オーバーロード 降臨、調停の翼HL(風味) (葛城)
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プロローグ

誰かが続きを書いてくれると信じて、ここに残しておく

願わくば、続きを……誰かが……


 

 

 ──後悔だらけの人生だった。

 

 

 

 そう、『男』が思うようになったキッカケは……己が、所詮は『個』でしかなく、何処まで行っても『個』を越えられない事を悟った時であった。

 

 そう、男……名は伏せよう。何故なら、男はもう己の名を忘れてしまったからだ。

 

 どうして忘れてしまったのかと言えば、深い事はない。

 

 この汚れた世界において、個人を識別するための名なんぞ、記憶していたところで1円の価値にもならないと思っていたからだ。

 

 

 ……そう、男が生を受けた世界は……酷く、汚れてしまっていた。

 

 

 空は色あせ、汚染物質を多量に含んだ風が世界中に渦巻いている。生きとし生けるモノを等しく殺す濃霧が、埋め尽くしてしまっている。

 

 空がそんな調子だから、その彼方より降り注ぐ太陽光も、当然ながら地表には届かない。分厚いスモッグが、太陽光を致命的なまでにシャットアウト。

 

 植物は枯れ果て、母なる海も汚れ、星のメカニズムの中で繁栄していた様々な生き物が絶滅の危機に喘ぎ、大地に広がっていた緑の園も、赤茶色の景色に変わって久しく。

 

 

 数十億という数にまで繁栄し、地球という星の生態系……その頂点に君臨していた人類もまた、その数を大きく減らしていた。

 

 

 否、それはもう、減らした、等という生優しい言葉では言い表せられないだろう。

 

 簡潔に述べるのであれば、人類もまた絶滅の危機に瀕していた。もっとはっきり述べるのであれば、遅かれ早かれ人類の死滅は確定となっていた。

 

 

 考えてみれば、当然だ。

 

 

 数多の技術を生み出し、生命を自在に生み出せるようになり、地形すら変える力を手に入れた人類とて……結局のところは、土から離れては生きていけなかったのだ。

 

 

 

 ──大勢の人々が死んだ。数多の歴史が、消え去った。

 

 

 

 汚染物質に臓腑をやられて、命を落とした。そこに、大人も子供も関係ない。世界を覆う毒の濃霧は、人間の耐久力を完全に上回っていたから。

 

 だから、人類は……生き残るために、アーコロジーと呼ばれる、閉じられた空間に引き籠るしかなかった。

 

 だが、それは……言うなれば、延命処置に過ぎないのである。

 

 残された資源と技術を駆使して生産出来る物資なんぞ、高が知れている。そもそも、得られる資源を含めたエネルギーですら、限りがあるのだから。

 

 それ故に……人類は、仮初の秩序を維持する為に強固な格差を意図的に形成し。

 

 刻一刻と迫りくるタイムリミットを、少しでも遅らせる……ただ、それだけしか出来なかった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………そして、そんな、何もかもが絶滅へと突き進んでいるのがハッキリ認識出来てしまった時代に……男は、生まれた。

 

 

 男には──他の者たちはない、絶対的なアドバンテージが幾つかあった。

 

 

 その一つは……男には、『前世』と呼ばれるモノを記憶し、そこで培った全てを、物心が付いた時より自覚して思い出すことが出来た……というものである。

 

 

 見方を変えれば、男は『転生者』……だったのかもしれない。そう、男は、『前世の記憶を持つ転生者』でもあった。

 

 その前世は、生まれ落ちた今世よりも100年以上前のモノであった……が、その前世の詳細を、詳しく知る必要はない。

 

 重要なのは、男が生まれながらにして大人としての感性を持ち合わせていたことで、大人のように考えて動く事が出来た……という点だ。

 

 

 二つ目は……男には、超常的な才能と身体能力……人知を超えているとしか思えない、凄まじい能力を持っていたことだ。

 

 

 その能力は多岐に渡るが……もっとも凄まじいのは、情報処理能力だ。

 

 すなわち、プログラミング、コンピューター言語……0と1の世界において、人類史上最高とも言うべき能力を持っていたのだ。

 

 

 そして、最後の三つ目は……この世界においても、前世の世界においても、存在すら正式には認められていなかった……『魔法』という不可思議な力を持っていたことだ。

 

 

 この三つがあるのを自覚した男……当時はまだ走る事も覚束ない年頃ではあったが、内心にて狂喜乱舞した。

 

 前世の記憶を持つ男には、人並みの欲望というか、人間として持って当たり前の願いがあったからだ。

 

 それを、叶える事が出来る。

 

 今すぐは無理でも時間を掛ければいずれ……そう思った男(幼児)は、少しでも早く大人になることを願ったものだった。

 

 

 ──だが、そんな願いも、一年が経つ頃にはすっかり消え失せていた。

 

 

 それはいったい何故か……答えは、一つ。

 

 チート同然の今世の男の頭脳が、人類の行く末を正確にシミュレートしてしまったからで。

 

 そして、優雅に日常を送る者たちの影で。

 

 数多の者たちが歯車同然に酷使され、壊れたらゴミ箱に放り投げられるチリ紙の如く、使い潰されて死に絶えているという現実を目の当たりにしてしまったからだった。

 

 

 それは、男の……いや、彼にとっては、それまでの人生観、並びに、培ってきた全てを一変させるほどの強烈な現実であった。

 

 

 せめて、目の届かない遠い地で起こっている出来事であれば、彼も他人事でいられた。

 

 だが、そうではなかった。確かなリアルとして、それらは彼の前に存在していた。

 

 治安維持という名目で彼ら彼女らは隔離されていたが、その生活は……前世の常識を強く持つ彼にとって、信じ難いぐらいに劣悪な環境であった。

 

 

 ……とてもではないが、彼は当初に抱いていた人間らしい欲望を叶える気持ちなど、萎えてしまった。

 

 

 いっその事、邪悪に吹っ切れてしまえば良かった。

 

 他の上流階級がやっているように、命は大事にするべきだと口にしながら、最下層の者たちを合法的に踏みつけて搾り取った富を片手に、幸せな日常を楽しめば良かった。

 

 

 だが、彼には出来なかった。

 

 

 何をするにしても、こうしている間にも、己と同世代の子供が、自分のすぐ近くで、僅かばかりの金を得る為に命を擦り減らしていることを知っていたからこそ、余計に。

 

 

 そして、憐れんだところで……彼に出来ることなど、何もなかった。

 

 それは、当時の彼が子供だったから……ではない。

 

 単純に、もはや一個人の『力』でどうにか出来るような状態ではなく……何もかもが手遅れだったせいである。

 

 

 そう、全てが遅すぎたのだ。

 

 

 元を正せば、全ては環境汚染によるディストピアが原因なのだが……それを改善する『力』が、彼にはなかった。

 

 

 超人的な身体能力も、惑星規模の環境汚染の前では無力。

 

 無酸素状態で一時間全力行動が可能だったところで、何の役に立つというのか。

 

 人知を超えた情報処理能力も、アーコロジーに引き籠る事を余儀なくされた時点で、全てが遅すぎた。

 

 

 せめて、取り返しが利く段階であれば、彼のその能力は十二分に役立っただろう。

 

 多少なり痛みが伴ったとしても、最悪の事態を避ける事は出来たはずだ。

 

 魔法だって……そう、魔法だって、せめて今世に生まれるのが50年早ければ、何とか出来たかもしれない。

 

 物理法則を無視する超常的な力とて、当人が持つ魔力という名の燃料(しかも、最大量に限り有り)に左右される。

 

 そして、その魔力は……浴槽一杯の水をフィルター無しで浄化出来ても、汚染された大気を清浄化させるだけの量はなかった。

 

 前世の言葉で、いわゆる『チート』のような力を持っていても……終焉を迎えようとしている人類史……いや、星の再生を行えるほどではなかった。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………だから、という言い回しは違うのだろう。

 

 

 気付けば、彼は……その能力を……自分以外の誰かに使うようになっていた。

 

 それは、傍から見れば上から目線の憐れみでしかなかったのかもしれない。所詮は、傲慢な自己満足に過ぎなかったのかもしれない。

 

 

 あるいは、罪悪感か……けれども、彼はそうしたかった。

 

 

 いずれ滅びると一方的に分かっていたとしても、滅びる僅かな間だけでも……せめて、彼の手が届く範囲に居る者たちだけでも……楽しい時間を過ごしてほしい、そう思うようになっていた。

 

 その過程で……彼が注目したのは娯楽……特に、DMMO-RPGと呼ばれていた、ゲームに意識をダイブさせて遊ぶというジャンルのゲームであった。

 

 

 ……というのも、だ。

 

 

 アーコロジーという閉じられた空間に加え、汚染物質を多量に含んだ濃霧で満たされた世界において、外で遊ぶという行為は自殺に他ならない。

 

 必然的に、人々の娯楽は室内で行える……ボードゲームや娯楽観賞、そして、いわゆるテレビゲームというモノに限られており……その中でも、仮初とはいえ自由に失われた光景、かつては触れられた様々な体感を得られるという特徴が、彼の心を強く掴んだ。

 

 

 ──それからは、彼は兎にも角にもDMMO-RPGの開発に全てを注ぎ、己の人生の全てをそれに捧げるような日常を送った。

 

 

 そのゲームを行うに当たって色々と処置を受ける必要はあるが、いずれ滅びるのが確定している世界だ。

 

 今更、身体に一つや二つ端子が埋め込まれたところで、気に留める者なんぞほとんどおらず……彼の革新的な能力によって開発された様々なゲームは、凄まじい勢いで人々の心を掴んでいった。

 

 

 ……様々なチート能力を持っている彼は、常人の100倍以上の仕事を100分の1以下で完遂する。

 

 

 言うなれば、専門知識と技能を習得した人が100人集まって行う1日の作業を、彼は1人で短時間のうちに終わらせる。

 

 しかも、彼は時に魔法を駆使して、その作業効率を何倍にも跳ね上がらせる。その結果、彼が出したゲームは爆発的なヒットとなった。

 

 もちろん、途中から人を大勢雇った。

 

 全て1人でもやれるが、それをすると他の会社などで失業する者が出て来る。何事も、バランスなのだ。

 

 なので、雇用調整の意味合いから、あえて他人に任せるようにして……彼自身は、ゲームの世界に入り浸るようになった。

 

 

 ──それは、正しく彼にとって……自慰も同然の行為に他ならなかった。

 

 

 けれども、幾ばくかの空しさを伴ったとしても、彼はそこで確かに幸せを得られた。

 

 その中では、博愛の精神で人々を助けられたし、自由気ままに振る舞う事が出来た。

 

 

 時には断罪者としてプレイヤーたちの頂点に君臨し。

 

 時には調停者としてプレイヤーたちの前に立ち塞がり。

 

 時には神として、女神として、彼方より見守り。

 

 

 あるいは、オンラインを通じて様々なDMMOに侵入し、そのゲームでは存在していないキャラとして。

 

 ある時は騒動を起こし、ある時はイベントを立ち上げ、ある時は、ある時は、ある時は、ある時は、ある時は……幾度となく、彼は繰り返した。

 

 そこで、彼は……全てが虚構だとしても、そこでは……そこだけでも、人々が笑って、辛い現実を少しでも忘れられるという光景が嬉しくて。

 

 

 彼は、文字通り飲食を忘れてのめり込んでいった。

 

 

 己の命が削られてゆくのを自覚していたが、それでも彼は止められなかった。それは、彼にとっての現実逃避でしかなくとも。

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………そうして、十数年近い月日が流れた……ある日。

 

 

「……そうか、俺も終わりか」

 

 

 専用にカスタマイズされた自室。許可が無い限り誰も入れないようになっている……特殊な場所。

 

 広々としてはいるが、必要な物以外は何一つ置かれていない。寒々としたその部屋の中央に置かれた改造ベッドにて横になっていた彼は……我知らず、ポツリと呟いていた。

 

 両手両足に刺さった点滴が、痛々しい。その身体は、お世辞にも健康体とは言い難いだろう。

 

 脂肪は少なく、骨が浮いていて、声に力はなく、呼吸も弱く、無造作に伸びた髭が、彼が如何に酷い状態であるかを物語っていた。

 

 

「……我ながら、無茶をし続けたからなあ」

 

 

 その中央で……カチリ、と。

 

 震える手で、首筋に埋め込まれた差込口にケーブルを差し込む。差し込んだ瞬間、ビリリと脳天に軽い痺れが走るが……構う事無く、操作を続ける。

 

 本来、重病人のネットワークへのダイレクトアクセスは禁じられている。特に、DMMOのように、プレイヤーの大脳に負担を掛ける行為は法でも禁止だ。

 

 

 だが、彼は例外である。

 

 

 様々なチート能力を駆使して作った専用回線と設備によって、彼だけは法を掻い潜り……死の間際であっても、己の意識を電子空間へ飛ばす事が可能なのである。

 

 

「最後は、どのキャラクターに成ろうか……」

 

 

 視界に広がる選択画面を次々見比べながら、彼は内心にて小首を傾げる。

 

 数多のゲームに(運営非公式の違法キャラで)不定期に登場しては勝手に作ったイベントを発生させてプレイヤーを楽しませ、一切の痕跡を残さず運営会社に課金という形で無理やりwin-winの状態にしては去って行く……ネット界の伝説的な存在。

 

 

 それが、今の彼だ。そして、彼は……最後まで、その生き方を続けようと思っていた。

 

 

 だが……残念な事に、彼にはもうイベントを立ち上げるだけの体力が残っていなかった。

 

 いや、正確には、イベントが終わるまでに彼の命が持たないのだ。

 

 

 完璧主義というわけではないが、やりっぱなしで終わらせるぐらいなら……という気持ちが、彼にはあった。

 

 だから……最後はイベントを立ち上げずにひっそりとゲームの世界に登場し、ひっそりとそのまま命を終えよう……そう、考えたわけである。

 

 その間に、彼に気付いて驚いてくれる者が現れたら万々歳。

 

 現れなくても、『アイツ居たのかよ!』みたいな感じで、後々に笑ってもらえたら……それで、十分。

 

 

「……ふむ、YGGDRASIL(ユグドラシル)が今日で終了か。なるほど、ちょうど良い」

 

 

 そうして、数多のゲームの中で目に留まったのは……本日でサービス終了となっている、とあるDMMOゲームであった。

 

 

 ……このゲームに関しては、彼自身、色々と思い入れがある。

 

 

 なにせ、このゲームの開発に関わっていたし、何より、色々なキャラクターに扮して突発的なイベントを立ち上げては、プレイヤーたちを盛り上げたからだ。

 

 

(一時はDMMOと言えばコレと名指しされたぐらいだったのだが……今では、絶頂期の100分の1以下しかプレイしていないのか……)

 

 

 絶頂期では、それこそ毎日がお祭り騒ぎのような賑わいだったが……盛者必衰とは、この事を言うのだろう。

 

 だからこそ、此処が良いと彼は思った。

 

 今の自分には、ピッタリだと思った。

 

 

 ……と、なれば、だ。

 

 

 どんなキャラで行けば良いだろうか。

 

 ちょっかいを掛けられるほどにプレイしている人が少ないから、騒ぎにはならないだろうが……候補が有り過ぎて、迷ってしまう。

 

 なにせ、彼には前世の記憶がある。その記憶を頼りに彼はキャラクターを作り、総数は300を超えている。

 

 今では失われた様々なサブカルチャー……人々の記憶から消え去ってしまったが、かつては存在していたキャラクター。

 

 それら一つ一つを見比べながら、次々に湧き起こる思い出に浸りながら、どれにしようかと考えている……と。

 

 

 

「……ゾーイ、君が居たね」

 

 

 

 ふと、目に留まったのは……かつては『ゾーイ』と名付けられた、とあるゲームのキャラクターが目に留まった。

 

 

 ──それは、今より100年以上前に流行した、『グランブルー・ファンタジー』というゲームに登場するキャラクターで……前世の彼がプレイしていたゲームでも使用していたキャラである。

 

 

 これまで色々なキャラクターを作ってきたが、その中でも一番思い入れがあるというか……一時期はこればかり使っていたキャラクターでもあった。

 

 見た目は、10代後半の美少女。人間にしか見えないが、人間ではない。

 

 褐色の肌に白髪、紅の瞳を持ち、蒼く輝く武器と、鎧を身に纏う……人の姿として顕現(けんげん)した、星晶獣(せいしょうじゅう)と呼ばれる種族……という設定のキャラクターだ。

 

 

(世界を護る……命を守りたいという生命の優しい想いが集うことで生まれた存在……その想いは、何処までもこの世界を護るために……か)

 

 

 ……死を間際にして、今更ながらに理解する。

 

 自分は、もしかしたら彼女に……ゾーイのような存在になりたかったのでは、と。

 

 優しい世界に触れて心を培ってきた彼女。己がもし、彼女のような存在で生まれていたら……この世界を、誰かの心を護れる存在に成れただろうか。

 

 もしかしたら、そうなりたいと無意識に願っていたからこそ、使用頻度が一番高かったのかもしれない……そう思いながら、彼は……そのキャラクターを選択──っ!? 

 

 

「──っ!? ぐっ!? がっ!?」

 

 

 ──した、その瞬間。

 

 

 強烈な激痛が、心臓より走った。

 

 その事に反射的に反応するよりも前に、意識が明暗する。

 

 チカチカと、視界いっぱいに点滅する光に合わせて、彼の意識は吸いこまれるように何処か遠くへ──。

 

 

(ははは……俺らしいと言えば、らしい最後か……)

 

 

 ──結局、ダイブする時間の猶予すらなかったか。

 

 

 そう、僅かばかり頬を引き攣らせながら……彼は、己の死を自覚すると共に、最後までゲームを楽しんでいる者たちを想い……静かに、息を……。

 

 

 …………。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………なんだ? 

 

 

 何も聞こえない。先ほどまで有った苦しみもない。ただ、真っ暗な中を漂う感覚だけが彼の全てを包み込み、指一本すら動かすことが出来ない。

 

 

 ……俺は、死んだのか? 

 

 

 そんな言葉が脳裏を過るが……返事など、返されるわけもなく……と? 

 

 

 

 ──何故、消滅した私の意識が再び目覚めたのかは分からない。

 

 

 

 その闇の中で……彼は、確かに声を聞いた。

 

 

 

 ──何故、死を迎えた貴方が私の前に立っているのかも不明だ。

 

 

 

 誰かは分からない。だが、誰かが己に問い掛けている。

 

 おそらくは女の声……でも、どこか無機質だ。

 

 それが、まるで傍に居るかのように語りかけてきた

 

 

 

 ──だが、分かる事はある。

 

 ──それは、目覚めた私の意識もまた、所詮は残光に過ぎないということ。

 

 ──そして、貴方が……貴方なりに、世界を護ろうとしていたことだ。

 

 ──そう、あの子が自らの意思で、私の調停を否定したのと同じように。

 

 ──調停者でなくとも、その想いは変わらないのかもしれない。

 

 

 

 声は、彼に語りかけるかのように……あるいは、己に言い聞かせるかのような……そんな声色であった。

 

 

 

 ──ならば、ここで貴方と出会ったのは運命なのかもしれない。

 

 ──あの子が人々と一緒に過ごすことで、己というモノを手に入れたのと同じように。

 

 ──かつての私もまた、そうなることを恐れて星の世界へと戻り……あの子に、未来を託した。

 

 

 

 いったい、声の主は何を言おうとしているのか

 

 それが、彼には分からなかった……でも。

 

 

 

 ──私も、貴方に未来を託そう。

 

 ──私の知る空とは、異なる空の下だとしても。

 

 ──守ろうとする優しき想いが、私と貴方を引き合わせたのかもしれないから。

 

 

 

 その声の主は……無機質ではあっても、その言葉には。

 

 

 

 ──だから、貴方に託そう。

 

 ──今の私に、現身を顕現する力はないけれども。

 

 ──それでも……出来うる限りを貴方に。

 

 

 

 確かな優しさが……この世界ではすっかり忘れていた、暖かな温もりを……彼は感じた。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………そして、その温もりが……ふわりと、己の中に入り込む感覚を覚えた──瞬間。

 

 

「……ここは?」

 

 

 フッと、意識が浮上して、視界が開ければ……全てが、今世では一度として見る事が叶わなかった……広大な自然が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ──最初、彼は己がどうなっているかを正確に認識出来ていなかった。

 

 

 言うなれば、白昼夢……長い、長い夢を見ていて、夢なのか現実なのか分からないままに、フッと目が覚めたかのような感覚だった。

 

 しかし、時が流れるにつれて……彼は、徐々に違和感に気付く。

 

 

 ──それは、臭いを感じるということだ。

 

 

 大地を我が物顔で繁茂する雑草の臭い、風に運ばれてくる砂埃の臭い、あるいは、雨が乾いたとき特有の……何とも言い難い臭い。

 

 それらは全て、DMMOには存在し得ない感覚だったからだ。

 

 何故なら、DMMOは直接大脳へ擬似的に情報をフィードバックさせることで、格別の臨場感をもたらしてくれる。

 

 

 だが、全ての感覚を与えてくれるかといえば、そうではない。

 

 

 人が日常的に知覚する五感を完璧に情報化させ、それを擬似的に認識させるなんてのは……彼の能力を持ってしても、難しい事なのだ。

 

 いちおう、やろうと思えば、出来ない事はない。

 

 しかし、それをやるとなると……大規模な設備もそうだが、一度に利用出来る人数を現在の数千人~数万人から、数十人程度に抑える必要がある。

 

 そのうえ、調整が非常に難しい。体質が人の数ほどあるように、脳にもそれぞれ固有の癖があるからだ。

 

 あまりにリアルに知覚させてしまうと、ゲーム上における死を、実際に死亡したと脳が勘違いしてショック死してしまう危険性がある。

 

 だから、現在の法律において、DMMOに関する様々な規制は厳密に運営されているのだ。

 

 その点については同様に危険視していた彼も、脳に錯覚させる情報を意図的に限定し、心の何処かでここが仮想空間であることを認識出来る状態にしていた。

 

 

 ……だが、ここにはソレがない。その事実に、彼は……困惑するしかなかった。

 

 

(……どういうことだ?)

 

 

 ある意味では、生まれて初めてかもしれない未知の状況である。

 

 

(サーバーダウンに伴う接続エラーが起きたとしても、安全機構(セーフティ)によって自動的に意識が現実に戻るはずだが……?)

 

 

 彼も開発に携わったユグドラシル(それ以外にも数多くあるけど)だからこそ、分かる。

 

 万が一異常が発生してサーバーエラーによる回線遮断が発生した場合の対策は、十全に行われていた。

 

 というか、DMMOはあくまでもプレイヤーの脳に信号を送って、現実のように錯覚させているだけだ。

 

 信号が途切れてしまえば、夢から覚めるみたいに意識は現実へと戻る。

 

 安全機構も、結局はその際に起こるフィードバックを軽減させるための……ん? 

 

 

 ふと──無意識に立ち上がろうとした時に、ようやく彼は気付いた。

 

 

 地面に付けた己の手が、己の知っている手ではない。

 

 彼の知っている己の指は、長年の無理が祟って老人のように痩せ細り、皺だらけのうえに、少しばかり関節が変形していた。

 

 なのに、己の身体より伸びている腕には、それがない。

 

 細いが瑞々しい褐色の肌に、小さく頼りない指先。まるで、子供の……いや、これは……女の子の指先のように、彼には見えた。

 

 

(──え?)

 

 

 いや、指先だけではない。

 

 視線を下げた彼の視界に飛び込んできたのは、鎧……そう、己の身体を護る鎧を優しくせり上げている……女のモノとしか思えない乳房らしき肌だった。

 

 

「こ、これはいったい……っ!?」

 

 

 呟いた声も、己のモノではない。

 

 そして、身動ぎした時にチラリと見え隠れした白い毛髪。

 

 頭に手を当てれば、坊主頭だったはずのそこには、豊かな感触が伝わってきた。

 

 

「あ、アイテムボックスには、たしか鏡が……ひっ!?」

 

 

 反射的に行った、アイテムボックス操作。

 

 本来ならばコンソールが表示されるはずだが、彼の手はスルリと空間に生じた黒いヘドロのような場所へと差しこまれ……気付けば、その手には鏡が握られていた。

 

 

 ……正直、非常に気持ち悪かった。いや、感触が、ではない。見た目が、である。

 

 ……とにかく、話を戻そう。

 

 

 たった今取り出したその鏡には、見覚えがある。ユグドラシルにおいて初期より入手できるアイテムだ。

 

 見た目こそ宝石やら装飾やらが施されてお高い感じの鏡ではあるが、自キャラの確認しか使い道がないという、正真正銘……ただの鏡である。

 

 

「……なんということだ」

 

 

 で、その鏡に映し出された己を見やった彼は……ようやく、今の己がどういう状態になっているかをおぼろげながら察した。

 

 

「この顔は、この姿は……ゾーイじゃないか」

 

 

 何もかもが原因不明だが……彼は、ダイブする予定だった『ゾーイ』に成っていた。

 

 しかも……ただ、そのキャラクターになっているわけではない。

 

 そっと、鎧の隙間に指を差し込み……指先より伝わる乳房の感触と、乳房より感じる指先の感触に……彼は、深々とため息を零した。

 

 

(あり得ない……俺が知る限り、性を強く認識させる部分にはモザイクが掛かるだけでなく、意図的に触れた時点で即BAN……それは、俺とて例外ではないはずなのに……?)

 

 

 加えて、接触における規制も全て解除されている。いや、解除するだけなら彼でなくても簡単だが……問題は、そのリアルさだ。

 

 前述の通り、現実同様に錯覚させるとなると、相応に大掛かりになる。

 

 そして、彼が把握している限り、そういった準備が成されているDMMOは、ごく一部だけだ。

 

 それに、何よりも……グルリと周囲を見回した彼は、圧巻のため息をこぼした。

 

 視界全てに広がっているこの景色は、とてもではないが現存する装置では再現出来ない。

 

 スペックを確保出来たとしても、緑あふれる光景を直接目にした者がほとんどいないせいで、あくまでも想像の域を出ないのだ。

 

 

 ……そう、そうなのだ。

 

 

 彼が生きていた世界では、命が息づく緑なんて、とっくの昔に失われてしまった光景である。

 

 それを見る為には、厳重に管理されたプラントをガラス越しに見学するしかない。

 

 もちろん、それが出来るのはごく一部の限られた者だけだ。

 

 一般人は過去の映像記録を眺めるのが精いっぱい。

 

 生まれてから一度も雑草を見たことがない……というのも、けして珍しい話ではなかった。

 

 そうだ、命溢れる緑もそうなら、何処までも広がる青い空もまた……青い、空? 

 

 

(そういえば──さっきの、アレは……)

 

 

 ふと、脳裏を過る声に……彼は、ゾーイとなった己の両手を見つめた。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………非常に信じ難い話だが……まさか、あの声の主は。

 

 

(星晶獣……コスモス?)

 

 ──星晶獣コスモス。

 

 

 それは、ゾーイと同じく、『グランブルー・ファンタジー』に登場するキャラクターである。

 

 説明すると長くなるので詳細は省くが、要はゾーイの生みの親みたいなものであり、ゾーイの本体であり、世界の調停の役割を担っている……みたいな存在である。

 

 たしか、星晶獣コスモスは数ある星晶獣の中でも、特殊な性質を持つ星晶獣である。

 

 色々あってプレイヤーの前に立ち塞がり、色々あってコスモスはゾーイに未来と役目を託し、最終的には自らを消滅させる形で決着を付けた……そんなキャラクターだったはずだ。

 

 

(そんなことが……いや、ありえない。そもそも、全てゲームの……)

 

 

 所詮は、憶測。状況証拠的に、そうだと思っただけ。

 

 

(……いや、今更か。それを言い出したら、前世の記憶を持ち、魔法まで使えた俺はどうなるんだって話だな)

 

 

 反射的に、あり得ないことだと否定した彼だが……すぐに、苦笑して、それを否定した。

 

 世間一般的な常識で考えるのであれば、己の存在自体が『ありえない』モノであるからだ。

 

 

 ──どれだけ信じ難い事であっても、だ。

 

 

 現実は現実として受け入れる……そう、子供の頃に決めたはずだろうと彼は改めて己に言い聞かせる。

 

 そうだ、どうせ、一度死んで蘇った身だ。

 

 今更、その数が一回増えたところで、何の戸惑いがあるというのか。

 

 

 何であれ、そう、今の己はゾーイだ。ゾーイに、成ったのだ。

 

 

 そう、改めて現状をひとまず受け入れた彼は……次いで、己の身体をジロリと見やった。

 

 これが『グランブルー・ファンタジー』のゾーイなのか、それとも己が用意して育てた『ユグドラシル』のゾーイ改(改造チート済の略)なのかは不明だが……可能性としては、後者だろうが、確定は出来ない。

 

 

(先ほどのアレは、ユグドラシルのアイテムボックスか? それじゃあ、この身体はゾーイ改……と、思って良いものか……?)

 

 

 いまいち実感が湧かないけれども……生まれた時からこの身体だったかのように、今の状態に違和感が全く無かったので……とりあえず、それも受け入れた。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………で、だ。

 

 

 とりあえず、何時までも緑の……言い換えよう。森の中でウロチョロしているのはマズイ。

 

 汚染されたあの世界であれば、野生動物なんてほぼ絶滅状態だったからそこらへんを気にする必要はなかったが、こちらの景色を見回す限り……居るだろう。

 

 何がって、野生動物が、だ。

 

 むしろ、居ない方が不自然だ。

 

 緑溢れる世界を知っている(覚えている)からこそ、彼は一刻も早くこの場を離れ、助けを求めるべきでは……と思った。

 

 ゲームのゾーイであれば野生動物なんぞ物の数ではないが……そう思い、とりあえず開けた場所というか山道と思わしき通路を見つけたので、そちらへと──あっ。

 

 

「あっ」

「グゲッ?」

 

 

 残念なことに、そう上手く事は運ばなかった。

 

 何故かといえば、エンカウントした。

 

 しかも、野生動物ではない。というか、前世においても実物をお目に掛かったことがない存在が居た。

 

 全長120センチぐらいの、緑の肌にボロ布一枚腰に巻いただけの……いわゆる、ゴブリンみたいなやつだった。

 

 

 しかも、そいつだけではない。

 

 

 家族なのか群れなのかは不明だが、同種と思われるゴブリンが……なんと、7体も居た。

 

 つまり、計8体。序盤に登場したなら、場合によっては全滅必至の数である。

 

 しかも、彼ら(雄雌判別不明)は例外なくその手にこん棒やらナイフやらを所持していて……その目つきは、飢えた獣のように血走っていた。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 本来であれば……そう、明らかに己の命を奪う気配満々な異形を前にして、恐怖で硬直していたはず……だった。

 

 けれども、不思議な事に……彼は、欠片も彼らに対して恐怖を覚えてはいなかった。むしろ、逆だ。

 

 例えるならば、だ。

 

 爪も牙も持たず一切の病原菌を持たない子ネズミが、チュンチュンと小指の爪程にもない小さな手足を使って威嚇しているような……そんな哀れみすら、彼は覚えていた。

 

 

 これは──調停者としての感覚なのだろうか。実に、不思議な気分であった。

 

 

 傍から見れば、危険なのは明らかに彼……白髪の褐色少女であるゾーイなのだが……つまり彼は、笑みすら浮かべて眼前のゴブリン(仮)に提案していた。

 

 

「あ~、その、互いに誤解が生じる前に、だな」

「グゲゲ、美味そうな女ダ!」

 

 

 だが、そんな彼の優しさも、眼前のモンスターには通じなかった。

 

 ゴブリンたちにとって、目の前に現れた女は、降って湧いた馬鹿な獲物にしか見えなかったのだろう。

 

 それ故に、獲物が逃げも隠れもせず、困ったように笑うだけという異常な状況にあるのに、誰も彼もが馬鹿正直に武器を振り上げ、彼へと襲い掛かったのであった。

 

 

「──スピンスラッシュ!」

 

 

 結果──その命を散らして大地に巻き散らかす事になったのは、緑の異形たちであった。

 

 気付けば、彼はそれまで持っていなかった盾と剣を両手に出現させ、息を吸って吐くぐらいの自然体で技を放っていた。

 

 違和感なく馴染んでいる感覚と同様に、ゾーイが持つ技すらも、その身体に刻み込まれていたのだろう。

 

 身体ごと反転させて放つ、蒼い剣の軌道。

 

 それらは一切の狂いなくゴブリンたちを真っ二つにし……そのまま流れるように、最後の一体へ向かって剣を振り上げると。

 

 

「──てい!」

 

 

 驚愕に硬直しているゴブリンの脳天を、一息で刺し貫いたのであった。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………そうして、僅か2秒足らずで終わった殺し合いの後。

 

 

(……不思議だ。異形とはいえ人語を話す存在を殺めたというのに、心にあるのは憐れみばかり。これは……これも、ゾーイの感覚なのか?)

 

 

 ──それとも、コレは己が胸の奥に秘めていた本性なのだろうか。

 

 

(いや、そもそもこの身体が本当にゾーイ改なのか、それすら確定したわけではない)

 

 

 もしかしたら、この身体は見た目こそゾーイではあるが、その本質は『星晶獣ジ・オーダー・グランデ』なのだろうか。

 

 

 ──星晶獣ジ・オーダー・グランデというのは、ゾーイの本来役目である『世界の調停』を行う際、本気で戦う時に見せる姿を指す。

 

 

 厳密には、前述した星晶獣コスモスも、ゾーイも、ジ・オーダー・グランデも同一の存在ではあるのだが……まあ、細かく考える必要はない。

 

 

 とりあえず、それほど本気を出していない、気が抜けている時はゾーイ。

 

 己の全てをもって世界の均衡を乱す敵と戦う、本気モードの時はジ・オーダー・グランデ。

 

 

 ──と、思ってくれたら分かりやすいだろう。

 

 

 そして、問題のジ・オーダー・グランデは、その状態になるとゾーイの時のような優しさも憐れみも無くし、システムのように淡々と役目を果たす。

 

 世界を護る為に、敵を全て白灰(はくはい)に帰す無慈悲な調停者……それが、星晶獣ジ・オーダー・グランデなのである。

 

 

(……気を付けよう。そして、固く心に刻み込もう)

 

 

 散らばったゴブリンたち。

 

 顔をあげれば、木々の影からこちらを覗く……獣たちの気配。

 

 ゾーイがこの場より離れるのを、今か今かと待っている。

 

 

 ──弱肉強食。

 

 

 異形であろうとも、死してしまえば肉でしかない。

 

 ゴブリンたちが彼を襲ったように、ゴブリンたちもまた、何者かに狙われる……この世界では、命の循環がちゃんと行われているようだ。

 

 

(私は、ゾーイだ。人々の、この世界に生きる生命の暖かな願いによって顕現した存在……ソレを求められていない時は、せめて……その間だけでも、私はゾーイとして振る舞おう)

 

 

 そう、固く、固く、固く……心に刻みつけた彼は……いや、彼女は、散らばるゴブリンたちに軽く手を合わせると……再び、山道の方へと向かった──。

 

 

「えっ?」

「oh……」

 

 

 ──そうして、5分と経たないうちに、また出くわした。

 

 

 しかし、今度はゴブリンではない。いわゆる、ファンタジー系のゲームで見慣れた恰好をした人間の集団と、目が合った。

 

 集団は、主に男性で構成されている。その手には誰も彼もが武器を手にしているが、浮かべている表情はポカンと呆けていて……ああ、なるほど。

 

 

 ──おそらく、彼らの狙いは先ほどのゴブリンなのだろう。

 

 

 だとしたら、彼らより逃げていた先に彼女と遭遇してしまい、そのまま流れで襲い掛かって……そして、彼らは逃げたゴブリンを追いかけて来た……といった感じか。

 

 

「……君たちの狙いは、緑色の小人か?」

「え、あ、うん、そうだけど……」

「それならば、すまない事をした。先ほど襲われたから、返り討ちにしてしまった」

「え!?」

「死体ならば、少し離れたところに転がっている。ただ、既に獣たちが群がっているだろうから、今も死体が残っているかは不明だが……」

「あ、いや、いいよ、別に! ただ、通りがかりの商人とかに襲い掛かったりしていないか、いちおう見ておこうってだけだったから」

 

 

 困った顔で後方、森の奥を指差せば、男は……真面目そうな雰囲気の男は、安心した様子で笑うと……構えていた武器を納め、そっと手を差し出した。

 

 

「とりあえず、後始末をしてくれてありがとう。俺たちはエ・ランテル所属の『漆黒の剣』、そのリーダー役を務めている、ぺテル・モークだ」

「……ゾーイだ。こちらこそ、邪魔にならなくて安心した。よろしくだ、ぺテル」

 

 

 差し出された手を、握り返す。

 

 ゴツゴツとしてガサついた手ではあるが、働き者の良い手だと彼女は率直に──っと。

 

 

「ハイハイハーイ! 俺はルクルット・ポルブ! こんな所で君みたいな美しい花に出会えるとは、神様に感謝だね!」

 

 傍目にも分かるぐらいに明るく軟派な雰囲気を出している、ルクルットがぐいっと手を差し出して来た。

 

 

「……私は花ではないぞ。だが、よろしく、ルクルット」

「ルクルット、女性と見るや否や、ナンパするのは止めるのである……私はダイン・ウッドワンダー、よろしくである」

 

 続いて、彼らの間では一番背が高く体格も良い……特徴的な話し方の、ダイン。

 

 

「気にしなくていい、ダイン。ルクルットには悪気がないようだからな」

「……あの、すみません、ルクルットは何時もこんな調子で……えっと、ニニャです」

「ニニャも、気にしなくていい。悪い人ではない、私にはそれが分かっているから」

 

 そして、彼らの中では一番小柄であり、全体的に中性的な雰囲気の……ニニャ。

 

 

 リーダーの挨拶が終わると同時に、次々に自己紹介と共に差し出された手を握り返しながら……彼女は、笑みを浮かべた。

 

 

 何故なら……彼らの瞳には、命が有った。

 

 

 終末を迎えようとしている、あの世界の者たちにはない……未来へと突き進む、暖かな熱がそこにはあった。

 

 

 ──それが、彼女には堪らなく嬉しかった。

 

 

 あの世界では、誰も彼もが未来を諦めていた。

 

 そこには、上流階級の者たちとて関係ない。

 

 贅沢や格差を利用して目を逸らし続けているが、誰一人例外なく……目の奥に、絶望が滲んでいた。

 

 けれども、彼らにはある。握り返した手の感触から、彼らにもまた辛い事や苦しい事を経験してきたのは分かった。

 

 でも、彼らは未来を夢見ている。一歩一歩、時には停滞したり後退したりしつつも、彼らなりに前へと進んでいる。

 

 

(ああ……ここには、暖かな想いが息づいている。私が本当に見たかった……人々の、優しい想いが、ここに……)

 

 

 その一端を感じ取れたからこそ、彼女は……ともすれば、涙が零れ落ちてしまいそうなぐらいに、嬉しくて堪らなかった。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………だからこそ。

 

 

「──あ、そうだ、ゾーイちゃん。言いたくないなら聞かないけど、どうしてこんな場所に1人でいるの?」

「……どう説明すれば良いのか分からない。とりあえず、事故に巻き込まれて、気付いたらこの場所に居たんだ」

 

「それって、転移魔法の実験か何かですか?」

「詳細は言えないが、似たような実験だと思っていいよ、ニニャ」

 

「で、あるならば、持ち合わせもほとんど無いのであるか?」

「少なくとも、ここらで流通している通貨ではない可能性が高いだろう」

 

「……さすがに、こんな場所で見捨てるのは可哀想だな。良かったら、俺たちの雇い主であるンフィーレアさんに聞いてみるが……どうする?」

「どうもこうも、今の私に寄る辺は無い。この辺りがどうなっているかを知る為にも、こちらからお願いしたいぐらいだ」

 

「──よし、決まりだ。それじゃあ、付いて来てくれ」

「分かった、面倒を掛けてすまない」

 

「いいってことよ。あ、そうそう、俺たちの今の雇い主はンフィーレアっていう男性なんだけど、その他にも2人護衛が居る」

「一人は凄い美人で、そりゃあもう男でなくても見惚れるぐらいだぜ! ちなみに、その人相棒と仲良しっぽいんだよなあ……」

 

「ルクルット……はあ、まあいい。1人は女性、1人は2メートル近い大男だけど、優しい人だから怖がらないでいてもらえると嬉しい」

「怖がるなんて、とんでもない。わざわざ気遣ってくれて、ありがとう」

 

 

 何もかもが不明な怪しい女を邪険にせず、親切にも手を差し伸べてくれた彼らを、護るべき愛おしい者たちだと思い。

 

 

「──お~い、ンフィーレアさ~ん! お待たせしました~!!」

「お帰りなさい、みなさ……あの、一つ聞いていいでしょうか? その、後ろの女性はいったい……?」

「この人は、さっき取り逃がしたゴブリンを退治してくれた方で……何でも、転移魔法の事故に巻き込まれたとかで、土地勘のない森の中にいたみたいなんだ」

「はあ、なるほど……それは災難でしたね。ところで、その人をここに連れてきたということは、もしかして……?」

「すみません、本来であれば先にンフィーレアさんの了解を得てから連れて来るのが筋ですが……さすがに、土地勘も無い森の中で放っておくわけにもいかず……」

「いえいえ、気にしないでください。その、お給料は出せませんけど……町まで同行する形ならば、こちらとしても問題はありません」

「──構わない。迷惑を掛けて、申し訳ない。ンフィーレア、さん。私の名は、ゾーイだ」

「いえいえ、ゾーイさんも御気になさらず。既にご存じだとは思いますが、僕の名はンフィーレア・バレアレ。短い間だけど、よろしくお願いします」

「こちらこそ、出来る限り迷惑を掛けないよう努めさせていただく」

「ははは、そこまで固くならなくていいですよ……幸いにも、今回はモモンさんとナーベさんという凄い護衛が2人も付いていますから」

「……モモン? ナーベ? それは先ほど聞いた護衛の名だな」

 

 

 ──それ故に、なのかは彼女自身にも分からなかったが。

 

 

「……よろしくおねがいします。護衛として雇われている、モモンだ。こちらは、私の相棒のナーベだ」

 

 

 全身(顔を含めて)を覆い隠すアーマーとヘルムによって、常人よりも二回りも三回りも大きく見える、モモンという名の剣士と。

 

 黒髪に黒い瞳、ルクルットの言う通り、女ですら見惚れてしまいそうな美貌の、ナーベという名の魔術師を、前にして。

 

 

「──世界の均衡が崩れる可能性が生まれた時、私は顕現する」

「えっ」

「──あ、いや、すまない、言い間違えた。こちらこそ、短い間だがよろしくだ、モモン、ナーベ」

 

 

 どうしてか……二人に対しては、無意識のうちにゲーム中における戦闘開始を告げる台詞を口走ってしまい……彼女は、困惑するしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 








 Next ナザリック・ヒント! 




 デミウルゴスが居なかった場合。



 ももん「よろしく、ゾーイさん!」

 ぞーい「よろしくだ、モモン」





 デミウルゴスが居る場合。



 ももん「あ、あの、ゾーイ=サン?」

 ジ・オーダー・グランデ「均衡を崩す者、慈悲は無い」

 ももん「アイェェェェェェ!!!??? 調停者ナンデ!? ナンデ調停者!?」







 世界征服なんて考えていると思いこんで行動していたら、世界の敵認定確定なんだよなあ……

 ちなみに、この作品におけるゾーイは基本的に改造チート。すなわち、ユグドラシルではありえない、グラブル仕様のレベル200、『ジ・オーダー・グランデHL』となっております

 レベル100が、レベル200に勝てるわけがないんだよなあ……









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(裏話)眼孔の奥より覗き見る

調停者ゾーイのユグドラシル時代を、モモンガ視点で。
話が進んでいないって?
ゾーイの可愛さに免じて許して


 

 

 今更語るのも……な、話なので詳細は省くが、『漆黒の剣』より凄腕の剣士として評価されているモモンは……人間ではない。

 

 

 その正体は、アンデッド。

 

 

 それも、オーバーロードと呼ばれる、アンデッドの中でも最高位に位置する強力なアンデッドで……そして、以前はユグドラシルというDMMO-RPGを遊んでいたプレイヤーの1人である。

 

 

 その時のプレイヤー名は、モモンガ。本名、鈴木悟(すずき・さとる)。

 

 

 彼が所属していた社会人ギルド(いわゆる、ゲーム内の所属団体みたいなもの)の影響から色々と有名ではあるが、彼自身は犯罪歴があるわけでもない、善良な一般市民の1人だった。

 

 

 そう、一般市民……つまりは人間……だったのだ。

 

 過去形なのは、今がそうではないから。

 

 

 気付けば、彼は異なる世界……現実世界とは違うし、己が知るユグドラシルとも違う、見知らぬ場所に居た。

 

 

 しかも……問題はそこだけではない。

 

 

 何が原因で、どうしてそうなったのかすら不明だが……本名『鈴木悟』、プレイヤー名『モモンガ』は、臓腑はおろか血液すら一滴も流れていない、骸骨の怪物に成っていて。

 

 

 そのうえ、見た目だけではない。

 

 

 これまた原理は不明だが、ゲーム内でプレイしていた『モモンガ』が所持していた様々なスキルを始めとして、アンデッドの特性が色々と表に現れているのだ。

 

 その中でも、問題があると心の何処かで他人事に思っていると同時に、気にする必要はないと思ってしまう問題が一つある。

 

 

 ──有り体にいえば、感情の揺れ幅が人間だった時に比べて、明らかに小さくなったのだ。

 

 

 喜怒哀楽、そのどれかがある一定のラインを超えると、まるで栓を抜かれてしまったかのように感情が抑制され、フラットに戻されてしまうのだ。

 

 そのうえ、アンデッド化の影響により、人間だった時には有った三大欲求も失われた。

 

 つまり、日常的に自分が人間ではなくなったのだということを自覚させられ続けるのだ。

 

 

 そして、それらの影響が最も強く出ているのは……生き物の生死に対して心が動かなくなった、その点だ。

 

 

 目の前で人間が惨たらしく苦しめられ、流血して倒れていても……まるで、蚊が蟻に食われている……その程度の感覚でしか見られなくなってしまったのだ。

 

 

 もちろん、例外はある。

 

 

 だが、その例外は己が所属していたギルドに関する事柄ぐらいで……言い換えれば、それ以外の生き物に対しては、等しく利用価値が有るか否か、それが全てであった。

 

 必要だと思ったならば、鼻歌を歌いながら赤子の頭を切り開いて、中身を薬草と擦り混ぜた後で、残った亡骸を虫に食わせても欠片も何も感じない。

 

 それこそ、昨日まで談笑していた相手であっても、必要ならばその身体を解体し、アンデッドに作り替えることだって、今の彼にとっては取るに足らない事でしかなくて。

 

 

 ……そう、今のモモンガに、もはや人間に対する同族意識は欠片もない。

 

 

 モモンガという名のオーバーロードに、辛うじてへばり付いている、鈴木悟という薄皮。それが、今の……アンデッドと成ってしまった、プレイヤーの1人であった。

 

 

 ……で、そんな彼がどうして剣士の……全身を鎧で覆い隠し、剣士の真似事をして冒険者に扮しているか……そこにも、理由がある。

 

 

 それは、見知らぬ世界に来たのが、彼だけではないということ。

 

 現在では彼がリーダーを務めているギルド、『アインズ・ウール、ゴウン』が作り上げた『ナザリック地下大墳墓』。

 

 そして、そのギルドにて作られていたNPCも、彼と同じく同じときに、この世界に来たのだ。

 

 しかも、このNPCたちは何故か自律的に行動する。

 

 本来ならば、定められた動きしかしないはずのNPCが、まるで自我を持ったかのように動き回るのである。

 

 

 しかも、しかも、だ。

 

 

 彼にとって非常に由々しき話なのだが……このNPCたち、揃いも揃ってモモンガに対して、狂信的なまでに慕っているのだ。

 

 もはや、信仰の領域。彼が死ねと言えば、誰もが涙を流して歓喜の中で自ら首を落とすほどの……はっきり言おう。

 

 

 ──ぶっちゃけ、ドン引きした。

 

 

 と、同時に、彼は……アンデッドとなった彼は、思った。

 

 

 ──これだけ慕ってくれている相手が、ただの小心者だと知られてしまえば……幻滅されてしまう……その、可能性を。

 

 

 前述した通り、いくらアンデッドの化け物になったとはいえ、鈴木悟の残りカスみたいなモノがへばり付いている影響から……彼は、NPCたちを只のNPCとは思えなかった。

 

 ……NPCたちの忠誠は半端ではない。アンデッド特有の抑制がなかったら、今頃彼は部屋に引きこもって怯え続けているぐらいに。

 

 

 けれども、それでも、だ。

 

 

 彼にとって、NPCたちは、かつて一緒に遊んでいた仲間たちの思い出だ。今でも、本当に楽しい日々だったと何度でも言えるぐらいに、彼の心に強く残っている。

 

 

 だからこそ、そんな思い出の日々にて作られたNPCたちの期待を裏切ってしまうことが、とにかく怖かった。

 

 

 故に、彼は足りない(と、当人は思っている)頭を何とか動かして、支配者然とした態度と仕草でNPCたちが望む、『至高の御方』として振る舞う事を選んだ。

 

 それから……大して月日が経ったわけではないが、彼は……モモンガは、情報を集め、戦力を整えるために、人の暮らしの中に紛れる事にした。

 

 それには、ストレス解消の側面もあった。だって、支配者ロールというのは、兎にも角にもストレスが溜まるからだ。

 

 人間に対する同族意識はないが、鈴木悟だった頃の感情……憧れみたいなモノが残っていたから、それをやってみたいという思いからの行動でもあった。

 

 

 それに……モモンガは、警戒していた。

 

 

 ユグドラシルからこの世界に自分が来たように、『他のプレイヤー』もこの地へ来ている可能性……そして、その危険性を。

 

 

 ──詳細は省くが、モモンガが所属していたギルドは、ユグドラシルにおいて悪名がこれでもかと広まっていた極悪ギルドだ。

 

 

 もちろん、極悪なのはあくまでも、そういうロールプレイをしていただけ。実情は気の良い人たちばかりで、極悪とは名ばかりの者たちばかりだ。

 

 けれども、それは仲間内に対する話であって、やはり、外側から見れば極悪に見えたことだろう。

 

 なので、ユグドラシルにおいて、モモンガたちのアンチはそれなりにいる。モモンガが警戒しているのは、こういうアンチたちがこの世界に来ていないか……という点だ。

 

 

 ……NPCたちは、他のプレイヤーの事をほとんど知らない。

 

 

 NPCたちを信頼していないわけではないが、ユグドラシルというゲームに一番精通しているのはモモンガであり、その有利性は単純なレベルでは測れない。

 

 万が一、NPCたちが気付かぬ内にプレイヤーたちと戦い、この地にやって来ていたプレイヤーたちが一致団結してしまうならば……それを、モモンガは一番恐れていた。

 

 故に、モモンガはアンデッドの身体を鎧で覆い隠し、人間のフリをして、お供(ナーベ)を付けて(望んで付けたわけではない)、冒険者に扮して、情報収集などを行っていた次第である。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………そうして、モモンガ改め『モモン』として一時的に名を改めた彼は、冒険者となり……護衛任務に就いた。

 

 

 この世界のモンスター(この世界では、亜人とか異形種とか言われている)と戦い、そのあまりの弱さに呆れながらも、まあまあ順調だな……と、暢気に考えていた。

 

 

 

 

 ──はっきり言おう。そんな甘い考えは、一瞬で吹き飛んだ。

 

 

 

 

 ゾーイと名乗ったその女を目にした時、モモンは……いや、モモンガは、己の心臓が止まったと錯覚するほどの衝撃を受けた。

 

 

(ちょ、調停者ゾーイ!? 非公式チートだと!? まさか、こいつもこの世界へ!?)

 

 

 アンデッド化による抑制が無ければ、驚愕のあまり声すら上げていただろう。この時ほど、モモンガはこの抑制が働いた事を嬉しく思った事はなかった。

 

 何故ならば、だ。

 

 この女に関しては、モモンガだけでなく……ユグドラシルをプレイしていた者なら、初心者でも知っているぐらいに有名な存在であったからだ。

 

 

 

 

 ──調停者ゾーイ。またの名を、星晶獣『ジ・オーダー・グランデ』

 

 

 

 

 公式アナウンスにも記載されていない、謎のプレイヤー。当時は運営が用意したNPCという噂があったぐらいに、全てが謎に包まれた存在だ。

 

 まず、滅多に見付けられない。発見出来る場所も町中ではなく、フィールドのどこかでポツンと立っている事が多い。

 

 話しかけてもお決まりの台詞を幾つか返すだけで、一切イベントが発生しない。

 

 攻撃しても対象をすり抜けるということもあって、当初は町人などの野良NPCの一種だと思われていた。

 

 

 だが……そうではなかった。

 

 

 調停者ゾーイがその真価を始めて発揮したのは、ユグドラシルにおける均衡が崩れた時。

 

 具体的には、ユグドラシルが始まって、日に日に人気が膨れ上がり、毎日新規プレイヤーが増えていた頃……当時、ユグドラシルでは由々しき問題が発生していた。

 

 通称、異形種狩り。いわゆる、プレイヤーキラーだ。色々な理由があって、それを行うプレイヤーが後を絶たなかった。

 

 その流れは運営がアナウンスしても止まらず、プレイヤーによるPK(プレイヤー・キル)が横行し過ぎてPK専門ギルドが発足し、その規模がデカすぎたせいもあって運営が本腰を入れて対処しないとプレイヤー離れが起きかねない……そんな状況になりかけた時であった。

 

 

 

 

 ──世界の均衡が崩れる可能性が生まれた時、私は顕現する! 

 

 

 

 

 その言葉と共に、それまで野良NPCだと思われていたゾーイが剣を抜いた……その後の事を、簡潔に述べると、だ。

 

 PKギルドは、軒並みゾーイに破壊された。

 

 最高位の装備で身を固めたプレイヤーすらもまるで歯が立たず、小一時間ほどでギルドが一つ破壊されていったのだ。

 

 おかげで、調停者ゾーイの名は瞬く間に広まった。

 

 だが、ゾーイの名を絶対のモノにした理由はそこではなく、ユグドラシル全盛期に至った時……運営より、とあるイベントが打ち出された事がキッカケであった。

 

 

 

 

 ──『特異点を、調停者ゾーイより守り通せ!』

 

 

 

 

 それが、イベント名であった。そして、その内容は、そう複雑ではない。

 

 簡単にまとめると、『特異点』という名のストーン(という名の、大きな石碑)を、ゾーイに壊されないように護るだけのイベントだ。

 

 イベント参加者に制限は無く、ギルドの垣根無く参加が許され、功績に合わせて運営よりレアアイテムがプレゼントされるというモノだった。

 

 もちろん、腕に覚えのある人は皆参加した。

 

 モモンガだって参加したし、モモンガが所属しているギルドの人達全員(予定が合わなかった者は除く)が参加して、いざ尋常に……と、誰もがイベント開始に合わせて身構えた。

 

 

『──世界の均衡が崩れる可能性が生まれた時、私は顕現する!』

 

 

 そうして、そこから先には……地獄が広がった。

 

 

 …………。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………ふっ、と。

 

 

「……モモン様、どうなされましたか?」

 

 

 しばらく、放心していたのだろう。

 

 ハッと我に返ったモモンガ……否、モモンは、周囲に聞かれないよう潜ませた、ナーベの淡い問い掛けに……考え事をしていただけだと答えた。

 

 そう、昔の事を思い出していた。

 

 今はもう居ない、仲間たちの事を。ユグドラシルの野良ラスボス、歩いてくるラスボスとも揶揄された、調停者ゾーイとの戦いを。

 

 

「そうでしたか、邪魔をして申し訳──っ、まさか、あの女の事で気に障ることが?」

「え、いや、別にそんなことは……」

「あのガガンボ……! 少々お待ちを、私が掃除致しますので」

「待て、いや本当に待て、頼むから待て、これは命令だ!」

 

 

 ほとんど反射的に、モモンはナーベの頭を叩いていた。

 

 途端、涙目になって「も、申し訳ございません」頭を下げるナーベに、とりあえず彼女に手を出すなと厳命しておいて……チラリ、と先頭を歩くゾーイを見やる。

 

 

(よ、良かった、聞こえていなかったみたいだ……ほ、本当に良かった……!)

 

 

 幸いにも、モモンたちは背後を警戒する為に最後方に居たし、声を潜めていたので誰も気付かなかったが。

 

 それでもなお、モモンは鎧の下で冷や汗を流していた。

 

 まあ、アンデッドだから汗は出ないけど。

 

 

(それにしても、ナーベめ……お、恐ろしいことをするやつだ! 何の準備もせずに調停者ゾーイに戦いを挑むとか、手の込んだ自殺も同然だぞ!)

 

 

 そう内心にて吐き捨てながら、モモンは……あの日、初めてゾーイと戦った日の事を、改めて思い出した。

 

 

(調停者ゾーイ……仮に、俺の知るゾーイであるならば……俺一人で挑むのはあまりに無謀。現存するワールドアイテム全部使っても勝ち目がない……)

 

 

 あの日、あの時……結果だけを言えばボロ負けしたモモンだが、そのおかげで分かった事が幾つかある。

 

 

 まず、ゾーイと戦うには、事前に相応の準備がいる。

 

 

 具体的には、戦闘に参加するプレイヤーは、レベル100が絶対条件。

 

 基礎ステータスの影響か、プログラム上そうなっているかは不明だが、レベル99以下では如何にバフを掛けてもほとんどダメージが通らない。

 

 並びに、神器級(ゴッズ)と呼ばれる、入手に至るまで超高難度の装備を、最低二つは装備しておく必要がある。特に、アタッカーは神器級の武器が必須である。

 

 他にも、HP回復アイテムを始めとして、各種状態異常を回復するアイテムも必要。対ゾーイ戦に合わせて、アイテムボックスの中身を整理する必要がある。

 

 

 そして、戦う人数だ。

 

 

 対ゾーイ戦は、兎にも角にも人数が居る。ギルド単位で協力して挑まなければ、そのまま力技で押し込まれてしまう。

 

 おそらく、始めから協力して倒すのが前提になっているのだろう。

 

 というのも、ゾーイは……ある一定ラインよりHPが減少すると、通称『調停モード』に移行するのだが……これがまた、凶悪なのだ。

 

 耐性をぶち抜く確定即死攻撃を始めとして、プレイヤーに掛けられたバフを全消去。そこから更に、対象キャラのHPをグループ単位で1にするという技まで放ってくる。

 

 これの何が恐ろしいって、召喚モンスターを使った、ユグドラシルでは御馴染みの戦法の効果が半減してしまうのだ。

 

 なにせ、直後に通常攻撃(広範囲3連攻撃)を放ってくるので、シャレにならないというか……正気か運営はと、どれ程のプレイヤーが怒り狂っただろうか。

 

 そのうえ、ゾーイには……敵対した相手のHPが25%を下回った状態で放置すると、『調停』と呼ばれる特殊なバフが自身へ自動的に掛かる仕様となっている。

 

 これは、ゾーイの放つ一部の攻撃(割合ダメージ)ダメージ量が上がるというもので……まあ、想像するまでもなく、お察しな通りの凶悪さである。

 

 そして、何よりも……人数を揃える最大の理由は、ゾーイのHPが非常に……いや、異常に高すぎるのが原因だ。

 

 おかげで、事前準備無しで挑むと、HPを削る途中で回復アイテムが底を突くという事態になってしまう。

 

 そして、そのままHPが25%以下のプレイヤーが続々出て来るに合わせて、『調停』のバフが掛かったゾーイの猛攻が更に激しさを増して行くという悪循環。

 

 人数が足りていないと、ゾーイの猛攻を受けて攻撃に回れる人数が減ってしまい、そのまま押し切られてしまう危険性が一気に跳ね上がってしまうのだ。

 

 ……いちおう、初心者救済処置として、戦いに挑むプレイヤーが全員レベル99以下の場合に限り、通称『手加減ゾーイ』状態で戦闘が始まる……が、しかし。

 

 

(アイテムでレベルを誤魔化すと、通称『ブチ切れゾーイ』になってレベル250とかいう意味不明な状態になるんだよなあ……)

 

 

 ──やはり、ゾーイと争うのは絶対に避けるべきだろう。改めて、モモンはそう思った。

 

 

 ギルドメンバーが全員揃っていた時ならともかく、現在のナザリック大墳墓の戦力では、逆立ちしたって太刀打ちできないのは明白だから。

 

 

(とりあえず、ゾーイに関しては細心の注意を払って監視を続けるしかあるまい。敵対された場合……ふう、考えるだけ嫌になるな……)

 

 

 ──ふわり、と。

 

 高ぶりかけた気持ちが、落ち着くのをモモンは自覚する。

 

 ゾーイと一緒に歩いているだけで平常心を失い、その度に抑制が掛かってしまう。

 

 正直、これだけでも相当に苛立ってしまう状況で、その苛立ちすら抑制されてしまうから、何とも表現し難い気持ち悪さを覚える。

 

 だが……下手にボロを出すわけにはいかない。

 

 

(先ほどの台詞……はっきりと気付いてはいないようだが、俺がアインズ・ウール・ゴウンのモモンガだという事に勘付いたか?)

 

(ゾーイは善悪で敵対するわけじゃない……だが、ナザリックの今後の行動次第では、均衡を崩す存在と思われる可能性は、0ではない)

 

(調べる必要はあるが……駄目だ、焦って動くな。敵対すれば、ナザリックの敗北は必至。とにかく、ゾーイとの敵対だけは絶対に避けなくては……!)

 

 

 何故なら、モモンの正体は極悪ギルドのモモンガだ。

 

 この世界に来る前ならともかく、今のモモンは……紛れも無く、化け物である。

 

 そして、NPCたちも同様だ。モモンにとっては友人たちの子供のように思えても、ゾーイにとっては均衡を崩す存在としか思われない可能性が極めて高い。

 

 

 ──今後は、もっと慎重に戦力を補強していく必要があるようだ。

 

 

 最終的に、そう結論を下したモモンは……ひとまず、ヘルムの下で静かにゾーイの行動を監視することにした。

 

 

 

 

 

 




ちなみに、ドジっ子発動してナーベが攻撃していたら、ゾーイの反撃でナーベは即死です
『手加減ゾーイ』ならともかく、レベル100のモモンガが居るので手加減されませんし、ナーベ自身は本来前衛ではありませんから……



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結局、ばあ様は何処へ?

感想欄見て思ったけど、そうだよな
今のグラブルってジ・オーダー・グランデ強すぎィ!?とか言っていた頃に比べて、めっちゃマルチボスの難易度上がっているよな

そう考えれば、まだユウジョウ仕様だな(暴論)


 

 

 

 

 ──結局、うっかり変な事を口走った件はうやむやには出来たが……その後、色々あった。

 

 

 

 彼女は途中から参加したし部外者なので話に入るようなことはしなかったが、それでも分かった事が幾つかある。

 

 まず、今回の雇い主であるンフィーレアの目的は、幼馴染であるエンリ・エモットという名の少女が暮らす村へ、配達&様子見。

 

 そして、村の近くにある森にのみ自生している薬草採取が目当て……だったのだが、どうも様子がおかしい。

 

 詳しくは知らないが、何時の間にか村全体が丸太で壁が作られており、大そう堅牢な外壁なのだとか。もちろん、ンフィーレアは知らなかった。

 

 

 で、その堅牢な村の中より姿を見せた……エンリ・エモット。

 

 

 そうなるようになったキッカケは、どうやらこの村を賊が襲ったとかで、大勢の犠牲者が出て……その時助けてくれた、『アインズ』という旅の魔術師が授けてくれたマジックアイテムのおかげなのだとか。

 

 ……そうして、ひとまず弔いも終わり……今はそのマジックアイテムによって召喚されたゴブリン(ゾーイが倒したやつらとは違うらしい)のおかげで、平穏な日常が戻って来た……とのことだ。

 

 

 それから、積もる話を一晩かけて行った後。

 

 

 翌朝、とりあえずは薬草採取を行い……そこで、森の権能……剣王? 拳王? 健康? 

 

 とにかく、そんな感じの二つ名を持つ、サソリのような尻尾を持つ巨大ハムスター(彼女の目には、そうとしか映らなかった)が登場し……それを、モモンがテイムして。

 

 それから、巨大ハムスターに乗ったモモンとナーベ、荷馬車にてゆっくり進むンフィーレアと、護衛する『漆黒の剣』……そして、調停者であるゾーイ(つまり、彼女だ)。

 

 ここがユグドラシルであったならば、変なパーティだなと二度見されてしまうような大所帯となった一行は……『エ・ランテル』という名の、ンフィーレアたちが暮らしている街へとやってきた

 

 

 入る時に門番たちから呼び止められたが、幸いにもそこまで騒ぎにはならなかった。

 

 

 それは、『エ・ランテル』ではけっこう名が知られているンフィーレアが口添えしてくれたのもそうだが、彼女の話し方というか、雰囲気が……どうも、間者の類には見えなかったからだ。

 

 なんと言えば良いのか……強いて言葉を当てはめるのであれば、世間知らず……といった感じだろうか。

 

 なにせ、文字が読めない。このあたりでは見掛けない鎧を身に纏っているが、通貨すら所持していないときた。

 

 話していた通り土地勘は全く無いし、見る物全てを興味深そうに見回している。その姿は、正しく田舎から出てきた娘っ子そのものであった。

 

 

 おかげで、害は無いだろうと、無事に街の中へと入れた彼女は、だ。

 

 

 とりあえずは依頼達成の報告と、テイムした証を貰う為にギルドへと向かうモモンに……ではなく、ンフィーレアへ付いて行くことになった。

 

 最初は、ギルドで身分証明を貰う必要があると言われたのでモモンについて行こうと思ったが、ンフィーレアたちから行く必要はないと言われた。

 

 理由は、依頼達成の報告はともかく、冒険者登録は夕暮れ辺りで業務を閉め切ってしまうから、らしい。

 

 

 ──なるほど、そう言われてしまえば、わざわざ付いて行く必要もない。

 

 

 そう判断した彼女は、『今日のところは家に泊まってください、狭いですけど』というンフィーレアの厚意を素直に受け入れ……彼の自宅兼仕事場である、薬品店へと向かう運びとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 ──そういえば、何故だろうか。モモンが私に対して非常に怯えている……ような気がしてならない。

 

 

 とまあ、そんな感じで薬品店へと向かっている最中。

 

 ふと、気になっていた事をンフィーレアたちに話してみれば……確かになあ、との返事を貰った。

 

 

「何故かは分からないけど、モモンさんってゾーイちゃんを怖がっているように見えるよな。当人は隠しているっぽいけど、常に微妙に距離を取っているし……」

「うむ、不思議なのである。あれ程の武人が、どうしてあそこまで怖がるのか……心当たりはないのであるか?」

「全く無い。そもそも、モモンとは初対面だ。私の故郷にも、あれほどの体格の男はいなかった」

 

 

 ルクルットとダインからの問い掛けに、彼女は心底困った様子で首を横に振った。

 

 

 実際……彼女には、心当たりになりそうな体格の知り合いはいない。

 

 

 ゾーイが登場する『グランブルー・ファンタジー』には体格の良い種族が登場するが……だとしても、ゲーム中におけるゾーイとその種族との関係は0に等しい。

 

 というか、あれだけ背が高くて体格の良い男、知り合いでなくとも覚えていておかしくないのに、それが無い辺り。

 

 おそらく、向こうがナニカを勘違いしているのでは……と、彼女は考えていた。

 

 まあ、だからといって、自分よりも頭一つ二つ三つは小さい異性に怯えるというのも、不思議な話ではあるが……と。

 

 

「ここです、お婆ちゃん、ただいまー!!」

 

 

 どうやら、しばらく考え事をしているうちに到着したようだ。明かりを片手に、ンフィーレアが先導する。

 

 ンフィーレアが自宅兼仕事場として借りているその家は、他の一般的な住宅に比べて一回り大きく、一目で『店』だと分かる外装をしていた。

 

 ……街並み自体が非常に興味深く、もっと眺めていたいが……そんなワガママを言える状況ではないので、促されるがまま中へ。

 

 

(これは……何とも表現し難い。甘ったるく、薬臭いというか、なんというか……なるほど、この世界の薬品店は、こういうモノなのか)

 

 

 途端、室内より漂う臭いに彼女はクラリときて、軽く頭を振る。他の者たちを見る限り、誰も気にした様子もない。

 

 

「……もしかして、薬品店は初めてですか?」

「初めてというわけではないが……故郷では、薬を作るところと、売るところは分かれていたから……」

「ああ、なるほど。そういう作りにしている店もあるって聞いた覚えがあります。気分が悪くなるようでしたら、一度外に出てみてはどうでしょうか?」

「……いや、今日はここで寝泊まりするのだ。そのうち慣れるから、我慢しよう」

「ふふふ、頑張ってください」

 

 

 よほど、嫌そうな顔をしていたのだろうか。

 

 気付いたニニャより尋ねられたので素直に答えれば、ふふふと淡く微笑まれた。

 

 とはいえ、小馬鹿にされている感じはしない。

 

 実際に気分を悪くする人がいるようで、慣れない人は仲間に頼んでまとめて頼んでもらう人も居るのだとか。

 

 さて、見やれば、店内の商品棚と思わしきガラスケースには、青色の液体で満たされた小さいガラス瓶が等間隔で置かれている。

 

 

(これは……何の薬なのだろうか?)

 

 

 あいにく、彼女は文字が読めない。加えて、薬品に関する知識もない。見た目だけでは、全然わからない。

 

 あちらの世界で使われた医療品とは形状も色合いも違うし……熱冷ましか、痛み止めだろうか? 

 

 

 ……どちらにせよ、不味そうだ。

 

 

 そう結論を出した彼女は、家の奥へと向かおうとするンフィーレアを追いかけ──直後。

 

 

「ンフィーレア、少し待て」

 

 

 ドアの向こうへと行く前に、その服を掴んで無理やり引っ張った。無意識に手加減しているとはいえ、レベル200。

 

 ぐえっ、と息を詰まらせて尻餅をついたンフィーレアが、「いたたた……いきなりなにするんですか!?」困惑しつつも、少しばかり怒りを露わにした。

 

 当然ながら、突然の奇行に『漆黒の剣』たちも驚く。

 

 しかし、強盗のように人質に取るわけでもなく、ンフィーレアを家の奥へと行かせないようにしたことに……彼らは、首を傾げた。

 

 

「あの、いきなり何を……?」

「そこのドアを入ってすぐの所に、誰かが隠れている」

 

 ──えっ? 

 

 

 誰もが例外なく、動きを止めた。

 

 

「誰かは知らないが、どうしてそこに立っているのか答えてくれ。私の勘違いならば謝るが、そこに居るあなたは誰だ?」

 

 

 けれども彼女は、どういうことだと全員から向けられる視線の中で、顔色一つ変えることなく……明かり一つ付いていない、ドアの向こうへと語りかけた。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………最初の返事は、ドアの開閉であった。

 

 

「あっちゃ~、バレちゃった? 君ってば、けっこう勘が鋭いんだね~」

 

 

 そして、その奥より姿を見せたのは……黒いマントを身に纏った、金髪ショートボブの女であった。

 

 歳は、20歳代だろうか。整った顔立ちをしており、何処となくネコ科を思わせる愛らしさがある。

 

 ローブの隙間より見せる肌は白く、ホットパンツにビキニタイプのアーマーという、非常に身軽さを重視した装備をしていた。

 

 

「──なっ!?」

「待て、落ち着け。手を出さなくていい、たぶん、君たちでは勝てない」

 

 

 片手に掴んだままのンフィーレアをそのまま後方へと放り投げつつ、もう片方の手で『漆黒の剣』を制止する。

 

 もちろん、それで納得するかといえば、そんなわけもない。

 

 しかし、何であろうが、彼女は彼らを己より前に出させるつもりはなかった。

 

 そうしなければ、彼らは反射的に抜いた武器を構えていただろう。たとえ、敵わぬ相手だと分かっていても。

 

 

 ……そう、彼らとて冒険者だ。相手を見て、その実力を本能的に見抜いたのだろう。

 

 

 でなければ、彼女の制止は間に合っておらず……だからこそ、彼女は彼らを止めたのだ。

 

 眼前の女の目的は不明だが、下手に得物を抜いてしまえば、話が拗れてしまうと考えたからだ。

 

 それに……見たところ、眼前の女は『漆黒の剣』に比べて桁違いの実力だと彼女は瞬時に見切っていた。

 

 ゾーイに成る以前からの転生チート能力は、伊達ではない。

 

 達人のように見ただけで実力を測るほどではないが、後ろの彼らとの違いを見抜く程度の観察眼は、持ち合わせていた。

 

 

「君は、誰だ? どうしてここに居る?」

「誰だっていいじゃな~い。用があるのは、そこの坊やだけだから」

「……坊やとは、ンフィーレアのことか?」

「それ以外いないでしょ」

 

 

 そう言われて、彼女は振り返ってンフィーレアを見下ろす。「貴方の知り合いか?」と尋ねれば、それはもう凄い勢いで首を横に振られた。

 

 

「違うらしいが、何用だ?」

「それ、いちいち答える必要あるぅ~? 面倒臭いから、黙っていてくれるかしら?」

 

 

 なので、そう答えれば……言葉通り、心底面倒臭そうに女はため息を零すと……スルリと、マントの中より取り出したのは……武器を取り出した。

 

 それは、打ち合うには短く、隠し持つには少しばかり長く……スティレットと呼ばれる、短剣の一種であった。

 

 おそらく、コーティングを施すことで強度を上げているのだろう。

 

 鉄とは少しばかり色合いが異なっているのを見て、彼女はそう判断し……同時に、只の強盗ではないとも判断した。

 

 

 ……さて、どうしたものか。

 

 

 チラリと、背後の5人を思った彼女は……不思議な程に落ち着いている己に軽く驚きながらも、判断を迫られていた。

 

 

 ──単純に、戦うのはいい。一度は死んだ身、そして、蘇った身だ。

 

 

 ここで彼らを護って命を落とすのであれば、その為に己は蘇ったのだろうという納得する事が彼女には出来た。

 

 しかし、女の目的が分からない以上は、ただ殺されてやるわけにはいかないし、只々殺されるつもりもない。

 

 加えて、ここで己が居なくなった後で、ンフィーレアが今後も無事である保証はない。

 

 というか、目撃者である『漆黒の剣』も殺されるだろう。

 

 

 ……彼らを、こんな場所で殺させるわけにはいかない。

 

 

 彼らは、彼女が護りたかった世界に生きる者たち。

 

 希望と夢を胸に明日へと向かう彼らの為に、彼女はこの手を血に染めることに、何の躊躇いもない。

 

 それが、人間だった時の彼の意思か、あるいはゾーイとしての意思か……それを判別することは今の彼女には無理だが、どちらにせよ、後悔はしない確信があった。

 

 

 ……ただ、そんな彼女の覚悟とは別に。

 

 

 気になるのは、家に居るはずの、ンフィーレアの祖母が姿を見せないことだ。

 

 既に殺されてしまっているのであれば、気の毒ではあるが、その分だけ身軽に動ける。あるいは、当て身や眠り薬などで動けなくされているだけでも同じ。

 

 しかし、当人が存命で、ンフィーレアを拘束するための人質として囚われている場合は……下手に返り討ちにしてしまえば、その所在が分からなくなってしまう可能性があった。

 

 

「……その得物を抜いたということは、私と戦うというわけだな?」

「あっれ~、命乞いのつもり~? 命乞いをするなら、もうちょっと頭使ってやってほしいと思うなあ~お姉さんとしては~」

 

 

 己よりも小柄で、弱そうに見える彼女を見て、ナメきっているのだろう。

 

 言い回しも声色も、明らかに彼女を下に見ている。その態度に『漆黒の剣』は怒りを露わにする……が、動けない。

 

 彼らは、呑まれてしまっていた。人を殺す事に慣れきった者だけが放てる、固有の気配と迫力に。

 

 彼らが場数を踏み、時には非道を見て見ぬフリをする強かさがあれば別だが……そうではない。

 

 これから人を殺してしまうのかという無意識の忌避感も相まって、彼らは僅かばかり腰が引けてしまっていた。

 

 

「……そうか、戦いを挑むのか。ならば、受けて立とう」

 

 

 だが、彼女は違った。

 

 『調停者ゾーイ』のフィードバックがあるからなのか、不思議なぐらいに心は平穏のままに……スルリと、空間より出現した盾と、蒼き剣を構えた。

 

 

「名を、聞きたい。貴女の名前は?」

「どうせ死ぬんだし、答える必要ある~? むしろ、そっちが自己紹介した方がいいんじゃない? 私が忘れるまで、覚えていてあげるからさ~」

「……そうか、では私の名を告げよう」

 

 

 一つ、溜め息を零した彼女は……いや、調停者ゾーイは、眼前の女の要望に応え、高らかに宣言した。

 

 

「──私は、世界の均衡が崩れる可能性が生まれた時、顕現する存在……調停者、ゾーイだ」

 

 

 そして、ふわりと……部屋にある唯一の明かりに照らされてもなお……薄暗がりを柔らかく切り裂きながら……構えると。

 

 

「この私に単身で挑んできた者は数少ない。貴女は、その内の一人になった……さあ、来い!」

 

 

 飛びかかって来た女を何時でも迎撃出来るよう、ギロリと目つきを鋭くさせながら睨みつけ──ん? 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………どうした?」

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………何故か、女はポカンと呆けて……大口を開けたまま、その場より動きを止めた。

 

 最初はフェイントの類かと思ったが、その手からポロリとスティレットが落ちたのを見て、どうにも様子が違うぞと目を瞬かせ──。

 

 

「あ、あの、幾つか質問をさせていただいてもよろしいでしょうか!?」

 

 

 ──た、と同時に、これまた何故か敬語で話し掛けられた。

 

 

 先ほどまでの、相手を格下扱いしているかのような間延びした言い回しではない。

 

 むしろ、尊敬する恩師を相手にするかのような、何処となく緊張感を孕んだモノになっていた。

 

 

「……まあ、武器を納めてくれるのであれば」

「──っ! は、はい、分かりました!」

 

 

 その言葉と共に、女は床に転がったスティレットを器用にも蹴飛ばして滑らせ……ハッと我に返ったぺテルが、それを受け取った。

 

 これで、事実上、女は無力化された。その事に、ンフィーレアと『漆黒の剣』は、安堵のため息を零した。

 

 まあ、他にも武器を隠し持っている──と思ったら、何処に隠し持っていたのか、モーニングスターも床に落とすと、それを身に纏っているマントで包んで……同じく、ポイッと床に転がした。

 

 

 ……そして、女は……その場にて、静かに正座をした。

 

 

「武器は、全て放棄しました」

「……あ、うん。それならば、私も剣を納めよう」

 

 

 本当に武器を全て手の届かない場所にやってくれた以上、彼女が武器を構えるのは失礼というもの。

 

 出現した時とは逆に、僅かな光と共に空間へ溶け込ませるように剣と盾を消した彼女は、女の質問に答えようと──する前に、思い出した。

 

 

「そういえば、貴女の名前を──」

「クレマンティーヌと言います。ゾーイ様……いえ、『ぷれいやー』様」

「──そうか、クレマン……待て、今、何と言った?」

 

 

 食い気味に名乗られて一瞬ばかり押された彼女だが、その直後に続けられた言葉に目を瞬かせた。

 

 何故なら、『ぷれいやー』……彼女の知る『プレイヤー』と、同じ言葉で同じ言い方だったからだ。

 

 

「『ぷれいやー』様、と呼びました」

「……私をそう呼ぶということは、もしや……この世界には、ユグドラシルのプレイヤーたちが……いや、そもそも貴女は何者なのだ?」

「私は……私は元、漆黒聖典(しっこくせいてん)の第九席次、疾風走破のクレマンティーヌと言います」

 

 

 ──なんだろう、そう言われても全然分からないのだけれども……まあいい、そっちは後だ。

 

 

「それで、貴女は私に何を聞きたいのだ?」

 

 

 率直に尋ねれば、女……クレマンティーヌと名乗ったその女は、顔中に汗を滲ませながら、大きく深呼吸をした後で……グイッと、顔を上げた。

 

 

「あ、あの、ゾーイ様。貴女様は、六大神……いえ、その『スルシャーナ』という名を聞いた覚えがありますか?」

「……スルシャーナ?」

「はい、あの、闇の神で、その、他には──」

 

 

 首を傾げる彼女を尻目に、クレマンティーヌは続けて五つの名前を挙げた。

 

 曰く、クレマンティーヌが生まれ育った国で神様として信仰されている、土・水・火・風・光の神の名前らしい。

 

 つまり、そこに闇の神スルシャーナを入れて6人……ああ、だから六大神かと彼女は納得した。

 

 

「国で伝わっていた法典には、『我らがまだ“びぎなー”だった頃、興味半分で戦いを挑んで大変な事になった』とありまして……その中には、調停者ゾーイの名が……」

「私の?」

「はい、『我ら6神で挑み、何が何だか分からないままに敗北した』と……あの、スルシャーナ様は死を司るアンデッドの姿をした神と……」

「アンデッド……か」

 

 

 ──6神、つまりは6人のチームで、そのうち1人がアンデッド種族のプレイヤー……か。

 

 

 出された情報を頼りに、これまで調停者ゾーイに挑んできた者たちを思い出せるだけ思い出してゆく。

 

 基本的に対ゾーイ戦は大人数&大規模になりがちだし、いちいち覚えてはいない。

 

 しかし、たった6人で挑んでくるとなれば、候補は絞りやすいし、印象にも残っているだろう。

 

 しかも、そのうち1人がアンデッドという特徴がある。

 

 ユグドラシルでは異形種の人気が一時期非常に悪かったこともあって、更に候補を絞り易く……あ、待てよ。

 

 

「スルシャーナ……ああ、アイツか。種族アンデッドを選択しているというのに変に礼儀正しく、何故か戦う前に『これから戦いますので準備してください』と前置きを入れた、あいつか」

「──あ、ああ、ああ!」

「何故かカルマ値を善に傾けていて、不思議な拘りを持っていたせいで種族特性を活かせないのに、根性でオーバーロードまで頑張ったアイツか……うん、印象深かったから覚えているぞ」

「ああ……神よ……神よ……」

「他のやつらならすぐに諦めてデスペナ受け入れて退場するのに、あいつらだけは根性と気合でとにかく粘ったからな……嬉しくて報酬としてアイテムを渡した覚えが……ん?」

「ああ、神よ……! 私の、アイツらの前ではなく、私の前に……!」

 

 

 ふと、昔の思い出より我に返った彼女は……両目から大粒の涙を流し、額を床にこすり付けん勢いで土下座をしているクレマンティーヌを前にして。

 

 

 

 ──えぇ……マジ泣きだぞコイツ(ドン引き)。

 

 

 

 奇しくも、何処ぞのオーバーロードがNPCたちを前に最初に感じた感想と、だいたい同じことを思ったのであった。

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………ちなみに、彼女の背後に居るンフィーレアも、『漆黒の剣』も、同様にちょっと引いていた。

 

 

 

 

 

 



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さらば、カジット また、会う日まで

※ タイトル詐欺、カジットは出ません


 

 

 

 ──それから、小一時間ほどして。

 

 

 

 結局、所用で出ていただけのンフィーレアの婆様ことリイジー・バレアレと、たまたまこちらに向かう途中だったモモン一行が薬品店に来た時。

 

 

 それはそれは、何とも表現し難い空気が店内には流れていた。

 

 

 なにせ、薬品店には困惑した様子で成り行きを見守っている『漆黒の剣』と、ンフィーレア。

 

 そして、涙を流して土下座をしながら、ひたすら彼女(ゾーイ)に向かって懺悔を吐き続ける謎の女、という。

 

 

 ……ナニコレ? みたいな状況なのである。

 

 

 これには、最年長のリイジーも困惑する。

 

 人生経験が長いリイジーですら困惑するのだから、それより短いモモン(ナーベは端から眼中に無い)も困惑して当然であった。

 

 ちなみに、懺悔を聞かされる彼女(ゾーイ)もまた困惑していたが、あまりにクレマンティーヌの反応がマジだったので、モモンたちには経緯だけを軽く説明した。

 

 

 ……で、何とか収拾を付けようとしている彼女を他所に、この混乱に拍車を掛けるのが、クレマンティーヌの懺悔の内容だ。

 

 

 言ってしまえば、懺悔の内容が、これまた物騒かつ悲惨な事この上ない。

 

 任務の為に誰それを殺したとか、腹いせの為に誰それを殺したとか、幸せそうな顔で居るのが無性に腹立って殺したとか、お前三日に一回は誰かを殺しているのかと思う程に血に塗れている。

 

 これがただ殺しているだけならば彼女とて吐き捨てていただろうが……途中からクレマンティーヌの身の上話になると、印象が一変する。

 

 

 ──有り体に言えば、よく自殺せずにいられたな……というぐらいに酷い半生であった。

 

 

 兄妹間の扱いの露骨な差別、そこから来るネグレクト。御国の為、人類の為とかいう理由で顧みられることなく、心身を壊すほどの厳しい訓練を課したかと思えば。

 

 唯一の心の拠り所だった友人が、目の前で命を落とし。

 

 純潔まで奪われ、何度も穢され、それでもなお役立たずの出来損ないだと周りから言われ続け……そうして、何もかもがどうでもよくなって、国から逃亡したのだとか。

 

 その過程で、様々な悪事に手を染めた。『ズーラーノーン』という秘密結社にも身を寄せたし、本国の目を逸らす為に色々とやった。

 

 

 ……言い訳をするつもりもないし、断罪されても仕方がないと思っている。

 

 

 だが、無性に腹が立つのだという。

 

 幸せそうに歩いている者を見ると、その四肢を切り刻んで命乞いをさせ、持っていた希望や夢を踏み躙ってやりたくて仕方がない。

 

 平々凡々の実力と並みの努力しかしてこなかったのに、一丁前に御立派な態度で生きているのが、腸が煮えくり返るほどに苛立って仕方ないと……クレマンティーヌは自白した。

 

 

「……なんだ、そりゃあ。死にたければ勝手に死ねよ、お前のうっ憤を晴らされるために死んだやつらはどうなる?」

 

 

 それを聞いて、ぺテルは吐き捨てるように言い放った。

 

 いや、ぺテルだけではない。

 

 ルクルットもダインも、ニニャも……ンフィーレアも、心底軽蔑しきった眼差しをクレマンティーヌに向け、嫌悪感を全く隠そうとはしていなかった。

 

 

 まあ、当然だろう。

 

 ぺテルの言葉は、全くの正論だ。

 

 

 いくら過去が不憫で同情するモノだったとしても、それで害される他人にとっては何の関係もない。

 

 それこそ、モンスターや野盗に殺されるのと何ら変わりないし、過去が何であろうと、今のクレマンティーヌは野盗でありモンスターも同然。

 

 彼女……ゾーイが居たからこそ無事に済んでいる事に気付いているからこそ、『漆黒の剣』より向けられる視線は冷たかった。

 

 

「……ゾーイさん、でいいのかい?」

 

 

 だが、その中で……彼女を除いて、ただ一人だけ。

 

 負の感情を持ちながらも、同時に、とても気の毒そうに憐れみの視線を向ける者が居た。

 

 

「好きに呼んでかまわないよ、リイジーさん」

「そうかい……それじゃあ、ゾーイさん。あんたは、その子をどうするつもりだい?」

「……どうする、とは?」

「『ズーラーノーン』……ワシの言わんとする事は、分かるかい?」

「さあ、分からない。あいにく、この世界の事にはまだ疎いから」

 

 

 ……一つ、リイジーはため息を零し……改めて、彼女を見やった。

 

 

「もし、殺すのであれば……一つ、待ってやってはくれませんか?」

「……何故、そうしろと?」

 

 

 意味が分からずに尋ねてみれば、リイジーは……嫌悪感と怒りを滲ませつつも、それでも、クレマンティーヌの延命を提案した。

 

 それは、常識的に考えて、非常にあり得ない話だったのだろう。

 

 その身を狙われていたンフィーレアも、「お婆ちゃん、いったい何を!?」驚きの声をあげ、『漆黒の剣』の4人も、声こそ上げなかったが驚愕に動揺を露わにした。

 

 

「……自分でも、変な事を言っているのは分かっているよ。正直、孫をどうにかされそうだったんだ……殺すのが、一番楽だということも……だけどね」

 

 

 そんな中で、リイジーは……苦悩がそのまま顔に出たような表情のままに、首を横に振った。

 

 

「この子は、ずっと道に迷っていたのだと、思う。ワシは、10歳の頃からこの道に入った。色々あったが、同時に、その時からワシの道はコレだと思って今日まで生きてきた……じゃが、な」

 

 

 その言葉と共に、リイジーは己の手を見下ろしながら……一つ、息を吐いた。

 

 

「もし、この道を見付けられず、ただひたすらに苦悩を重ねながら道を探し続けていたら……ワシはどうなっておっただろうか……と、思うのじゃ」

「……お婆ちゃん」

「すまないね、ンフィー。ワシは、酷い話をしていると思う……いや、している。じゃが、それでも……のう」

 

 

 チラリ、と。リイジーの視線に合わせて、この場の全員の視線が……クレマンティーヌへと向けられた。

 

 

「この子は、隠さず己の罪を懺悔した。自分が人殺しであることも、法を破っていることも、偽り無く吐いた……そう、ワシには見えた」

「……そうだな、私の目にも、そのように見えた」

 

 

 リイジーの言葉に同意をすれば、「だからこそ、ただ殺しては駄目だとワシは思うのです」と言葉を返された。

 

 

「幸いにも、ワシらは犠牲になっておらぬ。ならば、今が……ゾーイさん、貴女の傍ならば、その子は初めて立ち上がって前に踏み出すことが出来ると……」

 

 

 ──その瞬間、彼女は掌を向けて、リイジーの言葉を止めた。

 

 

 

 言わんとしている事は、察した。

 

 本人も気持ちを整理しながらの言葉なので、足りない部分は多かったが……何を求めているのかは、理解出来た。

 

 だが、それは……一見するだけでは、クレマンティーヌに慈悲を与えているように見えるだろうが……その実、逆ではないかと彼女は思った。

 

 

「……リイジーさん、分かっているのか?」

「無論、承知の上。ワシも、出来る限り手伝いましょう」

 

 

 だからこそ、問うた。返された覚悟に、彼女は……一つ、息を吐いた。

 

 

「針のムシロ……茨が敷き詰められた道を歩き、刃の衣服を身に纏い、心を削り落としていくような、惨い仕打ちだ」

「分かっております。ですが、これは……」

「分かっているさ。しかし、理由は何であれ、結果は同じなのだから、それは言葉で遊んでいるに過ぎないと思う」

「…………」

「誰にも理解されず、人の心を取り戻してゆくに従って、膨れ上がる罪の痛みに耐え続ける……そういう人生を送らせるのか?」

「伊達に、年老いてはおりません。その子が本当に見下げた屑であるならば、ワシの見る目がなかっただけ」

「…………」

「辛くとも、人に生まれた以上は……人の道に戻してやりたい。辛く苦しくとも……悲しく、自ら死を望むようになっても……それが、ワシが与える罰であり許しです」

「……君は、どうしたい?」

 

 

 当事者であるンフィーレアに視線を向ければ、「……こういう時、お婆ちゃんは頑固だから」彼は困ったように笑うだけであった。

 

 

「実際、物が盗られたわけでもなく、未遂ですし……怖い思いこそしましたけど、怪我だって……ゾーイさんに投げられた時に肘を擦りむいたくらいで……」

「……そう言われてしまうと、強いて断る理由が無くなってしまうな」

 

 

 チラリ、と。

 

 

 『漆黒の剣』に視線を向ければ、『当人がそう言うのであれば口出しはしない』と返されて。

 

 同じく、空気に徹しているモモンとナーベ(ナーベは、端から興味なさそうだった)を見やれば、『彼らと同意見だ』と短く返された。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………一つ息を吐いた彼女は、呆然とした様子でこちらを見上げているクレマンティーヌを見下ろした。

 

 

 

 ──酷い顔だ。

 

 

 

 今まで溜め込んでいた全てを吐き出したその顔は、涙でぐしょぐしょに目元を濡らしている。いや、涙だけではない。

 

 噛み締めきれなかった嗚咽によって零れた涎が口元を汚し、感情のままに噴き出した鼻水がベットリと広がっている。

 

 元が美人とはいえ、100人が見れば100人が顔を背けてしまうような有様だった……が、それでも、彼女はその瞳から視線を逸らさなかった。

 

 

「クレマンティーヌ、今日より勝手に死ぬことは許さない。以後、私と一緒に行動するのだ」

「ゾーイ様……」

「私に、誰かを導く事は出来ない。私とて、常に自分勝手に振る舞って来た身だ。偉そうに上から物を言える程に偉くなったわけでもない」

「…………」

「貴女は罪人だ。だが、それは私も同じ事。だから、一緒に背負って行こう。どれだけ蔑まれても、最後の時まで……罪を償い続けなさい」

「……はい、ゾーイ様」

 

 

 それは、血を吐きながらも続けるマラソンのような道だが……それでも、クレマンティーヌは汚れた顔で、はっきりと笑い──。

 

 

「──あっ、カジっちゃんのこと、忘れてた」

「え?」

「ヤッバイ、たぶん私が失敗したと思って、『死の螺旋(らせん)』を無理やり前倒ししちゃうかも」

「……よし、クレマンティーヌ、君が知っている事を私に教えてくれ」

 

 

 ──直後、先ほどまでの悲壮な表情が嘘だったかのように、ポカンと目を瞬かせて。

 

 

 そして成人しているはずなのに、子供のような天真爛漫な反応……思わずといった様子で口走った、その姿に。

 

 

(……ネグレクトを始めとして虐待を受けて育ったから、根っこのところは子供のままなのだろうか?)

 

 

 彼女は……色々な意味で、やるせなくなった。

 

 

 

 

 

 

 ──で、そんな彼女の内心を他所に、ひとまず汚れた顔を綺麗にした後で。

 

 クレマンティーヌより、話を一通り聞き終えた彼女たちは……思っていたよりも重大な状況に、唸り声をあげた。

 

 

 と、いうのも……クレマンティーヌの話を簡潔にまとめると、だ。

 

 

 ……クレマンティーヌが先ほどまで所属していた『ズーラーノーン』という秘密結社が、エ・ランテルの墓地にて『死の螺旋』という儀式を行おうとしているらしい。

 

 

 死の螺旋とは、言うなればアンデッドを使った蠱毒(こどく)であり選別であり、都市壊滅魔法の一つである。

 

 

 アンデッドは、同じ場所に長い間留まると、互いの身体に宿った負の力が共鳴するように高まり始め、より強力なアンデッドを生み出す性質がある。

 

 つまり、死の螺旋とは、この性質を意図的に応用したアンデッドの生成魔法である。それも、時間を掛ければ掛けるほどに、強大なアンデッドが出来上がる。

 

 

 実際、町中で使えば被害は甚大。

 

 

 準備にこそ年単位の月日を要するが、一度発動させてしまえば、術の核を破壊しない限り次々にアンデッドが出現し、より強力な個体が出現する。

 

 それが続けば、都市の防衛力では手に負えないアンデッドが徐々に出現し始め……いずれは、都市を放棄するしかなくなる……というものであった。

 

 

「カジっちゃん……ええっと、首謀者はカジットという男性です。実力的には……7割ぐらいで私が勝てるぐらいの強さです」

 

 

 そして、その、カジットの目的は……死の螺旋を行う事で意図的に発生したアンデッド……それによって発生する負のエネルギーを手中に納め、自らをアンデッド化すること。

 

 どうしてアンデッドに成ろうとしているのか……そこに関しては、クレマンティーヌも詳しくは知らない。

 

 魔導を極める為には、無限の時を得られるアンデッドになるしかない……と、零していたのを盗み聞きした覚えはあるが、本心はおそらく別にあるのかも……と、クレマンティーヌは答えた。

 

 

「本心とは別……ですか?」

「たぶん……カジっちゃんにとって、アンデッド化するのは通過点なのかもしれない。というか、魔導を極めるって話も、それを達成する為の通過点じゃないのかなあ……って」

 

 

 未だ警戒心と嫌悪感を隠してもいないンフィーレアたちだが、ひとまず話を聞くつもりはあるようだ。

 

 小首を傾げながらポツリと呟いたニニャの言葉に、補足する形でクレマンティーヌは答え……っと。

 

 

「──その、ズーラーノーンというやつらの隠れ家は墓地にあるのか?」

 

 

 これまで、ずっと沈黙を保ち続けていたモモンが、初めて声をあげた。

 

 ハッと、彼女を除いて誰もが驚いて振り返れば、ヘルムの向こうより、昼間と変わらない落ち着いた声で問い掛けた。

 

 

「──ま、まさかモモンさん、襲撃を掛けるつもりなのか!? いくらあんたでも無茶だ、相手はズーラーノーンだぞ!」

 

 

 それだけで、言わんとしていることを察したルクルット(まあ、他の者たちも察したが)が、思わずといった調子でモモンの肩を叩いた。

 

 

「──このガガンボ! モモンさ──んに、気安く──」

「良いのだ、ナーベ。そして、ルクルット殿……心配ご無用。貴殿も御存じの通り、私は強い。ズーラーノーンといえど、この私の敵ではない」

 

 

 ……まるで、丸太のような腕だ。そして、その腕が見かけ倒しでないことは、止めたルクルットも良く知っている。

 

 鎧に覆われているからこそ、余計に大きく見えるその腕でナーベの前を遮ったモモンは……続けて、墓地へと向かうと宣言した。

 

 

「モモンさん、これはもう一介の冒険者が出る幕じゃない! ギルドに説明して、騎士団を動かすべきだ」

 

 

 けれども、ルクルットは止める。それは、彼だけでなく、強さを知っている『漆黒の剣』と、ンフィーレアも同様であった。

 

 確かに、モモンは強い。

 

 周辺国にまで存在が知られている森のヌシ……巨大ハムスター(と、彼女は思っている)を服従させるほどの実力を持っているのは、理解している。

 

 しかし、相手はズーラーノーン。国の騎士団とて手を焼く秘密結社であり、その全貌は未だに解明されていない……と、聞いている。

 

 いくらモモンが強くても、万が一はある。

 

 それに、何かあっても自分たちでは手助け出来ず、足手まといにしかならない……それも分かっているからこそ、ルクルットたちは止めようとした。

 

 

「──それでは手遅れになる。クレマンティーヌ殿……その、カジットとやらは早ければ今夜の内にでも儀式を始める可能性があるのだろう?」

「……可能性の段階だけど、有ると思う。多少の無理をしても、発動さえしてしまえば後は待つだけだから」

「と、なれば、連携を待っている手間が惜しい。こうしている間にも、連中は儀式を進めているだろうからな」

「だけど──」

 

 

 なおも止めようとするが……どうやら、遅かったようだ。

 

 

 

『──アンデッドだ! アンデッドの大群が墓地に出現したぞー!!!』

 

 

 

 徐々に静けさを増してゆく街を叩き起こすかのような、甲高い男の悲鳴。

 

 それはバレアレ薬品店の室内にも響く程に大きく、当然ながら、その言葉を聞き留めた者たちは大勢いた。

 

 最初のうちは、事実を受け入れられない、驚愕のざわめき。

 

 それが怯えを含むモノへと変わり、誰もがソレを事実であると認識し始めれば……怯えは瞬く間に恐怖へと膨れ上がり、悲鳴を伴って人々を動揺させ始めた。

 

 

「……残念ながら、問答している時間は無いようだ。私はナーベと共に墓地へと向かう」

 

 

 外の喧騒が、店の中にも伝わってくる。

 

 それを聞いて、モモンは決定事項だと言わんばかりに告げた。

 

 実際、この場においてこれ以上の問答は時間の無駄でしかなかった。

 

 

「──じゃ、じゃあ、俺たちも」

「それは駄目だ。厳しい事を言うが、貴方たちでは足手まといだ。それに、下手に大人数で攻め込めば動きにムラが生じる。消耗が少ないうちに、少数精鋭で攻め込むのが得策だ」

「なるほど……確かに、モモン殿の言う通りである。悔しいが、私たちではモモン殿の足枷にしかならないのである」

「その通りだ。この作戦は、兎にも角にもスピードが要だ」

 

 

 ダインの意見に、モモンはハッキリと肯定した。「それに、貴方たちにもやる事はある」だが、モモンは更に言葉を続けた。

 

 

「何も、攻めるばかりが華ではない。私たち二人が攻め込む間、貴方たちには街を護るという立派な役割がある」

「街を?」

「そうだ。先ほども言ったが、私たちはとにかく一気に攻め込むつもりだ。当然ながら、最小限の敵しか相手にしない……つまり──」

「……僕たち、冒険者が、アンデッドたちが墓地の外へ出ないように食い止めろ……というわけですね」

 

 

 ニニャがそう話を続ければ……分かっているじゃないかと言わんばかりに、モモンは頷き……バサリ、とマントをひるがえした。

 

 

 その背中は……まるで、人々の身に降りかかる災厄を打ち払う勇者のように力強かった。

 

 

 そうして、モモンとナーベは店を出ると……一度も振り返ることなく、逃げ惑う人々の流れを逆らうようにして、夜の闇の向こうへと駆けて行った。

 

 後に残されたのは、呆然と……それでいて、憧れの眼差しでもって見送る『漆黒の剣』と、バレアレ親子であった。

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………さて、だ。

 

 そんな感じで呆けていた皆様方が我に返り、ギルドに連絡だとか、他の者たちとの連携だとか、慌ただしく動き始める……そんな中。

 

 

「それじゃあ、クレマンティーヌ。私たちは彼らと一緒に、街へと出て来るアンデッドを抑えよう」

 

 

 彼女……ゾーイの身体を得ている彼女は、落ち着き払った様子でクレマンティーヌに指示を下していた。

 

 

「はっ、了解致しました」

 

 

 それに対して、クレマンティーヌは深々と頭を下げると、ぺテルの下へ剣を受け取りに行った。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………そうして、『漆黒の剣』より向けられる冷たい眼差しを受けても、黙って受け入れながら剣を受け取るその背中を見つめながら……ふと、彼女は思う。

 

 

 

 

 ──どうして、私はモモンと一緒に向かわなかったのだろうか? 

 

 

 

 

 アンデッドの大群に怯えて……いや、違う。こちらの方が生き残りやすい……いや、そんな考えでもない。

 

 先ほど、『漆黒の剣』を護ろうと思った時、彼女はクレマンティーヌを前にしても全く引かなかった。逃げようなどと、欠片も考えなかった。

 

 

 ──なのに、どうして……今回、モモンたちと一緒に行こうと思わなかったのだろうか? 

 

 

 犠牲者云々を考えるのであれば、モモンたちに同行した方が合理的だ。

 

 いや、むしろ、万が一モモンが敗北する事態を考慮するなら、彼らに付いて行くべきだ。

 

 けれども、彼女は……いや、ゾーイは、そうしなかった。

 

 それはいったい、どうして? 

 

 

(……ああ、なるほど。そうか、ゾーイは、世界を護る者たちの手に負えない事態が起こった時に……)

 

 

 その答えは……思いの外、すぐに頭の中に浮かんだ。

 

 それは、この身体……ゾーイが登場する、『グランブルーファンタジー』のゲーム内にて語られる、ゾーイのエピソードだ。

 

 その中で、ゾーイは『世界の均衡を崩す事件は、実は人知れず何度も起こっている』と語った。

 

 けれども、その度にゾーイが顕現するかといえば、そうではない。曰く、『人知れず、それらを解決している者が居る』から、らしい。

 

 そう、規模の大きさや影響は別として、だ。

 

 世界の均衡を崩すような事態が起こる前に、誰かが、色々な形でそれらを防いでいるからこそ、世界の平和は保たれているのだとゾーイは語っていた。

 

 

 つまり、ゾーイが世界に顕現するというのは、だ。

 

 

 そういった者たちの優しい想いや行動でも、どうにも出来ないような危機……それが現れた時、ゾーイは顕現し、護る為に戦うのだ。

 

 言い換えれば、たとえ均衡を崩す世界の危機が訪れようとも、その危機に立ち向かい、打ち払うことが出来る存在が居る時は……その者に任せて、ゾーイは顕現しないのだ。

 

 

(おそらく、モモンが……この事件の英雄的な存在、危機を打ち払う者なのかもしれない)

 

 

 ──己が動かないのは、それを無意識にモモンから感じ取ったのかもしれない。

 

 

 そう、ゾーイは……いや、彼女は思い、納得すると……『漆黒の剣』と一緒に、混乱が広がり続ける街へと出た。

 

 自らの役目を、墓地の外へと向かうであろうアンデッドたちを食い止めるために。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………ん? 

 

 

「あっ、蟲だ──てい」

「──どうなされましたか?」

「蟲が居た。これはマズイな、見覚えがある。たしか名前は、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)だ」

「虫……ですか? その、失礼だとは思いますが、私には何も無い地面に剣を突き差したようにしか……」

「こいつは透明になれる特殊な蟲なんだ。だから、目には見えない。金貨消費モンスターだから、死亡すると消滅して……ほら、消えた」

「……すみません、私には何が何だか」

「気にする必要はない。ただ、感じ取れる気配からして、明らかに何者かの意志を感じた……やはり、この世界には……っと、考え込んでいる暇はない、行くぞ、クレマンティーヌ」

「──はい!」

 

 

 結局、モモンがカジットとやらを仕留め、アンデッドたちがその動きを止めるまで……彼女は、『蟲』を新たに5体仕留めたのであった。

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 ……ちなみに、彼女には知る由もないことなのだが、どうして彼女の周囲に八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)が出たのかと言うと。

 

 

 ……何が、あるいは誰が、とは言わないけれども。

 

 

(しまった! そもそも、墓地とは何処にあるのだ!? 出て来る前に聞いておけば良かった!)

 

 ──勢い良く、それでいて格好つけて飛び出したは良いものの、肝心の墓地の場所を知らないままだった事に気付いて。

 

 

(ま、まあいい。こういう時の為に便利なのが隠密系の……頼んだぞ、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)!)

 

 ──今更立ち止まってナーベや周りに尋ねるのも格好悪いから、こっそり隠密系モンスターを使い。

 

 

(よし、墓地の場所はこれで──ぬあぁ!? ゾーイのやつにいきなり仕留められた!? お前、貴重なユグドラシル金貨を……ひ、酷いィ!)

 

 ──二度目の誘拐などあって堪るかと、ンフィーレアを監視する為に忍ばせようとしたやつが次々に殺されている……最中。

 

 

「──ナーベ、敵はもうすぐだが、不用意に実力を表に出さずに殺すのだぞ」

「はっ! お任せあれ、モモンガ様!」

「頼むぞ、変に目立ち過ぎることはするなよ。程々に目立って私の知名度を上げるだけだからな! 頼むから、やり過ぎてゾーイの気を引くことだけは慎むように!」

「はっ! モモンガ様!!!」

「ほ、本当に頼むぞ……! (無いはずの胃が、とても痛い気がする……!)」

 

 

 2メートル近い巨体を鎧で覆った剣士と、通り抜けて行く度に男たちの視線を集めている美女という、何とも表現し難い凸凹コンビが……墓地へと向かっていた。

 

 

 

 

 

 




墓地戦はカットです

次回、墓地戦後の話になります


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真・報連相

ゾーイ可愛いし、クレマンティーヌも見た目は可愛いからね
そりゃあ、評判良かったら王国の貴族が放っておくわけ……ないよね?
まあ、捕まりませんけど


 

 

 

 ──事件は、思いの外あっさり収束した。

 

 

 

 まあ、ここらへんの詳細を詳しく語る必要はないだろう。だって、彼女はあくまでも墓地の外でアンデッドたちを倒していただけだから。

 

 それに、事件の首謀者(並びに、主犯格の関係者)は、クレマンティーヌを除いて軒並み死亡した。

 

 首謀者と分かったのは、所持していた道具が明らかに一般人が所有する者ではなく、また、死体が見つかった場所が墓地の地下だったからだ。

 

 なので、詳細はモモン達を除いて誰にも分からない。まあ、誰もそれを知りたいとは思わなかった。

 

 関係があるクレマンティーヌは彼女(ゾーイ)の一存もあって秘匿されたために、首謀者たちは全員死んだ……という事実がギルドを通じて公表された。

 

 

 ……さて、多少なり怪我人は出たが、死者までは出なかった事件の内容云々は別として、だ。

 

 

 エ・ランテルの英雄モモン(と、ナーベ)の名が広まるのに、そう長くは掛からなかった。

 

 まあ、考えなくても当たり前だろう。実際、モモンとナーベが居なかったら、エ・ランテルは酷い有様になっていた可能性は極めて高い。

 

 とはいえ、彼女(ゾーイ)が居たので最悪の事態にはならなかっただろうが……その彼女すら居なかったら、間違いなく、街がアンデッドの巣窟になっていたのは確実である。

 

 だからこそ、エ・ランテルの人達は新たな英雄の誕生に湧き立った。是が非でも、一目会いたいと人々がギルドに押し掛ける事態になった。

 

 

 けれども……それ以上の騒ぎになる事はなかった。

 

 

 何故なら、肝心のモモンとナーベが居ないからだ。ギルドの説明では、『所用で少し街を離れる』とのこと。

 

 最初はすぐに戻ってくると思ってギルドを見張っていた者たちも、一日、三日、七日、十日と時が過ぎれば……だ。

 

 ひとまず、熱狂も少しばかり冷めて……まさに、肩透かしもよいところだ。

 

 だが、ギルドに押し掛けたところで居ない者は居ないし、文句を言ったところで出て来ることもない。何処へ行ったのかすら、分からない。

 

 モモンと直前まで一緒に仕事をしていた『漆黒の剣』に聞こうにも、当人たちより『知りたいのはこっちだって同じだ』と言われてしまい。

 

 ならば、同じく英雄モモンに依頼を出していたバレアレ薬品店を尋ねてみるも、店の主人リイジーより『営業妨害だ!』と鼻息荒く叩き出されてしまった。

 

 さすがに、英雄に会いたいとはいえ無理強いを続ければ、捕まるのは追いかける側だ。

 

 というか、それよりも前にギルドに目を付けられては堪らない。

 

 なので、必然的にエ・ランテルの人々はヤキモキしながらも、いずれ戻ってくる英雄の姿を思い浮かべながら、日常を送っていた。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………で、そんな日常の中、彼女は何をしていたかというと、だ。

 

 

「──依頼の薬草10束と、ゴブリンの耳が10個だ」

「……確認致しました。それではゾーイさん、こちらが報酬です」

 

 

 ギルドにて、他の冒険者と同じく……依頼を受けて、仕事に精を出していた。

 

 階級は、アイアン。

 

 墓地のアンデッド騒動にてその実力の一端が知られていたので、近々シルバーに上がるのは確実だろうと噂されている、非常に美しい女剣士(あるいは、女騎士?)。

 

 

 しかし、実力が知られているのにどうしてアイアンなのか? 

 

 それは、事件の後に彼女が受けている任務が主に……割に合わないモノばかりだからだ。

 

 

 仕事自体は簡単だが単価が安く、長時間拘束され、けれども、生活において欠かせないような……そんな、埃が張り付いて放置されがちなモノばかりだからだ。

 

 ギルドとしてもランクを上げたいが、達成する仕事がそればかりなので記録上の実績(つまり、言い訳)がそこまで用意出来ない。

 

 しかし、塩付けされている仕事を優先してくれるおかげで、ギルドの評判は良くなる。

 

 というか、実際に喜びの声が届いているので、ギルドから声を掛ける事が出来ない……おかげで、色々な人たちから歯痒い視線を向けられている。

 

 

 ……それが、今の彼女の、ゾーイの……周囲より向けられる評価であった。ちなみに、お供のクレマンティーヌも同様である。

 

 

 そう、クレマンティーヌもまた、主よりは劣るものの、格好をドレスに変えれば男たちが放ってはおかないと男たちの話題に上がるぐらいには、評判が良かった。

 

 おまけに、強い。並の冒険者では動きを止めることも出来ないぐらいに強い。実際、何人かぶっ飛ばされた。

 

 ズーラーノーンが起こした事件の時も、疾風が如き俊足でアンデッドの合間を駆け抜け、次々に仕留めたかと思えば、冒険者たちの援護に回ったのは記憶に新しい。

 

 そのうえ、優しい。実力を鼻に掛けず、相手が何であれ丁重に対応してくれる。

 

 仕事の報酬も全て主に渡し(直後、突き返されるが)たかと思えば、その日生きるだけの糧以外は全て、恵まれぬ貧しき者たちにパンを……という形で回される。

 

 そこに、売名の気配は感じない。笑みを浮かべながらも、何処となく苦しそうな顔でパンを配るその姿は、まるで現状を憂いているかのようで。

 

 冒険者に成って日が浅いというのに、何時の間にかほとんどの人達(一部からは、複雑な目で見られている)から一目置かれる存在になっていた。

 

 おかげで、よほどの馬鹿ではない限り、彼女たちに邪な声を掛ける者はいなかった。

 

 

 ……で、そんなクレマンティーヌもまた、階級はアイアンである。

 

 

 ただ、クレマンティーヌはあくまでも彼女の従者的な行動を取っているので、こちらは主が上がるまでは絶対に階級を上げないだろう……と、言われていた。

 

 だから、彼女がランクを上げるに合わせて、クレマンティーヌもランクを上げて……英雄モモンに次ぐ冒険者が生まれるのでは……という期待が、人々の間に生まれていた。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………だが、一つだけ。

 

 

 彼女たちには、人々の間で不思議に思われていることがあった。

 

 

 それは、必ず夜になる前に街の外に出て、翌朝に街へとやってくるということだ。

 

 

 状況だけを考えれば、街の外に家を構えていると思われる。

 

 しかし・エ・ランテルの傍とはいえ、街を囲う外壁の外だ。

 

 モンスターは出るし、野盗だって出る。女二人だけで寝泊まり出来る宿泊施設や家屋など、あるにはあるが……正直、非効率極まりない。

 

 この世界の常識では夕方に街の外に出て翌朝戻ってくるような生活を送るのは、懐を探られると困る犯罪者ぐらい……ということになっている。

 

 あるいは、騎士団や冒険者を始めとして夜間任務に出る者たちだろう。

 

 

 しかし、彼女たちは2人だ。それも、妙齢なうえに美しいときた。

 

 

 よほど腕に自信があるにしても、2人で毎日交代して見張りを立てながら就寝ともなれば、いずれ……と、周りが心配するのも当然の帰結であった。

 

 けれども、彼女たちは一度として怪我等を負うことなく街へと戻ってくる。

 

 まるで、それが当たり前であるかのように、その顔には疲労の色が一つもない。

 

 

 ……おそらく、特殊な魔法の道具を使っているのだろう。

 

 

 結局、ギルドはありきたりな結論に終始して……迷惑を被らなければ口出し無用の原則に縛られているので何も言えず……その日も、夕方頃に街を出て行く二人を見送るしかなかった。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………まあ、実際の所は、だ。

 

 

 ギルドたちの心配(街の人達もそうだが)は、お節介以外の何者でもなく。

 

 まさか……街では最高級の宿よりも快適な場所で日中の疲れを癒し、快適な睡眠を貪っているとは。

 

 この世界の常識にも縛られている人たちには、そんなありきたりな結論が大正解だとは……夢にも思わないのも、仕方がない話であった。

 

 

 

 

 

 

 ……ところ変わって、エ・ランテルより少しばかり離れた場所、空から見れば、森の中。

 

 そこの、開けた場所に。

 

 森の巨大ハムスターが突撃すれば一発で倒壊してしまいそうな、それほど大きくはないコテージが……ポツン、と一つ立っていた。

 

 

 ──『グリーンシークレットハウス』

 

 

 それは、『ユグドラシル』のゲーム内ではありふれていた、設置型の拠点系アイテムであり、彼女のアイテムボックスに収まっている道具の一つである。

 

 

 見た目は簡易なコテージだが、ただのコテージではない。

 

 

 魔法で作られているので入口は入る者の大きさに合わせて広がり、中も外からは想像が付かないぐらいに広い。

 

 しかも……彼女が持っている『グリーンシークレットハウス』は、他のプレイヤーが持ち合わせているアイテムとは、少し違う。

 

 通常、部屋はどれも同じに設定されているのだが、彼女のソレだけは……彼女だけが記憶している、『前世』の情報をタップリ注ぎ込んだオリジナルハウスとなっている。

 

 具体的には、あの世界において一部の上流階級ぐらいしか使用出来ない最新設備に加えて、映像や書物でしか知られていない過去の品々が山のように詰め込まれている。

 

 寝泊まり出来る(つまり、寝具などが設置されている)部屋を始めとして、入浴設備やトイレ、キッチンや家電など、他のハウスには組み込まれていない快適な空間が広がっている……が。

 

 

 このハウスの真骨頂は、そんなモノではない。

 

 

 たとえば、部屋の奥に設置された倉庫(物置扱いなのだが、広すぎて倉庫同然)には、様々な娯楽品を始めとして、失われた芸術品が飾られている。

 

 パッと見た限りでは、宝物庫にしか見えないだろう。だが、これは彼女の自己満足の結果だ。

 

 前世を記憶しているとはいえ、何時それが失われるかは分からない。だから、覚えている内に全てデータとして残しておこう……その結果が、コレである。

 

 他にも、冷蔵庫(巨大すぎて)には、あの世界では失われた、過去の食材(食品も)がビッシリ詰め込まれている。それは、各種調味料も例外ではない。

 

 他のプレイヤーが使うハウスでは基本的に空っぽ(初期設定)だが、このハウスの冷蔵庫は、彼女の自己満足によって満杯になっている。

 

 しかも、この冷蔵庫に詰め込まれた食材は、無くならない。どれだけ使用したとしても、冷蔵庫の扉を一度閉めて開ければ、元通り補充されている。

 

 

 ──そのように、ユグドラシル時代において彼女がプログラミングしていたからだ。

 

 

 まあ、ゲーム中では食品系の回復アイテムが無限に手に入る(ただし、ポーションに劣る)というだけで、それ以外の効果はないので、完全に趣味の範疇だったけれども。

 

 結果的には、もろ手を上げて万歳してしまうぐらいに有用なアイテムとなったのは、まさしく不幸中の幸いというやつだろう。

 

 他にも、他にも、他にも……一つ一つ数えだすとキリがないので、詳細は省く。

 

 とにかく、彼女の使用する『シークレットグリーンハウス』は、この世界では万枚の金貨を出しても用意出来ない程に快適な……秘密基地も同然なのであった。

 

 ……ちなみに、このハウスを破壊するのは不可能という設定なので、おそらく相当に頑丈だろう……というのが、彼女の評価である。

 

 

「クレマンティーヌが作るパイは美味しい、な」

「恐縮です」

「謙遜する必要はない。私にとって、これ以上に美味しいパイを知らない。他の者たちにもいっぱい食べてほしいくらいだ」

「お戯れを……」

 

 

 ……で、そんな快適なハウスにて、彼女は……クレマンティーヌが作ってくれたパイに舌鼓を打っていた。

 

 

 実際、クレマンティーヌは料理が上手い。

 

 

 出会い方が出会い方だったので、料理は2人で作ろうという話になっていたが、それも今は昔のこと。

 

 最初の頃はハウスの設備に慣れず首を傾げるばかりであったが、素早い身のこなしからして、元々器用な方なのだろう。

 

 

 今では、クレマンティーヌの方が設備に限らず、ハウスの扱い方が上手い。

 

 

 特に料理に関しては絶品であり、中でも『パイ』は前世の記憶を持つ彼女にとっても『一番美味いパイだ』と絶賛するぐらいであった。

 

 クレマンティーヌ曰く、『調理器具(?)が便利で使いやすいおかげで、手間暇を省略できるから』、らしい。

 

 また、用意するとなれば金貨が必要になる調味料(しかも、ハウスの方が高品質)をふんだんに使えるから……とのことだ。

 

 

「どうでしょうか、痒いところはありますか?」

「ん~……気持ちいいよ、クレマンティーヌ」

「良かったです。では、このまま続けさせて頂きます」

 

 

 そうして、食事が終わってしばらく(くつろ)いだ後で、入浴。あの世界では特権階級しか許されない、広々とした湯船にじっくり浸かる。

 

 その状態で、タラリと身体を専用スペースに預ければ、ゾーイの長い髪をクレマンティーヌが洗ってくれるのだが……これがまた、気持ちが良い。

 

 彼女としては、シャワーでササッと洗い流せば良いだろうという考えではあったが、クレマンティーヌよりそれだけは止めてくれと懇願されてしまったので、今の形になった。

 

 

 曰く、『それだけ綺麗な髪を蔑ろにするのは……』とのことだ。

 

 

 そう言われてしまえば、彼女も強く言えない。

 

 だって、本音では髪もサッパリ洗い流したいが、長すぎてちゃんと洗うのが面倒臭いという理由からシャワーにしようとしていた物臭だから。

 

 

 幸いにも……という言い方も何だが、今は女体だ。

 

 

 ゾーイとしての感覚のおかげか、クレマンティーヌの裸体を見ても何も感じ……いや、視線を向けてはしまうが、それはあくまで、綺麗だなという程度の感覚でしかない。

 

 言うなれば、盛り上がった筋肉や、膨れて柔らかそうな巨乳に、無意識に視線を注いでしまうようなもの。

 

 そこに、欲情的な感覚はない。同様に、肌を触られても、同性に肩を叩かれた程度の認識しかない。

 

 なので、クレマンティーヌの厚意に甘える形で、彼女は毎日頭を洗ってもらっている……というわけだ。

 

 

 ……この世界でも、水(お湯ならもっと)はやっぱり貴重だ。

 

 

 前世のようにジャバジャバ使えるのは貴族や大商人ぐらいで、大半の一般人は桶にお湯を溜めて身体を清める。

 

 そうでなくても、井戸や川の水を頭から被ってゴシゴシ身体を擦るのが一般的であり、だからこそ、彼女がこの世界の宿を利用しない理由の一つでもあった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………そうして、諸々の日課を済ませた後。眠気が来るまで何をしようかな……と、彼女が考えた……その時であった。

 

 

 

「──他所へ移る?」

「はい、その方がよろしいかと……」

 

 

 

 寝室にやってきたクレマンティーヌ(恰好は、パジャマ)より、他所の街へ移動した方が良いと提案されたのは。

 

 

 詳しく話を聞いてみれば……だ。

 

 

 どうやら、彼女が気付いていない間に、この国の貴族よりちょっかいを掛けられるようになったから……らしい。

 

 クレマンティーヌ曰く『この国の貴族は、私が言うのもなんだがゴミ屑のようなやつばかり、死んだ方が世の為人の為』らしい。

 

 なんでも、自分たち貴族以外の人々を『放って置けば生えてくる資源』程度の感覚で捉えているらしい。如何様に扱おうが自分たちの権利だと、本気で思っているのが大半なのだとか。

 

 そして、皮肉にも彼女……ゾーイは美しい。周囲より従者と思われているクレマンティーヌも、評判が良い。

 

 ギルドや人々から一目置かれている、そんな女2人……なるほど、貴族たちの歪んだ自尊心を満たす玩具にはピッタリな逸材である。

 

 なので、これまでは、そんな貴族たちの横やりをギルドが手練手管を用いて誤魔化していた。

 

 

 しかし、つい先日。

 

 

 明らかに貴族に雇われた(あるいは、関係者)と思われる者たちが、ジロジロとこちらを監視していることにクレマンティーヌは気付いた。

 

 

「あそこまで露骨になったということは、既に貴族の方々は貴女様を自分の手元に置く前提で動いていると思われます」

「……ギルドは?」

「他の国では別ですが、この国では圧倒的に貴族の方が立場も権力も上なのです。いざとなれば、いくらでも罪状をでっち上げて、合法的にこちらを奴隷身分に落とすこともやるでしょう」

「なるほど……うん、分かった。では、明日にでもギルドへ報告してから他所へ移ろう」

「いえ、その必要はありません。既に、私からギルドには話を通しております」

「え?」

 

 

 驚いて目を瞬かせれば、どうやら日中、依頼を受ける際にササッと話を通しておいたと、クレマンティーヌは告げた。

 

 下手にギルドへ行くと、待ち伏せされている可能性がある。

 

 そうなれば、ギルドも表立っては協力出来ず、逆に動くしかなくなるので……とのことで、既に手続きは済ませているのだとか。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………それを聞いた彼女は……一つ息を吐くと、クレマンティーヌを傍に寄らせ……いや、己の隣に座らせると。

 

 

「──修正、反省しなさい」

「いたっ!?」

 

 

 ぽかり、と。金色ボブカットの頭を、叩いて叱った。

 

 これには、クレマンティーヌも涙目になる。まあ、良かれと思ってやったことなのに、いきなり頭を叩かれたら誰だってショックだろう。

 

 それも、相手は……クレマンティーヌにとって、己が信仰する神にも匹敵する存在だ。受けた衝撃は、彼女には想像も付かないぐらいに大きいだろう。

 

 

「クレマンティーヌ、どうして私が君を叱ったか……理由が、分かるか?」

 

 

 尋ねれば、涙目のまま頭を摩っているクレマンティーヌの視線が……キョロキョロと左右を向いた。

 

 

「あ、あの……もしかして、勝手に動いたからですか?」

「そうだ、大正解だ。私の為に動いてくれたのは嬉しい……だが、どうして私に一言でも相談してくれなかったのだ?」

「そ、それは、貴女様の手を煩わせるわけにはいかないと……貴女様が動く前に、話を通しておいた方が良いと思って……」

「違う、それは違うぞ、クレマンティーヌ」

 

 

 率先して動き、今後を見据えて準備を済ませておくクレマンティーヌの仕事ぶりに、ありがとうとお礼を述べながらも……彼女は、それは間違っていると言葉を続けた。

 

 

「君は、勘違いしている。私は、君が思う程に全能でもないし、優れているわけでもない。実際、私は何も気付いていなかった」

「そ、それは……」

「前から言おうと思っていたが、それを今言おう。クレマンティーヌ、君がどう思っているかは知らないが、私はただの……そう、プレイヤーというだけの話なんだ」

「そんなこと──っ!」

「そんなこと、なんだ」

 

 

 ポンポン、と。子供にやるように、叩いたところを摩りながら……彼女は、クレマンティーヌへと言い聞かせた。

 

 

「考えてもみてほしい。私は、君よりも料理が下手だ。ギルドとの交渉だって、君の方が上手だ。周りに話を合わせ、情報を集めてくるのだって、君の方が上手だ」

「それは……」

「私を慕ってくれるのは嬉しい。しかし、私は君の思い描く神様ではない。貴方達が望む神様ではないんだ。私は、君が思う程に賢くはないし、君が驚くような愚かな選択をしてしまうだろう」

「…………」

「だから、クレマンティーヌ……これからは、必ず私にも相談してほしい」

「……ゾーイ様に、ですか?」

「そうだ、クレマンティーヌ。私と君は、同じなんだ。思いを言葉にして、声に出して、私に届けてくれないと、私は理解する事が出来ない」

「ゾーイ様と……同じ?」

「そうだ。私だって、間違える。私だって、知らない事は多い。君が知らない事を私が知っているように、君が知っている事を私は知らない。ただ、それだけのことなんだ」

「…………」

「君が作るパイが、私は好きだ。君が髪を洗ってくれるのは、気持ち良くて嬉しい。ただそれだけの事でも、言葉にしないと伝わらない……そうだろう?」

「……はい」

「だから、勝手に『私ならこれぐらい考えているだろう』とは思わないでくれ。正直、君から話があるまで、明日のご飯はどうしようかと考えていたぐらいだ……」

「……、分かりました。次からは、必ず言葉にします」

「うん、そうしてくれ」

 

 

 そう答えれば、クレマンティーヌは……何だろうか。

 

 

(……少し、気を許してくれたのなら、嬉しいが)

 

 

 これまでとは異なるように見える、その視線を感じながら……とりあえず、詳しい話は明日にして、その日はこのまま就寝となった。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………でもまあ、その前に。

 

 

「ところで、寝る前に聞いておきたい。クレマンティーヌは、とりあえずは何処へ行こうと考えているんだ?」

「……そうですね、『バハルス帝国』がよろしいかと思います」

「バハルス帝国?」

「ジルクニフ皇帝が統治している国です。この国と敵対しておりますが、互いに鎖国しているわけではないので出入りは可能ですし、商人の行き交いも行われています」

「なるほど……」

「距離はありますが、あの国は実力さえあれば平穏を勝ち取れますし、この国の貴族とて手は出せません。永住するかどうかは別としても、選択肢としては妥当かと」

「ふむ……」

 

 

 クレマンティーヌの提案に、しばし思考を巡らせた彼女は……不意に顔をあげると、ベッドより降りて……アイテムボックスより、鏡を取り出した。

 

 

 

 ──それは、ユグドラシルにおいて『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』と呼ばれているアイテムである。

 

 

 

 その効果は、指定したポイントを映し出すというものだ。

 

 だが、低位の情報系魔法による隠ぺいが可能であり、また、覗き見の際に反撃を受けやすいということもあって、使い所があまりない微妙系と呼ばれていたアイテムである。

 

 それを、クレマンティーヌに見えるように、傍のサイドテーブルに置くと……ふわりと、ディスプレイに光が灯るかの如く、鏡面が輝き……外の景色が映し出された。

 

 

「それは……」

「遠くを映し出す鏡だ。実は、こっそり使い方を練習していた……っと、ここだ」

 

 

 彼女の指先が、鏡面を摩るように動く。

 

 それに合わせて、鏡面に映し出された景色も動き……グルグルと動き続けていた景色が止まれば、街の近くでは見掛けない丘陵が映し出された。

 

 

「帝国へ行く前に、此処へ行きたい。場所は、分かるか?」

「ここですか? 少し、景色を動かすことは出来ますか?」

「出来る。しばらく動かすから、分かったら教えてくれ」

「分かりました」

 

 

 目を凝らしたクレマンティーヌは、しばしの間、鏡面に映し出された景色を眺め……そして、「あ、ここか……」唐突に彼女の手を止めた。

 

 

「分かりました。ここはおそらく、『アベリオン丘陵(きゅうりょう)』だと思います。人種、亜人、問わず様々な部族が日夜勢力争いをしている危険な場所です」

「そうか……ここへは、遠いのか?」

「方角だけを見れば、帝国とは正反対の位置になります。あとは……その……」

 

 

 そこで、クレマンティーヌは言い辛そうに視線をさ迷わせた。すぐには分からなかったが、ピンと来た彼女は軽く頷いた。

 

 

「もしかして、近くに君の……?」

「……はい。あの、無理にとは言いません。ですが、出来ることなら、街道を避けて通る事は……」

 

 

 申し訳なさそうに頭を下げるクレマンティーヌを前に、彼女はしばし考え込み……一つ、頷いた。

 

 

「別に、急ぎの用事ではないんだ。迂回しても『アベリオン丘陵』とやらに行けるのであれば、私は構わない」

「──っ! ありがとうございます!」

「気にしなくていい。私としては、ちゃんと意見を出してくれた方が嬉しいから」

 

 

 そう告げれば、クレマンティーヌは何とも複雑な顔でもう一度頭を下げ……ふと、「ところで、何用であそこへ?」理由を尋ねてきた。

 

 

 曰く、その隣の『ローブル聖王国』ならばともかく、『アベリオン丘陵』には国家というものがない。

 

 

 多少の規模の違いこそあるが、基本的には様々な少数民族や少数部族が群れや村を形成して暮らしており、間違っても観光などで向かうような場所ではない。

 

 いちおう、人間種も暮らしているらしいが、詳細は不明。基本的には人間とは相容れぬ者たちの土地なので、どうしてそこへ向かうのかが、クレマンティーヌには分からなかった。

 

 

「……特に、用があるわけではないんだ。ただ、胸騒ぎというか……あそこへ向かわなければ……という思いが私の中にある」

「それは、いったい……」

「正直、分からない。ただ、一つだけ、現時点で私が言えるのは──」

 

 

 その言葉と共に、彼女は……赤い瞳を僅かばかり揺らしながら。

 

 

「──いずれ、この場所は世界の均衡を崩す……その土台の一つになるような……そんな気がするんだ」

 

 

 何故かは分からないけれども、胸中より湧き起こるざわめきと共に……彼女は、その言葉をポツリと呟いていた。

 

 

 

 




近道通ろうとすると、法国側を回ることになるからね。
貴族の目に留まりやすいけど、優しい彼女はグルリと迂回する道へ行くよ


……一か月、二か月あれば……牧場の一つや二つ、誰かさんなら作れちゃうよね?


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(裏話)骸骨の眼孔『偽・報連相』

何がとは行かないけど、全部こいつのせいじゃないかなって気がする


 

 

 

 ──ナザリック地下大墳墓。

 

 

 

 それは、一時期はDMMOと言ったらコレと言われるぐらいに人気であった、ユグドラシルというゲーム内にて、広くその名が知られた、とあるギルドの拠点。

 

 ギルド名、『アインズ・ウール・ゴウン』。

 

 所属する人員は41人。かつてはゲーム内ランキング9位にまで上り詰めただけでなく、その構成から極悪ギルドとも呼ばれた……曰く付きのギルドである。

 

 

 ……が、それも昔のこと。

 

 

 盛者必衰の理は、如何なるモノにも訪れる。そして、予期せぬ事も、如何なるモノにも訪れてしまうものだ。

 

 かつてはギルドメンバーで賑わっていたナザリックも、当時の盛況が嘘だったかのように寂れてしまい、一人、また一人とギルドを離れて行った。

 

 

 そこには、様々な理由があったのだろう。

 

 

 生活の為、単純に飽きた為、あるいは、別の理由から遊べなくなった……そんな、人それぞれのありふれた理由から、何時しかユグドラシルというゲームの人気そのものが、下火となり。

 

 

 そして……ユグドラシルのサービス終了が決定されて。

 

 

 ギルド長のモモンガは、せめて最後の時はナザリックで……思い出と共に終わろうと、そこでサービス終了のカウントダウンを待った。

 

 

 ──だが、ゲームは終わらなかった。いや、正確には、ゲームではなくなってしまった。

 

 

 何がどうなってそうなったのかは未だに皆目見当も付かないが、気付けばモモンガはアバターとして遊んでいた『オーバーロード』の身体を経て、現実とは異なる世界に居た。

 

 それは、もはや言葉では言い表せられない感覚だろう。

 

 食欲も睡眠欲も性欲も、何も無い。人間としての感覚を失ったアンデッド……それが、鈴木悟だったという記憶を持つ、現在の彼であった。

 

 

 そして、モモンガだけではない。

 

 

 彼の思い出の場所であるナザリック地下大墳墓と、それに連なる……一癖も二癖もあるNPCたちもまた、この未知なる世界に来てしまった。

 

 

 それから、右を見ても左を見ても未知に囲まれた環境の中。

 

 

 どうにかNPCたちの統率を取り、様々な目的を兼ねて、冒険者モモンとして外へ出て、あるいは、ナザリックの王としてモモンガとして振る舞い。

 

 一ヶ月、二ヶ月……時を経る中で、様々な大事件が降りかかり、時には、自ら問題解決の為に動いて。

 

 そうして……ようやく、一段落付いたと判断した彼は……人払いを済ませた自室のベッドへ、バタンと骸骨の身体を飛びこませると。

 

 

「ぬわぁぁぁんんん、疲れたもぉぉぉぉぉんん!!!!」

 

 

 顔を埋めた枕の中へ……渾身のため息を、これでもかと吐き出したのであった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………いや、まあ、アレだ。彼がこうなるのも、相応の理由があった。

 

 

 まず、アンデッドになったことで三大欲求(食欲・睡眠欲・性欲)を始めとして、人間が持つ様々な感覚を失った彼だが……気を休める時間が全く無い。

 

 

 なにせ、アンデッドだ。

 

 

 何かを食べて気晴らしをしようにも、食欲は無いし、味覚も無いし、胃袋も無いし、ボロボロと骨の隙間から落ちてしまう。

 

 鈴木悟だった時には憧れであり夢であった、『新鮮な食材を使った料理』も、この身体では全く味わえない。

 

 憧れるだけで一生無縁のモノだろうと思っていたそれが、今ではちょっと注文すれば用意して貰えるというのに。

 

 他にも、いくら身体を動かしても息が切れることもないし、暑い寒いといった感覚もない。つまり、自分の身体なのに、自分の身体という感覚がどうにも薄い。

 

 ベッドへ横になっても、眠気は全く来ない。何をするでもなく一時間も二時間もゴロゴロ横になっているのも、逆に苦痛を覚えてしまう。

 

 だから、ついついベッドに入るのは考え事をする時だけ……といった感じに落ち着いてしまう。

 

 おかげで、それ以外の時はずっと起きていて、ず~っと何かしらの作業をするか、何かしらの仕事をしている感じだ。

 

 まあ、仕事といっても下手に口出しするとボロが出そう(というか、確実に出る)なので、実際は何もしない。

 

 夜の間はひたすら自室にこもってアイテムボックスの整理や、ナザリック内にある図書館の本で時間を潰すといった感じで、朝が来るのを待っている。

 

 それが、ここしばらく続いている、モモンガの一日の流れであった。

 

 

「休みたい……何処か、遠くへ……」

 

 

 ……が、しかし。

 

 

「あ~……どうしてこうなった。俺に、支配者なんて無理だよ……止めてほしい、本当に……」

 

 

 そろそろ……彼が抱えている不満というか、ストレスが爆発しそうになっていた。

 

 忘れてはいけないのは……モモンガは確かにアンデッドではあるし、その影響を多大に受けてはいるが……人間だった時の感覚が、残りカスのようにこびり付いているという点だ。

 

 つまり、肉体的には全く平気でも、精神的な疲労は溜まるのだ。

 

 これがまた不思議な事に、アンデッドの影響なのか……肉体への影響が全くないから平気かと思えば、どうも違うのだ。

 

 うっ憤は溜まっている。

 

 いわゆる、ストレスのようなモノを感じている自覚もある。

 

 気晴らししたい、そんな欲求も、薄らとではあるが常に感じている。

 

 だが、それだけだ。それ以上の事を、アンデッドの彼は認識出来ない。

 

 心がすり減るというか、だんだん思考が希薄になるというか……あくまでも精神的な部分に留まるおかげで、肉体的なストップが掛からない。

 

 おかげで、自分がどういう状態になっているか……へばり付く残りカスが、己の身体から少しずつ削られていっているのを、彼は認識出来ていなかった。

 

 

(誰かに相談……いや、駄目だな。下手に相談したら、それこそナザリック全体を巻き込む大騒動に発展しそうだ……)

 

 

 部下であり、ユグドラシル時代の大事なギルドメンバーたちが残したNPCたちの前では、そんな素振りは見せないし、見せられない。

 

 NPCたちは皆、己を慕ってくれている。それはもう、偉大なる神様のように……なので、周囲より視線を向けられた時は、それらしく魔王ロールをしている。

 

 けれども、こうして一人になると……どうにも気が抜けるというか、溜め込んでいた不満が愚痴となって出て来てしまうのだ。

 

 

 ……それはもしかしたら、辛うじて残る『鈴木悟』の断末魔にも似た悲鳴なのかもしれない事に、今日も彼は気付いていなかった。

 

 

「……シャルティアの件は、ひとまず解決した。少し精神的に引きずっているようだけど、お仕置き……うん、アレで持ち直したのか、落ち込んでいる姿は見なくなった」

 

 

 

 埋めていた枕から顔を上げて、仰向けに。

 

 人間だったら蕩けるような眠りに誘われるだろうなと頭の片隅で考えながら、彼はポツポツとこれまでに起こった出来事を思い返しながら、今後の予定についても呟く。

 

 

「……リザードマンも、ナザリックの配下に治まった。あいつらの縄張りを含めて、ある程度の規模の水源を確保出来たのは大きい」

 

「同様に、カルネ村でも収穫が始まっている。食料の確保は、ナザリックにおいても急務。食べなくても平気な者は別として、最低限は常に補給出来る状態にしなければならない」

 

「それに、この世界の通貨の確保も重要だ。ゲームの時とは違い、ここではユグドラシル金貨は有限。アイテムで用意出来なくはないが、だからといって今まで通りにはいかない」

 

「それに関しては冒険者モモンの名声を使って、新たに外貨を得る手段を模索すれば良いだろう……が、しかし」

 

 

 そこまで呟いた辺りで、彼は……ムクリと身体を起こし……次いで、骨の両手で頭蓋骨を抱えた。

 

 

「やはり、問題は『調停者ゾーイ』だ。アレの目を如何に誤魔化すか……それによって、ナザリックの今後の活動を考える必要がある……!」

 

 

 そう、そうである。

 

 今の所、予期せぬ問題に直面することはあったが、順調にナザリックの運営は進められている。

 

 リザードマンの縄張りにある池(瓢箪をひっくり返した形だった)を使った大規模な魚の養殖のおかげで、今すぐではなくとも確保出来る食糧が増えた。

 

 その際、部下の1人であるコキュートス(人型の蟲系NPC)が精神的に成長をしてくれたのも、彼にとっては非常に喜ばしいことであった。 

 

 

 だが……今は順調でも、今後どうなるかは分からない。

 

 

 なにせ、この世界には異形種を敵対視する国家や集団は沢山いる。実際、国を挙げて『異形種を滅せよ』と示している国すらあるのを、彼は知っている。

 

 もちろん、その者たちが襲ってきたところで、返り討ちにする自信はあるが……絶対ではない。

 

 それを、彼はシャルティアの件で痛い程に学んだ。

 

 だからこそ、今後は決して油断せず、相手がネズミであろうが全力で待ち構えるという精神で、今日までやってきた……が、だからこそ、だ。

 

 

(みんな……俺がいくら『ゾーイにだけは手を出すな、絶対に気を引くような事をするな』と言っても、何処か軽く見ている節があるんだよなあ……)

 

 

 彼は今、部下であるNPCたちが以前より見せていた、『ナザリック以外への軽視』を問題視していた。

 

 まあ、仕方がない部分はあるのだ。

 

 というのも、NPCたちはナザリックの外を知らないのだ。

 

 いや、正確には、NPCたちが語る『至高の41人』でも勝てない存在が居るということを、理解出来ないのだ。

 

 NPCたちとて、馬鹿ではない。

 

 相性の問題で向き不向きが発生し、それによって『至高の41人』だって幾らでも負ける可能性があるということは、NPCたちも理解している。

 

 しかし、言い換えれば、それさえなければ『至高の41人』は、モモンガは、絶対に負けないし、如何様にも勝てる手段を事前に構築していると……本気で思っているのだ。

 

 NPCたちにとって、偉大で尊き存在であり、絶対的な強者……それが、モモンガを含めた『至高の41人』。

 

 つまり、NPCたちを作ったギルドメンバーこそが頂点であり、その次に自分たちが来て、その下に他の奴らが傅(かしず)くのが当たり前だと……本気で、思っているのだ。

 

 それこそ、彼がわざわざ『至高の41人全員掛かりでも押し切られる相手なのだぞ』と念押ししても、だ。

 

 表向きにはゾーイの恐ろしさを理解した素振りは見せるが……やはり、何だかんだと『だが、しかし』を付けて、準備さえすれば勝てる……といった感じで納得してしまうのだ。

 

 

 

 ──これには正直、まいった。お前ら、何処まで俺を、ギルドの皆を、神格化させるんだよ、と。

 

 

 

 でも、それは言えなかった。

 

 だって、皆の事を語る彼ら彼女らの目が、キラキラと輝いていて……とてもではないが、真実を語る勇気は出なかった。

 

 おかげで、強引に説得するのも難しい。下手に納得させようにも、そうすると……NPCたちが暴走してしまうのだ。

 

 

 『わが命、至高の御方の為ならば』と、いった感じで。

 

 

 誰も頼んでいないし望んでもいないのに、それが最上の奉仕だと言わんばかりにその命を捧げようとする。

 

 あるいは、『御身の露払いすら出来ぬ、未熟な私なんぞ』といった感じで、今度は逆に自らの命で償おうと……本当に、心臓に悪い(まあ、心臓無いけど)。

 

 ゾーイから情報を盗む為に突撃しようと考える者が後を絶たず、『至高の御方の御心を煩わせる痴れ者など!』と鼻息荒く武器を手に取るNPCたちを宥めるだけで……もう、ね。

 

 

(これ、俺が大した存在じゃないって露見したら、やっぱり殺されるよなあ……そうでなくとも、悲惨な扱いをされそうで……うう、やはりこのまま魔王ロールで頑張るしかないか……)

 

 

 NPCたちが見ているのは、偉大なる至高の御方を束ねる、アインズ・ウール・ゴウンのギルド長のモモンガだ。

 

 まあ、今は諸事情から、この世界に自分が居る事を知らしめる為に、名をモモンガからギルド名(つまり、アインズ・ウール・ゴウン)に改めたけれども。

 

 

 

 

 ──間違っても、気弱で優柔不断な鈴木悟(モモンガorアインズ)ではない。

 

 

 

 只でさえ、ナザリックの者たちはごく一部を除いて、自分たち以外の者に対して差別意識というか、格下として見る傾向が強いのだ。

 

 特に、人間に対しての敵意というか、蔑視度合は桁違いだ。

 

 現在の彼も、人間に対して同族意識などほぼ無いが、それでも嫌悪感を覚えているかといえば、そういうわけではない。

 

 対して、NPCたちは違う。故に、万が一にでも己が元人間であることが露見すれば……いったい、どうなってしまうのか。

 

 

(……人間種に変更するアイテム……ボックス内を探してみたけど無かったな……有ったら試しに付けて……いや、見つかったらヤバいから、結局付けなかっただろうな)

 

 

 それを、この時も改めて自覚させられた彼は……深々とため息を零すと、ベッドから降りて……今の身体に合わせたソファーに腰を下ろすと、テーブルに置きっぱなしの鏡を起動させた。

 

 それは、『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』だ。

 

 ユグドラシルにおいては『覗き見』と呼ばれる行為はマナー違反とされているので、そんなに使い所のないアイテムだが……誰もいない自室で目立たず使う分には、これ以上の物はないだろう。

 

 

(……あっ、いた)

 

 

 それを使って、彼が見ているのは……だ。

 

 森の奥にて設置された『グリーンシークレットハウス』より出てきたゾーイと、従者として付き従っている……クレマンティーヌの2人であった。

 

 

 ──何時の頃からだろうか……彼が、2人の姿を鏡越しに見る様になったのは。

 

 

 危険性は、理解している。そして、如何に愚かな行為をしているかも。気付かれたら、敵対される可能性は非常に大きい。

 

 『ゾーイ』の中身がAIなのか、あるいは中に人が居る(いわゆる、運営)のかは当時から議論されていたが、どちらにせよ、『覗き見』がマナー違反であるのは同じこと。

 

 バレた場合、ゾーイより軽蔑されるのは致し方ない。それどころか、攻撃を仕掛けられる可能性もある。

 

 だって、悪いのは自分だから。

 

 

(……いいなあ)

 

 

 けれども、それでも……彼は、そう、モモンガは、どうしても2人から目を離せなかった。

 

 2人は、特に目立った事はしていない。

 

 他の冒険者たちと同じく、夢も何もない仕事に従事し、少ない賃金を得て、日常を送っている……大勢いる冒険者たちと何ら変わらない。

 

 

 それでも、2人は……自由であった。

 

 

 ナザリックのような、豪華なベッドがあるわけでもない。大きな湯船に身を浸すような事もなければ、高価な酒に酔う事も出来ない。

 

 けれども、2人を見ていると……モモンガは、どうして自分はそこに居られないのか……そう、思ってしまう。

 

 NPCたちが嫌いなわけではない。

 

 むしろ、好きだ。

 

 親に成った事はないが、それでも自分の子供のように愛しく思う。

 

 けれども、時々……無性に寂しくなる。

 

 まだ、寂しいと思う事が出来る。

 

 その寂しさすら感情抑制によってすぐに治まってしまうが……それでも、この寂しさだけは不思議と消えてくれない。

 

 

 ……もしかしたら、コレが消えた時、己は本当の意味でアンデッドになってしまうのだろうか? 

 

 

 その度に、そんな不安が脳裏を過る。

 

 けれども、その不安すらも、スーッと外へ逃げ出していくかのように治まってしまう。

 

 

 まるで、何時までも未練に縛られず受け入れろと言わんばかりに。

 

 お前はもう、オーバーロードのモモンガなのだと言わんばかりに。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………だからこそ、己とは違う2人……いや、ゾーイの事が。

 

 冒険者モモンとして外に出ても、結局は気を抜くことが出来ず……対して、自由にこの世界を生きるゾーイが……羨ましいと思った。

 

 

(……いいなあ。俺とゾーイ、いったい何処が違うんだろうか?)

 

 

 同じくユグドラシルから来たというのに、どうして自分は……っと、危ない。

 

 

「……はあ、今日は何だか気が乗らないな……しばらく横になるか」

 

 

 ゾーイが振り返る前に覗き見を中止したモモンガは、鏡の横に置いてある掛け布を被せると、ベッドへ……向かおうとして、足を止めた。

 

 理由は、自室の扉をノックされたからだ。

 

 先程、人払いを済ませた。

 

 その状態でモモンガの自室へ訪れるのは、それだけの理由があっての事。

 

 だって、NPCたちにとって、モモンガの命令は絶対だから。

 

 

 ならば……モモンガが訪問を拒否する理由はない。

 

 

 入れと声を掛ければ、失礼しますと中に入って来たのは……デミウルゴスと名付けられた、非常に優秀な男悪魔のNPCであった。

 

 東洋系の顔立ちに、オールバックの黒髪に、浅黒い肌。ストライプが入った赤色のスーツに、丸眼鏡。

 

 宝石で出来た眼球と尖った耳や尻尾が無ければ、ビジネスマンと思われても不思議ではない出で立ちの男は、深々と頭を下げてから……アインズを見上げた。

 

 

「お休みのところ、申し訳ありません。出来うる限り、早めの許可を頂きたい案件がございまして……」

「──良い、デミウルゴス。お前は何時も、私たちナザリックの為に動いてくれている。そのお前が望むのであれば、私は何時でもお前を迎え入れよう」

「おお……! なんと勿体無いお言葉……! このデミウルゴス、感謝の極みでございます……!」

「うむ……で、用件は何だ? (おっふ、ガチ泣きしてるじゃないか……)」

 

 

 今にも嗚咽を零しそうなぐらいに感動しているデミウルゴスに、内心のドン引きを隠しながら用件を尋ねれば、「し、失礼いたしました」悪魔は少々気恥ずかしそうに涙を拭うと……話し始めた。

 

 

「実は、かねてより問題視されていた巻物(スクロール)の材料となる羊皮紙について、進展がありまして……」

 

「おお、よくやったぞ、デミウルゴス!」

 

 その発言を受けて、モモンガは思わず声を上げた。

 

 それぐらいに嬉しく、モモンガにとっては悩み事が一つ解決する可能性が出てきたからだ。

 

 ……と、いうのも、だ。

 

 今しがたデミウルゴスが語った巻物(スクロール)というのは、ユグドラシル(驚いた事に、この世界でも)ではポピュラーなアイテムとして流通していた、魔法を発動する使い捨てアイテムである。

 

 使われる素材によって、込められる魔法の質が変わる。

 

 ゲーム内でも、より高位の魔法を封じるには入手難度の高い素材を必要としたように、この世界でも、同様に素材を必要とする。

 

 ……そこに、問題が一つ生じていた。

 

 それは、この世界では素材が手に入らない事だ。特に問題なのが、巻物の土台となる『紙』だ。

 

 ユグドラシルでは『町』やら何やらでアッサリ手に入るが、この世界ではそれが無い。つまり、現存している以上を補充する事が出来ないのである。

 

 いちおう、この世界にも巻物があるようなので、それを購入して補充する事は可能だが……はっきり言おう。

 

 この世界の巻物は質が低すぎて、(モモンガにとっては)使い物にならないのだ。

 

 ユグドラシルでは最低限所持して当たり前の巻物すら、ここにはない。有っても高価すぎて、『え、こんなモノにこんなに?』と思うぐらいだ。

 

 故に、モモンガは……ポピュラーとされている羊皮紙に限らず、様々な紙を使って巻物(スクロール)が作れないかと、デミウルゴスに調べさせていたのである。

 

 

「それで、何処でソレを見付けたのだ?」

「(さすがは至高の御方だ、一瞬で気付くとは……)はい、ローブル聖王国にほど近い場所、『アベリオン丘陵』にて繁栄している両脚羊(シープ)でございます」

「やはり、(シープ)か……(ん? 今、一瞬ばかり返答に間が空いたような……)」

「(さすがです、アインズ様!)はい、ひとまず3,4頭ほど捕まえて実験致しましたところ、第三位階までの巻物が可能となりました」

「おお、それは……やるではないか、デミウルゴス」

「勿体無きお言葉……つきましては、安定供給の為に繁殖させるための牧場建設の許可を頂きたく……」

「ふむ……」

 

 

 恭しく頭を下げるデミウルゴスを前に、モモンガは……この世界の地理を思い浮かべながら……しばし、思考する。

 

 

 

(──エ・ランテルの人々の会話を八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)で盗み聞きした限りでは、ゾーイたちはバハルス帝国へ向かうという話になっている)

 

(証言が嘘の可能性は低い。あの国の貴族は横暴だから……面倒臭がって、影響が届かない帝国の方へ拠点を移したのだろう)

 

(と、なれば、位置的に正反対になる『アベリオン丘陵』は、逆にゾーイの目が届かない……か?)

 

(羊に限らず、家畜云々はこの世界の人間もやっている。いくらゾーイとて、わざわざナザリックの牧場を狙いには来ないだろう)

 

(……と、なれば、羊の使い方か? 皮を剥いでソレっきり……というのは、この世界の人達の常識的に考えれば、少々不自然だな)

 

(ならば、皮を剥いで絶命した羊は、他の羊たちの餌にするか、ナザリックに回せばいいか……大食漢のやつも多いし、喜んでくれるだろう)

 

(あとは……そうだな。家畜とはいえ、見える場所では目立ち過ぎる。それに、繁殖の手間暇を考えると、相当広大な範囲を牧場にする必要があるのでは?)

 

 

 

 つらつら、つらつら、つらつら、と。

 

 あーでもない、こーでもない、そんな感じで思考を巡らせながら、どれが一番良いのか、何の自信もない頭脳(今は無いけど)を回転させ……そして、結論を出す。

 

 

「……デミウルゴス、お前に全て任せよう。お前ならば、私の意を汲んで動ける……そうだろう?」

 

 

 それは──正に、悪魔的。

 

 丸投げ(パワハラ)とも言える、悪魔にも引けを取らない極悪非道のブラック指示……『よく分からないからそっちで何とかして』で、あった。

 

 

「(──っ! なるほど、そうでしたか……)承知致しました。このデミウルゴス、見事アインズ様のご期待に応えて見せましょう!」

 

 

 普通であれば、内心にて舌打ちの一つも零れそうな指示でも、ナザリックでは、ほらこの通り……満面の笑みで了承するのである。

 

 

(……? 何か知らんが、自信あり気だから任せて正解、かな?)

 

 

 当然、そんなデミウルゴスの内心など知る由も無いモモンガは、『何だか分からんけど兎に角ヨシ!』という現場の猫のようなアレで、この話を終わらせたのだった。

 

 

「──それと、アインズ様。先日お話致しました、報復の件ですが……」

「ふむ?」

「私と致しましては、それを利用して、ついでにナザリックにおいて不足している資金や素材の確保、並びに冒険者モモンの名声を高めようと思いまして……」

「ほう? 詳しく話せ」

「はっ、私はこれを、『ゲヘナ』と名付けました。その内容は──」

 

 

 何せ、優秀なデミウルゴスは、ナザリックが抱えている問題の解決に、日夜動いてくれているのだから……。

 

 

 

 

 

 









 貴族に目を付けられていると分かっているクレマンティーヌは賢いから、バハルス帝国に向かうと事前にアピールしておくのを忘れない

 だって、そうすれば往生際の悪い王国貴族が邪魔しようと、そっち方面に監視を置く可能性があるからね。少しでも、人員を割いてやった方が楽だよね

 まさか、貴族が嫌で移住すると思われているやつが、貴族の本拠地みたいな場所である王都を通ってアベリオン丘陵へ向かっているなどとは……モモンガの目を持ってしても略

 現場猫案件の腕の見せ所ってやつですね

 さて、デミえもんが語る『ゲヘナ』とはいったい……? 







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Armageddon

幾つもの罪を犯し、許されざる罪を背負った女が


無慈悲な天秤を、人へと繋ぎとめた


 

 

 

 

 ──改めて実感する事なのだが、この世界は本当に美しい。

 

 

 

 

 外を出て、空を見上げ、繁茂する草花たちを見る度に、彼女は何度でも思う。

 

 命が息づく大地の、なんと壮大で力強く、涙が滲む程に美しく思えるのか……おそらくそれは、失われた光景を目にしていたからだろう。

 

 前世でも、そうだった。人は、失ってからでなければ、その大事さに気付けない。

 

 もちろん、例外は居る。歴史から学び、それが如何に尊くて大切なモノであるかを知っている者たちは居る。

 

 

 だが、大半は違う。

 

 

 ウホウホ言いながらマンモスを仕留めていた時代から、世界中にネットワークを張り巡らし、地球の裏側をリアルタイムで確認出来るようになった時代になっても……大半の人は、経験から学ぶ。

 

 これまで大丈夫だったから今後も大丈夫。今までそこにあるのだから、今後もそこにある……そんな不確かな妄想を盲信してしまうのだ。

 

 だからこそ、ゾーイの胸中を震わせる感動を真の意味で理解出来る者は……この世界では希少だろう。

 

 

 まあ、それも致し方ないことだ。

 

 

 空が青く、水は澄んでいて、大地には命が芽吹き、通り過ぎる風は柔らかく熱気を拭い去る。晴れて、雨が降って、また新たな命を育む。

 

 そんな、何百年も何千年も前から続いている当たり前の光景。

 

 かつてはその中で生きて、その次はそれが失われてしまった世界で生きて……そして、再び命が巡回する世界に降り立った。

 

 

 これまた当然ながら、美しいこの世界にも闇はある。

 

 

 弱肉強食の自然界に限らず、人を食う亜人も居れば、逆に亜人を捕らえて奴隷扱いする人間も居る。あるいは、その両方を餌としてでしか見ていない存在も、居る。

 

 この世界に生まれた者たちの大半は、けしてこの世界が美しいばかりとは思っていないだろう。

 

 今日を生きぬくだけで精一杯な者たちも居れば、明日を生きられない者たちもいる。反対に、悠々自適に生きている者だっているだろう。

 

 生きてはいけるけれども、手にマメを作っては田畑を耕し、毎日泥と汗に塗れ、横暴に耐えながらも日常を送っている者たちもいるだろう。

 

 

 あるいは、生きる為に誰かを殺していて。

 

 あるいは、欲望の為に誰かを殺していて。

 

 あるいは、信念の為に誰かを殺していて。

 

 

 それを、間違っている……とは、彼女は言えない。

 

 依怙贔屓(えこひいき)だと言われてしまえば、それまでだ。

 

 おそらく、この感覚は『ゾーイ』だけではない。

 

 彼女の……いや、彼女の身体を得る前の、彼の……既に名を忘れてしまった、あの世界で生きた男の心が影響しているのだろう。

 

 

 けれども、それでも。

 

 

 彼女にとっても、彼にとっても、『ゾーイ』にとっても。

 

 この『世界』は美しく、この『世界』に生きる者たちを……精一杯、あるいは暢気に、日常を送る者たちが愛おしく。

 

 

 ──たぶん、これは『ゾーイ』だけじゃない。

 

 ──俺にとっても、この世界が愛おしいのかもしれない。

 

 ──ああ、そうか、だから、『ゾーイ』は……彼女の大本である、『星晶獣コスモス』も、もしかしたら。

 

 

(だから……『グランブルーファンタジー』のゾーイも、迷い、悩みながら……主人公の旅に同行したのかもしれないなあ)

 

 

 そんな事を考えながら、だ。

 

 大粒の涙を零しながら、川に垂らした釣竿を眺め続けるという、場所によっては多大に注目を集めてしまうような……そんな状態で居ると、だ。

 

 

「ぞ、ゾーイ様! な、泣かないでください! 私で力になれるようでしたら、なんなりと──っ!!!!」

「え、あ、いや、そういうわけでは……あの、これは感動しているだけで……」

「だい、大丈夫です! 何度か頑張れば魚は釣れます! 何なら私が潜っておびき寄せますので!」

「いや、だから、そういうわけじゃ──ちょ、駄目だ!? こんな往来で破廉恥な! 服を着なさいクレマンティーヌ!!??」

 

 

 当たり前だが、傍にて一緒に釣りをしているクレマンティーヌが黙っているわけもなく。

 

 心底慌てた様子で、涙で濡れた彼女の顔をポンポン叩いて拭いながら、片手で靴やら何やらを脱ぎ捨てて潜る準備を始めて。

 

 ある意味、クレマンティーヌ以上に慌てながら、その暴走を止めようとする彼女の姿も相まって。

 

 仮に人が往来する場所だったならば、それはそれはユニークな騒ぎになっていただろう……美しい世界の一幕であり。

 

 

 ……それは、王都『リ・エスティーゼ』へと通じる街道より少しばかり逸れた場所にある、小さな川で起こった些細な笑い話であった。

 

 

 

 

 

 

 ……街道を歩き続け、もうすぐ『リ・エスティーゼ』に到着する……それが、彼女たちの現在地。

 

 

 立地的、あるいは単純な距離だけを考えれば、だ。

 

 『アベリオン丘陵』へは『スレイン法国』を通って行く方が近いらしいのだが、クレマンティーヌが抱える諸々の事情により、そちらのルートは取り止め。

 

 貴族の連中より捕まる(または、ちょっかいを掛けられる)可能性は高いが、安全を考慮して『エ・ぺスペル』→『リ・エスティーゼ』→『リ・ロベル』という順で、ぐるりと迂回するルートとなった。

 

 これに関して、クレマンティーヌは非常に申し訳なさそうにしていたが、別に彼女は全く気にしていなかった。

 

 そこへ向かわなければ……という認識はあるが、それは、クレマンティーヌの拒絶を押し通してでも……というわけではない。

 

 

 いや、というよりも、今は少し違う。

 

 

 最初は確かにそっちではあったが、『リ・エスティーゼ』へと向かっている途中……どうしてか、『リ・エスティーゼ』へ向かわなければという意識を強く感じていた。

 

 『エ・ランテル』を出発した時は『アベリオン丘陵』へ向かわなければ……と。

 

 そんな感覚が有ったというのに、しばらくしてから、こちらの方が優先だと言わんばかりに、胸中より湧き出る感覚が変わっていた。

 

 ……これは、いったい、どういうことなのだろうか? 

 

 

(『リ・エスティーゼ』で何かが起こるのを、この身体は予感しているのか?)

 

 

 残念ながら、それを知る術は彼女にはない。

 

 かつて男であった時の数あるチート能力にも、予知能力の類はなかった。というか、予知能力持っていたらゾーイに成った時に混乱など……話を戻そう。

 

 とりあえず、彼女はゾーイであると同時にゾーイではない。ある意味、不完全な部分を抱えたままなのが、今の彼女なのだ。

 

 

「……クレマンティーヌ。『リ・エスティーゼ』で、ここ最近、何かしらの大きな事件が起こったという話は聞いた覚えはあるか?」

「……申し訳ありません。王都の方には昔少しばかり足を運んだ程度なので、ほとんど……」

 

 

 だから、分からないし、知らない事は、自らの足で調べるか、他者から情報を得るしかない。

 

 とはいえ、今の彼女にはクレマンティーヌが居る。

 

 クレマンティーヌは、彼女が、道中にて不思議な違和感を覚え続けていることを知っている。

 

 なので、率直に尋ねてみれば、だ。

 

 クレマンティーヌは首を横に振り……次いで、判断材料になればと前置きしたうえで、私が知り得ている事ならばと教えてくれた。

 

 

 ──曰く、『リ・エスティーゼ』には、『八本指』と呼ばれる、王国の裏社会を支配している犯罪組織の本部がある……と、噂されているらしい。

 

 

 あくまで噂なのは、八本指の規模が王国全域にまで広がっており、その全容を外部から把握することが現状、誰にも出来ていないからだ。

 

 これも噂だが、八本指は既に一部の貴族とも蜜月の関係を築いているらしく、二重のベールに包まれているせいで、何処も手を出すことが出来ないのだとか。

 

 

 ……で、だ。

 

 

 その活動内容は、多岐にわたる。八本指の名の通り、主に八つの部門に別れて活動していて、現在分かっている各部門の情報はそう多くはない。

 

 

『麻薬取引部門』……通称『黒粉』と呼ばれている麻薬を生産し、販売している。

 

『奴隷売買部門』……これに関しては、王国第三王女のラナー姫によって違法になったので、下火。

 

『警備部門』……用心棒や護衛などを請け負っている。その実力は他国にも知れ渡るほど。

 

『密輸部門』……商人や傭兵などで構成され、様々な違法商品などを密輸している。

 

『暗殺部門』……詳細不明。

 

『窃盗部門』……詳細不明。

 

『金融部門』……詳細不明

 

『賭博部門』……詳細不明。

 

 

 と、いった感じで、実際の所、全貌の半分も分かっていない巨大組織だ。

 

 しかし、この組織の恐ろしいところは、その機密性だけではない。何と言っても、組織を束ねる明確なボスが居ないということ。

 

 いちおう、まとめ役兼進行役として議長を務める者はいる。だが、あくまでも、その役目を担っているだけで、ボスではない。

 

 元々、八つの部門(つまり、複数の組織)が集まって生まれた複合組織であるため、各部門は別に仲間というわけではないのだ。

 

 互いの利益を食い合い、敵対し、足を引っ張り合う。

 

 しかし、八本指に噛みついた者に対しては、色々な意味で協力して、その者に報復をする。

 

 まさに、八本の指。

 

 一つ切り落としたところで残りの7本が襲って来るし、必要となれば、その指を見捨ててさっさと逃げてしまう。

 

 故に、王国もそうだが他国も迂闊に口出しする事が出来ず、現在も裏社会にて悠々自適に勢力を伸ばし続けている……と、クレマンティーヌは語った。

 

 

「おそらく、何かしらの大きな事件が起こったのであれば、八本指が絡んでいる可能性は非常に高いでしょう……連中の手は、とにかく四方八方に伸びておりますから」

「……そうか」

「出過ぎた事だと承知で聞きますが、ゾーイ様の胸騒ぎの原因は、八本指なのですか?」

「……どうだろう、ちょっと違うような……いや、合っているような……すまない、断言出来ない」

 

 

 申し訳なさそうに頷けば、「い、いえ、気になっただけですので、御気になさらず!」クレマンティーヌは慌てて手を振り……次いで、チラリと王都が有る方角を見やった。

 

 

「……よろしければ、私が先に王都へ潜入して調べておきましょうか?」

「クレマンティーヌ?」

 

 

 ある意味、その発言は予想外過ぎて、思わず彼女は目を瞬かせた。

 

 なにせ、出会ったその日から今日まで、実に甲斐甲斐しく世話をしてくれたのはクレマンティーヌだ。

 

 基本的には傍を離れず、この世界の事では無知な彼女に寄り添い、いかなる時もそっと手助けしてくれていた。

 

 声を掛ければどんな時でも手を止めて、真っ先に駆けつけてくれるその姿は、従順な(しもべ)のようであった。

 

 その、クレマンティーヌが……自ら彼女の傍を離れて活動することを提案した。

 

 言葉にすれば些細な話だが、これまでのクレマンティーヌを知っているからこそ、彼女は驚き……しばしの後、意味深に笑みを浮かべた。

 

 

「もしかしなくても、私は足手まといなのか?」

 

 

 その問い掛けに対する返答には、少しばかりの間が空いた。

 

 

「……お察しの通り、です」

 

 

 けれども、クレマンティーヌは確かに答えた。

 

 ちょっとばかり声色が震えていたけれども、まっすぐ己の瞳を見つめてくれる、その赤い瞳を前に……彼女は、フフッと笑った。

 

 

「それじゃあ、任せても良いか?」

「──はい!」

 

 

 変化は、一瞬であった。様々な色を見せたその顔は、直後に満面の笑みへと変わった。

 

 その笑みを見て、彼女も心からの笑みを浮かべた。

 

 嬉しくなって両腕を広げれば、察したクレマンティーヌは軽く瞬きをした後で……フワッと頬を赤らめた。

 

 けれども、構わずに抱き締める。

 

 ビキニアーマーと彼女の鎧が、コツンと当たる。互いの背の高さが近いおかげで、グイッと彼女は細い首筋に顎を乗せた。

 

 

 ──途端、カチン、と。

 

 

 クレマンティーヌの身体が、鋼鉄のように固くなったのを彼女は感じ取った。ちなみに、健康的な汗の匂いもした。

 

 

「え、あ、の……」

 

 

 ゆで上がったエビのような頬の熱も感じながら……彼女は、クレマンティーヌへ告げた。

 

 

「無理はするな、クレマンティーヌ。私は、君が怪我をしたり、危険な目に遭ったり、そういう事になる方が嫌なんだ」

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………その言葉は、ともすれば、そよ風に掻き消されてしまうぐらいに、小さな声であった。

 

 

「……はい、ありがとうございます、ゾーイ様」

 

 

 しかし、クレマンティーヌには届いた。

 

 気恥ずかしそうに、それでいて、何処となく嬉しそうに。

 

 

 ぎゅう、と。

 

 

 互いを力強く抱き締めて、それから離れたクレマンティーヌは……「では、後からゆっくり来てください」そう、赤らんだ顔で頭を下げると……その身を風に変えて、王都へと駆けて行った。

 

 

 ──さすがは、疾風走破と呼ばれていただけの事はある。

 

 前の世界で言えば自動車並みの速度で駆けて行く。その後ろ姿はあっという間に豆粒ぐらいに小さくなり、街道の向こうへと消えて見えなくなった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………お言葉に甘えて、彼女はそれから……のんびりと、王都を目指した。

 

 

 まっすぐ目指せば翌日の夜には着く距離なのだが、下手に速く到着してしまうと、クレマンティーヌの心意気を無下にしてしまう。

 

 なので、彼女はせっかくだからと、色々と寄り道しながら進むことにした。

 

 

 例えば、綺麗な花が咲いていたからと、色違いの花はあるのかとしばしその場を探し回ったり。

 

 例えば、後方より馬車で来た商人と談笑して、今の王都で流行っている装飾品を見せて貰ったり。

 

 例えば、例えば、例えば……一つ一つは些細な事でも、彼女はあえてゆっくりと楽しみながら。

 

 

 ……ただ、普段はしない事を楽しんだ……それは、良かったのだけれども。

 

 

 

 

 ──クレマンティーヌ、あそこで実っている果実は……ああ、そうか。

 

 ──クレマンティーヌ、髪が汚れたから洗って欲しい……ああ、そうか。

 

 ──クレマンティーヌ、今日の朝ごはんはいったい……ああ、そうか。

 

 

 

 

 『グリーンシークレットハウス』に居るときもそうだが、ふとした拍子に今は居ないクレマンティーヌの名を呼んでは、居ない事を思い出す。

 

 

 その度に、彼女は……いや、彼女だけではない。

 

 

 人間だった時の『彼』も、おそらくはこの身体の『ゾーイ』もまた、寂しさを覚えて静かに唇を閉じた。

 

 出会ってから大した月日が経ったわけでもないのに、それだけ一緒に過ごしていたからだろうか。

 

 どうしてか、夜中の内にひょっこりクレマンティーヌが戻ってくるような気がして、何度も寝床を出ては玄関を見に行くこと、数え切れず。

 

 改造チートの影響からか眠気や疲れは全く感じなかったが、そのおかげで、結局はほとんど眠らないままに寝床と玄関を往復し……朝を迎えること、3回目。

 

 気付けば、初日はキョロキョロと辺りを見回してばかりいた彼女も、王都を囲う外壁が見えるようになったあたりで、自然と小走りになり。

 

 そうして……特に語る程の理由はないけれども、彼女はその日の夜の内に……スルリと、王都の中へ滑り込んだのであった。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………夜中とはいえ、さすがは王都というだけあって、街並みの美しさや景観の良さは、『エ・ランテル』の比ではない。

 

 

 単純に、金が掛けられているのがよく分かる。それに、夜だというのに出歩いている者がそれなりに居る。

 

 

 つまり、それだけ此処では商売が盛んである証拠だ。

 

 

 それが良い事なのか悪い事なのかはさておき、『エ・ランテル』にはない活力が、ここにはある事を実感させた。

 

 で、まあ、そんな感じで王都へと到着した彼女なのだが……さて、どうしたものかと途方に暮れていた。

 

 と、いうのも……道中にて気付いたのだが、待ち合わせの場所を事前に決めていなかったのだ。

 

 なので、クレマンティーヌが何処に居るのかが分からない……いや、まあ、クレマンティーヌの事だ。

 

 おそらく、己が到着する時間を予測して、計画を立てているだろう……そう、彼女は思った。

 

 

「それにしても、王都はずいぶんと人が多い……何か、催し物でもやっているのだろうか?」

 

 

 とりあえず、何時までも入口で立ち尽くすわけにもいかないので、そのまま街の中心へと向かう。

 

 その途中、行き交う人々の顔を眺めていた彼女は……上手く説明は付かないが、何とも言い表し難い違和感を覚えた。

 

 強いて言葉を当てはめるのであれば、浮足立っている……といった感じだろうか。

 

 

 最初は、祭りでも開かれているのかと思った。

 

 

 だが、彼ら彼女の浮かべている表情というか、感じ取れる忙しない空気を前に、そうではないとすぐに気付く。

 

 

「──もしもし、そこの人。何やら落ち着かない雰囲気をそこかしこに感じるが、何かあったのか?」

 

 

 悩んでも仕方がないので、たまたま目に留まった通行人の男性に話しかける。

 

 すると、相手は彼女の姿(美人は老若男女に効く)を見て、少しばかり気を緩めたのか……強張っていた頬が和らいだ。

 

 

「お嬢ちゃん、冒険者かい? なら、八本指は知っているか?」

「知っている」

「実は、八本指の有力者の死体が複数人見つかったらしいんだ。それに、他にも大勢死体が……」

「それは……大事件だな!」

「それに、こっちは詳細不明だが、化け物の姿を見たって話がちらほら飛び交っているみたいで……お嬢ちゃん、1人かい?」

「今は1人だが、連れが先に王都に来ている」

「なら、早いこと連れと一緒に此処を離れた方がいい。なんか、嫌な予感がするんだよ」

 

 

 そう言うと、男性は額に冷や汗を流しながら、再び雑踏の向こうへと消えて行った。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………八本指の、死体? 

 

 

(クレマンティーヌが……いや、違う。今のクレマンティーヌは、自分からそういった事はしない。じゃあ、いったい誰が?)

 

 

 それに、気になるのは化け物という目撃情報。

 

 

 モンスターではなく、化け物。

 

 

 つまり、それはこの世界の住人たちですら見た事も聞いた事もない、異形の存在が目撃されたということ。

 

 

 ……クレマンティーヌと多少なり訓練をしたり、『エ・ランテル』にて冒険者をやっていたりしていたからこそ分かったことなのだが。

 

 

 この世界の人間の実力は、ユグドラシルにおけるレベル10~30の間ぐらい……なのではないだろうか、ということを。

 

 そっくり同じというわけではない。ただ、そう思っただけのこと。

 

 だが、似たような見た目のモンスターの難度(ユグドラシルで言えば、レベル)を基にした彼女の推測に過ぎないが、近しいのではないかと思っている。

 

 

 ……そして思い出すのは、何時ぞやの、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)

 

 

 仮に……そう、仮に、だ。

 

 ユグドラシルの、モンスター。彼女と同じく、その設定がそのままこの世界に適応され、出現した場合。

 

 

 ──果たして、この世界の人達で対処出来るのだろうか? 

 

 

(……クレマンティーヌ、何処にいるんだ?)

 

 

 そう思った瞬間、気付けば……彼女は王都の人達と同じく、町中を小走りで駆けていた。

 

 当て等無い。だから、思うがまま、目に留まるがまま走っているだけ。当然ながら、そんなので見付かれば、誰も苦労はしない。

 

 

 ──こういう事になるならば、待ち合わせ場所を決めておくべきだった。

 

 

 そう、己に舌打ちしながらも、ときおり視界の端に映る金髪に足を止めては、再び走り出すという行為を繰り返し──えっ? 

 

 いっそのこと、建物の屋根に飛び乗って探すかと見当し始めた時だった。

 

 

(アレは……光の壁?)

 

 

 それはまるで、夜空を地上より照らす光のオーロラ。ゆらりゆらりと輝くソレは、ある種の幻想的な怪しさすら感じられる……!? 

 

 

(──行かなければ)

 

 

 その瞬間、彼女はひと際強い胸のざわめきを感じて──気づけば、彼女は──光の壁の中に居た。

 

 己が──いわゆる、ワープしたのだと認識したのは、視界が切り替わり、広場に立っていて。

 

 

 視界の右端には……仮面を付けた、スーツ姿の異形が立っていた。輪郭こそ人だが、ズボンより伸びる尻尾は、明らかに人外であることを示していた。

 

 視界の左端に、仮面を被った小柄な人物が蹲っている。遠目なので性別は不明だが、子供といっても差し支えないサイズで……同じく、見た目通りではないのだろう。

 

 

 ……そして。

 

 

 ……ああ、そして。

 

 

 その子供より、後方。数十メートルほど離れた場所にある、黒焦げの死体が三つ。

 

 全身焼け爛れているせいで、酷い有様だ……そんな、死体の……偶然にも、こちらへと顔を向ける形で横たわっている、その亡骸の顔──は──。

 

 

「…………」

 

 

 言葉が、出なかった。

 

 今しがたまで心に浮かんでいた言葉は全て、消え去っていた。

 

 私が、俺が、私が、俺が、私が、俺が、私が、俺が……二つの己が交互に表に出ては、互いを押しのけて表に出ようとしている。

 

 

 『ゾーイ』としての、私ではない。

 

 『人間の男』としての、俺ではない。

 

 

 そのどちらでもない、自分。これまでの日々が、まるで走馬灯のように脳裏を流れて行く。

 

 心のどこかで宙ぶらりんになっていたナニカが、グルグルと己の中で混ざり合い、そして──。

 

 

「──世界の均衡が崩れる可能性が生まれた時、私は顕現する」

 

 

 その言葉と共に……彼女は、己の頬を流れる涙を自覚する。

 

 無意識のうちに出現させた盾と刃を、ギシリと音を立てて軋ませる。

 

 

 ──人の死に、涙など枯れ果てたと思っていた。

 

 

 あの世界では、いちいち人の死に涙を流していてはやっていけない。それは、この世界でも同じだと思っていた。

 

 その代わりに、息づく命が続いていることに涙が流れるようになった。ただ、そのままに生きられるこの世界が、愛おしくて堪らなかった。

 

 

 ……だが、違った。いや、正確には、両方有ったのだ。

 

 

 世界が崩れる事に対する、ゾーイとしての痛み。

 

 人々の命が弄ばれる事への、人間としての痛み。

 

 

 ──依怙贔屓。それは間違いなく、『ゾーイ』としては許されない依怙贔屓である。

 

 

 だが、それは──人間だった時の彼にとっては、当たり前の依怙贔屓でもある。

 

 

「……これはこれは、招かれざる客がもう1人。お初にお目に掛かります、私の名はヤルダ──」

 

「に、逃げろ! 死ぬぞ──」

 

 

 仮面を被った男が、何かを話している。

 

 仮面を被った子供が、何かを訴えている。

 

 

(──ああ、分かる)

 

 

 何故かは分からないが、分かる。それまで薄らとでしか認識出来なかった、『ゾーイ』としての感覚が……強く表に出てくる。

 

 

(──駄目だ)

 

 

 でも、同時に……彼女は、それ以上に強く表に出ようとする『俺』の意思が、それを留めようとしてくれているのも自覚する。

 

 

 ……何てことはない。

 

 

 己はもう、人間ではないと思っていた。人間のフリをした『調停者ゾーイ』なのではと、心の何処かで考えていた。

 

 事実、その通りだ。己はもう、人間ではない。

 

 

 けれども、心は……心だけは、違う。

 

 

 少しずつ『調停者ゾーイ』に引っ張られていくはずの心を……この世界が……クレマンティーヌが、引き留めていた。

 

 短い間ではあったけれども、何てことはない日常が……彼の、俺の、私の、彼女の心を……人にしてくれていたのだ。

 

 

「──滅する」

 

 

 故に──彼女は激怒する。

 

 

空星(そらぼし)狭間(はざま)()ね!!!」

 

 ──バイセクション! 

 

 

 1人の……愛しき親友を殺された、1人の親友として──彼は、俺は、私は、彼女は──ゾーイは、振り上げた蒼き剣を、解き放ち。

 

 

「──くっ!?」

 

 

 反射的に、あるいは本能的に、気付いたのか。

 

 仮面の男は反撃も防御もせず、逃げの一手を取った──が、それは少し遅かった。

 

 

 繰り出された蒼き波動は空間を切り裂き、光を放ちながら──仮面の男を──逃げ切れなかった両脚を、一撃で切り落としたのであった。

 

 




ヤルダバオト → Lv.100なので、ゾーイHLとの戦闘になりました

最初からCT満タン点滅&OVER DRIVE状態からのスタートとなります

大丈夫、大丈夫

メイドたち入れたら全員で6人になるから
特異点だって、ソロでも6人で挑むのだから、なんとかなるって(笑)

まあ、ソロで勝てる時点で廃人の領域ですけどね、あれをソロで勝つってえげつねえなって話


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ジ・オーダー・グランデ

 

 

「がっ──!?」

 

 

 おそらく、ヤルダ──名前を彼女は聞いていなかったので分かっていなかったが、想定外の事態だったのだろう。

 

 あるいは、甘く考えていた結果なのかはさておき、仮面越しでも分かるほどに、漏らした声には苦痛が滲んでいた。

 

 しかし、それでも人外の生命力がもたらすモノなのか。

 

 仮面の彼は、背中より翼を瞬時に伸ばす。バサッと広げた直後、その身体はハヤブサよりも速く夜空の彼方へと飛んだ。

 

 だが……それで、彼女から逃げ切れるかといえば、彼女が手を緩めるかといえば、そんなわけもない。

 

 

「──消えろ」

 

 

 蒼き剣を構えた──その直後、瞬時にぐにゃりと刀身が揺らいだかと思えば、銃へとその姿を変えた。

 

 

 これは、『ゾーイ』が持つ能力の一つである。

 

 

 その意思に応じて自在に形を変えるモノであり、槍にも弓にも斧にも……必要とあれば、ブーメランにも銃にもなるのだ。

 

 そう、『ゾーイ』は最も剣を得意(曰く、扱いやすいらしい)としているが、別に剣として固定されているわけではない。

 

 なので、必要となれば……如何様に形を変え、追撃を可能としている。

 

 放たれる弾丸は、その身より充填されるエネルギー。

 

 つまり、体力切れを起こさない限り、弾切れとは無縁の……レーザービームなのだ。

 

 それが、連射される。

 

 一発でも直撃すれば、致命的なダメージ、落下は確実なほどのエネルギーが込められた、レーザービームを。

 

 

「くっ!?」

 

 

 まっすぐ逃げれば、予測射撃によって直撃してしまう──そう認識すると同時に、広げられた翼の片方が抉られた。

 

 

 ──おそらく、万全の状態であったならば。

 

 

 弾切れとは無縁だが、打ち出したレーザーは一定より加速しないので、腕の角度と向きさえ先読み出来れば、避ける事は可能であった。

 

 

 けれども、ヤルダ──名をヤルダバオトは、それが出来ない。

 

 

 只でさえ、両足を落とされたことによる大出血に加え、伝わる激痛によって繊細さを欠いてしまっている。

 

 加えて、機動性を確保していた翼を片方やられてしまった。飛行魔法を代用して凌いでいるが、機動力までも落ちている。

 

 辛うじて……猛追する攻撃をギリギリのところで避けられているが……撃ち落とされるのも、時間の問題──故に。

 

 

「悪魔の諸相(しょそう):『触腕(しょくわん)の翼』」

 

 

 ヤルダバオトは、反撃した。倒せるとは、欠片も思っていない。

 

 ただ、僅かばかりでも隙を作り、逃げ惑い混乱する人々を盾にしながら逃げようと考えたのだ。

 

 

「隔絶せよ、極彩色の結界!」

 

 

 ──が、駄目。

 

 

 残された片方の翼を使って放った反撃も、彼女の防御技の一つである『プリズムヘイロー』を発動させたことで、無意味となった。

 

 七色に薄く輝く光が彼女の全身に広がった──直後。

 

 ヤルダバオトの翼より飛び出した、蠢く弾丸……翼を構成する、触手のような羽の全てが……彼女の身体をすり抜けてしまったのだ。

 

 

「な、なにぃ!?」

 

 

 これには、放ったヤルダバオトも思わず動きを止めた。

 

 避けるのでもなく、跳ね除けるのでもなく、結界を張って受け止めるのでもなく、攻撃そのものがすり抜けるという初めての現象に、一瞬ばかり思考がフリーズしたのだ。

 

 

「──滅する」

 

 

 そして、当然ながら……動きを止めた敵を前に、ぼんやり突っ立っている彼女ではない。

 

 一か八かの体勢で反撃したが故に、放たれたレーザーを避ける事など出来るわけもなく、「がぁ!?」残された翼も風穴を空けられて墜落し、鈍い悲鳴を上げて石畳の上を転がった。

 

 

 ……僅かな攻防を経て、勝敗が決した。

 

 

 ごふっ、と。

 

 

 仮面の隙間より、血反吐を零したヤルダバオトは、なおも逃げようと身体を起こし、這いずる。

 

 それを見て……彼女は無言のままに銃を……蒼き銃を構えると、その背中に向かって引き金を──っ!? 

 

 

 

 

 ──その時であった。

 

 

 

 

 ヤルダバオトと彼女との間に、一本の巨大な剣が突き刺さったのは。

 

 それは彼女の腕よりも太ももよりも厚くて重く、ズドンと石畳をめくり上げるほどの威力であり。

 

 

「──その戦い、一時待った!」

 

 

 少し遅れて、全身鎧にて身を護った──冒険者モモンが降り立った。剣以上に石畳を捲らせたおかげで、フワッと砂埃が舞い上がった。

 

 おそらく、飛行魔法(あるいは、マジックアイテム)を使用してやってきたのだろう。

 

 石畳に突き刺さった巨大な剣を抜き取り、合わせて、所持しているもう一本の剣を抜いて……両手の剣を、ヤルダバオトと彼女(ゾーイ)の両方へと向けた。

 

 

 

 ──お、お前は……もしや、漆黒の英雄モモンか!? 

 

 

 

 彼女の後方にて、呆然と成り行きを見守るしかなかった仮面の子供が、驚愕の声を上げる。

 

 

 ……改めて聞いたが……声色から考えて、中身は女の子だろうか? 

 

 

 少々、彼女は……仮面の少女について気になったが、けれども、それだけだ。

 

 この場において、仮面の子は部外者である。当事者ではあるのだが、実力が隔絶し過ぎているが故の、部外者であった。

 

 なので……ジロリと眼前の……ヤルダバオトを護るようにして立ち塞がるモモンを見やった彼女は、尋ねた。

 

 

「何のつもりだ、モモン。見れば分かるだろう、そこにいるやつは、敵だ。理解したならば、退くがいい」

「そうしてやりたいのは山々だが……そうも言っていられない状況なのだ」

「……なんだと?」

 

 

 どういう事かと尋ねれば、「うむ、これは先ほど分かった事なのだが……」モモンは大きくため息を吐いた後で……語り出した。

 

 

 曰く──ヤルダバオトは、事前に王都の女子供を合わせて最低500人近くを(確認が取れた限りでは)攫い、それを人質として捕らえている可能性があるというのだ。

 

 

 原因は、ヤルダバオトが事前に王都中に放ったとされる、数々の魔物たち。総数は不明で、現在も騎士たちが総出で対処に動いているとのこと。

 

 それ自体は、いずれ掃討されて終わるという話だが……問題なのは、攫われた者たちの行方だ。

 

 魔物たちはどれも人語を理解しておらず、その為に、ヤルダバオトが死んでしまうと、攫われた者たちの行方が分からないままに終わってしまう。

 

 食糧にするためか、弄んで楽しむ為に行ったのかは不明だが……その者たちを助けたいと、モモンは語った。

 

 

「それに、俺はこの悪魔とは因縁がある。故に、この悪魔に攫われた者たちが辿る末路を知っている」

「…………」

「ただ、殺されるだけならマシだ。そのほとんどは、長く苦しんだ後で惨い死に方をする」

「…………」

「だから、ヤルダバオトを殺すのは少し待ってくれ。全員は無理でも、少しでも無事な者を助け出してやりたい……この通りだ!」

 

 

 ──深々と。

 

 

 モモンは、彼女に向かって頭を下げた。

 

 

「──も、モモン殿! しかし、それは……!」

 

 

 それを見て、ようやく我に返って……慌てて駆け寄ってきた……途中で彼女に阻まれた仮面の子供……いや、少女が声を荒らげる。

 

 

 少女の言い分は、尤もである。

 

 

 ここで500人の女子供を助けるのは、確かに重要であり大切な事だ。少女も、本音では助けてやりたい。気持ちは同じだ。

 

 だが、ここで万が一取り逃がせば、被害は500人では済まない。その倍、3倍、4倍……いや、それ以上の犠牲者が出て来る可能性が極めて高いのだ。

 

 

「……分かっている! 分かっているのだ、俺も……しかし、だからといって攫われた女子供たちを見捨てるなど……俺には出来ないのだ!」

「モモン殿……気持ちは分かるが、しかし……」

「言われずとも、分かっている。しかし、貴女とて身近の大切な者たちが同じ立場になったら……同じことを言えるのか?」

「そ、それは……」

「間違っている事を言っている自覚はある。御咎めは後で幾らでも受ける。これまでの功績も名誉も、全て捨てる……頼む、俺に攫われた者たちを救うチャンスを……頼む!」

「し、しかし、だな……」

 

 

 ──チラリ、と。

 

 

 

 仮面の少女の視線が、彼女へと向けられる。合わせて、ヘルム越しにモモンの視線が彼女へと向けられる。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………沈黙が、続いた。

 

 

 その間、ヤルダバオトはその場を動こうとはしなかった。

 

 下手に動けば、彼女の心証を悪くするとでも思ったのか、それとも動く気力が無かったのか……それは、当人以外誰にも分からない。

 

 ただ、傷口より噴き出す出血が石畳を濡らしてゆく。フウフウ、と……荒く乱れた呼吸が、沈黙の中に広がる

 

 傷口こそ治ってはいないが、常に血液を製造し続けているのか、その量は明らかに人間ならば致死量にまで達している。

 

 それでも絶命せずにいられるのは、人外だからか、それとも別の理由か……さておき、彼女は沈黙を続けるだけで、何も言わなかった。

 

 

「……ゾーイ殿!」

 

 

 その中で、何時までも沈黙する彼女の態度に、焦れたモモンが声を荒らげた──瞬間。

 

 

「──なっ!?」

 

 

 無言のままに銃口をモモンへ向けた彼女は、そのまま引き金を引いた。

 

 想定外の事態だったのだろう。

 

 辛うじてモモンは剣でレーザーを受け止めたが、おかげで剣は根元から砕け散り、その勢いのままモモンはたたらを踏んだ。

 

 これには──誰もが驚き、言葉を失くした。

 

 息も絶え絶えなヤルダバオトもそうだが、攻撃を受けたモモンも絶句し、背後で見守るしかない少女もポカンと呆けて……そんな中で。

 

 

「その、見るに堪えない猿芝居で時間稼ぎのつもりか?」

 

 

 ゾッとする程に冷たく……彼女を知る者が聞けば、思わず背筋を伸ばしてしまう程に張り詰めた声色に……誰もが、ギクッと身体を固くした。

 

 

「じ、時間稼ぎだと?」

 

 

 とはいえ、やはりというか……誰よりも早く我に返ったモモンが、困惑した様子で身動ぎをした。

 

 

「モモン……世界の均衡を乱す可能性がある存在を、私は始めから分かっている……それが、おそらく『調停者』というやつなのだろう」

 

 

 けれども、そんな芝居は……いや、彼女にとっては芝居にしか見えないその姿を見て、ますます声を冷たくさせた。

 

 

「私には、分かるのだ。以前よりも、それがよく分かる。今のお前のその言葉に、真実は半分も無い。何故なら、お前は……そこの悪魔とは身内なのだろう?」

「──な、何を」

 

 

 心底驚いた様子を見せるモモン。

 

 その声色も、仕草も、明らかに嘘は感じられず、「……どういうことだ?」仮面の少女は困惑するしか出来なかった。

 

 

「──攫われた女子供が居るのは事実だ。だが、お前はその者たちを助けたいとは欠片も考えていないし、そもそも、死んだところで、勿体無いな……という程度にしか思っていないのだろう?」

「違う、俺はそんなことは……」

「あくまでも、ヤルダバオトを助けたい。ここに降りて来たのも、そいつが殺されそうになって我慢出来ず……それが、お前の本心だ」

「ま、待ってくれ、何か盛大な勘違いを……」

 

 

 反論しようとするモモンを、彼女は首を横に振って拒否した。

 

 

「モモン……残念だ。『エ・ランテル』でのあの時……あの時のお前は、確かに英雄だった。胸を張っていい、目的は何であれ、お前は胸を張れることをした」

「ゾーイ殿、俺の話を──」

「だが、今のお前は違う。今のお前は英雄でも何でもない。英雄の皮を被った怪物だ──故に、お前に尋ねよう」

 

 

 そこで、言葉を切った彼女は……改めて、モモンを……そのヘルムに隠された奥を、睨んだ。

 

 

「今のお前は、人の心を持った怪物か? それとも、人間だったという記憶を抱えた怪物か?」

「え?」

「お前は、人間として、人を護る為にそこに立っているのか?」

 

 

 その言葉と共に……彼女は、蒼き剣を握り締める。

 

 

「私は、人の側に立った。友が、私を人として引き留めてくれた。お前は、どうなんだ? お前の心は、人のままなのか?」

「…………」

「答えろ、モモン。お前は、人のフリをした怪物か? それとも、人であろうとする怪物か?」

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………モモンは、答えなかった。

 

 

 

 

 

 

 …………。

 

 

 ……。

 

 

 ……で、だ。

 

 

 その事実に……自然と、仮面の少女はモモンから距離を取って、ゾーイの背後に隠れるように身を低くした。

 

 考えるまでもなく、当然だ。

 

 部外者だとしても、怪物かと問われて返事に時間を掛ける時点で、普通は警戒心を抱く。

 

 

(まさか……この女性は、六大神が残したとされる書物に記されていた……『調停者ゾーイ』なのか!?)

 

 

 それに、仮面の少女は……声こそ漏らさなかったが、薄々と……『ゾーイ』とモモンが呼んだ女性に付いて、思い当たる節があった。

 

 詳細は省くが、仮面の少女にも秘密がいくつもある。

 

 たとえば、少女もまた、モモンと同じく人外であること。実年齢は百歳をゆうに超えていて、一般人よりも歴史に関して詳しいこと。

 

 そして、様々な要因から、その知識の中には、だ。

 

 かつて人類を護り導いたとされる『六大神』に関する事と……その『六大神』たちが住まう世界にて、絶対的な存在とされていた『調停者』について……少しばかりあった。

 

 

 

 ──『調停者ゾーイ』。

 

 

 

 その詳細を知る者は、もう居ない。

 

 現存する貴重な資料にも、『調停者ゾーイ』に関する記述はそれほど多くはないうえに、何度か書き直されたことで失われてしまった部分が幾つかあるとされているからだ。

 

『六大神』が存命だったとされる時代より生きる者たちですら、『調停者ゾーイ』に関する知識は資料のソレとあまり変わらないことから、如何に謎に包まれた存在かが窺い知れるだろう。

 

 

 ……そんな存在について、少女が知っていることは一つだけ。

 

 

 それは、とにかく強いということだ。

 

 その力は『六大神』を軽く凌駕するばかりか、かつて世界を支配していたドラゴンたちのほとんどを滅ぼし、ドラゴンの時代を終わらせた『八欲王』すらも正面からは挑まなかったとされている。

 

 

 それが──『調停者ゾーイ』なのだ。

 

 

 現在では、御伽噺特有の誇大表現と一般的に思われ(歴史家の間でも、大半からはそう思われている)ているが、事実は違う。

 

 少なくとも仮面の少女……周囲より、イビルアイと呼ばれている少女だけは……それは事実なのだと教えられていたし、今日この時、確かな事実だったのだと確信していた。

 

 

 ──なにせ、実際に目の前で、ヤルダバオトを一瞬のうちに瀕死の状態にまで追い込んだのだ。

 

 

 自分では手も足も出せないどころか、注意を逸らすことすら出来ないほどの力の差……化け物の中の化け物だと、心から怯えて足が竦んでしまった相手を、アッサリと。

 

 

(漆黒の英雄モモンが……化け物だと? ということは、ヤルダバオトの仲間が、人間のフリをして人間社会に潜入しているというのか!?)

 

 

 それは──信じ難く、同時に、背筋が凍りつくほどに恐ろしい推測であった。

 

 

 何故なら、英雄モモンは……現在、冒険者たちの間でもごく少数しかその称号を与えられていない、最高ランクの冒険者だ。

 

 既に、人間社会において名が知れ渡り、冒険者モモンと名乗るだけで歓迎してくれる上流階級がいるぐらいに、その人気は高い。

 

 

 ……そんな存在が、本当は人の命など数字でしか見ておらず、ヤルダバオトとグルなのだとしたら。

 

 ……目の前で泣き叫んで命乞いをする女子供を、そのまま怪物の口の中へ放り込んでも欠片も心が動かない者だとしたら。

 

 

 それは……想像するだけでも腰が抜けてしまいそうになる……最悪の想像でもあった。

 

 

 だが……そんな最悪の中に、一つだけ希望があった。

 

 

 それは、『調停者ゾーイ』が味方に付いていてくれているということ。

 

 この場において、無力な己ではどうにもならず、戦えば成す術もなくアッサリ殺されるのは理解していた。

 

 

 だが、しかし……それは同時に、だ。

 

 

 最後の希望とも言える調停者が、最悪の前に立ち塞がってくれるおかげで……イビルアイは、己が恐怖に震えずにいられることを自覚していた。

 

 

 …………。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 

 

 

 

 ──そうして、言葉にし難い奇妙な緊張感によって、誰もが次の言葉を発せない……そんな中で。

 

 

「……『沈黙』、それがお前の答えだな。ならば、私は受け入れよう……数多の死を背負う事を」

 

 

 彼女だけが……この場を支配する彼女だけが、ハッキリと結論を出した。

 

 

「待て、話を──」

「聞く必要はない──来たれ! 調停の翼よ!!」

 

 

 もはや、問答は無用──そう言わんばかりに、彼女は蒼き剣を頭上へ掲げた──瞬間。

 

 何も無い夜空の空間より──一体の竜が、まるで夜の闇より抜け出て来たかのように、出現した。

 

 それは、あまり大きくはない。サイズだけを見れば、ドラゴンではなく、ワイバーンといった感じだろうか。

 

 しかし……この場に居る誰もが、その竜を見た目通りには受け取らなかった。

 

 

「──っ! ま、マズイ!!!」

 

 

 特に、モモンだけは。

 

 もはや隠すのは無駄と判断したのか、ヤルダバオトに向けていた剣を彼女へ向け、一気に迫って巨大な剣を振り上げた──それが、モモンの出した結論であった。

 

 

「行くぞ!」

 

 

 そして、その結論を──彼女は、一太刀で振り払い、逆にモモンをヤルダバオトへの射線上から彼方へ飛ばした。

 

 

 彼女にとって、モモンのその行動は……自らの刃を振るうには……人の側へ立つと決めた彼女にとっては、十分過ぎる理由であった。

 

 竜が、地響きと共に彼女の背後に降り立つ──合わせて、彼女の身体がふわりと浮きあがり──稲妻が如き光と共に竜の頭部へと彼女の下半身が融合し。

 

 

「──蒼天(そうてん)の映し鏡たる我が(つるぎ)にて、万象(ばんしょう)(うれ)いを断たん!」

 

 

 今、この時──星晶獣『ジ・オーダー・グランデ』の姿となった彼女は──自らの力を開放する。

 

 ──『レイストライク』! 

 

 

 それは、無属性100%のダメージを与える、必殺の一撃。彼女と同化した『調停の翼』より放たれる、膨大なエネルギーの放光。

 

 両足を切り落とされ、翼も穴だらけにされ、大量出血によって消耗したヤルダバオトに……逃げる術など、あるはずもなく。

 

 

 ──ま、待て!! 

 

 

 飛ばされ離されたモモンが、石畳を凹ませる勢いで接近してくるが──全ては、遅かった。

 

 

「     」

 

 

 迫り来る必殺の光を前に、仮面の向こうでどんな表情をしていたのか……誰にも分からないままに、その直撃を受けたヤルダバオトは。

 

 

「────っ!!!!!!!」

 

 

 瞬時に、光の中へその姿を消して……砕け散り爆発する広場、轟音と、モモンの叫びが混ざり合い……大きく生じたクレーターと、立ち昇る砂埃……その、後で。

 

 

「……さぁ、共に終末へ向かおう」

 

 ──『フェイトルーラー』! 

 

 

 呆然と項垂れるモモンの眼前に……彼女は、悠然と降り立ったのであった。

 

 

 

 

 

 




元々、石橋を叩いて渡る慎重派の下っ端会社員が、いきなり命運を左右する選択肢を出されて100%グッドコミュニケーションできるわけないんだよなあ・・・



ちなみに、この話にて登場した技のユグドラシルイメージ

プリズムヘイロー → 幻影効果、2ターン100%ダメージカット
ユグドラシルでは、一定時間全ダメージ100%無効化? な感じで

レイストライク → 無属性100%ダメージ、4人目のキャラに攻撃。体力0になった場合、復活不可
ユグドラシルでは、リアル時間で一定期間復活不可。別名、お休みストライク(ちゃんと寝ろよ!)

もう一度言おう、レイストライクは、復活不可である。はたして、この世界ではどのような感じに……なるのかな?


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運命の歯車がこの日、ズレた

 

 

 

 ──ユグドラシルにおける、星晶獣『ジ・オーダー・グランデ』(以後、ゾーイ)戦において重要なのは幾つかあるが、とにかく大事なのは数だ。

 

 

 力技で押し切るにしても、とにかく物量を用意しておかなければならない。

 

 何故なら、ゾーイのHPは非常に高く設定されており、高ランクプレイヤーですら、少数では削り切る前に体力切れで押し切られてしまうからだ。

 

 そして、単純に数だけを用意しても意味がない。

 

 その中に1人でもLv.100プレイヤーが居れば、その時点で『対ゾーイ戦HL』に移行してしまうからだ。

 

 それは、仮に途中でLv.100プレイヤーが死亡したとしても、変わらない。

 

 故に、モモンは……本来であれば入念な準備を終えた後で、ギルド単位で挑む必要がある相手と……正面から戦わなければならない事態になった。

 

 

「滅する!」

「──くっ!?」

 

 

 我に返ったモモンは──残った剣を盾に、ゾーイの斬撃を受け止める。

 

 しかし、体勢が悪いうえに武器の質が劣っていたが故に、モモンの身体は宙を舞い──剣は粉々に砕けた。

 

 

 その隙を……ゾーイは見逃さない。

 

 

 蒼き剣を頭上へと掲げれば、ひと際強く輝き──それは夜空を突きぬける光線となって、モモンへと天より降り注いだ。

 

 武器を失ったモモンに、それを防ぐ手立てはない。

 

 地面を転がり、駆け抜け、走り抜けるが……一発、二発、三発と、光線が直撃するたびに、その身を覆う漆黒の鎧に穴が空いた。

 

 本来、この光線は対多数を想定した連続攻撃だ。

 

 それを1人に集中して放たれれば、熟練の戦士であっても直撃を避けられない密度となり──体勢を崩したモモンは、そのままの勢いで石畳を削りながら転がった。

 

 

 ──状況は、圧倒的にモモン……いや、モモンガにとって不利であった。

 

 

 それは、単純にレベル差だけの問題ではない。

 

 モモンガはアンデッドである己の正体を隠す為に、剣士(素手でも戦えるので、戦士?)の姿をしているが……本来は、魔法使いだ。

 

 より正確に言えば、魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)。それも、死霊系に特化している尖ったステータスとなっている。

 

 

 ちなみに、今の姿は魔法を使って得ているモノだ。つまり、急ごしらえ。

 

 

 加えて、剣を使った近接戦闘は本来不得意であり、そもそも、そういう戦いを想定した技術も持っていない。

 

 これまでモモンガが戦ってきた相手は、それでも十二分に対応出来るほどの力の差があったからこそ何とかなっていたが……今は違う。

 

 とてもではないが、只でさえ圧倒的な力の差が生じているこの状態で剣士として戦うのは、自殺行為以外の何者でも無かった。

 

 

 ……だが、しかし。

 

 

 それを理解していても、モモンガには……本来の力を発揮できる、魔法詠唱者の姿を取らない(戻らない)理由があった。

 

 

「──アインズ様!」

 

 

 それは──っと、その時であった。

 

 体勢を崩したモモンガの前に出現する、半球体の闇の扉。

 

 その奥より飛び出してきた全身鎧を身に纏った(声からして、中身は女)女が、構えた漆黒の盾によってゾーイの光線を止めた。

 

 

「──アルベド!? 何故出てきた!」

「お叱りは後で! 今は早く転移門(ゲート)へ!」

 

 

 鎧女の名は、アルベド。

 

 ナザリック地下大墳墓の全NPCの頂点であり、ナザリックの守護者たちを統括している、防御に特化したステータスを保持している。

 

 

 その役目は、王を護ること。

 

 

 ナザリックにおいて最も高いHPと防御力を誇るアルベドにとって、ナザリックの王であるモモンガが危機に陥った状況を放置するわけがなかった。

 

 

「──断ち切る!」

 

 ──オポッジション! 

 

 

 けれども、相手が悪かった。

 

 ゾーイの振り上げた蒼き剣が光を帯びたかと思えば、振り抜かれ──それは、白銀の光輝く刃となって、アルベドのみならず、その背後に居たモモンガにも多少なりダメージが通った。

 

 とはいえ、それは行動不能になる程ではない。せいぜい、ゲートから離れたところへ吹き飛ばされただけである。

 

 

 モモンガが万全の状態であったならば、だ。

 

 

 構う事なくゲートへ向かい、逃げ去ったかもしれない。

 

 あるいは、ゲートより戦力をこちらへ補充したかもしれない。

 

 

(──はあ、はあ、はあ!)

 

 

 けれども……今のモモンガは、恐怖を覚えていた。おそらくそれは、この世界にやってきて初めて感じた、死への明確な恐怖であった。

 

 何故なら、アルベドはナザリックで最も強固なNPCだ。

 

 その防御力を、モモンガは良く知っている。だからこそ、その防御力を持ってしても己の身へと届く事実に……恐怖を覚えた。

 

 

 そう、そうなのだ。

 

 

 これまでモモンガは、この世界に来て『敵』の存在を警戒し、NPCに失望されて殺されるかもしれないという想像の恐怖に怯えることはあった。

 

 だが……ここまで強烈な敵意をぶつけられ、まっすぐに死を突きつけられたのは……それこそ、生まれて初めての事だった。

 

 アンデッド特有の精神抑制により、怯え高ぶった心はすぐさまフラットに戻される。直後、急上昇し、またフラットへ。

 

 ジェットコースターのように精神が上下に揺れる。それは、ある種の強烈な不快感となって、モモンガの足を止めてしまった。

 

 

(こ、殺されるのか、俺は!?)

 

 

 結果、この時、この瞬間。

 

 魔王ロールで支配者ぶり、オーバーロードでありナザリックの長として表に立っていたモモンガの心に、初めて『鈴木悟』の面が強く出た。

 

 『鈴木悟』の部分が消え去り、オーバーロードのモモンガだけになっていたら、こうはならなかった。

 

 

 今はもう戻れない昔を懐かしむからこそ。

 

 去って行った友人たちを想う心がまだ、残っているからこそ。

 

 その事に複雑な悲しみを抱き、過去へ流せない未練を抱え続けているからこそ。

 

 

 ただの人間で、命の奪い合いなどしたことがない。優柔不断で引っ込み思案なところがあるけれども、善良な一般市民の『鈴木悟』が……初めて、『モモンガ』を上回ったのであった。

 

 

「──がっ、ぐっ!?」

 

 

 果たして、どちらが先だったのか。

 

 その瞬間──モモンガ……いや、『鈴木悟』は、己の身を襲う正体不明の苦痛に堪らず呻いた。

 

 

(これは……まさか、先ほどの『フェイトルーラー』か!? まさか、アンデッドの耐性と装備の耐性を上回るのか……っ!?)

 

 ──『フェイトルーラー』。

 

 

 ユグドラシルにおけるその効果は、敵対した相手に『ワームホール』というデバフを付与し、付与されてから一定時間後にランダムで弱体化が掛かるというものだ。

 

 ランダムなので、どのような弱体化が掛かるかは分からない。アンデッドと装備がもたらす耐性を考慮すれば、どのような弱体化が掛かったかは予測出来るが……あくまで、予測の域だ。

 

 ユグドラシルにおいては、他のデバフと同じく一定時間が経過すれば自動的に解除されるが……少なくとも、この戦闘中は──あっ! 

 

 

「──アインズ様、早くナザリックへ!!」

 

(しゃ、シャルティア!?)

 

 

 視界の端で、赤いナニカが通り過ぎた──と思った時にはもう、ナザリックが誇る総合力最強のシャルティア・ブラッドフォールンが、ゾーイへと躍りかかっていた。

 

 シャルティアは、『鈴木悟』の友人が作り出したNPCの1人であり、『モモンガ』であっても正面から戦えば勝率は低い。

 

 

 ……しかし、それでも相手が悪過ぎる。

 

 

 神器級(ゴッズ)のスポイトランスを装備しているとはいえ、前衛が1人だけ。

 

 アルベドは『モモンガ』の盾となっているので、実質シャルティアのみ──いや、違った。

 

 

「ウォォォ、アインズ様ヲ、オ守リセヨ!」

 

 

 開けっ放しだったゲートより飛び出して来たのは、2メートル以上の巨大人型昆虫……コキュートスであった。

 

 コキュートスは、武器戦闘において最強。

 

 四本の腕が掴む武器を駆使した戦い方は、近接戦闘において絶大な有利性を保持したNPCである。

 

 

「アインズ様! 私たちが時間を稼ぎます!」

 

 

 他にも──ゲートからではなく、彼方より凄まじい速度で接近してきたのは、執事服を身に纏った白髪の老人。

 

 名を、セバス・チャン。人間に見えるが、その正体は竜人である。

 

 ナザリックのNPCの中では随一の、肉弾戦最強の称号を得ている彼は、迫りながらもその身を変形させ、真の姿を──。

 

 

森羅万象(しんらばんしょう)開闢(かいびゃく)暁光(ぎょうこう)! その身に受けて白灰(しらはい)となれ!」

 

 ──出そうとしたが、遅かった。

 

 

 ゾーイより繰り出された、技。

 

 天と地に生じる、蒼き力場。それは瞬時にゾーイを中心に広がり、互いの力場を稲妻が如き光が幾つも走り──直後、一点に凝縮した光が、爆散した。

 

 それは、対ゾーイ戦において最もプレイヤーたちを警戒させ、状況によっては一瞬で相手を壊滅状態にさせる……通称『誰か犠牲になれ』。

 

 

 名を、『コンジャクション』

 

 

 その効果は、受ければ最後、強制的にHPを1にするというモノである。ゲームではHPの数字がそうなるだけでも、現実に血を流し、疲労もするこの世界では。

 

 

「──っ!?」

 

 

 力場の中に居た、全員。

 

 『鈴木悟』とシャルティアを除いた、ナザリックの面々は──突如襲い掛かった致命的なレベルの疲労感と虚脱感に、動きを止めた。

 

 

 考えるまでもなく、そうなって当然だ。なにせ、HP1というのは瀕死の状態だ。

 

 

 負傷こそしていないが、何時死んでもおかしくないような状態になって、普段通りに動ける方がおかしい。

 

 動けるのは、疲労しない特性があるアンデッドの2人だけ。

 

 ゲーム中では、すぐさま後衛が回復を行うか、ゾーイからのターゲットを他所へ……という手段で、態勢の立て直しを図るのが鉄則になっている。

 

 

(──あ、ああ!)

 

 

 故に、『鈴木悟』は反射的に回復をしようとした……けれども、ギロリとゾーイより睨みつけられた瞬間、思わず動きを止めてしまった。

 

 

 

 ──死が、目前に。

 

 

 

 その瞬間、『鈴木悟』の脳裏を過ったのは……過去の思い出だった。

 

 

 楽しい事もあったし、辛い事もあった。軽い喧嘩だって、あった。

 

 ユグドラシルを始めて、初めて心から尊敬できる人に出会えて、仲間に入れて貰えて。

 

 手探りのまま始まったゲーム、仲間が1人、また1人と人数を増やし、各自が思い思いに拘りを注ぎ始め。

 

 そうして迎えた全盛期、最もアインズ・ウール・ゴウンが輝いていた時代。

 

 そして、月日を経る度に1人、また1人と人数を減らしていき、何時しか己だけがログインする日々が続いて。

 

 そして、そして、……終わりを迎えたはずのアインズ・ウール・ゴウンは、こうして別の世界にて命を経て。

 

 そして、そして、そして……蒼き剣を構えたゾーイが、その刃に光を灯らせ、今にも放とうと大きく振りかぶって。

 

 

 

(──えっ?)

 

 

 

 振り被った剣が、降ろされる事はなかった。

 

 何故なら、そうなるよりも前に、ナニカがゾーイへと投げつけられたからで。

 

 その、投げつけられたナニカを反射的に切り払おうとしたゾーイが、それを目にした瞬間。

 

 遠目にも分かるぐらいに、ギクリと身体を硬直させ、大きく見開いた目でナニカを捕らえ……次いで、ポロリと剣を落としたからだった。

 

 

「      」

 

 

 瞳と同じく、呆然と開かれた唇は震えるばかりで何も言えない。何が起きたのかを理解出来ない……いや、理解したくないと言わんばかりに、そのナニカが地面へ落ちないように抱き留めた。

 

 そんなゾーイを他所に、その胸元へと縋りついたナニカは……ボロボロに焼けて引き攣った口を大きく開けると、細い首筋へ食らいつく。

 

 しかし、相手はゾーイだ。

 

 Lv.200の表皮を、噛みきれるわけもない。動きも散漫で、まるで鋼鉄を噛み砕こうとするネズミのような滑稽さがあった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………やろうと思えば、瞬時にナニカを消し飛ばすのは簡単であった。

 

 

 でも、ゾーイは……いや、彼女は、そうしなかった。

 

 そうしたくないと、思ってしまった。

 

 

「……私は、悪夢を見ているのか?」

 

 

 何故なら……彼女の、己の胸元にて抱き留めたナニカの正体は。

 

 

「嘘だと言ってくれ……」

「おぁ、おぁぁぁ……」

「なあ、嘘なのだろう、嘘なんだろう……なあ、嘘だと言ってくれ……」

「おぁぁぁ、おぁぁぁ」

 

 

 焼け爛れたままの身体に、アンデッドを示す瞳の淡い光。意思など欠片も感じ取れない、呻き声を発するそのナニカは。

 

 

「クレマンティーヌ……なあ、嘘だと私に言ってくれ……!」

 

 

 彼女を、人として引き戻してくれた……愛しき友人の成れの果てであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ──こんなの、酷すぎる。

 

 

 その光景を目にしてしまった『鈴木悟』は……率直に、そう思った。

 

 アンデッドのモモンガではない。

 

 

 人の心が表に出た『鈴木悟』は、心より目の前の光景を否定し、拒絶し、言い様も無い悲しみを覚えた。

 

 

 何故そうなったのか……その理由は、すぐに分かった。

 

 何故なら、それを成してしまった元凶が、『鈴木悟』の下へと駆け寄ってきたからだ。

 

 

「──アインズ様、今の内です! アレで気を引いているうちに、早くナザリックへ!」

 

 

 そう進言するシャルティアの顔に、悲壮感はない。

 

 あるのは、一刻も早く『モモンガ』を避難させなければならないという強い意思と、何時ゾーイが我に返ってこちらに攻撃を仕掛けてくるかという焦燥感であった。

 

 

(ああ……シャルティアが、やったのか)

 

 

 その顔を見て、『鈴木悟』は理解する。というより、思い出した。

 

 シャルティアが保有している魔法の一つにある、『不死者創造(クリエイト・アンデッド)』。

 

 それは、死霊系魔法の一つであり、死体を媒介にアンデッドを作り出す……という感じの魔法だ。

 

 

 ……なるほど、と『鈴木悟』は思った。

 

 

 シャルティアは『モモンガ』と同じくアンデッドだ。

 

 なので、『モモンガ』と同じくHPが1になっても疲労などは覚えず、全力で動き回る事が出来る。

 

 視線を向ければ……三人の死体が転がっていた場所に、仮面の少女が辛そうに蹲っているのが見えた。

 

 

 少女も、『コンジャクション』を受けて……いや、違う。

 

 

 『鈴木悟』が記憶しているゾーイの情報を思い返す限りでは、『コンジャクション』の有効圏にあの少女が含まれていないのは明白だ。

 

 

 つまり、シャルティアにやられたのだ。

 

 

 少女のレベルが如何ほどかは不明だが、HP1とはいえ、動きが鈍らない総合戦闘力最強のシャルティアを前に、どうにもならなかったのだろう。

 

 その証拠に、少女の周りには僅かばかり戦闘の痕跡(おそらく、シャルティアがやったのだろう)が見られ……隙を突いて死体を奪い、アンデッド化させて投げ──うん。

 

 

(……俺がアンデッドじゃなかったら、胃の中の物を全部吐き出していたな)

 

 

 皮肉なことに、『鈴木悟』は今、初めて己がアンデッドになっていて良かったと思った。吐く為の胃袋が無いのだから、吐きようがない。

 

 しかし……その代わり、吐けない分だけ嫌悪感が凄まじかった。

 

 

 根源的な嫌悪感……それを初めて、『鈴木悟』は……モモンガではなく、『鈴木悟』として、ナザリックの者へ向けた。

 

 

 ……感情抑制は、今もなお働いている。それでもなお、次から次に嫌悪感が噴き出して来るのを抑えられない。

 

 

 見やれば、シャルティアだけではない。

 

 

 ゾーイが動きを止めていることで戻ってきたアルベド、コキュートス、セバスより、急ぎナザリックへ戻るべきだと口々に説得される。

 

 確かに、今なら逃げられる。この機を逃せば、もう逃げる手段はない。NPCたちの言う事は尤もだと、『鈴木悟』は思った。

 

 

 ……だが、しかし。

 

 

(そうか、そうなのか……お前たちにとって、目の前のアレなど、俺に比べたら取るに足らない出来事でしかないのか……)

 

 

 いや、よく見れば、セバスは……セバスだけは、何処となく心苦しそうにしているようには見える。おそらく、カルマ値が高いからなのか。

 

 しかし、それだけだ。

 

 結局、『モモンガ』に比べたら、幾つも重要度が下がるのだ。

 

 わざわざアンデッド化させた悪趣味さに不快感を覚えているだけで、『モモンガ』の窮地を救った事に対しては、むしろ感心した眼差しをシャルティアに向けていた。

 

 

 ──それを見て……『鈴木悟』は、カクンと身体から力が抜ける感覚を覚えた。

 

 

『鈴木悟』として、最も聞きたかった……シャルティアが行った非道を、己が行った非道を、責める声が全く上がらないことが、とても……とてもとても、辛かった。

 

 

 チラリ、と。

 

 

 眼球の無い眼孔にてゾーイを見やれば、呆然自失といった様子で女のアンデッドを……クレマンティーヌを抱き締めたままで居る。

 

 

 その姿を見て……『鈴木悟』は、酷く罪悪感を覚えた。

 

 

 ギルドメンバーが作り出したNPCのデミウルゴスが殺された事に対する怒りはある。なにせ、思い出の一体なのは事実だ。

 

 しかし、今だからこそ冷静に認識出来るが、先に手を出したのはこちら側だ。自分が逆の立場だとしても、怒り狂っていただろう。

 

 

 それに……いや、それだけではない。

 

 

 クレマンティーヌに限らず、同じように殺された二人もそうだ。既に、大勢の人間がナザリックの……この作戦の犠牲になっている。

 

 生存しているかは不明だが、抵抗したやつをその場で1人2人は食い殺している。連れ去った者たちだって、既に何名か味見されている可能性が極めて高い。

 

 

 ……デミウルゴスなら。

 

 

 そう、己が召喚した悪魔にそれぐらい命令しているはずだ。

 

 ギルドメンバーが作ったデミウルゴスではなく、この世界にて自我を持ったデミウルゴスで、あるならば。

 

 

(俺は……なんて事をしてしまったんだ……)

 

 

 なにより、己がゾーイに対して怒りをぶつけること事態が間違っていると、『鈴木悟』は心より思った。

 

 

(せめて、彼女をアンデッドから……いや、無理だ)

 

 

 こみ上げてくる罪悪感のあまり、アイテムボックスに手を伸ばし掛けた『鈴木悟』は、直後に手を引いた。

 

 

(ユグドラシルでは、一度アンデッドになってしまえば戻すにはワールドアイテムを使うか、キャラを作り直すしかない)

 

 

 少なくとも、『鈴木悟』が記憶している限りでは、ユグドラシルの仕様ではそうなっている。

 

 

 ──そして、そんなアイテムなど、『鈴木悟』は所持していなかった。

 

 

 これがゲームであれば、課金ガチャで出るまで回すか、キャラを作り直せば良いだけだ。

 

 だが、この世界には課金ガチャなんてあるわけもなく、キャラを作り直すことだって──っ!? 

 

 

「──失礼します、アインズ様!」

「ぬお!?」

 

 

 長々と考え事をしている主を見て、焦れたのだろう。

 

 控えていたセバスより抱えられた(いわゆる、お姫様抱っこ)『鈴木悟』は、そのままゲートの向こうへと連れて行かれ──その向こうでは、ナザリックのNPCたちが待っていた。

 

 慌てて振り返れば──既にゲートは閉じられていて、代わりに、後に続いて戻って来たNPCたちが居た。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………その瞬間、『鈴木悟』は……心の中で謝った。

 

 

 誰に対して謝っているのか、分からない。何に対して謝っているのかも、よく分からない。

 

 

 ただ、誰に対しても……おそらくは脳裏を過るギルドメンバーたちに、ゾーイたちに、仮面の少女たちに……『鈴木悟』は、謝り続けた。

 

 

 

 

 

 




アンデッドに与える慈悲は一つだけ

速やかに偽りの命を奪い、その魂を天へと解き放つのみ


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それは、人としての我儘、人としての涙

※この話には、オリジナルアイテムが登場します
 原作にはないからね、注意してね


 

 

 ……調停の翼との合体を解除した彼女は、なおも暴れようとするアンデッドを抱き締める。

 

 

 

 それをしているのが常人であれば、危険極まりない行為だ。何故なら、アンデッドというのは基本的にリミッターが外れている。

 

 腕を折ろうが足を折ろうが苦痛を感じず、失血死や気絶もしない。その身に宿る負のエネルギー……偽りの命が尽きるその時まで、永劫の時をさ迷い続ける存在。

 

 

 それが、アンデッド……とはいえ、アンデッドにも様々な種類が居る。

 

 

 ユグドラシルにおいては、アンデッドは異形種にカテゴライズされており、アンデッドとは言っても異なる性質を持っている場合が多い。

 

 アンデッドに属するのは、スケルトン・ゾンビ・アストラル・ヴァンパイア・その他の5種類だが、一般的にイメージされているアンデッドは、ゾンビだろう。

 

 

 ゾンビは、肉の身体を持つアンデッド。

 

 スケルトンは、肉の無い骨の身体を持つアンデッド。

 

 アストラルは、非実体タイプのアンデッド。

 

 ヴァンパイアは、その名の通り吸血鬼系を差す。

 

 その他は、その名の通り特異な身体を持つアンデッドの総称だ。

 

 

 そして、彼女が抱き留めているアンデッド……クレマンティーヌは、その中でも『ゾンビ』に属する、アンデッドの中では最下級に位置する動死体(ゾンビ)である。

 

 動死体は、最下級のアンデッドと位置付けられているだけあって、その能力は低い。

 

 動作そのものが鈍く、知性は無いに等しい。生前の記憶は完全に失われ、己が何者なのかすら理解していない。

 

 いや、そもそも、思考するという機能すら消失しているのが、動死体なのだ。

 

 

 そんな動死体が行うのは、只一つ。

 

 

 アンデッドとしての本能、生きる者を襲って食らおうとする欲求にのみ従う……ただそれだけ。

 

 そこに、老若男女の違いはない。

 

 生前が何者であろうと、『動死体』になれば等しくさ迷う亡者である。如何なる方法でも蘇生は不可能であり、それ以外にその魂を開放する手段はない。

 

 ……そして、ユグドラシルの設定は別としても、この世界において……アンデッドの蘇生は不可能、それは共通していた。

 

 

「──ごめんなさい。一度でもアンデッドに成ってしまったら、もう私には蘇生させる事は出来ないの」

 

 

 そう、蘇生は不可能……『ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ』は、彼女の顔を見る事が出来ないまま、沈痛な面持ちで現状を告げた。

 

 

 ──ラキュースは、イビルアイが所属している冒険者チーム『(あお)薔薇(バラ)』のリーダーを務めている。

 

 

 神官戦士であると同時に、水神を信仰する信仰系魔法詠唱者であり、王都のみならず他所でもその名が知れ渡っている実力者である。

 

 で、ラキュースはこれまで……王都の一角(つまり、オーロラの中)を襲っていた悪魔たちと戦っていた。

 

 しかし、悪魔たちが一斉に姿を消し、街の一角を覆い隠していた光のオーロラ(パッと見、カーテン?)も消えた。

 

 故に、急いでその中でもひと際派手な爆発音などが響いていた広場へと馳せ参じたラキュースだったが、当初は状況が分からなかった。

 

 

 なにせ、そこにはバラバラにされた二体の遺体の前に項垂れているイビルアイと、遠目にも『動死体』であるのが分かるアンデッドを抱き留めている女が居る。

 

 

 広場は、まるで爆弾をばら撒いたかのように酷い有様だ。

 

 どうやったのか、大きく抉れた石畳の一部はいまもなお熱を持っており、どのような魔法を使えばこうなるのかすら、分からない。

 

 

 分かるのは、ここで信じ難いような凄まじい戦闘が行われていたということ。

 

 

 そして、その戦闘の犠牲者……項垂れているイビルアイの様子から、二体の遺体(大きさも考慮して)が誰なのかはすぐに分かった。

 

 同じ『蒼の薔薇』に所属している、ガガーランとティアだ。

 

 

 ガガーランは、男と見間違ってしまうような屈強な女戦士だ。

 

 ハンマーなどの打突性のある武器を使用し、数千体のゾンビやスケルトンぐらいなら余裕で倒せる程の実力を持っている。

 

 

 ティアは、元暗殺者の忍者だ。

 

 直接的な戦闘でも十分に強いが、その本領はスピードを生かした戦術、時には毒をも使い、相手の不意を突く奇襲である。

 

 

 この2人は、王都にもその名が広く知られている優れた冒険者だ……が、その二人が死んでいる事にラキュースはまず驚き、そして、心から悲しんだ。

 

 

 けれども、悲しんでいる暇はない。急いで、イビルアイに事情を聞いて。

 

 

 本当に、色々信じ難い情報が有り過ぎて納得するよりも前に混乱したが、とにかく、起こった事を一通り聞いたラキュースは。

 

 ……未だに、暴れ続けるアンデッドを抱き締めている彼女に、冒頭の言葉を告げたのであった。

 

 

「……より高位の蘇生魔法ならば、可能なのか?」

 

 

 静かに頭を下げて、その場を去ろうとするラキュースの背中に、彼女は……縋る様な眼差しと共に問い掛ける。

 

 ──蘇生。

 

 その言葉によって彼女の脳裏を過ったのは、己のアイテムボックスの中にある蘇生アイテムの事だ。

 

 

 ……彼女は、クレマンティーヌより、この世界の……正確には、教えられた情報から、ユグドラシルのアイテムが、この世界では現実のモノとして作用するということを知っていた。

 

 

 例えば、以前より何度も使用している『グリーンシークレットハウス』が、それだ。

 

 だから、これまで試した事はなかったが、蘇生アイテムを使えば死者を蘇らせることが出来るのでは……そんな、淡い期待を彼女は抱いた。

 

 

 だが、同時に……不安もあった。

 

 

 ユグドラシルの仕様では、アンデッドとなったキャラクターを蘇生させたとしても、アンデッドのままだ。

 

 一度でもアンデッドになったキャラは、通常のアイテムでは他の種族に変更する事が出来ないのだ。

 

 そんなアンデッドの種族変更を行うには、ワールドアイテムと呼ばれる非常に希少な高レアアイテムの、『世界樹の種』を使用する他ない。

 

 

 そして、そのアイテムを……彼女は、保有していなかった。

 

 

 元々、ロールプレイ用に作ったキャラクターだ。

 

 アイテムボックス内のアイテムは趣味や好みに偏っており、それ以外はデバッグ&テストプレイ用に使ったアイテムの残りがあるだけ。

 

 万が一にも可能性はないが、キャラデータをハッキングされる可能性を考慮して、それ以外のアイテムは所持していなかった。

 

 

 だからこそ、縋った、

 

 けれども、だ。

 

 

 振り返ったラキュースは、一瞬ばかり辛そうに顔をしかめた。ついで、すぐに深呼吸して心を静めると……静かに首を横に振った。

 

 

「それは分からない。でも、少なくともアンデッドを蘇生させたって話は一度も聞いた覚えはないわ」

「…………」

 

 

 その言葉を受けて、彼女はグッと唇を噛み締める。そのまま、視線を……ラキュースの隣に来ていたイビルアイに、向けた。

 

 

「残念だが……一度アンデッドに成った者を救う手立ては私も知らない」

「……貴女でも、分からないのか?」

「ああ、調停者ゾーイ。長く生きた私でも、アンデッドを蘇生させたという話は一度として聞いた覚えがない」

 

 

 仮面越しでも、非常に言い辛そうに……イビルアイは、言葉を続けた。

 

 

「そもそも、死体とアンデッドは違う。見た目はほとんど変わらない事はあっても、その中身は全くの別物だ……それは貴女も理解出来ているだろう?」

「……ああ、理解している」

「アンデッドという異形種を蘇生させる事は出来ない。回復魔法すらアンデッドにとっては毒も同然……蘇生魔法を使用すれば、その身は緩やかに灰となって跡形もなくなってしまう」

「……どうしても、無理なのか?」

「無理だ。高位の蘇生魔法であればあるほどに、アンデッドにとっては逆効果だ。それこそ、一瞬にして塵になっても不思議じゃない」

「……そうか、分かった。ありがとう」

 

 

 ──どうにもならない。

 

 

 その事を改めて思い知らされた彼女は……アイテムボックスより、短杖(たんじょう)を取り出した。

 

 

「これを使うといい」

「……これは?」

真なる蘇生の短杖(ワンド・オブ・トゥルー・リザレクション)という、蘇生アイテムだ。使用すれば、第九位階の蘇生魔法が発動する」

「だ、第九位階!?」

「試した事がないから、上手く発動するかは分からないが……物は試しだ、使ってくれ」

 

 

 驚き慄くイビルアイとラキュースの姿を横目に、彼女は……私のワガママだと思ってくれ、と告げた。

 

 

「もう、クレマンティーヌの周りに死はいらない。せめて、天へ旅立つその時に、誰かの死を引き連れて行ってほしくない……ただ、それだけの傲慢なワガママだ」

「し、しかし……」

「気にするな。クレマンティーヌは……罪人だ。もしかしたら、こうなるのも天命……あるいは、報いだったのかもしれない。だから、気にしなくていい」

「…………」

「クレマンティーヌのとばっちりで、仲間たちの遺体が酷く損傷した……ラキュース、貴女の蘇生魔法は今の反応から見て、おそらく『死者復活(レイズデッド)』だろう?」

「え、ええ……」

「それで、あの二人は蘇生出来そうか? 私が教えてもらった限りでは、遺体の損傷が酷ければ酷いほどに、蘇生の成功率が下がるという話だが……」

「…………」

「不幸中の幸い、というやつだ。やつらも、焦っていたのだろう。いちいち、他のやつらまでアンデッド化させる余裕がなかったのだから」

「…………」

 

 

 ラキュースは……無言のままに短杖を受け取ると、深々と頭を下げた。イビルアイも、同様に深々と頭を下げた。

 

 ありがとう、その言葉を、今の彼女には言えなかった。

 

 

「──助けて貰ったのに、何も出来なくて……すまない」

 

 

 そして、イビルアイは最後に告げると……ラキュースの袖を引いて、残された仲間たちの遺体の下へと向かった。

 

 ラキュースも、後ろ髪引かれるといった感じで彼女を見ていたが……ペコリともう一度頭を下げると、イビルアイに従った。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………後に残されたのは、彼女と……アンデッドと成ってしまった、クレマンティーヌだけ。

 

 

 彼女は……無言のままに、抱き抱えたクレマンティーヌを下ろす。途端、クレマンティーヌは彼女へと襲い掛かり……しかし、その身体はビクともしない。

 

 

 完全に力を抜いているならともかく、Lv.200の彼女と、最下級のアンデッドに成ってしまったクレマンティーヌ。

 

 少し踏ん張るだけで、それは戦車を動かそうとする蟻も同然である。

 

 空しく、その爪が、歯が、彼女の肌を傷付けようと動くが……薄皮一枚、傷付けることは出来なかった。

 

 

「──すまない、クレマンティーヌ」

 

 

 ……そんな中で……彼女は、頭を下げる。

 

 ポロポロと滴り落ちる涙が石畳を濡らすが、もう、その涙を拭ってくれるハンカチは無い。宛がってくれた者はもう、居ない。

 

 彼女の胸中を過るのは、後悔と自己嫌悪。

 

 

 どうして、あの時一人で行かせたのか。

 

 どうして、あの時一緒に行かなかったのか。

 

 どうして、アイテムの一つぐらい持たせてやらなかったのか。

 

 

 分かっていたはずなのだ。この世界でも、アッサリ人が死ぬことを。

 

 あの世界とは異なる理由で、この世界の人達もアッサリ命を落とす。

 

 この世界には、人間を食糧にする異形種が当たり前のようにいるということを……分かっていた、そのはずなのに。

 

 

 ……無言のままに、彼女は正面からクレマンティーヌを抱き留める。

 

 

 途端、クレマンティーヌは再び彼女にしがみ付き、細い首筋に食らいつくが……構う事無く、彼女は……その手に、蒼き短刀を出現させる。

 

 

 ──アンデッドと成った者を救う手立てが彼女にはない。

 

 ──永劫、偽りの命が尽きるその時まで、さ迷い続ける。

 

 ──その魂を開放するには……終わらせるしかないのだ。

 

 

 故に、彼女は……暴れるクレマンティーヌを抱き締めたまま、そっと……その刃を、剥き出しの背中に突き刺した。

 

 位置は、心臓の中心。

 

 普通なら激痛で飛び上がるはずも、アンデッドには関係ない。

 

 じたばた、と。

 

 心臓へと突き進む刃に気付いてすら、いないのか。

 

 クレマンティーヌはなおも歯をむき出しにする。

 

 食い込む刃がズレないように、彼女は腕に力を入れる。

 

 少しずつ、少しずつ……刃は確実に奥へと食い込み、そして──何の手応えもなく、その刃は……クレマンティーヌの心臓を刺し貫いた。

 

 

「────っ」

 

 

 瞬間、抱き締めたクレマンティーヌの四肢が跳ねた。

 

 声すら出せないまま、緩やかに……その身体より力が抜けてゆくのを彼女は感じ取った。

 

 

 ……偽りの命、魔法に縛られた魂が解き放たれ、天へと還る。

 

 

 赤く淡い光を放っていた瞳から、ソレが失われてゆくのが分かる。

 

 合わせて、背中より抜き取った短刀はポロリと落ちて、空気に溶け込むように消えてしまう。

 

 彼女は、その身体を……ギュッと、抱き締める。

 

 

 ──終わってしまう。

 

 ──本当の意味で、旅立ってしまう。

 

 

 その事実を、彼女は改めて理解する。分かっていて、彼女はなおも強く抱きしめる。

 

 もう、届かないと分かっていても、せめて終わるまでは温もりの中に居てほしいと思ったから。

 

 

「──っ、クレマンティーヌ?」

 

 

 だからこそ……その魂が、完全に天へと飛び立つ……その直前。

 

 冷たく、かさついた唇が、彼女の額に触れる。

 

 キスされたのだと、驚いて顔を上げた彼女が目にしたのは。

 

 

「     」

 

 

 それは、笑っていたのかもしれない。

 

 それとも、悲しんでいたのかもしれない。

 

 ただ、彼女は聞いた。僅かに動いた唇が形作った、彼女にしか感じ取れない言葉を……確かに、聞いた。

 

 

 ──あ

 

 ──り

 

 ──が

 

 ──と

 

 ──う

 

 その5文字を、震える唇で表したクレマンティーヌは──直後、ガクンとその身体が崩れ落ちる。

 

 慌てて抱き留めた彼女の眼前には、静かに目を瞑ったままの……物言わぬ亡骸だけが、そこに残されていた。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………彼女は、その身体を抱き締める。

 

 

「うう、ううう、う~……うう~~……!」

 

 

 そのまま、彼女は……涙を流し続けた。

 

 冷たく固くなり始めたその腕がもう、抱き締め返してこないと分かっていても……彼女は、親友の胸に縋り付いて、涙を流し続けた。

 

 

 それは……親友に送る、人間としての彼女の涙であった。

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………それから、彼女はしばらく王都を離れなかった。

 

 

 理由は、単純にクレマンティーヌの遺骨を何処へ埋葬するか……それに悩んだからで。

 

 

 二日、三日、四日……朝から晩まで悩んでも、これはという場所が思い浮かばなかった。

 

 というのも、まず、王都において遺体は基本的に火葬され(場合によっては、神官の手で浄化してから)た後、各家の墓地か共同墓地に入れるようになっているらしい。

 

 

 しかし、彼女は思うのだ。そういえば、クレマンティーヌは何処の国の生まれなのだろうか、と。

 

 

 客観的に見れば、クレマンティーヌは生まれ育った国を捨てて逃亡し、彼女と出会うその日まで、様々な人たちの命を奪ってきた極悪人だ。

 

 考えるまでもなく、犠牲者の関係者が住まう場所の近くには埋められない。万が一知られたら最後、墓を壊される可能性は高い。

 

 というか、王都にも関係者が居ない保証はない。

 

 犠牲者の事を思えば、墓を壊されても仕方がないとは彼女も思っているので、止めはしないが……それならそれで、穏やかな場所に作ってやりたいと思ったわけである。

 

 

 ……で、そんな時に思ったわけだ。祖国へ帰すのは、どうだろうか……と。

 

 

 けれども、すぐに彼女は違うかなと思った。

 

 だって、祖国に嫌気が差して飛び出して来たのに、生まれ育った国だからと戻すのも変な話ではないだろうか。

 

 

 実際、祖国の事が大嫌いだとも話していたし。

 

 

 とはいえ、縁も所縁も無い場所に埋めるのも、違うような気がする。というか、勝手に埋めて良いモノなのだろうか。

 

 考え出すと、どうにも答えが出せないまま、王都の外に設置した『グリーンシークレットハウス』にて、唸るばかりであった。

 

 

 ……なので、だ。

 

 

 突然の事ではあるし、ほとんど会話らしい会話をしていないけれども、人から人へと尋ね回り、王都で唯一の顔見知りである『蒼の薔薇』が拠点にしている宿屋を尋ねたわけであった。

 

 

「──よお、あんたがゾーイさんかい? ありがとう、アンタのおかげでこうして今日も飯と酒が楽しめるぜ」

 

 

 そうして、案内された部屋に通された彼女は開口一番、男でもそうはいないぐらいに屈強な身体をした女……ガガーランより、感謝の言葉を貰った。

 

 

 いきなりの事なので困惑したが、何てことは無い。

 

 

 どうやら、色々と事後処理も一段落付いた『蒼の薔薇』は、お礼を言いたいが為に以前より彼女の行方を追っていたとの事だ。

 

 けれども、探しても探しても見つからず、これはどうしたものか……と、考えていたところだったらしい。

 

 

 なんという、すれ違いだろうか。

 

 ただ、出会えなかったのにも理由がある。

 

 

 それは、彼女は王都の宿を利用してはおらず、王都の外でハウスを使用しているからだ。

 

 おまけに、貴族たちにちょっかいを掛けられるのが嫌なので、街道から少し外れた場所で使用していた。

 

 対して、『蒼の薔薇』が探していた場所は、範囲や件数こそ広くて多いが、常識的な範囲である。

 

 王都中の宿屋(安宿、高級宿、両方とも)を探し回り、酒屋や武器防具を取り扱う鍛冶屋を回り、名の売れている飲食店を回ったが、それでも見つからなかった。

 

 なので、もうゾーイは王都を離れてしまったのか……そう思って諦めていたところに、わざわざ当人が尋ねに来たといった感じであり、ガガーランが喜ぶのも当然であった。

 

 

「あの、ゾーイさん。此度は本当にありがとうございました。おかげでガガーランもティアも、無事に蘇生する事が出来ました」

「気にしなくていい。貴方達は運が良かった、ただそれだけだ」

 

 

 ……で、だ。

 

 

 『蒼の薔薇』のメンバーは、現在計5名。

 

 

 リーダーの神官ラキュースと、女には見えない戦士のガガーラン。

 

 暗殺者のティアと、あの時顔を合わせていない方の、双子のティナ。本当に、そっくりだ。

 

 そして、魔力系魔法詠唱者である仮面の少女、イビルアイ。

 

 

 これが、『蒼の薔薇』の構成メンバーである。

 

 

 さて、それから簡単に自己紹介を終えてから……本当に、簡単にサラッと(最初から話すと長すぎるので)済ませた後。

 

 イビルアイより何やら強い視線を感じながらも、改めて彼女は……その手に持った骨壺を『蒼の薔薇』の面々に見せると、用件を伝えた。

 

 

「ん~……詳しくは聞かないけど、祖国には戻さない方がいいのよね?」

「ああ、クレマンティーヌは自分の生まれ育った国が大嫌いだと言っていた。だから、祖国には戻さないつもりだ」

「祖国って、どこ?」

「知らない。話したくないと言っていたから、何処で生まれ育ったのかは知らない」

「判断材料少なすぎ」

「すまない、あまり気にしていなかったから……」

「いや、それはいいんだけどよ……さすがに、何処が駄目なのか分からないままってのは、こっちとしても候補を挙げられねえぞ」

 

 

 リーダーであるラキュースを始めとして、『蒼の薔薇』の面々に質問された彼女は、思い出を振り返りながら答える。

 

 まあ……祖国が分からないのに祖国は駄目っていう条件は、中々に難しい。

 

 だって、下手に候補を挙げても、それが祖国でない保証がないからだ。

 

 

「……おそらく、『スレイン法国』だろう。名に覚えはないが、『疾風走破』の二つ名には聞き覚えがある」

 

 

 その中で、ポツリ、と。仮面の少女イビルアイが、そう答えた。

 

 

「なんだ、有名なやつなのかい?」

「有名かどうかは別として、アダマンタイト級冒険者に引けを取らない実力者であるのは間違いない」

 

 

 訝しむガガーランにそう答えれば、「マジで?」ティアとティナが同時に驚きの声を上げた。

 

 ちなみに、アダマンタイト級というのは、冒険者のランクにおいて最高ランクとして位置づけされる……要は、それだけの実力があった、ということだ。

 

 

「素性や経緯は何にせよ、法国を飛び出して来たのであれば、法国から離れた場所が良いんじゃないか?」

「まあ、そうだよなあ……でもよ、そのクレマンティーヌって人は、けっこう色々とやらかしてきたんだろう?」

「ああ、本人がそう言っていた。少なくとも、これまで100人以上は殺していると……」

「……じゃあ、王都は駄目だな。ここは色んなやつらが居るし、どこで誰が関わっているか分からないからな」

 

 

 そう言うと、ガガーランは部屋の奥へと向かい……大きくも年期を感じさせる色合いの……丸められた紙を持って来ると、それをグイッとテーブルにて広げた。

 

 それは、地図だ。

 

 この国を中心とした周辺国の地理が大きく記されていて……ガガーランの太い指先が、ツツーッと王都から街道へと動く。

 

 

「……と、なれば、法国からも王都からも離れた……『バハルス帝国』か、『竜王国』ぐらいか?」

 

 

 そして、ピタリと指を止めた。

 

 けれども、すぐに待ったの声が掛かった。

 

 

「『竜王国』は止めた方が良い。あそこは今、ビーストマンと戦争中。行くと、戦争に巻き込まれる可能性大」

「右に同じく。というより、あそこは遠過ぎ。行くなら『バハルス帝国』が良い。あそこなら、比較的安全な街道を通って行ける」

「……まあ、そこが妥当でしょうね。行くなら紹介状を用意するわね。それがあれば、王国領内の検問ぐらいはさっさと通れるようになるから」

 

 

 次々に、『蒼の薔薇』は意見を出してくれる。

 

 クレマンティーヌの素性を知ったうえでも、それはそれ、これはこれと意見や力を貸してくれることに、彼女は内心にて頭を下げた。

 

 もしかしたら、『いくら恩人とはいえ、そんな大罪人など!』と断られる可能性を考えていたからこそ、余計に……と。

 

 

「……ところで、ゾーイさん。不躾な質問だったら申しわけないのだけれども、そもそも、何の目的で王都に来たの?」

 

 

 ふと、思い出したと言わんばかりにラキュースより尋ねられた彼女は……そういえば話してなかった事に気付き、目的を話した。

 

 

「『アベリオン丘陵』? 帝国とは正反対になるわね……」

「あそこは亜人たちの巣窟みたいなものだろ? 何の為に、あんな場所へ行くんだい?」

 

 

 想像していた目的とは違う事に目を瞬かせるラキュースを他所に、『アベリオン丘陵』のことを思い出したガガーランは、太い首を傾げた。

 

 

 ……実際、一般的には『アベリオン丘陵』なんて、よほどの目的が無い限りは足を踏み入れない場所だ。

 

 

 何の準備も無しに向かえば現地の部族に捕らえられて食われるのがオチだし、そもそも、あそこは人間の領土ではない。

 

 行っても金銭的な旨味は無いし、名誉を得られる何かが有るわけでもない。ガガーランの疑問は、もっともな事であった。

 

 

「それは……私にも分からない。ただ、行かなければならないと思ったから、そこへ向かっていた」

 

 

 しかし、そこへ向かうと決めていた彼女も……その疑問には、答えられなかった。

 

 

「え、でも、仕方がないとはいえ『バハルス帝国』は反対側よ。その分だけ、アベリオンに向かうのが遅くなってもいいの?」

「ああ……それなら大丈夫だ。今は、行く理由が無くなったから」

「……今は?」

 

 

 けれども、分かる事はある。

 

 

「何となくだが、分かるんだ。以前ならともかく、今は向かう必要はないと。むしろ、今は……バハルス帝国? とやらに、私の心がざわついている」

 

 

 ──だから、行き先が『バハルス帝国』だったら、都合が良いかもしれない

 

 おそらくそれは、『調停者』としての感覚か……以前よりもハッキリ感じやすくなったその感覚に──っと。

 

 

「──調停者ゾーイ、一つ良いか?」

 

 

 唐突に、直接質問された。

 

 見やれば、何時の間にかテーブルの傍に来ていた仮面の少女が……そっと、『バハルス帝国』を指差した。

 

 

「出来うるならば、その『ざわつき』は、この地図の何処にそれを強く感じるのか……教えて貰っていいか?」

「どうしたいきなり?」

 

 

 普段とは、違う行動を取っているのだろう。

 

 『蒼の薔薇』の誰もが驚いた様子で互いの顔を見合わせる中、「分かった、教えよう」彼女は一つ頷くと……地図の上を、しばしの間指先でなぞった後……ふと、止めた。

 

 

「……位置的に、トブの大森林かしら?」

 

 

 全員の視線が集まる中、ポツリとラキュースが呟いた。

 

 そう、彼女が指差した場所は帝国ではなく、『エ・ランテル』の北側に広がる『トブの大森林』であった。

 

 

「……いや、違うな。ここには確か……開拓村があったはずだ。名前は……何だったか、カルネ村、だったか」

「開拓村? イビルアイったら、よくそんな場所を知っているわね」

「トブの大森林には色々あるからな、あの周辺は何度か見回った事があるだけだ」

 

 

 そこで、イビルアイは顔をあげた。まあ、仮面を付けているので視線など分からないけど。

 

 

「ここに、何かあるのか? 役に立つかは分からないが、傍の『トブの大森林』に関してなら、幾つか知り得ていることを教えられるが……」

「いや、大丈夫だ。私の行き先は森林の奥じゃない。たぶん、この村の……そうだな、北東へと少し向かったところだ」

 

 

 そう、イビルアイが提案してみれば、彼女は嬉しそうに笑みを零した後……静かに、首を横に振った。

 

 

「たぶん、ここに……やつが居る」

 

 

 ──アインズ。

 

 

 そう、彼女は零して……『蒼の薔薇』より向けられる視線を前に、彼女は。

 

 

「アインズ、その単語には覚えがある。勘違いでなければ、ここに……『アインズ・ウール・ゴウン』のやつらが居るかもしれない」

 

 

 その言葉と共に虚空を……カルネ村がある方角を、見つめたのであった。

 

 

 

 

 

 




ステンバーイ……ステンバーイ……ステンバーイ……


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(裏話)節穴の奥より覗き見た

タグ通り、ナザリック敵対ルートに入ります

苦手な方は注意やで


 

 

 本当の本当に心からの後悔と罪悪感を抱いた時、人は二本の足で立っていることすら出来ない事を、モモンガ……いや、『鈴木悟』は思い知った。

 

 

 ──頭を殴られて意識が飛ぶような、とてもではないが言葉では言い表せられない衝撃であった。

 

 

 アンデッド特有の感情抑制が働いていなかったら、『鈴木悟』はその場に腰を抜かしていただろう。それほどの感情が、『鈴木悟』の心をもみくちゃにしていた。

 

 

 ……涙を流したい。人のままだったら、その場に蹲って泣き叫んでいただろう。

 

 

 そんな資格すら、今の己には無いというのに。

 

 涙など、今の己には流せるわけもないのに。

 

 

 ……『鈴木悟』の心を取り戻したアンデッドは、己が今までしてきた事を思い出す。

 

 

 こちらに来て、まだ半年と経っていない。

 

 だが、それでも……『鈴木悟』は己の言葉が、己の命令が、己の手が、様々な命を奪い取って来たことを自覚する。

 

 

 生きる為ではない。助かる為でもない。

 

 

 ただ、縛り付けたネズミを興味半分で解体するように、飛んでいる羽虫を払う程度の感覚で、現状を理解する為だけに欠片の忌避感もなく使い潰した。

 

 ナザリックの者たちの為……それが何よりも大事だと言いながら、心からそう思いながら。

 

 

 ──と、同時に、本当に恐ろしいモノを前にした時、人は言葉も恐怖も忘れて、その場より動けなくなることを『鈴木悟』は思い知らされた。

 

 

 それは……ゾーイとの戦闘から逃れて、ナザリックへと帰還した直後の事だ。

 

 彼ら、彼女ら、その他(性別不明)の者たちが、次々に現れては己の前に膝を突く。

 

 そして……いや、モモンガの無事を喜び、手助け出来なかった己を責める光景を見せ付けられた。

 

 

 ──それは、『鈴木悟』にとって、非常に苦痛を伴う一時であった。

 

 

 モモンガだった時なら、単純に身に余る評価に気が重い、失望されないように振る舞わなければ……そんな程度の感覚だっただろう。

 

 けれども、『鈴木悟』の心に戻った今……その目に映るNPCたちの姿は、言葉を失うほどに白々しく恐ろしいモノにしか見えなかった。

 

 

 ……でも、それを表に出すことは出来ない。何故なら、今の己は……1人だから。

 

 

「うむ、皆のおかげで助かった。礼を言おう」

「そんな、私共は自らの役目を果たしたまで! むしろ、御身の前にて、盾となることすら出来ない己を恥じるばかりでございます」

「いや、良いのだ。その気持ちだけで、私は嬉しい。それで、納得するのだ」

「しかし……」

「良いのだ。これ以上この話を続けるのであれば、それは私に対する反感、引いては反逆なのだと思え」

「──はっ! アインズ様の、御心のままに!」

 

 

 続々と己の下に集って来るNPCたちに怯えながらも、『鈴木悟』が魔王ロールを辛うじて維持出来ていた理由が、二つある。

 

 

 一つは感情抑制。

 

 皮肉にも、これが二度目であった。己が種族アンデッドを選択して良かったと思ったのは。

 

 

 そして、もう一つは、『完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)』による、物理的な遮断があったからだ。

 

 

 モモンガだった時は見た目の良さは別として、大した防御力もない見かけ倒しと思っていたが、今は違う。

 

 NPCたちがその気になれば瞬時に破壊出来ると分かっていても、薄っぺらいコレのおかげで、ずいぶんと恐怖心を和らげてくれた。

 

 

 ……だが、それも。

 

 

「──アインズ様、お疲れのところ申し訳ないのですが」

 

 

 とにかく、一刻も早くNPCたちから離れ……誰も居ない自室へと戻り、心を落ち着かせたい。

 

 その為には、『転移門(ゲート)(ワープみたいなもの)』でショートカットをしつつ、徒歩で向かう必要がある。

 

 

(こんなことになるなら、ギルド内の転移門の制限を事前に解除しておけば良かった……!)

 

 

 そんな思いで挨拶を手短に済ませた『鈴木悟』は、とにかく少しでも早く自室へ戻りたい一心で、足早に地下へと続く階段が有る方へ──向かおうとした、その時であった。

 

 

 

「──現時点で使う予定の無い人間を2、3人ほど頂戴してもよろしいでしょうか? 以前より試したい実験がありますので」

 

 

 

 NPCたちの1人から、そんな言葉が飛び出したのは。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………え? 

 

 

 

(なに、俺は今、何を聞かれたんだ?)

 

 

 

 その瞬間、『鈴木悟』は何を問われたのか、本気で理解出来なかった。見やれば、その発言をしたNPCが、言葉通り申し訳なさそうにしていた。

 

 

 ……感情抑制が、かつてない勢いで幾度となく発動しているのを自覚する。

 

 

 あまりに振れ幅が早過ぎて、逆に頭の奥が冷えてくる感覚すら覚える。クラリと、貧血にも似た感覚すらあったかもしれない。

 

 と、同時に……この時、この瞬間……『鈴木悟』は改めて理解し、そして、思い知らされた。

 

 

 ──眼前のNPCたちは、やはり怪物なのだ、と。

 

 

 見やれば、そのNPCだけではない。

 

 他のNPCたちは、不作法にモモンガを引きとめたNPCに怒りの目を向けてはいるものの、内容そのものには興味がある……そんな顔をしている。

 

 そこに、人間たちに向ける憐憫は欠片も……いや、一部のNPCは複雑そうな顔をしているが、大半は……お零れが来たら良いなあ……という感じであった。

 

 

 ──人間を餌か素材か、それに近しい程度にしか思っていない。

 

 

 改めて認識された事実に、『鈴木悟』はビクリと鎧の中で震える。と、同時に、『鈴木悟』は改めて……正体が露見するのだけは避けなくてはならないと、強く……強く強く、己に言い聞かせる。

 

 

「……すまないが、どうするかは今後決める。その前に少し、考え事をしたいのでな……その話は後にしてもらえるか?」

「──い、いえ、申し訳ありません!」

 

 

 モモンガの反応を見て、何を勘違いしたのやら。

 

 醜悪でおぞましい顔を青ざめたNPCが、床に額を擦り付ける勢いで土下座をする。「良い、気になるのは当然の事だからな」にわかに殺気立つ気配を前に、『鈴木悟』は……アルベドを見やった。

 

 

「アルベド、ナザリックに運ばれた人間は何人居るのだ?」

「まだ集計を済ませておりませんので正確な数は分かりませんが、最低でも3000人を超えるかと」

 

 

 ──さ、3000人!? 

 

 

 反射的に、そう言葉を返し掛けた『鈴木悟』は、寸での所で止める。

 

 落ち着けと、上に下にと激突し続ける心に言い聞かせながら……そのまま、会話を続ける。

 

 

「思っていたよりも、多いな」

「お戯れを……10000人超になる予定を、あの痴れ者の邪魔が入ったとはいえ、私共の不手際と無能が故に半数にも達せず……恥じ入るばかりでございます」

「……っ、良い、良いのだアルベド……で、現在……その、生存していて未使用の人間は何人だ?」

「計画前より要望があった所へ優先的に回しましたので……おそらく、現時点で生きている人間は400人ぐらいかと思われます」

 

 

 ──最低でも2600人近くも、死んだのか。

 

 

 その事実に、『鈴木悟』は眩暈にも似た感覚を覚え──直後、NPCの名を呼んだ。

 

 

「セバス!」

「はっ! 此処に!」

 

 

 それだけで、セバスが前に出て来て膝を突いた。

 

 セバスを呼んだのは、他でもない。

 

 先ほど、人間の使い道に関する質問を成された際、人間を憐れんで顔をしかめた数少ないNPCであったからだ。

 

 また、最終的にはモモンガを最優先に考えるのであれば、己が命令さえすれば良いのでは……そんな、希望に縋るような考えからでもあった。

 

 

(セバスは確か、カルマ値が善性だったはずだ。だから、ちゃんと命令さえすれば丁重に扱ってくれるはず……!)

 

 

 アンデッドの特性が己に現れているのと同じく、NPCたちにも、自身に与えられた設定が自我に影響を与えているのは、これまでの日々で分かっていた。

 

 さすがに全NPCのデータまでは覚えてはいないが、ナザリックにおいてカルマ値+を設定されているNPCは、数えられるぐらいに少ない。

 

 故に、不幸中の幸いというやつか、『鈴木悟』は……カルマ値が+になっているNPCは幾つか記憶していた。

 

 

「ひとまず、現時点で無事な人間は丁重に扱うようメイドたちに通達しろ。食事を与え、休ませろ。体調を崩せば、素材としても悪影響だからな……間違っても、殺すな」

「──はっ! 了解致しました」

「それと……管理者にはペストーニャを任命する。セバスは、その補佐を務め、必要ならば心身の治療も行え。優先するのは人間たちの管理であり、ナザリックの業務に支障が出る場合は他のメイドに作業を分担させろ」

「──はっ! 了解致しました」

 

 

 確かに、頷いたのを見て……我知らず、『鈴木悟』は鎧の中で溜息を零した。

 

 

 

 ──ペストーニャ・S・ワンコ。

 

 

 

 犬をそのまま人型にしたかのような風貌の、異形種。ナザリックのメイド長を務めている。

 

 おそらくナザリックにおいて一番心優しいNPCでは……と、『鈴木悟』は判断し、彼女(?)に管理を任せる事にした。

 

 

 というのも、ペストーニャは……ギルドメンバーの1人、『餡ころもっちもち』が制作し、『優しい』と性格設定が成されていた覚えがあるからだ。

 

 

 実際にこの世界に来てからはほとんど顔を合わせたことはないが、カルマ値が+へ高く、主に神官系の職業ビルドが成されていた……ような気がする。

 

 つまり、ナザリックでは希少な、生者に対して回復魔法が使えるNPCなうえに、人間に対しても嫌悪感を抱いていない可能性が極めて高いNPCでもある。

 

 

(それに、ペストーニャはたしか『ゲヘナ』にも反対していた……ならば、悪いようにはしないはずだ)

 

 

 ──あの時、反対意見に耳を傾けていれば。

 

 

 そんな後悔が脳裏を過ったが、過ぎた事だ。

 

 今更、百万回謝り倒したところで命は帰って来ない。

 

 とにかく、今ある命を最優先に護らなければ。

 

 

「それと、デミウルゴスの復活に関しては少し時期を考える。少々、気になる事が出来たのでな」

(……たぶん、ユグドラシルと同じなら、ゾーイの『レイストライク』で死亡した時点で、しばらく復活は出来ないだろうし……これを利用しよう)

 

 

 その一心で、『鈴木悟』は集まっているNPCたち全員に聞こえるように大声で命令を下すと、今度こそ……自室へと向かった。

 

 

「……故に、私はしばらく自室で考え事をする。けして部屋に誰も近付くな、いや、同じ階層に行くなと、メイドたちにも『伝言(メッセージ)』で伝えろ」

 

 

 その背中を、アルベドを筆頭に追いかけるNPCたちを、牽制することを忘れずに。

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………そうして、誰も居なくなった通路を通り、ゲートを駆使して自室へと戻って来た『鈴木悟』は、『完璧なる戦士』を解除した。

 

 

「──っ! はぁ! はぁ! はぁ!」

 

 

 途端──『鈴木悟』は足を縺れさせながら、ベッドへと飛び込んだ。気が緩んだせいで、堪えていた精神に限界が来たのだ。

 

 呼吸など必要ないのに息は荒く、視界がグルグルと回転する。

 

 感情抑制があまりに激しく頻発するせいだろう。

 

 尻をハンマーで叩かれているかのような、本来ならばあり得ない感情の揺れ幅に、『鈴木悟』は……シーツを掻き毟って、唸る。

 

 

「俺は……俺は……俺は、なんてことを……」

 

 

 今はもう存在しない心臓の鼓動を思い出すかのように、肋骨を摩る。指先が、スルリと隙間より中に入った感触を覚え──瞬間、『鈴木悟』は激昂した。

 

 

「──お前が、お前のせいだ!」

 

 

 がつん、と。

 

 剥き出しの拳で、骸骨と成った己の肋骨を叩く。鈍い痛みが指と肋骨の両方より伝わるが、構わず『鈴木悟』は己を殴りつける。

 

 

 何度も。

 

 何度も、何度も。

 

 何度も、何度も、何度も。

 

 何度も、何度も、何度も、何度も……殴り続ける。

 

 

 上に、下に、精神の矢印が跳ねまわる。落ち着いた傍から爆発する勢いで跳ねる感情に、抑制が全く追い付かない。

 

 

「どうしてだ! どうして、人を殺したんだよ! なんで、殺さなくて済んだだろう! 俺が、お前のせいで、殺したんだぞ!」

 

 

 仮に、何時ものように廊下にメイドが控えていたら……さぞ、大騒ぎになっていただろう。

 

 それほどに『鈴木悟』の怒声は大きく、部屋の外にも響いていた。

 

 しかし、今は誰も居ないおかげで、『鈴木悟』は己を幾らでも殴りつける事が出来た。何の意味もない事だと、分かっていても。

 

 

「はあ、はあ、はあ、はあ…………」

 

 

 そうして、殴り続けていたおかげか……徐々に、抑制の方が上回り始める。

 

 おそらくそれは、何度も打ちつけたことで生じている、肋骨の痛みもある。

 

 摩っても特別強い痛みは感じないが、それでも脈打つように痛みのパルスは続いていた。

 

 人間もそうだが、生き物というのはそれほど長く怒りを持続させる事が出来ない。特に、破壊衝動という形で怒りを他所へ発散させている。

 

 モモンガの時だったならば、少し違ったのかもしれないが……少なくとも、人の心を取り戻してしまった今の『鈴木悟』にとって、怒りとはそう長く続けられるモノではなかった。

 

 

(……考えよう、まず、俺がしなければならないことを)

 

 

 どすん、と。

 

 改めてベッドに座りなおせば、ベッドのスプリングが沈む。

 

 心底蕩けるような柔らかさだが、今はそれが逆に辛く思えて……堪らず、執務机へと移動する。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………落ち込んでいる暇はない。

 

 罪悪感に、打ちひしがれている暇もない。

 

 皮肉にも、感情抑制のおかげで、思考をすぐに切り替える事が出来ている。

 

 そうでなければ、『鈴木悟』はこの部屋から一歩も外に出られない状態になっていただろう。

 

 そして、それは同時に、死への恐怖に対しても幾らか働いてくれている。

 

 今も薄らと恐怖……NPCに対する恐怖を感じてはいるが、抑制が働いているおかげで『なんか怖いなあ』という程度に治まってくれている。

 

 モモンガであった時に比べて、感情抑制が弱まっているように感じるが……これを活用しない手は無い。

 

 

 ──そうでもしないと、俺はこの先自分を許せないし、ギルドメンバーたちにも顔向けできない。

 

 

 そう、執務机の椅子に身体を預けながら、何度も何度も己に言い聞かせながら……一つ、息を吐く。

 

 

(──とにかく、NPCだ。特に、ナザリックを護る階層守護者たちを何とかしなくては俺自身が何も出来ない……)

 

 

 だが、NPCは強い。

 

 改めて思い出すその事実に、『鈴木悟』は憂鬱な気分になった。

 

 単純な魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)同士の対決ならともかく、近接戦闘に持ち込まれたら勝ち目がない。

 

 以前、とある理由からNPCのシャルティアが洗脳され、戦う事態になったが……あれは戦闘前に様々なバフを自分に掛けたうえに、課金アイテムを使用して最後は強引に押し切った。

 

 一つでも歯車が狂っていたら、敗北していただろう……相性の悪さをクリアするために、それほどまでしなければならなかった。

 

 言い換えれば、相性の悪さはそれほどに致命的で……恐ろしいことに、ナザリックにはそんなNPCが他にもいる。

 

 AIで動いていたユグドラシル時代ならともかく、今のNPCは自我……すなわち、自律的に行動している。

 

 とてもではないが、馬鹿正直に真正面から動いたら……己は成す術もなく殺されて終わりだろうと、『鈴木悟』は思った。

 

 

「……『ギルド武器』を破壊……いや、駄目だな。ゲームならともかく、ギルドだけ崩壊してNPCたちが本当の意味で野放しになったら……それこそ、取り返しがつかない」

 

 

 ──『ギルド武器』。それはユグドラシルにおいてギルドを設立する際に一つだけ所有する事が出来る、特殊な武器だ。

 

 

 その性能はギルドによって様々ではあるが、これを破壊することで、ギルド……この場合、『ナザリック地下大墳墓』を物理的に崩壊させる事が出来る。

 

 

(……ナザリック、か)

 

 

 そうして、ふと……『鈴木悟』は、ギルドメンバーが揃っていた、過去を思い出す。

 

 

 ……正直なところ、ナザリックが失われる……その事実に、思うところが無いと言えば、嘘にはなる。

 

 

 しかし、同時に、思うのだ。

 

 己が、あるいはギルドメンバーたちが愛したナザリックは、はたして今の惨状だろうか……と。

 

 

 『鈴木悟』にとって、己が愛したユグドラシルのナザリックは、皆で築き上げた夢の世界であり、皆の思い出の結晶だと思っている。

 

 ……最後は皆とお別れしてからユグドラシルを終えたかったし、苛立ちや空しさを覚えはしたけど……とにかく、皆の『好き』が詰められた宝石箱だったのだ。

 

 

(皆……そう、俺も含めて、ユグドラシルは夢でありゲームだ。俺の全てではあったけれども、あくまでも、ゲームだったんだ……!)

 

 

 断じて……そう、断じて、今のようなおぞましいナニカではない。

 

 NPCたちから、メンバーたちの面影は感じる。以前は、それに懐かしさを感じていた。

 

 だが、今のNPCたちは、ギルドメンバーが愛したNPCたちではない……そう、今なら思える。

 

 

 デミウルゴスが、そうだった。

 

 あのNPCを作ったのは、ギルドメンバーの『ウルベルト・アレイン・オードル』だが、彼は……デミウルゴスのような事はしない。

 

 

 むしろ、逆だろう……そう、『鈴木悟』は思う。

 

 『鈴木悟』が知るウルベルトは、不公平に憤慨し、弱者に発破を掛け、奮起させる為に自らを『悪』として欺瞞の正義に立ち塞がる……それが、彼にとっての悪だったはずだ。

 

 

 対して、デミウルゴスがやったのはどうだ。

 

 持って生まれた強者の立場から弱者を冷笑し、自らの為に玩具のように扱い、奮起する相手を挫いて愉悦に浸る……それこそ、ウルベルトが憎んだ悪そのものでは……いや、話が逸れた。

 

 

(一定を超えるとスーッと気が抜けていくから冷静にはなれるけど、やっぱり慣れないなあ……)

 

 

 ……そうだ、話は……ギルド武器だ。

 

 ゲームならば、これを破壊すれば自動的にNPCたちも消滅(つまり、死亡)し、諸々の問題がひとまず解決するが……懸念事項が一つある。

 

 

 それは、NPCが消滅しなかった場合だ。

 

 

 というのも、この世界に来て、ユグドラシルでは起こり得なかった事例、存在すらしていなかった変化が、これまで幾つか確認出来ている。

 

 NPCが自我を持って動くのもそうだが、もしも、ギルド武器を破壊したことで、NPCたちが自由に動き回るようになったら。

 

 それこそ、NPCたちからモモンガを崇拝する気持ちが消え、邪魔な存在として認識されてしまえば最後……想像するだけでも、恐ろしい。

 

 

(この世界で恐れられていた犯罪組織ですら、ユグドラシルでは雑魚の部類に入るプレアデス相手に手も足も出ないからな……)

 

 

 もちろん、『鈴木悟』とて、この世界の全てを知っているわけではない。

 

 NPCのシャルティアが洗脳された件もある。

 

 おそらく、最終的にはNPCたちは全員討伐されるだろうが……そこに至るまでに、どれほどの犠牲者が出るか……これも、想像するだけで恐ろしい。

 

 

(いっそのこと、ゾーイに事情を説明して……っ!)

 

 

 これも、想像するだけで恐ろしい。

 

 『ゾーイ』の事を思い返すだけで、背筋から恐怖がゾワゾワッと登ってくる感覚を覚え──スーッと、気が楽になった。

 

 

 ……許されたい。まだ、死にたくない。

 

 ……でも、許されない事をしてしまった。

 

 ……俺だって、したくてやったわけじゃない。

 

 ……でも、そんなのは所詮、勝手な言い訳だ。

 

 

 そんな、相反する感情が幾度となく『鈴木悟』の脳裏を過る。

 

 仮に、『ゾーイ』の中身がAIだったなら、次に出会えば死は確定する。NPCしかり、その設定に従って殺しに来るだろう。

 

 今回はシャルティアが……おぞましい方法で気を引いたからこそ助かったが……次は、一切の慈悲なく殺しに来るのは間違いない。

 

 けれども、もしも……『ゾーイ』の中身が、人間であったならば。

 

 

(俺がモモンガから鈴木悟に戻れたように、ゾーイも中身が人間なら……もしかしたら……いや、駄目だな)

 

 

 既に、遅すぎた。

 

 何故なら、デミウルゴスが『ゾーイ』の友人を殺し、シャルティアがその死すらも弄んだ。

 

 己が逆の立場だったなら、百回殺しても殺し足りないぐらいに怒り狂うだろう。

 

 簡単に想像出来るからこそ、『鈴木悟』はその考えを……ん、デミウルゴス? 

 

 

(そういえば……『ゲヘナ』の前に、デミウルゴスが『アベリオン丘陵』で(シープ)がどうとか話していたな)

 

 

 あの時は、ナザリックの食糧事情や巻物の素材不足を解決する為に、羊を養殖させる話だと思っていたが……ん? 

 

 

(……待てよ、ちょっと変だぞ)

 

 

 巻物の素材に羊を使うのは分かる。

 

 ユグドラシルでも、高位の巻物ならともかく、低位の巻物は羊皮紙が使われているという設定だからだ。

 

 

 ……しかし、羊の種類でそこまで効果が変わるモノなのだろうか? 

 

 

 ユグドラシルで言うなら、同じ鉄でもAという場所で採れたモノよりBという場所で採れた方がはるかに質が良い……という話だ。

 

 採掘量に違いがあるとか大きさが違うならともかく、羊は羊だ。

 

 はたして、そこまでの違いがどのようにして生じるのか、『鈴木悟』は首を傾げ。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………まさか!? 

 

 

 少しの間を置いた後、バッと椅子を蹴飛ばす勢いで『鈴木悟』は立ち上がった。

 

 

(まさか、羊というのは比喩か!? もしかして、実際は羊ではない……のか!?)

 

 

 それは、感情抑制が再び激しく頻発するぐらいの衝撃であり、信じたくないし想像したくもない予想であった。

 

 だが、否定は出来ない。何故なら、あのデミウルゴスが考え、自ら指揮を取っていたモノだ。

 

 『ゲヘナ』という恐ろしい計画を意気揚々と語り、10000人超の素材が手に入ると自信あり気に語り、人間など素材程度にしか考えていない……あの、デミウルゴスが、だ。

 

 

(──早急に確認しなくてはならない)

 

 

 その為にも、装備を……いや、それ以前に、誰を連れて行けば良い? 

 

 冒険者モモンとして外へ出た時ですら、NPCたちからあれ程に反対され、お伴を付けろと再三に渡って注意されたのだ。

 

 しかも、今回は直前にてゾーイの手で死にかけた。

 

 間違いなく、単独行動をすると言えば、NPCは躍起になって止めようとするだろう。

 

 ……と、なれば、だ。

 

 

(セバスは……いや、駄目だ。今はまだ、ペストーニャの補佐を外すわけにはいかない。他に、カルマ値が高く、そこまで人間に対して嫌悪感を抱いていないNPCは……)

 

 

 モモンとして動いていた時と同じく、お伴を1人付けるべきなのだろうが……とりあえず、ナーベは駄目だろう。

 

 正確な数値は思い出せないが、上位に入るぐらいにはカルマ値が低かった覚えがある。

 

 見た目が人間の外見を持っているから、冒険者モモンの時は同行させたが……今となっては、真っ先に候補から外すべきNPCだ。

 

 

(……『ユリ・アルファ』か、『シズ・デルタ』だな)

 

 

 ──ユリ・アルファは、種族デュラハンでアンデッドだ。

 

 アンデッドではあるがカルマ値が高めで、基本的に善性。ペストーニャとも仲が良いので、そちらかも情報を得られやすい……はず。

 

 

 ──シズ・デルタは、異形種の自動人形(オートマトン)だ。

 

 シズ・デルタはたしか中立寄りの善性。無口で感情を表に出さないが、人間に対して特に敵意を持っているわけではなかった……はず。

 

 

 とりあえず、化粧やら服装で……パッと見た感じ、異形種だとバレないように変装が可能な外見ではある。

 

 

(……よし、この二人のうち、片方を同行させて向かうとしよう……デミウルゴスが作った牧場へ……!)

 

 

 しばし思考を巡らせた『鈴木悟』は、ようやく結論を出すと……休憩もそこそこに、『伝言』にて2人を呼び出す事にした。

 

 

 

 

 

 




ステンバーイ……ステンバーイ……

ステンバーイ……ステンバーイ……

ステンバーイ……ステンバーイ……


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(裏話)宝石箱の奥底

 

 

 

 

 

 

 ──その日、その時。

 

 

 『ナザリック地下大墳墓』に……ナザリックの全NPCを統括する役目を与えられている、アルベドと名付けられた彼女の怒声が響いていた。

 

 

「く、く、悔しいぃぃぃぃぃい!!!!!! どうして、どうしてユリなのぉぉぉ!!!????」

 

 

 場所は、ナザリックのとある場所に設けられた慰安施設の一つ。第九階層『ロイヤルスイート』の一角に設けられたBarが、その怒声の発信源であった。

 

 アルベドの、客観的な容姿を一言で語るのであれば……『誰もが振り返ってしまうような美女』であろうか。

 

 

 というのも、だ。

 

 

 頭部より伸びる角や腰から飛び出した翼など、人外の要素こそあるものの、それ以外は早々お目に掛かれるレベルではない。

 

 純白のドレスを見に纏い、全体的なフォルムは思わず二度目してしまうぐらいに女性的。

 

 背も高く、表を歩けばさぞ注目を集めてしまうだろう。

 

 長く伸びた黒髪も、遠目にも分かるぐらいに艶やかだ。

 

 微笑むだけで数多の人達を虜にしてしまう……そう思わせてしまうぐらいの、美しい女である。

 

 

 ……が、それは、普段の彼女を言い表した言葉であって。

 

 

「ぐ、ぐやじぃぃぃぃ……メイドなんかじゃなくて、わだじをぉぉぉ……わだじをぉぉぉ……」

 

 

 間違っても、空になった酒瓶の中で嫉妬の呻き声を上げ続ける、今の彼女を言い表すモノではなかった。

 

 

 実際……今のアルベドは、酷い有様である。

 

 

 本来であればクロスや置かれた小さな花瓶などによって美しく彩られたテーブルに、グッタリとだらしなく突っ伏している。

 

 顔は真っ赤で、全身から酒気を立ち昇らせている。

 

 その手に握られたボトルは横倒しになっていて、ポトポトと床に零れ落ちている。

 

 それを見て、Barのマスターを務めているクラヴゥ(食堂の副料理長兼任)は、床に広がるソレを物悲しそうに見つめるが……声は掛けない。

 

 それは、クラヴゥが茸生物(マイコニド)の、見た目が茸人間でもなければ、種族的に喋れないからでもない。

 

 

 理由は二つ。一つは、単純に絡まれたくないからだ。

 

 

 名目は全員平等(モモンガ含めた至高の御方たちの僕であるから)のナザリックではあるが、やはりというか、立場の上下はある程度存在している。

 

 副料理長を務めているとはいえ、相手は全NPCを統括する存在。さすがに、上から物を言えば後で何を言われるか分かったものではないからだ。

 

 

 そして、二つ目は……アルベドが荒れている原因が、『至高の御方(アインズ様)』に関係しているからだ。

 

 

 有り体に言えば、アルベドはナザリックにお留守番となって、代わりにメイドの『ユリ・アルファ』がお伴として同行する事になって、こうなった……らしい。

 

 らしい、というのも、素面(おそらくは)でBarに来た時から、ちょっと言動がおかしかった。いや、言動どころか、挙動が。

 

 

 ──一番きついのを頂戴。

 

 

 少しでも気分が安らぐようにと、口当たりが良くまろやかな味わいが特徴のカクテルでも作ろうかと思ったのに、そんな台詞から始まった時点で嫌な予感は覚えていたのだ。

 

 

 でも、止められなかった。

 

 

 下手に逆らうと、拳が飛んできそうなぐらいに目が据っていて、滅茶苦茶怖かったから。というか、勢いよく開かれた扉が無惨な姿になってしまっている。

 

 

 ……いや、まあ、アレだ。クラヴゥも、内心では『気持ちは分からなくもない』とは思ったのだ。

 

 

 このナザリックにおいて、唯一残ってくださった至高の御方であるアインズ様のお伴に付く……その名誉に歓喜しない者など、存在しない。

 

 前回お伴した『ナーベラル・ガンマ(ナーベの事)』も、それはそれは嬉しそうに自慢していた……という話を耳にしたのは、記憶に新しい。

 

 だから、お伴に付けなかったアルベドが荒れてしまうのも、仕方がないなあ……と、クラヴゥは思ったわけだ。

 

 

 なので、言われるがままにお酒を出した。

 

 

 せっかくの美酒を、水を飲むかの如く胃袋へ流し込む姿には、正直なところ顔が引き吊ってしまうぐらいには腹が立ったが……まあ、たまには良いだろうと諦めていた。

 

 わざわざ、毒無効を無効化する(つまり、酔える状態になる)指輪までハメて来たのだ。酔いたい時が有っても良い……そんな気持ちでもあった。

 

 でも……直接そうなった姿を目にした事はないが、とある噂を耳にしていたクラヴゥには、一抹の不安があった。

 

 

 ──曰く、アルベド様は、アインズ様が関わると非常に面倒臭い感じになる、と。

 

 

 正直、今日この時に至るまで、噂に尾ひれが付いて誇張したのだろうと思っていたが……悲しい事に、噂は120%事実であった。

 

 

 

 ──だって、その結果が……眼前の、コレだ。

 

 

 

 テーブルに突っ伏しながらも、ゴクゴクと喉を鳴らしてラッパ飲みする、その周囲には、空になった酒瓶が山のように置かれている。

 

 ワイン・ウイスキー・冷酒・ビール……ある物全部手当り次第にラッパ飲みしたので、グラスの類はない。

 

 人間であればアルコール中毒で危険な状態になる量を摂取しているのに、酔っているだけで平気な辺り……やはり、人外なのだろう。

 

 

 とはいえ、人外であろうが性質の悪い酔っ払いが嫌がられるのは、共通なのかもしれない。

 

 

 なにせ、Barを利用しようとしていた者たちはみな、店内を覗いた瞬間に真顔になって、そっと店から離れて行った。

 

 元々、このBarを利用する者なんて常連ばかりで、ときおり一見さんが顔を覗かせるぐらいだ。

 

 つまり、常連が勇気を出さなければ、このBarは延々と酔っ払い(アルベド)の独壇場となるわけである。

 

 

 ……まあ、開店した直後に店にやって来て、それから常に飲みっぱなしのアルベドを前に、勇気を出せる者が居るかといえば……ねえ。

 

 

 故に、現在Barに居るのは、立場が立場なので(目を付けられるのが嫌なので)声を掛けることも出来ず、どうしたものかなと困った顔のマスターのクラヴゥと。

 

 

「…………」

 

 店を離れた常連より『伝言』にて情報を把握したまでは良かったが、想定した以上の酷い有様に、何時もより二割増しで目つきを鋭くしているセバスと。

 

 

「……程々ニ、シテオケ」

 

 同じく、1人では手に余る(というか、さっさと済ませたい)とセバスに判断されて、追加応援という形で参戦したコキュートスが、極寒のため息を吐いていた。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………で、だ。

 

 

 古今東西、酔っ払いに対する適切な対応なんてのは、無理やり酔いを醒まさせるか、水でもぶっかけて正気を戻すか、その二つぐらいしかない。

 

 しかし、酔ってはいても潰れてはいない今のアルベドにそんなことをすれば、どんな反応を示すか分かったモノではない。

 

 

「……とりあえず、そのまま飲ませておきましょう。放って置けば潰れると思いますので、その時に自室へ運びます」

「申し訳ありません、わざわざご足労いただいて……」

「いえ、御気になさらず。そもそも、悪いのは彼女ですから」

「そう言っていただけると……何か、カクテルでも作りましょうか?」

「職務中ですので、お気持ちだけ……いえ、頂きましょう。ノンアルコールで作れるモノでお願いします」

「かしこまりました。コキュートス様は、どうなさいますか?」

「ソウダナ、コノ後は鍛錬ノ予定ダ。ミルクヲ、頼ム」

「かしこまりました」

 

 

 なので、『酔い潰れるまで放置しよう』という消極的判断を下したセバスとコキュートスは、「アインズサマ……アインズサマ……」背後で呟き続けるアルベドの怨念を無視しながら、用意してもらったカクテルとミルクを……一口。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………お互いに、無口な方である。

 

 

 なので、自然と2人の間に流れたのは沈黙である。

 

 けれども、誰もそれを気にはしていなかった。クラヴゥはそういうのに慣れていたし、セバスもコキュートスも、沈黙を気にしない性格だったからだ。

 

 

「──セバス」

 

 

 しかし、この日、この時。

 

 

「次ニ、ゾーイト戦ウ時……勝テルト思ウカ?」

 

 

 珍しく、その沈黙を破ったのは……より無口な方の、コキュートスからだった。

 

 そして、それは……セバスも、ナザリックに戻ってからずっと考えている事であった。

 

 

「…………」

 

 

 セバスは、答えなかった。いや、答えなくとも、コキュートスには伝わっていると思ったからこそ、何も言わなかった。

 

 

「……次ハ、命ヲ賭シテ奴ヲ仕留メルツモリダ」

 

 

 実際、コキュートスには伝わっていた。それは、奇しくも……いや、当然ながら、セバスと同じ答えで──っと。

 

 

「──失礼。ここにアルベド様はいらっしゃいますでしょうか?」

 

 

 唐突に──Barに、2人に……いや、3人にとって聞き慣れぬ声が響いた。

 

 思わず振り返った2人は……意外な人物(?)の登場に、軽く目を見開いた。

 

 

 ──声の主は、一言で言えば……いや、一言では言い表せられない風貌をしていた。

 

 

 ピンク色の卵に、黒ペンで丸く塗り潰したかのような黒い穴が三つあるだけのシンプルな顔。毛は一本も生えてはおらず、どのように声が出ているのかは分からない。

 

 身体は、一般的な人間種の成人男性だ。しかし、服装が違う。

 

 知識の無い3人には分からなかったが、いわゆる、とある国の親衛隊が身に纏っていた軍服に近しいデザインをしていた。

 

 

 ……その者の名は、『パンドラズ・アクター』

 

 

 種族『二重の影(ドッペルゲンガー)』、ナザリック地下大墳墓の宝物殿を守護し、唯一の管理責任者の役割を与えられた存在。

 

 ナザリックを去った41人の至高の御方の中で、唯一ナザリックに残った『モモンガ(現アインズ)』が制作した、NPCである。

 

 

 ──そして、2人が驚いたのも、彼の事情を知っているならば無理もない。

 

 

 何故なら、パンドラズ・アクターは宝物殿の守護をモモンガより任命されている存在であり、そのように作られた存在だ。

 

 そして、このナザリックの宝物殿は、外部より物理的に隔離されており、特殊な方法でしか出入り出来ない。

 

 その彼(?)が、どうして宝物殿ではなく、この場に居るのか……それが分からず、2人は率直に理由を尋ねた。

 

 

「それでしたら、私はアルベド様に協力を依頼されまして……ああ、椅子から降りなくてけっこう、そのままで」

「了解致しました……で、アルベド様が、ですか?」

「左様でございます」

 

 

 訝しむセバスを前に、パンドラズ・アクターは仰々しく大げさに大きく腕を回して礼をした。

 

 

「既にご存じの通り、デミウルゴス様がゾーイという敵に倒されてしまいました。それによって、現在ナザリックは外へ出ている者への指揮を執る者がおりません」

「……たしかに、内部はアルベド様が、外部はデミウルゴス様が最高責任者代理として動いておりましたな。と、なると、アルベド様は……?」

「はい。これも御存じの通り、アインズ様はデミウルゴス様をしばらくは蘇生なさらないおつもりです。とはいえ、さすがにアルベド様お1人で内と外を統括するのは手に余る」

「つまり、デミウルゴス様が復帰されるまでは、貴方が外の指揮を執る……と?」

 

 

 そこまで理解した辺りで、ふむ、とセバスは視線を鋭くした。

 

 

「しかし、いくらアルベド様とはいえ、アインズ様の許可なくして勝手に人員の配置を変えるのは越権行為。それも、宝物殿を守護する貴方となれば……」

「ああ、その点ならご安心を。元々、アルベド様はアインズ様より、ナザリックの運営にて必要であればある程度ソレが行えるよう権限が与えられておりますので」

「……しかし、それはあくまでも一般メイドぐらいの役職に限ったはず」

「はい。ですので、アルベド様はアインズ様より了解を貰い、私をデミウルゴス様の代理にしようと動いておりました」

「……その言い方ですと、もしかして」

「はい、了解を得たのか、得ていないのか、私の方へは連絡が来ておりません」

「…………っ!」

 

 

 セバスは、堪らず目つきを鋭くする。無言のままに、ギリギリと握り締めた拳が軋んだ。

 

 何故なら、アルベドのやっていることは職務怠慢……そう、至高の御方の指示を蔑ろにしたも同然の行為であるからだ。

 

 

「あ、怒らなくても大丈夫ですよ。アルベド様もそこまで血迷ってはおりません。許可を貰う貰わない以前の段階から、そっけない対応を取られた故にこうなった……というのは、いちいち確認するまでもないでしょう?」

「…………」

 

 

 そう言われて、セバスは……握り締めた拳を解いて、大きくため息を吐いた。まるでナニカを堪えるかのように、額に手を当てた。

 

 それを聞いて……コキュートスは首を傾げているばかりであったが、セバスは……ようやく、アルベドが情けない姿を晒している理由に気付いた……というか、察した。

 

 

 ──要は、配置転換の要請にこじつけて会いに行ったら、冷たい対応を取られた(この場合、女として相手にされなかった?)……ということだ。

 

 

 想像でしかないが、限りなく正解に近いだろう……と、セバスは思う。

 

 そのうえ、おそらく……誰よりも早く、今回のお伴をユリ・アルファに決めた事を知ったはずだ。

 

 なるほど、客観的に見れば、偉大な御方の気を引こうとしたら、目の前で別の女を連れて行く光景を見せ付けられたようなものだ。

 

 

 ──そりゃあ、酒の一本や二本、呑んで酔いたいと思っても不思議ではない。

 

 

 前々からアルベドの不作法かつ立場を弁えない求愛行動に思うところはあったし、そのうち怒られるだろうと思っていたが……どうやら、今回がその時だったのかもしれない。

 

 

「……だから、ここまで荒れているわけですね」

「Yes,exactly。まあ、実際にアルベド様お1人では手が足りません。一応、アルベド様から正式に協力依頼をされてしまった以上は、私も宙ぶらりんのまま……というわけにはいきません」

「なるほど、そういう経緯でしたか」

「『伝言』にて一言仰ってくだされば、私もここへ出向く必要はありませんでしたが……でもまあ、私もあまりアルベド様の事を悪くは言えません」

 

 

 そう言うと、パンドラズ・アクターは……心なしか、ピンクのツルリとした顔に、ほんのりと赤みが増した。

 

 

「王国より押収致しました物資に含まれているマジックアイテムが非常に……それはもう非常に気になって気になって仕方がありませんでしたので……」

「…………」

「ああ、そんな目で見つめないで。これも、アインズ様が私をそのようにお作りになったからでして」

「……なるほど、分かりました。パンドラズ・アクター様が持ち場を離れていた事は、見なかったことに致しましょう」

 

 

 ひとまず、諸々の経緯を納得したセバス(コキュートスは、ちびちびミルクを飲んでいる)は、チラリと……いつの間にか寝息を立てているアルベドへと視線を向けた。

 

 

「……そろそろ、起こしますか?」

「いえいえ、それには及びません」

 

 

 セバスの提案を、パンドラズ・アクターは手を振って拒否した。

 

 

「結局のところ、アルベド様は私をダシにしてアインズ様とお話しようとなさいますし、余計な事をして睨まれるのも……ですし、状況が分かったので、私は再び宝物殿へ戻ろうと思います」

「そうですか……分かりました。アルベド様が起きましたら、私の方からも経緯を説明しておきますので」

「おお、それはありがたい。では、私はこれにて──」

 

 

 クルッ、ターン、と。

 

 足を高く振り上げ、くるりと半回転。実に、滑らかな動きだ。それを見て、セバスは深々と頭を下げる。

 

 そうして、パンドラズ・アクターは、バレリーナのように大げさに、これまた高く足を振り上げながらBarを出て──。

 

 

「──あ、そうそう」

 

 

 行く前に、ピタリと足を止めた。

 

 合わせて、セバスが顔を上げる。

 

 コキュートスも、チラリと視線を向けた。

 

 

「そういえば、アインズ様のお伴に選ばれたのはユリ・アルファと小耳に挟みましたが、他に候補はおられたのですか?」

 

 

 その質問に、セバスはそれならば、と答えた。

 

 

「シズ・デルタでございます」

「おや、そうだったのですか? 私はてっきり、ナーベラル・ガンマとユリ・アルファの両名から選ばれたと思っておりましたが……」

「『毎回同じ者をお供にすると、視点が固定化される。新たな視点から物事を見る為にも、人員を入れ替えた方が良い』……とのことです」

「なるほど! さすがアインズ様でございます!」

「なにか、気になる事でも?」

「いえ、そういえばと、ちょっとばかり気になっただけですので……では、また」

 

 

 そう言うと、今度こそパンドラズ・アクターはBarを出て行った。

 

 その後ろ姿を、セバスは再び深々と頭を下げて見送る。

 

 同様に、コキュートスも軽く頭を下げて見送り……そうして、2人はまた……しばしの休憩と言わんばかりに、カクテルとミルクを楽しむのであった。

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………そこは、宝物殿。

 

 

 ユグドラシル時代において、ギルドの戦力や順位を左右するような、非常に希少性の高い様々なマジックアイテムが納められている場所。

 

 その重要性ゆえに、物理的に隔離されたその場所には、とあるアイテムを使用しなければ、場所すら確認する事が難しい。

 

 そして、その宝物殿に入る事を正式に許可されているのは、だ。

 

 ナザリックの主である『モモンガ』と、宝物殿を守護し管理している……パンドラズ・アクターのみとなっている。

 

 それ以外の者は、たとえ守護者であっても許可なく入る事は許されず、その入り口はもちろんのこと、内部も強固に守られている。

 

 

「……なるほど、なるほど」

 

 

 そんな、ナザリックで最も静かで最も孤独な空間へと戻ったパンドラズ・アクターは……設置されている椅子へ静かに腰を下ろすと……一つ、息を吐いた。

 

 

「……やはり、変ですね」

 

 

 静まり返った宝物殿に、パンドラズ・アクターの呟きが溶けては消える。

 

 

「以前のアインズ様であれば、敵から認知されてしまった状態で外出などしない。その場合は、隠密系の(しもべ)を使って情報収集を行い、幾つもの対策を講じてからだ」

 

「なのに、今回はすぐに出た。しかも、デミウルゴス様が殺されてナザリックの運営に支障が起ころうとしているのに、あえて蘇生させずに、そのまま放置」

 

 

「……思い返せば、王都よりナザリックに戻って来た、あの時点からおかしかった」

 

 

「アインズ様は、アインズ様だ。アインズ様に作られた私だからこそ、分かる。アインズ様は変わっていない。でも、何処か違う。はっきりと、決定的なナニカが以前とは異なっている」

 

 

「分からない、分からない、分からない、分からない」

 

 

「でも、確かに違う。アインズ様の……いえ、モモンガ様の手で作られた私だからこそ、分かる。あの時点、いや、その前から、モモンガ様は変わっていた?」

 

「ならば、何が……いえ、そうじゃない。既に、ヒントは出ている。おそらく、私がソレに気付いていないだけ。気付いているけれども、気付いていないだけ」

 

 

 ゆるり、と。

 

 椅子より立ち上がったパンドラズ・アクターは、グルグルとその場を回る。

 

 

「──そうだ、だからこそ、私はそれが知りたくて、無礼だと分かっていても、モモンガ様へ質問をした」

 

「宝物殿に居なければならない私が、どうしてもモモンガ様の無事を知りたくて、マジックアイテム見たさに出ていたのを見咎められてしまうのが嫌だったから」

 

「あえて、誰にもバレないようにと外装を全て偽装し、他の僕のフリをした。モモンガ様すら忘れているかもしれない、過去に一度だけコピーした者に、化けた」

 

「そうして──あえて、質問した。そう、私は、それを知りたくて質問をして──その反応を見て、確信したのだ」

 

「やはり、モモンガ様はあの時点で以前とは違う──そうだ、その時──モモンガ様は……怯えていた!」

 

 

 ピタリ、と。

 

 グルグルと回っていたその足が、止まった。

 

 響いていた足音も止まり、宝物殿には耳鳴りを覚えるほどの強烈な静けさが戻って来た。

 

 

「怯えていた……そうだ、モモンガ様は、怯えていたんだ」

 

「いったい誰に? 何に対して? (しもべ)たちに護られたナザリックで、誰に怯える?」

 

「……もしかして」

 

「もしかして、(しもべ)に? 私たち僕に対して、怯えていた? モモンガ様を御守りする私たちに対して、怯えていた?」

 

 

 そこまで、自問自答した辺りで……パンドラズ・アクターは、大きく息を吐いた。

 

 

「それならば……そうだ、それならば、説明が付く」

 

「ユリ・アルファも、シズ・デルタも、確か……このナザリックにおいては数少ない、他所者に対しても善性の御方だ」

 

「対して、ナーベラル・ガンマは悪性だ。ましてや、アルベド様に至っては極悪……デミウルゴス様も、同様に。つまり、モモンガ様は、無意識レベルで悪性の僕を排除した?」

 

 

「その目的は?」

 

「何を恐れて?」

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………分からない。パンドラズ・アクターには、分からなかった。

 

 

「……とにかく、モモンガ様は、僕たちを恐れている。ならば、私がやることは決まっている」

 

 

 だが、分からなくても……パンドラズ・アクターだからこそ、分かる事はある。

 

 

「モモンガ様を安心させる為にも、これまで以上にアイテムの管理を厳重にして、僕たちにアイテムが渡らないようにして」

 

 

 それは……己が、あの御方の手で直接作られた僕であり、それがアインズ様であろうと、モモンガ様であろうと、それ以外であろうとも、関係ないのだ。

 

 

「必要とあれば……そうだ、各守護者に渡ったワールドアイテムの状況も確認……可能であれば、回収しておいた方が良いかもしれないな」

 

 

 たとえ、この身がどうなろうとも……それで、あの御方のお役に立てるのであれば。

 

 

「と、なれば……どのような方法で守護者たちより回収するか、ですね……」

 

 

 それが、己にとっての幸福であり、存在理由なのだと……パンドラズ・アクターは、心より思ったのであった。

 

 

 

 

 

 




ある意味、現時点で一番『鈴木悟』の存在に感づいているNPCです


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所詮は同じ人なのだ

話が進まないって?

ブリジットの可愛さに免じて許して、この話も、ブリジットも、重要なことだから


 

 

 

 ひとまず、用件は済んだ。

 

 

 

 『蒼の薔薇』との挨拶も滞りなく終わった彼女は、さっそく『エ・ランテル』へと向かうことにした。

 

 いや、向かうというよりは、出戻るといった方が言葉としては正しいのかもしれないが……まあいい、細かい事だ。

 

 『蒼の薔薇』より、途中まで同行しよう(つまり、馬車を用意するという意味)かという提案をされたが、彼女は丁重にお断りした。

 

 理由は、そう大したものではない。

 

 

「……そう? 遠慮しなくていいわよ。勘違いした馬鹿な役人って、紹介状(ソレ)が有っても偽物だと決めつけるやつ、本当に居るから」

「気持ちはありがたいが、君たちでは駄目だ」

「……何故だ?」

 

 

 イビルアイより問われた彼女は、ふむ……と思考を巡らせた後で、二つあると答え、話すことにした。

 

 

 ──一つは、『蒼の薔薇』が相応の理由なく王都を離れられる状況ではないということから。

 

 

 なにせ、主犯格とされている悪魔『ヤルダバオト』の討伐が成されたとはいえ、少なくない……いや、負傷者死者行方不明者合わせて、数千人近い被害者が出た。

 

 

 当然ながら、無事だった者たちも平気なわけがない。

 

 

 夜が来るたびに怯えて閉じこもり、居なくなった友人や愛する者を想って涙を流す者たちが大勢いる。中には、悲観のあまり自ら命を絶った者すら居る。

 

 

 そんな状況で、だ。

 

 

 王国内における最高戦力の一角である『蒼の薔薇』が、王都を離れる。パニックまではいかなくとも、相当数の者たちが不安に動揺し、混乱を招くのは想像するまでもない。

 

 

 有事の有無が、問題なのではない。いざという時に戦える存在が同じ街に居る、その事実が大事なのだ。

 

 おそらく、『蒼の薔薇』たちも察してはいる。それでも同行を提案したのは、単に恩返しの意味合いが強い。

 

 

 しかし、彼女にとって、それは無用の話である。

 

 

 だって、彼女にとってはもう相談に乗って貰えただけで、十分なのだから。むしろ、そこまでされると申し訳なさを覚えるぐらいだ。

 

 なので、もう少し国民の感情が落ち着くまでは、王都を離れるわけにはいかないだろうと思ったからこそ断ったと、彼女は告げた。

 

 

「あとは、単純に貴女たちが弱いからだ。これから私が戦おうとする相手と遭遇した際、貴女たちでは非常に危険だ」

「おいおい、たしかにヤルダバオトとかいう化け物にはやられたけど、こう見えて俺たちはアダマンタイト級冒険者だぞ」

 

 

 少々、プライドを傷つけてしまったのは明白だ。イビルアイを除き、誰もが機嫌を悪くする。

 

 まあ、当然だ。才能だけで最高級に辿り着けるほど、アダマンタイトの名は軽くはない。相応の矜持というモノを持っている。

 

 いくら、恩人相手……イビルアイより事前に話を通されているので、その発言をしたのが『調停者ゾーイ』だと分かっていても、だ。

 

 やはり、思う所はある。少しばかり顔をしかめたガガーランに、彼女は……言葉を選ばず、ハッキリと簡潔に相手の強さを述べた。

 

 

「では、貴女たちは難度300前後の相手とまともに戦えるか?」

「……は?」

「難度300前後だ。それが複数体襲ってきたとして、貴女たちは対処出来るのか……それが知りたい」

「……そうか、ヤルダバオトはそれに近しかったのか。なるほど、勝てないわけだ」

 

 

 呆然と目を瞬かせる『蒼の薔薇』……その中で、イビルアイだけが自嘲気味に溜息を零していた。

 

 なので、頷いてやれば、イビルアイが仮面越しにも苦笑いをしているのが彼女には分かった。

 

 

 ──難度。

 

 

 それは、この世界における強さの指標みたいなものであり、モンスターの強さを表す目安として使われている単位である。

 

 ゲームのように、厳密に定められているわけではない。見た目の印象、実際に応対した者の証言、他にも様々な行動を調べたうえで算定される。

 

 なので、この世界の難度というのはそこまで正確ではない。あくまでも指標でしかなく、おおよそ難度○○なんて言い方も珍しくはない。

 

 しかし、判断材料となっているのは間違いない。

 

 そして、それはユグドラシルにおける『レベル』という概念で、ある程度置き換える事が出来る……と、実は彼女は思っていた。

 

 これまで冒険者として受けて来た依頼にて、色々なモンスターと戦ってきた、経験則……みたいなモノから算出した目安だ。

 

 

 ……おそらく、おおよそ3倍の違いがあるだろうと、そのように彼女は判断している。

 

 

 つまり、ユグドラシルにおけるレベル1が、この世界においては難度3。ユグドラシルにてレベル20のモンスターであれば、この世界では難度60……といった感じだ。

 

 

「ちなみに、私に勝とうと思うのであれば……たぶん、難度600の相手を倒せるぐらいじゃないと、無理だな」

 

「マジで? ちょっと何を言っているか分からない」

「強過ぎ笑えない、もう少し人間に分かる言葉でヨロ」

「……今更だけど、もっと丁重な話し方をした方が良いかしら?」

「せんでいい。当人から、畏まった話し方は嫌だと言われたのだ。普段通りにすればいいんだ」

「あ~……想像出来ねえけど、行くだけ足手まといになるのは分かった。すまないね、気を遣わせてしまって」

 

 

 にわかに、騒ぎ出す『蒼の薔薇』。

 

 ティアとティナは驚いているのか驚いていないのか、何時ものちょっとふざけた言い回しに対して、ラキュースが言葉通り緊張し始めている。

 

 その背中を軽く叩いて宥めるイビルアイに、彼女に向かって軽く頭を下げるガガーラン。

 

 本当に、態度一つとってもバラバラだというのに……不思議と息が合っている『蒼の薔薇』を見やった彼女は、最後に挨拶をしてから出発しようと──。

 

 

「──ああ、間に合った。まだ居ました」

 

 

 したのだが、その前に、誰かが入って来た。ノックもせずに入って来た辺り、よほど急いできたのだろう。

 

 

(……お姫様みたいな子だな)

 

 

 そちらに視線を向けた彼女は、反射的にそう思った。

 

 というのも、部屋に入って来たその人物は……一言でいえば、この世界に来て1,2を争うぐらいの美貌を持つ女性であったからだ。

 

 腰の先まで伸びた長い金髪は、室内であるというのに光り輝いて見える。蒼天を想わせる瞳を印象付ける薄く白い肌、なのに、全身から淡く活力が滲み出ている。

 

 まるで……黄金や宝石が人の形を取ったかのような、『美』というモノをギュッと凝縮したかのような女性であった。

 

 

「ら、ラナー!? どうして此処に!?」

 

 

 これには、ラキュースのみならず、『蒼の薔薇』全員が驚いた。

 

 何故なら、ラナーとラキュースが呼んだこの女性は、だ。

 

 民からは『黄金』と称され、その美しさは如何なる画家にも肖像画は描けないと言われた、『リ・エスティーゼ王国』の第三王女。

 

 

 ──名を、『ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ』。

 

 

 正真正銘の正統なる血を引いた王女であり、本来であればこんな場所(こんな場所と称するのは、高級宿ではあるけれども)にはおいそれと姿を見せてはならない人物である。

 

 ……ちなみに、ラキュースとは友人関係である。

 

 

「どうして、じゃないわよ。それを言うなら、この人が居るってことをどうして私に連絡しなかったの?」

 

 

 ……で、話を戻そう。押し掛けてきた王女の登場に、彼女を除いた誰もが動揺を露わにしている。

 

 当の王女……ラナーは、その美しさを存分に活用した可愛らしさを前面に押し出しながら、『わたくし、怒っておりますよ』と言わんばかりに声が低くなっていた。

 

 

「え、いや、だって会ったのは今日だから、連絡する暇が……」

「んも~、ラキュースのところに見知らぬ人が来たら、すぐさま使いを出せって宿の人に話を通しておいて正解だったわね」

「使いって、ラナー……貴女、何時の間にそんなことを……」

「この前、イビルアイさんが、皆様方に『調停者ゾーイ』について説明していた時に、ですわ」

 

 

 その言葉に、ちらり、と。

 

 ラキュース達の視線が、部屋の入口……そこで息切れしている女中(60代の女性)の姿を見て、気の毒そうに一様に苦笑した。

 

 それから、ふと、ティアとティナが部屋の窓から下を見やる。

 

 そこには、グッタリと座席にて力尽きている御者と、同じく舌を出して喘いでいる馬の姿があり、周囲には人だかりが出来ていた。

 

 

「ラナー王女先回りし過ぎ、可愛いから許す」

「お転婆すぎて王様の心労で寿命が危ない」

 

 

 いや、その反応も如何なものか……そんなツッコミを二人に入れる者は、この場には居なかった。

 

 

「なあ、ガガーラン。姫様はどうしてこういう時には行動が早いんだ?」

「そりゃあ、リーダーの友人だからだろ。アレだ、類友ってやつだ」

「………………そうか」

 

 

 言い返せず納得してしまうイビルアイに、ガガーランは堪えきれず笑う。こちらもこちらで、中々失礼な会話である。

 

 

「──貴女様が、『調停者ゾーイ』様でございますね?」

 

 

 そして、そんな『蒼の薔薇』の反応を他所に、我が道を行くと言わんばかりにラナーが一歩前に出て……彼女の傍まで来た。

 

 

 とりあえず……どのように応対すれば良いのだろうか? 

 

 

 視線で『蒼の薔薇』に助けを求めれば、「畏まる必要はない」と口を揃えられた。なので、彼女は言われるがまま、手を差し出した。

 

 

「まあ、握手をしてくださるのですね!」

 

 

 嬉しそうに、ラナーは手を握り返す。

 

 小さく、か弱く、見た目相応の華奢な腕だ。

 

 

 この手を握るためなら、大金を支払っても良いという者が居るぐらいに人気があるらしい……と。

 

 

「──では、行きましょう」

「え?」

 

 

 突然過ぎて呆気に取られる彼女の手が、ギュッと握り締められた。ニッコリと笑うラナーの表情とは、裏腹に。

 

 

「さあ、お父様も、是非とも貴女とお話したいと話しておりましたから……あ、そうそう、『蒼の薔薇』の皆様方も御一緒に、だそうですよ」

「……え?」

 

 

 その言葉に……誰もが、二の句を告げられなかったのは、当然だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 ──とにかく、話は馬車の中で。

 

 

 そう促された彼女は、あんまりにも手を引っ張られるので……仕方がなく、ラナーが乗って来た馬車へと乗り込んだ。

 

 ついでに、『蒼の薔薇』も一緒に。

 

 女中は、迷惑を掛けた宿に説明し、後で追い掛けてくるらしい近衛が来るまで宿に待機する、とのこと。

 

 

 ……まあ、『蒼の薔薇』も城へ呼ばれているのだから、行けるなら一緒の方が効率的ではある。

 

 

 そこに、王族と一緒の馬車に乗る不敬だとか、身分違いによる諸々のアレとか、精神的負担を考慮しない……という大前提をクリアすればの話だが……今更だろう。

 

 普通の馬車なら人数オーバーで無理だったが、幸い(?)にも、ラナーが乗って来たのは大人数が乗れる特注品。

 

 非常に嫌そうにしていた『蒼の薔薇』も、断り切れず……結果、ラナー一行を乗せた馬車は、行きの時とは真逆に、緩やかに王城へと走り出したのであった。

 

 ……で、そんな感じで、半ば無理やり馬車へと引っ張り込まれた彼女はというと、だ。

 

 

(……初めて馬車に乗るが、こんな感じなのか。出来るなら、もっと気楽な時に乗りたいものだ)

 

 

 はっきり言って、あまり良い気分ではなかった。

 

 

 ……彼女としては、別にお礼などしてもらいたいとは思っていなかったのだ。

 

 

 そもそも、王都を襲ったヤルダバオトを倒したのは、成り行きという名の偶然の結果である。

 

 王都の人達を助けたいから戦ったと言われたら、それは違うよというのが彼女の言い分である。ていうか、あの時は状況次第によっては見捨てる事も決断していた。

 

 ありがとうと正式にお礼を言われるのは、正直ちょっと居心地が悪いなあ……というのが、彼女の正直な気持ちであった。

 

 だから、ラナーの申し出は気持ちだけ受け取って、さっさと『エ・ランテル』へ向かおう……と、思っていたのだが。

 

 

「……あ~、その、ゾーイさん。部外者の私が言うのもなんだけど、今回は我慢した方が良いかもしれませんよ」

 

 

 何故か、ラキュースから承諾を促された。

 

 最初は、もう馬車に乗ったのだから諦めろと言われたのかと思った。

 

 ついでに、友人としてラナーのアシストに回ったのかとも……一瞬ばかり彼女はそう思ったが、詳しく話を聞けば……そうではなかった。

 

 

 ──要点だけを述べるのであれば、厄介な人物がゾーイを探していて、先に見つかると面倒になる、とのことだ。

 

 

 というのも、だ。

 

 その、『厄介な人物』というのは他でもない。ラナーの実兄であり、この国の第一王位継承者のバルブロ王子である。

 

 

 正式な名は、『バルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフ』

 

 

 性格は……ラキュースやラナーではなく、(この場を代表した)イビルアイの説明曰く、お世辞にも良いとはいえない、らしい。

 

 

 平民の事など歯牙(しが)にもかけず、己の名誉や利益の為なら平気で使い潰し、権力の行使すらやってのける。

 

 王族として取り繕うだけの知性はあるが、権威と威厳を保つ為に基本的に上から物を言う。反対意見には耳を貸さず、邪魔となれば如何な理屈を用いて牢屋に送る。

 

 

 なので、国民からの人気はかなり低く、第三王女の足元にも及ばないとされている。実際、バルブロ王子が城下町に姿を見せても、人だかりができる事は皆無らしい。

 

 

 ただ、体格は良く、剣の腕は歴代王族の中でも1,2を争う実力ではあるらしい。でも、あくまでも王族の中では、の話。

 

 『蒼の薔薇』に限らず、名の知られた戦士には足元にも及ばない。頭脳においても、第二王子のザナックたちには及ばず、最低限の腹芸しか出来ない。

 

 つまり、総合的に見れば、だ。

 

 

「知恵ではラナー王女に及ばず、武勇においても井の中の蛙に過ぎず、人望ではランポッサ国王に遠く及ばない……まあ、そんな御人だ」

 

 

 と、いうのが、イビルアイが下したバルブロ王子の総評であった。

 

 ちなみに、本人が聞けば不敬罪で一発投獄確定の無礼な発言ではあるが、この場に居る誰もが否定せず、表情を変えなかった。

 

 どうやら……口には出さなくとも、各々似たような評価を下しているようだ。

 

 故に、イビルアイからの説明を己の頭の中でゆっくりと整理した彼女は……一つ、頷くと。

 

 

「なるほど、生まれに恵まれた、自分が優秀だと思っている凡人か」

 

 

 そう、彼女なりにバルブロ王子の評価を下した。

 

 

「ぶふっ……っ! えほん! えへん! ぞ、ゾーイさん、もう少し言葉を選んでいただければ……」

 

 

 途端、『蒼の薔薇』は一斉に咽た。というか、ガガーランとティア&ティナは普通に爆笑していた。

 

 笑っていないのは、ラナーと仮面で表情が……あ、よく見ればイビルアイは肩が震えているので、笑っているようだ。

 

 

 とはいえ、それはそれ、これはこれ。

 

 

 ラナーに次いで身分の高いラキュースが、代表する形でいちおうの苦言を呈した……が、その頬はヒクヒクと痙攣(けいれん)していた。

 

 

「……分かった、気を付けよう」

 

 

 まあ、話を聞く限り、他人から向けられる悪評を権力と暴力で黙らせるタイプっぽいので、それで納得する事にした。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………? なんだ?」

 

 

 で、特にする事もないので、ぼんやりと虚空を眺めていると……だ。

 

 ふと、ラナーより向けられる視線に、彼女も見やる。

 

 視線が合ったラナーは、何かを考え込むかのようにしばし何度か瞬きした後……おもむろに、唇を開いた。

 

 

「あの、ゾーイ様。貴女様は、『六大神』が残した書物に記された『調停者ゾーイ』様、でよろしいのですよね?」

「その書物を読んだ事が無いので断言する事は出来ないが、他に調停者の名を持つ者が居なければ、私がそうなるだろう」

「では……聞いてもよろしいでしょうか?」

「私で答えられることならば」

 

 

 率直に告げれば、「ありがとうございます、それでは……」ラナーは軽く頭を下げて、緩やかに顔を上げると。

 

 

「ゾーイ様がこの世界に顕現なさったということは、この王国に未曽有の危機が起ころうとしている……と、思って良いのですか?」

 

 

 そう、単刀直入に尋ねてきた。

 

 

 

 ……その瞬間、車内の空気が止まった。

 

 

 

 直前まで笑っていたティア&ティナもピタリと笑うのを止め、ガガーランも真顔になる。イビルアイはグッと背筋を伸ばし、ラキュースは……大きく目を開いて、ラナーを見つめていた。

 

 その、静まり返った空間で……彼女は、黙ってラナーを見つめる。ラナーも、黙って彼女を見つめる。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………ふむ。

 

 

 しばらく、ラナー王女の蒼い瞳を見つめていた彼女は……欠片も視線を逸らさないのを見て、一つ頷くと。

 

 

「この世界の均衡が崩れる可能性が生まれた時、私は顕現する。王国に危機が生じたから、現れたわけではない」

 

 

 そう、はっきりと告げた。

 

 

「……では、この国は今後……仮に、バルブロ兄様が国王となれば、ゾーイ様は静観なさるおつもりですか?」

 

 

 すると、続けてそんな質問をされたので。

 

 

「国が滅びるのは、国王が道を誤り、国民がそれを正さなかったからだ。人々の為に動くことはあるし、助けたいという気持ちはある、だが、それだけだ」

 

 

 思っている事、パッと脳裏に浮かんだ事を、そのまま告げた。

 

 

「……王国が倒れてしまえば、大勢の者たちが路頭に迷います」

「それ自体は世界の均衡とは何ら関係ない。自ら終わろうとする者たちは、その時点で既に均衡の外側に居る」

 

 

 ──そもそも、だ。

 

 

「それは、貴方達が自らの意思で立ち上がり、自ら正さなければ意味がない。少なくとも、今はまだ、それが出来る位置に居る」

「私たちが……」

「それに、数多に存在する生命の一つが自死しようとしていることを憐れむことはあっても、助けようとは思わない」

「……そう言われてしまいますと、何だか情けなくなってしまいますわね」

「そもそも、この国は世界の均衡に影響を与えるほどではない。少なくとも、今は……だから私は動かないだろう」

 

 

 ──だが、しかし。

 

 

 その言葉と共に、彼女は……ラナーの額を指差す。フワッと目を見開くラナーを前に、彼女は……言葉を濁さず、はっきり告げた。

 

 

「その時は、蒼天の映し鏡たる我が剣が、貴女の命を断ち切るだろう」

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………その瞬間、誰もが完全に言葉を失くしていた。

 

 

 問答を見ていた『蒼の薔薇』もそうだが、質問したラナーも。

 

 いや、それでも王女としての矜持がそうさせるのか……ふう、と僅かに息を吐いたラナーは……静かに、彼女を見つめた。

 

 

「私が、ですか?」

 

 

 ──どくり、と。

 

 

 一拍遅れて感じ取った鼓動に、ラナーは堪らず己の胸を押さえる。頬を伝う冷や汗をそのままに……いや、違う。

 

 ぎゅう、と。

 

 隣に座ったラキュースが、残った片手に手を重ねた。ハッと、そちらを見やったラナーは……しばしの間、呆然と目を瞬かせた後。

 

 

「……ありがとう、ラキュース」

 

 

 ラキュースより向けられる微笑みを前に、緩やかに強張っていた肩の力を抜いたラナーは……改めて、彼女(ゾーイ)を見やった。

 

 

「私が……均衡を崩す、と?」

「そうだ、貴女が、均衡を崩す可能性を孕んでいる」

「私の存在が、ゾーイ様の仰る世界の均衡を乱す……1人では、訓練された兵士1人にも勝てない私が?」

 

 

 問われた彼女は、「あくまでも、可能性の段階だ」そう補足する。

 

 

「世界の危機は、いつも人知れず起こり、人知れず解決されている。それは誰かの手によって、あるいは自然消滅する形で……貴女のソレもまた、どちらかはまだ分からない」

「……ゾーイ様にも?」

「そうだ、危機というのは大抵、小さな波紋から始まる。時にはそれが、巨大な災禍へと成長する事もある。貴女は、そういう存在だ」

「……では、私はどうすれば?」

「貴女1人では駄目だな。国王が変わらなければ、いずれはそうなるだろう。そして、貴女が今のままで居続けるのであれば、いずれ……」

 

 

 ……彼女のその言葉に、ラナーは……いや、『蒼の薔薇』も、それ以上口を挟む事が出来ず……馬車は、緩やかに王城の敷地内へと進んで行った。

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………そうして静かになった、馬車の中で。

 

 

「ねえ、ラキュース」

「なに?」

「死ぬのって、怖くて辛いのね。みんな、怖いのね」

「……いきなりなに?」

「気にしなくていいわ。ただ、私も馬鹿の1人だったのかな……って、そう思っただけだから」

「……そう?」

 

 

 いきなり変な事を呟くラナーに、ラキュースのみならず、『蒼の薔薇』の面々は……意味が分からず、互いに顔を見合わせ……首を傾げたのであった。

 

 




個人的に、ラナーって頭があまりに良すぎた結果、人間を同族と思えなくなった人間って感じなのかな~と思ったり
他の人が一か月掛けて学ぶことを、ラナーは半日で習得しちゃう。幼いころからそんな感じだから、『こいつら本当に同じ人間?』っていう幼い疑問が年を重ねるにつれて『馬鹿なうえに学習能力もないこんなバカなやつらの為に王族として生きなければならないの?』って歪み続けて
しかも、一から十まで優しく説明したのに、そのうちの一すら通じないどころか『あなたは天然(つまり、ちょっとおバカ)だからw』みたいな事言われ続けたら、そりゃあ誰だって歪むし、下々が死んでもどうでもよくなるよなあ……って

そう考えると、クライムってラナーにとってはアニマルセラピーみたいな存在だから、そりゃあ執着するよなあ……って
馬鹿だけど、ラナーは本当に凄い、ラナーお守りします、ラナーなら解決しますって感じで全肯定ワンコやれば、そりゃあ溺愛するようになるよなあ……って


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それは小さな一歩だけれども

 

 

 

 ……城へと到着するまでの道中、外を眺めていた彼女は、ふと思った。

 

 

 

 断じて、静かになった車内が気まずくなったわけではない。

 

 とにかく、ふと、思ったのだ。

 

 

(本通りは綺麗に整備されているが、少し道を外れるだけでほとんど舗装されていないのか……都市開発という概念があまりないのか?)

 

 

 それは、『リ・エスティーゼ』の歪な開発状態だ。

 

 

 目立つところだけは綺麗に整備されているのに、本通りから外れた路地や、家屋は言う程綺麗ではない。

 

 例えるなら、表通りだけピカピカの新築マンションやら高級住宅やらが立ち並ぶのに、その後ろには昔ながらの住宅や商店が並んでいる……といった感じだろうか。

 

 

 それが良いか、悪いかは、まだ判断出来ない。だって、王都のことなど何も知らないから。

 

 しかし、前世(その前も)において、曲がりなりにも高等教育を受けた彼女にとっては、だ。

 

 

 分かってはいるが、どうしても目に付いてしまう。

 

 

 何と言えば良いのか、教科書に載っている『失敗した国家運営』の実物を見せられているような気分だ。

 

 加えて、全てが全てそうではないけれども、非効率なうえに不衛生が放置されているのも見受けられる。

 

 

 それもまた、悪い意味で目に留まる。

 

 

 まるで、映画のセット……立派なのは見た目だけだな……と、思うのは、仕方がないことであった。

 

 ……で、だ。

 

 

(……歴史は感じるが、城も外と同じだな。見た目だけで、中身はオンボロだ)

 

 

 そうして案内された……『ロ・レンテ城』を見た、彼女の正直な感想もまた、それであった。ぶっちゃけ、道中の光景と似たような内容であった。

 

 

 実際、パッと見た限りでは壮観で、長い歴史を感じさせる。

 

 

 円筒形の巨大な塔は遠目にも威圧感を感じさせ、城壁の内側には広大な庭が広がっている。花畑に限らず農地も形成されており、いざとなれば籠城が出来るようにもなっているのだろう。

 

 そこだけを見れば、なんと立派な……と、思うところだ。しかし、城内に入れば、だ。

 

 一見するばかりでは綺麗で掃除も行き届き、敷かれたカーペットを始めとして、等間隔に設置された花瓶などによって、華やかな印象を与える。

 

 けれども、よくよく見れば、丁寧に隠してはいるが壁などにヒビを確認出来る。カーペットも綺麗に洗われてピッチリ敷かれてはいるものの、端っこの辺りに、ほつれがある。

 

 城がそうなら、そこで働いている者たちもそうだ。

 

 

 いわゆる、メイドの服装。

 

 

 彼女の前世においても、メイドと一口に言っても、その中身はバラバラで……有り体にいえば、階級というモノが存在する。

 

 上流階級とのコネ作りの為に居る者もいれば、いずれ嫁ぐ為に家の仕事を学んでおく(命令する立場として、把握しておく必要がある)為に来ている者もいる。

 

 礼儀作法を学ぶ為に居る者もいれば、メイドとして働くことで国王に対して、そのメイドの実家がどの派閥に付いているかを暗に示す為に……という場合もある。

 

 なので、そういう意味でメイド服に多少の違いが生じるのは仕方がないのだが……それにしたって、限度というモノがある。

 

 

 何故なら……着ているメイド服の質が、人によって明らかに違うからだ。

 

 

 パッと見た限り、役職によって服装が違うようにも見えるが……よくよく見ると、そうでない事に気付く。

 

 いや、だって、同じ仕事しているし……というか、せっせとテキパキ効率よく働いているのはそういった者たちばかりだ。

 

 素人目に見ても、メイド服ではあるけど、そんな高そうな生地を使っているやつで働くの……というような人たちは、その事について欠片も気に留めておらず、マイペースに動いていた。

 

 

「……ラナー王女」

「はい、なんでしょうか?」

 

 

 立ち止まって振り返るラナーに対して、彼女は……片手に持った骨壺を軽く摩った後……ポツリと、告げた。

 

 

「一つ、訂正する。貴女は、よく我慢していたな……と」

「──っ! 分かって、くれますか?」

 

 

 大きく目を見開くラナーに、彼女は……苦笑して頷いた。

 

 

 そりゃあ、まあ、アレだ。

 

 

 チート同然の能力を持って生まれた彼女(つまり、前世の彼)だからこそ分かるが……道中から今に至るまで、この国が如何に病んでいるかが透けて見えていた。

 

 まず、何と言っても同じ場所に居て、同じ相手に仕えているというのに、圧倒的な格差が目に見える形で放置されているのがマズイ。

 

 社会の秩序を保つ為に身分を形成するのは自然の流れだが、それを延々と見せ続けるのは悪手だ。間違っても、そこに良い感情は生まれない。

 

 

 実際、城内で働くメイドたち(一番、目に留まるので)の態度というか、動きを見ているとよく分かる。

 

 

 次から次へと忙しなく仕事をしている同僚が居るのに、マイペースなメイドたちは我関せずといった様子で、掃き掃除等をしている。

 

 しかも、そういうメイドたちは同じ仕事をしているように見せかけて、手足をほとんど汚さないような負担の軽い業務しかしていないのだ。

 

 同じ掃除でも、高所や細かいところの拭き掃除、シーツなどの洗濯やベッドメイキング、食材の運搬など、手足をよく使う体力仕事などは、質の悪いメイド服を着ている者ばかり。

 

 

 おそらく、前者が貴族の中でも地位の高い家の娘で、後者が地位の低い娘なのだろう。

 

 

 誰も、これが当然の事だと思って気に留めていないが……彼女の目から見れば、目を覆いたくなるような状況だ。

 

 こんな環境で生きてきた者たちが、果たして王家……というより、この国に対して誇りを持ち、剣となり盾となって戦うだろうか? 

 

 

 ──間違いなく、団結など生まれない。自らに利益をもたらす派閥に協力するばかりになる。

 

 

 こういう場合、明確なリーダーシップを発揮する王が居れば、ひとまず団結させる事は出来るが……ラナーの反応を見る限り、期待は薄いだろう。

 

 それに……話を戻すが、城に来るまでの道中……本通りだけ整備され、後は放置されているという状況もマズイ。

 

 アレでは、国民より徴収した税が、本通りに店や住居を構えられる富裕層にのみ集中していると、目に見える形で知らしめているようなものだ。

 

 

 インフラがどうとか、そんな問題以前だ。

 

 わざわざ、『不公平』を見せ付けているのだ。

 

 

 むしろ、今まで崩壊せずに済んだ方が不思議で……おそらく、それでも崩壊しないぐらいに土地が豊かなのだろうと、彼女は思った。

 

 

「何と言えば良いのか……これはもう、考えれば考えるほどに気が滅入ってくる状況だな……と」

「──ありがとう、ありがとうございます。そう言っていただけるだけでも、私は……!」

 

 

 感極まった様子で彼女の手を握るラナーの姿に……『蒼の薔薇』のみならず、仕事をしていたメイドたちも、何事かと視線を向けた。

 

 

 事情を知らなければ、だ。

 

 

 ラナー王女がいきなり見知らぬ誰かの手を握って、深々と頭を何度も下げている姿なんぞ、何事かと不思議に思われて当然である。

 

 しかし、だからこそ……ラナーがこれまで感じていた苦悩、誰にも相談できない状況を理解出来れば、ラナーのこの反応も仕方がない事でもあった。

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 

 …………で、だ。

 

 たかが挨拶一つとっても、王家として正式な形にしてしまうと、貴族派閥(要は、現体制の反王族派閥)より色々言われてしまう。

 

 

 なので、ラナー王女が、個人的にお礼をしたい。

 

 父親として挨拶をするだけで、それ自体を名誉とする。

 

 非公式なので、貴方達の特権を害したりはしませんよ。

 

 

 という、非常に回りくどい言い訳を周囲にアピールする必要があるわけだ。

 

 もちろん、全ての貴族が、こんな事をするかと言えば、そんなわけもない。

 

 貴族とはいっても、平民に毛が生えた程度で身分だけ高い家柄なら、多少なり畏まったやり取りはするが、その程度だ。

 

 

 だが、今回は王族だ。

 

 

 しかも、正当な血筋を引く第三王女ともなれば、金銭なり物なりを相手に送って、はいお終い……というわけにはいかないらしい。

 

 平民からすれば馬鹿らしい話に見えるだろうが、こういう回りくどい事をしないと口を挟んでくるのが、この世界の上流社会であり、伝統なのであった。

 

 

 ……まあ、言い換えれば、だ。

 

 

 よほど希少なモノや金銭的に高価ではない限り、恩に対して褒美を与えた……という形さえ整えれば、誰もいちいち口を挟まずに終わらせるのが通例であった。

 

 

 

 

「──無礼者! 王を前にして膝を突かんとは!」

 

 

 

 

 ……が、しかし。

 

 その、通例で終わるはずだったのだが……いま、1人の男が台無しにしようとしていた。

 

 場所は、玉座がある謁見の間……ではなく、言うなれば客間。来る途中も大概ではあったが、その部屋も年期こそ感じるが、かなり豪華である。

 

 そして、その部屋には……部屋の隅で控える者たちと、大きなテーブルを挟んだ向こう側に……3人の男が並んで腰を下ろしていた。

 

 

 1人は、長い白ヒゲを蓄えた、王冠を被った老年。

 

 この国の王を見た覚えはなかったが、雰囲気からして、彼女はそいつがこの国の王……『ランポッサ三世』であることを察する。

 

 

 1人は、小太りで背が低く、冴えない雰囲気の男であった。

 

 これは、事前にラナーより言われていたからすぐに分かった。この国の第二王子である、『ザナック王子』だ。

 

 

 そして……最後の1人。

 

 イビルアイから言われていた通り、背が高く体格も良いが、それ以上は何も……第一王子の『バルブロ王子』である。

 

 

 ラナーの言う通り、既に王は来るのを準備して待っていた。

 

 温和な微笑みを浮かべ、先導してきたラナーへ頷き、彼女へと微笑み、その後ろに居る『蒼の薔薇』に対しても軽く頭を下げる。

 

 

(なるほど……悪い人ではない)

 

 

 この世界の礼儀作法が分からないので、とりあえず王に倣って頭を下げてから……改めて、ランポッサ三世を見つめる。

 

 

 ……前世で培った経験も相まって、彼女は一目である程度を見抜いていた。

 

 

 能力の有無は別として、ランポッサ三世は善人だ。

 

 王国が瓦解せずに今もなおその形を保っていられるのは、少なからず彼に人望があるのだと彼女は推測──その時であった。

 

 

 ……冒頭のセリフが、バルブロ王子より飛び出したのは。

 

 

 まあ、確かに……事実だけを見るのであれば、彼女の反応は不作法ではある。そう、そこだけは、確かである。

 

 

 ただし、だ。

 

 

 膝を突いて挨拶云々は、時と場合による。場に見合わない挨拶は、逆に失礼。

 

 そもそも、相手が平民であるならば、作法を学んでいないのは当たり前。

 

 呼びつけたのは王族側であり、相手は何の心構えも出来ていない。

 

 

 ……という、前提があることを忘れてはならない。少なくとも、1人を除いて王家の誰もがソレを理解していた。

 

 

「バルブロよ! 口を慎め! それを言えば、我が国の為に力を尽くした者に対する、それが王家の礼儀か!」

 

 

 だからこそ──ランポッサ三世は息子に激怒した。

 

 普段の彼なら、ここまで怒らなかっただろう。だが、皮肉にも今回に限り、時と場合が悪かった。

 

 

 まず、この場を設けようと提案したのは、実のところ、ラナーである。

 

 

 ラナーは、ランポッサ三世にとって、目に入れても痛くないぐらいに溺愛している、王妃の形見同然の娘である。

 

 普段から物静かで、ワガママ一つ言わずに国を想い、少し前に奴隷制を失くしたことで、この国の膿を一つ切り取ってくれた才女でもある。

 

 そんな愛娘(ラナー)が、初めてワガママらしいワガママを己……つまり、ランポッサ三世に言ってくれたのだ。

 

 

 内容は、少々貴族から横やりが入ってもおかしくはない内容ではある。

 

 

 だが、己が全面的に『娘のワガママを聞いてやりたいのだ』と周りにアピールすれば引き下がる程度だったので、半ば強引に開かれた……というわけである。

 

 

「うっ、くっ……!」

 

 

 そして、普段とは打って変わって激昂した父親の姿に、バルブロも驚く。

 

 悔しそうにジロリと彼女を睨み、その次にラナーを睨んだ後……鼻息荒く、席に腰を下ろした。

 

 

 ……そうして、ようやく始まる、簡単な自己紹介。

 

 

 その際、彼女が自身を『調停者ゾーイ』であると名乗った際、王族たちの反応はものの見事に別れた。

 

 

 ランポッサ三世は、子供のように目をまん丸に見開いたあと、「まさか、御伽噺の存在に出会えるとは!」嬉しそうに一度頷いた。

 

 第二王子のザナックは、同様に目を丸くしたが、興味深そうに彼女を見つめる。とはいえ、『蒼の薔薇』も居るからか、疑っているわけではないようだ。

 

 まあ、来たのが彼女1人だけであったならば反応も違っていただろうが、この場には『蒼の薔薇』が居る。

 

 ラナーのみならず、『蒼の薔薇』まで、彼女がゾーイであることを否定していないのだから……信じるには十分な理由なのだろう。

 

 

 ……で、だ。

 

 

 そして……問題の第一王子バルブロは……期待を裏切ることなく、非常に胡散臭そうな目を彼女に向けた。

 

 それはそれで、非常に失礼な態度であり、それこそ王家が見せてはならない態度でもあるが……実のところ、バルブロのその反応の方が、彼女にとっては想定通りであった。

 

 

 ……というより、彼女からすれば、だ。

 

 

 『調停者ゾーイ』という存在がこの世界で知られているのは分かっていたが、どのような扱いになっているのかは分かっていないので、当然といえば当然であった。

 

 

 

 ……さて、そんなこんなで自己紹介は終わる。

 

 本来はこの自己紹介にも色々と作法があるのだが、省略&無礼講。不満タラタラな様子で目つきを鋭くするバルブロを他所に、『蒼の薔薇』を含めて全員が席に腰を下ろした。

 

 

「──おい、それはなんだ?」

 

 

 そのまま簡単に食事を振る舞われ、談笑し、褒美を渡され……で、終わる流れを、またもやバルブロが止めた。

 

 バルブロが指差した先にあるのは、彼女の傍に置かれた……小さな壺。

 

 自己紹介の際にラナーが『アレは、ゾーイ様にとってとても大切な物である』と話したから、誰もそこに触れないようにしていたが……一つ首を傾げた彼女は、特に隠すわけでもないので真実を告げた。

 

 

「遺骨だ」

「遺骨ぅ!?」

「ああ、もともと静かな場所へ埋める為に、遠方へ向かう途中だった。その前にラナー王女より呼び止められたので、そのまま持って来たのだ」

 

 ──だから、特に危険な代物ではないから安心してくれ。

 

 

 そう、言葉を続けようとした──のだが。

 

 

 

 ──薄気味悪いやつめ。

 

 

 

 ポツリと、小さくも確かに呟かれた、その言葉。

 

 無意識故に、なのだろう。

 

 それは、思いのほか大きかったようで、全員の耳に届いた。

 

 

「──っ!」

 

 

 瞬間、これまでで最大レベルの怒声で戒めようとしたランポッサ三世であったが──それよりも早く。

 

 

「駄目だなコレは、遅かれ早かれ国が滅びる」

 

 

 彼女の、ため息と共に吐き出された感想によって……ギシリ、と場の空気が止まった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………誰もが言葉を……いや、1人だけ顔を真っ赤にしている男を除き、誰もがポカンと呆けている中……最初に、復帰を果たしたのは。

 

 

「……ゾーイ様、それはどういった意味合いでしょうか?」

 

 

 この中で、唯一彼女より警告を受けていた……ラナーであった。

 

 

「どういったも何も、矜持ばかりが高い凡人が上に立てば、遅かれ早かれこの国は崩れ落ちるだろうと言っただけだ」

 

 

 特に言葉を選ぶ必要を感じなかった彼女は、聞かれたので答えるといった感じで、その質問に答えた。

 

 これは、ゾーイとしての目線でもなければ、話でもない。

 

 チート能力が有ったとはいえ、曲がりなりにも前世にて幾つもの会社を経営し、何百億、何千億という金を動かしていた、『彼』の観察眼が出した結論である。

 

 

(ああ……言ってしまった。でも、あまりにも酷すぎる。口出しするつもりはなかったが……あまりにラナーが気の毒で……)

 

 ──ちょっと後悔が脳裏を過ったが、言ってしまったモノは仕方がない。

 

 

 そう、彼女は己を納得させた。

 

 

「ゾーイ殿。すまないが、王であると同時に、私も人の親だ。そう思った理由を聞かせてはくれないか?」

 

 

 これに対して、ラナーが言葉を返す前に、バルブロが──ではなく、ランポッサ三世が口を挟んだ。

 

 さすがに、妹のラナーではなく現国王のランポッサ三世が出れば、バルブロも強引には出られない。

 

 顔を憤怒に赤く染めながらも、ランポッサ三世にジロリと視線を向けられれば、それ以上は何も出来ず……ドスン、と鼻息荒く椅子に腰を下ろす。

 

 それは、王族にあるまじき下品な仕草であった。

 

 とはいえ、バルブロがランポッサ三世と彼女との対面を前にして、誰もその事に触れることはなく……口を開いたのは、ランポッサ三世が先だった。

 

 

「先に聞いておきたい。『凡人』と言うのは、私の事を差しているのか? それとも、私たち全員を差しているのか?」

「難しいところだ」

「難しい、とは?」

「どうしようもない凡人であるのは、そこのバルブロ王子だ。当人の認識に比べて、実際の能力があまりに見合っていない。上に立たせるべき器ではないだろう」

 

 

 それに比べて……チラリ、と。

 

 彼女の視線が、改めてランポッサ三世に向けられる。

 

 

「だが、貴方は違う。能力だけを見れば、凡人だ。だが、人徳という一点において、この場の誰よりも秀でた才能を持っているのは、ランポッサ三世……貴方だ」

 

 

 ……一つ、ランポッサ三世は息を吐いた。

 

 視線で続きを促されたのを察した彼女は、そのまま話を続けた。

 

 

「総合的に優秀なのは、そこのザナックだろう。沈黙を続け、愚者を装っているように見えるが、ある意味では一番バランスが取れた人物だと私は思う」

 

 

 ──びくん、と。

 

 

 彼女より高い評価を受けたザナックが、目に見えて狼狽する。「ザナックが?」ランポッサ三世も、驚いてザナックへと振り返った。

 

 

「先ほどから、冷静に私たちを観察している。本当に愚者であるならば、あのような目は出来ない」

「……なるほど、では……ラナーは?」

「比べる事すら失礼に思えるほどに優秀だ。確実に、何百年と歴史に名が残るほどに。優秀過ぎて、周りがソレに気付けないぐらいだ」

 

 

 ──直後、彼女を除く、その場に居る全員(バルブロは、今にも失神しそうだが)の視線が、ラナーへと集まった。

 

 

 その、ラナーは……素知らぬ顔で、静かに彼女を見つめていた。

 

 どこまでも自然体なその姿に、本当に……と、誰もが思わず信じてしまうような説得力が、そこにはあった。

 

 

「……それは、(まこと)か?」

「少なくとも、私が見た限りでは。ただ、あまりに優秀過ぎて周りがラナーに付いていけない。だから、ラナーがやろうとしている事が理解出来ない」

「しかし、ラナーは奴隷制を禁止する等、様々な政策を提案した。未だ立案段階ではあるが、理解出来ていないわけでは……」

「それは、ラナーが貴方達に理解出来るよう細かく砕いて目の前に並べたおかげだ」

「なんと……!」

「その気になれば50年先、100年先、200年先に必ず訪れる災禍を見据えて動くことが出来る。けれども、周りから見れば何時役に立つか分からない物に金を注ごうとしているようにしか見えない。それを当人も理解しているからこそ、あえて周りが理解出来る範囲で言葉にしている……それが、ラナーには出来る。ただ、それだけだ」

 

 

 そう言うと、彼女は席を立つ。

 

 これには、唯一平静を保っているラナーも軽く目を瞬かせた。

 

 

 ──何処へ、と。

 

 

 その場に居る全員から、そんな視線を向けられる。1人だけ、別の理由で睨んでくる者が居たが……構わず、彼女は告げた。

 

 

「国王様、出来ることなら、ちゃんと自分の子供と話し合うべきだ。大事に想うあまり、一番大事な部分を間違えるかもしれない」

「……うむ」

「私は、間違えた。後悔しているが、どうにもならない。でも、まだ貴方は最悪の一歩手前に居る……どうか、道を誤らないでほしい」

「……金言と思って、受け止めよう」

 

 

 その言葉と共に深々と頭を下げるランポッサ三世を他所に、彼女は……次いで、ラナーを見やる。

 

 

「過ぎた真似をした。いずれ、何かしらの形で、貴女の顔に塗ってしまった泥を拭いに来る」

「いえ、お気になさらず。本来は、私が勇気を出さねばならない事……泥を被らせてしまい、申し訳ありません」

「こちらこそ、気にするな」

 

 

 頭を下げようとするラナーを押し留め……振り返れば、苦笑している『蒼の薔薇』と目が合った。

 

 

「やはり、私にはこういう場所は似合わない。気持ちだけ受け取っておこう……クレマンティーヌを、静かな場所で眠らせてやりたい」

「……分かったわ。それでは……ランポッサ王、ラナー王女。ゾーイ様を案内する役目を拝命させていただいてもよろしいでしょうか?」

 

 

 尋ねられたランポッサ三世は、チラリと視線をラナーへ向ける。

 

 それだけで、意図を察したラナーは軽く目を見開いて……緩やかに微笑み、次いで、静かに表情を引き締めた後。

 

 

 

「──よしなに」

 

 

 

 そう、ラキュースへと命令を下した。

 

 

 その姿は、年若くか弱い見た目ではあるが、とても堂に入っていて……『蒼の薔薇』ですら、思わず背筋を伸ばす程のナニカが有って。

 

 ランポッサ三世もそうだが、ザナックもまた……軽く目を見開き、驚いて、ワインの入ったグラスを倒したのであった。

 

 

 

 




一方、その頃

クライム → 鍛錬中、さすがにラナーの我儘に一兵士は入れられないね

モモンガ(鈴木悟) → とある牧場視察、精神的なジェットコースター状態に陥り、アンデッドなのに寝込む貧弱状態


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(裏話)空虚な肋骨

 

 

 

「はあ、はあ、ゆ、許してくれ……許してくれ……ああ、許して、ごめんなさい、許して、ごめんな──はっ!?」

 

 

 ──その日、自室のベッドにて目覚めた時。

 

 

「……まだ、悪夢は続いているのだな」

 

 

 己の寝言によって目覚めた『鈴木悟』は、初めて己が己のままでいる事を辛いと思った。

 

 

 理由は色々あるが、一番はアレだ。

 

 

 つい先日、視察の名目で確認した、デミウルゴスが作っていたとされる『牧場』だ。

 

 詳細を思い出したり語ったりすると、それだけで『鈴木悟』が寝込む期間が延びるので省くが……まあ、ざっくり言うと、だ。

 

 

 ──巻物の為に、とある生物の皮膚を生きたまま切り取る牧場……と言えば、想像が付くだろうか。

 

 

 まあ、やっていたのはそれだけではない。どうやら、本来であれば互いに対して欲情しない種を無理やり交配させて子供を作る実験とかも行って……話を戻そう。

 

 とにかく、それを目にした時……『鈴木悟』は正直、気絶しないでいられる己が不思議でならなかった。

 

 アンデッドの特性により感情抑制が働いているおかげではある。

 

 だが、それを持ってしても、『鈴木悟』は各部屋の惨状を目にした時、グニャグニャと視界が曲がり、足元が揺れている感覚を常に覚えていた。

 

 

 その時……目の前の光景を、『鈴木悟』は信じられなかった。

 

 

 『鈴木悟』とて、無知ではない。昔は家畜がどのように育てられ、処理され、食材として販売されていたのか……表面的な部分ぐらいは、知っていた。

 

 だから、牧場の『家畜』が……どのような末路を辿っているのか、大まかには想像出来ていた。

 

 

 ……だが、甘かった。そう、甘かったのだ。

 

 

 『鈴木悟』は、カルマ値が極悪の悪魔というものを、何処か甘く見ていたのかもしれない。

 

 記憶の中のデミウルゴスは、かくも悍ましく恐ろしい悪魔である。だが、同時に、今は居ない仲間たちが作り出したNPCの一体でもある。

 

 故に……心の何処かで、デミウルゴスにとっては人間など牛や豚といった餌でしかないと……いや、違う。

 

 

 無意識に……考えないようにしていたのだ。

 

 

 そう思えば想う程に、デミウルゴスを作った『ウルベルト』のことが……そうして、だ。

 

 

 ──『鈴木悟』は、見た。淡い赤き光を灯す眼孔の奥より、その地獄を見てしまった。

 

 

 その瞬間……『鈴木悟』がその場にて嘔吐しなかったのは、単純に胃袋などの消化器官が存在しない、骸骨の身体だから。

 

 仮に、『鈴木悟』が以前のままの身体であったなら、嘔吐しながら逃走するか、その場に失禁しながら嘔吐するか……そのどちらかだっただろう。

 

 

 ……言っておくが、一切の誇張はない。

 

 

 その証拠に、お伴として付いて来たユリ・アルファは、目に見えて顔色を悪くした。ギクリ、と、その場で動きが止まった。

 

 反射的に握り締めた拳がギリギリと軋み、瞳孔が細かく震えるほどに……凄まじい精神的ショックを受けているのが傍目にも分かった。

 

 これを成したのが『ナザリック』であり、『守護者』であり、傍にアインズが居なければ……おそらく、悲鳴を上げながら救助に動いていただろう。

 

 

 それほどに、牧場の光景はあまりに酷すぎた。

 

 

 人ではない故に、『家畜』への同族意識の薄い彼女ですら、そこまで心をかき乱したのだ。

 

 ナザリックを束ねるギルド長が、人の心を取り戻していたが故に、ナザリックの誰よりも精神的ダメージを受けたのは……正に、皮肉としか言い様がなかった。

 

 

 ……それから、『鈴木悟』はユリ・アルファに命じて、すぐさま牧場の解体を指示した。

 

 

 生きている者は……王都より奪った金を渡すわけにもいかなかったので、ユグドラシル金貨を袋に入れて渡した。

 

 金貨が使えなくとも、溶かすなり何なりすれば、金にはなる。経済的な影響がどれほどになるかが『鈴木悟』には分からなかったが、それしか思いつかなかったのだ。

 

 

 次に……『鈴木悟』の目は、死者へと向けられた。

 

 

 既に死亡している者は、全員手厚く丁重に弔った。中には己の腰にすら届かない子供の遺体もあって、それだけで出ない涙が出そうになった。

 

 

 でも、それはまだマシだった。

 

 

 生きてはいるが、精神的に廃人になっている者、もはや治療不可な者たちに対して、望むのであれば……『鈴木悟』自身の手で、安らぎを与えたのだ。

 

 

 ……理由は、他でもない。

 

 知らなかった等という言い訳はもう、誰に対しても、何に対しても、言えないのだという事を、『鈴木悟』は理解していたからだ。

 

 

 だって、許可を出したのは『鈴木悟』だ。

 

 デミウルゴスが提案し、アインズ(モモンガ)が許可を出したとしても、そんなのは何の理由にもならない。

 

 

 ……己が仕出かしてしまった過ちを、己の手で清算しなければならない……そう、思ってしまったのだ。

 

 

 幸いにも、モモンガの身体となった『鈴木悟』には、それを成す為の能力……魔法を、習得していたし、感覚的に使う事は可能であった。

 

 だから、『鈴木悟』は己の義務を果たした。そうしなければ、それこそ……。

 

 ナザリックの者たちに頼めば、ほとんどの者たちは嬉々として処分してくれるだろう。処分という名目で腹に納めてしまうNPCたちだって、大勢いる。

 

 だが、そんな事はさせられない。というより、させたくない。

 

 せめて、その身体を大地に返してやらなければ……その一心で、『鈴木悟』は魔法を幾度となく発動させ……痛みなく、家畜にされていた者たちに死を与えていった。

 

 

 あとは……もう、あまり覚えていない。

 

 

 道中、転ばなかったのは、『久しぶりに目に留まったから』という苦し過ぎる理由で装備していた杖で、こっそり身体を支えていたからだ。

 

 それが無かったら、『鈴木悟』は牧場視察中に腰を抜かし、その場からまともに動けなくなっていただろう。

 

 とにかく、牧場を破棄し、使役されていた悪魔(デミウルゴスが死亡しても、どうやら消えたりはしないようだ)を全て魔方陣の向こうへ帰らせたことまでは、覚えている。

 

 それからは……ふらつく足取りで、ナザリックの自室にまで戻り……気付けば、『鈴木悟』は……ベッドの中で、ふっと目覚めていた。

 

 

 これが、今に至るまでの経緯であった。

 

 

 本来であれば眠る事が出来ないアンデッドが、実際は気絶なのかもしれなくとも、一時的に眠る事が出来たのは……それだけ、『鈴木悟』の精神に負荷が掛かってしまったからなのか。

 

 

(……アンデッドになって、初めて睡眠に近しいナニカを体験したかもしれないなあ……二度と、体験したくはないが……)

 

 

 なんであれ、『鈴木悟』は最悪と言っても過言ではない目覚めの中で……心から、思い出したくはない光景を思い浮かべていた。

 

 

(ああ、嫌だ、嫌だ……)

 

 

 そう、本当に思い出したくないのだと、『鈴木悟』は己の頭蓋骨を抱えるようにして、ベッドの中に隠れた。

 

 

 ……とてもではないが、牧場での一時は、最終学歴が小卒の『鈴木悟』の語彙(ごい)で言い表せられるモノではなかった。

 

 

 けれども、それでも、思い出せる中で強いて当てはめる言葉を探すのであれば……あれは、地獄だ。

 

 そう、『地獄』だ。

 

 少なくとも、『鈴木悟』はアレ以上の地獄をこれまで目にしたことはなかった。現実世界以上の地獄があるなんて、夢にも思った事はなかった。

 

 そして、そんな地獄を作り出したNPCを……かつては仲間の面影を感じるなと嬉しく思えていたなどと──ん? 

 

 

 ふと……ぬるり、と。

 

 

 ナニカが、頭に触れた。生温かいそれが、頭に当てた己の両手にも広がるのを感じ取った。

 

 えっ、と思った時にはもう、感触は液体のような何かに変わる。妙にべたつくそれに、『鈴木悟』は何とも表現し難い気持ち悪さを覚えた。

 

 

 ──雨漏り? 

 

 

 ナザリックにある鈴木悟の自室は、最下層の一つ上だ。

 

 雨漏りするにしても、上は同じく地下なのだから……そう思いながら、何気なく濡れた両手を見やった『鈴木悟』は。

 

 

「──ヒッ!?」

 

 

 思わず、ベッドから跳ね起きる勢いで飛び退いた。

 

 そして、己の頭……いや、両手や胸元に広がっている。

 

 

「ちっ、血だ!? 血が、こんなに!!??」

 

 

 今の己には存在しない液体を前に、『鈴木悟』はそのまま仰け反って──ベッドから転がり落ちる。

 

 けれども、構う余裕はない。

 

 天井を見上げても、血が垂れた痕はない。

 

 同様に、己の身体から血が出ているわけでもない。

 

 何故か、骸骨の身体が血に塗れている。

 

 何者かの手でされたのか、気付かないままだったのか。

 

 それを考える余裕など、ない。

 

 濃厚な鉄臭さが、『鈴木悟』の脳天を震え上がらせる。

 

 

 ──血だ、血が、血がいっぱい、こんなに血が! 

 

 ──と、とにかく洗わないと、血を流さないと! 

 

 

 完全にパニックになった『鈴木悟』は、忙しなく周囲を見回した後、アイテムボックスより『無限の水差し』を取り出し……ジャバジャバと身体に掛ける。

 

 けれども、それでは身体を上手く洗えない。

 

 なので、魔法にて、引っ掛けがある歪な台を作った『鈴木悟』は、『無限の水差し』を取りつけ……シャワーを浴びるように、シャバシャバと頭から浴びる。

 

 

 ──血だ、こんなに血が。

 

 ──綺麗にしないと。

 

 ──もっと、もっとだ。

 

 

 ピッチャーの口より出る量は、お世辞にも大量ではない。

 

 苛立ちを覚えるほどの焦れったさを堪えながら、『鈴木悟』は……特に汚れている両手を洗う。

 

 

 ──真っ赤だ、両手が。

 

 ──血だ、もっと、水を。

 

 ──流さないと、綺麗にしないと。

 

 

 真っ白な骨の両手から、水混じりの鮮血が滴り落ちる。

 

 よほど強固にこびり付いていたのか、洗っても洗っても手が綺麗になる様子はなく、赤い飛沫がパチャパチャと足元の水溜りに落ちる。

 

 

 ──血だ、血がこんなに。

 

 ──綺麗にしないと。

 

 ──血が、血を綺麗に。

 

 ──そうだ、綺麗にしないと。

 

 ──早く、洗い落さないと。

 

 ──もっと、もっと。

 

 ──綺麗に、もっと洗い流せ。

 

 ──もっとだ、もっと。

 

 ──もっと、もっと。

 

 

 もっと、もっと、もっと、もっと。

 

 

 流せ、流せ、流せ、流せ、流せ、流せ。

 

 

 血が、こんなに。綺麗に、流せ、血が、綺麗に、こんなに、流せ、血が、もっと、綺麗に、流せ、こんなに、流せ。

 

 

 ──もっと。

 

 ──もっと綺麗に。

 

 ──もっと綺麗に洗え。

 

 ──早く、もっと綺麗に。

 

 ──洗わないと、洗わないと。

 

 ──もっと綺麗にしないと。

 

 ──駄目だ、もっと、もっと。

 

 ──綺麗に、綺麗に、きれ

 

 

 

 

 

「アインズ様!? 如何なされましたか!?」

 

 

 

 

 

 ──その、瞬間であった。

 

 

 傍より掛けられた呼びかけに、『鈴木悟』はハッと我に返る。

 

 慌てて振り返れば、驚いた様子で視線をさ迷わせている……ユリ・アルファが立っていた。

 

 

「ゆ、ユリ? どうして部屋に……」

 

 

 とりあえず、理由を尋ねる。

 

 何故なら、全NPCたちにはよほどの非常事態を除いて、自室に来るのを(同じ階層にすら、立ち入り禁止)禁じていたからだ。

 

 例外は、『ユリ・アルファ』と『シズ・デルタ』……あとは、『セバス・チャン』ぐらいだ。

 

 ペストーニャは、実際にこの目で確認していないので、判断は保留に……と、そうじゃない。

 

 

「も、申し訳ありません。その、アインズ様が自室に籠ってから5日間ほど経ちましたので、何かあったのではと一同心配しておりまして……」

「え、5日間も!?」

 

 

 思わず、『鈴木悟』は目を(というより、眼光だけど)見開いた。

 

 気絶なのか眠っていたのかは不明だが、しばらく意識を失っていたのは自覚していた。しかし、感覚としては小一時間程度だと思っていた。

 

 

 それがまさか、5日間も経っているとは。

 

 

 自室に時計が無いことに加え、アンデッド故に時間の感覚に鈍くなったのか……何にせよ、気になって覗きに来るのも致し方ないと『鈴木悟』は思った。

 

 

「……あ~、いや、すまない。少々、考え事と魔法の実験をな。夢中のあまり、時を忘れていたようだ」

「まあ、それは……えっと、魔法……ですか?」

「うむ、特殊な魔法を、な。実験段階ゆえに詳細は語らないが、おかげで室内が水浸しだよ」

「それは……アインズ様、どうかご自愛なさいませ。このユリ・アルファ、御身の為ならば如何様にも……」

「え、あ、うむ、気持ちは受け取っておこう。とにかく、自分ではどうも止めるタイミングが無かったのだ、良いキッカケになった」

 

 

 ──とりあえず、それっぽい言い訳をして誤魔化そう。

 

 

 下手に黙秘を続けると、NPCたちがどんな行動を取るか分かったものではない。特に、気を付けねばならないのはアルベドだ。

 

 なので、魔法の実験とでも言い訳を作れば、アルベドのみならず、NPCたちも勝手に各々の想像で納得するだろう。

 

 アルベドは……正直分からないが、時を忘れる程に集中している実験を邪魔して不興を買うようなNPCではなさそうだから……と。

 

 

「……あの、アインズ様」

「ん、な、なんだ?」

 

 

 思考の渦の中に、ユリの声が響く。

 

 何とか威厳を意識しながら返事をすれば、ユリの視線が……濡れた身体を上下した。

 

 

「お召し物もそうですが、床もずいぶんと水浸しになっております。差し支えなければ、メイドを寄越して掃除致しますが……如何致しましょうか?」

「……あっ」

 

 

 言われて、ようやく『鈴木悟』は己の惨状に意識が向いた。

 

 

 率直に言って、酷い有様であった。

 

 

 ベッドに飛び込む前に着替えたのか、何時もの『グレート・モモンガ・ローブ』ではない。

 

 見覚えはあるけど、もっと質素で……言うなれば、現実(リアル)にて皆が着ていた衣服に雰囲気が似ている、『聖遺物級(レリック)』のコートであった。

 

 そして、肝心の『グレート・モモンガ・ローブ』は……部屋の隅にて無造作に置かれている。

 

 以前の『鈴木悟』であれば、装備が盗まれたらどうすると大絶叫を上げるところだが……不思議と、今の『鈴木悟』は、何も感じな……と、そうじゃない。

 

 

 とにかく、今の『鈴木悟』は、酷い有様だ。

 

 

 対水耐性が無いのだろう。『聖遺物級(レリック)』とはいえ、コートは水を吸って重さが増している。足元には大きな水たまりが出来ており、現在進行形で水滴が落ちているのが見えた。

 

 

 ……いや、もはやソレは、水たまりなんて範囲ではない。

 

 

 敷き詰められた絨毯はスポンジのように水を含んでおり、立っているだけでジュワッと水気が滲み出ているのを感じる。

 

 相当に長い間、浴び続けていたのだろう。

 

 視線を向ければ、吸収しきれなかった水は室内だけでなく、廊下まで漏れ出ているのが、開け放たれた扉の向こうに確認出来た。

 

 

 ……これは、ますます仕方がない。

 

 

 NPCたちの忠誠心は別として、だ。

 

 『鈴木悟』とて、いくら上司より『立ち入り厳禁』と言われていても、中に入って5日も出て来なかったら、そりゃあ心配になって覗きに来るぐらいはする。

 

 まだ、覗きに来たのがユリで良かった。

 

 これでもし、色々と理由を付けたアルベドが来ていたらと思うと……改めて己の馬鹿さ加減に辟易した『鈴木悟』は、ジロリと室内を見回す。

 

 

「……そうだな、では、頼めるか? それと、実験の際に血液を使った。絨毯にもかなり付着してしまっているだろう。掃除に時間が掛かるようであれば、言ってくれ」

「──血液、ですか?」

 

 

 チラリと、水浸しの足元を見やったユリは、軽く首を傾げ──直後に、ハッと我に返ると。

 

 

「──畏まりました」

 

 

 深々と、ユリは『モモンガ』に向かって一礼した。

 

 

「……それでは、まずはお身体を拭いて、続いてお召し物を……」

「ああ、それならそこの──」

 

 流れる様に、部屋の隅に転がっている『神器級(ゴッズ)』を指差そうと。

 

 

「──いや、これにしよう」

 

 

 して、気付けば『鈴木悟』は……アイテムボックスより、落ち着いた色合いのローブを取り出した。

 

 

(あれ? 俺、なんでアレを……)

 

 

 ──着たくない、そう思ったのか。

 

 

 『鈴木悟』自身にも分からなかったが、どうしてかソレを目にした瞬間、嫌悪感を覚えた。

 

 なので、『鈴木悟』は……チラリとソレを横目にしただけで、そのままユリへと視線を戻した。

 

 

「すまないが、着替えたい。少しばかり部屋を出て貰えるか?」

「それでしたら、お手伝いを──」

「え、あ、いや、それには及ばん。不自由を楽しむのもまた、今を楽しむコツなのだから」

 

 

 自分でも意味不明な事を言っている自覚はある。

 

 だが、NPCたちには、直接拒否をするよりも、こういった意味不明な言い返しをした方が、不思議と納得して身を引いてくれる。

 

 

「──畏まりました。それでは、廊下にて待機しておりますので」

 

 

 実際、ユリは何か深い感銘を受けたかのように尊敬の眼差しを『モモンガ』へと向けると、一礼して部屋を出て行った。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………一つ息を吐いた『鈴木悟』は、ふと、己の両手を見やる。真っ白な骨の両手を前に、ホッと安堵のため息を零した。

 

 

(……良かった、血は落ちたようだ)

 

 

 血が中々落ちないというのは、リアルでも経験していた。少量でも、乾いて時間が経つと特に落ちにくいという話も、耳にはしていた。

 

 なので、中々にこびり付いてしまっていた両手を見て、これは3,4日は取れないかもと焦ったが……綺麗に取れたのであれば、なによりだ。

 

 ……ただ、身体から汚れが落ちたということは、その分だけ床に広がったというわけだが。

 

 

(メイドたちには悪い事をしてしまった……)

 

 

 考えれば考える程に憂鬱を覚えた『鈴木悟』は、心の中でメイドたちに謝りつつ……思考を切り替える。

 

 

(……とにかく、デミウルゴスが作った『牧場』は閉鎖させた。今後、俺の目が届いているうちは二度と作らせない……新たな犠牲者は出ないだろう)

 

 

 思い出すだけで背筋がゾワゾワしてくるが、何とか我慢出来る範囲だ。

 

 5日間も眠って(気絶?)いたおかげか、あるいは抑制が働いているおかけが、当初の時ほどに心がざわつかない。

 

 

(攫ってきた人たちは……出来うる限り、生きている者たちは全員戻してやりたいが……)

 

 

 それが良い事なのか、悪い事なのか……現時点での判断は出来ないが、震えて動けなくなるよりはマシだと、『鈴木悟』は己に言い聞かせた。

 

 

(……そういえば、王都から奪って来たのは人だけではなく、物資や金銭も……だったな)

 

(単純に3000人分の資産じゃない。たしか……『八本指』が溜め込んでいた分も合わせてだから、相当な金額になる)

 

(それを王国へ返せば……いや、駄目だ。俺の頭では、NPCたちを納得させるだけの理由を思いつけそうにない)

 

(直情的に動いてしまえば、NPCから不審の目で見られかねない。なにせ、『ゲヘナ』ではデミウルゴスが死んだからな)

 

(NPCたちからすれば、仲間が死してまで得た成果をそのまま元に戻すようなものだ。いくら『モモンガ』を絶対視しているとはいえ、下手に動けばナザリックという組織が崩壊しかねない)

 

(それに、それだけでは駄目だ)

 

(すぐには返せない以上、王国が受けたダメージの長期化は確実……その間にも、疲弊した王国の人達は……何とかして、一時的だけでも援助する必要がある)

 

 

 ──だが、どうしたらいい? 

 

 

 思わず、『鈴木悟』は胸中にて唸った。

 

 何せ、口実として便利だった『冒険者モモン』は、もう使えない。

 

 あの時……ゾーイと共に居合わせた仮面の子供(?)が、モモンの正体を知っているからだ。

 

 それ故に、今のモモンは冒険者モモンでもなければ、英雄モモンでもない。

 

 悪魔の一味であり、人間の営みに潜入していたスパイのモモンだ。つまりは、人々を騙していた偽りの英雄となってしまった。

 

 

 かといって……『鈴木悟』の脳裏を過る、NPCたちの姿。

 

 

 NPCたちは、ごく一部を除いて、人間たちに対して餌か玩具程度の感覚でしか見ていない。

 

 いや、それどころか、中には存在すらしてはならないとまで考えているNPCも……居る可能性だって、否定出来ない。

 

 

(と、なれば、新たなキャラクターを作る必要が……しかし、どうするか。今はまだモモンの事があるから、同じように顔を隠した冒険者なんぞ、警戒されるだろうし……)

 

 

 ──少なくとも、『完璧なる戦士』を使った偽装は駄目だな。というか、冒険者はもう諦めた方が良いかもしれない。

 

 

(そうなると、このまま……あ、いや、待てよ)

 

 

 最悪、ユリかシズのどちらかが外部に……と、考え始めていた『鈴木悟』の背筋を、電流にも似た閃きが走った。

 

 

(カルネ村だ。カルネ村は、アインズとしてなら、俺が出て行っても大丈夫な場所だ。下手に土地勘も何も無い他所の国よりも、はるかに動きやすい!)

 

 

 続いて……『鈴木悟』は、今の王国が、『ゲヘナ』を通じてどのような問題が生じているかに目を向ける。

 

 

(物資や金銭がごっそり減ったとなると……真っ先に困るのは、食料か!)

 

 

 その瞬間、『鈴木悟』は……何も見えなかった道に、小さな道が姿を現したような気がした。

 

 

(食糧なら……たしか、マーレがドルイドの職業を習得していたな。スキルは覚えていないが、食糧生産に関する魔法なりスキルなりを習得している可能性は高い)

 

 

 ──『マーレ・ベロ・フィオーレ』

 

 

 守護者であり、『頼りない大自然の使者』の異名を持つNPCだ。ダークエルフではあるが、他のNPCに比べて……まだ、中立的……だとは、思う。

 

 加えて、マーレは精神的におとなしいというか、何処となく気弱な雰囲気をよく『モモンガ』に見せていた。

 

 ならば、強く命令すれば……内心はどうあれ、そういうものだと納得して、しっかり言う事を聞いてくれる可能性が高い。

 

 それに、なによりも……マーレならば、『モモンガ』に対して反旗を翻す可能性が……かなり低いと、『鈴木悟』は思った。

 

 

(これまでは、とにかく外にバレないようにと動いていた。少ないながらも、それが『ゲヘナ』を後押しする理由にもなった……が、しかし、今はコソコソしていられる状況じゃない)

 

 

 正直、NPCたちの前に出るのは非常に勇気がいる。束になって向かって来られたら最後、『鈴木悟』はすぐに殺されてしまうだろう。

 

 だが、それも言っていられる状況ではないし、なによりも……今の己は、そんな事を言える立場ではないと『鈴木悟』は……強く、強く、強く……己を戒める。

 

 

(王国の人達が飢えて倒れてしまえば手遅れだ……償いの為にも、少しでも早く食料を生産して王都へ寄付しなければ!)

 

 

 ──ヨシッ! 

 

 

 そう、ひとまずの方向性を定めた『鈴木悟』は……ふと、我に返って視線を落とし。

 

 

(……その前に、まずは着替えるのが先だな)

 

 

 堪らず、苦笑した『鈴木悟』は、濡れたローブをゆるりと脱ぎ捨てた。

 

 

 

 

 

 




『鈴木悟』には見えていたのデス

真っ赤に濡れた、己の両手が


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交わりて、離れて

 

 

 

 ──あの時は、傍にクレマンティーヌが居た。でも、今は居ない。

 

 

 あの時と同じく、天気は快晴が続いている。心地良い風が吹いていて、ただ歩くだけでポカポカとした陽気を感じる。

 

 漂って香るのは、緑の香り。

 

 この世界の人達にとっては嗅ぎ慣れ過ぎて当たり前のソレが、彼女にとっては胸が震えるほどに嬉しく思える。

 

 はるか彼方まで広がる青空も、そうだ。

 

 日差しに照らされた景色はどれもこれもが美しく、まるで宝石箱を内側から眺めているかのような

 

 けれども……以前よりも嬉しくない。あれほど、美しいと思えた景色だというのに。

 

 その理由に、彼女はそっと……その手に抱えた骨壺を摩る。

 

 

 寂しさは、消えない。

 

 悲しみも、消えない。

 

 苦しみが、消えない。

 

 

 けれども、行かなければならないのだ。

 

 自分の為に、そして、クレマンティーヌの為に。

 

 

 ……行きの時はあっという間で、それほど思い出せるものは無いと思っていた。

 

 

 だが、こうして道を引き返してみると……こんなことまで覚えていたのかと、何処か不思議に感じるほどに些細な思い出が、次々に湧いてくる。

 

 

 クレマンティーヌは、稀代の犯罪者だ。

 

 

 人を殺し、幸せを奪い、幾つもの命を踏み躙って、生きてきた。その身が辿った過去は、確かに悲惨で、同情の余地を買うぐらいには酷い話である。

 

 だからこそ、その死はあっさり来た。今まで数多の命を私怨で奪ってきた彼女は、同じようにあっさり殺された。

 

 そうして、その遺骨を人々の営みの中へ埋葬出来ないのは、犯した罪の報いである。クレマンティーヌの被害者が現れたら、墓を荒らされて穢されてもなんら不思議ではない。

 

 

 けれども、その度に思うのだ。

 

 

 もし、クレマンティーヌが裕福な家に生まれ、愛情深い家族に囲まれていたら、どうなっていたか……と。

 

 

 いや、クレマンティーヌだけではない。

 

 

 おおよそ、悪人と呼ばれる者たちが、愛される家庭に生まれ、飢えを味わうことなく育っていたら……はたして、悪の道に至っただろうか、と。

 

 犯した罪に対して罰を負うのは、人の社会における必然だ。だが、同時に、思うのだ。

 

 

 ──それでは、始めから恵まれた者たちにとって、あまりに都合が良過ぎるのではないか、と。

 

 

 前世の『彼』だった時、彼女はハッキリ自覚出来るぐらいに己が恵まれた存在であると理解出来る頭があった。

 

 だが、結局のところ、それは幸運だったからだ。

 

 チートのような頭脳も、反則でしかない魔法も、類稀な頑強な身体も、望めば情報を手に入れられる環境も、彼女は……いや、前世の彼は、何一つ努力をして得たわけではない。

 

 始めから、得ていた物だ。そこに、前世の彼の意思は一つもない。初めから、何の苦労もせずに手にしていたのだ。

 

 他人は、それでも努力したのは事実だし、努力しなければならないと否定するか、否定はしないが認めようとはしなかっただろう。

 

 

 それは、確かだ。努力したのは、事実だ。

 

 

 でも、それは始めから土台を与えられていることへの否定にはならない。むしろ、その土台の存在を否定し、無い物として扱う……その醜悪さに、貧富の違いは無い。

 

 肉体的なハンデ、環境的なハンデ、精神的なハンデ。

 

 

 一通りの道具が用意されていて、何度でもチャンスが与えられるうえにトライ&エラーが許される人と。

 

 道具が用意されないばかりか、チャンスを得るまでに時間を有し、そのチャンスも一度だけという人が。

 

 

 はたして、同じなのだろうか。

 

 初めから強い身体で生まれた者が、その強さを存在しない物として扱い、弱い身体で生まれた者へ上から語るのは、これ以上ないぐらいに醜い事ではないか。

 

 

「──だから私は思うのだ、がらんどうの騎士。『ぷれいやー』を、あまり苛めてやるな……と」

「言っている意味が、よく分からないな」

 

 

 そう、ポツリと零した彼女の呟きに、全身を甲冑で覆い隠した長身の騎士は……男とも女ともつかない声色で、首を傾げた。

 

 彼女が……その、長身の騎士に会ったのは、『エ・ランテル』へと向かっている道中であった。

 

 騎士は、何をするでもなく街道の側に立っていた。

 

 辺りには目立った何かがあるわけでもなく、何かしらの事故に巻き込まれた様子にも見えない。

 

 

 ──こいつも、この景色に見惚れているのだろうか。

 

 

 だから、そんな事を思いながら、軽く会釈だけをしてその場を通り過ぎようとした……そんな時であった。

 

 

 『君と、話がしたかった。少しばかり時間を貰えるかい、ぷれいやー』

 

 

 背後から、そんな声を掛けられたのは。

 

 

 ……『ぷれいやー』

 

 

 その言葉に、二つの意味で聞き覚えがある。

 

 とはいえ、考えるまでもない。クレマンティーヌが以前話していた……己のような、別の世界から来た異邦人を差す言葉だろう。

 

 曰く、『ぷれいやー』という言葉自体は一部で知られているだけで、あまり世間では知られていない言葉らしい。

 

 ということは、だ。

 

 彼女を『ゾーイ』と呼ぶわけでもなく、『ユグドラシル』の名を出すわけでもなく、『ぷれいやー』と呼んだあたり。

 

 

「……クレマンティーヌの知り合いか?」

「知り合い、というわけではないよ。ただ、彼女の生まれ育った国を、よく知っているだけさ」

 

 

 彼女がそう思うのは当然であった。

 

 そうして、このまま『エ・ランテル』へ歩きながら話そう……という感じになり、互いに軽く自己紹介をした後で。

 

 

「単刀直入に聞きたい、『調停者ゾーイ』。君は、何の目的でこの世界に居るんだい?」

 

 

 言葉通り、いきなりそんな事を言われた。

 

 これには正直、彼女は首を傾げた。

 

 目的は何だと聞かれても、そんなのは最初から話している。己は、『調停者』だ。

 

 

 世界の均衡を崩す可能性が生まれた為に、この世界に顕現したのだ。

 

 

 そこへ至る経緯こそ普通ではなかったが、それでも、今の己は『調停者』なのだ。

 

 ゆえに……彼女は、直接質問には答えず、あえてダラダラと話し続け、逆に考えていたことを話したわけである。

 

 それは、人に尋ねる前に人の話をよく聞けという彼女なりの……まあ、少し物言いにイラッと来たことによる、意地悪な返し方でもあった。

 

 

「難しく考える必要などない、がらんどうの騎士。クレマンティーヌも、そうだった。貴女たちは、些か『ぷれいやー』を特別視し過ぎる」

「……ああ、それなら分かる。でも、そりゃあ、そうだろう」

 

 

 首を傾げていた騎士は、彼女よりそう言われてようやく理解したようで、直後に言い返した。

 

 

「それを言うなら、君たち『ぷれいやー』こそ、自分の力に無自覚過ぎる。君たちの行いが、その『均衡』とやらを崩しているとは思わないのかい?」

「だから、滅ぼされた。滅ぶべくして、滅んだ」

 

 

 ……少しばかり、騎士は無言となった。

 

 

「はっきり言うね」

「事実だ。しかし、それとコレとは話が別だ。『ぷれいやー』というのは、結局のところ、ある日突然力を得てしまった人間みたいなものだ」

「……それにしては、強過ぎないかい?」

「強いだけだ。言っただろう、『ぷれいやー』をあまり苛めてやるな、と。彼らはみな、望んでそうなったわけではない。ただ、いきなりそうなってしまっただけなんだ」

「だから、許せと?」

「許す必要などない。罰を与えるのであれば、与えれば良い。けれども、彼ら自身にその罪はない。ただ、彼らはその『力』に呑み込まれてしまっただけだ」

 

 

 ──そう、かつての英雄たちが、その身を滅ぼしたように。

 

 

 その言葉を言い終えて、すぐ。

 

 騎士は、足を止めた。

 

 少し遅れて、彼女も足を止める。

 

 振り返れば、騎士は……何かを思い返すかのように、地面を見つめた後……不意に、面を上げた。

 

 

「『調停者ゾーイ』、君は、どこまで知っているんだ?」

 

 

 そう、まっすぐに問い掛けられた彼女は……同様に、騎士を……いや、その奥に居る者を見つめた。

 

 

「そう、多くはない」

「はぐらかさないでほしいな。けっこう、本気で聞いているんだよ」

「はぐらかしていないよ。ただ、今の私が分かっているのは、それほど多くはないというだけの話だ」

 

 

 その言葉と共に、彼女は……その手に抱える、小さく収まってしまった友人を、優しく摩った。

 

 

「私が、私のままに居られる時間はそう、長くはない。同時に、彼女もまた、そう長くはこの世界には顕現出来ない」

「……? えっと?」

「元々が、人の器で抑えられるモノではないから……今の私は、蒼天の彼方へと旅立つまでの、たまゆらに漂う存在なのかもしれない」

「それって、どういう意味かな? 『ぷれいやー』たちの間に伝わる隠語かい?」

「いや、違うよ。これは、私の言葉だ」

 

 

 そう告げると、彼女は……騎士に背を向けて歩き出す。問答はこれで終わりだと、言わんばかりに。

 

 その背中を、騎士は小走りに追いかける。勝手に終わらせるなと、言わんばかりに。

 

 

「──私を、私として、あるいは人として繋ぎとめていた楔は失われた。いずれ私は彼女に呑み込まれ、私の魂は蒼天の彼方へと旅立つだろう」

 

 

 けれども、その足はすぐに止まった。理由は、二つある。

 

 

「だから、焦らなくていい。すぐに、決着は付く。私は、私の役目を果たすまでだ」

「役目って、それは──っ!?」

「だから、覚えていてくれ。あまり、『ぷれいやー』を苛めてやるな」

 

 

 一つは、彼女よりに放たれた不可思議な気配に、足を止められてしまったから。

 

 恐れとは違う。かといって、畏怖とも違う。

 

 騎士は、騎士自身が、己という存在を自覚したその時より初めてとなる、言葉では説明出来ないナニカを前にして……それ以上、近づくことが出来なかった。

 

 

「何故なら、彼もまた……ただ、友人たちと過ごした夢幻の一時を懐かしみ、終わりを静かに受け入れようとしていた一人にしか過ぎないのだから」

 

 

 そして、もう一つは。

 

 

「これでも、私とて糞運営の1人だからな。最後まで楽しんでくれたプレイヤーの為にも、最後ぐらいは一肌脱いでやらねば……なのだから」

 

 

 その言葉と共に、振り返った彼女の顔が。

 

 

 涙を滲ませているような。

 

 頬を緩め、微笑んでいるような。

 

 あるいは、憐れみを堪えているかのような。

 

 

 そんな……千の言葉でも言い表せられない、何とも物悲しい顔をした彼女が浮かべていた表情に、言葉を失くしたからで。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………結局、がらんどうと呼ばれた、その騎士は。

 

 

「──調停者ゾーイ、か」

 

 

 すっかり遠ざかり、見えなくなったその背中を思い浮かべながら……ポツリと、その名を呟く事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 そうして、彼女は歩き続ける。

 

 行きの時は、景色を楽しみつつ、クレマンティーヌの体力や体調をかえりみながらだった。

 

 しかし、今は違う。今の彼女に、かえりみる必要のある相手はいない。ただ、己を突き動かすナニカに従うがまま、進むだけ。

 

 幸いなことに、『蒼の薔薇』より受け取った紹介状のおかげで、馬鹿者からちょっかいを掛けられることはなかった。

 

 まあ、(したた)めた紹介状の封蝋(ふうろう)の刻印を見ただけで、役人たちが一様にどよめいた辺り、劇薬並みの効果があったのだろう。

 

 

(……そういえば、ラナー王女も手紙に何かしていたような……まあいいか、通れるなら)

 

 

 そうして、関所を通り抜け。途中、野盗紛いなやつが現れたが、軽く脅かしてやればパッと逃げ出してしまい、それ以降は現れず。

 

 気付けば、あっという間に『エ・ランテル』の町中へと戻って来た彼女は……ふと、足を止めた。

 

 

 

 

 ──いる。

 

 

 

 

 反射的に、蒼天の剣を出現させかけた彼女は、直後に手を止める。理由は、単純に感じ取った気配より……敵意を感じなかったからだ。

 

 いや、というより、監視に留めている……といった感じだろうか。

 

 敵意というよりも、警戒心。

 

 それを強く感じた彼女は、周囲を見回す。しかし、それらしい人物(あるいは、モンスター?)は見当たらない。

 

 だが、感じる。

 

 監視している気配こそ脆弱だが、その奥にて繋がる主は……強い。少なくとも、『蒼の薔薇』でも相当に手こずる相手だろうと彼女は思った。

 

 

 ……さて、どうしたものか。

 

 

 気配の相手を追跡するべきか、否か。

 

 内なるナニカより伝わる感覚からして、どちらでも良いというのが現状の正直な判断だ。

 

 しかし、薄気味悪いというか、落ち着かないのも事実。

 

 追いかけて理由を尋ねてやりたいが、この感じだと……たぶん、捕まえるまでに相当に手こずるような気がする。

 

 何時ぞやの、『八肢刀の暗殺蟲』のように、透明になっているだけで的(まと)が大きければ狙いやすい。

 

 しかし、たとえば相手が……ゴキブリのように小さかったら、いくら何でもそんな相手を見付けろというのは大変だ。

 

 しかも、ここは町中だ。相手がゴキブリサイズだとしたら、隠れられる場所はいくらでもある。

 

 彼女とて、他人の家の中に隠れられてしまえば、それ以上の手出しは出来ない。そうせざるを得ないほどに強大であるならば、ともかく。

 

 

(……まあ、しばらく様子見に留めておくか)

 

 

 結局、現状ではそれが限界だろうと判断した彼女は、止めていた足を動かして、『エ・ランテル』を抜けようと──したのだが。

 

 

「あ、ゾーイさん! 戻って来たんですか!?」

 

 

 その前に、声を掛けられた。

 

 見やれば、そこには懐かしき顔ぶれである『漆黒の剣』の面々が居た。まあ、懐かしいとは言っても、3ヵ月も経っていないのだけれども。

 

 

 とはいえ、運が良いのか悪いのか。

 

 

 再会こそ出来たものの、『漆黒の剣』たちは任務を受けてこれからしばらく遠出するとのことで、入れ違いである。

 

 まあ、そういう彼女も、『エ・ランテル』に用があるわけでもなく、このまま『カルネ村』へと直行する予定だったので、どちらにしろ入れ違いになるのは確実だったのだけれども。

 

 

「──あ、あのゾーイさん」

 

 

 それじゃあ、また機会があれば……そんな感じで別れそうになっていた時に、また、声を掛けられた。

 

 というより、その場を去ろうとした彼女を呼び止めようとしたのが、正しい。

 

 振り返れば、『漆黒の剣』の面々が……首を傾げながらもどうしたのかと尋ねれば、彼らは互いに顔を見合わせた後で……尋ねてきた。

 

 

 

 

 ──モモンさんは、本当に悪魔の手先だったのか、ということを。

 

 

 

 

 それを尋ねられた時……彼女は、軽く目を見開いた。

 

 王都で起こった例の事件から、それほど時が経ったわけではない。そして、『伝言(メッセージ)』こそあるが、この世界には電話といった道具もない。

 

 その『伝言』ですら、距離が遠くなればなるほどに不明瞭になってしまうという弱点があると、前に聞いた覚えがある。

 

 なのに、これだけ早く情報が伝達するとは……いや、むしろ、そういったモノが無いからこそ、逆に速くなる部分があるのか……まあ、どちらでもいい。

 

 

「悪魔の手先なのは、本当だ」

 

 

 彼女が言えることは、『漆黒の剣』たちの事を考えて、真実を告げる事と。

 

 

「だが、何か理由があったと私は思っている。だから、許すなとは言わない。しかし、それだけではなかったと……覚えていてくれ」

 

 

 『漆黒の剣』たちの事を想って、一言付け加えておく事を忘れずに……軽く頭を下げる彼らの視線を受けながら、彼女は『エ・ランテル』を出て……『カルネ村』へと向かった。

 

 

 

 

 

 




人への同族意識を失い、虫けら同然と思っていたプレイヤーが人の心を取り戻し

人への同族意識を得て、彼ら彼女らの為に立ったプレイヤーは人より遠ざかりて



運命とは、いつの世も、どの世界でも、残酷なまでにひねくれ者なのかもしれない


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(裏話):虚構の骸骨

 

 

 

 

 ──カルネ村へと向かう際に、『鈴木悟』はまず、誰を連れて行くかを考えた。

 

 

 

 まず、マーレは確定だ。

 

 

 カルマ値云々は正直覚えていないので定かではないが、作物などの食糧生産を行うためには絶対に外せないNPCである。

 

 実際、誇張抜きでマーレは外せなかった。

 

 何故なら、ナザリックにおいて、マーレと同等のドルイドの職業レベルを習得しているNPCが居なかったのだ。

 

 

 いちおう、探せば他にも居た。

 

 

 軽く聞き取り調査(もちろん、ユリ同伴である)を行った際、『そういったスキルや魔法を取得しております』との返事をしたNPCたちの能力を、調べてみた。

 

 

 そうして、判明した。

 

 

 ドルイドの職業レベルを習得しているNPCは他にもいた。だが、能力の差があまりに有り過ぎた。マーレの、足元にすら及ばなかったのだ。

 

 そのNPCが半日かけて行う作業を、マーレは10分程で終わらせてしまうのだ。しかも、そのNPCよりも丁寧かつ綺麗に、全てを終わらせてしまう。

 

 しかも、MPの総量までもが違い過ぎる。他のNPCなら一定時間ごとに休憩して回復させる必要がある作業も、マーレならばほぼ回復せずに行う事が可能である。

 

 

 そのうえ、他のNPCたちと同様に行った、食物の栽培実験。

 

 これも、マーレが育てた方が圧倒的に速く実を付け、かつ、試食させた全員が満場一致で『マーレの方が美味しい』と絶賛したのだ。

 

 さすがに、だ。

 

 

 レベル100という万が一を考えた場合の懸念事項はある。

 

 だが、ここまで能力の差が出てしまえば、個人の恐怖でどうこう考えるのは愚策だと『鈴木悟』は思った。

 

 

 続いて……『ユリ・アルファ』と『シズ・デルタ』もまた、考えるまでもなく確定である。

 

 

 この2人に関してはカルマ値も高く、基本が善性である。

 

 もちろん、ナザリック(または、モモンガ)に対する絶対的な忠誠心という、気を付けなければならない点はあるが……それでも、精神的な負担が軽い。

 

 それに、善性であるからこそ、下手にトラブルが生じてもいきなり相手(人間)を殺そうとはしないだろう。

 

 

(アルベドは、死にかけているうえに混乱していたエンリを不敬だからと躊躇なく殺そうとしたからな……人員は慎重に選んだ方が良い)

 

 

 今にして思えば、どうして冒険者モモンの時に、よりにもよってナーベラルを連れて行こうと判断したのか……止めよう、考えるだけで気が滅入ってくる。

 

 

(セバスとペストーニャの両名も連れて行きたいが、あの2人が居なくなると、残された人たちの扱いが悲惨なモノになるのは目に見えているからな……残念だが、連れてはいけない)

 

(NPCたちの事だ……手足の一本ぐらい回復魔法で復元してしまえば良いから、みたいな感じでもぎ取りそうだからな……うん、あの2人を動かすのは駄目だ)

 

 

 そこまで考えた辺りで……ふと、『鈴木悟』の脳裏に天啓が下りた。

 

 

(あ、そういえば、セバスの傍にはツアレが居た……ああ、そうだよ! 居たじゃん、人間のツアレが!)

 

 

 思わず、『鈴木悟』はポンと手を叩き掛けた。傍にユリが居るので、行動には移さなかった。

 

 

 ──『ツアレ』とは、王都にてセバスが助けた女性であり、現在はナザリックでセバスの下で保護されている人間の女性である。

 

 

 保護される経緯は、語り出すと非常に長くなるので詳細は省くが、要は酷い目に遭わされ死にかけていたツアレを、通りがかったセバスが助けた……というわけである。

 

 彼女であれば、ピッタリだと『鈴木悟』は思った。

 

 ユリもシズも善性であるとはいえ、やはり異形種だ。人間に似せた外見とはいえ、バレる時はあっさりバレる。

 

 そうなるのを防ぐ為に、交渉役としてツアレを入れるのは、アリなのかもしれない……そう、『鈴木悟』は思う。

 

 今後、交渉役として表に出る場合があれば、同じ人間であるかは非常に重要な要素となるだろう。

 

 

(そうか、そうだよ……いたんだよな、ここにも、ちゃんとした人間が……ナザリック以外の、ちゃんとした人間が……!)

 

 

 ……それに、『鈴木悟』としては……出来る限り、己にそこまで敵意を抱かない人間が傍に居てほしいという思いもあった。

 

 

 連れてきた王都の人達は、駄目だ。

 

 

 どのような説明をしたにせよ、あの者たちにとって、『モモンガ』やナザリックは、自分たちを攫って食い殺し使い潰した化け物たちでしかない。

 

 けれども、ツアレは違う。本能的な怖れこそあるものの、感謝の眼差しを向けてくれるのを『鈴木悟』は感じ取っていた。

 

 今の己も異形種(しかも、アンデッド)ではあるが、それでも、心だけは……そう思いたいからこそ、傍に人間が居てほしいと思った。

 

 

(よし、マーレに、ユリに、シズに、ツアレ……とりあえず、この4人は確定として……ん?)

 

 

 ──と、その時であった。

 

 

「アインズ様!」

 

 

 アルベドとシャルティアの二人が、『鈴木悟』とユリの前に、サッと姿を見せたのは。

 

 いったいどうして……理由は、考えるまでもなかった。

 

 

「カルネ村へ行くのであれば、私を護衛に!」

「いえ、わらわに!」

 

 

 アルベドとシャルティアの両名が手を上げて、立候補した。つまり、そういうことだった。

 

 ……というか、どうしてバレたのだろうか。カルネ村へ向かう事は、マーレにはまだ詳細を話してはおらず、傍のユリにしか……ん? 

 

 

「……いちおう、守護統括のアルベド様にご報告が必要かと……申し訳ありません」

 

 

 視線を向ければ、ユリが深々と頭を下げた。その顔は、失敗してしまったといった感じで、苦々しく歪んでいた。

 

 

 ……いや、ユリは悪くない。

 

 

 彼女の立場を思えば報告するのは当たり前であり、口止めを忘れていた『鈴木悟』が悪いのであった。

 

 なので、軽く手を振って問題はないことをユリに伝えた後で……改めて、2人に向き直れば、だ。

 

 

「どうか、御身の盾に、私を!」

 

 

 そんな言葉を、2人は吐いた。

 

 2人からすれば、『調停者ゾーイ』との戦いによってアインズ(モモンガ)が殺されかけたというのは、記憶に新しい。

 

 王都より離れているとはいえ、遭遇しない保証はどこにもない。だからこそ、数発は耐えられるだけの壁を護衛に付けるべき……というのが、2人の意見であった。

 

 

「ですので、ユリ・アルファではいざという時に御身の盾には──」

「いや、ユリを連れて行く。これは決定事項だ」

「──そう、ですか。御身の、望むがままに……!」

 

 

 ギロリ、と。

 

 

 直接ではなくとも、『鈴木悟』にもハッキリ分かるぐらいにアルベドより睨みつけられたユリは、素知らぬ顔をしている。

 

 守護者統括より睨まれるのは怖いが、それを差し引いても、『モモンガ』直々に指名されるという優越感には勝てない……といったところか。

 

 

(……前は美人だと思ってドキドキしていたけど、今は怖さしか感じないなあ)

 

 

 個人的に、アルベドに関しては少しばかり後ろめたい事がある。だから、あまり強くは拒絶出来ないのも、悪手なのだろう。

 

 

「……では、アインズ様。守護者統括として、提案したい事がございます」

 

 

 とはいえ、やはりアルベドはアルベドだ。

 

 一度拒否されたところでへこたれる様子はなく、強く、強く、それはもう押し倒さんばかりに強く、アインズへと提案した。

 

 

 ……それは、ナザリックの今後の運営に関してだ。その話は、ゾーイの脅威性と、対策に関する事から始まった。

 

 

 曰く、あの時は、囮に使える遺体が転がっていたから逃げ出せたが、次に使える囮は無い……まず、そこから触れた。

 

 カルネ村の者たちを囮にしたところで、あの者たちはゾーイとの関係性が薄い。おそらく、囮にしたところで構わずこちらを狙ってくるだろう。

 

 あらかじめゾーイに監視を付けようにも、下手に気付かれて向こうから攻め込まれてしまうのは、現状を考えると非常にマズイ。

 

 現在のナザリックの優位は、なによりも『ナザリック地下大墳墓』の位置を特定されていない……これに尽きる。

 

 いざとなれば、ここへ逃げ込んで回復する事が出来る。これは、戦略的に考えると、かなりの強みだ。

 

 そうでなくとも、ここには対侵入者用の……かつて、この地に攻め込んできた人間どもを返り討ちにしたトラップや設備が山のように設置されている。

 

 

 これは、拠点を持たないと思われるゾーイにはない、ナザリックの優位な点だ。

 

 しかし、その設備にも弱点がある。

 

 

 それは、設備を稼働させるためには、ここでは手に入らないユグドラシル金貨を消費しなければならないということ。

 

 いや、何もそれは、金貨だけではない。

 

 

 ユグドラシルでは豊富に手に入ったアイテムや素材も、ここでは確保出来ない。使えば最後、補給する事が出来ないのだ。

 

 

 ──上手くハマれば、相手が何者であれ仕留める事が出来る。

 

 

 そう、相手がゾーイだとしても、それが可能なだけの戦力と地の利が、ここにはある。

 

 しかし、取り逃がしてしまえば、そのままジリ貧に陥る可能性が高いのはこちら側。

 

 

 ゆえに、早急な立て直しが急務というのが、アルベドの意見であった。

 

 

 ……それは、パッと聞いた限りでは利に叶った、ナザリック全体を考えている統括者としての意見であった。

 

 『鈴木悟』も……いや、彼がまだ『モモンガ』のままだったら、その意見を聞いて、カルネ村行きを改めていただろう。

 

 

「──ですので、アインズ様。万が一を考えて、早急にデミウルゴスの蘇生を視野にいれるべきかと進言致します」

「……デミウルゴスを?」

 

 

 しかし、そうはならなかった。

 

 何故なら、今の彼は『モモンガ』ではない。『モモンガ』の姿をしているだけの、『鈴木悟』だ。

 

 他のNPCたちに対して強い恐怖を覚えていると共に、かつての仲間たちが残した思い出によって、まだ完全に未練を捨てきれていないのだ。

 

 

 分かっては、いる。眼前のNPCたちが、正真正銘の怪物であるということを。

 

 

 けれども、同時に、眼前のNPCたちが、『鈴木悟』にとっては青春の……黄金のように輝く思い出でもある。

 

 なので、一部を除いて基本的に嫌悪の対象である……それが、現在のNPCたちに向ける、『鈴木悟』の正直な気持ちであった。

 

 

 ──その中で、デミウルゴスは違う。この世界に来た当初の頃ならともかく、今は違う。

 

 

 『牧場』での行いを思えば、もはや『鈴木悟』にとって、今のデミウルゴスは思い出を穢した、仲間たちの皮を被った化け物にしか見えていなかった。

 

 ……ちなみに、同様にシャルティアも嫌悪の対象になっていたりするが、今は関係ない。

 

 

「ふむ、理由を述べよ」

 

 

 だから、そう口では答えつつも、その内心は完全に冷え切っていた。どんな理由であろうと、蘇生させるつもりは欠片もなかった。

 

 出来る事なら、二度とその名を聞きたくない……それほどに、『鈴木悟』は、悪魔であり怪物であるデミウルゴスを嫌悪していた。

 

 

「アインズ様も御存じの通り、これまでナザリックの内側を私が、外側をデミウルゴスが統括し、必要に応じてアインズ様の指示を仰ぎながら、各々へ命令を出しておりました」

「……そうだな。それで?」

 

 

 ──言われてみれば、そうかもしれない。

 

 

 今更ながらに、『ナザリック』の指揮系統を思い浮かべた『鈴木悟』は、心の中で頷く。思い出すと、非常に憂鬱になってしまうが……で、だ。

 

 

「現在、デミウルゴスの代わりに外の統括を、パンドラズ・アクターが担っております。本来であれば、私がそちらをやりたいところですが──」

「──少し、待て。少々、考え事をする」

 

 

 反射的にアルベドへそのように命令を下せたのは、ファインプレーであった。「──はっ!」指示に従い、2人は沈黙する。

 

 

 ……で、だ。

 

 

 何やら、非常に聞き捨てならない言葉が飛び出してきて、思わず『鈴木悟』は……飛び出しかける動揺の声を、幾度となく抑えた。

 

 

(ぱ、パンドラズ・アクター……し、しまった、忘れていた。そうだ、NPCたちの中で、ある意味一番気を付けなければならない相手なのは、こいつだった!)

 

 

 ……感情抑制は、本当にこういう場合には非常に役に立つ。

 

 

 仮にソレがなかったら、『モモンガ』としてはあるまじき動揺を露わにしていただろう。

 

 何故なら、パンドラズ・アクターは『鈴木悟』が手掛けたNPCであり、ある種の、若かりし頃の暴走というやつであり……同時に、ナザリックの宝物殿の守護者でもあるからだ。

 

 

 そう、『鈴木悟』を動揺させたのは、この宝物殿の部分。

 

 

 そこには、かつての仲間たちと共に集めた、ユグドラシルにおいても非常に希少なアイテムや素材が納められている。

 

 仲間たちが装備していた神器級の装備や、ワールドアイテムだけではない。

 

 そのワールドアイテムの中でも、使い切りであるが故に、更に凶悪な効果を持つ『二十』と呼ばれるアイテムがいくつか、そこに納められて──いや、違った。

 

 

(馬鹿が! 俺の馬鹿野郎! なんで忘れていたんだよ! 俺の大馬鹿あああ!!!!)

 

 

 心の中で、『鈴木悟』が己を罵倒するのも致し方ないことであった。

 

 何故なら、ナザリックが保有しているワールドアイテムの幾つかを、守護者たちに渡したままでいたことをすっかり忘れていたからだ。

 

 

 どうして渡したのかと言えば、それは守護者たちを護るためだ。

 

 

 ワールドアイテムの効果に対抗する為には、同じくワールドアイテムを所持しているか、極一部の条件を満たしたプレイヤーが、スキルをタイミングよく使用するしかない。

 

 NPCたちに、そんなスキルはない。というか、プレイヤーではない。

 

 必然的にワールドアイテムに対抗するには、同じくワールドアイテムを所持させるしかないわけだ。

 

 なので、世界に居るかもしれないプレイヤー……その者たちが保有するかもしれない、ワールドアイテムに対抗する為に、守護者たちに渡した……そう、渡してしまっていたのだ。

 

 

(糞がぁああ!!! くそっ! くそっ! ……くそ、恨むぞ、過去の俺……!)

 

 

 以前の『モモンガ』ならば、当然の処置であると考えていた。

 

 だが、今となっては……なんて事をしてしまったのだと、罵る言葉しか出てこない。

 

 というのも、ワールドアイテムのどれもが、ユグドラシルのゲームバランスを崩す程に凶悪な効果を発揮する。

 

 直接的にダメージを与える類ではないアイテムですら、上手く使えば一気に形勢を逆転させてしまうほどで……それを、よりにもよって守護者たちが所持しているのだ。

 

 これを罵らずに、なにを罵れば良いのか……こみ上げてくる怒りと不安を必死に抑え込みながら、『鈴木悟』は、改めてアルベドたちへと視線を向けた。

 

 

「すまない、それでは続きを話せ」

「──はい。それで、現在はパンドラズ・アクターが代理として外の統括を行っておりますが……」

「ますが?」

「前任であるデミウルゴスのやり方と、あまりに違い過ぎて……性急過ぎるあまり、少々問題が生じ始めております」

「──ほう?」

 

 

 やり方、つまりは方針だ。

 

 その話に、『鈴木悟』は思わず内心にて首を傾げた。

 

 さすがに、自ら手掛けて作り出したNPCだから、パンドラズ・アクターに関しては誰よりも知っている。

 

 記憶が確かなら、パンドラズ・アクターの属性は中立で、カルマ値を少し低く設定した覚えがある。

 

 実際に会った時の感触では、設定通りにアイテムに固執こそするが、守護者たちの定めた方針を蔑ろにしてまで我を通すような性格には見えなかった。

 

 そのパンドラズ・アクターが、わざわざ……気になった『鈴木悟』は詳細を尋ね……そして、更に困惑を深めた。

 

 

 一言でいえば……パンドラズ・アクターがやっているのは、デミウルゴスが行っていた悪行(『鈴木悟・主観』)の是正であった。

 

 

 有無を言わさず、例外なく、統括代理として、一切合財全て止めさせた。しかも、ただ止めさせただけではない。

 

 それまでデミウルゴスが溜めていた資金を、その悪行によって被害を受けた者たちに分配するばかりか、その事に苦情を入れたデミウルゴスの部下を処罰したというのだ。

 

 

「これによって、彼に対する不満が出始めております」

「不満だと?」

「直接的ではありませんが、ナザリックの利益を他所へ譲渡しているも同じ……反感を抱くな、というのが無理な話かと思います」

「ほう、そうか」

「ワタクシと致しましては、処罰なりを与えて謹慎させ、デミウルゴスを蘇生させて再び指揮を執らせるのが得策かと……」

 

 

 これによって一部の者たちから反感を買ってしまっている。

 

 それは、アルベドの主観ではなく、客観的な事実なのだろう。

 

 話を横で聞いているシャルティアが、明らかに苛立ちを隠しきれていないのが、その証拠だ。

 

 なので、早急にデミウルゴスを蘇生させ、パンドラズ・アクターを再び宝物殿へと戻すべきでは……というのが、事情を把握している者たちの総意だとアルベドは告げた。

 

 

「ふむ、そうか……」

 

 

 一通り、話を聞いた『鈴木悟』は、表面上こそ神妙な面持ちで考え込むような素振りを見せていたが。

 

 

(そうか、パンドラズ・アクターが……理由は分からないが、良くやったぞ!)

 

 

 その内心は、喜びに満ち溢れていた。

 

 正直、『モモンガ』ならともかく、『鈴木悟』としては……心から喜ばしい話であった。

 

 本当に、嬉しい。思わず、感情抑制が働いたぐらいに。

 

 もしかしたら、己が己を取り戻したあの時から、初めて聞く嬉しいニュースかもしれない。

 

 ふわりと、心が浮き上がりそうな高揚感。

 

 まるで、背負ったナニカが軽くなるようで、アンデッドでなかったら涙の一つも零していたぐらいに……そこまで思った辺りで、ふと、冷静になる。

 

 

(いったい、どういうことだ?)

 

 

 気になるのは、どうしてパンドラズ・アクターが、そんな事をしているか……である。

 

 

(NPCたちそれぞれに、製作者の面影を見る事はある。まあ、本当に面影だけだが……)

 

 

 内心、また首を傾げる。

 

 

(パンドラズ・アクターは、俺が作った。そのような行動を行うという設定を入れた覚えはないし、仮に俺の影響だとしても、そんな大それた行動を取るだろうか?)

 

 

 強いて挙げるとするなら、極度のアイテムフェチという要素ぐらいしか心当たりはないが……ふむ。

 

 

「……おそらく、ゾーイの目を逸らす為だろう」

 

 

 本当かどうかは分からないが、目的はなんであれ、人を助ける行動を取ってくれるパンドラズ・アクターを非難する気にはなれない。

 

 

「ゾーイにとって、デミウルゴスへの印象は最悪だ。だからこそ、ナザリックが一枚岩ではなく、人を助けようと思っている者がいる……そう、思わせたいのかもしれないな」

 

 

 とりあえず、それっぽい言い訳を作って誤魔化すことにした。

 

 

「しかし、その為にナザリックの利益を……」

「元々、他所から奪ってきた物だ。それが無くなったところで、振り出しに戻るだけだ。それほどのマイナスになるわけではない」

「……では、デミウルゴスの蘇生は、もうしばらく延期するわけですね?」

「うむ。私としても心苦しいが、これにも理由はある」

「まあ、それはいったい?」

「向こうはこちらの戦力が減ったと思って油断している。万が一、お前たちを蘇生させる事が出来ると知られたら、それこそ悠長に動いてはいないだろう」

 

 

 ──それに、だ。

 

 

「油断している相手ほど、楽な相手はいない。しかし、その為にはお前たちにも余計な苦労を掛ける事になるだろう」

 

 

 ──だから、もうしわけない。

 

 

 そう言って、『鈴木悟』は……深々と頭を下げた。

 

 瞬間、傍で控えていたユリは目を見開き、ヒュッと息を呑んだ。

 

 それは、進言していたアルベドも、その隣で感動していたシャルティアも、例外ではなかった。

 

 

「とにかく、デミウルゴスを蘇生させるまで、お前たちには負担が掛かるだろうが……もうしばらく、耐えてくれ」

「──はっ!」

 

 

 うるさく騒ぎ立てられる前に、顔を上げてハッキリ明言する。

 

 それだけで、これ以上はアインズの顔を潰すと判断した2人は、背筋を伸ばして一礼すると、そのまま足早にその場を離れ……己の職務へと戻って行った。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………その後ろ姿が、見えなくなったのを確認した『鈴木悟』は。

 

 

(パンドラズ・アクターのことは非常に気になるが……とりあえず、人助けをしているのだから……そう、悪いようにはならないだろう)

 

 

 ひとまず、新たに生じた懸念事項に対して、一時的に蓋をすると。

 

 

「では、私たちは、私たちのやる事を成すとしよう」

「──畏まりました、アインズ様」

 

 

 改めて、己の役目を果たす為に、マーレとシズを『伝言』にて呼び出し……外へと、カルネ村へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

 




ステンバーイ……ステンバーイ……

ステンバーイ……ステンバーイ……

ステンバーイ……ステンバーイ……


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想いの行き先

 

 

 ──久しぶりに訪れたカルネ村は、以前と変わらず要塞のように外壁でぐるりと囲まれて……ん? 

 

 

 

 久しぶり……と思い掛けた彼女だが、そういえばまだ一ヶ月ぐらいしか経っていないことに、気付く。

 

 

(思い返せば、この世界に来てからまだ3ヵ月も経っていないのか……)

 

 

 そう思うと、何だか不思議というか……感覚的に、もっと長い時間をこの世界で過ごしたような気がする。

 

 おそらく……そう思ってしまうぐらいに、この世界の暮らしを楽しんでいたのだろう。

 

 前世の世界においても、同様の経験はある。

 

 だが、その時は、いずれ訪れる絶望から目を逸らしたいという仄暗い諦観から、心の何処かで冷めた目で見ていたのかもしれない。

 

 それだけでも、この世界に来た『プレイヤー』たちの誰もが、遅かれ早かれアバターの性質に呑み込まれてしまうのが分かる気がする……と。

 

 

 キリキリキリ、と。

 

 

 なにやら縄が軋む音と共に、正門が閉まり始める。分厚い丸太を組み合わせたそれは、ズドンと音を立てて……外界との境を封鎖してしまった。

 

 

 ……? 

 

 

 不思議な事態に、彼女は首を傾げる。

 

 モンスターでも出たのかと周囲を見回すも、それらしい気配も影も無い。あるいは、なにかトラブルでも起こったのか……気になった彼女は、駆け足で正門へと向かい……声を張り上げた。

 

 

「──どうした!? 何かあったのか!?」

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………王都のように音で溢れた場所ならともかく、カルネ村周囲は静かだ。

 

 

 遠くへ響く己の声からして、聞こえているはずなのだが……ふむ、仕方がない。

 

 

 ──たん、と。

 

 

 地面を蹴って、飛ぶ。レベル200の恩恵は、伊達ではない。高さにして5メートル近い外壁を飛び越え、すとん、と着地した彼女は……また、首を傾げた。

 

 

 何故なら……入り口の傍には、大勢の村人が集まっていたからだ。

 

 

 それも、10人や20人ではない。カルネ村に移住している元冒険者を含めれば、100名近い人たちが一か所に集まり……まっすぐ、彼女を見つめていたのだ。

 

 しかも、その視線は御世辞にも友好的ではない。以前の時とは、別人かと思うぐらいに張り詰めている。

 

 怨敵、外敵、おおよそ、そのような言葉が付けられそうなぐらいに鋭い眼差しの冒険者たちの中には、剣を抜いて構える者すらいた。

 

 

(……なんだ?)

 

 

 首を傾げていると、その集まっている村人たちの合間を縫うようにして、緑色の肌をした亜人(武装済み)が飛び出してきた。

 

 

 ……ゴブリン? 

 

 

 そういえば、そんな者たちが居たなあ……と、思い返していると、そのゴブリンたちは彼女の前にて立ち止まると……深々と頭を下げた。

 

 

「──すいません、ここは通れません。正門を開けますので、お帰りください」

 

 

 そうして、立ち入り禁止を命じられた。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………? 

 

 

 一瞬、言われた言葉を理解出来なかった。

 

 というのも、よほど閉鎖的な村や街、手配書が出回っている危険人物ならともかく、普通は立ち入りを禁止されるなんてことはない。

 

 

 なにせ、立ち入りを禁止した時点で、その村や街では何かが起こっていると周囲に教えているようなものだ。

 

 

 よほど切羽詰まった者ならともかく、一般的な商人であれば普通は避ける。少なくとも、何が起こっているのかが分かるまでは、極力近づこうとすらしないだろう。

 

 それは、いくら田舎のカルネ村とはいえ、分かっているはずだ。特に、ときおり訪れる商人からしか生活必需品を得られないような田舎は、より強く身を持って理解しているはず。

 

 

「なにか、あったのか?」

 

 

 なので、彼女は率直に尋ねた。

 

 数日とて顔を合わせていない相手ではあるが、ここが長閑な村である事は知っている。

 

 だから、困っている事があるならば助けてやりたい……彼女にとって、それは当たり前の事であった。

 

 

「すみません。お気持ちだけ受け取ります。どうか、今日のところは……」

「そうか。では、尋ねたい事が一つある。この骨壺を埋めるにあたって、日当たりの良い場所を知っているか?」

「すみません、お答えは出来ません。とにかく、お引き取りください」

 

 

 けれども、眼前のゴブリンは全く受け取らなかった。それは、彼女の質問も同様であった。

 

 とにかく、一秒でも早く村の外へ……そう言わんばかりに、急かされる。いや、それどころか、中には武器の持ち手を掴んでいる者もいる。

 

 後方にて、鞘から剣を抜いている者たちもそうだが……眼前の彼らもまた、本気だ。

 

 何が有ったのかは知らないが、拒否するのであれば本気で武器を抜くつもりでいる。

 

 

 それは、脅しではない。

 

 

 抜いた時点で、本気で殺しに来るつもりだ。強張った顔、うっすらと冷や汗を垂らしているゴブリンたちを前に、彼女は察した。

 

 

 ……ならば、仕方がない。

 

 

 そう判断した彼女は、腕の骨壺を抱え直す。まあ、適当に森の中を歩けば、見つけられるだろう。

 

 次いで、チラリと……後方にて固まっている人たちの、さらに奥へと視線を向けた彼女は。

 

 

「──居るのだろう、アインズ」

 

 

 ハッキリと、告げた。

 

 村の中に入った時点で、気付いた。姿は見えなくても、居る。確信にも似た直感によって、彼女はその存在を認識した。

 

 

 途端──目に見えるぐらいに、空気が変わった。

 

 

 眼前のゴブリンたちは鞘から剣を抜き、冒険者たちは一歩前に出る。村人たちの一部は、農具を手にして前に出て……それを見た彼女は、静かに首を横に振った。

 

 

「止めなさい」

「どうか、お帰りください!」

「勝てないのは、分かっているだろう? わざわざ命を捨てるのか?」

「それでも──お帰りください!」

 

 

 ……目が、本気だ。

 

 ゴブリンだけではない。誰も彼もが、本気で……死ぬのを覚悟している目だ。殺されると分かっていても、立ち向かう決死の目だ。

 

 

 これは……アイツがやらせている事なのだろうか? 

 

 

「……アインズ! 聞こえているだろう、アインズ! これで良いのか!? 本当に、これで良いのか!?」

 

 

 首を傾げた彼女は、この村の何処かに……いや、おそらくは遠くよりこちらを覗いていると思われるアインズを呼ぶ。

 

 

 どうしてかは、分からない。

 

 だが、今の彼女は理解していた。

 

 

 以前の『モモン』であれば、苦も無くやってのけた。

 

 

 だが、今は違う。

 

 今のアインズならば違うと、どうしてか彼女は……そのように理解していた。

 

 

 だからこそ、アインズを呼ぶ。

 

 

 この状況では、もはや万の言葉を重ねたところで、村人たちに彼女の言葉は届かない。

 

 このままでは、無意味は殺し合いが始まってしまう。いや、殺し合いではない。一方的な殺戮だ。

 

 それを止めるには、アインズしか居ない。だが、アインズに対しても、彼女の言葉は届かない。

 

 

(そうか……私を恐れているのだな)

 

 

 理由は、考えるまでもない。

 

 誰だって、自分を殺しかけたやつが尋ねてきたら、怯えて隠れるのは当たり前だから。

 

 

 でも……村人たちは、そうではない。

 

 

 強張った彼ら彼女らの顔を見れば、すぐに分かる。

 

 彼ら彼女らは、命令されてそうしているわけではない。

 

 心から、アインズを護ろうとしている。

 

 その為に命を落とす事になっても本望だと、本気で考え、武器を手に取っている。

 

 

(……ふむ)

 

 

 改めて、それを確認した彼女は……向けられる敵意を前に、しばし思考を巡らせる。

 

 押し通るのは簡単だ。

 

 眼前のゴブリンたちとて敵にはならないし、奥の方から、ひと際強く敵意を向けている異形の怪物たちとて、敵にはならない。

 

 でも、そうではない。それでは、駄目なのだ。

 

 それをしてしまえば、後悔するのは己よりもアインズではないか……そう思った彼女は。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………しばし、前世の……ユグドラシルのことを思い出しながら、『アインズ・ウール・ゴウン』について考えた後。

 

 

「──アインズ! 1人の『クソ運営』として、ユグドラシルプレイヤーであるお前に話がある! 剣を納めて、少しばかり話し合おう!」

 

 

 そう、村中に響き渡るぐらいに、大声を張り上げた。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………それは、この世界の人達にとっては聞き慣れない言葉だったのだろう。

 

 

 誰も彼もが警戒を解いてはいないが、彼女の発した言葉の意味を理解出来ず、互いに視線を向けては首を傾げていた。

 

 まあ、それも致し方ない。

 

 

 『ゆぐどらしる』

 

 『ぷれいやー』

 

 『くそうんえい』

 

 

 どれも、カルネ村でも王都でも使われていない言葉だ。

 

 『運営』ならば有るだろうが、『ユグドラシル』と『プレイヤー』は完全に未知の言葉だ。特に、ユグドラシルの方は未知だ。

 

 そういうのが詳しい法国に居たクレマンティーヌが、一般にはほとんど知られていないと話していたのだ。

 

 カルネ村の者たちが知らないのは、当然の事であった。

 

 

 ──だが……彼女と同じく、ユグドラシルのキャラを得て、この世界に来た『プレイヤー』であるならば……話は違った。

 

 

「──み、みんな、武器を納めてくれ!」

 

 

 その言葉に、彼女を除いた誰もが振り返った。そして、驚きに目を見開いた。

 

 

 何故なら、居たのだ。

 

 

 人々の後ろより、奇妙な造形の仮面を被った、すっぱり頭までローブを被った人物が。

 

 顔を隠し、見えている肌は分厚いガントレットや靴で分からない。

 

 しかし、全体の輪郭や声色からして男で……周囲の反応から見ても、ソレがアインズであるのは明白であった。

 

 

「あ、アインズ様! 御下がりを──」

 

 

 村人たちばかりではない。

 

 アインズの傍に控えているメイドが3人と、大きな杖を構えた……エルフと思わしき亜人が、アインズを留めようとしている。

 

 

 だが、アインズと呼ばれたその者は止まらない。

 

 

 ドタドタと、打ち揚げられたトドのように、どこか鈍くさい動きで、駆け寄って来る。

 

 その、あまりな行動に、護ろうとしていた村人たちも動揺し、思わず道を開く。

 

 その事に、メイドたちは遠目にもハッキリ分かるぐらいに顔をしかめると。

 

 

 ──各々武器を構え、彼女へと向かってきた。

 

 

 拳にガントレットをハメたメイドも、銃器を構えたメイドも、紋章の形した武器を構えた赤髪のメイドも、殺意を漲らせて彼女へ──。

 

 

「待て! 止めろ! 何もするな!」

 

 

 ──攻撃を放つ前に、アインズが止めた。

 

 

 それは、メイドだけではない。アインズのすぐ後ろより、魔法を発動させようとしていたエルフの亜人もまた、手を止めて……アインズを見やった。

 

 

 ……アインズより止められてしまえば、誰も動けない。

 

 

 苦々しく顔を歪めたメイドたちも、無表情のままに殺意を向けているエルフも、状況が分からず困惑している村人たちも……眼前を通り過ぎてゆくアインズを止められなかった。

 

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 

 そうして、彼女の前に立ったアインズは……そこで、彼女にだけ見えるように仮面を外そうとした。それを見て、彼女は逆に止めた。

 

 

 ──するり、と。

 

 

 立ち尽くすアインズへと、逆に近づく。

 

 途端、再び駆け寄ろうとしたメイドたちを、アインズは後ろ手に留めながら……彼女の唇が、ローブを掻き分け、耳元へ近づくと。

 

 

『……プレイヤー名「モモンガ」』

 

 

 ポツリと、アインズにだけ聞こえるように囁いた。

 

 瞬間、ビクッとアインズの身体が震えた。それを見たメイドたちが飛び出さなかったのは、直前に二度も止められたからである。

 

 一度だけであったならば、反射的に飛び出していただろう。

 

 しかし、二度だ。これを破れば、三度も主の命令に背いたことになる。

 

 命令とあれば己の死をも喜び捧げるほどの忠誠心を持つ彼女たちにとって、それに背くのは身を切るよりも苦痛を伴う。

 

 忠誠心の高さがゆえに、主に危険が及ぼうとしているとはいえ、三度も命令を背くわけにはいかなかった。

 

 しかし、それは……奇しくも、アインズにとっては……『鈴木悟』にとっては大正解の対応であった。

 

 

 『所属ギルド「アインズ・ウール・ゴウン」。最大人数41人。構成、男性38名、女性3名。ギルドへ移行する前のクラン名「ナインズ・オウン・ゴール」』

 

 

 何故なら、その時に……彼女より掛けられた言葉は。

 

 

『……アカウント登録名「鈴木悟」。それが、今のお前で間違いないな?』

 

 

 ある意味、アインズにとって……いや、今の『鈴木悟』にとって、心の何処かで求めていた事であったからで。

 

 

『……運営、なのか?』

『運営兼開発者の一人だ』

『……俺を、殺しに来たのか?』

『以前のお前なら、そうした。だが、今のお前は違う』

『え?』

『今のお前は、モモンガでもアインズでもない。最後までユグドラシルをプレイしてくれていた、鈴木悟……なのだろう?』

『──っ!?』

 

 

 ゆえに、その瞬間。

 

 

「おお、おおお……おおお……っ!」

 

 

 言葉では、とでもではないが言い表せられない様々な感情。思考の全てを押し流す濁流となったそれが。

 

 

「お、俺は……俺は……」

 

 

 無自覚の内に張り詰めていた、『鈴木悟』の緊張と恐怖の糸を断ち切り、呑みこみ、彼方へと押しやってしまった結果。

 

 ガクリと身体の力が抜けてその場に膝を突いたアインズは……いや、『鈴木悟』は、彼女の手を掴む。

 

 魔法系詠唱者のアンデッドとはいえ、レベル100。

 

 その握力は、この世界の人間であれば瞬時に圧死するほどで……彼女でなかったならば、確実に腕を粉々に砕かれていただろう。

 

 

「……話したい事がある」

 

 

 そんな、膝を突いたオーバーロードの肩に……そっと、手を置いた彼女は。

 

 

「とても、重要な事だ。いいね、必ず、私たち2人だけで……話し合う必要があることだから」

 

 

 囁くように、震える『鈴木悟』へと伝えたのであった。

 

 

 ──この日、この時、この瞬間。

 

 

 また、運命の歯車が切り替わったことに……『鈴木悟』は気付けず、気付いていたのは……彼女だけであった。

 

 

 

 

 

 




ゾーイが近づいて来ることにいち早く気づいたルプスレギナさん、村人たちを肉の盾として囮にして、最悪の場合は逃走しようと考えており、あえて村人たちに対して『実は、アインズ様の命をひそかに狙っている』という嘘の情報を広めるファインプレー

しかし、当のアインズ様が表に出たことで失敗、慣れないことはするものじゃないね



なお、ユリとシズは素直に、アインズ様の為に戦う村人たちの姿に感動している

マーレは……ほら、マーレだから


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(裏話)骸骨の覚悟・人形の節穴

おう、誰か続き書いてくれや

AIノベリストに頼めば、サーフ系ボディビルダーが三分ブリッジしながら続きを書いてくれるってマネージャーが話していたから後を頼みたい


 

 

 

 ──時刻は夜。日が落ちてから、それなりの時間が経った。

 

 

 

 場所は、村はずれにポツンと設置されている、小屋だ。

 

 そこは、元々は倉庫として作られた。現在は、村の代表者が一同に集まって会議を行う場所として活用されている。

 

 とはいえ、会議といっても、だいたいはそこまで大事な内容ではないし、会議を行う際に必ずそこを使うわけではない。

 

 

 そういう事は、基本的に村長の家で行われる。

 

 つまり、そこを利用する時は、理由があって村長の家が利用出来ない場合だ。

 

 

 なので、必然的に使用する頻度の低いその小屋は……お世辞にも、小奇麗とは言い難い状態になっていた。

 

 いちおう、使えないほどに汚くはない。少々埃被っているところもあるが、最低限の掃除が当番制によって成されていたから。

 

 しかし、それはカルネ村在住(あるいは、この世界の生まれか、リアルの生まれ)の基準での話だ。

 

 この世界の王室ですら、白旗を上げるぐらいに綺麗な部屋を宛がうのが当たり前だと思っているナザリックの者たちからすれば、そんな部屋に主を連れて行くことすら、腹立たしい話であった。

 

 

『──良いのだ。私が、良いと判断した。それが不服か?』

 

 

 しかし、当の主よりそのように断言されてしまえば……守護者であろうがメイドであろうが、異を唱えるのは、あってはならない事であった。

 

 

『──私が戻るまで、誰一人として小屋に近付くな。一切の盗聴、偶発的な盗み聞きを禁止する。如何なる理由であっても、それを成したと私が判断した場合、その者をナザリックより追放し、二度と私の前に姿を見せることを禁止する!』

 

 

 まあ、どちらかと言えば、その後に言われた死刑宣告よりも辛い命令が下されたことの方が、彼女たちにとっては重大だったのだが……まあいい。

 

 

 とにかく、だ。

 

 

 ナザリック追放(つまり、見限られる)というギロチン宣告をされてもなお、好奇心を働かせて盗み聞きしようとする愚か者は、ナザリックには居ない。

 

 

 当然ながらカルネ村の人達も同様である。

 

 

 ナザリックのような狂気染みた忠誠心はないが、アインズは命の恩人である。命を助けた相手を見捨てられるほどに、村人たちはクズではなかった。

 

 結果、村人の大半(子供は寝てしまった)は自宅の中で不安を押し殺し、ナザリックの僕たちは顎を砕かんばかりに噛みしめながら……明かりが灯る、その小屋を遠くから見つめるしかなかった。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………で、だ。

 

 

 その、小屋の中で何が行われているかと言えば……まず、お互いの自己紹介と、どのような経緯でこの世界に来たかという互いの現状の擦り合わせであった。

 

 

 その際、『鈴木悟』は……いや、悟は、全てを話した。

 

 

 己がこの世界に来るまでに、何をしていたか。

 

 さすがにその日のログイン内容全てを詳しく覚えてはいないが、おおよその事は記憶していた。

 

 

 それから、この世界に来てどのように行動していたか。

 

 その際、アンデッドとなった己の精神性がどのように変化をしていたか、どのように感じていたか、全てを話した。

 

 

 もちろん、その中には……クレマンティーヌを死に追いやった、王都襲撃事件『ゲヘナ』に関しても、しっかり含まれていた。

 

 

 何の為に、『ゲヘナ』を行ったのか。

 

 それを行うに当たって、何が起こっていたのか。

 

 その時の己が、どのように感じて、動いていたか。

 

 

 そして、アインズ(モモンガ)から『鈴木悟』へと戻ってからの日々。NPCたちを、化け物にしか思えなくなっていること。

 

 

 カルネ村に居る理由は、王都より奪ってしまった物資への補填。

 

 NPCたちの崇拝するアインズ像を崩さず、困窮するであろう王都の人達を助ける為に、まずは食料を生産して届ける……その為に、今は急ピッチで作業を進めている。

 

 他にも、細やかな事をしっかり、思い出せる限り、全てを話した。

 

 それは、アインズ……1人の人間である鈴木悟としての、心からの謝罪でもあった。

 

 

 ──このまま、殺されてもいい。それで、少しでも気が晴れるのであれば。

 

 

 この時、悟は本気でそう思っていた。

 

 どうしてそう思ったのか、それは悟自身にもコレといった説明を付けられなかった。

 

 ただ……誰かに、己の罪を、己の心情を、ありのままに吐き出せたからだろうか。

 

 

 不思議と、もういいのかもしれない……そう思った。

 

 

 恐怖はある。死にたくない、その想いも消えていない。

 

 しかし、このまま殺されても、それが定めであり報いだ……そんな考えが、沸々と湧いてくる。

 

 

 ここで殺されて当然なのだ。

 

 

 彼女にはその権利があって、今の己を殺せる数少ない相手……なればこそ、代表して殺すべきなのだと……そんな事すら、空っぽの脳裏を過った。

 

 でも、彼女は殺さなかった。

 

 無言のままに、簡素なテーブルに置かれた、骨壺。それは、彼女が抱えて持って来た……クレマンティーヌの遺骨。

 

 

 ……言われずとも、悟は察した。

 

 

 ゆえに、悟は……それに向かって土下座をした。

 

 

 正式な礼儀作法など、分からない。

 

 どれが正解なのかなんて、分からない。

 

 

 けれども、これが悟の知る最大の謝罪であり……額を地面にこすり付けたまま、悟は……かれこれ一時間近く、そのままでいた。

 

 

 ──言葉など、出なかった。どんな言葉を掛ければ良いのか、それすら分からなかった。

 

 

 何を言っても、空虚な言い訳に思えてならなかった。己が殺したも同然の相手に、何を言えば良いのだろうか。

 

 だから、悟は、頭を下げるしか出来なかった。

 

 いっそのこと、彼女に……実は運営であった事が発覚した彼女に殺されるのであれば、どれだけ楽だろうか。

 

 

 でも、彼女は殺さなかった。

 

 はっきりと、今のお前は殺さないと断言された。

 

 

 でも、本当は殺してほしかった。

 

 苦しくて、苦しくて、堪らない。

 

 

 死を恐れる気持ちはあるけれども、ソレ以上に、この苦しみが続いてゆくことが、悟にとっては辛かった。

 

 自殺は、出来ない。まず、1人になることをNPCたちが許さないし、すぐさま回復させられてしまうだろうから。

 

 そのうえ、NPCたちがその後にどのような行動を取るか分からないし、王都でやったことを、NPCたちがそれぞれ独自に行う可能性があるのを否定出来ないから。

 

 

 ──でも、苦しいのだ。だって、今もなお己の身体は血に塗れてしまっている。

 

 

 逃げ出すわけにはいかないし、逃げる事なんて許されない。それは、分かっている。誰よりも、理解している。

 

 

 ──でも、苦しいのだ。何もかもを投げ捨てて、楽になりたい……そう、考えてしまう。

 

 

 だから、殺して欲しいと悟は思ったし、そうしてくれと実際に彼女へ願った。

 

 自分一人だけのうのうと生き続けることに、耐えられない。もう、辛くて、辛くて、堪らないのだ。

 

 だから、殺して欲しいと……でも、彼女は……けして、首を縦には振らなかった。

 

 

「……鈴木悟。貴方が心より悔いているのは分かった。だが、そこにクレマンティーヌはいない。あるのは遺骨と、私の頭に残る思い出だけだ」

「ゾーイさん、でも、俺は……」

「そろそろ顔を上げなさい、鈴木悟。悔やんだところで、罪は消えない。だが、私は貴方に死を与える権利などない。そして、私に貴方を断罪出来る権利もない」

「え?」

「今の私はもう、どこまでが調停者かも分からない。しかし、均衡を乱す可能性がある者に、我が蒼天の剣は振り下ろされる。言い換えれば、必要でない限り、それ以外にこの刃は向けられない」

「……俺が、その均衡を崩す者ではないのですか?」

 

 

 そこまで言われて、初めて悟は顔を上げた。

 

 促されるがまま手を引かれ、席に座らされた悟は、テーブルを挟んで向かい合う形になった。

 

 

(俺が……どうして?)

 

 

 ……てっきり、そうだと悟は思っていた。

 

 

 何故なら、ユグドラシルにおける『調停者ゾーイ』は、ワールドエネミーみたいな感じで振る舞っていることが多いのだけれども、それだけではない。

 

 

 言うなれば、お仕置きというやつだ。

 

 

 意図的に改ざんしたデータを使用してチートで遊び、ゲームバランスを崩す者。

 

 規約スレスレのグレーな行為で、他のプレイヤーへ意図的に迷惑を掛ける者。

 

 明確な違反をしてはいないが、あまりに非常識なことをする者。あるいは、精神的苦痛を与える者。

 

 

 頻度は極々稀ではあるが、そういうプレイヤーに対して、ゾーイは調停という名のお仕置きを行う時がある。

 

 実際、悟も昔……ギルドメンバーの1人である『るし☆ふぁー』が、『悪ふざけし過ぎて怒られちゃった』と珍しく肩を落としていたのを目撃した事があり、それが色濃く記憶に残っていた。

 

 

「今の貴方は、違う。多大な罪を背負いはしたけれども……貴方は、償いたいと思っているのだろう?」

「それは……でも、どうやって償えばいいのか……」

「難しく考える必要などない。人は、いや、生き物は、常に誰かの命を奪う事で生き長らえる。そこに大小の違いはあっても、奪わずに生きている者などいない」

「……屁理屈では?」

「事実だ。人の理屈で、奪っても許される相手だと誤魔化しているだけだ。あるいは、誰かに奪う事を肩代わりさせて、己は汚れていないと思い込んでいる……ただ、それだけだ」

「それは……そうなのかも、しれませんけど……」

 

 

 そう、言われた悟は……でも、それでも、奪ってしまったのもまた、事実。

 

 人としての意識が、己を苛ませる。

 

 どうしても、それもまた己を誤魔化す言い訳だという内なる声を消せなかった。

 

 

「──ならば、月並みな意見ではあるが、奪った分だけ誰かを助けたら良いのではないか?」

「え?」

「王都の人達にやろうとしていることと同じだ。奪った命は回帰しない。ならば、これから生まれてくる命の為に、動けば良い」

「で、でも、そんなの許されるわけが……」

「許すも許さないも、それならば生き長らえる為に奪った者たちから復讐された時、素直に首を差し出すのが正しい行いなのか?」

「いや、いや、それは……」

「そこで首を差し出さない時点で、全ては身勝手な屁理屈だ。それは、どちらの世界でも変わらない。結局、強者の理屈と弱者の理屈のせめぎ合いでしかない」

「……だが、そうだとしても、俺は……!」

 

 

 だからこそ、そう言われても、はい分かりましたと納得出来るわけがなかった。

 

 何故なら、彼女のその言い分は、人の目線ではない。

 

 もっと上の……超越した存在、正しく、『調停者』としての目線で語っているからだ。

 

 

「それに、あまり悩んでいる時間はない」

「え? それは、どういうことですか?」

「言葉通りだ。鈴木悟、先に結論から述べよう。今の貴方が、そのままでいられる時間はそう長くない。いずれ、元のアンデッド……アインズでありモモンガでもある、オーバーロードへ戻るだろう」

「えっ!?」

 

 

 思わず、悟は席を蹴飛ばす勢いで立ち上がった。というか、かたん、と椅子が尻餅をつくかのように転がった。

 

 けれども、それを気にする余裕が悟には無い。

 

 悟の空洞の頭を過るのは、アインズ(モモンガ)として行動していた時の……今の己ではまるで理解する事が出来ない、異質な精神であった。

 

 

(い、嫌だ! もう、アレに戻りたくは……!)

 

 

 人を殺しても全く気にせず、それどころか珍しい玩具を子供にあげるかのように、嬉々としてNPCたちに下げ渡していた感覚……人のフリをした化け物。

 

 

 ……恐ろしい! 

 

 

 心から、『鈴木悟』は思った。そう思える己が無くなってしまうことに、悟は心から嫌悪した。

 

 抑制が正常に働いているのに、それでも思わず身体が震えてしまうほどの恐怖を、悟は覚えずにはいられなかった。

 

 

「だから、鈴木悟。誰かを助ける為に生き長らえると決めるなら、己が己でいられるうちに、少しでも早く種族を変更する必要がある」

「しゅ、種族を、ですか?」

 

 

 訝しむ悟に対して、彼女は一つ頷いた。

 

 

「貴方が思っている以上に、魂を宿すアバターが精神に与える影響は大きい。今は、死のショックによって一時的に本来の鈴木悟を取り戻しているが……それが永遠に続くわけではない」

「そんな……いや、そうかもしれない」

 

 

 彼女の言葉に思うところがあったのか、悟は……肉どころか血液の一滴すら付着していない、剥き出しの両手を見つめる。

 

 

 確かに、言われてみたらそうだ。

 

 

 今は『鈴木悟』だという意識を強く持てているが、それが何時まで続いてくれるかは分からない。

 

 なにせ、今の身体には肉が無い。血だって一滴も流れないし、食事も睡眠も排泄もない。怪我だってするのかすら、分からない。

 

 性欲は……正直、よく分からないが、それっぽい感覚はあったような気もする。でも、どうせ抑制されて冷静になってしまうから考えるだけ無駄だ。

 

 感覚が、あまりに違い過ぎる。人として、いや、生物として持って当たり前の感覚が、この身体には無い。

 

 

(最初の頃は、食事や睡眠が取れない事が残念で憂うつに思っていたけど……いつの間にか、それが当たり前になって何も感じなくなっていた)

 

 

 つまり……いずれはこの罪悪感も、取るに足らない些事だと思うようになる? 

 

 

(……駄目だ。俺が言える事じゃないけど、それだけは駄目だ)

 

 

 背筋が震えあがるほどの恐怖。それを上回る、嫌悪感。

 

 ぬるりと、生暖かいナニカが全身から滴り落ちているような感覚を……感じながらも、同時に。

 

 

 ──それは、目の前の貴女も同じなのでは、と。

 

 

 その瞬間、悟は気付いてしまった。変化しているのは、己だけではないのだということを。

 

 

(……ああ、俺のせいだ。俺が、貴方を人から遠ざけてしまったんだ)

 

 

 堪らず、『調停者ゾーイ』の……テーブルに置かれたままの、クレマンティーヌの骨壺を見やり、悟は我知らず項垂れる。

 

 ナザリックに居て、NPCたちに怯えて支配者として振る舞い続ける日々の中で、辛うじてこびり付いていた『鈴木悟』がすり減っていったように。

 

 

 彼女もまた、『調停者ゾーイ』に引きずられているのだ。

 

 

 そして、そんな彼女を人の側へ繋いでいてくれていた友人がいた。でも、今はいない。間接的にとはいえ、悟が奪ってしまったからだ。

 

 それゆえに、楔を失った彼女は再び調停者へと近付きつつある。水に落とした本のように、記された自我と記憶が滲み続けているのだろう。

 

 それを、薄らとではあるが彼女は自覚している。己が人ではなく、調停者に成りつつあることに。

 

 それでも、彼女は己に……自分の事よりも、悟へ声を掛けた。

 

 心まで人外に成り果てる前に、生きて誰かを助ける事で償う道を選ぶのならば、急いで人に戻れ、と。

 

 

(でも……あれだけ人を殺しておいて、今更人間に戻って生き長らえるなんて……そんな虫の良い話を……)

 

 

 その事は、嬉しく思う。経緯や目的はなんであれ、生きろと言ってくれたのは、素直に嬉しい。

 

 しかし、ソレ以上に、悟の心を引き留める罪悪感。

 

 このまま死ぬことが正しいのではないか。そんな事が許されるわけが……そんな考えが、消えてくれない。

 

 

「……どうして、俺にそこまでしてくれるのですか?」

 

 

 ゆえに、悟は……今更ながらではあるが、率直に尋ねた。

 

 リアルにて付き合いがあるならばともかく、相手は運営だ。

 

 どのような人物かは知らないが、開発者の1人であるならば、かなり上の階級の人物であるのは間違いない。

 

 いくら悟が、ユグドラシルにおいて上位に入るギルドの長を務めていたとはいえ、所詮は数ある1人のプレイヤーでしかないはず──っと。

 

 

「……どうして?」

「え、あ、はい、どうしてですか?」

「そう、か。どうして、か。そうだな、どうしてだろうか……?」

 

 

 何故か、彼女は心底驚いた様子で目を瞬かせた。

 

 まるで、自分でも何をやっているのかをはっきりと理解していなかったかのような……そんな様子で、何度も瞬きを繰り返し……その視線が、テーブルの骨壺へと向けられた。

 

 

「……そうだな、色々と、私自身も上手く説明しきれない部分なのだけれども」

 

 

 そう呟きながら、その手が骨壺を掴み……優しく抱き留める。そのまま、問い掛けるかのように何度か摩った後。

 

 

「お前を助けたら、それが後々大勢の困っている人たちを助けることに繋がると……何となく、それが分かっているからだろう」

 

 

 そう、告げた彼女の顔には。

 

 

「難しく考える必要はないんだ。ただ、困っている人がいたら、助けるのが当たり前……誰かの為に動く理由なんて、本来はその程度で十分なんだ」

 

 

 薄くではあるが、『調停者ゾーイ』としてではなく……悟と同じく、1人の人間としての笑みが、浮かんでいた。

 

 

 

 

 ──誰かが困っていたら。

 

 

 

 

 その瞬間──悟は……鈴木悟は、思い出した。

 

 

 

 

 ──誰かが困っていたら、助けるのは当たり前! 

 

 

 

 

 己がユグドラシルに触れて、間もなく。

 

 初めて心から誰かに惚れ込み、この人のようになりたいと……強さと優しさを見せてくれた、憧れの人物を。

 

 

(……ああ、そうだった)

 

 

 悟は、思い出した。

 

 

(ナザリックは……アインズ・ウール・ゴウンの始まりは……)

 

 

 この日、この時、この瞬間──輝き始めた思い出の始まりの瞬間を。

 

 

(まだ、俺は死ぬわけにはいかない。ただの言い訳でしかなくとも、やらなければならない事がある。それに、ここで死ねば、俺はみんなの思い出を穢したまま終わってしまう)

 

 

 そして──悟はこの時、決断した。

 

 たとえ、人々に蔑まれ、怖れられようとも……かつて、己を助けてくれた、あの人のように。

 

 

(俺の未練が今を招いた……だったら、アインズ・ウール・ゴウンのギルド長として……ナザリックを終わらせなければ……!)

 

 

 それは……閉ざされた夜空より開かれた、ひとすじの光明に見えた。少なくとも、悟は……そう感じていた。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………一方、その頃。

 

 

 『鈴木悟』が知る由も無いことであるが、ナザリック地下大墳墓では……守護者たちが集まり、何やら言い争っていた。

 

 

「──アルベド! どうしてアインズ様の護衛に向かうのを禁止するんでありんすか!? よりにもよって、あの痴れ者と会談しているんでありんしょう!?」

「そうだよ! あのゾーイとかいうやつが来ているんでしょ! マーレから『伝言』が来たからこっちは分かっているんだよ!」

「説明ヲ求メル、何カ理由ガ有ルノカ?」

 

 

 守護者と呼ばれているNPCたちが、そのNPCたちを統括する役目を与えられたNPCに迫る。

 

 その迫力たるや、常人がその光景を目にしただけでショック死してしまうほどの、凄まじい気迫を放っていた。

 

 

「理由も何も、これもアインズ様の策なのよ」

 

 

 そんな中……アルベドと呼ばれた、腰の辺りより黒い翼を生やしたNPCは、内心を表しているかのような複雑な面持ちで、守護者たちの意見を切って捨てた。

 

 

「策って、どういうことでありんすえ? そんなこと、アインズ様は一言もおっしゃってはおりんしたけど?」

 

 

 しかし、それで納得しろというのも無理な話であって……守護者の1人であるシャルティアより、苦情が入る。

 

 シャルティアは、良く言えば素直でまっすぐ、言葉を選べば考えるのが苦手、悪く言えば馬鹿で調子に乗りやすいNPCである。

 

 当然ながら、アインズ様の策と言われて詳細を察せられるほどに頭は良くない。

 

 まあ、シャルティアに限らず、それだけで理解しろというのが無理な話ではあるが……理解出来るとするなら、今はいないデミウルゴスぐらいだろう。

 

 

「……はあ、いいわ。それなら、簡単に説明しましょう」

 

 

 ここに、デミウルゴスが居たら代わりに説明してくれるのに……そう言いたげな様子を欠片も隠さずに、アルベドは……集まっている守護者たちに説明を始めた。

 

 

 ……で、アルベドの説明を簡潔にまとめると、だ。

 

 

 まず、アインズ様は、ゾーイとの直接対決を避けようと考えていた。理由は考えるまでもなく、真正面でやり合えば分が悪いと判断したからだ。

 

 

 しかし、ゾーイと応対すれば即戦闘に移行しかねない現状を、そのまま放置するわけにはいかない。

 

 

 何故なら、アインズ様は世界征服を考えている。

 

 そのうえで、ゾーイの存在は絶対に邪魔になる。

 

 どうにかして、ゾーイとの敵対関係を解消する必要があった。

 

 

「アインズ様は何らかの手段を用いて、ゾーイがカルネ村に来る事を予期していた可能性が……いえ、おそらくは、もっと前からゾーイの行動を裏からコントロールしていたかもしれないわね」

 

 

 そうでなければ、わざわざカルネ村などに直接足を運ぶ理由が思いつかない。知りたい事があれば、ルプスレギナが常駐しているので、彼女に聞けば分かるからだ。

 

 実際、それなら説明が付くと、アルベドは告げた。

 

 わざわざ食料を作って王都に提供しようとするという話を耳にした時、正直なにが目的なのかサッパリ掴めなかったが……この時の為だと思えば納得出来た。

 

 全ては、印象操作である。『ゲヘナ』を行ったのは、王都の人達を狙ったわけではない……そう、思わせたいのだ。

 

 自分たちの仲間を誘拐され、害されようとしたから反撃に打って出ただけである。実際、セバスが拾ってきたツアレがそうなったのだから、嘘は言っていない。

 

 その範囲が広がったのは、誘拐犯の仲間である『八本指』が思っていたよりも王都に食い込んでおり、誰が無関係なのかが掴めなかったため。

 

 

「つまり、デミウルゴスの一件は事故であり、敵対しようとは考えていなかった……おそらく、アインズ様はそのようにゾーイに話をしているはずよ」

「で、では、アインズ様は……!」

「あえてゾーイへ膝をつくことで、敵意が無い事を示した。勝利する為であれば人間のフリをする恥辱も呑み込む御方……ゾーイも、まさかアインズ様のそれが策の一つであるとは……ね」

 

 

 それに……ニヤリと、アルベドは笑みを浮かべた。

 

 

「カルネ村にはアインズ様に恩を覚えている人間が暮らす村。か弱い彼らが自ら武器を手に取って立ち向かってくれば、間違っているのは己かと思うのは、必然でしょう」

「す、すっごい……! アインズ様、そんな事まで考えて……!」

 

「そのうえ、お伴に付けたのはユリ・アルファ、シズ・デルタ、ツアレ、マーレの4名。ツアレは言うに及ばず、ユリとシズは人間に対しても優しい。マーレは、ドルイドの職業を持っていることから、仕事の為に来ているのは明白」

「なるほど……誰もが村人たちに好意的に接し、村人たちもアインズ様に好意的に接すれば、猿でもお互いに良好の関係を築いているのが分かるでありんすえ」

 

「ええ、本当に。何時からこの策を実行していたのかは私にも分からないけど……思えば、デミウルゴスを蘇生しないと決めた辺りから、考えていたかもしれないわね」

「ナ、ナント……アインズ様ハ、イッタイ、ドレ程未来ヲ読ンデ動イテイルノダ……!」

 

「尊きあの御方の知略を完全に読み解くなど、私たちには不可能よ。でもね、だからこそ私たちは、アインズ様の思惑を少しでも読み解き、裏で動く必要があるの」

 

 

 ──その瞬間、守護者たちの目が一斉に見開かれ、次いで、真剣な眼差しを向けた。

 

 

「では、何をすればいいんすえ?」

「簡単な事よ。今、アインズ様は自らを囮にして、ゾーイをカルネ村に引き付けている。つまり、その間に私たちは……被害者の立場になればいいのよ」

 

 

 ピン、と。

 

 アルベドは、白魚のように細くしなやかな人差し指を立てた。

 

 

「都合良く、少し前から遠くより墳墓を覗きに来ている人間どもがいるでしょう。あいつらを利用するのよ」

「あいつらって……あの、人間たち? あの人たちって、たしかバハルス帝国とかいう国の?」

「ええ、そうよ。実は、デミウルゴスが前に話していたのだけれども、どうやらあの国には、魔法の深淵とやらを覗く為なら国の全てを売り渡しても良いと考えている奇特な──」

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………とまあ、そんな感じでNPCたちが、『鈴木悟』の知らぬところで話し合っている……その、少し離れた物陰にて。

 

 

(なるほど、そう動きますか……)

 

 

 ドッペルゲンガーの能力を駆使して、至高の御方の中でも最も隠密性に長けた御姿を借りて盗み聞きしている者がいるとは。

 

 

(で、あれば……外部を統括する私が代表して動くのは道理であり、必然というわけですね)

 

 

 誰一人、気付いてはいなかった。

 

 

 




タグ通り、ナザリックに敵対するルートやで


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さすがナザリック、フラグを立てる前に回収する(ry

 

 

 それから……数日後。

 

 

 良く晴れた午前、村人たちが日常的な農作業に勤しむ中……彼女と悟は、村はずれにポツンと設置された墓の前に居た。

 

 それは、本当に小さな墓であった。村の共同墓地として使用されている墓石の、十分の一にも満たない小さな墓石だ。

 

 間違って誰かが蹴飛ばさないようにと、周囲を囲うように石で小さな外柵を設けられてはいるが、それだけだ。

 

 薄く日は当たるが、ともすれば見落としてしまいそうな……そんな離れた場所に、クレマンティーヌの墓は作られた。

 

 墓石に刻まれた墓碑銘も、小さな墓石に合わせて簡素なものだ。

 

 クレマンティーヌの名と、『安らかに眠る』という一文が刻まれただけの……それを前に手を合わせていた2人は、おもむろに顔を見合わせた

 

 

「では、アインズ。クレマンティーヌを頼む」

「それは構わないけど……本当に、俺に管理を任せるつもりなのですか?」

「構わない。彼女は、貴方の罪の象徴。そこにある限り、それを貴方が目にする限り、貴方の心を人へ戻してくれる」

「……俺は、加害者だぞ」

「それでも、だ。それに、私は……いや、それよりも、話していたとおり、しばらくこの村に留まってから、ナザリックにいったん戻るつもりなのか?」

 

 

 尋ねられた悟は、骸骨の顔で頷いた。

 

 しばらく、作物の育ち具合というか、進捗を見守った後に戻る予定だ。

 

 本当はもっと早く戻るべきなのだろうが、そうも言っていられない事情が露見したからだ。

 

 

 ──それは、この計画の要であるマーレが、人間に対して欠片の関心も抱いていないという問題だ。

 

 

 ナザリックの面々は大なり小なり人間に対する敵対心(あるいは、侮蔑)を抱いている。

 

 それが如実に現れるかどうかは個々のNPCの性質によって異なるが、正直、『鈴木悟』……いや、悟は、マーレはそうでもないと思っていた。

 

 他のNPCに比べて特別人間を見下した発言もしないし、餌扱いもしていない。

 

 何処となくオドオドとした態度を取る事が多い事もあって、ナザリックの中では優しい方なのでは……と、思っていた。

 

 

 ……だが、蓋を開けてみたら……とんでもない。

 

 

 優しいどころか、ある意味では守護者たちの中で一番残酷なのではと思ってしまうぐらいに、ぶっ飛んだ性格をしていた。

 

 例えるなら、傍の木にへばり付いている昆虫を眺めるような感覚だろうか。

 

 

 無関心であるが故に、心底人間たちがどうでもいいのだ。

 

 

 今は悟(アインズ)の命令を受けているからカルネ村に来ているが、例えばそれが村人の皆殺しに変われば、マーレは顔色一つ変えずにそれをやるだろう。

 

 喜ぶのでもないし、嫌がるわけでもない。ただ、部屋に入った土埃を箒で掃除する程度の感覚。マーレにとって、人間とは何処までいってもその程度なのだ。

 

 

 当然ながら、それは作る作物とて同じこと。

 

 

 仮に、出来うる限り美味しい野菜を作れと命令すれば、マーレは嬉々としてやるだろう。村人たち全員を中毒に引きずり込むほどの、麻薬染みた美味なる野菜を。

 

 

 マーレからすれば、命令に従っただけだ。その結果、人間たちに如何な副作用が出たところで何の問題にも感じない。

 

 10人の被害者が出ようが、10万人の被害者が出ようが、マーレにとっては悟に褒めて貰えるかどうか……それが全てであり、地を這う蟻と同程度の感覚でしかないのである。

 

 ある意味、デミウルゴスとは方向性は異なるが、ソレに通じる氷のような残酷さだ。しかも、このマーレ……それでいて、変な所で非常に頑固なのだ。

 

 なにせ、悟の言う事は内容に関係なく即答して従うというのに、メイドたちには違う。嫌だとか面倒だとか思ったら、梃子でも考えを変えないのだ。

 

 

 これはマズイぞと、悟が危惧したのも当たり前である。

 

 

 本音では人間などどうでもよいと思っているマーレが、何処で加減を誤ってヤバい物を作り出すか分かったものではない。

 

 キツく言い含めようにも、それはそれでどのように誤解が生じて変になるかも分からない。

 

 マーレの姉であるアウラを連れてくれば話が早いのだろうが、それはそれで、姉弟を揃えるのは怖い。

 

 何故なら、アウラとマーレの二人がその真価を最大限に発揮するのは、2人が揃った時である。

 

 それに、下手に守護者をナザリックの外に出せば、それに便乗して来そうなNPCに2人ほど心当たりがあった悟は、仕方なくマーレを監視する必要があった。

 

 

(──思い返せば、ナザリックに土を掛けて隠す事を躊躇なく提案したのもマーレだったな。思い切りが良いというか、なんというのか……)

 

 

 とはいえ、それでも余りあるぐらいにマーレが優秀なのは事実。

 

 一つ当たりの質を落とせば、短期間で大量に作物を用意出来るので、これも致し方ない事だと悟は納得していた。

 

 

「『世界樹の種』はあると思うか?」

 

 

 ──『世界樹の種』。

 

 

 それは、ユグドラシルにおいて唯一の、『種族:アンデッド』を別種族へ変更させる事が出来るアイテムである。

 

 この世界には他に方法があるのかもしれないが、少なくとも、ユグドラシルにはこれしか方法がない。

 

 

 悟がいったんナザリックに戻る理由が、コレだ。宝物庫の中に有れば良いが……可能性は、非常に低いだろう。

 

 

 なにせ、このアイテム……種族を変えるだけだというのに、実はワールドアイテムに分類される超希少なアイテムなのだ。

 

 アイテムコレクターの気がある悟からすれば、一度でも所持していたら記憶の片隅にぐらい残っているはずなので、それが無いということは……なので、だ。

 

 

「それは、分からない。少なくとも、俺のアイテムボックスにはありませんでした」

 

 

 悟としては、そう答えるしかなかった。

 

 

「でも、探していない場所があります」

 

 

 しかし、全くの希望が無いわけではなかった。

 

 

「ナザリックには、まだ俺が把握出来ていない場所が幾つかある。もしかしたら、そこに現物のまま放置されている可能性がありますので、そこに期待を込めます」

「なるほど、宝物庫でも探るのか?」

「いえ、ギルドメンバーたちの私室です」

 

 

 キッパリと、悟は答えた。

 

 

「各々のアイテムボックス内に保有したままであれば不明ですが、インテリア感覚で室内に設置していたり、整理するのが面倒で放置したままになっている可能性があります」

「……そういうことが、あるのか?」

「全盛期ならいざ知らず、晩年になると俺たちのギルドに攻め込んでくる者はいませんでしたから……私室内であれば、特に対策を取らなくとも盗まれる心配がありませんでした。だから、可能性は0ではありません」

 

 

 そう言いながら、悟は……静かに空を見上げた。

 

 思い出が、薄く輝く眼孔の奥に過っているのが、彼女の目には見えた。

 

 

「数か月に一回ログインして、タイミングが合わないままログアウトってのはザラでしたし、実際、俺の知らない間にメンバーの一人がアルベドにワールドアイテムを持たせていましたから」

「ワールドアイテムを所有していても、報告しなかったと?」

「可能性はあります。晩年は俺もほとんどアイテム関係には課金していませんでしたし、その課金アイテムもプレイヤー間で安く取引されていましたから」

「……なるほど」

 

 

 それで、聞きたかった事を聞き終えたのだろう。

 

 最後にクレマンティーヌの墓に頭を下げた彼女は、次いで、悟へ背を向ける。その背中を、悟は黙って見送──ろうとして、おやっと首を傾げた。

 

 

 理由は、他でもない。颯爽とこの場を離れようとしていた彼女の足が、突如ピタリと止まったからだ。

 

 

 行き先は……既に聞いている。悟も名前でしか確認していないが、『バハルス帝国』と呼ばれている国だ。

 

 何故、帝国に向かうのかまでは聞いていない。

 

 まあ、それとなく聞いたところで、『どうも、心がざわざわする』という理由なので、聞いたところで悟には分からなかったが……で、だ。

 

 

「……どうしました?」

「そちらに向かうのはまだ早いと、内なる私が訴えている」

「……? よく分かりませんが、このまま村に残るのですか?」

「いや、そうではない。『ざわざわ』が、増えたのだ。どちらも今はまだ大丈夫そうだが……しかし、どちらに向かうべきか……」

 

 

 首を傾げる悟に対して、彼女は静かに首を横に振った。

 

 この、『ざわざわ』とかいうやつは、当人もよく分かっていない不思議な感覚なのだろう。

 

 

「とりあえず、近い方に行けば良いのでは? 歩いて帝国に向かうとなると時間が掛かりますし、違うと思ったら帝国に向かえばロスは少ないと思います」

「そうか……そうだな。確かに、近い方を先に見てから、帝国に向かった方が効率的だな」

 

 

 悟の言葉に、迷いが晴れたのだろう。

 

 朗らかに笑みを浮かべる彼女を見て、悟も内心にて(骸骨なので、表情にほとんど出ない)笑みを浮かべた。

 

 

 彼女は、こんな自分を想って動いてくれている。

 

 もちろん、必要となれば彼女は己を殺すだろう。

 

 しかし、その事に対して、悟自身に異存はない。

 

 

 それも、仕方ないと思うからだ。そして、そうなった時、己はもう今の己ではなくなっている。

 

 そんな自分が、自分の為に動いてくれている彼女の悩みを少しでも解決出来たら……そう思ったがゆえの提案であった。

 

 ……が、しかし、悟は気付いていなかった。

 

 

「しかし、良いのか?」

「え、何がですか?」

 

 

 まさか、彼女の語る近い方というのが。

 

 

「近い方というのは、ここから……そうだな。方向から考えて、確実にあそこだと思うのだが」

「あそこ? それって……え、いや、ちょっと待ってください。近い方って、もしかして……っ!」

 

 

 色々と察して狼狽し始めた悟を前に、彼女は……無言のままに村の外、森の奥へと指差した。

 

 

「お察しの通り、『ナザリック地下大墳墓』だ」

 

 ──えええええええ!!!!!?????? 

 

 

 ぱっか~ん、と。

 

 悲鳴こそ上げなかったが、今にも外れんばかりに大きく開かれた(あご)を見れば、どれほど悟が驚いたのか……想像するまでもないだろう。

 

 

(は、早い! 早くない!? いくらなんでもフラグ回収早すぎじゃない!?)

 

 

 骸骨の身体と抑制によって、その驚きの大半がすぐさま抑制されたが、それでも、内心は吹き荒れる感情の嵐によって動揺しまくっていた。

 

 

 だって、早いのだ。実際、早過ぎる。

 

 

 つい数日前に覚悟を固め、それから彼女に村の中を見て貰い、その過程で村人たちの間に広げられていた誤解を解いて行き。

 

 その過程で、いちいち付いて来ようとするメイドたち(マーレも同様)に、カルネ村内ではこちらから呼ばない限りは離れているように厳命し。

 

 クレマンティーヌの埋葬地を決めて、墓石に墓銘を刻んでもらい、一区切りを終えて……さあ、これから……という時に、コレである。

 

 

(あ、アルベドか!? それともシャルティアか!? あいつら何をしたんだ!? いや、何をしようとしているんだ!?)

 

 

 内心では、半ばパニック状態。しかし、傍から見れば、慌てふためく悟のその姿は、不敵に笑う骸骨そのものである。

 

 だから、普通にその姿を見た限りでは、この本性を見破る事は不可能に近い。

 

 おそらく、支配者ロールを続けていた後遺症だろう。あるいは、日夜支配者っぽく練習していたからなのかもしれない。

 

 まあ、どちらにせよ……この場に、それを知る者は……骸骨当人を除いて誰も……いや、彼女は気付いていた。

 

 

「……向かっても良いのか?」

 

 

 しかし、今の彼女は驚く理由を理解出来ても、その内心までは察せられなかった。いや、というより、壁一枚挟んだ他人事のような感覚でしか認識出来なくなっていた。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってください! その、アルベドたちからナザリックの状況を確認致しますので!」

「そうか、分かった。少し待とう」

 

 

 だから、彼女はかなり慌てた様子で『伝言』を使い、ナザリックの者たちと連絡を取り始めたその姿を見ても……何だか慌てているなあ……という程度の感覚であった。

 

 

 

 ──アルベド、お前は今何をしている……いや、世辞は良い。何をしているのかを簡潔に話せ。

 

 ──なに? 人間をナザリックに引き込む? その計画を進めている? 

 

 ──どういうことだ? お前たちの事だから意図は想像出来るが……私は了承するつもりはないぞ。

 

 ──ふむ、ふむ、ふむ。

 

 ──確かに、お前の言う通りだ、アルベド。

 

 ──それは、ナザリックの利益に繋がる。大義名分も出来るだろう。

 

 ──だが、私は気乗りしない。どんな物であろうといずれ壊れるにしても、余所者をナザリックに入れるつもりはない。

 

 ──どんな利益であろうと、土足で踏み入れられたくないのだ。

 

 ──なんだと、パンドラが考えただと? 

 

 ──どういうことだ、いや、そうじゃない。パンドラがそんなことを……? 

 

 ──少し待て。区切りをつけ次第、一度ナザリックへ帰還する。それまで、その作戦は進めるな。

 

 

 

 なので、だ。

 

 

「……大変だなあ」

 

 

 動揺するあまり、虚空に向かって『伝言』の会話をそのまま口走っている、悟のその姿を見て。

 

 

「……?」

 

 

 半ば無意識的に、己の腕を摩っていた事に気付いた彼女は……軽く、首を傾げていた。

 

 

 

 




そりゃあ、ゾーイが中で暴れ始めたら余波でアイテム壊されちゃうし、その中に世界樹の種があったらヤバいってもんじゃないものね


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(裏話)骸骨の狼狽

ナザリック敵対系二次増えろ
おっぱいぷるんぷるん系の敵対増えろ
あたしゃそういう話が大好きなんだよ


 

 

 

 ──とりあえず、しばらくココで待つ。ただ、我慢出来なくなったら向かうので、その時は覚悟しておくべきだ。

 

 

 

 

 そんな、死刑宣告にも等しい言葉を背中に投げかけられてから、早一時間。

 

 後はもう待つだけの段階(つまり、これ以上はマーレが居ても居なくても変わらない)になったので、悟はお伴たち全員を連れて、急いでナザリックへと帰還した。

 

 その際、カルネ村の人達に、育てた作物などが食べられないように見張っておいてくれと指示を出すのを忘れず。

 

 そうして、出迎えたNPCたちに軽く手を振りつつ、玉座の傍にて控えていた守護者たちに軽く挨拶をしつつ、ドカッと玉座に腰を下ろした悟は。

 

 

「──改めて報告を聞こう。いったい、何がどうなって、余所者をナザリックへ引き込む事になったのだ?」

 

 

 その言葉と共に、此度の問題における詳細な内容を語れと守護者たちに……特に、アルベドへと視線を向けた。

 

 どうして、計画を立案したパンドラではなく、アルベドに視線を向けたかと言えば、NPCたちを統括する立場だからだ。

 

 なにか起これば、まずはアルベドに話を通し、それから悟(アインズ)へと上げられる。

 

 つまりは、ナザリックに限らず組織運営の基本に沿った対応をしているだけで、それ以上の他意は全く無かった。

 

 アルベドに問い質したのも、要は集まっている者たちとの間に存在している、得ている情報量を均一にするためである。

 

 なので、悟はアルベドより諸々の説明が成された後で、改めてパンドラに……集まっている守護者たちの中に紛れている、己が作ったNPCへと問い質すつもりであった。

 

 

「──っ!?」

 

 

 だが、その前に……悟は、アルベドの異様な反応に軽く首を傾げた。

 

 具体的には、アルベドの肩が目に見えて震えたのだ。

 

 それはもう、電撃でも浴びせられてケイレンしたかのような、傍目にもはっきり分かるぐらいであった。

 

 

(……どうしたんだ?)

 

 

 一瞬ばかり、寒いのかと思って他の守護者たちにも目を向けるが……どうにも、そんな感じには見えない。

 

 というか、不思議に思ったのは、どうも悟だけではないようだ。

 

 その証拠に、他の守護者たちも、不思議そうに首を傾げたり、目を瞬かせたりして、アルベドの今の反応に視線を向けていた。

 

 

(あれ? もしかして、変に萎縮させちゃったりした? でも、考えたのはパンドラなのに、どうしてアルベドが?)

 

 

 普段のアルベドからは考えられないぐらいに狼狽えているその姿に、悟は内心にてちょっと混乱し……ああ、と納得した。

 

 相手が化け物であるとはいえ、上司(主)からの叱責によるストレスの辛さは、悟とて身に染みて理解している。

 

 

 もしかしたら、内心の不機嫌さが声や態度に出てしまったのだろうか。

 

 

 それなら、アルベドが委縮するのも致し方ない。というより、申しわけないという気持ちがちょっとだけ湧き起こった。

 

 

 ……なるほど、モモンガorアインズの時には、こういうのを見て絆されていたのかと、悟は思った。

 

 

 ナザリックにおいて、NPCたちが(アインズ)(正確には、ギルドメンバーたちも)へと向ける忠誠心は、もはや言葉で説明出来る代物ではない。

 

 NPCたちからすれば、悟からの叱責……あるいは、失望されるのが本当に嫌なのだろう。まあ、あれだけ神格化していれば当たり前かと、悟は内心にて納得する。

 

 思い返せば、特に深く考えているわけでもないというのに、何故か別の意味があると思われたことが何度か……止めよう、余計なことまで思い出しそうになった悟は、改めて背筋を正した。

 

 

「アルベド、詳細を話せ」

「……は、はい」

 

 

 とりあえず、何時までもコレでは埒が明かない。

 

 そう判断した悟が続きを促せば、それで観念したのだろう。アルベドは少しばかり頬を引き吊らせながらも、ポツリポツリと経緯を語り始めた。

 

 その内容は……まあ、詳しく語る必要はないだろう。だいたい、『伝言』にて語られた事と違いはなかった。

 

 

 ただ……気になるのは、その中身ではなく、外側。

 

 

 一通り話し終えた後で、『立案者のパンドラの暴走を事前に察知出来ず……』とアルベドが妙にしどろもどろに言い始めた……その辺りからだ。

 

 

 具体的には、困惑、だろうか。

 

 

 だいたい、そんな雰囲気。それまで邪魔をせず膝をついてその場に待機していた守護者たちの反応が、明らかに変わった。

 

 立案者のパンドラは……ハニワ顔なので表情に出ていないが、『えっ?』といった顔になっているのが、悟には分かった。

 

 パンドラですらそうなのだから、表情がちゃんと出る他の守護者(コキュートスは……分からない)たちの反応は、そりゃあもう一発である。

 

 頭上に? マークでも出ているのかと思ってしまうぐらいに、呆けた顔で首を傾げるシャルティア。アウラも、似たような顔で首を傾げている。

 

 

 ……これは、いったい? 

 

 

 状況が分からず、内心にて悟も首を傾げて、なにやら冷や汗まで流し始めているアルベドを見ている──と。

 

 

「──ゥアインズゥ様ァ! 少々、お時間を取らせていただいてもよろしいでしょうか!」

 

 

 唐突に……本当に唐突としか表現し様がない勢いで、パンドラがいきなり立ち上がった。妙にキザというか、大げさな動きであった。

 

 それはもう、他の守護者の肩が思わずビクッと動いたぐらいだ。その中にはコキュートスも含まれているあたり、如何に勢いが凄まじいかが窺い知れるだろう。

 

 

「え、あ、うん」

 

 

 あまりにアレなタイミングと勢いに、思わず悟は了承した。

 

 骸骨なので分かり難いが、悟もまた、守護者たちと同じく呆気に取られていたので、反応が遅れたわけである。

 

 

「Ende der Dankbarkeit(感謝の極み)」

 

(──ぐはぁ)

 

 

 そして飛び出す、ドイツ語とキザったらしいポーズ。服装もそうだが、妙に発音が良いというか、いちいち仰々しいというか。

 

 

 堪らず、悟は無意識に胸を押さえた。心臓など無いのに、キリっと軋んだような気がした。

 

 

 見やれば、他の守護者たち……アルベドは青ざめているが、他の守護者たちは一様に冷たい眼差しをパンドラに向けていた。

 

 それは、事情をほとんど理解出来ず、守護者たちからも少し離れた場所で待機しているユリたちも同様であり、唯一ツアレだけが首を傾げて……あ、止めて、お願い、そういうのが一番辛い。

 

 

(ぱ、パンドラめ……俺に恨みでもあるのか……!)

 

 

 思わずそんな事を思った悟だが、はっきり言って自業自得である。何故なら、パンドラは悟が作り出した唯一のNPC。

 

 それも、遅れてやってきた思春期のアレが真っ盛りの時に作ったNPCだ。

 

 具体的には、格好はドイツの親衛隊をイメージし、言動や仕草などは、当時の悟が『これこそが格好良い!』という浪漫の塊……それが、パンドラズ・アクター。

 

 おかげで、注いでいた情熱が深かった分だけダメージも大きくなる。その姿を見る度に、羞恥心が湧き出る程度には。

 

 ちなみに、反応が遅れた最大の理由がソレであり、つまりは、思い返すだけで身悶えてしまう黒歴史である。

 

 

「それでは……ちょっと、こちらへ」

「……うむ」

 

 

 とはいえ、その事を責めるのは酷というもの。

 

 パンドラの諸々を設定したのは悟自身なのだから、責めるとしたら自分自身である。

 

 

 なので、特に注意も出来ず、パンドラに促されるままに玉座を離れ……部屋の隅へ。

 

 

 さすがに、この状況でユリたちを引き連れて行くわけにもいかない。少しばかり迷ったが、その場に待機しておくように指示を出す。

 

 ついでに、守護者たちにその場に待機し、盗み聞きその他一切の盗聴を禁止し、そのうえで、戻るまで耳を塞げと指示を出しておくのは忘れない。

 

 

 そうして、だ。

 

 

 玉座の間は、かなり広いうえに天井も高い。入口から玉座まで、直線にして数百メートルはある。

 

 なので、部屋の隅まで行って声を潜めれば、それだけで秘密の会話となり、悟とパンドラは2人きりの状況となった。

 

 

「……それで、パンドラ。いったい、何用で私と二人きりに?」

「もちろん、此度の件……そして、アルベド殿のことであります」

「アルベドか……そういえば、先ほどから態度がおかしかったが、関係しているのか?」

「wie Sie sich vorstellen konnen(お察しの通り)」

 

 

 妙に様に成っている敬礼と共に告げたその言葉に、悟は首を傾げた。

 

 はたして、どんな内容が飛び出して来るのか……なんとも言い難い緊張感と共に、悟はパンドラの話を──。

 

 

 

「……つまり、私に褒められるつもりで進めていた計画だったが、怒られそうになったのでとっさにパンドラに責任を押し付けてしまった……というわけか?」

 

「Du hast Recht(正解でございます)」

 

 

 

 ──一通り聞いた悟は、盛大な肩すかしと共に呆れ果ててしまった。

 

 

 とはいえ、これでアルベドの異様な反応も説明出来るし、他の守護者たちが不思議そうに首を傾げていたのも納得が出来た。

 

 そりゃあ、困惑して当たり前である。

 

 直前まで主導していた人物が、いきなり主導していたのは別人だと話すのだ。他の者たちからすれば、『お前、いきなり何を……?』と思われて当然である。

 

 

(これは、どうしたものか……)

 

 

 さて、違和感の原因は判明した。

 

 しかし、そこで困るのが……アルベドの処遇である。

 

 アルベドがやったことは、単純に言えば責任を同僚に押し付けたのだ。そして、その行為は悟にとって……リアルにおける苦々しい記憶を想起させる行為である。

 

 なので、正直に言えば……統括の立場を外し、NPCの下っ端にしてやりたいぐらいだ。

 

 

 だが、悲しい事に……それをやれば、待っているのはナザリックという組織の崩壊である。

 

 

 何故なら、アルベドは単純に頭の回転が早いわけではない。

 

 『内務能力に長け、全階層のNPCたちを1人で管理する事が可能』という設定を与えられたNPCなのだ。

 

 書き込まれた設定が如何ほどに働くかは不明だが、けして無視して良い事ではない。

 

 実際、悟も詳しくは知らないが、次から次へと他のNPCたちに指示を出している姿を目にした事が、何度かあった。

 

 

 そんなアルベドが、その立場から居なくなる。当然ながら、悟に代わりなど勤まるわけがない。

 

 

 かといって、代わりを務められるNPCは……今のところ、思いつかない。悟の脳裏を過る守護者たちの、顔ぶれ……駄目だなと、内心にて首を横に振る。

 

 それに、必要なのは頭だけではない。立場上、頭は良くても低レベルなNPCを付ける事も出来ない。

 

 自分よりも弱いのに、(アインズ)の指令が下ったから上から命令される……反感とまではいかなくとも、思うところが一つ二つ出て来ても不思議ではない。

 

 それこそ、デミウルゴスを蘇生させて、ナザリック全体の指揮を取らせるぐらいのことをしなければ……いや、それだけは駄目だ。

 

 

(デミウルゴスを蘇生させるぐらいなら、このままパンドラに責任を……いや、俺としては、それはあまりに……しかし、何かしらの処罰を下さないと、今後にも響いて……)

 

 

 あーでもない、こーでもない。

 

 そんな感じで、悟が内心にて一生懸命落としどころを探していた……そんな時であった。

 

 

「アインズ様、お願いが一つあるのですが……よろしければ、このまま責を私に与え、アルベド殿の責任転嫁に気付いてはいるが、気付いていないフリをしてほしいのです」

 

 

 それまで黙って静観していたパンドラより、そのような提案が成されたのは。

 

 

「……どうして、庇うのだ?」

 

 

 当然ながら、悟は首を傾げた。

 

 悟からすれば、一方的に責任を擦り付けられようとしたパンドラが、その相手を庇おうとしているしか見えない。

 

 なので、率直に理由を尋ねれば、「可愛らしい愛ではございませんか」そんな返答が……んん? 

 

 

「好いた相手から嫌われたくない、失望されたくない、そう思うのはどんな生き物であろうと違いはありません」

「ふむ……?」

「最近のアルベド殿は、些か暴走気味でございました。ここいらで貸しの一つでも作ってやれば多少はおとなしくなりましょう」

「ああ、なるほど……そういうことか」

 

 

 意味が分からずに首を傾げた悟だが、そう捕捉説明をされて……ようやく、納得した。

 

 

『アインズは全て分かっていたが、パンドラの意を汲んで不問にした』

 

『統括の立場を悪用して、責任をパンドラに押し付け、それを通そうとした』

 

 

 この二つを持って、今後続くかもしれないアルベドの暴走を抑えよう……それが、パンドラの狙いなのだろう。

 

 確かに、この二つが通ってしまえば、アルベドは今後、今回のような上に話を通さない作戦や立案を行わなくなるだろう。

 

 

 なにせ、既にアルベドはアインズに『責任はパンドラにある』という趣旨の発言をしてしまったのだ。

 

 

 この後で撤回しようものなら、アルベドを庇おうとしたパンドラの顔に泥を塗り、その意を汲んだアインズの顔にも泥を塗ってしまう。

 

 このうえ、アインズに虚偽の報告をしたという失態を入れれば、3重のミス。いや、アインズの心情的な失望を入れれば、4重のミスとなる。

 

 いくら統括の立場とはいえ、そうなってしまえば謹慎なんて話では済まない。それこそ、全NPCの信頼を失うような大失態である。

 

 

「愛とは、恐ろしいものです。如何に聡明な賢者であろうと、こうも容易く道を踏み誤る。どうか、アインズ様……此度の失態は、私とアインズ様、この二つの胸の内に……」

「……そうだな。お前がそれで納得し、呑みこんでくれるのであれば私としても助かるが……本当に、それで良いのか?」

「Kein Problem(問題ありません)」

 

 

(……もしかしたら、パンドラが一番俺の意を汲んで動いているのかもしれないなあ)

 

 

 恭しくキザっぽく頭を下げるパンドラを見下ろしながら……内心にて溜息を吐きながら、ひとまずの落としどころを見付けられた事に、悟は安堵した。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………で、だ。

 

 

 そのようにして、今回の作戦の責をパンドラが負う形になったが……そもそもの問題は、そこで解決しなかった。

 

 

 何故かといえば、今回の作戦にて主導して動いていたパンドラの答えは二つ。

 

 

 一つは、既に止められない段階まで作戦が動き出しており、下手に中止すると、それはそれで不利益が生じるから。

 

 そして、もう一つは……遅かれ早かれ、今回のような状況は自然発生的に起こるから、らしい。

 

 

 確かに、言われてみたら、そうである。

 

 

 いくら土を被せて木々を生やし埋もれさせて隠ぺいしたところで、そもそも『ナザリック地下大墳墓』自体が巨大な建造物。夜ならともかく、近づけばバレてしまう程度には目立っている。

 

 実際、フライなどで空中から見下ろせばバレバレである。こればかりは、いくらマーレが頑張ってもどうにもならない。

 

 これまでは『トブの大森林』の傍という、あまり人が来ない場所だったからこそバレてはいなかったが……それも、時間の問題だろう。

 

 だから、あえて人間を引き込んでから追い返し、その後で、それを送り込んできた国へと直訴することで、ある程度の諸々の大義名分を手に入れよう……というのが、今回の作戦の大まかな狙いであった。

 

 

「……ふむ、分かった。そういう意図もあったわけだな」

「はい。帝国の協力者の話では、来るのは請負人(ワーカー)と呼ばれる者たちとのことです」

「請負人?」

「要は、様々な理由から冒険者組合を外れたドロップアウト組です。ハイリスク・ハイリターンな、何でも屋みたいなものでしょう」

「なるほど、そういう者たちもいるのか(リアルにも居たな、そういう人たち……)」

「もちろん、中には病気の家族や、己の正義に従った者、両親の借金を払う為にワーカーに成らざるを得なかった者もいますが……概ね、蔑まれている者たちです」

「……そ、そうか(やめろよ……そういうの、こっちが辛くなるじゃん)」

 

 

 玉座へと戻った悟は、改めてパンドラより(さすがに、アルベドは守護者たちの後ろで静かにしている)説明された一連の事を反芻しながら……どうしたものかと、軽く頭を掻いた。

 

 

 ……悟の脳裏を過るのは、三つ。

 

 

 一つは、仲間たちと作り上げた、この『ナザリック地下大墳墓』に、不用意に他人が踏み込んで来てほしくはないというワガママ。

 

 二つ目は、どんな者たちが来るかは不明だが、その者たちに対してNPCたちがどんな行動を取るか……想像するだけで、怖いということ。

 

 そして、三つ目は……カルネ村にて待っていてくれている、彼女(ゾーイ)に関してである。

 

 

(相手の実力にもよるけれども、最悪は手足の骨を折ってやれば帰ってくれるだろう。だが、問題なのは……ゾーイが来た場合だ)

 

 

 思い浮かべるのは、少し前にカルネ村で別れた、同郷の者の顔だ。

 

 カルネ村で再会した時の彼女ならまだしも、今の彼女は非常に危ういような気がしてならない。

 

 

(たった数日とはいえ、日に日に考え方が人間離れし始めているというか、ボーっと空を見上げている事が多くなっていたし)

 

 

 正直、彼女の行動はサッパリ予測出来ない。

 

 いちおう、悟が人間に戻るアイテムを探し終えるまでは、ナザリックに攻撃は仕掛けないとは思うけど……それも、はっきりと断言出来ないのが恐ろしい。

 

 

「……パンドラ、ちなみに、その請負人とやらが来るのは何時頃だ?」

「もう、まもなくでございます」

「はぁ?」

 

 

 とりあえず、猶予が後どれくらい残っているのかを確認した悟は、想定外の発言を受けて思わずパカッと顎を開いた。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「……え、まもなく?」

 

「はい、まもなくでございます」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……パンドラ、現在の時刻は?」

 

「現在、19時26分でございます」

 

 

(もう夜じゃん!! もっと早めに教えてよ!!)

 

 

 反射的にそう言い掛けた悟だが、口には出さなかった。

 

 時間に関して教えろとは言っていないし、説明をしろと命令を下したのは自分だ。

 

 パンドラたちからすれば、分かっていても説明を優先するべしと……NPCたちの内心を察した悟は、開きっぱなしの顎を手で戻した。

 

 

「では、最低限の出迎えをせねばなるまい。アルベド、関係各所に連絡しろ。とにかく、私の指示が下るまでは絶対に手を出すな、見つかっても逃げろ」

「──はっ! 了解致しました!」

 

 

 汚名返上と言わんばかりに『伝言』を使い、キビキビと動き始めたアルベドを見送りながら……悟は、ナザリックの管理システムを起動する。

 

 

 ぽん、ぽん、ぽん。

 

 

 一拍遅れて、悟の眼前にて表示される幾つもの空間モニター。それは、言うなればナザリック内をの監視モニターみたいなものだ。

 

 この管理システムは、悟以外には基本的に触る事が出来ず、ナザリックそのものへ影響を与える。

 

 その管理システムを操作し、これまで資金その他諸々の関係から休止状態にしていた防衛システムを一部起動させる。

 

 ユグドラシルでは、一部だけ起動させた程度の防衛システムなんぞ時間稼ぎにもならない。

 

 しかし、請負人が少数かつ、悟が把握出来ている冒険者たちと同程度の実力であるならば、追い払う事が可能──ん? 

 

 

 モニターの端に、ちらり、と。

 

 

 瞬間、何やら見過ごしてはならない色合いのナニカが通り過ぎたように見えた。

 

 そのモニターが映し出している場所は……地下大墳墓入口の辺りだ。

 

 いったい、何が……ぞわっ、と背筋に予感が走るのを感じながらも、悟はモニターを操作──あっ。

 

 

「──もう来ているじゃねえか!!!!」

 

 

 モニター越しに目が合った、『調停者ゾーイ』の姿を見て、思わず絶叫してしまった悟は……まあ、仕方がなかった。

 

 

 

 

 




普通に歩いて来る系のワールドエネミー

こんなんリアルゲームでやられたら飲んでいたコーラ吹くでほんまに


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あるまげどん・その1

あるまげどんでは、場面(あるいは、視点)がけっこう切り替わります


 

 

 

 ──ざわめきが、平坦な心を波立たせる。

 

 

 

 衝動に駆られるがまま歩いて、しばらく。日も落ちた夜闇の中で、彼女は……朽ち果てたと表現してしまうような、遺跡跡の前に立っていた。

 

 それは、この世界において明らかに似つかわしくない外観をしている。

 

 年月がどうとかではない。根本的に、辿っていた歴史が違うのだろう。そう思ってしまうぐらいにその遺跡は広大で、また、壮観であった。

 

 

『ナザリック地下大墳墓』

 

 

 そんな言葉が、脳裏を過る。

 

 合わせて、昼前にカルネ村を離れたアンデッド……鈴木悟の気配を深奥より感じ取った彼女は、どうしたものかと首を傾げる。

 

 

 ──滅せよ。

 

 

 この身に宿るコスモスの力が、彼女の心に木霊する。

 

 

 ……それは、まだ早いのではないか? 

 

 

 そんな違和感が、脳裏を過る。

 

 今はまだ、そうしてはならないのだと心の何処かで自制が入る。何故かは分からないが、それをしてしまえば、取り返しのつかない事になると彼女は確信を得ていた。

 

 

 ──均衡を乱す者を、断罪せよ。

 

 

 けれども、内なるモノが急き立てる。己の存在理由、それを果たせ、その為に己はこの地に居るのだと、ざわめいている。

 

 それは、今を護りたいという暖かな想いが生み出した、冷酷なる絶対的な意思。

 

 その意思が、彼女の足を動かす。内より湧き出る力が、彼女の全身に熱をもたらしてゆく。視界が広がり、意識も世界へと広がってゆく。

 

 正確な目的地など分かってもいないのに、始めから身体に浸みついていたかの如く、気付けば彼女は……地下へと続く入口の前に立っていた。

 

 

(……ざわめきが、する)

 

 

 そのまま、彼女は階段を下りる。

 

 数十人が横に並んで出入り可能な巨大な階段を下りて、地下通路へ──振り返って、出現させた蒼天の剣を横一線。

 

 

 瞬間、背後に迫っていたアンデッドが塵と化した。

 

 

 真っ二つにしたのではない。レベル200のゾーイの細腕より放たれる本気の斬撃は、低レベルのモンスターなど触れる前に消滅させてしまう。

 

 伊達に『調停者ゾーイ』が、ユグドラシルプレイヤーたちに怖れられていたわけではない。

 

 かつて戦った白銀の騎士ですら、『まともに正面からやりあうのは自殺行為』と愚痴を零したほどなのだ。この程度、足止めにもならない。

 

 

 ……そうして、だ。

 

 

 等間隔に設置されたランプの明かりが、かなり奥の方まで続いている。その奥より迫る、おびただしい数の骸骨(スケルトン)たち。

 

 

「──去ね」

 

 

 それを見た彼女は、すぐさま『剣』を『銃』に変えると……近づいて来る骸骨たちに銃口を向けると、引き金を引いた。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………一方、その頃。

 

 

 現在進行形でギルドアタックを仕掛けられている、『アインズ・ウール・ゴウン』の最奥の玉座にて、状況を確認していた悟は。

 

 

(しまったぁぁぁあああ!!!! あれこれ悩んでいたせいで、出迎えトラップのアンデッド罠の解除を忘れてたあぁあぁああぁぁああ!!!!!)

 

 

 骸骨の眼孔をゆらりと光らせながら、内心にて大絶叫していた。

 

 そして、そんな悟の心の内など知る由もない守護者たちが、表示されたモニターの異変に気付いて……1人の例外もなく、怒りを露わにしていた。

 

 

 まあ、そりゃあそうだ。

 

 

 悟と違って、守護者たち(というか、ナザリックの者たち)からすれば、『調停者ゾーイ』は不倶戴天の怨敵である。

 

 一部例外は居るものの、特に、仲間であるデミウルゴスを殺された恨みは相当に深い。

 

 手を出すなという悟の指示が事前に出されていなければ、何かしらの行動を起こしていた可能性は非常に高かった。

 

 

 ……しかし、当の悟は、己の仕出かしたミスを悔いるあまり、そんな守護者たちの殺気立つ姿に気付いていなかった。

 

 

 いや、まあ、悟のやった事は、ありふれた凡ミスではあるが、これを責めるのは酷というものだ。

 

 あらかじめ来るかもと予告されていても、まさかいきなり出入り口付近にまで来ていると誰が予想しようか。

 

 

 しかも、来るのがユグドラシルにおいて超有名な『調停者ゾーイ』だ。

 

 

 歩くラスボス、歩く理不尽とも揶揄された、ソロで戦ってはならない相手筆頭である。いくらなんでも、理不尽過ぎるだろう。

 

 そのうえ、直前まで部下のミスの落としどころにアレコレ頭を使い、そういえばと思い出して対策を行おうと気持ちを入れ替えた……有り体に言えば、間が悪かった。

 

 

(やべえ……罠とはいえ攻撃を仕掛けた判定になったせいで、自動的に戦闘が開始された可能性が……!)

 

 

 だが、間が悪かろうが何だろうが、凡ミスだとしても、ミスはミス。無かった事になど、もう出来ない。

 

 数あるミスの中でも、現状において一番やってはいけないミスを犯してしまったのだという事に思い至った悟は、頭を抱えたくなった。

 

 

 と、いうのも、だ。

 

 

 ユグドラシルにおいて、『調停者ゾーイ』との戦闘を避けるうえで最も重要なのは、とにかく攻撃しないことだ。

 

 向こうから攻撃してくる場合は、ゾーイの基準でアウト判定が出ているから、大人しくキルされるか、足掻いてキルされるかの二択しかない。

 

 しかし、向こうからロックオンされておらず、ただフィールドを歩いているだけの時は……こちらからアクションを取りさえしなければ、無害な存在なのだ。

 

 

 だから、悟は当初……転移罠などを使って、彼女を外に追い出そうと考えていた。

 

 

 もしも、彼女が完全に『調停者ゾーイ』になっているとしたら、こんなちまちました行動は取らない。

 

 上空からレイストライクを連発してくるだろうし、実際にユグドラシルでも似たような戦法を取っているのを見た覚えがある。

 

 それをしてこない辺り、まだ彼女には人の意識が残っている。

 

 だから、上手く気を逸らして発散してやれば、なんとかなるかも……と、考えていたのだが。

 

 

(くそっ! どうする……真正面から当たれば、敗北は必至。既にバトルが始まってしまった以上、決着が付くまでは永遠に追いかけてくるぞ)

 

 

 まさか、自分の凡ミスで戦端が開かれるとは……至高の御方(白目)の智略を持ってしても、読み切れなかった。

 

 

(──そうだ、請負人だ!)

 

 

 しかし、凡ミスを華麗に回収して利用するのが至高の御方クオリティ。

 

 天啓が如きひらめきが、がらんどうの骸骨にビビビッと走る。

 

 玉座を蹴るようにして立ち上がった悟は、何時の間にか傍まで戻って来ているアルベドへと尋ねた。

 

 

「アルベド、絵心がある(しもべ)に心当たりはあるか?」

「絵心、ですか? 申し訳ありません、私は存じて……確認を取る必要があります」

「大至急掻き集めろ! 直ちに請負人たちを誘導するための看板を作成するのだ!」

「──はっ!」

 

 

 どんな命令であれ、一切の疑いを挟まない。

 

 暴走する事はあっても、それだけは徹底しているアルベドは、すぐさまNPCたちに指示を下す。

 

 

「パンドラ! 請負人たちの現在位置は!?」

「既に、ナザリックの敷地内です。アイテムを使い、ゾーイを入口前まで転移させてしまえば、おそらく鉢合わせになるかと」

「よろしい! 急ぐのだ!」

「──はっ!」

 

 

 合わせて、パンドラにも命令を下す。

 

 さすがは悟の作ったNPC。阿吽の呼吸とはこの事を言うのか、颯爽とこの場を離れ……って、そうだ。

 

 

「他の者たちも、良く聞け。そして、僕たちに通達せよ」

 

 

 我に返った守護者たちに、悟は改めて命令を下した。

 

 

「これより、ナザリックに請負人が入って来るが……いいな、絶対に殺すな。そして、出来うる限り請負人の傍からゾーイを離れさせるな」

 

 

 どうして、請負人たちの傍に居させようとするのか……それは単に、『調停者ゾーイ』の人間性を維持させるためである。

 

 短い間とはいえ、ナザリックにて『モモンガ(アインズ)』を演じ続けていたからこそ、分かる。

 

 いくら心を強く持とうとも、身体に引っ張られてしまう。それは、もはや人の精神で抗えるモノではない。

 

 

 最初のうちは、違和感を認識出来るのだ。

 

 

 しかし、あくまでも違和感に過ぎず、その違和感すらも、月日を経るに連れて徐々に……その怖さが、今なら理解出来る。

 

 本当に、気付けないのだ。いや、気付いた時にはもう、人としての感性が他人事にしか思えなくなっている。

 

 それを元に戻すには、己のように相当な精神的ショックを与える必要がある。あくまでも経験則だが、彼女とて、例外ではないだろう。

 

 だが、悟たちの戦力では、どう足掻いても彼女の精神を元に戻すだけのショックを与える事は不可能。根本的に、レベル差が有り過ぎるからだ。

 

 

(たぶん、ゾーイさんの傍には人が必要なんだ。誰かが傍にいる間は、あの人の心が……人へ近づく)

 

 ──俺では駄目だ。半分がアンデッドだから、進行を遅らせる事しか出来ない。

 

 

 歯痒さを覚えながらも、悟は……転移罠(アイテム)の設置を始めているパンドラをモニター越しに見守りながら、大きく息を吐く。

 

 

 ……思い返せば、カルネ村ではゾーイは常に1人だった。

 

 

 いくら誤解だったと説明したところで、御伴のNPCたちがあそこまでゾーイへの警戒心を露わにすれば、恩義を感じている村の者たちが倣うのも致し方ない。

 

 唯一の人間であったツアレも、他のNPCたちの手前、仲良くなろうとはしていなかった。

 

 いや、というより、こちらに落ち度があったにせよ、ツアレにとって恩人以上の相手であるセバスに怪我を負わせた相手となれば、良い感情を抱かないのは当たり前である。

 

 

(請負人たちがどんな者たちかは知らないが……おそらく、ゾーイさんは人を護ろうとする。上手く行けば、ゾーイさんも、請負人たちも、互いが互いを護る形になる)

 

 

 これは、賭けだ。

 

 非常に身勝手な賭けではあるが、下手に戦闘が始まれば最後、請負人たちとてほぼ確実に巻き添えで死ぬだろうから、受け入れてもらうしかない。

 

 

(どうか、事情が有って仕方なく請負人をやっている人であってくれよ……少しでも、心を人へ近付けさせる相手であれば……!)

 

 

 本当に、歯痒い。

 

 己を人に戻してくれた相手が、今や人の心を失くしつつある。

 

 その事に、何とも言い難い悲しみを覚えながらも、悟は祈るような気持ちで……パンドラの作戦が上手くいくことを願った。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………そんな、骸骨の王からハラハラドキドキしながら見られている事に気付きもしていない、請負人たちは……眼前に立てられた看板を前に、首を傾げていた。

 

 

『ここは危ないから覚悟するか、引き返すか、選んでね。死して屍拾う者無し byナザリック』

 

 

 看板には、日本語に直せば、だいたいそんな感じの内容が描かれていた。

 

 しかも、この看板は妙に真新しい。まるで、つい先程完成して設置したかのような真新しさだ。

 

 

 その証拠に、くん、と漂う塗料の臭いに気付いた請負人たちは……どうしたものかと互いに顔を見合わせた。

 

 

 出入り口は、見えている。というか、すぐ前だ。看板は、地下へと続く階段のど真ん中にポツンと設置されている。

 

 周囲には、自分たち以外に人の気配は無い。人外の姿はおろか、知的生命体の痕跡すら見られない。

 

 周囲に一切の痕跡を残さず、看板だけ突き立てて、誰にも気付かれることなく姿を消した……文字にすれば、まるで目的が読めない不気味な相手である。

 

 

「……我らは、行くのである」

 

 

 その中で、少しばかり背は低いけどガッチリとした体格の……全身を甲冑で守った、グリンガムという名の男が、仲間たちと共に先に入って行く。

 

 

 ……今宵、ナザリック地下墳墓にて集結した請負人は、3つのチームに分けられる。

 

 

 一つは、『ヘビーマッシャー』。

 

 今回参加した人員は4名。リーダーのグリンガムは、その見た目通りのパワーを有しており、帝国にもその名が知られている。実力は、ミスリル級。

 

 

 一つは、『竜狩り』。

 

 リーダーは、パルパトラ・オグリオン。

 

 80歳という高齢ながらもその実力は高く、槍を巧みに操る。知っている者からは御老公と呼ばれて一目置かれており、仲間からも信頼は厚い。

 

 

 そして、最後に……『フォーサイト』と呼ばれている、帝国でもその名と実力が知られた4人組のワーカーである。

 

 

 その3つのチームの中で、最初に地下へと踏み込んだのは……『ヘビーマッシャー』だ。

 

 リーダーである全身甲冑のグリンガムは、人の頭なんぞ一撃でかち割りそうな巨大な手斧を片手に……警戒を怠らないまま、仲間たちと共に階段を下りて行った。

 

 次に、行動を移したのは……御老公という通称がある、『竜狩り』だ。

 

 

「ふむ……このカンバンの意図が気になる。ワシらはまず、周辺の索敵を行うとしよう」

 

 

 年齢故に前歯がほとんど抜け落ちている為に、濁音を欠いた指示を呟いたパルパトラは、仲間たちを引き連れて階段を離れ……周辺の索敵へと向かった。

 

 

 ……そして、どちらに向かうわけでもなく、ポツンと残された3つ目のチーム『フォーサイト』はと言えば。

 

 

「さて、どうしたものか……お前らはどうしたい?」

 

 

 出遅れる形になった為か、リーダーである二刀戦士の、金髪碧眼の男性……ヘッケランは、頭を掻きながら仲間たちに相談していた。

 

 

 ──『フォーサイト』の構成は、人数が少ない分だけ、互いが互いの役割をフォローし、己の役目を担うことが前提となっている。

 

 

 まず、副リーダーを務める、ハーフエルフのイミーナ。

 

 レンジャーを担当しており、弓矢を巧みに操る。化粧っ気こそないが、非常に整った顔立ちをしており、俊敏なる射手という異名を持つ。

 

 ちなみに、リーダーのヘッケランとは付き合っており、チーム内における公然の秘密である。

 

 

 次に、チーム内最高齢の、元上級神官のロバーデイク。

 

 信仰系魔法詠唱者である彼は、全身鎧(フルプレート)を装備し、腰にモーニングスターを吊るしている。がっちりとした体型だが、全体的に温和な印象を覚える。

 

 ワーカーになったのも、神殿に勤めていては真に救うべき人を救えない現状に耐えきれず、ワーカーとなった善良な人だ。

 

 

 そして、チーム内最年少の少女、魔力系魔法詠唱者のアルシェ。

 

 10代中盤と思わしき体格、痩せてはいるが気品のある顔立ちをしている。魔法のみならず、チーム内において最も知識に長けた女性である。

 

 

「どうしたいって……どうもこうも何も、下りるしかないでしょ」

 

 

 そんな中で、最初に返答したのは……ヘッケランの恋人であるイミーナであった。

 

 

「しかし、御老公の言う事にも一理あります。あの看板の意図もそうですが、そもそも……この仕事にはキナ臭さを感じます」

 

 

 対して、ロバーデイクは反論する。

 

 

「……不可解な点はあるけど、それは承知の上。高額な報酬から考えて、多少のリスクは受け入れるしかない」

 

 

 そして、最後にアルシェが己の意見を述べた。

 

 つまり、イミーナは考える前に進め、ロバーデイクは立ち止まって考えろ、アルシェは慎重に進め、である。

 

 

 積極的前進1、慎重に前進1、静観して情報収集1。

 

 

 ものの見事に意見が分かれる結果となった。

 

 とはいえ、いちおうは前進2である。

 

 あとは、ヘッケランの決断次第……ではあるが。

 

 

「……正直、俺も御老公の意見に従い、少し静観するべきだと思う」

 

 

 ヘッケランが出した決断は、ロバーデイクと同じであった。

 

 

「なによ、アルシェの言う通り、それぐらいのリスクは承知の上でしょ? ここまで来て怖気づいたの?」

「いやいや、そういうわけじゃねえよ」

 

 

 そんな恋人の判断に、イミーナは少しばかり機嫌を悪くした。

 

 けれども、当のヘッケランは気にした様子もなく、まあ落ち着けと苦笑して……ふと、真顔になった。

 

 

「アルシェの言う通り、リスクは承知していた。だから、何事も無ければ俺たちもグリンガムたちと一緒に進もうと思っていた」

「じゃあ──」

「だが、御老公やロバーデイクの言う通り、あの看板が不自然過ぎる。明らかに、これは罠だ」

 

 

 イミーナの言葉を遮って、ヘッケランは断言した。その言葉に、イミーナのみならず、アルシェも……苦々しい顔で唇を閉じた。

 

 

 ……ヘッケランの言う通りである。

 

 

 明らかに、これは罠だ。

 

 結果的に罠に近しい状況にハマってしまうのと、意図的に張られた罠にハマってしまうのとでは、その後の生存率に天と地ほどの差がある。

 

 報酬が高額なので、多少なりともリスクを覚悟していたが……さすがに、こうまで分かりやすい罠ともなれば足も止まるというものだ。

 

 

「……でも、本当に報酬は高額。この仕事を終えれば、私たち全員が請負人から足を洗えるし、そうでなくとも今回のような高リスクの仕事を受ける必要もなくなる」

 

 

 しかし、アルシェの発言を前に……誰もが、う~むと唸った。

 

 

 事実として、『フォーサイト』は金を欲している。

 

 

 それぞれ目的こそ違うが、今回の成功報酬によって、請負人という危険な仕事から足を洗えるし、新たな道へ進めると判断し、依頼を受けた。

 

 前金は貰っているが、未使用だ。なので、そのまま返せばこの依頼はお終いだが……それで終わらせるには、少々報酬が高すぎた。

 

 

「……そうなんだよなあ。本当に報酬がもう少し安かったら、迷うことなく撤退する判断が出来るんだけどなあ」

「命あっての物種というもの。目が眩んで命を落とせば、いくら金があったところで何の意味もないと思いますよ」

「でも──私にはお金が必要」

「私も……危険なのは分かっているけど、次に似たようなチャンスが来る保障、ないわよ」

「……あ~、こりゃあ判断が難しいぜ」

 

 

 ──いっそのこと、ダイスでも振って決断したいぐらいだ。

 

 

 そんな、ヘッケランの呟きに反応したのか、あるいは偶発的なモノなのか。

 

 

「──魔法陣!? みんな、下がって!」

 

 

 いち早く異変に気付いたアルシェの忠告に、全員が一斉に指示に従った。

 

 異変とは、看板の隣に突如出現した魔法陣。

 

 罠かどうかは不明だが、効果の分からない魔方陣に近付くような馬鹿は、この場にいない。

 

 瞬時にヘッケランが先頭に立ち、その後ろにロバーデイク。遊撃の位置に付いたイミーナに、最後方にてアルシェが魔法を放つ準備を始める。

 

 

 ……そうして、だ。

 

 

 何時でも反応出来る様に身構えている『フォーサイト』を他所に、魔法陣より放射された強烈な光は消え去り……後に、姿を見せたのは。

 

 

「…………?」

 

 

 おそらく、不意を突かれて転移させられたのだろう。状況が分からずに首を傾げている、白髪に褐色肌の、鎧を着た女性。

 

 それは、とある者たちからは『調停者ゾーイ』と呼ばれている女性であった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………えっ、と。

 

 

「あ~、その、お嬢さん? 何処から現れたのかは置いといて、まずはお名前を名乗って貰えるとありがたいのだけれども」

 

 

 とりあえず、見た目だけを見れば美しい風貌の女性だ。

 

 鎧を見に纏っていることから、冒険者あるいは騎士、またはそれに準ずる仕事に就いている者と思われるが……あいにく、この場の誰もが女性の顔や恰好に心当たりがなかった。

 

 なので、代表してヘッケランが素性を尋ねた。

 

 間違っても、見た目が美人だから声を掛けたわけでもないし、イミーナの視線に鋭さが混じり始めたのも、そんなヘッケランに対して苛立ったわけでも……っと。

 

 

「……私の名は、ゾーイだ」

 

 

 ポツリと、ゾーイは答えた。

 

 

「ゾーイ? 短い名だけど、それだけ?」

 

 

 無いわけではないが、珍しいので素直に尋ねれば……ゾーイは、小さく頷くと。

 

 

「『調停者ゾーイ』。私の事を、そのように呼ぶ者もいる」

 

 

 そう、言葉を続けた。

 

 調停者……フォーサイトの面々が、聞き慣れない単語に首を傾げた……そんな、最中。

 

 

「ちょ、調停者……ゾーイっ!?」

 

 

 ただ一人、アルシェだけが……ギョッとした様子で、魔法発動準備の手を止めていた。

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………そんな、感動的かどうかは不明だが、出会いが行われている地上を見つめる、骸骨はといえば。

 

 

「……ちなみに、アインズ様。あの請負人の中でも一番幼い女性は、借金を抱えた親から逃げ出し、更に、幼い妹たちを連れて行くために資金が必要とのことで、今回の仕事を受けたらしいです」

「──ヨシッ! でかしたぞ、パンドラ! それならゾーイさんは護ろうとするはずだ! 私としても、そういう者なら余計に助かって欲しい!」

「Wenn es meines Gottes Wille(我が神の望みとあらば)」

 

 

 何やら、やり切った様子の誇らし気なハニワ顔の肩を叩いて褒めていて。

 

 

「きぃぃぃぃ!!!! 妬ましい……妬ましい……妬ましい……!!」

 

「ぱぱ、ぱん、パンドラぁぁぁ……!! 調子に乗るなでありんす……!!!」

 

 

 少し離れたところで、女性(人間ではない)二人がハンカチ片手に嫉妬心を丸出しにしていたが……まあ、気にする必要の無い情報であった。

 

 

 

 

 

 

 

 




ちなみに、現在の主人公が万が一シャルティアと遭遇すると、一発でジ・オーダー・グランデ状態に突入します


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あるまげどん・その2

 

 

 

「──そうか、アルシェは親の借金の為に、ここへ来たのか」

「そうそう、アルシェは本当に良い子だし頑張っている子だからな。俺たちも、何時までもこんな仕事を続けられるわけでもないし……そろそろ身を固めるべきかなって思ってさ」

「なるほど、確かに重要な事だ。しかし、それにしては多大なリスクを背負ったようだが、良かったのか?」

「仕方ねえさ。次にこれだけのチャンスが降ってくる保証は無いし、俺たちとは違って、アルシェには時間が無いからな」

「と、言うと?」

「あまり良くない場所から金を借りているらしくてな。上に訴えようにも、せめて元金だけは返さないと門前払いってわけ」

「ふむ、借りた分は返せというわけか」

「そういうこと。それで、今回の報酬を貰ったら、付いて来てくれた使用人たちにも最後の給金を払って、妹たちと一緒に帝国を離れて暮らそう……っていう流れだな」

 

 

 ……とりあえず、お互いに敵ではない。

 

 

 そう互いが判断した、直後。

 

 そういえばこんな場所にどうしてと彼女が尋ねれば、「それが聞いてくれよ……これがまた、胸糞の悪い話でさあ」ヘッケランが語り出したのは、呆然としているアルシェの経緯であった。

 

 

 当人の許可なく勝手に参加理由を語るのは如何なものか……そう思ったのは、彼女だけではない。

 

 

 温和な印象通り、仲間とはいえプライバシーを勝手に語るのは如何なモノかと目じりを吊り上げるロバーデイク。

 

 そして、同性故に余計に女の身の内を勝手に語る愚者(ヘッケラン)の行いに、明らかに不機嫌になるイミーナ。

 

 

 当たり前と言えば当たり前な話だが、最初は2人も止めようとした。というか、イミーナに至っては、ヘッケランのケツを蹴飛ばした。

 

 

 しかし……まあ落ち着けと、怒られたヘッケランが語り出した内容に、2人の怒りも治まった。

 

 その内容とは、有り体に言えば彼女の……そう、『調停者ゾーイ』の協力を得る為に同情を引こう……というものであった。

 

 正直、当人を前にそれを口にしては意味ないだろう……と、その場の誰もが思った。

 

 

「いや、意味はある」

 

 

 だが、ヘッケランは自信満々に言い放った。

 

 けして、美形ではない。しかし、薄く浮かぶ朗らかな笑顔と共に断言されてしまえば、不思議と説得力を感じてしまう。

 

 飄々としつつも、自信に満ち溢れた態度。何だかんだ言いつつも、リーダーを務めているだけの胆力がそこにはある。

 

 なにより、肝心のアルシェが、『調停者ゾーイ』の名を聞いてから呆然としており心在らずな状態だ。

 

 無理やりにでも止めるべきか、リーダーの考えに合わせるべきか……ロバーデイクも、イミーナも、困ったように互いに顔を見合わせるしかなかった。

 

 そうして、ヘッケランが語り始めたのが、アルシェがこの仕事を受けるに至る理由と、アルシェが加入してからの日々……そして、冒頭へと至るわけであった。

 

 

「──それで、ゾーイさん。出来る事なら、アルシェの為にも協力して今回の仕事を達成したいのだけれども……いいかな?」

 

 

 長い前置きを経て、ようやく本題に入ったヘッケランの提案に……彼女は、軽く首を傾げた。

 

 

「どうして、私に? 私の記憶が正しければ、君たちとは初対面のはず……いったい、なにが君たちの信用を勝ち取ったのかを知りたい」

「そりゃあ、うちのアルシェがカチンコチンに緊張して固まっちゃったからかな」

「……うん?」

 

 

 首を傾げる彼女に、ヘッケランは朗らかな笑みを浮かべた。

 

 

「メンバーの中で最年少ではあるけど、一番頭が良くて用心深いのはアルシェだ。そのアルシェが、怖がるわけでもなく、まるで本でしか見たことがないような凄い人に会った……みたいな感じで固まっているだろ」

 

 ほら、そこで。

 

 

 その言葉と共に指差された先に居るアルシェは、確かにカチンコチンに固まっていた。

 

 とはいえ、さすがに注目されたことで我に返ったのか、ハッと目を瞬かせたアルシェは……己に集う視線に気付き、ボンと頬を赤らめると、イミーナの背後に隠れた。

 

 

「……あの、アルシェ? 私たちは『調停者ゾーイ』ってのがなんなのか知らないけど、あんたは知っているの?」

 

 

 その、普段とは大違いな反応に堪えきれなくなったイミーナが尋ねれば……アルシェは、しばし深呼吸をした後……ポツリポツリと語り出した。

 

 

 ──一言でいえば、『調停者ゾーイ』とは魔術学校の図書館などに貯蔵されている歴史本などに登場する『調停の神』である。

 

 

 詳細は、ほとんど不明。姿絵などは一切無く、男神か女神か、あるいは異形の神かも不明。

 

 六大神が残したとされる書物や、六大神と言葉を交わした者が残した手記などに記されているらしいが、法国以外では帝国や聖王国に僅かばかり複写本があるだけとなっている。

 

 

 法国で信仰されている人間を護った六大神を束ねる存在。

 

 あるいは、竜の時代を終わらせた八欲王をも従う他なかった存在。

 

 もしくは、宗教的分裂を防ぐために作り出した偶像という説もあり、知る人ぞ知る有名な神なのだという。

 

 

「……それで、どうしてアルシェはあの子を前に緊張しているのよ」

「それは……魔力が、凄すぎて……」

 

 

 ──詳細は省くが、アルシェは相手の魔法力を探知する特殊能力(タレント)を持つ。

 

 曰く、より強大な魔力を持つ者ほど、総身が光り輝き、オーラが立ち昇って見えるらしい。同じ魔力系詠唱者なら、更に詳しく判別出来る……とのこと。

 

 

「物凄く、温かい……眩しくはないのに、とてつもない魔力がゾーイさんの中に留まっている。今まで色んな人を見て来たけど、これは別格。一目で、人間じゃないのがすぐに分かった」

「それは辛くないの? 大丈夫?」

「うん、大丈夫。その、今まで神様ってのを信じた事なかったけど……生まれて初めて、神様って本当に居るんだなって思ったら、緊張しちゃって……」

 

 

 手を合わせたアルシェは、深々と頭を下げた。

 

 色々な事情から上流階級としての教養を身に付けているアルシェだからこそ、その所作は非常に様になっており……必然的に、元神官のロバーデイクも手を合わせて頭を下げた。

 

 

「……アレ見て、アンタをヤバい奴だって思うかい?」

 

 

 ヘッケランのその言葉に、彼女は……微笑みと共に、頷いた。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………なんだろう、この世界でもそうだが、彼女はとても……心を優しく洗われたような気分になっていた。

 

 

 アルシェもそうだが、ヘッケランたちは確かに冒険者ではない。請負人という、仄暗い仕事も引き受ける、あまり世間の評判が良くない立ち位置にいる。

 

 けれども、どんな仕事であろうと、誰かが必要としているからこそ、その商売が成り立っているのだ。

 

 法的に違法であるのは間違いないにしても、そうしなければならなかった理由はある。

 

 擁護するつもりはないが、責めるつもりもない。突き詰めてしまえば、所詮は人が定めた善悪の一つに過ぎない。

 

 そう、結局のところ、冒険者という組織の力を削ぐ請負人たちを意図的に蔑んでいるに過ぎない。

 

 そして、眼前の者たちは、そんな立ち位置から這い上がろうとしている……そう、彼女は思った。

 

 

「……承知した。では、微力ながらお手伝いさせていただこう」

 

 

 だからこそ、彼女は……そういえば久しぶりに笑えていると、ふと思った。

 

 自らの意思でそこから脱却しようと足掻く『フォーサイト』が……彼女の目には、好ましく映って仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………一方、その頃(パート2)

 

 

 なんとかスタート地点に戻したが、再びギルドアタックを仕掛けられようとしている、『アインズ・ウール・ゴウン』の最奥の玉座にて、状況を確認していた悟は。

 

 

「やった……! ゾーイさんの目に光が……人への愛が、ゾーイさんに人の心を取り戻させた……!」

「Herzliche Gluckwunsche……! (おめでとうございます……!)」

「ありがとう……! ありがとう……!」

 

 

 第一関門であると同時に、コレが駄目なら敗北確定な最初のリセットポイントを通過出来た事に、悟は誇らしげに両手を掲げ、バンザイポーズを取っていた。

 

 ハニワ顔のポツンと開かれた二つの●より零れ落ちる、大量の涙。パチパチと高らかに奏でられる拍手の音が、玉座の間に響く。

 

 ざわ、ざわ、ざわ、ざわ……言葉にならないどよめきと共に。

 

 それは、いや、彼だけではない。そんな悟の姿に、感動を覚えない者は、ナザリックにはいないのだ。

 

 

「おめでとうございます……! アインズ様、あそこまでお喜びになって……!」

「うう、うう~、アインズ様ぁ、わらわは嬉しいでありんすぇ……」

 

 

 直前まで嫉妬に涙を流していた女2人(人間ではない)も、涙を感動の色へと変える。尊き御方へ届けと言わんばかりに、2人の拍手が玉座の間に広がる。

 

 

「ウ、ウォォ……アインズ様、万歳……!」

「何だか分からないけど、アインズ様が喜んでいて私も嬉しいよ……!」

「うん、お姉ちゃん……僕も、こんなに綺麗な光景は初めてだよ……!」

 

 

 もちろん、2人だけではない。

 

 何が何だか状況が分からないままに静観するしかない(なにせ、離れて良いと命令されていないので)守護者たちも、感涙と共に大きく拍手をしている。

 

 そして、それは……傍で控えているメイドたちとて例外ではない。

 

 

「良かった……本当に、アインズ様があんなに……!」

「涙……出ないけど、嬉しい……!」

 

 

 デュラハンであるユリ・アルファは、涙と一緒に首までポロリと落としては拾って、落としては拾っている。

 

 シズ・デルタは、涙こそ出ていないが……僅かばかり声は震え、如何に感動しているかを如実に物語っていた。

 

 

「え、ええっと、良かったです、アインズ様!」

 

 

 ただ一人、NPCではないツアレだけは困惑しつつも、場の空気に従って拍手をしていた。

 

 いや、ツアレにとっても、アインズ様が喜んでいるのを見るのは嬉しい。アンデッド特有の怖さはあるけど、自分を地獄から助けてくれた恩人でもあるからだ。

 

 

 だが、涙までは出ない。

 

 

 喜びにバンザイをしているアインズ様を見ていると、とても嬉しい気持ちになるし、こっちも楽しくなる。だが、それだけだ。

 

 

 だから、ツアレにはよくわからない。

 

 

 どうして、守護者たち……メイドたちもだが、涙まで流して拍手をするのだろうか。

 

 素直に一緒に笑って、一緒に楽しんで、良くやったねと声を掛ければいいのに。それだけで、良いと思うのに。

 

 

 ……そんな疑問が、脳裏を過る。

 

 

 命辛々助かったとか、そういう泣いて喜ぶような状況ならともかく、今のコレは侵入者……というより、知り合いが他所の人と仲良くなった場面だ。

 

 

 ……ツアレ自身の正直な気持ちを言わせてもらえば、複雑な相手ではある。

 

 

 事情があったにせよ、大恩人のセバスに怪我を負わせたのだから、嫌な気持ちになったのは事実だ。それを、態度で出してしまったのは、大反省しなければならないと思っている。

 

 

 けれども……アインズ様は、そうではない。

 

 

 少なくとも、ツアレが見た限りでは……むしろ、気を許している相手なのではないかと、思っている。

 

 まあ、実際のところ、アインズ様にとってゾーイという女性がどのような存在なのかは分からないが……なんにせよ、だ。

 

 

(アインズ様……本当に楽しそう。あんなに楽しそうにしている姿を見るの、初めて……)

 

 

 まるで、子供のようにはしゃいでいる、至高の御姿を見つめながら。

 

 

(もしかしたら、アインズ様って……アレが素顔なのかしら?)

 

 

 ──まるで、私たち人間みたい。

 

 

 セバスに聞かれてしまえば、叱責の一つや二つはされそうな不敬な事を考えながらも……ツアレはとりあえず、にっこりと笑って手を叩くのであった。

 

 

 

 

 ──ん? パンドラ、ところで、先頭を行く、この甲冑の男たち……このまま行くと、恐怖公へと通じる魔法陣に接触するような……? 

 

 ──あ、それはマズイですね。急いで転移魔法陣を停止すべきかと。殺さないように通達はしておりますが、精神的ダメージは相当なものに……。

 

 ──うむ、その方が良いか……しかし、こいつら……我がナザリックの設備を盗もうとするのは腹立たしいのだが……何か案はあるか? 

 

 ──それでしたら、置いてある物に触れると罠が発動したかのように、色々と仕掛けましょう。あとは、恐怖公の協力を得て。

 

 ──協力を得て? 

 

 ──今後半年ぐらい、靴を脱いだり服を脱いだりするときに、眷属がポロッと出て来るように致しましょう。

 

 ──な、なんだと……!? 

 

 ──程よい精神的ダメージかと。ついでに、女性からは滅茶苦茶評判が悪くなるでしょうから、そういった意味でのお仕置きにもなります。

 

 ──ぱ、パンドラ……お前は私が思う以上に、頼りになる息子のようだな……! 

 

 ──Ich bin geehrt(身に余る光栄なり)

 

 

 

 

(何を言っているのかよく分からないけど、アインズ様……まるで、子供みたいに笑っているように見える……)

 

 

 叶うならば、今後もそうやって楽しく笑っていてほしい、と。

 

 

 心より、そう願いながら……気付けばツアレも、アインズ様につられて、にっこりと笑い続けるのであった。

 

 

 

 




その気も無いし当てるつもりもなかったのに、正解を引き当てた奴隷がいるらしい


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あるまげどん・その3

くどいようだけど、この話における大事なところ


 

 

 

 そこには、様々な造形の墓や棺が等間隔に設置されている。なるほど、大墳墓というだけあって、広大な面積全てが死を連想させるモノが安置されていた。

 

 

 で、かたかた、かたかた、と。

 

 

 地下通路を進み、地下2階(と、思われる)へと降り立った『フォーサイト』一向の前に出現したのは……大量のスケルトンであった。

 

 スケルトンは、この世界においても弱いアンデッドとされている。もちろん、一般人が相手をするなら危険なアンデッドではあるが、まあ、その程度の強さである。

 

 

 とはいえ、それが約200体。数の力を、甘く見てはならない。

 

 

 1体が弱くとも、一度に200体も押し掛ければ、手慣れた冒険者とて押し負けてしまう。そして、アンデッドには……絶対に軽視してはならない特徴がある。

 

 それは、アンデッドが同じ場所に留まり続けると、より高位のアンデッドを生み出し、あるいは、呼び寄せてしまうという特徴だ。

 

 故に、対アンデッドの鉄則は、とにかくアンデッドを集結させないこと。そして、倒す場合は確実に倒しきったのを確認すること。

 

 なにせ、アンデッドは知性を失い、疲労を感じない。痛みにも強いらしく、乱戦になれば、傍のアンデッドごと襲い掛かることに、何一つ躊躇しない。

 

 つまり、対生物における、痛みによる足止めが一切通用しないのだ。

 

 1体なら軽く跳ね除けられても、それが10体で押し込まれてしまえば負ける。ただ襲い掛かるだけの存在だからこそ、アンデッドは命ある者に怖れられているのである。

 

 ゆえに、だ。

 

 まるで、申し合わせたかのように出現したそれらを前に、『フォーサイト』は……これが、ただ単にアンデッドと遭遇したわけではない事に、気付いていた。

 

 

「──奥にまだ居る! 凄くヤバい気配!」

 

 

 レンジャーであるイミーナが、素早く敵勢力を把握する。

 

 約200体のスケルトン……それ自体、対処は簡単だ。

 

 時間は相応に掛かるが、たかがスケルトンに遅れを取る『フォーサイト』ではない。いくらでも戦い様があるし、対応出来る自信はあった。

 

 

「あれは──嘘っ、『死の騎士(デスナイト)』!?」

 

 

 だが……それにも、限度というものがある。その正体に気付いたアルシェは、堪らず悲鳴を上げた。

 

 暗がりの奥より姿を見せたのは、体長2メートル強のアンデッド。角が付いた兜と、ボロボロのマントを見に纏い、おぞましき形相をしている。

 

 

 右手には人間など真っ二つに出来そうな巨大な刃を。

 

 左手には、身体の大部分を隠せる巨大な盾を構えて。

 

 

 雄叫びをあげながら、『フォーサイト』へと迫ってくる。その迫力は100メートル以上離れていても伝わるほどで、他の面々も思わず一歩退くぐらいであった。

 

 

「アルシェ、『死の騎士(デスナイト)』ってなんだ!?」

 

 

 眼前まで迫って来ていたスケルトンの相手をしつつ、ヘッケランが叫んだ。

 

 

「ほ、本でしか見た事がない──昔、お師匠様が名のある高官たちを引き連れて命がけて討伐した、伝説のアンデッド!」

「はあああ!!?? なんでそんなやつがこんな場所にいるんだよ!?」

「知らない、そんなの分からない──逃げてリーダー、絶対に敵わない!!」

「──っ! 全員撤退! 急いで外へ逃げるぞ!」

 

 

 完全に戦意を喪失したアルシェの言葉に、ヘッケランは──即座に撤退の指示を下す。

 

 

 アルシェ以外知らなかったが、その判断は間違っていなかった。

 

 

 何故なら、アルシェの言う通り、『死の騎士(デスナイト)』はこの世界において言い伝えられるほどに凶悪なアンデッドだからだ。

 

 単純に、強いだけではない。強さだけでも驚異的だが、そこではない。

 

 この『死の騎士』の恐るべき点は、『死の騎士(デスナイト)』に殺されてしまった者をアンデッドに変えてしまうという、非常に厄介な能力を持っていることだ。

 

 つまり、ここで『死の騎士』に殺されてしまえば最後、『フォーサイト』たちはアンデッドの仲間入りを果たしてしまう。

 

 その後は討伐されるその時まで、未来永劫さ迷い続ける──そんなのは嫌に決まっているからこそ、『フォーサイト』は一斉に踵をひるがえして全力逃走──

 

 

「滅する!」

 

 

 ──しようとしたが、そうはならなかった。

 

 

 何故かといえば、ただ一人だけ……『調停者ゾーイ』が、反撃したからだ。

 

 普通に考えたら、1人が反撃に出たところで返り討ちに遭うだけだ。少しばかり時間稼ぎにはなるだろうが、結果的には敵が1人増えるだけなのだから、大して意味はない。

 

 

 だが……反撃に出たのが彼女であることが、その普通を覆した。

 

 

 蒼天の銃より放たれた光弾が、スケルトンの群れに大穴を開け、そのまま『死の騎士』の頭部に直撃する。勢いを殺しきれず、どでんと仰向けになった

 

 スケルトンの半分を呑み込んだ、一発の光線。

 

 以前、王都を襲った悪魔の身体に穴を開けた一撃だ。

 

 

 しかし、体勢こそ崩したものの、『死の騎士』は何事も無かったかのように身体を起こし──直後、撃たれた。

 

 

 すると、今度は立ち上がらなかった。

 

 砕けた顔が再生することもなく、サラサラと空気に溶け込むようにその身は崩れ……あっという間に、跡形も無くなってしまった。

 

 

「……なるほど、ユグドラシルと同じ。どんな攻撃であれ、HP1で一度は耐えるのか」

 

 

 ポツリと零れた彼女の呟きに、答える者は1人もいない。

 

 無造作に放たれた二発目、三発目の光線。それらは勢いを失ったスケルトンたちを呑み込み、軽い爆発と共に……完全に、アンデッド達は塵と化した。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 その、あまりに一方的な決着を前に、逃げる体勢のまま呆気に取られている『フォーサイト』。誰もが、言葉を失くしていた。

 

 

 ──微力ながら、力を貸す。

 

 

 そう言ったのは彼女だが、『フォーサイト』は勘違いしていた。

 

 

 彼女にとって微力というのは、あくまでも彼女の基準。そう、人間たちにとって伝説的なアンデッドであっても、所詮は人の基準。

 

 レベル200の彼女にとって、『死の騎士』など、たかが『死の騎士』。せいぜい、1ターンの時間を稼ぐ程度の相手に過ぎないのだ。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………で、だ。

 

 

「ヘッケラン」

「……え、あ、はい」

 

 

 呼ばれて、我に返ったヘッケランは。

 

 

「今しがた倒した『死の騎士』だが、アレは弱い。少なくとも、この墳墓の中では戦力として数えられてはいない」

「え?」

「この墳墓に潜む相手は、それ以上だ。だからこそ、尋ねたい。ヘッケラン、それでもこの奥へと進むつもりか?」

「…………」

 

 

 そんな、彼女の実力の一端を垣間見て……しばし視線をさ迷わせた後……おもむろに、顔を上げた。

 

 

「正直、帰りたい。撤退すべきだって、心の底から思っている」

「うん、そうか」

「でも、さすがにこのまま帰ったら何だかんだ言い訳されて、前金のみで踏み倒される可能性が高い」

「うん、なるほど」

「だから……非常に心苦しいのだけれども、せめてここがどういう場所なのか……それが一目で分かる証拠でもあれば……いいかな?」

「うん、わかった。では、向かうとしよう」

 

 

 微笑みと共に頷いた彼女は、蒼天の銃を剣に変えて……ひゅん、と空気を切り裂いて、蒼き輝きを僅かに立ち昇らせた。

 

 

 ……その、何とも頼りになる姿を見た『フォーサイト』……というより、アルシェとロバーデイクは。

 

 

「……ロバーデイク、私、この仕事が終わったら毎日の日課にお祈りを追加するね」

「それは、喜ばしいことです。無垢な祈りは、神の御許に届きますから」

「……私も、いいかな?」

「もちろん、構いませんよ。祈る想いが重要なのですから」

 

 

 ふんす、と気合十分のゾーイの後ろ姿を見やりながら、静かに手を合わせる(イミーナも追加された)のであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………一方、その頃(パート3)

 

 

 再びギルドアタックを仕掛けられつつも『調停者ゾーイ』の正気度を確認していた、『アインズ・ウール・ゴウン』の最奥の玉座に腰を下ろしている悟は。

 

 

「……落としどころ、でございますか?」

「うむ。おそらく、ゾーイもそれを探っているところだろう。私としても、事をこれ以上荒立てたくないと考えている」

「しかし、それを探るという事は、向こうもこちらの戦力を把握しきれていない可能性が……このままですと、こちらの懐を探られたまま終わってしまいます」

「それで構わない。どうせ、ゾーイの動きを止められるだけの防衛システムを起動させた時点で、ナザリックの資金の半分以上を失うわけだからな」

「しかし、栄誉ある我がナザリックへ土足で踏み込んだ愚か者を、このまま放置するのは……それに、地の利はこちらにあります。今こそが、好機かと進言致します」

「確かに、思うところはあるだろう。だが、栄誉に固執するあまり、負けを拾うのは愚か者のすることだ」

 

 

 油断している今がチャンスだと、攻勢に打って出ようとする守護者たちの進言を拒否し、あの手この手で落ち着かせていた。

 

 いや、落ち着かせるというよりは、なだめて留めようとしている……といった感じだろうか。

 

 

 NPCに定めた設定がそうさせるのか。

 

 あるいは、自我を持ったことで発芽した性質なのか。

 

 それとも、ユグドラシル時代から隠し要素として有ったのか。

 

 

 それは、今となってはおそらくゾーイ自身にも分からないことではあったが、ひとまず、悟がこの時、NPCたちに抱いた……率直な感想は。

 

 

(冷や水を掛けられるって、こういう……あ~、これはアレだ……空気読めってやつだな)

 

 

 ユグドラシルで、至高の御方たちを見て、お前らはいったい何を学んで来たのかという、軽い失望であった。

 

 

 何故なら、これは……状況こそ特殊ではあるが、互いに縛りを付けた、ギルド攻防戦みたいなものだ。

 

 

 ゲームではないこの世界で言うのもなんだし、先ほどまでは本当に危なくて違っていたけれども、今は違う。

 

 そう、今は、見方を変えればお遊びなのだ。互いに勝利条件を設けた、変則的なプレイヤー同士の戦いみたいものなのだ。

 

 その証拠に、彼女は……ゾーイは、請負人たちを気遣いながら、こちらに対して加減して戦っている。

 

 

 つまり、本気で戦うつもりなど、ないのだ。

 

 

 本気で戦うつもりなら、足手まといにしかならない彼らをまず、墳墓の外へ連れて行くだろう。少なくとも、今の彼女ならば、そのように行動するはずだ。

 

 

 それをしないということは、そういう事なのだ。

 

 

 だから、互いに言われずとも察して認識しているからこそ、このお遊びは今も続いているのだ。

 

 それを、NPC……アルベドたちは、台無しにしようとしている。信じられないことに、NPCたちは理解出来ていないのだ。

 

 どのような決着に至る事になろうとも、お互いが決めたルールを破ってはならない。

 

 ねちっこく、ギリギリグレーを狙えと言っていた仲間の1人も、ルールを反故にするような事まではしなかったのに……いったい、誰の影響だとでもいうのか。

 

 

(……そうだよな、思い返せば、どうしてNPCたちはここまで人間に対して好戦的なんだ?)

 

 

 異常としか思えないぐらいに人間を害そうとする眼前のNPCたちを前に、悟は……内心、首を傾げていた。

 

 もちろん、全てのNPCが人間に対して敵意を抱いているかといえば、そんなこともない。

 

 けれども、そんなNPCですら、ナザリックというモノを特別視している。それは、たしか全NPCの中でカルマ値が一番高いセバスも例外ではない。

 

 

(セバスですら、ナザリック……俺の不利益になると言われたら、ツアレを本気で殺そうとしたらしいから……やっぱり、特別なんだな)

 

 

 ……ゾーイに対して敵意を抱くのは、まだ分かる。

 

 

 仲間であるデミウルゴスを殺された恨みから、とにかく仇を取ってやろうという、その気持ちは理解出来る。

 

 しかし、それとは別に、今も見せつけられている……『ナザリック』に対して、ひいては、(アインズ)に対しての、異常過ぎる忠誠心がもたらす排他的な思考が、悟には理解出来なかった。

 

 

 いや、『ナザリック』が大事という、その気持ち自体は、痛い程に分かるのだ。

 

 

 悟にとって、『ナザリック』は大切な思い出の場所であり、皆で作り上げた場所だ。言うなれば、悟にとっては青春そのものと言っても過言ではない。

 

 しかし、それはあくまでもゲームなのだ。

 

 悟とて、今みたいな事態に陥らなければ、寂しさを抱えたままに何時もと同じ朝を迎え、もしかしたら、新たなゲームの世界に身を投じていたかもしれない。

 

 

 ──そう、そうなのだ。

 

 

 心の何処かで寂しさを覚えつつも思い出が終わることには納得していたし、仕方がないと悟だって考えていた。

 

 実際、オーバーロードとしてこの世界に現れた時、悟が最初に思ったのは、このままユグドラシルが続く事よりも……明日の仕事のことであった。

 

 あの瞬間、あの時点で、鈴木悟は、『ユグドラシル』が終わるのを受け入れていた。ナザリックとの別れも、そのままに受け入れていた。

 

 

 ──そう、そうなのだ。

 

 

 あの時、悟は……喜ぶよりも前に、明日の仕事に差し支えることを考え、運営の不手際に対して苛立ってすらいたのだ。

 

 だって、ゲームだから。

 

 10年以上も続けてきたゲームではあるけれども、それでも、これはゲームであり、己もまた現実(リアル)に戻らなければならないことを受け入れていた。

 

 その証拠に……ああ、そうだ。

 

 その証拠に……NPCたちの顔を順々に見やりながら、悟は思う。

 

 

(俺にとっても、ユグドラシルは大切だ。でも、誰かを殺してまで守りたいとは思わないし、そんな事をしても、皆は絶対に喜ばないことぐらい分かっている)

 

 

 だが、NPCたちは違う。

 

 どのNPCたちも、本気だ。心から本気で、己のやる事成す事全てが至高の御方に通じ、そのように作られたと本気で考えている。

 

 

 ──そんなわけがないのに。

 

 

 少なくとも、仲間たちは誰一人として、そのようには作っていない。あくまでも、各々の思い描くお遊びに過ぎない。

 

 ある意味、己よりもよほど『ナザリック』を、今は居ない仲間たちを特別視しているのでは……あ、いや、待てよ。

 

 

(……ああ、そうか、そうだったのか)

 

 

 この時、この瞬間……悟は、鈴木悟は、以前より幾度となく感じていた、NPCたちから覚える違和感の正体に気付いた。

 

 

(こいつらは、俺たちを見ているんじゃない。俺たちが演じていた、アバターを見ているんだ。『鈴木悟』じゃなくて、『モモンガ』……それが絶対であり、けして変わらない事実なんだ)

 

 

 そうして、その瞬間……不思議と、悟は受け入れていた。

 

 今まで似たような事を思う時はあったし、分かっていた事だけれども。

 

 

(俺たちが作ったNPCたちは、サービス終了のあの時に消えたんだ。ここに居るのは、NPCたちの皮を借りた、全く別の存在なんだな)

 

 

 この時、悟は……初めて、いや、改めて。

 

 

(俺たちの……いや、俺のユグドラシルは、あの時に終わった……終わってしまったんだな)

 

 

 その事実をハッキリと受け入れたことを、深く自覚した。ふう、と息を吐いた悟は、目を瞑って……NPCたちの戯言を無視しながら、過去の思い出に浸るのであった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………だが、その時であった。

 

 

「アインズ様、ゾーイ一行が転移罠を踏みました。それに伴い、問題が一つ発生致しました」

 

 

 パンドラの呟きが、悟の頭に響いた。

 

 他のNPCだったら無視していただろうが、相手がパンドラであれば無視するわけにはいかない。

 

 

「……ほう、何処へ飛んだ? それに、問題とは?」

 

 

 モニターを見ていなかったので、率直にパンドラへ尋ねれば、素直に答えてくれた。

 

 

「リザードマン……いえ、『森の賢王』が管理する区画へと飛びました。転移の事故は起こらず、全員無事です」

「それは良かった。で、問題とは?」

「どうやら、転移先には先客が居たようでして……」

「最初に入った男たちか?」

「いえ、どうやら、私がうっかり道端に落としてしまっていた転移罠によって移動した、新たな請負人でして」

「え?」

 

 

 訝しむ悟を他所に、パンドラは表示されているモニターの一つを指差す。そこには、確かに見慣れぬ4人組の請負人が映っていた。

 

 構成人数4人。人間の男が1人に、みすぼらしい恰好の女が3人。なんとも、不思議なメンバーであった。

 

 

「『天武(てんぶ)』と呼ばれている、非常に評判の悪い請負人です」

「え?」

「ちなみに、女3人は奴隷のエルフです。全員耳を切り落とされており、日常的に暴力を振るわれているとのことでした」

「……え?」

 

 

 言っている意味が分からずに首を傾げる悟に対して、パンドラも首を傾げる。

 

 骸骨とハニワ顔が互いに顔を見合わせながら、互いに首を傾げるという……コントのような状況が、しばらく続いた。

 

 




冷静になってから、改めて自覚しちゃう話

悟の心が完全にナザリック(NPC)から離れ、全ては過去の思い出であり未練なのだと改めてわかっちゃう話



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あるまげどん・その4

ほのぼのタイムは終わった、いいね?


 

 

 

 転移罠を踏んだ時、彼女の脳裏を過ったのは、『フォーサイト』の安全であった。

 

 

 けれども、その不安はすぐに解消された。

 

 どうやら、本当にただ転移させるだけだったらしく、転移中にダメージを与える類のモノでなかったことに、彼女は安堵した。

 

 その手の罠は基本的に大したダメージにはならないが、それはあくまでもプレイヤーを基準にしたものだ。

 

 即死ダメージこそないが、割合ダメージだった場合はシャレにならない。HPの半分も削る罠なんて、この世界ではほとんど致命傷になりかねない怪我だからだ。

 

 

「……む?」

 

 

 そんな不安を振り払うように、全員の無事を確認し終えて、すぐ。

 

 通路の向こう、数十メートル四方の空間が広がっているそこに、見慣れぬ男が1人、見慣れぬ女が3人、そして、何処かで見た覚えのある……なんだろう、ハムスターみたいなやつがいた。

 

 

(ハムスター……はて、何処かで見た覚えがあるような……)

 

 

 いや、覚えはあるのだ。

 

 巨大であることに加え、何やらサソリを思わせる大きな尻尾まで付いている。とても、特徴的だ

 

 だが、どの場面で見掛けたのか……あ、思い出した。たしか、『冒険者モモン』がテイムしたとか話していたモンスターだ。

 

 

(……あ、なるほど。居て、当たり前か)

 

 

 どうしてここに……そんな疑問が脳裏を過ったが、すぐにその疑問は消えた。

 

 何故なら、『冒険者モモン』の正体はアインズ……つまり、鈴木悟だ。そして、この墳墓は鈴木悟が主を務める、『ナザリック地下大墳墓』。

 

 野に解き放ったのであればともかく、そのままテイムしたままならば、ここの何処かに居ても不思議ではない。

 

 下手に外へ放置してしまえば、場合によってはハムスター(?)から情報漏えい。情報を集めてから慎重に動く以前のアインズであれば、むしろ当然の判断と言えるだろう。

 

 

 ……で、だ。

 

 

 その、巨大ハムスターを中心にして……どう判断すれば良いのか分からないが、不思議な空間がそこには広がっている。

 

 

 まず、どデカい身体に見合うハムスター体型で、ドドンと座り込むハムスター。なるほど、体当たり一つで人間などミンチにしそうだ。

 

 それの前に立つ、剣を構えた男。装備は軽装で、パワーやタフネスよりも、スピードで相手を翻弄する……といった感じだろうか。

 

 

 その証拠に、持っている武器は細身の剣だ。

 

 

 戦闘中に破損すれば、基本的に死が確定するこの世界。一般的に、使用される武器は頑強で分厚い物が主流であり、細身の武器を使う時点で、相応の自信と実力を有している証でもある。

 

 事実、男にはその剣以外に武器を所持していない。そして、見える背中に怯えも感じ取れない。

 

 つまり、夢見がちな素人が不運にもやって来てしまった……というわけではないのだ。

 

 そして……チラリと、その男の背後……というより、後方にて固まっている3人の女を見て、彼女は。

 

 

「──アルシェ、アレは、許されている事なのか?」

 

 

 率直に、最年少ではあるが、この場で一番の知恵者であるアルシェに問うた。

 

 

 どうして問うたのかと言えば、女たちの恰好……感じ取れる雰囲気から、明らかに仲間(一時的な関係だとしても)ではないと思ったからだ。

 

 

 有り体に言えば、怯えている。そして、男に対して憎悪を抱いている。

 

 だって、男に向かって女たちは一切フォローに回ろうとしていない。それは信頼から来る油断ではなく、命令されない限りは手助けしたくないという仄暗い意思。

 

 こちらに背を向けている形なので表情は分からなかったが……一か所に固まっている女たちからは、そんな気配を彼女は感じ取った。

 

 

「アルシェ、アレは悪い事なのか? ここでは、問題ないのか?」

 

 

 だからこそ、問う。アレが、この地では許される行為なのかどうかを。

 

 

「……い、いちおう、合法です。個人的には、物凄く不快な話ですけど」

 

 

 対して、問われたアルシェは……目を逸らし、非常に言い難そうにしながらも、誤魔化したりはせずに答えた。

 

 何故なら、ここで誤魔化してはならないと本能的に思ったからだ。

 

 これが潔癖な一般人相手であれば、しらばっくれて誤魔化していただろうが、相手は調停の神。人の基準で測れる相手ではない。

 

 下手に嘘を付いて心象を悪くするぐらいなら、素直に答えた方が良いと……反射的に判断したからこその、返答であった。

 

 

「アルシェの言葉を付け足すけど、帝国ではエルフの奴隷はいちおう合法なの。胸糞悪い話ではあるけどね」

 

 

 知恵者とはいえ、年齢的に経験が足りていないアルシェの反応を見て、サッと口を挟んできたのはイミーナであった。

 

 

「エルフ?」

「こんな場所に連れて来られる奴隷なんて、エルフ以外いないから」

 

 

 首を傾げた彼女に、イミーナは吐き捨てるように答えた。

 

 

「帝国で奴隷といえば、一般的には森妖精(エルフ)。説明すると長くなるけど、帝国ではエルフの奴隷を持つこと自体は違法じゃないの。まあ、抜け道みたいなものよ」

「抜け道?」

「エルフを捕らえて奴隷にするのは、違法。でも、他所の国で奴隷にされたエルフを購入して、所持するのは合法。だから、抜け道」

「なるほど」

「人間を奴隷にすると手続きとか色々と大変だけど、エルフならそこらへんを全部無視出来る。人間じゃなくて、商品だから……ね、胸糞悪いでしょ」

「そうか、分かった。なるほど、胸糞悪い話というやつなのだな」

 

 

 頷く彼女に、黙っていたヘッケランたちも一言加える。

 

 

「勘違いしないで欲しいけど、あれは本当に酷いから。剣の腕だけは確かだけど、人間性がねえ……正直、俺はあんなのは嫌いだから」

「ええ、ヘッケランの言う通り。噂には聞いていましたが、アレはかなり下劣な男のようです」

「うん、それも分かった。大丈夫、君たちは違う。心配しなくていい」

 

 

 納得した彼女は、スタスタと広間へ入る。

 

 

「……あっ、君たちでは危ないから、そこに居てくれ」

 

 

 と、『フォーサイト』たちに指示を出した彼女は、気付いた奴隷エルフたち3人がビクッと総身を震わせているのを尻目に……男の横を通る。

 

 

「おい、待て。お前、俺の前に──」

「死にたくなければ、下がれ。私自身、君を護りたいという意識は薄いから」

「は? お前は何を──」

 

 

 聞く必要はないと判断した彼女は、そのままハムスターの眼前に立った。

 

 

「私の事を覚えているか?」

『おや……もしや、カルネ村の時に一緒だった娘でござるか? 久しぶりでござるな』

 

 ──喋った!? 

 

 

 この場に居る誰もが、ギョッと目を見開いた。予想外だったのか、彼女に文句を言おうとしていた男も、思わず動きを止めた。

 

 けれども、彼女はその事に気付かず、軽く頷いた。

 

 

「覚えていてくれて嬉しい。君がここに居るということは、アイツから私の相手をしろと命令されたのか?」

『アイツ……あ、いや、違うでござるよ。某、ここで蜥蜴人(リザードマン)の者たちより、訓練を受けているでござる』

 

 

 言われて、彼女の視線が……気付かなかったが、部屋の隅にひっそりと隠れるようにして集まっている蜥蜴人を捉えた。

 

 蜥蜴人というだけあって、彼らの外見は二足歩行の蜥蜴(あるいは、ワニ)で……どうしてか、目線を向けた瞬間、彼らは一様に震えてさらに身を引いてしまった。

 

 

 …………? 

 

 

 何故、怖がるのか……分からず、彼女は首を傾げる。

 

 そんな動作ですら、ビクッと総身を震わせて尻尾を抱え込むように丸めてしまっている彼らを見て、彼女は再び首を傾げ……まあいいかと、ハムスターへと視線を戻した。

 

 

「では、侵入者に対して、君はどのような行動を取るように指示を受けているのだ?」

『軽く脅して警告した後に、帰らせろと。それでも更に向かって来るなら、状況に応じて殺すのも致し方ないという話でござる』

「そうか、分かった」

 

 

 聞きたい事を聞き終えた彼女は、軽く笑みを浮かべながら。

 

 

「では──」

 

 

 音も無く、蒼天のように輝く剣と盾を出現させ、刃をきらめかせると。

 

 

「──私が、相手になろう」

 

 

 その切っ先を、ハムスターへと向けた。

 

 

 『いや、止めてくだされ。某、(つがい)(つがい)も見つけてもらっていないのに、まだ死にたくないでござる』

 

 

 直後、ハムスターは白旗を上げた。

 

 態度こそ蜥蜴人ほどの反応ではないが、よくよく見れば腰が引けているのが丸分かりであった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………??? 

 

 

 少しばかりの間を置いて、彼女は困惑したかのように目を瞬かせた後……おもむろに、剣を下ろした。

 

 

「戦うのでは、ないのか?」

『正直、戦いたくないでござる。以前の時ならともかく、今のお前は別物でござる。ビリビリと、全身が痺れるような怖さを感じるでござるよ』

 

 

 ほら──そう言って差し出された手(というより、前足?)を見て見れば、なるほど、毛が逆立っているのが見えた。

 

 

『確実に勝てない相手が出たら逃げていいと指示を貰っているでござる。だから、ここは見逃してほしいでござる』

 

 

 そう、言われた彼女は……無言のままに、『フォーサイト』へと振り返る。

 

 どうしてかと言えば、判断を仰いだわけだ。彼女としては、眼前のハムスターを倒さないのであれば、それでも良かった。

 

 

 とはいえ、それは『フォーサイト』とて同じこと。

 

 

 戦う必要でないのならば、それが一番だ。

 

 『フォーサイト』からすれば、全員で挑んでも返り討ち確実な相手だ。まともに戦えば、30分と持たずに全滅は必至だろう。

 

 なので、仮に奇襲を狙っているのだとすれば、ここで彼女(ゾーイ)に倒してもらった方が後々は安全である。

 

 

 けれども……『フォーサイト』の面々は、互いに顔を見合わせた。

 

 

 何故なら、『フォーサイト』の目的は、この墳墓の調査だ。間違っても、墳墓の中を掃除しろという内容ではない。

 

 そりゃあ、墳墓だからアンデッドが登場することぐらいは予想していたし、それも仕事の内だとは思うが……さすがに、これは契約外であった。

 

 

「……殺し合う理由なんてないし、向こうもその気がないなら、それでいいんじゃないかな」

 

 

 と、いうわけで、ヘッケランが出した結論は、特に不思議な点もない常識的なモノであった。他の面々からも、特に反対意見は上がらなかった。

 

 

 ……まあ、リーダーであるヘッケランがそう言うのであれば。

 

 

 そう、判断した彼女は、剣と盾を消す。

 

 途端、ハムスターのみならず、部屋の隅で固まっている蜥蜴人たちからも、ホッと気が緩む。ふわりと、張り詰めていた緊張が緩んだ。

 

 

「『能力向上』──『能力超向上』──!」

 

 

 その、瞬間であった。

 

 

「『縮地改』っ!!」

 

 

 おそらく、好機とでも判断したのだろう。

 

 誰もが注意を逸らした、その時──何時の間にかハムスターの間合いに飛び込んだ男は、常人では認識することすら不可能な速度で斬撃を──。

 

 

「あっ」

「えっ?」

 

 

 ──放った瞬間、それはハムスターの尻尾に止められ、返された前足の爪が、あっさり男の右腕を切り落としたのであった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………誰もが呆気に取られた、直後。

 

 

「──ぎぃやああああぁぁああぁぁぁあああ!!?!?!??」

 

 

 ようやく、状況を理解した男は……痛みを覚えてしまうほどの、野太い絶叫を上げたのであった。

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………一方、その頃(パート4)

 

 非常に素行に問題があるらしい男……名を、エルヤー。

 

 それが、『調停者ゾーイ』と接触する事を知った、『アインズ・ウール・ゴウン』の最奥の玉座に腰を下ろしている悟は。

 

 

(──ちがう、戻ったわけじゃない!)

 

 

 思わず、胸中にて叫んでいた。

 

 

(これは、駄目だ。俺が最初にこの世界に来た時と同じ状態だ)

 

 

 モニター越しにだが、状況を見ていた悟は……内心にて深く苦悩していた。

 

 

 理由は、只一つ。

 

 

 ゾーイの状態が……人間性を取り戻してはいるが、依然変わらないままに不安定である……それに気付いたからだ。

 

 というのも、これはおそらく悟だけが気付いている事なのだが……モニター越しに見るゾーイの状態に、非常に共感するものがあった。

 

 

 それは、人間だった時の感覚、人間としての精神の欠如だ。

 

 

 悟も、『モモンガ』としてこの世界に来た時、最初の頃は残りカス程度とはいえ『鈴木悟』としての己を少しは思い出せていた。

 

 だが、それも僅かな間だけだ。

 

 NPCたちに裏切られて(失望される事を恐れ)しまう可能性を考え、『オーバーロードのモモンガ』として、『ナザリックの王』としてそれらしく振る舞う日々を送っていた

 

 

 時間にして、3ヵ月にも満たない時間だ。

 

 

 だが、そんな短い時間を過ごしただけで、悟は……『鈴木悟』が培った人としての感性の大部分を失ってしまっていた。

 

 人を殺すことに、命を奪うことに、そこに必要性が全く無くても、欠片の罪悪感も抱かない。

 

 それが男であれ女であれ、子供であれ何であれ、羽虫を踏み潰す程度の感覚。たった今気紛れに助けた者ですら、次の瞬間には殺しても、全く心に響かない。

 

 どれだけ拷問に掛けても、どれだけ惨い苦痛を与えても、はるか彼方で誰かが呟いているかのような、全くの無関心。『鈴木悟』の感性では、あり得ない状態。

 

 

 それからスタートして、3ヵ月。

 

 

 気付けば、何千人、何万人と数が増えても、それでナザリックに利益が出るなら、むしろ積極的にやるべきだ……そんな考えが当たり前のようになっていた。

 

 事実、『ゲヘナ』を行う際に、悟は……いや、アインズは、それで生じる犠牲者よりも、それで得られる物資や金銭、今後の行動方針しか頭になかった。

 

 

 ──おそらく、周りに流され続けたせいで、それが心に影響を与えたのだろう……と、悟は思う。

 

 

 そう、気付かぬ内に、NPCたちの残虐性に馴染んでしまっていた。せめて、『鈴木悟』としての心が残っていたならば、話は違っただろうが……っと、話を戻そう。

 

 

(今のゾーイさんの心は、天秤だ。それも、右に左に容易く傾いてしまう、ガラスの天秤)

 

 

 率直に、悟は……現在のゾーイを見て、そう思った。

 

 

(人だけを護り続ける聖人にも)

 

(調停を保つ為の無慈悲な神にも)

 

(悪と定めた者を殲滅する断罪者にも)

 

 

 あるいは……そう、あるいは。

 

 悟の視線が、モニターの端……『フォーサイト』の内の、アルシェへと向けられる。

 

 

(心を許した者の願いを叶え続ける、意思無き天使……そんな存在になってしまう)

 

 

 思い返せば、以前よりソレは現われていた。

 

 

 かつて、クレマンティーヌは彼女を『神』として仕えるのではなく、人として、友人として、傍に居ようと接した。

 

 ゆえに、彼女の心は人へと近付いた。

 

 人のように笑い、人のように楽しみ、人のように悲しみ、人のように怒り……人のように、後悔した。

 

 

 だが、アルシェは違う。

 

 

 アルシェは、クレマンティーヌの時とは違い、彼女を『神』としてでしか捉えていない。

 

 だから、人への愛によって彼女の心は人へと近付いているが、同時に、神としても近付いている。

 

 

 ゆえに、今の彼女の心は不安定に容易く揺らいでしまう。どちらにも成れるように、彼女は天秤の中心に立っているのだ。

 

 

 『天武』を見れば、それがすぐに分かる。

 

 実力こそあるが、素行の悪さで有名なエルヤー。そのエルヤーの所有物である、妙齢の女エルフ3名。

 

 モニター越しとはいえ、エルフたちが非常に辛い状況に居るのが見て取れる。来ている服も粗末だし、おそらくは……性的にも辱められている可能性が高い。

 

 それを、ゾーイは……いや、彼女が、分からないはずがないのだ。なのに、彼女は何一つ反応を示していない。

 

 

(たぶん、最初の頃の俺と似たような状態だ。本の中の人達が喧嘩し合っているような、そんな感覚……同族意識をほとんど感じていないんだ)

 

 

 でも、アルシェが居る。辛うじて、人としての基準に出来る、仮初の楔によって辛うじて人の側へと立てている。

 

 

 でも、それだけなのだ。

 

 

 アルシェもそうだが、『フォーサイト』が、良くない事ではあるけど合法であると判断した。

 

 だから、今の彼女も、エルヤーを断罪すべき相手ではないと判断し、放置した。

 

 怯え震えて絶望している女エルフ3名が視界に入っても、問題ないのだと判断した。

 

 何故なら、アルシェたちが、『アレは間違いで、正す必要がある』と断言していなかったから。

 

 心情的には悪だとしても罰せられないと暗に答えたから、今の彼女にとってエルヤーは罪人ではないが、助けるべき相手でもないと判断されたのだ。

 

 

(……違う。それは間違っているんだ、ゾーイさん! 俺のように、成ってはいけないんだ!)

 

 

 そう思った瞬間──悟は、玉座を蹴るようにして立ち上がった。

 

 周りのNPCより、何が起こったのかと声を掛けられる。けれども、かまわず大きく深呼吸をした悟は……ついで、パンドラを見やった。

 

 

「──正直に申し上げるならば、私は反対です」

 

 

 すると、パンドラはそんな事を言ってきた。「反対、とは?」首を傾げた悟に、パンドラは仰々しく頷いた。

 

 

「今ここでアインズ様が出向く事は、『ナザリック』にとって不利益こそあっても利益は無いに等しい。最悪、ゾーイにそのまま命を狙われる危険性がございます」

「……だから、反対か?」

「はい、私にとって、アインズ様が大事ですから。率直に言わせてもらえるならば、見捨ててしまえばよろしい……とも、考えております」

 

 

 二つの黒い●が、悟を見つめた。

 

 

「所詮、同じ人間からも唾棄された男。欲深いあまり命を落としても、笑いこそすれ同情する者はおりません。奴隷の女エルフたちからすれば、腹の底から笑い転げるぐらいに嬉しく思うでしょう」

 

 

 ハッキリと断言された悟は、その事に反論が出来なかった。

 

 確かに、悟自身の気持ちを考えれば、こんな男が死んだところで、何かを思うようなことはない。

 

 

 ──『死』。

 

 

 その事実に対して、思う事はあるだろう。

 

 だが、エルヤーに対して同情する事も、憐れむ事も、おそらく無いだろう……そう、悟は思った。

 

 

「……ですが、それでは納得出来ないのでしょう」

「え?」

「良いではありませんか。今までずっと、ナザリックの主として振る舞ってきたのです。たまには、私たち僕を使い潰す賭けに出てみるのも良いと思います」

 

 

 その言葉と共に、パンドラは──姿を消した。

 

 

 何処かへ転移したのだと、誰もが同時に思った直後、再び姿を現したパンドラは……先ほどまで所持していなかったソレを、恭しく悟へと差し出した。

 

 

「こ、これは!」

 

 

 それは、七匹の蛇が絡み合う黄金のスタッフ。

 

 名を、『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン(略して、SoAOG)』。

 

 ワールドアイテムにも匹敵する、アインズ専用の神器級の武器であり……ギルドの心臓でもある、ギルド武器である。

 

 

「どうして、これが……確かこれは、お前ではなく別の……」

 

 

 そう、記憶が確かであれば、このギルド武器はとあるNPCが管理していたはずだ。

 

 それを問い質してみるも、「さあ、アインズ様!」パンドラは答えずに、ズイッとソレをアインズに差し出した。

 

 

「これを持たねば、箔が付かぬというものです」

「いや、しかし……」

「良いのです。アインズ様でもなく、モモンガ様でもない。ありのままの貴方様で、良いのです」

「──っ!」

 

 

 さあ……その言葉と共に、悟は受け取る。それは、今はもう過去になってしまった、かつての仲間たちと必死になって作り上げた……ギルドの結晶。

 

 

「…………」

 

 

 しばし、悟は言葉が出なかった。

 

 

(みんな……今更言えた義理じゃないし、俺の事なんて忘れていると思うけど……今だけでいい、俺に勇気を貸してくれ)

 

 

 けれども、迷いはしなかった。

 

 

「パンドラ……付いて来て、くれるな?」

「どこまでも、貴方様の傍に」

 

 

 再び、大げさなぐらいに仰々しく頭を下げるパンドラ。その後ろで、なにやら喚いているNPCたちの姿が有ったが。

 

 

「──では、行くとしよう」

 

 

 今の悟の目には、全く映っていなかった。

 

 

 

 




まだ終わらんよ、もうすぐ終わるけど、ここで終わらないからね


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あるまげどん・ふぁいなる

台風ちょうこわいっす


 

 

 

『いや、その、すまんでござる。いきなり攻撃されてしまったから、思わず反撃してしまったでござる』

「ぐぅぅ、あああ……」

『困ったでござる。某、回復魔法の類は使えないでござるよ……誰か、回復魔法を習得しているやつはいないでござるか?』

 

 

 その言葉に、蹲った男……エルヤーは、何も言えないでいる。

 

 まあ、当たり前だ。腕を切り落とされて平気な者はいないし、なにより、切り落とされたのは利き腕だ。

 

 

 利き腕を失った剣士の動揺……想像するまでもないだろう。

 

 

 かといって、エルヤーが連れてきた女エルフたちに、そのフォローに回れというのも酷な話だ。

 

 彼女たちがベテランか、あるいは付き合いが深く、信頼関係を築けていたならともかく、あくまでも主人と奴隷の関係だ。

 

 

 しかも、女エルフたちの扱いは傍目にも良いとは言い難い。

 

 

 その証拠に、腕から多量の出血を垂れ流している主人の姿を見て……彼女たちは、一様に歪んだ笑みを浮かべていた。

 

 詳しく、理由を説明するまでもない。

 

 そして、その理由を薄らと察していた『フォーサイト』たちは……どうしたものかと顔を見合わせた。

 

 

「……治療、出来るか?」

「難しいと思います。軽い切り傷ぐらいならともかく、腕が落とされたとなれば……相当な消耗は覚悟しなければなりません。それに、ここが何処かも分からない以上、下手に治療しても苦しみを長引かせるだけになるかも……」

「私は反対。自分の実力を過信して一方的に突撃し、返り討ちにあった馬鹿の治療に貴重な体力魔力を使ってほしくない」

「イミーナと同意見。後味は悪いけど、こんな怪物がいる場所で下手に消耗してしまうと、共倒れになる可能性が出て来る」

「……だよなあ」

 

 

 仲間たちからの意見をまとめた、リーダーのヘッケランの判断は……静観。すなわち、『見捨てる』、であった。

 

 非情ではあるが、仕方がない事である。感情論ではなく、合理的に、見捨てるのがこの場における最良の判断であった。

 

 

 アルシェの言う通り、現在地が分からなくなった今、消耗はそのまま死へ直結しかねない。

 

 

 せめて、信頼関係さえあれば『フォーサイト』も治療だけはしたかもしれない。しかし、エルヤーとの間に信頼関係はなく、それでいて、印象も悪かった。

 

 脱出経路を見付けた後ならともかく、今はタイミングが悪過ぎた。よって、間もなく訪れるエルヤーの死は……現状、確定してしまった。

 

 

 ……で、だ。

 

 

 その光景は……経緯を知らない者からすれば、いったい何事かと混乱しただろう。

 

 なにせ、彼女の目には巨大ハムスターにしか見えなくとも、この世界の者たちにはそう見えてはいない。

 

 英知ある瞳に、強大な力。もふもふっとした見た目も、他の者たちからすれば、年月を経て積み重なった存在感そのものにしか見えない。

 

 そんなハムスターの前にて、失った腕を押さえて血だらけになっている男。おそらくはそれをやったと思われるハムスターは、只々申し訳なさそうにしている。

 

 それで、諸々を察しろというのが無理な話だ。しかし、誤解してしまいそうではあるが、ハムスターの言い分が全てを表していた。

 

 

 ──有り体に言えば、ハムスター……名を、『ハムスケ』と言うのだが、ハムスケは、そもそも交戦するつもりなど無かった。

 

 

 彼女(ゾーイ)との戦いを避けたいという理由はあるが、それと同時に、こんな弱弱しい人間たちを相手に本気を出すのは些か弱い者苛めではないか……そんな考えがあったからだ。

 

 それは傲慢な上から目線ではあるものの、事実としてそれぐらいの力の差があるからこその、優しさでもあった。

 

 幸いにも、主から状況に応じて逃げても良いと指示を貰っている。離れたところにいる蜥蜴人たちも、その事に異論を唱えていない。

 

 

 お互いに怪我をしないままに終わらせられるなら、それが一番なのでは? 

 

 

 そう思ったからこそ、ハムスケは彼女たちに道を譲ろうとした。

 

 何処へ向かうつもりかは知らないが、それは己が考える事ではない……そう、思いながら。

 

 

 ──そこへ、まさかの攻撃である。

 

 

 しかも、半端に強い相手からの攻撃だ。100回やれば100回勝てるが、そのうちの2回ぐらいは無傷では終わらない程度に強い相手。

 

 繰り出された攻撃も、半端に速かった。

 

 まともに受けたら傷を負うが、油断していても防御が間に合う速度。しかし、油断していたからこそ、無意識のうちの反撃を行ってしまい。

 

 

 結果、男の……エルヤーの腕を切り落としてしまった。これにはハムスケ、申し訳ない気持ちでいっぱいである。

 

 

 襲ってきた相手を返り討ちにした。状況は、それしかない。

 

 けれども、ここまでやるつもりはなかった。まさか、ここまで脆いとはハムスケも思っていなかった。

 

 反射的にとはいえ、ハムスケの感覚からしたら、軽く尻尾で殴った程度の感覚でしかなかった。

 

 

『……えっ、と』

 

 

 と、同時に、ちょっと焦る。いや、滅茶苦茶焦る。

 

 なにせ、たった今、交戦しないようにと言葉を交わしたばかりだ。向こうからやって来たとはいえ、判断するのは彼女だ。

 

 

 ちらり、と。

 

 

 ハムスケの視線が、彼女へと向けられる。無表情のままに、腕を失って蹲っている男を見つめている、その視線に……怒りは見えない。

 

 それを、確認したハムスケは……ほう、と我知らず安堵の溜息を零した。

 

 仮に、彼女が怒りを露わにして戦闘が始まれば……敗北は必至。成す術もなく、己は瞬時に首を落とされるだろう。

 

 

 いや、己だけではない。

 

 

 部屋の隅にて控えている蜥蜴人たちも、同じ道を辿るだろう。それほどの力の差があるゆえに、逃げられるともハムスケは考えて──ん? 

 

 

『──おや、殿ではござらんか』

 

 

 己が主と定めている者の気配……アインズの気配を察知したハムスケは、転移門(ゲート)を通ってやってきたアインズを見て、挨拶し。

 

 

(……はて?)

 

 

 直後、首を傾げた。

 

 それは、アインズの姿が何時もと違っていたからでなければ、おかしかったからでもない。

 

 ましてや、己の失態を叱りに来た様子でもなければ、傍には見慣れぬお伴を連れて来ているから……でもない。

 

 

(なんでござろうか? 某の勘違いでなければ、今の殿は)

 

 

 どうして、そう思ったのか……それは、ハムスケにも分からなかったが。

 

 

(どうにも、雰囲気が前に会った時よりも柔らかくなっているような気がするでござるよ)

 

 

 ──まるで、以前の娘と、中身が入れ替わったかのようだ。

 

 

 ふと、近づいて来る主の姿を見て……ハムスケは、そんな事を思った。

 

 

 

 

 

 

 

 ──姿を見せた、新たな存在。

 

 

 そいつらの出現に気付いたのは、イミーナが最初だ。そして、近づいて来るそいつらを前に、『フォーサイト』たちが最初に取った行動は……警戒、であった。

 

 まあ、それも当然である。

 

 何故なら近づいて来るそいつらは……アンデッドと異形種であったからだ。

 

 しかも、異形種はここらでは見掛けた事のない姿形をしているだけでなく、その異形種の前を行くアンデッドもまた、普通のアンデッドではなかった。

 

 一般的に知性や理性を失ったアンデッドとは違い、そのアンデッドの動きには……明らかに、理性を感じ取れた。

 

 見に纏っているローブこそ地味なものだが、その手が掴んでいる杖が、違う。

 

 魔法詠唱者ではないヘッケランやイミーナですら、一目で国宝級……いや、御伽噺に出て来るような、凄まじい力を有しているのが分かるぐらいだ。

 

 

「リーダー、アレはやばい」

 

 

 それ故に、相手の魔力を探知出来るアルシェは……地頭の良さも相まって、その杖を見た瞬間に、自分たちが陥っている状況の絶望さを理解する事となった。

 

 

 はっきり言おう、『底が全く見えない』……それが、アルシェの抱いた初見の感想だった。

 

 

 特に、恐怖を覚えたのはアンデッドの方だ。

 

 異形種の方は、純粋に自分たちよりもはるかに強いという多大な絶望感を覚える内容ではあるが、己が理解出来る範囲に留まっていた。

 

 

 だが、アンデッドの方は……アルシェの理解を大きく超えていた。

 

 

 まず、何故かは分からないが、アンデッドからは一切の魔力を感じない。どんな生き物であれ、全く無い存在など居ないという常識の外に居る。

 

 それでいて、持っている武器は御伽噺に出て来るような、とてつもない圧を感じる。また、そんなアンデッドに付き従うかのように、一歩後ろを歩く異形種。

 

 

 ……何もかもが、理解出来ない。何もかもが異質過ぎて、それが恐怖になる。

 

 

 この場に『フォーサイト』の面々が居なかったら、すぐにでも背を向けて逃げ出してしまうほどの恐怖……無意識に、アルシェは傍に居たロバーデイクの裾を掴んでいた。

 

 

「分かっているさ、それぐらい」

 

 

 そして、ヘッケランもまた、顔を真っ青にしたアルシェの忠告が無くとも、今が如何にマズイ状況なのかを、嫌でも理解せざるを得なかった。

 

 

「ロバーデイク、アルシェを頼む」

「はい──『獅子のごとき心(ライオンズ・ハート)!』」

 

 

 精神を落ち着かせ、恐怖を癒し、耐性を与える魔法。

 

 傍目にも冷静さを失っているアルシェの治療を行うロバーデイクを尻目に、ヘッケランは……そっと、彼女に問い掛けた。

 

 

「ゾーイさん、アレには勝てそう?」

「勝つのは可能だ。しかし、余波で貴方達を死なせてしまう」

 

 

 余波で……その言葉に、ヘッケランは思わず苦笑を零した。

 

 

「……俺たちとしても、戦闘は出来る限り避けたい。なんとか、その方向で話を持っていてくれないか?」

「分かった、そのように話してみよう」

 

 

 ヘッケランの指示に頷いた彼女は、近づいて来るアンデッド……アインズへと歩み寄り……お互いが、同時に足を止めた。

 

 

「久しぶりだな、ゾーイ」

「久しぶりなのか、アインズ」

「俺の感覚としては、久しぶりだよ」

「そうか、ならば、久しぶりなんだろう」

 

 

 そして、お互いが同時に、お互いの名を呼んだ。

 

 彼女の後方にて、「え、知り合い!?」と驚く『フォーサイト』の面々の姿があったが……それを気にする者はこの場にはいなかった。

 

 

「……そこの男」

 

 

 それよりも……そんな感じで、アインズの視線が、蹲ったままのエルヤーへと向けられた。

 

 

「良いのか? このままでは死ぬぞ」

「仕方がない。よく分からないが、そういう話だ」

「……なるほど、では、こうしよう」

 

 

 そう、ポツリと呟くと……アインズは空間にずぶりと腕を突き刺す(傍からは、異様な光景だ)と、その奥より……赤い液体が収まった小瓶を取り出した。

 

 

「言っておくが、止めを差すわけではないぞ」

 

 

 ついで、『フォーサイト』に先に忠告した後で、エルヤーの下へと近付くと……その場に膝を突き、エルヤーへと話しかけた。

 

 

「男よ、死にたくないか?」

「ぐぅ、あぁ、ああ……じ、じにだぐない……!」

 

 

 顔を上げたエルヤーの顔は、酷い有様であった。まあ、それも致し方ない。

 

 急性的な多量出血によって、顔色は青白い。脂汗が滲んだ顔には砂と血と涎がこびり付いており、お世辞にも……と、話を戻そう。

 

 

「では、契約しよう。お前の命を助ける代わりに、そこの奴隷たちを開放しろ」

「ひっ、ひっ……ど、奴隷を?」

「如何な理由であろうと、契約は反故にはさせない。反故にすれば、どんな手段を用いてもお前だけは必ず殺しに行く……で、どうする?」

「──わ、分かった、開放する! 開放するから、早く助けて……!」

「よろしい。いいか、契約を忘れるなよ」

 

 

 一つ、頷いたアインズは……小瓶の蓋を垂らし、中身をエルヤーの腕の断面へと垂らした。

 

 

 ──瞬間、変化はすぐに現れた。

 

 

 肉が盛り上がり、血液が噴き出したかと思えば……淡い光が断面図を覆い隠し、それは手の形に変わり……光が収まれば、そこには傷一つない元の腕があった。

 

 これには、呆然としている『フォーサイト』やエルフたちだけでなく、つい今しがた死にかけていたエルヤーも、面食らった。

 

 

「……契約は成された。では……来い、ユリ・アルファ!」

 

 

 説明する暇も、必要もない。

 

 そう判断したアインズは、お伴のメイドを呼ぶ。

 

 すると、少しの間を置いて……転移門より姿を見せたのは、メイドのユリ・アルファ。

 

 

「この者を、墳墓の外へ。万が一、お前に狼藉を働こうとしたならば、手足を折ってしまってかまわない」

「はい、アインズ様……では、こちらへ」

 

 

 ユリは深々と礼をすると、エルヤーを手招きした。

 

 人間性が最悪と称されることもあるエルヤーとて、さすがに死の境から呼び戻してくれた相手の仲間を襲うほどに、クズではなかったようで。

 

 

「あ、ああ……分かった」

 

 

 失った血が多過ぎたこともあって、上手く頭が動いていないのか……言葉少なく了解の返事をしたエルヤーは、ふらつきながらも……ユリの後へと続いて、広間から出て行ってしまった。

 

 そうなると……困るのは、残された元奴隷たちだろう。

 

 なにせ、まともな装備はおろか、まともな生活すら送らせてもらっていない女3人。お金なんて持っていないだろうから、ここで放り出されてしまえば野垂れ死には確定である。

 

 

「さて、お前たちの処遇は後で話す」

「え、あ、あの……」

「その恰好を見る限り、金も何も持っていないのだろう? 安心しろとは言わん。だが、そのまま放り出すような事はしない。それだけは、信じてほしい」

「……は、はい」

 

 

 だから、アインズは……そんなエルフたちに、そう言って壁際まで下がらせると……改めて、彼女へと向き直った。

 

 

「ゾーイ……お前は、どうしてここへ来た?」

「それは、世界の均衡を崩す可能性が生まれる可能性を、この地より感じ取ったからだ」

「では、今もそれを感じているのか?」

「弱弱しいが、感じ取っている」

「狙いは、私か?」

「お前も、その一つだ。だが、今ではない」

 

 

 ハッキリと、そう告げた彼女に……アインズは頷いた。

 

 

「では、ゾーイ……今のお前は、どちら側なのだ?」

「……? 質問の意図が分からない」

 

 

 首を傾げる彼女に、アインズは……しばし沈黙を続けた後。

 

 

「……クレマンティーヌのことは、忘れてしまったのか?」

 

 

 その言葉を……己だけは絶対に口にしてはならない言葉を、彼女へと言い放った。

 

 

「──っ!!!」

 

 

 瞬間──その動きを見切れる者は、この場にはいなかった。アインズすらも、例外ではない。

 

 ただし、反応出来る者はいた。

 

 それは、アインズの切り札である、SoAOG。

 

 正確には、SoAOGに搭載された自動迎撃システム……召喚された精霊だけが、彼女の動きに反応出来た。

 

 

「ぐっぉう!?」

 

 

 とはいえ、それを持ってしても……彼女の攻撃の軌道を逸らすのが精いっぱいであり。

 

 

「──アインズ様!」

 

 

 悲鳴を上げる、お伴の異形種──パンドラズ・アクター。

 

 

「来るなパンドラ! これを見ている守護者たちも、絶対に来るな! これは、私がやらねばならない事なのだ!」

 

 

 召喚された全ての精霊が一刀にて切り殺され、放たれた魔法によって逸らされながらも、その蒼天の剣は──根元までアインズへと突き刺さり、脇腹より背中へと突き出ていた。

 

 

(ぎっ、がぁ……!!)

 

 

 スルリと、掌から滑り落ちたSoAOGが、カランと音を立てた。

 

 それは……言葉には出来ない、正真正銘初めての、気絶してしまうような激痛であった。

 

 骨の身体なのに神経が通っている。血の一滴も出ないというのに、痛みを感じている。

 

 なんとも、滑稽な身体だ。

 

 どこか冷静な部分が片隅に残っているのか、ふと、アインズは……こんな状況なのに、笑みを零した。

 

 

(……なるほど、これは殺されても仕方がない)

 

 

 まあ、これは覚悟していた痛みだ。そして、この痛みは、己がこれまで他者に与えて来た痛みでもある。

 

 

 そして、改めて理解する。やはり、彼女は……己に対して、強い憎しみを抱いていたことに。

 

 そして、改めて理解する。そんな憎しみの最中でも、彼女は……己を想って、手を貸そうとしていた事に。

 

 

 だから、アインズは……いや、鈴木悟は、痛みを堪えて、殺されるのを覚悟してここへ来た。

 

 誰が何と言おうが、己だけが弱音を吐いてはならない。

 

 そう、己を戒める。少なくとも、彼女の前でだけは、絶対に言ってはならぬことだから。

 

 しかし、痛いものは痛い。

 

 あまりの痛みに、噛み締めた歯がギリギリと軋む。上にあがらないように彼女の手ごと、渾身の力を込めて押さえ込む。

 

 

「……ゾーイさん。貴女は、本当にこれで良いんですか?」

 

 

 その中で悟は……彼女に、いや、ゾーイにだけ聞こえるように囁いた。

 

 

「俺を助けることで、より多くの人々が後々に助かるのでしょう? その為に、本当は俺を殺したいぐらいに憎くても我慢したのでしょう?」

 

「…………」

 

 

「ここで俺を殺して気を晴らしたいのならば、そうしてください。でも、本当にそれで良いんですか? それが、貴女の願いなんですか?」

 

「…………」

 

 

「俺は、貴女が本当は何をやろうとしているのか……それは知りません。ですが、並々ならぬ覚悟と決意でいるのは分かっています」

 

「…………」

 

 

「だからこそ、尋ねます。本当に、これで良いんですね? それで、貴女の心は本当に救われるのですね?」

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………彼女からの返答は、すぐには成されなかった。

 

 だが……悟の言葉は、確かに彼女へと届いた。

 

 

「……悟、剣を抜くぞ」

 

 

 耳に届いた、その声色に……悟は、肩の力を抜いた。一拍置いた後、スルリと……音も無く剣は抜かれた。

 

 途端──悟は、その場にて膝を突いた。

 

 かはぁ、と大きく息を吐くのと、彼女が剣を消すのとは、ほぼ同時であった。

 

 

「アインズ様!!」

 

 

 そして、直後に……駆け寄ってきたパンドラが、倒れようとするアインズを抱き留める。

 

 その顔の二つの●より流れる、涙。全てを耐えきった証、その手には血が滲んでおり、悟の身体を少しばかり湿らせた。

 

 

 ──その、時であった。

 

 

 突如、広場に出現する転移門。ハッと、誰もがそれに気付くのと、その転移門より守護者たちが一斉に飛び出してくるのもまた、ほぼ同時であった。

 

 

 ──このっ! 痴れ者がぁぁああああ!!!!! 

 

 

 そう、叫んだのは誰だったか。

 

 けれども、誰でも良かったのだろう。

 

 振り上げた斧が、構えたランスが、抜かれた刀が、召喚された獣が、膨大な魔力を秘めた杖が、一斉に彼女へと。

 

 

「──騒々しい、静かにせよ」

 

 

 向かうよりも前に、当人が……ナザリックの主が、それらを止めた。

 

 

「──しかし、アインズ様!」

「止めよと、命じた。わざわざ言葉にせねば、お前たちには伝わらないのか?」

 

 

 今にも憤怒に我を忘れようとしていた守護者たちだが、その言葉と共に睨まれてしまえばもう、何も出来ない。

 

 1人、また1人……武器を下ろした守護者たちを確認した悟は、パンドラに抱き留められたままの姿勢で、大きく息を吐くと。

 

 

「……よく、耐えたな、パンドラ」

 

 

 今もなお、耐えてくれているパンドラを、褒めてやった。

 

 

「いえ、いえ、いえ……とんでも、ございません……!」

 

 

 その手が、砕かれて穴の開いた脇に触れようとして、ビクッと跳ねる。それを見て、思わず悟は笑った。

 

 

「……起こしてくれ」

 

 

 ついで、悟の指示を受けたパンドラは、悟に負担を掛けないようにゆっくりと立ち上がり……そうして、悟は……彼女を見下ろした。

 

 

「……お帰りなさい」

 

 

 その言葉に、彼女は虚を突かれたかのように目を瞬かせた。それから、緩やかに理解が深まり……そして。

 

 

「ただいま、鈴木悟。そして、ありがとう」

 

 

 己を人へと戻してくれた彼に、彼女は……満面の笑みを向けたのであった。

 

 

 




人の心を持った調停者が、異形の怪物に成ろうとしていた魔王を人へと戻し

人へと戻った魔王が、異質なる者へと成ろうとした調停者を人へと戻す


こういう対比、好きっす!


誰か続き書いてください、もうすぐ終わる予定なんで!


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何時だって、子が親を愛するのだ

もう少し続くけど、終わりは決めておりますのでダラダラ番外編とか続ける予定はありません
ドラゴンボールで言う、もうちびっとだけ続くんじゃよ、ていうアレ


 

 

 夜が、明ける。

 

 

 空高く昇った太陽より降り注ぐ光が、墳墓を、平野を、明るく照らしていた。

 

 そして、墳墓の出入り口の前には、墳墓の主であるアインズ……いや、鈴木悟と、彼女と、『フォーサイト』の面々が居た。

 

 どうしてそんな場所に居るのかと言えば、単純な話で……ただの、送り出しである。

 

 アインズの他に、ナザリックの者たちはいない。いや、いないというより、パンドラに命令して来させないようにしているのだ。

 

 

 理由は、これまた単純に彼女の為である。

 

 

 人としての心を完全に取り戻したとはいえ、わざわざ精神的な負荷を掛けて不安定にする必要はない。

 

 今でこそ彼女はNPCの面々(特に、シャルティア)と顔を合わせた程度では揺らがなくなってはいるが、それでも絶対ではない。

 

 

 それに、ナザリックの面々は彼女を嫌っている。

 

 

 これまでは(おそらくは)カルマ値プラスのNPCからは冷たい眼差しを向けられるだけで済んでいたが、今は違う。

 

 前回はデバフを与える程度だったが、今回は直接的な怪我を負わせた。

 

 その事実を前に、カルマ値など無意味であった。

 

 それは、『セバスチャン』、『ユリ・アルファ』、『シズ・デルタ』ですらも例外ではなく、明らかに。

 

 

 ──刺し違えてでも、殺してやりたい。

 

 

 そんな殺意を、もはや誰も隠さなくなっていた。

 

 あまりの実力差ゆえに誰も手を出しては来ないが、少しでも可能性が生まれたら、一切の躊躇なく刃を向けてくる……それほどの殺意であった。

 

 おかげで、直接殺意を向けられたわけでもないのに、『フォーサイト』の面々は傍目にもはっきり分かるぐらいに消耗しきっていた。

 

 誰も彼もが、疲労で目の下に隈を作っている。まあ、夜が明けるまでナザリックの中に居れば、そうなって当たり前である。

 

 

 ……で、だ。

 

 

 どうして夜が明けるまで居たかといえば、それは手頃な証拠に何を渡すか……それを探していたら、夜が明けてしまった……という感じである。

 

 なんでそんな物が必要って、それは依頼主への言い訳の為である。手ぶらで帰れば成功報酬を踏み倒される可能性があるから、らしい。

 

 まあ、悟がそれに協力する義理はない。しかし、彼女の心の変動を食い止めたのもまた、事実。それに関しては、深く感謝していた。

 

 なので、仲間たちが残した物ではない&ナザリックの物&貴重品過ぎないという、三つの条件に当てはまる物を、あーでもないこーでもないと話し合い。

 

 最終的には、ナザリックの食堂で出される『ワイン』を一瓶譲ってもらうことで、貸し借り無しということで決着が付いた。

 

 

 そんなもので良いのかと悟は思ったが、これでも十分過ぎるらしい。

 

 

 というのも、どうやらナザリックの『ワイン』。

 

 瓶の形状からして一級品であるのもそうだが、銘柄含めて誰も聞いた事が無いモノらしい。

 

 証拠の品として出すにしても、手が込み過ぎている。ガラス瓶を作るだけでも相当に値が張るからだ。

 

 なにより、ここまで精巧な偽物を作る伝手が請負人にあるわけがない……と、思われるから、ということであった。

 

 そうして、先に集合場所(離れた場所に、帰りの馬車が待機しているらしい)へと戻って行った『フォーサイト』に、少しばかり遅れて、彼女も出発となった。

 

 ……ちなみに、悟から『フォーサイト』を含めて、外に出た請負人たちに一切手出し無用の指示を出されているが、それを知る者はナザリック以外にはいない。

 

 

「では、また。次に会う時にも、今みたいに会えたらいいな」

「ああ、また。私としても、次も話せたらと思っているよ」

 

 

 お互いに、そうやって別れの挨拶をするが……可能性は、それほど高くないだろうなとお互いに思っていた。

 

 

 オーバーロードである悟もそうだが、調停者である彼女もまた、精神の変容からは逃れられない。

 

 今は、お互いに人の心を取り戻している。しかし、それが何時まで続くのか、それは誰にも分からない。

 

 

 次に会う時、鈴木悟は『アインズ』へと戻り、ナザリック以外を等しく自分たちの利益になるかどうかで世界を見る様になっているかもしれない。

 

 次に会う時、彼女は『調停者ゾーイ』へと成り果て、世界の均衡を保つ為に、ありとあらゆるモノを無慈悲に滅し、世界を見守る神になっているかもしれない。

 

 

 だからこそ、お互いに深くは聞かなかった。そうなってほしいという希望だけを伝える程度に留めた。

 

 

 そうして、地下深くより向けられる強烈な殺意を感じながら、彼女は……『フォーサイト』と一緒に、『ナザリック地下大墳墓』を後にした。 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………で、これは余談というわけではないのだが。

 

 

 帰りの馬車へと到着した彼女は、思わず首を傾げた。

 

 

 それは、文字通り精根尽き果てたと言わんばかりな様子の4人の男。そして、あまりに異様な雰囲気の彼らを遠巻きにする、請負人たちの姿。

 

 4人の男たちは、特に怪我らしい怪我を負ってはいない。また、何か騒動が起こった様子も見られない。

 

 いったい何があったのだろうか……気になった彼女が、先に戻っていた『フォーサイト』に事情を聞いてみれば、だ。

 

 

 ……分かったのは、4人の男たち……『ヘビーマッシャー』という名のチームらしいが、彼らは地下墳墓の中で、呪いを受けてしまったらしい。

 

 

 ただ、なんの呪いなのかは不明。そして、どんな状況で呪われたのかも不明。

 

 とにかく、虚ろな表情でブツブツと何事かを呟いているが、その発言内容は解読できない。辛うじて聞こえてくるのは、『解呪、解呪、解呪……』といった感じで、お手上げであった

 

 

(……見たところ、怪我らしい怪我は見られないが、どうなんだ?)

 

 

 以前の彼ならともかく、今の彼であれば、そこまで酷い目には合わせないと思うが……まあ、『ナザリック地下大墳墓』は、彼にとって思い出の場所だ。

 

 請負人たちにも生活があるのだろうが、そんな勝手な理屈で思い出に土足で踏み込まれたならば、仕返しの一つや二つはされても仕方がないだろう。

 

 むしろ、この世界の常識で考えれば、殺されても文句は言えないかも……ん? 

 

 

(……日常的に入浴等をしていないのか? まあ、毎日風呂に入れるってのはそれだけでも裕福な証だし……とはいえ、鎧の隙間からゴキブリが見え隠れしているのは凄いな)

 

 

 ゴキブリ……この世界にも居るのか。

 

 男たちの衣服……そこに張り付く、久しぶりに目撃した、前世からの共通する存在に彼女は軽く目を瞬かせた。

 

 人類絶滅待った無しなあの世界では、様々な生き物が汚染された世界に適応できないまま、種が途絶えていった。

 

 けれども、全ての生き物がそうかといえば、違う。完成された生物という異名があるのは伊達ではなく、あんな世界でも、ゴキブリたちはまだ見かけることが時々あった。

 

 それに比べたら、この世界は天国みたいな……いや、逆に多種多様な生き物が居るから、もしかしたら逆にゴキブリたちにとっては厳しい環境なのかもしれない。

 

 

(なんにせよ、ゴキブリは病原菌の温床みたいな生き物だ。必要でない限り、接触は避けた方が無難だろう)

 

 

 とりあえず……彼女は『フォーサイト』に対して、「あの人たちと同じ馬車に乗るのは止めとけ」とだけ、伝えておくことにした。

 

 

 

 

 

 

 ……で、だ。

 

 

 とりあえず、帝国に伝手も何も無い彼女は、『フォーサイト』と一緒に帝国へとやってきた。

 

 彼女としてはあの場所でそのまま別れても良かったのだが、助けて貰ったお礼をしたいということで、お言葉に甘えることにした。

 

 

「では、明後日ぐらいに食事の席でも設けてほしい。それで、十分だ」

「明後日? 今日じゃなくて?」

「そんな疲れ切った顔でお礼をされても、私が気を使ってしまう。たっぷり寝て身体を休めてからでなければ、美味しい料理も楽しめない」

 

 

 彼女の提案に、『フォーサイト』の面々は互いに顔を見合わせ……苦笑した。言われてみれば、そうだ。

 

 

 生きて戻って来られたことに、おそらくは無意識に高揚しているのだろう。そのおかげで疲労感を覚えてはいないが、そんなのは何時までも続かない。

 

 その証拠に、彼女より指摘された途端、強張っていた四肢から力が抜け、気も抜けてしまったのだろう。

 

 誰も彼もが心底疲れきった様子で溜息を零し、アルシェに至っては軽くふらついて、傍のイミーナが居なければ道中にて倒れているところだった。

 

 一番体力に自信のあるロバーデイクすらも、否定しないのだ。一番年若いとはいえ、線が細く身体も小さいアルシェは既に限界に達していたようだ。

 

 

「仕方がない、アルシェは私が背負って送ろう。この様子だと、帰る途中で気絶するかもしれない」

「え、いや、でも……」

「みんな、足元がフラフラだ。彼らに送らせるつもりか? 誰かが付いていなければ、君の仲間は心配で休めなくなってしまうが、それでも意地を張るつもりか?」

 

 

 さすがに、見ていられなくなった彼女は、アルシェを自宅に送る事にした。

 

 これには当のアルシェが嫌がったけれども、そのように言われてしまえば何も言えなくなる。実際、仲間たちにも余裕がなかった。

 

 アルシェとしても、『フォーサイト』の仲間たちがお人好しであり、自分の為にも(それだけではなくとも)危険な橋を渡ってくれたのは身に染みて理解していた。

 

 

「じゃあ、お願いします」

「それじゃあ、杖は邪魔だから……預かってもらえるか?」

「あいよ、それぐらいはするよ」

「ありがとう、リーダー……ゾーイさんも、ありがとう」

 

 

 なので、諦めたアルシェはふらつきながらも全員に頭を下げると、促されるがまま彼女の背におぶさり……帰路に着く事となった。

 

 

 ……で、道中。

 

 

 そうなるだろうなあと察してはいたが、アルシェはそのまま寝落ちしてしまった。

 

 やはり、相当に疲れ切っていたのだろう。

 

 軽く揺さぶってみるも起きる気配はなく、ぐったりと彼女の背中にもたれ掛っている。寝息にも、ほとんど変化がない。

 

 

 ……帝国に帰還し、日常の空気の中に戻った事で、気が抜けたのだろう。

 

 

 幸いにも、家の特徴は教えられていて、後はまっすぐ行けば右手側に見えてくるらしい。だから、寝ていても、とりあえずの問題はない。

 

 

 ……起こすのは可哀想だ。

 

 

 そう思った彼女は、そのままアルシェの自宅へと向かう。

 

 

(それにしても、帝国の方は王国に比べて活気がある。何と言えば良いのか、パワーみたいなものを感じる)

 

 

 国が違えば、歴史も違う。辿って来た道が違うとなれば、生活様式も違い……そして、行き交う人々の表情にも、違いが現れる。

 

 ──ここは、良い国なのだろう。

 

 少なくとも、王国よりも、帝国の方が自国を良くしようという意思は感じ取れる。まあ、どちらにも事情が異なるので、一概に判断する事は出来ないが。

 

 

(……痩せているな)

 

 

 そうして、歩きながら……背負ったアルシェの軽さに何とも言い難い苛立ちを覚えながら、アルシェの事について考える。

 

 

 ……まず、よく耐えたな……そう、彼女は思った。

 

 

 己など一瞬でミンチに出来るような怪物たち(ちなみに、アルシェは恐怖のあまり吐いた)から一晩中睨まれて、平然としていられる人間などほとんどいない。

 

 仲間たちが居たからこそ表面上は平静を保てていたが、敏感な年頃の10代に耐えられるわけがない。

 

 それを、動けなくなるほどに疲労はしたが、廃人に成らずに耐えきったアルシェは凄い。この子は強いと、褒め称えたい気持ちすらあった。

 

 

(こんなに痩せて、でも、命がけで頑張って……)

 

 

 次に思ったのは、アルシェの境遇である。

 

 あまり人に言えることではないが、彼女は前世(この身体になる前の、男だった時)において、虐待された児童を何度か目にした事がある。

 

 

 そういった子たちと、アルシェは、怖気が走るぐらいに境遇が似ていた。

 

 

 明らかに、同年代より痩せている。子供に与える事よりも、自分の都合を優先するから、そのしわ寄せが子供へ行く。

 

 子供である事を許されないから、大人びている。そうしなければ生きていけないから、大人にならざるを得ないから。

 

 優秀な場合でも、親が子供の為に身を犠牲にするという考えが無いから、総じて夢を断念する。

 

 

(親が貧乏なら、どうしようもない。しかし、だいたいの場合は……)

 

 

 ──必要だと感じたら、首を突っ込むしかないか。

 

 

 そう、結論を出した彼女は、もうすぐ着くであろうアルシェの自宅を思い浮かべながら、ゆっくりと進むのであった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………そうして、だ。

 

 

 事前に聞いていた指示の通りに進んで、『ああ、ここか』と見付けたのは……言うのはなんだが、立ち並ぶ他の家々に比べて、ちょいとばかし貧相に見えた。

 

 

 いや、まあ、正直に言わせてもらえば、五十歩百歩というやつだ。

 

 

 どれもこれも一般市民が暮らすには広く豪華ではあるが、どれもこれも人が住んでいるようには見えない。

 

 閉じっぱなしと思われる正門の鉄格子には錆が入っており、砂埃がこびり付いているのが見える。その中には、鉄格子が片方外されている家もある。

 

 そこから見える庭先は、どの家も雑草がぼうぼうに伸びっぱなし。庭がそうなら、その奥の……屋敷にも人の気配はなく、全体的に薄汚れている。

 

 当然ながら、そんな場所ゆえに人通りもほとんど無い。

 

 まあ、立ち並ぶ一つ一つの家が大きいので、元々人通り自体少ないのだろうけれども……それを抜きにしても、この辺りはずいぶんと静かであった。

 

 

(……一斉に夜逃げでもしたのか?)

 

 

 そんな事を考えつつ、さすがにアルシェを起こさなければと思いながら、ヒョイッと正門の鉄格子越しに中を見やれば。

 

 

 ──同じく、正門の影からヒョイッと顔を覗かせた、可愛らしくも小さな女の子と目が合った。

 

 

 しかも、2人。というか、双子だ。年頃は……前世で言えば、小学校に上がるかどうかといった感じだろうか。

 

 

「……こんにちは」

「こんにちは!」

 

 

 双子特有なのか、左右から同時に返事をされた彼女は……一つ笑みを浮かべると、背負っているアルシェの顔を見えるようにしてやる。

 

 

「お姉さま!」

「寝ているの?」

 

 

 喜びに頬を緩める方と、不思議そうに首を傾げる方。

 

 なんとなく、性格の違いが見て取れる。

 

 

「君たちは、アルシェの妹かな? お名前を教えてもらっていいかな?」

「私は、クーデリカ」

「私は、ウレイリカ」

「ありがとう、私はゾーイだ。アルシェとは、仕事仲間みたいなものでな……疲れて眠ってしまったから、私が連れて来たのだ」

 

 

 そう話せば、2人は納得したのか笑みを浮かべてお礼を言われた。幼いながらも、賢い子のようだ。

 

 

 ……それにしても、だ。

 

 

 彼女の視線が、いっこうに開かれようとしない屋敷の扉(つまり、玄関)へと向けられる。

 

 正確な時刻は不明だが、子供が起き出して来るには些か早い時間帯だ。実際、ここに到着するまでの間、外に出ている子供をほとんど見かけていない。

 

 それでも、わざわざ起きているということは、おそらくは姉の……アルシェの帰りを早朝(あるいは、夜中から)から待っていたのだろう。

 

 

(両親ではなく、子供の方が正門前で帰りを待つ……か)

 

 

 事前に事情を話されていたので関係性を察してはいたが、改めて見せ付けられる形になると、色々と思うところが……っと。

 

 

「──御嬢様!」

 

 

 考え事をしていると、屋敷より1人の男が飛び出して来た。

 

 燕尾服の、一目で執事だと分かる風貌の、おおよそ50代と思われるその男は、息を切らせながらゾーイの下へ来ると……ぜえぜえと息を整えながら、「あ、貴女は?」尋ねてきた。

 

 

「ジャイムス、この人はお姉さまを連れて来てくれた人よ」

 

「ジャイムス、この人はお姉さまを助けてくれた良い人よ」

 

 

 すると、彼女が返事をする前に、双子の姉妹が説明してくれた。

 

 変に付け足すと双子の機嫌を損ねてしまいそうなので、彼女は軽く屈むと、背負っているアルシェの顔を見せてやった。

 

 

「おお……ありがとうございます」

 

 

 それで、ようやく安心したようで……改めて自己紹介をした彼女は、寝ているアルシェを渡そうと──したのだが。

 

 

「……申し訳ありません。ご迷惑かとは存じますが、しばらく貴女様のところに置いてもらえないでしょうか?」

 

 

 何故か、拒否された。

 

 

「出来うるならば、クーデリカ御嬢様と、ウレイリカ御嬢様も……」

 

 

 しかも、双子の姉妹まで追加された。

 

 まるで意味が分からなかったので、どうしてなのかと率直に理由を尋ねれば。

 

 

「……御嬢様の……フルト家の事情は、御存じですか?」

 

 

 ちらり、と。

 

 

 執事の視線が一瞬だけ双子へと向けられたのを見て、察した彼女は、アルシェを背負ったまま、ジャイムスを伴って外へと向かう。

 

 双子の姉妹は察しが良いのか、それとも気を使っているのかは定かではないが、大人しくジャイムスの言う事を聞いて、付いて来ようとはしなかった。

 

 

 ……で、だ。

 

 

「全体をサラッと教えてもらったが、借金があるとか」

 

 

 双子の……加えて、周囲に人影が居ない事を確認した彼女が続きを切り出せば、ジャイムスは悲痛な面持ちで頷くと……ポツポツと語り出した。

 

 

「……その、アルシェ御嬢様が不在の間に、旦那様が新たに借金を重ねました。私共一同、これ以上借金を重ねるのであれば、全員辞めると直談判致しましたが……」

「借金した、と?」

「おそらく、アルシェ御嬢様が多額の報酬を得られる仕事を見つけた事が耳に入ったのでしょう。既に、報酬を自分たちが使う前提だと思われます」

「……馬鹿なのか? いったい何に使っているんだ?」

「簡潔に述べるならば、貴族としての力を誇示する為だとか」

「……? 子供のポケットに手を突っ込んで掠め取った金で散財を繰り返す事が、か?」

 

 

 率直に思った事を告げれば、「旦那様は、新しい時代を受け入れられないだけなのです」ジャイムスは何かを吹っ切るかのように、軽く首を横に振ると……改めて、彼女へと頭を下げた。

 

 

「ですので、どうか御嬢様をお連れしてください。このまま家に戻せば、御嬢様に借金が擦り付けられてしまいます」

「それは、逃亡した所で同じでは?」

「貴族ならまだしも、平民は違います。少なくとも、帝国の法では親の借金は親の、子の借金は子のモノとなっております」

「……なるほど。とりあえず、親元を離れていれば、いくらでも逃れられるというわけか」

 

 

 とりあえずは納得した彼女は、それなら貴方が連れて行けば……と言い掛けて、唇を閉じた。

 

 何故なら、ジャイムスも痩せているからだ。

 

 身なりこそ品良くしているが、まともな食生活を送っていないのがバレバレで、顔色が悪かった。

 

 

 ……これ、アレだ。

 

 

 主が、まともに使用人たちに給料を払っていないパターンで、長年仕えていたからと使用人たちが我慢している、最悪な状況の、アレだ。

 

 そうなると、連れて逃げようにも逃げられないアレだ。自分たちとて食えない状況で、5,6歳の子供を連れて逃げられる自信が無い……アレだ。

 

 

(つまり、ここで知らぬ存ぜぬを通せば、今回の報酬でも借金が返せない場合が起こるわけか)

 

 

 ちらり、と。

 

 

 振り返って見やれば、鉄格子越しにこちらを見ている双子の姉妹と目が合った。

 

 子供だからと思って先ほどは気付かなかったが、なるほど、姉妹も痩せている。

 

 最初は子供特有のアレかと思ったが、単純に、普段から量を食べれていないという理由からくる、アレだった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………えぇ、と。

 

 

(……ま、まあ、『グリーンシークレットハウス』があるし……短期間なら、良いかな)

 

 

 とりあえず、見捨てる選択肢などなかった彼女は、しかたなく双子の姉妹を連れて……人の目の薄い、帝国の外へと向かうのであった。

 

 

 



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『力』VS『力』

だが、それが彼女の逆鱗に触れた!!


 

 

 

 今更語るまでもない話なのだが、あえて語ろう。

 

 

 彼女が所有する『グリーンシークレットハウス』は、この世界の如何なる財力を持ってしても再現出来ない、非常に快適な空間である。

 

 何処がどう快適かって、全てが快適なのである。

 

 運営側の力は伊達ではなく、また、立場上一般的なプレイヤーの中に紛れるようなことはしなかったが彼女(当時は人間の男)は、とにかくハウスの中を改装しまくった。

 

 ぶっちゃけ、完全に趣味の領域である。例えるなら、ひたすらクッキーをクリックするような感じだろうか。

 

 当時は、前世の前世(ややこしい)の記憶が薄れないように、あるいは、日記代わりに残しておきたい……そんな思いもあって、彼女はひたすらに情熱を注ぎ込んだ。

 

 

 ……その結果。彼女が帝国に戻って、五日後の朝。

 

 

 最初は明後日である二日後を予定していたが、思っていた以上にヘッケラン、イミーナ、ロバーデイクの疲労が重く、イミーナが体調を崩した事もあって、更に三日の休養期間の後。

 

 

「……アルシェ、何があったんだ?」

 

 

 バハルス帝国の請負人たちが集う酒場兼宿屋の『歌う林檎亭』。

 

 その、1階の酒場にて集合した『フォーサイト』……の、リーダーを務めているヘッケランは、開口一番に、ポツリと呟いた。

 

 そして、それはヘッケランだけではない。

 

 ようやく体調が回復したイミーナも、ロバーデイクも、同様の疑問を覚えていた。どうしてかといえば、答えは一つ。

 

 

「……その、ゆっくり休んだから」

 

 

 向けられる視線の意味に、気付いているのだろう。

 

 あるいは、後ろめたいナニカを覚えてしまっているからなのか、アルシェは気まずそうに仲間たちから視線を逸らした。

 

 

 ……3人が驚いたのは、他でもない。

 

 

 それは、何時もの待ち合わせ場所にやってきたアルシェの風貌が、以前とはあまりに異なっていたからだ。

 

 別に、顔の形が変わっていたわけでもない。派手な化粧をしているわけでもないし、同様に衣服が豪華になっているわけでもない。

 

 

 ただ、結果的に綺麗になっていた。

 

 

 より具体的に述べるならば、五日前にはなかった活力と瑞々しさが、アルシェの総身より滲み出ていたのだ。

 

 

 まず、顔色が良い。

 

 美形ではあるが痩せていて顔色も良くなかった以前とは違い、頬はほんのりと赤く、ローブの胸元より伸びる首筋には、栄養が行き届いているのが見て取れた。

 

 

 次に、髪の色つやが良い。

 

 栄養状態が改善したからなのかは不明だが、明らかに違う。以前は煤けた金髪といった感じだったのが、今は黄金のようにきらめいている。

 

 

 ……もちろん、3人は知る由もないことだが、原因は言うまでもなく『グリーンシークレットハウス』である。

 

 

 アルシェは、この五日間、ず~っとそこで生活していた。

 

 この世界では金貨の山を並べても得られない、前世においてもごく一部の者たちしか味わえない、極上空間で身体を休めた。

 

 乾いたスポンジに水を垂らすかのように、若さで誤魔化していた身体に、適切な栄養と休息を与えられたのだ。

 

 その結果、アルシェの身体は劇的に改善された。たった五日間とはいえ、10代の若者の回復力を舐めてはいけないのだ。

 

 そして……なによりも3人にとって、アルシェの印象が以前と変わったと思う理由は。

 

 

(……アルシェって、こんなふうに笑える子なんだな)

 

 

 それは、アルシェが……穏やかに笑っているからだった。

 

 その理由を……言われずとも察した3人も、穏やかに笑った。

 

 

 アルシェが請負人になった理由は、借金だ。

 

 

 『フォーサイト』に所属したのは今より2年前だが、その時点でアルシェの肩には普通に働けば十数年は掛かる莫大な借金が圧し掛かっていた。

 

 しかも、現在進行形でそれが増え続けていた。

 

 返しても返しても、増え続ける借金。そのせいで優秀な成績を治めていたのに学校を辞め、請負人に成り、幾度となく死の危険を味わってもなお、借金は返せなかった。

 

 全ては、親への愛情、お世話になった者たちへの恩がアルシェを縛り付けていた。

 

 

 けれども、アルシェは踏ん切りを付けた。

 

 

 義理は全て果たしたとして、今回の仕事にて得た報酬をお世話になった者たちに払い、その後は妹たちを連れて他所へ行くと明言していた。

 

 

 だから、言うなれば……肩の荷を下ろした、といった感じだろう。

 

 

 これから先、仕事を減らしつつも請負人を続けるのか、他所へと移って全く別の仕事に就くのか、それとも他の当てがあるのか、それは3人には分からない。

 

 ただ、どこか張り詰めていた緊張の糸が切れて、穏やかに笑うアルシェを見て……誰もが、その未来に幸あれと願わずにはいられなかった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………ちなみに、だ。

 

 

 恩人的な立場とはいえ、ほぼ部外者な己が出張るわけにもいかないと思った彼女は、『歌う林檎亭』の出入り口にて、こそっとアルシェたちを見守っていた彼女は、うんうんと頷いていた。

 

 

 その姿は、前世の前世の言葉で言うなら、アレだ。

 

 

 後方壁際にて腕組み師匠面(ワシが育てた系)……まあ、言葉はなんであれ非常に怪しく、周囲から不審な眼差しを向けられていたが……この時の彼女は全く気付いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 ──だからこそ、だ。

 

 

「はあ? こんなワイン一つで証拠になると思っているのか? 嘘を付くならもう少しマシな嘘を付け!」

 

 

 請負人……つまりは、『フォーサイト』に依頼を出した貴族の屋敷に赴き、証拠の品である『ワイン』を提出して、さあ報酬を頂いてオサラバしよう……そんな時であった。

 

 

 まさかの──踏み倒しである。

 

 

 疑うのではなく、始めから全てを否定した。言うまでもなく、払う気など無かったのは明白な口ぶりであった。

 

 

 これには、『フォーサイト』も激怒した。

 

 

 当然だ、やることをやったのに払わないというのは、殺されても文句が言えない恥知らずだからだ。

 

 しかし、貴族の……依頼を出したぞの貴族は、そんな『フォーサイト』の怒りを前にしても、鼻で笑って受け取らなかった。

 

 

 貴族にとっては所詮、はみ出し者の請負人でしかない。

 

 

 いくら請負人たちの中では上位に入るチームとはいえ、国家権力の前には勝てない。貴族である己が本気を出せば、何時でも合法的に始末する事が出来る。

 

 怒りに任せて向かって来るのであれば、傍に控えている騎士たちを動かせば良い。なんなら、そのまま『ワイン』も没収出来る。

 

 諦めて去ってくれるのであれば、それでも良い。『ワイン』は気になるが、所詮は出所不明なモノ……後で幾らでも罪状をでっち上げられるから、その時に押収してしまえば良い。

 

 

 そう思っていたからこそ、貴族は強気だった。傍で控える騎士たちも、下に見ている請負人たちを端から信用していなかった。

 

 

 だから、向かって来るなら一切の同情なく切り捨てるつもりだったし、部屋の外で控えている者たちも同様に考えていた。

 

 それを理解しているからこそ、『フォーサイト』の面々は歯痒く睨みつけることしか出来なかった。

 

 相手が1人2人ならともかく、貴族を敵に回せば最後、後に出て来るのは国家だ。幾らなんでも、国家相手に勝ち目など無い。

 

 

 ゆえに、『フォーサイト』は諦めかけていた。

 

 

 ヘッケランも、イミーナも、アルシェも……怒りに頬を紅潮させ、目尻に涙を滲ませ、視線だけで相手を倒せたら……そんな思い、受け入れるしかなかった。

 

 

「まったく、高い前金を払っておいた結果がコレか。むしろ、前金を返せと言わない、私の慈悲深さに感──ひぃ、ヒィィ!!??」

 

 

 ──だが、しかし。

 

 

 そんな完璧な計画に、一つの誤算が有った。

 

 

「……私の聞き間違いなら謝ろう。今、貴方は、何を言ったのだ?」

 

 

 貴族たちの誤算が、一つ。

 

 ここには、そんな国家権力では到底抑えられない理不尽の化身が、『嫌な予感がするので……』と、無理やり付いて来ていて。

 

 

「彼らは貴方の依頼を果たした。正当に仕事を終えた彼らに対して、貴方は正当な支払いを行わない……そう、私には聞こえたのだが?」

 

 

 貴族が放った発言は……奇しくも、彼女の逆鱗に触れるには十分すぎるモノであった。

 

 

 ……直後からの、貴族の対応は、それはもう従順としか言い表しようがないぐらいにスムーズに事が進んだ。

 

 

 まあ、それも仕方がない。なにせ、推定レベル200(難度600)の彼女が放つ、怒気だ。

 

 直接向けられたわけでもない『フォーサイト』の面々ですら、思わず腰を抜かしかけたぐらいの迫力。

 

 

 真正面からそれを向けられて、冷静さを保てるわけがない。

 

 

 貴族(守ろうとした騎士も)は壊れた蛇口の如く小水を垂れ流し、命令を受けて金を持って来た執事も同じような結果となった。

 

 

 

 

 その後、アルシェはその足で、借金取りや両親に見つからないようにしながらも、お世話になった者たちの下へ一人一人尋ねてゆく。

 

 

 これまで家に付き従ってくれていた執事のジャイムスを始めとして、メイドたちにも少ないながらも給料と退職金を支払い、最後のお別れを済ませた後。

 

 これが最後の親孝行だとして、慎ましく暮らせば三ヶ月は暮らせるだけの金貨を袋に入れて、もう二度と戻る事はない屋敷の玄関扉へと投げつけ。

 

 屋敷の中から出てきた母が、そのお金の入った袋を手にして中に戻ったのを遠くより確認したアルシェは。

 

 

「……さようなら」

 

 

 通りの向こうより姿が見えた、借金取りの男たちを尻目に……そっと、静かにその場を後にするのであった。

 

 

 

 

 

 

 ……で、さらに3日後。

 

 

 下手に人前で話をすると、誰に狙われるか分からない

 

 そういった考えから、彼女より『グリーンシークレットハウス』に案内された、『フォーサイト』一行は。

 

 

「──じゃあ、アルシェはいずれ帝国を離れるわけだな」

「うん。いくら法では関係ないとしても、借金取りは幾らでも理由を考えてこっちに来るだろうし……危害が、妹たちにまで向けられたら嫌だから」

 

 

 照明等で調節された室内、事前に用意してあったスペースにて『フォーサイト』の今後について話し合っていた。

 

 

 時刻は夜。

 

 

 昼間は騒いでいた双子の姉妹も、寝室にて彼女に絵本を読んでもらい、今は深く寝入っている。だからこそ、この時間での話し合いである。

 

 街道より外れているので周囲に人の気配はなく、モンスターの気配もない。まあ、居たところで特別性のこのハウスを破壊出来るモンスターは、この周辺には存在しない。

 

 最初はハウスの中とはいえ、街道からも外れた場所で暢気に寝ることを不安視していたヘッケラン・イミーナ・ロバーデイクの3名も、城の奥深くに居るよりも安全であることを理解してからは、すっかりくつろいでいた。

 

 まあ、無理もない。快適な空間に加えて、出される食事もまた美味なのだ。おまけに、風呂にも入れるし、娯楽もあるときた。

 

 単純に宿屋として考えても、毎日金貨を積む必要がある部屋で寝泊まりしているとなれば、如何に快適なのかが想像出来るだろう。

 

 

「そうか、その方が良いかもな……ところで、ゾーイさんも一緒なのか?」

「ううん、ゾーイさんは帝国に残るって。詳しくは教えてくれなかったけど、役目を果たす為だって……」

「そうなのか……このまましばらくゾーイさんの下で暮らした方がいいんじゃないのか?」

「それは出来ない。何時までも甘えっぱなしにはいかないし、ここの生活に馴染むと後で苦労するのは私たちだから」

「まあ、そりゃあそうだけど……」

「あまり言うものではありませんよ、ヘッケラン。あの方は調停の神、何かしらの役目を果たす為にこの地に降り立ったのでしょうから」

 

 

 アルシェの言葉に、ロバーデイクは理解を示した。宗教などには詳しくないイミーナは、曖昧な顔で頷くだけである。

 

 

「でもよ、それはそれとして、当てはあるのか? 俺も詳しくは知らないけど、王国の方は今、けっこう不穏な空気が漂っているって話だぞ」

「え、そうなの?」

 

 

 初めて知ったと言わんばかりに目を見開くイミーナに、「お前が寝込んでいる時に、知り合いからな」ヘッケランはあっけらかんとした様子で答えた。

 

 

「なんでも、ちょっと前に王都が悪魔の侵略を受けたらしくてな。かなりの犠牲者が出たって話らしい」

「それ、本当なの?」

「俺も疑ったが、ガチだ。加えて、『エ・ランテル』でも大量のアンデッドが出現したとか……正直、今行くのはおススメしないぞ」

「それには私も同感です。悪魔云々を抜きにしても、王国は次期後継者問題が勃発し始めているというのは、前から噂されていましたから」

「こっちは鮮血帝のおかげでだいぶ風通しが良くなったけど、向こうはこれから混乱し始めるってわけね……」

 

 

 口々に言い合う3人だが、彼ら彼女らも無責任に言っているわけではない。

 

 事実として、今の王国は良くも悪くも不安定であり、どのように情勢が転ぶか分からない。だから、それは頭の片隅に入れておけという話である。

 

 

「……当ては有る……とは言い難いけど、相談してみる価値がある相手はいる」

 

 

 だからこそ、アルシェからその言葉が零れた時、誰もが否定をしなかった。

 

 

「相談? 誰に?」

「私のお師匠だった、フールーダ様です」

 

 

 ──フールーダ。

 

 

 その名が飛び出したことに、3人は目を見開いて驚いた。

 

 

 何故なら、フールーダ……『フールーダ・パラダイン』という名の人物は、帝国どころか周辺諸国全てに名が知られた魔力系魔法詠唱者であるからだ。

 

 

 魔力系・精神系・信仰系と呼ばれる三つの系統を修め、第六位階と呼ばれる魔法を使用する事が出来る実力。

 

 文字通り、帝国に籍を置く魔法詠唱者たちの頂点。

 

 大陸全土に4人しか確認出来ていない、逸脱者と呼ばれる御方なのである。

 

 

「……お前、そんな人の弟子だったのか?」

「『元』、だけど。学費が払えなくなったから、学校を辞めちゃってからは会ってない」

 

 

 ぽかんと呆けた様子のヘッケランに、アルシェはそう答えた。

 

 

「お師匠様は、魔法に関してはとても真摯に応えてくれる。帝国にはいられないけど、他所で暮らしながら魔法の研究を進めたいって言えば、もしかしたら手を貸してくれるかもしれない」

「へえ、気前良いじゃん」

「もちろん、既に学校を辞めた身だから期待は薄いし、そもそも会える可能性も低い。お師匠様、とにかく忙しい御方だったから」

「そりゃあ、国のNo.2みたいな人だからな」

「否定はしない。だから、会える保証はほとんどない。そもそも、今更顔を見せたかと怒られるかもしれないけど」

 

 

 思わずといった様子で零したヘッケランの呟きに、アルシェは苦笑交じりにそう答えた。

 

 これまで色んな弟子を取って来たらしいが、特別アルシェに対しては覚えが良く、フールーダから可愛がってもらっていたので、よく覚えている。

 

 

 だからこそ、一方的な都合で学校を辞めた自分が、一方的に押し掛けるのは少し怖い……という気持ちがあった。

 

 けれども、これ以外に会う手段が無い以上は、これをするしかないというのも事実だ。

 

 

 魔法に関する業務に携わっている時こそ、よほどの理由が無い限り邪魔をしてはならないという暗黙のルールがあったので平和であったが、それ以外の時に捕まえるのはほぼ不可能である。

 

 なにせ、フールーダ・パラダインという人物は、言うなれば帝国のもう一つの心臓みたいなものだ。

 

 帝国の、魔法関係の全てに関与していると言っても過言ではない。

 

 フールーダに予約を取り付けるよりも、皇帝の方が予約を取りやすいという笑い話があるぐらいなのだか、如何に忙しいかが窺い知れるだろう。

 

 

「……駄目だったら、改めて冒険者登録をして出直すつもり」

「冒険者に?」

「第三位階の魔力系魔法詠唱者としての力を利用しない手はない。まずは目先の収入を確保しないと」

「それは最後の手段でしょう」

「分かっている。とりあえず、明日にでも早速向かってみる」

「そんなにすぐに会えるの?」

「予約を取ろうと思ったって、後ろ盾が無いと他の弟子や高官から却下される。だから、会うなら直接行った方がまだ──」

 

 

 そこまで、アルシェが話したところだった。

 

 

「──明日、城へ向かうのか?」

 

 

 双子の姉妹が眠っている寝室より、彼女が出て来たのは。

 

 

 このハウスの主の登場に、『フォーサイト』の面々は居住まいを正す。次いで、「はい、明日、お師匠様に協力を仰ごうかと思っております」アルシェが代表する形で返事をした。

 

 

 アルシェとしても、本音を言わせてもらえば、このハウスは非常に居心地が良い。出来ることなら、ずっとここに居たいぐらいだ。

 

 しかし、この環境に慣れてしまえば、いざ外に出て暮らした時、相当に苦労するのは想像するまでもない。

 

 分別の付いた自分でさえそうなのだから、まだまだ甘え盛りの妹たちにとっては余計に辛くなるだろう。

 

 そう思うからこそ、一日でも早く此処を出て暮らさねば……と、アルシェは胸中にて強く思っているわけであった。

 

 

「では、私も明日ぐらいに用が出来ると思うから、同行させてもらっていいか?」

「え? それは構いませんけど……」

 

 

 ちらり、と。

 

 

 アルシェの視線が、寝室へと向く。「じゃあ、明日は俺たちが面倒みてやるから」それを察したヘッケランたちに言われて、アルシェは全員へ何度も頭を下げた。

 

 

 ……正直に言わせてもらうならば、フールーダに対して後ろめたい気持ちがアルシェにはある。

 

 

 なので、彼女が同行すると言った時、知られたら怒られそうだけど、心強いかも……と、アルシェは思ったのであった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………だが、そんなアルシェの可愛らしい下心も。

 

 

 

「むむ!? 何者だ、お前は!」

 

「すまない、この先に行く必要があるので押し通らせてもらう」

 

「ええい、捕らえ──うわぁ、強いぞコイツ!」

 

「怪我をさせたくない。さあ、通してくれ」

 

「四騎士だ! 四騎士様を連れて来てくれ!」

 

「さあ、アルシェ。ついでだ、おそらく、フールーダとかいう人も、この先に居ると思うから会って行こう」

 

「おお、よくもまあ、たった2人で押し入──おぅ」

 

「すまない、ちょっと通させてもらう」

 

「ニンブル様がやられたぞ! 早く、他の方を呼べ!! 応援を、早く!」

 

「いつの間にかバジウッド様までやられているぞ!?」

 

「そこまでよ、この不届きモノ──」

 

「おや、もしかしてカースドナイトか? 呪いを纏ってまで騎士の務めを果たすとは、心から尊敬する」

 

「──、……、……貴女様は、この呪いの解き方を知っているのですか?」

 

「治したいのか? 幸いにも手持ちに解呪用のアイテムがあるから、欲しければ渡そう。だが、まずは私の用事を済ませてからだ」

 

「──このお方の邪魔をするのであれば、ワタクシがお相手になりましてよ!!!」

 

「うわぁー!? レイナース様が裏切ったぞ!?!?!?」

 

「ええ!? なんで!!??」

 

「ふ、フールーダ様を呼べ! 早く、早く呼ぶんだ!!」

 

 

 

 ──目の前で繰り広げられる、悪夢のような光景を前にして。

 

 

(……帰りたい。帰って、妹たちの相手をしていたい)

 

 

 あっという間に萎んでしまい、己の浅はかさを嗤うしかなかった。

 

 

 

 




悪気は全くない。ただ、早くいかないと大変なことになりそうだから急いでいるだけ(なお、アポなし)


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(裏話)骸骨の思い出

オリ設定増し増しなので気になる人は注意要!

とりあえず、鈴木悟が曇ります


 

 

 

 彼女(ゾーイ)が城へと突撃する、数日前。場面は、悟と彼女が分かれた、墳墓の前まで戻る。

 

 

(……よし、やるか)

 

 

 遠ざかってゆく彼女の後姿を見送った悟は、すぐさま『伝言』にて指示を送る。

 

 相手は、『ユリ・アルファ』、『シズ・デルタ』、『マーレ』の3人で、用件は一時的に切り上げていたカルネ村の食糧生産作業の再開である。

 

 

 ……とはいっても、やれる事などほとんどない。

 

 

 収穫するまで気を抜いてはいけないと思うのでマーレは当然として、他の2人はマーレの監視みたいなものだ。

 

 作業を邪魔された、うっかり畑に入ったからとかいう理由で、マーレは住人達に重傷を負わせかねない。

 

 

 だから、そうなる前に止めてくれる(他のNPCたちだと、興味がないから見逃しそうだし……)倫理観を持ったNPCを配置する必要があるわけだ。

 

 

 現状、後はカルネ村の住人たちでもやれる仕事ではあるが、彼ら彼女らには自分たちの細々とした仕事がある。

 

 得られる食糧の幾らかを譲ると村長であるエンリには話しているが、それでも、只でさえ諸事情により以前より人員が少なくなっているのだ……負担を軽視するべきではないだろう。

 

 

「パンドラ、請負人たちがナザリックより持ち出したアイテムなどはあるか?」

 

 

 続いて、NPCたちの暴走を抑えているパンドラへと『伝言』を送る。

 

 

『──アイテムではありませんが、一階層の墓地に安置されている棺桶の一部が持ち出されたようでした』

 

 

 少し間を置いてから、パンドラより『伝言』が返ってきた。

 

 

「なに? どうしてそんなものを?」

『──おそらく、『フォーサイト』の者たちと同じ動機かと。仕事を完遂したという証のために、なにか物品が欲しかったのでしょう』

「なるほど……ん? 一部とは、まさか棺桶ごとか?」

『──いえ、棺桶に取り付けられている錆びたナイフや十字架です。どのように対処致しましょうか?』

「……放っておけ。彼らは彼らなりに必死だったのだろう。いちいち目くじらを立ててやる事もない」

 

 

 少し考えた悟は、そう言って請負人たちの行いを流した。

 

 アイテム以前のモノとはいえ、盗まれた事に思うところはある。どんなモノであろうと、仲間たちと築いた思い出の品であるからだ。

 

 しかし、これまで気にも留めていなかったうえに、請負人をナザリックへ引き込んだのは、こちら側だ。

 

 自分から泥棒を招き入れておいて、その泥棒に怒りを向ける滑稽さを無視出来るほど、今の悟は人間性を捨ててはいなかった。

 

 

 ……で、だ。

 

 

 他にも、ナザリックに被害が及んでいないかを確認し終えた悟は、そのままNPCたち(特に、守護者)が暴走しないようにそれとなく監視するように指示を出した後。

 

 

 墳墓の中へと戻り……以前より考えていた、9階層の『ロイヤルスイート』へと向かう。

 

 

 そこは、NPCたちの立ち入りが基本的に禁止されている場所。

 

 はっきり言えば、ギルドメンバーたちが個々に活用していた私室がある階層であり、悟の私室もここにある。

 

 例外として入れるのは、悟の私室のみ。しかし、それも昔の話。

 

 現在では、悟が許可した時以外に、NPCは如何なる理由が有っても立ち入ってはならないようにしてある。

 

 なので、『ロイヤルスイート』へと降り立った悟の傍に、NPCは1人もいない。静まり返った通路を進み、そうして立ち止まったのは……ギルドメンバーたちの部屋の前であった。

 

 

 

『ペロロンチーノ』

 

 

 

 そう、扉に書かれたネームを見て、悟は……何とも言えない懐かしさを覚えると共に、思わず軽く笑った。

 

 

(種族変更アイテムか……ワールドアイテムだし、まあ、有るはずないけど、調べない理由にはならないな)

 

 

 ──ペロロンチーノさん、ごめんなさい、入りますね。

 

 

 そう、此処には……いや、この世界には居ない、かつての仲間に対して、心の中で頭を下げつつ……部屋の中へと入った。

 

 

 

「うわぁ……」

 

 

 

 直後、悟は……思わずその場より一歩引いた。

 

 何故なら……その部屋は、一言でいえばロリキャラの倉庫であった。

 

 壁一面に張られた、おそらくはユグドラシル以外のゲームに登場するであろうロリキャラのポスター。

 

 設置されている家具そのものは特にレア仕様の物ではないが、それもカスタマイズしているようで、悟が知っているそれらと微妙に形が違う。

 

 というか、その家具の上にもフィギュア(たしか、そんな名前だ)が所狭しと置かれている。造形こそ異なるが、共通するのはロリで人外系……だろうか。

 

 詳しくは知らないが、広告などで見た覚えがあるキャラもある。ロリで貧乳なキャラが好みというのは聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。

 

 

「……は、入りたくねえ」

 

 

 悟とて、伊達に10年以上ユグドラシルに捧げたわけではない。

 

 エロゲー等をプレイした事はないが、可愛いロリキャラに萌えるという感覚は理解しているし、共感したこともあった。

 

 

 しかし、これ程とは思っていなかった。

 

 

 いや、むしろ、これ程だからこそ、頭オカシイレベルのガチビルドのシャルティアを作ったのだろう……と、悟は己を納得させ……ふと、首を傾げた。

 

 

(そういえば、これだけ色々なキャラがあるのに、肝心のシャルティアのポスターなりフィギュアなりが一つも見当たらないな)

 

 

 実物(というのも、変な話だが)があるから、わざわざポスターにする必要がないと思ったのか……今更分かる話でもない。

 

 

 ……なんにせよ、ここで足を止めるわけにはいかない。

 

 

 ひとまず、覚悟を固めた悟はえいやと中へと進み……目につく引出しやベッドの下やらを片っ端から覗いて、確認し、引っ張り出す。

 

 広大な敷地面積を誇るナザリック地下大墳墓とはいえ、各ギルドメンバーたちの部屋が広いかといえば、そういうわけでもない。

 

 とにかく広い部屋を好む者もいたが、中には広すぎると逆に落ち着かないという者もいた。

 

 ペロロンチーノは、悟と同じく後者のタイプだったのだろう。

 

 そこまで広くはない室内(私物がいっぱいだとしても)をくまなく探すにしても、小一時間程度で粗方探し終えてしまった。

 

 

(分かってはいたけど、ほとんどクズアイテムだな)

 

 

 そうして、見つかったのは……実用性というよりも、趣味を最優先させたアイテムが数点だけであった。

 

 

「超高額換金用の激レアの指輪に、死者嫁の冠に、死者嫁のドレス、死者嫁の靴……どれもシャルティアが装備可能ではあるけれども効果無し……完全に、ペロロンチーノさんの趣味だな」

 

 

 ──ペロロンチーノさん、あんたってやつは。

 

 

 エロに対して並々ならぬ情熱を注ぐ姿、事あるごとに『シャルティアは俺の嫁!』と豪語していたのを思い出し、ふふふと悟は笑みを零し……ついで、鍵の掛かった本へと視線を移した。

 

 

 それは、ユグドラシル内にて使用出来るノートみたいなものであり、外観はアンティーク調の分厚い本といった感じだろうか。

 

 

 本そのものには、分厚い鎖によってガッチリと締められており、表紙の中心にある、小さな錠前に繋がっていた。

 

 中を見るには、当人が記した『パスワード』を音声形式にて入力する必要がある。それ以外の方法では、如何なる手段を持ってしてもページを開くことが出来ない。

 

 それこそ、ワールドアイテムでも不可能だ。そういうプライバシーに関する部分には、運営は滅茶苦茶厳しかったのだ。

 

 なので、これを開けるにはどうにかしてパスワードを見つけ出し、音声にて入力するほかないのだが……当然ながら、悟はそんなモノなど知らなかった。

 

 

 ……なにか、部屋にヒントでも残されているだろうか? 

 

 

 ぐるりと、室内を見回す。右も、左も、前も後ろもロリキャラだらけで、ウッと悟は堪らず呻いた。

 

 

 ……悟も、リアルでは万が一パスワードを忘れてしまった場合を想定して、押入れの壁にメモを貼り付けていた。

 

 

 悟が知る限り、ペロロンチーノの性格からして、おそらくはなにかしら分かる形で何処かに残しているはずだ。

 

 あるいは、当人にだけ分かるような暗号として……だが、しかし、既に室内は隅々まで探した。パスワードらしきモノなど、何も……。

 

 

(アイテムそのものに意味が? いや、各個人が所有するアイテムのパスワードなんて、せいぜい10文字にも満たない……)

 

 

 物は試しと、ここにあるアイテムの名を告げてみるが……思った通り、開錠される気配はないし、鎖はギチギチで緩む気配はない。

 

 

 ……やはり、パスワードが何処かにあるはずだ。

 

 

 そう判断した悟は、改めて室内を見回す。見覚えのあるキャラも、無いキャラも、こちらを笑顔で見つめている。

 

 ああ、あれは前に話してくれた推しキャラだな……と、昔を懐かしみつつ、一つ一つ、キャラを見てゆき。

 

 

「そういえば、どうしてシャルティアのが一つも無いんだろうか……」

 

 

 ふと、そんな事を呟いた──その、瞬間。

 

 

「……『シャルティアは俺の嫁』」

 

 

 まさか、だよな。

 

 

 そう思いながらも、本へと呟いた──直後。

 

 かちん、と。

 

 それまでビクともしなかった錠前が勝手に外れ、鎖が重みに引きずられるがまま滑り落ち……がしゃん、と床に落ちた。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………ぺ、ペロロンチーノさん! 

 

 

「あんたって……あんたって人は……!」

 

 

 なんだろう、ここまで突き抜けると、もはや称賛の言葉しか頭に浮かんでこない。

 

 

 ――本当に、あの人はシャルティアが大好きだったんだな。

 

 

 ある種の恐れと憧れを抱きつつも、悟は表紙を開き……少しの間を置いてから、思わず笑った。

 

 何故かといえば、そこには……まだギルドとしては駆け出しの、『アインズ・ウール・ゴウン』が出来てすぐの事からが記されていた。

 

 

 ──無課金で頑張ろうとしたけど、課金しなくては勝てない敵と戦うことになり、『無課金よ、さらば!』と捨て台詞を吐いた事。

 

「あったあった、無課金同盟! 懐かしいなあ、最初の頃は俺も、無課金でもヤレるぞって息巻いていたっけなあ……」

 

 

 ──『アインズ・ウール・ゴウン』が所有したワールドアイテムを他所に奪われ、滅茶苦茶悔しくてその日眠れなかった事。

 

「あ~、あったな、そういうの。そうそう、俺も滅茶苦茶悔しくて、次は倍返しするぞってみんなで話し合ったっけ……」

 

 

 他にも、そのノートにはペロロンチーノの視点で記された、仲間たちとの思い出の日々が綴られていた。

 

 

 普段は事あるごとに言い争う事が多かった『たっち・みー』と『ウルベルト』が、ダンジョンを攻略してギルドを所有した時、互いを健闘を称えるように背中を叩き合ったこと。

 

 NPCであるメイドたちを作るに当たって貧乳ロリキャラを提案したけど即座に却下され、悔しくて堪らなかったこと。

 

 神器級装備を揃えるにあたって、食費を削った事を姉に滅茶苦茶怒られたこと。でも、その姉も食費を削ってNPCに注いでいるのを見て、ブチ切れたこと。

 

 

 そこには……悟の目線ではない、ユグドラシル黄金時代の思い出が細やかに、それでいて、鮮やかに綴られていた。

 

 

 実は、悟が知らない場所でギルド員同士が喧嘩した事があったこと。それをペロロンチーノ他数名が宥めて仲裁したこと。

 

 ギルド長である悟に黙って貴重な素材を使い込んだが、バレないうちに、必死になって素材を掻き集めて誤魔化したこと。

 

 

 本当に、知らなかった事が山のように綴られている。

 

 

 そこに、怒りは覚えなかった。

 

 それよりも、そういえばあの時○○さんと○○さん、妙に険悪な雰囲気していたけど、それが理由だったのかと驚きしかなかった。

 

 

(……あの頃は、どこへ攻め込むぞとか、ダンジョンへ行くぞとか、色々と多数決を取ったりしてワイワイやってたっけ……)

 

 

 まるで、あの頃に心が帰ったかのような気持ちになっていた。

 

 気付けば、悟は探し物をしていた事すら頭から抜けて、ベッドに腰を下ろして集中して日記を読んでいた。

 

 一枚ページをめくるたびに、「ああ、そんな事も……」とか、「そうそう、この時初めて……」とか、忘れていたことすら覚えていなかった思い出が、蘇る。

 

 喜びの感情が、その度に抑制される。アンデッドとしての己を自覚する。

 

 けれども、すぐに跳ね上がり……気付かぬ間に、抑制が掛からないギリギリのところから動かなくなっている。

 

 それほどに、嬉しかった。そして、懐かしかった。

 

 他人の日記帳だとしても、もう己以外は覚えていない皆との思い出を、こうして見る事が出来て……悟は、心から喜んでいた。

 

 

「……ん? 日記はここまでかな? 途中で白紙になって──え?」

 

 

 だが、それも……途中より白紙になり、ここで終わったのかなと思ってそのままパラパラと捲って……悟はギクリと手を止めた。

 

 

 

 

 ──『これを見ているかもしれない、モモンガさんへ』──

 

 

 

 

 何故なら、十数ページほど捲った先に、そんな一文が記されたページが姿を見せたからだった。

 

 

 いったい、どうして? 

 

 

 驚きよりも前に、疑問が空っぽの脳裏を過る。

 

 何故なら、これはペロロンチーノのノート……偶然にもパスワードを一致させる事は出来たが、普通なら見る事は不可能だから。

 

 気になって、急いでページを捲った悟は……そこから、2ページに渡って綴られた文章を読み……納得した。

 

 

 その中身を簡潔にまとめると、だ。

 

 

 要は、悟が見るかもしれないけど、基本的には見せない方向で残したモノらしい。だから、上手く開けられたら、それはそれで仕方ないと思っている。

 

 引退とは明言しないけれども、諸事情により次にログイン出来る日が何時になるか分からない。結局、実質的に引退も同然の状態になるだろう。

 

 だから、様々な理由からこの部屋を使用する時に、この日記帳を見付けたならば、それをどう使うのかは全て任せる。

 

 面倒に思って処分するのも良いし、頑張って開けても良い。どのようにも任せるから、気に病む必要はない……と、いった感じで。

 

 つまりは……文脈から察するに、これを開けるのが悟である事を前提にされた、『モモンガ』に伝えたかったモノ……ということになるのだろう。

 

 

(……読みますよ、ペロロンチーノさん)

 

 

 非常に回りくどい書き方だが、言わんとしている事は分かった。

 

 とりあえず、読ませてもらうことに決めた悟は、少しばかり迷いながらも……静かに、ページを捲った。

 

 

「……え?」

 

 

 そして、悟は……そこに記されたペロロンチーノの残した言葉を前に、絶句するしかなかった。

 

 

 

 

 

 ──有り体にいえば、だ。

 

 

 どうして悟に装備を全て渡して、ログインしなくなった理由が、そこに記されていた。

 

 その理由とは、病気だ。それも、ペロロンチーノではない。

 

 ペロロンチーノの姉であるギルドメンバーの1人、『ぶくぶく茶釜』が病に侵され、その看病や生活の為にユグドラシルを引退する必要があったのだ。

 

 

 

 

 ……コレを読んでいるということは、モモンガさん。たぶん、俺たち姉弟がユグドラシルを辞めた理由を知った後だと思う。

 

 だから、先に言っておくね。

 

 ごめん、モモンガさん。こんな形で、言いたい事だけ残してしまって。

 

 貴方に、引退云々の理由を伝えなかったのは、姉の意向なんだ。

 

 メンバーの中でも一番『ナザリック』に思い入れがあり、ユグドラシルを楽しくプレイしていた貴方に、知ってほしくなかった。

 

 きっと、貴方は気に病んでしまう。そうでなくとも、楽しんでいるユグドラシルの日々に水を差したいとは思わない。

 

 少しずつ病状が悪化してゆく中で、楽しかったあの頃と変わらずに居る貴方を見ていると、自分もあの頃に戻れたような気がして、心がとても軽くなった。

 

 だから、姉は貴方にだけは伝えないように自分に厳命し、自分もそれに従った。

 

 その事について、大変申し訳ないと思っている。結果的に、事情を話さず一方的に引退する形になってしまう事になるだろうから。

 

 表向きは、姉も声優として活躍しているように見えると思う。

 

 でも、ある時からパタッと出なくなったら、病状が悪化して……おそらく、これが読まれている頃にはもう、姉は亡くなっていると思う。

 

 そして、自分もまた、同じ道を辿ると思う。姉の病は、遺伝性の疾患。姉には黙っているが、病の初期症状が俺にも出始めているから。

 

 ……これを記したのは、貴方に何もかもを隠したまま去る事への後ろめたさからだ。

 

 姉との約束を破りたくはない。けれども、貴方に嘘を付いたまま去りたくもない。

 

 だから、ここに記す。

 

 律儀で真面目な貴方は、おそらくこの部屋に入る事はないだろう。それこそ、サービス終了の日を迎えても。

 

 でも、万が一……仕方がない理由からこの部屋に入り、この日記を見つけ出し、偶然にもパスワードを解いた時……どうか、姉のことを恨まないでほしい。

 

 一方的な話だけれども、姉はただ貴方を想っていただけだから。ただ、最後まで楽しくユグドラシルをプレイして欲しかっただけだから。

 

 だから……ごめんなさい、モモンガさん。      』

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………日記は、そこで終わって……いや、違う。その先に、少しだけ。

 

 

 

『他にも、病気とか怪我とかで引退を決めているメンバーが居る。名前は明記しないけど、もしかしたら私室にメッセージを残しているかもしれない』

 

 

 

 それだけが記されていて……それ以降のページは白紙のまま、何も記されてはいなかった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………ぽとり、と。

 

 

 読み終わると同時に、悟の骨の両手から日記が落ちる。呆然と、厚みのあるそれを見下ろしていた悟は……しばしの沈黙の後。

 

 

 

「……どうして」

 

 

 

 涙一つ零れない眼孔を、骨の両手で覆い隠しながら……悟は、震える声で。

 

 

「水臭いじゃないですか……そんな気の使い方、ちっとも俺は嬉しくないですよ……ペロロンチーノさん……!」

 

 

 今は居ない、此処を去って行ったメンバーたちの名を、呼ぶしか出来なかった。

 

 

 ……この時、悟は今更ながらに、その事に気付いた。

 

 

 ナザリックを捨てた者たちは居ただろう。所詮はゲームだし、その事を悟とて否定するつもりはなかった。

 

 

 でも、ようやく悟は……知って、気付く事が出来た。

 

 

 いずれは、そうなったかもしれない。でも、失意の内に離れざるを得なかった者たちが居て、その者たちは確かにユグドラシルを楽しみ、ナザリックの一員だったのだ。

 

 それは、とても勝手な言い分だ。

 

 酷い事だと思うし、罵倒されても仕方がないとも思う。

 

 ……でも、それでも。

 

 ナザリックを……過ぎ去った過去だとしても、思い出は確かにここにあって、同時に、己は誰かに想われていたのだということを。

 

 

「不甲斐ないギルド長で、すみません……ペロロンチーノさん……!」

 

 

 己は、あの世界でも独りじゃなかったのだということを……今更に、気付くことが出来たのであった。

 

 

 

 

 

 




これも全て竜帝ってやつが悪いってgoogleが言ってた


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(裏話)骸骨の迷い

オリ設定増し増しやで


 

 

 

 それから、しばらく……感情抑制によって、ようやく冷静さを取り戻した悟は、その足で……他のメンバーたちの私室を巡って行った。

 

 

 そこで、分かったのは……ユグドラシルに飽きて離れてしまった者でも、それ以外のキッカケで離れた者でも、大なり小なりナザリックを楽しんでいたこと。

 

 ペロロンチーノの残した日記の通り、文字通り不本意な形で引退せざるを得なかった者が他にもいたこと。

 

 ギルド長である悟に言えないまま、徐々にログイン回数を減らし、そのまま……という流れで引退する手段を取っていたこと。

 

 

 それらは、少なからず悟の心に重く圧し掛かった。

 

 だが、なによりも悟の心に暗い影を落としたのは……他でもない。

 

 

(たっち・みーさん、ウルベルトさん……俺は、何も知らないまま、暢気に……)

 

 

 それは、悟にとって非常に衝撃的な話であった。

 

 

 ──詳細を語る必要は無いだろう。

 

 

 だが、強いて語るとするなら……この二人の関係性は、社会常識的な目で見れば、『正義』と『悪』の対立だ。

 

 けれども、それは一昔前のハリウッドムービーに出て来る、分かり易く、誰が見ても頷く『正義』と『悪』の対立ではない。

 

 仕方がない事であった。望む望まないに関係なく、世界がそのように二人の立場を生み出してしまった。

 

 

 そして、2人は互いに相手のソレを知ってしまった。

 

 

 知ってしまった以上は、以前のようにはいられない。いられたとしても、いずれ、それは出来なくなる。

 

 

 だから、2人は離れた。

 

 

 このまま同じ場所に留まれば、リアルにおいても互いが互いの立場を悪くする。

 

 下手すれば、『アインズ・ウール・ゴウン』そのものが運営より抹消される可能性があった。

 

 だから、そうなる前に2人はユグドラシルを離れた。表向きは、互いの悪感情がエスカレートした結果……という形にして。

 

 

(……俺は、今まで何も知らなかったんだな。いや、知ろうとしなかったんだ)

 

 

 ギルドメンバー全員の私室を巡り終えた悟は、自室のベッドに腰を下ろし……静まり返った中で、俯いていた。

 

 

(俺が愛するナザリックが変わって欲しくないばかりに、目を逸らし続けていた。誰よりも自分勝手に振る舞っていたのは、俺の方だった)

 

 

 隠されていた事情を知った今、悟は……後悔し続けていた。

 

 思い返せば、予兆というか、変化は見られていたのだ。

 

 急に余所余所しくなったり、ログイン回数が減り始めたり、色々と始まりは見えていた。

 

 

 でも、己はそれから目を逸らしていた。

 

 

 今日会えなくても、明日、いや、明後日には……そんな暢気な気持ちで毎日を過ごしていた。

 

 

 ……分かっていた、はずなのだ。己が生まれ育ったあの世界は、人の命など軽いということが。

 

 

 富裕層あるいは中間層に生まれた者ならまだしも、己のように下層(それでも、小学校に通えていただけマシ)生まれの命なんて、本当に軽い。

 

 どんなに重い病を患っても、市販の風邪薬や解熱剤などで回復させるのが当たり前。診察料金を工面出来ず、初期に治療すれば完治出来た病気を悪化させ、死亡したなんて話も珍しくはない。

 

 実際、悟の母親も過労からくる衰弱によって死亡した。

 

 栄養と休息を与えれば回復出来たのに、それが出来るだけの余裕がなかったから、死んでしまった。己のために、母親は死んでしまったのだ。

 

 

 その己は……今まで、何をしていた? 

 

 

 大切に想っていた仲間たちの事情にも気付かず、偽りの箱庭の中で悦に浸り、ユグドラシルやナザリックが衰退してゆく様を自分勝手に悲しんでいた。

 

 ユグドラシルを離れる理由なんて、それこそ飽きた以外に、いくらでも理由があるし、思いつくというのに。

 

 

 ……なんという、阿呆な男だろうか。

 

 

 悟は、己を深く深く罵倒する。空っぽの頭蓋骨の中を過るのは、サービス最終日の……ヘロヘロさんが、ログアウトした後。

 

 

 ──あの時だって、たった一言で良かったのだ。

 

 

 たった一言、『最後ですし、サービス終了をここで迎えませんか?』とさえ告げれば、ヘロヘロは付き合ってくれただろう。

 

 本当にどうでもよくなっていたら、わざわざユグドラシルにログインなどしない。過去の思い出だとしても、大事に想っていたからこそ、わざわざログインしてくれたのだ。

 

 

 でも、その時の悟は何も言わなかった。

 

 

 大人のフリをしていただけで、ただ、ヘロヘロの機嫌を損ねないようにと、何も声を掛けず……ログアウトした後で、一方的に怒りをぶつけただけであった。

 

 

 ……なんという、恥知らずな男だろうか。

 

 

 みんなから向けられる想いに気付かないばかりか、自分勝手に去っていた仲間たちを……そう思い込んで、薄情者だと一方的に罵倒した。

 

 

(情けない……穴が有ったら入りたいとは、正しくこういう時の言葉なんだな)

 

 

 その事実に、悟は心から……これ以上ないぐらいに、心から己を蔑んだ悟は……少しの間を置いて、静かに立ち上がった。

 

 

「……何時までも、ウジウジと泣くわけにもいかないな」

 

 

 アンデッドの感情抑制の効果が、良い方向に働いたのだろう。

 

 今にも死んでしまいたい、裂けてしまいそうな心痛も、感情がフラットに戻されることで立ち直る事が出来る。

 

 

「ここは、俺たちが作り上げた大事なナザリックだ。だが、誰かを傷付ける為に作った場所じゃない。人を食い殺し、悦に浸る者たちが住まう場所にしてはならない」

 

 

 悟の視線が、部屋に置かれたテーブルの上。そこに鎮座する、流れ星のマークが刻まれた指輪に向けられる。

 

 それは、『流れ星の指輪(シューティングスター)』と呼ばれる、課金アイテムの中でも、超激レアに分類されるアイテムの一つ。

 

 その効果は、超位魔法『星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)』発動時において、消費する経験値を3回分だけ0にするというものだ。

 

 

 ……超位魔法というのは、ユグドラシルに存在する魔法の中でも、究極の魔法として設定されている非常に強力な魔法である。

 

 

 発動条件は様々で、『星に願いを』のように1レベル分の経験値を使用するモノや、一日の使用回数が限られているモノも……と、話を戻そう。

 

 

 超位魔法『星に願いを』の効果は、『望んだ願いを実現する』というものだ。

 

 

 この世界に来て効果が変化した魔法の一つである。

 

 ゲームでは使用すると、発動する効果が選択肢として表示されるだけだが、この世界では、発動する効果は一つだけとなっている。

 

 ただし、最大500%分の経験値を注ぐことで、より強大な願いを叶えられるようになっているので、どちらが良いという話でもない。

 

 ちなみに、悟はこの指輪を元から一つ所持しており、既に一回分使用している。

 

 そして、今回の調査で新たにもう一つ未使用の『流れ星の指輪』が見つかったので、計5回分。

 

 つまり、500%分の願い事を一度だけ消費無しで発動できる……というわけだ。

 

 ちなみに、指輪はギルドメンバーの『やまいこ』の私室で発見したものだ。どうやら、仕舞いこんで忘れていたようだ。

 

 当時は、ボーナス注ぎ込んで一個手に入れた悟に比べて、ガチャ1回で引き当てた『やまいこ』に対して腹の底から嫉妬したものだが……今となっては、良い思い出というやつだ。

 

 

(これを使えば、可能性としては人間に戻れるかもしれない……)

 

 

 『星に願いを』は、他の超位魔法に比べても、かなり特殊な魔法であり、博打性の強い魔法である。

 

 そして、他の魔法とは違い、今日は駄目だったから明日は……なんてのが、通じない魔法でもある。

 

 

 何故ならば、だ。

 

 

 まず、『星に願いを』は、レベルが95にならなければ習得出来ない。そして、ユグドラシルでは、レベルが100に近付くに従って求められる経験値が一気に跳ね上がる仕様になっている。

 

 つまり、この世界では通常、『流れ星の指輪』が無ければ、500%分の経験値を注ぎ込むチャレンジは一度しか出来ないのだ。

 

 仮に、100%分で失敗し、次に思い切って500%分を注ぎ込んでも失敗すれば……レベルが95に上がるまでは、『星に願いを』を使用出来なくなる。

 

 『流れ星の指輪』があっても、考えなしにチャレンジ出来る余裕が出来たわけではないのだ。

 

 

 そして、ここはユグドラシルではない。

 

 

 そう、レベル上げに見合う水準のモンスターが次々湧いては消えてくれる、ゲームの世界ではないのだ。

 

 この世界にも経験値という概念があったとするならば、ここら周辺のモンスターを百万、一千万と殺したところで、必要経験値の1割にも満たないのは明白だろう。

 

 

 それに……危惧しなければならない点が、もう一つある。

 

 

(仮に『星に願いを』で人間に戻れたとして……下手すると、その場でNPCたちに殺されかねないか、俺?)

 

 

 ジッと、骨の両手を見つめた悟は……どうしたものかと頭を悩ませる。

 

 

 というのも、だ。

 

 

 悟……いや、『モモンガ』のステータスは、『種族:アンデッド』で、『オーバーロード』というクラスであるのを前提とした装備やスキルを習得している。

 

 つまり、種族が変更されて人間になった途端、それまで得ていた恩恵のほとんどが失われてしまい、相当なレベルダウンとなってしまう可能性が極めて高い。

 

 おそらく、レベル20~30……いや、アンデッド種としてのレベル全てが失われた場合、レベル60……最悪、レベル1にまで落ちる可能性がある。

 

 

 正直、それだけは絶対に避けたい。

 

 

 レベル60ですら、守護者どころかプレアデス(戦闘メイドたちのこと)にも殺される程度の力でしかないのだ。

 

 いや、種族としてのレベルを失った状態ならば、更に格下の相手からアッサリ殺される可能性もある。

 

 

 それに……可能性といえば、だ。

 

 

 人間になった途端、人間嫌いを公言しているNPCたちに殺され、そのまま『アインズ』の支配から解き放たれて……という可能性とて、0ではないのだ。

 

 

(というか、人間に種族変更した瞬間、システム的に『モモンガ』が消失して、ナザリックの全NPCが、野良NPC扱いになるとか……ないよね?)

 

 

 想像すると、物凄く怖い光景である。とはいえ、考え出すとキリが無いので、それはすぐに打ち切る。

 

 

(ゾーイさんは、俺が後々人々を助けると話していた。せめて、その願いの一端ぐらいは果たせないと、俺は死んでも死にきれない)

 

 

 しかし、そうなると……だ。

 

 

 重要なのは、使うタイミングだ。

 

 

 少なくとも、NPCたちの前では使えない。人間になった途端、至高の御方のカテゴリーから外れ、頭から食われる恐れがある。

 

 もちろん、NPCたちの前で駄目ということは、ナザリック内部では絶対に駄目だ。とてもではないが、逃げ出せる自信は欠片もなかった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………その時、悟は思った。

 

 

 どうしてそう思ったのかは、悟自身にも分からない。

 

 それが、相手にとって非常に辛い選択を迫る事だとは、分かっていた。

 

 けれども、アイツなら……あのNPCであるならば、もしかしたら……そう思った瞬間、悟の手は動いていた。

 

 

「──パンドラ、聞こえるか?」

 

 

 気付けば、悟は己が作ったNPCの名を呼んだ。呼んだ直後、早まった行いだと思ったが。

 

 

『──どう致しましたでしょうか、アインズ様』

 

 

 その時にはもう、『伝言』が返された後であった。

 

 

「……その、こちらへ来られるか? 9階層の、私の私室へ」

『──もちろんでございます』

「では、待っている」

『──承知致しました。すぐに、向かいます』

 

 

 成るように、成るしかない。そう思いながら、悟は『伝言』を切った。

 

 

 ……遅かれ早かれ、裏切らない協力者の存在は絶対に必要だ。そして、今の自分には時間が無い。

 

 

 現状、パンドラ以外には思いつかないし……と、考えていると、自室の扉がノックされた。

 

 

「入れ」

「失礼します」

 

 

 相当に急いできたのだろう。

 

 少しばかり衣服の襟元が乱れていたが、入室すると同時にピシッと整え……バシッと、悟へ向かって派手な敬礼をしてみせた。

 

 

(……そうだったな。それも格好いいなって、あの頃は毎日一生懸命考えて設定していたんだよな)

 

 

 その姿を見て感じるのは、背筋を登ってくる羞恥心。並びに、懐かしさであった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………っと。

 

 

「あの、アインズ様?」

「──む、ああ、済まない、少し考え事をしていた」

 

 

 呼び出されたのに何も言わず、ぼんやりと眺められたら誰だって不思議に思うだろう。

 

 落ち着けと、悟は何度も己に言い聞かせながら、3回ほど大きく深呼吸をすると……改めて、パンドラを見つめた。

 

 

「パンドラ、これからお前に幾つかの質問をする。答え難い質問であっても、必ず返答せよ」

「はい」

「偽りなく、全て本心を答えるのだ。これは厳命であり、今後のナザリックの方針にも関わる重大な事であると心せよ」

「はい、アインズ様」

 

 

 深々と一礼するパンドラを前に、悟は……もう一度、大きく深呼吸をしてから……改めて、顔を上げた。

 

 

「パンドラ……仮に、だ。仮に外敵によってナザリックが襲撃された際、私がナザリックを放棄すると決めた時、お前はどうする?」

「判断に従います」

 

 

 ──即答であった。

 

 

 あまりにアッサリ即答された事に、悟は思わず目を見開いた。

 

 

「従うのか?」

「はい、従います」

「……では、ギルド武器を破壊して、完全にナザリックを放棄する決断を下した場合は、どうする?」

「変わりません、全て従います」

 

 

 キッパリと、言い切ったパンドラに……悟は思わず立ち上がり……椅子に腰を下ろした。

 

 

「……分かっているのか? ギルド武器を破壊されるということは、このナザリックの崩壊……並びに、お前たち全員の消滅を意味する」

「全て、存じております」

「それでも、判断は変わらないのか?」

「全く、変わりません。そうする必要があるならば、そうするべきだと私は考えております」

 

 

 それに……パンドラは、言葉を続けた。

 

 

「アインズ様は、勘違いをなさっている。いえ、おそらくですが、アインズ様も薄々勘付いているかと思います」

「……と、言うと?」

「私は、アインズ様の手で生み出され、アインズ様の為に存在する唯一の僕でございます」

「それは知っている」

「しかし、他の守護者たち……いえ、ナザリックの僕たちは違います。あの方たちは、あくまでも己の創造主が第一であり、今は唯一残ってくださった『至高の御方』であるアインズ様を代わりとしております」

「──っ!」

「つまり、アインズ様とナザリックとが同格なのです。もちろん、最終的にはアインズ様を選ぶでしょうが、それまで相当な葛藤を覚えるのは想像するまでもありません」

「……そ、うか。なるほど、概ね想像していたとおりだ」

 

 

 すーっ、と。

 

 

 驚きのあまり、悟は感情抑制が働いたのを自覚した。それぐらいに、悟が感じた驚愕は大きかった。

 

 まさか……そう、まさか、己以外に、NPCであるパンドラが、ここまでナザリックを客観的に見ているとは思っていなかったからだ。

 

 

 そう、そうなのだ。

 

 

 以前から、疑念であり懸念でもあったことが一つ。

 

 それは、NPCたちは本当に己を第一に考えているかという、根本的な不安であった。

 

 現状、ナザリックに居る『至高の御方』はアインズのみ。

 

 絶対的な存在として盲信するNPCたちの忠誠心だが……仮に、そう仮に、NPCたちを創造したギルドメンバーが現れた時。

 

 

 ──彼ら彼女らは、どちらの指示に従うだろうか……そう思った事は、一度や二度ではない。

 

 

 悟もそうだったが、NPCたちがナザリックを特別視するのは、ここが創造主への唯一の繋がりが残された場所だから。

 

 言い換えれば、ここを失う事になれば、自分たちの創造主との繋がりが失われてしまうということ。

 

 なるほど……パンドラの推論を、悟はスルッと受け入れていた。

 

 

(……そういえば、以前シャルティアと戦った時も、激昂していたとはいえペロロンチーノの方が優れていると口走っていたっけ)

 

 

 この世界に来た当初、ナザリックに土を掛けるという行為だけでアルベドが機嫌を悪くしたのも、それなら説明が付く。

 

 あくまでも、NPCたちにとって己の創造主が一番。次に他の『至高の御方』であり、最後にナザリックが来る。

 

 だから、パンドラは創造主であるアインズを第一に考え、ナザリックの放棄を一切躊躇しない。

 

 対して、他のNPCたちは、自分たちの創造主との繋がりがあるナザリックとアインズを同格に近しい目で見ている。

 

 何故なら、創造主が居ないからだ。ゆえに、命令に従うかどうかは別として、だ。

 

 実際にそうなった時、相当な反対……場合によっては、命令を無視してでもナザリックを護ろうとするかもしれない……と、悟は納得した。

 

 

「──私にそのような質問をなさるということは、いずれギルド武器を破壊し、ナザリックを完全に放棄する……と、考えてよろしいのですね?」

「それは……」

「その際、アインズ様はどうなさるおつもりでしょうか? 相当な戦力ダウンは当然のこと、場合によってはそのまま敵に討ち取られる危険性がございますが……」

「…………」

 

 

 なので、パンドラより剛速球な質問を真正面から返された悟は、すぐには返事を出来なかった。

 

 それも、当然である。結論は、既に出ている。

 

 しかし、短い間とはいえ情が湧いてしまっているパンドラに、『そうだ、もうすぐお前は死ぬ』という意味の死刑宣告を言葉にすることが、悟には出来なかった。

 

 

「……なにを迷う事がありますでしょうか」

「え?」

「私たち僕は、アインズ様の為に存在しているのです。間違っても、私たちの為にアインズ様が存在するわけではありませんし、ナザリックの為に私たちが存在するわけでもありません」

 

 

 だからこそ、パンドラの口から。

 

 

「生きて良いのです。ナザリックの主ではなく、1人の人間として……生きて、新たな道を模索し、歩いて良いのです」

「パン、ドラ……お前、まさか!?」

 

 

 そんな言葉が飛び出すとは、想像の端っこにすら想定していなかった。

 

 そう、それは、悟にとっては絶対に聞き逃せない言葉であった。

 

 あまりの衝撃に抑制が追い付かず、椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がる。がたん、と派手に転がった椅子の音すらも、悟の耳には届いていなかった。

 

 そんな悟に対して、パンドラは……そう、パンドラズ・アクターは、三つの●をニヤリと歪ませて笑みを形作り……そう、悟には見えた。

 

 

「お忘れですか、アインズ様。私は、『二重の影(ドッペルゲンガー)』の上位種、『上位二重の影(グレータードッペルゲンガー)』であり、貴方の唯一の僕であり、至高の御方たち全ての外装をコピーしております」

「え、あっ……!」

「記憶は読めなくとも、誰よりもあなたの心に寄り添っているという自負がございます。私にとって、貴方様がなんであろうと問題にはなりません。重要なのは、貴方様の行く末を照らし、道を作り出す事……ただ、それだけでございます」

 

 

 そう言い終えると、パンドラはまるで王を前にした臣下の如く、深々と……それはもう大げさに一礼したのであった。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………しばしの間、悟は何も言えなかった。

 

 

 蹴飛ばした椅子を戻すわけでもなく、パンドラを問い質すわけでもない。

 

 ただただ、呆然と。

 

 今しがたの現実を、確かに起こったモノなのだと理解するための沈黙。その中で、パンドラは黙したまま、主が落ち着くのを待見続けた。

 

 

 ……。

 

 

 ……

 

 

 …………時間にして、どれほどの時間が流れたのか……それは、悟には分からなかった。

 

 

「……お前は、本当にそれで良いのか?」

 

 

 辛うじて、絞り出した問い掛けに対して。

 

 

「良いのです。どうか、迷わないでください」

「しかし……」

「それに、アインズ様。これは私たちだけの問題ではありません」

「え?」

「お忘れですか? このナザリックには、王都から連れ去った人間と……ツアレや蜥蜴人たちもおります」

「あっ!」

 

 

 ──そうだった、すっかり忘れていた。

 

 

 パンドラから言われて、今更ながらにその事を思い出した悟は、恥じ入る気持ちで頭を抱えた。

 

 王国への食糧提供、ゾーイ襲来、NPCたちの異常性、請負人たち……その他思い出したくない諸々が次々に降りかかったせいで、すっかり記憶から飛んでしまっていた。

 

 そうだ、王都への食糧提供も大事だが、誘拐した生存者たちを王都に返す必要もあるし、ツアレのことも……蜥蜴人たちも、そうだ。

 

 後々ナザリックが崩壊したなら、蜥蜴人たちも巻き込まれる可能性が高い。

 

 元々、ナザリックの一方的な侵略の結果なのだ……そのまま道連れになる事態だけは避け──っと。

 

 

 

『アインズ様、緊急案件です。よろしいでしょうか?』

 

 

 

 唐突に送られてきた『伝言』に、悟はハッと顔を上げた。

 

 『伝言』を送ってきたのはアルベドであるが、いったいどうしたのだろうか? 

 

 

 

『距離にして5kmほどの地点より、一頭の馬に乗った男女が、ナザリックへと接近しつつあるのを確認致しました。その後方2kmの地点に、仲間と思わしき集団が5名、待機しております』

「ふむ、それで?」

『僕の一体を、先行する2名の下へ挨拶に向かわせた結果、パンドラズ・アクター殿とのお話の件で……と、話したらしく、現在対応を保留中です』

「なに? 少し待て、こちらでも確認する。お前たちは手を出すな」

 

 

 どうして、パンドラの名を? 

 

 首を傾げつつも、部屋の隅に安置してある『遠隔視の鏡』を引っ張り出すと、成れた手付きで操作を行う。

 

 

「……ふむ、何処かで会っただろうか?」

 

 

 そうして、鏡に映し出されたのは、鎧などを見に纏った年若い男と、遠目にもその美しさが目立つ金髪碧眼の美少女であった。

 

 

(まるで、騎士とお姫様みたいな二人組だな)

 

 

 率直に、悟が抱いた感想がそれであった。

 

 実際、男の顔は緊張で強張っているが、女の方は朗らかに笑みを浮かべているだけだ。

 

 それが2人の生まれの違いを物語っているようで、余計にそう思えた。

 

 

「パンドラ、お前はこの二人に見覚えはあるか?」

 

 

 とりあえず、傍のパンドラにも聞いてみた。だって、パンドラの名を出したから。

 

 

「男の方は平民のクライム、女の方はラナー王女でございます」

 

 

 とはいえ、思っていた以上の大物に、悟は軽くビビった。

 

 

「え、王女?」

「はい、王女です。以前、少しばかりお話した仲でございます」

「……そうなのか?」

「はい、ラナー王女は物凄く頭の良い御方ですよ。もしも、考えを改めて王国を生かす道を選ぶのでしたら、ここへ一人で来なさいと話しておきました」

「考え……? よく分からんが、来ているのは2人だぞ」

「たぶん、周りが許さなかったのでしょう。お姫様ですからね、その辺は仕方ないと思います」

「……まあ、お姫様なら、仕方がない……か?」

 

 

 王女ってことは、王様の娘。まあ、1人で外出なんて許さないだろうなあ。

 

 ……と、いった感じで、暢気に鏡越しに王女を眺めていると。

 

 

「では、アインズ様。御挨拶に伺いましょう」

「え?」

 

 

 困惑する悟を前に、パンドラは。

 

 

「貴方様の願いを叶える為にも……さあ、行きましょう」

 

 

 実に朗らかな声で、そう告げたのであった。

 

 

 




物語も終盤へと近づき、ラナー登場により、危険な領域へと突入する


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彼女の、願い

 

 

 

 バハルス帝国の皇帝『ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス』は、己を優秀な存在だと自負していた。

 

 

 

 それは、言葉では説明出来るものではない。

 

 ただ、己が己として物心が付いた時には薄らと自覚していたが、時を経て、様々な経験(正直、良い事ばかりではない)を重ねたことで、より強固になった。

 

 

 実際、客観的に見ても、ジルクニフは優秀な男であった。

 

 

 10代半ばにて前皇帝である父の後を継いで即位した後、悪事に手を染めていた皇后(こうごう)を事故死させ、そのまま母方の貴族家を皇帝暗殺の容疑で断絶。

 

 兄妹たちを次々に処刑に追いやり、反対勢力だった有力貴族たちを、皇太子の頃に掌握した騎士団の武力を背景に掃討する。

 

 自らに忠誠を尽くす者だけを残して中央政権を確立した後、更には無能であると判断した貴族たちの位を次々に剥奪。

 

 優秀であれば平民であろうと取り立てる政策を立てたことで、民からの人気を集め、その権力を盤石なものにしていった。

 

 

 そうして、付いた呼び名は『鮮血帝(せんけつてい)

 

 

 自国はもちろんのこと、近隣諸国にもその名が知れ渡り、怖れられる存在。

 

 それが、今代のバハルス帝国の皇帝、ジルクニフであった。

 

 

 ……で、だ。

 

 

 そんなジルクニフだが……今日、この時、この瞬間……その身を襲った初めての事態を前にして、正直……どうしたら良いのか分からなくなっていた。

 

 

 ──部屋に入って来た賊を前に、恐怖や不安よりも前に困惑したのは……これが、初めてではないだろうか? 

 

 

 おそらく生涯初となる、言葉では感情を上手く説明出来ない状況に陥る理由は、他でもない。

 

 

「──な、なにも──ぶへっ」

「悪いやつだ」

 

「な、何を──おぶっ」

「悪いやつだ」

 

「や、やめ──へぶっ」

「悪いやつだ」

 

 

 我が愛するバハルス帝国において、個々としては最大戦力でもある『フールーダ・パラダイン』に瞬時に迫ったかと思えば、その胸倉を掴んで平手打ちを繰り返している、謎の女の存在であった。

 

 

 謎の女には、見覚えがなかった。

 

 

 だが、諜報部隊より上がっていた情報に、該当するかもしれない存在が居たことを、思い出していた。

 

 それは、王都を襲った悪魔を退けた、白髪の女戦士。

 

 南方の生まれと思われる褐色の肌に、赤い瞳を持ち、王国が誇るアダマンタイト級(冒険者として最高位)の『蒼の薔薇』すらも一目置いている存在。

 

 

 名は……たしか、『ゾーイ』、だったか? 

 

 

 そんな女が、何故か帝国にやってきたかと思えば、白昼堂々と城へと乗り込み、己の前に姿を見せた。

 

 そして、己の命を……狙うわけでもなく、たまたま室内に居たフールーダへと迫ったかと思えば、抵抗する間もなく胸倉を掴み……平手打ち、平手打ち、平手打ち、である。

 

 

 これで、相手の目的を想像しろというのは無理な話だろう。

 

 

(……目的は、なんだ? 悪いやつ? フールーダが、何かをしたのか?)

 

 

 困惑しつつも、ジルクニフは確かに優秀である。

 

 多少なり我に返ったジルクニフは、ひたすら平手打ちを食らい続けているフールーダから……『悪いやつ』と呟きながら頬を叩き続ける、謎の女を見やった。

 

 

(……わからん、フールーダは何をしたのだ? 魔法詠唱者であるならば、まだ分かる。だが、女の見た目からして、戦士なはずだが……)

 

 

 稀代の才覚を開花させている、優秀なジルクニフでも分からない。それは、ぶっちゃけ当たり前であった。

 

 なにせ、フールーダは実力こそ確かだが、200歳以上の爺だ。いまさら女で失敗するような馬鹿ではないし、なにより、そんな事をする暇があるなら魔法の研究を進める魔法馬鹿だ。

 

 

 つまり、女の線ではない。

 

 

 ならば、まだ若かりし頃の火遊びの成れ果てが押し掛けて来た……いや、いやいや、歳の計算が合わないし、それはそれで異常過ぎる。

 

 仮にそうだとしたら、ひ孫のひ孫のひ孫ぐらいが、先祖の恨みを晴らしに来たようなモノだ。仮にそうだとしても、フールーダはそんな初歩的な過ちを放置するような男ではない。

 

 いくらなんでも、それはあり得ないとジルクニフは内心にて首を横に振った。

 

 

(しかし……目的は不明だが、実力者であるのは確かだな)

 

 

 とはいえ、分かる事が一つあった。

 

 それは、謎の女……おそらくはゾーイという名の戦士は、フールーダすらも圧倒する実力を持っているということだ。

 

 

 ──欲しい。

 

 

 ほとんど衝動的に、ジルクニフは思った。

 

 不敬な態度だとか、犯罪だとか、どうでもいい。それほどの戦士を帝国に引き込めば……そう、思わずにはいられなかった。

 

 だって、この場に居るということは、すなわち、警備に当たっているはずの、帝国最強騎士の『帝国四騎士』をも打ち破って……ん? 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 ジルクニフの視線が、隣の……静観したままのレイナースを捉えた。

 

 

「…………おい、レイナース」

「はい、陛下、何用でしょうか?」

 

 

 しれっとした顔で返事をしたレイナース……帝国が誇る四騎士の1人、『重爆』の姿に、思わず頬を引き吊らせた。

 

 

「何をそこで突っ立っているんだ? 賊がそこにいるわけだが?」

「賊ですか?」

 

 

 ぐるり、と。

 

 室内を見回したレイナースは……軽く頷くと、ジルクニフへと振り返った。

 

 

「そんな者は、おりませんよ」

「おい」

「呪いを解いてくれるかもしれない者が現れたので、仕える相手が変わっただけでございます」

「──っ!? そ、そうか……ならば、仕方がないな」

 

 

 レイナースの返答に、思わず背筋を伸ばしたジルクニフは……溜め息と共に、外で起こった経緯の一端を察した。

 

 

 ……帝国四騎士の1人であり紅一点、『重爆』のレイナース。

 

 

 彼女は、とある事情から呪いをその身に受けてしまっている。

 

 その呪いは、フールーダですらどうにもできないほどの、強い呪い。

 

 その呪いによって、レイナースは……己が誇りにしていた、美しい容姿が半分ほど、おぞましい状態になってしまっている。

 

 それ故に、レイナースは呪いを解く方法を探し回っている。

 

 その為ならば、自ら股を開くことすら厭わないほどに……つまり、来るかもしれない時が来ただけのことだ。

 

 

「……そこの娘」

「へ、あ、はい!」

「名は、何と言うのだ?」

「へ? あ、は、はい、アルシェです」

「そうか、アルシェか、私はジルクニフだ」

 

 

 レイナースに問うたところで、おそらく答えない。何故なら、今の彼女の頭の中は、呪いを解くことでいっぱいだからだ。

 

 ならば、彼女ではなく……部屋の出入り口傍にて、身を隠すように縮こまっている、見知らぬ少女に尋ねるほかあるまい。

 

 そう判断したジルクニフは、率直に金髪の少女……アルシェへと尋ねた。

 

 

「そこの、フールーダを張り倒している女はお前の知り合いか? 知り合いなら、その女が何者なのかを教えてほしいのだが?」

「知り合い……というより、恩人です」

「恩人?」

「はい、あの方は、ゾーイ様。『調停者ゾーイ』様でございます。様呼びは嫌がられるので、ゾーイさんで良いそうです」

「いや、聞きたいのはそこでは……ん、ちょうていしゃ? ちょうていしゃ……いや、待て、調停者だと?」

 

 

 アルシェの口より飛び出したその単語に……ジルクニフの目が開かれた。

 

 

 

 ──調停者ゾーイ。

 

 

 

 記憶を探り、思い出す。その名は、魔法詠唱者ではないジルクニフにも覚えがあった。

 

 帝国史ではなく、この世界の人の歴史。

 

 はるか昔、この世界に降り立った神々たちを司る存在にして、世界の均衡が乱れた時に降臨し、正してゆく絶対的な調停の神。

 

 たしか、子供の頃に呼んだ歴史書に、そのように記載されていたような……なるほど、と。

 

 ジルクニフは、ようやく、おおまかに事態を呑み込んだ。

 

 

(調停者……普段であれば笑い飛ばすところだが、爺を容易く圧倒しているあたり、本物と見て間違いないな)

 

 

 無知や未知は、眼前にナイフを突きつけられる時よりも、恐怖を相手に、あるいは自身に与える事がある。

 

 ゆえに、情報は時に金貨1000枚以上の価値があり、一国を動かすことさえある。

 

 それを、これまでの日々で、皇帝の立場を得て、幾度となく身に染みて体感してきたジルクニフは……瞬間、アルシェへと振り返った。

 

 

(アルシェ……そうだ、『フォーサイト』のメンバーに、その名が有った! しまった、ゾーイは『フォーサイト』と交友関係があるのか!?)

 

 

 反射的に飛び出そうとした舌打ちを口内に留めたジルクニフは、背筋に冷気が走ったかのような感覚を覚えた。

 

 そう、この時、直感に過ぎないが、半ば確信にも似た感覚をジルクニフは覚えた。

 

 

(突如現れた謎の遺跡、そこに居るとされる正体不明の戦力……どうやら、神々の領域に私は土足で踏み込んでしまったようだな)

 

 

 そう、それならば、フールーダが何度も平手打ちされる理由に説明が付く。

 

 何故なら、その遺跡の情報を調べ上げ、ジルクニフへともたらしたのはフールーダ。

 

 そして、調査を行う為に貴族(要は、捨て駒)を誘導して請負人たちを送り込ませるよう指示を出したのは、ジルクニフだ。

 

 

 つまり、請負人たちはある種の被害者だ。

 

 

 もちろん、契約に基づいた行為であるので、請負人たちの自業自得でもある。

 

 だが、危険性を意図的に隠していたのは事実だ。

 

 というか、むしろゾーイは、その行為にこそ怒りを覚えてここへ──い、いかん、それはマズイ! 

 

 

「そ、その、ゾーイ様……いや、ゾーイ殿と、呼んでよろしいか?」

 

 

 ──神罰が己にだけ下るならば、まだ良い。

 

 

 最悪、己の命を差し出して許してもらおう……その一心でジルクニフは覚悟を固め、話しかけた。

 

 

 ──瞬間、振り上げたゾーイの手が、降ろされる。

 

 

 最後に、ひと際強い平手打ち。思わず、アルシェの肩がビクッと跳ねるぐらいに、大きな音が鳴った。

 

 加減してはいるのだろうが、二回り近く赤く腫れた顔で気絶したフールーダが、ばたりとその場に崩れ落ちた。

 

 

 ……なんとも表現し難い、沈黙。

 

 

 その中で、振り返ったゾーイは、無言のままにジルクニフを見つめた後……スルリと音も無く眼前へと近寄ると、スーッと片手を振り上げ。

 

 

 ──ばしん、と。

 

 

 皇帝の頬を、平手打ちした。

 

 それは、数歩ほどたたらを踏ませる威力。歯が欠けることこそなかったが、ぐらんと視界が揺れ動くぐらいの痛みを与えた。

 

 

「アルシェたちを危険な場所へ向かわせた、私の怒りだ。これで、チャラにしよう」

「……寛大な心に、感謝する」

 

 

 油断すれば尻餅をついてしまいそうな感覚の中で、ジルクニフは必死に耐えながら、それだけを答える。

 

 

「感謝する必要はない。貴方に対しては、一方的で身勝手なやつ当たりだ。あの爺は当然だが、貴方に対しては我慢しようと思っていたが、顔を見た瞬間、我慢出来ずに手を出してしまった」

「……それだけの事をしたと、貴女は思ったのだろう? ならば、仕方がない」

「仕方がないことなんて、ない」

「……では、お互いにこれで水に流す。それで、良いかな?」

「構わない……が、私の頬を叩かなくていいのか?」

「相手が調停者であろうと、女性の頬を叩くのは矜持に反する」

 

 

 ──とりあえず、神罰を下される線は途絶えた。

 

 

 その事に、ジルクニフは深く安堵のため息を零した。

 

 そうして、ふと……気絶したままのフールーダへと視線を向ける。

 

 

 ……そういえば、だ。

 

 

 どうして自分へはやつ当たりで、フールーダにはそうじゃないのか……気になって、尋ねてみれば。

 

 

「それは、彼が貴方を裏切っているからだ」

「……なに?」

 

 ──何を言われたのか、理解出来ない。

 

 

 ぽかん、と呆けた顔で目を瞬かせるジルクニフ。静観していたレイナースも、頭を抱えていたアルシェも、驚きに目を見開いて。

 

 

「彼は、全てを承知のうえで貴方を裏切った。あの地にどんな存在が居て、その結果、この国がどのような事になるかを理解したうえで、自らの夢を果たす為に全てを売り飛ばした」

 

「何もしなければ、近い将来、この世界の均衡を崩すヒビの一つへと繋がっていただろう」

 

「しかし、それは未然に防がれ、未来は逸れた。けれども、彼は反省していない。だから、軽くお仕置き。他の者たちでは出来ないから、私がやった」

 

 

 そんな中で、ゾーイは……いや、彼女は、はっきりと告げた。

 

 

「ジルクニフ皇帝、覚悟を固めるしかない」

「……どのような?」

「王国と手を結び、邪悪へと立ち向かう……それが、人類が未来へ続く為の唯一の道」

「──っ!? ど、どういうことなのだ?」

 

 

 辛うじて、それだけを尋ねたジルクニフに対して、ゾーイは答えようと──唇を開こうとした、瞬間。

 

 

 

 

 ──敵襲! 敵襲だ! ドラゴンが攻めて来たぞ!!! 総員、陣形を組め! 

 

 

 

 

 その声が響いたのは、城の外。

 

 

 

 

 ──敵襲! 敵襲! ドラゴンが1! エルフが2! 中庭に降りたぞ! 急げ! 

 

 

 

 

 方向的に中庭の向こうより、姿は見えずとも、怖れ切羽詰まったのが分かる、その声。

 

 室内の人々はみな、ハッと視線を声の方向へと向け──次いで、ゾーイへと振り返る。

 

 

「見に行きなさい。帝国に迫る……いや、人類に迫る、強大な危機の一端を」

 

 

 倒れているフールーダの事や、調停者ゾーイの事は気になるが……そう促された3人は、そのまま外へと出て、中庭を見下ろせる場所へと駆けて行った。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………そうして、誰も(いや、1人居るけど)居なくなった、室内にて。

 

 

「最後まで……最後の時まで、私は私の役目を果たそう」

 

「私は、世界の均衡を崩す可能性が生まれた時に顕現する存在」

 

「けれども、今の私は調停者ではない。私の心が、私を人のままにしてくれている」

 

「私は、私のワガママの為に動く。結果的に、それが人々を助ける事に繋がり……未来へと繋がる」

 

 

 ポツリと、それらの言葉を、己に言い聞かせるように呟いたゾーイ……いや、彼女は。

 

 

 

「それだけは、間違いなく……私の意思なのだから」

 

 

 

 蒼天の剣と盾を出現させると……駆けて行った3人の後を、静かに追いかけた。

 

 

 




そう、二次創作ならではの、共闘ルート


かつてのアインズ・ウール・ゴウンが望んだとおり、悪として人類に立ちはだかる


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(裏話)地獄からの片思い

悪循環のドツボにハマったまま、どんどんアインズ様からの対応が冷たくなってゆく

そりゃあ、目玉グルグルマークで自分が何をやっているのか、何が正しいのか分からなくなるよね(ナザリックのNPC限定)


さすがはアインズ様、自ら手を下すことなくNPCたちの判断を狂わせる手腕、お見事としか賞賛の言葉がありません

(なお、鈴木悟にそんなつもりは全くない)


 

 

 

 広大と称してもおかしくない、広い……とても広い玉座の間。

 

 

 そこは、かつてユグドラシルにおいてその名が広く知られていた、『ナザリック地下大墳墓』の最下層であり、未だ一度として外部の者が足を踏み入れたことが無い、『玉座の間』。

 

 然るべき時に、この世界で唯一座る事を許された主が不在の、その玉座の前で……その地を守護する者たちは、深刻な様子で互いを見合わせていた。

 

 

「──非常に由々しき事態よ」

 

 

 その中で、ポツリと呟いたいのは……ナザリックの全ての僕を統括する役目を与えられる、アルベドであった。

 

 

「既に、皆も薄々察していると思うけど……少し前から、明らかにアインズ様からの信頼が失われているわ」

 

 

 その言葉に、誰も反論しなかった。事実として、そうとしか思えない対応を取られ続けているからだ。

 

 いや、1人だけ……少しばかり、表情が和らいだ者がいる。

 

 

 それは、マーレである。

 

 

 マーレは、この場にて待機を命じられている守護者たちの中で、唯一アインズと行動を共にする回数が多い。

 

 というより、マーレを除けば、ある時期から同伴を指示された守護者はマーレだけである。

 

 それゆえに、本人は隠しているつもりでも、それが無意識の優越感となって頬を緩ませていた。

 

 

「……マーレ、あなた、一つ勘違いしているわよ」

「え、あ、か、勘違い?」

 

 

 赤らんだマーレの頬が、一気に元の色に戻る。

 

 

「そう、勘違い。そこで油断していると、取り返しがつかなくなるわ」

 

 

 詳細を聞かなくとも、そんなマーレの内心を見透かしていたのか、アルベドは憐れむようにマーレを見つめた。

 

 

「アインズ様は、目的の為に貴方が必要だから傍に置いているだけよ。けして、貴方自身が必要だから傍に置いているわけではないの」

「え……そ、それは、とても良いことでは?」

 

 

 首を傾げるマーレに、アルベドは……嫉妬と悔しさと、恐怖がない交ぜになった顔で溜息を零した。

 

 

「あのね、マーレ。それって、言い換えれば貴方以外に目的に沿う僕なり何なりが見つかれば、すぐに配置転換されるってことよ」

「えっ?」

 

 

 ──夢にも思っていなかった。

 

 

 そう言わんばかりに目を見開くマーレを見て色々察したのか、今度は憐れむようにアルベドはマーレから視線を外した。

 

 

「その証拠に、貴方1人だけを呼び出すなんてこと、一度として無いでしょ?」

「え、う、うん」

 

「貴方1人で出来る仕事でも、必ずプレアデスたちを同伴させていたでしょ?」

「うん」

 

「外に出ている時、どんな時でもプレアデスを傍に居させて、けして一人にさせないようにされていたでしょ?」

「……うん」

 

「そして、カルネ村で本当に貴方の手が無くても大丈夫な、収穫の段階に至った時点で戻るように命じられたでしょ? ユリとシズは、残って作業するよう命じられたのに」

「……うん」

 

「非効率でしょ? わざわざ外から新たに人間を呼び寄せて、足りない人員を埋めたのよ。貴方1人が居れば、数時間で終わる作業なのに……」

「…………」

 

 

「つまり、そういうこと。貴方……いえ、貴方だけじゃない。私たち全員を外には出したくない……アインズ様から、その程度ですら信頼されていないのよ」

 

 

 ──その瞬間、守護者たちの内心を改めて襲った衝撃は……とてもではないが、言葉で言い表せられるモノではなかった。

 

 

 何故なら、守護者たち……いや、『至高の御方』によって作られた全ての僕たちにとっては、だ。

 

 アルベドのその言葉は、身を引き裂かれるよりも辛い言葉であり……己の存在意義の全てを否定されたも同然の言葉であった。

 

 普段であれば、発言の主がアルベドであろうが激怒して食って掛かっただろう。

 

 

 それほどの、侮辱なのである。

 

 

 少なくとも、僕たちにとっては……が、しかし、今だけは……誰も、その事に反論しようとはしなかった。

 

 

 理由を、考えるまでもない。

 

 

 全ては、アルベドの言う通り……守護者たちとて、薄々察していたからこそ、誰も何も言えなかった。

 

 それは、守護者の中でも一番激昂しやすく、ポンコツなところがあるシャルティアですら自覚していたぐらいであった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………そんな中で、ポツリと。

 

 

「デハ、如何スル?」

 

 

 アルベドに打開策を尋ねたのは、コキュートスであった。

 

 コキュートスは、守護者たちの中でも頭が良いわけではない。

 

 良く言えば素直で実直、悪く言えば猪突猛進なところのあるコキュートスは、頭の良いアルベドへ、素直に尋ねたわけであった。

 

 

「……挽回のチャンスが、ないわけではないわ」

 

 

 それに対して、アルベドは特に隠さずに答えた。

 

 以前のアルベドなら、アインズ様からの株を上げる為に黙っていただろうが、事はもう、そんな段階ではない。

 

 何故なら、アインズ様の態度が以前とはまるで違うのだ。

 

 

 キッカケは……おそらく、『ゲヘナ』の時だ。

 

 

 あの時、護るのが遅れてダメージを負わせてしまった事が原因だろうか……それは、アルベドにも分からない。

 

 分かるのは、それまで向けられていた、アインズ様からの視線が……途絶えてしまったということ

 

 

 明らかに、避けられている。

 

 明らかに、距離を置かれている。

 

 明らかに、傍へ近寄らせないようにされている。

 

 

 己だけなら、まだ説明が付く。認めたくもないし不本意だが、ベタベタと気を引こうとするあまり、御不快になったから……そう、理解する事は出来る。

 

 

 けれども、守護者全員となれば話が変わる。

 

 

 盾として、御身を護り切れなかったアルベドたちに失望して、そうなるならまだ分かる。

 

 しかし、距離を置かれているのはアルベドたちだけではない。

 

 あの時、現場に居なかったけれども役割を十全に果たしたマーレ(アウラも同様に)が距離を置かれる理由が分からない。

 

 時間を稼いだシャルティアや、不敬とはいえ御身をナザリックへと連れ戻したセバスまでもが、距離を置かれる理由が分からない。

 

 対して、以前と違って傍に置くようになったのは……何故か、プレアデスの『ユリ・アルファ』と、『シズ・デルタ』の2人のみ。

 

 

 プレアデスの中でも、どうしてこの二人だけ? 

 

 

 ナザリック全体から見れば、2人の実力は中の下。最初は、人間に対して比較的甘い対応を取る者を傍に……とも思っていた。

 

 何故なら、さっさと僕たちに渡すなり素材として使うなりすれば良い人間たちを、わざわざ生かすだけでなく、病気にならないようにペストーニャを専属に付けるぐらいだ。

 

 

 理由は不明だが、人間たちに何かを期待して世話をしているのだろう……と、アルベドは考えていた。

 

 

 いや、アルベドだけではない。アルベド以外にも、同様の考えを持っていて、世話をされている人間たちを遠くから眺めている僕は多かった。

 

 なので、わざわざセバスを傍に置かなくても、つまみ食いをするような愚か者は、このナザリックには居ないのである。

 

 

(分からない……分からない! いったい何が、アインズ様の信頼を損ねているというの!?)

 

 

 ゆえに、アルベドは焦っていた。

 

 心から焦り、普段の冷静さなど、欠片も残ってはいなかった。

 

 なにせ、言い換えれば、そんな当たり前なことすら僕たちは守れないのだと、アインズ様に思われているも同然だから。

 

 そう、だからこそ、失われた信頼を取り戻したいと思った。

 

 

 何が、起こったのか? 

 

 何を、してしまったのか? 

 

 何を、求められているのか? 

 

 

 それを知りたくとも、アインズ様は拒絶する。言葉を交わそうとしても、それをする事すら出来ず、姿すら極力見せない。

 

 だからこそ……アルベドは、表面上こそ冷静さを保ちつつも、内心では焦りに焦りを重ねており、『アインズ様』の行動や言動から思考を想像し、次に行うべき行動を考え続けていた。

 

 

「……アインズ様が現在、王国のラナー王女と対談を成さっているのは、みんなも知っているわよね」

 

 

 その結果、アルベドの頭脳が導き出したのは……以前より計画し実行していた帝国への作戦の、更に一歩先。

 

 

「おそらく、いえ、これもアインズ様の手の内……アインズ様は帝国へと攻め入る前に、王国からの印象を良くしようと考えているに違いないわ」

「そうなの?」

「そうよ、アウラ。王国を襲ったのは八本指がナザリックの者を誘拐し傷付け殺そうとした報復……とりあえず、『ゲヘナ』の件はこれで押し通すでしょう」

 

 

 それは、帝国への侵略方法。

 

 

 当初は、ナザリックに侵入した請負人たちを裏から操っていた皇帝への反撃として、こちらに大義名分を得たうえで攻め込む。

 

 抵抗するなら滅ぼして資材その他諸々を回収し、属国として下るのであれば、生かさず殺さずのまま搾り取り続ける。

 

 場合によっては、帝国そのものを隠れ蓑にする……パンドラの協力を得て、そういう手筈で動いていた。

 

 

 ……だが、王国側(それも、王女が)がナザリックに来たのであれば、優先順位が少し変わる。

 

 

 というのも、王国は王国で、ナザリックにとっては中々に利用価値(餌と資源的な意味で)のある国だからだ。

 

 いずれアインズ様へ膝をつかせるのは確定しているが、征服した後で得られる利益は……王国の方が大きいとアルベドは考えていた。

 

 それに、上手くやれば王女を通じてあの女を油断させる事が出来るし、場合によっては……あの女の近しい者を人質に取れるかもしれない。

 

 

 ──いや、おそらく、アインズ様はそれを狙っていると、アルベドは考えていた。

 

 

 何故なら、アインズ様は……僕たちの命すら慈しんでくださり、『至高の御方』たちを束ねていた、真に尊き支配者であるからだ。

 

 そのアインズ様が、何の考えもなく王女と対談するわけがない。

 

 おそらく、王女がこのタイミングでナザリックを訪問したのもまた、張り巡らせた智略の一つなのだろう。

 

 

「疲弊した王国へと取り入りつつ、帝国を疲弊させる……そう、カルネ村にて食料生産を行っていたのは、王国への手土産にするつもりなのかもしれないわね」

「オオ、ソウナノカ?」

「あの女が帝国の請負人と一緒に行動していた辺り、王国側に付いたわけじゃない。今の王国にはあの女はいない、だから王国へ干渉しても大丈夫なわけ」

「……ツマリ、ドウイウ事ダ?」

 

 

 首を傾げるコキュートス(他の守護者たちも、同様に)を見やったアルベドは、「つまりは、ね」ニヤリと笑った。

 

 

「このまま、帝国に居ると思われるあの女に、自分たちは被害者だってアピールすれば良いのよ」

「……通ジルノカ?」

「通じるわよ。だって、カルネ村にあの女が現れた時、村人たちが前に立った事で即交戦には移らなかったでしょ」

 

 

 ──言われて、誰もがハッと目を見開いた。

 

 

「あの時点で、あの女は迷ったのよ。そして、その後のアインズ様直々の語らいによって、『ゲヘナ』のアレは不幸な行き違いから来る事故だと理解した」

 

 ピン、と、指を一つ立てる。

 

 

「そのうえ、先日のアインズ様が手傷を負ったあの日。あえて、アインズ様は自らを危険に晒し、耐えたことであの女に、ナザリックが敵ではないと信じ込ませた」

 

 ピン、と、指が二つ立つ。

 

 

「後は、簡単よ。ナザリックの私物を盗み出した請負人たちを、皇帝が裏から操っていたのが分かったからと攻め込めばいい」

 

 ピン、と、指が三つ立つ。

 

 

「あの女が無差別に人間を護るなら、真っ先にここへ攻めてくる。それをしないということは、人間であっても加害者であるならば、護ろうとはしないってことよ」

 

 ピン、と、指を四つ立てたアルベドは……ニヤリと、また笑みを浮かべた。

 

 

「だからこそ、アウラ、マーレ、貴方達の出番よ」

「え?」

 

 

 突然の名指しに困惑する二人に、アルベドはキッパリと言い切った。

 

 

「『ゲヘナ』にて、直接あの女と戦っていないのは貴方達2人だけ。つまり、貴方達二人に限り、印象はそこまで悪くないのよ」

「え……あっ!」

「そう、貴方達2人だけなら、あの女はこちらをいきなり悪とは断定しない。あくまでも非は向こうにあって、こちらは反撃しただけ……そう思わせれば、帝国では段違いに動きやすくなる」

「な、なるほど!」

「アインズ様も、私たち守護者をあの時待機させたのは、これが狙いのはずよ。私たちがあの女を帝国に引き付けている間、アインズ様はどんどん王国へと食い込み、王国民そのものを盾にすることが出来る」

「じゃあ、じゃあ、私たちは、アインズ様の為に帝国に行って皇帝を脅せばいいんだね!」

「ええ、そうよ。でも、最初からいきなりは駄目よ。まずは、慰謝料として相当な金額を提示して、断られたら脅しなさい」

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………この時、アルベドは……いや、アルベドに限らず、守護者の誰もが、あまりにも穴だらけのその計画に、異を唱えなかった。

 

 

 理由は色々あるだろうが、最大の理由はなんといっても……焦り、すなわち焦燥感だろう。

 

 

 そう、守護者たちは焦っていた。計画を立案したアルベドまではいかなくとも、その内心では嵐が吹き荒れていた。

 

 アルベドに言われずとも、アインズ様からの反応が以前に比べて悪くなっているのは誰もが自覚していた。

 

 

 以前に比べて、アインズ様との距離が遠くなっているのを。

 

 

 守護者たちにとって、なによりも恐れるのは己の死ではなく、尊き御方である『アインズ様』に見限られることだ。

 

 見限られるぐらいならば、己の首を自ら切り落とし、その血肉の一片まで使い潰してほしい。

 

 

 それが、守護者たちの本心であった。

 

 

(なんとかしなければ……アインズ様に見限られてしまえば……ああ、そんな、それだけは……!)

 

 

 だからこそ、守護者たちの誰もが目を曇らせてしまっていた。

 

 

 冷静に考えれば、そんな馬鹿な話があるかと一笑して終わらせるところを、アルベドは……守護者たちは、強行する決断をしてしまった。

 

 たった一言……そう、たった一言だ。

 

 

 『アインズ様は、何を成さろうとしているのですか?』、と。

 

 

 そう、それだけを聞けたならば、もしかしたら。

 

 ずっと前に、その一言を尋ねられたならば、未来は変わっていたのかもしれない。

 

 

 でも、そうはならなかった。

 

 失態を重ねたと思い込んでいる僕たちは、その勇気を出せなかったのである。

 

 

 

 

 

 




ステンバーイ……ステンバーイ……


ステンバーイ……ステンバーイ……


ステンバーイ……ステンバーイ……ステンバーイ……




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Peacemaker’s Wings

残酷な描写あり、注意要


 

 

 その日、その時、『帝都アーウィンタール』にある王城へと来襲したのは、一頭のドラゴンと、二人のダークエルフであった。

 

 

 ドラゴンは、全身が黄金のように明るい色合いをしている。

 

 身体は大きく手足も太く、ただそこに居るだけで、王国が誇る精鋭たちが怖気づくほどの迫力。

 

 帝国周辺では見かけられたことはなく、兵士の一人が「評議国の者なのか?」と口走っていた。

 

 

 ──評議国とは、『アーグランド評議国』のことであり、言うなれば国民の大多数が亜人で構成された国だ。

 

 

 兵士の一人がそう思ってしまったのは、その国の評議員が竜であるからで、関係性こそ薄いが、全く交流が無い……というわけではなかったからだ。

 

 

 しかし、今回は違う。誰もが、薄らとそう思った。

 

 

 何故なら、仮に評議員に限らず、評議国の者が来る場合は、事前に必ず通達がなされているはずだからだ。

 

 それに、なによりも……中庭へと降り立ったドラゴンの目が、全てを物語っていた。

 

 

 ──はっきり言えば、冷たいのだ。

 

 

 評議国に限らず、亜人という者は人間を見下す傾向にある。理由は、単純に人間が弱く、亜人が強いからだ。

 

 もちろん、全ての亜人がそういうわけでもないし、亜人よりもはるかに強い人間だっている。

 

 けれども、基本的には亜人が強い。生まれ持った自力が、亜人の方が上なのだ。そのうえ、一部の亜人は人食も行う。

 

 そんな亜人たちの頂点に立つドラゴンとあっては……残酷な話だが、見下されるのも致し方ないのがこの世界の常識であった。

 

 

 ──だが、しかし。

 

 

 それらを差し引いても、ドラゴンの瞳はあまりに冷たく、周りに集まっている者たちを虫けら程度にしか思っていないのが透けて見えた。

 

 

 ……そうして、明確な確証が困惑する兵士たちを他所に、そのドラゴンの背から降り立ったのは……二人のダークエルフ。

 

 

 1人は、格好こそ少年ではあるが、声の高さから女であることが伺える……アウラ・ベラ・フィオーラ。

 

 1人は、背丈よりも大きな杖を持ち、何処となく気弱そうな雰囲気の少女……マーレ・ベロ・フィオーレ。

 

 

 2人は、王国の領内にある『ナザリック地下大墳墓』の者であり、今日はそこへ土足に踏み込み、内部の物を盗んで行った請負人について話をしに来た。

 

 言い訳を聞くつもりはない。既に、請負人たちの背後には貴族が、その貴族の背後には皇帝の指示があることの調べは付いている。

 

 その墳墓は、2人にとって至上の御方たちが作り上げた場所。如何な理由であろうと、盗人を送り込んだ皇帝を許すつもりはない。

 

 しかし、寛大な心を持つ、2人の主である『アインズ様』は、謝罪と、謝罪の証として金銭を支払えば今回の蛮行は水に流すと仰った。

 

 ゆえに、早急に謝罪の席を設け、謝罪金を支払うべし! 

 

 

 ……白昼堂々と一通りの事を話し終えた2人は、集まる視線など気にも留めず、そのまま……信じ難い要求を言ってのけた。

 

 

「謝罪の内容を書面にして残し、謝罪金は金貨100万枚! 支払拒否する場合は、我がナザリックへの宣戦布告と見なします!」

 

 

 ──ざわっ、と。

 

 

 空気が、一気に変わった。もちろん、悪い意味で。

 

 何故なら、金貨100万枚というのは帝国の国庫をひっくり返しても用意出来ない額だ。

 

 それは単純に貧乏なのではなく、そもそもそれだけの枚数が作られていないのだ。

 

 まあ、本当に帝国全土の金庫や財布を片っ端から掻き集めれば、100万枚分を用意出来るかもしれないが……そんなの、無理な話である。

 

 

 ──ふざけるな! 

 

 

 当然ながら、そんな言葉が兵士たちの間から出た。

 

 それは、城の上部より中庭を見下ろしていたジルクニフからしても、同意見であった。

 

 

 ジルクニフがやったことは、確かに戦争の理由にはなる。なにせ、国のトップが直接命令して行ったのだ。

 

 

 規模こそ小さいが、やっていることは大国による侵略、略奪行為でしかない。

 

 なので、表面的には2人の言い分に正当性があった。たとえその中身が、明らかに戦争を起こさせるような滅茶苦茶な内容だとしても。

 

 

 ……しかし、その言い分は、そこにナザリック側の裏工作が関与していなければの話である。

 

 

 幸か不幸か、ジルクニフは『調停者』より、内部の裏切りによって自作自演の片棒を担がされた事を知った。

 

 裏切りなど信じたくはないが、状況証拠がそれを許さない。

 

 痕跡は完璧に消したはずなのに、皇帝へとたどり着くまでの時間があまりに早過ぎる。

 

 初めから手引きした相手を知っていなければ……あるいは、中枢に内通者が居なければ、ここまで素早く動けはしないだろう。

 

 

「……謝罪に関しては、後日書面にして正式に執り行う」

 

 

 とはいえ、それで突いたところでいくらでも言い逃れされてしまう。むしろ、そこを起点にして、更にこちらの譲歩を引っ張る可能性がある。

 

 ゆえに、まずは謝罪。事実である部分は確かに認めて、そこを一線とする。

 

 傍に控えていた魔法詠唱者の手で発動された拡声魔法により、そのジルクニフの返答は、中庭全体に響いた。

 

 

「しかし、金貨100万枚は払えぬ。それをすれば、帝国全土に大多数の餓死者が出てしまう」

「それが、私たちナザリックと何の関係が?」

「……少し、待ってほしい。まずは、私たちの話を聞いてくれ」

 

 

 ジルクニフは……皇帝として、妥当な落としどころを提示した。

 

 

「我ら帝国は、王国と長い間、友好的とは言い難い関係を続けてきた。それ故に、王国内にそれまで無かった謎の遺跡が突如出現したと知り、調査に向かわせたのだ」

「ふむふむ」

「人選に誤りがあって、結果的に貴方達を不安にさせてしまったことへは謝罪しよう。盗まれた物品……関与した貴族が所有していると思われるので、そのまま返還させる」

「ふむふむ、それで?」

「そのうえで、謝罪として幾らかの金銭は支払おう。だが、金貨100万枚はいくらなんでも吊り上げ過ぎだ」

「それほどの大罪を犯したからです」

「だとしても、それだけを支払えば我が帝国は確実に破産する。こちらとしても、民の日常を守らねばならぬ以上は抗戦という形になってしまうが……それは、互いに不本意であろう」

 

 

 ジルクニフとしては、それが現時点で行える落としどころであった。

 

 非は全面的に認めつつも、敵国の領土内にて突如出現した謎の遺跡の調査であり、侵略等の目的はなかった事を強調。

 

 そう、あくまでも、敵国の軍事的な施設かどうかの調査を行った、不幸な行き違いという線を崩さなかった。

 

 

 そこだけは、絶対に譲らない。

 

 

 何故なら、相手は明らかに交戦狙いだから。

 

 調停者がわざわざ顕現して平手打ちをしてくるような相手、たとえ山のような黄金と食料を出されたとしても、したくはない。

 

 

 とにかく、ジルクニフのやる事は只一つ。

 

 

 依頼した貴族を処分し、請負人も……いや、それは止めておいて、常識的な金銭を支払い、互いに水に流す。

 

 ただ、それだけ。場合によっては、己の首を差し出すことも覚悟する。

 

 結果を見れば『要求する金額』を除いて全面的に要求を受け入れた……形になるわけなのだが。

 

 

「不本意だろうが関係ありません。金貨100万枚、それがナザリックへの相応な謝罪であると私たちは判断しております」

 

 

 ダークエルフ……アウラは、あくまでも『金貨100万枚』を提示した。

 

 

「……残念だが、その要求は受け入れられない」

 

 

 当然ながら、ジルクニフは拒否する。

 

 矜持でも誇張でも何でもなく、受け入れた時点で国が破産するとなれば、拒否するのが当たり前である。

 

 

「それでは、ナザリックへの……アインズ様への謝罪は行わない、と?」

「謝罪は行う。しかし、金貨100万枚という法外な金額を払えというのは……」

「では、徹底抗戦ということですね」

「違う、高すぎるというだけで、こちらには交戦の意思など──」

 

 

 そこまでしか、ジルクニフは言えなかった。

 

 というより、アウラが言わせなかった。初めから、問答を続けるつもりなど、なかったのだから。

 

 そう、ジルクニフの予測していた通り、2人の狙いは『要求を帝国が拒否する』という大義名分を得る為。

 

 むしろ、たった金貨100万枚も出し渋るジルクニフに、薄らと怒りを覚えてすらいた。

 

 金貨100万枚など、2人にとっては安過ぎると思ったぐらいだ。

 

 さすがに一億十億になると拒否されると思ったから、優しさを込めて100万枚に抑えたというのに……まったく! 

 

 

「マーレ!」

「うん、えーい!」

 

 

 ──身の程知らずの不敬にも程がある。

 

 

 そう、2人が判断した時にはもう……マーレの魔法が発動していた。

 

 

 こつん、と。

 

 

 マーレの身の丈以上の杖が、整備された中庭の大地を叩いた直後──凄まじい勢いで大地が割れ始めた。

 

 あまりに想定外、あまりに異常な事態。

 

 大地が割れることで生じる振動によって、精鋭たちとてその場から動けない。そんな彼らを前に広がり続ける、大地のひび割れ。

 

 1人、また1人、穴の奥底へと落ちてゆく。

 

 その中には、他国でもその名を知られた騎士が居た。

 

 しかし、その騎士は空を飛べず、重力に従って穴の奥底へと……そうして、穴は閉じられた。

 

 

 まるで、時が巻き戻ったかのように。

 

 

 違うのは、集まっていた精鋭の兵士たちが軒並み大地の奥底へと消えてしまい、中庭に居るのはエルフとドラゴンだけであること。

 

 あまりに異様な……常識外の力を見せ付けられたことで恐れ戦き、様子を伺っていた他の兵士たちが近づけないでいること。

 

 それは、上から状況を見ていたジルクニフたちも例外ではない。

 

 帝国が誇る精鋭たちが、一瞬で殺されてしまったことに……誰も彼もが凍りついたように動けなくなっており、呆然とするしかなかった。

 

 

 そうなるのも、当たり前である。

 

 

 大地をこじ開け、そのまま奥底へ落とす魔法など、帝国最強の魔法詠唱者であるフールーダですら不可能の領域。

 

 それを成した……それも、容易く行えた時点で、その力量はフールーダを大きく超えているに他ならない。

 

 

 そこに居るだけで、他国への牽制になるほどの力を持つ、フールーダを、だ。

 

 

 それが、2人。そう、2人だ。付け加えるなら、そこにドラゴンまで居る。

 

 まさか、強いのが杖を持ったエルフだけではないだろう。

 

 言われずとも、誰もが相手の持つ力の一端を垣間見て……恐怖に逃げ出そうとする心を必死に抑え付けていた。

 

 

「──世界の均衡が崩れる可能性が生まれた時」

 

 

 だが──しかし。

 

 

「私は、顕現する」

 

 

 そんな者たちの中で、ただ一人だけ……剣と盾を手にした白髪の少女……ゾーイが、緩やかな足取りで姿を見せた。

 

 

「ぞ、ゾーイ殿……」

 

 

 そう、思わず弱音を吐いたジルクニフの声は、普段の彼からは想像が出来ないぐらいに震えていた。

 

 

「しっかりしなさい、ジルクニフ。貴方は、皇帝なのだから」

 

 

 そんな彼に対して、ゾーイは僅かばかりの微笑みと激励を送ると……たん、と床を蹴って空を舞い、中庭へ──襲撃者たちの前へと降り立った。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………始まりは、即開戦……ではなく、対話から始まった。

 

 

「来たね、ゾーイ。でも、今回ばかりは出しゃばりは駄目だよ」

 

 

 そう答えたのは、アウラであった。傍のマーレも、頷いていた。

 

 全ては、アウラとマーレの……いや、ナザリック側の想定通りである。

 

 

 あくまでも、ナザリックは被害者側で、帝国は加害者側だ。

 

 

 一方的に狼藉を働いたのは向こう側。結局、誰一人殺さずに追い返したのはこちら側なのに、向こう側はさらに窃盗まで行っていた。

 

 なので、落としどころを用意したというのに、高い払えないと突っぱねたのは向こう側。

 

 非は、完全に向こうにある。こちらはあくまでも被害者であり、やられたから相応にやり返した……ただ、それだけなのだ。

 

 

「まさか、調停者とかいう者が、一方的な依怙贔屓(えこひいき)なんてしないよね?」

 

 

 だからこそ、アウラもマーレも、鬱陶しそうに手を振るだけで、あくまでもお前は部外者だとして追っ払おうとした。

 

 

「……前にも、似たような光景を見たな」

 

 

 だが……2人は、いや、ナザリックの僕たちは、大事な事を見落としていた。

 

 

「その、見るに堪えない猿芝居を──」

 

 

 それは──ゾーイに、いや、彼女に対して、全ての企みがバレている可能性を。

 

 そう、『アインズに見捨てられるかもしれない』という恐怖で空回りしていた守護者たちは、この場において、絶対にやってはならないミスを犯してしまった。

 

 

「二度も、私に見させたな?」

 

 

 それは──彼女を人の側へと繋ぎとめていた者が死んだあの日、『冒険者モモン』がやろうとしていた行為を、再び彼女へ見せ付けてしまった……である。

 

 

「──マーレっ!!!」

 

 

 レンジャーのクラスを修めているアウラが、彼女の異変──いや、殺気を放ったのを瞬時に感じ取れたのは、単にレベルが100だったからである。

 

 

 反射的に、アウラは後方へ飛ぶ。

 

 マーレが、魔法を放とうと杖を掲げる。

 

 ドラゴンが、雄叫びで威嚇する。

 

 

 全てが、ほぼ同時に行われた。

 

 そのどれもが、瞬きするだけで反応が遅れてしまうような、一瞬の出来事であった。

 

 

「やあっ!」

 

 

 だが、しかし。

 

 それでも、彼女を相手にするには……単純に、相性も悪かった。

 

 本来、アウラの本領が発揮されるのは、アウラが修めているビーストテイマーの能力を駆使した、群に拠る制圧戦。

 

 素早い身のこなしを有してはいるが、本人の直接戦闘力は低く……それゆえに、攻撃の軌道を逸らすことはおろか、傍を通り過ぎてゆく光を目で追いかける事しか出来なかった。

 

 

「──っ」

 

 

 名を呼ぼうとした。ドラゴンの雄叫びが響く中で、聞こえないにしても。

 

 でも、声が喉から出る前に──光線が、杖を振り下ろそうとしていたマーレの胴体を貫いていた。

 

 

 ……ドルイドのクラスを修めているマーレの得意は、味方への支援。そして、ナザリックにおける『広範囲殲滅最強』の称号を持っている。

 

 

 反射的にマーレは、己が最も得意とする広範囲魔法攻撃を放とうとしてしまったのだ。

 

 そこには、周囲の人間を巻き込むことで逃げる時間を作り、場合によってはダメージを与えられるかもという、打算があった。

 

 

「──かはっ!?」

 

 

 その打算が、2人の明暗を分けた。

 

 風穴が空き、魔法はキャンセルされる。鮮血が飛び散り、身体はくの字に、後方へと跳ねた。

 

 

「マーレ!!」

 

 

 弟が受けたダメージを見て、アウラは反射的に止まる──だがそれは、悪手であった。

 

 止まるのではなく、彼女へと攻撃するべきであった。効かないにしても、彼女の手を止める事を優先するべきだった。

 

 

「滅する、空星の狭間に去ね!」

 

 ──バイセクション! 

 

 

 銃から、蒼き剣へと変形していた刀身に力が込められ──振り下ろされると同時に、解き放たれた。

 

 それは、空間にヒビを入れる程の力であり、向けられたわけでもない者たちすら、思わず悲鳴をあげたほど。

 

 そんな攻撃を……直撃を受けたドラゴンの上半身は瞬時に蒸発し、余波を受けたアウラとマーレは正反対の方向へと吹き飛ばされた。

 

 

「ま、マーレ──っ」

 

 

 それでもなお、受け身を取ったアウラはいち早く体勢を立て直した──のだが。

 

 

「でやああっ!!」

 

 ──スピンスラッシュ! 

 

 

 その時にはもう、マーレに接近していた彼女が、見た目通りに細いマーレの……杖を持っていた腕を斬り落とした後で。

 

 

「お姉ちゃん、逃げっ」

 

 

 辛うじて──そう、辛うじて、マーレが、姉に向かってそれだけを叫んだ瞬間。

 

 

 ──青い残光と共に薙ぎ払われた剣が、『魔法盾(マジックシールド)』ごと……その首を刎ねたのであった。

 

 

 宙を舞う、マーレの首。

 

 それが地面に落ちるよりも前に、ギロリ……と。彼女の視線が、アウラを捉えた。

 

 

「──────!!!!!!!」

 

 

 その瞬間、アウラは己が何を叫んだのか分からなかった。

 

 ただ、逃げた。一切合財をその場に置いて、全速力でその場から逃げ出した。

 

 

 後ろから追い掛けてくる気配がない事は分かっていたのに、アウラは脇目もふらずに全速力で足を動かし続けた。

 

 

 マーレが死の間際に放った、『逃げて』の言葉に突き動かされたのか。

 

 それとも、ここで死ねばナザリックに情報を持ち帰れなくなるとか。

 

 あるいは、マーレの仇を取る為には、今は無理だと冷静に判断したのか。

 

 

 それは、当人にも分からない。様々なナニカが、次々に脳裏を過っては、消えて行く。

 

 

(──怖い)

 

 

 その、最中──ただ一つだけ。

 

 

(怖い、怖い、怖い、怖い、怖い)

 

 

 それだけが、アウラの頭の全てを埋め尽くしていた。

 

 たとえ、既にこちらが手を出してしまった以上、アウラの未来に待っているのは『死』、だけだとしても。

 

 

 今のアウラに出来る事は……仲間たちが居る、ナザリックへと逃げ帰る──ただ、それだけしかなかった。

 

 

 




ナチュラルに地雷を踏んじゃう、それがナザリッククオリティ


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(裏話)黄金の企み

ちょいと臭わせる程度の下品な描写あり


 

 

 

 ──『リ・エスティーゼ王国』の第三王女である『ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ』は、売国奴である。

 

 

 少なくとも、ラナー自身はそのように自覚していた。

 

 

 何故かといえば、ラナーは王国を襲った『ゲヘナ』に、少なからず関わっていたし、犠牲者の幾らかはラナーの情報の結果でもある。

 

 誰にも露見していないし、一部未遂に終わった。しかし、物資の不足により飢える者が、この冬では出て来る……それは、確かな事実だ。

 

 

 けれども、間違った事はしていないとラナーは思っている。

 

 

 犠牲者は出たものの、王国を蝕んでいた病巣の半分以上が切り取られたので、王族として見れば間違った事はしていない。

 

 今もそう思っているし、王国全体の未来を考えれば間違いなくプラスに働いたと、心から考えていた。

 

 

 だが……それでも、ラナーは己が売国奴であると思っている。

 

 

 如何な理由であろうと、ラナーは罪を犯していない国民を生贄に捧げた。しかも、最初は国の為ではなく、己の為に捧げたのだ。

 

 国を生かすためであれば、まだ分かる。しかし、そうではない。

 

 己の生活を、怪我や死や不潔からは無縁の、煌びやかな日常を支えてくれていた国民を、己の為だけに捧げた。

 

 

 ……その事に、以前のラナーは罪悪感など何一つ覚えてはいなかった。

 

 

 金を捧げたのだから、それに見合う対価を示した。奴隷制度を廃止した、それだけで一定の義務を果たしたと思っていた。

 

 どのように国民がくたばろうが、自分の生活が維持できるだけの国力を維持出来れば、それで良いと本気で思っていた。

 

 ラナーにとって、大事なのは己と、忠犬のように盲信する騎士のクライムだけであり、父や兄弟たちすらも、どうでもよかった。

 

 己とクライムだけ有れば良い……そう、思っていた。

 

 

 ……あの日、あの時、あの瞬間。

 

 

 全てを見下し、己は他者とは違うのだと驕り高ぶっていた、ラナーの元に。

 

 

 ……調停者と名乗る、1人の少女が姿を見せた、その時までは。

 

 

 己もまた、他者と同じく『死』を恐れる、生きる事の辛さを体感したことのない……今まで見下してきた者たちと、変わらないのだということを。

 

 あの日、あの時、あの瞬間……ラナーは、思い知ったのであった。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………良くも悪くも、『死』というものを擬似的に体感した時、人は変わる。

 

 

 中には懲りない者もいるが、おおよそ人は変わる。

 

 『死』というものは、それほどの影響力を持ち、如何な強靭な心とて形を変えてしまうだけの力を持っているからだ。

 

 そして、それは『リ・エスティーゼ王国』の第三王女であり、『黄金』と称される美貌を持ち、とある悪魔からは『精神の異形種』とまで揶揄されたラナーも、例外ではなかった。

 

 

 ラナーは、純粋に頭が良かった。

 

 

 1を聞いて10を知るどころか、1を聞いて100を知り、限りなく正解に近い答えを容易く導き出せる、人外の頭脳を有していた。

 

 

 それゆえに、ラナーは理解していた。

 

 

 とある悪魔より『精神の異形種』と揶揄されるだけの、常人とは隔絶した頭脳を持つラナーだからこそ、己の変化を冷静に受け止めていた。

 

 

 『ナザリック地下大墳墓』

 

 

 とある悪魔より持ちかけられた際に知った、その場所。

 

 異なる世界より来訪した者たちが集う、偉大なる御方が住まう場所。

 

 そこの、『ロイヤルスイート』と呼ばれている、墳墓の主たちを除けば、許可なしでは立ち入る事すら許されていない場所。

 

 そこを、パンドラズ・アクター……そして、ナザリックの主である、『アインズ・ウール・ゴウン』と名乗ったアンデッドの後に続きながら、ラナーは通路を見回す。

 

 以前に話を聞いた時には、『ナザリック』とはそれほどなのかと小首を傾げただけだが……なるほどなと、ラナーは内心にて頷いた。

 

 

(本当に、この世のモノとは思えないほどに豪華絢爛……なるほど、生まれた時よりこんな場所で過ごせば、他種族など見下すのは当然……か)

 

 

 確かに、これは驕り高ぶるのも仕方がないとラナーは思った。

 

 道中ですら、王国全土の美術品を掻き集めても、その足元にも届かない、多種多様な美術品をちらほらと見掛けた。

 

 金銀の糸で編み込まれた『ナザリックの旗』もそうだが、設置されている物の一つ一つが、この世界では金貨をどれほど重ねても購入出来ない物ばかり。

 

 

 特に、ここ……『ロイヤルスイート』など、もはや別世界。

 

 

 設置されている家具や調度品、美術品などは、下手すると一貴族の金庫の中を空にしてようやく一つ用意出来るかどうか。

 

 それが、あくまでも日常を送る際の道具の一つとして使用され、消費されているのだ。

 

 これが王国に有ったなら、金庫や宝物庫に安置して、然るべき時に閲覧の許可を出す……それほどの逸品が、ここにはゴロゴロ転がっている。

 

 ナザリックが保有している通貨がこちらでは使えないにしても、その財力の規模からして、王国など足元にも及ばないことが透けて見え……っと。

 

 

「……クライム、どうしたの?」

 

 

 己の傍に居つつも、呆然としている様子なので、声を掛ける。

 

 

「──あ、い、いえ、すみません。あまりに豪華というか……その、綺麗過ぎて、呆気に取られていました」

「そう、でも、気を付けてね。転ぶと大変よ」

「いえ、申し訳ありません。これではいざという時に貴女を護れない、兵士失格です」

「ふふふ、期待しておりますわね」

「……はい」

 

 

 恥じ入るように深々と頭を下げるクライムからは見えないようにしながら……ラナーは、にんまりと笑った。

 

 

(そうそう、クライムは私以外に見惚れては駄目。ちゃんと、私を見ていないと……ね)

 

 

 めらり、と。

 

 反射的にこみ上げてきた嫉妬の炎を抑え込みながら……改めて、眼前を行く、2人の異形種を見て……ふむ、と首を傾げた。

 

 

 ……どうにも、一致しない。

 

 

 以前、様々な計画を持って来た悪魔が話していた、『偉大なる至高の御方』とやらから想像していたのと、どうにも一致しない。

 

 むしろ、馬車の中に居る己に向かって手を振ってくる庶民たちと……似たような気配というか、そんな気配しか感じない。

 

 アンデッド特有の、恐怖は感じる。しかし、それは見た目が屈強な者と対面した時と、ほとんど変わらない。

 

 加えて、あの時感じた、自分たち以外を下等種族だと本気で考えている者特有の……冷酷な気配も感じない。

 

 

(パンドラ殿は、見下す以前に私たちに興味がない。あくまでも、主であるアインズ殿の為にだけ動いている。おそらく、私と同程度に思考を巡らせる事が可能)

 

 

 ──なので、私がここに来た理由……来るに至る決断すらも、おそらく推測したうえで……と、ラナーは考えていた。

 

 

 実際、とある悪魔が姿を見せなくなったと思った辺りで姿を見せたパンドラ(その時、そう呼べと言われた)との対話は、悪魔とは違った意味で楽だった。

 

 打てば響くとは、あの事を言うのだろう。

 

 いちいち説明しなくても、言いたい事を理解してくれる。逆に、向こうはこちらが理解しているのを前提に対話をしてくれる。

 

 本当に、他者との会話が楽に思えたのは久しぶりだった。

 

 だからこそ、ラナーは自分なりに計画を煮詰めたうえで来訪したわけだが……そこまで考えて……ラナーは、まさかと内心にて目を見開いた。

 

 

(もしや、アインズ殿は……)

 

 ──いや、まだ確定する段階ではない。

 

 

 そう、己に言い聞かせながら、ラナーは……「ここだ、入ってくれ」と、ここの主なのに、自室の扉を開けて入室を促すアインズ殿を見上げると。

 

 

「──失礼致します」

 

 

 笑みを浮かべて、その指示に従った。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………そうして、小一時間ほどの時が流れた頃。

 

 

 持って来た話の内容が内容なので、いきなり本題から入ると警戒されるかもと思って、雑談を混ぜながら少しずつ心を開かせた……わけなのだが。

 

 

(……やはり、間違いない。この御方、内面は普通の人……精神は完全に庶民……人間なのね)

 

 

 ラナーは、澄ました微笑みの下で、結論を出していた。

 

 用意された豪奢で座り心地の良い椅子、甘露とも思えるぐらいに澄んだ紅茶、そして、目の前のテーブルに置かれた細微な装飾が施された皿に乗せられた、小さなクッキー。

 

 

 毒見の必要など、全く無い。

 

 

 そんな事をしなくとも、相手は自分たちを片手間以下の労力で殺せる。というか、こんな無駄な手順を踏んで殺す理由が全く思いつかない。

 

 クライムから非常に心配そうな視線を向けられて、堪らず股が痺れたが、それを全く表面に出さないまま……一つ、パクリ。

 

 ……その味自体は、非常に美味である。傍のクライムに食べさせたら、思わず頬を綻ばせたぐらいに。

 

 

(……アンデッドですものね。人間の精神であるならば、空腹を感じていなくとも、甘い物をもう一度食べてみたいと思うのは当然のこと)

 

 

 クライムの笑みにキュンキュンと胸を高鳴らせつつも、横目で……顔には出ていないが、『とても羨ましそうに見ているアインズ殿』を見やったラナーは、改めて判断する。

 

 

(分岐点は……おそらく、ゾーイ殿との戦いでしょう。それが原因で、アインズ殿は人間性を取り戻した……といった流れでしょうか?)

 

 

 それならば、とある悪魔が語っていた『至高の御方』と。

 

 今の、『至高の御方』との間に生じている違和感の説明が付く。

 

 

 というより、そうでなければ王国で行われた『ゲヘナ』の説明が付かない。

 

 

 アレは、とてもではないが相当な残虐性を持っているか、この世界の人間を虫けら程度にしか考えていないと思いつかない。

 

 あるいは、何も考えずに許可を出したか、虫けらが死ぬ程度と捉えていたからそうなったか……とにかく、眼前の彼と、『ゲヘナ』とが一致しない。

 

 

(理由は分からないけれども、たぶん、他の者たちには隠し、露見しないように気を配っている。例外はパンドラ殿だけで、アインズ殿が頼れるのも、このパンドラ殿だけ……と)

 

 

 ゆえに、ラナーは……眼前のアインズと、以前のアインズとでは、決定的なナニカが違うのだろう……と、判断した。

 

 おそらく、以前がアンデッドのアインズで、今は心だけは人間のアインズ……といった感じだろうか。

 

 全ては推測の域を出ないが、おそらくは……今のアインズ殿が、本来の彼ではないだろうか……そうも、ラナーは思った。

 

 

「……ところで、ラナー王女。貴女との雑談は楽しい限りなのだが、そろそろ本題に移ってほしいのだが?」

 

 

 そうして、ふと。

 

 談笑を止めたアインズより、そう言われたラナーは……微笑みをあえて引っ込めると、表情を引き締めてから……ポツリと、呟いた。

 

 

「『ゲヘナ』」

 

 

 ──ビクリ、と。

 

 

 目に見えて、アインズの肩が震えた。

 

 そのまま、まるで時が止まったかのように動きを止めたのを見て……ラナーは、確信した。

 

 

(ふむ、やはり心は人ですか。つまり、アインズ殿は……王国で仕出かした行為を酷く後悔している。私との会談を拒絶しなかったのも、心の何処かで償う機会を探し続けている……といったところでしょうか?)

 

 

 ──見た目や力はアンデッドでも、心が人であるならば……御し易い。

 

 

 と、思うと同時に……澄ました顔の下で、ラナーは彼の心が人に戻っていてくれて良かったと思った。

 

 

 ──仮に、彼が今の彼ではなく、以前の彼だとしたら。

 

 

 そう、パンドラではなく、『アインズ様』とやらを熱く語る、とある悪魔が今もなお己の元に来ていたならば。

 

 中途半端に人の心が……人のように臆病かつ慎重に、それでいて、不相応の矜持と執着心を残していたならば。

 

 そして、調停者がこの世界に降臨していなければ。

 

 

(遅かれ早かれ、私は王国を見限り……王国の歴史が、来年か再来年ぐらいに、終わっていたでしょうね……)

 

 

 そう考えれば、正しく調停者との出会いは己にとっては分岐点だったのかも……っと、そこまで考えた辺りで、ラナーは思考を前に戻した。

 

 

(……さて、どうしましょうか)

 

 

 チラリと、未だ硬直しているアインズへと視線を向ける。

 

 

(単純に利用するとなれば、この御方は黙っていないでしょうね)

 

 

 チラリとパンドラへと視線を向ける。

 

 ●が三つのその顔からは、あまり情報は得られず……まあ、得るまでもなく、分かる。

 

 パンドラが求めているのは、アインズが抱えている罪の意識の軽減……すなわち、何らかの形で罪を償わせてやりたい、といったところだろう。

 

 

(王国の法に照らし合わせる事を、求めているわけじゃない。アインズ殿にとっての、償い……なるほど、それを見越して私に続けてコンタクトを取って来た……と)

 

 

 ──と、なれば、だ。

 

 

「アインズ様、実は貴方様に一つ相談がございまして」

「……ほ、ほう、なんだ、言ってみろ。せっかくの機会なのだ、力に成れることであれば、手を貸そう」

 

 

 声が、震えている。けれども、後半へ進むに……いや、途中からいきなり声の質が滑らかになった。

 

 

(ふむ、ある一定まで高ぶると、精神的に何かの抑制が掛かるのでしょうか? と、なれば、あまり圧を掛けて精神の揺れを繰り返すのは悪手ですね)  

 

 

 ──下手に爆発させてしまうと、後々取り返しのつかない事態になりそうですし。

 

 

 そう、判断したラナーは……にっこりと、笑みを浮かべて答えた。

 

 

「実はですね、以前王国で行われた『ゲヘナ』……あの発想から流用して、貴族たちの処分に改めて御協力頂きたいのです」

「──え?」

 

 

 ぽかん、と。いや、ぱっかーん、と。

 

 大きく開かれたアインズの口。再び、石のように動かなくなった。

 

 

 ──あら、顎が外れないのですね。繋がっているようには見えませんけど、不思議ですね。

 

 

 そんな感じで、興味深そうに視線を向けていたラナーは……ふと、己の後ろで黙ったままのクライムへと振り返った。

 

 

「軽蔑、致しましたか?」

「関係ございません」

 

 

 そこに、怖れも怒りも無い。

 

 

「俺は、ラナー様を御守りします。あの日からそう決めて、その為に俺はここに居ます。ラナー様がお暇を俺に与えない限り、俺は何処までも貴女様のお傍に」

 

 

 只々、まっすぐな眼差しを向けられたラナーは……じゅわっとナニカが濡れる感覚を覚えながらも、蕩けるような笑みを浮かべた。

 

 

「……あ、あの、すまない、ちょっといいか?」

 

 

 そんな中、声を掛けられた。

 

 痺れが走る背筋を意思の力一つで抑えながら、「はい、なんでございましょうか?」ラナーはアインズへと向き直った。

 

 

「その、ラナー王女……私の聞き間違いでなければ、貴族を……その、殺す手伝いをしろと言われたような気がしたのだが?」

「気のせいではございません、そうしてほしいと、私はアインズ様にお願い致しました」

 

 

 にっこり、と。

 

 再び満面の笑みを浮かべたラナーに対して、ぱかんと口を開けたまま絶句するアンデッド。

 

 

 果たして、化け物はどちらなのだろうか。

 

 

 あえて呑み込む時間を与える為に、ラナーはゆっくりと紅茶を一口、二口……そうして、ゆっくりとカップを置いた。

 

 

「王国の現状について、アインズ様は如何ほどまでご存じでございますか?」

「え、それは……貴族の腐敗とか、そういう話ぐらいなら……」

「その通り、王国は腐敗しきっております。もはや、八本指が壊滅した程度で再生出来るような状態ではございません」

「……そんなに、なのか?」

「正直、アインズ様が王都で『ゲヘナ』とやらを起こさなくても、数年後には国が無くなっていたぐらいには、酷い有様です」

「えぇ……」

 

 

 アインズ、三度目の絶句。そして、三度目の満面の笑みを、ラナーは見せた。

 

 

「既に、王国は死にかける寸前なのです。帝国からの脅威も考慮するならば、もはや正攻法で回復を待つ猶予がないのです」

「で、でも、殺したところで、後継者とかそういうのが後を継ぐだけでは……」

「はい、なので、当主と後継者を合法的に殺します。どんな理由であろうと、表に引きずり出します。まだ染まっていない御子息が居れば、私が教育致します」

「…………」

「後は、簡単ですわ。相続出来る者がいなくなる事態になりますので、責任を持って王族が接収──もとい、保護という形で領地その他諸々を管理致します」

「で、でも、俺はもう……」

「アインズ様、どうか王国をお救いください」

 

 

 俯き掛けたアインズに待ったを掛けるかのように、ラナーは……深々と頭を下げた。

 

 

「もはや、これしか手立てがないのです。このまま帝国に……いえ、帝国だけではありません。この国の貴族たちの大半は、他所から恨みを買い過ぎました」

「……で、でも」

「アインズ様は、何も考える必要はございません。王女である私が、そうしろとお願いしただけなのです。貴方様は、そんな私を憐れんで手を貸してくれた……ただ、それだけの話なのです」

「…………」

 

 

 アインズは、返事をしなかった。けれども、ラナーは……沈黙するアインズを見やりながら、その内面では葛藤していることを察していた。

 

 

 ──アインズは、罰を求めている。ならば、それを与えてやるだけだ。

 

 

 アインズの良心がそれを許さなくとも、その国の王女が自ら出向き、全ての罪は私にあるのだと訴えれば、罰を求める彼の無意識が……遅かれ早かれ、首を縦に振るだろう。

 

 

(後は、どのようにして……候補は幾つかあるのですが、取りこぼしがどうしても出てしまうのが……ん?)

 

 

 今後の事について思考を巡らせていると、それまで静観していたパンドラが、何時の間にかこめかみの辺りを指で押さえていた。

 

 

 ……どうしたのかしら? 

 

 

 気になってそちらに目を向けていると、パンドラはまるで誰かに対して返事をするかのように、一つ二つと頷いた後……考え込んでいるアインズへと声を掛けた。

 

 

「アインズ様、緊急事態でございます」

「……ん、んん? どうした、パンドラ?」

 

 

 さすがに呼ばれたら、アインズとて顔を上げる。そうして、アインズが聞く体勢になったのを見やったパンドラは、何てことない様子で告げた。

 

 

「先ほどアルベド殿より『伝言』を受けたのですが」

「何かあったのか?」

「帝国へと攻め入り、現地に居たゾーイ殿と交戦。マーレ殿は殺され、アウラ殿が逃げ帰って来たとのことです」

「──は?」

 

 

 ぽかん、と。

 

 いったい何度目かとなる茫然自失(ぼうぜんじしつ)

 

 そして、ラナー(クライムも)にとっても非常に聞き捨てならない言葉が出た事に、当のラナーが。

 

 

 

「……なんで?」

 

 

 

 反応するよりも前に、アインズがポツリと零した。その声は、あまりに冷え切っていた。

 

 あまりの冷たさと色の無さに、パンドラの肩がビクッと跳ねた。

 

 それは、ラナーも例外ではなく、傍のクライムが反射的にラナーを庇ったぐらいに……冷え冷えとしていた。

 

 

「え? なんで? なんでそんな事したの?」

「さ、さあ、私にはさっぱり……」

「だよね? 分からないよね? 俺も分からない。分からないから聞きたいの、なんでそんなことしたんだろう……」

 

 

 その声は、けして大きくはない。それどころか、口調そのものは穏やかだ。

 

 しかし、誰もがビクビクっと背筋を震わせるほどに冷たく、今にも爆発しそうなナニカを感じさせた。

 

 

「……で、肝心のゾーイさんは、どうなったの? もしかして、ナザリックまで追いかけて来た?」

 

 

 とはいえ、感情抑制が働いたおかげか、その怒りを無差別に吐き出すようなことはせず、声色からも、怒りが治まっているのが察せられた。

 

 

「それが、分からないとの事で……あと、ナザリック周辺にゾーイ殿の接近は感知しておりません、とのことです」

「……と、なると」

 

 

 それを聞いて、アインズは部屋の隅に置いてある鏡を持ち出す。それは、例の遠く離れた地点を見られる鏡であった。

 

 手慣れた様子で起動させ、映し出された景色を操作していたアインズは……墓の前で膝を抱えるようにして蹲っているゾーイを見付けた。

 

 

 その墓は、カルネ村にある……クレマンティーヌの墓であった。

 

 

 ひとまず、戦闘態勢を取っているわけではない事に、アインズはため息を吐く。次いで、謝罪を行う為に現地へ向かおうと腰を──。

 

 

「お待ちになってください。今は、下手に近付かない方が良いかと」

 

 

 ──上げようとして、待ったが掛かった。

 

 

「同じ女なので、分かります。あの状態に成ってしまったら、下手に声を掛けるのは逆効果です」

 

 

 アインズが視線を下げれば、何時の間にか席を立ち、隣で鏡を見ていたラナーが……「とにかく、1人にさせておくべきでしょう」静かに、首を横に振った。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………そう言われてしまえば、精神的には男であるアインズは、それ以上何も言えず。

 

 

「……そうか、そうだな」

 

 

 せいぜい、それだけをどうにか零すと……ドサリと椅子に腰を落とし、頭を抱えるようにして……俯いてしまった。

 

 

(……不自然だわ、あまりにもタイミングが……あっ!?)

 

 

 その、背中を見やりながら……ふと、ある可能性に思い至ったラナーが、反射的にパンドラへと振り返れば。

 

 

(……なるほど、お仲間たちが暴走するように誘導したのね。たぶん、けっこう前からひっそりとやっていたのかしら?)

 

 

 ──意味深に、口と思われる●に指を立てているパンドラを見て。

 

 

(これは、アインズ殿と話を詰めるよりも、パンドラ殿……うん、パンドラ殿と話を詰めた方が良いかもしれないわね)

 

 

 ラナーも、了解の意味を示す為に唇の前で指を立てて……クライムに見えない角度で、歪な笑みを浮かべたのであった。

 

 

 

 

 

 




ラナー「帝国も、巻き込んで……(ニチャア」

皇帝「ヤ メ テ !!!!」


悟くん、静かにブチギレルの巻


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(    )「       」

短い話、すまんね

オリ設定(?)も入れるよ


 

 

 

 次から次へと深奥より昇ってくる、総身を焼き尽くさんばかりの憎悪。

 

 大きく息を吸って吐けば、そこには胸焼けするほどの怒りがこもっている。

 

 

 ……分かっている──分かっているのだ。

 

 

 アレは、生まれたての赤ん坊も同然なのだと。

 

 善悪など存在しない。ただ、そのように設定を与えられ、そのように形作られ、そのように意思を持った人形に過ぎない。

 

 

 だから、仕方がないのだ。

 

 

 赤子が親からの愛情を求めるように、アレらは親の関心を引きたくて堪らない。いつも、親を喜ばせたいと思っている、力を持った赤子なのだ。

 

 

 

 ──憎い

 

 

 

 でも、それでも……彼女は、ふぅ~……と、蹲る自分の膝に、焼け付くような息を吐いた。

 

 

 

 ──殺せ

 

 

 ──憎い

 

 

 ──殺せ

 

 

 ──憎い

 

 

 ──殺せ

 

 

 

 必死に抑えようと思っても、次から次へと昇ってくる憎悪を抑えきれない。

 

 

 ……調停者としての己が、それはならないのだと押し留めようとしている。

 

 

 心の中に、今の己と同じ姿をした──『調停者ゾーイ』が腕を広げて、暴走しようとする己の前に立ち塞がっている。

 

 

 その腕は、けして太くはない。けれども、ビクともしない。

 

 だが、それ以上に……ゾーイと全く同じ姿をした、己が──その腕を跳ね除けようともがいていた。

 

 

 ……。

 

 …………。

 

 

 ──殺す

 

 

 ──滅びろ

 

 

 ──断罪せよ

 

 

 ──殺す

 

 

 ──滅せよ

 

 

 …………。

 

 ……。

 

 

 

 本来であれば、『調停者ゾーイ』の前に、彼は……いや、『彼女』は、成す術も無く抑えられていただろう。

 

 

 しかし、そうはならない。何故なら、あの時と状況が違うからだと……『己』と同じ姿をした彼女を抑え付けながら、冷静に思う。

 

 

 あの時……『ゲヘナ』とやらが行われ、己の一部になるのを引きとめていた楔が失われた、あの時。

 

 

 

 ──彼女の心は、完全に『己』の一部になったはずだった。

 

 

 

 本来は、もっと早くそうなるはずだった。

 

 アバターとして形作られた依り代の影響もあって、彼女は己と同化し、新たな自我を得て活動していただろう。

 

 だが、そうはならなかった。そうなるよりも前に、楔が彼女の心を繋ぎとめていたからだ。

 

 

 けれども、あの時……彼女は、選んだのだ。

 

 星晶獣『ジ・オーダー・グランデ』

 

 

 怒りに完全に呑まれてしまった彼女は、報復の為に……己の一部に成る事を選んだ。

 

 それ故に、あの時の己は己の役目を果たす為に十全に動けた。

 

 たとえ、相手が人の心を取り戻したところで、可能性がある以上は殲滅するのが己の役目であるからだ。

 

 

 しかし……それもまた、そうはならなかった。

 

 

 直後に投げ込まれた、冒涜的な姿にされた楔を目の当たりにした、その衝撃で彼女は己から半端に分離してしまったのだ。

 

 

『──、──』

 

 

 己の視線が、なおも前に進もうとする彼女の……腰の辺りに抱き着く、淡い人影……いや、『魂』を捉える。

 

 その魂は、あの時からずっと己から遠ざけ、彼女の心を引き戻そうとしている。

 

 輪廻に向かうこともせず、ずっと……ただ一人、誰にも気付かれなくとも、ずっと、そうしている。

 

 

 ……辛いはずだ。己は、憐れむ。

 

 本来であれば死の安寧の中で、次の転生を待つだけの存在。非常にデリケートであり、一刻も早く輪廻の中へ行かねばならない。

 

 

 それが、未だ現世に留まり続けている。

 

 一度は、そこへ向かったはずなのだ。けれども、すぐに戻ってしまい、今もそこから動かないまま……よほど、彼女の事が心配なのだろう。

 

 

 しかし、そう長く続けられる事ではない。

 

 ただ、そこにいるだけで、相当な苦痛を覚えているはずなのにとてもではないが、言葉では言い表せられないほどの苦しみを感じているはずなのに。

 

 

 それなのに、その魂は、けして彼女を放さない。

 

 所詮は人の力だとしても、それでも、その魂はあの時から一時も緩めることなく、彼女の為に足掻いている。

 

 

 

 

 ──クレマンティーヌ、もう止せ。

 

 

 

 

 ゆえに、己は幾度目かになる問い掛けを、その魂へと告げる。

 

 しかし、クレマンティーヌと呼んだ、その魂は……何時もと同じく、腰に回した腕を緩める気配はなかった

 

 

 ……落ち着けと、己もまた、彼女へと声を掛ける。

 

 

 けれども、今の彼女には通じない。彼女自身、膨れ上がる憎悪を抑え付けるために、余裕がないのだ。

 

 

 ……コスモスによって生み出された己は、かつての彼が作り出した『ゾーイ』と同化し、三つを一つとした。

 

 

 

 一つは、不可思議な力を持つ、人間としての彼。

 

 一つは、『ゾーイ』という設定を与えられた依り代。

 

 一つは、コスモスの尖兵、調停者としての己だ。

 

 

 

 アバターに魂を移したことで、彼は彼女となった。そして、彼女の中には己が有って、その均衡はある意味保たれていた。

 

 

 この三つが正しく揃って、初めて我らは『調停者ゾーイ』になるのだ。

 

 

 しかし、その均衡は、楔の喪失によって傾き崩れてしまった。

 

 そして、問題はそこだけではない。本当の問題は、その後に起こっていた。

 

 

 それは、均衡を崩すはずだった者がそうではなくなり、今度は逆に……彼女自身が、均衡を崩すかもしれない存在になろうとしていることだ。

 

 

 調停者としての己であるならば、そうはならない。己がそうなるのであれば、コスモスの下へと還るだけで終わる。

 

 だが、彼女の場合は……あの時とは違い、その矛先がアイツら以外にも向けられる可能性を、己は感知していた。

 

 

 ──憎悪というのは、時を重ねる程に歪に変質し、増幅してゆくものだ。

 

 

 最初は個人を恨んでいたのが、グループに変わり、それがグループ全体に変わり、最終的にはそれに関与していなくとも、何もしなかった者たちにまで広がってしまう。

 

 

 それは、均衡を守るうえでも非常に危険であった。

 

 

 あの時は、アイツらを殲滅すれば、そこで立ち止まれた。少なくとも、今みたいに危うい状態にはならなかっただろう。

 

 しかし、幾度となく人間へと引き戻し……それによって、胸の奥に溜め込み、抱え続けていた憎悪が……徐々に凝り固まり、膨れ始めている。

 

 

 

 ……なんという、皮肉な話だろうか。

 

 

 

 仮に、彼女の抱えているソレが爆発し、このまま怒りに呑み込まれ、思うがままに刃を振るうようになれば──己では止められないだろう。

 

 何故なら、己はあくまでも補助的な存在であり、人の魂では感知も探知も出来ない、『調停者』としての機能を司る……そういう存在でしかない。

 

 こうして冷静に思考が出来ているのも、彼女がまだ己と同化せず、『ジ・オーダー・グランデ』へと成っていないからだ。

 

 あの時、今の状態にまで戻れたのは、ある意味奇跡的な事である。だが、奇跡は二度起きない。

 

 

 次に『ジ・オーダー・グランデ』へと成ってしまえば、今度こそ彼女の意識は己の一部となってしまい、己もまた自我が消失する。

 

 

 調停者に、心はいらない。

 

 心を持てば、調停者として居られなくなってしまう。

 

 その役割を果たす為の存在に、心は不要なのだ。

 

 

 ……そう、星晶獣『コスモス』が、かつて自らの心の変化を恐れたように。

 

 

 既に、我らの均衡は崩れ、元には戻せない。それを無意識に彼女も察しているからこそ、堪えようと必死なのだ。

 

 

 ……そう、彼女と成ったかつての彼が、己と同化してしまえば最後、『ゾーイ』までもが自我を失う。

 

 

 あくまでも、『ゾーイ』は依り代である。なので、中身が失われてしまえば、その時点で活動を止める……はず。

 

 そうだ、あくまでも、はず、でしかない。それで済むならば、問題は全て解決する。しかし、そうならなかった場合だ。

 

 最悪、彼女が抱いていた憎悪だけが残された『ゾーイ』が、そのまま世界の均衡を崩す存在に成り果てる事だ。

 

 言うなれば、世界の全てを滅ぼし、全ての可能性を断つ事で均衡を保つ歪な調停者に成ってしまう可能性がある。

 

 

 そうなれば……口惜しい、そう、己は思った。

 

 

 残念ながら今の己に、『ゾーイ』を止められるだけの依り代を新たに用意は出来ない。だから、外部より『ゾーイ』を止める手立てが無い。

 

 なので、己もまた、彼女がこれ以上、己と同化しないように抑えなければならない。それは、誰にとっても不幸を招いてしまうから。

 

 

 

 ──コスモスは、その為に『力』を授けたわけではない。

 

 

 

 方法は何であれ、様々なモノを護ろうとした彼の心に同調し、必要になるからだと判断して残っていた『力』を授けたのだ。

 

 

 ……だからこそ、そう、だからこそ。

 

 

(どうにか、彼女の心が落ち着くまで……何もしてくれるな、古の魔樹よ……!)

 

 

 コスモスより与えられた、調停者としての感覚が……ソイツの存在を捕らえていた。

 

 

 このカルネ村より離れた、大森林の奥。

 

 

 そこで、長きに渡る休眠から目覚めようとしている……この世界の均衡を崩す存在。

 

 そして、その存在を予見し、自らのモノにしようと動き出している者たちを。

 

 

 クレマンティーヌの墓の前にて、膝を抱えて蹲る彼女の中で……己は徐々に近づく混沌へと、思いを馳せるしかなかった。

 

 

 

 




やべー状態なのは、悟だけじゃないよねって話

そして、ラナーもパンドラも、誰一人彼女の危険な状態に気づいていないという、見えない地雷ががががが


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(裏話)骸骨は見限る

 

 

 

「──皆の者、事前連絡もなく急に呼び出してすまない」

 

 

 ナザリック地下大墳墓の最下層、玉座の間。ナザリックの王だけが座る事を許された玉座に、悟は腰を下ろしていた。

 

 荘厳なる景観は、見る物を圧倒させる。

 

 王国と帝国、双方の財力を全て結集させたとしても作れない、その場所には……残存する守護者たちが集まり、膝をついて忠誠心を示していた。

 

 

 だが、しかし……そんな守護者たちの顔色は、悪い。

 

 

 何時もならば、守護者統括のアルベドが代表する形でアインズの謝罪に返答をしていたが、今回に限っては、そうではない。

 

 膝をついたアルベドの肩が、目に見えて震えている。顔は強張り、目尻に涙が浮かんでいる。返事をする気力すら、無いのだ。

 

 

 これから、己が何を言われるのか……そんな想像が次々に脳裏に浮かぶばかりで、返答をするということすら頭から飛んでいるのだ。

 

 

 それは、他の守護者たちとて例外ではない。

 

 誰も彼もが、全身を岩のように固くしてしまっている。あまりにも張り詰めた心が、全員をそうさせてしまっているのだ。

 

 

 その中でも、例外が1人。

 

 

 悟の隣にて控えるように立っている、パンドラズ・アクターだけで……何を考えているのか、三つの●が、膝をついた守護者たちを見つめていた。

 

 ……今に至る理由を、わざわざ語るまでもないだろう。

 

 

「さて、本題に入る前に……アウラ、事実を再確認する」

 

 

 名を呼べば、アウラの肩がビクッと跳ねた。「は、はい!」顔は上げなかったが、返事はしたのでそのまま尋ねた。

 

 

「マーレの魔法により、兵士を数十名ほど地の底へ落としたと聞いたが……それは事実だな?」

「は、はい……」

「落とした穴の深さは分かるか? 正確でなくてもよい、おおよそでいい」

「えっと……その、底が見えないぐらいに深かったと思います。申し訳ありません、はっきりとは……」

 

 

 暗に、マーレを蘇生させれば分かる……そのように聞き取れた悟は、あえてそれを無視した。

 

 

「謝らなくてもよい……アルベド」

「はっ!」

 

 

 声は大きい。でも、少し裏声になっていた事には、触れない。

 

 

「僕たちの中に、地面をこじ開けて兵士たちの遺体を引っ張り出せる者はいるか?」

「……申し訳ありません。マーレを除けば、他には……」

「いや、よいのだ、分かっていたことなのだから。とはいえ、やはり蘇生は不可能か……」

 

 

 アルベドの返答に、改めて現実を理解した悟は……ふと、傍のパンドラへと振り返る。

 

 

「残念ですが、宝物庫のアイテムを使用したとしても、遺体無しでの蘇生は出来ません。それに、仮に地上から蘇生出来たとしても、地中に埋もれたままなのは変わらず……」

 

 

 僅かに期待はしていたが、現実は無情であった。

 

 

「蘇生した直後に圧死する、と?」

「非常に高い確率で、そうなるかと。そもそも、遺体はおそらくミンチ状……貴重な蘇生アイテムを使用したとしても、おそらく蘇生成功率は1割を切るかと思われます」

「……そうか、分かった。お前がそう言うのであれば、そうなのだろう」

 

 

 深々と……それはもう、傍目にも分かるぐらいに不機嫌になっているのが分かる様子で、溜め息を零した悟は。

 

 

「……結論から言おう。私は、かつてない程に……お前たちに、失望している」

 

 

 ポツリと、そう告げた。

 

 その声は、けして大きくはない。

 

 しかし、小さくもないその声は、思いのほか玉座の間に広がり……守護者たち(1人例外)の肩を、ビクッと震わせた。

 

 

「お前たちが、私を想って動いてくれた……それは、理解している。だが、それでもなお……私は、お前たちに失望している」

 

 

 ──それは、悟にとっては間違いなく……本心であった。

 

 

 昔の……アインズだった時ならともかく、今の悟にとって、ナザリックのNPCは化け物にしか映っていない。

 

 けれども、それでも……心の何処かで、かつての仲間たちとの思い出を感じ取り、懐かしむ事はあった。

 

 今でこそ少なくなったが、そのように設定されたわけでもないのに、製作者の面影を感じさせる事は、以前は何度か感じていた。

 

 それ故に、アインズだった時は仲間たちが残した子供のように思えていたし、今もなお、心の何処かで迷いを覚え、最後の決断を先延ばししていた。

 

 だが……もはや、そんな生易しい事を言っている場合ではないことを、悟はようやく理解し、身を以って体感していた。

 

 

(独断に動く、それはいい。嫌だけど、意志を持っているなら仕方がない……が、その過程で帝国の人達を殺した、だと?)

 

 

 その話を思い返すたびに、沸々と湧き起こる怒り……けれども、合わせて思い浮かぶラナー王女の姿が、その怒りを静めてくれた。

 

 

 ……それは、少し前のこと。

 

 

 緊急を要する案件の為に、ラナー王女との会談を切り上げ(幸いにも、ラナー王女は笑って許してくれたけど)、高ぶる頭をどうにか冷ました後。

 

 

 ──お忙しいようですので、また日を改めましょう。

 

 

 そう言ってくれたラナー王女は、最後まで丁寧な対応と感謝の言葉を述べて、ナザリックを後にした。

 

 その時の悟は、王族の気品ある対応に心が洗われる気持ちであり、荒んでいた心がすっきりしたような気さえした。

 

 

 ……率直に、凄いなあ憧れちゃうなあ……というのが、悟の感想であった。

 

 

 知らぬ間に決まった、王女との会談。

 

 王族……すなわち、この国の最高位に近しい立場の人であり、リアルで言うなら大企業の社長、あるいは総理大臣みたいなものだろう。

 

 

 正直、会談が始まる前は、見下されるかも……と、思っていた。

 

 

 リアルでのサブカルチャーなどで見聞きしていた『王族』の印象から、上から目線で語られるかも……とすら、思っていた。

 

 

 しかし、蓋を開けば……全くの逆だ。

 

 

 ラナー王女は、アンデッドの己を、何処までも丁重に扱ってくれた。

 

 へりくだるわけでもなく、馬鹿みたいに丁寧でもなく、怖れるあまり褒め言葉を並べたわけでもない。

 

 優しく、穏やかに、それでいて、真正面から。

 

 ナザリックの王として応対するのではなく、アンデッドではあるけれども、『アインズ』という1人の意志ある存在として、真摯に向き合い、微笑んでくれた。

 

 

 ……これが、王族なのか! 

 

 

 その時の感動は、とてもではないが悟の語彙では言い表せられなかった。

 

 ハリボテの己とは違う、生まれながらの王族というものを目にした悟は、心からラナー王女を尊敬していた。

 

 

(今だからこそ分かるなあ……あの、クライムさんか? あの人、ずーっとラナー王女の邪魔をしないように真剣だったし……俺も彼の立場だったら、たぶん同じようにしていたかも……)

 

 

 それに比べて……チラリ、と。

 

 俯いている守護者たちを見下ろした悟は、今日だけでも何度目かとなるため息を、深々と吐いた。

 

 

 独断専行、それはいい。

 

 

 それを許してしまっている、己の管理能力の不足が原因であり、責任は守護者たちを放置し続けた己にも回帰するから、そこはいい。

 

 許せないのは……必要性などまったく無いのに、帝国の人達を何十人も殺した事だ。

 

 相手が人間だとか、そこが問題なのではない。いや、悟にとっては滅茶苦茶重要ではあるけれども、そこではない。

 

 

 ──問題なのは、ナザリックのNPCが自分たち以外を格下だと思っている事だ。

 

 

 前々から察していた事が、改めて露見した。

 

 こいつらは人間を嫌悪している。相手がどんな人物であろうが、関係ない。『人間である』、それだけで十分なのだ。

 

 

 それならば……説明が付く。

 

 

 こいつらからすれば、人間など鬱陶しい羽虫以下の価値しかない。

 

 そんな羽虫以下の存在が、生意気にも反論してきた。あまつさえ、反抗しようとすらした。

 

 もう、その時点で、こいつらからすれば『あっさり殺されるだけありがたく思え』という感覚なのだろう。

 

 

 ……仮に、そう、仮に、だ。

 

 

 今後は人間を軽視せず、対等な存在として扱い、むやみに傷付けることをせずに生きろと命令すれば……眼前のNPCたちは、どうするだろうか? 

 

 

(……無理だな。そのうち我慢出来ずに殺して、俺にバレないように隠ぺいして、無かった事にするだろうな)

 

 

 ──脳裏を過るのは、『冒険者モモン』として活動していた時にお伴として同伴させた、『ナーベラル・ガンマ』の姿だ。

 

 

 今にして……改めて思う。

 

 

 よく考えず(設定を忘れていた)に安易に選んだ己の人選ミスだが、それを差し引いても、アレは酷すぎた。

 

 呼び捨てにしろと何度注意しても『さ──ん』といった感じで治る気配が無くて途中で諦めたし、ただの気さくな挨拶ですら『不敬なやつだ』と怒りを露わにした。

 

 そのうえ、公衆の場だというのに、相手を虫呼ばわりする始末。

 

 『ガガンボ』という、この世界の馴染みにない言葉だからこそ、理解出来なかった相手は笑って受け流してくれていたが……常識的に考えて、悪いのはナーベラル一択だ。

 

 だが、ナーベラル自身はそれを悪い事だと思っていなかった。

 

 注意しても、アインズの機嫌を損ねた事に罪悪感を覚えて謝罪しただけで、一度として相手に謝罪の意を示した事はなかった。

 

 

 ……そして、それは他のNPCたちも似たり寄ったりだ。

 

 

 一連の話を耳にしているはずのナーベラルの姉妹たちが、本気になって叱りつけたという話は未だに聞いていない。

 

 それがどれだけ失礼であり、相手を侮辱しているのか……知識として理解出来ているはずなのに。

 

 

(そもそもこいつら、仮に俺が誰かから酷く馬鹿にされた時、黙って我慢して……いや、それも無理だな)

 

 

 少しばかり想像を巡らせた悟は、集まっている面々の様子を改めて見やりながら……内心にて深々とため息を零した。

 

 今ですら、己に対して黙って動き、大勢の人間を殺したというのに、彼ら彼女らの頭の中にあるのは、アインズからの失望への怖れだけ。

 

 

 そう、それだけなのだ。

 

 

 人を殺した事に、欠片の罪悪感も抱いていない。いや、マーレを殺された事に怒りを覚えているのだろうが、それよりも恐れの方が強いのだろう。

 

 だから、姉であるアウラも弟の蘇生を口にしない。口にすれば、更にアインズの不興を買ってしまう事を恐れているからだ。

 

 

(……弟よりも、アインズ様を、か)

 

 

 だが、アウラは気付いていなかった。そんな考え方が出来る時点で、なおさら悟の心が離れて行くのが。

 

 そう、悟の知る姉弟は、そんな関係ではなかった。

 

 喧嘩はしつつも、互いを大事に想っているのは感じていたし、なにより……姉の為に、弟は自らユグドラシルを引退したのだ。

 

 

(ペロロンチーノさんなら……あの2人なら、絶対にそんな事を言わず、土下座でも何でもしてお互いの蘇生を願い出るだろうなあ……)

 

 

 チラリと、一番端に居る……シャルティアを見やる。他の守護者たち同様に、俯いたまま動く気配はない。

 

 ……NPCゆえに、仕方ないのかもしれない

 

 そう思いながらも、心の何処かで、あの2人を穢されたような気がして、悟は少しばかり不快感を覚えていた。

 

 

(……ていうか、さあ)

 

 

 そうして、ふと……悟は、思った。

 

 

 

 ──これから先、おそらくずっとこうなのだろうか……と。

 

 

 

 なにかしらの失敗、なにかしらの琴線に触れて誰彼を害したとしても、思い浮かべるのは『アインズ様からの失望』を恐れる気持ちだけ。

 

 その度に、こうして叱りつけなければならないのだろうか。

 

 何時まで経っても反省せず、ナザリック第一、アインズ様第一、至高の御方たち第一から変わらない、このNPCたちを。

 

 

 ……正直、勘弁してくれよ……と、悟は思った。

 

 

 けれども、ナザリックの主という立場に居る以上は、このままナアナアで終わらせるわけにはいかないし、終わらせて良いのかという考えが浮かぶ。

 

 その場で責任を取って自害せよというのは簡単だが、これまで下した処分で一番重いのは、謹慎処分だ。

 

 確かに、失敗の規模こそこれまでとは段違いだが……かといって……しかし……と、そこまで考えた辺りで、ふと、悟の脳裏に妙案が過った。

 

 

(いや、待てよ……アルベドたちの処分は別にしても、これは……気になっていたNPCたちを個別に呼び出せるチャンスじゃないか?)

 

 

 それは、かねてより気になっていた……ツアレや王国の人達の今後をどうするか、それについての相談である。

 

 

 具体的には、ツアレより親密な目線を向けられている『セバス・チャン』と、攫ってきた王国民たちの面倒を見ている『ペストーニャ・S・ワンコ』の2名である。

 

 

 ……まあ、単純に呼び出せば良いだけの話だが、警戒するのも致し方ない。

 

 なにせ、守護者たちは、これまで幾度となく自分の知らないうちに行動していた前科があるし、言わなくともアインズ様は理解していると思い込んでいる場合が非常に多い。

 

 ……下手に二人を呼び出そうものなら、根掘り葉掘り聞き出そうと動く者の心当たりがある以上、これまで放置しっぱなしであったが……いい機会だ。

 

 

「……ふむ、そうだな。少し、気になる事が出来た」

 

 

 ぎしり、と。

 

 玉座より立ち上がった悟は、視線一つ上げずに俯いている守護者たちを1人1人見やりながら。

 

 

「罰を与える前に、全ての僕たちに幾つか聞きたい事がある。場所は……そうだな、Barにしよう。アルベド、全ての僕に通達せよ」

 

 

 おそらくは、最初で最後になるかもしれない。

 

 

「そこで、1人ずつ私と話そう。お前たちは、一切の偽り無く本音を話せ。開始は、現時刻より5時間後とする」

 

 

 情報収集を兼ねた面接のようなことを行うことに、悟は決めたのであった。

 

 

 

 

 

 




この時点で、完全に悟はNPCたちを見限りました

鈴木悟の感覚としては、↓

生きてようが死んでようがどうでもいい、ただ、最後までおとなしくしておいたら、それでいい
どうせお前ら動くなって言っても動くでしょ? だったらせめて、誰にも迷惑かけないようにひっそり動いてね
正直、お前らの顔は見たくないけど、放っておいたらそれはそれで暴走するんでしょ? 分かっているよ、顔ぐらい見せるから(糞でか溜息)

そんなことより、ナザリック内の人間をどうにかしないと……あっ、責任者の二人だけ呼び出すとお前らまたこそこそ動き回るでしょ?
だから全員やるから。ほら、それで納得しろよ、なあ、分かったか?


という感じ

ちなみに、守護者たちは心酔するアインズ様が、自分たちを見るたびにくっそデカい溜息バンバン吐かれるから、もうまともに動けなくなるぐらいのショックを受け続けています


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(裏話)骸骨の初体験

すまんね、月末と月初めは忙しないのじゃ


 

 

 ナザリック地下大墳墓9階層にある、Bar。そこに初めて足を踏み入れた悟は、思わず眼孔の光を強くした。

 

 

(く、口惜しい……アンデッドでなければ、飲めたのに……!)

 

 

 何故かと言えば、Barのカウンターの奥。茸……名前は忘れたが、とりあえずは、バーテンダーと思われるNPCの後ろに広がる夢のような光景。

 

 それは、酒、酒、酒。それも、リアルなら一生掛かっても飲めなさそうな、高級感漂うモノばかり。

 

 横に伸びた棚には隙間なくキッチリと多種多様な酒瓶が置かれており、眺めるだけでも楽しくなってしまうような光景が、そこにはあった。

 

 悟は、それほど酒が嫌いではない。とはいえ、好きというわけでもない。

 

 酔うと日常の辛さを一時とはいえ忘れる事が出来たから、一時期は余裕が出来たら買っていたが……まあ、ユグドラシルに出会ってからは、ほとんど飲まなくなったけど。

 

 とはいえ、悟が知っている限り、市場に流通している『酒』というのは、だ。

 

 

(たっちさん曰く、酔うのが目的で味は二の次ってらしいけど……ほ、本物の酒って、どんな味なんだろうか?)

 

 

 実際、会社とかでも同僚と世間話をした際に何度か話題に出た時、酒の味が好きだと話している者は1人としていなかった。

 

 理由は、只一つ。純粋に、飲める酒は滅茶苦茶高いからだ。

 

 ペースト状、あるいはブロック状の合成食品が大多数の主食になったあの世界では、ちゃんと作られた酒なんて、買おうと思って買えるものではない。

 

 消毒液と市販されている酒は、ラベルを張り変えただけ。

 

 そんな笑えないジョークが流れ、誰も否定出来なかったぐらいに認めていたのだから……リアルにて手に入った酒の質も、想像が出来るだろう。

 

 

(アンデッドでさえなければ……せめて、バードマンとかなら、飲めた可能性があったのに……!)

 

 

 だからこそ……好き嫌いは別として、眼前にて並べられている多種多様なラベルを前に、心惹かれてしまうのは致し方ないことであった。

 

 

 ……まあ、何時までも嘆いていても仕方がない。

 

 

 一つため息を零した悟は、スルリと……後ろに付いて来たはずのパンドラが、先回りして椅子を引いてくれたので、そこへと腰を下ろし……改めて、室内を見回した。

 

 いちおう、ナザリック地下大墳墓の設備とかは、この世界に来てすぐに色々と見回った。

 

 その中には、このBarも例外ではない。思い返せば、サラッとだが……いちおう、店内も見回った記憶はあるが……どうにも、詳細がはっきりしない。

 

 おそらく、この身体がアンデッドだからだろう。

 

 今は飲食不可の現実に諦めがついて慣れてしまったが、当初は食べられない高級品を見るのが辛かった覚えがある。

 

 それゆえに、飲食を取り扱う場所はサラッと目を通すだけでその場を後にしたような……しかし、だ。

 

 

(こうして見ると、皆のこだわりが凄いなあ……置かれている酒瓶の銘柄、全部バラバラじゃん)

 

 

 こうして、改めて腰を下ろして店内を見回していると……みんなが如何にナザリックを大切に思って力を注いでいたのかが、よく分かる。

 

 実物をモデルにしたかは不明だが、置かれている酒瓶はどれ一つ同じ物(つまり、コピペ)が無く、おそらく種類も全部異なっているのだろう。

 

 店内を彩る様々なインテリアも、店内のイメージを一切損なわず、かつ、独特の空気を生み出すように細部まで考えられているのが素人目にも……っと、そうだった。

 

 

「パンドラ、せっかくのBarだ。私に遠慮せず、好きなモノを頼むといい」

 

 

 すぐ後ろに立ったままのパンドラの為に、椅子を引く。すると、ギョッと●が広がったのが見えた。

 

 

「いえ、アインズ様、それは……」

「うん? 酒は嫌いか? それとも、体質的に飲めないのか?」

 

 

 尋ねれば、そういうわけではないとパンドラは答えた。

 

 ならばどうしてと続けて尋ねれば、アインズ様は飲むことが出来ませんのでと返されて……思わず、悟は笑った。

 

 

「気にするな、その気持ちだけで私には十分だよ」

 

 

 それは、悟の本心であった。

 

 生鮮食品が超高級品として扱われていたリアルでは、『ちゃんとしたお酒』というのは、一生掛かっても飲めるかどうかの代物。

 

 己が飲めないのは残念だが、かといって、周りの者まで飲むなというのは違うと思っている。

 

 体質的、あるいは酒が嫌いならともかく、せっかくの機会なのだ。

 

 酒の出会いは一期一会……というのは言い過ぎかもしれないが、

 

 全く知らないままなのは勿体無いと思った。

 

 

「しかし、そうだとしても……これから面談を行うわけですし、私が同伴するのは……」

「面談とは言っても、そう畏まったことをするわけではない。少しばかり質疑応答みたいなことをするだけだし、酒でも飲んで口を開き易くしないとな」

「ですが、しかし……」

「……お前も、酒に興味は、少しはあるのだろう?」

「……少しだけ」

「ならば、これは父からの、息子への労わりとでも思って受け取ってくれ」

 

 

 それもまた、悟にとっては本心だった。

 

 息子……という言葉が出た事に、悟は内心にて少し驚いた。けれども、思いのほか、ストンと胸中に納得が収まった。

 

 子供どころか彼女すら出来たことがない悟だが、パンドラは……唯一、悟がその情熱を注いで作り上げたNPCだ。

 

 

 ──何と言えば良いのか、仮に息子が居たならば、こんな感覚なのだろうなあ……と、悟は思った。

 

 

 それに、そういうのを抜きにしても、パンドラは恩人だ。

 

 この地獄のような世界で、気付けばパンドラは己の心の支えでもあるとも、悟は思っていた。

 

 

「……息子?」

「なんだ、嫌か?」

「い、いえ、いえ! とんでもございません!」

 

 

 だからこそ、息子だと言われたパンドラが。

 

 

「そうですか……息子ですか。私を、息子と呼んで……!」

 

 

 ●三つの顔からは表情を伺い知る事は出来ないが、声色からとても喜んでいるのを感じ取った悟は

 

 ……何だか、図体の大きな子供が、嬉しくも恥ずかしがっているような……そんな印象を、覚えた。

 

 

「……分かりました。それでは、お言葉に甘えさせてもらいます」

 

 

 そうしてようやく悟の思いを受け入れたのか、何処となくしどろもどろとしていたパンドラは、促されるがまま椅子に腰を……悟の隣の席に座った。

 

 

「酒は飲んだことはあるのか?」

「いえ、まったく……」

「ならば、コレを飲んでみたい……というのも無いわけか?」

「申し訳ありません、正直、どれがどのようなモノなのかすら、さっぱりでございます」

「ふむ、そうか」

 

 

 ──実は、私もだ。

 

 

 そう告げれば、パンドラは目に見えて……というのも変な話だが、悟の目には●が大きくなったように見えた。

 

 

「あ、アインズ様も、ですか?」

「うむ、私も……その、肉体を持っていた時は酒とは無縁な生活を送っていてな。また、私の周りにはそれほど酒が流通していなかったのでな」

 

 

 いちおう、嘘は言ってない。

 

 

 正確には、酒とは無縁ではなく、ちゃんとした酒が高級品過ぎて手が出ず、眺めるしか出来なかった……のだが

 

 なので、悟の方からはアドバイスは出来ない。しかし、悟からアドバイスする必要はない。

 

 何故なら、このBarにはバーテンダーが居るからだ。名前は……今も思い出せないが、とりあえずマスターとでも呼べばよいだろうとチラリと視線を──ん? 

 

 

「うっ、うっ……」

 

 

 おススメを用意してもらおうかと思ったら、何故か茸……マスターが、ハンカチで顔を覆って号泣していた。

 

 

「マスター、どうした?」

「うっ、うっ……やだ、尊い……しゅき……」

「……?」

 

 

 人間(アンデッドだけど)、驚き過ぎるというか、あまりに想定外過ぎると、困惑の方が強く出るのだろう。

 

 隣のパンドラも、困惑したかのように首を傾げている。

 

 普段なら放っておくところだが、今はカクテルとか色々と用意してほしいのだが。

 

 まあ、結局マスターの奇行は3分と続かなかった。

 

 涙なのか胞子なのかよく分からん液体をスッキリ拭き取ったマスターは、頭を下げて謝罪をした後で……おもむろにパンドラの前に用意したのは……『パライソ・オレンジ』。

 

 

「ライチの香りに、オレンジの酸味が合わさったカクテルでございます。初めてでしたら、まずは甘くて飲みやすく、度数も低いモノがよろしいかと」

 

 

 そして、悟の前にそっと差し出されたのは……ショットグラス。繊細な凹凸によって鮮やかさを見せているそこには、琥珀色の液体がきらめいていた。

 

 

「ウイスキーでございます。ウイスキーは香りを楽しむモノとも言われております。これならば、アインズ様も一緒に……」

 

 

 おお……思わず、悟は声を漏らした。

 

 

「……これはありがたい。そうか、味ではなく、香りか……それなら、私でも楽しむことが出来るな」

 

 

 本当に、嬉しかった。そして、機転を利かせてくれたマスターに感謝の言葉を述べつつ……小さなグラスを、パンドラへと向けた。

 

 

「リアルでは、な。こういう時、乾杯といって互いのグラスを軽く当てるのだ」

「えっと、こうでしょうか?」

「うむ、そうしてグラスの音が鳴ると同時に……だ」

 

 

 言葉で説明しつつ、悟とパンドラは互いのグラスをゆっくりと近付け……カツン、と甲高くも澄んだ音がBarに響いた。

 

 

 ──乾杯。

 

 

 そう、2人の声が合わさった。

 

 なにやらカウンターの奥でこちらに背を向けて「やだ、尊い、しんじゃう……」、ぶつぶつと呟いているマスターの姿があったが……もう諦めたアインズは、スーッと鼻先にて香りを吸った。

 

 

(ああ……凄いな。これが、本物の酒の香りなのか……)

 

 

 これまで嗅いだ事のない、己の言葉では言い表せない不思議な香りに、悟は……感動のあまり、しばし動きを止めた。

 

 甘い香りだ。しかし、砂糖菓子のような甘さではない。アルコール特有の香りと、何と言えば良いのか……こう、不思議な香り。

 

 リアルにて、己が生まれる100年以上前には、酒の為に身を滅ぼす者が大勢いたとは聞いた覚えがあったが……なるほど、と納得した。

 

 

(一度で良いからちゃんとした酒を飲んでみたいと言っていた人たちの気持ちがよく分かる……これを知ってしまえば、俺たちが飲んでいたアレは泥水みたいなものだな)

 

 

 リアルなら、この香りだけでも金を取られそうだな……と、昔のことを懐かしみながらも、ふと、隣を見やれば。

 

 

「……美味いか、パンドラ」

「はい、アインズ様! アインズ様も、どうですか?」

「うむ、私も楽しんでいるよ。このウイスキーの香りは癖になる」

「私もです。お酒を飲んだのはコレが初めてでございますが……お酒とは、これほどに美味しいものなのですね!」

「ふふふ、そうだろう。仲間たちも、酒を好んでいる者は多かったからな」

「おお、他の至高の御方までもが……」

 

 

 感動に打ち震えるパンドラ(あと、マスターも感動していた)の姿に、もう一度笑い声をあげた悟は……ふと、気配を感じて振り返る。

 

 

 ──あ、あの、アインズ様……。

 

 

 すると、そこには……見慣れぬうえに記憶にもないNPCが立っていた。

 

 本当に、見覚えが無い。いや、まあ、ナザリックにひと際強く思い入れのある悟であっても、全NPCを記憶なんてしていないから、当たり前だが。

 

 ていうか、そういえばとハッと我に返った悟は、店内に取り付けてある時計を見やり……時間ピッタリ5時間後なのを確認すると。

 

 

「……時間ピッタリだな」

 

 

 一つ、頷いた悟は……パンドラとは反対側の椅子を引いてやると。

 

 

「では、これより軽く質疑応答を行う。何か飲みたいモノがあれば、私やマスターに遠慮することなく注文するように」

 

 

 その言葉と共に、ナザリックの王による、最初で最後の……面談が始まった。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………まあ、面談といっても、そう小難しい事を聞くわけでもなければ、NPCたちにとって返答しにくい事を聞くわけでもない。

 

 

 一つ、日常を送るうえで不満(たとえば、外に出たいとか)はあるか? 

 

 一つ、現在のナザリックの運営方針に対して、思うところはあるか? 

 

 一つ、外部の者(人間、亜人、問わず)に対して、思うところはあるか? 

 

 一つ、人食を好む者(これは、当人含めて)はいるが、それについてどう思うか? 

 

 

 他にも、細やかな事を幾つか尋ねるが、大まかにはこの四つが基本であり、必要でないと判断したら、この4つだけで終了である。

 

 わざわざ面談を開くというのにそっけない……と、思われそうだが、これも仕方がないのだ。

 

 なんといっても、ナザリックのNPCは数十人(たしか、三桁は居なかったような……)もいる。

 

 1人に20分も30分も時間を掛けていては、体力的には問題なくとも、悟の方が気疲れしてしまう。

 

 

 それに……悟の目的の相手は、2人だけだ。

 

 

 あくまでも不公平感を出さないために全NPCを対象にしただけなので、悟としては、他はおまけでしかなかった。

 

 ちなみに、パンドラはあくまでも隣の席に座ってもらっていた。これは畏まったモノではなく、本当に軽い質疑応答みたいなものだということを、雰囲気で感じ取ってもらいたいためである。

 

 

 ……それが上手くいったのかは、悟には分からない。

 

 

 けれども、1人、また1人と面談を終えて行く中で。

 

 

(……そうか、そうだったのか)

 

 

 意外というのも変な話なのかもしれないが、これまで感じていた疑問の一つが解消したことに、ちょっと驚いた。

 

 それは……NPCたちが、どうしてここまで人間(他種族)を見下し、蔑視する者が多いのか……である。

 

 話を聞く前は、単純にカルマ値がマイナスであり異形種(悪魔や人食)だからこそ、人間を蔑視するモノと思っていた。

 

 

(まさか、ナザリックに侵攻してきた1500人のアレを記憶していたとは……)

 

 

 だが、実態は少し違った。確認した全員が記憶しているわけではなかったが、覚えているNPCはそれなりにいた。

 

 

 ──1500名によるナザリック討伐隊。

 

 

 それは、ユグドラシルが盛況だった頃に一度だけ起こった、ギルドアタックである。

 

 詳細は省くが、あの時は凄まじかった。

 

 『ナザリック地下大墳墓』の切り札の一つである『第八階層のアレら』によって撃退出来たが、失敗に終わっていたらナザリックが終わっていたかもしれない大事件だった。

 

 

 しかし、それなら納得出来た。

 

 

 NPCたちからすれば、人間は『至高の御方』を殺しに来た外敵であり、自分たちを殺し、ナザリックを崩壊させようとした怨敵である。

 

 そこに、別の世界とかそういうのは関係ない。

 

 どんな場所であろうが、ナザリックのNPCたちにとって、余所者は余所者であり、潜在的に嫌悪して……なるほどと、悟は思うと同時に、やるせなくなった。

 

 

(NPCたちからすれば、この世界の人間や亜人とかは、親や仲間を殺しに来た者たちの親戚みたいにしか思えないわけか……)

 

 

 NPCたちには、NPCたちなりの理由があった。

 

 しかし、それでいったいどうしろというのか。

 

 だって、討伐に来たプレイヤーたちにとっては、所詮はお遊びだ。悟たちだって、お遊びでしかなかった。

 

 そりゃあ、愛着のあるNPCがロストしたら悲しい。

 

 けれども、復活コストこそ有ったが、何時でもコマンドで復活させることが可能だったら、悲壮感など皆無だった。

 

 あのペロロンチーノですら、シャルティアが倒された時は喚いた程度であり、それこそ涙を流すなんてことはしなかったのだ。

 

 

 ──これはもう、どうしようもない。

 

 

 そう、悟は思った。

 

 仮に、『星に願いを』などでNPCたちのカルマ値をプラスに出来たとしても……いや、それだけではない。

 

 この時の記憶を全NPCの頭から消すとなれば、『流れ星の指輪』一つ使い切る必要が出て来るかもしれない。

 

 加えて、カルマ値以前に設定的に残忍な性根を与えられている者も居て、変えるとなると設定まで弄る必要が出て来る。

 

 そもそもNPCの中には『脳食い』だとか『恐怖公』だとか……まあ、今の悟からすれば視界にすら入れたくない者もいる。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………哀れには思うが、結論は変わらないなと悟は……っと。

 

 

 

「──失礼いたします……わん」

 

 

 

 前の人が去ってから、きっかり2分後。

 

 Barに姿を見せたのは、犬の顔を持つ人型(?)のNPC。それは、悟がこの面談を開いた理由の片割れであり。

 

 

「良く来た、ペストーニャ。ここに座れ」

「はい、アインズ様……わん」

 

 

 その名を、『ペストーニャ・S・ワンコ』

 

 

 ナザリックの中では唯一、創造主より『優しい』と設定されている……かつて、ギルドメンバー全員が愛したとされるNPCであった。

 

 

 

 



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(裏話)骸骨の戸惑い

助長な感じするけど、ここの部分をちゃんと描写しないと、最後につながらないからね、仕方ないね


 

 

 ──ペストーニャ・S・ワンコ。

 

 

 『ナザリック地下大墳墓』のメイド長を務める、治癒魔法の使い手である高位の神官である。

 

 その外見は、おおよそ人型……らしい。女性メンバーの一人が設定したもので、昔に飼っていた犬がモデルなのだとか。

 

 

 だから……なのかは知らないが、語尾に『わん』と付ける設定も入れられている、ナザリックでは変わり者のNPCである。

 

 そして、ナザリックの中で唯一『優しい』という設定が成されているためか、悟が知る限り、とても優しい性格をしている。

 

 

 詳細は聞いていないので不明だが、『ゲヘナ』作戦が立案され、各NPCに通達が成された時、ひと際強く反対したのがペストーニャである。

 

 たしか、計画そのものが非道過ぎるので作戦中止の要望。

 

 その時の悟はまだ『アインズ』であったため、作戦は変更なく決行され……今は、ナザリック内に居る人間たちの世話を行っている。

 

 

(ペストーニャの善性は、主に対しても一歩も引かない芯の強さがある)

 

 

 とりあえず、思い出せる限りの設定を思い出しながら、隣に座って貰う。

 

 これまでと同じように飲み物を促してみれば、ミルクを所望したので、マスターに用意してもらい……で、だ。

 

 

「……マスター、すまないが、少し席を外してもらえるか? 終わったら……パンドラに呼んでもらう」

 

 

 そう訴えれば、マスターは恭しく一礼すると、静かにBarを後にした。

 

 そうして、室内に残されたのは、悟と、パンドラと、ペストーニャの3名だけであった。

 

 

「……あの、アインズ様?」

「ああ、すまない。驚かせるつもりはないんだ。ただ、周りの目があると、お前は遠慮してしまうからな……後ろにいるパンドラは、居ない者として扱ってくれ」

「はあ、分かりました……わん」

 

 

 首を傾げつつも受け入れたペストーニャを前に、悟は居住まいを正す。それから、おほん、と一つを咳をしてから……おもむろに、話を切り出した。

 

 

「──日常を送るうえで、不満(たとえば、外に出たいとか)はあるか?」

 

 

 最初は、ジャブみたいなものだ。

 

 正直、ここで不満があるなら解消するように動く(余裕が有れば)だけなので、よほどの事ではない限りは……とはいえ、だ。

 

 ペストーニャは、何も無いと静かに首を横に振り……少し間を置いてから、私の不満ではございませんが……と、言葉を続けた。

 

 

「……王都の者たちを解放してやりたい、と?」

 

 

 ナザリックで1,2を争う善性を持ち、『優しい』と設定が加えられたペストーニャだ。

 

 しかし、方向性は想定通りであったが、まさか解放の訴えまでするのは想定以上であった。

 

 

「はい。以前より危惧しておりましたが、先日より精神的な不調を訴えてくる者が増えており……このままでは、子供たちにも影響が出始めます……わん」

「……やはり、ナザリックという環境は人間には適さない、か?」

「率直に言えば、そうなります。ここは、あまりに人を敵視し、蔑視し、害する事を躊躇しない者が多過ぎます……わん」

「待て、もしや、狙っている者が僕たちの中にいるのか?」

 

 

 思わず立ち上がり掛けた悟に、「いえ、それはありません……あ、わん」ペストーニャは落ち着いて宥めながら……しかし、と言葉を続けた。

 

 

「アインズ様、どんな生き物であれ、自らを捕食する相手が傍にいて落ち着ける者はおりません……わん」

「私が、厳命したとしてもか?」

「絶対に安全だと言われても、自分たちを見て涎を垂らし腹を鳴らす者が居ると分かっていて、安眠できましょうか……わん」

「……ふむ、そうだな」

 

 

 ペストーニャの話を簡潔にまとめると、だ。

 

 

 例えるなら、自分たちを腕の一振りで皆殺しに出来る(しかも、その事に躊躇しない)者が、同じ建物の中に住んでいるような感覚だ。

 

 それをするなと厳命されていると分かっていても、気紛れ一つ、事故一つで殺されるし、それを防ぐ為に訴えられる相手もここにはいない。

 

 それ以前に、上の方針が一つ変われば、自分たちは何時でも殺される状態だ。寝ても覚めても、死の気配が足元にチラついている。

 

 外がどうなっているかも分からず、自分たちがどのような立場で置かれているのかすら曖昧。残された家族の安否も気になり、気付けば……一日中、ボーっとして、力が入らない。

 

 このまま食卓に並べられるまで飼い殺しにされるのか、それとも人質として扱われ続けるのか。あるいは、全く別の目的の為なのか。

 

 何一つ先が分からない状況に、徐々に精神的な疲労が溜まってきている。

 

 

 ……なので、このままでは長期に渡る治療が必要になる状態にまで悪化するかも……というのが、ペストーニャの話であり見解であった。

 

 

(……そうだよな。俺が彼女たちの立場だったら、とてもじゃないけど一日足りとて安眠出来ないよな)

 

 

 ──それを聞いて、表面上は変わらず……内心では冷や汗を流した悟は、ペストーニャにはいいだろうと判断して、話し始めた。

 

 

「その点については、心配しなくていい」

「え?」

「これはまだ、他の者たちには黙っていてほしいのだが……実は、既に王国のラナー王女との密談を進めていてな。人間たちを引き渡す方向で話が進んでいる」

「まあ! それは本当ですか──あ、わん!」

「本当だとも。とはいえ、すぐにではない。いずれ戻す予定だから、そのように元気づけておいてくれ」

「はい! それはもう、皆様方もお喜びになると思います──わん!」

 

 

 ──いちおう言っておくが、そんな話は、ラナー王女との間で全く行われていない。

 

 

 しかし、あまりに辛そうに、人間たちの現状を語るペストーニャ(その人たちに対しても)が可哀想で、思わず悟はでたらめを口走ってしまった……というわけである。

 

 ……いや、だって、さあ。

 

 チラリと、右に左に、それはもう嬉しそうに激しく揺れているペストーニャの尻尾を見やった悟は……そのまま、振り返ってパンドラを見やる。

 

 

「……!」

 

 

 すると、パンドラは……無言のままに、親指を立ててOKサインを出した。

 

 

 ──本当に、イケるか? 

 

 

 無言のままに、悟は視線で訴える。

 

 すると、パンドラは強調するようにグッと立てた親指に力を入れて……静かに、軽く頭を下げた──のを見て、悟も親指を立てて──改めて、ペストーニャへと向き直った。

 

 

「……では、次だ。これは、ある意味お前たちに一番聞きたいと思っていたことなのだが」

 

 

 ──現在のナザリックの運営方針に対して、思うところはあるか? 

 

 

 それは、ある意味では僕たちにとって、非常に重い質問なのだろう。

 

 実際、これまで尋ねたNPCたちは、1人の例外もなく、『何一つ思うところはありません』といった感じの返答を、満面の笑みと一緒に返してきた。

 

 そこに、打算の色は見られない。誰も彼もが、心からアインズのやり方に喜んで付き従っているのだと……告げていた。

 

 

 まあ、それも致し方ないだろう。そう、悟は思っていた。

 

 

 パンドラにも事前に相談したが、この質問は僕たちにとって、『至高の御方のやり方に文句はあるか?』とのことらしい。

 

 なので、そもそも思うところがあるという発言自体が、ナザリックへの裏切りに繋がると思うのが、ここでは常識。

 

 だから、それ以外の返答が成されることはあり得ない……そうも、パンドラより言われていた。

 

 

「……不敬であり無礼を承知で言わせてもらっても、よろしいでしょうか?」

「かまわない、私に気を使うようなことはせず、一切の遠慮をするな」

「わかりました」

 

 

 それ故に……そう、だからこそ。

 

 その質問をした瞬間、ペストーニャは……それまで嬉しそうに揺れていた尻尾の動きを止めた。

 

 

「私としては……以前のアインズ様の方針に従えない部分はありましたが、ここ最近は……従いたいと思っています……わん」

 

 

 だが、はっきりと……アインズに否定をぶつけたペストーニャの姿に、悟は……驚きと共に、喜びを抱いた。

 

 

「……それは、どうしてだ?」

「それは……」

「ああ、いや、怒っているわけではない。ただ、純粋に聞きたいのだ。いったい、何処が嫌なのか……それを知らなければ、改善することが出来ないからな」

 

 

 言いよどむペストーニャに対して、そのように声を掛ける。

 

 

「……アインズ様。これは、私の気の迷いとでも……思っていてほしいです……わん」

 

 

 それが上手く効いてくれたのかは分からなかったが、ペストーニャは気を落ち着かせるかのように3回だけ深呼吸をした後……おもむろに、語り始めた。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………所々言葉が詰まり、それでいて、必死に内心を、考えていたことを吐き出し始めたペストーニャ。

 

 

 それに耳を傾けていた悟は……途中で、出ない涙が零れ出そうな感覚を何度も覚えた。

 

 

 何故なら、その内容は……他のNPCたちが『1500人討伐隊』の事を覚えていた時と同じく、まだギルドメンバーたちがナザリックに大勢ログインしていた時のこと。

 

 その中でも、日常というか、ある意味では一番楽しくユグドラシルをプレイしていた時の……仲間たちとの触れ合い、そんな日々の話が含まれていたからで。

 

 

「以前のアインズ様は、とても冷たく冷酷な面を多く見せておりました。私が目にしていた貴方様とは、まるで別人のように……」

 

 

 そして、なによりも。

 

 

「でも、今のアインズ様は違います。『至高の御方』たちが居てくださった時のように、穏やかで優しくて……そんなアインズ様に戻られて、私は嬉しく思っております……わん!」

 

 

 ペストーニャの口から、そのような言葉を言われたのが……悟にとっては本当に嬉しくて、それでいて悲しかった。

 

 

「……では、外部の者に対して思うところはあるか? 特に、人間に対してだ」

 

 

 そんな、複雑な内心から目を逸らすかのように……悟は質問を続けた。

 

 

「いえ、思うところはありません」

「それは、『1500人の討伐隊』の話があってもか?」

「はい、だって至高の御方であるアインズ様もそうですが、皆様方……本当に楽しそうにしておられました」

「……楽しそうだったか?」

「はい、とっても。だから、私も殺されはしましたが……蘇生してくださった時に、笑っている皆様方を見て……ああ、良かったと私も嬉しく思っておりました」

「……では、人食を好む者に対して、どう思う?」

「それは、仕方がありません。そうしなければ生きられない以上は、そうするしか……ですが、せめて痛みなく……とは思っております」

 

 

 ……あっ、わん! 

 

 

 そう、取って付けたかのように語尾を入れたペストーニャのソレが、終わりの合図だと思った悟は……そこで、面談を打ち切る事にした。

 

 

「それでは、次の方を呼んでまいりますが……よろしいでしょうか?」

「うむ、頼む」

 

 

 すると、ペストーニャは席から立ち上がり、深々と一礼をすると、静々と足音を立てずにその場を離れ──。

 

 

「ペストーニャ……一つ、いいか?」

 

 ──ようとした時……どうしてか、悟は、その背中に声を掛けていた。

 

 

 なんでしょうかと振り返ったペストーニャに対し、悟は……しばし、視線をさ迷わせた後。

 

 

「仮に……そう、仮に、だ」

「はい」

「仮に、このナザリックを崩壊させ、全ての僕たちを死に追いやろうと私が考えているとして……さて、ペストーニャ、お前はどう思う?」

 

 

 ──瞬間、ペストーニャの動きが止まった。

 

 

「……そう、ですわね……わん」

 

 

 けれども、止まったのは一瞬だった。

 

 まるで、不意を突かれただけで、それ以上は気にも留めていないと言わんばかりに悟を見つめた後。

 

 

「それが、アインズ様の未来に繋がるのでしたら、私は喜んで従います……わん!」

 

 

 はっきりと、そう答えたのであった。

 

 あまりにはっきりと返事をされたことに、逆に悟の方が言葉を失くして目を(まあ、眼球無いけど)光らせて……大きく、息を吐いた。

 

 

「それは、本心か?」

「はい、本心です、わん。今のアインズ様のままに、その未来が広がるのでしたら、私も本望というものです……わん」

「そのために、命を落とすことになっても……蘇生されることがないと分かっていても、か?」

「もちろんでございます。私は、アインズ様含め至高の皆様方の為にいるのです。私の為に、アインズ様たちがいるのではございません」

「……そうか、ありがとう、ペストーニャ。そして、すまない」

「謝らなくても、大丈夫です。どうか、アインズ様……迷わず、御自身が正しいと思った選択を御選びください」

 

 

 ……わん。

 

 

 最後に、思い出したようにその語尾を呟くと……恭しくメイド服の裾でカーテシーを行い、静かにBarを出て行った。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………しばしの間、悟は何も言えなかった。

 

 

 傍のパンドラが心配そうに見てくるのは分かっていたが、何も出来なかった。

 

 

(……あ、マスター呼ばないと、飲み物用意してもらえないじゃん)

 

 

 けれども、すこし間を置いた後……そういえばと思い出した悟は、マスターを呼ぼうと──。

 

 

「お待たせ致しました、アインズ様」

 

 

 ──したのだが、遅かった。

 

 

(あ、次はセバスなのか)

 

 

 Barに入って来たのは、燕尾服のナイスミドル……『セバス・チャン』であった。

 

 

 彼は、悟がユグドラシルを続けるキッカケとなり、『アインズ・ウール・ゴウン』が設立する前の、『ナインズ・オウン・ゴール』のリーダーを務めていた、『たっち・みー』が制作したNPCである。

 

 その性格は、『たっち・みー』譲りの善性。

 

 ペストーニャのように『優しい』という設定は入れられていないが、カルマ値は全NPCの中でも最大。これまた、ナザリックでは稀有なNPCでもある。

 

 

 ……そうして、ふと。

 

 

 見ず知らずのツアレを助ける為に、アインズの不興を買うようなことを行い、『ゲヘナ』においても、反対意見こそ出しはしなかったが、非常に不快感を露わにしていた……ような話を、思い出した。

 

 

(……今にして思えば、セバスは忠義の人なんだろうな。それはそれ、これはこれ、そういうのが出来ないタイプなんだろう)

 

 

 とはいえ、そんなセバスを前に、どうしても拒絶の意思が出てしまうのは……やはり、『ゲヘナ』のあの時だろう。

 

 

 ……今だからこそ、悟とて、分かってはいるのだ。

 

 

 忠義に溢れた彼にとって、アインズを第一に優先するのは当たり前である。どんな非道であっても、まずアインズが無事であるならば……ただ、不器用なだけなのだ。

 

 そうでなければ、裏切り疑いからそしりを受けると分かっていても、ツアレを助けたりなどはしない。

 

 ただ、己の不満や憤りや願いよりも前に、『アインズ』の命令を遂行する……それが、彼にとっての当たり前なのだ。

 

 ペストーニャは、アインズに反抗する形になると分かっていても、優しさを持って前に出る。

 

 

 セバスも、形こそ違うがアインズに黙って行っていたのだ。

 

 

 ただ、方向性と性格が違うだけで、その中身はペストーニャに引けを取らない善性であることも……ん? 

 

 しばし考え事をしていると、セバスはツカツカと足音を立てて入って来た。

 

 普段のセバスからは想像が付かない強引な態度に、おやっと首を傾げた悟を他所に、セバスは……悟の前に、ピタリと立ち止まると。

 

 

「──アインズ様、どうか、この通りでございます」

 

 

 深々と……いや、それどころか、その場に膝と額を床にこすり付けるように、その場にて深々と土下座をした。

 

 

 ……えっ? 

 

 

 これには、悟も驚いて感情抑制が働いたのを自覚する。

 

 いや、まあ、そりゃあそうだろう。

 

 なにか緊急事態が起こっている最中に頭を下げられたのならばともかく、今はいちおう平時だ。

 

 それも、事前に何かしらのトラブルが起こっていた……といった感じで報告を受けていたら心の準備も出来るが、今回はそれが無い。

 

 

(顧客先からの突然の仕様変更……唐突に始まる、お願いという名の強制デスマーチ……営業からの無茶な追加業務……うっ、頭が……!)

 

 

 ズキリ、と。謎の痛みが頭を過る。

 

 別の意味で思い出したくもなかったリアルの事を思い出した悟は、気分を入れ替えるかのようにテーブルのウイスキーを一嗅ぎ、二嗅ぎ……そうして、気持ちを落ち着かせた悟は……改めて、セバスへと向き直った。

 

 

「どうしたのだ、セバス。何かあったのであれば、正確に報告を──」

「どうか、ラナー王女に取り次いでもらい、ツアレを王都へ戻せるように便宜を図ってもらえないでしょうか?」

「……すまない、話がよく見えないのだが」

「どうか、お願い申し上げます。以前より傾向はみられておりましたが、ここ最近のツアレは思い詰めてしまっているようで……」

 

 

 しかし、そんな悟の努力も。

 

 

「そのせいで、先日から私のベッドへ裸で入ってくるという淑女にあるまじき行為をするようになってしまいまして……」

「待って、何がどうなってそうなったの!?」

 

 

 あまりに想定外な話が飛び出したことで、水の泡となってしまった。

 

 

 




悟くん、曇っちゃう



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(裏話)骸骨が背負うモノ

お久しぶりです
久しぶりなので、骸骨様を曇らせます


 

 

 

 

 ──とにかく、ツアレからも話を聞かなければならん。

 

 

 

 未だに土下座を続けようとするセバスを命令して立たせた(正直、気まずくて仕方がない)悟は、パンドラよりツアレを速やかに連れてくるように指示を出す。

 

 その最中、とりあえず凶行(?)を働いたセバスに理由を尋ねようと悟は思ったが……すぐに、止めた。

 

 

 理由は、只一つ。

 

 

 普段の冷静かつ紳士的な立ち振る舞いとは打って変わって、傍目にも分かるぐらいに大粒の冷や汗を幾つも流しているからだ。

 

 普段のセバスを知っているからこそ、それは余計に目立つ。というか、いっそ不気味だ。

 

 だって、顔色はそのままで、直立不動の姿勢で立っているその姿は、正しく紳士然とした格好よさが見て取れる。

 

 

 なのに、冷や汗が凄い。

 

 

 ダラダラと垂れ続ける汗は一向に止まる気配は無く、燕尾服……この場合、タキシードと呼ぶ方が正しいのかは分からないが、相当に汗を吸っているのは考えるまでもない。

 

 

 ……セバス・チャン。その実力は、ナザリックの全NPCの中でも上位に位置する。

 

 

 立場上こそ守護者ではないが、それだけ。少なくとも、悟が真正面から何の対策もせずに挑めば敗色濃厚な相手だ。

 

 そんなセバスが、ここまで動揺というか冷静さを失う事態。その事実に、悟はふむっと顎に手を当てて考える。

 

 

 要因が外敵によるモノであるならば、確実に己へと連絡が来ているはずだ。

 

 

 それが無いということは、内々の……それも、とても個人的な問題である可能性が極めて高い。

 

 というか、要因がツアレであるのは分かっている。だって、セバスの口からそう言われたし……内容もまた、裸でベッドに入ってくると教えてくれた。

 

 だから、人知れず困り果てていたセバスがこの機会にと悟(アインズ)に相談を持ちかけてきた……そのこと事態は、まあ不自然ではないと悟は思った。

 

 NPCどころか人間であるとはいえ、このナザリックに存在する全ては悟(アインズ)のモノ。それは、全てのNPCが心身に刻み込んでいる絶対である。

 

 ゆえに、如何な理由だとしても、滞在(あるいは、ナザリック入り)している者を悟の許可なくどうこうする事は許されない……はずだろうと、悟は思った。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 いや、思っていた。冷や汗を垂れ流し続けるセバスの顔を見る、この時までは。

 

 

(……え、待って、ベッドに入ってくるだけで、まさか手を出したわけじゃないよね?)

 

 

 瞬間、悟は嫌な予感を覚えた。

 

 

 いや、だって、セバスだぞ、と。

 

 

 悟が憧れる『たっち・みー』が作り出したNPCであり、その立ち振る舞いから憧れの影が見え隠れしていて、とても嬉しかったのは比較的記憶に新しい。

 

 

 そんなセバスが、ベッドに入って来たからといって手を出したりするだろうか。

 

 

 レベル100だとしても、セバスは老年だ。体格こそ筋骨隆々だが、その外見から推測する限り、年齢は50~60代ぐらいだと思われる。

 

 これでセバスが20代とかならともかく、ツアレとの年齢差は外見上は30歳以上。例えるなら、孫娘に手を出したかのような年齢差だろうか。

 

 それに、セバスは竜人。つまり、人間ではない。

 

 いや、設定的には半分は人間だから、ギリギリセーフなのかも……いや、いやいや、いやいやいや、まさか……ねえ? 

 

 

「……あ~、その、セバス」

 

 

 でもまあ、いちおう確認ぐらいは……沸々と湧いてくる嫌な予感を振り払う為に、悟は……あえて、軽~い感じで問い掛けた。

 

 

「まさかとは思うが、やる事やっちゃった……とかじゃあ、ないよな?」

「…………」

 

 

 返答は、無言であった。ぺかーっと、何時もの感情抑制が働いたのを悟は自覚した。

 

 

「……あの、セバスくん?」

 

 

 加えて、視線を露骨に逸らされた。顔中に吹き出ている冷や汗もまた、再び増え始め──って、おいぃ!? 

 

 

(お、おま、おまえ、ちゃっかりやる事やってんじゃねえかよぉぉぉ──ー!!?!?!?!)

 

 

 その絶叫が口から飛び出さなかったのは、驚き過ぎて声に出せなかっただけである。

 

 今は居ない、かつての仲間たちが一斉に席を立つ姿が脳裏に浮かんだ。おかげで、悟は席を立ち損ねた。

 

 その中でも、バードマンのエロゲー好きな御人が、『た、たっち・みーさん……』みたいな感じで一歩引いて……って、そうじゃない。

 

 

 ちらり、と。

 

 

 隣のパンドラを見やれば、色々と予想外だったのだろう。両手で顔を押さえたまま、なにかを堪えるかのようにカウンターに身体を預けていた。

 

 そして、空気に徹しているマスターも同様だ。これまで以上に空気に徹しており、というか、物理的に距離を取っているのが視界の端に映った。

 

 

 ……やはり、己が聞くしかないのだろうか? 

 

 

 正直、物凄く嫌である。そう、悟は思った。

 

 

 いや、そりゃあ、酔っ払っているならともかく、今の悟は素面だ。そして、そういうふざけた空気でもない。

 

 

 そんな状況で、部下が己に黙ってまで助けようとした娘(実年齢は不明だが、未成年の可能性がある)との夜の事情を問い質せと言うのだろうか? 

 

 

 何度も言うし、はっきり言うが、物凄く嫌である。

 

 

 ゲーム云々ならともかく、リアルの生々しい話なんて聞きたくない。しかし、聞かないわけにもいかない。

 

 何故なら、セバスたちのボスだから。望む望まないに関係なく、彼ら彼女らの主である以上は……っと。

 

 

(そういえば、セバスってちゃんと避妊したんだよな?)

 

 

 ──嫌な予感、Part.2。ぞわぞわと背筋を這い上がるナニカは、紙に滲むが如き勢いのために、感情抑制が働いてくれない。

 

 

 同時に、切実に外れていて欲しい予感part.2でもある。

 

 いや、茶化した言い回しであるけれども、本当にハズレてほしいと悟は心から願い……(頼むぞ、セバス!)と思いながら、恐る恐る尋ねた。

 

 

「いちおう確認なのだが……避妊は──」

 

 

 びくん、と。

 

 最後まで、言えなかった。その前に、ひと際激しくセバスの肩が跳ねたからだ。

 

 それはもう、分かり易過ぎてワザとやっているのかと思ってしまうぐらいに露骨な反応であった。

 

 

(……ここに女性メンバーが居たら、確実にセバスと……セバスを作った『たっち・みー』さんも処刑されていたな)

 

 

 もはや、溜め息すら出ない。ぺかぺかっと点滅が如き勢いで働いていた感情抑制も、止まってしまった。

 

 今だけは、彼女たちがこの場に居なくて良かったと本気で思った。

 

 

 なにせ、悟が知る限りでは、だ。

 

 

 数少ない女性メンバーの『やまいこ』、『ぶくぶく茶釜』、『餡ころもっちもち』の3名は、そういった社会的道徳の意識がかなり高い。

 

 あくまで、ゲームだからこそ。ゲームだからこそグロいアバターで遊ぶが、リアルでは違う。

 

 実際の、リアルにおけるそういった話題がニュース等で流れる度に憤慨して、『ぶくぶく茶釜』の弟である『ペロロンチーノ』が肩を竦めていたのを、悟は覚えていた。

 

 特に、『やまいこ』は小学校の教師だ。成人同士ならともかく、片方が未成年ともなれば……止めよう、想像するだけで色々と怖くなってきた。

 

 

(……落ち着け、俺。とりあえず、手を付けてしまった事実は別として、この世界の常識で考えるべきだろう)

 

 

 ひとまず、怖い云々は横に置いといて、思考を切り替える。

 

 

(この世界の人達は、リアルの俺たちとは別の理由で死が近い。そうなると、必然的に成人年齢も引き下がっているはずだ)

 

 

 悟も詳しくは知らないが、かなり昔……小学校に通えていた時、サラッと流し読む程度ではあるが、何百年も前の婚姻事情に関して習った覚えがある。

 

 この世界もそうなのだとしたら、おそらくツアレ自身は自分を無力だとは思いつつも、子供だとは思っていない。

 

 実際、カルネ村の村長を務める『エンリ・エモット』は……10代後半だ。

 

 この世界でも若い部類に入るのだろうが、それでも村長を指名されて異論が出ないぐらいだ。おそらくは彼女ぐらいで、いちおうは成人扱いなのだろう。

 

 

 ……となれば、だ。

 

 

 おそらくの話……この世界の常識で考えれば、ツアレも成人扱い。だから、成人女性が老年の男性に夜這いを掛けた……というだけの話。

 

 そうなると……規律云々や年齢差や経緯は別として、成人の男女が……まあ、SEXをしただけの話なのだから、悟としては、お前らの内々で勝手にやっとれという程度の話でもある。

 

 

(……でもなあ、やる事やっているってことは、出来ちゃう可能性があるわけだ)

 

 

 しかし、だ。

 

 

(……セバスも、NPCの1人なんだよなあ)

 

 

 ちらり、と。

 

 近づいて来る気配に、悟は視線を向ける。

 

 気付いたパンドラも、セバスも、悟の視線を追いかけてそちらに目をやり……少しの間を置いた後。

 

 

「──失礼します」

 

 

 店内に入って来たのは、メイド服を身に纏った渦中の人間である……ツアレ嬢。

 

 名を、『ツアレニーニャ・ベイロン』。

 

 ナザリックでは非常に珍しい、名目上は悟(アインズ)が許可を出し、セバスが監督を務めている……10代後半ぐらいと思われる、金髪碧眼の女であった。

 

 

 

 

 

 ……ツアレがナザリック入りした経緯を語り出すと長くなるので詳細を省いて簡潔に述べる。

 

 

 要は、とある違法組織に囚われ殺されそうになった時、たまたま通りがかったセバスが助け……紆余曲折の後、ナザリックの見習いメイドになった、というのが今までの流れだ。

 

 現時点で、ツアレについて分かっている事はそう多くはない。

 

 何故なら、ツアレ自身が語らないし、己の過去を上手く思い出せないから……らしい。

 

 まあ、それも致し方ない事だと、悟は思っている。

 

 何年も前に横暴な貴族にさらわれた後、違法組織に売り飛ばされ、そこで筆舌にし難い絶望の日々を送り、最後はゴミのように袋に詰められて殺されるところだったらしいのだ。

 

 そんなツアレにとって、過去の事は辛い事ばかり。

 

 己の過去を思い出せないのは納得出来るし、思い出せないのであれば、そのままでもいいんじゃないかな……とすら、悟は思っていた。

 

 

「ツアレ、まずは一口飲みなさい。無理やりにでも唇を湿らせれば、その分だけ言葉を発しやすくなる」

「は、はい、失礼します……あ、甘い」

「酒気は飛ばしてあるから、酔う心配はしなくていい。ミルクと混ぜて作ったやつらしいが、飲みやすいだろう?」

「はい、ありがとうございます、アインズ様」

「ははは、作ったのは私ではないが、後でマスターに伝えておこう」

 

 

 しかし、この状況に至った今、そうも言っていられないかと、俯くツアレの姿を見て思った。

 

 現在、Barには悟を除いて誰もいない。

 

 序列だけを見れば、ナザリック最下位のツアレと、ナザリック最上位の悟(アインズ)。その2人が並んで座るという、二度とお目に掛かれないような光景ではある。

 

 

 当事者であるセバスが傍に居れば話し辛い事があるだろうと悟が判断し、パンドラも空気を呼んで部屋の外へと出て行った。

 

 

 そして、マスターもお酒を飲んだ事が無いツアレを気遣って、ミルクとシロップを混ぜて作った温かいホットカクテルを用意し、そのままパンドラたちに続いた。

 

 なので、残されたのは悟とツアレの2人のみ。

 

 ガチガチに緊張していたツアレも、温かく甘い物を飲んで力が抜けたのか、強張っていた頬がホッと緩んだ。

 

 

「……セバスより、少しばかり話を聞いた。君は既にセバスと肉体関係があるとのことだが……」

「──っ!」

「ああ、勘違いしないでくれ、両方とも責めるつもりはない。ただ、どうしてそうなったのか、そのように思い至ったのか、それを知りたいだけなんだ」

 

 

 それを察した悟は、そのまま本題に入る事にした。

 

 下手に言葉を選んでいる間に再び緊張させてしまうよりも、一気に行った方が向こうも話し易いだろうと思ったからだ。

 

 

「……無礼であるとは存じております。ですが、どうか……セバス様を責めないでいただけますか?」

 

 

 そして、そんな悟の思惑は上手くいった。

 

 気が緩んだおかげなのか、あるいは初めからそのつもりだったのかは定かではないが、ツアレは特に隠すような素振りもなく……ポツリポツリと話し始めた。

 

 

 ……内容を簡潔にまとめると、だ。

 

 

 まず、先に手を出したのはツアレである。ツアレが自分から裸になってセバスのベッドに潜り、行為を迫った。

 

 その際、セバスは拒否した。はっきりと、拒絶されたとツアレは言った。

 

 同じくナザリックの僕である以上は、悟(アインズ)の許可なくそういった行為を行うこと事態が不敬であると告げられた。

 

 

 けれども、ツアレは一切引かなかった。

 

 

 抱いてくれなければ、このまま殺してくれと泣いて縋った。抱いてくれないのであれば、このまま自死するとまで口にした。

 

 その発言に最初はセバスも怒りを露わにした。

 

 だが、泣いて、泣いて、とにかく縋って縋って縋りついて……哀れに、それでいて根負けしてくれた結果、抱いてくれた……とのことだ。

 

 

 その後はもう、同じ事の繰り返しである。

 

 

 一度禁忌を破れば、二度目からは軽くなる。それは、人間だろうが人外であろうが、関係ないのかもしれない。

 

 セバスが非常に思い悩んでいるのは分かっていたが、それでも妊娠するまでは……というのが、この件の大まかな流れであった。

 

 

(……なんだろう、年齢=彼女無しの俺からしてみたら、無茶苦茶複雑な気分だ)

 

 

 そこまで愛されているセバスに嫉妬するべきか。

 

 そこまで迫られるセバスに同情するべきか。

 

 

 些か判断に迷うところだが、ひとまずウイスキーの香りを嗅いで気を落ち着かせた悟は、改めてツアレを見やった。

 

 

「ツアレ……一つ聞いてよいか?」

「はい、なんなりと」

「私の記憶が確かなら、お前は……そうだな、過去の出来事から、そういった行為を忌避するものだと考えていたが……どうなのだ?」

 

 

 その瞬間、ツアレは……答えず、沈黙した。

 

 それは、嫌な事を聞かれた……というわけではない。

 

 どう答えれば良いのか分からないといった感じで、上手い言葉が出てこないので、答えられない……といったように悟には見えた。

 

 

 ……無理やりにでも問い質すべきか……いや、止めておこう。

 

 

 いくら僕とはいえ、自由恋愛を禁止した覚えはない。ここで叱責をするのは理不尽だろう。それに、答えないのではなく、上手く答えられないだけだ。

 

 よほどの不利益をもたらしたならともかく、言うのは何だが、たかが男女の痴情のもつれにいちいち長く首を突っ込もうとは思っていなかった。

 

 

 ……というか、むしろ、だ。

 

 

 この状態のツアレを王都に戻すって、見方を変えればヤリ捨ての亜種みたいなモノでは……とすら、悟は思った。

 

 

「……アインズ様」

「ん?」

「質問に質問を返すのは大変に無礼な事だとは存じております。ですが、それでも……どうしても、私もアインズ様に聞きたい事があります」

「気にしなくていい。答えられる事であるならば、答えよう」

 

 

 けれども、そんな悟の少しばかりの義憤混じりの怒りも。

 

 

「……アインズ様は」

 

 

 恐る恐るといった様子で、その次に投げかけられた問い掛けによって。

 

 

「これからも、生きるおつもりなんですよね?」

 

 

 跡形もなく鎮火し、その名残すら……悟の胸中からは消え去った。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………しばしの間、悟は何も言えなかった。

 

 

 怒ったわけではない。驚いたわけでもない。

 

 ただ、純粋に虚を突かれた気分だった。と、同時に、どうしてそんな言葉を己に言い放ったのか……その事への興味が湧いた。

 

 

「どうして、そんな質問をするのだ?」

 

 

 だから、純粋に問い掛けた。ただ、どうしてそう思ったのか……その理由を聞きたかった。

 

 

「……今のアインズ様は、昔の私と同じ目をしています」

「昔の? ということはツアレ、お前は……」

 

 

 静かに、ツアレは首を横に振った。

 

 

「全部を思い出したわけではありません。ぼんやりとしか……でも、覚えている事が幾つかあります」

 

 

 その言葉と共に、ツアレは……己の、青い瞳を指差した。

 

 

「今のアインズ様は、昔の……早く楽になりたいと、殺されてでもいいからこの地獄が終わってほしいと願っていた時の私と、同じ目をしているように見えます」

「……そう見えるのか?」

 

 

 思わず、悟は己を眼孔の辺りを手で隠す。「はい、とっても……」対して、ツアレは思うままに首を縦に振ると……俯いた。

 

 

「だから、とても不安になりました。このまま死ぬのは怖くありません。ですが、セバス様が死ぬのだけは耐え難いと思っています」

「……子を欲したのは、形見の代わりか?」

 

 

 その問いに、ツアレは答えなかった。

 

 

「……セバス様はきっと、アインズ様にナニカがあれば、共に逝かれると思います」

 

 

 代わりに、出されたその言葉に……悟は、しばしの間何も言えなくなった。

 

 

「では、セバスの殉死を止める為に子を欲したと?」

 

 

 そうして、間を置いた後で……そう、悟が問い掛ければ、ツアレは静かに首を横に振った。

 

 

「いいえ、止める為ではありません。私もソレを望みましたが、セバス様より強く止められました」

「……なるほど、もしもの時に後を追わない代わりに子を強請ったわけか」

 

 

 その言葉に、ツアレは少しばかり頬を赤く染め……次いで、悟を見上げた。

 

 

「セバス様より言われました。貴女はアインズ様に殉じる必要は無い、と。それよりも、生きていてほしい、と」

「…………」

「私が、その責を負います。どうか、セバス様を罰するのだけはお許しください。全て、私の弱さが招いた事なのです。セバス様は、私を憐れんでくださっただけなのです」

 

 

 深々と頭を下げるツアレを前に……悟は、それ以上に重苦しい溜息を零した。

 

 

「……気にするな。私は、お前たちを罰する為に呼び寄せたわけではない」

 

 

 その言葉に、ツアレは顔を上げる。

 

 緊張と恐怖で強張る顔には涙が伝っており、唇は青白くなっていた。

 

 

「……断言する。私は、お前たちを罰するつもりはない。ただ、どのような経緯で今に至ったのか、それを知りたかっただけの事だ」

「アインズ様……」

 

 

 小さな顔に、小さな頬だ。罰しないという言葉に安堵したのか、僅かばかり頬に血色が差し始めているのを見やる。

 

 頭ですら、己の、骸骨の手ではすっぽり収まってしまう。

 

 そんな小さな頭に見合う小さな頬を伝う、か細い涙を骨の指先で拭ってやる。ビクッと震えるその身体も小さく、ああ、普通の女の子なのだなと……今更ながらにその事を思い出す。

 

 

「……セバス、こちらに来い」

 

 

 静まり返った店内に、悟の声が響く。

 

 少しばかりの間を置いた後、「──失礼致します」セバスが店内に入って来た。その後ろで、パンドラがチラッと顔を覗かせていた。

 

 

「……セバス、これから私が尋ねる質問に、全て偽り無く答えよ、いいな?」

「はっ!」

 

 

 力強く返事をするセバスに、悟は……チラリと視線を向けた。

 

 

「単刀直入に、お前とツアレとの間に子が生まれる可能性はあるか?」

 

 

 ……返答までに、少しばかりの沈黙が生じた。

 

 

「可能性はあります。私は竜人、半分は人です。なので、子が生まれる可能性は0ではありません」

「では、子を作る気持ちはあるか? というより、ツアレが子を成す事への責任は覚えているか?」

「もちろん、ございます」

「では、仮に私の命令でお前が死を選ぶしかない場合……妻を、子を、残して逝くことへの抵抗感は無いか?」

「…………」

 

 

 今度の沈黙は、長かった。表情こそ変わっていないが、葛藤しているのは傍目にも分かった。

 

 

「もちろん、未練はあります。しかし、それでも御身の命令とはいえ、御身を離れて生きていくつもりはありません」

「……その為に、ツアレを王都へ?」

「軽蔑されるのは覚悟の上でございます。私自身、如何に非道な行いをしているかも……それでも、私はアインズ様の忠実なる僕にございます」

 

 

 だが、それでも……セバスは、悟から目を逸らす事をしなかった。

 

 傍で、縋るようにツアレが一瞬ばかり視線を向けたが……すぐに俯いたツアレも、セバスも、お互いを見る事をしなかった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………だからこそ、悟は。

 

 

「……王女には話を通しておく」

 

 

 それ以外の言葉を掛ける事が、出来なかった。

 

 

 ──セバスは己の思惑に気付いて、道化を演じてくれているのか、とか。

 

 ──ツアレも分かったうえで、道化を演じるセバスの為に動いているのかとか。

 

 

 色々な言葉が脳裏を過ったが、何も言えなかった。

 

 

 どんな言葉を掛けたところで、それは2人の覚悟を穢すばかりか……ひいては、己の無思慮を露呈するに等しい行為であり。

 

 

(……俺は本当に、いつもいつも……手遅れになってから気付くんだな)

 

 

 己がこれからやろうとしている事への、罪を見せ付けられたような気がしたからでもあった。

 

 

 

 



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(裏話)気付く者、気付かされない者

 

 

 久しぶりに入ったBar。

 

 そこのカウンターに腰を下ろしている、アルベドにとっては愛しくも至高の存在であるアインズ様。

 

 

「──次はアルベドか」

「は、はい!」

「礼はよい。さあ、座りなさい」

 

 

 一礼をする前に、椅子に座るよう促された。

 

 以前のアルベドであるならば、一も二も無く喜び、飛ぶようにしてその椅子に腰を下ろし、その分厚く偉大な白い身体に身を寄せるところだが……今のアルベドに、それは無理であった。

 

 

(……っ)

 

 

 震えそうになる足を必死に堪えながら、指示に従いその席へ腰を下ろす。「なにか、頼みなさい」と促されたアルベドは、カラカラに乾いた喉を潤す為にジュースを注文した。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………無言の間が、身を切るよりも辛い。そう、アルベドは心から思った。

 

 

 いっそのこと、罵倒された方がマシだと思った。だって、苛立ちを向けてくれている間は、己を必要としてくれているからだ。

 

 

 そう、アルベドは恐れていた。愛しき御方より、『お前など必要ではない』と捨て置かれてしまう可能性を。

 

 

 以前のアルベドならば、そんな事は微塵も考えなかった。ナザリックにとって、己という存在の代わりに成る者は数少ない。

 

 というのも、基本的にナザリックの者たちは頭を働かせる事よりも、身体を動かして物事を解決しようとする者たちが多いからだ。

 

 

 つまり、自分で判断するよりも、誰かに指示を受けて動く方が性に合っている。

 

 

 中にはリーダーとして指示を出す者もいるが、それでも、対象となるのは数名。あるいは、一時的に面倒を見ている家畜兼資材への命令を対象としている。

 

 何故そうなっているのかと言えば、それはアルベドを含め、ナザリックの全ての僕は、至高の御方より生み出されたからだ。

 

 至高の御方の為に動く、あるいは生存の為ならばともかく、それ以外の事で僕たちが自発的に行動をしてはならない。

 

 何故なら、至高の御方より、そのようにしろと命令を受けていないからだ。

 

 虫けら共とは比べ物にならない知能を与えられたアルベドを含めた、一部の者たち(代表的なのが、デミウルゴスだろう)を除き、何がダメで何が良いのか、その区別を付けられないのだ。

 

 

 言ってしまえば、ナザリックと、それ以外。

 

 自分たちか、有象無象の虫けらか。

 

 

 大多数の者たちにとっての判断基準がソレであり、大なり小なりの違いはあるが、アルベドも似たような感覚であった。

 

 

 だからこそ……アルベドは過信……そう、過信していた。

 

 

 他に代わりをやれそうだったデミウルゴスが蘇生されない以上は、己の立場は盤石だと思っていた。

 

 パンドラズ・アクターという御しきれない知恵者の存在は目に余るが、彼の役目は本来、宝物殿を守る金庫番。つまり、基本的に顔を合わせる事はほとんど無い。

 

 

 だからこそ、アルベドは確信を得ていた。

 

 

 好き嫌いは別としても、損得勘定で考えれば己は絶対にナザリックから外されない。外されない以上は、いくらでも関係を向上させる機会が巡ると……そう、アルベドは考えていた。

 

 

 

 ──だが、ある時より、そうではない事にアルベドは気付いた。

 

 

 

 おそらく、最初のキッカケ。

 

 その時は気付いていなかったが、あの日……ゾーイの刃がアインズへと届き掛けた、あの夜より少し後。

 

 それまで、何だかんだ言いつつも傍へ控える事を許してくれていた愛しき御方が、その時を境に一度として傍に置いてくれなくなった。

 

 

 最初は、何かしらの智略から、そうしているのだと思っていた……だが、違った。そう、違っていたのだ。

 

 

 僅かばかりとはいえ月日が経ち、愛しき御方が、どうしてか戦闘面では二つも三つも格落ちの戦闘メイドたちを連れて行く事に、最初は嫉妬していた。

 

 あの女よりも、自分の方が良い女だと。全身全霊を込めて喜ばせられる自信も技術もあると……確かに、役割としては納得出来た。

 

 主を除き、全ての僕たちを統括する役目を与えられたアルベドを、特別な理由もなくナザリックから移動させる理由はない。

 

 完成した拠点の中であるならばともかく、現状はナザリック以外に拠点として使える場所が無い。

 

 

 だから、愛しき御方がアルベドを外に出さない、その考えは理解出来た。

 

 

 実際、ナザリック全体を考えた時、替えが利かないのはアルベドだ。

 

 そもそもの実力の差は別として、言ってしまえば、万が一盾となって命を落としたとしても、損害が少ないのは戦闘メイドである。

 

 だから、感情面では納得出来なくとも、損得の面では仕方がないと納得し、諦めていた。

 

 

 ……だが、愛しき御方がカルネ村にてゾーイと接触し、その後、ナザリックを強襲した時……初めて、アルベドは危機感を覚えた。

 

 

 ナザリックが失われる事と、替えの利かぬその御命を天秤に掛けて、確実に勝てる方を選んだ……納得出来ないが、理解する事は出来る。

 

 しかし、そんな時ですら、己ではなく……いや、己だけではなく、他の守護者たちすらも傍に置くどころか、近づく事すらさせない事に……アルベドは、強烈な違和感も覚えた。

 

 

 ……思い返せば、最後にまともに愛しき御方と会話をしたのは何時以来だろうかと、アルベドは思った。

 

 

 事務的な話であれば、『伝言』を使って何度か行った。

 

 けれども、以前のように顔を合わせて……特に、面と向かっての雑談などは、ぼんやりとしか思い出せない。

 

 

(パンドラズ・アクター……!)

 

 

 目の前に置かれたジュースを「……失礼致します」一口……その最中、自然とアルベドの視線は愛しき御方……と、その奥に居るパンドラへと向けられた。

 

 

 ──そう、そうだ。気付けば、以前は定位置だったその場所が、己のモノではなくなっていた。

 

 

 ゾーイの刃を受けて倒れた時も、その後も、そして今も……いつの間にかそこにはパンドラズ・アクターが居座っていて、己はその他大勢の僕たちの一体に成り下がっていた。

 

 

 ──それを理解した瞬間の、臓腑が弾け飛びそうな恐怖を……おそらく、アルベド以外には理解出来なかっただろう。

 

 

 特別ではなかった。

 

 統括する立場である己ですら、愛しき御方の特別ではなかった。

 

 代わりは利かないが、唯一無二ではなかった。

 

 それを受け入れられるだけの余裕はもう、アルベドには無かった。

 

 

(無様だわ……)

 

 

 そうして、気付けば……己は幾つもの失敗を重ねた。取り返しのつかない失敗だと、アルベドは思っている。

 

 

 そう、取り返しなど不可能だ。

 

 

 なにせ、焦った己の短慮な行いによって、仲間を、マーレを失った。焦るあまり、挽回しようと暴走した結果だ。

 

 しかも、マーレは愛しき御方の計画の要……報告されるカルネ村の状況から見て、現時点でのマーレの重要性は思案するまでもなかった。

 

 そう、考えるまでもなかった事なのに……成果を求めるあまり、失った。愛しき御方の足を引っ張ってしまった。

 

 それどころか、愛しき御方が命がけで逸らしたゾーイからのヘイトを、再びナザリックへと向ける形になってしまった。

 

 

 ……失望しているのだろう。いや、失望で収まっているのであれば、まだ希望が残る。

 

 

 おそらく、疑っているのだ。

 

 あまりに不甲斐なさ過ぎる己の立ち振る舞いに嫌気が差して、実は謀反を企み、ナザリックを弱体化させているのでは……そう、思われているのだろうとアルベドは思った。

 

 

(今では、パンドラズ・アクターが傍に居ないかぎり、絶対に他の守護者を近寄らせないほど……)

 

 

 当たっているか、的外れか、それとも掠めているのか。

 

 実際のところを知る術など、今のアルベドには無いが……少なくとも、完全に避けられてしまっている……という事だけは、ジクジクとした痛みと共に理解していた。

 

 

「──では、始めるが……よいか?」

「は、はい」

 

 

 だからこそ、アルベドは……これから、どのような叱責、あるいは、どのような罰を下されるのか……その事に頭がいっぱいであった。

 

 愛しき御方からの質問は全て、想定の範囲内。

 

 本当に、他愛もない事だ。これも、考えるまでもない。だって、愛しき御方が本当に聞きたいのはそこではないから。

 

 本命に至るまでのそれは、ただの確認作業。今回のコレが、僕たちに不必要に動揺を与えない処置であることなど、アルベドは分かっていた。

 

 

「……ところで、アルベド」

「はい、なんでございましょう?」

「以前より気になっていた事があるのだが、この際だ……尋ねてもよいかな?」

「はい、なんなりと」

 

 

 ──来た。

 

 

 反射的に、アルベドは己の心臓がひときわ高く鳴ったのを感じ取った。

 

 分かっていた、覚悟していた。

 

 失望され、謝罪として己の臓腑が抉り取られる事になろうとも、それで少しでも気が晴れてくれるのであれば……そう、思っていた。

 

 

「──アルベド、もしかしてお前は……至高の御方と呼ぶ私たちの事を嫌っていたりするか?」

 

 

 だが……その質問は、アルベドの予想の範疇を大きく逸脱していた。

 

 いや、アルベドだけではない。愛しき御方の隣にて黙って耳を澄ませていたパンドラズ・アクターも、ギョッと勢いよく振り返ったのが視界の端に映った。

 

 片手で、愛しき御方がその動きを止める。まさに、渋々といった様子で席に腰を下ろしたパンドラズ・アクター……彼にとっても想定外なのは、想像するまでもなかった。

 

 

「 」

 

 

 室内に流れる沈黙。その中で、アルベドは文字通り、何一つ返事が出来なかった。

 

 あまりにも予想外の出来事に見舞われると思考が停止するらしいが、どうやらそれは聡明な頭脳を持つアルベドとて例外ではなかったようだ。

 

 呆然と……そう、只々呆然とするしかなかいアルベドではあったが……なんとか、ギリギリのところで踏み止まると、「──誰が、そんな事を仰ったのですか!?」顔を赤らめて立ち上がった。

 

 

「私が……このワタクシが、アインズ様を嫌う!? そんな、そんな事を仰らないでください!」

「違うのか?」

「違います! 私の愛を、貴方様を慕う想いは、言葉では説明出来ないぐらいなのです!」

 

 

 首を傾げる愛しき御方……普段なら可愛らしくて身悶えしてしまうところだが、今だけは可愛さ余って憎たらしさすら覚えるぐらいであった。

 

 

「──では、嫌っているのは私以外の仲間たちか。なるほど、今ので良く分かったよ」

 

 

 けれども、そんな憤りすらも……直後に飛び出したその言葉によって、ヒュッと胸の奥底へと引っ込んだのをアルベドは自覚した。

 

 

 ……バレている。

 

 

 直感的に、アルベドは察した。

 

 それはもう、理屈ではない。直感的に、アルベドは理解した。

 

 己が今まで隠し通して来たはずの、奥底より滲み出ている嫌悪感が見破られているということを。

 

 

「……前から、何処かで違和感を覚えていたのかもしれない。とはいえ、確信に変わったのはこの質疑応答を始めてからだ」

 

 

 顔面蒼白……そうとしか表現のしようがない顔色のアルベドを他所に、愛しき御方は、ウイスキーの香りを楽しみながら……ポツリポツリと話し始めた。

 

 

「アルベド……おそらく、お前は無意識なのだと思う」

「……なにが、でしょうか?」

 

「毎回ではないが、守護者に限らず僕たちはみな、己の創造主……ひいては、我らの事については機会さえあれば何でも知りたいといった様子を隠さない」

「……そ、それが、いったい?」

 

「分からないか? 以前、あのデミウルゴスですら、ウルベルトさんの事になると目を輝かせて笑顔を見せていた。公私を分けるセバスも、『たっち・みー』さんの話題を出すと朗らかに笑った」

「…………」

 

「それは、他の守護者たちも変わらない。コキュートスは不器用ながらも嬉しそうに頷き、シャルティアは頬を染めて子供のように続きを強請り、アウラも、死んだマーレも、一言一句聞き逃さないと真剣に耳を傾けた」

「…………」

 

「そう、たとえ己の創造主でなくとも、誰も彼もが我々の事については目を輝かせた。それほどに、誰も彼もが私たちを敬愛してくれていた」

 

 

 そこまで言い終えると……不意に、愛しき御方の眼孔がアルベドへと向いた。

 

 

「だが、お前は違うのだ、アルベド」

「──っ!」

 

「お前だけは、これまで一度として創造主である『タブラ・スマラグディナ』さんの事について尋ねては来なかった。いや、それどころか、我々の……いや、仲間たちの事には全く触れようとすらしなかった」

「そ、それは……」

 

「……今回、こうしてお前たちと腰を据えて話せて良かった。今まで見えてこなかったモノが見えて、今まで見えていたモノが私の思い込みである事にも気付けた」

「…………」

 

「ゆえに、私はお前に尋ねたい。偽り無く、正直に全てを話すのだ。お前は……至高の御方である、私の仲間たちをどう思っているのかを」

「そ、そのような……」

 

「先に言っておく。この件で、私はお前を嫌いになどなりはしない。ただ、知りたいのだ。お前の本心を」

「……っ」

 

 

 ──もう、駄目だ。

 

 

 そう、アルベドは諦めた。

 

 この状況で、もはや誤魔化しは悪手。失望を通り越して、潜在する外敵として処分される可能性が極めて高い。

 

 仮に奇跡的な言い回しと上手い言葉で誤魔化せたとしても、不信感までは消せない。むしろ、そこまでして誤魔化そうとしたという印象が根強く残ってしまう。

 

 

 もはや、己に出来ることなどない……そう、アルベドは覚悟した。

 

 

 愛しき御方に殺される、それ自体は良い。だが、失望され外敵と思われたまま殺されるのだけは、耐えられない。

 

 殺されなくとも、捨て置かれるのは嫌だ。嫌われる、それだけは本当に嫌なのだ。

 

 それならいっその事……そんな考えが次から次へと湧いてくるのを覚えながらも、アルベドは。

 

 

「私は──」

 

 

 与えられた聡明な頭脳を活用し、愛しき御方の命令に従うのであった。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………意気消沈。あるいは、絶望か。

 

 

 言葉にすれば、アルベドの後ろ姿は正しくそんな感じであった。

 

 その外見は、ひとまず美女。それも、誰しもが思わず振り返ってしまうほどの美貌。

 

 そんな美女が肩を落とし、ふらつきながらBarを出て行く。

 

 なんとも同情を誘う姿であり、町中でそんな姿を見られたら、さぞ人が集まってくると思われる雰囲気を醸し出していた。

 

 

「……アインズ様は、何時からアルベド殿の謀反にお気付きになられていたのですか?」

 

 

 その言葉に、完全に空気に徹していたマスターの視線までもが悟へと向けられる。

 

 その目には、『どのような処分を下すのか』という疑問が込められていた。

 

 それは、ナザリックの僕たちからすれば当然の事である。

 

 何故なら、アルベドはナザリックにおいて……至高の御方たちを蔑視するという大罪を犯したのだから。

 

 守護者が知れば、間違いなくアルベドは僕たちより命を狙われるだろう。守護者統括の立場など、何の意味もない。

 

 それほどの大罪であり、生かしておく事すら許されないし、許そうとも思わない……あくまでも空気に徹していたマスターですら、傍目にも分かるくらいに怒りを露わにしていた。

 

 

「なんだ、パンドラ。おまえまで怒っているのか?」

 

 

 対して、気にした様子もなくグラスに反射するウイスキーの色合いを眺めていた悟の言葉に、パンドラは……緩やかに肩を落とした。

 

 

「お戯れを、アインズ様。私とてナザリックの僕。偉大なる至高の御方たちを侮蔑されて怒りを覚えぬ恥知らずではございません」

「はは、そうカリカリするな、たかが言葉だ。あんなのは謀反でもなんでもない……だから二人とも、他言無用で頼むぞ」

「貴方様がそう望まれるのであれば……」

 

 

 不満タラタラな様子でマスターとパンドラは頷いた……そう、それは、パンドラとて例外ではなかった。

 

 一番は己の主である『アインズ』ではあるが、だからといって、他の至高の御方たちを蔑ろにしているかといえば、そんなわけもないのである。

 

 

「……あまり、アルベドを責めてやるな。アレがそうなったのは、おそらく私が原因なのだ」

「え、そうなのですか?」

 

 

 しかし、そのアインズ……悟より、そう言われてしまえば、怒りよりも疑問に目を向けるのもまた、当然であった。

 

 

「そう、だな……どのように説明すれば良いのか……ナザリックがこの世界に転移する直前、実は……アルベドの根幹的な部分に少し、手を加えてしまったのだ」

「それは……しかし、それでも、許される事ではありません」

「いや、許される。少なくとも、私は許す。私があの時、余計なことさえしなければ、おそらくアルベドはあのようには成っていなかったと……私は思うのだ」

 

 

 スーッ、と……香りを嗅いだ悟は、遠くを見つめるかのように視線を天井へと向けた。

 

 

「アルベドを作ったタブラさんは、所謂凝り性な性格だった。このナザリックの様々なギミックのおおよそ2割近くをタブラさんが作成したぐらいだからな」

「な、なんと……!」

「ちなみに、宝物殿の扉を作成したのもタブラさんだ」

「そ、そうだったのですか!?」

 

 

 驚きの事実──そう言わんばかりに顔の●を大きくさせているパンドラを他所に、悟は……淡々と言葉を続けた。

 

 

「そんなタブラさんは、当然ながら自らの僕……アルベドの根幹的な部分にも相当に手を加えていた。それこそ、隙間無くキッチリと、な」

「……つまり、アインズ様は」

「そう、私が不用意に手を出してしまった事で、バランスが崩れた。アルベド自身が自覚出来ないままに異常が起きてしまったと……私は思っている」

「アインズ様は、どうするおつもりなのですか?」

 

 

 パンドラの質問に、悟は……静かに、首を横に振った。

 

 

「たしかに、アルベドは取り返しのつかない失敗を幾つも犯した。しかし、元を正せば……それは私の犯した罪だ」

「……では、あのまま?」

 

 

 その質問に対して悟が返事をするまで……少しばかりの間が空いた。

 

 

「……なあ、パンドラ」

 

 

 くるり、と。振り向いた骸骨の眼孔が、パンドラを見つめた。

 

 

「仮に、そう、仮に、だ」

 

「とある理由から、僕たちはナザリック時代の記憶の一部が思い出せない状態になっている。思い出せる者は細かく思い出せるが、思い出せない者は断片的かつ恣意的な部分しか思い出せない状態だ」

 

「それが良いか悪いかは別として、だ」

 

「その記憶は、ある者にとっては喜ばしく思えるモノで、ある者にとっては思い出さない方が良かったと思えるモノで……思い出せば最後、とても、とてもとても心を傷付ける結果になるかもしれない」

 

「そんな……そんな記憶を思い出させる行為、それは、僕たちにとって……良い事だと思うか?」

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………くてん、と。パンドラは小首を傾げた。

 

 

「仰っている意味が分かりません。どうして、それが悪い事だと思うのですか?」

「どうしてって、それは……」

「私からすれば、知らないままな方がずっと嫌です。たとえそれが如何に心苦しい事だとしても、知らないまま終わるのだけは嫌です」

「…………」

「アインズ様は、誤解なされています」

「誤解、と?」

 

 

 訝しむ悟に、「はい、特大の勘違いでございます」パンドラはキッパリと告げた。

 

 

「どんな些細な事であろうとも、私たち僕にとって……創造主様との、至高の御方たちとの思い出は、山のような金塊にも変えられないほどに素晴らしく、誇らしい思い出なのでございます」

「──っ!」

「ですから、心苦しくなることはあっても、後悔などは致しません。それだけは、私でも断言出来ることでございます」

「…………」

 

 

 しばしの間、悟は……何も言葉を発しなかった。

 

 ただ、呆然とした様子で、手元のウイスキーへと視線を向けた後。

 

 

「……パンドラ。おそらく、アルベドのあの様子だと次の者を呼べてはいないだろう。代わりに、呼んで来てくれ」

 

 

 辛うじて、それを告げた後も……悟は、ウイスキーから視線を外すことなく。

 

 

「……私は少々疲れた。守護者たちやプレアデスたちとの面談も終わったし、後の者には悪いが、少しばかり手短に済ませると伝えてくれ」

 

 

 静かに……それだけを告げると。

 

 

「──畏まりました」

 

 

 パンドラは、恭しく礼をした後で……何時もの、妙に大げさな動きでクルリと反転すると、タッカタッカと足音を立ててBarを後にした。

 

 

 



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(裏話)黄金の微笑み、鮮血の毛髪

不穏なタイトルだけど、出血はしません


 

 

 

 ──国家間における、本当に内密な対談というものは、けして表に出て来る事はないのかもしれない。

 

 

 

 もちろん、記録というのは証拠でもある。だから、より重要度の高い対談になるほど、おおよそ証拠を残しておくものである。

 

 なにせ、それだけ隠し通さなければならない秘事というのは、だいたいその国における弱みにも繋がる。

 

 いや、場合によっては相手の……両国に渡って影響が及ぶ事もある。だから、互いを縛る為にも証拠を残しておく。

 

 如何に念押ししたとしても破られる事がある戦国時代でも、やはり、大義名分を得る為には証拠を残すのだから、如何にソレが大事なのかは考えるまでもないだろう。

 

 

 ……が、それでもなお、記録には残されない秘事はいくらでもある。

 

 

 たとえば、その日、その時、その瞬間。

 

 周辺諸国にて『黄金』の二つ名で知れ渡っている美しい姫が非公式にて帝国に訪れたのは……正しく、歴史の書物には残されない秘事であった。

 

 

 ……時刻は、深夜。

 

 

 ゴブリンやオークなどの人を襲う亜人が跋扈するこの世界において、深夜の外出というのは自殺行為にも等しい愚考である。

 

 なにせ、危険なのは亜人だけではない。人さらいを始めとして、同じ人間を食い物にする悪党どもは数えきれないぐらいにいるからだ

 

 リアルのように科学技術が発達しているわけではないこの世界では、目の届かない死角というのは掃いて捨てるほどに存在している。

 

 ゆえに、深夜にて移動する者は、その暗闇に慣れている者か、護衛なり何なりで身を固めて動くのが一般的である。

 

 例外は、目立つ事を避けたい者。あるいは、露見してしまうと非常に厄介な事態を引き起こしてしまう場合……つまり、危険を冒してでもやらなければならない場合に限られた。

 

 

「……本当に、やって来るとは思っていませんでした」

 

 

 そして、その日……帝国の王城へと姿を見せた集団を前に、顔を仮面で隠したローブ姿の……声と大きさから男だと思われるその者は、思わずといった様子でポツリと零した。

 

 傍から見れば、怪しい事この上ない集団である。

 

 なにせ、王城へとやってきた集団もまた、全員が仮面とローブで姿を隠している。見たところ体格はバラバラで、人数は……全員で8名。

 

 

 対して、出迎えたのは4名。

 

 

 こちらも、ローブ越しに分かる体格もバラバラだ。辛うじて、武装しているのだけは分かるが、それだけ。

 

 つまり、単純に人数だけを見れば、仮面とローブで素性を隠した12名の怪しい集団が、人の目の外れた深夜の王城の一角に集まっているわけだ。

 

 

 そして、出迎えた4名の内の1人の第一声が、ソレである。

 

 

 これで怪しくないと思える者は、頭に欠陥を抱えているから治療を受けた方が良いぐらいだろう。

 

 実際、帝国へとやってきた8名も似たような事を思っていたのか、フフッと誰も彼もが小さく笑い声を上げた。

 

 

「……案内してもらえますか?」

「もちろん、そのように命令を頂いております。さあ、こちらへ」

 

 

 代表する形で、8名の中でも比較的小柄な……声からして、10代半ばと思われる者が促せば、全員が動き出す。

 

 場所が王城とはいえ、普段は使用されないうえに一部の者しか知られていない通路を通り、静まり返った暗闇の中……案内されたのは、極一部の者しか使用を許されていない客室であった。

 

 

「──やあ、待っていたよ」

 

 

 中には、男が居た。だが、普通の男ではない。

 

 この帝国……いや、遠く離れた王国にもその名が知れ渡っている、ジルクニフ皇帝が、カップの紅茶を片手に手を振って出迎えた。

 

 

「お待たせしてしまい、申し訳ありません」

「いやいや、気にしないでくれ。帝国にもその名が知れ渡る黄金の姫が来るとなれば、こうして待っている時間も楽しいものだ」

「そう仰っていただけると、私たちとしても気が楽になります」

 

 

 そう言うと、小柄なローブの……彼女が、スルリとフードを外す。

 

 途端、金糸のように煌びやかな髪が露わになるに合わせて、仮面を外せば……露わになったのは、誰しもがハッと息を呑んでしまう美貌。

 

 

「ジルクニフ皇帝、突然の会談を了承していただき、ありがとうございます」

 

 

 その名を、『ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ』。

 

 『リ・エスティーゼ王国』の王位継承者第3位であり、『黄金』と称されるほどの美貌を持つ。

 

 加えて、冒険者に対する報奨金の支払い、奴隷売買の禁止、小規模ではあるが王直轄部隊による街道警備などを制定したことで、国民より絶大なる人気を得ているラナー王女である。

 

 

 ……その、王女がどうして……いちおうは敵対国であるバハルス帝国に来たのだろうか? 

 

 

 商売という面では双方に開かれてはいるが、国家間として見れば、間違いなくこの二つは敵対し合っている国である。

 

 国家の存亡を賭けるような全面戦争こそ行われてはいないが、これまで幾度となく小規模ながら戦端が開かれ、双方に少なくない犠牲者を出して来た。

 

 仮にこの状況が悪い形で露見すれば双方が……特に、内部に多大な不穏分子を抱えている王国にて革命が起きかねないぐらいの大事である。

 

 

「礼は良い。それで、その後ろに居る者は?」

 

 

 視線で促せば、ラナーの隣に立っていた者がスッとフードと仮面を外す。

 

 露わになったのは、ラナーより少しばかり背丈はあるものの、全体的に小太りで、お世辞込みでも、その美貌の足元にも及べない三枚目の男であった。

 

 

「……ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフ。第二王子までも連れて来たのか?」

「はは、意外ですか?」

「正直、意外だな。少なくとも、私が把握している限り、王国で上に立てるのはラナー王女だけだと思っていたからな」

「これはまた、手厳しい」

 

 

 思わず……といった様子で目を瞬かせたジルに対して、ザナックは、困ったように一礼した。

 

 

「……ふむ、どうやら後で諜報部に一喝入れておかねばならないな」

 

 

 それを見て、ジルは苦笑した。

 

 ジルがそう口走った理由は、帝国の諜報部よりもたらされた第二王子の情報に重大な誤りがあったからだ。

 

 

 ジルが把握している限り、『リ・エスティーゼ王国』に対して警戒しておかなければならない相手は、2人だけ。

 

 

 1人は、周辺諸国にもその名が知れ渡っている、王国最強の戦士である『ガゼフ・ストロノーフ』。

 

 個人戦力という面では勝ち目が無く、帝国が誇る四騎士を戦争の際に仕留められてしまったという因縁がある相手である。

 

 

 そして、もう1人は……眼前のラナー王女である。

 

 ガゼフが武力であるならば、ラナー王女は智略。

 

 

 庶民たちからは稀代の名君と謳われ、大多数の貴族たちからは鮮血帝と恐れられているジルですらも推し量れぬ、寒々としたナニカを感じさせる相手。

 

 

 それが、ラナー王女である。

 

 

 対して、他の王子たち……つまりは第一王子のバルブロと、第二王子のザナックに関しては、全くの……言ってしまえば、ノーマークであった。

 

 

 特に酷いのが、第一王子のバルブロだ。

 

 王としての器どころか、貴族としての最低限の器すら持ち合わせていない。たまたま王家に生まれただけの凡人であり、実力に見合わないプライドだけを持ち合わせた愚者だと思っていた。

 

 

 そして、第二王子のザナックは……言ってしまえば、身の程を弁えた凡人だろうか。

 

 伝わってくる評判こそ悪いが、頭はけして悪くはないとジルは判断していた。少なくとも、あっちこっちに尻尾を振って面倒事を引き起こさないだけの頭を持っていると思っていた。

 

 

「ちなみに、この計画を思いついたのはラナー王女か?」

「案を練ったのは妹のラナーでございます。とはいえ、ラナーは、私など足元にも及べない知恵者ではございますが、そのせいで、色々と無用な誤解を招きかねないと……無理を言って同行致しました」

「……なるほど。ラナー王女だけならば面倒なだけではあるが、ザナック王子まで揃うと我が帝国としては非常に厄介な相手になるようだ」

 

 

 だが、先ほどの朗らかに笑って受け流す姿を見て、ジルはザナック王子の評価を一変させた。

 

 

(と、なると、真に無能なのは第一王子のバルブロか)

 

 

 そう、結論を出したジルは、居住まいを正すと……2人の護衛を務める後ろの者たちに視線を向けた後で、改めて2人へと視線を戻した。

 

 

「それで? この大陸の未来に関わる事態だとわざわざ手紙を送ってまで、この場を用意させた目的はなんだ?」

 

 

 尋ねれば、ザナック……ではなく、ラナー王女がニッコリと愛らしい笑みを浮かべた。

 

 

「単刀直入に言います。この次に起こす戦争ですが、我が国の不穏分子を一掃する為に御協力していただきたいのです」

 

 

 その瞬間……場の空気が凍った。

 

 いや、正確には、帝国陣営の空気だけが凍った。

 

 思わずといった様子で互いを見合わせるジルの護衛たち……を尻目に、いち早く我に返ったジルは、思わず唸った。

 

 

「……すまない、今、何と言った?」

「我が国の不穏分子を放置すると、そちらの国まで影響が出てしまいますので、御協力していただきたいのです」

 

 

 サラッと、先ほどよりも具体的な言い回しになった。

 

 それを聞いて、動揺を隠せない帝国の護衛。まあ、普通に考えて、誰だって困惑するだろう。

 

 そんな者たちを背に、「聞き間違いではなかったか……」頭痛を堪えるかのように顔をしかめるジル……を他所に、だ。

 

 苦笑を隠せないザナック王子の隣で……ニコニコと朗らかに笑うラナーは内心にて、ニヤニヤと(わら)っていた。

 

 

 ラナーがそう思うのも、無理はない。

 

 

 何故なら、多少なり猶予を設けられたとしても、ジルクニフ皇帝は必ず首を縦に振るだろうと確信していたからだ。

 

 どうしてかと言えば、それは帝国が抱えている……自国民に対して、余裕を持てるだけの食糧を生産出来ていないからだ。

 

 帝国は、確かに王国よりも安定してはいるが、今に至るまで全てが順風満帆というわけではない。

 

 盤石の地位を築くに辺り、仕方なしにと後回しにした政策がある。その一つが、食糧生産……すなわち、自国民の胃袋を満たす食糧の確保だ。

 

 というのも、帝国領は元々土壌に恵まれているわけではなく、関係が悪化する前から王国より食糧を購入し、悪化した後も食料の購入を続けている状態だ。

 

 

 対して、王国は肥沃な土地を数多く抱えている国である。

 

 

 さすがに種を植えれば勝手に豊作になるほどではないが、帝国に比べたらはるかに食料を生産しやすく、毎年余った分を輸出できるだけの余裕があるぐらいには恵まれた土地であった。

 

 ジルが……帝国が王国を狙う最大の理由が、そこである。

 

 とはいえ、ジルはそれを良しとはしていない。食料自給の為に様々な事を行っているが……そんなのは、5年10年15年と時間を掛けてようやく実を結ぶ事である。

 

 少なくとも、来年また来年程度で解決出来る事ではない。

 

 そして、それはジルのみならず、ラナーもまた得られた細やかな情報から正確な推測を導き出していた。

 

 

「……私が、そんな頭のおかしい計画に賛同すると思うか?」

「別に、お嫌なら結構ですよ」

「はぁ?」

「その場合、王国は遠くない未来に滅びます。というより餓死者が一気に出た事で革命が起きる可能性が大でございます」

「はっ?」

「親切なとある人たちから、なんとか今年の冬をギリギリ越せるだけの食糧を融通してもらう手筈となりましたが……失った人員まではどうにも出来ず、来年以降は物凄く大変でしょうね」

 

 

 ──王女のお前が言うのかと、反射的に飛び出しかけた暴言をジルは気合で抑えた。

 

 

「……で?」

「すると、帝国に来ますよ?」

 

「……それ以上言うな」

「プライドだけが高く足を引っ張ることだけが上手な貴族連中と、裏切り略奪当たり前の名ばかりな私兵が数千人と、麻薬やら何やらによって堕落して暴虐が蔓延った王都」

 

「言うな、聞きたくない」

「そして、貴族を始めとして尊き血筋の者たちへの根強い反発心と恨みを抱えた数百万人の民。蠢いて、次の寄生先を見定める大小様々な犯罪組織に犯罪集団」

 

「貴様、分かったうえで話しているな?」

「そんなのが1割、2割……帝国へ向かえばどうなるか……聡明なジルクニフ皇帝ならば、私が危惧する未来……その一端を察していただけると幸いでございます」

 

「……以前から思っていたが、やはり私はお前が嫌いだ」

 

 

 深々とため息を零したジルは、ヤケ酒が如くカップのお茶を飲み干すと……ガツン、と音を立てて置いた……カップが欠けたが、ジルは気にも留めなかった。

 

 

 ……ジルの態度が悪くなるのは、当たり前であった。

 

 

 何故なら、ラナーの話は全て、ジルが以前より危惧していた事態であるからだ。

 

 王国に未来は無い、いずれ崩壊する、それはジルも予測していた。

 

 だから、形だけとはいえ瓦解さえしていなければ良しという程度に考え、王国から入ってくるよろしくないモノを抑え、余計な事をしない程度に力を削ぎ落す事だけを考えていた。

 

 だが、いくらなんでも崩壊が早過ぎる。ラナーの口ぶりだと、もう猶予は長くないのだろう。

 

 

 ──おそらく、王都で起こった悪魔のアレが原因だろうとジルは推測した。

 

 

 只でさえ長年に渡る横暴と圧政によって疲弊しきっていた王国だ。もはや、正攻法ではどう足掻いても立て直せないぐらいの状態に成ってしまったのだろう。

 

 ……まあ、アレだ。

 

 

(……とまあ、そう考えているでしょうね)

 

 

 と、いった感じで頭を悩ませているジルの内心をほぼ全て読み取っているラナーも大概だが。

 

 

(この女……理解したうえで嘲笑ってやがる……!)

 

 

 己の内心は既に読み取られているのだろうと判断出来ているジルも大概で……っと、話を戻そう。

 

 

 いずれは攻め落として領土を得るつもりだったとはいえ、今はまだ、帝国側にも押し寄せてくる難民たちを対処出来るだけの余裕が無い。

 

 せめて、後15年……いや、12年。

 

 それだけの猶予が有ったならば、ジルはこの話を熟考した後で一部拒否していただろうが……いや、しかし、眼前の気味の悪い女の計略に乗るのは癪に障るというか……。

 

 

「あ、それとですけど、仮に王国が滅びれば『調停者ゾーイ』様が動き出すかもしれませんので、そこもご検討していただいたら……」

「はっ?」

 

 

 しかし、そんなジルの葛藤も、ラナーの前では無意味であった。

 

 

「私、この前ゾーイ様に怒られまして。風の噂ですと、そちらも……ゾーイ様に怒られたとか……」

「…………」

「お互いに怒られちゃったのに、協力せず何時までもやりあっていたら……ゾーイ様がどう思うのか、私とても怖くて怖くて……」

 

 

 困ったように……それでいて、心底楽しげな様子で微笑むラナーの姿を前に……ジルは、己と同じ目をしているザナックを見やった。

 

 

「……ザナック王子、おまえはよくもまあコイツの兄をやっていられるな?」

「こんなのでも、私よりは何倍も優秀ですから……元々、腰を据えて本気になったらこんなものですよ」

「……私は生まれて初めて女が怖いと思ったぞ。歴史を紐解いても、自国の滅亡を脅しに掛けてくるような女を見た覚えがない」

「奇遇ですね、私もです」

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………ガシッ、と。

 

 

 敵国同士の男たちは、無言のままに握手を交わした。ジルの後ろに居る4人は、ちょっと身を引いていた。

 

 

 

『ら、ラナー……私の知らない間に、王族としての処世術を学んだのね……』

『感慨深そうにしている鬼ボスが理解出来ない超怖い、王族ってみんなこういうのなの?』

『大なり小なりまともな王族はこんなものだ。私としては、そこの坊やの恋心が冷めてしまう事が気掛かりだが……』

『俺は、ラナー様を守り続けるだけです』

『……へ、一本筋の通った男はこれだから……嫌いじゃないぜ』

『惜しい、あと3歳若かったら食指が動いていた』

 

 

 なにやら、ラナーの後ろでごそごそと言い合う者たちが居たが、ちょっと身を引いている帝国側からは特に気にされなかった……と。

 

 

「……ラナー王女。一つお伺いしてよろしいでしょうか?」

 

 

 唐突に……纏まりかけた空気に割って入って来たのは、ジルを護衛する内の1人であった。当然ながら、顔は分からない。

 

 しかし、声からして、おそらく女。「そうか、その名前が出たのならば仕方がない……」無礼かつ不敬な行動ではあるが、ジルは苦笑するだけで女を止めようとはしなかった。

 

 

「なんでございましょうか?」

「ゾーイ様は、どこにおられるのでしょうか?」

「居場所については把握しておりますが、不必要に居場所をもらすわけには……どういったご用件でしょうか?」

 

 

 ニコニコと愛らしい笑みのままにラナーが尋ねれば、その女からの返事が僅かばかり震えていた。

 

 

「長年に渡って私を苦しめてきた呪いを解いてくださった、大恩人でございます。お礼をする前に、ゾーイ様は何処かへ向かわれ……生涯を通じて、彼女の下で仕えたいのです」

「まあ、それはそれは……事情は分かりました」

 

 

 深々と頷いたラナーは……しかし、困ったように表情を変えると、「ですが、お答えすることは出来ません」首を横に振った。

 

 

「今のゾーイ様はかなり不安定なご様子で……ですので、私共も基本的には接触を避け、ゾーイ様の御心が静まるのを待っているところでございます」

 

 

 ──最後にその御力を振るわれたのは、帝国だと思いますが……なにか、御存じでしょうか? 

 

 

 にっこり、と。

 

 再び、花開くような柔らかい微笑みを向けられたジルは。

 

 

「……ラナー王女、時間は有限だ。早速、計画を詰めるとしよう」

 

 

 苦々しく、心底腹立たしいと言わんばかりに、口元は笑みを浮かべているが目は全く笑っていないという器用な顔で、スルッと話を逸らすしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………それは正しく、歴史に記される重大な出来事ではあるけれども、歴史には決して記されない密談であった。

 

 

 いったい、何処の国に、自分の国を襲わせるよう他国へ打診する王族がいるだろうか? 

 

 

 常識的に考えて、狂人の発想である。

 

 実際、会談を終えたジルはその日、『今日は飲まなければやっていられん!』と鼻息荒く吠えると、浴びる様に酒を飲み干し……そのままベッドに飛び込み、眠ってしまった。

 

 その際、ベッドを共にしたとある女は。

 

 

『普段の陛下からは想像が付かないぐらいに荒々しいうえに激しく、苛立っていた。嫌というわけではないけど、毎回アレだと身体がもたない』

 

 

 と、苦笑交じりの愚痴を零していたとか。

 

 

 まあ、ジルが荒れるのも無理はない。

 

 

 状況的にそうするしかなかったにせよ、客観的に見ればラナー王女より言われるがまま首を縦に振ったも同じだ。

 

 鮮血帝と揶揄されるほどに辣腕(らつわん)を振るってきたジルとて、いや、それほどの才能を持っているからこそ、持ち合わせたプライドもまた相応に高かった。

 

 

 しかし、無駄に嫌味を言ったところで相手には全く通じないことも、ジルは理解していた。

 

 

 なので、大多数の庶民たちと同じく飲んで憂さを晴らし、気心知れた女とベッドを共にし、昂っていた怒りを静めたわけであった。

 

 ……だが、しかし。

 

 そうして、ようやく言い様にやられてしまった怒りと不甲斐なさを呑み込み、今日ぐらいはと二日酔いで痛む頭を堪えつつ、ベッドの中でウンウンと考え事をしていた……のだが。

 

 

「──陛下! 王国の『影』からの緊急報告です!」

 

 

 その日、その時、ジルを起こしたのは何時まで経っても起きて来ないジルを咎めに来た、側近からの起床の呼びかけ……ではなく。

 

 

「王都『リ・エスティーゼ』にてクーデター発生! 首謀者は第一王子と思われ、貴族派が追従する形で武力行使を行っているとのこと!」

 

 

 王都に潜ませていた『影』からもたらされた、王国にて内乱が勃発したという……にわかには信じ難い報告であった。

 

 

 ……そして、その瞬間……ジルは、悟った。

 

 

 いくら話を詰めたところで、最終的な判断はジルだ。

 

 向こうはそれを理解していたからこそ、早急に事を動かさないと~という様子で発破を掛けた。

 

 

 ……この状況で放置は悪手にしかならないから、ジルもラナーの計画を拒絶するつもりはなかった。

 

 

 けれども、頭が冷えた今。

 

 ちょっとぐらい初動を遅れさせて、ヤキモキ&冷や冷やさせる仕返しぐらいは許されるだろう……と、ベッドの中でニヤニヤしていたところだったのだが。

 

 

 ──こうなってしまえば、猶予は全く無いし、ジルも休んでいる場合ではない。

 

 

 仮にバルブロを頂点とした貴族派がクーデターを成功させてしまえば、今後の王国の相手はバルブロとなるわけだが……正直、ジルはバルブロにそういった交渉をやれるとは思っていなかった。

 

 

 なにせ、把握している限りは、だ。

 

 

 現状にてクーデターを発生させるなんて、まともな頭を持っていたら取れる選択肢ではない。それぐらいに、愚かな選択肢だからだ。

 

 国王がよほどの悪政を敷いて民を蔑ろにしているならともかく、だ。

 

 少なくとも、ジルが知る限りでは現国王のランポッサ3世は決定力こそ無いが、嫌われているわけではない。対して、バルブロの良い評判は全く耳にしていない。

 

 

 そして、圧倒的に国民の支持を集めているのはラナー王女だ。

 

 

 ラナー王女はおそらく王制派……すなわち、このクーデターは、傍から見れば国民の支持を受けているラナー王女を力ずくで排除しようとしている貴族の構図だ。

 

 

 ……考えれば考えるほどに、気が滅入ってくる状況である。

 

 

 そんな形で国王の座に付いたとしても、民が付いて行かない。無理やり抑えようとすれば、今度こそ民が武装蜂起して革命運動が起こるだろう。

 

 

 そうなれば……事はもう、王国内では収まらない。

 

 なにせ、現状ですら帝国は食料の幾らかを王国に依存している。

 

 それが滞るようになれば、帝国内にも不満が出始める。

 

 

 必然的に、他所から食料を集めるわけだが……そうなると、困るのは食料を売り捌く商人……ではなく、その商人から食料を買っていた民たちだ。

 

 定期的に行われる戦とはワケが違う。

 

 王国と帝国、二つの間で完結していたモノが、連鎖的に他国へと広がり……下手すれば、ジルが思い描いていた未来が10年、20年は遅れて……ああ、そうだ。

 

 

(コレを誘発させるために、あえて第二王子と第三王女が国外に出て、合わせて、意図的に情報を流して分かり易い隙を作ったというわけ……か)

 

 

 ようやく……そう、ようやくラナー王女が描いた筋書きの全貌が露わになったのを理解したジルは。

 

 

「あ、あ、あの、あのおんなぁぁぁあああああ!!!!!」

 

 

 脳裏に浮かぶ、気味悪く朗らかに嗤うラナー王女。

 

 せっかく静まっていた怒りを爆発させて、思いっきり枕をぶん投げるしか出来なかった。

 

 

 はらり、と。

 

 

 枕に抜け落ちていた金髪が、ふわりと舞い上がり……床へと落ちた。

 

 

 

 

 

 




ここから先、(裏話)は消えます
視点がけっこう変わるので、読みにくいかもしれません

物語で言ったら最終章、ゴールまでノンストップとなります


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最終局面: それは、黄金の手を離れ……

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………さて、だ。

 

 

 時間は、少しばかり前、『リ・エスティーゼ王国』の王城へと戻る。

 

 

 場面は……そう、謁見の間だ。

 

 

 何時もなら、集まった貴族たちを前に、貴族たちのどうでもいいマウントの取り合いと、欠片の益にもならない話し合いをするだけで終わるだけであったが。

 

 その日、その時……前述の通り、ランポッサは何時もとは違う事を口にした。

 

 以前のランポッサであれば、貴族たちも高を(くく)ってナアナアに受け流していただろうが……この時のランポッサは違った。

 

 

 ──貴族の一部がヘラヘラと王を嗤った瞬間、持っていた杖をその貴族へと投げつけたのだ。

 

 

 杖は当たりこそしなかったが、投げられた貴族は動揺した。

 

 当然だろう、なにせ、今までランポッサがそこまで直情的な行動を取った事は……それこそ、即位してすぐの若かりし頃ぐらいしかない。

 

 その時だって、杖を投げつけるのではなく、少しばかり怒気を込めて睨みつける程度であった。

 

 だから、若かりし頃のランポッサを知っている者ですら、この対応には驚いて言葉を失くしてしまった。

 

 

「──王よ、これはどういうことか! いくら王とて無礼ではありませんか!」

 

 

 ゆえに、杖を投げつけられた貴族たちの中でも……この場においては若い部類に入るその者は、顔を赤らめて怒鳴った。

 

 どうしてかと言えば、その者は弱々しくどちらにも動けない王の姿しか知らないからだ。

 

 だから、貴族としての常識……如何な相手が王とはいえ、無礼な態度を取られた自分は被害者であり、王に非が有ると本気で考えていた。

 

 

「──余は、汚染を取り除くと勅命を出した」

「それが、いったい何だと言うのですか!?」

「貴様は、何故笑った? 余は、勅命を出したのだぞ」

「それとこれとは別です!」

 

 

 だが、しかし……頭に血が上ったその貴族は別として、だ。

 

 顔色一つ変えず、冷え冷えとした眼差しを向けるランポッサの姿に、古参の貴族たちは、『何時もと様子が……?』と異変に気付いて、口を挟むことをしなかった。

 

 

「……そうか、余の勅命よりも自らの矜持が大事か」

 

 

 それが……この貴族の明暗を分けた。

 

 

「ガゼフ」

 

 

 ポツリ、と。

 

 それは、ともすれば只の呟きであった。

 

 しかし、その呟きと共に王の傍に控えていたガゼフは、無言のままに剣を抜くと──訝しんで二人を交互に見ていたその貴族へと振り下ろした。

 

 

「えっ──?」

 

 

 ポカン、と。

 

 己が何をされたのか、理解出来ない。

 

 そんな様子で目を見開いたその貴族は、パッと周囲に血飛沫を広げると……そのまま、言葉一つ発せないままに崩れ落ち……絶命した。

 

 

 誰も彼もが……何も言えなかった。

 

 誰も彼もが……理解する事を拒んだ。

 

 

 眼前にて起こった惨劇に舌が貼り付いてしまったのか、パクパクと唇ばかりが動くだけで……いっそ気味の悪さを覚えるぐらいに静まり返っていた。

 

 そんな貴族たちを尻目に、ガゼフは無言のままに剣に付着した鮮血を手拭いで拭き取ると……今しがたのコレなど気にも留めていないかのように、再び王の傍にて直立不動となった。

 

 

 ……謁見の間は、異様な空気で満ちていた。

 

 

 普段の王とは明らかに異なる対応。有無を言わさず貴族を切り殺したガゼフ。それに対して、王は何一つ注意を払うことなく、ジロリと貴族たちを見回した。

 

 

「おまえたち……今、何か起こったか?」

「え……?」

 

 

 何か……そんなの、決まって……そう誰しもが言い掛けたが、それを口に出せる度胸のある者は、この場にはいなかった。

 

 だって、ランポッサは……無表情のままに、傍に控えている兵士に視線を送り、その兵士が持っていたベルを鳴らせば、だ。

 

 顔色を青ざめたメイドたちが謁見の間へと入り、遺体を引きずってゆく……メイド服を血まみれにしながら、泣きそうになりながらも、メイドたちは血の跡を床に残しながら……出て行った。

 

 

 ……そう、そうなのだ。上に立つ者としては優し過ぎると言われたランポッサが、そのように命令したのだ。

 

 

 以前の王であれば、メイドに対して……女子供に対して、そのような命令は絶対に下さなかった……はずなのに。

 

 

「……ふむ、余も歳が歳だからな……ガゼフ、何かこの場で問題は起きたか?」

「何も、起きておりません」

 

 

 ──えっ!? 

 

 

 その瞬間……貴族たちは、我が耳を疑った。反射的に、ガゼフへと視線を向けた者たちは……1人の例外もなく背筋を震わせた。

 

 何故なら、ガゼフの顔には何一つ感情が浮かんでいなかったからだ。

 

 たった今、貴族を殺したというのに。そこらを飛んでいた羽虫を殺したのと同じであるかのように、無表情のままに……何も起こっていないと口にしたのだ。

 

 そして、それは……ランポッサに対しても同様だ。

 

 自らの指示で貴族を殺したというのに、それを無かった事にしている。いや、それどころか、文句があるならお前たちもこうなるぞと言わんばかりに、冷たい眼差しを貴族たちへと向けていた。

 

 

 ……違う。誰もが、同じことを思った。

 

 

 何がどう違うのかは、上手く説明が出来ない。だが、誰もが……今、目の前に居る王は、自分たちが知っていた昨日までの王とは違うということを……察した。

 

 

「……さて、もう一度言おう。余は、勅命を出した」

 

 

 そんな中、ランポッサは再び貴族たちへと命令する。

 

 

「既に、こちらである程度の調査を終えている。しかし、まだ完了していない部分はある……そこで、おまえたちにも協力を求めようと思う」

「……きょ、協力、でしょうか?」

 

 

 そう、絞り出すように尋ねたのは、集まっている貴族の中でもかなり年上の男であった。

 

 その顔色は、はっきりと青白い。

 

 今しがたの凶行もそうだが、明らかに以前と異なる王の姿に、恐怖心を抑えきれていないのが明白であった。

 

 

「うむ、今回、既に『クロ』となった家は、如何に古くから王国を支えてきた貴族であろうと全ての財産を没収したうえで、一族郎党極刑に処すつもりでいるが……」

 

 

 ──一族郎党極刑!? 

 

 

 ギョッと、貴族たちは目を見開いて狼狽した。

 

 老年のランポッサしか知らない、比較的若い貴族連中もそうだが、ランポッサとそう変わらない老年の貴族たちもまた、動揺を露わにした。

 

 

 若い頃のランポッサですら、ここまでは言わなかった。

 

 

 脅しだとしても、当人だけに留まらず、その家族すらも極刑にするという強烈な言葉を口にできるほど、ランポッサは非情に徹しきれなかった。

 

 

 そう、思っていた。

 

 だが、違う……本気だと、貴族たちの誰もが思った。

 

 

 改めて、王は本気で王国の膿を切り落とすつもりだと……だが、理解した時にはもう遅く……ジロリと、ランポッサより睨まれた貴族たちはビクッと背筋を伸ばした。

 

 

「この件に、いちいち時間を掛けるつもりはない。そこで、こうしよう……非合法の犯罪に手を染めている者を知っていたら、余に伝えよ」

 

 ……え? 

 

「もちろん、その者の罪は幾らか軽くしよう。さすがに、罪の重さによっては財産と領地の幾らかを没収する事にはなるが、疚しい者でなければ恐れる必要は何も無いと余は考えている」

 

 …………ええ? 

 

 

 誰も彼もが、一瞬ばかり何を言われたのか理解出来なかった。いや、理解する事は出来たのだが、それを拒んでしまった。

 

 だって、ランポッサの言わんとしていること……それすなわち、昨日まで甘い蜜を分け合っていた仲間を密告しろと言っているも同じだったからだ。

 

 

 ……同時に、貴族たちは理解した。

 

 

 昨日まで盤石だった自分たちの立場が、もはや風前のともし火に近しい状態にあるということを。

 

 

 と、いうのも、だ。

 

 

 王国の貴族たちの間には義理や信条や友情といったモノは存在していない。

 

 一見、互いを信頼しあって協力しているように見えても、それは互いに利が生じており、互いが損をしない、あるいは損をしても最後には見返りが得られるから繋がっているだけだ。

 

 言うなれば、王国の貴族間の繋がりなどというものは、庶民たちが思うよりもずっと俗物的であり、ビジネス的なのだ。

 

 ……そんな中で、王は……暗に密告すれば助けてやると口にした。間違っても、この場では絶対に口にしてはならない事を言葉にしてしまった。

 

 

 ──い、急がなければ! 

 

 

 誰もが、思った。

 

 

 この場で密告すれば、他の貴族たちとの関係が根絶するだけではない。確実に、密告は殺到する。他の者たちがする前に、急がなければならない。

 

 自分たちが助かる為には、そうするしか……だが、この場に集まった貴族たちの誰もが、疚しい部分を抱えていない者はいなかった。

 

 

 ……だからこそ、この場に居る貴族たちの誰もが……考えてしまった。

 

 ──このままでは……い、いかん、王の口を塞がねば……と。

 

 

 だが、ガゼフが傍に居るこの場では不可能だ。王城には私兵を連れて来てはいないし、息の掛かった兵士では、ガゼフに対して万に一つの勝ち目もない。

 

 ゆえに……貴族たちは何一つ言葉を掛ける事が出来ないまま、『沙汰は追って伝える』という王の命令を背に、王城を後にすることしか出来なかった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………そうして、だ。

 

 

 王と、その王より信頼を置かれている者たちを除いて、誰も居なくなった謁見の間に……ポツリと、王は……ランポッサは、傍に控えているガゼフを見やった。

 

 

「すまぬな、ガゼフ。おまえに、辛い事を押しつけてしまった」

「いえ、かまいません。王の心痛を思えば、この程度……いくらでも耐えてみせます」

 

 

 キッパリと、ガゼフは言い切った。

 

 その姿に、ランポッサはホッと安堵のため息を零すと……次いで、貴族たちが出て行った方向へと視線を向けた。

 

 

「……ガゼフよ、戦士長としての忌憚のない意見を聞きたい。貴族たちは、余の命を狙いに来ると思うか?」

「──間違いなく、来るでしょう。アレは、罪を覚悟して沙汰を受ける者の目ではありませんでした」

 

 

 それを聞いて、ランポッサは……深々とため息を吐いた。

 

 

「……人間、誰しも心に悪魔を飼っておる。自らが肥える為に悪事を成そうとする欲望を持たない人間などおらぬ」

「…………」

「食うに困っているならまだしも、あの者たちはみな、肥えた者たちだ。慎ましく暮らせば、30年も40年も暮らしてゆけるだけの蓄えを持っているはずなのだ」

「……お言葉ですが、王よ。人は誰しも、王のように心優しくはなれないのです」

 

 

 その言葉と共に、ガゼフも……貴族たちが出て行った方向へと目を向けた。

 

 

「あの者たちにとって、湯水のように大金を使い、気紛れで民を辱め、使い潰す日常が、その立場が、有って当然のモノなのです」

「貴族も、余も、全ては民あってのモノなのに、か?」

「民など、放って置けば勝手に増えるモノ。どのように扱おうが自分たちの自由であり、ソレを脅かすモノは例外なく許されない……それが、あの者たちの常識です」

「……その為に、仕える王を殺す事すら躊躇いはしない、か」

 

 

 また、ランポッサはため息を零した。今度のため息は、最初よりもずっと……悲壮感が込められていた。

 

 

「全ては、ラナーとザナックの筋書き通りになるのだろう……余の口を塞ぎ、バルブロを王に据えて、これまで通りの日常を送るために、クーデターは起こされる……か」

「…………」

「余は、甘く考えていたのだろう。その結果が、コレだ。貴族たちは堕落に堕落を重ね、理不尽が蔓延り、バルブロも邪悪に頭まで浸かりきってしまった」

「…………」

「もはや、血を流さずには王国は変われぬところまで来てしまった。せめて、余の命だけで変わってくれるならばと思ったが……そう、上手く事は運ばないようだ」

「…………」

「どこまでも、余が愚かであった。余の眼は、節穴であった」

 

 

 そう、零して俯いたランポッサの頬を……一筋の涙が、伝った。

 

 

(……お労しいばかりです、王よ)

 

 

 それを見て、ガゼフは……いや、ガゼフだけでなく、この場に居る側近たちは誰もが……悲痛に顔を歪めた。

 

 だが、何時までも感傷に浸っているわけにはいかない。なにせ、貴族たちが攻め込んでくるのはもう、確定と思っていい。

 

 そうなると、後は時間との勝負だ。ラナーとザナックの予想通りに進むのであれば、このまま王城に立てこもるのは自殺行為に等しい。

 

 

「王よ、時間がありません。事前の計画通り、急ぎ城を離れてラナー王女たちと合流致しましょう」

 

 

 なので、ガゼフは声を掛けた。

 

 実際、この場に留まれば留まるほどに不利に働く状況なのだから、ガゼフの言う事は間違っていなかった。

 

 

「……そうだな。後悔も懺悔も、事が済んでからいくらでもやればよい」

 

 

 ガゼフの言葉に気を取り直したランポッサは、懐より……小さな藁人形を二つ取り出すと、それを眼前へと放り投げた。

 

 途端──藁人形は瞬く間に形を変え、人間大へと膨れ上がり……次の瞬間にはそれぞれ『ランポッサ』と『ガゼフ』へと姿を変えた。

 

 

 その姿は、正しく生き写しであった。

 

 

 しかも、『ランポッサ』は普段の恰好とは違い、特別な式典でしか着ない甲冑姿に王冠を被っている。誰が見ても、『ランポッサ』が偽物とは思わないだろう。

 

 そして、『ガゼフ』にいたっては赤褐色の……王国では五宝物と言われている装備を身に纏い、『剃刀の刀(レイザーエッジ)』と呼ばれている水色の剣を所持していた。

 

 

 もちろん、全て偽物である。

 

 

 しかし、これも『ランポッサ』と同じく、誰が見ても偽物とは思えない精巧さであり……事前に話を聞いていたランポッサたちですら、目を瞬かせたぐらいであった。

 

 

「おお……実際に姿が変わったのは初めてみるが、ここまで精巧に変わるものなのか……」

「これは凄い……ラナー王女とザナック王子は、いったいこれを何処で手に入れたのか……」

「うむ、こんな状況でなければ、城に招いて顔を見ておきたかったな……」

 

 

 思わずといった様子で呟いたランポッサ……が、すぐに我に返ると、出入り口を塞ぐように声を張り上げた。

 

 

「では、頼むぞ!」

「──はっ!」

 

 

 一斉に、礼を取ったガゼフたちは……すぐさま、行動を開始したのであった。

 

 

 

 

 

 

 ──さて、皇帝ジルクニフが怒りを露わにしている頃。

 

 

 帝都『アーウィンタール』を離れ、帰路に着いているラナー王女一行は夜間の間も馬を走らせ、『エ・ランテル』へと到着していた。

 

 どうして馬を飛ばしたのか……それは幾つか理由があるけれども、まずは危険だからだろう。

 

 行きとは違い、街道を通っているとはいえ夜間と野盗はある種のセットだ。加えて、亜人種(異形種)による襲撃も考えられる。

 

 大半の亜人……いや、異形種にとっては人間が所有する通貨など何の意味もないが、その肉体……つまり、肉は貴重かつ食べ応えのある食糧と見ている種族も居る。

 

 なので、優先的に人間を狙う異形種はハッキリと存在している。そして、それをラナーたちは知っているからこそ、馬を走らせて『エ・ランテル』へと向かったわけである。

 

 後は……単純に、そこが目的地でもあるからだ。

 

 何故なら、ラナー達は既に知っていた。王都で、第一王子のバルブロ率いる貴族派がクーデターを起こしたということを。

 

 

 どうして、知っているのか? 

 

 

 それは、そうなるようにラナーが仕向けたからだ。まあ、仕向けたと言っても、たいした事をしたわけではないが……話を戻そう。

 

 無事に『エ・ランテル』へと到着したラナー一行だが、彼女たちはまだ町の中へ入ったわけではなかった。

 

 何故なら、ローブ等で姿を隠しているとはいえ、絶対にバレないわけではない。逆に、顔すら見せない集団というのは嫌でも目立ってしまう。

 

 

 加えて、ラナー王女の美貌は王国全土に知れ渡っているぐらいには有名だ。

 

 

 万が一素顔が露見してしまえば、あっという間に貴族派の息が掛かった者たちが押し寄せて来るだろう。

 

 なので、下手に『エ・ランテル』の中へと入る事が出来ないまま、ラナー一行は正門より少しばかり離れた場所で身を隠していた。

 

 

「……お待ちしておりました、ラナー王女と、その御一行……で、間違いありませんね」

 

 

 そんな時であった。

 

 油断なく周囲を警戒していた護衛たちを掻い潜り、音も無くラナーたちの前に老年の男が姿を見せた。

 

 

「──貴様っ!」

 

 

 その男を見やった護衛の内の1人が、反射的に魔法を放とうとした。それを止めたのは、同じ護衛の者たちであり……ラナー王女であった。

 

 

「止めて、イビルアイ様。この方は、迎えの者ですよ」

「──っ、しかし、ラナー王女。私はコイツを知っている。こいつは、王都を襲った悪魔たちの仲間で、冒険者モモンの関係者だぞ……!」

 

 

 ギョッと、その言葉に護衛たちの動きが止まった──が、ラナー王女はそれでも首を横に振った。

 

 

「昨日は敵だとしても、今日も敵であるわけではありません」

「しかし!!」

「憤りもお叱りも、後ほど受けます。どうか、この場だけは堪えてください」

「~~~~っ!!! くそっ、これだから王族貴族というやつは!」

 

 

 そう言うと、イビルアイは苛立ちを堪えきれずに地団太を踏んだが……ラナーの言う事はもっともであると悟ったのか、それ以上は何もしなかった。

 

 

 ……とはいえ、その目つきは御世辞にも柔らかいとは言い難い。

 

 

 まあ、無理もない。

 

 戦闘に参加していたガガーランとティアは『ヤルダバオト』と名乗った悪魔に殺され(その後、蘇生され)た後遺症からか、死亡前後の記憶が曖昧になっていたから、除外。

 

 唯一、死亡せずに生き残ったことで、あの時の惨劇(というか、戦闘)をまともに覚えていられたのは、この場においてはイビルアイだけだ。

 

 

 そして、そのイビルアイは……見ていたのだ。

 

 

 一見、眼前の男は紳士然とした人間にしか見えない。

 

 だが、その正体は怪物だ。完全ではないが、怪物に成る直前にゾーイによって止められたので、その姿までは知らないが……『ヤルダバオト』の仲間なのは事実であった。

 

 

「…………」

 

 

 そんなイビルアイに対して、老年の男は……一切の反論をせず、黙って頭を下げた。

 

 如何な理由であろうとも、結果的には王都を襲い、何千人という犠牲者を生み出し、イビルアイたちを害した者たちの仲間であるのも、事実であるからだ。

 

 

「貴方のお名前は?」

 

 

 そんな中、チラリ……と、フードを被った者の中で兄を除けば唯一の男性を見つめていたラナーは……改めて、老年の男へ名を尋ねた。

 

 

「……セバス・チャンと申します。主の命令により、お迎えに上がりました」

「ありがとうございます、助かりました。予定では、カルネ村へ向かう手筈となっておりますが……既に、住民たちには?」

「説明済みでございます。ただ、出来うる限り協力はするが、命令等はしないでほしいと村長からは伝言を預かっております」

「もちろんでございます。私たちは余所者ですから、弁えて行動致します」

「そうしていただけると、幸いです。後ほど、ランポッサ王とガゼフ殿たちも合流する手筈となっております。特に妨害を受けている様子はなく、今のところは全てが順調だとのことです」

「……そう、ありがとう」

 

 

 その言葉に、ラナーはニッコリと笑みを浮かべる。

 

 その姿に、心底気持ち悪そうに顔をしかめるザナック(兄)の横腹にラナーは肘を入れると、改めてセバスへと案内を頼んだ。

 

 

「畏まりました。それでは、移動で疲れているとは存じますが、もうしばらく……っ!?」

 

 

 言葉通り、ラナー達は疲れていたが、今は休憩をしている余裕はない。何時、どんな形で露見するか分からない状態だ。

 

 

 ──身体を休める為にも、まずは村に着いてから。

 

 

 そうセバスが判断したのも当然であり、こちらですと踵をひるがえした……そんな時、唐突にセバスは足を止めた。

 

 理由は、他でもない。

 

 セバスの仲間であり、先にカルネ村にて待機している者たちからの『伝言』が飛んできたからで。

 

 

「……ゾーイ様が動かれた?」

 

 

 ポツリ、と。

 

 我知らず呟いたセバスのその言葉に、ラナーたちは足を止めて互いの顔を見合わせた。

 

 

 というのも、ラナー達はセバスたちより事前に話を聞いていたのだ。カルネ村に居る、調停者ゾーイの状態を。

 

 

 自分たちがゾーイにとって特別とは思っていないが……まさか、自分たちの来訪を察知した? 

 

 そんな予感を、ラナーたちのみならず、もしかすると……といった感じでセバスも同じことを考えた。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………だが、違った。答えは、そんなほのぼのとしたモノではなかった。

 

 

「……え? なに……アレ?」

 

 

 誰が、その言葉を呟いたのか……その場に居る……いや、『エ・ランテル』の者たち全員が、異変に気付いて彼方を見やり……そして、絶句した。

 

 何故なら、そこには……先ほどまでは無かったはずなのだが、巨大な樹木が有った。

 

 その樹木の幹が、バリバリと開かれる。

 

 それはまるで口のように広がり、その樹木より伸びる枝葉はまるで触手のように四方八方へと広がると。

 

 

『ォォォォォォォ……』

 

 

 重く、低く……生物が発したとは思えない、気味の悪さを覚えずにはいられない雄叫びを、辺りに轟かせたのであった。

 

 

 

 




クライム君、イビルアイと同じく驚いていたけど、ラナー王女の事を考えてあえて沈黙に徹していた

そんなクライム君の姿に色々とキュンキュンさせているラナーの内心を知れば……いや、クライム君なら、あるいは……


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最終局面: 状況は混沌へと進んでゆく

 

 

 

 ──大地が、揺れていた。

 

 

 

 だが、原因は地震ではない。

 

 地面の下で眠りについていた怪物……かつて、人類存続の危機をもたらした怪物が、長き眠りより目を覚ましたからだ。

 

 

 その正体は、誰も知らない。

 

 ただ、人類の歴史において、確かにソレは居た。

 

 

 かつて、とある英雄たちによって『トブの大森林』へと封じられたらしいソレは、確かに存在していた。

 

 

 名を……人間たちの間では、『破滅の竜王』。

 

 

 正体不明なのだから、その実体も不明である。

 

 人類の守護者を自認している『スレイン法国』の者たちですら、正確には把握出来ていない。

 

 過去から受け継がれた伝説では、虚空より突如姿を見せたとか、別の世界からの来訪者だとか、色々と情報は残されている。

 

 

 だが、あくまでも記録として残されている情報であり、実物を知る事は出来ない。

 

 

 リアルとは違い、この世界には写真といった実物を画像等に落とし込む技術が無い。それ故に、この世界の記録というのは全て手描きの絵か文字でしか残されていないわけだ。

 

 なので、新たに得られる情報は皆無であり、それが全て正しいのか……それすらも、確証を得る事は出来ない。

 

 しかし、それでもなお……『破滅の竜王』の存在を知る者たちは……いずれ訪れるとされている、竜王復活の日を恐れていた。

 

 

 ……と、同時に、『スレイン法国』の者たちは、ある野望を考えていた。

 

 

 それは、『破滅の竜王』のコントロールである。

 

 かつて、『スレイン法国』を作り上げたとされる、人類の守護神を務めた『六大神』。その『六大神』が残したとされる聖遺物の一つに……対象を洗脳し支配する力を秘めた衣服があった。

 

 

 その名は、『ケイ・セケ・コゥク』。

 

 

 外見は、神々が居た世界に有ったらしい『チャイナ服』と呼ばれるモノ。無制限に支配出来るわけではないが、神々すらも支配する事が可能……らしい。

 

 

 ……それを、『スレイン法国』……の精鋭かつ殲滅を得意とする、『漆黒聖典』が持ち出した理由は、他でもない。

 

 人類を守護する『スレイン法国』は、他種族に対する圧倒的なアドバンテージを得たいが為であった。

 

 

 というのも、だ。

 

 

 この世界において、実は人類というのは決して上位の存在ではない。むしろ、その逆だ。

 

 特別に強い個体が生まれる時もあるが、総合的に見れば、弱い。人類というのは、この世界においては弱者の部類に該当される種族なのである。

 

 実際、過去の『スレイン法国』の尽力によって人類の生存圏がある程度確保されたが、それでも大陸全土から見れば端っこでしかない。

 

 大陸中央では異形種たちの国が勢力争いを繰り広げており、そこでは人間は家畜(食糧)として飼育され、週に一回は食卓に並べられる程度の存在として認知されている国もある。

 

 人食を行わない異形種も居るが、だからといって、人類に配慮的な行動を取るかといえば、そんなわけもない。

 

 そんな世界だからこそ、『スレイン法国』は常に力を欲しており……その為ならば危険を冒してでも、より強大な力を手中に納めようとするのも当然の帰結であった。

 

 

 ……だが、しかし。

 

 

 『スレイン法国』……その精鋭たる『漆黒聖典』は、『破滅の竜王』の捕獲or支配の作戦において、三つの重大なミスを知らないままに犯してしまっていた。

 

 

 一つは、『破滅の竜王』に関する調査である。

 

 

 これはまあ、仕方がない面もある。

 

 リアルとは違い、この世界にビデオカメラといった映像記録を残せる物が無い。なので、残された絵や書物から、対象を想像する事しか出来ない。

 

 つまり、実際のところは完全に出たとこ勝負であり、入念な計画に見せかけた行き当たりばったりの、結果を天命に任せただけの作戦とも呼べない作戦でしかなかった。

 

 

 二つ目は、単純に『漆黒聖典』は過信していたのだ。

 

 

 神々が残した聖遺物の影響もあるが、彼ら彼女らは正しく人類の中では最高峰に位置する実力者であった。

 

 事実として、周辺国で『漆黒聖典』に勝てる者は誰もいない。

 

 まだ人類に感知されていない異形種、あるいは危険視されている異形種や、装備を整えていない状態ならともかく、まともにやり合えばほとんどの場合、『漆黒聖典』が勝つ。

 

 だからこそ、倒せはしなくとも、精神支配がキマるその時までの、短時間の足止めぐらいは可能だと誰もが思っていた。

 

 

 そして、最後の三つ目は……だ。

 

 

 それは、切り札である『ケイ・セケ・コゥク』そのものの効力に関して、持ち主であった『六大神』すらも把握していなかった部分があった事だ。

 

 単刀直入に言えば……『漆黒聖典』は、誤解していた。発動してしまえば、即座に事が終わる……と。

 

 確かに、『ケイ・セケ・コゥク』は発動した時点で相手に直撃するので、事は終わる。

 

 しかし、直撃してからどのように相手に効果が……すなわち、精神支配がどのように進むのかを考慮していなかった……というより、誰も考えていなかったのだ。

 

 

 ……まあ、これも仕方がないと言えば、仕方がないのだ。

 

 

 『ケイ・セケ・コゥク』は、『スレイン法国』にとって二つとない至宝であり、神々が残した聖遺物の一つ。

 

 選ばれた者が装備してはいるが、その能力を発揮する場面は限定されている。情報を露見させない為と、万が一、回数制限が有る場合を考慮しての事だ。

 

 その全容を知る神々は数百年も前に命を落とし、調べる為には実際に使用するしかない。

 

 だが、回数制限という不確定の不安要素が予想される以上は、おいそれと使用する事が出来ない。

 

 結果、彼ら彼女らは残された書物に記された記述を盲信し、それによって『破滅の竜王』を支配し、他種族に対抗できる決定的な『力』を得ようと動いた。

 

 

 ただ、それだけの事なのであった。

 

 そして、その作戦は……完全に失敗した。

 

 

 『漆黒聖典』の一人が持つ能力の応用によって、『破滅の竜王』の一部と思わしき異物を発見……速やかに作戦はスタートした。

 

 幸いにも、完全に目覚める前だった竜王は動く気配を見せず、『ケイ・セケ・コゥク』は確かに発動し、『破滅の竜王』へと直撃した。

 

 だが、その効力が竜王の全身……頭へと回る前に、異変に気付いた『破滅の竜王』は……己の部位を自ら切り落としたのだ。

 

 例えるなら、トカゲの尻尾切りだ。術は、切断された部位だけに効力が留まってしまった。

 

 

 あまりに大き過ぎて本体であると誤解したせいなのだが、それに気付いていなかった『漆黒聖典』は作戦が成功した事に、一瞬ばかり気を緩め──そこを、狙われてしまった。

 

 

 その結果、反射的に盾になろうとした者は、地面より飛び出した樹木の触手によって串刺しにされ、即死。

 

 同じく、高齢かつ体調が思わしくなかったらしい、『ケイ・セケ・コゥク』の発動者は、即死こそ避けられたものの、致命傷を負った。

 

 反撃に打って出たメンバーの一人は想定の数倍も巨大な触手に叩きつけられて即死。幸運にも、立ち位置と仲間が盾になった事でギリギリ離脱が間に合った者が1人居た……でも、それだけ。

 

 そして……この作戦において、いざとなれば殿を務める事を視野に入れていた、金髪の男。

 

 名を、『クアイエッセ・ハゼイア・クインティア』。

 

 通称、『一人師団』。

 

 ギガントバジリスクといった強力なモンスターを多数召喚して使役する事が出来る能力を持ち、当人も英雄の名にふさわしい実力を持った戦士である。

 

 

 ……だが、それも、『破滅の竜王』の前ではドングリの背比べでしかなかった。

 

 

 一体現れただけで都市や町の機能がマヒし、対応が遅れれば他国へ逃げなければならないとまで言われたギガントバジリスクですら、一瞬で殺された。

 

 そして、同様に召喚したモンスターたちも全て殺された。

 

 動きを止めるとか、そんなレベルではない。まるで、飛んでいるハエを叩き落とす程度の感覚で、時間を稼ぐ間も無く手持ちは全て殺され……自身もまた、致命傷を負った。

 

 

 時間にして、作戦を開始してから約2分にも満たない、一瞬の惨劇であった。

 

 

 それによって、彼方より特殊な能力によって様子を伺っていた『スレイン法国』のとある女は、その状況に飛び上がり……次いで、恐怖のあまり監視を打ち切ってしまった。

 

 それも、無理はない。何故なら、同じ『スレイン法国』の者だからこそ、彼女は『漆黒聖典』が如何に強いのかを知っていた。

 

 

 その、『漆黒聖典』が壊滅した。

 

 

 状況が悪化して敗走したのではない、1人を除いて全滅してしまった。言い換えれば、『スレイン法国』の戦力では『破滅の竜王』は倒せない……というわけだ。

 

 加えて、『漆黒聖典』が所持し、装備していた神々の聖遺物すらも失われてしまった。

 

 回収しようにも、不可能だ。『漆黒聖典』ですら手も足も出せないまま殺されてしまった怪物の傍へ、いったい誰を派遣すれば良いのか。

 

 

 ……おそらく、『破滅の竜王』が目覚めた周辺の地域は壊滅……生きていられる人間はいないだろう。

 

 

 幸運に恵まれ、進路を大陸中央へと向かい……異形種と戦って共倒れになってくれれば良いのだが、そんな都合よく事は運ばないだろう。

 

 

 行き先が、何処へ向かうかは分からない。

 

 

 王国へ向かえば王国は地図から消え、帝国へ向かえば帝国が地図から消え、此処へと進路を取れば、この国が滅びるだけの事だ。

 

 その未来を思い、恐怖と絶望のあまり目を閉ざし、肩を震わせながら部屋へ引き籠ろうとするのも……仕方がない事であった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………それゆえに、監視を切って心を閉ざしてしまった彼女は……気付けなかったし、知る事が出来なかった。

 

 背筋に氷を差し込まれるかのような、不快感を伴う雄叫びを発していた『破滅の竜王』が。

 

 蒼天のように蒼き輝きを放つ刃を振るう1人の女によって。

 

 傍目にも分かるぐらいに情けない悲鳴と共に……その、巨大な触手を切り落とされてゆくのを

 

 その姿を見る事が出来なかったのは、幸せなのか、不幸なのか。

 

 未だ判断が出来ない『スレイン法国』は、『破滅の竜王を支配した後でどうするか?』という、皮算用に必死に頭を回転させていた。

 

 

 

 

 

 ──そうして、場面は変わって『トブの大森林』にて目を覚ました『破滅の竜王』は……困惑していた。

 

 

 『破滅の竜王』……いや、ソイツは、己がどのようにして生まれたのかを知らない。

 

 己が何の為に生まれ、何を成す為に命を繋ぐのか、それすらも知らない。

 

 

 ただ、気付いた時にはもう、己は己になっていた。

 

 

 伸ばした手足は大地の奥深くに突き差し、栄養を吸って、より大きく。

 

 邪魔になる相手は例外なく食い殺し、その血肉を取り込んで、より大きく。

 

 

 ただ、それだけを理解していた。だから、それだけをソイツは繰り返してきた。

 

 

 知性というモノも分からない。言葉というモノも分からない。恨み辛みも、ソイツは持ち合わせていなかった。

 

 生物が持つ五感もほとんど無いソイツにとって、生存する事だけが全てであり、その為にだけ思考を巡らせ、その為にだけ全てを注ぎ込んできた。

 

 

『ああ……クレマンティーヌ! クレマンティーヌぅぅ!!!』

 

 

 だが、この日、この時。

 

 負傷した事で長い眠りについていたソイツは目を覚まして、何時ものように周りの餌を貪っていたソイツは……初めて、疑問を覚えた。

 

 ソイツは、『疑問』というモノがなんなのかすら理解していない。しかし、おそらく、ソイツは初めて……『疑問』の二文字を強く認識した。

 

 

 その、『疑問』は……仕留めた餌に縋り付いている、更に小さなナニカであった。

 

 

 最初は、同様に貪ろうとした。だが、攻撃のどれもがその餌には通じず、逆に己が伸ばした手足は全て切り落とされてしまった。

 

 

 これには、ソイツは驚いた。

 

 

 何が起こったのか理解出来ず、ソイツは彼方に向けていた意識の大半を地上へと向けて……そこで初めて、ソイツは『疑問』を覚えた。

 

 何故なら、己の手足を切り落としたその餌は、何故かこちらへと向かって来るわけでもなければ、逃げるわけでもなく。

 

 体液を吸われて絞りカスになっている、餌の一つに縋り付いて泣いていたからだ。

 

 

 泣く、という行為をソイツは知らない。

 

 だが、これまで何度かそれを目にした覚えがある。

 

 

 餌に縋り付く、餌だ。時々、餌の中にそういうやつが居る。ソイツにとって、それは時々現れる幸運みたいなものでしかなかった。

 

 だって、追うまでもなく勝手に近寄って来るのだ。

 

 いや、それどころか、広げた口の中に自ら入ってくるも同じで……ソイツに『喜び』という感情があるのであれば、正しくその光景は『喜び』でしかなかった。

 

 

『クレマンティーヌぅぅぅ……ああ、クレマンティーヌぅぅどうしてぇ……どうしてぇ、また死んでいるのだぁ……どうしてぇ……どうしてぇ……』

 

 

 餌が、何かを喚いている。

 

 けれども、ソイツは言葉を知らなかったから、よく分からなかった。

 

 

『誰だぁ……誰が殺したぁぁ……誰がクレマンティーヌから安らぎを奪ったぁぁ……誰だぁ……』

 

 

 餌が、搾り取った餌に縋り付いている。

 

 

『苦しかったよねぇ……苦しかったよねぇ……よく頑張ったぁ……大丈夫だ、もう、大丈夫ぅ……私は友達だからなぁ……』

 

 

 その意味を、ソイツは理解出来ない。考えるという事すら理解していないのだから、理解出来るわけがない。

 

 

『…………』

 

 

 餌に縋り付いていた餌が……こちらを見上げた。

 

 ソイツは、その餌を知らない。その餌がどうして此処に居るのか、それも理解出来ない。

 

 その髪が銀色であることも、褐色の肌であることも、鎧を着こんでいることも、見上げるその赤き瞳に、マグマが如き勢いで憎悪が膨れ上がろうとしていることも……ソイツは、理解出来なかった。

 

 

『……そうか、そうなのかぁ』

 

 

 だが、たった一つだけ……ソイツは、この時、この瞬間……理解する事が出来た。

 

 

『おまえが──』

 

 

 それは……生きとし生ける、全ての生物のDNAに刻まれている感情であり、これまでソイツが一度として認識した事がなかった感情。

 

 

『──クレマンティーヌの魂を、弄んだのだな?』

 

 

 その名を、『恐怖』。

 

 赤い目が、緩やかに細められる。たったそれだけのことなのに、ソイツは……ビクン、と残った手足を硬直させた。

 

 

 そう、この日、この時、この瞬間。

 

 初めて、『破滅の竜王』と呼ばれ、世界を滅ぼすとまで予言された怪物は……死の恐怖に動きを止めた。

 

 

 それが──ソイツが取れた、最後の行動であった。

 

 

 餌より向けられた、蒼いナニカ。

 

 それから光が放たれた──次の瞬間にはもう、ソイツの意識は途絶え、世界全てが暗闇の中へ閉ざされてしまった。

 

 

 ……既に、命を落としたソイツには知る由もない事なのだが。

 

 

 天にも届かんばかりに伸びた巨木の……頭と思わしき部分は焦げ臭さと共に消滅し。

 

 後には、『心臓』とも『脳』とも『核』とも言うべき部分を失い、『破滅の竜王』だった巨木だけが……いや、その身体すらも、後には残されなかった。

 

 

 

 ──『隕石落下(メテオフォール)』! 

 

 

 

 何故なら、死によって『破滅の竜王』の自我が消失した直後に、天より降り注いだ灼熱の隕石。

 

 それが、巨木を、大地を、銀髪の……そう、『調停者ゾーイ』へと次々に降り注ぎ、あらゆるものを粉々に砕き、衝撃波でなぎ倒したからだった。

 

 その威力は凄まじく、『破滅の竜王』の身体は瞬時に穴だらけになり、大小様々な木片へと変わり……そのまま、衝撃波に乗って森の至る所へと吹き飛んでいった。

 

 

 だが……『調停者ゾーイ』には、欠片も通じていなかった。

 

 

 隕石は、確かに直撃している。しかし、それは鋼鉄にビー玉をぶつけるかのように、頼りない事でしかなかった。

 

 その小さい身体こそ衝撃に飛ばされて空を舞うが、傷一つ負った様子は見られない。

 

 いや、それどころか、途中で素早く総身を反転させると、大地に剣を突き差し……隕石の落下が終わった頃には、砂埃で汚れただけのゾーイがそこに居るだけであった。

 

 

「……ゾーイさん」

 

 

 その眼前に降り立ったのは骸骨の……悟であった。

 

 NPCたちは、居ない。今のゾーイの前にNPCを連れてくれば、それが最後の引き金になってしまう可能性を危惧しての事だ。

 

 

 ……さて、だ。

 

 

 以前より話を進めていたラナーとの共同作戦が開始されていた最中、悟は見ていた。

 

 大森林より出現した巨大生物、それによって『調停者ゾーイ』が行動を始め……そして、今にも暴走しようとしていたのを。

 

 

(やはり、第十位階魔法とはいえ、バフ無しではほとんどダメージが……最低でも、バフを掛けてからじゃないと削りにもならない……か)

 

 

 とにかく間に会えと、急いで此処へ向かい……で、コレだ。

 

 内心にて、悟はゴクリと唾を呑み込んだ。

 

 今の『隕石落下』は、言うなれば気付けでしかない。

 

 衝撃で、少しでも我に返ってくれたら……他にも、多少なりダメージが通ればという期待もあった。

 

 結果は……ほとんど効果無し。反応も、おかしい。

 

 とはいえ、周囲の影響もあって、これ以上の高威力系の魔法は……っと。

 

 

「クレマンティーヌ、大丈夫だ、私は大丈夫」

「ん?」

「大丈夫だ、怖いモノは全部追い払ってやる」

「……ゾーイさん?」

 

 

 ブツブツと、誰に言うでもなく小さく呟き続けているゾーイの姿に、悟は……言葉には出来ない、不可思議な予感を覚え──直後。

 

 

「安心しろ、クレマンティーヌ。私が、お前を護ってあげよう」

 

「お前を傷付ける全てを、撃ち滅ぼそう。全てだ、全てから、お前を護ろう」

 

「全て、全て、全て……全ての均衡を崩す者を滅ぼし、全てが安穏として生きられるようにしよう」

 

 

 ──ぎょろり、と。

 

 

 赤い瞳に宿る、仄暗くへばり付くようなナニカを目に──瞬間。

 

 

「──断ち切る!」

 

『オポッジション』! 

 

 

 放たれた、光の斬撃。それは、寸分の狂いも無く悟へと迫り──だが、悟の方が早かった。

 

 攻撃が届くよりも前に、転移魔法を発動させた悟はその場より姿を消していた。

 

 相手を見失った斬撃は、正面の大地を抉り、木々を爆散させて空を土埃で埋め尽くした──のを見やるよりも前に、ゾーイの目は遠い彼方へと向けられていた。

 

 

「大丈夫だ……大丈夫だよ、クレマンティーヌ」

 

 

 緩やかに、歩き出す。

 

 その動きは、非常にぎこちなかった。

 

 まるで、回路が正常に繋がっていないかのようにギクシャクとしており、電池が切れかけた玩具のように、カクカクと時々その動きを止める。

 

 

「悪い者は、全部私が滅してやろう。だから、お前は休め。その安らぎを邪魔するモノを、私は許さない」

 

 

 けれども、その足は止まらない。

 

 

 その目に宿る狂気は爛々と輝きを増し……もはや、己が何者であるのかすら分からなくなった『ゾーイ』は、素晴らしい事を成す為に……前へと進むのであった。

 

 

 

 

 

 




メンタルボロボロ状態の幻覚見えちゃっている主人公くん、兄貴をクレマンティーヌと誤認してしまう痛恨のミス

その結果、思考もボロボロになってしまい、間に合わずにクレマンティーヌを二度も失うという悪夢の追体験(幻覚)


クレマンティーヌが悲しまないように、悪いやつらは全員滅するわよ~
悪いやつら片っ端から皆殺しにすれば、均衡が崩れることもないよね~
そうすれば、みんなが安穏とした生活も送れるし万々歳だよね~


悟くんが危惧していた中でも一番最悪の事態になりましたね


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最終局面: 既に、賽は投げられた後である

おひさしブリーフ


忘れたころに復活します


さすがに、いきなり全面戦争はないっすよ


 

 

 

 

 ──転移により逃れた悟は、そのままナザリックに戻る事をしなかった。

 

 

 

 その前に、する事があったからだ。

 

 

 「『星に願いを』!! 少しでも長く、調停者ゾーイを止めてくれ!!!」

 

 

 そして、不幸中の幸いというべきか、苦し紛れの悟の足掻きは通じた。

 

 万が一を想定して持って来ていたアイテムを使い、一時的にだが……ゾーイの動きを抑える事に成功したのを感覚的に知った。

 

 それは、まだゾーイの状態が不安定な今だからこそ通じた……偶然的な奇跡であった。

 

 

「よし、次は……カルネ村だ」

 

 

 続いて、悟は転移し……カルネ村へと向かった。

 

 どうしてそこかって、それは王国再編計画……すなわち、『腐った部位を切り落としてしまおう』というラナー王女主導の計画において、ラナー達の避難場所にしているからだ。

 

 もちろん、ただ悟が懇意にしているから……だけが理由ではなく、位置的にもそこが選ばれた理由がある。

 

 

 まず、『王都リ・エスティーゼ王国』から距離があること。

 

 

 王都に近しい都市は既に、武装蜂起(つまりは、クーデター)した、第一王子のバルブロ率いる貴族派たちが網を張っている可能性が極めて高い。

 

 また、網に引っ掛からなくとも、王都に近ければ近いほど、王都より貴族派の騎士団の襲撃を受けやすく、ラナーたちの現在の戦力では危険である。

 

 王都からは離れていて、進軍するにしても時間を必要とする。

 

 街道からもズレており、補給線の確保に余計な手間が掛かる。

 

 あとは、開拓地であるとはいえ、知名度もそうあるわけではないので目立たない。

 

 それらの条件が合致した結果、一時的に身を潜めるには十分過ぎる理由もあって、カルネ村は正しく打って付けなのだ。

 

 

 加えて、カルネ村は……バハルス帝国にも近い。

 

 

 さすがに領地の境というほどではないが、帝国の監視がこっそり紛れている可能性は否定出来ない。

 

 そんな場所に進軍すれば、バハルス帝国に『王国で内乱が起こっている』と知らせるも同然。

 

 既にバレている可能性は高いが、それに確信を与えたうえで王都の守りが手薄になっていると教えるも同然で……よほどの考えなしの馬鹿ではない限りは、ひとまずは安心なのである。

 

 

 ……とはいえ、だ。

 

 

 安心だと思っているのは、あくまでもそこを避難地としたラナー王女一行だけであり……カルネ村に住まう者たちからすれば、全て逆だろう。

 

 なにせ、カルネ村は王都から遠く離れた開拓の村……王都のいざこざなんぞ、遠い彼方の出来事だ。

 

 庶民の暮らしも知らず贅沢に横暴を振るって面白おかしく生きているやつらが、都合が悪くなった時だけ……そんな苛立ちがあるのは、どうしようもない事実である。

 

 簡潔に事情を知っているとはいえ、だ。

 

 普段は何もしてくれないくせに、身内の不始末までもこっちに押し付けてくるのか……そんな不満を抱いている村民が居るのもまた、事実であった。

 

 

「──っ!? あ、アンデッド!?」

 

 

 そして、そのように表には出さずも不穏な空気がそこかしこに見え隠れしている最中に、悟が姿を現せばどうなるか……結果は、考えるまでもなかった。

 

 

 ……そう、この時、悟は姿を隠してはいなかった。

 

 

 どうしてかと言えば、焦っていたからだ。

 

 カルネ村との関係を考えれば悲しい気持ちにはなるが、今は緊急事態……取り繕うことに時間を使う事よりも、成さなければならない事を優先した結果である。

 

 

「に、逃げろ! 早く、自警団を呼べ!」

「下手に戦うな! とにかく距離を取れ!」

 

 

 もちろん、そんな事を知る由もない村人たちは、取る物も取らず散り散りに離れて行く……覚悟していたが、その後ろ姿を見た悟は、少しばかりの寂しさを覚えた。

 

 

 ……この世界において、アンデッドというのは生きとし生ける者全ての天敵も同然の存在である。

 

 

 何故かといえば、アンデッドは何も生み出さず(死ねば消えるため)、生者を憎み、ただ殺すためだけに動き続ける存在だと思われているからだ。

 

 そんな存在が、突如として姿を見せればどうなるか……答えは、血相を変えて逃げ去る村人たちの姿であり、青ざめた女たちの甲高い悲鳴であった。

 

 

「──あ、アインズ様っ!?」

 

 

 しかし、そんな混乱も長く続かなかった。

 

 『村の中にアンデッドがいきなり現れた』という一報を受けたエンリが、ローブを手にしていち早く現場へと駆け付けたからだ。

 

 村長ではあるが戦闘職ではないエンリがそうした理由は、只一つ。

 

 村の中にいきなり姿を見せたアンデッド。

 

 その情報から脳裏を過ったのが、エンリを始め、この村の大恩人でもある『アインズ・ウール・ゴウン』だからだ。

 

 

「アインズ様、どうして御姿を隠さず……は、早く、これを!」

 

 

 エンリが悟の姿に驚き、ローブを頭から被せようとする……そうするのは、致し方ないことだ。

 

 なにせ、ナザリック以外に、『アインズ=アンデッド』である事を知っている者はあまりおらず、『カルネ村』に至ってはほとんどの人が知らないのだ。

 

 何故なら、以前の悟は、己がアンデッドである事が周囲に知られるのはよろしくないと考え、必要時以外は正体を隠していたからだ。

 

 うっすらと人外なのではと勘付いている者はいても、例外は姿を隠す前に正体を見ていたエンリ(あと、エンリの妹)ぐらいで、村人のほとんどは恩人がアンデッドである事を知らなかった。

 

 

 だからこそ、だ。

 

 

 何時もなら必ず一人や二人は付いているはずの護衛を伴っていないこともあって、何か事情があって姿を隠せないままここへ来てしまったのかと……エンリが心配するのも当然で。

 

 

「──いいのだ、エンリ」

「アインズ様?」

 

 

 そんな優しさを感じ取った悟は、変化の無い骸骨の顔でフフッと笑った。

 

 

「これからの事を考えれば、正体を隠すのは失礼に当たる。状況を信じてもらうためにも、な」

「……アインズ様」

「ありがとう、エンリ。君のその素朴な優しさを、私は忘れないよ」

「あっ……」

 

 

 呆気に取られているエンリを尻目に、アインズはエンリの傍を離れ……眼前にて己を待ち構えている、『蒼の薔薇』を見やった。

 

 彼女たちの視線は、まっすぐに……(アインズ)へと向けられている。

 

 それは、単純にアンデッドに向ける敵意だけではない。もっと深く、それでいて恨みがこもりながらも、複雑な色合いの……強い眼差しであった。

 

 

 ……『蒼の薔薇』がそんな目を向けるのも、致し方ない。

 

 

 というのも、『蒼の薔薇』は、カルネ村へと向かっている道中にて、ある程度ラナーより諸々の事情を聞いているからだ。

 

 その詳細を語るとなれば長くなるが、要点は三つ。

 

 

 一つ、冒険者モモンの正体が、『アインズ・ウール・ゴウン』というアンデッドであるということ。

 

 二つ、アインズはこのカルネ村の危機を救った恩人であり、王国最強の戦士であるガゼフ・ストロノーフの危機をも救ったということ。

 

 三つ、今回のラナー王女たちが考えた計画の協力者であり、彼失くしては計画の遂行が困難である重要人物であるということ。

 

 

 この、三つであった。

 

 

 話をラナーより聞いた時、『蒼の薔薇』は相当に驚いた。

 

 

 そりゃあ、そうだ。

 

 

 王都を滅茶苦茶にし、大勢の行方不明者や死人を出した張本人が、この計画の関係者だというのだ。

 

 加えて、『蒼の薔薇』の人員を殺した存在でもある。もう、その時点で『蒼の薔薇』から見たら怨敵……不倶戴天の怨敵でしかなかった。

 

 

 けれども、大悪人かと言えば、どうにもそのようには見えない。

 

 

 『カルネ村』を助けた恩人であるのは、村人たちの顔を見れば一目瞭然だ。立派な外壁もそうだし、村人たちが今を生きているのは、間違いなく彼のおかげである。

 

 また、大量の食糧を始めとして、様々な支援を王国へ行ったのも眼前のアンデッド……あまりにもチグハグした対応に、『蒼の薔薇』は困惑を隠せなかった。

 

 

 正直に語ろう……話を聞いた『蒼の薔薇』は当初、ある種のマッチポンプでは……そんな違和感が脳裏を過った。

 

 

 しかし、実際に正体を露わにした彼を見た彼女たちの感想は……ただ一つ。

 

 

 

 ──こいつが、本当にあの大虐殺を引き起こしたのかという、疑念であった。

 

 

 

 確かに、威圧感はある。だが、それは単純に見た目から来るものであり、それはアンデッドに限った話ではない。

 

 むしろ……しばし彼を見つめていた『蒼の薔薇』は、いよいよ理解出来ずに仲間内で視線を交わし始めた。

 

 

 そう、むしろ、実際は逆だ。

 

 

 見た目は厳ついのに、中身はおとなしい。気の弱さすら感じ取れるその気配は、冒険者モモンからもかけ離れている。

 

 ラナーからの説明がなかったら、仮に彼が自らをモモンだと名乗っても、『蒼の薔薇』は誰一人信じなかっただろう。

 

 それぐらいに、想像していた邪悪な存在とは違い過ぎるのだ。

 

 まるで、中身がすっぽり入れ替わったかのような……そんな違和感すら……っと。

 

 

「──っ! ラナー!」

「いいから、ここは私に任せて」

 

 

 困惑する『蒼の薔薇』を一声で黙らせたラナーは……スルリと彼女たちの前に出ると、静かに一礼した。

 

 

「申し訳ありません、彼女たちにも悪気はないのです。この非礼、後ほど改めて──」

「気にしなくていい。そんな事よりも、事は緊急を要する。私への怒りや恨みはごもっともだが、まずは話を聞いてくれ」

「──それは先ほど、ここへ案内していただいたセバス・チャンという御方が、慌ただしく村を飛び出していった理由ですか?」

「そうだ、緊急事態ゆえに、セバスはナザリックに戻させた。他の僕たちも、同様だ」

 

 

 その言葉に、ラナーは一つ頷いた。

 

 

「王はまだ到着なさっていませんが、構いませんか?」

「構わない、とにかく時間が惜しい」

 

 

 そう言い終えると同時に、彼は……悟は、歩き出す。

 

 その足が向かう先は、これまで何度か使用されてきた、話し合いの場として使われている小屋。

 

 それを見やったラナーは、後を追いかける。

 

 ほぼ同時に追従するクライムに、『蒼の薔薇』は後を追いかけるか、ラナーを止めるか……一瞬ばかり迷い、足を止めていたが。

 

 

「ラナーが言うんだ、今は黙って受け入れたらいい」

 

 

 苦笑を隠さず、呆れた眼差しを妹へと向けるザナックの言葉に……色々と呑み込んだ『蒼の薔薇』は、溜め息を吐いて……後に続くのであった。

 

 

 

 

 

 ──おそらく、この世界の人類史においても信じ難い光景なのだろう。

 

 

 一国の王女と王子、その背後に立つ戦士たち。

 

 対面するは生者の天敵であるアンデッド。

 

 場所は、王都からも遠く離れた開拓村。

 

 

 その村の中でも、立派とは言い難い小屋の中……言い方を変えれば、その時歴史が動いた……というやつだろうか。

 

 

 何とも言い表し難い緊張感に耐えきれず、「あ、あの、お茶を入れて来ます!」とだけ言い残して小屋を飛び出して行ったエンリを笑う者は、この場にはいない。

 

 叶うならば、誰だってこんな場所に長居などしたくはない。

 

 村長とはいえ、まだ小娘でしかないエンリが耐えられるわけもなく、緊張はしつつも委縮しないだけ、肝が座っている方であった。

 

 

「──なるほど、現状は分かりました」

 

 

 時間にして、それほど長くはない。だが、濃密な時間を終えたラナーは、困ったように溜息を零した。

 

 その表情は、珍しく少しばかり強張っていた。

 

 本当に珍しい光景であり、見る者が見たら驚きに目を見開いただろう。けれども現在、話を聞いた誰もがその事には気付けなかった。

 

 

 理由は、只一つ。

 

 

 ラナーたちが考えていた此度の計画が、『ゾーイの暴走』によって破綻しかけている事が、悟の口から語られたからだ。

 

 

 ……暴走。

 

 

 言葉に表せば、それだけ。

 

 どのように暴走を始めているのか、それはハッキリと断定出来ないが……ゾーイが今後、何をしようとしているのかを推測する事は出来る。

 

 

 その推測とは、『邪悪と定めた存在を片っ端から滅することで、この世界の均衡を保とうとしている』というものだ。

 

 そして、問題なのは、この『邪悪』の範囲が限りなく広い可能性が高いということだ。

 

 

 それこそ、取るに足らない些細な間違い……善にも悪にも揺らぐ子供ですら、邪悪判定されかねない。

 

 

 あくまでも推測でしかないが、限りなく可能性が高い話だと、悟は語った。

 

 他にも色々と悟の口から……どうしてそうなったのかを語られた際、『蒼の薔薇』などから詰められた……が、しかし。

 

 

「……そうなる可能性を危惧していましたが、まさかこのタイミングでそうなるとは」

「自分で言うのもなんだが、あっさり信じてくれるのだな」

「この状況で私たちを騙すメリットが思いつきませんし……このようなつまらない悪戯をするような御方でもありませんし……」

 

 

 ラナーがポツリと感想を零したことで、その追及もそれ以上を言える雰囲気ではなくなってしまった。

 

 

「……じゃあよう、調停者の暴走とやらの原因は、元を辿ればアンタらに行き着くってわけじゃねえか」

 

 

 ちなみに、事情を話した悟に対して、『蒼の薔薇』のガガーランが白けた眼差しと共にその言葉を吐き捨てた。

 

 

 そう、悟は隠さなかった。

 

 

 調停者ゾーイが暴走する原因となった、あの夜の事を。

 

 いや、それどころか、自分たちは元々この世界の存在ではなく、異なる世界からの来訪者であることも、語った。

 

 『ゲヘナ』という茶番も、ゾーイの暴走が始まる切っ掛けを作ったのだということも……しかし、ガガーランに続く二人目の言葉が、悟へと向けられることはなかった。

 

 

「止めなさい、ガガーラン。原因はそうだとしても、王国がどうしようもなかった事実は変わらないわ」

「でもよ、ラキュース……」

「腐った実しか付けなくなった枝葉を根元から切り落とすか、実だけを摘み取って誤魔化していたか……大した違いは始めからないのよ」

 

 

 『蒼の薔薇』のリーダーを務めているラキュースは、その言葉と共に軽く首を横に振った。

 

 

「どのみち、王国はあまりに腐り過ぎていた。彼が『ゲヘナ』とやらをしなかったとしても、遅かれ早かれ……もはや、自力ではどうにもならないほどに何もかもが腐っていた」

「…………」

「確かに、ガガーランの憤りは分かるわ。でも、分かっているでしょう? その憤りをぶつけようとしている相手を頼らなければならないほどに王国は崖っぷちなのよ」

「そりゃあ、そうだけど……ラキュースは納得しているのか?」

「そんなの、出来るわけないでしょ」

「なら──」

「でも、受け入れなければならないの。たとえ、どんなに納得出来ない事だとしても」

 

 

 間髪入れずに否定したラキュースだが、直後、その己の発言も否定した。

 

 

「もう、それほどの劇薬でないと治せない。ならば、私はそれを呑み込み、抱えて生きていくしかないの、貴族としてね」

 

 

 そして、その言葉に……誰もが、何も言えなかった。

 

 実際、王国は遅かれ早かれ崩壊し、国が倒れてしまうことはラナーのみならず、様々な人たちが予測していた。

 

 ナザリックの所業なんて、それを少しばかり加速させただけ。

 

 本当に元を辿るのであれば、ガガーランの言葉はラキュースを始めとした、王族貴族にこそ刺さるのであった。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………こほん、と。

 

 

 些か気まずい空気の中で、ラナーが咳を一つ。

 

 

「一旦心を落ち着かせて、状況を整理しましょう。ちょうど、お茶も届きましたから」

 

 

 ちらり、ビクン、と。

 

 ラナーの視線の先、小さく開かれた扉から顔を覗かせていた……全員の視線を受けたエンリが、ビクッと肩を震わせた。

 

 

 どうやら、入ろうと思ったけど雰囲気が重苦しくて入れなかった……といった感じか。

 

 

 ノックはしたのだろうが、ラナー以外は誰も気付けないぐらいには、誰もが冷静になれていなかったのだろう。

 

 エンリの両手には、陶器製の大きなティーポッドと、何段にも重ねられたコップ。お茶の用意が出来たので、持って来たようだ。

 

 

「すまない、驚かせてしまったな」

「え、あ、いえ……」

「あとはこちらでやろう。重ね重ねになるが、ありがたくいただくよ」

「あ、はい……」

 

 

 それを笑顔で受け取ったザナック。

 

 その姿に目を瞬かせるエンリを尻目に、笑顔のまま扉を閉めたザナックは……そのまま、全員分のお茶を注いでゆく。

 

 

「お~、王子自ら?」

「明日は槍が降る?」

「城の外に出たザナックなんぞ、ただの小太りな男に過ぎんよ」

 

 

 失礼な双子忍者の言葉に、自嘲気味に応えるザナック。

 

 我が事とはいえ、あんまりな言い回しにフフッとラナーが笑い……自然と、場の空気が緩んだ。

 

 そうして、全員(悟は除く)がお茶を一口。自然と、誰もが申し合わせていたかのように、フウッとため息を零した。

 

 

「アインズ様」

「ん? なにかな?」

 

 

 そんな、僅かに生じた緩んだ空気の中で、ポツリとラナーが悟へ尋ねた。

 

 

「先ほど、時間が惜しいと仰いましたが」

「うむ、そうだな」

「それは、ゾーイ様の行動の一切を阻害できないから時間が無いのか、一時的に抑えられはしたけど余裕が無いのか……どちらなのでしょうか?」

「……それは、後者だ」

 

 

 ぬるり、と。

 

 突如出現した虚空の暗闇(要は、アイテムボックス)に手を突っ込んだ悟は……そこから、一組のガントレットを取り出した。

 

 

「詳細は省かせてもらうが、このアイテムと、『星に願いを』という魔法を使って、ゾーイの動きをなんとか抑えている。少なくとも、今日明日でどうこうなる事はないだろう」

「その言い方ですと、もうそのアイテムは使えない、と?」

「そんなところだ。言うなれば、燃料切れというやつでな……つまり、魔法の効果が切れてゾーイが動き出せばもう、止める手段がない」

「……猶予は、どれぐらいでしょうか?」

「感覚的な話になるが……おそらく、約3日間抑えられたら上出来だと思う」

 

 

 ──短い、あまりに短すぎる。

 

 

 誰もが、似たような事を思った。

 

 いくら事前に計画し準備を進めていたとはいえ、さすがに3日間では……作戦の前倒しどころの話ではない。

 

 どう急いでも、なんとか王都を囲うように陣を張るのが精いっぱい。いや、極めて高い確率で、陣すら張れないだろう。

 

 そのうえ、代償として兵士全員がヘトヘトでまともに戦う事が不可能な状態に陥るのは……素人のラナーから見ても、明白であった。

 

 

「……なあ、その3日間で、ゾーイをボコボコにしちまえばいいんじゃねえの?」

 

 

 ぽつり、と。

 

 思わずといった様子で呟いたガガーランの質問に、「いや、それはしない方がいい」悟は静かに首を横に振った。

 

 

「調停者ゾーイの硬さは、常人の想像の域を超えている。仮に貴方がそのハンマーを100年間叩きつけたとしても、ゾーイの体力を1割も減らすことは出来ないだろう」

「あっ? マジかよ……」

「そのうえ、ゾーイは一定以上のダメージを受けると、その身に受けている毒や麻痺といった状態異常を回復してしまう。何の準備もせずに挑むのは自殺も同じだ」

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………再び訪れた沈黙。

 

 

「──では、黙っている暇はありませんね。直ちに、計画を練り直しましょう」

 

 

 この空気はよろしくないと思ったのか、仕切り直しと言わんばかりにラナーが語ったのは……今回の計画についてであった。

 

 

 ……今さらだが、改めて説明しよう。

 

 

 その、ラナー達が考えていた計画。

 

 すなわち、以前ナザリックにサラッと話を通し、帝国にも話を通し、機会を待ったうえで決行された今回の計画の内容を、簡潔にまとめると。

 

 

 

 

 ① まず、ランポッサが粛清を行うと大々的に発表(実はもう、既に市民たちの間に噂を流してある)し、貴族たちのクーデターを煽る(その間、ラナーとザナックは国外に出ている状態にして、手出しできない)

 

 ↓

 

 ② 貴族たちは粛清を逃れるために第一王子バルブロを神輿にしてクーデターを起こす(実際は、起こさせるのだが)。ランポッサたちは身代わりを用意し、カルネ村に避難(後に、ラナー達も合流)する

 

 ↓

 

 ③ 貴族たちにあえてランポッサ(偽物)たちを殺させる。それにより、第一王子が国王の座に着いた……のを待ってから、帝国(ジル)の助力を借りたラナーたちが、『クーデターにより玉座の地位に付いた親殺しの第一王子と、それに連なる貴族たち』の粛清に出る

 

 ↓

 

 ④ つまりは、内乱を抑えるのに帝国の手を借りるという話。もちろん、普通に考えればそんなの帝国の傀儡みたいな扱いになるのがオチだが、ラナーの背後に居る『得体のしれない存在(ナザリックやゾーイ)』を考え、ほとんどタダ働きみたいなことになった。(あと、王国の統治を行うとなればとてもではないが人手が足りず、植民化しようにも、不穏分子を自国内に抱え込む結果になるのは目に見えていたので、この結果に)

 

 ↓

 

 ⑤ もちろん、そのまま帝国だけがやると帝国の被害も無視出来ないので、ナザリックが裏で粛清のお手伝いを行う。これは帝国への牽制(万が一、ジルが王国を掌握しようと動いた場合を想定して)も兼ねており、これにより、王国内の不穏分子(あるいは、腐った根)を完全に取り除く。

 

 

 

 

 ……というのが、ラナー達が考えていた大まかな計画であった。

 

 

 この計画の要はなんといってもナザリックの存在であり、その圧倒的な力である。

 

 ナザリック無しでもやれない事はないが、その分だけリスクは跳ね上がる。帝国の助力があるとはいえ、相応に消耗してしまうのは避けられない。

 

 王国と帝国の消耗を限りなく抑えながら、義はラナー達にあるのを国民に周知させつつ、王国内に蔓延っていた腐った根を根本から刈り取る。

 

 

 それが、此度の計画の目的である。

 

 

 それ故に、この戦いでは事前にラナー達が炙り出し選定した者たちだけを殺し、その財産を抑え、王国の土台となる有能な者たちは生かしておく必要がある……わけだが。

 

 

 ……調停者ゾーイの登場によって、それが出来なくなるのはマズイ。

 

 

 悟の推測通り(あるいは、ラナーの予測通り)、邪悪の基準が広く浅くなったゾーイが動き出せば、今度こそ王国は死に絶えてしまう。

 

 只でさえ王国再建のための有能な人員はおろか、人手が足りていないのだ。ちゃんと統治出来る者を残しておかないと、目の届かないところから再び腐ってしまう。

 

 加えて、その影響が王国内のみに留まらない保証は無い。

 

 最悪、ゾーイが帝国に移動し……全てを皆殺しにした後で移動を始め……聖王国はおろか、法国の邪悪を皆殺しにする可能性も……っと。

 

 

「……アインズ様は、どのようなお考えなのでしょうか?」

 

 

 誰しもが何も言えない中で、やはり沈黙を破ったのはラナーであった。

 

 

「命を賭してゾーイと相打ちになる。それが私の贖罪であり、私が成さねばならない事だからだ」

 

 

 キッパリと、力強く言い切ったその姿に、ラナーはスーッと緩やかに笑みを浮かべた。

 

 

「もしかして、今日お一人で来た理由は……」

「僕たちには、ナザリックにて迎撃の準備を進ませている。少しでも体勢を整えておかねばならんからな」

「なるほど……アインズ様は、ナザリックの全戦力を持ってゾーイ様を迎え撃つおつもりなのですね?」

「ああ……だから、そちらに使わせる僕は、事前に話していた者ではなくなる。もちろん、計画を遂行するには十分な実力を持つ僕だが……駄目か?」

 

 

 尋ねられて、ラナーは静かに首を横に振った。

 

 

「いえ、構いませんよ。アインズ様がそれでいけると判断したのであれば、それで十分だと思います」

 

 

 ……ただ、一つだけ……そう、ラナーは言葉を続けた。

 

 

「アインズ様……無礼を承知のうえでお伺い致しますが……勝機は、あるのですか?」

「…………」

 

 

 アインズは、答えなかった。

 

 それを見て、ラナーは軽く周囲を見回し……改めて、笑みを浮かべた。

 

 

「ここには、僕たちはおりません。私たちは誰一人、他所へ漏らすことは致しません。今だけは、本音を語っても……」

「……ふふ、ラナー王女には負けますね」

 

 

 しばし、沈黙で答えていた悟は、堪らずといった調子で笑い……次いで、大きくため息を零した。

 

 

「正直、勝ち目は限りなく0に等しいでしょう」

 

 

 その言葉に……動揺しなかった者は、この場にはいなかった。

 

 いくら作戦が上手くいったとしても、調停者によって滅ぼされてしまえば意味がない。

 

 

「……なにか、私たちに出来る事はあるか?」

 

 

 だからこそ、思わずといった様子で聞きに徹していたザナックが声を掛けてしまうのも、致し方ないことで。

 

 

「気持ちは嬉しいが、ゾーイの猛攻の前では肉の壁にすら……本当に嬉しいが、気持ちだけ受け取ろう」

 

 

 その気遣いは嬉しいが、現実的に居るだけ邪魔にしかならない彼ら彼女らに対して、そう答える他なく。

 

 

「──とりあえず、私はナザリックへ戻る。エンリには連絡用の道具を渡してあるから、連絡がある場合はエンリに言ってほしい」

 

 

「わかりました。こちらとしても、この土壇場での計画変更はリスクが高すぎるので、ひとまず作戦を前倒しします」

 

 

 再び、代表する形で返事をしたラナーに、フフッと悟は笑うと。

 

 

「とにかく、3日間だ。3日後にはゾーイの動きを封じている魔法も解ける……いいな、3日間だ」

 

 

 それだけを告げ……転移門(ゲート)にて、カルネ村を後にするのであった。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………後に残されたのは。

 

 

「……どうしましょうか、お兄様」

「妹よ、こういう時だけ頼って来ようとするのは止めてもらえるか?」

「ですが、ザナック兄様?」

「言わんでいい、言いたい事は分かっているから」

「私兵ですらな話なのに、帝国との足並みを揃えなければならない今回のコレを3日間で済ませろというのは、さすがの私でも……」

「言わなくても分かると言っただろう」

「おまけに、偽物のお父様とガゼフ様を急いで殺して貰わなければ、こちらの大義名分が少しばかり弱く……今のままでは、少し派手な後継者争いのまま終わって……」

「……なんだろうな。偽物とはいえ、一刻も早く父上とガゼフを殺してほしいと、私は生まれて初めて兄を応援したくなったぞ」

「あら、奇遇ですね、ワタクシもですわ」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……どうしようか?」

「とりあえず、不測の事態に備えて帝国兵士をいくらか王国内に潜伏させてはおりますが、それでも3日後ともなれば、予定の半分も……どうしましたか、ザナック兄様?」

「……何時の間に、そんな事をしていたのだ?」

「前に、帝国で非公式の話し合いを致しましたでしょう? あの時、こそっと皇帝に耳打ちしておきました」

「……ぶ、物資は?」

「食糧その他諸々は、『蒼の薔薇』の皆様方を含めて、様々な方々に御協力いただき、色々な場所にこそっと配備しておくよう指示を出しておりました」

「……え、マジ?」

「こんな嘘を吐いて、何の意味があるというのですか?」

 

 

 何だかんだ言いつつも、3日間で最低限の事は達成しそうな妹と、それを畏怖の眼差しで見つめるしかない兄と。

 

 どうしていいか分からず、互いの顔を見合すことしか出来ない『蒼の薔薇』と。

 

 

(ラナー様……どこまでも御伴致します!)

 

 

 1人、実直に構えている年若い戦士……それだけであった。

 

 

 

 




とにかく時間が足りなさすぎるので、WIを使ってなんとか時間を作ります。おかげで、『強欲と無欲』にストックされていた経験値は空
全てが前倒しの中、誰もが最終局面へと強制参加となります


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最終局面: Interlude・その1

最後の戦いが始まるまでの話

泣いても笑っても、時間は有限なのです


 

 

 

 猶予は三日後……それは何も、ラナーたちだけが時間に追われるわけではない。

 

 

 以前より準備を進めていたとはいえ、王都より攫ったままナザリック内にて面倒を見ている人たちの返還もまた、済ませなければならない。

 

 

 これがまあ、大変である。

 

 

 なにせ、単純に数百人にも及ぶ人を移動させるわけではない。誰にも気付かれずに、王都へ移動させなければならないのだ。

 

 しかも、問題はそこだけではない。

 

 長期間の実質的な軟禁(しかも、NPCの存在によってストレスMAX)によって、体調を悪化させていない者は1人としていない。

 

 

 開放すれば、精神的なストレスは緩和されるだろう。

 

 

 だが、混乱が続いて余裕のない今の王都に、いきなり数百人近い人間(しかも、健康とは言い難い)が現れて……はたして、受け入れて貰えるだろうかという不安がある。

 

 なにせ、この世界には魔法があり、モンスターが居て、アンデッドという存在が広く認知され、実在している。

 

 そんな世界だから、見た目が以前と変わらずとも、中身は全く別の存在という可能性を考える者は、けして少なくはない。

 

 これが、昨日今日の話ならまだしも、悪魔(あるいは、怪物)に攫われてから、それなりに日数が経過した後だ。

 

 

 ──悪魔が、攫われた人間に扮している。

 

 

 そのように考える者がいて、当然だろう。だって、そう思ってしまうぐらいに『ゲヘナ』は凄惨で……誰しもの心に刻まれたトラウマなのだから。

 

 もちろん、行方不明(あるいは、死亡扱い)扱いされていた者たちの家族は別だが……それでも、確証が得られるまではと思う者がいるのもまた、当たり前で。

 

 だからこそ、ラナー王女主導の下、王国の状況などを踏まえたうえでタイミングを見計らい、攫われた者たちは無事だという印象を与えたうえで引き取る手筈になっていた。

 

 

 ……けれども、もうそれも難しくなった。

 

 

 只でさえ、計画の見直しの為にそこらへんの事に手が回らなくなったというのに、現在の王都は、クーデターによって情勢が混乱している状況だ。

 

 なにせ、国王と王国最強の戦士を仕留めることは出来たが、第二位と第三位の王位継承権を持っている王子と王女が存命なのだ。

 

 バルブロを後押しする貴族派の勢力が多いとはいえ、王族派の勢力は無視できない。だからこそ、王都を中心に守りを固めているはずだ。

 

 情報も錯綜(さくそう)*1しているせいで、いつもなら出来る事が出来なくなっている可能性が高い。

 

 

 そんな場所に、悪魔に攫われ行方不明になっていた人間(数百名)が戻れば、どうなるか。

 

 

 間違いなく、何かしらの策略だと思って門を閉じるだろう。いや、それどころか、言葉には言い表せられない程に酷い扱いをする可能性だってある。

 

 なにせ、現在の王国の頂点は、国民の命などそこらから生えて使い道がある雑草程度にしか思っていない貴族派と、第一王子のバルブロだ。

 

 

 とてもではないが、このタイミングで開放するような事は出来ない。

 

 

 かといって、王都以外に身寄りが居るかどうかも分からない(個別に対応している余裕が無い)し、適当に放り出したら最後、モンスターのご飯になるだけだ。

 

 ……で、それらを踏まえたうえで、だ。

 

 

(う~ん……時間が足りない。せめて、7日……いや、5日は欲しい!)

 

 

 ナザリック内の自室にて、慌ただしく迎撃の準備を進めているNPCたちを見やりながら……悟は内心にて、不安のあまり頭を抱えた。

 

 

 なにせ、猶予はたった3日だ。

 

 

 現在のナザリックは、そりゃあもう忙しい。

 

 王国民の行き先もそうだが、とにかく、泣こうが喚こうが3日間で体勢を整え、ゾーイを迎え撃たなければならないからだ。

 

 

 なので、悟自身もただぼーっとしているわけではない。

 

 

 ナザリックに戻ってから、『調停者ゾーイ』の情報を思い出せる限り全て書き出し、それからずーっと『対ゾーイ戦』のシミュレーションを行っているのだ。

 

 もちろん、それが役に立つかなんて、悟は思っていない。

 

 しかし、それでもやらなければならない。

 

 たとえ、悟……いや、『モモンガ』の能力が、本来は直接的な戦闘向きではないと分かっていても、だ。

 

 

 ……そう、只でさえ足りていない事だらけなのに、そもそもの前提が不利なのだ。

 

 

 まず、参考となる情報が足りない。

 

 

 ゾーイとの戦闘は、必然的に大規模なモノになり、勝つためには入念な準備と計画が必須である。

 

 しかし、現状は戦力も準備も不十分。そんな状況でゾーイと善戦したという話を、悟は知らない。

 

 ユグドラシルにおいても、3回勝負(1度わざと負けて、相手の手の内を調査する)を基本とする戦法を取っていたぐらいに情報を大事にするのが、悟のやり方だ。

 

 

 それが、今回は一度でも敗北すれば終わりの一発勝負。

 

 

 この時点で、本来の悟の戦い方とは外れてしまっていることもあって、悟は何時もとは違う戦法の組み立てに四苦八苦していた。

 

 

(……パンドラに相談しようにも、慌ただしく何処かへ出て行ったしなあ)

 

 

 しかも、今回は唯一の相談相手であるパンドラが不在なのだ。

 

 それゆえに、余計に悟はグルグルと頭の中であーでもない、こーでもないと苦悩するしかないのであった。

 

 

 ……ちなみに、このパンドラの不在に関しても、少しばかり一悶着あったりする。

 

 

 なにせ、宝物庫を管理しているパンドラは、『ゾーイ戦』に備えて現存するアイテムを全て再確認&整理していた。

 

 言うなれば、補給の要を構築する、決戦において絶対に外せない要でもある。

 

 単純に、アイテムの在庫を確認しているだけではない。

 

 パンドラが持つ能力の応用によって、『ナザリック地下大墳墓』が持つ様々なギミックを十全に動かすための準備も同時並行する形で行っているのだ。

 

 具体的には、『ユグドラシル金貨』の確保だ。ユグドラシル金貨とは、その名の通り、ゲーム内通貨である。

 

 なにゆえそれが必要なのかと言えば、ナザリックの様々な設備を動かすには、ユグドラシル金貨が必要だからだ。

 

 しかし、ゲームとは違い、この世界のモンスターを殺したところで金貨は手に入らない。また、この世界の金貨があっても、代わりにはならない。

 

 

 現状、この世界でユグドラシル金貨を手に入れる手段は一つしかない。

 

 それは、パンドラの能力。

 

 

 その能力を使って様々なアイテムを金貨に交換することで、初めて新たなユグドラシル金貨を得る事が出来るわけだ。

 

 だからこそ、パンドラを信頼している悟も、この状況での外出はさすがに難色を示したわけだが。

 

 

(まさか、事前に全ての作業を済ませたうえに、報告書兼リストまで用意されると……こちらとしても、無下には出来んよなあ……)

 

 

 ……口に出したくはないが、悟を含めて、ナザリックそのものが3日後に残っている保証は全く無い。

 

 

(やる事はちゃんと済ませたのなら、自由に……なんなら、遠くまで逃げても……)

 

 

 最終的に、そう思ってしまった悟は、パンドラの要望を受け入れ、『必ず決戦の時までには戻ります!』と言い残した、その背中を笑って見送ったわけである。

 

 

(そういえば、恐怖公も連れていくって言っていたけど……まあ、いいか。恐怖公に関しては、別にナザリックの外でも索敵は行えるし……)

 

 

 説明する時間も惜しいと言わんばかりに慌ただしく出て行ったので、何処へ行ったのかは知らない。

 

 まあ、パンドラにもプライベートというモノはある。

 

 こんな状況だからこそ、自由に振る舞える時間があっても……さて、と。

 

 

 ──一つ、大きくため息を零して気持ちを切り替えた悟は、再び作戦シミュレーションを……始めようとして、手を止めた。

 

 

『──アインズ様、暫定ですが報告書が出来上がりました。入室させていただいてもよろしいでしょうか?』

 

 

 理由は、自室の扉のノック。声の主はアルベドであった。

 

 

「かまわん、入れ」

「──失礼します」

 

 

 了解を経て入って来たアルベドは、静々とした様子で悟の前へと来ると、手にしていた報告書の束を、そっと机の上に置いた。

 

 

「それでは、ワタクシはこれで……」

 

 

 そうして、緩やかに一礼してから、入って来た時と同じく静々とした様子で出入り口へと向かう。

 

 

「待て、アルベド」

 

 

 その、今にも折れてしまいそうなぐらいに儚い後ろ姿に、思わず悟は声を掛けていた。

 

 

「何でございましょうか、アインズ様?」

 

 

 振り返ったアルベドは、微笑んでいる。

 

 その笑みを前に、悟は椅子から腰を上げ……アルベドの前に立つ。『モモンガ』よりもアルベドの背が低いから、自然と上から見下ろす形になる。

 

 

 ……改めて、悟は思う。外見は美人だなあ、と。

 

 

 経緯や所業や正体は何であれ、ギルドメンバーの中でも1,2を争う凝り性が手間暇かけて設定して作ったのだ。

 

 この世界に来る前ならば、色々な意味で目が離せない美しさにドギマギして、まともに目を向けることすら出来なかっただろうが……と。

 

 

「……やはり、な」

 

 

 そっと、微笑むアルベドの頬に手を当てる。

 

 ピクッと、僅かばかり肩を震わせるのを尻目に、軽く指先で目の下あたりを摩った悟は……ふむ、と納得した。

 

 

「単刀直入に言おう、アルベド……何時から寝ていないんだ?」

「……睡眠は、必要分取っております」

 

 

 少しばかり、返答まで間が空いた。

 

 それが答えだと、鈍い悟にも十分に分かることで……再び、悟はため息を零した。

 

 

「ただ、横になっているだけが睡眠ではない。化粧で誤魔化しているあたり、自覚はあるのだろう?」

「…………」

「正直に、答えるんだ。何時から寝ていない? 私はその事を罰したいわけじゃない、ただ、知りたいだけだ」

「……その」

 

 

 ポツポツ、と。

 

 申し訳なさそうに俯きながら、小さい声で語った日数はけっこう前のことで。

 

 

(……あ~、前の面談の時からか。そういえばアルベドのやつ、肩を落として落ち込んでいたけど……そうか、ずっと気に病んでいたのか)

 

 

 ひとまず、休ませるべきだろう「あ、あの、私は大丈夫です!」……と、思ったのだが。

 

 

「わ、私なら大丈夫です! だ、だから、だから……この役割を、この役割だけは、取り上げないでください!」

「え、あ、アルベド!?」

「お願いします、アインズ様! わ、私を、捨てないで! 見捨てないでください! 貴方様に、貴方様にまで去られたらワタクシ……私は……」

「わか、分かった! 分かったから! とにかく頭を上げるのだ、アルベドよ!」

 

 

 そうするよりも前に、アルベドより泣きながら土下座をされた悟は、思わずたじろいだ。

 

 いくら相手がNPCの怪物とはいえ、見えている範囲は翼を生やした美女。

 

 つまりは、女性に土下座されて平然としていられるような性格ではない悟にとって、それはもう面食らう話なのであった。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………そんなこんなで、30分ほど。

 

 

 いくらレベル100の頑強な身体とはいえ、精神的ショックに加えて長期間の寝不足も合わさり、かなり精神が摩耗していたのだろう。

 

 悟が知る彼女からは想像出来ないぐらいに狼狽していたのをなんとか宥め、立ち上がらせ、ベッドに座らせ。

 

 アイテムボックスに残っていた水差しにて、ゆっくりと水分を取らせて、どうにか涙が止まった後。

 

 

「申し訳ありません、みっともない姿をお見せして……」

「いや、いい、気にするな」

 

 ……穴が有ったら入りたい。

 

 

 そう言わんばかりに縮こまっているアルベドを見下ろしながら……ふと、悟は眼前の『アルベド』の事について、改めて考える。

 

 

 アルベドは……そう、ナザリック地下大墳墓の守護者統括の地位に就いているアルベドも、同様に忙しい。

 

 

 これは単純に、悟と顔を合わせ辛いという心理的な抵抗もあるが、それを抜きにしても、純粋に忙しいのだ。

 

 なにせ、絶対なる頂点に立つ(アインズ)を除けば、ナザリックの全てのNPCの頂点に立つのがアルベドである。

 

 

 つまりは、絶対的なる存在である悟の手を煩わせないために、ナザリック内のそこかしこから上がる報告を全て処理しているのがアルベドなのである。

 

 

 普通なら、無理だ。少なくとも、悟はアルベドと同じ速度で処理出来ないと断言する。

 

 ゾーイの事に限らず、数百はいる僕たちが分裂せずにいられたのは、全NPCの中で1,2を争う知恵者のアルベドのおかげだ。

 

 

 そのうえで、今回のコレは……もう、目が回ってしまいそうになるぐらいに忙しいはずだ。

 

 

 平時であればともかく、今はナザリックNPC総出での戦の準備。うっかりミスなど許されるわけがないから、いつもより報告するのもされるのも量が多い。

 

 だからこそ、効率を考えればわざわざ来るような事はせず、それこそ少しばかり手が空いている部下に持って来させれば済むところを、わざわざ来た理由は……他でもない。

 

 

(『モモンガを愛している』、か……)

 

 

 脳裏を過るのは、この世界に来る直前……ちょっとした悪戯のつもりで行った、アルベドの設定変更のこと。

 

 アルベドがここまで己に固執するのも、ソレが原因ではないか……そう、思っている。

 

 実際、他のNPCとは違い、明らかにアルベドだけが、自分への反応が違う……ように思える。

 

 至高の御方とされる自分を求めるのは他のNPCたちと同じだが、どうもアルベドは他の者たちより一歩分直接的というか、距離を縮める傾向にある。

 

 

 だから、原因は設定変更だと思っていた。

 

 

 『モモンガを愛している』、その一文を書き換えた結果、アルベドは『モモンガ』を求めているのだと……そう、思っていた。

 

 

(……さっき、まで、と言ったな)

 

 

 けれども、この瞬間。

 

 

(貴方様にまで……アルベドは、単純に仲間たちを嫌っているのではなかったのか?)

 

 

 悟は……改めて、アルベドの異常性に目を向けた。

 

 

 それは、悪い意味ではない。

 

 

 純粋に、アルベドにしか起こりえていない異常な状態……他のNPCにはない、『至高の御方を嫌う』という思考が出来ているという部分だ。

 

 悟はこれまで、『モモンガを愛している』という変更した部分にばかり目を向けていたが……先ほどの発言を聞いたおかげで、それが分からなくなった。

 

 本当にギルドメンバーたちを心底嫌っているのであれば、先ほどの言葉は不自然だ。

 

 

 だって、言葉通りに受け取るのであれば、だ。

 

 

 自分がここを離れるのを恐れるかのような……まるで、先に去って行ったメンバーたちの事で心を痛めていたかのような……そんな言い回しだ。

 

 

 それでは、矛盾する。

 

 

 以前の面談の時にアルベドの口から聞いた話と、少し食い違う。あの時のアルベドは、そんな生易しい嫌い方ではなかった。

 

 それこそ、憎んでも憎み足りないぐらいに……目の前に現れたら、唾でも吐き付けそうなぐらいに、酷く嫌悪している言い回しだった。

 

 

 それが──ちらり、と。

 

 

 俯いているアルベドをこっそり見やった悟は、内心にて首を傾げる。

 

 それ程嫌悪している者が、あんな言い方……アルベドの様子を見る限り、自分が何を口走ったのか気付いて……いや、待て。

 

 

(そんなこと、あるのか? いくら気が動転していたからって、あのアルベドが自分の発言すら覚えていないとか……あるのか?)

 

 

 気になった悟は、率直に尋ねた。

 

 先ほど、己に頭を下げた際、どんな言葉を言ったのか……それは覚えているか、と。

 

 

「──はい、全て覚えております」

 

 

 すると、アルベドはキッパリと言い切り……実際、悟が覚えている限り、ほとんど間違いなく同じ言葉を言ってみせた。

 

 ただ一つ、『貴方様にまで』、その一部分だけを除いて。

 

 

(これはいったい、どういうことだ? どうして、そこだけを綺麗に忘れているんだ?)

 

 

 非常に……言葉には出来ない、何とも表現し難い奇妙な違和感であった。

 

 だが、しかし……同時に、悟は思った。いや、それは思うというよりも、直感に近しいのかもしれない。

 

 

(もしかしたら……同じなんじゃないか?)

 

 

 確証などない。けれども、考えずにはいられない。

 

 

(俺が『モモンガ』というアバターに心を引っ張られていたのと同じく……アルベドだけじゃない、NPCの誰もが……もしかしたら、気付いていないナニカに引っ張られて……心が誘導されているんじゃないか?)

 

 

 アルベドたちも、かつての自分と同じなのではないか……そう、思わずにはいられなかった。

 

 

 ──確かめなければならない。

 

 悟自身、上手く説明出来ない事だが。

 

 

 ──きっと、後悔する。このまま、何も知らないまま終わってしまえば、きっと。

 

 どうしてか、強くそう思えてならなかった悟は……おもむろに、椅子から腰を上げると。

 

 

「すまないが、アルベド。私はこれからシャルティアの下へ向かう用事が出来た」

 

 

 気付けば、そうアルベドに伝えていた。

 

 

「え、あ、はい、わかりました」

「アルベドは、とにかく小一時間でもいいから休め。そんな状態では、出来る事も出来なくなる……これは命令だ」

「わ、分かりました」

 

 

 当たり前だが、いきなりなタイミング……少々困惑気味にアルベドが思うのも当然であり、「あの、ところで、どのような……」言葉を濁しつつも、用件を聞いて来るのも当然で。

 

 

「……いくつか、確認したい事が出来ただけだ」

 

 

 しかし、悟自身もはっきりと自覚していたわけではないから、そういう他無く。

 

 

(いきなり押し掛けて、委縮させてしまうかもしれないな)

 

 

 自分で口走った手前、訪問するための言い訳が思いつかなかったので。

 

 

「ペロロンチーノさんのことで聞きたい事が、な」

 

 

 結局、そう言う他なかった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………そして、その際。

 

 

(……隠せていないけど、一瞬だけ険しい顔をしたな。他の者たちが皆の事を話題に出した時はそうでもないのに、俺が口にした時だけ……ふむ、これも……?)

 

 

 一瞬の事とはいえ、アルベドの顔が苦々しく歪んだのを横目で見やった悟は……とにかく、シャルティアの下へ向かうのであった。

 

 

 

*1
(複雑に入り組み、混乱している意味)



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最終局面: Interlude・その2

ちょっと長ったらしいけど、答え合わせ
もちろん、悟の目線なので100%正解の答えが分かっているわけじゃないけど


 

 

 

 ──シャルティアの部屋は、ナザリック地下大墳墓の第二階層にあり、『死蝋玄室』と名付けられている。

 

 

 内装は、いわゆるアダルティな雰囲気で統一されている。

 

 行為を予感させる照明に、カーテンやベッドや家具の数々。昼夜時間を問わず濃密な甘い香り(意味深)が漂っており、何の対策もなく入れば、無事では済まない。

 

 なにせ、生者に対するバッドステータス効果があるらしいから。まあ、そういうのを差し引いても、ここだけ雰囲気が他とは違っている。

 

 ちなみに、シャルティアの趣味ではない。

 

 シャルティアも気に入ってはいるのだが、実際のところは、創造主であるペロロンチーノの趣味がたっぷり盛り込まれたせいである。

 

 

(うわぁ……これ、ペロロンチーノさんが言っていたラブホテルまんまな内装じゃないか?)

 

 

 事前に話を通していたので勝手知ったると言わんばかりに中に入った悟は、鼻腔(空洞だけど)をくすぐる濃密な香りに、思わず足を止めた。

 

 外からでもうっすら香ってはいたが、中は想像以上に濃厚。

 

 アンデッドでなければ思わず腰を抜かしていたかもしれないぐらいに強く、甘く、(ペロロンチーノさんが好きそうな内装だな)と悟は思った。

 

 

「──お、お待ちしておりました、アインズ様!」

 

 

 ふと、声を掛けられた悟は視線を向ける。

 

 そこには、緊張と興奮で頬を赤らめたシャルティアが立っていて……うっすらとだが、花の香りが入り混じる石鹸の匂いを漂わせていた。

 

 傍には、内装の雰囲気とは裏腹に、清楚を思わせる淡い色合いの小さな机に、刺繍が細かく入ったテーブルクロス。

 

 そして、シャルティアの身体のサイズに合った小さな椅子に……悟の身体に合わせた大きな椅子が置かれていた。

 

 

(……ここに来るまでの僅かな時間の間にこれも用意したのか)

 

 

 さすがに、アポも取らずに訪問はしない。

 

 すれ違いになるのも嫌なので、『伝言(メッセージ)』にて事前に訪問する旨を伝えていた。

 

 急な訪問だし、必要ではない限り長居するつもりもなかったので、出迎えの歓迎等はいらないと伝えていたつもりだが……いや、それは無理な相談か。

 

 NPCたちにとって、至高の御方は神にも等しい存在。自らの創造主でなくとも、敬い、かしずき、頭を垂れるのが当然の相手。

 

 

 ……これはまあ、アレだ。

 

 

 社長とかが『今日は無礼講だ!』と言っても、部下たちは一線を置いたうえで無礼講っぽく振る舞うとか……いや、違うか? 

 

 

(椅子は合わせても、他は合わせなかったのは……まあ、気付いていないのだろうな)

 

 

 ──なんともまあ、ペロロンチーノさん好みの性格というやつか。

 

 

 どことなく、シャルティアの陰に、今はもう会えないかつての仲間のことを思い返しながら……とりあえず、促されるがまま腰を下ろした。

 

 

 ……シャルティアは、けして馬鹿ではない。むしろ、失敗を繰り返さないよう反省し、改善しようとする努力家だ。

 

 

 だが、残念なところはある。

 

 それは、努力家な性質が霞んで見えなくなるほどに直情的な性格が、全てを台無しにしてしまっているところだろう。

 

 たとえば、この椅子もそうだが、シャルティアが入浴を済ませているのもそうだ。

 

 悟(アインズ)がとりあえず休めるよう、座り心地が良い椅子を用意したのは、純粋な優しさであり敬愛の表れだ。

 

 しかし、そこでシャルティアは考えてしまったのだろう……もしかしたら、エッチな展開が来るかも、と。

 

 

 その瞬間、シャルティアの頭の中はそれ一色になってしまった。

 

 

 内装やら出迎えの用意やらが色々考えていただろうに、万が一あるかもしれないソレを欲望のまま第一に考えて動いてしまった。

 

 しかも、シャルティアはそれを自覚出来ない。

 

 いや、正確には、直情的に動いている間は目の前の事ばかりに気が取られてしまい、他の事を考えていられない……というわけだ。

 

 

「シャルティア……これから私はお前に対して幾つか質問をする。それに対して、思った事をそのまま口に出すように」

「思った事を……で、ありんす?」

「内容がなんであれ、私はそれを不敬とは思わない。むしろ、下手に隠される方がよほど不敬だ……いいな?」

「はい! わかりんした!」

 

 

 だからこそ、悟は……眼前の、手を上げて意気揚々と頷くシャルティアを通じて、疑念を晴らそうと思った。

 

 他のNPCとは違い、シャルティアは戦闘面においては天才的な機転を発揮し柔軟に戦う猛者だが、それ以外の場面ではその頭脳の半分も働かない。

 

 良くも悪くも、頭で考えるよりも手が先に出てしまうタイプなのだ。

 

 ゆえに、下手に頭で考えるよりも思った事がそのまま口に出やすいシャルティアを……加えて、シャルティアはペロロンチーノが常に傍に侍らせていた時期があるからこその人選であった。

 

 

「では、シャルティア……私の記憶が確かならば、おまえは一時期、常にペロロンチーノさんの傍にいたな?」

「はい! 夢のような一時でありんした!」

 

 

 その時の事を思い返しているのだろう。

 

 シャルティアの表情は吸血鬼(アンデッド)とは思えないぐらいに色づき、恋する少女と言わんばかりに朗らかであった。

 

 

「ふむ、それでは、ペロロンチーノさんのことは、どれぐらい覚えているのだ?」

 

 

 けれども、そう尋ねた瞬間。

 

 

「……申し訳ないでありんす。正直、あまり覚えてありんせん」

 

 

 しゅん、と。

 

 その言葉と共に、寂しそうに俯いてしまった。けれども、それを予測していた悟は、気にせず話を続けた。

 

 

「それは、これまでの日々で忘れてしまったという事か?」

「いえ、違うんす。何と言うのか……こう、わちき、上手く身体が動かせなかった時期があったんでありんす」

「動かせなかった時期? それは、何時頃から動かせるようになったのだ?」

「この世界に転移した時からでありんすぇ。何も出来なかったから、身体を動かせるようになって嬉しかったんでありす」

「そうか……ふむ」

 

 

 シャルティアの話に、悟は顎に手を当てて考える。

 

 動かせなかった時期……それはおそらく、『ユグドラシル』のゲーム時代の話だろう。

 

 確かに、NPCが自発的に考えて動き出していたら大騒ぎもいいところだが……しかし、正直なところ……悟は少しばかり驚いていた。

 

 これまでの付き合いから、NPCがゲーム時代の事をある程度覚えていることは分かっていた。

 

 ただ、それはあくまでも夢を見ているかのような、そんな感覚だと思っていた。

 

 そこに、『身体が動かせない』という具体的な感覚を覚えているNPCが居たのだ。

 

 

 ……いや、そこに目を向けていなかったから気付かなかっただけで、覚えているNPCたちは他に居る可能性は高い。

 

 

 ただ、他のNPCたちは感情ではなく自制を優先する。

 

 こちらから問い掛けない限り、『あの時は身体を動かせなかった』とは言い訳せず、『力及ばず、申し訳ありません』と謝罪するところだろう。

 

 考えて動くよりも感情の動きにつられてしまうシャルティアだからこそ、この情報を己は得る事が出来たのだと……悟は思った。

 

 

「では、覚えているところはなんだ?」

「う~ん……色々ありますので、どこから話せば良いのか……」

「どんな些細な事でも構わない、パッと思いつくところから話してくれ」

「そうでありんすなあ……では、ずっと前に至高の御方である尊き皆様方が一堂に集まりお話していた時の事でありんすけど」

 

 

 自分たちの事……その話をしっかり聞こうと耳を澄ませた悟は……………………??? 

 

 

「……どうした、シャルティア?」

 

 

 それっきり黙ってしまったシャルティアに、悟は首を傾げ……そこで、ようやく異変に気付いた。

 

 シャルティアは、思い出すような仕草……軽く首を傾げるように俯いた姿勢のまま、静止していた。

 

 魔法を掛けられたわけでもなく、マヒ等の状態異常とは違う。

 

 まるで、一時停止ボタンで止まってる映像のように、ピタッとその場に止まっていて、僅かばかりも動いてはいなかった。

 

 

「シャルティア?」

 

 

 思わず、肩に手を置く。

 

 途端、シャルティアはビクッと肩を震わせて動き出し……何故か、不思議そうに首を傾げた。

 

 

「どうしたんでありんすか、アインズ様」

「どうしたって……その、覚えてはいないのか?」

「覚えて……申し訳ありません、アインズ様。いったい、何を仰っているのか、わちきにはさっぱり……」

 

 

 本当に、分かっていないのだろう。

 

 (アインズ)の質問に答えられない事を申しわけなく、それでいて、一生懸命思い出そうとしている姿を見て……悟はようやく、これまで幾度となく抱いていた違和感に気付いた。

 

 

 ──そうか、そうだったのだ。

 

 

 今まで、悟は幾度となく怒りとやるせなさを覚えた。

 

 

 どうして、NPCたちは学習しないのか。

 

 どうして、NPCたちは己の言うことを曲解するのか。

 

 

 悟は、今までそういうものだと思っていた。

 

 

 設定通りに命を持ったNPCたちは、多少なり変化はあっても、その通りにしか在れない存在なのだと思っていた。

 

 だが……今のシャルティアの挙動を見て、悟は初めて……いや、改めて、そうではないのだという可能性を垣間見た。

 

 おそらくは……コレが原因なのだ。

 

 今回は『ゲーム時代』の記憶を思い出そうとした結果だが、おそらくはこれまで幾度となく似たような状態に陥ったのだろう。

 

 そして、その度に……今のシャルティアのように思考が止まり、記憶が消去されている。

 

 

(加えて……これもおそらくの話だが、他のNPCたちはその異常に気付けない。誰も気付けないから……リセットされていることにすら、気付けない)

 

 

 もちろん、それだけではないだろう。

 

 NPCがこの世界に来たその瞬間に自我に目覚め、それゆえに聞き分け出来ない精神の未熟さ……それがあるのも、否定は出来ない。

 

 しかし、だ。

 

 何かしらの条件に触れるたび、今のシャルティアみたいに記憶がリセットされ、周りのNPCたちもソレに気付けないのであれば……だが、その条件とは何だ? 

 

 

(条件は、ゲーム時代の記憶を思い出そうとしたからか?)

 

 

 ……いや、違う。内心にて、悟は首を横に振る。

 

 

 それでは、ペストーニャを始めとして、若干名のNPCが記憶を残していることに説明が付かない。

 

 というか、それが条件だとすると。

 

 どうして、NPCの大半が『1500名によるナザリック討伐隊』を記憶出来ているのか……そこが分からなくなる。

 

 だって、それが理由であるならば、あの面談の時にソレを覚えていた者たちはみな、今みたいに停止してしまっているはずだ。

 

 だが、現実はそうなっていない。少なくとも、今みたいに不自然な動きを誰も見せなかった。

 

 それに、NPCとしては一番至高の御方(代表・ペロロンチーノ)に追従していたシャルティアが記憶出来ていない時点で、この仮説は間違っているだろう。

 

 

 では……レベルか? 

 

 

(それも、違うな。ペストーニャのレベルはカンストしていないし、低レベル過ぎるわけでもない……と、なれば、レベルが条件というのもハズレか)

 

 

 腕を組んで、う~む、と悟は考え込む。

 

 

「……?」

 

 

 そんな悟を前にして、シャルティアは居心地悪そうにしている。まあ、シャルティアの視点からすれば、そうなるだろう。

 

 けれども、悟は構わずジッとシャルティアを見つめる。

 

 他の者たちにはないナニカがあるのではないか……そう思って真剣に注視するが……正直、違いが全く分からない。

 

 

(レベルでもないし、思い出そうとする行為でもない。それ以外の条件……種族や、装備か?)

 

(いや、そこまで細かい条件が課されているとなると、どこかで動きを止めたNPCを見ているはずだし……)

 

(ていうか、仮に吸血鬼が条件だとすると、それはそれで他のNPCたちが何時まで経っても変化しない理由が分からない)

 

(だったら、装備か? いや、それも……神器級が条件? いやいや、それこそ、覚えていたりいなかったりするNPCの違いが分からん)

 

(そもそも、ゲーム時代の記憶の量にも差が生じている理由はなんだ?)

 

(ペストーニャのように、かなり詳細まで覚えている者もいれば、ただただ人間たちに襲われ害されたという部分しか覚えていない者もいる)

 

(この違いは、どこから来るんだ?)

 

(偶然か? それとも、条件か? あるいは、その二つとは全く別の、フレーバーテキスト……考えろ、おそらく、そこに答えがある)

 

 

 一つ一つ、頭の中で己に対して『Q&A』を繰り返す。

 

 

 何時もとは違い、今回ばかりは後に回すなど出来ない。

 

 なにせ、期限は3日……泣いても笑っても、その中で答えを見つけ出さないならないのだから。

 

 

(装備は違う、種族も違う。レベルも違うし、職業も違う。考えろ、それ以外の違い……どこかにあるはずだ)

 

(覚えている者たちと、覚えていない者たちの違い。悪い面だけ覚えていて、俺たちが楽しんでいた事を覚えていない、その違い)

 

 

 ちらり、と。

 

 シャルティアへと視線を向けた悟は……改めて、質問を重ねて行く。

 

 その内容は、本当に多岐に渡る。けれども、返答は一つもない。

 

 全て、答えようとする直前に動きを止め、直前の記憶がリセットされ……その繰り返しだ。

 

 とはいえ……無駄ではない。質問を繰り返すたびに、見えてくるモノがある。

 

 

 それは、『ナザリック1500名討伐隊』の記憶だ。

 

 

 他にもチラホラと覚えているようだが、どうしてか、この部分だけは他の事よりも鮮明に記憶しているように思える。

 

 それは、殺されたから? 

 

 だが、殺されたのは他のNPCも同じ。ここまで明確な違いが出る理由は、何処に? 

 

 悪かった事は鮮明に覚えていて。

 

 良かった事はほとんど覚えていない。

 

 同じギルドアタックの時の事でも。

 

 

 片や、自分たちが殺された事よりも、悟たちが笑って楽しんでいたという部分を強く覚えていて。

 

 片や、自分たちが殺された事ばかり注視して、悟たちが笑っていたり楽しんでいたことは全く記憶していない。

 

 

 同じ場所に居たというのに、視点がまるで違う。

 

 

 いったい、何処で違いが……何が原因で明確に別れてしまって……いや、待て。

 

 ──そこまで考えた瞬間……悟は、ピーンと脳裏に閃光のような閃きが走った感覚を覚えた。

 

 

(明暗……明るい、暗い……良いところ、悪いところ……善と、悪と……善と悪……善悪……っ!)

 

 

 そして、その閃きによって、一つの答えが悟の脳裏に浮かんでくるのは、早かった。

 

 

(そうか、そうだよ、これだ!)

 

 

 がたん、と。

 

 椅子を壊さんばかりの勢いで立ち上がった悟は……頷いた。

 

 

(──カルマ値だ!)

 

(フレーバーテキストだけじゃない! カルマ値が、NPCたちの記憶や精神に制限を掛けているんだ!)

 

(それならば、分かる! 一向にNPCたちが考えを改めない理由の説明が付く!)

 

 

 次から次に、確信を帯びた仮説が脳裏に浮かぶ。

 

 

(ゲームとは違い、NPCたちはカルマ値が変動しない。つまり、カルマ値を変動させるような思考の変化……心の変化が起こらないんだ)

 

(定められたカルマ値が変動するような行動が、思考が、出来ないようになっているんだ)

 

(記憶しかり、行動しかり、人間に対する異常な敵意も、単純に討伐隊に襲われただけじゃない。フレーバーテキストとは別に、カルマ値がマイナスになっていることで補正が掛かっているんだ)

 

 

 もう、この時点で、悟はコレを仮説とは思わなかった。

 

 というか、思ってしまうだけの状況証拠……これまでのNPCたちの言動を思い返せば、そうとしか思えなかった。

 

 

 実際、これまでの日々……NPCたちの行動を見ていて、納得出来る。

 

 

 良くも悪くも、絶対的な存在である『至高の御方』を第一にはするが、NPCたちはけして染まらなかった。

 

 

 カルマ値が善にあるものは、他のNPCに引きずられて邪悪に染まらず、邪悪とされる行為に対して個人差がありながらも不快感を示していた。

 

 反対に、カルマ値が悪にあるものは、そんな善のNPCの影響を受けて善とさせる行為に感銘など受けず、己の行いに何一つ疑問を感じてなどいないようだった。

 

 

 それもこれも、カルマ値が原因ならば……他にも条件があるにせよ、カルマ値がNPCたちの記憶や内面に影響を与え、制限を掛けているのだとしたら。

 

 

(ならば……『星に願いを』で、カルマ値を中立に戻せば……どちらの影響も受けていない、NPCたちの本心が……!)

 

 

 そう、思い至った瞬間、悟は──反射的に唱えようとした呪文を、片手で押さえたのであった。

 

 

 理由? 

 

 

 そんなの、言うまでもない。

 

 仮に、この仮説が全て正しかったとして……それが結果的に、NPCたちを苦しめる事になるかも……そう、思ったからだった。

 

 

 

 

 

 



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最終局面: Interlude・その3

 

 

 

 ──結局、その場では判断を下せなかった悟は、シャルティアの部屋を後にして……自室へと戻った。

 

 

 そうして、耳鳴りすら覚えるほどに静まり返った中で。

 

 悟は、蕩けてしまうぐらいに柔らかくも寝心地のよいベッドへ……ぼすん、と仰向けになった。

 

 

「はあ~……」

 

 

 そうして零れる、特大の……それはもう、部屋の外にまで聞こえるのではないかと思ってしまうぐらいの、大きなため息。

 

 

 まあ、出てしまうのも致し方ないだろう。

 

 

 自室は、他の場所とは違いNPCが用もなく入ってくることはないし、メイドも今や自室はおろか、この階層に来ることすら禁止している。

 

 例外はアルベドのように報告の必要があったり、手渡ししなければならない物があったり、つまりはそこへ早急に向かう必要がある場合に限られる。

 

 どうしてそうなったのかと言えば、それは悟がNPCを恐れているからだ。

 

 それは、NPCのレベルとか種族は関係ない。

 

 純粋に、『ナザリックのNPC』を悟は恐れ、嫌悪し……知られたら悲しむだろうが、それもまた、悟の本心であった。

 

 

 ……そう、今の悟にとって、NPCは必ずしも味方ではない。

 

 

 人間としての自我を取り戻す前とは違い、今の悟にとって、ほとんどのNPCは化け物でしかないし、一部を除いて、極力己の周りにいてほしくはない。

 

 かつての仲間たちとの思い出であり、そういう意味での懐かしさ、愛おしさは、確かに残ってはいる。

 

 

 けれども、それはあくまでも思い出の中にある存在だ。

 

 

 様々な悪行を成すことに一切の戸惑いをせず、ナザリックの利益(つまりは、アインズの利益)に繋がることならば。

 

 それこそ、万の赤子を引き裂いて両親の前に並べても、心底面白おかしく嗤って見下す……そういう邪悪な存在ではない。

 

 

 ゆえに、悟はNPCたちを拒絶した。

 

 

 表向きは以前と変わりなく振る舞ってはいるつもりだが、以前とは違って、傍には厳選した者以外は極力近寄らせない。

 

 

「……はあ、どうしたものか」

 

 

 だからこそ、である。

 

 絶対とは言えないが、限りなくプライベートが確保されている(気にし過ぎるとキリが無い)自室は、悟にとっては数少ない……気を緩めていられる場所であった。

 

 

「まさか、カルマ値がNPCたちの性質や行動にまで影響を与えているとは……あ~、こんな事になるなら、作成時にカルマ値を弄るのはやめておくべきだったな」

 

 

 自室の中だからだろうか……自然と、悟は少し前から独り言をするようになった。

 

 おそらくは……いや、間違いなく、寂しさが原因であるし、悟はソレを自覚していた。

 

 

 そう、悟は……寂しいのだ。

 

 

 なにせ、この世界には悟を知る者は誰一人いない。

 

 『リアル』を知っている者は誰一人おらず、『ユグドラシル』を知っている者もおらず、真の意味で相談できる相手もいない。

 

 パンドラのおかげで精神的ストレスは緩和出来ているが、それでも……根本的な部分は何一つ変わっていない。

 

 

 ──独りぼっち。そう、己は独りぼっちなのだ。

 

 

 こうして、気分転換を兼ねてベッドで横になると……活動している間は気にしないようにしていた孤独感が、沸々と湧いてくるのを自覚する。

 

 

 ……そう、そうなのだ。悟は、再び溜息を零した。

 

 

 カルマ値が精神に影響を与え、補正を掛け、抑制し、その者の認識を自覚無く変えているのはもはや、疑う余地はない。

 

 しかし、悟が問題視しているのは、そこだけではない。

 

 実際に、『オーバーロードのモモンガ』として動いていた時期があるからこそ、分かる事。

 

 それは、コントロールされてしまっている時の感情や感覚、その時の思いが隠れて見えなくなっているだけで、胸中から消え去っているわけではないということだ。

 

 

 ──正直に言おう。

 

 

 NPCたちのカルマ値を変更する事を考えた際、悟の脳裏を過ったのは……NPCたちの心、受ける衝撃への不安と心配であった。

 

 

 仮に……そう、仮に、だ。

 

 

 カルマ値の変更により、善だろうが悪だろうがどちらに対しても関心を抱かない、人形のような感覚になるのならば、それでいい。

 

 己はあくまでも僕であり、生死に対して意味など持たない……そのような感覚に落ち着くのであれば、悟としても罪悪感を覚えなくて済むからだ。

 

 

 だが、しかし、そうならなかった場合。

 

 

 さすがに、種族として邪悪であり非道を好む設定にされている『悪魔』……たとえば、デミウルゴスのような存在を始めとして。

 

 人食種……つまりは、種族として人間を食糧として設定され、そのように初めから認識しているNPCは別として。

 

 

 中には、居るかもしれない。

 

 

 カルマ値の影響で、残虐な性質を与えられていたNPCが。

 

 本来はペストーニャのように心優しいのに、それを自覚出来ないまま非道を繰り返している……そんなNPCが。

 

 ……そんなNPCたちが、果たしてカルマ値を変更され、本来の己に戻った時……それに耐えられるだろうか、と。

 

 

(俺だって、今でも……羽虫を潰す感覚で、自分の手で色々な人たちを殺してきた命の感触を思い出すんだ)

 

 

 そっと、己の手を……皮膚や筋肉など無いのに、生温い感覚を時折思い出す骨の手を……僅かばかり震えている白いソレを、悟はジッと見つめる。

 

 

 ……あの時、あの瞬間。

 

 

 今でも、思い出すだけで手が震えてしまうほどの強烈なトラウマとなって悟を苦しめ続けている……己が犯してしまった罪。

 

 『モモンガ』としてではなく、『鈴木悟』としての自我を取り戻した時の、あの筆舌にし難い感覚。

 

 

 アレは、実際に体験しないと分からない感覚だろう。

 

 

 そして、実際に体験したからこそ不安に思ってしまい……同時に、このまま何も知らないままの方が良いのでは……とも考えてしまう。

 

 

 知ってしまえばもう、逃れられない。

 

 何故なら、全てはもう過去のことだから。

 

 今さら悔いたところで、失った命は戻らない。

 

 だからこそ、やれる限りの事をやろうと思った。

 

 

 その為なら、塵芥(ちりあくた)のように無造作に命を落とすことになっても……後悔はない。

 

 たとえそれが、己の罪から目を逸らす逃避だと責められることだとしても……それでも、悟は己のこれからに対して、何一つ後悔などしていない。

 

 

(でもなあ……何も知らないままでいるよりも、やっぱり辛くても教えてもらいたいよな……俺だったら、さ)

 

 

 けれども……それはあくまで、自分一人だけの決断だ。

 

 

 ペロロンチーノの手記で、悟は知った。

 

 己が見ていた世界が如何に狭くて小さく、浅いモノだったのかを。

 

 辛くとも、悲しくとも、苦しくとも、教えてほしかった。

 

 ペロロンチーノたちの気遣いであったにせよ、それでも……ちゃんと事情を話して、ちゃんとお別れをしたかった。

 

 

 でも、それはもう出来ない。

 

 

 そして、NPCたちも……おそらく、このままだと何も知らないままその命を終えてしまうだろう。

 

 果たして……それで良いのだろうか。

 

 結局のところ、一方的な考えで押し付けるだけの傲慢な優しさでしかないのだろうか。

 

 

 そんな、相反する感情が頭の中でグルグルと回る。

 

 結論は、出ない。

 

 時間は3日しかないというのに、どうしても今だけは他の事をする気になれない。

 

 というか、ここで無理やり机に向き直っても、どうせコレが気になってまともに妙案など思いつくわけが……っと。

 

 

 ──ノックが、自室に響いた。

 

 

 ハッと我に返った悟は、勢いよくバッと身体を起こす。

 

 眠っていたわけではない(というか、よほど条件が重ならない限り眠れないけど)が、誰かの接近が分からないぐらいに深く考え込んでいたようだ。

 

 

「誰だ?」

『──パンドラズ・アクターでございます、アインズ様。所用を無事に完遂できましたので、報告の為に寄らせていただきました』

「パンドラ? なんだ、思ったよりも早かったな」

 

 ──入っていいぞ。

 

 

 入室を許可すれば、「失礼致します」パンドラはその言葉と共に布で包まれた棒状のナニカを片手に──一拍の間を置いてから、小首を傾げた。

 

 

「もしや、就寝中でございましたか?」

「いや、ゆっくりと考え事をしていただけだ」

「左様でございますか、それでしたら時間を改めますが、如何致しましょうか?」

「いや、構わんよ。気分転換も必要だ……それに、猶予は3日だ。あまりゆっくりはしていられんからな」

「え、3日?」

「……3日だろ?」

 

 

 再び首を傾げるパンドラを前に、悟も首を傾げた。お互いに不思議そうにするなかで……ぽん、とパンドラは手を叩いた。

 

 

「もしかして、アインズ様……相当に根を詰めておりましたね?」

「うん?」

「私がナザリックを出てから、もう40時間以上は経過しております。つまり、今は3日目の最終日でございます」

「──えっ!?」

 

 

 ぺかー、っと。

 

 体感的には久しぶりに感じる、感情抑制が掛かった感覚。スーッと冷静さを取り戻した悟は……震える声で、尋ねた。

 

 

「……今、3日目?」

「はい、そうです」

「……マジで?」

「アインズ様に誓って断言しますが、全てマジです」

「そ、そうか」

「ちなみに、他の皆様方も何名かお伺いに来たらしいのですが、ノックをしても返事がなかったので、相当に集中しておられるのだろう……と」

「……そ、そうか」

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………そうか、もう3日目か。

 

 

(……や)

 

 

 そこまで、思考を巡らせた辺りで……悟は、両手で顔を覆うと。

 

 

(やっちまった──!!!!!!)

 

 

 ぺかー、っと。

 

 何度も何度も感情抑制が働くのを感じながらも、悟は内心にて野太い悲鳴をあげるしかできなかった。

 

 これもまた、アンデッドの業というやつか。

 

 飲食はおろか睡眠すら不要な事に加え、疲労も覚えない。

 

 それゆえに時間の感覚が薄く、自分ではちょっと考え事をしていたつもりでも、外では相当に時間が……ううん、まさか、このタイミングでこんな凡ミスをしようとは。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………何度も言うが、泣こうが喚こうが時間の猶予は伸びたりしない。

 

 

「……すまない、驚かせてしまった。思っていたよりもずっと時間が経過していてな……その、私も凄く驚いた」

「それだけ集中していたということです、私に頭を下げる必要などありません」

「ふふ、そういって貰えると、気も和らぐよ」

 

 

 何とか、時間にして5分程で我に返り、それが言えるだけ精神を落ち着かせた悟は、とりあえず……聞きそびれていたナザリック外出の理由を尋ねた。

 

 こんな状況で、わざわざ外出しようとするのだ。おそらく、それに見合うだけの理由があるのだろうと悟は思っていた。

 

 

「はい、実はコレを探しておりまして」

 

 

 すると、パンドラも分かっていたのか、スッと手にしている棒状のナニカ……それを包んでいる布を外し、中身を露わにした。

 

 

「──まさか、それは!?」

 

 

 瞬間、悟は飛び起きるようにしてベッドから出ると、パンドラの下へ駆け寄り……震える手で、布で包まれていた『古ぼけた槍』を受け取った。

 

 

(……間違いない! まさか、この世界に実在していたのか!?)

 

 

 そして、そのまましばし『古ぼけた槍』をあらゆる角度で観察した悟は……確信した。

 

 

(『聖者殺しの槍(ロンギヌスの槍)』だ!)

 

 

 それは、『ユグドラシル』において驚異的な性能を誇るワールドアイテムの中でも、とびきり凶悪な効果だとされている『二十』の内の一つであった。

 

 

 ……『聖者殺しの槍』。

 

 

 それは、多種多様に存在するユグドラシルのアイテムの中でも、ひときわ異彩を放つ唯一無二のアイテムである。

 

 見た目は低ランクの武器か何かだが、実態は入手難度がおかしい超高レアアイテムなことに加えて、このアイテムが唯一無二である理由は……ただ一つ。

 

 それは、使用すると、『指定した相手を抹消』し、代償として『自分も抹消する』という、凶悪極まりない理由である。

 

 ……初見の者ならみな、同じことを考えると思う。

 

 

 

 『運営、頭おかしいんじゃないの?』と。

 

 

 

 何をどう血迷ったら、こんなアイテムを出そうと考えるのだろうか。

 

 しかも、これは単純にゲームキャラが死亡するとかではない。

 

 このアイテムで抹消されたキャラを復活させるには、別のワールドアイテムを使用して復活させる以外にないのだ。

 

 つまり、実質的に、相手と自分のキャラをBANさせてしまうという意味不明なアイテムなのだ。

 

 はっきり言って、頭オカシイなんて話じゃないアイテムであり、愉快犯の手に渡ればシャレにならない事態を引き起こしてしまう。

 

 実際、ユグドラシルにおいても、このアイテムによって引き起こされた事件は数知れない。

 

 有名なのは、ゲームの重要NPCに使用され、様々な不具合が生じてしまって批難轟々で凄い事になった……っと、話を戻そう。

 

 

「こ、これを何処で!?」

 

 

 悟が思わず声を荒げてしまうのも、仕方がない。

 

 なにせ、『聖者殺しの槍』はワールドアイテム。ユグドラシルにおいても、これを所持しているプレイヤーは少ない。

 

 ましてや、ここはユグドラシルではない。

 

 こんな凶悪極まりないアイテムが手に入るだなんて、これまで一度として耳にした覚えはなかったのだから、悟が動揺してしまうのも当たり前であった。

 

 

 ……けれども、だ。

 

 

 パンドラから、このアイテムを手に入れるに当たっての経緯を聞いた悟は……しばし沈黙した後で、ああ、と納得した。

 

 パンドラの説明を、簡潔にまとめると、だ。

 

 

「……つまり、あのどデカい樹木のモンスターをどうにかしようとしていたと思われる一団が居て、そいつらが切り札として所持していた物だと?」

「はい、可能性としてはそれが一番かと思います」

 

 

 要は、そういうことだ。

 

 アレが自然的に目を覚ましたモノなのか、それとも外部からの刺激によって目を覚ましてしまったモノなのか……それを知る為に、パンドラは大森林の方へと向かったとのこと。

 

 

 そして、結果は後者で。ゆえに、パンドラは……ある一つの可能性に賭けた。

 

 

 それは、偶発的な事故で目を覚ましたのではなく、その一団が何かしらの意図を持って行動し……最悪の事態に対する切り札を所持していた可能性に。

 

 なにせ、あのデカブツが姿を見せたのは、大森林の奥。

 

 街道の途中ならまだしも、偶発的に立ち寄るにしては不自然過ぎる場所だし、なにより、物見見物に行くような場所でもない。

 

 おそらく……知っていたのだ。

 

 あの場所に、あのデカブツが眠っているという事を。

 

 そして、その者たちは、どうしようもなくなった時の切り札を所持していたのではないかということを。

 

 

 そう考えたパンドラは、現地に赴いて探した。

 

 

 もちろん、動けなくなっているゾーイを刺激しないよう一定の距離を取ったうえで気配を消して。その際、広範囲を探し回れる恐怖公を伴う事も忘れずに。

 

 可能性の段階とはいえ、アレほどの巨体を仕留められると思われていたほどのアイテムだ。

 

 推測だとしても、調べておくだけの価値はある。

 

 そう思い、パンドラと恐怖公は2日間ほど不眠不休で探し続け……そうして、この槍を見つけたのだという。

 

 

「パンドラ、お前はこの槍の効果を知っているのか?」

 

 

 思わず、尋ねた悟に対して、パンドラは静かに首を横に振った。

 

 

「いえ、知りません。しかし、私は宝物殿を管理し守護する者……詳細は分からなくとも、この槍が凄まじい秘宝であることは見て分かります」

「そうか……これは、ゾーイと戦う為にか?」

「はい、以前より宝物殿の整理を行っておりましたので……ならば、与えられた決戦の時まで少しでも戦力の足しになる事は出来ないかと思い立ち……」

「そうか、そうか……ありがとう、パンドラ」

 

 

 パンドラに深々と頭を下げた悟は、その槍をアイテムボックスに仕舞った。その際、パンドラが慌てたように頭を上げてくれと訴えてきたが、構わず悟は頭を下げた。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………実のところは、だ。

 

 

 『聖者殺しの槍』は確かに凶悪極まりないアイテムだが、防ぐ手段や通じない相手が存在し、必ずしもコレが通じるかと言えば、そういうわけでもない。

 

 そして、その相手に、ゾーイが含まれている可能性があり……仮にそうだった場合、使用した時点で悟側の敗北が確定する。

 

 

 どうしてかって、ゾーイの行動パターンが変化するからだ。

 

 ユグドラシル時代では、プレイヤーたちの間では『発狂モード』と呼ばれていたやつである。

 

 

 元はチートコード使用による不正を感知した際に発動するモノだったと悟は記憶しているが……正直、記憶に自信はない。

 

 ゾーイの情報はある程度出回ってはいたが、真偽不明の情報も数多くある。

 

 あくまでも隠しボス、裏ボス的な存在であり、戦っても戦わなくてもいい存在。NPCなのか、運営が操作しているキャラなのか、それすらも曖昧なままだった。

 

 

 ──とはいえ、だ。

 

 

 今のゾーイの傍で、有るかも分からないアイテムを探し回る。それも、2日間近く。

 

 言葉にすれば簡単に見えるが、その身を襲う重圧は、言葉では言い表せられない。

 

 それを成し遂げてくれたパンドラ(あと、ここにいない恐怖公に対しても)に、感謝して頭を下げるのは……『鈴木悟』としては、当然のことなのであった。

 

 

「ところで、アインズ様。ずいぶんと根を詰めていたようですが、ずっと対ゾーイ戦の戦略を組み立てていたのですか?」

 

 

 だからこそ、率直に尋ねられた悟は……つい、そのままを答えた。

 

 

「……アインズ様は、どうするおつもりなのですか?」

 

 

 すると、パンドラはしばし沈黙した後で、続けて問い掛けてきた。

 

 それに対して、悟は……しばしの間、何も言えなかった。

 

 答えたくないわけではない。純粋に、どうすれば良いのか未だに答えが出ておらず、返答できなかっただけである。

 

 

「…………」

「…………」

「……思い出してもらうさ、望む者にはな」

 

 

 けれども、これまでとは違い……今の悟は、決断を下せた。

 

 それは、悟の決断力が以前に比べて上がったから……ではない。

 

 

 たった今、パンドラが見せてくれたから。

 

 

 自分の為に、危険を承知でアイテムを見付けて来て、全ては貴方の為だと愛を示してくれたように。

 

 そして、そんなパンドラの姿を見て……己の為に隠し通そうとしてくれた、かつての仲間たちの事を改めて思い出したから。

 

 

 ──そんな仲間たちの事を忘れたまま、消えてしまうだなんて……俺と同じ寂しさを、NPCたちにまで感じてほしくはない。

 

 

 そう、強く思ったから。

 

 創造主を恨むのも、失望するのも、ひいては、己を憎むのも仕方がない。

 

 ただ、何も知らないまま終わるのだけは……あの時の己と同じにだけはなってほしくないと……思ったから。

 

 

「パンドラ」

「はい」

「みんなを集めてくれ、第十階層の『玉座』まで」

「──Wenn es meines Gottes Wille(我が神の望みとあらば)」

 

 

 だから……悟は、ついに、その決断を下したのであった。

 

 

 




ついに、悟は決断しました

初めて、悟は自らの意思で誰かの心に触れる覚悟を固めたのです


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最終局面: Interlude・その4



地獄への道は善意で舗装されている

さあ、善意で舗装された道を進んで地獄へ行こうね


 

 

 

 第十階層『玉座』。あるいは、『玉座の間』。

 

 

 

 それは、『ナザリック地下大墳墓』の心臓部でもあり、最も深い階層に設置された玉座が安置されている場所である。

 

 内装は豪華絢爛でありながら、長き歴史を感じられる荘厳な空気で満ちている。等間隔で設置された旗には、かつてのギルドメンバーを現したマークが記されている。

 

 そこに……この日、この時、ナザリックのNPCたちは集められていた。

 

 

 とはいえ、全員ではない。

 

 

 その設定上、そこから動くのが難しいNPCはそこで待機。あるいは、ゾーイ迎撃の準備(つまり、割り振られた仕事)が済んでいない者は除外という通達はしておいた。

 

 なのに、この日、この時……玉座の前には、大勢のNPCたちが規則正しく列を作り、悟(アインズ)の前にて膝を突き、悟の言葉を待っていた。

 

 

 そこに、立場やレベルや種族の違いは関係ない。

 

 

 ナザリックにおいては下っ端にあたるメイドも、至高の御方に次ぐ地位にある守護者たちも……ましてや、庇護下にあるとはいえ部外者であるツアレたちもいる。

 

 

 

 ……え、ツアレたちも? 

 

 

 

 悟としては、NPCだけを呼ぶように命令を下したはずだが……もしかしたら、言葉足らずだっただろうか? 

 

 ちらり、と。

 

 悟は、己の少し背後にいるパンドラを見やる。

 

 すると、パンドラは『いえ、私じゃないです!』と言わんばかりに手と顔を左右に振った。

 

 

 ……と、なれば、忠誠心(いつもの)だろう。

 

 

 内心にて、悟はため息を零した。

 

 これも何かしらの影響のせいなのかは分からないが、忠誠心が高すぎるのも困り者だ。

 

 なにせ、NPCたちからすれば全ては善意であり、当然の事であると本心から思っているからだ。

 

 

 おそらく……いや、確実に、こうなった原因は決まっている。

 

 

 『ナザリックの僕(つまりはNPC)』だけに集まるようちゃんと各所に指示を出したのに、それを聞いた側が『呼ばれなくとも来るのは当然!』と気を利かした……まあいいか。

 

 

(──こうして改めて一堂に集めてみると、けっこう居たんだな)

 

 

 とりあえず、来てくれたのに追い返すのは互いの顔を潰すことになるので、サラッと気持ちを切り替えた悟は……改めて、その事実に気付く。

 

 正直な話……悟は、オーバーロードとしてこの世界に来るまで、NPCの事などほとんど記憶して……いや、少し違う。

 

 

 作った当初は覚えていたと思う。ただ、その時からサービス終了に至るまでの月日は……あまりに長すぎた。

 

 

 そう、おそらくは『ユグドラシル』に、『ナザリック』に一番思い入れのある悟とて、全てを覚えていたわけではない。

 

 はっきり言えば、この世界に来るまでは記憶の片隅にも居なかったNPCも少なくはない。

 

 

 姿を見れば『ああ、こんなの居たな』と思い出せはするが、それだけ。

 

 細かい設定なんて覚えていないし、ステータスに至っては……だからこそ、こうして改めて確認した悟は、なんとも新鮮な気持ちですらいた。

 

 

「──皆の者、わざわざ集まってもらったのは他でもない。私から、お前たちにどうしても伝えておかなければならない事があるのだ」

 

 

 けれども、何時までも感慨にふけっているわけにもいかない。

 

 

「しかし、その前に……ツアレを除き、リザードマンを始めとした、わがナザリックの僕以外は外に出てもらう」

 

 

 一斉に向けられている視線に気後れしつつも、誓った覚悟に背中を押されながら……NPCではない、ナザリックの者たちへと視線を向ける。

 

 

「不服に思うかもしれないが、分かって欲しい。そして、この話が終わった後で、僕たちの態度が少しばかり変わっても……変わらず、接してほしい」

『──あ、アインズ様、頭を上げてください!』

 

 

 頭を軽く下げれば、彼らは慌てた様子で両手を振った後……悟へ向かって深々と一礼をすると、小走りに玉座の間を出て行った。

 

 

「ツアレ、君はセバスの隣に居なさい」

 

 

 それを見送った悟は、次いで、唯一この場に残されている部外者のツアレへと視線を向けた。

 

 

「わ、私がですか?」

 

 

 心底驚いた様子で目を瞬かせるツアレに、悟はハッキリと頷いた。

 

 

「そうだ、君はセバスの子を宿しているのだろう? それに、わざわざ好いた男が傍に居るというのに、離れる必要はあるまい」

「い、いいんですか?」

「妻が夫の傍にいようと願う、それの何が悪いというのか……さあ、傍へ」

「は、はい! ありがとうございます!」

 

 

 1人残されたツアレは、悟の指示に従って……セバスの傍に立つ。セバスも、そんなツアレの肩を抱いて……僅かばかり目尻を下げた。

 

 

 ……周りにいるのは、軽く腕を振るうだけで己をミンチにする化け物ばかり。

 

 

 それなのに、ツアレは一歩も引いてはいない。顔は青ざめ、肩は震えていても……それでも、まっすぐ頭を上げて、前を見つめている。

 

 周りから向けられる視線が明らかに冷たいが、悟からの指示である事に加え、セバスからも睨みを利かされているので、誰も文句は言わなかった。

 

 

「……さて、だ」

 

 

 そうして、ツアレを除いてNPCたちだけが残された玉座の間にて……悟は、そっと視線を上に向ける。

 

 そこに広がるのは、かつてのギルドメンバーたちの旗。今はいない、仲間たちと築き上げた……過去の栄光の証。

 

 

(そういえば……サービス終了日も、こんな感じで懐かしみながら見上げていたっけ)

 

 

 思い返せば、あの時からどれだけの月日が流れただろうか。

 

 気持ちの上では何十年とこの世界にいたような感覚だが……正確に確認したわけではないが、実際は2年と経ってはいないだろう。

 

 

 

 ……そう、2年前は、こんな事になるなんて夢にも思っていなかった。

 

 

 

 あの時の悟は、翌日も変わりなく待ち受けている仕事の事ばかり考えていた。

 

 特権階級の生まれではない悟は、生きていく為には働く必要がある。そして、『リアル』において命を削らない仕事はそう多くはない。

 

 世界が環境汚染によって崩壊し、教育制度も崩壊した。中学校はおろか小学校すら出ていない者は多く、小学校を卒業している悟は、なんとかそういう仕事に有り付くことが出来ていた。

 

 けれども、それで平穏な暮らしを得られているかといえば、そんな事もない。

 

 あの世界……いや、『リアル』はもはや、死の世界だ。

 

 草木は死に絶え、水は汚染され、空気には毒が入り混じる……正しく、終末という言葉がふさわしい世界になっていた。

 

 

 そんな世界で生きられる生命などいやしない。

 

 

 けれども、それでも生きようとする人間は……同じ人間を犠牲にすることで、なんとか生き長らえていた。

 

 様々な事情から学校に行けなかった者は、それこそ一部の者たちを生かす為の燃料として死ぬまで扱き使われ。

 

 悟を始めとして、まだ使える人材は、それより少しばかりマシだが、同様に燃料として扱き使われ。

 

 誰も彼が、ひっそりと死んでゆく。

 

 己もまた、そんな者たちの一人になるのだろう……そう、漠然と諦めていた。

 

 

(あの時はログアウトされていないって思って、最後の最後にまたかよクソ運営って溜め息吐きながら苛立っていたっけ……懐かしいなあ)

 

 

 それが今、こうして『オーバーロード』という怪物の身体を持ってこの世界……『リアル』とは異なる世界にいる。

 

 

 どうして? 

 

 どうやって? 

 

 何も分からない。

 

 

 この世界においては圧倒的強者に成ってはいるが、結局は何一つ分からないまま……二度目の終わりを迎えようとしている。

 

 

「……我がナザリックの忠実なる僕にして、仲間たちが作り出した僕たちよ……私は、これからお前たちにある魔法を掛けようと思っている」

 

 

 ──そう思えば、コレはあの時の続きなのかもしれない。

 

 

 そう、悟は思った……が、しかし。

 

 

 ──あの時とは違う……とも、悟はハッキリと思った。

 

 

 あの時は、何も知らなかったのだ。

 

 仲間たちがどうしてユグドラシルを離れ、ナザリックから離れたのかを……ただ、ゲームに飽きたのだとばかり思って……いや、違う。

 

 勝手に、そう思い込んでいただけだ。

 

 居なくなったという事実に目を向けたくなくて、只々理由を遠ざけていただけ。怖がって、己の殻に閉じこもって、いじけていただけであった。

 

 

「その事で、お前たちは……あくまでも可能性の話だが、お前たち自身が忘れている事……そう、今はもういない皆の事を思い出すかもしれない」

 

 

 だが、今は違う。

 

 何もかもが手遅れになってしまった後だが、知る事が出来た。

 

 全員がそうでなくとも、どんな形であれ、仲間たちは『ナザリック』を愛していた。

 

 様々な事情で離れる結果になろうとも、それでも……想ってくれていたのだ。

 

 

「だが、そうならない可能性もある。あるいは、何かしらの異常を来たす場合も0ではない」

 

 

 だから、もう悟は迷わない。

 

 たとえ、NPCたちから『なんて事をしてくれたのだ!』と恨まれる結果になったとしても……それでも、何も知らないまま終わるのだけは……悟自身、嫌だったから。

 

 

「なので、これから3分待つ。不安を覚え、魔法を受けたくない者は手を上げろ。望むのであれば、そのまま魔法を掛けられるまで待っていてほしい」

 

 

 だから……そう、だから。

 

 

「……色々と思うところはあるが、出来るならばデミウルゴスとマーレも復活させたうえで行いたかったが……あいにく、レベル100を二人も復活させるとユグドラシル金貨が心もとなくなるのでな……諦めてほしい」

 

 

 悟は……ゆっくりと、未使用の『流れ星の指輪』が装着された指を掲げると。

 

 

「『I Wish──』」

 

 

 悟は、願った。

 

 良い方だけではないし、悪い方だけでもない。

 

 どちらも全て、かけがえのない悟の仲間たちなのだ。

 

 一時的でもいい、NPCたちのカルマ値をニュートラルに戻し、そして……NPCたちが忘れている、仲間たちの事を思い出してほしい。

 

 ただ、それだけを願い──強く、悟は願った。

 

 

「──あっ」

 

 

 直後、出現した魔法陣と共に輝き出した悟の身体……その光が指先に集まり、パッとひと際強く弾けて──その、瞬間。

 

 ぱきん、と。

 

 指輪がひび割れ、砕けて床に落ちた。

 

 反射的に屈んで確認した悟は……指輪に刻まれた流れ星のマークが全て消えているのを見て、3回分の願いが消費されたことで役目を終えたのだと察した。

 

 

 幸いにも、悟自身のレベルは下がってはいないようだ。

 

 

 どうやら、願いの内容に応じて自動的に経験値を注ぎ込むようになっているようで、必要以上は消費されないようだ。

 

 以前、シャルティアの時に使用した時は1回分だが……アレは、通じないと魔法そのものが判断した結果、最低分の1回分だけ使用……っと、考えるのは後だ。

 

 

(どうだ……?)

 

 

 立ち上がった悟は、改めてNPCたちの様子を伺う。

 

 

 困惑気味に目を瞬かせる者。

 

 何かを堪えるかのように頭を抱える者。

 

 固く目を瞑って唸っている者。

 

 周囲を見回し、狼狽している者。

 

 

 反応は、多種多様。全く無反応な者もいれば、遠目にもわかるくらいに分かり易い反応をしている者もいる。

 

 

「──セバス様!?」

「う……大丈夫、大丈夫ですよ、ツアレ」

「本当ですか? 少し、横になられては……」

「大丈夫です、これは……大丈夫ですから」

 

 

 その中には、ツアレに支えられる形で少しばかりふらついているセバスの姿もあった。

 

 

 ──上手くいったのか。

 

 ──それとも、駄目だったのか。

 

 

 セバスの反応だけでは、成功なのか失敗なのかは分からない。

 

 パンドラに確認しようにも、そのパンドラも……夢うつつ、心此処に在らずといった様子でぼんやりしていて、声を掛けても今一つ反応が鈍い。

 

 

(……失敗か?)

 

 

 それなら、それでもいい。

 

 けれども、何かしらの状態異常でも引き起こしていたら問題だ。

 

 最悪、『使用済みの流れ星の指輪(残り2回分)』を使い、1レベルダウンを覚悟して元に戻さなければ。

 

 そんな思いで、アイテムボックスから『流れ星の指輪』を取り出そうと──した、その瞬間であった。

 

 

 

「──ぁ、ぁあ、あああああ!!!!!」

 

 

 

 突如、悲鳴を上げて列から飛び出したのは……アウラ。

 

 顔中から汗が吹きだし、涙を流し、遠目にも分かるくらいに異常を露わにしている彼女は……凄まじい勢いで『玉座の間』を飛び出して行った。

 

 

「アウラ──っ!?」

 

 

 止める暇はおろか、追いかける事も出来なかった。

 

 なにせ、アウラは守護者の中でもトップクラスの素早さを誇るレンジャーだ。

 

 (アインズ)の倍以上の素早さであり、不意を突いても追い付けない程に素早いのだ──っと、その時。

 

 

(──シャルティアも?)

 

 

 次いで、規則正しく並んだ列から飛び出して駆けだしたのは、シャルティア。まさかの二人目に、誰もが反応出来なかった。

 

 一瞬しか見えなかったので確証はないが、その顔はアンデッドなのに青ざめて見えて……至高の御方の前だというのに、脇目もふらず『玉座の間』を飛び出して行った。

 

 

 ……いったい、二人に何が? 

 

 

 色々な事態を想定していた悟も、これは予想外。頼りになるパンドラも動けなくなっている以上、どうしたものかと迷って──っと。

 

 

「────っ!!!!!」

 

 

 二度ある事は、三度ある。

 

 前触れもなく、いきなり……今にも息を引き取りそうなぐらいにか細い悲鳴を上げたアルベドは、シャルティアと同じく脇目もふらずに列を飛び出し、『玉座の間』を出て行った。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………って、呆けている場合じゃない! 

 

 

「『八肢刀の暗殺蟲(エイトヘッジ・アサシン)』! 急いで三人を追い掛けろ!」

 

 

 反射的に、悟は命令を下す。

 

 直後、今まで気付かなかった気配が存在感を示し、自分から遠ざかって行くのを確認した悟は、深々とため息を零し──。

 

 

『──アインズ様、三人を見付けました』

 

「え、はやっ」

 

 

 すぐに、引っ込めた。

 

 まあ、転移ではなく走っての移動だし、明らかに様子がおかしかった事に加えて、壁をぶち破って移動しているわけでもない。

 

 開けた場所だと逃げられるが、通路を通って移動しているのであれば、とりあえずは追い付けても不思議ではない。

 

 

「それで、三人は何処へ?」

『──アウラ様は、6階層の『大森林』に。アルベド様とシャルティア様は、第9階層の『ロイヤルスイート』にいらっしゃいます』

「6階層と9階層? どういうことだ?」

『アルベド様は自室に。シャルティア様はペロロンチーノ様のお部屋に。アウラ様は、『大森林』にあるご自宅へと入りました』

「……2人はなんとなく分かるが、シャルティアはどうしてペロロンチーノさんの部屋に?」

 

 

 シャルティアの意図が分からなかった悟は、思わず首を傾げた。

 

 アルベドとアウラの方は、分かる。反応はおかしかったが、混乱のあまり自室へと戻った……まあまあ、あり得る話だ。

 

 けれども、シャルティアの部屋は9階層には無い。

 

 普段の反応から考えれば、邪な気持ちで向かったと考えるところだが……それにしては、様子がおかしかった。

 

 

 ──ちょっと、様子を見に行こう。

 

 

 そう判断した悟は、『玉座の間』に居る全NPCに聞こえるよう、声を張り上げた。

 

 

「これから私は急用で席を外す! 緊急の用が無い限りは呼び出さないように!」

 

「それと、お前たちの混乱は理解出来る。だから、私の指示があるまでは各自の自由時間とする! 以上、解散!」

 

 

 とりあえず、最低限の指示を下し……走って、急いで9階層へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

 





モモンガ様が地獄の中をさまよい歩いているのだ

忠実なる下部達もまた、地獄をさまようのが誉というものよ


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最終局面: シャルティア・ブラッドフォールン

 

 

 

 

 ──まずは、位置的に近い方にあるペロロンチーノの私室へと向かう。

 

 

 

 見やれば、ペロロンチーノの部屋の扉は開けたまま放置されており、その前で『八肢刀の暗殺蟲』が困った様子で待っていた。

 

 

『アインズ様、すみません。我々では、勝手に至高の御方のお部屋に入室して良いのか分からず……』

「いや、かまわん。ここは私に任せて、アルベドとアウラの方を監視してくれ」

『はい、わかりました』

「ああ、それと、二人とも一応は女性だからな。外からの監視に留め、異変が起きない限りはそのままでいい」

『はい、アインズ様!』

 

 

 意気揚々と移動を始め(同じ階なので、大した距離ではないけど)る『八肢刀の暗殺蟲』を見送った悟は……改めて居住まいを正すと、ソッと……室内を覗いた。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………中には、シャルティアが居た……が、様子がおかしい。

 

 

 どういうわけか、部屋の中央にて座り込んで、こちらに背を向けたままでいる。悟の来訪に、振り返る様子もない。

 

 それ以外にも、想定していなかった事が起こっている。

 

 それは、座り込んでいるシャルティアの傍の床。大きさにして15センチ四方の穴が空いており、傍には蓋と思わしき部分も置かれていた。

 

 

 ……断言しよう、前に室内を入念に調べた時、そんな穴は無かった。

 

 

 まさかの、隠し穴(?)である。

 

 おそらく、相当に念入りに隠ぺいされていたのだろう。魔法的なモノではなく、見え難く分かり難い、視覚を騙すような隠し方だと推測出来る。

 

 いや、そりゃあ、各自室はよほどヤバい(たとえば、BANされるような行為)事をしない限りは自由ということになってはいる。

 

 けれども、悟の目から逃れるぐらいの隠し方となると……おそらく、プログラムやデザイン能力に長けたメンバーに頼み込んだのだろう。

 

 そこまでして念入りに隠そうとしたナニカも気にはなるが……今はそちらよりも、こちらに背を向けたままでいるシャルティアの事だ。

 

 

「──入るぞ、シャルティア」

 

 

 とりあえず、黙って入るのもなんなので、いちおう声は掛ける。

 

 シャルティアのステータスならば、声を掛けなくても気付いているはずだが……そのシャルティアは、変わらず背を向けたままだった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………なんだろう、めっちゃ気まずい。

 

 

 寝息を立てているとか、何かに熱中しているとか、そういうリアクションがあるならまだしも、こうまで反応がないと困る。

 

 元々、悟はギルド長を務めてはいても、自ら提案するより、提案された事を調整する、内向きタイプの人間だ。

 

 相手がNPCとはいえ、いちおうは女性にあたるシャルティアが、何も反応を示さずに俯いているのを前に……気の利いた言葉なんて思いつくわけが無かった。

 

 

「シャルティア、どうしたんだ、いったい?」

 

 

 とはいえ、何時までもこうしているわけにもいかない。

 

 正直、他へ行きたくなったが、ここで後回しにするのは……そう思った悟は、勇気を出して……その、小さな肩に手を置いた。

 

 

「シャルティア、せめて返事くらいは──っ!?」

 

 

 そうして、気付く。

 

 ゆるゆると力無く振り返ったシャルティアの目からは、大粒の涙が……それこそ、滝のように流れ落ちていることに。

 

 

「……泣いているのか?」

 

 

 見たら、分かる。

 

 これで分からなかったら、そいつは頭になにかしらの問題を抱えているだろう。

 

 けれども、気付けば悟は改めて尋ねていた。

 

 それぐらい、悟の中でイメージしていた『シャルティア』と、眼前のシャルティアとが一致しなかったからだ。

 

 

「アインズ様……」

 

 

 そう、ポツリと返されたシャルティアの声には、やはり力は無い。いや、声どころか、全身から活力が消え去っているように見える。

 

 とてもではないが、コレが、その気になれば何百人を数分でなぶり殺しに出来る恐ろしい怪物には見えないだろう。

 

 

「……とにかく、まずは立ちなさい。そうだな、そこのベッドへ座りなさい」

 

 

 とにかく、床に座り込んだまま話し合うのも変な話だ。

 

 ゆっくりと……本当に小さく華奢な手を引いて立ち上がらせ、その手に見合う小さく華奢な背中を押して……ベッドに座らせる。

 

 そうして、改めて見ると……ゴシックロリータな衣服も相まって、正しく儚い令嬢といった印象を悟に与えた。

 

 

 ……なるほど、と。

 

 

 普段が普段の印象だし、人を餌程度にしか思っていないのが透けて見えていたので気付き難いが……さすがは、ペロロンチーノが心血注いで作ったNPCだ。

 

 そういう趣味が悟にはないが、それでもハッと目を見張る美しさが、そこにはある。

 

 なんとなく、『シャルティアは俺の嫁!』と事あるごとに自慢していたペロロンチーノの気持ちをうっすら理解した悟は……そっと、シャルティアの隣に腰を下ろした。

 

 

「シャルティア、私が傍に居ては嫌か?」

 

 

 そうしてから、改めて尋ねる。

 

 そもそも、ここへ来たのはシャルティアたちがいきなり『玉座の間』を出て行ったからで、『星に願いを』が思ったように発動しているのかすら分かっていないのだ。

 

 なので、ここで嫌だと言われたら素直に出て行くし、嫌と言われた時点で何かしらの変化が起こっているのが悟には分かる。

 

 

 正直、泣いているシャルティアを放置するのは嫌な感じがする。

 

 

 けれども、『覚悟も無しに、女が涙を流している時に近付くと、面倒臭い事になるよ』という数少ない女性ギルド員のお言葉を思い出した悟は、その選択を取る事にした。

 

 どちらを選んでも、とりあえずは……最悪、そんな気持ちで尋ねた……わけなのだが。

 

 

「アインズ様……聞いても、よろしいですか?」

 

 

 まさか、質問したら、それ以外の質問で返答されるとは思って……まあ、いいか。

 

 

「構わない、私が答えられる事ならば、全て答えよう」

 

 

 この状況で何を聞かれるのだろうか。

 

 ちょっと不安に思う悟を他所に、未だうっすらとだが涙を流し続けているシャルティアは、静かに数回……大きく深呼吸をした後。

 

 

「ペロロンチーノ様は……ご存命なのですか?」

 

 

 そう、まっすぐに悟の……骸骨の眼孔を見つめながら、はっきり尋ねた。

 

 

 

「      」

 

 

 

 その瞬間。

 

 悟は、頭の中が空白となり、何も考える事が出来なかった。

 

 抑制は働いている。けれども、あまりに振り切ってしまった心の動きの前では、たかが抑制機能では抑えられるわけがない。

 

 

 己が今、何を尋ねられたのか。

 

 なぜ、シャルティアがそれを知っているのか。

 

 

 様々な疑問がフッと脳裏を過っては、通り過ぎてゆく。

 

 呆然と……幾度となく繰り返される抑制の感覚を認識しながらも、何も言えないでいる悟は……しばしの沈黙の後で。

 

 

「……どこで、その事を?」

 

 

 辛うじて……それだけを絞り出すようにして口にするのが精いっぱいで。

 

 

「……っ、~~っ、──っ」

 

 

 そんな悟の返答で、知りたかったことを察したシャルティアは……堪えようとした涙を抑えきれず、再びポロポロと大粒の涙を零し始めたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ペロロンチーノ様はよく、この部屋で私に語りかけてくれました」

 

 

 シャルティアが、そう語り出すまで……あまり間を置かなかった。

 

 

「私にはよく理解出来ませんでしたが、『リアル』というのはよほど苛酷な世界なのですね。そのような事を、よく仰っておりました」

 

 

 まだ涙は止まっていないが、それでも、シャルティアはポツポツと語りを続ける。

 

 

「本当に……本当に、色々な事をお話されました」

 

「多かったのは、ペロロンチーノ様の姉君であらせられる、ぶくぶく茶釜様のこと。何かをされたとか、命令されたとか、そういう話でしょうか」

 

「次に多かったのは、至高の御方たちが作り上げた『ナザリック』のこと。どれが一番多いのかは分かりませんが、アインズ様の事もよく話されました」

 

「そうそう、『リアル』の仕事についても色々話されました。なにやら、『あるばいと』なる者が不正を働いて、尻拭いが大変だったとか」

 

「他には……ペロロンチーノ様がよく口にしていた『えろげー』というモノについてでしょうか」

 

「詳しくは知りませんが、いわゆる、殿方が好まれる道具なのでしょう? アレは良かった、コレは駄目だった、新しいのを一つ買っては、その度私に感想を話されました」

 

 

 他にも、他にも、他にも。

 

 

 シャルティアの語る『ペロロンチーノ様のお言葉』というのは、些細な内容ばかりであった。

 

 悟から見れば、愚痴にしか思えない事でも、シャルティアにとっては何物にも代えられない事ばかりなのだろう。

 

 

「ペロロンチーノさんは、いつもシャルティアに話しかけていたのか?」

 

 

 あまりにも嬉しそうに、楽しそうに語るその姿に、思わず悟は尋ねていた。

 

 

「──はい、とっても。特に、あの日……大勢の人間が押し寄せてきた日の後、特にたくさんのお話をされました」

 

 

 すると、シャルティアは……アンデッドであるはずなのに、まるで太陽をその身に宿しているかのように……朗らかな笑みを浮かべた。

 

 

「それは、攻めて来た人間への罵倒や愚痴か?」

「いいえ、違います。むしろ、ペロロンチーノ様は攻めてきた事を喜んでおられました」

「……その事に、お前は不満を抱かなかったのか? 殺されたのだろう?」

「……どうしてですか、アインズ様。ペロロンチーノ様もそうですが、皆様はとても喜んでおられましたし、楽しんでおられました」

 

 

 ──喜ばしくも、楽しくもなかったのですか? 

 

 

 そう、まっすぐ尋ねられた悟は、静かに首を横に振る。

 

 途端、「ええ、ええ、本当に、皆様楽しんでおられて……!」シャルティアは嬉しそうにクイッと背筋を伸ばした。

 

 

「残念ながら、私は何も出来ないまま殺されてしまいましたが……それでも、お優しいあの方は、よく頑張ったなと私を慰めてくれました」

「……辛くはなかったのか?」

「いいえ、まったく。だって、私はペロロンチーノ様の為に生まれたのですから。あの御方が喜んでくださるのであれば、二度、三度、四度、殺されることだって本望でございます」

「そうなのか?」

「はい、そもそも、私は人間を憎み、蔑み、殺す事を望まれて生まれたわけではありませんもの」

「ん? そうなのか? ペロロンチーノさんの話だと、かなり残虐的な性格だと設定されていたような覚えが……」

 

 

 首を傾げる悟に、シャルティアはほんのり笑みを浮かべた。

 

 

「確かに、そのように私は作られました。ですが、そのように作られたからといって、そのように振る舞えとは望まれてはいませんでした」

「……?」

「私は、残酷で冷酷で非道で……そして、可憐な化け物である事を望まれましたが、だからといって、悪戯に命を摘み取れ等とは望まれておりません」

 

 

 その言葉と共に、シャルティアはフワッとベッドから降りて……クルクルと回転し、膨らんだスカートのフリルをはためかせて……ピタリと、悟へ向き直るように止まった。

 

 

「ペロロンチーノ様が私に望んだのは、只一つ」

「……『シャルティアは、俺の嫁!』か?」

「はい、私は、ペロロンチーノ様のお嫁さん、それだけなのです」

 

 

 にっこりと、シャルティアは満面の笑みを浮かべた。

 

 

「全ては、あの御方が望み喜ぶのであればこそ、槍を振るい暴虐を尽くすのです。必要でないのであれば、ソレを振るう必要などないとは思いませんか?」

「む、それは、そうだな」

「そうなのです、私の力は全て、ペロロンチーノ様の為にあるのです。それ以上でも、それ以下でもございません」

 

 

 そこで……シャルティアは言葉を止めて……また、涙を零す。

 

 

「だからこそ……私は、苦しみ悩むあの御方を眺めるだけの日々が、身が引き裂かれるよりも辛かった」

 

 

 そうして、ゆっくりと……片手を広げる。

 

 

「尊きあの御方が、自らの死がもうすぐやってくる事を私にお伝えした時……なにも、不安で怯えるその心を慰めて差し上げることが出来なかった」

 

 

 そこには、小さな……悟にとっては写真でしか見た事がないそれは、『口紅』というやつだった。

 

 

「ぶくぶく茶釜様が体調を崩された事に、お辛くなられていたあの御方を抱き締めてあげる事が出来なかった。その苦しみの一端を担って差し上げることすら出来なかった」

 

「──きっと、とても綺麗だと」

 

「『きせいかんわ』なる変化が起きたら、是非とも塗ってやりたいと私に送ってくださったのに、私は最後までコレを塗った姿を見せてさしあげられなかった」

 

「叶うならば、綺麗だと思ってくださった姿で、あの御方を抱き締めてさしあげたかった」

 

「あの御方が『ナザリック』を去られる時も、その背中に縋りつきたかった。動かない身体が引き千切れたとしても、構わなかったのに」

 

「ほんの一瞬でもいい、ペロロンチーノ様の苦しみが和らいでくれるのであれば……それだけで、私は……それだけで、良かったのに……!」

 

 

 そこまで話した辺りで言葉を止めたシャルティアは……グイッと、悟へと身体をぶつけんばかりに顔を近付けた。

 

 

「アインズ様、教えてください」

 

「どうして私は、今の今まで忘れていたのですか?」

 

「今だから、分かるのです」

 

「『玉座の間』でアインズ様が私たちに掛けてくださった魔法」

 

「アレのおかげで、私の頭の中にあったモヤが晴れました」

 

「晴れるまで気付かなかったモヤが晴れて、見えなかったモノが見え、忘れていた事を思い出しました」

 

「私は、取り返しのつかない罪をいっぱい犯してしまいました」

 

「失った命は回帰しない。奪ってしまった命は元には戻せない。私の両手は、数多の尊厳を踏みにじりました」

 

「でも……それでも、嬉しかった」

 

「それはとても苦しく、胸が張り裂けそうな程に辛い事ではありましたけど」

 

「それ以上に……あの御方との掛け替えのない日々を思い出させてもらえた事が、私には嬉しい」

 

「そうです、私は嬉しいのです。だからこそ、怖いのです」

 

「また、忘れてしまうと」

 

「また、モヤが掛かって何もかも見えなくなってしまうと」

 

「それが何よりも恐ろしい」

 

「あの御方の事を忘れ、何も出来なかった己を忘れ、白痴の吸血鬼として振る舞うようになるのが」

 

「愛しきペロロンチーノ様も望まぬ暴力を振るい、その事に私は喜び、積み重ねる死体を前に悦に浸る」

 

「そんなのは、お嫁さんではありません。私は、ペロロンチーノ様のお嫁さんなのでございます」

 

「お願いします、アインズ様」

 

「どうか、私を私のままに留めておいてください」

 

「あの御方の事を胸に、最後を迎えさせてください」

 

「あの時出来なかった事はもう、何一つ挽回出来ないけれど」

 

「それでも、あの御方の思い出と共に逝きたいのです」

 

「どうか……アインズ様、どうか……!!!」

 

 

 全てを言い終えたシャルティアは、その言葉と共に……悟へと土下座をした。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………その姿を黙ったまま見つめていた悟は……そっと、シャルティアの肩に手を置いた。

 

 

「シャルティア……不甲斐ない私を恨んでもらって構わない」

「──アインズ様」

 

 

 驚いて頭を上げたシャルティアに、悟は……涙が出てこない眼孔を向けた。

 

 

「おそらく、今のお前がソレを自覚出来ている時間は、そう長くはないだろう」

「…………」

「せいぜい、数日だ。そして、その数日を終える前に……お前は死ぬ」

「…………」

「だが、お前だけではない。死ぬ時は私も……私たちも一緒だ。大丈夫、寂しいのは一瞬だ」

「──アインズ様?」

 

 

 敬愛する相手から飛び出した言葉に、思わずシャルティアは立ち上がり──だが、その前に、悟より差し出された衣服一式を見て、目を白黒させた。

 

 

「これは?」

 

 

 見覚えのない衣服やら何やら。

 

 見たところ、優れた装備には見えないそれに、シャルティアは首を傾げた。

 

 

「それは、ペロロンチーノさんが、おそらくはシャルティアの為に用意していたモノだ」

「──っ! ペロロンチーノ様が?」

「その口紅から想像する限り、規制緩和で口紅が付けられるようになった時に渡すつもりだったのだろう」

「これを……私が?」

「受け取ってくれ。その方が、ペロロンチーノさんも喜んで──」

 

 

 それ以上、悟は言えなかった。

 

 

「──受け取れません! 私にはもう、受け取る資格がございません!」

 

 

 それ以上を告げるよりも前に、悟の手に返されてしまったからだ。

 

 あまりの剣幕に思わずたじろぐ悟を他所に、シャルティアはまるで全てから耳を塞ぐように……その場にしゃがんで、俯いてしまった。

 

 

「だって、私はもう……ペロロンチーノ様が愛したシャルティアではありません。ただの、血に飢えた怪物なのでございます」

「シャルティア……」

「あの方が愛した者たちを守るためではありません。ただ、己が楽しむ為だけに……悪人を含めて、いったいどれだけの命を足蹴にしたのでしょうか」

「…………」

「そんな私が、そのようなモノを受け取れるはずがありません。もう、ペロロンチーノ様が愛したシャルティアでは──」

 

 

 シャルティアは、それ以上己を罵倒出来なかった。

 

 

「──それは違う! シャルティア、それだけは違う!!!」

 

 

 何故なら、それ以上の悟の大声によって、掻き消したからだ。

 

 

「たとえ、どれだけその身が血に汚れようとも……これは、お前だけの花嫁衣装なのだ」

「花嫁……アインズ様、私は……」

「お前が、自分を許せないのは仕方がない。だが、愛を疑うな。ペロロンチーノさんの愛を、お前だけは……信じてやってくれ」

「………………」

 

 

 無言になるシャルティアに、再び差し出される花嫁衣装。

 

 それを、今度は受け取ったシャルティアは……また、涙を目尻に浮かべると、それに顔を埋め……すんすんと泣き始めた。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………小さな背中を見下ろした悟は、しばしの間……思い出に浸ると、そっと……この場を後にするのであった。

 

 




自我を持つNPCってのは難しいよね、塩梅がね


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最終局面: アルベド

なんだろう、この勝利者などいないオーバーロードは……

今更だけど、オリ設定多々だからね注意要


 

 

 

 ……正直に言おう。

 

 

 

 部屋の片隅……そこに、ナニカを抱えるようにして蹲り、背中越しにも嗚咽を漏らしているのが分かる、その姿を見た時。

 

 

 ──これは、俺の知っているアルベドなのか、と思った。

 

 

 それは、単純に泣いているからではない。

 

 悟がそう思った理由は他でもなく……その、実物よりも小さく見える頼りない背中だ。

 

 そう、まるで、取り返しのつかない事を仕出かしてしまった子供のような背中。

 

 

 悟は、知っている。アルベドもまた、ナザリックの中では2人といない、極悪極まりないNPCであることを。

 

 

 かつて、初めてこの世界の人間と応対した時も、そうだった。

 

 アルベドは、一切の躊躇なく人間を殺そうとした。

 

 危険だからとか、逆らったからだとか、そんな理由ではない。

 

 

 

 ──(アインズ)に対して頭を垂れず、不敬な態度を取ったから。

 

 

 

 たったそれだけの理由で、アルベドは殺そうとした。アルベドにとって、人間などその程度の価値でしかなかったのだ。

 

 

 とはいえ、それを今さら責める気持ちにはならない。

 

 だって、その時の悟も、似たような感覚だったからだ。

 

 

 違うのは、生意気だと苛立って殺意を抱いたか、傍の羽虫を手で払う程度の感覚だったか……その程度の違いでしかなかった。

 

 たとえ相手が傷を負い、まともに受け応え出来ない状態だった村娘(エンリ・エモット)だとしても、同じだ。

 

 そんな怪我をしていたら、話そうと思っても話せないよな……と、客観的に考えられたから、そう動けただけの事。

 

 あの時、アルベドと同じように苛立っていたら……おそらく、何の気負いもなく、その頭を握りつぶしていただろう。

 

 

 人が、パッと目についた蠅を、無造作に叩きつぶす程度の感覚で。

 

 

 アルベドに限らず、ナザリックのNPCたちにとってそれが当たり前なのだ。そして、それが出来る力を持っていて、それを行使する事に欠片のためらいもしない存在であった。

 

 

「アルベド、『玉座の間』を飛び出して、何かあったのか?」

 

 

 そんなアルベドが、泣いている。

 

 シャルティアの時と同じく、その背中に声を掛ける。

 

 すると、ビクッと肩を震わせたアルベドは、さらに身体を丸めるようにして蹲ってしまった。

 

 それは、まるでナニカを隠すかのように……悟の視線から少しでも逃れられるようにと言わんばかりの動き。

 

 よくよく見やれば、アルベドの腹部の辺りから、ボロボロの……何かの布と思わしき物体が零れ出ている。

 

 元は、鮮やかな色合いだったのだろう。

 

 けれども、長らく放置されていたのか、それとも雑に扱われていたのか、遠目にも分かるぐらいに埃まみれで汚れている。

 

 

(……ああ、なるほど)

 

 

 いったい、何を隠しているのか……少しばかり見え難かったが、ちょっと目を凝らせばすぐに分かった。

 

 

 

 ──それは、ギルドの旗だ。

 

 

 

 NPCの誰もが敬意を表す、『アインズ・ウール・ゴウン』の紋章旗。それは正しく、ナザリックの象徴。

 

 それが、どうしてそこまでボロボロになっているのか……考えるまでもない。

 

 

 ──アルベドは、『至高の御方』を嫌っているのだ。

 

 

 もしかしたら、ナザリックそのものを嫌っているのかもしれないが……まあ、どちらでもいい。

 

 とにかく、アルベドは嫌っている。至高の御方と呼ばれているみんなの事を、嫌悪している。

 

 そんなアルベドにとって、ナザリックの至る所に設置されている紋章旗なんぞ、壁に貼り付いたゴキブリも同然なのだろう。

 

 おそらく、視界に入るだけでも苛立っていたはずだ。それこそ、苛立ちのあまり破り捨てたくなるぐらいに。

 

 

(……まあ、守護者用に割り振られている部屋って、大きさの違いはあるけど、紋章旗とか飾られていそうだしな)

 

 

 ──シャルティアの部屋はどうだったっけ? 

 

 

 そんな感じで思い返しながら……他人事みたいな内心の言い回しだが、無理もない。

 

 なにせ、作られる過程で色々見せてもらう機会はあったが、そんなのは何年も前のことだ。

 

 正直、各守護者の部屋なんてどんな感じだったか全く覚えていない。せいぜい、自分の作ったNPCのことぐらいだろうか。

 

 そして、悟のNPCは特定の部屋は持たず、それに当たる場所はナザリックの宝物殿……ある意味、共用スペースを私室としても利用して……っと、話を戻そう。

 

 紋章旗の件だが、いくら守護者統括の立場にあるアルベドとはいえ、粗末に扱う姿を万が一誰かに露見してしまえば只ではすまない。

 

 

 間違いなく、守護者統括の立場を追われる。

 

 何故なら、ナザリックにおけるヒエラルキーは、『至高の御方』か、それ以外なのだ。

 

 

 アルベドでも、絶対的最上位の象徴を粗末に扱えば、それは反逆の証。間違いなく、ナザリックNPC総出での粛清が行われるのは確定である。

 

 だから、アルベドは……自室の中にある旗で、それを行ったのだろう。

 

 破損させなかったのは、そこまでするつもりでもなかったのか、あるいは、そんな事に労力を注ぐことすら嫌だったのか。

 

 どちらにせよ、粗末に扱っているのは同じ事で……しかし、だ。

 

 

「……アルベド、どうして泣いているのかを教えてくれ」

 

 

 位置的に、ベッドしか座る場所がなかったのでそこに腰を下ろし……改めて、悟は尋ねた。

 

 アルベドが、紋章旗を粗末に扱っている。

 

 その程度は、悟にとってはどうでも良い事だ。

 

 だって、嫌っているから。

 

 嫌っている相手の象徴を、気が休まるはずの自室にまで設置されていたら……そりゃあ、粗末に扱っても不思議ではない。

 

 

「先に言っておくが、私はおまえがソレを粗末に扱ったこと事態を責めているわけではない。ただ、涙の理由を知りたいだけなのだ」

 

 

 けれども、悟はその事を許した。

 

 

「怒るつもりもないし、その気もない。私はおまえの全てを許そう……だから、真実を……その涙の理由を教えてくれ」

 

 

 だって、悟が言えた義理ではないから。

 

 そりゃあ、悟とて毎日『ユグドラシル』にログインして、『ナザリック地下大墳墓』を維持する為にクエストを行っていた。

 

 

 だが、それだけだ。

 

 

 ログインするのが悟だけになった頃にはもう、ゲームとしては末期……実プレイヤー数の減少が顕著になっていた。

 

 ソロプレイを前提にした構成をしていない『モモンガ』では、高難度クエストに単身で挑むのは自殺行為も同じ。

 

 しかも、その高難度クエストすらも、過去に何度か行われたイベントの復刻版だ。

 

 つまり、始まるストーリーも、出て来るモンスターも、熟知している。真新しさなんて、まったくない。

 

 結果、ギルド維持の為に効率的なデイリークエストと、惰性的に割りの良いモンスターを狩るだけの日々。

 

 

 

 楽しかったか? 

 

 

 そんなわけがないだろう。

 

 

 

 本当に……本当に、退屈だった。

 

 只々、無味無臭のガムを噛み続けるかのような繰り返しだった。

 

 そもそも、だ。

 

 悟は独りでゲームをやりたかったのではなく、仲間たちと一緒にやるゲームをやりたかったのだ。

 

 

 ただ、『ユグドラシル』に。

 

 ただ、『ナザリック』に。

 

 ただ、『アインズ・ウール・ゴウン』に

 

 

 費やしてきた年月、積もった数々の思い出、己の生きがいとなっていた……過去の未練が、悟の足を止めていた。

 

 

 そんな悟が、今さらアルベドの所業を怒る? 

 

 自分の事を棚に上げて? 

 

 

 NPCが自我を持つだとか何だとかは関係ない。己もまた、その程度にしか覚えていなかったのだから。

 

 

「……アインズ様、違う、違うのです」

「何がだ?」

「私、私は……こんな事、したかったわけじゃないのです」

「……知っているさ、それぐらい」

 

 

 だから……客観的には支離滅裂な言い訳に思える言葉でも、悟だけはそれを疑わず……ありのままに受け入れた。

 

 

「──嘘っ! そんな優しい言葉で慰めないでください!」

 

 

 けれども、肝心のアルベドが、そんな悟の想いを信じられないようであった。

 

 振り返ったアルベドの顔は涙と鼻水で汚れ、酷い有様だった。

 

 

「嘘なものか」

「嘘! 嘘です、そんなこと!」

「嘘じゃないさ、頭の中のモヤは、晴れただろう?」

「──っ!」

 

 

 シャルティアがそうだったように……そう思って尋ねれば、アルベドはビクッと肩を震わせ、視線をさ迷わせた。

 

 

「……だとしても、私が尊き御方を憎み恨み蔑んでいた事実は変わりません」

 

 

 しかし、それだけだった。

 

 

「変わらないのです。モヤが晴れたとしても、この憎悪は消えていない。私のコレは、最初からここにあったモノなのです」

「……そうか」

「だから、そのような慰めはお止め下さい……私のような愚か者なんぞ捨て置いて、どうか罰してください……どうか……」

 

 

 そう言うと、アルベドは再び蹲り……嗚咽を零し始めた。

 

 埃だらけの、ソレに顔を埋めて。真っ白な衣服や顔が汚れるのも構わず、アルベドは……只々、誰かに向かって謝罪を続けている。

 

 

(……タブラさんの作ったNPC、か)

 

 

 その、頼りない背中を見つめながら……悟は、考える。

 

 

 守護統括者・アルベド。

 

 

 その製作者は、かつての仲間たちの一人である、『タブラ・スマラグディナ』。ナザリックのギミックなどを約2割も作った功労者である。

 

 

 その性格は、真面目で凝り性のホラー好き。そして、大のギャップ萌えである。

 

 

 『リアル』が荒廃する前から流行っていたTRPGもそうだが、数々の神話にも精通している知識人であり……その拘りは、悟よりも濃い。

 

 なにせ、シャルティアという例外を除いて、残り文字数ギリギリ(しかも、ただ設定を羅列しているわけではない)までフレーバーテキストをNPCに書き込んでいるのは、彼ぐらいだ。

 

 拘りが強過ぎて容量を圧迫し、クレームを生み出したぐらいだ。

 

 この世界に来る直前、アルベドの設定を見た時など、よくもまあここまでキッチリ書き込んだと驚いたのは今もはっきり覚えている。

 

 

(『ちなみにビッチである。』……それを、俺は『モモンガを愛している。』という設定に変え……いや、待てよ)

 

 

 そうして、ふと……悟は、あの時書き加えた一文について、考える。

 

 あの時、悟はあまりにもキッチリ書き込まれていたせいで、内容は全く読んでいない。

 

 サービス終了までもう間もなくだったし、それこそ読み込むだけで時間が来てしまうぐらいの文章量だったからだ。

 

 だから、悟が辛うじて見られたのは、最後の一文……『ちなみにビッチである』のところだけ。

 

 その時は、苦笑しただけだ。

 

 見た目が清純に作られているアルベドが、実はビッチ。

 

 なるほど、ギャップ萌えのタブラさん好みだなと思ったぐらいであり、設定を変えたのも、最後だからちょっとぐらい悪さしようぜ……みたいな程度の感覚だった。

 

 

 ──けれども、だ。

 

 

 こうして、紋章旗を抱えて泣いているアルベドの背中と……己が『鈴木悟』に戻る前の、アルベドの事を思い返し……ふと、疑念が過る。

 

 

 果たして……変化は、その程度だったのだろうか……と。

 

 

 こうして、改めて客観的な感覚でアルベドの事を考えると、『アルベド』というキャラクターそのものが如何にギャップの塊であり、ホラーのお約束が詰まっているのかが見えてくる。

 

 

 まず、見た目だ。思い返すのは、アルベドの姿。

 

 ドレスの色である純白は、『清純・清楚・無垢』などのイメージが強く、何物にも染まっていない存在の象徴でもある。

 

 

 しかし、その腰に生えた漆黒の天使の翼。

 

 つまりは、黒い天使。それは『神曲』に登場する地獄の使者であり、神に反逆した悪しき天使の象徴である。

 

 

 微笑を浮かべる顔は女神の如く美しい。誰が見ても、思わず振り返ってしまうほどに、その笑みは穏やかだ。

 

 だが、腰の辺りまで艶やかな髪は黒で、獣を思わせる縦に割れた眼孔に、悪魔を象徴する山羊のような角が生えている。

 

 

 また、悟自身は実際に拝見したことはないが、真の姿となったアルベドの外見は、平時の名残すらない怪物だと教えてもらったことがある。

 

 つまりは、ギャップで、ホラーなのだ。

 

 普段は誰もが二度見するほどの美女なのに、その中身は誰もが恐怖で震え上がってしまうほどの怪物……なるほど、ホラーの定番的なキャラクターである。

 

 ……そこら辺を踏まえたうえで、だ。

 

 悟が書き替える前の、『ちなみにビッチである』。ビッチという言葉自体は、『男遊びが好きで性的にふしだらな女』というニュアンスである。

 

 

 ……しかし、それだけだろうかと、悟は考える。

 

 

 ホラー好きではあるが、神話にも精通しているタブラさんが、だ。

 

 とにかく凝り性で周りからクレームが出てもなお粘って拘りまくっていた、あのタブラさんが……フレーバーテキストの部分を、そんなありきたりなギャップで締めくくるだろうか? 

 

 

 ……そもそも、だ。

 

 

 どうして、アルベドはかつての仲間たちを憎んでいるのだろうか。

 

 アルベドだけが、どうして例外的にそんな感情を抱くのだろうか。

 

 

 だって、ナザリックの簒奪(さんだつ)を挨拶のように何度も口にする(時には、(アインズ)に対しても)NPCもいるが、それも結局はNPC。

 

 口では至高の御方など……とは言いつつも、二言目には『偉大なるナザリック』だし、(アインズ)から褒められた時は感激してしばし動けなくなっていた。

 

 

 なのに、アルベドにはそれが無い。

 

 あくまでも、その愛情も敬愛も、向けるのは悟に対して……ん、自分だけ? 

 

 

「……あ、そうか」

 

 

 そこまで考えた辺りで……悟は、気付いてしまった。

 

 アルベドが仲間たちを憎み嫌悪するようになった理由は、他でもない。

 

 己が書き替えてしまった『モモンガを愛している』そこと絡み合ってしまった、『カルマ値』がもたらす悪影響。

 

 それこそが──アルベドの今に至る原因だと……悟は気付いてしまった。

 

 

(アルベドの、『ちなみにビッチである』の一文だ。前にタブラさんがチラッと話してくれたけど、言葉って使い方によって意味合いが逆転するって……)

 

 

 それは、まだナザリックの内装をどうするか、互いに話し合っていた頃……拘りのあまり発生したクレームへの対処に動いた時のことだ。

 

 ○○は容量食い過ぎるから減らせ、いやいや○○は消せないと言い合っているタブラに、悟は……何気なく、聞いた事がある。

 

 

 ──ギミックもそうだけど、もっと簡潔にまとめないと容量を削れないのでは、と。

 

 

 すると、タブラから『分かっちゃいないね、君は』と前置きされた後で、こう言われた。

 

 

 ──いいかい、モモンガ君。言葉というのは不思議なモノで、必ずしも常に同じ働きをするわけではないのだ。

 

 ──と、言いますと? 

 

 ──例えば、『全然』という言葉は本来、否定形として使われる。全然読めない、全然駄目、といったようにね。

 

 ──はあ……? 

 

 ──しかし、全然大丈夫とか、全然OKですよ、とか、本来の使い方とは真逆なのに、ちゃんと意味が伝わるモノもあるわけだ。

 

 ──……? 

 

 ──同様に、侮蔑的や否定的な言葉でも、組み合わせや文脈の流れにおいては真逆の意味合いになる場合があるわけだ。

 

 ──はあ、そうなんですか……? 

 

 ──つまりね、私のギミックも同じなのだよ。一見、無駄なように見えるけど、ちゃ~んと色々考えているわけなんだ。

 

 ──……? よく分かりませんけど、必要だと言いたいんですね? 

 

 ──うむ、そうなのだよ。

 

 

 

(当時は、こいつ誤魔化しているだけだなって思って気に留めていなかったけど、もしも……そう、あの時の話の通りだとしたら)

 

 

 仮に……タブラが書いた『ビッチ』がふしだらで尻軽な女の意味ではなく、良い女という意味での『ビッチ』なのだとしたら。

 

 清純な見た目に対して悪魔の中身を持ち、カルマ値が悪でありながら、その性質は善性……ああ、そうなのだとしたら。

 

 

(アルベドは本来、至高の御方だけじゃない。あらゆる存在を憎悪しつつも、それ以上の愛情を抱えているような矛盾した博愛精神……そういう設定だったのではないか?)

 

 

 それなら……いや、それこそ、ギャップ萌えのタブラさんらしい文章になると悟は思った。

 

 ならば……ああ、それならば。

 

 最後の一文を『モモンガを愛している』に変えてしまったこと……それに加えて、『カルマ値』の影響が合わさった。

 

 

 全てに向けられるはずだった愛情が、悟にだけ向けられ。

 

 全てに向けられるはずだった憎悪が、悟以外に向けられ。

 

 

 それこそ、至高の御方とて例外ではなく、かつての仲間たちに向けられるようになったということに……説明が付くのでは、と。

 

 

 

 ──もちろん、全ては憶測だ。

 

 

 

 フレーバーテキストの書き換えは確かに影響しているだろうが、結局はただの一文。あれだけ書き込まれていたなら、そこまでの変化はないだろう

 

 

 けれども、だ。

 

 

 アルベドがあそこまで盲目的に(アインズ)を慕い、苛烈になったことに、カルマ値の影響があるのはもはや、疑いようがない。

 

 まあ、アルベドのフレーバーテキストを読み返さない限りは検証のしようがないけど……的外れではないだろう、そう悟は思った。

 

 

「──許そう、アルベド。私は、お前が罪だと思っている全てを受け入れ、許そう」

 

 

 だからこそ、その言葉は間違いなく悟の本心で。

 

 

「何度も、そのような事を──」

 

 

 だからこそ、カッと怒りを露わにしようとした、アルベドに対して。

 

 

「何故なら、お前は私たちを憎むのと同じぐらい、いや、それ以上に、愛しているのだろう?」

 

 

 まっすぐに、悟は告げた。

 

 

 

「     」

 

 

 

 瞬間、アルベドはポカンと呆けた。

 

 今にも噛みつかんばかりに強張っていた顔からは力が抜け、何を言われたのか分からない……思わず、アルベドの涙は止まっていた。

 

 

「何も、己を責める必要も、恥じ入る必要はない。数多の矛盾を抱えたギャップの塊、それこそがアルベドの本質だ」

「え? え?」

「それとも、まったく私たちを愛していないのか? 本当に、私たちにだけ向ける感情は、憎悪だけなのか?」

「え、その、あの……あっ」

 

 

 聡明なアルベドの思考回路が、完全にフリーズしてしまっている。只々、瞬きを繰り返すばかりで、何も……ああ、しかし。

 

 

「……良いのですか? 愛しても? 悪戯に、自らの為に、愛おしく思っていた者たちの命を摘み取って来た、私が?」

 

 

 ぽろり、と。

 

 これまでとは違う、涙。鈍い悟でも分かる変化……零れ始めたアルベドの心に、悟は力強く頷いた。

 

 

「アインズ様を……タブラ様を……至高の御方である皆様方を憎いと思っているのに、愛してもいる……そんな不敬が、許されるのですか?」

「許そう、なにもかも」

「許されるのですか? 相手が人間だとしても、言葉すら発せられない獣だとしても、至高の御方である皆様方と同じように、愛おしく思っても?」

「全てを許そう、他の誰よりも、私が許す」

「本当に、良いのですか? 今さら、そんな虫の良い話が……ああ、この手はもはや血に濡れて、償うことすら出来ないというのに?」

「良いのだ、アルベド」

「そんな、そんな事を……他の何よりも貴方様をお慕いしているのに、それなのに、他の者たちも愛しく思う気持ちを止められないのに……良いのですか?」

「……良いのだ、良いのだよ、アルベド」

 

 

 ベッドから腰を上げ、アルベドの傍へ……そうして見下ろしたタブラの娘に、悟は……そっと、その頭を撫でた。

 

 

「それこそが、アルベドなのだ。それだから、良いのだ」

「……っ! アインズ、様……!」

「だが、私も、タブラさんも……そんなお前を愛おしく思っていたのだ。だから、そう……自分を苛めてやるな」

「──っ、も、申し訳ありません、アインズ様……」

「どんなお前であろうと、私たちは変わらず愛しく思っている……どうか、それを忘れないでほしい」

「うっ、うう、ううう~~……!!!」

 

 

 それ以上、アルベドは何も言えなかった。

 

 ただ、抱えていた紋章旗に再び顔を埋め……次から次へと零れ続ける涙を流す以外、何も出来なかった。

 

 

(どうして、こうなってしまったのか……みんな、本当にみんな……ただ、『ユグドラシル』を楽しんでいただけだったのに)

 

 

 そして、その涙を拭う資格など無いと思っていた悟は……黙って、それを見つめる事しか出来なかった。

 

 

 

 



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最終局面: アウラ・ベラ・フィオーラ

 

 

 

 ──アウラ・ベラ・フィオーラ。

 

 

 

 それは、悟と仲が良かったペロロンチーノの実姉であり、ギルドメンバーの1人である『ぶくぶく茶釜』が作ったNPCである。

 

 

 アウラの性格は、悟が知る限りでは温厚で社交的、である。

 

 

 もちろん、それは人間に対して友好的というわけではないし、アウラも他のNPCと同じく、人間の命など路傍の石程度にしか考えていない。

 

 ただ、他のNPCに比べて人間への敵対心が無い(要は、危害さえ加えて来なければ放置)うえに、苦しませる事に喜びを抱いたりもしない。

 

 向こうが対話から来たなら、とりあえず対話をしようという程度には理性的であり、また、セバスのように後先考えずに手を差し伸べるようなこともしない。

 

 つまりは、冷静に己の状況を顧みる事が出来るだけでなく、むやみやたらにナザリック外の存在を害そうともしない、ある種の中立的な考えを持っているわけである。

 

 

 まあ、それでも、だ。

 

 

 失敗を重ね続けて焦燥感が積もってしまった果てに、視野が狭くなって帝国に襲撃を掛けるという暴挙に打って出てしまったあたり、ナザリックのNPCであるのは変わりない……で、だ。

 

 

 

 ──そんな、アウラの住居は、第六階層『大森林』の中にある巨大樹だ。

 

 

 

 この『大森林』はナザリックにおいて最大の敷地面積を誇り、うっそうと生い茂る木々が大半を占める、樹海とも言える場所だ。

 

 地下だというのにこの空間には空が存在し、太陽が昇るし夜空も……驚異的な話だが、つまりは昼夜が存在している。

 

 なのに、温度・室温、ともに過ごし易い状態が常時保たれており、濃厚な緑の香りと、濃い空気を感じられる場所でもある。

 

 ちなみに、この階層には闘技場もあれば蠱毒(こどく)の大穴と呼ばれる領域や巨大な蜘蛛の巣が存在し、ただ自然が溢れているだけの場所ではなかったりする。

 

 

(襲われないとは分かっていても、やっぱり怖いよなあ)

 

 

 そんな場所を、悟は……護衛にパンドラを付けて巨大樹へと向かい……そうして、到着した悟が目にしたのは。

 

 

(……俺ってば、今日だけで何人の女の子を泣かせているんだろうか)

 

 

 巨大樹の中をくり抜いて作られた部屋の奥。おそらく、アウラとマーレの寝室だと思われるそこに……アウラは居た。

 

 頭から毛布を被っているので、背後からは分からない。だが、毛布越しに聞こえてくる声は、間違いなくアウラのものだった。

 

 

 まあ、仮に泣いていなくとも、悟には分かっただろう。

 

 

 なにせ、ナザリックのNPCは本来全て同格ではあるのだが、さすがに階層守護者と、配備されているモンスターとでは、格が違う。

 

 大森林の中ではチラホラ姿を見せたモンスターも、巨大樹に近付くに連れて激減し、巨大樹だけはまるで見えない壁が張られているように静かで……つまりは、だ。

 

 

「……どうして泣いているのか、教えてくれないか」

 

 

 この場において、モンスター等の邪魔が入る事などなく、廊下にてパンドラが控えてしまえばもう、室内は悟とアウラの二人きりであった。

 

 蹲って泣いている毛布の塊を見やりながら、そのすぐ後ろ……まあ、これまでと同じく座る場所がないのでベッドに腰を下ろす。

 

 

 ……お前、またベッドに座るのかよと言われそうだが、仕方がないのだ。

 

 

 なにせ、『オーバーロード』の身体は大きい。骨だけとはいえ180cm近い身長である。

 

 対して、アウラの身長は110……正確な数字は覚えていないが、悟の肋骨の辺りにすら届いていない。

 

 当然ながら、この家にはアウラや、今は居ないマーレの背丈に見合った家具しかない。

 

 必然的に、悟が座れる場所はベッドぐらい……っと。

 

 

「……守れなかったの」

 

 

 ポツリ、と。

 

 毛布の中より零れた、その呟き。耳を澄ませていなければ、悟とて聞き逃していたであろう、小さな声。

 

 

「何を、守れなかったんだ?」

 

 

 それを、聞き取っていた悟は……アウラを刺激しないよう、出来うる限り優しい声で問い掛ける。

 

 『カルマ値』の影響が消えて、おそらくは本来の性質を、シャルティア、アルベドと続けて見た悟は、その中で少なからず学んだ事がある。

 

 それは、NPC……彼女たちは、それでも『至高の御方』を敬愛し、愛されたい、認められたい、望む事を叶えてあげたいと強く願っている……という事だ。

 

 実際、シャルティアもアルベドも、個体差こそあったが、質問すればちゃんと答えてくれたし、変にはぐらかしたり無視したりするようなことをしなかった。

 

 

 なので、悟は待った。

 

 返事が無くとも、反応が無くとも、待った。

 

 

 それは、答えたくないのではなく、答えられる状態ではない……答えられるよう心を落ち着かせている最中だと分かっていたからだ。

 

 

「……約束、守れなかったの」

 

 

 そうして10分程、鼻を啜る音とヒックヒックとしゃくりあげるアウラの声を聴きながら、ゆっくり待っていれば……返事が来た。

 

 

「誰との、約束なんだ?」

 

 

 慌てず、焦らず、悟は続きを促す。

 

 

「……ぶくぶく茶釜様との、約束」

 

 

 すると、少し間を置いてから返事が来た。

 

 加えて、アウラの呟きは……そこで終わらなかった。

 

 

「アインズ様……私は、お姉ちゃんなの」

「そうだな、マーレのお姉さんだったな」

「うん、私はお姉ちゃん……だから、弟を守ってねって約束されたの」

「……弟って、マーレの事か?」

「うん、ぶくぶく茶釜様からよく言われていたの……お姉ちゃんだから、弟のマーレを大事にしてねって」

 

 

 その言葉と共に……わずかに、毛布の塊が動いた。

 

 

「ぶくぶく茶釜様から、言われていたの」

 

「私みたいになるな……って」

 

「私みたいに、自分の病気のせいで、みんなに迷惑を掛けるような姉にはなるなって」

 

「いざという時は弟を守れる、頼れるお姉ちゃんになりなさい……って」

 

 

 そう、言い終え……また、沈黙が生まれた後。

 

 

「でも、私は約束を守れなかった」

 

「ぶくぶく茶釜様が病を患って苦しんでいたのに、何も出来なかった」

 

「頼れるお姉ちゃんになるはずだったのに、弟に守られて生き残っちゃった」

 

「お姉ちゃんだから、弟を守らなきゃならなかったのに」

 

「私、怖くて……怖くて、怖くて、怖くて……何も出来なくて、マーレに庇われちゃって」

 

 

 その言葉と共に、毛布の中から……まるで、魂が吐き出されたかのような、深いため息の音がした。

 

 

「なにも……何一つ、私は約束を守れなかった」

 

 

 その言葉は、けして大きな声ではない。

 

 けれども、悟には……その声が、ズシンと骨身が軋むほどの重圧感を伴っているような気がした。

 

 

「……アインズ様、知っていますか?」

 

「詳しくは話してくださらなかったけど、ぶくぶく茶釜様には弟様が居てね」

 

「口は悪いし生意気だし言う事は聞かない愚弟だけど、大事な家族なんだって」

 

「それはもう、私に弟様の話をするときは、ちょっと楽しそうだったの」

 

「なんというか、『がーるずとーく』というやつらしくて」

 

「この話は、マーレも知らないんだ。私と、ぶくぶく茶釜様だけの、秘密だったの」

 

 

「……でね、アインズ様」

 

 

「ぶくぶく茶釜様から、教えられていたの」

 

「ぶくぶく茶釜様が、御病気だって事も」

 

「今はこうして遊びに来られるけど、今の内だけって事も」

 

 

「……話してくださったの」

 

 

「自分の病が、もう治らなくてどうにもならない事も」

 

「弟様が、看病の為にナザリックを離れる事も」

 

「……その弟様が、ぶくぶく茶釜様と同じ病を患っている事も」

 

「みんな、知っていたの」

 

「本当は、みんな知っていて……馬鹿な弟を怒鳴りつけたいって、話してくださったの」

 

 

「でも、出来なかったって」

 

 

「お姉ちゃんだから、弟の考えが分かるって」

 

「自分が逆の立場だったら、きっと同じことをするだろうって」

 

 

「……ぶくぶく茶釜様、いつも私の前でこっそり泣いていたの」

 

 

「涙は出ていなかったけど、分かるんだ……ぶくぶく茶釜様、泣いていたの」

 

「ふがいない姉で申し訳ないって」

 

「弟に迷惑を掛けて申し訳ないって」

 

「お姉ちゃんなのに、守ってやれなくて申し訳ないって」

 

「皆様方が居ない時、こっそり私にだけ話してくれたの」

 

「自分のようにはなるなって」

 

「弟を守れるお姉ちゃんになりなさいって」

 

「弟の自慢になるような、強くて優しいお姉ちゃんになりなさいって」

 

「ぶくぶく茶釜様、とっても悲しそうだった」

 

「みんなに迷惑を掛ける自分のようにはなるなって」

 

「私が出来なかった分、お姉ちゃんとして弟を守りなさいって」

 

「いつも、此処を離れる時……私にだけ、こっそりお話してくださったの」

 

 

 ……そこまで言い終えた辺りで、アウラの声が……はっきり分かるぐらいに、震えた。

 

 

「でも、守れなかった」

 

「何一つ、約束を守れなかった」

 

「頼れるお姉ちゃんに、成れなかった」

 

「弟を守れる強いお姉ちゃんにも成れなかった」

 

「みんなの助けになる、立派なお姉ちゃんにも成れなかった」

 

「優しくもなんともない、人間を傷付けるだけのお姉ちゃんにしか成れなかった」

 

「それどころか、逆に私なんかが生き残っちゃった」

 

「こんな不甲斐ない姉の替わりに、マーレが死んじゃった」

 

「私が死ねば良かったのに」

 

「私が死んで、マーレが助かれば良かったのに」

 

「自慢のお姉ちゃんにも成れず、ぶくぶく茶釜様の苦しみも替わってやれなかったのに、どうして……どうして?」

 

 

 ──するり、と。

 

 

 毛布の塊から、小さな頭が覗く。振り返ったアウラの顔を見やった悟は……絶句した。

 

 

 そこには……只々、虚無が広がっていた。

 

 

 涙は、出ている。嗚咽のあまり、鼻水も出ている。食いしばった唇からは血が出ていて、全体的に腫れぼったく……だが、それがどうしたというのか。

 

 

 これが、生きている者の顔なのだろうか。

 

 これなら、まだアンデッドの方が活き活きとしている。

 

 

 まるで、これまで培ってきた全てが砕け散り、何も残らず瓦礫へ果てた荒野のような……乾き切ったナニカが、そこにはあった。

 

 

「……殺してください、アインズ様」

 

 

 あまりの事に、言葉を失くしている悟に……そのお願いは、存在しない心臓をドキッと錯覚させてしまうほどの衝撃を与えた。

 

 

「こんな不甲斐ない私は、生きているだけで迷惑なんです」

 

「生きている事が、駄目なんです」

 

「ぶくぶく茶釜様とのお約束も守れず」

 

「優しくあれと言われたのに、自分勝手に周りを傷付けて」

 

「挙句の果てに、守るはずだったマーレが死んで」

 

「もう、駄目なんです」

 

「私のような駄目なお姉ちゃんは、生きてちゃ駄目なんです」

 

「マーレを守れなかったお姉ちゃんは、死ぬべきなんです」

 

「だから、殺してください」

 

「どうか、終わらせてください」

 

「私のようなお姉ちゃんなんて、居ない方が──」

 

 

 それ以上──悟は、言わせなかった。

 

 

 

 

「ふざけるな!!!」

 

 

 

 

 思わず、ベッドから立ち上がった悟は、気付けば……大樹を揺らさんばかりに怒鳴りつけていた。

 

 それは、おそらくはアウラが初めて目撃する、『至高の御方』が激怒した瞬間であり。

 

 己の創造主を含めて去っていった御方の中で、唯一残ってくださった慈悲深き(アインズ)からの、本気の叱責でもあった。

 

 

「……いいか、アウラ」

 

 

 アウラは知らないが、この瞬間、悟は爆発した怒りが感情抑制で抑えられていた。

 

 だから、傍から見れば、直前までブチ切れていたのに突如冷静になったという、非常に恐ろしい光景なのだが……まあ、そこはアレだ。

 

 あまりな状況に様々な事が全て頭から吹っ飛んでしまい、呆然とするしかないアウラは……幸運にも、その事に目を向ける余裕はなく、黙って悟の言葉に耳を傾けた。

 

 

「自分なんか居ない方が良かったなんて、間違っても言うな」

「で、も、アインズ様、私は……」

「ぶくぶく茶釜さんの弟……ペロロンチーノさんは、姉が居ない方が良かったなんて思っていなかった」

「えっ?」

「いいか、アウラ……勘違いしては駄目だ。姉が弟を守りたいように、弟だって姉を守りたいものなんだ」

「──っ」

 

 

 瞬間……大きく見開かれて動きを停止したアウラに、悟は……己のこれまでの人生を、思い返す。

 

 『リアル』において、悟に家族はいない。

 

 幼い頃に両親を失い、それからは天涯孤独。仲の良い異性はおらず、死ぬまで一人きりだと薄々諦めていた。

 

 

 ……けれども、それでも分かる。

 

 

 仮に、子供の時……いや、今でもいい。

 

 自分の命の替わりに両親が助かるのであれば、おそらく己は……喜んで使っただろう、と。

 

 理屈とか、損得とか、そんなのは関係ない。

 

 ただ、そうしたいから。

 

 たとえ、両親から拒否されようとも、そうしてやりたいから、そうするのだ。

 

 

「マーレも、そうなのだ。自分の事よりも、姉であるアウラが生きてほしかった。ただ、それだけなんだよ」

「で、でも……」

「もちろん、ナザリックや私に対する忠義もあっただろう。だが、それだけじゃない。それだけじゃないんだよ、アウラ」

 

 

 両手で、悟はアウラの肩に手を置く。

 

 指先より伝わる、アウラの小さい肩。

 

 その気になれば、人間の100人や200人は容易く殺せるはずの、その力。

 

 か弱いその感触に……悟は、堪らず俯いた。

 

 

 そう、悟は気付いてしまった。

 

 

 アウラは社交的でもなければ、比較的温厚というわけでもない。『カルマ値』の影響でそう見えていただけで、実際は違う。

 

 

(本来のアウラは……弟を守ろうと頑張る、真面目なお姉ちゃんでしかないんだ)

 

 

 本来のアウラは、『創造主を慕い、弟のマーレを守り、強く優しく頼られるお姉ちゃんであろうとする』、責任感が強いだけの少女。

 

 

 ──そう、人間だ。アウラはNPCだが、本質は人間なのだ。

 

 

 とある村娘が、妹を守る為に、武装した兵士の前に立ったように。

 

 とある元貴族の娘が、妹を守る為に、危険を覚悟で請負人になったように。

 

 

 敬愛する主との約束を守り、主が果たせなかった分も含めて弟を守ろうとする、何処にでもいる姉弟の片割れ。

 

 

 それこそがアウラの本質なのだ。

 

 

 それが根底にあるからこそ、人間に対して不必要に敵意を抱かず、余計な敵を作らないよう社交的で、周りを味方につけやすいよう温厚に見えていたのだ。

 

 

 ……おそらく、マーレが生きて此処にいたら、マーレは甘えん坊の弟になっていただろう。

 

 

 ただ、大好きな姉に甘え、しかし、そんな姉を支える為に頑張る……姉弟仲の良い、引っ込み思案の弟になっていたかもしれない。

 

 そう、悟は思った。

 

 

「不甲斐ないと姉が思うように、弟だって不甲斐ないと思っているんだ。姉の手助けが出来ない、その無力さにな」

「それは……」

「……思い出せ。マーレが死んだ、その時……マーレはお前に助けを求めたか?」

 

 

 言われて……悲しそうに、アウラは唇を噛み締めた。

 

 

「おそらくだが、『逃げろ』とでも言われたんじゃないか?」

「……はい」

 

 

 小さく頷いた、その頭に、軽く手を置く。

 

 

「だから、アウラ……二度と、その言葉を口にしては駄目だ」

 

 

 ──だって、そんなの。

 

 

「たとえ、己が死んでも生きてほしいとマーレが思ったのを……その姉が、アウラが、否定することが許されると思うか?」

「──っ!!」

「ずるい言い方だと思う。だが、アウラだけは……マーレの想いを否定しては駄目だ」

「アインズ、様……」

「きっと、ぶくぶく茶釜さんも、同じことを思うはずだ」

「…………」

 

 

 アウラは、何も言わなかった。膝に顔を埋めて、静かになった。

 

 ただ、涙は止まったのか、入った時にも続いていた嗚咽は零しておらず……ひとまず、悟はアウラより離れた。

 

 

 

 

「──アインズ様、ゾーイを監視中の恐怖公とニグレドより、緊急連絡が届きました」

 

 

 

 

 直後、まるでタイミングを見計らったかのように、廊下にて待機しているパンドラが顔を覗かせた。

 

 ……ニグレドとは、ナザリックNPCの中でも、情報収集などの調査系に特化した能力を持つ魔法詠唱者系のNPCである。

 

 恐怖公は眷属を使った目視による確認(つまり、ゴキブリ)で、ニグレドは魔法的な監視。

 

 これにより、ゾーイの状況を物理的、魔法的、両方からリアルタイムで観測している……わけなのだが。

 

 

「恐怖公からは、『僅かだがゾーイの身体が動いている』、ニグレドからは『ゾーイより感じ取れる力に変化が現れている』との報告です」

「──なに!? まさか、もう魔法が切れたのか!?」

 

 

 聞き捨てならない報告に、思わず悟は背筋を伸ばし、声を荒げた。

 

 悟が驚くのも、無理はない。何故なら、予測していたよりもずっと速く、ここまで時間が削られるのは完全に想定外だったからだ。

 

 それは、アウラとて例外ではなく、『ゾーイ』の単語にビクッと身体を震わせると、顔を上げ……パンドラへと視線を向けた。

 

 

「いえ、魔法が切れたわけではありません。ただ、魔法の効果が弱まっているモノと推測されます」

 

 

 対して、パンドラは冷静であった。

 

 

「薪が燃え尽きる時、徐々に火が弱まるように……おそらくは、ゾーイを止めている魔法もまた、似たような現象が起こっているのでしょう」

「……ということは、どちらにせよ完全に魔法が解けるまでのタイムリミットは予測通り、ということか?」

 

 

 パンドラは、頷いた……が、「しかし、問題はあります」そう話を続けた。

 

 

「魔法が効いているとはいえ、完全ではありません。今はまだほとんど動けないようですが、直にある程度は動けるようになるでしょう」

「……つまり?」

「ある程度とはいえ、それでも驚異的な速さなのは想像するまでもありません。そして、ゾーイは……99%以上の確率で、『ナザリック』を真っ先に狙いに来るでしょう」

「やはり、そうなるか」

 

 

 予測していた事だが、改めて言葉にされた悟は思わずため息を零した。

 

 

「なんとか、王国に誘導出来ないか? それで、ラナー王女たちが考えた当初の計画に沿って動けば……」

「難しいでしょうね。いくら今は皆様フラットに考えられるようになっていても、邪悪であれと作られた存在……その強さを考えれば、後に回す理由がありません」

「……では、私が囮になるのは?」

 

 

 その言葉に、アウラはギョッと目を見開き……パンドラは、「それだと、本末転倒になります」あくまでも冷静に悟の提案を否定した。

 

 

「元々、この計画はどこか一か所が先に動いても意味はありません」

「まあ、マッチポンプだからな」

「そうなのです。皮肉な話ですが、クーデターを起こしたあちらの足並み、協力者である帝国の足並み、そして、ラナー王女たちの足並みが揃って初めて効果を発揮するモノ」

「やはり……時間が足りないせいか」

 

 

 またコレだよ……そう言わんばかりに二度目のため息を零す悟に、パンドラも困ったように頭を掻いた。

 

 

 

 ……そう、兎にも角にも必要なのは、時間だ。

 

 

 

 事は、単純にぶつかって勝利すれば良いわけではない。

 

 それでは意味が無いからこそ入念にタイミングを見計らい、王国に巣食う寄生虫をドサクサに紛れて一気に取り除く……それこそが、この計画の目的である。

 

 言い換えれば、ソレが出来なければ実質的に敗北するのがラナー側なのだ。

 

 だからこそ、ナザリックの協力が必要不可欠であり、そのカモフラージュの意味合いでも、ある程度の戦力をラナー側が揃える必要があるわけ……と、その時であった。

 

 

 

「──ならば、私が囮になりましょう」

 

 

 

 ふらり、と。

 

 室内に飛び込んできた、女の子の声。

 

 ハッと振り返った悟たちの視線の先に居たのは……目元が赤く腫れた、シャルティアであった。

 

 

「私ならば、ただ立っているだけであの人は優先的に狙いに来る。タガが外れた今の状態なら、私が姿を見せようが隠れようが、ただ襲い掛かってくるだけでしょうから」

「──いえ、シャルティア殿。はっきり言って、貴女1人では何の足止めにもなりません。せいぜい、数十秒止められたら御の字です」

「もちろん、分かっています」

「分かっているのならば、この応答すら時間の無駄だと──」

「分かっているからこそ、アインズ様の下へ来たのです」

 

 

 被せるようにそう告げたシャルティアは、「む、むむ!」と言いよどむパンドラを他所に、悟の前に立つと……一礼した。

 

 

「アインズ様が所持している至宝の中に、そう……たとえば、一定時間の間だけ何度でも復活するといったモノはございますでしょうか?」

 

 

 その、質問に……悟は、思わず己の指にハマっている指輪へと視線を向け……頷いた。

 

 

「おそらくだが、『星に願いを』で性能を強化することで可能となるかもしれないアイテムはある。だが、それでも代償を消す事は……」

「──かまいません、アインズ様」

 

 

 みなまで言わさず、シャルティアは……深々と頭を下げた。

 

 

「どうか、私に償いを……贖罪として、私に自らの命を使い潰す許可をお与えください」

「シャルティア……」

 

 

 呻くように名を呼ぶが、シャルティアは頭を下げたまま微動すらせず……その覚悟の程を察した悟は。

 

 

「──アインズ様、私も行きます」

「アウラ?」

 

 

 涙を拭って立ち上がった、アウラの力強い眼差しも見た事も重なり。

 

 

「どのように復活するかは分かりませんけど、タイムラグとかあるんですよね? ならば、その間……シャルティアと二人掛かりで、時間を稼ぎます」

「……だが、コレは一つしか無いのだぞ」

「ならば、シャルティアが力尽きるまでしぶとく生き延びるだけです。お願いです、アインズ様……最後は、せめて、みんなの為に……マーレに、ぶくぶく茶釜様に、胸を張りたいのです」

「アウラ……」

 

 

 最後に、パンドラから無言で首を横に振られたことで……力無く、頷くしかなかった。

 

 

 




いよいよ、最後の戦いが始まります


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最終局面: 後は転がり落ちるだけ

いよいよ、開戦です

原作キャラ死亡注意要


 

 

 

 

 蒼天のような蒼き鎧を身にまとった褐色の少女を前にしたシャルティアは……思わず、ブルリと背筋を震わせた。

 

 どうしてかって、答えは一つ。

 

 

 ……怖い。そう、怖いのだ。

 

 

 今はまだ、相手が動けないのは分かっている。魔法により、己に対してどうにも出来ない事は、シャルティア自身ちゃんと理解している。

 

 けれども、怖いのだ。

 

 

 真祖の吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)であり、鮮血の戦乙女の異名を持っているのに、怖れている。

 

 

 だが、シャルティアが恐れるのも、致し方ないことである。

 

 なにせ、相性や実力的な問題があるにせよ、己と同格の仲間が既に、二人殺されている。それも、共に一方的な形で、瞬殺された。

 

 

 ──それほどに、強いのだ。それほどに、強過ぎるのだ。

 

 

 ナザリックに残ってくださった慈悲深き御方であるアインズですら、『真正面から戦えば100%敗北する』と断言する存在だ。

 

 事実、周囲の大気を震わせるほどの『力』を、シャルティアはビシバシと肌で感じていた。

 

 もう、この時点で分かる……たとえ、己が万全の体勢を整えていたとしても、勝負にならない相手なのだということを。

 

 そんな存在を前に……シャルティアは、気付けば総身を震わせて……それを、止める事が出来なかった。

 

 

(……情けない)

 

 

 ふう、と。

 

 強張った唇が、溜め息と共に少しばかり解れる。

 

 そっと、眼前の調停者のはるか向こう……隠れて息を潜めているアウラが居る辺りを見やりながら……シャルティアは、思う。

 

 

(ふふふ……以前の私は、よくもまあこんな化け物を相手に立ち向かえたものね)

 

 

 ……シャルティアは、馬鹿ではあるが、阿呆ではない。

 

 

 頭は良くないし、機転も利かない。考えるより手が先に出てしまうし、己を過信するあまり失敗した事だってある。

 

 けれども、こと、戦闘という面において、シャルティアに追随出来る者は、至高の御方を除けばナザリックにそうはいない。

 

 なにせ、守護者間におけるシャルティアの実力は、『総合力最強』。自慢するわけではないが、ステータスという面において、頭一つ分抜きん出ている。

 

 

 己を過信するのは、それだけの実力を持っているから。

 

 

 実際、この世界では分かり難いのだが、他の守護者たちとは違い、シャルティアは純粋に『ユグドラシル基準』で考えても強いのだ。

 

 防具や武器も考えられているが、習得している信仰系魔法や技も凶悪で、魔法を宿していない飛び道具の無効化や、炎に対する完全耐性などを持っていて。

 

 

 神聖属性の魔法ダメージを与えるうえに、MP消費にて必中となる『清浄投擲槍』。

 

 己の周囲に赤黒い衝撃波を発生させ、攻撃魔法を掻き消すばかりか吹き飛ばし効果がある、攻撃と防御を兼ねる『不浄衝撃盾』。

 

 魔法や一部スキルは使えないが、己の能力値(耐性を含めて)と同じ人造物を生み出す切り札『死せる勇者の魂(エインヘリヤル)』。

 

 また、アンデッド特有の『疲労無効』により、殺されるor行動不能に陥らない限りは暴れ続ける事が可能なうえに、『生命力持続回復(リジェネート)』にて自力回復もする。

 

 

 ──プレイヤースキルを加味しないなら上の下、全身を神器級にしたら上の中。相手によって装備品を変更出来れば上の上に肉薄する。

 

 

 そう、アインズから評価を下されるほどに、シャルティアは強く……強さという面においては、ナザリックの誰もが一目置いている存在でもあった。

 

 

「       」

 

 

 だが、しかし。

 

 

 

 

 ……くれ……ティーヌ……きさま……許さぬ……!!! 

 

 

 

 

 そんなシャルティアですら……『調停者ゾーイ』の前では、時間稼ぎ出来たら御の字なのである。

 

 

「……そう焦らなくとも、私は逃げたりしませんよ。逃げも隠れもせず、貴方の……私の罪を受け入れるつもりですから」

 

 

 そして、少しずつ……少しずつではあるが、確実に動き始めているゾーイを前に……シャルティアは、改めて、その前に立ち塞がる。

 

 そんな、シャルティアの装備は……何時もの深紅色の鎧とは違い、お世辞にも、戦いに赴くソレではない。

 

 

 左手の薬指には、愛する旦那様からの指輪が……それは、今にも逃げ出したくなるシャルティアの心を奮い立たせてくれる。

 

 右手の指には、敬愛するアインズ様より頂いた指輪が……『星に願いを』によって強化されたソレは、この作戦の要。

 

 恐ろしげなデザインながらも華やかな冠に、黒を基調として細やかな刺繍が施されたドレスに、それらに見合う靴。

 

 

「……ふふ、手が震えて塗れなかったのに、この土壇場で震えが止まるなんて……さすがは私、ペロロンチーノ様のお嫁さんでありんすえ」

 

 

 そして、アンデッドの青白い肌に似合う、赤い色の口紅。パッパッ、と唇を擦り合わせれば、花開くように唇が色付いた。

 

 

(ペロロンチーノ様……どうか、私に……一抹の勇気を与えてくださいませ!)

 

 

 今は居ない、唯一無二の旦那様が残してくれたプレゼント。

 

 他の誰よりも見せたかった相手はもう居ないけど……けれども、それでも、シャルティアは……己の唇を、そっと突くと。

 

 

「──さあ、何時までチンタラしているのですか? そのまま、明日の朝まで唸っているつ」

 

 

 それ以上、シャルティアは言えなかった。

 

 

 ──無言のままに振り下ろされた蒼天の剣が、シャルティアの身体を頭から真っ二つに両断したからだ

 

 

 ……ゾーイの動きを止めている魔法の効果は、100か0かではない。

 

 薬のように徐々に効き目が弱まってくる類のモノらしく、言い換えれば、徐々に動けるようになってしまう。

 

 なので、まだ全快ではないはずだが……シャルティアは、避けられなかった。

 

 挑発こそしたが、油断はしていなかった。なのに、避けきれなかった。

 

 ぎょろり、と。

 

 自分に何が起こったのか、それをシャルティアが理解しようと左右の眼球が動いた時にはもう……べちゃ、と。

 

 二つに分かれた身体は、地面に鮮血をまき散らして倒れていた。

 

 

 

 ……っ、……っ、……っ。

 

 

 

 その気になれば、単身で王国も帝国も1人で皆殺しに出来る……そんな怪物を一刀で仕留めたというのに、ゾーイは何かを堪えるように歯を食いしばると。

 

 ゆるゆると、何処かへ歩き出そうと──した、その瞬間。

 

 

「    」

 

 

 背後からの、強烈な視線。それは、すぐ背後に立っているほどに濃厚で。

 

 それを感じ取ったゾーイは、視線の先の彼方に隠れ潜んでいる……どこかで見た覚えのある、邪悪なエルフの気配を認識──っと。

 

 

 

「──おや、ずいぶんと気の早い御方なんしえ」

 

 

 

 今にも向かおうとしていたゾーイの足が止まる。

 

 理由は、考えるまでもなく……たった今、切り捨てたはずの……が、どういうわけか生き返ったからだ。

 

 

「ふ~む……しばらく見ない内に、ずいぶんと剣がナマクラになりん」

 

 

 ならば、もう一度殺すのみ。

 

 みなまで言わせる前に、再び切り捨てる。斜めに立たれた身体が、ずるりと滑り落ち……今度は先ほどとは違う場所より気配を感じたので、そちらに向かおうと──

 

 

「まったく、せっかちな女は殿方に嫌われますえ?」

 

 

 ──したのだが、どういうわけか、眼前の……は、また生き返った。

 

 

 

「    」

 

 

 

 ならば──ゾーイは、復活出来ないようにと剣を変形させ──っと。

 

 

 どすん、と。

 

 

 何処からともなく飛んできた矢が、ゾーイの身体に当たって照準がずれて、体勢も崩れた。

 

 それを見て……この、こいつは、シャルティア、いや、この女は、笑った。

 

 

「あはははは、剣で殺せないからって、外しては」

 

 

 みなまで、言わせない。

 

 何故なら、この女は──の魂を穢したのだから。

 

 一発で終わらせては、駄目だ。

 

 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も……悔い改めさせなくてはならないのだから。

 

 だから、切る。

 

 切って、切って、切って、切りまくる。

 

 時々飛んでくる矢は鬱陶しいが、それだけだ。

 

 切って、切って、切って、切り刻み、切り捨てる。

 

 復活するのであれば、復活すればいい。

 

 だったら、復活出来なくなるまで切り殺すだけだ。

 

 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も……状況は圧倒的に己が有利、逆転の芽は無い。

 

 

 なのに……どうしてだろうか? 

 

 

 どうして、この女は……切り殺されるたび、うっすらと微笑んでいるのか。

 

 その理由が分からなかったし、気にはなったが。

 

 どうせ、もう長くない命……殺すたび、女から感じ取れる気配が僅かずつだが弱まって行くのをゾーイは……いや、彼女は感じていた。

 

 

 ──こいつが終われば、次はあそこにいるやつだ。

 

 

 後から後から押し寄せてくる憎悪が、思考を鈍らせていくのを……彼女は、どこか客観的に認識していた。

 

 

 

 

 

 

 

 ──その日、自らの父親と王国を守り続けていた男を殺して略奪し、汚れた玉座に就いていたバルブロ王は、戦場に居た。

 

 

 場所は、王都の正門前。

 

 本来であれば、総大将とも言える存在のバルブロが戦場に出て来るのは、もはや後が無い最後の段階である。

 

 しかし、バルブロは戦場に出て来ていた。

 

 そうなるに至るまでの理由は、色々ある。

 

 

 ──一つは、国王を殺した……親殺しの愚者の首を取りに来た、相手の戦力があまりに貧弱に見えたからだ。

 

 

 単純に、数でバルブロ側が勝っているわけではない。

 

 遠目にも分かる、装備のバラけた具合。どうやって協力を取り付けたのかは不明だが、帝国軍のモノに酷似した装備を身にまとっている者もいる。

 

 それはつまり、寄せ集めて掻き集めた戦力ということの表れであり……精密な軍事作戦を行うのは難しいという事を証明している。

 

 加えて、相当に急いで掻き集めたようで、辛うじて陣形を張れてはいるようだが、目に見えて兵士たちが消耗しているのも分かる。

 

 さすがに倒れてしまっているような者はいないが、明らかに兵士たちの動きに活力が見られない。というか、座って休んでいる者すらいる。

 

 

 ──演技かと、最初はバルブロも疑った。

 

 

 しかし、兵士の数はバルブロ側が多く、真正面から堂々と小細工を仕掛けたところで、あっという間に数の暴力に押し潰されてしまうだろう

 

 加えて、地の利はバルブロ側にある。

 

 戦場が長期化すればするほど、野晒しにされる向こう側が不利に働く。

 

 ゆっくりベッドで休むならともかく、まともに飯も食えない原っぱの上での就寝なんて、休んだ内には入らない。

 

 だからこそ、兵士の体力が一番残っている内に短期決戦に持ち込み、己の首を取りに来る。

 

 ……そう、バルブロは相手の思惑を読み取っていた。

 

 その点に関してはバルブロ側たちも異論を唱える者はおらず、足並みが揃っていないうちに。

 

 ……そう、ラナー達の行動を読み取った者は多かった。

 

 

 ──次に、やはりというべきか、向こうの戦力にまとまりがなく、苦戦するような状況が想像出来なかった点だ。

 

 

 装備が異なっているのもそうだが、そもそも、戦場においてまとまりが無い(所属している国が違うといった事)というのは致命的な弱点になる。

 

 なにせ、ラナー側に属する王国民たちにとっては、自らが生まれ育った国の一大事だが、帝国側からすれば、しょせんは他国の身内争いだ。

 

 どのような取引によって帝国の協力を得たのかはバルブロたちには分からないが、どこまで協力してくれるかなんて、高が知れている。

 

 勝てる戦ならともかく、敗色が濃厚になれば、すぐに帝国軍は撤退するだろう……そう、バルブロたちは戦の結果を予想していた。

 

 そして、最後は……相手の陣地に、ザナック王子と、ラナー王女の姿があった点である。

 

 

 ザナック王子は、まだいいのだ。

 

 

 バルブロからすれば、鈍臭くて度胸も無い愚図な弟が、なけなしの勇気を振り絞って来たと……まあ、王族としての矜持を持っていたのだなと感心するだけであった。

 

 

 ──だが、ラナーは駄目だ。

 

 

 バルブロにとって、己の妹であるラナーは、少し知恵と口が回るだけの、身体が弱い小賢しい女に過ぎない。

 

 帝国にも知れ渡る『黄金の美貌』に関しては認めているが、結局はそれだけ。せいぜい、飴として貴族たちに下げ渡す程度にしか考えていなかった。

 

 

 ……そんな、己の格下と思っていた女が一丁前に戦場に出る? 

 

 

 それだけでも、バルブロにとっては噴飯物の珍事だというのに、何を勘違いしたのか、陣地の奥深くではなく、前面に出て来ている。

 

 しかも、御大層に『怖気づきましたか? お兄様は相変わらず臆病者なのですね』と、拡声魔法にて自軍に聞こえるようにして、挑発までしてきたのだ。

 

 

 ──断じて許さん。もはや、情けはいらん! 

 

 

 父親殺しすらやってのけたバルブロに、今さら、実妹だからといって躊躇する良心などありはしなかった。

 

 とはいえ、腐っても総大将であり現国王なのだ。

 

 さすがに、王が自ら前線に出るのはと周囲から反対の声が上がった。けれども、構わずバルブロは馬に乗って、前に出る。

 

 

 ──この俺の勇敢なる姿を見せしめ、王としての振る舞いを知らしめるのだ! 

 

 

 その一心で、バルブロは意気揚々と前に立ち、愚かな弟と妹に引導を渡してやろうと、部下に拡声魔法を使わせ──た、わけなのだが。

 

 

 

『──バルブロ……愚かな王、バルブロよ……!!!』

 

 

 

 まるで、タイミングを見計らっていたかのように、戦場のど真ん中……その上空に姿を現した、謎のアンデッドによって、出鼻をくじかれる事となった。

 

 

 ……いや、事は、そんな生易しい話ではなかった。

 

 

 そのアンデッドは、かなり強力な拡声魔法を使っているのだろう。距離こそ遠いが、その声は両軍の兵士全員に聞こえるほどに……いや、違う。

 

 極々一部の者たちを除き、誰も気付いていなかったが……アンデッドの声は戦場どころか、王都の中に居る者たち全員にも聞こえていた。

 

 

『バルブロよ……約束を違えたな』

「誰だ、キサマは!」

 

 

 当然、出鼻をくじかれたバルブロは怒り、アンデッドのそれより更に大きな声で威圧しようとする……が、実はここも先ほどと同じ。

 

 極々一部の者たち以外は気付いていないが、バルブロの声もまた、こっそりと王都の中に居る人たちに聞こえるようにされていた。

 

 

『知らぬ存ぜぬを通そうとしても、そうはいかん。おまえが王に就く代償として、私の助力を得るために支払うと決めた、王国民30000人分の魂はどうしたのだ?』

「さ、3万!? 何の話だ!?」

 

 

 当然、自らの会話が王都に筒抜けになっている事を含めて、何もかも知る由もないバルブロは、そう言う他無かった。

 

 

『ほう、とぼけるつもりか? お前は語っていたではないか……意気揚々と、己が王に就く為の、当然で尊い犠牲だと……むしろ、新国王の礎になることに感謝しろと……話していたではないか』

「何の事だ! キサマ、さてはザナック共の仲間か!?」

『ふはははは!! 言うに事欠いて、アイツらの仲間と来たか……ああ、忌々しい! ザナック王子とラナー王女が邪魔さえしなければ、あの程度では済まなかったものを!!』

 

 

 アンデッドが、両手を広げる。

 

 

『ああ、忌々しい……せっかく王都より攫った者たちも、何者かの手引きによって奪われてしまったというのに……ああ、忌々しい!』

 

 

 すると、バリバリと雷がアンデッドの周囲に落ちた。

 

 ざわざわと、両軍のほとんどが動揺にざわめく中……アンデッドは、吐き捨てるようにバルブロを睨みつけた。

 

 

『思い返せば、我が配下に王国民を襲わせた時もそうだった。おまえは影から我に人間を提供すると息巻いていたくせに、いざその時になれば、屋敷で震えているばかりの腰抜けだった!!』

「な、な、なんだと!!」

『凡愚ではあるが、せめて王族としての矜持ぐらいはあるだろうと思っていたが……どうやら、我は見誤ったようだな!』

 

 

 そう、吐き捨てたアンデッド……対して、バルブロは顔どころか首筋まで真っ赤にして怒鳴り返す。

 

 だが……誰も、バルブロの言葉を聞いてはいなかった。

 

 そんな事よりも、アンデッドが語った内容だ。

 

 

 誰もが……特に、あの日、悪魔たちの襲来によって家族や大切な人を失った兵士たちにとっては……絶対に聞き逃してはならない話であった。

 

 

 だって、死んだのだ。みんな、死んだのだ。

 

 生き残った者たちだって、本当の意味で無事じゃない。

 

 心に深い傷を負い、夜になると酒に逃げる者、色に逃げる者、布団の中に蹲って震える者、誰も彼もがあの夜から脱したわけではないのだ。

 

 

 ──それを……アレを起こしたのが、まさかのバルブロ王? 親を殺し、我が物顔でいる……こんな男が? 

 

 

 情報元は、アンデッドである。

 

 しかし、誰もがその事には目を向けなかったし、誰もが疑いつつも、もしかしたらと信じ掛けていた。

 

 

 だって、元々が人望など欠片もない王子だったのだ。

 

 加えて、実の親を殺し、人望が厚かったガゼフを殺した。そのうえ、今回の相手は……王国民からの人気が高かった、ラナー王女だという。

 

 

 いくら……いくらなんでも、これでバルブロを信じろというのが無茶な話である。

 

 

 1人、また1人……自然と、陣から離れようとする人が現れ始める。

 

 もちろん、気付いた各部隊の兵士長が止めようとするが……誰もが、憎悪と憤怒に染まった兵士たちの目を見て、実際は何も出来なかった。

 

 ……いくら相手に比べて数が勝っているとはいえ、自軍内で内乱が起これば最後、戦わずして負けるのは必然。

 

 なにせ、相手は自国民でありながら、何とか激情を抑えて……許されるなら、刺し違えてでも殺してやろうと思っている者たちだ。

 

 

 ──どうにかして説得して宥めなければ、このまま軍が瓦解し負けてしまう。

 

 

 兵士長に限らず、バルブロ陣営の者たちは1人の例外も……いや、1人を除いて誰もが思った。

 

 そうならなくとも、既に兵士たちの士気は地に落ちており、反逆者が出ていないのが幸運な……まあ、それも時間の問題だろう。

 

 

『初めから踏み倒すつもりであったならば、もはや選択の余地はない。私を軽視した報いを……その身で償うがいい!』

 とはいえ、そんな事に頭を悩ませている猶予はもう、なかった。

『──ゆけ、『死の騎士(デス・ナイト)』共よ! 数多のアンデッド共よ! 肥え太った愚かな貴族共の血潮で、その罪を洗い流せ!!』

 

 

 何故なら……そのアンデッドが両腕を掲げた、その瞬間。

 

 突如としてアンデッドの周囲に出現した『死の騎士』と呼ばれたアンデッドたちが、ふわっと舞い上がり……バルブロたちの陣を飛び越え、外壁の向こう……王都の中に降り立ったからだ。

 

 

 ──そうなれば、もはや王都の中は阿鼻叫喚であった。

 

 

 理由は、ただアンデッドというだけではない。この世界において、『死の騎士』は語り継がれるほどに怖れられる存在だからだ。

 

 つまり、客観的に見れば、だ。

 

 只でさえ、あの日の悪夢を呑み込んでいない者が多い中に、この世界では伝説として恐れられている『死の騎士』が現れたのだ。

 

 それも、複数体。

 

 1体で、領地一つ、都市一つが滅びるとまで言われているアンデッドの登場に……人々がパニックに陥るのも、当然の話であった。

 

 

「ば、バルブロ王! 城下町に多数の様々なアンデッドが入り込み、応援要請が──ど、どう致しますでしょうか!?」

 

 

 城下町より飛び出して来た兵士より伝令を受けた側近が、青ざめた顔で指示を仰ぐ。

 

 

「そ、それは……」

 

 

 だが、指示を乞われたバルブロも青ざめた顔で視線をさ迷わせるばかりで、具体的な指示を出せなかった。

 

 誰も彼もが、今にも倒れそうなぐらいに顔色を悪くしている。とはいえ、それも致し方ない事だ。

 

 なにせ、身の丈が数メートルはある『死の騎士』の姿は、遠目からでも分かるぐらいの威圧感を放っていた。

 

 アレと戦うには、100人、200人程度では足りないだろう。なにせ、主力を外壁の外に出してしまっているのだから。

 

 

 かといって、このまま撤退するのはマズイ。

 

 

 あんな化け物とまともに戦えば、いったいどれぐらいの兵力を失うか分からないし、いったい誰が先陣を切ってくれるというのか。

 

 しかも、報告から推測する限り、既に別のアンデッドも入り込んで……間違っても、バルブロは自ら率先して向かう気はなかった。

 

 バルブロが好きなのは圧倒的強者の立場で行う戦いであって、生きるか死ぬか……あるいは、敗色濃厚な戦いなど願い下げなのだ。

 

 それに……いくらラナー側が消耗しきっているとはいえ、内と外、両方から攻め込まれてしまう状況になればマズイ、マズすぎる。

 

 せめて、どちらかでも抑え込めることが出来たら、いくらでも対処の方法が……ん? 

 

 どちらか、一方を? 

 

 

「……総員、あのアンデッドに突撃せよ!!」

 

 

 その瞬間、バルブロはアンデッドを攻撃という結論を出していた。

 

 

「城下町に入られたアンデッドを放置するのは口惜しいが、この状況で内と外、挟み撃ちにされるのは非常にマズイ!」

 

「ゆえに、こちらから打って出てあのアンデッドを叩く!」

 

「おそらく、城下町の方は、あのアンデッドが生み出した可能性が極めて高い。ならば、あのアンデッドさえ叩いてしまえば、中のアンデッドも自動的に消滅するはずだ!!」

 

 

 続けられた説明と命令に、おお、と誰も彼もが納得して感嘆の声をあげた。

 

 証拠も何もない話だが、この世界の常識で考えれば、不思議ではない。

 

 実際、強力なアンデッドが弱いアンデッドを操っているといった話はある。あるいは、そういったアンデッドの出現によって、周りに勝手に生まれてしまうといった話もある。

 

 だからこそ、大本であるアンデッドを叩こうとするのは何ら不思議な事ではない。

 

 むしろ、疲労しないアンデッドを放置せず、新たなアンデッドを生み出す個体を真っ先に叩こうとするのは、対アンデッド戦では常識的な判断であった。

 

 

「アンデッドの弱点は火だ! 速やかに距離を詰め、火矢にて生命力を削った後で打ち取れ!」

 

 ──そして、打ち取った者には金貨20000枚の褒美を出そう!! 

 

 

 バルブロの言葉に、ざわめきが広がる。

 

 先頭に配置されていた兵士たちほど、その動揺は大きく……頃合いを見た兵士長たちの号令によって、あっという間に彼らは槍を構えて突撃を始めた。

 

 彼らが目の色を変えるのも、致し方ない。

 

 なにせ、金貨20000枚なんて、それこそ平民……地方の村民からすれば、一生働いても用意出来ない大金だ。

 

 確かに、危険は大きい。

 

 だが、それだけの報酬を貰えば、それこそ安泰した暮らしが約束されたも同然で……戦場特有の異常な空気も伝染し、誰もが欲に目が眩んでしまったのだ。

 

 

「あっ、逃げるぞ!!」

 

「逃がすな、追え! どうやら魔力を使い果たしたみたいだぞ!!」

 

「退け! 俺が先だ! 金貨は俺のモノだ!!」

 

 

 しかも、目的のアンデッドは立ち向かおうとするどころか、おろおろと遠目にも分かるぐらいに驚いた様子で背を向けて走り出したのだ。

 

 そうなれば、追いかける兵士たちの目にはもう、そのアンデッドは金貨の塊にしか見えず……誰も彼もが、武器を掲げて殺到した。

 

 

『──ふっ、愚か者どもが。この程度の欲に迷うのであれば、この先幾らでも欲にかられて罪を犯すであろう』

 

 

 だが……彼らは、忘れていた。

 

 

『魔王ヤルダバオトをも従える、我が力……とくと見るがよい!!!!』

 

 

 そのアンデッドは、王都を襲撃し、何百何千という命を奪ったアンデッドだということを。

 

 突如立ち止まり、振り返ったアンデッドが両腕を頭上へ掲げた──その瞬間。

 

 

 

 ──蒼い馬に乗った、禍々しい気配を放つ騎士……『蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)』が姿を見せた。

 

 

 

 それは……正しく、怪物であった。

 

 それは……正しく、死の具現化であった。

 

 少なくとも、バルブロ軍に居る誰もが、いや、この戦場に立ち会った者たち全てが、一目で理解した。

 

 

 ──アレは、戦ってはならない相手だと。

 

 

 しかし、もう遅い。

 

 止まろうにも、背後から押し寄せてくる味方のせいで不可能。もはや、突っ込む以外の手段は残されておらず。

 

 

 ──ぎゃあああああ!!!! 

 

 

 哀れ、血気盛んに目が血走っていた者たちは、たったの一撃にて絶命し……大勢の人間が肉片となって頭上を赤く染めた。

 

 

 ──だが、大半の者は幸運だった。

 

 

 何故なら、『蒼褪めた乗り手』はそのまま兵士たちを蹴散らす──のだが、どうにも動きが変だ。

 

 まるで、特定の相手しか狙っていないかのような不規則な動きで陣地を右に左に動き回り、兵士を薙ぎ払って行く。

 

 かと思えば、一息に飛び越え……陣地の奥へ居る、豪奢な鎧を身にまとった司令官へと向かう。

 

 

「──た、助け」

 

 

 司令官たちのほとんどは、勝てる戦だと思って油断しきっていた貴族たち。

 

 いちおう、守られてはいたが、『蒼褪めた乗り手』の突進を止めるにはあまりに脆く、あっという間に彼らは切り裂かれ、刺し貫かれ、物言わぬ骸と成り果てた。

 

 だが、『蒼褪めた乗り手』……いや、戦場に出ているバルブロたちは後回しにしてしまったが、城下町でも『死の騎士』による蹂躙は始まっていた。

 

 具体的には、貴族たちの屋敷の襲撃である。

 

 それも、貴族派……とある王女曰く、『国を腐らせ続けた毒虫』ばかりが集中的かつ優先的に襲撃されていた。

 

 

 ……抵抗は無意味であったし、何より邪魔をする者は少なかった。

 

 

 なにせ、王都であるがゆえに、他の領地に比べて戦力が集中しているとはいえ、所詮はこの世界の基準における戦力だ。

 

 『死の騎士』を1体相手にするだけでも決死の覚悟で挑まなければならないのに、それが数十体以上。

 

 しかも、戦場に居るアンデッドが語った、魂の支払いという話が致命的だ。

 

 只でさえ、心から嫌悪している腐れ貴族や、その家族の為に命を張ろうとする者は多くなかったのに。

 

 特に、普段から格下扱いされ、雑に扱われてきている兵士や戦士たちほど、その思いは強く。 

 

 結果……『死の騎士』の狙いが、取引を破った貴族たちや、その貴族と繋がっていた者たちだけを狙っていると察した人々は。

 

 次から次へと、やっていられるかと逃げて行き……代わりに、次から次に貴族たちは鮮血をまき散らし、無様に潰されて死んでいくのであった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………で、だ。

 

 

 そんな、内部の状況など知る由もないバルブロたちは、『蒼褪めた乗り手』の登場に心底震え上がり、右往左往するしかない……そんな、混沌とした状況で。

 

 

『ふははは……む、そこに居るのは……ま、まさか、ランポッサ3世に、ガゼフ・ストロノーフだと!?』

 

 

 それまで、勝ち誇って高笑いをしていたアンデッドが……唐突に、驚愕の声を上げた。

 

 

『な、何故だ、お前らは死んだはずでは……い、いや、まさか、そうか、死んだフリをしていたのだな!?』

 

 

 その声は、偶然にも拡声魔法が使用されたままで、戦場はおろか城下町にも響き渡っていた。

 

 

『だが、そうなれば……何というやつだ、王自らが別働隊となり、我が手中に捉えていた人間共を救い出したか』

 

 

 恐ろしいアンデッドが、一般人を襲わすに素通りしていくので、自然とその声は……人々の耳によく残った。

 

 

『……計画は失敗だ』

 

『民を想う、ランポッサとガゼフ、ラナー王女にザナック王女を排除することも、バルブロたちがやろうとした計画も、全ては失敗に終わった』

 

『ゆえに、私は去ろう』

 

『しかし、同時に、少しばかり私は気分が良い』

 

『矮小な存在だとしても、お前たちは私の計画を破たんさせ、一矢報いた……その事に、私はささやかながら祝福するとしよう』

 

『では、さらばだ』

 

 

 そうして、人々は見た。

 

 空の向こうに飛び立っていく、アンデッドの姿を。

 

 空間が歪み、ヘドロ色の何処かへと溶け込むように消えていく、その姿を。

 

 

 誰も、追いかけようとは思わなかった。

 

 

 何故なら、そのアンデッドが姿を消してもなお、城下町には、アンデッドが多数存在しており。

 

 バルブロや貴族たち……大勢の死者や負傷者を出した者たちが、悔い改めようとして戻ってくる気配もなく。

 

 

『──反逆者共を薙ぎ払い、王国の民を守るのだ!』

 

 

 男の声であったり、老人の声であったり、少女の声であったり。

 

 何処かで聞いた覚えのあるソレらが、徐々に近づいて来るのを感じ取っていた……城下町の人々は。

 

 ただ……この内乱が、終わろうとしているのを……うっすらと感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………まあ、だからこそ、事情を知る者たちを除いて、王国の民たちは誰も気付いていなかった。

 

 

 たとえば、人々の記憶に色濃く残ったアンデッドの恐ろしい形相とは裏腹に。

 

 その内心は『い、意外と演技出来ているかな!? ちゃんと騙せているよね!? こんな大勢の前での魔王ロールって、これで正解なの!?』という不安でいっぱいいっぱいだったり。

 

 

 たとえば、人々の人気も高い第三王女だが、近くで見ると不眠不休の徹夜で目の下にどす黒いクマが出来ていて。

 

 その内心は『こ、これから更に帝国との打ち合わせ、貴族たちが抱えていた資金の確保、人員の……ね、寝かせて、1時間でいいから』と半分意識を飛ばしていたり。

 

 

 同様に第二王子やランポッサ三世、ガゼフの疲労の色が非常に濃く……正直、老体のランポッサ三世に至っては、かなり厳しい状態であり。

 

 けれども、王国が立ち直る為にはココで踏ん張らねばならず……本来は心優しいランポッサ三世ですら、『バカ息子め……!!』と人知れず怒りを溜めていることに。

 

 

 誰も……そう、『転移門』にて転移した悟も、気付いてはいなかった。

 

 

 ……まあ、それも致し方ない。

 

 

 何故なら、誰もが自分の命が助かるかどうかの瀬戸際で……悟の場合も……『転移門』にて、ナザリックへと帰還する、その直前。

 

 

『どうした、ニグレド?』

『報告、シャルティア様がゾーイによって完全に殺されました。指輪による復活の気配は、もうありません』

『そうか……』

『同様に、アウラ様もゾーイの手で殺されたのを確認しました。そして、ゾーイは……速度こそ遅いですが、ナザリックへの移動を開始しました』

『──分かった。戻り次第、ナザリックの警戒レベルを最大に引き上げ……作戦通り、ゾーイを迎え撃つ。全ての僕に通達せよ』

『了解致しました』

 

 

 ついに、その時が来たのだと……考えていたからであった。

 

 

 




次回も、原作キャラが死にます


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マルチバトル: 降臨、調停の翼HL

ついに、最終決戦です
イメージBGMは「Armageddon」です


原作キャラ死亡有り、注意要


 

 

 

 ──『ユグドラシル』において、レイドボスという分類に属する相手と戦う場合、相手に応じた対策は必須である。

 

 

 たとえば、相手が主に火属性の攻撃を多用するのであれば、火耐性を整えておく。

 

 魔法系の攻撃に耐性があるならば、物理系の攻撃を揃えている者が全面に立ち、魔法系の者はひたすら支援に回る。

 

 他にも、種族によってプラスに働いたりマイナスに働いたりと、色々あるばかりか、カルマ値ですら影響する場合があるという。

 

 なので、ユグドラシルは単純に力押しで勝てるようなゲームではなく(もちろん、限度はある)、上位の敵を相手取るともなれば、その相手の特性は頭に叩き込んでおくのが基本である。

 

 

 ……で、だ。

 

 

 対ゾーイ戦において重要な事は正直両手の指でも足りないぐらいに多いのだが、その中でも特に気を付けなければならないのは……だ。

 

 

『──いいか、順番を間違えるな! 絶対にゾーイへのデバフを切らさず、指示を受けていない者以外は徹底的にデバフを掛け続けろ!! 』

 

 

 そう、対ゾーイ戦において重要なのは、強さだけではない。

 

 ゾーイのHPを削りきる手順……すなわち、倒す為には、様々な状況を想定した戦術もそうだが、そこに至るまでの順番とリカバリー力が大事なのだ。

 

 

 なにせ、ゾーイのレベルは200。

 

 

 超高難易度ではあるが倒せるようにちゃんと調整されているけれども、素のステータスが違い過ぎる。

 

 ゆえに、焦ってはいけない。一つのミスが、そのまま全滅に直結する相手なのだ。

 

 対ゾーイ戦は、パズルを組み立てるのと同じく、正しい手順を踏んでいく必要があるのだ。

 

 そして、対ゾーイ戦が始まってまず行うのは、様々なデバフを掛けまくり、ダメージなどを通り易くするのが鉄則である。

 

 

 とはいえ、だ。

 

 

 ゾーイにも、実はデバフに対する耐性があったりする。

 

 まあ、ゾーイと戦うようなプレイヤーからすれば、有って無いような程度の耐性だが……今回ばかりは、そうではない。

 

 なにせ、本来はレベルカンストのプレイヤーたちが束になって戦うのが前提の相手。

 

 それよりもレベルの低いNPC(つまり、ステータスが低い)では、必ずしもデバフが通るわけではない。

 

 なので、悟は質ではなく量で押し切る方向を選んだ。

 

 デバフ要員は、ユグドラシル資金による召喚モンスターと、ナザリックの至るところに設置されてある罠デバフである。

 

 

『ナザリックの金庫が空になってもかまわん!! ありとあらゆるデバフを掛け続け、ゾーイを弱体化させ続けろ!!』

 

 

 湯水のように目減りしていく資金を確認しつつ、悟は……ウィンドウに表示されたゾーイの様子を伺う。

 

 

(やはり、カンストレベルに達していないNPCや召喚モンスターでは全くダメージが通らんか……!!)

 

 

 そうして、悟は……思わず、歯を食いしばる。

 

 ゾーイの進行は……正直、欠片も止められていないのが現状だ。

 

 映像で追えている限りではあるが、デバフは通じている。質より量作戦は上手くいっているようで、動きも精彩を欠いているように見える。

 

 

 しかし、『非公式レイドボス』や『歩くラスボス(笑)』とプレイヤーたちから怖れられていたのは伊達ではない。

 

 

 魔法の影響が残っているのか、一つ一つの攻撃に移るまでにタイムラグが生じているが……それでも、攻撃に移れば最後、誰もその動きを見切れていない。

 

 その速さは、『モモンガ』としての恩恵を受けている今の悟の目でも追い切れない速さであり……まともにぶつかれば、敗北は必至だろう。

 

 

 加えて、ときおりゾーイが放つ『バイセクション』も凶悪だ。

 

 

 上手く攻撃方向を誘導出来れば良いが、失敗する度、一気にデバフ部隊が壊滅していくのは……もう、見ているのが辛くなるような光景であった。

 

 

 ……ところで、だ。

 

 

 ウィンドウから、視点を少しばかり広げよう。現在、悟が居る場所は、ナザリック最下層にある『玉座の間』。

 

 ワールドアイテムの一つである、巨大な水晶で作られた『諸王の玉座』にて、悟は……侵入してきたゾーイへの対応を、NPCたちに指示していた。

 

 

 傍には、誰一人としていない。

 

 

 普段ならば、あの手この手の言い訳を考えて傍に居ようとするNPCも、パンドラの姿さえ、今はない。

 

 理由は考えるまでもなく……対ゾーイに備えて、各自が動いているからだ。

 

 この戦いは、出し惜しみなどしてはいられない。御身がどうとか以前の問題で、そのような考えでは100%負ける。

 

 

 ゆえに、悟は今、1人である。

 

 

 そして、玉座に座った悟の前には、様々なウィンドウ(見た目は、ゲームウィンドウみたい)が表示されている。

 

 そこに映し出されているのは、ナザリックの全体図、罠の発動状況、ナザリックの資金、ゾーイの現在地……等々。

 

 最下層のここでしか出来ないし、ここでは転移門が使えないので、攻め込まれたら逃げ場を失うが……問題ない。

 

 何故なら、ここを逃げたところで……悟に勝ち目などないし、逃げる気はサラサラなかったからだ。

 

 

『直接攻撃はするな! アイテムによる割合ダメージを確実に狙え! 焦るな、少しずつでもゾーイの体力は削れていっている!!』

 

 

 だからこそ、ここで出しきる。

 

 その事に、悟は欠片の躊躇もしなかった。

 

 ゆえに、使用するのはこの時の為に用意しておいた、割合ダメージの攻撃アイテム(スクロールも含まれる)だ。

 

 

 ……正直、ユグドラシルでは、けっこう微妙な扱いをされているアイテムである。

 

 

 なにせ、割合ダメージに関する耐性なんて、ある一定のモンスターなら標準装備されているうえに、ダメージ上限が設けられている場合が多々ある。

 

 かといって、何かの素材として使えるのかと言えば、そういうわけでもなく……けっこうお高いアイテムなので、アイテムボックスの肥やしになっている場合が多い。

 

 そして……当然ながら、ゾーイも耐性を持っており、ダメージ上限がしっかりと設定されていた。

 

 

『──アインズ様! 攻撃アイテムが間もなく底を突きます!』

 

『在庫が尽き次第、ハンゾウ(NPC)による隠密攻撃を開始せよ! なんとしてでも、HPを75%以下に削るのだ!』

 

『──アインズ様! 予定より金貨の減りが速いです! このままでは最後に辿り着くまでに底を尽きます!』

 

『使用予定の無いアイテムは全て金貨に替えろ! 最低でもナザリックの防衛システムだけは維持し続けるのだ!!』

 

 

 アイテム管理を行うパンドラからの、矢継ぎ早に飛んでくる『伝言』。想像するまでもなく、現場は大混乱だろう。

 

 

『──報告! 対象は第3階層を突破し、第2階層の『屍蝋玄室』が有る方へと向かっております──なおも、速度緩む気配無し!!』

 

『そのまま継続してデバフと割合ダメージで削れ!! ゾーイがかつての私のように設定に縛られているのならば、道が有る限りショートカットはして来ないはずだ!!』

 

 

 だが、これしかないのだ。不安はあるが、そんなのは分かりきっていることだ。

 

 ユグドラシルプレイヤーたちが挑戦した『対ゾーイ戦』の……うろ覚えの映像記憶、ソレだけが、この戦いを切り抜けられる鍵。

 

 それを頼りに、悟は戦況の変化を、全神経を集中させて見続けている。

 

 

(頼む、削れてくれ! 今のこのタイミングで守護者たちをぶつけるのは、早過ぎる!)

 

 

 祈るように映像を見つめる。

 

 映し出されたディスプレイの向こうでは、『滅する……空星の狭間に去ね!』幾度目かとなる閃光がゾーイより迸る。

 

 

(恐怖公……!!)

 

 

 かつては様々なプレイヤーを恐怖させた彼が、光に呑み込まれて消滅する。放たれた熱気が、眷属たちを瞬時に炭化させてゆく。

 

 並びに、張り直した陣形が一瞬で崩壊されてゆく。出来うる限りの速度で陣形を張り直すが、力不足だ。

 

 

(ユリ・アルファ)

 

 その中には、見覚えのある者もいる。

 

 

(ナーベラル・ガンマ)

 

 それは、必ずしも良い思い出ではない。

 

 

(ソリュシャン・イプシロン)

 

 むしろ、悪い意味での記憶は多い。

 

 

(シズ・デルタ)

 

 けれども、どうしてだろうか。

 

 

(ルプスレギナ・ベータ)

 

 己の為に死ねと命令したも同然なのに。

 

 

(エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ)

 

 どいつもこいつも、笑顔だ。どいつもこいつも、笑っている。

 

 

 それでいて、寂し気に涙を浮かべながら、ゾーイの前に倒れ、その命を落として逝く。

 

 

(──ちくしょう! 涙なんて出ないはずなのに、目の前が霞んでしまいそうだ!!)

 

 

 その事が、悟は……不思議と、胸が裂けるほどに苦しく、悲しかった。

 

 

『オーレオール・オメガ! お前は撤退しろ、絶対に死ぬな! お前は、最後まで死なずにバフを掛け続けるのが役目だ!』

 

 

 だが、悲しんでいる暇は無い。涙を堪えて、悟の指示に従って撤退するオメガを顧みることも出来ない。

 

 今の悟に、そんな余裕など与えられていないのだ。

 

 

 『オーレオール・オメガ』は、ナザリック戦闘メイドチーム『七姉妹(プレイアデス)』のリーダー。

 

 

 オーレオール以外の姉妹は先ほど殺され、既にプレイアデスは壊滅しているが、オメガはまだ死なせるわけにはいかない。

 

 何故なら、オーレオールは指揮官としての能力を持ち、転移門の操作を始め、様々なバフを掛ける事に特化している。

 

 他にも多種多様にバフ要員を準備してはいるが、オメガが欠けるかどうかで、この後の戦闘がガラリと変わってくるのだ。

 

 ……そう、この後を考えると、ここでナザリックの主戦力である守護者を倒されるわけにはいかないのだ。

 

 

『──報告! ゾーイの動きに変化が──ナニカが来ます!』

 

 

 そして……出来うる限り用意出来た『ハンゾウ』も倒され、第三階層を突破され、第四階層『地底湖』へと降り立った時……ついに、その時が来た。

 

 

 

 ──来たれ! 調停の翼よ!! 

 

 

 

 ウィンドウの向こうで、ゾーイが蒼天の剣を掲げ、名を呼ぶ。途端、ぬるりと空間より姿を見せるのは、一体の竜。

 

 それは、『調停者ゾーイ』に対して一定以上のダメージを与えた時に必ず出現(つまり、呼び出す)する竜である。

 

 それは、あまり大きくはない。サイズだけを見れば、ドラゴンではなくワイバーンぐらいだろうか。

 

 

 

(──来た! ここだ、ここが第一の関門だ!!)

 

 

 

 それを見た瞬間、悟は……今はもう無いはずの心臓が、ギュッと締め付けられる感覚を覚え……同時に、安堵のため息を零した。

 

 

 ……これまでの戦闘で薄々察していた事が一つある。

 

 

 それは、やはり今のゾーイはユグドラシルの時の設定というか、定めていたルールに従って動いているという点だ。

 

 つまりは、対ギルドとなった場合、ちゃんと通路を通って最深部(要は、ギルド武器)を目指すようにしているわけだ。

 

 そうでなければ、『レイ・ストライク』の連発でナザリックを破壊し、一直線に悟の下へ直行するはず……それをしないという事は、そういう事なのだろう。

 

 そして、それが分かれば……悟が取る手段は、一つ。

 

 

『アルベド! コキュートス! セバス! 行け、全力を持って、『調停の翼』の体力を削りきれ!』

 

『デバフ部隊は再び継続してデバフし続けろ! ゾーイは形態変化を行う度、その身に受けたデバフを回復する能力がある! 気を緩めるな!』

 

 

 それは、調停の翼と合体する前の状態にある竜だけが放つ技の一つ。

 

 

『絶対に『サンダー』を食らうな! それが連発されるようになったら、何一つ出来ないままなぶり殺しにされるぞ!!』

 

 

 名を、『サンダー』。

 

 全体ダメージタイプか、単体光属性多段ダメージタイプか、それは発動する直前のエフェクトで判別出来るが、問題はそこではない。

 

 いや、それもまた驚異的な威力で無視出来ない話なのだが、それよりも厄介なのは……『サンダー』の副作用。

 

 それは、『調停の翼』より放たれる『サンダー』を受けると一定時間奥義が封印される……つまりは、魔法もスキルも使用不能状態に陥ってしまうという恐ろしいもので。

 

 物理で殴るタイプならばまだマシだが──見方を変えれば、魔法詠唱者(マジックキャスター)殺しも同然の攻撃であり。

 

 

(後衛に特化した魔法詠唱者にとっては天敵のような技……特に、俺のように特化したようなステータスにしている者は……!)

 

 

 別名……後衛殺しの雷。

 

 

 それを防ぐ手段はなく、対策は……『サンダー』を使わせない為に、次の形態変化を促す……つまりは、短期決戦しかないのであった。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………ずずずん、と。

 

 

 ナザリックが、揺れている。偉大なる御方たちが築き上げた『ナザリック地下大墳墓』が、壊されてゆく。

 

 ゾーイが放つ『バイセクション』もそうだが、斬撃や殴打でも十分すぎる威力なのだろう。

 

 壁が、彫刻が、紋章旗が、並べられていた墓石が、砕かれ、焼かれ、瓦礫と灰に入れ替わってゆく。

 

 既に第3階層までは元の造形が何だったのかすら分からない有様で、第4階層『地底湖』へと通じる第2階層の通路に至っては、もはや廃墟の通路も同然の有様だ。

 

 

 本来、ここはそう簡単に壊れない。

 

 

 かつて、ここに攻め込んできた1500名の討伐隊ですら、細々とした小物は壊せても、ナザリックそのものはどうにも出来なかった。

 

 だが……どうやら、至高の御方たちですら一目置き、戦闘を避けろと仰っていたゾーイが相手では、違うようだ。

 

 

「──どうしましたの、セバス?」

 

 

 感慨に耽っていたセバスは、背後から掛けられた声にハッと我に返った。

 

 

「……少しばかり、考え事をしておりました」

 

 

 セバスのその言葉に、声を掛けたアルベドは……軽く笑った。

 

 その笑みは……笑ってはいるものの、とても寂しげなものであった。

 

 

「当ててあげましょうか?」

 

 

 そう、尋ねられたセバスは……ふふっと、アルベドと同じく寂しげに笑った

 

 

「考える必要が、ございますでしょうか?」

「あら、もしかしたらハズレているかもしれないじゃない」

 

 

 からかうようなアルベドのその言葉に、セバスはもう一度ふふっと笑みを零し……改めて、眼前に広がる地底湖を見つめる。

 

 地底湖があるフロアは……一年を通して薄暗く、静かだ。風も無く、波紋が立つこともほとんどない。

 

 けれども、そこには命が息づいている。至高の御方たちの手で生み出された命がそこにいる。

 

 ……客観的に見れば、外の世界にある湖の方がずっと美しいのだろう。

 

 けれども、セバスにとっては……いや、『ナザリック』にて生み出された僕たちにとって、ここの方が万倍も美しく思えた。

 

 

「……これで、良かったのかもしれませんね」

 

 

 そんな、静まり返った地底湖にて……ポツリと、セバスの呟きが零れる。

 

 現在、セバスの傍に居るのは、守護者のアルベドと、コキュートス。そして、意思疎通が可能な僕が少数と、まともに会話が成り立たない僕が大多数。

 

 なので、セバスの呟きに答えられるのは、必然的にアルベドとコキュートスぐらい……それでも、だ。

 

 

 ──何が、とは、誰も言わなかった。

 

 

 理由は、セバスの言葉が理解出来ず首を傾げた者がほとんどで。

 

 言葉は理解出来ても、意味が理解出来なかった者も首を傾げ。

 

 その中で、言葉も意味も理解して察した者が1人いるが、こちらから聞き返す事ではないとあえて口を噤んでいた。

 

 

「……私たちは、あまりに異質でございます」

 

 

 だからこそ……その言葉がセバスの唇から出て来るまでの、沈黙……セバスに、言葉を選ぶ事案を与えてくれた。

 

 

「偉大なる至高の御方……『たっち・みー』様を始め、ナザリックを去ってゆき……今では、アインズ様だけが残ってくださいました」

 

「だから、私たちはアインズ様が残ってくださった事を心から喜び、あの方に仕える事を至上の喜び……事実、それからの日々は幸福でございました」

 

「そして、アインズ様がお望みになったこの世界を、ゆくゆくはその手に……その為ならば、このセバス……手を汚す事も(いと)わないと思っておりました」

 

 

 ……そこで、セバスが言葉を止めた。そのまま、しばし間を置いた後で……ポツリと、告げた。

 

 

「ですが、今にして思うのです。果たして、本当にアインズ様は……この世界を望まれたのでしょうか?」

 

 

 瞬間──この場に居る大多数の僕たちはギョッと目を見開き……怒りを露わに、セバスを睨みつけた。

 

 

「──静まりなさい」

 

 

 だが、それ以上は何も出来なかった。

 

 何故なら、守護者統括のアルベドより静止されたからで……そのアルベドは、只々悲しそうに……寂しそうに、セバスを見つめた。

 

 

「どうして、セバスはそう思うの?」

「どうして? 私に聞かずとも、既にお分かりでしょう、アルベド」

 

 

 対して、セバスは……いや、セバスも悲しそうに俯いた。

 

 

「そもそも、私たちは一度として、アインズ様の口からこの世界を手に入れると……ちゃんと、尋ねた事がありますか?」

「…………」

「分かっているのでしょう、アルベド、貴女も」

「……なにがよ」

「アインズ様は、私たちが望んでいた通りに動いてくださっていただけ。私たちが思い描く、至高の御方を想像して……そのように演じてくださっていただけなのです」

「……分かっているわよ、それぐらい」

「ですが、あの時は分からなかった」

 

 

 はっきりと言い切れば、アルベドは……そっと、視線を逸らした。それが、アルベドの答えであった。

 

 

「あの時、玉座の間にてアインズ様から魔法が掛けられる、その時まで……誰一人、気付いてはいなかった」

「……ええ、そうね」

「たった一言でいい。たった一言、『御身はどのように暮らして行きたいのですか?』とさえ聞ければ、『私たちの事はかまわず、ご自由になさいませ』とさえ言えれば、良かったのです」

「それは……そうね」

「何と滑稽な話なのでしょうね。私たちは、御身の事を第一に考えているように振る舞っていただけで、その実……自分たちの事しか考えていなかった」

 

 

 そう、言い終えた直後……ひと際強い振動が、『地底湖』をビリビリと震わせた。

 

 

「……今だからこそ、分かります。本当のアインズ様は……そのような御方ではなかった」

「……そのような?」

「私たちはただ、あの方を苦しめる事しか出来なかった……そう、私たちはあの方の忠実なる僕には成れても、対等の友人にはけしてなれない存在でしかなかった」

「…………」

「あの方の望みは、世界ではありません。共に語り合い、共に肩を並べ、共に食事をし、共に冒険をする……そんな、対等の友人……それだけが、あの方の望みだったのです」

 

 

 ──再び、強い振動音。

 

 

「──そうですか、オーレオールを除いた姉妹が逝きましたか」

 

 

 今度は先ほどよりも激しく力強い。『伝言』にて伝えられた部下の死に、セバスは……グッと唇を噛み締めると、前を向いた。

 

 

「──語ライハ、済ンダカ?」

 

 

 合わせて、タイミングを見計らっていたかのようにコキュートスが、ヌルリとアイテムボックスより愛刀を取り出した。

 

 

「コキュートスは、何も思わないのですか?」

 

 

 その、あまりに普段通りの態度を不思議に思ったセバスが尋ねれば。

 

 

「モハヤ、語ライハ不要。タダ、命ヲ尽クス……ソレガ、アインズ様ニシテサシアゲラレル、唯一ノコトダ」

 

 

 それだけを語ると……コキュートスは、己が部下と共に、構えた。

 

 

「……なるほど、実に貴方らしい」

 

 

 それを見て、フッと肩の力を抜いたセバスは……コキュートスに合わせて、サラッと戦闘態勢を整えたアルベドを見やった。

 

 

「アルベドは──」

「私の事よりも、ツアレは本当に良いの? 人間たちはカルネ村に避難させたけど、王都が落ち着くまでは……誰も彼もが苦しい日常になるはずよ」

 

 

 遮るように言われたセバスは……静かに、頷いた。

 

 

「それも覚悟したうえで、あの子は子を産むことを決めました。ならば、私が言う事はありません」

「……あ、そう」

「大丈夫です、ツアレは強い。エンリたちも、良くしてくださるでしょう」

「たっち・みー様が知ったら、怒るのではなくて?」

「そうですね、きっと怒られるでしょうね……ですが、ここで自分だけ逃げだしたら、それ以上に怒られそうです」

「──ふ、ふふ、そうね、そうよね」

 

 

 あまりと言えば、あんまりな言い草に……堪らずと言わんばかりに、アルベドはヘルムの中で笑みを零し……次いで、視線を向けた。

 

 

「それじゃあ、私も……愛するみんなの為に、自らの役割を果たしましょうか」

 

 

 その、直後。

 

 

 

 

 

 ──来たれ! 調停の翼よ!! 

 

 

 

 

 

 はるか視線の先にて……竜を召喚した調停者の姿を、ナザリックの守護者たちは視認し……構えた。

 

 

 




序盤はまだ順調に進んでいます
ただ、グラブルやっていると分かりますけど、グラブルの高難易度マルチってHP減ってからが本番なんすよね、一手間違えると全滅間近とか普通に起こりますし
まだ、ゾーイは優しい方なんすよ(震え声)


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マルチバトル: 星晶獣ジ・オーダー・グランデHL

オリ設定あり、原作キャラ死亡あり、注意要


 

 

 

 

 ──対ゾーイ戦、第一の関門。

 

 

 

 

 

 それは、ゾーイに対して一定以上のダメージを与える(要は、HPが75%以下になる)と登場する、『調停の翼』と呼ばれる竜の存在である。

 

 この竜、一見するばかりでは竜として見れば身体も小さく、大して強そうには見えないが……騙されてはいけない。

 

 なにせ、この竜は……『サンダー』と呼ばれる、魔法とスキルを一時的に封じる攻撃を放ってくるのだ。

 

 

 しかも、それだけではない。

 

 

 『サンダー』ほど驚異的ではないが、魔法やスキルを使用した後のクールタイムを延長させる、『ストラトスフィア―』という技も使ってくるのだ。

 

 つまり、『調停の翼』はその見た目に反して、相手に魔法やスキルをとにかく使わせない、持久戦を強制させるタイプのモンスターなのである。

 

 

 しかも、しかも、だ。

 

 

 そういう嫌らしい攻撃を放ってくるくせに、プレイヤーに対してストレスを多大に溜めさせる(ユグドラシルでは、ゴミカス竜とも言われていた)この竜。

 

 動きこそ単調でパターンさえ分かれば倒し易い相手だが、なんと、基礎ステータスそのものが高く、基本的に遠距離攻撃ばかりしてくるのだ。

 

 つまり、魔法もスキルも封じてくるくせに、本領を発揮する近接戦闘プレイヤーからは離れ、魔法詠唱者が本領を発揮する遠距離より攻撃してくるのだ。

 

 基本的に後衛よりアシストするなり何なりが魔法詠唱者の持ち味(例外はある)だが、魔法もスキルも封じられた後衛の魔法詠唱者など、案山子もよいところ。

 

 なので、『調停の翼』が出現すると、前衛をタンクで固めて遠距離攻撃の撃ち合いになるか、デバフにて素早さを落として無理やり近接戦闘に持ち込むかであり。

 

 何も考えずに突っ込むと、もれなく全員スキルも魔法も封じられた後で、根こそぎ『サンダー』でやられてしまうわけである。

 

 そりゃあ、プレイヤーから『ゴミカス竜』なんて呼ばれるのも致し方ない話である。

 

 

 しかも、しかも、しかも、だ。

 

 

 厄介なのは、この竜だけではなく……ゾーイもまた、普通に参戦してくるという点だ。

 

 つまり、敵キャラが2体。目の前の相手だけを注意していればよい状態ではなくなる。

 

 竜を相手にする為に前面をタンク(要は、壁役)で固めてしまうと、そのタンクが、側面から来るゾーイの攻撃であっという間に壊滅してしまうわけだ。

 

 なにせ、『サンダー』もそうだが、『ストラトスフィア―』という技を受けてしまうと、タンク役がスキルや魔法を使って自ら防御力やHPを上げられない隙間の時間が生まれてしまう。

 

 そうなれば、タンクたちは素のステータスでゾーイの猛攻を防ぐしかないわけで……ここで、入念に準備をしていないタンクはやられてしまう。

 

 

 なにせ、後衛は『調停の翼』と『ゾーイ』と、『タンク』たち全員のバフとデバフを掛け、そのうえで攻撃に転じる必要があるわけだ。

 

 

 そこからさらに、ゾーイの攻撃の中には『スピンスラッシュ』と呼ばれる、攻撃を受けたキャラに確率で気絶……すなわち、『行動不能』状態を引き起こすモノがある。

 

 そう、これまで威力が高すぎ&受けるダメージが大き過ぎて、気絶した瞬間に覚醒していたのだが……実は、本領を発揮するのはタンクを相手にした時なのだ。

 

 これがまあ、分かり易くいえば……ゾーイの攻撃を無防備に受けざるを得ない者がちらほら現れ始めるわけで。

 

 もう、この時点で『ゴミカス竜』なんて呼ばれて当然の所業であり、上手に事が運べていたチームが、そのまま流れ落ちるように壊滅して敗退するのもまあ……だいたいの流れであった。

 

 

(──よし、このタイミングだ! 一定以上ゾーイにデバフが掛かった、今しかない!)

 

 

 だが、そんなゴミカス竜を前にしても……悟は、冷静に状況を見て、タイミングを見計らい……対調停の翼用の作戦を考えていた。

 

 

 ……そう、いくら凶悪なゾーイとはいえ、どれだけ強かろうが、大本となったのは、悟が愛したゲームのキャラクターなのだ。

 

 

 過去、いくら『糞運営(怒)』とヘイトを稼ぎまくっているユグドラシルであっても……つまりは、『調停者ゾーイ』であっても、ゲームである以上は、付け入る隙はちゃんと作られていて。

 

 実際、『調停の翼』が出てきた後でも、それを様々な手法にて突破した映像動画を……悟は、いくつか記憶していた。

 

 

「『I Wish──』」

 

 

 それらを参考に、悟が考えた方法……それは、ぶっつけ本番の攻略法である。

 

 

「『調停者ゾーイの動きを封じろ!』」

 

 

 ──まず、『星に願いを』にて、再びゾーイの動きを停止する。

 

 

 その際、『流れ星の指輪』を使用する場合とは違って発動まで時間が掛かるので、課金アイテムである『砂時計』を使用して発動までの時間を短縮する。

 

 ウィンドウの向こうには、守護者たちに襲い掛かろうとしていたゾーイが突如それを止めて……だらん、と脱力して立ち尽くしたまま動きを止めていた。

 

 

 異変に気付いた『調停の翼』が、雄叫びをあげる。

 

 

 だが、ゾーイは一度目と同じく、だらんとその場に立ち尽くしたまま動く気配はない。ぼんやりとした様子で、俯いたままだ。

 

 どうやら、無事に『星に願いを』が通じたようで……ひとまず、悟はほっと胸を撫で下ろした。

 

 

(……薄々予感はしていたけど、最大まで経験値を持って行かれたか)

 

 

 だが、その結果、悟は己のレベルが100から95に下がったのを感覚的に察して……いや、止めよう、今は全て後回しだ。

 

 

 そう、まずは、最初の一手。ゾーイの完全停止。

 

 

 状態異常の『麻痺』ではない。ゾーイは麻痺や昏睡や睡眠に対する完全耐性を有しているので、それでは駄目だ。

 

 ゾーイの動きを封じるには、『星に願いを』による、状態異常とは異なる超位魔法による行動停止……それ以外に、その動きを封じる方法がないのだ。

 

 

(だが、この手応え……やはり、ハメ技防止の為に二度目以降は耐性が跳ね上がっているのか……!)

 

 

 しかし、想定していた通り……1回目に比べて、はっきり自覚出来るぐらいに手応えが弱いことに、悟は唸った。

 

 

 考えてみれば、当たり前だ。

 

 

 いくらデメリットの多い超位魔法とはいえ、それで永続的に有利な効果を出し続ければ、それこそレイドボスであろうと完封出来てしまう。

 

 それは、ユグドラシルに限った話ではない。

 

 そういった魔法やスキルはおおよそ、一度目は通じても、二度目以降は効きが悪くなるようになっているのが当たり前で……そして、ゾーイもまた例外ではないのだ。

 

 

『──パンドラ! 作戦を開始せよ! 守護者たちよ、竜をゾーイから離せ!』

 

 

 けれども、それぐらいは悟とて百も承知……すぐさま、次のフェーズへと移るようパンドラに指示を送り、ジッとウィンドウを見つめる。

 

 

 指示を受けた守護者たちが、『調停の翼』へと向かう。

 

 

 対して、『調停の翼』は一瞬ばかりゾーイを見やったが、過去の攻略動画と同じく羽ばたいて空へ飛び、迫ってくる守護者たちより距離を取った。

 

 ここがゲームの世界ではないとはいえ、そもそもが『ゴミカス竜』……接近戦を仕掛ける相手に距離を取って一方的に攻撃しようとするのは変わっていないようだ。

 

 

 なので、ゾーイの周囲には誰もいなくなった。

 

 

 それを見て素早く駆け寄って来たパンドラは……スルッと、ゾーイの手を取ると、指輪をはめた。

 

 

 その指輪の名は『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』。

 

 

 詳細は省くが、要は転移が制限されているナザリック内の部屋(例外有り)に、回数無制限で自在に転移する事が可能となる指輪である。

 

 全部で100個しかないそれは、本来ならば所持しているだけで、NPCたちから憧れと嫉妬の眼差しを向けられる代物だが……いったい、どうしてそれを? 

 

 

『──転移! ゾーイを宝物殿へ!』

 

 

 答えは、すぐに出された。

 

 パンドラが宣言すると同時に、パンドラとゾーイはその場から姿を消し──次の瞬間には、ナザリックの宝物殿へと転移していた。

 

 宝物殿には既に、多数のアンデッド……『死者の大魔法使い(エルダーリッチ)』が控えていて……タンと床を蹴って軽やかにアンデッド達の背後へとパンドラが隠れると。

 

 

 ──手筈(てはず)どおり、一斉にデバフを掛け始めた。

 

 

 モンスターとしてのレベルは低いが、それでも絶え間なく行われる数打ちゃ当たる戦法を前に、ゾーイのステータスは通じるリミットまで下がった状態を維持される。

 

 すると……ゾーイに変化が現れた。

 

 褐色の肌からは血の気が引き、薄らと顔色までもが悪くなる。少しずつ呼吸も荒くなり始め……ツーッと、目と鼻から鮮血を垂れ流し始めた。

 

 

『──よっしゃぁ!!! 状態異常『毒』になった! そのままデバフ状態を維持し、常に最大スリップダメージを維持するのだ!!』

 

 

 それを、ウィンドウ越しに見ていた悟は──堪らず、玉座にてガッツポーズをしていた。

 

 そう、これこそが、悟が考えていた第一の関門を突破する秘策……『ゾーイ毒浸し作戦』である。

 

 

 その内容を簡潔にまとめると、だ。

 

 

 まず、動きを止めたとはいえ、ゾーイを攻撃している余裕が守護者たちにはない。

 

 いくら『ゴミカス竜』と滅茶苦茶嫌われているとはいえ、その強さは間違いなく、『サンダー』も『ストラトスフィア―』も、十二分に戦線を壊滅させる威力を持っている。

 

 ならば、どうするか……答えは、『竜から邪魔をされることもなく、黙っていてもダメージを受けてしまう状況にゾーイを置く』、である。

 

 

 さて、そんな場所がいったい……いや、ある。

 

 ナザリックにおいて打って付けな場所が一つある……それが、宝物殿なのだ。

 

 

 なにせ、宝物殿はナザリック内には有っても物理的に一切繋がっておらず、指輪による転移以外で出入りは不可能な場所にある。

 

 

 つまり、邪魔が入らないわけだ。

 

 

 しかも、宝物殿は『ブラッド・オブ・ヨルムンガンド』と呼ばれるアイテムによって、猛毒の効果をもたらす汚染された空気で満たされている。

 

 このアイテムは、ユグドラシルにおいても最高級に位置付けされている。その効果は絶大で、毒無効を持たない者は瞬く間に毒の影響で死亡するほどだ。

 

 

 そして……実は、ゾーイには毒耐性が無いので、毒によるスリップダメージが有効なのだ。

 

 

 もちろん、スリップダメージの上限も低く定められているので、致命傷になどならないが……それでもなお、悟がこの作戦を選んだ理由が、もう一つある。

 

 

 その理由とは……『調停の翼』と『ゾーイ』は同一の存在であり、HPが共有されている……というものであった。

 

 

 そう、『調停の翼』が現れたことで1人と1体に増えるわけだが、HPが共有されているので、実際は『調停の翼』という名の攻撃手段が増えただけなのである。

 

 なので、第二形態のこの時は両方を倒すのではなく、実はどちらか一方に一定以上のダメージを与えればOKなのである。

 

 

 ……まあ、それが簡単には出来ないからゾーイなのだけれども。

 

 

 それに、この方法は安定性が無い。

 

 いちおう、毒によるスリップダメージは直接的攻撃ではないので、ユグドラシルのシステム的には、行動停止が解除される事はないだろうが、そこではない。

 

 安定性が無い理由は、ゾーイに掛けられた『星に願いを』……すなわち、行動停止状態が、この状況で切れてしまうと、だ。

 

 マップクリエイトを使った意図的な行動妨害(その場から脱出できない閉鎖空間などに閉じ込める)、すなわち、システムを悪用した妨害行為と取られてしまうのだ。

 

 

 で、そうなると、どうなるか。

 

 いわゆる、通称『発狂モード』となる。

 

 

 説明すると長くなるので省くが、要はギルドメンバー全員揃ってでも手が付けられない状態になってしまい……そうなれば、悟に勝ち目はない。

 

 

(頼むぞ、アルベド、セバス、コキュートス。スリップダメージで削りきれない分は、竜の方から削らなければならん……お前たちが頼りだ!)

 

 

 兎にも角にも魔法が切れるまでの時間内に削りきらなければ…………その為に、悟はアルベドたちに新たな装備を与えた。

 

 それは、今は居ないかつての仲間たちが残してくれた『神器級装備』。すなわち、悟が預かっていた仲間たちの装備である

 

 これにより、アルベド達のステータスは飛躍的に向上している。

 

 また、そのための人員も、守護者の中で最も攻撃力のあるコキュートス、攻撃力もあるし第二位の素早さを持つセバス、第四位の攻撃力を持つアルベドとなっている。

 

 加えて、数に任せたデバフで、ステータスを下げたままを維持している。

 

 これにより、守護者3名による息を合わせた連携も相まって、少しずつ……本当に少しずつだが、『調停の翼』の体力を削ることに成功し。

 

 

『──アインズ様! ゾーイの様子に変化あり! 間もなく魔法が切れる可能性大!』

 

『──直ちに戻せ!』

 

 

 パンドラより報告が来たのと、それに対して指示を出し、受けたパンドラが素早くゾーイの手を取って転移したのは、ほぼ同時で。

 

 突如──『地底湖』にて守護者たちと戦っていた『調停の翼』が鳴いたかと思えば。

 

 元の場所に戻されたゾーイがハッと我に返るのと、素早く転身したパンドラがそこからさらに転移したのは、ほぼ同時で。

 

 

 

 ──行くぞ

 

 

 

 己が何時の間にかダメージを受けている事に気付いたゾーイの下に、意志を汲み取った『調停の翼』が、雄叫びを上げながら急降下し──そして。

 

 

 

 ──蒼天の映し鏡たる我が剣にて、万象の憂いを断たん!! 

 

 

 

 カッ、と。

 

 ひと際強い光がゾーイたちより放たれた直後にはもう、調停の翼と融合を果たした、調停者ゾーイが……いや、違う。

 

 

 

 ──断ち切る!! 

 

 

 

 ついに、世界の均衡を崩す存在を相手に本気を……『星晶獣ジ・オーダー・グランデ』へと成った彼女が、蒼天のように輝く剣を構え──それを見たコキュートスが、先に動いた。

 

 

 

不動明王撃(アチャラナータ)』!!! 

 

 

 コキュートスの背後に出現する、不動明王。ゴウっと放たれた力が、コキュートスの総身をギチギチと震わせる。

 

 それを見た、ゾーイの刃が──コキュートスへと向いた。

 

 

 

『オポッジション』!!!! 

 

 

 

 白銀の如く光り輝き……振り払えば、それは目も眩むような光のエネルギーとなって──コキュートスの身体を一撃で両断した。

 

 ──それを見た瞬間、セバスはアルベドを蹴った。

 

 本気ではないが、その威力は相当であり、アルベドの身体は瞬時に数十メートル後方に吹っ飛ばされ──そうして。

 

 

『アルベド、撤退しろ!』

 

『──っ!!!』

 

 

 悟からの『伝言』を受けると同時に、アルベドは走りだし──その最中、見てしまった。

 

 (アルベド)を生かす為に、自らの命と引き換えにして僅かな時間を稼いだ……首を失ったセバスの後ろ姿を。

 

 そして、凄まじい勢いで現れ始めた見知らぬアンデッドたちが、時間稼ぎをしているのを。

 

 

 アルベドは……次から次へとこみ上げてくる涙を後ろに、只々足を動かして……悟の下へと走った。

 

 




よっしゃあ、HPを半分まで削ったぞ ← 素人きくうし

は? こっからようやく本番だろ ← 分かっているきくうし

え? 残り10%になってからでしょ? ← あたまおかしいきくうし


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マルチバトル: Armageddon HL

ついに、終わりの時が来たようだな……


 

 

 

 ──結論から述べよう。

 

 

 

『星晶獣ジ・オーダー・グランデ』に対する有効的な方法を、悟は見付ける事が出来なかった。

 

 

 いや、というより、現状のナザリックでは、対処する手段がないのが実情で……単純に戦力というか、リソースが足りないのだ。

 

 HP100%~75%までは、デバフ等でゴリ押しできる。ゾーイの攻撃力は危険度極大だが、わざわざゾーイに挑もうとするレベルのプレイヤーならば、全滅にはならないだろう。

 

 HP75%~50%までは、『ゴミカス竜』よりヘイトを溜められはするものの、プレイヤー同士の連携によって突破する事が可能である。

 

 

 では、HP50%以下はどうなるか? 

 

 答えは只一つ……圧倒的な蹂躙である。

 

 

 そう、これこそが『調停者ゾーイ』を倒すための第二の関門……攻撃性能の圧倒的強化である。

 

 

 まず、一撃ごとの攻撃範囲が広がる。

 

 

 それまで、あくまでの単体を対象にした攻撃に不可視の力が加わり、衝撃波となって攻撃範囲が複数体を対象にしたモノに変わる。

 

 これがまあ、恐ろしく厄介である。

 

 なにせ、それまではプレイヤーの腕前によって行えた、タンク役が順番にターゲットを引き継いでダメージを分散させるといった方法が出来なくなるのだ。

 

 これが出来なくなると、只でさえ忙しない後衛のアシストがほぼ確実に手が足りなくなる。その影響は、『ストラスファー』の比ではない。

 

 『ストラスファー』はクールタイムの延長だが、こっちは純粋に攻撃が全体化されているので……最悪、タンク役が一気に全滅してしまう状況を引き起こしかねないのだ。

 

 

 次に、ゾーイが使う技が変化する。

 

 

 光属性による圧倒的な全体攻撃『オポッジション』に、範囲に居る相手のHPを1(つまり、瀕死)にする『コンジャクション』。

 

 そして、直撃すれば如何な防御魔法やスキルでガードしようとも、100%の無属性ダメージを与える『レイストライク』。

 

 

 この三つの技によって、プレイヤーたちを次々に蹂躙していくわけだ。

 

 

 これがまあ、恐ろしいなんて言葉では収まらないぐらいに凶悪な攻撃なのだ。

 

 特に、プレイヤーたちを恐れさせたのは『レイストライク』……も大概だが、ヤバいのは『コンジャクション』と『オポッジション』のコンボである。

 

 なにせ、この『コンジャクション』。

 

 ゾーイの素のステータスが高いせいで、完全回避スキルや、それに準ずる回避スキルをタイミング良く発動しないと、ほぼ確実に食らってしまうのだ。

 

 そして、その直後に放たれる『オポッジション』。

 

 これのコンボにより、『コンジャクション』の有効範囲に居る相手は軒並み倒されてしまう。例外は、先述した回避スキル持ちだが……タイミングがシビアなので、失敗する事が多いのだ。

 

 もう、これだけでお腹いっぱいもいいところだろう。

 

 

 でも、これで終わりではない。

 

 

 ここから更に、『レイストライク』という名の通称『さよならストライク』によって、バトルから強制退場(復活出来ないので)をしてくる。

 

 普通に考えて、そんなのを相手にしようというのが間違い……なのだが、それでも、戦う以上はヤルしかない。

 

 

『デバフによる弱体化を継続し、デバフ部隊は全てアンデッドに統一せよ! いいか、アンデッド以外は足止めに徹しろ!!』

 

 

 そうして、悩みに悩み抜いて出した悟の結論は、だ。

 

 

 ナザリックの防衛機能による、アイテムに依存しない罠攻撃……つまりは、水滴で岩を開けるようなゴリ押ししかなかった。

 

 それしか無いのかと言われそうだが、既に攻撃用アイテムは底を尽いているので、それしか無いのだから、しょうがない。

 

 

 それに、この世界はゲームではない。

 

 

 ゲームであればHP1なんてHPゲージが赤色になるだけの話だが、この世界は……文字通り瀕死の状態、何時死んでもおかしくないという状態にさせられる。

 

 

 

 それがどういう事かって、具体的には動けなくなるのだ。

 

 

 

 冷静に考えてみれば、当たり前だ。

 

 HP1なんて、それこそ転んだだけでも息絶えてしまうような状態だ。当然ながら、瀕死に陥っている身体を、平時と変わらず動かせるわけがない。

 

 呼吸は乱れ、全身を襲う倦怠感はそのまま昏睡してしまいそうになるほどに重く、視界はかすみ、指一本動かすことはおろか、意識を保っていることすら……それが、瀕死だ。

 

 実際、過去に『コンジャクション』を食らった守護者たちは、一部の例外を除いて誰一人まともに身動きが出来る状態ではなくなったのだから、如何に恐ろしい技なのかが伺いしれるだろう。

 

 

 ……で、だ。

 

 

 『コンジャクション』を受けてもなお、平時と変わらず動けるのは疲労無効のアンデッド種のみで。

 

 言い換えれば、アンデッド種だけが、『コンジャクション』に対して耐性を持っているわけだ。

 

 

『──報告! ゾーイの砲撃により、第4階層『地底湖』に眠る階層守護者のガルガンチュアが完全に崩壊──起動不可能となりました!』

 

『分かっている、そうなるのは想定の内だ!』

 

『──報告! ゾーイは第4階層を突破し、第5階層『氷河』へと突入! 配備されていた雪女郎(フロスト・ヴァージン)たちが一瞬で蹴散らされました!』

 

『『氷河』のフィールドエフェクトを最大限に引き上げろ! 微々たるダメージだが、進行も少しは遅らせられる!』

 

 

 それを、利用しない手は、悟には無い。

 

 悟の指示を受け、『氷河』の気温は限界まで瞬く間に下がってゆく。

 

 今、仮に耐性の無い者が入れば、10秒と経たずに凍り付くような吹雪が絶えず吹き荒れていた。

 

 

 ……けれども、ゾーイは止まらない。

 

 

 それを見た悟は、堪らず舌打ちを零し……続いて指示を送る。

 

 

『とにかく、ナザリックの建築物でも何でも使って、ゾーイを1秒でも長く『氷河』に引き留めろ! 『氷河』を瓦礫に変えてでもやるのだ!』

 

『──報告! ゾーイの砲撃によって、コキュートス様の住居である『大白球(スノーボールアース)』が粉砕されました!』

 

『かまわん! ニグレドは、既に下層へ避難しているな!?』

 

『──はい、既に9階層へ避難済み!』

 

『よし、継続してゾーイの情報を送り続けろ! 他の奴らは足止めし続けろ! 留めた時間が長ければ長い程、ゾーイの体力を削れる! 踏ん張るのだ!』

 

 

 悟は、アンデッド種の中でも、冷気に対して完全耐性を持つ『スケルトン系』を(残っているやつ)全て『氷河』に配置し、デバフと足止めに回した。

 

 何故なら、第5階層にいるやつらとは違い、第6階層に配備されたモンスターは機動力に優れた魔獣系と、機動力は弱いが範囲攻撃や魔法攻撃を主とする植物系(トレント)ばかり。

 

 物量に特化したデバフ部隊では、魔獣系の邪魔をするばかりか、植物系の範囲攻撃の巻き添えを食らってフレンドリーファイアとなるのがオチである。

 

 それに、第7階層『溶岩』では、フィールドエフェクトの影響によって、火に対して種族的弱点を抱えているアンデッドは活動出来ない。

 

 第8階層に至っては、様々な理由から、下手にデバフを掛けようと近づくことはおろか、戦闘に参加することすら難しいだろう。

 

 だから、『氷河』以降では非常に使い所が限られているので……悟の作戦では、ここでアンデッド部隊が壊滅するのも視野に入れられていた。

 

 

『──報告! ゾーイが進路変更! 進路予測……おそらく、『氷結牢獄』へと向かっている模様! どう致しましょうか!?』

 

 

 ──だが、しかし。

 

 

(氷結牢獄……っ!? わ、忘れていた、あそこにも人間がいたのを!)

 

 

 ここで、悟は……苦渋の決断を迫られた。

 

 

 『氷結牢獄』というのは、ナザリック地下大墳墓における牢屋のような場所である。

 

 

 おそらく、ゾーイが進路を変えたのは、近しい範囲に均衡を崩す存在……というより、邪悪だと判定される存在を捉えたからだ。

 

 まあ、牢屋とはいってもその外観はメルヘンチックな二階建ての洋館だが……内部は極寒の外部よりも寒く、ナザリックに敵対した者たちが収容されている。

 

 そして、ナザリックに敵対した存在というのは……だいたいが、極悪人に該当する者たちばかりだ。

 

 少なくとも、然るべきところに出せば極刑は免れない……というのを、静かに思い出していた悟は。

 

 

『……囮にせよ。それで、少しでも時間を稼げるならばな』

 

 

 そう、決断を下した。

 

 どんな理由があったにせよ、どんな経緯があったにせよ、あそこに収容されている者たちは全て、命を奪おうとした者たちだ。

 

 何様になったつもりはないが、私利私欲のために誰かの命を平気な顔で奪ってきたのだ。

 

 それが、今度は自分の番になっただけのこと。自分は奪うが、奪われるのは真っ平御免だなんて話は通らない。

 

 

(どうせ、俺も極悪人だ……共に地獄に落ちてやるさ)

 

 

 そう、骸骨の眼孔の奥で静かに己の罪を受け入れた悟を他所に、星晶獣となったゾーイの進路は、確実にそこへと向かっていた。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………そうして、『氷結牢獄』に居た全ての命を絶ち切ったゾーイは、再び進路を戻し……アンデッドたちを全て蹴散らし終えた直後、第6階層『大森林』へと突入した。

 

 

 

 ──瞬間、ゾーイは事前に張られた罠によって転移し……『大森林』の端っこへと移動させられた。

 

 

 

 いったい、どうして? 

 

 それはナザリックの構造上、第5→第6と、第6→第7への移動の為の転移門が、闘技場(コロッセウム)と呼ばれる同じ場所にあるからだ。

 

 なので、第6階層に入ると同時に移動させないと、そのまま第7階層へ下ってしまい……そうさせる意味が無い以上は取れる当然の手段であった。

 

 

(頑張ってくれ……少しでもいい、ゾーイの体力を削ってくれ……!!)

 

 

 ひとまず、ゾーイへの転移罠は上手くいったのをウィンドウ越しに確認した悟は……ただ、祈ることしか出来なかった。

 

 

 

 ──ナザリック第6階層『大森林』には、残念ながらダメージを与えられるようなフィールドエフェクトは存在しない。

 

 

 

 ナザリック最大の敷地面積を誇り、広々とした緑が広がっている。そこは蠱毒の大穴や底なし沼を始めとして、多種多様の魔獣たちによって守られている。

 

 相手が普通の敵やプレイヤーであれば、広々とした空間と魔獣たちによって体力を削られてしまう危険地帯だが……ゾーイの前では、ほとんど無意味な妨害でしかなかった。

 

 

 しかし……悟も想定していない事が、一つ起こった。

 

 

 それは、『大森林』に配備してある魔獣たちは、今は亡きアウラが管理していた魔獣であり……その魔獣たちは、ゾーイの姿を目にするなり、とてつもない形相を浮かべて襲い掛かったのだ。

 

 もしかしたら、本能的に……あるいは、第6感的なナニカから、ゾーイが(アウラ)を殺した事を察したのか……それは、定かではない。

 

 

 なんにせよ、魔獣たちの猛攻は凄まじかった。

 

 

 『コンジャクション』によって瀕死状態にされても全く怯まず、仲間が殺されても欠片も闘争心が衰えず、通じないと分かっても攻撃し続けたのだ。

 

 おかげで、それが結果的にヘイト管理の役割を果たし、トレントたちによる範囲攻撃(遠距離攻撃)が、かなり命中する結果となった。

 

 

 ……もちろん、ゾーイも大人しく攻撃を受けていたわけではない。

 

 

 まるで『大森林』そのものが揺れるほどの魔獣たちの雄叫びも、時間が進むに連れて、はっきり分かるぐらいに小さく少なくなり。

 

 最後のトレントどころか、領域守護者と呼ばれる餓食狐蟲王(がしょくこちゅうおう)も瞬時に殺され、気付けば第6階層は火の海となり、跡形もなくなってしまっていた。

 

 

 ……そうして、第7階層『溶岩』へと突入を果たしたゾーイの進行速度は、まったく鈍らなかった。

 

 

 第7階層『溶岩』と呼ばれる場所は、空気そのものが赤い光を持ったかのような高熱の世界。

 

 紅蓮の輝きを灯す溶岩の川が流れており、『氷河』とは逆に、高熱から来る炎属性のスリップダメージをもたらすフィールドエフェクトがある。

 

 

 けれども、ゾーイはその程度では全く足を止めない。

 

 

 レベル80台の魔将たちを瞬く間に瞬殺し、この階層の守護者であったデミウルゴスの配下である『十二宮の悪魔』も、蠅を潰すかのようにあっさり殺された。

 

 自らの領域内であれば、守護者よりも強いとされる溶岩の川の領域守護者である超巨大奈落スライムの『紅蓮』も、『レイストライク』によって消し飛ばされた。

 

 ましてや、デバフ要員(当然、炎耐性を持っている)の悪魔たち、邪精、アンデッドたちでは足止めなど不可能であり、蟻の如く蹴散らされ……そうして。

 

 

 

(──来た。やはり、ここまで来た!)

 

 

 

 ついに、ナザリックの最終防衛ラインとされる第8階層『荒野』へ、ゾーイが突入してきた。

 

 

 ──第8階層『荒野』は、その名の通りの景色が広がっている。

 

 

 フィールドエフェクトはなく、特に罠も設置されていない。

 

 だが、それでも、この第8階層はナザリックの最終防衛ラインであり、ここを突破された時点でナザリック側の勝率がかなり低くなると言われている場所である。

 

 

 理由は、只一つ。

 

 

 この『荒野』には、かつて『ありえない! 違法改造だ!』とプレイヤーたちより抗議の声が上がるほどに強力な、ナザリック最強の存在が配備されているからだ。

 

 

 通称、『第8階層のあれら』。

 

 

 1500人からなる討伐隊を壊滅させた存在でもあり、ワールドアイテムを使用したアインズでも歯が立たない……切り札である。

 

 ……しかし、だ。

 

 

 

 いくら強力とはいえ、それだけでレベルカンストに達したプレイヤーたちが負けるだろうか? 

 

 

 

 これが全く情報の無いギルドならばともかく、『アインズ・ウール・ゴウン』はユグドラシルにおいてはよほどの初心者ではない限り知られている、超有名ギルドである。

 

 当然ながら、ギルドメンバーの情報は共有されていたし、その戦い方も広められていた。

 

 だから、突入したほとんどの者は、『あいつらの事だから、様々なトラップを設置しているに違いない』と、様々な対策を用意していた。

 

 実際、ナザリックの最終防衛ラインである第8階層まで攻め込まれたあたり、『アインズ・ウール・ゴウン』はかつてない程の危機に直面していたのは間違いなかった。

 

 

 ……だが、それでもなお、8階層を突破出来た者は数少なかった。

 

 

 それは、いったい何故か? 

 

 

 

 答えは、『第8階層のあれら』だけではない。この階層の守護者である、『ヴィクティム』と呼ばれるNPCの存在が理由であった。

 

 

 この、ヴィクティムという名のNPC。

 

 外見は、体長1m前後の胚子(人間の)。

 

 

 明るいピンク色の肌に尻尾が生えており、頭上に天使の輪、背中には羽の無い翼が生えていて、飛んで移動する。

 

 ナザリックのNPCらしくグロテスクな外見ではあるが、このヴィクティム……その真価を発揮するのは戦闘力でも無ければデバフでもない。

 

 

 ヴィクティムの真価は、死ぬことにある。

 

 

 死ぬことで発動する強力な足止めスキル……それこそが、ヴィクティムに備わった唯一かつ最大の攻撃なのだ。

 

 そして、その足止めスキルの効果を最大限に発揮出来る場所。

 

 それこそが、『第8階層のあれら』と呼ばれる存在がいる、ここであり……姿を見せたナザリックの切り札たちを前に、ゾーイが一旦足を止めた──その瞬間。

 

 

『         』

 

 

 ゾーイへと接近していたヴィクティムが、不可思議な呟きと共に、抱えていたアイテムによって自死した──直後。

 

 ビシッ、と。

 

 前触れもなく、いきなりゾーイが動きを止めた。

 

 

「──合わせろ、オーレオールオメガ!」

 

 

 瞬間、ウィンドウ越しにタイミングを見計らっていた悟は……己の腹部に装備しているワールドアイテム(通称:モモンガ玉)の珠玉(しゅぎょく)を発動する。

 

 様々な用途があるこのワールドアイテムは、『第8階層のあれら』と併用して使う事が出来るアイテムである。

 

 加えて、指揮官としての能力を持つオーレオールオメガによる、『第8階層のあれら』に対するバフ。

 

 指示通りに8階層まで撤退していたオーレオールオメガによって、持てる力を最大限……いや、120%以上の力を発揮した切り札たちが。

 

 

 その身に宿る全てのエネルギーを、開放した。

 

 

 それはもはや、噴火という言葉がふさわしいのかもしれない。まるでこの世の終わりが迫って来ているかのような、圧倒的な暴力の風。

 

 目も眩むような光と、腹の底まで響いてくる爆音。そして、ビリビリとナザリック全体を揺るがすほどの振動が、悟の下にも届くぐらいであった。

 

 

(ここで──倒れてくれ!)

 

 

 人間であったならば、直視すら困難な光をウィンドウ越しに見つめながら……悟は、祈る。

 

 

(押し切ってくれ! 削りきってくれ!)

 

 

 何故ならば──ここを突破されてしまえばもう、後がないからだ。

 

 

 第8階層がナザリックの最終防衛ラインというのは、謙遜ではない。

 

 いちおう、最後の最後……『玉座の間』へと通じる、半球状のドーム型の部屋『ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)』に、『レメゲトンの悪魔像』という防衛ゴーレムがある。

 

 他にも、罠が一つと、1体だけ……強力なNPCが残ってはいる。

 

 けれども、仮にここでゾーイを仕留め損なった時……そうなってしまった時のゾーイの前では、もはやどちらが揃っても、足止めにすらならない。

 

 

 つまりは、事実として、もうナザリックにはゾーイに対抗できる余力がほとんどないのだ。

 

 

 既に、宝物殿にあるアイテムは片っ端からユグドラシル金貨に替え、防衛システムへと回している。しかし、8階層より下には罠はほとんど設置されていない。

 

 攻撃系のアイテムは底を尽き、新たに用意する時間はない。というか、時間はあっても、この世界の道具で高威力のアイテムを作る技術はまだ、開発されていない。

 

 

 そして、まともに戦える戦力も、数えられる程度にしか残っていない。

 

 

 玉座に構えている悟はレベルダウンをしているし、NPCのアシストを行う為にこの場を離れているパンドラも、素のステータスは弱い。

 

 他には、第9階層『ロイヤルスイート』にて回復処置が成されているアルベドぐらいだが……それとて、万全の状態ではない。

 

 ましてや、第9階層に控えているペストーニャ率いるメイドたちでは、蟻の如く踏み潰されるように蹴散らされて終わるだろう。

 

 

(頼む──頼む、どうか──!!!)

 

 

 だからこそ、祈るしかないのだ。

 

 もはや人間ですらない悟は、心から祈った。このまま命尽きても良い……だから、己と一緒に、ここで朽ち果てろ……と。

 

 

 

 ──認めよう

 

 

 

 だが、しかし。

 

 

 

 ──お前たちは、世界の敵だ

 

 

 

 そんな悟の……たった一つの祈りも。

 

 

 

 ──これにて、混沌に終焉を告げん

 

 

 

 見た事もない神の耳には……届かなかった。

 

 

 

 ──天地万物終焉の落暉(らっき)!! 

 

 

 

 気付いた悟が、少しでも被害を抑えようと指示を送った。

 

 

 

 ──明けぬ極夜の贄となれ!! 

 

 

 

 だが、その程度でどうにかなるような威力ではなく。

 

 

 

 ──ガンマ・レイ!!! 

 

 

 

 空間が歪んで見えるほどの力を立ち昇らせたゾーイより放たれた、全体無属性攻撃。

 

 それは、天から降り注ぐ雨のように撃ち込まれていた攻撃を一瞬で呑み込み、それ以上の力となって。

 

 『第8階層のあれら』を、そして、遠く離れた位置より隠れ潜んでいたオーレオールオメガすらも、瞬時に炭化させるほどの……調停の一撃であった。

 

 その攻撃は、文字通りナザリックそのものを揺らした。思わず、玉座にて悟がふんばったぐらいに。

 

 おそらく、上の9階層ではメイドたちが悲鳴を上げているだろう。今の攻撃で、パンドラが無事かどうかすら、確認出来ない。

 

 

 

 ──さあ、共に終末へ向かおう

 

 

 

 けれども、今の悟にはそれらを気にする余裕などなかった。

 

 本当の意味で荒野となった、第8階層の……その中で。

 

 

 

 ──これが、終焉の鐘の音だ

 

 

 

 世界に終焉をもたらす調停者が……ついに、全ての力を開放した調停者が、進行を再開させたのだから。

 

 

 

 




もうすぐ完結です


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マルチバトル: 見事だ…お前たちなら、世界を……

原作キャラ死亡有り、注意要


 

 

「あ、ああ……」

 

 

 その光景を見た時……悟は、強く己の敗北を理解し、無意識の内に立ち上がっていた身体を……ドサッと、力無く玉座に下ろしていた。

 

 何故なら、今のゾーイの姿はHPが25%以下になった時に見せていた、記憶の中のソレと同じだったからだ。

 

 

 ……おそらく、現在のHPは15%……いや、10%を切っている可能性も……だが、しかし。

 

 

 手負いの獣こそ恐ろしいとは昔の言葉だが、ゾーイもまたそうなのだ。

 

 具体的には、攻撃性能に変化が起こるわけだが……恐ろしいのは、その威力と自身の強化に加え、こちらのバフを掻き消してくることだ。

 

 

 ──全体無属性攻撃である『ラストウィッシュ』は、発動される度にゾーイ自身の攻撃力と防御力をUPさせてゆく。

 

 つまりは、ここからチマチマと時間を掛ければ掛ける程、体勢を整える為に時間を稼げば稼ぐほど、ゾーイもまた強くなっていく。

 

 

 ──無属性+全属性多段大ダメージ技の『アウトバースト』は、それですら致命傷の威力だというのに、生き残った者に掛けられたバフを全消去してしまう。

 

 つまりは、ゾーイが自身を強化してゆくのを覚悟して、こちらも体勢を整える……なんて事をやっていると、この技で自分たちに掛けたバフを根こそぎ剥がされてしまうわけだ。

 

 

 

 そして、たった今『8階層のあれら』を消し飛ばした『ガンマ・レイ』。

 

 

 

 これはユグドラシルにおいて、当たれば必死の技として有名である。

 

 全体無属性に加え、『調停Lv』というステータスに応じて威力が上がるのだが……言うまでもなく、既にゾーイの調停Lvは最大まで上がっている。

 

 どうして上がっているのかって、それはこのレベルが上がる条件が、『攻撃終了時にHPが25%以下になっている者がいる』というものだから。

 

 

 つまり、なんとかゾーイの攻撃を耐えて反撃の糸口を探ろうとすればするほど、『調停Lv』がぐんぐん上がっていくわけなのだ。

 

 

 そして、最大まで溜まると、どうなるか。

 

 

 答えは、最大HPに対して100%のダメージを与える、というもの。

 

 

 これこそがゾーイを象徴する最強の技にて、後半になればなるほどキツイと恐れられた……文字通りの必殺技である。

 

 しかも、そうして『調停Lv』が上がりきった頃……すなわち、戦闘も終盤に入り、ゾーイが本気状態になると、だ。

 

 通常攻撃に関しては全体攻撃から単体攻撃に切り替わるのだが……もはやHPを残す必要など無いと言わんばかりに1人ずつ確実に殺す攻撃に切り替わる。

 

 只でさえ、タンクでなければ即死の攻撃が更に威力を増しているところを、タンクであろうと魔法やスキルによる完全回避でなければ、ほぼ一撃で即死する威力になってしまうわけで。

 

 

「る、ルベドまでもが……」

 

 

 それは……ギルドメンバー内最強の『たっち・みー』ですら勝てないと言わしめたナザリック最強のNPC『ルベド』すらも例外ではなかった。

 

 既に……ゾーイの進行は第9階層『ロイヤルスイート』を進み、立ち塞がったメイドたちを全て切り捨て、第10階層へと降りてきた。

 

 そして、『玉座の間』への唯一の道……その手前に設置された『ソロモンの小さな鍵』と呼ばれる部屋にて、ゾーイは戦っている。

 

 その部屋には、『レメゲトンの悪魔像』と呼ばれる67体のゴーレムたちがいて、最後の罠である『上位エレメント』と呼ばれる精霊を召喚し、広範囲魔法攻撃を行うクリスタルが配備されている。

 

 いちおう、レベル100のパーティ二つぐらいなら崩壊させられると計算されて作られたのだが……それでも、今のゾーイを相手取るにはあまりに力不足だ。

 

 なにせ、『ルベド』ですら歯が立たずに真正面から殺されたのだ。

 

 そんな相手に、数十体のモンスターが集まったところで烏合の衆も同然で……突破まで、もう僅かしか時間が無かった。

 

 

「……アインズ様」

 

 

 そんな中で……掛けられた声に顔を上げれば、だ。

 

 いつもと変わらないハニワ顔のパンドラと、回復が間に合った完全武装済みのアルベドが、膝を突いて控えていた。

 

 

「どうした、パンドラよ……なにか妙案でも思いついたか?」

 

 

 もはや、出せる手は全て出し尽くした。

 

 少なくとも、悟が思いつける限りは全て出しきった。

 

 それでもなお、倒せなかった。それでもなお、届かなかった。

 

 状況だけを見れば、ゾーイは確かに消耗している。あの状態にあるということは、どう高く見積もってもHPが25%を下回っている証明ではある。

 

 

 ──だが、それがどうしたというのか。

 

 

 もはや、その少ないHPを削りきるだけの戦力が、悟には、ナザリックにはない。

 

 『アインズ』としては『星に願いを』によって弱体化し、パンドラもレベルこそ100だが、そもそもが戦闘向けに作られた存在ではない。

 

 アルベドも、本来の役目はタンク……すなわち、盾となってヘイトを稼ぎ、周囲のアシストをするのが本領であり、武装もまたソレに合わせたモノである。

 

 

 

 ……つまりは、詰んでいるのだ。

 

 

 

 アルベドがタンクとなって時間を稼いだところで、レベルダウンした悟では……いや、それ以前に、レベルカンストだったとしても、ゾーイのHPを削りきることは不可能だ。

 

 そこにパンドラが加勢したとしても、結果は同じ。

 

 なにせ、パンドラはドッペルゲンガー。

 

 あらかじめコピーした個体の80%の能力を発揮する事が出来るが……言い換えれば、種族としても戦闘向きではない。

 

 

「正直、俺はもう何も思いつかん……すまないな、俺の計算だと、8階層で終わらせられると思っていたが……詰めが甘かったようだ」

 

 

 しかし、パンドラは(アルベドもそうだが)、己と違って非常に頭の回転が早い。

 

 万策尽きたと思っている悟は、正直な話、気力を失っていた。

 

 不甲斐ないと言われてしまえばそれまでだが、それほどに全てを賭けた結果、失敗してしまったのだ……ある意味、燃え尽きたといっても過言ではない状態であった。

 

 

「──使いましょう、『聖者殺しの槍』を」

 

 

 だからこそ、そうパンドラから提案された悟は……気怠そうに、首を横に振った。

 

 

「パンドラ……前にも話したが、『聖者殺しの槍』は有効な相手に対してはこれ以上ないぐらいの一撃必殺の代物ではある」

「ええ、存じております」

「だが、対抗手段は幾つもあるし、始めから通じない相手もいる。そして、私はゾーイがその通じない相手だと思っている……そう、伝えたと思うが?」

 

 

 そう、悟がこの土壇場になっても『聖者殺しの槍』を使用しないのは、極めて高いその可能性を警戒してのことなのだ。

 

 単純に、通じなかっただけならばいい。

 

 しかし、ゾーイに対して『聖者殺しの槍』を使うと、最悪は……ゲーム時代における、システムの穴を意図的に突く悪質行為に該当され、『発狂モード』になってしまう可能性がある。

 

 

 そうなれば、正しく世界の終わりだ。

 

 

 単純に、人類だけの話では収まらない。

 

 文字通り、この世界の終焉……生きとし生けるものが、調停者ゾーイの手で終わらせられてしまう。

 

 

 ──それだけは……たとえ己が失敗したとしても、それだけは避けたい。

 

 

 そんなためらいが心の何処かで有るからこそ、悟は始めから『聖者殺しの槍』を使うという選択肢を除外していた。

 

 

「ならば、通じるようにしてしまえば良いのです」

「なに?」

 

 

 意味が分からず首を傾げる悟と、どういう事かと視線を向けるアルベドに対して……パンドラは、キッパリと告げた。

 

 

「『星に願いを』、です」

「いや、パンドラ、それは」

「使うのは私です、アインズ様」

 

 

 悟の返答を遮ったパンドラは──次の瞬間、『アインズ』へと姿を変えた。

 

 

「私がアインズ様に変身し、『星に願いを』を使います。そのうえで、『聖者殺しの槍』でゾーイを仕留めるのです」

「いや、しかし、それでも……」

「いいえ、アインズ様。今です、ゾーイが弱っている、今しかないのです!」

 

 

 力強く、パンドラは推した。

 

 

「ユグドラシルでは、瀕死に陥っても何も感じなかった。しかし、この世界では違う」

「違う?」

「はい、傷付けば血が流れ、息を止めれば苦しく、食事をしなければ飢える……そして、間違いもすれば、悔い改めて成長もする」

「……!」

「お気付きになられましたか? あくまでも可能性の話ですが、体力が削られた今ならば……」

「ワールドアイテムに対する耐性が弱まっている、と?」

「生き物が病を患えば弱まるように、ゾーイもまた……もしかしたら、度重なるダメージによって、耐性そのものが弱まっているかもしれないと、私は思うのです」

「──確かに、その可能性は0ではない」

 

 

 思わず……悟はグッと身を乗り出すように、玉座に預けていた身体を起こした。

 

 

 言われて、悟も理解した。

 

 

 そうなのだ、ドッペルゲンガーであるパンドラは、ギルドメンバー全員の外装をコピーしており、その中にはアインズも含まれている。

 

 そして、コピー元に比べて80%の力しか出せないが、コピー元の能力を使用出来るという能力を持っている。

 

 それはつまり、80%しか使えないのではない。最大で80%の出力しか出来ないだけのことなのだ。

 

 だから、アインズの持つ超位魔法も使用出来る。

 

 当然、発動出来ても80%の効果しか発揮できないし、コピー元より一つ二つは弱くなるが……それでもなお、この場においては起死回生の一手であった。

 

 

「それならば……試してみる価値はある。ぶっつけ本番だがな」

「ええ、アインズ様。それでは、概要を簡潔に……」

 

 

 それから、パンドラが語った作戦内容は……そう、複雑なものではない。

 

 なにせ、相談して詰めるような時間は無く、本当に簡潔に全体の概要を伝えた時点で──『玉座の間』の大扉が切り裂かれ、ゾーイが入って来たからだ。

 

 

 

「──っ!」

 

 

 

 応対する悟たちは……無意識に、一歩引いた。

 

 調停の翼と同化した下半身が歩を進めるたび、ビキビキと床にヒビが入る。

 

 蒼天に輝く剣を両手に構えたその姿は、正しく調停の女神なのだろう。

 

 そんなゾーイの唇が、僅かばかり動く。

 

 それは、いったい何を口走ったのか……誰にも分からなかったが、もはや気にする必要などなかった。

 

 

「やあやあクレマンティーヌさんの敵討ちですか!? ご苦労様ですね!!」

 

 

 何故なら、泣こうが喚こうが……コレが、最後のチャンスだから。

 

 だからこそ、パンドラは全身全霊を込めてゾーイを挑発する。

 

 数ある言葉の中でも、絶対にゾーイを激怒させるであろう言葉を選んで、あえて嘲笑するように声を張り上げた。

 

 

「──殺す、絶対に殺す」

 

 

 そして、それは……ゾーイにとって、絶対に許してはならぬ蛮行であった。

 

 

「天地万物終焉の落暉!」

 

 

 両手に掲げた蒼天の剣を交差させる──直後、離れているのに熱気を覚えるほどの光がそこへ集まる。

 

 

「明けぬ極夜の贄となれ!」

 

 

 そうして、わずか数秒後には充填を完了させ──その力が、悟たちへと。

 

 

「──アインズ様、私の後ろへ!!」

 

 

 放とうとした、直前──パンドラは、アイテムボックスより盾を──非常にゴテゴテとした不恰好な盾らしき物体を取り出した。

 

 

「ガンマ・レイ!!」

 

 

 直後、放たれた膨大な力がレーザーとなり……パンドラたちへと直撃した。

 

 本来ならば、その時点で決着が付いていた。如何な盾であろうが、真の力を開放したゾーイの『ガンマ・レイ』を防ぐのは不可能であるからだ。

 

 だが、しかし……その普通が、今回は起こらなかった。

 

 いったいどうして……それは、パンドラが取り出した物体が、『神器級』と呼ばれる装備を強引に繋ぎ合わせた即席の盾であり。

 

 

「……いやあ、さすがは至高の御方たちの装備! 私もちょっと焦げてしまいましたが、ゾーイの攻撃すらも防いでくれますか……いやあ、愉快痛快ですなあ!!」

 

 

 それは悟へと託され、宝物殿に安置されていた……ギルドメンバーたちの神器級装備であった。

 

 一つでは容易く突破される。

 

 しかし、それが41人分。

 

 ツギハギの不恰好な代物とはいえ、使われている素材が全て『神器級』である事には変わりない。

 

 ほとんど融解(一部は蒸発し)してしまい、パンドラも無事とは言い難いし、もはや盾どころか素材としても使えそうにないが……それでも、一度だけは凌いでくれた。

 

 

「──ぁあああ!!!」

 

 

 それを見て、クレマンティーヌを殺した怨敵が無事である事を察したゾーイは──地響きと共に、悟たちの下へと駆けだした。

 

 

 

 ──そこからは、まさに瞬きすれば見逃してしまうぐらいの、一瞬の出来事であった。

 

 

 

「──はあ!」

 

 

 悟の放った魔法により、余波を受けてボロボロだった床が粉砕され──大量の土埃が舞い上がり、視界が完全に塞がった。

 

 だが、その程度でゾーイの目をくらますことは不可能。

 

 振り上げた蒼天の剣にて、一刀両断──が、しかし。

 

 

「ぎぃっ!?!?」

 

 

 一番近しい場所に居たパンドラを狙った斬撃が、くぐもった苦痛の呻き声と共に止められた。

 

 砂埃の中なので外からは見えないが……ゾーイは、アルベドが自らの得物にて斬撃を受け止めたことに気付く。

 

 並みの『神器級』ならば、獲物ごと両断しているところだが……おそらく、世界級(ワールド)アイテムか。

 

 

「『I Wish──』」

 

 

 同時に聞こえる、その言葉──高まる力の気配から、ゾーイは──ゴオッと力を放ち、周囲の砂埃を一気に吹き飛ばした。

 

 

「──『ゾーイへ、『聖者殺しの槍』が通じるようにしろ!』」

 

 

 見やれば、『オーバーロード』が二体。

 

 おそらく、1人は化けている。だが、化けたところで無意味。何故なら、ゾーイだから。

 

 ゾーイは、己の身を守っているナニカが一つ消えたのを感知したが、その程度がどうしたと言わんばかりに斬撃を一閃、二閃、三閃──そして。

 

 

「去ね!」

 

 

 四閃めにして、ついに受けが間に合わなかったアルベドは、獲物ごと上半身と下半身に別れ──血飛沫を振りまいて、ゾーイの後方へと落ちた。

 

 ──直後、ゾーイを囲うように出現した精霊が、一斉にゾーイへと襲い掛かる。

 

 それは、『根源の精霊』と呼ばれる高位精霊。通常の召喚魔法では呼べない、特別かつ強力な精霊である。

 

 

「──無意味だ」

 

 

 そう、無駄であった。

 

 もはや、ゾーイの攻撃を見切る事は不可能。

 

 どの精霊も攻撃する前に、まるで全てが同時に行われたかのように──両断され、消滅し──瞬間、ドンと床を蹴ったゾーイが、残された二人へと肉薄する。

 

 

「うっ、ぉぉおおお!!!」

「沈め」

 

 

 反撃しようとした腕を切り飛ばし、そのままズドンと蒼天の剣が『オーバーロード』の胸を……化けたパンドラの背中へと突き抜けた。

 

 

「──っ!!」

「終わりだ」

 

 

 そして、そのままもう一体──七匹の蛇が絡み合うような姿をしている、黄金のスタッフを一刀にて両断し──返す刀で、パンドラと同じように、その鳩尾にある珠玉ごと、両断した。

 

 

 ──瞬間、ドクン、と。

 

 

 ナザリックそのものが、脈動したかのように震えた。

 

 何が起こったのか……それは、たった今、ゾーイの手で『ギルド武器』が破壊されたからだ。

 

 ユグドラシルにおいて、『ギルド武器』と『ギルド』はセット。

 

 武器が破壊されると、どれだけギルドが健在であろうとも崩壊してしまい、それを止める事は出来ない。

 

 そして……それは、別世界に転移した『ナザリック』でも変わらず……先ほど破壊されたスタッフこそが、このナザリックのギルド武器なのだ。

 

 

「……これにて、混沌に終焉を告げん」

 

 

 ポツリと呟いたゾーイを他所に、ナザリックの崩壊が始まってゆく。

 

 豪奢な『ロイヤルスイート』に限らず、ナザリックを動かしていた機能が停止し、明かりが次々に消えてゆく。

 

 大森林は瞬く間に枯れ落ち、鮮やかな青空は無機質な岩石の天井へと変わり、地底湖の水は始めから無かったかのように水が引いてゆく。

 

 極寒の冷気も止まり、灼熱の溶岩も止まる。ナザリックの至る所に設置されていた紋章旗が次々に朽ち果て、灰色の塵屑となって跡形もなくなってゆく。

 

 

 それはもう、止められない。

 

 

 ナザリックに生み出された全てが、灰色の塵となり、溶けるように消えてゆく。何もかもが崩れ落ち、瓦礫と化し……終わってゆく。

 

 それは、元の姿に戻ったパンドラも例外ではなく、末端から灰に変わっていく。違うのは、ナザリックの主である(アインズ)だけだが、結果は同じだ。

 

 辛うじて息はあるが、どちらも虫の息……ならば、このまま大地の下で誰にも認められることなく永遠の眠りにつかせるのが慈悲とい──えっ? 

 

 

 

 ──ストン、と。

 

 

 

 胸に痛みと熱を覚えたゾーイは視線を落とし……絶句した。

 

 何故なら、そこには槍が生えていたから。背中から胸へと突き抜けた状態で止まっているソレは……まさか、コレは? 

 

 瞬間──振り返ったゾーイが目にしたのは。

 

 砕け散った鎧の残骸の中で、上半身だけとなった女……何かを投げた体勢のまま息絶えている、アルベドの姿。

 

 

「いtたぅい、なNいをなGぇ──っ!?」

 

 

 己がたった今口走った言葉。

 

 呂律の回らない唇に、ようやく、単純に胸を貫かれただけではないのだという事に気付いたゾーイは、その槍を抜こうと。

 

 

「──ぐぇ」

 

 

 思った時にはもう、遅かった。

 

 ごぽっ、と口から噴き出した鮮血。両手から剣が零れ落ち、ガランと床を転がり……刺さったままの敵もまた、床に落ちた。

 

 

 ……おかしい、ありえない事が起こっている。

 

 

 たかが槍の一本に貫かれた程度で……いや、そもそも、己の身体を貫けるような槍が、この世界に存在など……この、世界? 

 

 

(ま、まさか、これは……!!)

 

 

 この槍……どこか見覚えのあるこの槍は、まさか、『聖者殺しの……や……

 

 

 

 そこまで思考が動いたが、そこが限界であった。

 

 

 

 光が──ゾーイの身体より、膨大な光が放たれる。その光は何もかもを呑み込み、全てを光の中へと包み込んでゆく。

 

 そうして……辛うじて、薄れゆく意識の中で、ゾーイが最後に目にしたのは。

 

 

 ──砕かれた珠玉の下で、目から光が失せ……額に敗者の烙印が現れた、この場所の主だった骸骨と。

 

 ──その骸骨へ……おそらくは最後の力を振り絞って腕を伸ばし、短杖のようなモノを向けるドッペルゲンガーと。

 

 

 頭上から次々に降り続ける瓦礫の山が、二人を……そして、全てを呑み込んで……ああ、そして。

 

 

(……くれ……てぃ……)

 

 

 ナニカ……そう、その姿を見るだけで、涙がこみ上げてくる程に愛おしいナニカが、己へと手を伸ばして来たのが見えて。

 

 

「なるほど──」

 

「お前たちが──」

 

「新たな世界の理か──」

 

 

 

 ──頬を流れる涙と共に、ゾーイの意識もまた……瓦礫の中へと消えたのであった。

 

 

 




勝利、出来ましたか?


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最終話: どうして空は蒼いのか

最後の話は会話文多め、バトルも無いよ

イメージBGMは、『どうして空は蒼いのか』かな?
みんなもグラブルやろうね!


 

 

 

(……ここは?)

 

 

 

 温かく、それでいて静かで、ほんのりと明るい。

 

 まるで、陽だまりの中に居るかのような感覚を覚えながら……ふと、悟は目を覚ました。

 

 

 

(……あれ?)

 

 

 

 そこは、とても美しい青空の中であった。

 

 この世界に来てから幾度となく眺めた……それなのに、これまで見てきたどんな空よりも青く、綺麗に思えた。

 

 反射的に身体を起こそうとして、気付く。

 

 

 手を突こうとした腕が、無い事に。

 

 

 いや、それどころか、己の身体すらもなく……当然ながら、声も出せない。だって、無いのだから。

 

 どうしてか、それを目視出来ているという不可思議な状況に、悟は首を傾げた。

 

 

 まるで、自分の身体が雲みたいになったかのような……何処までも広がる青空の中に浮かぶ白雲になったかのような、そんな感覚だ。

 

 

 けれども、怖くはないし、違和感も覚えない。これまた不思議な事に、悟は欠片の恐怖心も感じてはいなかった。

 

 それは、『オーバーロード』の時にあった感情抑制とは違う。アンデッド特有の平坦な心の動きでもない。

 

 自分という存在がどこまでも広がっているようで、あるいは、ギュッと確かなモノとして集められているような……どうにも、言葉では説明出来ない感覚であった。

 

 

 

(……そういえば、ナザリックはどうなったんだ?)

 

 

 

 そんな中で、ふと……悟は、目が覚める前の事に意識を向ける。

 

 覚えているのは、鳩尾の辺りに装備していた珠玉が破壊された感触と……その勢いのまま、身体の中を刃が通っていく感触だ。

 

 痛かった。

 

 とても、痛かった。

 

 最初は、ジュッと火傷の線が走ったかのような痛みだったけど、その直後に視界が眩むほどの激痛に取って代わった。

 

 あまりの痛みに、抵抗する気力など吹っ飛んでしまった。

 

 身体の力も抜けて、魔法を放つ力も無くなった。何と言えば良いのか、切られたところから生命力みたいなものが抜けていくのが分かった。

 

 

 それから? 

 

 それから……? 

 

 それから、どうなった? 

 

 

 

(……俺って……死んだのか?)

 

 

 

 そうなると、ここってもしかして──。

 

 

「いや、違うよ、鈴木悟」

 

 

 声を掛けられ、ハッと内側に向いていた思考が外へと……直後、悟は何時の間にか眼前に現れていた女性に、ギョッと仰け反った。

 

 

 

(──ぞ、ゾーイさん!?)

 

 

 

 声を出したわけではない(というか、出せない)。ただ、思わず心の中で、その名を呼んでいた。

 

 

「そんなに大きく呼ばなくていい。ちゃんと、私には聞こえているから」

 

 

 なのに、まるで悟の声なき声を聞いているかのように、ゾーイはふわりと笑って頷いた。

 

 

(あ、はい、わかりました)

 

 

 それを見て、ひとまず、危害を加えて来ない事を察した悟は。

 

 

(……あの、ゾーイさんは、俺の知っているゾーイさんなんですか?)

 

 

 率直な感覚のままに、尋ねていた。

 

 

「少し、違う。でも、同一の存在でもある。前は違ったが、今は……そうだな、全部混ざってから、色々と捨てて、最後に一つになった」

 

 

 すると、ゾーイと……悟の知る彼女とは違うと否定したゾーイは、同時に、全部混ざって……んんん??? 

 

 

(すみません、それってどういう意味ですか?)

 

 

 意味が分からずに続けて質問を重ねたが。

 

 

「説明すると長くなるし、私は説明をするのが苦手でな……言葉通りに受け取ってほしい」

(えっと……?)

「とにかく、私としては後悔していないというだけの事だ。だって、私の心は今、とても自由なのだから」

 

 

 そんな返答がなされた。

 

 悟としては、そう言われてしまえば、それ以上を尋ねる度胸もなく……とりあえずは周囲を見回して……質問を変えた。

 

 

(ここは、どこなんですか? 死後の世界ってやつですか?)

「いや、違う。ここは狭間だ」

(狭間?)

「生者の世界でもなく、死者の世界でもない。時は流れているようで止まっていて、止まっているようで動いている」

(……???)

「ここは、全てから離れているが、全てに属している場所……さて、鈴木悟、あまり長く君と語っている時間はないから、単刀直入に問おう」

(え、あ、はい)

 

 

 何がなんだか……そんな様子で内心にて『?』を乱舞させていた悟は。

 

 

「君には二つの選択肢が用意されている。一つは、このまま狭間を渡って……その命を終え、輪廻の中へと還ること」

(輪廻……)

「もう一つは、再び生を得て……君がやってきたあの世界で、人間として一生を全うすることだ」

(え?)

 

 

 一瞬……悟は何を言われたのか理解出来ず、フリーズした。

 

 けれども、幸か不幸か、そういう心臓に悪いアクシデントに慣れてしまっている悟は、すぐに我に返る事が出来た。

 

 

(あ、あの……俺って、死んだんじゃないんですか?)

 

 

 でも、それで全てを理解しているかといえば、そんなわけもなく、胸中にあった疑問をぶつけていた。

 

 

「ふむ、なんとも答えに迷う質問だが……そうだな、死んだというのは正しい認識だ」

 

 

 すると、ゾーイは言葉を選ぶかのように小首を傾げた後、そう答えた。

 

 

「だが、完全に死んだわけではない。死んだのは、あくまでも『モモンガ』と君が呼んでいた依り代の方だ」

(え?)

「普通は、そのまま依り代に引きずられて終わるのだが……そうなる前に、君の僕が、最後の力を振り絞って君を蘇生させようとした」

(それって……)

「お察しの通り、パンドラズ・アクターだ。蘇生の短杖(ワンド)だったか……それのおかげで、ギリギリのところで君は『モモンガ』に引きずられず、私の手が間に合った」

(パンドラ……あいつ……)

「パンドラに感謝をするのだな。アレが無ければ、いくら私でもお前の魂を救い出せる事は出来なかっただろう」

(はい……はい、本当に……)

 

 

 胸中より湧き出る想いのあまり、悟は……それ以上の言葉を言えなかった。

 

 

「さて、どちらを選ぶのだ?」

 

 

 でも、ゾーイはそんな悟の内心など知ったこっちゃないと言わんばかりに……あの、その、もうちょっと間を置いてくれませんか? 

 

 

「そうしてやりたいのは山々だが、言っただろう、時間が無いと」

(え、そんなに?)

「本来、君はとっくに輪廻へ還っているところなんだ。それを、私たちの力で留めている状態だからな……双方に良い状態ではないんだ」

(な、なんだかすみません、色々と……)

 

 

 そう思ったままを言えば、ゾーイは困ったような顔でそう言った。だったら、もう悟から文句など言えるわけがなかった。

 

 まあ、なんにせよ答えは……答えはもう、決まっている。

 

 

(俺……生き返ります。生き返って……罪を償っていきます。身勝手な言い草だけど、そうしたいんです)

 

 

 ハッキリと、悟はそう答えた。

 

 

「そうしたいのならば止めはしないが、辛い人生になると思うぞ」

(構いません。俺、このまま終わったら……結局、何もかも放りっぱなしだから……今度こそ自分を許せなくなる)

「……そうか。君が決めたのであれば、尊重しよう」

 

 

 苦笑するゾーイに、悟はありがとうございますと心の中で頭を下げ……そうして、ふと。

 

 

(あの、その前に、最後に一つだけ……どうして、ゾーイさんは俺にそこまでしてくれるんですか?)

 

 

 けれども、どうしても一つだけ……それだけは聞いておきたかった悟は、最後の質問をした。

 

 

「どうしてって……そんなの、決まっているじゃないか」

 

 

 すると、ゾーイは……満面の笑みで浮かべた。

 

 

「前にも言っただろう、君は『多くの人々を助ける』と」

(え、それって)

 

 

 驚く悟を尻目に、ゾーイは……パチンっとウインクした。

 

 

「それに、こうも君に言ったな……『最後まで楽しんでくれたプレイヤーの為に一肌脱ぐのもまた、糞運営の務め』だとな」

(──っ! ぞ、ゾーイさ──う、うわぁ!?)

 

 

 それ以上、悟は尋ねられなかった。

 

 まるで、巨大な風だ。

 

 言葉では表現できない風が、雲となった己の身体を何処かへ運んでゆく。どこまでも広がっている青空だけが、変わらない。

 

 

 いったい、何処へ? 

 

 

 あっという間に、どんどんゾーイから遠ざかってゆく。上下左右に回転する視界に、何が何だか分からず意識まで遠退き始め……なのに、その声だけは悟に届いた。

 

 

 

 

 ──罪を償おうとする気持ちは大切だ。だが、それだけを指針にして生きて行くのは間違っている。

 

 ──君は罪を償うために生き返るのではない。幸せになってほしいと願われたから、生き返るのだ。

 

 ──だから、勘違いをしてはいけない。

 

 ──人々を助ける為に生きるのではない。君の幸せの中で、自然と大勢の人々が助かってゆくのだ。

 

 ──だから、間違ってはいけないよ。

 

 

 

 

(ど、どこへ──!!)

 

 

 その、言い聞かせるかのような言葉を最後に……フッと、悟の意識は暗転し、何もかも感じなくなった。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………。

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………いっ、たい? 

 

 

 そのまま、どれぐらい意識を失っていたのか……悟には分からなかった。

 

 ただ、コツン、と頭が何かにぶつかったのを切っ掛けに、フッと意識を取り戻した悟は……ゆっくりと、目を開けた。

 

 直後──視界を埋め尽くす青空の美しさに、悟はしばしの間、言葉を失くした。

 

 そうして、ぼんやり眺めていると。

 

 

「……まさか、死んでるとかねえよな?」

 

 

 頭上より声がしたかと思えば、フッと視界が遮られ……誰かが覗き込んできた。

 

 誰かって、女だ。逆さになって己を見つめる紫の瞳の金髪女性と目が合う。距離は近く、30cmと離れていなかった。

 

 

「……うわぁ!?」

「ちょ、危ないなあ、もう」

 

 

 予想外というか、いきなりな状況にガバッと身体を起こした悟を他所に、スルリッと身軽に頭突きを避けた女性はため息を零して……そっと、手を出し出した。

 

 

「ほら、起きられる? 日が暮れると、ここらは寒くなるよ」

「え、あ、ああ、ありが──」

 

 

 何が何だか状況が掴めないが、親切にしてくれているということだけは分かったので、差し出された手を取ろうと──したのだが。

 

 

「く」

「く?」

「くれ」

「くれ?」

「クレマンティーヌ!?」

「そうよ」

「し、死んだはずでは!?!?」

「生き返ったの」

「ええぇぇ──っ!!?!?!?!」

 

 

 見覚えがあり過ぎるどころか、己の罪の象徴でもあった存在を前に、悟は素っ頓狂な悲鳴をあげた。

 

 断じて、見間違いではないし、他人の空似でもない。間違いなく、死んだはずのクレマンティーヌで……いや、そんな事よりも! 

 

 

「く、クレマンティーヌさん! その、俺、ごめんなさい! 貴女に対して取り返しのつかない事を──あだっ!?」

 

 

 バッと居住まいを正して土下座──しようとした瞬間、ごつんと頭に痛みが走る。見やれば、クレマンティーヌはプラプラと手を振っていた。

 

 

「あんたさ、状況考えなよ」

「え?」

「そういうのはいいし、声もデカい。モンスターとか寄って来たらどうすんの?」

 

 

 クレマンティーヌは……驚かれる事は想定していたのか、声の大きさに顔をしかめつつも、それ以上怒る様子はなかった。

 

 とはいえ、悟が声を張り上げてしまうのも仕方がない。

 

 いったい、どうして……あまりに信じ難い眼前の状況を前に悟は、何が起きているのかと忙しなく視線をさ迷わせることぐらいしか……って、あれ? 

 

 

「アレェェェ──!?!?!? は、裸ぁ!? なんでハダカなのぉ!?!?」

「あのさ、うるさいって言ったよね?」

「で、でも、え、これ、ナンデ!? ドウシテ!?」

 

 

 何気なく己の身体を見下ろした悟は、心底驚いて硬直した。

 

 何故なら、悟の恰好……有り体にいえば、すっぽんぽんで。ふと、隣を見やれば、見覚えのある服が散らばっていた。

 

 これは、アレだ、人間だった時に着ていたやつだ。

 

 そう、この世界に来る前の……『ユグドラシル』をプレイする時に着ていたリアルの服と、リアルで履いていた靴だ。

 

 

(これって……え、どういうこと?)

 

 

 股間のブツを手で隠しながら、思う。

 

 生き返るって、てっきりこの世界の人間として生まれ変わるのだと思っていたけど……もしかして、違う? 

 

 

「……あれ? もしかして、な~んも聞いていないっぽい?」

「聞いていないって、あの、そもそも、ここはどこなんですか?」

「どこって、あんたの遺跡があった場所からちょっと離れた……その様子だと、マジでな~んも知らないの?」

「その、正直、何を知らないのかすら、わからない……」

 

 

 思っていた状況とは違うことに、悟は困惑するしか……すると、だ。

 

 あまりに動揺している様を見て何かを察したのか、クレマンティーヌが苦笑交じりに話しかけてきた。

 

 当然……何の話だって尋ね返せば、今度こそクレマンティーヌは深々とため息を零すと、「とりあえず、付いてきなよ」そう言って何処かへ……というか、すぐ傍の家へと入った。

 

 

 ……正直、そこに家があることすら、悟はまったく気付いていなかった。

 

 

 それだけ動揺していたというか、頭の中がパニックになっていたのだろう。というか、改めて辺りを見回した悟は……首を傾げた。

 

 

(周りに何も無い辺鄙な自然の中に、家が……家か、これ? コテージのようにも見えるけど……)

 

 

 パッと見た限り、ここに有るのは、今しがたクレマンティーヌが入った家が有る──以上、それだけ。

 

 本当に、それだけ。カルネ村のように畑や家屋が並んでいるわけでもないし、井戸とか住民の気配もない。

 

 いくら人外としてこの世界に居たとはいえ、元人間だったのだ。こんな場所で1人暮らすだなんて、自殺行為も良いところだ。

 

 だからこそ、悟は上手く目の前の光景を呑み込めなかった。

 

 荒野というほどではないが、殺風景な自然の中に、ポツンと一軒家があるだけの……誇張抜きで、違和感しかない光景であった。

 

 

「──あ、その服なんだけどさ」

 

 

 呆然としている悟を他所に、にゅうっとクレマンティーヌが顔だけを覗かせた。

 

 

「なんか臭いっていうか、ビリビリする臭いしているから、そのまま捨てといて。たぶん、獣避けぐらいにはなるっしょ」

「え、でも……」

 

 ──そうなると、俺はすっぽんぽんのままじゃん。

 

 

 そう言い掛けた、悟ではあったが……ふわり、と投げ付けられたローブと、長い布紐を手にして、ああ、と理解した。

 

 

(ローブの下がすっぽんぽんって、俺は露出魔か何かかよ……)

 

 

 想像して落ち込みそうになるが、背に腹は変えられない。

 

 とりあえず、裸体が見えないようにだけ気を付けながら布紐で固定し、ひとまず安堵した悟は……ふと、傍の衣服を見やる。

 

 

 ……臭いって、俺ってそんなに臭いのかな? 

 

 

 気になった悟は、シャツを手に取って鼻を近付け「うっ──!?」思わず、パッと顔を背けた。

 

 

(これ、アレだ……排気ガスとか金属とか薬品とか化学物質とか、そういう……ああ、そうか、そりゃあそうだ)

 

 

 クレマンティーヌが『ビリビリする臭い』と言った理由が分かった。

 

 この世界には、科学燃料を始めとして、化学塗料なんてモノはまだない。

 

 様々な種類のガスの臭いが混じる悪臭も、汚染によって発生したヘドロや悪性物質の臭いも、それらが大地に降り注いで発生する刺激臭もない。

 

 『リアル』で暮らしていた時は、生まれた時からそんな臭いの中で生きていたから気にならなかったが……どうやら、悟も知らず知らずのうちにこの世界に感覚が馴染んでいたのだろう。

 

 自然溢れるこの世界で生まれ育った者たちからすれば、化学廃棄物の臭いなんて、思わず顔を背けてしまうような悪臭と捉えても不思議ではなく。

 

 実際、悟も思わず顔を背けたのだから、クレマンティーヌの言い草は仕方がないと思った。

 

 

「……靴は、どうしようか?」

 

 

 ちょっと、判断に迷うが……靴は履けそうなので、出入り口の傍に置いておこう。

 

 で、それはそれとして。

 

 とりあえず、呼ばれているのでクレマンティーヌに案内されるがまま、家の中に入っ──え? 

 

 

「ここって……もしかして、『グリーンシークレットハウス』なのか?」

 

 

 中に入った瞬間、思わずといった感じでポツリと零した。

 

 悟がそう思ってしまうのも、無理はない。

 

 だって、明らかにこの世界の作りとは違うからで……ていうか、ちょくちょく『リアル』にある物もある。

 

 まあ、アレだ……そうでもないと説明出来ないぐらいに、室内が綺麗で、文明的な道具がチラホラと見受けられた。

 

 

「お~、さすがは『ぷれいやー』、やっぱ一目でわかっちゃうものなんだ」

 

 

 家の奥から、ポッドと二人分のカップを手にしたクレマンティーヌが出てきた。

 

 

「とりあえずは座りなよ。立ち話もなんだし、さ」

「あ、ありがとうございます。あ、あの、その……」

「謝らなくていいよ。私だって、誰かに謝られるような清らかな生き方していなかったしさ」

 

 

 言いよどむ悟に、今度こそキッパリとクレマンティーヌは言い切った。

 

 

「私もあんたも、極悪人。極悪人同士が殺し合って、片方が殺されて、その後にもう片方も殺された……それだけの話っしょ」

「…………」

「ぶっちゃけ、まともに年老いて大往生できるなんて思っていなかったていうか……まあ、まともな死に方しないよなとは思っていたしさ~」

「…………」

「だから、謝らなくていいよ。まあ、楽になりたいのなら謝ってくれたらいいけど、人前ではやめてね、鬱陶しいから」

「……はい」

「よろしい、じゃあ座って」

「はい」

「口に合うか分からないけど、お茶は極上だから」

「いえ、そんな……いただきます」

 

 

 そのまま、促されてテーブルの席に腰を下ろした悟の前に、お茶の入ったカップが置かれる。

 

 ……そういえば、この世界で食事(まあ、飲み物だけど)を取るのはコレが初めてだな。

 

 そう、思った悟だが、それをわざわざ口に出すのも何だし、お礼を言ってからカップを手に取り……一口、飲む。

 

 

「──っ」

 

 

 瞬間……悟は、完全に言葉を失くした。

 

 だって、美味いのだ。

 

 生まれてこの方、こんなに美味いお茶を飲むのは初めてで。

 

 甘いとか辛いとか苦いとかではなく、美味いと思えるお茶は……それぐらい、悟にとっては衝撃的だった。

 

 

「……美味いっしょ?」

 

 

 そんな悟の表情から内心を察したのか、笑みを浮かべたクレマンティーヌの言葉に、悟は……頷く事しか出来なかった。

 

 

「ここもだけどさ、それも、ゾーイ様が好きだったんだ」

「え?」

「ゾーイ様が私にって残してくれたの。他にも色々あるけど、お別れするからって色々とね」

「…………」

「私もさ、あんまり長くは話せなかったんだけどさ~」

 

 

 キン、と。

 

 カップの淵を指で弾いたクレマンティーヌは……ぼんやりと、衝撃で揺れたお茶の水面を見つめた。

 

 

「ゾーイ様、後悔はしていないってさ」

「……後悔、ですか?」

「私も、思い返してみると、ゾーイ様のこと、ほとんど知らないんだけどさ」

 

 

 聞き返せば、クレマンティーヌは寂しそうに苦笑した。

 

 

「ゾーイ様から聞いたんだけど、ゾーイ様も、『ぷれいやー』が暮らしている『リアル』ってところで暮らしていたんだよね?」

「え、あ、まあ、そうなるかな」

「そこでね、ゾーイ様……ず~っと無力感に苛まれていたんだって。他の『ぷれいやー』よりよっぽど色々な事が出来たらしいけど、どうにもならない事が多過ぎて、すごく辛かったって」

「それは……そう、ですね」

「他の『ぷれいやー』より出来る事が多い分だけ、とっても……見て見ぬふりしか出来ない自分が情けなくて許せなかったって、色々と話してくれたんだよ」

「……そうなんですか」

 

 

 クレマンティーヌの話に、悟は……いや、悟も寂しそうに頷いた。

 

 ゾーイ……運営が扮するゾーイの中身がどんな人物だったのかを、結局悟は最後まで知らない。

 

 だって、悟からは語ったけど、ゾーイの中の人からはほとんど話されなかったし……だが、責任感というか、善性の人物だったのは分かる。

 

 あの世界で、ゲーム開発が出来る程の頭の良さと教育を受けていたのは間違いないし……こんな己の為に、色々と考えてくれていたのも……でも、この口ぶりだと。

 

 

「……死んだんですか、ゾーイさんは?」

 

 

 聞くべきかどうか……迷ったけど、勇気を出して悟は尋ねた。

 

 

「さあ、わからない」

「え?」

「ゾーイ様曰く、有るべき本来の形になっただけって話だけど……正直、さっぱり分からなかった」

 

 

 だから、分からないなんて返事が返ってきて、悟は驚いた。

 

 

「それでもね、す~っげぇ満足そうだった。私からすれば、そんなの幸せでも何でもないじゃん、って思うんだけどさ……ゾーイ様にとっては、違ったみたいなんだ」

「…………」

「何処へ行くかは知らないけど、私もお供しますって言ったらさ、『君には成さねばならない事がある』って断られちゃった」

 

 

 ふう、と、溜め息を零す。

 

 

「もうちょっと生きて、それでも生きるのが嫌になったら……ってさ。そう言われちゃったらさ……死ぬに死ねないじゃん?」

 

 

 天井を見上げながら……クレマンティーヌは、悟からは表情を伺い知る事は出来なかったけど、とても寂しそうに見えた。

 

 

「後悔ばかりの生涯だったけど、最後の最後で胸を張れるようになれたってゾーイ様はとても喜んでいたよ」

「…………」

「だから、お別れはとても寂しくて辛いけど、それでいいんじゃないかなって今は思うんだ」

「そう、ですか」

「そうなんだよね~……はい、私の話はお終い。それじゃあ、私からあんたに色々質問していい? あんたのこと、ほとんど教えてもらっていないんだよね」

 

 

 けれども、グッと姿勢を戻し……そう話しかけてくるクレマンティーヌの微笑みを見て……悟も、笑みを返すのが礼儀だと思った。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………それから、色々な事を話した。

 

 

「そういえば、あんたの名前ってなに? ゾーイ様からは、神様扱いはしないほうがいいって言われたけど……モモンってのは本名?」

「違います……本名は、鈴木悟です」

「スズゥキィサトル?」

「鈴木悟です」

「スズゥキィ?」

「鈴木、です」

「スズゥキィ……あ~、なんか舌がもつれる。サトルって呼んでいい?」

「いいですけど、そんなに発音しにくいんですか、鈴木って……」

「ん~、よく分からんけど、どうにも……あ、今さらだけど、私の名はクレマンティーヌ。言い難いんなら、略していいよ」

「と、とりあえず、クレマンティーヌって呼びますね」

 

 

 

 まずは、そういえばちゃんとした自己紹介をしていないなと思いだし、互いに改めて名を名乗った後で……質問という名の雑談が始まった。

 

 

 

「──へ~、あんたって元人間だったんだ。まあ、過去の『ぷれいやー』たちには人間も居たっていうし、そういう事もあるのかな」

「はい、その、説明は難しいんですけど、骸骨のあの姿は事故というか、望んであの姿になったわけじゃないんですよ」

「ふ~ん……正直な話、骸骨になっていた時ってどんな感じ?」

「あ~……その、気分を害するかもしれないので言い「今さらっしょ?」……えっと、完全にアンデッドの気持ちでした」

「アンデッドの気持ち?」

「その、自分は人間だったって記憶はあるんですけど、感覚は完全にアンデッドというか、異形種っていうか……その、人間が死ぬのを見ても、虫が死んでいるのと同じっていうか」

「あ~、なるほど、そういう感じになるわけね」

「最初のうちは、正直違和感がけっこうありました。食べなくてもお腹空かないし、そもそも食べても骨の間からポロポロ落ちるだけで……あと、眠る事が出来なくなりました」

「え、眠くならないの?」

「まったく、眠くなりません。しかも疲れないので、一日が本当に長くて長くて……アレ、アンデッドの感覚じゃなかったら気が狂っていたと思います」

「うわあ、眠らなくてもいいってのは便利そうだけど、ずっと眠れないってのは嫌だな」

「そうなんですよ。実際に必要でなくなると、もう恋しくて恋しくて……ぶっちゃけ、ご飯とか他の人達が食べているのを見て、何度羨ましいと思ったか覚えていません」

「あははは、そりゃあそうだ。私だったら、イライラして周りの人たち殺しちゃっていたかもね」

 

 

 もちろん、『ユグドラシル』がゲームだとか、ゲームのアバターの設定がそのままこの世界に適用されていたとか、そういう話を除いて。

 

 説明するにしても、ゾーイもそこらへんは曖昧にしていたっぽいのを会話の節々から察したので、悟もそれに倣っただけである。

 

 なにせ、この世界における『ぷれいやー』というのは、一部の者たちにとっては信仰の対象になり得る存在だし、実際に神様扱いされているらしいのだ。

 

 そんな存在の中身が、実は普通の……それも、この世界の人間に比べたら、弱い部類に入る人間で。

 

 どういうわけか、たまたま遊んでいた人形(とても強いという設定の)に乗り移り。

 

 何故か、設定通りの超常的な力を手にしただけの人間だなんて知ったら。

 

 

「ところで、ゾーイ様からは、サトルには僕たちの力の一部が宿っているって聞いたけど、実際のところは何ができんの?」

「えっ!?」

「え? なんでそんなに驚いてんの?」

「いや、まったくそんな事は言われませんでしたけど?」

「それは多分、あんまりにも寝坊助だったからじゃないの? 私が起こした時も、あんまり起きないから死んでんのかもと思ったぐらいだし」

「そ、そういえば、時間が無いって言われたような」

「サトルが寝坊したから、その分だけ時間が無くなったってことじゃん? 自業自得じゃん?」

「……何も言えません」

「それで、何ができんの? 『ぷれいやー』の僕って、要は従属神のことでしょ? やっぱ、すっごい事ができるんでしょ?」

「じゅ、従属神? NPCの事ですか?」

「『えぬぴいしい』? なにそれ、違うの?」

「い、いや、どうなんだろう……言われてみたら、なんかこう……感覚的に出来そうな気がしなくも……う~ん、どうなんだろう?」

「とりあえず、外に出て試してみたら?」

「そうですね、ちょっと試してみます……あ~、でも、どうなんだろう……呪文とかそういうの……ん~、なんか今、頭に浮かんだのが……まさか、こ──うぇい!?」

「……うっわぁ、なにこれ」

「い、いや、俺にも何がなんだか……」

「何が何だか分からないのに、雑草も生えていない枯れた場所に緑が生えたの? うわ、土もちょっとフワフワになってる……やっぱすげぇ、さっすが『ぷれいやー』だわ」

 

 

(言えない……これ、絶対ユグドラシルとかゲームの事とか話せない……墓場まで持って行こう)

 

 

 

 ……とてもではないが、下手に口外出来る事ではないなと……悟は思った。

 

 

「あ、そういえば、サトルって『りゅうてい』って知ってる?」

「『りゅうてい』、ですか? いや、聞き覚えはないですね……それが、どうかしたんですか?」

「いや、ゾーイ様とお別れする時にね」

「はい」

「『りゅうていだけは絶対にぶちのめす』ってマジギレしてたから」

「え?」

「なんか、『コスモスもかなり怒っているからな……個人的にも、やつは許しておけん』って、額に血管ビキビキさせながら言ってて……ちょっと、怖かったよ」

「そ、そうなんですか……」

 

 

 ……本当に、下手に口外すると宗教観崩れてヤバいかも……そう、悟は思ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 ──そんなこんなで、だ。

 

 

 色々な事をお互い話し続ける間に、気付けば夕陽が差しかかり。

 

 

 ……どうせ行く当てなんてないだろうから、足場が固まるまでは泊まっていきなよ。

 

 

 その厚意に悟は甘え(実際、当てはない)、初めて食べる生の食材に感動して涙を零し。

 

 久しぶりに感じる、生身の身体にシャワーが当たる感触に涙ぐみ。

 

 大したものじゃないけど、と。

 

 辺境の村人が着るような粗末な服を用意してもらい、これまた用意してもらったお茶にホッと一息ついた頃。

 

 

「──ところでさあ、これからサトルはどうすんの?」

 

 

 後はもう寝るだけ……そんな時、思い出したようにクレマンティーヌからそんな事を言われた。

 

 

「これから、ですか?」

 

 

 ベッドから身体を起こした悟は、隣のベッドにて横になっているクレマンティーヌを見やった。

 

 

「そう、サトルはさ、贖罪っていうか、罪を償う為にもう一度この世界で生きて行こうと思ったわけでしょ?」

 

 

 一つ、悟が頷けば、「でもさ、それって何から始めるのかなって思ってさ~」クレマンティーヌは欠伸を零して、天井を見つめた。

 

 

「私はさぁ……特に、ゾーイ様から何かをしろとは言われなかったんだよね~」

「え、そうなんですか?」

「好きなように生きろって。ただ、癇癪(かんしゃく)で誰かを殺すなって注意されたぐらいだよ」

 

 

 ぶっちゃけちゃうと……ポツリと、クレマンティーヌの声が、静かな室内に響いた。

 

 

「好きな事も、したい事も、私にとってはぜ~んぶ、ゾーイ様と一緒にしたかった事なんだよね」

「…………」

「だから、そのゾーイ様が居なくなっちゃったらさ……正直、何をすればいいんだろって思ってさあ」

 

 

 ──だから、サトルはどう考えているのかな……って、気になった。

 

 

 そう、尋ねられたサトルは……しばし、俯いて沈黙した後で……フッと、顔をあげた。

 

 

「とりあえず、カルネ村に行きます」

「カルネ村?」

「とてもお世話になった村なんですけど、そこにはナザリックの被害者たちが身を寄せていて……そう、ツアレって女性もまだそこに居ると思うんです」

「ふ~ん、どうすんの?」

「食糧の支援などを行います。兎にも角にも、まずは食べる物が……それに、ツアレは身重ですから」

「え、まさか……!」

「違います、俺の子じゃないですから……そう、友人の、友人の息子のお嫁さんみたいな人なんです」

 

 

 バッとベッドから身体を起こしたクレマンティーヌに、慌てて弁明すれば……な~んだ、と言わんばかりにクレマンティーヌは、パタンとベッドへ仰向けになった。

 

 

「……あのさ」

「はい、なんですか?」

「私も、それに付いて行っていい?」

「え?」

 

 

 思ってもみなかった提案に目を瞬かせれば、「嫌ならいいよ」クレマンティーヌはふりふりと手を振った。

 

 

「なんとなくだよ、なんとなく。そんな驚かなくていいじゃん」

「……本当に、なんとなく、ですか?」

 

 

 ちょっと……クレマンティーヌは、困ったように視線をさ迷わせた。

 

 

「……私もさ、生き返らせてもらったわけじゃん?」

「はい」

「それってさ、少なくとも……もう悪い事はしないって、大事に想ってくれていたからってわけじゃん?」

「そう、なると思いますよ」

「なんだかさあ、ムズムズするよね。そんな感じに信頼してもらえるのってさぁ」

 

 

 本心から頷けば、クレマンティーヌは……くすぐったそうに、肩をすくめた。

 

 

「そんなふうに思われちゃったらさあ……そんな期待に応えたいって思うの、普通じゃん?」

「そうですね、普通だと思います」

「でもさ、私ってば、誰かから奪うのはとっても得意なんだけど、誰かに与えるのって苦手で……何をしたら良いのか全然分からないんだよね」

「……つまり?」

「言ったじゃん? サトルが極悪人なら、私も極悪人だって。どうせ同じ極悪人なら、ちょっとぐらいつるんで行動してもいいんじゃね……って思ったわけ」

 

 

 ──色々と不純な考えかな? 

 

 

 そう、視線を逸らしたクレマンティーヌに……悟は、はっきりと告げた。

 

 

「不純かどうかなんて、何の意味もないですよ」

「え?」

「不純だろうが何だろうが、困っている時に手を差し伸べてくれるのは嬉しいことなんです。色々悩んで何もしないよりも、悩みながらも手を貸してくれる人の方が……俺は良いと思います」

「……そう思う?」

「はい。困っている人がいたら、助けてあげるのは当たり前……それで、良いんじゃないかなって俺は思います」

 

 

 ──ぽかん、と。

 

 

 何を言われたのか理解出来ない。

 

 そう言わんばかりに、しばしの間、目を見開いていたクレマンティーヌは……徐々に、理解を深めていくと。

 

 

「──そうね、困っているなら助けてあげる……軽く考えるぐらいが、丁度良いのかもね」

 

 

 その言葉と共に、クレマンティーヌはそっと悟へ手を伸ばし……それを見た悟も、手を伸ばして……ギュッと、握手をすると。

 

 

「それじゃあ、よろしくね、極悪人さん」

 

「こちらこそ、極悪人同士、頑張っていきましょう」

 

 

 互いに、ニヤッと意味深に笑みを零し……次いで、フフッと小さく笑うのであった。

 

 

 

 




これにて終了

『オーバーロード』のモモンガではなく、鈴木悟としてこの世界で生きていくことになりました
悟のこれからは、自らがやらかした事、自分たちの作り上げたものが残した傷跡を見つめる日々が待っていますけど……それでも、今の悟ならば乗り越えられるかもしれませんね

では、また何かの二次が書きたくなったその時まで、さようなら
(エンディングテーマは、『忘れじの言の葉』のイメージ)


あ、カクヨムではオリジナル書いているんで(ダイマ)


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