼の頭へ狙いを定める。あとは指に力を入れて引き金を引くだけの簡単な仕事だ。

 だが、その簡単な仕事に思わぬ横槍が入った。

 突如、明嗣の耳に知ってる少女の声が飛び込んできた。

 

「め、明嗣……くん……?」

 

 いつかの時のような不安げに呼びかけるその声に、明嗣は思わず背中を跳ねさせる。声のした方へ視線を向けると、もう首を突っ込むなと忠告して別れた澪が信じられないと言いたげに明嗣を見つめていた。

 

「な、何……やってるの……? 手に持ってるそれ……何……?」

 

 信じられないといった面持ちで澪は明嗣へ呼びかける。

 当然だ。これではまるで、明嗣が命乞いを無視して、冷徹に引き金を引く殺し屋のようにしか見えないのだから。

 思わぬ人物の出現により、明嗣の注意が吸血鬼から澪の方へ向いてしまう。その一瞬を突き、吸血鬼は銃を奪おうと明嗣へ襲いかかった。

 しかし、銃を奪う事は叶わず、反射的に引き金を引いた明嗣に頭を撃ち抜かれてしまった。

 絶命した事で吸血鬼の身体が灰へと変わる。安全が確認されたので、明嗣は撃鉄を戻し、ホワイトディスペルを納めて澪へ呼びかけた。

 

「これが答えなかった理由だ。詳しい事は説明するからまず――」

 

 もうここまで来たら誤魔化すのは無理だと悟った明嗣は、店へ連れて行って事情説明するため、澪へ近付く。

 だが、明嗣が一歩踏み出すと同時に、澪は一歩後ずさりをし、震え出してしまった。

 

「あ……」

 

 思わず、澪から声が漏れた。おそらく無意識だったのが伺える。だが、本人にそのつもりがなくても、これは紛うことなき拒絶する意思表示以外の何物でもなかった。

 それを受け、明嗣も動けずにいた。そのまま、二人の間を重い沈黙が包み込む。やがて、どうしたら良いのか分からなくなった澪は、明嗣に背を向けて逃げ出した。



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第18話 少女の拒絶

 人気(ひとけ)のない夜道に、少女が必死に走る靴音が響く。何かを振り切るように息が切れるのも気にせず、少女はひたすらまっすぐに全力で走る。

 事実、靴音の主である澪はつい先ほど目にした現実から逃げたくて、あてもなく駆け出したのだ。夢だったらどれほど良かっただろうか。そう思わずにはいられないほど、先程の出来事は澪にとって受け入れ難い物だった。

 

「あ――」

 

 澪は脚がもつれて、アスファルトの地面に転んでしまった。その痛みが、これは夢ではなく現実だ、と突きつけてくる。

 

 どうして……? どうしてなの、明嗣くん……?

 

 どうして、そんなに()()()()()でいられるのか。先程からその疑問だけが頭の中でグルグルと回っていた。

 

 遡ること30分前。明嗣と別れてからの澪は、通学のために身を寄せている叔母の家に歩いて戻った。落ち込んで戻ってきたのを心配されたが、なんでもないと誤魔化して自室に一人こもっていた。

 

 なんで何も言わないのか、その理由を考えた事はあるのか?

 

 明嗣に言われた事が頭から離れず、澪はベッドに寝転がり、天井を見つめてその言葉について考えていた。

 振り返ってみると、自分は明嗣にただ問い詰めてばかりだった。しかも、思い通りにいかないから怒り出したりと、自分の都合でしか動いていない。どうして答えないのか、などこれっぽっちも考えていなかった。

 これでは、子供が駄々をこねているのと変わらないではないか。

 

 うわぁ……あたし、もう15歳なのになぁ……。

 

 明嗣がまともに取り合ってくれないはずだ、と澪は一人でに苦笑した。まだ大人とは言えないけれど、かといってもう子供でもない歳なのになんて幼稚だったんだろう。

 

 明日、学校来るかな……。

 

 誰だって答えたくない事だってあるのに、いきなりあれやこれやを問い詰めるのが無礼だったのだ。これでは警戒されて当然だ。だから、まずは明嗣と秘密を話し合える友達になり、自分は敵ではない事を教える所から始めよう。ちゃんと真意を話せば、明嗣だって分かってくれるはずだ。

 決意と共にベッドから起き上がった澪は、机にしまってあるスクラップブックから、初めて明嗣に会った時に見せた写真を取り出した。

 異様に右に寄せた位置の設置した椅子に座って、白くボヤけた何かを抱えながら、今が一番幸せと言わんばかりに微笑む一人の女性。澪が交魔市にやってきた理由。

 そもそも、澪がこの写真にこだわる理由は幼い頃に父から教えてもらった言葉にあった。

 

 ――いいかい、澪。写真はね、地図なんだ。

 ――地図?

 ――そう。時間が経って忘れてしまった遠い昔の思い出まで、一瞬で連れて行ってくれる魔法の地図なんだよ。お父さんはね、その地図を作る仕事をしているんだ。

 

 幼い頃にしたやり取りが澪の頭に響く。このやり取りのおかげで澪は世界を飛び回って撮った写真と共に父が語る思い出が好きだった。やがて、写真に興味を持ち始め、自分も思い出に導いてくれる地図を作るようになったのだ。だから、澪は知りたかった。この女の人が微笑む意味、そしてこの写真が連れて行ってくれる思い出とはどんな物なのか。

 そうして、話を聞いた思い出や、その際にした体験を写真の形で残していけば、一生のうちに一枚しか撮れないような思い出を残せるような気がするから。明嗣はその思い出を知るための手がかりなのだ。

 

 まぁ、休んだとしても、あのお店に行けばたぶん会えるよね。明日、会えなかったらまたあのお店に行って……あ。

 

 明日の予定を立てながら、今日の授業の復習しようと澪は机に向かった。が、ペンケースに入れていたシャープペンシルの芯のケースが空だった事に気付く。

 

 ん〜……。明日、早起きしてコンビニに寄っていくのも良いけど……。

 

 寝坊して遅刻してしまうかも、と不安が頭を()ぎる。どうしようか、と澪は日が落ちて夜になってしまったこの時間にコンビニエンスストアへ行くか、頭を悩ませた。たしか、今入っている芯の長さはかなり短くなっており、余裕がなかったはずだ。

 

 行っちゃおっか!

 

 悩んだ末、澪は夜間の外出を決断した。初日に警察のお世話になったが、澪自身には落ち度はないし、たかがコンビニまで行く程度だ。あんな事、そう何度も起こるはずはない。そう結論づけた澪は叔母と叔父に「ちょっとコンビニに行ってくるね」と伝えて、家を出た。

 

 ついでに勉強のお供に何かお菓子も買おうかな〜。ポテチにポッキー、チョコにグミ……。

 

 ホットスナックも良いな、などと浮かれた気分で澪は夜道を歩いていく。目的が替芯から食べ物にすり替わってるいる気がするが気にしない。

 それに、夜のコンビニエンスストアは少しワクワクする。もしかしたら、新発売の物も入っているかもしれない。

 想像するだけで足が早くなる。早く店内で品定めをしたくて早足で澪は夜道を進む。だが、「見逃してくれ!」と興奮を冷ます叫び声が耳に飛び込んできたので、澪は思わず足を止めた。

 

 なんだろう……?

 

 いつかの時と同じようなシチュエーションだ。ここで様子を見に行って、また同じ事を繰り返してしまったらどうしよう、と不安が澪の頭に浮かぶ。だが……。

 

「ほ、本当だ! 俺はもう血を吸わない! 神に誓っても良い! だから助けてくれ!」

 

 助けてくれ。その言葉で澪は、ちょっと様子を見てから警察を呼ぶだけ、と言い聞かせながら様子を見に行く事を決めた。少し変な事を口にしていた気がするが、それでも命の危機に瀕しているのを無視したとしたら、なんとも後味が悪い。

 

 たしか、こっちの方から聞こえてきたよね……?

 

 曲がり角の向こうに何が待っているか警戒しつつ、澪はこっそりと様子を伺う。すると、そこで待っていたのは衝撃的な光景だった。

 

「俺がもっとも信用していない言葉の一つは『神に誓っても良い』だ」

 

 浮浪者の前に立って、そんな言葉をぶつけているのは、明日会おうと思っていた明嗣だった。そして、その手に持っているのは――。

 

 え……あれって……!?

 

 どこからどう見ても、銃以外の何物でもない。でも、なぜそんな物を明嗣が? 日本では銃を持つことは許されていない。それは中学生でも知っている事だ。

 

「め、明嗣……くん……?」

 

 思わず口から漏れ出てしまった。一瞬、幻覚である事を疑ったが、ビクリと身体を震わせてこちらの方へ顔を向かせた反応が幻覚ではない事を証明する。

 

「な、何……やってるの……? 手に持ってるそれ……何……?」

 

 混乱する頭では疑問を絞り出すのが精一杯だった。驚きの表情で明嗣は澪を見つめている。そして、注意が逸れた一瞬を狙い、明嗣の銃を奪おうと浮浪者が動いた。

 

 ズドン!

 

 大きな破裂音と共に、白銀の銃が火を噴いた。そして、澪の目の前で浮浪者の首から上が跡形もなく吹き飛ぶ。コンコン……と夜道に薬莢が落ちる音が響いた。首から上がなくなった身体は糸の切れた操り人形のように崩れ落ち、灰の山へ姿を変えた。

 

「これが答えなかった理由だ」

 

 なんで……!?

 

 撃鉄を戻して銃を脇の下に吊っているホルスターへしまう明嗣は、日常のルーティンワークだ、といった様子だった。その佇まいが、澪には理解できなかった。命を奪って平然としている神経が理解できず、澪は思わず恐怖の念を抱いてしまう。

 

「詳しい事は説明するからまず――」

 

 明嗣が近づいてくる。人の命を奪ったばかりの奴がたぶん手を取って引っ張ろうとするのだろう。なら、その後は? 連れて行かれた先でいったいどういう目に遭わされるのだろうか?

 

「あ……」

 

 気づいた時には一歩後ずさっていた。そんなつもりはなかった。同時に、心の底では怖いと思っていたのも事実だ。これは恐怖による反射的な拒絶以外の何物でもない。

 明嗣も足を止めてこちらを見つめている。その時、明嗣がどんな表情をしていたかは見ていない。覚えていたのは、早くこの場から逃げ出したい、と叫ぶ生存本能からくる欲求だけだった。どうしたらいいのか分からなかったから、澪は明嗣から背を向けて一目散に駆け出す。

 

 なんで……?

 

 ズドン、と響く暴力的な音が頭から離れない。まさか、あんな奴が近くいたなんて。全速力で家に駆け込んだ澪は布団をかぶる。

 だが、先程目にした物が忘れる事も眠る事も許してくれない。結局、澪は一睡もすることができないまま夜を明かした。

 

 

 

「澪ー! 学校遅刻するよー!」

 

 部屋の外から、朝を告げる叔母さんの声が聞こえる。しかし、澪はその呼びかけに答えない。

 ガチャリと、扉が開く音がした。黒く艶のある髪を束ねてポニーテールにし、桃色のシャツに藍色のジーンズといった出で立ちで快活な印象を与えるその女性、夏目(なつめ) (ひかり)は布団をかぶったまま身じろぎ一つしない澪へ声をかける。

 

「澪、どうしたの? そろそろ学校にいく時間でしょ?」

「行きたくない……」

 

 布団から顔を出さず、澪は力のない声で登校を拒否する。光は澪の様子を不思議に思いながら、さらに呼びかける。

 

「もしかして、具合悪いの?」

「ううん……そんな訳じゃないけど……」

「ならなんで……あ、もしかして友達と喧嘩して行きづらいとか?」

 

 ニヤリと笑い、丸まった布団に手を置いた光は、優しく声をかけた。

 

「まぁ、アンタの年頃になるといろいろあるからねぇ……。自分に逆らう奴には容赦しない子だっているし、なんとなくで嫌がらせするようなのもいるって話も聞いたことあるよ。親も教師も情けない駄目な奴が増えてきたなって感じる時代になったね」

「……」

 

 澪は黙ったまま、話を聞いているだけだった。澪からの返答はないが、言いたいことを言った光は、軽く布団を叩くと仕方ないなと言いたげに立ち上がる。

 

「今日は特別だからね。明日から土日で休みだしアンタだけ三連休にしてあげる。けど、来週からちゃんと行くんだよ?」

「ありがとう、叔母さん」

 

 返事の代わりにガチャリと再び扉が開く音がした後、バタンと閉じる音がした。完全に気配が去った事を感じると澪は心の中で、ごめんね、と呟く。

 まさか、知り合いが人を殺す瞬間を目撃したから怖くて外に出れない、なんて言えるはずがなかった。ましてや、警察に通報しても、なぜか現場には骨すら残っていないから捕まえられるはずもないので、どうする事もできない。

 とりあえず今日は外に出なくていい、と安心した瞬間、眠気がやってきてまぶたが重くなってきた。やがて、手招きされるまま、眠気に身を任せた澪は夢の中に沈んでいった。

 

 

 

 その日の夕方。Hunter's restplaatsの地下では、明嗣が工房のテーブルに向かっていた。テーブルの上には発射の際に後退した遊底(スライド)を押し返すためのリコイルスプリングや、内側に彫られた螺旋状の切れ込みで弾頭を錐揉(きりも)み回転させてジャイロ効果により軌道を安定させるための銃身(バレル)、起こした撃鉄を留めておくためのシアなど、分解した銃のパーツが広がっている。

 ただし、これは明嗣の愛銃、ホワイトディスペルとブラックゴスペルの物ではない。これは地下工房に保管されている銃の物だ。種類はイタリア製のベレッタ92Fやオーストリア製のグロック17など銃の世界においてメジャーなブランドの物から、現時点では最高傑作と評価する者もいるドイツ製のFN 57と言った軍用銃まで多岐に渡る。

 現在、明嗣はアルバートに命じられ、これらの地下工房にある全ての銃の整備を行っていた。理由はいたって単純。澪に吸血鬼を殺す瞬間を見られたので、外に出られないからだ。現時点では警察がここにやってきたとしても証拠はないので逮捕拘束される事はない。しかし、念のために隠れていた方が良いだろう、とアルバートが判断したのでこの地下工房に押し込められる事となった。その際、暇だろうという事で半ば押し付けられる形で、工房にある銃の面倒を見ることになったのだ。

 ブラシで薬莢室や銃口付近の煤を落としたり、ウェス代わりの古い布で銃身内部にオイルを塗ったりなど、作業を丁寧に行っていく。

 

 えーっと、次は……。

 

 掃除を済ませ、組み立ててから元あった場所へ戻して別の銃を手に取る。この流れを何回繰り返しただろうか。面倒になったので十から先は数える事はやめていた。

 ひたすら心を無にして、明嗣は銃を分解(バラ)し、掃除して、再び組み立てていく。こうしていれば何も考えなくていい、そう思っていた。だが……。

 

 め、明嗣……くん……?

 

 昨夜の出来事が脳内で繰り返される。まさか、あの場で澪が出てくるとは夢にも思わなかった。あれだけ言えば大人しく引き下がるとばかり考えていたが、甘かった事を痛感する。

 そして、吸血鬼の頭を吹っ飛ばした後の怖がる澪の表情が浮かぶ。

 

 まぁ、当然か……。彩城は向こう側で生きている人間だしな……。

 

 あれだけ怖がられるとは思っていなかったが、考えてみれば無理もない事だ。日本という国は普通に生きていれば、殺しなどの暴力とは無縁の社会なのだから。物語(フィクション)の世界だったら、驚いた後になんだかんだ受け入れて主人公を支えたりするけれど、本当なら怖がったりするのが正常な反応なのだ。

 この空間には明嗣一人しかいないので、ブラシが金属を撫でる音や、スプレー缶が中身を吐き出す音しかしない。それ以外は全くもって静かな空間だ。だが、その静寂を破る声が聞こえてくる。

 

 おやおや……怖がられて傷心中かね、明嗣くん?

 

「っ!? 誰だ!」

 

 立ち上がって、明嗣は周囲を見回す。だが、この場には吸血鬼の父、アーカードが残したバイクへ姿を変えた馬しかいないし、人影すら見当たらない。何かがおかしい事を感じつつ、明嗣は銀弾が詰められている弾倉の箱を探す。もしかしたら、すでに得体のしれない敵の術中に落ちていて手遅れかもしれないが、それでも抵抗する手段を確保しておけば、多少はマシだと判断したからだ。

 周囲を警戒していると“声”は寂しがるような声音で明嗣へさらに呼びかけた。

 

 昨日会ったばっかなのにもう忘れちまったのかよ。寂しいねぇ……これでもお前の片割れなんだぜ?

 

 お前の片割れ、その言葉で明嗣は正体を理解した。そして、忌々しいといった表情で呼びかけに答えた。

 

 内なる吸血鬼(おまえ)……!? 直接脳内に……!

 正解だ。昨日別れる時に繋いでおいたんだ。それよりなんだよ……せっかく慰めてやろうと思ったのにひでぇ返事じゃねぇかよ。

 何の用だ、てめぇ。そんなタマじゃねぇだろ。

 なんだ、八つ当たりか? 目ぇ付けてた澪ちゃんにフラレたからって俺に当たんなよ。

 ……何が言いてぇんだよ。

 

 何か含みがある内なる吸血鬼の物言いに、明嗣は訝しむようにその意図を尋ねた。すると、内なる吸血鬼は面白がるように脳内に語りかける。

 

 まぁ、満足するだけなら鈴音も悪かねぇしな……。

 だから何が言いてぇんだよ。

 おいおい、物覚えが悪すぎて俺がなんなのかも忘れたのか? 俺は明嗣(おまえ)の吸血鬼の部分なんだぜ? 血に決まってんだろ、血。血を吸いたくて苛ついてんじゃねぇのかって言ってんだよ。

 ……ふざけてんのか? 俺が血を吸いたい? つまんねぇ冗談だ。そんな訳ねぇだろ。

 

 内なる吸血鬼の言葉を明嗣は即座に否定した。たしかに、明嗣は人間であると同時に吸血鬼でもある、半吸血鬼(ダンピール)だ。しかし、だからといって今まで生きてきた中で血を吸いたいとは一度も思ったことはない。だが、内なる吸血鬼の追求は続く。

 

 本当か? 自覚がなかっただけなんじゃないのか?

 どういう事だよ。

 じゃあ、逆に聞くがなんで澪の記憶を消さねぇんだよ。さっさと眼の力で忘れるように命令したら、それで終わりだっただろ。

 ……。

 

 実際に向かい合って話している訳ではないのに、目の前で悪魔のような笑みを浮かべる内なる吸血鬼(もうひとりのじぶん)の姿が見える。

 答えない明嗣に対して、内なる吸血鬼はさらに切り込んでいくように質問を重ねる。

 

 もう一度初めましてが嫌だから、だ? 違ぇだろ? 美味しく血を吸うために仲良くなりたいからなんじゃねぇのか?

 違う。

 なら、なんで最初からフレンドリーだった鈴音に喧嘩売るような態度だったんだよ? 冷たく扱うなら一度組んでみてからでも良かっただろうによ。

 それは実力が信用できるかどうか分からなかったから……。

 本当か? 血ぃ吸いてぇって欲求から無意識に目を背けてたからなんじゃねぇのか?

 そんな訳……ねぇだろ……。

 

 だんだんと否定の言葉が尻すぼみになっていく。

 否定したは良いものの、無意識に目を背けたかった、っという指摘がもしかして、と明嗣の中に自分への疑念を植え付ける。なぜなら、無意識に拒絶した少女の姿を昨夜目にしたばかりなのだから。当然、内なる吸血鬼が見逃すはずもなく、これが本題とばかりに囁いた。

 

 一つ、いい事を教えてやるよ。あの馬はな、血を吸った奴にしか扱えねぇんだ。

 ……なんだと?

 おいおい、ついには言葉の意味も解らなくなったのか? お前が手懐けようとしているそれはな、吸血鬼にしか懐かねぇって言ってんだよ。

 

 思わず、明嗣は今まさに話題の中心にいるバイクへと視線を向ける。もし、それが本当なら、今の明嗣では絶対に扱うことができない代物だ。

 クックッ、笑いを漏らす息遣いが脳内に響く。

 

 でもな、その問題はすぐクリアできるぜ。なにせお前は()()()()()なんだからな……。

 何言って……お前、まさか!

 

 明嗣は言わんとする事を理解した。つまり、内なる吸血鬼はこう言いたいのだ。血を吸って吸血鬼として生きていく道を選べ、と。

 言葉を失う明嗣に対して、内なる吸血鬼はさらに畳み掛ける。

 

 だいたい、お前みたいな奴が人間の中で生きていこうってのが無理あんだよ。人間っていうのはな、自分とは違う生き物を支配するか排除する生き物だろ? それだけじゃねぇ。同じ人間に対してだってランク付けして差別と支配することで社会が成り立っているんだろうがよ。そんな生き物の中に半分吸血鬼のお前が受け入れてもらえると思ってんのか?

 そ、それは……。

 

 確かにそうだ。今の時代だって人種差別が問題となっているが、声高に訴える奴ほど綺麗事を叫び、その裏で気に入らない奴を差別し、こき下ろして追い込もうとしている。そして、これからもそういう人間は一定数存在し続けるだろう。その最たる例が学校だ。現代社会の縮図とはよく言ったものである。

 

 でも、吸血鬼の世界は違うぜ。アイツらは血を吸っていくのが全て。たまに呼ばれる不死の王(ノー・ライフ・キング)の名の通り不死だから、血を吸うだけのシンプルな世界だ。気に入らねぇ奴は力で黙らせる事もできる。人間に嫌気が差してるお前にはピッタリの世界だと思うけどな。

 

 たしかにそうかも、と納得しかけてきている自分がいる事に明嗣は歯噛みする。さらにそこへ、内なる吸血鬼の後押しをするようにある人物がやってきた。

 

「やっほー、明嗣。様子見に来たよ〜。整備は順調?」

 

 トントン、と規則正しい靴音と共に階段を降りてくる鈴音の声が聞こえて来た。

 



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第19話 とある男の昔話

 地下工房にやってきた鈴音は黒のブレザーに白のブラウス、黒のプリーツスカートと学校指定の制服姿だった。おそらく放課後になってから、ここへ直行して来たのだろう。

 整備のスペースにやってくるなり、鈴音は備え付けの冷蔵庫の扉を開いて冷やしてある飲み物を物色し始めた。

 

「今日はちょっと暑いね〜。アタシ、喉渇いちゃった」

「お前、入ってくるなりさっそくか」

「だってマスターは好きに飲んで良いって言ってたし。明嗣も何か飲む?」

 

 俺は鈴音の血が良いな〜。

 黙ってろ。

 

 頭の中で囁く内なる吸血鬼の声に明嗣は抵抗する。しかし、内なる吸血鬼による誘惑はさらに続いた。

 

 ほら、よく見てみろ。あの真っ白なブラウス。あれの首筋の辺りが血で真っ赤に染まる所を想像してみな?

 うるせぇ……!

 ついでに血を吸われて気持ち良くなってる鈴音の姿を思い浮かべてみろよ。興奮してこねぇか?

 

「しねぇよ!」

「わっ! いきなり叫んでどうしたの!?」

 

 頭の中に留めるつもりが、思わず口をついて出てきてしまった。驚いた鈴音は困惑の表情で明嗣を見つめている。

 

「あ……いや、その……なんでもねぇよ」

「なら良いけど……。あ、もしかして一日中ここに引きこもっているからストレスたまってた?」

 

 この野郎……人の気も知らないで……!

 

 今、明嗣がどういう状態か知らないので仕方のない事だが、それでも冗談めかして笑っている鈴音の姿に少し苛立ちを覚えてしまう。だが、同時に明嗣は鈴音の言った事から、とりあえず内なる吸血鬼の誘惑から脱する道を思いついた。

 

「まぁ、そうかもな……。外の空気でも吸ってくるか……」

「え? 外出て大丈夫? 警察に捕まったりしない?」

「まだ手配されてねぇっての。それに店の中(うえ)の方に行くだけだから心配いらねぇよ」

 

 惜っしい……あともうちょいだったのに……。

 

 もはや相手にするのも面倒になってきたので、明嗣は内なる吸血鬼の声を無視し、地上の店内を目指して階段を昇り始めた。

 

 

 

 階段を昇り終えると窓の外は夕焼けの橙色と夜空の藍色がコントラストを描いていた。店内ではアルバートが忙しなく動き回り、明日の仕込みを行っている。

 

「忙しそうだな。何か手伝おうか?」

 

 明嗣が声をかけるとアルバートは手を止めて、振り返った。

 

「明嗣、お前がなんで上がって来てるんだよ。整備はどうした」

「うるせぇのが来たから、ちょっと休憩しに来た」

 

 本当は逃げて来たんだろ?

 

 茶々を入れてくる内なる吸血鬼に、明嗣は苛立たしげに奥歯を噛んだ。すると、アルバートは何かに気付いたように明嗣へ近付いてくる。

 

「お前、なんかあったか?」

「はぁ? なんだよいきなり」

「これでも一応十年はお前の面倒見てるつもりだ。何か悩んでる事があるくれぇは分かる。言ってみろ」

「いや、別に何もねぇよ」

「言わねぇなら、今夜はメシ抜きな」

「うわっ、汚ぇ!」

「って言う事は、あるんだな?」

「あ」

 

 どうやらアルバートのカマかけに引っかかったようだ。タダ飯を取り上げる事をチラつかせればすぐに自白(ゲロ)すると読んだ明嗣の性格を熟知しているからこそできた事だ。

 うまい具合に乗せられていた事を理解した明嗣は悔しがるようにアルバートへ呆れた視線を送る。

 

「やっぱ汚ぇ……」

「お前は食い物に弱いからな。胃袋さえ掴んじまえばこっちのモンさ。ほれ、話聞いてやるから言ってみろ」

 

 いつの間にかコーヒーマシンでエスプレッソまで作っていたアルバートは、ソーサーに乗せたコーヒーカップへエスプレッソを注いでいた。仕込みを終えた後、一息つく時に飲むつもりだったのだろうか。二人分のカップに注ぎ終えたアルバートは一つをカウンターのテーブルに置く。これは逃してくれないと感じた明嗣は、諦めてコーヒーが置かれた席へ腰を下ろし、一口すすった。淹れたての熱さとエスプレッソの濃い風味を楽しんだ明嗣は、ゆっくりと息を()いて、単刀直入に切り込んだ。

 

「マスターさ、吸血鬼になりてぇって思ったことあるか?」

「なんだいきなり」

「純粋な興味だよ。吸血鬼ハンター(おれら)ってぶっちゃけ日陰者だろ? 電話をかけてくる奴だってお世辞にも良いやつとは言えないのだっている。だからそういうの見捨てて、逆に追い回してやる方になりてぇって思った事はあるのかな……って」

「なるほどな。なら、答える前に逆に聞く。お前はあるのか?」

「俺は……どうだろうな。嫌気が差すことは何回もあるかな……。つか、その事であのバイクの中で会った吸血鬼の俺に詰められてんだ」

「それを今、俺に言うか。筒抜けだろ、そういうの」

「別に構いやしねぇよ。さっきからうるさくて頭を抱えているのが悩みだからな。こう言っちゃなんだけど、マスターにはどうする事もできねぇよ」

「そ、そうか……。話を戻すが昨日のあの子の事でも同じ気分になったか?」

 

 あの子、とは澪のことだろう。明嗣は即座に首を横に振って否定する。

 

「いや、昨日のは関係ねぇよ。これは俺の根っこの問題……かな。俺、半吸血鬼(こんなん)だしな」

 

 明嗣は自分の左の(まなこ)を指差し、少し乾いた笑みを浮かべてみせる。すると、アルバートはカップを置いて神妙な面持ちとなり、口を開いた。

 

「俺は吸血鬼になろうとは思った事はねぇな。理由は……そうだな……。一つ、今にぴったりな昔話を聞かせてやるよ。耳かっぽじってよく聞きな」

 

 意味ありげな笑みをアルバートはある男の昔話を語り始めた。

 

 

 

 その男は一国を治める立場にある領主だった。少しでも自分の領地で暮らす者が豊かに生活できるよう、時には領地を広げるために他国へ攻め入る事も決断する男だった。しかし、力による領土の拡大は反発を招き、内乱が起きる事もあった。その度に内乱を計画した主犯格を串刺しにして、反乱への抑止としてしていたらしい。それが反乱分子を抑え込む一番手っ取り早い方法だったからだ。こうして国を治めていた領主だったが、やがて人類の宿命というべき問題に直面してしまった。老いである。

 始まりあれば終わりがあるように、その男の命にも例外なく、老化による終わりの時が刻一刻と迫っていたのだ。別に、死ぬこと自体には何の文句もない。だが、この男が治める領地は戦火によって広がり、異を唱える者は恐怖をもって黙らせてきた場所だ。自分がいなくなった途端、即座に反乱が起き、辺り一面に火の海が広がる事は明らかだった。

 もちろん、それは領主として絶対に避けなければならない。だが、どうやって? 反乱によって国が滅ぶ事を避けるため、必死に方法を考えた。しかし、育てた息子には反乱分子へ恐怖を与えて牽制するような胆力はないし、配下の者達も自分が没した瞬間に血族を血祭りに上げるだろう。自分でその道を選んだとは言え、八方塞がりであった。果てには黒魔術の方面にも手を出し始めるほどに、男は追い詰められていった。

 ある日、男は悪魔を召喚する儀式を行った。魔導書(グリモワール)に記された手順に従い、男は独りで儀式を進めていき、やがて悪魔は男の前に下り立った。

 

「老いぼれよ。死にゆく老いぼれよ。貴様がそうまでして叶えたい願いはなんだ?」

「私の願いは……不老不死の身体だ! これからも私が国を治めて領地の者たちを豊かにするしかない……。そのために、老いる事がなく、死なない身体が欲しいのだ!」

 

 これが男の出した結論だった。自分がいなくなって滅ぶのなら、これからも自分が治めていくしかない。だから、魔の存在である悪魔に不老不死を願う事にした。

 願いを聞き届けた悪魔は頷き、願い通りに不老不死の身体を男へ与え、元いた場所へ戻っていった。

 その日から男に変化が現れた。いくら水を飲んでも、いくら食事で腹を満たしても、渇いて飢えているような感覚が付きまとうようになったのだ。やがてある夜、その渇きを潤し、飢えを満たす方法を知った。食事を終えた片付けの際、不注意で侍従の女が皿を割り、破片で指を切ってしまった時の事だ。そこから流れ出した血が、いやに魅力的な物に見え、思わず口に咥えて舐めてしまったのだ。思わず、男はその美味しさに目を見開いた。どうして今まで見向きもしなかった、と思うほどに、その血の味が美味に感じたのだ。そして、気づいた時には飢えと渇きも消え失せていた。その時に男はこれが満たされる方法なのだ、と識った。

 男は悩んだ。これではまるで、私は化け物のようではないか。しかし、あの味がもう一度欲しい。どうしたら良いのか。悩んでいく内に男は思いつく。そうだ。串刺しにして処刑した反乱者の血を飲めば良いのだ、と。

 それから、男は領地の警戒網を広げた。少しでも逆らおうとする者は、即刻串刺しで処刑し、その血を杯へ注がせた。だが、いくら杯に注がれた血を飲んだとしても初めて舐めたあの血が忘れられず、男の欲求不満は募っていく。

 やがて、男は狂気の道を往く一歩目を踏み出す。初めて舐めた血の女を自室へ呼び出した男は、彼女に指を切って差し出すように命令した。すると、不思議なことに侍従の女はためらう事なく指示通りに指を切り、血の流れ出る指先を差し出した。その血の美しさは男に劣情を抱かせるほどに、甘美で魅惑的な物に映る。もう男にはその血の事しか頭になかった。誘われるように指を咥えた男は、舌先で流れ出る血をすくい上げた。すると、ピクリと侍従の女は身体を震わせた。驚いて男が侍従の女の顔を見やると、なんと彼女は頬を紅潮させていた。もう一度流れる血を舌先ですくうと、少しこらえるような吐息を漏らし、さらに求めるような表情を浮かべていた。もう自分ではどうする事もできない。理性をドロドロに溶かされ、己に眠る獣に身を任せた男は、本能が囁くままに彼女を抱き寄せた。そして、はだけさせた服が汚れる事も構わずに彼女の首筋へ噛みつく。

 思いっきり噛むと面白いように赤い蜜が溢れてくる。舌先ですくうと嬉しそうな吐息と共に、彼女も悶え狂った。そうして血を吸っていき、我に返った時にはすでに彼女は恍惚の表情を浮かべて絶命していた。さすがにまずいと思った男は急いで兵の者を呼び出した後、死体の始末をさせた。当然の事として、この事は口外しないようにきつく命じた。

 この夜を(さかい)に男は飢えた野犬のように血を求めるようになった。

 領地を広げるための(いくさ)は苛烈を極め、夜伽と称して夜な夜な制圧した領地した土地の娘を自室へ呼び、その生き血をすする。領地を広げるのが難しくなってくると自らが領地を巡り、町の娘へ声をかけて生き血をすするようになった。

 もうこの娘で最後にしよう、血をすする度に心に固く誓うが、気付いた時には恍惚の表情を浮かべた娘の死体が転がっている。男は血を求めずにはいられない鬼となっていたのだ。やがて、兵が男の元へやってきた。領主が娘を(かどわ)かして生き血を吸っていると噂になっていたので、噂を聞きつけた息子が兵を差し向けたのだ。度重なる恐怖政治で領民も限界を迎えていた。そこへ突如耳に入ってきた父の良くない噂。息子は悪逆非道の悪魔を倒し、民を救った英雄として祭り上げられるためにこの噂を利用する事にしたのだ。そうしなければ、父への不満の矛先がこちらへ向くから。自身とその家族の安全を確保するには、もう父を討つ以外に(すべ)は残されていなかったのだ。

 事を理解した瞬間、男の()()が外れた。自らの手に縄をかけようとする兵士の首を力いっぱいに拳で殴りつけた。すると、鎧で固めた兵士の首が()()()

 兵士達、そして守ろうとしてきた息子の表情が恐怖の色に染まる。そうして、男は自らの拳で残りの兵士と兵をよこした息子を鏖殺し、城の中へ()()を開始した。こうして、城の中は一晩の内に血の海となった。男はぐちゃぐちゃの肉塊となり、女は恍惚の表情で横たわる。自ら作り上げた凄惨な光景の中で独り、男は笑う。そして、城内で行った事を領地の中でも行い、男の国は一週間で滅んだ。

 

 

 

 あらかた話終えたアルバートは少しぬるくなったエスプレッソをすすった。一方、明嗣は複雑な表情でアルバートを見つめている。

 

「なぁ、マスター……今のってまさか……」

「あぁ、これはお前の親父、アーカードがガキの時分だった頃に聞かせてくれた話だ。吸血鬼になるってのはそういう事なんだよ」

 

 おずおずと思い浮かんだ事を口に出した明嗣へアルバートはつまらなそうに頷いた。

 悪魔に魂を売ってまで民のために身を粉にした結果、自らの手で築き上げた物を壊す事になるとは皮肉な話である。そして、吸血鬼になるという事は、その結末へ向けて歩む事なのだ。

 

「別にお前がどっちに行くかは勝手だ。だがな、吸血鬼の道にはこういう結末が待っているってのは肝に銘じておけよ」

「あ、あぁ……分かった……」

 

 頷いてから明嗣も少しぬるくなったエスプレッソを一気に飲み干した。後味が悪い話を聞いた後のせいか、一層苦味が強く感じる。空になったカップを見つめていると明嗣はふと変化を感じた。

 

 あれ? そういやアイツ、話している間は妙に静かだったな……。

 

 内なる吸血鬼の声が収まった事を不思議に思った明嗣は首を傾げた。理由を考えているとドアベルの音が店内の音に響いた。

 音がした入口の方へ視線を向けると、そこには紺のベストとブルーのワイシャツ、そして頭には桜の紋が入った帽子を乗せた男性二人組が立っていた。

 

「すみません。私達、交魔市警察署の者なんですが」

「あ、あぁ……お巡りさん。どうしたんだい」

 

 警察手帳を見せて身分を見せた二人へ、アルバートは少しぎこちないながらも気さくな調子で用件を尋ねた。まさか明嗣の件で、と一瞬考えたが、それなら昼の内に刑事が来ているはずだ、と思い直す。しかし、この店の地下には大量の銃火器が保管されているので、少し背中に冷や汗が滲んでしまう。明嗣も、このタイミングで立ち去るのは不信感を与えてしまうのでは、と考えてこの場にいる事を選んだ。

 

「ただの見回りです。不審者が来店したとか、そういう話はありますか?」

「いやぁ、特にないね。むしろウチは不審者でも来て欲しいくらいだな。もう夕飯時だしお巡りさん達、ウチでメシはどうだい。一応、酒だってある」

 

 冗談めかしてアルバートが食事を勧めると警官達は苦笑いを浮かべて答えた。

 

「いえ、勤務中ですので……。ただ、ここら辺でも出たらしいのでお気をつけください」

「出たって……何が」

 

 アルバートがおそるおそる尋ねると警官達は表情を引き締めて質問に答えた。

 

「“切り裂きジャック”ですよ。もしかすると助けを求めて駆け込んでくる人がいるかもしれないので、念の為」

「あ、あぁ……そうなのか……。分かった。気をつけるよ」

「今日はそんな所です。では、失礼します」

 

 軽く会釈をして警官達は店を去っていった。気配がなくなったのを確認すると明嗣とアルバートはドっと疲れたように脱力した。

 

「焦った……。やっぱ心臓に悪いぜ、あの制服」

「同感だ。だが、明嗣の件はまだ警察の耳に入ってないのか……」

「みてぇだけど、早めになんとかしねぇとな……」

 

 その後、アルバートが地下でくつろいでいた鈴音を呼び寄せた後、事情を説明して式神の朱雀を飛ばすように指示した。こうして警戒しておけば、とりあえず安心だろう。

 しかし、“切り裂きジャック”も警察で対処できるはずがなく、いつかこちらがなんとかしなければならない問題だ。

 とりあえず、今夜は電話がならなかったので解散になった。そして、週末に入り、土曜日を終えた日曜日の夜に事件は起きた。



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第20話 “切り裂きジャック”、強襲

 夜のHunter's rustplaatsは明嗣とアルバートの二人だけで閑散としていた。本日は日曜日で明日は月曜日、学生や社会人は家に帰ってくつろいで労働や通学に備えている事が予想される。よって、店内に客が少ないのは当然の事と言えば当然の事なのだが、やはり客が少ない店というのはなんとも寂しい雰囲気が漂ってしまう。

 ちなみに、いつもならこのメンツに鈴音が加わっているはずなのだが、彼女は依頼の電話が掛かってきたので吸血鬼狩りに繰り出しているため不在である。

 今夜は外の空気も静まり返っており、客が来る気配が微塵も感じられない静かな夜と言えた。だが、カウンターで読書をしていたアルバートはその静かな夜の空気をよく思ってないようで、眉をひそめて呟いた。

 

「なーんか嫌な空気だな……」

「何が?」

 

 同じくカウンターで読書していた明嗣が、本を読むのを中断して顔を上げる。すると、アルバートは読んだページに栞を挟んで本をテーブルへ置いた。その後、窓の方へ歩いていき外の様子を伺う。

 

「静か過ぎるんだよ。いくら明日、仕事や学校だからって言っても、こう静まり返っているのはな……。もうちょい賑やかでも良いだろ」

「なんかおもしれぇテレビでもやってんじゃねぇの? 話題のドラマとか」

「フン! あの手のは恋愛物で埋まった時に死んだよ」

「たしかにそれもそうか」

 

 納得して明嗣が頷くと同時にドアベルが鳴った。客かと思って視線を向けると、そこには竹刀袋を背負った鈴音が立っている。

 

「え〜、アタシは好きだけどね。すれ違いからケンカして、仲直りからの告白シーンとか良くない?」

「ケッ。あんなの、はよくっつけで終わりだっつの」 

「おう、鈴音ちゃん。お疲れさん」

 

 明嗣はいつも通りの憎まれ口なので鈴音は苦笑いを浮かべて受け流す。その後、労いの言葉をくれたアルバートへ返事した。

 

「ありがと、マスター。さっそくで悪いんだけど、何か作ってくれない? アタシ、お腹空いちゃった」

「はいよ、ちょっと待ってな」

 

 空腹を訴える鈴音の要求に従い、アルバートは厨房へ賄い飯を作りに向かった。明嗣の隣の席へ腰を下ろした鈴音は息をついた後、読書へ勤しむ明嗣へ声をかけた。

 

「ねぇ、明嗣。何読んでるの?」

「レイモンド・チャンドラーの『大いなる眠り』」

「誰?」

「昔の作家」

「面白い?」

「あぁ。人生の教科書と言うべき一冊さ」

「ふーん……」

 

 返事をした鈴音は、スマートフォンを取り出して視線を落とした。どうやら、興味を失くしてしまったようだ。対して、明嗣も小さく息をつき、本へと視線を戻す。

 ページを捲る音と店内BGMのジャズが響く落ち着いた時間だけが流れていく。

 

 今夜も何もなく終わりそうだな……。

 

 カウンターでたむろす明嗣と鈴音、厨房で軽食を作るアルバート、Hunter's rastplaatsにいる三人全員がこのように気を緩める程に穏やかな時間だった。だが、壁に掛けた振り子時計の針が九時を指し示し、21時を知らせたその時。ドアベルの音より先にバタンと扉が勢い良く開け放たれる音が飛び込んできた。

 いったい何事か、と音がした方へ明嗣と鈴音が出入り口の方へ視線を向ける。すると、そこにはかろうじて役割を果たしていると言えるレベルにまで衣服がズタズタに切り裂かれ、破けた繊維に血をにじませる女が飛び込んできた。誰がどう見てもただ事ではない事態の最中にいる、と言いたげな見た目の女は入ってくるなり、予想通りの言葉を口にした。

 

「助けて! 通り魔から逃げてきたの!」

「通り魔?」

 

 確認するように明嗣が繰り返すと女は扉が閉まっているのにも関わらず、背後を警戒しながら頷いた。

 

「そう! ナイフを持った男の人がこの辺りにうろついていて……」

「ナイフ? それって……」

 

 鈴音がもしかして、と言いたげな視線を明嗣へ向けた。おそらく、巷を騒がす“切り裂きジャック”かも、と思ったのだろう。対して、明嗣は厨房から顔を覗かせて様子を伺うアルバートへ呼びかけた。

 

「マスター」

「ああ。レジの裏に隠してあるから持ってけ。お前を外に出すのはちょっと不安だがな」

 

 皆まで言わずとも言いたい事を理解しているアルバートは呼びかけに応えて、応急処置のための救急箱を取りに店の奥の生活スペースへ引っ込んでいった。

 アルバートに言うとおりにレジスターが乗っている台の裏を探った明嗣は、ガムテープで貼り付けれられたL字のシルエットを見つけた。ガムテープで隠されていた物の正体は、アメリカのスプリングフィールド社製自動拳銃、XDMだった。弾倉に詰めているのはもちろん対吸血鬼用純銀製弾頭の9mm弾である。

 強く握り込んでいる間だけ安全装置が外れて射撃可能、という明嗣から言わせればクセが強い特徴を持つ自動拳銃と隠して持ち運ぶためのロングコートを手に、明嗣は通り魔撃退へ繰り出した。

 普通の暴漢なら拳で黙らせて警察に突き出せばそれで良し。もし、巷を騒がす切り裂きジャックと呼ばれる吸血鬼ならば、装弾数16発のこの銃を使えばいい。

 

「んじゃ、ちょっと外見てくるわ」

「おう。気ぃつけろよ」

「じゃあ、アタシも……」

 

 自分も手伝う、と鈴音が席を立つ。すると、明嗣は飛び込んできた女を指さした。

 

「鈴音はマスターと一緒に手当てだな」

「え? アタシは留守番?」

「まぁ、男に襲われたばっかで()()()()()と二人きりにしとくのはな……」

「そういう事だ。って事で、外は()()()()に任せて、鈴音ちゃんは俺と留守番してくれよ」

「えぇ……差別……」

「苦情はそういう風に人間を作ったやつに言ってくれ」

 

 納得はしたが不満げな鈴音に、明嗣はヒラヒラと手を振って店を出た。扉が閉まると店内に残る事になった鈴音は、仕方ないので未だに震えている女へ声を掛けた。

 

「通り魔って災難だったね。大丈夫?」

「ね、ねぇ……あの男の子はどこに行ったの……?」

「あぁ、アイツ? ちょっと外の様子見に行っただけだから心配しなくて大丈夫だよ。それに、もし通り魔に出会っちゃったとしてもケンカ強いしね」

「だめ……!! あれはケンカが強いとかそういうのでなんとかならない……!!」

 

 襲われた時の事を思い出したのか、女は思い出したくない物を抑え込むかのように頭を抱えてさらに強く震えた。尋常ではない怖がり方を疑問に持った鈴音は、女の隣に腰を下ろして話を聞く事にした。

 

「ねぇ、ここに来る前に何があったの? ちょっと普通じゃないよ?」

「わ、私……外でご飯を食べた後で帰る途中だったの……。そしたら、汚い上着でフードを被った外国の男の人が声を掛けてきて……」

「うん、それでどうしたの?」

「そのフードの下から見えた赤い目を見た途端、体が全然動かなくなっちゃって……」

「え、それ本当なの? 押さえつけられたんじゃなくて?」

「本当なの! 信じてよ!」

「う、うん……信じる……」

 

 この時点でだいたいは察しているが、鈴音は半信半疑な反応をしてから、信じるポーズを取ってもっと話を引き出そうと試みた。すると、鈴音の思惑通りに女は続きを語り始めた。

 

「それで……ゆっくり近づいてきたその男の人は、ナイフを取り出した後、刃で私のほっぺたを撫でたんだけど……。おかしいよね……。私、その時……()()()()()()()()()()()()()()()()()……!!」

「え?」

 

 話の雲行きが少し怪しくなってきた事に鈴音は眉を潜めた。当初、鈴音の見立てでは、目を見た瞬間動かなくなったと話した時点で吸血鬼の切り裂きジャックに会ったのだと考えていた。吸血鬼の吸血行為には性的な快楽が伴う。なので、赤い目でこれから快楽を与えてやると動物的本能に訴え、「この人が欲しい」と、自分から求めるように仕向けるのだ。そうして獲物の首に牙を突き立て、吸血鬼は血をすするのだ。だが、目の前にいる名前も分からないこの女は、今なんと口にした? ()()()()()()()()()()()()? 耳を疑う鈴音をよそに、さらに震えを強めた女はついに声まで震わせて続きを口にした。

 

「それで……刃が肌を裂いた時ね、痛いって思わなかった……! むしろ、すっごく気持ちよくて興奮したの……!!」

 

 女の顔が恐怖の表情(いろ)に染まった。

 

「何回も切りつけられる度にもっと気持ちよくしてって思った……!! 逃げようだなんて一ミリも思わなかったの! それでね、服がこんな風になった時、アイツは耳元でなんて言ったと思う?」

 

 検討もつかない鈴音は首を横に振り、続きを待った。すると、自分を嫌悪するような嗚咽を漏らしながら、女はこの世の終わりだと言いたげな絶望を舌とで喉で奏でた。

 

「『これから首に噛み付いてイカせてあげる』って!! たまたま通りがかって助けようとしてくれた男の人をバラバラにしちゃうまで、私はそれをドキドキしながら待ってたの!! しかもあの変態、手を使わずに人を切り刻める化け物だった!!」

 

 おそらく、そこで正気に戻り、死物狂いで逃げて来たのだろう。目の前で起きた惨劇を口にしたきり、女は口を利かなくなり、震えているだけの置物となってしまった。

 鈴音はどういう事かと経験が長いアルバートの方へ視線を投げる。一方、救急箱を手に黙って話を聞いていたアルバートは何か心当たりがあるのか、人がいるのにも関わらず、地下への扉を開いて中に入っていってしまった。そして、戻ってきた時には上着を羽織り、「鈴音ちゃん、手当て頼むわ」と言い残して急ぎ足で店を出た。

 

「え〜!? マスターまで!?」

 

 誰も応えてくれることない鈴音の叫びが、店内に虚しく響く。

 外には“CLOSED(準備中)”の立て札が出ているだろうから来店する客はいないと思われる。それでも気まずい留守番を任された鈴音としては、この空気をどうしたものか、と頭を悩ませる事には変わりなく、なんの慰めにもならなかった。

 

 

 

 外へ様子を伺いに出た明嗣は、地面に視線を落として歩いていた。普通の人間なら灯りがなければ見えない物でも、半吸血鬼(ダンピール)で夜でも視界が利く明嗣ならば、見つける事ができるのだ。落とした視線の先にはアスファルトに染みた赤黒い点が歪んだ列となって並んでいる。おそらく店に飛び込んできた女が逃げる際に落とした血のしずくによる物だろう。線で繋げたら歪んだ形になるように点が並んでいる事から、それだけ全力疾走だった事が伺える。

 注意深く血の跡を辿っていく。やがて、明嗣はある地点で足を止めた。そこはなんて事はない平穏に人が暮らす住宅街の一角。だが、そんな場所には似合わない血の香りが鼻についた。血の香りがする方へ視線を向けると明嗣は即座に意識を警戒モードへと切り替えた。おびただしい数の血痕と()()()切り分けられた人体の部品が並んでいたからだ。

 

 すげぇな……。ここまでスッパリ行ってるのは見たことねぇぞ……。

 

 人が死んでる場所に慣れているとはいえ、生理的嫌悪よりも感心が前に出てくるほどに美しいと感じる切り口だった。おそらく、よっぽど鋭利な刃物を用いて切り刻んだのだろう。そして地面に落ちた血に指で触れ、指先をすり合わせた感触から、この惨状を作り出した犯人はまだ近くにいる。

 自然と、明嗣は忍ばせていたスプリングフィールドXDMを手にした。しっかりと両手で包み込むように銃把(グリップ)を握り込み、まだ姿を見せない敵を探す。小さく呼吸する音だけが辺りの静寂を際立たせた。

 夜風が肌を撫でる。瞬間、明嗣は背筋に寒気を感じ、本能的に横へ転がった。すると、目の前に転がる胴体だと思われる肉塊は真っ二つに両断され、先程まで明嗣の立っていた地点から背後の方へ一直線に目測で10mほどの直線が現れた。アスファルトの地面に入ったそれは、豆腐に包丁を入れた時を彷彿とさせるような物だった。

 

「なんだよ……これ……!?」

 

 思わず漏らした心の声。バラエティー番組でたまに見る本身の刀を扱う剣士でさえ、固まったアスファルトの地面にここまではできないだろう。明らかに人間業ではない現象に背中に冷や汗が滲む。本気で警戒する明嗣の前に、鼻歌まじりで歩く一人の青年が現れた。青年の服装はひと目見た時、誰もが貧しい家なのだろうか、思わせるような物だった。最初に目についたのは黒いオーバーコートだった。縫い目がほつれて裾はボロボロ、真っ昼間に目にしたのなら、目深に被ったフードも相まって誰もが不審者と見間違う事が予想される。さらにフードの下から覗く獰猛な朱の瞳は、飢えた狼のようにギラギラと輝いていた。そして、極めつけは半吸血鬼(ダンピール)である明嗣だからこそ見る事ができる身体中の血管をなぞるように張り巡らされた“黒い線”。

 目の前の相手が吸血鬼である事は明白だった。

 

「残念……すんでの所で避けられたか……」

「不意打ちとはいい趣味してんな。何者だ、お前」

 

 突如現れた敵へ明嗣は銃口を向けて睨みつける。すると、相手は今夜の夕食の献立でも考えるかのように悩み始めた。

 

「ボク? 名前は……なんだったかなぁ……。長らく呼ばれる事がなかったから忘れたんだよねぇ……」

 

 その後、ブツブツとああでもないこうでもない独語めいた呟きを交えて思案した結果、青年は英国の紳士が帽子を軽く上げて挨拶するかのような調子で自己紹介をした。

 

「ここの新聞だと“切り裂きジャック”って呼ばれてるかな。故郷の方じゃ、Jack The Ripperと呼ばれていたよ」

 

 故郷での呼び名を口にする時の流暢な発音から、コイツは本物だ、と明嗣の直感が告げた。まさか、英国の連続殺人鬼が本当に目の前に現れるとは。

 夢でも見ているのでは、と思える展開に、明嗣は思わず乾いた笑いを漏らした。

 

「そうかい……。そんじゃあ、切り裂きジャック。もし会えたら、いくつか聞こうと思ってた事があったんだ。聞いてもいいか?」

「答えられる範囲なら」

「じゃあ、1つ目だ。お前、いったい今何歳(いくつ)だよ?」

「えっと、生まれた時には遠くへ行く時、金持ちの貴族たちは列車に乗ってたかなぁ……。いつの間にか変な箱がゴムの車輪四つの上に乗って走っているんだからびっくりだよねぇ……。で、道端に捨てられてる新聞の日付を見たら2022年だって! 笑っちゃうよ。ボク、100歳超えのお爺さんになってた」

「なっ……」

 

 めまいを起こしそうだった。どうやら、19世紀末の、おそらく世界で一番有名な殺人鬼が本当に現代へタイムスリップしてきたのだ。いったい何の冗談だろうか。みすぼらしい印象を与える見た目だが、目の前にいるのは、どこからどう見ても100歳を超えた老いぼれではなく、若々しい青年だ。

 

「へぇ、そうかい。そんじゃ、次だ。たしか、お前は五人の娼婦を殺して姿を消したよな? その理由を教えてくれよ」

「ああ、その事かい? それがね、五人目を殺した時にヘマしちゃってね。警察の糞どもに蜂の巣にされて死にかけたんだ」

「アンチエジングの秘訣もそこにありそうだな?」

「正解。蜂の巣にされてコマーシャル・ストリートを這いずり回っていた時にね、妙な奴がボクの前に現れたんだ。男とも女とも見分けがつかない、妙に身なりが良いやつだった。血が出すぎて目がかすむボクにそいつはこう言った。『君は面白い。いったい、何が君を駆り立てるんだ?』とね。そして、こうも言ったよ。『ここで死なせるには惜しい……。だからこれを飲むと良い。少し眠る事になるが、君はまだ生きていられる』って赤い液体を差し出しながらね。言うとおりに飲んでから眠って、目が覚めたら世界はこんな風に変わっててびっくりさ。で、腹が減ったから本能の赴くままに血をすすってたら、この通りって訳」

「へぇ……勉強になったよ……。そんじゃあ、最後の質問だ」

 

 引きつった笑みを浮かべ、明嗣はこれが一番重要だとばかりに間を置く。そして、意を決してその質問を口にした。

 

「今の時代、よその国へ渡るにはパスポートってのが必要なんだがお前、どうやって日本(ここ)に入った? まさか素通りしてきたって訳でもねぇだろ?」

「ああ、その事かい? それはね……」

 

 当然の疑問だとばかりに謎に包まれた不法入国者は頷いてみせる。そして、とびっきりのジョークを披露するような、自慢げな表情で切り裂きジャックは密入国の種明かしをした。

 

「今の時代って凄いねぇ……。外国への荷物を空飛ぶ飛行機に載せて運ぶ空輸ってのがあるんだから。ボクはその荷物に隠れてやって来たんだ。びっくりしただろ」

 

 今度こそ、明嗣は本当にめまいを覚えた。まさか、自分を荷物として運搬させるとは。

 しかも貨物船ではなく、太陽が近いのにも関わらず、文字通り極寒の空を()く飛行機の貨物室と来たか。いくら品質管理のために温度調整がされるとはいえ、それでも冬空の下にいるくらいの寒さだったはずだ。

 

「い、イカれてる……」

 

 これが心の底から出た明嗣の感想だった。思いついてもまず実行しない事を目の前のコイツは平然とやってのけたのだ。無理もない。

 

「ところでさぁ……そろそろ良いかなぁ?」

 

 もう待ちきれないといった表情で切り裂きジャックは驚愕の表情で言葉を失っていた明嗣へ呼びかける。対して、先程聞かされたエピソードから、軽口を叩く余裕も無くすほどに意識を張り詰めさせていた明嗣はその呼びかけの意図を尋ねた。

 

「な、何がだよ……」

「いやね、さっき女の人に声をかけたんだけど途中まで血を飲む事はできたんだけど逃げられちゃってさ。お腹が空っぽなんだよね……。だからさぁ――」

 

 この時、既に明嗣は引き金に指をかけていた。スプリングフィールドXDMの銃把を強く握り、安全装置を外しつつ、人差し指に力を込める。

 そのまま、切り裂きジャックの声を遮るようにパンパン、と頭と心臓へ向けて一発ずつ発砲。業界用語で言う所のダブルタップだ。本来なら、隠し弾(ブラインド)も含めて計4発お見舞いしている所だ。だが、明嗣には現在、銀の銃弾が弾倉(マガジン)一本分の16発しかない。必要最低限の発砲で済ませたかった。

 だが、明嗣の望みは叶わなかった。目標へ着弾する前に銀の弾頭は真っ二つに切り裂かれてしまったのだ。

 同時に明嗣の頬が切れて、切れた箇所から血が流れ出す。

 

「言い忘れてたけど、目覚めた時にちょっとした手品も使えるようになっててね。こんなふうに風を操って物を切り刻めるようになったんだ」

 

 おいおい……!? そんな吸血鬼、今まで聞いた事もねぇぞ……!!

 

 いつ間にか握っていたナイフを弄びながら、サプライズ成功と笑う切り裂きジャックを前に、明嗣は思わず後ずさりをした。

 風を操れるという事はたった今やって見せたように、常に防壁を築き上げながら攻撃する事ができるという事であり、今までの魔眼で標的を服従させて血をすすっている奴らとは訳が違う未知の脅威。

 そして、明嗣は手元にある残り14発の銀弾で、この攻防一体の防壁を従える人型鎌鼬(かまいたち)を相手に即興でなんとかする手立てを考えなければならないのだ。



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第21話 風刃の防壁

 かん高い破裂音が夜の住宅街に響き渡る。時折、コンクリートの山が崩れるガラガラと言う音や、何か金属が落ちるカンという音も混じるその場所は、見るもおぞましい光景と化していた。

 辺り一面は肉片と赤黒い液体が飛び散り、足元が滑りやすくなっているし、風と共に透明な何かが通り過ぎる度に汚物と鉄の匂いが鼻につく。生き物が死んだ時というのは、我慢していた物が流れ出る物なので仕方ないと言えば仕方ないのだが、それでも風と共に臓腑が舞い上がる場で踊る明嗣としては、この匂いをいっこうに好きになれそうになかった。

 一方、臓腑が舞い上がる原因の風を操る英国の殺人鬼、“切り裂きジャック”は愉快げに笑い声をあげた。

 

「あはは! すごいすごい! 足元が滑るのによくやってるよ! じゃあ、これはどうかな?」

 

 指揮者が指揮棒(タクト)を振るように“切り裂きジャック”がナイフを振る。すると、空気が渦を描くように流れ始めた。それに伴い、ミンチとなってしまったどこの誰かも分からない人肉も一緒にミックスされていく。

 

 やっべ!

 

 肌を撫でる風にゾッとするような寒気を覚えた明嗣は、即座に手元のスプリングフィールドXDMでナイフを撃ち落とすべく三回発砲した。しかし、飛翔する銀の弾頭は目標へ着弾する前に全て二つに切られ、撃墜されてしまった。同時に、空気の流れは動きを止め、渦を巻いていた人肉の欠片はその場でびちゃびちゃと音を立てて落下し、二人はそのまま睨み合いの状態となる。

 さて、このような攻防を何回か繰り返している二人だが、保たれていた均衡もそろそろ崩れるか、という段階にまで来ていた。

 理由はただ一つ。スプリングフィールドXDMの弾倉に詰められていた16発の銀弾も、底をつくまで残り4発となってしまったからである。

 どうせ様子見だから、と明嗣は自分の銃を持ってこなかった事を後悔した。弾切れの心配がないあの二丁ならまだマシな状況だったかもしれない。

 

 さて、どうしようかね……。

 

 Hunter's rustplaatsに連絡して増援を呼びたい所だが、目の前の相手はもちろん許さないだろう。

 スマートフォンを取り出すためにポケットへ手を入れた瞬間、すぐになます切りにされるのは想像にかたくない。

 

 あれ……もしかしてやばいんじゃね……?

 

 弾は残り4発、増援は期待できない。そして、目の前に立ちはだかるは、弾丸では抜けない障壁と見えない風の刃。死を意識させるには十分過ぎる状況だった。

 整理し終えた途端、明嗣は身体が震えだし、地に足がついてないような焦燥感を覚えた。これが死が目前に迫った者を襲う恐怖という物か。切れて血が流れる頬に、つと一筋の汗が伝う。

 明嗣の表情で己の優勢を感じた“切り裂きジャック”は、余裕の表情を浮かべながら、ナイフを軽く放り投げてもてあそぶ。

 

「あれぇ、震えだしてどうしたの? もしかして弾切れが近いの?」

「冗談。これは早くぶっ殺してやりたいのを抑えてるのさ」

「嘘が下手だなぁ。怖いのがバレバレだよ」

 

 虚勢を張っている事を看破され、明嗣は奥歯を噛んだ。言い返す余地がないのがさらに腹立たしい。そして、何よりも腹立たしいのは今までとちょっと違う敵が現れただけで、情けないほどに追い詰められて震えている自分自身だった。一人でやって行けると思っていたのに、こんなにも弱かったのか、と明嗣は己の無力を痛感する。

 

 何か盾みたいなモンでもありゃあな……!

 

 せめて見えない風の刃を防ぐ物が欲しい。それなら突撃して至近距離から銀弾を撃ち込む事ができるのに。

 この時、明嗣の脳裏には先日の忌々しい内なる吸血鬼との記憶が頭に浮かんでいた。特に、幅広い刀身を盾代わりに使って、銃弾を防いでいたあの時のシーンが強く鮮明に浮かぶ。ああいう盾に使っても良し、叩き切って良しの大剣が今の状況に丁度いい得物だろう。

 

 チッ……。嫌なこと思い出しちまった……!

 

 欲しいものと同時に、邪悪な笑みを浮かべる自分と同じ顔も思い出してしまい、明嗣は心の中で舌打ちをした。寄りにも寄って、自分の身体の主導権を狙う奴がこの状況を打開できるかもしれない物を持っているとは。

 無い物ねだりをしても仕方ないので、明嗣はひとまずこの場を脱する事に力を注ぐことにした。とは言え、残りの銀の銃弾は4発。これだけでどこまで行けるだろうか。

 どのタイミングでどう撃って“切り裂きジャック”から逃れるか算段を立てる明嗣。しかし、突如二人の間に割って入った声により、思考は遮られる事となる。

 

「おい! 君ら、そこで何をしている!」

 

 懐中電灯と共に現れた黒いシルエットの二人。独特の形をしたその帽子を被ったその二人組は、付近の住人の通報を受けてやってきた警官だった。当然、明嗣と“切り裂きジャック”の二人が立っている惨状も目に入る訳で、警官の二人は即座に腰の警棒を抜き、一気に警戒態勢へと移行する。

 

「二人共! 大人しくしろ! 今から拘束する!」

 

 相手が()()()()()に生きる者たちだったなら、適切な対応だったと言えるだろう。しかし、不幸な事に職務を全うせんとする公僕が遭遇したのは()()ではない、常識外の世界の住人だった。

 

「へぇ……あれが今のこの国の警官なんだ……。でも、気に入らない顔つきなのは変わってないなぁ……」

 

 おい……まさか!

 

 嫌な予感がした。反射的に明嗣はなけなしの銀弾を4発全てを撃ち放つ。だが、例によって銀弾は全て真っ二つに両断され、警官は上半身と下半身がお別れする事となった。これで手元の拳銃はスライドストップ。弾切れにより引き金が固定されてしまった。その上、最悪な事に銀の銃弾が真っ二つになった際、見えない刃が脇腹を裂いた。

 

 グッ!? やっちまった……!!

 

 たぶん、切れてはいけない所が切れたのだろう。脇腹からドクドクと大量の血液が流れ出る。対して、警官の身体から飛び散る鮮血の中で“切り裂きジャック”は初めて不愉快だと言いたげに鼻を鳴らした。

 

「あぁ……やっぱりいつの時代も警官というのは気に入らない顔つきだよ。自分が正しいことしてるって信じ切っているって面構えだ」

「そりゃそうだろ……。警察は法の執行者であって、ルールに従う者の味方だ」

 

 息も絶え絶えに言葉を返しながら、明嗣は構えた銃を下ろした。遊底(スライド)が後退したまま固定された状態なのでもう使用不能だ。なぜなら替えの弾倉が手元にないのだから、構えていたって仕方ない。

 明嗣の返事を受け、“切り裂きジャック”は哀れむような目つきで明嗣を見つめ返した。

 

「なら、そのルールは誰が決めたんだい? 誰が賛成した? 問題がないと誰が判断を?」

「知るかよ。今までそんな事考えた事もなかったモンでね……」

「そうなんだ。僕は幼い頃からずっと思ってきた。どうして世界は僕の味方をしてくれないんだろうってね。娼婦だった母さんにぶたれて警察に駆け込んでも警官は、母さんと二人で話し込んだ後は母親のもとへおかえりって言うだけだったし、どれだけ真面目に働いたとしても僕が娼婦の子だというだけで、世間は白い目さ。君はそういう目に遭った事がないんだろうね。羨ましいよ」

 

 クルクルとナイフを弄びながら、“切り裂きジャック”は遠い過去を振り返るような目つきになった。嫌な記憶を振り返っているはずなのに懐かしむような物だった。

 

「ある日、僕はいつものように母さんに殴られていた時のことさ。ついに我慢の限界を迎えた僕はりんごの皮を剥くために用意したナイフを母さんの腹に刺してやった。すると面白いくらいに母さんが泣き叫ぶんだよ。それがとっても心地いいんだ。もっと聞きたくてさらに突き刺したら母さんが静かになっちゃったんだよね。この時、僕は思ったよ。母さんが僕を殴っていたのはこういう事だったんだ、とね。気持ちいいからずっと僕を殴っていたんだよ。ひどいよね。自分だけ散々楽しんで僕が楽しむ番になったら死んじゃったんだ。でも、今までの分を考えたら一回じゃ満足できないからさ、他の女で同じように楽しむ事にしたのさ。せっかくだから母さんと一緒の娼婦でね。これが僕、切り裂きジャックの始まりって訳」

 

 自らの半生を語り終えるのと同時に“切り裂きジャック”はナイフを弄ぶのをやめた。同時に空気が渦を巻き始める。

 

「話を聞いてくれたお礼になるべく原型が残るようにトドメを刺してあげるよ」

 

 終わった……。

 

 明嗣は漠然とビリビリと空気が震えるのを感じていた。きっとこの後、自分も先程の警官のように切り刻まれるんだ、と死を受け入れつつあった。

 

 なっさけねぇなぁ……。こんなとこで死ぬのを覚悟すんのかよ……。

 今更出てきてなんだよ……。もうどうしようもねぇんだよ……。

 

 挙げ句の果てには内なる吸血鬼(もうひとりのじぶん)の呆れた声まで脳内に響いてきた。だんだんと薄れゆく意識の中、明嗣は内なる吸血鬼の声をただ聞いていた。

 

 しかたねぇ。ここで死なれちゃ困るし……ちとサービスしてやるよ。

 サービス……だと……?

 

 そこで明嗣の意識は闇に落ちた。同時に渦巻く空気は刃となり、気を失った明嗣の身体へ襲いかかる。迫る空気の刃を前に明嗣の身体はピクリとも動かず、なます切りとなってしまった。トドメを刺したと確信した“切り裂きジャック”は疲れたように脱力した。

 

「この力、使ったら結構腹が減るなぁ……。使う度に血を吸わなきゃならないのが難点だ。だから、なるべく形が残るようにしたんだけど」

 

 いくら腹が減ってるとは言え、地面に飛び散り、汚物が混じった血をすするのにはいささか抵抗がある。これでも一応、食事のマナーは弁えているつもりだ。

 悠然と“切り裂きジャック”は動かなくなった明嗣の身体へ近づいていく。そして、腕を掴み上げて口元へ近づけた瞬間、ふと“切り裂きジャック”は明嗣の身体の変化に気づいた。

 なんと、なます切りになって傷だらけになっているはずの明嗣の腕が傷一つない綺麗な物となっていたのだ。

 

「あれ? しっかりとやったはずなんだけどな……」

 

 しっかりと目の前で切り刻まれる様子を見ていたのにどういう事なのか、と“切り裂きジャック”は首を傾げる。しかし、空腹による血への渇望が思考を頭の片隅へ押しやった。

 さぁ、ようやくの食事だ、と“切り裂きジャック”は口を大きく開いた。牙が腕に突き立てられようとしたその瞬間、明嗣の指先がピクリと動いた。

 

「……てめぇ、誰に許可もらって血ぃ吸おうとしてんだ?」

「ッ!?」

 

 いきなり聞こえてきた不機嫌な声に“切り裂きジャック”は慌てて飛び退いた。同時に、気を失っていたはずの明嗣の身体がゆっくりと起き上がる。

 

「ったく、手のかかる奴だな明嗣(おまえ)は……」

 

 突如として起き上がった明嗣は、呟きながら身体の調子を確かめるように肩を回す。動かす度にゴキゴキと鳴ることから、よほど身体が固まっていることが伺えた。

 

「おかしいな……。しっかりトドメ刺したはずなのにどうして生きているんだい?」

 

 当然の疑問を“切り裂きジャック”が口にした。すると、明嗣のような()()は気だるげな調子で“切り裂きジャック”の疑問に答えた。

 

「あぁ、明嗣(コイツ)は身体が半分吸血鬼でな。ちょっと刻まれたくらいじゃ死なねぇ身体なんだよ」

「コイツ? 君は違う人なのかい?」

「まぁ、当たらずとも遠からずって奴だ。俺はコイツの中に眠る吸血鬼、ある意味お前と一緒の化け物だ。ちょっと今コイツに死なれちゃ困るんでな。前に対面した時、コイツの身体に作った秘密の通路を使って出てきたのさ。ついでに、ちょっとの間だけ眠っている力も引き出させてもらってな」

 

 にやりと明嗣の身体を乗っ取った内なる吸血鬼は口の端を吊り上げた。そして、最終調整だと言わんばかりにシャドウボクシングを始めた。

 

「この身体は絶賛成長期。熟すまでに摘まれたら困るって訳さ」

「へぇ、そうなんだ。なら、それでも殺して血を吸うと言ったらどうなるのかな?」

 

 どうせ死に体だろう、と“切り裂きジャック”は余裕の笑みを浮かべている。対して、内なる吸血鬼は身体に殺気を纏わせて拳を握った。

 

「そうだな……。そんじゃあ……その首ちぎってナイフにぶっ刺してやるよ!」

 

 言うやいなや、さっきのお返しをしてやる、と内なる吸血鬼は腰を落として地を蹴り、“切り裂きジャック”へと襲いかかった。 

 

 

 



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第22話 暴走する半吸血鬼

「おい……なんだこりゃあ……」

 

 Hunter's rustplaatsから明嗣を追いかけて来たアルバートは、目にした物を前に素直な感想をこぼした。

 現在、彼の目の前には、(むご)いとしか形容出来ない光景が広がっていた。抉れて空洞となってしまったアスファルト。ミンチとなった肉塊。血溜まりの中に浮かぶ紺の布地(ぬのじ)は、おそらく警官の制服の物だろうか。そして、近くには遊底(スライド)が後退したままのスプリングフィールドXDMが落ちている。

 アルバートはジャケットの中からイタリア製のショットガン、ベネリM3 スーパー90を取り出し、いつでも撃てるようにボルトハンドルを動かした。携帯性を高めるためにカスタマイズしたその銃には、鹿を撃つ時の散弾ではなく対吸血鬼用の純銀製スラッグ弾が装填されている。

 ゆっくりと歩みを進め、周囲を探っていく。血が乾ききっていない上に、何かがぶつかるような衝撃音が聞こえてくる事から、おそらく明嗣はまだ近くにいるはずだ。

 

 丸腰の状態で血を流しているんなら、早めに助けに入らないとまずいな……。急がねぇと……。

 

 目撃者に注意を払う意味も込めて、アルバートは周囲を見回しながら、音のする方へ進んで行った。

 

 

 

 一方、明嗣の身体を乗っ取った内なる吸血鬼は皮膚が裂けるのも気にせず、“切り裂きジャック”へ突撃していた。そして、拳の射程距離内にまで肉薄すると力いっぱいに握りこんだ右ストレートを繰り出す。

 対して、“切り裂きジャック”は軽く身を引いて攻撃をいなした後、ナイフを突き出して反撃した。

 内なる吸血鬼は首を傾ける事で攻撃を避けるが、回避が甘かったのか、刃が肌を撫でるような感触を覚えた。その際、なんとも言えない快感が身体の中を走り抜ける。

 

「ッシャア!!」

 

 突き出した腕を取った内なる吸血鬼は、掛け声と共に“切り裂きジャック”を背負い投げで地面へ叩きつけた。

 

「カハッ……!?」

「オマケだぜッ!」

 

 背中から叩きつけられ、空気を吐き出した“切り裂きジャック”の腹へ追撃のかかと落としが降りかかる。しかし、“切り裂きジャック”が咄嗟に身体を転がして後退した事により、標的を失ったかかと落としは地面へ突き刺さった。

 その威力の強大さはヘコんだアスファルトの地面が物語っており、“切り裂きジャック”は当たらなくて良かった、と胸を撫で下ろした。

 

「おいおい、さっきまで調子良かったのはどうした? もっと遠慮なく来いよ。お前も吸血鬼なんだからちょっとドツイただけで死にゃしねぇだろ」

 

 調子を確かめるように軽く飛び跳ねて身体をほぐす内なる吸血鬼は、つまらなそうに挑発した。対して、“切り裂きジャック”は今まで打って変わって獰猛な獣のような戦い方に困惑の声を上げる。

 

「驚いたよ……。別人だというのは本当なんだね……。しかも、切れた皮がすぐに塞がっている」

 

 切っても切っても傷一つない綺麗な皮膚へ修復されていく様子に、素直に感嘆の声を漏らす“切り裂きジャック”。すると、内なる吸血鬼は肩を落として返事をした。

 

「あぁ、そうさ。なんせ、明嗣(コイツ)()()()()()()()()()()()()事にすら気付いてねぇ。だから俺がそれを教えようとしてんのに聞きやしないから困ったもんだ、まったく」

「今みたいに君が主導権を握る事でかい?」

「そういう事。だからよぉ……」

 

 跳ねるのを止めた内なる吸血鬼は、力を溜めるように腰を落とした。そして、“切り裂きジャック”の首を狙うように右手で拳を握り、狙いを定め、弓を引くように引き絞る。

 

「デモンストレーションに付き合ってもらうぜ!」

 

 (つが)えた矢が発射されるように内なる吸血鬼は地を蹴り、“切り裂きジャック”へ突撃した。そして、射程内に入ると内なる吸血鬼は右ストレートにひねりを加えたコークスクリューパンチを繰り出す。

 対して、“切り裂きジャック”は腕を交差させてコークスクリューパンチを受け止めた。その後、ナイフを逆手に持ち替えつつ、柄の部分を力いっぱい握り込んで内なる吸血鬼の顔面を殴りつける。

 グシャリと鼻の骨が折れる音が響いた。一瞬だけ血が吹き出すが、すぐにそれも止まり、修復されていく。だが、そんな事は関係ないとばかりに“切り裂きジャック”は口元を歪ませた。殴られたことにより、内なる吸血鬼は怯んで一瞬だけ硬直した。その隙に“切り裂きジャック”は内なる吸血鬼へ飛びついた。

 

「うぉッ!?」

 

 驚きの声と共に内なる吸血鬼は“切り裂きジャック”に押し倒される。内なる吸血鬼はとっさに受け身をとってダメージを流したが、馬乗りしてきた“切り裂きジャック”にマウントポジションを取られてしまった。そして、ナイフを両手で握ると内なる吸血鬼の首元へ振り下ろす。

 

「どうだい? 遠慮なくこいって言ったから言うとおりにしてみたけど」

「ああ。いいねぇ。やりゃできんじゃねぇか」

 

 ナイフの刃を掴んで止めた内なる吸血鬼の顔に手のひらから血が流れ落ち、身体に快楽の電流が走りぬける。

 

「目覚めてからずっと疑問だったんだけど、このナイフで切りつけられた人達って皆そんな風に興奮するんだよね。どうしてかな?」

「知るかよ。自分(テメェ)の事は自分(テメェ)で調べろ」

「そう言えば、君は僕のことを同じ吸血鬼だって言ったよね? もしかしたらそれが関係してたりしてね」

 

 などと、朗らかに笑いかけながら“切り裂きジャック”は体重をかけてナイフを押し込んでいく。内なる吸血鬼も力を入れて押し返そうと努力するが、やはり吸血鬼相手に半吸血鬼では膂力が弱く、力負けしてしまう。抵抗も虚しく、刃先が喉元に触れる5mm前まで迫ったその時。突如、自動拳銃より大きな銃声が鳴り響いた。

 

「おい! さっさとそこをどかないと次は当てるぞ!」

 

 コッ、と地面に何かが落ちる音がした。音のした方へ目を向けるとショットガンを構える黒いジャケットを羽織った白髪混じりの中年オヤジ、アルバートが睨み付けている。足元にはショットガンに使用する弾丸、ショットシェルの薬莢が転がっている。先程の銃声はアルバートの持っているショットガンから放たれた物だったのだ。

 

「明嗣! 生きてるか!?」

「生きてるよー」

 

 とりあえず内なる吸血鬼は返事をして生存を報告した。一方、“切り裂きジャック”は不快感を隠すことなく舌打ちをした。

 

「今日はよく邪魔が入るなぁ……! そんなに死にたいのか?」

 

 “切り裂きジャック”は押さえ込んで動きを封じた内なる吸血鬼から視線を外し、殺気立った視線をアルバートへ向ける。

 

「今、腹が空いて仕方ないんだ。おじさん、あんまり美味しくなさそうだけど腹の足しにはなりそうだね」

「やめとけ。腹に入れるモンは慎重に選んだ方がいいぞ。例えば、今お前が組み伏せている奴なんかは考え直した方が良い奴の筆頭だな。なんせ、そいつは半分だけ吸血鬼のゲテモノだからな」

 

 冗談を飛ばしつつアルバートはショットガンから、腰のガンベルトに差した回転式拳銃(リボルバー)、ルガー スーパー・レッドホークに持ち替え、早撃ち(クイックドロウ)した。込めた弾丸は|自動拳銃に用いる9mmパラベラム弾より強力な純銀製弾頭の.44マグナム弾だ。しかし、不意を突いた早撃ちでも“切り裂きジャック”には届かない。放たれた銀の銃弾は風の刃により真っ二つに切られ、撃墜された。

 

「こりゃ、驚いたな……。お前さん、真祖(アルファ)なのか」

 

 たった今起きた事象について、アルバートは驚きの声を上げた。すると、聞き慣れない単語を耳にした“切り裂きジャック”は怪訝な表情を浮かべる。

 

真祖(アルファ)……? なんだいそれは? 僕、吸血鬼だって教えてもらった事以外、自分がどんな状態なのかも分からないんだ」

「さっきみたいに手を使わずに弾丸撃ち落としたりだとか、妙な手品を使える奴の事をそう呼ぶんだよ」

「へぇ、そうなんだ。勉強になるなぁ……」

「おい、俺を置いて話を進めてんじゃあ……ねぇッ!!」

 

 喉元にナイフを突きつけられている内なる吸血鬼は、覆いかぶさっている“切り裂きジャック”の脇腹へ膝蹴りをした。横からの衝撃で力の向きが変えられた事により、ナイフはアスファルトに突き立てられる。その隙に内なる吸血鬼は“切り裂きジャック”の拘束より脱出した。

 

「明嗣、いったん退くぞ!」

「なんでだよ! 俺はまだやれるぜ、()()()()!」

「今の手持ちじゃ俺が死ぬんだよ! 良いから黙って言う事聞け!」

 

 呼びかけながらアルバートは懐からジッポオイルの缶を取り出し、上空へ放り投げた。その後、ルガー スーパー・レッドホークで撃ち抜く事で中身を周囲に撒き散らす。その後、アルバートは懐から取り出したジッポライターに火を点けた。

 対して、“切り裂きジャック”は逃さないと言いたげに周囲に風をまとわせる。

 

「おとなしく逃がすと思っているのかい!」

「コイツで丸焼き(ロースト)されちまいな!」

 

 捨てゼリフを吐きながらアルバートは点火済みのジッポライターを投げつけた。すると、撒き散らしたジッポオイルの助けも借りて、燃え広がる炎が結界となった。

 

「クソっ! こんな物!」

 

 鬱陶しいと言わんばかりに“切り裂きジャック”は風で炎の結界を吹き飛ばした。そのままアルバートと内なる吸血鬼を追いかけようとしたが、炎が消えた時には既に、二人の姿は消えていた。

 

「逃したか……」

 

 空腹の苛立ちも相まって“切り裂きジャック”は恨めし気に舌打ちをしてその場を去っていった。

 

 

 

 一方、無事に撤退することに成功したアルバートと内なる吸血鬼は……。

 

「なんとか逃げ切れたか……」

 

 肩で上下させ、アルバートは安全を確認できた事でほっと息を吐いた。対して、内なる吸血鬼は不満を漏らした。

 

「チッ……いいトコで水差してくれたよな」

「そりゃそうだろ。弾丸通らない相手なんて出直すしかねぇ。そんな事より――」

 

 呼吸を落ち着かせたアルバートは、ガンベルトからルガー スーパー・レッドホークを抜き、自分の隣にいる少年のこめかみへ突きつけた。すると、突きつけられた方は、手を上げてその意図を尋ねた。

 

「おいおい、なんでこんな事すんだよ? もしかしておかしくなっちまったか?」

「とぼけるなよ。さっきお前が俺を()()()()と呼んだのを気づかねぇとでも思ったか?」

「それがどうしたんだよ。オッサンなのは事実だろ?」

 

 少年は口の端を吊り上げて口を返す。すると、アルバートも同じように口の端を吊り上げた。

 

「いい事教えてやるよ。俺が知ってる明嗣(おまえ)はな、俺のことを呼ぶ時はどんな時でもマスターって呼ぶんだよ。オッサンと呼ぶ度に拳骨食らわせてきたからな」

「ワァオ、児童虐待だな……」

 

 アルバートに確固たる証拠を突きつけられた事で、明嗣のフリをやめた内なる吸血鬼は苦笑いを浮かべて感想を口にした。すると、アルバートはスーパー・レッドホークの撃鉄を起こして話を続けた。

 

「俺は古い人間なんでな。口で叱るよか鉄拳制裁の方が(しょう)に合ってるんだよ。その代わり、ニュースに出るようなバカみてぇに無闇やたらとぶん殴って教育だと言い張るような事はしてねぇ。そんなことより……誰だお前」

 

 アルバートは低く重い声で尋ねながら、銃口で内なる吸血鬼のこめかみを小突いた。すると、内なる吸血鬼は残念そうに肩を落とした。

 

「あーあ……バレちまったか……。このまま血をすすりまくって吸血鬼として生きるしかないようにしてやろうと思ってたのによ」

「だから誰だお前。答えねぇとこのまま弾くぞ」

「今答えてやるからせっつくなよ。俺は明嗣(コイツ)の中にいる吸血鬼。さっきの野郎に追い詰められていたからちょっと手を差し伸べてやったのさ」

「ほー、親切なこったな。話は聞いてる。助けてやった言う割にはずいぶん悪どい事を考えていたようだが」

「まぁ、それは親切料ってやつさ。ご褒美ってのは何事にも必要だろ?」

 

 ククッっと笑いつつ、内なる吸血鬼は横目でアルバートの様子を伺った。銃口は頭に向けられている。そして、すでに引き金にはすでに指が掛かっている。少しでも妙な動きをしたら即座に風穴を開けられることだろう。

 そして、何よりも重要なのは、先程の戦闘でダメージを受けすぎている事だった。

 吸血鬼の身体にはその場ですぐに塞ぐことができる程の再生力が備わっているが、能力の発揮には大量の血を必要とする。そして、半吸血鬼は吸血鬼であると同時に人間なのだ。散々切り刻まれて傷を塞いだ分、血を消費しているために現在、明嗣の身体は貧血でグロッキー状態。当然、明嗣の身体を間借りしている内なる吸血鬼もその影響を受けており、頭の中がクラクラとしていた。

 

 さぁて……今の状態でこのオッサンを相手にできるかな……。

 

 内なる吸血鬼はこめかみに銃口が向けられている状態でどうするか思案し始めた。たぶん、この男は知っている奴が相手でも遠慮なく引き金を引く事ができる覚悟がある。そう思わせるだけの凄みがアルバートから滲み出ていた。

 とりあえず、何をするにもまず、この銃口をどかさなければ話にならない。内なる吸血鬼は銃身を(はた)いて向きを逸らそうとタイミングをはかる。やがてお互いの緊張感が最高潮に達した瞬間だった。突如、内なる吸血鬼が膝から崩れ落ちる。

 

 ここでタイムオーバーか……。根性なしめ……!

 

 心のなかで毒づいた後、内なる吸血鬼も意識を失い、その場で倒れ込んでしまった。銃を向けられているのにも関わらず、すぅすぅと寝息を立てて眠る明嗣。その寝顔で一応危険が去った事を確認したアルバートは疲れたように息を()いた。

 

「はぁ……ヒヤヒヤさせてくれるよお前……」

 

 スーパー・レッドホークの撃鉄を戻し、銃を納めたアルバートは明嗣の身体を背負ったまま、Hunter's rastplaatsへ戻っていった。

 

 

 

 翌日の朝。目を覚ました明嗣は周囲を見回した。照明機材に照らされた標的(ターゲット)、グツグツと鍋の中で煮えたぎる融けた銀、そして工具が散乱している作業台。どうやら、明嗣が現在いる場所はHunter's rastplaatsの地下工房のようだ。

 

 あれ……俺……。

 

 意識がおぼつかないなりに明嗣は昨夜の記憶を振り返った。

 たしか昨夜はズタボロの女が店に飛び込んできて、それから……。

 

 そうだ“切り裂きジャック”!

 

 明嗣は慌てて立ち上がろうと全身に力を入れる。だが、なぜか視線の位置が高くなる事はなかった。

 

 はぁ?

 

 なぜ、目線が高くならないのかと明嗣は自分の身体を確認しようと、視線を下ろす。すると、その目に映っていたのはロープで椅子に縛り付けられている自分の胴体だった。



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第23話 真実を推し量る乙女

 地下工房で目を覚ました明嗣は、自分が置かれている状況に混乱していた。なぜなら、椅子の背もたれと一緒に身体にロープがグルグル巻きにされている今の状態は、どこからどう見ても拘束されているようにしか見えないのだから。しかも、ご丁寧に手が後ろに回されており、両手の親指を結束バンドで縛る徹底ぶりである。

 

 おいおい……どうなってんだこれ……!? なんで俺は椅子に縛り付けられてんだ!?

 

 何とか抜け出せないかと、明嗣はとりあえず身体を動かしてみた。しかし、ガタガタと椅子の脚が床を叩く音が鳴るだけでいっこうに解ける気配はない。やがて、前後に揺れて床を叩いていた椅子は大きな音を立てて倒れると共に、縛られている明嗣も床に倒れた。

 

「あでっ」

「あ、目を覚ましてた」

 

 規則的な階段を降りる足音と共に、鈴音が工房へやってきた。工房へやってきた彼女の服装は、学校の制服であるブレザーとプリーツスカートではなく、私服のブラウンのパーカーにデニム生地のショートパンツといった格好だったので、少なくとも学校終わりではない事が伺える。

 縄で椅子に縛り付けられた状態で身動きが取れない明嗣は鈴音に呼びかけた。

 

「おー、鈴音。良いところに来たな。ちょっと起こしてくんねぇか。ついでに、この縄もほどいてくれると助かる」

「……やだ」

「はぁ!?」

 

 パーカーのポケットからイチゴ味のロリポップキャンディーを取り出した鈴音は、警戒するように明嗣を睨みつける。対して、こんな仕打ちを受ける心当たりがない明嗣は抗議の声を上げた。

 

「なんでだよ! そもそも、なんで俺がこんな事なってんだよ!?」

「だって、マスターが触るなって言ったんだもん。起きたら襲ってくるかもしれないって」

「はぁ!? なんでそんな事になんだよ!?」

「それは、一昨日の夜に明嗣が暴走したってマスターが言ってたから」

 

 キャンディーを咥えた鈴音は、明嗣の正面に椅子を持ってきた。そのまま、椅子へ腰を下ろした鈴音は脚を組み、その上に頬杖をついて話を続ける。

 

「それで明嗣が眠っている内にこんな風にしたって訳。アタシも死ぬのは嫌だからね〜。悪く思わないでよ」

「嘘つけ。絶対なんか他に理由あんだろ」

 

 明嗣は(うたぐ)るような白い視線を鈴音へぶつけた。すると、鈴音は咥えていたキャンディーを手に取ると、舌を出して笑って見せた。

 

「まぁ、普段の憎まれ口のお返しできるチャンスでもあるし」

 

 この答えで明嗣は悟った。鈴音はおそらく襲ってこない事を確信している。倒れた椅子に縛り付けられた明嗣は鈴音に噛み付くように怒りの声を上げた。

 

「やっぱそれが目的か! さっさと解いて俺にも飴よこせやぁ!」

「ん〜、どうしよっかな〜? 話してみた感じ、解いたら噛みつかれそうなそうな気がするから怖〜い」

 

 鈴音はいい気味だと言わんばかりの楽しげな笑みを浮かべた。対して、明嗣は狼が出すような唸り声をあげて鈴音を威嚇する。左目に宿る吸血鬼の魔眼で命令しようかという考えが頭に浮かぶが、明嗣は即座に却下した。なぜなら、鈴音も吸血鬼を狩る者。当然、魔眼対策をしている事は言うまでもないことなのだから。嗜虐的な笑みと恨めし気な視線がぶつかり合う時間が過ぎていく。やがて、トントンと規則的な音と共にもうひとり階段を降りてくる足音が聞こえてきた。

 

「元気そうだな。その様子だとダメージはねぇみてぇだ」

「あぁ?」

 

 最後の一段を降りて工房へやってきたのは、この工房の主であるアルバートだった。エプロンを着けておらず、ワイシャツにくたびれたスラックスだけといった出で立ちから、どうやら店は準備中である事が見て取れる。当然の事ながら、明嗣は自分をこのような状態にしたアルバートへ抗議した。

 

「マスター! 鈴音から話は聞いたけどな、何もここまでする事はねぇだろ! これ解いてくれよ!」

「だめだ」

「はぁ!?」

「まだ、お前が俺たちの知っている明嗣だと決まったわけじゃねぇ。こうして解かせてから、油断した所を襲うように企んでるかもしれねぇからな。解けと言われて簡単に、はいそうですか、と解く訳にはいかねぇんだよ」

 

 アルバートの返事に明嗣は返す言葉が出てこず、奥歯を噛んだ。おそらく、明嗣もアルバートの立場なら同じように答えるだろう。いくら戦う技術があるとしても、それだけ吸血鬼は恐ろしい物だし、常人より膂力がある明嗣も同じように脅威なのだ。なぜなら、明嗣は半分吸血鬼なのだから。となれば、どうにかしてアルバートと鈴音に自分が無害である事を証明するしかこの状況が変わる事はない。

 

「よし、分かった。どうやったら俺が安全だと信じてくれるんだ?」

「それはコイツが決める。鈴音ちゃん、コイツを起こしてやってくれ」

「はーい」

 

 アルバートの指示に従い、鈴音は倒れた椅子と一緒に明嗣を起こした。一方、アルバートは工房の隅に設置されたクローゼットの中から、大きな鉄塊を持ってきた。明嗣の目の前に置かれたその鉄塊はひとりでに動き出し、真っ二つに割れると縛り付けられて動けない明嗣を囲うように周回を始めた。

 

 出やがったな、ヘルシングアートNo.28 真実を推し量る乙女(ジャッジメント・メイデン)……!!

 

 明嗣は己の周囲を回る鉄塊を前に頬に冷や汗が伝うのを感じた。

 ヘルシングアートとはエイブラハム・ヴァン・ヘルシングの子孫、アルバート・ヘルシングが世界を巡って手に入れた曰く付きの品の中でアルバートが武具への加工を手掛けた魔具の総称である。28作目である真実を推し量る乙女(ジャッジメント・メイデン)は若い処女の血を浴びることで肌が若返ったと錯覚した事から血を求め、吸血鬼化したと言うおとぎ話に名を残すエリザベート・バートリーが使用したとされている拷問器具、鉄の処女(アイアン・メイデン)を魔具へ加工した物である。

 その機能を端的に説明すると嘘発見器だ。しかし、嘘を吐いた罰は電撃を浴びるなどの生易しいものではなく、挟まれる事で全身に穴が開けられる事に加えて、(はさみ)の要領で首を刎ねる処刑器具である。

 つまり、今の明嗣は虚偽の回答をした瞬間に死ぬ状況に置かれてしまったのだ。

 

 やましい事はねぇけど、こんな風に嘘ついたら死ぬ状況ってのはゾッとするぜ……。

 

 自分が置かれた状況に寒気が走る明嗣をよそにアルバートは静かに口を開いた。

 

「じゃあ、聞かせてもらうぞ。お前は俺たちに危害を加えるつもりなのか?」

「そんなつもりは微塵もねぇよ。だから早くこれ解いてくれ」

 

 明嗣が回答を口にした瞬間、周回していた鉄塊はピタリと動きを止めた。全身に穴をあけるための棘と首を刎ねるためのギロチンのような刃が明嗣の身体を狙う。そのまま、回答を審査するかのように無言の時間が流れ、緊迫した空気が場を支配する。やがて、回答が嘘がないことを感じ取ったのか、宙を浮いていた鉄塊はドスンと音を立ててその場に落下した。

 

「どうやら嘘じゃねぇみてぇだな。疑って悪かったな」

「はぁ……だから言っただろ」

 

 疑いが晴れた事で明嗣はどっと疲れたように大きく息を吐いた。そして、ナイフで縄を切ってもらい、結束バンドを外してもらった明嗣は凝り固まった身体をほぐすように伸びをした。

 

「あー、身体がバキバキで腹ペコだ。一日中寝てたって?」

「一日と18時間くらいだな。まさか血が吸いてぇなんて言い出さないよな?」

「普通に食い物を食いたいんだよ。仕込んだ分全部食い散らかすぞ」

「営業妨害だからやめろ!」

 

 真実を推し量る乙女をしまいつつ、アルバートは本気のトーンで脅迫する明嗣を止めた。その二人のやり取りを眺めていた鈴音は安心したように胸を撫で下ろした。

 

「良かったぁ……。見てるこっちも緊張したよ」

「ったく……よくも俺で遊んでくれたな、このっ」

「あっ! ツゥ〜……」

 

 からかわれたお返しに明嗣からデコピンを一発お見舞いされた鈴音は、額を押さえてその痛みに悶えた。仕返しで少し気が晴れた明嗣は、デコピンに抗議する鈴音をあしらいながら、一日ぶりに触るホワイトディスペルとブラックゴスペルの整備を始めた。

 ただし、明嗣の脳内には鮮血の中で微笑む“切り裂きジャック”の邪悪な微笑みが浮かび、耳元には空気が渦巻く暴力的な風切り音が鳴り響いている。

 そして、現在の明嗣は“切り裂きジャック”が操る風の異能に対抗する手段を持ち合わせていなかった。



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EPISODE1-4 Ignition my heart
第24話 真祖の謎


 ひとまず、明嗣に危険はないと証明された日の翌朝。澪に()()の現場を目撃された木曜日の夜から五日経った水曜日の朝だ。さすがにこの日まで警察から何もないのなら、通常の生活に戻っても大丈夫だろうという事で一旦、家に戻った明嗣は久しぶりに交魔第一高等学校の制服の袖に腕を通した。アーカードの愛馬(バイク)を手懐ける事ができる気配もないので気分転換できる上に、そろそろ学校へ顔を出さないとまずいと思っていたので、ちょうど良いタイミングだ。

 五日ぶりに着たワイシャツの感触は少し落ち着かない物だった。その上に羽織る上着も少し重く感じる。だが、その内にまた慣れるだろう、と明嗣は気にせずスクールバッグを肩に担いで家を出て、Hunter's rustplaatsへ向かった。

 Hunter's rustplaatsに着いた時、最初に目にしたのはアルバートが本日のモーニングメニューと本日のオススメランチの予告が書かれたブラックボードを店先に設置している現場だった。明嗣は口笛を吹きながらチョークを走らせているアルバートの背中へ呼びかけた。

 

「おはようマスター。ご機嫌だな」

「おう、おはようさん。今日は久しぶりにぐっすり眠れたからな。寝覚めが良けりゃ、気分も良いってモンさ。うるせえイビキもなかったしな」

「悪かったな」

 

 暗に、お前がいる間はよく眠れなかった、とこぼすアルバートに明嗣は面白くないと言いたげに鼻を鳴らした。その反応に気を良くしたアルバートは再びチョークを走らせる作業に戻った。

 店の中に入った明嗣は適当なカウンター席に腰を下ろすと、スマートフォンを取り出して本日のネットニュースを漁り始めた。全国のページは相も変わらず、どこかの政治家が裏金を受け取っていた、だとか、どこかの芸能人に恋人ができた、だとか、どこか見たような物ばかりだった。しかし、ローカルニュースのページへ移動すると、やはりと言うべきか、交魔市でここ数日の内に失踪者がバラバラにされ、干からびた状態で見つかる事件が増えてきているというニュースがトップの話題だった。

 ニュースのコメントを覗いてみると、「やっぱりあそこには本当に吸血鬼がいるんだ」、「犯人を捕まえられない警察が無能なだけ」、などなど憶測や警察を非難するコメントが多数寄せられていた。

 しまいには、「政府が作り出した突然変異種(ミュータント)が逃げ出して暴れている」などの陰謀論を唱えるコメントまで散見される。

 

 なんだそりゃ……。

 

 コメント欄を眺めているのがバカバカしくなった明嗣は、呆れたようにため息を吐いた。もっと有意義な時間を過ごすべく、サイトを閉じて他のサイトへ移動した。

 

 そういや、今日は深夜ドラマの配信日だっけな。それ見るか……。

 

 ニュースサイトと五十歩百歩ではないか、と思う者もいるだろうが、それでも不安を煽って遊びたいだけの物を見ているよりかは、はるかに良い。

 明嗣はスマートフォンの電波状態を確認した。通信の状態は、この店のフリーの方ではなく、プライベートなWiFiの通信回線にしっかり繋がっている。これなら、動画を視聴してすぐに通信速度が制限されるなんて事は起きないはずだ。

 

 えーっと、チャンネルは……っと。

 

 インテリア雑貨を卸している中年紳士が一人で食事を楽しむ様を楽しむドラマの配信を求めて、明嗣は画面のアイコンをタッチし、番組配信専門のアプリを立ち上げる。アニメやバラエティなど、ジャンル分けされた番組ページの中からドラマの項目をタッチして、さらに画面をスクロールさせる。しかし……。

 

 あれ? 更新されてねぇな……。

 

 先週視聴した話で止まっている状態に、明嗣は困惑の表情を浮かべた。番組の詳細を確認すると、今週は放送休止で配信がないと告知が出ていた。

 ならば仕方ない、と諦めた明嗣はアプリを閉じてスマートフォンをカウンターに置いた。そして、ぼーっと天井を見上げ、朝の穏やかな店内BGMに耳を傾ける。

 こうしていると、夜は銃を握って街を駆け回っているのが嘘みたいだ、と感じられる程に穏やかな時間が流れていく。実際、ほとんどの人間は夜に何が起こっているか、など知る由もない。だが、ニュースサイトでバラバラの遺体が見つかるニュースが上位の話題に食い込んで来ているのを見るに、そろそろ危ないかもしれない。どう考えても、あれは先日撤退を余儀無くされた“切り裂きジャック”が暴れている証拠だろう。と、なれば。何かが起きていると本気で考え出す者が出るのも時間の問題だ。

 中世の魔女裁判や江戸時代の日本で行われたキリスト教迫害から分かる通り、人間は自分が正義の側に立っていると思ったら、とことん非情になれる残酷な生物だ。吸血鬼の存在が世の中に知れ渡ったら、疑心暗鬼によるパニックが起きるのは想像に難くない。そうなる前に早く、“切り裂きジャック”をどうにかしなければならないのだが、今の明嗣には飛翔する弾丸を真っ二つにする奴を相手にする手立てがなかった。

 

 クソッ……。撃った銃弾を真っ二つにするとか言うデタラメはフィクションの中にスっこんでなきゃダメだろ……!!

 

 口には出さないがどうにもできないもどかしさに、明嗣は思わず愚痴をこぼす。そんな明嗣の頭の中に久しぶりに語りかけてくる声が響いた。

 

 お困りのようだな? 素直に身体を渡せば、俺がなんとかしてやるぜ?

 

 やはり、こっちにも“切り裂きジャック”にやられたダメージあったので大人しくしていたのか、実に三日ぶりに聞く内なる吸血鬼の声だった。自分の中で響くもう一人の自分の声に明嗣は突き放したように返事をする。

 

 おー、この間はずいぶん世話になったみてぇだな。だがな、その後の事でよーく分かった。お前には絶対に任せねぇ。また疑われて縛り付けられるのなんてごめんだからな。二度とそんな事できねぇようにしてやるから首洗って待ってろよ。

 できるのかねぇ……。銃が使えなきゃ何も上手くいかない甘ちゃんに。

 絶対(ぜってぇ)ボコす……!

 

 明嗣が苛立たしげに捨てゼリフを吐いたタイミングでドアベルが鳴った。確認するとブラックボードの準備を終えたアルバートが、チョークが入った缶を抱えて入ってきた音だった。

 

「待たせたな。今、朝メシ作ってやるよ」

「いや、その前に聞かせて欲しい事がある。“切り裂きジャック”についてだ」

「ああ……その事か。まぁ、気にするなって言う方が無理だわな」

「あれはいったいなんなんだ? 今まであんな奴に会った事がねえよ」

「そりゃそうだ。出てくるはずがないんだからな」

「はぁ?」

 

 明嗣は思わず間の抜けた声を上げた。会わせないようにしてた? まさか海外に行ってた間も? そんな疑問が明嗣の頭の中に浮かぶ。すると、顔に出ていたのかアルバートは苦笑を浮かべて話を続けた。

 

「いやぁ、その、なんだ。ああいうタイプは本来出てくるはずがない吸血鬼なんだよ。まず順を追って説明するからよく聞け」

 

 そう言うと、アルバートは事情の説明を始めた。

 

 まず、吸血鬼になる方法は二つある。一つ目は噛まれて牙から吸血鬼の血液を取り込まさせる事。二つ目は自らの意思で吸血鬼の血液を取り込む事。

 この二つの違いは、自らの意思で行うか否かだが、それだけでも儀式を行う過程では大きく違って来る。自らの意思で取り込ませるのは配下を増やす物であり、牙を介して血を分け与える事は捕虜を増やすような物なのだ。故に、自らの意思で吸血鬼の血液を取り込んだ者は自我を保ったまま吸血鬼になるが、牙を介して血を与えられた者は自我を失い、さながら幽鬼のような足取りで夜を彷徨う屍人(ゾンビ)と化す。これが今まで明嗣と鈴音が相手にしてきた吸血鬼である。

 しかし、実は吸血鬼になる方法はもう一つあるのだ。それは……。

 

「悪魔と契約?」

 

 明嗣は出てきた単語を復唱した。一方、アルバートは神妙な面持ちで頷き、話を続ける。

 

「ああ。悪魔を呼び出して、その代価として魂を持って行かれて吸血鬼になったって奴がいるんだが、そういう吸血鬼の事を真祖(アルファ)って呼ぶんだよ」

「まさか……この間話してくれた事って……」

「ああ。嘘も誇張も何もない、お前の親父の体験談(ノンフィクション)なんだよ」

「マジか……」

 

 今明かされた衝撃の真実に明嗣は思わず驚愕の表情となった。それもそうだ。ただのおとぎ話だと思っていた物が現実で起こっていた事だなんて、驚くなと言う方が無理な話だ。

 衝撃を受けて固まる明嗣に構わず、アルバートは驚くのはまだ早いとばかりに説明を続ける。

 

「で、そのパターンで生まれた吸血鬼には揃いも揃って、お前が使っている左眼の能力の他に、何らかの異能が備わっているモンでな。おそらく“切り裂きジャック”が銃弾を真っ二つに切ったのも、その異能を使っての物だと思うんだが……」

「だが?」

 

 アルバートの歯切れの悪い物言いに明嗣は、疑問の表情を浮かべた。アルバートの考え込むような表情から読み取るに、“切り裂きジャック”が真祖になっていた事に関して、腑に落ちない点があるのだろう。

 続きを待っていると、アルバートは顎に手をやり、やはり納得いかないと言った表情で続きを口にした。

 

「ここ200年、英国で悪魔が喚び出されたなんて記録がないんだよな……」

「おい、どういう事だよそれ。現に“切り裂きジャック”は俺をかまいたちみてぇに風を吹かせて切り刻んだんだぜ?」

「だから本来出てくるはずがねぇって言ったんだよ。どういう事だってこっちが聞きてぇくらいだ。お前こそなんか知らないのかよ」

「そう言われてもなぁ……。俺が聞いたのはアイツの身の上話だけ……ん? 待てよ?」

「どうした?」

 

 あの時のやり取りを振り返りつつ、何も知らないと言いかけた明嗣はふと、ある事を思い出した。

 たしか、“切り裂きジャック”は消える直前に……。

 

「アイツ、たしか五人目の娼婦を殺した時、トチって警官に蜂の巣にされたって言ってたんだ。で、その時に妙に身なりが良い奴から何かもらったって言ってたような……」

「何かってなんだよ?」

「知らねぇよ……。そこまではいちいち覚えてねぇんだよ……」

「なんだよ、気ぃ持たせやがって」

「悪かったな。なんせその時は腹から血がドバドバ出ていたモンでね」

「はぁ……。まぁ、覚えてねぇモンは仕方ねぇな。これでこの話は終いにして朝飯にするか」

 

 肩を落としたアルバートは厨房へと入って、朝食の準備に取り掛かった。

 一方、朝食が来るのを待つ明嗣は先程の話を振り返り、ある可能性について考えていた。それは……。

 

 親父が真祖(アルファ)って事は、息子の俺にも何かアイツみたいな異能(ちから)があるって事なのか……? でも、今までそんな兆候は何もなかったぞ……?

 

 今まで、服従させる能力と怪力のみが吸血鬼の特徴だと思っていた明嗣は腕を組んで考え込む。しかし、いくら考えてもその答えは出てこず、ひとまず出来上がった朝食のフレンチトーストを食べる事にした。ブルーベリーソースの風味と卵液によって柔らかくなったフランスパンの食感を楽しみつつ、あっという間にフレンチトーストを平らげると、明嗣は食後のコーヒーを啜り始めた。半分まで飲み終えた頃に鈴音も、朝食を食べにHunter's rustplaatsにやって来た。

 

「おはよっ! あ、明嗣は今日から学校に復帰するの?」

「ああ。すげーダルいけどな」

 

 気だるげに返事をした明嗣は、スクールバッグを手に立ち上がった。その後、久しぶりの登校をするべく、Hunter's rustplaatsを後にした。



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第25話 少女の内緒話

 久しぶりに登校した学校は何一つ問題が起こる事なく放課後を迎える事ができた。休んでいた間の遅れは後で取り戻すとして、明嗣はひとまず授業から解放された自由に浸った。

 

 あー……やっと終わったー……。

 

 こんなに疲労が溜まる物だっただろうか、と明嗣は考えつつ、机に突っ伏して脱力した。しばらくはこの状態から動きたくないな、と固まっていると、次第に眠気がこっちにおいでと誘惑してくる。ちょうど腕を枕にしているので抗う術もなく、明嗣は睡眠という名の海の底へどんどん沈んでいった。すぅすぅと穏やかに寝息を立てるようになるまでにかかった時間はわずか五秒だった。

 そんな明嗣の様子をひっそりと観察をする視線があった。その正体は、目の前で明嗣が吸血鬼の頭を吹き飛ばす現場に居合わせてしまった澪である。

 

 ど、どうしよう……。

 

 澪は声をかけるかどうか、迷うように視線を巡らせる。

 理由はもちろん、あの首無しの死体と銃声が頭に焼き付いて離れないから。そして、原因の主である躊躇いなく引き金を引いた明嗣が怖いからだ。

 警察に相談しようにもその後の報復が怖いし、そもそもの話、死体がなぜか灰に変わって証拠はもう残っていないから取り合ってくれる訳がない。だから、澪は誰にも相談する事ができず、一人で抱え込む事しかできないのだ。

 

 でも、明嗣くんは説明するって言ってたよね……。

 

 パニックを起こして逃げ出したけれど、あの夜を振り返ると明嗣はそんな事を言ってた気がする。澪の頭の中に、勇気を出して聞きに行ってみようか、という考えが浮かんだ。だが逃げ出した手前、どう声をかけて良いのか分からず、澪はすぐさま首を振ってその考えを却下した。

 

 無理……! 怖いし、どんな顔して明嗣くんと話せば良いの!?

 

 だが同時に、このままで良いはずもない、という思いも澪の中にあった。

 

 もうどうしたら良いの!?

 

 色々な感情がごちゃ混ぜになって気持ち悪い。教室の前で立ち尽くして頭を悩ませる澪。すると、そんな彼女に声をかける者が現れた。

 

「何してるの?」

「わひゃあ!?」

 

 予想外の声かけに驚いた澪は、思わず叫びを上げて飛び上がってしまった。いったい何者か、と澪は背後を振り返り確認すると、そこにいたのは……。

 

「わひゃあって。そんなにびっくりしたの?」

「も、持月さん……?」

 

 くすくすと笑う鈴音を前に、澪は思わず気が抜けた声を出した。スクールバッグを肩に掛けている所を見るに、彼女はこれから帰る所のようだ。一方、鈴音は澪の反応に少し不満を感じるように口を尖らせる。

 

「鈴音で良いよ。苗字で呼ばれるの嫌なんだよね。同じクラスなんだしさ、お互い名前で呼んじゃおっ、澪!」

「え、う、うん……」

 

 あまりににこやかに笑う物だから澪は戸惑いつつ、鈴音の言葉に頷いた。澪の同意が得られた所で、鈴音は話を元に戻した。

 

「それで、澪は何してるの? ここ、明嗣がいる教室だよね?」

「そ、それは……」

 

 澪は口ごもりつつ、鈴音から視線を逸らした。すると、鈴音は教室で眠る明嗣と目の前で迷うように視線を泳がせる澪を交互に見て、何かを察したように手を叩いた。ちなみに、鈴音は二人の間で起きた一件を把握しているが、あえて知らない(てい)で澪と話している。鈴音の口から説明しても良いが、これは明嗣が蒔いた種。事の決着は明嗣が着けなければならないのだ。

 

「はは〜ん。さては明嗣とケンカしちゃったんでしょ? アイツ、意地悪な事言うし、怒リたくなる気持ち分かるな〜」

「え!? そんな事ないよ!? ただ、その……」

 

 全力で鈴音の言葉を否定する澪だが、その後は言いづらそうな表情と共に視線が下がっていく。そのまま表情が沈んでいく澪に鈴音は優しく声をかける。

 

「ちょっと場所を変えよっか。ここじゃ、ちょっと言いづらい事みたいだし。アタシ、良い場所知ってるからそこ行こう?」

「え、ちょっと鈴音ちゃん!?」

 

 有無を言わせぬ勢いで鈴音は澪の手を取り、引っ張り始めた。

 

 

 

 鈴音に引きずられて澪がやってきたのは、明嗣がいつも昼食を摂る時に来ている空き教室だった。ここはあまり人が通らないので、内緒話をするにはもってこいの場所だった。だが、連れてきた張本人の鈴音は特に何か言うでもなく、ロリポップキャンディーを舐め始める。

 

「あの……鈴音ちゃん?」

「ん、何? あ、澪も飴欲しい?」

「あ、大丈夫……じゃなくて、どうしてここに来たの?」

「え? だって、あそこじゃ話づらい事があるんじゃ、と思ったんだけど……違うの?」

 

 と、言うより人に言いづらい事なんだけどなぁ……。

 

 鈴音の正体なんてつゆ知らず、澪はどうしようと言いたげな表情を浮かべた。当然だ。知り合いが、それも互いの共通の知人が人を殺す現場を目撃したなんて、言えるわけがなかった。鈴音は、ブレザーのポケットからロリポップキャンディーを三本取り出して、言葉を詰まらせて困っている澪に差し出す。

 

「まぁ、とりあえずさ! お近づきの印に飴でも舐めて一旦落ち着いて、それからゆっくりお話しようよ。どうしても嫌ならそれでおしまいにして、別の話題にするから。と言うわけではい、好きなの一つどうぞ!」

 

 どうやら拒否権は無いようだ。澪は差し出されたイチゴ、メロン、ミルク、以上3つのロリポップの中から、メロン味の物を選んだ。包みを開いて、舐めると炭酸の抜けたメロンソーダのような風味が澪の口の中に広がる。飴自体はどこにでもあるなんてことない物だけれど、誰かと一緒に舐めればなんとなくいつもより美味しく感じられた。無言で飴を舐める時間が一分ほど経過した所で、鈴音は思いついたように口を開いた。

 

「澪ってさ、新聞部なんだよね?」

「え? う、うん……。そうだけど……」

「どんな事するの?」

「あたしは写真担当だから学校新聞の記事に使う写真を撮ってるよ。写真撮るの好きだし」

「そうなんだ。どんな感じの写真を撮るの?」

「今は新入生紹介の記事を作ってて、その記事に使う写真を撮ってるよ。でも、一面に使う写真が決まらなくて……」

「え、そうなの? なんで?」

「それがどうにもインパクトに欠けてしまって……。ほら、明嗣くんがいるから……」

「あー……そっか……」

 

 澪が話した理由に鈴音は納得した様子で頷いた。真っ白な髪、黒と紅の瞳、こんなにも印象に残る特徴を持つ者は、なかなかお目にかかる事がないだろう。雑誌で言う所の表紙に当たる新聞の一面を飾るのに、明嗣はピッタリの人材だろう。だが、明嗣は目立つのが嫌という理由で澪の頼みを断っている。だから、他の人を立てようとしているのだが、どうしても明嗣のインパクトが強く、代役を決められないでいるのだ。

 

「明嗣くんが受けてくれたら、なんの問題もなく進んだんだけど……」

「アハハ、まぁ……明嗣はあんなだからねぇ……」

「という訳で、今は一面の表紙にする人を探していてね。誰か良い人がいないか探しているんだ。あ、鈴音ちゃんどうかな? ヘアアレンジとかできる範囲でオシャレに気を使ってるし」

 

 澪は鈴音のサイドテールに纏めた栗色の髪を指さした。本日の鈴音のヘアスタイルはヘアアイロンで髪を巻いているのか、毛先が丸まっている。さらに束ねた髪を留めるヘアゴムに重ねる形でシュシュを着けていた。対して、鈴音は澪の言葉に苦笑いを浮かべた。

 

「今の話の後だと複雑だなぁ……」

「あ、ごめんね! 別に明嗣くんに見劣りするけどとかそういうつもりはなくて……」

「気にしてないから大丈夫だよ。アタシが新聞のトップかぁ……。ちょっと面白そうかも」

「それじゃあ……」

 

 一瞬で表情が明るくなった澪に対し、鈴音は頷いて見せた。

 

「うん。良いよ。その話、アタシが引き受けるよ」

「良かったぁ……。正直、困ってたんだよね」

「じゃあ日程は後で決めるとして、そろそろ本題に入って良い?」

「本題って……」

「どうして困ってたのって事。そのためにここに連れてきたのに」

「うっ……」

 

 ストレートに切り込んでくる鈴音に、澪は思わずたじろいだ。その後に話して良い物だろうか、と澪は思案するように視線を泳がせる。やがて、三十秒ほど時間を置いた後、澪は意を決して口を開いた。

 

「もし……もしだよ? 鈴音ちゃんは、知ってる人が悪い事をしているのを見たらどうするの?」

 

 あくまで誰が何をしていたかをぼかした状態で澪は鈴音に打ち明けた。明嗣の教室の前で悩んでいたので誰かをぼかす意味は薄いが、これが今の澪にできる精一杯の譲歩だった。それを承知している上で、鈴音はにこやかな笑みを浮かべたまま、澪の質問に答える。

 

「アタシならまず……話を聞いてみるかな」

「どうして?」

「だって、アタシは知り合いになる人間をなるべく選んでるから。理由もなく悪い事をする奴はアタシの知り合いにいないはずだって信じてるよ。だから、悪い事するなら何か理由があるはずだって、アタシなら考えるかな」

「そう……なんだ……。羨ましいな……。あたしにはそんな自信……ない……」

 

 うつむくのをごまかすように、澪は作り笑いを浮かべた。すると、鈴音は心底不思議そうな物を見るような視線を澪へぶつける。

 

「え? そうなの? おっかしいな〜。アタシの勘がはずれちゃった」

「何が?」

「だって、アタシの事を尾行してきた時の澪は自信満々って感じだったからさ。きっと良い人に恵まれているんだろうな、って思ってたんだけど……違うの?」

「どうだろうね……。この間まではそうだと思ってたんだけど、そんな事ないんだって思い知らされたっていうか……。説明しようとしてくれたけど、聞くのが怖くて逃げ出しちゃっからどうすれば良いのか分かんないっていうか……」

「ふーん? それで()()()()のいる教室の前に立っていたんだ?」

「う、うん……」

 

 ここまで言ってしまったら、否定しても仕方ないので、澪は素直に鈴音の言葉に頷いた。対して、鈴音は舐め終わった飴の棒を備え付けのゴミ箱に放りこむと、澪の方へ向き直った。

 

「これ、アタシの勘なんだけどね。たぶん、()()()()は勇気を出してしっかり話そうとしたら、ちゃんと話を聞いてくれると思うよ? アタシも似たような事があってさ。ちゃんと話を聞いて欲しくて掴みかかった時があったんだよね」

「え、そうなの!?」

 

 予想外のエピソードが飛び出してきた事で澪は驚きの声を上げた。鈴音は澪の反応に苦笑しつつ、話を続けた。

 

「最初、ほんとに噛み合わなくてもう勝手にしたらって、アタシが怒ったんだよね。それでしばらく別々で行動してたんだけど、一人じゃどうにもできない事態になっちゃって。だから、アタシは協力しよって申し出たの。でも、前になんかあったのか知らないけど、アイツは一人でやるの一点張りで全然聞いてもらえなかったんだよね。だから、そっぽ向いて一人で話を聞こうとしないアイツの肩掴んでアタシと無理やり向き合わせたの」

「そ、それで……どうなったの?」

 

 澪はおそるおそると言った様子で鈴音に続きを促した。すると、鈴音はにやりと意味ありげな笑みを浮かべてその続きを口にした。

 

「そしたら明嗣の奴、やっと素直になってね。大変だったけど、二人でなんとか事態を収める事ができたんだ〜。いやぁ……ほんとにあの時はヒヤヒヤしたよ〜」

「そ、そうなんだ……」

 

 とりあえず、その場はなんとかなったと聞いた澪は、ホッと胸を撫で下ろした。そんな澪の元へ駆け寄った鈴音は、澪の両肩を掴んでじっと目を見つめる。

 

「だから、澪も勇気を持って明嗣と向き合えば大丈夫! アイツはちゃんと話そうとしたらちゃんと聞いてくれる奴だから!」

「そ、そうかな……」

「うん! アタシが保証するっ!」

 

 不安げな表情で見つめる澪を勇気づけようと、鈴音は自信満々に満面の笑顔で頷いて見せる。すると、澪もその気になってきたのか、安心したように頬を緩ませた。

 

「……分かった。やってみる」

「うん! 頑張って!」

「うん! ありがとう鈴音ちゃん! あたし、ちょっと行ってくるね!」

 

 礼を言った澪はおそらくまだ明嗣がいるであろう1年A組の教室へ向けて駆け出した。一方、澪を送り出して一人になった鈴音は……。

 

「はぁ……貸し一つだからね、明嗣」

 

 助け舟は出してやった。あとはどうにでもなれ。一仕事終えたと言いたげな面持ちで鈴音は呟いた。その後、お助け料に何を請求しようか考える鈴音は、夜の吸血鬼狩りの準備をすべく下校した。

 

 

 

 場所は戻り、一年A組の教室では、寝落ちした明嗣が目を覚ましていた。

 

 やっべ、寝ちまってた……。

 

 ぐーっと身体を伸ばしつつ、明嗣は窓の外に目をやった。窓の外ではもう夕焼けの橙色の空が広がっている。

 

 やっべ、もうこんな時間かよ!

 

 思ったよりも長い時間眠っていた事に焦りつつ、明嗣は机のフックに引っ掛けたスクールバッグを手に取った。そして、肩に担いで教室を出ようとした瞬間、明嗣の耳に誰かがこちらの方向へ走ってくる音が飛び込んできた。ぶつからないように走る音が過ぎてから出ようと、明嗣は教室の出入り口で足音が遠ざかるのを待つ。すると、足音の主は事もあろうに一年A組の前で止まり、明嗣がいる所とは反対の出入り口から一年A組の教室へ入ってきた。

 

「よ、良かった……。明嗣くん……まだいた……!」

 

 全力疾走により疲れたように息を切らし、肩を上下させるその足音の主の正体は、鈴音の言葉を信じてやって来た澪だった。



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第26話 夕焼けの教室にて、少女は対峙する

 夕日が照らす一年A組の教室でこれから帰ろうとする明嗣と、全力疾走してきた事で息を切らす澪の視線がぶつかり合う。お互いに無言のまま見つめ合う時間が過ぎ、先に明嗣が視線を外して歩き出した。すると、澪が「あ、待って!」と静止した。

 初めて会った時と同じような状況だな、と思いつつ、明嗣が視線で用を尋ねた。

 

「あ、その、えっと……」

 

 澪は明嗣の視線にたじろぐように後ずさった。以前は普通に話せていたのに、銃を突きつけてためらいなく引き金を引く現場を見た後だと、じっと見つめられるだけでも背筋が冷えるような感覚を覚えてしまう。

 

「あ、あたし……その……えっと……」

 

 勢いで引き止めはしたが、そこから先の言葉が出てこない。いつまでも次の言葉が来ないことに痺れを切らした明嗣は澪へ呼びかける。

 

「なんだよ。何か用があるんじゃないのか?」

「あたしは、その……ただ明嗣くんに話があって……」

「それ、今しなきゃなんねぇ事か?」

「う、うん……」

 

 おずおずと澪は首を縦に振った。一方、引き止められた明嗣は窓の外を一瞥すると、壁に身体を預けて澪の話に応じる姿勢を見せた。

 

「で、話って?」

「えと……その……久しぶりだね。しばらく学校、休んでたし」

「まぁ、色々立て込んでてな」

 

 澪に見られたから、とは言わないよう、明嗣は理由をぼかして答えた。“切り裂きジャック”にやられた後は、少し貧血気味で動けないなんて事もあったので、嘘は言っていない。

 

「そう……なんだ……。あたし、もしかしてあの夜の事で来れないのかなって思ってた」

 

 澪は意を決して本題を口にした。瞬間、澪は明嗣の纏う空気が変わった事を感じ取った。銃を持っている時と同じ、()()()()時と同じような空気だった。正直、逃げ出したいと思う程に明嗣は威圧感を放っている。しかし、澪は逃げ出す事はせず、ただ明嗣の返事を待つ。今、ここで逃げ出したら、勇気を出して明嗣と対峙した意味がないから。もし、ここで背を向けてしまったら、もう二度と明嗣と話す機会は訪れない。そんな予感が澪にはあった。それに、ここでまた逃げてしまったら、鈴音の言葉を信じて明嗣の元へ来た意味がない。

 対して、明嗣は何も言わずに澪を見つめていた。澪の顔に向けるその視線は、まるで品定めでもするような目つきだ。やがて、怯えた表情ながらも視線をそらさずに見つめ返す澪に、明嗣はため息を吐いた。

 

「驚いたよ。そっちから話題にしてくるとはな」

「……あの時、あたしは何も聞かないで逃げたから。でも、今度は逃げないよ。説明してくれるっていうなら聞かせて。どうしてあんな事をしたの? 人に向けて銃を撃つなんて……」

「そうだな……。当然そこを聞くわな。日本(ここ)じゃ銃を持つのは違法だ。頭を吹っ飛ばしたから銃刀法違反のついでに殺人罪まで追加されちまう」

「それが分かっているならなんで……!」

「まぁ、わざわざまた俺の前に立った勇気を認めてちょっとだけ教えてやろうか。俺はそういう世界には生きてない」

「どういう事? あたし、言ってる意味が……」

 

 澪は怪訝な表情を浮かべ、明嗣を見つめた。すると、明嗣は仕方ないと言った様子で肩を竦めた。

 

「俺が生きているのは法の外の世界なんだよ。警察じゃどうにもできないから自分でどうにかしてるだけだ」

「でも、だからって人を殺すなんて……」

「話し合いでどうにかできるなら、とっくにそうしてる」

「でも……!」

 

 やっぱり人を殺すのは駄目。澪は至極まっとうな、人として当然の事を訴えようと食い下がる。だが、明嗣は諦めているような笑みを浮かべた。

 

「まぁ、そう言うしかないよな。もう隠すのは無理っぽいから教えてやるよ。お前は初めて会った日の夜に見ただろ? 首に穴を開けられていた女の死体を」

「うん……。警察の人が吸血鬼の仕業だって言ってたけど……」

「ああ。俺はその吸血鬼を掃除しなきゃならない。そうすることでしか生きていけないんだよ」

「うそ……!?」

 

 明嗣の口から飛び出してきた言葉に澪は衝撃を受けたように言葉を失った。空想の生き物のはずの吸血鬼が実在すると言われて、すぐに受け入れろというのは無理な話だ。明嗣もそれを承知の上で話を進めていく。

 

「信じられなくても彩城、お前が見たのが全てなんだよ。警察じゃどうにもできない吸血鬼が存在して、俺はそいつを掃除している。それにただ巻き込まれたのが彩城。それでいいだろ?」

「よ、よくない……。良くないよ! それじゃあ明嗣くん、ずっとあんな事していかなきゃならないの?」

「俺はアイツらに命狙われてっからな。たぶん一生続く。だから、この話は終わりなんだよ」

 

 言葉を失って立ち尽くす澪に明嗣はトドメを刺すように言葉をぶつける。

 

「サービスでもう一度だけ言ってやるよ。正義感で首突っ込もうとしてるなら、やめといたほうが良いぜ。お前だってあんな事になるのはごめんだろ」

 

 そう言い残すと、明嗣は壁に預けていた身体を起こし、教室から出て歩き出した。対して、澪はまだ何か言おうとするが、言葉が出てこなかった。なぜなら明嗣の言う事には言い返す余地がない。

 それでも、なにか言わなければならない気がして、澪は言葉を探した。言い返す余地がなくとも、納得できるかどうかは別の話だ。だが、掛ける言葉が見つからず、明嗣の背中が遠ざかっていく。

 結局の所、この時の澪は何も言うことができずに明嗣を見送ることしかできなかった。

 

 

 

 家に到着した時にはもう、すでに日は落ちてしまっていた。学校の制服から私服のブルーのTシャツと黒いスラックスに着替えた明嗣は、愛銃のホワイトディスペルとブラックゴスペルが収まっているホルスターを装着した。そして、赤いフードが垂れ下がった黒いロングコートをハンガーから外す。その際、コートの裾が当たり、台に置いてある写真立てが床へと落ちてしまう。写真立ての中には、澪も持っている家族写真が収まっている。

 

 あ、やっべ。

 

 床へ落ちた写真立てはガシャンと音を立て、ガラスの破片を撒き散らした。

 

「あーあ……。やっちまった……」

 

 無事な木製の枠組みの部分を拾いあげ、明嗣はため息を吐いた。ただの写真立てとは言え、物心ついた頃からある物が壊れてしまったのは少し悲しい。

 

 コルクボードでも買うかな……。えーと、ちりとりとほうき持ってこねぇと……ん?

 

 明嗣は拾い上げた木製の枠組みの下に、なにか白くて四角い物が落ちているのを見つけた。拾い上げて確認すると白い物の正体は二つに折られた紙切れだった。

 

 なんでこんなモンが写真立てにあるんだ? 中に何が……。

 

 明嗣は紙切れを開いて中身を確認した。書いてあった内容は英文だった。どうやら誰かに向けた手紙らしい。

 

 えーと、書いてある内容は……。

 

 勝手に人の手紙を読むのは良くない事だが、写真立てから出てきたのでおそらく明嗣の父親、アーカードが明嗣の母親、朱渡(あかど) 晴華(はるか)へ向けた物だろう。もしくは、晴華からアーカードへ向けた物かもしれない。どちらにせよ、二人は故人であり、明嗣はその息子なので咎める事ができる者はおそらくいない。

 

 そういや俺、親父とおふくろの事を全然知らねぇんだよな……。小さい頃に両方死んじまったし。

 

 唯一の思い出である写真をひとまず台の上に置いた明嗣は、手紙の内容を日本語に訳しつつ読み進めていく。内容は概ね予想通りというか、アーカードが自分の妻へ向けた物だった。

 書き出しは突然いなくなってしまった事の謝罪だった。どうやら、明嗣の父、アーカードは吸血鬼の追手から逃げるために生まれたばかりの明嗣と晴華の元から離れる決断をしたらしい。生まれて間もない明嗣のそばにいてやれない事が残念だという気持ちも合わせて記してあった。そして、自分へ差し向けられた追手を全部討ち倒した後、必ず二人の元へ戻ってくる。和訳すると、だいたいこのような意味の内容が記された手紙だった。

 

 必ず戻るって……。そう言って死んじまったら駄目だろ親父……。

 

 死亡フラグを回収するのはフィクションの中にしてくれよ、などと感想を述べつつ明嗣は苦笑いを浮かべて続きを読む。

 そこからの内容は戻ってきてからの展望が記してあった。色々な場所を回ったりして明嗣の成長を見守っていきたいなどありふれた物であったが一つだけ、目を引く物があった。それは今まさに頭を悩ませている問題の一つに触れる内容だった。

 

 俺の吸血鬼の能力――!!

 

 明嗣の中に眠る吸血鬼の能力。それを目覚めさせて使用する方法だった。手紙によると明嗣の中に眠る吸血鬼は、真祖としての能力を受け継いでおり、赤ん坊の明嗣には制御不能なほどに強大だったので、一部を切り離して封印したらしい。そして、時が来た時に封印を解いて、明嗣に扱い方を教える予定だったようだ。

 そして、明嗣が父から受け継いだ能力とは……。

 

 身体能力強化と……剣を依り代にした業火を操る能力? ……あれか!

 

 この時、明嗣の脳裏に浮かんだのは内なる吸血鬼と戦った時に見た大剣だった。柄をひねった瞬間に轟音を上げて炎を纏う刀身。どうやら、あれは明嗣自身の異能だったらしい。ならば、その剣を握っていた自分と同じ顔をしたアイツは、その能力を守る番人と言った所か。

 そして、その能力の封印を解く鍵は――。

 

 封印を解くには……嘘だろ……!?

 

 続きを読んだ明嗣は、穴が開くほどに手紙を見つめた。そして、最後まで読み終えた後、言葉を失い脱力した。なぜなら、その封印は血肉を食らう事でしか解く事ができない、としか記されていなかったのだから。



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第27話 少女が知る裏事情

ドーモ、龍崎操真です。
リアルの事情で更新を休止していましたが本日より更新再開します。
無断で休止して申し訳ありませんでした。
それではまたよろしくお願いします。
どうぞ。


 夕日が差し込むHunter's rustplaatsの店内は、重苦しい空気に包まれていた。理由は明嗣の家で見つかった手紙だ。

 自分に眠る力を呼び起こすには、吸血鬼と同じように血を吸わなければならないなんて、いったいなんの冗談だ。これは自分一人では手に負えない、と判断した明嗣はひとまずアルバートに相談して現在に至る。

 アルバートは先程から腕を組み、手紙を見つめて黙り込んだままだ。無言の時間に耐えられなくなった明嗣は、手紙を拾い上げて口を開いた。

 

「どうするよ、マスター。俺がもっと強くなるには吸血鬼になるしかねぇってさ」

「どうするよってお(めぇ)、そんな事いきなり俺に言われてもなぁ……」

 

 シルバーグレーの髪を手ぐしで梳き、アルバートは再び考え込むように腕を組んだ。対して、手紙を上着のポケットにしまい込んだ明嗣は、ぬるくなったコーヒーカップを手に取り、一息で飲み干す。

 

「クソッ。“切り裂きジャック”だけでも手一杯だってのにもう一つ面倒事(トラブル)が出てきやがった……。今年の俺は厄年か?」

「冗談言ってる場合か。さて、どうしたもんかね……」

 

 アルバートは頭を抱える明嗣に冷静にツッコミを入れ、無精髭が生えてきた顎を撫でる。そろそろ剃った方が良いだろうか、と髭の感触を確かめた後、アルバートは神妙な面持ちで言葉を続けた。

 

「もしかすると、これは明嗣へ向けたアーカードからの試練なのかもしれないな……」

「どういう事だよ、それ」

 

 言葉の意図を汲み取れない明嗣は、不思議そうな表情でアルバートへ聞き返した。すると、アルバートは顎を撫でる手を止めて椅子の背もたれに身体を預けて答える。

 

「お前も知っての通り、仲間と袂を分かった吸血鬼は裏切り者として一生追い回される事ンなる」

「ああ。そのおかげで今、こうして吸血鬼ハンターなんて事やってんだからな。まったく面倒な置き土産を残していってくれたよ、親父は。それで?」

「つまり、だ。これくらい自分の力で乗り越える事ができないようじゃ、この先やっていけないぞってメッセージじゃねぇのかと言ってンだよ」

「……」

 

 明嗣はアルバートの言う事に何も返すことができなかった。実際、現在の明嗣は手詰まりの障害を抱えている事は事実なのだから。もしかすると、バイクに变化した父の愛馬を見つけた事や、もう一人の自分に出会った事は、神の導きならぬ父の導きなのかもしれない。

 席を立ったアルバートは黙り込んでしまった明嗣の背中をバシンと強く叩いた。

 

「ってぇ!?」

「まっ、お前なりに色々やってみろ。ちょうど良いことにあのバイクはお前しか相手にする気がないみてぇだしな」

「気楽に言ってくれるよな……。しくったら俺は乗っ取られて吸血鬼ルートだって言うのによ」

 

 ぼやきながら痛む背中をさする明嗣に、もう一杯コーヒーを注いだアルバートは厨房へ向かった。一方、明嗣の方は湯気のたつコーヒーカップの黒い水面を見つめて、再び考え込む。アルバートの言う通り、この手紙が父からの試練だとして、今の自分に乗り越える事ができるのか。どうしたら良いのか分からない明嗣は、こうして立ち止まって考える事しかできなかった。

 明嗣が立ち上る湯気を見つめていると、アルバートが声を掛けてきた。

 

「明嗣、ちょっと出てくるぞ」

「はぁ? 出るってどこに」

「今日は出前の注文が一件入ってんだ。って訳で、留守番頼むわ」

「えー……俺、メニューの料理は簡単なのしか作れねぇよ……」

 

 あからさまに嫌そうな表情を浮かべる明嗣に、アルバートは呆れた表情を浮かべた。

 

「誰がそこまでやれって言った。ただ、やってきた客に開いてねぇって言うだけで良いんだよ」

「だよな」

 

 にやりと口の端を吊り上げ明嗣は笑ってみせた。当然の事を聞くな、と言わんばかりにため息を吐いたアルバートは、注文の品を作り始めた。

 

 

 

 時を同じくして、明嗣と同じようにどうしたら良いか悩む少女が一人いた。ここ、交魔市の冠婚葬祭の写真撮影から履歴書に使用する証明写真まで、写真撮影の依頼を請け負う夏目写真館に下宿している澪である。

 現在、彼女は明嗣から言われた事について頭を悩ませていた。

 闇に紛れて人の生き血を(すす)る吸血鬼、それを退治する掃除屋の存在、明嗣がその掃除屋である事。本人曰く、自分はその世界から抜け出す事は一生できないだろう、という事。そして……。

 

 好奇心や正義感で首突っ込もうとしてるんならやめといた方が良いぜ。お前だってあんな事になるのは嫌だろ?

 

 澪の頭の中で響く、これ以上関わるな、という明嗣からの警告。

 確かに明嗣の言っている事は正しいのかもしれない。これ以上踏み込んだら、きっと危険な事がたくさん待ち受けているだろう。しかし、それで納得できるか、と言われると、何かモヤモヤした物が心に残ってしまう。それがなんだか気持ち悪い。どうしてそんな風に思うのか、自分で分からないのも気に入らない。鈴音のおかげで勘違いは正されたと思っていたら、新しい問題がまた目の前に出現した事に、澪は押し潰されるように(こうべ)を垂れる。

 

 無事で良かった。なんかあたし達、縁があるね? で終わりのはずだったのになぁ……。

 

 こういう単純なやり取りで良かったはずなのに、どうしてここまで拗れてしまったんだろうか。どうしたら良いか、と考えていると、澪はふとある事に気付いた。

 

 あれ? そもそもあたしはなんで明嗣くんの事で悩んでいるの……?

 

 なぜか放っておけなくて、何かできる事ができる事がないかと考えている自分がいる事に、澪は首を傾げる。

 交魔市(ここ)にやって来て、初めて会った人だから? それとも知りたいことの一番近くにいる人だから? それとも……。

 

 それはちがうでしょ!? まだ出会って二週間くらいだよ!?

 

 惚れている可能性を一瞬思い浮かべるが、澪は即座に首を振って否定した。さすがに一目惚れなんて、そんなまさか……。自分にツッコミを入れつつ、澪は明嗣が気になる理由を自問自答する。なぜ、自分はここまで明嗣の事を気に掛けるのか? 明嗣の何がそんなに気になるんだろうか?

 

 そういえば、吸血鬼に襲われた時も明嗣くんが助けてくれたんだったっけ。

 

 思えば、明嗣にまた話しかけたきっかけは吸血鬼の事に関してだった。あの時、明嗣が頑なにはぐらかそうとするから、ムキになって問い詰めてしまった。なら、その時に本当は何がしたかったんだろう、と澪はその時の記憶を呼び起こした。あの時、本当に話したかった事は……。モヤモヤした物の正体が喉元まで上がってくる。しかし、このタイミングでインターホンの音と共に、夏目写真館の主、夏目(なつめ) (ひかり)の声が飛び込んできた。

 

「澪ー! ごめーん! 今、火を使ってて手が離せないからちょっと出てー!」

「あ、はーい!」

 

 あともう少しだったのに、と言いたくなるのを飲み込みつつ、澪は来客の応対をするべく玄関へ向かう。パタパタと音がするスリッパから、外へ出歩くためのスニーカーへ履き替えて写真館の区画へやって来た澪。すると、そんな澪の姿に来客者は目を丸くした。

 

「お? 前にウチへ来た事あるお嬢ちゃんじゃねぇか。思わない所でまた会ったな?」

 

 来客の正体は、前に鈴音を尾行した際に入ったレストラン、Hunter's rastplaatsの店主、アルバート・ヘルシングだった。思わぬ来客に、澪もアルバートと同じように目を丸くしながら挨拶した。

 

「え!? あ、こ、こんにちは! この間はどうも……。飲み物ごちそうさまでした」

「あぁ、気にしなくて良いさ。明嗣(アイツ)に客が来るなんて珍しいから、サービスだよ。それより、注文の物を持ってきたんだが……」

「注文?」

 

 アルバートから差し出されたバスケットを受け取った澪は中を覗き込んだ。中には、パン粉とバターが乗せられたマッシュポテトを盛ったグラタン用の皿が三つと、パン粉をまとわせて後は揚げるだけにしてあるマッシュポテトの塊が15個乗った大皿、その隣には付属品だと思われるディップソース用の器にマスタードソースが入っていた。

 中を確認して不思議そうな表情を浮かべる澪に、アルバートは中身についての説明を始めた。

 注文の品として持ってきたのは、酢漬けキャベツを使っているのが特徴のオランダのワンプレート料理、ズールコールオーブンスホーテルとクロケットのセットだった。それぞれ、あとはオーブンで焼いたり、揚げたりするだけとなっている。

 

「ウチは出来たてが売りだから、こういうテイクアウトはあとは簡単に料理するだけにして届けるようにしてるんだよ」

「へぇー……そうなんですね……」

 

 話を聞きながら、澪は興味深そうにバスケットの中身を見つめていた。異国の料理に興味津々といった様子の彼女に、アルバートは気まずそうに声をかけた。

 

「で、俺は品物を注文通りに持ってきたはずなんだが……間違いないか確認してもらえるか?」

「え? あ! そうですよね! 今持っていって、叔母さんに確認してみますね!」

 

 澪はバスケットを持って、一旦中に引っ込もうとした。すると、ちょうど良い所に光がやって来た。アルバートの姿を見た光は、忘れていた事を思い出したような表情で口を開いた。

 

「アルさん。注文の物を持ってきてくれたの?」

「ああ。今そっちに持って行ってもらって、注文の物はこれで全部か確認してもらおうとしていた所だよ」

「そうだったの? どれどれ……」

 

 アルバートの言葉を受け、光は澪が持つバスケットを覗き込んで中身を改める。問題が無いことを確認した光は、頷いて問題ない事を告げた。

 

「うん。これで全部。じゃあ、財布を持ってくるからちょっと待っててね」

 

 光が私生活用の財布を取りに家の中に戻っていったので、写真館は再び澪とアルバートの二人だけとなった。なんとなく沈黙が気不味いので、アルバートの方から口を開いた。

 

「いやぁ、それにしても驚いたよ。まさかこんな所でまた会うなんてな。そういや、名前を聞いてなかったよな? 俺はアルバート・ヘルシングって言うんだ」

彩城(さいじょう) (みお)……です……。叔母さんと知り合いだったんですね」

「あー、たまに店に飾る写真をプリントアウトしてもらったりとかしてるんだ。その縁で、こうしてたまにテイクアウトで注文したり、ウチに食いに来たりするのさ」

「そうだったんだ……」

「澪ちゃん……で良いよな? そういう訳だから、澪ちゃんもたまにはウチにメシ食いに来なよ。ま、もちろん金はもらうがね」

 

 ニッ、と冗談を交えて快活に笑うアルバートだったが、表情が暗くなった澪を見てすぐに笑顔を引っ込めて不思議がるような表情になった。

 

「どうした? 何か悪い事言ったか?」

「あ、その……行ったら明嗣くん、いますよね……」

「ん? ああ、いるよ。アイツとは子供(ガキ)の頃からの付き合いで今でも常連だ。まぁ、今もガキなのは変わらないが。それがどうかしたか?」

「会ったらどんな顔して良いか分からなくて」

 

 迷うような表情で質問に答える澪。一方、アルバートは鼻で笑うように澪へ声をかける。

 

「アイツになんかキツイ事を言われたって気にする事ないさ。俺の店なんだから、必要とあらば叩き出すよ」

「えっ!? そこまでする事ないですよ!」

「遠慮する事はねぇよ。アイツには小さい頃から上下関係を叩き込んであるから、俺には頭が上がらねぇんだ」

「そういう事じゃなくて……」

 

 慌ててアルバートを諌めようとする澪だったが、途中である事に気づき言葉を止めた。幼い頃からの付き合いという事は、明嗣の事も全部知っているという事ではないか? その事実に気づいた澪はアルバートへ確認する。

 

「小さい頃からって事は、明嗣くんが夜に何をしているのかも知っているんですか?」

「……ああ。知っている。そもそも、俺が技を仕込んだんだからな。そうかい……。澪ちゃん、アイツの秘密を知っちまったんだな……」

 

 明嗣とは違い、アルバートはいともあっさりと認めて見せた。だが、澪の心の中は拍子抜けしたというより、どうしてという疑問の念の方が強かった。

 

「なんで……なんでそんな事……! 明嗣くん、あたしと同い年でしょ!?」

「ああ。そうだよ?」

「そうだよ、って! なんとも思わないんですか!? 十代の男の子が銃を持って駆け回っているんですよ!?」

「だから?」

「だから……!?」

 

 淡々と答えるアルバートに澪の心にだんだんと怒りが満ちてきた。どうやら目の前の男は、十代の少年に銃を持たせる事に問題を感じていないらしい。非難するように視線でアルバートを射抜く澪。しかし、アルバートは動じる事なく、澪へ呼びかけた。

 

「まだやる気なら、続きは注文の代金を受け取った後に別の場所でしようか。ここだと中まで聞こえちまう」

 

 そう言ったきり、アルバートは口を開く事をしなかった。やがて、財布を手に戻ってきた光から代金を受け取ったアルバートは、「また頼むよ」と言い残して写真館から出ていった。澪も続いて写真館から外へ出ると、アルバートが配達に使っていると思われる白いワゴン車に身体を預けて懐から煙草を1本取り出す所だった。

 しかし、待っていた澪の姿を認めた瞬間、アルバートはすぐさま煙草が入っている赤と白の紙箱をポケットの中へ戻した。

 

「思ったより早く来たな」

「煙草、吸うんですね」

「まぁ、若い時の名残りさ。今は喫煙者(スモーカー)に厳しい時代だから滅多に人前で吸う事はないがね。で、なんだっけか」

「明嗣くんに銃を持たせるの、なんとも思ってないんですか?」

「あー、そうだ。その話だったな」

 

 手持ち無沙汰なので、アルバートは銀のジッポライターの蓋を開けたり閉じたりして弄ぶ。キン、カシャ、と二種類の音が交互に規則正しく繰り返される中、アルバートは静かに口を開いた。

 

「アイツの場合は仕方ねぇと思っているよ。銃を持ってなきゃ、アイツは死んじまうからな」

「どうしてですか? 銃を持って吸血鬼と戦っている方が危ないじゃないですか」

 

 少し時間を置いたので、澪は興奮状態からクールダウンしていた。澪が幾分か落ち着いた口調で疑問を口にすると、アルバートは閉じたライターをしまい、澪の顔を見つめた。

 

「アイツはな、吸血鬼に一生狙われる運命にあるんだよ。アイツの親父は吸血鬼だからな。仲間に手を切ると宣言した時に、本人の意思とは関係なくその運命を背負わされちまったのさ」

「そんな……!?」

 

 淡々とアルバートから明かされた明嗣の生まれに澪は言葉を失った。ショックを受ける澪にお構いなく、アルバートの話は続く。

 

「その上、ただでさえ今は男に辛く当たるのを(よし)とする時代だ。4、5歳辺りのガキならともかく厄介事の種を抱えた10代の小僧を助けてくれる物好きなんてそうはいねぇ。俺だっていつまでもアイツに付いてやれる訳もねぇ。なら、戦い方を教える事で独り立ちさせてやるしかねぇだろ。違うか?」

「で、でも……だからって銃を持たせて殺し合いをさせるなんて……」

「なら、あれか? 命を狙ってやってきた相手をもてなして目的のブツを差し出してやれ、澪ちゃんはそう言いたいのか?」

「そこまで言ってないじゃないですか! どうしてそう極端なんですか!?」

「極端な理屈しか通用しない世界だからさ。俺も明嗣も、世間の汚い所を嫌という程見ている。その上でそういう理屈でしか生きていけない事を理解している。それで、だ。澪ちゃんはさっきから殺しは良くないとか銃を持つのはどうかしているとか好き放題言っているが……」

 

 いったん言葉を切ったアルバートは、じっと澪の瞳を見据えた。そして、この話を核心を突く一言を口にする。

 

「その綺麗事のツケは、誰が払う事になるんだろうな?」

「それは……」

「綺麗事でその場が収まれば、そりゃ澪ちゃんは満足だろうけどな。今、この場でその綺麗事を言う事ができているのは誰のおかげか、考えた事あるのか?」

 

 澪はアルバートに何も答える事ができなかった。なぜなら、その答えは澪が一番分かっている事。不幸にも吸血鬼に出くわして、そのまま血を吸い尽くされて死ぬはずだった澪を助けてくれたのは、他ならぬ銃を握って吸血鬼と戦っている明嗣なのだから。

 何も言えないでいる澪に、アルバートは諭すように語りかける。

 

「まぁ、澪ちゃんは今までツイていたんだと思うよ。吸血鬼の事に限らず、そういう事を知らずに生きてこれたってのは、それだけ人に恵まれているって事だからな」

 

 そろそろ店に戻るか、とアルバートは運転席の方へと向かう。そして、車に乗る前に話を締めくくる。

 

「ただな、これからはよく考えて物を言うことを覚えといた方が良いと思うぞ。でないと、社会に出たら絶対に困る羽目になる。綺麗事を押し付ける奴は相手にされなくなるからな」

 

 バタン、と音を立てて車のドアが閉まった。そして、ディーゼルエンジンの音と共にアルバートが乗った車は走り去って行く。

 一方、残された澪はアルバートに言われた事が頭の中でグルグルと回っていた。

 

 

 

 翌日の事。ルーチンワークのようにHunter's rustplaatsへ顔を出し、朝食を食べてから登校した明嗣は、昇降口にて靴をスニーカーから学校指定の上履きに履き替えていた。その後、迷う事なく自販機へ向かい、飲み物の品定めを始めた。ボタンの前で迷うように人差し指を泳がせる明嗣は、まだ頭が半分眠っているために目の焦点が定まっておらず、ぼうっとした表情をしていた。

 

 カフェインキツめのコーラか......。俺、こういう飲み物効いた試しねぇんだよな......。

 

 目覚めの朝にはコレ一本!というキャッチコピーが印刷された缶のサンプルを眺めて、明嗣はため息をつく。幼い頃から薬剤への耐性が高いのか、栄養ドリンクの類が効かないので、明嗣はこれらの飲み物について少し懐疑的な目を向けていた。という訳で、明嗣は無難にオレンジフレーバーの炭酸飲料を選択した。

 教室に着いてから飲むようにジュースをバッグにしまい、明嗣はスマートフォンへ持ち替えてメールチェックを始めた。歩きスマホは良くないと言われてはいるけれど、周囲への注意が疎かになる事により人にぶつかったり、車に轢かれる危険があるのが理由なのであって、周りに誰もいないのなら構う事はないはずだ。

 画面を指で弾いてスクロールさせていると、背後からタッタッタッ、と誰かが走ってくる音が聞こえてくる。明嗣がすぐに画面を消して懐へスマートフォンをしまうと、一人の女生徒が明嗣を追い越した。

 背中まで伸びた紫がかった黒い髪をなびかせる彼女は、横目で明嗣の姿を視認すると、5歩程進んだ所で足を止めて振り返った。軽快な足音と共に明嗣の前に現れたのは、二回も警告したからもう縁は切れただろうと思っていた澪だった。

 

「お、おはよ」

「ああ、おはよう」

 

 ぎこちなく挨拶する澪に、明嗣は素っ気なく挨拶を返す。緊張した様子なのが引っかかるが、特に話す事はないので、明嗣はそのまま歩き出した。しかし、澪は慌てて明嗣の背中を呼び止める。

 

「あ、待って!」

「なんだよ」

「あの……その……」

「なんだよ。用があんならさっさと言え」

 

 モジモジとした様子で言葉を絞り出そうとしている澪に、明嗣は少し苛立った調子で続きを催促した。対して、澪はまだモジモジとした様子で視線を泳がせている。そんなに躊躇うなんて、よほど口にするのがはばかられる用なのか、と明嗣は警戒しながら澪の返事を待った。やがて、覚悟を決めた澪は、つま先で床を叩いてタンタンと鳴らしている明嗣に用件を告げる。

 

「こ、今度の土曜日さ……あ、空いてるかな……?」

「はぁ?」

 

 明嗣は耳を疑った。一方、澪は怪訝な表情を浮かべて固まってしまった明嗣へ、今度は大きな声ではっきりと同じ事を繰り返した。

 

「だから……今度の土曜日、あたしに付き合ってって言ってるの!」

 

 お前は何を言っているんだ。いきなりのお誘いにバグを起こした明嗣の脳裏をよぎったのは、ネットでよく見かける、頭おかしいじゃないのかコイツ、と言いたげな表情を浮かべる外国人の画像だった。



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第28話 二人で出かける土曜日

 問題の土曜日がやって来た。明嗣は指定された集合場所、澪と初めて出会った交魔駅にいた。本日の明嗣は珍しくロングコートではなく、白いTシャツに黒いスキニーパンツ、そして真っ赤なパーカーを上に羽織っている。そう。この服装から推察できる通り、これから明嗣は澪と出かけるのだ。

 交魔駅の前にて待ちぼうけの明嗣は、ぼうっと天を仰ぎ、心のなかで愚痴をこぼした。

 

 暇だなちくしょう……。こんな事だったら意地でも誘いを蹴っときゃ良かったな……。

 

 パーカーのポケットからスマートフォンを取り出し、明嗣は画面のロックを解除した。こういう時、すぐに多彩な娯楽に触れる事ができるのが、現代の良き点であると同時に悪しき点である。適当に画面をスクロールさせ、何か目を引く物はないかとSNSやネットサイトを巡っていく。あらかた覗き終わった所で、「おまたせー!」と声が聞こえてきた。

 声に気づいて明嗣は視線を上げた。すると、明嗣の前には白いシャツに桜色のカーディガンを羽織り、ボトムスはスカイブルーのデニムパンツといった服装の澪が立っていた。肩には青いトートバッグが掛けてある。即座にパーカーのポケットへスマートフォンをしまった明嗣は、不満げに腕を組んで澪を出迎えた。

 

「ごめんね。待った?」

「ああ。10分ほど」

「そこは『待ってないよ』って言う所じゃない?」

「デートじゃあるまいし、そういう歯の浮くようなやり取りをする気ねぇな」

「せっかくだから雰囲気作ってくれても良かったのに」

 

 付き合いが悪い明嗣に対して、澪は不満げに頬を膨らませた。一方、明嗣は取り合う気はないと言いたげに鼻を鳴らした。とりあえず挨拶を終えたので、澪は背筋を正し、ぺこりとお辞儀をした。

 

「じゃあ、今日は一日よろしくお願いします」

「はぁ……俺と出かけてもつまんねぇと思うけどな……」

 

 明嗣はため息を吐いて肩を落とす。そして、なぜこんな事態になったのかを振り返り始めた。

 

 

 

 遡る事2日前。いきなり「今度の土曜日、自分に付き合ってほしい」などと言い始めた澪に、明嗣は理解できないと言いたげな表情で固まっていた。いつまでたっても返事が来ない事に痺れを切らした澪は、恥ずかしいのを誤魔化すように、明嗣へ呼びかける。

 

「その、黙ってないで返事してよ……」

「お前、自分で何言ってるか分かってんのか……?」

「分かってるよ。これでも結構勇気出したんだからね?」

「理由は?」

 

 いったいどんな言葉が飛び出して来るのか。何が来ても良いように身構える明嗣へ、澪は意を決した表情で真っ直ぐに明嗣を見据えた。

 

「昨日、明嗣くんがいっつも行ってるお店の人に会ってね、色々話していたらあたしは自分の周りで何が起きているかも知らないんだって感じて。だからあたしは、もっとあたしが知らない事を知らなきゃって思ったんだ。目の前の人が今までどんな風に生きて来たとか、何を感じてるのとか、とにかく知りたいの。だから、まずはそのきっかけをくれた明嗣くんからって思って」

 

 あまりに純粋な目で言うものだから、明嗣は呆気に取られた表情で澪を見つめていた。そして、何も言えないでいる明嗣へ、畳みかけるように澪は言葉を続けた。

 

「明嗣くんが迷惑だって思ってるのは分かってる。でもこのままじゃダメだとも思うんだ。だから、これで最後。土曜日に付き合ってくれたら、もう何も聞かない。それじゃダメ……かな?」

 

 その真剣な表情に、いつの間にか澪のペースに飲み込まれた明嗣は、いつの間にか首をコクリと動かして頷いていた。

 

 

 

 と、いう訳で今日一日、澪は明嗣の休日に付いて回る事になった。とはいえ、さすがに一から十までいつもの休日を見せる訳には行かないだろう、と考えた明嗣は古本屋に連れていく事にした。

 理由は、時間を潰すのにちょうどいいから、この一点である。品揃えは昔の小説からちょっと前に流行った漫画の全巻セット、少し古めのゲームソフトや中古のオーディオ機器など、バラエティに富んでおり、見ているだけでも満足できる。さらに誰かと一緒に訪れたとしても、各自で好きな本を物色という体で個人行動が取れるので、一人が好きな明嗣としては良い事ずくめであった。

 という訳で、さっそく入口で澪と別れて、何か面白そうな物はないかと店内を冷かそうと思ったのだが……。

 

「なぁ、一つ聞いて良いか?」

 

 人差し指でどれを取ろうかと狙いつけながら、明嗣は隣で興味深いと言いたげにその様子を眺める澪に声をかける。

 

「どうしたの?」

「どうして俺の横を引っ付いているんだ?」

「明嗣くんって、どんな本を読むのかなって思って」

「俺が何読んでようとどうだって良いだろ。適当に好きなの取れよ」

 

 明嗣はドラマ化された警察小説を手に取り、裏表紙に書いてあるあらすじを確認しながら、ぶっきらぼうに答える。すると、澪は少し困ったような表情で明嗣に助けを求めた。

 

「あたし、雑誌ばっかで小説はあんまり読んだ事ないんだよね。だからさ、明嗣くんのオススメ教えてくれない?」

「悪いな。10代女子(ティーンエイジャー)の趣味に合う物なんて皆目見当(かいもくけんとう)もつかねぇんだ。少女漫画のコーナーがあるから、そこ見てくりゃ良いんじゃねぇの」

「むぅ、なんか偏見を感じる言い方だなぁ」

 

 もしかして、10代の女子は少女漫画しか読まない、とでも思っているのだろうか。失礼な。少年漫画だって読むのに。流行りのやつだけだけど。

 心の中で密やかに抗議をしつつ、澪は明嗣の隣で小説を物色し始めた。せっかくだから、目の前にある物の中から選んで普段触れないジャンルの物語を楽しむのも良いだろう。

 幸い、目の前に並んでいる本は五十音順で並んでいるだけで、ジャンル分けされている訳ではないから、すぐに場所を移動する必要はない。興味が湧いた一冊を手に取り、パラパラとページめくると澪はふと口を開いた。

 

「ねぇ、明嗣くん」

「なんだよ」

「適当に何冊か手にとってみたんだけどさ、全部イラストがないんだけど……」

「そりゃそうだろ」

「でも、学校で小説を読んでいる人見かけた事あるけど、その本には表紙とか中にかわいい女の子のイラストが描かれてたよ?」

「そりゃライトノベルって奴だ。俺も前読んでたけど、最近はめっきり読まなくなったな……」

「違いがよくわからないよ……」

「まぁ、要所要所にイラストがあるのがラノベ、ないのが小説、くらいの認識で良いと思うぞ。たぶん……」

 

 あらすじがお気に召さないのか、明嗣は不満げな表情を浮かべて手に取った本を棚に戻した。その後、小説コーナーを後にして明嗣は漫画コーナーへ移動したので、澪もそれに続く。

 

「あ、これ見た事ある。小さい頃にアニメやってたよね」

 

 澪は手に取った黒い背表紙の単行本を懐かしいと言いたげな表情で見つめた。内容は、10代の少年が魔界より呼び出された悪魔と戦うダークファンタジーの少年漫画だった。

 一方、まだ読んでない名作を求めてタイトルを精査する明嗣は興味なさげに口を返す。

 

「それ、途中までは順調だったけど、作者が燃え尽き症候群で連載ペースが落ちちまったんだよな……。全然話も進まなくなっちまったし、読もうって気が湧かなくなっちまった」

「そうなんだ……。明嗣くんが持ってるそれはどんなお話?」

 

 アタリをつけた作品の第1巻を手に取り、軽くパラパラと中身を改める明嗣へ、澪は話題を振ってみた。すると、明嗣は気に入ったのか、続きを何冊か買い物かごに入れながら答える。

 

「魔女が天使をぶっ殺して回る話」

「なかなかハードな内容だね……」

「まぁ、R-17のゲームが原作だしな」

 

 興味本位で、澪もちょうどまだ残っていた第1巻を手に取り、明嗣に倣って軽くパラパラと中味を確認した。すると、澪はあまりな内容に引きつった表情を浮かべる。

 その内容は記憶喪失の魔女が失われた自らの記憶を求めて、立ちはだかる天使達と熾烈な戦いを繰り広げながら旅をするといった物だった。これだけだったら良かったのが、澪の表情が引きつった理由は、その絵面にあった。

 断頭台による斬首、万力による圧殺、鉄の処女(アイアン・メイデン)による全身串刺しの刑など、とにかく魔女が天使に行う攻撃が苛烈過ぎたのだ。

 あまりに血みどろで残酷な事をするので、自分には合わないな、と思いつつ澪は単行本をそっと棚に戻した。

 とりあえず、明嗣が会計をしている間にドラマの原作になった漫画を見つけた澪は、それを購入した。

 その後、時計が十二時を指していたので、古本屋を後にした二人は、昼食を求めて移動した。



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第29話 ファミレスにて

 古本屋を後にした明嗣と澪は、ファミリーレストランにて昼食を食べていた。

 最初は無言で各々が注文した料理を食べていたが、お互いが半分まで食べ勧めた辺りで澪は、ふと口を開いた。

 

「なんか意外だね」

「何が」

 

 明嗣は注文したステーキ御膳の肉を箸で一切れ取りながら返事をした。付属の焼き石に肉を押しつけると、ジュウという音と共にレアだった肉に焼き色がついていく。

 

「あたし、お昼はあの店で食べるのかなって思ってた」

「んなはずねぇだろ。彩城を連れて行こうもんなら、マスターにからかわれるのが分かりきってるからな……」

 

 そろそろ良いかと焼き石から肉を離した明嗣は、おろしポン酢に肉を潜らせてから口へ運んだ。ポン酢のさっぱりとした風味が白飯によく合うので、明嗣は自然とかき込むように箸を動かしていた。一方、澪はスプーンで掬ったオムライスを口へ運び、咀嚼して飲み込んだ。ちなみにオムライスにかけるソースはケチャップとデミグラスソースの二種類の中から選ぶことができたので、澪はデミグラスソースをチョイスした。

 

「叔母さんがこの間テイクアウトで食べさせてくれたんだけどね。その料理が美味しかったの。だから今日、もしかしてってちょっと期待してた」

「そりゃ悪かったな」

 

 対して悪びれる様子もなく受け答えしながら、明嗣はステーキ御膳を胃に納めて行く。一方、澪は気にする事なく話を続けた。

 

「今日も、銃とか吸血鬼と戦うための物が売っているお店に行くと思ってたし、なんていうか明嗣くんって思ったより普通の生活してるんだね」

「当たり前だろ。四六時中吸血鬼の事ばっか考えていたら気が滅入っちまうっつの」

 

 明嗣は付け合せのお新香の最後の一切れを食べ終えると、ドリンクバーから飲み物を持ってくるべくグラスを手に立ち上がった。

 

「俺、飲み物持ってくるけど彩城は?」

「え?」

「グラス、空だろ。ついでだから持ってくる」

「じ、じゃあ……アイスティーを……」

「ミルクとガムシロは?」

「ミルク一つだけでお願いします……」

 

 要望を聞いた明嗣は、速やかにドリンクバーへ移動し、飲み物を用意して席へ戻った。すると、澪が鳩が豆鉄砲を食らったような表情で見つめている事に気付いた。

 

「なんだよ」

「あ、その……飲み物持って来てくれると思わなかったからちょっとびっくりしちゃって……」

「なんだそれ。せっかく気を回してやったのに」

「ご、ごめん……意外だったからついね……」

 

 澪の返事が気に入らないのか、明嗣は拗ねたように自分の飲み物を飲んだ。申し訳なくなった澪は話題を飲み物へ振ってみる事にした。

 

「明嗣くんが飲んでるそれってオレンジジュースだよね? オレンジジュース好きなの?」

「いや、これはオレンジジュースじゃねぇよ」

「え、だってそれ、どう見てもオレンジジュースだよ」

「コイツはブルズアイっつーノンアルのカクテル、専門の言葉で言うならモクテルって奴だ。オレンジジュースとジンジャーエールで簡単に作れるぞ」

「へぇ〜、モクテルって言うんだ……」

 

 澪は、そういう物もあるのか、と素直に感心したような表情で明嗣のグラスを見つめた。その後、アイスティーを飲み干すと席を離れてドリンクサーバーへ向かっていく。やがて、戻ってきた澪の手には明嗣と同じ、黄色い液体で満たされたグラスが握られていた。

 

「あたしも作って来ちゃった」

「あっそう」

 

 興味無いと言った様子で明嗣はストローで吸う。対して、澪は気にする事なく初めて飲む飲み物を少しストローで吸い込んだ。すると、驚いたように目を見開いた。

 

「オレンジジュース飲んでるみたいだけど、後からジンジャーエールの風味が来るからスッキリしてるね。結構好きかも」

「そりゃ良かったな」

 

 明嗣は頬杖をついて何か疑るような表情で澪を観察しながら答えた。その視線を不思議に思った澪は、明嗣へストレートに尋ねてみる事にした。

 

「どうしたの?」

「なーんか、誰かに見られてる気がするな、って思ってな」

 

 明嗣は目だけを動かして周囲を探った。古本屋にいる時もそうだった。ずっとこちらを観察されているような()()()()を感じる。しかし、それらしい奴を見つける事を見つける事はできない。

 

「え、誰に!? もしかしてストーカー……!?」

一般人(バンピー)ストーカーしているなんてよっぽど物好きみてぇだな、ソイツ」

 

 さっと顔色が青くなっていく澪に呆れたようにため息を吐いた明嗣は、再び席を立った。ついでに澪に気付かれないように注文の伝票も隠して手に持った。

 

「また飲み物?」

「トイレだよ」

 

 短く答えると明嗣はスタスタと歩いてトイレへ向かった。そして5分経つと戻って来ると何事もなかったかのように席へ腰を下ろした。

 

「あ、おかえり。ところで午後からの事なんだけどさ 」

「なんだよ。どっか行きたい所あんのか」

 

 残っている飲み物を飲みながら、明嗣が尋ねると澪は首を振った。

 

「ううん。午後からは、ただ歩きながらお話したいなって思っているんだけど、どうかな?」

「俺は構わねぇけど良いのか、それで」

「うん。それが良いの」

「まぁ、彩城が良いってんなら良いけどな……」

 

 釈然としない表情を浮かべながら明嗣は澪の申し出を承諾した。そして、そろそろ腹も落ち着いてきた頃合いになってきたので、澪は立ち上がった。

 

「じゃあ、そろそろ行こっか。えーとお財布は……」

 

 明嗣はすまし顔でグラスの中身を飲み干したながら、バッグの中身を探る澪へ呼びかけた

 

「会計ならもう済ませたぞ」

「えっ!? いつ!?」

「さっきトイレ行った時」

「うぅ……誘ったのあたしなのにごめん……」

「別に。こういうのは男が払うモンだ、って教わったのを実行しただけだから気にすんな」

 

 当然の事と言わんばかりに、明嗣はレジを素通りして店を出ていった。その後ろを澪が申し訳ないと言いたげな表情でついて行く形で、2人はファミレスを後にした。



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第30話 優しくする理由

 ファミレスで昼食を食べてからの明嗣と澪は、澪の要望通りにただ二人で街を散歩していた。その途中、澪は明嗣から近寄ると後悔する場所や、よく屋台が出ている場所などを教えてもらった。明嗣は吸血鬼ハンターとして夜の街を駆け回っていることもあり、澪が見つける事ができなかった危険スポットをたくさん把握しており、澪はひたすら頷いて頭に叩き込んでいく。

 その最中、やはりどこからか見られているような視線を感じるのか、明嗣はたまに立ち止まって周囲を探っていた。だが、やはり誰もこちらを観察しているような素振りを見せる者は一人として認められない。こうなってくると澪も気になってくるので、明嗣へ不安げに呼びかける。

 

「やっぱり誰か見ている人がいるの?」

「どうだろうな……。見つける事はできねぇけど、なんか見られているって感じる。嫌な感じだ」

「でも吸血鬼じゃないでしょ? 吸血鬼って太陽が空にある間は出歩く事ができないっていうのは知ってるよ」

「ところがどっこい、太陽が空にあっても外を出歩く方法はある」

「え!? そうなの!?」

 

 本当に素直なリアクションをする奴だ、と思いながら、明嗣は人差し指で地面の方、澪の足元を指さした。

 

「吸血鬼ってのは影の中に潜んで移動する事もできるんだよ。他にも、古典的に日傘と日焼け止めで完全武装したりとかするパターンもある。まっ、あいつらが本気出せるのは夜の間だけで、昼に出歩く意味が薄いから眠ってるのがほとんどだけどな」

「へぇ〜、じゃあ安心だね」

「いや、そうでもない。昼の間に目を付けた標的の影に潜り込んで、夜になったら襲うって奴もいる。昼に動く旨味があるなら、遠慮なく行動する奴らだから、日が出ているから安心ってわけでもねぇんだ。実際、ロンドンにいた頃にそのタイプの大物に手を焼いているって噂を聞いたこともあった」

「明嗣くん、外国に行った事あるんだ! 良いなぁ……」

「外国に行った事あるっつったら大抵そういう反応が帰ってくるけど、やっぱ羨ましいモンなのか?」

 

 澪から羨望の眼差しを受ける明嗣は、本当に不思議だと言いたげな表情を浮かべた。すると、澪は衝撃を受けたように驚きの声を上げた。

 

「それはそうだよ! 飛行機なんて国内線だけでも学生のお小遣いで気軽に乗れる物じゃないのに! あたしも色んな国に行って名所で写真撮ったりしたいなぁ……」

「お、おぉ……そうか……」

 

 まだ見ぬ場所へ思いを馳せるように空を見上げる澪へ、明嗣は思わずたじろいでしまった。しかし、そんな事はお構いなしに澪は興奮気味に明嗣へ迫って行く。

 

「ね、ロンドンのどこに行ってきたの!? やっぱりイギリス王室がいる宮殿!? それともハリー・ポッターに出てくるキングズクロス駅とか!?」

「び、ビッグ・ベン時計塔の近く……」

「ビッグ・ベン時計塔! あそこも良いよね〜! 時計塔をバックに記念写真を撮ったりしてさ!」

「写真、そんなに好きなのか?」

 

 一人で盛り上がっている所悪いが、と言いたげな声色で明嗣は澪へ呼びかけた。すると、澪は笑顔で質問に答えた。

 

「正確には写真に写る笑顔が好きかな。だって、その写真があれば、楽しかった思い出を振り返る事ができるでしょ?」

「そうか……彩城にとって、写真はそういう物なのか……」

 

 明嗣は羨ましがるように少し複雑な心境を滲ませた表情を浮かべた。すると、澪は不思議がるように明嗣を見つめた。

 

「どうしたの? あたし、なにかおかしな事言ったかな……」

「いや、少し羨ましいと思っただけさ。俺にはそういう写真がないからな」

 

 あるのは、撮った時の事すら思い出せない家族写真と 小学校と中学校からもらった卒業記念アルバムの写真のみで、これといって思い入れのある写真がある訳ではない。さらに気を抜けば、自分の所だけ不自然にボケた写真になるので、写真を一つ撮るのにも気をつけねばならないのだ。だから、楽しそうに写真について語る澪が素直に羨ましいと感じる。

 

「それにあんま、写真撮る事もねぇしな。ただ単に、そうやって楽しそうに語れる彩城が凄ぇって……どした?」

 

 暗い雰囲気になるのを避けようと、明嗣は急いで場を取り繕おうと試みた。しかし、澪は少し悲しむような表情になってしまっていた。

 

「明嗣くん、家族は?」

「小さい頃に両方死んだ。だからマスターが親代わりだな」

 

 あっさりと明嗣が答えてみせると、澪はやっぱりそうかといった表情で謝った。

 

「そう……なんだ……。ごめん」

「気にしてねぇけど。なんだっていきなり家族の事聞いた?」

「もしかして明嗣くん、寂しいのかなって」

「はぁ? なんでそうなんだよ」

「その、なんて言うか、なんとなくそんな風に見えたから……」

 

 明嗣は思わず自分の顔に手を当てた。まさか俺が寂しさを抱えている……? 思ってもみない事を澪から指摘されるとは夢にも思わなかった。そんな明嗣を見て、澪は言葉をさらに続ける。

 

「あたし、今日一日明嗣くんを見て思ったの。なんか明嗣くん、本当はとっても素直で優しい人なんじゃないの、って。でも、学校であんまり人と話している所は見たことないから、なんか寂しそうだなって」

「はっ。何を根拠に……」

「じゃあなんで、今日の誘いを受けてくれたの?」

「……それは……」

 

 明嗣は何も言えずに言葉を詰まらせてしまった。これに関しては本当に自分でも不思議だったのだ。どうして澪の誘いを受けてしまったんだろう。いくら考えても、その答えを明嗣は出すことができないでいた。そんな明嗣と向き合った澪は、真っ直ぐに明嗣を見据える。

 

「他にも、最初に会った時にスクラップブック拾ってくれたし、今日だって飲み物持ってきてくれたりとかしてたし」

「それはただ、そういう風に教えられたからってだけだ。別に彩城にだけ特別って訳じゃねぇ」

「そうやって壁を作る態度を取ろうとするのだって、あたしを吸血鬼からなるべく遠ざけようとしてるからじゃないの?」

「……」

 

 澪の指摘に明嗣は何も言えなくなってしまった。吸血鬼からなるべく遠ざけようとしている、という澪の言葉は正しいからだ。なぜなら、澪は元々吸血鬼とは無縁の世界に生きる人で偶然巻き込まれただけなのだから。本当なら、今日の誘いだって無視してすっぱりと縁を切るべきはずなのに、こうして二人で街を歩いているのは何故なんだ……?

 

「あたしね、ずっと助けてくれたお礼しなきゃって思ってた。でも、何をしたら良いのか全然分かんなくて、ずっと考えたんだけど……」

 

 考え込む明嗣をよそに、まっすぐ目を合わせたまま、澪はゆっくりと近づいてくる。やがて、互いの手が届く距離まで来ると、澪は明嗣の手を握って笑いかけた。

 

「友達になろ!」

「はぁ?」

 

 予想外の言葉に明嗣は思わず呆けた声を出した。困惑した表情で固まる明嗣に構う事になく、澪は話を続けた。

 

「明嗣くんが寂しい時は一緒にいて、大変な時は支えるのがあたしにできる精一杯のお礼かなって。それにあたし……」

「お前、まだそんな事__」

「明嗣くんだから友達になりたいの」

「えっ……」

 

 明嗣くんだから友達になりたい。その言葉に衝撃を受けた明嗣は言葉を失ってしまった。何も言えずにフリーズした明嗣の手に、思いを込めるように握る力を強めた澪は、訴えるように明嗣の目を見つめて言葉を紡ぐ。

 

「ちょっと嫌な言い方するけど、それでも人の事を思いやる事ができる明嗣くんが、あたしは好き。そんな明嗣くんが悩んでいるなら力になりたい。だからそのために、今までみたいなのは最後にして、まずは友達になろ?」

「あ、いや、俺は……」

 

 澪にまっすぐ見つめられ、明嗣は居心地が悪いように身をよじった。まさか自分がここまで女に免疫が無い事を突きつけられるとは思いもしなかった。こんなにもまっすぐ目を見て訴えられると、思わず頷きたくなってしまう。しかし、冷水を浴びせるように頭に響く声が明嗣を現実に引き戻す。

 

 ほほう……。これはこれは、なかなか面白いことになっているな。

 お前……!

 

 “切り裂きジャック”に深手を負った後、息を潜めていた内なる吸血鬼(もう一人の自分)の楽しむような声に明嗣は忌々しげな声を返した。声の調子から考えて、向こうも十分回復したようだった。

 

 

 ひでぇじゃねぇかよ。俺抜きで事を進めるなんて。おかげで一番いい所を見逃す所だったぜ。

 なんの事だ。

 とぼけんなよ。あとはその手をグイッと引っ張れば、噛みつくだけだろ?

 

 明嗣は内なる吸血鬼が言わんとする事を理解した。今、明嗣の手は澪が握っている。言う通りに澪の手を引っ張れば、いともたやすく彼女を抱き寄せる事ができるだろう。つまり、内なる吸血鬼はこう言っているのだ。「絶好の機会だからこの場で澪の血を吸ってしまえよ。自分が吸血鬼なんだって自覚しろ」、と……。

 

 ほら、あとはガブリと行っちまうだけだ。どうせコイツだって、お前が半吸血鬼だって事を知っちまえば即刻手のひら返すぞ?

 ……っ!

 

 

 当然、頭の中での会話なので、澪には聞こえていない。何も知らないまま、明嗣の答えを待って手を握っている。それを良いことに内なる吸血鬼は迷っている友人の背中を押すように言葉を続ける。

 

 ほら、怖いのは最初だけさ。一回やっちまえばなんて事なくなる。初めて銃を握ったときだってそうだろ?

 

 悪魔が囁くように内なる吸血鬼は、明嗣に澪の首筋へ噛みつけと迫る。

 

「どうしたの? どこか具合が悪いの?」

 

 声がしたので明嗣が視線を上げると、澪が心配するような表情で覗き込んでいた。本当に何も疑うことなく、自分を襲うことなんてない、信じ切っている目だった。それが明嗣の心を苛立たせる。

 

 どいつもコイツも……!!

 

 苛ついている心境の現れか、はたまた嫌われるようにして距離を取ろうとするためか、明嗣は彼女の手を乱暴に振り払った。

 

「明嗣くん……?」

「うるせぇよ……。何も知らねぇくせに俺のことを見透かしたような事言いやがって……!」

 

 なぜこんな事をするのか分からない、と困惑した表情で澪は明嗣の事を見つめていた。困惑した表情で固まってしまった澪に対し、明嗣は睨みつけるように目つきを鋭くさせる。

 

「何が素直で優しいだよ。何が友達になろうだ。これ聞いても同じ事言っていられるか。良いか、俺はな__」

「お父さんが吸血鬼なんでしょ? 知ってるよ」

「なっ……!?」

 

 あっさりと言おうとした事を先回りしてみせた澪に、明嗣は素直に驚いた表情を浮かべた。そんな明嗣へ、澪は改めて歩み寄る。

 

「明嗣くんがよく行っているお店の人から教えてもらったの。その上であたしは友達になろ、って言っているんだよ?」

「良いのか? いつかお前を襲って血を吸うかもしれないぜ。それも分かって言ってんのかよ?」

「ううん。明嗣くんは襲わないよ。だって、そのつもりなら今までチャンスはいくらでもあったのに、あたしは今こうして無事に明嗣くんと話しているでしょ? だから、明嗣くんは大丈夫」

 

 なんてむちゃくちゃな……。今までそうだったからこれからそうとはか限らないだろうに。呆れて何も言えないでいる明嗣へ澪はさらに畳み掛けるように話を続ける。

 

「あとは明嗣くんが答えるだけ。もしかして、明嗣くんはあたしが友達じゃ嫌……かな?」

「お、俺は……」

 

 明嗣は思わず頷いてしまいそうになった。しかし、良いのか?という思いがブレーキをかける。当然、ここで首を縦に振れば、「こうして明嗣くんに友達ができました。めでたしめでたし」、で終わりだろう。しかし、明嗣と関わることは吸血鬼に関する危険が増える事を指すのだ。その事実を踏まえると、おいそれと頷く事ができない。

 

 ど、どう答えりゃ良いんだ……。

 

 このまま、雰囲気に流されて答えていいのか。明嗣は内心頭を抱えていた。事実、懸念材料の一つが今も自分の中で底しれぬ沼まで引きずり込もうと手招きしている。

 

 楽しみだなぁ……。この純真な目が恐怖と絶望に染まる所を早く見たいぜ……。な、OKしちまえよ。そして、信頼を裏切る快感を一緒に味わおうぜ?

 

 内なる吸血鬼が答えを急かしてくる。話している内に空はオレンジと群青の色の二色になっている。もう日が落ちるのも時間の問題だ。

 

「俺は……!」

 

 何か言わないとならない気がして、明嗣は先程と同じことを口にする。しかし、そこから先が出てこない。一方、言葉を詰まらせて何も言えないでいる明嗣を待っていた澪だったが、いきなり叫び声を上げた。 

 

「……明嗣くん! 後ろ!」

「っ!?」

 

 思わず振り返ると目の前にはすでに白刃が迫ってきていた。明嗣はとっさに身を引き、攻撃をやり過ごして何が起きたのかを認識した。

 

「お前……!!」

 

 目の前に立っている攻撃してきた者の正体に、明嗣は思わず歯噛みした。ボロボロの黒いオーバーコートに、フードの下から覗く血のように赤い吸血鬼の瞳。そして、半吸血鬼だからこそ見える血管をなぞるように伸びる“黒い線”。一度見たら忘れるはずもない奴だった。

 

「やぁ、久しぶり。街で見かけて面白そうな事しているからちょっと観察させてもらってたよ」

 

 クソっ! よりにもよって今、お前かよ!

 

 朗らかに挨拶する青年、“切り裂きジャック”を前に明嗣は舌打ちした。ただでさえ、手に負えないのに澪がいるタイミングで現れた。最悪以外の何物でもない。

 

「な、なんですかあなた……。け、警察呼びますよ……!」

 

 身体を震わせ、スマートフォンを握りしめた澪が精一杯の警告を口にした。すると、"切り裂きジャック"は舌打ちした。

 

「やってみなよ。できるならね」

 

 その言葉を口にした直後、“切り裂きジャック”は忽然と姿を消した。

 

「消えた!?」

 

 どうなってんだ!? こっちは目を離していねぇぞ!?

 

 ありえない状況を前に、明嗣は身が強ばるような感覚を覚えた。だが、今は“切り裂きジャック”を探す事が優先。辺りに視線を巡らせて、明嗣は黒いオーバーコートを探す。しかし、ぐるりと周囲を見回す前に背後から「明嗣くん!」と呼ぶ声がした。

 振り返るとそこには、澪の手首を掴んで締め上げる“切り裂きジャック”の姿があった。

 

「ねぇ、君。さっき、半吸血鬼のこの人と友達になりたいと言ってたよね? じゃあさ、吸血鬼になってしまった僕とも友達になっておくれよ。それとも僕みたいな()()()()じゃ嫌かい?」

 

 皮肉げに微笑み、“切り裂きジャック”は澪にナイフを当てる。その意味は、動いたら殺す。単純明快な無言のメッセージにより、澪も明嗣も身動きが取れなくなってしまった。

 気を良くした“切り裂きジャック”は明嗣へ和やかに口を開いた。

 

「この前に君と戦った時さ、自分の事は自分で調べろって言われたから色々やってみたんだ。そうしたら影の中を移動できるようになってた事を発見したんだよ。君のおかげだ。だからお礼を言いに来たのさ」

「どうでもいい……。そいつを離せ」

 

 明嗣は澪を解放しろと要求した。しかし、当然の事ながら“切り裂きジャック”は要求に応じる訳もなく……。

 

「嫌だよ。せっかく捕まえたのに離す訳ないじゃないか。さて、じゃあ君は一緒に来てもらおうか」

「来てもらうってどこに……!?」

「すぐに分かるよ」

 

  答えると同時に“切り裂きジャック”は澪と共に一瞬で姿を消した。どうやら影に潜む能力は他者を同伴させる事も可能のようだった。

 

「彩城! クソッ!」

 

 明嗣はスマートフォンを取り出すと着信履歴を遡り、ある人物へ連絡した。五回ほどコール音が鳴った後にその人物は明嗣の電話に応じる。

 

『はいはーい。明嗣から電話なんて珍しいじゃん。どうしたの?』

「鈴音! 今すぐ朱雀飛ばせ! 彩城が攫われた!」

『うぇ!? どうしてそうなったの!?』

「詳しい事は後で説明する! とりあえずエモノ持って店集合だ! 良いな!」

 

 鈴音の返答を待つことなく、明嗣は通話を切った。そして、自宅に置いてあるホワイトディスペルとブラックゴスペルを取りに全速力で駆け出した。



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第31話 致命的な欠陥

 Hunter's rastplaatsに到着した時、時計は午後7時を指していた。全速力で走って来た故に、肩で息をするほど乱れた呼吸を整えた明嗣は、店に入るべくドアノブを回した。店に入る度に来店を知らせるドアベルが今日も勤勉に勤めを果たすと、カウンターで洗い終わったグラスの水気をふきんで取っていたアルバートと目が合う。

 

「おう、来たか」

「マスター、鈴音は?」

「鈴音ちゃんなら今……」

 

 アルバートが質問に答えようとした瞬間、既に姿を現していた地下工房への扉が勢い良く開け放たれた。

 すると、中から青いショルダーレスのニットワンピースに黒のショートブーツといった服装の鈴音が姿を現した。

 

「マスター、とりあえず言われた物を用意出来たと思うんだけど……あ、明嗣!」

「よ、よう……」

 

 明嗣が挨拶を返すと、鈴音はさっそく明嗣へ駆け寄った。

 

「言われた通りに朱雀を飛ばして澪を探しているけど、いったいどういう事なの? ていうか、そもそも澪と遊びに行ってたのにびっくりしたんだけど。いつの間にそんな仲良くなってたの?」

「いや……その……なんというか成り行きで……」

「それ、説明になってないよね? 詳しく説明するって言ったじゃん!」

「あー!! なんかまっすぐ目ぇ見つめられたらいつの間にかOKしちまってたんだよ! 悪ぃか!」

「ちょっと質問攻めしたくらいでキレる事ないでしょ!」

「はいはいはい、お前らそこまでだ。今は口喧嘩してる場合じゃないぞー。まずは澪ちゃんを助ける作戦考えるのが最優先事項、だろ?」

 

 手を叩いてアルバートが二人を諌めつつ、テーブルの上に交魔市の地図を広げた。

 ここ、交魔市は大雑把に分けると4つのエリアに区分けする事ができる。クラブや居酒屋、ゲームセンターなどが集まる歓楽街。一戸建ての家や団地などが多い住宅街。海沿いに広がるオフィス街。そして輸送コンテナなどで運ばれてくる輸入品が集まる港の4つだ。

 ここで注目するべきは、輸入品が集まる港のエリアである。なぜなら、交魔市で検挙される密入国者の大半は、この港に運ばれてくるコンテナに乗り込んでやってくるからだ。潜伏する時はコンテナの中にそのまま隠れていれば良い上に、荷下ろしの作業員に見つかっても、吸血鬼の場合は服従の魔眼で見逃してもらえば良いので、吸血鬼から言わせると入国するにはこれ以上無いほどの玄関なのだ。

 以上の理由から、“切り裂きジャック”の行方を探すならまず、この港のエリアに網を張るのが定石(セオリー)となる。おそらく、鈴音が捜索に出している式神の朱雀もこの港付近を中心に飛んで“切り裂きジャック”捜索に当たっている事だろう。さらに、裏の世界の情報を取り扱うブローカーも、港に拠点を構えている者が多い。一応、知り合いの情報ブローカーに声を掛けておいたので見つかるのも時間だ。

 アルバートは広げた港近辺の地図、輸送コンテナが集まるエリアの一角に建つ小屋を指差した。

 

「明嗣が来る前に、変な黒いコートを着た奴がこの小屋に高校生くらいの女連れて入って行くのを見たと連絡が入った。しかも、そいつは目が血みたいに真っ赤だった上に、ここの家主は最近めったに昼に外へ出歩く事がなくなったって話だ。十中八九クロだろうな。そこで、この小屋に鈴音ちゃんが朱雀で(いぶ)り出した後に俺が魔具を使って奴さんの首をぶった斬る。これが最善手だと思う」

「たしかにマスターが外してもアタシがカバーに入って首を狙えば良いもんね」

「ちょい待ち。俺はどうすんだよ? まさかここで留守番なんて訳じゃないだろ?」

 

 自分にだけ仕事が割り当てられて無いことに気づいた明嗣が異を唱える。すると、アルバートは「そうだ」と答えた。

 

「明嗣、今回の仕事にお前の出番はない。大人しく留守番してろ」

「冗談にしては笑えねぇな。俺だけ留守番しなきゃなんねぇなんておかしいだろ」

「いや、俺は至って大真面目だ。はっきりと『お前は足手まといだ』と言わなきゃ分からねぇか?」

 

 納得いかないと言った表情をしている明嗣へ、アルバートが指を一本立てて言葉を続ける。

 

「まず一つ。お前の得物は銃だ。前に戦った時、銃弾は通らねぇ事が判明しているから使えねぇ」

「はーい。ちょっと質問」

「どうした鈴音ちゃん」

 

 鈴音が手を上げて話に割って入った。アルバートが用件を尋ねると当然の疑問を口にした。

 

「気になってたんだけどさ、明嗣も剣とか刀を使えば良くない? っていうか、むしろその方が明嗣には合っていると思うんだけど?」

 

 ただでさえ、明嗣は普段から11kgの大型拳銃を片手で振り回す怪力の持ち主。ならば、その膂力を剣を振るう事に使えば非常に強力な武器となる事だろう。やらない理由が鈴音には理解できなかった。鈴音の言うことも一理ある、と頷いたアルバートは明嗣が剣を振るう上で致命的な問題を抱えている事を説明し始めた。

 

「武器のほうが()たねぇんだよ。明嗣(コイツ)が剣を使えば、吸血鬼の首を獲る事もできるが、引き換えに剣の方もぶっ壊れてしまう」

「う〜ん……? 言ってる事がイマイチ……」

 

 ピンと来ない、と言いたげに首を傾げる鈴音。すると、アルバートが鈴音に一つ、簡単な質問をした。

 

「突然だが鈴音ちゃん。鈴音ちゃんは刀で物を斬る時、どうやって振ってる?」

「それは、こんな風に刃全体でスゥーって感じに……」

 

 意図がつかめないながらも、鈴音はゆっくりと手だけで居合の動きを再現して見せた。アルバートはそれが問題だ、と言わんばかりに鈴音を指差す。

 

「それだ。コイツにはそんな器用な事はできねぇから、必然と叩き切る振り方になる。けどな、コイツのフルパワーを乗っけた刀剣の類はその衝撃に耐えきれねぇから、一発で折れちまう。だから銃を使わせてんのさ」

 

 刺し身包丁でマグロなどのサク切り身を切る時の動きを想像すると分かりやすいだろう。鈴音が居合で吸血鬼の首を獲る時はそのようにして刀を振っている。刀の刀身に反りがあるのも、この刃全体で引いて切る動きを助けるための物であり、この動きの速さに使い手の技量が現れるのだ。対して、西洋剣は叩きつけるようにして振り、重量で対象を両断する。本来であれば、力自慢の明嗣にはこの西洋剣と相性が良いはずのだが、実はそれが逆に仇となるのだ。なぜなら、いずれの武器も()()が使う事が前提であり、鍛錬を積んだ人間の膂力をいともたやすく凌駕する()()()()が使う事を想定していないのだから。

 

「じ、じゃあマスターが持ってる武器の中で明嗣の全力に耐えきるのを使わせれば……」

「あいにく、俺のコレクション(魔具)にそんなモンはない。これから作れば良いかもしれないが、この仕事(ヤマ)には間に合わねぇだろうな」

 

 淡々と事実を口にし、アルバートは二本目の指を立てた。

 

「二つ目。今のお前、冷静に動ける状態と言えるのか?」

「っ……!!」

 

 アルバートの問いに、明嗣は歯噛みするだけで答える事ができなかった。何も言えずにいる明嗣へ、アルバートは追い打ちをかけるように続ける。

 

「前にボコされた相手に知り合いが攫われたとあっちゃあ、そりゃじっとしてられねぇだろうよ。けどな、それで感情に任せて突っ込んだ後に前回と同じように暴走されちゃ、こっちだって困る。爆弾抱えているようなモンなんだよ。分かるだろ」

 

 言い返す余地が無いほどの正論だった。戦いにおいて最大の敵とは感情に負けてパニックを起こしそうになる自分自身だ。頭に血が昇った状態では僅かな勝機を見逃してしまう。今の明嗣に必要なのはクールダウンして頭に昇った血を降ろす事だ。

 

「頭を冷やせっつー(こっ)た。分かったら大人しくしてろ」

 

 突き放すようにアルバートは話を締めくくる。そして、地下工房から用意した黒い刀身の大剣や、もしものための火炎放射器などの荷物をワゴン車に積んだ鈴音とアルバートは、澪の救出へ向かった。

 走り出してから少しして、助手席に座る鈴音がふと口を開いた。

 

「マスター、なんか明嗣に冷たくない? 何もあんな言い方しなくても良いのに……」

 

 一人残された明嗣を不憫に思ったのだろう。鈴音の顔には少し心配するような表情が滲んでいる。一方、ハンドルを握るアルバートは真っ直ぐ進行方向を見据えながら答えた。

 

「いや、むしろ優しい方さ。そりゃ甘い事だけ言ってりゃ、その時は心地良いだろうよ。でも、それじゃあいざという時、役に立たねぇ奴になっちまう。だから、はっきり言ってやる事でシメる所はシメないとな。それでどうすりゃ良いのか考えるのが重要なんだ。できなきゃ、アイツはそこまでだ」

「……厳しいね」

 

 納得した鈴音はポツリと一言だけこぼして、抱きしめるように抱えた刀を握った。

 二人を乗せた車は港へ向けて走ってゆく。目的の小屋の上空では捜索に出していた鈴音の式神である朱雀が標的の居場所を知らせるように円を描いて飛んでいる。やがて、目的地の100メートル前で車を止めたアルバートは、鈴音と共に“切り裂きジャック”へ夜襲を仕掛ける準備を始めた。

 

 

 

 場所は移り、Hunter's rastplaats地下工房。一人だけ残された明嗣は、地下工房でじっとある物を見つめていた。視線の先にあるそれは一台のバイクだ。死んだ父が残した忘れ形見であり、吸血鬼となった時に授かった戦車馬が長き時を経て変化した物。そして、自分に遺伝した吸血鬼の能力が眠っているものである。中では、今も明嗣の吸血鬼としての本能が血を求めて牙を研いでいる事だろう。

 燃料タンクの部分に手を当てて、明嗣は考え込むように見つめる。そうしている内に、頭の中に声が響いた。

 

 何やってんだよ。こんな所でじっとしてる場合じゃねぇだろ。

 

「だよな……」

 

 頭の中に響く吸血鬼(もう一人の自分)の声にポツリと呟いて同意する。

 

 さっさと行かねぇと全部持っていかれるぞ。そうなりゃ、血を吸う所の話じゃなくなるぜ?

 

「ああ。分かってる」

 

 短く同意して、明嗣はなおも思案するようにバイクを見つめる。やがて、痺れを切らした内なる吸血鬼が早くしろと明嗣を促した。

 

 なら、早く追いかけろよ。いつまでも不貞腐れてんなよ。

 

「いや、その前にやる事がある」

 

 やがて、思案の末に意を決した明嗣はバイクのアクセルグリップを握った。意識が暗転した明嗣はその場に倒れ込み、もう一人の自分と対面しに向かった。



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第32話 なんとなくに意思が宿る時

 気がつくと、明嗣は以前にも来たこと事があるコロシアムに立っていた。映る色が白と黒で構成されたこの世界は、念ずる事で欲しいものを具現化させる事ができる心象世界。目の前には自分と瓜二つの人物がニヤニヤと邪悪に微笑んでいる。まるで、向こうから獲物がやってきたとほくそ笑む狩人のような笑みだ。

 

「で、やる事ってのはまさか俺に身体を明け渡す事か?」

 

 黒き炎を出現させた内なる吸血鬼は、その中に手を突っ込んだ。そして、引き抜くように手を動かすと、炎の中から片刃の大剣が現れる。大剣を肩に担ぐ内なる吸血鬼の問いに、明嗣はただ手を広げて返事をする。

 

「どうせ、今の俺じゃ奴に勝てねぇしな。だったら、ちょっとでも可能性のある方に賭けてみるのも悪くねぇ。望み通りに血を吸わせてやる。ほら、来いよ」

「へぇ、それはそれは……。ずいぶんと(いさぎよ)い……なぁッ!」

 

 明嗣の返答を聞いた内なる吸血鬼は、遠慮なく明嗣へ向けて突っ込んで行き、その剣を明嗣へ突き立てる。なんと、明嗣はそれを抵抗する事もなく受け入れた。あっさりと自分の攻撃を受け入れた明嗣に対し、内なる吸血鬼は素直に驚きの表情を浮かべた。

 

「マジで何もないのかよ……。そこまでして澪を助けたいのか?」

「ああ……! 俺は彩城を助けたい……!」

 

 痛みに喘ぎながら明嗣は力強く答える。そして、自分を貫くその剣の(つか)に手をかけた。

 

「アイツは……本当ならこんな事に関わらなくて良い奴だ……!! 何も知らないまま生活しているはずだったんだ……! だから、巻き込んだ俺には……全力でアイツを元の世界に返してやる義務があんだよ……!!」

「おいおい……。他にも似たように吸血鬼に襲われた奴はいただろ? なんだって澪だけ贔屓すんだよ」

 

 内なる吸血鬼は呆れた調子で明嗣に返す。確かにそうだ。他にも似たように吸血鬼に襲われている所から救出した人はいた。すれ違った人や、軽く話した事もある人もいる。でも、初めて澪に会った際、写真の事を馬鹿にされたと誤解して詰め寄られた時に、明嗣は言い訳を考えるのとは別にこう思ったのだ。綺麗で純粋な目をしているな、と……。だからこそ、本能的に自分とつるんではいけないタイプの人種だ、と感じ取って遠ざけていたのだろう。

 だが、澪はそれでもめげずに声を掛けてきた。そして、裏仕事で吸血鬼を狩っているのを知った上で自分の事を理解したい、と言ってくれたのだ。

 

「いくら吸血鬼たって元は人だ……! 吸血鬼を殺してきた俺の手は、洗っても落とせないくらい血でベットリだ……。でもな……!」

 

 明嗣は柄を握る手に力を込める。そう。澪はそんな明嗣の手を取った。そして、真っ直ぐに明嗣の目を見て言ったのだ。

 

「アイツは、友達なろうって言ってくれたんだよ……!!」

 

 その時は手を振り払ってしまったけれど、同時に何かが変わった気がした。女の子に手を握られて真っ直ぐ見つめられただけで情を動かされるなんて、裏社会の人間にあるまじき弱さだと(わら)う者もいるだろう。だが、それでも。

 

「俺が助けに来るのを彩城が待っているとしたら、俺はそれに応えたい……! そのためだったらなんだってやる……!! けどなぁ!!」

 

 ああ、そうとも。そのためならどんな代価だって払ってやろう。ただし――!!

 

「そんなに血が吸いたきゃ、まずは自分(テメェ)の血を吸え、朱渡 明嗣(ダンピール)!!」

「なっ……!?」

 

 明嗣は痛みに構う事なく自分に刺さる剣を引き抜いた。そして驚いて動けない内なる吸血鬼へ引き抜いた剣をそのまま突き立てた。

 

「がァ!? お前……!?」

「本当は認めたくなかったんだ……。俺の中にこんな弱い自分がいるなんてな……」

 

 吸血鬼に出会う度にほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ心の底では思っていた。我慢なんてせずにこんな風に好き勝手していれば人生楽しいだろうな、と。でも、他者を踏みにじって快楽を貪るだけの(ケダモノ)にしか見えなくて、あんな風にはなりたくないと思う自分も同時にいた。

 

「だから、こういう自分もいるんだと目の前に突きつけられて、必死に否定しようといたんだ。俺はあんな奴らとは違うって。でも、これからはそうも言ってらんないんだよな……」

 

 明嗣は柄を力いっぱいに捻った。エキゾーストノートが響き、身体の中で心臓が強く脈を打つような感覚を覚えた。同時に自分の中に何かが流れ込んで来る感触もしっかりと感じる。

 よく見ると内なる吸血鬼が剣の中に吸収され、その輪郭がどんどんぼやけていた。

 

「お前を受け入れなきゃ、俺は強くなれない。でなきゃ、俺はこれからも置いていかれる事になっちまう。そんなの絶対(ぜってぇ)嫌だ」

 

 いつの間にか、この場には明嗣一人だけが立っていた。真っ白な空間だった故に今まで気が付かなかったが、その手には刀身が真紅の色に染まった黒い刃の大剣を握られていた。

 

「これが俺の……」

 

 手に馴染む握り心地で明嗣は、これは自分の一部なのだ、と直感的に理解した。ひとまず、問題の一つをクリアした安堵感から、明嗣はフゥ、と一息ついた。

 

「よくやったな」

 

 いきなり背後から声が聞こえたので、再び戦闘へ意識を切り替えた明嗣は、無言で手に入れたばかりの大剣を向ける。剣が指し示すその先からは、漆黒のロングコートを着た男が歩いてこちらへ向かって来ていた。隣には内なる吸血鬼が乗っていた黒い炎のたてがみを持つ馬がおり、手綱はその男が握っている。その男の容姿を目にした明嗣は、思わず息を飲んだ。なぜなら、その男の白い髪や両目とも紅に染まった眼差しを目にした時、誰だと思う前に懐かしいと感じたのだから。

 

 どっかで会ったか……? いや、まさか……。

 

 ふと、ある可能性が思い浮かんだ。知り合いにこのような風体の男はいない。にも関わらず、どこか懐かしいと感じるその理由。明嗣は声を震わせてそれを口にする。

 

「お、親父……なのか……?」

 

 確信はなかった。思い当たる節がそれしかなかったのだ。

 対して、自分を父と呼んだ明嗣に対してその男は微笑みを浮かべて頷いた。

 

「よく分かったな。私がお前の元を離れたのは物心がつく前にだというのに」

「マジかよ……!? でも、なんで……」

 

 明嗣は剣を下ろして、力を抜いた。敵意が無い事を確認した明嗣の父、アーカードはゆっくりと困惑する明嗣へ近づいた。

 

「私はただの残留思念のような物だ。いつか、お前が自分の吸血鬼の能力を受け入れた時に、少しだけで良いから話ができるようにしたいと思って魂の一部を残しておいたんだ。それにしても……」

 

 説明しながら、アーカードは明嗣を観察した。そして、明嗣の両肩に手を置いて満足気に頷いた。

 

「大きくなったな、明嗣」

「当たり前だろ……。俺、もう15歳なんだからさ……」

 

 初めて対面した父親からの言葉に、明嗣は視線を伏せて返した。すると、アーカードは申し訳無いと言いたげな表情を浮かべた。

 

「すまないな……。私のせいで毎日大変だろう?」

「いや、大丈夫。それなりに楽しく暮らしているよ」

「そうか……。苦労をかけるな……」

「ただ、気になってたんだ。追われるって分かってて、なんで吸血鬼の敵になる事を選んだのかな、って」

 

 おそらく自分の妻の晴華にも、息子である明嗣にも、追手が向かう事になる事も承知していたはずだ。それなのになぜ、吸血鬼と袂を分かつ事を選んだのか。明嗣はそれをずっと疑問に思っていた。もっともな疑問を口にした明嗣に対し、アーカードは柔らかく微笑みを浮かべた。

 

「そうだな……。明嗣、お前は人間をどう思っている?」

「え、なんだよいきなり……」

「答える前に教えてくれ。世の中は人が集まる事で成り立っている。その人を、私の息子がどのように見ているかを知りたいんだ」

 

 意図が掴めず、困惑する明嗣に対してアーカードは、真っ直ぐに見つめて感想を促す。やがて、明嗣は自分が思う正直な感想をアーカードへぶつけた。

 

「俺は……あんまり良くねぇと思ってる。自分勝手だし、どいつもこいつも自分に尽くして当然だってツラして歩いている奴ばかり目について、正直嫌気が差すよ」

 

 アーカードはただ黙って話を聞いていた。たとえ好ましくない物だったとしても、本音を受け止めてやる事が父親として息子に唯一できる事だから。しかし、やはり闇の世界を歩く事になってしまった息子の本音を聞くのは苦しいものがある。同時に自分に原因があるのだから、そういう風に思ってしまうのも仕方ない、と半ば諦めている心境だった。だが、そんなアーカードの心境を知ってか知らずか、明嗣は「でも」と続ける。

 

「最近、色々あってさ。もしかしたらそれだけじゃないのかもって思えるようになったんだ」

「そうか……」

 

 話を聞いたアーカードは、短く返した後に明嗣の質問の答えを語り始めた。

 

「私は晴華に会うまでは鬼として生きてきた。奪い、殺し、恐れられ、暴虐の限りを尽くした私はヘルシングに敗北して封印されてしまった」

 

 遠い過去を懐かしむようにアーカードは目を細めた。

 

「やがて、封印を解かれて目覚めた私は、今の世界を知るためにヘルシングの子孫を名乗る若造と共に世界を巡った。そして、日本に流れ着いて私は晴華と出会ったんだ」

「へ、へぇ……」

 

 このタイミングで明かされた両親の馴れ初め話に、明嗣はどういう反応を返して良いか分からずに困ったような笑みを浮かべた。明嗣の反応はもっともだ、とバツが悪そうに笑うアーカードは話を続けた。

 

「彼女に出会った時、私は深手を負っていた。ほっといてくれと言っても、言うことを聞いてくれなくて困ったよ。でもな、彼女の優しさに触れたその時、私は自分が欲しかった物に気づいたんだ。私はな、明嗣。私はずっと、一国の領主や恐怖の暴君ではなく、一人の人間として対等に扱ってくれる者が欲しかったんだ。いや、吸血鬼と成る前にもそのような者がいたのかもしれないが、私は気づく事ができなかったんだろうな……」

「親父……」

 

 ずっと抱えていたであろう孤独を感じた明嗣は、何も言えずにただ父を呼ぶことしかできなかった。そんな明嗣へ、アーカードはしっかりと明嗣の目を見据えて語りかける。

 

「いいか、明嗣。愚かな私は人の中で生きる上で身も心も鬼になることでしか、道を見いだせなかった。だがな、鬼だった私の心だけでも人に戻してくれたのも、また人だったんだ。だから、人に失望しないでくれ。きっと、お前にも道を違えそうになった時や、間違った道を歩いていると思った時、引き戻そうと手を引く者が必ず現れる。その手を見逃さないよう、人に寄り添い、歩いてやってくれないか?」

「……ああ。分かった。努力してみる」

「そうか……! そうか……!!」

 

 たぶん、最初で最後になるであろう父の頼みだ。断るわけにもいかないので明嗣はしっかりと頷いて、父の頼みを受け入れた。願いを託せたアーカードは、本当に嬉しそうに顔をほころばせて頷いた。そして、ずっと隣で待機している馬の手綱を明嗣へ差し出す。

 

「これは、私からの餞別だ。今からコイツの主人はお前だ、明嗣」

「え、良いのか?」

「ああ。馬は主人と共に走って風を感じてこそ、その生を感じるんだ。私はもう一緒に走ってやれないからな。だから、コイツに風を感じさせてやってくれ。それに、コイツの力が今のお前に必要なんじゃないか?」

 

 どうやら、先程の叫びを聞かれていたようだった。明嗣は恥ずかしいのを隠すようにうつむいて手綱を受け取った。すると、新たな主人に忠誠を誓うようにアーカードの愛馬は、明嗣の前に頭を垂れる。

 

「撫でてやれ。馬を扱う基本は信頼関係にある。だから、触れ合う事でお前に命を預けると信頼を示すのが大切なんだ」

 

 アーカードに促されるまま、明嗣は差し出された頭を撫でた。すると、新たな主人の思いを受け取ったのか、父から受け取った愛馬は嬉しそうに深紅の眼を細め、鼻を鳴らした。

 

「これからよろしくな。えっと……親父、コイツに名前はあるのか?」

「いや、コイツと会った当時は名前をつけるなんて発想なくてな。なくても困らなかったから、名無しなんだ。せっかくだ。お前が名付け親になれ」

「そうだな……」

 

 明嗣は改めて託された愛馬を見つめた。この世界だから今は馬の姿でいるが、現実の方ではバイクの姿をしているのだ。名前をつけるなら、馬でもバイクでも違和感が無いような名前にするのがベターだろう。どういう名前が良いか考えていると、こちらを見つめる深紅の瞳と炎として揺らめく黒いたてがみが目に止まる。その2つの要素から、明嗣はこれから相棒として過ごす愛馬の名前を告げた。

 

「よし、今からお前の名前は『ブラッククリムゾン』だ。それでどうだ」

 

 主人として明嗣は真っ直ぐに愛馬へ伝えると、アーカードの愛馬改めブラッククリムゾンは肯定するように地を蹴り、蹄を鳴らした。そうして、やり取りを見守っていたアーカードは、役目を終えたとばかりに明嗣へ背を向けて歩き出した。

 

「親父! どこ行くんだよ」

 

 黙って去ろうとする父に気づいた明嗣は、慌ててその背中を呼び止めた。すると、アーカードは振り返り、明嗣へ別れの言葉を口にする。

 

「私はもう死んだ身だ。こうして息子と話し終えた今、もう私がやり残した事はなくなってしまったんだ。だから、大人しく冥府へ行って報いを受ける事にするよ。元気でな」

「親父……!」

 

 この時、明嗣は自分でどういう表情をしていたか分からなかった。ただ、呼び止めた時の明嗣の表情を見たアーカードは、仕方ないなと笑い、息子を励ます父の表情で明嗣へ呼びかけた。

 

「そんな表情(かお)をするな、明嗣。お前はもう、立派な男なんだからもっとシャンとしろ」

「え……?」

「お前は男の顔になっている。大切な物のために戦う立派な男の顔にな……」

「そうかな……」

「だから戦え! もう、お前は進む事しかできないぞ!」

 

 この言葉で明嗣はこれでお別れなんだ、と感じ取った。だから、もう二度と会えない寂しさを誤魔化すように精一杯の笑みを作った。

 

「ああ。分かった。話せて良かったよ」

「そうだ。それで良い。これでお別れだ。じゃあな」

「あ、その前にさ。一つ聞きたい事があるんだけど、良いか?」

「なんだ?」

「俺の事、なんで明嗣(めいじ)って名前にしたんだ? これ、今はキラキラネームっておかしな名前だ。納得のいく理由を教えてくれよ」

 

 明嗣は至って真面目な表情でアーカードへ、己の名前の由来を問いかけた。すると、アーカードはなんて事ない、と言った表情で答えを述べる。

 

魔法使い(メイジ)は魔法を使って希望をもたらす者だ。だから、お前の名前はメイジ・アーカードになるはずだったが、日本に合わせた結果、"明"かりと"嗣"ぐと書いて明嗣となったんだ。これで納得してくれるか?」

「そうだったのか……。分かった。ありがとな、親父」

 

 これでスッキリだ、と言わんばかりに明嗣は頷いた。そして、再び自分へ背を向けて歩き、光を放ちながら薄まっていく父を見送った。やがて、残された明嗣は隣に立つブラッククリムゾンに呼び掛ける。

 

「うっし、そんじゃさっそくだけど、一仕事頼むぜ!」

 

 決意を込めた明嗣の声に、ブラッククリムゾンは気合い十分とばかりに蹄を鳴らし、明嗣の呼びかけに応えた。

 

 

 

 一方、場所は移り、交魔市港エリア。

 こちらでは現在、アルバートと鈴音が“切り裂きジャック”が潜伏していると思われる倉庫へ夜襲をかけるべく、それぞれの持ち場で待機していた。

 

「じゃあ鈴音ちゃん、用意は良いか?」

 

 耳に着けたイヤホンマイクでアルバートは鈴音へ呼びかけた。このイヤホンマイクとBluetoothで接続したスマートフォンは現在ボイスチャットアプリで通話状態となっている。一秒ほど間を置いた後、同じくイヤホンマイクを着けた鈴音からの返事が返ってきた。

 

『オッケー。アタシも準備できた。いつでも合図出して良いよ』

 

 極めて冷静に集中している事が伺える鈴音の声を聞いたアルバートは、クレイモアサイズの剣を構えて、いつでも首を刎ねる事ができるよう準備する。この剣は魔女狩りの時代、魔女と判決を下された者の首をいくつも切り落としたとされる断頭台(ギロチン)の刃を使って作った剣だ。やがて、覚悟を決めるように深呼吸して息を整えたアルバートは、鈴音へ合図を出した。

 

「よし、朱雀を突撃させろ!」

 

 直後、窓ガラスが割れる音と共に、中で何かが暴れる音が響いた。鈴音の式神である朱雀が火の粉のような羽を散らし、標的である"切り裂きジャック"へ攻撃をして暴れている音だろう。

 やがて、ドアが開いて中から誰かが出てきた。その男は生地がほつれてボロボロとなった黒いコートを着ていた。

 

 ビンゴ!

 

 息を止め、アルバートは首を刎ねるべく横一文字にクレイモアを振り抜く。たしかに首を捉えた剣は、豆腐を切るかのように、いとも容易く首と身体を切り離した。

 そして、黒いコートの男は他の吸血鬼と同じように灰の山となって崩れ落ちる。

 

 やったのか……?

 

 あまりにもあっさりと事が終わったので、アルバートは拍子抜けしたように、灰の山を見つめた。だが、本当にこれで終わりなのか、という疑念が頭に浮かぶ。

 やがて、その疑念は最悪の形で的中した。

 

「へぇ……面白い事考えるね、オジサン」

 

 直後、アルバートは背筋がゾッとするような感覚を覚えた。同時に、脇腹の皮膚が裂かれる痛みがアルバートを襲う。

 

「お前……!? いったいどうやって……!?」

「ああ。血を吸っていたらなんか手下ができてしまってさ。ちょっと先に出てもらって外の様子を伺ってもらったんだよ。まさかオジサンの方が来るとは、思ってなかったけどね」

 

 グリグリとアルバートの脇腹を抉り、“切り裂きジャック”は邪悪な笑みを浮かべている。だが、脇腹を抉る手を止めた“切り裂きジャック”は、何を思ったか後頭部へナイフを向けた。その直後、ギィン、と金属がぶつかる音が響く。

 

「嘘!? 見てない上にナイフで斬椿(きりつばき)が止めるの!?」

 

 いくら身体能力に差があるとはいえ、死角から仕掛けた全力の一撃をナイフ一本で受け止められた事実に鈴音はショックを受けた。その声を聞いた“切り裂きジャック”は嬉しそうな声を上げた。

 

「これは可愛い相棒を連れてきたね。この間の半吸血鬼とか言ってた坊やはどうしたんだい?」

「アイツは留守番させてるよ……。ちょっと調子が悪いみたいでな……」

 

 痛みに喘ぎながらアルバートが答えると、“切り裂きジャック”は残念そうな表情を浮かべた。

 

「そうなんだね。てっきり彼も一緒に来ると思ってたのに残念だ」

「マ、マスターを離して……!」

 

 和やかに答える“切り裂きジャック”の背中へ、鈴音が震えた声を出しつつ刀を向けた。すると、“切り裂きジャック”は冷めた視線を鈴音へ返した。瞬間、鈴音は蛇に睨まれた蛙のように固まってしまう。

 

「そんなに急がなくても、君らはきっちりと殺すよ。たださ、あの半吸血鬼の坊やに連絡して、こっちに来るよう伝えてよ」

「え……」

「明嗣の奴を呼んでどうするつもりだ……!」

 

 言葉を失い、喋る事が出来なくなってしまった鈴音の代わりにアルバートが尋ねる。対して、“切り裂きジャック”は満面の笑みを浮かべた。

 

「いやね、僕、あの坊やの知り合いの女の子を捕まえてさ。その上、仲間である君らを餌にしたら確実に来るだろうなって思ったのさ。狙った獲物は逃がさない主義だからね」

 

 その答えを聞いたアルバートは、苦渋の表情を浮かべた。

 かくして、アルバートと鈴音も囚われの身となり、明嗣の助けを待つ事となった。



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第33話 覚醒の産声

 “切り裂きジャック”に捕まったアルバートと鈴音の二人は、倉庫の一角に縛り付けられていた。ご丁寧に二体の手下の吸血鬼まで見張りとして置かれている。

 

「グッ……クソッ……。血が止まらねぇ……!」

 

 アルバートは刺された脇腹を一瞥し、痛みに喘いだ。血で赤黒く染まったワイシャツからは、今もポタポタと血が流れ落ちていた。呻くアルバートの隣で鈴音がおそるおそる声をかける。

 

「マスター、大丈夫?」

「今はな……。だが、早くなんとかしないと洒落にならねぇ……!」

 

 急いで止血しないと、アルバートは出血多量であの世行きコースだ。だが、動かそうと腕に力を入れると、筋肉が強ばるだけで動く事はない。まるで動かし方を忘れてしまったようだった。

 

 なんで動かないの!? 魔眼対策だってしっかりやってるのに!

 

 ゴソゴソと身をよじる鈴音だが、ビクともしない身体に対して焦燥を覚えた。半吸血鬼の明嗣と違い、魔眼に対して抵抗力のない人間である鈴音とアルバートは、専用の眼鏡をかけたり、コンタクトレンズを着ける事で吸血鬼の魔眼対策を施している。そのはずなのだが、現在の二人は、“切り裂きジャックの”「君たちにはここで大人しくしてもらうよ」の一言で簡単に身体の力が抜け、即座に手が後ろに回り、足はピッタリと閉じられて縛られてしまった。

 未だかつてない事態に鈴音はパニックを起こしそうだった。心臓が早鐘を打つようにドクドクと脈打つ感覚が身体を支配していく。どうしたら良いのか分からず、思考がどんどん絡まっていく。

 暴走する思考の勢いに任せて鈴音は脱出する手筈(てはず)を考える。

 まず、自分の手と足を縛る物。これはなにか圧迫する物だというのは感じられた。しかし、感じるだけで“何で縛っているのか”、が鈴音には分からない。なぜなら、()()()()のだから。

 肌に触れている感触から、何か弾力のある物だというのは分かる。同時に何かが流れている感触から液体の入ったバッグのような物なのも理解できる。だが、いくら暗がりの室内とはいえ、月明かりが差し込んでいるにも関わらず、()()()()()()()()のだ。

 まるで文字通り、空気に溶け込んでいる、としか表現できなかった。これでは、袖の中に仕込んだクナイで切る事もできない。何かの液体薬品だったら、下手に手を出すと事態を悪化させかねないからだ。

 その上、上手くこの拘束から抜け出せたとしても、見張りの問題も残っている。吸血鬼は標的へ噛みつき、血を取り込ませる事により仲間を増やす。“切り裂きジャック”の仲間があの二体だけとは限らないので、下手に騒ぎを起こす訳にいかない。“切り裂きジャック”と共に増援がやってきたら、それでジ・エンドなのだ。とはいえ、このままでは刺されて脇腹から血を流すアルバートが命が危ない。

 

 どうしよう……! どうしよう……!

 

 多くはない。が、決して無視する事はできない大きな二つの問題に、どんどん鈴音の中で首が締まっていく感覚が大きくなっていく。

 幸い、クナイは太もものレッグポーチの中にもある。こうなったら、元気な自分が一か八かの賭けに出るか、と覚悟を決めた時だ。幼少期より練習させられた縄抜けを実行しようとした鈴音の耳に、自分と同じくらいだと思わせる少女の声が飛び込んできた。

 

「誰かいるんですか?」

 

 向こうも拘束されているのか、ズルズルと自分の身体を引きずりながら近づいてくる音がする。やがて、姿を現した声の主は鈴音の姿を見るなり、驚きの声を上げた。

 

「え、鈴音ちゃん!?」

「澪!? ここにいたの!?」

 

 なんと、声の主は“切り裂きジャック”に拉致された澪だった。まさかここで鈴音と会うと夢にも思わなかった澪は、もう一度同じ質問をする。

 

「そんな事は良いの! それより鈴音も捕まっちゃったの? っていうか、その隣にいる人って……」

 

 血を流して苦悶の表情を浮かべるアルバートを目にした澪は、その様子に顔を青くした。

 

「ヘルシングさん……!? その血、どうしたの!?」

「おう……澪ちゃんか……。いやぁ……ちょっとドジ踏んじまってこの通りだ……。助けに来たってのに情けねぇ……ッ!」

 

 傷が痛むのかアルバートは息を切らしながら挨拶を返す。だが、澪は首を振った。

 

「喋っちゃダメですよ! どうしよう……! 手当てしないといけないのにあたし、縛られちゃってるよ……!」

「実はアタシもそうなんだよね……」

「そんな……どうしよう……。このままだと死んじゃう……!」

 

 鈴音の状態を目にした澪はパニックを起こした声を上げた。そんな澪を前にだんだん落ち着いてきた鈴音。おそらく、ここの状況については、先にいた澪の方が幾分詳しいはずだ。クールダウンしてきた鈴音は、澪へ見張りの数などの情報を尋ねる。

 

「澪、落ち着いて。それはアタシだって分かってる」

「なら、早くなんとかしないと……!」

「うん。だからアタシ達より先にいた澪に教えて欲しいの。ここにいる吸血鬼って外で見張っている二人だけ?」

「え……なんで吸血鬼の事……。鈴音ちゃん、まさか……」

 

 鈴音の言葉で勘付いた澪は、確認するように鈴音を見つめる。すると、鈴音は頷いて見せた。

 

「まぁ、この状態で落ち着いているのはそういう事なの。だから教えて。この倉庫にいる“切り裂きジャック”の手下は外にいる二人だけ?」

 

 鈴音の質問に澪は思い出すために視線を伏せた。やがて、視線を上げて鈴音と目を合わせた澪は、口を開いた。

 

「たぶん、まだいると思う。だって、ここに連れてこられた時、他にも十人くらい人がいたから。しかもその人達、元気そうに見えるけどすっごく肌が白かったよ」

 

 聞くんじゃなかった……。

 

 最悪、と心の中でこぼした鈴音は次の質問に移った。

 

「じゃ、次。アタシ達の手を縛っているこれ、何でできているとか分かる?」

「分かんないよ……。なんか、絶対に割れない風船って感じ……。鈴音ちゃんは何か分からないの?」

「残念だけどアタシも分かんない……。澪、これ以上何かするのは危険かも。塩酸みたいな液体の薬品が中に入ってたらヤバいから」

 

 この一言で澪は石のように固まって動かなくなってしまった。それに伴い、鈴音も大人しく捕まっている事にした。さすがに死角からの一撃をナイフ一本で止めて見せた“切り裂きジャック”に加えて、十人も同時に相手するのは自殺行為に等しい。

 だから、置いていかれた明嗣が助けに来る事を大人しく祈っているしかないのだ。だが、悠長に構えていてもいられないのも事実だ。このまま放っておけばアルバートが手遅れになってしまうのだから。見張りの吸血鬼をなんとかできない以上、縛られたままアルバートを手当てする手段を考えなければならない。

 鈴音は周囲を見回すと、新たに問題があることに気が付いた。それは……。

 

 傷を塞ぐのに使えそうな物がない……!?

 

 どこを見ても釘を打ち付ける事でしっかり密閉された木箱ばかりで、縛られた状態で手当てに使用できそうな物が見当たらないのだ。これではアルバートの手当てができない。さらに、悪い事という物は時として嵐がやってくるように立て続けに起こる時もある場合もあるのだ。

 突如、倉庫の扉が開いた。

 

「本当にいたぞ……。女が二人と死にかけのオッサンが一人。交代した奴が話していた通りだ」

「どうする? お前どっちにする?」

 

 入ってくるなり、無遠慮にそんな感想を漏らす男が二人入ってきた。それを見た鈴音は思わず声を上げた。

 

「ちょっと! アンタたちいったいなんなの!?」

 

 だが、鈴音の質問に二人が答えず一人が指を指した。

 

「じゃあ、オレこの気の強そうな方にするか」

「オッケー。じゃあ、おれはビビっている気の弱そうな方にするわ」

 

 のんきに品定めをした後、鈴音の方にすると答えた吸血鬼が用件を口にした。

 

「オレらさ、最近ちょっと血を吸えてなくてイラついているんだよね。んで、丁度いいところにお前らがやってきたって訳。俺らの事知っているみたいだし、ここまで言えばもう分かるよな?」

 

 鈴音と澪は背中が粟立ち、ゾッと寒気が走るのを感じた。どっちにするか選ぶという会話、血を吸えなくてイラついているからやってきたという文句。間違いなく、自分達に見張りの番が来た事にかこつけて、鈴音と澪から血を吸い取りにやってきたのだ。

 

「そ、そんな事したらあの人が黙っていないでしょ……」

 

 澪がおそるおそる“切り裂きジャック”が許さない事をチラつかせた。今の自分は食料兼明嗣を呼ぶための餌である事を理解しているからこそ切れるカードだ。しかし、当の二人は、これは傑作だとばかりに笑いだした。

 

「あんなボロコート、オレら全員で囲めば良いさ! ちょっと超能力を持っているからってオレらは10人だぜ? 勝てる(わき)ゃねぇよ! むしろ何人か死んでくれた方が分け前も増えるしなぁ!」

 

 そして、高笑いを終えた吸血鬼の二人は、獣じみた視線を鈴音と澪へ向けた。

 

「まぁ、その前に? やっぱり味見はしときたいよなぁ?」

「最近は男の血ばっかりでつまんなかったしな……。役得ぐらいはなきゃ割に合わないよな」

 

 どうやら、澪が使ったなけなしの切り札は不発だったようだ。下卑た笑みを浮かべた吸血鬼が縛り付けの乙女二名へ迫る。このままでは傷一つ無い首筋が血で汚されてしまう。標的となった鈴音と澪は、自然と身を寄せるようにして、部屋の隅へ移動する形で後退した。だが、そこから先は逃げ場がない終点。もう下がる事はできない。

 この時、澪は必死にある人物へ助けを求めていた。

 

 明嗣くん……!

 

 澪は目を閉じて必死に念じた。正直な所、縋るような心境だった。

 初めて会った日の夜のように、突然明嗣が颯爽と現れて助けてくれないかな。物語のようにピンチになったヒロインを助けに来るヒーローのように現れて欲しい。そんな奇跡に縋りたくなるような心境だった。

 やがて、そんな澪の願いが通じたのか、いきなり吸血鬼達が何か異変を感じたのか足を止めた。

 

「なぁ、何か聞こえないか?」

「アン?」

 

 吸血鬼が口にした言葉で思わず澪は耳を澄ませてみた。すると、たしかに『……ォオン……』と狼の遠吠えのような音が微かに聞こえてくる。そして、その音はだんだんと近付いて来る。ブォン!とはっきりと聞こえるようになったその音で、この場にいる全員が理解する。先程から聞こえてくるこの音の正体は、エンジンが唸るエキゾーストノートだ。やがて、高回転域(レッドゾーン)に至ったエンジンの回転する音がすぐそこにまでやってくると同時に、扉が吹き飛んだ。

 

「な――」

 

 何だ、と言う前に二人の吸血鬼の身体が炎に包まれた。同時に一台の大型バイクが飛び込んでくる。

 

「うあああっととと!?」

 

 突如現れたライダーはクラッチを切って三回程軽く吹かしながら、その場にタイヤ痕でドーナツ模様を描く。その後、完全停止したバイクに跨った状態でほっと息を吐いた。

 

「お前、かなりの荒馬だな。こりゃしばらく苦労しそうだぜ……」

 

 ぼやきつつ、龍のイラストが描かれた燃料タンクを撫でるそのライダーを目にした澪は、信じられないと言いたげに見つめていた。一方、ライダーの方は澪と視線が合うと目を丸くした。

 

「吸血鬼が入っていくのを見つけて突撃してみたら、いきなり当たりを引いたみてぇだな。怪我ねぇか、彩城」

 

 ヘルメットを用意出来なかったのか、目を守るためのバイザー代わりに着けた防塵ゴーグルを外す様子を目にした澪は思わず声を震わせた。

 

「本当に助けに来てくれた……!」

「遅いよ! もっと早く来てよ、明嗣!」

 

 今までどこで油を売っていた、と本気で怒る鈴音に対して、大型バイクを駆って乱入してきたライダー、明嗣はニヤリと笑って答える。

 

「悪ぃ悪ぃ。これでも急いで飛ばして来たんだ。それに、ヒーローは遅れてやってくるって言うだろ?」

「そんな冗談言ってる場合!? おかげでマスターが今ヤバい状態なのに!」

「はぁ!? なんでそんな事に……つか、拉致られた彩城はともかく、なんで揃いも揃って全員縛られてんだよ!?」

 

 やっと状況を把握した明嗣は、驚愕の声を上げた。すると、話す体力すら惜しむように黙り込んでいたアルバートが口を開いた。

 

「よぉ……。それ、無事手懐ける事ができたんだな……」

「マスター、どうしたんだよその怪我……!? 何があ――ッ!」

 

 突如、明嗣は言葉を切って懐から白銀の大型自動拳銃(オートマチック・マグナム)、ホワイトディスペルを抜き、背後へ向けた。銃口が狙う先では、ボロボロの黒いロングコートを着た吸血鬼、“切り裂きジャック”と10名もいたその手下の残り8名が勢揃いしていた。

 

「やぁ、来てくれたんだね。待ってたよ」

 

 歓迎の言葉を送る“切り裂きジャック”。対して、明嗣は顔に笑みを張り付けたまま、殺気を乗せた視線と共に冷徹に睨む。

 

「よぉ、久しぶり。さっきの礼しに来たぜ、殺人鬼(シリアルキラー)

「ははは。やっぱり君は期待を裏切らないね。餌をぶら下げておけばいずれくるだろうと思ってたよ。それじゃあ――」

 

 もう人質は用済み。好きにしていいと合図をしようした瞬間だった。突如、10発の銃声が鳴り響く。同時に、頭部が吹き飛んだ8体の死体と何かに阻まれて潰れてしまった銀灰色の塊が“切り裂きジャック”の前に浮かんでいた。

 明嗣は右手に握るホワイトディスペルと共に、いつの間にか抜いていた黒鉄の大型自動拳銃(オートマチック・マグナム)、ブラックゴスペルの銃口から立ち上る煙を振り払うように回した。

 

「コイツでも貫通()けねぇか……。やっぱ銃じゃダメみてぇだな……」

「そう。だから、さっさとしっぽ巻いて僕から逃げられるかどうかを心配した方が良いんじゃない?」

 

 舌打ちして悔しがる明嗣に対し、“切り裂きジャック”は勝ち誇るように呼びかけた。その後、アルバートも明嗣へ逃げるよう促す。

 

「だから銃じゃ無理だって言ってるだろ……!! 殺されちまうぞ……!!」

 

 敵だった吸血鬼から預かった息子とはいえ、本当の息子同然に手塩を掛けて育てた弟子だ。親心や愛着は嫌でも湧く物だ。目の前で死なせるなんて事は許せるはずがない。

 だが、明嗣は想定内だと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべて見せた。

 

「仕方ねぇ。まぁ、このための秘密兵器を用意したんだしな。()()()()にちょうどいい相手だろ」

 

 明嗣は両手の銃の撃鉄を戻して、二丁ともホルスターへ戻してしまった。その後、乗ってきたバイクのキーを操作すると、アクセルグリップへ手を伸ばす。

 

「そういや、バイクには『ブラッククリムゾン』って名前をつけたけど、これには名前をつけてなかったな」

 

 アクセルを開くのと逆方向にグリップを捻ると、ブレーキレバーと共にアクセルグリップが回った。そして、引き抜くの同時にバイクの側面が開き、中から何かが飛び出してくる。

 

「なんて名前が良いかな……」

 

 明嗣は引き抜いたアクセルグリップを飛び出してきた何かに接続しながら、どういう名前が良いかと考えた。そして、アクセルグリップを繋げた事により出来上がった真紅の大剣を見つめ、()()()にふさわしい名前を口にした。

 

「よし、決めた。今からコイツの名前は炎刃クリムゾンタスクだ」

 

 名前が決まった事で満足した明嗣は、名付けたばかりの紅の牙(クリムゾンタスク)を地面に突き立てると、柄となったアクセルグリップを挑発するように思いっきり捻った。

 すると、エンジンが高回転域(レッドゾーン)まで一気に吹け上がる音と共に、ドクンと心臓が跳ね上がる感覚が身体中を駆け巡る。

 一連の様子を見守っていたアルバート、鈴音、澪の三人は各々に驚きの声を上げた。

 

「おい……お前、まさか……!?」

「嘘……何あれ!?」

「え、何? あれってなんなの?」

 

 そして、同じく様子を見ていた“切り裂きジャック”はそれがなんだ、と言わんばかりに鼻を鳴らした。

 

「へぇ……君、剣を持っていたんだ。でも切れ味はあんまり良いようには見えないなぁ……」

「なら、勝負してみっか?」

 

 身体中にエネルギーが駆け巡る感覚を感じつつ、明嗣は突き刺した剣を引き抜くと肩に担いだ。そして左手の指でかかってこいと挑発する。

 

「俺の牙とお前のナイフ、どっちがよく切れるか。互いの身体を使って確かめてみようぜ!」



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第34話 吼える炎刃

 月明かりが差し込む倉庫内で、明嗣は不敵に微笑み、かかってこいと挑発した。右手に握る真紅の大剣、炎刃クリムゾンタスクからはドッドッドッ……と待機(アイドリング)状態で回るエンジンの音が鳴っている。だが、すでに戦闘モードに意識へ切り替えた明嗣へ、待ったをかける者が二人。

 

「ちょっと待て……! お前、剣は使うなって言ってるだろ……!」

 

 脇腹から血を流して意識が朦朧としているアルバートに続き、見えない何かに縛られた鈴音も同じように呼びかけた。

 

「そうだよ! 全力で打ち込んだら壊れちゃうんでしょ!? それじゃ、チャンスは一回限りで失敗したら終わりだよ!?」

 

 その声の緊迫感から、状況をよく飲み込めてない澪でも、明嗣が問題を抱えている事を理解できた。しかし、当の明嗣本人は何の問題もない、と余裕の表情を浮かべていた。

 

「まぁ、任せとけって。面白ぇモン見してやるよ」

「へぇ……それは楽しみだ……」

 

 隙を伺いながら、一連のやり取りを聞いていた“切り裂きジャック”がフードの下で、良いことを聞いたとばかりに笑みを浮かべる。すると、異変を感じ取った明嗣が即座に腰を落として、肩に置いた剣を振りかぶった。だが、踏み込む間に景色へ溶け込むように消えた“切り裂きジャック”にその一太刀が届く事はない。

 どこへ消えた、と明嗣は周囲へ意識を張り巡らせた。ピン、と張った糸のような緊張感が辺りを包み込む。やがて、初めて“切り裂きジャック”と会った時のような寒気が背筋を駆け抜けた瞬間、明嗣は剣の腹を背に向けた。直後、金属がぶつかり合うガキン、という音が周囲に響く。なんと、消えた“切り裂きジャック”による死角からのナイフの攻撃を受け止めて見せたのだ。

 

「やっぱな……」

「よく分かったね。そこに転がっているオジサンも引っかかったんだけど。良い勘してる」

「勘じゃねぇよ。()()()()()()防いだんだ」

 

 ニッと口の端を吊り上げ、明嗣は大剣の大きさを利用してナイフを受け流す。そして、“切り裂きジャック”の体勢が崩れた所へ、左肘でエルボーを顔面に叩き込んだ。しっかりとそこにいる、と感触を確かめた明嗣は、切り上げの構えで剣先を地に着けた後、柄として接続したアクセルグリップを捻った。すると、エンジンが高回転域(レッドゾーン)まで吹け上がる音と共に、何かが爆発したような勢いで剣が跳ね上がる。

 

「っシャア!」

 

 暴れる剣を持ち前の膂力で制御し、明嗣は“切り裂きジャック”へ掛け声と共に剣を振った。しかし、勢い良く振り抜かれた剣は標的の肉の裂く事はなく空を切った。刃が肌に触れる前に大きくの仰け反る事で、“切り裂きジャック”は明嗣の一閃をやり過ごしたのだ。だが、明嗣は落胆する事なく距離を取ると、新しい玩具を楽しむ子供のように満足げな笑みを浮かべた。

 一方、短いながらも一連の攻防を見守っていた人質一同は呆気に取られて言葉を失っていた。

 

「ねぇ、どういう事? 明嗣くん、全然問題なく戦えているみたいだけど?」

「分かんないよ……。アタシは、マスターから明嗣が剣を使うと壊れるとしか聞いてないし……」

 

 素直な疑問を口にした澪へ返事をした鈴音が、明嗣と一番付き合いが長いアルバートへ視線を向けた。対して、血液を失って意識が朦朧としてきたアルバートは痛みに悶ながらも納得したように力を抜いた。

 

「なるほどな……。自分で振って壊れるなら機械にやらせてしまって、自分はサポートしようって事か……」

「どういう事?」

 

 剣を扱う者だからこそ鈴音は理解できないと首を傾げた。剣なのに機械? どれだけ技工を凝らした所で手で握り、振って物を断つ物は刀剣だろう。鈴音の刀や剣に対する認識とはそういう物だ。だからこそ、鈴音はアルバートの言うことがいまいち理解できないでいた。そんな鈴音に対して、アルバートは“切り裂きジャック”とにらみ合う明嗣の右手を指さした。

 

「秘密はあの柄だ……。バイクのアクセルでもあるあれを捻ると中にある燃料が爆発して、バカみてぇに重い一振りを繰り出せるって寸法さ。あれなら必要以上に力を込める事はねぇし、明嗣本人は暴れる剣の制御だけしてりゃ良いから壊れる心配もねぇ。だが解せねぇのは……」

 

 アルバートは指先を明嗣の右手から先程明嗣が剣を突き立てた地点へ移動させる。そこには剣を突き立てた際に傷ついたコンクリートの床があった。

 

「あの傷、剣を突き立てたにしては傷が綺麗すぎる……。コンクリってのは衝撃が加わればひび割れるモンだろ。でも、あの床の傷はヒビが少ししか入ってねぇ……。よっぽど切れ味が良いのか、あるいは……」

 

 なにかまだ秘密が隠されているのか。こればかりはこの場で解明するのは、おそらく無理だろう。後で本人に聞くより他ない。この戦いが終わるまでに生きていればの話だが。アルバートは痛みに耐えながらも明嗣へ呼びかけた。

 

「明嗣、あんま時間かけないでくれると助かる……。早く片付けてくれねぇとお迎えが来ちまう……。ツッ!」

 

 痛みに悶えるアルバートの呼びかけに対し、明嗣は手を上げて返事した。そして、調子を確かめるようにクリムゾンタスクのエンジンを軽く吹かす。

 

「って訳だ。こっからは全開(フルスロットル)で行くぜ!」

 

 明嗣は剣を肩に担ぎ、“切り裂きジャック”へ突撃する。対して、“切り裂きジャック”はナイフを指揮棒のように振り、以前戦った際に散々明嗣を苦しめたあの攻撃を繰り出す。

 背筋にゾッとするような悪寒が走り抜けるのを感じた明嗣は、生存本能に従い盾のようにクリムゾンタスクを突き出した。すると、何か細い物が複数、刀身へ当たるような衝撃を感じる。“切り裂きジャック”が明嗣の命を刈り取ろうと風の刃を飛ばしてきたのだ。やがて、衝撃が収まったのを確認した明嗣は、剣の向こうから覗き込む。すると、再び“切り裂きジャック”はその場から姿を消していた。明嗣は視線を動かし、“切り裂きジャック”の居場所を探る。やがて何を思ったか、明嗣はクリムゾンタスクのエンジンを回して右側の空間を薙ぎ払う。

 直後、ガギン!、と金属がぶつかり合う音が再び鳴り響き、同時に“切り裂きジャック”がナイフを震わせて明嗣の剣を受け止めている姿が現れた。触れ合う刃からは火花が散っている。

 

「だから言ってんだろ。()()()()って。お前、光が屈折するくらいの厚さの空気で鎧を作って姿を隠しているんだろ。簡単なトリックだ。人の目は光の反射によって形を捉えているからな」

「へぇ、まぐれを誤魔化して僕を怖がらせるための虚勢かと思ったけど、どうやら違うみたいだ」

 

 明嗣の推理を聞いた“切り裂きジャック”は感心したように頷いた。

 これは「以前に戦った事があり、“切り裂きジャック”は風に関する能力を持っている」という情報が頭にある明嗣だからこそ、看破できたトリックだ。余談だが、アルバートがいとも簡単に背後を取られたのも、この空気の鎧で姿を隠していた事による物が大きかった。

 

「なら、ついでに教えてくれないかな。ナイフを通して伝わって来る常に刃が動いているような感触の正体をね」

「あぁ、そういやお前の時代にはなかったよな。知らないのも当然だ。ロウソクで部屋を照らしていた時代にチェーンソーなんてモンはな」

 

 興味深々と言った様子でクリムゾンタスクについて尋ねる“切り裂きジャック”に対し、明嗣は挑発するようにエンジンを吹かしてニヤリと笑みを浮かべた。

 明嗣の言う通り、クリムゾンタスクにはチェーンソーのような機構を搭載されている。しかし、クリムゾンタスクは一定速度で刃を回転させるチェーンソーとは違い、アクセルグリップの開度によって刃の回転する速度が変化する特性がある。つまり、クリムゾンタスクは西洋剣の叩き切る動作を行ないながら刀のように刃全体で相手を斬る事が出来る機構を搭載した機動剣(メカニカルソード)なのである。

 

「俺は小さい頃から普通とは違う世界を見ていてね。そのおかげて吸血鬼の中にある“黒い”何かが見えんだよ。ついでにこの剣を使っている間は五感が鋭くなるみてぇだ。だから――」

 

 明嗣は種明かしをしつつ、踏み込むために脚へ力を込めた。

 

「お前がいくら影の中に潜んだり、景色に溶け込んで姿を隠していようと、俺は逃さねぇ……よっ!」

 

 明嗣は剣の重さと並外れた膂力を生かして強引に剣を押し込む。空中へ跳ね上がる“切り裂きジャック”の身体。これでは身動きが取れない。そこへ狙いすましたように響くエキゾーストノート。明嗣は歯をむき出し獰猛に笑い、全開までアクセルを開いたクリムゾンタスクで“切り裂きジャック”の首を狙う。

 しかし、かろうじてナイフで受け止めた事により“切り裂きジャック”は後方へふっ飛ばされるだけで終わった。そして、何を思ったか着地した“切り裂きジャック”は肩を震わせ始めた。

 

「くっ……ふふ……」

 

 なんだ……?

 

 笑いが堪えられないと言った様子で“切り裂きジャック”は全身を震わせる。やがて、もう我慢できないと言った様子で笑いだしてしまった。

 

「ははははは! 良いねぇ! そう来なくちゃ! でないと叩き潰す甲斐がないものさ!」

 

 瞬間、ビリビリと空気が震えると同時に“切り裂きジャック”の周囲へ気流が(うず)を巻き始めた。その光景は誰がどこからどう見ても、これはまずいと思わせるには十分なプレッシャーを放っていた。

 

「初めて会った時から君は何か気に入らなかった! その理由が今分かったよ! 普通とは違う癖に! まるで自分は上手くやれるって信じ切っている表情が気に入らなかったんだ!!」

「おい、鈴音! 今すぐマスターと彩城を連れて逃げろ! なんかヤバいの来んぞ!!」

 

 しかし、危険な液体系薬品が入っているかもしれない何かを警戒して動けない鈴音は、明嗣の呼びかけに文句を返す。

 

「無茶言わないでよ! アタシら、今縛られてるんだよ!? ヤバい薬入ってたら逃げるどころ話じゃなくなっちゃうの!」

「それって空気を固めた手錠じゃねぇのか!?」

「分かんないからヘタに動けないの! だから明嗣がなんとかして!」

 

 鈴音の返事を聞いた明嗣は、忌々しげに舌打ちした。そして、やっぱり一人の方が気楽だ、と明嗣は心の中で愚痴をこぼす。なぜなら、今のように責任重大な役目を押し付けられると非常に気が重くなる性分なのだから。これで失敗したら末代まで恨まれるんだろうな、などと考えた時には、もう何もしたくなくなる程に気分が沈む。

 だが、見捨てる事ができるかと問われたら、それは違うだろ、と明嗣は思う。今この場でしっぽを巻いて逃げ出したら、自分の命は助かるだろうが、残された者達の怨嗟の声を聞きながらこの先の時間を過ごす事になるだろう。そんな人生はまっぴら御免だ。なら、どうするか。その答えは既に、明嗣の中で決まっていた。

 

 仕方ねぇ……。エンジンも良い感じに温まってきてるし、あれ使うか!

 

 この一撃で決着を付ける、と腹を括った明嗣は、クリムゾンタスクを地面に突き立て、全開までスロットルを開いた。エンジンが(うな)ると共に、黒い火花がクリムゾンタスクの吸排気口から吹き出す。

 

「そろそろ決着付けようぜ。お互いに大技構えているしな」

「良いね。そろそろ血を吸いたいと思って所なんだ」

「奇遇だな。俺も早く帰って寝たいって思ってた所だよ」

 

 空気が渦巻く轟音とエンジンが唸るエキゾーストサウンドが周囲に響き渡る。

 明嗣は引き抜いた剣を振りかぶり、さらに吹かしながら今まで触れていなかったブレーキレバーに指を掛けた。通常なら車体を止めるための物なのだが、剣に接続した状態の場合、このレバーは今までエンジンが温まると同時に溜まっていた熱エネルギーを吐き出す引き金(トリガー)となる__!

 互いの緊張感が最高潮まで高まった瞬間、明嗣はレバーを引いて内部に溜まった熱エネルギーを吐き出す。瞬間、明嗣は爆発音と共に弾丸の如く飛び出した。対して、“切り裂きジャック”はナイフを振り、集めた風を巨大な刃の嵐として束ねた。その後、勢いに任せて真っ直ぐに突撃してくる明嗣へ風の刃をぶつける。

 このままでは真っ直ぐに突っ込む明嗣へ直撃し、明嗣はバラバラに切り刻まれてしまうだろう。だが、今更ルートを変更する事はできない。

 澪と鈴音とアルバート、人質の三人が行く末を見守る中でエキゾーストサウンドが周囲に響く。そして、明嗣の真紅の牙と“切り裂きジャック”の風がぶつかり、辺りは煙に包まれた。



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第35話 決着、そして……。

 二つのエネルギーがぶつかりあった余波で倉庫内の空気に舞い上がった埃や木くずが混じる。両手を縛られて口を塞げないので、澪はむせながら口を開いた。

 

「けほっ……けほっ……。どうなったの……?」

 

 煙で視界が利かないので、明嗣と“切り裂きジャック”の一騎打ちの勝敗はどちらに軍配が上がったのか分からない。やがて、もうもうと立ち込めていた煙が落ち着いてくると、人が立つシルエットが浮かんできた。

 

「そんな……!?」

 

 そのシルエットをハッキリと捉えた鈴音は、信じられないと言いたげに息を呑む。徐々に晴れる煙の中から姿を現したその人物のシルエットは、ゆったりとしたパーカーではなく、着たきりすずめのボロボロのコートを着ていたのだから。

 

「嘘……!? 明嗣くんが……負けたの……!?」

 

 同じように立っている姿を捉えた澪も、それっきり言葉も失ってしまった。立っている者の服がボロボロのコートという事は、“切り裂きジャック”が勝った事を指し示す事に他ならない。ならば、この先に待ち受けるのは……。最悪のイメージが澪と鈴音の頭に浮かぶ。だが、アルバートがフッと息を漏らして小さく笑った。

 

「よく見てみな。もうすぐ煙が晴れるから」

 

 やがて、アルバートが言う通りに煙が晴れて、周囲をよく見渡せるようになってきた。同時に、“切り裂きジャック”と思わしきシルエットの首がズレて、その場に落下して転がった。そして、灰となって崩れ落ちそうな身体を押しのける者が一人。

 

「勝手に殺すんじゃねぇ……。きっちり地獄に落としてやったっつーの……」

 

 剣を杖代わりについて、明嗣が身体を引きずりながら歩いてくる。よく見ると切り傷を負って血が流れており、羽織っている真っ赤なパーカーやシャツなど衣服が所どころ裂けていた。巨大な風の刃と競り合った際に、正面からぶつかったが故にできた物だった。

 風や気流という物は暖かい場所から寒い場所へ空気が流れる現象を指す言葉だ。つまり、その流れを遮る高温の物体が出現したら、その空気の流れは理屈上は止まるという訳だ。なので、熱エネルギーを爆発させて飛び出した明嗣は“切り裂きジャック”が放った風の刃に対し、クリムゾンタスクのエンジンを吹かして高温の熱を持つ刃をぶつけたのだ。そのおかげでダメージは軽い切り傷と服が破けるだけで済み、その勢いに乗って“切り裂きジャック”の首を刃を入れる事に成功した訳だ。

 

 にしても、かなり疲れるなこれ……。立ってるのがやっとだぜ、おい……。

 

 肩で息をしつつ、明嗣はクリムゾンタスクを納めるためにブラッククリムゾンへ歩いてゆく。しかし、体力の限界が近いのか、その足取りはおぼつかずフラフラとした物だ。ガシャ、と音を立てて開いたボディが剣を飲み込むと、ブラッククリムゾンは通常の大型バイクの形態へ戻った。そして、支えを失った明嗣はその場に膝をつく。

 

「明嗣くん大丈夫!?」

 

 体勢を崩した明嗣へ澪が駆け寄った。どうやら鈴音の「何か危険な液体薬品が入っているかも」という心配は杞憂だったようだ。明嗣は手を上げて、問題ない、駆け寄る澪を静した。だが、立ち上がる元気はないのか、座った状態で息を整える。

 

「ちょっとクラっと来ただけだ。それより、早くマスターの手当てしねぇと……」

「そっちはやるからこっちにって鈴音ちゃんが言ったから」

 

 澪の言葉でアルバートが転がっている方へ目を向けると、鈴音が応急手当てのキットを広げていた。

 

「どこに隠していたんだよ、そんなモン」

「コツは分ける事だよ。こっち終わったら明嗣の方も手当てしてあげるから、どこ怪我してるかとか確認してて」

 

 呆れた表情で呼びかける明嗣に対し、鈴音は血が出ている箇所に燃える羽根のような物を当てていた。その鈴音の横では式神の朱雀が羽繕いをしている。どうやら、鈴音が手にしている物は朱雀の羽根で、炎をまとう鳥の式神である朱雀の羽根は焼きごてとしても使えるようだった。鈴音が行っている応急処置は、傷口を焼いて止血するという荒っぽい物だった。

 手当てを受けるアルバートの方は傷口を焼かれる痛みに耐えるように顔をしかめている。傷口から血が止まったのを確認した鈴音はガーゼを当てて、テープを貼って固定した。

 

「これでよし。あとはお店にある物でなんとかするしかないけど、縫う物とかあるかな……」

「まぁ……最悪の場合、釣り用のやつで代用すりゃいいさ……」

「監察医の友達がいるなら、ちゃんと医療用の縫合糸を譲ってもらいなよ……」

「備品をちょろまかすのは難しいんだと……」

 

 アルバートの返事を聞いた鈴音は、仕方ない、と苦笑いを浮かべた。そして、比較的にダメージが軽い明嗣の手当てに取り掛かるが……。

 

「あれ? もう塞がってる……」

 

 鈴音が傷の具合を確認すると困惑の表情を浮かべた。対して、明嗣はフウ、と息を吐いて身体から力を抜いた。

 

「クリムゾンタスクを使うと自然治癒能力も上がるみてぇだな……。けど、その代わりに相当体力が消耗するのか……」

 

 あんまり乱用はできないな、と明嗣は心の中でこぼした。クリムゾンタスクはあくまで奥の手。相当な強さの敵が現れた時に使うのが良いだろう。

 

「すっご……。これだけ綺麗に塞がってるなら応急処置はいらないね。大丈夫? 動けそう?」

「ああ……。休んだおかげでちょっとだけなら動けそうだ」

「そっ。じゃ、アタシはマスター連れて先に戻ってるから」

「なら、男手があった方が良いだろ。車はたしか……」

 

 アルバートを運ぶために明嗣が立ち上がろうとすると、鈴音がいきなりその肩を押さえつけた。

 

「ストーップ! アタシだけで十分だから明嗣はここで大人しくしてて良いよ」

「いや、だってマスターの身体って重い……」

「良いから言う通りにする! わかった!?」

「い、いえーす……」

「まったく……。それじゃあ澪、コイツが無茶しないように付いててあげてね。追いかけてくるのは、なるべくゆ〜っくりで良いからね」

 

 剣幕に圧倒された明嗣が素直に返事をすると、鈴音はアルバートに肩を貸しながら、澪へ声を掛けてそそくさと去ってしまった。

 そして、“切り裂きジャック”の嵐が過ぎ去った倉庫には、明嗣と澪の二人だけが残された。

 

「なんだアイツ……」

「きっと明嗣くんの事を気遣ってくれたんだよ」

 

 こっちは早く休みたいのに、と不満の表情を浮かべる明嗣に対し、鈴音の意図に気づいた澪は明嗣の隣に腰を下ろしながら困ったように笑う。

 鈴音が一人でアルバートを運ぶと言って譲らなかった理由は、言うまでもなくこの状況を作り出すためにあった。お昼は二人でお出かけ、そして今回の騒動。ならば、この後は二人で()()()()()()だけだろう。そう考えた鈴音が、気を利かせて二人きりの時間をセッティングしてくれたという訳だ。

 もちろん、明嗣もその意図には気づいており、呆れたようにため息を吐いた。ついでに物語(フィクション)じゃあるまいし、そんな事あるわけ無いだろう、と心の中でツッコミを入れる。

 互いに無言のまま、時間だけが流れていく。やがて、無言に耐えきれなくなったのか、澪が口を開いた。

 

「なんか。今日は大変だったね……。ただ、明嗣くんの一日について回るだけで終わる予定だったのに」

「まぁ、これも俺の日常さ。今回はちとヘビーだったけどな……」

 

 本当に疲れたと言いたげに大きく息を吐いた明嗣は、真っ直ぐに正面から澪に向き直ると深々と頭を下げた。

 

「アイツは俺が前にボッコボコにされた奴だったんだ。俺が弱かったからこんな事になっちまった。ごめんな」

「え、いや、そんな事ないよ! それだけ強かったって事でしょ? 明嗣くんは弱くなんか無いよ!」

「いや、そもそもの話、吸血鬼ってのは会ったその時に仕留めてなきゃならねぇんだよ。今回は俺がアイツより弱くて、仕留め損なったから起こった事だ。だから、俺が悪い」

 

 一般人(カタギ)は絶対に巻き込むな。アルバートの教えが明嗣の頭の中で木霊する。「闇の中の事は闇の中で決着(カタ)を着ける。それが俺たちの暗黙の掟(ルール)だ。だから、絶対に一般人(カタギ)を巻き込む事は許されねぇぞ」と口を酸っぱくして教えられてきた。その本質がやっと理解できた気がする。

 今回はなんとかなったが、このような事が何回も起きれば、精神的に追い詰められて行くことになるだろう。それが大切な存在であればあるほど、深刻さの度合いは高くなるのも想像に難くない。そんな時こそ求められるのが冷静な判断力、ひいては何事にも動じない鋼の精神力だ。だが、心を持つ者はどうやったって感情に囚われてしまい、自分にとって大切な存在ほど心が揺れ動いてしまう生き物。友人、家族、恋人、このような存在が利用されたら冷静でいられるか、と問われたら、おそらく首を横に振る。明嗣はそれほどにまで自分が熱くなりやすいと認識したし、アルバートも吸血鬼ハンターとして育てると決めた時にその気質を見抜いていたから、口を酸っぱくして言っていたんだなと理解したのだ。

 加えて、澪は純粋だ。悪いことは悪い、と真っ直ぐに言えるし、今言った明嗣の事を気遣う言葉も本心から口にしていると感じる。優しいと言ってくれた事も、友達になろうと手を握ってくれた事も、全て本心から来る物だったのだ。

 だからこそ、明嗣は澪に対して、どうすれば良いという思いでいっぱいだった。これからも似たような事は起こるだろう。澪だってまた巻き込まれるかもしれないし、今度は取り返しのつかない事態になるかもしれない。だから、友達になろうという澪の申し出を受ける事はできない。かといって、断ればたぶん澪が悲しむ事も容易に想像できる。今の明嗣はそれも嫌だと感じた。それほどまでに、明嗣は澪の事を気に入ってしまった。

 

「ねぇ、明嗣くん」

「なんだよ」

 

 澪が呼びかけると明嗣がぶっきらぼうに返事する。

 

「助けてくれてありがとうね」

「別に。俺はボコられた借りを返しただけだ」

「ここは素直にどういたしましてって言うとこだよ」

「……初めて首を吹き飛ばすの見た時ビビり倒してた奴が言うようになったじゃねぇかよ」

 

 明嗣は憎まれ口を叩きつつ、気恥ずかしいのを隠すように俯いた。一方、澪はそんな明嗣に対し、負ける事なく言葉を返す。

 

「うん。あの時のあたしは何も知らなかったね。銃で人を撃って平然としている明嗣くんが本当に怖くて仕方なかった。でも、鈴音ちゃんが怖がってるあたしの背中を押して明嗣くんと向き合わせてくれて、明嗣くんがそうするしかない世界があるんだって教えてくれて、アルバートさんがもっと考える事の大切さを教えてくれた。だからね__」

 

 顔を上げて、澪は明嗣へ呼びかけた。言うとおりに顔を上げると、明嗣の人間の証である黒い瞳と吸血鬼の証である紅の瞳を宿した両目に映っていたのは、本当にありがとう、と感謝するように微笑む澪の顔だった。

 

「ありがとう。あたし、見る景色が変わったよ。明嗣くんが変えてくれたの。明嗣くんと会ってなかったら、目の前しか見えなくてずっと狭い世界で生きてたと思うんだ」

「俺は何もしてねぇよ。いつも自分の事に手一杯で、誰かに何かやってやれる余裕なんてまったくない」

「そんな事ないよ。だって、明嗣くんはあたしの事を助けに来てくれたでしょ?」

 

 ああ……マジで参った……。

 

 明嗣は本当に困ったように澪から顔を背けた。おそらく、澪はどれだけ明嗣が否定したとしても、あなたは助けを求める人に手を差し伸べる事ができる優しい人だ、と言って譲らないだろう。カメラマンの父親に影響されて自分もカメラを手にすると共に、その両目(ファインダー)に映してきた物はさぞかし綺麗な物ばかりだっただろう。そんな彼女の綺麗さ加減が、どれだけ自分が汚れているかを突きつけているようで、明嗣は嫌気が差しそうだった。なぜなら、明嗣は知っている。血と硝煙が香るこの暗い世界で生きる者なんかが優しい奴の訳がない事を。

 

「あのさ、彩城」

 

 明嗣が不意に口を開いた。

 

「どうしたの?」

「初めて会った時、女の写真について何か知らないかって聞いたよな。白い何かを抱えたあれ。んで、俺の盗撮写真でも同じような事が起きていて、何だよこれって詰め寄った時もあったよな」

「それ、今言う? ちょっと気にしているのに……」

 

 笑っていた澪の表情ががらりと申し訳ないと言った表情に変わる。どうやら、本人の中では黒歴史にしたいようだ。落ち込む澪に対し、明嗣は苦笑交じりに続ける。

 

「あの時の答え、教えてやるよ。あれな、女の人は俺の母親で白いのは赤ん坊だった頃の俺だ」

「そうなの!? あ、でも考えてみればそうだよね。あんな珍しい現象なんて、無関係な方がおかしいもん。でも、明嗣くんのお母さんだったなんてね……」

「あの時は吸血鬼がどうとか言っても信じるわけないし、知らないって言うしかなかったんだよ」

「うん。確かににそうかも。普通は信じないよ。え、それじゃあ、写っているのは2人だけなのになんで右に寄せた配置になってたの? だって、被写体は赤ちゃんだった明嗣くんと明嗣くんのお母さんと……」

 

 そこまで言いかけた所で澪はハッとある事に気付いた。そう。よっぽどの理由がない限り、母とその息子だけの家族写真なんて不自然極まりない物だ。その上、2人だけ写すつもりなら、明嗣とその母親の位置は中央に寄せるのが当然だろう。だが、実際の写真は右に寄り気味の配置で撮影されている。これが指し示す事実は……。

 

()()()……? 明嗣くんのお父さんがそこに……?」

 

 澪は信じられないと言った面持ちだ。何も知らなければ、バカバカしいと切り捨てて終わりのチープな答え。だが、目の前にいるこの少年は普通の人間とは違う事を、今の澪は知っている。そして、澪の考えを肯定するように明嗣は頷いてみせた。

 

「ああ。吸血鬼は写真に写らない。で、そのハーフの俺は、気を抜いた状態だとどっちつかずで白いぼやけた感じに写る。だから、あんな写真になっちまったんだろうな……」

「そういう事だったんだ……」

 

 澪は探していた答えを見つける事ができて、スッキリとした表情となった。澪がこうして現地に訪れる程に惹かれたあの女性の笑顔は、家族と一緒にいる幸せを噛み締めている物だったのだ。

 最初から答えは近くに転がっていた事に対して、澪は正直拍子抜けしたような気分だが、まぁ良しとした。蓋を開けてみると中身が大した事ない、なんてよくある話なのだから。

 ずっと疑問に思っていた事に対して、答えを得られた事に満足した澪だったが、ここでささやかな疑問が一つ浮かんできた。それは……。

 

「ねぇ、明嗣くん」

「なんだよ」

「どうして今、あの写真の事を話してくれたの?」

 

 もっと落ち着いた時にゆっくりと教える事だってできたはずだ。にも関わらず、どうして戦いを終えて疲労困憊な今なのか? 当然の疑問に対して、明嗣は少し黙り込んでしまった。そして、逡巡するように視線を泳がせると、覚悟を決めて澪の質問に答えた。

 

「それは……ここでお別れだからさ」

「え……?」

 

 急に何を言い出すんだ、と澪は困惑の表情を浮かべた。一方、明嗣は困惑する澪に構う事なく、言葉を続ける。

 

「俺は一つだけ吸血鬼と同じ魔法が使えるんだ。だから、それで俺と会ってから今までの事を全部忘れてもらう」

「何……何言ってるの、明嗣くん……!? どうしてそんな事言うの……!?」

 

 やっと欲しかった物を手に入れたのに。せっかくここまで近づけたと思っていたのにどうして。なぜ、それを台無しにするような事を言い出すのか。

 やめてと懇願するように、澪は悲しげな表情を明嗣へ向けた。その表情に罪悪感を覚えながら、明嗣は自分の意思を貫くように澪の目を見据えて表情を引き締める。

 

「初めて会った日の夜から彩城は悪い夢を見ていたんだ。だから、俺がそれを終わらせてやるよ」

「嫌だよ! せっかく心を開いてくれたのにどうしてそんな事するの!?」

「悪ぃな。俺とつるんでいたら、似たような事がこれからもある。今回はなんとかなったけど、次も同じようになんとかできるとは限らねぇ。巻き込んで命を落とした、なんていくら詫び入れても足りないなんて事だってあるかもしれない」

 

 だからお別れする。これが明嗣の覚悟だった。

 

「じゃあな、彩城。友達になろうって言ってくれて嬉しかった」

「ダメだよ!お願いだから考え直して!」

 

 澪の懇願に構う事無く、明嗣に宿る吸血鬼の左眼が紅色に光る。そして、明嗣はお別れの引き金を引く言葉を口にした。

 

「彩城、吸血鬼に関する事全てを……」

「待っ___」

「“忘れろ”」

 

 瞬間、澪は一瞬にして気を失い、その場に倒れ込んでしまった。

 その数十分後、匿名の通報を受けてやって来た警察官が倒れて気を失っている澪を発見した。保護されて警察署の医務室で目が覚めた澪は、どうして自分があの場に倒れていたのか覚えておらず、調書を取られて家に帰された。

 

 

 

 “切り裂きジャック”との戦いから三日後。

 体調不良につき休み、と書いた黒板を店先に出して休業中のHunter's rustplaatsは、気まずい雰囲気に包まれていた。原因は、負傷により動けないアルバートに代わって電話番をしている明嗣と鈴音の二人にあった。

 

「……」

 

 スマートフォンでネットサーフィンをする明嗣に対してじーっ、と無言の抗議をするような鈴音の視線が刺さる。明嗣が溜め息を吐いて、視線を感じないように姿勢を変えると、鈴音もまた移動してじーっ、と睨むような視線を送りつける。実に陰険な嫌がらせだった。やがて、耐えかねた明嗣が鈴音へ呼びかける。

 

「なんだよ。言いたい事あんならさっさと言え」

「なんで澪の記憶を消したの」

「その事か」

 

 大した事じゃないな、と言わんばかりの明嗣の軽い返事に、鈴音はついに怒り出してしまった。

 

「その事か、じゃないでしょ! 学校行ったら、一昨日の事なんてなかったみたいにケロッとした顔で学校生活送ってる澪を見たアタシの気持ち、考えた事ある!?」

「はいはい、そりゃ悪うござんした」

「心がこもってない! だいたい、記憶消すの嫌だしやらないって言ってたじゃん! なんで澪の記憶を消したのか納得する説明をしてもらわないと許さないよ!?」

 

 せっかく良い雰囲気(ムード)をお膳立てしてやったのにそれを台無しにしたな貴様、という鈴音の恨めしげな思いをヒシヒシと感じつつ、明嗣は語り始めた。

 

「まぁ、彩城のあれはストックホルム症候群とか、ああいうのと同じ気の迷いだ。そんなんで俺らとつるんでいたら、いつか後悔する時が必ず来る。その時に恨まれちゃたまったもんじゃねぇよ」

「でも___」

「それにこの世界を見るには優しすぎる。その優しさを利用しようとする奴だって出てくるだろうよ。依頼してくる奴が良い奴だとは限らないからな」

「それはそうだけど……」

「だからここで縁を切ってやるのが一番良いんだよ。抜け出せないレベルまでどっぷり浸かっちまう前に」

「うぅ……」

 

 本当にそれで良いのか、と思うと同時に反論する言葉を持たない鈴音は、明嗣の言い分に唸り声を上げる事しかできない。

 

「分かったらこの話はもうこれで終わりだ。もう二度と鬱陶しい睨みやってくんなよ」

 

 話を切り上げた明嗣は再びスマートフォンへ視線を落とした。しかし、それが最善だと信じているはずの少年の表情には、少し寂しさが滲んでいた。



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EPISODE1-epilogue
第36話 また明日


 “切り裂きジャック”の事件から三日が経過した火曜日の日。下宿先である夏目写真館の自室で、澪はぼうっと天井を眺めていた。

 路上で倒れていたのを保護された澪は、それ以来どこかぽっかりと何かが欠けたような気分で学校生活を送っていた。あの日から大事な物が抜け落ちてしまったような感覚だった。特に、学校で見かける白い髪の男子、朱渡 明嗣を見ると何か言わなきゃならないような気がしてくるような気持ちになってくる。だが何を言えば良いのか分からず、そのまま見送ってしまうといった時が多々あった。その度に澪は何かモヤモヤとした物を心の中に溜め込んでしまっていた。

 

 あたし、朱渡くんに何を言いたいんだろう……?

 

 ベッドに寝転がり、澪は天井を見つめる。そして、スマートフォンの画像フォルダを確認し始めた。通学途中に見つけて、その場で撮影した画像をプリントアウトするための選定をするためだ。

 

 あ、この猫可愛かったな……。こっちはやっぱり綺麗な景色……。

 

 指で画面を弾いて画像をスクロールしていく。やがて、澪は一枚の画像へたどり着いた。撮影したのはたくさんの人が写っているので動きが活発な時間帯。背景は背景の場所は自分も着ている制服の人が多い校舎なので交魔市高等学校のどこか。だが、そこまではっきり分かるのに、まるで光から嫌われているかのようにそこだけ白くぼやけている。他に写っている人達にもブレはある。だが、この白い場所はその比ではないくらいに真っ白。まるでシャッターがそこだけを写す事を拒絶しているようだ。

 

 あれ? どうしてこんな写真があるの?

 

 何を思ってこんな写真を撮ったんだろう。そう思い、澪はその写真を消去しようと、画面内のゴミ箱のアイコンをタップしようと指を動かす。しかし、すんでの所で指を止めた澪は、まじまじとその画像を見つめた。

 

 なんかこれを見てたら、何かを思い出しそうな……。

 

 そう。これと似たような物をどこかで見たような気がする。でも、どこで? 澪は記憶の海を漂い、既視感の正体を探った。数分ほど考え込んでいると、何か予感に突き動かされるように学習机を漁り、目的のブツを手に取った。

 

 あった……! スクラップブック……!

 

 本を開いた澪はその中から一枚の写真を取り出した。それは椅子に座った一人の女性が今が一番幸せだとばかりに微笑む写真だった。だが、椅子は異様に右に設置されているし、抱きかかえているものは……。

 

 やっぱりこれだ! でも、なんで……。

 

 こんな特徴的な写真をどうしてすぐに思い出せなかったのか? 何かがおかしい、と澪は首を傾げて考える。それに、この写真を見ていると何か思い出しそうな予感がさらに大きくなっていく。じっと写真を睨む事数秒。突如、澪は頭が割れそうな頭痛に襲われた。

 

 な、何……!?

 

 痛みに悶えていると澪の頭の中へ様々な物が流れ込むように浮かんでは消えていく。そして、痛みが治まると澪は制服のまま、スニーカーを履いて夏目写真館を飛び出した。

 

 

  

 連日交魔市を騒がせていた「現代の“切り裂きジャック”事件」の噂や報道は、ぱったりと事件が起こらなくなった事により、収束へと向かいつつあった。同時に、全国ニュースのアナウンサーが話題にしたのを皮切りに、世間は迫り来るゴールデンウィークへと思い馳せていた。

 当然、Hunter's rustplaatsの面々も例に漏れず、ゴールデンウィークはどうするかという話題で持ちきりとなっていた。

 

「ねぇ、明嗣。ゴールデンウィークなんだけどさぁ……」

「断る。一人で行け」

 

 用件を聞くこともなく返事をした明嗣に対し、鈴音は憤慨の声を上げる。

 

「まだ何も言ってないじゃん!」

「聞かなくても分かるわ。買い物に行きてぇんだろ。んで、たくさん物買うだろ? あー、一人じゃ荷物持ちきれそうにないなぁ……。そうだ! 俺を荷物持ちにしちゃえば解決じゃん!……ってハラだろ。違うか?」

 

 わざとらしいモノマネを交えつつ、明嗣はじとっ、と冷ややかな視線を鈴音に浴びせる。すると、鈴音はたじろぐように視線を外した。

 

「え、映画のペアチケット当たったから一緒にどうかな〜、と思って……。ショッピングはそのついで〜……みたいな……?」

「タイトルは?」

「甘利くんは甘くないって奴なんだけど……」

「ネット広告にあったラブコメか。チケット代の代わりにならと思ったが却下」

「ケチ! イジワル! 鬼! えーと、あとは……悪魔!」

「けっ。この程度で俺が悪魔なら、今頃そこら中魔神だらけだぜ」

 

 明嗣は相手にするのも面倒くさいと言いたげに溜息を吐いた。

 すると、腹の傷も癒えてすっかりと快復したアルバートが厨房から呼びかける。

 

「最近はバタバタしてたから、付き合ってやっても良いんじゃねぇか? 良い気分転換になるぞ」

「ラブコメとか恋愛をメインにした奴はシュミじゃねぇよ。それに、女の買い物は長いって相場が決まってる」

 

 明嗣はスマートフォンへ視線を落とし、つまらなそうに返す。すると、鈴音が心外だとばかりに明嗣へ反論した。

 

「アタシはそんなに長くないよ!」

「長くないってどんくらいだよ」

「えーと……だいたい三時間くらい?」

()()三時間な。オーライ。やっぱパス」

 

 聞かなきゃ良かった。明嗣はそんな感想を心のなかにこぼし、両手でスマートフォンの画面を指で弾いてスクロールさせる。ちなみに、明嗣が現在覗いているサイトは映画の最新情報が集まるサイトであり、ちょうど何か映画でも観ようかと品定めをしている所であった。しかし、観たいと思えるタイトルが見つからなかったため、明嗣は不満げに舌打ちをしてサイトを閉じる。こういう時は何をどうしても、ダメなものはダメなのだ。

 

 この分だとゴールデンウィークは、暇になりそうだな……。

 

 なおも声を上げる鈴音をいなしつつ、部屋に積んである本の山を崩そうか、と明嗣がインドアなゴールデンウィークを過ごす計画を立てた瞬間だった。突如、開店前にも関わらずドアベルの音が店内に響き渡る。

 その場にいる吸血鬼ハンター三人の視線が一斉にやってきた客に注がれた。そして、その来客に対し、全員が緊張を走らせた。なんと、その来客の正体は先日、明嗣が吸血鬼の魔眼で自分も含めて吸血鬼に関しての記憶を消した澪だった。瞬間、明嗣がアイコンタクトで何事もなかったようにしろ、と合図した。すると、言われるまでもない、とばかりに店内は一瞬にして静まり返った。

 澪の静かだが存在感のあるスニーカーの靴音が店内に響く。そして、足音がカウンター席でスマートフォンに集中する明嗣の背中で止まった。

 

「やっぱり、ここで会えたね……()()くん」

 

 予想もしていなかった澪の一声に、明嗣は思わず飛び上がるように立ち上がり振り返った。

 

「なっ……彩城、お前なんで……!?」

「写真があたしをここに連れてきたくれたんだよ。お父さんが言った通りに写真がまた引き合わせてくれたの」

「写真!?」

「それより、明嗣くん。あたし、明嗣くんに言いたい事があって来たんだけど」

「な、なんだよ……」

 

 真っ直ぐに澪に見つめられ、明嗣は(うわ)ずった声で返事をする。すると、澪は視線を外す事なく、優しく語りかけた。

 

「今までは悪い夢だったんだ、とか言わないでよ。それを決めるのは明嗣くんじゃなくてあたしなんだから」

「いや、でも___」

「話は最後まで聞いて」

「は、はい……」

 

 澪の有無を言わさぬ声音で、反論しようと口を開いた明嗣は即座に大人しくなった。一方、その様子を見守る鈴音とアルバートは、まるで野球のテレビ中継でも見るように楽しんでいた。

 

「ほうほう。明嗣は免疫があるようで、ああいう風にまっすぐ来られると人が変わったように大人しくなると……。マスター、明嗣ってもしかしてああ見えて純情なの?」

「さぁな。アイツくらいの年頃なら、皆そんなモンなんじゃねぇのか?」

「まぁ、どうでもいっか! 今度アタシも試してみよっと!」

「そこ、聞こえてんぞ」

 

 ピシャリと明嗣が言い放つと同時に、固定電話の着信音が鳴り響く。ジトッと絡みつくような明嗣の視線から逃れるように、いそいそとアルバートが固定電話の受話器を取り上げると、鈴音は慌ててスマートフォンを取り出して視線を手元に落とした。

 そして再び、澪が明嗣へ自分の中にある物をぶつける。

 

「あたし、もう夜は安心して歩けないよ。気をつけようとしてもどうしたら良いのか分かんないし、すれ違う人達の中に吸血鬼がいるかもって考えると、それだけで怖く感じるようになっちゃったんだから」

「それは、その……悪い」

 

 明嗣は申し訳ないと言った様子で背を小さくした。明嗣は見分ける事ができるし、戦う手段を持っているのでなんて事ないが、澪はその両方を持っていないのだから無理もない。だからこそ、吸血鬼に出会ったらどうしようもない一人の少女である澪はまっすぐに思いを口にした。

 

「だから、約束してよ」

「約束?」

「ちゃんと助けるって。もし吸血鬼に襲われたら、ちゃんと助けに来るって約束して」

 

 明嗣は困ったように指で頬を掻いた。つまり、もう元の日常には戻れないんだから責任を取れ、澪が言いたいのはこういう事なのだ。どうしたら良いか分からないので、アイコンタクトで鈴音に助けを求めると、鈴音は自分で決めろと言いたげにそっぽを向く。

 澪の方へ視線を戻すと、こっちは返事を待つようにまっすぐに明嗣を見つめていた。その視線に、明嗣はほとほと困り果てたように視線を泳がせる。そういうのはもっと王子様気質とかそういう華のある奴の役回りだろうが、と明嗣は心の中で叫ぶ。だが、そんな事をしても状況は変わらない。現実問題、実際に今迫られているのは明嗣だ。決めるのは明嗣自身なのである。

 やがて、澪を引っ張り込んでしまった負い目もあるので、覚悟を決めた明嗣はまっすぐに澪の目を見据えた。

 

「分かった。必ずは約束できねぇけど、努力はしてみる。それで良いか?」

「うん! それだけでも十分だよ!」

 

 照れくさそうな明嗣の答えに澪は満足気な笑みを浮かべて頷いた。すると、話が終わる事を待ってたとばかりに鈴音が澪へ駆け寄った。

 

「じゃ、改めてよろしくね! アタシ、代々吸血鬼と戦ってきた家の生まれでさ。いつ澪に話そうかなってずっと機会を伺ってたの!」

「うん。あの夜、鈴音ちゃんもなんとなくそうなんだろうなって思った」

「え〜? もうちょっと驚く反応があっても良くない?」

「だって、明嗣くんもアルバートさんもそうなら、鈴音ちゃんも何かなきゃおかしいもん」

「ま、そう考えるのが普通だわな。でなきゃ、鈍いにも程がある」

 

 明嗣の一言で、一気に緊張が緩み、和やかな空気に包まれた。そこへ電話を終えたアルバートが呼びかけた。

 

「おい、話が終わったんなら仕事頼んで良いか? ちょうど今依頼が入ったんだが」

 

 人差し指と中指で挟んだメモ用紙を明嗣の方へ差し出した。吸血鬼のいる場所を示した注文書(オーダー)である。

 

「外も暗くなって来たし、澪ちゃん送るついでに明嗣がやるのが妥当だわな」

「はぁ? なんで俺なんだよ?」

「女の子送り届けるのは男の務めだろ。分かったらきっちり役目を果たして来い、騎士(ナイト)サマ」

「なっ……!?」

 

 ニヤニヤとからかうように笑みを浮かべるアルバートに対し、明嗣は何か言い返そうと顔を赤らめながら口をパクパク動かす。だが、何も言葉が出てこないので、明嗣は肩を落とした。その後、澪へ行くぞ、と手で合図して店を出た。

 

 

 

 Hunter's rustplaatsを後にした明嗣と澪は、二人で夜道を歩いていた。肩を並べて歩く二人に言葉はない。なんとも言えない沈黙が二人の間に漂っていた。

 

 どうしよう……。何か話した方が良いかな……。

 

 澪はチラッと明嗣の表情を伺った。明嗣はぼうっと何かが考え事をしているように夜空を見上げている。邪魔したら悪いかな、と澪は再び視線を前に戻し、黙って歩く。やがて、明嗣がポツリと口を開いた。

 

「良い夜だ。星が良く見える」

「え?」

 

 明嗣の言葉で澪も夜空を見上げた。すると、日が落ちてすっかりと黒くなった空で星たちが燦然と輝いている。まるで、黒い天蓋に様々な宝石を散りばめたかのような夜空だった。

 

「綺麗……」

 

 思わず呟くほどに美しい夜空を前に、澪は手ぶらである事を悔やんだ。こんな夜空にはスマートフォンのカメラなんて、チャチな物ではなくちゃんとした機材で撮影に臨みたい。そう思うほどに美しい夜空だった。

 そんな夜空に目を奪われている澪へ、明嗣は静かに語り始めた。

 

「俺さ、依頼が入った日はこうやって夜空を見上げてんだ。それで帰ったら何するかとか、今テレビ何やってるかとか、益体もねぇ事考えて一人で浸るのが好きなんだよ」

「うん」

「でも、こうして誰かと一緒に歩くのも悪くねぇもんだな」

 

 ふとこぼされた言葉に、澪は思わず明嗣の顔を見る。すると、明嗣は少し俯いて澪の方を見ないように顔を逸らした。

 

「悪い。今のナシで」

「えー!? なんで!?」

「なんか無言がキツイからなんか話そうと思ったけど、急にハズくなった……」

 

 その返事で澪は、明嗣も同じなんだ、とリラックスして歩く事ができた。そして、今度は自分の番、と澪が口を開いた。

 

「あのさ、明嗣くん」

「なんだよ」

「あの時の答え、聞かせてもらってもいいかな?」

「あの時?」

「友達になろ、って言ったときの返事をまだもらってなかったなって思い出して」

 

 歩いて行く内に二人は十字路へと出る。そこで明嗣は立ち止まるとまっすぐに澪と向かい合って話を続ける。

 

「それ、答えないといけねぇ事か?」

「そうだよ。こういうのは、はっきりと言葉にしないと伝わらないんだから」

「いや、その……答えづれぇなぁ……」

 

 照れくさそうに視線を外した明嗣は、どう答えた物かと思案する。すると、遥か彼方の方に何かを見つけた明嗣は溜め息を吐いて、肩を落とした。その仕草を見た澪は悲しげな表情で呼びかけた。

 

「やっぱり、あたしとは友達は無理なの?」

「いや……」

 

 答えた明嗣は懐に右手を突っ込むと、ホルスターから白銀の大型自動拳銃(オートマチック・マグナム)、ホワイトディスペルを抜き放った。腕を伸ばし切ると同時に、クルクルと指先で回る白銀の銃の銃把(グリップ)を捉えた手は水平撃ちの姿勢で固定される。そして、先程まで見ていた方向へ狙いを定めた明嗣は躊躇う事なく引き金を引き、銃声を轟かせた。

 あてもなく放たれたかに思われた弾丸は、まっすぐに空気を裂いて飛翔して行く。やがて、対吸血鬼用に開発された10mm水銀式炸裂弾(エクスプローシブ・シルバー・ジャケット)は一人の男へと着弾し、その頭部を吹き飛ばした。

 頭部を吹き飛ばされた男の身体は糸の切れた操り人形のように崩れると、ボロリと身体の一部が灰となって地面に散らばる。そして、その周囲には驚愕の表情で固まる身体中に張り巡らされた“黒い線”を持つ者がいた。人間が持つのは“赤い線”、つまり吸血鬼達のお出ましという訳だ。

 

「お喋りの時間はもうおしまいっ事さ。こっから吸血鬼狩り(しごと)の時間。つー訳で、一人で帰れるか?」

「うん。大丈夫。頑張ってね」

「ああ……。そうだ、ちょい待ち」

「どうしたの?」

 

 戦いから逃れようとして駆け出した澪を呼び止めた明嗣は、少し恥ずかしそうに言葉を詰まらせた後、その続きを口をした。

 

「まぁ、その……さっきの答えの代わりと言っちゃなんだけど……()()()()()

 

 その言葉で明嗣の気持ちを受け取る事ができた澪は笑顔で頷いて見せた。

 

「うん! また明日ね!」

 

 駆け出した澪が完全にいなくなった事を確認した明嗣は左手に黒鉄の大型自動拳銃(オートマチック・マグナム)、ブラックゴスペルを握ると悠然と歩き出した。

 

「よぉ、お前ら。そんな訳だから、サクッと終わらせて明日に備えさせてくれよ?」

 

 挑発するように明嗣は右手に握る白銀の銃をクルクルと弄ぶ。そして、ニヤリと口の端を吊り上げて不敵な笑みを浮かべた。

 

Now(そんじゃ、まぁ)……」

 

 いつも通りに______

 

Let's Rock(ハデにやろうぜ)

 

 開幕を告げる銃声(パーカッション)と共に、今夜も眠れない夜の幕が上がる。

 

 

 

EPISODE1 fin.




 ドーモ、龍崎操真です。
 ヴァンプスレイヤー・ダンピールをここまで読んで頂きありがとうございます。
 物語が上手く書けない、閲覧数が伸びないなどの悩みを抱えながら走って来た本作ですが、これにて第一章は終了。物語は第二章へと続きます。まだ何も構想は練れておりませんが。
 さて、悪魔も泣きだすあのゲームのようにかっこいい作品を書きたい!から始まったこの作品は、もっと良い表現があるだろ、だとか、ここの流れがなんかなぁ……、だとか色々自分でダメ出しばかりのリセットしたい症候群との戦いでした。
 それでも書き続けて来れたのは、今までと同じ事繰り返しちゃダメだと自分に言い聞かせてきたのと、一重にこの作品を見つけて読んでくれた皆様のおかげです。本当にありがとうございます。
 半吸血鬼の高校生吸血鬼ハンター朱渡明嗣の物語は、まだまだ続くのでお付き合い頂ければと存じます。
 それでは、第一章完結の挨拶を締めようと思います。
 龍崎操真でした。


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番外編
番外編 ある男の手記


 魔術や魔法とは、その名の通り魔の理に従って起こる事象を指す言葉である。

 呪文を唱えて手から火球を放つ、念じる事で風を操り空を飛ぶなど一般的に思い起こすのはこの辺りだろうか?

 同時に、今これを読んでいる皆様はおそらく、このような疑問を浮かべると思う。

 

 “それは超能力と何が違うんだ?”……と。

 

 呪文の有無? おそらく私は違うと思う。なぜなら、呪文は脳へ目覚めを促す一種の命令(コマンド)と解釈できるからだ。そう考えると発火能力(パイロキネシス)は炎を操る魔法、念動力(サイコキネシス)は重力を操る魔法とも言える。小声で呪文を唱えて、あたかも無言でこれらの力を使用したと見せかけたのならば、それこそ発火能力者(パイロキネシスト)念動力者(サイコキネシスト)と区別がつかない物のように思えてくる事だろう。

 

 ならば、何をもって魔法や魔術と定義するか?

 それは、魔の存在が関係しているかどうか、だと私は思う。

 断っておくが、ここで言う魔の存在とは精霊を指す言葉では無い。精霊は古来より聖なる物とされているからだ。

 私が言う、魔の存在とはすなわち魔神、いわゆる悪魔の事である。

 世界を作った神と対局の存在とされる地獄の主サタン、神によって堕天させられて悪魔として生きていく事を選んだルシファー、指輪によって強制的に従わせられるソロモン72柱、サバトによって降臨されられて知識をせがまれるバフォメット、代表的な物を列挙していけば枚挙に暇がない。

 このような存在の助けを借りて起こされる事象こそ魔法や魔術と呼ぶにふさわしいのではないだろうか。

 人間の内に秘められた特殊な力をエネルギーに能力を発揮する事は、人間という種の一つの枷が外れた末に到達した境地であって、まだ人間が起こす事象の範疇に留めた物のように私は思う。つまり、この世で産声を上げたその時から通常では到達できない領域まで、たまたま脳の使用領域が開拓されていたとは考えられないだろうか。そして、大衆向けに作られたファンタジー作品によく登場する魔法を生業とする人達は、そこまで脳が拓かれているのが普通なのではと考える事はできないだろうか。

 

 と、以上の理由から私は悪魔が手を貸して起こされた事象こそが、魔法や魔術と呼ぶにふさわしいのではと考える。

 

 何かを得るためには同等の何かを捨てなければならない。等価交換はこの世の真理だ。

 ならば、この世界に呼び出された悪魔が手を貸す代わりに要求する物はなんだろうか?

 それは魂。子供でも知ってる事だ。では、悪魔はなぜ魂を差し出すように要求するのだろうか?

 おそらく神の陣営と戦争するための手駒集めのため、魂を差し出す事が魔の存在、悪魔へと成る一歩目だからではと私は考える。

 しかし、人間という生き物とはある時、自らを省みて後悔する生き物だ。悪魔に乗せられるまま、魂を差し出したその瞬間に自らの過ちに気付いて涙する。悪魔からすると、そのような者は神の陣営との戦争に連れていく事ができない役立たずだ。囲っておく意味はない。よって、悪魔達は魂を差し出して魔の道へ踏み込んだまま、入口で立ち止まってしまった者を人間の世界へ置いていく事にした。

 そうして、失った魂を求めてこの世をさまよい、人の血を吸うことで失った魂を補填しようとする悪魔のなり損ない。それこそが始まりの吸血鬼、真祖なのではないのかと私は考えた。

 だからこそ、彼らは神の代行者を名乗るエクソシスト達によって討伐される運命にあるのではないだろうか。

 悪魔と吸血鬼を結び付ける資料はまだない。だが、私は邪悪の化身であった伯爵と対決し、生き残った。杭によって地面に縛り付けられ、日光によって身を焼かれてもなお生きていた彼は、私に一言だけ言葉を残した。

 

「私はただ……悪魔に魂を売ってでも幸せが欲しかったのだ……」

 

 たった一言だけ。このたった一言だけの言葉で、私には彼がごく普通の、平穏な幸せを求める一人の子供にしか見えなくなってしまった……。だからこそ、彼はその血のような目で惑わし、服従させ、幸福へ向かって進んでいく乙女の血を啜っていたのだろうか。そうして眠りについた彼は、私が深い眠りへ誘われようとしている今もなお、目覚める事がない。願わくば彼が次に目覚める時、誰の魂を奪う事なく幸せが訪れる事を祈って独白を締めくくろうと思う。

 

 それではここまで読んでくれた皆様さようなら、またいつか。

 

                            

エイブラハム・ヴァン・ヘルシング



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Episode2-1 Messenger from the Vatican
第37話 いつもと変わらぬ夜、海の向こうで


ドーモ、お久しぶりです。
本日より第2章開始です。
相変わらずの週1更新ですが、お付き合い頂きたく存じます。
それではどうぞ!


 交魔市を騒がせていた“切り裂きジャック”の凶行から時が経ち、日めくりカレンダーのページはゴールデンウィークまで進んだ。所々に戦いの爪痕が残ってはいるものの、街は日常を取り戻しつつあった。だが、街に潜む闇は変わることなく、獲物を求めて蠢いている。そして、件の“切り裂きジャック”騒動を解決するのに尽力した半吸血鬼(ダンピール)の高校生吸血鬼(ヴァンパイア)ハンター、朱渡(あかど) 明嗣(めいじ)もその街に巣食う闇を()()するべく、今夜も夜の街を駆け回っていた。

 

 

 

はぁ……はぁ……はぁ……!!

 

 タッタッタッ、と息を切らしながら走る音が夜の路地に響く。足音の主は、スパンコールがあしらわれた紫のドレスを着用しており、その上に白いジャケットを羽織っていた。ボディラインがくっきりと出る服装と、染めたと思われる金髪(ブロンド)、そして数々のブランド物の化粧品が贅沢に使用されたであろう濃い化粧から、夜の仕事をしている女である事が伺える。そして、その背後からもう一人の人影が迫っていた。歩く度に膝のあたりで裾と襟から垂れ下がった真っ赤フードが揺れるロングコートを着た明嗣である。暗闇の中でも目立つ真っ白な髪や黒と紅の瞳を宿した双眸と言った特徴を持ってはいる物の、現在の明嗣はそんな事がどうでも良くなる物を右手に握っていた。それは、銃規制が厳しい法治国家である日本で暮らしているのなら、まずお目にかかることがない物。さらに十代の少年が握るには不釣り合いと言っていい、白銀の大型自動拳銃(オートマチック・マグナム)だった。

 

「なぁ、そろそろ鬼ごっこも飽きてきたんだけどな。しかも一般人(パンピー)を盾に使いやがって。いつまで続けるつもりだよ」

 

 呼びかけた明嗣はつまらなそうにトリガーガードを人差し指に引っ掛けて白銀の銃、ホワイトディスペルをクルクルと回す。対して、ドレスの女は死にものぐるいで走りながら返した。

 

「アンタ、何なの!? どうして銃なんて持って私を追いかけて来るのよ!?」

「ハァ……そういう茶番はもう飽きたんだよな。俺にはいくら隠そうたって分かんだよ。さっさとかかって来いよ、吸血鬼(ヴァンパイア)

 

 その言葉を口にした途端、ドレスの女は脚を止めた。ぴたりと彫像のように固まった女の背中に明嗣は、畳み掛けるように淡々と言葉を続けて行く。

 

「キャバ嬢に紛れて獲物を品定めするってのは考えたモンだよな。酒が入ると警戒心が薄れるし、人が消えても溜まりに溜まったツケを取り立てようとした()()()()に連れて行かれたと思われて、それで話は(しま)いだ。いやはや、本当によくできたモンだ」

 

 言葉に反して明嗣の口調はつまらなさそうな物だった。やがて、明嗣はクルクルと回る銃のグリップを掴むと撃鉄(ハンマー)を起こす。

 

「けど、肝心な所でヘマやっちまったモンだから、よくできたシナリオが台無しになっちまうのさ。次からは噛み跡(キスマーク)を着けた死体は自分で処理する(こっ)たな。ホテルに残しておくんじゃなくて」

 

 しっかりと標的に狙いを定めた明嗣は引き金に指をかける。ダブルアクションの引き金が少し動いた瞬間、ドレスの女が崩れ落ちるように跪き、命乞いを始めた。

 

「お願い! 見逃して! アンタを聞いた事あるわ! 半吸血鬼の銃撃手(ガンスリンガー・オブ・ダンピール)でしょ!?」

 

 自分の二つ名を口にした事で明嗣は感心したように口笛を吹いた。

 

「へぇ……俺の事知ってるのか」

「最近“切り裂きジャック”を仕留めたって噂になってたから! ねぇ、アンタはアーカードって吸血鬼の息子なんでしょ!? 同じ吸血鬼のよしみで見逃してよ!」

()()()()な。つーか、吸血鬼(おまえら)って俺の事ぶっ殺してやるって息巻いてなかったか?」

「それは昔から生きている奴とその手下だけよ! 私はアンタに何かしようって気は全然ないわ!」

「そりゃ初耳だ。今まで会った吸血鬼はどいつもこいつも、アーカードの息子は殺す! って奴ばっかだったからなぁ……」

 

 過去を振り返るように遠い目をした明嗣はふと悲しげな表情を浮かべた。すると、ドレスの女は優しげな声音で明嗣へ呼びかけた。

 

「私はそんな事を言わないわ。だって、戦うなんて怖いじゃない。お互いの命を狙い合うなんて馬鹿のする事よ。アンタもそう思わない?」

「まぁ、そうかもな。死んだらそれで終わりだし。わざわざ自分が死ぬかもしれない(タマ)の取り合いをするなんて……馬鹿げてる」

 

 瞬間、かかった、と女は心のなかで微笑んだ。これがキャバクラに潜伏していた理由の一つだった。何も簡単に獲物を漁る事ができるから水商売をやっていた訳では無い。どんな風に話せば警戒心を解かせて懐に入ることができるか、どういう仕草をしたら男の気を惹く事ができるかなど、吸血鬼の魔眼で魅了するだけでは手に入れられないスキルを盗む事ができるから、女はこの仕事をしていたのだ。全ては()()()()ため、それだけだ。こうして油断させてから背後から不意打ちをすれば、戦う事なく吸血鬼ハンターを返り討ちにする事ができる。事実、こうして明嗣は女の言うことに同意して、警戒心を解きつつあるのだから。

 あとは、完全に警戒心が解けた所で背後から刺すだけ、と女は自分の勝ちを確信して俯いた顔に邪悪な笑みを浮かべる。しかし、明嗣は狙いをつけた銃口を外す事なく「けど」と続けた。

 

「戦わねぇと手に入れられないモンもある。それに……」

 

 ズドン、と火薬が爆ぜる音が響く。明嗣は油断しきった女の脳天に対吸血鬼用に作られた10mm水銀式炸裂弾(エクスプローシブ・シルバー・ジャケット)を撃ち込んだのだ。よって、頭部を跡形もなく吹き飛ばされた女の身体が、その場で崩れて灰の山を築く。

 

「戦いはしねぇけど殺しはするんだろ。引っ掛かるかよ、バーカ」

 

 つまらなそうに吐き捨てた明嗣は、銃口からたなびく煙を振り払うようにホワイトディスペルを回してホルスターに納めた。その後、銃の代わりにスマートフォンを取り出し、画面に指を滑らせて電話を掛けた。

 

『Hunter's rastplaats』

「マスター、終わった。今日はもう疲れたからそっちに顔出さずに帰るわ」

『あいよ』

 

 短いやり取りを終えた明嗣は通話を切ると灰の山に背を向けて歩き出す。しばらく歩いた後、最近手に入れたバイクであると同時に、父から受け継いだ戦車馬であるブラッククリムゾンの元へたどり着いた明嗣は、ハンドルに引っ掛けたヘルメットを手にした。やがてヘルメットを被り、あくびを噛み殺しながらスターターを押した明嗣は、帰宅するべく夜の街を走り出した。

 

 

 

 時を同じくしてヴァチカン市国、ローマ法王庁。

 キリスト教の宗派の一つ、カソリックの総本山であり、吸血鬼を狩るエキスパートの祓魔師(エクソシスト)の中でも精鋭が集まる吸血鬼殲滅部隊、通称執行者(イジクトレ)の統括運営を行う、吸血鬼に言わせれば()()()()()()()()()()()()()である。

 現在、このローマ法王庁にて、一人の祓魔師が部屋の扉をノックした。

 

「入れ」

 

 中から入室の許可をもらった祓魔師は、ドアノブを回して部屋の中へ足を入れた。体格からまだ十代の少年である事が伺えるが、その表情は身にまとったローブのフードが隠している。やがて、書斎のデスクまで歩みを進めた少年は、デスクで資料のA4用紙の束へ目を通している黒い祭服に身を包んだ金髪(ブロンド)の初老の男へ呼びかけた。

 

「ヴァスコ・フィーロ、召喚に応じ参上しました。いったいどういったご用でしょうか」

 

 名乗った少年、ヴァスコの前で資料を読んでいるこの男は祓魔師を統括する司祭という立場であり、全世界に配置されたカソリックの教会に吸血鬼討滅指令を出す者の一人である。そして、この祓魔師の少年は執行者(イジクトレ)に籍を置く祓魔師であった。

 

「まず一つ目だ。日本にいる忌み子が目覚めた」

 

 ヴァスコは司祭から差し出されたA4用紙の束を受け取り一番上のページを読んだ。書面には真っ白な髪と黒と紅の双眸を持った少年、明嗣が写っていた。

 

「最近だと英国で我々の邪魔をしたのが記憶に新しい不届き者だが、ついにその忌まわしい血の力を目覚めさせた。それに関連してだが……」

 

 忌々しげな表情を浮かべた司祭は新たにA4 用紙の束を一つ取り出し、次の話題に移った。

 

「真祖ジル・ド・レェより作られた『理想郷(ウトピーア)』の所在が分かった。場所は日本のA県交魔市だ」

 

 司祭が地名を告げた瞬間、ヴァスコが纏う空気に緊張の色が加わった。なぜなら、その場所はついさっき話題の中心にいた明嗣が活動拠点にしている場所なのだから。目深に被ったフードの下で表情を引き締めているであろうヴァスコへ、司祭は今回ヴァスコを呼び出した用件、吸血鬼討滅指令の内容を伝える。

 

「ジル・ド・レの『理想郷(ウトピーア)』は我がカソリックにとって脅威になる物だ。なんとしても滅ぼさねばならない。直ちに交魔市へ発ち、なんとしてもジル・ド・レを討ち滅ぼしてその計画を叩き潰せ。そして――」

 

 司祭は一旦言葉を切った。そして、大きく息を吸い込むと交魔市に嵐を呼ぶ一言を口にした。

 

「忌み子がジル・ド・レの手に落ち、理想郷(ウトピーア)の象徴とするような事になる前に抹殺しろ」



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第38話 トラブルの足音はすぐそこに

 翌朝の土曜日。雀の鳴き声が響く朝の時間の事。

 

「997……998……999……1000……!」

 

 明嗣は自室でルーティーンの自重トレーニングを行っていた。本日のメニューは片腕で逆立ちをしながら腕立て伏せ左右で1000回ずつを2セット、計4セットである。余談だが腕立て伏せやスクワット、懸垂などの自分の体重で負荷が変わるメニューはゆっくりと時間を掛けて(おこな)った方が効果のあるトレーニングとなる。

 

「よっ」

 

 設定した回数をこなした明嗣は、ハンドスプリングの要領で飛び上がった。そして衝撃を吸収するように足先から着地し、猫のように静かに床に降りた。そして、シャワーを浴びて汗を流すと、明嗣はベッドに飛び込み微睡(まどろ)みの時間を楽しむ。

 

 この寝てるんだか、起きてるんだか分からねぇ微妙な時間が心地いいんだよな……。あー……今日はずっとこうしていてぇ……。

 

 どうせ何も約束はない。休日の朝くらいはダラダラ過ごしてもバチは当たらないはずだ。

 窓の外では二羽の雀が電線の上に留まって戯れている。穏やかな朝はどんな朝か、と問われたら、きっとこんな朝だ、と明嗣は答えるだろう。

 だが、事件や面倒事(トラブル)というものは、そんな時に限ってやってくるのが世の常であった。

 

 ヴー……ヴー……

 

 突如、充電ケーブルに接続して放置していたスマートフォンが震え出す。振動のパターンから見るに、おそらく着信を知らせる物だ。

 

 誰だよ……。

 

 明嗣は緩慢な動きでスマートフォンから充電ケーブルを引っこ抜く。そして、この穏やかな朝の時間を邪魔する者の名を確認した。

 

 ゲッ……。

 

 発信者の名前を目にした明嗣は、露骨に嫌な表情を浮かべた。なぜなら、発信者の欄にあった名前は持月(もちづき) 鈴音(すずね)。明嗣の休みの日に最も会いたくない奴ランキング第一位に名を連ねる鈴音からの電話だったのだから。

 

 あー、無視無視。こういう時は気付いてないフリして寝るに限る。

 

 おそらく、何やら用事に付き合えという趣旨の電話だろう。明嗣は画面に指を滑らせてスマートフォンを振動だけの状態から、何も音も出さないサイレントモードへ切り替えてベッドの適当な場所へ放り投げた。そして、掛け布団を被って二度寝の体勢に入る。

 

 起きたら積んでた本を一冊読んでから……あー……銃にオイルも塗らないと……。

 

 明嗣は半分眠っている状態で本日のToDoリストを頭の中で思い描く。他にも新しく手に入れた武器、炎刃クリムゾンタスクを扱うスキル向上のための鍛錬。父から譲り受けたバイクへと変化した戦車馬、ブラッククリムゾンの手入れ。さらに吸血鬼狩りの依頼が来ている場合は夜の街を走り回らなければならない。さらに、そこへ面倒事の予感しかしない女子からの電話? そんなの、無視するの一択だろう。

 

 数少ない安心できる時間なんだから邪魔すんなよな……。

 

 再び明嗣は水の中へ沈んでいく感覚に身を委ねた。

 

 

 

 

 日が落ちかかり、空が茜色に染まった頃。二度寝から目を覚ました明嗣は自室で小さなテーブルの前に座り、分解した二丁の愛銃の銃身(バレル)の内部にオイルを塗り込んだり、クリーニングクロスとブラシを用いて汚れや煤を落としていた。

 

 これで良し……。

 

 あらかたの整備工程を終えた所で、明嗣は元の形へ戻していく。ガシャ、と音を立てて取り付けた遊底(スライド)が戻ったのを確認すると、明嗣は弾倉(マガジン)を挿入口へ挿し込んだ。そして、それぞれに照星の歪みなどの異常が無い事を確認し、脇の下に吊っているホルスターへ納める。そして、フルフェイスの真っ黒なヘルメットを手に、ガレージへと変貌した物置小屋へ向かった。シャッターを上げて中に入ると、バイクに姿を変えてしまった父の戦車馬、先日に明嗣が名付け親(ゴッドファーザー)となったブラッククリムゾン号が主人が乗るのを静かに待っている。

 シートに跨った瞬間、主人が走り出す瞬間を今か、今か、と待ち焦がれているように感じたので、明嗣は龍のペイントが施された燃料タンクへ手を当てた。バイクに姿を変えた今、特に反応が返ってくる訳ではないけれど、なんとなくバイクの中にある魂が喜ぶように鼻を鳴らす息遣いが聞こえたような気がした。

 キーを捻り、スタートに合わせた明嗣はアクセルグリップのスターターボタンを押した。すると、エンジンが回り始める音と共に回転計(タコメーター)の針が上限12000回転を指す12まで動き、その後に1000回転の1付近まで戻り、先を震わせ始める。

 計器に異常がない事を確認した明嗣は、ギアを入れてHunter's rustplaatsへ走り出した。

 

 

 

 場所は移り、Hunter's rustplaats。こちらの方では現在、店主であるアルバートが固定電話の受話器を肩で挟みつつ、メモを取っていた。

 

「ああ。そんで? ああ……。分かった。じゃあ、情報料はいつも通りな。また頼むぞ」

 

 アルバートはフゥ、とため息を吐いて受話器を置いた。そして、どうした物かと言わんばかりの表情を浮かべ、白髪混じりの頭を手ぐしで梳き始めた。

 その様子を見ていた鈴音と澪、二人の少女が心配するように声をかけた。

 

「マスター、どうしたの?」

「何かあったんですか?」

「ん? あぁ……ちょっと厄介事の予感がする話を聞いてな……。ったく、こんな時にアイツがいないとは……」

「アイツって明嗣?」

 

 鈴音が確認するとアルバートは頷いて、嫌な情報についての概要を語り始めた。

 

「ああ。海外(そと)の方から一人、同業者が日本に入ってきたと教えてくれたのが今の電話だ。それはまぁ良い。各地を旅しながら吸血鬼狩りで日銭を稼ぐ奴もいるからな。問題は……」

 

 一旦、言葉を切ったアルバートはティーポットを手にして、空となった澪と鈴音のティーカップへ紅茶を注いだ。そして、本当に困ったと言いたげな表情を浮かべた。

 

「入ってきた奴がヴァチカンからやってきたって事だ」

「え、ヴァチカンって()()ヴァチカン!?」

「ああ。()()ヴァチカンだ」

 

 内容を聞いた鈴音が驚きの声を上げたのに対し、その情報の意味がいまいち理解できていない澪は頭に疑問符を浮かべた。

 

「ヴァチカンって一番小さな国のことだよね? イタリアのローマにあるっていう。日本にやってきて何かまずい事があるの?」

「まずいっていうより、メンドイが近いかな……」

「メンドイ……?」

 

 吸血鬼とそれを狩る者達の世界の事を知って日が浅い澪は、やはりピンと来ない、と言いたげに首を傾げた。すると、アルバートが無理もないと言いたげな苦笑いを浮かべて、澪へ軽い解説を始めた。

 

「まぁ、ヴァチカンってのはその認識で合ってる。だが、ヴァチカンの吸血鬼(ヴァンパイア)ハンターはどいつもこいつも熱心なキリスト教徒でな。歴史の授業で習ったろ? 魔女狩り裁判だとか異端審問だとかの宗教弾圧をやったって話。あれを現在(いま)も裏でやってるって噂が立ってる。分かるか、澪ちゃん? ヴァチカンの吸血鬼ハンターは中世の辺りで時計が止まってるんだ。カソリックじゃなきゃ人間じゃねぇ、ってな。ついでに、明嗣がロンドンにいた頃、一度バッティングした事があるらしいから、どんな感じだったか聞きてぇんだが……」

「その明嗣は今いないね……」

 

 続きを引き取った鈴音が不満げにドアベルがぶら下がる店の出入り口のドアへ目をやった。

 

「そういえば明嗣の奴、今朝電話をかけても無視したんだよ? ひどくない? 今日のお昼にちょっと組手の相手してもらおうと思ってたのに、連絡つかなかったから今日の予定はもう台無しだよ。だから、今こうして澪とお茶飲んでるんだから」

「あはは……きっと明嗣くんも忙しかったんだよ……」

 

 苦笑いで澪は紅茶を一口すする。すると、鈴音はまだ納得いかないと続けた。

 

「でもさ、知らない番号ならともかく、明嗣に一回かけて『アタシの番号だからね〜』って教えてあげたんだよ!? 普通、折返しの電話とかしてみるでしょ!?」

「まぁ、明嗣はそこらへん無頓着だからなぁ……。いや、面倒事の予感がしたら出ねぇって時も普通にあるな……」

「え、それってアタシが面倒って事……!?」

 

 思ってもみなかった一言にショックを受ける鈴音。それを受け、澪がすかさずフォローに回る。

 

「鈴音ちゃんは面倒くさくないよ! だって、ちゃんとはっきりと言ってくれるし!」

「うぅ……ありがとう澪……。そう言ってくれるのすごく嬉しい……」

「っと、噂をすれば……。明嗣の奴が来たようだな」

 

 アルバートの一言で澪と鈴音が話を止めて、耳をすませた。すると、わずかながら大排気量エンジンの音が聞こえてくる。そして、店の前で音が止み、30秒が過ぎると、ドアベルがチリンと鳴る。すると、アルバートの言う通りに明嗣がヘルメットを肩に担いで店の中にやってきた。

 

「お、全員お揃いで」

 

 談笑している光景を一瞥した明嗣が一言だけ口にすると、鈴音がさっそく明嗣へ詰め寄っていく。

 

「明嗣、なんでアタシの電話を無視したの? 今日は明嗣に組手の相手してもらいたかったんだけど」

「あー、あれはそういう電話だったのか。てっきり、暇つぶしに付き合えとかそんな電話かとばかり……」

「それなら普通に他の人誘うし! もうここらへんにはアタシの相手になる人は明嗣しかいないんだからね!」

「前に剣道部で打ち合いの練習するんだっつってたろ。あれはどうした」

「もうレギュラーの人達全員倒して終わっちゃいました〜。今じゃ逆に指導しないかってスカウトされるレベルなんだから」

「お、おお……そうか……」

 

 それで金をもらっているのだから、考えてみれば当然の話である。明嗣の予想ではまだかかると読んでいたが、とんだ計算違いだったようだ。困惑している明嗣と話しているうちに、鈴音は何か思い出したように続けた。

 

「あ、そうだ。アタシの刀、そろそろ本格的に研いでもらわないとだから、鍛冶屋とか研ぎ師を紹介してよ。家でできる手入れだけじゃやっぱ限界あるしさ〜。たまにはプロに見てもらわないとね!」

「知んねぇよ。俺が知ってるのはガンショップだけだっつーの」

「でも、その店員さんから紹介してもらうとか、そういう職人が集まる場所を教えてもらうとかあるでしょ? 連れてってくれたらあとは自分でなんとかするからさ! ね、お願い!」

 

 両手を合わせて鈴音は明嗣へ食い下がる。ついでにサービスとばかりに、小首を傾げて可愛らしく笑顔も浮かべていた。そこに澪が話に加わる。

 

「明嗣くん、困ってる人に手を貸してあげないのって良くないと思うよ」

「うぐっ……」

 

 澪の加勢で明嗣の立場は一気に不利になった。さらに、女子二人を相手すると言うただでさえ口では勝ち目がないこの状況へ、トドメと言わんばかりに出迎えのエスプレッソを明嗣へ出したアルバートも、澪と鈴音の陣営に加わる。

 

「そういや、黒鉄の爺さんが『そろそろ銃の感想を聞きたい』とか言ってたな……。顔出すついでに連れて行ってやったらどうだ?」

「マスターまで!? つーか、マスターが連れてってやりゃ良いだろ!? なんで俺なんだよ!?」

「明日は団体の予約が入ってて俺は忙しいの。どうせ暇してんだろ? なら、ちょうど良いタイミングだし、場所を知ってるお前が連れて行くのが自然な流れって奴だよな?」

 

 取り付く島も立つ瀬もない。もう何も言えなくなってしまった明嗣はギリギリと奥歯を噛み締める。それを敗北宣言と受け取った鈴音は、話は決まりだとばかりにスマートフォンのスケジュール管理アプリを立ち上げた。

 

「じゃあ、明日の10時に駅前集合ね!」

 

 チッ……。貴重な休みが一日潰れた……。

 

 半ば押し込められる形で明日の予定が決まってしまい、明嗣は頭痛を抑えるようにこめかみに指を当てた。だが、頭痛の種はこれだけではなかった。考え込む明嗣に、今度はアルバートが深刻な面持ちで呼びかけた。

 

「あー、明嗣。考え込んでいる所で悪いが、今度は俺の話を聞いてくれ。ヴァスコって名前に聞き覚えはあるか?」

 

 その名を聞いた途端、明嗣の表情が一気に真剣な表情へ変わり、空気に緊張感が走った。

 

「ヴァスコって、まさかブラッティナイオ・ヴァスコか!?」

「ブラッティナイオ?」

 

 聞き慣れない単語に澪は首を傾げて、頭に疑問符を浮かべた。鈴音も思い当たる節が無いのか、同様に困惑した表情を浮かべる。すると、明嗣は無理もないとヴァスコなる人物について語り始めた。

 

「ブラッティナイオってのは、イタリア語で“人形使い”って意味だ。本名はヴァスコ・フィーロ。髪は金髪(ブロンド)、目はグレー。性格の方は……まぁ、あんまお近づきになりたいとは思わねぇ奴だ。なんせ、あの泣く子も黙るヴァチカンの祓魔師(エクソシスト)だからな……。で、その人形使い(ブラッティナイオ)ヴァスコの名前がどうして今出てくんだよ」

「さっき新幹線に乗って交魔市(こっち)にやって来たって情報が入ったんだよ。だからヴァチカンの祓魔師と一回バッティングした事があるって言ってた明嗣が知ってるかもって訳で待ってたのさ」

「マジか……。あの野郎、何しに来やがった……」

 

 アルバートから理由を聞いた明嗣は、頬に手をやり唸り声を上げた。そんな明嗣の様子を前に、鈴音がおそるおそる呼びかけた。

 

「そ、そんなにヤバい奴なの?」

「ヤバいなんてレベルじゃねぇ……。アイツの前に立った吸血鬼(ヴァンパイア)は、全員吊るされて天日干しにされたっつー噂が立ってる。他にも、アイツが吸血鬼共の溜まり場に行ったら、何を思ったか同士討ちを始めてアイツ自身は戦う事無く全滅させられたって話もあるぜ。人形使い(ブラッティナイオ)はそこからつけられた異名さ」

「嘘でしょ……!?」

 

 話を聞いた鈴音は信じられないと言いたげに明嗣を見つめる。さすがに話を盛っているだろ、と言いたげな表情だ。対して、明嗣は鈴音の疑念を一蹴するように話を続けた。

 

「秘密は得物だ。人形使い(ブラッティナイオ)ヴァスコが使うのは鋼鉄糸(ワイヤー)、なんでも銀を混ぜてるって話らしいぜ。それで首を刎ねても良し、縛って吊るすも良し、おまけに手足に結びつければ操る事もできるってんだからタチ悪ぃぜ。屋内ならまず勝ち目はない」

「どうして屋内だと勝ち目がないの?」

 

 あまり理解が追いついてないのか、澪が明嗣の話に口を挟む。すると、明嗣は嫌な物を思い出すような苦々しい表情で澪の質問に答えた。

 

「屋内ならありとあらゆる所に鋼鉄糸を張り巡らされてそこら中がクモの巣になるからさ。下手に動けば絡め取られてそれでジ・エンド。煮るなり焼くなり好きにできるって寸法だ。動かなくても投げナイフや杭で串刺し。もちろん、避けるために動けば糸で絡め取られる。実際、俺はそれで殺されかけた」

 

 明嗣の話を聞いた澪は息を飲んだ。そして、黙って聞いていたアルバートは参ったと言った表情で腰に手を当てていた。

 

「なるほど……。あんま関わり合いにならない方が良い奴だってのが分かった。だがそうなると、今度はそんな奴が交魔市へ何しに来るんだって話になるよな? 明嗣、お前なんかやったのか?」

「んな訳ねぇだろ。『ヴァチカンの祓魔師(エクソシスト)』なんて厄ネタにちょっかい出すほど命知らずじゃねぇってーの。てか、俺がちょっかい出した前提で話してんじゃねぇよ……」

 

 心当たりがない、と明嗣は肩を竦めて見せた。澪はもちろん、アルバートも鈴音も心当たりがない。さらにこの間、“切り裂きジャック”が暴れた後のこれだ。何か得体の知れない物が裏で蠢いているような気がして、この場にいる者全員が不気味な寒気で身体を震わせる。

 だが、向こうの目的が不明な以上、手の打ちようがない。よって、この問題については、ひとまず保留となった。そして、せっかくなので……。

 

「それじゃ、せっかくメンツが揃ってるし、メシにするか。澪ちゃんも一緒にな」

「あ、もうそんな時間なんだ。それじゃあ……って、あたしは今月ピンチなんだった……」

「奢ってやるよ」

「本当ですか!? ありがとうございます!」

 

 奢って貰えると分かって、澪は目を輝かせてメニュー表に目を通し始めた。すると、その横で鈴音が明嗣へ、小声で呼びかけた。

 

「アタシらは食べ放題だから良いけど、やっぱり奢って貰えるって響きは羨ましいよね」

「なんで俺に振んだよ。それに食べ放題なら羨ましがる必要なんてどこにもねぇだろ」

 

 どうでもいい、と言いたげに明嗣が返事をした、すると、その短い会話を耳ざとく聞きつけた澪も参加してきた。

 

「え、このお店って食べ放題コースがあるの? 良いなぁ……。どうやって頼むの?」

「頼むっていうか、契約するんだよね……。食べ放題はその特典っていうか……」

 

 期待するような表情の澪へ、鈴音が言いづらそうに説明を始めると、明嗣がじれったいとばかりにその先を引き取った。

 

「俺らは依頼を受けて吸血鬼を狩る。マスターはその仲介と飯の世話をするってギブアンドテイクさ。で、仲介マージン含め依頼料の六割をマスターに差し出して、残りの4割は俺らのモン。分かりやすい契約だろ?」

「なぁんだ……。メニューにある訳じゃないんだ……」

 

 もしかして自分も参加できるかも、という期待していた澪はガックリと肩を落とした。羨ましがる澪へアルバートは苦笑いを浮かべて声をかけた。

 

「ごめんな、澪ちゃん。この店はHunter's rustplaats、狩人の休憩所だからな。まぁ、表向きは普通のレストランで通しているから、こういう感じで特典をつけねぇとな。さて、それじゃ注文が決まった奴の料理から作るが、誰が一番最初だ?」

 

 アルバートの一言で、明嗣と鈴音もメニュー表で本日の夕食の品定めを始めた。そして、まかないとして出したのが好評だったので、そのまま限定メニューへ格上げとなったホワイトアスパラガスのスープパスタを、澪が注文したのを皮切りに各々が注文を始めた。



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第39話 銃職人見習いの表の顔

 問題の日曜日がやってきた。以前、澪と出かけた時と同じように明嗣は交魔駅で明嗣は駅舎に背中を預けて鈴音を待っていた。違うのは、二丁の愛銃で真っ赤なパーカーの脇が膨らんでいる所くらいだろうか。

 

 あー……行きたくねぇなぁ……。あの爺さん、怖ぇんだよなぁ……。

 

 顔を出すたびに毎回手荒い歓迎を受けるので、明嗣は憂鬱な気分に陥っていた。このままバックレようかとすら考える程に行きたくない思いで胸がいっぱいだ。せっかく外に出たのだから、なにかイベントでも覗いてみるか。完全にもう鈴音との予定は投げ出す前提で暇つぶしにスマートフォンへ指を滑らせる明嗣は、何かないかと近場のイベント開催予定を調べ始める。だが、その思惑は砕け散った。

 

「ごめーん! おまたせー!」

 

 チッ……来やがったか……。

 

 新しい店に連れて行ってもらえる楽しみでいっぱいな声を聞いて、明嗣はガックリと肩を落とした。声のした方へ目を向けると、そこには口を赤い組紐で縛った竹刀袋を背負った鈴音がいる。本日の鈴音は白いTシャツにパステルピンクのジップアップ・パーカー、デニムのショートパンツに黒のショートブーツといった服装だった。

 

「いやー、服選ぶの時間かかちゃってさー。待った?」

「どんだけ時間かけてんだよ。集合時間から30分も過ぎてるじゃねぇか。服なんてちゃっちゃと選べば良いだろ」

 

 呆れた表情で返す明嗣に鈴音は分かってないな、と言いたげな微笑みを浮かべた。

 

「ふっふっふっ……。ファッションを甘く見ると、後でファッションで泣く事になるよ明嗣」

「そういうのは『そうなったらいいな』っつー希望的観測っていうんだよ」

「明嗣って言霊とか信じないタイプ?」

「どうでもいいわ。さっさと行くぞ」

 

 ため息をついて返した明嗣は、鈴音を連れて歩き出した。しかし、店はどのような雰囲気なのか楽しみで羽のように軽やかな足取りの鈴音に反して、案内人の明嗣の足取りは鉛のように重い物だった。

 

 

 

 黒鉄銃砲店は4つに分けられた交魔市の区画(エリア)の一つ、商業エリアに建っている。無論、日本で銃火器の販売は表立って出来ないので、表向きは雑貨屋として営業をしており、誰かからの紹介が無いと見つけられないように隠れているのだ。

 さて、明嗣はその雑貨屋に鈴音を案内したのだが……。

 

「ねぇ、明嗣?」

「……なんだよ」

「なんでさっきからお店の前に立ったまま動かないの?」

 

 屋根にデカデカと「黒鉄雑貨店」と書かれた看板を掲げた建物を前に立ち尽くす明嗣に対し、鈴音は不思議そうな表情を浮かべている。

 

「アタシ、入り方が分からないから明嗣が先に行かないと……ってあれ? 明嗣、なんか顔が青いよ? 大丈夫?」

 

 ふと、鈴音が表情を伺うと、なんと明嗣の顔色が何かに怯えるように青くなっていた。さらに、心なしか滝のような冷や汗をかいているようにも見える。皮肉、嫌味、挑発エトセトラ……相手を怒らせる事に関してはエキスパートであり、そんな事などお構いなしにズケズケ物を言うあの明嗣が、顔を青くして冷や汗をかいているとはいったいどういう事なのか。これは明らかに異常事態である。

 心配するように明嗣を見つめている鈴音。やがて、覚悟を決めた明嗣は鈴音へ向き直った。

 

「良いか、鈴音。これから会う人はな、怒らせるとめっちゃ怖ぇから失礼のないようにしろよ」

「それはもちろんだけど……。こ、怖いってどれくらいなの……?」

「そうだな……。口より先に手が出るって奴がいるが、ここの店主の場合は口より先に銃が火を噴く」

「なにそれ!? 怖っ!」

「ああ。だから絶対に怒らすなよ。絶対だからな」

「う、うん……。分かった……」

 

 おっかなびっくりと言った様子で、鈴音は明嗣の言葉に頷いてみせた。それを確認した明嗣は、覚悟を決めるように深呼吸をした。

 

「よし……行くぞ……!」

 

 意を決して明嗣はガラス張りで木製フレームの扉に手を掛けた。そして、ドアベルのお迎えを聞きながら店に入った明嗣に続き、鈴音も店の中へ足を踏み入れた。

 店内はぬいぐるみやガラス細工の置物などのインテリア雑貨が所せましと棚に並べられており、至ってごく普通のインテリア雑貨店と言った様子だった。レジの方では黒い髪で同じ歳ぐらいの少年がレジで読書に勤しんでいる。明嗣が誰かに手を取ってもらうのを今か今かと待つ商品たちには目もくれず、まっすぐに店員が店番をしているレジへ歩いていくので、鈴音もそれに続く。すると、来客に気づいた店員が明嗣へ話しかけた。

 

「やぁ、明嗣。いらっしゃい」

「ああ。じっちゃん、いるか?」

「うん。今、下の方で作業中。来たって伝えるかい?」

「ああ。頼む」

 

 若干(じゃっかん)緊張している心の内が声に出てはいる物の、明嗣は店員に取次ぎを頼んだ。戻ってくるのを待っていると、鈴音がコソッと明嗣へ耳打ちした。

 

「ねぇ、明嗣。あの店員さんって明嗣の友達?」

「まぁ、友達(ダチ)と言えば友達(ダチ)だけど、それがなんだよ」

「いやぁ……明嗣ってマスターと澪以外に仲良い人がいるイメージ無くて……」

「おい、どういう意味だ」

 

 それは俺がボッチだと言いてぇのか、と言いかけた瞬間だった。取次ぎを終えた店員が戻ってきた。

 

「お待たせ。案内するよ。一緒にいる女の子も一緒にどうぞ。それにしても珍しいね。明嗣が女の子を連れてくるなんて。あ、僕は黒鉄(くろがね) 操人(あやと)。これから会う人の孫で銃職人(ガンスミス)見習いなんだ。よろしくね」

 

 店員、銃職人見習いの操人はにこやかに微笑み、自己紹介を鈴音にして見せた。すると、鈴音は感激したように返事をする。

 

「アタシ、持月(もちづき) 鈴音(すずね)って言うの! 明嗣の友達って言うからどんな奴かと思って不安だったんだ! めっちゃくちゃ歓迎してくれるじゃん!」

「え、えー……? 明嗣、彼女にいったい何したの?」

 

 困惑している操人の質問に対し、明嗣はため息を吐いて首を横に振る。その仕草で返答拒否の意思を受け取った操人は、苦笑いを浮かべた。一方、操人の友好的な態度に気を良くした鈴音はふと操人の変わった特徴について言及した。

 

「あれ? 操人、なんか時計の着け方がおかしくない?」

 

 そう口にした鈴音の視線は操人の左手首に注がれている。たしかに鈴音の言う通り、操人の左手首にはブラックのデジタル腕時計が巻かれている。しかし、そのデジタル腕時計は手のひらの方に文字盤が来るように巻かれていたのだ。女性向けの腕時計なら、そういう着け方をするタイプも存在するが、服で例えるなら前後逆で着るような物で普通はまずしない着け方である。当然の疑問に鈴音が首を傾げていると、明嗣が本人に代わって説明を始めた。

 

操人(コイツ)は銃職人であると同時に狙撃手(スナイパー)だからそういう着け方してんだよ。狙撃っつーのは時間通りに引き金を引いて、脳天()ち抜いてやるのが仕事だからな。普通の着け方するより、こっちの方が早く時間を確認しやすい」

「まぁ、癖って奴だね。こうじゃないとしっくり来なくなっちゃってさ」

「ふーん……そうなんだ……」

 

 剣を使う者と銃を扱う者の感覚の違いだろう。そういう物かとひとまず鈴音は納得するように頷いてみせた。すると、操人は鈴音へ衝撃を受ける一言を告げる。

 

「あ、ちなみに僕、こう見えて二十歳超えてるから。そこんとこよろしく」

「え!? 嘘……!? 見えない……」

「本当だよ。免許証見てみるかい?」

 

 そう言いつつ、操人はポケットから自動車免許証を取り出し、鈴音へ差し出す。鈴音は差し出された免許に記してある生年月日を覗き込む形で確認した。すると、たしかに生年月日は21年前を示していた。つまり、思いっきりタメ口で話しているこの男は現在21歳ということになる。だが、どこからどう見ても1、2歳くらいしか違わないように見えた。

 

「本当だ……」

 

 言ってることが本当だと認めてもらえた操人は免許証をしまいつつ、衝撃を受けて固まる鈴音を前に、納得行かないといった表情で明嗣へ呼びかけた。

 

「ねぇ、明嗣。僕、そんなに幼く見えるかな?」

「さぁな。まぁ、最近はどいつもこいつも子供(ガキ)なのか大人なのかわかんねぇ奴ばっかだし、気にする事ねぇんじゃね」

「気にするよ。酒買う時にいちいち年齢確認(ネンカク)される僕の身にもなってよね……」

 

 嘆く操人に対して明嗣はククッ、と堪えるような笑みを漏らした。一方、なおも事実を受け入れられない鈴音は「嘘でしょ……」「この見た目でお酒飲めるの……!?」など二人の後ろでブツブツと呟きながら付いて来ていた。そして、話している内に三人は、黒鉄銃砲店工房前に到着した。



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第40話 おっかない銃職人

 操人の案内でやってきた黒鉄銃砲店工房前入口。これから、明嗣の二丁の愛銃、ホワイトディスペルとブラックゴスペルを作った銃職人(ガンスミス)兼店主の“じっちゃん”なる人物と対面する訳なのだが……。

 

「ここがウチの工房だよ。それじゃあ中に入って挨拶を……」

 

 操人がドアノブへ手を伸ばした瞬間だった。回す前に明嗣が「待て」と口にし、恐るべき反応速度で操人の手を掴んで止めた。

 

「どうしたのさ。まさか、まだじいちゃんが怖いのかい?」

「当たり前だろ……。挨拶代わりにぶっぱなして来るなんてビビらねぇ方がどうかしてる……!」

「それは明嗣が壊れた時にしか顔を出さないからでしょ。自業自得だよ。じゃあ鈴音ちゃんから先にどうぞ」

 

 レディーファーストだと言わんばかりに操人は鈴音から先に入るよう促した。ここは操人が先に入るのではないのか、と鈴音は不審に思ったが、とりあえず操人の言う通りに工房の中へ足を踏み入れる。そして、次に操人が続いて中に入り、奥の方へ呼びかけた。

 

「じいちゃん、明嗣とお客さんを連れて来たよ」

 

 瞬間、何かが爆ぜる音と共に高速で飛行する物が明嗣の頬を掠めた。その際、頬の皮膚が切れて血が流れ出した。一瞬、水を打ったように場が静まり返る。いったい何事か、と鈴音が身構えると、慣れた様子の操人は何事もなかったかのように出迎えの茶を淹れようとティーバッグとポットの用意を始めた。そして、静まり返った場に酒で喉が焼けた者特有のしわがれた声が響いた。

 

「流石にチタン合金フレームを使えば、小僧でも簡単には壊せんだろうと思っておったが……まさか一ヶ月で持ってくるという新記録を打ち立てるとは夢にも思わんかったわ……。よほどこの純銀製9mm弾を眉間に撃ち込まれたいようだなぁ? ん?」

 

 声のした方へ鈴音は視線を向ける。すると、その先には発砲した直後特有の銃口から煙が吹き出す銃を持つ老人の姿があった。正しく黒鉄と表現できるような真っ黒な髪、白いシャツの上からでも分かる鍛え上げられた筋肉と迷彩柄の作業ズボン、そして明嗣を睨む鋭い真っ黒な眼光。歳を食っている印象を受けるが、手にしている銃のS(スミス)&W(ウェストン) M(ミリタリー)&P(ポリス)を持つの右手の握力はまだまだ現役そのものといった印象を受ける。

 

「ま、待った! 誤解だ!? 今回は本当に顔出しに来ただけで……」

「じゃあかぁしいわぁ! 毎回毎回一から作り直したほうが早い程のダメージを受けた物を修理に持って来おって!! その度にいちいち金型へ鉄を流し込むワシの気持ちが貴様に分かるか!?」

 

 さらに追加の銃声が数発鳴り響く。一方、標的である明嗣は即座に物陰に隠れて弁明の言葉を叫んだ。

 

「今回はマジでなんにも壊してねぇ! 疑うんなら確認してみてくれよ!」

「操人ォ! 小僧から受け取って来い!」

「はーい」

 

 老人の指示を受け、操人はガラガラと音を立てて台車を押しながら明嗣の元へ向かった。忘れがちだが、明嗣が使うホワイトディスペルとブラックゴスペルはそれぞれ11kg。普通ならまず持って運ぶ事が大変な重量なのだ。通常ならこうして器具を利用して運ぶのが常なのである。そして、明嗣から二丁を台車に乗せてもらった操人は、今度は老人の方へ運んでいく。操人から銃を運んでもらった老人はドライバーなどの工具を用いて、あっという間に分解(バラ)し、各パーツの状態を確認した。

 

「……フン。どうやら言ってることは本当のようだな」

「だからなんも壊してねぇって言ったろ……。で? 俺もそっちに行っていいか?」

「好きにせい」

 

 足を踏み入れる許可をもらった明嗣は、ホッと胸を撫で下ろして工房の中へ入った。そして、近くにあった椅子に腰を下ろした瞬間、操人がソーサーに乗せたティーカップを差し出した。カップの中では注いだばかりの紅茶が湯気を立ち上らせている。

 

「コーヒーじゃねぇのかよ」

「ただいまカフェイン抜き週間中でね。たまには紅茶を飲むのだって悪くないでしょ?」

「紅茶も悪くねぇけど、やっぱこういう時はコーヒーが飲みてぇよ……」

 

 不満を漏らしながら明嗣は差し出されたカップを受け取って一口(すす)った。すると、老人から面白くなさげに鼻を鳴らした。

 

「文句を言うなら飲まんで良いわ。ここは小僧のドリンクバーでないぞ」

「わーってますよ……。ったく、ほんとおっかねぇ爺さんだな……」

 

 明嗣は肩身が狭そうに小声で返すと、横から「あの〜……」と控えめに自分の存在を主張する声がした。全員の視線が声のした方へ向く。すると、そこには操人の隣で所在なさげに紅茶のカップを持っている鈴音の姿があった。

 

「そろそろアタシを皆に紹介欲しいなぁ……なんて思ったり……」

 

 先程の出来事を見ていたからだろう。どことなく鈴音の声には怯えの色が混ざっている。すると、明嗣が思い出したかのように親指で鈴音を指した。

 

「あ、そうだった。コイツ、4月にHunter's rustplaats(ウチ)で世話することになった新入り。銃は使わねぇから直接世話になる事はねぇと思うけど……まぁ、よろしく頼む」

持月(もちづき) 鈴音(すずね)でっす! よろしくお願いしまーす!」

 

 礼儀正しく鈴音はお辞儀をしながら自己紹介をすると鈴音に向けられていた親指は老人の方へと向いた。

 

「で、やってきて早々ぶっ放してきたおっかねぇ爺さんが――」

「貴様の普段の行いが悪いからじゃろうが」

「……。銃を速攻で分解(バラ)して見せた爺さんが、黒鉄(くろがね) 鋼汰(こうた)。俺が銃を壊したらいつも世話になる銃職人(ガンスミス)だ。偏屈な頑固ジジイだが、腕は信頼できる」

「偏屈な頑固ジジイは余計じゃわい。ヘルシングの若造から話は聞いておる。刀の面倒を見てくれる者を探しておるらしいな」

「は、はい! 自分でできる範囲じゃ限界があるし、そろそろ研いでもらわなきゃだから研師に心当たりがないかなと思って来たんです!」

 

 おお……鈴音が敬語使ってる……。

 

 普段見ることのない光景を前に、明嗣は素直に感心するような眼差しで見ていた。鈴音は学校の教師にもタメ口で話すようなタイプなので、明嗣にとって敬語を使っている鈴音は本当に珍しい物なのだ。裏を返せば、それだけ鋼汰が恐ろしい事の現れでもあるが。

 

「まぁ、いくつか心当たりはある。話がついたらヘルシングの若造に伝えておくから連れて行ってもらえ」

「あ、ありがとうございます!」

 

 礼を言いつつ、鈴音はガチガチに緊張した身体でぎこちなく頭を下げた。とりあえず挨拶を終えて、鋼汰は分解した明嗣の銃達を元の状態に戻すために組み立て始めた所で、明嗣は思い出したかのように口を開いた。

 

「あ、そうだ。じっちゃん、それ反動強過ぎて扱いづれぇよ。もうちょいなんとかなんねぇの?」

「反動が強いじゃと? ふむ……。と、なるとコンペンセイターを組み込まねばならないな……」

 

 コンペンセイターとは、元々は戦車砲などに搭載されている砲撃の反動軽減のためのマズルブレーキという部品を、競技用ハンドガンサイズに落とし込んだ物である。最近の銃には標準搭載されている場合が多いが、消音器(サウンドサプレッサー)も装着しても同様の効果を得られる。

 

「使ってねぇのかよ……。どうりでよく跳ねると思った」

「小僧の怪力なら必要ないかと思ってな」

「普通の銃ならともかく特注品なら載せとけよ。保険として」

 

 呆れた様子で返した明嗣は「あ、それともう一つ」と続けた。

 

「ホルスターも新調してぇんだけど、頼めるか?」

「何故新調する必要がある。銃共々渡してまだ一ヶ月じゃろう」

「最近、俺でも使える剣を手に入れてさ。ショルダータイプじゃ脇の下が邪魔に感じて使いづれぇんだ」

「だから新調か。と、なると、新しい物はヒップエンドタイプが希望か?」

「ああ。普通のベルトみてぇに腰に巻くタイプを頼むよ」

 

 黒鉄銃砲店の売りは、ポリカーボネートなど軽量素材を使うのが主流となっている中で鉄やクロムなどの金属を使った拳銃をメインに取り扱っている事と、なめし革を使ったホルスターをオーダーメイドで作っている所にある。

 ホワイトディスペルとブラックゴスペルはこの工房で作られたこの世にふたつと無いオーダーメイド品。よって、その二つを納めるホルスターを新調する時も市販のものは使えないので、このように一から作ってもらわないとならないのだ。

 

 「良いじゃろう。採寸するから向こう行って待っておれ」

 

 指示を受けた明嗣が移動すると、鋼汰は道具箱の中からメジャーを取り出して明嗣に続いた。その間、作業スペースは鈴音と操人の二人だけとなる。鋼汰と明嗣の会話についていけなかった鈴音は、さっそく操人にその疑問をぶつけた。

 

「ねね、さっき話してたヒップエンドって何?」

「まぁ、詳しくない人が聞いたらそういう反応だよね。これに関しては実物を見せた方が早いかな」

 

 操人はそう言い席を立つと、出来上がった品を入れるダンボール箱から二つのホルスターを持って鈴音の前に置いた。

 一般的に銃を持ち運ぶホルスターと聞けば、警察官が使用している腰の横にぶら下がっている物を思い浮かべるだろう。それはオープンキャリーと呼ばれる持ち運び方で、警察官などの一般人にも持ち運ぶ許可が与えられている事を周知されている者のみに許された運用方法である。

 対して、持っている事がばれないように上着の下などに隠して持ち運ぶ運用方法はコンシールドキャリーと呼ばれており、明嗣が使用している脇の下に吊り下げるタイプのショルダーホルスターがこの運用方法に適していると言える。そして、話題に上がったヒップエンドも、このコンシールドキャリーに適したホルスターに当たる。装着する場所は腰の背中側、腰背部で丈の長い服なら簡単に隠せる場所であり、ロングコートを好んで着る明嗣なら問題なく使用できるホルスターだ。

 と、以上の説明を受けた鈴音は話題のヒップエンドタイプのホルスターを興味深く観察し始めた。

 

「あ、これ海外ドラマで見た事あるかも。ヒップエンドって言う奴だったんだ。それにしても良いなぁ……。アタシもこういう革製品欲しいかも」

「作るかい? どうせ明嗣のホルスターは僕が作るし、そのついでに作る事もできるけど?」

 

 羨ましげにブラウンのホルスターを見つめる鈴音に対し、操人は軽く言ってのけた。すると、鈴音は目を輝かせて飛びついた。

 

「え、良いの!?」

「うん。明嗣が誰か連れてくるなんて滅多にないしね。お近づきの印かな」

「じゃあお言葉に甘えてお願いしま〜す!」

「作る物にリクエストはある? 大きさとかどういう時に使う物にして欲しいとか」

「うーん……普段使いできるハンドバッグが良いかも。ちょうど新しいものが欲しかったから」

「ハンドバッグね、良いよ。出来上がりはそうだな……。明嗣へホルスターを渡す時に預けるから明嗣経由で受け取ってもらう形で良いかな?」

「うん! 楽しみに待ってるね!」

 

 鈴音と操人の話が纏まった所で採寸を終えた明嗣と鋼汰の二人も戻ってきた。楽しそうに談笑していた二人を前に明嗣は訝しむような視線を送った。

 

「随分楽しそうだな。俺の愚痴で盛り上がっていたか?」

「んふふ〜♪秘密〜」

「何ニヤついてんだ、不気味だぜ……」

「不気味って何!?」

 

 新しいファッションアイテムが手に入ると顔が綻ぶ鈴音に対し、明嗣が気味が悪いと言いたげな表情を向ける。一方、操人と鋼汰はさっそく仕事に取り掛かろうと段取りを始めていた。

 

「これが採寸結果じゃ。小僧からの要望はチェストリグのように弾倉も携帯できるようにしてくれ、だそうじゃ。ワシはこれから小僧の銃に取り付けるコンペンセイターを作るぞ」

「OK」

 

 操人の返事を聞いた鋼汰は話は終わりだとばかりに、来た時と同じように作業台に向かい、中断していた作業を再開する。それを受け、操人は明嗣と鈴音へここから出るように促した。

 

「じゃあ、移動しようか。じいちゃんは作業中一人で集中したい人なんだ」

「いや、俺はもう行くわ。今回は鈴音(コイツ)を案内しろって言われたから来ただけだしな。用が済んだらもう退散するさ。銃はすぐカスタムできるように預けとく」

「なら、ホルスターと合わせてたぶん3、4日くらいで仕上がると思うから、放課後に取りに来なよ。今度はコーヒーも用意しとくよ」

「ああ。じゃ、よろしく頼む」

 

 いそいそと明嗣は工房から去るべく歩き出した。すると、その背中へ鋼汰が「小僧」と呼びかけた。足を止めて明嗣が振り返ると、カンカンという音と共に鋼汰は作業台に向き合った状態で続きを口にした。

 

「たまには何も用がなくとも顔を出しに来んか。話し相手が操人だけじゃ飽きるわい」

「……ああ。なるべくそうする」

 

 明嗣の返事を聞くと鋼汰は用はそれだけだとばかりに顎でもう行けと促す。それを受け、鈴音も飲み終わったカップを置いて立ち上がった。

 

「じゃあ、アタシも失礼しようかな。表の雑貨屋の方も見たいし」

「それじゃあ、一緒に行こうか。そろそろ店の方に戻らなきゃと思ってたしね」

 

 飲み終わりのカップを片付けた操人もこの流れに続く。

 やがて、一人残された鋼汰はやっと落ち着けると息を吐いた。

 

「まったく若いモンが集まるとうるさくて(かな)わんな……」

 

 しかし、言葉に反して響く音はまた来ないだろうかと期待するように楽しげな音色を奏でていた。

 

 

 

 

 さて、工房を離れて雑貨店のスペースに上がった明嗣、鈴音、操人の三人は……。

 

「じゃ、俺行くわ」

「うん。またおいでよ」

 

 長居は無用だとばかりに明嗣が帰りの挨拶をすると、操人が途中まで読んでいた文庫本を手にしながら返事をする。だが、鈴音はそんな明嗣に対し、驚きの声を上げる。

 

「え〜!? お店見ていかないの!?」

「別に買いてぇモンねぇよ。グラスは間に合ってるし、インテリアはどっちかってぇと女向けだし、趣味じゃねぇよ」

「あはは……まぁウチの客層は女の人が多いからね……。やっぱり仕入れるのも自然とそっちに寄ってっちゃうんだよね」

 

 こればっかりは仕方ないと操人は苦笑いを浮かべる。一方、理由を聞いた鈴音は理解できないと言いたげな表情を浮かべた。

 

「アタシは見て回ってるだけでも楽しいけどな〜。あ、このバレッタかわいい!」

 

 ふと、目に入った羽が紫色に染まったアゲハ蝶の髪留めを手に取った鈴音。すると、操人が文庫本を閉じて鈴音の元へと向かった。

 

「お目が高いね。それは今日入荷したばかりなんだ。それに数も少なくてその色の物は今出ているだけだよ」

「そうなの? え〜、どうしようかな〜」

 

 値札に書かれている値段を確認すると3000円と書かれていた。海外の高級ブランドだと一万円付近の物がザラなので、それを考慮するなら安めだと言える。財布と相談し、買うかどうか頭を悩ませている鈴音に対し、操人は背中を押すように声をかけた。

 

「人生の先輩として助言するなら、値段で悩んでいるなら買った方が後から後悔することが少ないよ」

「う〜……そ、それじゃあこれ買っちゃおうかな!」

「はい、お買い上げありがとうございます」

 

 買ったほうが良いよという言葉が欲しかったのか、操人に声をかけてもらった途端、鈴音は買うこと即決してしまった。一方、会計をしている最中、明嗣はそんな鈴音を哀れむように見つめていた。なぜなら……。

 

 あーあ……。まんまと引っかかってやんの……。本当は店の裏に在庫山積みなんだけどな……。

 

 これはあえて売り場に商品を少なく並べる事により、並んでいる物が少ないから買った方が良いのでは、と思ってしまう駆け込み需要の心理を利用したよくある商売のテクニックである。鈴音は操人の商売戦略にまんまと乗せられてしまったのだった。

 

 まぁ、本人は嬉しそうだし、黙っとくか……。真実は時に人を傷つけるからな……。

 

 わざわざ知り合いの商売を邪魔する事もないので、明嗣はあえて真実を伏せておく事にした。そして、カモとなってしまった鈴音の事は一旦頭の中から追い出し、これからの予定を考える事にした。

 

 昼メシは……この時間だと外で済ませた方が(はえ)ぇか。と、なると……今度はどこで食うかが問題になるな……。

 

 いつぞやの時に澪と一緒に訪れたファミレスか、それとも駅前に新しくできた洋食店か、はたまたHunter's rustplaatsで簡単に済ませるか。しかし、Hunter's rustplaatsは団体の貸切予約が入っていた事を思い出し、すぐに選択肢から除外した。

 思いついた選択肢の中からどれを選ぶか考えていると、ポケットの中でスマートフォンが震え始めた。画面を確認すると液晶画面にはちょうど昼食の選択肢から除外したHunter's rustplaatsから電話がかかって来ている知らせを表示していた。

 

「もしもし、マスターか?」

『よう、明嗣。今、時間あるか?』

「ああ。じっちゃんに鈴音を紹介し終えて、メシどうしようかなって思ってた所」

『そうか。じゃ、昼メシ食いに来るついでにお前のバイク持ってこいよ。たしかクリムゾンタスクだったな? あの剣、使いやすくできるか見てやるよ。あとな、今手が足らなくてとてもじゃないが回し切れねぇんだ。手伝ってくれ』

「しゃあねぇなぁ……。なる早で行く」

『おう。待ってるぞ』

 

 トントン拍子で次の予定が決まってしまったので、明嗣は未だに店内を物色している鈴音と売りつけるチャンスを伺う操人に呼びかけた。

 

「じゃあ、腹減ったし俺は行くからな」

「うん。またね〜」

 

 操人の返事を聞くと明嗣は、チリンとドアベルの音を立てて店を出た。そして、話題に上がったバイク、ブラッククリムゾンを取りに自宅へ向かった。



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第41話 新人ウェイトレス(仮)と臨時サポートシェフ

 さて、アルバートの呼び出しに応じ、ブラッククリムゾンと共にHunter's rustplaatsを訪れた明嗣だったが……。

 

「いらっしゃいませー! すみません、今日は貸切で……って……」

 

 口笛と共に入店した明嗣を出迎えたのは、白のブラウスに紺のスカート、そして店の名前である「Hunter's rustplaats」と胸の辺りにプリントされたエプロンを身につけた澪だった。予想外の姿で現れた澪に明嗣は素直に困惑の声をあげた。

 

「さ、彩城……!? 何やってんだお前……?」

「あ、あたしはちょっと頼まれてお手伝いをしてるんだ。バイト代もくれるっていうし。明嗣くんこそどうしたの……。今日は鈴音ちゃんと一緒に出かけてたんじゃ……」

 

 手に持ったトレイを胸の前で抱え込み、澪は少し居心地が悪そうに身をよじった。どうやら知人に今の姿を見られる心の準備がまだできていなかったようだ。

 

「俺は手が足んねぇって呼び出されたから来たんだよ。昼飯も食わせてくれるっていうし」

「そ、そうなんだ。えっと……」

 

 ちょうど「すみませーん」と店員を呼ぶ声が聞こえたので澪は、返事をして対応に向かった。店内には昨日話していた貸し切り予約した団体と思われる13、14人ほどの集団が食事をしている。明嗣は横目で澪が慣れないなりに接客してるのを見守りながら、厨房にいるであろうアルバートへ呼びかけた。

 

「マスター、来たぞー。俺は何すりゃ良い?」

「お、グッドタイミング。今ちょうどじゃがいもが蒸し上がったから、手ぇ洗ってポテサラを頼む」

「うーっす」

 

 アルバートの指示に従い、明嗣は手を洗った後にアルコールで手を消毒する。その後、ポテトマッシャーを手にしてボウルで湯気を上げているじゃがいもを潰し始めた。あらかた潰した所でマヨネーズ、きゅうり、玉ねぎ、人参、刻んだ固ゆで卵を加えてヘラで切りまぜる。そして、適当な量を皿に盛ってその上にペッパーミルで黒胡椒をかければ完成だ。

 

「次は?」

 

 用意された人数分の皿にポテトサラダを盛り終えた明嗣はアルバートに次の指示を仰ぐ。

 すると、アルバートはトレイにプレート料理を乗せた。

 

「次はこれを3番テーブルと4番テーブルだ。その次は仕込んだフレンチトーストを焼いてくれ」

「はいよ」

 

 と、このような調子で明嗣は厨房とフロアを行き来していた。澪は初めて手伝うという事もあり、配膳のみに注力していたが慣れない接客でバタバタと(せわ)しなく動き回っていた。

 そして、会計を終えて一息吐いた時にはもう、時計の針は14時を指していた。

 

「はぁ〜……緊張したぁ……」

 

 まるで息が詰まる場所に長時間押し込められていたかのように、ドッと疲れた声を出す澪へアルバートは無理もないと笑った。

 

「お疲れさん。いやぁー、さすがに10人越えを一人で捌き切るのはキツかったからな。今日は助かったよ澪ちゃん」

「あ、はい。役に立ってたなら良かったです」

「明嗣もありがとな。お前が来てくれなかったら今ごろ厨房で目を回してたかもな」

「んー。に、してもかなりハイペースで食う客だったな。フードファイターか何かだったのか?」

「知らん。近頃は配信で大食い企画をやる、なんて奴もいるからな。その手のグループだったんじゃねぇか?」

「はっ。飯テロやってりゃ面白くねぇトーク力でも億万長者なんだから良い時代だこと」

 

 気に入らない、と言いたげに腐す明嗣にアルバートは苦笑する。その横で澪からクゥ、と可愛らしい空腹の音が鳴った。

 

「あ、もうお昼の時間なんだと思ったらつい……」

「はいよ。もうちょい待ってな。すぐ昼メシ食わせてやるからな」

 

 仕方ない、と笑いつつアルバートは明嗣と澪の前に卓上コンロを設置して着火した。そして各自に用意した空の鍋に温めた牛乳と熱してドロドロとなったチーズを注いだ。やがてフツフツとチーズと牛乳が煮えたぎる鍋の横に人参やブロッコリー、フランスパンなどを切り分けた物が山盛りとなった皿を置いた。

 

「ほいー。今日の昼の賄いメシはチーズフォンデュだ。これなら使わなかった野菜の切れ端とかも余すこと無く食えるからフードロス削減で良いだろ?」

「本当は疲れたから夜まで何も作りたくねぇが本音だろ」

 

 明嗣の指摘に対し、アルバートは「バレたか」と笑って見せた。一方で腹を鳴るほどに空腹だった澪は目の前に現れた料理を前に目を輝かせる。

 

「わぁ……! あたし、チーズフォンデュ初めてなんです!」

「おー、そうなのか。熱いから気ぃつけてな。仕上げは黒胡椒だ。飽きたら味変になるから好きに使いな」

 

 ゴリゴリと自分の鍋に黒胡椒をかけたアルバートは2人の間にペッパーミルを置いた。せっかくなので各自で好きなように挽いて自分の鍋に黒胡椒をかけて澪と明嗣も食事を始める。その最中にこれからの予定について話を始めた。

 

「で、これからの事だけどブラッククリムゾンは地下に運べば良いのか?」

 

 ブロッコリーを鍋の中で泳がせ、チーズを纏わせながら明嗣が尋ねると、アルバートは頷いて人参をフォークで刺す。

 

「え、このお店って地下があるの?」

 

 最近までこの店の事情に疎かった澪がキューブ状に切り分けられたフランスパンを刺したフォークを手に話に参加した。すると、アルバートは再び頷いて返事をした。

 

「まぁな。入口は俺の後ろにある食器棚と、メンバーズカードを持つ客だけが入れる部屋に一つずつある。あとは大型の物を入れるための搬入口として外に一つだな。それで話を戻すが、どんな感じの挙動なのかも見たいからお前にはあの剣を起動してもらうぞ。でねぇと、どう手を加えりゃ良いのか分からんからな」

「えぇ……あれ、使った後は貧血みてぇに頭クラクラになるから嫌なんだよなぁ……」

「それをどうにかするために今日来てもらったんだ。我慢しろ」

「んな無茶な……」

 

 クリムゾンタスクは“切り裂きジャック”と戦った時以降使っていない。単純にそのレベルの吸血鬼が出てきてないのもあるがそもそもの話、使った後の疲労が尋常ではないのだ。エンジンが掛かっている間はまぁいい。吹かせば吹かすほど鼓動が強く脈打ち、アドレナリンなどの興奮物質が分泌されて、疲れ知らずのいわゆるハイな状態となるのだから。だが、それが切れた後の頭が真っ白になり、何も考えられなくなるほどの何かが(はじ)け飛んだような疲労感。これがなるべく使わないようにしようと思う程にダメなのだ。

 これから待っているであろうグロッキー状態を想像した明嗣は、ゲンナリとした表情で肩を落とした。すると、明嗣の隣で話を聞いていた澪が、角切りのベーコンをチーズに(くぐ)らせながら口を開いた。

 

「地下室……見てみたいかも……」

「じゃあ、来るか? ろくなもてなしはできねぇけど」

「おい、マスター……」

 

 あっさりと受け入れるアルバートに対し、明嗣は咎めるような視線を向ける。だが、アルバートはそんな事はお構いなしとばかりに口を返す。

 

「別に澪ちゃんなら良いだろ。誰かにペラペラ喋るタイプって訳でもねぇし」

「いや、そういう問題じゃなくてさ……」

「それに俺たちの事知ってるなら、もう秘密なんてあってないようなモンだ。なら、下手に隠すのは感じ悪いだろ」

「そりゃ、そうかもしんねぇけど……」

「だいたい、ここは俺の店だ。誰を店のどこに案内しようと俺の自由だ」

「……」

 

 もっともな言い分なので明嗣は何も言えなくなってしまった。

 やり取りを見守っていた澪は、論破された明嗣に対して申し訳なさそうに声をかける。

 

「あの……なんかごめんね? ワガママ言っちゃったみたいで……」

「いや、まぁ……気にすんな……。マスターが決めた事だからな……」

 

 本当はあまり踏み込んで欲しくないけど。地下工房をある種の聖域のように感じていた明嗣は、本音をグッと飲み込んで返事する。やがて、自分の皿に乗った具材を全て食べ終えた明嗣とアルバートは、地下工房へブラッククリムゾンを運び込む準備を始めた。



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第42話 武器を持つ悲しみ

 

 昼食を終え、一同は地下工房へ移動する。しかし、今回はバイクであるブラッククリムゾンを収容するので、明嗣は改装の際に新たに作った地下への直通の出入り口を利用し、澪とアルバートは店の中から地下工房へ入る事にした。さて、アルバートに案内されて地下工房へ足を踏み入れた澪は……。

 

「わぁ……!」

 

 明嗣が初めて入ってきた時のように澪は感嘆の声を漏らした。そして、ぐるりと周囲を見回すと興奮の声を上げる。

 

「すごい! アニメとかマンガの中に入ったみたい!」

「お、いい反応するな」

 

 適当に返事をしつつ、アルバートは散らばった工具を片付け、新たに使用する道具を作業テーブルの上に並べた。一方、物珍しそうに辺りを歩く澪は、ある場所で足を止めた。

 

「……」

 

 それは鉄格子の扉で閉ざされた棚だった。中にはハンドガンやアサルトライフル、ショットガンやスナイパーライフルなどがそれぞれ種類別に保管されている。南京錠で施錠された棚を前に、先程まで興奮していた澪は、少し複雑な心境を(にじ)ませた表情を浮かべる。準備を終えたアルバートは、銃が保管された棚の前で固まってしまった澪の背中へ心配するように呼びかけた。

 

「どうした?」

「いえ……やっぱりあるんだなぁ……って思って……。銃……」

「あぁ……。まぁな。コレクションも混じっているが俺の得物だよ。やっぱり銃はダメか?」

「銃だけじゃなくて武器にはやっぱり抵抗はあります。でも、これがないと明嗣くんも鈴音ちゃんも死んじゃうんだって思うと必要なんだろうなって」

 

 答える澪の声には少し悲しみに似た感情が乗っていた。澪が答えてから数秒ほど沈黙が流れる。やがて、澪はポツリと口を開いた。

 

「あたしのお父さんは、世界中を飛び回って写真を撮って回っている写真家なんです。綺麗な風景から街の日常まで、良いと思った物はなんでも撮影して、ある程度集まったら個展を開いてを繰り返して、自分が良いと感じた物を伝えているんです。あたし、その時の思い出をお父さんから聞くのが大好きで、帰ってきたらいつも聞かせてもらっているんです」

「そりゃ良いな」

 

 アルバートが相槌を打つと、澪は頷いて続きを語り始めた。

 

「でも、その中には戦争をしている国で撮った物をあるんです。子供達は楽しそうに笑っているんだけど、どの写真を見ても銃をいつも抱えているんです。ちょうどこんな感じの」

 

 そう言い、澪が指差した先には恐らく世界でもっとも有名(ポピュラー)なアサルトライフル、AK-47があった。

 

「この子達は大人の都合でこんな物を持って戦わされてるんだって話すお父さんは本当に悲しそうで。だから、アルバートさんが明嗣くんを育てた、って言ったときは信じられなかったですよ。全然そんな事するように育てる人に見えないから」

「人は見かけに寄らないってことさ。でも、俺はそう見えるか?」

「はい! 優しそうな近所のおじさんって感じです!」

「そうか……。それはそれで少し傷つくが、まぁいいか……」

 

 自分はおっさんに見える事実を突きつけられたアルバートは、気分と共に少し肩を落とした。憎まれ口が基本の明嗣ならともかく、年頃の乙女から言われると少し来る物がある。しかし、男という生き物はこの残酷な現実を受け止めて、この世界を強く生きてゆかねばならないのだ。

 

「ずいぶん盛り上がってんな。いったい何を話してんだ?」

 

 大型の荷物を搬入する際に使う出入り口から、明嗣の声がした。声のした方へ視線を向けると、そこにはブラッククリムゾンのハンドルを握りながら肩で息をする明嗣の姿があった。

 

「走るならともかく、押して運ぶってのはちとキツイな、これ……。よくもまぁ、一人で毎回運んでるよな、マスター」

「そりゃ、運搬用の台車があるからな」

「そんな便利なモンがあるなら貸してくれよ……」

「オメェ、俺にそれの運送料払わせた事を忘れたとは言わせねぇからな。ちょっとは自分の身を切れってんだ、ったく……」

「それ、これからえげつないくれぇの体力を消耗する俺に言うセリフですかね……」

 

 所定の位置へブラッククリムゾンを移動させながら、明嗣はがっくりと肩を落とした。スタンドを立てて車体を支えた明嗣はブラッククリムゾンのキーを捻った。すると、ガシャっという音と共に側面が開き、中からクリムゾンタスクの刀身が飛び出してくる。

 次に、明嗣はアクセルグリップを取り外し、刀身へ繋ぐと完成したクリムゾンタスクを抜いた。現在は停止中なので、クリムゾンタスクはただの大剣であり、電源の切れたチェーンソーと同じ状態である。

 

「で、コイツをどうイジるんだ?」

 

 自分の背丈と同じくらいの大剣を肩に担ぎ、明嗣は次にどうすれば良いかをアルバートに尋ねた。すると、アルバートはレンズが幾重にも重なった片眼鏡(モノクル)を装着した。

 

「これからお前にはソイツを使って軽い模擬戦闘をやってもらう。で、俺はその様子を今かけてる『オーディンの眼』で観察する。まずはどこが問題なのかを見極めないとな」

 

 オーディンの眼。以前、使用したエリザベート・バートリーの鉄の処女(アイアン・メイデン)を加工した魔具、真実を推し量る乙女(ジャッジメント・メイデン)と同じヘルシングアートの105作目である。その能力は解析。体内を循環する血液の流れや、それに伴う体温の変化、傷めている身体の部位その他諸々を一瞬にして見抜く力があるのだ。

 

「模擬戦闘って誰と」

 

 この場にいるのは、明嗣とアルバート、澪の三人。明嗣はもちろん、アルバートは計測係で相手をするのは無理だ。と、なると……。

 

「まさか……」

 

 明嗣は澪の方へ目を向ける。すると、澪は勢いよく何度も首を横に振る。

 

「無理無理無理! あたしなんてすぐやられちゃうよ!? 秒だよ!? 秒!」

「だよな」

 

 聞いた俺がバカだった、と明嗣は安心したように胸を撫で下ろした。考えてみれば当然の話である。例えるなら生まれたての子鹿が百獣の王の異名を持つライオンに挑むような物だ。勝負になるはずがない。だが、アルバートは意味ありげな笑みを浮かべ、まさかの答えを口にする。

 

「そのまさかだ。今回、お前と戦う相手は澪ちゃんだ」

「はいっ!?」

 

 さっきの話を聞いていなかったの、と澪は困惑の表情をアルバートへ向けた。だが、アルバートは至って大真面目のようで、澪へ一つ質問をした。

 

「ところで澪ちゃん、ゲームは好きか?」

 

 その言葉を口にした後、アルバートは他の魔具が保管してある戸棚から一体の等身大人形と家庭用ゲーム機で格闘ゲームのソフトを遊ぶ際に使用するアーケードコントローラーを取り出した。

 

 

 

 30分後……。

 

「よーし。そんじゃ、二人とも用意は良いな?」

「ああ。俺はいつでも」

「あたしも大丈夫です……!」

 

 アルバートの確認に対して明嗣のリラックスした声と澪のやや緊張した声が返ってきた。

 現在、明嗣が立っている場所は250㎡の射撃場の中心であり、目の前には一体のロングソードも持った人形が立っている。この人形はアルバートがお遊びで作った操り人形(マリオネット)であり、アーケードコントローラーの入力によって様々な動きを見せる代物である。現在、その人形は澪が操作するコントローラーに合わせて、素振りや蹴りなどを行っていた。

 二人の返事を聞いたアルバートは、今回の模擬戦についてのルール説明を始めた。

 

「戦う場所はこの射撃場(レンジ)、得物はお互いに剣のみ。勝利条件は相手を戦闘不能に追い込むか、降参させるか。言うまでもない事だと思うが、射撃場の外に出るとその瞬間に反則負けだ。良いな?」

「OK。とっとと始めようぜ」

「よーし、負けないよ!」

 

 明嗣は肩に剣を担いだ状態でトントン、とその場で跳ねて身体をほぐしながら答えた。対して、澪はコントローラーのスティックを握る手に力を込めて表情を引き締める。二人の顔を交互に見た後、アルバートは手を上げた。

 

「行くぞー。Ready……」

 

 明嗣はアルバートのコールと同時に、クリムゾンタスクを地面に突き立ててグリップを目一杯捻った。瞬間、大きなエキゾーストノートと共に刃が回りだし、クリムゾンタスクの刀身にある吸排気口から黒い火花が吹き出す。同時に、明嗣は心臓がドクリと力強く脈打ち、一気に五感が鋭くなる感覚を味わった。

 そして、「Fight!」の掛け声と共に手が振り下ろされ、明嗣と澪の模擬戦の火蓋が落とされた。



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第43話 模擬戦闘!明嗣VS澪(マリオネット)

 昼食を終えて始まった明嗣と澪が操るマリオネットとの模擬戦。アルバートが始める合図を出すのと同時に、明嗣は人形を中心にバトルフィールドと定められた射撃場を回り始めた。その光景はまるで攻めるタイミングを探るボクサーを彷彿とさせる物だった。一方、人形を操る澪は動かすためのアーケードコントローラーに手を置いたまま、深紅の大剣を手に歩き回る明嗣の様子を射撃場の外からじっと観察している。

 澪の様子だけを切り取ると格闘ゲームを遊んでいるように見えるが、対戦を盛り上げるBGMはない。代わりに明嗣が担ぐ大剣、クリムゾンタスクからドッドッドッ……とアイドリング状態の車が出すような音がするだけだ。

 

 う〜ん……。明嗣くん、攻めてくる気配がないなぁ……。

 

 移動のコマンドを出すスティックをワイングラスを持つように握る澪は、ずっと観察するように歩く明嗣を観察する。澪に与えられたマリオネットが握るのはごく普通のロングソードで、大剣を扱う明嗣の方が間合いが広い。さらに明嗣が扱う大剣、クリムゾンタスクには剣を振る速度を急加速させる仕掛けがある事を澪は以前に見ている。よって、迂闊に飛び込むと即座に狩られてしまうであろう事は想像に難くない。勝負はどちらが先に動くかの睨み合いとなる。

 一分が経過した。動きが無いことに痺れを切らしたアルバートは、工房に備え付けの冷蔵庫からグレープソーダを取り出すと、ヤジを飛ばし始めた。

 

「おーい。お前らお見合いやってんじゃねぇんだ。さっさと仕掛けてみろ」

 

 たしかに……。それなら、先手必勝!

 

 先に動いたのは澪だった。澪はスティックを二回素早く動かした後に攻撃ボタンを叩き、人形に突進の指示を出す。すると、明嗣と対峙する人形が左肩を前に出すショルダータックルで明嗣に突撃していく。対して、明嗣はクリムゾンタスクを地面に突き刺すと棒高跳びの要領で飛び上がった。澪が仕掛けた先制攻撃は、あっけなく避けられて不発に終わる。

 澪はすぐさまマリオネットを反転させ、次の行動に備えた。着地した明嗣が反撃してくるなら防御、距離を取って様子見を続けるようなら追撃を仕掛けて剣で斬りかかる。

 一方、明嗣はふわりと地に足が着いた瞬間、腰を落として脚に力を込めた。

 

 さてと、ぼちぼち俺も行ってみっかな!

 

 地を蹴り、マリオネットに肉薄した明嗣は右下から斬り上げる。

 

 来た!

 

 澪は防御ボタンを叩く。すると、マリオネットは即座に明嗣の攻撃を剣で受け止めた。重量のある大剣による一撃は受けたマリオネットを浮かせて後方へ吹っ飛ばす。

 

 わわっ! えっと……。

 

 澪は急いで再び防御ボタンを叩いた。マリオネットは受け身を取り、再び剣を構え直す。澪がなんとか体勢を立て直す事に成功したのを確認すると、明嗣はにやりと口の端を上げた。

 

「とりあえず最低限の動きはできるみてぇだな」

「これでも中学の頃、家でネット対戦してたからね! そう簡単にはやられないよ!」

「へぇ、そりゃ楽しめそうだな」

 

 明嗣はクリムゾンタスクを地面に突き立て、グリップを捻った。エキゾーストノートが響くと同時に、心臓が力強く脈打ち、力が漲る高揚感が身体を満たしていく。一方でマリオネットを操る澪は、背中にピリっと電撃が走るような感触を味わった。

 

 明嗣くんの雰囲気が変わった……? もしかして……!

 

 明嗣の纏う空気に威圧感が混じった事を感じ取った澪は、無意識に全身に力を入れる。

 

 たぶん、明嗣くん本気になったんだ……。なら!

 

 反撃の機会を与えずに一気に制圧する。澪は明嗣が動く前にマリオネットへ攻撃の指示を出した。

 最初は足払い。そこからロングソードで横に一閃。さらに追撃の切り上げ。踊るようにマリオネットは猛攻撃を仕掛けていく。だが、明嗣は澪の攻撃の一つひとつを的確に捌いていく。驚くべきは、武器の重量差から来る攻撃速度の差を明嗣はものともしていない点だろう。明嗣が使う大剣は攻撃の間合いが広く一撃は重いが、振る速度が遅くて外した場合の隙が大きい。対して澪が操るマリオネットが使うロングソードは大剣より間合いが狭く重量が軽いが、その分振る速度が速くブレーキが効きやすいので攻撃を外した際の隙が小さい。つまり、現在の状況は連続攻撃を受ける明嗣が不利のはずなのだが、明嗣は焦る事なく的確に攻撃を受け止めていた。いつ間に合わなくなって服が破けてしまってもおかしくないのにも関わらず、明嗣は余裕の表情で襲い来る剣を弾く。まるで次にどういう攻撃が来るのか分かっているようだ。

 

 全然当たんない! なんで!?

 

 武器を振る速度が遅いという事はその分、武器で防御するのにも時間がかかるはずなのに。なのに、どうして。どうして一回も掠る事なく剣で受け止める事ができるのか。

 

 こうなったら……!

 

 澪はボタンを叩く手を一旦止める。これにより、マリオネットは猛攻撃(ラッシュ)を止めて一瞬だけ動きを止めた。古今東西、ありとあらゆるスポーツや対戦ゲームにおいて上級者が使うタイミング外し、フェイントである。一瞬だけ固まったマリオネットに攻撃を待ち受けていた明嗣は驚きの表情を浮かべた。

 

 よし! 引っかかった!

 

 作戦成功と笑みを浮かべた澪は、再び猛攻撃を仕掛けるべくボタンを叩き、スティックを動かし始める。再開最初の攻撃はロングソードで下からかち上げる切り上げ。澪から受けた命令(コマンド)をマリオネットは忠実に実行した。

 一方、明嗣は軽く身を引く事でマリオネットによる一閃を難なく避けてみせた。その後、今までのお返しとばかりにマリオネットへハイキックを繰り出す。反撃の蹴りを食らったマリオネットが宙へ飛ぶ。そして、明嗣は蹴りの勢いで身体を回転させた後、クリムゾンタスクのグリップを両手で握り、「その攻撃はこうするんだ」と言いたげに切り上げの構えを取る。

 

 やばっ……!?

 

 身動きが取れない空中へ飛ばされた事で澪の表情に焦りの色が浮かぶ。急いで防御ボタンを連打するも、空中に浮かんだマリオネットはただバタバタと手足を動かすだけ。やがて、澪は次に明嗣がやってくる攻撃と、それを受けるマリオネットの未来を頭の中に思い描いてしまった。

 澪の想像通りにエキゾーストノートが響き渡る。そして、明嗣はマリオネットに向けてクリムゾンタスクを振る。何かが爆発したような速さで振り抜かれた深紅の大剣は容赦なくマリオネットを一刀両断し、地面に一文字の軌跡を残して沈黙した。

 澪が操るマリオネットと明嗣による模擬戦は、マリオネットが一刀両断により真っ二つとなったため戦闘不能。よって、明嗣の勝ちで終了した。

 

 

 

 模擬戦を終えて緊張で張り詰めていた気持ちを吐き出すように息をつくに澪へ、アルバートは冷蔵庫から持ってきたグレープソーダを差し出した。

 

「ほい、お疲れさん。ナイスファイト」

「あ、ありがとうございます。負けちゃいましたけどね」

 

 飲み物を受け取った澪は、すぐにペットボトルの蓋を捻った。ブシュっとガスが抜ける音と共に中で泡が踊りだす。炭酸が弾ける感触を口の中でで楽しみ、澪は一息ついた。一方、勝負に勝った明嗣はというと……。

 

「うぶっ……さっき食ったの全部出しちまいそうだ……」

 

 クリムゾンタスクを使用した反動か、胃の中からせり上がってくる嘔吐感に口を押さえながらうずくまっていた。これではどちらが勝ったのか分からない光景だ。

 

「こんだけやったんだ……。ちゃんと役立ててもらわねぇと困るぜ……」

「明嗣もお疲れさん。心配すんな。ちゃあんと原因は特定できたから、あとはそこをイジりゃ良いだけだ。安心して休んでな」

「だと良いけどな……」

 

 嘔吐感が収まったのか、明嗣はアルバートに返事をしてその場に仰向けで寝転がった。フゥ、と明嗣が大きく息を吐いて呼吸を整える明嗣に近付いたアルバートは、近くに転がっているクリムゾンタスクを拾い上げた。

 

「見た目の割には軽いなこれ」

 

 そうは言いつつ、振る事はできないのか持ち上げた後に剣先を地面に突き立てるだけに終わった。そして、オーディンの眼を外したアルバートは疲れたのか、ほぐすように眉間を人差し指と親指で揉んだ。

 大なり小なり疲労の色が浮かぶ男二人に対し、澪は心配するように声をかける。

 

「二人共、大丈夫……? 特に明嗣くんは倒れたままだし……」

「ああ……なんとか……。けど、仕事の電話が鳴ったら今夜はシンドいからパスさせてもらいてぇ……」

 

 返事をしてはいるものの、問題ないとアピールするために振る明嗣の手に力はない。動かすのがやっと、という風に感じるものだった。そんな明嗣へ、澪はなおも心配するように歩いていく。

 

「本当に大丈夫? 水とか欲しくない?」

「いらねぇ……。ってか、このまま眠っちまいてぇ……」

「風邪引くからちゃんとベッドで寝ろよ」

 

 アルバートはそのまま寝入ってしまいそうな明嗣へ声をかけつつ、クリムゾンタスクを引きずりながら作業台へ運んでいく。

 そして、やっとの思いで作業台に乗せたアルバートは深く息を吐いた。

 

 軽く100kg近くはあるな……。こんなクソ重いモン振り回してんのかコイツ……。

 

 技を仕込んだのは自分ではあるが、今更ながらに自分とは()が違う事を思い知らされる。黙っていれば普通の男子高校生と何も変わらないように見えるが、朱渡 明嗣という少年はどうやっても、どこまで行っても半吸血鬼(ダンピール)なのだ。

 

 

 

 その夜、依頼の電話が鳴る事はなかったが、クリムゾンタスクの調整作業は難航した。

『オーディンの眼』で分析した結果、明嗣の心臓とリンクしているクリムゾンタスクは明嗣の血液を動力源にしている事が分かった。さらに驚異的な回復力はクリムゾンタスク自身にも作用し、刃こぼれした瞬間に血液を用いて修復する機能すらも搭載していた。使った後に目眩を起こし、へたり込むのも納得である。簡単に言うと、クリムゾンタスクのエンジンが機能している間は血を流しながら全力疾走しているような状態なのだから。さらに下手に(いじく)ると、別の場所が機能を果たさなくなる事態に陥ってしまうのだ。

 結果、心臓のように繊細な深紅の大剣は未だにアルバートの手を焼いており、欠点克服にはまだまだ時間がかかりそうだった。

 



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第44話 何気ない朝

 翌日。一般的な週の始まり、国民的週刊少年漫画雑誌の最新号が刊行される月曜日だ。

 ひとまずブラッククリムゾンを預けた後、いつものようにHunter's rustplaatsで朝食を済ませて登校した明嗣は、あくびを噛み殺しながら校内の昇降口付近に設置されている自動販売機にある飲み物の品定めをしていた。

 

 カルピスかオレンジジュースか……。コンポタは……粒が最後から残るからパスだな。

 

 他にも紅茶やレモンティーなどがあるけれど、明嗣はコーヒー党なので選択肢から外れる。

 

 コーヒーとコーラも捨てがてぇなぁ……。どれにすっかな……。

 

 人差し指を泳がせてどのボタンを押すか迷う明嗣。すると背後からその肩をトントンと叩く者が現れた。いったい誰だ、と振り返るとそこには……。

 

「おはよう明嗣くんっ!」

 

 元気いっぱいと感じさせる声音と共に笑顔で挨拶する澪がいた。対して、なんとなく身体が目覚めきっていない明嗣は気だるげな声と共に返す。

 

「鈴音もだけど朝からテンション高ぇな……」

「そうかな? 朝ってそういう物じゃない?」

 

 澪は眠たげに返す明嗣を前に不思議そうな物を見るような表情を浮かべた。明嗣と澪では生活のリズムが違うので無理もないが、やはり一日の始まりである朝にテンションが低い事は理解できないようだ。なぜなら、澪は夜にしっかり睡眠をとっている一般女子高校生なのだから。

 明嗣が欠伸を噛み殺し、自販機の前で指を泳がせていると、澪は何か思い出してスクールバッグの中をあさり始めた。そして、中から缶コーヒーを取り出して明嗣へ差し出した。

 

「はいこれ!」

「なんだこれ?」

 

 なぜ澪が缶コーヒーを差し出した。思い当たる理由がない明嗣は脳内に疑問符を浮かべる。すると、澪も同じような表情を浮かべた。

 

「なんだこれってコーヒーだよ? 鈴音ちゃんから明嗣くんはブラック派って聞いてたんだけど……」

「それは見りゃ分かる。なんで彩城が俺にコーヒーを渡すんだっつってんだよ」

「それは……この間ご飯奢ってもらった時のお礼してなかったなー、と思って。ほら、あの時めちゃくちゃだったし」

 

 澪が言うあの時とは、“切り裂きジャック”に拐われた時の事だろう。あの日は昼食の料金は明嗣が全額出したのを澪は気にしていたようだ。

 

「別に俺が勝手にやったんだから気にしなくて良いんだよ。それにそこらの高校生より金だけは稼いでるしな」

「明嗣くんが気にしなくてもあたしが気にするの! 良いからもらって! あたし、何かしてもらったらきっちり返しておきたい主義なの」

「へぇ、そうか。んじゃ、遠慮なく」

 

 納得した明嗣は素直にコーヒーを受け取った。その後、一回放り投げてキャッチすると意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「なら、初めて会った日の分と“切り裂きジャック”の分の礼は何してくれるんだ?」

「えぇ!?」

 

 そっちまで要求されるとは思っていなかったようで澪は驚いた声を上げた。対して、明嗣は意地の悪い笑みのまま、澪が口にした言葉を引用する。

 

「してもらった事はきっちり返しておきたいんだろ? どういうお返しが貰えるのか楽しみだな」

「あ、それはその……」

 

 たしかに明嗣の言う通りではある。いつかお礼もしたいな、とも考えてはいた。しかし、今のタイミングで言われるとは思わなかった。

 

 どうしよう……。助けてもらったお礼って何をしたら良いの!?

 

 澪は困り果てた表情で固まってしまった。明嗣はそんな澪を見て、静かにククッと笑って見せた。

 

「ジョークだ。マジに返してもらおうとは思ってねぇよ。コーヒー、あんがとな〜」

「もう! からかわないでよ!」

 

 ヒラヒラと手を振って自分の教室へ向かう明嗣の背中へ、澪は少し顔を赤くして呼びかけた。だが、返事が来る事はなく、自販機の前に一人残された澪は少し疲れたように息を吐く。すると、そんな澪の背後に忍び寄る影が一人。

 

「朝からお疲れの様子だね」

「わっ!? なんだ鈴音ちゃんかぁ……。おどかさないでよ〜……」

 

 音も立てず背後に現れた声の主が鈴音だと分かり、澪は飛び上がった心臓を落ち着かせるように胸を撫で下ろした。一方、イタズラが成功した鈴音はケラケラと笑い手を挙げる。

 

「おはよっ! 朝からそんな疲れた顔してると幸せが逃げて行くよ〜? 何かあった?」

「おはよう鈴音ちゃん……。それが聞いてよ。さっき明嗣くんがね……」

 

 澪は先程の出来事を鈴音に聞かせた。すると、話を聞き終えた鈴音は苦笑いを浮かべた。

 

「あはは……それはドンマイだね……」

「なんであんな風に言うんだろ。もっと普通に話せば良いのに」

「まぁ、明嗣って少し女嫌いな所あるみたいだからね〜。それを考えれば、まだ良い方だと思うけど」

「前にそんな事言ってたね」

 

 鈴音の言葉に澪は前に言われた「女は魔物だと言われた事がある」という鈴音の言葉を思い返して頷いた。対して、鈴音は頷き返すと自販機に硬貨を投入し始めた。

 

「まぁ、前にいかにもパリピって女の人に絡まれてうんざりとしてる所を見た事あったけど、明嗣は女嫌いって訳じゃないと思うんだよね。本人は女嫌いって言ってるけど」

「どうして?」

「だって、なんだかんだアタシらと話してくれるじゃん? 本当に女が嫌いなら、アタシらも避けたりとか、もっと邪険に扱っているはずだよ」

「あ、そっか」

 

 言われてみればその通りだ、と澪は納得した表情を浮かべた。

 

「でしょ? だから、たぶん明嗣がからかったりするのは自分のそういう部分となんとか折り合いをつけようと頑張ってる途中なんじゃない? それはそれとして、言われたらすっごくムカつくけどね……!」

 

 澪が知らない所で色々言われているのか、鈴音は先ほど買った緑茶を手に忌々しげな表情を浮かべた。澪はそんな鈴音を見て苦笑を浮かべた。

 

「鈴音ちゃんも大変なんだね……」

「とにかく、別に明嗣も好きでそういう言い方してる訳じゃないと思う。明嗣だって今頃、やり過ぎたかも、とか考えているはずだよ。きっと」

「そうかなぁ……」

 

 

 

 その頃、教室に向かった明嗣は……。

 

 お、新曲配信されてんな。お気に入り入れとこ。

 

 先程もらったコーヒー片手にミュージックサブスクサービスで配信されている音楽を漁っていた。当然の事ながら、鈴音の言っていた事は1ミリも明嗣の頭の中に存在していなかった。



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第45話 放課後、感じる距離

 木曜日の放課後がやってきた。そろそろ預けた銃の改造が終わっている頃だ。

 ホームルームを終えた明嗣は、荷物をスクールバッグに詰めていた。

 

 さてと、これからじっちゃんの所行って、銃を受け取らねぇとな。

 

 チャックを閉めて肩にバッグを担いだ明嗣は、スマートフォンを取り出した。指を滑らせて連絡する場所は黒鉄銃砲店。念のために仕上がっているどうか確認するための電話だ。

 

『はい、黒鉄雑貨店です』

 

 2、3回ほどコール音が鳴った後、表の屋号を告げる操人の声が耳に飛び込んできた。

 

「よぉ、操人。明嗣だけど」

『なんだ。どうしたの?』

「仕上がったかどうかの確認だよ。これから引き取りに行くつもりだ」

『あぁ、それは問題ないよ。ホルスターも銃のカスタムもバッチリさ』

「OK。そんじゃ、これからそっちに行くわ」

『うん。待ってるよ』

 

 通話が切れると、明嗣はBluetoothイヤホンを取り出して耳に着けた。そして、スマートフォンを操作して接続するとお気に入りのロックバンドの楽曲を聞き始めた。

 

 やっぱ、ロックだな。ヒットチャートなんてクソ食らえだ。

 

 某メンズアイドルグループだったり、しみったれた失恋バラードやラブソングで埋まっている音楽ランキングへの不満を心のなかで吐き出しつつ、明嗣は上機嫌で昇降口へ向かう。

 昇降口にたどり着いたタイミングで曲は最高潮(クライマックス)に突入した。「どこまでも歩き続ける。倒れる時は前のめりで」、というテーマで作られた曲のラストはまだまだこれからと叫ぶようなギターソロで締めくくられた。ギターの音が収まると、明嗣は湧き上がった熱を吐き出すように小さく息を吐いた。

 自動的に次の曲が流れだした時には校門まで足が進んでいた。

 

「……ぅーん……」

 

 小さく誰かが誰かを呼ぶ声がうっすらと聞こえた。明嗣は気にせずに歩いていく。

 

「……じくん……」

 

 再び誰かが誰かを呼ぶ声が聞こえた。が、今度は肩をトントンと叩かれる。ここまでされては人違いという事はないので、明嗣は片耳だけイヤホンを外して振り返った。

 

「なんだ。イヤホンしてて聞こえなかっただけだったんだ」

 

 振り返った先にいたのは、同じくホームルーム終えたばかりの澪だった。

 

「そっちも今帰りか」

「うん。せっかくだし途中まで一緒に行こうと思って」

「別に構わねぇけど、俺は今日は行くとこあんぞ」

「そうなの? アルバートさんの所じゃなくて?」

「ああ。銃のカスタムを頼んでいてな。仕上がったから取りに行くんだよ」

「そうなんだ」

 

 一旦、会話がそこで切れてしまった。帰り道を歩く二人の間になんとなく気まずい無言の時間が流れる。やがて、無言に耐えかねた澪はふと先程から気になっていた事を尋ねた。

 

「イヤホンつけてたけど、音楽聞いてたの?」

「まぁな」

「やっぱりそうだったんだ。明嗣くんってどんな音楽を聞くの?」

「ロック。パンクもヘビメタもない人生なんて退屈でしかねぇよ。ブラック・サバスマジ最高」

「し、知らないバンドだ……」

「だろうな」

 

  ロックのジャンルの一つ、ヘビーメタル黎明期のバンドなのだから無理もない。突然飛び出してきた懐メロどころじゃない名前に澪は困惑の表情を浮かべた。

 

「あたしはボカロをよく聞くんだよね」

「あー、最近増えてきたよな。作曲できりゃ誰だってミリオンヒットのチャンスがある時代だ」

「他にも歌える人がカバーした『歌ってみた』っていうのもあってね、そこからスカウトされてデビューするって人もいるんだよ」

「そりゃ夢のある話だ」

「だよね〜。はぁ〜……アタシもスカウトとかされてみたいな〜」

 

 いきなり背後から聞こえた第三の声。明嗣と澪は同時に立ち止まり、声がした背後を向いた。すると、そこには追いかけてきたのか少し息が上がっている鈴音の姿があった。

 

「鈴音かよ。いるんなら言え」

「だって二人だけで盛り上がってるんだもん。邪魔するのもなんかアレじゃない? なんか良い雰囲気だったし?」

「アホか」

 

 呆れたように明嗣はため息を吐いた。そして、明嗣は澪と鈴音の二人とは別方向へ歩き始めた。

 

「じゃ、俺は行くとこあっからここまでだ」

「あ、もしかして預けた銃ができたの?」

「そんなとこだ。またあのおっかねぇ爺さんとこ行ってこなきゃな……」

「じゃあ、また後でだね」

「そうなるな」

 

 はぁ、と明嗣は先程より重いため息を吐いた。ため息の理由を知っている鈴音はそんな明嗣を前に苦笑いを浮かべた。

 

「じゃあね、明嗣くん」

「ああ。じゃあな、彩城」

 

 彩城、か……。

 

 手を振って歩いていく明嗣の背中を澪は複雑な表情で見送った。やがて、背中が見えなくなったと同時に鈴音が口を開いた。

 

「澪、どうかした?」

「え? 何が?」

「だって顔に書いてあるよ? 『何か言いたいことあります』って。澪って顔に出やすいよね〜」

「え、そう!?」

 

 澪は驚きのあまり、思わずびくりと身体を震わせた。

 

「いや、でも、別にそこまでの事じゃないっていうか……」

「まぁまぁ、ただの話のネタにさ! ちょっとの事でも溜め込んじゃうと良いことないし」

「そうかな……」

 

 澪は少しためらうかのように口元に手を当てた。対して、鈴音は遠慮なくどうぞ、と待ち構えるように微笑んでいる。

 

 言わないと解放してもらえないかなぁ……。

 

 観念した澪はスクールバッグの肩紐をかけ直して、鈴音に理由を語り始めた。

 

「本当に大した事じゃないんだよ? ただね、明嗣くんって鈴音ちゃんの事を呼ぶ時は鈴音、って名前で呼ぶけど、あたしの事は彩城、って苗字で呼ぶのがちょっと引っかかってね……。なんとなく距離感じるっていうか……」

「あー……」

 

 話を聞いた鈴音は納得したように相槌を打った。澪はそんな鈴音に対し、申し訳ない、といった表情を浮かべた。

 

「ごめんね。鈴音ちゃんに言っても仕方ないし、本人に直接言えば良いんだけど、なんとなく言いづらくて……」

「別に気にしない気にしない! むしろぶっちゃけトークの方がアタシ的にはやりやすいし!」

 

 快活に笑う鈴音は問題ないと手をふる。その後、笑顔を引っ込めて真剣な表情で考え込み始めた。

 

「でも、呼び方かぁ……。アタシも気になるから、気持ちは分かるなぁ……。んー……どうしよっか」

 

 鈴音は腕を組んで考える。自分の時は力を示して認めさせたからなので、少し参考にはならないだろう。心という物はきっかけがなければ中々変わらない物である。ちょうど良いタイミングで明嗣が心境の変化を起こすような問題があれば良かっただろうが、あいにくそんな物は現時点では存在しない。

 

「ほんっとうにメンドくさいね、アイツ……」

 

 お手上げのサイン代わりに明嗣への不満を漏らす鈴音。それを受け、澪は申し訳ない、といった表情で息を吐いた。

 

 

 

 その頃、女子二名から噂されているとは夢にも思っていない明嗣は……。

 

「おぉ……!」

 

 銃を引き取りに来た黒鉄銃砲店工房にて、仕上がった銃を前に感嘆の息を漏らしていた。

 新生した2丁の愛銃はコンペンセイターが組み込まれたため、発射の際に銃口から吹き出す燃焼ガスを逃がすための排気口と、遊底(スライド)に温まった銃身が発する熱を逃がすためのクーリングホールが新たに作られた。これにより、発射の反動で銃身が跳ねる現象、マズルジャンプが軽減され、連続発射により温まった銃身から立ち上る陽炎により狙いがつけづらいという問題がある程度改善される事となる。さらに設計図の見直しによる改良や、クーリングホールを開けた事により、11kgだった重さも10kgまで落とす軽量化に成功した。

 

「どうじゃ」

「前より軽くなったな。やっぱ軽い方が扱いやすくて好きだ」

 

 感想を求める鋼汰に対し、明嗣は各種パーツの動作チェックや構えた際の感触を確かめながら答えた。点検を終えた明嗣は弾倉(マガジン)をそれぞれに差し込み、隣に置かれているヒップエンドタイプのホルスターへ収めた。そして、今度はそのホルスターを腰に巻いて試着した。

 

「どうだい。着けた感じに違和感はある?」

「サイズはピッタリだけど今まで脇の下に吊ってたからかな。腰の辺りにあるのが変な気分だ」

「ならOKだね。それと……」

 

 明嗣から問題なしとお墨付きをもらった操人はフィンガーレスグローブを差し出した。

 

「オートマを使うならこれも必要でしょ。バイクにも乗るようになったらしいじゃないか。むしろ今までよく着けてなかったよね」

「いやー……いちいち着けるのが面倒でさ……」

「これからはそうも言ってられないでしょ。それにグローブは熱くなった銃から手を保護する役割だってあるんだから」

 

 敵わないな、と肩をすくめた明嗣は素直に着け心地を確かめるためにグローブを着けた。手を何回か開閉して馴染ませると牛革が手のひらをしっかりと包み込む感触がする。

 

「ピッタシ」

「それは良かった」

 

 当然、言わんばかりに操人は答えた。だいたいの確認を終えたので明嗣は腰に着けていたホルスターを外した。そして、制服の上着の下にある今まで使っていたショルダーホルスターへ白黒の双銃を収める。制服の上着では丈が足りないので、隠し持つにはこうするのが一番手っ取り早いからだ。

 

「じゃ、仕事来てるかもしんねぇから行くわ。それに鈴音の奴と賭けダーツの約束がしててさ。早く行かねぇとうるせぇんだ」

「へぇ、賭け金(チップ)は?」

「晩飯の一品」

「それは良いね。今作ってるのが仕上がったら僕も久しぶりに顔だしてみようかな?」

「お、操人も何か作ってんのか?」

 

 将来の黒鉄銃砲店を背負って立つ銃職人(ガンスミス)の操人だ。当然の事ながら作る銃に興味が湧くのは自然の流れである。明嗣の質問に対し、操人は意味深な笑みを浮かべ、自信満々と言った様子で答えた。

 

「今作っているのはハンドガンとスナイパーライフルのツーウェイ仕様の回転式狙撃銃(リボルビングライフル)さ。ハンドガンモードの時はツインバレルで一回の発砲で弾を二発同時発射、スナイパーライフルモードの時は2つの銃身を合体させてライフルの銃身にするってコンセプトで作っているんだけどね。やっぱり二種類の銃を一個にまとめるのは難しいよ」

「そりゃそうだ。使っている弾が違いすぎる」

 

 一撃に重きを置く.357マグナム弾や.44マグナム弾を使用する回転式拳銃(リボルバー)と飛距離と貫通力に重きを置いた.22ロングライフル弾や.223レミントン弾などで急所を撃ち抜くスナイパーライフル。この2つは使用する弾薬のサイズが拳と指くらいの違いがあるため、当然の事ながら無謀な挑戦だと言える。それでも……。

 

「でも、これを完成させるためにいろいろ考えるのが楽しいからね。成功したら絶対に凄いものができるって確信してる」

「そうかい。ま、幸運を祈る」

 

 明嗣が相槌を打つと、既に次の作業に作業に取り掛かっていた鋼汰は、はよ行けと言わんばかりに手で払ってみせた。

 

「じゃ、また頼むな」

「あ、待った。明嗣に届け物を頼みたいんだけど……」

 

 帰ろうと踵を返した明嗣を呼び止めた操人は紙袋を一つ差し出した。

 

「この間一緒に来てた鈴音ちゃんにこれをね。明嗣が銃を取りに来た時に預けるって約束したんだよ」

「仕方ねぇなぁ……。まぁタダで銃の面倒見てもらってってから良いけどよ……」

 

 渋々、といった様子で明嗣が荷物を受取ると、操人は「じゃあね」と手を振って帰っていく明嗣を見送った。

 外に出た時、空は茜色に染まっていた。人の動きも帰宅ラッシュの時間に突入したせいか活発だ。吸血鬼が潜伏するには絶好のシチュエーションである。

 急いで日が落ちた後の準備をするため、明嗣は自宅へ向けて駆け出した。



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第46話 月下の神父

 銃を受け取った明嗣はすぐに帰宅し、制服の上着からいつものロングコートへと着替えた。真っ赤なフードを一度被ってから脱ぐ事で整えると、腰にヒップエンドホルスターを装着する。

 

 本当はオイルを塗りてぇ所だけど……まぁ、向こうでやってるだろうな。

 

 吸血鬼狩りの依頼があった場合、すぐ使う事は分かっているだろうし、黒鉄鋼汰という銃職人はすぐに使えない物は渡さない事を明嗣はよく知っている。よって、今回は仕事前の整備は省略する事にした。一応、排莢しない程度に遊底(スライド)をずらして薬莢室(チャンバー)に弾があるかを覗いた。弾はないので暴発の危険性は認められない。

 安全に持ち運べる事を確認したので、銃をホルスターに納めた明嗣は操人から預かった荷物を手に、本日の仕事を求めてHunter's rustplaatsへ向かう事にした。

 

 

 

 一方、Hunter's rustplaatsでは……。

 

「なんとなく距離を感じる、ねぇ……」

「だからさ、何かできないかなと思って。ほら、マスターって明嗣と付き合い長いし。明嗣の好きな物とか、食いつく話題とか何か知らない?」

 

 澪がポツリとこぼした悩みを、鈴音はアルバートへ相談していた。通常、人の悩みを第三者に漏らすのはご法度だが、アルバートは口が堅いと見ての相談である。

 だが、当のアルバートは考え込むように腕を組んで唸り始めてしまった。

 

「そうは言われてもなぁ……。アイツ、基本的にそういう事をあんまり言わないからなぁ……」

「そっかぁ……」

 

 鈴音はアルバートの答えに対してガックリと項垂(うなだ)れた。まさか一番付き合いが長いアルバートでさえこの調子だったとは……。鈴音はウェルカムドリンクとして出された紅茶を一口すすった後、カウンターテーブルに肘をついてハァ、と憂鬱げにため息を吐いた。

 

「困るんだよねぇ……。知り合い二人がなんとなく気まずいと(あいだ)のアタシもストレスっていうか」

「いつでも人間関係ってのは大変だよなぁ……」

「だよねぇ……。言葉一つで簡単にケンカになるもん。もっと気楽に色々話したいよ……」

 

 鈴音の愚痴に対し、アルバートは苦笑いを浮かべた。

 会話が切れたので店内はサブスクサービスの運営が作ったミックスリストのジャズBGMのみが響く。やがて、5分経過した後にドアベルが来客を知らせた。

 

「先に来てたか」

「やっほー」

 

 いつも通りにやってきた明嗣に対し、鈴音は軽く手を上げて挨拶した。一方、鈴音の座る席から2個ほど離れた席に腰を下ろした明嗣は鈴音の席へ操人から預かった荷物を滑らせた。

 

「なにこれ?」

「操人から届けろって預かった。中身は知らねぇ」

 

 興味ねぇし、と付け加えた明嗣は退屈だと言いたげな表情でスマートフォンを取り出し、ネットサーフィンを始めた。一方、紙袋を受け取った鈴音は紙袋を開封して中身を確認した。入っていたのは鈴音が操人に制作を依頼した紫のハンドバッグだった。

 本体、肩紐には(なめ)した牛革をふんだんに使用。各種の金具には銀を使用し、中を閉じるためのボタンは蝶の形に成型されていた。

 思いのほか上等な品が手に入った鈴音は、その出来映えに感動の声を上げる。

 

「えっ、何これ!? やばっ! めっちゃ好きなんだけど!?」

「ほぉー、操人の奴また腕上げたな」

 

 明嗣にコーヒーを出しながら、アルバートもハンドバッグの出来映えに感心の言葉を口にした。そして、スマートフォンに指を滑らせる明嗣の手元に注目した。

 

「そういえば明嗣もちゃっかり手袋着けてるな? それも操人作か?」

自動拳銃(オートマ)使うんなら着けとけってよ。まぁ、せっかくもらったし使わねぇと損だろ?」

「たしかに」

「で、マスターの方はどうなんだよ。クリムゾンタスクの調整できたのか? あちっ」

 

 一口すすったコーヒーが思ったより熱かったため、明嗣は冷ますために息を吹きかけた。一方、明嗣がコーヒーを口にしながらした質問に対して、アルバートはなんとも言えないような微妙な表情を浮かべた。

 

「まぁ、手を入れる前よりはマシになったとは思うが……実際に動かしてみねぇとなんとも言えないな……。なんせ、今まであんな剣をお目にかかる機会なんて滅多になかったからな……」

「そんなに手を焼いてんのか?」

 

 カップをソーサーに置き、明嗣はスマートフォンから顔を上げる。すると、アルバートはカウンターに手をつき、ふぅ、と息を吐いた。

 

「中身がとにかく複雑なんだよ……。あれはバイクのエンジンの一部でもあるから、剣の状態が良くてもバイクの方で不調を起こすって事もあってな……」

 

 その時の事を思い出したのか、アルバートは疲れたような表情を浮かべる。それなら、と明嗣は身体をほぐすように伸びをして立ち上がった。

 

「どうせ試運転するんだ。起動実験をやるんなら早めに済ませちまおうぜ」

「そうか? それで構わないなら今からやっても良いが……」

 

 明嗣の言う通り、どうせ試運転はしなければならないのだ。成否を確認するのは早いに越したことはない。

 と、言う訳で三人は地下の射撃場兼工房へ移動した。

 

 

 

 地下に移動すると、明嗣はアルバートから問題のブツを早速受け取った。

 クリムゾンタスクは明嗣の血液を動力源にして動く巨大な機動剣(メカニカルソード)である。チェーンソーのように回る刃や剣を爆発的に加速させる機構(ギミック)、そして身体の傷を即座に塞ぐ自然回復能力や物理的に姿を隠した吸血鬼を見つけ出す吸血鬼の左眼などをもたらす身体能力強化。主な能力はこの2点、そしてもっとも血液(リソース)を食うのは自然回復能力だ。なぜなら、この能力の適用範囲は使用者の身体だけでなく、刃こぼれした刀身自体にも作用するのだから。つまり、使った後の異様な疲労感の原因は刃こぼれした瞬間、即座に修復してしまう事にあったのだ。

 刀剣である以上、刃こぼれの宿命からは逃れられない。だが、使えないレベルではない軽微な刃こぼれでもいちいち修復しているようでは限りがない。釣り銭が出ない精算機で買い物をするような物だ。たとえ大量の燃料を用意したとしても大事な時にガス欠で動けなくなる、またはジリ貧になるなんて事態に陥る事も十分ありえる話である。そこで……。

 

(グリップ)を動かした時だけ自動修復能力が効くようにした。これなら多少はマシになるはずだ。動かしてみろ」

 

 アルバートに促されるまま、明嗣は起動させるためにクリムゾンタスクを射撃場の地面に突き立てた。そして、緊張の面持ちでグリップを捻り、クリムゾンタスクのエンジンを動かす。すると、以前と同じように心臓がドクリと力強く脈打ち、五感が鋭くなる。

 

「起動は問題ねぇようだな」

「ああ。問題なし(オールクリア)。むしろ前より調子良いんじゃねぇかってくらいだ」

 

 明嗣は調子を確かめるように軽く吹かしながら答えると、アルバートは本題とばかりにイタリアのベレッタ社製拳銃、92Fを手にした。

 

「じゃ、次だ。これからコイツでお前を撃つから防御しろ」

「一歩間違えりゃ死ぬじゃねぇか!!」

「心配すんな。外したとしても急所には当たらないように撃ってやるよ」

「ふっざけんな! これで事故ったらどうすんだよ、おい!?」

「明嗣とマスターだから許されるやり取りだなぁ……」

 

 やる事がないため、見守っている鈴音が引きつった笑みで感想をこぼす。正気の沙汰ではないやり取りだがこれも性能テストのためなので仕方ない。なおも抗議の声を上げる明嗣を黙らせるようにアルバートはベレッタの引き金を引いた。銃声に反応した明嗣はクリムゾンタスクの刀身を盾の代わりにして銃弾を防いだ。ちなみに使用弾丸は対吸血鬼用の純銀製9mmパラベラム弾ではなく、射撃競技用のワッドカッター弾である。

 ホローポイント弾などに比べて殺傷力は劣るが、それでも当たればただでは済まない威力ではある。

 

「……っぶねー」

 

 クリムゾンタスク起動により底上げされた身体能力で全弾防いでみせた明嗣は、ホッと安心したように息を吐いた。足元には着弾の衝撃でひしゃげた弾丸が散らばっている。そして、弾丸を受け止めたクリムゾンタスクの刀身には防御の証である軽い(ヘコ)み傷ができていた。自動修復の能力は今のところ作用していないようだ。

 

「こんなモンだな。ほれ、グリップ捻ってみろ」

「ったく、これで死んだらどうするつもりだったんだよ……」

 

 文句を言いつつ、明嗣は再び突き立てたクリムゾンタスクのエンジンを吹かす。すると、みるみる内にクリムゾンタスクの刀身が元の形に戻っていった。紅の刀身からは快調に回るエンジンのアイドリング音が聞こえる。

 ここまでは概ね順調に進行していた。だが肝心なのはこれからだ。

 

 さて、エンジンを止めた後がどうなるか……。

 

 アルバートの表情に緊張が走る。これで明嗣がへばる事となれば、また最初からやり直さなければならない。アルバートの緊張が伝わったのか、自然と柄を握る明嗣の手も震え出してしまった。

 フゥ、と息を吐き、明嗣は覚悟を決めてアクセルグリップのボタンを押す。すると、吸排気口から熱気が吹き出し、クリムゾンタスクのエンジンの回転が停止した。

 訪れる一瞬の静寂。離れた所から見学している鈴音も思わず姿勢を正して結果を待つ。

 クリムゾンタスク完全停止より一秒。明嗣は突き立てたクリムゾンタスクを引き抜くと、肩に担いで緊張を吐き出すように息をついた。

 

「たしかにマシにはなったな。動けねえってほどの消耗じゃない」

「とりあえずこれで当面はやっていけるな」

「でも、休憩(インターバル)を入れねぇとガス欠になっちまいそうだな……」

 

 明嗣は乱れた息を整えるように深く呼吸しながらブラッククリムゾンへ歩いていき、展開したサイドボディへクリムゾンタスクの刀身を収めた。ついでにバイクの状態でエンジンに不調がないか確かめるために、アクセルグリップを接続してエンジンを起動する。軽く吹かしてみた所、エンジンの音に異音が混じっているなどの異常はない。よって、バイクでの運用も問題なく行える。

 心配事が片付いたアルバートは次だとばかりに、スラックスのポケットから2つに折ったメモ用紙を取り出した。

 

「じゃあ、本日の仕事だ。今日の昼に入ってきた受けたてホヤホヤだぞ」

 

 

 

 時計は21時まで進む。今回入ってきた依頼は、「港エリアで荷下ろしをしている作業員が次々と吸血鬼による物と思われる噛み傷を首に残して変死している。このままでは交魔(こうま)市の物流に影響が出るので直ちに潜伏している吸血鬼を探し出して殲滅しろ」、という物だった。という訳で、明嗣はさっそく港エリアに出向いて標的を探し始めたのだが……。

 

「なんで鈴音まで付いて来るかねぇ……」

「まぁまぁ、ぼやかないぼやかない! たまには一緒にやるのも良いでしょ! やっぱり話し相手いた方が楽しいしね!」

 

 げんなりとした表情でぼやく明嗣に対し、鈴音の楽しげな声が港エリアに響く。今回は捜索範囲が広いので人手は多い方が良いだろう、というアルバートの判断により、鈴音と二人で吸血鬼狩りに当たる事となった。だが……。

 

「一人ならパパっと片付けてバイクで帰って来れたってのによ……」

 

 余計な時間が掛かる、と言いたげに明嗣の不満はなおも続く。それを受けてか、鈴音は頬を膨らませて拗ねたように口を返した。

 

「じゃあ、素直にアタシを後ろに乗せれば良かったでしょー」

「メットが一つしかねぇからダメに決まってんだろ」

 

 じとっ、とした眼差しで明嗣はツッコミを入れた。同時にヒュウ、と潮風が二人の間に吹き抜ける。すると背筋に寒気が走った鈴音は可愛らしく小さなくしゃみをした。

 

「うぅ〜……春とはいえ夜の港は冷えるねぇ〜」

「薄着で歩いてりゃそりゃ(さみ)いだろ」

 

 呆れた表情で返しつつ、明嗣は先を歩いていく。現在の鈴音の服装は白の肩出しトップスにパステルピンクのミニスカート、そして青いスニーカー。街中ならとにかく、風が強い港では寒く感じるのも無理はない。このままでは風邪を引いてしまうな……。冷える身体をさすり、なんとか暖を取れないかと鈴音は考える。そこにちょうど良く目についた真っ黒なロングコート。鈴音はそのコートの持ち主へ甘えるような猫撫で声でおねだりをしてみる事にした。

 

「ねぇ、明嗣。そのコート貸して?」

「ざけんな。俺が寒いだろうが」

 

 ノータイムで帰ってくる無慈悲な返答。この間、コンマ2秒である。今まさに吹き付けている潮風のように冷たい返事をもらった鈴音は、振り返らずに先を行く明嗣に対して抗議の声を上げる。

 

「ケチケチケチ! ここに凍えてる女の子が一人いるのになんとも思わないの!?」

「ああ思わないね。自分(テメェ)の事は自分(テメェ)でなんとかしろと育てられたモンで」

「冷ったいなぁー……。そんな冷血人間だといつか友達失くすよ、まったく……。あれ?」

 

 少しでも冷える身体を暖めようと腕をさする鈴音は、ふと空に何か浮いているのを発見した。

 

「ねぇ……明嗣……」

「今度はなんだよ」

 

 先を歩く明嗣がイライラした声で返事をしながら振り返ると、鈴音は震える指で見つけた物がある夜空を指さした。

 

「あれ……何?」

「どれだよ……」

 

 いったい何を見つけたのやら……。どうせ大した物ではないだろう、と高を括る明嗣も鈴音が指をさした方角の空を見た。すると、その先にあったのは……。

 

「は?」

 

 ()()を目にした明嗣も言葉を失い、呆然とその場に立ち尽くして天を仰ぐ。何故なら、星が彩る夜空にど真ん中に浮かぶは、等身大人形サイズの十字の影だったのだから。

 空に浮かんでいるそれは、ピクリとも動かず宙にある。普通ならどうして空に十字架があるのか、と考える所だろう。だが、明嗣は宙に浮かぶ()()の正体を一瞬にして看破した。何故なら、吸血鬼と人間のハーフである半吸血鬼(ダンピール)()る世界は、"赤"と"黒"の線が走る世界なのであり、明嗣が今目にしているそれには“黒い線”がびっしりと走っているのだから。

 

「ヴァ……吸血鬼(ヴァンパイア)……!?」

「えっ!? それって……」

 

 驚きの声を上げる鈴音の声を明嗣は手を上げて遮った。その後、宙に浮かぶ吸血鬼の下を指さした。指差す先には一人分の人影が見える。明嗣と鈴音は即座に意識を警戒モードに切り替え、それぞれ己の得物を手にした。明嗣はホワイトディスペルを抜いて遊底(スライド)を引いて初弾装填、鈴音は太ももに着けたポーチからクナイを二本取り出していつでも投擲できるよう指で挟み込むように握る。

 ハンドサインで先行すると伝えた明嗣はコンテナに身を隠しながら、利き腕側を引いて銃を構えるウィーバースタンスで目標へ接近していき、その後ろに鈴音が続いた。コンテナを遮蔽物にして慎重に潜伏しながら近付いて行くと、月明かりが人影の正体を徐々に照らし出していった。

 宙に浮かぶ吸血鬼の下で佇む謎の人物は、漆黒の男性用修道服を身にまとっていた。真っ黒な手袋をはめた手には、一冊の本が握られている。顔はフードを被っているため見えない。

 

 なんだ……? あの格好……神父か……?

 

 物陰から様子を伺う明嗣はふと背筋に冷や汗が伝う感触を味わった。そういえば最近、ヴァチカンの祓魔師(エクソシスト)が一人入国した、とアルバートが話している事を思い出したからだ。なぜ今、この情報を思い出したのかというと、ヴァチカンの祓魔師もちょうどこのような格好で活動しており、先程からわずかに鋼鉄糸(ワイヤー)と思われる月明かりの反射がちらちらと見えているのだから。

 神父のような格好をした謎の者はおもむろに手にした本を開くと、静かにその内容を読み上げ始めた。

 

「“神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなた達の息子と娘は予言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの(しもべ)やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは予言する。上では、天に不思議な(わざ)を、下では、地に()を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる”」(新約聖書 使徒言行録 2章 2節 〜ペトロの説教〜より)

 

 「AMEN(まさに)」と静かに締めくくられると同時に、宙に浮かんだ吸血鬼はその体を灰へと変えて爆散する。その余波により、神父と思われる者のフードが脱げてその顔が月明かりの下にあらわとなる。逆立てられた金髪(ブロンド)、常に己を律するような厳しさを宿したグレーの瞳を目にした明嗣は、頬を伝う冷や汗に構う余裕もないまま鈴音へ呼びかける。

 

「見つかる前にズラかるぞ」

「え!? なんで!?」

「アイツがこの前言ってた“人形使い(ブラッティナイオ)”ヴァスコだからだよ! このままだと面倒な事に__」

 

 明嗣がいいから来い、と歩み寄ろうとした瞬間だった。突如、鈴音の視界が上下逆さまに逆転する。

 

 あれ……!?

 

 何か強烈な力に引っ張られるまま、鈴音の身体が逆さ吊りの状態で宙に浮かんでいく。反射的に中が見えないように両手でスカートを押さえる鈴音はパニック状態に身を任せて悲鳴を上げた。

 

「え!? ちょっと何!? なんでアタシ逆さまになってんの!?」

 

 遅かったか……!

 

 苛立たしげに舌打ちをした明嗣は様子見をやめて、ホルスターからもう一丁の愛銃、ブラックゴスペルを抜いて遊底(スライド)を引く。その後、コンテナから飛び出した明嗣は、白銀と黒鉄の双銃を水平にし、頭と心臓を狙うように構えた。一方、隠れるのをやめて姿を見せた明嗣に対して、謎の神父改め“人形使い”ヴァスコは先程と同じく静かに口を開いた。

 

「お前達が来た事は結界を張っていたから分かっていた。異形の忌み子、朱渡 明嗣。その命、今日こそ貰い受けるぞ」



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第47話 鋼鉄糸の結界

 月明かりの下、二人の少年がにらみ合う。

 一人は白銀と黒鉄で一対の双銃を手にする半吸血鬼(ダンピール)の明嗣。もう一人ははるか海の向こう、イタリアの中にある世界一小さな国からやってきた吸血鬼を滅する事が使命の祓魔師(エクソシスト)、ヴァスコ。相容れない二人による避けられない戦いが今、始まろうとしていた。じりじりとすり足で突っ込むタイミングを探る明嗣に対し、ヴァスコは睨むだけで体勢を崩さずに立っている。

 徐々に高まる緊張感の中、状況が掴めず逆さ吊りの鈴音が声を上げる。

 

「え、ちょっ、どういう事!? っていうか、まず下ろして!」

「悪いな。今両手が塞がってる」

「それはアタシだって同じなんだけど!?」

「よりによってミニスカ履いてきてんじゃねぇよ、バカ」

 

 中が見えないようスカートを押さえる鈴音に対し、明嗣は毒づきながらどう攻めるかを考える。鈴音があっさり捉えられたのを見るに、おそらく周囲はすでに鋼鉄糸(ワイヤー)が張り巡らされた蜘蛛の巣である事が予想される。下手に動けば鈴音のようにあっさりと捕らえられて、煮るなり焼くなり好きに料理される事は想像に難くない。だが、そんな事は相手だって承知しているはず。と、なればヴァスコが次に打ってくる手は……。

 

「どうした? 攻撃して来ないのか? どうやら新しいおもちゃをもらったようだが……キチンと動くのかは疑問だな」

 

 思考を遮るかのようにヴァスコが挑発の言葉を明嗣へ投げかける。それを受け、明嗣も皮肉げな冷笑を浮かべて答えた。

 

「そっちこそ、いつまでも悠長に構えていて良いのか? こっちはお祈りを捧げる時間をくれてやってるつもりなんだけどな。それとも信じる神なんていやしねぇと悟ったか?」

「必要ない。お前を屠る準備は既に済んでいる。さっさと煉獄の炎に焼かれる準備をしろ。人の振りをした化け物(モストロ)め」

 

 侮蔑と敵意を混ぜた視線を明嗣へ投げかけるヴァスコは汚らわしいと振り払うように腕を振った。すると、ヴァスコの背後より、大量の白木(しらき)の杭が明嗣へ襲いかかる。

 

 まずはそれからか!

 

 吸血鬼を殺すための七つの方法の一つ、心臓へ杭を打ち込む。だが、明嗣は人間と吸血鬼のハーフである半吸血鬼(ダンピール)のため、ちょっと頑丈な人間程度の耐久力しかない。よって、どこに打ち込まれても大ダメージを負う事となる。

 明嗣は即座にホワイトディスペルとブラックゴスペルの引き金を引いて撃墜を試みる。炸薬に火が点き、弾丸が射出される瞬間、明嗣はカスタム前とカスタム後の感触(フィーリング)の違いを認識をした。

 

 反動が思ったよりない……?

 

 コンペンセイター搭載により銃身が跳ねるマズルジャンプが軽減されるとは聞いていたが、それでもある程度の衝撃が来る事を想定していただけに、これは嬉しい誤算だ。これなら今までより思い切って引き金を引く事ができる。

 

 グッジョブ、じっちゃん! 次顔出す時はなんか土産を持ってくぜ!

 

 口の端を吊り上げた明嗣は引き金を引くペースを上げた。使用弾薬、10mm 水銀式炸裂弾(エクスプローシブ・シルバー・ジャケット)白黒(モノクロ)の双銃から撃ち出される光景はまるで人力機関銃(マシンガン)のよう。獰猛に笑みを浮かべる明嗣は飛来する白木の杭を難なく撃ち落とす事に成功した。弾頭には水銀拡散用の炸薬が搭載されているため、目標へ着弾した弾丸は即座に爆発し、周囲に即席の煙幕を作り出す。

 

 うーっし……これで月の光だけよりよく見えるな……。

 

 もうもうと立ち込める煙の中で、明嗣はさらに鮮明に反射するピアノ線のような物を捉えた。そして、それは先程から逆さに宙吊りにされた鈴音も同じであった。

 

 これ、もしかして鋼鉄糸(ワイヤー)

 

 なるほど。訳も分からない内に逆さ吊りで拘束されたのも納得だ。だが、この細さなら手持ちのクナイでも切ることできる。自分の足首に巻き付いている物を視認した鈴音は、袖の中にある緊急用に隠し持っておいたクナイを使おうと片腕を垂らそうとした。しかし、冷静に自分の状況を(かえり)みた鈴音は、クナイを取り出そうとする手にストップをかける。

 

 待って……今手を離したら……()()()()()んじゃないの……!?

 

 もう一度言う。鈴音は現在()()()()なのである。しかもミニスカートで。そして、彼女の両手はスカートを押さえるために塞がっている。片手だけとはいえ、スカートから手を離すという事は……。

 

 やっば! どうしよう! 仕事の時にミニスカなんてもう絶対履かない!

 

 心に固く決めたは良いものの、羞恥心と命の二択問題が突きつけられている状況は依然として変わらない。たしか、人が逆さ吊りで居られる制限時間は一時間だったか。それ以上は鼻や口から頭に溜まった血液が漏れて死に至るらしいので、決断するタイミングは早いに越したことはない。

 鈴音が必死に何か手がないかと考える一方で、煙の中にいる明嗣は神経を研ぎ澄ませてヴァスコの気配を探る。煙の中なので視界は利かない。だが、それは向こうだって同じのはず。つまり、現在はお互いに目隠しをされている状態だ。ならば、先に相手を捕捉する事が勝負の鍵を握る事となる。

 

 さて、野郎どこ行った……?

 

 煙のおかげで明らかとなった鋼鉄糸の結界を触らないようにくぐりながら、明嗣はヴァスコの影を探す。視界が利かない場合、人間が次に頼るのは聴覚、すなわち周囲の物音だ。なので、明嗣はなるべく足音を立てないようにすり足で移動する。

 

 チッ……邪魔くせえなこの鋼鉄糸……。

 

 おそらく、周囲に張り巡らされた鋼鉄糸はヴァスコがつけている手袋に全て繋がっている。つまり、触れただけで居場所を知らせるような物。そうなれば次は杭ではなく、確殺の攻撃が飛んでくるだろう。とりあえず、ピンと張っている鋼鉄糸に触れなければ良い、と考える明嗣は慎重に足を進めていく。だが、次の瞬間。ふと、明嗣の足元で何かを踏んだのか、カチリという何かのスイッチが入る音がした。

 

 カチリ……?

 

 音の正体を確かめようとするまでもなく、明嗣は仕掛けられていた物の正体を悟った。なぜなら、明嗣も鈴音と同じように何か強烈な力に引っ張られるまま逆さに吊り上げられてしまったのだから。

 

 しまった……!!

 

 足元の警戒を怠った自分の迂闊さに舌打ちをした明嗣は、とりあえず適当に発砲してヴァスコの居場所を探る。その際、同じく逆さ吊りの鈴音から悲鳴が上がった。

 

「危なっ!? ちょっと明嗣! どこ狙ってんの!? アタシに当たるとこだったじゃん!?」

「居場所探してんだよ! 人形使い(ブラッティナイオ)を見失った!」

「適当に撃つんならせめてアタシのワイヤー撃ってよ!」

「この煙の中で無茶言うな!」

 

 まったく視界が利かないのになんて無茶振りだ。状況を理解していないような物言いをする鈴音に対して怒鳴り返した明嗣は、ふと今のやり取りに違和感を覚えた。たしか、先行したのは明嗣なので鈴音は明嗣の後ろの位置で宙吊りになっているはず。声が聞こえて来た方向も、背後からだったのでそれは確実だ。そして、今の発砲による索敵は前方と左右、180°の範囲にしか行っていない。にも関わらず、自分より後方にいる鈴音が自分の方に弾が飛んでくると訴えるのはいったいどういう事なのか。

 その答えは煙が晴れた事で明快に提示された。人形使い(ブラッティナイオ)ヴァスコは最初から移動せずに明嗣の目の前で構えていた。だが、対敵した時とは違ってその隣には目測にして身長3mほどのずんぐりとした大男が立っている。しかも、()()()指先から発砲直後のような煙が上がっている。

 

「ようこそ、我が操り人形の演奏会(コンチェルト・ディ・ブラティニ)へ」

 

 まるで楽団を代表して挨拶をする指揮者のようにヴァスコはうやうやしくお辞儀をしてみせた。そして、顔を上げると同時に指を動かすと隣で直立していた大男が腕を前に突き出して腰を落とす。

 

「本日の演目は銃声による鎮魂歌、入場料はあなたの命となっております……」

 

 キリキリ、キュルキュルと中で何かが蠢く音で、明嗣と鈴音はヴァスコの隣に立つそれが操り人形であることを理解した。そして、次に起こる出来事を想像して死神が背後に立った時特有の寒気が走るのを感じた。

 

「それでは、ごゆるりとお楽しみください」

 

 演奏が始まる時の合図のようにヴァスコが手を振る。すると、操り人形の指先、計10門の純銀製12.7mm弾機関銃による一斉掃射が今、まさにこれから始まろうとしていた。



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第48話 ヴァチカンの祓魔師

「それではごゆるりとお楽しみください」

 

 鋼鉄糸が足首に巻き付いて宙吊りになっている明嗣と鈴音は、操り人形の駆動音を聞いた瞬間、背中に冷や汗が伝うのを感じた。おそらく、こちらに向けられている指先は全て銃口と思われる。そして、その全てがこちらの命を刈り取ろうと狙いを定めている。その事実を前に、鈴音は懇願するような叫びを上げた。

 

「ねぇ、あれってヤバい奴なんじゃないの!? もしかしなくてもあの指、全部マシンガンか何かなんじゃないの!?」

「んな(こた)ぁ言われなくても分かってんだよ! 叫んでる暇あったら手ぇ動かせ!」

 

 目下、最優先すべきは操り人形の両腕の破壊、もしくは逆さ吊りで拘束されている今の状況からの脱出だ。だが、もう数秒後に一斉掃射が始まる事が予想される現状、取れる選択肢は人形の腕を破壊する事だけであった。

 明嗣は死の音楽を奏でようとしている操り人形の両腕に向け、ホワイトディスペルとブラックゴスペルの引き金を引いた。宙吊り状態なので、しっかりと狙いを定めて発砲しても、反動で身体が振り子のように揺れて弾道がぶれてしまう。それでも、下手な鉄砲数打ちゃ当たるという言葉の通り、運良く一発だけ10mm 水銀式炸裂弾が操り人形の腕に着弾した。だが……。

 

 おい、嘘だろ……!? 頭吹っ飛ばす威力だぞ!? いったい何でできてんだあれ!?

 

 操り人形の両腕は吹っ飛ぶ所か軽くヘコんだ程度のダメージしか受けていない。吸血鬼の頭を吹き飛ばす威力を持った専用弾であるのにも関わらず、だ。

 

 やっべ、どうする!? 何か打つ手はねぇか!?

 

 一斉掃射開始3秒前。2丁ともスライドが後退したまま戻らなくなってしまった。スライドストップ、つまり弾切れだ。ホワイトディスペルとブラックゴスペル、両銃に装填している複製式弾倉(クローニング・マガジン)は10秒に一発のペースで弾薬を精製する物だが、3秒後にミンチなってしまうこの状況ではなんの慰めにもならなかった。

 

 クソッ! 万事休すか!

 

 装填した弾倉の残弾数は0、空の弾倉を交換する時間はない。銃声が止んだ事により、明嗣がもうどうする事もできなくなってしまった事を悟った鈴音は、覚悟を決めて叫んだ。

 

「あーっ! もう! 明嗣! 今、こっちの方見たらコロすからね!!」

「アァッ!? こっちこそ殺すぞコラァ!」

 

 物騒なやり取りの一秒後。ついに操り人形の指先の形をした計10門の12.7mm機関銃による一斉掃射が始まった。秒間16発の速さで撃ち出される銀の弾丸を前に、明嗣と鈴音の二人は為す術なくその身体を蜂の巣にされる……そう思われていた。

 突如、機関銃特有の息もつかせぬ銃声の大合唱をかき消す鳥の鳴き声が響いた。そして、出現した火柱を前に純銀の12.7mm弾は融解して銀灰色の水溜まりとなる。

 火柱が収まるとそこには、1羽の炎の羽毛を持つ鳥がいた。いきなり現れた炎の鳥は、一度力強く翼で羽ばたくと、いつの間にか鋼鉄糸を切断して地面へ降りた鈴音の肩に留まり、羽繕いを始める。

 

「ギリギリセーフ……。ありがとね、朱雀」

 

 極力スカートの中が見えないよう、片手で押さえながら足首の鋼鉄糸を切断した鈴音は間一髪、といった様子で胸を撫で下ろした。その後、自分を危機から救い出した優秀な式神の頭を撫でた。飛んでくる弾丸を融かした時とは違い、触った温度は湯たんぽ程度の温度しかないので火傷をする事はない。

 だが、寒い港で暖を与えてくれる式神に反して、自分を恥ずかしい目に遭わせたヴァスコに対しての熱い怒りの業火は、鈴音の中でしっかりと燃え盛っている。

 

「自力で鋼鉄糸を切ったか。そのまま大人しくしていれば見逃してやったものを……」

「こんな目に遭わされて黙ってられる訳ないでしょ!? だいたい、なんでアタシらがやり合う必要があるの! 同じ吸血鬼と戦う人同士、仲良く助け合うのがスジって物なんじゃないの!?」

「違うな。そいつは人の形をしたただの化け物だ。行動を共にしているのなら見たことあるだろう? 吸血鬼と人間のハーフだというそいつが人ならざる能力を使う瞬間を」

「そ、それは……」

 

 ヴァスコの指摘に対して、鈴音は言葉を詰まらせた。たしかに、明嗣は尋常ではない膂力を持っているし、吸血鬼が使う魅了と服従の魔眼を左眼に持っている。だが、だからといってこんな所で命のやり取りをする理由なんてないはずだ。反論の言葉を考える鈴音に対し、ヴァスコは淡々と自分の主張を口にしていく。

 

「人ならざる者を狩るのが祓魔師(エクソシスト)の使命だ。私はその使命に殉じてその半吸血鬼を討滅するのみ。分かったらさっさと引っ込んでいろ。さもなくば……」

 

 一旦言葉を切ったヴァスコはこれみよがしに指を動かした。すると、隣で操り人形の両腕から大量の薬莢が排出され、次の一斉掃射の体勢を取る。

 

「次はあなた諸共(もろとも)その半吸血鬼を討つ。それが嫌なら大人しく隅に引っ込んでいる事だ」

 

 どうやら聞く耳を持つつもりはないようだ。本気で自分もろとも明嗣を殺すつもりらしいヴァスコを前に、鈴音は背中が粟立つのを感じた。

 

「さぁ、どうする。5秒以内に決めなければこのまま始めるぞ」

 

 再び鳴り響く駆動音。次の一斉掃射が始まるのを察した明嗣は鈴音へ叫ぶ。

 

「おい、鈴音! アイツ、本気だぞ! ミンチになる前に早く逃げろ!」

「冗談でしょ? さっきみたいな弾幕なら朱雀が一瞬で溶かしちゃうから。それに……」

 

 余裕の笑みを浮かべた鈴音は、もう一つ隠し持っていたクナイを投擲する事で明嗣の鋼鉄糸を切断した。いきなり落下した事で受け身を取る事に失敗した明嗣は、コンクリートの地面にまともに身体を打ち付けてしまった。

 

「ッテぇー……」

「本当に逃げて見捨てられたーとか言い出されてもシャクだし。明嗣こそ逃げたら?」

「この野郎……。そう言われると俺だって逃げるに逃げられねぇじゃねぇか……。それになァ______」

 

 全身に軽い痛みを感じつつ、明嗣は空になった弾倉を交換する。そして、再び水平撃ちの構えを取ってヴァスコ本人を狙う。

 

「野郎の目的がなんなのか聞かずに逃げるなんて事できるかよ。わざわざ極東の島国にまで出ばってきて、俺の(タマ)取りに来るなんてよっぽどの理由だろうからな……。絶対(ぜってぇ)ふん縛って聞き出してやる」

「そう来なくちゃ。でも、間違って殺しちゃったなんてのはないようにね」

 

 闘志をむき出しにした目つきの明嗣に気を良くした鈴音は、肩に背負った紫の竹刀袋にした組紐の封を解いた。そして、中から(うるし)で漆黒に染まった鞘の居合刀を取り出し、親指で根釘に唾液を塗って締めた。これにより、鈴音も臨戦態勢に突入する事となる。

 鈴音の雰囲気が変わった事を感じ取ったヴァスコは呆れたようにため息を吐いた。

 

日本(ジャポーネ)の女は魅了された男にとことん尽くすとは聞いていたが、ここまでとはな……。しかも、吸血鬼を狩る者のくせにこの体たらくだ。これだから異教徒は……」

 

 ヴァスコが指を動かすと、操り人形の腹が開いてさらなる兵装のチャクラムが追加で展開される。フラフープのように回る鋼鉄の輪は、首を刎ねるために研ぎ澄まされた刃を輝かせて、撃ち出される瞬間を待つ。

 

「良いだろう。ならば、二人まとめて屠ってやろう。審判の時が来ても後悔するなよ」

 

 冷たく見捨てるような声音でヴァスコは死刑宣告を口にした。明嗣と鈴音も気を引き締めて己の得物に手をかける。

 一触即発の緊張感が場を支配する。どちらが先に動くかのタイミングの探り合いだ。動いたらもう誰も止める事のできない殺し合いが始まってしまう。やがて、潮風が吹いた瞬間、意外な形で事が動いた。

 

「ハーイ、ボーイズアンドガール? ケンカはそこまでね」

 

 明嗣と鈴音の背後から一人の女の声がした。

 

 なっ……!? いつの間に__って!?

 

 驚いたのもつかの間、明嗣は全身の力が急に抜けてしまったかのように膝から崩れ落ちてしまい、背後にいる人物が何者なのか確認する間もなく右腕をひねり上げた状態で取り押さえられてしまう。一方、隣にいた鈴音はいとも簡単に明嗣を取り押さえた人物の特徴を目にする事ができた。燃え立つような赤毛のショートボブスタイル、瞳はカリブ海のように深い青。そして、真っ黒な外套に身を包んだゆったりとしたシルエットと翻るコートの中から覗くは、ヒップエンドホルスターに収まったベレッタ社製自動拳銃、ベレッタ Px4とホルダーに収まった象牙を成型したグリップのナイフ。いきなり姿を見せて明嗣を取り押さえた赤毛の女は、ジトッとした視線をヴァスコへ投げかける。

 

「はぁ、間に合って良かった……。まったく……なーにケンカしてんのよ。だいたいねぇ、ヴァスコ。なんで監視対象を殺そうとしてるの。私達が今回与えられた指令の内容を言ってみなさい」

「真祖ジル・ド・レの討滅、及び半吸血鬼の忌み子である朱渡 明嗣の抹殺です。シスター・クルースニク」

「はい、不正解。半吸血鬼の坊やはジル・ド・レにつくようなら殺せって内容だったでしょ」

「しかし__!」

「それにこの子は餌としても使えるわ。今ここで殺すのは悪手も悪手。個人的ないざこざは一旦忘れてもっと頭を使いなさい」

 

 赤毛の女、ミカエラ・クルースニクの言葉に反論できなくなったヴァスコは、不満げな表情を浮かべた後に渋々といった様子で操り人形の武装を解除した。ヴァスコの戦闘態勢解除を確認したミカエラは次に明嗣と鈴音へ向けて言葉をかける。

 

「いや〜、ウチのバカがごめんなさいね? とりあえず、そっちも武器も納めてくれないかな? あ、一番血の気が強そうに見えたから、この子をノリで制圧しちゃったけど問題なかったよね?」

「おい、ナメてんのか……? そっちから仕掛けといてごめんなさいで片付けられると本気で思ってんじゃねぇだろうな?」

 

 取り押さえられた明嗣はミカエラの言葉に異を唱えた。すると、次の瞬間。うつ伏せで這いつくばる明嗣の後頭部にミカエラのベレッタ Px4の銃口が押し付けられる。

 

「あのね? これはお願いしてるんじゃないの。命令。従わないなら仕方ないけど、敵対する意思があると見なしてあなたの頭を撃つわ」

 

 脅迫するようにミカエラはPx4の銃口を明嗣の後頭部へ押し込む。この状況ではどちらが立場が上なのか考えるまでもない。選択肢がない事を悟った明嗣は苦々しい表情を浮かべた後、ミカエラに見えるようにホワイトディスペルとブラックゴスペルの撃鉄を押さえながら引き金を引き、ゆっくりと撃鉄を倒していく。

 これはデコッキングと呼ばれる操作でとりあえずもう撃たない時に行う物だ。つまり、降参宣言である。

 

「よし、素直な子は好きよ。それじゃあなた達の元締めの所でちょっとお話しましょうか。迷惑をかけたお詫びを入れるついでに、ね」

 

 明嗣を解放したミカエラは目を細めて微笑んだ。その笑みはまるで人の事を化かす狐を彷彿とさせるような微笑みだった。その微笑みを前に、明嗣の直感は告げた。

 

 あぁ……コイツは俺がこの世で一番大嫌いなタイプだ、と……。

 

 かくして、明嗣と鈴音はヴァチカンからやってきた祓魔師(エクソシスト)2名をHunter's rustplaatsへ案内する事となった。



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Episode2-2 The Utopia of Human and Vampire
第49話 新たなビッグトラブル


 時計の針は午前0時を回った。港で行われたヴァスコとの戦闘は突如現れたミカエラ・クルースニクにより、中断という形で終わった。そして、明嗣と鈴音はヴァチカンの祓魔師2名がわざわざ日本へやってきた理由を聞くために、Hunter's rustplaatsへ案内する事となった。

 到着するまでの間、一同は終始無言だった。やがて、店に到着して出入り口を開いた時に明嗣が沈黙を破った。

 

「マスター、戻ったぞ」

「おう、お疲れさん。どうだっ……」

 

 アルバートは仕事終わりの一杯として淹れたアイリッシュコーヒーのカップをコースター置き、一仕事終えた明嗣と鈴音を出迎えるつもりで席から立つ。だが、やってきたのが明嗣と鈴音の二人だけではないと分かった瞬間、アルバートは何かただ事ではない雰囲気を感じ取った。

 

「何かあったみたいだな」

「あったどころの話じゃねぇよ。おい、入れ」

 

 明嗣が険しい目つきで背後へ呼びかけると、ヴァスコとミカエラの二人が店の中へ足を踏み入れ、最後尾に鈴音が入る形で全員入店した。だが、店に入ってきた者達の間に流れる空気には棘が混じっている。一目で分かるほど険悪なムードの様子を受け、アルバートはひとまず事情を確かめる事にした。

 

「その二人はいったい誰なんだ?」

「ヴァチカンの神父と修道女(シスター)

「……なんだって?」

「だから、ヴァチカンの祓魔師御一行様だよ。なんでも俺達に話があるんだと」

 

 壁に背を預けてつまらなそうに答える明嗣は、おもむろにホワイトディスペルを手にすると、指先でクルクルと回して弄び始めた。一方、最後尾の鈴音はジッと警戒するようにヴァスコとミカエラを睨んでいる。そして、ヴァスコとミカエラは初めて来たという事もあり、興味深げに店内を見回している。ひとしきり店内の観察を終えるとミカエラが口を開いた。

 

Buonasera(こんばんは)。それじゃ、改めて自己紹介から始めるわ。私はミカエラ・クルースニク。さっき、半吸血鬼の坊やが言った通り、ヴァチカンで祓魔師(エクソシスト)として吸血鬼を狩っているの。で、この金髪の仏頂面くんがヴァチカン(ウチ)の吸血鬼殲滅部隊、執行者(イジクトレ)期待の星のヴァスコ・フィーロくん。よろしくね」

 

 朗らかに自分とヴァスコの紹介するミカエラだったが、彼女とヴァスコへ注がれる明嗣と鈴音の視線は氷のように冷ややかである。いつも口喧嘩してばかりの印象を持つ反りが合わない2人がここまで同じような反応を取るとなると、よっぽどの事があったと伺えた。

 

「あー……その……お前ら、何があった?」

 

 恐る恐るといった口調でアルバートが呼びかけると、今まで黙り込んでいた鈴音がやっと口を開く。

 

「逆さ吊りにされてスカートの中を見られる所だった」

「機関銃で挽き肉(ミンチ)にされかけた」

 

 なるほど。よっぽど酷い目に遭ったようだ。鈴音の後に明嗣が続いて2人の反応が冷ややかだった理由は理解した。しかし、片方だけの言い分を鵜呑みにするのは、いくら関わり合いになりたくない者達とはいえ不公平なので、アルバートは次に客人2名から事情を伺う事にした。

 

「と、ウチの奴らは言ってるが間違いないか?」

「その……そう言われるとそうなんだけど……。さて、どこから話しましょうか……」

 

 ミカエラが頭痛を押さえるようにこめかみに指を当てると、ヴァスコがホワイトディスペルをクルクルと回している明嗣を睨みながら耳打ちする。

 

「シスター・クルースニク。説明したとしても理解できるとは思えません。やはり、この場であの半吸血鬼を……」

「ヴァスコは口を挟まないで。話がこじれる。元々はあなたの暴走でこんな事になったんだから」

 

 ヴァスコの進言をミカエラがピシャリと一蹴し、腕を組んで考え込む。やがて、考えがまとまったのか事の仔細を語り始めた。

 

「まずは……そうね。やっぱり、まずは私達が交魔市(ここ)に来た理由から説明した方が良いわね。本来ならこんなに遠い所まで足を伸ばすなんて事がないんだけど、カソリック始まって以来の一大事だから来ざるを得なかったのよ」

 

 キリスト教最大宗派であるカソリックの一大事。信徒ではない明嗣や鈴音も自然と身構えてしまうような言葉が飛び出してきた事で場の空気は緊張感で引き締まった物に変わった。Hunter's rustplaatsの吸血鬼ハンター全員の視線がミカエラに注がれる。

 

「あなた達、ジル・ド・レって名前を聞いた事ある?」

「ジル・ド・レ……たしかフランス革命で戦ったオルレアン騎士団の中にいた騎士の名前だな」

 

 その名を聞いたアルバートは少し嫌なものを目にしたかのような表情を浮かべた。すると、鈴音が要領を得ないような表情で手を上げた。 

 

「ジル・ド・レってどんな人……?」

「ジル・ド・レってのは『救国の英雄』とまでに呼ばれる程力を持った騎士だ。まっ、俺に言わせりゃ、ジャンヌ・ダルクに取り憑かれたオルレアンの亡霊だな」

 

 ガンプレイに飽きたのか、明嗣がホワイトディスペルをホルスターにしまいながら鈴音の質問に答えた。すると、鈴音はやっと分かる名前が来たとばかりに嬉しそうに返した。

 

「あ、ジャンヌ・ダルクは聞いたことある! なんかリーダーシップがある女の人を表現する時、よく出てくる名前だよね! で、ジャンヌ・ダルクとそのジルって人はどんな関係……?」

 

 話が進まない、と今度は明嗣が頭痛を押さえるようにこめかみへ指を当てる。だが、この調子だと事あるごとに質問しそうだったので、明嗣は端的にジル・ド・レについて説明を始めた。

 

「フランス革命の事は世界史の授業でやるだろうから省くとして……フランス革命の後、ジャンヌ・ダルクが処刑された事で(イカレちま)ったジル・ド・レは、ジャンヌ・ダルクの蘇生を目的に錬金術や黒魔術の研究にのめり込んでいったらしい。よっぽど心奪われていたんだろうな。で、おそらくその儀式の一環としてその地域の美少年と評価されたショタを攫っては強姦したり、儀式の(にえ)にしたんだと。まぁ、“便所のネズミもゲロするような”って奴さ。(むご)い光景だったろうな……」

「え? 騎士って事はそのジル・ド・レって人、男でしょ? 男の子を強姦って……まさか……」

 

 その内容にショックを受けた鈴音は思わず口元を手で覆った。明嗣はそんな鈴音に構うことなく話を続けていく。

 

「ちなみに、ジル・ド・レの黒魔術の研究には悪魔の召喚に関しての物もあったつー話だ。そして、いつしかジル・ド・レの被害者には噛み傷と血を吸った痕と見られる痕跡があったらしい」

 

 おそらく、ジル・ド・レが研究していた物の中に本物があったのだろう。悪魔召喚に成功したジル・ド・レは晴れて異能を持った吸血鬼、真祖(アルファ)に成ったと思われる。

 

「で、今までの所業がバレたジル・ド・レはもちろん罪人として処刑される事となり、縛り首にされましたとさ。めでたしめでたし……ってのが表向きの話。そうだよな? カソリックの祓魔師さんよ」

 

 ジトッと非難するような眼差しと共に明嗣はミカエラとヴァスコへ話を振った。すると、ミカエラが首肯してその続きを引き取った。

 

「当時は斬首や火炙りが主流だったはずなんだけど、なぜか処刑の日になる度にギロチンは刃こぼれしていて火炙りで使う薪はみ〜んな湿気って火が点かなかったらしいの。それで仕方なく縛り首って事になったみたい。でも、夜更けにはなぜか墓が掘り起こされていてジル・ド・レの死体は行方知れずになっていたそうよ」

「で、そのジル・ド・レが現代になって交魔市に現れた、と」

 

 アルバートがミカエラの言わんとする事を確認すると、ミカエラが正解だと言いたげにアルバートを指さした。

 

Indovinato(その通り)! それで、まず最初にヴァスコにジル・ド・レ討伐の指令を与えたんだけど……」 

 

 ミカエラは本当に面倒くさいと言いたげにヴァスコの方へ視線を向けた。

 

「その半吸血鬼の坊やとウチのヴァスコが前に一悶着あったのを司祭が心配してね……。急遽、私にお目付け役をやれって話がやってきたって訳。それで急いで荷物まとめて交魔市入りしたのがつい一時間前。到着した時にはもうパーティーは始まっていたの。ほーんと、危なかった」

「私はただ仕事をしようとしただけです。責められる謂れはないと思いますが?」

 

 ヴァスコが不服そうに答えるとミカエラがヴァスコの後頭部を叩いた。

 

「指令を曲解して事態をややこしくした奴が偉そうにしない。まったくもう……」

「なるほど? 来た理由の方は納得した。でも、それがどうやったら明嗣を殺せという風に()()されるのかが分からねぇな?」

 

 腕を組み、アルバートはジッとミカエラを見つめる。まるで「まだ言っていない事があるだろ」と目線で指摘するように、アルバートはミカエラを視線で射抜いている。すると、ミカエラは仕方ないとばかりに肩を落として答えた。

 

「ジル・ド・レが『吸血鬼と人間の理想郷を作る』とか宣ってね。それでその象徴(シンボル)として、そこの半吸血鬼の坊やを仲間に引き入れようって計画しているらしいのよ。そこで司祭がジル・ド・レの仲間になるようなら抹殺しろ、とヴァスコに命じて盛大にドンパチやらかしてた所を私が収めて、今こうなったの」

「は?」

 

 とんでもない方向から飛んできたキラーパスに、明嗣は思わず呆けた声を上げた。すると、ヴァスコが明嗣を指差して告げる。

 

「神と敵対する悪魔の手先である吸血鬼と人間との間に生まれたお前が、ジル・ド・レの掲げる『人と吸血鬼の理想郷』の象徴にピッタリだと言っているんだ。仮にジル・ド・レの仲間となった場合、カソリックの教徒全員の信仰心が揺らぐかもしれない。だから、そうなる前に始末しろと司祭がおっしゃられた。つまり、今のお前は生きているだけでカソリック、ひいてはキリスト教の教えそのものを揺るがす存在なんだ。だからこそ、今ここで……」

「だから! まだ、そうなるって確証を得た訳じゃないから殺しちゃだめだっていってるでしょーが!」

 

 あくまで明嗣を殺したくて仕方ないらしいヴァスコの頭をミカエラはもう一度叩いた。一方、とんでもなくスケールが大きい話の渦中にいると教えられた明嗣はと言うと……。

 

「結局はそれか。くだらねぇ……」

 

 吐き捨てるように零した後、明嗣はポケットからブラッククリムゾンのキーを取り出して、店の入口へ向かった。その背中をアルバートが呼んで引き止める。

 

「おい、どこ行くんだよ?」

「帰って寝る。結局はキリスト教のメンツの話だろ? 俺はどっち側にも付かねぇ。勝手にやってろ。俺を動かしたきゃ亡霊の首に懸賞金(カネ)掛けてから出直してこい」

「あ、おい! 待て! 話はまだ______」

 

 バタン、音を立てて出入り口の扉が閉まると同時に、ドアベルが控えめに存在を主張するような小さな鳴き声を上げた。そして、30秒後に大排気量エンジンのエキゾーストが店内に小さく響く。

 

「ったく、アイツは……。まぁ、本人はああ言ってるし、今回はこれで手打ちって事にしてやっても良いがどうする? 手助けをしろというんなら迷惑料込みでそれなりに貰うが……」

 

 仕方ない、言いたげなアルバートはため息を吐き、すぐさま商談モードへ意識を切り替えた。今回は向こうから仕掛けてきたケンカという事もあり、多少は強気に出てもバチは当たらないはずだ。だが、ミカエラは首を横に振って答える。

 

「いえ、あなた達の手は借りないわ。でも、あの子の監視はさせてもらおうかしらね。もしかしたら相手からあの子へアプローチがあるかもしれないし。それじゃ、話は終わったし、失礼させてもらおうかしら。ヴァスコ、行くわよ」

「はい、シスター」

 

 ミカエラの呼びかけに従い、ヴァスコも店を出ようと歩き出した。そうして、店内にはアルバートと鈴音だけが残された。

 

「また面倒な話がやってきたモンだなぁ……」

「アタシ、ヴァスコ(アイツ)嫌い……」

 

 

 

 翌日の朝。

 

「って、事があってさぁ……」

「うわぁ……鈴音ちゃん大変だったねぇ……」

 

 通学中の雑談として昨夜の出来事を鈴音から聞かせてもらった澪は苦笑いで相槌を打った。すると、鈴音がよくぞ言ってくれたとばかりに返す。

 

「もうホントそれ! しばらくミニスカなんて嫌だって思ったもん! それに、また強そうな吸血鬼がうろついていてなんか企んでいるっていうし、もうめちゃくちゃ!」

「でも、明嗣くん大丈夫かな……。“切り裂きジャック”が現れた時みたいな事にならなきゃ良いけど……」

 

 心配で澪の表情に影が差してしまい、空気が少し暗くなってしまった。すると、二人の行く先にに自販機で飲み物を選んでいる明嗣が現れる。

 

「あ、明嗣。おはよ」

「おはよう、明嗣くん」

 

 二人から声を掛けられた明嗣は缶コーヒーのボタンを押すと、眠たげな表情と共に手を上げて挨拶を返した。

 

「んー。今日は二人でおそろいか」

「うん。偶然一緒になったからせっかくだし、お話しながら行こうかってなったの。明嗣くんも一緒にどう?」

「いや、遠慮しとく。はるか昔から“仲良しな女子2人の間に入る野郎には裁きの雷が落とされる”っつー言い伝えがあってな……」

「なにイミフな事言ってんの! ほら、明嗣もさっさと行くよ!」

 

 半ば鈴音に引っ張り込まれる形で明嗣も同行する事になった。歩き出して早々に明嗣があくびをすると、気付いた澪が早速声をかけた。

 

「明嗣くん、寝不足?」

「まぁな。仕事があった夜はどうしても寝付きが悪くて……」

 

 あくびを噛み殺しながら明嗣は缶コーヒーのプルタブを起こした。そして、中身を一息に煽るがカフェインが明嗣の眠気を追い払うまでには至らなかった。

 

「眠い……」

「あ、そうそう。今日って転校生が来るらしいんだよね。二人共、知ってた?」

 

 いきなり澪が口にした情報に鈴音が驚きの声を上げた。

 

「え、何それ。初耳」

「なんか海外の学校から交換留学で来るんだって。転入するのはあたし達のB組じゃなくて明嗣くんのA組らしいんだけどね」

「へぇ……。どうでも良いけど女子っていっつもどっから聞いたんだよって言いたくなるくれぇ情報早いよな。いったいどうやって情報収集してんだ?」

「女子には女子のネットワークがあるんです〜」

「そうそう。女子は助け合いだもんね」

「さいですか……」

 

 ね〜、と笑い合う鈴音と澪に対して明嗣はげんなりとしたように肩を落とした。どうやら、女の敵は女、という言葉は二人の間に存在しないらしい。

 やがて、ホームルームの時間がやって来ると、担任教諭が開口一番、「今日は良い知らせがある」と告げた。

 

「今日からこのクラスに海外から新しい仲間が加わる事になる。皆、仲良くしろよ〜」

 

 どうやら澪が言っていた事は本当だったようだ。しかし、興味が湧かない上に眠気で頭が働かない明嗣はつまらそうに頬杖をついて頭に残らない担任教諭の話を右から左へ聞き流して行く。

 

 眠い……。

 

 あくびを我慢しながら、退屈なホームルームの時間を耐える明嗣。だが、次の瞬間。退屈であるのは変わらないが眠気を吹き飛ばすには十分過ぎる程の出来事が起こった。

 

「それでは入って来い」

 

 担任教諭が教室の出入口へ向けて教室の外で待機している転校生へ呼びかけた。すると、入ってきた人物を目にした明嗣は、驚愕のあまり口を大きく開いて絶句した。一方、入ってきた転校生は明嗣の事なんぞお構い無しに黒板に名前を書いて、机に座るクラスメイト達に対して向き直った。

 

「ヴァスコ・フィーロです。ヴァチカン市国という所からやって来ました。週末は教会でお手伝いをしていますので皆さんよろしければ遊びに来てください。よろしくお願いします」

 

 いったいこれはなんの冗談だよおい……!?

 

 転校生ヴァスコ・フィーロという目の前で起こってしまったどうしようもない現実を前に、明嗣は頭を抱える事となってしまった。



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第50渡 転校生は祓魔師

 

 転校生。それは娯楽が氾濫していると言える現代を過ごす学生にとって、不動のエンターテイメントである。新しい仲間はどんな人なのだろうか、仲良くやっていけるのか、期待と不安が入り混じった一大イベントだ。

 現在、明嗣が籍を置く交魔第一高等学校一年A組もヴァチカンからの転校生ヴァスコ・フィーロを迎えた事により、お祭り騒ぎとなっていた。

 

「ねぇ、ヴァスコくんって恋人いるの?」

「いやぁ、神に仕える身なので恋人を作るなんてとても……」

「教会でお手伝いしてるって自己紹介で言ってたけど、本当なの?」

「そうですよ。神父見習いとして毎日礼拝堂の掃除をしたり、懺悔しに来た人がいたら懺悔室で聞いたりしているんです」

 

 転校初日の定番行事、主に女子生徒からの質問攻めに対して、ヴァスコは嫌な顔をする事なく答えていく。その様子は不気味なほどに完璧な「頑張って馴染もうと努力する転校生」そのものである。だが、その様子を面白くないと言いたげに遠巻きで眺める者が一人。

 

 アイツ……いったい何企んでんだ……?

 

 警戒するように明嗣は女子生徒の質問攻めを捌くヴァスコを睨む。命のやり取りをした昨日の今日だ。警戒するなと言う方が無理な話である。そもそもの話、いったい何のために明嗣のクラスの転校してきたのか? 目的が不明なために、明嗣としてはただただ警戒するしかないのがもどかしい。

 どうした物か、と考えながら学生業をこなしていると昼休みを迎えた。

 明嗣は購買で繰り広げられる昼食争奪戦争に参加しようと、財布を手に教室を出た。すると、小型のデジタルカメラを手に、A組の教室を覗き込む澪の姿を見つけた。すると、澪も明嗣の姿を見つけたので手を上げて駆け寄って来た。

 

「今、お昼を買いに行く所?」

「ああ。彩城はカメラを持ってるっつー事は新聞部の用か?」

「うん。今日来たA組の転校生の写真を撮ってこいって部長に言われてね。今、教室にいるかな?」

「あの通り」

 

 明嗣が親指で後ろを指したので、澪もその方向へ目を向けた。すると……。

 

「ねぇ、ヴァスコくん! こっち来てお昼一緒に食べよう!」

「あ、抜け駆け!」

「ヴァスコくんはウチらと一緒に食べた方が良いよ! 日本の代表料理卵焼きを食べさせてあげる!」

 

 どのグループがヴァスコと昼食を食べるかの取り合いが勃発していた。さすがイタリアの伊達男という所か、すっかりとA組の女子生徒の心を掴んで離さないモテモテのアイドルと化してしまっている。その光景を前にしたクラスの男子生徒は不景気にため息を吐いていた。

 そんな教室の様子を受け、澪は苦笑いを浮かべた。

 

「出直した方が良さそうだね……」

「そういう事だ」

「じゃあ、あたしもお昼買いに行こうかな。あ、せっかくだし一緒に食べようよ。ちょっと話したい事あるし」

「話したい事? いったい何を」

「それはその時のお楽しみ。それより早くしないと食べる物無くなっちゃうし、行こ?」

 

 もう昼休みに入ってから5分も経過している。たしかに急いで購買に行かねば、品切れで昼食に食べる物がない、なんて事も有り得る話だ。

 

「そうだな。んじゃ、行くか」

 

 ここで話し込んでいると本当に食べる物が無くなりそうな予感がしたので、明嗣は澪と共に昼食を求めて購買部へ向かった。

 

 

 

 なんとか無事に昼食を手に入れる事ができた明嗣と澪は、空き教室に移動して食事する事になった。

 

「チッ……まさかホットドッグが売り切れるとはな……。ピザパンすら残ってねぇなんて」

 

 恨めしげに不満を漏らした明嗣は、焼きそばパンの封を切り、中身を少し出すと一口かじった。一方、澪はフルーツサンドを手に慰めの言葉を口にした。

 

「まぁ、今日は出遅れちゃったから仕方ないよ。それに焼きそばパンだって美味しいよ?」

「あのホットドッグ、ボリュームあるから気に入ってたのによ……。ツイてないぜ……」

「前から思ってたけど、明嗣くんって結構グルメだよね。美味しそうな物を探す嗅覚が凄いっていうか。前に食べてたステーキ御膳も美味しそうだったもん」

「そうか? まぁ、マスターから食うもんにはこだわれって言われて育ったから、そのせいかもな」

 

 答えながら、明嗣は缶コーヒーのプルタブを上げて一口飲む。

 

 ピザパンならコーラとか思いつくけど、焼きそばパンに一番合う飲み物ってなんなんだ……?

 

 しっくりこないと首を傾げている明嗣を前に、澪は少しホッとしたような表情を浮かべた。

 

「どうした?」

「元気そうで良かったなぁ、と思って」

「そりゃまたなんで」

「鈴音ちゃんから昨日は大変だったって聞いたの。だから、ちょっと心配してたんだよ? 明嗣くん、また急に学校来なくなるんじゃないかって。だからこうやって二人で話そうかなと思ったんだけど、その様子だと大丈夫そうだね」

「よっぽどの事が起きねぇとそうならねぇよ」

「ほんとかな? 明嗣くん、目を離したらすぐにどこかへ行っちゃいそうな気がするよ?」

「俺は幼稚園児か」

 

 居心地が悪そうに明嗣は目を逸らした。今まで接して来なかったタイプのせいなのか、澪と話しているとどうにも調子が狂ってしまっていけない。

 目をそらして無言で焼きそばパンを頬張り始めた明嗣に対し、澪はおかしな物を見るような表情を浮かべた。

 

「どうしたの?」

「別に。早くメシ済ませちまおうと思っただけだ」

「なんで?」

「次の授業の準備があるしな。たしか次は英語だし」

「そうなんだ。あ、そういえば。今日、2時間目が英語の授業だったんだけど、新しい先生が授業したんだよね。たしか、イタリアの方から来たって言ってたよ」

「イタリアの方からやって来た? まさか……」

 

 フルーツサンドを食べる澪から伝えられた情報に、明嗣は言いようのない不安感を覚えた。やがて、その言いようのない不安感は的中した。

 

 

 

「Good afternoon,everybody! 今日から英語の授業を受け持つ事になったミカエラ・クルースニクよ。皆、よろしくね〜」

 

 ヴァスコの転入により盛り下がっていた男子生徒の湧き上がるような歓声を浴び、紺のパンツスーツ姿のミカエラは手を上げて応える。一方、ヴァスコの転入に湧いていた女子生徒は、揃いも揃って小さな舌打ちをする。クラスの反応が二極化する中で、明嗣は本日2度目のあんぐりと口を開けて絶句していた。

 

「はい、皆静かに。それじゃあ、軽く自己紹介。隣のクラスに友達がいる人は聞いてるかもしれないけど、私はイタリアのヴァチカン市国って所から来ました。日本ってホント治安が良いのね。それに奥ゆかしい男の人が多い。空港を出てもナンパしてくる人が全然いなかったからビックリしちゃった」

 

 クラス中の視線が集まる中、ミカエラが感動したように日本へ来た時の印象を話すと、一人の男子生徒が手を上げた。

 

「先生ってよくナンパされるんですか?」

「挨拶代わりにナンパしてくる事なんてしょっちゅう! 中にはわる〜い人もいるからあしらうのが本当に大変なのよ!」

 

 よく言うぜ……。その気になれば全員ブチのめせるくせに……。

 

 ()()のミカエラを知っている明嗣は呆れたように心の中でこぼした。すると、呆れたように冷めた視線を送ってくる明嗣に対し、ミカエラは意味有りげな笑みを浮かべた。

 

「それでね〜。前にも地元でそういう人たちに絡まれて困っていた時、英語を話せる日本の男の人に助けてもらった事があったのよね。その時からずっと日本に来てみたいなと思ってたの。しかも、その人はなんとこのクラスの中にいます」

 

 ミカエラが明かした一言にクラス中の生徒が一気にどよめいた。まさか自分たちの中にそんな勇者がいるなんて。誰だそいつは、と言いたげにヴァスコを除いた一年A組の生徒が次にミカエラが話す言葉を待つ。明嗣は、どうせヴァスコを指すんだろ、と思ってつまらそうに頬杖をついている。そして、たっぷり10秒ほど溜めた後、ミカエラはその生徒を指さした。

 

「それじゃ……Mr.Alucard!Stand up!」

 

 ミカエラが指さした先にいたのは明嗣だった。完全に油断しきっていた明嗣は「え? 俺!?」という表情を浮かべながらも渋々立ち上がった。

 

「彼がその助けてくれた人です。名前聞いた時、Alucard(アーカード)だと思ってたんだけど、朱渡(あかど)っていう名前だったのね」

 

 てめぇ、この野郎……!!

 

 苦虫を噛み潰したように忌々しげな表情を浮かべる明嗣。その明嗣の表情を楽しむかのようにミカエラは微笑みの表情でクラスへ呼びかける。

 

「グローバルな時代で英語は話せる方がいいっていうけど、実際はどういう風に良いのかイメージできてない人がほとんどだと思います。そこで、一人で海外を渡れるほど英語を使いこなしている彼でそれをお見せするわね」

 

 あまりにも露骨すぎる前フリだった。だが、せっかくの機会なので明嗣はこれを利用して二人の目的を聞き出そうと試みる事にした。

 これからの内容は、明嗣とミカエラによる英語を用いたデモンストレーションという名の腹の探り合いである。

 

「まさか私達がこんな形でやってくるなんてビックリしたでしょ?」

「ああ。いったい何を企んでいるのか、おっかなくて仕方ねぇなぁ……。()()()()縛り上げてしまおうかと考えちまったよ。何が目的だ」

「もしかしたら相手の方からコンタクトがあるかも、と思ってね。だから、しばらくこの学校にご厄介になってあなたの監視をしようって事になったのよ。まさか、ヴァスコが捕まってあなたの事を一時的に見失うとは思わなかったけど」

「へぇ、そうかい。なら、せいぜい気をつける(こっ)たな。ウチの女子はかなりアグレッシブだぜ。それに日本の教師は激務だ。お前らを撒く難易度が歩いて跨げるハードルくれぇの高さに下がるほどな」

「そうなの。なら、誤解されてヴァスコを怒らせないようにね。アイツ、今もあなたを殺したくてウズウズしてるから。変な行動をしたら()()()()首が飛んじゃうかもね。物理的に」

 

 ミカエラはうっかりの単語を口にする瞬間に両手の親指、人差し指、中指をクイクイと動かして見せた。これはスニークサインと呼ばれる仕草で、英語圏で皮肉や嫌味など強調したい単語を口にする時に用いられる物である。

 実際、ミカエラの言う事も間違いではないのが明嗣にとって面白くない話だった。なぜならヴァスコの得物は鋼鉄糸(ワイヤー)、隠し持つ事は容易なので少しでも彼の逆鱗に触れる事があれば、本当に首が飛びかねない。

 ギリッと明嗣が悔しげに歯ぎしりをしたタイミングで、ミカエラは再び日本語に切り替えてクラスに呼びかけた。

 

「はい。こんな感じで軽く雑談がてらに助けてくれたお礼を言ったりとかしたんだけど、どうだった?」

 

 絶対嘘だ。そんな話はしていなかっただろ、アンタら。何を言ってるかは分からないが、そんな平穏な話をしていない事を感じ取った生徒たちの心は一つとなる。だが、ミカエラは気にする事なく話を続けた。

 

「英語を話す彼はすっごいかっこよく見えたでしょ? ちゃんと真面目に頑張れば、いずれは彼のようにぺらぺらと話せるようになるから。そのためには学校の授業をしっかりと受ける事です。それじゃあ、まずは――」

 

 キーンコーンカーンコーン……

 

 ミカエラが教科書を開くページを指定しようとするのと同時に、授業終了を告げるチャイムが鳴り響いた。それを受け、ミカエラは残念そうに肩を落とした。

 

「あら、今日はここまでみたいね……。それじゃ、本格的な授業は次回から。皆、予習復習をしっかりね〜」

 

 手早く荷物を纏めると、ミカエラは手を振りながら颯爽と教室を後にした。教室を出る時には男子生徒に向けてウィンクのサービスをする事も忘れない。そして、再び聞こえてくる小さな舌打ちの合唱。おそらく、隣のクラスの授業も似たような状態だったのだろう。これからこんな状態がしばらく続くのか、と憂鬱な気分になった明嗣はふと天を仰いだ。

 

 ああ……なんか胃が痛くなってきたな……。

 

 体の丈夫さだけには自信があっただけに、半吸血鬼でも精神的なストレスで体調が崩れてしまう事を知ってしまったメンタルへのダメージの回復には時間がかかりそうだった。だが、胃痛の種はこれだけではなかった。それは……。

 

「な、なぁ……朱渡……」

 

 距離感を探るように一人の男子生徒が明嗣へ声をかけた。どうした、と目で問うと男子生徒が緊張した面持ちで用件を告げた。

 

「どうやってさっきみたいに英語話せるようになれたんだ? 何か特別な事でもしてるのか?」

「あ、その……俺は知り合いから教えてもらってさ。だから、英語を話せるのはそのおかげなんだよな……」

「そうなのか〜。真似して先生から気に入ってもらおうと思ったけど、上手く行かないか……」

 

 瞬間、聞き耳を立てていた男子生徒による残念そうなため息が明嗣の耳に飛び込んで来た。さすがにここまで露骨に落胆されては、いくら一線を引いておきたい明嗣と言えど申し訳なく感じるので、明嗣は代わりの訓練法を教える事にした。

 

「でも、洋楽とか英語圏の海外ドラマを字幕で見まくったりとか、とにかく英語を聞きまくって耳を作っとけばリスニングで苦労する事は無くなると思うぞ。そこからセリフの意味を調べて、真似するとかしてしていけば普通にやるよりは発音の上達も早い……と思う……」

「マジか!? 信じるぞ!?」

「お、おお……がんばれ……」

 

 戸惑いつつ、明嗣が返事すると男子生徒は気合いが入った足取りで普段仲良くしているグループのもとへ向かった。

 

 そして、この会話を(さかい)に明嗣はちょくちょく英語を中心とした勉強のご意見番をする事となり、白髪と黒と紅のオッドアイも相まって一気にクラスの人気者に祭り上げられる羽目になってしまった。



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第51話 引かれた境界線、芽生える疑念

 放課後になった。ここからはもう、遊び盛りの学生を縛る物は何もないフリータイム。カラオケに行くか、ゲームセンターに行くか、はたまたアルバイトか。皆、それぞれ予定があるはずなのだが、この日だけは何故か膠着状態の時に漂う緊張感が教室を支配しており、女子生徒達による誰が先に動くかのタイミングの探り合いが繰り広げられていた。男子生徒はその重苦しい空気の中で動く事ができず、固唾を飲んで事の行く末を見守っていた。

 

 帰りづれぇ〜……。

 

 つまらなそうにスマートフォンの画面に指を滑らせる明嗣も、この時だけは大人しく自分の席に座って均衡が崩れるのを待つ。なぜなら開戦のきっかけになるのはごめんだから、この一点のみである。

 そもそも、なぜこんな空気になっているのかというと、今日やって来たヴァチカンからの転校生ヴァスコのせい他ならない。生物の悲しき定めなのか、人気の異性と仲が良いという優位性は確保しておきたいらしい。だが、どういう風に誘っていいのか分からないので、今必死にその口実を考えている最中なのでこの空気という訳なのだ。しかも、それは女子だけの話であり、男子からしてみれば勘弁してくれの一言に尽きる。まるで、アースガルドの番人が終末戦争(ラグナロク)開始の合図である終末を告げる角笛(ギャラルホルン)を吹き鳴らす直前、と言った所だろうか。

 なお、当のヴァスコはと言うと、困惑の表情で周囲に顔を巡らせていた。当然だろう。なぜなら、本国の祓魔師顔負けの殺気が教室内を満たしているのだから。助けを求めているようにも見えるが、明嗣は気にせずスマートフォンの画面に集中する。

 

 チッ……ロクなトピックがねぇな……。

 

 暇を潰せそうなネットニュースを探してネットの海へ潜ってみるも、退屈しのぎになりそうな物が見つからない。さて、どうした物かと明嗣は今度はSNSアプリを覗く。そうして空虚な時間を過ごすこと5分。待ちに待った瞬間がやってきた。

 

「こんにちは〜。新聞部で〜す。今日A組に転入してきたって人は……」

 

 昼休みと同じようにデジタルカメラを手にした澪がA組の教室に入ってきた。だが、殺気立った教室内の空気を感じ取ると少し怯えるような表情を浮かべた。一方、原因であるヴァスコは気にせずに立ち上がって返事をした。

 

「私ですが」

「あ、良かった。今度の学校新聞に載せるインタビューをしたいんだけど、一緒に来てもらっても良いかな?」

「良いですよ。喜んで」

 

 快諾したヴァスコが席から立ち上がり教室を出た瞬間、緊張が解けた男子生徒達の安堵の息が吐き出された。女子生徒による仁義なき終末戦争(ラグナロク)の開戦はひとまず先送りとなったので、これを好機とばかりに男子生徒は早急に荷物を纏めて戦場予定地(きょうしつ)から避難する。

 明嗣もこの流れに乗って避難しようとスクールバッグを手に立ち上がった。そして、教室から出て昇降口に到着した所で背後から「明嗣」と声をかけられた。あともうちょっとで避難完了だったのに、明嗣は恨めしげな目つきで背後へ目を向ける。一方、声の主である鈴音は困惑の表情を浮かべる。

 

「え、何その目……。声かけちゃいけなかった?」

「ああ。もうちょいでキリングフィールドからエスケープできたってのによ」

「あ、わかった。今日の英語の時間から女子が殺気立っているんでしょ? ウチもそうだったからねぇ……。昨日のあの人が先生として来るなんて思わなかったもん」

「それだけじゃねぇ。ウチのクラスにやって来た転校生の正体は人形使い(ブラッティナイオ)ヴァスコと来やがった」

「……嘘でしょ?」

「嘘ついてどうすんだよ。野郎、どっからどうみても人畜無害な一般市民ですよってツラでクラスに取り入っていたよ」

「え、怖っ! 何しに来たの……」

「監視なんだと。俺を見張ってりゃジル・ド・レが釣れるかもしれねぇからこうして教師と生徒としてやってきたらしいぜ。ったく、面倒な事になっちまったな、ちくしょう……」

 

 面白くなさそうに鼻を鳴らす明嗣は履き物を外を歩く用のスニーカーに履き替える。その後、疲れたようにため息を吐いて歩き出すと、鈴音がその隣を歩き始めた。

 

「なんだよ」

「たまにだからこうやって話でもしながら帰るのも良いかなと思って」

「別に話す事なんてねぇだろ」

「まぁまぁそう言わずにさ! あ、コンビニあるよ! 一緒に何か買ってこうよ!」

「はーなーせー! バッグひっぱんなー!」

 

 肩にかけたスクールバッグを鈴音に引っ張られるまま、明嗣はコンビニの中に吸い込まれていった。

 

 

 

 

 半ば強引に明嗣が引っ張りこまれる形でコンビニで買い物した二人は現在、購入したホットスナックや中華まんを食べながら帰り道を歩いていた。さっそくホカホカの湯気が立つ肉まんを頬張った鈴音は満足げな声を上げた。

 

美味しい(んぉぃーひー)!」

「物口に入れたまま喋んな、行儀わりい」

 

 と、言いつつ明嗣もチキンをかじっていた。ゴクリと口の中の物を飲み込んだ鈴音はジトッとした視線で口を返す。

 

「そもそもこうやって食べ歩きをしてるのが行儀悪いからお互い様ですぅ〜。あ、チキンも美味しそう。一口ちょうだい」

「お前のその手に持ってるモンは何なんだよ」

 

 呆れたように明嗣は自分のチキンをもう一度かじった。クリスピーの衣によるサクサクとした食感を楽しむ明嗣は、少し表情をほころばせた。

 

 美味いな、これ……。依頼片付けた帰りに残ってたらリピートするか。

 

 強引に付き合わされたのは癪に触るが思わぬ収穫があった。たまにはこういうのも良いかもしれない。本当にちょっとだけ機嫌が良くなってる明嗣の表情を鈴音は見逃さなかった。

 

「ほら、たまには良い物でしょ? こうやって買い食いするのもさ」

 

 ニヤニヤとからかうように笑みを浮かべながら鈴音が明嗣の顔を覗き込む。すると、明嗣はすぐにそっぽを向いた。

 

「うるせぇ。つか、なんだって急に一緒に帰るなんて言い出したんだよ。なんか用があるんじゃねぇのか」

「用なくちゃ声かけちゃいけないの?」

「ああ、だめだね。そういう馴れ合いは好きじゃねぇ」

 

 答える明嗣の声のトーンが少し冷たい物に変わった事を鈴音は聞き逃さなかった。立ち止まって少し考え込んだ後、鈴音は構わず先を歩く明嗣の背中へ少し遠慮がちに呼びかけた。

 

「……ねぇ、明嗣」

「なんだよ」

「前に……何かあった?」

 

 ほんの一瞬だけ、明嗣の身体がピクリと反応したのが見えた。明嗣は鈴音が口にした質問に対し、振り返る事なく返事する。

 

「……別に何もねぇよ。変な事聞いてんじゃねぇ」

 

 直感的に嘘だと感じる事ができる返答。だが、鈴音はこれ以上踏み込む事ができなかった。返事をするまでの間で、これ以上踏み込んではならないと感じさせるような境界線が明確に引かれているのが分かったから。同時にそこで明嗣と鈴音の会話も切れてしまう。そして、次に口を開いたのが「また後で」と鈴音が挨拶する時だった。

 そして、鈴音と別れて自宅へ向かう明嗣を陰から追う者が一人。

 

「ヴァスコから連絡を受けて追いかけてみれば……。なーんか抱え込んでそうな雰囲気ね、あの子」

 

 スマートフォンの画面に表示されたイタリア語の文面を眺めながら、明嗣を追う赤毛の新任教師、ミカエラはどうしたものかと思案するようにスマートフォンを口元に当てた。

 

 

 

 一方、澪の案内で新聞部の部室へ連れてこられたヴァスコは……。

 

「はい、お疲れ様。とりあえずインタビューはこれで終了ね。協力ありがとうね」

 

 メモ帳をパラパラとめくり、記事の執筆担当の新聞部部長が告げるとヴァスコは椅子から立ち上がり、ペコリとお辞儀した。

 

「それじゃあ私はこれで……」

「あ、ちょっと待って。先生に確認してもらって答えてもらった物に抜けがないか確認してもらわないといけないんだよね。だから、ここにあるお菓子を食べながらくつろいでいて。話し相手で新人の澪も置いてくから」

「え!? ちょっと部長!?」

「じゃあ、よろしく〜」

 

 抗議する間もなく新聞部部長が部室を出ていってしまい、澪はヴァスコと二人っきりになってしまった。いきなり見知らぬ男子と二人っきり、という少女漫画のようなシチュエーションに澪はどうしたら良いのか分からず、思わず右往左往し始めた。

 

 え、えっと……どうしよう……。話し相手って言っても何を話せばいいの?

 

 なんせ、今日会ったばかりの外国人だ。文化の違いから、些細な事で激怒させてしまったエピソードを世界を飛び回っている父から聞いた事だってある。下手にあれこれ尋ねたりするのは危険だろう。熟考した結果、澪はとりあえず部長が言った通りにお菓子やジュースで様子を見る事にした。

 

「えっと、とりあえず何か食べる? といってもこういうのしかないんだけど……」

 

 澪は戸棚から何種類かのチョコレートやビスケットなどを取り出して机の上に広げる。すると、ヴァスコはたけのこがプリントされた緑の箱に入ったチョコレート菓子を手に取った。

 

「それではこれをもらいます。世界的にも有名なのに日本でしか売っていないので食べられなかったんですよね。やっと本物を目にする事ができました」

「そうなんだね。そういえば、ヴァスコくん……で良いかな?」

「ええ。どうぞ」

「ヴァスコくん、日本語上手だね」

「あ、はい。翻訳版と比べながら日本のアニメを見たり、コミックを読みながらかなり練習しました。そのおかげだと思います。ところで、私からも聞いて良いですか?」

「あ、うん。良いよ。何かな?」

「昼休み、私と同じクラスの男子生徒と一緒にいる所を目にしました。彼とはいったいどういった……?」

「かなり直球なんだね……」

 

 あまりに豪速球な質問を口にしたヴァスコに澪は苦笑いを浮かべた。しかし、すぐに気を取り直すと澪はヴァスコの質問によどみ無く答える。

 

「友達だよ。明嗣くんは最近仲良くなったの」

「そうなんですか……。私はてっきり彼があなたを狙っているのかとばかり……」

「どういう事?」

 

 瞬間、澪の表情に困惑の色が浮かんだ。ヴァスコはその反応を受け、意味ありげな笑みを浮かべて続けた。

 

「いえ、別に深い意味はないんですが……。日本にもギャングのような人たちがいると聞きました。そういう人達の被害者が地元で泣いているのもたくさん見ています。だから、彼もその手の人かもしれない、と思って」

「違うよ。そういう事言うの、良くないと思うよヴァスコくん」

「どうですかね……。人は見かけに寄らない、とよく聞きますし、人の形をした化け物が出歩いているという噂も世界中で耳にします」

「あのね、ヴァスコくん。初対面でこんな事を言いたくないけど、いい加減にしないと怒るよ?」

「いえ、失礼。でも、この交魔市にはよく出ると聞きました。その人の形をした化け物、吸血鬼がね……」

 

 澪の表情が一気に凍りつく。その反応でヴァスコは何かを確信したように微笑みを浮かべた。

 

「あなた、吸血鬼の事をご存知のようですね?」

「名前を聞いた時からもしかしてと思ってたけど、ヴァスコくんって明嗣くんと戦ったことがあるヴァスコ・フィーロくんなんだね」

「その口ぶり、どうやら彼の正体についてもご存知のようだ。なら、私から一つ警告しておきましょう。彼には気をつけた方がいい。化け物の子だから、いつその牙をあなたに向けるかわからない」

「明嗣くんはそんな事しないよ。そのつもりなら、あたしはもう……」

「それはどうですかね。確かに血を吸わないかもしれない。でも、彼は吸血鬼に追われて吸血鬼を狩って生きている」

「何が言いたいの?」

「吸血鬼がもっとも喜ぶのは女の血なんですよ。つまり、あなたは餌としてピッタリだ。いつでも使えるようにあなたと仲を深めておこうとしているのでは?」

「明嗣くんはそんな事しないよ! 本当に怒るよ!?」

「どうですかね? 彼は吸血鬼の力を使えるんだ。あの眼の力で信じ込まされているのでは?」

「それは……」

 

 ついにヴァスコへ反論ができなくなってしまった澪。ヴァスコは澪の中に疑念の芽が芽生えた事を確信した。

 

「まぁ、信じる信じないはあなた次第だ。でも、よく考える事をおすすめしますよ。死にたくなければね」

「ふぃ〜……たっだいま〜。ゴーサイン出たからヴァスコくんはもう帰って良いって……どうしたの?」

 

 戻ってきた部長は即座に何かあった事を察知したが、ヴァスコはニコリと微笑んだだけで、何も答えずにお辞儀をして部室を出ていく。澪は澪で少し混乱しているような表情で話をしようにも少し難しいように思える。ただ一つだけ言えるのは……。

 

 ん〜、もしかしてやらかしちゃった……?

 

 気まずそうに見つめる視線を構うことなく、澪は「お先に失礼します」と静かに言い残して部室を後にした。だが、その瞳には不安の影が宿っていた。

 

 

 

 その夜……。

 

「た、頼む……! 見逃してくれ……!!」

 

 真っ白な部屋の中心にて命乞いをするスーツ姿の男が一人。その命乞いに対し、血のように真紅に染まったローブの姿の壮年の男が残念だと言いたげな表情で答える。

 

「だめですね。山本さん、あなたはこうなる危険も承知でこのジル・ド・レに付いてきた、違いますか?」

「でも、私はこのコミュニティを拡大するのに尽力してきた! そして、それはこれからも変わらない! その上、妻と息子もいるんだ! だから……」

「あなたの働きには感謝しています。だが、命は平等に扱わねばならない」

 

 真紅のローブの男、ジル・ド・レはひざまずく山本に視線を合わせるように膝を着いた。そして、優しく手を添えてうつむいた顔をあげさせた。

 

「ご心配なく。あなたの家族は私達が責任を持って面倒を見ていきます。あなたがたは私の理想に共鳴した同士なのですから」

「おねがいだ……。やめて……」

 

 山本の願いをあざ笑うようにジル・ド・レの血のように(あか)い瞳が無慈悲に輝く。そして、吸血鬼の能力の一つ、服従の魔眼により人形となった山本に対し、冷たく命令をくだす。

 

「山本さん、我ら同胞の糧となってください」

 

 瞬間、山本は恍惚の笑みを浮かべて受け入れるように両手を広げた。そして、どこに潜んでいたのか、まるで花の蜜に集まる蜂のように無数の吸血鬼達が山本へ殺到し、その牙を突き立てて血を吸う。

 その光景を前に、ジル・ド・レは悲しげな吐息を漏らした。

 

「ああ……また同士の命が散ってしまった……。ジャンヌ……私はあとどのくらいの骸を積み上げればよろしいのでしょうか……」

 

 ジル・ド・レの呟きに答える声はない。その代わり、一匹のコウモリがジル・ド・レの肩に留まる。

 

「そうですか……。見つかりましたか……。それでは迎えにあがりましょうか、半吸血鬼(ダンピール)……。運命の子よ……」

 

 

 

 再び、交魔市の夜に紛れてとてつもない闇が蠢き始めた。だが、その魔の手が自分に及ぼうとしている事実を明嗣はまだ知らない。



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第52話 怒りの警告

 翌朝。学校へ登校した明嗣はいつものように自販機の前に立ち、飲み物のラインナップとにらめっこをしていた。

 

 今日は何を飲もうかね……。

 

 相も変わらず半分眠った状態の頭で飲み物の品定めをする明嗣。すると、仲良く話す女子2人の声も近付いてきた。チラリと横目で確認するといつもと変わらず、仲良く話している澪と鈴音の姿を捉えた。そして、澪と鈴音も明嗣の姿を見つけたので、鈴音が手を振って挨拶する。

 

「おはよっ! 相変わらず眠たそうな目してるね〜」

「ほっとけ。元からだ。そっちこそ相変わらず朝からハイテンションでやかましいな」

「だってアタシはバッチリ睡眠時間確保してるし。て言うか、やかましいってずいぶんな言いようじゃない? ねっ、澪!」

 

 いつもと変わらない調子で鈴音が澪へ話を振る。それを受け明嗣は、「そうだよ。朝から元気なのはいい事じゃない」とか言われるのだろうと思って、口を返す準備をした。だが、当の澪は……。

 

「え? あ、うん……。そうだね……」

 

 と、上の空で相槌を打つだけだった。心なしか、明嗣と目を合わせるのを避けようとしているようにも見える。その反応に引っかかりを覚えた鈴音は首を傾げた。

 

「あれ? 澪、どうかした?」

「え? あ、ううん! な、なんでもないよ?」

「そうか? なんか、心ここにあらずって感じに見えるぜ」

 

 さすがに様子がおかしいと感じた明嗣も声をかけてみるが、澪は首を横に振って答える。

 

「大丈夫だよ……。あたし、今日は日直だから先に行くね」

 

 まるで早くこの場から去りたいかのような足取りで澪はそそくさと去ってしまった。それを受け、鈴音が疑るような視線を明嗣へ向ける。

 

「明嗣、澪に何したの」

「はぁ!? なんで俺がなんかやった前提なんだよ!?」

「澪を困らせる原因の候補が明嗣しかいないからでしょ! 笑えない悪趣味なブラックジョークで傷つく事を言っちゃったとか!」

 

 日頃の行いという奴なのか、鈴音は明嗣がやったという前提で話を進めようとする。だが、明嗣も本当に何もした覚えがないので、もちろん否定した。

 

「ザッケンナコラー! そもそも彩城がマジに困るレベルの事やって俺に何の得が……いや、待てよ?」

 

 とは言いつつ、もしかして気付かない内に何か言ってしまったかも、と昨日の記憶を辿りながら抗議する明嗣は一つ心当たりを見つけた。たしか、昨日は新聞部の活動で澪がA組の教室へヴァスコを訪ねてきたはずだ。もし、何かあったとするなら、そこを探るべきかもしれない。

 だが、鈴音はその出来事は知らないので構わずに明嗣をつつく。

 

「ほらー! やっぱりなんか言ったんじゃん!」

「だから、俺じゃねぇよ! ったく……。とりあえず、鈴音は昼休みぐらいに彩城から話聞いてみろ。俺も心当たりのある奴に聞いてみる」

「本当に? これで明嗣が何かやったってなったら――」

「いい加減にしねぇとはっ倒すぞ、テメー」

 

 低く威嚇するような声音で明嗣が凄むと鈴音は引きつった笑みを浮かべ、ようやく口撃する事をやめた。これでやっと収まったか、と疲れた表情で肩を落とした明嗣は、鈴音を置いて自分の教室へ向かった。

 

 

 

 昼休みになったので、明嗣はさっそく行動を開始した。まずは購買部に移動し、本日の昼食としてホットドッグを1つとボールペンを1本購入する。その後、自動販売機で飲み物として缶コーヒーを食事中の飲み物用と食後のコーヒーブレイク用に2本購入した。そして、次にボールペンの包装を開封しながら、人気のない所へ向かうためにしばらく歩く。そして、昼休みの談笑をしながら食事中の生徒達が完全にいなくなったタイミングで、明嗣は空き教室に足を踏み入れて物陰に身を潜めた。数秒ほど待っていると、慌てて追いかけてきたのか慌ただしい足取りでもう一人、教室の中に入ってくる。明嗣は即座にその人物の背後を取ると、首に腕を回した。そして、空いた手で喉元にボールペンの先を突きつけた。

 

「よぉ、腐れ神父(ファッキンプリースト)。探しているのは俺か?」

 

 明嗣の質問に対して、慌てて追いかけてきた人物、ヴァスコは両手を上げた状態(ホールドアップ)で返事をする。

 

「なんだ、アーカード。これはあまりよろしくない真似ではないのか?」

「こうでもしねぇと何されるか分かったモンじゃねぇからな。恨むんなら俺の好感度を稼いでおかなかった自分(テメェ)を恨め」

「参考にしておこう。だが、こんな物で私を殺せると本気で思っているのか?」

「鉛筆で3人ぶっ殺す事ができる殺し屋が映画にいるんだ。映画みてぇに、とはいかなくてもボールペンで1人くれぇは確実にいけると思うぜ。なんなら、今ここで試してみっか?」

 

 ボールペンの先がヴァスコの喉仏に触れる。これだけで明嗣は本気だと伺えた。本気の殺意が向けられた時特有の寒気を背筋に感じたヴァスコは、素直に敗北を認めた。

 

「分かった。話をしようじゃないか。いったい用件はなんだ」

「昨日、B組の彩城澪と一緒にいたよな? いったい何を吹き込んだ」

「あぁ……その事か。別に大した事は言っていない。ただ、彼女はお前の正体を知っていたようだから気をつけろと言っただけだ」

「んな回答で納得すると思ってんのか? それだけで今朝あんなによそよそしい態度をする訳ねぇだろうが。おかげで俺が疑われて散々だったんだからな」

「それは困るだろうな。いざという時に吸血鬼を釣る餌に使えなくなるのは」

「アァ?」

「彼女と親しくしているのは餌として利用するためなのだろう? だから私は、そうならないように警告しただけだ」

 

 なるほど、そういう事か。

 

 だいたい話が読めた。おそらく、ヴァスコの警告とやらのおかげで澪が餌にされるんじゃないか、と不安がっていたという所だろうか。おぼろげながら事情が見えてきた明嗣は、ヴァスコの首を締める腕の力をさらに強めた。

 

「ハッ。それはテメェらの十八番(オハコ)だろ。神の名の下なら何でも許されると思い込んだイカれ集団め。俺はそんな事は一ミリも考えた事ねぇんだよ。これ以上アイツにくだらねぇ事吹き込んだらマジに殺すぞ」

 

 冷たく低い声音で警告した明嗣は、苛立たしげに手に持ったボールペンを壁に向かって投げつける。風切り音と共に空気を裂いたボールペンは、的に当たったダーツの矢のように真っ直ぐに壁へ突き刺さった。その後、ヴァスコを解放した明嗣は空き教室から出て、昼食を食べる場所を求めて再び歩き出す。一方、解放されたヴァスコは襟と一緒に乱れた息を整えると足早に明嗣を監視するべく追いかけた。

 余談だが、この日の放課後に秘密の逢瀬を楽しみに来たカップルが綺麗に突き刺さったボールペンを見つけた事で生徒達の間で噂が広まり、交魔第一高等学校に「妖怪ボールペン刺し」という怪異が誕生する事となった。

 

 

 

 その頃、不本意だが明嗣に指示された通りに鈴音も澪から話を聞くべく声をかけていた。

 

「澪、お昼食べよ!」

「うん。ちょっと待ってて」

 

 返事をしながら澪はスクールバッグの中から弁当箱を取り出した。そして、互いに弁当箱を広げて食べ始める。ある程度食べ進めた所で、澪が感心したような眼差しで口を開いた。

 

「いつも思うけど鈴音ちゃんのお弁当って綺麗に盛り付けされてて美味しそうだよね。自分で作ってるの?」

「まぁね〜。前に他の料理を明嗣に食べさせた時があったんだけど、その時にめっちゃ酷評されて悔しかったからすっごい練習したの!」

「そ、そうなんだ……。へぇ〜……」

 

 朝の時と同じように澪の表情に陰が差した。切り出すならここか、と判断した鈴音はさっそく本題に入る。

 

「澪、明嗣と何かあった?」

「え!? な、なんで!?」

「いや、その……今朝、なんか明嗣に対してよそよそしいなぁ〜と思ってね? だから、何かあったのかな、と思ったんだけど……違った?」

「な、何もない何もない!」

「あ、2回言った」

 

 2回同じ返事を繰り返すのは否定の意味。つまり、明嗣は心当たりがないようだが、少なくとも澪には思う事があるのだろう。

 

「正直に話しちゃいなよ。ほら、ハンバーグあげるから」

 

 鈴音の箸がミニハンバーグをつかんで澪の弁当箱へ運んでいく。だが、澪はそれを拒否した。

 

「大丈夫だよ! これはあたしの問題だし……」

「あのね、澪。気づいてないかもしれないけど、そうやって暗い顔されるとアタシすっごい気になるの」

「その……ごめん……」

 

 申し訳ない、といった表情で澪は肩をすくめた。それを受け、鈴音は慌ててフォローした。

 

「あ、その……責めてるわけじゃなくて……。とにかく、困っているんなら相談してほしいな〜って話。暗い顔してるとさ、アタシは凄い気になるんだよね。だからさ、遠慮なく言ってよ。できるだけ力になるから」

「じ、じゃあ……」

 

 澪は昨日ヴァスコから言われた事を鈴音に話した。そして、それを受けて自分の中に芽生えた疑念も。全てを聞いた鈴音は神妙な面持ちで感想を述べた。

 

「なるほどねぇ……。明嗣が澪を餌にしようとしてるんじゃないかって言われた、と……」

「ねぇ、鈴音ちゃん。明嗣くんはあたしの事、どう思ってるのかな? 友達なのかな? それとも吸血鬼を釣る餌なのかな?」

「それはないよ。どんなに明嗣の性格が悪くても、澪を餌にするなんて絶対にない」

「そうなのかなぁ……」

「あのね、澪。もし、明嗣がそのつもりなら、一回記憶を消して離れるなんて事はしないよ? 記憶を残しておいた方が絶対にうまく行くはずだもん」

「そう言われたらそうなんだけど……」

 

 筋は通っているが感情では割り切れないのか、澪の表情は依然として暗い。痺れを切らした鈴音はスマートフォンを取り出した。

 

「なら、本人に直接聞いちゃおう! それなら面倒もなくスムーズに解決だし! あ、もしもし明嗣? 放課後さぁ……」

「ちょ、鈴音ちゃん!?」

 

慌てて止める澪に構わず、鈴音は放課後に教室で待っているように明嗣に連絡した。受話器の向こうで不満を垂れていた明嗣だったが、朝の結果報告を済ませておこうと考えたのか、渋々ながら承諾した。通話を切った後、鈴音はにっこりと笑顔を浮かべる。

 

「はい、あとは二人でゆっくり話し合えばおしまい!」

「もう……。展開が早くて心の準備ができてないよ……」

「大丈夫! アタシも一緒にいてあげるから!」

「大丈夫かなぁ……」

 

 あまり気乗りしないのか、憂鬱そうに澪はため息を吐いた。できるならこのままにしておきたい、といった心境が表情からありありと伺える。

 だが、澪の心境などお構いなしに授業は何も問題が起こらず、スムーズに進行して放課後を迎える。

 そして、鈴音に引っ張られる形でA組の教室を訪れた澪は約束通りに待っていた明嗣と対面した。



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第53話 安心と納得

 放課後に突入したA組の教室にはまだ数名ほど生徒が残っていた。その中で、明嗣は気だるげにスマートフォンに指を滑らせていた。

 強引に澪を引っ張る形で連れてきた鈴音は教室の入口から明嗣へ呼びかける。

 

「明嗣、来たよ」

「ああ。今行く」

 

 席を立ち、スクールバッグを担ぐ明嗣。あとは、そのまま2人の元へ向かい合流するだけなのだが……。

 

「なぁ、朱渡……」

 

 教室を出る前に1人の男子生徒に呼び止められた。無視する訳にもいかないので、明嗣は2人へ先に行けと手で伝えて生徒の呼びかけに応じる。

 

「どうした?」

「あの二人って持月と彩城だよな? 仲、良いのか?」

「仲良いっつーか……。鈴音とはバ先が一緒で、彩城はバイトしてたらたまたま絡まれてる所を助けて、そこからよく話すようになったっつーか……」

 

 武器を担いで夜の街を駆け回っている、という訳にもいかないので、明嗣はできるだけぼかした形で答えた。すると、男子生徒は羨望の眼差しを向ける。

 

「マジかよ……。羨ましい……! あの二人、B組のツートップだぞ」

「ツートップって何の?」

「一年男子の人気女子ランキングだよ! 知らねぇのか!?」

「初耳だ……」

 

 い、いつの間にそんなモンが……。

 

 突如湧いて出た情報に、明嗣は困惑を誤魔化すように苦笑いを浮かべた。基本的に独り(ボッチ)を好む弊害がこんな所で出る事になろうとは……。どう反応したものか困っていると、男子生徒が明嗣の肩を掴んだ。

 

「ちなみに、男子生徒部門はこの間までお前がトップ独走だったけど、ヴァスコが来てからはアイツとトップ争いしてる状態だ」

「そうなのか。アイツ、人当たり良いからなぁ……。つーか、男子バージョンもあるし、俺がトップかよ……」

「それよりも、どっち狙ってんだ? ノリ良さそうな持月か? それとも清楚系の彩城か?」

 

 ここまで来たらもう呆れるしかなかった。明嗣はげんなりとした表情を浮かべて首を横に振る。

 

「どっちも狙ってねぇよ……。そもそも恋人募集してねぇし」

「マジか!? 募集かけたらモテモテそうなのにもったいねぇ……」

「話、そんだけならもう良いか? そろそろ鈴音がはよ来いって言いに来そうな気がする」

「そうだな。それじゃ、どっちかと付き合う事に教えてくれよな!」

「だからその気はねぇって。じゃあな」

 

 別れの挨拶をして教室を出る明嗣は、疲れた表情を浮かべていた。そして、これからの付き合いも考えた方が良いだろうか、と考えながら鈴音と澪を追いかけ始めた。

 

 

 

 一方、先に昇降口へ向かった鈴音と澪は……。

 

「へくちっ!」

「くちゅん!」

 

 同時にくしゃみをした後、ポケットティッシュで鼻をかむ。そして、背中に寒気が走ったのか、鈴音はブルリと身体を震わせた。

 

「うぅ〜……風邪ひいちゃったかな……」

「誰かが噂してるとくしゃみが出るって話もあるよね」

 

 かんだティッシュをゴミ箱を放り込んだ澪は、ついでとばかりに自動販売機で温かい飲み物の品定めを始めた。普段なら温かいミルクティーを選んでいる所だが、今はちょっといつもと違う物を飲みたい気分だったので、コーンポタージュを選択した。

 プルタブを上げて一口すすると、いつの間にか温かいレモンティーを購入していた鈴音がコーンポタージュの缶を眺めながら口を開く。

 

「コーンポタージュって最後まで飲むの難しいよね〜。アタシ、どうしても何粒か中に残して捨てちゃうの」

「あ、それね。こうやって中身を回しながら飲むと最後の一粒まで綺麗に飲む事できるよ」

 

 中身を攪拌(かくはん)するように澪が軽く缶を振ってみせると、温かいペットボトルで暖を取っている鈴音が驚きの声を上げた。

 

「え、そうなの!? 今度試してみようかな?」

「回すとコーンがスープの中で舞い上がるから飲みやすくなるんだって」

「へぇ〜。いい事聞いちゃった」

 

 などと、話していると後を追ってやってきた明嗣も合流した。

 

「悪ぃ。待たせた」

「あ、お疲れ様〜。話って何だったの?」

 

 鈴音がペットボトルのキャップを捻りながら尋ねると、明嗣はげんなりとした表情を浮かべた。

 

「別に大した事ねぇよ。英文の訳し方教えろとかそういうのだ」

「高校上がってからさらに難しくなったもんね〜。え、待って。明嗣、英語できるの?」

「当たり前だろ。でなきゃ、一人で海外なんて行ける訳ねぇよ」

「じゃあさ! 分からない所いっぱいあるから教えて! このままだと定期テストで赤点取りそうなの!」

 

 しまった……。

 

 まさか、「お前らが人気ランキングトップツーだって話をしていた」などと言えるはずもなく、適当に捻り出した言い訳だったのだが、どうやら別の面倒事を引き込んでしまったらしい。

 このままでは、鈴音のおかげでまた休日が潰れる事態になりかねないので、明嗣は強引に話題を変えようと試みる。

 

「それより、朝の話だ。ちょうど彩城もいるから結果から言う。案の定クロだったから、脅しかけといた。とりあえず、アイツがちょっかいかけてくる事はもうねぇはずだ。つまんねぇ事で迷惑かけたな」

「う、ううん! 大丈夫だよ! 気にしないで! むしろ、こっちこそいらない手間をかけさせちゃってごめんっていうか……」

 

 澪はあたふたとした様子で答えた後、しゅんとした様子で逆に明嗣へ謝罪した。本当はお礼を言うべき所なのか、それとも脅した事をやり過ぎだと咎めるべきなのだろうか。どれが正解なのか分からず、澪は申し訳ないと言いたげな表情を浮かべる。そして、本当に申し訳ないのは、それでも餌にするための行動なのではないか、疑る自分がいる事だった。

 そんな心境を知ってか知らずか、今度は鈴音が結果報告を始める。

 

「残念な事に、アタシの方は大ハズレで明嗣が何か酷い事を言ったから、とかそういう訳じゃなかったよ。でも、思う事があるんだよね。ねっ、澪?」

「えっ、ちょ、鈴音ちゃん!? そんないきなり……」

 

 まだ心の準備ができてないのにも関わらず、いきなり本題へ突入した鈴音へ抗義する澪。対して、鈴音は「何か問題でも?」と言いたげにキョトンとした表情を浮かべた。

 

「だって、明嗣を呼んだのはこのためでしょ?」

「でも、あたしにだって心の準備があるよ! もっと時間を置いて整理をつけてからの方がいい……」

「それ、すぐ解決できる問題を先送りにしてるって言うんじゃない?」

「それは……そうなんだけどぉ……」

 

 澪はちらりと明嗣の表情を確認する。明嗣の表情はなんとなく察していて、本人の口から出てくるのを改めて待っている、といった表情だった。そんな明嗣の表情を受け、鈴音はさらに澪へ畳み掛ける。

 

「それにさっき言ってたでしょ? 脅しをかけといたって。きっと、明嗣も澪が思っている事をなんとなく分かっているよ。だから、思い切ってぶつけてみなって! それとも、そのままずぅーっとモヤモヤしたままでいる?」

 

 それはいやだ。ずっと友達を疑ったままなんてそんなの、絶対にそのままにして良いはずがない。でも、同時にこれが本当に当たっていたら、という不安もある。

 澪は深呼吸して自分がどうしたいのかを胸に問いかける。そして、答えを出した澪は勇気を持って明嗣へ思っている事を口にした。

 

「明嗣くん、ヴァスコくんがあたしを餌に使おうと考えているんじゃないかって言ってたんだけど、そんな事ないよね? 明嗣くんはそんな事考える人じゃないよね?」

 

 言ってしまった。賽を投げた。これでもう後戻りはできない。明嗣から何を言われても文句は言えない。

 澪は明嗣が答えるのをジッと待った。表情を伺ってみると、明嗣は迷うような表情を浮かべていた。その表情で澪の不安感は一気に肥大化していく。やがて、明嗣も言う決心が着いたのか、軽く息を吸い込んで吐いてから口を開いた。

 

「悪い、その質問には答える事ができねぇ」

「ちょっと明嗣!? 何言ってんの!?」

 

 そんな事ない、と答えるとばかりに思っていた鈴音が驚愕の声を上げた。対して、明嗣は構うことなく今度は逆に一つの質問を澪へ投げかけた。

 

「もし、ここで俺がそんな事ないと答えたとして、彩城は()()はするのか?」

 

 真っ直ぐに明嗣は澪の目を見据えていた。驚いていた鈴音も冷水を浴びせられたような表情で明嗣を見る。一方、澪は何も言えずに、ただ明嗣を見つめ返すだけ。明嗣は何も言えないでいる澪へさらに続ける。

 

「たぶん、俺がどんな答えを言っても彩城は安心するだけで、納得はしねぇと思う。対症療法と同じさ。ここで安心したとしても、なんかの拍子にまた俺のことを疑うだろ。違うか?」

「そんな事……!」

 

 途中まで言いかけて、澪は口をつぐんだ。以前にアルバートから言われた事があった。“もっとよく考えて物を言う事を覚えた方が良い”、と。

 おそらく、今はその“よく考える”時なのだろう。

 

「明嗣くんの言う通りかもね……。安心したいだけなのかな……。じゃあ、ずっと明嗣くんを疑わないといけないの?」

「そりゃ、彩城(おまえ)次第だろ。だから、疑いたきゃ疑えば良いし、信じたきゃ信じりゃ良い。彩城の自由さ」

 

 明嗣の言う通りだ。人の事を信じるのは当人の自由。また、疑うのも当人の自由。だが……。

 

 信じたいのに疑ってしまう時はどうすれば良いの……?

 

 澪の迷う瞳が明嗣へ向けられる。命を助けてくれた人を疑いたくない。それでも、疑うしかない時だってある。そんな時はどうすれば良い?

 答えが分からず、助けを求めるように澪に見つめられた明嗣はまっすぐ澪を見据えたまま、「ただ」と続ける。

 

「約束は守る。それは保証する。縁切るつもりで記憶消したのに戻ってきちまったんだ。だから、責任持って助けて欲しい時は努力する約束は必ず守る。もちろん、信じろとは言わねぇし、納得しろとも言わねぇ。これも彩城の自由だ。だから、これ以上俺から言える事はねぇ。あとはお前が決めろ」

 

 我ながら酷い事を言っているな、と明嗣は心の中で自嘲した。ここで欲しい言葉を口にして、澪を安心させる事を言うのは簡単だ。だが、それは互いを甘やかすような気がして、できなかった。なぜなら、それはホストだとか、自分が軽蔑するいわゆる“女を泣かせて笑う男”がするやり方だから。よって、明嗣はあえて澪が欲しいんだろうなと思う言葉は言わない事にした。それで澪が離れていくなら結局はそこまで。やる事は変わらない。澪と出会う前と同じように闇の中で吸血鬼共を狩るだけだ。明嗣にとって大した問題ではない。

 言うべき事は言ったと思う。あとは澪次第だ。明嗣はじっと澪の返事を待つ。黙って話を聞いていた鈴音も、澪へ視線を向けた。

 澪は明嗣が言った事を反芻(はんすう)した。やがて、答えを出した澪は少し複雑な心境を滲ませるような笑顔を浮かべる。

 

「明嗣くん、不器用なんだね。嘘でも良いから『信じろ』とか言えば良いのに」

「そんなの、ただの馴れ合いだ。そんなヌルい関係、俺はごめんだね」

 

 馴れ合いは人を腐らせる毒だ。だから、明嗣は否定する。たとえ、それが対立を招くとしてもそれは変わらない。

 話は終わったとばかりに明嗣は昇降口で靴を履き替えて歩き始めた。残された澪と鈴音は二人で顔を見合わせる。

 

「澪、あれで良いの? もっと、こう……何か言う事もできたんじゃない?」

「良いの。きっと明嗣くんはさっき言った答えしか言えないと思う。だから、あとはあたしが考えるよ」

 

 答えた澪も昇降口で靴を履き替えて、明嗣の後を追いかけるように駆け出した。そして、最後まで残っていた鈴音は釈然としない表情をしていたが、やがて考えても仕方ないと結論付けて二人の後を追いかけた。

 

 

 

 その夜……。

 飛び込みで1件入ってきた吸血鬼狩りの依頼を片付けた明嗣は、帰宅するべくブラッククリムゾンを走らせていた。

 

 えーっと……帰る頃にやってるアニメはなんだったかな……。

 

 面白くなかったらネット端末を用いてサブスクリプションサービスで配信中の物でも観ればいい。せっかくだから、コンビニに寄ってポップコーンとコーラを買って何か映画でも観ようか。明嗣の心はもう、帰宅した後へ向かっている。だが、明嗣の計画を阻むように突然、目の前に人影が現れた。明嗣はすぐにブレーキレバーを握りしめて急停止する。

 

「危ねぇな! どこつっ立ってんだよ!」

 

 いくら公道は歩行者優先とはいえ、道路の真ん中に立っているのはあんまりだろう。明嗣はヘルメットのバイザーを上げて、進行方向に立ち塞がる人影へ怒鳴った。真っ赤なローブに身を包んだその人影は、ローブのフードを頭から取り去ると、その素顔を明嗣の前に晒した。

 ブラッククリムゾンのライトが照らすその顔は、病的なまでに肌がまっ白。さらに瞳は血のように瞳が赤く、あご周りが毛穴に剃った(ひげ)が埋まっている、いわゆる青髭と呼ばれる状態だ。そして、極めつけは身体中の血管をなぞるように張り巡らされた明嗣が視る事ができる吸血鬼特有の“黒い線”。間違いなく、目の前に立っている奴は吸血鬼と断定するのに十分な証拠が揃っていた。

 明嗣はすかさず、ホルスターからホワイトディスペルを抜き、青髭の吸血鬼へ銃口を向けた。

 

「お前、吸血鬼か」

「あぁ……ジャンヌ……! あなたの導きに感謝します……!!」

「はぁ?」

 

 突然、天を仰いで感謝を述べる謎の吸血鬼に対し、明嗣は困惑の表情を浮かべた。一方、謎の吸血鬼は明嗣に対して跪くと自己紹介を始めた。

 

「はじめまして半吸血鬼(ダンピール)。私はジル・ド・レと申します。あなたをお迎えに上がりました」

 

 銃を向けたまま、明嗣はなおも困惑の表情で固まってしまった。

 そして、その一連の様子を物陰から伺っていたヴァスコはスマートフォンを取り出すと、画面に指を滑らせて耳に当てた。

 

「シスター・クルースニク。標的が接触してきました。至急、来てください」



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第54話 穏やかな朝

 翌朝。

 通勤通学ラッシュに突入する前の穏やかな時間。鈴音は朝食を求めてHunter's rustplaatsのドアを開いた。

 

「おはよー……」

 

 眠たげに目をこすりながら、鈴音はカウンター席に腰を下ろす。一方、朝刊新聞を読んでいたアルバートは顔を上げると不思議そうな表情を浮かべた。

 

「鈴音ちゃんが寝不足とは珍しいな」

「うん。昨日の授業で分からなかった所を復習してて、あんまり寝れなかったんだよね……。今日のモーニングは何……?」

「今日はスクランブルエッグを乗せたトーストとチキンソテーだ。すぐ作るから待ってな」

「はーい……」

 

 と、ここまでやり取りした所で鈴音はふと、違和感を覚えた。そういえば、いつもいる奴が一人いない。店内には穏やかなジャズBGMが流れているだけなので、鈴音は話の種としてそのいない奴の事を尋ねた。

 

「マスター、明嗣は?」

 

 トースターに食パンをセットし、コンロに火をつけたアルバートはフライパンに油を引きながら、いつもと変わらない様子で答えた。

 

「そういや今日はまだ来てないな……。寝坊か?」

「ふーん……。珍しい事もあるね」

「そうだなー」

 

 眠たげな鈴音に相槌を打ちながら冷蔵庫から卵を2つ取り出したアルバートは、ボウルの(ふち)で軽くヒビを入れて卵を割り、牛乳を注いで卵を溶き始めた。

 明嗣がいない事を除けば穏やかな時間だけが流れていく。いや、嫌味皮肉などなどの憎まれ口が無い分、むしろこっちの方が平和かもしれない。たまにはこんな朝も良いな、などと思いながら鈴音はウトウトと眠気の誘惑と戦い始める。

 だが、その穏やかな時間は一人の来訪者によって、いきなり終わりを告げた。

 

「ねぇ! あの半吸血鬼の坊やは!?」

 

 大きなドアベルの音と共に、教職員モードの姿であるパンツスーツのミカエラが飛び込んできた。見た所、全力疾走をしてきたのか呼吸が荒い。何やらただ事ではない様子のミカエラに対し、アルバートが厨房から顔を出して返事する。

 

「明嗣の奴ならまだ来てないぞ。アイツがどうした?」

 

 返事を聞くやいなや、今度はスマートフォンを取り出してミカエラはどこかに連絡し始めた。

 

「ヴァスコ、そっちは!?」

『いませんシスター、やはり自宅にも帰った形跡がありません……!』

「ねぇ、いきなり飛び込んで来るなりどうしたの。明嗣がどうかした?」

 

 モーニングを作っているため、手が離せないアルバートに代わって鈴音が尋ねてみると、ミカエラはギリッと奥歯を噛んだ。

 

「消えたのよ……! あの半吸血鬼の坊やがジル・ド・レに攫われてしまったの!」

 

 あれだけ瞼を下ろそうとしていた眠気は一気に吹き飛び、鈴音は深刻な事態の渦中である事を理解した。

 

 

 

 一方、Hunter's rustplaatsの様子を知らない明嗣は……。

 

「ん……」

 

 いつの間にか眠っていたようで、横たわった状態で瞼がピクリと動いた。さらに、背中の慣れない感触で深い底にあった意識が急速浮上する。そして、瞼をゆっくり開いていくと一面真っ白な光景が飛び込んで来た。

 

「まぶっ……」

 

 目覚めたばかりの目に、照明器具の光がよく反射するこの真っ白な光景はあまりにも眩し過ぎた。明嗣は思わず目を細めて眩しさに耐える。やがて、目が慣れてくると周囲に何があるのかを認識できるようになってきた。

 背中の慣れない感触の正体はマットレスだった。どうやらベッドに寝かされていたようで、慣れない感触の理由はメーカーが違うと思われるので当然の話だ。そして、身体を起こして部屋の様子を見回すと、今いる場所が誰かの寝室である事が確認できた。

 まず最初に目に付いたデスクの上には読みかけの本とコルク栓がはまったワインボトルが置いてあり、脇にあるグラスは汚れておらず逆さに置いてある事から、誰かが後で飲むために用意した事が伺える。

 次に自分の格好。服装はワイシャツの上に真っ赤なパーカーと黒のロングコートにスラックスと、仕事着のままだ。

 

 なんで俺、この格好で……。昨日はたしか……。

 

 明嗣は脳内の昨夜の記憶を手繰った。たしか、昨夜は飛び込みで入ってきた吸血鬼狩りの依頼を片付けて、その後……。

 

 そうだ、あの髭!

 

 明嗣は昨夜の記憶を完全に掘り起こす事に成功した。昨夜は突如目の前に現れた自らジル・ド・レと名乗る吸血鬼と遭遇し、訳も分からない内に意識を刈り取られたのだ。

 

 クソ……。真祖(アルファ)だって事前情報はあったのにあっさりと捕まっちまうとはな……! 待てよ? 捕まったにしては結構無防備過ぎやしねぇか?

 

 手を縛られるなどの拘束されている形跡は特になし。出入り口の扉付近に設置された棚を探ると中にはホルスターに納まった白黒で一対の愛銃達があった。2丁とも手にした明嗣はすぐに弾倉を取り出して弾薬の状態をチェックし、すぐに装填し直した。直後、遊底(スライド)を引いて初弾装填(コッキング)。何が起きても良いように意識を警戒態勢に切り替えた。

 スゥ、と明嗣は軽く息を吸い込んで吐く。最優先は行方不明のブラッククリムゾンを探し出して奪還し、足を確保。その後、ここがどこなのか把握し、安全な所まで移動してからHunter's rustplaatsを連絡を取って体勢を立て直す。

 優先事項の整理は終えた。どこまでできるかは分からないが、現状はこのプランで突っ走るしかない。

 

 うーっし……。行くぜ!

 

 覚悟を決めて明嗣は目の前の扉を蹴破った。蝶番が壊れて倒れた扉の先では、昨夜も会った青ひげ、ジル・ド・レがティーブレイクを楽しんでいた。

 

「あぁ……。起きられましたか。目覚めたばかりで意識がはっきりしていないでしょう。一緒にお茶でもどうです?」

 

 まるで親しき友と話でもするように、ジル・ド・レは自分のカップを掲げて明嗣へ紅茶を推める。対して、明嗣は答える事無く引き金を引いた。だが、発射された弾丸は何か強烈な力に引っ張られたおかげで明後日の方向へ飛んでいき、天井に大きな穴を開ける。

 

 なっ……!?

 

 引っ張る物の正体を確認すると、明嗣の両手首に虚空から出現した毒々しい色の触手が巻き付いている。一方、穴が開いた天井の方ではもうすぐ小学校に入学するのではと思われるくらい少年少女達が不思議そうな表情で覗き込んでいる。

 

「ジルさまー。なにかあったんですかー?」

 

 子供……!?

 

 無邪気に呼びかける子供達を目にした明嗣は思わず面食らった表情で固まる。しかも、吸血鬼が持つ“黒い線”ではなく、“赤い線”。つまり、人間の子供だ。なぜ、どうして。まさか、歴史に名を刻んだ時と同じ何かの儀式に使うために攫ってきたのか。ジル・ド・レは子供たちへなんでもないとアピールした後、嫌な想像を巡らせる明嗣へもう一度呼びかけた。

 

()()()()()()()()()()()()?」

 

 子供の目もある手前、引き金を引く訳にも行かなくなった明嗣は、ジル・ド・レの誘いに応じるしか選択肢を選ぶことができなかった。仕方なく卓に着いた明嗣は警戒の表情で差し出された紅茶のカップを受け取り、好々爺の表情で微笑むジル・ド・レを睨んだ。

 

 

 

 場所は戻り、Hunter's rustplaats。ヴァスコも合流したので、アルバートと鈴音は連絡を受けただけでイマイチ状況を飲み込めていないミカエラも交え、三人で詳しく話を聞くことになった。まずは、なぜ明嗣が消えるなんて事態になってしまったのか、最初はそこから話を聞くべきだろう。

 

「一瞬だった……。アーカードとジル・ド・レの接触を確認したから、すぐに狩ってしまおうとシスターに連絡した直後にアーカードが消えた……! 何が起きたのかすら分からなかった……!」

 

 昨夜の出来事を語るヴァスコの表情は苦々しい物だった。唯一の手がかりとしていた明嗣をいともあっさり攫われてしまったのだから無理もない。対して、話を聞いたアルバートは腕を組んで考え込んでいる。おそらく、そんな事ができる手段を自分の中にあるジル・ド・レの情報から探しているのだろう。ただ、これだけでは情報が足りないので考え込んでいるアルバートに代わり、鈴音がヴァスコに質問していく。

 

「何か変わった事とかもなかったの? たとえば、変な音がしたとか、空気が冷たくなったとかそういうの」

「いきなり言われてもあの時はあの半吸血鬼が消えてそれどころでは……」

 

 言いかけて、ヴァスコは引っかかる物があったのか顎に手をやり、何か考え込み始める。そして、何やら思い当たる節があったのか、ヴァスコはぽつりと呟いた。

 

「そういえば、何か引きずる音がしたような……。ズルリと、何か粘っこい液体がまとわりついたような物が引きずられるような音だ……」

「あぁ、そういえば消えた現場にもあったわね。何かの粘液。ナメクジでもいたのかしら?」

「……! それは本当か?」

 

 粘液、と聞いて何か閃いたのか、黙り込んでいたアルバートがようやく口を開いた。それを受け、ヴァスコはポケットからビニールの小袋に入れたスポイトを取り出した。スポイトの中には何やらピンクの透き通った液体が入っている。

 

「一応、採取した物がこれだ。後で分析しようかと思っていたのだが、これがどうかしたか?」

「なるほどな……。ジル・ド・レとなりゃ持っててもおかしくないわな……。でも、本当にそうだとするなら……」

「なに? 明嗣を連れ去った方法が分かったの?」

 

 1人で納得して先の世界へ進もうとするアルバートを鈴音が呼びかけてこちらに引き戻す。呼びかけで我に返ったアルバートは少し困った表情で頬を掻いた。

 

「いや、すまねえ。思ったより厄介な代物を向こうが持っている可能性が出てきてな……」

「と、言うと?」

 

 その厄介な代物の正体を知るべく、ミカエラが続きを促す。すると、アルバートは緊張した面持ちでその名を口にした。

 

「おそらく、明嗣を攫った方法は『ネクロノミコン』に書かれた魔術だ」

「ねく……何?」

 

 聞き慣れない単語に鈴音が困惑した表情を浮かべた。すると、ヴァスコが噛み砕いた形で補足した。

 

「ネクロノミコン。古今東西、ありとあらゆる黒魔術が記された魔導書(グリモワール)か」

「そんな物があるんだ……」

 

 ヴァスコの言葉にアルバートが頷いてみせると、鈴音はとりあえずは理解したのか困惑した表情を引っ込めた。だが、アルバートが示した可能性を前にミカエラは思わず爪を噛んだ。

 

「ネクロノミコン……。もし、本当にそれがジル・ド・レの手にあるとしたら、ちょっとまずいわね……」

「ああ。広範囲に病を振りまく呪いから悪魔召喚の儀まで文字通りの人類の脅威になり得る黒魔術があれ一冊に全部つめこまれている。まさか現存していたとはな……」

「で、でも! ジル・ド・レって真祖なんでしょ? なら、能力を使った時の明嗣みたいにその魔術を使う度に血液を消費するから連発できないとか、なにか制限があるかもしれないよね?」

 

 確かに鈴音の言う事は一理あるかもしれない。だが、ミカエラがその希望をいともあっさりと否定した。

 

「残念だけど、日本の女剣士(ジャポネーズ・サムライガール)の言う通りには行かないのよねぇ……。たしかに、ジル・ド・レに限らず真祖に分類される吸血鬼は、自分に宿った異能の使用に燃料として血液を消費する。それはどの個体は変わらないわ。でもねぇ……」

「ジル・ド・レは『吸血鬼と人間の理想郷』を謳う事で吸血鬼(なかま)と共にたくさんの社会から弾き出された人間を籠絡して囲っている。おそらく燃料タンクとしてなのだろう。『理想郷』が聞いて呆れる……!」

 

 ギリッとヴァスコが悔しげに奥歯を噛む。鈴音も話を聞いた途端、その邪悪さに嫌悪するような表情を浮かべる。一方で、アルバートはふと浮かんだ、()()()()()を一つ口にした。

 

「ところでお前さん方、やけに真祖について詳しいが何かそういう資料でも残っているのか?」

「当然だろう。悪魔召喚による真祖の誕生は今でも起きていて、私達はそれを()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ヴァスコがそれが当然だ、と言いたげな口調で非道な事実を明かす横で、ミカエラは言ってしまった、という表情でため息を吐いた。それを受け、鈴音が怒りと驚きが入り混じった声を上げる。

 

「何それ!? ただのとばっちりじゃん!」

「それがどうした。神が定めた人の(ことわり)に背く者が身内から現れたんだ。それだけで家族全員万死に値するだろう」

 

 なるほど。明嗣が嫌うのも納得である。今までは話に聞いた程度で、なんとなく関わり合いになってはいけない程度の認識だった。だが、今この瞬間に鈴音の中で、こいつは嫌いな奴から許してはならない奴になった。

 

「いくら身内が吸血鬼に成ったからって、その家族全員まで殺すなんて許されるはずないでしょ!?」

「何を言っているんだ? 放っておけば同じ家族から後続が出るかもしれない。そして、そうなる原因のほとんどが、()()()()()()()()()()()()()()だ。大本を辿り、家族が吸血鬼になる原因の元へ向かうかもしれない。自己防衛する面から考えても綺麗さっぱり掃除するのは当然の話だろう?」

「でも、だからって……!」

「貴様は自分の家族が吸血鬼の被害に遭ったとしても同じ言葉を吐けるのか?」

 

 口調自体は静かだが、ヴァスコの表情には明確な怒りが浮かんでいた。その威圧感に鈴音は思わずたじろぎかけてしまう。だが、それでも。隠蔽だけではなく、推定有罪で裁きを下す事を当然と(のたま)う理不尽が、鈴音にはどうしても我慢ならなかった。

 

「それでも……そんなの間違ってるよ! 人を守るために戦っているのにその人を殺しちゃうなんて……!」

「ヴァスコ、やめなさい。あなたの()()はこの子には関係ないでしょ」

「鈴音ちゃんもそこまでだ。今は道徳の授業の時間じゃない」

 

 大人二人に(たしな)められ、鈴音とヴァスコの言い争いはひとまずお流れとなった。その後、とりあえず学生である鈴音とヴァスコの二人を登校させて、大人組のアルバートとミカエラがこれからの方針を考える。

 

「ごめんね。ヴァスコは家族が吸血鬼に殺された過去があってね……。だから、吸血鬼が絡んでくるとちょっと苛烈になるきらいがあるのよね……」

「なるほどなぁ……」

「それより、これからどうしましょうか。あの半吸血鬼の坊やを探そうにも手がかりがないんじゃねぇ……」

「現状、一番の問題はまずそれだな……。さて、どうするか……」

 

 何をするにも、まずは情報がいる。だが、一番欲しい情報をどうやって入手するかが分からず、アルバートは考え込むように再び腕を組んでため息を吐いた。



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第55話 人間と吸血鬼の理想郷

 場所は再び交魔市某所。

 ジル・ド・レに促されテーブル着いた明嗣は、目の前の紅茶に手をつける事なく、目の前で紅茶を楽しむジル・ド・レをただひたすらに睨んでいた。

 

「飲まないのですか? 良い茶葉を使ったお茶です。冷めてはせっかくの風味がダメになってしまいます」

「この状況で呑気に茶を楽しめ、だ? 面白ぇジョークを言うな、青ヒゲ」

 

 警戒レベルMAXの明嗣は、お茶請けとして出されたショートケーキはおろか、紅茶にすら手をつけていない。相手の目的が分からない以上、敵地で出された食べ物、飲み物の類いは何かが混入している可能性がある。なので、手をつけずに放置するのは基本中の基本だ。

 それを知ってか知らずか、ジル・ド・レは安心させるように微笑みを浮かべる。

 

「ご心配なく。毒などの物は入れておりません。そもそも、私はあなたを仲間に引き入れたいのです。毒なんて入れるはずがないでしょう? それとも、甘い物はお気に召しませんか? どの時代も、若者はこういうお菓子でもてなすと大喜びしてくれる物と認識しているのですが……」

「へぇ、ずいぶん親切で何が目的かと思ってたらそういう事かい。残念だったな。俺はお前の仲間にならないぜ」

「理由を伺っても?」

「そりゃ、吸血鬼(おまえら)と仲良くしてここらのハンター全員を敵に回すんじゃあ、割に合わな過ぎる。だいたい、俺は吸血鬼から目の敵にされてる上にヴァチカンからはるばるやってきた祓魔師が血眼ンなってお前を探し回ってんだ。かといって、俺はアイツらが気に食わねぇ。もちろん、お前もだ。だから、ここはどっちの味方にもつかずに“勝手にやってろ”っつーこった。ついでに対消滅でも起こして綺麗さっぱりいなくなってくれりゃ、俺的には万々歳さ」

「ええ、それはもちろん承知しています。だからこそ、あなたは私達と共に在るべきなのですよ。半吸血鬼であるあなたはね……」

「何が言いてぇんだ」

「“百聞は一見にしかず”、です」

 

 何か含みのある言い方をして、ジル・ド・レは手元にあるハンドベルを振った。すると、一人の少女がやってきた。深く青い髪をショートボブにした彼女は、紺のブラウスとロングスカートにフリルがあしらわれた白いエプロンと、メイドのような出で立ちだ。血管をなぞるように張り巡らされた線の色は“赤”。つまり、彼女は人間のメイドといった所だろうか。

 

結華(ゆか)。日が高いので、まだ私は外に出ていく事ができません。なので、あなたが彼を案内して差し上げなさい。私は日が落ちきるまで眠ります」

「かしこまりました。ジル・ド・レ様」

 

 スカートを裾を持ちながらお辞儀をして、結華と呼ばれた少女は外へ続く扉へ歩いて行く。そして、ドアノブに手をかけると明嗣をジッと見つめた。どうやら、付いていかないと話が進まないようなので、明嗣も席を立って結華に続いた。付いて行く意思を確認した結華は、扉を開いて明嗣を部屋の外へ誘う。

 人間と吸血鬼を見分ける事ができる明嗣とって、扉の先で待ち受けていた光景は言葉を失わせるには十分すぎる物だった。なんと、吸血鬼と人間が腕を組んで歩いているのだ。それだけではない。カフェだと思わしき場所では人間と吸血鬼が同じテーブルに座って談笑している。まるで、我々は手を取り合う友人だ、という雰囲気が漂っていた。捕食者と被捕食者の関係だなんて忘れてしまいそうな程に仲睦まじく見える。

 信じられない、と言った面持ちで明嗣は目の前の光景に言葉を失って立ち尽くす。これはどういう事だ。吸血鬼(おまえたち)にとって人間(ソイツ)は餌だろう? 

 カフェテラスで金髪の女がケーキを分け与え、黒髪の女がそれを受け取って口へ運び、喜びの声を上げる。傍目から見るとただの仲が良い友人のやり取り。だが、明嗣の視界から見れば、“黒い線”を持つ金髪の吸血鬼が“赤い線”を持つ黒髪の人間へケーキを与える構図となる。これは異常事態だ。何故なら、明嗣の知っている吸血鬼は人間を見るなり路地裏に連れ込んで生き血を啜る、人の形をした獣なのだから。そのはずなのに、目の前のこれはなんだ。まるで放課後に遊び歩く女学生のようではないか。先程の腕を組んで歩いていた2人もそう。あれでは付き合いたてのカップルだ。

 

 親父とお袋もあんな風に歩いていたのかな……。

 

 他にも同じように腕を絡めて歩いている人間と吸血鬼のカップルを目にした明嗣は、ふと在りし日の両親へ思いを馳せるような眼差しとなった。今のような人間と吸血鬼のカップルが仲睦まじく笑い合う様子を見せられては、嫌でも考えてしまうという物だ。

 

「それでは移動しましょうか。他にも案内するように仰せつかった場所がまだまだあるので」

「……あ、ああ」

 

 結華の呼びかけに返事をしながら、明嗣は歩き出す。だが、明嗣はチラッと視界の端で捉えてしまった。吸血鬼とすれ違う際、結華が少しだけ怯えるような表情を浮かべた後、安堵するように息を吐く瞬間を。その様子に違和感を覚えたが、明嗣はひとまず結華に大人しくついていく事にした。まずはブラッククリムゾンを見つけ出していつでも逃げられるように準備しておく。今はそれが何よりも重要なのだ。

 

 

 

 その頃、ヴァスコと険悪な雰囲気になったまま学校へ登校した鈴音は……。

 

「えぇっ!? 明嗣くん、攫われちゃったの!?」

「シィーッ! 澪、声が大きい!」

 

 教室で驚きの声を上げる澪に対して、鈴音は周囲に目を配りながら、小声で注意した。すると、澪はハッと我に返り、鈴音と同じように周囲を見回すと、声のボリュームを下げて話を続ける。

 

「じゃあ、明嗣くんは行方不明でどうすれば良いか何も分からないの?」

「一応、アタシも式神を出して探させてはいるんだけど……。正直、望み薄いかも……」

「電話はしてみたの? もしかしたら出るかも」

「それはやめといた方が良いの。奴ら、耳が良くてケータイのバイブ音からも隠れている場所を見つけ出すから。」

「あっ……」

 

 最近、色々あり過ぎて遠い過去のような気がする4月上旬の夜、吸血鬼に初めて出くわした夜の事を澪は思い返す。あの時、たまたま感づかれたから見つかったと思っていたが、どうやら間違いだったようだ。

 

「それなら……どうすれば良いんだろう……」

「うーん……。一番は明嗣の方から連絡してくる事なんだけどねぇ……。連絡できるほどには安全って事だから」

 

 鈴音はポケットからスマートフォンを取り出してありとあらゆる情報が気まぐれな雨のように集まるSNSアプリ、レインを立ち上げた。もしかすると、同じように失踪した人の情報から場所を割り出せないかと思って覗いてみたが、あまりに失踪者の情報が多すぎて、まず仕分ける行為で時間を持っていかれそうだった。

 

「ダメだぁ〜……。失踪した人の情報多すぎて今欲しいのが見つからないよ……」

「う〜ん……。あ、そうだ。一応、あたしにも明嗣くんの番号を教えてもらっていいかな? 今は太陽が昇っているお昼だから、明嗣くんが外にいるなら出られるかも……。鈴音ちゃんとアルバートさんがダメでも、あたしも連絡できるならチャンスが増えるし」

「あ、そっか! 澪、天才! え〜っと、明嗣の番号は……あった! これだよ!」

 

 電話帳アプリを立ち上げ、明嗣の番号を見つけた鈴音がその画面を澪へ見せた。澪は自分のスマートフォンへその番号を打ち込んで、電話帳に登録した。すると、澪のスマートフォンへ一つの通知が届く。

 

「あれ? 明嗣くんのレインが友達登録された……」

「えっ!? ほんと!? アイツ、レインやってたの!? 電話帳と同期させてなくて知らなかった……」

「教えてもらわなかったの……?」

「だって、仕事とプライベートは分ける主義だ〜とか言って教えてくれなかったし。ID見せて。なるほど〜? これがアイツのレイン……」

 

 恐るべき速さで鈴音は澪のスマートフォンに映る明嗣のレインIDを打ち込んで友達申請した。

 

「申請完了、っと。これで明嗣が申請通してくれたら、ひとまずスマホいじれるくらい安全だから連絡できるよね」

「あ、ついでにグルチャも作っちゃおうよ。皆で話せる場所を作っておけば、後で便利だろうし。それに……」

 

 澪は一度言葉を切ってスマートフォンの画面を見つめる。やがて、画面から顔を上げて続きを口にした。

 

「無事に帰ってきてくれますように、って願掛け。こうやって、帰って来た後の事を用意してればしっかり帰ってきてくれるんじゃないかって気がするし」

「……そうだね。ちゃんと帰ってきてもらって、心配料もたくさんもらっちゃおう!」

 

 全部終わった後、明嗣にタカるつもりの鈴音の言葉に、澪は思わず吹き出してしまった。

 

「なにそれ。明嗣くん、怒っちゃうよ」

「良いの良いの! いっつも憎まれ口ばっかり言うし、こういう時に仕返ししないと!」

「あはは……。でも、一回皆で遊びに行ってみたいね。カラオケとかゲームセンターとか」

「明嗣を荷物持ちにしてショッピングも良いね! あとは……」

 

 鈴音がさらなる展望を広げようとした所で授業開始のチャイムが鳴り響く。とりあえず、昼休みにまたどうするか話し合う事にして、澪と鈴音はこれから始まる授業に集中する事にした。



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第56話 理想郷の真実

 場所は再び、交魔市某所。

 ジル・ド・レの指示を受けたメイドの少女、結華の案内で“人間と吸血鬼の理想郷”とされる場所を見て回る明嗣は、その様子にただただ驚くばかりだった。ここにいる人間も吸血鬼も、みな手を取り合って暮らしていたのだから。

 見た所、ここは営業停止したショッピングモールのようだった。結華によると、動力源はここに流れ着いた人に電気技師がおり、その人の指揮の下で商業施設が動かせる規模の自家発電機を作成して設備を動かしているらしい。ネット対戦ができるアーケードゲームはもちろんオフライン、施設内で完結するように設定しているそうだ。

 

 マジか……。

 

 休憩スペースに設置されたベンチに腰を下ろした明嗣は、放心したように手元のオレンジジュースを見つめた。ここまで一緒に生きて行けるなら、今自分がやっている事はなんなんだ。生きていくのに必要だと思っていた自分の腰にある銃の重みが、本当にそれは必要な物なのか、と疑問に思う程にカルチャーショックを受ける。

 項垂(うなだ)れて手元を見つめる明嗣を気にかけるように、結華は静かに声をかけた。

 

「あの……お加減が優れないのでしたら、お部屋も用意してあるので、そこへ移動して本日はもうお休みになる事もできますが……」

「あ、ああ……。問題ない。ただ、ちょっと驚いただけだ。本当に人間と吸血鬼が一緒に暮らしているとは思わなくてな……」

「ここに来たばかりの方は実際に触れてから、初めて自分とは違う生き物だと認識するのですが、明嗣様は触れずとも分かるのですか?」

「生まれつきでな。つーか、その“様”ってのは止めてくんねぇかな。なんか、背中のあたりがムズムズすんだよ……」

「いえ、明嗣様は客人なので。さらにジル・ド・レ様から、いずれあなたにここを守護してもらうと聞いておりますので、やはりこの呼び方が良いと存じます」

 

 うーわっ、真面目……。

 

 頑として譲らない結華の返事に、明嗣は思わずたじろいでしまった。堅苦しい雰囲気が苦手な身としてはたまったものではない。

 

 彩城とは別ベクトルでやりづれぇ……。

 

 どうしたものか、と明嗣が困った表情を浮かべると、結華は小首を傾げた。こうして眺めると人形のような可愛らしさを感じる。

 

「どうかなさいましたか?」

「いや、なんでもねぇ……」

 

 明嗣は慌てて結華から視線を逸らした。だが、なんでもないとは言ったものの、実は引っかかる事が一つだけあった。

 

 仲良く暮らしているにしちゃあ、怯えるような目をしている奴がチラホラいるような気がするな……。

 

 吸血鬼とすれ違う際の結華や、他にも吸血鬼と仲良く話している人間を見ると、どこかご機嫌を伺うような目つきをしていると感じる時があった。理想郷を(うた)っている割には、何か引っかかる。

 

 考え込むように明嗣は顎に手をやる。理想郷のはずなのに怯えなければならない理由。それはなんだ。考える事30秒。じっと見えない何かを見つめるように遠くを見るような目をする明嗣へ、結華はおずおずと声をかける。

 

「あの、明嗣様……。先程からどこかを見つめられてますがどうかいたしましたか?」

「……俺のバイクはどこに行ったのかな、と考えてた所さ。あれは親父の形見でさ。案内されてればいつか出くわすと思っていたけど、中々出てこねぇモンだからどこに隠してやがるのか、と思ってな」

 

 本当の事を言う訳にもいかないので、明嗣は今欲しい物を口にして誤魔化した。すると、結華は納得した表情で頷いてみせる。

 

「あぁ……なるほど。それでしたら、駐車場に停めてあります。ですが……」

「ですが……なんだよ?」

 

 今ひとつ歯切れが悪い結華を前に、少し嫌な予感した。やがて、数秒溜めてから結華は続きを口にした。

 

「本当にあれはバイクなのですか?」

「はぁ?」

 

 明嗣は結華の質問に困惑の声をあげた。どこからどう見てもバイク以外の何物でもないだろう。少なくとも、見た目は。質問の意図が掴めず、何も言えずにいる明嗣。そんな明嗣へ、結華は付いてくるように促す。

 

「ご自分の目で確かめてみる方が話が早そうですね。こちらへどうぞ」

「あ、ああ……」

 

 いったいどうなってんだ、ブラッククリムゾン……?

 

 これから待ち受けている事態に不安を覚えつつ、明嗣は結華の後に続く。案内された駐車場で待ち受けていた光景は、言葉を失う程に壮絶な物だった。

 何の気なしに一体の吸血鬼がブラッククリムゾンに近づく。するといきなりマフラーから吹き出した黒い炎に包まれた。

 

「ああああっ!! 熱い……!? 焼かれる……!! なんだこれはあああ!!」

 

 立った状態のまま黒い業火に包まれた吸血鬼は、瞬く間に消し炭と化してしまった。その様子を見ていた明嗣へ、結華が声をかける。

 

「どうですか? あれを見てもまだあれはバイクだと仰っしゃりますか?」

「……悪い。ちょっと嘘吐いた。でも、あれは俺のバイクさ」

「え、ちょ……」

 

 今の光景を見て近づいていくの!?

 

 先程の黒い炎を見たのにも関わらず、迷いなく歩いていく明嗣に、結華は思わず静止の声を出そうとした。だが、その後の明嗣の様子を見て、結華は息を飲んだ。

 

 えっ……!?

 

 なんと、明嗣が近づいてもブラッククリムゾンのマフラーから黒い炎が吹き出さないのだ。それどころか、明嗣は飼い犬の頭でも撫でるかのように燃料タンクに手を当てる。

 

 どうやら無事みてぇだな……。にしても、近づいてきた吸血鬼を焼くくらい不機嫌とは、俺がいなくて寂しかったのか? ……なんてな。

 

 キーも刺さっているため、エンジンに火を入れる事もできる。つまり、脱出しようと思えばいつでもできる状態になった訳だ。だが、逃げる前に一つだけ、確かめておきたい事があった。

 

「なぁ、お前の名前はたしか結華って言ったよな?」

「ええ。そうですが」

「じゃあ、結華。いくつか質問に答えてくれ」

「答えられる範囲でなら」

「ここは人間と吸血鬼の理想郷、そのはずだな?」

「ええ。その通りです」

「なら、どうして時々怯えた目をするんだ?」

「な、何の事でしょうか……」

 

 一瞬だけ、結華の声が震えるのを明嗣は聞き逃さなかった。どうやら、明嗣の疑念は的外れではなかったらしい。結華の反応で確信を得た明嗣はさらに畳み掛ける。

 

結華(おまえ)だけじゃねぇ。他の人間も同じような目をする瞬間がちらほら見えた。自白(ゲロ)っちまえよ。ここには()()がある。そうだろ?」

「そ、そんな事は……」

「なら、吸血鬼の吸血衝動はどうしてんだ。まさか、我慢させている、なんて言わねぇよな?」

 

 ジッと明嗣は結華を見据える。ヴァスコ達から話を聞いてからずっと気になっていたのだ。吸血鬼は命尽きるまで人の血をすすり、快楽を貪る生物。例えるなら麻薬中毒(ドラッグ・アディクト)のそれに近い。そんな奴が目の前に人間(ドラッグ)をぶら下げられて我慢できるとでも?

 

「できる訳ねぇよな? アイツら、理性は発情期の猫以下だ。我慢なんてもっての外、すぐにでもその場で首に噛みついて血を飲み干してぇと考えているはず。仮にあの青髭のジル・ド・レが押さえつけてるとしても、完璧(パーペキ)にはできねぇはずだ。()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 いくら上位吸血鬼である真祖の圧力(プレッシャー)で脅しつけたとしても、おそらくその本能を押さえつけるのは無理のはずだ。絶対、どこかに破綻があるはずだ。

 

「そ、それは……」

 

 結華の目に明らかな動揺が浮かんだ。さらに、言い淀む結華に追い打ちをかけるように叫び声が明嗣と結華の耳へ飛び込んでくる。

 

「いやだぁあああああ! 死にたくない! 返しきれない借金からやっと解放されてやっと幸せな人生が始まると思ったのにあんまりだぁああああああっ!!」

 

 1人の青年が引きずられていくのが見える。見た所、人間のようだ。そして、青年を引きずっているのは吸血鬼である。

 

「往生際が悪い。それを承知でこのコミュニティに加入した癖に今更騒ぐな」

 

 なおも響く悲鳴と共に青年の声が遠ざかっていく。明嗣は先程の光景をネタに結華へ追撃をかける。

 

「あれは?」

「あ、あれはこのコミュニティの礎に選ばれた方の……よう……ですね……」

「礎ってなんだ?」

「その……それは……!」

 

 ついに何も答えられなくなり、しどろもどろとなる結華。やがて、明嗣はこの話のトドメとなる一言を口にした。

 

「言えねぇなら俺が言ってやるよ。()()()()()()()()? どんくらいの頻度かは知んねぇが、毎回、生贄を1人立てて吸血鬼に差し出すことで成り立ってる、そうだろ?」 

 

 もう誤魔化せる余地は失くなってしまった。よって、結華は()()()

 

「仕方ないじゃないですか……! こうしなきゃ、私たちはジル・ド・レ様の庇護が受けられずに野垂れ死ぬしかないんですよ! あなたに分かりますか!? 突然、湧いてきたとんでもない額の借金のカタで売り飛ばされそうになる気持ちが! そこに差し伸べる手が現れたら誰だって飛びつくしかないでしょう!?」

「だからって生贄差し出していい理由にはなんねぇだろ。明日は我が身って言葉を知らねぇのか」

「そんな事を言えるのはあなたが強いからでしょう!? 半吸血鬼の銃撃手(ガンスリンガー・オブ・ダンピール)なんて名前で呼ばれてるんだから!」

「泣き言垂れてんじゃねぇよ。お前、一回でも戦おうとか考えた事あんのか」

「皆が皆、あなたみたいに強いなんて思わないでくださいよ……! もし、勝てたとしても後の事を考えたら今の方がマシです!」

 

 話していく内に結華は泣き崩れてしまった。だが、明嗣は構う事無くブラッククリムゾンへ跨り、スターターボタンを押してエンジンを始動させる。

 

「まぁ、ここで暴れても俺には得がねぇし、捜し物も見つかった。あとはもうここから逃げるだけだ。せいぜいそこで泣き喚いていりゃ良いさ」

 

 ヘルメットを被りながら、明嗣は見捨てるようにハンドルを握る。対して、結華は虚ろな笑みを浮かべた。

 

「簡単に逃げられるとお思いですか? 私が明嗣様に付いている理由がまさか案内だけだとでも?」

「あ?」

 

 ギアペダルを踏み込み、クラッチを繋ごうとした明嗣は一旦動きを止めた。一方、泣き崩れて蹲っていた結華は隠し持っていたトランシーバーへ呼びかける。

 

「緊急事態発生。半吸血鬼(ダンピール)が逃げます。至急、準備してください」

「まぁ、そういう展開になるよな!」

 

 クラッチを繋いで明嗣は走り出した。クラッチを急に繋いだ影響でブラッククリムゾンの前輪が浮き上がる。

 

「クソッ!」

 

 アクセルの開度を調整する事で車体を落ち着かせた明嗣は、前輪が地面を捉えた瞬間にアクセルを全開(フルスロットル)にして加速した。

 その先で待ち受けるは、ローブで日光対策を施した吸血鬼と同じくローブに身を包んだ人間の集団だった。全員、刺股を手にして明嗣を捕獲するつもりだ。対して、明嗣は左手でホルスターからブラックゴスペルを抜き、ニヤリと口の端を吊り上げる。

 

「そぉら、どかねぇとコイツの餌食だぜェッ!」

 

 威嚇射撃をするついでに何体か葬るつもりで、明嗣はブラックゴスペルの照準を吸血鬼へ向ける。だが……。

 

「ダメ!」

 

 マジかッ!?

 

 声からして女だろうか。1人の人間が照準を向けた吸血鬼を庇うように前に飛び出した。

 

「チッ!」

 

 もし、このまま引き金を引いて人間に当たったら事なので、明嗣は仕方なく撃鉄を倒してホルスターへ戻した。

 

 嘘だろおい!? 吸血鬼を庇うのかよ!? ……やべっ!

 

 先程の出来事に驚く間もなく、今度は刺股が眼前に迫る。明嗣はすかさずブレーキレバーを握り、重心を前側に移動させて前輪に荷重をかけてハンドルを切った。すると、後輪が滑り出したブラッククリムゾンの車体が進行方向に対して横になった状態で滑り出す。いわゆる、直線ドリフトである。

 刺股をやり過ごした後、アクセル操作(ワーク)で姿勢を直した明嗣は再び加速しながらホッと息を吐いた。

 

 ぶっつけでも上手く行くモンだな……。に、しても……。

 

 先程の人間が吸血鬼を庇った事を思い返した明嗣の脳裏に結華の言葉が響く。

 

 私達はジル・ド・レ様の庇護がなければ野垂れ死ぬしかないんですよ!

 

 そんな事を言えるのはあなたが強いからでしょう!?

 

 皆が皆、あなたみたいに強いと思わないでください……! もし勝てたとしても、その後の事を考えたら今の方がマシです!

 

「でも、このままいつ来るのか分かんねぇ死刑宣告に怯えているのも(ちげ)ぇだろ……!」

 

 呟く言葉は風の中に消えていく。関係ないと切り捨てれば良いのにも関わらず、どこか引っかかる物を抱えた明嗣は、ひとまず出口を求めて走っていく。やがて、明嗣は溶ける視界の中、膝を抱えて泣いている少年の姿を捉えた。



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番外編2
バレンタイン特別編 明嗣の意外な特技


 それは2月初旬の事だった。

 いつものようにHunter's rustplaatsへ顔を出した明嗣は店に入るなり、その光景を前に言葉を失って固まった。

 

「な、なんだこりゃ……」

 

 鼻腔をくすぐるはカカオの香り、あたり一面に広がるはチョコレートを使った料理の山。そして、その前に座っているのは……。

 

「ねぇ、澪。どれが良いと思う?」

「う〜ん……チョコアイスをベースに考えるのも良いような気がする……。でも、ガトーショコラも捨てがたいなぁ……」

 

 何やら鈴音と澪が目の前にあるチョコを使ったスイーツについて相談事をしていた。

 

 アイツら、いったい何話してんだ……?

 

 事態が飲み込めない明嗣は呆然と立ち尽くす。すると、厨房の方からアルバートがやって来た。

 

「おっ、グッドタイミング」

「マスター、こりゃいったいどういう事だよ。チョコ菓子専門店にでも転職(ジョブチェン)するつもりか?」

「ンな訳ないだろ。そろそろバレンタインがやってくるからな。だから限定メニューでも作ってみようと試食してもらってたんだよ」

「あー……バレンタイン……バレンタインね……」

 

 バレンタインの単語を耳にした途端、明嗣は遠くを見るような目で明後日の方向を向いた。

 

「どうした」

「いやぁ……今年はどんだけチョコ押し付けられるのかなと思って……」

「お前、今この瞬間をもって全国の野郎どもを敵に回したぞ」

 

 呆れたような表情のアルバートに対して明嗣は力なく笑ってみせた。半分だけ吸血鬼の血が流れているせいなのか、明嗣は小さな頃から年上のお姉さんから年下のお嬢さんに至るまで引っ張りだこだった。だが、成長して物事を理解できるようになっていくと共に、いろんな()()()()を目にした事でなるべく異性とは距離を取るようになり、そのような出来事は減った。だが、それでも。こういう日になると、半分だけの吸血鬼の血が猛威を振るい、定番の靴箱から机まで最後までチョコぎっしりのトッポデーと化してしまうのだ。

 

 たしか、バレンタインにチョコ渡すのって今は日本だけだったっけ……。

 

 他国だと花束を渡したりするのが主流なんだとか。現実逃避をする明嗣に対し、今度は限定メニューを選定する女子2名から声をかけられる。

 

「あ、明嗣。やほー」

「明嗣くんもこっち来て一緒にメニュー考えようよ。どれが良いかな?」

 

 澪に意見を求められた明嗣はテーブルに並ぶスイーツ達の品定めに入った。どうやら、鈴音と澪のお眼鏡に叶ったメニューはガトーショコラ、チョコアイス、ティラミス、ショコラクッキー、生地にチョコを混ぜたショコラパンケーキの5つのようだ。だが、明嗣はその全部に難色を示す。

 

「お前らセンスねぇなぁ……。全部ありきたり過ぎるぜ」

「じゃあ明嗣なら何を選ぶって言うの」

 

 いかにも小馬鹿にしたような口調の明嗣に対し、鈴音がジトッとした視線を向ける。すると、明嗣はなぜか鈴音の質問に答えず、アルバートに声をかけた。

 

「マスター、材料はまだ残ってるか?」

「ああ。残ってるぞ」

「そうか。んじゃ……」

 

 アルバートの答えを聞いた明嗣はロングコートを脱ぎ、愛銃が収まったホルスターを腰から外すと、何を思ったか唐突にシャツの袖を捲り始めた。いきなり、何やら準備を始めた明嗣に対し、澪が困惑した表情で呼びかける。

 

「明嗣くん、いったいこれからどうするの?」

「まさか、これから作るとか言わないよね?」

 

 暗に自分を満足させる物を作れるのか、と言いたげな表情の鈴音に対し、明嗣はニヤリと自信ありげな笑みを浮かべた。

 

「ああ。ちょっと待ってな。すぐにお前らの舌を納得させるモン出してやるよ。マスター、ちょい厨房借りるわ」

「おう、楽しみにしてるぞ」

 

 ほぐすように身体を伸ばしながら厨房へ歩いていく明嗣は手をヒラヒラと振ってアルバートの呼びかけに応えてみせる。そして、手を洗った後に消毒用アルコールが入ったディスペンサーのヘッドを軽く叩いて手を消毒すると、冷蔵庫の中を調べ始めた。

 

「ねぇ、マスター。明嗣って料理できるの? イメージ無いんだけど……」

 

 明嗣が厨房に入っていくのを見送った鈴音の表情は不安げだ。だが、不安な鈴音に反して、アルバートは余裕の表情で答える。

 

「実はここのデザートのいくつかは明嗣の発案でな。だから、期待して待っている価値はあるさ」

「へぇ〜、楽しみですね!」

 

 話を聞いた澪が期待の表情で厨房を見る。一方、まだ半信半疑の鈴音は、いったいどんな料理が出てくるのか、怖がるような視線を厨房へ向けていた。

 

 

 

 30分後……。

 

「ほい、出来上がり。俺が提案するバレンタイン限定メニューはこれだ」

 

 戻ってきた明嗣は持ってきた料理を3人の前に並べた。やって来た料理を前に、鈴音と澪は不思議そうな表情を浮かべた。一方、この料理を知っているアルバートは満足そうな表情を浮かべる。

 

「なるほど。ストロープワッフルか」

 

 明嗣が出した料理は以前食べた薄いワッフルでシロップを挟むオランダのおやつ、ストロープワッフルだった。だが、アルバートが出した物とは違い、生地がチョコの色だったり、生クリームが上に乗っていたりなど明嗣が作った物にはいくつかのアレンジが加えられている。

 

「正解。生地に板チョコ溶かして練り込んだ。これならひと手間加えるだけで簡単だろ? さらに中身も工夫したけど……これは食ってからのお楽しみっつー事で」

「ま、まぁ? 見た目が良くても味が良くないと意味ないもんね……」

 

 思ったより本格的な物をお出しされ、わずかにたじろいだ鈴音はワッフルを手に取り、両手で握って一口かじる。澪も鈴音に倣って手に取り、口へ運んだ。すると、飲み込んだ澪が驚きの声を上げた。

 

「美味しい! これ挟んでるのはストロベリーソース?」

「ああ。ちょうど苺とか残ってたからソースにしてみた。それだけじゃないぜ。反対側からだと別の味になってる」

「ほんとだ! こっちから食べるとブルーベリーの味!」

 

 言う通りに反対側からワッフルをかじった澪は素直に喜びの声を上げる。

 実はこのワッフルを作る際、明嗣はある菓子パンを参考にして作った。それはアベックトーストと呼ばれるイチゴジャムとマーガリンを2枚の食パンで挟むシンプルな物だが、ポイントはそのまま齧ったり、パンを回す事でイチゴジャムとマーガリンを混ぜたりと楽しみ方が自由な所だ。ちなみに、このストロープワッフルで同じことをすると、ミックスベリーソースになる仕掛けとなっている。

 

 名付けて、アベックワッフルかな……。

 

 適当に名前を付けた所で、明嗣は先程から静かな様子の鈴音に声をかけた。

 

「で、どうよ? 納得させられる物はお出しできたかな?」

 

 ニヤニヤとからかうように明嗣は笑う。対して、一口齧ってその味を確かめた鈴音は悔しげな表情で答えた。

 

「普通に美味しいのがなんかムカつく」

「アァン!?」

「だって、こういうのは失敗作みたいなのが出てくるのがお約束でしょ!? なんで普通に美味しいのが出てくるの!?」

「じゃあ、文句言うならもう食うな! ったく、せっかく美味い物出したのになんだって文句言われなきゃなんねぇんだよ……」

 

 あまりの理不尽さに明嗣は半分拗ねた調子で鈴音から皿を取り上げようとした。だが、明嗣の指が皿に触れる前に、鈴音は皿を抱え込んで明嗣が触れられないようにした。

 

「別に食べないとは言ってないでしょ! 美味しいからこれはアタシの物!」

「お前、いったいどうしたいんだよ……」

 

 やっぱり女子は面倒くさい、と言いたげに明嗣は肩を落とした。すると、その肩をアルバートが叩く。

 

「まぁまぁ、おかげで俺が助かったから、それで良しって事にしてくれ」

「そうかい……。じゃあ、俺に何か労いの飲み物でも出してくんねぇかな……。喉が乾いちまった……」

「はいよ。ちょっと待ってな」

 

 仕方ないな、と笑ってアルバートは明嗣に出す飲み物を作りに厨房へ向かった。そして、コーヒーを持ってフロアに戻ると、スイーツに舌鼓を打つ鈴音と澪から少し離れた席に座る明嗣の姿を見つけた。

 

「はいよ」

「お、サンキュー」

「それで何見てたんだ」

「別に。ただ平和だなって見てただけさ」

 

 たまにはこういう日も良いかもな、などと思いながら、明嗣はコーヒーをすする。その後、スマートフォンを取り出すと何か面白い物はないかとネットの海へ潜り始めると、アルバートがコーヒーの横に余ったガトーショコラを置く。

 

「コーヒーのお供にでも食いな」

「いつも世話になってる人に渡すのも、バレンタインの風習だっけか」

「そう言う事。いつもお疲れさん。一足早いがハッピーバレンタインだ」

「……ハッピーバレンタイン」

 

 少し恥ずかしそうに返した明嗣はせっかくなので、ガトーショコラを一口食べた。コーヒーを飲んだ後のせいか、チョコの甘みが優しく感じられた。

 

 

 

 この日は珍しく吸血鬼を狩る依頼の電話が鳴る事はなく、解散となった。すっかり慣れてしまった澪を送る夜の帰り道。澪がふと口を開いた。

 

「あ、あのさ。明嗣くんって甘いの好き?」

「なんだいきなり」

「その……なんとなく」

「……可もなく不可もなくって所だ」

「そ、そうなんだ。へぇ〜……」

 

 会話はそこで終わり、再び二人の間に無言の時間が流れ始めた。そして、澪が暮らす写真館まで彼女を送り届け、帰路に着いた明嗣はふと夜空を見上げた。

 

 ホワイトデーはどうすっかなぁ……。

 

 たしか相場がもらった物の3倍の物を渡すんだったか。ホワイトデー当日に戦々恐々としつつ、明嗣もこの日は大人しく床に就いた。

 

 

 

 この後、バレンタインデー当日に事件が起こるのだが、それはまた別の話。今回はこれで閉幕である。

 

 

 

 お☆ま☆け

「嘘っ……!? 増えてる……!?」

 

 体重計の上で鈴音は絶望の表情を浮かべた。

 

 えっ……なんで!? だって、いつものルーティンで運動だってしっかりやってるし……あっ。

 

 あった。こんな事になりそうな要因が一つだけ。誰かのせいにしたい所だが、完全にこれは自分の意思で選んだ自分の責任なので、鈴音は頭を抱える事しかできなかった。




タケヤ製パンもアベックトーストも秋田県限定なんですってね。
ケンミンショー見るまでずっと全国展開だと思ってました。


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ホワイトデー特別編 憂鬱な日

バレンタインデーを入口とするなら出口であるホワイトデー特別編も書かないといけないよなという訳で書きました。
よろしくお願いします。
では、どうぞ。


 人生の中にはどうしても憂鬱な日という物が存在してしまう。月曜日の朝、定期テストの日、健康診断、その他諸々……。人によって様々だが()()()()()は誰にだって存在してしまう物だ。

 当然、人と吸血鬼の間に生まれた半吸血鬼(ダンピール)にして、高校生吸血鬼(ヴァンパイア)ハンターである朱渡(あかど) 明嗣(めいじ)にも憂鬱な日が存在する。

 

「学校……行きたくねぇ……」

 

 Hunter's rustplaatsのカウンター席に突っ伏した状態で明嗣がうめき声を上げた。その隣で鈴音が不思議そうな表情を浮かべた。

 

「え? なんかそんな事になるイベントあったっけ? たしか今日ってホワイトデーでしょ?」

「ははは。鈴音ちゃん、明嗣がそんなになっているのはな、そのホワイトデーが理由なのさ。ほい、今日の朝メシ」

 

 機嫌よく笑いながら、アルバートが鈴音の前と机に突っ伏す明嗣の隣に本日のモーニングセット、チーズとハムと目玉焼きを使ったトーストであるアウトスメイテルとグリーンピースを使ったエルテンスープを置いた。理由を聞いた鈴音はピンと来ないと言いたげに首を傾げる。

 

「ホワイトデーってバレンタインデーのお返しする日じゃん。それでなんでこんなんなっちゃうの? あ、そうだ。明嗣、ホワイトデーのお返しちょうだい」

 

 突っ伏したまま、明嗣は鈴音の前に要求の品を一つ置いた。店でラッピングされたであろう菓子の包みの中には個包装のホワイトチョコレートが五粒入っている。ちなみに、バレンタインデーの時に渡すお菓子に意味があるように、ホワイトデーのお返しの菓子にもきちんと意味があり、鈴音に渡したホワイトチョコレートは「今の関係のままでいよう」、または「嫌いではないけど友達のままで」という意味だ。

 

「お前、俺が今年のバレンタインデーでどんくらいチョコもらったか知ってっか……? 鈴音(おまえ)と澪も勘定に入れて計20人近く……。それ全部に返礼品を用意しなきゃなんねぇ上に意味まで考えて仕分けするんだぜ……? 悪夢以外のなにものでもねぇよ……」

 

 そう。明嗣が憂鬱な理由はこのホワイトデーの風習にあった。何が悲しくてこんなにモテる体質を手にこの世に生まれ落ちてしまったのか。義理、本命問わずもらったら返さねばならないこの風習に明嗣は正直うんざりしていたのだ。「そのままの関係でいよう」という意味のお返しを渡された事で涙を流した女子は数知れず、別れ際に口汚く罵られた事すらある。好印象を抱くのはおろか、憂鬱な気分になるのが人情という物だろう。

 理由を聞いた鈴音は呆れた表情で当然の意見を口にした。

 

「そんなにお返しが大変なら貰わなきゃ良いじゃん。律儀過ぎ」

「はっ。甘ぇぜ、鈴音。お前と澪以外はみ〜んな宛先が書かれたカードと一緒に置き配で押し付けられてんだ。それでどうやって受け取り拒否しろってんだよ」

「そ、そっか……。大変だね〜……あはは……」

 

 理由を聞いた鈴音は呻く明嗣を憐れみつつ、食事に手をつけ始めた。

 

「ほれ、明嗣もさっさと朝メシ食っちまいな。そこで嘆いていても現実は変わんねぇぞ」

「うぃ〜……」

 

 アルバートに促されるまま、明嗣もスプーンを手にしてエルテンスープを飲み始めた。ある程度飲んだ所でナイフとフォークに持ち替えて、次はアウトスメイテルに手を付ける。ナイフでトーストの上に乗った目玉焼きの黄身を破いて中身を満遍なくトーストに行き渡らせ、一口大に切りながら口へ運んだ。

 黙々と手を動かし、朝食を平らげた明嗣はスクールバッグを手に立ち上がった。

 

「ごっそさん。じゃ、行ってくるかなぁ……」

「頑張ってねぇ〜」

「チッ……。他人事だと思って気楽なモンだよな……」

 

 面白がるように手をふる鈴音に対し、明嗣はジトッとした恨めしげな視線を送ってため息を吐いた。やがて、重たい足取りで明嗣が店を出たのを確認した鈴音は即座にスマートフォンを取り出して指を滑らせ始めた。画面に視線を落とす表情があまりに真剣だったので、アルバートは不思議そうに声を掛ける。

 

「どうした、鈴音ちゃん」

「さっきお返しもらった時、明嗣のバッグの中にとんでもない物があるのが見えたから澪に教えておこうと思って」

「とんでもない物? いったい何を見たんだ?」

 

 澪へメッセージを送信し終えた鈴音は、顔を上げると神妙な面持ちで自分が目にした物を口にした。

 

「いっぱいあるホワイトチョコの包みの中にね、たしかに一つだけあったんだよ……。マシュマロとグミの詰め合わせの包みが確かに一つだけね……」

 

 その意味を知るアルバートは一気に表情を引き締めた。なぜなら、ホワイトデーにおけるマシュマロとグミのプレゼントは「あなたが嫌いです」という意味なのだから……。

 

 

 

 さて、学校へ向かう途中で合流した澪と鈴音はさっそく先程送ったメッセージについて話し合う事にした。

 

「鈴音ちゃん、さっきのメッセージって本当なの? 明嗣くんのバッグの中にマシュマロとグミの詰め合わせがあったって」

「ほんとほんと。勉強する時に食べるグミのパッケージが確かに見えたもん」

「それは……まずいかもね……」

 

 事情を聞いた澪も一気に重大な事態が起きている事を理解した。通常、どんなに相手が嫌いだったとしても多少は濁すものだろうに、まさか直接的な物をお返しで渡すとは。しかも、一種類で十分なのに同じ意味のお菓子を詰め合わせで渡すとは、よっぽど相手が嫌いなのだろう。

 

「明嗣くんがそんなに嫌うなんていったい誰なんだろう……」

「う〜ん……全然分かんない……。でも、マシュマロとグミってどんだけ嫌いなのって話だよね」

 

 と、話している内に学校に到着してしまった。上履きを履き替えて教室へ向かう道中、自動販売機で飲み物を品定めすしている明嗣と遭遇した。

 

「おはよう、明嗣くん」

「んー。あ、そうだ。ほらよ」

 

 気の抜けた声と共に明嗣が鈴音と同じホワイトチョコレートの包みを差し出した。

 

「ありがとう! あ、そうそう! あたしからもね、鈴音ちゃんと明嗣くんにホワイトデーのお返しがあるの!」

 

 と、澪は自分のスクールバッグの中を探り、個別包装のバームクーヘンを取り出すと明嗣と鈴音に一つずつ差し出した。

 

「バームクーヘンって幸せを重ねるって意味なんだって。だから、いつも頑張ってる二人にいっぱい幸せが重なりますようにって思って」

「ありがと、澪! さっそく今日のデザートに食べるね!」

 

 本日のデザートが手に入ったと喜ぶ鈴音。一方、明嗣は首を傾げてバームクーヘンを受け取る。

 

「俺、澪にバレンタインデーのプレゼントをした覚えはねぇけど?」

「限定メニューを考える時のアベックワッフル。あれの分だよ」

「そうか。そういや、あれチョコ練り込んでるんだもんな。んじゃ、そういう事ならありがたく」

 

 納得した明嗣はスクールバッグの中にバームクーヘンを放り込んだ。その後、再び飲み物の品定めに戻る。澪はそんな明嗣に対し、遠慮がちに声をかけた。

 

「あのさ、明嗣くん」

「どうした」

 

 人差し指で狙いを定めつつ返事をした明嗣へ、澪はさりげなく例の件について尋ねた。

 

「明嗣くんはこの後ホワイトデーのお返しをして回るの?」

「まぁな……。放課後に待ち合わせもあるしな……って、嫌な事思い出させんなよ……」

「えっ、明嗣。誰かから呼び出されてんの!?」

 

 げんなりと肩を落とす明嗣に対し、鈴音が驚愕の表情を浮かべた。すると、明嗣は面白くなさそうに鼻を鳴らした。

 

「二人っきりでホワイトデーのお返しを渡して欲しいんだと。ったく、気が重くなるよなぁ……」

「だ、誰から呼び出されたの……?」

 

 恐るおそる、澪は呼び出した相手を尋ねた。対して、明嗣は肩を落としたまま、ため息を吐いた。

 

「秘密に決まってんだろ。まっ、察してくれっつーこった」

 

 本当に嫌なのか、答える明嗣の声は暗い。やがて、もう飲み物への興味を失ってしまったのか、Hunter's rustplaatsを後にした時と同じように重い足取りで階段を登って行ってしまった。

 残された澪と鈴音は揃って顔を見合わせる。

 

「鈴音ちゃん、どう思う? あれ」

「どうやら、相当嫌いな相手と見たね。面白そうだから、放課後に尾行してみよっか」

「えぇ!? 駄目だよそんなの! 明嗣くん、怒っちゃうよ!?」

「じゃあ、澪は気にならないの? ホワイトデーで呼び出しと言えば、もう考えられる事は一つしかないよ?」

「うっ……そ、それは……」

 

 キラキラと楽しげに目を輝かせる鈴音に反して、澪は迷うように目を泳がせた。やがて、昼休みに突入してもう一度鈴音に誘われた澪は、彼女と一緒に明嗣を尾ける事を決めた。

 

 

 放課後に突入した。澪と鈴音は尾行しているのがバレないように明嗣の後ろを付いて行く。やがて、人気のない校舎裏にやって来た明嗣はスマートフォンを取り出して、校舎の壁に背を預ける。澪と鈴音はその様子を物陰から見守る事にした。

 

「うぅ……結局付いて来ちゃった……」

 

 やはり後ろめたさがあるのか、澪は罪悪感の滲むような声で呟いた。対して、鈴音は楽しげに返す。

 

「まぁまぁ、ここまで来たんだから、切りかえて楽しむっきゃないよ! あ、誰か来た!」

 

 話していると澪達がいる位置と反対の方角から一人の女生徒が駆け足でやってきた。自分の方にやってくる者の存在に気付いた明嗣は、スマートフォンをしまうと例のマシュマロとグミの詰め合わせをスクールバッグから取り出した。

 挨拶を交わす明嗣と女生徒の様子を見守る二人は、明嗣にバレないようにヒソヒソと小声で話し合い始めた。

 

「あの子が明嗣を呼び出したのかぁ……」

「たしか明嗣くんと同じクラスの高村さんだよね?」

「たしか、そんな名前だった。うーん……この位置じゃ二人が何話してるか聞こえない……」

 

 高村なる女生徒がモジモジと身をよじる様子から、恐らく何やら返事を待っている事が伺える。

 

「もしかして、バレンタインの時にガチ告白した……?」

「あの様子だとそういう事だよね……」

 

 緊張の面持ちで澪と鈴音は様子を見守る。そして、ついに明嗣は例の包みを差し出した。高村は呆然の表情で受け取り、数秒経った後に顔を伏せて駆け出した。

 事が終わり、澪と鈴音はそれぞれ感想をこぼし始めた。

 

「うわぁ……キツイなぁ……」

「ちょっと可哀想だね……」

「まぁ、でも仕方ないよね……。明嗣に何やったか知らないけど、嫌われちゃどうしようもできないよ……」

「そうだね……。じゃあそろそろ――」

「そろそろどこに行くんだ?」

 

 瞬間、澪と鈴音は凍りついた。二人を凍りつかせた声の主は静かだが威圧感のある低い声で続ける。

 

「なんか誰かが付いてきてるなと思ったら、お前らかよ。暇人か」

 

 勇気を出して声のした方へ振り向くと、そこには呆れた表情を浮かべる明嗣の姿があった。もう逃げ場がないので、澪と鈴音は二人揃って引きつった笑みを浮かべて答えた。

 

「あ、あはは……。放課後に呼び出されたって言ってたから、どんな子に呼び出されたのかな〜、と思って……」

「そ、そうそう。明嗣くん、嫌そうにしてたからどうしたのかなと思って……」

「……本音は?」

 

 声に威圧感は孕んだままだった。

 

 あー……これは本気で怒ってる……。

 

 明嗣の冷たい視線が鈴音と澪に突き刺さる。これは本当にまずいと感じた言い出しっぺの鈴音は深々と頭を下げた。

 

「本当にごめん! 面白そうな予感がしてつい魔が差しちゃった! 澪はただ付いてきただけだから、澪だけは許してあげて!」

「そんな事ないよ! 興味津々だったのはあたしもそうだし、本当にごめんなさい! 許して、明嗣くん!」

 

 鈴音に続いて澪も深々と頭を下げた。対して、明嗣はただひたすらに沈黙したまま、頭を下げる澪と鈴音を眺めている。やがて、明嗣は疲れたように息を吐いた。

 

「頭上げろ。もう良いから」

「ほ、本当に……?」

 

 恐るおそる確認した鈴音に対して、明嗣はスクールバッグを肩に担いで答えた。

 

「ああ。そこで頭下げてても仕方ねぇだろ。もう終わった事だし」

「本当の本当に?」

 

 鈴音に続いて明嗣の機嫌を伺うように澪が尋ねた。すると、明嗣はジトッとした視線で返す。

 

「なんだよ。なら、頭下げたままここで一晩過ごすか?」

「う、ううん! 分かった」

 

 慌てて澪は首を横に振った。

 一度大きく肩を上下させた明嗣は、二人を置いて歩き出した。澪と鈴音はそそくさとその後に続く。そして、鈴音がふと口を開いた。

 

「そういえばさ、さっきの子フッた理由って聞いても良い?」

「なんでだよ」

「いやぁ、あそこまで泣いてるの見ちゃったらさ、なんか気になるじゃん」

「あたしも実は気になってたり……」

 

 ちゃっかりと鈴音に乗っかる形で澪も主張した。すると、明嗣が苦虫を噛み潰したような表情で語り始めた。

 

「仕事で夜の街走ってたら高村がパパ活やってるの見ちまったんだよ。しかも、誰も聞いてねぇと思ってたのか、教室で友達(ダチ)に『同い年の男子なんて無いわ〜。ブランドバッグ買ってくれないし。しかも童貞っぽくてキモイ』とか言ってるのが聞こえてきたんだよ。これだけでもう役満だろ」

 

 ぐうの音も出ないほど至極真っ当な理由だった。

 話を聞いた澪と鈴音はそれぞれ一本ずつジュースを買って、ひと仕事終えた明嗣にプレゼントした。




本編も定刻通り、金曜24:00に公開いましますので、そちらもどうぞよろしくお願いします。


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Episode2-3 Lose way Dhampir
第57話 引かれる後ろ髪


 溶ける景色の中で泣いてる少年を捉えた明嗣は、ふとその姿に幼き日の自分の姿を見たような気分に陥った。

 同時に蘇る、突然現れた吸血鬼に母が目の前で殺された夜の事。もしもの時は、と教えられて逃げ込んだアルバートの店。そして、母の亡骸の前で泣く事しか出来ない自分に対して、アルバートがかけた言葉。

 

「強くなれ、明嗣。立って戦え。これからは自分で自分の身を守るしかねぇんだ。お前を守ったのは無駄じゃなかったと死んだ母さんに証明して見せろ」

 

 この言葉のおかげで、今の明嗣が在ると言っても過言ではない。

 

 もしかして、さっきのは俺と……。

 

 だが、少年はとっくに遥か後方だ。Uターンして引き返すのは、自ら捕まりに行く事を意味する。よって、今の明嗣にはこのまま前へ走って行く事しか選択する事しかできなかった。

 

 

 

 場所は移り、Hunter's rustplaats……。

 

「すいませーん。注文お願いしまーす」

「はーい! ただいまー!」

「お水のおかわりくださーい」

「少々お待ちをー!」

 

 フライパンの火を消し、先に受けた注文のフレンチトーストを皿に盛ったアルバートは、メモ帳と水が入ったピッチャーを手にフロアへ移動する。

 最近、明嗣と澪に手伝いをしてもらったのもあって、心なしか通常よりも忙しく感じた。

 

 こんな忙しいならいっそバイトでも雇ってみるか?

 

 一瞬、頭に浮かんだ考えにアルバートはすかさず首を横に振る。ここで働くなら、もちろん裏の応対もできる事が前提となるので必然的に吸血鬼の存在を認知している人物となる。さらに、ランチタイムなどの忙しい時間に勤務できる事も条件に加わるので、募集条件はかなり厳しい物となる。そんな人物が都合良くやってくるなんて事はありえないとは言わないが、かなり可能性は低い。よって、今は自分だけでどうやって店を回すかを考える方が現実的と言えた。

 

 せめて行方不明の明嗣がいりゃあ、マシになるんだがなぁ……。クソッ。なんで今日に限ってこんな忙しいんだよ……。

 

 注文のアウトスメイテルという、食パンに目玉焼き、生ハム、チーズを乗せた料理とコンソメスープのセットを作りながらアルバートは心の中で愚痴をこぼす。

 

「お待たせしました。アウトスメイテルのコンソメスープセットです。デザートのバニラアイスは……」

 

 注文の品を運び、デザートを用意するタイミングを確認しようとした瞬間だった。アルバートの耳に聞き覚えのある音が飛び込んでくる。

 

 まさかこの音は……。

 

 期待を込めた眼差しでアルバートは出入口の扉へ目を向ける。すると5秒後、静かに扉が開いて覗き込んだ人物は、心底嫌そうな声を出した。

 

「うげぇ……。修羅場から脱出したと思ったら、別の修羅場に来ちまったよ……」

「無事で何よりだよ、明嗣。とりあえず手伝ってくれ」

 

 救世主、もとい行方不明となっていた明嗣の登場で、アルバートはひとまずホッと胸を撫で下ろした。そして、働く前から疲れた表情を浮かべる明嗣へ、注文記入用のメモ帳とボールペンを差し出した。

 

 

 

 ランチタイムの入店ラッシュを乗り越えた明嗣とアルバートは、ひとまず遅めの昼食を摂っていた。本日の賄いは食材が余っていたのでアウトスメイテルとオニオンスープだ。料理を作り終えたのでフロアの方へ運ぶと、カウンター席でぐったりと突っ伏した明嗣が目に入る。

 

「はいよ、お疲れさん」

「まさか混雑している時に出くわすとは……。ハァ……ツイてないぜ……」

「まっ、おかげで俺は助かったけどな。ほれ、賄い」

 

 カウンターに突っ伏したまま嘆く明嗣の横へ、アルバートは料理を置いた。だが、明嗣は顔を伏せたまま、料理に手を付けようとしなかった。

 

「どうした?」

「なんか何も食う気になれねぇんだ……」

「珍しい事もあるもんだな。ところで、拉致られた先はどうだったよ? 本当に人間と吸血鬼が一緒に暮らしてたのか?」

 

 アウトスメイテルを齧るアルバートの質問は、世間話でもするような軽い調子だった。対して、顔を上げて髪をかき上げる明嗣の表情は参ったと言いたげな心境が滲み出る力ない笑みだった。

 

理想郷(ユートピア)どころか絶望郷(ディストピア)だったよ……。生贄差し出させて何が共存だ……。はっ、笑わせるぜ……」

「そんなこったろうと思った。で、お前は何を落ち込んでるんだ」

「なんでかなぁ……。俺には関係ねぇはずなのに、なんかこのまま放っといて良いのかな、ってずっと引っかかっちまって……」

 

 別にヒーローの真似事がしたい訳ではない。むしろ、そんな事はまっぴらごめんだ、と鼻で笑い飛ばす側だ。でも、逃げ出す直前にぶつけられた結華の言葉と膝を抱えて泣いていた少年の姿が頭に焼き付いて離れない。

 

 クソっ……。どうしろってんだよ……。

 

 ギリッと明嗣は苛立たしげに奥歯を噛む。そんな明嗣に対し、アルバートは呆れたようにため息を吐いた。

 

「どうやらお前の辞書には“徹底的”って言葉がねぇみてぇだな」

「どういう意味だよ、それ」

「言葉通りの意味だ。あのな、明嗣。お前は人間と吸血鬼の間に生まれた半吸血鬼、つまり人間でもあって吸血鬼でもある中途半端な奴だ」

「そりゃケンカ売ってると受け取って良いのかな?」

 

 よく吸血鬼からぶつけられる侮蔑の言葉をアルバートが口にした事で、明嗣は静かに不快感を言葉にする。それを受け、アルバートは再び呆れたようにため息を吐いた。

 

「まぁ、聞け。お前は中途半端だし、どちらかと言えば人の大切な物を壊す方が多い破壊者だ。でもな、やる事まで中途半端に済ます必要はねぇんだよ」

「何が言いてぇんだよ」

「だからな、ぶっ壊すなら()()()()()()って事。俺から言えるのはここまでだ。あとは自分で考えな」

「徹底的、ねぇ……」

 

 壊すったって何ぶっ壊しゃいいんだよ……。

 

 分かったような分からないような……。ヒントのような物を言っているのは理解できるが、いまいちピンと来ない表情で首を傾げて見せる明嗣。そんな明嗣へ、アルバートは明嗣の分にと用意した料理を移動させる。

 

「まっ、この話はここまでにしてとりあえず冷めない内に食いな。食えば気分もほぐれるぞ」

 

 フゥ、と溜めていた物を吐き出すように息を吐いた明嗣は、オニオンスープをすすった。ここに戻ってくるまで口にした物がオレンジジュースのみだった胃袋に、温かいスープはよく染み渡る。次にアウトスメイテルを口にした。食パンの上に乗せられた目玉焼きの黄身は半生状態で、それが生ハムとチーズと絡まり、口の中で絶妙な味のハーモニーを奏でた。

 

 なんか……すげぇ美味く感じる……。

 

 空腹は最高の調味料、とはよく聞くがここまで物だったのか。あっという間に食事を平らげた明嗣は、満足気に息を吐いた。

 

「ごっそさん」

「はいよ。こっちに寄越しな」

 

 明嗣は皿を差し出してアルバートに預けた。預けられた皿を軽く水洗いして食洗機にかけたアルバートは、腕を組み明嗣へ問いかける。

 

「で、どうすんだ?」

「何が?」

「情報、アイツらに渡すのか? 道は覚えてんだろ?」

 

 アルバートの問いに明嗣は天井を見上げた。どうするにせよ、ヴァスコとミカエラにジル・ド・レの居場所を教えるかどうかは次に会うまでに決めておかなければならない問題だ。個人的な心情としては渡しても得がないので無視したいのが本音だ。それにいざという時の交渉のカードとしても使えるので、ここで渡すのは惜しい気がする。

 

「どうするかねぇ……」

 

 情報戦の駆け引きが苦手な明嗣は頭を悩ませた。考え込んでいると勢いよく扉が開け放たれた。

 

「マスター! 外にあったバイク――」

 

 慌てた声と共に飛び込んできた人物、鈴音はカウンター席に座る明嗣の姿を目にするなり、恐るべき勢いで明嗣へ詰め寄った。

 

「無事ならなんで連絡しないの! いつまでも反応ないから死んだかと思ったじゃん!」

「ちょい待て! いったい何の話だ!?」

「レイン! 友達申請して何も返ってこないし半分諦めてたんだから!」

「ハァッ!? レイン!? いったいどっから手に入れた!?」

「今はそんな事どうでもいいよ! それよりもアタシだけじゃなくて澪だって心配してたんだよ!?」

 

 どうやら表に出していなかっただけで、鈴音もそれなりに心配していたようだった。一方、やり取りを見守るアルバートは、どんどん追い詰められていく明嗣と烈火のごとき勢いで詰め寄っていく鈴音を前に苦笑いを浮かべた。

 

 まぁ、静まり返って葬式みたいな空気になるよりかは良いな。

 

 若い奴らが元気な事は良い事だ。ひとまず、鈴音の好きにさせてやる事にしたアルバートは食洗機から洗浄を終えた食器類を取り出し、水気を取り始めた。

 この後、散々心配させた鬱憤をぶつけた鈴音は、明嗣にスマートフォンを取り出させてレインIDの登録を承認させようとした。だが、バッテリーの残量がゼロで明嗣のスマートフォンは何も映す事ができない。よって……。

 

「信用できねぇからってここまでさせるか……」

 

 鈴音に引っ張られる形で地下工房に移動した明嗣は、充電コードに繋がれた自分のスマートフォンを不満げな表情で眺めていた。対して、鈴音は腕を組んだ仁王立ちの状態で答えた。

 

「当然。放っといたらずっとそのままでいそうだからね〜。はい、電源入れる」

 

 鈴音はジトッとした視線を送り、スマートフォンを起動するように指示した。対して、明嗣は渋々といった表情で従い、スマートフォンの電源を入れた。やがて、ホーム画面が表示されると通知欄にレインのアプリから2件の友達申請が届いた通知が表示された。

 

「なぁ……マジに通さなきゃダメか?」

「だめ。はい、さっさと承認する」

「ハァ……。彩城はともかく、お前がいるタイムラインはうるさそうだな……」

 

 嫌々と明嗣が承認のボタンをタップすると、友達欄に鈴音と澪の名前が追加された。当然、鈴音のスマートフォンにもその通知が届いた。

 かくして、明嗣に二人のレイン友達が追加された。



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第58話 フロアでの駆け引き

バレンタイン特別編を投稿したから今日はないと思った?
そんな訳あるか!
ちゃんと本編もあります!
ではどうぞ!


 日が落ちて、空は黒く染まる時間となった。

 昼の忙しさに比べると、非常に穏やかな客入りのHunter's rustplaatsにヴァスコとミカエラがやってきた。学校から直接やって来たのか、ミカエラはパンツスーツ姿でヴァスコは制服の状態だ。

 

Buonasera(こんばんは)。今日はお客さんとして来てみたわ」

「……いらっしゃい」

 

 幾分か、警戒するような声音でアルバートが挨拶を返すと、ミカエラとヴァスコは揃ってカウンター席に腰を下ろした。

 

「日本の教師ってのは激務だと聞いていたが、こんな所で油売ってて良いのか?」

「ちょっと気分転換したくてね。ヴァスコも半吸血鬼の坊やの捜索に煮詰まってたし、2人でご飯食べながら相談しようかと思ったの」

 

 店を訪れた理由を説明したミカエラにヴァスコが抗議の視線を送る。どうやら、あまり触れては欲しくない話題だったらしい。だが、ミカエラは構わず話を続けた。

 

「あー、どうしましょう……。あの坊やを見失った今、ジル・ド・レに繋がりそうな手がかりが何もなくなっちゃったし、打つ手が何もないわ……」

「あー、その事だがな。明嗣の奴、昼に戻ってきたぞ。今、ここの生活スペースの方にいる」

 

 頭を抱えるミカエラに対し、アルバートはあっさりと明嗣の所在を答えてみせた。すると、ヴァスコが驚きの表情と共に勢い良く立ち上がった。

 

「それは本当なのか!?」

「ああ。でも、そっとしといてやってくれ。死ぬほど疲れているんだ」

「それ、本当に死んでる時に使うセリフじゃない」

 

 某ツッコミ所満載だが名作筋肉映画からの引用に対してミカエラが冷静なツッコミを入れると、アルバートはニヤリと笑ってみせた。

 

「ほほぅ? このネタが通じるのはここら辺じゃ明嗣くらいだと思ってたが、イけるクチか?」

「たまに観る程度よ。それも教会で保護している孤児達と一緒に観れるような物だけ」

「そうか。そりゃ残念だ」

 

 あまりディープな話をできる見込みがないと分かり、アルバートは残念そうに肩を落とした。一方、今まで大人しかったヴァスコは懐から手袋を取り出して装着する。

 

「おい。何する気だ」

「今からアーカードに対して“尋問”を行う。生活スペースとやらに案内してもらおうか」

()()()()()()()、と言ったよな?」

「関係あるものか。さっさと終わらせて私はヴァチカンに帰りたいんだ」

「あのな、この国には“急がば回れ”って言葉があんだよ。急いでるんなら、回り道してでも確実に目的地へたどり着いた方が早いって意味だ。分かったら座って注文するか店から出て行きな」

「ヴァスコ、ひとまずここは大人しくしなさい。あの坊やはたぶん逃げないわ。そうよね?」

 

 二人の張り詰めた空気を緩めるようにミカエラがアルバートに確認を取ると、アルバートは頷いて答えてみせた。

 

「その通りだ。だが、機嫌を損ねるとお前らの欲しい情報(もの)は簡単に忘れちまうかもな。()()()()()()

 

 釘を刺しておく事も忘れずにアルバートはミカエラとヴァスコへウェルカムドリンクとしてエスプレッソのお湯割り、アメリカーノを出した。対して、話が一段落したのでミカエラは出してもらったアメリカーノ片手にメニュー表を開いた。

 

「じゃあ、食事にしましょうか。ヴァスコは何を食べるの?」

「いえ、私はこれで結構です」

 

 答えたヴァスコはアメリカーノを一口すする。だが、味が気に入らないのか顔を(しかめ)めてしまった。

 

「不味いコーヒーだ。コーヒーの淹れ方を勉強し直した方が良いのではないか?」

「このガキ……。一度礼儀ってモンを叩き込んでやろうか」

「ごめんなさいね。ヴァスコはエスプレッソ以外はコーヒーと認めない程のエスプレッソ党なの」

 

 ヴァスコの代わりに謝罪をしつつ、ミカエラもアメリカーノを一口飲んだ。その後、カップをソーサーに置くと、ある料理を指差した。

 

「ねぇ、このフコークテモッスレンってどんな料理?」

「ムール貝と香味野菜を白ワインで蒸した物だ」

「美味しそうね。じゃあ私はそれをお願いしようかしら」

「分かった」

 

 注文を聞いたアルバートは厨房の方へ移動し、注文の料理を作り始めた。その間、ミカエラはヴァスコの先程の振る舞いについて咎めた。

 

「あのねぇ、ヴァスコ。いくらなんでも感じが悪すぎよ。どうしてそんな態度を取る訳?」

日本(ジャポーネ)の空気が気に入らないだけです。来てわずかでも分かるほどにここに住んでいる者は堕落している。ギャングが大人しい分、飼いならされていない娼婦のような考えの卑しい女とナンパストリートでしか通用しないようなチンピラが我が物顔で歩き、助長するかのように金持ちがそれに金を払っている。さらに全体的に自分に甘い者が多く感じます。こんな国、今すぐ塩の柱に変えられても文句は言えませんよ」

「まぁ、そう言わないの。私はこの国好きよ。コンビニで売っているメンタイコ……だったかしら? 何かの魚卵を使ったパスタとか美味しいし、ピザのバリエーションも豊富で飽きないしね」

「まぁ、食文化については認める所もありますが……それでも気に入らない物は気に入りません」

 

 もうお手上げ、といった様子でミカエラはため息を吐いた。個人の好みなので仕方ないといえば仕方ない。だが、一緒に行動する立場のミカエラから言わせてもらえば、もう少し大人になって欲しいのが本音だ。

 

 もう少し柔軟な考えをしてくれるようになると良いんだけどね……。

 

 真面目なのは良い事だが、行き過ぎるとそれは独りよがりと変わらない。果たして、ヴァスコにそれを理解してくれる日が来るのだろうか。

 

「注文の料理だ」

 

 アルバートが料理を運んできたので、この話は一旦打ち切りとなった。願わくば、この日本で過ごす時間がヴァスコにいい影響を与えてくれればと、思いつつミカエラはフォークを手に取った。

 

 

 

 一方、フロアの方にヴァスコとミカエラが来ている事を知らない明嗣は……。

 

「ほい。また俺の勝ち」

 

 設置されたダーツマシンの的に向かい、明嗣は軽くスナップを利かせて矢を投げる。的のど真ん中、モクテルの名前でもあるブルズアイへダンッ! と音を立てて矢が刺さると上部の液晶モニターに『JACKPOT!!』と表示された。同時にゲーム終了を告げるブザーが鳴り響き、対戦相手の鈴音は悔しげな表情を浮かべた。

 

「なんで勝てないの!?」

「弾道計算が甘ぇんだよ。そんなんだと一生俺にメシ巻き上げられっぱなしだぜ?」

「うぅ……明嗣の鬼! もうちょっと手加減してくれても良いじゃん……」

 

 敗者の捨てゼリフを吐いた鈴音は、罰ゲームとして使用した矢を片付け始めた。

 いつもクナイを投げているのでこういう的当てゲームには自信はあったが、どうやら上には上がいるらしい。だが、明嗣は特に勝ち誇るような事もせず、つまらなそうに返す。

 

「俺ごときで鬼とか言ってたら操人が相手になった時が地獄だぞ。アイツ、()()だから」

「え? そうなの?」

 

 矢を戸棚にしまった鈴音が驚きの表情で振り返ると、明嗣はワナワナと震え出しながら操人と対戦した時の事を語り始めた。

 

「前に言ったろ。狙撃手(スナイパー)だって。3桁メートル離れた所からヘッドショット決めるのが当たり前なんだ。ダーツなんて子供の遊びだぜ。お前に分かるか? 投げる度にブルズアイに突き刺さって大量得点を許す絶望が……。あんなん経験したらイキろうにもイキれる訳ねぇよ……」

「そんなに!?」

 

 その時のトラウマが蘇ったのか、話す明嗣の表情は蒼白となっている。どうやらよっぽど手ひどくやられたらしい。あまりの怯えように鈴音は驚きの表情を浮かべた。

 

 結構、アタシらと変わらない所もあるんだ……。

 

 意外としょうもない事がトラウマだったり、怖い人がいたり、人を食ったような物言いをする明嗣でも自分達と変わらない一面がある事を知った鈴音は少し得をした気分になった。

 やがて、アルバートがおまかせディナープレートを運んできたが、明嗣は容赦なく鈴音から一品巻き上げた。



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第59話 迷う半吸血鬼

 時計の針は22時を指した。

 フロアでの一件を知らない明嗣は、ヴァスコの襲撃があるかもと警戒しながら自宅へ帰り、実に一日ぶりとなるシャワーを浴びた。タオルで頭を拭きながら居間に戻ると、スマートフォンが通知が届いている事を知らせるランプを点滅させていた。

 

 なんだ……?

 

 届いた通知の内容を確認すると、レインの友達申請を承認したばかりの澪からメッセージが届いてるという物だった。明嗣はさっそく開いてメッセージの内容を確認する。

 

 澪:こんばんは明嗣くん

   友達登録ありがとね

   今時間あるかな?

   っていうか攫われたって聞いたけど大丈夫?

 

 鈴音(アイツ)……彩城に漏らしやがったな?

 

 明日登校した時、休んだ理由を体調不良で誤魔化す計画が今この瞬間をもってご破算となってしまった。翌日の事に頭を痛めつつ、明嗣は澪のメッセージに返信する。

 

 明嗣:ああ

    問題ねぇよ

    なんとか脱出して今家に帰ったとこだ

 

 タオルで髪に絡む水気を取りながら返信して、スマートフォンをソファへ放り投げた。そして、風呂上がりに何か飲もうと冷蔵庫へ足を向ける。だが、冷蔵庫へたどり着く前に明嗣のスマートフォンが震えた。

 

 早っ。

 

 本当なら映画を観る時に飲もうと買っておいたコーラ片手にソファへ向かい、明嗣はスマートフォンを拾い上げて先程届いた通知を確認する。通知の内容は、やはり澪へ先程送ったメッセージの返事だった。

 

 澪:良かったぁ……

   いきなり学校休んじゃたんだもん

   また大変な事が起きたのかなって本当に心配したよ

 

 今度は安心するように胸を撫で下ろすウサギのスタンプも添えられている。スマートフォンの画面を確認しながらテレビを点けた明嗣は、少しメッセージを打ち込む手を止めた。

 

 こういう時って俺もスタンプ返した方が良いのか……?

 

 チャットという物は対面して直接話すのと比べ、細心の注意を払わねばならないコミュニケーション手段である。表情や声のトーンがないので、相手の喜怒哀楽を確かめる手段が文面とスタンプなどの絵文字しかない。

 

 つっても、ロクなスタンプ(モン)ねぇしなぁ……。

 

 課金アイテムのスタンプは、どうせやり取りする相手なんていないからいらないだろう、と高を括っていたので所持しているのはプリインストールされている物しかない。まさかそれを後悔する日が来ようとは……。

 明嗣はどう返事をしたものか、と思案する。やがて、考えた結果に従って明嗣はメッセージを打ち込んだ。

 

 明嗣:悪いが眠くなってきたから寝させてもらう

    彩城も早く寝ねぇと明日の朝が辛いぞ

 

 送信ボタンを押して、明嗣はスマートフォンをソファの隅へ放るとリモコンでテレビの番組表を調べ始めた。

 

 良し。これなら返信来なくても寝たと思うだろ……。

 

 なんとなく気遣うフリをして、会話を終わらせる。困った時はこの手に限る。やる事はやったとばかりに、明嗣は番組表のページの閉じて、据え置きのゲーム機を起動した。そして、最近購入したアーケードコントローラーをBluetoothで接続し、格闘対戦ゲームのオンライン対戦でマッチングした相手とさっそく対戦を始めた。

 

 チッ……コイツ上手いな……。

 

 相手のガード主体の戦い方により、繰り出す攻撃がことごとく防がれ、逆にカウンターで自キャラのHP(ヒットポイント)バーがジワジワと削られて行くので、明嗣はしだいに苛立ちを募らせていく。

 やがて、明嗣は重大なミスを犯してしまう。

 

 あ、やべっ。

 

 ガードするタイミングを外してしまい、明嗣が操るキャラに一撃入ってしまった。不幸なことに、入った一撃は気絶状態に陥って一定時間行動不能になってしまう強力な攻撃だ。こうなってしまうと、あとはまな板の上の鯉のように好きなように料理されるのみとなる。当然の事ながら、画面の向こうの相手はガード主体の戦法から一転攻勢に移り、猛攻撃を仕掛けてくる。

 

 おい待て! その無限ループコンボは反則だろ!?

 

 ガチャガチャとレバーを動かしたり、ボタンを連打してなんとか受け身を取る事で立て直そうと試みる明嗣。だが、システムは無慈悲であり、身動き一つ取れずにサンドバッグ状態でタコ殴りにされていく。

 

 ま、負けた……。

 

 画面中央に浮かぶ『YOU LOSE』の文字。あまりの悔しさにテーブルを叩きたくなるが、テーブルには明嗣の悔しさを受け止める強度がないため、明嗣は大人しくテレビとゲーム機の電源、ついでに肩を落とすことしかできなかった。

 この家の住人は明嗣しかいないので、当たり前だがテレビの音など消えると家の中は静寂そのものとなる。シンと静まり返る家の中、明嗣はこれからの事を考え始めた。

 生贄を差し出す事で成り立つ人間と吸血鬼の理想郷、それを潰したいヴァチカンの祓魔師(エクソシスト)達。そして、人と吸血鬼の間に生まれた半吸血鬼(ダンピール)である自分の立ち位置。主な要素を抜き出すとこの3つに集約されるが、どれも複雑に絡まり合っているように思える。

 ヴァチカンが人と吸血鬼の理想郷を潰したがっている理由は明白で、吸血鬼のような化け物と手を取り合うなど教義に反するため、この存在が世に知れ渡ってしまうと今まで築き上げてきた権威が地に落ちて力を失う事となる。つまり、面子が保てなくなるので、ヴァスコとミカエラを寄越してきたのだ。それで殺されかけたのだから、素直に協力する気にはなれないのが人情だろう。

 次にジル・ド・レが掲げる人と吸血鬼の理想郷。実際に見てきた感想としては、あんな物は手を取り合った笑顔溢れる理想郷どころか、いつ殺されるか分からない恐怖で縛り付ける絶望郷(ディストピア)だ。だが、それでも社会から見捨てられた人間にとってはそこが居場所であり、心の拠り所になっているようだった。いたずらに関与して良い物ではない事はなんとなく感じる。あの場で出会った、おそらくジル・ド・レの身の回りしているメイドであろう案内役の少女、結華も「ジル・ド・レの庇護がなければ生きていけない」と言っていた。だが……。

 

 あのまま出荷される前の家畜みたいな生活を放っといて良いのかね……。

 

 ソファの上で横になった明嗣は天井を見つめる。庇護と言えば聞こえは良いが、裏を返せば生き死にを決めるのはジル・ド・レのさじ加減一つ。そもそもの話、それは“生きている”と言えるのだろうか?

 そして、明嗣が頭を悩ませる最大の要因、半吸血鬼(ダンピール)である自分はどう振る舞うのが正解なのか。言ってしまえば、自分は吸血鬼と人間の混血であり、ヴァスコの(げん)を借りるなら忌み子という奴で、協力してもリターンは望めないのは明白だ。さらに、人と吸血鬼の間に生まれた明嗣自身がその理想郷を否定して良いのだろうかという疑問もある。

 なら、ジル・ド・レに付くのが正解なのかと言われると、それも違うように思う。なぜなら、逃げる時に誰も目を向けないような隅で独りで泣いている少年の姿を見た。いや、見つけてしまったのだから。あの少年が理想郷の歪みだとしたら、それを肯定する気にはなれない。

 

 人に寄り添ってやってくれ、か……。

 

 ふと父の言葉を思い返す。父から譲り受けた戦車馬にブラッククリムゾンと名付け、自分の中にある眠っていた能力の具現化と言っても差し支えないクリムゾンタスクを手にした時、明嗣は約束した。その時の約束に従うのなら、どういう選択をするのが正解なのだろうか。

 

「なぁ、親父……。俺、どうすりゃ良いのかな……」

 

 呟く言葉に答える声は聞こえない。なぜなら、この家にいるのは明嗣のみで、問いかけた父は現在たくさん人を殺めた報いをあの世で受けている真っ最中なのだから。



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第60話 ぶつける心配と底で渦巻く本音

 翌朝。

 

「へクシュ!」

 

 明嗣はくしゃみをすると同時に目を覚ました。

 

 あれ……? 俺、このまま寝ちまったのか……。

 

 衣服の状態は部屋着のスウェット、ソファの上で目を覚ましたのを見るに、どうやら考え込んでいる内に寝落ちしてしまったようだ。

 

 今、何時だ……?

 

 軽くニュースを確認するついでに、明嗣はテレビを点けた。画面の中では番組が選んだ20歳くらいの女が、今話題のスイーツを紹介している真っ最中だった。

 

 このコーナーやってるっつー事は……あーやっぱか……。

 

 番組の進行度合いから予想を立てて画面左上の時刻を確認すると、予想通り6:50と表示されている。

 

 急いで準備すりゃ朝メシも間に合うな。

 

 今日のアルバートが出す朝食に思いを馳せる明嗣は急いで登校の準備を始めた。

 

 

 

 その頃、Hunter's rustplaatsでは……。

 

「おはよー! マスター、朝ごはんちょうだーい!」

 

 例によって、鈴音の元気な声が店内に響き渡る。もうそろそろ来るだろうと思っていた時間がピタリと当たったアルバートは密かに心の中でガッツポーズを作る。だが、今回は予想外の人物が鈴音と一緒に店にやってきていた。

 

「お、おはようございます……」

 

 なんと鈴音の後ろから澪がひょっこりと顔を出した。

 

「お? 澪ちゃんが一緒とは珍しいな」

「昨日、たまにだから一緒に朝ごはん食べよ、って鈴音ちゃんが誘ってくれたんです。だから、今日はあたしにも貰えませんか?」

「そういう事か。それじゃ、今から作るから待ってな」

 

 挨拶代わりの世間話もそこそこに、アルバートが日替わりモーニングプレートを作りに厨房に向かう。作り始めて一分が経過した時点で、再びドアベルがチリンと鳴いた。

 

「うーっす。マスター、今日の朝メシは……」

 

 入ってきた人物、寝坊で少し遅めの登場の明嗣は入るなり、気だるげな声と共に朝食を要求した。一方、入店してきた明嗣を見るなり、澪が席から立ち上がり明嗣の元へ歩いていく。そして、互いに触れ合う距離まで足を進めた澪は、ジッと明嗣を見つめた。

 

「なんだよ……」

 

 いったい何事か、と明嗣は緊張した面持ちで澪を見つめ返す。見つめ合う事5秒。何を思ったか、澪は明嗣の腕をペタペタ触ったり、制服の袖を引っ張り始めた。

 

「いきなり何すんだよ!?」

 

 慌てて飛び退いた明嗣が声を上げると、澪は安心したように息を吐いた。

 

「良かったぁ……。本物だぁ……」

「はぁ?」

「もしかしたら幽霊かもって思って……」

「勝手に殺すな」

 

 呆れたように明嗣はツッコミを入れて隅のカウンター席へ歩き出した。だが、すれ違いざまに澪は引き止めるように明嗣の腕を掴む。

 

「なんだよ……って」

 

 まだ何かあるのか、と面倒そうな表情で明嗣が振り返ると、澪がジッと明嗣の目を見つめていた。その視線は、まるで心配していたと訴えるような物だ。

 

「明嗣くん、あたしに言ったよね? よっぽど大変な事が起きない限りいなくなったりしないって」

「そ、そういや言ったな……?」

 

 な、なんか圧を感じる……!?

 

 ゴゴゴ……と地面が震える音が今にも聞こえてきそうな雰囲気が放たれていた。そんな圧力(プレッシャー)を放つ澪に腕を掴まれている明嗣は、本能的な恐怖を感じて思わず冷や汗をかく。一方、明嗣の腕を掴んで離さない澪は、ポツリとこぼした。

 

「心配したよ」

「え」

「ずっとお父さんが紛争地帯へ写真を撮りに行ってる時みたいな気持ちだった」

 

 呆気にとられて何も言えないでいる明嗣に構うことなく、澪は続ける。

 

「だから、すごく心配したよ。戻ってこなかったらどうしようって不安だった」

「……そうか」

 

 掛ける言葉が見つけられない明嗣は、ただ短く返す事しかできなかった。その後に口を開く者が現れないのでフロアに沈黙が訪れる。実際に流れた時間はわずかだったかもしれない。だが、こういう状況になると時間の流れがとてつもないほどに遅くなったように感じるのだ。何も言えないまま、数十秒が経過した所でアルバートが朝食を運んで来た所でやっと沈黙が崩れた。

 

「朝っぱらからなんて空気作ってんだお前ら。いつからここは青春ドラマの中になったんだよ」

「そうだな」

 

 掴まれた手をスルリと引き抜いた明嗣はカウンター席の端へ腰を下ろした。

 

「こういう空気はらしくねぇよな。それにさっさと朝メシ食わなきゃ遅刻しちまう。食後のコーヒーも飲みてぇし」

 

 時計の時間は午前7時30分。たしかにそろそろ急いだほうが良いかもしれない。

 

「マスター、今日のモーニングは?」

「ヴェンテルテイヒェス。コイツは先に来ていた鈴音ちゃんと澪ちゃんの分な」

 

 明嗣の質問に答えつつ、アルバートは鈴音と隣の澪が座っていた席へフレンチトーストの皿を置く。ヴェンテルテイヒェスと呼ばれるこのフレンチトーストはパンに染み込ませた卵液に混ぜられていたり、薄切りにして焼いた林檎にかけられていたりと、シナモンシュガーがふんだんに使用されているのが特徴だ。

 

「あー、やっぱそうか。どうりでシナモンの匂いがすると思ったよ」

「お前ならそれで分かるだろうな。ほら、澪ちゃんもそんなとこ突っ立ってないで、これ食って今日も勉強頑張りな」

「あ、はい。いただきます」

「甘〜い! こんな罪な味を朝から食べていいの!?」

 

 初めて食す料理に歓喜の声を上げる鈴音の隣で、澪も促されるまま席に戻って食事を始める。だが、気分を緩めて幸福をもたらしてくれる甘い物を口にしているはずの澪の表情が晴れる事はなかった。

 

 

 

 朝食を終えて、明嗣はコーヒーを飲みながらスマートフォンでネットサーフィンをしていた。澪と鈴音は先に食べ始めた分、早く食べ終わったため、先に学校へ向かった。よって、現在のフロアは明嗣とアルバート二人きりである。

 

「なぁ、明嗣。新生活はどうよ」

「なんだよ、いきなり。いじめられている子供に話しかける時の父親みたいなセリフだ」

 

 ふと、アルバートから投げかけられた問いに明嗣は困惑の表情を浮かべた。対して、アルバートは自分の分のコーヒーをすすった。

 

「今の学生(ガキ)はどんな日常を送ってんのかな、と思っただけさ。特に深い意味はないから気軽に言ってみろ」

「別にどうって事ねぇよ。勉強はくそつまんねぇ、たまに向けられてくる好奇の目がウゼェ、鈴音はやかましい、彩城はよく分かんねぇ。だいたいこんくらいだ」

「前半二つはともかく後半二つは良いだろ。二人共いい子だし」

「でもなぁ……。単独行動(ソロ)愛好家としては今の環境はなんか落ち着かねぇよ。鈴音は仕事で組むから仲良くしとけって魂胆がなんとなく見えるけど、彩城はなんでぐいぐい来るのかよくわかんねぇし」

「お前なぁ……。あの二人が打算で自分に近づいて来てると思ってんのか?」

「まぁ、そんな事ないかもしんねぇけど……」

 

 呆れたような表情を浮かべるアルバート。思春期特有の斜に構えた中二病や高二病か、などと笑えれば良かったが、次に明嗣が口にした一言でその考えは一気に霧散した。

 

「でも、本当のアイツらを見て幻滅した時を考えると嫌になりそうだよ」

「はぁ? そりゃいったいどういう――」

「さて、そろそろ俺も行かねぇと遅刻しちまうな。ごっそさーん」

 

 アルバートの言葉を遮るように明嗣は立ち上がると、スクールバッグを手に店を後にした。まるで逃げるかのような明嗣の背中を思い出しながら、アルバートは理解できないと言いたげに首を傾げた。

 

「アイツ、何があった……?」

 

 少なくとも中学生だった頃はあんな事を言う奴になるような事件は起きてなかったはずだ。と、なれば、父である吸血鬼アーカードの遺品を取りにロンドンへ渡った時だろうか? それともこの間のジル・ド・レに連れ去られた時か?

 

 でもなぁ……。アイツ、口を割るかなぁ……。

 

 先程の明嗣の表情を思い返すアルバートは考え込むように腕を組む。幻滅するのが怖いとこぼした明嗣の瞳には、わずかだが何かに失望した時特有の諦観を彷彿とさせるような昏い光が宿っていた。その原因は本人から聞き出すことでしか分からなそうなので、アルバートはどうしたものかと無駄に頭を痛める事しかできなかった。



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第61話 納得を求めて

 Hunter's rustplaatsで明嗣とアルバートが話していた頃。先に店を出た鈴音と澪は学校へ向かいつつ、他愛ない雑談を楽しんでいた。だいたいの話題を話し合った所で、鈴音は先程の出来事について触れる。

 

「でも、さっきはびっくりしたなぁ……」

「何が?」

「澪があんなに明嗣を心配していたなんて思わなかったよ」

「あれは……その……なんか気になるっていうか……」

「へぇ〜? 気になるんだ〜?」

 

 ニヤニヤと鈴音が愉しむような笑みを浮かべた。一拍置いて、鈴音の笑みの真意に気付いた澪は慌てて補足する。

 

「そういうのじゃなくて! えっと……ほら! 明嗣くんってよくクラスで話題に上がってるの聞くし、目立つから自然と目が追っちゃうんだよね!」

「あー、それはあるかも。でも、皆は明嗣の本性を見たらなんて言うんだろ」

 

 吸血鬼というのは血のように赤い瞳で人々を魅了し、人を誘い込んで血を吸う生き物。紅色という形で左眼に吸血鬼の魔眼を持つ半吸血鬼(ダンピール)の明嗣にもその特性が引き継がれているのか、よくクラスメイトや隣のクラスからのお客さん達が話している声が澪と鈴音の耳に入ってくる事がよくある。

 

 ある時は「他の男子と比べて紳士的で良いよね」とか、またある時は「常に眠そうなのがかわいい」だとか、はたまた「集中した時の目つきにキュンとする」だとか。様々な明嗣に対する評価が聞こえてくるが、澪と鈴音はその度に思うのだ。「はたして、それはどうだろうか?」、と……。

 

 紳士的に見えているのは、外行きの仮面を被っていていて、アルバートや自分と話している時は割とガサツに感じるし、常に眠そうなのは吸血鬼を追いかけて夜の街を駆け回っているからだ。集中した時の目つきは……見た事ないのでなんとも言えない。

 とにかく、自分の中にある明嗣のイメージとかけ離れていて、澪と鈴音は話についていけない事態が多々あるのだ。

 

「まぁ、明嗣くんも大変だよね」

「そうだねぇ……」

 

 などと話している内に、学校へ到着してしまった。澪と鈴音は上履きに履き替えると、今日も勉学に励むべく気合いを入れた。

 

 

 

 時計の針が8時45分を指した。始業のベルが鳴る15分前だ。大多数の生徒が急いで教室へ向かって行く中、明嗣はマイペースに一年A組の教室を目指して階段を登っていく。ゆっくりとした足取りで踊り場まで到達した瞬間だった。突如、刺すような殺気が明嗣の背中を走り抜けた。周囲を見回すと、いつの間にか周りには誰もいない無菌室と化している。

 

「なんだよ。ずいぶん遅いお出ましだったんじゃねぇのか、()()()()?」

 

 呼びかけると同時に首元に何か細い物が軽く食い込むような感触があった。人差し指で触れると、首にはピアノ線ほどに細い鋼鉄糸(ワイヤー)が巻きついているのが確認できる。明嗣の呼びかけから一秒経過。神父さまことヴァスコが階段の頂点に姿を表す。手元では窓から差し込む太陽の光により、キラリと鋼鉄糸(ワイヤー)が光る。

 

「用件は言わずとも分かっているな?」

「どうせジル・ド・レの居場所だろ? わざわざご苦労なこった」

「それが目的でわざわざ辺鄙(へんぴ)な島国にまでやってきたんだ。さっさと教えてもらおうか」

「……嫌だと言ったら?」

 

 キュッと音を立てて鋼鉄糸(ワイヤー)が明嗣の首を締め上げる。ここまで食い込んでいては無駄だと分かってはいる物の、反射的に明嗣は首から鋼鉄糸を外そうと手を伸ばしてもがく。10秒ほど締め上げられた所で首を締めあげる鋼鉄糸が緩くなった。気道が確保された事で酸素を求めて喘ぐ明嗣に対し、ヴァスコは朗らかに微笑みながら謝罪した。

 

「あー、すまないな。()()()()締めてしまった。で、もう一度聞くがジル・ド・レの居場所はどこだ?」

「本人に聞け」

 

 再び、明嗣の首が締まった。先程よりも長い時間、気道が狭まっているため、だんだんと意識が朦朧してくる。

 

 クソっ……! 酸欠で意識が……!?

 

 復学早々朝から保健室送りになってしまうのか。いや、そもそも保健室で済ませてくれるのか。最悪のケースを避けるため、薄れゆく意識の中で明嗣はヴァスコを制圧するために動く。明嗣は首から少し離れた位置の掴める鋼鉄糸を力いっぱい握りしめた。そして、重さ10kgの大型自動拳銃を片手で思うがまま振り回すほどの膂力に任せて、鋼鉄糸を一本釣りの要領で引っ張る。

 

「チッ!」

 

 忌々しげにヴァスコが舌打ちした瞬間、彼の体勢が崩れる。現在、明嗣の首を締める鋼鉄糸は全てヴァスコの指へ繋がっている。ならば、それを引っ張ればヴァスコも引き寄せられるのは当然の話であり、明嗣ほど怪力の持ち主にいきなり全力で引っ張られれば大型犬のリードを握る幼児がごとく引きずられるのは火を見るよりも明らかだ。

 ヴァスコを引き寄せた事でピンと張っていた鋼鉄糸にも(たる)みが生じ、首を締め上げる力が弱まった。その一瞬を突き、即座に首にかかった鋼鉄糸の戒めを解いた明嗣は、ヴァスコの腕をひねり上げる。

 

「形勢逆転、だな?」

 

 なんとか意識を失う事と騒ぎになる事を回避できた明嗣が安堵の息を吐く。一方、明嗣に拘束されたヴァスコは静かに怒りを滲ませた。

 

「貴様……! ジル・ド・レの味方に着いたか!」

(ちげ)ぇよ、単細胞。最初に言った通り、俺はどっちの味方にもつかねぇよ。勝手にやってろって考えも変わらねぇ」

「ならば私達にジル・ド・レの場所を教えろ! むしろその方が互いのためになるのではないのか! 貴様、納得の行く理由があってこんな事しているんだろうな!?」

「ああ、それだよ。俺は“納得”してぇんだ」

 

 腕をひねりあげたまま、明嗣は静かに答える。

 

 そうだよ。俺は納得の行く結果が欲しい。こいつがジル・ド・レの根城にカチコミかけようが、ジル・ド・レがカソリックの権威を失墜させようが、俺にはどうだっていい。ただ、()()を見た俺はどうするべきなのか、その正解が知りてぇんだ。

 

 だが、今はそれが一番難しい問題だった。いったいどういう選択したら、自分の納得がいく結果が出るのか、その問題が明嗣には分からないのだ。

 

「お前に情報を渡すだけじゃ、俺はきっと“納得”できねぇ。だから、情報は渡さない。どうしても情報が欲しけりゃ、俺を納得させる理由を提示しろ」

 

 明嗣は突き飛ばすようにヴァスコを解放した。そして、小走りで教室へ向かった。一方、その背中を見送るヴァスコの目には吸血鬼に対する憎しみが滲むと同時に、悔しさの炎が燃え盛っていた。



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第62話 揺れるアイデンティティ

今週は二回更新です。
よろしくお願いします。


 朝の一件の後、ヴァスコは特に何かしてくる訳でもなく静かだった。あまりにも静か過ぎるので、不気味に感じるほどだ。

 だが、学業をおろそかにする事もできないので、明嗣はただ粛々と学生業をこなしていく。

 やがて、何も起こらないまま放課後に突入した時だった。突如、教室に設置されたスピーカーからアナウンスが流れ出した。

 

『一年A組の朱渡 明嗣くん、ALTのミカエラ・クルースニク先生がお呼びです。至急、職員室まで来てください。繰り返します……』

 

 今度はクソ修道女(アマ)の方か……。

 

 予想はしていたが、実際にこうして呼び出されてみると、なんともまぁ面倒くさく感じる。しかし、無視する訳にもいかないので明嗣は渋々といった様子で席から立ち上がり、呼び出しに応じるべく職員室へ向かった。

 職員室に到着した明嗣は、軽く咳払いで声を整えると職員室へ足を踏み入れ、自分が来た事を伝えた。

 

「失礼しまーす。呼び出されたんで来たんスけど……」

「こっちよ。いらっしゃい」

 

 声がした方を向くと、デスクの上に置かれた何枚かの書類を前に、難しい表情を浮かべるミカエラの姿があった。明嗣はミカエラのデスクへ歩いていくと、表向きの教師と話す時のような口調で声をかけた。

 

「なんか用ッスか」

「それがね〜。英訳するのに手こずっている単語があってね〜。だから、バイリンガルのあなたにちょっと手伝ってもらおうと思ったのよ。これなんだけどね」

 

 と、ミカエラはボールペンで問題の単語を指し示した。その単語を確認した明嗣は、あからさまに嫌な表情を浮かべた。

 

 寄りにもよって()()かよ……。

 

 ミカエラが英訳に困り、明嗣が嫌な表情を浮かべたその単語。それは……。

 

「ねぇ、この『やばい』って単語はどう訳せば良いのかしら?」

 

 尋ねるミカエラの表情は至って大真面目だ。彼女が困るのも当然のである。なんせ、生み出した日本人ですら感覚的に使っている不思議な単語なのだから。

 やばい。基本的には危ない状況など追い詰められた時に使う単語だが、場合に寄っては嬉しい時にも用いる日本語が世界一難しい理由を象徴するような単語である。

 明嗣は頭痛を抑えるようにこめかみに指を当てた。その後、さっさと終わらせてしまおうと思い、手を差し出す。

 

「ちょっと見せてもらって良いスか。たぶん、文脈によって意味変わってくるんで」

 

 何に使うのか分からないけれど、とりあえず原文を読まない事にはどうしようもない。テストに使用する資料かもしれないので、渡す事を渋られる事も視野に入れながら明嗣が原文を見せるように要求すると、予想に反してミカエラは素直に書類を明嗣へ手渡した。

 

 やけにあっさり渡したな……。 テストの問題に使用するって訳じゃねぇのか……?

 

 その対応に違和感を覚えつつ、明嗣はまずは問題の書類を流し読みした。そして、読み終えた後、明嗣は静かにミカエラに告げた。

 

「ちょっと場所変えてもらって良いスか」

「ええ。良いわよ。なら、ちょっと飲み物を買いに行きましょうか。長くなりそうだから」

 

 これが狙いだったのか、ミカエラは微笑みを浮かべながら明嗣の申し出を快諾した。そして、二人はひとまず自動販売機へ向かった。

 

 

 

 自動販売機の前にやってきた瞬間、ミカエラは明嗣へ呼びかけた。

 

「何飲むの? せっかくだからお姉さん奢っちゃうわよ」

「いらねぇよ。ここに来たのは口実なのはそっちだって分かってんだろうが。それよりもなんだよ、あれは」

「何ってこれでも一応この学校で教鞭を執る身だから、真面目に先生をやるために一番成績が良さそうな生徒の成績を確かめようと思っただけよ?」

 

 ミカエラはとぼけた調子で明嗣を煙に巻こうと笑う。ならば、とばかりに明嗣は先ほど見せてもらった情報から組み上げたシナリオを懇切丁寧に説明し始めた。

 

「ああ、そうかよ。なら、期待にお応えして100点満点の答えを言ってやる。あの書類に書かれていた“やばい”の意味はな、交魔市(ここ)に大量の銃火器の密輸されたから『危ねぇ』って意味のやばいだ。しかも受領したのが人間だと? ヴァチカン(お前ら)は吸血鬼以外に興味示さねぇのはよーく知ってるぜ。わざわざ地中海から来日してきた理由も、吸血鬼となって墓から出てきたジル・ド・レを追ってきたから、だからな。なら、さっきのあれもジル・ド・レ絡みと考えるのが自然な流れだ。と、なりゃ話は簡単だ。あれはジル・ド・レがなんかやらかす前兆なんだろ、違うか?」

「よく分かったわね。日本だとパーフェクトアンサーには花を書いてあげるんだったかしら?」

「いらねぇよ。どうしてもなんか渡してぇなら、俺にこれを教えた理由をお聞かせ願おうか」

「なりふり構ってられなくなったからよ。たぶん、ジル・ド・レが考えているのはフランス革命のリベンジでしょうね。あなたを引き入れようとしたのは、ジャンヌに代わる希望の象徴、といった所かしら?」

 

 忌々しげに明嗣は舌打ちをした。考えてみれば当然の話だ。本来、人間の助けなどいらない上にむしろ餌として見ているような奴らがわざわざ人間を囲う理由なんて、利用する以外ないだろうに。

 

「朝、ヴァスコがあなたを訪ねた理由もそれよ。事態は思ったよりも切迫しているの。あなたが考えているよりもずっとね」

「で、今度はお前が来たって訳か?」

「そういう事よ。分かったらさっさと根城の場所を教えてもらえるかしら」

「なるほどねぇ……。話は分かった」

 

 事情を聞いた明嗣は考え込むように腕を組んだ。そして、一拍置くように息を吸い込み吐くと、明嗣は答えを口にした。

 

「答えはNoだ」

「あなた、さっきの話を聞いてたの? 子供みたいな反抗をしてないでさっさと情報を教えなさい。でないとこっちとしても強硬手段を取らなきゃならなくなるわよ」

「何言われても答えは変えねぇ。これは『良い警官と悪い警官』だ。今は悪い警官パートを終えて良い警官役であるお前が情報を聞き出すパート、だろ? 知らねぇとでも思ったか」

 

 良い警官と悪い警官。警察などの取り調べを行う機関で使われる事情聴取のテクニックであり、なかなか口が重い容疑者に対して悪い警官役が不安を与える事で揺さぶった後、良い警官役が好意的に接する事で安心感を与えて情報を聞き出す手法である。この場合、悪い警官役がヴァスコで良い警官役が現在のミカエラという配役だ。

 

「お前、こういう時は何かにつけて良い警官を選んで、悪い警官を相方に押し付けてきたクチだろ。修道女(アマ)さんを警戒する奴なんてなかなかいねぇからな。納得して誰も不満を言わねぇから、自然にそういう流れに持って行けるだろうさ。けどな、俺はそういう()()な奴が気に入らねぇんだよ。そんなの、人に面倒事を押し付けて自分は綺麗事吐いて回るだけの偽善者じゃねぇか。何が神のもと皆平等だ。笑わせんなよ」

 

 冷たく突き放すような物言いと共に、明嗣はミカエラを鋭い眼差しで射抜いた。おそらく、このままだと交魔市の街は銃弾飛び交う戦場と化す。個人の心情ともたらされる街の被害を天秤にかけたら、ここは素直に根城の場所を教えるのが大人のやり取りという物だろう。だが、朱渡 明嗣は()()()()()()()()()()

 

「俺にはお前らに協力する事でこの事態が解決するとはどうしても思えねぇ。全部終わった後、残された奴らをヴァチカン(おまえら)はどうするつもりだ?」

 

 ミカエラは何も答えない。明嗣が頭の中で思い描いているシナリオでは、神の尖兵として生きる事を強制されるか、()()されるかの二択だ。何も答えない事が明嗣の疑念をさらに深めた。

 

吸血鬼ハンター(おれら)の業界はいつだって人手不足だからな。けどな、だからってやっと地獄から抜け出した(そば)からまた新たな地獄に引きずり込むようなマネなんかしちゃなんねぇ事は弁えているつもりだ。けど、お前らはどうだよ? 行き場がないことにかこつけて神の尖兵を増やそうと考えているんじゃねぇのか?」

「仮にそうだとしても、このままだとこの街は地獄になるわよ? それはどうするつもりなのかしら?」

「それは……」

 

 たしかにミカエラの言う事も事実だ。このままだと交魔市がとんでもない戦場と化すのは想像に難くない。だが、それでもミカエラ達に事の主導権を渡す事もできないだろう。ならば、答えは一つだ。

 

「俺が決着をつけてやるよ。巻き込まれちまった以上、もう傍観者決め込む事なんてできねぇんだ。だったら、俺が全部カタつけてやる。お前らの思う通りにさせてやらねぇからな」

 

 はっきりと「自分が決着をつける」と宣言した明嗣はミカエラに背を向けて教室へ戻っていく。ミカエラはその背中を黙って見送っていたが、その顔には面白い物を見つけたとばかりの微笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 荷物を取りに教室へ戻る明嗣は、階段を登る途中で先程のやり取りについて思い返していた。

 

 やっちまったよ……! 決着つけるったって何をどうすりゃいいのか分からねぇてのに……!

 

 その場の勢いもあるが、あの場ではそう宣言するしかなかった。苛立ちをどこにぶつけて良いのか分からず、明嗣はギリッと奥歯を噛む。

 

 クソッ……! 言っちまった以上は俺がやるしかねぇよな……。けど……。

 

 ただジル・ド・レを討つだけで解決するような問題では無い事は肌で感じる。あの場で出会ったメイドの少女、結華のように社会に居場所がない人間と、同じように社会に居場所がない吸血鬼によって出来上がったのがあのコミュニティなのだ。生贄を差し出さなければならないとはいえ、そこは「自分が生きて良い」と言ってくれる場所。そこを壊す者への憎悪はとてつもない物になるだろう。その上、明嗣は人と吸血鬼の間に半吸血鬼(ダンピール)。おそらくあのコミュニティの理想を体現したような存在だろう。明嗣が壊す事は、それこそ自分自身の否定と言っても差し支えない。だからこそ……。

 

 俺があれを壊して良いのか……?

 

 結局の所、傍観者でいられなくなった明嗣の一番の問題は“人と吸血鬼の間に生まれた自分が否定して良いのか”、この一点だった。

 

 分かんねぇ……。どうするのが正解なんだよ……!

 

「明嗣くん?」

 

 ふと、自分を呼ぶ声で明嗣は我に返った。辺りを見回すと、いつの間にか一年の教室がある階まで来ていたようだ。そして、目の前には心配するように明嗣の顔を見つめる澪が立っていた。




昨日(一昨日?)公開したホワイトデー特別編もよろしくお願いします。
syosetu.org/novel/294191/59.html


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Episode2-4 Leave all behind
第63話 たった一つの単純な答え


 ミカエラとのやり取りで頭がいっぱいになっていた明嗣は、いつの間にか戻ってきていた教室の前で声をかけた澪によって我に返った。

 

「彩城? 何やってんだ、ここで」

「あたしはちょっと部活に顔出した後でこれから帰る所だよ。明嗣くんはどうしたの? なんか、難しい表情してたよ?」

「そうか?」

「うん。もしかして、ミカエラ先生と何かあった?」

「なんでそう思うんだよ」

「鈴音ちゃんから聞いてるの。ミカエラ先生もヴァスコくんと同じだって」

 

 アイツめ……。

 

 ペラペラ漏らしてはならない情報を漏らす前に、あとで鈴音にはキツく言っておこう。心に固く誓った明嗣は、ひとまず澪との会話に戻った。

 

「別に大した用じゃねぇよ。英訳に困る単語があるから助けてくれってだけさ」

「それだけ?」

「それだけ」

 

 素っ気なく返す明嗣の顔を澪はジィ……と見つめる。あまりに真剣に見つめる物だから、明嗣は緊張の面持ちと共に背筋を伸ばした。

 

「な、なんだよ……」

 

 絞り出した声は酷く上ずった物だった。ずっと見つめられているのもあって、まるで取り調べを受けているような気分になってくる。やがて、澪はまっすぐに明嗣と目を合わせて口を開いた。

 

「……明嗣くん、何か悩んでる事ある?」

「べ、別にそんな事はねぇけど」

「なんで今ちょっと詰まったの? 何かやましい事でもあるの?」

「ねぇよ! ただ……」

 

 少しこぼしかけた事で明嗣は一瞬、しまったという表情を浮かべた。当然、シャッターチャンスを捉えるために観察力を磨いている澪が見逃す訳もなく、そこから切り込んでいく。

 

「やっぱり何か悩んでるんだ」

「いや、その……これは俺の問題っつーか……」

「明嗣くん」

 

 誤魔化そうと試みる明嗣の声を、澪が一声で抑え込む。まっすぐ自分の事を見据えるその瞳に、明嗣は思わず釘付けとなってしまう。一方、固まってしまった明嗣へ、澪は静かに語りかけた。

 

「あたし、鈴音ちゃんみたいに一緒に戦う事できないよ」

 

 いきなり何言ってんだコイツ、と口にしかけたが、明嗣はそれを飲み込んだ。そんな明嗣へ澪は続ける。

 

「でも、一緒に悩む事はできるよ」

「はぁ?」

「一緒に悩む事はできるよ」

「なんで2回言った」

 

 言葉の意図が掴めず、明嗣は思わずツッコミを入れてしまった。対して、澪は一つの言葉を投げかけた。

 

「相手に信じて欲しかったら、まずは自分が相手を信じなさい」

「なんだそれ」

「昔、お父さんが聞かせてくれた言葉。あたし、明嗣くんの事を疑ってるって打ち明けた時があったでしょ?」

「そういや、そんな事あったな」

 

 つい最近の事なのに、色々あってその出来事も遠い昔の事のように思えた。どこか懐かしむような眼差しの明嗣に対して、澪は話を続けた。

 

「あの後、あたしはこの言葉を思い出したの。だから、あたしは明嗣くんをまずはもう一度信じる事にしたよ。あの夜、あたしの記憶を消して離れようとした、明嗣くんの優しさを信じる。だからさ……」

 

 力になれる事は少ないかもしれない。背負っている物を軽くしてあげる事はできないかもしれない。それでも。

 

「明嗣くんもあたしを信じて頼って。せめて、何ができるかだけでも一緒に考えさせてよ。あたしだって、明嗣くんの力になりたいんだから」

 

 マジか……。

 

 どんな悩みかも知らないのに呆れるくらい真っ直ぐな気持ちを口にした澪に対し、明嗣はただ驚く事しかできなかった。呆気に取られて何も言えないでいる明嗣に対し、澪はさらに畳み掛ける。

 

「二回も明嗣くんが助けてくれたのに、あたしは何も返せていない。それじゃ、不公平だよ。せめて、こういう時に相談して。できる範囲で力になるから」

「あのなぁ……。それでとんでもないモンが飛び出してきたら――」

 

 最後まで言い切る前に、明嗣は口を(つぐ)んだ。なぜなら、澪がいつの間にか目の前に迫っていて、仮面を貼り付けたような微笑みを浮かべていたのだから。

 

「ね?」

 

 なんか圧力(プレッシャー)を感じる……!?

 

 これ以上口答えしたらいったいどうなるのだろう。未知への探究心より、未知への本能的な恐怖の方へ天秤が傾いてしまった明嗣は素直にこくりと頷き、澪に打ち明けてみる事にした。

 生贄を差し出す事で成り立つ人間と吸血鬼の理想郷とそこに流れ着いた人達の境遇、そして自分の身の振り方。

 全てを聞き終えた澪はクスリと笑みを漏らした。

 

「自分で聞いといて何笑ってんだよ。割とこっちは真剣に悩んでんのに」

 

 こっちは恥を偲ぶ心境で打ち明けてみたのに。澪の反応が不満の明嗣は少し拗ねたような表情を浮かべる。そんな明嗣に対し、澪は笑いをこらえながら謝った。

 

「ふふ、ごめんね。明嗣くんもそういう事で悩む時もあるんだと思うと、ちょっと面白くて」

「お前なぁ……」

「でも、安心した。あたし、明嗣くんって迷わない人だって思ってたから」

「あるさ。俺にだって迷う時くらい」

「そうだね。迷わない人なんていない訳ないよね」

「で、迷える俺に彩城はどんな風に導きを示すのかな?」

 

 笑い飛ばしたからには納得する回答を提示できるんだろうな、と明嗣は半眼で澪を()めつける。すると、澪は答えを待つ明嗣自身を指さした。

 

「答えは明嗣くん自身だと、あたしは思うよ」

「はぁ?」

 

 どういう事だよ、それ……。

 

 意味が理解できず、困惑の表情を浮かべる明嗣。そんな明嗣に対し、澪はその真意を語り始めた。

 

「明嗣くんはお父さんが吸血鬼でお母さんが人間の半吸血鬼(ダンピール)でしょ? なら、その明嗣くんが違うと感じるんだったら、きっとそれは間違っていると思う」

「なんでそう思うんだよ」

「だって、きっと明嗣くんは二人が愛し合って生まれてきたはずだから。もし、手を取りあう事を選んだなら、生贄を差し出すなんて発想は出てこないはずだよ。もし、明嗣くんがその人達に何かしてあげるとするなら、それは生き方を示してあげる事なんじゃないかな? 生贄を差し出す必要なんてない、人と吸血鬼が寄り添いながら歩いていく生き方を」

 

 そうか……。かもな……!

 

 今までしっくり来ていなかった身体の感覚が一気にクリアになっていくようだった。明嗣は調子を確かめるように手のひらを開閉させた。そうだ。最初から難しく考える必要などなかったのだ。なぜなら、明嗣は人と吸血鬼の間に生まれた半吸血鬼(ダンピール)なのだから。

 

「なんか、ウダウダ考えていたのがアホらしい話だったな。最初から答えは一番近くあったのか」

 

 明嗣はククッっと片方の口の端を上げ、肩を揺するように笑っていた。本当に悩んでいるのがアホらしくなってくるような、そんな単純な話だったのだ。

 

「サンキュー、彩城。なんとなく、何すりゃ良いか分かった。あとでなんか礼する。じゃ、俺行くわ」

 

 明嗣はひとまず帰宅して夜の準備をするべく、澪に礼を言って荷物を取りに行こうとした。だが、澪はその背中へ呼びかける。

 

「待って」

「どうした?」

「その……さ……。何か礼をしてくれるんだったら、これからは名前で呼んでよ」

「名前……?」

「うん。明嗣くん、鈴音ちゃんは名前で呼んでるけど、あたしは名字だから。なんか仲間はずれにされているみたいって思ってたの」

 

 そんな物で良いのか。明嗣は意図がよく分からず、困惑の表情を浮かべる。だが、礼をすると言った手前、嫌と言うわけにもいかないので、明嗣は素直に澪の要求を飲むことにした。

 

「あー、その……じゃあ、澪も気をつけて帰れよ……?」

「うん! 明嗣くんもね!」

 

 心なしか挨拶して去っていく澪の足取りが嬉しそうに見えた明嗣は、釈然としない表情で首を傾げた。

 

 やっぱ(アイツ)ってよく分かんねぇ……。

 

 

 

 さて、帰宅して着替えて銃を手にした明嗣は、さっそくHunter's rustplaatsへ向かった。ドアを開けて店内へ入るとアルバートが読んでいた単行本を閉じてカウンターに置く。

 

「よう。来たか」

「ああ。マスター、ちょっと聞きたい事あるんだけど、良いか?」

「どうした。いつになく真剣な顔して」

「そんな深刻な話ってわけじゃねぇよ。ただ、親父とお袋の夫婦生活はどんな感じだったのかな、ってのを聞きたいだけさ」

 

 いつもように明嗣がカウンター席に腰を下ろすと、アルバートがアメリカーノを明嗣へ出した。

 

「アメリカーノか」

「ああ。たまには良いだろ? まさか、お前もエスプレッソ以外はコーヒーじゃねぇとか言わねぇよな?」

「おかしな事言うな? コーヒーはコーヒーだろ?」

「昨日、そんな事抜かすいけ好かないクソガキが来たんだよ。人形使い(ブラッティナイオ)ヴァスコっていうんだけどな」

「イタリアのコーヒーはエスプレッソが主流だからなぁ……」

 

 苦笑いで明嗣はアメリカーノをすすった。一方、自分の分のアメリカーノを手にしたアルバートは気に入らないと言いたげに鼻を鳴らす。

 

「十代のガキのくせにコーヒーにこだわり持つとは生意気過ぎんだよ。と、今はそういう話じゃねぇな」

 

 本題からズレている事に気付いたアルバートは、一呼吸置いて空気を仕切り直した。そして、先程尋ねたアーカードと晴華の夫婦生活について語り始めた。

 

「そうだな……。アーカードとハルちゃんはまぁ仲良い夫婦だったな。互いを尊重しあう、理想の夫婦だったよ。ただ一つの問題を除いてな」

「だろうな」

 

 なんとなく察した明嗣は、相槌を打って頷いて見せた。すると、アルバートはその一つの問題の話へ移行した。

 

「アーカードは吸血鬼だからな。やっぱり、吸血衝動で苦しむ時があったよ。その度にハルちゃんとやり合う事がしょっちゅうあったみたいだ」

「やっぱ親父から血を吸わせろって迫ってたのか?」

 

 やはり、吸血衝動からは逃れられなかったか。なら、どうやって乗り越えたのか。はやる気持ちが尋ねる声に乗る。緊張の面持ちで答えを待つ明嗣に対し、アルバートは予想外の答えを口にした。

 

「いや、むしろアイツは我慢してなんとかやり過ごそうと努力していたよ。でも、あまりに苦しそうだから、自分の方から血を吸えってハルちゃんのほうから迫ってな。それで吸う吸わねぇのケンカをいつもしていたのさ」

「えぇ……。そっちかよ……」

「ついでに吸血鬼が血を吸ったら……その、なんだ……。ほら、ここまで言ったらお前なら分かるだろ?」

 

 口ごもるアルバートを前に、明嗣はあんぐりと口を開けて固まってしまった。吸血鬼の吸血行為には性的快楽が伴うのだ。夫婦間でそんな事をしたのなら、その後はもう決まっている。

 

「聞きたくなかったよ、俺が生まれた経緯(そんなこと)……」

「まぁ、そういう事だ。俺が知っている惚気話はこんな所だ。で、こんな事聞いてどうするんだ?」

 

 聞かせてはみたが、その意図が分からず、当然の疑問を口にしたアルバート。対して、明嗣は口の端を吊り上げて答えた。

 

「話を聞いて俺は腹を括ったよ、マスター。明日、カチコミかけよう。ジル・ド・レ(アイツ)の理想郷をぶっ潰す。生贄差し出して成り立つ絶望郷(ディストピア)なんてクソ喰らえだ」

 

 

 

 同時刻。ジル・ド・レが根城としている、すでに廃業したショッピングモールでは……。

 

「皆さん。時は来ました!」

 

 無数のコンテナを前に、真っ赤なローブに身にまとったジル・ド・レが叫ぶ。コンテナの中にはAK‐47やAR‐15などのアサルトライフルや、グロック 17やベレッタ 92Fなどのハンドガンが詰まっていた。大量の銃火器が詰まったコンテナを前にジル・ド・レは高らかに宣言する。

 

「今こそ立ち上がる時! 皆さんを爪弾きにした社会へ復讐を始めるのです!」

 

 ジル・ド・レに応えるように、この場にいる人間と吸血鬼から歓声が上がった。



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