異聞・第2次ティアマト会戦 (伊藤 薫)
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第1章:過去への扉


拙作「ハイネセンの眠り姫」と同じ世界観になります。ご了承くださいませ。


 ダリル・シンクレア(仮名)という老人がハイネセンのマルヌ市で亡くなったのは、ちょうど第2次ティアマト会戦から戦後30年を数えた宇宙歴775年の夏のことだった。

 享年81歳。ヤン・ルイタンはその人物に直接の面識はない。後に調査したところ、シンクレアは長年に渡って教職を勤め、引退した後はいくつかの名誉職を転々としていた。その一方、地元では郷土史家、もしくは戦史家としても知られた存在だったという。

 シンクレアは自宅に膨大な量の蔵書を所蔵していた。シンクレアの死後はそれを守る者もなく、一部はマルヌ市の図書館に受け継がれた他は大半が遺族の手によって処分されて散逸した。

 以来13年。所有者が亡くなった後にどのような経緯を辿ったのかは不明だが、宇宙歴788年の秋にシンクレア蔵書の一部がテルヌーゼンの古書店からネットオークションに出品された。

 何とはなしにヤンはオークションサイトに掲載された蔵書の写真を眺めた。目録は『第2次ティアマト会戦関連書籍』と題され、計10冊ほどの貴重な古書の表題が並んでいる。ほとんどの古書が宇宙艦隊総司令官ブルース・アッシュビー元帥に関連するものだった。

 ブルース・アッシュビーは43年前、第二次ティアマト会戦で同盟軍を完勝に導き、自らは戦死した人物である。小学生でも知っている同盟軍史上の英雄である。

 ヤンはこの古書群の入札に参加することにした。表題にヤンが持っていない書籍が多数あったことが一番の理由だったが、理由はもう一つあった。ヤンは副業で「フリープラネッツ・ヒストリカル・レビュー」という歴史雑誌に寄稿するライターを勤めていた。来月から開始する新連載でアッシュビーをテーマに選んでいたのである。数人の入札者と少し競ったが、どうにか落札できた。落札価格は古書の時価として適切なものだったが、ヤンの想定よりも少し値が張ってしまった。

 落札できてホッとした反面、これで給与日まで節約せざるを得なくなる。ヤンはため息をついた。学生の頃から自炊や料理の類が苦手であるヤンはレトルトなどの出来合いの物で満足するほど貧乏な舌でもない。日々の食事はハイネセンポリスで行きつけの「三月兎亭(マーチラビット)」や「ハウス・カフェ・ブエナビスタ」で摂るか、テイクアウトを注文していた。

 外食の回数は今後、減らさなくてはならないだろう。それにしても、カフェでミンツ元大尉が淹れてくれる美味しい紅茶が飲めなくなるのは惜しい。有能な貿易商だった父タイロンの言葉が脳裏に浮かんだ。金さえあれば嫌な奴に頭を下げずに済むし、生活のために節を曲げることもないのだ。ヤンはため息をついた。

 数日後、荷物がヤンのアパートに届いた。宅配便が地面に置いていった段ボール箱数個の前でヤンが佇んでいる時、彼女に挨拶してきた人物がいる。

「お久しぶりです。ヤン先輩」

 ダスティ・アッテンボローは私服姿にも関わらず、控えめな仕草で敬礼した。ヤンの士官学校の後輩である。来年6月卒業予定の4年生で将来を有望視されること、同時期のヤンと比較にならない。

「たしかに『美味いバイトがあるけど、やらない?』と声はかけたけど、本当に来るとは思わなかったわ」ヤンは言った。

 アッテンボローは片方の肩だけをすくめてみせた。

「いやいやというわけではありません。先輩が可愛い後輩に何か恵んでくれないかと喜び勇んで参上したわけです」

「タダ飯にありつきたいのなら、まずは対価を払ってもらいましょうか」

 ヤンは後輩にアパートの3階にある自室に古書が詰まった段ボール箱を運ばせる。重い段ボール箱を担いでフラフラと階段を上がるアッテンボローはエレベーターが無い建物を罵り、家賃の安さだけで棲家を選んだ不肖の先輩にぶちぶちと文句を言い続けた。

 荷物をしっかり運んだアッテンボローに、ヤンは「三月兎亭」で夕食を奢った。その後はアパートで後輩の成人の前祝いとして、彼女が初任給で買って今まで開けていなかった高価な洋酒を2人で嗜んだ。

 ロックでアルマニャックをちびちびと口に含む内に自然と口許が綻ぶ。ヤンは呟いた。

「甘いわね、このお酒は」

 アッテンボローは眼元をほんのり赤くしている。

「これは誘惑の話をする時に飲むものですよ、きっと」

 2人はそっと肩を揺らして笑った。



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 ヤンは古書が詰まった段ボール箱を開けた。箱自体は真新しいが、その中からもう1つ、二重になるような形で同じような箱が出てきた。かなり古いものだ。その上に万年筆で「第2次ティアマト会戦参加部隊資料」と書かれ、「シンクレア」という名前が入っていた。これが蔵書の持ち主だったダリル・シンクレアである。

 居間のソファで寝ていたアッテンボローは昼ごろに、ようやく起き出した。昨夜の深酒で人生初の二日酔いを存分に堪能したらしい。キッチンで何かを探していたアッテンボローがヤンに声をかけた。

「この家にはインスタントコーヒーは無いんですか、先輩」

「紅茶だけよ、残念ながら」

 ヤンは本を取り出した。床に表紙の黄ばんだ古書を計10冊、整然と並べる。

 第2次ティアマト会戦時、アッシュビーら「730年マフィア」の一員として第4艦隊司令官を務めたフレデリック・ジャスパー提督の伝記『戦争は命の博奕』初版本。同会戦に参加した情報参謀ライオネル・ハント元大佐による『スレッジハンマー作戦回想録』。奥付で新しいものは宇宙歴760年発行の『第36駆逐隊戦記』など。ヤンは1冊ずつ本を手に取り、状態を確認した。

 どの本もかなり読みこまれているようだ。頁は手垢で汚れ、擦り切れている。行間に赤鉛筆で線が引かれ、前の所有者が書き込んだ注釈が遺っている。その1つ1つに、長く濃密な時間の流れを感じる。

 キッチンからポットでお湯を沸かしている音が聞こえる。

 ヤンが最も興味を惹かれたのは、古書群ではなかった。最後の書籍を取り出した際、箱の底から古い茶封筒に入った分厚い書類の束が出てきたのである。封筒にも万年筆で「ブルース・アッシュビー資料」と書かれていた。封筒に入っていた物は各種雑誌、新聞の切り抜きや個人や各地の戦友会が発行した小雑誌やパンフレットが数冊。他に油紙で厳重に包まれた薄い書籍らしきものが1つ。

 油紙を注意深く開いた。油紙に包まれていた物は、当時の国防委員会から発行された宇宙歴745年度版の日記帳だった。持ち主はどうやらジョナサン・クラーク少尉(仮名)という名前の人物。表題に掠れた黒インクの文字で『パザルジク従軍日記』と記されている。日記帳に折り畳まれた一枚の紙片が挟まっていた。ヤンは紙片を慎重に開いた。紙片には次のように記されている。

 

宇宙歴748年3月21日、ナムタル星域会戦において戦死したジョナサン・クラーク氏よりこれを遺品として預かるものである。通信士官・第36駆逐隊・少尉ダリル・シンクレア

 

 紙片にはこの文言の他に、シンクレアと日記帳の持ち主であるクラーク少尉の郷里の住所が書かれていた。シンクレアとクラークはハイネセンの出身でマルヌ市の同郷だった。後に調べたところ、第36駆逐隊は第4艦隊所属の駆逐艦部隊で、宇宙歴744年4月にハイネセンからネルガル星系のアルルに出動。翌745年7月に同艦隊の第72宙雷戦隊と共にパザルジク星に派遣されている。

 ヤンは疑問を感じた。シンクレアは亡くなった戦友の日記帳を遺品として預かっておきながら、なぜ戦後30年を迎える自身の末期までそれを遺族に返さずに持ち続けていたのか。もう1つ心に引っかかるものがあった。日記の表題になっているパザルジク、つまりパザルジク星である。

 パザルジク星はティアマト星系に属する惑星である。これまでに二度、銀河帝国の間で発生した会戦では、いずれも同盟軍の後方兵站を担う要衝になっている。なお、同星系に属する惑星の1つであるルメリア星も補給基地として機能していたが、二度目の会戦では帝国軍に包囲されて同盟軍に多数の死者を出した。さらに、パザルジク星は同盟軍の史上に残る英雄であるアッシュビー提督が戦死した舞台として知られている。

 日付は宇宙歴745年12月11日―。

 その日、第2次ティアマト会戦は佳境を迎えた。アッシュビー提督の神業に等しい戦術機動によって、帝国軍はわずか40分で回復までに10年の歳月を必要とする大損害を被った。ところが、敵艦から放たれたひと筋のエネルギー・ビームが戦艦「ハードラック」の艦体中央部右下に飛び込んだ。その際に重傷を負ったアッシュビー提督が運び込まれ、その戦死が確認された場所がパザルジク星だった。



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 ヤンは静かに日記帳を開いた。

 三十数年もの長い沈黙を経て、著者の息吹が目覚めたような錯覚があった。頁は背表紙が外れてバラバラになっている。ただの紙の束のように綴じられていた。その1枚1枚から古い紙特有の黴の臭いが立ち昇る。泥水か油脂か、もしくは人の血か涙かも判別がつかない染みの中に、細かく丁寧な鉛筆の文字で綿々と文章が綴られていた。

 日記は宇宙歴745年10月21日から始まる。パザルジク星に到着した翌日のことらしい。輸送船の船上の風景から始まっている。

 

何とものんびりした風景だ。海辺に椰子の葉を葺いた小屋が並んでる。あれが、俺たちが上陸する村だろうか。

 それにしても、この星は暖かい。暖かいというより暑いぐらいだ。小便も凍りつくほど寒かったアルルとえらい違いだ。こうして裸になり甲板で日光浴をしてるのが噓みたいだ。ここにはまだ、帝国の影すらもない。激戦のルメリア星から行き先変更になったのは、幸運だったと神に感謝せねばなるまい。

 おれの恋人、村長の娘。肌は黒いが、ここじゃ美人。

 誰かがそんな歌を陽気に唄いだした。この星には、旨い果物があると聞いてる。眼の前に広がる青い海は魚も釣れそうだ。早く上陸して喰ってみたいもんだ

 

 いかにも長閑な光景が脳裏に浮かぶようだった。ヤンは日記を1頁ずつスキャナーにかけてはデータのキャプチャをノートPCに取り込んだ。筆記体で書かれた文章を翻訳アプリで解析にかけて解読を進める。クラークの日記に見える明るさは彼自身の性格に依るところもあるが、彼が所属する艦隊の雰囲気にも通じるところがある。

「先輩も1つどうです?」

 アッテンボローが紅茶を入れたマグカップを持ってきた。実家では年長の姉たちに囲われて生活していたためなのか、ヤンはこういう気配りが自然とできる後輩が好ましかった。紅茶をひと口含んで眉間にしわを寄せる。

「苦味が少し強いわね」

「紅茶の淹れ方は学校で習わなかったですよ。我慢してください」

 ヤンは第4艦隊の記録も並行して調査する。艦隊司令官はフレデリック・ジャスパー。精悍で鋭敏で直線的な男でダイナミズムに富んだ用兵ぶりから「行進曲(マーチ)ジャスパー」と呼ばれていた。勝つ時も負ける時も派手だった。遺された写真の1枚に映るジャスパーは陽に灼けた顔で黒っぽい髪をしている。ジャスパーには、どこか兵士に好かれる奇妙な愛嬌があったようだ。クラークの日記にもこう記されている。

 

艦隊司令官の行進曲(マーチ)ジャスパーは何度か眼にしたことがある。艦隊の将官たちを集めて訓示した時のことを未だに覚えてる。彼はいたずらっ子のように不敵な笑みを口元に浮かべながら、こう言った。

「おれは中途半端なやり方は主義じゃない。勝つか負けるかは結果に過ぎん。何事も全力で取り組むように。以上」

 

 だが、日記に示される長閑な雰囲気とは裏腹に、人類社会における二大軍事勢力は100年以上続いている衝突の歴史に新章を書き加えようとしていた。新章の舞台に選ばれたティアマト星系はイゼルローン回廊の同盟側の入口あたりに位置する関係上、帝国軍が「辺境の叛徒」を討伐する名目でたびたび侵攻を図ってきた経緯がある。なお、この時期においては回廊内に巨大な要塞はまだ建設されていない。

 クラークが所属する第72宙雷戦隊がパザルジク星に展開した時期は、ルメリア星で悲惨な包囲戦が始まる10日前ということになる。展開する前の段階で命令が変更されていた点から、同盟軍統合作戦本部はすでにルメリア星の防衛を見限っていたことになる。

 この情勢判断はブルース・アッシュビー元帥によるところが大きい。ヤンはそう思った。同盟側の入口には、補給・索敵・通信などの機能を持つ2ダースほどの軍事基地が散在しており、パザルジク星もルメリア星もその1つである。要員としても最大で4000名を超える基地はない。アッシュビーは軍事費を要塞や基地の維持・建造より艦隊の戦力強化を優先させていた。基地で失われる少数の犠牲も、大艦隊で帝国軍を殲滅することで帳消しに出来る。そんな大胆なことを考えていたのかもしれない。



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 ヤンは日記を読み進める。

 10月21日当時、パザルジク星に到着した第4艦隊は南半球内陸部のムグワイに置かれていた軍事基地に駐屯していた。クラークの日記に示されている通り、ムグワイは熱帯雨林の気候帯に当たる地域で、冬でも暑いようである。そこからさらに北西に7キロほど離れた場所に、老朽化した宇宙港があった。

 第4艦隊の主な任務はまずムグワイに上陸し、同地の軍事基地を拡張する。宇宙港まで道路を整備し、宇宙港に仮の艦隊司令部を設置することだった。クラークの第72宙雷戦隊はムグワイに駐屯し、艦隊司令部を設置する間は主に周辺の斥候と偵察任務に当たっていた。

「こりゃ降りますよ、先輩」

 マグカップを片手に外の景色を眺めていたアッテンボローは言った。外は今にも雨が降り出しそうな曇天だった。ヤンはノートPCに眼を向けたまま言った。

「降るなら降りなさい」

 日記を読み進めるうちに、さまざまな事実が明らかになってきた。まずクラークの正式な身分は軍医少尉であることが分かった。つまりは衛生士官である。上官の軍医長はロニー・ウィルクス軍医中尉という人物らしい。文中によくこの名前が登場している。

 この時、クラーク少尉の年齢は29歳。ハイネセンに残してきた妻と6歳になる長男がいることも分かった。日記には折に触れて、この2人に対する慕情が切々と綴られている。

 日記の前半は鷹揚とした記述が続いている。パザルジク星に着任した2週間後に当たる11月4日には、次のような記述があった。

 

心配してた寄生虫の患者も少なく、軍医は開店休業だ。(中略)今日は工兵の連中に混ざり、道路工事で汗を流した。その礼だと言ってミドル少尉(注:ブレソール・ミドル少尉)よりウミガメの肉と卵をもらった。ウィルクス中尉とこれを食す。肉はゴムのように固いが、ワインで煮込めば味は悪くない。卵は卵焼きしたが、この上もなくご馳走だった。第36駆逐隊は明日より全部隊が宇宙港に移動するとのこと。(中略)今日はハイネセンでは聖ヴァレンタイン記念日か。妻と息子はどうしてるだろう―

 

 11月に入ってしばらく経った頃、日記の内容が急に緊迫し始める。ルメリア星で同盟軍の守備隊が全滅した翌日の11月8日はこう書かれている。

 

昨日、ルメリア星が陥落したと聞いた。わが軍の将兵の半数以上が戦死、もしくは餓死したという噂がある。(中略)この星にも補給船が届かず、物資や食料が欠乏し始めてる。現地から調達するだけでは、とても足りない。今日の食事はジャガイモひとかけのみ。蛇やネズミを食べる者もいるが、おれには無理だ。今後、戦局はどうなるのだろう。おれたちもルメリアの友軍と同じ道を辿るのだろうか

 

 開戦まで1か月を切ったこの頃、回廊内に散在する各地の軍事基地は後方勤務部長キングストン中将から物資の割り当てを削減することを通告される。前線で帝国軍と衝突する各艦隊に対する補給が最優先にされたためである。

 以後も日記には2日に一度、もしくは3日に一度の割合で記述が続いている。その内容は日増しに危機感の募るものとなっていた。12月には物資はますます欠乏し、ジャングルの名もない植物の葉や小動物などを食べて飢えをしのいでいる話が出てくる。前線では同月5日9時50分、第2次ティアマト会戦における最初の砲火が交わされる。

 時が経つにつれて、パザルジク星に前線から傷病兵が次々と送られてくる。元々少ない薬品が底を尽き始めているために満足な治療が出来ず、命を落とす将兵が多くなる。クラークは行間に軍医としての苦悩を滲ませるようになる。

 そして、運命の日を迎える。

 12月11日、アッシュビーは全軍に「スレッジハンマー」作戦を下命する。以後、同盟軍は帝国軍に対する苛烈な反攻に乗り出した。日記は次の書き出しで始まっている。

 

朝から宇宙港の様子が騒がしい。早朝の5時20分と11時20分の二度に分けて、数隻の病院船が到着。宇宙港に隣接する野戦病院で治療に当たり、午後は基地に戻る。19時30分ごろ、第4艦隊司令部より急な来客。ベイズ戦隊長(注:ラッセル・ベイズ中佐)に面会した。前線で何か問題が起きた模様

 

 以後の日記は丸2日に渡って、戦艦「ハードラック」を捜索する様子が克明に記録されていた。アッテンボローは実家に顔を見せた後、テルヌーゼンに戻ると言って部屋を出た。ヤンは後輩を玄関で見送った。雨がざあざあ降る中、ヤンは傘を差したアッテンボローがハイネセンポリスの雑踏に消える姿をいつまでも眺めていた。



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「ふわっ、ふああああ」

 尾を引く母音が不意に口から漏れた。ヤンは眼をつぶり、大きな欠伸をする。眼尻の涙を指で拭う。上司のセシル・メイウッド中佐がヤンを恨みがましく見やる。当の本人は眼をしばたたき、首の後ろを揉んでいる。

 あの(あま)、良い気なものだ。メイウッドは鼻を鳴らした。同盟領内情報の収集・整理を担当する第2班長のロイド・ペイリン少佐もヤンの隣で首を震わせて欠伸している。同盟軍統合作戦本部の調査部記録統計室のそこかしこで間の抜けた声が漏れた。メイウッドは低い声を発した。

「何だ、みんな真昼間にあくび大会か。たるんどるぞ」

「ここは造りが悪いですよ」ペイリンは言った。「昼を過ぎると陽がまともに当たる」

 記録統計室は統合作戦本部ビルの1階にある。部屋の窓は全て南に面している。昨日まで降っていた雨はすっかり止んで、ハイネセンポリスは朝からよく晴れている。午後一時を過ぎた今は陽光がたっぷり降りそそいでいた。

 記録統計室に郵便が届いた。部屋の入口に近い席に座るヤンが配達員に対応する。ヤンは受取票に漢字で「楊瑞丹」とサインした。ヤンの姓名表記形式は姓が名の前に来る東洋(イースタン)式である。自分のアイデンティティを意識しているという自覚はないが、書類に署名する場合はアルファベットを使わずに漢字で名前を書くことにしていた。

ヤンが自席に戻った時、PCのディスプレイ上にショートメッセージが表示される。

《これから新天地に出発する。元気で。また会おう》

 メッセージの差出人は士官学校の同期、ジャン・ロベール・ラップ中尉だった。ラップもヤンと同様に統合作戦本部で勤務していたが、今度の異動でエル・ファシルの警備艦隊に配属されることになった。ヤンはメッセージに返信する。

《また飲みに行きましょう》

 同期でもっとも出世するのはラップだろう。ヤンはそう思っていた。首席で卒業したのはワイドボーンで学業こそ優秀だったが、他人の欠点や失敗を抉るような面があり、同級生や下級生に信望は薄かった。ラップはヤンと似たような事情で、本来は軍人志望ではなかったそうだが、自然と集団を指導する力量と誰からも信頼感を寄せられる人格の持ち主だった。面倒見の良い男で、ヤンも何度か助けてもらった。

 ヤンは気を取り直して業務を続けた。この部屋では武勲の立てようも無いが、ヤンにそのつもりは無かったし、同盟軍の古い記録に接することが出来る仕事に満足していた。業務のかたわら、「フリープラネッツ・ヒストリカル・レビュー」に投稿する記事の調べ物が出来ることも大きなメリットになっている。

「失礼します」

 記録統計室の入口で声がする。メイウッドは椅子を回転させて眼をやる。参事官付きの副官が一礼して部屋に入ってくる。彼はまっすぐメイウッドの前に来て一礼し、少し言葉を交わした。

「ヤン中尉、こっちへ」メイウッドは言った。

 ヤンは上司の机の前で踵を合わせる。

「参事官がお呼びだそうだ。副官が案内するそうだ」

 メイウッドは警戒と疑念と好奇心と諦めをごった煮にした眼でヤンを見ていた。ヤンは無表情でそれを見つめ返した。上司は状況を把握できず、ヤン自身も自分が参事官に呼ばれる理由が分からず、やり場のない不安や不快がこういう形で噴き出している。

「わかりました。すぐ行きます」

 ヤンは副官について記録統計室を出て行った。メイウッドはヤンの背中に冷たい視線を送った。

 彼はヤンが気に入らなかった。遅刻や欠勤は皆無で勤務態度は良い方だが、人事考課表に記載されていた士官学校の成績表は今まで見てきたものの中で最悪だった。周りの人間が残業で残っていても、定時になったらさっさと帰宅するのも気に食わなかったが、こちらが頼んだ仕事はきっちりこなしてくるので強く言い出すことも出来ない。

 あんないい加減な奴は戦場に行ったら、まっ先に死ぬに決まってる。メイウッドはそう思うことにして日々の怒りをやり過ごしていた。



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 ヤンは廊下を歩きながら、参事官が自分を呼び出した理由を考えてみる。参事官は士官学校の先輩に当たる人物で何かと世話を焼いてもらったことはあったが、最近は何か迷惑をかけた覚えはない。

 参事官室の前に来る。ヤンはドアをノックして声をかけた。

「ヤン中尉、入ります」

「入れ」

 部屋の主がぶっきらぼうに返事をする。ヤンは入口を塞いでいる衝立を回り込む。

アレックス・キャゼルヌはデスクについて事務作業をしていた。統合作戦本部の参事官を務めるキャゼルヌは後方任務の重責を担っている。階級は中佐。ヤンにとっては頭の上がらぬ先輩の一人である。キャゼルヌは書類に眼を落としたまま口を開いた。

「ソファで座って待っててくれ。すぐに終わるから」

 ヤンは広々とした部屋の中央に配置された応接セットのソファに腰を下ろした。ヤンの向かい側にキャゼルヌが座ったのは、それから5分ぐらい経った後だった。目の前に置かれたテーブルにファイルを1冊置いてから、キャゼルヌは口を開いた。

「お前さん、この前にブルース・アッシュビー元帥の件で記事を書くって言ってたよな」

「ええ」

「なら、元帥の名を知らないってことはないよな」

「そこまで無知だと思われるのは、さすがに心外です」

 ヤンは苦笑を浮かべる。

「アッシュビー提督がどうかしましたか?」

「戦死ではない、という者がいる」

「戦死じゃなきゃ何なんです」

「謀殺だ」

 キャゼルヌはさりげない口調で言った。ヤンは10秒ほど士官学校の先輩を見つめる。その間に4回は瞬きをした。

「聞き捨てに出来ん話だろう」

「歴史に異説はつきものですよ」

「だが、こいつは軍部にとって無視できない異説なのさ」

「話が良く見えませんね。アッシュビー提督の死を今さら問題にする理由は?」

 キャゼルヌはファイルをヤンに向けて差し出した。

「そもそもの発端は、統合作戦本部に投書があったことだ。過去36週間に36通。毎週火曜日に届くので、おれたちは《火曜日通信》と呼んでいたがね」

 ヤンはファイルを開いた。同じ内容の投書が何枚も挟まれている。投書は手書きではなく、エディタで書かれていた。文面は「アッシュビー提督は謀殺された」という一文のみ。

「反復される投書には、それなりに説得力と根拠があるだろう。それで軍首脳部は形式を整える気になった」

 キャゼルヌは要点を説明する。アッシュビー提督の死が間違いなく戦死であり、謀殺の可能性などない。それを証明することが調査の目的だった。

「そこで、おれが新進気鋭の歴史研究家であるヤン・ウェンリー氏を非公式の調査委員に推薦したというわけだ」

「なんで私が?」

「いつも記事ネタで困ってるだろう?」

「ネタで困ったことは一度もありません」

 ヤンはわずかに胸を張って断言した。キャゼルヌはさりげなく後輩の反応を無視した。

「正式な調査委員会は、まだ発足するかどうか未定でな。お前さんの調査次第で、発足するか潰れるか決まる」

「へえ、そうですか」

「やる気のなさそうな返事だな」

「お偉方から言われてやることに、あまり労力は割きたくありませんから」

 ヤンとしては、このような投書を取り上げて非公式に調査するという軍首脳部の思惑について考えざるを得なかった。究極的には、情報統制の一環になるだろう。英雄の虚名はすなわち軍部の名声であり、必要なのは常に真実ではなく、輝かしい伝説である。何か都合の悪い事実が出てきた場合は隠蔽か隠滅する。自分はその下見をさせられるというわけだ。

 キャゼルヌは人の悪い微笑をたたえた。

「ここである程度の業績を挙げておけば、素質ありということで、戦史編纂所の研究員になれるかもしれんぞ」

「ほんとにそう思いますか?」

「いや、これはお前さんを釣る餌だがね」

 キャゼルヌはごく穏やかに言った。あやうくヤンは成程と感銘を受けるところだった。

「分かりました。拝命します」




今回で第1章は最終回になります。


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第2章:歴史の空白地帯


「アッシュビー提督は謀殺された」

 ヤンは《火曜日通信》が収められたファイルをパラパラとめくっていた。ファイルから何通か無作為に選んで見比べてみるが、どれも同じ文章・文体で書かれている。拙い推測から《火曜日通信》の送り主が誰か想像してみる。単純に考えて、アッシュビーの殉職を貶して喜ぶ人物は誰かということ。

 アッシュビーの勇名は当然、銀河帝国にも知れ渡っている。帝国軍にしてみれば、不俱戴天の仇敵というべき存在だった。帝国軍務省の公式記録には「アッシュビーなる叛徒どもの巨魁」と表現され、軍務尚書ケルトリング元帥は提督の討伐を強く叫んだ。だが、ケルトリングは志半ばにして病床に倒れてしまう。さらに、帝国軍は第2次ティアマト会戦で高級将官の大半を喪失する大敗を喫した。

 ヤンは机の上に積み上げた歴史書を眺める。第2次ティアマト会戦における同盟軍の勝利は、アッシュビーが歩んできた劇的な生涯の掉尾を飾るに相応しい。十ダースほどもあるアッシュビーの伝記はどの著作もそのように記している。ただし、多くの軍事学者が会戦の勝因を同盟軍の作戦行動から説明できず、勝利をもたらした宇宙艦隊司令長官の非凡な能力で片づけてしまっている背景も存在する。ヤンはそう思った。

 宇宙歴745年12月4日に勃発した第2次ティアマト会戦に参加した高級将官は次のような面々だった。階級は全て当時である。

 

 宇宙艦隊司令長官:ブルース・アッシュビー大将

     参謀総長:アルフレッド・ローザス中将

 第4艦隊司令官:フレデリック・ジャスパー中将

 第5艦隊司令官:ウォリス・ウォーリック中将

 第8艦隊司令官:ファン・チューリン中将

 第9艦隊司令官:ヴィットリオ・ディ・ベルティーニ中将

 第11艦隊司令官:ジョン・ドリンカー・コープ中将

 後方勤務部長:アーサー・キングストン中将

 

 これは当時の同盟軍が望みうる最高の陣容であり、キングストンを除いた将官が全てアッシュビーと士官学校で同期だった点も異彩を放っている。彼らは宇宙歴730年に士官学校を卒業した後、15年に渡って軍の中核をなし続けた。738年のファイアザード星域会戦で帝国軍に勝利した後から、マスコミは彼らを「730年マフィア」と呼称した。

 同盟軍内における「730年マフィア」の声価は年を追うごとに増していった。彼らは地位や権限が増大した後も驕ることなく、自己の能力を高めながら、互いに研鑽しあった。そういう稀有な将星らを集団として統率しえた者はアッシュビーだけだった。

 ここに1つ、興味深い事実が存在する。「730年マフィア」の関係性は第2次ティアマト会戦の直前に崩壊間際だったということである。その内紛を初めて白日の下に晒したのは、アッシュビーの信任篤い幕僚だったローザス大将だった。彼が10年前に発表した回想録―「老将は語らず」は優れたノンフィクションとして評価されている。ローザスは回想録で「730年マフィア」の内紛を次のように描写している。

 

…この会戦に際して、アッシュビーは周囲が奇異に思うほど高圧的だった。自身の作戦を満足に説明したことはついに無かった。とにかく俺の言う通りにしろという態度を押し通した。もともと彼の性格が自信過剰で傲慢だったことを差し引いても、到底許されるものではなかった。

 最初に反発したのは、ジョン・ドリンカー・コープ中将だった。黙々と自己の責務を果たすタイプの男が珍しく怒り心頭に発し、アッシュビーと刺々しい応酬を繰り広げた。こういう場を取りなすことが多かったベルティーニは陰気に黙っていた。会議が終わった時、席を立ったコープはこう吐き捨てた。

『あんたは変わったな、アッシュビー。それとも最初からそうで、おれのほうに見る目がなかったのか』

 アッシュビーは顔じゅうに怒気をみなぎらせたが、相手を呼びとめはしなかった

 

 宇宙艦隊司令部の内部分裂は戦況が推移するにつれて、深刻さを増していった。各艦隊司令官との間に悪感情が渦巻いていたとはいえ、それ故に総司令官としての責任を放り出すほど、アッシュビーは未熟な人間ではなかった。彼は帝国軍の基本戦術を看破し、敵より少数の兵力で相手を完全に撃滅したことがその証左になる。



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 アッシュビーが戦死した12月11日は自由惑星同盟(フリー・プラネッツ)の公式記念日になっている。アッシュビーの戦死については、謎がいくつか存在する。当時の同盟軍や国防委員会の発表やその後に公表された資料によると、アッシュビーの戦死にまつわる経緯はおよそ次のようになる。

 18時50分ごろ、帝国軍で最後まで組織的な抵抗を続けていた第9航宙艦隊(シュタイエルマルク中将)が敗走を開始した。その直後、アッシュビーが坐乗する戦艦「ハードラック」は後方で待機していた宙域から主戦場宙域から前進し始めた。

 帝国軍に決定的な打撃を加えたとはいえ、まだ敵の残存艦艇が潜伏する宙域に前進する危険性を誰も認識していなかったわけではない。戦艦「ハードラック」に同乗していた情報参謀ハント大佐は危険が大きすぎるとして司令長官に注意を促したが、アッシュビーはこれを却下した。さらに、暗号化されていない平文で司令部の移動を全軍に通告している。後年の戦史研究では、これをアッシュビーの驕りという風に指摘するものも少なくない。

 主戦場宙域に向かう戦艦「ハードラック」は3隻の巡航艦「ガルヴェストン」「プロヴィデンス」「グリッドレイ」から成る第89戦隊と6隻の駆逐艦「フィリップ」「レンショー」「リングゴールド」「シュレーダー」「ワトソン」「シグスビー」から成る第24駆逐隊に護られており、「ハードラック」を中心に二重の輪形陣を敷いていた。両隊はユージン・ラングドン中佐が指揮を執っていた。彼は巡洋艦「ガルヴェストン」の艦長を兼任していた。

 ハントの懸念は的中する。孤立した帝国軍の残存艦艇が散発的な砲撃を加えてきたのである。帝国軍は偶然に砲撃してきたわけではなく、平文の通信を傍受した上で攻撃を加えてきた可能性は存在する。ヤンは手帳にメモを認める。この時、砲撃を加えてきた帝国軍は戦艦「シュテッティン」と巡航艦「ゴトランド」と見られている(正確な艦種や艦名は不明という注釈が記されている)。

 巡航艦「プロヴィデンス」と駆逐艦「レンショー」「シュレーダー」がこれに対処するために陣形を解き、敵に接近する。わずかに旗艦から離れた瞬間、戦艦「シュテッティン」の流れ弾が戦艦「ハードラック」の艦体中央部右下に飛び込んだ。

 爆発後の時系列に関しては、参照できる公式資料が少なくなる。戦艦「ハードラック」の戦闘日誌によれば、敵艦のエネルギー・ビームによる爆発は三層の防御層を貫き、艦橋まで甚大な被害を及ぼした。時刻は19時7分。その15秒後、2度目の爆発が起きる。爆発が起きた後の艦橋は最も信憑性がある証言として、再びローザスの回想録が登場する。ローザスはアッシュビーが負傷を受けた瞬間を描写している。なお、この時はローザスも左腕と左脚を骨折する怪我を負っていた。

 

『ふん、このごろの戦闘は、女と同様、性質(たち)が悪くなった』

 誰かが苦々しい声でそんなことを呟いた。今となっては、あの声がアッシュビーだったか、作戦主任参謀のフェルナンデス少将だったかはっきりしない。2人の声はよく似ていて、私のみならず司令部の連中はしょっちゅう惑わされた経験を持っていた。だが、次に聞こえてきた声は明らかにアッシュビーだった。

『おい、ローザス、すまんが軍医を呼んでくれ。このまま傷口をふさがずにいると、おれの腹黒いことが皆に分かってしまう』

 私は床から立ち上がった。煙の中に立っていたアッシュビーは血を流して倒れていた。セラミックの大きな破片が腹を切り裂いていたのだ。私は慌てて軍医を呼んだ・・・

 

 ローザスの回想録によると、アッシュビーの深手に旗艦に同乗していた軍医ゴードン・エリス中佐は手の施しようがなく、やれることは死亡時間を確認するだけだったとされる。時刻は19時9分。死因は腹部大動脈の損傷による出血性ショック。これは後に国防委員会による「公式」発表と同じである。

 艦橋を破壊された戦艦「ハードラック」は宇宙艦隊司令部としての機能を喪失した。司令長官と総参謀長が重傷を負い、通信機器も破損したため、ひとまず第89戦隊司令官であるラングドンが臨時で指揮を執ることになった。

 



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 ヤンは第89戦隊の戦闘日誌に眼を通した。

 帝国軍の抵抗は苛烈を極めた。戦艦「シュテッティン」と巡航艦「ゴトランド」に加え、新たに2隻の巡航艦―「ヘルゴラント」「グラーツ」が合流する。駆逐艦「シュレーダー」が激戦の最中に大破して行動不能に陥り、駆逐艦「ワトソン」が救援に向かう。巡航艦「プロヴィデンス」は巡洋艦「グラーツ」の砲撃を艦橋に受けて中破。

 19時45分ごろ、ラングドンは反撃の中止と戦場からの離脱を各艦に指示する。駆逐艦「フィリップ」「リングゴールド」が曳航用ビームで「ハードラック」を牽引しつつ、第89戦隊はティアマト星系の外縁部に向かって退避する。

 この時、ラングドンは友軍艦隊への通信連絡をしなかった。一説には、帝国軍の傍受を恐れて通信封鎖を命じたとされている。ここから第89戦隊の彷徨が始まる。アッシュビーの戦死が同盟軍全体に伝えられるまでの「空白の時間」である。この「空白の時間」を埋める資料として、クラーク軍医中尉による「パザルシク日記」が登場する。

 ヤンはクラーク軍医中尉の日記を読み進める。12月11日の記述は続いている。

 

―病舎で診療をしているところに、ベイズ戦隊長とフレッチャー大尉(注:副隊長マーク・フレッチャー元大尉)が訪れた。第4艦隊の参謀も一緒で、3人とも慌てた様子。戦隊長より診療所から軍医を1人出すようにとの命令を受ける。その後、参謀より説明があった。

 これは極秘事項であるが、〇〇級戦艦1隻が敵に襲撃されて奪取された恐れあり。主戦場宙域に展開していた3個艦隊はすでに捜索を開始したが、乗員の生死は不明。後方の補給基地からも捜索隊を出してほしいとのこと。

 たかが戦艦1隻の捜索に補給部隊が協力するのは異例のことなので、理由を尋ねると、戦艦の乗員の1人はアッシュビー大将で、他にも高級将官が複数名いるとのこと。これは大変なことになったと思った。軍医班としては早朝から多くの傷病兵が後送されており、ウィルクス軍医中尉はしばらく出られそうもないので、とりあえず自分が捜索に同行することになった―(後略)

 

 日記にはその後の捜索の様子が記されている。捜索隊は駆逐艦と哨戒艇から成る約40隻。隊長はフレッチャー。昼過ぎに出立し、パザルシク星から帝国領に向かって約1.5光年の宙域を目指した。戦艦が敵に襲撃されたと思われる座標が、その宙域だった(ハイネセンの統合作戦本部はすでに電子偵察艦の情報からその位置を特定していた)。捜索隊は予定通り該当の宙域に展開したが、初日は何の手掛かりも得られぬまま、捜索を中断してパザルシク星に戻った。

 

―物資が不足し始めたので、捜索隊は仕方なくパザルシクに戻ることにした。その間やることもないと思い、哨戒艇の艦橋で片隅に1人分の空間を確保してどうにか横になるが、足も満足に伸ばせず、とても眠れたものではない。隊員の1人が急性の虫垂炎に罹り、治療に奔走す―

 

 日記はその後も事故発生当日の生々しい記述が続いている。会戦に参加した他艦隊の戦闘詳報によれば、戦艦の捜索に向かった部隊は、第72宙雷戦隊だけではなかった。

 後に歴史上に名を刻むことになる第11艦隊麾下の第175駆逐隊も捜索に参加した。同隊は同月11日、第11艦隊が展開する宙域から補給基地に向かう途中、帝国軍の残存部隊が激しい戦火を交えて抵抗する様子を遠距離から視認した。この時、同隊司令官マクブライト中佐は敵と戦艦「ハードラック」を護衛する第89戦隊が交戦しているとは知らなかったが、第11艦隊司令部に詳報を送った後、4隻の駆逐艦「ニコラス」「オノヴァン」「シェヴァリエ」「ソフリー」を偵察に向かわせた。各駆逐艦は抵抗する敵を発見することが出来ず、日付が変わる頃に本隊に合流した。

 その他にも2、3の補給基地から数個の救援部隊が捜索に従事したが、いずれも捜索する戦艦にアッシュビーが搭乗していることすら知らされず、同月11日中に戦艦「ハードラック」を発見した部隊は皆無だった。もっと正確に捜索対象の情報が伝えられていれば、事件当日にアッシュビーを発見できていたのではないか。ヤンはそう思った。



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 12月12日、捜索2日目。クラークのパザルシク日記は次のような書き出しで始まっている。

 

―日付が変わった頃、捜索を再開する。捜索隊を4班に分けて行動するが、統合作戦本部から送られてくるデータを確認して進むも膨大なデブリ(破壊された敵味方の艦艇の残骸)などに阻まれ、捜索は難航す。どこかから友軍のスパルタニヤン機が飛んできて、現場と思われる宙域に発光弾を投下するも、デブリや小惑星などに阻まれて確認できない。

 頼みの捜索用レーダーも、全く当てにならない。フレッチャー大尉の指示に従い、N86航路(パザルシク星からティアマト本星を結ぶ主要補給用航路)に沿って前進するも、1時間で行きつける場所に3時間が経っても到達しない。その内に、元の場所に戻ってきてしまっている。まるで狐につままれたようだ―(後略)

 

 クラークが述べるレーダーの障害については、他の捜索隊も同様の現象を体験していた。後に情報部が調査したところ、近隣の星系に存在するマグネター(強力な磁場を持つとされる中性子星)から放出されるX線によって正常に動作しないことが分かった。

 クラークを含むフレッチャー大尉の捜索隊は迷走を続けた。だがこの日、クラークが知らないところでアッシュビーの捜索は大きく前進することになる。ヤンはノートPCをいったん閉じる。

「どうだ、何か分かったか?」

 キャゼルヌは統合作戦本部ビルの食堂でぼやっとしている後輩に声をかけた。

「有益なことは何も」

「相変わらず食欲は無さそうだな。体力をつけて頑張ってくれ」

 キャゼルヌが向かいの席に座る。テーブルの上には半分近く残したカレーライス。ミルクティーは2杯目である。キャゼルヌは片手にコーヒーが入ったカップを持っている。

「体力ばかりついてもしょうがないんですよ。脳細胞が活性化してくれないと」

「アッシュビー提督謀殺さる、なんてネタでは、お前さんの脳細胞は動かんか?」

 殊勝に「そんなことを言うつもりはありません」と答えればよかったのだろうが、ヤンはそれを口にしなかった。キャゼルヌが言外に示す通り、アッシュビー提督が謀殺されたのではないかという説は特に目新しいものではない。ゴシップを扱う雑誌やテレビ番組なら数年に1回は特集が組まれる。その程度の都市伝説として世間では扱われている。

 ヤンが気になるのは、そんな与太話を真面目に取り組むようになった同盟軍上層部の思惑である。何度も《火曜日通信》を眺めたところで、その味気ない文面からは上層部を動かすような機微は感じられない。ヤンは話題を変えるつもりで、相手に疑問をぶつける。

「ところで、あの投書の差出人は誰か分かってるんですか?」

「あまり面白くない話になるぞ」

 キャゼルヌが前置きした後で明かした差出人は、ルシンダ・アッシュビーという名前に人物だった。古くから「英雄色を好む」と言われるが、アッシュビーの私生活もその格言を表すように、自称他称を合わせて1個中隊を超える女性と浮名を流したという。彼は生涯で2度結婚しており、ルシンダは2番目の夫人に当たる。

「ところが、そのルシンダ夫人は9年前に亡くなってる」キャゼルヌは言った。「享年は59。死因は睡眠薬の過剰摂取。自殺かどうかは遺書などが無かったので、判断がつかなかったそうだ」

「誰かが夫人を騙ってる、ということですか?」

「ルシンダ夫人がすでに死んでることは調べれば、すぐにわかることだ。それを知らなかったのか・・・」

「知っていて故意に死者の名を使ったのか」

 キャゼルヌは考えこむヤンに笑いかけた。

「全部が全部、結論を出す必要はないぞ。それが公表されるとも限らんし」

「じゃあ、私は何のために、この調査をやってるんですか」

「人生、何事も勉強さ」

 あまり気の利いた回答じゃないな。ヤンはそう思った。キャゼルヌは自分自身の冗談のセンスに失望した表情を浮かべている。別れ際に、ヤンはキャゼルヌにある調査を依頼した。差出人が投書を書く際に使用したエディタの詳細である。これは文字のフォントからある程度、候補が絞れるはずだった。キャゼルヌは特に依頼の理由も聞かずに、後輩の頼み事を承諾した。



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 戦艦「ハードラック」を護衛する第89隊に最初に合流したのは、第11艦隊の第175駆逐隊を中核とする捜索隊だった。指揮官は第175駆逐隊司令官ニール・マクブライト中佐。マクブライトは第2次ティアマト会戦から10年後の宇宙歴755年、複数名の戦史研究者のインタビューに応じて戦艦「ハードラック」発見の詳しい状況を証言した。

 マクブライトの証言による発見の経緯は、次のようなものである。

 12月11日の夜、第175駆逐隊はシャウリャイ星で物資の補給を受ける。翌12日に第11艦隊司令部からの命令で捜索隊を編成し、マクブライトは3隻の駆逐艦「オノヴァン」「シェヴァリエ」「ソフリー」を中心に32隻の哨戒艇を率いて捜索に向かった。

 この捜索隊もやはり捜索レーダーの障害に苦しみ、デブリと小惑星の中で迷走を繰り返した。昼近くになって民間の輸送船から情報提供を受け、自隊の位置を確認。そこにたまたま飛来したスパルタニヤン機と連携しながら、再びデブリに覆われた宙域に前進し、迷走を繰り返した。

 小惑星の一角から、友軍の救難信号を受信する。さらに前進する。まもなく廃棄された鉱物採掘用の小惑星に、同盟軍の駆逐艦が係留されているのを発見した。後に駆逐艦が「レンショー」であることが分かっている。救難信号は「レンショー」が出していた。戦艦「ハードラック」は「レンショー」の背後に係留されていた。この時、12月12日午後4時35分―。

 マクブライトは数名の部下を連れて、戦艦「ハードラック」の艦内に入った。激しい戦闘に巻き込まれた様子で艦体は至る所で破損していた。艦内の通路では点々と遺体が倒れていた。火災で黒焦げになった死体が多かったという。戦艦にいたはずの生存者は?他の駆逐艦や巡航艦はどこにいたのか?ヤンは手帳にメモを認める。

 艦橋に入ったマクブライトは2人の遺体を認めた。1人は大将の階級章を着けた将校が指揮官席にベルトで固定されたまま座っていた。この将校はサーベルを右手に握り締めていた。まるで生きているようだったという。白い手袋をした左手の指2本が欠損(アッシュビーは宇宙歴743年のトヴェイト星域会戦で戦傷を負っていた)していた点から、この遺体が宇宙艦隊司令長官アッシュビー大将であると確認した。

 もう1人は白い軍服を着た軍医将校。この遺体はアッシュビーににじり寄るように、指揮官席の足元で息絶えていた。後にこの人物は、エリス中佐だったと確認されている。この2人の遺体は襲撃から丸1日半が経過しても全く腐敗していなかった(他の遺体は腐敗が始まっていた)。

 これはおかしい。ヤンはそう思った。国防委員会は当時、アッシュビーの死因を「腹部大動脈の損傷による出血性ショックのため即死」と公式発表していた。もし即死だったならば、すでにアッシュビーの遺体は他と同様に腐敗していたはずである。それ以前に、マクブライトの一行は誰も遺体の腹部に創傷などを認めていない。

 マクブライトは戦艦「ハードラック」の発見を通信で各部署に報告している。その報告を傍受したのか、数分後にデレク・パウエル准将指揮の捜索隊が合流した。マクブライトとパウエルは特にそれ以上は遺体を調査しなかった。2つの捜索隊は手分けして艦内の遺体を全て医務室に並べ、応急の防腐処理を施した後、戦艦から引き揚げている。

 これも奇妙な話だった。当時、マクブライトは捜索隊の物資が底を尽きかけていたという証言を遺しているが、2つの捜索隊が協力すれば、アッシュビーの遺体だけでも持ち帰れなかったのか。しかも第175駆逐隊は帰路で第8艦隊から派遣された捜索隊(指揮官スチュアート・ジェリコ少佐)に出会っているが、マクブライトはジェリコに事の次第を報告しただけだった。

 アッシュビーの戦死がティアマト星系に展開する同盟軍に伝えられる。第4艦隊司令官ジャスパー中将は戦艦「ブリジット」の艦橋で報告を受けた際、自分の聴覚を疑った。

「勝ったのか、おれたちは・・・」

 通信スクリーンに映る相手は第8艦隊司令官ファン中将だった。ジャスパーに劣らず疲労したファンはこう答えている。

「彼らは去り、われわれは残っている。一般的には、これを勝ったというのじゃないか」



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 ヤンはノートPCを開いた。スキャナーで読み込みしたクラーク軍医中尉の「パザルシク日記」を確認する。同盟軍全体が重く苦しい沈黙に押し包まれていた頃、クラークはどうしていたのか。

 クラークが同行していた捜索隊は2日目の捜索を終えても、戦艦「ハードラック」を見つけられなかった。12月12日の昼に航路沿いの補給基地に立ち寄った捜索隊は同じ日に第175駆逐隊が戦艦を発見したことも知らず、午後九時ごろにまた航路沿いに宙域を進んでいた。クラークは書いている。

 

―2日間、ほとんど寝ていない。当初はこのような強行軍になることも知らず、ろくに装備も持たない状態で来たことを後悔する。出発して間もなく、スパルタニヤン機と合流。行動を共にすることになった。

 部隊を2つに分け、編隊行動を取りながら航路に沿って進む。二時間ほど経った頃、右前衛が奪取された当該戦艦の部品らしき物を発見。ここに全隊が集結し、さらに前進。今度は中破した友軍の駆逐艦(注・駆逐艦「リングゴールド」と思われる)を発見した。その数キロ先の小惑星に、駆逐艦と戦艦(注・「レンショー」と「ハードラック」と思われる)を発見した。ただちに、戦艦の内部に入る準備を行う

 

 ヤンはさらに日記を読み進める。日記の記述は当時の状況を正確に描写していた。

 

―暗い艦内は遺体が散乱している。生存者は無き模様。遺体はすでに腐敗が進んでいる。焼けた遺体は炭のように黒くなっている。艦橋に入る。その中に比較的、綺麗な遺体が2つ。1つは医務官の白い制服(エリス軍医長か?)。1つは肩章を付けた黒い標準制服を着用し、サーベルで上体を支え、航法制御コンソールによりかかったまま床に座っていた。肩章を確認する。ベタ金に星3個。この方がアッシュビー大将だろうか。2人はまるで寄り添うかのように息絶えていた

 

 ヤンは胸騒ぎを覚えた。クラーク軍医中尉もまた、戦艦「ハードラック」の艦橋にたどり着いていたのである。時刻は12月12日午後11時ごろだろう。日記の記述は確かに、現場に到達した者の描写を思わせる。実際には同じ日の夕刻、マクブライトとパウエルの捜索隊が戦艦を発見していた。マクブライトは後年、戦史研究者アシュトン・ハーバートのインタビューで次のように答えている。

 

―12月12日の時点で、貴官の他に戦艦「ハードラック」を発見した者は?

 パウエル准将の捜索隊だ。私が戦艦を発見して半時間も経ってないころだった。

 ―貴官とパウエル准将の他にはいないか?

 帰投中に会ったジェリコ少佐を通じて第8艦隊に連絡した後、その日のうちにハイネセンの統合作戦本部から捜索中止の指令がすぐに出たから、私たちだけだと思う。

 ―ハイネセンから捜索中止の命令が出た時刻は?

 正確な時刻は覚えていないが、午後8時ごろだったかと。

 

 ハーバートは戦史編纂所に所属する主席研究員であり、同所が出版している第2次ティアマト会戦の戦史叢書に筆者として参画している。ヤンは最新版の戦史叢書を確認する。現在の叢書では、マクブライトの証言を全面的に採用している。クラークが同行した捜索隊が同じ日に戦艦を発見した点は触れられていない。

 さらに、戦史叢書ではマクブライトの証言から捜索隊が戦艦内に応急の遺体安置所を設営して遺体に防腐処理を施した後、そこに安置して引き上げた点を言及している。それが事実だとすれば、同じ日の数時間後にクラークが現場に到着した時点で、艦内に「遺体が散乱していた」はずがない。しかもクラークの日記に遺体安置所の記述はない。アッシュビーの遺体を発見した状況も異なっている。マクブライトが述べたように、遺体は「サーベルで上体を支えて」指揮官席に座っていたのではなく、「床に座っていた」と書かれている。

 ヤンは日記を読み進めた。クラークの日記はさらに謎を深めていくことになる。



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第3章:迷宮


 ヤンとキャゼルヌは週末の夜、豪華なビリヤード台が置かれた士官クラブでかび臭い革張りのソファに収まっていた。客はまばらでスヌーカーを楽しむ者もなく、バーの給仕が行きかう姿もなかった。ひそひそ話を聞いているのは、壁を飾る過去の名士たちの肖像画だけだった。

 2人はバーボンのロックを注文する。肴はミックスナッツ。ヤンは景気づけに洋酒をひと口含んだ後、本題を切り出した。

「アッシュビー提督が謀殺されたという件の調査なんですが、結論としてはその可能性が高いということです」

 キャゼルヌは眉を吊り上げた。

「それは本当なのか?」

 ヤンはうなづいた。キャゼルヌはかぶりを振った。

「まともには信じられん話だぞ。アッシュビー元帥が乗ってた戦艦に当たったのは、敵の流れ弾だったんだろう?それで元帥は深手を負い、最後は戦死した。帝国軍は狙いすまして元帥が乗った艦を撃ったということか?」

「帝国軍の攻撃はおそらく偶然でしょう。問題はその後のことです」

「その後?」

 ヤンは調査報告を行った。帝国軍の攻撃を受けた後、音信不通で遭難した戦艦「ハードラック」の捜索に参加したクラーク軍医中尉が遺した日記。戦史叢書などの公式文書とクラークの日記に現れる数々の相違。そうした点を逐一説明した後、最後にアッシュビーの検死報告に触れた。ヤンはある書類を表示させたタブレット端末をキャゼルヌに手渡した。

「これは公式に出されたアッシュビー提督の検死報告です。提督の検死は戦艦『ハードラック』に乗ってた軍医のエリス中佐は戦死したため、マクブライト隊に同行したパディントン軍医中尉が行ってます」

 キャゼルヌは書類に眼を通した。戦艦「ハードラック」が発見された翌日の13日、マクブライト隊はアッシュビーの遺体を駆逐艦「コンウェイ」に移送した。検死は駆逐艦「コンウェイ」の医務室で行われた。ヤンは続けて言った。

「いろいろと所見が書かれていますが、問題はこの箇所です」

 ヤンはある一文を指でなぞってみせた。

 

死後推定35時間と予想される

 

「検死の開始時刻は13日の10時ごろ」キャゼルヌは言った「そこから逆算すれば、35時間前は11日の23時。敵の襲撃は同じ日の19時ごろ。問題は無いんじゃないか」

 ヤンはバーボンをひと口含んだ。

「先輩の言う通り、正しい結果に思えるでしょう。ですが、これは問題が2つあります。1つ目はアッシュビー提督が『出血性ショックのため即死』したとされていますが、マクブライト中佐が発見した時点では遺体が綺麗な状態だったと証言しています。即死ならすでに腐敗していてもおかしくありませんから矛盾します。2つ目は、ある人物が公式と異なる検死結果を出しているんです」

「クラーク中尉か?」

 ヤンはうなづいた。

「そうです。しかも、クラーク中尉による検死はパディントン軍医が実施するよりも前に、戦艦『ハードラック』の中で行ってます。この時、クラーク中尉がいたフレッチャー隊の後からデュトワ中佐の捜索隊が戦艦に到着しています。検死はデュトワ隊にいたアイヴス軍医中尉も一緒でした。クラーク中尉は検死の詳細を日記に書いてました」

 ヤンはタブレット端末にコピーした日記の一部を表示させた。

「クラーク中尉はアッシュビー提督の死亡推定時刻をこう書いてます」

 キャゼルヌは眉間に皺を寄せた。納得しがたい回答を出された時の仕草だった。

 

―遺体の状態より察するに、アッシュビー元帥閣下は死後6時間から10時間。死亡推定時刻は12月12日午後7時より11時の間頃と認められる。アイヴス中尉も同意見―

 

 キャゼルヌはヤンに顔を向ける。

「これは一体、どういうことだ?」

 ヤンは説明する。もちろん大破した戦艦では設備などは不充分であり、正確な死亡推定時刻の算出は不可能である。だが、クラークとアイヴスは仮にも軍医である。2人とも死亡推定時刻を大きく誤認するとは考えにくい。ヤンは低い声で言った。

「さらに、重大な事実があります」

 もしクラーク中尉の検死結果が正しいとするなら、マクブライト隊が戦艦を発見した時点では、アッシュビー提督はまだ生きていた可能性があったことになる。もちろんクラーク中尉はこの時、他の捜索隊がすでに遺体を発見したことを把握していない。

「ならあの勝利の後、アッシュビー元帥にいったい何が起きたんでしょう」



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 アッシュビー提督の遺体を戦艦「ハードラック」から収容したのは、第11艦隊から派遣されたエドモン・デュトワ中佐率いる第106駆逐隊を中核とした捜索隊である。収容した日付に関しては、さまざまな資料から12月13日午前1時ごろが考えられる。ヤンはそのような推論をキャゼルヌに説明した。

 デュトワは12日午前11時ごろに艦隊司令官の命令を受けて捜索に向かい、ロヴェチ星の近くで駆逐艦「リングゴールド」を発見する。同艦には戦艦「ハードラック」の生存者数名が乗っていた。生存者から戦艦の座標を聴取した後、再び捜索に出た。そして同日午後11時ごろに戦艦「ハードラック」を発見し、フレッチャー隊と合流。

 戦艦からアッシュビー提督を含む計11名の遺体を収容した後、フレッチャー隊はデュトワ隊の先導でパザルシク星に向かった。パザルシク星に到着したのは、同月13日午前4時ごろ。思いのほか早く到着できたのは、デブリや小惑星を破壊する掃宙艇がデュトワ隊に数多く配備されていたためだった。

 宇宙港では第72宙雷戦隊が総出で待機していた。遺体を格納庫に並べて急造の祭壇を作り、ラッパ手が葬送曲を吹いた。その場にいた全員が敬礼を行った。クラーク中尉は遺体収容から一連の出来事を全て日記に書いている。ヤンは口を開いた。

「この後から、奇妙な話が始まります」

 ヤンはタブレット端末に表示されている日記の該当箇所を指でなぞる。

 

―日が昇った頃、駆逐艦(注:「コンウェイ」と思われる)が1隻、宇宙港に到着した。まもなく宇宙艦隊総司令部から派遣された参謀らしき4名の将校が格納庫に姿を見せた。全員がこれを敬礼で迎えた。

 遺体を引き取りに来たようだ。ところが兵士が11名の遺体を運ぼうとすると、アッシュビー元帥閣下だけでいいとのこと。さらに『軍医は誰か』と訊かれたので、自分とアイヴス中尉が前に出る。相手から「提督の手帳を読んでいないか」と問われる。自分たちはそのような物を見ていないと伝えると、参謀は納得した様子を見せた。さらに『この件は決して他言せぬように』と念を押して立ち去った。

 その後、駆逐艦はアッシュビー元帥閣下の遺体だけを積んで出発した。他の兵士は涙を流して見送ったが、私たちは納得できなかった。死すれば将兵の身分はすべて平等である。アイヴス中尉と2人で言い合った。上層部は何か隠したがっているのか―(後略)』

 

 ヤンは説明する。クラーク中尉が疑問に思った点も理解できる。他が下級士官や兵卒だけならまだ分かるが、その場に遺された10名の遺体には軍医エリス中佐や作戦主任参謀フェルナンデス少将などの上級将校も含まれていた。ヤンは続けて言った。

「アッシュビー提督の遺体は公式の検死報告にある通り、この後は駆逐艦『コンウェイ』の医務室で検死が行われました。ただ、これもパザルシク星の格納庫で行われたという説がありますが。マクブライト中佐の証言では、駆逐艦は検死が終わった後でハスコヴォ星に降下してます。遺体はそこの宇宙港で火葬されたんです」

 キャゼルヌは眉を吊り上げる。

「火葬だって?」

 ヤンはうなづいた。

「遺体の損傷が激しく、遺体保存用のケースでも惑星ハイネセンまでの輸送は耐えられないと判断されたためです。火葬に立ち会ったのは、マクブライトの捜索隊から十二名と宇宙艦隊総司令部から生き残った総参謀長ローザス中将と情報参謀ハント中佐だけです」

「たしかに奇妙だな」

 宇宙艦隊総司令官ほどの重要人物ならば、火葬といえども盛大な立ち合いの下で行われるのが普通だろう。同盟軍首脳部はやはり何かを隠蔽する必要があり、慌てて検死を済ませた後、アッシュビー提督の遺体を「処分した」のではないか。

 第2次ティアマト会戦で大勝利を収めた遠征軍は重苦しい沈黙に包まれて、惑星ハイネセンに帰還した。翌年1月4日、盛大に国葬が執り行われた。アッシュビーの遺体を収めた霊柩車が首都ハイネセンポリスの大通りをゆっくり進んだ。

「ちょっと待て。元帥は火葬されてたんだろう?」キャゼルヌは口を挟んだ。「だとしたら、棺の中身は・・・」

「空ということになりますね。重りか何か入ってたのかもしれませんが」

 キャゼルヌはうなづいた。ヤンは続けて言った。

「これで投書の差出人がルシンダ夫人を騙った理由も分かります」

 キャゼルヌはヤンに顔を向ける。

「何故だ?」

「棺が空だった、もしくは偽の遺体を入れたことに対する怒りを示すのに、うってつけの人物じゃないですか。当のルシンダ夫人は提督が火葬されたことを知らされてなかったと思いますが、差出人はそのことを知ってるかもしれませんね」

 ヤンは洋酒の残りを一気にあおった。グラスの中で溶けた氷が鳴る。



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 ヤンは給仕にバーボンのお代わりを注文する。キャゼルヌは顔をしかめる。

「おい、いったい誰の金で何杯飲むつもりなんだ?」

「そりゃあ、先輩の・・・」

「まだ、お前さんに奢ると決めたわけじゃないぞ。俺の疑問を全て解消してからだ」

「何でも仰ってください」

「では、いったい軍は何を隠そうとしてるのか。この点は何か手掛りはあるのか?」

「いきなり難問ですね」

 ヤンは手癖で黒ベレー帽を脱ぎ、片手で黒髪をかき回してみる。

「あまり考えられる点は少ないですが・・・」

 まず手掛りに挙げたのは、アッシュビー提督の「手帳」だった。クラーク中尉の日記によれば、宇宙艦隊総司令部の参謀(名前は不明)が遺体を回収する際に手帳を読んだか尋ねてきたとあり、手帳に何か重要な機密事項が書かれていた可能性はありうる。

 この手帳の存在を確認できるのは、マクブライトの証言だけである。12月12日にアッシュビー提督の遺体を発見した際に「―胸ポケットの手帳を取り出して開いた。裏面にアッシュビー提督の署名があり、詩か何かの文が数頁に書かれていた―」と証言している。

 クラーク中尉は手帳の存在自体を把握しておらず、検死時も遺体からそのような物は見つかっていないようである。ならば、手帳はどこに消えてしまったのか。現状で判明している事実を繋ぎ合わせれば、マクブライト隊が戦艦「ハードラック」から引き揚げた12日午後5時からフレッチャー隊が同戦艦に入った午後11時までの間に、何者かが手帳を持ち去ったことが考えられる。

「手帳に関しては、これ以上は検討する余地がありません」ヤンは言った。「手帳は現物が見つかれば良いですが、望み薄でしょう。そこで1つ、原点に戻りましょう」

「原点?」

「私たちはアッシュビー提督が即死したことを知ってますが、そもそもその事実はどこからもたらされたんでしょうか?」

「それは、ローザス提督の回想録に・・・」

 キャゼルヌは不意に口を閉ざした。言葉を失ったように見える。

「お前さん、ローザス提督が元帥の謀殺に関わってると言いたいのか」

 ヤンはうなづいた。

 第2次ティアマト会戦における同盟軍の戦闘状況は各艦隊司令部や麾下の実戦部隊が戦後に提出した戦闘詳報から、ほぼ全貌が分かっている。帝国軍の動向もフェザーンから時おり漏れて伝えられてくる情報からある程度までは把握できる。しかし、アッシュビー提督の戦死は戦闘時ではない点や同盟軍としては旗艦の遭難という不名誉な事態に陥った点が災いして、あまり記録に遺されていない《空白地帯》になった。

「そこで出てきたのが、ローザス提督の回想録です」ヤンは言った。「アッシュビー提督の即死説は誰もが回想録を根拠にし、疑いませんでした。劇的な勝利を挙げた後の戦死という状況が提督の英雄像に合致したのもあるでしょう」

 キャゼルヌはうなづいた。

「同盟軍も否定しなかったからな」

「軍の名誉が傷つけられる内容ではないですから」

 キャゼルヌもグラスを開ける。ため息を漏らした。ヤンは続けて言った。

「戦艦『ハードラック』から生き残った高級将官は総参謀長ローザス中将と情報参謀ハント中佐だけです。この2人はアッシュビー提督の火葬にも立ち会ってます。謀殺の現場に一番近かった人物であることは間違いありません」

 キャゼルヌは顎を擦った。

「お前さんが言いたいことは分かった。ただ、お前さんと同じことを考えそうな人間は当時、現場に大勢いたわけだ。実際、クラーク中尉はその一人だったようだしな。その点を踏まえた上で、なぜ今まで元帥の戦死にまつわる状況が問題視されなかったのか」

「その理由は簡単ですよ」

 キャゼルヌはヤンを一瞥する。

「捜索隊やそれに関連した部隊は全滅したんですから」

 アッシュビーの遺体を最初に発見した第198駆逐隊、後に戦艦「ハードラック」を発見した第106駆逐隊は第11艦隊の所属であり、第2次ティアマト会戦の6年後に起きたパランティア会戦で第11艦隊は壊滅的な損害を被った。戦艦「ハードラック」の直衛を担った第89戦隊も同艦隊の麾下に入っており、いずれも兵力の8割以上を喪失して解隊された。部隊を率いたマクブライト中佐、デュトワ中佐、ラングドン中佐は戦死。

「パランティア会戦に関する冷酷な噂は、先輩もご存じでしょう」ヤンは言った。

「第11艦隊が大敗を喫して、第4艦隊が救援に間に合わなかったっていう話だろう?」

 ヤンはうなづいた。

「《行進曲(マーチ)》ジャスパー提督は功績を独占しようと企んで、コープ提督を見殺ししたんじゃないか。この話の真偽はともかく、アッシュビー提督の遺体捜索に多くの部隊を出したのは、ジャスパー提督とコープ提督ですからね」



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 キャゼルヌは窘める口調で言った。

「お前さんの不健康な想像は一旦置いておこう。クラーク中尉はどうなったんだ?」

 クラーク軍医中尉の運命もまた、悲惨な結末を迎えた。本来ならば、クラークは3度目の兵役を満了して除隊するはずだったが、第2次ティアマト会戦後の定員不足を補うという名目で兵役の継続を告げられる。第6艦隊麾下の第52駆逐隊に転属された後、同艦隊はイゼルローン回廊内のナムタル星域で帝国軍と衝突する。

 会戦の1か月前、クラークは日記に次のような記述を残している。

 

なぜ自分はここにいるのか。自問自答を重ねる。もしあの時、自分がアッシュビー元帥閣下の捜索に加わっていなかったならば。運命の皮肉というべきか―(後略)』

 

 宇宙歴748年3月10日、ナムタル星域で会戦が勃発する。クラークは帝国領に最も近い補給基地が配属されたため、緒戦で帝国軍に基地を包囲されてしまう。

 

なぜ自分は最前線に配属され続けているのか。アッシュビー元帥閣下の秘密を知り得たためにか。軍人である以上、命令には絶対に従わなければならないが、心のどこかで不条理だという思いがどうしても拭えない。あとは先刻の手紙と、この日記が自分の死後に家族の下に届くのを願うのみ。2人に会いたい。会いたい。会いたい―

 

 アッシュビー元帥の秘密が何を意味するのか。日記はここで終わっている。クラークは3月21日に戦死を遂げる。それがいかなる死だったのか。この日記がどのような経緯でシンクレア少尉の手に渡ったのかについては謎である。なお、クラークが所属していた第52駆逐隊はナムタル星域会戦で大きな損害を受けて解隊されている。

 ヤンはある事実をキャゼルヌに告げる。アッシュビーの捜索に参加した軍人のうち、ほぼ全員の9割以上が戦死している。1世紀半に渡って自由惑星同盟と銀河帝国が絶え間ない闘争を続けているとはいえ、これは異常な数字だった。

「なるほど」キャゼルヌは言った。「謀殺者は帝国軍と手を組んだわけか」

「正確には、捜索隊を過酷な運命に誘った人物がいます」

 ヤンが挙げた名前は、数代前の国防委員会人事局長だった。ありふれた苗字だが、ローザス提督が死別した妻の旧姓でもあり、実際に人事局長とローザス提督夫人は遠い縁戚に当たっていた。

 暗い店内にジャズが静かに流れている。二人はしばらく押し黙って洋酒を飲み続けた。こういう時は無駄口をたたかない後輩をキャゼルヌは好ましく思っていた。2杯目のバーボンのロックが入ったグラスに口をつけた後、キャゼルヌは重い口を開いた。

「俺たちは感覚がマヒしてるのかもしれないな。戦争は生まれた頃からすでにあって、今も続いてる。毎年戦いが起きて、ものすごい人数の軍人が戦死してる。その繰り返しが延々と続いてるわけだ。そこに、ある者の意志が介在するとは考えたことも無かったな」

 ヤンは黙ってうなづいた。

「俺自身はそんなつもりは無かったが、結構お目出度い人間なのかもしれん」

「そう思えるだけでも、先輩はご立派だと思いますよ」ヤンは言った。「自己の無謬性を少しも疑わなかった人物や世界の末路は悲惨です。ルドルフ大帝や銀河帝国がいい例じゃないですか」

「褒めてもらったんだが、そうじゃないんだか、よく分からんな」

 キャゼルヌは苦笑を浮かべる。

「ところで、クラーク中尉の遺族はまだ生きてるのか?」

「どうでしょうか。調べてみますか」

 キャゼルヌはうなづいた。

「日記は遺族に返却した方がいいだろう」

 シンクレアが日記帳をクラークの遺族に返さなかった理由については、ヤンは理解できるような気がする。シンクレアも1人の軍人として、アッシュビー元帥か同盟軍の機密を秘匿しようとしたのではなかったのではないか。

「ローザス提督はどうしますか?」ヤンは言った。

「・・・提督にはアポをつけておこう」

「ありがとうございます」

 ヤンとキャゼルヌは士官クラブを出る。無人タクシーを拾い、後部座席に座った。ヤンが割り勘を申し出す前に、キャゼルヌが酒もタクシーの代金を支払ってしまった。

「そう言えば・・・投書を作成したエディタの解析結果が出たぞ。30年くらい前に製造された民生品だそうだ」

「そうですか」

「ローザス提督から何か聞き出せると思うか」

「あまり期待はしないでください」

 キャゼルヌは珍しく絡むような口調で言った。

「そんな弱気じゃ困る。俺が奢った分を倍返しするぐらいの成果を上げてもらわんと」

《なんて人だ》。ヤンはそんなことを思いながら車窓を流れる夜景を見つめた。



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 ヤンはうららかな日和の午後、楓の古木が立ち並ぶ通りを歩いていた。同盟軍の先達であるアルフレッド・ローザス退役大将を訪問するためだった。キャゼルヌと士官クラブで洋酒を嗜んだ夜から3日経っていた。キャゼルヌいわく元宇宙艦隊総参謀長はヤンの面会を快諾してくれたという。

 ローザス提督の私邸はメープルヒル17番地に建っていた。30代半ばの家政婦らしき女性が玄関ホールの右手にある広い部屋にヤンを案内した。部屋に入る際、頭上から足音がした。ヤンは顔を上げる。ポニーテールの髪型をした18歳ぐらいの少女が玄関脇の階段を足早に上がっていった。

「訪ねていただいて光栄だ。私のような半分、世を捨てた者に軍からこんな若い女性が出向いてくるとはね」

 ひたすらヤンは恐縮するばかりだった。

 ローザスは今年で78歳になる。背筋はまっすぐ伸び、品格ある紳士という印象を与える。言語も明晰であり、動作も迅速ではないが危うげなところは無かった。老提督は自ら淹れた紅茶を57も年少の客人に勧めた。

「妻が死んでから、その後は独り暮らしでね。この程度のことは別に面倒でもない」

「いただきます」

 ローザスが淹れた紅茶はヤンの好みからすれば、少し濃すぎた。無論、そんなことで老提督に文句は付けるつもりはない。ヤンが通された部屋は応接室というより、図書室という感じだった。ガラス戸がついた書棚が四方の壁面を埋め、老提督に勧められたソファは座り心地が抜群だった。ヤンにとっては理想的な部屋と言っていい。

「ところで、今日はどういった要件かな?」

 ローザスはヤンの向かいに安楽椅子に座った。

「ブルース・アッシュビー元帥のことをお聞きしたいのです」

「そうか」

 老提督はうなづいた。

「アッシュビーの幕僚で、私より優秀な人物はいくらでもいた。ただ、私がこうして長生きしてるから、口はばったいことを言わせてもらえるわけだ」

 ローザスは老いた顔に若々しい笑みを浮かべた。ローザスは指揮官としては「平凡よりややマシ」という程度の戦績しか上げられなかったが、総参謀長としては強烈な個性の塊だった同期の将星たちの緩衝役を務め上げた。アッシュビー率いる宇宙艦隊総司令部が全体の力量を損なわずに、統一的に機能し続けたのは間違いなくローザスの功績だろう。

「閣下、今日お伺いした本題ですが・・・」

 ヤンは躊躇いがちに口を開いた。

「アッシュビー元帥に関して、奇妙な噂があるのをご存じですか?」

「神話があれば、それに反する神話が生まれる。当然だな。アッシュビーと同じ時代を生きた人間が全員、彼を尊敬しなければならない理由などない」

 ローザスは軽く首を振った。

「アッシュビー提督は第2次ティアマト会戦で戦死なさいましたが、それが謀殺であると申し立てた者がいます」

 相手の反応をヤンはうかがった。ローザスは落ち着いていた。狼狽や怒気を発するような人ではないのだろう。ヤン自身も容易に反応が見られるとは思っていない。

「軍部としては、アッシュビー提督の死に関する不名誉な風聞を放置しておくわけにはいかないだろう。なるほど、それで君が老人の下に足を運んだわけか」

「閣下には何か心当たりがおありですか」

 ローザスはわずかにかぶりを振った。

「ない。たとえあったとしても、言うつもりはない。せっかく訪ねてきてくれたのに申し訳ないが」

 老人の声に怒りや悪意は無かった。見えざる鉄壁の存在をヤンは感じた。ローザスは相変わらず淡々と続けた。

「私は神話を作られるのに加担した人間だ。不当にアッシュビーを過大評価したつもりはないが、自分自身の裡にあるアッシュビーの像を壊そうとも思わん。私に異を唱えることが出来る者は当時なら、いくらでもいただろうが、今となっては・・・」

「死人に口なしですか」

「その通りだ。私が今ここで何を喋っても、否定できる者はおらん。生き残った者の勝ちということだな」

 ローザスは笑った。ヤンはこれ以上、相手を追求する気になれなかった。その後はアッシュビーや同期の提督たちに関する雑談をした。当たり障りのない話題ばかりだったが、老提督の口調は熱を帯びていた。ヤンは再会を約束して部屋を辞した時、窓に向かって置かれた執務机に中古のエディタが置かれていたことに気づいた。



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 ヤンは後日、クラークの遺族を探してみることにした。最初は手間取ると思っていたが、意外に簡単に見つかった。第六艦隊戦死者の遺族会を当たったところ、10年前のナムタル星域慰霊団の名簿に夫人と息子の名前を見つけた。

 妻のアナベルは5年前に亡くなっていたが、息子のダニエルは現在もマルヌ市に住んでいた。ヤンはちょっとした偶然から父のクラーク軍医中尉の日記を預かっている旨を伝え、マルヌ市に向かった。マルヌ市は首都ハイネセンポリスから北に80キロの位置にある郊外都市である。

 家は周囲では名を知られた、大きな邸宅だった。応接室でダニエルと対面したヤンは日記帳をテーブルの上に滑らせた。ダニエルはしばらくの間、それを感慨深げに見つめた。

「これが父の日記ですが・・・」

 ヤンは日記を入手した経緯を簡単に説明した。ダニエルは日記を保管していたシンクレアという人物を知っていた。シンクレアは父の知人で、ナムタル星域会戦後も何度か弔問に訪れていたという。

 ダニエルは黙って日記を読み始めた。長く静かな時間が流れた。やがてダニエルの肩が震え始める。日記の最後の頁をめくる頃には、その年老いた眼に涙が溢れていた。

「父も母も喜んでることでしょう。これでやっと・・・父がなぜ戦死したのか、その一端が少しは分かることが出来ました。ありがとうございました・・・」

 ヤンも礼を言った。ダニエルは何か躊躇するような様子を見せた。しばらくして、意を決したように重い口を開いた。

「実は、父が死ぬ間際に戦地から母に送ってきた手紙が残ってるんです」

 ダニエルは席を立った。数分後に1通の古い書簡を持って戻ってきた。それをテーブルの上に差し出した。ヤンは黄ばんだ封筒に入っていた便箋一枚の書状を広げた。郷里に残した妻と一人息子に対する思いが細かい文字で綿々と綴った後、末尾をこう締めている。

 

『(前略)私が死地に送られた理由は《メフィスト》の存在を知ってしまったからです。《メフィスト》をこの世に呼び出した《ファウスト博士》は、アッシュビー元帥だったんです。アナベル、申し訳ない。先に旅立ちます。どうか両親とダニエルをよろしく

 

 ヤンは顔を上げた。

「この《メフィスト》というのは・・・」

 ダニエルは首を横に振る。

「シンクレアさんがその単語について何十年も調べてましたが、はっきりとしたことはついに分からなかったようです・・・これはあくまで憶測ですが、《メフィスト》は帝国軍に潜伏した同盟のモグラ(内通者)のことではないかという話をしてくれました」

「モグラ、ですか?何か確証は得られたんでしょうか?」

「その辺は分かりません。最後に聞いた話では、第2次ティアマト会戦の捕虜に存命中の帝国貴族がいて、その方から有力な情報が得られるかもしれないと」

「その帝国貴族というのは?」

 ダニエルは考え込む仕草をする。

「たしか、ケーフェンヒラー・・・そういう名前の人物だったかと思います」

 ヤンはクラーク邸を辞した後、亡き両親の墓参りに向かった。個人的に子としての義務として半年に一度は墓参するようにしているが、両親は墓の下で「もっとこまめに墓参りに来んかい、親不孝者めが」と思っているかもしれない。

 無人タクシーのナビに目的地を入力した後は運転席で少しウトウトした。ちょうど眼が覚めた頃にサンテレーゼ公共墓地に到着した。墓地に向かう道すがら、観光客の姿が多くあった。墓地の周辺は森林や湿地が広がり、一日がかりのハイキングの名所でもあった。

 前方から登山帽を目深に被った男が1人やって来る。男はヤンのそばを通り過ぎる。

「ヤン中尉」

 ヤンは振り向いた。リュックを背負った男はそのまま歩き続ける、

「あまり身の丈にあわないことはしないように」

 ヤンはその場に立ち止まったが、しばらくして歩き出した。両親が眠る墓を探し当て、まずは墓の周囲に生えている雑草を抜き、ありふれた白亜の墓石を水吹きした。その後で花を添える。

「まあ何とかやってるから心配しないで。父さん、母さん・・・」

 ヤンは毎度、気の利かない挨拶を言った。父親は独立独歩の商人だったが、娘は同盟軍という階級社会の宮仕えである。不肖の子と言われても弁解のしようがなかった。まして見知らぬ人物から警告を受けるような任務に就いている。やはりアッシュビー提督は謀殺されたのであり、自分はどこかで超えてはいけない一線を超えたということか。

 ヤンは頭を軽く振った。深く考えすぎて頭痛がする。迷路に入り込んで曇った思考とは裏腹に、墓地は絶好の小春日和だった。



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