ウマ娘の短編集―ウマ娘のごった煮― (fire-cat)
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KISS

「トレーナー君。……キスしてくれないか」

 2人の最初のキスはそんな言葉がきっかけだった。

 ジャパンカップで心身ともに傷つき絶不調になった彼女からの言葉だった。

 互いに告白したとはいえ、トレーナーと生徒という立場故に躊躇う男に言葉が紡がれる。

(ルナ)とのキスはイヤ?」

 男が皇帝にふさわしくない不安に揺れる瞳を見た時、気がついたら二人の影は重なっていた。

 

 

 
      

 

 2度目のキスは天皇賞(秋)の後。

 後一歩が届かず、惜しくも二着になった後。練習にも身が入らない彼女の気分転換にと郊外の山に出かけた帰り道だった。

 人影もなく互いに無言で歩む二人。

 自分の所為で。と気まずい空気の中、しばらくしてからの一言がきっかけだった。

「キス、して?」

 頬を微かに赤く染めながら女が相手のことを見つめずにそう呟いた。

 直視すると一層赤くなりそうであったから……。

 尤も、その台詞を口にした時点で無駄な努力であるとは気が付かない。そんな、恋には未だ未熟な年頃であった。

「えっ? ……いや、しかし……何を突然……」

 困惑する男。

(ルナ)とのキスはイヤ?」

 前も同じ事言われたな。そんな事を考える男。

 だが、顔を向けた女の瞳が心なしか潤んでいた。男の唇を欲している。なぜかは判らぬが男はそう感じた。

「……いいのか?」

 返事のわかっている質問をする男に対して返事の代わりに瞼を下ろす女。

 男の顔がいつもより輝きが薄い彼女の顔に近付き、2人の唇が重なり合う。

 互いの鼓動だけが確かに聞こえた。

 

   

 

「ねっ、キス……しよう」

 3回目のキスは、それから少し経った最優秀ウマ娘の表彰式の後。二人でのんびり帰った道の暗がりで。

 普段は強気な女の顔が愛しく思えた。

 少し警戒しながらもその唇の怪しい輝きに魅せられ、返事もなしに唇を奪った。

 その強引さに多少驚き、目を見開く女。だが目を閉じその甘い一時を楽しむ。

 どちらからともなく終わった長いキス。2人をつなぐ銀の掛け橋に少し頬を染めるも、いつも通りの微笑み。

「帰ろうか」

 いつもの調子だった。

 その口調は普段より若干早かったが。

 

     

 

「ねぇ、……」

 続く言葉の前に、唇は既に塞がっていた。

 突然唇を塞がれた事に当惑する女。抱きしめる男の力強い腕を振り払おうとする。しかし……。

 まぁいいさ。言の葉に出すかださないかの違いだからな。

 そんな言い訳で自分をごまかす。

 男のキスはいつのまにか上達していた。

「……トレーナー君、私はまだ何も言ってないんだがな?」

「……そうして欲しかったんだろう?」

 最近少し強引になった男。

 出会った時からの性格が少しだけ変わったような気がした。

 いつのまにか逞しくなったんだな。

 男の強い腕に抱かれながら、女は思う。

 まぁ、この方が男らしいし、頼りがいがあるからいいかな。

 決して口に出さない感想。

「頼りがいなかったらどう思う?」

 唐突に出る男の台詞。

 何で判ったんだろう?

「長い間一緒に居れば、考えている事くらいわかるよ。何時までもからの取れないひよっこじゃないさ」

 誰かさんの為に変わったのさ。と口に出さずに付け足す男。

 面食らった女の表情が愛しく思え、再度素早く唇を塞ぐ。

 

                         

 

 最後にもう一度だけ、キスしたかった。

 抱かれたら決意は揺らぐ。だから……。

 悟られないように、昔の口調で。

「キスしてくれないか」

 戸惑う男とやり取りを流暢に交わす。

 昔の様に胸をときめかせる訳ではない。それでもいつも新鮮な気分を味わえるキス。

 でも、それも今日が最後。

 現役の頃も卒業してからも、傍らに寄り添う男に頼ってきた。

 いつしか男の支えも傍らに寄り添う女になりつつあった。

 それに気づき愕然となる。

 私がいたら2人ともだめになる。だから……私は逃げ出す。この家からも、男からも。

 お互いに自分自身の力で生きていきたいから。

 だから……。

 唇を離し、

「さ~てっと。今日の夕食は何かなっと」

 立ち去る男。

 男の背中に掛けられた、女の「さよなら」の言葉は届かなかった。

 

 



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故郷

艦娘の方のリメイクです。


「ずいぶん変わったな……ここも」

 私は思わず呟いていた。

 

 トレーナという職についてもう何年になるだろう。

 若かりし頃から共に励んできた教え子と結婚し子供ももうけた。今は亡き先代トレーナーのチームを受け継ぎ、先代が目を掛けたウマ娘達を教えてからも長い事経つ。もう教えられることは全て教え尽くした。

 現理事長である亡き先代理事長のご息女―秋川やよい嬢―に引退する旨を伝えたのは枯葉も舞い散る昨年の暮れのことだった。

 当然、強く反対され過分な遺留の言葉も頂いた。

 しかし……私を取り巻く周囲の人も環境もずいぶん変わってしまった。

 学園に入職する時にお世話になった駿川秘書も随分と前に寿退職し、見渡せば友人の顔も随分減っている。胸を去来する寂しさに、もうここらが潮時、と私は決めていた。ウオッカもハルウララもトレーナーとして十分な風格を備えた。もう私がいなくとも大丈夫であろう。

 妻とも相談し、私達は、生まれ育った地に帰ることにした。何十年ぶりであろうか。

 

 道中、妻からせがまれ私は生まれ育った故郷の話をしていた。

 かつて暮らした故郷、よく虫取りに行ったあの林。そして、懐かしい友と遊んだあの小川。どれも私には掛け替えのない思い出だ。

 そんな風景を思い浮かべ、一両編成の電車に揺られながら懐かしい地へ向かった。

 しかし……日本一、いや、世界一のウマ娘選手を育て上げる事を夢見て、幼いころ皆で一緒に遊んでいた懐かしい風景も年月の経過と共に様変わりしていた。

 かつて暮らした故郷は度重なる自然災害の傷跡で昔の面影は全く消えてしまっていた。

 ……そう、私の故郷は過酷な自然と、次第に押し寄せる過疎化の流れと、闘っていた。それ故に私は家族に楽をさせようと、故郷の発展に貢献しようと励んできた。それなのに……。

 残っていた住民の話を基にすると、5年前の流行病とその後の人口流出が故郷に止めを刺したらしい。

 そこに住んでいたものは皆、ここを捨てて他の新天地に移っていったということだった。ここにいるのは故郷を捨てきれなかった者ばかりであった。

 私の故郷はなくなってしまったのだろうか。

 やはり、帰ってくるべきではなかったのかもしれない…。

 昔登っていた丘に二人で腰を掛け眼下の風景を見つめて、そんなことを考えていた。

 妻にも随分苦労をかけてしまうだろう。もしあのまま向こうに残っていれば苦労はしなくても済んだはずだ。

 どのくらい坐っていただろうか。

 妻が私に話しかけてきた。

「……いい景色。あそこの川はなんて言う川かしら?」

 ……私はその名を思い出せなかった。子供のころよく遊んでいた川なのに……。

「……行ってみようか……」

 妻を誘い、川原に下りる。

 ……故郷の街並みは既にないのに、この川だけは昔と変わらない。

 遊びに来ている子供達だろうか? 浅瀬を元気にパシャパシャと駆け回っていた。

 少し大きめな石に腰をかけ、ぼんやりと流れを見るとはなしに眺めていた。

 妻は少し離れた大きな石に座りパシャパシャと無邪気に水を蹴っていた。彼女の長い髪が水面に揺らいでいるのが目に映った。

 

「……なた、あなた」

 妻の呼ぶ声に我に返る。妻は少し上流の水辺で子供たちと一緒に何かを拵えては流している様であった。

 何をしているのだろう……。

 ふと、眼前の石に何かが引っ掛かっているのに気がついた。

 小さな葉で作られた舟のようなものだった。

 ――草舟。

 私の脳裏に幼い日の記憶が鮮やかに甦る。

 そうだった。私も昔、ここで、いくつもの草舟や笹舟を流して遊んでいた。いくつもいくつも。

 舟は、頼りなく川面に揺れていた。

 私はゆっくりと歩み寄ると、その妻が流したらしい草舟を手に取った。

 舟は小さな肉厚の葉で作られていた。どことなく愛らしい雰囲気を持つ舟だった。

 改めて流れに手を伸ばし、そっと置いてやると、それは静かに進み始めた。どこまでも、どこまでも――。

 

 ⌚

 

 じっとその男の表情を見守る女。男の顔には穏やかな笑顔が戻っていた。

「……あなた」

 女が呼びかける。

「……もし、あなたさえよかったら、私の故郷へ行かない?」

「え……?」

 男が女の顔を見つめる。

「ここみたいに川はないけど、湖の辺に小さな家があるの。……知らなかった?」

 男の態度に言葉を続ける。

「私が現役だった頃、無事に引退できたら住もうって買った小さな家だけど、私達二人くらいなら不自由なく暮らせると思うわ。時々外泊届を出して様子を見に行ってたから家の造りには問題ないし。貴方と結婚した時に売ろうって思ってたんだけど機会が無くって。日常の管理は業者任せだったのよね。でも売らなくて良かったわ」

 その妻の言葉に男は瞑目し空を見上げた。

 そして深く息を吐き、思い出に別れを告げる。

 視線を変えると、水を掛け合ったり燥ぎ続けていた子供たちが二人に手を振っている様子が男の目に映った。

 不意に一陣の風が吹きつけた。

 

  こっちこっち。ほら、早くこいよ~

  ちょ、ちょっと待ってよ。ここすべりやすい…あぁ~!

 

  これでも喰らえぃ

  ぅわっぷ。やったなぁ~ このっ

  きゃっ! ちょっと、私達にかけないでよ。 

  へっへ~ん。そんなところにいるのが悪いんだろ~ うりゃ! 

  きゃっ! もぅ、あったまきたっ! 冷たいじゃない! このっ! 

 

 男の脳裏に失われたはずの光景が確かにそこに見えた。

 男が風の中に立ち尽くす。

 不意にこぼれた涙に気づきこれを拭うと

「……行こうか」

 二人は寄り添うように川原を後にした。

 暖かい春の日差しの中、彼等を見守るかのように小鳥が頭上を舞っていた。

 

 

 



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想い出

アルダンで書きたくなったからつい。


 鉛色の低い雲が立ち込める湖。

 その湖面を見下ろす岬の先端にある一つの墓石。

 過ぎ去った昔を懐かしむかのように佇む男が一人。

「また、来てしまったよ……」

 先に逝った、今は亡き伴侶に一人ごちる。

「お前の最後の言葉……私に囚われて不幸になることはやめて。と言ったあの言葉、守れたかな」

 過ぎ去りし過去を懐かしむかの如く、遠い視線。

「お前が逝ってから随分経つな……。俺も大分老けてきたよ。お前が逝ってから、いろんなことがあった。覚えているか? 後輩のダイワスカーレット。あいつもいい年になったけどまだ子供が生まれているらしいぞ。今11人目の子がお腹にいるらしいぞ。それからな……」

 1年ぶりに訪れた墓前に徒然に語りかける。

「……色々あったけどな、やはり俺にはあの頃が一番良かったよ。お前がいて、マックイーンとゴルシがバカやって……エアグルーヴがゴルシを追いかけて……」

 そう語りかける男の、その瞳が様々な感情を入り交じらせ、貌に複雑な色を生み出す。その色が男の姿を実際の年齢以上に老け込んだように見せる。

 その傍に咲いていた一輪の花。

 その花を見つめながら。

 ……あいつが好きだったな。色の儚さが良いって言っていた……。

 ふと昔を思い出す。

 

「この花、私好きなんだ」

「この花? ……儚い色だな。確かにずいぶん珍しい花だって思うけど……」

「ええ、この花、一日しか咲かないんです。でも、その短い命を精一杯生きてるから……」

「……一瞬の命か。儚い色なのに輝いているように見えるのは精一杯生きているからなんだな」

「ええ、私も、こんな風に生きられたら良いと思っています」

「え? こんな短い命でいいの? 俺はもっと長生きしたいけどな」

 

 

 男が過去を振り返る。

 ……あの時、何故お前がそういったのか判らなかった。

 だが、今ならわかる。……あの世界で精一杯戦ってきたお前の華奢な体は、もう限界だった……。お前はあの花に自分を重ねていたんだな。

 お前と結婚してから、もともと優しかったお前が、急くように優しくなっていった。

 次第に優しさを増して来るお前に不安を感じ始めたのもあの頃だった。

 そしてその不安が現実になったのは、ここに来て2年目だった。

 

  

 

 冬にしては穏やかな日だった。

 体調を崩していた妻が小康状態になったのを見計らい、暖炉にくべる薪を取りに林に入る。

 薪を作り、家に戻り――。

 様子を見にきていた義妹が飛び出し、妻の急変を知らせる。

 そのまま医師の下に走らせ、妻の下に駆け――その最後を看取った。

 

 

 弱々しく微笑む妻の顔。

 自分のほうが不安だったろうに、心配掛けさせまいとして……。

「もう駄目みたい。自分で、分かるわ」

 差し出される細い腕。

「駄目だ、諦めるのが一番いけないんだ! アルダン、しっかりしろ!」

 差し出された腕を意識して強く握り返す。

「……私は、本当に幸せだった。愛する人に見取られて……こんなに穏やかに、死を迎えられるなんて」

 ゆっくりと、一言一言切って呟くその姿。

「……駄目だ……俺がお前に、どれだけ迷惑を掛けたか……お前はまだ、死んだら……」

「……愛しているわ」

「俺もだ……愛している。アルダン」

「……あなた、最後のお願い……聞いてくれる?」

「最後なんて……馬鹿なこと言うな」

「あの場所に連れて行って……」

「しかし……」

「お願い。……最後は私の好きな場所で逝きたいから」

 駆けつけてきた医師に

(連れて行っていいのか?)

 と、目を向ける。

 主治医の悲痛そうな顔が縦に振られた。

(お嬢様はもう……)

 そんな声が貌に表れていた。

 

 あいつを背負って湖に面した草原に着いたとき、あいつはもう、周囲の風景も見えないほど衰弱していた。

「ここ、何処? ……いい匂い。……草原よね、ここ」

 お気に入りの場所につきながら、周囲がわからないあいつに代わり、その様子を伝えた。

 涙が妻を心配させることはわかりきっていたが、どうしても堪えられなかった。

 妻が差し伸べるその手を取り、握り返す。妻の尽きることの無い優しさを湛えた瞳が見つめていた。

「あなた、楽しい日々をありがとう。私、あなたと会えて幸せだった」

 声に出せば、涙声しかでない。それは更に妻を心配させてしまう。これ以上、心配をかけるわけには、行かない。

 応えを返す代わりに、妻を抱きしめる。

 涙が妻の頬を濡らす。

「……あなた、泣かないで。私の体がなくなっても、私はあなたと一緒にいるから」

 優しさゆえの言葉。そう思っていた。

「『想いは絆によって未来へと紡がれていく。想いの絆は永遠に、限りある肉体と共に生き続ける、永久に生きる唯一の魂なんだ』って、あなたいつも言っているでしょ」

 その言葉――亡き恩師から、幾度も聞かされ、妻にも教え子達にも同じように伝えた言葉。

 その言葉を信じて生きてきた。それを否定することは、今までの人生を否定することになる。

 それでも否定したかった。だが否定することも、肯定することも出来ない。共有しうる時間は僅かしかなかった。だからこそ、何も言えなかった。

 沈黙をどう受け取ったのだろう。苦しい息の下で妻が絞り出すような声で囁いて来た。

「……お願い、私に囚われて不幸になることはやめて、ね」

 自分が誰かを傷つけて生きていくことを何よりも恐れていた妻。だが……。

「……」

 私は返答できなかった。妻と離れる。その恐怖が私に重く圧し掛かる。

 愛別離苦。そんな言葉が思い浮かぶ。

 ――人生には四つの苦がある。

 そう言った昔の賢人の言葉を教えてくれたのは、両親だったか、亡き恩師だったか、はたまた……。

 当時はわからなかった。が、今は……。

 苦しい息の下から妻の声が聞こえる。

「……あなた、意外と不器用なところがあるから。……私の後追うなんて考えたら許さないから。私の分まで生き抜いて……」

 考えていたことを見抜かれていた。あいつの勘のよさは変わらなかった。

「わかった」

「……良かった……あり…が…とう」

「アルダン? アルダンっ! アルダン!!」

 気配を消しながら付き添ってくれた医師に臨終を告げられ――。

 

 

 今でも鮮明に思い出す、あのときの次第に冷たくなるあの感触。あの穏やかだった声。

 ……埒も無い……。

 男が首を振る。

 男の視線が花に移り、その手が思い出の花を摘み取る。

 手のひらに置いたその花を風に舞わせる。

 その風に舞う花弁に男が語りかける。

 ……出来れば湖に咲け。……あいつが眠る、あの湖に。

「……行ってみるかな、久しぶりに」

 

 波打つ湖面。訪れる人も無いその辺に咲き乱れる草花の群落。

 その地に咲く花びらが、久方ぶりに風以外のもの――男の歩み――に散らされる。

 ……ここに来るのは何年ぶりだろう。

 男が周囲を見回す。

 ……変わらない風景だな。

 2人で暮らした当時、何度も訪れた思い出の場所。

 男が最後に来たのは、妻が亡くなった直後――妻が気に入っていたこの場所に遺品を埋めた時。

 岬の墓地に遺髪を埋め、遺体を湖に葬った後、最後に遺品をこの地に埋めた。

 それ以後、男は湖の辺に居を構えるにも関わらず、この地を訪れたことは無かった。

 確か、この辺りに……。

 男が記憶を探るように辺りを見回す。やがて目的のものを見つけ――。

 平たい石の上に寝転び四肢を伸ばす。

 良くこうやっていたな。休暇中にあいつと一緒に山に行ったりしてこんな石を見つけると二人して寝転んで、偶に抱き合ったりして……。

 昔を思い出し、苦笑する。

 ……案外、メジロの皆も気がついていたのかもな。あいつの結婚相手に選んでくれた事を考えると。

 

 日が山間に沈みかける。鳥達の鳴き声も聞こえなくなり、急速に周囲に静けさが増した。

 その寂しさに耐え切れなくなった男が

「……まだ、ここに独りで来るのは辛いな」

 そう呟き、周囲を見回し、静かに立ち去る。

 

 

***

 

 湖から見える山のふもとに日が沈み、辺りが闇に包まれる。

 闇を払いのけるかのように赤々と燃える暖炉の炎とくべられた薪。その薪が爆ぜる様子を見るとは無しに見つめる男。

 その爆ぜる薪が亡き妻と過ごした日々を思い起こす。

 

 手に持つ琥珀色の液体を満たしたグラスを傾ける。

 気がつけば、頬に伝わる一筋の流れ。

 その筋に指が触れる。

「……涙、か。久しぶりに流したな。……悲しいのは、あいつがいないからか」

 否定する男の心。

「いや、違うな。あいつのことを忘れかけてる自分に対してか」

 微かな自嘲。

 忘れまいと誓った、妻の声や温もり。その想い出も、歳月を経るごとに摩滅し別のものへとすりかわっていく。

 思い出される声や温もり、仕草が次第に擦れ、色褪せていることを男は自覚していた。

 

 独り、部屋に戻る男。その歩みが止まる。その先にある扉。妻と寝食を共にした部屋。そして――妻と最後に過ごした部屋――。

 その部屋で暮らすことに耐えられなくなった男が寝室を移してからは一度も開けられることなく年月が経っていた。

 躊躇いがちに扉に手を触れ。引っ込める。

 そして暫しの躊躇いの後、その手が扉を開く。

 微かに鼻につくかび臭い匂い。

 明かりを灯し、当時と変わらぬ部屋を見回す。

 記憶を辿るかのように一歩、また一歩と歩みだし、その歩みが止まる。

 視線の先にあるのは、妻の使っていた机の上に置かれた古びた箱。

 ふと思い出す在りし日。

 

「そういえば、気になっていることがあるんだ」

「え? 何?」

「その箱だよ」

「えっ!? この箱?」

「ああ、大切に持ってきているけど、何が入ってるんだ? 宝石類は別の箱にあるし」

「気になる?」

 見つめる妻の悪戯っぽい表情。

「すこしな」

「……内緒」

「……俺にも秘密か?」

「そう。あなたには特に内緒。勝手に開けないでね」

 大切な人との思い出の品と察せられ――。

「そんなに大切なものなら別のところにおいたほうが良いんじゃないか?」

 何とはなしに不機嫌になり――。

 

 それっきりになっていた。

 ……何が入っているのだろうか?

 躊躇いがちに伸びる男の手。そっと箱に触れ――。

 錆びつき用を為さなくなった鍵を外す。

 中に入っていたのは――古ぼけたフルート。

 男が瞑目し、中空を見つめる。

 そうか、あの時の……。

 男の脳裏によみがえる一つの情景。

 

 

「入るぞ」

 部屋の主の返事も待たずに扉を開く。

 着替え途中の一糸まとわぬ裸体が目に入り、時が止まる。一瞬の沈黙、その直後。

「きゃああああああああ!!」 

 絹を裂くような悲鳴。

「す、済まん」

 慌てて扉を閉める。

「レ、レディの部屋にノックもなしに入らないでください!」

 扉越しに聞こえる声。

 ……まずかったな。……出直すか……。

 暫し間を置いた後、謝罪の言葉をかけ、その場から立ち去りかける。直後、微かに聞こえる声。

「……お入りください。わざとじゃないのは解っていますから」

 扉を開き、静かに入る。

 着替え終わり、ベットに横たわる部屋の主の、雨に打たれた仔犬のように縋る視線。

「何かありましたか?」

 不安げな声。

「……私の足、もうだめなんですか?」

 ……それが原因か。

「違う。そういうのは直接伝えられるだろ?」

 目に見えて表情が明るくなる。

 ……やはり、こいつの悲しい涙だけは見たくないな。例えそれがどれほど奇麗な涙であっても、悲しい涙は見たくない……。華が薫るような笑顔のほうがこいつには合っている。

「……それでは?」

 微かに不安の色を見せ始めたその眼差し。

 ……この雰囲気は苦手だ。

 表情を消して無言で手を差し出す。その手に在る包み。

「こんな時に、なんだけど」

「……これ、何ですか?」

「黙って開けてくれ」

 その言葉に促され、包みを開ける手。

 中から出てきた一本のフルート。

「これって……パウエルのフルートじゃないですか。……良いんですか?」

「ああ。前にいつか二人で同じ曲を奏でようって約束したからな」

「……ありがとう、ございます」

 

 ……あれからだったな、二人してフルートの演奏をはじめたのは。……何時からかあのフルートを見なくなったと思っていたら……あいつ……。

 微かに微笑む男の表情と頬に伝う一筋の涙。

 ……私に囚われて不幸になることはやめて、か。……随分無茶な願いだったな。後を追ったほうが楽だったと思う。

 だが、おまえの後を追う事はしなかった。お前は誰かを傷つけて生きていくことを何よりも恐れていたからな。

 ……後を追ったら許してはくれなかっただろう? 

 ……いつか、俺もお前の下に還る時が来るだろう。それまで、待っていてくれるよな。

 

 男の手が伸びる。

 ゆっくりとそのフルートを手に取り、口を近付ける。

 流れるように美しい。そして少し悲しい調べが、周囲を満たし始めていた。

 




故郷の続き。


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皇帝の想いは

渋側に置いたまま放置してましたので、こちらでも公開


3月12日(金曜日)

 トレーナー君、告白して明日でもう半年になるのに告白した時のキスから何もしてくれない。

 やっぱりルナの事、教え子としか見てくれないのかな。……ほかに好きな人がいるのかな? 恋人になったことは皆には内緒にしようって言っていたし。

 ……恐いけど、明日確かめてみよう。

 このままじゃ、ルナ……。

 

 


 

 

 

「何だこれは? ……日記帳か」

 

 一人の男がホワイトデーを明後日に控えバレンタインデーのお返しに何を贈るか考えながら歩いていた廊下に落ちていた一冊の冊子。

 それを拾った男――堀園英明。男はトレセン学園のトレーナーとして、一つのチームを率いる身であった。

 部室の前で拾った一冊の冊子。何かと見ると日記帳だった。

 

「誰だ? こんな所に日記帳なんか落とした奴は。見られたらどうする気だ?」

 

 英明が日記帳の持ち主の名を確かめる。持ち主は自らの恋人であった。

 

「おいおい。ルナの日記帳かよ」

 

 当の本人に呼ばれていることもあり生徒会室の扉を開けると、机に頭を預けぐっすりと寝ているルドルフの姿があった。

 

「おやおや。呼ばれたから来たものの……しかたないな、疲れているんだろうから寝かせておくか。……この日記帳は机にでも置いておくか」

 

 足音を忍ばせ勝手知ったる生徒会室に入り込む。

 

「いくら入ってもいいと言われているとは言え、寝ている時に入り込んでいるのが見つかったら流石に大騒ぎだな」

 

 そう呟き日記帳を机に置きかけるが、最近恋人の元気がない事を英明は思い出した。

 周囲に問いかけても理由を知るものはなく、本人に問いかけても、何でもない。と強がる様子が気になっていた英明は、最低の行為とは思いつつも何か手掛かりはないかと最新の頁を捲ってしまった。

 そこで目にした今日の日付で書かれていた内容。

 それを見た英明にある想いが湧き上がっていた。

 

「……ごめん」

 

 そう呟き日記帳をそっと置くと、英明は静かに生徒会室を出ていった。

 

「……」

 

 机に頭を預けながらそれを静かに見つめるこの部屋の主。その瞳には微かに不安の色が出ていた。

 

 

 

 ⏲ ⏲ ⏲ ⏲ ⏲

 

 

 

 翌日、英明は駅前で待ち合わせをしていた。

 

「トレーナー君」

 

 

 ワインレッドのタートルニットとブラウンのキュロットスカートにホワイトダッフルコートを着たルドルフが小走りに駆け寄ってくる。

 

 

「すまない。待たせてしまったかな?」

「いや、俺も今きたところだ。ルドルフ、なかなか似合っているぞ。普段は大人びていると思っていたけど、今日は随分と可愛らしい。ロングブーツで元気よく走る姿も年相応で良いな」

 

 そう言う英明の言葉に頬を赤く染め俯くルドルフ。

 

「意地悪しないでくれ」

 

 気を取り直し真っ赤にながらも繁々と想い人を見つめ直すルドルフ。英明は白のタートルネックニットとグレンチェックのスラックスにネイビーカラーのポロコート姿であった。

 

「ふむ。初めてその服を見たけど、よく似合ってるね。ポロコートもトレーナー君の雰囲気によく似合ってる」

 

 そう言うと差し出されていた英明の腕に自らの腕を絡めるルドルフ。

 

「さて行こうか」

 

「ああ。あまり遅くはならないで欲しいがな。私が門限を破るわけにはいかない。念のため外泊届も出してきたが」

 

 そう腕を組みながら歩く2人を見つめる2つの人影があった。

 

 

「なあなあ、マックちゃん。あれって会長じゃね? 隣は会長のトレーナーじゃん。どこ行くんだろ?」

「ゴールドシップさん、悪趣味ですわよ?」

「でもよ~。マックちゃんも気になるだろ?」

「それは……」

「決まりっ! 尾行してみようぜ」

「ちょっと! お行儀悪いですわよ! もう。仕方ありませんねっ! 行きますから袖を引っ張らないでください。袖が伸びてしまいますわ」

 

 2人の後をつけていく葦毛のウマ娘二人。

 

 

 ⏲ ⏲ ⏲ ⏲ ⏲

 

 

「あ、そうだ。トレーナー君」

「何? ルドルフ」

「それだよ、それ。二人きりの時は……」

「おっと。そうだったな、ルナ」

 

 その言葉に満足げに頷くルドルフ。

 その様子を見た英明が

 

「そうそう、俺からも良いかな? ルナ」

「何だい?」

「今更だけどトレーナー呼び、どうにかならないか」

「突然どうしたんだ? 私の卒業までは関係は内密にするという事だっただろう?」

 

 英明の唐突な言葉に戸惑うルドルフ。

 

「ああ。でもこんな風に二人っきりの時ぐらいはな」

「だが……蟻の一穴から堤も崩れるというぞ? 良いのかな?」

 

 首を傾げてどこか意地悪気に英明を見遣るルドルフ。

 

「命令。学園に戻るまでトレーナー呼び禁止」

 

 その言葉にルドルフが呆れた表情をする。

 

「また突然だね?」

 

「良いんだ! 折角のデートなんだ、恋人らしい雰囲気を味わせろ」

 

 その言葉に顔を赤らめるルドルフ。

 

「こんな楽しい時にトレーナーなんて呼ばれたら普段を思い出しちまう。それじゃ楽しめないからな」

「そういう事か。それで? 私はどう呼べばいいのかな?」

 

 ニンマリとする英明。

 

「呼び方はルドルフが考えてな」

 

 その言葉にニヤリと笑みを浮かべるルドルフに

 

「あぁ。ないとは思うが様付けは禁止だ」

 

 男のその言葉にあからさまに肩を落とすルドルフ。

 

「読まれていたか」

「残念だったな」

 

 しばらく考え込んでいたルドルフだったが、やがて思い切ったように

 

英明君

 

 消え入りそうな声で、男の名を呼ぶルドルフ。

 

「ん? 良く聞こえなかったな。なんて言ったんだ?」

 

 普段のルドルフからは予想できなかった声調に一瞬眉を上げた男であったが、それ以上は表情に表す事なく、直ぐにわざとらしく耳に手を当てる。

 

英明

 

 先ほどよりは大きく、だが普段よりは遙かに小さい声。

 

「まぁ、おいおい慣れてな」

 

 もう一度問い返すかと耳に手をやり掛けたが、始めはこんなものだろうと、苦笑を浮かべながら傍らの恋人の頭にポンポンと手を遣る。

 

「もぅ。……異性のファーストネームを呼ぶのは初めてなんだ、意地悪言わないでくれ」

 

 顔に恥じらいの色が溢れるルドルフを見遣り、その腕を取ると自らに引き寄せる男。寄り添いながら互いの温もりを感じる二人。同時に男はルドルフの女性特有の甘い匂いと柔らかさを、ルドルフは男の念入りに鍛え上げられている引き締まった肉体を感じつつ歩を進めた。

 

「これからどこに行くのかな? 食事だけじゃないと言っていたが」

「ついてのお楽しみ♪」

「……まさか不埒なことを考えているわけではないだろうね」

「ば~か。そんな事ができる俺ならとっくに頂くもの頂いて……って、何言わせる」

 

 そう言って、ルドルフを軽く小突く男。

 

「痛っ。もう、叩くことないじゃないか」

 

 そう言うと俯いたまま黙り込むルドルフ。

 たわいもない会話を続ける男だがルドルフが一向に返事をしないことに戸惑いを感じ始めた。

 

「ルドルフ?」

 

 言葉を返さないルドルフ。

 

「おっと。具合でも悪いのか、ルナ?」

 

 顔を両手で覆いつつ無言で首を横に振るルドルフ。

 

「どうした? ひょっとしてさっきのこと怒ってるのか?」

 

 男がルドルフの顔を覗き込もうとするが、顔を両手で覆い見せないルドルフ。回り込もうとすると俯いたまま身体をよじる。

 そのやり取りを何度か繰り返しているうちに

 

「ルドルフ、ごめんな。謝るから機嫌直してくれよ、な?」

「……」

 

 ルドルフの沈黙は続く。

 

「なぁ、今度ケーキ奢るから。機嫌直してくれよ」

 

 そう言いつつ下から表情を窺う。

 

「あ! 騙したな」

 

 顔中を口にして声を立てずに笑っているルドルフがそこにいた。

 

「ははは! あんな事で怒ると考えたトレーナー君が悪いのさ。ケーキは有難く頂戴するよ」

「こら待て、こいつ」

 

 嬌声をあげながら逃げるルドルフ。それを追いかける男。

 

 

 

「……なんか楽しそうですわ。やはり止めた方がよろしいのでは? 邪魔をしては……」

「イヤイヤ、今更それは無いぜ、マックちゃん。普段の会長とは違った面が見られるかもよ。テイオーにテイオーが知らない会長の一面を自慢できるチャンスだぜ?」

「……それもそうですわね。そうと決まれば早くいきましょう!」

(オイオイ、言った私が言うのもなんだけど、マックちゃん、チョロすぎないか?)

 

 

 ⏲ ⏲ ⏲ ⏲ ⏲

 

 

「さ~てと、着いたぞ」

「えっ!? ここは遊園地かい!?」

「あぁ、今日は年一回のオールナイト営業なんだ。タダ券2枚だけ手に入れたからね。たまにはいいだろ?」

 

 

 ⏲ ⏲ ⏲ ⏲ ⏲ 

 

 

「いや、これは楽しかった。ありがとう、トレーナー君。 ……正直に言うとずっと来たかった、このような施設に。それも友達とではなく……その……」

「恋人と。かな」

 

 その言葉に夜目にも解るほど頬を染め俯くルドルフ。

 その様子を幸せそうに見つめる男が、ふと何かに気づき懐中時計を取り出す。

 

「あれ、ずいぶん遅くなったな」

「うん? もうこんな時間か。これから帰るのでは確実に門限を破ってしまうな。外泊届を出しておいてよかった」

 

 そう言ってバッグから携帯を取り出すルドルフ。

 

「もしもし。ああ、私だ。遅くなるから先に休んでくれと寮長に伝えてくれないか? ……えっ? ちょっと! 待て! ……もう」

 

 携帯を切るルドルフ。

 

「トレ……英明。まずい事態だ。同室の娘に英明と一緒にいる事を気づかれたようだ、彼女は口が堅いから問題はないと思うが」

「あ~。そうか。ルナが大丈夫というなら大丈夫なんだろう。一応後で俺からも何か口止め料を持っていくか」

「さて、そろそろレストランに行こうか。少し離れたところにあるから、歩いて行けばちょうどいい頃だ」

 

 

「なぁ、マックちゃん。外泊届って出したか?」

「いいえ? って、もうこんな時間!? イクノさんに心配かけてしまいますわ」

「まぁ、二人分の外泊届はちぃと前に出しておいたけどよ、イクノには言っておいた方が良いな」

「もう……」

 

 

 ⏲ ⏲ ⏲ ⏲ ⏲ 

 

 

「ここなら、味は保証するよ」

「ほう。良い外観だね。でもここは高くないか? トレーナー君、予算は大丈夫なのか? むろん皇帝の杖たる君が私に払わせることはないと信じているが」

「大丈夫。心配するな。それにここ見かけほど高くないから」

 

 

 レストラン『カケスのサミー』

 その名前とは裏腹に、落ち着いた雰囲気を持ち、本格的なドイツ料理を出す店として、業界の評判は高い。にもかかわらずオーナーが大のマスコミ嫌いで一度も取材を受けたことのない店である。

 

「ふむ……」

「ほら入るぞ」

「あ、ちょっと」

 

 

「おいおい。ずいぶん奮発してんじゃね~か。高そうだなぁ。仕方ね~。マックちゃん、ここで待つか」

「ここは……『カケスのサミー』ではありませんか。前にメジロの皆で貸し切ろうとしたら、予約がいっぱいということで断わられたところですわ。ダイヤさん達も断られたとか」

 

 親の仇でも見るような眼をするマックイーンにいささか引き気味のゴールドシップ。

 

「……マックちゃんや。ご令嬢がしちゃいけない顔してるぜ」

 

 

 ⏲ ⏲ ⏲ ⏲ ⏲ 

 

 

 店の内装は瀟洒な外見とは異なり、フレンチトラディショナルスタイルに統一され、照明は壁に掛けられた燭台と手編みのクロスがかかったテーブルに置かれたキャンドルの他は最小限に抑えられていた。

 

「トレーナー君。無理をしていないか?」

 

 雰囲気に呑まれるようにルドルフの声も自然と小さくなる。

 

「大丈夫。ここは俺の行き付けの店だから安心してくれ。それと、呼び方」

 

 時々トレーナー呼びに戻るルドルフに軽くデコピンをお見舞いすると

 

「予約しておいた堀園です」

 

 と伝える。

 

「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

 

 威厳と体格と美髯に恵まれた老ウェイターが案内する。

 席に着くと同時にルドルフが話し掛ける。

 

「よくここが予約できたね。だいぶ前から準備していたのかい?」

「まぁ、普通なら難しいだろうな。マックイーンたちが貸切ろうとして断られたみたいだしな」

「なるほど。普通なら、か。ならトレーナー君は普通ではない、いわば不正な方法でここを予約したと。生徒会長としては見過ごせないな」

 

 威圧するようでいてどこかいたずら気な視線で睨むルドルフに

  

「よせよ、そんな不正なんてするわけないだろ?」

「むろん私のトレーナーが品行方正であることは信じているとも。だが」

「やれやれ。種明かしをするとだな。俺はここがクラウドファンディングで開店資金を募っている頃からの出資会員だからな。会員枠で予約を取れたんだ。とはいっても会員枠も2人1組で10組分の席しかないからぎりぎりだったけど」

「会員枠? そんなものがあったのか。ならば私も……」

「いや、今は公募していない。会員はオーナーが無名の頃から支えてきた奴ら100人だけだ。メジロ家やサトノ家といった名家が目をつける前からのな」

「なんとまぁ。シンボリ家も鼻が鈍ったものだ」

「まぁ。そんなことはどうでもいいさ。それより料理を楽しもう」

 

「――と、ライン風ザワーブラーテン。デザートにフランク・フルター・クランツ。ワインは……ちと奮発するか。2005年産のトロッケンベーレンアウスレーゼQmPを。ルドルフは飲むのはアプフェルショーレにしておくか?」

「アプフェルショーレとは……聞いたことがあるような無いような?」

「りんごジュースを炭酸水で割ったやつでヒトの子供でも飲めるやつだな」

「私はウマ娘だ。ワインも大丈夫なのだがな」

 

 気分を聊か害したように口をとがらせたルドルフ。

 

「言い方が悪かったかな。アプフェルショーレは子供限定の飲み物ってわけじゃないんだが。ならヴァインショーレにしよう。ワインを炭酸水で割ったやつだ」

 

「それならいいが……」

「じゃぁ、決まりだな。彼女の飲み物にはヴァインショーレを」

「畏まりました」

 

 

 ⏲ ⏲ ⏲ ⏲ ⏲

 

 

「あれだけの料理があの値段で食べられるとは、な。トレーナー君、今まで内緒にしてずるいじゃないか」

「まあ、俺のとっておきの店だからな。他の奴らには教えるつもりないし」

 

 そう嘯くトレーナーに

 

「ひどいなぁ。……二人だけの秘密、か」

 

 笑いながらも唇に指先をあてるルドルフ。

 

 

 

「……だとさ。どうする?」

「ふむふむ。これはスイーツバイキング2週間や3週間じゃぁ済まされませんわ。でもどうしてゴールドシップさんは言っていることがわかるのですか?」

「おいおい、マックちゃん。読唇術程度身に付けるのは淑女の嗜みでしてよ?」

「……そんなわけありませんわ」

 

 

 ⏲ ⏲ ⏲ ⏲ ⏲

 

 

 

「これからどこに行くのかな?」

 

 ルドルフが期待に満ちたまなざしを向ける。

 

「ワインバーにでもいくか?」

「う~ん、酔ってしまって醜態をさらすわけには、な」

「ふ~ん」

 

 一瞬鼻の下を伸ばした男を見逃すことなく

 

「……ふぅ。今変な事考えたようだね。まったく男の性というものは」

 

 軽く肘打ちを当て呟く。ルドルフが他人には決して見せない、意地悪そうでいて甘やかさを含んだ声と視線。

 

「まったく。君はそんな人ではないと思っていたのだが」

「おいおい……そんな真似しないって」

「ホントかなぁ」

 

 疑わしそうな表情で呟くルドルフ。

 

「おいおい……」

 

 困る英明を見て笑うルドルフ。

 

「冗談だよ。何もしてくれないよね……。ルナ、待ってるのに……」

 

 紡ぎ出される言葉の大半は泡沫の如く消え、英明には届かなかった。

 

「ま、バーは次の機会だな。今日は帰ろうか。あ、最終出ちまった」

 

 目の前で発車したバスを見送る二人。

 

「……どうするのかな?」

「……そこらで泊るか?」

 

 傍らの愛しき人が頬を赤らめ俯く様子を期待し軽口を叩く英明。

 しかし、その予想は覆され――。

 

「やはりな。『泊る』などと。最初から狙ってたようだね」

 

 先程の声と視線で嫌悪感を出来るだけ露わにして言葉を紡ぐルドルフ。

 

「違う! 偶然だ、偶然! 本気にしないでくれ」

「その言葉、この状況で信じるに値するとでも?」

 

 疑わしそうな表情でルドルフが呟く。

 

「信じてくれよ! この顔が嘘つく顔に見えますか? ってな」

 

 英明のその言葉に軽く噴き出すルドルフ。

 

「フフフ。その台詞は随分古いな。冗談だ」

 

 そういうと、寂しげに笑みを浮かべるルドルフ。

 

そんな事考えないよね。ルナ、待っているんだけどな

 

 言葉の後半は聞こえなかったが、聞こえた前半の言葉で安堵の色が浮かぶ英明の顔。

 

「でも、どうするかな。ここからタクシーだと結構かかる。私が君を抱えて走るか?」

「いやいや、ルナにそんなことはさせられないよ。……俺の尊厳的にも」

 

 後半はボソッとつぶやく男。

 

「少し遠いけど、ルナが良ければ歩くか?」

 

「そうだね。月も輝いているし、たまには二人だけの夜の散歩もいいかもね」

 

 それに聞きたい事もあるし。

 声に出さず呟くルドルフ。

 

 

  ⏲ ⏲ ⏲ ⏲ ⏲

 

 

 星が降るような冬の夜空。

 凍てつくかのような夜の静寂の中、ルドルフの靴音が響く。

 腕を組み歩く二人。その温もりを感じつつ不安を抱くルドルフ。

 

(トレーナーは私の事をどう思ってるのだろうか)

 

 今ある幸せを喪いたくない。だが湧き出す疑念を抑える心は、ルドルフにはもはや――。

 

(聞くのは恐い。だがいつまでも不安な気持ちを持つのはもうたくさんだ)

 

 そう決意を固める。

 

(決めた。聞いてみよう)

 

「ねえ、トレーナー」

 

 何事か問い掛けるその口調とその内に秘められたる微かな不安。

 その口調から何が問われるか、ある種の確信を秘めた予感を感じ取る英明。

 

 人は……いないな。

 

 素早く周囲を見渡し確認する。

 

「あのね?」

 

 身体を翻し何事か問い掛けるルナ(・・)

 それを遮るように手を掴む英明。

 

「えッ!?」

 

 強く引かれたわけではない。しかし、力を失ったかのように英明の側に引き寄せられるルナの身体。

 その唇を一瞬、軽い――羽毛が触れたかの様な柔らかい感触が塞ぐ。

 

「えっ!?」

 

 予想だにしなかったその行動。

 

「と……れーなー?」

 

 唇に手を当て、英明を見つめるルナ。

 

「迷惑、だったかな?」

 

 英明が耳元で囁く。

 

「ううん。そんなことない!! ……でも初めてのデートの記念だったんだから、もう少しムードが」

 

 顔を染め俯くルナ。

 その言葉に英明が無言で優しく想い人を抱き寄せる。

 抱き寄せられ、コートに包み込まれるルナ。

 その背中に回される男の右手。

 ルナがコートに包まれたままその胸に凭れ掛かり、顔を上げる。

 ルナを映す英明の瞳とそれを見るルナ。

 

「と……れーなー」

 

 微かに開いた桜色の唇。

 切ない吐息が漏れる。

 英明は何も言わず、左手を艶やかな髪の中に通す。

 その手を頬に滑らせ、顔の形を撫でる――何かを確認するかのように優しく。

 

 首元にその手がたどり着き、微かに震えるルナの身体。

 優しくその肩を抱く、英明の両手。

 瞳を閉じるルナ。

 永遠にも思える一瞬。

 触れる英明の唇。

 月明かりの中、重なる二つの影。

 

 

 

「とれーなー……ねえ、人が来ちゃうよ?」

 

 熱く掠れる声。

 

「大丈夫だ。ここは滅多に、人来ないから」

 

 英明がルナの背中に回した手に力を籠める。

 ルナがうつむいたまま、額を男の胸に預ける。

 互いの温もりが身体に伝わる。

 

「ねぇ。ルナの事、愛してる?」

 

 ルナが囁く。

 

「言わなくてもわかるだろ?」

 ルナの瞳を覗き込みながら答える英明。

 再び重なる二つの影。

 

 

 

「決定的瞬間ゲット! おっしゃぁ。この写真、いくらで売れるかな~って売らないけどな」

「もう。それにしてもあの二人、いつからあんな関係だったのでしょうか」

「何時からだっていいけどな。さてと、ばれないうちに行こうぜ、マックちゃん」

「ええ。でもこんな風に逢引きせずとも堂々とされていればいいのに」

 

 その場から立ち去る二人。

 

「いや、それはダメだろ? 会長とトレーナーの恋なんて公になったら大変だぜ」

「あ、そうですわね」

「これで会長と付き合っている事が公になったら……判るだろ? 立場を利用してだの、ひどい中傷を言われるかもしれないし」

「『トレセン学園は婚活会場』なんて噂がまた復活するかもしれませんわね。トレーナーや教師の方々のほとんどは男女の関係について潔癖なところがありますから私達をどうこうは見ないのですが、そのようなことは傍からは判りませんものね、下種の勘繰りというやつですわ」

「ま、あの会長のトレーナーだからな。そんな事承知してるだろうよ。だからばれない様に隠してたんだろ?」

「それではこのことは内密に?」

「それとこれとは話が別。明日の朝、一番に突撃してみようぜ」

「いやですわ、そんな命知らずな真似」

 

 ばれないようにとその場から立ち去る二人。

 

 

 ⏲ ⏲ ⏲ ⏲ ⏲

 

 

「一つ聞いてもいいかな?」

 

 男からそっと身体を離し、顔を赤らめ俯きながら尋ねるルドルフ(・・・・)

 

「何?」

 

「どうして今日はキスしたのかな?」

 

「あぁ付き合って半年経ったし、そろそろ頃合いだと思ってな」

 

 戸惑う英明。

 

「誤魔化さなくてもいいよ、トレーナー。昨日、()の日記読んだよね。見てたから惚けても無駄だよ」

 

 そう言って顔を上げるルドルフの目には強い意志の光が感じられた。

 

「!! 知っていたのか」

 

 驚愕。そして後悔。

 

「正直に言って。いつから()の日記読んでたの?」

「……」

 

 沈黙が流れる。

 

「そうか。トレーナーが答えられないなら私から言うよ。私が気づいたのは4ヶ月前。トレーナーは多分もっと前から読んでいた筈だね」

「ここまで来ちゃ嘘は言えないよな。ルドルフと恋人関係になって半年位後からかな。ルドルフが何か隠し事をしていてエアグルーヴやテイオーが随分心配していた時にね」

「そんなに前からか」

 ため息を吐くルドルフ。

 

「初めて見たときは絶対に許さないと思ったのだけどね。証拠を集めようと暫く泳がせていたんだが、トレーナーが私の日記を読む時は私が誰にも相談できない悩みを抱えている時に限ってだったことに気がついてね」

 

 沈黙が続く。

 

「心配してくれているのが判ったから目こぼししていたんだ。でもほかの子にも同じような真似なんかしていたら……わかっているだろうね?」

 

 射すくめるような圧を真正面から受け止める英明。

 

「それは絶対にない。テイオー達は何かあるとすぐ表情や動作に出るし、悩み事はしっかりと伝えてくれるからね。ところがルドルフは自分を鎧って何も話さない事が多かったからな。あの時もとんでもない事態に巻き込まれているんじゃないかってヒヤヒヤしていたんだ」

「すまない、心配かけていたようだね」

「謝るのは俺のほうだよ。ごめんな。最低の行為だよな、人の日記を読むなんて」

「もういい。惚れた弱みで許すから」

 

 そう言うとルドルフが顔を上げ、英明を見つめる。

 

「でも、今度から勝手に読まないでくれ。読みたかったら言ってくれればいつでも読ませてあげるから。ああ、今日の分は読んでもいいよ」

 

 悪戯そうな、だが、どこか寂しげな笑みを浮かべてルドルフが言った。

 

「昨日の日記だって読んで貰えるように態と君が通りがかる時間を見計らって廊下に落としたんだ」

「えっ!?」

 

 そういえば。と英明はルドルフが数日元気がなかった事を思い出した。

(だから日記を読んだんだよな。見事にルドルフの策に嵌まったわけか。でも……)

 

「なぜそんな事を……?」

「……だって何にもしてくれないから怖かったんだ」

「ルドルフ?」

「ルナっ! どうして今まで何もしてくれなかったの? ルナ、トレーナーが他に好きな人がいるんじゃないかって、振られたらどうしようって、本当に、本当に恐かったの」

 

 コートの襟を握り締め、抑えていた想いを吐き出すルナ。

 

「……ルナ」

 

 英明が深く、静かに息を吐く。

 

「ごめんな。結婚するまでは手を出さないって決めていたんだ」

 

 男のその言葉に

 

「そう……か。他に好きな娘がいたわけではなかったのか」

 

 安堵の色を見せるルドルフ。

 

「でもそれって独り善がりだったな。ルドルフの気持ちを考えていなかった。しっかりとルドルフに伝えるべきっだったよ。自分の恋人の気持ちを考えられない様じゃ恋人失格だな」

「もういいよ。トレーナーの気持ちはわかったから。……良かった」

 

 そう呟くとルドルフは英明の胸にもたれかかり、額をその肩に預ける。

 一瞬訪れる沈黙。温もりと鼓動が互いに伝わりあう。

 そのわずかな沈黙の後、ルドルフが呟く。

 英明に聞こえるか聞こえないかの小さな声。

 その込められた想いを自らの心に秘めるかの如く。

 想い人の心に伝えるかの如く。

 

「ありがとう、トレーナー」

 

 そのルドルフの言葉に、英明がルドルフの顎をあげ、眼を覗き込む。

 

「違うだろう、ルナ」

 

 息を呑むルドルフ。暫しの躊躇いの後、小さく、そして強く。

 

「ありがとう。英明」

 

 その言葉に表情を緩めた英明。二人の視線が交わる。どちらともなく近づき、いつ尽きるともしれない口づけに浸った。

 

 

 トレーナーと選手であり恋人同士と言う二人の微妙なこの距離は、この日、この時間からゼロ――互いに掛替えの無い存在――へと縮まった。

 

 


 

 

 

3月13日(土曜日)

 この日記を読んでるはずのトレーナーへ

  

 

 私の日記は別につける。それは勝手に読まないでくれ。想い人に日記を読まれるのはホントに恥ずかしいからね。

 

 それと、この日記はいっその事、トレーナーとの交換日記にしないか? そうすればその日の出来事やトレーナーだけに話したい事はここに書いておけばいいし。

 

 どうかな? 我ながらいいアイデアだと思うが。

 

 それじゃ、おやすみなさい。あ、返事はちゃんと書いてね。

 

 それと、ホワイトデーのお返し、期待しているからね。

 

 

 

 

                                   貴方の愛 ルナ

 

 

 

 

 





分かる方はお分かりと思いますが……

ええ、ぶっちゃけ、艦これのリメイク版です。


ここ最近こっちでウマ娘の投稿していなかったので。

















(元話が四半世紀前に投稿した物の再リメイク版だってのは言わんでおこ)


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